鼓草の魔術師と兎の弟子 (おま風)
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序章 00

「私の元へ、おいで」

 

 その女は、母に似ていた。容姿はもちろん、声も仕草も・・・・

 亜人族の見た目をした私が、誰かにこんな話をしようものなら、出来の悪い冗談だと笑われることは明白なのだが、その姿は私の記憶と一片の相違もなく、本物の母親が遂に迎えに来てくれたのかと錯覚してしまう程であった。こちらへ差し伸べられた、白く細い腕に視線が落ちる。暖かそう――――そう感じた。

 この手を取れば、私は何を得られるのだろうか。代償は? 失うものは、あるのだろうか。周囲は不思議と静まり返り、二人だけの時間が流れる。心音は落ち着いている。頭も澄み渡っていた。母の姿をした女が、優しく穏やかに笑いかける。慈愛に満ちたその表情は、私を安心させるには十分に足るものであった。幸せの予兆とでもいうのか、明るい未来を容易に連想させた。口元が自然と緩むのを感じる。

 例え、何かを喪失するのだとしても、その未来を見てみたい、この女から与えられる幸福を享受したい。確かにそう思った。腕に自然と力がこもる。女の手に自らの手を重ねるために。永遠に続く、信頼と忠誠の呪いを刻むために。

 

――――だが、私の腕は自らの腿にぴたりと固定され、持ち上げられることは決してなかった。明白な拒絶。女の顔が悲しそうに陰る。その瞳を見て、心がきゅうっと締め付けられた。それでも、拒絶した。

 

『嘘の音色』が聞こえたからだ。

 

 お互いに視線を交わしたまま数秒の刻を過ごした。しばらくして女は、「そうですか」と寂しそうに俯くと、ふわりと身を翻し、何処かへ消えてしまった。その表情は私の記憶の最後に刻まれた、母のそれと酷似していた。

 

 そして、音が返ってくるのを感じた。静寂は終わりを告げ、喧騒が襲う。私の周りに友達と呼ぶにはいささか浅い関係の知り合い達が群がってきたのだ。怒涛の質問攻めが鼓膜に押し寄せる。私は、とりあえず愛想笑いを浮かべながら、適当に返答し、逃げるようにその場を後にした。

 皆の話を聞く限りでは、あの女はかなりの有名人らしい。せっかくの申し出を断る理由が見つからない程度には・・・・

執拗に追いかけてくる好奇心の群れを上手く撒いた私は、人影のない魔術学校の校舎裏でとんっと壁に背中を預ける。そして、ぽつりと呟いた。

「なんで、断っちゃったんだろう?」

 女の名は『クローディア・マーゴット・アシュリー』。ここ中央都市の最高権力者である『大元帥』の称号を持つ、『至高の魔術師』の一人。何者にも平等であり、慈しみに溢れた聖母のような存在で、人々は敬意をこめてこう呼んだ。

――――『創造の魔女』と。

 




どうも、おま風です。

マイペースに書いていこうと思います。もし、気に入っていただけたら、感想とか評価とか頂けると励みになります。


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第一章 鼓草の魔術師 01

「・・・・ただいま」

 後方でぎぃっばたんと、耳障りな音をあげながら玄関の扉が閉まる。見慣れた木造の箱。天井は低い。歩を進める度に足元からぎしぎしと悲鳴が聞こえる。埃っぽい空気に微かに香るカビの匂い。生活に必要な最低限の物資のみを配置した、装飾の全くない空間。私は、背負っていたリュックを壁から不自然に飛び出した大きめの釘に引っ掛けると、玄関を進んで右手側にあるリビングの先、朝食で使用した食器の残骸達が流し台の中で無残に放置されたキッチン内の冷蔵庫から、紅茶の入った瓶を取り出した。そして、思わず顔をしかめる。

「うわ。ぬるっ。全然冷えてないじゃんか。まーた、魔力回路が故障したのかな・・・」

 すぐには修理する気が起きず、常温の瓶を片手にリビングまで戻ると、ぼすんとソファに飛び込んだ。ぶわっと埃が舞う。けほっけほっと咳き込んでから、瓶の口を咥える。薄いフレーバー水が喉を通過し、ここでようやく『帰宅』を実感した。

「おぉ、おかえり。人生最後の学校生活は楽しめたのか?」

 自宅の感覚にほっとする私の背後から、聞き慣れた声がした。

「これが、楽しめた人の顔に見えるの?」

 ソファに深々と腰を埋めたまま、上半身だけを捻って振り向く。そこには、ぼさぼさと清潔感の欠片もなく髭を伸ばした体格の良い強面のおじさんがいた。長身のドワーフのような姿で、頭をぶつけないようにかがみながらリビングへと入ってくると、隣にどすんと勢いよく座った。反動で私の体は数センチ飛び上がり、元の位置へと着地する。

「ははは。すまんすまん。親代わりとしては、娘のことが気になって仕方ないんだよ」

 豪快に笑いながら、ごつい掌でごしごしと私の頭を撫でる。

「痛いってば! ランドルフ! 耳はデリケートなんだから、優しく撫でてって何回言えば分かるの?」

 ばっとランドルフの手を払いのけ、きっと睨みつける。が、当の本人は全く意に介した様子はなく、再び頭を撫でまわし始めた。

 『ランドルフ・ロバート・エイデン』

 戦争孤児であった私を拾ってくれた育ての親である。昔は、著名な魔術師であったらしいが、今は田舎のボロ小屋で魔道具を制作する薄汚いおやじだ。ランドルフ曰く、ある事件がきっかけで魔術に関する力のほとんどを失ってしまったそうだ。確かに、物心ついたころから彼が魔術を使用している姿を見たことはない。

「物覚えが悪くてすまんな。がははは」

 大気が振動するような声量で笑う。私はがくんがくんと頭を振り回されながら、大きくため息を吐いた。

「だーかーらー。いい加減にしてってば!」

 思いっきり、ランドルフの腹部にボディブローを放つ。「うっ」と短く呻くが、その脂肪の大盾の前では一体どれほどの効果があったことやら。むしろ、私の拳の方がじんじんと痛んだ。しかし、拳の犠牲により暴力的な、『よしよし』は無事に中断された。ぐしゃぐしゃにされた髪の毛を手櫛で簡単に整え、ついでに頭部から天高く伸びた二つの耳が折れ曲がっていやしないか触診しておいた。

