あの味を求めて (ネコジマネコスケ)
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あの味を求めて

 ――思いついたからにはやってみようとは思うものの、いつもの騒ぎもなければやる気もなかなか起きないわけで。

 

 ホシノ・ルリは空っぽの寸胴鍋を目の前にして、無言でたたずんでいた。小さな手には草臥れた紙片が握られている。これといって特別な素材ではない、単なるメモ。中身だって暗号などではない、ただの文字列。いくらかの材料と、いくらかの手順と、たくさんの感情を盛り込まれたレシピだった。

 果たしてこのレシピに込められたのは愛情だったのだろうか。

 作成者に質問するのは、彼女としても気が引けた。

 元より、まだ捕まえていなかった。天河明人は未だ帰還していない。

 

 愛がいっぱいのパズルゲームにもよくよく飽きてしまって、最初は突き返そうと思っていたメモを見つけたのが運の尽き。平和な時代の軍人なんてものは土台暇人、スキモノの集合体だといっても過言ではないと思う。高度に電子化された軍艦を四六時中監視している意味はないし、火星の後継者もいまや沈黙して三年だ。今更小細工を仕掛けようというのなら、一体どこに基地を構えているのだろうか。考えるだけでも面倒で、きりがない。

 有事にあらねば司令官などお飾りで、食事時を過ぎた厨房に立っていようが何の問題もないのだ。

 

 

「とはいえ、ここからどうしましょうね」

 

 オモイカネに呼びかければ包丁で材料をカットしてくれる。煮込み時間はタイマー設定、材料は音声認識システムを利用して――それ以前にIFSが作動して冷蔵庫から飛び出してくるだろう。

 至れり尽くせりで申し分ない。申し分がなさ過ぎて、自分で料理しているという感覚ではもはや無い気すらしてくる。

 そうなるとこの艦内で料理をすること、というよりも自力で何かをすること自体オモイカネに断りを入れておかないといけないのかもしれない。

 冗談はさておき、いざ作ろうと思うとこれが中々気が引ける。

 

 彼が帰ってくるのを待つべきではないのか。

 彼女が考えているのは、おおよそそんなところだった。

 平和を望む彼の人が、天河明人自身が作るからこその、手元にあるレシピだ。

 そのような感情が湧くこと自体、あの賑やかで騒がしくて呆れるほどのバカばかりの船員たち、彼らのおかげなのだから。

 小さく口元を上げて、彼女は台所机に置いた調理器具を片付け始めた。

 後ろ向きなのか前向きなのか、今一つ判断に困る行動であったが、結論を出すことに意味はないのだろう。

 しかしそうなると問題となるのは、部下の誘いを断ってまで作り出した時間のやり場である。休日・停泊中・ひとりぼっちの3拍子がそろってしまった今、彼女にやるべきことはない。皆無である。

 

「……ラーメンを調べに行きましょうか」

 

 ふとした思い付きだったが、これが良い案に思える。

 いつか自分で作る時が来るだろう。いつか誰かと、厨房に立つ時が来るだろう。

 その時の為に研究しておくのは悪いことではないはずだ。

 すかさず展開した複数のアプリケーション・ウィンドウに目を走らせる。近辺の有名店がリストアップされていた。地図情報を取得すれば迷わずに向かうことができるだろう。

 

 彼女の指先が、その中でも「一番の人気店!」と名打たれた窓を弾いた。次に最も大通りに近い店を除ける。

 ぺしぺしぺしぺしと無造作に選択肢を減らしていく姿は事務的だったが、どこか外出の機会に心躍らせる少女らしさも見て取れた。電子の妖精などと呼称される彼女が、少女を自称していたことを知るのは、今や数少ない人間に限られている。

