扶桑の兄妹外伝~ブレイブウィッチーズ 佐世保の英雄の弟妹~ (u-ya)
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第1話「雁淵 輝(かりぶち ひかる)」

扶桑の兄妹の外伝作品です。メインはあちらなので、こちらはやや亀更新になります。


1937年、扶桑皇国佐世保――

 

ある冬の日の夕暮れ時。沈みかけた夕陽で赤く染まっている景色の中を一人の少年が走っていた。学生鞄を大きく揺らしながら、家へと続く通学路を彼の右手には一枚の紙を大切そうに握り締められていた。

少年の年齢は7、8歳ほど、短めの茶髪にやや小柄で華奢な体格。遠目で美少女と間違えてしまうほど整った顔立ちは、近所のおばさんやクラスの女子等からは可愛いと評判だが、本人は外見があまり男らしくないことを大変気にしている。

 

「ハァ……ハァ……」

 

家の玄関前まで戻って来た少年は足を止め、乱れた呼吸を整えようと左手を胸に当てる。スタミナも考えずに全力疾走してきた彼の心臓はうるさいくらいに脈打っている。休んでいるうちに呼吸は段々と落ち着き、耳からも脈動が消えていく。

少年、いや雁淵輝(かりぶち ひかる)は握り締めていた紙を広げる。それは学校のテスト用紙だった。点数は90点、テストの何日も前から勉強していた彼の努力の結晶であり、過去最高の点数だ。

 

「ふふ……」

 

自然と笑みが零れる。先生からテスト用紙を受け取った時、輝は飛び跳ねて喜んだ。このことを早く家族に伝えたくて、一緒に喜んで欲しくて、家を目指して無我夢中で駆けてきた。輝は一度大きく息を吸うと、玄関の戸を開けた。

 

「あっ、輝お兄ちゃん!お帰りなさい!」

 

「ただいま、ひかり」

 

帰って来た輝を出迎えたのは一歳年下の妹、雁淵ひかりだった。髪型は違うが輝と同じ茶髪。顔立ちも双子と見間違うほど似ている。

輝より一足早く帰って来ていたらしく、脱いだばかりの靴を揃えていた。

 

「ねぇねぇ、聞いてお兄ちゃん!」

 

何か嬉しいことでもあったのか、ひかりは弾むような声で語り掛ける。

 

「俺も話したいことが――」

 

「孝美お姉ちゃん!テストで100点採ったんだって!」

 

「……え?」

 

雁淵孝美、雁淵家の長女にして輝とひかりの姉。美人で気立てが良く、誰にでも優しく出来る人格者。

学校では文武両道の才女でいくつも賞を貰っている。家族はもちろん、近所の大人達からも好かれ、友達も多い。所謂人気者だ。

 

「やっぱり、お姉ちゃんってすごいなぁ!私もいつか、あんな風になりたいなぁ!」

 

姉への憧れを口にして、ひかりはうっとりと頬を染める。一方、先ほどまで輝いていたはずの輝の表情には影が射していた。

 

「どうしたの?」

 

兄の異変に気付いたひかりはじっと輝の顔を覗き込んだ。

 

「あ、えーっと……なんでもないよ。100点なんて姉さんはすごいなぁ」

 

笑って誤魔化す輝だが、後ろに隠した用紙を握り締める左手はふるふると震えていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年3月末、オラーシャ帝国ペドロザヴォーツク――

 

オラーシャ北西部の都市――ペドロザヴォーツク。その近郊に存在する扶桑陸軍の基地には、本大戦初期にシベリア鉄道を使って、浦塩から欧州へ派遣された扶桑皇国陸軍の一部隊――扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団が駐屯していた。

幼かった雁淵輝も今や扶桑陸軍の陸戦ウィザード。扶桑陸軍曹長として、当師団の装甲歩兵第1連隊に配属されている。

 

「えっ?ペテルブルグへ?」

 

朝早くに呼び出され、戦車第2師団師団長――矢口中将の執務室に通されていた輝は、装甲歩兵第1連隊の連隊長を務める陸戦ウィッチ――茂木貴子中佐から配置転換の辞令を受けていた。

 

「第502統合戦闘航空団の補助部隊に欠員が出てな、誰か寄越してくれ、と言われた。それで、お前に言って貰いたい」

 

「統合戦闘航空団の補助部隊、って……まさか左遷ですか?」

 

統合戦闘航空団は、各国軍からエース級のウィッチないしウィザードを召集し、設立された連合軍総司令部直属の精鋭部隊。航空ウィッチに限らず、ストライカーユニットの整備兵などの基地要員も、各国から最優秀の人材が集められている。

統合戦闘航空団への配属は大変名誉なことなのだが、各国の指揮系統から独立している性質上、問題児の厄介払い先という負の面も持ち合わせている。

 

「雁淵曹長!」

 

邪推する輝を、すぐさま矢口が咎める。

 

「どこへ配属されようと忠実に任務を遂行する。それが、扶桑皇国軍人だ」

 

「お前はまだまだ半人前だ。ユーティライネン大尉の元で経験を積め」

 

茂木が、矢口の言葉を継いだ。

 

「…………」

 

「どうした?返事が聞こえないぞ?」

 

矢口が急かすように言うと、輝は不満げながらも敬礼して応じた。

 

「雁淵輝曹長。第502統合戦闘航空団補助部隊への転属、受領致しました」

 

不承不承ながらも了承した輝は、この翌週からペテルブルグに基地を構える第502統合戦闘航空団「ブレイブウィッチーズ」の補助部隊に配属された。




原作アニメにおける芳佳とひかりがそうだったように、輝も優人と真逆な特徴を描きます。

よかったら、遊び感覚で見つけてみて下さい。


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第2話「厄介払いでペテルブルグへ」

オラーシャの首都って、ペテルブルグなんですってねぇ……

第1話の方で二つ変更があります。

・輝の原隊
欧州派遣軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊→東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊

・戦車第2師団駐留地
ベロモルスク→ペトロザヴォーツク


あと、オリ主が男の娘と聞いて可愛いらしいキャラを想像した方がいたらごめんなさい。輝は基本的に口悪いし、少々荒っぽいです(^_^;)


オラーシャ帝国ペトロザヴォーツクより南方へ伸びた線路上を、軍用列車が煙突から黒煙を吐きながらペテルブルグのスオムス駅へ向けて走っていた。

この列車は、主にムルマンスクやベロモルスクから前線に人員や物質を運ぶため利用される。第502統合戦闘航空団・補助部隊への転属が決まった輝も、所属師団が駐屯していたペトロザヴォーツク駅より乗車していた。

 

「…………」

 

座席に腰を下ろした輝は、出立直前茂木に手渡された書類に目を通していた。内容は、ペテルブルグの現況や502部隊の成り立ち、補助部隊の必要性等々。

輝の転属先である補助部隊は、大半がスオムス人で構成された中隊規模の部隊だ。指揮官は、ヒスパニア戦役や本大戦初期に活躍したスオムス陸軍大尉にして陸戦ウィッチ。

どうやらスオムス陸軍の部隊に混じり、戦闘によって墜落ないし不時着した502航空団のウィッチ及びストライカーユニットの回収が輝の主な仕事らしい。

 

「……雑用かよ」

 

不服だと言わんばかりの表情でぼやくと、輝は隣に置かれた鞄に書類を押し込んだ。他の荷物は昨日のうちにペテルブルグへ発送され、手荷物はこれだけだ。

輝は、溜め息混じりに一昨日の師団長執務室でのやり取りを思い浮かべる。茂木も矢口も、はっきりとは言わなかったが、この転属は明らかな左遷だ。人当たりの悪い自分が上官だけでなく、同僚達からも良く思われていなかったことは知っていたし、別に意外でもなんでもない。しかし、航空ウィッチ部隊の尻拭いをさせられるなどは予想だにしていなかった。はっきり言って、こんな下請けのような役目は気に入らない。

輝は列車の窓辺で頬杖を着いた。窓の外には雪化粧が施され、白銀に輝くオラーシャの大地が広がっている。美しい景色ではあるが、扶桑人の輝からしてみればペトロザヴォーツク出発直後に見たものとあまり変わらない、退屈なもの。

 

(少し寝るかな……)

 

スオムス駅に到着するまでまだまだ時間が掛かる。輝は、仮眠を取って時間を潰すことにした。

自然と欠伸が漏れ、輝は静かに目を閉じる。規定の速度で走行する列車の心地好い振動と、彼以外は誰もいない客車の静寂な空間が、輝を眠りの淵へ誘っていった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、ペテルブルグ――

 

「扶桑陸軍のウィザード、ですか?」

 

ペテルブルグにそびえ立つ、第502統合戦闘航空団基地内にある一室。スチーム暖房が効いていて十分な暖かさが保たれている部隊司令執務室では、二人の女性が向かい合っていた。

一人は、スオムス陸軍の野戦服を身に纏った陸戦ウィッチ。身長172cmという女性にしてはかなりの長身で、銀色の髪と薄紫色の瞳を持つこの美女の名は、スオムスの英雄として知られている陸戦ウィッチ――アウロラ・エディス・ユーティライネン。

第502統合戦闘航空団直属のストライカーユニット回収班指揮官を務める大尉であり、ここペテルブルグにおいて輝の新しい上官となるベテラン陸戦ウィッチだ。

 

「ああ」

 

確認するように訊ねるアウロラに、デスクの椅子に腰を下ろしているウィッチが頷いた。

カールスラント空軍の制服を身に纏った彼女こそ、第502統合戦闘航空団司令グンドュラ・ラル少佐。すらりとした肢体と紅茶色の髪が印象的で、アウロラに劣らずかなりの美人だが、有能な指揮官であり部隊一の撃墜スコアを誇る女傑でもある。

当基地の司令も兼任しているラルは、執務室にアウロラを呼び出し、間も無くスオムス駅に到着するであろう補充要員について話していた。

 

「名前は雁淵輝。扶桑陸軍での階級は曹長だが、こちらに着き次第、連合軍准尉に昇格となる」

 

ラルが輝について説明を付け足すと、二人から少し離れた位置に立っている少女が溜め息を漏らした。

黒と濃紺の制服を着用している彼女の名は、アレクサンドラ・イワーノブナ・ポクルイーシキン。階級はアウロラと同じく大尉だ。

オラーシャ陸軍より502部隊へ派遣されている航空ウィッチにして、ここペテルブルグでは戦闘隊長を務めている。基地司令も兼任しているラルの代わりに現場の指揮を執っている。

ラルをはじめとする502の面々からは“サーシャ”と呼ばれているが、これはオラーシャにおけるアレクサンドラの一般的な愛称である。

ウェーブのかかった金髪にカチューシャを着けた可憐な少女といった印象で、大人然としたラルやアウロラとはまた違った趣の美女だ。

 

「その雁淵准尉は、どのような人物なのでしょう?」

 

サーシャは、「今度の人材はどうやって掠め取ったんですか?」と言いそうになるのを堪えつつ、ラルに訊ねる。

第502統合戦闘航空団創設が決定し、502及び当基地の司令に任命されたラルは、予想されるオラーシャの厳しい戦いに備えて航空歩兵に限らず、あらゆる分野で使えると思った人材や必要な物質を守銭奴のようにかき集めていた。

補給物資から隊員に至るまで、欲しいものを手に入れるためなら、他の部隊から強引なやり方で奪い取ることも辞さない。

扶桑皇国海軍所属の、とあるエースウィザードを自分の元へ引き抜きたいがために、色仕掛けや美人局紛いの行為に踏み切ったこともある。

故に、西部戦線で別の統合戦闘航空団を率いて戦っている某カールスラントウィッチからは、「強欲女!人類の敵!ネウロイ以下の悪党」と罵倒され、ウラル防衛を担当している東オラーシャの統合戦闘航空団司令からは、「くたばれ」ないし「さっさとくたばれ」やら書かれた手紙を贈呈されている。

 

「うむ」

 

サーシャの問いに小さく頷いたラルは、デスクの鎮座している書類の山から雁淵輝に関する文書を引っ張り出した。

 

「雁淵輝、扶桑皇国長崎県北部佐世保市出身。1939年、若干10歳で扶桑陸軍の航空歩兵に志願。同年、カールスラント派遣部隊の一員として欧州へ送られる」

 

ラルは手元の書類に目を通しながら、途中で一息吐くかのように左腕で頬杖着いた。続けて読み上げる。

 

「1941年、所属部隊がカールスラントからスオムス方面へ撤退したことを機に、装甲歩兵へ転科。再編された東欧方面軍にて教練を受けた後に戦車第2師団に異動、以降は東部戦線にて大小様々な作戦に参加。協調性に欠け、独断専行等の問題行動が目立つも、戦果は申し分無し……か」

 

一通り読み終えたラルは、書類をデスクに置いた。頬から左拳を離し、居ずまいを正す。

 

「航空歩兵から装甲歩兵へ?」

 

アウロラは顎に手を当て、ラルにというよりは自問するように呟いた。

 

「ああ、戦果を上げていたにも関わらずだ」

 

ラルが疑問混じりに答える。記録を見る限り、輝は本大戦初期に実施されたカールスラントからの大規模な撤退作戦――ビフトレス作戦直後まで航空ウィザードをとして活躍している。ネウロイの通算撃墜数は中型6機と、決して悪くはない。

何故、彼が転科を希望したのか。アウロラにもサーシャにも分からなかった。輝の素性を理解しているラルは、おおよその見当がつけていたが、話す必要を感じなかっため素知らぬ顔をしている。

 

「何にせよ。扶桑陸軍の御厚意により、抜けた穴はすぐに埋まりそうだ。矢口扶桑陸軍中将閣下には、笑顔の一つくらいはサービスしてもいい」

 

「いっそのこと、ストライカーの回収も扶桑陸軍に任せてみては?我々もいつまでここに居られるかわかりませんし」

 

澄まし顔で皮肉を口にするラル。彼女に苦笑したアウロラも冗談混じりに皮肉を返す。いや、或いは本気かも知れない。

オラーシャは欧州屈指の激戦区。配置されている第502及び503統合戦闘航空団の担当空域は、他の部隊のそれと比べて圧倒的に広い。広大な土地に多数のネウロイが蠢き、戦闘を仕掛けてくる。墜落したウィッチとストライカーユニットの救助・回収は早急に行わねば、たちまちネウロイの餌食となる。

しかし、ストライカーユニット回収隊は、ペテルブルグの北方にあるアウロラの故郷――現在、小康状態のスオムスから一時的に貸し出されたもの。緊急時には返す約束となっている。

 

「私は、協調性のない問題児……の一文が気掛かりなのですが?」

 

右手で頭を押さえたサーシャが倦んだ溜め息を漏らした。

今回は正規の手続きによって人材を得たようだが、“優秀だが協調性がない問題児”という情報は、普段からサーシャを悩ませている“あるウィッチ”を想起させるのだ。

 

「ふむ、確かに……“誰かさん”とそっくりだな」

 

と、ラルは同意する。件のウィッチは輝と同郷――陸軍と海軍違いはあれど同じ扶桑出身の航空歩兵。502に来てから性格面に関して言えば、まぁ多少落ち着いた。

その代わり敵を墜とす度に自らも空から落っこちた挙げ句、ストライカーユニットの損耗率が際立って高い問題児3人組――通称『ブレイクウィッチーズ』の一角を担ってしまっている。これは部隊名のブレイブウィッチーズを文字って仲間内でつけられた呼び名で、メンバーの3人はサーシャの頭痛の種となっている。

 

「ユニット壊しがもう一人増える代わりに、空と陸の両方で働けるウィザードが手に入ったと思えばいい」

 

「……回収だけでなく、空も飛ばせるおつもりですか?というか、雁淵准尉はユニット壊しの常習犯なのですか?」

 

補充要員の雁淵輝がユニット壊しであることを前提で話を進める部隊長に、サーシャは軽い頭痛を覚えた。対してラルは、口元に僅かな微笑を湛えて応じた。

 

「案外、安い買い物かもしれないぞ」

 

答えになっていない答えを返すと、ラルは再び輝の書類へ目をやる。

 

(孝美の弟……会うのが楽しみだ……)

 

彼女の口元には、薄い笑みが湛えられていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1937年、扶桑皇国佐世保市雁淵家――

 

雁淵輝は自分の部屋である和室の隅で、膝を抱えてじっとしていた。腫れ上がった顔をはじめ、身体のあちこちに青痣ができている。

8歳の少年は瞳に涙を浮かべつつも、奥歯を食い縛りながら痛みをじっと耐えていた。傷の痛みではなく、心の痛みに――

 

――こんなことも出来ないのか?

 

――お姉さんは、スゴいのに……

 

――男の癖に……

 

――ダメな弟だなぁ……

 

脳内で繰り返し再生される心ないの言葉。学校の授業で、鉄棒の逆上がりに失敗した輝に対し、クラスメイト達から浴びせられたものだ。

バカにされたことに憤った輝がクラスメイトの一人に殴りかかり、それを発端に喧嘩が始まった。しかし、多勢に無勢。喧嘩はすぐにイジメとなり、一方的に殴られた輝は身体中痣だらけの姿で家に帰ってきた。

 

「輝っ!」

 

不意に襖がガラッと開き、一人の少女が駆け込んできた。輝の姉――雁淵孝美だ。彼女に続いて妹のひかりも、やや遅れて部屋に入ってきた。

 

「輝お兄ちゃん!」

 

「悪い子達にイジメられたって!?大丈夫なの!?」

 

輝の前に正座すると、孝美は両手で彼の両頬に触れる。

 

「いたっ!」

 

「あっ!ごめんなさい!」

 

孝美が不用意に触れたために、頬に痛みが走る。輝がゆっくりと顔をあげると、孝美が心配そうな表情で自分を見下ろしていた。ひかりも孝美の肩越しに、輝をじっと見つめている。

今日みたいに何かあると飛んで来てくれる優しい姉。人当たりが良く、周りに気を配れる性格から皆に好かれている姉。機転が利き、テストは毎回全教科で高得点を採る聡明な姉。運動神経も抜群で、ただのかけっこから本格的な武道に至るまで、男子にも負けないほど優れている姉。

 

(なんで……なんで……なんで……)

 

輝は強く歯噛みする。何十回、何百回……いや、何千回思っただろう。

 

(なんで、姉さんなんだ……)

 

輝は孝美になりたかった。孝美のように生まれていたなら陰口を言われることもなく、皆から愛されただろう。

 

(どうして……俺じゃなかったんだ……)

 

輝にとって孝美の存在は理想そのもの。姉のようになろうと努力してきた。勉強も運動も、その他のことでも。

だが、どんなに必死になって頑張ろうとも、どれだけの時間を費やしても孝美は届かない。

世の中の不条理や無慈悲な現実に対する怒り、憧れの対象である姉への劣等感。それらの感情は日に日に強くなり、長い年月を経てより強く、よりドス黒いものへと変化していった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年、オラーシャ帝国西部――

 

「……ん……?」

 

すっかり寝入っていた輝は、座席から伝わる客車の揺れに起こされるようにして目を覚ます。忌々しい過去の記憶を夢に見せられ、気分は最悪だった。

 

「あぁ~……ったく!」

 

目覚めたばかりのぼやけた頭に残る苦味、輝は首を振って払おうとする。

どれくらい時間が経ったのだろう。輝は制服のポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認する。間も無く、スオムス駅への到着時刻だ。

ふと輝は鞄を開き、中身を確かめてみる。書類、財布、軍隊手帳、軍用タバコ、ライター。寝ている間に盗られたり、ペドロザヴォーツクに忘れたりはしていないようだ。確認を終えた輝は紐を肩にかけると、席を立った。

約10分後。列車がスオムス駅に到着すると、輝は停車した客車からホームへ降り立った。

駅内は扶桑陸軍兵よりも体格の良いカールスラント陸軍やオラーシャ陸軍の兵士でごった返しており、輝のように小柄な少年など、あっという間に人混みに埋もれてしまう。

キョロキョロと周囲を見渡し、ホームの出口を示す標識を見つける。この窮屈な軍人の群れから一刻も早く脱出したいと、輝は人と人の間を縫うように歩を進める。

 

「ふぅ……」

 

どうにか駅の外へ出た輝を出迎えたのは、目の前が急に開かれるような解放感にヒヤッとした空気、見慣れたオラーシャの寒空。そして、オラーシャ帝国首都――ペテルブルグの美しい街並みだった。

街の規模に対して人の気配が少ない。住民達はネウロイ侵攻時に疎開したため、市内を闊歩しているのは西オラーシャ方面で戦う各国軍の将兵ばかりだ。

街の中心には、ペテルブルグの防衛拠点であり、第502統合戦闘航空団――通称『ブレイブウィッチーズ』の基地として機能するペトロ・パウロ要塞が聳え立っている。

 

「確か迎えが来るはずだけど……」

 

「よぉ……」

 

「まだ来てないのか?」

 

「よぉ、ってば。そこの扶桑人ちゃん♪」

 

「え?」

 

目を凝らして502基地からの迎えを探す輝の耳朶を、やたら軽い口調の声が打った。

『扶桑人』という呼称に反応して振り返ると、二名の兵士が背後に立っていた。すぐ目の前の軍帽を被った兵士は輝に下卑た笑むを向け、もう片方は流し目で見ながら酒瓶を呷っている。

 

「こんなところでどうしたんだぁい?迷子かなぁ?乗り過ごして、ペテルブルグまで来ちゃったとか?」

 

「…………はい?」

 

兵士の言っていることを即座に理解出来なかった輝は、口から間の抜けた声を漏らした。

兵士達は、カールスラント陸軍の軍服を着ている。どうやらペテルブルグ駐留の歩兵部隊員らしい。

 

「おいおい、そんなガキが好みなのか?」

 

もう一人の兵士が、酒瓶から離した唇を拭いながら訊ねる。軍帽を被った兵士は、すかさず反論した。

 

「確かにラル少佐やユーティライネン大尉と比べりゃ身体は大分貧相だけどよ、中々の上玉だぜ?」

 

「まぁ、悪くはねぇな」

 

二人はカールスラント語で話しており、扶桑語とブリタニア語しか話せない輝には、詳しい会話内容はわからなかった。だが、目の前の兵士達が良からぬこと企んでいるというのは何となく理解できた。

 

「そんな格好して、君ってウィッチのファン?扶桑に憧れの人でもいるの?」

 

軍帽の兵士は再び輝の方へ顔を向ける。酒瓶の兵士も続いた。

 

「サインを貰いにわざわざ来たのか?」

 

自分を小馬鹿にするような兵士達のふざけた物言いに苛立ちを覚えな輝は、溜め息を吐いてその場から離れようとする。

 

「よぉ、待ちなよ」

 

軍帽を被った兵士が、逃げようとする輝の正面へ回り込んだ。

 

「君、一人だろ?良かったら、俺達に付き合わない?」

 

ニタニタと癪に触る笑みを浮かべながら、兵士は輝に顔を近付ける。口から吐き出される酒臭い息、輝は不快感で顔を歪める。

 

「申し訳ないけど、人を待ってるんで」

 

502基地からの迎えを待っているのは事実で、嘘は言っていない。しかし、兵士達は引き下がらなかった。

 

「そんなこと言わないでさ、付き合ってくれよぉ。君みたいな若い子は、もっと遊ばなきゃ」

 

「そうそう、ちゃんと楽しませてやるからさ?」

 

軍帽の男の言葉を継ぎながら、酒瓶の男が輝の右肩に自身の左腕を乗せてきた。輝は男を睨みつけ、あからさまに「チッ……」と舌打ちをするが、男は「おぉ~、恐い恐い」とおどけるだけで、まったく意に介さない。

真面目なお国柄で有名な帝政カールスラントの軍人にしては言動が軽薄過ぎるが、なるほど原因は手に持った酒瓶か。

オラーシャの過酷な戦場では、昼間から酒飲みでもしないとやってられないらしい。

 

「ちょっと、いい加減に――」

 

「そうツンケンせずに付き合ってよぉ」

 

「絶対に後悔させねぇからよ」

 

ネチネチとしつこく付き纏ってくる兵士は、何故か男である輝を厭らしい目付きで見ている。

彼らは知らないのだ。絡んでいる少女(のようにも見える中性的な容姿の少年)が、自分達と同じ“モノ”を股からぶら下げていることを――

 

「せっかく扶桑から遥々オラーシャまで来んだし、俺達と良い思い出作ろうぜ?」

 

「そうそう♪君みたいな可愛いお嬢ちゃんなら、俺達も大歓げ……ぶへぇええっ!」

 

軍帽を被った兵士が、間の抜けた声を上げる。かと思えば、数メートル先まで吹っ飛ばされ、コンクリートで覆われた地面へと投げ出された。

 

「か……かひ……」

 

「………………は?」

 

ほんの一瞬の出来事。酒瓶を携えた男性は、何か起きたのか分からずに、目が点になっていた。

吹っ飛んだ彼の相方は、岸へ打ち上げられた魚のようにピクピクと痙攣している。顔は大きく腫れ上がっており、まるで人間離れした強い力で殴られたかのようだった。

恐る恐る視線を下げてみると、自分達がナンパしていた少女(に見えるほど可愛らしい少年)が、頭から猫耳を生やし、鬼のような形相で睨んでいた。

 

「てめえら、俺のことを『お嬢ちゃん』って言いやがったな……」

 

「ひっ!?」

 

本能的に生命の危機を感じ取ったらしい。酒瓶の男は、条件反射で輝から離れる。

その行動は取り敢えずは正しかった。距離を取らなければ、彼も相方と同じように殴り飛ばされていただろう。

 

「これが見えてねえのかっ!?あ゛ぁっ!?」

 

フルフルと怒りに震える輝は、自らが履いているズボンを指差した。

 

「お……男っ!?」

 

兵士は驚きのあまり声を張り上げ、酒瓶を地面へ落としてしまう。

彼が着用しているズボンは、ウィッチや世の女性達が履くような女ものではない。軍からウィザード用に至急される特注のハーフズボンだ。

各国軍のウィザードはストライカーユニットを装着する都合上、一般の男性用ズボンではなく、軍の制服を元にした短めのズボンを履くのだ。

 

「てめえらカールスラント人の目は節穴か?酒の飲み過ぎで目が働いてねえのか?」

 

輝の怒りは尤もだが、間違えるのも無理はない。彼は同世代の男子と比べて華奢な体型をしている。身長も低く、女顔と形容しても違和感のない顔立ちなため、同年代のウィッチと並ばせてみても男女の性差は殆んど感じない。今日に至るまで初対面の人間の多くから、少女ないしウィッチと誤認されてきた。

輝本人はこのことを大変気にしている。しかも彼は、可憐な印象とは裏腹に短気な性格の持ち物で、口より先に手が出ることも珍しくない。

うっかり『ウィッチ』と間違えたり、『お嬢ちゃん』などと呼んでしまえば、軍帽の男性のように問答無用で殴られる。

 

「ちょ、調子に乗るなよクソガキが……あ、あ、あんまり粋がると……ただじゃ、おかねぇぞ」

 

すっかり酔いが覚めてしまったカールスラント陸軍兵士の男性は、怯えながらも必死に虚勢を張ろうとする。

対して輝は、隠し持っていた自動拳銃『FN M1910』を取り出し、銃口を男性に突きつけた。

 

「あ……」

 

「ただじゃおかない、って?面白いな、一体どうするつもりだ?」

 

拳銃を向けられた男性は、すぐさま口を噤んで大人しくなる。

相手が銃で武装したウィザードでは、一般の兵士に勝ち目などない。両手を上げて、降参のポーズを取ろうとしたその時。

 

「おい!動くな!」

 

先の二人とは、別の男性の声が輝の耳に響いてきた。

 

「何だっ!?うるさ……い、ぞ……」

 

苛立たしげに叫び返した輝が、声のした方へ視線を移してみる。カールスラント陸軍の憲兵隊が横一列に並び、携えたMP40の銃口と鋭い視線を輝達に向けていた。

 

「やれやれ」

 

指揮官らしき男性が、溜め息を吐きながら数歩前へ出てきた。

 

「我がカールスラント軍の兵が扶桑人にちょっかいを出している、と聞いて来てみれば……」

 

指揮官は輝と彼に絡んできた兵士二人を順に見据え、言葉を続ける。

 

「これはどういうことだ?」

 

問い掛けに対し、輝は渋面を作りながら舌打ちを返した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

約一時間後、502基地部隊長執務室――

 

「……来ないな」

 

「ええ、来ませんね」

 

室内ではサーシャがラルの言葉に同調しつつ、鸚鵡返しする。待ち人の来ない部隊長執務室は、妙な静けさが漂っていた。

 

「何か、トラブルでしょうか?」

 

短い沈黙を間に挟み、サーシャが言葉を発した。

 

「列車が遅れた、という連絡はきていないが……」

 

と、ラルは訝しげに応える。

 

「いえ、列車ではなく……街の兵と揉め事を起こしていたりは……」

 

「管野のような例もあるしな」

 

「……ええ」

 

ラルは口元からフッと笑みを零し、サーシャは溜め息を吐いた。直後、基地司令用デスクに置かれた電話がけたたましく鳴り響いた。

 

「恐らくは、悪い知らせだな……」

 

横目で電話機に視線を送りながら、ラルはポツリと呟いた。




雁淵 輝(かりぶち ひかる)CV:喜多村英梨

所属:第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』補助部隊ストライカーユニット回収中隊

原隊:扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊

階級:曹長→准尉(502転属に伴い昇進)

身長:156cm(ひかりと同じ)

誕生日:7月7日

年齢:14歳(1944年4月時点)

使い魔:オスの三毛猫(通常、三毛猫になるのはメスのみ)

外見:ひかりを『這いよれ!ニャル子さん」の八坂真尋みたいな髪型にして、目付きも鋭くしたようなイメージ。

ハーフズボン→ハーフパンツ(ストパンにはパンツという概念がないらしいので……)

詳しいキャラ設定は後程載せます。感想、誤字脱字報告お願い致します。


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第3話「陸軍の三毛猫と海軍のブルドッグ」

かなり久々な更新で、申し訳ありません。

勝手でどうでもいい個人的な妄想ですが、ロスマン先生とサーシャさんは歳下が好みで、ニパくんは面食いで、伯爵はレズ寄りのバイで、孝美お姉ちゃんに対しては「もしかしたらショタコンではないか?」と思っています←

では、第3話です。


ペテルブルグ到着するなり揉め事を起こした扶桑皇国陸軍所属の陸戦ウィザード――雁淵輝曹長は、元ペテルブルグ警察ボロヴァヤ署内の地下留置所で世話になっている。

住民が避難し、人口が激減したペテルブルグには、当警察署のように使われなくなった建物が多い。そのいくつかを軍が借り受けて使っている。

 

「…………」

 

輝は、壁に設置された長椅子ほど長さしかないベッドに寝転がり、染みとひび割れだらけの天井をボンヤリと眺めていた。

 

(ったく……気分悪い……)

 

輝は心の中で悪態をつくと、制服のポケットへ手を突っ込み、タバコとライターを探した。が、ポケットから出てきたのは一本の短いほずれ糸だけだった。

頭に疑問符を浮かべてほづれ糸をじっと見据える輝は、すべての持ち物を憲兵に没収されていることを思い出す。

 

「おい!誰かいるんだろ?俺のタバコとライター持ってきてくれ!」

 

鉄格子の外にいるであろう監視の兵に向かって叫んだが、1階へ通ずる階段脇に常駐している兵は振り向きもしない。

 

「チッ……」

 

舌打ちと共に視線を天井へ戻す。小汚ない留置所へ押し込まれ、憂さ晴らしの一服も出来ない。さらに備え付けのベッドの寝心地の悪さが、輝のムカッ腹を刺激していた。

しばらくして、房へと近付く足音が聞こえてきた。自分を不敏に思った監視兵がタバコを持ってきたのかと思い、輝はムクリと身体を起こした。

鉄格子の向こうを見てみると、予想通り監視兵が立っていたが、手に握られているのはタバコやライターではなく鍵束だった。

隣には、粗末な留置所には似つかわしくない美少女が佇んでいる。着ている制服と襟についた星からオラーシャ軍所属だと分かる。

 

「出なさい」

 

房の鍵が開けられる。監視兵に促されたので、輝はキョトンとしながらも房から出た。

 

「……あのっ――」

 

「到着早々、破廉恥な兵士を相手に騒ぎを起こす。こんなところも似ているわね」

 

「えっ?」

 

輝の言葉を遮るように呟く少女。何のことを言ってるのか分からない輝は、思わず聞き返した。

 

「何でもありません、ついてきて下さい」

 

「あ、はい」

 

オラーシャ少女は、そそくさと留置所から出ようとする。その歩みの所在は早足ながら優美なもので、彼女の育ちの良さを物語っていた。

輝は少々戸惑いながらも、監視兵から返却された荷物を抱えながら彼女の後に続いた。

警察署の外に出ると、既に日が傾き始めていた。数時間ぶりに吸い込むオラーシャの空気、いつもよりもずっと美味しく思えた。

 

「申し遅れました」

 

脇道に停めてあったリベリオン製のジープの前まで来ると、少女は足を止めて輝に向き直った。

 

「私はアレクサンドラ・イワーノブナ・ポクルイーシキン、皆はサーシャと呼びます。オラーシャ帝国陸軍の大尉で、第502統合戦闘航空団においては戦闘隊長を務めています」

 

軽い自己紹介を終えると、サーシャは敬礼代わりに優美な所作で一礼する。

 

(すごく綺麗で、気品に溢れてる。オラーシャ貴族のお嬢様かな?)

 

しばらくはサーシャの所作に見とれていた輝だが、ハッと我に還った返礼する。

 

「扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団所属、雁淵輝曹長であります!」

 

ビシッと右手を眉の位置まで上げて敬礼する輝だが、慌てたためか声が裏返ってしまっている。

 

「ふふ……」

 

輝の挙動が可笑しかったのか、初対面からずっと表情が硬かったサーシャは小さく笑みを零す。

笑われてしまい、恥ずかしくなった輝は気まずそうに後頭部を掻いた。

 

「あ、ごめんなさい……あら?」

 

非礼を詫びたサーシャは何かに気が付き、輝をじっと見つめる。

 

「なんでしょうか?」

 

「防寒具を身につけていないようですね?」

 

4月のオラーシャは比較的温かいが、それでも気温は扶桑の冬と同じくらい低い。しかし、輝が着用しているのは扶桑陸軍の制服のみでコートは疎か、手袋すらしていない。

 

「実は昨日、他の荷物と一緒に基地へ発送してしまいまして……」

 

「オラーシャの寒さをご存知のはずでは?」

 

罰が悪そうに頬を掻く輝に、サーシャは眉を寄せて言う。

 

「到着してすぐ基地に入れると思ったものですから……うぅ!」

 

オラーシャの気候を改めて意識した途端、輝の身体が寒さで震え出した。

バルトランドやスオムス等の北欧出身者ならいざ知らず、扶桑出身の輝にとって春のオラーシャは十分寒い。

 

「まったく……」

 

呆れたように息を吐いたサーシャは、ジープの中から白色のマフラーを取り出し、輝の首に巻いてやる。

 

「え?」

 

サーシャの唐突な行動に、輝は軽く頬を染めながら目を瞬かせる。

 

「基地に戻るまで、これを使ってください」

 

「で、でも……」

 

遠慮がちな態度を取る輝に対し、サーシャはビシッと語気を強めて言い聞かせた。

 

「その格好では着任早々風邪を引いてしまいます。言うことを聞いてください」

 

「……分かりました」

 

頷く輝にサーシャは満足気に微笑み返し、ジープへ搭乗する。

 

(暖かい……)

 

貸し出されたマフラーにそっと手で触れた輝は、心の中で呟いた。マフラーから薫り立つ女性特有の甘い香りにドキドキしながらも、与えられた温もりに感謝していた。

抑揚の無い口調と無表情さから、輝はサーシャのことを冷たい人だと誤解していた。しかし、実際のところ彼女は仕事に厳しいだけで根は優しいお姉さんなのだ。

 

――風邪を引いてしまうわ。はい、お姉ちゃんのマフラーを使って。

 

(…………何で、思い出すんだよ)

 

一瞬ではあるが、過去の記憶が脳裏にフラッシュバックし、輝は不快感から眉を顰めた。

つらい記憶というわけではない。むしろ大切な思い出であるはずの記憶だが、今の輝にとっては思い出したくないものだった。

 

「どうしました?」

 

サーシャに呼ばれ、輝はハッと我に還る。

 

「基地へ向かいます。乗ってください」

 

サーシャに促され、輝は慌ててジープに乗り込んだ。

 

「では、出発します」

 

エンジンを始動したジープが、街の中心に屹立する基地へ向かって走り出した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

十数分後、第502統合戦闘航空団――

 

輝はサーシャに連れられ、502部隊の基地として運用されているペトロ・パウロ要塞に到着した。彼女の案内の元、すぐに部隊司令執務室へ通される。基地司令を兼任している502の隊長と、ストライカーユニット回収中隊の指揮官に着任の挨拶をするためだ。

 

「隊長、雁淵曹長をお連れ致しました」

 

執務室前で足を止めたサーシャが、コンコンと小気味良いノックをドア越しに響かせた。

 

「入れ」

 

執務室から入室を促す声が返ってきた。少々低めの済んだ女性の声だった。

 

「失礼します」

 

「……失礼します」

 

サーシャの後に続いて潜ったドアの先では、それぞれカールスラント軍とスオムス軍の制服を着た二人の女性が向かい合うようにして立っていた。

502部隊及び当基地司令のグンドュラ・ラル少佐と、回収中隊隊長のアウロラ・E・ユーティライネン大尉だ。

 

(グンドュラ・ラルに、アウロラ・E・ユーティライネン。本物だ……)

 

二人の大物と直に対面した輝はゴクリと固唾を呑む。かの501部隊Wエース――エーリカ・ハルトマン中尉、ゲルトルート・バルクホルン大尉に次ぐ撃墜数を誇るカールスラント空軍のウルトラエースに、本大戦初期より第一線で戦い続けてきたスオムス陸軍の英雄。

東部方面や北部方面に配属されている軍人で、二人を知らない者などまずいないだろう。

 

「おお、きたか」

 

ラルが二人の方へ目を向けると、アウロラも同じように視線を移してきた。

どちらも女性にしてはかなり長身の持ち主で、制服の上からでも身体の起伏が分かるくらいスタイルが良い。同じ美女でも、少女から女性に成長する途中といった趣のサーシャとは異なり、年長者の落ち着きとアダルトな雰囲気を身に付けている。

大人の女という形容が相応しい上官達を、輝は妙に意識してしまう。すぐさま頭から邪念を追い払い、姿勢を正して着任の挨拶をする。

 

「只今到着致しました!扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団所属、雁淵輝曹長であります!」

 

「ん……休め」

 

緊張した面持ちで腹から声を出す輝とは対照的に、涼しい表情で淡々と応じるラル。彼女は司令用デスクの向こうにある椅子に尻を置き、改めて輝に視線を移した。

 

「私が、第502統合戦闘航空団司令のグンドュラ・ラル少佐だ!」

 

ラルな自身の自己紹介を済ませると、デスクの隣に立っているアウロラを右手で指した。

 

「彼女がストライカーユニット回収中隊の指揮官で、ここペテルブルグ基地における君の直属の上官、アウロラ・E・ユーティライネン大尉だ」

 

「そういうわけだ、よろしく頼む」

 

澄まし顔のラルとは違い、サバサバとした笑顔のアウロラは、軽く手を挙げて挨拶する。

 

「予定より随分と遅かったようだが?」

 

「あ、いえ……」

 

遅刻について触れられた輝は、罰が悪そうに彼女から目を逸らす。

 

「おっと済まん、叱責するつもりはなかった。しかし、駐留兵を殴り倒すとは……可愛い顔をして中々ヤンチャじゃないか」

 

「…………」

 

からかい混じりな発言を取りながらも表情を変えないラル。対して輝は不快感から眉を顰める。

少女のような外見にコンプレックスを抱いてる彼にとって、『可愛い顔』とは、輝にとって侮辱の言葉しかないのだ。

そんな少年の心境を知ってか知らずか。ラルは口元を僅かに弛めた柔らかい表情を作ると、お冠な輝を宥めた。

 

「そう恐い顔をするな。これからは、この基地で寝食を共にする仲間だろう?仲良くしよう」

 

「…………了解です」

 

輝は半歩遅れて返事をする。少々不貞腐れ気味な彼の声色にサーシャは呆れ目を、アウロラは悪戯な笑みを向けていた。

 

「既に知っていることだろうが、君を准尉に昇進させた上でユーティライネン大尉の指揮する中隊へ配属させることが決まっている。主な任務は、ネウロイとの戦闘等で墜落した502の航空ウィッチ及びストライカーユニットの回収で――」

 

「質問があります」

 

輝はラルの説明を遮り、小さく手を挙げて質問の許可を求める。

 

「何だ?」

 

と、訊くラル。ポーカーフェイスを維持しているように見える彼女だが、話を中断された際に片眉を不快そうにヒクヒクと動かすという僅かながらの変化が表情に現れていた。

 

「……自分は、こちらに厄介払いされたのでしょうか?」

 

「いや、私が君の上官に頼み込んだ」

 

原隊から左遷されたと思っている輝の考えを、ラルは即座に否定した。

扶桑陸軍の矢口中将や茂木貴子中佐が、どういうつもりで輝にペテルブルグへの転属を命じたのか。それは502の面々には預かり知らぬことだが、少なくともラルは輝が自分の部隊に必要だと感じている。

だからこそ、オラーシャ西部に展開している扶桑陸軍と交渉して輝を502直属の補助部隊へ異動させたのだ。

 

「先日の戦闘で、スオムス陸軍の陸戦ウィッチが一人負傷したんだよ」

 

アウロラが、ラルの説明を継いだ。

 

「急ぎ装甲歩兵の補充要員が必要になって、ラル少佐が君をペテルブルグに呼び寄せた」

 

「航空歩兵も経験している君ならば、敵地のど真ん中に墜落したウィッチの気持ちを他の装甲歩兵よりも理解してくれはずだ……と思ってな」

 

話のバトンがアウロラからラルに戻り、輝を502に呼んだ理由を説明する。

 

「それだけの理由で扶桑陸軍の自分を?補充要員なら、スオムス陸軍に要請した方が良かったんじゃ?」

 

「それが難しいからです」

 

今まで黙っていたサーシャが口を開いた。さらにアウロラが彼女の言葉を継いだ。

 

「ラル少佐が私達スオムスの陸戦ウィッチを強引に引き抜かれてな。そのことで、うちの師団長のラガス少将から睨まれていたんだ」

 

「さらにウィッチの一人が負傷してしまい、少将は大変御立腹でな」

 

ラルは「やれやれ」と肩を竦める。

 

「……は、はぁ」

 

話を聞かされた輝は言葉を濁しつつ、「なるほど」と思っていた。

つまりはアウロラ達の上官であるラガス少将の機嫌を損ねてしまったために、わざわざ遠くにあるペトロザヴォーツクの扶桑陸軍基地に配属されていた輝を呼び寄せなくてはならなくなった、というわけだ。

それにしても以前から東部戦線全体に広まり、輝も耳にしていたグンドュラ・ラルの貪欲ぶりに関する噂は事実だったらしい。

 

「まぁ何はともあれ、よろしく頼む」

 

ラルは改めて輝を歓迎し、さらに言葉を続けた。

 

「明日からは息吐く間も無く忙しくなる、今日は早めに休め。下がってよし」

 

そう結んで、ラルは話を終えた。輝は「はっ!」と敬礼して退室すると、アウロラの案内で割り当てられた個室へと向かった。

ドアの越しに響いてくる二人分の足音。それはアウロラと輝の二人が執務室から前から遠ざかるのと反比例して段々と小さくなり、やがて聞こえなくなった。

程なくして、二名の装甲歩兵と入れ替わる形で1人の少女が入ってくる。

肩まで伸ばした美しい銀髪を靡かせる彼女は小柄な体格をしていて、ラルやアウロラはもちろん、サーシャや輝よりもさらに背が低い。しかし、その見た目に反して年齢は502部隊内で最年長。雰囲気もラルやアウロラとは違った趣で大人っぽい。

 

「今、廊下で見掛けました。彼ですか?」

 

艶のある唇を動かし、銀髪の少女――エディータ・ロスマン曹長は言葉を紡いだ。

 

「ああ、大戦初期に活躍した元航空ウィザード。そして現在は陸戦のウィザードという面白い経歴の持ち主だ」

 

ロスマンの問いに応じたラルは、フッと口元を綻ばせる。

 

「ともあれ、人員不足は解消されましたね。それにしても扶桑の陸軍からとは……」

 

「所属など問題ではない。使えるかどうか、重要なのはそれだけだ」

 

「隊長らしいお考えですね」

 

と、ロスマンも相好を崩した。しかし、ラルの才能を見る目は確かだ。輝は必ずや期待に答えてくれるだろ。

 

「くれぐれも宮藤大尉の時のような真似はしないで下さいね」

 

航空ウィザードとして扶桑皇国海軍に属している友人を脳裏に浮かべつつ、ロスマンは隊長殿を諌める。この時、彼女の笑みは苦笑混じりのものへと変化していた。

 

「宮藤大尉?私が彼に何をしたと?」

 

一方、ラルは惚けたような物言いで応じた。部屋の隅では、そんな彼女に対してサーシャが呆れたように溜め息を漏らしていた。

 

「お忘れですか?例の件でミーナ中佐や遣欧艦隊の赤坂中将からは睨まれているんですから、ああいったことは謹んで下さい」

 

険しい表情のサーシャが語気を強めて注意すると、ラルは「ああ、そのことか」とおどけて返した。

 

「サーシャは厳しいな。私は他部隊の異性と少しばかりスキンシップをしていただけなんだが?」

 

「変な噂が立ったりしては困ります」

 

「総司令部のには、そういった噂話等を予算削減の口実にする将官もいるかもしれませんし」

 

サーシャの後にロスマンが付け加える。本大戦以前より、対ネウロイにおけるウィッチやウィザードの有用性は連合各国で認められている。個々の能力が多様化し、通常の部隊では対象が難しい状況に極めて有効、ということから統合戦闘航空団やその下の統合戦線飛行隊も各戦線で設立が進んでいる。

だが、連合軍や各国軍の上層部には未だにウィッチ無用論や統合戦線航空団の運用に異義を唱える保守派はもちろん、ブリタニア空軍のトレヴァー・マロニー大将のように利権絡みで航空歩兵を敵視する者も少なくない。

そう言った輩に付け入る隙を与えないよう気を配るのも、統合戦線航空団司令の役目である。

 

「雁淵准尉に関しては心配ない。私はサーシャと違ってショタコンではないからな」

 

「なっ、何を言い出すんですか!?」

 

妙な言い掛かりをつけられたサーシャは、途端に顔を真っ赤にして狼狽えた。

 

「ショタコンじゃないにしろ歳下好きには代わりないのだろう?それにしても、出会って早々にマフラーを進呈して点数稼ぎとはな」

 

どうやらサーシャのマフラーを首に巻いた輝を見て、彼女が好感度アップのためにプレゼントした、と思っているようだ。

無論、ラルは本気でそう思っている訳ではなく冗談半分に言ってからかっているだけなのだが、生真面目な性格が災いしてサーシャは本気と受け取ってしまったらしい。

 

「あれは!彼が防寒具を持っていなかったので貸しただけです!変なこと言わないで下さいっ!!」

 

「ふふっ♪サーシャさん、奥手に見えて以外と積極的なのね?」

 

「ロスマンさんまで!?もう止めて下さいっ!御二人共正座!正座ですっ!!」

 

熟れたトマトのように顔を真っ赤にしたサーシャは思わず声を張り上げる。

戦闘隊長の新たな一面を発見した二名のカールスラントウィッチは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、502基地ハンガー――

 

第502統合戦線航空団基地ハンガー。その正面に輝が立ち尽くしていた。アウロラに個室へと案内され、簡単な説明も受けた彼は特にすることもなく暇を持て余していた。

基地内を適当にぶらついた後。何気無しにハンガーまでやって来た輝は壁に背を預けると、制服の煙草を取り出して口に咥える。

次いで別のポケットからもライターを取り出す。カチッカチッと音を立てて火を点ける。煙草をライターの火に近付け、息を吸う。馴れた手つきで吸い込んだ息と共に煙をフゥと吐き出す。

 

「やっと、一服出来たな……」

 

輝は満足気な表情で小さく呟くと、滑走路とそこから続く空を呆然と眺める。

 

「あっ……」

 

ふとサーシャに貸して貰ったマフラーを首に巻いたままだったことに気付く。

輝は早歩きでハンガーに入ると、中に設置されていた整備兵用の灰皿に煙草を押し付ける。マフラーを手に取り、鼻を近付けてみると僅かに臭った。

 

「……洗濯して返そう」

 

輝はポツリと独り言ちる。直後、誰かが発した大声が彼の耳朶を打った。

 

「孝美っ!?」

 

声はハンガー内を反響していたが、それとほぼ同時に聞こえてきた足音で声の主が自分の後ろにいることが分かり、背後へ振り返る。フライトジャケットを羽織り、首にマフラーを巻いたウィッチが輝の元へ駆け寄ってくるのが見えた。

 

「孝美じゃんか!なんだよ、もう来たのか!」

 

ウィッチは嬉しそうに声を弾ませる。顔立ちからして輝と同じ扶桑人。頬の絆創膏と癖のあるオカッパのような短い黒髪が印象的なその少女は、男でありながら少女と見間違う容姿をしている輝とは対照的に、まるで利かん坊タイプのヤンチャな少年のようにも見える。

 

「ラル隊長は、お前が来るのはまだまだ先だって……あれ?」

 

パァッと太陽のように輝いていた少女の表情が、途中から訝しげなものへと変化する。かと思えば、輝の服装をジロジロと観察し始めた。

 

「孝美、少し縮んだか?それに何で陸軍の制服なんて着て……」

 

再度輝と目を合わせた瞬間、人違いに気付いたらしい少女は言葉を止める。しばしの沈黙の後、彼女はぶっきらぼうな口調で輝に問いかけた。

 

「……誰だ、てめえ?」

 

「そりゃ、こっちの台詞だ」

 

これが扶桑皇国陸軍の雁淵輝准尉と海軍の管野直枝少尉。似た者同士な二人の出会いであった。




ブレイブウィッチーズアニメ2話で、直ちゃんがひかりちゃんと孝美お姉ちゃんを間違えていたシーンを観て上記の二人の出会い方を思い付きました。


感想、誤字脱字報告をお願い致します。


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第4話「配属初日」

いい加減、こちらの投稿も進めなくては……


割り当てられた部屋のベッドで、輝は毛布にくるまっていた。春先とは言え、オラーシャはまだまだ寒い。防寒のため寝間着は長袖長ズボンのジャージを使っている。

真っ白なシーツに身を投げ、スゥ~スゥ~と小さく寝息を立てる姿は、やはり少女のそれである。

小柄で華奢な体格に女々しい顔立ち。ウィザードだが、ウィッチだと言われても十分通用する可愛らしい容姿の持ち主だ。変声期も遅れていて、輝本人にとって外見と並ぶコンプレックスになっている。

寝間着にジャージを選んだのも、単なる防寒目的だけでなく華奢な身体を隠したいからかも知れない。

 

(ん……朝?……)

 

うっすらと片目を開き、カーテンから漏れ出ている朝日を確認する。

まだ意識が殆んど眠りの淵に沈んでいる状態の輝は、壁に掛けられた時計へ細い目を向ける。室内が薄暗いためぼんやりとしか見ないが、短針が4時を示しているのが確認できた。起床時間まで、まだ一時間ほどある。

反対側へ寝返りを打って身体の向きを変えると、もう一眠りしようと目蓋を閉じる。それとほぼ同じタイミングでドアがギィと音を立てて開かれた。室内に何者かが侵入し、床を軋ませながら輝のベッドに近付いてくる。

 

(なんだ?基地の軍用犬が紛れ込んだのか?)

