ネト充トッププレイヤーは、異世界でLv1から色々育むそうです。 (颯月 凛珠。)
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とにかく長い一日。
Grass Tale Online 1-1


正式タイトルが決まり、それに伴い、読者様が読みやすいように一話辺りの文字数を調整しました。随時更新させていただきます。


 俺とフウカが初めて出会ったのは、”二つ”の意味でゲームの中だった。

 

「エイジ! 五秒後に【エクスファイアⅤ】を撃つから、良い感じに足止めお願い!」

「りょー……かい!」

 

 襲い来る牙を盾でいなしながら、ヘッドフォンから聞こえる声に応える。今俺とフウカが戦っている狼型のモンスタ──《The Lost Tale》は、所謂ユニークモンスターと呼ばれる、サーバーに一度しか出現することのない、超が付くほどのレアモンスターだ。二人での狩りの帰りに偶然出現に立ち会ってしまい、そのまま戦闘を開始してしまった。普通、このようなユニークモンスターは、四パーティほどのレイドを組んで狩る、というのが定石なのだが……

 

『私、二人だけでこいつを倒したい』

 

 そんな、彼女の真剣な声に俺はただ頷くしかなかった。何故そんなに二人だけに固執するのかは分からなかったが、彼女がどれだけこのモンスターを倒したいか、声音だけでひしひしと伝わってきた。それと同時に、彼女のパートナーとして、俺の身もキュッと引き締められた。

 

「5……」

 

 カウントが打たれる。その瞬間から俺のキャラが──いや、俺らが立っているこの地・面・が振動し始める。俺の後ろに居る彼女が、草原にある魔力リソースを全て集めているのだ。心無しか、周りを取り巻く空気が暗く、重くなってきているような気がする。

 

「4……3……」

「っ!」

 

 彼女の五つのカウントのうちの三つ目で、中級盾スキル《シールドバッシュ》を使用する。

 このスキルは、相手を盾で殴り掛かり、スタン効果を与えると同時にその反動を利用して十メートル程後退するスキル。レイドバトルやパーティで前衛を交代──つまり、《スイッチ》の際によく使用されるモノだ。

 

「2……」

 

 このモンスターもユニークとはいえ例外ではなかったらしく、赤くなったHPバーの下にスタン状態の表示が点滅していた。目の前の巨体も足元が覚束ない様子で、頭を垂れてユラユラと体を揺らしていた。

 

「……1!」

 

 フウカのカウント直後、彼女が持つ杖から周囲一帯を焼き払わんが如き炎が出現する。

 

「【エクスファイアⅤ】!!」

 

 明らかに人為的に作れるレベルではないこの魔法は、火炎属性の中の最強魔法の一種で、直径十メートルほどの火炎弾……いや、隕石を術者の指定位置に放つモノだ。

《The Lost Tale》はスタンしながらも、その危険度に気付いたのか、必死にスタンから抜け出そうともがき始めている。

 

「くらえー!!」

 

 彼女の可愛らしい声から放たれる、明らかに可愛らしくない隕石が、驚愕に目を見開く《The Lost Tale》の脳天に直撃し、爆散する。

 

『ガアアアアアアア!!!!!』

 

 獣の悲鳴が俺とフウカの耳を劈き、それぞれのゲームキャラが耳を塞ぐ。流石に五十分以上の戦闘でHPをすり減らされていた《The Lost Tale》もこの一撃で地に沈んだようで、先ほどまで遥か頭上に見えていたネームタグが消え去っていた。……つまり、俺たちの勝利だ。

 

「よっしゃ──あちちちっ!! ちょっとフウカさん!? 俺にも当たってるんですが!?」

 

 二人でのユニークモンスター討伐を喜ぼうとしたのも束の間、直撃ではないにしても、飛び散る火の粉や爆風によるダメージが俺にも届いてきた。そのせいで、ただでさえ《The Lost Tale》との五十分以上の戦闘ですり減っていたHPが、黄色から赤へとみるみる減っていく。ちょっと!? ここで死ぬのは流石にシャレにならないんですが!? 

 

「お前、ありったけの魔力を込めて撃ちやがったな!? なんで魔法の残留物だけでこんなにHP減ってくんだよ!?」

「エイジなら属性耐性高いし、ちょっとくらっても大丈夫かなって思って。……ごめんねっ!」

 

 てへっという可愛らしい声が、ヘッドフォン越しに聞こえる。

 

「てへっ! じゃねーよ! とりあえず回復頼む! 早急に!」

「えーどうしようかなぁ……」

「……《炎帝の魔杖》」

「ほいっ! 【エクスヒール】!」

 

《The Lost Tale》を倒す前の狩りで手に入れた激レアドロップを口にした瞬間、金と緑が合わさった光が俺を包み込む。彼女の見事な手の平返しに苦笑いしつつ傍目にHPバーを見ると、先程までレッドゾーンだった体力がグングン上昇し、黄色、緑と色を変えていく。彼女が唱えた数秒後には、先程の戦闘など無かったかの様に満タンまで回復したHPバーが表示されていた。

 俺は「お〜」と感心の息を吐く。

 

「流石サーバー最強のウィザード。回復スキル本業の人より回復効果がデカいんじゃないか?」

「脅されたあとに褒められても全く嬉しくないんですけど……」

 

 彼女が憎々しげに呟く。それは俺もろともユニークモンスターを葬り去ろうとしたお前が悪いだろ……なんて、トドメを刺せなかった俺が言える訳もなく、「アハハっ……」とぎこちなく笑った後、マイクが拾わないくらい小さなため息をついた。

 

 彼女の魔法がユニークモンスターを撃破した。結果が全てのこの世界では、それが重視されて、俺のキャラの命なんて二の次なのだ。ほんと、実力主義って怖い。

 不平不満を思いつつ、自身の休憩も兼ねてキャラをその場に寝っ転がらせた後、マイクに向かって言う。

 

「それにしても、やっぱユニークモンスターってエグい体力してんなぁ……」

「ほんとに。まさか、ジョブマスターのレベルカンスト二人で五十分もかかるなんて思わなかった。あ〜、目と腕が痛い。明日絶対筋肉痛」

 

 彼女のキャラも同じように俺の隣に寝っ転がると、黒髪を靡かせて気持ち良さそうに風に当たっていた。フウカ自身も伸びをしているのか、ヘッドフォンから「んっ」と少し高めの声がした後に、甘い吐息が聞こえてきて、胸のあたりがドキッと疼く。

 

「ドロップ品の回収は後でにしよっか。今は休も」

「そうだな」

 

 ちなみに、この世界でのドロップ品は俺たちが今いる”フィールド”では三十分以内は倒したプレイヤー、もしくは倒したプレイヤーのパーティメンバーのみが回収可能で、三十一分以降は部外者プレイヤーでも回収可能になり、最終的に一時間経ったら自動的にデリート……という仕組みだ。一応周りに他プレイヤーがいないのは確認済みだが、念を期して俺らが休めるのはあと十分そこそこだろう。

 

 それを見越しての彼女の意見に同意しつつ、キャラのモーションを継続させる。この『寝っ転がる』というモーションは、HPとMPのリジェネレーション効果がついており、【シールドバッシュ】やその他攻撃スキルにより減少していたMPを微量ながら回復させてくれていた。

 自分でも変だとは思うが、この”少しずつ回復するゲージ”を見るのが最近の趣味で、MPの消費が少ないときは、こうしてよく寝っ転がりモーションを使っては、ディスプレイ越しに微量なMP回復を見て愉しんでいるのだ。フウカにも変な目で見られることが多いが、今日に限っては大目に見てくれるであろう。

 

「そういえば」

 

 五分ほどの各々の時間──俺はこの後落ちるため、PC周りの食料や飲み物の掃除を、フウカの方は……時折水の流れる音が聞こえていたことを考えると、洗い物だろうか──が過ぎ去った頃、付け直したヘッドフォンから落ち着いた女性の声がした。

 

「ん? どうした?」

「いや……いつものやつ、やってなかったなって」

「いつものやつ?」

 

 そう言われて一瞬悩んだが、いつもクエスト達成後にやっていた彼女とのルーティンのことを指しているのは、すぐに分かった。

 

「あぁ、確かに」

「こういう時こそ絶対やるべきことなのにね」

 

 ヘッドフォンの向こうで、クスクスと笑う声が聞こえる。「あぁ、まったくだよ」と含みを込めて、俺も笑い返す。

 俺の化身──《エイジ》を寝っ転がらせたままフウカのいる方へ身体を向けさせ、モーションからこぶしを前へ突き出させる。彼女も慣れた動作で化身を動かし、同じようにこぶしを前に突き出してくる。

 

「お疲れ様」

「ん、お疲れ」

 

 信頼するパートナーと、お互いに拳を突き合わせる。このモーションに効果音はないはずなのだが、俺の耳には確かに「コツンっ」と聞こえた気がした。

 

 爽やかな風が草木を揺らし、緑の波を創り出す。見上げる空は雲一つない快晴で、自由に飛び立つ鳥たちは、俺たちの偉業を祝福しているようにも見えた。

 

『Grass Tale Online』。通称GTO(偉大なる教師じゃないよ!)と称される、グラフィックとゲーム感のリアリティと、敵を倒した時の爽快感がウリの今話題の国内最大級のMMORPGだ。

 そのゲームの中で、俺は彼女と──フウカと出会った。もっとも最初こそギルド主催で定期的に行われる狩りに参加したところに彼女がいたり、皆で雑談をしていたときにちょこっと話す程度の仲だったのだが。

 しかし、時間が経つにつれて、ログイン時間が全く一緒だったことや、タンクと魔導士で相性が良かったこと、このゲーム以外の共通の趣味があったことで、パーティを組んだり、チャットしたりする機会が多くなり、その距離は次第に縮んでいった。

 

 二人でボイスチャットをし始めた頃になると、本当に女性だったことへの驚きと、女性と通話することへの遠慮が少なからずあったが、話しているうちに、似通った家庭環境に置かれていたことも知り、親の愚痴や単位の話などで日夜盛り上がることができた。

 

 俺がマスターの横暴な方針についていけなくなり、ギルドを脱退しようとしたときなんか、糾弾される俺を庇いながら『エイジが抜けるなら私も抜ける』と男顔負けの頑固さを存分に発揮してくれていた。結局俺も彼女も、職権に溺れたギルドの幹部達が、彼らだけが持つ”通報”という機能を使って、強制的にギルドから脱退させられたのだが。

 しかし、その追放のおかげで、ある意味で強い絆で結ばれた俺たちの関係は、ゲーム内の”結婚”機能に留まらず、ついにはリアルの恋愛情事にまで発展した。俗に言う"ネット恋愛"というもので、周りからかなり反対されはしたものの、一年近く経った今ではそれも気にならなくなった。

 

 ただ唯一苦言を呈するのなら……。

 

 仰向けで空に向かって手を挙げているフウカを見やる。

 

 お互い学生で、住んでいる場所も遠かったために、リアルでまだ一度も顔を見たことがないのだ。

 それだったら、写真でもなんなり送ってもらえば良いじゃないかと思う方もいるだろう。まぁ、それは俺も考えたのだが……。結局、そういう類の話はしないまま、今日この日までのんびりと彼女との時を過ごしてきてしまった。なんとなくだが、現実を知りたくないと思ってしまっていたのだろう。面食いという訳では無いのだが、全く失礼極まりないと自分でも思っている。

 

「エイジ」

 

 どうやら俺の視線に気づいていたようで、空に向けられていた視線が寝転がる俺の化身に向けられていた。

 フウカは一瞬、陽の光にも負けないくらい眩しい微笑みを俺に向けた後、今度はパッと花を咲かせたかのような明るい顔になる。

 

「そろそろ休憩終わりにしよ! ドロップ品の回収いこっか!」

 

 そう言いながら意気揚々と立ち上がる彼女の背中を、俺は気だるげに見つめた。

 

 リアリティを追及しすぎた結果なのだろう、このゲームのドロップ品回収作業はなかなか手が折れるのだ。お察しだとは思うが、倒したモンスターのアイテムがデータ化されてアイテムボックスに自動保存されるのではなく、倒したモンスターの残骸の中から、手探りでアイテムを見つける、というものだ。至極面倒でグロテスクな部分もあるので、実はプレイヤーの中から改善を要求されてるのだとか。

 

 ただ良心的なのは、ドロップしたアイテムを全て取りきるまで死骸が自動削除されないという点だろう。このシステムのおかげで時間はかかるが、取り逃しは無くなる訳だ。まぁ、それを差し引いても、俺はこの回収システムが嫌いなのだが。

 

「ほら、早くしないとドロップ品全部貰っちゃうよー! 」

 

彼女の声に我に返ると、既に彼女の背中は大狼のお腹辺りまで移動していた。

 

「……へーい」

 

もう少しこのままでいたいという気持ちを抑えて、俺は嫌々ながら《エイジ》の腰を上げさせた。



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Grass Tale Online 1-2

「いやー近くで見ると尚のことおっきーねぇ……」

 

 黒焦げになった大狼に近付いて、腰に刺してある剥ぎ取り用の短剣を取り出しながら、彼女が呟く。

 

「お前は離れた位置で魔法撃ってただけだもんなぁ。俺はずーっとこれと張り合ってたんだぞ」

「その説はありがとうございました──」

「うむ。良きにはからえ」

「──防御バカ様♡」

「シバくぞ」

 

 お互いに冗談を言いつつ、彼女の提案で俺は頭から、彼女は尻尾から回収を始めて、一番ドロップ品の多いであろう腹は二人で狩り取る、と取り決めてから解体作業を始める。

 

 頭部に着いた時、最初に目に入ったのはやはり【エクスファイアⅤ】の直撃を受けた脳天だった。頭部の毛皮や、肉や骨が抉れて内蔵が丸見えになっているのは勿論、緑で溢れているハズの草原の一部が、大狼のドスグロい血液により赤黒く染っていて、思わずディスプレイから目を背け、無意識に「ウッ……」と口元を手で抑えてしまう。いや、これあかんでしょ。こんなところまでリアルにしなくても良くね!? 

 

「エイジー? 大丈夫ー?」

「あ、あぁ……だいじょぶだいじょぶ」

 

 ヘッドフォンから呑気なフウカの声が聞こえ、少しばかりか気持ち悪さがマシになる。俺が頭部担当で、本当に良かった。こんなグロいの、流石に彼女には見せられない。

 それでもやはりディスプレイから目を背けつつ、採取ボタンを連続でタップし続ける。その度に「グチャッ」という何かが潰れた音がヘッドフォンから響き渡り、俺の想像力を掻き立てる。俺はただ、その妄想を振り払うかの如くタップを繰り返す。

 

 〈ドロップアイテム : ≪大狼の瞳×2≫ ≪大狼の毛皮×50≫ ≪大狼の肉×99≫ を入手しました〉

 

 その行為を繰り返すこと約三分。大狼の頭部が自然消滅した後、チャットログの更新を確認する。それを元にアイテムボックスを開くと、確かにそれらと思わしきアイコンが三枠に分かれて増えていた。……いや、≪大狼の肉≫多すぎだろ。カンストしてんじゃねーか。

 既に自分の分の回収が終わり、大狼の腹部で待機していたフウカに近づきマイクに向かって声を発する。

 

「フウカはどの位素材集まった?」

 

 俺の問いに、彼女は顎の下に人差し指を置いて「ん~……」と唸った後、そのままその指で宙をスワイプする。直後、そのスワイプした軌跡辿るように、彼女の目の前に半透明のアイテムボックスが出現していた。設定で可視化したのだろう。

 彼女の隣に立ってストレージを覗き込み、手に入れたものを読み上げる。

 

「≪大狼の尻尾×3≫ ≪大狼の毛皮×30≫ ≪大狼の肉×99≫……。いやだから肉多すぎな」

 

 俺と同じ様な状況に、思わずツッコみを入れる。まぁ、恐らくこのドロップ量を考えると、大規模パーティ──所謂”レイド”を想定しての事なのだろう。

 

「……狼の肉って美味しいのかな?」

「別に俺ら本人が食べるわけじゃないんだから、美味しさとか関係なくね? 絶対売った方がいい」

「そうやってロマンのないこと言うの、良くないと思いまーす」

 

「ブーブー!」と可愛らしくバッシングをしてくる彼女。しかし、それもすぐに引っ込めると、今度は《The Lost Tale》の亡骸を傍目に見ながら、打って変わって感慨深げに呟く。

 

「……私たち、本当に二人だけでユニークを倒したんだね」

「こういう達成感って、ドロップ品回収後にじわじわ来るよなぁ」

 

 腰に手を当てて同意する。うんうん、その気持ち良く分かるよ。

 ちなみに、こういったユニークモンスターを狩った者やパーティは、”世界見聞録”と呼ばれるゲーム内の記念碑にその名が刻まれるらしい。

 これは、このゲームのプレイヤーにとっては大変名誉なことで、有名人になるきっかけでもある。現に、前回イベントのユニークモンスター討伐パーティは、羨望の眼差しと共に公式ゲーム攻略サイトで特集が組まれていた。恐らくだが次のメンテナンス辺りで、石碑に俺たち二人の名前が刻まれて、彼らと同じような扱いを受けることになるだろう。

 

「まぁ、そんな感慨深くなってないで、ちゃっちゃと回収作業済ませちゃおうぜ。前から言ってるけど俺は回収作業が嫌いなんだよ」

「……うん、そうだね」

 

 ……? なんだろう、どうにもフウカの歯切れが悪いような気がする。

 しかし、大狼の腹部に座って剥ぎ取りに入った瞬間からいつも通りの明るさに戻っていたし、きっと気のせいだったのだろう。これ以上深入りして作業遅らせるのも環境的にマズいし、第一に俺はさっさと回収作業を済ませて、喜びに満ちながらログアウトしたいし。

 そう結論付けて、短剣を握りしめる。

 

 ユニーク狩りの集大成。ここはひとつ気合を入れて剥ぎ取ろうじゃないか! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈ドロップアイテム:大狼の肉を手に入れました〉

 〈ドロップアイテム:大狼の肉を手に入れました〉

 〈ドロップアイテム:大狼の肉を手に入れました〉

 〈ドロップアイテム…………〉

 

 

 ………………って思ってた時期もありました。

 

「ねぇ……さっきから肉ばかり取れてるのって気のせいかなぁ?」

「きっ……気のせいじゃないかな?」

 

 ヘッドフォンから聞こえる怒りに満ちた声に、心臓が飛び上がる。これはまずい。非常にまずい。このままでは、『五十分も掛けて戦った強敵が、実は食用ユニークモンスターでした!』なんてことになりかねないんじゃないのだろうか。そうすれば、フウカの激怒は必至、このゲームを引退なんて流れもありえる。それに加えて、俺達は『食い神坊(笑)』『神喰らい(食用)』みたいな称号を押し付けられて、このゲーム一の笑い者になってしまうのでは──

 とりあえず今は第一に、この場をどうにかして切り抜けなければ! 

 

「じ、実はこいつ、肉だけのモンスターなんじゃないのか? ユ(ニーク)みたいな──」

「冗談言ってないで剥ぎ取りなさい」

「サー、イエッサー!」

 

 隊長! 僕には切り抜ける力なんてなかったようです! 

 マイクが拾わないようにそっとため息をつきつつ、採取ボタンをタップし続ける。しかし、出てくるのはやはり肉ばかりで……たまに毛皮が剥ぎ取れるのが一周回ってイラっとする。どうせなら肉に統一しろや。

 

 まぁ、彼女が焦るのも無理はない。でも、出来れば俺に当たらないで欲しいなぁ……。

 ……と、恨み言を連ねていたその時。

 ピコンっ! という軽快な音が、脳内に鳴り響く。この音は、もしかして──

 採取ボタンのタップをやめ、急いでアイテムボックスを開く。隣では、フウカが苛立たしげに採取を繰り返しつつ、こちらの様子を伺っている。

 

 〈ドロップアイテム : ≪黄金の槌≫(ユニークアイテム)を手に入れました〉

 

「やったぞフウカ! ユニークアイテム!」

「え、本当!? 見せて見せて!!」

 

 フウカが怒り顔から一転、期待と喜びの表情を見せながら俺の肩に手を置いて急かしてくる。アイテム欄を可視化設定し、彼女が見やすいように少しだけ身を屈めてあげる。

 

「≪黄金の槌≫……装備じゃないけど、どの情報サイトにも載ってない、マジのユニークじゃん! 効果は!?」

 

 俺以外触れられないのを忘れるくらい興奮しているのか、フウカがスカッ、スカッと槌のアイコンを透かしながらタップを繰り返す。そんな彼女の行動に苦笑いしつつ、彼女の指に、自分の指を合わせて槌のアイコンをタップする。数瞬のラグの後、ブンっという鈍い音と共に槌の情報が出現した。

 

「えーっと……? 『古の噺に出てくる伝説の槌。所持しているだけで所持者の願いを三つまで叶えることが出来る。所持者は至る所で使用可能』……と」

 

 なんか凄いことが書いてある気がするけど、何分現実味がなくて話が頭に入ってこない。ただ一つ分かったことがあるとすれば、あのモンスターの名前の"Tale"──つまり"御伽噺"が関係している、ということだけ。効果や外見を見る限り、童話『一寸法師』の"打出の小槌"なのだろう。

 

「チートと疑われても仕方がないくらい、えげつない効果だね……」

 

 声音だけだが、彼女の戦慄が手に取るように分かった。

 俺はひとつ咳払いをしてから、彼女の化身に近付いて、立膝になって一言。

 

「俺がチートの疑いかけられても、一緒にいてくれるかい……?」

「んー、願い事叶えてくれたら一緒にいてあげるかも」

「俺への愛情ゼロかい」

 

 お互いに軽口を叩きあって、どちらともなく笑い合う。

 その後、しばらくの間大狼の腹部を剥ぎ取って探してみたが、やはり思った通り肉ばかりで、めぼしいアイテムは結局見つからなかった。

 

 空へ昇っていく《The Lost Tale》のポリゴン片を見上げていると、フウカが俺の腕をギュッと掴んで話しかけてくる。

 

「結局、これ一つだけだったけど、報われたよね。……ねぇ、どんな事お願いするの?」

「んー、まだ未定。使用出来るのはどうやら所持者だけみたいだから、出来るだけ俺とフウカ、二人が得するものにしようかなって」

「普通の人だったら独り占めしちゃいそうだけど……やっぱそこがエイジのいい所だよね」

「そりゃどうも。……おだててもなんも出ねーぞ」

「バレたか」

 

 彼女が声を立てて笑う。

 

「今日、このあとどうする?」

 

 そう問われて、部屋に備え付けられている時計に目を移すと、短針は既に2を悠に通り越して3近くを指していた。

 そろそろ寝ないと、本格的に明日の講義に間に合わない。

 

「悪い。俺はもう落ちるわ。明日講義一限からだし、流石に眠い」

 

 そう答えると、彼女は安堵したかのように息を吐いた。

 

「実は私も。エイジがまだ続けるって言ったらどうしようかと思った」

「そんじゃ、まだ続ける?」

「お一人でどうぞ?」

「うそうそ」

 

 冗談を交えつつ笑いあう二人の髪が、風によって芝と共に綺麗に波立つ。

 

「じゃあ、また明日な」

 

 なんとなくまだ話していたい気持ちもあるが、ここで我儘を言っても仕方がないので拳を固めてグッと我慢する。彼女の生活を阻害するのは、正直彼氏として失格だと思うから。

 もう何百回とやってきてお陰か、慣れた手つきでメニュー画面を開いて、ログアウトメニューを出す。

 

「エイジ、ちょっと待って! 一個言い忘れてた!」

 

 彼女の焦ったような声にビックリして、すんでのところでメニューから指を離す。

 

「なんだよいきなり」

 

 俺が言うと、彼女は「ごめんごめん」と笑いながら話を続けた。

 

「来週末、都心でリアルイベントあるよね?」

「あるな」

「……エイジは行く?」

 

 彼女の微かに期待を滲ませた声が鼓膜を震わす。彼女が何を言わんとしているかはすぐに分かった。

 

「あぁ、行くつもりだよ」

 

 だからこそ、いつもより幾分ばかりか優しい声で言う。同じ気持ちだよ、と共有するために。

 

「そっか、そっかそっかぁ!」

 

 隣に立つキャラの動きに変化はないが、彼女の声音は年相応とは思えない、まるで無邪気な子供みたいに弾んでいた。

 

「実はね、お母さんが許してくれて、私も行けることになったんだ〜! これで、やっとエイジに会えるね!」

「おぉ、良かったな」

「えーなんか反応薄い~。結構サプライズだと思ったんだけど」

「いや、そんなことないよ。俺だってめちゃくちゃ嬉しい」

 

 実際のところ、先程とは違う意味で拳を強く握っている。身体は嬉しさで震えてるし、顔なんか既に人様に見せられないほど破顔している。そりゃそうだ。彼女と知り合ってから二年、付き合ってから一年。やっと、生身の彼女に会えるのだ。正直、イベントそっちのけで彼女とイチャコラしたいとすら思っている。

 

「早く当日になんねーかなぁ……」

「それこそ、《黄金の槌》に頼んでみれば?」

「馬鹿言え。いずれ来るものを願うなんて無駄遣いじゃないか」

「そういうところはちゃんと考えてるのね……」

「それに第一、こういうアイテムがリアルで使えるわけないだろ」

「夢を壊さないでよ」

 

「まぁ、そういう所がエイジらしいよね」と、フウカがクスクス笑う。

 

「まぁ、とりあえず、正確な時間とか場所とかは近くなったらまた話そ! とりあえず言いたかったことはそれだけ! また明日ね!」

 

 彼女は、そのまま素早い動作でログアウト画面を開いた後、最後にもう一度「おやすみ」と微笑みながら呟くと、青い光に包まれて消えていった。

 それと同時にボイスチャットも終了したようで、ヘッドフォンからは少し耳障りなノイズ音と共に、草木が揺れる静かな音が響いていた。

 

 ……本当、嵐のような時間だったな。

 

「さて、俺もログアウトするかぁ……」

 

 開きっぱなしのメニュー画面から、もう一度ログアウトボタンをタップする。

 その直後、先程フウカの周りに現れたような青白い光が《エイジ》を包み込んでいき、先程の草原の景色がどんどんと遠のいて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 リィーーン……

 〈ログアウトが完了しました〉

 

「ふぅ……疲れたなぁ……」

 

 ちゃんとPCがシャットダウンされたことを確認してから、ゲーミングチェアに寄りかかって伸びをする。リクライニング機能付きのそれは、少しの反発はあるものの、俺の意思を受け入れるかのように倒れ込んでくれた。

 

 俺こと(かしわ)(ざき)英司は、今年で大学三年生になった。入学当初から始めていた一人暮らしにも慣れ、出来た暇な時間を趣味のゲームに費やす、いわばネト充だ。

 

 一年の頃は比較的頑張って勉強とゲームの両立をしていたのだが、二年生になった途端にゲーム優先に切り替わってしまい、堕落。そのせいで三年になった今は単位が幾分かピンチなのである。

 自業自得なのは分かってはいるのだが……習慣づいてしまったモノは中々治すことはも出来ないし、それどころか講義中もゲームのことやフウカのことばかり考えてしまって、内容が身に入らない。無理にでも講義を聞こうとするとストレスばかり溜まってしまって仕方が無い、という悪循環にハマってしまっている。なので、睡眠時間を削ってまでゲームをしているのだ。

 

 手早く大学の準備を済ませて、ベッドへダイブする。……ちなみに既に風呂は済ませてあるから、汚くはない。

 充電コードに刺してあるスマホを手に取り、電源を入れる。ホーム画面に表示されている日付は、先ほど確認した時より一つだけ増えており、時間に関しては既に3時を回っていた。いつもならば夢の中でゲームをしている時間なのだが……。

 

「あの小槌、どうしようかなぁ……」

 

 早く寝なければ、と心の中では思っているのだが、どうにもあの小槌が気になって仕方がない。そもそも、運営が一ユーザーにこんなデタラメな効果の代物を授けて良いのだろうか。

 

「手に入れた時は興奮してたから分からなかったけど、冷静になってから考えてみると、ゲームバランス壊しかねないよな……」

 

 まぁ、多分そこら辺はちゃんと考慮されていることだろう。……と思いたい。ここは、手に入れちゃったもんは仕方ないと、割り切ることにしよう。

 もし使うとしたら、どんな感じに使おうかな。とりあえずフウカと俺の願いを一個ずつ、二人の為になる願いを一つって感じにしようかなって思ってるが……。

 スマホを閉じて、枕にうずくまる。

 

 前にフウカが「最近マンネリ化してきてイベント以外つまんない」って話していたし、この際フウカと二人で、一度Lv1からやり直す……とかもありだな。これなら二人のためになるし、何よりまだまだこのゲームを楽しめることになる。ただ、職業解放だけはめんどくさいから、今のまま維持して欲しい感はある。……なんて。

 リィーーーーン……

 自分の欲の深さに苦笑いする。そんなこと、出来るわけがないのに。

 

 大きな欠伸をしつつ、寝返りを打つ。

 フウカは、どんな願い事をするのだろうか。地位や名声、装備だって何もかも持っている彼女は──。

 

「あ、やべ。《炎帝の魔杖》渡し忘れた」

 

 あるじゃん、持ってない装備。ユニークアイテムの件で完全に忘れてた。怒られそうだなぁ……。

 まぁ、明日またあの()()()()()()で、あいつと会うんだ。──リィーーーーン……──その時にでもちゃんと渡してやらないとな。多分あいつも忘れてただろうし、きっと許してくれるだろう。

 

 そう考えている内に、だんだんと意識が遠のいていくのを感じた。バイトが終わってから五時間ぶっ通しでゲームをしていたのだ。いつもよりかなり早く睡魔が襲って来てくれて、逆に助かった。早いとこ眠って、明日に備えよう。

 そういえば──。

 薄れゆく意識の中、彼女の最後の言葉が頭の中を駆け巡る。

 

『イベント、行けることになったんだぁ〜!』

(当日着ていく服、買ってこなきゃな)

 

 頭の中でフフっと笑って、俺は意識を暗闇へと手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──この願いが叶うことは無いとは知らずに。



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御伽世界の神様1-1

 俺は夢を見ていた。

 それはとても幸せな夢だった。

 窓から柔らかな日差しが差し込み、小鳥のさえずりと一定間隔で刻まれるトントントンっという軽快な音が、心地良く俺の耳を震わせていた。

 そんな中で俺は目を覚ました。体を起こして大きく伸びをした後に、一つ欠伸をする。

 ……あれ、俺、カーテンを開けっ放しにしたまま寝てたのか。部屋の中、結構散らかってるから見られてたら恥ずかしいな、と呑気なことを考えつつ、布団のぬくもりから這うように出てフローリングに足を着く。

 まだ周りの明るさに慣れていないのか、視界には軽くモヤがかかっており、視線が微妙に定まらない。

 

”あら、お目覚めになりましたか? ”

 

 転ぶことを懸念して壁伝いに部屋から出ると、台所の方から声が聞こえてきた。なるほど、さっきのトントンって音は包丁とまな板の音だったのか。

 

「うん、おはよう」

 

 寝起きでぼやっとする頭を働かせて、台所へ向かって挨拶を返す。

 

”はい、おはようございます。朝ごはん、もうすぐ出来ますので、まずはお顔を洗ってきてください”

「ん。ありがとう」

 

 聴き慣れない美声に頷いて、言われるがままふらふらと洗面所へ向かう。くそ、やっぱり3時まで起きているんじゃなかった。朝が辛すぎて仕方がない。

 なんとか洗面台まで近づいて、蛇口を捻る。キュッという高い音を立てた後、勢いよく水が出てくる。傍らに置いてあるタオルを手元へ手繰り寄せ、手をおわん型にして水を掬って、顔へかける。よく冷えた水は、鈍感になっていた感覚を研ぎ澄ましてくれて、俺の目を覚ましてくれた。

 一通り洗い終えて、タオルで顔を拭って息を吐く。さてそれじゃ、サクッと朝飯食べて、大学へ────

 

「誰だお前!?」

 

 リビングに続くドアを勢いよく開け、台所にいる謎の人物を問いただす。謎の人物は、一度はおかしなものを見る目でこちらを見ていたが、だんだんと肩を震わせ、ついには我慢出来ないとばかりにお腹を抑えて笑い出した。

 

”ア、アハハっ! す、すみません。寝ぼけていたようなので、少々からかってしまいました”

「お前、馬鹿にして……」

 

 そこまで言いかけて、思わず息を呑んだ。

 笑い涙に濡れた目じりを拭う彼女を見て、凄い美人だなと、そう思った。馬鹿にされて腹が立っていたのも忘れるくらいの。

 少しつり目気味だが、顔は綺麗に整っている。それに加えて、見る者の視線を吸い寄せるような魅力を持った豊満な胸部、優美な曲線を描くほっそりとしたくびれを持っており、腰まで惜しみなく伸ばされた銀色の髪は、彼女の動きに合わせて優雅に踊っている。

 そんな彼女は、一通り笑った後に大きく息を吐くと、打って変わって真面目な顔で話し出した。

 

"自己紹介が遅れましたね”

 

 彼女が、”申し訳ありません”と腰を曲げて丁寧に謝る。その際、胸部の布が重力に従って垂れ落ち、中身が見えそうになるのに気づき、すんでのところで顔を逸らす。ここで鼻の下を伸ばして豊満な果実を堪能しても、フウカと会った時に罪悪感しかないからな。俺はフウカ一筋だ! 

 数瞬の後、彼女が腰を上げる。その動きに同調するように彼女へと視線を戻すと、まるでわが子を見るように優しい眼差しをこちらへと向けていた。

 

”初めまして。私は《グラステイル》を管理する神《メルヘン》。……お待ちしておりました。《失われた御伽噺》を倒せし者よ”

「……メル……ヘン?」

 

 なんかえらく可愛らしい名前だな……。

 

 ”フフッ、よく言われます”

「うおっ!? 心読まれた!?」

 

 驚いて彼女から数歩後退る。しかし彼女は俺の反応に満足したのか、可愛らしく微笑みながら、

 

”はい、読ませていただきました。『本当に神なのか? 実はただ単に痛いやつなんじゃ?』って思われるのが嫌でしたので、先にこうして力の一部を見せつけるのも良いかと判断しました”

 

 と、言ってそのまま出来た数歩を同じ分だけ歩み寄ってきた。

 

”どうですか? 私がそういう存在だって信じてもらえましたか? ”

「……うん、まぁ一旦は信じるよ」

 

 そう答えると、彼女は微笑みを崩さないまま"ありがとうございます"と言った。

 次いで彼女は俺から顔を背けると、鼻歌交じりに台所へと向き直った。何をするのかと後ろから覗き込んでみると、先程から傍らに置いてあったボウルに入っていた溶き卵をフライパンへと注ぎ込んでいるのが見えた。

 ……そういえば包丁の音がしていたし、俺が問いただす前もきっと料理をしていたのだろう。

 

「ごめん、朝飯の支度途中だったのに。邪魔しちゃったな」

”いえ、私が独断で勝手に連れてきてしまったんですもの。あぁいう風に問いただされるのも想定していましたし、これくらい問題ありませんよ”

 

 油が跳ねる音と共に菜箸を細かく移動させながら、彼女が言う。バターが溶けて、塩胡椒と絡み合う良い匂いが俺の鼻腔をくすぐり、それに反応するかのように腹の虫が鳴った。

 その音が聞こえたのか、メルヘンがクスッと可愛らしく笑う。

 フライパンの上でバラバラになっていた卵を奥側にかき集めて、綺麗な楕円形を作る。ある程度卵が固まったタイミングを見計らってフライ返しを卵とフライパンの間にスッと入れると、そのまま持ち上げて、大皿へと移し替えた。……オムレツの完成だ。

 彼女はその出来に満足げにウンっと頷くと、着けていたエプロンを外して近くのハンガーに掛ける。彼女の身長では少し高い場所にあったので、少しだけ背伸びをしている姿が微笑ましかった。

 ある程度料理の片付けが終わらせた彼女は、俺の方に体を向けると、ポンっと手を叩いて、”さて!”と話を切り出した。

 

”エイジ様。積もる話もありますし、朝ごはんを食べながらお話しませんか?"

 

 綺麗に盛り付けられた大皿を顔の前に持ってきて、彼女はニコッと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”さぁ、食べましょうか”

 

 向かいに座ったメルヘンが、”いただきます”と手を合わせてから箸を手に取る。

 いつの間に準備されていたのか、テーブルの上には先ほどのオムレツの他にも、湯気の立った米や味噌汁、焼き魚にきんぴらごぼう、極め付けには納豆と、日本の一般的な朝食が綺麗に並べられていた。その美味しそうな光景に、空きっ腹だった俺は我慢出来ず「いただきます」と挨拶をするのももどかしく、味噌汁のお椀に手を掛け、口を付ける。

 

「……美味い」

 

 具材が豆腐とワカメ、ネギのみという至って普通なもののはずなのに、出汁が良いのか、味噌が良いのか……その美味さはウチの母親が作るものと同等────いや、それ以上かもしれない。

 

"さて。食べながらでよろしいので、今から質疑応答の時間を設けます。何か疑問に思っていることはありませんか? ちなみに、これから先のお話で、【読心】は使いませんのでご安心を"

 

 夢中で頬張る俺に微笑みかけながら、彼女が言う。顔は柔らかく破顔しているものの、その反面俺を見る目はかなり真剣だった。質問次第では彼女を怒らせてしまう気がしたので、まずは当り障りのない話題から始めるとしよう。

 

「メルヘンって、普段から和食を食べてるのか?」

”……え?”

 

 彼女は、問われた真意が理解できなかったのか、きょとんとした顔でパチパチと目を瞬かせていた。

 

"なぜ、そのような質問を?"