「で、実際どうだったんだ? 師匠は見つかったのか?」

 ランドルフがおずおずといった風にこちらの様子を伺った。

「いんや。魔術適正第壱級の私に師匠なんて付くわけがないでしょ。誰も眼中にないよ。せっかく六年間も遅刻も欠席もなしに学校へ通ったのにね」

「・・・そうか。残念だったな」

 ランドルフは、腕を組んで「うーん」と唸る。

 この世界では、全ての人間が魔術を使用できる権利を持って産まれてくる。その才能にはもちろん個人差があるのだが、六年制の魔術学校を卒業するころにはほぼ全ての生徒が応用魔術を使用できる程度のレベルである、魔術適正第弐級に到達する。そして、卒業式と同時に行われる『契りの儀』、生徒たちの間で言うところの『マッチング会』にて、外部の魔術師と師弟関係を結び、より高度な魔術を学んでいくのだ。師弟の契りが交わされると、契約魔術によりミドルネームに師の名が刻まれ、そこでようやく一人前の魔術師として認められる。

 ちなみに、私の階級である魔術適正第壱級は定義上、基本魔術の使用ができる程度のレベルに相当し、これは魔術学校への入学に必要な最低ラインと規定されている。つまるところ、入学時から何も成長していないのである。

 同級生は本日、私を除き全員が名を得た。『名無し』は、私のみだ。何となく予想はしていたが、ショックでないというと嘘になる。

「やっぱり亜人の私には無理な話だったのかな・・・・」

 ふかふかの白い毛で覆われた膝小僧に肘をつき、頬杖をしながら呟く。

そもそも、亜人族は純粋な人族と比較すると魔術適正が極端に低い。大多数が魔術師となる人族とは逆に、魔術師になれる亜人族は一握りしかいないと言われている程だ。

「そんなことはないさ。ルナは十分な成果を上げているよ。俺の知っている亜人で魔術に精通しているのはお前くらいだ。立派なことだよ。学校側ももっとそこは評価してもいいと思うのだが・・・・」

「ランドルフ、学校の大人たちは種族の違いなんて見てないよ。大事なのは魔術が上手く使えるか使えないか。魔術適正が高い生徒なら、亜人とか関係なしに評価されるんだよ」

「ふむ、そうか」

「とはいっても、所詮は落ちこぼれの種族。魔術適正があるって分かった時にはちょっと、ほんの少しだけ期待したんだけど、見えない壁は私の想像よりも遥かに高いんだね・・・・」

「まぁ、何も魔術師になることだけが全てではないさ。ここで、俺の仕事を継ぐのも一つの生き方だよ。そう気を落とすな。ルナ。お前は素晴らしい存在だ」

 ばつが悪そうにもごもごとした口調で励まそうと試みるランドルフ。全く、図体だけはでかいくせに、こういう時にはとても気が小さいのだ。だが、その優しさが私には嬉しかった。

「・・・ありがとう。ランドルフ」

「・・・・お、おぅ」

 見た目とは裏腹に意外と硬い体に身を預ける。幼いころからずっと注がれ続けた父親の愛情に、心が落ち着くのを感じた。将来の事は、これから真面目に考えていかなければ・・・・

いつまでも、ランドルフの優しさに甘え続ける訳にもいかない。家業を継ぐにしろ、魔術の師匠を見つけるにしろ。早く恩返しをしてあげたい。独り立ちをして、毎日朝から晩まで働くこの巨人に楽をさせてやりたいものだ。

 師匠・・・・か。

そこでふと、あの女の事を思い出した。どうして、今まで忘れていたのか不思議なくらいではあるのだが。

「ねぇ、ランドルフ」

「ん? どうした? 高い高いでもして欲しくなったのか?」

「違うわ。私をいくつだと思ってんの」

「我が子はいつまでも可愛いままなんだよ。それで? 何だ?」

「そういえばさ、今日一人だけ声をかけてくれた魔術師がいたんだよね」

「ほぉ。それは良い目をした奴もいたものだな」

「なにそれ。皮肉?」

「いや、本心だよ。で、何て声をかけられたんだ?」

「私の元へおいでって」

「それは、願ってもない申し出じゃないか。でも、さっき師匠は見つからなかったって」

「何でなのかは分からないけど、断っちゃったんだよね」

「それまたどうして?」

「何というか、嘘の音が聞こえたというか・・・」

「・・・・嘘の音か。たまにお前が言うやつだな」

「やっぱり、今思い返すとすごくもったいないことしたなって・・・」

「まぁ、そうかもしれんな。でも、直感もあながち馬鹿にならないぞ。もしかしたら、そいつはとても悪い奴だったかもしれないし。断って正解だったのかもな。がはははは」

 大きな口を開けて笑う。拍子に目視できるサイズの唾が数滴テーブル上に散布された。和やかな雰囲気が流れる中、私は続けた。

 

「それがさ。その人、『創造の魔女』だったらしくてさ」

 

「っ!」

「え?」

 そこまで話して、空気が一変したのを感じ取った。バチっと何かがはじける音が聞こえる。さっと顔をあげると、ランドルフの表情は今まで見たこともない程に真剣なものになっていた。どくんっと心臓が高鳴る。

「ランドルフ?」

「それは、本当か?」

「えっと、多分。皆が言ってたから本当だと思うけど。きっと、他の誰かと勘違いして私に声をかけちゃったんだろうね」

「そうか・・・」

 ランドルフは、ふぅーっとゆっくりと息を吐いて、両手で顔を覆った。明らかな動揺。逞しい腕が小刻みに震えているのが確認できた。

「大丈夫?」

「あ、あぁ。大丈夫だ。なぁ、ルナ。その選択をお前は正しいと思うか?」

「えっと、ちょっとだけもったいなかったかなって、向こうの勘違いだったとしても、お金持ちになれるチャンスだったからさ」

「頼む。真面目に、答えてくれ」

「あ、え、うん。私は、間違っていないと思う」

「もし、再び彼女がお前に手を差し伸べたとしたら、どうする?」

「また、同じように断る、と思うよ?」

「本当にか?」

「うん」

「後悔はしないか?」

「しないよ」

「絶対にか?」

「絶対に」

「・・・・・そうか。よし。分かった。それがお前の選択なんだな」

 ぱんっと自らの顔面を両手で叩く。腕の震えはおさまったようで、手をどけた後に広がる表情も平常時のランドルフのそれであった。

「一体、何だったの?」

「あぁ、気にするな。年寄りの戯言だよ」

 