 

ろくに警戒もせず、輝は無視を決め込んだ。眠気に全身を支配された今の輝にとって、再び寝返りを打って侵入者の正体を確かめることすら億劫である。

 

(あれ?この基地に軍用犬なんていたっけか?)

 

輝が疑問符を浮かべていると、毛布がモゾモゾと動いた。

どうやら侵入者がベッドに入り込んできたらしい。さらに侵入者は、輝の身体を寝間着の上からまさぐり始めた。

 

「――っ!?」

 

寝間着越しに伝わる感触は明らかに犬猫の前足ではなく、人間の手だった。ハッとなった輝が身体を起こすよりも早く、侵入者が次の行動に出た。なんと耳元に唇を近付け、フゥと熱い吐息を吹きかけたのだ。

 

「うわぁああああああっ!?」

 

ゾクゾクとした悪寒が走り、輝は思わず飛び起きた。背後を振り返ると、寝間着に身を包んだ西洋系の美男子(?)がニッコリと形の良い唇で曲線を描いていた。

短めの金髪に健康的な褐色肌。着ている寝間着は一見ガウン状況だが、実は過去にガリアで扶桑ブームが起きた際に扶桑産の着物が持ち込まれ、一部の富裕層がガウンとして着ていた物から発展した着物風ガウンである。

しかし、彼(?)の着ているガウンはどういうわけか丈が異様に短く、まるで女性用だ。

 

「おはよう♪いや、初めましてが正しいのかな?」

 

と、目の前の西洋人(?)は右目を瞑ってウインクする。彼(?)が何者か。ペトロ・パウロ要塞に来て間もない輝には預かり知らぬことだが、502基地兵站群・運用群・飛行群・航空団幕僚のいずれかに所属する兵だということは容易に想像がつく。

ウィッチ隊を含め基地にいる将兵の殆んどは、着任したてである輝をよくは知らない。大方、彼を女と勘違いして夜這いをかけてきた不埒者だろう。

 

「て、てめぇええええっ!」

 

腹の底から怒声を張り上げた輝は、侵入者の男(?)に飛びかかった。両肩を掴むと、勢いを殺さずにグイッと相手を押し倒す。

寝込みを襲われかけたことはもちろんだが、女と間違われたことが何より許せない。心地好い眠りを邪魔された事実も相まって、ストライカーユニット回収中隊の新人は朝っぱらから怒り心頭である。

 

「おやおや、有無を言わさず押し倒すなんて。君って意外と大胆なんだねぇ♪」

 

ベッドに押し倒された侵入者の男性(?)は、輝の素早い反撃に対し、特に戸惑う様子は見せない。微笑を湛えた表情と、声楽家のように澄んだ声からは余裕すら感じられた。その飄々した言動が、輝をさらに苛立たせた。

 

「なんだ!?誰だお前!?一体何考えてやがる!?」

 

「もちろん、“ナニ”を考えていのさ♪」

 

「ふざけっ――」

 

――むにゅん!

 

「………………えっ?」

 

右拳を振り上げ、取り敢えず顔面に一発お見舞いしようとしたその時。相手の胸元に置いていた左手が何かを捉えた。

5本の指と手の平に伝わる柔らかい感触、得も言われぬ幸福感。その重々しい手応えは、男性の胸筋とは明らかに違っている。歳相応以上に育った女性の乳房そのものだった。

 

「お、お、お……女ぁああああああっ!?」

 

低めの声とボーイッシュなの口調から男だとばかり思っていたが、実際は中性的な外見の女性だった。よく見ると、ガウンの胸元から豊かな谷間を覗かせている。

まさか女とは思わなかった輝は、衝撃的な事実と故意ではなかったにしろ女性の胸を掴んでしまったことに激しく狼狽える。

そして、正しい性別が判明した侵入者は、その隙を見逃さなかった。動揺するウィザードの肩を両手がガシッと掴むと、素早く身体を起こした。そのまま体重を掛けるようにして、逆に輝を押し倒した。

 

「うわっ!?」

 

不意を突かれた輝は、驚きの声を上げる。彼に覆い被さったクルピンスキーは、輝のことを見下ろしながらにんまりと笑みを浮かべる。

 

「初対面の人間の胸を鷲掴みにするだなんて。いきなり飛ばしすぎじゃないかなぁ?でもまぁ、強引なのは嫌いじゃないよ♪」

 

と、女性は輝を逃がさぬよう彼の両手首をしっかりと掴んだ。ねっとりとした熱く、危ない眼差しで扶桑陸軍ウィザードを見つめていた。

 

「では改めまして。初めまして、雁淵輝ちゃん♪僕はヴァルトルート・クルピンスキー。カールスラント空軍のウィッチで、階級は中尉。好きなものは、ブドウジュースと可愛い女の子♪伯爵って呼んでくれるかな♪」

 

「は、伯爵?って、そうじゃない!」

 

輝はブンブンと首を左右に振り、自分の中で優先順位の低い疑問を頭から追い出す。

 

「一体何の真似ですか中尉殿!?」

 

自然と敬語になった輝は、ベッド上で自分を拘束している上官殿に対し、抗議半分で問い質す。

身を捩りなんとか抜け出そうとするも、侵入者の女性――クルピンスキーの腕力は思いの外強く、ビクともしない。

 

「ふふ……」

 

クルピンスキーは答える代わりに短く笑声を立て、舌舐めずりをする。

その姿は、今まさに捕らえた獲物を喰らおうとする肉食獣のようにも見える。オラーシャ特有の肌寒さとは別由来の寒気が、輝の身体全体を駆け巡った。

 

「し、質問に答えて下さい!」

 

「いやぁ。来たばかりの新人さんと、お近づきになりたくてさ♪」

 

慄きつつも、上擦った声で再度問い掛ける輝の耳元にそっと唇を近付け、クルピンスキーは囁いた。

 

「大丈夫、優しくするから」

 

「――っ!?」

 

まずい、非常にまずい。このままでは目の前の伯爵を自称するケダモノに美味しく頂かれてしまう。

貞操の危機を感じて顔面蒼白となった輝はジタバタと暴れるも、それはやはり無駄な抵抗でしかなかった。

 

「そんなに抵抗しないで欲しいな。女の子に嫌がられるのって、すごく傷付くんだよ?」

 

「は、離せ!あんたは勘違いしている!俺は女じゃない、男だ!」

 

「またまたぁ~♪こんなに可愛い男の子、世界中の何処にもいないよ」

 

「嘘じゃない、本当だ!ラル少佐の執務室にある資料を見れば――」

 

「肉眼で確認したいな」

 

そう言って、クルピンスキーは輝のジャージに片手を伸ばした。左手一つで輝の両手首を器用に押さえたまま、右手でファスナーを開き、下に着ている白い布地のTシャツを露にする。

クルピンスキーは輝の身体に右手を這わせ、シャツ越しにウィザードの腹や胸撫で始める。

 

「ちょっ!マジで止めっ――」

 

「う~ん……」

 

――ドサッ!

 

「……えっ?」

 

突然、クルピンスキーは動きを止めた。かと思えば、全身の力が抜けたかのようにフラッと前のめりに――つまりは、輝に覆い被さる体勢で――倒れた。

 

「むぐっ!?」

 

クルピンスキーの胸元にある二つの双丘が輝の顔面に押し付けられた。豊かに実った部位は、ボーイッシュな容姿を持つ彼女を歴とした女性だと証明してくれるが、同時に輝の口と鼻孔を強く圧迫し、彼を窒息させようとする。

 

「んっ……ぷはぁ!!はぁ……はぁ……!」

 

なんとかクルピンスキーとベッドの間から顔を出した輝は、酸素を求めて呼吸を荒くする。肌に触れる部屋の空気がやけに涼しく感じた。

すぐに近くにクルピンスキーの顔がある。輝の寝込みを襲っておきながら、彼女はスヤスヤと気持ち良さげに寝入っていた。

 

「んぅ……」

 

「ちょっと中尉!一体どう……って、酒くさっ!」

 

クルピンスキーの漏らした吐息は酒気を強く帯びていた。あまりに強烈なアルコールの香り、輝は堪らず顔を背ける。

床へ視線を移した輝は、部屋の床で無造作に転がっているワインボトルの存在に気付いた。

 

好きなものは、ブドウジュースと可愛い女の子♪――

 

「こんな朝早くから飲みやがって……」

 

酔い潰れた自称伯爵に対し、輝は額に青筋を浮かべつつ不平を漏らす。

自称伯爵とベッドの隙間からモゾモゾと這い出てようとして、輝は床に転がり落ちてしまう。立ち上がった際、彼の姿勢がやや前屈みに見えたのは気のせいではないだろう。

相手が美女とはいえ、ワインで酔っ払った上官に心地好い眠りを邪魔され、寝込みを襲われ、あまつさえ服を剥かれそうなった。今日まで14年間生きてきて最低最悪の朝だ。

起床時間までまだ時間があるが、最早二度寝する気など起きない。そもそもベッドは酔い潰れた伯爵様に占拠されてしまい、使用不可となっている。

チラッとクルピンスキーを見てみると、彼女はいつの間にか仰向けの状態で眠っていた。飲酒からくる眠気のせいで目蓋は半開き、顔の筋肉が全体的に弛緩している。 寝相で着物風ガウンも肌蹴けてしまい、迫り上がった乳房や肩部が露出しかかっていた。

 

「っ!?」

 

女性らしさを感じさせる肢体はとても美しいが、思春期の少年にとっては毒以外の何物でもない。

クルピンスキーの色香に当てられ、輝の顔は真っ赤になる。そそくさと制服に着替え、ポケットにタバコとオイルライターを突っ込むと、扶桑陸軍ウィザードは逃げるように部屋を後にした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数分後、宿舎廊下――

 

「あなたが陸戦ウィッチ部隊の新人ね?」

 

喫煙所を求め、宿舎内を彷徨っていた輝に何者かが声を掛ける。声に反応して振り返ると、美しい銀色の髪を肩まで伸ばした小柄な少女が後ろに立っていた。着ている制服からして、カールスラント空軍の航空ウィッチだろう。

凛とした佇まいのその少女は、150cmを僅かに上回る程度と思われる低身長に狭い肩幅と、輝よりもさら華奢な体格をしている。

一見すると中学校上がりたての年齢にしか見えないが、艶のある桜色の唇は年上の色香を感じさせ、落ち着いた物腰と口調がアダルトな雰囲気を醸し出している。

 

「何だ、あんた?一体何処の幼女だ?」

 

「……あなたと同じ基地に配属されている幼女よ」

 

銀髪の少女は皮肉を軽くいなすと、輝に向かって敬礼する。

 

「カールスラント空軍第52戦闘航空団第4中隊所属、エディータ・ロスマン曹長よ。ここ502では教育係を務めているわ。これでも19歳なの、幼女呼ばわりはやめてもらえるかしら?」

 

「これは失礼しました」

 

“歳上を敬う”という扶桑の文化に習い、輝は非礼を詫びた上でロスマンに返礼する。

 

「扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊所属、雁淵輝そ……准尉です。ロスマン曹長、どうぞよろしくお願いします」

 

実に儀礼的な挨拶だった。ロスマンも気付いてはいたが、皮肉の件と同様不快感を露にすることはない。これが歳上の――大人の余裕というものだろうか。

 

「ええ、こちらこそ。ところで……」

 

「はい?」

 

「あなた、よく眠れなかったの?なんだか疲れているようだけど?」

 

「あなたの同僚のせいで目覚めが最悪だったものですから……」

 

と、輝は嫌味混じりに肩を竦める。彼の発言から何かを察したらしい、ロスマンは右手で額を押さえて溜め息を吐いた。

 

「ごめんなさい。偽伯爵が迷惑を掛けたみたいね……」

 

「に、偽?……」

 

「あの人は今何処に?」

 

「俺の部屋で寝てますけど?」

 

「そう……」

 

輝の言葉に小さく頷いたロスマンは、スタスタと彼の横を通り過ぎて行った。

クルピンスキーが寝ている輝の部屋へ向かったのだろう。だが優美な足取りとは裏腹に、彼女の後ろ姿からは強い怒気のようなものが漂っている。

 

「くわばらくわばら……」

 

怒りの矛先が自分に向いているわけでもないのに、輝の背筋に冷たいものが走る。

輝はロスマンを見送りつつ、カタカタと震える手でポケットからタバコとライターを取り出す。まだ喫煙所を見つけていないが、心を落ち着かせるために一服することにしたのだ。

 

「ふぅ~……」

 

咥えたタバコの先端に火を点ける。紫煙を燻らせながら窓際に寄り、輝は外の景色に目をやった。

いつの間にか東の空から朝日が昇り始めていた。ペテルブルグの街並みが朝焼けに照らされ、曙色のフィルターに染め上げられている。

 

「ああああああぁ~っ!タバコ吸ってるぅ~っ!」

 

「は?」

 

またもや背後から声が聞こえてきた。耳朶に突き刺さるような怒号。声からして、今し方輝と話をしたロスマンとは別の女性である。

輝は声が聞こえてきた方へ視線を走らせる。右手に濡れモップ、左手にバケツを持った少女が駆け寄って来るのが見えた。

青色のシャツと白い上着の制服に身を包み、茶髪を青色のリボンでツインテールに纏め、シャツやリボンと同じ色の美しい瞳を持っている。

埃避けらしき三角巾まで株っているので、てっきり基地の掃除係かと思ったが、それにしては着ている服が上等過ぎる。502部隊のウィッチだろうか。

 

「あなた!今、タバコ吸ってましたよね!?」

 

輝の傍までやって来ると、少女はズイッと顔を寄せながら輝に問い質す。女性特有の甘い香りが、扶桑陸軍ウィザードの鼻腔を擽る。

 

「あ、うん。吸ってたけど?」

 

「宿舎及び基地本部内は全域禁煙です!タバコのヤニで壁や窓ガラスが汚れてしまったらどうするんですか!?今すぐ消すか、外に移動してくださいっ!!」

 

「わ、悪かったよ!すぐ出てくから!」

 

可愛らしい容姿に似合わない少女の凄まじい剣幕に圧倒された輝は、すぐさま小走りでその場から立ち去った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ストライカーユニット回収中隊格納庫――

 

「まったく、何で朝からこんなに疲れなきゃならないんだよ……」

 

格納庫内に設けられた整備兵用の灰皿スタンド。そこにタバコの灰を落としながら、輝は眉間に皺を寄せてぼやく。灰皿には既に10本近い吸い殻が捨ててある。

タバコを美味いと思ったことは一度もない。輝が喫煙を始めた理由は、様々なコンプレックスからくるストレスの解消が目的だ。

扶桑陸軍の原隊にいた頃、上官や同僚達から「いくらなんでも吸いすぎだ」「身体に悪いぞ」と度々注意されていた。しかし、輝は一向に聞く耳を持たず、今では立派なヘビースモーカーである。

 

「何だ?朝っぱらから煙を撒いているのか?」

 

コツコツと軍用ブーツの踵を鳴らして近付いてきたのは、当基地において輝の上官となる陸戦ウィッチ――ストライカーユニット回収中隊指揮官のアウロラ・エディス・ユーティライネン大尉だった。

 

「そう言う大尉殿は朝っぱらから酒ですか?」

 

アウロラが左手に持っている酒瓶に目をやりつつ、輝は訊き返した。

どうやら新しい上官殿も、寝込みを襲ってきた伯爵様に負けず劣らず酒好きのようだ。

 

「お前にタバコが必要なように、私にもコイツが必要なんだよ♪」

 

そう言ってウインクすると、アウロラはボトルを持った左手を持ち上げ、そのままグビッとヴィーナを呷る。

 

「軍務に差し支えますよ?“スオムスの英雄”ともあろう陸戦ウィッチが飲酒事故なんて笑えない」

 

「心配するな。こんな水程度じゃ私は酔わない」

 

「水って……」

 

アルコール濃度35%の飲料を水呼ばわりする上官に、輝は呆れた様子で閉口する。そんな彼を余所に、アウロラはどんどんヴィーナを片付けていく。これが東欧や北欧で英雄と名高いアウロラ・E・ユーティライネン大尉の素顔とは……。

輝のいた扶桑陸軍戦車第2師団にも彼女に憧れ、自らの手本としている装甲歩兵は多い。だがその羨望の眼差しも、眼前のアウロラの体たらくを目にすれば幻滅へと変わることだろう。少なくとも、輝の中で彼女の株価は大暴落である。

 

「さてと……」

 

酒を飲み干したアウロラは、空となったボトルから口を離すと、近くのゴミ箱に放り込んだ。

いつの間にか回収中隊の面々が集まっており、アウロラの背後で整列していた。アウロラの酒豪――アルコール中毒?――ぶりに気を取られていた輝は、その時はじめて新しい同僚達の存在に気付いたのだった。

 

「雁淵輝准尉、今日はお前の配属初日だ」

 

酒瓶を捨てた途端、キリッと表情を引き締めるアウロラ。輝も頭を切り換えた上官に習い、直立不動の姿勢となる。

 

「ということでまずは自己紹介から――」

 

「アウロラ大尉!」

 

スオムス陸軍の野戦服に身を包んだ男性兵士が、アウロラの言葉を遮りながら格納庫内に駆け込んできた。緊張した面持ちでアウロラの下へ駆け寄り、彼女になにやら耳打ちをする。

緊急の伝令のようだ。輝やストライカーユニット回収中隊の視線が中隊長と突然現れた男性兵士に集中する。

輝は後に知ったことだが、男性兵士は陸戦ウィッチ達を目的地まで移送する装甲車輌の運転手を務めるスオムス陸軍兵士とのこと。

 

「そうか、分かった。すまん皆、新人の紹介は後になった……」

 

男性兵士に頷くと、アウロラは陸軍ウィッチ達に向き直って告げる。彼女の表情は、部隊を取り仕切る指揮官のものに変わっていた。

 

「全員ユニットを履け!ストライカーユニット回収中隊、出撃だ!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

約2時間後、ペテルブルグより南東へ約80キロメートル地点――

 

第502統合戦闘航空団司令――グンドュラ・ラル少佐より、アウロラ・E・ユーティライネン大尉率いるストライカーユニット回収中隊へ出撃命令が下された。内容は無論、前線で墜落した502ウィッチの救助及びストライカーユニットの回収である。

輝は、他の陸戦ウィッチ達と共にカールスラントの中型装甲兵員輸送車『Sd.Kfz.251/1』に乗り込んでいた。同じ車輌には、彼の他に4名のスオムスの陸戦ウィッチ――中隊長のアウロラ、隊の副長的立場のレーヴェシュライホ少尉、隊員のテッポ、ハロネン――が搭乗している。

後方には同型の車輌がもう1輌。乗員は装甲歩兵ではなく、ストライカーユニットの回収作業を行うスオムス陸軍の兵士が10名。

さらにオラーシャがリベリオンのトラックをベースに自国で生産した『ZIS-5』が一台続いている。ZIS-5は、オラーシャがリベリオンのトラックをベースに自国で生産したもので、ストライカーユニット回収中隊においては回収したストライカーの輸送に使われている。

お世辞にも乗り心地が良いとは言えないハーフトラックのベンチシートに腰掛けた輝は、愛機である九七式中型装甲脚“チハ”の駆動部と武装のチェックを黙々と行っていた。

陸戦ストライカーユニットは、飛行脚と違って空を飛ばない。同じ宮藤理論を採用してはいるが、こちらは陸を駆けるための装備である。人間の身体で言うところの脛に当たる部分には、戦車の無限軌道に酷似した機構が存在し、これを回転させることにで魔法力を増幅させる。この機構は魔導エンジン冷却と魔力伝達の関係上、剥き出しになってしまう。故に、戦闘に起因する損傷はもちろん、最悪の場合は何もしなくても故障が起きるので整備が欠かせない。

同時に武装のチェックも行う。輝が使っているのは、一式47mm対ネウロイ砲だ。口径が47mmあるわけではない。mmはmagic mass(魔法質量)の略であり、火力は歩兵用の銃器に改修を施したものが多い航空歩兵用の武装を上回っている。

陸戦ネウロイの装甲も撃ち抜くことができるのだが、性能面ではチハ共々他国の――特にカールスラント、ブリタニア、リベリオンの装甲歩兵用の装備に大きく水を開けられている。

より新型の四式中装甲脚“チト”や、チトの繋ぎとして開発した三式中装甲脚“チヌ”も、対ネウロイ戦の影響で恐竜進化を続ける連合軍各国の陸戦ストライカーには及ばない。

データをフィードバックして開発した九七式中戦車に至っては、中型以上の陸戦ネウロイに歯が立たなくなってしまっている。

輝自身、対ネウロイ戦におけるチハの限界を痛感しており、アウロラ達が使っているIII号突撃装甲脚G型を羨ましく思っている。

 

「大尉、これから救出に向かうウィッチは――」

 

「ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン、愛称は“ニパ”。スオムス空軍曹長で……まぁ、私の妹みたいなものだ」

 

向かいの席に座るアウロラが、これから救助するウィッチについて簡潔に説明する。しかし、それは輝の訊きたいことではなかった。

 

「そのカタヤイネン曹長は、ネウロイに撃墜されたんですか?」

 

「いいや、早朝の哨戒飛行中にエンジントラブルが起きたそうだ」

 

「エンジントラブル?」

 

「何でも、ストライカーの冷却器にカオジロトンボが大量に混入したらしい……」

 

「…………何ですか、それ」

 

常識的に考えて、絶対にあり得ない墜落原因。輝は目を丸くする。

 

「まぁ、運がないというかなんというか……そういうやつなんだ。墜落地点は先日の哨戒飛行で多数の陸戦ネウロイが確認された地域。しかも現在502のウィッチ隊は、モスクワ方面から接近している飛行型ネウロイの対応で忙しく、空からの援護は期待できそうもない」

 

「初日早々前途多難ってわけですね」

 

輝はうんざりしたように呟くと、空を仰ぐ。瞳に映るオラーシャの空はすっかり明るくなっていたが、それで気が楽になるわけでもない。

一方のアウロラは、早くも新参者の実力を見定める機会が巡ってきた、と内心思っているようで薄く笑みを浮かべていた。

 

「きた――」

 

中隊長殿が新人に「期待しているぞ」と、声を掛けるよりも早く、ストライカーユニット回収中隊の車列に鮮血の光条が殺到した。




ミリタリーに詳しい方へ
陸戦ストライカー及び戦車の解説に関して、何か無理があるようなら出来るだけやんわりと御指摘下さいorz

感想、誤字脱字報告をお願い致します。


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第5話「三毛猫と雪イタチ」

ネウロイのサイズの定義がよくわかりませんが、作者個人としては――

人間サイズ~数m程度が小型

軍用機や戦車サイズが中型

重戦車以上軍艦以下までのサイズが大型

ストパン2期最終回に出てきた巨大コアやブレイブのグレゴーリ、劇場版の潜水艦みたいなネウロイが超大型

――だと思っています。


「……じん……新人っ……起きろっ!新人!」

 

「う……う~ん……」

 

誰かが耳元で声を張り上げている。眠りの淵にいた扶桑皇国陸軍の装甲歩兵――陸戦ウィザード――雁淵輝准尉は、自分の鼓膜に突き刺さる声の主が十代半ばほどの少女であることをすぐに理解した。それに加え、人の声とは別の轟音が輝の周囲に響いている。

鬱陶しく感じながらも、扶桑陸軍ウィザードは重たい目蓋を開いて、相手の顔を確認する。

 

(この人、誰だ?)

 

目を開けた輝は、スオムス陸軍の野戦服を纏った北欧系の美少女を視界に捉えた。

どこかで見たような顔だが、名前が思い出せない。記憶を辿りながらぼーっと少女を見つめていると、強烈な手打ちが頭に炸裂した。

 

「おいっ!いい加減目を覚ませ!死ぬぞ!」

 

「い゛っ!?」

 

頭蓋を通して脳へと響く痛みと衝撃で、一瞬のうちに輝は覚醒した。

苦悶の表情を浮かべて頭を持ち上げると、自分と少女が横倒しになっている中型装甲兵員輸送車『Sd.Kfz.251/1』の影に隠れていること、木々の葉や枝に雪が積もった森林の中にいることに気付いた。

何故自分がこんなところで寝ていたのかが分からず、輝はぐるりと首を巡らせる。彼と少女のほぼ真横の位置にもう一台のSd.Kfz.251/1が同じく横倒しになっているのが見えた。スオムス陸軍兵が6名、車輌の影に身を潜めている。負傷者もいるようだ。

すぐ後ろでは輸送トラック『ZIS-5』が大破炎上している。運転席から引っ張り出された二人の運転手が別の兵士二名に介抱されいた。傍らには、スオミM1931短機関銃を手に持った兵士がもう二人いる。

 

「よし、起きたな!ほら、お前のだろう?」

 

そう言って北欧系美少女は、扶桑の一式47mm対ネウロイ砲を手渡す。

訳が分からぬまま受け取った輝だったが、すぐさま自分の武装であることを理解する。やたら足が重い気がして目をやれば、九七式中型装甲脚“チハ”を履いていた。

 

(そうだ!502ウィッチの救助に向かって、それで……)

 

漸く気を失う前のことを思い出した輝は、状況を把握するため、Sd.Kfz.251/1の影からそっと顔を出す。

第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』補助部隊・ストライカーユニット回収中隊に配属された輝は、新しい同僚の顔と名前を覚える暇もなく、墜落した502ウィッチの救助及びストライカーユニットの回収任務に参加することとなった。

スオムス歴戦の勇士であるアウロラ・エディス・ユーティライネン大尉の指揮の下。中隊は、それぞれ機械化装甲歩兵と機械化歩兵が搭乗した二輌のSd.Kfz.251/1、回収したストライカーユニットを運搬するためのZIS-5一台で車列を組み、哨戒飛行中エンジントラブルで墜落したニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長の元へ向かっていたが、途中で陸戦型ネウロイ群の強襲を受けてしまう。

ビームの集中砲火によってトラックを破壊され、装甲兵員輸送車は揃って転倒し、車列は崩壊。装甲歩兵と機械化歩兵の面々は雪化粧の施されたオラーシャの大地へ投げ出された。この時、輝は地面に頭を強く打ってしまい、ほんの数分であるが気を失っていた。彼を叩き起こしたのは、中隊の副長的存在であるレーヴェシュライホ少尉だ。

 

(結構いるな……)

 

正面には数m程の小型が多数と、コアを有しているであろう中戦車サイズの中型ネウロイが数体。まるで餌を見つけた蟻のように地を這い、回収中隊に迫る。黒光りする四足歩行の物体が群れを成して蠢く様は、人間の生理的嫌悪感と本能的な恐怖心を煽るものだった。

中隊長のアウロラ、テッポ、ハロネン――三人の陸戦ウィッチが応戦し、押し寄せるネウロイ群を次々と破片に変えている。さすが“スオムスの英雄”と言うべきか。アウロラは既に中型ネウロイの大半を撃破している。

同行していたスオムス陸軍兵の殆んどが、負傷者の対応に終われていたが、手透きの二人組がカールスラント製の対ネウロイロケット発車器RPzB54“パンツァーシュレック”を構え、群より突出した小型ネウロイの相手をしていた。彼らが防護壁代わりにしているSd.Kfz.251/1は装甲防御に優れ、多少の攻撃ではビクともしないだろう。

また、小型ネウロイは攻撃力と防御力が低く、再生能力を持たない。魔法力が使えない歩兵でも、小銃ないし機関銃による集中砲火や重火器で対処が可能だ。しかし、動きが素早いためパンツァーシュレックの弾頭を当てるのは困難である。

 

「待て、雁淵准尉!」

 

完全に出遅れてしまった輝。前に出て、アウロラ達に加勢しようと身を起こした彼の肩をレーヴェシュライホが掴んだ。

 

「お前は戦場を迂回し、カタヤイネン曹長の救出に迎え!ネウロイは私達が引き受ける!」

 

輝の耳に顔を寄せ、声を張り上げるレーヴェシュライホ。銃声や砲声、爆発音が轟く戦場でも聞こえるようにとのことだろうが、耳元で怒鳴られた輝は不快そうに顔を歪める。

 

「俺1人で……ですか?」

 

念を押すように輝が訊くと、レーヴェシュライホは「隊長の指示だ!」と前置きした上で言葉を続けた。

 

「事は一刻を争う!カタヤイネン曹長が墜落した場所はすぐ近くだ!彼女も襲撃されているかもしれない!」

 

輝達が向かっていたカタヤイネン曹長の墜落地点。それはネウロイの群れの向こう側だった。曹長が敵に発見されている可能性は極めて高い。

墜落したことで、ストライカーユニットは損傷し、カタヤイネン曹長も負傷しているはずだ。ネウロイから自分の身を守れるはずもない。レーヴェシュライホの言う通り、一刻を争う事態だ。

自分に白羽の矢が立った理由を輝が知る由もない。もしかすると、チハの性能がIII号突撃装甲脚に見劣りすることや、輝にとって回収中隊の一員としての初陣ということであまり期待されていないのかもしれない。

 

「この際ストライカーは放っておけ!カタヤイネン曹長の救助が最優先だ!分かったら、早く行け!」

 

「り、了解!」

 

レーヴェシュライホに急かされ、輝はネウロイと逆方向に陸戦ストライカーユニットを走らせた。

持ち主と共に地面に叩きつけられはしたものの、問題無く稼働している。それがありがたかった。

チラッと振り返り、交戦中の味方とネウロイが見えなくなったところで輝は進路を変更し、カタヤイネンの曹長の元へ向かう。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ストライカーユニット回収中隊とネウロイの交戦地域より南へ数キロ地点――

 

(うぅ……何で、こんなにツイてないんだよぉ……)

 

ひとりの少女が雪で白く染まった茂みに身を潜め、自らの不幸を嘆いていた。

彼女はニッカ・エドワーディン・カタヤイネン――愛称は“ニパ”。スオムス空軍所属の航空ウィッチで、階級は曹長。原隊であるスオムス空軍第24戦隊第3中隊を離れ、人類連合軍(連盟空軍)第502統合戦闘航空『ブレイブウィッチーズ』に参加している。

スオムス空軍でも屈指の技量と撃墜数を誇るエースウィッチなのだが、同時に呪われているとしか思えないような不幸体質の持ち主でもあった。

床にトーストを落とせば、必ずジャムやバターを塗った側が下になる。道を歩けば、通りかかった車に泥水を掛けられる。ランニングコースとなっている基地の堡塁の上を走れば、鳩が彼女の頭目掛けてフンを落とす。たまの休日に街へ出掛ければ、ペンキたっぷりの缶が頭上から降ってくる。ストライカーを履いて空を飛べば、戦闘が無くとも何らかの理由でユニットが火を吹き、墜落する等々、不幸話に事欠かない。まるで災難の見本市、ある意味才能だ。

今日も今日とて。哨戒任務中にストライカーユニットのエンジントラブルが原因で墜落、飛行不能となる。

不幸中の幸いと言うべきか。積もった雪がクッションになり、空から地面へ落下したにも関わらずニパは軽症で済んだ。服もストライカーもボロボロだが、傷は固有魔法の『超回復能力』を使って自己治癒できるため、余程重傷でなければ大事には至らない。

ニパは、ゆっくり傷を癒しながら502部隊のウィッチ達、もしくはストライカーユニット回収中隊が救助に来てくれるのを大人しく待てばいい……はずだった。

 

――ザクッザクッ!

 

(また来た!)

 

雪面を踏みつける足音がニパの耳に突き刺さる。彼女を付け狙う何者かが、ずっと前から周囲を徘徊していた。

程無くして、腹に巨大な砲塔を抱えた四本脚のシルエットが彼女の眼前を横切る――大型の陸戦ネウロイだ。神は無情にも、不運に見舞われたスオムスウィッチの元へ死神を遣わしたのだ。

カールスラント陸軍の重戦車を上回らんばかりの巨体を目の当たりにして、不安と恐怖に駆られるニパの頬に嫌な汗が滲む。息を殺してジッとしていると、大型ネウロイは木々の奥へと消えて行った。取り敢えずは助かったらしい。ニパはホッと胸を撫で下ろした。墜落してから、もうずっと緊張と安堵の繰り返しだった。

 

(どのくらい誤魔化せるかな?5分?10分?)

 

陸戦ネウロイは明らかに自分を探している。遠くより響いてくる足音に怯えながら、ニパは必死に考えを巡らせた。

おそらく、一生分の幸運を掻き集めて30分といったところだろうか。不幸体質とはいっても、ニパは悲観主義者というわけではない。しかし、どうしても助かるイメージが湧いてこなかった。彼女の置かれている状況は、それほど絶望的だった。

ストライカーユニットとインカムは故障し、主兵装として装備していたMG42も紛失してしまっている。サイドアームの拳銃は残ってるが、大型ネウロイ相手では豆鉄砲もいいところ。

しかも敵はニパを見つけられずいながらも、彼女が隠れている茂みの半径100メートル以内から出ようとしない。獲物を逃がすまいと、周囲に目――ネウロイに目はないが――を光らせている。一歩でも茂みの外へ出ようものならすぐに見つかり、大出力ビームによって瞬時に原子レベルまで分解されるだろう。

戦うことも、飛ぶことも、味方と連絡を取ることも、走って逃げることも出来ない。

 

(アウロラねーちゃん……来てくれるよね?)

 

ホルスターから取り出したPPKを握り締めながら、ニパは自分を可愛がってくれている陸戦ウィッチの顔を思い浮かべる。

ニパは同じスオムス出身のアウロラを「ねーちゃん」と呼び慕っている。二人は姉妹同然に仲が良いが、ファミリーネームを見て分かる通り、アウロラとニパに血縁関係はない。

世界最高峰の陸戦ウィッチであるアウロラには、航空ウィッチの妹がいる。スオムス空軍のトップエース――エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。愛称は“イッル”。エイラは現在スオムスを離れ、ブリタニアの第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』へ派遣されている。

ニパとは同じ第24戦隊第3中隊に所属していた親友同士で、アウロラもまたニパを二人目の妹のように可愛がっている。エイラがアウロラを「ねーちゃん」と呼ぶのが羨ましかったニパは、いつしか自らもそう呼ぶようになっていた。

 

「おい、あんた」

 

「ひっ!?」

 

不意に背後から何者かの声が聞こえた。聞き覚えない声だ。驚いたニパは短い悲鳴を漏らし、肩をビクッと跳ね上げた。

 

「バカッ!声を出すな!」

 

「ムグッ!」

 

叱責されると共に、やや乱暴な動作でニパの口が塞がれる。

ネウロイが付近を徘徊している状況下で、彼女は不用意にも声を出してしまった。気付かれたかもしれない。

 

――ザクッザクッ!

 

(見つかった!?)

 

重量感のある足音が近付いてきた。ニパの心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。

 

「静かに。大丈夫だ、やり過ごせる」

 

そっと耳元に囁かれたニパは、チラッと背後に目をやる。背後にいたのは目麗しい容姿をした扶桑系の美少女(?)だった。

 

(うわぁ、綺麗な人だな……)

 

ニパはポッと頬を染め、初対面の美少女(?)の顔に見とれる。

北欧系のニパと比べて鼻は低いが、顔立ちは全体的に整っている。茶色の髪は短めに切り揃えられていて、ボーイッシュな印象を受ける。

よく見ると、頭部には使い魔のものらしき猫耳が発現していた。小柄で華奢な身体には不釣り合いな扶桑陸軍の制服を身に纏い、両足には扶桑製の陸戦ストライカーユニットを装備している。

専門外のニパにはストライカーの名前まではわからない。しかし、彼女(?)が扶桑陸軍に属する装甲歩兵だというのはわかった。

 

「?」

 

(あ、ヤバッ!?)

 

視線に気付いた少女(?)が見つめ返してきた。ニパは反射的に目を逸らす。

疚しいことなど何もない。だが、ニパは何故か悪いこともしくは恥ずかしいことをしてしまったような気分になった。羞恥心から顔に熱が加わり、スオムスウィッチの頬が一層赤くなる。オラーシャのひんやりとした空気が、火照った顔に心地好い。

隙間から茂みの外を窺ってみると、ネウロイがこちらに戻って来ていた。四本の細長い脚を踊らせながら、ターゲットであるニパを探している。その様子を、ニパと少女(?)は息を殺して見つめていた。

やがて目標が見当たらないことに気付いたのか。ハニカム模様の刻まれた漆黒の巨体は、先程とはまた違った方角へ移動し始め、木々の向こうへ去っていった。

 

「はぁ~……」

 

墜落してから、もう何度目かの命拾い。ニパの口から大きめの溜め息が漏れ出る。ホッとした様子の彼女に、少女(?)が小声で訊いてきた。

 

「あんたが、502のカタヤイネン曹長か?」

 

「えっ?あ……う、うん」

 

ニパは身体を180度回転させ、自分の背後に突然現れた見知らぬ少女(?)と向き合った。

 

「えっと……スオムス空軍曹長で、第502統合戦闘航空団所属のニッカ・エドワーディン・カタヤイネンです」

 

と、ニパは簡単な自己紹介をした。茂みの中で身を屈めたまま、生真面目に敬礼する。

 

「俺は雁淵輝。扶桑皇国陸軍東欧方面軍西オラーシャ駐留軍からペテルブルグ基地へ派遣された装甲歩兵で、階級は准尉だ」

 

「やっぱり、扶桑陸軍の人なんだ……けど、なんで扶桑の装甲歩兵の方がここにいるんですか?」

 

首を傾げながら、ニパは重ねて訊ねる。扶桑陸軍が東部戦線に展開していることは知っているが、502の担当戦域に扶桑の装甲歩兵がいる理由が見当たらなかった。

東部戦線を担当する連合軍東部方面総司令部内には、東オラーシャ方面司令部・西オラーシャ方面司令部・オストマルク方面司令部と、大きく分けて3つの部署が存在する。

管轄する戦域の大部分が、広大且つ過酷なオラーシャであるため、ペテルブルグに拠点を置く第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』と、オラーシャ重工業の一大拠点“チェリャビンスク”に前線基地を構え、ウラル防衛を担当する第503統合戦闘航空団『タイフーンウィッチーズ』の2つの統合戦闘航空団を有しており、それぞれ西オラーシャ方面司令部と東オラーシャ方面司令部の直属となっている。

扶桑皇国陸軍東欧方面軍を構成する2つの軍も同様であり、東部方面総司令部の隷下に入ってからは各々オラーシャ駐留軍・東オラーシャ駐留軍と名を改められている。

そして輝の原隊で、ペドロザヴォーツクやベロモルスクを拠点としている西オラーシャ駐留軍の東部戦線における主な役割は、ベロモルスクからペテルブルグへと続いている白海・バルト海運河と、ペドロザヴォーツク~ペテルブルグ間を繋ぐ単線鉄道の防衛及び安全確保である。これらは東部戦線の要衝――ペテルブルグへの補給路兼連絡路だ。

帝政カールスラント陥落以前、ペテルブルグとかつて扶桑皇国海軍遣欧艦隊の拠点であった港町――“リバウ”への補給はバルト海を使用し、物資を積んだ艦船が直接向かうのが普通だった。しかし、カールスラントの陥落に伴い、バルト海はネウロイが多数飛来する危険地帯となってしまった。

バルト海での艦船の航行が不可能になると、スオムスやオラーシャ方面への補給物資バルトランド西部の港湾都市“ベルゲン”に陸揚げし、そこから陸路で運ぶか。もしくは、バルトランドの北部海域であるバレンツ海を航行してコラ半島北岸にある不凍港“ムルマンスク”の港へ海路で運ぶこととなった。

だが、陸路に問題があった。ベルゲンからの鉄道は、スオムスやオラーシャへは繋がっておらず、途中でトラック輸送を行い、さらにはバルトランドとスオムスの間に では再び船に積み替える必要があった。

恐ろしく効率の悪いこの方法は、大量の物質や大型兵器のような質量物資を輸送するのには適していなかったのだ。ましてや、遠く離れた最前線のペテルブルグへの補給に、このやり方は殆んど用いられていなかった。

それはムルマンスクに関しても同じこと。海路はともかく、ペテルブルグまでの陸路は垂線距離で1000キロ以上ある。鉄道を結んでいるとはいえ、物質の揚げ降ろしと鉄道移動を考えると、物質がペテルブルグへ届くのに2日は必要であった。さらに鉄道が単線であることや、ムルマン駅の能力の問題から、大量の物質を運ぶのに適していなかった。

そこでコラム半島を通り過ぎ、白海の奥にあるベロモルスクまでさらに航海し、そこから白海・バルト海運河を利用して直接ペテルブルグへ補給物質送ることにした。

ブリタニア方面からでは航海距離が長くなり、白海・バルト海運河も1000トン程度の小型船舶以外は航行不能であった。鉄道での移動距離も半分になるため、ベロモルスクはペテルブルグの新たな玄関となった。

そして、そのベロモルスクとペテルブルグを結んでいる補給路を守ることが西オラーシャ駐留軍の主任務であり、あちらも陸戦ネウロイの襲撃を頻繁に受けているはずだ。機甲部隊と並ぶ――実質的には、それを上回る――主戦力である装甲歩兵を、ペテルブルグ方面へ派遣するだけの余裕が果たしてあるのか。ニパには疑問だった。

 

「転属だよ」

 

「転属?」

 

と、輝はぶっきらぼうな口調で質問に答えた。それをニパが鸚鵡返しする。

 

「ラル少佐あたりから聞いてないか?ストライカーユニット回収中隊に欠員が出たから、俺が呼ばれたんだよ」

 

「あ、なるほど……」

 

納得したニパはポンと手を叩く。そういえば一昨日あたりアウロラから、「人手が足りないスオムス陸軍の代わりに扶桑の陸軍が追加の人員を送っくれた」という旨の話を聞いていた。

ちなみに、アウロラはニパと世間話する際も酒盛りをしていた。

 

「そういえば、アウロラねーちゃんは?無事なの!?」

 

「詳しい話は後だ。まずは、この状況を何とかしないとな……」

 

そう言って輝は、ネウロイが去っていった方向へ目をやる。ニパもつられて視線を動かす。

陸戦大型ネウロイの姿はうっすらとしか見えないが、ザクザクと雪を踏みしめる音が聞こえてくる。やつは諦めていない。

輝が合流したことで、 ニパの不安と恐怖は大分軽くなった。しかし、危機的状況に変わりはない。

 

「何とか、なるかなぁ……」

 

「どうせ逃げられやしないんだ。死にたくないなら戦うしかねぇだろ?」

 

「まさか、あいつと戦う気?」

 

「やつをブッ潰さなきゃ基地には帰れない、腹決めろ」

 

ネウロイを双眸で捉えたまま、輝は弱気なニパを叱咤する。

輝が気付かれずニパと合流できたのは、奇跡と言っていい。茂みから出ようとすれば、今度こそ見つかる。ニパを抱え、全力でこの場から逃げ切ることも考えたが、それを見逃してくれるほど敵は甘くないだろう。2人が安全圏へ離脱する前に、巨砲から迸り出る熱線によって跡形もなく消し飛んでしまう。

ならば戦うしかないが、あの大型陸戦四脚ネウロイは非常に厄介な相手だ。

昨年、西部方面総司令部が実施したガリアのノルマンディー地方上陸作戦時に同じタイプのネウロイ群が、第一陣として上陸したカールスラント及びリベリオン陸軍の機甲部隊と交戦している。

連合軍の大艦隊による艦砲射撃を物ともしない再生能力。カールスラントが誇る88ミリ砲でも容易には貫通出来ない重装甲。人類側のトーチカなどを一撃で粉砕する圧倒的火力。

ストライカーユニットと武装の殆んどを失った航空ウィッチと、他国に比べて貧弱な装備しか持たない装甲歩兵の2人組では勝ち目が薄い。

 

「考え……って、どんな?」

 

と、ニパが訊く。不安ながらも、意を決して輝の案に乗ることにしたのだ。すると、薄笑いを浮かべながら答える。

 

「ここに来る途中、俺達は奴らの奇襲を受けた。そいつをそっくりそのまま返すのさ」




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第6話「初陣とサウナと季節外れの紅葉」

かなり久々の投稿でございます。





1944年4月初頭、オラーシャ帝国

 

東部戦線の要衝――ペテルブルグより南東へ数十キロ進んだ先にある森林地帯。雪化粧の施された多種多様の落葉樹林が生い茂るこの場所で、スオムス陸軍の装甲歩兵を主力とした部隊が陸戦小中型ネウロイ群と交戦状態に入った。

魔法力を帯びた銃弾に砲弾、血のように赤い閃光が絶えず放たれ、弾雨となって降り注いだ。爆音や衝撃がオラーシャの大地に響き、揺らしては寒空へと消えていく。

ネウロイの奇襲を合図に始まった戦闘は戦術レベルながら激しいものであった。白銀によって彩られた美しい自然風景の中で展開される魔女と異形の戦い。その主戦場から数キロ離れた雑木林では、航空歩兵と装甲歩兵の二人組が茂み中に身を潜めていた。

 

「…………」

 

そのうちの一人。スオムス空軍から連盟空軍第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』に派遣されている航空ウィッチ――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長は、右手にスオムス軍制式採用自動拳銃L-35、左手には扶桑陸軍の破片手榴弾『九七式手榴弾』を握り締め、小動物のように震えていた。

視線を地面に落としている彼女だが、不意にネウロイの気配を感じた気がしてハッと顔を上げる。茂みの外にはこの短時間で見慣れた白銀と木々の風景が広がっているだけで、自分達を付け狙っている陸戦大型ネウロイの姿はなかった。気のせいだったこと理解し、スオムスのウィッチはホッと胸を撫で下ろした。

 

「しっかりしろ……」

 

ふと他者の声がニパの耳朶を叩いた。それはつい先ほど知り合い、同じ茂みの中に身を隠している隣人が発した囁き声だった。言葉遣いは、ぶっきらぼうながら叱責とも激励とも受け取れるものであった。

彼の名は雁淵輝、扶桑皇国陸軍装甲歩兵で階級は准尉。配属部署は違えど、輝もまたニパと同様に扶桑の原隊から502部隊へ派遣されている。本日の彼の任務は、ストライカーユニットのトラブルで墜落したニパの救出と、彼女の愛機の回収だ。

ちなみに、ニパが左手に握っている九七式手榴弾は主兵装備のMG42を紛失した彼女と不憫に思った輝が与えたものである。

 

「けど、本当に上手くいくの?」

 

ニパが震える声で不安を吐露する。額には冷や汗が滲んでいた。二人の周辺には本隊とはぐれたらしい大型陸戦四脚ネウロイ――人類側の通称は『クモ』――が徘徊している。敵の狙いはニパだ。

ニパを見失って随分経つというのに、陸戦ネウロイは諦める様子もなく、未だに彼女を探し続けている。

オラーシャの深い森林と4月に入っても残っていた積雪が、ストライカーユニットを損傷し、墜落したスオムスウィッチをここまで生き延びさせていたのだ。

 

「…………」

 

輝は何も答えず、茂みの外に鋭い視線を向けていた。その手には両足に纏っている扶桑皇国陸軍の陸戦ストライカーユニット――九七式中型装甲脚“チハ”の主兵装『一式47mm対ネウロイ砲』が握られているが、ニパと合流するまでに小型ネウロイの一団と交戦したため残弾は一発のみ。

他に武器といえば、ニパに渡した九七式手榴弾とリベリオン製のスモークグレネード。そして普段から護身用とさして携帯している自動拳銃M1910。大型ネウロイを相手取るには心許ない。せめてチハの副兵装である九七式7.7mm機関銃があれば……。

逃げることも考えたが、いくら陸を駆ける装甲歩兵とはいえ人一人抱えてネウロイから逃げ切るのは不可能に近い。茂みから出た途端に大火力のビームによって蒸発してしまうだろう。加えて、味方の前線まで距離にしておよそ10キロはある。ならば、と輝が提案したのが奇襲だった。

大型ネウロイはその細長い脚で積雪を踏みつけ、同じ場所を何度も行ったり来たりしている。いずれは輝達の近くに必ず戻ってくるだろう。

やつが至近距離まで近付いたら、陸戦ストライカーユニットを緊急始動して即座に接近し、一式47mm砲による零距離射撃を見舞う。それが輝の思惑だった。

他国の対ネウロイ砲に比べて火力不足とされている47mm砲だが、砲弾は装甲歩兵の魔力を纏っている。至近距離で叩き込めば撃破は無理でもコアを露出させることぐらいは出来るはずだ。

コアが剥き出しになればもうこっちのもの。ネウロイの心臓部であり、最も脆い箇所である赤く輝半透明の十二面体。威力の低い拳銃の弾でも弾倉一つ分の数を叩き込めばコアを破壊出来る。

それでも足りない場合は、輝がネウロイの注意を引いている隙にニパが手榴弾もしくは自身の拳銃でコアを攻撃する算段だ。いち兵隊が立てた即席の作戦にしては上等だろう。少なくとも輝はそう考えていた。

 

「…………なんだよ、感じ悪い」

 

輝の態度気に入らなかった――無視されれば誰だってそうだろうが――のか。ニパはムスッとして不満を零した。皮肉なことに。輝の素っ気ない対応が結果的にニパの緊張を解したのだった。

扶桑の装甲歩兵とスオムス航空歩兵は、祈るような気持ちでチャンスを待っていた。

この奇襲を成功させるためには、殆ど鼻っ面までネウロイを引きつける必要がある。時間はゆっくりと過ぎていく。時が進むにつれ、1分が永遠にも思えてきた。気が付けば、雪を踏み締める足音も聞こえなくなっていた。

ニパの脳裏に「ネウロイは諦めたのでは?」という考えが過った。輝も同じことを考えたが、すぐに「いいや」と頭を振った。

ネウロイからしてみれば、ストライカーユニットを駆るウィッチ・ウィザードは空陸問わず天敵と呼べる存在である。人類と敵対する異形の軍にとって、魔法力を有する少年少女は大きな脅威なのだ。見逃してくれるはずがない。

 

「――っ!?」

 

ふと輝の肌が粟立った。それと同時に雪の上を進む足音が聞こえてきた。ネウロイだ、ネウロイが来たのだ。

47mm砲を握る輝の手に力が込もる。音を聞いたり目で見る前に気付けたのは、陸戦屋独特の感というものだ。

 

「ひっ!?」

 

隣にいるニパが小さく短い悲鳴を上げる。それに応えるかのように、ネウロイはゆったりとした速度で少しずつ接近してくる。

先程までの大股染みた動きとは打って変わり、雪の感触を噛み締めるかのように低速で進んでいる。罠の気配を感じ取ったとでもいうのだろうか。だが、それでもネウロイは確実に二人の方へ近付いていた。

木々に紛れているとはいえ、距離的にはもういつ見つかってもおかしくない。すぐにでも飛び出したい気持ちを、輝はぐっと飲み込んだ。

程無くして、陸戦ストライカーならば一瞬で詰められるほどまで距離が縮まった。どうやら勝利の女神は輝達に味方したらしい。

 

「今だっ!」

 

輝はネウロイの足下目掛け、スモークグレネードを放り投げた。突然発生した煙幕に驚いたのか、ネウロイは独特の悲鳴を上げて動きを止める。

続いて、“チハ”に搭載された魔導エンジンが輝の魔法力を受けて始動する。生き物の咆哮のように力強いエンジン音が静寂な樹林に響き渡った

茂みから勢い良く飛び出した輝は、ネウロイに目掛けて突撃を敢行する。向かって来る自分の存在に気付き、振り向くネウロイの動きが輝からはスローモーションに見えた。狙うのは胴体下部に備えられた巨大砲。

自分を焼き払おうと旋回した砲塔から閃光が放たれるより速く、輝はネウロイの下部に潜り込んだ。巨大砲にい一式47mm対ネウロイ砲の砲口を押し付け、トリガーを絞る。ビームが発射されるよりも先に火を吹く47mm砲。魔法質量弾の接射を受けた砲塔は過負荷に耐えられず爆発を起こした。

悲鳴を上げるネウロイ。漆黒の装甲を構成していた金属は飛び散り、そのいくつかが輝の皮膚と衣服を掠める。

硝煙とネウロイから発せられた水蒸気――のような白い煙――が晴れると同時に、赤い光を放つ半透明の十二面体が輝の視界に現れた。

 

(勝った!)