「いや、箸の扱いに慣れているといい、この味噌汁の美味しさといい……普段から作って食べてるのかなって思ってさ」

 

 メルヘンという名前の時点で、日本の神様でないのは明らか。しかし、彼女が作ったものは日本の一般的な朝食の数々だった。俺はそれに違和感を覚えたのだ。

 俺がそう言うと、彼女は仄かに頬を赤くして、俺から目を逸らす。

 

”いえ、別にそういうわけではありません。できる限りあなたの食べ慣れているものが良いと思いまして、あなたの記憶を頼りに、今日初めて作らせていただきました"

「えっ、この美味さで初めて作ったの!?」

”は、はい……僭越ながら……”

 

 そう迫ると、すでに赤かった頬をさらに真っ赤にして俯いてしまうメルヘン。そのしおらしさといい、料理のセンスといい、メルヘンは、きっと将来良いお嫁さんになるだろうなぁ、と心の中で思った。

 

”エイジさん、あなたって変わってますね”

「いや、なんでだよ!」

 

 メルヘンからの唐突な罵倒を素で返事をしてしまい、慌てて謝る。しまった、フウカ以外の女性と話す機会なんてなかったから、つい……。

 俺の謝罪に、彼女は”大丈夫ですよ”と笑顔で手を振ると、話を続けた。

 

”普通の方なら、もっとこの世界のこととか、自分がなぜここにいるのか等を真っ先に聞かれると思っていましたので……。まぁ、お褒めいただき、ありがとうございました”

 

 コホンっと咳払いをした後に、先ほどより幾分か優しげになった目付きで次の質問を急かしてくる。

 

”それでは、次の質問をお聞きしましょうか”

「じゃあ、メルヘンが聞かれたがっていたので、それを質問させてもらうね」

 

 ”別に、そういうわけではなかったのですが……”と、ぶつくさと拗ねたように弁解する彼女に苦笑いしながら言う。

 

「……ここは《Grass Tale Online》の世界ってことでいいのか?」

 

 今度は動揺もせずに首を横に振った。

 

"いえ、その解釈は間違いです”

「じゃあ、ここはどこなんだ?」

 

 問われた彼女は動かしていた箸を止め、晴れやかな雰囲気を残したまま真剣な声で言った。

 

”正確には、あなた方の言うゲーム《Grass Tale Online》に似て異なる《グラステイル》という世界です”

 

 俺は、現実でもなく、ゲームの中でもない、第三の世界に来てしまっている、というわけか。……まったくそんな感じしないけど。

 

"あなた方が倒してくださったあのモンスタ────―《The Lost Tale》は、元々は私の世界に存在していた"災厄"の二つ名を持つ、人々を脅かす魔獣だったのです"

 

 余程あのモンスターに恨みがあったのか、凍てつくような視線と苛立たしげに腕を組んだその態度が印象的だった。

 

"あんなメタボ狼如きが、私の愛しい民を殺戮するなんて、何たる侮辱……! 神という立場でさえなければ、私自身あの犬っころまで赴いて捻り潰してやったのに……"

「おーい、キャラ変わってきてるぞー」

 

 指摘すると、メルヘンは誤魔化すための咳払いをした後に、何事も無かったかのように話を続けた。

 

”しかし私の可愛い民たちは、かのメタボ犬っころを倒すべくに立ち上がる決心をしてくださいました”

 

 相当あの大狼のことが嫌いだったんだな、メルヘン。

 

”人族最強の英雄《ヴェルド》、亜人賢者《アイリス》、聖女《メルナ》を筆頭に、選りすぐりの精鋭たちが討伐パーティを組んだのです。彼らは数々の犠牲を出しながら、何とかあのブタを瀕死の状態まで追い込みました”

 

 ついに狼から豚に変身しちゃったよ。っていうか、剥ぎ取りの時、あんなに肉ばかり出てきたのって、あいつがメタボだったせいなのか……。

 

”あの豚は、最後まで無様な抵抗を続けました。そしてあろう事か、残った力を使って異世界へと転移して逃げ延びてしまったのです。私の民達は、消滅させたと勘違いして勝鬨を上げて喜んでいましたが……正直、私は絶望していました。かの大狼は、異世界で先の戦で傷ついた体をゆっくりと休めて、ある程度治ったらまた《グラステイル》を襲うつもりだったのです"

 

 ……なるほど。やっと話が見えてきた。

 

「そいつの転移先の世界が《Grass Tale Online》で、そいつを倒したのが俺達……というか俺達のゲームキャラだったわけか」

 

 俺が横槍を入れると、彼女がコクンっと頷いた。

 

"はい、その通りです。理解が早くて助かります"

「どおりで何の予告も無しに突然出現したと思ったよ」

 

 あの様なユニークモンスターは、運営側が出現日時を提示してからあれやこれやと対策を練ってレイドを、というのが普通だ。それなのに、《The Lost Tale》はその提示無しに俺達の前に突然出現した。戦ってる時は興奮していたし、「運営の遊び心かな?」程度にしか思っていなかったけれど……こういう事情ならば、突如として出現した理由としてちゃんと筋が通っている。

 

 彼女のまとめると……

 メルヘンは《Grass Tale Online》の神、つまり運営様という訳ではなく、実在している《グラステイル》という世界の神様で、その世界で生きている人達の生活を脅かしていたのが、俺とフウカが倒した《The Lost Tale》だった……ってところか。

 

「ある程度の事情は分かった」

 

 ティッシュで口元を拭きながら頷く。テーブルの上には空になったお皿やお椀が綺麗に並べられていた。

 

「ご馳走様……と言う前に、次の質問いいか?」

"はい、構いませんよ"

 

 今までの質問は全て情報を集めるためのものだった。

 いきなり現れた美女、ここが何処なのか、何があったのか────。そんなの、割りとどうだっていい。俺が本当に質問したいことは……。

 

「何故、()()はこの世界に連れて来られた?」

 

 聞いた瞬間、彼女の纏う雰囲気と目付きが変わったような気がした。



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御伽世界の神様1-2

"……もう一人いる事に気が付いていらっしゃったのですね"

「そりゃ当たり前だろ。なんたって、《The Lost Tale》にトドメを刺したのは紛れもなくアイツなんだからな」

 

 だから俺が連れてこられて、アイツが連れてこられないワケが無い、という読みだったのだがどうやら、当たっていたようだ。

 

「で、フウカはどこだ?」

 

 メルヘンが、フウカも来ていることを意図的に隠していたという事は、きっと彼女の存在を隠しておきたかった理由があるはず。

 俺がそう問うと、彼女はウーン……と迷いを滲ませながら唸った後、大きくため息をつく。ただ彼女の面向きは、決して悪い出来事を伝える時のような神妙なものではなく、どちらかと言うと口止めされたことを言おうか言うまいか悩んでいるような感じがした。

 それに気付いた瞬間、俺は色々と察してしまい、呆れと共に自分の口角が吊り上がるのを感じた。

 

 メルヘンは言い辛そうに眉を八の字に曲げた後、俺から微妙に視線を逸らして、口を開いた。

 

"……フウカ様の提案で、あなた様が来る前に既に《グラステイル》へと送り出してしまいました"

 

 それを聞いて、俺は無意識にため息をついていた。いつも勝手に決めて、決めたことには一直線で、周りの言うことを全く聞かない……フウカはそういう子なのだ。大方、今回も『エイジも来るなら、先に行って驚かせてやろう!』とでも言って、メルヘンに転移を急かしたのだろう。

 

”どうやらエイジ様を驚かせたかったらしく、『サプライズをしたいから先に送ってほしい!』とせがまれて、仕方がなく……。本来は最初に私が用意した部屋で、召喚された者達同士で顔合わせをしなければならない決まりがあったのですが……”

 

 ほらやっぱり。流石フウカ、期待を裏切らない。

 

「本当、フウカが申し訳ない……」

”いえ、フウカ様も常にあなた様のことを想っていらっしゃって、とても可愛らしかったですよ。それはもう、【読心】を使わなくてもすぐ分かるくらいに”

 

 メルヘンが茶化すように笑う。その笑いが収まると同時に、"さて"と机の上で手を互い違いに組み合うと、打って変わって真剣な顔付きになった。

 

”なぜあなた方をこの世界に呼んだか、でしたね”

 

 そう言う彼女の凛とした声の中に、どこか寂しげな音が混じっているような気がして、自然と背筋が伸びる。

 

"《グラステイル》には、《The Lost Tale》の他にも民たちを脅かす脅威がいるのです。魔王を筆頭にそれを支える四柱────《(かん)(わく)》の魔女 、《残虐》の九頭龍、《憤怒》の牛魔、《死風》の道化師。彼らは日々人間の世界に侵攻しては人々を殺戮したり病を蔓延させたりと、とにかく残酷なことをしているのです"

 

 その残虐さを思い出したのか、彼女の両頬を涙が伝う。大事な話の最中に不謹慎かと思ったが、やはりメルヘンは泣いても美しいな、とそう思った。

 

"本当は私自身が赴いて民達を救いたいのですが、とある事情があって、私は干渉出来ないことになっているのです。ですから、あなた様方はこれから私の助言に従って行動していただきたいのです"

 

 彼女は音もなくスっと立ち上がると、椅子に座ったままの俺に跪き、頭を垂れた。

 

「ちょ、メルヘン!? 立ってくれよ!」

 

 流石に神様にこういうことをさせるのはマズいということくらい、俺にも分かる。

 しかし彼女は俺の言葉に対して"立ちません"と首を振り、その代わりに顔を上げた。彼女の目元には、今もなお雫が溜まっている。

 

"英司様。どうか、私の世界を救ってくださいませんか? "

 

 分かっている。こんな時に悪いことだと分かっているのだが……。

 どうしても胸元に目が行ってしまう。だって考えてみろよ。推定でGはありそうな豊満な胸部に加えて、涙目、上目遣いだぞ。これで見ない男は男じゃねーだろ。

 

「……具体的な下準備とかは?」

 

 目を背けて、頭の中をグルグル回る煩悩を振り払いつつ、詳細を聞く。

 

 いきなり殺伐とした世界に放り込まれても、俺達にできることなんてたかが知れている。それだったら、情報収集ができる道具だったり、それこそ聖剣みたいなチート級の武器をもらったり。俺がよく見る異世界転生でも、そういうのはありきたりだった。

 俺の問いに、彼女は上目遣いのまま答える。

 

"まず、あなた方のステータスを改めさせて頂きます"

「えぇ!? なんで!?」

 

 俺が期待していた言葉と真逆の言葉に、つい素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「ステータスなんて改めたら、それこそさっきの四柱だか魔王だかに勝てなくなるだろ」

 

 語気を強めてそう言うと、彼女は涙目で首を振る。

 

"今現在ここにいる柏崎英司様のステータスは、《エイジ》様のステータスをそのままコピーしたものとなっております。ただでさえ、ゲームの中でも最強の一角を担っていたあなたが、今のまま急に《グラステイル》を訪れて、何かの拍子にその力を使ってしまい、そのことが国のお偉いさん方にバレたら、どうなると思いますか? "

「……大体予想はつくが、どうなるんだ?」

"それを知った国々は皆、あなた方を突然現れた危険因子──つまり『災厄』と同じ扱いをするか、もしくは戦略兵器として、どこかしらの国に一生幽閉されることになるでしょう。そうなった場合、あなたが戦争以外で外に出られることも無くなり、魔王軍の急な進行があった際に、為す術もなく民達は滅びてしまいます"

 

 ごくりっと、喉が生唾を呑む音を鳴らす。

 勇者達が奮闘してやっと追い詰めた《The Lost Tale》を、やつが手負いだったとはいえ、俺達は二人だけで倒してしまったのだ。

 つまりこの世界の戦力と、俺とフウカの戦力には天と地とまでは行かないが、地球で言うエベレスト頂上と日本海溝最深部くらいの差があるのだろう。そりゃ、兵器として見られるのも頷けるな。事実、勇者より強いわけだし。

 どこからともなく取り出したハンカチで目元を抑えるメルヘンを見遣る。……心優しいメルヘンの事だ。多分理由はこれだけじゃない。

 

「つまりメルヘンは、俺達が人間達の醜い権力争いに巻き込まれないように守ってくれようとしているわけか」

 

 少しだけ赤みを帯びた目で、彼女がこちらを見つめる。俺は彼女にそっと優しく頷きかけて、「それに」と話を続けた。

 

「突然じゃなく、ある程度戦って《グラステイル》で経験を経てから、自分で権力を手に入れて、英雄なり大魔道士なりになれ、って事だよな?」

"……流石英司様。本当、理解が早くて助かります"

 

 椅子に座ったまま、深々とお辞儀をするメルヘン。数秒の後に顔を上げると、先程の悲しそうな表情は既になく、腫れた目元以外は先程のような明るさに満ち溢れていた。

 

「……ちなみにさ、あなた方って事は、フウカもレベル改変に賛成したってことか?」

"その通りです。と言っても、彼女が本当にちゃんと話を聞いていたかどうかは怪しいところですが……"

「そこは確証持たないと、悪いのはメルヘンになるぞ……」

"その時は英司様が彼女を説いておいてくださいね"

 

 彼女のウインクを受けて、苦笑いする。流石の神様でも、フウカの扱いは難しかったってことか。

 

"次に、あなた方は六歳ほど若返ってもらい、地球でいうところの高等学校で生活を送ってもらいます"

「……それに関しては、情報収集や歴史を学ぶためか」

 

 俺がそう言うと彼女は頷いた。

 

”あなた方は《グラステイル》の歴史や理を知りません。幸い《グラステイル》の言語は、独自の言葉もありますが、基本的に日本語ですので、そこに関しては支障はありませんが、いざというときにちゃんとした知識がないと、将来的にかなり厳しい戦いになってくると思われます"

 

 ”次に、入学の際の身元保証人ですが……”と話を続ける。

 

”それに関しては、私が聖女にお告げとして伝言を送ることにしましょう”

「おぉ……神様っぽい」

”神様ですから”

「でも、フウカの時は伝え忘れたんだな」

”…………”

「ごめんて」

 

 無言で肩を叩いてくる彼女を苦笑いと共に宥める。彼女は恥ずかしそうにコホンっと小さく咳ばらいをすると、

 

”転移前にやる下準備はこの二つだけです。どちらも私に一任させていただく形になりますので、転移後に今一度確認のほどをよろしくお願いします”

 

 と、改まった形で言った。

 

"さて、これが最後の確認です。これに承諾されるという事は、先程申し上げた事項の全てに同意することになります。もし都合が合わないようでしたら、断っていただいても結構です。その場合、ここであったこと全てを記憶から消し去り、あなた様が元いた世界に帰して差し上げましょう"

 

 彼女の手が、俺の頬を優しく撫でる。

 

”再度問います。災厄を倒せし異世界の戦士、《エイジ》様。私の世界を────《グラステイル》を救ってくださいますか? ”

 

 彼女の言葉に、もう一度だけ考える。

 正直、世界を救うために戦うなんて、ゲームをやっているときですら考えたことが無かった。実際に今までやってきたゲームの中で、世界を救ったことは多々あった。でもそれは、一人の人生をただ自分が楽しむ為だけに弄び、コントローラーという名の神の手で、勝手に勇者に仕立てあげてしまった結果に過ぎない。

 

 

 ゲームの中の彼らもこんな気持ちになったのだろうか。

 

 

 世界を救う。本当はやりたくなくても、神の手がAボタンを押せば勝手に話が進んでしまう。これは俺が想像できないほど重いものだ。気持ち的にも、責任的にも。

 だからこそAボタンが無い俺は、無責任に返事はできない。

 ふと、視界に端で俺の頬に添えられたメルヘンの手が震えているのに気付いた。彼女の俺への待遇や接し方から鑑みるに、きっと彼女の頼みの綱はもう俺達だけなのだろう。

 自分の手を重ねて目を合わせる。彼女は濡れた瞳を大きく見開いて、少しだけ頬を赤くしている。手も、先程の時のような冷たさは無く、触れていて心地良いとすら感じた。それと同時に神様もちゃんと血が通っていて体温ってあるんだな、と呑気なことを考えていた。

 

 ごちゃごちゃと考えてしまっていたが、俺の考えは元から決まっていた。

 メルヘンのことを助けたい。メルヘンが愛する世界を救いたい。何より────フウカがいるその世界に、俺も行きたい。

 

「……お引き受けします。俺がやれることは出来るだけやってみることにします」

 

 そう発した直後俺の手の甲に、冷たい液体がポツリと滴り落ちてきた。それがメルヘンの涙だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。

 

"ありがとう……ございます……! "

 

 彼女は泣きながら、ニコッと微笑んだ。

 

 ……神様って泣き虫なんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今更言うのもアレだが、本当に俺達で良かったのか?」

 ”私の胸よりもフウカ様のことを考えるあなたなら、少なくともほかの男性よりは安心して託せます”

「……そりゃどうも」

 

 クスクスと笑うメルヘンから顔を背けて、後頭部を掻く。……まったく。なんでもお見通しかよ。

 何はともあれ、彼女が元気になって良かった。

 

"では、転移を行いますので、そこの円の中に入ってください”

 

 彼女が指差す方を見ると、いつの間にか人ひとりが入れるくらいの大きさの魔法陣が床に描かれていた。

 言われた通り、その魔方陣の中へと歩みを進めた。

 

”それでは、英司様。ご健闘を祈ります”

「おう、頑張ってくるよ」

 

 彼女と握手を交わす。……いよいよ冒険の始まりだ。

 

"あなた方ならきっと、我が《グラステイル》を────"

 

 最後にそう呟くと、彼女は魔方陣から離れ詠唱を開始した。その瞬間から、ログアウト時のエフェクトによく似た、青や金色の粒子が俺の体にまとわりつき、足から順に覆い隠していく。

 ふと詠唱を唱える彼女の顔が目に入る。その顔はやはり会った時と変わらず大変美しかったが、少しだけ寂寥感が見え隠れしているような気がした。

 胸がズキっと痛む。短い時間ではあったが、彼女と話せたのはとても有意義で楽しい時間だった。俺も少しだけだが、彼女と別れるのは寂しいものだと感じていた。

 

「そうだ、メルヘン」

 

 光の粒が視界を遮り、彼女の姿が見えなくなる。あと数秒もすれば地上へと転移していることだろう。

 

"……はい"

 

 彼女の返事がどこか遠いものに聞こえる。だから、俺は少しだけいつもより張り上げて、声を発した。

 

「朝飯、ありがとう。ご馳走様」

"…………"

 

 途端、ブツンっという音と共に意識が暗転した。きっと夢から覚めたのだろう。

 夢の中の彼女に、俺の言葉が届いていたかは分からないが、最後に彼女の嬉しそうな声が聞こえたのは、きっと気のせいでは無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……草や土の乾いた匂いがする。穏やかな風に頬を撫でられ、メルヘンの温かさを思い出す。

 俺は静かに目を開けた。俺の頭上にある木々が揺れて、隙間から差し込む眩しい木漏れ日が、俺の身体に斑点状の影を作る。手の甲でその光を遮りつつ、腰を上げ辺りを見渡す。どうやらここは高台のようで、周りには俺以外に少女が一人、穏やかな表情で静かに寝息を立てていた。彼女を起こさないように静かに立ち上がった後、高台の端へと移動する。

 高台の下には草原が広がっていた。俺を撫でていた風が軽めの音を立てて吹きさらし、陽の光を反射して綺麗な緑の波を作り出す。ずっと奥に見える石造りの建物は、王国だろうか。至る所から煙が立っており、活発な様子が伺えた。

 その光景を見て、俺は無意識に喉を鳴らしていた。

 

 

 ……本当に異世界に転移してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────《グラステイル》暦1341年。この年、人知れず新たな英雄達が、かの大地に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”……メルナ”

「……いかがなさいましたか?主」

 

 教会内に二人の女性の声が反響する。

 

”あなたに頼みたいことがあるのです”

「何なりとお申し付けください」

 

 白く神々しいローブを着た少女はそう言いながら、最奥に位置する神像の前で、片膝をついて頭を垂れた。

 

”近日、二人の英雄があなたのいる国を訪問します。まだ弱々しい方々ではありますが、潜在能力は目を見張るものです。……あなたはその二人を保護し、彼らの教育に尽力して欲しいのです”

「かしこまりました。……そのお二方の特徴等、お教え頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 少女が顔も上げずにそういうと、声はウーンっと可愛らしく唸りだす。

 

”えーっと、十五歳程の少年少女です。髪はお二人とも黒色。名をそれぞれ《エイジ》《フウカ》と言います”

「それだけの情報があれば十分です。取り急ぎ、門兵へと伝えておきます」

”よろしくね、メルナ”

 

 声はそれ以上発されることはなく、教会には再び静寂が訪れていた。

 しばらくして、ローブの少女が頭を上げた。少女は膝についた埃を両手でポンポンと払った後に、フードを深く被り直すと、教会に響き渡るくらい大きなため息をついた。

 

「……めんどくさ」

 

 その呟きは反響する彼女自身のため息によって搔き消されていた。

 



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転移、そして戦闘1-1

「さて、どうしたもんかなぁ……」

 

 柏崎英司こと、エイジは困っていた。

 ほとんど右も左もわからない状態でこの世界の神《メルヘン》の敵を倒すべく、使いとして送られて始まった俺の異世界生活。

 しかしいざ蓋を開けてみれば、案内人もいない現地民もいない、遠くに薄っすらと王都らしきものが見えるのみの草原に放り出されて、あとはよろしくという中々酷いものだった。……そうだな、今の俺の心境をわかりやすく例えると、知らない土地の高校や大学に入学した直後のあの感じ。あの行き場のない不安感が、今俺の心にとぐろを巻いている。

 

 ただ唯一救いがあるとすれば、ネット上でできた彼女、フウカがこの世界にいるという事だ。メルヘンが言うには、フウカは俺がメルヘンの元に召喚される前に、既にこの世界に転移済みらしい。

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 ゲームの中の《フウカ》の姿を思い出して、落胆の息を吐いた。

 今、俺達を構成している要素として、この世界で生き抜くために必要な能力は『Grass Tale Online』のゲームアバターから、外見や性格は俺達が元いた『地球』のモノをそのままこの世界へと転移させているらしい。どおりで先ほど試しに投げてみた直径八センチメートルほどの石が、百十数メートル向こう側まで飛んで行くワケだ。一瞬、オリンピックへの夢が開けたかと思ったぜ……。

 それはさておき、つまり俺が何を言いたいのかというと、この世界で探すべきフウカは"ゲームアバター"としての《フウカ》ではなく、『地球』に存在していた──この言い方が正しいかどうかはわからないが──生身の人間のフウカを探さなければいけないのだ。

 彼女の生身の姿を知らない俺にとって、この異世界で彼女を探すのはとてもじゃないが難しい。

 

「おーい、起きろー」

「……すぅ」

 

 だから、大木の下で寝ている少女がフウカであることを願いながら、俺はただただひたすら彼女が起きるのを待っているのだった。

 

「……ダメだ。全然起きる気配がない」

 

 そう呟いて、彼女を揺らす手を下ろし草原に背をつけた。

 最悪なことにこの少女、どうやら異常なほど眠りが深いらしく、体を揺すってもほっぺたをぺシペシ叩いても、挙句の果てにはつねっても全く起きる気配がない。これでは、彼女がフウカなのか否か真意を確かめることすら出来やしない。

 

「早速一難かぁ……」

 

 本日何度目かのため息をつく。

 この世界を救うと決めた時からある程度の困難があることは予想していたけれど、まさかこれが異世界最初の困難になるとはだれが思っただろうか。いや、だれも思うまい。

「この反語、高校の時流行ったなぁ……」と、高校時代の古文の授業を懐かしく思いつつ、とりあえずやれることをやってみようと、上体を上げた。

 

「……まずはステータスからだな」

 

 自分が今できることを確認するのは、ゲームでも大切なことだ。もしかしたらこの状況を打開できる策が見つかるかもしれないし。

 それに、ゲームで使用していた時の《エイジ》のステータスはすべて覚えていたのだが、メルヘンによって変えられてしまった後のステータスが、一体どの程度まで修正されているか俺はまだ知らないのだ。どうせ時間もあるし、見て何ができるかを覚えておくとしよう。

 

 と、ここまで考えて、ある一つの疑問が浮かび上がった。

 

「……そもそも、ステータス画面ってどうやって開くんだ?」

 

 ゲームではステータスなんて画面左上のキャラアイコンをタッチするだけで簡単に出せたのだ。しかし今この世界はゲームの世界ではなく、現実の世界なのだ。キャラアイコンなんてものもなければ、俺を動かすコントローラーもない。……では、どうやって出そうか。

 

 数秒間頭を巡らせ、すぐに思いついたのは「声に出せば出るんじゃね?」だった。前に読んでいたライトノベルの主人公はそうやってステータスを表示させてたし。この世界でも、そのラノベのように何らかのキーワードを発すれば、もしかしたら表示されるかもしれない。

 俺は息を大きく吸い込んだ。

 

「ステータス、オープン!」

 

 ついでと言ってはなんだが、手振りを付けて発した俺の声は、遮るものが無い草原を風に乗って縦横無尽に駆け巡り、だんだんと遠のいて行った。

 

「…………出ないな」

 

 しかし、発してから数秒経っても一向に俺の眼前にステータス画面が現れることはなかった。つまり、ステータスを開く為の方法はこれではなかったのだ。

 ま、まぁ、これはこれである意味ありがたかったかもしれない。ステータスを確認する度にいちいち声を発するのは、面倒臭いし恥ずかしいからな。いやー良かった良かった。

 ザワザワと揺れる枝葉の音が先ほどより幾分かより大きく聞こえるようになった気がして、少しの気恥ずかしさと虚無感を感じて、挙げていた手をそっと下ろした。

 

「んー、これじゃないとするなら、次はあれか?」

 

 今度は身体中をくまなく触ってみた。……別にそういう性癖がある、というワケではなくこれもラノベの知識なのだ。

 ギルドやクランなど公的な場所で冒険者登録をした後に、自分のステータスや受注したクエストの内容、ランクなどが書かれている石版だったり紙だったりを渡される事がある。俺はそれがあるかどうか確認していたのだが────

 

「まぁ、こっちの世界に来たばかりだし、やっぱり持ってないよなぁ……」

 

 案の定無かった。うん、知ってた。

 結局その後、数十分くらいあれかこれかと色々試してみたのだが、一向に目的のモノが表示されることは無かった。

 

「ステータス画面を開くのにすら四苦八苦するなんて、一難どころか前途多難過ぎやしねーか……?」

 

 そう言いながら、地面に大の字になって倒れ込む。視界の端で未だに心地良さそうに眠っている女の子を捉えてしまい、幸せそうな子だなぁ……と皮肉げにため息をついた。

 正直なところ、ここまでしてステータス画面が出ないとなると、本当にここが異世界なのかも疑わしくなってくる。思うに、異世界転生・転移の主人公の大体は、ステータス画面が見れるか見れないかで異世界かどうか認識している節があったから。

 それになにより、異世界らしいこと……例えば金髪巨乳の美少女エルフが現れたり、こちらを本気で殺しにくるモンスターに遭遇したりとかが一切ないというのが、俺のその考えを助長させていた。

 

「いやまぁ、今はまだモンスターには会いたくねーけどな……」

 

 もし今モンスターに襲われるなんてことになったら、正直太刀打ちできる気はしない。武器はないし、服装は明らかに布服で初期装備だし。

 だからこそ、何としてでもステータス画面を開いて、使えるスキルやどの程度の火力が出るかとか確認して起きたいのだが。

 まったく、これくらいの事あらかじめ教えておいてくれても良かったのに…………ん? 

 

「いや、待てよ?」

 

 あのメルヘンが────この世界の神が、こういった初歩中の初歩を、しかも自分の世界を救ってくれるかもしれない人に教えないなんてことがあるだろうか? もしそれで、序盤でそいつを死なせてしまったら元も子もない。それを加味すると、教えていないなんて方が可能性が低いだろう。と言うことは、もしかしたら……。

 

「……俺が聞いてなかっただけ?」

 

 いやいやそんなはずはない、と首を横に振る。俺は比較的記憶力の良い方だ。ましてや、楽しかった彼女との一時を忘れるなんて以ての外だ。

 となると、考えられるのは……メルヘンが回りくどい言い方をしたせいで理解が追いついていないか、俺がゲームの知識で知っているからと無意識に聞き流してしまっていた部分があったかのどちらかだろう。俺は基本的に説明書を見ないでゲームを始める人だから、どちらかと言うと後者の方が可能性は高いだろう。

 

「でもまぁ、確認するに越したことはないから、まずはメルヘンとの会話から精査してみよう」

 

 彼女との会話を思い出すため、疲れ切った脳に鞭を打って思考を巡らす。まず初めに、彼女は何て言っていた? 

 

 朝、あの部屋で目が覚めてから、カーテンがどーたらのくだりがあって、彼女に促されるまま顔を洗って……。

 果たして、俺の頭の中にすぐに浮かび上がってきた。

 

 

 

 

 ”寝ぼけていたようなので、少々からかってしまいました! ”

 

 

 

 

 メルヘンの悪戯な笑顔が。

 ……違う、そこじゃない。疲れてるくせに余計なことは思い出さなくていい、俺の頭よ。

 

 ”この世界は、あなた方の言う《Grass Tale Online》に()()()()《グラステイル》という────"

 

 彼女はこう言っていたはずだ。

 似ているという事は、違うところもあり、同じところもあるという事。つまり、この世界は柏崎英司のいた地球の概念があるのではなく、《エイジ》がいた《Grass Tale Online》の世界の概念が所かしこに埋め込まれていると考えられる。それなら、俺が地球で刊行されているライトノベルの知識を使ってステータス画面を呼び出そうとしても、呼び出せないことも頷ける。GTOにはライトノベルなんてものは無かったからな。

 つまり、この世界でステータス画面を開くための動作で一番有力だったのは……。

 

「俺がキャラアイコンをクリックした時に《エイジ》がしていた動作……か」

 

 少し考えればすぐに答えは出たはずなのに、俺は一体今まで何をしていたのだろうか……と、頭を抱える。でもまぁしかし、分かってしまえば問題はない。切り替え、大事。

 

 思い出せ。《エイジ》は何をしていた────。

 

 必死に頭を回転させる。しかし、思い出すのはすべてエイジを構成していたステータス画面の内容ばかりで、肝心の彼の動作は、記憶の片隅にすら残っていなかった。

 

 そういえば……と、俺は思った。

 

 クリックした瞬間に《エイジ》の動作に覆いかぶさるようにステータス画面が出てくるせいで、アバターがどんな動きをしているかなんて見たことなんかねーや……。これじゃあ、ステータスを確認するどころか、俺の仮説が正しいかどうかすらもわからないじゃないか。必要最低限の情報すらも得られやしない。

 

「こんなの、無理ゲーじゃねーか……」

 

 いわゆる、"詰み"だ。頭を抱えて、大きなため息をつく。それと同時に後悔の念が頭の中を嘲るかの如くぐるぐる回っていた。

 

 なんで俺はこんな異世界転移を承諾しちまったんだ。……まぁ、理由なんて自分が一番わかっているんだが。

 誰に責められたわけでもないのに、思考が勝手に会話をし始める。そうでもしないと、やってられないのだ。

 そりゃドがつくほどのゲーム脳の俺からしたら、異世界へ行けるなんて夢にまで見るほどのことだ。それが叶うとなれば、テンションが上がって細かな判断なんてできなくなっても仕方がない。好きなことには一直線。それが俺の良いところだと自負しているから、俺は悪くない。

 それに、と言い訳がましく付け加える。

 フウカがこの世界に行ったって聞いたからこそ、こうして俺も後に続いたというのに、肝心の彼女が何処にもいないとはどういう事なのだろうか。

 

 視線を斜め下前方へと向ける。

 

 ……いや、隣で寝ているこの女の子がその張本人なのかもしれないが。しかしまさか、俺を驚かすために先に行ったのにその発案すらも忘れて寝ている、なんてことは流石の彼女にもないだろう。

 俺の彼女がそんなにアホなわけがない。と、心の中でラノベのタイトル風に自分に言い聞かせた────その時だった。

 

 

 

「────っ!?」

 

 

 

 背中にゾクッと悪寒が走り、反射的に後ろを振り向く。

 しかしそこには何もおらず、ただ草木が青々と茂っているだけで、周りと比べても特に変わった様子はない。

 

「気のせいか……?」

 

 しかし今さっきのあの感じ……あれは明らかに平和な日本では感じたことのない、何かを殺そうとする────。

 そう思った瞬間に、俺は隣で寝ている少女の腕を掴んで真横に飛んでいた。それと同時に、頭上からガサガサっ!という何かが枝葉を揺らす音が聞こえた。

 

「「「ギギィ──ー!!」」」

 

 転がりざま先程まで俺と少女が居た場所を見ると、三体の獣が奇声を発しながら同時に棍棒を振り下ろしている姿が見えた。どうやら、ヤツらはいつの間にか俺らの頭上にあった大木の枝に飛び乗っていたらしい。先程の悪寒はきっとこれを感知したのだろう。

 

「ふべ!? な、なんですか、地震ですか!?」

 

 そして胸元から聞こえるいかにも少女然とした可愛らしい声。流石に地面を転がれば起きたか。

 とりあえず掴んでいた腕を離し、彼女をゴブリン達から隠すように前に出る。

 

「ごめん、説明は後。今はこの状況をどうにかするぞ」

「え、えっとあなたは……? って、あれってゴブリン!? なんでこんな所に!?」

「あ、あれってやっぱりゴブリンなんだ。うわ、ゲームのやつと全く変わんねぇ」

 

 緑色の体に高い鼻、よくわからん帽子を被って棍棒を担いだゲームの序盤でよく見るその姿は、皆想像に(かた)くないだろう。

 ただ、ゲームとは違う点として、彼らの頭上にはHPバーなどというものは存在していなかった。つまり、どのくらいダメージが入って、後どれくらいで倒せるかが分からないため精神的負担が大きい。

 

 ゴブリン達は悔しそうに外した獲物(俺達)を睨みつけ、もう一度棍棒を構え直していた。

 ゲームでは一度も怖いと思ったことは無かったが、いざこうして生身の自分として対面すると、正直めちゃくちゃ怖い。しかも向こうは三体。明らかに分が悪い。思わず生唾を呑む。後ろに少女さえいなければ今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。

 

「君、一応聞いておくけど、名前は?」

「……セレナ、です」

 

 後ろの少女が怯えながら言う。この様子と白装束の装備を見る限り、彼女は恐らく戦える子ではないのだろう。……もしこれで《フウカ》と名乗ってたら無理矢理にでも横に立たせて戦わせてたな。うん。

 

「じゃあ、セレナ。とりあえずお前は木の裏にでも隠れててくれ。ゴブリンは俺一人で対処する」

「そんな! 武器や防具があるならまだしも、そんな装備じゃ危険です! 一緒に逃げましょう!」

 

 彼女に腕をグイッと後ろへ引っ張られる。いや逃げたいのはやまやまなんだけ――――

 

「ギィ!!!」

「うおっ、危な!?」

「きゃっ!」

 

 彼女の体を手で押しのけて、間一髪で棍棒を避ける。コイツ、俺が体勢を崩した瞬間を狙ってきやがった……! ゲームの世界とは違って、少なからずコイツらにも知性があるのか……! 

 

「こういう事だ! とりあえず君は下がっててくれ!」

「は、はい!」

 

 間一髪だったことで恐怖心を更に煽られたのだろう、先程までの抵抗も無く、すんなりと俺の言うことを聞いてくれた。

 正直、「逃げて助けを呼んでくれ」と言いたかったのだが、もし三体のうち一体でも彼女にヘイトがあるのなら、そちらの方が余程危険だ。逃げるところを追いかけられでもしたら、流石に対処しきれなくなってしまうし、なにより少なからず戦えるであろう俺がこの世界の勝手をわからない以上、守れる範囲で近くにいた方が寧ろ安全だと思ったのだ。

 

 一つ深呼吸をする。……相手はゴブリン。知性で行動した時以外の行動パターンがゲームと同じであるとするならば、この不利な状況も対処できる可能性は十分にある。

 

 肩の力を抜いて、腕を胸元まで上げ、ファイティングポーズを取る。目は一番手前の先程攻撃してきたゴブリンの腕元を捉えて離さないように固定する。

 

「……さぁ、かかってこいよ、モブ共が」

 

 一度は言ってみたかったセリフTOP3のうちの一つを口にしながら、俺は力強く地面を蹴りあげた。



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転移、そして戦闘1-2

「ギギィ!!」

「よっと! ……意外と楽に躱せるもんだなぁ」

 

 ゴブリンとの戦闘を始めてから数分。自分で言うのもなんだが、意外と善戦していた。

 先程まで抱いていた恐怖心もいつの間にか消え去っており、回避だけなら幾分か余裕を持って出来るようになっていた。それというのも、俺の予想通り三体のゴブリンの攻撃パターンはGTOと全く同じものだったからだ。

 一発だけ大きく棍棒を振ったら直ぐにバックステップをして間合いの外から睨みつけてくる。いわゆる"一撃離脱戦法"だ。しかも、どういう原理かはわからないが彼らの攻撃は座標指定のものらしく、全員が全員俺が回避した地面を抉りとるように棍棒を振り回していた。

 

「ギィ!!!」

「おっとっと」

 

 着地した瞬間に待機していた一匹が、棍棒を振りかぶってきたので、もう一度バックステップをする。偶にこういう風に俺の回避先を座標に指定してくる奴もいることを考えるに、やはりこの世界のモンスター達は少しばかり知性を持っていると考えて間違いはないようだ。

 

「凄いです! 何の装備もなしに、ゴブリン三匹と渡り合ってます!」

 

 木の後ろからセレナが顔だけ出して興奮したように言う。集中してたからあまり気にかけていられなかったけど、ちゃんと俺の言いつけ通り隠れていてくれたようだ。

 それに彼女のこの反応を見る限り、この世界の人から見ても俺の戦闘における回避はちゃんと形になっているらしい。これに関しては《エイジ》の身体能力とゲームの知識のお陰と言わざるを得ないが。

 

「んー、防御面で渡り合えてるのはいいんだけど、肝心の攻撃ができない限り永遠にこのままなんだよなぁ……」

 

 ゴブリンの棍棒を躱しながら顎に手を当ててウーンと唸る。常に三対一というこの状況、このままだと俺の方が精神的にきつくなってきてしまう。そろそろ一匹くらい倒しておきたいところだ。

 ……実はその攻撃に関して、棍棒を奪って武器にする、という作戦が俺の中にあったのだが、どうやらそれに関してはGTOの設定に則っているらしく、何らかのスキルがないと相手から武器を奪うことができないみたいだった。俺の予想だと、盗賊スキル【スティール】が必要なんだと思う。

 

「どうにかして、攻撃に転じたいんだけどなぁ……」

「では、スキルを使えば良いじゃないですか! その強さなら、攻撃スキルの一つくらい使えるのではないですか?」

 

 独り言として言ったつもりだったのにどうやら聞こえていたらしく、彼女が木の裏から当然のように言ってのける。

 

「いやまぁ、それができるのなら今すぐにでもそうしたいんだが……」

「何か事情があるのですか?」

「……あるっちゃあるな」

「隠したい事情がある程お強いスキルなんですね!」

「いや、あの、ちょっと待って」

 

 彼女の羨望の眼差しを受けた背中に冷や汗をかきつつ、後ろ頭を搔く。その間にゴブリンがタックルをかましてきたので、紙一重で避ける。

 今の彼女の発言で分かってしまった。この世界ではステータスが開けて、尚且つ自分が使えるスキルを覚えているのが当たり前なのだ。いくら戦闘ができたとしても、そのような一般的なことができないのは恥ずかしいこと極まりない……と、俺は思う。だから俺のプライドを守るためにも、ここはどうにかしてこのままの戦力で切り抜けるべきじゃないだろうか。うん、それがベストだ。

 

 しかし……と心の中にいるもう一人の自分が反論する。恥を忍んででもこの局面を的確に脱するべきじゃないだろうか。もしここで聞くのを渋って、何らかの拍子に行動不能に陥ってしまったら? それでやられるのが自分だけならまだしも、セレナまでこいつらの餌食になってしまう。それだけは絶対に避けたいところだ。

 

 二本目の棍棒を避けつつ、選択肢を一つに絞るために思案する。プライドを取るか、状況打開を取るか……。

 

 果たして、優柔不断な(ふし)がある俺にしては珍しく、三本目を避けた時には既に解答は決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……よし、ステータスの開き方を聞こう。

 

 

 

 

 地面に着地するや否や、そのままの勢いでバックステップをして、ゴブリンたちから距離を取る。このままじゃ埒が明かないし、今聞かなきゃいつ聞けるのか。もしこのままこの状況を打開してしまったら、今以上に聞き辛くなってしまう。

 ゴブリン達も今は攻め時じゃないと見たのか、追撃をしてくることはなかった。彼らに知性があったことに感謝せざるを得ないだろう。

 

「なぁ、セレナ」

「はい、なんでしょうか!」

 

 数メートル後ろにいるセレナに声をかけると、彼女は凄く元気の良い返事を返してくれた。まるで「どんなスキルを使って倒すのだろうか」と言わんばかりだ。

 その声音を聞いて、俺の決意はグラッと揺らいだ。だって幻滅される未来が見えてるんだもん。

 だがしかし、背に腹は代えられない。ここはプライドを捨てて覚悟を決めよう。

 俺は大きく息を吸い込むと、彼女に向かって言ってのけた。

 

「あの、ステータスの開き方、教えてもらっても良いですか?」

「……え?」

「「「ギギッ!」」」

 

 一瞬場が凍り付き、セレナの羨望の眼差しは一瞬にして不安なものへと変わり、ゴブリンも俺を嘲るかの如く同時に奇声を発した。いや、よく見るとこのくそモブ共、口角を釣り上げて笑ってやがる。…………こいつら、絶対殺す。

 

「え、えと……ステータス、ですか?」

「はい、ステータスです……」

「じゃあもしかして、ご自身が使えるスキルを知らない……のですか?」

「……はい」

 

 セレナとの間に、微妙な空気が流れる。あぁ、もう! 穴があったら入りたい! 

 彼女は何かに迷うように眉をひそめた後に首を横に振ると、さっきよりも優し目な声音で諭すように説明してくれた。

 

「えっと、それじゃまずは、右手の人差し指と中指をくっつけてください」

「はい────ってあぶな!?」

 

 彼女に向かって返事をした瞬間、棍棒が俺の頬をガスッと掠めた。その直後、当たったところからジンジンと痛みが広がり、傷口から赤い液体が滲み出てくる。流石のゴブリン達も俺がセレナから教えを乞いてる時間を無駄にする気はないらしい。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「こ、これくらい全然。それより説明続けて!」

 

 俺の荒々しげな声に、彼女は「は、はい!」と畏まったように返事をした。

 大丈夫と言ったものの、正直現実に引き戻された気分だった。今の被弾で俺の脳は、目の前にいるのは容赦無く俺を殺そうとしてくる怪物だと、改めてそう認識してしまった。そのせいで心臓が早鐘のように鳴り響き、神経が過敏になっているのか、傷の痛みがより一層深まっていた。

 

 ゴブリン達は攻撃をヒットさせたことでこのまま行けると思ったのか、先程よりも速いペースで攻撃を繰り返してくる。俺はそれらを何とか避けながら、セレナの話の続きを耳に焼き付けた。

 

「そ、そのまま、宙に一本直線を書くようなイメージで下に下ろしてみてください!」

「こんな感じか!?」

 

 棍棒の嵐を掻い潜り、言われるがまま指を下にスライドさせてみると、光の粒子がその軌道を追うかの如く現れる。その粒子は俺の目の前で集積していき、瞬く間にゲームで見慣れたウインドウを構成した。

 

「おぉ……これが俺の……」

「──っ! 避けて下さい!」

 

 ステータスウインドウが開けたことに感動していると、後ろからセレナの切羽詰まった声が聞こえた。その声に反応して可能な限り強く地面を蹴って右に飛び込むと、数瞬前まで俺がいた所に三匹のゴブリンが作った巨大な穴が出来ていた。

 

「ごめん、助かった」

 

 彼女の警告が無ければ、今頃あの穴の中心で潰れていと思うと身の毛がよだつ。俺が感謝の意を述べると、彼女は「助けて貰ってるので、私も力になりたいんです!」と、胸元で手をグッと握って良い感じに意気込んでいた。

 そんな彼女に改めてお礼を言った後に、表示されたままのステータス画面を見る。

 

「……ふむ、なるほど」

 

 どんなチートステータスになっているのかな? と、一瞬期待したが、どの項目も至って目立つものもなく普通だった。ただ、強いて言うなら、MDF(魔法防御)DEF(物理防御)などの防御系が標準より割と高めだということくらいか。これは憶測だが、この世界に来る前にゲーム内で最後に使用していた職業”パラディン”の影響を少なからず受けているのだろう。スキルに関しても、一応、白・黒魔法の両方を習得していたが、基本的には盾スキルや剣術、体術で構成されていた。

 

 まぁ、これだけのステータスとスキルがあると分かれば、問題なくゴブリンを倒せるだろう……と、思いたいのだが。

 

 もう一度、スキルが表示されているウインドウを見る。そして、うへぇ……と落胆の息を漏らした。

 体術や白・黒魔法の項目は白く浮き出るように輝いているのだが、盾スキル、剣術の文字は灰色で薄れがかっていた。どうやら対応する武器を装備していないとスキルが使えないのはこの世界でも同じらしい。ちなみに魔法に関しては、杖やメイスが無くても自らの手を媒体として行使可能だったりする。

 

 他にも何かないかと、見入りながらウインドウをスクロールする。しかし、やはり目に入るのは見覚えのある初期スキルばかりで────ん? 

 

「……これは────」

「あの、すみません!」

 

 ある一点の項目に目を止めていると、いつの間にか近くまで来ていたのか、セレナが俺の肩をトントンっと叩いていた。……ってなんで近くまで来てるの!? 