――――『嘘の音』が聞こえた。

 

「それとさ、その魔術師さ。私の母親にすごく似てたんだよね」

「っ、またその話か・・・」

「ランドルフ、この話だけは信じてくれないよね」

「そりゃそうさ。お前は十五年前に、戦争で焼け落ちた名も無き村で拾ったんだ。お前の言う二ホンなんて言う大陸は存在しないし、トウキョウと名の付く都市も聞いたことが無い。なにより亜人のお前の母親が純粋な人族である訳がないだろう?」

「だから、当時の私は人だったんだよ。こんな長い耳なんて生えてなかったし、下半身がふわふわの毛で覆われても無かったの! そもそも、こんなファンタジーな世界に生きてはっ」

「夢の話は勘弁してくれ。お前の名は『ルナ・エイデン』。兎人族の孤児で、落ちぶれた老兵に育てられた、ただの魔術師見習いだ」

 まただ。また、この音だ。人が人を騙すとき、陥れる時、真実を都合の良いように捻じ曲げようとする時。必ずこの音が聞こえる。

 『嘘の音』

 ランドルフは、私に何かを隠している。それは私にとって重要な秘密なのだろう。

「何で、信じてくれないの?」

「信じるとか、そういう問題ではないんだよ」

ランドルフは嘘吐きだ。

「教えてよ。何か知ってるんでしょ?」

「頼むよルナ。俺を信用してくれ」

 きっと、私を守るための優しい嘘吐きだ。

「信用してるよ。信用してるからこそ、本当の事を教えてほしいの!」

 でも、それでも、私は知りたい。真実を。確かに魂に刻まれている、母との思い出の正体を。ただの夢である筈がないのだ。ただの夢で、こんなに心が苦しくなる訳がないのだ。

「ルナ!!」

 バチバチバチ

 一際大きな声に、はっと我に返った。ランドルフの放つ怒気にびくんっと体が震える。

「・・・ごめん」

「・・・いや、謝るのは俺の方だよ。情けない父親で本当にすまない」

 ランドルフは、そっと私の肩に手を置いた。私はその手に自分の手を重ねる。

「あと少しだけ待って欲しい。お前の選択を絶対に無駄にはしない」

「・・・分かった。もう少しだけ待ってみる」

「すまないな・・・・色々とあって疲れただろう。今日はもう寝なさい」

「でも、冷蔵庫がまた故障しちゃって。それに食器も洗わないと」

「あぁ。それなら俺が何とかしておくよ。夕食は、お前の部屋にパンが置いてあるからそれで済ませなさい」

「・・・・分かった」

「さぁ。お休み」

「お休み、ランドルフ」

 乗せた時と同様にそっと肩から手が離れる。私は、ソファから立ち上がると二階の自室へと続く階段の方へ歩を進めた。リビングを出る直前、ランドルフが私に声をかける。

「ルナ。俺の娘よ、いつまでも愛しているぞ」

「私もだよ。ランドルフ」

 そう言って振り返るが、見えたのは大きくて弱弱しい少し曲がった背中のみだった。

 

 

――――――――――――

 

 

 ※※※

 ランドルフは冷却能力を失った無能なガラクタから、アルコールの入った瓶を取り出し、口いっぱいに含んだ。特有の苦みが舌を刺激する。流し台をちらりと覘くが、見て見ぬふりとでもいう様にすぐにそっぽを向いた。ふぅっと小さく息を吐き、ルナのいなくなったリビングに戻ると、アルコールをもう一口堪能してから、瓶をテーブルに置いた。そのまま、窓の方へ歩いていき、取手に手をかける。

「『豚のシチューはいかが?』」と、早口で呟く。すると、ガチャリと窓の鍵がひとりでに開いた。取手を握った拳に力を加える。ぎぃーっという不快な音を発しながら、外の世界と繋がった。すっかりと暗くなった外界から心地よいそよ風が流れ込んできた。

「何の因果か、まさか俺の人生を奪った彼女達に助けを求める日が来るとはな・・・・」

 ランドルフは、ゆっくりと目を閉じると、何かを決心したように頷いた。一度、窓を離れテーブル上の瓶の残りを一気に内臓に流し込む。

「本当にこれで良いんだよな。ルナ・・・・」

 虚ろな瞳でそう呟くと、再度開け放たれた窓へと進み、胸の前で右の手の平を天に向けた。パチ、パチと右手の周囲に小さな火花が生まれ、そして消える。次第に火花の数は増え、その内のいくつかが消えることなく手の平の上に集まってくる。ランドルフは、その様子を穏やかな表情で眺めていた。そして、拳大位の大きさの炎が完成した所で潰さないようにふわりと握り、額の前で左手も添え祈るような恰好をする。

「頼んだぞ」

 しばらく、そのまま黙り込んでから、右手を窓の外に突き出す。

「小さき女神よ。この便りを届けておくれ。『ジャーマンアイリス』」

 バチバチバチバチ

一段と大きな燃焼音が響き、ランドルフは閉じていた拳を開いた。すると、みるみる内に炎は妖精のような容姿の翼が生えた小さな人型へと姿を変え、しゅんっと何処かへ飛び立ってしまった。無言でそれを見つめ、完全に見えなくなったところでがっくりと項垂れた。

 