 

そう確信した輝はすぐさま47mm砲を投げ捨て、ホルスターからM1910を引き抜いてコアに向ける。リベリオンの西部劇に登場するガンマン並みの素早い動作だった。

しかし、コアに銃弾を撃ち込もうとしたその瞬間。ネウロイの黒い脚が輝に向かって飛んで来た。それは蹴りだった。履帯で走る人類側の戦車には無い攻撃方法だ。

 

「危ないっ!」

 

つい先程まで身を置いていた茂みから悲鳴にも似たニパの叫び声が上がる。おかげでネウロイの蹴りに気付くことが出来た輝は、左手を使って魔力シールドを展開する。

飛行に魔力を回さなくていい装甲歩兵は、航空歩兵よりも強力なシールドが張れる。なのだが、咄嗟のことが展開が不完全だったためか。衝撃を殺し切れず、輝の小さな身体は数メートルほど吹っ飛ばされてしまう。大地との激突。凄まじい衝撃と激痛によって、輝の意識が一瞬飛ぶ。

 

「雁淵准尉っ!」

 

ニパが茂みから飛び出してきた。危機に陥った輝を救うため、右手に握ったL-35を発砲しながらネウロイに向かって突進していく。

しかし、ネウロイは無謀な突撃を行うニパにも、己の身体に当たり、パチンコのように弾かれる9mm×19mm弾にもなんら反応を示さず、輝にジリジリと躙り寄っていた。

余程さっき奇襲が頭にきたらしい。ネウロイに生物的、人間的な感情があるかはわからない。だが、ニパにはそう思えた。そして、輝の元まで来たネウロイは前脚を振り上げ、彼を踏み潰そうとした。

 

「やめろぉ!」

 

怒号と共に、ニパは全弾撃ち尽くしたL-35を投げ捨てた。利き手に持ち替えた九七式手榴弾のピンを咥えて引き抜くと、ネウロイの下部に放り込んだ。

扶桑陸軍の九七式手榴弾は他国の標準的な破片手榴弾に比べて炸薬量が少なく、威力は低い。

しかし、装甲歩兵用の物は対ネウロイ砲や航空歩兵用の対物ライフル弾及びロケット弾等に使用されている魔法弾のように特殊な儀式を施されて威力を向上させている。そのため、陸戦ネウロイに有効打を与えることが出来た。もちろん、コアの破壊も容易であるのだが……。

 

「雁淵准尉!シールド張って!」

 

ニパが続けて叫ぶ。輝は爆発の衝撃と飛散する破片から身を守るべく、彼女の指示に従ってシールドを展開する。

九七式手榴弾の遅延時間は4、5秒。輝とニパはシールドを張り、起爆の時を待った。が、10秒過ぎても九七式は沈黙を保ったままだった。

 

「…………えっ?」

 

確かにピンを抜いたはずなのに、起爆しない扶桑製の手榴弾。戦闘中にも関わらず、思わずニパは目を丸くして呆然とする。まさか不発だったのだろうか。

 

「………………あっ!しまった!」

 

固まってしまっているニパと異なり、九七式を使い慣れている輝はすぐさま原因を突き止めた。

原因は九七式手榴弾の設計だった。投擲され、手から離れてからプルコードやレバーによって自動的に信管が作動する他国の手榴弾と違い、九七式はピンを抜いた後に鉄帽や地面にぶつける要領で起爆筒を叩き、内部の導火線部に摩擦発火させた後に投擲を行う。

扶桑の装甲歩兵である輝はもちろんこのことを理解しているが、ストライカーユニット以外の扶桑製兵器に疎いニパが知るはずもなく、九七式のやり方が当たり前となっていた輝は、うっかり説明を忘れてしまっていたのだ。

このうっかりミスも“ツイてないカタヤイネン”の不幸体質に起因しているのかもしれないが、ニパの運の無さを鑑みるに例え使い方を説明していたとしても不発に終わっていたかもしれない。

 

「うぐっ!」

 

原因を理解したものの、戦闘はまだ続いている。ネウロイは己の脚の先端を輝の展開したシールドに叩きつけた。魔力障壁越しに衝撃が伝わり、輝は苦悶に顔を歪ませる。

必死にもがくも、圧倒的なパワー差と体格差により身動きが取れなかった。

 

「雁淵准尉!コイツ!准尉を離せ、このっ!」

 

輝をなんとか助けようと、ニパは足下に落ちていた石をネウロイに投げつける。石ころでネウロイに立ち向かう姿はなんとも滑稽に映るが、本人は至って真剣なのだ。

コアは露出している。魔法力を利用した攻撃によって一時的に自己再生能力も停止している。

あと一歩、コアさえ破壊できれば勝てる。墜落した自分を助けに来てくれた装甲歩兵を助けられる。その思いが、ニパを突き動かしていた。

だが、小さい石をいくらぶつけようがコアにはヒビ一つ入らなかった。考え無しにL-35を乱射したことを、ニパは心底後悔する。

 

(ちくしょう!俺は、こんなところで死ぬのか!?)

 

屈辱に駆られた輝が心の中で叫ぶ。まともな人生を送っていれば、朝起きて「今日、俺は死ぬのだろう」などとは思わない。死と隣合わせの生活を送る前線兵士にとって、それは皮肉抜きで贅沢なことだ。

輝とて扶桑皇国陸軍人の端くれ。ネウロイとの戦いで死ぬことを覚悟していなかったわけではない。あと一歩のところまで追い詰めておきながら、むざむざ殺されるのことが我慢ならないのだ。

左手でシールドを維持しつつ、蹴撃を受けた際に落としたM1910へ右手を伸ばそうとする。人差し指の先がグリップに触れる。その時だった。

魔法力を纏った無数の弾丸が、上空よりネウロイに向かって降り注いだ。発砲音と共に耳朶を打つストライカーユニットの魔導エンジン音。航空ウィッチ部隊による急降下攻撃だ。

大型陸戦四脚ネウロイの上面装甲は人類側の戦車と同様、前面や側面に比較して薄く、そして脆い。故に空からの急降下攻撃も有効な戦術の一つなのだ。

空からの集中砲火を受けた上面装甲は容易く削れ、ネウロイは堪らず悲鳴を上げる。さらにはダメ押しとばかりに撃ち込まれた一発のロケット弾により、ネウロイのボディはコア諸とも粉々に吹き飛んだ。

ロケット弾の着弾地点にいた輝とニパだが、魔力シールドのおかげで大事には至らなかった。

 

「た、助かったの?」

 

「……みたいだな」

 

地面から身体を起こした輝は、質問とも独り言とも取れるニパの呟きに応じる。なんとか命は助かったものの、二人とも泥だらけになっていた。

ふと空を見上げた輝の瞳に4つシルエット――シュヴァルムを組んだ四人の航空ウィッチの姿――が映った。

顔触れは502の戦闘隊長で、長い金髪と黒のカチューシャの組合せが印象的なアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉。

美しい銀色の髪を靡かせた502の教育係曹長にして、カールスラント空軍のベテランウィッチ――エディータ・ロスマン。体格は小柄ながらも、ぷっくりした艶のある唇がアダルトな雰囲気を演出している。

今朝、宿舎の廊下で顔を合わせたばかりの自由ガリア空軍ウィッチ――ジョーゼット・ルマール少尉。通称“ジョゼ”は、青リボンでまとめたツインテールの茶髪に透き通るような蒼い瞳という可愛いらしい外見をしている。

そして、輝と同じ扶桑皇国出身の航空ウィッチ――下原定子扶桑海軍少尉。水練着と同じ濃紺色の第一種軍装は些か地味な印象を受けるが、艶のあるボブカットの黒髪と赤い瞳の組合せによって美人が際立っている。

いずれも統合戦闘航空団のメンバーに相応しい、世界に名だたるエースウィッチ達だ。

輝とニパのことを心配そうに見下ろしていた空の四人だが、しばらくして地上に降下し始めた。4機のストライカーユニットのプロペラによって巻き上げた風が木々を揺らし、雪を舞い上げる。

 

「二人共、無事ですか?」

 

まず一足先に地上に降りてきたアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン――通称“サーシャ”が二人に声を掛ける。

モスクワ方面より侵攻してきた飛行型ネウロイの迎撃に向かったブレイブウィッチーズ。自分達の任務を終えた彼女らは二手に分かれ、ネウロイの奇襲を受けたストライカーユニット回収中隊と哨戒中に墜落したニパの救援に来ていた。

 

「サーシャさん!来てくれたの!」

 

サーシャと顔を合わせた途端、ニパの顔がパァッと明るくなる。サーシャはサーシャで、我が子を心配する母親に似た表情でニパを見ている。

 

「私達は大丈夫です!ユニットは壊れちゃいましたけど……」

 

そう言いながら、ニパはばつが悪そうに後頭部を掻いた。持ち前の不幸体質故に、彼女は502でも指折りのユニット壊しとなっている。

そのことで戦闘隊長のサーシャにしょっちゅう迷惑を掛けてしまっていて、ニパは大変申し訳なく思っている。

 

「良かった……」

 

ニパ達の無事を確認したサーシャはホッと胸を撫で下ろす。その姿からは、やはり子ども想いな優しい母親を連想させられる。

次にサーシャは輝の方へ身体向け、軽く会釈しながら彼に謝意を述べた。

 

「雁淵准尉、ニパさんを守って頂きありがとうございます!」

 

「あ……」

 

慈愛に満ちた聖母のようなサーシャの横顔に見とれていた輝は、彼女に話し掛けられたことでハッと我に還った。

 

「い、いえ。任務ですから……」

 

誰かに面と向かって礼を言われのはずいぶんと久しぶりのこと。輝は顔全体がカァと熱くなるのを感じた。

赤面したのを悟られまいと、顔を伏せる小柄な装甲歩兵の様子にニパとサーシャは不思議そうな表情で首を傾げていた。

一方、年長者のロスマンは輝の心中を察していたらしく、微笑ましげに彼を見据えながらクスクスと小さく笑声を立てていた。

カールスラントウィッチのすぐ隣に立っている元リバウ航空隊の扶桑海軍ウィッチは何故か頬を軽く赤らめ、熱の込もった視線を輝に注いでいた。

 

「あれ?准尉、怪我している?」

 

と、ニパが輝の左腕を指差した。ネウロイの対処に夢中で本人も気が付かなかったが、確かに左腕を負傷している。出血もしていて、制服の袖が赤く染まっていた。

 

「大変!すぐ治療します!」

 

そう言って輝に近寄ると、ジョゼは傷口に両手を翳した。すると、手の平から発せられた青く暖かな光が傷を覆い、みるみる癒していった。

 

「治癒魔法か?」

 

と、輝が訊くとジョゼは「はい」と頷いた。治癒魔法とは、攻撃系の固有魔法と同じくらい稀少とされる念動系の固有魔法だ。

魔法力やコントロールによっては重傷者すらものの数分で全快させることが可能で、薬草や医薬品の効力を高める等と応用も利く。

しかし、輝はレアな魔法をお目にかかれたことより、最初に顔を合わせた時と今のジョゼの雰囲気が違うことの方が気になっていた。

清掃中に輝の喫煙を叱りつけたジョゼは、鬼教官顔負けの凄まじい剣幕を見せたので気の強い印象を受けた。だが、目の前ジョゼは全体的に大人しく控え目な印象と、別人のようだった。

今と今朝で、何故これほどまでに違って見えるのか。輝は後ほど知ることとなる。

ジョゼの治療によって傷も塞がり、ニパと彼女のストライカーユニットも回収した輝は、合流した回収中隊のメンバーと共にペテルブルグへ引き返した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数十分後、ペテルブルグ第502統合戦闘航空団基地――

 

ペテルブルグにおける初任務及び版初陣を飾った輝は救助したニパを連れて、無事に――墜落していたので『超回復』が使えるニパともかく、ストライカーは大破していたが――502基地へ帰投していた。

当基地における軍務は、初日の朝からいきなりハードだったが、欧州屈指の激戦区であるオラーシャではよくあることだ。

ストライカーユニット回収中隊の格納庫では、ひと仕事終えたスオムスウィッチ達が車座になり、談笑していた

。スオムス語の賑やかな会話と笑い声が格納庫全体に響き渡る。

輝も中隊長のアウロラから「混ざらないか?」と誘われていたのだが、出来るだけ当たり障りのない言い方で断り、隅に設けられた喫煙所でひとり一服していた。

中隊唯一の扶桑人であるが故に疎外感を覚えたり、新人の身立場から遠慮しているわけではない。元々輝は大勢でガヤガヤ騒いだりするのは好きではないのだ。

 

「雁淵さん!」

 

ふと快活な声が輝の耳朶を打った。短くなった軍用煙草を灰皿に押し付けてから振り返ると、基地に帰投した際に別れたニパの姿があった。彼女は息と膨よかな胸を弾ませながら輝の元へ駆け寄る。

ニパの胸は、502において航空団司令のグンドュラ・ラルに次ぐ大きさを誇っている。スオムスカラーのセーターでも隠しきれない巨乳は、否が応でも周囲の――特に男の――目を引いてやまない。

 

「カタヤイネン曹長?」

 

「ニパでいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶから」

 

ニッと歯を見せて笑うニパ。その眩しい笑顔からは優しさと親しみ易さが滲み出ていて、彼女の人柄が伺えた。

 

「あれ?煙草吸ってる?」

 

ニパは火を揉み消したばかりの軍用煙草に気付き、さも意外そうに片眉を上げる。

可愛らしい見た目の輝が喫煙をするとは思わなかったのだろう。彼が煙草を嗜むようになってから、ニパ以外の人間も似たような反応を見せていた。

 

「そんなの俺の勝手だろう……」

 

輝はぶっきらぼうに応じる。普通に返したつもりだったが、少々辛辣な口調となってしまった。輝は内心で(しまった……)と呟く。

 

「あっ……ごめんなさい」

 

輝が気を悪くしたと思ったのか。ニパの表情が微かに曇る。

 

「いや、別に…………」

 

と、輝は短く返した。もっと気の利いた言葉を返せば良かった。口下手で愛想のない自分がつくづく嫌になる。

孝美やひかりなら。優しく社交的で自然な笑顔の作れる姉や明るく天真爛漫な妹ならば、こうはならなかっただろう。

その後しばらくの間はどちらも口を開かず、二人の間に気まずい沈黙が流れた。

いつの間にかアウロラが近く来ていた。ヴィーナの酒瓶を呷りながら心配そうな表情で隊の新人と妹の親友を見守っている。

尤も、その飲みっぷりは心配している人間のそれではなかったが……。

 

「…………それで、なんか用があったんじゃないのか?」

 

沈黙に耐えかねた輝が用件を訊ねる。彼の問いに顔を上げたニパは、少しだけ元気を取り戻したように思えた。

 

「えっと、一緒にサウナどうかなって?」

 

「サウナ?ああ、スオムス式の蒸し風呂か」

 

「うん、私も雁淵さんも汚れちゃったから。サウナでスッキリしないかなぁ、って思ったんだけど……」

 

人見知りするお国柄故か。ニパは両手の人差し指をモジモジさせ、恥ずかしそうに提案を述べる。声も途中から蚊の鳴くように小さくなっていた。

 

「蒸し風呂かぁ……」

 

そう独り言ちながら、輝は自分の身体を改めて確認してみる。

一日は始まったばかりだというのに、服も肌も髪も泥だらけ。さすがにこんな状態で基地内を彷徨けない。輝はニパの申し出を喜んで受けることにした。

 

「場所分からないんだ。案内してくれるか?」

 

「もちろん!さっそく行こう!」

 

スオムスウィッチの声音に明るさが戻った。輝は上官のアウロラと、回収中隊において副長的立場にあるレーヴェシュライホ少尉に一言断ると、ニパに案内されてサウナの設置された建物へと向かった。

 

「大尉」

 

同郷の可愛い妹分。そして、彼女と同い年で友人候補でもある新人装甲歩兵を微笑ましげに見送るアウロラに、レーヴェシュライホが声を掛ける。

 

「もしかして、カタヤイネン曹長は雁淵准尉について誤解しているのでは?」

 

そう訊ねるレーヴェシュライホに対し、アウロラはヴィーナを一口呷ってから応えた。

 

「まぁ、何ごとも経験さ」

 

と、アウロラは厭らしい笑みを浮かべる。レーヴェシュライホは経験で知っている。悪戯を思い付いた際に見せる悪い笑顔だと……。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

オラーシャの首都『ペテルブルグ』は、ネヴァ川の河口にできたデルタ地帯に建設された都市である。島々を結ぶ運河が縦横無尽に通っていることから“北のヴェネツィア”とも称される美しい街だ。

島の一つに建っているペトロ・パウロ要塞。そこを改装して造られた第502統合戦闘航空団基地。その様相は軍事基地というよりは、まるで王族が住まう宮殿のようだ。

 

「ここだよ」

 

ニパの案内で到着したのは、基地本部から少し歩いたところに建っている小屋だった。こここそが502に所属するウィッチーズ専用のサウナだ。

航空団設立当初は、502の中核である航空ウィッチ部隊のメンバーのみが使っていたが、後に合流した直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊の陸戦ウィッチも利用するようになっていた。

スオムスウィッチに手を引かれて、輝は小屋へと足を踏み入れる。扉を潜った先は脱衣所だった。左右のスペースには、それぞれカゴの置かれた脱衣棚と大量の薪が積み上げられている。

 

(男女で分けられてないのか?)

 

小屋の大きさから察してはいたが、浴室も脱衣所も男女を分けた構造にはなっていない。ウィッチ用に造られたのだから当たり前と言える。

基地に勤務している男性陣がここを使うことはまずない。ウィザードに関しても、陸海空の所属を問わずウィッチよりもさらに稀少な存在であるため、ウィッチ部隊の駐留する基地においても見かけることは殆んどない。

仮に配属されるようなことがあっても、入浴時間を分ければいいだけのことだ。

 

(やっぱり、いつものパターンか……)

 

輝は足下に向けて顔を伏せ、うんざりしたように深い溜め息を吐いた。やはりというか。ニパは彼のことを、小柄で目麗しい容姿からウィザードではなくウィッチ――つまりは女だと思っていた。

自分は歴とした男だというのに。いつものことながら気が滅入る。

 

「カタヤイネン曹長」

 

「ニパでいいよ」

 

「……ニパ、勘違いしてるらしいが俺はああああああぁ~!」

 

会話の途中、ニパに視線を移した輝が面白い言い回しで叫び声を上げた。自分の性別を勘違いしているニパの誤解を解こうとしたわけだが、彼女は既に服を脱ぎ始めていた。

 

「?……どうしたの?」

 

靴とセーター、白の重ね履きズボンをカゴに収めたニパは、淡い水色のローライズズボンと同色のスポーツブラのみ身に付けているという悩ましい姿となっていた。

15歳らしからぬ発育の良さ故にサイズの合うものが手に入りににくのか。胸の大きさに比べて明らかに下着のサイズは合っておらず、スポーツブラにも関わらず乳房が零れ落ちそうになっている。

 

「え、え~っと……その……じ、実は……」

 

「もしかして具合でも悪いの?」

 

ニパは輝の元に歩み寄り、心配そうに彼の顔を覗き込む。たわわな果実が少年の至近距離でたゆんと揺れる。

 

「じ、実は……俺は……」

 

「雁淵さんは?」

 

「…………男なんだ」

 

「……………………へっ?」

 

輝の一言でニパの両目が点になり、間の抜けた声を漏れる。

暫し沈黙を挟んだ後に彼女は気付いた。輝の履いているズボンがウィッチ用のそれではなく、男性用――さらに言えばウィザード用――のハーフズボンタイプであることに……。

一時的に停止していた思考も段々と回復し、輝の言葉の意味をしっかりと理解する。そして、それと同時にニパの顔がみるみる真っ赤になっていった。

 

「か、カタヤイネン?」

 

「き……き……」

 

「き?」

 

「きゃあああああああああああああ!!」

 

――バチ~ン!

 

乙女の悲鳴と平手打ちの乾いた音が木製の壁を通り抜け、オラーシャの寒空に響き渡った。

その日の午後。基地本部の入り口では左頬を紅葉のように腫らした扶桑陸軍ウィザードと、彼に平謝りするスオムス空軍ウィッチの姿が目撃されたそうな。




今回登場した九七式7.7mm機関銃は九七式車載重機関銃の装甲歩兵版(ただし、名称・装甲歩兵の副兵装という設定は作者の想像)です。

九七式手榴弾や47mm対ネウロイ砲など。公式によるメディア露出が少ない故に陸戦ウィッチ・ウィザードの装備に関しては作者の想像が多分に含まれていますので、悪しからず。

ただ魔法弾と同じ儀式を施した手榴弾に関しては『オーロラの魔女』でアウロラさんが化物威力の手榴弾を使用して陸戦ネウロイを吹き飛ばしているので、公式設定に存在すると思います。


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第7話「ペテルブルグの日常」

ストパン世界のホ103は、12.7mm×99弾を使用できそう。


オラーシャにおける人類連合軍とネウロイの戦いは、あまりの酷烈さ故に“魔女の大鍋”と呼ばれている。

土地の広大さと過酷な環境は将兵達の士気を削ぎ、蠢く無数のネウロイは空陸双方から侵攻してくる。多くの犠牲と損耗の上に、東欧の防衛線は維持されているのだ。

それは、連合軍東部方面総司令部西オラーシャ方面司令部直属の航空ウィッチ部隊――第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』が基地を構えるペテルブルグ方面も例外ではない。

故に、502にはオラーシャの激戦を潜り抜けたウィッチ達が多く所属している。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年4月、ペテルブルグより南方の戦闘地域――

 

「メディ~ック!」

 

鬱蒼とした針葉樹林の中から誰かの叫び声が漏れ出ていた。

女性にしては低めの声音は、扶桑皇国陸軍の陸戦ストライカー――九七式中型装甲脚“チハ”を駆る陸戦ウィザードの耳にも届いていた。

 

「だから、俺は衛生兵(メディック)じゃないっつーの……」

 

不愉快そうに呟いた陸戦ウィザード――雁淵輝准尉は、樹林へ向かって走る。

ありがたいことに。“チハ”に搭載された魔導エンジンが出力の上昇と共に唸り声を上げ、針葉樹林から聞こえてくる耳障りな声を掻き消してくれた。

林に入って間も無く、木に背中を預けて地べたに座り込んでいる人影を認めた。

 

「お?衛生兵のお出ましだ。こっちこっち♪」

 

対する人影も、自分に近付いてくる輝に気付いた。ニヤニヤしながら手招きするのはヴァルトルート・クルピンスキー中尉。カールスラント空軍第52戦闘航空団――JG52――から502に派遣されているエース級のウィッチだ。

170cmの身長に短めの金髪や中性的な顔立ち、低い声から一見すると小麦色の肌をした美男子のようだが、彼女は歴とした女性である。

 

「俺は衛生兵じゃない、装甲歩兵だ」

 

笑顔を向けるクルピンスキーに対し、駆け付けた輝は仏頂面で訂正する。

扶桑皇国陸軍東欧方面軍から第502統合戦闘航空団へ派遣され、同部隊直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊に所属している輝は、ネウロイと戦闘の後に墜落したクルピンスキーの救出と彼女のストライカーユニットの回収に赴いていた。

損傷した『Bf109―G6』とMG42が、カールスラント空軍中尉の傍らに無造作に置かれている。

 

「輝く~ん、どうしよう♪僕の腕がないよぉ♪」

 

背中に片腕を隠し、クルピンスキーは尚もおどける。彼女は哨戒飛行中に中型ネウロイと遭遇していた。基地に一報入れた後き単機で応戦・撃破したものの、ネウロイは中々に手強かったらしい。固有魔法の『マジックブースト』を多用した無茶な戦闘が祟り、ストライカーユニットを中破させてしまう。

報告によれば、そのまま飛行手段を失い、針葉樹林へ頭から落下したとのことだが、木々や地面と接触する際にシールドを張って身を守ったらしく目立った外傷は見当たらない。

 

「後ろのかくしているそれがお前の腕だよ。アホ」

 

輝はにべもなく応じる。本来なら上官で年長者でもあるクルピンスキーには敬語を使うべきだが、ウィッチ部隊特有の自由な空気や規律の緩さ、彼女に対する輝の心象の悪さ等の理由からタメ口――むしろ悪態に近い言葉遣い――で話している。

 

「つれないなぁ……よっと!」

 

クルピンスキーは尻を持ち上げ、ボロボロになった制服やタイプ様の重ね履きズボンに付着している埃を両手でパンパンと払った。

凛と背筋を伸ばして立ち上がったカールスラント空軍ウィッチ。175cmの長身を見上げた輝は、改めてクルピンスキーのスタイルの良さを実感した。

スラリと伸びた手足、小麦色の綺麗な柔肌、下から制服を押し上げる豊かな胸、髪と同色の澄みきった瞳。紳士然とした端正顔立ちも相俟って、まさに“男装の麗人”と形容するに相応しい。

凛々しく、美しい容姿は――黙っていれば――男女問わず人々の心を掴み、魅力することだろう。

 

「ん~!……ねぇ輝くん、ブドウジュース持ってない?」

 

両手を高く上げ、背伸びをしながらクルピンスキーは訊ねる。しかし、輝は口を利く気はないと言わんばかりに顔を背けてしまう。

扶桑陸軍ウィザードの態度にクルピンスキーは「やれやれ」と肩を竦めるも、彼女から憂いはまったく感じられない。

 

「お~い!中尉は見つかったか?」

 

ふと背後から声がした。輝が振り返ると、カールスラント製の陸戦ストライカーユニット『III号突撃装甲脚G型』を脚に装着した回収中隊隊長の姿があった。スオムス陸軍大尉――アウロラ・エディス・ユーティライネンだ。

透き通るような白肌に銀色の髪。アウロラの外見的特徴は、クルピンスキーとは対象的だった。身長が172cmもあり、クルピンスキーに及ばないながらも、女性の基準で言えばかなりの高身長である。

アウロラの後に続くようにして、回収中隊に所属するスオムス陸軍の兵士達が樹林に侵入する。2人の長身女性と野戦服姿の屈強な男性数名に囲まれた輝は、大型動物の群れに紛れ込んだ小動物のようだった。

 

「はっ!」

 

輝は扶桑陸軍式の敬礼をして応じると、回収作業中の周辺警戒に回るため、樹林の外側へ移動していった。

樹林の外周では、レーヴェシュライホ少尉を含む数名のスオムスウィッチが哨戒兵よろしく監視の目を光らせている。

 

「女の子だったら絶対ほっとかないのに……」

 

早歩きで自分から離れていく輝の後ろ姿を見て、クルピンスキーは口惜しそうな声音で独り言ちた。

 

「あ~……ブドウジュース。しばらく飲んでないなぁ~……」

 

「ヴィーナで良ければあるぞ?」

 

そう言って、アウロラは年季の入ったスキットルをクルピンスキーの鼻先に差し出す。

回収中隊の中隊長は、作戦行動中――しかも、自分が指揮官だというのも構わず、腰からスキットルをぶら下げていた。吐き出す息が酒気を帯びているのは、移動中に何度も飲酒をしていた証拠である。

スキットルの中身は、アルコール濃度35%の蒸留酒――ヴィーナ。アウロラ曰く水だそうだが、もちろん嘘だ。

かといって、オラーシャの戦場を甘く見ているのでもなければ、不真面目なわけでもない。

これが彼女――アウロラ・エディス・ユーティライネン大尉のやり方。流儀なのだ。

 

「おっ!嬉しいねぇ♪ありがたく頂くとしますか♪」

 

クルピンスキーはスキットルを受け取るなり、中身のアルコールをゴクリと喉へ流し込む。

飲み干さんばかりの勢いに、一口だけ分けるつもりでいたアウロラは苦笑する。

正直、一気飲みはあまり行儀が良いとは言えない。クルピンスキーのような目麗しい女性がやっているから気持ちよく見ていられるが、むさ苦しい髭面の兵隊がやると見苦しい思えてならない。

 

「ん~♪スオムス産の蒸留酒も悪くないね♪」

 

中々に美味な蒸留酒で喉を潤し、クルピンスキーは満足げな声を上げる。

アウロラとクルピンスキー。酒好き同士でもアルコールの耐性には大分差が出るらしい。

ヴィーナの酒瓶を数本空けても白磁の如き肌を保っているアウロラに対し、クルピンスキーはスキットル半分もない残り酒だけで頬に紅を灯している。

同様に酒の影響で艶かしく潤んだ瞳も相俟って、クルピンスキーは“男装の麗人”から扇情的な雰囲気を醸し出す“妖艶な美女”へガラリと印象が変わっていた。

 

「ところで、どうなんですか?」

 

「……何がだ?」

 

クルピンスキーは、中身を飲み干したスキットルを返しながら持ち主に訊ねる。

一方。持ち主ことアウロラは、スキットルが軽くなって戻ってきた事実に悄然としていた。

曖昧な質問が理解出来なかった回収中隊指揮官は、悲しげな眼差しを空になったスキットルへ落としながら問い返す。

 

「もちろん、輝君のことですよ。扶桑陸軍から派遣されてきた陸戦ウィザードの仕事ぶりや実力はいかがなものでしょうか?」

 

「答えに困る質問だな」

 

と、アウロラは難しそうな顔をして己の顎を撫でた。輝が扶桑皇国陸軍戦車第2師団ストライカーユニット回収中隊に転属してきて、まだ1週間ほど。彼の実力や人間性に正当かつ正確な評価を下すには、まだまだ情報不足している。

装甲歩兵としての雁淵輝准尉が戦力外でないことは確実だろう。実際、機体性能の劣る九七式中型装甲脚“チハ”で、スオムス陸戦ウィッチの精鋭たるアウロラ達に引けを取らぬ働きをしていることが、何よりな証拠である。

資料によると『協調性に欠け、独断専行等の問題行動が目立つ』そうだが、少なくとも今のところは素直に命令に従っている。

例え、書類に記されている通り輝が素行に問題のある悪童だったとしても、人間性は悪くないとアウロラは胸を張って言えた。

502部隊司令のグンドュラ・ラル少佐や教育係のエディータ・ロスマン曹長がそうであるように、アウロラもまたベテランの魔女である。人を見る目には大いに自信を持っていた。

根拠は彼女自身の見立ての他。アウロラの実妹の親友で、スオムス空軍曹長――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。通称“ニパ”が、輝に心を許しているのも大きく関係している。

最近は目立たなくなってきたが、生来ニパは人見知りする性格だ。そんな彼女が、知り合って間もない異性相手に、親しくなろうとアプローチをかけている姿が度々見られる。

ニパにそうまでさせる何かが、雁淵輝にはあるということか。

 

(さてはニパのやつ、生意気に色気付いたのか?)

 

質問の回答を退屈そうな表情で待っているクルピンスキーを余所に、アウロラはククッと笑みを噛んだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数時間後、ペテルブルグ・第502統合戦闘航空団基地――

 

ウィッチの救助とストライカーユニットの回収作業を終えたアウロラ率いる中隊は、帰路においてネウロイと遭遇することなく、無事ペテルブルグへ帰投していた。

愛機を規定の場所へ格納すると、輝はスオムスウィッチ達の会話に混ざることもなく、足早に格納庫を去っていった。

 

「ふぅ…………」

 

基地の埠頭までやって来た輝はその場に座り込み、制服のポケットから軍用タバコとオイルライターを取り出した。咥えたタバコの先端に火を点け、紫煙を燻らす。

前線の兵達は当然として、作戦会議で渋面を突き合わせる将軍達、次々と入る戦況報告に一喜一憂する役人や政治家達の中にも喫煙を嗜む者は多い。

ヨーロッパ大陸の殆んどを異形の軍勢に占領され人類は、来るべき反攻作戦に備えての戦力増強と、拠点の確保・防衛に心血を注いでいる。

タバコの紫煙は人体にとって有害であると同時に、過酷な現状にて未曾有のストレスを軽減してくれる慰めとなるのだ。

 

「………………」

 

無言のまま輝は虚空を見つめる。その瞳には疲労の色が滲んでいた。

彼がアウロラの中隊に配属されてからまだ1週間ほどだが、ウィッチ救助と彼女らが駆るストライカーユニットの回収任務は毎日のように行われていた。

502部隊は激戦区を担当しているだけあって、ストライカーの損耗率が非常に高い。ペテルブルグにお“ブレイクウィッチーズ”と揶揄されている3人組――ヴァルトルート・クルピンスキー中尉、管野直枝少尉、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長――は特に際立って高いため、同隊で戦闘隊長を務めるアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉は頭を悩ませている。

東部の最前線は、時に補給も儘ならなくなるような厳しい戦場。ここまで頻繁にストライカーユニットを壊されては堪ったものではない。高い金を払って製造している兵器であり、紙飛行機ではないのだ。

そして、ストライカーユニット回収中隊もまた、空陸のネウロイを警戒しつつペテルブルグとウィッチの墜落地点を往復しなくてはならない。

暖かい時季ならまだいいが、冬は勘弁願いたい。ネウロイに溢れた極寒のオラーシャは、移動するだけでも命懸けだ。

この広大なオラーシャの地で異形共と戦い続けて、もう3年になる。まだ輝が航空歩兵だった本大戦初期。扶桑陸軍欧州派遣部隊の主力は、カールスラント軍をはじめとする連合軍に追従する形で、オラーシャまで撤退してきた。

最初こそは、季節による気候変動の激しい扶桑よりも遥かに環境の厳しい地獄とさえ思っていた。しかし、悪いことばかりではない。9月から4月初めのムルマンスク方面では、扶桑には無い美しいオーロラが見られる。

出来ることなら佐世保の家族を呼び寄せて、一緒にオーロラ見物に行きたい。一瞬、輝は本気でそう思ったものの、すぐにいいや、と頭を振った。

あの家に――家族の中に自分の居場所などは最早存在しない。

両親は出来の良い姉を心から愛しているが、半端者の長男である自分のことなど、おそらく歯牙にもかけてない。

輝は父――雁淵浩平が苦手だった。無口無表情で何を考えているのわからない父の視線は何処か冷たく、息子であるはずの自分を蔑んでいるように思えてならなかった。

歳を重ねるごとに姉への嫉妬心と劣等感は増していき、姉弟の仲も険悪なものへと変わってしまった。

やがて輝は、自分が家の中で孤立していると感じるようになった。彼の目には姉の孝美はもちろん、天真爛漫な妹のひかりまでもが、自分以上に両親に愛されているように映っており、それが一層疎外感を強めた。

優秀な姉と比べられること。そして、家族と顔を合わせることに堪えられなかった輝は、陸軍へ入隊した。海軍航空ウィッチを志した姉や妹、無線技士として針尾送信所に勤める父から逃げるように……。

 

「雁淵くん!」

 

1本目を吸い終えようとしたタイミングで、背後から弾むような声が聞こえた。振り返ると、ニパが息を切らしながら走ってくる様が見えた。

頬を薄く染め上げ、スオムスカラーのセーターに包まれた膨よか胸を揺らして駆ける姿は、14歳の少女とは思えないほど扇情的に映る。思春期の男子にとっては目の毒だ。

 

「カタヤイネン?」

 

「帰投した、って聞いたのに……格納庫にいなかったから探したよ……」

 

膝に手を置き、やや前屈みの姿勢でニパは呼吸を整える。

“ブレイクウィッチーズ”の一員でもある彼女は、“ツイてないカタヤイネン”の異名で知られる凄まじい不幸体質の持ち主である。

他の2人が無茶な戦闘が祟ってストライカーを損傷させるのに対し、ニパの場合はただ飛行するだけでも墜落するという不運に見舞われていた。

ネウロイが現れずとも、天候が良好であっても、整備が万全であっても、ニパ本人やストライカーユニットのコンディションに問題が無くとも、何かしらの――常識的にあり得ないものも含めた――原因で機体が不調を起こし、日々墜落の憂き目に遭っている。

幸いにも、今日ニパは墜落することはなかった。そもそも魔導エンジンの不調で発進出来ず、飛行すら出来なかった。しかし、彼女に代わって哨戒任務に従事したクルピンスキーが墜落するとは……。

 

「お疲れ様。はい、これ!」

 

今日も回収中隊の一員としての役割を果たした輝を労いつつ、ニパはリベリオン製チョコレートの包みを手渡す。

 

「チョコレート?」

 

「タバコなんかより、こっちの方がいいでしょ?」

 

「よく手に入ったな」

 

怪訝そうな輝は受け取った包みを持ち上げ、矯めつ眇めつ眺めた。

最前線で戦う兵士にとってタバコ、酒、アメやチョコレート等の甘味類は何物にも耐え難い嗜好品である。補給で賄える量は限られており、奪い合いに発展することも珍しくない。

殊に、ここペテルブルグでは前述の“ブレイクウィッチーズ”の件もあり、ストライカーユニットの予備パーツ補充が何よりも優先され、嗜好品の補給は後回しになっている。

 

「へへ~ん♪スオムスの仲間がこっそり送ってくれたんだ♪」

 

ニパは自慢気な口調で説明すると、歯を見せニヒッとて笑った。

 

「みんなには内緒だよ?」

 

唇の前に人差し指を立てて念を押したニパは、輝の隣に腰を下ろしてからチョコレートの包みを開封する。

 

「ん~♪」

 

チョコレートを一口頬張ると、ニパは満足そうに喉を鳴らす。

久しぶりの甘味に舌鼓を打つ彼女の横顔はなんとも幸せそうで、見ている側を気持ち良くさせる。

 

「この為に俺を探してたのか?」

 

頂きもののチョコレートを味わいつつ、輝は意外そうに訊ねた。

 

「そうだけど?」

 

ニパは平然と応じる。知り合ってからというもの、ニパは何かと輝に構ってくる。暇されあれば世間話――大体はツイてないことに対する愚痴だが――を振り、今みたいに菓子を差し入れてくれる。

親しくしてもらえるのはありがたいが、何故ニパがここまでしてくれるのか。輝にはまったく分からなかった。

 

「もしかして、チョコレート嫌いだった?」

 

輝に渡したチョコレートが殆んど減ってないことに気が付き、ニパは不安そうな表情で訊ねる。

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

頭を振って否定すると、輝は再びチョコレートを口に運んだ。

確かにチョコレートの甘さは、タバコとはまた違った形で疲労とストレスを緩和してくれる。大昔の人々は、甘いお菓子ではなく薬としてカカオを摂取していたとのことだが、納得である。

やがてチョコレートを食べ終えた輝は、口内に甘ったるさが残っているのも構わずに2本目のタバコを咥え、火を点けた。

 

「また吸うの?」

 

紫煙と共に漂ってくる嫌な匂いにニパは顔を顰める。どうやら彼女はタバコが好きではないらしい。

 

「身体に悪いよ?」

 

「そんなの俺の勝手だろ……」

 

輝はネヴァ川に視線を向けたまま、ぶっきらぼうな口調で応える。

尤も、輝自身タバコを美味いと感じたことは一度もない。吸い続けているのは、単にニコチン依存症となっているからだ。

健康的によろしくないとはいっても、即ちに何かあるというわけでもない。当分、禁煙するつもりはない。

 

「もう……」

 

可愛いくない返事に、ニパは唇をへの字に曲げて見せた。

輝は女の子と見間違うほど目麗しい容姿をしているが、それとは裏腹に口が悪く、少々やさぐれている。見た目は良いのに性格で損するタイプだ、とニパは思っていた。

 

「分かった分かった。他所にいくよ」

 

あからさまに不機嫌な顔をするニパにウンザリした輝は、立ち上がって埠頭から出ていこうとする。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

立ち去ろうとする輝の手を、ニパは咄嗟に掴んで引き留める。扶桑陸軍ウィザードは少しだけ驚いたのか、咥えていたタバコを足元に落としてしまった。

 

「何だよ?」

 

「あ―…………」

 

呼び止めたはいいが、その後のことは完全にノープランだった。険しい表情をする輝を見て、ニパは固まる。

 

「用が無いなら――」

 

「あるある!用ならあるよ!」

 

ニパは必死に食い下がり、尚も立ち去ろうとする輝の腕にギュッと抱き着いた。

 

「――っ!?」

 

北欧系の美女にしがみ付かれ、今度は輝が真っ赤になって固まる。

セーター越しとはいえ、年齢不相応に豊かに育ったたわわな果実をグイグイと押し付けられ、扶桑陸軍ウィザードは陸に打ち上げられた魚のように口はパクパクさせる。

 

「良かったら、その……私と一緒に基地を回らない?」

 

そう問いながら、ニパは離してなるものかと腕に力を込める。

それはまるで、気になる相手を必死にデートに誘う恋する乙女のようだった。

 

「えっ?」

 

「ほら、雁淵くんが来てから……ずっと慌ただしくて……ちゃんとした基地の案内とかまだでしょ?」

 

ニパの言う通り、輝が着任して――正確には4月に入って――からネウロイの襲撃が大幅に増え、当基地については最低限のことしか説明されていなかった。

「別にいいけどさ。いい加減離せよ……」

 

「えっ?……あっ!」

 

輝に言われて、漸くニパは彼の――異性の腕に抱き着くという自らの大胆極まりない行為を自覚する。

指摘されるまで、ニパはそのことに全く気付いてなかった。今からながら羞恥心が込み上げ、顔がカァッと熱くなる。

 

「………………」

 

「………………」

 

ウブな少年少女2人は、揃って赤面した顔を足元に向ける。

 

「青春だねぇ♪」

 

いつからいたのか。2人の可愛らしいやり取りをアウロラは遠目に眺め、ヴィーナの酒瓶を呷りながら楽しげに呟いていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

十数分後、502基地内――

 

ニパの案内の下、輝は基地のあちこちを見て回っていた。

基地本部前に建つ記念碑。カールスラントの主力高射砲『88mmFlak36』が備えられた基地の堡塁。兵士が詰める防空監視哨。ウィッチ達が銃火器の扱いを学ぶ射撃場。毎日ブリーフィングが実施される作戦会議室。輝も部屋を借りている宿舎。デスクワーク中のラル少佐がいる司令室は、さすがに中には入らずドアの前までだった。

案内役のニパが、丁寧な説明と軽い世間話を挟んでくれるので各所の現状が分かりやすく、また退屈もしなかった。

 

「そして、これから行くのが下原さんと炊事班の人達が働いている厨房だよ」

 

「下原って……海軍の下原定子少尉か?」

 

ニパは得意げに語り、輝は確認するかのように問い返す。

下原定子扶桑海軍少尉。扶桑皇国海軍遣欧艦隊第24航空戦隊第288航空隊から、ここ502部隊へ派遣されている海軍の航空ウィッチだ。

遣欧艦隊の第24航空戦隊は、501に派遣されている坂本美緒少佐や宮藤優人大尉、扶桑本国にて教官職に就いている竹井醇子大尉の原隊でもある。

第23、24航空戦隊を中心とした扶桑海軍航空隊――通称“リバウ航空隊”の一員として名を馳せていた3人の活躍は、海軍のみならず扶桑陸軍にも聞こえていた。

他にも元リバウ航空隊指揮官――新藤美枝少佐。“リバウの魔王”の渾名を持つ西沢義子飛行兵曹長。遣欧艦隊空母機動の若本徹子中尉。そして、輝の実姉――雁淵孝美。

リバウ航空隊は、扶桑海軍最高峰の航空歩兵が多数在籍していた精鋭部隊である。

陸軍がカールスラント国境に前線基地を構えていた大戦初期に、下原定子の名を聞いたことは殆んどなかった。

だが世界的エースと肩を並べ、オラーシャやカールスラント方面の激戦を経験している彼女が、統合戦闘航空団に相応しい実力を有しているのは間違いない。

それらを鑑みれば、下原が502に招聘されるのも当然だろう。しかし、輝の脳裏には疑問符が浮かんでいた。

 

「そうだよ。数年前までリバウで戦ってたって……」

 

「ちょっと待て!下原少尉が炊事をしているのか?」

 

海軍士官の地位にあり、統合戦闘航空団に派遣されるような実力を持つウィッチが、自ら台所に立って同じ部隊の仲間に手料理を振る舞っている。

その事実が、陸戦ウィザードを驚愕させた。海軍と比べて規律や規則にうるさい扶桑陸軍所属の身には、信じ難いことだった。

新参者の輝には預かり知らぬことだが、統合戦闘航空団とは隊員の自主性を重んじる部隊。通常の部隊とは様々な面で勝手が違っている。

 

「うん!下原さんの料理って、すごく美味しいんだよ!」

 

「いや、俺が聞きたいのは……いてっ!」

 

「うわっ!?」

 

ニパと話をしながら歩いていた輝は、曲がり角で何者かとぶつかった。

相手は輝とぶつかった拍子に床に尻餅を着いており、苦痛に顔を歪めながら尻を擦っている。

 

「あ、悪っ……」

 

悪かった、と言い掛けた輝だが、誰とぶつかったのかを理解すると、途端に表情を険しくする。

それは相手方も同じだ。輝を見るなりキッと目付きを鋭くして彼を睨みつけてきた。

 

「いてぇだろうが!気を付けろ!」

 

「テメェこそ、通行の邪魔だろうが!」

 

ぶつかった相手――扶桑皇国海軍少尉の管野直枝は、立ち上がるなり輝に怒声を浴びせた。輝も負けじと怒鳴り返し、2人の叫び声が廊下中に木霊する。

すぐ近くに立っているニパは、2人の大声に堪らず手で両耳を塞ぐ。

 

「邪魔はてめぇだろうが!ぶつかってくれやがって!」

 

「ふざけんな!テメェが、俺の前に割り込んで来たんだろうが!」

 

「い~や!違うね!てめぇがぶつかってきたんだ!」

 

「何言ってやがる!テメェの方ががぶつかってきたんだ!」

 

売り言葉に買い言葉。お互いにの不注意が原因だと言うのに、どちらも譲らず口汚い言葉遣いで罵倒し合っている。

何故ぶつかったぐらいで、ここまでの言い争いに発展するのか。それは初対面時の一件が尾を引いているからだ。

管野は輝の姉――雁淵孝美と親しい間柄にあった。訓練生時代に出会った彼女が持つ、自身の豪快無比さとは正反対の洗練された飛行技術に魅了されて友人となり、いつか僚機として共に飛ぶことを夢見ていた。

時期未定ではあるが、502配属が決まった孝美がペテルブルグに来るのを、管野は楽しみにしている。

その期待感故、輝と初めて会った際によく似た容姿の彼を孝美と間違えてしまった。余談だが、輝の方が孝美よりもやや顔立ちが幼い。

輝が優秀な姉と少女のような可愛いらしい外見に激しいコンプレックスを抱いていることは、今さら言うまでもない。管野は図らずも彼の神経を逆撫でしてしまっていた。

以来、輝は管野を目の敵にするようになった。管野は管野で、負けん気の強さと孝美に会えない苛立ちから輝を辛く当たるようになる。

 

「ちょっと、2人共止めなよ!」

 

段々ヒートアップしていく扶桑陸軍准尉と、扶桑海軍少尉。ニパはオロオロと狼狽えつつも、なんか仲裁に入ろうとする。しかし、残念ながら彼女の声は届いてないらしい。

 

「何をしているんですか!?」

 

喧嘩中の扶桑人達のものでも、困り顔のスオムスウィッチのものでもない何者かの声が廊下に響く。

502ウィッチ部隊戦闘隊長――“サーシャ”こと、アレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉だ。

 

「あっ、サーシャさん!」

 

思いがけない救世主の登場にニパは表情を輝かせる。サーシャならなんとか事態を収拾してくれるはずだ、とスオムスウィッチが安堵できたのも僅か数秒だけだった。

 

「「うるせぇえええ!」」

 

――バッチ~ン!