 

「ちょっ! 君、戦えないんだろ!? 下がってて!」

 

 俺が焦りながらそう言うと、彼女は「今は大丈夫ですよ」と言いながらゴブリン達のいる方向を指差した。

 

「ほら、見てください。ゴブリン達疲れていますし、これはチャンスなんじゃないですか?」

「え、マジ? モンスターって疲れるの?」

 

 セレナに言われるがまま彼女の指の先へ視線を移すと、確かにゴブリン達は一匹残らず棍棒を地面につけて寄りかかり、「ギィ……ギィ……」と肩で息をしているのが見て取れた。すげぇ、マジでモンスターが息切れしてる……。流石のリアリティとグラフィックがウリのGTOでも決してこんなことは無かった。なんか凄く新鮮。

 感動しながらそれを眺めていると、エレナが「な、何をしているんですか?」と焦ったように声を上げる。

 

「疲労したモンスターは防御力が半減する……って教会の本で読みました! 反撃なら今です!」

「防御力半減って、そりゃすげぇな」

 

 GTOにはなかった設定だ。まぁ、ゲームではモンスターはシステムで動かされているわけだし、疲れることが無いのは当然と言えば当然か。それに付随して、こちらの世界にある〈疲弊〉という名のデバフは、ゲーム(GTO)の中では反映されないわけだ。……やはり、()()()()()()とはよく言ったものだな、と俺は思った。

 確かに想像してみても、現実でモンスターが疲れ知らずとなると、なにそれチート? ってなりそうだし。

 

 彼女に「一応油断はできないから、まだ隠れてて」と伝えてからステータス画面を閉じ、大きく空いた穴を迂回してゴブリン達に近づいていく。しかし当のゴブリン達は、先ほどまでの威勢はどこへやら、棍棒を引き摺ってでも逃げようと必至に体を動かしている。

 

「……さて、どうやって仕留めようかなぁ」

 

 しかし、俺の歩行スピードよりも明らかに遅いため、数秒後には追い付いてしまった。彼らは絶対に逃げ切れないと悟ったのか、二匹のゴブリンが棍棒を捨てて残りの一匹の棍棒を三匹で担ぎ上げていた。おそらく最後の悪足搔きをするつもりなのだろう。

 

「……【正拳突き】」

 

 そうはさせまいと、武闘スキルを発動させる。狙いは最初と同じく、ゴブリン達の手元。そこさえやれれば、彼らに戦う術はない。

 果たして俺の思惑通り、見事全員の腕に【正拳突き】が命中し、棍棒が彼らの手からゴトッと地面に落ちる。

 

「グギギッ!!」

 

 不思議と殴った手には痛みを感じなかった。恐らくこれがスキルの補正なのだろう。

 素手である程度戦闘ができるようになる”武闘”スキル。その中で俺が習得しているのは初歩中の初歩、熟練度により回避率がアップする【避脚】──これは恐らく今の戦闘中で身についたスキルだ──や、今使った相手の体勢を崩す【正拳突き】のみだ。しかし、この二つはどちらとも殺傷力に欠ける。トドメを刺すには不十分なのだ……となると。

 

「ゲーム最初期に結構お世話になった、あれで行くか」

 

 今度はゴブリン達に向けて拳を開いて手の平をかざす。やはりエイジの能力をある程度受け継いでいるだけはある。初めてでも今魔力がどこに集まっていて、これから何を出すのかが、文字通り手に取るようにハッキリ分かった。

 俺が今使えるスキルの中で、ヤツらを確実に仕留められるのは────。

 

「俺が相手だったのが運の付きだな。そしてこれは俺を嘲った天罰だ! ……くらえ、【ウインドカッター】!」

 

 魔法の名前を叫んだ瞬間、俺の手の平から無数の刃が現れて至近距離にいたゴブリン達に襲い掛かる。どうやら、セレナが言っていた防御力半減は本当らしく、ゴブリン達の皮膚がまるで紙のように引き裂かれて、肉塊となって液体と共に辺りに飛び散っていく。

 正直この数秒間は見るに堪えない残虐なものだったと、俺も思った。

 俺が手を下して、ふぅ……と息を吐いた頃には既にゴブリン達の姿はなく、それらが居たという事実を証明するのは、地面に転がった三本の棍棒だけだった。

 

「セレナ、もう出てきても大丈夫だぞ」

 

 とりあえず、戦闘結果の報告をしようとセレナに呼びかける。しかし返事はなかった。不思議に思った俺は、彼女が隠れていると思われる大木の方へと顔を向けると、すぐに彼女の姿は……というか顔が目に入った。彼女は木の裏から俺の戦闘を見ていてくれたらしく、そのままの姿勢で口をあんぐりと開けたまま固まっていたのだ。

 

「おーい、セレナー?」

 

 俺がその場から今一度呼びかけると、やっと気づいたのかハッとしたように顔をこちらに向けると、口元を抑えながらボソッと呟いた。

 

「む、無詠唱……ですか……?」

「……え? ごめんよく聞こえなかった」

 

 三歩ほど近づいてもう一度、と指を立てる。

 

「無詠唱ですか? と言ったのです!」

 

 今度はちゃんと聞き取れた。……しかし、彼女はどうやら勘違いをしているようだ。

 

「いや、無詠唱じゃないよ?」

「嘘ですね! 魔法の中でも特に難しいと言われている”風魔法”があんな速さで詠唱できるわけがありません! 凄いです! 無詠唱なんて聖女様以外で初めて見ました!」

 

 興奮した様子で彼女が言う。

 

「え、いや、だからちゃんと詠唱したんだって。【ウインドカッター】って」

 

 それに対して俺が反論した瞬間、カッ! という薪を斧で割ったような爽やかな音が辺りに響き渡った。ビックリして音の発生源の方を見ると、セレナが隠れている方とは反対側の木の表面に、大きな切り傷が出来ているのが目に映った。

 

「うひゃぁ!?」

 

 驚いた彼女が、年相応の声を上げながらその場で尻もちをつく。

 

「あ、ご、ごめん!」

 

 どうやら戦闘中と戦闘直後の興奮状態にあるときは魔力が音声認識で勝手に反応してしまう……のだと思う。これに関しては、魔力の制御のやり方がわからない今、細心の注意を払っておくべきだろう。

 

「ア、アハハ……。これから先もこういうことがあるかもしれないから、注意しておいてね……」

 

 誤魔化すように笑いながら、彼女を起こすために手を伸ばす。

 そんな俺とは対照的に、「あなたって無茶苦茶ですね……」と、俺の手を取りながら引き攣った笑顔を見せたセレナがとても印象的だった。

 



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転移、そして戦闘1-3

遅くなって申し訳ありません。


「それじゃあ、今から治療を始めますね」

 

 ゴブリン達との戦闘の余韻も段々と抜け始めた頃。彼女は俺に向かってそう言うと、件の大木の下で回復魔法を掛けるための準備をし始めた。その準備というものは、彼女が取り出している布やら消毒液らしき液体やらを見る限り、地球で言う所の応急処置なのだろう。

 

 テキパキと準備を進めるセレナの手元を見つつ、俺は待っている時間を先程教えてもらった情報を頭の中で整理するために使おうと考えた。まだこちらに来てから数時間しか経っていないハズなのに、あまりにも濃い時間を過ごしたような気がする。

 

 まずは回復魔法についてだ。

 彼女曰く、どうやら経験が浅くて若い魔法士の回復魔法で癒やす事が出来るのは数値……つまりHPや痛みのみらしく、失った血は戻らなかったり、傷口に関しては軽いものこそ塞がりはするが、たまに痕が残ったり、再度傷口が開いてしまったりすることがあるそうだ。だから彼女のような下位の回復師はある程度の処置をしてから回復魔法を掛けるらしい。

 ちなみに上級回復魔法ともなると、生きていさえすればどんな重症でも一瞬で元通りになるのだそうだ。それはもう回復なんてものでなく、どちらかというと時間を巻き戻しているのではないかと思うのだが……。

 

 次に"無詠唱"のこと。

 どうやらこの世界の魔法はその種類毎に文句が決められているらしく、それらを『詠唱したら』魔法が発動するらしいのだ。つまり裏を返せば、ちゃんと文句を詠唱しなければ魔法は発動しない。

 つまり、俺が固有名を言っただけで魔法を発動させたという行為は、この世界の理をガン無視した行為と言っても過言ではないのだ。そりゃセレナも驚くわけだ。

 

「すこーし痛みますけど、我慢してくださいね~」

 

 彼女の声で思考を止めて顔を上げる。どうやら考え込んでいる間に準備が整ったらしく消毒液に浸した真っ白な布を片手に、彼女はまるで小さな子供に注意するように言った。それを聞いて、俺は表向きには頷いたものの、内心ではやれやれと首を振っていた。まったく、ナメられたものだ。ゴブリンに殴りかけられた時の痛みに比べたら、消毒位の痛みで我慢出来ないわけが────

 

「──っグギ!」

「ちょ、動いちゃ駄目ですってば~!」

 

 当てられた瞬間、打撲の痛みと傷口を攻撃する消毒の痛みが両方同時に襲ってきて、その布から逃げるように本能的に顔が動く。しかし彼女の手がぐっと俺の顎を抑えているためにそれ以上は動けず、俺は痛みを我慢するために必死に歯を食い縛るほか無かった。痩せ我慢的に色々言っていたが、痛いものは痛いのだ。俺のDEFよ、頼むからこういう時も仕事をしてくれ! 

 

「今の声、ゴブリンみたいな声でしたよ」

 

 セレナが冗談っぽく笑いながら言う。正直俺はそんな冗談に構ってられるほどの余裕が無かったので、貼り付けただけの笑みを彼女へと向けて"大丈夫"アピールをすることしか出来なかった。

 

「……ん、よしっと。これくらいかな?」

 

 頬を襲う激痛と戦うこと数秒。彼女は満足げに言うと、微かに赤黒くなった布を袋に包んでポーチの中へと入れると、「よいしょ」っという可愛らしい掛け声とともに立ち上がった。

 

「今から回復魔法をかけますね」

 

 次いで彼女はニコッと笑いつつ、深呼吸をしてから形の綺麗な両の手の平を俺へと向ける。

 本当は自分も回復魔法を使えるので消毒だけで十分だったのだが、彼女が先程「戦闘職の人は、基本的に回復魔法は使えないと思うので」とも言っていたので、混乱を招かない為にも大人しく彼女の回復魔法を受けることにしたのだ。

 勘違いして欲しくないのは、自分で治療するより、セレナの様な可愛い女の子に治療して貰った方が絶対効果がありそう! などと言う不埒な考えを持っている訳では無いという事だ。……ホントだよ? 

 

「治の女神よ────」

 

 そんな弁明を考えている内に、彼女の"詠唱"が始まった。全身から魔力を集めているのか、彼女の身体の表面が微かに緑色に光り出す。

 

「其方の力を持ってしてこの者の傷を癒したまえ。……【ヒーリング】!」

 

 最後に魔法の固有名を唱えた瞬間、彼女の全身を包んでいた緑色の光の粒子が手の平へと集まり、目の前の俺に向かって少しずつ放出されていった。それらは一つ一つがまるで意思を持っているかのように俺の右頬へと一直線に向かってくると、傷口に付着する。

 それからすぐに効果は現れた。ズキズキと疼いていた頬の痛みが薄れだし、痛覚に過敏になっていた神経が落ち着きを取り戻すのが手に取るように分かったのだ。

 それを実感するや否や、俺は指を重ねてスライドしステータスを開いた。やはりゲーマーとしてはそういう数値の変化を確認したくなってしまうのだ。果たして、やはり彼女の話の通り、減っていた俺のHPの数値が少しずつだが上昇していた。まぁ、彼女が発した魔法名からしてこうなることは分かっていたのだが。

 

 この魔法は瞬間回復魔法ではなく、自然治癒力を高める能力も兼ね備える持続回復魔法(リジェネレート)だ。恐らくセレナは、無理に瞬間回復魔法で直そうとしても、実力的に失敗する確率のほうが高いと踏んで、この魔法に変更したのだろう。確かに人の自然治癒力をあてにした治療法の方が、怪我の治りが良いという実例もある。彼女はそういう医学的な知識もある程度持ち合わせていて、俺の自然治癒力を魔法で高めて、傷の治りを早めているのだろう。

 そうこう考察しているうちに、セレナの手の平から光の粒子が消えた。どうやら治療が終わったようで、彼女は少し汗ばんだ額を拭いつつ「他にどこか痛むところはありませんか?」と尋ねてきた。

 

 それを聞いて自分の頬を触ってみると、乱雑な切り口でザラザラとしていたハズの頬は最初から何も無かったかのように────いや、むしろ傷を負う前よりも綺麗に、そして滑らかになっていた。

 

 ……これが、異世界の治療法────回復魔法か。

 

「……いや、特に無いかな。ありがとうセレナ。助かったよ」

「お役に立てたならよかった、です」

 

 俺が頭を下げてお礼を言うと、彼女は嬉しそうな声でそう返してきた。しかしその声色とは裏腹に彼女の表情は、先程の明るい笑顔を見る影もなくやつれていた。恐らく俺を治すために彼女が持っている魔力のほとんどを使ったのだろう。

 

「セレナ、大丈夫か? 少し座って休んだほうがいいぞ」

 

 そう言いながら、俺が座っている隣の地面をトントンと叩く。

 

「あ……。はい、ありがとう、ございます」

 

 彼女は座ることに一瞬躊躇を見せていたが、限界だったのか木にもたれかかった直後、膝から崩れ落ちるようにその場に座った。心做しか息も荒い。

 

「お、おい……」

 

 流石にこの様子は少しおかしいと思う。いくら魔力消費が激しい回復魔法だからといって、頬の切り傷を治すくらいで専門職のやつがここまで疲弊するなんてことがあるのだろうか? 

 もし仮に、そんなことがあるとするならば────。

 

「もしかして君が戦えない理由って……」

 

 俺が皆まで言わずにいると、彼女は俺が内に秘めた言葉を察したのか、少しだけ寂しそうな顔をして頷いた。

 

「……多分、あなた様が思っている通りですよ」

 

 彼女は一度言葉を切ってから、話を続けた。

 

「……ですが、一度きりになってしまうことが多い代わりに、みんなを守る魔法────回復魔法は下位のモノなら全て使用できます。状況に応じては、そちらの方が余程力になれますしね」

 

「だから私には、攻撃魔法を覚える余裕と時間がなかったんです」と、幾分か血の気が戻ってきた顔で言う。肝心な所は深く言わなかったけれど、彼女はどうやら自分の出来ることをちゃんと理解しているようだ。

 だからこそ、一つの疑問が俺の中に残った。

 

「じゃあなんでセレナは、こんな何も無い平原で、一人で寝ていたんだ? さっきみたいに、モンスターが出てくるって分かってたはずだろ?」

 

 教会で培った知識をちゃんと蓄えている彼女が、彼女の国に近いであろうこの平原でモンスターへの注意を怠らないわけがない。

 俺の問いかけに、彼女は至って普通の声音で答えた。

 

「それではまず、平原にいた理由から。本日は、私の仕える教会の最高司祭様であり、世界を救った英雄でもある"聖メルナ"様のご命令で教会の外に出てきたのです」

 

 先程からたまにセレナの口から出てくる"メルナ"という名前。どこかで聞き覚えがあるなと記憶を探ってみると、どうやらメルヘンの話に出てきていた三勇者の内の一人《聖女》メルナのようだ。

 

「ちなみに、そのメルナ……様? から受けた命令ってどんなものだったの? 差し支えなければ教えてくれないか?」

 

 俺がそう言うと、セレナは何かを警戒するようにキョロキョロと周りを見渡すと、抑え目な声で話し始めた。

 

「実はあまり他言してはいけないのですが……。えっと、聖"メルナ"様が主様から、『近辺に二人の使徒が召喚されるから、保護をお願いしたい』とのお告げを頂いたらしく、そのお迎えに上がるよう修道士たちに言い付けられました」

 

 彼女の言う主様というのは、恐らくメルヘンの事なのだろう。《聖女》であるメルナより上の立場というのならば、それはもう神様しか居ないからな。

 

「そのお告げの二日後。最初のお一人、《フウカ》様は直ぐに我が国に訪れて来てくださったので、今は聖”メルナ”に保護されています」

 

 それを聞いた瞬間、俺は安堵の溜息をついていた。よかった。フウカもちゃんとこの世界に来ていて、ちゃんと生きていた。それが聞けて、本当に良かった。

 

「ただ、もう一人の使徒の方は中々ご来訪されなかったので、主様が召喚に手間取っているという推測を立て、《フウカ》様が召喚されたと仰られていた場所────つまり、この木の下に教会の修道士が毎日交代で番をしていた、というわけです」

 

「次に、私が寝ていた理由ですが……」と、彼女が少し頬を赤らめて言う。

 

「昨日の夜遅くまで勉強をしていたので……多分、寝不足だったんだと思います。今日ここに来る道のりもずっとウトウトしていた記憶がありますし、加えて風も気持ちよくて、お日様も暖かかったので、つい……」

 

 いや、あれに関しては「つい」で済むレベルじゃなかったけどな……? と、心の中でツッコミを入れる。つねってもほっぺた叩いても起きないなんて、並み尋常な睡眠力ではないだろう。

 

「だから目が覚めた時、目の前にゴブリンがいた時は生きた心地がしませんでした……。だから、改めて助けていただき、ありがとうございました!」

「ぜ、全然いいって。俺もセレナに助けられたからさ」

 

 凄く綺麗に腰を曲げる彼女に、頭を上げるよう説得しつつ、こちらもお礼を言う。

 

 彼女の寝不足の件は置いておいて、とりあえずフウカが本当にこの世界に来ていて、さらにちゃんと無事であることが分かっただけでも大収穫だ。これ以上は特に聞く必要もないだろう。後はセレナについて行けば、必ずフウカに会える。

 

 ただ一つだけ、セレナに関して腑に落ちない部分はあるが。

 

 俺はその真意を確認するために、彼女に向かって分析スキル【アナライズ】を行使した。

 このスキルは文字通り、指定した対象のステータスや状態異常、ジョブが見れるものだ。先程、スキル画面を見たときに、GTOの時に全く必要がないと思って取っていなかったこのスキルが、エイジの使用可能なスキルとして表示されていた時は驚いてしまった。

 正直なところ、女の子の個人情報を覗き見するのは少しばかり気が引けるのだが、俺の見立て通りなら今すぐに使わなければ後々面倒くさそうになりそうなので使用してしまった。……あとで事情を話して謝れば、セレナならきっと許してくれるだろう。

 

 分析結果が表示されるまで数秒。果たして、彼女のステータスには俺の予想通りの結果が表示されていた。

 

「一つだけ、いいか」

「は、はい……なんでしょうか?」

 

 俺はその結果にひどく憤りを覚えて、我知らず先程より数段強い口調で彼女に問いかけてしまった。彼女は全く悪くないと、頭の中では分かっているのだがどうにも感情がコントロールできなかったのだ。

 

「そのメルナ様とやらは、戦闘ができないやつまでモンスターが出る平原に一人で行かせるのか?」

 

 彼女は俺の問いに一瞬体を強張らせていたが、直ぐに首を横に振った。

 

「……今日に関しては仕方がなかったんだと思います。本当は、モンスターにある程度対抗できるスキルを持ち合わせている修道士が赴くはずだったのですが、今日当番だった方が急病で床に伏せてしまって……教会内で本日非番なのは私だけだったらしく、代わりに駆り出されたのです」

 

 そう言い切って、彼女は俺の目をじっと見つめてきた。恐らく、俺がメルナを疑っていることに気づいているのだろう。ただ事実を述べたまでだ、とその目は揺らぐことがなかった。きっと彼女はメルナのことを信じているのだ。……それを考慮するに、どうやら俺のこの考えは、とても浅はかで信用足り得ないものだったようだ。

 

「いや、すまなかった。決してメルナ様を疑っていたわけじゃないんだ」

 

 今度は俺が頭を下げた。先入観だけで会ったこともなく、まったく知らない人を疑うなんて、きっと俺がどうにかしていたんだろう。

 

 彼女が「頭を上げてください」と言ってきたので、素直にそれに従う。

 

「お許し致します。あなたは私の恩人ですもの」

 

 そう言いながら彼女はにっこりと笑った。しかし、やはり人を……ましてや彼女の信じる人を疑ったのだ。もう一度くらい謝罪の言葉を言ったほうが良いだろう。

 そう思い立ち、もう一度頭を下げて────。

 

「いや、本当にすまなか──―「ですが!」

 

 俺の言葉を遮るように、彼女が言う。

 

「お許しするには、条件があります」

「条件……?」

 

聞き返すと、彼女は少しだけ頬を赤らめてコクンッと頷いた。

 

「お名前……」

「え?」

「あなた様のお名前を、教えてください。自分はお教え致しましたのに、ズルいです」

 

 彼女が頬をぷくーっと可愛らしく膨らませながら言う。まぁ、確かに俺だけ相手の名前を知っているのは不公平だと俺も思うし、教えてあげても良いけど……。

 

「多分聞いたらちょっとばかし後悔するんじゃないかな?」

「な、なんでですか! 命の恩人様の名前を聞いて後悔するなんて失礼な事、絶対にありません! もう、もったいぶらないで早く教えてください!」

 

 彼女が俺の肩をポカポカと叩きながら言う。そうかそうか、そんなにセレナは俺の名前を知りたいのか。忠告はしたからな? よし、それじゃあ言ってやろうじゃないか。

「早くしてください」と急かさんばかりの彼女の目をじっと見つめ、俺は余裕をもって言ってのけた。

 

「俺の名前は《エイジ》だ。セレナ達の言う主様から使徒として送られた《フウカ》のパートナーだ」

「なるほど~《エイジ》様、と……って、えぇぇ!? 使徒《エイジ》様ぁ!?!?」

 

 なんとなく、使徒という言葉を使ってみたくて、まわりくどい言い方をしてしまった。ほら、使徒って言われると何となく某ロボットアニメの敵キャラみたいでカッコいいじゃん? 

 

「わ、私、使徒様に助けていただいて、不思議な方なんて言ってしまって、あまつさえなんともご無礼な言葉遣いを……! それに、今なんて……!!」とアワアワしだす彼女に向かって言葉を投げかけた。

 

「おーい、セレナ。お前のいる国まで案内してくれよ~! 見張ってないと、不思議なお方はどっか行っちゃうぞ~」

「わぁー! 私なんて無礼なことを! す、直ぐにご案内させていただきますぅ~!!」

 

 彼女の焦った声が耳に届き、つい俺の口から笑いがこぼれた。

 転移してから一時間ほど悩み、ゴブリン達との戦闘を経て、フウカの居場所を知って。やっと、俺の中で『異世界』に来たんだなぁ……という確信を持てた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆           ☆            ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が憤った理由。それは一種の同情だった。表示された分析結果が、こんなにも健気な修道女に対して、あまりに不遇で、残酷な仕打ちだったからだ。そしてそれを人に────ましてや話を聞く限り、ほとんど教会に幽閉されているであろうセレナに対して、こんな大掛かりなことができるのは、きっと権力を持っているメルナだけだと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が【アナライズ】で見た、彼女のステータスには────

 

 

 

 

 

 

【カースト:魔力封印】

 

 

 

 

 

 

 彼女の魔力を封じる、『呪い』が掛けられていた。



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王都『ヴィルドヘルム』

「エイジ様、大変長らくお待たせいたしました。もうすぐ国に到着致します」

 

 セレナが走らせる馬車に揺られること体感で約一時間。馬の手綱を握り御者席(ぎょしゃせき)に座るセレナの声を受けて、開いていたステータスを閉じて、客車と御者席を隔てる幕から顔を出す。

 最初に目に入った外の景色は、この世界で最初に見た景色と同様緑一色だった。ただ唯一違う所と言えば、日が傾いたために、緑に混じって橙がチラチラと見え隠れしているところだろうか。

 俺が住んでいた日本の首都圏では中々お目にかかれない爽快な光景ではあるのだが、現代っ子の俺はどうにも殺風景過ぎてつまらないなと、贅沢ながらそう思ってしまった。

 だから俺の視線がそんな見飽きた緑の波に向けられたのは一瞬のことで、その後はその景色の後ろに聳え立つ、見上げるほど巨大な壁へと向けられていた。

 先ほど丘の上で見た歴史的建造物を彷彿とさせる荘厳な壁が、今俺の目と鼻の先にあるのだ。世界史が好きでその道に進んだ俺にとって、これ以上興奮を覚えるものはない。

 

「なぁ、セレナ。あの壁ってどれくらいの高さがあるんだ?」

 

 自分でも分かるくらい弾んだ声でセレナにそう問う。彼女は、一瞬だけこちらに視線を向けた後、すぐに前へと戻してから言った。

 

「……そうですね。約十五メートル程、と教示者に教えられました。なんでも、外敵から国を守るために丁度良い高さらしいのです」

「十五メートルか……中々高いな」

 

 まぁ、某巨人のマンガに比べたら……と、見当違いなことを考えていたのは心の奥底に仕舞っておこう。流石にあれと比べては可哀そうだ。

 それはさておき、今の会話でかなり有益な情報を得られたように思う。まぁ、あくまでそれは仮説ではあるのだが。

 俺はもう一度その壁を、今度は頂を見上げた。工場か何かが稼働しているのか、壁の向こう側で煙がゆらゆらと立ち上っているのが見える。

 

 俺が得られた仮説とは、この世界には十五メートルを超える超大型モンスターが現れることは全く無い……もしくは稀だということだ。基本的にこのような防壁は敵の体長よりも大きく作るのが普通だからな。

 つい先日俺とフウカが倒した『The Lost Tale』に関しても、その体長はゲームサイズで見る限りでも九メートル前後だった。つまりあの巨体がどれだけ背伸びをしても、壁の頂に届くことはない。

 だからと言ってモンスターが中に入ってこないとは言い切れないが。しかし少なくとも「上から来るぞ、気を付けろ!」という状況に陥ることはまずないだろう。

 

「……さあ、そろそろ国に入りますので、お支度の方をお願いします」

「あ……了解」

 

 そんな検討を付けていると、相変わらずセレナは俺の方を見ようともせず、前を向きながらそう言った。彼女は俺の正体を知ってからというもの、どこかよそよそしいのだ。

 この一時間、彼女に話しかけた回数は二桁を超えているハズなのに、ゴブリン達を退けた時みたいな気さくな会話をしたのは一度たりとも無かった。

 そんな彼女の激変に、ついに耐えることができず、俺は彼女に向かって優しく語り掛けた。

 

「セレナ、別にそんなに畏まらなくてもいいんだぞ? それとも、もしかして怒ってる? ……あの時セレナをからかったのは悪かったけど、ゴブリン達と戦っていた時みたいに気さくな感じに話しかけてくれても────」

「違います」

 

 俺の言葉を遮るようにそう言って、会話の主導権を握ると、セレナはまず首を横に振った。次いで、まるで戒めるかのように手綱をギュッと握り締めると、彼女は少し低い声で言った。

 

「からかわれたことに対して怒っているとか、そういう訳ではないのです。寧ろ使徒様がこんな私に構ってくれてることを大変嬉しく思っております。……ですがそれ以上に、神に仕える者として、その使徒様に無礼を上げた私自身が許せないだけなのです」

「別にそこまで気にすることでもないだろ? 俺だって使徒といっても君と同じ人間だし……」

 

 そんなセレナの意見に反論すると、彼女は「エイジ様はお優しいですね」と頬に微笑を称えながら言葉を紡いだ。

 

「同じ人間だとしても、格は違います。先ほども言いましたが、私は神に──主様に仕える身。そしてあなたはその主様の化身のような存在です。民達が貴族達に対して敬意と畏怖を抱くように、私もまたあなた様に敬意と畏怖を抱かなければならないのです」

 

 どうやら外門の前に着いたようで、セレナは手綱を手前にぐっと引っ張って馬を止めさせると、御者席から慣れた動作で降りてから「それに……」と呟いた。

 

「あの時の私は、私の中で処刑しました」

「人格を殺すなよ……」

 

 俺のツッコミが聞こえなかったのか、はたまた聞こえないフリをしたのか、こちらを振り返ることもなく門へと向かっていくセレナ。正直、あの時の気さくなセレナの方が話しやすいし親しみやすくて好きなんだけど……と思ったが、俺はそれを言葉にしなかった。もし今この気持ちを彼女に告げたとしても、その意見が絶対に通ることはないと確信していたから。それ程までに、彼女は俺との間の線引きを決定付けてしまったのだ。

 やっぱりあそこで名前を教えたのは失敗だったな、と俺は思った。いつか彼女が俺を神の使徒としてではなく、一人の友人として見てくれる日が来ない限り、きっと彼女はずっとあの調子だろう。

 

 俺は幕から顔を引っ込めて、客車に備え付けられたソファの上に座ると、一つため息をついた。馬の走る音が無くなったからだろう、静寂の中に響く物音がより一層大きく聞こえる。

 勿論、外の話し声も断片的ではあるが聞こえていた。一つは既に聞き慣れたセレナの声。もう一つの男性の声は先ほどチラッと見えた甲冑姿の門兵だろうか。やはりこの国の住人でも門を通るためにはちゃんとした手続きが必要のようで、少しばかり話し込んでいるように思える。

 

 そのままその声を聞きながら待つこと数分。会話に一区切りついたのか、話し声が聞こえなくなると、代わりにこちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。その足音は客車の扉の前でピタッと止まると、次いで扉を叩く音が三回聞こえ、そのままガチャっと音を立てて開かれる。

 

「エイジ様。入国の手続きが整いました。ただ馬車に関しては貿易商以外のモノは国の中には入れませんので、大変失礼ではありますが、どうか足労の方ご了承ください」

「お、おう。了解」

「それでは、行きましょうか」

 

 そう言って、彼女は俺へと手を差し伸べた。普通、こういうことは男女逆な気がするが……と思いつつ、彼女の手を握って地面へと降り立った。……握った時、彼女の手が一瞬ピクンっと反応したことに関しては言及しないでおこう。これ以上距離を取られてしまったら敵わないしな。

 

 セレナに促されつつ歩みを進める。

 門の両脇を固める門兵達は、敬意を示すかのように顔の前へと剣を掲げて西洋式の古き良き敬礼を施していた。初めて肉眼で見るその光景が、俺に向けられていると遅らせながら気づいた時、俺は一種の感動を覚えてしまい、誰にもバレないように目元を拭った。

 

 最後にもう一度門兵の敬礼を盗み見てから門をくぐる。

 入口の扉から敷地まで意外と距離があるようで、陽の光が届かないことも相まって、その暗さはまるでトンネルの中を通ってるんじゃないかと錯覚する程だ。

 しかしだからといって門は門だ。トンネルほど長くないのは必然で、数秒歩くだけでその暗闇も徐々に消え失せ、逆に俺たちの行く方向を指し示すかの如く陽の光が地面を照らしていた。

 

 ここまで来ると人々が作り出す喧騒が嫌という程大きく聞こえ、行き着く先がとても活発な街である事が如実に伺えた。

 俺はついに逸る気持ちを抑えきれずにセレナを追い抜き、陽の光を踏み締めて出口を抜けた。

 

 暗順応から明順応へと切り替わるまで数瞬。慣れてきた目を瞬かせた後、まず最初に映ったのは、夕焼け色に染まるレンガ造りの家々だった。次に街を彩る噴水。人々の帽子、服、提げているカバン……。少しだけ奥に見えるゴシック様式の尖塔は教会だろうか? 

 そしてどうやら先程壁の外から見えた煙は、工房から上がるものだったらしい。街ゆく人々の視線を奪うその工房のショーケースの中には、店一番の業物と思わしき剣が、その刀身を茜色に光らせながら佇んでいた。

 そして視線をもう一度前へと巡らせて────息を呑んだ。まるで童話にでも登場しそうな王城が、威厳を放ちながら夕日を背に佇んでいるのが見えたからだ。

 

 ……兎にも角にも、俺にとって視界に入るこの世界のモノ全てが新鮮で、この国に入ってからというもの、ただただその場に立ち尽くして子供のように辺りを見渡すことしかしていなかった。

 

 そんな到底神の使いとして来た者とは思えないほど無防備な俺の隣を、後ろから来た少女が追い抜いていく。その少女は、そのまま俺の数歩前へと身を踊らせると、後ろ手に組んでいた手を話して両手を広げた。そして────

 

「使徒エイジ様。我が国──ヴィルドヘルムへようこそ。精一杯歓迎させていただきます!」

 

 背後の紅い陽の光に負けないくらい明るい笑顔で、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレナと共に街を歩いていて分かったことがある。いや、なんとなく彼女の人当たりの良さと性格から想像はついていたのだが。

 

 ある時は強面の八百屋のおっちゃんと────

 

「よう、セレナの嬢ちゃん! 今日はだいぶ遅かったな!」

 

「御心配お掛けしてごめんなさい、ゼスさん。今日はお客様を連れて来ていたので少しだけ遅れてしまったんです」

 

「俺たちゃみんな、嬢ちゃんの笑顔見たさにこんな時間まで店開いてるんだからねぇ。もっと遅くなると徹夜しなきゃならんくなるな!」

 

「もう……朝から働いていらっしゃるんだから、お身体は大事にして下さいね」

 

「はっはっは! やっぱ嬢ちゃんには敵わねぇな!」

 

 

 

 そして数歩歩いた先にある揚げ物屋の婦人が────

 

 

 

「ねぇセレナちゃん、これ出来立てなんだけど食べてかない?」

 

「わぁ、凄く美味しそう! ラフィさんありがとうございます! あっ、我儘なんですけど、お二つ貰ってもよろしいですか?」

 

「おや、そんなにお腹減ってるのかい?」

 

「いえ、今日はお客様と一緒に居るので、その方にも是非、と思いまして!」

 

「あれまぁ、セレナちゃんに連れがいるなんて珍しいねぇ。でも、全っ然構わないよ! あんたの連れなら、きっと良い奴に違いないからねぇ!」

 

「ありがとうございます、ラフィさん。彼の紹介はまた後ほどしますので」

 

「きゃーっ! セレナちゃんが"彼"ですって! もうそんな歳なのねぇ!」

 

「ラ、ラフィさん、そういう意味合いじゃありませんって!」

 

 

 

 ────といった感じに、まだこの街に入ってからほんの五分足らずだというのに、セレナは沢山の人々に話しかけられていた。ちなみに俺はその間、”彼女とは赤の他人だ”という雰囲気を全身に醸し出しつつ、観光気分で辺りを見渡していた。

 それから更に待つこと数分。両手一杯にお土産を持たされたセレナが「使徒様! お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした!」と言いながら駆け寄ってきた。

 一瞬、先程の揚げ物屋の婦人がニヤついた顔をこちらに向けてきたのは、きっと気のせいだと思いたい。

 

「全然。こう見えて待つのは得意な方なんだ」

 

 実際にさっき熟睡しているセレナも待ってたことだし。

 

「しかし、使徒様をお待たせするなんて、私……」

 

 全然、と言ったはずなのに、尚のこと食い下がるセレナ。彼女が目上の人──そもそも俺は彼女のことを対等に思っているのだが──に払う敬意は大変に素晴らしいものだとは思うのだが、少しばかり過剰過ぎるのでは、と俺は思う。

 どうにかして直せないかと少し沈んだ顔をする彼女を見つつ、頭の中で考える。そして一番最初に浮かんだ答えをそのまま口に出すことにした。

 

「じゃあ分かった。本当に待たせたことを悪いと思っているのなら、今後俺のことを”使徒様”と呼ぶの禁止な」

「そっ……それは、私は破門……ということですか?」

「どうしてそうなる!?」

 

 そう言いながら涙ぐむ彼女にツッコミを入れる。……いや待ってください、揚げ物屋の婦人や八百屋のおっちゃん! 決して俺が泣かせたというわけではないんです! とりあえずその串と大根を下してください!! 

「違うのですか……?」と目元を拭う彼女に違う違うと首を横に振ってから、諭すように言う。

 

「ほら、さっき『使徒が降臨したことは口外しちゃいけない』ってセレナ、言ってたじゃん? だからさ、君が街中(まちなか)で使徒様、使徒様って呼んじゃうと、どんどん噂が広まっちゃうしさ」

「……確かにあなた様の言う通りですね。ですが、そうしましたら私はあなた様をなんてお呼びすれば?」

 

 セレナが首を傾げながら問いかけてきた。……何て呼べば良いかなんて、そんなの決まっている。

 

「普通に名前を呼んで欲しい。……だけど勘違いして欲しくないのは、名前を呼ぶことが決して不敬に当たることじゃないって事だ」

「……しかし、私如きがあなた様をそんなに親しくお呼びする訳には────」

「じゃあセレナは、待たせた事を本気で悪いと思ってなかったワケか」

 

 ワザとらしく大きくため息をつく。我ながら小学生みたいな揚げ足の取り方だが、こうでもしないと彼女は絶対に俺の事を名前で呼んでくれないだろう。折角、広がってしまった距離を縮めるチャンスなんだから、しっかり活用しなければ。……いやまぁ、本当はそろそろ使徒と呼ばれる事に羞恥心を感じるようになってきただけなのだが。

 

「……畏まりました」

 

 俺にそう言われ、彼女はついに観念したかのように目を伏せ、深呼吸をする。数回繰り返した後に目を開けると、俺の斜め下を見ながら恥ずかしそうにボソッと呟いた。

 

「エ……エイジ様」

「うん、よろしい」

 

 本当は"様"すらも要らないのだが、まぁ及第点だろう。

 二人の間に沈黙が流れる。全く気にならなくなっていた街の喧騒が、まるで俺達の存在を掻き消すかの如く大きく聞こえた。

 

「そ、それにしても、そんなにお土産を貰うなんて、凄く慕われてるんだな」

 

 何故か居た堪れなく感じ、話題を変えるためにそう言うと、彼女は目元と同じように頬を紅くして、貰い物が大量に入った袋を少しだけ強く抱き締めた。

 

「……そうではありません。この街の人達が皆優しいんですよ」

 

 そう言う彼女の顔はとても嬉しそうで、何故か見ている俺まで嬉しくなってしまう。

 

「良い国だな」

 

 俺がそう言うと、彼女は目を優しく細めながらこちらを見ると、破顔して「……ありがとうございます」と呟いた。その顔は、初めて会った時に見せてくれた時のあの笑顔となんら変わりのないもので、我ながらちょろいものだが、少しだけ心拍数が上がってしまった。

 

 その後特に会話もないまま、彼女のポニーテールが揺れる様を眺めつつ半歩後ろをついて行った。

 俺たちの間に先程までの上司と部下の外回りのような居心地の悪さは無く、その雰囲気はどちらかというと、付き合いたての初々しいカップルが、どう接したら良いかわからずにもどかしい思いをしているあんな感じに似ていた。……まぁ、彼女と二人で街中を歩いたことなんかないんですけどね。

 そんな自虐的な考えを巡らせていると、急に目の前の彼女のポニーテールの揺れが止まり、危うくぶつかりそうになるのを何とか避ける。

 なんで止まったのかと不思議に思い、彼女の肩越しに前を見ると、なるほど、答えはすぐそこにあった。

 

「到着致しましたよ」

 

 そう言いながら彼女はこちらを振り返ると、少しだけ首を傾げて言葉を続けた。

 

「エイジ様。この教会こそが、私が務める教会であり、ヴィルドヘルムの国教を取り纏める《メルトリア教会》です」



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聖女と使徒と教会と

 彼女の言葉に、俺は自然とその建造物を見上げていた。それは白を基調としたゴシック様式のモノで、如何にも世界史の教科書で見るような教会然とした装いだった。ただ強いてそれと違うところを述べるとするならば、横の長さがそこまで長くないところだろうか。ただなんにしても、家の近所にあるようなただ備え付けられただけのような教会よりも何十倍も美しくて、目を引き寄せられたのは確かだった。

 

 そこまで観察してから、ふと気づいた。あれ、この尖塔って────

 

「さっき、入り口から見えたやつじゃん」

 

 そう言うと、目の前の少女は驚いたように体を揺らした。その拍子に髪の毛も可愛らしくぴょこんと揺れた。

 

「……やっぱりエイジ様って変わっていらっしゃいますよね」

「なんでだよ!?」

 

 あまりにも予想外の言葉に教会の前だというのについ声を荒げてしまった。この子、さっきまで不敬だからって発言に気を付けていた節があるのに、今では変人だという始末。キャラクターがブレブレ過ぎる……。

 しかし彼女は、どうやらそういう意味で言ったわけではないらしく、謝りながら言葉を続けた。

 

「気を悪くさせてしまったなら、本当に申し訳ありません。そういう意味合いで言ったわけではなかったのです。普段から教会を訪れる方は多くいるのですが、その大体の人は教会よりも後ろにある王城を見てしまうので、いち早く教会に気づいている方のほうが珍しくて……」

 

「やっぱり、使……エイジ様だからなんですかね?」と言葉を紡ぐ。

 

「主様の使いの方だから、聖なるモノの力に惹きつけられてしまう……みたいな感じなんですか?」

 

 彼女は顎に手を当てながら、最後に好奇心に満ちた目をこちらに向け、そう疑問を投げかけてきた。

 

「まぁ確かに王城に比べたら目立たないとは思うけど、確かに俺にはすぐに目についた……かも。良く分かってないけど、多分そういう力が働いたんだと思う」

 

 彼女の疑問に適当に答えつつ、俺は頷いた。……本当は歴史的建造物に目がないせいで、先に教会に目が行ってしまった、なんて言えないからな。実際この教会、俺が生きている間に一度は見たいと思っていた、西欧に実在するある教会に物凄く似ているのだ。

 

 それはさておき。セレナは「やっぱり本当にそういう力ってあるんですね」と、目を輝かせて言った後に、自分が深入ってしまっていることに気づいたのか、俺から一歩距離を取ると咳払いをして言う。

 

「こほんっ……。さ、さて。エイジ様をずっと外に立たせている訳にもいきませんから、中に入りましょうか」

 

 彼女は踵を返すと、教会の真正面の大きな扉から────ではなく、側方へと向かって歩いていく。

 

「あの扉からじゃないのか?」

 

 セレナの後を着いて行きつつそう問うと、彼女は頷いた。

 

「あちらの扉は信者たちの入り口です。何故かは良く分かりませんが、あちらの扉から入ると、信者たち──特に男性の方々に奇異な目で見られるとの苦情が、修道士達から上がりまして……。裏扉を設置することになったのです」

「な、なるほどなぁ……」

 

 この世界にも、セクハラってあるんだなぁ……と思った今日この頃。まだセレナしか見ていないから他の修道士がどうかは分からないけれど……。

 

「…………」

「エ、エイジ様? どうかいたしましたか?」

 

 うん、確かにそれも納得出来るような気がした。いや、納得しちゃいけないんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 そこから歩くこと数秒。

 

「エイジ様、少し下がっていてくださいませ」

 

 セレナは特に他の場所と変わった様子のない壁の前に止まると、首から下げていた十字のネックレスの先端の部分を押し当て、突然詠唱を始めた。

 

「治の女神よ、其方の力を以てして────」

 

 つい先ほど聞いた文句を言い終えた直後、壁の一部分が扉の形のようにポワっと光り出すと、その形のまま、本当に扉が形成された。

 セレナは、驚く俺の様子に満足したかのようにニコっと微笑み、「行きましょうか」と言いながら歩みを進めた。

 

 中に入ると、そこは左右の壁に蝋燭が一本ずつ立っているだけの不気味な細道だった。

 その中を無言で歩いていくのは流石に怖いと判断した俺は、その間に少々雑談をすることにした。まず初めに、この通路はどういったものなのかを尋ねると、この通路は堂内と外壁の間に形成されている秘密通路だと、彼女は歩きながら説明してくれた。

 

 二つの足音と声が通路に反響する。

 

「そういえば、なんで治癒魔法で扉が開く仕組みなんだ?」

 

 俺がそう問うと、迷う様子もなく即座に返答してきた。

 

「それは、治癒魔法が使えるのは教会に携わる修道士のみだからです。もし私たち以外に使えるような方がいたら、その都度教会に引き入れてますので」

「そうなんだ……」

 

 俺は上ずった声で返事をした。なんか物凄く怖い話を聞いてしまったような気がする。

 前に読んだラノベで、”回復魔法使いを見つけ次第教会に連行して洗脳する”なんていうシーンを見たことがあるのだが、いくら何でも教会にそんな権力なんかないよな……と俺は秘かにその物語を否定していたのだ。そんな極悪非道なことを、仮にも神聖な教会の人々がするわけがない、と。しかし、今のセレナの話でそれがかなり現実味を帯びてしまった。

 

 俺が知りたくもなかった衝撃の真相に閉口していると、ある程度暗かった通路が段々と明るくなってきていることに気が付いた。それに次いで、行く先からガタゴトともの音が聞こえてきた。あともう二本、蝋燭の門を潜ればその部屋の扉の前に着く、というタイミングでセレナは口を開いた。

 

「そろそろ修道士達の集会場に着きます。恐らくこの時間は、修道士達の入浴時間なので、まずは聖メルナ様にご挨拶をすることになると思いますので、そのおつもりで」

 

 彼女はこちらを一瞬チラっと見てから、少しだけイタズラっぽい笑みを浮かべてから、一礼した。

 

「……なんだよ」

 

 気になって問いかけると、彼女は嬉々とした声で宣った。

 

「申し訳ありません。エイジ様はフウカ様に早くお会いしたいそうだったので」

「……楽しみにしていたわけじゃないけど、気付いていたのかよ」

「それは気づきますよ。先程フウカ様のお名前をお出した時、凄く嬉しそうなお顔をされていましたもの」

「俺ってそんなに顔に出やすいかなぁ……。まぁ、会うのは別に後ででも構わないよ」

「ありがとうございます」

 