「君の判断は、賢明とは言い難いんじゃないかい?」

 突如、背後から声が聞こえランドルフは静かに振り返った。

「オルグレンか・・・」

「ひどく疲れているようだね。いつにもまして、酷い顔だ。」

「相変わらず、一言多い奴だ。何しに来た?」

「何しに来たとは心外だね。あの子の将来に関わる重要な分岐点だろ? まさか、僕を抜きにして決定するつもりではないだろうね」

オルグレンと呼ばれた男は、にこりと笑うと、ソファに座ろうとしてその汚さに気付き、一瞬顔を強張らせる。

「この前僕が掃除してあげたのに、どうしてほんの数日間でここまで汚すことが出来るんだい? 本当に君達は、僕がいないと何もできないね」

「あぁ、ルナの換毛期なんだ。それで余計だろう」

「いや、それだけじゃないね。君、ビールか何かこぼしただろう。この前はこんなシミなかったはず・・・・」

「まったく、口うるさい奴だな」

「旧友として、君の事が心配なんだよ。それに、あの子の事も。僕にとっては妹みたいなものだからね」

 オルグレンは、ソファを避け、その隣に配置された木製のぼろぼろな椅子に腰を掛けた。そして、笑みを消す。

「あの子の元に、『創造の魔女』が現れたんだろう?」

「どこまで知ってる?」

「君が知っている程度のことかな。その場に居たわけではないから、詳しい話は知らないよ」

「・・・・あぁ、『あの方』が仰ったそうだ。『私の元へおいで』と」

「それで、あの子は断ったんだって?」

「そうだな」

「なんてもったいないことをしたんだろうね」

「俺もそう思うよ」

「君は、それで良いのかい?」

「どういうことだ?」

「さっきの魔術。あれは、彼女たちに宛てたものだろう。その意味をきちんと理解しているのかい?」

「ちょっと待て」

 ランドルフは、どしどしと急ぎ足でテーブルまで歩を進めると、その上の小さな熊の置物に手を乗せ、「『宝石の海を魚が泳ぐ』」と唱えた。

「なんだい?」

「音が外部に漏れないようにした。ルナの耳は特別だからな」

「君の作成した魔道具か・・・・相変わらず、へんてこな呪文だ」

「ありきたりな呪文だと、万一盗まれた時に悪用されるだろう。俺は用心深いんだよ」

「音消しを使ったってことは、真面目に話し合う気はあるってことだよね」

「聞くだけ聞いてやる」

「何で、彼女たちを呼ぶんだい? あの子は、『創造の魔女』の元にいた方がきっと幸せになれる。『ルナ・クローディア・エイデン』。良い名じゃないか。親としても鼻が高いだろう?」

「そうだろうな」

「それとも、僕が仲介しようか? この『導きの魔術師』が。いや、いっそのこと僕があの子の師匠になるのも良いかもね。『ルナ・オルグレン・エイデン』。うーん。ちょっと語呂が悪いかな。でも、それはそれで味になるよ、きっと」

「確かに、その方がルナは幸せに暮らせるだろうな」

「そこまで理解しているのに、どうして彼女達なんだい。よりによって、君から全てを奪った彼女達に・・・・」

「力を奪われたのは、当然の報いだよ。因果応報っていうやつだ。それに、彼女達でないと駄目なんだ」

「彼女達に会えば、いずれあの子は秘密を知ることになるよ。その先にあるのは、最悪の結末だけだ」

「分かっている」

「分かっていないね。真にあの子の幸せを願うなら、この選択は絶対に間違っている」

「お前の言う通りだ」

「君は、最愛の娘を不幸にしたいのかい?」

「違う」

「今ならまだ、僕の魔術で君の飛ばした炎を打ち消すことができる」

「それは駄目だ」

「どうして?」

「駄目だ」

「君は、やっぱり何も分かっていない」

「幸せだけが、正しいとは限らない。正しいと思っていたことが、後になって過ちだったと気付くこともある」

 バチバチと、ランドルフの周囲に火花が散り始める。

「急に何を言い出すんだい?」

「ルナの過去が歪んだのは、俺達の犯した愚かな過ちが原因だ。だから、隠してきた。その真実は、ルナにとって幸せとは対極の位置に存在するから」

「だから、生涯を懸けてあの子を守ると約束したじゃないか」

 唐突にランドルフが、テーブルに拳を叩きつける。どしんっという衝突音が響き、それに呼応するかのように火花が舞った。

「ルナが自分で選んだんだ。『あの方』と過ごす幸福に満ち溢れた未来よりも、自らの過去に立ち向かうことを・・・・娘の選択を、無駄にしたくはない。例え、それが過ちだったとしても、親としてルナの選択を、あの子の背中を支えてあげたいんだよ」

 そう言って、オルグレンの瞳をじいっと見つめる。オルグレンは、少しの間何かを考えたようなそぶりを見せたが、すぐににこりと笑みを作った。

「決意と勇気、それと深い愛情、素晴らしい瞳だ。まるで、オコビスのドラゴンのようだね。分かったよ。僕の負けだ。君の選択を称賛し、我が名に誓って導こう。この『導きの魔術師、オルグレン・ロック・エンジェル』がね」

 やれやれとオルグレンが肩をすくめる。ランドルフは、安心したようにほっと胸を撫で下ろした。

「良かったよ。これで、俺がいなくても・・・・」

「ん? なんか言ったかい?」

「いや、気にしないでくれ」

「そうかい」

「あぁ、大したことではない」

 そして、ランドルフは開け放たれた窓に向き直った。その先、暗黒に包まれた外の景色を睨みつける。

「オルグレン。早速頼みがあるんだが」

「なんだい?」

「・・・・彼女達が現れるまで、絶対にルナを外に出さないでくれ」

「え? それってどういうっ!」

 オルグレンが言い終わるよりも先に、甲高い少女の声がこだました。

「古びた英雄みーつけた!」

「なぜ、奴が?」

「誰?」

 ランドルフが身構え、オルグレンも椅子から立ち上がろうと足に力をこめる。が、

「じゃあ、死んじゃってー。轟け。『レッドスパイダーリリー』」

 かっと眩い閃光が走ると同時に、けたたましい轟音が鳴り響いた。

 

 

――――――――――――

 

 

 ジャーマンアイリス : 花言葉『焔、情熱』、別名『ドイツアヤメ』、特徴『虹の花と称される程に様々な色彩の花を咲かせ、欧米ではヒゲアイリスとも呼ばれる。また、アイリスの名は、ゼウスの妻ヘラに仕えるイリスが虹の女神となった際の逸話が由来している』

 

 

――――――――――――




おま風です。

この作品に登場する魔術には全て『花』の名前が与えられています。なぜ、その魔術にこの花の名が与えられたのか?