 

輝も管野も怒りのあまり周りが見えていなかった。新たに仲裁に入った相手がサーシャだとつい知らず、邪魔だと言わんばかりに平手打ち――というよりは突っ張り?――をお見舞いしてしまう。

2人の手の平が勢いよく突き出され、よりにもよってサーシャの顔面に直撃した。

その光景を見ていたニパは一瞬で青ざめ、恐怖心からカタカタは歯を鳴らし始めた。

 

「…………ふ、ふふ……ふふふふ……」

 

しばらく無言のまま静止していたサーシャだが、やがて聞いた者を身震いさせるような冷たく、不気味な笑い声を漏らす。その声音には怒りの色が滲んでいる。

 

「あ……」

 

「さ、サーシャ……」

 

輝と管野は、ここで漸くサーシャの存在と自分達がやらかしたことを理解し、喧嘩を中断する。

2人が揃って移した視線の先には、顔の上半分――目元を中心に影がかかり、目が真っ暗笑っていない微笑みを向けてくるサーシャがいる。

 

「雁淵さん、管野のさん、ニパさん……」

 

サーシャが抑揚の無い声で言葉を紡ぎ始めると、名を呼ばれた3人は揃って直立不動となる。

戦闘隊長はふぅ~っと深呼吸すると、問題児らに一言怒鳴った。

 

「正座ぁ!」

 

「「は、はいぃいいいいいい!」」

 

「なんで私までぇえええええええ!」

 

4人のうち、己に振りかかった理不尽な仕打ちに嘆き叫ぶニパの声が最も大きかったそうな。




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第8話「ペンネーム“文学魔女”」

また久々の投稿となってしまったorz……


1944年5月上旬、オラーシャ帝国ペテルブルグ――

 

「管野ぉおおおおおおおおっ!テメェええええええええ~っ!」

 

ペテルブルグのほぼ中心――第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』基地。その格納庫内にて、耳を劈くような怒号が響き渡る。場に居合わせた整備一同は、反射的に手で耳を塞いでいた。

凄まじい怒りの色を滲ませた叫び声の主は、扶桑皇国陸軍准尉の雁淵輝。扶桑皇国陸軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊から、502航空団直属の補助部隊――『ストライカーユニット回収中隊』に派遣されている陸戦ウィザード。

今日も今日とて、大中小様々なネウロイで蠢く東部の戦場を、陸戦ネウロイの大群による飽和攻撃や飛行ネウロイの予期せぬ爆撃を掻い潜り、前線で墜落した問題児と貴重なストライカーユニットの回収任務に従事していた。

そんな雁淵准尉だが、配属されてちょうど1ヵ月になる今日。遂に堪忍袋の緒が切れてしまった。

 

「いい加減にしろよぉ!毎日毎日、墜落するわ!貴重なストライカーユニットを壊すわ!やたらとネウロイの勢力下に落ちるわ!装甲歩兵は航空歩兵の使いっパシリじゃないんだぞ!」

 

「ぎゃーぎゃー、うるせぇよ」

 

ヒステリックに喚き散らす輝に対し、ムスッとした表情の管野直枝扶桑海軍少尉は、悪びれもせず毒を吐いた。

 

「……なに?」

 

「うるせぇ、つってんだよ!ユニットの1つ2つでガタガタ言うじゃねぇ!」

 

可愛らしい顔を顰める輝に向かって、管野は声高に言い募った。

ウィッチ・ウィザードにとってストライカーユニットは飛行能力・攻撃力・防御力と、自分達にネウロイと互角以上に戦う力を授けてくれる現代の魔法箒。ストライカーユニット有っての航空歩兵なのだ。

かつて、扶桑皇国の技術者――宮藤博士が提唱した新理論により、各国のストライカーユニットは性能を飛躍的に向上させた。

人類全体に多大な貢献を成した宮藤博士をはじめ、各国の技術者達も日々試行錯誤を重ね、より優れた機体を生み出している。人類の勝利と、身を粉にして戦う少年少女らの為に……。

ストライカーユニットの有用性や存在価値、技術者達の努力と苦労を軽んじているとも取れる管野の発言だが、もちろん本心ではない。扶桑陸軍准尉の言動にカッとなっているのだ。

 

「ふざけんな!1つどころか、今月に入ってもう8機目だぞ!お前ら3人は、撃墜王から被撃墜王に転向するつもりか!」

 

敵機を撃墜するついでに自機までもを墜落させ、挙げ句落ちた先がネウロイの制空権内ばかりと。

管野を含む“ブレイクウィッチーズ”の3人組は、これをほぼ毎日のように繰り返している。

オラーシャが欧州屈指の激戦区とはいえ、いくらなんでも異常である。少なくとも東部に駐留している扶桑陸軍航空戦隊、カールスラント空軍第5戦闘航空団のウィッチ達は、ここまで酷くない。

無茶な戦い方をする管野やクルピンスキーはまだ分かるが、事ある毎にあり得ないような不運に見舞われるニパは一体どういうことなのか。整備兵の中に質の悪い嫌がらせをしている輩がいるのではないか、と疑いたくもなる。

機材の回収や墜落したウィッチの救助に終われる回収中隊の一員としては、墜落の常習犯である目の前の扶桑海軍少尉に反省の色が一切見られないことがなにより癪に障るのだ。

 

「少しくらい悪びれろ!この海坊主が!」

 

「なんだと!頭の足りてねぇ山猿のクセして!」

 

「それはテメェだ!デコチビが!」

 

「うるせぇ!女顔!」

 

「そっちこそうるせぇよ!チビドッグ!」

 

「んだとぉ!」

 

輝と管野。2人の口論は、単なる悪口の言い合いに成り下がってしまう。なんとレベルが低く、なんと不毛な争いだろうか。

度々怒鳴り声が格納庫内を反響し、持ち場で作業に当たっている整備兵らが一時的に手を止め、呆れ果てた視線を声の主達に注いでいる。

扶桑陸海軍の航空歩兵と装甲歩兵が揉めに揉める様を眺めているのは、何も整備兵だけではない。カールスラント空軍のエディータ・ロスマン曹長、ヴァルトルート・クルピンスキー中尉の2名も、格納庫入り口に並んで立ち、口喧嘩中の扶桑人らに目を据えていた。

クルピンスキーとロスマン。猛々しい、気性が荒い、口が悪い等。似たような性格の輝、管野とは異なり、2人は色々と対照的なウィッチである。

ロスマンはカールスラント人らしく生真面目な性格だが、クルピンスキーはとても模範的な軍人とは言えなかった。

空軍養成学校時代は、学友達と共にこっそり寮を抜け出しては夜の街に繰り出したり、教官らに悪戯を仕掛けたり等、と不良もいいとこだった。

成績は優秀だったので無事に卒業し、少尉に任官された。だが、彼女の素行不良はウィッチなってからも変わらず続いた。

 

「いやぁ、賑やかだねぇ♪」

 

遠目で輝達の様子を観察するクルピンスキーは、何故か微笑んでいた。一体何に感心しているのやら、うんうんと何度も頷いている。

クルピンスキーは美男子のような美女――所謂“男装の麗人”というやつだ。

顔立ちは中性的。女性ながら身長が175cmと、カールスラントの基準でもかなり長身の持ち主である。声も低めで、穏やかな男性口調で話す。

制服を押し上げんばかりの豊かな胸が無ければ、女だと気付かないかもしれない。

 

「…………」

 

呑気におどけてみせるクルピンスキーの隣で、502の教育係曹長は黙然としていた。瞬きひとつせずに、尚も口論を続ける輝達を注視している。

こちらは19歳という年齢の割に身長が151cmと低く、実を言うと体力もあまりない。幼少時に大病を患い、それが元で身体の成長が遅れてしまったのだ。

だが、童顔なのかと訊かれれば、答えはNoだ。大人びた美貌――特に艶やかな唇は、まるで口紅を塗ったかのように鮮やかで、小柄な体躯などは問題にしない女性的な美しさが確かにあった。

自慢の銀髪が風に靡く度に。形の良い唇が動く度に。そして口元に薄く笑みが浮かぶ度に。エディータ・ロスマンは己のアダルトな魅力で周囲の男共の目を釘付けにする。

 

「似ているわね。近所の家で飼われていたブルドッグと扶桑猫に……」

 

ロスマンは記憶を辿り、近所のお婆さんが飼っていた犬猫の姿を思い起こしていた。

ブルドッグは猫に向かって矢鱈と吠え、対する扶桑猫は毛を逆立ててブルドッグを威嚇していた。

同じ家で、同じ人間に飼われて、同じ時間を過ごしていたはずの2匹。性格の相性でも悪かったのか、常にいがみ合っていた。

子どもながらに可愛らしく思っていた2匹の姿が異国のウィッチ・ウィザードに重なり、ロスマンは思わず吹き出した。

独り言とも、自分に話しているとも知れない呟きに耳を傾けつつ、クルピンスキーは身体を正面へ向けたままチラッと横に視線を走らせる。

応えたところで「あなたに言ったんじゃないわ、独り言よ」と素っ気なく返されるだけろう。

別にそれでも構わないが、今は曹長の可愛らしい横顔を堪能させてもらおう。クルピンスキーはそう思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

30分後、第502統合戦闘航空団基地本部前――

 

「ったく!何なんだ、あの海軍野郎!」

 

一頻り管野のやり合った輝は、外へ出るなり軍用タバコを咥え、苛立たしげに火を着けた。

格納庫での口喧嘩は、最終的に輝が扶桑海軍をひたすら侮辱し、管野が扶桑陸軍を罵倒し尽くした直後にお開きとなった。

2人は相手の顔なんぞもう見たくない、と言わんばかり互いに背を向け、そそくさと格納庫を後にした。

扶桑皇国軍は海軍戦力が充実していること。他国に比べて、艦上航空歩兵の数が多いこと等で知られるが、同時に陸海軍の関係が非常に険悪なことでも有名だ。

扶桑海事変終盤に開かれた御前会議において。参加した陸軍参謀本部と海軍軍令部双方の幕僚らが、顔を合わせるなり罵詈雑言を浴びせ合ったほどだ。

祖国の命運を左右し得る重大会議で、国家元首の名代たる皇女殿下が出席しているにも関わらず、だ。

とはいえ、さすがにまったく協調していないというわけでもなかった。

陸海軍の装備共通化の必要性から、共同部隊である第42統合戦闘飛行隊――所属は太平洋方面総司令部ウラル方面司令部――の設立も行っている。

そもそも、上層部の人間達が如何に対立していようと、現場のウィッチ・ウィザードには預かり知らぬこと。公私共に深い付き合いがある場合も珍しくない。

輝と管野が互いを毛嫌いしているのは、陸海軍の対立というよりも、単に相手の第一印象と性格の相性が最悪だったからだろう。

 

「クソッ!気分悪ぃ!」

 

手持ちのタバコはすべて吸い尽くしたのだが、それでも輝は治まらない。管野直枝というウィッチの存在が、否応なしに彼の心を掻き乱す。

いっそ拳で黙らせてしまえば良かった。ああいうヤツには言葉で何を言っても無駄なのだ。ならば、力づくで自分の間違いに気付かせてやればいい。

相手はオラーシャの激戦を潜り抜けた歴戦ウィッチだが、輝とて東部で遊んでいたわけでない。対ネウロイ戦は当然として、人間を相手する喧嘩にも自信はあった。

向こうも中々腕っぷしが強いらしいが、こちらは泥と血に塗れる地上戦を何度も経験している身。あんなチビに負けるわけがない。

 

「雁淵准尉」

 

ふと涼やかな声音が輝の耳朶に触れる。美しく澄んでいるようで、微かに疲労の色を滲ませている。

振り返ると、“サーシャ”ことアレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン大尉が背後に立っていた。

オラーシャ陸軍の黒い制服を脱ぎ、紺色のシャツとベルトという出で立ちの彼女は、何故か右手にスパナを握っていた。

 

「ポクルイーシキンた……!?」

 

工具の存在に気付いた輝は、殴られるのかとギョッとする。

彼が咄嗟に両腕を前に出して身を守ろうとする姿を見て、サーシャはハッとなる。

 

「あっ!こ、これは整備に使っていたもので、その……」

 

サッと素早い動作でスパナを後ろへ隠し、慌てた様子で弁明する。

恥ずかしそうに頬を軽く染めるサーシャはなんとも可愛いらしい。しっかり者のイメージが強い分、魅力的なギャップがある。

 

「な、なんだ……そういうことですか……」

 

と、輝は何ホッと胸を撫で下ろす。サーシャ本人の言う通り、スパナは管野が中破させた零式艦上戦闘脚を修理するのに使っていたのだろう。

配色の関係で目立たないものの、よく見ると服のあちこちが油や煤で汚れているのが分かる。

機械技師の父親を持ち、幼少期より父の手伝いで機械に慣れ親しんでいたサーシャは、航空ウィッチや戦闘指揮官として言うまでもなく優秀だが、ストライカーユニットの整備を含めた機械いじりの類も得意とする。

本人も当初は整備士か機械技師になろうと考えていたそうだが、魔法力が発現したことで航空歩兵の道を選択した……と、輝はニパから聞いていた。

しかし、いくら機械に明るいとはいえ、ストライカーユニットの修理・整備等は戦闘隊長自ら行うようなの仕事ではないはずだ。

扶桑海軍士官の下原が基地の炊事を担当していることにも驚いたが、サーシャは彼女よりも階級・役職が共に上なのだ。

おそらくは、立場上つい厳しく叱りつけてしまう“ブレイクウィッチーズ”と、そのユニット壊し達が多大な迷惑をかけている飛行脚整備中隊に負い目を感じているからだろう。

仕事には厳しいが、なんだかんだ言ってサーシャは優し過ぎるほど優しいお姉さんタイプの女性……なのだが、正直なところ。輝はサーシャに苦手意識を抱いていた。

別に嫌いというわけではないし、何かされたわけでもなければ、彼女から疎まれているというわけでもない。

ストライカーユニット回収中隊としての初陣で、輝はネウロイの支配地域に墜落・一時的に孤立したニパを救出している。

そのことに心から感謝しているサーシャは、輝に対して寧ろ好意的で、ニパと共に何かと輝の世話を焼いてくれていた。

ただ、淑やかで優しく面倒見も良いサーシャを見ていると、どうしても姉の――雁淵孝美扶桑海軍中尉の顔がチラついてしまう。輝には、それが耐え難かった。

 

「あの、俺に何か?」

 

「管野さんと、揉めたそうですね……」

 

呟くように言うと、サーシャは短く嘆息を漏らす。対して、輝は眉間に皺を寄せる。

扶桑陸軍曹長――連合軍准尉の雁淵輝。扶桑海軍少尉の管野直枝。統合戦闘航空団に身を置く士官と准士官が、周りの目も憚らず口論……というにはやたら子ども地味た口喧嘩をするなど、褒められたものではない。

一両日中にサーシャか。もしくはラル少佐か、ユーティライネン大尉から御叱りを受けるであろうとは予想していた。しかし、想定内とはいっても、実際に切り出されると不快を禁じ得ない。

そもそも輝は自分に非があるとは考えていない。悪いのは数の少ないストライカーユニット毎日のように中破ないし大破させ、自分達回収中隊と飛行脚整備中隊に多大なる負担を掛け、そのくせ――輝に対してのみだが――悪びれもしない海軍ウィッチだ。

非があるとはすれば間違いなく管野なのだから、自分が叱られるのはおかしい。ましてや頭を下げるなど冗談ではない。

 

「私も、あまり小言は言いたくありません。ただ、兵達の前であのような振る舞いは、以後慎んでください」

 

「…………肝に命じます」

 

サーシャに窘められ、輝はあからさまに不服な態度を見せる。

この陸戦ウィザードと話す直前、管野にも同じことを言って釘を刺しておいた。やはりというか、彼女も輝と似た反応を見せた。

本人達は否定するだろうが、雁淵輝と管野直枝は間違いなく似た者同士。故に2人は反発し合うのだ。

 

「お説教はこのくらいにして。あなた宛てに郵便物が届いていました」

 

説教を短く切り上げると、サーシャは輝宛ての郵便物――手紙の束を封筒を手渡した。

輝は郵便物を届けてくれた上官に謝意を述べ、ペコリと頭を下げる。

 

「ありがとうございます。しかし、何故ポクルイーシキン大尉が?」

 

「今朝、廊下で配送係の人から代わりに受け取りました。あなたは出撃中で留守でしたから……」

 

「は、はぁ……」

 

納得したような、しないような。輝が曖昧な返事をすると、渡された郵便物を矯めつ眇めつ眺める。

届けられた手紙は全部で4通。内3通は扶桑の実家からだったが、輝はそれら無視して4通目に見据える。その手紙は、白地に桜の花びらが散りばめられた清楚な可愛らしさを演出した封筒だった。

 

「――っ!?“文学魔女”さん!」

 

「は?」

 

差出人の名を確認し、輝は喜色を帯びた声を上げた。表情も幾分柔らかくなる。

対してサーシャは、陸戦ウィザードの唐突な変貌ぶりを見て、怪訝そうに眉を顰めた。

 

「あ、いや……では、俺はこれで。失礼します!」

 

直立姿勢で一礼すると、輝は脱兎の如きスピードでその場から立ち去って行った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

自室に戻った輝は、ベッドに上着を乱雑に脱ぎ捨てると、机から引っ張り出した椅子にドスッと腰を下ろす。

サーシャを通して自分の元に届いた4通の手紙の内、家族から送られてきた3通は引き出しへ押し込み、差出人が“文学魔女”の1通のみを手元に残す。文学魔女とは、差出人のペンネームである。

 

「………………」

 

無言のまま口元を緩め、輝は封筒をじっと見据える。暫くは開封しなかった。

扶桑陸軍ウィザード――雁淵輝准尉にとって、この“文学魔女”から届いた手紙は何より大切なもの。ただ眺めているだけでも幸せな気分になる。

やがて輝は手紙を開封し、中から便箋を取り出す。封筒と同じデザインで、とても可愛らしい。

手紙の内容は、『親愛なる“佐世保の三毛猫”様へ』から始まる。佐世保の三毛猫とは、輝のペンネームだ。

文学魔女との文通において、輝は自身の名を明かしていない。当然、輝も相手の本名も知らない。それは些細なことだ。

差出人が同い年の少女で、自分と同じく軍に所属し、東部戦線で任務に就いている航空ウィッチ。それだけ分かれば十分過ぎる。

 

(相変わらず綺麗な字だな……)

 

便箋に書かれた文章を構成するのは、女性を想わせる小さく丁寧な文字類だった。

差出人――ペンネーム“文学魔女”の内面を現している繊細な筆運び。輝は、彼女の書く字が大好きなのだ。

 

「『この前は素敵なペンダントをありがとうございます』。気に入って貰えたみたいだな……」

 

嬉しさと安堵の入り雑じった吐息を漏らすと、輝は手紙の黙読を再開する。

ペテルブルグへ異動になる少し前のこと。輝は休暇を利用し、スオムスの首都“ヘルシンキ”を訪れていた。いつも手紙で自分を元気付けてくれるペンフレンドへ贈るプレゼントを購入する為だ。

丸1日かけてヘルシンキ中の店という店を回り、漸く手に入れたシンプルなデザインのペンダント。手紙と共に贈った直後は「気に入ってもらえるか?」と一抹の不安を覚えたものだが、どうやら喜んでもらえたらしい。

 

「もうずっと文通してるけど、文学魔女さんは相変わらず淑やかだな」

 

扶桑陸軍ウィザードは、文字を1つずつ噛み締めるように読みながら、普段とは異なる穏やかな声音独り言ちた。

雑誌の企画がきっかけで小学校の時から始まった文学魔女との文通は、今日まで続いている。

本来なら手紙の内容は軍内で厳しい検閲を受ける。自分の兵科や配属先を明らかに出来るはずはないのだが、彼等は狡猾だった。

検閲の責任者に金を渡す。文通を暗号化し、解読しつつ読む等の工夫により情報を共有。自分達が軍に身を置くウィッチとウィザードで、偶然にも揃って東部戦線の部隊に配属されていること知る。

広大且つ過酷なオラーシャの地で日々ネウロイと戦い、心身共に疲れ果てた2人は文通によって互いを励まし合う。

実家にも原隊にも居場所が無く、疎外感に苛まれていた輝にとって、文学魔女は唯一の理解者。彼女との手紙は、大袈裟な表現をするならば生き甲斐であった。

 

「文学魔女さんも頑張ってるんだな……よし!」

 

輝は力強く頷き、実家からの手紙をしまったものとは別の引き出しを開き、中から便箋と万年筆を取り出す。さっそく返事を書くつもりらしい。

 

「拝啓、文学魔女さん。お手紙ありがとうございます」

 

 




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第9話「ペンネーム“佐世保の三毛猫”」

自走と砲塔の旋回が可能な80cm列車砲とラーテを有するカールスラント陸軍。

対ネウロイ装甲で、ある程度ならビームを防ぐことが出来るリットリオ級を所有するヴェネツィア海軍。

南洋島という策源地を手に入れ、八八艦隊を完成させた扶桑海軍。

ストパン世界は浪漫だらけや♪(*´ω`*)


1944年5月中旬、オラーシャ帝国ペテルブルグ――

 

ペテルブルグのほぼ中心に位置するペトロ・パウロ要塞。現在は、連合軍第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の基地に利用されている。

当基地の本部内には娯楽室が存在し、日々の戦闘で疲れた航空歩兵達のリラックスルームとなっている。

尤も娯楽室とは名ばかりで、ただテーブルとソファーが置いてあるだけの殺風景な部屋である。

コーヒー飲み放題という利点はあるものの、所詮はタンポポで作った代用コーヒー。オラーシャやアフリカのように過酷な戦場でもなければ、決して歓迎されない代物だ。

同じ統合戦闘航空団でも、ブリタニアに基地を構える501部隊とは雲泥の差である。

あちらの基地は、ドーバー海峡に突き出した古城に航空ウィッチ部隊運用の為の施設を増築し、小規模ながら港も存在する。

補給路の延びきっているペテルブルグとは違い、ブリタニア軍から直接。或いは、扶桑やリベリオンからの海運により、補給を効率的に受けられる。

そのため、ストライカーユニットを含むあらゆる物資が潤沢に供給される。

福祉厚生も充実しており、ネウロイの襲撃がない休日にはアフタヌーン・ティーが開催され、さらには扶桑海軍設営隊が空いたスペースを利用し、ローマ式の大浴場を作り上げてしまうほど。

ペテルブルグも軍事拠点としてはかなり恵まれている方だが、501基地には及ばない。

 

「~♪」

 

娯楽室には、扶桑皇国海軍より502部隊へ派遣されている航空ウィッチ――管野直枝少尉の姿があった。

ソファーに座り込み、なにやら御機嫌そうに鼻歌を口ずさんでいる。

暇な時間を見つけては自主訓練や読書に勤しんでいる管野だが、今日は自室から持ってきた本を開かず、代わりに首から下げたペンダントの先端を手に取り、1時間もの間矯めつ眇めつ眺めていた。

布製の紐の先端に吊り下げられた装飾品。所謂ペンダントヘッドは、小さなアメトリン――扶桑名“紫黄水晶”――の付いた銀色の星となっている。ちなみにアメトリンは管野の誕生石だ。

 

(佐世保の三毛猫さん、俺の誕生石を覚えてくれてたんだな)

 

ペンダントは大切な異性の友人から贈られたものであり、管野は大変気に入っていた。

普段から御守り代わりに身に付けているが、無闇矢鱈に見せびらかすような真似はせず、服やマフラーの下に上手く隠している。

変なところで鼻が利く“偽伯爵”ことクルピンスキーあたりに追及されでもしたら面倒、という考えただけでウンザリするような理由の他。自分みたいな女にアクセサリーは似合わない、という自嘲気味な考えもあるからだ。

管野は強過ぎる敢闘精神が高じて、短気且つ強気。一匹狼的な気質故に不機嫌さを前面に出すことも多い彼女だが、親しい同僚に対して笑顔を見せる。軽口を叩いたりする。読書好きな文学少女の一面を持つ等。決して無愛想だったり、粗雑なだけの人間というわけではない。

しかし、やたらと感情的かったり、言葉遣いが乱暴だったり、前述の通り不機嫌さを隠そうともしなかったりと、これらの特徴から「いつも機嫌悪い」「常に半ギレ状態」「恋愛やおしゃれ等の少女らしいもの興味が無い」「戦バカ」と誤解する人間も少なくない。

そんな輩が今の彼女――異性からの贈り物に心踊らせる管野を見たら、一体どんな反応を示すだろうか。

 

「カンノいる?」

 

ふと馴染みのある声と小気味良いノック音がドア越しに響いた。

管野は慌ててペンダントを服の中へ潜り込ませ、首元にマフラーを巻く。これならペンダントは見えない。

 

「お、おう!」

 

ドアの向こう側にいる相手に管野は返事をする。平静を装ったつもりだが、焦りと動揺で声が裏返ってしまっている。

 

「あ、やっぱりここだった!」

 

すぐにドアが開かれ、プラチナブロンドの短髪が印象的な北欧系美少女がひょっこりと顔を出す。

スオムス空軍飛行第24戦隊から502へ派遣されている航空ウィッチ――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長。通称“ニパ”だ。

 

「ニパ……って、中尉もいるのかよ」

 

ニパの後に続いて入ってきたのは、ヴァルトルート・クルピンスキー中尉。彼女も航空ウィッチで、カールスラント空軍第52戦闘航空団――略称は“JG52”――から派遣されている。

JG52は、エース級の航空ウィッチが多数所属しているカールスラントウィッチの中でも、特に精鋭が揃っていたことで有名だ。

腕利きばかりの部隊に身を置いていただけあって、彼女は502内でも1、2を争うほどの実力者。人類3位の撃墜数を誇る502部隊司令――グンドュラ・ラル少佐にも引けは取らない。

 

「やぁ直ちゃん♪今日も可愛いねぇ♪」

 

クルピンスキーは軽く手を上げ、挨拶代わりといった風に扶桑海軍ウィッチを口説く。

男装の麗人という表現が相応しい容姿の持ち主であるクルピンスキー。長身且つ制服の上からでも起伏が分かる豊満な肢体も併せ持つ。

外見は男受けも女受けも良さそうで、黙っていれば異性と同性の双方から凄まじくモテることだろう。そう黙っていれば……。

 

「そういうのを“馬鹿の一つ覚え”って言うんだ。口説き文句くらい幾つか用意してこいよ」

 

露骨に顔を顰め、管野は辛辣な言葉を浴びせる。毎度のことながら、この“偽伯爵”殿――侮蔑を孕んだクルピンスキーの渾名――の口説き癖にはウンザリさせられる。

クルピンスキーは本大戦初期――オストマルク防衛戦以来のベテランであり、柏葉付騎士鉄十字章を受けるほどの多大な戦果も挙げている。

その反面、酒と女が大好きな享楽主義者の楽天家でもあり、女性――特にウィッチ――を目にすると見境無く口説こうとする悪癖を持っている。

空では頼れる年長者兼部隊屈指の実力者。しかし、地上では先述の性分故、仲間達から呆れられたり軽蔑されたりしている。

管野とニパとクルピンスキー。この3人は、オラーシャの過酷な戦場を経験したエース級だけあって、相応の実力と敢闘精神を持つものの、ネウロイとの戦闘や不慮の事故等で度々機材を破損させるというマイナスな共通点が存在する。

性格や趣味・趣向が異なりながらも、そう言った面では似た者同士と言え、行動を共にすることも多い。

“伯爵(グレーフィン)”のクルピンスキー。“ツイてない”カタヤイネン。“デストロイヤー”の管野。

ストライカーユニットの壊し屋として名高い――当然悪名である――この3人組は、部隊名の『ブレイブウィッチーズ』をもじり、502の仲間内から“ブレイクウィッチーズ”と呼ばれている。

 

「隣座るよ?」

 

と言い、ニパ返事を待たずに管野のすぐ隣に腰を下ろす。

歳下2人が座るソファーは定員なので、クルピンスキーはもう1つの1人掛けソファーに座った。

娯楽に姿を見せた2人に視線を走らせ、管野は小さく嘆息を吐く。

ストライカーユニットの壊し屋という特徴以外にブレイクウィッチーズ3名の共通点を上げるならば、ボーイッシュな点であろう。

しかし、ニパやクルピンスキーは容姿や言動が中性的ながら、細かな所作や身体的特徴から歳相応の女性らしさが垣間見える。

服越しでもハッキリ分かる発育の良さに加え、尚且つ髪や瞳に華やかな色彩を生まれつき持ち合わせている2人のことを、管野は密かに羨ましく思っていた。

自分にも2人くらいの女性らしさが備わっていれば、首からペンダントを下げて堂々と表を歩けただろうか。

 

「あれ?本読んでたんじゃなかったんだね?」

 

ニパが首を傾げる。娯楽室を利用する際、管野は決まって私物の本を持ち込み、旨くもないコーヒーを味わいながら耽読することが多い。

しかし、今日は彼女の愛読書らしき本が何処にも見見当たらない。代用コーヒーの注がれたカップもだ。

 

「べ、別にいいだろ!娯楽室で何してようが俺の勝手じゃねぇか!」

 

「うわっ!?何怒ってんだよ?」

 

突然、怒声を張り上げた管野の剣幕に圧され、ニパは反射的に身体を仰け反らせる。

ニパとしては、素朴な疑問を口に出しただけのつもりだったのだが、何故か管野は御冠なのだ。

もしや地雷を踏んでしまったのかと、スオムスウィッチは狼狽える。

 

「あ、いや。わりぃ……」

 

戦友の反応を見て、ばつが悪くなったのか。ニパから目を逸らしつつも、管野は気まずそうに謝罪する。

 

「つーか、2人こそ何だ?揃って娯楽室なんか来て、暇なのか?」

 

管野が怪訝そうな表情で訊ねると、偽伯爵ことクルピンスキーが「当たり!」と応じた。

 

「今日はもうネウロイも来ないだろうし。特にやることもないからさ」

 

「ワタシも同じだよ。カンノなら相手してくれると思って……」

 

と、ニパがクルピンスキーの言葉を継いだ。本日、モスクワ方面より飛来した中型飛行ネウロイはサーシャ、ロスマン、ジョゼ、下原の4名によって撃破され、しばらくは次も来ないだろう。

ブリタニアに最初の統合戦闘航空である第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』が結成されたのと時を同じくして、各地でネウロイの襲撃がほぼ定期化し始めた。

人類にとってネウロイが難敵である事実に変わりはないが、戦いの後に小休止を貰えるのはウィッチ含む全将兵にとって非常に有難いことだった。

飛行脚整備中隊からすれば、ブレイクウィッチーズがネウロイ迎撃に出撃せず、ストライカーユニットを壊されなかったことも大変有難かった。

 

「俺はお前等みたいに暇じゃねぇぞ?」

 

「けど、娯楽室にいるってことはカンノも暇なんでしょ?」

 

「…………」

 

ニパの指摘に反論出来ず、管野は閉口する。確かに娯楽室のソファーで寛いでおきながら、忙しいというのもおかしな話だ。

管野は小さく舌打ちすると、カップを手にソファーから立ち上がった。代用コーヒーをお代わりするついでに、奇妙な友情で結ばれた戦友2人にも同じものを用意する。

 

「ありがとう!」

 

まずニパにカップを渡す。彼女は屈託のない笑顔を管野へ向けて礼を述べる。

 

「ありがとう、直ちゃん♪戦争が終わったら、僕の実家でメイドさんとして働いてみないかい?」

 

舌の根も乾かぬうちに自分を口説いてきたクルピンスキーに対し、管野は少なからず苛立ちを覚える。

このままカップの中身を顔面に叩きつけてやろうかとも思った。しかし、代用と言えどもコーヒーだ。そんなことをしてはさすがに勿体無い。

管野は腹の底から沸き上がる怒りをなんとか抑え、鋭い視線で一瞥するに留めた。対し、コーヒーを渡されたクルピンには「つれないなぁ」と言わんばかりに肩を竦める。

 

「で、ニパ。そりゃ何だ?」

 

ソファーに再度腰を下ろした管野は、ニパの膝に置かれた紙袋へ目をやる。

 

「あ、忘れてた!」

 

ニパはテヘヘと歯を見せて照れ臭そうに笑い、袋から中身を取り出した。

出てきたのは扶桑製のキャラメルの紙箱が3個。戦場の兵にとって武器、弾薬、水、食糧と同じ……いや、それら以上に貴重な甘味料だ。

 

「お茶請けに持ってきたんだ!2人にもあげるよ!」

 

と、ニパは管野とクルピンスキーにキャラメルを1つずつ手渡す。

 

「悪いな。けどよ、キャラメルなんてどうやって手に入れたんだ?」

 

ふと管野が素朴な疑問をぶつけた。ペテルブルグにおいて補給の問題から酒、タバコ、甘味類等の趣向品の補充は後回しとなっている。

基地内にある売店も例外ではない。長いこと品薄状態で続き、閑古鳥が鳴いている。

そんな状況下。ツイてないことで非常に有名な目の前のスオムスウィッチは、どうやってキャラメルを箱3個分も手に入れたのか。

管野はもちろん、クルピンスキーも気になるらしく、ニパを注視する形で返答を促す。

 

「えへへ♪雁淵くんから貰ったんだ♪」

 

と、ニパは声音を弾ませて答える。“雁淵くん”とはもちろん、扶桑皇国陸軍所属の陸軍ウィザード――雁淵輝准尉のことだ。

少女を想わせる華奢で可愛いらしい容姿のこの少年は、約1ヶ月前に502直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊へ派遣された新人である。

元々カールスラント派遣部隊の一員として、大戦初期に欧州へ派遣された航空ウィザード。それでの戦果は中々のものだったが、どういうわけか北欧へ撤退を機に陸戦ウィザードへ転科した異色の経歴の持ち主だ。

ニパ達には知る由もないことだが、ラル少佐の元へ送られてきた書類には、空陸の双方における輝かしい戦歴が綴られていた。反面、問題行動のリストには、その3倍のボリュームがあった。

独断専行・命令無視・度重なる同僚との衝突等々。ブレイクウィッチーズの問題点が可愛く思えるほどの無法ぶりだ。

しかし、ラルや502戦闘隊長――“サーシャ”ことアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉。そして、ストライカーユニット回収中隊中隊長――アウロラ・E・ユーティライネン大尉の3名は、“優秀なウィッチ・ウィザードとは個性。或いは問題児が多い”と認識している。

与えられた任務をしっかりとやり遂げていることもあって、当基地に輝を色眼鏡で見る人間は殆んどいない。少なくとも、今のところは……。

 

「おやぁ?ニパくんと雁淵くんはと~っても仲が良いんだねぇ♪」

 

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、クルピンスキーはからかいような口調で言う。

 

「えっ!?」

 

同い歳の異性と仲が良い。偽伯爵からそう指摘されたニパの頬に紅が灯る。スオムスウィッチのウブな反応を楽しみつつ、クルピンスキーは言葉を続けた。

 

「僕とは口も聞いてくれないのに。まったく羨ましいなぁ♪」

 

自分を上層部受けの悪い問題児と認識している輝は、ウィッチを含め基地の将兵等とは距離を置いていた。任務外も軍用タバコを嗜みつつ、街の景色を眺めてばかりで、誰かと雑談に華を咲かせることもない。

無意識に壁を作ってしまう性分なのか、アウロラを含めた回収中隊も必要以上に彼と関わろうとはしない。嫌われてこそいないものの、輝は回収中隊内で孤立気味であった。

そして、好色な偽伯爵の言う通り。ここペテルブルグで輝と最も親しくしているのはニパだった。

彼に窮地を救われて以降、ニパは何かと彼を気に掛けていた。頻繁に声を掛けたり、共に過ごしだり、チョコレートを差し入れたりと、積極的にアプローチを掛けている。

その様は、宛らクラスメイトの男子生徒に恋い焦がれる女子生徒のようだ。

当の輝も、無愛想の上にぶっきらぼうではあるが、何かと構ってくるニパを無視することなく、親しげに話をしている。

ちなみにニパが言った通り。キャラメルは以前彼女から貰ったチョコレートの礼として、輝が譲ったものだ。

 

「ち、違うよ!雁淵くんとはそんなんじゃ!」

 

両手を顔の前で振りながら、ニパは必死に弁明する。白雪のような彼女の頬に朱が広かっていく。

 

「ネヴァ川で一緒にお菓子を食べたり、基地の案内を口実にデートしたり、どさくさに紛れて抱き着いたり♪ニパくんは意外と手が早くて大胆なんだなぁ♪」

 

クルピンスキーは、これでもかというくらいニパを囃し立てている。

それにしても、扶桑ウィザードとスオムスウィッチの動向についていやに詳しい。 2人をストーキングでもしていたのだろうか。

 

「わわわっ!?違うってばぁ~!」

 

冷やかしという名の波状攻撃を受け、ニパは顔を真っ赤に染め上げるだけではなく、目尻に涙まで浮かべ始めた。

一方、管野は彼女等の会話に混ざろうともせず、「ケッ!」と短く吐き捨て、目を逸らしている。

管野は2人の話題――正確には、話題に出ている輝のことを気に入っていない。彼女と輝は性格の相性が壊滅的に悪く、顔を合わせればすぐ口論になる。

尤も、管野が輝を嫌う理由には相性云々の他。親友の雁淵孝美がやっとペテルブルグに着任したと思ったら、弟の輝で落胆したという理不尽なものもある。

 

「そんなことより!カンノ宛の郵便物が届いてたよ」

 

「何っ!?」

 

自分に宛てられた郵便物と聞いた管野は、郵便物を持ってきたに向かってズイッと顔を寄せる。互いの吐息がかかり、鼻先同士が触れるかどうかの近距離まで迫っている。

 

「わっ!ち、ちょっとカンノ!落ち着いてよ!」

 

一瞬で間合い詰められたニパは驚き、狼狽える。偽伯爵から逃れるため強引に話題を変えたが、藪蛇だったようだ。

ニパは堪らず、配送係から預けられていた管野の宛ての手紙の束を差し出す。逸る心は抑えられない管野は、それらを素早い動作で引っ手繰る。

ウィッチ・ウィザードへ宛てられた手紙の大半は軍司令部から転送されており、差出人の名に覚えがないものが殆んど。

これらの手紙は縁も所縁もない人々が、ウィッチないしウィザードの誰かに届くようにしたためたもの。

所謂、「人類のために戦うウィッチやウィザードの皆さんに励ましのお便りを出そう」というもので、地域によっては学校で生徒に書かせることもある。

事実、士気向上に一定の効果を発揮し、心待ちにする者も少なくない。

だが、中には得体の知れない物も混じっている。具体的な例としては戦時国債や怪しげな宗教の勧誘等だ。

ネウロイと戦うウィッチに宗教的な価値を見い出し、聖人として称える。或いは、入信を勧める新興宗教は数知れない。

また少数派ではあるが、ネウロイは神の使徒であり、抵抗するのは罰当たりだと主張する教団も存在する。

後者については、“魔女狩り”と称してウィッチを襲撃するテロ紛いの事件にまで発展するケースも珍しくない。

これら新興宗教は戦争が長引くに連れて数を増しており、先の見えない不安と疲弊から発生したものであろうと推測できる。

 

「また、こんなのばっかかよ……あっ!」

 

管野は差出人のみを確認し、怪しげなものは迷わずゴミ箱へ投げ捨てていく。

期待していた手紙が見当たらないまま、いよいよ最後の1通となった時だった。

待ちわびていた手紙――“佐世保の三毛猫”からの手紙が漸く見つかる。

 

「やったぜ!佐世保の三毛猫さんからだ!こんなに早く返事がくるなんて!」

 

待ちに待った文通相手からの手紙。扶桑海軍ウィッチは、封筒を胸に抱きながら歓喜の声を上げる。

そんな管野の姿を目にしたブレイクウィッチーズの仲間達は、キョトンとしている。

 

「サセボの……ミケネコ?」

 

「直ちゃんのお友達?変わった名前だね?」

 

「あっ!」

 

2人の声を聞き、現実に帰った管野は気まずそうに咳払いし、短く「じゃあな」とだけ言って娯楽室を足早に退室していった。

その日。手紙の封筒に口付けをするという乙女チックな管野の姿を複数の兵が目撃したそうな。




502基地の状況を知ると、501がどれだけ恵まれているかがよく分かる。


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~改訂版~
第1話「雁淵 輝(かりぶち ひかる)」


公式から東部及び北部方面統合軍の情報が出ましたので、改訂版を投稿することにしました。

9話までは改訂前とほぼ同じ内容です。


1937年、扶桑皇国佐世保――

 

ある冬の日の夕暮れ時。沈みかけた夕陽で赤く染まっている景色の中を一人の少年が走っていた。学生鞄を大きく揺らしながら、家へと続く通学路を彼の右手には一枚の紙を大切そうに握り締められていた。

少年の年齢は7、8歳ほど、短めの茶髪にやや小柄で華奢な体格。遠目で美少女と間違えてしまうほど整った顔立ちは、近所のおばさんやクラスの女子等からは可愛いと評判だが、本人は外見があまり男らしくないことを大変気にしている。

 

「ハァ……ハァ……」

 

家の玄関前まで戻って来た少年は足を止め、乱れた呼吸を整えようと左手を胸に当てる。スタミナも考えずに全力疾走してきた彼の心臓はうるさいくらいに脈打っている。休んでいるうちに呼吸は段々と落ち着き、耳からも脈動が消えていく。

少年、いや雁淵輝(かりぶち ひかる)は握り締めていた紙を広げる。それは学校のテスト用紙だった。点数は90点、テストの何日も前から勉強していた彼の努力の結晶であり、過去最高の点数だ。

 

「ふふ……」

 

自然と笑みが零れる。先生からテスト用紙を受け取った時、輝は飛び跳ねて喜んだ。このことを早く家族に伝えたくて、一緒に喜んで欲しくて、家を目指して無我夢中で駆けてきた。輝は一度大きく息を吸うと、玄関の戸を開けた。

 

「あっ、輝お兄ちゃん!お帰りなさい!」

 

「ただいま、ひかり」

 

帰って来た輝を出迎えたのは一歳年下の妹、雁淵ひかりだった。髪型は違うが輝と同じ茶髪。顔立ちも双子と見間違うほど似ている。

輝より一足早く帰って来ていたらしく、脱いだばかりの靴を揃えていた。

 

「ねぇねぇ、聞いてお兄ちゃん!」

 

何か嬉しいことでもあったのか、ひかりは弾むような声で語り掛ける。

 

「俺も話したいことが――」

 

「孝美お姉ちゃん!テストで100点採ったんだって!」

 

「……え?」

 

雁淵孝美、雁淵家の長女にして輝とひかりの姉。美人で気立てが良く、誰にでも優しく出来る人格者。

学校では文武両道の才女でいくつも賞を貰っている。家族はもちろん、近所の大人達からも好かれ、友達も多い。所謂人気者だ。

 

「やっぱり、お姉ちゃんってすごいなぁ!私もいつか、あんな風になりたいなぁ!」

 

姉への憧れを口にして、ひかりはうっとりと頬を染める。一方、先ほどまで輝いていたはずの輝の表情には影が射していた。

 

「どうしたの?」

 

兄の異変に気付いたひかりはじっと輝の顔を覗き込んだ。

 

「あ、えーっと……なんでもないよ。100点なんて姉さんはすごいなぁ」

 

笑って誤魔化す輝だが、後ろに隠した用紙を握り締める左手はふるふると震えていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年3月末、北欧・スオムス共和国首都“ヘルシンキ”――

 

人類連合軍北部方面統合軍は、カールスラント撤退戦においてベルリン防衛と民間人が避難するのに必要な時間を稼ぐために囮となったカールスラント陸軍を基幹とし、スオムス共和国軍のほぼ全軍。オラーシャ陸軍ペテルブルグ方面軍。扶桑皇国の陸海軍等で構成されている。

北欧諸国やオラーシャ北西部等を担当戦域とし、代表はスオムス軍最高司令官でもあるクラウス・グスタフ・エーリク・マンネルヘイム元帥。統合軍総司令部は、スオムスの首都――ヘルシンキに置かれている。

同総司令部の指揮下に入っている扶桑海軍第十二航空艦隊は、遣欧艦隊として本大戦初期に欧州へ派遣され、オラーシャ帝国の港町――リバウに駐留。そこから各戦線にウィッチを派兵し、欧州各地で対ネウロイ防衛戦を展開していた。

やがて、第24戦隊等の一部部隊が、連合軍のカールスラント撤退を支援するために西欧方面へ移動し、航空ウィッチ以外の大部分はスオムスへと同行している。

扶桑陸軍もまた、ベルリン陥落に伴い、リバウ周辺防衛用に輸送中だった欧州第一方面軍をスオムスへ派遣。カールスラント軍の再編が完了するまで、現地戦力と共にスオムス防衛に尽力した。

現在もカレリア地域にて防衛戦を構築し、カールスラント方面より侵攻してくるネウロイ勢と日夜戦い続けている。

 

「えっ?ペテルブルグへ?」

 

朝早くに呼び出され、雁淵輝は北部方面統合軍総司令部内にある戦車第2師団師団長――矢口中将の執務室に通され、そこで所属大隊の大隊長から配置転換の辞令を言い渡されていた。

幼かった彼も今や扶桑陸軍の陸戦ウィザード。扶桑陸軍曹長として、同師団第2機械化装甲歩兵大隊に配属されている。

扶桑陸軍戦車第2師団は、先日までカレリア地方やオラーシャ北西部にて多数の陸戦ネウロイと交戦していた。

その際、主力たる機甲戦力を著しく損耗。ヘルシンキまで後退し、休養と再編成の最中である。

この休暇を利用し、輝は文通相手への返事の手紙を認めるつもりでいた。北欧諸国の防衛や東部方面統合軍の支援等で多忙な日々が続き、返事を書く暇も無かった。

秘かに想いを寄せている文通相手へ、漸く返事が出せると欣喜雀躍していた輝を、突然呼び出したのが執務室の主である矢口と、第2機械化装甲歩兵大隊大隊長の

 

「第502統合戦闘航空団の補助部隊に欠員が出てな、誰か寄越してくれ、と言われた。それで、お前に言って貰いたい」

 

「統合戦闘航空団の補助部隊、って……まさか左遷ですか?」

 

統合戦闘航空団は、各国軍からエース級のウィッチないしウィザードを召集し、設立された連合軍総司令部直属の精鋭部隊。航空ウィッチに限らず、ストライカーユニットの整備兵などの基地要員も、各国から最優秀の人材が集められている。

統合戦闘航空団への配属は大変名誉なことなのだが、各国の指揮系統から独立している性質上、問題児の厄介払い先という負の面も持ち合わせている。

 

「雁淵曹長!どこへ配属されようと忠実に任務を遂行する。それが扶桑皇国軍人だ」

 

「お前はまだまだ半人前だ。ユーティライネン大尉の元で経験を積め!」

 

邪推する輝をすぐさま矢口が咎め、大隊長が言葉を継ぐ。

 

「…………」

 

「どうした?返事が聞こえないぞ?」

 

矢口が急かすように言うと、輝は不承不承ながらも挙手敬礼で応じる。

 

「雁淵輝曹長。第502統合戦闘航空団補助部隊への転属、受領致しました」

 

斯くして雁淵輝は、オラーシャ帝国の玄関口――ペテルブルグに基地を構える第502統合戦闘航空団「ブレイブウィッチーズ」の補助部隊に配属されることとなった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

~オリ主及び本作オリジナルキャラクター紹介~

 

雁淵 輝(かりぶち ひかる)

CV:村瀬歩

所属:第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』補助部隊ストライカーユニット回収中隊

原隊:扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊

階級:曹長→准尉(502転属に伴い昇進)

身長:156cm(ひかりと同じ)

誕生日:7月7日

年齢:14歳(1944年4月時点)

使い魔:オスの三毛猫(通常、三毛猫になるのはメスのみ)

パーソナルマーク:アイパッチを着けた三毛猫

使用機材:九七式中型装甲脚“チハ”

使用武器:一式47mm対ネウロイ砲、M1910、九七式手榴弾、リベリオン製スモークグレネード

外見:ひかりを『みなみけ」の南冬馬みたいな髪型にして、目付きも鋭くしたような感じ。

服装:カールスラント空軍の軍装を元にしたオリーブドラブの燕尾状上着と同色の男性用ハーフズボン(現実でいうところのハーフパンツ)




オリ主が男の娘と聞いて可愛いらしいキャラを想像した方がいたらごめんなさい。輝は基本的に口悪いし、少々荒っぽいです(^_^;)


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第2話「厄介払いでペテルブルグへ」

変更点

・輝の原隊
東欧方面軍西オラーシャ駐留軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊→扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊

・戦車第2師団駐留地
オラーシャ帝国ペドロザヴォーツク→スオムス共和国カレリア地方



スオムス共和国のヘルシンキより西方へ伸びた線路上を、軍用列車が進んでいる。煙突から黒煙を吐き、時折汽笛を鳴らしながら、ペテルブルグのスオムス駅へ向けて疾走する。

この列車はオラーシャの玄関口であり、首都であり、東部戦線の要衝でもあるペテルブルグに人員や物質を運ぶため等に利用される。

第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』直属の補助部隊へ転属が決まった輝も、所属師団が駐屯しているカレリア方面の駅から当列車に乗車していた。

 

「…………」

 

座席に腰を下ろした輝は、出立直前茂木に手渡された書類に目を通していた。内容は、ペテルブルグの現況や502部隊の成り立ち、補助部隊の必要性等々。

輝の転属先である補助部隊は、大半がスオムス人で構成された中隊規模の部隊だ。指揮官は、ヒスパニア戦役や本大戦初期に活躍したスオムス陸軍大尉にして陸戦ウィッチ。

どうやらスオムス陸軍の部隊に混じり、戦闘によって墜落ないし不時着した502航空団のウィッチ及びストライカーユニットの回収が輝の主な仕事らしい。

 

「……雑用かよ」

 

不服だと言わんばかりの表情でぼやくと、輝は隣に置かれた鞄に書類を押し込んだ。他の荷物は昨日のうちにペテルブルグへ発送され、手荷物はこれだけだ。

輝は、溜め息混じりに一昨日の師団長執務室でのやり取りを思い浮かべる。茂木も矢口も、はっきりとは言わなかったが、この転属は明らかな左遷だ。

人当たりの悪い自分が上官だけでなく、同僚達からも良く思われていなかったことは知っていたし、別に意外でもなんでもない。

しかし、航空ウィッチ部隊の尻拭いをさせられるなどは予想だにしていなかった。はっきり言って、こんな下請けのような役目は気に入らない。

輝はウンザリした様子で溜め息を吐き、窓辺で頬杖を着いた。

何気無しに視線を走らせた窓外では、雪化粧が施され、白銀に輝く風光明媚な景観が広がっている。

北極圏にほど近い北欧に位置する人口約400万人の小国――スオムス共和国。“森と湖の国”という異名の通り、国土は森林と湖沼で覆われ、工業化も進められているものの、主要産業はあくまで農林業である。

平坦な国土のうち7割が森林。1割は湖沼が占め、森林の多くは針葉樹林からなる。

湖沼は氷河が作り出したもので、国土全域に点在している。これらは、対ネウロイ戦においてスオムスの強みとなっていた。

北欧の小国に過ぎないスオムスが、各国の支援があったとはいえ、“冬戦争”をはじめとする戦いで粘り強い防衛戦を展開出来たのは、ネウロイの嫌う水場の多い地形や寒冷さに救われた部分も大きい。

 

(少し寝るかな……)

 