 俺が恥ずかしさに後ろ頭を掻いていると、セレナはフフッと笑う。しかし、彼女はその可愛らしい笑顔をすぐに引っこめると、もう見慣れてしまった真面目顔へと変化させてから、ノブに手を伸ばし扉を────

 

 

 

「ただいま戻りまし────」

「セレナぁぁ!」

 

 

 

 ────開けたその瞬間、何者かが風を切って飛びこんできて、俺の隣の少女はそのまま何者かの下敷きになってしまった。それはもう、ほとんどテロのような速さで。

 

「ごめんなさい、セレナ! 戦えないのにあなたを危険な場所に送りこんでしまって! 怪我は!? 怪我はない!?」

「あっ、んっ! ちょっ、メルナ様! お、お止め下さ……ひゃんっ!」

「この様子じゃ怪我はなさそうね! 良かった! 私凄く心配したの……ん?」

 

 メルナと呼ばれた女性は、セレナの体を──主にふくよかな部分を──心配そうに……いや、どちらかというと変態そうに撫で回した後、触れていた手をその部分から離すと、感触を思い出すかのようにワナワナさせ、興奮を抑えるかのように小声で呟いた。

 

「……あら、セレナ。もしかしてまた大きくなった? これは……Dいや、Eくらいは」

「きゃあああ!! メルナ様、いい加減にしないと怒りますよ!」

 

 セレナがメルナの声をかき消す程大きな声を出す。そのせいで彼女が何を言いかけたのか全く聞こえなかった。が、しかし何となく予想はついていたので、俺は一体何を見せられているのだろうと思いつつ、顔を背けた。

 

「まぁまぁ、別に言われて減るものじゃないし、いいじゃないの────ってあら? そちらの方は?」

 

 ようやく俺の存在に気づいたのか、メルナは小首を傾げながら俺を不思議そうに見つめていた。

 セレナはその隙を見逃さなかった。慣れた素早い動作ではだけた装束の胸元を抑えつつ、メルナから脱出すると、荒いだ息のまま叫ぶように言う。

 

「はぁはぁ……。メ、メルナ様、その方がもう一人の使徒様の《エイジ様》ですよ!」

「……ふぇ?」

 

 彼女の間の抜けた声が、集会場に響き渡る。次いで、先程とは違った意味で手をワナワナさせだした。

 

「え、ちょ、使徒様ですって!? ちょっとセレナ! そういうことはもっと早く言って頂戴!」

「言う暇を与えて下さらなかったじゃないですか!」

「オッパイ揉まれて感じてる暇があったら言いなさいって言ってるのよ!」

「なっ……! そ、そんなこと!」

 

 憤怒と恥ずかしさでまるでリンゴの様に赤面するセレナを傍に、メルナはすぐにスカートを叩いて付いた埃を落とすと、一度咳払いをした後に、手を前に組んでにこやかに微笑んだ。

 

「お初にお目にかかります。私はこのメルトリア教会の大司教を務めております、《メルナ・ノア・ミハエル》です。ようこそお出でなさいました、使徒様。以後お見知りおきを」

 

 彼女はそう言いながら、そのままスカートの裾をちょこんと摘んで上にあげると、如何にも中世風の挨拶をした。流石にあの光景を見た後だと大司教の威厳も何も無いのだが。

 

「あなたが"聖女"メルナ様ですか。知ってはいると思いますが、俺の名前はエイジです。ここの修道士達の神様から聞いてるとは思うけれど、これからお世話になると思いますが、よろしくお願いします」

 

 だが敢えて、そこには触れないことにした。触れたらセレナの何かが大変なことになってしまうような気がしたから。なにが、は言及しないが。

 

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。エイジ様」

 

 お互いに挨拶を交わして、握手をする。……この小さな手が、あの巨大な大狼を瀕死まで追い詰めたというのだから、世の中本当どうなってるのかさっぱりだ。この世界のことまだよく知らないけれど。

 

「流石使徒様と言ったところでしょうか。Lv3なのにも関わらず物凄い魔力を感じます。いえ、それ以上にこの生命力は────」

「こらこらこら、勝手に人のステータスを覗き見するな」

 

 苦笑い混じりに言う。別に俺的には見られても構わないのだが、無断というのはどうなのだろうか。

 そう思ったのだがしかし、どうやら認識違いだったのは俺の方らしく……。

 

「あら? 相手の体に触れる許可をするということは、ステータスを見るのを許可するということよ?」

「そ、そうなのか……」

 

 なにこの世界。俺の常識が全く通用しなくて本当に怖い。

 

 俺がその事実に戦慄していると、彼女は「それにね……」と言いながら、メルナは掴んだままの俺の手をグイっと引っ張ると、耳元まで顔を近づけてきた後に、ボソッと囁く。

 

「使徒様は、セレナが【呪い】に掛かっていることを知っていらっしゃるのよね?」

「っ! ……お前」

 

 俺はその言葉を聞いて、すぐ傍にある顔を睨みつけた。やっぱり、こいつの仕業だったのか……。

 しかし対する彼女の表情は、俺の目を見て臆するどころか嬉々としているようにも見えた。

 

「あら、やっぱり。あなた様こそ私の可愛いセレナちゃんの秘密(ステータス)を覗いているじゃない。人のこと言えないわね」

 

 メルナは俺から離れて口元に人差し指を立てる。

 

「その秘密の意味を知りたければ、後で私のところに来てくださいね、使徒様♪」

 

 ついでに可愛らしくウインクも付けてそう言った後、メルナはセレナに「教会の案内と、フウカ様との会合、最後に彼のお部屋の場所を教えて差し上げて。それまでお風呂は待ってるから」と言うと、さっさと部屋から出て行ってしまった。

 

 暫しの沈黙と、誰かのため息が部屋に反響する。

 

「……メルナ様と何をお話しなさっていたんですか?」

 

 数秒経った後、セレナが口開いた。しかしその声はどこか遠慮気味なもので、おずおずとしていた。まぁ、恐らく俺が怒っているのが原因だろうけど。だから俺はできる限り平静を務めて、彼女にただの世間話だったよ、と伝えた。

 

「その割にエイジ様、結構怒っていらっしゃったようですが……」

「まぁ、その、なんだ。いきなり何の前置きなしにステータスを覗き見されてたからな」

 

 俺が(うそぶ)くと、彼女はまたか……といった風に溜息を吐いた。

 

「もう、メルナ様ったら……。あとでちゃんと叱っておきますね」

 

 彼女自身全く悪くない、寧ろかなりの被害者だというのに、申し訳なさそうにそう言うと、メルナが出て行った扉の左側へと歩みを進め始めた。

 

「えっと……セレナ、どこ行くの?」

 

 いきなり歩き出したセレナに問いかける。先程、メルナが部屋を出る直前に、セレナに対して行動指南を執り行っていたのは少なからず聞こえていたのだが、具体的な内容までは良く聞こえていなかったのだ。

 

「どこって……決まってるじゃないですか。忘れてしまわれたのですか?」

 

 しかしどうやら、彼女は既に行き先を俺に教えていたようで。分からずに思い出そうと首を捻っていると、じれったいと思ったのか

 彼女は直ぐに答えを口にした。

 

「エイジ様の相方、フウカ様に会いに行くんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実は私、この教会で一番フウカ様と仲が良いんですよ」

 

 月明かりに照らされる廊下に二つの足音が響き渡る。俺がこの世界に転移してきたのは今朝のことなので、もう直ぐ一日が経とうとしているという事実に少しばかり驚かされてしまった。

 

「へー、そうなのか。ちなみにあいつ、どんな感じだ?」

 

 相槌を打ちつつ、会話が終わらないように質問を投げ掛ける。彼女は一瞬俺の問いに対して不思議そうな顔をしたが、気にしない事にしたのか返答を続けた。

 

「そうですね……今日で会ってから丁度二週間なんですが、毎日一緒に編み物をしたりお料理をしていたりしていますね」

 

 それを聞いて、俺は安堵のため息をついた。こんな状況で趣味に没頭できる彼女は俺の知っている彼女そのものだった。実は少しだけ、この世界に来て病んでしまってるのでは、と心配していたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

「あいつ、確かに手先が器用だって言ってたな」

「エイジ様は食べたことないんですか?」

 

 隣を歩く彼女が、コテンッと首を傾げる。……フウカと仲が良いということは聞いてるもんだと思ったのだが、どうやらこの様子では聞かされていないらしい。まぁ確かに、オンラインゲームも何もないであろうこの世界の住人に、俺達の出会った経緯を説明するのは難しいからな。

 だから俺は至って簡潔に、なんの気負いもなく平然と言ってのけた。

 

「まぁだって、俺とフウカって会ったことないしな」

「あ、なるほど。会ったことないのなら仕方がないことでぇぇぇ!?」

 

 キィーン! と廊下にノイズが響き渡る。そのノイズの発生源の間近にいた俺は、自ずと歯を食いしばって手を耳に当てて防御姿勢を取っていた。

 

「ちょ、セレナ! うるさいって!」

 

 未だにぐわんぐわんと廊下を駆け巡る残響を背にセレナに注意する。

 

「申し訳ありません、エイジ様! ……でも、だって私、エイジ様とフウカ様は恋人同士で、いつも一緒だったと聞かされていたので、会ったことないというエイジ様の言葉と矛盾が起きていて……」

 

 注意に対して、彼女が申し訳なさそうに頭を、まるでヘッドバンキングのように下げ続けると、次いで弁明を述べた。

 

 なるほど、流石はフウカだ。面倒臭さに完全に説明を端折ってやがる。恐らく彼女は、俺達のゲーム内の生活を現実世界の私生活に見立てて、それをセレナに話したのだろう。いわゆる一種の夢物語を彼女に語った、というワケだ。

 

 そこまで考えて、ふと思った。

 

 あれ? でも、その夢物語を構成していた《エイジ》と《フウカ》は今、この世界では俺達の一部として生きているワケで。……そう考えると、あいつの説明もあながち間違ってないような気がしてならない。

 

「まぁ、その事についてはフウカと一緒にまた後で話すよ」

「よろしくお願い致します。頭がこんがらがってしまいましたので……」

 

 考え込むと永遠にその場に足踏みしてしまいそうなので、面倒なことは後回しにしてセレナと共に歩みを進めた。

 

 フウカがなぜ説明を放棄したかが何となくだか分かったような気がした。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 暫く歩くと、他の修道士達の部屋のモノとは一風変わった扉が現れた。明らかに豪華なそれは、その先に誰が住まっているの想像に難くない程だ。

 

「フウカ様、ご紹介したい方がいらっしゃいます」

「その声はセレナね? 通していいわよ」

 

 ドアに邪魔されてくぐもってはいるが、部屋の中から驚くほど美しい声が聞こえてきた。

 そして俺は、その声に聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがあるどころじゃない。それを直接聞いたことはないが、毎日耳元で機械を通して聴いていた声そのものだった。

 

 セレナが、「失礼します」と言いながらドアを開ける。その風圧で換気された甘い部屋の香りが、俺の鼻腔を嫌という程くすぐる。

 中に入ると、まず目に付いたのは、お姫様が使うような大きなベッドだった。部屋の隅にあるそれは、窓から差し込む月の光に照らされて、これでもかと言うほどキラキラと輝いていた。

 その輝きの中、上半身だけを起こして本を読んでいる少女が一人、黒い影となってカーテンに映されている。

 

「いらっしゃい、セレナ。──それと、そちらの方は?」

 

 彼女の影が口を開き、その声が俺の耳を貫く。聞く限り、どうやら彼女は俺と認識出来ていないようだった。

 無理もない。今俺が彼女をシルエットとしか見れていないのと同様に、彼女からもまた俺の事をシルエットでしか見えていないだろうから。まるで、ゲームの中での会話を通して、彼女の姿を想像していたあの頃のように────。

 

「見たところ男性のようだけれど」

 

 あぁ、紛れもない。俺にとってはどんな声優も歌手も敵わない、俺が一番大好きなあの声だ────。

 

 

 

 

 

 

「フウカ」

 

 そう思った途端、無意識に彼女の名前を口にしていた。

 その直後、カーテンの向こう側でシルエットがびくっと揺れ、呼応するかのように腰まで伸びた髪が踊った。その光景は月の光と相まって更に美しく感じられた。隣にいるセレナも見入っているのか、感嘆のため息をついていた。

 

「……エイジ?」

 

 彼女の声が俺の名前を呼ぶ。機械越しに聞いていた声が今、確かに目の前で聴こえたのだ。

 

「本当に、エイジ?」

 

 シルエットが布団を剥がし、隠れていた足が露わになる。

 

「あぁ、本当だよ、フウカ」

 

 俺はもう一度、彼女の名前を呼んだ。

 

「エイジ……!」

 

 彼女はカーテンを開けるのももどかしく、更に靴も履かずに床を走ると、俺の胸元に飛び込んで来る。俺はそれをしっかりと受け止め、抱きしめた。ちゃんと、触れられる。ちゃんと今、俺の目の前に彼女が実在している。

 

「フウカ、会いたかった。二年間、ずっと」

 

 俺がそう言うと、彼女は俺の胸の中でコクンっと頷いて顔を上げた。

 初めて見る彼女の顔。

 予想していた顔よりも遥かに美しいその顔は、俺と同じように涙に濡れていた。

 

「うん、私も。ずっとエイジに会いたいって思ってた」

 

 腰に回されている手が更に強まった。まるで俺の存在を確かめるかのように。そして彼女は俺の中で泣き笑いをした。

 

 

 

 

 

 

 二年前。ゲームの中で彼女の化身と出会い。そして今日、そのゲームによく似た世界で、大切な人となった彼女と────フウカとの初めての"再会"を果たしたのだった。



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ゲームと現実





「————ってのが、メルヘンが言ってたことだ」

 

 俺がメルヘンから聞いたこと、フウカに言っておかなければならないことを洗いざらい全て話し終えると、彼女は思案顔で頷いた。

 ちなみに、つい三十分ほど前までセレナも一緒になって俺達の話を聞いていたのだが、なにやら夜の礼拝があるとのことで、一足先に部屋から出ていってしまった。

 

「……なるほどね。だから私のレベルが1になってて、こんなに若返ってたのか」

 

 そう言って、彼女はベッドに倒れ込む。次いで自分の腕で目元を隠すと、低い声で静かに唸っていた。無理もない。あんな情報量をこの三十分で叩き込まれたのだから。

 

 俺は窓際からベッドへと移動して、彼女の傍らに座った。

 

「まぁ、今無理して覚えろとは言わないからさ。また何か分からないことがあったら聞いてくれ。答えられる範囲で答えるから」

 

 そう言って、長くてキレイな髪にそっと触る。風呂に入った後らしく、石鹸の良い香りが辺りに充満する。

 

「ごめんな、フウカ。二週間も一人にしちまって」

 

 そう言うと、手の中の彼女がフルフルと首を振った。

 

「私が暴走して勝手にこの世界に来ちゃったわけだし、エイジは謝らないでよ」

 

 そのまま彼女は、俺の手に自分の手を重ねて「エイジはさ……」と言葉を続けた。

 

「私のせいでこの世界に来たんだよね? さっきセレナから聞いたけど、ゴブリンとも正面から戦ったんだって?」

「あぁ、戦ったな。フウカ、知ってるか? ゲームだと最弱の部類だけど、ゴブリンって目の前で見るとめちゃくちゃ怖いんだぜ?」

 

 俺が興奮半分冗談めかし半分にそう言うと、彼女の顔が先程よりも一層暗くなり、俺から見える左目には涙溜まっていることに気づいた。……あれ、俺なんかやらかした? 

 

「エイジ、ごめんね……」

 

 堪え切れなくなったのか、溜まっていた涙が頬を伝う。

 

「エイジを危険な目に、合わせちゃった……。私、エイジを巻き込んじゃった……」

 

 そう言いながら、彼女は手元にあった布団をギュッと握りしめた。

 

 その光景を見て、俺は自分の軽薄な発言を後悔した。

 フウカはゲームの中ではいつも傲慢で、それでいて勇敢だった。そして俺はそれが本当の彼女だと勝手に思い込んでいた。

 

 しかし、俺が今まで見てきたフウカはあくまでゲームの中の彼女だ。生身の彼女のことを、俺は知らなかった。

 この世界はゲームじゃない。──現実だ。今目の前にいるのは、GTOでトップを張っていたフウカではなく、ただの学生、ただの女の子のフウカなのだ。

 

 自分自身の勝手で、ゲームではない、本当に死ぬかもしれないこの世界に俺を巻き込んでしまった──きっと、そう思って、責任を感じているのだろう。

 

「なぁ、フウカ」

 

 彼女の手に自分の手を絡めながら、俺は言った。

 

「確かに最初はお前の為にこの世界に来た。どうせ暴走したお前が話も聞かずにこの世界に行ったんだろうって想像がついたから」

 

 彼女の体が不安そうに揺れた。それと同時に微かに嗚咽が聞こえる。

 

「でもな」

 

 こいつを一人にしたくない。確かにそういう思いもある。でも今は、それに加えて新たに違う原動力が加わって、それが俺を突き動かしている。

 

「今は、自分の意思でこの世界に来たんだと思ってる。ゲーマーとして、一人の男のロマンとして、異世界転移をしてみたいって、そう思って」

 

 彼女が涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。……まったく、折角の美人が台無しじゃないか。

 

「──だから、お前が気に病む必要はないんだよ」

 

 そう言って彼女とは対照的に、俺は笑った。

 

「俺はお前の彼氏であり、相棒だ。お前が苦しんでいるのなら、俺が一緒にその苦しみを背負ってやる」

 

 その言葉を聞いたフウカは、泣いた顔のままフフッと息を漏らした。

 

「エイジ、ちょっとクサイよ」

「うるせぇ、俺が一番わかってるわ」

 

 きっと今、俺の顔は赤くなっているだろう。だがしかし、それで彼女を安心させられるのなら、何度だって言ってやろうと思った。

 

「……私は、エイジに甘えてもいいの? エイジは、怒ってないの?」

 

 彼女が濡れた瞳で俺を見上げる。その顔は、横から差し込む月の光と相まって、数段美しく見えた。

 

「あぁ、まったく怒ってないね。寧ろお前のお陰でこの世界に来れたことを感謝してるくらいだ」

 

 俺は力強く頷いた。これは虚言でも誇張でも全くない。俺の本心であり、事実だ。

 

「……エイジって、やっぱり優しいね」

 

 彼女はそう言うと、握っていた俺の手を自身の頬に寄せて、心地良さそうに目を瞑る。

 

「ねぇ……エイジ」

「なんだ? フウカ」

 

 彼女の問いかけに俺は優しく返事をした。

 しかし彼女は口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すだけで、一向に言葉の先を言う気配はなかった。

 そしてついには、はぁーっとため息をつくと、俺から目を逸らして「……なんでもない」と言った。

 

「ただ呼びたかっただけ」

「そっか」

 

 しかし、俺には彼女が言わんとしたことが、何となく分かった。だからこそ、俺は彼女のその気持ちに応えるためにそっと頭を撫でてやった。

 彼女は最初こそ驚いたように身を捩っていたが、次第にその抵抗も無くなり、ついには気持ち良さそうに微睡んでいた。

 

 その様子を見て、俺は気づいた。

 

 

 

 

 ──そこには、なにも着飾らない、本当のフウカ自身が居ることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 暫くの間彼女の頭を撫でていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。そちらを見ると、どうやら泣き疲れて寝てしまったらしい。

 

 まだ幼さの残るそのあどけない寝顔を見て、俺は自然に頬が緩むのを感じた。早速こうして可愛らしい寝顔が見られたのだから、それだけでもこの世界に来て良かったと俺は思った。明らかに不純だけど。

 

 俺は彼女を起こさないようにそっと手を離すと、布団を肩まで掛けてやってから小さく伸びをした。長い時間、ずっと同じ姿勢で座っていたからか、背中からポキポキと心地の良い音が鳴る。

 

「さて、そろそろ行くか」

 

 もう夜も遅いし、彼女とはいえ女性の部屋にずっといるのは流石にマズイ。

 

 そう思ってドアの取っ手に手を掛けたところで、俺は気づいた。

 

「……俺、どこに寝泊まりすればいいんだ?」

 

 結局あの後、案内を任されているはずのセレナは戻ってこなかったし、廊下から全く音が聞こえてこないことを考慮するに、恐らく周りは皆すでに寝ていることだろう。流石に仕事で疲れている人達を起こしてまで聞くのも悪いし……。

 

 そこまで考えて、考えるのをやめた。どうせこの後行くのは自分の部屋ではなく、メルナのところなのだ。その時にちょこっと聞いて来れば良いだろう。

 

 俺は部屋を出る前に、もう一度先程と同じ距離でフウカの顔を見た。やはり可愛らしく寝息を立てて眠っている。

 

「ん……っ」

「っ!」

 

 と思ったその瞬間、彼女の体がもぞもぞっと体が動いた。やべっ、起こしちまったか? 

 そう思ってそのままの姿勢で固まっていると、うつ伏せ気味になっていた彼女の体が仰向けに戻っただけで、暫くすると静かな寝息がまた聞こえてきた。どうやら寝返りだったようで、俺は胸を撫で下ろした。

 

「しかし、こうしてみると本当に綺麗な奴だなぁ……」

 

 想像したくないとかそんなこと考えていたけれど、これは想像以上の可愛さだ。なんかもう、うん、やばいくらいに。

 

「こういう状況ってドラマだと、頬やおでこにキスをするシーンだよなぁ……」

 

 そう思ってしまったからだろうか、俺の中の悪魔が『ヘイブラザー、やっちまおうぜ。漢だろ?』と囁いてきた。俺は数秒間その悪魔と闘いながら、寸でのところで自制心を利かせることに成功した。

 

「……良くないよな、こういうの」

 

 うん、本当に良くないと思う。俺にとっても、彼女にとっても。

 こういうことがしたいのなら、ちゃんと彼女が起きているときに、お互いの了承を得てからするべきだと俺は思う。

 

 後ろ頭を掻きながら自分に言い聞かせて、俺は彼女の傍を後にした。

 

「……長居してても変なこと考えそうだし早めにメルナのところに行っておくかぁ」

 

 メルナには聞きたいことが山ほどあるし、あまり尋ねるのが遅くなると、本当に朝になりかねないからな。

 

 そう結論付けて、部屋から出ようと足を進めた直後、俺の中の悪魔が『ケッ、意気地なしが』毒を吐いてきた。流石に自分の人格とはいえイラっと来たので、脳内で聖属性魔法【ピュリフィケーション】を唱えてやった。すると、どうやらちゃんとした詠唱になったようで、彼は『え、ちょ、ま――ギャアァァ!』と断末魔の叫びを上げてそのまま俺の中から消え去っていった。ふん、ざまーみやがれ。

 

 先程、彼女の顔見たさに離してしまったノブに手を掛けて、今度はちゃんと扉を開けた。

 

 やはり皆就寝しているのだろう、先程まで灯っていた明かりはすべて消えており、集会場まで続く廊下は、如何にも教会をモチーフにしたお化け屋敷のような様相になっていた。正直、今にも左右の扉が開いてゴーストが出てくるんじゃないかとドキドキする。

 

「これは……なかなか雰囲気があるなぁ……」

 

 俺は独り言のように呟いた。怖いっていうのが恥ずかしいから、『雰囲気がある』って言って誤魔化す奴をよく見かけるが、なんとなくその気持ちが分かってしまった気がする。

 

 誤魔化したいのは、怖いと思っている自分の貞操ではなく、自分の恐怖心なんだなって。

 

 しかし、何時までも怖いといってこの場から離れない訳にもいかないので、俺はできる限り左右を見ない様にして、目的地への道のりを足早に進んでいった。

 

 

 

 

 

 



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聖女の懺悔

「ふあぁ……やっと来てくださいましたね、使徒様。待ちくたびれてしまいましたよ」

 

 部屋にたどり着くや否や、聖女サマは大層ご立派な椅子に座って眠そうに欠伸をしていた。

 

 結局フウカの部屋を出てから、メルナのいる司教室に辿り着くまで二十分ほど彷徨ってしまった。

 

 俺の予想では、集会場から先程のフウカの部屋へと続く扉の右側──つまり、メルナが去って行った扉を開けたら、すぐに辿り着くものだと思っていたのだが……それに反して、扉を開けた先はそれっぽい部屋の嵐だったのだ。そこから先は、とにかく片っ端から扉を開けて確認するしか無かった。

 

 そんな背景があったから、俺はこうして肩で息をしながらメルナの机を怒りに任せて叩いていたのだ。

 

「メルナてめぇ……部屋の場所くらい教えておけ!」

 

 そう憤怒すると、彼女は別段臆することなく平然と言ってのけた。

 

「あら、もう呼び捨て、タメ口ですの? ……まぁ、私としてはそちらの方が有難いので構いませんが」

 

 口元に手を当てて挑発するようにクスクスと笑う。しかしその笑いもすぐに収めると、今度は顎に手を当てながら訝し気に言った。

 

「でも変ですわね。確か私、セレナに教会内を案内するように申し付けておいたはずなのですが……」

「そのセレナが一時間近く待っても帰ってこなかったんだよ」

 

 俺の返答に、彼女は一瞬呆気にとられた顔でポカンっとしていたが、すぐに心底の呆れ顔でおでこに手を当てて首を振った。

 

「これは使徒様、大変失礼なことを致しました。……セレナには、少々お灸を据える必要がありそうね」

 

 彼女の言葉を聞く限り、恐らくこれが二度三度の出来事ではないのだろう。

 

 いきなり礼儀正しくなったり、かと思えば急に貶しだしたり、そして極めつけには言い付けを忘れて寝落ち。初対面の時の明るくて優しくて勤勉なセレナは何処へやら。今まで見てきた人の中で一番のキャラブレの仕方である。

 

 きっと今頃、仕事を忘れたセレナは自分の寝床ですやすやと良い夢でも見ているのだろう。こちとら必死こいて司教室を探し出したというのに。俺だってゴブリン達との戦闘ですり減らした神経を癒す為にも、早く寝たいのだが。

 

 ……と、恨み言を連ねてみたものの、別に彼女が許せないという訳では無い。寧ろ女の子のそういう失敗を寛大な心で許してやるのが、男というものだろう。

 

「まぁ、結局のところ、こうしてちゃんと辿り着けたんだし、注意程度に留めてやってよ」

 

 頭の中で持論を展開しつつそう言うと、彼女は少しだけ怒ったふうに眉をひそめて机から身を乗り出すと、俺の顔の前に指を立てた。その仕草や表情は、遠い記憶にある小学校教師さながらだった。

 

「そういう甘やかしが、セレナをダメにする要因の一つなので、使徒様の言うことでも聞けません」

 

 そして彼女は直ぐに居住まいを正すと、そのまま部屋の真ん中にあるソファへと移動して「本題に入りましょうか」と言った。俺も彼女の後に続いて対面に座る。

 

「さて使徒様。何か聞きたいことはございますか?」

 

 姿勢正しく座りながら言う。彼女の言い方からするに、恐らく俺の疑問を全て聞いてもらえるのだろうが……。

 だがしかし、俺には今どうしても一番最初に明るみにしておきたい事案があった。それはもちろん、事だ。

 

「……セレナのあの【呪い】はなんなんだ」

 

 そう切り出すと、メルナは笑顔を崩さないまま口だけを動かした。

 

「やはりそれからですよね。……セレナに掛けられている【呪い】は、魔力が高い人に程良く効く【魔力封印】です。魔力の数値の絶対値ごと封印する、魔法使いにとっては生命線を奪われてしまうような呪いですね」

 

 俺は息を吞んだ。GTOでゲームをしていた時は、防御職がメインで耐性が高かったからだろうか、呪いに関して左程脅威を抱いたことはなかった。

 だがしかし、この世界ではそうもいかないようだ。対応する呪いをかけられるとはつまり、その職の死を意味するのだから。

 

「……なるほど。とりあえず、セレナに掛かっているのが、かなりやばい呪いだっていうのは良く分かった。だけど──」

 

 現に先ほど治療してくれた後のセレナの様子を見ているから、十分に理解しているつもりだ。だから別に、彼女の捕捉に異議を唱えるつもりは毛頭無い。

 

 だがしかし、俺が聞きたかったのはこの先の──最も根本的なモノなのだ。

 俺はソファの背もたれから背中を離してから言葉を続けた。

 

「──なんで、そんなヤバイモノが、セレナに掛かってるんだ?」

 

 俺の言葉に、彼女の顔が強張るのが見て取れた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに済ましたような顔になると、彼女は平坦な声で言った。

 

「……使徒様は、それについてどうお考えなのですか? 先にそれをお聞かせください」

 

 彼女の問いに、俺は間誤付いた。最初に彼女呪いに気付いた時に考えていた通り、俺は今目の前にいるメルナが犯人だと思っていたから。その本人から意見を問われたとなると、どうにも答えにくい。

 

 しかしどうやら彼女は、俺が間誤付いていた理由に気づいていたらしく……。

 

「私は何も気にしません。どう言われようとも、真実を全て話すだけですので」

 

 と、優しい声音で諭すように言ってきた。

 

 そう言われてしまうと、こちらもちゃんと話さなきゃいけなくなる気になってしまう。……できれば本人を前に悪口を言いたくはなかったが。

 

「……すまん、メルナ。俺がセレナの【呪い】に気づいたとき、真っ先に疑ったのはお前のことだった」

「分かっていますわ。最もセレナの近くにいて、一番呪いを掛けられそうな存在が私ですもの」

 

 メルナは宣言通り、気にしていない……ように振舞っているのか、至って普通に頷いた。

 

 でも確かに、さっきの集会場でのやり取りを見る限り、セレナのことを嫌っている節も無いし、寧ろメルナはセレナの事をちゃんと考えて行動しているように見えた。帰りが遅くなってしまったセレナを集会場でずっと待ち続けたり、胸を触るフリをして、本当に怪我や状態異常がないか確認していたり。

 

 それらを考慮するに……どうやらセレナの【呪い】をメルナが掛けたというのは、俺の見当違いのようだ。

 

 そうなってくると、メルナには本当に申し訳なく思う。こうして会って話したことすらなかったのに、勝手な憶測で犯人に仕立て上げて……本当に浅はかな考えだと自分でも嫌悪する。

 だから俺は、彼女に向かって頭を下げた。

 

「メルナ、申し訳なかった。君たちの関係性を見るに、呪いをかけるなんてありえないことなのに……俺の勝手な予想で、君を傷つけてしまった」

 

 対して彼女は、一瞬で青ざめた表情になった後に焦ったように立ち上がり、俺の元に駆け寄ってきた。

 

「し、使徒様、お顔を上げてください! まだこのお話は終わってません!」

「え、えっと……どういうこと?」

 

 俺が頭を上げてきょとんとしていると、彼女は焦った表情のまま大きく溜息を吐いた。

 

「真実を話すと、先ほど言いましたのに……使徒様って案外せっかちで、先入観の強い方なんですか?」

「うぐっ……確かによく言われてたけど……」

 

 事実、友達になった人からは必ず言われたし、何ならフウカにも言われた事だ。……まさかこっちの世界の人にも言われるとは思ってもみなかったが。

 

 やっぱり俺って、せっかちなのか……と落胆していると、彼女は目の前に改めて座り直しながら「でも、流石ですね」と言った。

 

「使徒様はちゃんと自分が悪いと思った所を認めて謝れるんですもの。……普通の人は、どこかで自分が正しい、間違っていないという気持ちが働いて、素直に謝ることができませんから。私を含めて」

 

 そしてメルナは「でも……」と言葉を紡いだ。

 

「私も今、改めて覚悟を決めました。ちゃんと、全てお話しします。──自分が犯した罪を。私達の事を」

 

「次は最後までお話を聞いて下さいね」と、念を押すように言うと、彼女は目を閉じて深呼吸をした。それを二、三回繰り返した後に目を開けると、確固たる意志の籠った視線をこちらに向けながら彼女は言った。

 

「──使徒様。セレナにあの【呪い】を掛けたのは、私です」

「……え?」

 

 聞いた時、文字通り言葉が出なかった。俺自身が見て、聞いてきた事を参考に、メルナは犯人ではないと俺の中でつい先程決定づけられていたから。

 

「それってどういう……?」

 

 だから俺はもう一度聞き返した。聞き間違えだと、自分の勘違いだと信じたかったから。でも────。

 

「そのままの意味ですわ、使徒様。私がセレナにあの【呪い】を掛けた、と言っているんです」

 

 彼女は先程と何ら変わらぬ目で、そう繰り返した。

 

 そして、俺の返答がないのも織り込み済みだったのか、彼女は一度、溜まった何かを吐き出すように息を吐いてから少しだけ辛さが滲み出る声で言った。

 

「……これは、仕方の無いことだったんです。セレナを──私の大切な妹を守る為には、こうするしか無かったんです」

「……仕方がなかった?」

 

 俺がやっとの思いで出せた言葉に対して、彼女は「はい」と小さく頷く。次いで何か思い出を思い出すように、彼女は俺の後方の窓へと視線を移した。

 恐らく、窓の外には少しだけ欠けた月が僅かな光を放っているのだろうが、どうにも今の彼女には別の何かが映っているような気がした。

 

 彼女は居心地が悪くなってきたのか、視線を窓動かさないまま身体を捩らせる……いや、どちらかと言うと震えさせると、やはり同じような声音で言葉を続けた。

 

「もし、私がセレナに呪いを掛けなければ、《聖女》として戦場に駆り出されたのは、セレナの方だったんです」



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一日の終わり

 それから彼女は、まるで懺悔するかのようにポツポツと話し始めた。

 

 

 

 王都辺境にある、とあるのどかな村の村長の二人姉妹として育ったこと。

 

 

 

 二人とも生まれ付き、村の中でも類を見ないほど魔力が高かったこと。

 

 

 

 彼女達の実力は村の中に留まらず、全世界でも類を見ない程に成長してしまったこと。

 

 

 

 ──そして……初めからセレナの方がメルナよりも魔力が強かったこと。

 

 

 

 

「────私がセレナに呪いを掛けたのは、《The Lost Tale》が世界を荒らし始めたからなんです」

 

 彼女はそう言うと、キュッと唇を結んだ。

 

「主様と会話ができた当時の自分は、それぞれの国の王達が討伐隊を画策している事を聞かされて思いました。このままでは、セレナが戦場に駆り出されてしまう、と」

「その事が問題だったんだな?」

 

 俺が聞くと、彼女は頷いた。

 

「はい。その時主様から"仮にあのモンスターを倒せても、セレナは確実に死んでしまう"と聞かされていましたので」

 

 ここまで聞いたら、流石の俺でも話を理解することができた。

 

「だから魔力を封印して、セレナを強制的に戦場から退けたというワケか」

「そういうことです。主様は私なら死ぬことは無い、と仰っていましたので」

 

 つまりメルナは、戦場での死が神によって予言されていたセレナに対して魔力封印の呪いを掛け、衰退させることによって、代わりに二番手のメルナ繰り上げられて、《The Lost Tale》と対峙するように仕向けた……ということだ。

 

 しかし、これはある意味では────

 

「かなり危険な賭けじゃねーか? それ……」

 

 もし、それで《The Lost Tale》を退けることに失敗していたら、民衆たちの中で「もし、メルナじゃなくてセレナだったら……」と無責任に嘆き出す輩が出てくるはずだ。そうなると、民衆たちの怒りの矛先は、《The Lost Tale》から、そいつを討伐出来なかった、英雄の一行の中で一番弱い『二番手の』メルナに代わっていたことだろう。

 

「それは私も重々分かっていました。だから、セレナがこなしていた魔法も全て使えるよう努力しましたし、名立たる魔法使いとの対人模擬演習では、一度も負けることなく課程を修了しました」

 

 俺はそれを聞いて、少しだけ驚いた。普通聖女というのはサポート専門の人っていうイメージで、使えるとしても"光"や"聖"属性の魔法だけだと思っていたのだが……。

 

「攻撃魔法も使えるんだな」

「……それくらいのことは出来ないと、セレナの代わりなんて認めてもらえませんでしたからね」

 

 彼女は当時の苦労を思い出したのか苛立たしげにそう吐き出した後に、ソファから立ち上がって窓際まで移動すると、体を捻って伸びをした。

 

「んっ……はぁ……。お話が長くなってしまって申し訳ありませんでした。簡単に説明いたしますと、私が呪いをかけた理由はセレナを《The Lost Tale》から遠ざけるため、です。……何か質問などございますか?」

 

 やけに簡単なまとめにしばしの沈黙を貫いた後に、俺は口を開いた。

 

「特に無い……と言いたいところだが、一つだけ良いか?」

「はい、なんでしょうか」

「……セレナってメルナの妹だったんだな」

 

 メルナに対するセレナの態度はどこか親しみのあるものだったように記憶している。明らかに位が違うのにおかしいとは思っていたのだが、そういう理由ならば納得だ。

 俺がそう問いかけると、彼女はこちらに向けたままの笑顔を少しだけ引き攣らせ始めた。

 

「え、待ってください。今のお話を聞いて、最初のツッコミどころはそこですか……?」

「……メルヘンにも似たようなこと言われたな」

 

 どうも俺の着眼点は人とズレているらしい。

 

「そもそも使徒様は、セレナのステータスを【神眼】で見たのではなかったのですか?」

 

 彼女は先程までのしおらしさは何処へやら、俺の前まで戻ってきてソファに座ると、腕を組んで不機嫌そうにそう言った。……メルナと言いセレナと言い、感情がコロコロと変わるところが同じなのは、やはり姉妹だからなのだろうか。

 

 そんなことを考えつつ、俺は彼女の言葉に首を振った。

 

「そんな高位スキル、俺にはまだ使えない。俺が使ったのは【アナライズ】だ」 

「……【アナライズ】。初級スキル、ですか」

 

【アナライズ】や【神眼】というのは、GTOでは前者は初級で、後者は最高位のモンスターにのみ使用できた情報開示スキルだった……のだがしかし、どうやらこの世界では人相手にも使えるモノになっていた。

 

 ちなみに効果の違いとして、前者で覗けるのはちょっとした個人情報──例えば《エイジ》や《フウカ》といった下の名前や大まかなステータス、状態異常と言ったところだ。その最後の状態異常に関しては、どうやら相手との魔力の差が大きければ大きい程、見える項目が違ってくるらしいのだが。

 

 しかし後者ともなると話は違う。そもそも【神眼】は、使うためだけに莫大な魔力量を消費する。しかしその代償として、相手の見たい情報を全てを強制開示することが出来るという、人間に使えるモノとしては頭のおかしいスキルだ。これ、全部フウカ調べな。あいつ、昔からそういう情報収集得意だったからなぁ……。

 

「つまり、使徒様はあの子の下の名前と、状態異常しか見えていなかった、ということですか?」

「そういう事だ」

 

 俺が頷くと、いつも相手より上を行く彼女にしては珍しく、意気消沈したかのような顔をすると、誤魔化すように咳払いをした。

 

「なるほど。あなた様は、セレナが何者かも知らずにずっと気にかけていらした、ということなんですね……」

「……まぁ、確かにそうなるな」

 

 まぁ本当は、セレナが他言厳禁の情報を持っていた時点で大まかな検討は付いていたのだが。そこはセレナの説教の量が増えてしまうので触れないで上げておくことにしよう。

 

「まったく、使徒様はお人好しというか、何というか──」

 

 彼女が頭を抱えて首を振った直後。コンコンっと部屋の扉が叩かれる音が響き渡った。俺もメルナも、反射的に身構える。

 

「……誰?」

 

 先程までの明るい声はどこへやら、一変して威厳のあるドスの効いた声へと変化させるメルナ。するとすぐにドアの向こうから「私です、メルナ様」という聞き覚えのある声がした。その声を聞いて、メルナは俺と目を合わせた後に頬に柔らかな笑みを浮かべながら言った。

 

「……セレナ。入っていいわよ」

 

 数舜後「失礼します」という声と共に、寝間着姿のセレナが扉を開けて入ってきた。次いで、直ぐに姿勢を正すと、頭を下げる。

 

「おはようございます、メルナ様」

「おはよう、セレナ」

「今朝はどのようなお洋服をお召しに……って使徒様? 何故ここに?」

 

 俺が苦笑いしつつ挨拶代わりに軽く手を上げると、訝しげな顔をしながらもお辞儀を返してくれた。対してメルナはその光景を見た後に額に手を当てて溜息を吐いた。

 

「その質問は些かいただけないわね。貴女、私になんて言われたか覚えいないの?」

 

 メルナの問いかけに、セレナは顎に手を当てて少し考え込むような仕草を取る。正直なところ、俺がメルナの部屋に居ることで察して欲しいのだが……。

 

 数秒間の沈黙後、俺の願いが通じたのか、彼女は「あぁ!」と声を上げて、すぐに全速力で駆け寄ってくると、先程とは違ったガチのお辞儀で謝罪をしてきた。

 

「あぁぁ……! 使徒様、申し訳ありませんでした……! 私、自分に課せられた仕事をこなさずに寝てしまうなんて……」

「まぁ、帰って来なかったときは少しばかりイラっときたけど、こうして無事に着いたわけだし、全然かまわ──」

 

 ──かまわない。そう言いかけたとき、メルナが隣でゴホンッと大きく咳払いをした。……やべ、そういえばセレナの為にならないとかできつく当たらないといけないの忘れかけてた。

 

「……使徒様、許してくださるのですか?」

 

 そう言いながら、涙目で見上げてくるセレナ。

 

「……使徒様?」

 

 そして鬼のような目で睨みつけてくるメルナ。どちらの意見を優先させるかなんて、一目瞭然だろう。

 

 

 

 

「……俺のことを使徒様と呼ばないでくれって言ったよな? セレナ」

 

「……あっ! いや、その、それは!」

 

「あらセレナ……。もしかして、主様の使いの者からの命令も守れなかったのかしら……? 仮にも貴女、主様に仕える者よね……?」

 

「メ、メルナ様……これは違っ──」

 

「でも、使徒さ──エイジ様の命令に背いたのは確かですよね?」

 

 あー、メルナさん。これ完全に素のスイッチ入っちゃってますね。目が明らかに悦んでますもの。そしてさりげなくメルナも名前呼びしてくれているのは、笑いを堪えざるを得なかった。

 

 セレナは、更なる猛追は流石に予想していなかったのか、アワアワと困り果てた顔をしていた……と思ったら、途端に事切れたかのようにフッと膝から崩れ落ちると、魂が抜けたように上を向いてただただお経の様に「ごめんなさい……ごめんなさい……」と呟き始めた。

 

「ごめんなさい私はメルナ様からの命も使徒様からの言い付けも守れないダメな子ですごめんなさいごめんなさいごめんな────」

 

 どうやらセレナの心のキャパシティを超えたようで、その姿はまるで壊れた人形さながらだった。

 そんな姿を見て、俺は些か不安に思って声を掛け──ようとしたのだが、それをメルナが手で制した。

 

「今使徒様が声を掛けてしまわれたら逆効果です。この子は昔から失態を重ね続けると、こうして精神崩壊寸前まで自分を追い込んでしまう癖があるんですの」

 

 彼女は手を下ろして、こちらを見やってから言う。

 