この物語を読み進めるうえで、一つの楽しみになるのではないかと思い、そういう世界観にしてみました。今後、少し特殊な世界観が幾つか出てくるかとは思いますが、全部ひっくるめて楽しんでもらえたら幸いです。(語彙力のなさやばいw)

また、近いうちに更新予定です。


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第一章 鼓草の魔術師 02

「何々!? 何の音?」

 突如として鳴り響いた轟音。夢現であった私の意識は、強制的にこちら側へと連行された。全身に鳥肌を立たせながら、硬めのベッド上で勢いよく身を起こす。が、

ごすっ

「うぐっ」

 クローゼットを改造して造られた特性の寝床だ。自室の中でも最も天井と近いことを忘れていた。ぎりぎりと引き絞られ、その後に放たれた矢のような速度で衝突し、鈍痛が襲う。

「くぅーっ」と、額を両手で抱え、前かがみになって耐える。視界がぱちぱちと歪むが、そのおかげで思考は急速に覚醒した。

 涙だとは思うが、視界が若干湿っぽく曇っている。再度頭をぶつけないように、姿勢を低くしてベッドから飛び降りると、すぐに階段へと走った。元々、ランドルフが一人で住むために建築されたあばら家であるため、二階には簡易的な物置部屋とその隙間に無理矢理設けられた私の自室しかなく、窓も設置されていない。先程の音の正体を確かめるには、一度一階に降りる必要があるのだ。

タッタッタっと駆け足で階段を駆け下り、リビングへと飛び込む。

「やぁ。先週ぶりだね」

「え? あれ? オルグレン?」

 そこには、ソファの隣のぼろ椅子に深く腰を下ろし、どこから調達したのか黒い液体の注がれたピカピカの白いカップを片手に、優雅に寛いでいるオルグレンの姿があった。いつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべ、こちらを振り向きながら軽く手を挙げる。

「ランドルフから、ルナはもう寝ているって聞いていたのだけど、もしかして僕に会うためにわざわざ顔を出してくれたのかい?」

「えっと、さっき、物凄く大きな音がしなかった? 直ぐ近くで落雷があったみたいな」

 少しだけ荒くなった呼吸を整えながら尋ねた。

「ははは。見事なスルーだね。悲しくなるよ・・・・」

 オルグレンは、わざとらしく切なそうな表情を作ってみせた。

「そんなことより、何か音がしなかった? びっくりしてそれで目が覚めたんだよ」

「音? そうだね。したよ。いきなりだったから、僕も驚いたよ」

「何の音だったの?」

「雷だよ」

「雷って、雨も降ってないのに?」

「そうさ。別に、雷と雨はセットってわけではないだろ? 可笑しなことではないと思うな」

「そ、そうだけどさ・・・」

「あ、そういえば、台所の食器放ったらかしみたいだけど、洗わなくても良いのかい?」

「げ? 嘘。洗ってないの?」

「本当さ。君に嘘はつけないよ」

 流し台の方に顔を向ける。この位置からは確認できないが、そこには洗浄待ちの行列ができているのだろう。結局、私が処理することになるのか、と落胆する。

 そこで、ふとあることが気になった。ランドルフはどこに行ったのだろうか?

「ねぇ? オルグレン?」

「何だい?」

 こちらに後頭部を向けたまま、コーヒーをすする。

「ランドルフは?」

「ん? あぁ、ランドルフなら、そっ! 熱っ!」

 想像よりも高温だったのか、口につけた途端にカップを遠ざける。さらに、勢い余ってカップから手が離れ、コーヒーが宙を舞った。

がしゃん

盛大に床にぶちまけられる漆黒の水滴。純白の陶器の破片も周囲に飛び散った。

「あちゃあ・・・やっちゃったよ」

「もう、何してんの? 子供じゃないんだから。今、雑巾持ってくるから少し待ってて」

 まったく、自分があれだけ家を汚すなとうるさいくせに。聞かれると面倒なので、心の中で小言をぼやく。

「あぁ、大丈夫だよ。僕が何とかするから」

「でも・・・」

「君も言っただろう? 僕はお子ちゃまじゃないのさ。これくらい一人で片づけられるよ」

 そう言って、ちらりとこちらに目をやる。その視線は、私の背後に向けられていた。

「それはそうと、ランドルフが帰ってきたみたいだよ」

「え?」

 私は、反射的に後ろを振り返ろうとした。しかし、すぐに違和感に気付く。

ランドルフが帰ってきた? そんなわけがない。足音がしなかったのだ。数メートル先でヤモリが這う音でさえ鮮明に聞こえる自慢の耳が、あの巨体が地面を叩く音を逃すはずもない。

ずずずっと、聞きなれた音が耳に飛び込んでくる。それは、生物が発する音でもなければ、無機物の擦れる音でもない。どちらかというと、抽象的で実態のない、『嘘の音』に似た疑似的な音。周囲に溢れているため、意識しないと認識することはできないが、間違いなかった。

『魔力の流れる音』だ。

ぞくっと背筋に悪寒が走り、振り返ろうとして半分捻った体を無理矢理折り曲げて、その場にしゃがみ込む。

その瞬間、頭上を魔力の塊が通り抜けた。耳の先端を軽く掠め、リビングの壁に激突する。どすんという鈍い衝突音が響き、そちらを見上げるが、何かがぶつかったような痕跡は残っていなかった。続けて、オルグレンに視線を移す。そこで、状況を把握した。理由は分からないが、あの驚愕の表情、魔力弾を放ったのは紛れもなく、彼だろう。私が魔力の流れる音が聞こえることはランドルフにさえ告げていない。あの絶妙なタイミングで回避されるとは思ってもみなかったはずだ。

「くそっ」

オルグレンは、すぐさま椅子から立ち上がろうとする。私をどうするつもりにしろ、本腰を入れようというのか。そもそも、オルグレンと私では魔術師としての格が違いすぎる。魔術の打ち合いになれば、基礎魔術しか使用できない私に勝ち目はない。かといって、肉弾戦でも到底敵わないだろう。人族と亜人族では、基本的に亜人族の方が身体的優位な立場にあるのだが、私は子供で女で、しかも弱小種と名高い兎人族だ。脚力には自信があるのだが、上半身は人のそれであるため、腕力等については優位な立場にない。

だが、唯一攻勢に転じることが可能な点があった。ばっと右腕を上げ、手のひらをオルグレンに向ける。ここは、私が育った家だ。地の利はこちらにある。

「『漢は我慢と包容力』」

 いつか、ランドルフのメモ帳を盗み見た際に記してあった『椅子の魔道具』の呪文を唱える。すると、どこから出現したのか、一瞬にして何本もの黒い帯のような物体が出現し、立ち上がる寸前のオルグレンに巻き付いた。