スオムス駅に到着するまでまだまだ時間が掛かる。輝は、仮眠を取って時間を潰すことにした。自然と欠伸が漏れ、輝は静かに目を閉じる。

規定の速度で走行する列車の心地好い振動と、彼以外は誰もいない客車の静寂な空間が、輝を眠りの淵へ誘っていった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、オラーシャ帝国首都ペテルブルグ――

 

「扶桑陸軍のウィザード、ですか?」

 

ペテルブルグにそびえ立つ、第502統合戦闘航空団基地内にある一室。スチーム暖房が効いていて十分な暖かさが保たれている部隊司令執務室では、二人の女性が向かい合っていた。

一人は、スオムス陸軍の野戦服を身に纏った陸戦ウィッチ。身長172cmという女性にしてはかなりの長身で、銀色の髪と薄紫色の瞳を持つこの美女の名は、スオムスの英雄として知られている陸戦ウィッチ――アウロラ・エディス・ユーティライネン。

第502統合戦闘航空団直属のストライカーユニット回収班指揮官を務める大尉であり、ここペテルブルグにおいて輝の新しい上官となるベテラン陸戦ウィッチだ。

 

「ああ」

 

確認するように訊ねるアウロラに、デスクの椅子に腰を下ろしているウィッチが頷いた。

カールスラント空軍の制服を身に纏った彼女こそ、第502統合戦闘航空団司令グンドュラ・ラル少佐。すらりとした肢体と紅茶色の髪が印象的で、アウロラに劣らずかなりの美人だが、有能な指揮官であり部隊一の撃墜スコアを誇る女傑でもある。

当基地の司令も兼任しているラルは、執務室にアウロラを呼び出し、間も無くスオムス駅に到着するであろう補充要員について話していた。

 

「名前は雁淵輝。扶桑陸軍での階級は曹長だが、こちらに着き次第、連合軍准尉に昇格となる」

 

ラルが輝について説明を付け足すと、二人から少し離れた位置に立っている少女が溜め息を漏らした。

黒と濃紺の制服を着用している彼女の名は、アレクサンドラ・イワーノブナ・ポクルイーシキン。階級はアウロラと同じく大尉だ。

オラーシャ陸軍より502部隊へ派遣されている航空ウィッチにして、ここペテルブルグでは戦闘隊長を務めている。基地司令も兼任しているラルの代わりに現場の指揮を執っている。

ラルをはじめとする502の面々からは“サーシャ”と呼ばれているが、これはオラーシャにおけるアレクサンドラの一般的な愛称である。

ウェーブのかかった金髪にカチューシャを着けた可憐な少女といった印象で、大人然としたラルやアウロラとはまた違った趣の美女だ。

 

「その雁淵准尉は、どのような人物なのでしょう?」

 

サーシャは、「今度の人材はどうやって掠め取ったんですか?」と言いそうになるのを堪えつつ、ラルに訊ねる。

第502統合戦闘航空団創設が決定し、502及び当基地の司令に任命されたラルは、予想されるオラーシャの厳しい戦いに備えて航空歩兵に限らず、あらゆる分野で使えると思った人材や必要な物質を守銭奴のようにかき集めていた。

補給物資から隊員に至るまで、欲しいものを手に入れるためなら、他の部隊から強引なやり方で奪い取ることも辞さない。

扶桑皇国海軍所属の、とあるエースウィザードを自分の元へ引き抜きたいがために、色仕掛けや美人局紛いの行為に踏み切ったこともある。

故に、西部戦線で別の統合戦闘航空団を率いて戦っている某カールスラントウィッチからは、「強欲女!人類の敵!ネウロイ以下の悪党」と罵倒され、ウラル防衛を担当している東オラーシャの統合戦闘航空団司令からは、「くたばれ」ないし「さっさとくたばれ」やら書かれた手紙を贈呈されている。

 

「うむ」

 

サーシャの問いに小さく頷いたラルは、デスクの鎮座している書類の山から雁淵輝に関する文書を引っ張り出した。

 

「雁淵輝、扶桑皇国長崎県北部佐世保市出身。1939年、若干10歳で扶桑陸軍の航空歩兵に志願。同年、カールスラント派遣部隊の一員として欧州へ送られる」

 

ラルは手元の書類に目を通しながら、途中で一息吐くかのように左腕で頬杖着いた。続けて読み上げる。

 

「1941年、所属部隊がカールスラントからスオムス方面へ撤退したことを機に、装甲歩兵へ転科。再編された東欧方面軍にて教練を受けた後に欧州第一方面軍隷下の戦車第2師団に異動。以降は東部戦線にて大小様々な作戦に参加。協調性に欠け、独断専行等の問題行動が目立つも戦果は申し分無し……か」

 

一通り読み終えたラルは、書類をデスクに置いた。頬から左拳を離し、居ずまいを正す。

 

「航空歩兵から装甲歩兵へ?」

 

アウロラは顎に手を当て、ラルにというよりは自問するように呟いた。

 

「ああ、戦果を上げていたにも関わらずだ」

 

ラルが疑問混じりに答える。記録を見る限り、輝は本大戦初期に実施されたカールスラントからの大規模な撤退作戦――ビフトレス作戦直後まで航空ウィザードをとして活躍している。ネウロイの通算撃墜数は中型6機と、決して悪くはない。

何故、彼が転科を規模したのか。アウロラにもサーシャにも分からなかった。輝の素性を理解しているラルは、おおよその見当がつけていたが、話す必要を感じなかっため素知らぬ顔をしている。

 

「何にせよ。扶桑陸軍の御厚意により、抜けた穴はすぐに埋まりそうだ。矢口扶桑陸軍中将閣下には、笑顔の一つくらいはサービスしてもいい」

 

「いっそのこと、ストライカーの回収も扶桑陸軍に任せてみては?我々もいつまでここに居られるかわかりませんし」

 

澄まし顔で皮肉を口にするラル。彼女に苦笑したアウロラも冗談混じりに皮肉を返す。いや、或いは本気かも知れない。

オラーシャは欧州屈指の激戦区。配置されている第502及び503統合戦闘航空団の担当空域は、他の部隊のそれと比べて圧倒的に広い。広大な土地に多数のネウロイが蠢き、戦闘を仕掛けてくる。墜落したウィッチとストライカーユニットの救助・回収は早急に行わねば、たちまちネウロイの餌食となる。

しかし、ストライカーユニット回収隊は、ペテルブルグの北方にあるアウロラの故郷――現在、小康状態のスオムスから一時的に貸し出されたもの。緊急時には返す約束となっている。

 

「私は、協調性のない問題児……の一文が気掛かりなのですが?」

 

右手で頭を押さえたサーシャが倦んだ溜め息を漏らした。

今回は正規の手続きによって人材を得たようだが、“優秀だが協調性がない問題児”という情報は、普段からサーシャを悩ませている“あるウィッチ”を想起させるのだ。

 

「ふむ、確かに……“誰かさん”とそっくりだな」

 

と、ラルは同意する。件のウィッチは輝と同郷――陸軍と海軍違いはあれど同じ扶桑出身の航空歩兵。502に来てから性格面に関して言えば、まぁ多少落ち着いた。

その代わり敵を墜とす度に自らも空から落っこちた挙げ句、ストライカーユニットの損耗率が際立って高い問題児3人組――通称『ブレイクウィッチーズ』の一角を担ってしまっている。これは部隊名のブレイブウィッチーズを文字って仲間内でつけられた呼び名で、メンバーの3人はサーシャの頭痛の種となっている。

 

「ユニット壊しがもう一人増える代わりに、空と陸の両方で働けるウィザードが手に入ったと思えばいい」

 

「……回収だけでなく、空も飛ばせるおつもりですか?というか、雁淵准尉はユニット壊しの常習犯なのですか?」

 

補充要員の雁淵輝がユニット壊しであることを前提で話を進める部隊長に、サーシャは軽い頭痛を覚えた。対してラルは、口元に僅かな微笑を湛えて応じた。

 

「案外、安い買い物かもしれないぞ」

 

答えになっていない答えを返すと、ラルは再び輝の書類へ目をやる。

 

(孝美の弟……会うのが楽しみだ……)

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1937年、扶桑皇国佐世保市雁淵家――

 

雁淵輝は自分の部屋である和室の隅で、膝を抱えてじっとしていた。腫れ上がった顔をはじめ、身体のあちこちに青痣ができている。

8歳の少年は瞳に涙を浮かべつつも、奥歯を食い縛りながら痛みをじっと耐えていた。傷の痛みではなく、心の痛みに――

 

――こんなことも出来ないのか?

 

――お姉さんは、スゴいのに……

 

――男の癖に……

 

――ダメな弟だなぁ……

 

脳内で繰り返し再生される心ないの言葉。学校の授業で、鉄棒の逆上がりに失敗した輝に対し、クラスメイト達から浴びせられたものだ。

バカにされたことに憤った輝がクラスメイトの一人に殴りかかり、それを発端に喧嘩が始まった。しかし、多勢に無勢。喧嘩はすぐにイジメとなり、一方的に殴られた輝は身体中痣だらけの姿で家に帰ってきた。

 

「輝っ!」

 

不意に襖がガラッと開き、一人の少女が駆け込んできた。輝の姉――雁淵孝美だ。彼女に続いて妹のひかりも、やや遅れて部屋に入ってきた。

 

「輝お兄ちゃん!」

 

「悪い子達にイジメられたって!?大丈夫なの!?」

 

輝の前に正座すると、孝美は両手で彼の両頬に触れる。

 

「いたっ!」

 

「あっ!ごめんなさい!」

 

孝美が不用意に触れたために、頬に痛みが走る。輝がゆっくりと顔をあげると、孝美が心配そうな表情で自分を見下ろしていた。ひかりも孝美の肩越しに、輝をじっと見つめている。

何かあると一目散に飛んで来てくれる優しい姉。人当たりが良く、周りに気を配れる性格から皆に好かれている姉。機転が利き、テストは毎回全教科で高得点を採る聡明な姉。運動神経も抜群で、ただのかけっこから本格的な武道に至るまで、男子にも負けないほど優れている姉。

 

(なんで……なんで……なんで……)

 

輝は強く歯噛みする。何十回、何百回……いや、何千回思っただろう。

 

(なんで、姉さんなんだ……)

 

輝は孝美になりたかった。孝美のように生まれていたなら陰口を言われることもなく、皆から愛されただろう。

 

(どうして……俺じゃなかったんだ……)

 

輝にとって孝美の存在は理想そのもの。姉のようになろうと努力してきた。勉強も運動も、その他のことでも。

だが、どんなに必死になって頑張ろうとも、どれだけの時間を費やしても孝美は届かない。

世の中の不条理や無慈悲な現実に対する怒り、憧れの対象である姉への劣等感。それらの感情は日に日に強くなり、長い年月を経てより強く、よりドス黒いものへと変化していった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年、ペテルブルグ近郊――

 

「……ん……?」

 

すっかり寝入っていた輝は、座席から伝わる客車の揺れに起こされるようにして目を覚ます。忌々しい過去の記憶を夢に見せられ、気分は最悪だった。

 

「あぁ~……ったく!」

 

目覚めたばかりのぼやけた頭に残る苦味、輝は首を振って払おうとする。

どれくらい時間が経ったのだろう。輝は制服のポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認する。間も無く、スオムス駅への到着時刻だ。

ふと輝は鞄を開き、中身を確かめてみる。書類、財布、軍隊手帳、軍用タバコ、ライター。寝ている間に盗られたり、ペドロザヴォーツクに忘れたりはしていないようだ。確認を終えた輝は紐を肩にかけると、席を立った。

約10分後。列車がスオムス駅に到着すると、輝は停車した客車からホームへ降り立った。

駅内は扶桑陸軍兵よりも体格の良いカールスラント陸軍やオラーシャ陸軍の兵士でごった返しており、輝のように小柄な少年など、あっという間に人混みに埋もれてしまう。

キョロキョロと周囲を見渡し、ホームの出口を示す標識を見つける。この窮屈な軍人の群れから一刻も早く脱出したいと、輝は人と人の間を縫うように歩を進める。

 

「ふぅ……」

 

どうにか駅の外へ出た輝を出迎えたのは、目の前が急に開かれるような解放感にヒヤッとした空気、見慣れたオラーシャの寒空。そして、オラーシャ帝国首都――ペテルブルグの美しい街並みだった。

街の規模に対して人の気配が少ない。住民達はネウロイ侵攻時に疎開したため、市内を闊歩しているのは西オラーシャ方面で戦う各国軍の将兵ばかりだ。

街の中心には、ペテルブルグの防衛拠点であり、第502統合戦闘航空団――通称『ブレイブウィッチーズ』の基地として機能するペトロ・パウロ要塞が聳え立っている。

 

「確か迎えが来るはずだけど……」

 

「よぉ……」

 

「まだ来てないのか?」

 

「よぉ、ってば。そこの扶桑人ちゃん♪」

 

「え?」

 

目を凝らして502基地からの迎えを探す輝の耳朶を、やたら軽い口調の声が打った。

『扶桑人』という呼称に反応して振り返ると、二名の兵士が背後に立っていた。すぐ目の前の軍帽を被った兵士は輝に下卑た笑むを向け、もう片方は流し目で見ながら酒瓶を呷っている。

 

「こんなところでどうしたんだぁい?迷子かなぁ?乗り過ごして、ペテルブルグまで来ちゃったとか?」

 

「…………はい?」

 

兵士の言っていることを即座に理解出来なかった輝は、口から間の抜けた声を漏らした。

兵士達は、カールスラント陸軍の軍服を着ている。どうやらペテルブルグ駐留の歩兵部隊員らしい。

 

「おいおい、そんなガキが好みなのか?」

 

もう一人の兵士が、酒瓶から離した唇を拭いながら訊ねる。軍帽を被った兵士は、すかさず反論した。

 

「確かにラル少佐やユーティライネン大尉と比べりゃ身体は大分貧相だけどよ、中々の上玉だぜ?」

 

「まぁ、悪くはねぇな」

 

二人はカールスラント語で話しており、扶桑語とブリタニア語しか話せない輝には、詳しい会話内容はわからなかった。だが、目の前の兵士達が良からぬこと企んでいるというのは何となく理解できた。

 

「そんな格好して、君ってウィッチのファン?扶桑に憧れの人でもいるの?」

 

軍帽の兵士は再び輝の方へ顔を向ける。酒瓶の兵士も続いた。

 

「サインを貰いにわざわざ来たのか?」

 

自分を小馬鹿にするような兵士達のふざけた物言いに苛立ちを覚えな輝は、溜め息を吐いてその場から離れようとする。

 

「よぉ、待ちなよ」

 

軍帽を被った兵士が、逃げようとする輝の正面へ回り込んだ。

 

「君、一人だろ?良かったら、俺達に付き合わない?」

 

ニタニタと癪に触る笑みを浮かべながら、兵士は輝に顔を近付ける。口から吐き出される酒臭い息、輝は不快感で顔を歪める。

 

「申し訳ないけど、人を待ってるんで」

 

502基地からの迎えを待っているのは事実で、嘘は言っていない。しかし、兵士達は引き下がらなかった。

 

「そんなこと言わないでさ、付き合ってくれよぉ。君みたいな若い子は、もっと遊ばなきゃ」

 

「そうそう、ちゃんと楽しませてやるからさ?」

 

軍帽の男の言葉を継ぎながら、酒瓶の男が輝の右肩に自身の左腕を乗せてきた。輝は男を睨みつけ、あからさまに「チッ……」と舌打ちをするが、男は「おぉ~、恐い恐い」とおどけるだけで、まったく意に介さない。

真面目なお国柄で有名な帝政カールスラントの軍人にしては言動が軽薄過ぎるが、なるほど原因は手に持った酒瓶か。

オラーシャの過酷な戦場では、昼間から酒飲みでもしないとやってられないらしい。

 

「ちょっと、いい加減に――」

 

「そうツンケンせずに付き合ってよぉ」

 

「絶対に後悔させねぇからよ」

 

ネチネチとしつこく付き纏ってくる兵士は、何故か男である輝を厭らしい目付きで見ている。

彼らは知らないのだ。絡んでいる少女(のようにも見える中性的な容姿の少年)が、自分達と同じ“モノ”を股からぶら下げていることを――。

 

「せっかく扶桑から遥々オラーシャまで来んだし、俺達と良い思い出作ろうぜ?」

 

「そうそう♪君みたいな可愛いお嬢ちゃんなら、俺達も大歓げ……ぶへぇええっ!」

 

軍帽を被った兵士が、間の抜けた声を上げる。かと思えば、数メートル先まで吹っ飛ばされ、コンクリートで覆われた地面へと投げ出された。

 

「か……かひ……」

 

「………………は?」

 

ほんの一瞬の出来事。酒瓶を携えた男性は、何か起きたのか分からずに、目が点になっていた。

吹っ飛んだ彼の相方は、岸へ打ち上げられた魚のようにピクピクと痙攣している。顔は大きく腫れ上がっており、まるで人間離れした強い力で殴られたかのようだった。

恐る恐る視線を下げてみると、自分達がナンパしていた少女(に見えるほど可愛らしい少年)が、頭から猫耳を生やし、鬼のような形相で睨んでいた。

 

「てめえら、俺のことを『お嬢ちゃん』って言いやがったな……」

 

「ひっ!?」

 

本能的に生命の危機を感じ取ったらしい。酒瓶の男は、条件反射で輝から離れる。

その行動は取り敢えずは正しかった。距離を取らなければ、彼も相方と同じように殴り飛ばされていただろう。

 

「これが見えてねえのかっ!?あ゛ぁっ!?」

 

フルフルと怒りに震える輝は、自らが履いているズボンを指差した。

 

「お……男っ!?」

 

兵士は驚きのあまり声を張り上げ、酒瓶を地面へ落としてしまう。

彼が着用しているズボンは、ウィッチや世の女性達が履くような女ものではない。軍からウィザード用に至急される特注のハーフズボンだ。

各国軍のウィザードはストライカーユニットを装着する都合上、一般の男性用ズボンではなく、軍の制服を元にした短めのズボンを履くのだ。

 

「てめえらカールスラント人の目は節穴か?酒の飲み過ぎで目が働いてねえのか?」

 

輝の怒りは尤もだが、間違えるのも無理はない。彼は同世代の男子と比べて華奢な体型をしている。身長も低く、女顔と形容しても違和感のない顔立ちなため、同年代のウィッチと並ばせてみても男女の性差は殆んど感じない。

今日に至るまで初対面の人間の多くから、少女ないしウィッチと誤認されてきた。

輝本人はこのことを大変気にしている。しかも彼は、可憐な印象とは裏腹に短気な性格の持ち物で、口より先に手が出ることも珍しくない。

うっかり『ウィッチ』と間違えたり、『お嬢ちゃん』などと呼んでしまえば、軍帽の男性のように問答無用で殴られる。

 

「ちょ、調子に乗るなよクソガキが……あ、あ、あんまり粋がると……ただじゃ、おかねぇぞ」

 

すっかり酔いが覚めてしまったカールスラント陸軍兵士の男性は、怯えながらも必死に虚勢を張ろうとする。

対して輝は、隠し持っていた自動拳銃『FN M1910』を取り出し、銃口を男性に突きつけた。

 

「あ……」

 

「ただじゃおかない、って?面白いな、一体どうするつもりだ?」

 

拳銃を向けられた男性は、すぐさま口を噤んで大人しくなる。

相手が銃で武装したウィザードでは、一般の兵士に勝ち目などない。両手を上げて、降参のポーズを取ろうとしたその時。

 

「おい!動くな!」

 

先の二人とは、別の男性の声が輝の耳に響いてきた。

 

「何だっ!?うるさ……い、ぞ……」

 

苛立たしげに叫び返した輝が、声のした方へ視線を移してみる。カールスラント陸軍の憲兵隊が横一列に並び、携えたMP40の銃口と鋭い視線を輝達に向けていた。

 

「やれやれ」

 

指揮官らしき男性が、溜め息を吐きながら数歩前へ出てきた。

 

「我がカールスラント軍の兵が扶桑人にちょっかいを出している、と聞いて来てみれば……」

 

指揮官は輝と彼に絡んできた兵士二人を順に見据え、言葉を続ける。

 

「これはどういうことだ?」

 

問い掛けに対し、輝は渋面を作りながら舌打ちを返した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

約一時間後、502基地部隊長執務室――

 

「……来ないな」

 

「ええ、来ませんね」

 

室内ではサーシャがラルの言葉に同調しつつ、鸚鵡返しする。待ち人の来ない部隊長執務室は、妙な静けさが漂っていた。

 

「何か、トラブルでしょうか?」

 

短い沈黙を間に挟み、サーシャが言葉を発した。

 

「列車が遅れた、という連絡はきていないが……」

 

と、ラルは訝しげに応える。

 

「いえ、列車ではなく……街の兵と揉め事を起こしていたりは……」

 

「管野のような例もあるしな」

 

「……ええ」

 

ラルは口元からフッと笑みを零し、サーシャは溜め息を吐いた。直後、基地司令用デスクに置かれた電話がけたたましく鳴り響いた。

 

「恐らくは、悪い知らせだな……」

 

横目で電話機に視線を送りながら、ラルはポツリと呟いた。




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第3話「陸軍の三毛猫と海軍のブルドッグ」

改訂版3話です!


ペテルブルグ到着するなり揉め事を起こした扶桑皇国陸軍所属の陸戦ウィザード――雁淵輝曹長は、元ペテルブルグ警察ボロヴァヤ署内の地下留置所で世話になっている。

住民が避難し、人口が激減したペテルブルグには、当警察署のように使われなくなった建物が多い。そのいくつかを軍が借り受けて使っている。

 

「…………」

 

輝は、壁に設置された長椅子ほど長さしかないベッドに寝転がり、染みとひび割れだらけの天井をボンヤリと眺めていた。

 

(ったく……気分悪い……)

 

輝は心の中で悪態をつくと、制服のポケットへ手を突っ込み、タバコとライターを探した。が、ポケットから出てきたのは一本の短いほずれ糸だけだった。

頭に疑問符を浮かべてほづれ糸をじっと見据える輝は、すべての持ち物を憲兵に没収されていることを思い出す。

 

「おい!誰かいるんだろ?俺のタバコとライター持ってきてくれ!」

 

鉄格子の外にいるであろう監視の兵に向かって叫んだが、1階へ通ずる階段脇に常駐している兵は振り向きもしない。

 

「チッ……」

 

舌打ちと共に視線を天井へ戻す。小汚ない留置所へ押し込まれ、憂さ晴らしの一服も出来ない。さらに備え付けのベッドの寝心地の悪さが、輝のムカッ腹を刺激していた。

しばらくして、房へと近付く足音が聞こえてきた。自分を不敏に思った監視兵がタバコを持ってきたのかと思い、輝はムクリと身体を起こした。

鉄格子の向こうを見てみると、予想通り監視兵が立っていたが、手に握られているのはタバコやライターではなく鍵束だった。

隣には、粗末な留置所には似つかわしくない美少女が佇んでいる。着ている制服と襟についた星からオラーシャ軍所属だと分かる。

 

「出なさい」

 

房の鍵が開けられる。監視兵に促されたので、輝はキョトンとしながらも房から出た。

 

「……あのっ――」

 

「到着早々、破廉恥な兵士を相手に騒ぎを起こす。こんなところも似ているわね」

 

「えっ?」

 

輝の言葉を遮るように呟く少女。何のことを言ってるのか分からない輝は、思わず聞き返した。

 

「何でもありません、ついてきて下さい」

 

「あ、はい」

 

オラーシャ少女は、そそくさと留置所から出ようとする。その歩みの所在は早足ながら優美なもので、彼女の育ちの良さを物語っていた。

輝は少々戸惑いながらも、監視兵から返却された荷物を抱えながら彼女の後に続いた。

警察署の外に出ると、既に日が傾き始めていた。数時間ぶりに吸い込むオラーシャの空気、いつもよりもずっと美味しく思えた。

 

「申し遅れました」

 

脇道に停めてあったリベリオン製のジープの前まで来ると、少女は足を止めて輝に向き直った。

 

「私はアレクサンドラ・イワーノブナ・ポクルイーシキン、皆はサーシャと呼びます。オラーシャ帝国陸軍の大尉で、第502統合戦闘航空団の戦闘隊長を務めています」

 

軽い自己紹介を終えると、サーシャは敬礼代わりに優美な所作で一礼する。

改めてサーシャと向き合った輝は、彼女の美しさ。優雅で気品に溢れる振る舞いに圧倒された。

サーシャの仕草ひとつひとつから育ちの良さが窺え、輝は彼女をオラーシャの貴族令嬢ではないかと思ったほど。

 

 

(厳しそうだけど、綺麗な人だな……)

 

思わず見とれてしまっていた輝だが、すぐにハッと我に還り、返礼する。

 

「扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊所属、雁淵輝曹長であります!」

 

ビシッと右手を眉の位置まで上げて敬礼する輝だが、慌てたためか声が裏返ってしまっている。

 

「ふふ……」

 

輝の挙動が可笑しかったのか、初対面からずっと表情が硬かったサーシャは小さく笑みを零す。

笑われてしまった輝は、気恥ずかしそうに視線を逸らすのだった。

 

「あ、ごめんなさい……あら?」

 

非礼を詫びたサーシャは何かに気が付き、輝をじっと見つめる。

 

「なんでしょうか?」

 

「防寒具を身につけていないようですね?」

 

4月のオラーシャは比較的温かいが、それでも気温は扶桑の冬と同じくらい低い。しかし、輝が着用しているのは扶桑陸軍の制服のみでコートは疎か、手袋すらしていない。

 

「実は昨日、他の荷物と一緒に基地へ発送してしまいまして……」

 

「オラーシャの寒さをご存知のはずでは?」

 

罰が悪そうに頬を掻く輝に、サーシャは眉を寄せて言う。

 

「到着してすぐ基地に入れると思ったものですから……うぅ!」

 

オラーシャの気候を改めて意識した途端、輝の身体が寒さで震え出した。

バルトランドやスオムス等の北欧出身者ならいざ知らず、扶桑出身の輝にとって春のオラーシャは十分寒い。

 

「まったく……」

 

呆れたように息を吐いたサーシャは、ジープの中から白色のマフラーを取り出し、輝の首に巻いてやる。

 

「え?」

 

サーシャの唐突な行動に、輝は軽く頬を染めながら目を瞬かせる。

 

「基地に戻るまで、これを使ってください」

 

「で、でも……」

 

遠慮がちな態度を取る輝に対し、サーシャはビシッと語気を強めて言い聞かせた。

 

「その格好では着任早々風邪を引いてしまいます。言うことを聞いてください」

 

「……分かりました」

 

頷く輝にサーシャは満足気に微笑み返し、ジープへ搭乗する。

 

(暖かい……)

 

貸し出されたマフラーにそっと手で触れた輝は、心の中で呟いた。マフラーから薫り立つ女性特有の甘い香りにドキドキしながらも、与えられた温もりに感謝していた。

抑揚の無い口調と無表情さから、輝はサーシャのことを美しくも冷たい人だと誤解していた。しかし、実際のところ彼女は仕事に厳しいだけで根は優しいお姉さんなのだ。

 

――風邪を引いてしまうわ。はい、お姉ちゃんのマフラーを使って。

 

(…………何で、思い出すんだよ)

 

一瞬ではあるが、過去の記憶が脳裏にフラッシュバックし、輝は不快感から眉を顰めた。

つらい記憶というわけではない。むしろ大切な思い出であるはずの記憶だが、今の輝にとっては思い出したくないものだった。

 

「どうしました?」

 

サーシャに呼ばれ、輝はハッと我に還る。

 

「基地へ向かいます。乗ってください」

 

サーシャに促され、輝は慌ててジープに乗り込んだ。

 

「では、出発します」

 

エンジンを始動したジープが、街の中心に屹立する基地へ向かって走り出した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

十数分後、第502統合戦闘航空団――

 

輝はサーシャに連れられ、502部隊の基地として運用されているペトロ・パウロ要塞に到着した。彼女の案内の元、すぐに部隊司令執務室へ通される。基地司令を兼任している502の隊長と、ストライカーユニット回収中隊の指揮官に着任の挨拶をするためだ。

 

「隊長、雁淵曹長をお連れ致しました」

 

執務室前で足を止めたサーシャが、コンコンと小気味良いノックをドア越しに響かせた。

 

「入れ」

 

執務室から入室を促す声が返ってきた。少々低めの済んだ女性の声だった。

 

「失礼します」

 

「……失礼します」

 

サーシャの後に続いて潜ったドアの先では、それぞれカールスラント軍とスオムス軍の制服を着た二人の女性が向かい合うようにして立っていた。

502部隊及び当基地司令のグンドュラ・ラル少佐と、回収中隊隊長のアウロラ・E・ユーティライネン大尉だ。

 

(グンドュラ・ラルに、アウロラ・E・ユーティライネン。本物だ……)

 

二人の大物と直に対面した輝はゴクリと固唾を呑む。かの501部隊Wエース――エーリカ・ハルトマン中尉、ゲルトルート・バルクホルン大尉に次ぐ撃墜数を誇るカールスラント空軍のウルトラエースに、本大戦初期より第一線で戦い続けてきたスオムス陸軍の英雄。

東部方面や北部方面に配属されている軍人で、二人を知らない者などまずいないだろう。

 

「おお、きたか」

 

ラルが二人の方へ目を向けると、アウロラも同じように視線を移してきた。

どちらも女性にしてはかなり長身の持ち主で、制服の上からでも身体の起伏が分かるくらいスタイルが良い。同じ美女でも、少女から女性に成長する途中といった趣のサーシャとは異なり、年長者の落ち着きとアダルトな雰囲気を身に付けている。

大人の女という形容が相応しい上官達を、輝は妙に意識してしまう。すぐさま頭から邪念を追い払い、姿勢を正して着任の挨拶をする。

 

「只今到着致しました!扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊、雁淵輝曹長であります!」

 

「ん……休め」

 

緊張した面持ちで腹から声を出す輝とは対照的に、涼しい表情で淡々と応じるラル。彼女は司令用デスクの向こうにある椅子に尻を置き、改めて輝に視線を移した。

 

「私が、第502統合戦闘航空団司令のグンドュラ・ラル少佐だ!」

 

ラルな自身の自己紹介を済ませると、デスクの隣に立っているアウロラを右手で指した。

 

「彼女がストライカーユニット回収中隊の指揮官で、ここペテルブルグ基地における君の直属の上官、アウロラ・E・ユーティライネン大尉だ」

 

「そういうわけだ、よろしく頼む」

 

澄まし顔のラルとは違い、サバサバとした笑顔のアウロラは、軽く手を挙げて挨拶する。

 

「予定より随分と遅かったようだが?」

 

「あ、いえ……」

 

遅刻について触れられた輝は、罰が悪そうに彼女から目を逸らす。

 

「おっと済まん、叱責するつもりはなかった。しかし、駐留兵を殴り倒すとは……可愛い顔をして中々ヤンチャじゃないか」

 

「…………」

 

からかい混じりな発言を取りながらも表情を変えないラル。対して輝は不快感から眉を顰める。

少女のような外見にコンプレックスを抱いてる彼にとって、『可愛い顔』とは、輝にとって侮辱の言葉しかないのだ。

そんな少年の心境を知ってか知らずか。ラルは口元を僅かに弛めた柔らかい表情を作ると、お冠な輝を宥めた。

 

「そう恐い顔をするな。これからは、この基地で寝食を共にする仲間だろう?仲良くしよう」

 

「…………了解です」

 

輝は半歩遅れて返事をする。少々不貞腐れ気味な彼の声色にサーシャは呆れ目を、アウロラは悪戯な笑みを向けていた。

 

「既に知っていることだろうが、君を准尉に昇進させた上でユーティライネン大尉の指揮する中隊へ配属させることが決まっている。主な任務は、ネウロイとの戦闘等で墜落した502の航空ウィッチ及びストライカーユニットの回収で――」

 

「質問があります」

 

輝はラルの説明を遮り、小さく手を挙げて質問の許可を求める。

 

「何だ?」

 

と、訊くラル。ポーカーフェイスを維持しているように見える彼女だが、話を中断された際に片眉を不快そうにヒクヒクと動かすという僅かながらの変化が表情に現れていた。

 

「……自分は、こちらに厄介払いされたのでしょうか?」

 

「いや、私が君の上官に頼み込んだ」

 

原隊から左遷されたと思っている輝の考えを、ラルは即座に否定した。

扶桑陸軍の矢口中将や茂木貴子中佐が、どういうつもりで輝にペテルブルグへの転属を命じたのか。それは502の面々には預かり知らぬことだが、少なくともラルは輝が自分の部隊に必要だと感じている。

だからこそ、オラーシャ西部に展開している扶桑陸軍と交渉して輝を502直属の補助部隊へ異動させたのだ。

 

「先日の戦闘で、スオムス陸軍の陸戦ウィッチが一人負傷したんだよ」

 

アウロラが、ラルの説明を継いだ。輝の視線が502司令から彼女へ流れる。

 

「急ぎ装甲歩兵の補充要員が必要になって、ラル少佐が君をペテルブルグに呼び寄せた」

 

「航空歩兵も経験している君ならば、敵地のど真ん中に墜落したウィッチの気持ちを他の装甲歩兵よりも理解してくれはずだ……と思ってな」

 

話のバトンがアウロラからラルに戻り、輝を502に呼んだ理由を説明する。

 

「それだけの理由で扶桑陸軍の自分を?補充要員なら、スオムス陸軍に要請した方が良かったんじゃ?」

 

「それが難しいからです」

 

今まで黙っていたサーシャが、唐突に口を開く。さらにアウロラが彼女の言葉を継いだ。

 

「ラル少佐が私達スオムスの陸戦ウィッチを強引に引き抜かれてな。そのことで、うちの師団長のラガス少将から睨まれていたんだ」

 

「さらにウィッチの一人が負傷してしまい、少将は大変御立腹でな」

 

ラルは「やれやれ」と肩を竦める。話を聞かされた輝は「……は、はぁ」と言葉を濁しつつ、心中では(なるほど)と納得していた。

つまりはアウロラ達の上官であるラガス少将の機嫌を損ねてしまったために、わざわざ扶桑陸軍の輝を呼び寄せなくてはならなくなった、というわけだ。

それにしても以前から東部戦線全体に広まり、輝も耳にしていたグンドュラ・ラルの貪欲ぶりに関する噂は事実だったらしい。

 

「まぁ何はともあれ、よろしく頼む」

 

ラルは改めて輝を歓迎すると、彼女はさらに言葉を続けた。

 

「明日からは息吐く間も無く忙しくなる、今日は早めに休め。下がってよし」

 

そう結んで、ラルは話を終えた。輝は「はっ!」と敬礼して退室すると、アウロラの案内で割り当てられた個室へと向かった。

ドアの越しに響いてくる二人分の足音。それはアウロラと輝の二人が執務室から前から遠ざかるのと反比例して段々と小さくなり、やがて聞こえなくなった。

程なくして、二名の装甲歩兵と入れ替わる形で1人の少女が入ってくる。

肩まで伸ばした美しい銀髪を靡かせる彼女は小柄な体格をしていて、ラルやアウロラはもちろん、サーシャや輝よりもさらに背が低い。しかし、その見た目に反して年齢は502部隊内で最年長。雰囲気もラルやアウロラとは違った趣で大人っぽい。

 

「今、廊下で見掛けました。彼ですか?」

 

艶のある唇を動かし、銀髪の少女――エディータ・ロスマン曹長は言葉を紡いだ。

 

「ああ、大戦初期に活躍した元航空ウィザード。そして現在は陸戦のウィザードという面白い経歴の持ち主だ」

 

ロスマンの問いに応じたラルは、フッと口元を綻ばせる。

 

「ともあれ、人員不足は解消されましたね。それにしても扶桑の陸軍からとは……」

 

「所属など問題ではない。使えるかどうか、重要なのはそれだけだ」

 

「隊長らしいお考えですね」

 

と、ロスマンも相好を崩した。しかし、ラルの才能を見る目は確かだ。輝は必ずや期待に答えてくれるだろ。

 

「くれぐれも宮藤大尉の時のような真似はしないで下さいね」

 

航空ウィザードとして扶桑皇国海軍に属している友人を脳裏に浮かべつつ、ロスマンは502司令を諌める。

この時、ラルの笑みは苦笑混じりのものへと変化していた。

 

「宮藤大尉?私が彼に何をしたと?」

 

一方、ラルは惚けたような物言いで応じた。部屋の隅では、そんな彼女に対してサーシャが呆れたように溜め息を漏らしていた。

 

「お忘れですか?例の件でミーナ中佐や遣欧艦隊の赤坂中将からは睨まれているんですから、ああいったことは謹んで下さい」

 

険しい表情のサーシャが語気を強めて注意すると、ラルは「ああ、そのことか」とおどけて返した。

 

「サーシャは厳しいな。私は他部隊の異性と少しばかりスキンシップをしていただけなんだが?」

 

「変な噂が立ったりしては困ります」

 

「総司令部のには、そういった噂話等を予算削減の口実にする将官もいるかもしれませんし」

 

サーシャの後にロスマンが付け加える。本大戦以前より、対ネウロイにおけるウィッチやウィザードの有用性は連合各国で認められている。個々の能力が多様化し、通常の部隊では対象が難しい状況に極めて有効、ということから統合戦闘航空団やその下の統合戦線飛行隊も各戦線で設立が進んでいる。

だが、連合軍や各国軍の上層部には未だにウィッチ無用論や統合戦線航空団の運用に異義を唱える保守派はもちろん、ブリタニア空軍のトレヴァー・マロニー大将のように利権絡みで航空歩兵を敵視する者も少なくない。

そう言った輩に付け入る隙を与えないよう気を配るのも、統合戦線航空団司令の役目である。

 

「雁淵准尉に関しては心配ない。私はサーシャと違ってショタコンではないからな」

 

「なっ、何を言い出すんですか!?」

 

妙な言い掛かりをつけられたサーシャは、途端に顔を真っ赤にして狼狽えた。

 

「ショタコンじゃないにしろ歳下好きには代わりないのだろう?それにしても、出会って早々にマフラーを進呈して点数稼ぎとはな」

 

どうやらサーシャのマフラーを首に巻いた輝を見て、彼女が好感度アップのためにプレゼントした、と思っているようだ。

無論、ラルは本気でそう思っている訳ではなく冗談半分に言ってからかっているだけなのだが、生真面目な性格が災いしてサーシャは本気と受け取ってしまったらしい。

 

「あれは!彼が防寒具を持っていなかったので貸しただけです!変なこと言わないで下さいっ!!」

 

「ふふっ♪サーシャさん、奥手に見えて以外と積極的なのね?」

 

「ロスマンさんまで!?もう止めて下さいっ!御二人共正座!正座ですっ!!」

 

熟れたトマトのように顔を真っ赤にしたサーシャは思わず声を張り上げる。

戦闘隊長の新たな一面を発見した二名のカールスラントウィッチは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、502基地ハンガー――

 

第502統合戦線航空団基地ハンガー。その正面に輝が立ち尽くしていた。アウロラに個室へと案内され、簡単な説明も受けた彼は特にすることもなく暇を持て余していた。

基地内を適当にぶらついた後。何気無しにハンガーまでやって来た輝は壁に背を預けると、制服の煙草を取り出して口に咥える。

次いで別のポケットからもライターを取り出す。カチッカチッと音を立てて火を点ける。煙草をライターの火に近付け、息を吸う。馴れた手つきで吸い込んだ息と共に煙をフゥと吐き出す。

 

「やっと、一服出来たな……」

 

輝は満足気な表情で小さく呟くと、滑走路とそこから続く空を呆然と眺める。

 

「あっ……」

 

ふとサーシャに貸して貰ったマフラーを首に巻いたままだったことに気付く。

輝は早歩きでハンガーに入ると、中に設置されていた整備兵用の灰皿に煙草を押し付ける。マフラーを手に取り、鼻を近付けてみると僅かに臭った。

 

「……洗濯して返そう」

 

輝はポツリと独り言ちる。直後、誰かが発した大声が彼の耳朶を打った。

 

「孝美っ!?」

 

声はハンガー内を反響していたが、それとほぼ同時に聞こえてきた足音で声の主が自分の後ろにいることが分かり、背後へ振り返る。フライトジャケットを羽織り、首にマフラーを巻いたウィッチが輝の元へ駆け寄ってくるのが見えた。

 

「孝美じゃんか!なんだよ、もう来たのか!」

 

ウィッチは嬉しそうに声を弾ませる。顔立ちからして輝と同じ扶桑人。頬の絆創膏と癖のあるオカッパのような短い黒髪が印象的なその少女は、男でありながら少女と見間違う容姿をしている輝とは対照的に、まるで利かん坊タイプのヤンチャな少年のようにも見える。

 

「ラル隊長は、お前が来るのはまだまだ先だって……あれ?」

 

パァッと太陽のように輝いていた少女の表情が、途中から訝しげなものへと変化する。かと思えば、輝の服装をジロジロと観察し始めた。

 

「孝美、少し縮んだか?それに何で陸軍の制服なんて着て……」

 

再度輝と目を合わせた瞬間、人違いに気付いたらしい少女は言葉を止める。しばしの沈黙の後、彼女はぶっきらぼうな口調で輝に問いかけた。

 

「……誰だ、てめえ?」

 

「そりゃ、こっちの台詞だ」

 

これが扶桑皇国陸軍の雁淵輝准尉と海軍の管野直枝少尉。似た者同士な二人の出会いであった。




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第4話「配属初日」

改訂版4話です!


割り当てられた部屋のベッドで、輝は毛布にくるまっていた。春先とは言え、オラーシャはまだまだ寒い。防寒のため寝間着は長袖長ズボンのジャージを使っている。

真っ白なシーツに身を投げ、スゥ~スゥ~と小さく寝息を立てる姿は、やはり少女のそれである。

小柄で華奢な体格に女々しい顔立ち。ウィザードだが、ウィッチだと言われても十分通用する可愛らしい容姿の持ち主だ。変声期も遅れていて、輝本人にとって外見と並ぶコンプレックスになっている。

寝間着にジャージを選んだのも、単なる防寒目的だけでなく華奢な身体を隠したいからかも知れない。

 

(ん……朝?……)

 

うっすらと片目を開き、カーテンから漏れ出ている朝日を確認する。

まだ意識が殆んど眠りの淵に沈んでいる状態の輝は、壁に掛けられた時計へ細い目を向ける。室内が薄暗いためぼんやりとしか見ないが、短針が4時を示しているのが確認できた。起床時間まで、まだ一時間ほどある。

反対側へ寝返りを打って身体の向きを変えると、もう一眠りしようと目蓋を閉じる。それとほぼ同じタイミングでドアがギィと音を立てて開かれた。室内に何者かが侵入し、床を軋ませながら輝のベッドに近付いてくる。

 

(なんだ?基地の軍用犬が紛れ込んだのか?)

 

ろくに警戒もせず、輝は無視を決め込んだ。眠気に全身を支配された今の輝にとって、再び寝返りを打って侵入者の正体を確かめることすら億劫である。

 

(あれ?この基地に軍用犬なんていたっけか?)

 

輝が疑問符を浮かべていると、毛布がモゾモゾと動いた。

どうやら侵入者がベッドに入り込んできたらしい。さらに侵入者は、輝の身体を寝間着の上からまさぐり始めた。

 

「――っ!?」

 

寝間着越しに伝わる感触は明らかに犬猫の前足ではなく、人間の手だった。ハッとなった輝が身体を起こすよりも早く、侵入者が次の行動に出た。なんと耳元に唇を近付け、フゥと熱い吐息を吹きかけたのだ。

 

「うわぁああああああっ!?」

 

ゾクゾクとした悪寒が走り、輝は思わず飛び起きた。背後を振り返ると、寝間着に身を包んだ西洋系の美男子(?)がニッコリと形の良い唇で曲線を描いていた。

短めの金髪に健康的な褐色肌。着ている寝間着は一見ガウン状況だが、実は過去にガリアで扶桑ブームが起きた際に扶桑産の着物が持ち込まれ、一部の富裕層がガウンとして着ていた物から発展した着物風ガウンである。

しかし、彼(?)の着ているガウンはどういうわけか丈が異様に短く、まるで女性用だ。

 

「おはよう♪いや、初めましてが正しいのかな?」

 

と、目の前の西洋人(?)は右目を瞑ってウインクする。彼(?)が何者か。ペトロ・パウロ要塞に来て間もない輝には預かり知らぬことだが、502基地兵站群・運用群・飛行群・航空団幕僚のいずれかに所属する兵だということは容易に想像がつく。

ウィッチ隊を含め基地にいる将兵の殆んどは、着任したてである輝をよくは知らない。大方、彼を女と勘違いして夜這いをかけてきた不埒者だろう。

 

「て、てめぇええええっ!」

 

腹の底から怒声を張り上げた輝は、侵入者の男(?)に飛びかかった。両肩を掴むと、勢いを殺さずにグイッと相手を押し倒す。

寝込みを襲われかけたことはもちろんだが、女と間違われたことが何より許せない。心地好い眠りを邪魔された事実も相まって、ストライカーユニット回収中隊の新人は朝っぱらから怒り心頭である。

 

「おやおや、有無を言わさず押し倒すなんて。君って意外と大胆なんだねぇ♪」

 

ベッドに押し倒された侵入者の男性(?)は、輝の素早い反撃に対し、特に戸惑う様子は見せない。微笑を湛えた表情と、声楽家のように澄んだ声からは余裕すら感じられた。その飄々した言動が、輝をさらに苛立たせた。

 

「なんだ!?誰だお前!?一体何考えてやがる!?」

 

「もちろん、“ナニ”を考えていのさ♪」

 

「ふざけっ――」

 

――むにゅん!

 

「………………えっ?」

 

右拳を振り上げ、取り敢えず顔面に一発お見舞いしようとしたその時。相手の胸元に置いていた左手が何かを捉えた。

5本の指と手の平に伝わる柔らかい感触、得も言われぬ幸福感。その重々しい手応えは、男性の胸筋とは明らかに違っている。歳相応以上に育った女性の乳房そのものだった。

 

「お、お、お……女ぁああああああっ!?」

 

低めの声とボーイッシュなの口調から男だとばかり思っていたが、実際は中性的な外見の女性だった。よく見ると、ガウンの胸元から豊かな谷間を覗かせている。

まさか女とは思わなかった輝は、衝撃的な事実と故意ではなかったにしろ女性の胸を掴んでしまったことに激しく狼狽える。

そして、正しい性別が判明した侵入者は、その隙を見逃さなかった。

動揺するウィザードの両肩をガシッと掴むと、素早く身体を起こした。そのまま体重を掛けるようにして逆に輝を押し倒す。

 

「うわっ!?」

 

不意を突かれた輝は、驚きの声を上げる。彼に覆い被さったクルピンスキーは、輝のことを見下ろしながらにんまりと笑みを浮かべる。

 

「初対面の人間の胸を鷲掴みにするだなんて。いきなり飛ばしすぎじゃないかなぁ?でもまぁ、強引なのは嫌いじゃないよ♪」

 

と、女性は輝を逃がさぬよう彼の両手首をしっかりと掴んだ。ねっとりとした熱く、危ない眼差しで扶桑陸軍ウィザードを見つめている。

 

「では改めまして。初めまして、雁淵輝ちゃん♪僕はヴァルトルート・クルピンスキー。カールスラント空軍のウィッチで、階級は中尉。好きなものは、ブドウジュースと可愛い女の子♪伯爵って呼んでくれるかな♪」

 

「は、伯爵?って、そうじゃない!」

 

輝はブンブンと首を左右に振り、自分の中で優先順位の低い疑問を頭から追い出す。

 

「一体何の真似ですか中尉殿!?」

 

自然と敬語になった輝は、ベッド上で自分を拘束している上官殿に対し、抗議半分で問い質す。

身を捩りなんとか抜け出そうとするも、侵入者の女性――クルピンスキーの腕力は思いの外強く、ビクともしない。

 

「ふふ……」

 

クルピンスキーは答える代わりに短く笑声を立て、舌舐めずりをする。

その姿は、今まさに捕らえた獲物を喰らおうとする肉食獣のようにも見える。オラーシャ特有の肌寒さとは別由来の寒気が、輝の身体全体を駆け巡った。

 

「し、質問に答えて下さい!」

 

「いやぁ。来たばかりの新人さんと、お近づきになりたくてさ♪」

 

慄きつつも、上擦った声で再度問い掛ける輝の耳元にそっと唇を近付け、クルピンスキーは囁いた。

 

「大丈夫、優しくするから」

 

「――っ!?」

 

まずい、非常にまずい。このままでは目の前の伯爵を自称するケダモノに美味しく頂かれてしまう。

貞操の危機を感じて顔面蒼白となった輝はジタバタと暴れるも、それはやはり無駄な抵抗でしかなかった。

 

「そんなに抵抗しないで欲しいな。女の子に嫌がられるのって、すごく傷付くんだよ?」

 

「は、離せ!あんたは勘違いしている!俺は女じゃない、男だ!」

 

「またまたぁ~♪こんなに可愛い男の子、世界中の何処にもいないよ」

 

「嘘じゃない、本当だ!ラル少佐の執務室にある資料を見れば――」

 

「肉眼で確認したいな」

 

そう言って、クルピンスキーは輝のジャージに片手を伸ばした。左手一つで輝の両手首を器用に押さえたまま、右手でファスナーを開き、下に着ている白い布地のTシャツを露にする。

クルピンスキーは輝の身体に右手を這わせ、シャツ越しにウィザードの腹や胸撫で始める。

 

「ちょっ!マジで止めっ――」

 

「う~ん……」

 

――ドサッ!