「……ね? この子を戦場に送るの、不安になるでしょう?」

「……全くもって同意」

 

 彼女は俺の言葉に苦笑いしながら頷くと、セレナの方へと移動して行った。視線で追いかけると、彼女はセレナの真横まで来てから体をこちら側にクルッと反転させた。そして床にへたり込むセレナを手で差すと──

 

「では改めて、私の方から紹介しておきますね。彼女の名前は《セレナ・ノア・ミハエル》。私の実の妹ですわ♪」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 ──そう言って、メルナはニッコリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ……それ、今言うか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だにへこへこと頭を下げ続けるセレナを何とか部屋から追い出した後、メルナは紅茶の入ったティーカップを片手に一息つくと言った。

 

「いくら反応が可愛いからって、あまりセレナをイジメないでくださいね?」

「大半はお前だったけどな」

「あら、私は妹と戯れていただけですわ」

「あれが戯れなら、もうなんとでも言えるな……」

 

 心が脆い人なら、あそこで号泣していたのではないだろうか。ほんと、セレナが強い心の持ち主でよかった。……ちょっと壊れかけてたけど。

 

 彼女はクスクスと控えめな笑いを頬に浮かべた後に、音を立ててティーカップを置くと、「そういえば……」と会話を紡ぐ。

 

「主様の使徒のエイジ様とフウカ様がこうして集まられたわけですが……私達は一体何をすれば良いのでしょうか?」

「あれ、メルヘンから聞いてないのか?」

 

 俺が驚きながらそう問うと、メルナは首を縦に振った。

 

「はい、特には」

「あいつ……」

 

 実は説明するのが面倒くさいだけだろ……。

 

 よく考えてみれば、俺への説明も結局一度だけだったし、その後直ぐに飛ばされたわけだし……ワンチャン、逸る気持ちを抑えられないフウカへの説明を端折っていた可能性も十分にある。そう考えると、その説はだいぶ濃厚なような気がする。

 

 なんで尻拭いをせなあかんのだ……と思いつつ、俺はメルヘンから聞いた話を大まかながら説明した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────―

 

 

 ────―

 

 

 ──―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────と、まぁこんな感じの理由で、俺とフウカは魔王とそれに従える四柱を倒すためにこの世界に来たんだ」

 

 流石に本日二度目となるとスムーズに説明ができた。

 ちなみに、それがゲームの中での話であったことは、自分がその世界で旅をしていたという設定にして伏せてある。もしかしたら後々説明が必要になってしまう可能性もあるだろうけど、そうなったらその時考えれば良いだろう。

 

 それにしても……改めて内容を確認してみると、中々に在り来たりなストーリーのような気がしてならないな、これ。それこそ、世界の半分をくれるゲームみたいな。

 

 しかしやはり、この世界では元いた世界の知識はあまり通用しないのだろう。話を終始無言で聞いていたメルナは、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干すと、少し緊張したような声で言った。

 

「な、なるほど……。やはりフウカ様とエイジ様は、主様に頼られるだけあって凄い方々だったんですね」

「まぁ一応、向こうの世界でトップを張っていたしな」

 

 俺は胸を張って自慢げに頷いた。

 別に、地球でのリアルの生活のことを言っているワケではなく、ゲームの世界の話をしているワケなので、決して嘘は言っていない。

 

 しかし、メルナは「ですが……」と遠慮がちに、それでいて少しばかりの不信感を露わにしつつ言う。

 

「先程、エイジ様のステータスを拝見させて頂いたとき、確かに魔力量と生命力はそのレベル帯では桁違いに高かったです。しかし、他のステータスは平均より少し上くらいのモノだったのですが……」

「あれ、俺意外と一般人?」

 

 ステータスがどれも一般的って……異世界転移の特典としてはあまりにも弱々しいものでは無いだろうか。これじゃ救える世界も救えないじゃないか。何してんだ、あの頭メルヘン野郎……。

 

 そんな感じに俺が割かし落ち込んでいると、メルナは慌てて言葉を続けた。

 

「フウカ様に関しても魔力量と属性力以外はエイジ様と似たようなステータスでしたよ。主様がそんな方々を使いにするなんて考えにくいですし……。それを考慮するに、恐らくですがレベルアップ時のステータスボーナスが高いのではないでしょうか?」

「なるほど、確かにそれはありえる」

 

 彼女のフォローに希望を見出して、全力で同意する。

 寧ろそうでなきゃ困る。そうでなきゃ、この世界で《エイジ》や《フウカ》のあの膨大なステータスに、追いつくことなんて不可能だろう。

 

「きっとそうですよ。そうでなければ、私達も困ってしまいます」

「少なくとも、メルヘンはこの世界の事を誰よりも考えてるし、確実にそうだと思うな」

 

 早速明日、レベリングをして上がり幅を確認してみようかな。その数値をデータ化していけば、きっと分かるはずだろうから。

 

 そう思いながら、俺の分として置いてあった、冷めて温くなった紅茶を一気に煽る。話疲れた喉に水分が染み渡り、少しばかりの幸福感を得られた。

 

「さて、他に聞きたいことはあるか? 俺が答えられる範囲で答えるが……」

「あ、はい。聞きたいことは沢山あるので、ぜひ質問させて頂きたいのですが……」

 

 そこで言葉を切って彼女は遠慮気味に窓の外を見た。その仕草で大体のところ察しはついたが、視線をそちらへと向けると、先程まで暗かったはずの空は少しばかり青みを帯びてきていた。

 

「もう朝になってしまいますし、また今夜でもよろしいでしょうか? 本日は、使徒様もゆっくりお休みになってください」

 

「流石の私も、少しは寝ないとその日一日かなりきついですから」と、はにかみながら言われてしまったら、流石に止めることは出来ない。いや、最初から止める気は無いけど。

 

 俺は彼女に笑いかけつつ頷いた。

 

「あぁ、分かった。それじゃあまた今夜、この部屋で良いか?」

「はい、礼拝以降でしたら構いませんよ。丁度、明日は私の安息日ですからね」

「ん、了解」

 

 次の約束を取りつけつつ、俺はソファから立った。メルナはと言うと、テキパキと机の上のティーカップを片付けた後に、扉の前へと移動して俺が出るタイミングを見計らってドアを開けてくれた。

 

 ……出会った直後の対応とは天と地の差だな。

 

「それじゃ、おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ、使徒様」

 

 ……とは声に出さず、代わりにお互いに就寝前の挨拶を交わしてから部屋を出る。その数秒後、後ろの扉が静かに閉まる気配がした。

 

 それと同時に、体の底から疲れがどっと湧き出てきて、つい堪えきれずに大欠伸をしてしまった。

 

「……徹夜に慣れているとはいえ、流石に今日は眠いな」

 

 まさか、異世界初日に徹夜をする羽目になるとは思わなんだ。……取り敢えず、メルナの言った通りゆっくり午後近くまでは寝るとしよう。うん、そうしよう。疲れを取るには寝るのが一番。

 

 起きてからは……そうだな、フウカと今後のことについてもっとちゃんと話し合うべきだろう。まずは二人の意向を再確認するべきだ。

 

 眠気でぼーっとする頭でそう結論づけてから、俺は長い廊下を歩き出した。

 

 

 

 

 

 こうして、俺の長い長い異世界転移の一日目は、幕を降ろした──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで……俺の部屋、どこ?」

 

 

 

 

 

 ──幕を降ろしたのであった。



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The Tale of "Snow White"
一ヶ月後。


 俺達がこの世界に転移してきてから約一ヶ月。

 

「フウカ。取り敢えず俺が引きつけるから、隙を見て一撃頼むわ」

 

 俺とフウカは、王都《ヴィルドヘルム》から東に約2キロ程離れた《ヴァルデックの森》で、レベルアップの為のモンスター狩りをこなしていた。

 

 今現在、俺とフウカが観察しているモンスターは《マッド・ディア》。名前の通り外見は鹿。レベルは、もう直ぐ20に達しようとする俺達よりも5程高かった。この辺りのモンスターの平均レベルは12から15程なので、恐らく特殊個体、"狂化モンスター"なのだろう。

 

「それで倒しきれなかった場合は?」

 

 俺の隣で同じく腰を低くしたフウカが手に構えた杖を握り締めながら問う。

 

「どうせ瀕死だろうから、その時は俺が仕留める」

 

 俺がそう返すと、彼女は「おー、カッコイイねぇ」と茶化すようにケラケラ笑った。しかし直ぐに笑顔を引っ込めると一転、不安そうに呟いた。

 

「……気を付けてね」

「……もちろん。こんな所で死んでられないっての」

 

 俺は一瞬間を空けてからそう言った後に、彼女の頭を安心させるようにポンポンっと撫でた。

 

 ここ最近、彼女は毎度のようにこうやって心配してくるのだ。

 

 俺を巻き込んでしまったことに負い目を感じている彼女が心配する気持ちは分かるのだが……。ゲームの中でモンスター共々俺を殺さんばかりの火力で魔法を撃っていた彼女を見てきた俺からすると、彼女のそのしおらしさはどうにも落ち着かない。

 

 だからこそ、俺は彼女にゲームの時みたいに元気よくそう言うのだ。

 

「うん……そうだよね」

「ん、そうだ。……それじゃ、そんな感じでよろしく。カウントは"3"な」

「りょーかい」

 

 彼女の頭から手を離し、腰に掲げた片手剣の柄を緩く握って、中腰になる。次いで、バックラーを掲げる手で彼女に向けて「3……2……」とカウントをとる。

 

「……行くぞ!」

 

 ゼロになった瞬間、俺は剣を抜きつつ身を隠していた茂みから飛び出た。その際《マッド・ディア》が、まるで犬のようにビクッと体を揺らしながら脇腹こちらに向けてきたので、お構い無しに刃を一撃通した。

 

「キュゥゥゥン!」

 

《マッド・ディア》は、そう喧しい鳴き声を発したと同時に、脇腹に深々と刺さった剣から逃げるように身体を捩らせた。

 

 本当はこの一撃でヘイトを稼いで、後はフウカの魔法に任せようと思っていたのだが……。急遽変更して、俺はここで更に追撃に出ることにした。というのも、確認したいことがあったからだ。

 

 捩らせた身体のうねりを利用して、横薙に一閃見舞いつつ剣を引き抜くと、《マッド・ディア》は苦痛に若干顔を歪ませながら、血飛沫を垂らして俺から大きく距離を取った。

 

「ギュゥゥン!!!」

 

 そして、咆哮。俺はそのうるささに耳を塞ぎつつ、一連のヤツの行動を頭の中で反芻した。

 

 強襲に弱いところ……弱点が脇腹であるところ……そして弱点を攻撃された時に大きく距離を取るところ。

 

「……やっぱり同じか」

 

 これらの動作全ては、GTOにモブとして出現していた《マッド・ディア》と全く同じものだっだ。強いて違うところをあげるとしたら、この世界——グラステイル特有の"狂化"というバフによって巨大化しているところだろうか。

 

 ……そこまで分かってしまえば、もう十分だ。何故なら——

 

 咆哮が止んだことを確認した後、俺は大きく息を吐いてから剣を構え直した。

 

 ——このモンスターの行動パターンを、俺は全て覚えているから。

 

 ……だからと言って、決して気を抜いて良い訳では無い。

 ゲームのような、システムという概念が存在しないこの世界では、モンスターまでもが自分の意思を持ってる。もしかしたら以前戦ったゴブリン達の様に、このシカも明確な意思を持った変速攻撃をしてくるかもしれない。

 

 だからこそ、念には念を入れるべきだ。

 

 俺は、回避スキル【脚力強化】でアジリティ上昇のバフをかけつつ、盾スキル【受け流し】を発動しやすいようにバックラーを少しだけ斜めに構えた。対する《マッド・ディア》は頭を低くして前方へと体重を掛けるように前足を曲げていた。

 

 確か、この予備動作は——

 

 そう考えたと同時に、《マッド・ディア》の巨体が素早く動き出した。

 

「キュゥゥン!」

「ッ!! ハァァッ!!」

 

 ——左右にステップしながらのツノによる突進。手前で予想出来ていた俺は、バックラーで角をいなしつつ、左にサイドステップすることで脇腹方面に移動すると、同時に右手の片手剣で脇腹を素早く三度切りつけた。

 

 

 流石に俺の攻撃が効き始めて来たのか、喧しくも悲痛な鳴き声を再度上げつつ距離を取ってから旋回すると、今度は高威力が見込めるツノによる乱舞をしてきた。が、しかし、この技も知っている俺は難なく避け切り、縦切りで胸元を切り裂いた。

 

 

 次は前足の踏み潰し。次は後ろ足による蹴り。次は——。

 

 

 そんな感じに、次々と繰り出される《マッド・ディア》の大振りな攻撃を俺は全て受け流して、逆にカウンターで放った俺の隙の小さい攻撃は確実に弱点の脇腹を捉えるという、ある意味で一方的な戦闘を繰り返していった。

 

 

 

 そんな戦闘が続けば、やはり——

 

 

 

「キュゥゥ……ン」

 

 ——先に【疲弊】するのは《マッド・ディア》の方になる。

 

 そして、その隙をフウカが見逃すはずがなかった。

 

「今!」

 

 フウカのその声を合図に、俺はバックステップで《マッド・ディア》と距離を取った。

 

「【ウインドストライク】!」

 

 直後、フウカの持つ小さな杖からカマイタチを乗せた空気砲の様な塊が、疲弊した《マッド・ディア》の脇腹に——いや、ヤツの巨体を巻き込むように直撃して、爆発した。

 

「ギュゥゥン!!!!!」

「……相変わらず、なんっつー威力だよ」

 

 茂みの近くまでバックステップを取ってから、独り言のように呟く。

 

「正直、《マッド・ディア》なんかよりあの風の塊の方が数倍怖い」

「エイジ? なんか言った?」

「……いえ? ナンデモ?」

 

 独り言程度の声量だったはずなのに、何故か聞こえていたようで、後ろから、首筋にヒヤリとした風が送られてくる。やめて! そのままそれが発動したら俺の首が飛んじゃう! こんな所で死にたくありません! 

 俺が左手で首筋を抑えながらそう思っていると、茂みから出て隣に来た彼女が、土煙の中を指差して言う。

 

「まぁ、冗談はさておき。あれ、倒せたの?」

「俺もかなり削ってたから、多分倒せたとは思うけど……」

 

 システムという概念がないこの世界では、勿論チャットログやネームタグなんてものは無い。したがって、ゲームの時みたいにタグの消失やキルログの表示がされることも無い。だから、土埃のせいで敵の姿が見えない以上、討伐出来たかどうかの判断は難しいのだ。

 

 

 

 

 

 

 ……と、思っていたのだが。

 

 

「流石、エイジ様とフウカ様。あの巨大な《マッド・ディア》を見事に跡形も無く消し去ってしまうとは」

 

 俺達が先程潜伏していた茂みより更に後ろから、敬語ながら軽快な声が聞こえてきた。

 フウカと二人そちらを見ると、腕にバスケットを抱えたメルナがニッコリと微笑みながら、こちらに手を振っていた。

 

「流石に今の私の火力で跡形もなく……はいかないと思うけど」

「でも現に骨と肉塊以外何も残ってはいませんよ? ——ほら」

 

 そう言って彼女は、風魔法【ウインド】で土煙を晴らした。

 そして彼女の言う通り、そこには確かに骨と肉の塊らしき何かが、赤い液体の海に沈んでいるのが見て取れた。

 

「おぉ、本当に跡形もねぇ……」

 

 俺は感心の息を吐いた。

 ……数週間前までは、二人で「グロいグロい!」と言いながら目を逸らしていたモンスターの死体だが、今ではすっかり慣れてしまった。慣れって怖い。

 

「え、メルナ、なんで分かったの?」

 

 しかしフウカは死体より何故分かったのかが気になるようで。彼女の驚愕混じりの問いに、メルナは微笑みを絶やさないまま言った。

 

「私は一応"聖女"で、あなた達のレベルより60も上なんですよ? そのくらいお手の物です」

 

 彼女の言葉に、隣のフウカがムッとしかめ面をした。あ、これ、いつもの負けず嫌いの発動だ。

 

「別に……私達は元々レベルカンストだし。メルヘンにレベルを改ざんされてなければ、そのくらい簡単に——」

 

 が、しかし。やはり、メルナの方が一枚上手のようで。メルナはフウカの言葉を遮るように口を開いた。

 

「まぁ別に、魔力の有無を読み取っただけなので、レベルは関係ありませんけどね。フウカ様も鍛錬を積めば今にでも出来ますよ」

「…………」

「おい、落ち着け。これはいつものメルナの弄りだぞ。それにゲーマー特有の悪い癖が出てる」

 

 二人の会話があまりにも子供じみていて、俺は腰に手を当ててため息を吐いた。どうしてこう、ゲーマーというものは相手のマウントに対して無いものねだりをするのだろうか。

 ……まぁ、かく言う俺も、こういう風にマウントを取られたくなかったがために、GTOでトップの一角を張っていたのだが。

 

 そしてメルナに関しては……お前はもっと弄ることを自重しろ。

 

 俺の言葉に、メルナは「げーまー……?」と小首を傾げていたが、気にしない事にしたのか、手をパンッ! と叩いて注目を集めてから話を変えた。

 

「そんな事はさておき、どうです? レベルアップは進んでいますか?」

 

 そう言われて、《マッド・ディア》を倒した際の経験値を見忘れていたとに気づき、何度とやってきた手つきでステータス画面を開いた。隣のフウカも、「そんな事……」と唇を尖らせて拗ねつつもステータスを開く。

 

「あぁ、結構順調。さっきのヤツ倒したお陰でレベルが20台に乗ったよ」

「……私はまだ19。くそっ、ゴブリン三匹の差は大きいなぁ」

「それはおめでとうございます。フウカ様はもう少しですね」

 

 メルナが賞賛の拍手と共に、ニッコリと微笑む。こういう風にもっといつも素直なら、好感が持てるんだけどなぁ……。

 

「でも、やっぱり早いですね。まだ一ヶ月しか経っていないのに、もうD級冒険者並のレベルなんですもの。……やはり、主様の恩恵のおかげ、ですかね?」

「あぁ、多分そうだと思う。本当、ありがたい恩恵を貰ったもんだ」

 

 ——結局、転移したその日——実際は翌日の朝だが——に彼女と話し合っていた、メルヘンからの恩恵はメルナの予想が見事に的中していた。

 どうやら、俺とフウカのモンスターを倒した時の経験値が、この世界の住人より1.5倍近く多いらしい。どういった原理でそうなっているのかは、イマイチ分からないのだが。

 

「ほんと、羨ましいです。……くれません?」

「あげるかアホ」

「ふふっ、冗談です」

「お前が言うと、冗談が冗談に聞こえないのは何でだろうか……。あぁ、日頃の行いか」

 

 俺がからかいがてらそう言うと、彼女は物欲しそうな顔から一転不満そうに頬を膨らませた。

 しかしその膨らみも直ぐに萎ませると、厭らしくニヤリと笑って腕に提げていたバスケットを両手に持ち、高らかに掲げてから言った。

 

「エイジ様? そんなことを仰るのなら、この《セレナ特製サンドイッチ》の差し入れ、あなた様には差し上げませんよ?」

「なっ……!」

 

 彼女の言葉に、俺は動揺で肩を揺らした。

 

 セ、セレナ特製のサンドイッチ……だと!? 料理専門で教会に雇われている《デリス》料理長すらも絶賛する、あの!? 

 

「うっそマジで!? セレナのサンドイッチ、すっごく美味しいから超嬉しい!」

 

 現にその美味しさを知っている一人、フウカはそれを聞いて、不機嫌そうだった顔色を一転させ、一瞬にして花咲いたように明るくなっていた。

 

 セレナは、魔法が使えなくなった代わりにみんなのサポートをしようと、あれやこれや色々と勉強をしていた。その労力の賜の一つが、この絶品サンドイッチなのだ。

 

 俺がその味を知ってしまったのが約三週間前。俺の部屋の案内をし忘れたセレナが、贖罪として持ってきてくれたのがこれだったのだ。

 それ以来、俺はその美味しさを忘れられず、毎週のように作ってくれるよう頼み込んでいた。……本当は毎日作って欲しかったのだが、セレナの忙しさを考えると、それは我慢した。

 

 俺が、物欲しそうな目でメルナを……正確には彼女が掲げるバスケットを見つめていると、彼女は自分が作ったワケでもないのに、やたらとドヤ顔で話を続けた。

 

「早く謝罪をして下さらないと、エイジ様の分はフウカ様と二人で分け合うことに致します」

「よし、エイジ。謝らなくてよろしい。これは私とメルナで食べるから」

 

 そう言った後、女性二人は「ねーっ!」と声を合わせると、バスケットからそそくさとシートを取り出して、木々の無い見晴らしの良い場所を選んで地面に敷き始めた。

 

「え、ちょ……」

 

 止める間もなく彼女達はブーツを脱いでシートに座ると、早速サンドイッチを手に取って「「頂きます」」と挨拶をしてからかぶりついていた。

 

「ん〜〜! おいひ〜!」

「本当、美味しいですよね。……今度、作り方を教えてもらおうかしら」

 

 チラッとこちらを見ながら感想を言うメルナ。その目は、明らかに俺を弄んで楽しんでいた。

 

 ……クソ、ここで謝るのは微妙に屈辱的だ。が、しかし。背に腹は変えられん。ここはプライドを捨ててちゃんと謝ろう。

 

「あぁ、もう、俺が悪かったよ! すみませんでした! だから俺にもサンドイッチ分けてください!!」

 

 俺がそう言うと、メルナはニヤニヤしながら頷いた。

 

「……分かりましたわ。許して差し上げます♪」

 

 陽気に、「みんなで食べた方が、より美味しいですしね」と、付け足しながら、二人のより一回り大きい、サバーラップが巻かれた俺の分のサンドイッチを手渡してくれた。

 

「午前はお疲れ様でした。ちゃんと食べて、疲れを養ってくださいね」

 

 彼女はそう微笑んだ後に自分の分のサンドイッチを頬張って幸せそうな笑みを浮かべていた。

 俺は、その隣にあぐらをかいて座った後に気付かれないようにそっとため息をついた。

 

 まったく、メルナのヤツ、本当良い性格してるな……。

 

 

 

 渡されたサンドイッチにかぶりつきつつ、俺は景色を見ながら二人の楽しそうな談笑に耳を傾けていた。



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馬車の中で。

「あぁ、そういえば」

 

 今日のレベル上げノルマも無事に終わり、帰りの馬車に揺られること数分。疲れと眠気で静まっていた車内に、メルナの何かを思い出したかのような声が響き渡った。

 

「……どうした?」

 

 俺は瞑っていた目を開けて、平坦な声を発した。ちなみに、いつもは尻が痛いだの音がうるさいだの言って駄々をこねるフウカは、余程疲れていたのか、俺の膝の上に頭を乗せて既に寝息を立てている。

 

「あら、ごめんなさい。独り言のつもりだったんですが、起こしちゃいましたか?」

「いや、ただ目を瞑ってただけだから大丈夫。気にしなくていいよ」

 

 若干申し訳なさそうにするメルナに、軽く手を挙げてそう言った。

 

「それで、何があったんだ?」

 

 俺が問うと、メルナは「いえ、大したことでは無いのですが……」と前置きを入れてから答えた。

 

「一週間ほど前に、お二人宛に手紙が届いていたことを思い出しまして」

「へー、俺達宛に? 誰から?」

 

 普段、狩り以外であまり教会から出ない俺達に一体誰が手紙を? 最近夜の店に行ったのがバレてこってり叱られた八百屋のゼスさん? それとも最近、夫が働かないと嘆いていたラフィさんか? 

 

「——ホワイトからですわ」

「……誰?」

 

 予想に反して聞き慣れない名前に、俺は首を傾げてそう聞き返した。

 

「えっ……エイジ様、知らないのですか?」

「んー、少なくとも俺は聞いたことないかも」

 

 世界史専攻で、比較的暗記に強い俺が覚えていないということは、恐らく今までに話題に上がって来なかった名前なのだろう。

 

 俺の答えにメルナは、少しだけ残念そうに「そうですか……」と呟いた後に、横に置いてあったバスケットから小さなポーチを取り出して、中身を漁り出す。数瞬後、彼女は何か大事なものを引き上げるかのようにゆっくりとポーチから手を出した。

 彼女が取り出したのはこの国の紋章が描かれたブローチだった。彼女はそれを俺に掲げながら言った。

 

 

 

 

 

「ホワイト──《ホワイト・フィム・ヴィルドヘルム》。この国の現女王陛下です」

 

 ……へ? 

 

「今、なんて?」

 

 俺は間の抜けた声で、返事をした。だがしかし、正反対にメルナは事実のみを突き付けてきた。

 

「ですから、お二人宛にこの国の現女王《ホワイト》から手紙が着たんですって」

「……はぁぁぁぁ!?」

 

 予想を遥かに上回る人物の名前が出てきて、俺はつい声を荒らげてしまった。その際にフウカが不機嫌そうに喉を鳴らして体を捩らせたので、慌てて口元を手で抑えた。メルナも耳を抑えて、目で俺を非難している。

 

「エイジ様、声が大きいです」

「すまん……いやでも、どう考えても声を出さない方が無理な話だろ……」

 

 俺は両手で顔を覆って首を横に振った。

 だって、王家だよ? 身分的には平民である俺に、この国のトップから手紙が届いたんだよ? つまり、謁見するってことだろ? 俺、礼儀とか作法とか全くわからないんですが? いや、それ以前に——

 

「なんでお前、コレを小事だと思ってんだよ」

 

 さっきメルナは、「大したことない」とか言ってたけど、どう考えても大したことじゃねーか。

 俺にしては随分とまともなツッコミが出来たように思えたのだが、どうにもメルナは俺のツッコミに納得がいっていないようで、不機嫌そうに腕を組んで備え付けの椅子に座り直してから反論してきた。

 

「別に、王家から手紙が届くなんて普通の事でしょう?」

 

 その一言で気づいた。……どうやらこいつ、盛大な勘違いをしているようだ。

 

「うん、それ普通のことじゃないからな。一般人は手紙どころか王に謁見すら許されていないからな」

「……えっ?」

 

 俺がそう言うと、彼女は目に見えて動揺していた。どうやら本当に気軽に出会える存在だと思っていたらしい。

 

 だがしかし、彼女の生い立ちを鑑みるに、このような認識になってしまうのも些か仕方のないことだと思う。

 普段人をからかったり、崩した口調で話したりしているから忘れがちだが、一応彼女は”侯爵”の地位を与えられている貴族だ。更に言うと、この世界を救った英雄の一人で”聖女”でもある。

 

 彼女はその動揺を誤魔化すように咳払いをすると、座ったまま頭をぺこりと下げた。

 

「……それは失礼いたしました。週に一度、必ず王城に出向いてホワイトと話をしていたので、感覚がおかしくなっていたようです」

 

 そんな特別な存在だから、王族も躍起になって彼女をこの国に留めようと努力をしていたのだろう。その結果、彼女は王族は簡単に会えるものという認識をしてしまった。これはある意味、一種の教育ミスだろう。

 だから俺は、責めるわけでもなく至って普通に返事をした。

 

「いや、全然。会ったことない人の名前が出てきたから驚いただけだ。気にすんな」

 

 俺の言葉に、彼女は頭を上げてから普段より幾分か柔らかい笑顔で言う。

 

「やっぱり、エイジ様ってお優しいですよね」

「……なんだよいきなり」

 

 その言葉が笑顔と相まって、不覚にも少しばかりドキッとしてしまった。

 

「今も、私の無知を自分の無知としてカバーして下さりました。エイジ様のその気遣い、私はどんな人の言葉よりも暖かくて、嬉しく感じられます」

 

 彼女も他人を褒める事に慣れていないのか、少しだけ頬を赤くしている。

 

「私のお話、少しだけ聞いてくださいませんか?」

「あ、あぁ、オッケー」

 

 急に女性らしく話しかけてくるもんだから、俺はつい萎縮してしまい、吃りながらも彼女の提案を了承した。彼女は一言お礼を言ってから、話を始めた。

 

「私は修道士として働く中、様々な人と出会いました。でもやはり、私の元に来る人達は皆自分のことばかり……聞いてる私の事なんかちっとも気にせず凄惨な話ばかりしてくるのです」

 

「役柄的に仕方のないことですが……」と、彼女は言葉を紡いだ。

 

「正直、気が滅入っていまいした。だから、私は心置きなく弄りたお──いえ、愚痴がこぼせる相手を、欲していたのです」

「おい、なんか今一瞬変な言葉が混じらなかったか?」

 

 俺がそうツッコミを入れると、彼女は「気のせいじゃないですか?」とクスクス笑った。最近よく思っていたのだが、一ヶ月前出会った時と比べて、メルナの心からの笑顔が増えてきているような気がする。

 

「でも、そんな時私の前にあなた様が来てくださいました。そして、一晩中お互いのお話をして……すごく有意義でした。あんなに時間を忘れて、楽しく話したのは本当に久しぶりでした」

 

 彼女がブローチを持つ手を胸元まで寄せて、目を瞑る。

 

「私、凄く嬉しかったんです。誰にも言えなかったあの悩みを打ち明けられて……糾弾されても仕方がないと思っていましたが、あの時もあなた様は私の気持を汲んで下さって……」

 

 彼女は静かに目を開けると、今までよりも少しだけ感情の篭もった声で言った。

 

「私をこんな気持ちにさせてくれたのは、あなた様でお二人目ですよ、エイジ様」

 

 そして、パッと笑顔を咲かせたのだ。

 彼女は座席から立ち、つい見蕩れてしまっていた俺の近くまで近づいてくると、少しだけ躊躇いがちに——

 

「あの、エイジ様。今夜、私の部屋でお話を聞いてくださっても──」

「ねぇ」

 

 ——何かを言いかけたその瞬間、怒りの混じった低い声が車内に反響し、俺とメルナは同時に体をビクッと揺らした。そして声のした方……俺の足元を見ると、俺の膝に頭を乗せたままのフウカがジトッとした目でメルナを睨みつけていた。

 

「メルナ、人の彼氏に何色目使ってるの?」

「あ、あら……おはようございます、フウカ様。よくお眠りになれましたか?」

 

 おぉ、珍しい。メルナがめちゃくちゃ焦ってる。いつもからかわれている側からすると、妙にスカッとする光景だな。

 フウカは、予備動作もなく俺の膝から頭を起こしてそのまま座席から足を下ろすと、メルナの前に立ちはだかるかのように移動した。

 

「んー、あんまり良い眠りではなかったかな」

「そ、そうですか……まぁ、馬車の座席は硬いですし、柔らかいベッドに慣れていらっしゃるフウカ様には——」

「人の彼氏にちょっかい出してる女がいたから」

「はぅっ! ちょ、ちょっかいなんて出してませんよ! ただ、今夜私の部屋で盃を交わしつつ交流を深めようと思っただけで!」

「それをちょっかいだって言ってるの」

 

 フウカはどうやらメルナの意見に耳を貸すつもりは毛頭ないらしく、彼女の弁明を一蹴すると、メルナに顔をずいっと近づけて言う。

 

「今度、エイジに色目使ったら、メルナでもぜっっったい許さないからね? 覚えておいてよ?」

「……は、はい」

 

 おぉ……こんなにしおらしいメルナは初めて見た気がする。そして、こんなに般若な形相のフウカも。

 

「エイジも。鼻の下伸ばさないで」

「……は、はい」

 

 だから俺も、メルナと同じようにこうして怯えて返事をするしかなかった。

 

「皆様、そろそろ国に着きま——この状況は一体なんですか!?」

 

そしてこのタイミングで、騎手がこちらを覗いてきて、驚愕の声を上げていた。

 

 

 

 この日、俺とメルナの間にひとつの教訓が生まれた。『寝起きのフウカは、絶対に怒らせるな』という。

 



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入城

大変お久しぶりでございます。

夏休みに入ってバイトやら本免試験対策やら雑誌編集やら睡眠やらにおわれて中々書く時間がなかった颯月です。生きてましたよ。

さぁ、本編はいよいよ、Snow White編の入口のドアを開きました。
どうかお楽しみに!


 メルナが調子に乗って引き起こした馬車事件から一週間が経ったある日。

 

「これが、ヴィルドヘルム城か……」

「教会から見た時も大っきいなって思ってたけど……。近くで見たら、なおのこと大っきいね」

 

 俺とフウカは、城門の前に架かる橋の前で、二人してこの国の象徴を見上げていた。

 城の尖塔に掲げられた国旗は、俺達がどれだけ手を伸ばしても届くことのない遥か上空で靡いており、城に備え付けられている半アーチを描く窓は、数えきれないほど無数に備え付けられている。

 

「今からこれに入るって、正直ヤバくない? 私達、本当に入っていいのかな?」

 

 フウカがワクワクと緊張が入り混じったような声で言う。

 

「流石に門前払いは無い……と思う。あったら俺は帰る」

 

 それに対して俺は、緊張MAXの状態で手に持った紙を握り締めながら返事をした。

 ——どうして俺達が王城に来ているのか。その発端は、件の馬車事件の後の事である。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

「そんで、手紙にはなんて書いてあったんだ?」

 

 レベル上げで疲労した身体を、風呂でゆっくり休めた後の夕食の時間。俺は左斜め前に座るメルナへとそう話を切り出した。隣にはフウカが座っており、セレナは厨房の後片付けが終わり次第来るそうだ。

 

「え、何? 手紙って」

 

 俺の問いに、メルナより先に隣のフウカが反応した。

 

「そういえば、お前馬車の中でほとんど寝てたし、話聞いてないもんな」

「うん、起きたのもメルナとエイジがイチャついてたところからだし」

「その言い方は誤解を生むからやめろ」

 

 フウカの吐き捨てるような物言いに俺がツッコミを入れると、彼女は俺からツーンっと顔を逸らしてローストビーフに齧り付いた。どうにもまだ機嫌が悪いらしい。

 そんな彼女を傍目に、フウカに見えない様にため息をついた後、改めてメルナに「どうなんだ?」と聞き直した。

 それに対して、彼女は口の中の物が無くなってから、

 

「流石の私でも、他人宛の手紙を勝手に見るなんて無粋な事はしてませんよ。ご自身で確認してみてはいかがでしょうか?」

 

 と返すと、布巾で口元を拭ってから傍らに置いてあったポーチに手を伸ばした。

 室内用なのだろうか、馬車の中で探っていたものよりも少しばかり小さいモノだ。

 ……そういえばずっと気になってたことがあったんだが、この際に聞いてみても良いかもしれない。

 

「メルナってアイテムストレージ使わないんだな」

 

 先程の国家紋といい、今の手紙といい。大事なものなんだから、外に出したままのポーチより、安全なアイテムストレージに入れて置いた方が良いのでは? と俺は思う。

 俺のその質問に、彼女はポーチに目を凝らしながら頷いた。

 

「えぇ、まぁ。他の理由もありますが、アイテムストレージを開く動作より、ポーチに予めものを入れておいた方が早いですので」

「確かに一理あるかも。ポーションとかMPポットとか、アイテムストレージに入れておくより外に出て置いた方が早いし楽」

「モノの重要度の違いはさておき、だいたいそんな感じです」

 

 フウカの相槌を笑顔で受けつつ、メルナは小さな声で「あった」と呟くと、ポーチの中から一枚の封筒を取り出した。

 

「さぁ、エイジ様。受け取って下さいませ」

「お、おう、ありがとう」

 

 そしてそのままの流れでその封筒を俺へと渡すと、彼女は食事を再開した。

 俺は、メルナとは対照的にナイフとフォークをテーブルに置いた後、手紙の表面を凝視したり裏返したりした。フウカも気になっているのか、同じように食器をテーブルの上に置いて、俺の肩越しに封筒を見ている。

 いかにも高級そうな封筒のボタンには、やはりと言ったところかこの国の紋章が描かれていて、いかにも『王家からの手紙』然としていた。心做しか、封筒の材質もかなり良いモノのように思える。

 俺とフウカは同時に顔を見合せ、なにか同意を求めるかのように頷きあった後に、ボタンに巻かれていた赤い紐を慎重に解いた。

 

 中に入っていたのは、メルナの言った通り一通の手紙だった。俺はそれをフウカが読みやすいように少しだけ高めに掲げた後に、綺麗に折り畳まれたソレを開いた。

 

 そこに書かれていたのは——

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『——使徒エイジ様及びフウカ様を、王城へとお招きしたく存じます。どうか、御足労の程よろしくお願い申し上げます。 ヴィルドヘルム国女王 ホワイト・フィム・ヴィルドヘルム』……これは確かに、王家の紋章で間違いありません。ただちに上の者を呼んで参りますので、少々お待ちください!」

 

 件の手紙に書かれていたのは、やはり俺達に拒否権の無い、王城への出頭命令だった。それも、女王陛下の朱印付きの。

 門の前で槍を構えていた門兵に、少しだけシワの出来てしまったその手紙を渡すと、彼は焦ったようにそう言って、重そうな甲冑を揺らしながら城内へと走り去っていってしまった。どうやらこの様子なら、危惧していた門前払いは無さそうだ。

 そんな門兵の後ろ姿を見ながら、隣のフウカがボソリと呟いた。

 

「なんかこういう展開って、ゲームで良くあったけどさ。リアルだとやっぱり待つんだね。スキップ機能、無いの?」

 

 それに対して俺は吹き出すのを必死に堪えながら言葉を返した。

 

「あるわけない」

 

 

 

 

 

 

 

 その場に取り残された俺達は、取り敢えずこのままここで待機する事にした。どこか別の場所で待とうにも、城内の間取り図なんて分からないので、正直これが一番妥当だろう。

 

 橋の手すりに背中を預けて、フウカと今後のレベル上げの方針やら休日の過ごし方やらを話し合う事約十分。城内の方からガチャガチャと騒がしい音が近づいて来ていることに気付き、音の鳴るほうを見ると、先程の門兵が行きと同じように甲冑を揺らしながら走ってきていた。

 

「ハァ……ハァ……。お、お待たせ、ハァ、してしまって申し訳ありません! 女王陛下から入城の許可が、お、オェ……」

「と、取り敢えず落ち着いて下さい……」

 

 俺達の前に来るや否や、息を整えるのももどかしく、吐きそうになりながら言う門兵。無理もない。あんな重そうな甲冑を着ながら走り回ったんだもん。そりゃ吐きそうにもなるわ。

 

 門兵は、「ご配慮、ありがとうございます……」と言った後に膝に手を付くと、フゥーっと大きく息を吐く。しばらくそれを繰り返した後に、スっと上体を上げながら言った。

 

「……大分落ち着きました」

「回復魔法いりますか?」

 

 俺が心配しながらそう言うと、彼は兜の中で目を見開いて明らかに狼狽えたような表情を見せた。

 

「いえ、とんでもない! これしきのことで回復魔法は大袈裟ですよ」

 

 そう言って両手を前に突き出して俺からの申し出を拒否した後に、彼は一度咳払いをしてから言葉を続けた。

 

「では、改めて。——エイジ様及びフウカ様。女王陛下から入城の許可が降りましたので、どうぞお入りください」

「仕事中にわざわざ走ってまで伝えに行って下さって、ありがとうございました」

 

 俺が感謝の意を述べると、門兵は槍をカシャンと地面に突き立てて「とんでもありません!」と言って敬礼をした。

 俺は門兵に改めて一礼しつつ、彼の横を通って城内へ入ろうとした──

 

「ねぇ、エイジ」

 

 ──のだが、フウカが俺の袖口を掴んでグイっと引っ張ると、顔を近づけて耳打ちをしてきた。

 

「このまま入っても、王室までどうやって行くか分からないでしょ? 明らかに私達だけで入って、どうにかなる大きさじゃないよ、ここ」

「うっ……確かに」

 

 門兵との会話で忘れていたけれど、俺たちは城内の間取りが分からなかったからその場で待っていたんだった。

 フウカは俺の返事に、ハァ……と呆れたように溜息を吐いて俺から離れると、門兵の方を見ながら言う。

 

「どうせなら、この門兵さんに案内してもらおうよ。この人、良い人そうだし」

 

 あ、コイツ、この門兵を自分の中でお気に入り登録したな。

 

「まぁ、確かに話しやすいし良い人だとは思ったけど……。やっぱり忙しいんじゃないか?」

 

 俺がそう言うと、彼女は顎に手を当てて思案顔になった。しかし、その顔もすぐにいつもの笑顔の裏に引っこめると、陽気に言った。

 

「まぁ、とりあえず聞いてみようよ。やってみなくちゃわかんないよ」

「あ、おいっ!」

 

 彼女は俺の返事を待たずにクルリと回れ右をすると、先程の門兵の元へ歩み寄って行ってしまった。

 俺は額に手を当てて首を横に振った。そういえば、フウカは昔から思いつきで行動するやつだった。

 現に、GTOで全ての杖装備を集めるのだって、《The Lost Tale》を二人で倒そうと言ったのだって、全て彼女のその場の思いつきだ。

 

 正直、今まではゲームの中だったし、彼女に振り回されても別に問題は無かったのだが……。この世界が俺達にとっての現実となってしまった以上、彼女のこの行動は少しばかり強制する必要がありそうだ。

 

「ねぇ、門兵さん。お城に入ったことないから、どこに部屋があるかわからないんだけど……。もしよかったら案内してくれない?」

 

 俺が今後の方針を固める傍で、フウカがそう言うと、門兵は敬礼を解いてから後ろ頭を掻きつつ、ボソリと嘆くように呟いた。

 

「私が行きたいのはやまやまなんですが……。実は先程、『お前が来たら誰が入口守るんだ! さっさと持ち場に戻れ!』と怒られてしまいまして……」

「あー……」

「だから言ったろ?」

 

 門兵の言葉に、フウカが声を漏らした。

 俺は、なんとなくだがこうなる事を予想していた。何故なら、GTOでも門兵がどこかへ案内してくれたことなど一度たりともなかったから。その設定が、恐らくここでも生きているだろうと、俺は考えたのだ。

 

 ……が、しかし。俺の予想とは少しだけ違う結果になった。少しばかり残念そうにするフウカに「ですが、案内に関してはご安心下さい」と門兵は続けたのだ。

 

「と言うと?」

「城内の案内は出会ったばかりの私より、最適なお方が付きますので」

「最適なお方……?」

 

 俺達は同時に首を傾げた。この世界に来てから、顔見知りなんて教会の人か門前に店を構える串屋さんと八百屋さんくらいだ。王城に勤めている知り合いなんていない。だから、俺達に適している人なんて——。

 

「それは私のことかしら?」

「うぉ!?」

 

 唐突に俺の真後ろ——城の方から声がして、俺は驚きで前へと飛び出してしまった。

 

「おぉ、噂をすれば。メルナ様、こんにちは」

「はい、こんにちは、《タスク》」

 

 その声の主は、やはりメルナだった。

 門兵は、改めて槍を立てて一礼すると、彼女に向かって挨拶をした。メルナはそれに対して、手をひらひらと揺らして門兵へと挨拶を返すと、俺達の方に向き直ってから笑顔で宣った。

 