「なっ! これも、魔道具!?」

 黒帯の大軍は吃驚する彼の肢体を何重にも拘束し、無理くりに椅子へと引き戻した。じたばたともがくが、とても頑丈で切れそうにない。

 私は、すぐさま別の魔道具の元へと跳躍した。花の生けられていない荒んだ花瓶を豪快に蹴り落としながらテーブルに飛び乗る。ばきぃっと木材が泣く嫌な音がしたが、今はそれどころではなかった。背伸びをして真上に釣り下がる電球に手をかざす。

 その姿を見て、オルグレンは蒼白し、取り分け強く抵抗した。

「駄目だ、ルナ!! 今この結界を解いたら!」

「『お化けの夫婦よ、姿を現せ』」

 忠告を無視して、呪文を唱える。

 ぱぁっと周囲の景色が変化し、幻覚で塗り固められた虚像が崩れ去る。そして、眼前に現実が広がった。

 

 

――――――――――――

 

 

 リビングの崩壊部分から強風が吹き込んでくる。何かにより燃えたのか、周囲には黒く焦げた木材が散らばり、ぷすぷすと煙をあげていた。燃焼時の独特な匂いもする。数歩先にあるはずの窓、壁に立掛けられた埃をかぶった箒、申し訳程度に飾っていた名も無き絵画に、森で拾った綺麗な石を詰めた瓶・・・・つい数時間前までには確かにそこにあったはずの物、記憶に新しいそれらは全て、跡形もなく消滅していた。半分以上の面積を失い、居間としての機能を失った思い出の空間。外界との境界線も曖昧だ。頭上の電球はちかちかと明滅し、空の暗さと混ざり合って視界はかなり悪い。

「・・・・」

 変わり果てた自宅の様子に、声を失った。驚きとか悲しみとか、そういった感情が込み上げる以前に理解が追い付いていなかった。一体、何があったのか? 頭の中をその疑問だけが埋め尽くしていた。傍らではオルグレンが、悲痛ともとれる表情を浮かべていた。

「ねぇ、これって、どういう、こと?」

 わなわなと震える唇を無理矢理に動かして、尋ねる。

「僕も分からないよ。一体君たちは、何をしたんだい? ランドルフに君をここから出すなって言われたからっ!」

「しっ!」

 吹き荒れる風の音に混じって微かな物音が聞こえ、さっと人差し指を唇に当てる。それを見て、オルグレンもすぐに口を噤む。何かを引きずるような摩擦音と、小さな足音。

「こっちに誰か来る・・・・」

 じいっと暗闇の先に目をこらす。人影らしきものは見えないが、感覚的にそう遠くにはいないはずだ。

「だろうね。姿消しの魔術が解けたんだ」

「誰か分かるの?」

「あぁ。それよりも早くこの拘束を解いてくれないか。君を安全な場所まで転移させないと」

「それって、私が狙いってこと?」

「多分ね」

「何で私なんかを・・・・」

「それは、恐らく君のっ!」

 オルグレンは、途中まで言葉を紡ぐと、何かを感じ取ったのか、きっと表情を強張らせた。私も再度暗闇に視線を移す。足音が近づくにつれ、ぼんやりと姿が視認できるようになっていく。そんなに大きくはない。いや、むしろ小さい。私とほとんど変わらないくらいの背丈だろうか。

「ごめんよ、ルナ。そろそろ本気で余裕がないようだ」

 その人影も、こちらに気付いたようで、すっと歩みを止めた。

 

「あはぁ。いるじゃーん」

 

 歓喜の声をあげたのは、ボリュームのある真っ赤な長髪を両サイドで束ねた釣り目の少女であった。年齢は同じくらいに見える。黒を基調としたぶかぶかのローブに、赤、黄、白色の螺旋模様がいくつも描かれている。あまり良い趣味とは言えない、黄色い髑髏に真っ赤な十字架が突き刺さったような禍々しいネックレスをぶら下げ、にぃっと口の端を吊り上げていた。左手でころころとそのネックレスを弄り、右手は背後に回し何か大きな物を掴んでいる。

「手遅れになる前に、僕を解放するんだ」

 小声で囁くオルグレン。

「あは。本当に亜人なんだぁ。その耳、可愛いねぇ」

「貴方は、誰? それと、後ろに隠している物は何?」

 体中を駆け巡る不吉な予感。暑くもないのに自然と汗が滲み出てきた。

「え? 知らないの? まぁ、無理もないか。ねぇ。教えて。なんで、貴方みたいな亜人風情が、あの方に必要とされたの?」

「先に、私の質問に答えて」

「えー。生意気なやつ。私を誰だと思ってるのかなー」

「分からないから聞いてるんでしょ」

「・・・・ふうん。そういう態度とるんだ」

 ざぁっと一際強めの風が吹く。少女の声が明らかに一段トーンダウンした。同時にちかっと一瞬だが、少女の周囲に光が走る。私は直感的に身の危険を感じ、オルグレンの座る拘束椅子に手を伸ばした。

だが、少女が背後に隠していた物体を自らの足元に放り投げた瞬間に私の意識は完全にそちらへ持っていかれた。

「ランドルフ!」

 それは、まごうことなくランドルフであった。完全に脱力しきっており、意識があるかも確認できない。もちろん、生死の判別も・・・・

「駄目だ! ルナ!」

 オルグレンが叫ぶが、その時にはすでに駆け出していた。「くそっ」と、背後から舌打ちが聞こえる。

「面倒くさいのは嫌いだから、本当にあの方の弟子になる資格があるのか、確かめてあげるね。殺しちゃったらごめーん」

 そう言って、少女は右手の人差し指をこちらに向ける。同時に聞こえる魔力の流れる音。音源は、指の先端。何かが来ると感じ、身構える。

「貫け。『レッドスパイダーリリー」」

「導いてくれ。『クリナム』」

 ほぼ同時に前後から魔術の詠唱が響いた。まず目に写ったのは強烈な閃光。少女の指先から放たれたそれは、回避行動に移行する暇もない程の急速度で一直線に私へと向かってきた。避けられない。と、すぐに理解する。

 だが、その一撃が私の体に触れる刹那。ばあっと視界が白一色に染まった。オルグレンの魔術だ。ふわりとした浮遊感に包まれる。そして、気が付くと木々が鬱蒼と生い茂る森の中にいた。

 

 

――――――――――――

 

 

