翡翠と闇の王のお話 (形右)
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昏い空を堕ちる様に踊る
あれくらい綺麗に書けてたら良いなとかおこがましいことを考えつつ、一先ず書いてみましたので、どうぞ^^
エルトリアの夜は早い。
日照時間が短いという訳ではなく、単純に再生の始まったばかりのこの土地では夜に出歩く人がほとんど居ないというだけのこと。
環境の回復に伴い、危険生物の多くが徐々に穏やかになりつつあるとはいっても、下手を打てば未だに死地を歩きかねない。……が、そんな場所でありながらも。今宵の夜空に誘われて、表へと出てきた物好きが一人───ユーノだった。
色々あってエルトリアを訪れていた彼だったが、その夜は何となく寝付けなかったようだ。
何を思ったのか、ユーノは空の上にいた。
ただ外に出るだけなら、何も飛行魔法まで使う必要はない。
それでもなお、ユーノは空の上へと上がっていた。
エルトリアには、ミッドチルダのような飛行制限などは敷かれていない。なので、飛ぼうと思えば、どこまでだって飛べるはずだった。
しかし、ユーノはある程度の高度まで行くと、そこで上昇を止め、しばらくそこで浮遊するだけの状態を保ち続ける。
周りには誰も、そして何もない。
だから、空を見え上げた。
「──────」
馴染み薄い空の姿が、彼の翡翠の瞳に写される。
写し出された像が見せてくるのは、こちらの世界の月。
似ているが、やはり違う。寂しいというわけではないのだが、やはりどこか、淡い郷愁めいたものを感じてしまう。
元が定住などしない放浪の一族の出であるというのに、どうにも長く安らかな場所にいすぎた。
そして、そこから離れると、なんだかとても不安になってくる。
「……弱く、なったかな」
誰ともなく、そうつぶやいた。
応えるものなど誰もいないというのに、どこか、問いかけを交えたつぶやきだった。
しかし、
「里心を弱さとは言わぬぞ、
そんな流されゆくだけの声を、拾う者がそこにいた。
「ディアーチェ……。なんで、ここに?」
「別に理由などどうでもよかろう。
我も偶には宵の月を眺めたくなることもある。……それにだ。あんな風に上へ上へと、糸の切れた風船のように飛んで行かれては、気になりもするだろうて」
「……そっか。ごめん」
「謝るくらいならば、少しは考えてから動くのだな。貴様の頭は、そういうことに向いていると思っていたのだが」
「うん……自分でも、そう思ってた。だけど、なんとなく向いてないような気も、少ししてる」
励ましをもらって尚、まだ少しだけ逃げている。
ディアーチェの言葉は、尊大であるがまっすぐだ。そして、だからこそ彼女は少しだけ遠い。
と、ユーノはそんな風に思っていたのだが……。
「おい、ユーノ。暇であるのならばそなた、少し手を貸せ」
次に来た言葉は、情けなさを糾すでも、あるいは喝を入れるでもなく。
拍子抜けするほどあっさりとした、良くわからない言葉だった。
「え……手を?」
「そうだ。ああ、文字通りの意味であるからな? 下手に勘違いしてくれるなよ……ほれ、もう少しこっちへこんか」
「う、うん……」
いわれるままに、ユーノはディアーチェとの距離を詰めた。
そして差し出された手に手を重ねると、ディアーチェは唐突に、こんな事を言い放つ。
「聞くのが遅れたが……ユーノ、貴様はダンスの心得はあるか?」
今度こそ、本当に意味が分からなかった。
「だ、ダンス?」
「その様子では望みは薄そうだな。まぁ構うまい。ここは地上とは違う、型など、あってないようなものだからな」
「———わ……っ!?」
戸惑うユーノをよそに、ディアーチェはさっさとその手を引いて、舞の中へと引きずり込んでいく。
空中で行われるダンスは、地上のそれとは当然異なる。
空の上でのステップは、いうなら慣性制御の延長だ。しかも今は伴奏もない状態。が、なればこそ、ターンやバック、チェンジと自由に重ねていく。
とはいえ強引すぎるわけではなく、ユーノが自分からステップを踏めるような速度でディアーチェは彼のことをリードしていった。
やがて、だんだんとわかってきたらしいユーノは、彼女の作り出す流れの波に、自然と乗っていけるようになる。
「ほう、飲み込みは早いな」
感心したようにディアーチェがほめるが、ユーノとしては賛辞よりも、このダンスの意味のほうが知りたい。
「ありがとう。でも、これには何の意味が……?」
「ふ、やはりそうくるか。エスコートについては減点だな、ユーノ」
「ディアーチェ」
「そう急くでない。むしろ楽しんだほうが得であろうに。我と踊れる男になど、そうめったになれるものではないのだからな」
そういってはぐらかしながら、ディアーチェはそこでユーノに身を預けるステップを踏み、そこから空中らしく重力に囚われない奇抜なターンをして見せる。
ユーノはただ、その波を受け止めるだけ……。
「……はぁ。貴様は、こういう時には硬いな」
「硬い、って?」
「自分を見つめなおすのは結構だが、それで思いつめて動けなくなってしまっては、それこそ本末転倒であろうが」
「…………」
いわれて、ユーノは少しだけ眉を顰める。
しかし、ディアーチェに対し怒りを覚えた、というのも少し違う。
どちらかといえばそれは、図星だったかどうかすら分からない、そんな自分が悔しかったという怒りだった。
そして、どうやらそれはディアーチェにも伝わったらしい。
「くく、不満そうだな。しかし事実であろう? 余裕があるのなら、戸惑いこそすれ、いま心が空になっていても不思議ではないだろうに」
「……そう、かもね」
「おい、そこは沈むところではないのだがな。……ま、景気づけに少し
「———ぇ?」
そこで、不意打ちの
飛行魔法が切れたのか、と一瞬疑ったがそうではない。
ディアーチェが飛行魔法を解除したうえで、さらにユーノを下へと引っ張っていたのだ。
危ない、と思い引き上げようとしたところで、逆にディアーチェの側へ引き込まれて、抱きしめられた。
「そう心配せずとも好い。幸い距離は十分にあるからな、少しくらいこのスリルを楽しめ」
「たの、しめって……」
「まったく、貴様は鈍い。———一度落ちたくらいで、何が終わる? どん底にたたき落ちるよりも早く上がるなら、それはむしろいつくしむべき逆境だ。
……いや、真の強者ならば、あながち地の底からでも舞い戻ってくるやもしれんぞ?」
そういって、ディアーチェはついた勢いを利用して、落下の速度を逆に散らして見せた。それも、華麗に、優雅に。
そのうえ、図ったように帰り道まではっきりと示しながら。
まったくどこから図られていたのか。ユーノはさすがに舌を巻いて、尊大なる王の前に傅く思いだ。
しかも、そこにディアーチェはこんな殺し文句を付け加える。
「さて、夜もそろそろ終焉だ。幕引きと行こうではないか。
……ああ、そうであったな。もし不安であれば、この程度の役なら、いくらでも与えてやる。頭を悩ませすぎたらここへ来るがいい」
その器の広さに、今宵は負けを認めざるを得ない。
が、それでもまだ終わりではないというのならば―――
「―――して、どうする?」
「それじゃ、最後にもう一度お手を拝借しようかな? 王様」
「うむ。では、口先だけではないことを証明せよ? 案じずとも好い、今宵の我は、いささか寛容であるからな」
「それは光栄だ。……それじゃ、最後のダンスを」
「いいだろう。よきにはからえ」
―――そうしてまた、夜空の上で、最後の輪舞が始まった。
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