 

「……えっ?」

 

突然、クルピンスキーは動きを止めた。かと思えば、全身の力が抜けたかのようにフラッと前のめりに――つまりは、輝に覆い被さる体勢で――倒れた。

 

「むぐっ!?」

 

クルピンスキーの胸元にある二つの双丘が輝の顔面に押し付けられた。

豊かに実った部位は、ボーイッシュな容姿を持つ彼女を歴とした女性だと証明してくれるが、同時に輝の口と鼻孔を強く圧迫し、彼を窒息させようとする。

 

「んっ……ぷはぁ!!はぁ……はぁ……!」

 

なんとかクルピンスキーとベッドの間から顔を出した輝は、酸素を求めて呼吸を荒くする。肌に触れる部屋の空気がやけに涼しく感じた。

すぐに近くにクルピンスキーの顔がある。輝の寝込みを襲っておきながら、彼女はスヤスヤと気持ち良さげに寝入っていた。

 

「んぅ……」

 

「ちょっと中尉!一体どう……って、酒くさっ!」

 

クルピンスキーの漏らした吐息は酒気を強く帯びていた。あまりに強烈なアルコールの香り、輝は堪らず顔を背ける。

床へ視線を移した輝は、部屋の床で無造作に転がっているワインボトルの存在に気付いた。

 

好きなものは、ブドウジュースと可愛い女の子♪――

 

「こんな朝早くから飲みやがって……」

 

酔い潰れた自称伯爵に対し、輝は額に青筋を浮かべつつ不平を漏らす。

自称伯爵とベッドの隙間からモゾモゾと這い出てようとして、輝は床に転がり落ちてしまう。立ち上がった際、彼の姿勢がやや前屈みに見えたのは気のせいではないだろう。

相手が美女とはいえ、ワインで酔っ払った上官に心地好い眠りを邪魔され、寝込みを襲われ、あまつさえ服を剥かれそうなった。今日まで14年間生きてきて最低最悪の朝だ。

起床時間までまだ時間があるが、最早二度寝する気など起きない。そもそもベッドは酔い潰れた伯爵様に占拠されてしまい、使用不可となっている。

チラッとクルピンスキーを見てみると、彼女はいつの間にか仰向けの状態で眠っていた。飲酒からくる眠気のせいで目蓋は半開き、顔の筋肉が全体的に弛緩している。 寝相で着物風ガウンも肌蹴けてしまい、迫り上がった乳房や肩部が露出しかかっていた。

 

「っ!?」

 

女性らしさを感じさせる肢体はとても魅力的だが、思春期の少年にとっては毒以外の何物でもない。

クルピンスキーの色香に当てられ、輝の顔は真っ赤になる。そそくさと制服に着替え、ポケットにタバコとオイルライターを突っ込むと、扶桑陸軍ウィザードは逃げるように部屋を後にした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数分後、宿舎廊下――

 

「あなたが陸戦ウィッチ部隊の新人ね?」

 

喫煙所を求め、宿舎内を彷徨っていた輝に何者かが声を掛ける。

声に反応して振り返ると、美しい銀色の髪を肩まで伸ばした小柄な少女が後ろに立っていた。着ている制服からして、カールスラント空軍の航空ウィッチだろう。

凛とした佇まいのその少女は、150cmを僅かに上回る程度と思われる低身長に狭い肩幅と、輝よりもさら華奢な体格をしている。

一見すると中学校上がりたての年齢にしか見えないが、艶のある桜色の唇は年上の色香を感じさせ、落ち着いた物腰と口調がアダルトな雰囲気を醸し出している。

 

「何だ、あんた?一体何処の幼女だ?」

 

「……あなたと同じ基地に配属されている幼女よ」

 

銀髪の少女は皮肉を軽くいなすと、輝に向かって敬礼する。

 

「カールスラント空軍第52戦闘航空団第4中隊所属、エディータ・ロスマン曹長よ。ここ502では教育係を務めているわ。これでも19歳なの、幼女呼ばわりはやめてもらえるかしら?」

 

「これは失礼しました」

 

“歳上を敬う”という扶桑の文化に習い、輝は非礼を詫びた上でロスマンに返礼する。

 

「扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊所属、雁淵輝曹ちょ……准尉です。ロスマン曹長、どうぞよろしくお願いします」

 

実に儀礼的な挨拶だった。ロスマンも気付いてはいたが、皮肉の件と同様不快感を露にすることはない。所謂歳上の――大人の余裕というものだろう。

 

「ええ、こちらこそ。ところで……」

 

「はい?」

 

「あなた、よく眠れなかったの?なんだか疲れているようだけど?」

 

「あなたの同僚のせいで目覚めが最悪だったものですから……」

 

と、輝は嫌味混じりに肩を竦める。彼の発言から何かを察したらしい、ロスマンは右手で額を押さえて溜め息を吐いた。

 

「ごめんなさい。偽伯爵が迷惑を掛けたみたいね……」

 

「に、偽?……」

 

「あの人は今何処に?」

 

「俺の部屋で寝てますけど?」

 

「そう……」

 

輝の言葉に小さく頷いたロスマンは、スタスタと彼の横を通り過ぎて行った。

クルピンスキーが寝ている輝の部屋へ向かったのだろう。だが優美な足取りとは裏腹に、彼女の後ろ姿からは強い怒気のようなものが漂っている。

 

「くわばらくわばら……」

 

怒りの矛先が自分に向いているわけでもないのに、輝の背筋に冷たいものが走る。

輝はロスマンの後ろ姿を見送りつつ、カタカタと震える手でポケットからタバコとライターを取り出した。

まだ喫煙所を見つけていないが、心を落ち着かせるために一服することにする。

 

「ふぅ~……」

 

咥えたタバコの先端に火を点ける。紫煙を燻らせながら窓際に寄り、輝は外の景色に目をやった。

いつの間にか東の空から朝日が昇り始めていた。ペテルブルグの街並みが朝焼けに照らされ、曙色のフィルターに染め上げられている。

 

「ああああああぁ~っ!タバコ吸ってるぅ~っ!」

 

「は?」

 

またもや背後から声が聞こえてきた。耳朶に突き刺さるような怒号。声からして、今し方輝と話をしたロスマンとは別の女性である。

輝は声が聞こえてきた方へ視線を走らせる。右手に濡れモップ、左手にバケツを持った少女が駆け寄って来るのが見えた。

青色のシャツと白い上着の制服に身を包み、茶髪を青色のリボンでツインテールに纏め、シャツやリボンと同じ色の美しい瞳を持っている。

埃避けらしき三角巾まで株っているので、てっきり基地の掃除係かと思ったが、それにしては着ている服が上等過ぎる。502部隊のウィッチだろうか。

 

「あなた!今、タバコ吸ってましたよね!?」

 

輝の傍までやって来ると、少女はズイッと顔を寄せながら輝に問い質す。女性特有の甘い香りが、扶桑陸軍ウィザードの鼻腔を擽る。

 

「あ、うん。吸ってたけど?」

 

「宿舎及び基地本部内は全域禁煙です!タバコのヤニで壁や窓ガラスが汚れてしまったらどうするんですか!?今すぐ消すか、外に移動してくださいっ!!」

 

「わ、悪かったよ!すぐ出てくから!」

 

可愛らしい容姿に似合わない少女の凄まじい剣幕に圧倒された輝は、すぐさま小走りでその場から立ち去った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ストライカーユニット回収中隊格納庫――

 

「まったく、何で朝からこんなに疲れなきゃならないんだよ……」

 

格納庫内に設けられた整備兵用の灰皿スタンド。そこにタバコの灰を落としながら、輝は眉間に皺を寄せてぼやく。灰皿には既に10本近い吸い殻が捨ててある。

タバコを美味いと思ったことは一度もない。輝が喫煙を始めた理由は、様々なコンプレックスからくるストレスの解消が目的だ。

扶桑陸軍の原隊にいた頃、上官や同僚達から「いくらなんでも吸いすぎだ」「身体に悪いぞ」と度々注意されていた。しかし、輝は一向に聞く耳を持たず、今では立派なヘビースモーカーである。

 

「何だ?朝っぱらから煙を撒いているのか?」

 

コツコツと軍用ブーツの踵を鳴らして近付いてきたのは、当基地において輝の上官となる陸戦ウィッチ――ストライカーユニット回収中隊指揮官のアウロラ・エディス・ユーティライネン大尉だった。

 

「そう言う大尉殿は朝っぱらから酒ですか?」

 

アウロラが左手に持っている酒瓶に目をやりつつ、輝は訊き返した。

どうやら新しい上官殿も、寝込みを襲ってきた伯爵様に負けず劣らず酒好きのようだ。

 

「お前にタバコが必要なように、私にもコイツが必要なんだよ♪」

 

そう言ってウインクすると、アウロラはボトルを持った左手を持ち上げ、そのままグビッとヴィーナを呷る。

 

「軍務に差し支えますよ?“スオムスの英雄”ともあろう陸戦ウィッチが飲酒事故なんて笑えない」

 

「心配するな。こんな水程度じゃ私は酔わない」

 

「水って……」

 

アルコール濃度35%の飲料を水呼ばわりする上官に、輝は呆れた様子で閉口する。

そんな彼を余所に、アウロラはどんどんヴィーナを片付けていく。これが東欧や北欧で英雄と名高いアウロラ・E・ユーティライネン大尉の素顔とは……。

輝のいた扶桑陸軍戦車第2師団にも彼女に憧れ、自らの手本としている装甲歩兵は多い。

だがその羨望の眼差しも、眼前のアウロラの体たらくを目にすれば幻滅へと変わることだろう。少なくとも、輝の中で彼女の株価は大暴落である。

 

「さてと……」

 

酒を飲み干したアウロラは、空となったボトルから口を離すと、近くのゴミ箱に放り込んだ。

いつの間にか回収中隊の面々が集まっており、アウロラの背後で整列していた。

アウロラの酒豪――アルコール中毒?――ぶりに気を取られていた輝は、その時はじめて新しい同僚達の存在に気付いたのだった。

 

「雁淵輝准尉、今日はお前の配属初日だ」

 

酒瓶を捨てた途端、キリッと表情を引き締めるアウロラ。輝も頭を切り換えた上官に習い、直立不動の姿勢となる。

 

「ということでまずは自己紹介から――」

 

「アウロラ大尉!」

 

スオムス陸軍の野戦服に身を包んだ男性兵士が、アウロラの言葉を遮りながら格納庫内に駆け込んできた。緊張した面持ちでアウロラの下へ駆け寄り、彼女になにやら耳打ちをする。

緊急の伝令のようだ。輝やストライカーユニット回収中隊の視線が中隊長と突然現れた男性兵士に集中する。

輝は後に知ったことだが、男性兵士は陸戦ウィッチ達を目的地まで移送する装甲車輌の運転手を務めるスオムス陸軍兵士とのこと。

 

「そうか、分かった。すまん皆、新人の紹介は後になった……」

 

男性兵士に頷くと、アウロラは陸軍ウィッチ達に向き直って告げる。彼女の表情は、部隊を取り仕切る指揮官のものに変わっていた。

 

「全員ユニットを履け!ストライカーユニット回収中隊、出撃だ!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

約2時間後、ペテルブルグより南東へ約80キロメートル地点――

 

第502統合戦闘航空団司令――グンドュラ・ラル少佐より、アウロラ・E・ユーティライネン大尉率いるストライカーユニット回収中隊へ出撃命令が下された。内容は無論、前線で墜落した502ウィッチの救助及びストライカーユニットの回収である。

輝は、他の陸戦ウィッチ達と共にカールスラントの中型装甲兵員輸送車『Sd.Kfz.251/1』に乗り込んでいた。同じ車輌には、彼の他に4名のスオムスの陸戦ウィッチ――中隊長のアウロラ、隊の副長的立場のレーヴェシュライホ少尉、隊員のテッポ、ハロネン――が搭乗している。

後方には同型の車輌がもう1輌。乗員は装甲歩兵ではなく、ストライカーユニットの回収作業を行うスオムス陸軍の兵士が10名。

さらにオラーシャがリベリオンのトラックをベースに自国で生産した『ZIS-5』が一台続いている。ZIS-5は、オラーシャがリベリオンのトラックをベースに自国で生産したもので、ストライカーユニット回収中隊においては回収したストライカーの輸送に使われている。

お世辞にも乗り心地が良いとは言えないハーフトラックのベンチシートに腰掛けた輝は、愛機である九七式中型装甲脚“チハ”の駆動部と武装のチェックを黙々と行っていた。

陸戦ストライカーユニットは、飛行脚と違って空を飛ばない。同じ宮藤理論を採用してはいるが、こちらは陸を駆けるための装備である。

人間の身体で言うところの脛に当たる部分には、戦車の無限軌道に酷似した機構が存在し、これを回転させることにで魔法力を増幅させる。

この機構は魔導エンジン冷却と魔力伝達の関係上、剥き出しになってしまう。

故に、戦闘に起因する損傷はもちろん、最悪の場合は何もしなくても故障が起きるので整備が欠かせない。

同時に武装のチェックも行う。輝が使っているのは、一式47mm対ネウロイ砲だ。口径が47mmあるわけではない。mmはmagic mass(魔法質量)の略であり、火力は歩兵用の銃器に改修を施したものが多い航空歩兵用の武装を上回っている。

陸戦ネウロイの装甲も撃ち抜くことができるのだが、性能面ではチハ共々他国――特にカールスラント、ブリタニア、リベリオン、オラーシャ等――の装甲歩兵用の装備に大きく水を開けられている。

より新型の四式中装甲脚“チト”や、チトの繋ぎとして開発した三式中装甲脚“チヌ”も、対ネウロイ戦の影響で恐竜進化を続ける連合軍各国の陸戦ストライカーには及ばない。

データをフィードバックして開発した九七式中戦車に至っては、中型以上の陸戦ネウロイに歯が立たなくなってしまっている。

輝自身、対ネウロイ戦におけるチハの限界を痛感しており、アウロラ達が使っているIII号突撃装甲脚G型を羨ましく思っている。

 

「大尉、これから救出に向かうウィッチは――」

 

「ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン、愛称は“ニパ”。スオムス空軍曹長で……まぁ、私の妹みたいなものだ」

 

向かいの席に座るアウロラが、これから救助するウィッチについて簡潔に説明する。しかし、それは輝の訊きたいことではなかった。

 

「そのカタヤイネン曹長は、ネウロイに撃墜されたんですか?」

 

「いいや、早朝の哨戒飛行中にエンジントラブルが起きたそうだ」

 

「エンジントラブル?」

 

「何でも、ストライカーの冷却器にカオジロトンボが大量に混入したらしい……」

 

「…………何ですか、それ」

 

常識的に考えて、絶対にあり得ない墜落原因。輝は目を丸くする。

 

「まぁ、運がないというかなんというか……そういうやつなんだ。墜落地点は先日の哨戒飛行で多数の陸戦ネウロイが確認された地域。しかも現在502のウィッチ隊は、モスクワ方面から接近している飛行型ネウロイの対応で忙しく、空からの援護は期待できそうもない」

 

「初日早々前途多難ってわけですね」

 

輝はうんざりしたように呟くと、空を仰ぐ。瞳に映るオラーシャの空はすっかり明るくなっていたが、それで気が楽になるわけでもない。

一方のアウロラは、早くも新参者の実力を見定める機会が巡ってきた、と内心思っているようで薄く笑みを浮かべていた。

 

「きた――」

 

中隊長殿が新人に「期待しているぞ」と、声を掛けるよりも早く、ストライカーユニット回収中隊の車列に鮮血の光条が殺到した。




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第5話「三毛猫と雪イタチ」

改訂版5話です!


「……じん……新人っ……起きろっ!新人!」

 

「う……う~ん……」

 

誰かが耳元で声を張り上げている。眠りの淵にいた扶桑皇国陸軍の装甲歩兵――陸戦ウィザード――雁淵輝准尉は、自分の鼓膜に突き刺さる声の主が十代半ばほどの少女であることをすぐに理解する。

それに加え、人の声とは別の轟音が輝の周囲に響いていた。

鬱陶しく感じながらも、扶桑陸軍ウィザードは重たい目蓋を開いて、相手の顔を確認する。

 

(この人、誰だ?)

 

目を開けた輝は、スオムス陸軍の野戦服を纏った北欧系の美少女を視界に捉えた。どこかで見たような顔だが、名前が思い出せない。

記憶を辿りながらぼーっと少女を見つめていると、扶桑陸軍ウィザードの頭目掛け、強烈な平手打ちが飛んできた。

 

「い゛っ!?」

 

「おいっ!いい加減目を覚ませ!死ぬぞ!」

 

頭蓋を通して脳へと響く痛みと衝撃で、一瞬のうちに輝は覚醒する。

苦悶の表情を浮かべて頭を持ち上げると、自分と少女が横倒しになっている中型装甲兵員輸送車『Sd.Kfz.251/1』の影に隠れていること。木々の葉や枝に雪が積もった森林の中にいることを理解する。

一方で、何故自分がこんなところで寝ていたのか。状況を完全に把握出来ていない輝は、ぐるりと首を巡らせる。

彼と少女のほぼ真横の位置にもう一台の『Sd.Kfz.251/1』が同じく横倒しになっているのが見えた。

スオムス陸軍兵が6名、車輌の影に身を潜めている。負傷者もいるようだ。すぐ後ろでは輸送トラック『ZIS-5』が大破炎上している。

運転席から引っ張り出された二人の運転手が別の兵士に介抱され、傍らにはスオミM1931短機関銃を手に持った兵士がもう二人確認出来た。

 

「よし、起きたな!ほら、お前のだろう?」

 

そう言って北欧系美少女は、扶桑の一式47mm対ネウロイ砲を手渡す。

訳が分からぬまま受け取った輝だったが、すぐさま自分の武装であることを理解する。

やたら足が重い気がして目をやれば、『九七式中型装甲脚“チハ”』を装備していた。

 

(そうだ!502ウィッチの救助に向かって、それで……)

 

漸く気を失う前のことを思い出した輝は、状況を把握するため、『Sd.Kfz.251/1』の影からそっと顔を出す。

第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』補助部隊・ストライカーユニット回収中隊に配属された輝は、新しい同僚の顔と名前を覚える暇もなく、墜落した502ウィッチの救助及びストライカーユニットの回収任務に参加することとなった。

スオムス歴戦の勇士であるアウロラ・エディス・ユーティライネン大尉の指揮の下、中隊はそれぞれ機械化装甲歩兵と機械化歩兵が搭乗した二輌の『Sd.Kfz.251/1』。回収したストライカーユニットを運搬するための『ZIS-5』一台で車列を組み、哨戒飛行中エンジントラブルで墜落したニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長の元へ向かっていたが、途中で陸戦型ネウロイ群の強襲を受けてしまう。

ビームの集中砲火によってトラックを破壊され、装甲兵員輸送車は揃って転倒し、車列は崩壊。装甲歩兵と機械化歩兵の面々は雪化粧の施されたオラーシャの大地へ投げ出されていた。

この時、輝は地面に頭を強く打ってしまい、ほんの数分であるが気を失っていた。彼を叩き起こしたのは、中隊の副長的存在であるレーヴェシュライホ少尉だ。

 

(結構いるな……)

 

正面には数m程の小型が多数と、コアを有しているであろう中戦車サイズの中型ネウロイが数体。まるで餌を見つけた蟻のように地を這い、回収中隊に迫る。

黒光りする四足歩行の物体が群れを成して蠢く様は、人間の生理的嫌悪感と本能的な恐怖心を煽るものだった。

中隊長のアウロラ、テッポ、ハロネン――三人の陸戦ウィッチが応戦し、押し寄せるネウロイ群を次々と破片に変えている。さすが“スオムスの英雄”と言うべきか。アウロラは既に中型ネウロイの大半を撃破している。

同行していたスオムス陸軍兵の殆んどが、負傷者の対応に終われていたが、手透きの二人組がカールスラント製の対ネウロイロケット発車器『RPzB54“パンツァーシュレック”』を構え、群より突出した小型ネウロイの相手をしていた。彼らが防護壁代わりにしている『Sd.Kfz.251/1』は装甲防御に優れ、多少の攻撃ではビクともしないだろう。

また、小型ネウロイは攻撃力と防御力が低く、再生能力を持たない。魔法力が使えない歩兵でも、小銃ないし機関銃による集中砲火や重火器で対処が可能だ。しかし、動きが素早いため、“パンツァーシュレック”の弾頭を当てるのは困難である。

 

「待て、雁淵准尉!」

 

完全に出遅れてしまった輝。前に出て、アウロラ達に加勢しようと身を起こした彼の肩をレーヴェシュライホが掴んだ。

 

「お前は戦場を迂回し、カタヤイネン曹長の救出に迎え!ネウロイは私達が引き受ける!」

 

輝の耳に顔を寄せ、声を張り上げるレーヴェシュライホ。銃声や砲声、爆発音が轟く戦場でも聞こえるようにとのことだろうが、耳元で怒鳴られた輝は不快そうに顔を歪める。

 

「俺1人で……ですか?」

 

念を押すように輝が訊くと、レーヴェシュライホは「隊長の指示だ!」と前置きした上で言葉を続けた。

 

「事は一刻を争う!カタヤイネン曹長が墜落した場所はすぐ近くだ!彼女も襲撃されているかもしれない!」

 

輝達が向かっていたカタヤイネン曹長の墜落地点。それはネウロイの群れの向こう側だった。曹長が敵に発見されている可能性は極めて高い。

墜落したことで、ストライカーユニットは損傷し、カタヤイネン曹長も負傷しているはずだ。ネウロイから自分の身を守れるはずもない。レーヴェシュライホの言う通り、一刻を争う事態だ。

自分に白羽の矢が立った理由を輝が知る由もない。もしかすると、チハの性能がIII号突撃装甲脚に見劣りすることや、輝にとって回収中隊の一員としての初陣ということであまり期待されていないのかもしれない。

 

「この際ストライカーは放っておけ!カタヤイネン曹長の救助が最優先だ!分かったら、早く行け!」

 

「り、了解!」

 

レーヴェシュライホに急かされ、輝はネウロイと逆方向に陸戦ストライカーユニットを走らせた。

持ち主と共に地面に叩きつけられはしたものの、問題無く稼働している。それだけはありがたかった。

チラッと振り返り、交戦中の味方とネウロイが見えなくなったところで輝は進路を変更し、カタヤイネンの曹長の元へ向かう。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ストライカーユニット回収中隊とネウロイの交戦地域より南へ数キロ地点――

 

(うぅ……何で、こんなにツイてないんだよぉ……)

 

ひとりの少女が雪で白く染まった茂みに身を潜め、自らの不幸を嘆いていた。

彼女はニッカ・エドワーディン・カタヤイネン――愛称は“ニパ”。スオムス空軍所属の航空ウィッチで、階級は曹長。原隊であるスオムス空軍第24戦隊第3中隊を離れ、連盟空軍第502統合戦闘航空『ブレイブウィッチーズ』に参加している。

スオムス空軍でも屈指の技量と撃墜数を誇るエースウィッチなのだが、同時に呪われているとしか思えないような不幸体質の持ち主でもあった。

床にトーストを落とせば、必ずジャムやバターを塗った側が下になる。

道を歩けば、通りかかった車に泥水を掛けられる。或いは不注意で溝に片足を突っ込む。

ランニングコースとなっている基地の堡塁の上を走れば、鳩が彼女の頭目掛けてフンを落とす。

たまの休日に街へ出掛ければ、ペンキたっぷりの缶が頭上から降ってくる。

ストライカーを履いて空を飛べば、戦闘が無くとも何らかの理由でユニットが火を吹き、墜落する等々。不幸話に事欠かず、ある意味才能と言えるレベルだ。

今日も今日とて。哨戒任務中にストライカーユニットのエンジントラブルが原因で墜落、飛行不能となる。

不幸中の幸いと言うべきか。積もった雪がクッションになり、空から地面へ落下したにも関わらずニパは軽症で済んだ。服もストライカーもボロボロだが、傷は固有魔法の『超回復能力』を使って自己治癒できるため、余程重傷でなければ大事には至らない。

ニパは、ゆっくり傷を癒しながら502部隊のウィッチ達、もしくはストライカーユニット回収中隊が救助に来てくれるのを大人しく待てばいい……はずだった。

 

――ザクッザクッ!

 

(また来た!)

 

雪面を踏みつける足音がニパの耳に突き刺さる。彼女を付け狙う何者かが、ずっと前から周囲を徘徊していた。

程無くして、腹に巨大な砲塔を抱えた四本脚のシルエットが彼女の眼前を横切る――大型の陸戦ネウロイだ。神は無情にも、不運に見舞われたスオムスウィッチの元へ死神を遣わしたのだ。

カールスラント陸軍の重戦車を上回らんばかりの巨体を目の当たりにして、不安と恐怖に駆られるニパの頬に嫌な汗が滲む。

息を殺してジッとしていると、大型ネウロイは木々の奥へと消えて行った。取り敢えずは助かったらしい。

ニパはホッと胸を撫で下ろした。墜落してから、もうずっと緊張と安堵の繰り返しだった。

 

(どのくらい誤魔化せるかな?5分?10分?)

 

陸戦ネウロイは明らかに自分を探している。遠くより響いてくる足音に怯えながら、ニパは必死に考えを巡らせた。

おそらく、一生分の幸運を掻き集めて30分といったところだろうか。不幸体質とはいっても、ニパは悲観主義者というわけではない。

しかし、どうしても助かるイメージが湧いてこない。彼女の置かれている状況は、それほど絶望的だった。

ストライカーユニットとインカムは故障し、主兵装として装備していたMG42も紛失してしまっている。

サイドアームの拳銃は残ってるが、大型ネウロイ相手では豆鉄砲もいいところ。

しかも敵はニパを見つけられずいながらも、彼女が隠れている茂みの半径100メートル以内から出ようとしない。獲物を逃がすまいと、周囲に目――ネウロイに目はないが――を光らせている。

一歩でも茂みの外へ出ようものならすぐに見つかり、大出力ビームによって瞬時に原子レベルまで分解されるだろう。

戦うことも、飛ぶことも、味方と連絡を取ることも、走って逃げることも出来ない。

 

(アウロラねーちゃん……来てくれるよね?)

 

ホルスターから取り出したL-35を握り締めながら、ニパは自分を可愛がってくれている陸戦ウィッチの顔を思い浮かべる。

ニパは同じスオムス出身のアウロラを「ねーちゃん」と呼び慕っている。

二人は姉妹同然に仲が良いが、ファミリーネームを見て分かる通りアウロラとニパに血縁関係はない。

世界最高峰の陸戦ウィッチであるアウロラには、航空ウィッチの妹がいる。スオムス空軍のトップエース――エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。愛称は“イッル”。エイラは現在、スオムスを離れ、ブリタニアの第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』へ派遣されている。

ニパとは同じ第24戦隊第3中隊に所属していた親友で、アウロラもまたニパを二人目の妹のように可愛がっている。

エイラがアウロラを「ねーちゃん」と呼ぶのが羨ましかったニパは、いつしか自らもそう呼ぶようになっていた。

 

「おい、あんた」

 

「ひっ!?」

 

不意に背後から何者かの声が聞こえた。聞き覚えない声だ。

突然のことに驚いたニパは短い悲鳴を漏らし、肩をビクッと跳ね上げる。

 

「バカッ!声を出すな!」

 

「ムグッ!」

 

叱責と共に、やや乱暴な動作でニパの口が塞がれる。ネウロイが付近を徘徊している状況下で、彼女は不用意にも声を出してしまった。気付かれたかもしれない。

 

――ザクッザクッ!

 

(見つかった!?)

 

重量感のある足音が近付いてきた。ニパの心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。

 

「静かに。大丈夫だ、やり過ごせる」

 

そっと耳元に囁かれたニパは、チラッと背後に目をやる。背後にいたのは目麗しい容姿をした扶桑系の美少女(?)だった。

 

(うわぁ、綺麗な人だな……)

 

ニパはポッと頬を染め、初対面の美少女(?)の顔に見とれる。

北欧系のニパと比べて鼻は低いが、顔立ちは全体的に整っている。茶色の髪は短めに切り揃えられていて、ボーイッシュな印象を受ける。

よく見ると、頭部には使い魔のものらしき猫耳が発現していた。

小柄で華奢な身体には不釣り合いな扶桑陸軍の制服を身に纏い、両足には扶桑製の陸戦ストライカーユニットを装備している。

専門外のニパにはストライカーの名前まではわからないが、彼女(?)が扶桑陸軍に属する装甲歩兵だというのは理解出来た。

 

「?」

 

(あ、ヤバッ!?)

 

視線に気付いた少女(?)が見つめ返してきた。ニパは反射的に目を逸らす。

疚しいことなど何もない。だが、ニパは何故か悪いこともしくは恥ずかしいことをしてしまったような気分になった。

羞恥心から顔に熱が加わり、スオムスウィッチの頬が一層赤くなる。オラーシャのひんやりとした空気が、火照った顔に心地好い。

隙間から茂みの外を窺ってみると、ネウロイがこちらに戻って来ていた。四本の細長い脚を踊らせながら、ターゲットであるニパを探している。ニパと少女(?)は、息を殺してネウロイの動きを観察する。

やがて、目標が見当たらないことに気付いたのか。ハニカム模様の刻まれた漆黒の巨体は、先程とはまた違った方角へ移動し始め、木々の向こうへと去っていった。

 

「はぁ~……」

 

墜落してから、もう何度目かの命拾い。ニパの口から大きめの溜め息が漏れ出る。

ホッとした様子のスオムスウィッチに、少女(?)が小声で訊いてきた。

 

「あんたが、502のカタヤイネン曹長か?」

 

「えっ?あ……う、うん」

 

ニパは身体を180度回転させ、自分の背後に突然現れた見知らぬ少女(?)と向き合った。

 

「えっと……スオムス空軍曹長で、第502統合戦闘航空団所属のニッカ・エドワーディン・カタヤイネンです」

 

と、ニパは簡単な自己紹介をした。茂みの中で身を屈めたまま、生真面目に敬礼する。

 

「俺は雁淵輝。扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍戦車第2師団機械化装甲歩兵第2大隊からペテルブルグ基地へ派遣された装甲歩兵で、階級は准尉だ」

 

「やっぱり、扶桑陸軍の人なんだ……けど、なんで扶桑の装甲歩兵の方がここにいるんですか?」

 

首を傾げながら、ニパは重ねて訊ねる。輝の原隊――第一方面軍が人類統合戦線に参加し、欧州に駐留していることは彼女も知っている。

だが、東部方面統合軍総司令部直属部隊である502の担当戦域に、扶桑陸軍の装甲歩兵がいる理由が思い付かない。

扶桑陸軍欧州第一方面軍は、スオムス軍最高司令官――クラウス・グスタフ・エーリク・マンネリヘイム元帥指揮する北部方面統合軍に組み込まれ、カレリア方面で防衛戦を展開しているはずだ。

いくら優秀なウィッチ・ウィザードを多数擁する扶桑軍とはいえ、機甲部隊と並ぶ――実質的には、それを上回る――主戦力である装甲歩兵を、ペテルブルグ方面へ派遣するだけの余裕が果たしてあるのか。と、ニパは疑問を抱いた。

 

「転属だよ」

 

「転属?」

 

と、輝はぶっきらぼうな口調で質問に答えた。それをニパが鸚鵡返しする。

 

「ラル少佐あたりから聞いてないか?ストライカーユニット回収中隊に欠員が出たから、俺が呼ばれたんだよ」

 

「あ、なるほど……」

 

納得したニパはポンと手を叩く。そういえば一昨日あたりアウロラから、「人手が足りないスオムス陸軍の代わりに扶桑の陸軍が追加の人員を送っくれた」という旨の話を聞いていた。

ちなみに、アウロラはニパと世間話する際も酒盛りをしていた。

 

「そういえば、アウロラねーちゃんは?無事なの!?」

 

「詳しい話は後だ。まずは、この状況を何とかしないとな……」

 

そう言って輝は、ネウロイが去っていった方向へ目をやる。ニパもつられて視線を動かす。

陸戦大型ネウロイの姿はうっすらとしか見えないが、ザクザクと雪を踏みしめる音が聞こえてくる。やつは諦めていない。

輝が合流したことで、 ニパの不安と恐怖は大分軽くなった。しかし、危機的状況に変わりはない。

 

「何とか、なるかなぁ……」

 

「どうせ逃げられやしないんだ。死にたくないなら戦うしかねぇだろ?」

 

「まさか、あいつと戦う気?」

 

「やつをブッ潰さなきゃ基地には帰れない、腹決めろ」

 

ネウロイを双眸で捉えたまま、輝は弱気なニパを叱咤する。

輝が気付かれずニパと合流できたのは、奇跡と言っていい。茂みから出ようとすれば、今度こそ見つかる。

ニパを抱え、全力でこの場から逃げ切ることも考えたが、それを見逃してくれるほど敵は甘くないだろう。

2人が安全圏へ離脱する前に、巨砲から迸り出る熱線に晒され跡形もなく消し飛んでしまう。

ならば戦うしかないが、あの大型陸戦四脚ネウロイは非常に厄介な相手だ。

昨年、西部方面総司令部が実施したガリアのノルマンディー地方上陸作戦時に同じタイプのネウロイ群が、揚陸部隊の第一陣として上陸したカールスラント及びリベリオン陸軍の機甲部隊と交戦していた。

報告によれば、連合軍の大艦隊による艦砲射撃を物ともしない再生能力。カールスラントが誇る88ミリ砲でも容易には貫通出来ない重装甲。人類連合軍のトーチカなどを一撃で粉砕する圧倒的火力と、何処をとっても化物じみている。

ストライカーユニットと武装の殆んどを失った航空ウィッチと、他国に比べて貧弱な装備しか持たない装甲歩兵の2人組では勝ち目が薄い。

 

「……どうする気?」

 

と、ニパが訊く。不安ながらも意を決し、輝の案に乗ることにしたらしい。

対する扶桑陸軍ウィザードは、薄ら笑いを浮かべながら質問に応える。

 

「ここに来る途中、俺達は奴らの奇襲を受けた。そいつをそっくりそのまま返すのさ」




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第6話「初陣とサウナと季節外れの紅葉」

改訂版6話です!


1944年4月初頭、オラーシャ帝国

 

東部戦線の要衝――ペテルブルグより南東へ数十キロ進んだ先にある森林地帯。

雪化粧の施された多種多様の落葉樹林が生い茂るこの場所で、スオムス陸軍の装甲歩兵を主力とした部隊が陸戦小中型ネウロイ群と交戦状態に入った。魔法力を帯びた銃弾に砲弾、血のように赤い閃光が絶えず放たれ、弾雨となって降り注いだ。

爆音や衝撃がオラーシャの大地に響き、揺らしては寒空へと吸い込まれ、消えていく。

ネウロイの奇襲を合図に始まった戦闘は戦術レベルながら激しいものだった。

白銀によって彩られた美しい自然風景の中で繰り広げられる魔女と異形の戦い。

その主戦場から数キロ離れた雑木林では、スオムス空軍の航空歩兵と、扶桑陸軍の装甲歩兵の二人組が茂み中に身を潜めていた。

 

「…………」

 

そのうちの一人。スオムス空軍から連盟空軍第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』に派遣されている航空ウィッチ――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長は、右手にスオムス軍制式採用自動拳銃L-35。左手には、扶桑陸軍の破片手榴弾『九七式手榴弾』を握り締め、小動物のように震えていた。

視線を地面に落としながらも、不意にネウロイの気配を感じてハッと顔を上げる。

茂みの外には、この短時間で見慣れた白銀に染まった森林風景が広がるだけで、自分達を付け狙っている陸戦大型ネウロイの姿はなかった。

気のせいであったこと理解し、スオムスウィッチはホッと胸を撫で下ろす。

 

「しっかりしろ……」

 

ふと他者の声がニパの耳朶を叩いた。それはつい先ほど知り合い、同じ茂みの中に身を隠している隣人が発した囁き声だった。言葉遣いはぶっきらぼうながら、叱責とも激励とも受け取れるものであった。

彼の名は雁淵輝。扶桑皇国陸軍欧州第一方面軍から、第502統合戦闘航空団補助部隊――ストライカーユニット回収中隊へ派遣されている装甲歩兵。転属前の階級は曹長だが、502への異動に伴い准尉へ昇格している。

中隊指揮官のアウロラ・エディス・ユーティライネン大尉の命で、戦闘区域で墜落したニパの救出とストライカーユニットの回収に赴いた輝は、この雑木林でネウロイに捕捉された彼女と合流したのだった。

余談だが、ニパが左手で握っている九七式手榴弾は、主兵装備のMG42を紛失した彼女と不憫に思った輝が与えたものだ。

 

「けど、本当に上手くいくの?」

 

ニパが震える声で不安を吐露する。額には冷や汗が滲んでいた。二人の周辺には本隊とはぐれたらしい大型陸戦四脚ネウロイ――人類側の通称は『クモ』――が徘徊している。

敵の狙いはニパだ。姿を見失って随分経ったにも拘わらず、陸戦ネウロイは諦める様子もなく、未だに彼女を探し続けていた。

オラーシャの深い森林と4月に入っても残っていた積雪が、ストライカーユニットを損傷し、墜落したスオムスウィッチの隠れ蓑となり、ここまで生き延びさせていたのだ。

 

「…………」

 

輝は何も答えず、茂みの外に鋭い視線を向けていた。その手には両足に纏っている扶桑皇国陸軍の陸戦ストライカーユニット――九七式中型装甲脚“チハ”の主兵装『一式47mm対ネウロイ砲』が握られているが、ニパと合流するまでに小型ネウロイの一団と交戦したため、弾は一発しか残ってない。

他に武器といえば、ニパに渡した九七式手榴弾とリベリオン製のスモークグレネード。そして普段から護身用とさして携帯している自動拳銃M1910。大型ネウロイを相手取るには心許ない。

せめてチハの副兵装である九七式7.7mm機関銃があれば……。

逃げることも考えたが、いくら陸を駆ける装甲歩兵とはいえ、人ひとりを抱えてネウロイから逃げ切るのは不可能に近い。茂みから出た途端に大火力のビームによって蒸発してしまうだろう。

加えて、味方の前線まで距離にしておよそ10キロはある。ならば、と輝が提案したのが奇襲だった。

大型ネウロイはその細長い脚で積雪を踏みつけ、同じ場所を何度も行ったり来たりしている。いずれは輝達の近くに必ず戻ってくるだろう。

やつが至近距離まで近付いたら、陸戦ストライカーユニットを緊急始動して即座に接近し、一式47mm砲による零距離射撃を見舞う。それが輝の思惑だった。

他国の対ネウロイ砲に比べて火力不足とされている47mm砲だが、砲弾は装甲歩兵の魔力を纏っている。

至近距離で叩き込めば撃破は無理でもコアを露出させることぐらいは出来るはずだ。

コアが剥き出しになればもうこっちのもの。ネウロイの心臓部であり、最も脆い箇所である赤く輝半透明の十二面体。威力の低い拳銃の弾でも弾装一つ分の数を叩き込めばコアを破壊出来る。

それでも足りない場合は、輝がネウロイの注意を引いている隙にニパが手榴弾もしくは自身の拳銃でコアを攻撃する算段だ。いち兵隊が立てた即席の作戦にしては上等だろう。

 

「…………なんだよ、感じ悪い」

 

輝の態度気に入らなかった――無視されれば誰だってそうだろうが――のか。ニパはムスッとして不満を零した。皮肉なことに。輝の素っ気ない対応が結果的にニパの緊張を解したのだった。

扶桑の装甲歩兵とスオムス航空歩兵は、祈るような気持ちでチャンスを待っていた。

この奇襲を成功させるためには、殆ど鼻っ面までネウロイを引きつける必要がある。

時間はゆっくりと過ぎていく。時が進むにつれ、1分が永遠にも思えてきた。気が付けば、雪を踏み締める足音も聞こえなくなっていた。

ニパの脳裏に「ネウロイは諦めたのでは?」という考えが過った。輝も同じことを考えたが、すぐに「いいや」と頭を振る。

ネウロイからしてみれば、ストライカーユニットを駆るウィッチ・ウィザードは空陸問わず天敵と呼べる存在であった。

人類と敵対する異形の軍にとって、魔法力を有する少年少女は大きな脅威なのだ。見逃してくれるはずがない。

 

「――っ!?」

 

ふと輝の肌が粟立った。それと同時に雪の上を進む足音が聞こえてきた。ネウロイだ、陸戦ネウロイが来たのだ。

47mm砲を握る輝の手に力が込もる。音を聞いたり目で見る前に気付けたのは、陸戦屋独特の勘というもの。

 

「ひっ!?」

 

隣にいるニパが小さく短い悲鳴を上げる。それに応えるかのように、ネウロイはゆったりとした速度で少しずつ接近してくる。

先程までの大股染みた動きとは打って変わり、雪の感触を噛み締めるかのように低速で進んでいた。

罠の気配を感じ取ったとでもいうのだろうか。だが、それでもネウロイは確実に二人の方へ近付いている。

木々に紛れているとはいえ、距離的にいつ見つかってもおかしくなかった。

すぐにでも飛び出したい衝動に駆られながらも、輝はそれをグッと飲み込む。

程無くして、陸戦ストライカーならば一瞬で詰められるほどまで距離が縮まった。どうやら勝利の女神は輝達に味方したらしい。

 

「今だっ!」

 

輝はネウロイの足下目掛け、スモークグレネードを放り投げた。

突然発生した煙幕に驚いたのか、ネウロイは独特の悲鳴を上げて動きを止める。

続いて、“チハ”に搭載された魔導エンジンが輝の魔法力を受けて始動する。生き物の咆哮のように力強いエンジン音が静寂な樹林に響き渡った。

茂みから勢い良く飛び出した輝は、ネウロイに目掛けて突撃を敢行する。

向かって来る自分の存在に気付き、振り向くネウロイの動きが輝からはスローモーションに見えた。

狙うのは胴体下部に備えられた巨大砲。自分を焼き払おうと旋回した砲塔から閃光が放たれるより速く、輝はネウロイの下部に潜り込む。

巨大砲にい一式47mm対ネウロイ砲の砲口を押し付け、トリガーを絞る。

ビームが発射されるよりも先に47mm砲が火を吹く。魔法質量弾の接射を受け、過負荷に耐えられなかったネウロイの砲塔は爆発を起こした。

悲鳴を上げるネウロイ。漆黒の装甲を構成していた金属は飛び散り、そのいくつかが輝の皮膚と衣服を掠める。

硝煙とネウロイから発せられた水蒸気――のような白い煙――が晴れると同時に、赤い光を放つ半透明の十二面体が輝の視界に現れた。

 

(勝った!)

 

そう確信した輝はすぐさま47mm砲を投げ捨て、ホルスターからM1910を引き抜いてコアに向ける。リベリオンの西部劇に登場するガンマン並みの素早い動作だった。

しかし、コアに銃弾を撃ち込もうとしたその瞬間。ネウロイの黒い脚が、目にも止まらね速さで輝に向かって飛んで来た。

蹴りだった。履帯で走る人類側の戦車には無い攻撃方法だ。

 

「危ないっ!」

 

つい先程まで身を置いていた茂みから悲鳴にも似たニパの叫び声が上がる。

おかげでネウロイの蹴りに気付くことが出来た輝は、左手を使って魔力シールドを展開する。

飛行に魔力を回さなくていい装甲歩兵は、航空歩兵よりも強力なシールドが張れる。なのだが、咄嗟のことが展開が不完全だったためか。衝撃を殺し切れず、輝の小さな身体は数メートルほど吹っ飛ばされてしまう。

大地と激突し、凄まじい衝撃と激痛によって、輝の意識が一瞬飛ぶ。

 

「雁淵准尉っ!」

 

ニパが茂みから飛び出してきた。危機に陥った輝を救うため、右手に握ったL-35を発砲しながらネウロイに向かって突進していく。

しかし、ネウロイは無謀な突撃を行うニパにも、己の身体に当たり、パチンコのように弾かれる9mm×19mm弾にもなんら反応を示さず、輝にジリジリと躙り寄っていた。

余程さっき奇襲が頭にきたらしい。ネウロイに生物的、人間的な感情があるかはわからない。だが、ニパにはそう思えた。そして、輝の元まで来たネウロイは前脚を振り上げ、彼を踏み潰そうとした。

 

「やめろぉ!」

 

怒号と共に、ニパは全弾撃ち尽くしたL-35を投げ捨てた。利き手に持ち替えた九七式手榴弾のピンを咥えて引き抜くと、ネウロイの下部に放り込んだ。

扶桑陸軍の九七式手榴弾は他国の標準的な破片手榴弾に比べて炸薬量が少なく、威力は低い。

しかし、装甲歩兵用の物は対ネウロイ砲や航空歩兵用の対物ライフル弾及びロケット弾等に使用されている魔法弾のように特殊な儀式を施されて威力を向上させている。

そのため、陸戦ネウロイに有効打を与えることが出来た。もちろん、コアの破壊も容易であるのだが……。

 

「雁淵准尉!シールド張って!」

 

ニパが続けて叫ぶ。輝は爆発の衝撃と飛散する破片から身を守るべく、彼女の指示に従ってシールドを展開する。

九七式手榴弾の遅延時間は4、5秒。輝とニパはシールドを張り、起爆の時を待った。が、10秒過ぎても九七式は沈黙を保ったままだった。

 

「…………えっ?」

 

確かにピンを抜いたはずなのに、起爆しない扶桑製の手榴弾。戦闘中にも関わらず、思わずニパは目を丸くして呆然とする。まさか不発だったのだろうか。

 

「………………あっ!しまった!」

 

固まってしまっているニパと異なり、九七式を使い慣れている輝は、すぐさま原因に気付いた。

原因は九七式手榴弾の設計だった。投擲され、手から離れてからプルコードやレバーによって自動的に信管が作動する他国の手榴弾と違い、九七式はピンを抜いた後に鉄帽や地面にぶつける要領で起爆筒を叩き、内部の導火線部に摩擦発火させた後に投擲を行う。

扶桑の装甲歩兵である輝はもちろんこのことを理解しているが、ストライカーユニット以外の扶桑製兵器に疎いニパが知るはずもなく、九七式のやり方が当たり前となっていた輝は、うっかり説明を忘れてしまっていたのだ。

このうっかりミスも“ツイてないカタヤイネン”の不幸体質に起因しているのかもしれないが、ニパの運の無さを鑑みるに例え使い方を説明していたとしても不発に終わっていたかもしれない。

 

「うぐっ!」

 

原因を理解したものの、戦闘はまだ続いている。ネウロイは己の脚の先端を輝の展開したシールドに叩きつけた。魔力障壁越しに衝撃が伝わり、輝は苦悶に顔を歪ませる。

必死にもがくも、圧倒的なパワー差と体格差により身動きが取れなかった。

 

「雁淵准尉!コイツ!准尉を離せ、このっ!」

 

輝をなんとか助けようと、ニパは足下に落ちていた石をネウロイに投げつける。石ころでネウロイに立ち向かう姿はなんとも滑稽に映るが、本人は至って真剣なのだ。

コアは露出している。魔法力を利用した攻撃によって一時的に自己再生能力も停止している。

あと一歩、コアさえ破壊できれば勝てる。墜落した自分を助けに来てくれた装甲歩兵を助けられる。その思いが、ニパを突き動かしていた。

だが、小さい石をいくらぶつけようがコアにはヒビ一つ入らなかった。考え無しにL-35を乱射したことを、ニパは心底後悔する。

 

(ちくしょう!俺は、こんなところで死ぬのか!?)