「はぁ。何とか間に合った」

 背後でオルグレンが荒い息を吐いていた。その顔には、大粒の汗が見える。拘束魔術に捕らわれながら、強制的に魔術を使用したため、かなりの負荷があったのだろう。片膝をついた状態で、ごほごほっと咳をしている。私は、すぐに彼に駆け寄って、肩にそっと手を添えた。

「ごめんなさい。オルグレン。私が言うことを聞かなかったから・・・・」

「いや、気にしないでよ。説明不足だった僕も悪かったからね」

 にこりとするオルグレン。不自然な笑顔から、身体的な辛さが見て取れた。どれくらいの距離を転移したのか。今のところは、周囲にあの少女のものと思われるような気配はしない。

「ランドルフを、助けに行かないと・・・」

「駄目だ」

「でも」

「彼女はこの中央都市でも最高位の魔術師の一人だ。僕らが敵うような相手じゃない」

「あの子が?」

「あぁ。さっきの魔術名を聞いて確信したよ。『レッドスパイダーリリー』。中央都市、いや、この大陸であんな固有名を持つ魔術師は一人しかいない。『彼岸花の雷帝』、この地にて『最も多くの敵を殺した元帥』だよ」

「『元帥』って、どうしてそんな地位の魔術師が私を・・・・」

「言っていただろう? あの方の弟子になる資格があるのかって」

「でも、あれはきっと何かの間違いで」

「間違いなんかじゃないんだ。『創造の魔女』は、他ならぬ君を選んだんだよ」

「そんなの、ありえないよ」

「・・・・君には、君の過去には、君の知らない秘密が隠されているんだ。詳しくは話すことが出来ないんだけど、世界に関わる重大な秘密が」

「それって、私の夢と何か関係があるの?」

「あぁ」

 すっとオルグレンが私の頬に手を当てる。

「これから、君はその過去と向き合って生きていかなければいけない。強い意志と、勇気、仲間への思いやり。正しい道を歩む必要は無い。正しいと思う道を歩むんだ。その先が絶望だとしても、絶望の先に何かが見つかるかもしれない」

 真剣な眼差しで私の瞳を見つめる。

「素晴らしい瞳だ。まるで、オコビスのドラゴンのようだ。ふふ。血は繋がっていなくても、きちんと彼の意志を継いでいるんだね・・・・君の選択した未来は、僕が導くにはあまりにも大きすぎる。でも、この危機的状況を乗り越えるまでは、全力で君を導くよ。この名に誓って」

 オルグレンは、手を頬から頭へと移動させ優しく撫でると、ゆっくりと立ち上がる。そして、混乱する私に「さぁ、とりあえず今は逃げよう。雷帝の狙いは君だ。遠くへ逃げれば、その分ランドルフからも危険が遠ざかる」と、手を差し伸べた。私は、ランドルフの安否が心配ではあったが、今はオルグレンを信用することにした。

「分かった」

 こくんと頷き、差し伸べられた手を取る。

 どごぉんと、遠方から激しい閃光と爆音が響いた。

「御怒りのようだね」

 私は、ごくりと生唾を飲み込んだ。あんな雷撃を喰らったら、ひとたまりもないだろう。想像しただけで恐ろしい。

 私たちは、音がした方向とは反対へと小走りで進み始めた。

 

――――――――――――

 

 クリナム : 花言葉『どこか遠くへ、汚れのない、貴方を信じる』、別名『ハマユウ、ハマオモト』、特徴『神事の際に使用される木綿(ゆう)のような、垂れた白い花を咲かせる。花言葉のどこか遠くへは、種が波に乗り遠い地へ運ばれることに由来する』

 

――――――――――――

 




ども。

最近暑いですね。小説書いてると楽しくなって、冷房つけることも忘れて没頭してしまうので、机がべたべたしてて気持ち悪いです。

今週末は、掃除しようかな。

また、近いうちに更新します。


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第一章 鼓草の魔術師 03

 どれくらい時間がたったのだろうか。辺りは徐々に明るくなり始めていた。時折聞こえる雷鳴を背に、広大な森林をひたすらに走り続けていた。オルグレンは満身創痍で、到底魔術を使用できる状態ではなさそうだった。顔色は真っ青で、目も虚ろだ。容体は明らかに悪化しているように感じた。

「大丈夫?」

「うん。何とかね・・・・」

 息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。そんな辛そうな様子に責任を覚え、私はぐっと唇を噛みしめた。それにしても、こちらの進行速度はオルグレンの現在の状態もあって、それほど速くはないはずなのだが、全く追いつかれる気配がない。わざと一定の距離を保っているような。不安は時間を重ねるごとに募っていった。そして、ちらりと背後を振り返る。

「君も、気付いたかい?」

「え? うん。何となく」

「雷帝は、明らかに何かを企んでいるね。あの動き、多分僕たちの正確な位置は把握していて、なお追いつかないように調整している。まるで、狩りを楽しんでいるかのようだね。それに、僕の体調が一向に回復しないことも気になる。最初は、拘束魔術の影響かと思ったけど、明らかに別のっごほ!」

 突然、激しく咳き込むオルグレン。そのままバランスを崩して膝をつく。私はすかさず支えようと手を伸ばした。が、地面に散らばる赤い液体を見て、体が硬直した。

「本当に大丈夫なの!?」

 それは、口元を抑える彼の手の指の隙間からぽたぽたと零れ落ちていた。続けざまに咳をして、同じように飛び散る赤。間違いなく、血だった。オルグレンが、苦しそうにひゅーひゅーと息を漏らす。どう考えても異常だった。それでも、立ち上がろうとする彼を見て、私は必死に制止した。

「駄目だよ。無理しないで。吐血してるじゃない」

「大、丈夫だから。君を、ごほっ、導か、ないと」

「良いから! 一回休憩しよう。死んじゃうよ」

 強引にオルグレンをその場に座らせ、様子を看る。今にも気を失ってしまいそうな程に衰弱していた。素人目からしても、深刻な状態であることは間違いなかった。

「どうして。こんなことに・・・・」

 焦燥感に駆られるが、何をすれば良いのか見当もつかない。そんな役立たずの自分が情けなかった。たかが私なんかの為に、ランドルフが倒れ、オルグレンも今・・・・

 私が、『創造の魔女』に差し伸べられた手を取らなかったから? それだけのせいなの?