「あら、エイジ様。驚かせてしまったようで。申し訳ありません」

「お前絶対わざとだろ……」

「いえ、そんなことはありませんわ。ただ、【隠密】を使ってエイジ様方に近付いただけですもの」

「確信犯じゃねーか!」

 

 もう定着しつつある俺とメルナの言い合いに、門兵は「メルナ様にもこんなお茶目な一面があったんですね」と、苦笑いをしていた。

 

「ってことはつまり、メルナが私達の案内人ってこと?」

 

 そんな明るい門兵に対して、フウカは俺達のこのやり取りが気に食わないらしく、ジトッとした目で俺とメルナを——特にメルナを睨みつけていた。

 

「は、はい。そう……ですわ」

 

 あ、吃った。

 どうやらメルナはフウカに大してまだ負い目があるらしく、俺との対応に比べてどこか消極的であるような気がする。

 

「そっか。じゃあよろしくね、メルナ」

「お任せ下さい。それでは、ご案内致しますわ」

 

 そう言っていつもの笑顔に戻ったフウカに対して、警戒から逃れられたメルナは、安堵のため息と共に胸を撫で下ろすと、城の方へと歩みを進めた。

 俺はその光景に苦笑いしつつ、改めて門兵に軽く会釈をした後に彼女達の背中を追った。

 

 あの門兵はどうやらかなり仕事熱心らしく、その会釈を受けた時も、こちらを振り返ることは無かった。



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謁見。そして試練。

 城内に入ってすぐに、俺達はその絢爛豪華な内装に足を止めて魅入ってしまった。

 遥か頭上にある天井からぶら下がる、硝子造りのシャンデリアや、アーチを描くステンドグラス。道の両端に等間隔で置かれた白い石膏は、歴代の王様だろうか。ホコリ一つ被っておらず、誇らしげな顔をして佇んでいた。

 

「……スゴい」

 

 隣のフウカもその光景に感嘆の息を吐いていた。

 そんな、まるで子供のように目を輝かせる俺達を見て、メルナはクスクスと笑った。

 

「こんなの、まだ序の口ですよ。ホワイトの部屋に近づけば近づくほど、私達では払えないくらい高価なモノも普通に置いてあったりしますから」

「これよりヤバいモノがあるのかよ」

 

 俺は驚愕で息を漏らした。ここら辺でも既に庶民じゃ絶対に買えないような代物ばかりなんですけど……。ほら、あそこの壺とか。

 

「あぁ、あの壺は修道院で十五年くらい働かないと買えないものですね」

「……バカじゃねーの?」

 

 文字通り、開いた口が塞がらなかった。なんでそんな高価な壺、エントランスにおいてるんですか? ここの女王は。

 

「まぁ、ホワイトにとって興味のない貢物は、こうしてここら辺に飾られていますね」

「え、これ全部? 買ったんじゃなくて?」

 

 フウカが興味深げに眺めながらそう言うと、メルナはその壺に手を当てながら頷いた。

 

「はい。全部、他国の王子様や権力者が送ったものですわ。あの子に求婚するために」

「なんかすごいモテるんだね」

「えぇ。何しろ彼女、世界で一番美しい女王って呼ばれていますもの」

 

 それを聞いて、どんな感じの女王なのか想像したのか、「へ~」と感嘆の息を零していた。

 

「やっぱそれだけの美人となると、エイジも気になっちゃうんじゃない?」

 

 次いで、俺をからかうような視線と共に悪戯な笑みを向けてくるフウカ。まったく。なんでこう、毎回俺を試すようなことを言うんだこいつは。

 

「馬鹿言え」

 

 だから俺は彼女の意見を否定しつつ、こう答えてやった。

 

「俺は、王女の部屋の近くにある金銀財宝の方が気になる」

「そこは嘘でも『お前意外気にならない』とか言っておきなよ……」

 

 俺の言葉に、フウカは落胆の溜息と共に肩を落とした。へっ! 嫌だね。そういう面では生粋のヘタレである俺が、なんでそんなキザな言葉を言わなきゃならないんだ。

 

「金銀財宝、というわけではないんですが」

 

 先程の言葉を聞いてか、メルナが考えるような素振りを見せてから言う。

 

「確か、王の間の壁に沢山の武器が飾られていましたね」

「なんだ、武器か」

 

 俺はメルナの言葉にそっけない返事をした。

 なんとも物騒な部屋だな。王の間って、なんかなんもない部屋にレッドカーペットが引いてあって、その最奥に王座がドーンと置いてあるだけのイメージだった。

 それに、武器というのがどうにも興味を誘わなかった。俺が興味を持つものと言えば、遺産系……例えば、ナポレオンが発見したロゼッタストーンとか、リディアの鋳造貨幣とか、そういう歴史を感じられる類のものだったから。

 

「武器と言っても、普段使われることのない国宝級のものばかりですけどね」

「例えばどんなのがあるの?」

 

 しかし、俺の考えとは対照的に、武器集めを趣味としていたフウカが、目を光らせて続きを急かしていた。その要望に応えるべく、メルナは思い出しながら話を続ける。

 

「そうですね……。《デュランダル》という名前の魔剣だったり──」

「魔剣!」

 

 デュランダル。確か、ローランの歌に出てくるヘクトールが使っていた剣だ。

 

「これは私も良く分かっていないんですけど、王座の後ろに大きな鏡がありますね。恐らく姿見用でしょうけど」

「それは興味ない」

 

 お前興味ないものに対して容赦なさすぎだろ。

 

「《アスクレピオス》という名前の蛇柄の杖だったり──」

「杖!」

 

 そんな杖があるのか。初めて知ったな。

 

「他にも……あの、そんな目を私に向けられても困ってしまうんですが……」

 

 魔剣や杖と聞いて、フウカは先ほどより更に目を光らせてメルナへと近づいていた。反対にメルナは、かなりおびえた表情でフウカを見ている。フウカの奴、完全に獲物を狙う目をしていやがる。

 なんかこれ以上はフウカが暴走しそうなので、俺はフウカの頭にチョップをしながら間に止めに入った。

 

「あいたっ! ちょっとエイジ! なにすんのよ!」

「お前今獲物を狩るような目、してたぞ」

「そ、そんな目、してないよ! ただ、あわよくばメルナの権力を使ってその武器たちを我が手の中に……」

「やっぱり狙ってたんじゃねーか」

 

 しまった! と言いながら口を押えるフウカに溜息を吐きつつ、メルナに向き直る。

 

「すまん、メルナ。こいつ武器のことになると毎回こうなるんだ……」

「え、えぇ……。大丈夫です。なんかもう慣れてきましたし」

 

 そう言って、額に浮かんだ汗を拭うメルナ。本当、俺たちが来てから彼女には苦労を掛けっぱなしのような気がして、申し訳なく感じる。

 まぁ、からかってくるところを差し引くとプラマイゼロなんですけどね。

 メルナはフウカの様子をチラッと見た後に咳払いをすると、いつものような凛とした顔つきに戻してから言った。

 

「さて、雑談はここまでにしましょうか。そろそろ関係者のみが立ち入る事ができる区域ですので。そのおつもりで」

「はーい」

「あいよ」

 

 彼女の注意事項に各々返事をした後に、俺達はメルナについて歩みを進めた。

 その道中。メルナとフウカの背中を追いながら、俺は先ほど手に入れた情報を頭の中で整理していた。

 

 王様たちの献上品をエントランスに無造作に置くその胆力。ある意味で、その行為は他国を侮辱しているようにも捉えられるし、かなり危険なものじゃないだろうか。

 

 使われることのない名剣達。彼女の部屋を飾るものとしては最高品なのだろうけれど……。正直あまり良い趣味とは言えない。何かの間違いで賊が侵入してきたとしたら、真っ先に相手の戦力強化に繋がってしまうではないか。

 まぁ、これに関しては仮定の話だから何とも言えんが。

 

 あと、メルナが言ってたのは……鏡? のことか。まぁ、これは特に整理しなくても────

 

「ん?」

「何? なんかあった?」

 

 そこまで考えてから、俺の脳内検索にある物語が引っ掛かった。

 

 訝しげな顔で俺を見るフウカに、何でもないと首を振ってから、改めて思考の波に身を委ねた。

 

 俺の記憶の奥深く。それを聞き覚えていたのは、幼少時代の事だった。

 

 ──”ホワイト”という名前。

 

 

 ──この世で一番美しい女王。

 

 

 ──用途の分からない鏡。

 

 

 全てが全て、俺の記憶にある御伽噺と合致していた。

 

 俺はこの時、確信した。

 

 この国の元ネタは『白雪姫』であると。そして──。

 

《打ち出の小槌》によって、俺達の物語が始まったように、この『白雪姫』の物語も既に始まっているのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから歩くこと約二十分。俺達はメルナを先頭に、大広間の奥にある白造りので綺麗な螺旋階段を上っていた。

 

「この先が、ホワイトのいる通称”白の間”です。分かってはいると思いますが、仮にも女王陛下なので無礼の無いようにお願いしますね」

「お、おう」

 

 そのあまりにも現実離れした綺麗さに息を呑みつつ、メルナの注意喚起に頷く。先程まで周りを眺めてあれやこれやと騒ぎ立てていたフウカも、今ではすっかり前だけを向いて大人しくなっている。

 

 そこから約分。階段を登り切った先に、今まで見たことないような荘厳さを漂わせる大扉が、俺達の前に立ち塞がった。そしてその両脇には、如何にも屈強で百戦錬磨の兵士が無言で佇んでいた。

 彼らから発せられるオーラは、そこら辺にいる魔物──それこそ、先日フウカと二人で狩った《マッド・ディア》のものよりも遥かに密度高く凝縮されており、近づくだけで身の毛がよだつレベルだ。

 

 そんな彼らにものともせず近付いていくメルナ。こういう場面を見ると、やっぱりメルナって凄いやつなんだなぁとつくづく思う。普段の言動からじゃ全く分からないけど。

 

「二日ぶりね。通してくださいな」

「……紋章を見せろ」

「まったく。顔パスじゃダメなのかしら? 入口の門兵さんはOKして下さったのに」

「女王陛下の御前だ。これくらいの規則に従って貰えないと困る。それに、連れが居るなら尚更だ」

 

 だが、世界を救った三英雄の一人である彼女を目の前にしても、全く怖気付く様子のないこの二人も、やっぱり凄い人達なんだなぁ……。

 もう、語彙力無くなってきたわ。

 

 メルナは「ハイハイ」と若干面倒臭そうに返事をした後に、いつものポーチから、スっと紋章を取り出して掲げてみせた。

 なるほど。確かに彼女の言う通り、ポーチを使うのは便利そうだ。

 

「……よし、通れ」

「ありがとうございます」

 

 どうやら許可が下りたようで、メルナは門兵達に一礼すると、踵を返して俺達のいる方へと戻ってきた。それと同時に、彼女の後ろでは門兵が二人同時に向き合って、重々しい扉を軽々と開け放していた。

 メルナはいつもの様な微笑みを浮かべてから、俺達に手を差し伸べて言った。

 

「さぁ、エイジ様、フウカ様。行きましょう」

 

 

 

 

 

 中は、素材の分からない透明度の高い建材で出来ていた。強いて一番近いものを挙げるとするならば、強度を極限まで高めたガラス、と言ったところだろうか。壁には、先程メルナの話にあった通り、剣や杖、斧などが等間隔に並べられており、建材とのミスマッチさと相まってより一層濃い気配を漂わせていた。

 しかし。そんな珍しい空間に入ったのにも関わらず、俺の目に最初に映ったのは、それらすべてを通り越した最奥に見える、玉座に座る一人の女性だった。

 その女性は俺達に気がづくと、無駄のない動作で王座から立ち上がった。顔は、陰に隠れてよく見えない。

 

 女性は一歩こちらに近づいた。カツンッと、彼女の履く透明なヒールが高い音を鳴らす。

 

「こんにちは」

 

 メルナやフウカとは違う、暖かさのない冷たい声が鼓膜を震わす。それと同時に、嫌な感覚がゾワリと背中を撫でた。

 

「二日ぶりね、メルナ。相変わらず綺麗な顔で羨ましいわ」

「貴女に言われたら、嫌味にしか聞こえないわよ」

 

 メルナの返す声が、どこか遠くモノのように感じられる。それとは対照的に、目の前を歩く女性から発せられるヒールの音はより近く、より大きく聞こえた。それでいて一定のリズムを刻むその音は、まるでメトロノームのようだ。

 

「そんな風に言ってないわよ。まったく。素直に受け取らないのね、メルナは」

 

 足音が、俺達の前で止まった。いつの間にか下げていた視線が、自然と上にあがる。

 

 そこいたのは──

 

「……キレイ」

 

 言葉では表せない程美しく、それでいて厳格さの滲み出る凛々しい顔付きの女性だった。体系も、スレンダーなフウカ以上少々ふくよかなセレナ未満と言った感じのバランスの良さで、隣のフウカも感嘆の息を漏らしていた。

 

「ホワイトがそうやって人を褒める時って、基本的に何か頼みたいことができたときでしょう? それで、今回は何があったの?」

 

 やっぱり、この女性がホワイトか。

 メルナは何度も会っているということで、もう慣れているのだろう。まったく怖気づく事も無く平然と会話をしている。

 

「あら、流石メルナ。察しがいいのね。……でもその前に」

 

 彼女はそう言うと、その美貌から放たれる鋭い眼差しを惜しげなくこちらへと向けてきた。それを真正面から受けて、俺は隣のフウカ共々ビクッと体を揺らした。

 

 ……ッ! なんて威圧感だよ……! 

 

 たったそれだけの行為なのに、俺達の動きを制限するには十分なものだった。

 

「そちらの二人が、例の使徒様?」

「えぇ、そうよ。でもあまり怖がらせないであげて。まだここに来て日が浅いのよ」

 

 メルナの言葉に、ホワイトは溜息ともとれる息を吐いた後に目を閉じた。それと同時に、俺とフウカを抑制していた謎の威圧感がフッと消えた。彼女の目が、恐らくそういうスキルを持っているのだろう。

 

「……お名前、教えてくださる?」

 

 彼女は目を閉じたまま、メルナと話す口調より数段優しい口調で、そう問いかけてきた。俺は先程の威圧で滲み出た汗を拭いつつ、その問いに答える。

 

「……エイジです。それで、こっちの女の子がフウカです」

「こ、こんにちは……」

 

 フウカは完全に委縮してしまっているのか、その声は消え入りそうなくらい小さかった。

 

「エイジ様に、フウカ様ですね。お待ちしてました」

 

 しかし、声の大きさやトーンなどはさほど気にしないのか、ホワイトはその美貌に笑顔を称えつつ言葉を続けた。

 

「今日あなた方を呼んだのは他でもありません。あなた方が本当に使徒なのかどうかを確かめておきたいのです」

 

 彼女がそう言い切った瞬間、メルナの顔つきが変わった──ような気がした。

 

「それは、エイジ様達が使徒ではないと、疑っているってこと?」

「はい。簡潔に言うとそうなりますね。見た目がこんな平凡な少年少女なら尚更」

 

 まぁ、そりゃ確証はないわな。俺だって未だに自分が使徒だなんて半信半疑だもん。

 そう言いながら笑顔を崩さないホワイトに対して、メルナが俺達よりも数歩前に出た。その足取りは、いつもの様に軽やかなものではなく、どこか力強く、そして怒っているように見えた。

 

「ホワイト、それは流石に失礼ではなくて?」

 

 怒っているよう、じゃなくて怒ってるな、こりゃ。

 メルナの反感に、ホワイトは目を開けてスッと細めた。

 

「ですが、貴女も知っていますでしょう? メルナ。私は自分の目で見たものしか信じないことを」

「確かに知っているけど……。でも、私も確かに主様からお告げを頂いて——」

 

 メルナの言葉を遮って、ホワイトは少しだけ声を荒げた。

 

「だから私は、その瞬間を見てないから信用してないって言ってるのよ」

「っ……!」

 

 メルナが顔を強張らせた。

 おいおい……。今の発言、この国を統治する者のセリフとして大丈夫なのか? 仮にも国教になっている宗教の神を、冒涜するようなモノじゃないか。

 固まったまま動かないメルナに、ホワイトは「分かって欲しいわ」と言うと、彼女を抱き締めた。俺から見えるホワイトの顔に先程の笑みは無く、寧ろ沈んでいるように見える。

 

「私だって、無条件で信じたいわ。貴女の言うことだもん。でも、昔一度、私は人間に殺されかけて……いいえ、一度殺されている。その記憶が、人を信用するなって囁いてくるのよ」

 

「だから、ね?」と念を押すように言うと、彼女の胸の中のメルナは一瞬迷うような素振りを見せた後に、コクリと頷いた。

 ホワイトも同じように頷いた後、メルナをゆっくりと離すと、踵を返して王座へと戻っていった。メルナも、少しの間その場に立ち尽くしたままだったが、彼女の中で整理がついたのか、いつもの凛々しい顔付きに戻ると、ホワイトの歩いた後を歩み始めた。俺達も、その後について行く。

 

 

 ホワイトが王座の前にある階段を登り切り、座ったタイミングで、俺達は階段の下に着いた。

 見上げた先にいるホワイトは、さっきとは全く違う威厳を醸し出していた。隣には純白の軽鎧を纏った騎士が、腰の剣に手を掛けて佇んでいる。

 先程門の前にいた兵士たちより、強そうなオーラは感じられないが、女王陛下の傍付きをやっているのならば、相当な実力者なのだろう。

 

「さて、エイジ様、フウカ様」

 

 ホワイトが、手に持った扇を広げて仰ぎ始める。少しばかり偉そうなのでイラっとはしたが、女王陛下じゃ当たり前かと結論付けて、その怒りを自分の内から排除した。

 

「今からあなた方に試練を設けます」

 

 彼女は言葉を紡いだ。

 

「それをクリアできたのならば、とりあえずは神の使徒として認めましょう。それでよろしいですか?」

 

 なるほど。見たものしか信じないというのは、実力を示せ、ということか。証明できるものがない以上これは彼女の案に乗るしかないだろう。

 隣のフウカと顔を見合わせた。彼女は、先程の畏怖がまだ抜けきっていないのか、若干強張った顔をしていたが、俺の意図を読み取ったのかコクリと頷いた。

 

 俺がホワイトに向かって「大丈夫です」と返事をすると、彼女は扇をカシャッ! と、音を立てて閉じた。

 

「ではまず、エイジ様の方から。確か、貴方は前衛職でしたよね」

 

 俺が無言で頷くと、ホワイトは左を向いて「アル!」と声を上げた。それと同時に隣にいた白い軽鎧を纏った騎士が、「はっ!」と一礼してから一歩前へと足を運んだ。

 

「さて、エイジ様」

「……なんですか?」

 

 こちらに視線を戻し、彼女はニッコリと微笑んだ。それに対して俺は、引きつった笑みを浮かべつつ返事をした。

 この展開、正直なところ嫌な予感しかしない。だってもう、経験則的にアレを言われる流れだろ? 普段、異世界転移系の法則は全く成り立たないくせに、なんでこういうところばかりラノベの様な展開になってくるんだ……。

 

 そんな思考が俺の頭をグルグルと回っている内に、この国の女王は左手で先ほどの騎士を指すと——

 

「——あなたには、我が国の騎士長《アルド》とデュエルしてもらいます」

 

 ——相も変わらず美しい笑顔のまま、俺の予想と一言一句違わない言葉を投げかけてきた。



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心構え

「エイジ様、本当に大丈夫ですか?」

 

 メルナの不安げな声が、俺の耳に届いた。

 今俺達がいるのは、待機場所として案内された王宮から少し離れた騎士育成所の稽古場だ。見た目はほとんど剣道場に近いようなモノで、所々に対人訓練用の人形が置かれている。

 まだ試練の内容を言われていないフウカは、先程までの委縮はどこへやら、呑気なもので、そこら辺にあった剣を模した木刀でその人形を切りつけて遊んでいた。

 

 それを傍目に見つつ、俺はメルナの心配に対して、自分の意見を素直に答えた。

 

「まぁ、明確な勝算がある……とは正直言えないな。かなり分が悪いし」

 

 聞くところによると、どうやらあのアルドとか言う騎士、レベルが70前半らしい。GTOでは、上位スキル解放キャップがレベル70だったはずなので、恐らくあの騎士もいくつかの上位スキルは使えるだろう。

 後はあの騎士が、どれだけ上位スキルを使いこなせているかだが……。

 

 俺の返事に、メルナは考え込むように顎に手を当てた。

 

「……まぁ、あなた様がアルドに勝っている所を挙げるとしたら、使えるスキルの多さくらいですもんね。今の段階でも、顔も合わせて負けっぱなしです」

「お前は鼓舞したいのか、貶したいのかどっちなんだ」

 

 俺がそうツッコむと、彼女は「さぁ? どちらでしょう?」と言って笑った。まったく、この女は……。

 しかし彼女は、その笑いを直ぐに引っ込めると、少しだけ目を細めて訓練場の天井を見上げた。

 

「でも、安心しました。私の弄りに対してツッコミを入れられるくらいの余裕は持ち合わせているんですね」

 

 どうやら、先程の大丈夫かという確認は、本当に心配してくれてのことだったらしい。てっきり先程の弄りの前置きなのかと思っていた俺が、少しばかり恥ずかしかった。

 

「いや、お前へのツッコミは殆ど条件反射だ。余裕なんてそんなにねーよ」

 

 だからその照れ隠しも込めて、俺はそう言った。しかし、彼女はそれにすら気付いているのか、フフッと含みを込めた笑みを浮かべると、俺に質問を投げかけた。

 

「……それで? 明確な勝ち方がないというのなら、不明瞭な勝算っていうのはなんですか?」

「あぁ、やっぱ気づいてたのか」

 

 先程俺が言った「明確な勝ち方」というのは、確実に勝てるビジョンのことだ。それは確かになかったのだが、彼女の言う通り、やってみなきゃ分からない勝ち方……つまり作戦ならあるのだ。

 

「えぇ、まぁ。一応勝負のカンというのは持ってますので」

「……本当は【読心】でも使ってたんじゃないのか?」

 

 最近使ってなかったから意識から薄れていたけれど、メルナは、”このスキルの名称を知らない相手のみ”という条件付きの読心術を使えるんだった。引用元はスキルツリーの説明欄。

 

「それを使ってたのなら、本気であなた様のことを心配しませんよ。それにあなた様には条件を満たしていないので使用できません」

 

 俺の言葉に、彼女は少し頬を膨らませつつそう反論すると、苛立たし気に続きを促した。

 

「それで、作戦っていうのはなんですか?」

「通じるかは分からないけどな——」

 

 俺が説明しようとした、その時。

 

「失礼します。エイジ様、準備が整いました」

 

 俺達(の中身)より若い騎士が訓練場の戸を開けて中に入って来てそう言った。

 あー、もう来ちゃいましたか。いざこういう状況になってみると、もう少し心の準備をしておけばよかったと後悔してしまう。思えば、向こうの世界での大学入試の時もそうだった。

 

 これ以上思い返すと、嫌な思い出まで甦ってきてしまいそうなので、軽く返事をしてその場に立つと、呼び出しに来た騎士は俺の元まで歩くと、一度礼をしてから続けた。

 

「どうぞ、こちらへ。メルナ様もフウカ様も御一緒にお願いします」

「あら、私たちも良いのかしら? こういう催しの時って、ホワイトは基本的に部外者立ち入り禁止にしていたハズだけれど?」

「今回だけは特例のようです。女王陛下お立会いの下に決闘をする、と私は聞かされています」

「……そう?」

 

 騎士の言葉にメルナは首を傾げつつ、俺と同じようにその場に立ち上がった。あの女王陛下、普段どんだけ用心深いんだよ……。まぁ、過去に殺されかけてるんだから、仕方のないことだとは思うけど。

 

「あ、なに? もう行くの?」

 

 フウカは、どうやら話が進んでいた事に今頃気づいたようで、おもちゃにしていた木刀を壁に立てかけると、足早に俺の元へと駆け寄ってきた。

 

「お前はどんだけ人の話を聞いてないんだ。フウカ」

「ごめんごめん。剣を握ったの久しぶりでさ、ちょっと昂っちゃった」

「まったく……。ガキかよ」

 

 剣握ってはしゃぐとか、小学生かよ。

 

(って、ん? 久し振り……?)

 

 確かフウカは、この世界に来てから杖しか握った事がなかったハズだ。それなのに久しぶり、というのは……。

 

「なぁ、フウ——」

「それでは行きましょうか。女王陛下様方がお待ちです」

 

 俺がフウカにその真意を問おうとしたその瞬間、騎士の言葉と被ってしまい、反射的に俺は口を閉じた。

 

「んー? エイジ、なんか言った~?」

 

 しかし、自身の名前が呼ばれたことは聞こえていたらしく、フウカは俺の方を向くと小首を傾げてた。そんな彼女に、歩みを進めながら何でもないと横に首を振った。

 そんな細なことは後回しでもいい。今は、この後の勝負に集中しなければ。

 

「ねぇ、エイジ」

 

 俺は、一度大きく深呼吸をした。

 これからやるのは対人戦であり、知識をあまり持たないモンスターとは違う。気力の消耗も激しければ、読み合いだって多い。

 

「エーイジ?」

 

 そう考えると、やはりどうしても緊張してしまう。向こうのジョブは知っているのだから、後は攻撃の予備動作をいかに素早く察知し、自分の知識と照らし合わせられるかが、勝負のカギだ。だから、今は少しでも脳を休めて────

 

「……えいっ!」

「うひゃぁ!?」

 

 唐突に弱点の脇腹を突かれて、俺は変な声を上げてしまった。前を歩く若騎士もメルナも驚いた顔をしてこちらを振り返って、何事かと辺りを見わたして警戒態勢を敷いていた。あ、いや、大丈夫です。敵襲ではないですよ。

 

「おいっ! フウカなにすんだよ!」

 

 俺にあんな声を上げさせた張本人のフウカに少し怒り気味にそう言った。まったく、人が集中しているというときに……! 

 

「エイジが無視するから悪いんですぅ!」

「え、お前いつ俺のこと呼んでた?」

「さっきからずっと呼んでましたー!」

「え、マジ? ゴメン」

 

 しかし、どうやら彼女にそう言いう行動をさせてしまった原因は俺らしい。メルナも何か納得したのか、呆れ顔で「いつものことですので」と騎士の警戒を解かせて、先を行くよう促していた。

 

 俺達もそれに続きながら、会話を続けた。

 

「それで、何か用か?」

「うん、まぁ。いつもの事ながらエイジ、考え過ぎてるような雰囲気出してたからさ。リラックスさせてあげようと思って」

「……いつもの事って、もしかしてGTOの時も、俺ってこんな感じだった?」

「そうだよ。決闘申し込まれたり、PK集団に襲われたりした時もそんな感じだった」

「マジか……」

 

 対人戦になると、どうもそんな癖が俺にはあるらしい。今まで気づかなかったぞ……。

 

「でも、今のエイジは、特にあの時の雰囲気に似てた」

「あの時って?」

 

 彼女の言うあの時が分からず、俺は聞き返した。

 

「ほら、前入ってた《ユグドラシル》ってギルド。あれを抜ける時にやった、《ダンテ》との決闘のこと」

「……あぁ、あれか」

 

《ユグドラシル》とは、俺がGTOで唯一加入したギルドであり、フウカと初めて出会った場所だった。

 あの時俺は、ギルドマスターによって追放されてしまったのだが、フウカは貴重な女性プレイヤーであったことから、追放されずに軽い監禁状態となってしまったのだ。

 なので俺は、あいつらからフウカを取り返すために、その件のマスターで、当時のサーバー第三位プレイヤーの《ダンテ》に決闘を申し込んだんだった。今となってはずいぶん昔のことで、懐かしい限りだ。

 

「あの時は通話だったけど……。人が変わっちゃったみたいで、少し怖いかな」

「でも、あれはお前のために本気で──」

「それは分かってる」

 

 彼女が、俺の言葉を遮った。その声音はどこか諭すようで、それでいて優しかった。

 

「エイジはさ、ダンテの時もそうだったけど、格上と闘う時って結構無茶するよね。今回も不明瞭な勝算しかないって言ってたし。無茶するの確定じゃん?」

「聞いてたのかよ……」

 

 どうやらこいつは、馬車の時と言い盗み聞く癖があるらしい。

 彼女は舌を出して「ごめんね」と可愛らしく謝ると、直ぐに真剣な顔に戻してから言った。

 

「でも、エイジなら大丈夫。あの時も、エイジはトッププレイヤーに勝ってるんだから」

「それは、ゲームだったからこそで──」

 

 俺が言い切る前に、彼女は地面を指差した。

 

「そのゲーム、今ここ、この世界だよ? それに、今のエイジの能力は殆ど《エイジ》譲りなんだから。トッププレイヤーのエイジなんだから」

 

 フウカは、確信を込めた瞳で俺を見詰める。希望ではなく、決定づけられた未来を見るような、まっすぐな眼差しだ。言葉には出していないものの、彼女のその瞳は「きっと勝てるよ」と、そう言っているような気がした。

 

 俺は静かに息を吐いた。先程深呼吸した時より明らかに心が軽く、穏やかだった。俺の中の不安が、払拭されたのだ。

 彼女はそんな俺の様子を見てニッコリと微笑むと、俺の手をそっと撫でた。

 

「頑張ってきて」

「……おう」

 

 こいつの応援が、俺にとってはどんなバフよりも心強かった。

 



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デュエル

「それでは、今からアルド対エイジ様のデュエルを行います」

 

 声は風魔法で拡張されているのか、野球などで場内スピーチをする時と同じくらいの声量で、ホワイトがそう音頭を取った。それと同時に、試合場となっている野外修練場に沢山の歓声が巻き起こる。

 

「えー、今回の審判は私、ホワイト様専属ドワーフ、《グランピー》が執り行います」

 

 試合場の中央にいる小柄な男性が、不機嫌そうにそう言うと、さらに歓声が巻き起こった。それも苛立たしいのか、靴のつま先を地面につけては離しを繰り返していた。

 

「なんでこんなに人が多いんだよ……」

 

 そして俺は、人の多さに舌を巻いていた。ヤベーよ。心臓バクバクだよ。

 

「ごめんね、エイジくん。騎士達の訓練を中断してまでやってるから、野次が多くなっちゃったんだ」

 

 どうやらアルドは、こうなる事が予想済みだったらしく、相手である俺の所まで来ると、後ろ頭を掻きながら小さく頭を下げた。

 

「ぜ、全然! 大丈夫です」

 

 それに対して、俺は手を前にぶんぶん振って大丈夫アピールをすると、彼は「そっかそっか」と笑った。

 

「緊張してると握る手に力が籠っちゃうからね。出来れば、エイジくんには全力で戦って欲しいんだ」

「俺にはって事は、アルドさんは全力を出さないって事ですか?」

「まぁ、そういう事になるね」

 

 彼はそう言うと、剣の鞘を手でポンっと叩いた。彼の言葉に正直なところ若干イラっとしたが、少しばかり勝率が上がったことを考えると、俺はただ愛想笑いをするしかなかった。

 

「って、ん?」

 

 彼の言葉に、少しだけ違和感を感じて笑いを引っ込めた。その違和感は、直ぐに俺の中へと浸透すると、言葉となって口をついた。

 

「アルドさんって、俺の事様付けしないんですね」

 

 俺の記憶違いで無ければ、この世界に来てから普通にくん呼びされたのは、初めてかもしれない。

 彼は俺の言葉に一瞬キョトンとした顔をすると、次いで慌てながら言った。

 

「様を付けて呼んで欲しくなさそうな顔してたから、つい。ダメだったかな?」

「いやいや、全然。むしろそっちの方がありがたいです」

「そっか。それじゃあ、これからもそう呼ばせてもらうね」

 

 彼は笑顔で相槌を打つと、俺へと近づいてきて、手を伸ばした。……どうやら握手をしたいらしい。

 無言の笑顔で差し出した手を微動だにさせない彼に対して、俺はおずおずといった感じに手を握った。

 

「よ、よろしくお願いします」

「うん、よろしく」

 

 彼は柔らかな物腰で笑顔を更に輝かせた。さっき、女王の前にいた時は得体の知れない何かを感じていたけれど、こうして改めて話してみると意外と好青年なのかもしれない。

 

「さぁ、両者握手を交わしたところで、さっさ……そろそろ試合を始めてもらいましょうか」

 

 俺達が手を離したと同時に、ドワーフが低い声でそう言った。無理やりやらされてます感を隠すつもりはないのか、彼の溜息までもが場内に響き渡る。

 

「あはは。グランピーも怒ってるし、そろそろ開始位置に戻ろうか」

 

 彼は笑いながらそう言うと、俺から身体を背けた。

 試合前だというのに、彼からはかなりの余裕が見られる。いや、まぁ、正直レベルの差が歴然過ぎて勝負にならないと思っているんだろうけど。

 

 ……そう思ったその時だった。

 

 

「──っ!」

 

 

 俺の思考を読み取ったのだろうか、はたまた偶然だろうか。目の前を歩くアルドから物凄い濃度の殺気が放たれた。その殺気は、空気中を伝わり、俺の肌をビリビリと焦がし続けている。正直、これだけでもダメージが入ってそうな気がする。

 濃縮された殺気の中、俺はもう一度彼の背中を見た。

 

「次にこの距離に来た時には、君は俺の敵だ」

 

 彼の背中は、そう言っているような気がした。──俺はそして気づいた。彼は決して手を抜こうなんて考えている訳じゃない。むしろ逆だ。どの勝負にも全力を尽くすつもりだ。

 

 よく考えてみれば、騎士団長という肩書のある人が、そんな浅はかな考えをするわけがなかった。つまり、この勝負を楽観的に考えて、舐めて掛かっていたのは俺の方だったのだ。

 

「こんな生半可な覚悟じゃ、絶対に勝てない相手だよな……」

 

 俺は、一度気持ちをリセットしようと、自分の頬をペシッと叩いた。叩いた部分が熱を帯びる。その熱が、俺の闘志を改めて燃やしてくれた。

 

 次いで俺もアルドから背を向けて、開始位置へと移動を開始した。

 

 その道の途中、俺は考えた。

 フウカを取り戻そうとしたあの時、なぜ俺はあそこまで躍起になったのか。

 

 答えはすぐに浮かんだ。

 

 ──誰かの為だったから。他人の為だったからこそ本気で取り組んだし、実力差があっても、何とか勝ちをもぎ取ることができた。

 

 しかし今回はどうだろう。明らかにこちらに利益がないじゃないか。だから俺はこの勝負に不満を感じるという余裕を抱いてしまっていた。いきなり女王に使徒かどうか確かめたいと言われて、戦力さのありすぎるミスマッチをさせられ。別に自分で使徒と思っていないから、とんだとばっちりだと、そう思っていた。

 

 俺は顔を上げて客席を眺めた。審判の後ろ一番手前の大きな席にホワイトがいた。その隣に、フウカとメルナもいる。

 

「凄い! 本物のドワーフだ! あの髭触りたーい!」

「ちょっと、フウカ様! 落ちちゃう! 落ちちゃいますからじっとしててください!」

 

 ……なんか、メルナも大変そうだな。

 そう思ったと同時に、フウカの腰を抑えるメルナと目が合った。彼女は、必死にフウカを抱き留めながらも、俺に向かって「がんばってください」と口パクで応援してくれた。

 

 ──でも違った。形が違うだけで、今回も誰かのための試合なのだ。

 

 その誰かとは──。この世界で出会って、仲良くなった皆だ。

 

 もし俺がこの勝負に負けたら、俺だけじゃなく、メルナやセレナ、教会の皆、何よりフウカに迷惑が掛かってしまう。

 

「……それだけは嫌だ」

 

 俺は最後に心の中で改めて決意を固め、メルナに苦笑いで応えた後に、開始位置の最後の一歩を踏み切った。

 

 

 

 アルドと対面する。どうやら彼は先に開始位置に立っていたらしく、既に腰にある剣の柄に手を添えて抜刀の準備をしていた。……もし、これが実戦だったら俺はこの時点で負けていた事だろう。

 

 

「両者、所定位置に到着しましたね」

 

 

 ホワイトの声がした。その瞬間、会場の雑音がシンッ……と鳴り止んだ。

 不思議と、耳鳴りはしなかった。意識が目の前の”敵”に集中していたからだろう。

 

 腰の剣の柄に手を掛ける。今日は左手にバックラーは無い。やろうとしていることの邪魔になるから。

 

「それでは────」

 

 ホワイトのその声に、俺は少しだけ重心を前方へと移し、体を少しだけ捻った。対するアルドは、特に動きを見せた気配はない。

 

 額に滲んだ汗が頬を伝う。先程自分で叩いた頬が、今になってジンジンと疼き出す。

 ドクンッドクンッと心臓の音が耳元で聞こえた。血が、思考が、全てが風の如く流れていくのが分かる。この間は、読み合いだ。

 

 ジリッと、足が砂を擦った。

 

 その直後────。

 

 

 

 

 

 

「はじめっ!」

「ハァァッ!!」

 

 ホワイトの開始の合図とともにアルドが抜刀し、長剣中級スキル【ソニックストライク】を放った。スキル補助で加速し、一気に相手との距離を詰めることができるこの技は、GTOのデュエルでも開始直後の奇襲としてよく使われていた。

 

「フッ!」

 

 俺は前項姿勢から体を起き上がらせると同時に【避脚】を発動させ、アルドが俺の胸を貫くその直前で、少し加減をしてジャンプをした。つい先ほどまで俺のいたところに、アルドの剣が風を切って通過した。

 

「ハァッ!」

 

 そのタイミングで、俺は抜刀しながら初級長剣スキル【セグメントスラッシュ】を空中で使用した。

 

 本来この技は、半月を描くように後ろから前へと切り返す技なのだが──

 

「ッ!!」

 

 戦闘の勘だろうか、彼もどんな斬撃か分かったのだろう。即座に【ソニックストライク】を中断し、クルリと俺の方に向き直ると、剣を両手で抑えて俺の真下(……)で弧を描く剣を受け止めた。

 

 しかし、流石のアルドもそんな不安定な状態から、俺の全身の力を使った剣戟を受け切れなかったらしい。彼は、驚愕に目を見開いたまま、砂埃を上げて俺の後方数メートルに渡って吹き飛んで行った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「今、何が起こったの……?」

 

 野次馬の歓声が巻き起こる中、私は驚愕で口元を抑えた。

 デュエルの立ち上がり、初撃の奇襲に成功したのは明らかにアルドの方だった。しかも長剣スキルの中でも群を抜いて速い、中級スキル【ソニックストライク】を使用して、だ。

 それなのに、結果はどうだろう。攻撃を仕掛けたはずのアルドが地面に転がっていて、エイジ様は全くの無傷だ。

 

 ──いや、それよりも。

 

「エイジ様が今使用したあのスキル。あれは一体……?」

 

 聖女らしくなるべく、様々なスキルを見てきた私でも、あんなスキルは初めて見た。

 

「あー、あれね。エイジの十八番だよ」

 

 その声で隣を見ると、フウカ様が手のひらに顎を乗せて、ウンウンと頷いていた。

 

「十八番……? ですが、モンスター狩りの時一度も使用したことのないスキルですよね?」

 

 十八番であるならば、使用頻度は高いはずですが……。

 

「うん、モンスター狩りでは使えないからね。初級スキルだから」

「え、初級スキルなんですか、あれ!?」

 

 私は前のめり気味にそう問いかけた。対してフウカ様は、特段驚く様子もなく普通の事の様に続けた。

 

「あれ、初級スキル【セグメントスラッシュ】だよ?」

「……へ? あ、あの。せぐめんとふらっしゅ……って、あの【セグメントスラッシュ】ですか? 誰でもできそうな、後ろから前に切り下すやつ?」

「そうそう。なんだ、メルナ知ってるじゃん」

 

 フウカ様は「それでね」と続けた。

 

「あれってね、実は何か物体に当たるまで発動したままになっちゃうスキルなんだよね。つまり、物体のない空中で打つと──」

「……対象物に当たるまで、回転し続ける」

「正解! 流石メルナ。呑み込みが早いね」

 

 フウカ様の賞賛に、私は驚きと感嘆で溜息を吐いてしまった。まさか初級スキルに、そんな使い方があるなんて……。これは勉強し直さなけれないけないかもしれませんね。

 そこまで考えてから、ふと思った。

 

「……あれ、でも、それって」

 

 と、いうことはだ。彼は、あの一瞬の間に相手の初撃を読み切って、それに対するカウンターを、それが相手が初見のものであると予測して放ったのだ。相手の裏を突かなければ、レベル差で押し切られてしまうという、この状況で。

 その優れた戦闘センスと、勝負勘の強さ。これが、普段のエイジ様からは測る事の出来ない、彼の実力。

 

「エイジ様……凄い」

 

 知らずのうちに、私の口から言葉が飛び出していた。

 

「でしょ? エイジは凄いんだから」

 

 フウカ様が私の顔を覗き込んで、まるで自分の事の様にそう言った。

 それに対して私は笑顔で頷いてから、エイジ様を見た。

 試合場に立つ彼の顔には、いつものような幼さは無く。一人の戦士としての凛々しい顔がそこにあった。

 



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攻防

 俺は、着地と同時にすぐさま後ろを向いて木刀を構えた。レベル70の騎士だ。流石にこれだけでノックアウトになるわけがない。

 歓声とざわめきが入り混じる中、俺は全神経を砂煙の上がる範囲全体に注いだ。

 

「──我が前に顕現せよ!」

「──っ!」

「【ウインドアロー】!」

 

 砂煙の中からアルドの声がしたと同時に、俺は真横へと飛び込んで回避行動をとった。直後、竜巻を宿した緑色の矢が俺の真横を通り過ぎていき、後ろの地面に巨大な穴を穿った。

 

「……なんつー威力だよ」

 

【ウインドアロー】はどのジョブでも使える初級の風魔法。だがしかし、この威力は明らかに騎士の放つ魔法の威力ではなかった。

 

 俺は額に滲んだ嫌な汗を拭った後、その穴から視線を戻した。

 先程まで上がっていた土煙は、風魔法によって吹き飛ばされ、跡形もなく消え去っていた。それらがあったと思われる場所では、アルドが顎に手を当てて考え込むような仕草を取っていた。彼の傍らには、木刀が落ちている。

 

「……エイジ君。正直君を少しばかり舐めてたよ」

 

 彼は良く通る声でそう言った。次いで地面に落ちていた木刀の柄を踏みつけて剣を宙に浮かせると、柄が自分側に来たタイミングでそれを掴んで、シュッ! っと風切音を鳴らしつつ切り下げた。

 

「さっきの技は一体何なんだい?」

 

 彼の問いに、俺は剣を中段に構え直しつつ答えた。

 

「ただの初級スキル【セグメントスラッシュ】ですよ」

「なるほど、セグメントか。あれは狙ってやったのかい?」

「いや、まぁ……」

 

 俺は曖昧な返事をした。

 ゲームだったら自信をもって「ハイ」と言えたのだが……。正直なところ、今回は生身だったので、奇襲は避ける事だけに専念しようと考えていた。しかし、どうやらキャラアバターの方の《エイジ》にこの一連の動作が染み付いていたらしく、ジャンプしたその瞬間には、既に体が勝手に動いてスキルを発動させてしまっていた。

 だから、あれがアルド相手に決まったのは、奇跡に近いのだ。

 

 俺の返事に、彼は一瞬鋭く目を細めると、下げていた木刀を持ち上げて顔の横で構えた。……いわゆる霞の構えだ。

 

「脱線して悪かったね。さぁ、勝負の続きと行こうか」

 

 彼はそう言うと同時に地面を蹴り上げた。

 

 俺と彼の距離はおよそ7メートル。彼の動き出しに対して、俺は一歩も動かなかった。俺は、彼が繰り出す技を直前までに見切れば良いから。

 

 ──そう、思っていた。

 

「本当に、動かなくて大丈夫かい?」

 

 アルドの声が、耳元で聞こえた。

 

「っ!?」

 

 彼は七メートルという距離を一瞬にして詰め寄ってきたのだ。そして気づいたときには、俺の一寸先まで切っ先が迫っていた。

 俺は、ギリギリ顔だけを動かして、その突きを何とか躱してから、鍔迫り合いへと持ち込んだ。頬から、微かに血が流れる。

 ……もし、彼が話さず無言で剣を突き出していたら、俺は避けられなかっただろう。

 

「エイジ君、油断は大敵、だよ」

 

 彼は試合前と何ら変わらない笑顔でそう言った。

 

「油断なんかよりよっぽど大きい敵が目の前にいる時点で、油断なんて小さいもんだ」

「それは意味合いが違うと思うけ……どっ!」

 

 カンッ! と鈍い音が響き渡り、反動で俺とアルドの間に少しの距離が出来た。その距離を今度は俺が一気に詰めると、右斜め上から切りつけた。

 

 それに対してアルドの木刀が俺の木刀をいなした。一瞬、木が焦げたような臭いが俺の鼻腔をくすぐる。

 

 彼は、いなした勢いで手首を返すと、俺の脳天をカチ割らんがごとき勢いで振り下ろす。俺はそれをバックステップで避けた。

 

 彼の剣先が、まるで追尾機能でも付いているかのように俺の喉元を捉える。風を切って低い音を立てるその刃を、俺は木刀の腹を使って払い除けると、そのまま木刀を下段に構えて初級スキル【エッジアップ】を発動させた。

 

「ハァァッ!」

「フンッ!」

 

 対して、アルドは直ぐに弾かれた木刀を上段に構えると、初級スキル【兜割り】を発動させた。

 

 それぞれ白い光を放つ木刀が、ゴガッ! と鈍い音を立てて衝突する。その瞬間、腕に強烈な衝撃が走り、ガクンっと膝を着いてしまった。こうなってしまっては、体勢的に有利なのはアルドだ。

 

「最初の勢いはどうした、エイジ君!」

 

 頭上で、アルドの声がした。こっちは必死こいて実力差を埋めようとしているのに、この人はまだまだ余裕そうだ。

 

 

 

 

 

 だから俺は、その余裕を逆手に取り、あの作戦を決行することにした。

 

 アルドの木刀に対抗する力を強めた。俺の視界の端に見える三頭筋が膨れ上がり、少しだけだが彼の木刀が上へと押し戻される。その手応えを感じたらしく、アルドの目が驚きと歓喜で見開かれた。

 

「お? まだまだ抵抗できそう──おわっ!?」

 

 ──彼が言葉を発したその瞬間。アルドの身体が途端に前のめりになった。彼は何が起こったか分からない、という風に目を瞬かせていた。

 

 その隙をついて、俺はバックステップで距離を取った。

 ……なぜ彼が前のめりになったのか。答えは簡単だ。俺がスキルを強制的にキャンセルして、同時に手首を返して彼の木刀から自分の木刀を外したからだ。

 

 下からの抵抗力が途端に無くなったアルドの木刀は、重力に従って地面へと叩きつけられた。

 

「【ウインドカッター】!」

 

 そのタイミングで、俺は彼に左手を掲げて魔法名を叫んだ。彼の顔に動揺が走ったが、流石の騎士団長。直ぐさま木刀を持ち直すと、無数に迫りくる風の刃の対処を始めた。……すげぇ、魔法を木刀で叩き潰してる。

 

 俺はその光景に一種の感動を覚えつつ、アルドから見えないように、木刀にエンチャントスキル【硬度強化】を施した。

 俺のレベルだと、せいぜい鉄程度の硬さにしかならないだろうが、それでも十分だろう。……これで、鉄の硬さの木刀対木製の木刀という異質な構図が完成するわけだ。いや、まぁ、正直これに関しては反則のような気もするけれど、レベル差を考えると許して欲しい。

 

 エンチャントが終了し、木刀がわずかに白く光り出したのと同時に、左手から出ていた【ウインドカッター】の最後の一切れが飛んで行った。アルドはそれもなんなく切り捨てると、肩に木刀を担いでニヤリと不敵に笑う。

 

「凄いなぁ、エイジくん。無詠唱も出来るのか」

「まぁ、ある程度の魔法でならできますね」

 

 本当は全部の魔法で出来るけど、これは秘密にしておいた方が良いだろう。

 

「でもまだ、威力はそんなに高くないね。もう少し魔力を鍛える必要がありそうかな?」

「……それに関しては否定できませんね」

 

 ウ、【ウインドカッター】はエンチャント終了までの時間稼ぎだったから、本気じゃなかったし! 