 

屈辱に駆られた輝が心の中で叫ぶ。まともな人生を送っていれば、朝起きて「今日、俺は死ぬのだろう」などとは思わない。死と隣合わせの生活を送る前線兵士にとって、それは皮肉抜きで贅沢なことだ。

輝とて扶桑皇国陸軍人の端くれ。ネウロイとの戦いで死ぬことを覚悟していなかったわけではない。あと一歩のところまで追い詰めておきながら、むざむざ殺されるのことが我慢ならないのだ。

左手でシールドを維持しつつ、蹴撃を受けた際に落としたM1910へ右手を伸ばそうとする。人差し指の先がグリップに触れる。その時だった。

魔法力を纏った無数の弾丸が、上空よりネウロイに向かって降り注いだ。発砲音と共に耳朶を打つストライカーユニットの魔導エンジン音。航空ウィッチ部隊による急降下攻撃だ。

大型陸戦四脚ネウロイの上面装甲は人類側の戦車と同様、前面や側面に比較して薄く、そして脆い。故に空からの急降下攻撃も有効な戦術の一つなのだ。

空からの集中砲火を受けた上面装甲は容易く削れ、ネウロイは堪らず悲鳴を上げる。さらにはダメ押しとばかりに撃ち込まれた一発のロケット弾により、ネウロイのボディはコア諸とも粉々に吹き飛んだ。

ロケット弾の着弾地点にいた輝とニパだが、魔力シールドのおかげで大事には至らなかった。

 

「た、助かったの?」

 

「……みたいだな」

 

地面から身体を起こした輝は、質問とも独り言とも取れるニパの呟きに応じる。なんとか命は助かったものの、二人とも泥だらけになっていた。

ふと空を見上げた輝の瞳に4つシルエット――シュヴァルムを組んだ四人の航空ウィッチの姿――が映った。

顔触れは502の戦闘隊長で、長い金髪と黒のカチューシャの組合せが印象的なアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉。

美しい銀色の髪を靡かせた502の教育係曹長にして、カールスラント空軍のベテランウィッチ――エディータ・ロスマン。体格は小柄ながらも、ぷっくりした艶のある唇がアダルトな雰囲気を演出している。

今朝、宿舎の廊下で顔を合わせたばかりの自由ガリア空軍ウィッチ――ジョーゼット・ルマール少尉。通称“ジョゼ”は、青リボンでまとめたツインテールの茶髪に透き通るような蒼い瞳という可愛いらしい外見をしている。

そして、輝と同じ扶桑皇国出身の航空ウィッチ――下原定子扶桑海軍少尉。水練着と同じ濃紺色の第一種軍装は些か地味な印象を受けるが、艶のあるボブカットの黒髪と赤い瞳の組合せによって美人が際立っている。

いずれも統合戦闘航空団のメンバーに相応しい、世界に名だたるエースウィッチ達だ。

輝とニパのことを心配そうに見下ろしていた空の四人だが、しばらくして地上に降下し始めた。4機のストライカーユニットのプロペラによって巻き上げた風が木々を揺らし、雪を舞い上げる。

 

「二人共、無事ですか?」

 

まず一足先に地上に降りてきたアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン――通称“サーシャ”が二人に声を掛ける。

モスクワ方面より侵攻してきた飛行型ネウロイの迎撃に向かったブレイブウィッチーズ。自分達の任務を終えた彼女らは二手に分かれ、ネウロイの奇襲を受けたストライカーユニット回収中隊と哨戒中に墜落したニパの救援に来ていた。

 

「サーシャさん!来てくれたの!」

 

サーシャと顔を合わせた途端、ニパの顔がパァッと明るくなる。サーシャはサーシャで、我が子を心配する母親に似た表情でニパを見ている。

 

「私達は大丈夫です!ユニットは壊れちゃいましたけど……」

 

そう言いながら、ニパはばつが悪そうに後頭部を掻いた。持ち前の不幸体質故に、彼女は502でも指折りのユニット壊しとなっている。

そのことで戦闘隊長のサーシャにしょっちゅう迷惑を掛けてしまっていて、ニパは大変申し訳なく思っている。

 

「良かった……」

 

ニパ達の無事を確認したサーシャはホッと胸を撫で下ろす。その姿からは、やはり子ども想いな優しい母親を連想させられる。

次にサーシャは輝の方へ身体向け、軽く会釈しながら彼に謝意を述べた。

 

「雁淵准尉、ニパさんを守って頂きありがとうございます!」

 

「あ……」

 

慈愛に満ちた聖母のようなサーシャの横顔に見とれていた輝は、彼女に話し掛けられたことでハッと我に還った。

 

「い、いえ。任務ですから……」

 

誰かに面と向かって礼を言われのはずいぶんと久しぶりのこと。輝は顔全体がカァと熱くなるのを感じた。

赤面したのを悟られまいと、顔を伏せる小柄な装甲歩兵の様子にニパとサーシャは不思議そうな表情で首を傾げていた。

一方、年長者のロスマンは輝の心中を察していたらしく、微笑ましげに彼を見据えながらクスクスと小さく笑声を立てていた。

カールスラントウィッチのすぐ隣に立っている元リバウ航空隊の扶桑海軍ウィッチは何故か頬を軽く赤らめ、熱の込もった視線を輝に注いでいた。

 

「あれ?准尉、怪我している?」

 

と、ニパが輝の左腕を指差した。ネウロイの対処に夢中で本人も気が付かなかったが、確かに左腕を負傷している。出血もしていて、制服の袖が赤く染まっていた。

 

「大変!すぐ治療します!」

 

そう言って輝に近寄ると、ジョゼは傷口に両手を翳した。すると、手の平から発せられた青く暖かな光が傷を覆い、みるみる癒していった。

 

「治癒魔法か?」

 

と、輝が訊くとジョゼは「はい」と頷いた。治癒魔法とは、攻撃系の固有魔法と同じくらい稀少とされる念動系の固有魔法だ。

魔法力やコントロールによっては重傷者すらものの数分で全快させることが可能で、薬草や医薬品の効力を高める等と応用も利く。

しかし、輝はレアな魔法をお目にかかれたことより、最初に顔を合わせた時と今のジョゼの雰囲気が違うことの方が気になっていた。

清掃中に輝の喫煙を叱りつけたジョゼは、鬼教官顔負けの凄まじい剣幕を見せたので気の強い印象を受けた。だが、目の前ジョゼは全体的に大人しく控え目な印象と、別人のようだった。

今と今朝で、何故これほどまでに違って見えるのか。輝は後ほど知ることとなる。

ジョゼの治療によって傷も塞がり、ニパと彼女のストライカーユニットも回収した輝は、合流した回収中隊のメンバーと共にペテルブルグへ引き返した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数十分後、ペテルブルグ第502統合戦闘航空団基地――

 

ペテルブルグにおける初任務及び版初陣を飾った輝は救助したニパを連れて、無事に――墜落していたので『超回復』が使えるニパともかく、ストライカーは大破していたが――502基地へ帰投していた。

当基地における軍務は、初日の朝からいきなりハードだったが、欧州屈指の激戦区であるオラーシャではよくあることだ。

ストライカーユニット回収中隊の格納庫では、ひと仕事終えたスオムスウィッチ達が車座になり、談笑していた

。スオムス語の賑やかな会話と笑い声が格納庫全体に響き渡る。

輝も中隊長のアウロラから「混ざらないか?」と誘われていたのだが、出来るだけ当たり障りのない言い方で断り、隅に設けられた喫煙所でひとり一服していた。

中隊唯一の扶桑人であるが故に疎外感を覚えたり、新人の身立場から遠慮しているわけではない。元々輝は大勢でガヤガヤ騒いだりするのは好きではないのだ。

 

「雁淵さん!」

 

ふと快活な声が輝の耳朶を打った。短くなった軍用煙草を灰皿に押し付けてから振り返ると、基地に帰投した際に別れたニパの姿があった。彼女は息と膨よかな胸を弾ませながら輝の元へ駆け寄る。

ニパの胸は、502において航空団司令のグンドュラ・ラルに次ぐ大きさを誇っている。スオムスカラーのセーターでも隠しきれない巨乳は、否が応でも周囲の――特に男の――目を引いてやまない。

 

「カタヤイネン曹長?」

 

「ニパでいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶから」

 

ニッと歯を見せて笑うニパ。その眩しい笑顔からは優しさと親しみ易さが滲み出ていて、彼女の人柄が伺えた。

 

「あれ?煙草吸ってる?」

 

ニパは火を揉み消したばかりの軍用煙草に気付き、さも意外そうに片眉を上げる。

可愛らしい見た目の輝が喫煙をするとは思わなかったのだろう。彼が煙草を嗜むようになってから、ニパ以外の人間も似たような反応を見せていた。

 

「そんなの俺の勝手だろう……」

 

輝はぶっきらぼうに応じる。普通に返したつもりだったが、少々辛辣な口調となってしまった。輝は内心で(しまった……)と呟く。

 

「あっ……ごめんなさい」

 

輝が気を悪くしたと思ったのか。ニパの表情が微かに曇る。

 

「いや、別に…………」

 

と、輝は短く返した。もっと気の利いた言葉を返せば良かった。口下手で愛想のない自分がつくづく嫌になる。

孝美やひかりなら。優しく社交的で自然な笑顔の作れる姉や明るく天真爛漫な妹ならば、こうはならなかっただろう。

その後しばらくの間はどちらも口を開かず、二人の間に気まずい沈黙が流れた。

いつの間にかアウロラが近く来ていた。ヴィーナの酒瓶を呷りながら心配そうな表情で隊の新人と妹の親友を見守っている。

尤も、その飲みっぷりは心配している人間のそれではなかったが……。

 

「…………それで、なんか用があったんじゃないのか?」

 

沈黙に耐えかねた輝が用件を訊ねる。彼の問いに顔を上げたニパは、少しだけ元気を取り戻したように思えた。

 

「えっと、一緒にサウナどうかなって?」

 

「サウナ?ああ、スオムス式の蒸し風呂か」

 

「うん、私も雁淵さんも汚れちゃったから。サウナでスッキリしないかなぁ、って思ったんだけど……」

 

人見知りするお国柄故か。ニパは両手の人差し指をモジモジさせ、恥ずかしそうに提案を述べる。声も途中から蚊の鳴くように小さくなっていた。

 

「蒸し風呂かぁ……」

 

そう独り言ちながら、輝は自分の身体を改めて確認してみる。

一日は始まったばかりだというのに、服も肌も髪も泥だらけ。さすがにこんな状態で基地内を彷徨けない。輝はニパの申し出を喜んで受けることにした。

 

「場所分からないんだ。案内してくれるか?」

 

「もちろん!さっそく行こう!」

 

スオムスウィッチの声音に明るさが戻った。輝は上官のアウロラと、回収中隊において副長的立場にあるレーヴェシュライホ少尉に一言断ると、ニパに案内されてサウナの設置された建物へと向かった。

 

「大尉」

 

同郷の可愛い妹分。そして、彼女と同い年で友人候補でもある新人装甲歩兵を微笑ましげに見送るアウロラに、レーヴェシュライホが声を掛ける。

 

「もしかして、カタヤイネン曹長は雁淵准尉について誤解しているのでは?」

 

そう訊ねるレーヴェシュライホに対し、アウロラはヴィーナを一口呷ってから応えた。

 

「まぁ、何ごとも経験さ」

 

と、アウロラは厭らしい笑みを浮かべる。レーヴェシュライホは経験で知っている。悪戯を思い付いた際に見せる悪い笑顔だと……。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

オラーシャの首都『ペテルブルグ』は、ネヴァ川の河口にできたデルタ地帯に建設された都市である。島々を結ぶ運河が縦横無尽に通っていることから“北のヴェネツィア”とも称される美しい街だ。

島の一つに建っているペトロ・パウロ要塞。そこを改装して造られた第502統合戦闘航空団基地。その様相は軍事基地というよりは、まるで王族が住まう宮殿のようだ。

 

「ここだよ」

 

ニパの案内で到着したのは、基地本部から少し歩いたところに建っている小屋だった。こここそが502に所属するウィッチーズ専用のサウナだ。

航空団設立当初は、502の中核である航空ウィッチ部隊のメンバーのみが使っていたが、後に合流した直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊の陸戦ウィッチも利用するようになっていた。

スオムスウィッチに手を引かれて、輝は小屋へと足を踏み入れる。扉を潜った先は脱衣所だった。左右のスペースには、それぞれカゴの置かれた脱衣棚と大量の薪が積み上げられている。

 

(男女で分けられてないのか?)

 

小屋の大きさから察してはいたが、浴室も脱衣所も男女を分けた構造にはなっていない。ウィッチ用に造られたのだから当たり前と言える。

基地に勤務している男性陣がここを使うことはまずない。ウィザードに関しても、陸海空の所属を問わずウィッチよりもさらに稀少な存在であるため、ウィッチ部隊の駐留する基地においても見かけることは殆んどない。

仮に配属されるようなことがあっても、入浴時間を分ければいいだけのことだ。

 

(やっぱり、いつものパターンか……)

 

輝は足下に向けて顔を伏せ、うんざりしたように深い溜め息を吐いた。やはりというか。ニパは彼のことを、小柄で目麗しい容姿からウィザードではなくウィッチ――つまりは女だと思っていた。

自分は歴とした男だというのに。いつものことながら気が滅入る。

 

「カタヤイネン曹長」

 

「ニパでいいよ」

 

「……ニパ、勘違いしてるらしいが俺はああああああぁ~!」

 

会話の途中、ニパに視線を移した輝が面白い言い回しで叫び声を上げた。自分の性別を勘違いしているニパの誤解を解こうとしたわけだが、彼女は既に服を脱ぎ始めていた。

 

「?……どうしたの?」

 

靴とセーター、白の重ね履きズボンをカゴに収めたニパは、淡い水色のローライズズボンと同色のスポーツブラのみ身に付けているという悩ましい姿となっていた。

15歳らしからぬ発育の良さ故にサイズの合うものが手に入りににくのか。胸の大きさに比べて明らかに下着のサイズは合っておらず、スポーツブラにも関わらず乳房が零れ落ちそうになっている。

 

「え、え~っと……その……じ、実は……」

 

「もしかして具合でも悪いの?」

 

ニパは輝の元に歩み寄り、心配そうに彼の顔を覗き込む。たわわな果実が少年の至近距離でたゆんと揺れる。

 

「じ、実は……俺は……」

 

「雁淵さんは?」

 

「…………男なんだ」

 

「……………………へっ?」

 

輝の一言でニパの両目が点になり、間の抜けた声を漏らす。

暫し沈黙を挟んだ後に彼女は気付いた。輝の履いているズボンがウィッチ用のそれではなく、男性用――さらに言えばウィザード用――のハーフズボンタイプであることに……。

一時的に停止していた思考も段々と回復し、輝の言葉の意味をしっかりと理解する。そして、それと同時にニパの顔がみるみる真っ赤になっていった。

 

「か、カタヤイネン?」

 

「き……き……」

 

「き?」

 

「きゃあああああああああああああ!!」

 

――バチ~ン!

 

乙女の悲鳴と平手打ちの乾いた音が木製の壁を通り抜け、オラーシャの寒空に響き渡った。

その日の午後。基地本部の入り口では左頬を紅葉のように腫らした扶桑陸軍ウィザードと、彼に平謝りするスオムス空軍ウィッチの姿が目撃されたそうな。




今回登場した九七式7.7mm機関銃は九七式車載重機関銃の装甲歩兵版(ただし、名称・装甲歩兵の副兵装という設定は作者の想像)です。

九七式手榴弾や47mm対ネウロイ砲など。公式によるメディア露出が少ない故に陸戦ウィッチ・ウィザードの装備に関しては作者の想像が多分に含まれていますので、悪しからず。

ただ魔法弾と同じ儀式を施した手榴弾に関しては『オーロラの魔女』でアウロラさんが化物威力の手榴弾を使用して陸戦ネウロイを吹き飛ばしているので、公式設定に存在すると思います。


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第7話「ペテルブルグの日常」

改訂版7話です!


オラーシャにおける人類連合軍とネウロイの戦いは、あまりの酷烈さ故に“魔女の大鍋”と呼ばれている。

土地の広大さと過酷な環境は将兵達の士気を削ぎ、蠢く無数のネウロイは空陸双方から侵攻してくる。多くの犠牲と損耗の上に、東欧の防衛線は維持されているのだ。

それは、連合軍東部方面総司令部西オラーシャ方面司令部直属の航空ウィッチ部隊――第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』が基地を構えるペテルブルグ方面も例外ではない。

故に、502にはオラーシャの激戦を潜り抜けたウィッチ達が多く所属している。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

1944年4月、ペテルブルグより南方の戦闘地域――

 

「メディ~ック!」

 

鬱蒼とした針葉樹林の中から誰かの叫び声が漏れ出ていた。

女性にしては低めの声音は、扶桑皇国陸軍の陸戦ストライカー――九七式中型装甲脚“チハ”を駆る陸戦ウィザードの耳にも届いていた。

 

「だから、俺は衛生兵(メディック)じゃないっつーの……」

 

不愉快そうに呟いた陸戦ウィザード――雁淵輝准尉は、樹林へ向かって走る。

ありがたいことに。“チハ”に搭載された魔導エンジンが出力の上昇と共に唸り声を上げ、針葉樹林から聞こえてくる耳障りな声を掻き消してくれた。

林に入って間も無く、木に背中を預けて地べたに座り込んでいる人影を認めた。

 

「お?衛生兵のお出ましだ。こっちこっち♪」

 

対する人影も、自分に近付いてくる輝に気付いた。ニヤニヤしながら手招きするのはヴァルトルート・クルピンスキー中尉。カールスラント空軍第52戦闘航空団――JG52――から502に派遣されているエース級のウィッチだ。

170cmの身長に短めの金髪や中性的な顔立ち、低い声から一見すると小麦色の肌をした美男子のようだが、彼女は歴とした女性である。

 

「俺は衛生兵じゃない、装甲歩兵だ」

 

笑顔を向けるクルピンスキーに対し、駆け付けた輝は仏頂面で訂正する。

扶桑皇国陸軍東欧方面軍から第502統合戦闘航空団へ派遣され、同部隊直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊に所属している輝は、ネウロイと戦闘の後に墜落したクルピンスキーの救出と彼女のストライカーユニットの回収に赴いていた。

損傷した『Bf109―G6』とMG42が、カールスラント空軍中尉の傍らに無造作に置かれている。

 

「輝く~ん、どうしよう♪僕の腕がないよぉ♪」

 

背中に片腕を隠し、クルピンスキーは尚もおどける。彼女は哨戒飛行中に中型ネウロイと遭遇していた。基地に一報入れた後き単機で応戦・撃破したものの、ネウロイは中々に手強かったらしい。固有魔法の『マジックブースト』を多用した無茶な戦闘が祟り、ストライカーユニットを中破させてしまう。

報告によれば、そのまま飛行手段を失い、針葉樹林へ頭から落下したとのことだが、木々や地面と接触する際にシールドを張って身を守ったらしく目立った外傷は見当たらない。

 

「後ろのかくしているそれがお前の腕だよ。アホ」

 

輝はにべもなく応じる。本来なら上官で年長者でもあるクルピンスキーには敬語を使うべきだが、ウィッチ部隊特有の自由な空気や規律の緩さ、彼女に対する輝の心象の悪さ等の理由からタメ口――むしろ悪態に近い言葉遣い――で話している。

 

「つれないなぁ……よっと!」

 

クルピンスキーは尻を持ち上げ、ボロボロになった制服やタイプ様の重ね履きズボンに付着している埃を両手でパンパンと払った。

凛と背筋を伸ばして立ち上がったカールスラント空軍ウィッチ。175cmの長身を見上げた輝は、改めてクルピンスキーのスタイルの良さを実感した。

スラリと伸びた手足、小麦色の綺麗な柔肌、下から制服を押し上げる豊かな胸、髪と同色の澄みきった瞳。紳士然とした端正顔立ちも相俟って、まさに“男装の麗人”と形容するに相応しい。

凛々しく、美しい容姿は――黙っていれば――男女問わず人々の心を掴み、魅力することだろう。

 

「ん~!……ねぇ輝くん、ブドウジュース持ってない?」

 

両手を高く上げ、背伸びをしながらクルピンスキーは訊ねる。しかし、輝は口を利く気はないと言わんばかりに顔を背けてしまう。

扶桑陸軍ウィザードの態度にクルピンスキーは「やれやれ」と肩を竦めるも、彼女から憂いはまったく感じられない。

 

「お~い!中尉は見つかったか?」

 

ふと背後から声がした。輝が振り返ると、カールスラント製の陸戦ストライカーユニット『III号突撃装甲脚G型』を脚に装着した回収中隊隊長の姿があった。スオムス陸軍大尉――アウロラ・エディス・ユーティライネンだ。

透き通るような白肌に銀色の髪。アウロラの外見的特徴は、クルピンスキーとは対象的だった。身長が172cmもあり、クルピンスキーに及ばないながらも、女性の基準で言えばかなりの高身長である。

アウロラの後に続くようにして、回収中隊に所属するスオムス陸軍の兵士達が樹林に侵入する。2人の長身女性と野戦服姿の屈強な男性数名に囲まれた輝は、大型動物の群れに紛れ込んだ小動物のようだった。

 

「はっ!」

 

輝は扶桑陸軍式の敬礼をして応じると、回収作業中の周辺警戒に回るため、樹林の外側へ移動していった。

樹林の外周では、レーヴェシュライホ少尉を含む数名のスオムスウィッチが哨戒兵よろしく監視の目を光らせている。

 

「女の子だったら絶対ほっとかないのに……」

 

早歩きで自分から離れていく輝の後ろ姿を見て、クルピンスキーは口惜しそうな声音で独り言ちた。

 

「あ~……ブドウジュース。しばらく飲んでないなぁ~……」

 

「ヴィーナで良ければあるぞ?」

 

そう言って、アウロラは年季の入ったスキットルをクルピンスキーの鼻先に差し出す。

回収中隊の中隊長は、作戦行動中――しかも、自分が指揮官だというのも構わず、腰からスキットルをぶら下げていた。吐き出す息が酒気を帯びているのは、移動中に何度も飲酒をしていた証拠である。

スキットルの中身は、アルコール濃度35%の蒸留酒――ヴィーナ。アウロラ曰く水だそうだが、もちろん嘘だ。

かといって、オラーシャの戦場を甘く見ているのでもなければ、不真面目なわけでもない。

これが彼女――アウロラ・エディス・ユーティライネン大尉のやり方。流儀なのだ。

 

「おっ!嬉しいねぇ♪ありがたく頂くとしますか♪」

 

クルピンスキーはスキットルを受け取るなり、中身のアルコールをゴクリと喉へ流し込む。

飲み干さんばかりの勢いに、一口だけ分けるつもりでいたアウロラは苦笑する。

正直、一気飲みはあまり行儀が良いとは言えない。クルピンスキーのような目麗しい女性がやっているから気持ちよく見ていられるが、むさ苦しい髭面の兵隊がやると見苦しい思えてならない。

 

「ん~♪スオムス産の蒸留酒も悪くないね♪」

 

中々に美味な蒸留酒で喉を潤し、クルピンスキーは満足げな声を上げる。

アウロラとクルピンスキー。酒好き同士でもアルコールの耐性には大分差が出るらしい。

ヴィーナの酒瓶を数本空けても白磁の如き肌を保っているアウロラに対し、クルピンスキーはスキットル半分もない残り酒だけで頬に紅を灯している。

同様に酒の影響で艶かしく潤んだ瞳も相俟って、クルピンスキーは“男装の麗人”から扇情的な雰囲気を醸し出す“妖艶な美女”へガラリと印象が変わっていた。

 

「ところで、どうなんですか?」

 

「……何がだ?」

 

クルピンスキーは、中身を飲み干したスキットルを返しながら持ち主に訊ねる。

一方。持ち主ことアウロラは、スキットルが軽くなって戻ってきた事実に悄然としていた。

曖昧な質問が理解出来なかった回収中隊指揮官は、悲しげな眼差しを空になったスキットルへ落としながら問い返す。

 

「もちろん、輝君のことですよ。扶桑陸軍から派遣されてきた陸戦ウィザードの仕事ぶりや実力はいかがなものでしょうか?」

 

「答えに困る質問だな」

 

と、アウロラは難しそうな顔をして己の顎を撫でた。輝が扶桑皇国陸軍戦車第2師団ストライカーユニット回収中隊に転属してきて、まだ1週間ほど。彼の実力や人間性に正当かつ正確な評価を下すには、まだまだ情報不足している。

装甲歩兵としての雁淵輝准尉が戦力外でないことは確実だろう。実際、機体性能の劣る九七式中型装甲脚“チハ”で、スオムス陸戦ウィッチの精鋭たるアウロラ達に引けを取らぬ働きをしていることが、何よりな証拠である。

資料によると『協調性に欠け、独断専行等の問題行動が目立つ』そうだが、少なくとも今のところは素直に命令に従っている。

例え、書類に記されている通り輝が素行に問題のある悪童だったとしても、人間性は悪くないとアウロラは胸を張って言えた。

502部隊司令のグンドュラ・ラル少佐や教育係のエディータ・ロスマン曹長がそうであるように、アウロラもまたベテランの魔女である。人を見る目には大いに自信を持っていた。

根拠は彼女自身の見立ての他。アウロラの実妹の親友で、スオムス空軍曹長――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。通称“ニパ”が、輝に心を許しているのも大きく関係している。

最近は目立たなくなってきたが、生来ニパは人見知りする性格だ。そんな彼女が、知り合って間もない異性相手に、親しくなろうとアプローチをかけている姿が度々見られる。

ニパにそうまでさせる何かが、雁淵輝にはあるということか。

 

(さてはニパのやつ、生意気に色気付いたのか?)

 

質問の回答を退屈そうな表情で待っているクルピンスキーを余所に、アウロラはククッと笑みを噛んだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数時間後、ペテルブルグ・第502統合戦闘航空団基地――

 

ウィッチの救助とストライカーユニットの回収作業を終えたアウロラ率いる中隊は、帰路においてネウロイと遭遇することなく、無事ペテルブルグへ帰投していた。

愛機を規定の場所へ格納すると、輝はスオムスウィッチ達の会話に混ざることもなく、足早に格納庫を去っていった。

 

「ふぅ…………」

 

基地の埠頭までやって来た輝はその場に座り込み、制服のポケットから軍用タバコとオイルライターを取り出した。咥えたタバコの先端に火を点け、紫煙を燻らす。

前線の兵達は当然として、作戦会議で渋面を突き合わせる将軍達、次々と入る戦況報告に一喜一憂する役人や政治家達の中にも喫煙を嗜む者は多い。

ヨーロッパ大陸の殆んどを異形の軍勢に占領され人類は、来るべき反攻作戦に備えての戦力増強と、拠点の確保・防衛に心血を注いでいる。

タバコの紫煙は人体にとって有害であると同時に、過酷な現状にて未曾有のストレスを軽減してくれる慰めとなるのだ。

 

「………………」

 

無言のまま輝は虚空を見つめる。その瞳には疲労の色が滲んでいた。

彼がアウロラの中隊に配属されてからまだ1週間ほどだが、ウィッチ救助と彼女らが駆るストライカーユニットの回収任務は毎日のように行われていた。

502部隊は激戦区を担当しているだけあって、ストライカーの損耗率が非常に高い。ペテルブルグにお“ブレイクウィッチーズ”と揶揄されている3人組――ヴァルトルート・クルピンスキー中尉、管野直枝少尉、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長――は特に際立って高いため、同隊で戦闘隊長を務めるアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉は頭を悩ませている。

東部の最前線は、時に補給も儘ならなくなるような厳しい戦場。ここまで頻繁にストライカーユニットを壊されては堪ったものではない。高い金を払って製造している兵器であり、紙飛行機ではないのだ。

そして、ストライカーユニット回収中隊もまた、空陸のネウロイを警戒しつつペテルブルグとウィッチの墜落地点を往復しなくてはならない。

暖かい時季ならまだいいが、冬は勘弁願いたい。ネウロイに溢れた極寒のオラーシャは、移動するだけでも命懸けだ。

この広大なオラーシャの地で異形共と戦い続けて、もう3年になる。まだ輝が航空歩兵だった本大戦初期。扶桑陸軍欧州派遣部隊の主力は、カールスラント軍をはじめとする連合軍に追従する形で、オラーシャまで撤退してきた。

最初こそは、季節による気候変動の激しい扶桑よりも遥かに環境の厳しい地獄とさえ思っていた。しかし、悪いことばかりではない。9月から4月初めのムルマンスク方面では、扶桑には無い美しいオーロラが見られる。

出来ることなら佐世保の家族を呼び寄せて、一緒にオーロラ見物に行きたい。一瞬、輝は本気でそう思ったものの、すぐにいいや、と頭を振った。

あの家に――家族の中に自分の居場所などは最早存在しない。

両親は出来の良い姉を心から愛しているが、半端者の長男である自分のことなど、おそらく歯牙にもかけてない。

輝は父――雁淵浩平が苦手だった。無口無表情で何を考えているのわからない父の視線は何処か冷たく、息子であるはずの自分を蔑んでいるように思えてならなかった。

歳を重ねるごとに姉への嫉妬心と劣等感は増していき、姉弟の仲も険悪なものへと変わってしまった。

やがて輝は、自分が家の中で孤立していると感じるようになった。彼の目には姉の孝美はもちろん、天真爛漫な妹のひかりまでもが、自分以上に両親に愛されているように映っており、それが一層疎外感を強めた。

優秀な姉と比べられること。そして、家族と顔を合わせることに堪えられなかった輝は、陸軍へ入隊した。海軍航空ウィッチを志した姉や妹、無線技士として針尾送信所に勤める父から逃げるように……。

 

「雁淵くん!」

 

1本目を吸い終えようとしたタイミングで、背後から弾むような声が聞こえた。振り返ると、ニパが息を切らしながら走ってくる様が見えた。

頬を薄く染め上げ、スオムスカラーのセーターに包まれた膨よか胸を揺らして駆ける姿は、14歳の少女とは思えないほど扇情的に映る。思春期の男子にとっては目の毒だ。

 

「カタヤイネン?」

 

「帰投した、って聞いたのに……格納庫にいなかったから探したよ……」

 

膝に手を置き、やや前屈みの姿勢でニパは呼吸を整える。

“ブレイクウィッチーズ”の一員でもある彼女は、“ツイてないカタヤイネン”の異名で知られる凄まじい不幸体質の持ち主である。

他の2人が無茶な戦闘が祟ってストライカーを損傷させるのに対し、ニパの場合はただ飛行するだけでも墜落するという不運に見舞われていた。

ネウロイが現れずとも、天候が良好であっても、整備が万全であっても、ニパ本人やストライカーユニットのコンディションに問題が無くとも、何かしらの――常識的にあり得ないものも含めた――原因で機体が不調を起こし、日々墜落の憂き目に遭っている。

幸いにも、今日ニパは墜落することはなかった。正確には、魔導エンジンの不調で発進出来ず、そもそも飛行すら出来なかった。

そして、彼女に代わって哨戒任務に従事した“偽伯爵”ことクルピンスキーが、任務どころか墜落まで肩代わりする羽目になってしまったわけだが……。

 

「お疲れ様。はい、これ!」

 

今日も回収中隊の一員としての役割を果たした輝を労いつつ、ニパはリベリオン製チョコレートの包みを手渡す。

 

「チョコレート?」

 

「タバコなんかより、こっちの方がいいでしょ?」

 

「よく手に入ったな」

 

怪訝そうな輝は受け取った包みを持ち上げ、矯めつ眇めつ眺めた。

最前線で戦う兵士にとってタバコ、酒、アメやチョコレート等の甘味類は何物にも耐え難い嗜好品である。

補給で賄える量は限られており、奪い合いに発展することも珍しくない。

殊に、ここペテルブルグでは前述の“ブレイクウィッチーズ”の件もあり、ストライカーユニットの予備パーツ補充が何よりも優先され、嗜好品の補給は後回しになっている。

 

「へへ~ん♪スオムスの仲間がこっそり送ってくれたんだ♪」

 

ニパは自慢気な口調で説明すると、歯を見せニヒッとて笑った。

 

「みんなには内緒だよ?」

 

唇の前に人差し指を立てて念を押したニパは、輝の隣に腰を下ろしてからチョコレートの包みを開封する。

 

「ん~♪」

 

チョコレートを一口頬張ると、ニパは満足そうに喉を鳴らす。

久しぶりの甘味に舌鼓を打つ彼女の横顔はなんとも幸せそうで、見ている側も気持ち良くさせてくれる。

 

「この為に俺を探してたのか?」

 

頂きもののチョコレートを味わいつつ、輝は意外そうに訊ねた。

 

「そうだけど?」

 

ニパは平然と応じる。知り合ってからというもの、ニパは何かと輝に構ってくる。

暇されあれば世間話――大体はツイてないことに対する愚痴だが――を振り、今みたいに菓子を差し入れてくれていた。

親しくしてもらえるのはありがたいが、何故ニパがここまでしてくれるのか。輝にはまったく分からずにいた。

 

「もしかして、チョコレート嫌いだった?」

 

輝に渡したチョコレートが殆んど減ってないことに気が付き、ニパは不安そうな表情で訊ねる。

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

頭を振って否定すると、輝は再びチョコレートを口に運んだ。

確かにチョコレートの甘さは、タバコとはまた違った形で疲労とストレスを緩和してくれる。大昔の人々は、甘いお菓子ではなく薬としてカカオを摂取していたとのことだが、納得である。

やがてチョコレートを食べ終えた輝は、口内に甘ったるさが残っているのも構わずに2本目のタバコを咥え、火を点けた。

 

「また吸うの?」

 

紫煙と共に漂ってくる嫌な匂いにニパは顔を顰める。どうやら彼女はタバコが好きではないらしい。

 

「身体に悪いよ?」

 

「そんなの俺の勝手だろ……」

 

輝はネヴァ川に視線を向けたまま、ぶっきらぼうな口調で応える。

尤も、輝自身タバコを美味いと感じたことは一度もない。吸い続けているのは、単にニコチン依存症となっているからだ。

健康的によろしくないとはいっても、即ちに何かあるというわけでもない。当分、禁煙するつもりはない。

 

「もう……」

 

可愛いくない返事に、ニパは唇をへの字に曲げて見せた。

輝は女の子と見間違うほど目麗しい容姿をしているが、それとは裏腹に口が悪く、少々やさぐれている。

 

「分かった分かった。他所にいくよ」

 

あからさまに不機嫌な顔をするニパにウンザリした輝は、立ち上がって埠頭から出ていこうとする。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

立ち去ろうとする輝の手を、ニパは咄嗟に掴んで引き留める。扶桑陸軍ウィザードは少しだけ驚いたのか、咥えていたタバコを足元に落としてしまった。

 

「何だよ?」

 

「あ―…………」

 

呼び止めたはいいが、その後のことは完全にノープランだった。険しい表情をする輝を見て、ニパは固まる。

 

「用が無いなら――」

 

「あるある!用ならあるよ!」

 

ニパは必死に食い下がり、尚も立ち去ろうとする輝の腕にギュッと抱き着いた。

 

「――っ!?」

 

北欧系の美女にしがみ付かれ、今度は輝が真っ赤になって固まる。

セーター越しとはいえ、年齢不相応に豊かに育ったたわわな果実をグイグイと押し付けられ、扶桑陸軍ウィザードは陸に打ち上げられた魚のように口はパクパクさせる。

 

「良かったら、その……私と一緒に基地を回らない?」

 

そう問いながら、ニパは離してなるものかと腕に力を込める。

それはまるで、気になる相手を必死にデートに誘う恋する乙女のようだった。

 

「えっ?」

 

「ほら、雁淵くんが来てから……ずっと慌ただしくて……ちゃんとした基地の案内とかまだでしょ?」

 

ニパの言う通り、輝が着任して――正確には4月に入って――からネウロイの襲撃が大幅に増え、当基地については最低限のことしか説明されていなかった。

「別にいいけどさ。いい加減離せよ……」

 

「えっ?……あっ!」

 

輝に言われて、漸くニパは彼の――異性の腕に抱き着くという自らの大胆極まりない行為を自覚する。

指摘されるまで、ニパはそのことに全く気付いてなかった。今からながら羞恥心が込み上げ、顔がカァッと熱くなる。

 

「………………」

 

「………………」

 

ウブな少年少女2人は、揃って赤面した顔を足元に向ける。

 

「青春だねぇ♪」

 

いつからいたのか。2人の可愛らしいやり取りをアウロラは遠目に眺め、ヴィーナの酒瓶を呷りながら楽しげに呟いていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

十数分後、502基地内――

 

ニパの案内の下、輝は基地のあちこちを見て回っていた。

基地本部前に建つ記念碑。カールスラントの主力高射砲『88mmFlak36』が備えられた基地の堡塁。兵士が詰める防空監視哨。ウィッチ達が銃火器の扱いを学ぶ射撃場。毎日ブリーフィングが実施される作戦会議室。輝も部屋を借りている宿舎。デスクワーク中のラル少佐がいる司令室は、さすがに中には入らずドアの前までだった。

案内役のニパが、丁寧な説明と軽い世間話を挟んでくれるので各所の現状が分かりやすく、また退屈もしなかった。

 

「そして、これから行くのが下原さんと炊事班の人達が働いている厨房だよ」

 

「下原って……海軍の下原定子少尉か?」

 

ニパは得意げに語り、輝は確認するかのように問い返す。

下原定子扶桑海軍少尉。扶桑皇国海軍遣欧艦隊第24航空戦隊第288航空隊から、ここ502部隊へ派遣されている海軍の航空ウィッチだ。

遣欧艦隊の第24航空戦隊は、501に派遣されている坂本美緒少佐や宮藤優人大尉、扶桑本国にて教官職に就いている竹井醇子大尉の原隊でもある。

第23、24航空戦隊を中心とした扶桑海軍航空隊――通称“リバウ航空隊”の一員として名を馳せていた3人の活躍は、海軍のみならず扶桑陸軍にも聞こえていた。

他にも元リバウ航空隊指揮官――新藤美枝少佐。“リバウの魔王”の渾名を持つ西沢義子飛行兵曹長。遣欧艦隊空母機動の若本徹子中尉。そして、輝の実姉――雁淵孝美。

リバウ航空隊は、扶桑海軍最高峰の航空歩兵が多数在籍していた精鋭部隊である。

陸軍がカールスラント国境に前線基地を構えていた大戦初期に、下原定子の名を聞いたことは殆んどなかった。

だが世界的エースと肩を並べ、オラーシャやカールスラント方面の激戦を経験している彼女が、統合戦闘航空団に相応しい実力を有しているのは間違いない。

それらを鑑みれば、下原が502に招聘されるのも当然だろう。しかし、輝の脳裏には疑問符が浮かんでいた。

 

「そうだよ。数年前までリバウで戦ってたって……」

 

「ちょっと待て!下原少尉が炊事をしているのか?」

 

海軍士官の地位にあり、統合戦闘航空団に派遣されるような実力を持つウィッチが、自ら台所に立って同じ部隊の仲間に手料理を振る舞っている。

その事実が、陸戦ウィザードを驚愕させた。海軍と比べて規律や規則にうるさい扶桑陸軍所属の身には、信じ難いことだった。

新参者の輝には預かり知らぬことだが、統合戦闘航空団とは隊員の自主性を重んじる部隊。通常の部隊とは様々な面で勝手が違っている。

 

「うん!下原さんの料理って、すごく美味しいんだよ!」

 

「いや、俺が聞きたいのは……いてっ!」

 

「うわっ!?」

 

ニパと話をしながら歩いていた輝は、曲がり角で何者かとぶつかった。

相手は輝とぶつかった拍子に床に尻餅を着いており、苦痛に顔を歪めながら尻を擦っている。

 

「あ、悪っ……」

 

悪かった、と言い掛けた輝だが、誰とぶつかったのかを理解すると、途端に表情を険しくする。

それは相手方も同じだ。輝を見るなりキッと目付きを鋭くして彼を睨みつけてきた。

 

「いてぇだろうが!気を付けろ!」

 

「テメェこそ、通行の邪魔だろうが!」

 

ぶつかった相手――扶桑皇国海軍少尉の管野直枝は、立ち上がるなり輝に怒声を浴びせた。輝も負けじと怒鳴り返し、2人の叫び声が廊下中に木霊する。

すぐ近くに立っているニパは、2人の大声に堪らず手で両耳を塞ぐ。

 

「邪魔はてめぇだろうが!ぶつかってくれやがって!」

 

「ふざけんな!テメェが、俺の前に割り込んで来たんだろうが!」

 

「い~や!違うね!てめぇがぶつかってきたんだ!」

 

「何言ってやがる!テメェの方ががぶつかってきたんだ!」

 

売り言葉に買い言葉。お互いにの不注意が原因だと言うのに、どちらも譲らず口汚い言葉遣いで罵倒し合っている。

何故ぶつかったぐらいで、ここまでの言い争いに発展するのか。それは初対面時の一件が尾を引いているからだ。

管野は輝の姉――雁淵孝美と親しい間柄にあった。訓練生時代に出会った彼女が持つ、自身の豪快無比さとは正反対の洗練された飛行技術に魅了されて友人となり、いつか僚機として共に飛ぶことを夢見ていた。

時期未定ではあるが、502配属が決まった孝美がペテルブルグに来るのを、管野は楽しみにしている。

その期待感故、輝と初めて会った際によく似た容姿の彼を孝美と間違えてしまった。余談だが、輝の方が孝美よりもやや顔立ちが幼い。

輝が優秀な姉と、少女のような可愛いらしい外見に激しいコンプレックスを抱いていることは、今さら言うまでもない。

管野は図らずも彼の神経を逆撫でしてしまっていた。以来、輝は管野を目の敵にするようになった。

管野は管野で、負けん気の強さと孝美に会えない苛立ちから輝に辛く当たるようになる。

 

「ちょっと、2人共止めなよ!」

 

段々ヒートアップしていく扶桑陸軍准尉と、扶桑海軍少尉。ニパはオロオロと狼狽えつつも、なんか仲裁に入ろうとする。しかし、残念ながら彼女の声は届いてないらしい。

 

「何をしているんですか!?」

 

喧嘩中の扶桑人達のものでも、困り顔のスオムスウィッチのものでもない何者かの声が廊下に響く。

502ウィッチ部隊戦闘隊長――“サーシャ”こと、アレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉だ。

 

「あっ、サーシャさん!」

 

思いがけない救世主の登場にニパは表情を輝かせる。サーシャならなんとか事態を収拾してくれるはずだ、とスオムスウィッチが安堵できたのも僅か数秒間だけだった。

 

「「うるせぇえええ!」」

 

――バッチ~ン!

 

輝も管野も怒りのあまり周りが見えていなかった。新たに仲裁に入った相手がサーシャだとつい知らず、邪魔だと言わんばかりに平手打ち――というよりは突っ張り?――をお見舞いしてしまう。

2人の手の平が勢いよく突き出され、よりにもよってサーシャの顔面に直撃した。

その光景を見ていたニパは一瞬で青ざめ、恐怖心からカタカタは歯を鳴らし始めた。

 

「…………ふ、ふふ……ふふふふ……」

 

しばらく無言のまま静止していたサーシャだが、やがて聞いた者を身震いさせるような冷たく、不気味な笑い声を漏らす。その声音には怒りの色が滲んでいる。

 

「あ……」

 

「さ、サーシャ……」

 

輝と管野は、ここで漸くサーシャの存在と自分達がやらかしたことを理解し、喧嘩を中断する。

2人が揃って移した視線の先には、顔の上半分――目元を中心に影がかかり、目が真っ暗笑っていない微笑みを向けてくるサーシャがいる。

 

「雁淵さん、管野のさん、ニパさん……」

 

サーシャが抑揚の無い声で言葉を紡ぎ始めると、名を呼ばれた3人は揃って直立不動となる。

戦闘隊長はふぅ~っと深呼吸すると、問題児らに一言怒鳴った。

 

「正座ぁ!」

 

「「は、はいぃいいいいいい!」」

 

「なんで私までぇえええええええ!」

 

4人のうち、己に振りかかった理不尽な仕打ちに嘆き叫ぶニパの声が最も大きかったそうな。




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第8話「ペンネーム“文学魔女”」

改訂版8話です!


1944年5月上旬、オラーシャ帝国ペテルブルグ――

 

「管野ぉおおおおおおおおっ!テメェええええええええ~っ!」

 

ペテルブルグのほぼ中心――第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』基地。その格納庫内にて、耳を劈くような怒号が響き渡る。場に居合わせた整備一同は、反射的に手で耳を塞いでいた。

凄まじい怒りの色を滲ませた叫び声の主は、扶桑皇国陸軍准尉の雁淵輝。扶桑皇国陸軍戦車第2師団装甲歩兵第1連隊から、502航空団直属の補助部隊――『ストライカーユニット回収中隊』に派遣されている陸戦ウィザード。

今日も今日とて、大中小様々なネウロイで蠢く東部の戦場を、陸戦ネウロイの大群による飽和攻撃や飛行ネウロイの予期せぬ爆撃を掻い潜り、前線で墜落した問題児と貴重なストライカーユニットの回収任務に従事していた。

そんな雁淵准尉だが、配属されてちょうど1ヵ月になる今日。遂に堪忍袋の緒が切れてしまった。

 

「いい加減にしろよぉ!毎日毎日、墜落するわ!貴重なストライカーユニットを壊すわ!やたらとネウロイの勢力下に落ちるわ!装甲歩兵は航空歩兵の使いっパシリじゃないんだぞ!」

 

「ぎゃーぎゃー、うるせぇよ」

 

ヒステリックに喚き散らす輝に対し、ムスッとした表情の管野直枝扶桑海軍少尉は、悪びれもせず毒を吐いた。

 

「……なに?」

 

「うるせぇ、つってんだよ!ユニットの1つ2つでガタガタ言うじゃねぇ!」

 

可愛らしい顔を顰める輝に向かって、管野は声高に言い募った。

ウィッチ・ウィザードにとってストライカーユニットは飛行能力・攻撃力・防御力と、自分達にネウロイと互角以上に戦う力を授けてくれる現代の魔法箒。ストライカーユニット有っての航空歩兵なのだ。

かつて、扶桑皇国の技術者――宮藤博士が提唱した新理論により、各国のストライカーユニットは性能を飛躍的に向上させた。

人類全体に多大な貢献を成した宮藤博士をはじめ、各国の技術者達も日々試行錯誤を重ね、より優れた機体を生み出している。人類の勝利と、身を粉にして戦う少年少女らの為に……。

ストライカーユニットの有用性や存在価値、技術者達の努力と苦労を軽んじているとも取れる管野の発言だが、もちろん本心ではない。扶桑陸軍准尉の言動にカッとなっているのだ。

 

「ふざけんな!1つどころか、今月に入ってもう8機目だぞ!お前ら3人は、撃墜王から被撃墜王に転向するつもりか!」

 

敵機を撃墜するついでに自機までもを墜落させ、挙げ句落ちた先がネウロイの制空権内ばかりと。管野を含む“ブレイクウィッチーズ”の3人組は、これをほぼ毎日のように繰り返している。

オラーシャが欧州屈指の激戦区とはいえ、いくらなんでも異常である。少なくとも、東部や北欧に駐留している扶桑陸軍航空戦隊。カールスラント空軍第5戦闘航空団のウィッチ達は、ここまで酷くない。

無茶な戦い方をする管野やクルピンスキーはまだ分かるが、事ある毎にあり得ないような不運に見舞われるニパは一体どういうことなのか。

整備兵の中に質の悪い嫌がらせをしている輩がいるのではないか、と疑いたくもなる。

 

「少しくらい悪びれろ!この海坊主が!」

 

 

輝の口から罵声罵倒が飛ぶ。機材の回収や墜落したウィッチの救助に終われる回収中隊の一員としては、墜落の常習犯である目の前の扶桑海軍少尉に反省の色が一切見られないことがなにより癪に障った。

 

「なんだと!頭の足りてねぇ山猿のクセして!」

 

「それはテメェだ!デコチビが!」

 

「うるせぇ!女顔!」

 

「そっちこそうるせぇよ!チビドッグ!」

 

「んだとぉ!」

 

輝と管野。2人の口論は、単なる悪口の言い合いに成り下がってしまう。なんとレベルが低く、なんと不毛な争いだろうか。

度々怒鳴り声が格納庫内を反響し、持ち場で作業に当たっている整備兵らが一時的に手を止め、呆れ果てた視線を声の主達に注いでいる。

扶桑陸海軍の航空歩兵と装甲歩兵が揉めに揉める様を眺めているのは、何も整備兵だけではない。

カールスラント空軍のエディータ・ロスマン曹長、ヴァルトルート・クルピンスキー中尉の2名も、格納庫入り口に並んで立ち、口喧嘩中の扶桑人らに目を据えていた。

クルピンスキーとロスマン。猛々しい、気性が荒い、口が悪い等。似たような性格の輝、管野とは異なり、2人は色々と対照的なウィッチである。

ロスマンはカールスラント人らしく生真面目な性格だが、クルピンスキーはとても模範的な軍人とは言えなかった。

空軍養成学校時代は、学友達と共にこっそり寮を抜け出しては夜の街に繰り出したり、教官らに悪戯を仕掛けたり等、と不良もいいとこだった。

成績は優秀だったので無事に卒業し、少尉に任官された。だが、彼女の素行不良はウィッチなってからも変わらず続いた。

 

「いやぁ、賑やかだねぇ♪」

 

遠目で輝達の様子を観察するクルピンスキーは、何故か微笑んでいた。一体何に感心しているのやら、うんうんと何度も頷いている。

クルピンスキーは美男子のような美女――所謂“男装の麗人”というやつだ。

顔立ちは中性的。女性ながら身長が175cmと、カールスラントの基準でもかなり長身の持ち主である。声も低めで、穏やかな男性口調で話す。

制服を押し上げんばかりの豊かな胸が無ければ、女だと気付かないかもしれない。

 

「…………」

 

呑気におどけてみせるクルピンスキーの隣で、502の教育係曹長は黙然としていた。瞬きひとつせずに、尚も口論を続ける輝達を注視している。

こちらは19歳という年齢の割に身長が151cmと低く、実を言うと体力もあまりない。幼少時に大病を患い、それが元で身体の成長が遅れてしまったのだ。

だが、童顔なのかと訊かれれば、答えはNoだ。大人びた美貌――特に艶やかな唇は、まるで口紅を塗ったかのように鮮やかで、小柄な体躯などは問題にしない女性的な美しさが確かにあった。

自慢の銀髪が風に靡く度に。形の良い唇が動く度に。そして口元に薄く笑みが浮かぶ度に。エディータ・ロスマンは己のアダルトな魅力で周囲の男共の目を釘付けにする。

 

「似ているわね。近所の家で飼われていたブルドッグと扶桑猫に……」

 

ロスマンは記憶を辿り、近所のお婆さんが飼っていた犬猫の姿を思い起こしていた。

ブルドッグは猫に向かって矢鱈と吠え、対する扶桑猫は毛を逆立ててブルドッグを威嚇する。

同じ家で、同じ人間に飼われて、同じ時間を過ごしていたはずの2匹。性格の相性でも悪かったのか、常にいがみ合っていた。

子どもながらに可愛らしく思っていた2匹の姿が異国のウィッチ・ウィザードに重なり、ロスマンは思わず吹き出す。

独り言とも、自分に話しているとも知れない呟きに耳を傾けつつ、クルピンスキーは身体を正面へ向けたままチラッと横に視線を走らせる。

応えたところで「あなたに言ったんじゃないわ、独り言よ」と素っ気なく返されるだけろう。

別にそれでも構わないが、今は曹長の可愛らしい横顔を堪能させてもらおう。クルピンスキーはそう思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

30分後、第502統合戦闘航空団基地本部前――

 

「ったく!何なんだ、あの海軍野郎!」

 

一頻り管野のやり合った輝は、外へ出るなり軍用タバコを咥え、苛立たしげに火を着けた。

格納庫での口喧嘩は、最終的に輝が扶桑海軍をひたすら侮辱し、管野が扶桑陸軍を罵倒し尽くした直後にお開きとなった。

2人は相手の顔なんぞもう見たくない、と言わんばかり互いに背を向け、そそくさと格納庫を後にした。

扶桑皇国軍は海軍戦力が充実していること。他国に比べて、艦上航空歩兵の数が多いこと等で知られるが、同時に陸海軍の関係が非常に険悪なことでも有名だ。

扶桑海事変終盤に開かれた御前会議において。参加した陸軍参謀本部と海軍軍令部双方の幕僚らが、顔を合わせるなり罵詈雑言を浴びせ合ったほどだ。

祖国の命運を左右し得る重大会議で、国家元首の名代たる皇女殿下が出席しているにも関わらず、だ。

とはいえ、さすがにまったく協調していないというわけでもなかった。

陸海軍の装備共通化の必要性から、共同部隊である第42統合戦闘飛行隊――所属は太平洋方面総司令部ウラル方面司令部――の設立も行っている。

そもそも、上層部の人間達が如何に対立していようと、現場のウィッチ・ウィザードには預かり知らぬこと。公私共に深い付き合いがある場合も珍しくない。

輝と管野が互いを毛嫌いしているのは、陸海軍の対立というよりも、単に相手の第一印象と性格の相性が最悪だったからだろう。

 

「クソッ!気分悪ぃ!」

 

手持ちのタバコはすべて吸い尽くしたのだが、それでも輝は治まらない。管野直枝というウィッチの存在が、否応なしに彼の心を掻き乱す。

いっそ拳で黙らせてしまえば良かった。ああいうヤツには言葉で何を言っても無駄なのだ。ならば、力づくで自分の間違いに気付かせてやればいい。

相手はオラーシャの激戦を潜り抜けた歴戦ウィッチだが、輝とて東部で遊んでいたわけでない。対ネウロイ戦は当然として、人間を相手する喧嘩にも自信はあった。

向こうも中々腕っぷしが強いらしいが、こちらは泥と血に塗れる地上戦を数え切れないほど経験している。あんなチビに負けるわけがない。

 

「雁淵准尉」

 

ふと涼やかな声音が輝の耳朶に触れる。美しく澄んでいるようで、微かに疲労の色を滲ませている。

振り返ると、“サーシャ”ことアレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン大尉が背後に立っていた。

オラーシャ陸軍の黒い制服を脱ぎ、紺色のシャツとベルトという出で立ちの彼女は、何故か右手にスパナを握っていた。

 

「ポクルイーシキンた……!?」

 

工具の存在に気付いた輝は、殴られるのかとギョッとする。

彼が咄嗟に両腕を前に出して身を守ろうとする姿を見て、サーシャはハッとなる。

 

「あっ!こ、これは整備に使っていたもので、その……」

 

サッと素早い動作でスパナを後ろへ隠し、慌てた様子で弁明する。

恥ずかしそうに頬を軽く染めるサーシャはなんとも可愛いらしい。しっかり者のイメージが強い分、魅力的なギャップがある。

 

「な、なんだ……そういうことですか……」

 

と、輝は何ホッと胸を撫で下ろす。サーシャ本人の言う通り、スパナは管野が中破させた零式艦上戦闘脚を修理するのに使っていたのだろう。

配色の関係で目立たないものの、よく見ると服のあちこちが油や煤で汚れているのが分かる。

機械技師の父親を持ち、幼少期より父の手伝いで機械に慣れ親しんでいたサーシャは、航空ウィッチや戦闘指揮官として言うまでもなく優秀だが、ストライカーユニットの整備を含めた機械いじりの類も得意とする。