 その数少ない人間の半数程度が行方不明となっているのは、悲劇なのだろうか。

 当事者たちは、おそらくそのようには考えていないだろう。

 だから彼女はラーメンを食べに行くのだ。

 よし、と呟いて少女は一つの店を選んだ。レビュー記事すらつかない小さな店だ。名物は八宝菜、ラーメンですらない。

 外出用の私服に着替えた彼女に構う人間はいなかった。一度艦の外に出てしまえば、世間は地位だのなんだのを気にしないでいてくれる。

 彼女は適当なタクシーを捕まえると、店の名を伝えて座席に体重を預けた。

 

「お嬢ちゃん、珍しいねえ」

 

 運転手の老人が柔和な口調で言った。揶揄するような風情はない。

 

「そうですか?」

「いや、悪いわけじゃないけどね。あの店、おっちゃんたちみたいな労働者が集まる場所だからさ」

「はい。そうらしいですね」

 

 変わってるねえ、と彼は笑っていた。ハンドルさばきに影響がなければいいと思うが、そもそもオートパイロットで運用しているのだろう。

 

「おじさんは常連なんですか?」

「まあそうだね。最近はあまり行かないけど、数年前から通っていたよ。いつだったかな、若い男の子もいてね。彼の作る料理は美味しかったな」

「どこに行ったんでしょうね」

「ほんとにねえ」

 

 雑談をしているうちに、店の前に辿り着いた。次の外出もタクシーにしてみようか、などと考えつつ店構えを眺めてみる。

 古い。清潔感にあふれてはいない。沈みかけた夕日に照らされるその姿は、仕事に疲れた人々の憩いの場に相応しい佇まいだった。

 店の名前は、と看板を眺めていると、丁度店内から主人が顔を覗かせた。

 

「あの、今やっていますか」

「おう、入んな。珍しいな、好きな席に座ってくれや」

 

 店内は、中途半端な時間帯だからだろう。客は全くいなかった。昼時を過ぎ、夕飯時でもない。自分のように気が向いた、変な人間が立ち寄るほうがおかしいのだ。

 渋いおじ様がカウンターの奥に入っていくのを眺め、お品書きを開く。

 お世辞にも品目が多いとは言えない。だが定食屋としての王道はおさえられている。

 ラーメンと八宝菜を頼み、やることもなく付けっ放しのTVから流れる平和的なニュースに耳を傾けてみる。

 まな板と包丁が、雑音に交じって規則的な音を奏で始めた。不思議と安心する音だ。

 普通の家庭に生まれ育った人間なら、なおさらこの音に親しみを持つのだろうか。

 よく分からないが、彼らと過ごした時間が、自分にもこの感覚を授けてくれたのかもしれない。

 

「――すっかり世の中も平和になったよな」

 

 カウンターの奥からのんびりとした声で話しかけてくる。

 

「……ええ、そうですね」

「そうだよな。今ならあいつも、まともに働けるのかね――」

 

 かん、とお玉が中華鍋をたたく甲高い音が響いた。

 旨そうな香りが店内を満たす。中華の基本は準備が八割、ここから全ての材料を一気に合わせるという段階なのだろう。

 やがて料理が完成し、皿が目の前に置かれた。

 あんで固められた野菜からは、食欲をそそる香ばしい湯気が立ち上っている。ラーメンは具が少ないシンプルなもので、飾り気はないが飽きが来ない素直な醤油ベースのスープだ。

 

 一口、二口と食べ進めるうちに、自分が店主に見られていることに気づき、彼女は顔を上げた。

 

「あの、何か」

「いや、今の若い子にこういう味はうけるのかってね」

 

 派手な味ではない。

 ある意味、これは町の味だ。洗練された料亭や、ドレスコードのあるレストランではまず出されないだろう。

 だけれども、懐かしい味だった。

 一度もこの店には入ったことがないが、それでも。

 いつか誰かに作ってもらった、料理の味がしたから――

 

「ええ――とても、おいしいです」

 

 無性に嬉しくなって、彼女はそう言ってもう一口白菜を口に運んだ。

 

 



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