 

「そういうアルドさんは無詠唱ってできるんですか?」

 

 俺が負け惜しみを脳内展開しつつそう言うと、アルドはウッと顔を顰めてから顔を背けた。

 

「出来たら詠唱なんてしてないよ……。コツを教わろうにも、メルナ様が『秘密です♪』って言ってご教示くださらないんだもん……」

 

 アルドは寂しそうにそう言うと、溜息を吐いた。メルナ……国の強化に繋がるんだからそこは教えてやれよ……。

 

 俺とアルドの間に少しだけしんみりとした空気が流れた。

 

「あのー……。早くしてくれませんかね?」

 

 ついでに、グランピーの面倒臭そうな場内アナウンスも流れた。俺とアルドはそのシュールさに同時に噴出した。

 

「さて、グランピーも怒ってることだし。無駄な話はここまでにして、そろそろ決着つけようか」

「そうですね」

 

 彼は半ば笑いながらそう言った後に、フッと息を吐くと一瞬で真剣な顔付きになった。

 慣れた動作で半身になり、両手で持っていた木刀を片手で持つ。対する俺は、両手で柄をしっかり握り、決して相手からブレないように中段で構えた。

 

 穏やかな風が吹きすさみ、砂を巻き上がらせる。

 

 ……次の衝突で、勝負が決まる。恐らく会場にいる人々は全員が、そう思っていただろう。

 

 俺は、そんな期待と不安が渦巻く中、絶えず思考を巡らせていた。

 

 アルドには、相手との距離を一瞬にして詰められる脚力がある。それは先ほど確認済みだ。

 

 それにまだ、中級スキルより上のスキルを出していない。相手の構えから、次のスキルを予測しろ。

 

 相手の重心、呼吸、視線。全てを見ろ。一つでも見落とせば、待っているのは敗北だ。

 

 俺は全神経を目の前のアルドへと注いだ。彼は、左足を前にしたまま微動だにしない。視線も俺を見据えたままだ。

 

 正直に言うと、その無言の圧は、かなりキツかった。ただでさえ身体に疲労が溜まってきており、少しでも気を抜けば、俺の型が崩れてしまうと言うのに。

 

 先程掠った頬が、ジンジンと痛みを主張し出す。

 視界の端に、赤い玉が見える。恐らく血が傷口の窪みに溜まっているのだろう。

 

 その塊が、不意に視界から消えた。俺の中の感覚だけが、その行方を追っていた。

 赤い玉はスーッと俺の頬に弧を描くと、重力の赴くままに俺の顎へと移動し、地面に落ちた。

 

 

 

 

 

 その刹那————

 

 

 

 

 

 アルドが動いた。それと同時に俺は目を光らせた。

 

 重心がやや前に傾いている。恐らく先程の詰め方と同じものだろう。

 太刀筋は——恐らく斬り下ろしだ。スキルではない。

 視線はやや右より。恐らく肩か腕を狙って木刀を落とさせるつもりだろう。

 

 そこまで読み取った時には、もうアルドは俺の間合いに入り込んでいた。しかし、先程とは違い今度はちゃんと見えている。後は、俺の作戦通り——

 

 アルドが、木刀を振り下ろした。やはり狙いは俺の左側だった。

 

 俺は身体を右に捻って紙一重で回避した後に、その反動を使って横薙ぎに木刀を振るった。狙いは、脇腹だ。

 

 しかし。アルドは避けられることも想定済みだったのか、表情ひとつ変えずに、流れるように体勢を立て直すと、木刀を立て、脇腹の守りを固めた。

 これでは防がれた後にカウンターをされるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——だが、これでいい。この動作をさせることこそが、俺の狙いだから。

 

 

「ウオォォ!!!!」

 

 俺は腰の捻りも入れて、全身の力を余さず木刀に乗せた。

 

 剣同士が触れた。その瞬間、明らかに木同士がぶつかった音ではない音が俺の耳に届いた。

 硬度強化された俺の木刀が、アルドの持つ木刀を粉砕した音だ。

 

 

 

 彼の目が見開かれる。その瞳に歓喜の色はなく、純度の驚愕が揺れ動いていた。

 

 数瞬後、ドゴッ! と鈍く重い音を立てて、俺の木刀がアルドの脇腹にヒットした。

 

「ガハッ……!」

 

 アルドの顔から、初めて余裕が消えた。

 顔は苦痛に歪んでおり、パクパクと口が動いていた。なにか言おうとしているのだろうか、空気ばかりが出るだけで、言葉にはなっていない。

 

 

 

 風が止み、砂埃が消え去った。

 

 

 

 

 ——俺の視界の中に、騎士団長アルドの姿は無かった。

 



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決着

 足元に転がるアルドの姿を見た。練習着である布服は俺の木刀が当たった部分だけが綺麗に破け、露出した肌は赤黒く染まっていた。音的にも、恐らく何本か骨がイっていることだろう。

 

「すみません、アルドさん。ちょっとだけズルをさせてもらいました」

 

 俺の言葉に、彼の反応は無い。なんか勝負とはいえ、少しばかり申し訳なく思った。

 

「レベルの差がある貴方に勝つ方法が、今の俺にはこれしかなかったんです」

 

 メルナに話そうとした作戦。それは無詠唱魔法で足止めしつつ、隙を見てエンチャントをすることだった。

 なぜこんな単純なことを作戦にしたか。その答えは簡単だ。

 

 この世界でエンチャントを使えるのは、有名な鍛冶師だけであることが常識だったから。俺がエンチャントを使えるなんて、きっとこの騎士も考え付くはずがないと思ったからだ。現に、彼は俺が木刀に掛けたエンチャントに気づいていなかった。

 もし彼が、俺が武器にエンチャントを施すことができることを可能性に入れていたら、出来なかった作戦。だから不明瞭な勝算だったのだ。

 

 俺は、微量の達成感を噛みしめながらもう一度、地面に臥したままのアルドを見た。気を失っているのかは定かではないが、一向に立ち上がる気配がない。

 

(やっぱり、エンチャントはやりすぎだったか……?)

 

 俺は少しばかり後悔した。骨を持っていく程の威力で殴るのは、やはりするべきではなかったか。

 

「……いや」

 

 その刹那、俺は何かが引っかかって眉をひそめた。

 

 いくら防具がないとはいえ、歴戦の騎士団長がこんな一撃で動けなくなる事があるだろうか。もしあるとするならば、この国の防衛力が心配になるレベルだ。

 だが、そんなことはない。俺の知る限り、この国はかなりの防衛力を持っているのだ。

 では、彼は今——

 

「──収縮し、矛と成れ。【ウインドストライク】!」

「ッ!?」

 

 ——マズい。そう思った時には、俺の体は宙を舞っていた。モロに魔法を受けた衝撃は凄まじく、身体の隅々まで痛みが広がっていく。ギシギシと骨の軋む音が体内で反響し、肺が一気に押し潰されて、息が出来なくなった。

 

「ガハッ!!」

 

 次いで、背中に強い衝撃が走った。恐らく地面に落ちたのだろう。その痛みに、俺は危うく意識を手放しそうになったが、寸でのところで堪えた。

 

「油断大敵だって言っただろ?」

 

 痛みで呻く俺に向かって、少し離れたところでアルドが低い声でそう言った。何とか視線を声のした方に動かすと、彼が少しだけよろつきながらこちらに向かってくるのが見えた。手には折れた木刀が握られている。

 

「君が油断してくれていて、助かったよ。そうでなければ、多分負けてたのは俺の方だったね」

 

 彼が俺を見下ろす形で足を止めた。目では見えているのに、身体が動かない。動かそうにも、その部分に激痛が走るだけ。今ステータス画面を開けば、恐らく今までに見たことないくらいの量のHPを失っていることだろう。

 

「……ク……ソッ」

 

 掠れる声で、俺は言った。

 これは完全に俺の落ち度だ。試合が優勢に進んでいたからこそ忘れていた、彼と俺の戦闘経験の差。そしてそれを甘く見ていた俺の驕り。

 

「でもまぁ、君が付与魔法までも使えるのは流石に予想外だった。あれは効いたよ」

 

 付与魔法──。

 そう聞いて、俺は思った。

 どうして、アルドは急に魔法を撃てたのだろうか。彼が詠唱文句を口にしている気配なんてなかったし、そもそも声なんて出ていなかった。まさか、彼も本当は無詠唱を使えるのでは──

 

 そう頭を過った時、アルドが口を開いた。

 

「なんで急に魔法が撃てたか? って顔をしてるね」

 

 彼は俺の前で片膝を立てて座ると、「簡単なことだよ」と言った。

 

「その歳で無詠唱ができるということは、詠唱文句にあまり詳しくないと思ってね。君が知らないであろう【無音詠唱】を使わせてもらったよ」

 

 無音……詠唱……? 

 

「声を発さなくても詠唱ができる技術の事だよ。口は動かす必要があるけどね」

 

 そう言われて思い出した。アルドが倒れる前。確かに彼は何事か発しようと口を動かしていた。あれが、無音詠唱だったのか。

 

「いやーでも、久しぶりに使ったから、最後は声が出ちゃったなぁ……。俺もまだまだだな」

 

 彼はそう言うと高らかに笑った後に、俺に向かって折れた切っ先を向けた。試合に決着をつけるのだろう。勝ち負けは歴然だ。

 ごめんな、フウカ。メルナ。教会の皆……。

 俺は、目を瞑った。

 

「……俺の負け──」

「でも、正直予想以上の強さだったよ。エイジくん。——君の勝ちだ」

「……えっ?」

 

 アルドの言葉に驚いて再び目を開けると、そこには剣先は無く、眩しい太陽とアルドの笑顔があった。それを視認したと同時に、ホワイトの声が俺の耳に届いた。

 

「そこまでっ!!」

 

 デュエルの終了を告げる言葉だ。

 その瞬間、地面が揺れるほどの歓声が巻き起こった。中には口笛を吹いている奴もいる。

 

「おい、すげーぞアイツ! 誰だよ!?」

「この世界に召喚された使徒らしいぞ!」

「本当か!? あんな若そうなやつが?」

「使徒ってマジで強いんだな!」

 

 観客としていた騎士団の団員たちが、俺への賞賛を口にしているのが聞こえる。そんな中、俺は困惑していた。

 えっ、だってこの状況、明らかに負けてるの俺ですよね? 

 

「エイジ!」

「エイジ様!」

 

 俺が目を白黒させていると、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。顔だけをそちらに向けると、焦った顔のフウカと、いつも自分のペースを崩さないメルナが、血相を変えてこちらへと向かってくるのが見えた。

 

「エイジ様! 大丈夫ですか!?」

「エイジ! 死なないでー!!」

 

 ゆ、揺らすな。痛い痛い……。それにこれくらいだったらHPは残ってるし死なねーよ……。

 

「あ、あぁ……身体中痛てぇ、けど……なん、とか」

「今、回復魔法掛けますから……!」

 

 スカートの裾を正そうともせず地面に座ってそう言うと、途端に彼女の身体の表面が緑色に光り出した。以前、この光景をセレナで見たことがあったが、あの時のヒールとは比べ物にならないほどの魔力量だ。

 

「【エクス・ヒール】」

 

 彼女が無詠唱でスキルを発動させた。あぁ、懐かしい。《The Lost Tale》戦の後にフウカに掛けてもらった魔法だ。あの時は《エイジ》が受けた魔法だったが、それを今、俺が受けている。なんか感動。

 

 そんな余韻に浸っていると、彼女の纏う緑色の光が段々と薄れていった。それと並行して、俺の全身を蝕んでいた痛みも消え去った。

 

「……ふぅ。エイジ様、どこか痛むところはございませんか?」

「あぁ。もう大丈夫。ありがとな、メルナ」

「い、いえ……。私は聖女として当然のことをしたまでですわ」

 

 お礼を言うと、メルナは顔を少し赤らめてそう言った。分かりやすい照れ隠しだな、おい。

 

「お、おい……。あの聖女様がまるで一人の乙女のようだぞ……」

「くそ、あの野郎。メルナ様に回復させてもらえるなんて羨ましい……」

「今俺も怪我すれば治してもらえるかな……」

 

 ……どうやらメルナの聖女としての人気は本物らしい。普段の小悪魔な彼女を知っている俺からしたら、この事実が今日一の驚きかもしれない。

 

「……」

「なんだよ」

 

 フウカに、コツンッと小さく肩を叩かれた。が、しかし。それだけで彼女は特に何も言おうとはしない。

 

「使徒エイジ様」

 

 そんな微妙な空気が流れる中、いつの間にか近くに来ていたホワイトが、俺の名前を呼んだ。

 

「なんでしょうか?」

 

 正直、少しばかり怖かった。アルドが勝ちを譲ってくれたとはいえ、このザマだ。もしかしたら、こんな試合じゃ俺達のことを使徒として認めてくれないかもしれない。

 そんな考えが、顔に出ていたのだろう。ホワイトは目を細めてクスッと笑うと言った。

 

「そんな顔をしないでください。それに私は別に、『勝ったら使徒として認める』なんて言っていませんよ?」

「えっ?」

 

 ホワイトの言葉に、俺は目を丸くした。だって、普通こういう状況ならデュエルで勝ったら認めるっていうのが通例じゃ……あれぇ? 

 

「メルナから、計算高い人だっていうのは聞いてましたので。勝利条件を有耶無耶にすることで、勝ったら認めると思い込ませるよう仕組んだのです」

 

「見事に騙されていましたね」と言いながら、ホワイトは扇子で顔を隠した。……かすかに肩が揺れている。こいつ、笑ってやがるな。

 彼女は、ひとしきり笑ったあとに扇子を畳むと、凛々しさの残る柔らかな表情で言った。

 

「……そのレベルで、アルドと渡り合えたことを誇りなさい。アルドがここまで手負いになるのは久しぶりに見たわ」

「そ、そうなんですか……?」

 

 俺が聞き返すと、隣のメルナが頷いた。

 

「えぇ。私も結構久しぶりに見たわ。だって彼、英雄《ヴェルド》の息子で、ヴェルドの一番弟子ですもの」

「……は?」

 

 今日何度目かの驚愕。英雄といったら、メルナと同等かそれ以上の力がある、この世界で最強の一角を担う存在だろ? それの一番弟子と戦ってたって……? 

 

 俺の驚愕に満足したのか、ホワイトは意味ありげに頷くと、背を向けて風魔法を使用しつつ声を上げた。

 

「皆も見た通り、アルド相手にエイジ様はここまで健闘なさいました」

 

 ホワイトがそう言うと、場内にいた騎士達から拍手が巻き起こる。

 

「エイジ様、お立ちください」

 

 そんな中、メルナがそう耳打ちしてきた。

 

「でも、王女の演説中に立つのはあまり良い事じゃないと……」

「大丈夫ですから」

 

 メルナが「GO!」と目で訴えてくるので、俺は溜息を吐いた後に仕方なく立った。

 その直後、ホワイトがクルリと回れ右をすると、俺の前に傅いた。

 

「エイジ様。私の目で、貴方様の勇姿、しかと見届けました。よって貴方様を使徒として認めさせていただきます」

 

 ホワイトがそう宣言すると、フウカ以外の全員──驚いたことに、やる気のなさそうなグランピーも──が片膝をついて俺に向けて頭を垂れた。その異様な光景に、俺は何も言えずにただただ立ち竦んでいた。

 

 俺のその反応も予想済みだったのか、ホワイトはスッと頭を上げると何事も無かったかのように立ち上がって言った。

 

「それでは、使徒エイジ様の試練はこれにて終了となります。お疲れ様でした」

「はぁ……どうも?」

 

 俺の返事にホワイトは真顔で頷くと、先程自分が座っていた席へ、お付とメルナと共に戻って行った。

 

 それと代わるように、今度はアルドがこちらへと駆け寄ってきた。傷の治療をしてもらっていたらしく、切れた布から覗く素肌に、傷跡は無い。

 

「エイジくん。お疲れ様」

「お、お疲れ様です……」

 

 先程まで戦っていた相手と話すのが、妙に恥ずかしく感じ、ついコミュ障を発揮しかけてしまった。相手があの英雄の息子であるなら尚更だ。

 

「いやー、エイジ君強かったよ。最初のストライクが、セグメントで完全に返されるなんて思ってなかったよ」

「あれは……まぁ、努力の結果、ですかね」

 

 うん。嘘は言ってない。努力の結果が体に染みついていた行動を引き起こしたのだから。

 俺の言葉に「おぉ~」と感心するアルドに、今度は俺から話を振った。

 

「そういえばアルドさんってレベル70前半なんですよね?」

「うん、そうだよ。今レベル73」

 

 ……メルナからの情報によると、この国の騎士達のレベルは平均で45前後らしい。それを考えると、確かにこの人は化け物だな、と思った。

 そんな化け物に、俺は気になっていたことを問いかけた。

 

「上級スキルって使わないんですか? 試合中、一回も使ってこなかったので」

 

 勝負の最中いつ来ても良いように対策していた上級スキルが、何一つ使用されなかったのが、俺には心残りだった。

 俺の質問に、彼は顎に手を当てて考える素振を見せながら答えた。

 

「上級スキル? ……《クリムゾン・サーベル》とか《ナイツ・ラウンド》だったら使えるけど、流石に試合じゃ使わないよ。試合前にも言ったけど、レベルの差がありすぎるし、流石にセコいと思うからね」

「……そうですか」

 

 つまり彼は、本当の意味で本気を出していた訳じゃなかったのだ。

 

「騎士団長に本気を出させたなんて思ってた俺が馬鹿みたいだわ……」

「いや、でもまぁ、本気と言えば本気だったよ。久々にあんなにダメージ受けたし」

 

 アルドはそう言うと、先程俺の攻撃を受けた脇腹をポンっと叩いた。確実に骨が折れていたはずなのに、それすらも治してしまう回復魔法ってえげつないな、と俺は呑気なことにそう思った。

 

「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。また女王陛下の守りに付かなきゃならないからね」

「あぁ、はい。ありがとうございました」

 

 俺がお礼を言うと、アルドは「こちらこそ。またやろうな」と言って笑った。……できれば俺のレベルが同等かそれ以上になってからでお願いしたいかな。

 

「いやー、エイジ惜しかったねぇ……お疲れ様」

「フウカ……」

 

 アルドの背中を見送った後に、今度は俺の背中に重みを感じた。後ろを見ると、先程から沈黙を貫いていたフウカが、腕を俺の腰へと回して抱きついてきていた。

 

「でも、凄くカッコよかったよ」

「……そりゃどうも」

 

 間近で言われると流石に小っ恥ずかしさを感じて、ポリポリと頬を搔いた。しかし、フウカは特に気にしていないのか、どちらかと言うと少し興奮気味に話し続けた。

 

「そういえば、【セグメント・スラッシュ】のあのP(プレイヤー)S(スキル)。まさかエイジ自身が使うとは思わなかったなぁ。ちょっと懐かしさ感じちゃったよ」

 

「メルナに解説もしちゃった!」と、嬉しそうに語るフウカ。やっぱりフウカは気付いたか。

 

「俺も。さっきメルナに治療してもらったんだけど、その時アイツ、【エクス・ヒール】使ってさ」

「あぁ、私が杖に釣られて掛けさせられたやつだ!」

 

 彼女も覚えていたらしく、「懐かしい!」と言いながらウンウンと頷いた。

 

 

 

 

 懐かしい。本当なら思い出に耽けるようで楽しい感じがするはずの感情なのだが、今俺の中では不思議な感情だった。

 

 ……そうか、この世界に来てからもう一ヶ月以上経っているのか。

 

 バイトをしながらプレイしていたあの日々。椅子に座りながら通話をして、夜まで語り合ったあの日々。

 その日々を、今ではもう昔のことと思ってしまっている自分がいて、その事に少しばかり戸惑いを覚えた。

 

 

 

 

 フウカも同じことを思っているのか、遠い目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ次はフウカ様の番ですね」

「ほぇ?」

 

 ——そんな感じに、ぼーっとしてるもんだから、ホワイトの拡張された声に、フウカは間の抜けた変な声で返事をしていた。

 それに対して笑う様子もなく、ホワイトは淡々と告げた。

 

「私は、エイジ様を使徒と認めましたが、フウカ様のことはまだ認めてませんので」

「えぇぇっ!? エイジと一緒に来てるんだから、私も使徒に決まってるじゃん!」

「いえ、フウカ様の方が二週間近く早く来てますので、本当に使徒様かどうか分かりませんわ。それに、是非ともフウカ様の実力も見ておきたいなって、私思います」

「メルナまで!? アンタ、悪ノリもいい加減にしなさいよ!?」

 

 場内中の視線が、一斉にフウカへと集まった。その迫力に、フウカは一瞬うっ……と身を縮こませると、身体をワナワナと震えさせながら言った。

 

「……あぁ! もう! やればいいんでしょ! やれば!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ちなみに、無詠唱で中級魔法を連発しまくるフウカに、流石の王宮魔法使でも対応しきれず、試合はフウカの圧勝だったのは言うまでもない。

 

 王宮魔法使がヘコむ横で俺に向かってVサインをするフウカ。それを見て、改めて無詠唱ってセコいな、と思いながら手を振り返した俺であった。



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依頼

 ——ヴィルドヘルム城。

 

 この国の女王 《ホワイト》から課せられた試練も無事にクリアし、俺達は後日、改めて王城へと足を運んでいた。

 

 以前話し掛けた門兵 《タスク》に挨拶を交わし、中へ入ると、俺達は直ぐに白の間へと案内された。

 

「朝早くのお集まり、ありがとうございます。本日は私用がございまして、この時間帯でしか招待できませんでしたの。申し訳ありません」

 

 入るや否や、ホワイトが俺達の元へと駆け寄ってくると、開口一番に謝罪を述べてきた。

 以前会った時よりも更にオシャレなドレスを着ており、その美貌と相まって危うく惚れかけるところだった。

 

 隣から送られてくるジトっとした視線を避けつつ、俺はホワイトに尋ねた。

 

「い、いえいえ、大丈夫ですよ。それで、今日の呼び出しの理由というのは?」

「話が長くなってしまいますし、機密事項でもありますので、先に応接室に案内しますね」

 

 彼女はそう言って俺達から見て左手にある扉を指差した。前は緊張し過ぎて気が付かなかったが、どうやら白の間にはいくつか部屋がある様だ。

 俺達は、ホワイトのドレスの裾を踏まないように気を付けつつ、彼女の後ろに着いて歩いた。

 

 

 

 

 白の間の応接室は、王城の中にあるにも関わらずソファと机、その他に雑貨が少々あるくらいで簡素なモノだった。

 ホワイトは先に俺達をソファに座らせ、その対面に自身も座った。

 

「さて、早速本題なのですが……。その前に一つだけ質問よろしいですか?」

 

 彼女は手に持った扇子を机の上に置きつつそう言うと、俺の隣にいる女性をチラリと見た。

 

「……大体内容は予想付いてるけど、どうぞ」

 

 俺がそう返すと、ホワイトは額に手を当てて呆れ顔で言葉を紡いだ。

 

「……フウカ様と、メルナは来てないんですか?」

「本当にすみません」

 

 彼女の質問に、俺は間髪入れずに全力で頭を下げた。

 そう。彼女の言う通り、今この場にフウカとメルナが来ていないのだ。……では今、俺の隣にいるのは誰なのかと言うと──。

 

「申し訳ありません、女王陛下。フウカ様もメルナ様も、昨晩何やら作業をしていたようで、寝るのが遅くなってしまったみたいなのです」

「……つまりは寝坊、ということね。報告ありがとう、セレナ。久しぶりね」

「い、いえ、生活管理が行き届いてなくて、申し訳ありません……」

 

 ──久々のセレナである。最近、修道士の仕事や、修道院の料理の先生として、教会内でその腕を存分に披露していたらしい。本当、色々な意味でお勤めご苦労様。

 

「セレナが謝る事ではありませんよ。生活管理は自分自身でするモノですので。それに、メルナが杜撰な生活を送っていることくらい、私も知ってますもの。セレナも併せて、二人とも長い付き合いですし」

「昔からだったからこそ、今現在治せていない事を恥じているんですよ……」

「セレナも、昔から変わらずマジメね」

 

 そう言って、ホワイトは頬に笑みを浮かべた。それにつられたのか、セレナも可愛らしく笑みを浮かべた。

 

「セレナと女王陛下って仲良いんだな」

 

 二人の会話を聞いて、俺は少しばかり驚いていた。基本、ホワイトの名前を聞くのはメルナの口からであり、セレナからホワイトのことについて話すことなんて全く無かったから。

 俺の言葉に、ホワイトが「はい」と頷いた。

 

「メルナとセレナの二人がこの都市に来てからというもの、ずっと仲良くさせてもらっていますよ。そうですね、平たく言えば幼馴染……と言った感じでしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、先日メルナから聞いた話を思い出した。

 そういえば、メルナとセレナは国王に呼ばれてここへと移住してきたんだった。そこから身の回りの世話を王家が担っていたとしたら、その過程で三人が仲良くなっていたとしても不思議ではない。

 

「久しぶりに会えましたし、ゆっくりお話をしたいのも山々なんですが……。生憎時間がないので、本題に入らせてもらいますね」

「すみません、話の腰を折るようなことを言ってしまって……」

 

 またしても謝るセレナに、「いいのよ」とホワイトが笑った。次いでその笑顔を引っ込めると、今度は俺の方へと顔を向けた。

 

「まずは一つ目。エイジ様とフウカ様には、《王家の証》を渡しておきたいと思っております」

「《王家の証》って、あのメルナが持ってるやつか?」

 

 以前ここに来た時に、メルナが衛兵に見せていた、微妙に管理が雑なアレ? 

 

「えぇ、そうです」

「でも、それっていいのか?」

 

 メルナから聞いた話だと、《The Lost Tale》を倒した証として受け取った、と言っていたはずだが……。こんなに簡単に受け取っても良いのだろうか。

 

「大丈夫ですよ。エイジ様とフウカ様は神様の使徒という特別な存在ですから。それに加えて、これからもっと親交を深めようと思っていますので」

「いや、それでもな……。一応つい先日、初めて会ったワケだし……」

 

 俺が渋るのにも、理由がある。メルナから聞いた話をまとめると、この紋章はいわばマスターキーみたいなものなのだ。

 それがあるだけで、国間の行き来が簡略化され、他国の王城で使えば、「《ヴィルドヘルム》の使者として来た」という証明にもなってしまう。

 そんな国家権力の塊みたいなもの、俺には少しばかり荷が重いと思ったのだ。

 

 しかし。ホワイトもなかなか食い下がらない。

 

「これは、一種の信頼の証とお詫びみたいなものです」

「お詫びって……」

 

 ホワイトは恐らく、昨日の試練の事を言っているのだろう。だがしかし。寧ろあれは、国の元首として疑って当たり前のことだ。だから別に、彼女がお詫びをする必要性は無いと、俺は思うのだが……。

 

「神様の使徒を疑った。それはある意味で重罪です。本当は罰を受けても仕方がない事を、私はしたのです。ですが、エイジ様方はそれを許してくださいました。その恩情として、お詫びとして、有形の信頼として紋章を差し上げようと私は思っているのです」

 

 彼女はそこで言葉を切った後に、机の引き出しからヴィルドヘルムの紋章の入った小さな箱を取り出すと、それを俺の前へと置いた。

 

「エイジ様。受け取ってくださいませ。でなければ私、使徒様を冒涜してしまった自分自身が許せないのです」

 

「お願いします」と頭を下げるホワイト。

 ここまでされてしまうとは思わなかった。これでは受け取らない方が彼女にとって酷だろう。ある意味で、神から許さないと言われているようなものなのだから。

 

 俺は国の元首に頭を下げさせてしまっているという罪悪感と、痛む良心の赴くままにホワイトに返事を返した。

 

「……分かりました。受け取りますから顔を上げてください」

「あら、受け取って下さいますの? そうですか! それは、ありがとうございます!」

 

 ……あれ? 気落ちしてると思ってたのに、なんか思ってたよりテンション高くない? この女王陛下。

 

「……え、え?」

 

 俺が目を白黒させていると、ホワイトは箱に手を伸ばして中身を取り出すと、俺の手の上にポンっと乗せた。恐る恐る手を見てみると、メルナのモノと全く同じアクセサリー型の紋章がそこにあった。

 

「それを所持している限り、あなた様方はこの国が保有する使徒であり、そして他国への使者(……)でもありますので。これからもよろしくお願いしますね」

 

「え、どういうこと?」という風にセレナの方へと視線を移すと、セレナは俺の視線を真っ向から受止めた後に、申し訳なさそうに言った。

 

「……今のは、ホワイト様の交渉術の一つです」

「セレナ、そういうのはもっと早く言ってくれ」

「言ったらエイジ様、受け取らなさそうだったので」

「うん、否定はしない」

 

 ホワイトにもセレナにも完全に騙されてしまった。

 

「……って、『これからもっと親交を深めたい』って、こういうことかよ!」

 

 あわよくば、使徒という肩書きの使者を使って、相手国に対して優位に立つつもりだな? この女王。

 俺の嘆きに、彼女はクスクスと笑いながら「そうですわ」と、なんの躊躇もなく頷いた。

 

「一国の王がこんな簡単に頭を下げるワケないじゃないですか。私含め、王が頭を下げる時は、それこそ国の危機、世界の危機で決断をしなければいけない時や……私情にはなりますが、身内の危機が訪れた時位です」

 

 彼女は、その笑顔を段々と薄れさせると、「それを踏まえて……」と、付け足した。

 

「二つ目の要件です」

 

 その時俺に対して向けられた彼女の目は、先程とは一変してどこか少しだけ遠慮気味で寂しそうだった。

 

「……エイジ様、今レベルはお幾つですか?」

「今? 一応27だけどちなみにフウカは25な」

 

 実は、アルドとの戦闘でレベルがある程度上がっていたのだ。GTOの世界では、デュエルシステムで経験値を得られることは無かったので、これは一つ検証してみる価値があると思っていたところだ。

 

「ってか、それくらいの情報、ホワイトなら簡単に見れるんじゃないのか?」

 

 俺がそう言うと、ホワイトは「とんでもありませんよ」と目を伏せて否定した。

 

「そんな失礼事、ましてや使徒様にする訳ありませんよ。レベルもプライバシーですので」

「……だよな? やっぱりプライバシーだよな!?」

 

 クソっ、メルナのヤツ! 何も分からない俺に対して嘯きやがって……! 

 そう思っていると、それを見透かされたのか、ホワイトが顎に手を当てて苦笑いをしていた。

 

「その反応ですと、メルナにしてやられたみたいですね。あの子は民衆の前では猫を被ってますから、気付かれませんが、本当はかなりのイタズラっ子なんです。気を許した者には特に」

「……あぁ、納得」

 

 身に覚えがありすぎて、俺はため息混じりに頷いてしまった。それに対してホワイトは、一度セレナの方を見遣った後に、俺へと言葉を紡いだ。

 

「……ですが、あまり責めないであげてください。あの子はそういう事をしたくなる時期に、行動の自由を奪われていたので」

 

 それを聞いて、俺の脳裏にあの夜メルナから聞いた話が過ぎった。メルナは軽々しく『訓練をしていた』なんて言っていたけれど、彼女は一体どんな思春期を過ごしたのだろうか。俺では想像することも出来ない。

 

「……話が、少し逸れてしまいましたね」

 

 しんみりとした空気を断ち切るかのように、ホワイトは話の道筋を正す為に声を発した。

 

「それで、あなた様にレベルを聞いた理由ですが、エイジ様とフウカ様には、とある場所へ行っていただきたいのです」

「とある場所……?」

「はい。そこはギルド推奨レベル35レベル以上と、ここら辺では最難関に位置している《ヘッセンの谷》というダンジョンです」

 

《ヘッセンの谷》と言うと……俺達が良く狩場にしている《ヴァルデックの森》から南に10km程行ったところにある、急勾配で険しい谷だ。

 

「それって、騎士を派遣した方が良くないか?」

 

 レベル35と言うと、わざわざ俺達が行くよりも騎士達に行かせた方が余程効率が良いだろう。しかし彼女は首を横に振った。

 

「……簡潔に申しますと、このお話がそもそも公言禁止ですので、下級の騎士たちにも漏らすわけには行かないのです」

「なるほど。さっきホワイトが頭を下げた事に関係があるわけか」

 

 俺の考察に、彼女は「はい」と頷いた。

 

 やっと話が見えてきた。

 さっきホワイトは、彼女が頭を下げる時は国か身内の為と言った。つまり、そのどちらかの頼み事をしたいがために、ホワイトはこうした場を設けたのだろう。そして、それを行うための道具として、俺達に紋章を預けたワケか。

 

「それで、俺達にそこに行って欲しい理由は?」

 

 俺の質問に、彼女は目を伏せた後に、まるで懇願するように言った。

 

「《スノウ》を——私の娘を、探して欲しいのです」



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魔女 1

「スノウ……? え、女王陛下って子供いたんですか?」

 

 俺は驚きのあまり、つい聞き返してしまった。

 

「はい。もうすぐで八歳になりますね」

 

 彼女はそう言うと、自身の右側にある大きな肖像画を横目に見た。その視線の先を追ってみると、ホワイトと、彼女に寄り添うように立つ男性と、その間に挟まるかのように座る小さな女の子が描かれていた。

 

「そこに描かれている女の子が、スノウです」

「スノウ様、あんなに大きくなられて……」

「セレナが最後にスノウを見たのは、三年前ですものね。大分変わっているでしょう?」

「はい。ホワイト様に似て可愛らしいです」

 

 セレナの言葉に、ホワイトは少しだけ寂しそうに笑った。スノウのことを思い出しているのだろう。

 

「ありがとう、セレナ」

 

 会話に区切りがついたところで、俺はホワイトに問いかけた。

 

「それで? なんでそんなところに、女王の娘さんがいるんだ?」

 

 俺の問いに、彼女は俺の目を真っ直ぐ見詰めながら言った。

 

「それは、私の継母が原因なんです」

「継母……」

「それでは、まずは彼女の事から説明いたしますね」

 

 ホワイトはそう言うと、扇子を畳んで机に置いた。

 

「幼い頃、私は両親を亡くしました。お二人共、丁度今の私と同じくらいの年だった、と聞かされています」

「それじゃあ、結構若くして亡くなったんですね」

「そうみたいです」

 

 相当幼かったのだろう、彼女は特に思い入れも無いのか、平然とした顔で頷いた。

 

「その時、行き場を無くした私を引き取ってくださったのが、先代の王妃で私の継母、《ウィック》でした。あの方は、自分の容姿に大層自信を持っていたようで、いつも鏡の前に立っては何事か呪文を唱えているようでした」

 

「恐らく、美白効果のある魔法だったのかもしれません」と、彼女は付け足した。

 

「生活面に関しては、厳しい所もありましたが、とても優しい方でした。私が物心ついたときから、王族のマナーであったり、言葉遣いであったり、様々な教養を受けさせてもらいました。そこに関してはあの方に感謝しています。その教育があってこそ、今の私がありますから」

 

 彼女はそう言うと、自身の胸に光るブローチを手で握りしめて目を瞑った。

 

「ですが……私が、もうすぐ八歳になるという頃、あの方は変わってしまいました」

「……どんな風に、ですか?」

 

 隣のセレナが、嫌な空気を感じ取ったのか、少しばかり不安そうな顔をして尋ねた。それに対して彼女は、チラッと少しだけセレナの方を見遣った後に、俺へと視線を戻した。

 

「以前、エイジ様には少しばかりお話致しましたが、私が初対面の人を信用できなくなった理由、覚えていらっしゃいますか?」

「あ、あぁ。確か、昔一度殺されかけたから……でしたっけ」

 

 突然の質問に戸惑いながらそう答えると、隣のセレナが驚きに目を見開いた。

 

「えっ!? ホワイト様、殺されかけていらっしゃるんですか!?」

「伝えていなかったのは申し訳ないと思っているけど……声が大きいわ、セレナ」

 

 正直、俺はホワイトがセレナにその事を伝えていない事実に驚いていた。でもまぁ、数年ぶりの再会らしいし、伝える機会がなかったのだろう。

 ホワイトが窘めると、セレナは申し訳なさそうに一礼した後に、今度は控えめな声で言葉を紡いだ。

 

「それじゃあ、女王陛下を殺そうとした張本人って……」

「そう。その方こそが、継母のウィックでした」

 

 ホワイトの口から出た言葉に、セレナは信じられないという風に口元を手で抑えた。

 

「なんでなんですか……?」

「私にも定かではありません。私を殺しに来た時、理由なんて説明してくれませんでしたから」

 

 ホワイトは当時のことを思い出しているのか、額に滲み出た汗と相まって、かなり顔色が悪そうに見えた。

 

「……ただ、殺される直前。薄れゆく意識の中で、私はその時まで尊敬していた継母の顔を見ました。そして、畏怖しました」

 

 彼女はそこで一度言葉を切ると、震える声で続きを呟いた。

 

「あの方は、魔法使いの成れの果て……”魔女”になっていたのです」

 

 部屋に暫く沈黙が走った。

 目の前で魔女に成り代わってしまった継母。そして信頼してきたその継母に裏切られたホワイト。彼女の顔色の悪さや心情を察するに、今の彼女に掛ける言葉が見つからなかったのだ。

 

「……とりあえず、女王陛下の生い立ちと、魔女の存在については良く分かった」

 

 だから俺は、少しだけ間を置いてホワイトの顔色が良くなるのを待ってから、彼女に問い掛けた。

 

「だけど、その話とホワイトの娘の誘拐が、どう関係するんだ?」

 

 ホワイトは、その問いの返答代わりと言った感じに、懐から一枚の紙を取り出して机の上にそっと置いた。対面に座る俺達は、少しだけ座る位置をずらしてからその紙を覗き込んだ。

 

 ──それは、最近多発している”狂化モンスター”の報告書だった。

 

「このモンスターの名前は、《ウィックド・リッチクイーン》。レベル40の偵察兵が【アナライズ】したところ、この名前しか見て取れなかったんだそうです」

 