本人も当初は整備士か機械技師になろうと考えていたそうだが、魔法力が発現したことで航空歩兵の道を選択した……と、輝はニパから聞いていた。

しかし、いくら機械に明るいとはいえ、ストライカーユニットの修理・整備等は戦闘隊長自ら行うようなの仕事ではないはずだ。

扶桑海軍士官の下原が基地の炊事を担当していることにも驚いたが、サーシャは彼女よりも階級・役職が共に上なのだ。

おそらくは、立場上つい厳しく叱りつけてしまう“ブレイクウィッチーズ”と、そのユニット壊し達が多大な迷惑をかけている飛行脚整備中隊に負い目を感じているからだろう。

仕事には厳しいが、なんだかんだ言ってサーシャは優し過ぎるほど優しいお姉さんタイプの女性……なのだが、正直なところ。輝はサーシャに苦手意識を抱いていた。

別に嫌いというわけではないし、何かされたわけでもなければ、彼女から疎まれているというわけでもない。

ストライカーユニット回収中隊としての初陣で、輝はネウロイの支配地域に墜落・一時的に孤立したニパを救出している。

そのことに心から感謝しているサーシャは、輝に対して寧ろ好意的で、ニパと共に何かと輝の世話を焼いてくれていた。

ただ、淑やかで優しく面倒見も良いサーシャを見ていると、どうしても姉の――雁淵孝美扶桑海軍中尉の顔がチラついてしまう。輝には、それが耐え難かった。

 

「あの、俺に何か?」

 

「管野さんと、揉めたそうですね……」

 

呟くように言うと、サーシャは短く嘆息を漏らす。対して、輝は眉間に皺を寄せる。

扶桑陸軍曹長――連合軍准尉の雁淵輝。扶桑海軍少尉の管野直枝。統合戦闘航空団に身を置く士官と准士官が、周りの目も憚らず口論……というにはやたら子ども地味た口喧嘩をするなど、褒められたものではない。

一両日中にサーシャか。もしくはラル少佐か、ユーティライネン大尉から御叱りを受けるであろうとは予想していた。しかし、想定内とはいっても、実際に切り出されると不快を禁じ得ない。

そもそも輝は自分に非があるとは考えていない。悪いのは数の少ないストライカーユニット毎日のように中破ないし大破させ、自分達回収中隊と飛行脚整備中隊に多大なる負担を掛け、そのくせ――輝に対してのみだが――悪びれもしない海軍ウィッチだ。

非があるとはすれば間違いなく管野なのだから、自分が叱られるのはおかしい。ましてや頭を下げるなど冗談ではない。

 

「私も、あまり小言は言いたくありません。ただ、兵達の前であのような振る舞いは、以後慎んでください」

 

「…………肝に命じます」

 

サーシャに窘められ、輝はあからさまに不服な態度を見せる。

この陸戦ウィザードと話す直前、管野にも同じことを言って釘を刺しておいた。やはりというか、彼女も輝と似た反応を見せた。

本人達は否定するだろうが、雁淵輝と管野直枝は間違いなく似た者同士。故に2人は反発し合うのだ。

 

「お説教はこのくらいにして。あなた宛てに郵便物が届いていました」

 

説教を短く切り上げると、サーシャは輝宛ての郵便物――手紙の束を封筒を手渡した。

輝は郵便物を届けてくれた上官に謝意を述べ、ペコリと頭を下げる。

 

「ありがとうございます。しかし、何故ポクルイーシキン大尉が?」

 

「今朝、廊下で配送係の人から代わりに受け取りました。あなたは出撃中で留守でしたから……」

 

「は、はぁ……」

 

納得したような、しないような。輝が曖昧な返事をすると、渡された郵便物を矯めつ眇めつ眺める。

届けられた手紙は全部で4通。内3通は扶桑の実家からだったが、輝はそれら無視して4通目に見据える。その手紙は、白地に桜の花びらが散りばめられた清楚な可愛らしさを演出した封筒だった。

 

「――っ!?“文学魔女”さん!」

 

「は?」

 

差出人の名を確認し、輝は喜色を帯びた声を上げた。表情も幾分柔らかくなる。

対してサーシャは、陸戦ウィザードの唐突な変貌ぶりを見て、怪訝そうに眉を顰めた。

 

「あ、いや……では、俺はこれで。失礼します!」

 

直立姿勢で一礼すると、輝は脱兎の如きスピードでその場から立ち去って行った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

自室に戻った輝は、ベッドに上着を乱雑に脱ぎ捨てると、机から引っ張り出した椅子にドスッと腰を下ろす。

サーシャを通して自分の元に届いた4通の手紙の内、家族から送られてきた3通は引き出しへ押し込み、差出人が“文学魔女”の1通のみを手元に残す。文学魔女とは、差出人のペンネームである。

 

「………………」

 

無言のまま口元を緩め、輝は封筒をじっと見据える。暫くは開封しなかった。

扶桑陸軍ウィザード――雁淵輝准尉にとって、この“文学魔女”から届いた手紙は何より大切なもの。ただ眺めているだけでも幸せな気分になる。

やがて輝は手紙を開封し、中から便箋を取り出す。封筒と同じデザインで、とても可愛らしい。

手紙の内容は、『親愛なる“佐世保の三毛猫”様へ』から始まる。佐世保の三毛猫とは、輝のペンネームだ。

文学魔女との文通において、輝は自身の名を明かしていない。当然、輝も相手の本名も知らない。それは些細なことだ。

差出人が同い年の少女で、自分と同じく軍に所属し、東部戦線で任務に就いている航空ウィッチ。それだけ分かれば十分過ぎる。

 

(相変わらず綺麗な字だな……)

 

便箋に書かれた文章を構成するのは、女性を想わせる小さく丁寧な文字類だった。

差出人――ペンネーム“文学魔女”の内面を現している繊細な筆運び。輝は、彼女の書く字が大好きなのだ。

 

「『この前は素敵なペンダントをありがとうございます』。気に入って貰えたみたいだな……」

 

嬉しさと安堵の入り雑じった吐息を漏らすと、輝は手紙の黙読を再開する。

ペテルブルグへ異動になる少し前のこと。輝は休暇を利用し、スオムスの首都“ヘルシンキ”を訪れていた。いつも手紙で自分を元気付けてくれるペンフレンドへ贈るプレゼントを購入する為だ。

丸1日かけてヘルシンキ中の店という店を回り、漸く手に入れたシンプルなデザインのペンダント。手紙と共に贈った直後は「気に入ってもらえるか?」と一抹の不安を覚えたものだが、どうやら喜んでもらえたらしい。

 

「もうずっと文通してるけど、文学魔女さんは相変わらず淑やかだな」

 

扶桑陸軍ウィザードは、文字を1つずつ噛み締めるように読みながら、普段とは異なる穏やかな声音独り言ちた。

雑誌の企画がきっかけで小学校の時から始まった文学魔女との文通は、今日まで続いている。

本来なら手紙の内容は軍内で厳しい検閲を受ける。自分の兵科や配属先を明らかに出来るはずはないのだが、彼等は狡猾だった。

検閲の責任者に金を渡す。文通を暗号化し、解読しつつ読む等の工夫により情報を共有。自分達が軍に身を置くウィッチとウィザードで、偶然にも揃って東部戦線の部隊に配属されていること知る。

広大且つ過酷なオラーシャの地で日々ネウロイと戦い、心身共に疲れ果てた2人は文通によって互いを励まし合う。

実家にも原隊にも居場所が無く、疎外感に苛まれていた輝にとって、文学魔女は唯一の理解者。彼女との手紙は、大袈裟な表現をするならば生き甲斐であった。

 

「文学魔女さんも頑張ってるんだな……よし!」

 

輝は力強く頷き、実家からの手紙をしまったものとは別の引き出しを開き、中から便箋と万年筆を取り出す。さっそく返事を書くつもりらしい。

 

「拝啓、文学魔女さん。お手紙ありがとうございます」




感想、誤字脱字報告をお願い致します。


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第9話「ペンネーム“佐世保の三毛猫”」

改訂版9話です!


1944年5月中旬、オラーシャ帝国ペテルブルグ――

 

ペテルブルグのほぼ中心に位置するペトロ・パウロ要塞。現在は、連合軍第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の基地に利用されている。

当基地の本部内には娯楽室が存在し、日々の戦闘で疲れた航空歩兵達のリラックスルームとなっている。

尤も娯楽室とは名ばかりで、ただテーブルとソファーが置いてあるだけの殺風景な部屋である。

コーヒー飲み放題という利点はあるものの、所詮はタンポポで作った代用コーヒー。オラーシャやアフリカのように過酷な戦場でもなければ、決して歓迎されない代物だ。

同じ統合戦闘航空団でも、ブリタニアに基地を構える501部隊とは雲泥の差である。

あちらの基地は、ドーバー海峡に突き出した古城に航空ウィッチ部隊運用の為の施設を増築し、小規模ながら港も存在する。

補給路の延びきっているペテルブルグとは違い、ブリタニア軍から直接。或いは、扶桑やリベリオンからの海運により、補給を効率的に受けられる。

そのため、ストライカーユニットを含むあらゆる物資が潤沢に供給される。

福祉厚生も充実しており、ネウロイの襲撃がない休日にはアフタヌーン・ティーが開催され、さらには扶桑海軍設営隊が空いたスペースを利用し、ローマ式の大浴場を作り上げてしまうほど。

ペテルブルグも軍事拠点としてはかなり恵まれている方だが、501基地には及ばない。

 

「~♪」

 

娯楽室には、扶桑皇国海軍より502部隊へ派遣されている航空ウィッチ――管野直枝少尉の姿があった。

ソファーに座り込み、なにやら御機嫌そうに鼻歌を口ずさんでいる。

暇な時間を見つけては自主訓練や読書に勤しんでいる管野だが、今日は自室から持ってきた本を開かず、代わりに首から下げたペンダントの先端を手に取り、1時間もの間矯めつ眇めつ眺めていた。

布製の紐の先端に吊り下げられた装飾品。所謂ペンダントヘッドは、小さなアメトリン――扶桑名“紫黄水晶”――の付いた銀色の星となっている。ちなみにアメトリンは管野の誕生石だ。

 

(佐世保の三毛猫さん、俺の誕生石を覚えてくれてたんだな)

 

ペンダントは大切な異性の友人から贈られたものであり、管野は大変気に入っていた。

普段から御守り代わりに身に付けているが、無闇矢鱈に見せびらかすような真似はせず、服やマフラーの下に上手く隠している。

変なところで鼻が利く“偽伯爵”ことクルピンスキーあたりに追及されでもしたら面倒、という考えただけでウンザリするような理由の他。自分みたいな女にアクセサリーは似合わない、という自嘲気味な考えもあるからだ。

管野は強過ぎる敢闘精神が高じて、短気且つ強気。一匹狼的な気質故に不機嫌さを前面に出すことも多い彼女だが、親しい同僚に対して笑顔を見せる。軽口を叩いたりする。読書好きな文学少女の一面を持つ等。決して無愛想だったり、粗雑なだけの人間というわけではない。

しかし、やたらと感情的かったり、言葉遣いが乱暴だったり、前述の通り不機嫌さを隠そうともしなかったりと、これらの特徴から「いつも機嫌悪い」「常に半ギレ状態」「恋愛やおしゃれ等の少女らしいもの興味が無い」「戦バカ」と誤解する人間も少なくない。

そんな輩が今の彼女――異性からの贈り物に心踊らせる管野を見たら、一体どんな反応を示すだろうか。

 

「カンノいる?」

 

ふと馴染みのある声と小気味良いノック音がドア越しに響いた。

管野は慌ててペンダントを服の中へ潜り込ませ、首元にマフラーを巻く。これならペンダントは見えない。

 

「お、おう!」

 

ドアの向こう側にいる相手に管野は返事をする。平静を装ったつもりだが、焦りと動揺で声が裏返ってしまっている。

 

「あ、やっぱりここだった!」

 

すぐにドアが開かれ、プラチナブロンドの短髪が印象的な北欧系美少女がひょっこりと顔を出す。

スオムス空軍飛行第24戦隊から502へ派遣されている航空ウィッチ――ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長。通称“ニパ”だ。

 

「ニパ……って、中尉もいるのかよ」

 

ニパの後に続いて入ってきたのは、ヴァルトルート・クルピンスキー中尉。彼女も航空ウィッチで、カールスラント空軍第52戦闘航空団――略称は“JG52”――から派遣されている。

JG52は、エース級の航空ウィッチが多数所属しているカールスラントウィッチの中でも、特に精鋭が揃っていたことで有名だ。

腕利きばかりの部隊に身を置いていただけあって、彼女は502内でも1、2を争うほどの実力者。人類3位の撃墜数を誇る502部隊司令――グンドュラ・ラル少佐にも引けは取らない。

 

「やぁ直ちゃん♪今日も可愛いねぇ♪」

 

クルピンスキーは軽く手を上げ、挨拶代わりといった風に扶桑海軍ウィッチを口説く。

男装の麗人という表現が相応しい容姿の持ち主であるクルピンスキー。長身且つ制服の上からでも起伏が分かる豊満な肢体も併せ持つ。

外見は男受けも女受けも良さそうで、黙っていれば異性と同性の双方から凄まじくモテることだろう。そう黙っていれば……。

 

「そういうのを“馬鹿の一つ覚え”って言うんだ。口説き文句くらい幾つか用意してこいよ」

 

露骨に顔を顰め、管野は辛辣な言葉を浴びせる。毎度のことながら、この“偽伯爵”殿――侮蔑を孕んだクルピンスキーの渾名――の口説き癖にはウンザリさせられる。

クルピンスキーは本大戦初期――オストマルク防衛戦以来のベテランであり、柏葉付騎士鉄十字章を受けるほどの多大な戦果も挙げている。

その反面、酒と女が大好きな享楽主義者の楽天家でもあり、女性――特にウィッチ――を目にすると見境無く口説こうとする悪癖を持っている。

空では頼れる年長者兼部隊屈指の実力者。しかし、地上では先述の性分故、仲間達から呆れられたり軽蔑されたりしている。

管野とニパとクルピンスキー。この3人は、オラーシャの過酷な戦場を経験したエース級だけあって、相応の実力と敢闘精神を持つものの、ネウロイとの戦闘や不慮の事故等で度々機材を破損させるというマイナスな共通点が存在する。

性格や趣味・趣向が異なりながらも、そう言った面では似た者同士と言え、行動を共にすることも多い。

“伯爵(グレーフィン)”のクルピンスキー。“ツイてない”カタヤイネン。“デストロイヤー”の管野。

ストライカーユニットの壊し屋として名高い――当然悪名である――この3人組は、部隊名の『ブレイブウィッチーズ』をもじり、502の仲間内から“ブレイクウィッチーズ”と呼ばれている。

 

「隣座るよ?」

 

と言い、ニパ返事を待たずに管野のすぐ隣に腰を下ろす。

歳下2人が座るソファーは定員なので、クルピンスキーはもう1つの1人掛けソファーに座った。

娯楽に姿を見せた2人に視線を走らせ、管野は小さく嘆息を吐く。

ストライカーユニットの壊し屋という特徴以外にブレイクウィッチーズ3名の共通点を上げるならば、ボーイッシュな点であろう。

しかし、ニパやクルピンスキーは容姿や言動が中性的ながら、細かな所作や身体的特徴から歳相応の女性らしさが垣間見える。

服越しでもハッキリ分かる発育の良さに加え、尚且つ髪や瞳に華やかな色彩を生まれつき持ち合わせている2人のことを、管野は密かに羨ましく思っていた。

自分にも2人くらいの女性らしさが備わっていれば、首からペンダントを下げて堂々と表を歩けただろうか。

 

「あれ?本読んでたんじゃなかったんだね?」

 

ニパが首を傾げる。娯楽室を利用する際、管野は決まって私物の本を持ち込み、旨くもないコーヒーを味わいながら耽読することが多い。

しかし、今日は彼女の愛読書らしき本が何処にも見見当たらない。代用コーヒーの注がれたカップもだ。

 

「べ、別にいいだろ!娯楽室で何してようが俺の勝手じゃねぇか!」

 

「うわっ!?何怒ってんだよ?」

 

突然、怒声を張り上げた管野の剣幕に圧され、ニパは反射的に身体を仰け反らせる。

ニパとしては、素朴な疑問を口に出しただけのつもりだったのだが、何故か管野は御冠なのだ。

もしや地雷を踏んでしまったのかと、スオムスウィッチは狼狽える。

 

「あ、いや。わりぃ……」

 

戦友の反応を見て、ばつが悪くなったのか。ニパから目を逸らしつつも、管野は気まずそうに謝罪する。

 

「つーか、2人こそ何だ?揃って娯楽室なんか来て、暇なのか?」

 

管野が怪訝そうな表情で訊ねると、偽伯爵ことクルピンスキーが「当たり!」と応じた。

 

「今日はもうネウロイも来ないだろうし。特にやることもないからさ」

 

「ワタシも同じだよ。カンノなら相手してくれると思って……」

 

と、ニパがクルピンスキーの言葉を継いだ。本日、モスクワ方面より飛来した中型飛行ネウロイはサーシャ、ロスマン、ジョゼ、下原の4名によって撃破され、しばらくは次も来ないだろう。

ブリタニアに最初の統合戦闘航空である第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』が結成されたのと時を同じくして、各地でネウロイの襲撃がほぼ定期化し始めた。

人類にとってネウロイが難敵である事実に変わりはないが、戦いの後に小休止を貰えるのはウィッチ含む全将兵にとって非常に有難いことだった。

飛行脚整備中隊からすれば、ブレイクウィッチーズがネウロイ迎撃に出撃せず、ストライカーユニットを壊されなかったことも大変有難かった。

 

「俺はお前等みたいに暇じゃねぇぞ?」

 

「けど、娯楽室にいるってことはカンノも暇なんでしょ?」

 

「…………」

 

ニパの指摘に反論出来ず、管野は閉口する。確かに娯楽室のソファーで寛いでおきながら、忙しいというのもおかしな話だ。

管野は小さく舌打ちすると、カップを手にソファーから立ち上がった。代用コーヒーをお代わりするついでに、奇妙な友情で結ばれた戦友2人にも同じものを用意する。

 

「ありがとう!」

 

まずニパにカップを渡す。彼女は屈託のない笑顔を管野へ向けて礼を述べる。

 

「ありがとう、直ちゃん♪戦争が終わったら、僕の実家でメイドさんとして働いてみないかい?」

 

舌の根も乾かぬうちに自分を口説いてきたクルピンスキーに対し、管野は少なからず苛立ちを覚える。

このままカップの中身を顔面に叩きつけてやろうかとも思った。しかし、代用と言えどもコーヒーだ。そんなことをしてはさすがに勿体無い。

管野は腹の底から沸き上がる怒りをなんとか抑え、鋭い視線で一瞥するに留めた。対し、コーヒーを渡されたクルピンには「つれないなぁ」と言わんばかりに肩を竦める。

 

「で、ニパ。そりゃ何だ?」

 

ソファーに再度腰を下ろした管野は、ニパの膝に置かれた紙袋へ目をやる。

 

「あ、忘れてた!」

 

ニパはテヘヘと歯を見せて照れ臭そうに笑い、袋から中身を取り出した。

出てきたのは扶桑製のキャラメルの紙箱が3個。戦場の兵にとって武器、弾薬、水、食糧と同じ……いや、それら以上に貴重な甘味料だ。

 

「お茶請けに持ってきたんだ!2人にもあげるよ!」

 

と、ニパは管野とクルピンスキーにキャラメルを1つずつ手渡す。

 

「悪いな。けどよ、キャラメルなんてどうやって手に入れたんだ?」

 

ふと管野が素朴な疑問をぶつけた。ペテルブルグにおいて補給の問題から酒、タバコ、甘味類等の趣向品の補充は後回しとなっている。

基地内にある売店も例外ではない。長いこと品薄状態で続き、閑古鳥が鳴いている。

そんな状況下。ツイてないことで非常に有名な目の前のスオムスウィッチは、どうやってキャラメルを箱3個分も手に入れたのか。

管野はもちろん、クルピンスキーも気になるらしく、ニパを注視する形で返答を促す。

 

「えへへ♪雁淵くんから貰ったんだ♪」

 

と、ニパは声音を弾ませて答える。“雁淵くん”とはもちろん、扶桑皇国陸軍所属の陸軍ウィザード――雁淵輝准尉のことだ。

少女を想わせる華奢で可愛いらしい容姿のこの少年は、約1ヶ月前に502直属の補助部隊――ストライカーユニット回収中隊へ派遣された新人である。

元々カールスラント派遣部隊の一員として、大戦初期に欧州へ派遣された航空ウィザード。それでの戦果は中々のものだったが、どういうわけか北欧へ撤退を機に陸戦ウィザードへ転科した異色の経歴の持ち主だ。

ニパ達には知る由もないことだが、ラル少佐の元へ送られてきた書類には、空陸の双方における輝かしい戦歴が綴られていた。反面、問題行動のリストには、その3倍のボリュームがあった。

独断専行・命令無視・度重なる同僚との衝突等々。ブレイクウィッチーズの問題点が可愛く思えるほどの無法ぶりだ。

しかし、ラルや502戦闘隊長――“サーシャ”ことアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉。そして、ストライカーユニット回収中隊中隊長――アウロラ・E・ユーティライネン大尉の3名は、“優秀なウィッチ・ウィザードとは個性。或いは問題児が多い”と認識している。

与えられた任務をしっかりとやり遂げていることもあって、当基地に輝を色眼鏡で見る人間は殆んどいない。少なくとも、今のところは……。

 

「おやぁ?ニパくんと雁淵くんはと~っても仲が良いんだねぇ♪」

 

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、クルピンスキーはからかいような口調で言う。

 

「えっ!?」

 

同い歳の異性と仲が良い。偽伯爵からそう指摘されたニパの頬に紅が灯る。スオムスウィッチのウブな反応を楽しみつつ、クルピンスキーは言葉を続けた。

 

「僕とは口も聞いてくれないのに。まったく羨ましいなぁ♪」

 

自分を上層部受けの悪い問題児と認識している輝は、ウィッチを含め基地の将兵等とは距離を置いていた。任務外も軍用タバコを嗜みつつ、街の景色を眺めてばかりで、誰かと雑談に華を咲かせることもない。

無意識に壁を作ってしまう性分なのか、アウロラを含めた回収中隊も必要以上に彼と関わろうとはしない。嫌われてこそいないものの、輝は回収中隊内で孤立気味であった。

そして、好色な偽伯爵の言う通り。ここペテルブルグで輝と最も親しくしているのはニパだった。

彼に窮地を救われて以降、ニパは何かと彼を気に掛けていた。頻繁に声を掛けたり、共に過ごしだり、チョコレートを差し入れたりと、積極的にアプローチを掛けている。

その様は、宛らクラスメイトの男子生徒に恋い焦がれる女子生徒のようだ。

当の輝も、無愛想の上にぶっきらぼうではあるが、何かと構ってくるニパを無視することなく、親しげに話をしている。

ちなみにニパが言った通り。キャラメルは以前彼女から貰ったチョコレートの礼として、輝が譲ったものだ。

 

「ち、違うよ!雁淵くんとはそんなんじゃ!」

 

両手を顔の前で振りながら、ニパは必死に弁明する。白雪のような彼女の頬に朱が広かっていく。

 

「ネヴァ川で一緒にお菓子を食べたり、基地の案内を口実にデートしたり、どさくさに紛れて抱き着いたり♪ニパくんは意外と手が早くて大胆なんだなぁ♪」

 

クルピンスキーは、これでもかというくらいニパを囃し立てている。

それにしても、扶桑ウィザードとスオムスウィッチの動向についていやに詳しい。 2人をストーキングでもしていたのだろうか。

 

「わわわっ!?違うってばぁ~!」

 

冷やかしという名の波状攻撃を受け、ニパは顔を真っ赤に染め上げるだけではなく、目尻に涙まで浮かべ始めた。

一方、管野は彼女等の会話に混ざろうともせず、「ケッ!」と短く吐き捨て、目を逸らしている。

管野は2人の話題――正確には、話題に出ている輝のことを気に入っていない。彼女と輝は性格の相性が壊滅的に悪く、顔を合わせればすぐ口論になってしまうほどだ。

尤も、管野が輝を嫌う理由には相性云々の他。親友の雁淵孝美がやっとペテルブルグに着任したと思ったら、弟の輝で落胆したという理不尽なものもある。

 

「そんなことより!カンノ宛の郵便物が届いてたよ」

 

「何っ!?」

 

自分に宛てられた郵便物と聞いた管野は、郵便物を持ってきたに向かってズイッと顔を寄せる。互いの吐息がかかり、鼻先同士が触れるかどうかの近距離まで迫っている。

 

「わっ!ち、ちょっとカンノ!落ち着いてよ!」

 

一瞬で間合い詰められたニパは驚き、狼狽える。偽伯爵から逃れるため強引に話題を変えたが、藪蛇だったようだ。

ニパは堪らず、配送係から預けられていた管野の宛ての手紙の束を差し出す。逸る心は抑えられない管野は、それらを素早い動作で引っ手繰る。

ウィッチ・ウィザードへ宛てられた手紙の大半は軍司令部から転送されており、差出人の名に覚えがないものが殆んど。

これらの手紙は縁も所縁もない人々が、ウィッチないしウィザードの誰かに届くようにしたためたもの。

所謂、「人類のために戦うウィッチやウィザードの皆さんに励ましのお便りを出そう」というもので、地域によっては学校で生徒に書かせることもある。

事実、士気向上に一定の効果を発揮し、心待ちにする者も少なくない。

だが、中には得体の知れない物も混じっている。具体的な例としては戦時国債や怪しげな宗教の勧誘等だ。

ネウロイと戦うウィッチに宗教的な価値を見い出し、聖人として称える。或いは、入信を勧める新興宗教は数知れない。

また少数派ではあるが、ネウロイは神の使徒であり、抵抗するのは罰当たりだと主張する教団も存在する。

後者については、“魔女狩り”と称してウィッチを襲撃するテロ紛いの事件にまで発展するケースも珍しくない。

これら新興宗教は戦争が長引くに連れて数を増しており、先の見えない不安と疲弊から発生したものであろうと推測できる。

 

「また、こんなのばっかかよ……あっ!」

 

管野は差出人のみを確認し、怪しげなものは迷わずゴミ箱へ投げ捨てていく。

期待していた手紙が見当たらないまま、いよいよ最後の1通となった時だった。

待ちわびていた手紙――“佐世保の三毛猫”からの手紙が漸く見つかる。

 

「やったぜ!“佐世保の三毛猫”さんからだ!こんなに早く返事がくるなんて!」

 

待ちに待った文通相手からの手紙。扶桑海軍ウィッチは、封筒を胸に抱きながら歓喜の声を上げる。

そんな管野の姿を目にしたブレイクウィッチーズの仲間達は、キョトンとしている。

 

「サセボの……ミケネコ?」

 

「直ちゃんのお友達?変わった名前だね?」

 

「あっ!」

 

2人の声を聞き、現実に帰った管野は気まずそうに咳払いし、短く「じゃあな」とだけ言って娯楽室を足早に退室していった。

その日。手紙の封筒に口付けをするという乙女チックな管野の姿を複数の兵が目撃したそうな。




502基地の状況を知ると、501がどれだけ恵まれているかがよく分かる。


感想、誤字脱字報告をお願い致します。


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第10話「見えない首輪」

約2年半ぶりの最新話です!

長らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでしたm(__)m


1944年5月下旬、オラーシャ帝国ペテルブルグ――

 

第502統合戦闘航空団の基地として運用されているペトロ・パウロ要塞。その基地本部庁舎内にある航空団司令室に、2名の問題児が呼び出されていた。

扶桑海軍から当部隊へ派遣されている航空ウィッチの管野直枝少尉と、同国陸軍から502航空団ストライカーユニット回収中隊へ異動してきた雁淵輝准尉だ。

 

「なるほど……」

 

502司令兼任ウィッチ隊隊長――グンドュラ・ラル少佐は、2人の顔を交互に見た後、納得したような呆れたような口調で呟いた。

 

「つまりは、またストライカーユニットの破損や墜落の件で口論になり、そのまま殴り合いの喧嘩になった……ということだな?」

 

確認するように問い掛けるグンドュラ。対して、執務机を挟んで反対側に佇む管野と輝は、揃って黙秘する。それは実質的な肯定であった。

報告によれば、2人が喧嘩を繰り広げたのはストライカーユニットの格納庫だったらしい。

場所が場所だけに服や髪は埃に塗れており、相当激しく殴り合ったのか、幾つもの痣が顔中にできている。

格納庫なら、当然ストライカーユニット整備中隊をはじめとする502基地兵站群所属の将兵達が、一部始終を目撃しているはずだが、彼等が喧嘩の仲裁に入ることはなかった。

そればかりか。連中は意図的に報告を遅らせ、どちらが勝つか“掛け”をする賭博紛いのことまでしていたのだ。

いくら娯楽の乏しく過酷な軍隊生活とはいえ、502の担当戦域は東部の最前線だ。

軍務そっちのけでギャンブルに興じる兵達の気の緩みは、看過出来ぬ問題であった。

そして輝と管野の喧嘩は、軍法に照らし合わせれば暴行脅迫。騒動のどさくさで破損した備品も存在するため、軍用物損壊も適応されうる。

連盟空軍のウィッチ部隊を預かるカールスラント空軍少佐からしてみれば、頭が痛いことこの上ない。

 

「何か言いたいことは?」

 

「「コイツが悪いんです(だ)!」」

 

グンドュラの質問に、輝と管野は互いを指差しながら応えた。

 

「「んだとコラぁ!」」

 

再び険悪ムードになる2人。互いの額をグリグリと力任せに擦り合わせ、至近距離で睨みを利かせる。

 

「落ち着け」

 

グンドュラが透かさず止めに入る。そして、淡々とした口調で続けた。

 

「お前は軍法会議の開催を望まないだろう。私の方から数日の自室禁固を命じる」

 

本来、軍法会議に関しては、軍律で問題を起こした人間の側に決定する権利が与えられている。

だが、問題を部隊内に留めておきたいグンドュラは、軍法会議を開催せず、自身の裁量で処分を決定したのだった。

傍目には、上官が部下の権利を侵害しているように見えるかもしれない。しかし、見る人が見れば、502部隊を守る為の最良の決断とも取れた。

これならば、魔女不要論を掲げる反ウィッチ・ウィザード派が少ない軍上層部に粗探しをされることもなく、問題を起こした2人の経歴にも傷はつかない。

尤も、輝も管野もペテルブルグへされた時点で既に原隊の問題児扱いされていたのだが……。

 

「……はい」

 

「……うす」

 

輝と管野は不承不承ながらも頷いた。それぞれが相手側に非があると考えている2人は、両成敗染みた処分に不満があったのだ。

 

「下がってよし」

 

話は終わりだとばかりにグンドュラが告げると、2人は司令室から辞去していった。

 

「おい!」

 

廊下に出た直後、輝は管野に呼び止められた。軽く舌打ちをした輝は、ウンザリだと言わんばかりに振り返る。

 

「終わってねぇぞ、ケリはつけるからな。陸河童」

 

「……上等だよ、海坊主」

 

売り言葉に買い言葉。未だに火花を散らし合う2人は短い会話を終え、各々別方向へと歩き去っていった。

 

「管野少尉」

 

「あ?」

 

輝と別れて間も無く、管野は誰かに背中から声を掛けられた。

肩越しに振り返ると、優男風が扶桑人男性が背後に立っていた。年齢は管野より少し歳上に見える。精悍な顔立ちの扶桑海軍兵だ。

 

「誰だオメェ?」

 

「はっ!本日付けで管野少尉のストライカーユニット機付長となりました、樋辻櫂軍曹です!」

 

男性――樋辻は挙手敬礼の姿勢で威勢良く応じる。そう言えば今朝のブリーフィングで、機付長が別の人間に代わると連絡を受けていた。

 

「何だ、思ったより若ぇな?」

 

と、管野は怪訝そうに目を細める。一方、新機付長はキリッと引き締めた表情を崩し、笑みを浮かべている。

爽やかな笑顔だが、微かに軽薄さと邪悪さが滲みでており、管野は寒気を覚えた。

 

「さ、堅苦しい挨拶はこのくらいにして。久しぶりだね!また逢えて嬉しいよ♪」

 

「何言ってんだよ、俺はお前なんて知らねぇぞ」

 

突然口調が砕け、矢鱈親しげ――もっと言えば馴れ馴れしく――に話し掛けてくる樋辻の変わりように、管野は頭上で疑問符を踊らせる。

 

「ふ~ん……じゃあ、これならどうかな?“なっちゃん”♪」

 

「っ!?」

 

樋辻の発した一言で、管野の表情が凍てつく。いや、顔だけではない。

全身が、金縛りにでもあったかのように硬直して指1本動かすことも儘ならなくなっている。

 

「いやぁ~、まさかこんな地の果てで再会するとは。嬉しいよ、なっちゃん♪」

 

滑らかな口調で再会の喜びを告げる樋辻に、管野は何も応えない。いや、応えられないのだ。

 

「あ……あぁ……」

 

管野は喘ぐように短い呼吸を繰り返し、言葉にならない言葉を吐き出す。

彼女の心肺機能が脳による制御を拒んでいるのだ。肺はストライクを起こし、呼吸を許さず。心臓は喉奥から飛び出さんばかりに暴れ回っている。

 

「ん?どうしたのかな?なっ・ち・ゃ・ん?」

 

樋辻がズイッと顔を寄せてくる。管野より身長が高いため、屈むような姿勢で彼女の顔を覗き込む形になる。

 

「う……あぁ…」

 

扶桑ウィッチを気遣う樋辻の優しげな声色は、反って管野の動揺と恐怖を増幅させていた。

痺れにも似た恐気が彼女の全身を覆い、肌という肌を掻き回す。

 

「心配しなくていいよ?また“可愛がって”あげるから、昔みたいにね……」

 

それだけ言うと、新機付長は扶桑海軍ウィッチの頬に唇を落とした。

普段の彼女ならここで文句の1つもぶつけただろうが、やはりそれは叶わない。

大きく見開いた眼で虚空を見据えたまま、ガチガチと歯を鳴らす。

 

「それじゃ管野少尉、また後ほど♪」

 

別れの挨拶を短く済ませた樋辻は、管野の真横を通り過ぎ、何処かへ去っていく。

足音が徐々に遠退いていき、やがて完全に聞こえなくなった。基地の廊下を沈黙が支配する。

 

「っ!?はぁ……はぁ……!」

 

漸く金縛りから解放された管野。全身から力が抜け、立っていられなくなった扶桑海軍ウィッチは、膝から床へと崩れ落ちる。

目尻に涙を浮かべながら床に這いつくばる姿は、普段の勇猛果敢な彼女からは想像も出来ない弱々しいものだった。

 

「うっ!……お、えぇ……」

 

乱れた息を整える暇も無く、経験したことの無いほどの凄まじい吐き気に襲われ、管野は咄嗟に両手で口元を抑えて踞る。

食事はちゃんと摂っているというのに、突然胃がおかしくなったかのようだ。

 

「クソッ……!」

 

どうにか落ち着きを取り戻した扶桑海軍ウィッチは、緩慢な動作で立ち上がり、自室へと戻っていった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

数日後――

 

「管野ぉ!てめぇ、何度言やわかんだよ!」

 

502基地格納庫では、いつもの如く輝の怒号が轟いていた。

輝が怒り狂っている理由は、今更語る必要も無い。例によって、ネウロイとの戦闘で無茶をやらかした管野が敵地のど真ん中に墜落したのだ。

502で、特にストライカーユニットの損耗率が高い――他の502ウィッチがユニットを壊したことはほぼ無いが――ヴァルトルート・クルピンスキー中尉、管野直枝少尉、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長の3人は“ブレイクウィッチーズ”と呼ばれ、多大な戦果を挙げているエースであると同時に、上層部受けが頗る悪い問題児でもあった。

輝は3人の中では管野と反りが合わず、顔を合わせれば喧嘩になるなど、関係は非常に険悪――軽薄な印象のクルピンスキーのことは鬱陶しいと感じ、ニッカこと“ニパ”との関係はそれなり良好――である。

今朝方。ストライカーユニット回収中隊は、墜落した管野の救助及び彼女のストライカー回収作業時にネウロイと遭遇戦となり、その際に輝の愛機――陸戦ストライカーの『九七式中型装甲脚“チハ”』とハーフトラックが1輌大破してしまった。

普段から管野に喧嘩腰な輝ではあるが、今回は愛機を失ったこともあってか、憤慨ぶりがいつもの比ではない。

ただでさえ、オラーシャ西部地域ないし北欧方面は扶桑本国から遠く離れており、東部戦域内は様々な要因で補給線も延びきっている。

こんな状況では、新たな“チハ”どころか修理に予備パーツの調達にも難儀することだろう。

つまり、輝は暫く戦闘に参加出来ないのだ。アウロラ・エディス・ユーティライネン大尉からも、戦列から一時離脱するよう命令された。

回収中隊の任務には不満タラタラな彼だが、作戦に参加出来なくなるのも、苦楽を共にした愛機を失うのも面白くない。

アウロラをはじめとする回収中隊所属のスオムス陸軍ウィッチの誰かに予備の機体を借りることも考えたが、すぐに諦めた。

スオムス軍も物資不足に困っている。他者に機体を融通する余裕などは無い筈だ。

“チハ”を失い、戦列に復帰する目処も立たず、どうにも腹の虫が収まらない扶桑陸軍ウィザードに出来るのは、管野に一言言ってることだけだった。

 

「おい、管野!聞いてんのか!」

 

輝は、格納庫内でボーッと佇んでいる管野の肩をガシッと掴む。

いつもなら気だるげに振り返った彼女に対し、輝が一際大きな声で怒鳴り散らし、そのまま売り言葉に買い言葉の口論へと発展するのがお決まりのパターンだ。しかし、今回はそうはならなかった。

 

「ひっ!?」

 

突然肩を掴まれて驚いたのか。管野はびくりと身を震わせ、小さく悲鳴を漏らす。

管野らしからぬ反応に輝はもちろん、2人のやり取りを横目で窺いながら整備・補給作業に行っていた基地兵站群の面々も揃って違和感を覚える。

一拍置き、緩慢な動作で振り返った彼女の瞳は、普段の力強さや鋭さを失っていた。

輝に向けた瞳は弱々しく揺れ、猪突猛進や勇猛果敢等の四字熟語を体現したエースウィッチ――管野直枝少尉とは、まるで別人のようだ。

 

「管野?」

 

「な、何だよ?」

 

脅えた小動物の如く身を震わせながら、管野は問い返す。

 

「あ、いや……」

 

目が合ったら、思い付く限りの言葉を用いて管野を罵倒するつもりでいた輝だが、予想の斜め上を行く扶桑海軍ウィッチのあり様に、すっかり毒気を抜かれてしまっていた。

 

「よ、用がないなら……」

 

「あぁ、悪ぃ」

 

輝は、管野の肩から手を離す。そのまま歩き去っていく彼女が、いつも通り憎まれ口を叩くことは終ぞ無かった。

「んだよ、調子狂うな……」

 

管野の後ろ姿を見送りながら、輝はばつが悪そうに独り言ちる。

煙草でも吸って気分を変えようと思い、ポケットをまさぐるも、取り出したシガレットケースは空になってちた。

 

(そういや、切らしてたな……)

 

オラーシャ地域をはじめとする東部戦域は、補給面で問題を抱えており、武器や弾薬。その他、ストライカーユニットを含む機材等の物資が常に不足している。

当然ながら、趣向品1つである軍用煙草も例外ではない。

 

「売店に……は流石にないか?」

 

輝はなるべく期待しないよう心掛けつつ、基地の売店へ向けて歩を進めるのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

30分後、502基地男性用トイレ――

 

「ユニット、また壊したんだって?」

 

数日前、502基地配属となった整備兵――樋辻櫂扶桑海軍軍曹は、あくまで穏やかな口調で問い掛ける。

問うている相手は管野だ。彼女は、自身のストライカーユニットの新たな機付長となった樋辻に呼び出されていたのだ。

 

「…………」

 

樋辻の問いに、管野は小さく頷く。ストライカーユニット損壊の件で話があるようだが、彼女が置かれている状況は明らかに異様だった。

機付長とはいえ一介の下士官が、兵学校出の士官を自身の都合で呼びつけ、あまつさえ上から目線で説教する。

上下関係を無視した失礼極まり無い行為であり、管野がウィッチだということを鑑みれば、それだけで処罰の対象に成り得る。

だが、当の樋辻はそんなこと気にする素振りは微塵も見せない。

 

「ちょっとなっちゃん」

 

樋辻は床に正座させている管野の髪を掴むと、力任せに引っ張った。

 

「っ!」

 

扶桑海軍ウィッチの表情が苦痛に歪む。苦悶の声を漏らすまいと、管野はギリッと歯を食い縛って懸命に堪える。

頭で逆らえないと理解しつつ、目の前の男に屈しないという意地の強さ――或いは意地――を見せるも、その健気な行動は樋辻の嗜虐心を煽るだけだった。

 

「質問してるんだから返事くらいしようよ?あと、人と話す時は相手の顔を見ようね♪」

 

「………………はい」

 

「うん♪じゃあ、そろそろ“罰”を与えるから……脱ごうか?」

 

「………………はい」

 

小さく頷き、小声で返事をする管野。トレードマークのマフラーを外し、続いてフライトジャケットを脱ぐ。

 

「ほら早く、ズボンもだからね」

 

「はい」

 

樋辻に急かされ、管野は動作を速める。完全に樋辻の言いなりだった。

あの猛々しく強情で、時に上官の命令にすら反抗することもある問題児――管野直枝少尉が、樋辻の理不尽な指示・暴力に一切抵抗せず、大人しく従っている。

502部隊のメンバーやストライカーユニット整備中隊の面々等。普段の彼女をよく知る人間がこの光景を見たら、間違いなく驚愕するだろう。

管野の性格からすれば、既に拳が出ていてもおかしくなかった。

彼女は小柄だが、魔法力を使わずともガタイの良い現役の軍人を一蹴できるほど喧嘩が強い。

だが、彼女は歯向かわない。管野と樋辻以外誰も知らないのだ。彼女が新しい機付長に逆らえないという事実と、その理由を……。

やがて全ての衣類を脱ぎ捨て、管野は生まれたままの姿となった。

 

「よしよし、なっちゃんはいい子だなぁ♪」

 

樋辻は喜悦を滲ませた声音を漏らす。彼からしてみれば、管野は幼い子ども。まだまだ軍の制服に着られているガキだ。

そんな相手を女として意識することはないし、裸を眺めて喜ぶ特殊な趣味の持ち主でもない。

対ネウロイ戦の要であり、人類の希望であるウィッチを自分が従え、全裸に剥くという形で尊厳を踏み躙っている。そこに喜び感じているのだ。

 

「………………」

 

裸体の一部を手で隠し、唇を噛んで羞恥心と屈辱感に堪える管野。

その姿に満足げに笑みを深めた樋辻は、彼女に洗面台の方へ移動するよう指示……いや、命令する。

洗面台の前に立った管野の目にしたのは、卑劣漢の命令で肌かになった自分自身。そして、水の張られた洗面台だった。

両手で拳を作り、力一杯握り締める。拳も身体も小刻みに震えている。

新任の機付長に抗えず、服従してしまっている自分への怒り。これから行われる“罰”に対する恐怖故が、そうさせるのだ。

 

「行くよ?」

 

「…………はい」

 

管野の後頭部に樋辻の手が添えられる。いよいよだ。扶桑海軍ウィッチはこれから訪れる苦痛に堪える為、ギュッと目を瞑る。

直前でなんとか覚悟を決めた彼女にとって、今日が真冬でなかったこと。

そして、樋辻が“罰”の執行に選んだこの場所が、普段から殆んど使われていない男性用トイレだったことが救いだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、502基地売店――

 

「………おい」

 

「はい?」

 

腹立たしげな口調で声を立てる輝に、売店の店員が怪訝そうな顔で訊き返す。

 

「何で軍用煙草1ダースがこんなに高いんだよ?ぼったくりじゃねえか?あ?」

 

カウンターに置かれた軍用煙草へ落としていた視線をゆっくりと持ち上げ、輝はやや威圧的に訊ねる。

切らしてしまった軍用煙草を調達するため、売店を訪れていた。

軍用煙草は本来、軍隊に於いて需品として支給されるものだ。

しかし、補給が滞りがちな最前線では趣向品を含むあらゆる物資を独自のルートで入手する者も、少なからず存在していた。

その手の輩は、将兵等を相手に商売して小銭を稼いでいるわけだが、前線の士気向上及び維持に多大な貢献を果たしている他。売上の一部が、憲兵隊司令部や統合軍総司令部をはじめとする各部隊司令部への賄賂として贈られていることもあり、黙認されている。

 

「准尉、あなたも東部や北部の戦場で戦ってきた人間なら分かるでしょう?」

 

詰め寄ってくる扶桑陸軍ウィッチに対し、初老の店主は淡々と応じる。

 

「正規ルートだろうが、それ以外だろうが得られるブツの数と種類は限れてンです。そりゃ値も張りますって……」

 

言っていることは尤もであるが、老人が提示した軍用煙草1ダースの値段は、輝の月給とほぼ同額であった。

まさか他兵科と比べ、相当の高額が定められているウィッチ・ウィザードの給金と同額とは……。

 

「いくらなんでもふっかけ過ぎだろ!この前はその半分以下の金で買え――」

 

「嫌なら他を当たってくださいや」

 

金を払えない人間に用はないと言わんばかりに、老店主は輝に向けてシッシッと片手を振る。

 

(クソジジイッ!)

 

足元ばかり見てくる老店主の態度は憤慨ものだが、このまま怒りに任せて噛みついても何にもならない。

目の前の老人にどう抗議したとて、煙草の値が変わることないだろう。

交渉が苦手な輝には値切り交渉も難しい。寧ろ下手にそんな真似をすれば、眼前の老害な店主が煙草の値段を吊り上げてくる。慣れないやり方は自分自身を不利に追い込む悪手でしかない。

目的の品を手に入れられないなら、ここに用はない。銭ゲバ老店主を殴りたい衝動に駆られる自分をどうにか抑え、輝は「邪魔したな」と踵を返す。

 

「お、おじいさん……この水着やっぱり変だよぉ……」

 

ふと聞き覚えのある声音が耳朶に触れ、輝は反射的に振り返る。

 

「――っ!?」

 

視界に飛び込んできた光景に、扶桑陸軍ウィザードは思わず息を呑んだ。

忌々しい性悪老店主が座するカウンターのさらに向こう側。基地売店の奥からスオムス空軍曹長、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン――通称“ニパ”が姿を現した。

人付き合いが不得手な輝が、502基地及びペテルブルグ駐留部隊の中で最も親しくしているウィッチだ。

だが、彼女の服装は水色セーターと重ね履きの長い白ズボンの見慣れた組合せではなかった。というか、まともな衣服ですらなかった。

 

「何言う、アンタのような上玉のお嬢さんには似合いの品やないかい……うひひ♪」

 

かような発言と共に、老店主は頭の天辺から足の爪先に格まで。スオムスウィッチの身体を、ゆっくりと舐め回すように観察する。

ニパは10代半ばの少女にしては発育が良い。軍服を着ていても、身体の起伏がハッキリと分かってしまい、特に豊満な乳房は人目を引いてやまない。

そんなグラビアモデルのようなスオムスウィッチに対し、老店主が勧めた水着というのがセパレーツやワンピース等、欧州でよく見かけるタイプでもなければ、扶桑でお馴染みの水練着でもない。

輝が今まで見たこともないような奇抜で、大胆で。且つ卑猥なものであった。

 

「で、でも……こんな格好、恥ずかしいよ……」

 

モジモジし始めるスオムスウィッチの姿に、老店主は満足げに笑みを深める。

今、ニパが試着している水着は、一見ワンピースタイプの水着にも見える。しかし、身体の両側面に布地が存在せず、正面が臍から首まで開いているVの字形のもの布が圧倒的に足りておらず、肌の露出が異様に多い。

 

「そう言われても、この店に置いてある水着でアンタが着れそうなのはこれだけなんだよ」

 

「うぅ、そんなぁ……」

 

と、項垂れるニパ。人並み以上に胸が大きいと、自分に合ったサイズの水着を見つけるのも苦労する。

大事な部分が――かなりギリギリだが――隠されているとはいえ、僅かな布地しか使われていない。

殆んど裸も同然――時と場合によっては警察に捕まりかねない――な水着を着るような勇気を、ボーイッシュなスオムスウィッチは持ち合わせていない。

こんな殆んど裸も同然の格好で人前に出たり、純粋に海水浴を楽しめる人間が502いるとすれば、司令のグンドュラ・ラル少佐か。ヴァルトルート・クルピンスキー中尉くらいだろう。

 

「って、雁淵君!何でここに!?」

 

と、漸く扶桑陸軍ウィッチの存在に気付いたニパは、驚愕の声を上げる。

 

「よ、よぉ……」

 

軽く右手を上げて挨拶する輝だったが、その表情は若干……いや、かなり引き攣り気味であった。

 

「あ……あぁ!」

 

ニパの顔が急速に熱を帯びていく。色白の頬はすぐさま紅潮し、まるで熟れたトマトのように真っ赤に染まる。

 

「ち、違う!違うよ!これは、この水着はワタシが選んだものじゃなくて!売店に置いてあるヤツでサイズが合うのがこれしかなくて……」

 

破廉恥な姿を軽蔑されたと思ったのか、ニパは慌てて弁解する。

輝が彼女から視線を逸らしたのは、それとほぼ同時だった。目のやり場に困るのだろう。

 

「と、とにかく誤か――」

 

――ポロッ!

 

「……へ?」

 

ニパが言葉を続けようとした、その瞬間。彼女に今日1番の不幸が訪れた。

動揺し、ジタバタと激しく動いたその拍子に、ニパの豊かな胸が。ただ歩くだけでもタパタパと波打つ巨大な乳房が。突如、ポロリと水着から零れ出てしまったのだった。

勢い良く飛び出してきた白く、大迫力の乳房が、自己主張するかの如く揺れ、男2人の視線を釘付けにする。

 

「え?」

 

「お♪」

 

輝が間の抜けた声を漏らし、老店主が喜色の滲んだ声を上げる。

 

「き、きゃあああああああああああああぁああ~っ!」

 

「がっ!?」

 

「ひでぶっ!」

 

一瞬で魔法力を発動させたスオムスウィッチの拳が、男共の顔面に叩き込まれた。




念のため言っておきますが、直ちゃんはレ◯プとかはされてません。彼女の処女は無事です←言い方


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