 隣から、息を呑む音が聞こえた。

【アナライズ】は、相手とのレベル差に応じて識別可能範囲が増えるスキルだ。レベル40の兵士が、名前しか見れなかったということは、少なくともそのレベル差は20以上あるだろう。

 

 まぁ、でも。正直レベルの話はこの際あまり問題ない。では、何が問題なのかと言うと——。

 

「この名前ってまさか……」

 

 俺がそう呟くと、ホワイトが「流石ですね」と賞賛を口にした。

 

「私が殺された後に駆けつけたドワーフ達が、最後に継母を見たのは《ヘッセンの谷》だったと言っていました。それを加味するに、このモンスターが私の継母である可能性は十分高いと思います」

 

 彼女はそう言った後に、「そして……」と付け足すと、グシャッと音を立てて報告書にシワを作った。

 

「このモンスターこそが、私の目の前でスノウを誘拐したモンスターなんです」

 



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魔女 2

「ちょっといいか?」

 

 俺の言葉に、ホワイトはハッと我に返った。その際に、皺だらけになった報告書が机に転がった。

 

「失礼致しました。少々取り乱しました」

「いや、全然」

 

 俺がその残骸を傍目にそう答えると、彼女は誤魔化しの為か小さく咳払いをしてから言った。

 

「……それで、どうかなさいましたか? エイジ様」

「えっと……つまり女王陛下は、継母がモンスター化して、娘さんを攫って行ったと考えてるってことで合ってる?」

「はい、少なくとも私はそう考えています」

 

 俺の確認に、彼女はそう即答した。

 俺は実際に見たことがないから分からないが、一番継母を見てきていると思われるホワイトが言うのだから、その線で見るべきだろう。

 

「それを踏まえて、いくつか質問しても大丈夫か?」

「はい、問題ありません」

「今回の件より前に、モンスターに人が攫われたという報告は?」

「少なくともヴィルドヘルムではありません。報告漏れということもあるかもしれませんが、それも可能性としては低いです。そもそも、モンスターはそういう意思を持っていませんから」

 

 彼女は「それに」と付け足した。

 

「モンスターは人を攫う以前に、その場で食べてしまいますからね」

 

 中々怖いことを聞いてしまった。フウカ辺りに話したら、その場では笑ってそうだけど、夜になったら寝れなくなりそうなくらいに。

 

「じゃあ次に、当時の状況を教えてくれないか?」

「分かりました」

 

 俺の次の質問にホワイトは直ぐに頷くと、思い出すかのように目を伏せて話し出した。

 

「とある国家との密会の帰り道でした。私とスノウが乗った馬車が、《ヘッセンの谷》でこのモンスターに襲われたのです」

「密会ってことはつまり、少数で行ったのか」

 

 彼女は無言で頷いた。

 

「その通りです。《The Lost Tale》討伐後、《ヘッセンの谷》付近は、商業者の通り道になるほどモンスターが少なくなっていたので、私たちも油断していたんです。兵力も物資も最低限しか積んでおらず、アルド含めた三名の騎士達は、私たちを守るので精一杯でした。しかもこのモンスター、魔法がとても厄介で、束縛魔法【呪鎖】や、重度の麻痺を起こさせる【パラライズ】系統のスキルも、ふんだんに使ってきたのです」

 

【呪鎖】や【パラライズ】と言ったスキルは、GTOでも上位に位置するデバフ魔法だ。俺もセレナもスキルや魔法にある程度詳しいので、そのモンスターがどれだけ強いかが直ぐに分かった。

 

「二人の騎士はデバフによる負傷で戦闘不能に。いくらデバフ耐性の高いアルドでも、私たちを庇ってかなりの量のデバフを浴びたので、動きが鈍くなっていました。そして、その隙をつかれて、スノウが連れ去られてしまったのです」

「そうだったんですか……」

 

 セレナが、悲しそうに目を伏せた。俺はそれを横目に見つつ、俺は次の質問をした。

 

「そもそもこの出来事っていつのことだ? 俺がアルドさんと決闘した日も、スノウ様はいなかったように思うんだが」

「娘が誘拐されたのは一昨日です。……決闘の日は、スノウは自室にいましたので。エイジ様の奮闘も窓から見ていたそうです。『凄くカッコよかった』って言っていましたよ」

 

 なんだそれ、照れるじゃん。

 

「……とりあえず、まだ無事の可能性はあるわけだ」

「一応、偵察兵の追尾魔法で娘の魔力を常に感知しておりますので、まだ無事である事は確認済みです」

「……なら良かった」

 

 俺は照れ隠しに咳払いをした後に「じゃあ最後の質問」と言った。

 

「アルドさんは今回、同行できるのか?」

 

 戦闘が二日前ということは、少なからずアルドは疲弊しているものだと思われる。だが正直、今回のモンスターは、俺達のレベル的にかなりきつい。しかも状況が状況なので、レベリングしている暇がないという。だから、ホワイトの期待に添えて、即戦力になりうる人材が少しでも多く欲しいのだ。

 

「それは……」

 

 しかし、俺の期待に反して、彼女はそこで意味深げに言い淀んだ。

 

「……まさか?」

 

 嫌な予感がして俺が聞くと、彼女は神妙な面持ちで頷いた。

 

「《ウィックド・リッチクイーン》との戦闘でかなりダメージを負わされて……。本人は大丈夫と言っているのですが、大事を取って治療室に監禁させてもらっています」

「マジか……って、監禁?」

「アルドはどうやら、スノウが攫われたのは自分のせいだと思っているらしいんです。それで満身創痍なのに、自分も行くとしつこくて……。私達からしたら、命がけで守ってくださっていたので、寧ろ感謝をしたいところなんですが……」

 

「俺はまだ闘えますよ!」とベッドの上で腕を振り回すアルドの姿が鮮明に浮かび上がり、俺は「あぁ~……」と声を漏らしてしまった。

 それにしても、流石にあの強靭さを誇るアルドでも、ボス級であまりレベル差の無い”狂化モンスター”相手は厳しかったようだ。それでもまだやろうとする辺り、本当騎士に鏡だと俺は思う。

 

「じゃあ、アルドさんは来れないって事か」

「結論的にはそうなりますね」

 

 彼女の言葉に、俺は心の中で溜息を吐いた。

 我ながら、中々自分勝手な意見であるというのは分かっている。それでも、やはりアルドがいるのといないとでは雲泥の差であるのは明白なのだ。しかも彼はこのモンスターと一度戦闘をしている。俺達よりは勝手が分かっているだろう。

 

 だから俺は考えた。どうしたらアルドが同行できるか。そしてすぐに思いついた。

 

「あっ、回復魔法をかければ大丈夫なんじゃないのか?」

「それはダメです。エイジ様」

 

 そしてそれを、隣のセレナがすぐに否定した。

 

「どうしてだ?」

「前にもお話し致しましたが、回復魔法は外見的な傷を治すものです。今のお話を聞く限り、アルド……様は心身ともに疲弊していると見受けられます。いくら回復魔法を掛けても、暫くの休養が無ければ心は疲弊しきったままです」

「確かに……」

 

 この世界には【疲弊】というデバフがある。一度ゴブリン達がなっていたのを見た事あるが、あれは相当キツそうだった。恐らく彼にも今そのデバフが適用されているのだろう。

 

「なので、エイジ様達に行ってもらうしかアテが無いのです」

 

 ホワイトが悲しそうな目をこちらに向けたまま続ける。

 

「私は、エイジ様方の実力を信用しています。それに先程も言いましたが、これは機密事項。本当は強いこの国の防衛力が、問題視される原因にもなりえますし、公にできない出来事です。何より、民に不安を与えたくないのです」

 

 この国の防衛力が高いからこそ、そのトップが手負いにされたという事実が大きく映える。

 そこまで考えて、俺は初めて気づいた。彼女は今、大切な娘の命とこの国の命運、両方を背負っているのだと。

 

「受けてもらえないでしょうか……?」

 

 ホワイトの顔を見た。初めて会った時の威圧的な眼光はその荘厳さを薄れさせ、美しい顔には疲労と不安が滲み出ていた。

 こんなにも苦悩している彼女を助けてあげたい。そう思う自分も確かにいる。だが……。

 

「……思っていることを言わせてもらうと、今の俺達にはあまりに荷が重い」

 

 最悪の場合、そこでスノウを助けられずに全滅、なんてこともあり得るくらいに。

 

「俺達はまだここに来てから日が浅いし、戦闘経験も少ない。レベルも足りていない。それに加えて、まだ臨機応変な対応ができないし油断が多いんだ」

 

 それは、以前のアルドとの戦いで俺が、宮廷魔法使に無詠唱だからこそ勝てたフウカが、身を持って体験していた。

 それにこれは、ゲーマーとしての教訓だ。自身の身の丈を常に意識せよ。戦略だけではどうにもならない、数字という壁がある。

 

 しかし、ホワイトは食い下がらなかった。

 

「本領じゃない剣で、アルドをあそこまで追い詰めたエイジ様にしか、頼めないことなんです」

 

 彼女は、畳みかけるように続けた。

 

「確かにレベルは圧倒的に足りていません。それは紛れもない事実です。ですがあなたは、体術や見切りなどでそれを補えるほどの実力を持っているのでしょう? あの時アルド相手に見せた動きは、Lv27の青年の動きではありませんでした」

 

 彼女はそこで言葉を切ると、少しだけ口角を釣り上げた。

 

「それに、まだ隠してることがありますよね?」

「気づいているのかよ……」

 

 セレナが「隠している事?」と首を傾げる傍ら、俺は苦笑いした頬を引きつらせた。

 

「これでも一国の王です。人を見る目は長けていますの」

 

 ホワイトは机の上で手を組むと、俺の目を真っ直ぐ見詰めた。

 

「その隠し事を考慮してもなお、私はあなたを信用しているのです。あなた方なら必ず、スノウを救出して、生きて帰って来てくださると」

 

 彼女の目が、少しばかり潤む。まるで俺に縋る様に。

 

「──どうか、私の依頼を受けてくださいませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女のその懇願を見て、まず最初に浮かんだのが何故かフウカの顔だった。

 

 彼女だったら、この話を受けてなんて言うだろうか。

 

 俺みたいに、「レベルが足りないから、安全マージンが取れてからの方が良い」と言うだろうか? 

 

 

 答えは否。彼女ならきっと──

 

 

「とりあえずやってみようよ。それでダメだったら、またその時考えればいいんだよ。大丈夫何とかなるって!」

 

 

 

 

 

 あまりにも楽観的な脳内フウカの言葉に、俺はつい頬を緩めてしまった。

 この会話は、以前二人で戦った大型レイドボスの部屋の前で話した内容だ。その時はもちろん、ゲームの中の会話だったし、自分が実際に赴いて戦うわけじゃないから俺は了承したが。

 

 

 

 ゲームは楽しんだもの勝ちと良く言うけれど。俺は彼女以上にそれを実行できている人を見たことが無い。

 実際この世界が俺達の現実となってしまった今でも、彼女はゲームの頃と同様に楽しんでいる。

 

 俺に関しては、早々にゲームと現実を隔絶させてしまっていたあまり、難しく考えすぎていた節が確かにあった。

 

 

 

 ──偶には理論でバッサリ切らずに、異世界らしく冒険してもいいかもしれないな。

 

 

「女王陛下」

「……はい」

 

 

 この選択は、俺の今までの価値観を変える選択。けれど、不思議と先程までの不安感は残ってはいなかった。

 

 

「……分かりました。その依頼、受けさせていただきます」

「っ……! ありがとうございます……!」

 

 

 俺の返事に安心したのか、ホワイトの目から涙が零れた。

 



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 その日、私は夢を見ていた。

 

『お姉ちゃん』

 

 近くから発せられた少女の声に、私はハッとして辺りを見渡した。しかし。辺り一面にモヤがかかっており、見えるのは私の腰の高さより少し大きいくらいの少女だけだった。

 

『……私?』

 

 自分を差しながら、少女の目線まで腰を下ろすと、少女は頷いた。近くで見ると、雪のように白くて可愛らしい子だ。

 

『どうしたの?』

 

 私が笑顔を向けながらそう問うと、対照的に彼女は悲しそうな顔をしながら言った。

 

『……お姉ちゃんに助けて欲しいの』

 

 ……助ける? 

 

『どういうこと? もう少しだけ詳しく教えて欲しいな』

 

 私がそう言うと、彼女はビクッと肩を揺らした後に消え入りそうな声で続けた。

 

『おっきなおやしきから帰る途中、お母様と……男の人三人……おっきな生き物とたたかってた……。でも、途中で男の人が二人倒れて……お母様もたたかってた。そしたら、おっきな生き物が…………”きり”を吐いてきて、男の人がお母様を……の。そし……、その生き物は私の……をつかんで……』

 

 少女にザザッとノイズが走る。私は直感的にこの時間が長くないことを悟った。

 断片的な情報をまとめるに、恐らく帰り道に魔物に襲われて、護衛の人たちがこの子の母親を守っている隙に、この子は魔物に攫われてしまったのだろう。

 と、いうことはもしかしたら一刻の猶予もないかもしれない。私は、焦りを隠そうともせず少女に詰め寄ると、質問を投げかけた。

 

『どこにいるのかな? 何か目印になりそうなものはある?』

『……変な臭い……おっきな壺……喋る鏡……』

 

 ザザザッ! とノイズが強まる。彼女は今にも消えてしまいそうだ。

 

『他には!?』

『……かぜ……い』

 

 ダメだ、もう聞き取れない。私は薄れゆく少女の影を掴もうと手を伸ばした──

 

 

 

 

 

 

 

 

「──待って!」

「ふべらっ!?」

 

 跳び起きた途端、奇妙な声と同時に伸ばした手に大きめの衝撃が加わった。

 

「いってぇ……。おい、フウカ何すんだよ!」

 

 寝起きの割に覚醒している目で声のした方を見ると、顎を手で押さえて床に転がるエイジの姿があった。

 

「あ、ごめん……って、エイジこそなんで私の部屋に居るのよ! 襲いにでも来たの!?」

「ちげーよ! 寝坊したお前に話があって来たんだ!」

「寝坊って? 今日休みだし予定も何も……あっ!」

 

 思い出した。そういえば今日あさイチで、ホワイトさんに呼び出されてたんだった! 

 

「何してんのエイジ! さっさと行くよ!」

 

 パジャマの上に普段着を着て、一目散にドアへ──向かう途中で、首根っこをエイジに引っ張られた。

 

「ぐぇっ!」

「お前がグースカ寝ているうちにセレナと行ってきたし、話も終わった。それで今はホワイトの依頼について伝えに来たんだよ」

「あ、ソウナノ……ってセレナ? メルナじゃなくて?」

 

 メルナじゃなくてセレナが王城に行くのは珍しい。何かあったのかな? 

 

「おう。メルナも、もれなく寝坊してな。代わりにセレナに来てもらったんだ」

「……もうなんかすみません」

 

 ……何かあるどころか、私と同じくしっかり寝坊していた。

 

「貸し一な」

「エイジに貸し作るとナニさせてくるか分からないから怖い」

「そう言うなら本当になにかするぞ」

「する勇気も無いくせに」

「グウの音もでねぇ」

 

 そこでお互いに笑って話を切ると、エイジは手に持ったバスケットからサンドイッチを手渡してくれた。

 

「ほれ、朝飯」

「ありがと」

 

 受け取って、齧り付く。作ってから少し時間が経ってしまっているのか、少々パンの水分が抜け始めていたが、相も変わらず美味しかった。

 

 次いでエイジはポットを取り出すと、部屋にあったティーカップに注ぎだした。そんな彼に問い掛ける。

 

「それで、ホワイトさんの依頼っていうのは?」

「飯中に聞くのはオススメしないが」

「まあ、時間短縮だよ」

「寝坊したやつが達者なもんだな。……じゃあ、まずは起こったことから説明するよ」

 

 エイジはそう言うと、ティーポットを置いてから話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ってな感じで、依頼を受けてきた」

 

 彼はそう締め括ると、自分用に注いだ紅茶を一気に飲み干した。

 

 対する私は、予想以上に重い話で、食べかけのサンドイッチを抱えたまま口を開けていた。紅茶は既に冷め切ってしまっている。

 

「……なんか言えよ」

 

 エイジのその言葉で、ハッと我に返って彼を見た。

 彼はジトッとした目でこちらを見ている。

 私は誤魔化すように咳払いをした後に、乾いてしまった口を潤す為に紅茶を飲んで、話の感想を口にした。

 

「……っていうか、ホワイトさんって娘さんいたんだね」

「お前、俺と全く同じ反応してるわ」

 

 エイジが呆れたようにため息を吐く。なによ、私がパクったみたいな言い方して。

 少しだけイラっとした私は、からかい交じりにこう言ってやった。

 

「まぁ、私が何より一番驚いたのは、エイジがその依頼を受けたってところだよね。私に相談無しに」

「そこに関しては何も言えねぇ……」

 

 寧ろ逆効果だった。

 彼は申し訳なさそうにそう言うと、頭を下げた。ちょ、ちょっと! これじゃあ、私だけが悪いように見えるじゃない。

 

「謝らないでよ。私は責めたかったワケじゃないって。寧ろどちらかと言うと少し嬉しかったし」

 

 実際、エイジは昔から自己の実力を比較対象にリスクヘッジばかりを考えて、冒険をしようという意思があまり見られなかった。だけど、ゲームが現実になっている今、今までのエイジを覆してまでこの依頼を受けてきたのだ。彼のその成長に、私は少しばかり感慨深く思ってしまった。

 

「それに、エイジはちゃんと考えがあったんでしょ?」

「いや、フウカの真似してみただけ」

「頭の中で弁明して後悔した」

 

 前言撤回。感慨じゃなくて憤慨だった。

 私は残りのサンドイッチに荒々しく齧り付いた後に、紅茶でお口直しをしつつ気になっていたことを聞いた。

 

「そういえば、セレナは?」

「セレナはメルナの代わりに女王陛下の護衛として隣の国に行ったよ。女王陛下にとって、どうしても外せない会議らしい」

「そっか」

 

 アルドさんも監禁されてるし、メルナは寝坊したしで、セレナ以外適切な人物がいなかったのだろう。

 それにしても、自身の娘が攫われているというのに会議に参加しなきゃならないなんて……。なんていうか、国を統治する立場の人って、私情よりも国情を優先しなきゃならなくて可哀そうな気がする。

 

 ホワイトに対してそんな同情の念を抱いていると、今度はエイジが質問を投げかけてきた。

 

「そう言えばさっき結構うなされてたけど大丈夫か? なんか、『待って!』とか言ってたし」

 

 私はそれを聞いて、言おうか言うまいか逡巡した。

 

「……ごめん、覚えてないや」

「そうか? まぁ、悪夢は覚えてないほうが良いしな」

 

 逡巡の結果、私は彼の心配に嘘を吐いた。少しだけ胸のあたりがズキンっと疼く。

 

 勿論覚えているし、エイジには伝えても良いと思った。だけど今ここで伝えてしまうと、あまりにも彼の責任と精神的な負担が大きくなってしまう。それだけは避けたかった。

 

 思えばこの世界に来てから、エイジにばかり負担を掛けてしまっていた。今回は事が事だから、彼に秘密で私もその責任を背負わせてもらうことにしよう。

 

 私がそう意思を固めていると、彼は「さて」と言って立ち上がると、部屋の出口へと身体を向けた。

 

「そろそそメルナも起こして出発しようか。早ければ早いほど、救出できる確率も上がるだろうし」

「うん、そうだね。私もすぐ準備するから、外で待ってて」

「おう」

 

 エイジが扉を閉めたのを確認した後に、私は中のパジャマだけを脱いでベッドへ投げ捨てた。

 次いで鏡の前に座って髪を整える。その間、私は先程の少女の言葉を頭の中で反芻していた。

 

『お母様……男の人が三人……』

『変な臭い……大きな壺……喋る鏡……』

『アルド含めた三人の騎士が、その狂化モンスターに負けたらしい』

『どうにもホワイトの継母──《ウィック》が関わっているようなんだ』

 

 少女が言ったこの言葉。それにエイジから聞いたさっきの話……。それを加味するに、あの夢に出てきた少女は十中八九、スノウちゃんだと私は考えている。

 

 鏡に映る自分の顔を見ながら、私は思考を回した。

 

 それに《スノウ・ホワイト》、《ウィック》という名前に、《しゃべる鏡》……。そのどの名称も、私の知っている童話に出てくる登場人物の名前と全く同じなのだ。

 そこまで分かれば、自ずとこの次の展開が導き出されてくる。

 

 この童話、結末自体はハッピーエンドなのだが、過程がどうにも凄惨なのだ。終わりよければ全て良し、なんてよく言ったもんだと思う位に。

 髪を梳かし終え、忘れ物がないかもう一度辺りを確認した後に、ドアノブに手を掛ける。

 

(……どうか、無事でいて)

 

 そう、あの少女の無事を祈りつつ、私はエイジの待つ廊下への扉を開いた。



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ヘッセンの谷 入口

 馬車に揺られ、森を抜け、草原を走ること約五十分。

 私達は目的地である【ヘッセンの谷】に到着した。

 

「ここが、ヘッセンの谷……」

「なんて言うか、不気味だね……」

 

 馬車を下りてまず最初に思ったのは、そんな事だった。

 

 整備のされていない荒野に生憎灰色に淀んだ空の色が混ざり合い、よりダークな雰囲気を醸し出していた。それに加えて少し大きめの鳥が鳴きながら飛び交うその光景は、まさに不気味という言葉が相応しかった。

 

「とりあえず、もう一度依頼の確認と注意事項を説明するぞ」

 

 エイジの言葉に、雰囲気に飲まれかけていた私は、杖を両手で握りしめて無言で頷いた。

 

「依頼はホワイトの娘、スノウの救出」

「様を付けろ若造が」

 

 スノウちゃん。多分だけど、夢に出てきたあの女の子だろう。まだ何もされてないといいけど……。

 

「もし《ウィックド・リッチクイーン》に出くわしたら、無理な戦闘は避けて極力逃げること」

「フンっ、モンスターに遅れなんかとらんわい」

 

 この名前のモンスターこそ、今回の黒幕。

 スノウちゃんを連れ去ったモンスターで、ホワイトさんの継母。

 そして──彼女を殺そうとした張本人だ。

 

「もし何か手掛かりを発見したら、必ず報告すること」

「お前らなんかよりワシらの方がよっぽどあの場所に詳しいわい。精々足を引っ張らないように──」

「さっきからうるせーよお前」

 

 先程までスルーしていたけれど、ついに耐えきれなくなったらしく、エイジは隣に座る《グランピー》の頬を思いっきり掴んで張り倒していた。

 

「グェッ! きひゃま! なにをふる!」

「これに関してはお前が悪い。進行の邪魔をするんじゃねぇよ」

 

 一瞬止めさせようか迷ったけれど、確かに進行の邪魔になりそうなので放って置くことにした。今はこの時間さえも惜しいからね。

 決してざまぁみろなんて思ってないよ? 

 

「っていうかなんでお前がいるんだよ……」

「ふんっ! ホワイトの嬢さんに力になって欲しいと言われたからに決まっとる。そうでもなきゃ、こんな子守りなんぞイダダダダッ!」

「なるほど、つまり道案内人ってことか」

 

 エイジはグランピーの頬をさらに強く掴みながら私の方を向くと、いつもの顔で続けた。

 

「まぁ、些細な事でも良いから。報告は頼んだぞ」

「はーい」

 

 一瞬、夢で言われたことを思い出したが、私はそっと口を紡いだ。今、その事を言ってしまうとその場で言及されて、時間を食ってしまうだろうから。

 

「そして、現在の戦力確認。これが一番確認したくないことなんだよなぁ……」

 

 エイジはため息を吐きつつそう言うと、私の顔、そして下にあるグランピーの顔を見た。

 

「今の戦力は、前衛の俺とグランピー。後衛のフウカ。以上だ」

 

 ……何故か急に空気が重くなったような気がする。

 正直、絶望的な戦力である。私とエイジは、メルヘンから貰った加護を合わせても力的には精々45レベル前後。

 グランピーは流石ホワイトさんの側近と言ったところか、レベルは69とかなり高めだった。

 

 その当のグランピーが、エイジの手から脱出すると苛立たしげに立ち上がって言った。

 

「おい、お前らよりメルナ様はどうした。あの方がいればかなり楽だったろうに」

 

 そう言われて、私はエイジと顔を見合わせてから同時にため息を吐いた。

 

「俺だって、その算段でホワイトから依頼を受けたんだが……。明朝に一人で馬車も使わずどこかへ行ってしまった、と教会の人から聞いている。どこに行ったかは正直分からん」

「……なんということだ」

 

 グランピーが悲痛な声を上げる。その気持ち、分かる分かる。

 

 私達が教会を出る準備をした後にメルナの部屋に向かうと、そこにメルナは既に居なかった。いつも、私達より起きるのが遅い彼女が居なくなっていたのは、かなり焦った。

 でもまぁ正直なところ、メルナの行き先は大体検討がついている。彼女は、一番最初にホワイトから相談を受けていただろうから。

 

 だから今の戦力は、取り敢えず私含めたこの三人のみ。

 今回は討伐が目標ではないから何とかなりそうではあるけど、もし《ウィックド・リッチクイーン》に遭遇したら正直撃退は厳しいと思う。話を聞く限りだけど。

 

 エイジは後ろ頭を掻きながらゆっくりと立ち上がると、グランピーに向かって手を伸ばした。

 

「まぁ、俺たちだけじゃ力不足かもしれんが……多分今日限りだ。よろしく頼むよ」

 

 グランピーは、エイジの手を取らずに腕組みのまま暫く固まっていた。

 しかし、目だけでチラチラとエイジの手を見ている所を見るに、決して仲良くなりたくないわけじゃ無さそうね。多分、不器用なんだろう。

 

 彼の鼻が仄かに赤くなる。確か、私が読んだ事のある白雪姫でも、照れている時とか恥ずかしい時に鼻が赤くなっていたドワーフがいた覚えがある。

 

 彼は鼻の色をそのままに苛立たしげに組んでいた腕を外すと、エイジの手をガシッと掴んだ。

 

「……ふんっ! しょうがない奴らだ」

 

 彼はそう言捨てると、直ぐにエイジの手を投げるように離した。次いでこちらに指を差しながら、興奮した様子で言った。

 

「だが、勘違いするなよ。俺はホワイトの嬢ちゃんが悲しむ姿を見たくないだけであってお前らを認めたわけじゃ──」

「よーし、じゃあとりあえずここから入ってくかー」

「人の話を聞け小僧ぉ!!」

 

 ……正直、この先が思いやられるなぁ。

 今日ほどメルナがいて欲しいと思った日は、これまでに、そしてこれからもないだろう。

 そう思う私だった。




お久しぶりです。
アルファポリス様の方で、この作品のパロディ作品【ゲームライフにリア充を!】を投稿し始めました。是非とも読んでいただきたいだきますよう、お願い致します。
あ、こちらのサイトでも投稿しています。


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ヘッセンの谷 第一層

 ガンッ! と鈍い音が、聳え立つ岩の間に響き渡る。

 今私達が戦っているのは《ヴァリー・モンキー》二匹と、《ジャイアント・ダンパ》という、明らかにパンダなモンスターが一匹だ。

 

「左の二匹は俺が引き付ける! グランピーはもう一匹を頼む!」

「ワシに指図するな! そんくらい分かっとるわい!」

 

 仲良くしたいのか、したくないのか。エイジの指示にいちいち一言多めに言ってくるグランピー。そろそろ怒りを通り越してウザくなってきた。

 

「フウカ!」

「はいよー! 《サイクロン・ドーム》!」

 

 私が魔法名を発した瞬間、エイジが《シールドバッシュ》でスタンを付与しながら、サルから距離を取った。流石エイジ、分かってる。

 

 溜まった鬱憤を晴らすかのように放たれた私の風魔法は、サル二匹を取り囲むように半球を作り出した。

 

 スタンを受けなかった方のサルは自身の危機を察知したのか、風のドームに向かって蹴りやらパンチやらを繰り出して破壊しようと試みていた。

 

「ウキっ!?」

 

 が、しかし。壁に攻撃が当たった瞬間、サルが悲鳴を上げた。血が吹き出し、体毛が禿げて皮膚が見え隠れしている。

 

 それもそのはず、このドームは大量の《ウインドカッター》によって出来ている。その為、とにかく切れ味が良いのだ。

 

「それじゃ、どんどん狭めていくから、脱出頑張ってね!」

 

 私は中にいる猿たちにそう告げると、宣言通り《サイクロン・ドーム》の範囲をかなりの速さで縮小させた。

 

「お前、無慈悲だなぁ……」

「ウキキィっ!?」

「諦めろサル。フウカの機嫌が悪くなった時に襲ったのが運の尽きだったな」

 

 エイジのそんな同情する声と、サルたちの悲痛な叫び声が聞こえたが、私は無視して今度はグランピーが相手をしている《ジャイアント・ダンパ》に向き直った。

 

 当たり前だが、見た目では先程の猿たちより強そうだ。

 

《サイクロン・ドーム》が終了したことにより回復した魔力を使って、私は《フレイム・インパクト》を発動させた。確かこのパンダ、GTOで戦った時は火属性が弱点だったはず。

 私が放った岩位の大きさの火炎弾は、宙に残り火を残しながら一直線にパンダへと飛んで行く。

 

「あ、グランピー。危ないから避けてね〜」

「何を小娘。危ないことなんかなにも──のわぁ!?」

 

 私の忠告を素直に聞き入れてくれたらしく、グランピーは私の魔法を見た瞬間に横っ飛びで回避した。

 グランピーとの戦闘に集中していたパンダは、どうやら火炎弾に気付いていなかったようで……。特に回避行動も防御姿勢も取らずに、火炎弾が直撃した。

 

 燃え上がる炎の中でのたうち回るパンダ。

 

「うーん……なんか可哀想に思えてきた。動物愛護団体に通報されたら、私の存在消されそう」

 

 たしか前までレッドリストに入ってた気がするし。まぁ、この世界じゃ関係ないけどね。

 

 しばらくのたうち回るパンダを見ていたが、やはり火属性が弱点だったらしく、思ったよりも早く動かなくなった。

 

「とりあえず勝利ー!」

「まぁ、結果はどうであれ、お疲れさん、フウカ」

 

 プスプスと焦げるパンダを背に、エイジと二人でハイタッチをする。

 

「アホか小娘! ワシまで巻き込む気か!」

 

 しかし、素直に勝利を喜べないドワーフが一人。そりゃそうだ。今回の戦闘で唯一何もしてないんだから。

 私は少しだけ勝ち誇りながらドワーフに向かって言葉をかけた。

 

「ちゃんと忠告したし、グランピーも避けたんだから問題ないでしょ。あんたに任せるより早く終わったし」

「なんじゃその言い方は!?」

 

 ほら、自覚があるからそれだけしか言えない。

 最初こそドワーフだということでかなり興味をそそられたのだが……。先程の自我の強さと言い、彼の性格を知ってからは彼だけは苦手だということに気づいてしまった。

 

「まぁ落ち着けって。グランピーもよく足止めしてくれてたよ」

「……ふん」

 

 そのクッションとしてあれこれと働き掛けてくれているのがエイジ。

 前衛で精神力もすり減るのに、私の好みの問題で間に挟まってしまって。なんか申し訳ない気持ちで一杯だ。

 そんな彼に少しでも休息をと思い、私は彼に提案した。

 

「剥ぎ取りはどうする?」

「んー……。ホワイトさんの娘さんの救出が最優先だから、惜しいけど放置で行こうか。レベルが上がるだけでありがたいし」

 

 しかし、彼はにこやかにそう言って私の提案を断った。……まぁ、エイジが言うなら私は止めやしないけど。

 

「いい心掛けだ小僧」

「へいへい。そんじゃ早く先に行くぞ」

 

 彼はグランピーの戯言に付き合う気は無いらしく、そこで会話を切るとスタスタと歩き出した。私もその後に続き、グランピーも腕を組んで無言でついてくる。

 

「ねぇ、エイジ」

「なんだ?」

 

 暫く歩いた後に、私が前を歩くエイジに話し掛けると、彼は先の戦いで傷ついたバックラーを鍛冶スキルで修復しているところだった。

 

「エイジはさ、その《リッチクイーン》とスノウちゃんがどこら辺にいるかって検討ついてるの?」

「……んーある程度仮説は立ててあるけど、今の所は分からないな。でも、GTOとかRPGゲームでは決まって最深層にボスがいるからな。取り敢えずはそこまで行ってみるつもり」

「そっか」

 

 その仮説が当たってるかどうか定かではないが、取り敢えず廃屋や家があったらその都度中を見るよう仄めかしてみよう。私が彼に負担を掛けないようにするために、少しずつヒントを出そうと、私は考えたのだ。

 

 私が返事をした直後、彼の持つバックラーが光を帯びた。どうやら鍛冶スキルが成功したようで、見る見るうちに傷が消えていく。

 

「とりあえずこんなもんか」

 

 エイジはそう言うと、バックラーをまるで剣のように振り回した後に満足気に頷いた。どうやら彼の納得のいく出来だったようだ。

 

 だがしかし。一人納得をしていない者が──。

 

「おい小僧。そんな装備だと前衛職ではちっときついかもしれんぞ」

 

 グランピーである。彼はエイジのバックラーに手を伸ばして状態を確認すると、ウンウンと頷く。

 

「やっぱりな。防腐耐性が全くついとらん」

「どういうことだ?」

 

 エイジが問うと、グランピーは顎髭をわしゃわしゃと弄りながら続けた。

 

「そんなことも知らんで来とったのか! 全く……。《ヘッセンの谷》はな、下層に行くにつれて敵が毒を持つんじゃ。もちろん盾で防げば問題ないのじゃが、偶に変異種で盾をも溶かす毒を持つ敵が現れる。その敵が来た時、その盾じゃ対抗できん」

「そんなモンスターがいるのか……くそ、少し油断してたな」

 

 エイジが直したばかりのバックラーを見つつ顔を歪めた。GTO時代のエイジならそう聞いたらその場でエンチャントをして新しい耐性を付けていたのだが、やはりまだ、こちらの世界のエイジでは厳しいようだ。

 

「予備の盾も防腐加工なんてしてないし、どうしたもんか……」

 

 彼が悩ましげに唸る。今はとにかく時間が惜しい。改めて街に戻って防腐加工をするなんて、とてもじゃないが無理そうだ。

 

 そう思っていると、グランピーが一つ意味ありげに咳払いをした。

 

「しょうがない。ワシが今打ってやろう」

「え、本当か? ってか、出来るのか!?」

 

 エイジが驚いたように言うと、グランピーは顔を真っ赤にして反論した。

 

「出来るに決まっとろう! ワシはホワイトの嬢ちゃん専属の騎士であり、王家直属の鍛冶師じゃ! これくらい容易いわい!」

「マジか……」

 

 私は文字通り空いた口が塞がらなかった。

 確かにGTOでも、なんならほかのゲームでも、ドワーフは鍛冶師ってイメージがあったけど。ここまで絵に描いたような状況になるとは思わなかった。

 

「そりゃありがたい! 早速頼む」

「ふんっ! 本当はお前みたいな若造の為になんか打たんが……今回は特別だ。スノウの嬢ちゃんの救出でお代はチャラにしてやろう。ほれ、剣も寄越せ」

 

 先程までの拒絶具合はどこへやら、グランピーは意気揚々とエイジの防具や武器を受け取ると、アイテムストレージを開いた。次いで臨時用だろうか、鍛冶台や風呂敷、釜などを次々と地面に置いていった。

 

「さて、材料は足りとるな。取り敢えず全部強化してやるから、お前さんらは少しばかり休憩しとれ」

「ありがとうな、グランピー」

 

 エイジが改めてお礼を言うと、グランピーは一瞬頬を赤くした後に、その色を遮光マスクで隠した。

 

「ふん、嬢ちゃんの為だ。これくらいはやってやる」

 

 そう言った後に、グランピーは「そこの小娘。お前のも後で鍛えてやるから今は若造を守っておけ」と言って作業に取り掛かった。

 

 私はあまりにも唐突な流れで困惑していたが、隣に座るエイジの様子と、火属性魔法を巧みに扱うグランピーの様子とを交互に見やって考えを改めた。

 

 グランピーは、きっと根は優しいドワーフなんだろうな、と。

 

 後で、ちゃんと今までの事を謝っておこう。



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ヘッセンの谷 第二層 訓練

「毒は出来る限り盾で防げドアホゥ! 後ろに飛び散るじゃろうが!」

「毒攻撃の対処初めてなのにそんなの出来るか!」

「えぇい! 本当に使えない若造じゃな!」

 

 武器の強化も時間通りに終わり、私達はその性能を試している内に二層目の階段を発見した。

 

 一層のモンスターをあらかた倒している内にわかったのだが、グランピーの鍛冶スキルは本物だった。たった数十分の強化で、ここまで変わるものなのかと目を見張るくらいに。

 

 具体的には、エイジの盾はあの《ジャイアント・ダンパ》の爪攻撃をいとも簡単に弾き返す程に強度が増し、更に毒耐性と腐食耐性が。

 私の杖は全魔法の効果が二割方強化されている、といった感じだ。

 

 私達はそのことを彼に感謝しつつ、二層へ続く階段を降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——そして今。私は近くにあった石の上に座って、グランピーがエイジに指南するのを傍観していた。

 

 今、彼らが相手をしているのは《ポイゾネス・キャット》。緑色の表皮を持つ猫である。正直見ていて気持ちが悪い。

 

 猫の攻撃方法は爪攻撃と飛びつき攻撃のみなのだが、その攻撃はどちらも毒属性を帯びていた。

 

 発見当初はその危険性を鑑みて、気付かれる前に私が無詠唱魔法でぶっ飛ばそうと考えていたのだが、その案はグランピーによって却下された。

 

「あの《ポイゾネス・キャット》は、ここらへんの毒属性モンスターの中でも最弱種じゃ。若造の防御練習にはもってこいだ。小娘は……しばらくそこら辺に座っとれ」

 

 つまり、モンスターが瞬殺だとエイジの練習にならないから小娘は手を出すな、ということらしい。

 

 グランピーの言い付け通り、私はこの石の上に座って傍観し、エイジは挑発スキル《タウント》で上手くタゲを取りながら毒攻撃の対処の練習を繰り返していた。

 

「ほれ、飛び付きくるぞ! 物理攻撃と口から飛んでくる毒も同時に盾で受けてみぃ!」

 

 腕を組んだグランピーがそう言った直後、後ろ足をバネにした毒猫が、勢いよくエイジに飛び向かっていく。

 

「こんな感じ……かっ!」

 

 それに対してエイジは、その場でズッシリと構えてバックラーを前に突き出すと、盾スキル《ブラントガード》を発動させた。

 

 盾が仄かに光を帯びたその瞬間、毒猫が口を開けてエイジ目掛けて突進した。

 ガゴンッ! と鈍い音が響き渡る。

 

「いい感じじゃないか若造! 毒もちゃんと防げておるぞ!」

 

 グランピーが嬉しそうにそう言うと、エイジは力ずくで毒猫を押し返してから言う。

 

「今のは単調な攻撃で毒と物理がどこに来るか分かったから、何とかな」

「それでも三回目でそこまで出来るのは誇って良い。《ジャイアント・ダンパ》のジャストガードと言い、騎士長アルドとの戦闘と言い、少しばかりお前さんを過小評価してたわい」

 

 グランピーは髭をわしゃわしゃと触りながら続ける。

 

「そいじゃ、次の段階に進むとするかのぉ。どれ、その盾ちっと貸してみぃ」

 

 エイジは言われるがままにグランピーに盾を渡すと、彼はその盾を腕に着けた。

 

「若造……いや、この呼び方はもうやめておこう。お主、《鏡盾》は使えるか?」

「《鏡盾》? ……あぁ、《ミラー・リフレクト》なら使えるぞ」

 

 《ミラー・リフレクト》。中級盾スキルで、タイミングよく盾を押し出すと単発魔法を反射するものだ。

 

 エイジの返答にグランピーは満足気に頷くと、《タウント》を発動させてエイジから毒猫のタゲを奪い取った。

 

 毒猫が一目散に小柄なドワーフへと向かっていく。モーションは違うが、先程と同じく飛び付き攻撃だろう。

 

 グランピーは毒猫をスッと睨み付けながら盾を斜め前へと構える。次いで盾が白色に光だし、表面は高い空を反射して青く輝く。

 

 それと同時に毒猫が大きくジャンプをして、口から緑色の液体を吐き出した。

 彼は瞬時にその毒に盾を合わせると力強く前へと突き出した。

 

「むんっ!!」

 

 その掛け声と共に盾に当たった毒が180度方向を変えて、今にも飛びかかろうとする毒猫の顔へと命中した。

 

 普通毒類の攻撃は粘着性が高く、盾に当たったら空気中に蒸発するまでは残るものだ。それなのにグランピーは、そんな魔法でもない毒を、文字通り《リフレクト》したのだ。

 

「あんなことできるんだ……」

 

 私も、少し遠くにいるエイジも目を見張ってその光景を見ていた。

「ギニャァァ!!」と悲鳴を上げてのたうち回る猫を傍目にグランピーはエイジの元に戻ってくると言った。

 

「とりあえずこんな感じじゃ。マスターすれば最深部近くまではほとんど毒を食らわずに行けるじゃろう。どれ、お主もやってみぃ」

「とりあえず分かったが……どうにもタイミングが掴みにくそうだな」

「それは慣れるしかあるまい。出来ればこの階層中のマスターを目指してくれ」

 

 グランピーはそう言ってニヤリと笑うと、続いて私に声を掛けた。

 

「おーい、そこの小娘! ちょっとこっち来い!」

 

 ……どうやら私はまだ小娘扱いのようだ。私はその事が少しだけ気になってしまい、不機嫌に返事をした。

 

「なによ」

「小娘は確かウィザードじゃったな。得意魔法はなんじゃ」

「一応全属性の魔法は使えるけど……一番得意なのは風」

「……風か」

 

 グランピーがあからさまに残念そうな顔をしたので、私は意地になって声を荒らげた。

 

「今一番使ってるのが風魔法ってだけで、他の属性も一応出来るんだけど」

「そうかそうか。なら小娘には初級水魔法の威力上げをして欲しい」

「水魔法? なんで」

 

 ここら辺には火属性のモンスターは出ないはず。むしろ水属性の魔法が効果がないモンスターの方が多いのだが……。

 

「それは後で分かる。今はワシの言うことを聞け、小娘が」

「……っ! あんたねぇ……!!」

 

 そこは素直に教えれば良いのに! 

 

 グランピーの吐き捨てるような言葉に、私は怒りを顕にした。それに対して、彼はやれやれと言った風に溜息をついた。

 

「小娘。それだからお前は小娘のままなんじゃ」

「……どういうことよ」

 

 私が問うと、グランピーはこちらも見ずに話を続けた。

 

「どうもこうも自分の言動と行動を振り返ってみぃ。宮廷魔導師に勝ったからと、お前さんは相当自分の魔法に自信があるようじゃが、戦い方がなっとらん。そんな戦い方をしていると、いつか大変な事になるぞ」



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