 明確な理由も分からず、大切な人々が傷ついていく。 ――――私のせいで。

「もう、嫌だ・・・・」

 自然と涙が溢れてくるのを感じた。夢ならば、早く覚めてくれと心の底から願った。懇願した。しかし、災厄はすぐそこまで迫ってきていた。

 

がさがさと、草木を掻き分け高速で何かが接近する音。私は、すぐさまその方角に体の正面を向けた。数秒の後、姿を現したのは一匹の狐、の姿をした何かだった。

「何、なの? こいつ」

 見た目は、唯の狐ではあるのだが、明らかに何かが違う。魔力のノイズが、ひどいのだ。この狐の周囲からというよりは、むしろその内部に、何重にも重なり絡み合って魔力が渦巻いている。まるで、その体内でハリケーンが発生しているような、そんな禍々しい音だった。そして、狐は何の前触れもなく、ぱかぁっと口を開いた。

「あはぁ。やっとで効いてきたみたいだねぇ。かなり薄めに吸わせたから、もう少し時間がかかるかと思ったけど、あの椅子のおかげかなぁ」

 発せられたのは、あの少女の声だった。ぞわっと体中に鳥肌が立つ。

「もう、逃げないのー? 狩猟ごっこは御終いかなぁ。じゃあ、飽きてきたし、終わりにしようか? 弾けて侵せ。『レッドスパイダーリリー』」

「っ!」

 呪文を唱えるや否や、ぶくぶくと狐が泡立ち原型が崩れていく。そして、額だった箇所に亀裂が走ったかと思うと、ぶわっと勢いよく黄色い煙が吹き出した。すかさず身を引くが煙の侵攻の方が若干早い。煙の正体は分からないが、有害じゃない訳がない。慌てて口を抑える私に、死角から何かが覆いかぶさった。瞬間、反射的に押しのけようとするが、直ぐにそれがオルグレンだと理解した。口元から血を滴らせ、かすれた声で叫ぶ。

「彼女を、導け! 『クリナム』!」

 ばあっと、白い布上の魔力が私たちを包み込み、数メートル先の茂みへと転移させた。体力を使い切ったのか、そのままこちらに倒れこむオルグレン。私は、踏ん張ってその体を支えると、ゆっくりと横に寝かせた。

「大丈夫!? あんな状態で魔術を・・・・」

 返事は返ってこなかった。目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。呼吸音はまだかすかに聞こえるが、かなり危険な状態なのだろう。額に手を当てると、その体温の高さに驚いた。かなりの高熱も出ているようだった。

続けて、自分達の置かれている状況を把握するため、転移元に視線をやる。煙は三メートル程度先で途切れており、どうやらここまでは届かないようであったが、私の視界には、もっともっと凶悪な存在が写っていた。息を呑み、それを睨みつける。

「やっほぉ。しぶといねぇ」

 首を若干斜めに倒して、こちらに手を振り、無邪気に笑う少女。その素振りに怒りがこみ上げ、ぎりりと歯ぎしりをした。

「あっはぁ。何? 怒ってんのぉ? 恐いなぁもう」

 笑みを崩さずに、ばればれの嘘を吐く。

「でも、驚いたでしょ? 皆最初は驚くんだよねぇ。ほら、私って勝手に『雷帝』って呼ばれてるからさぁ、皆私の魔術の本質を雷か何かだと勘違いするんだぁ・・・・」

 そう言って、顔の横で右手の人差し指を天に向ける。ばちばちっとその周りを、小さく電気が走ったかと思うと、直径十センチ程度の丸い球が形成される。

「でも、違うんだよねぇ。私の魔術ってちょっと特殊でさぁ」

 少女が円を描くように、指先を一周させる。すると、電気の球は瞬く間に、もわもわとした黄色い煙の塊となった。続けて、人差し指を折りたたみ思いっきり手を開く。ごおぉっという爆音と熱風をあげ、巨大な火柱が出現したかと思うと、少女が手を閉じるのと同時に姿を消した。

「私の魔術の本質は、『雷』じゃなくて『数』なんだよねぇ。でも、それを知っているのはごく僅か。寂しいよね。仕方ないんだぁ。だって、私の魔術を見た人ってほとんど死んじゃうからねぇ」

 引き裂けんばかりに口の端を吊り上げて、楽しそうに笑う。滲み出る狂気に、足が竦んだ。怒りと恐怖が私の中で葛藤し、強烈な吐き気が込み上げてくる。彼女に立ち向かったとして、万が一にも勝てるイメージが沸かない。格とかの問題ではなく、住む世界が違うのだ。本能がそう告げていた。それでも、家族は、ランドルフとオルグレンの二人だけは、この身がどうなっても助けたい。そう思った。

「貴方の望みは何?」

 震える唇で言葉を紡ぐ。

「んんー? 私の望み? そうだねぇ・・・・あの方の、一番になることかなぁ」

 少女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、もじもじと体を揺らした。

「あの方って、『創造の魔女』?」

「『創造の魔女』様ね! 『さ・ま』をつけなさい」

「う、ごめんなさい・・・・で、でも、それならどうして私を?」

「決まっているでしょ」

 しんっと辺りが静まり返った。少女の顔から笑みが消える。威圧感に負けて、思わず息が止まった。

「私が、あの方の御目に留まるために、どれだけ努力したと思っているの? 産まれつき恵まれた魔術適正を持ちながら、毎日、死の直前まで体を酷使して力を磨いた。気付いた時には、最年少で、中央都市最高位の魔術師である『元帥』の称号を得た。それでも、あの方の御目に留まることはできなかった。それから私は、あの方の邪魔になりそうな存在を片端から殺して回った。子供も年寄りも関係ない。有名な魔術師も私の前では赤子同然だった。戦争では何万人の魔術師を手にかけた。それでも、私の名は『パトリス・ガネル』。貴方にこの意味が分かる! どれだけ尽くしても、あの方は私を弟子にしてくださろうとはしなかった。だから、私はまだ『名無し』なの! 絶望したわ。思いつく限りの忠義を尽くした。もう、これ以上何をすればいいの! 何を捧げればいいの! あの日から、私の居場所はあの方の御傍にしかないというのに・・・・でも、そんなときに貴方が現れた。遠くから貴方を見つめる、あの方の横顔を今でも鮮明に思い出せるわ。許せなかった。何の取り得もない、亜人風情の貴方が、あろうことかあの方の弟子になろうとしている。死に直面するほどの努力も、忠義も、感謝も、崇拝も、献身も、何も捧げていないお前が、あの方の御目に留まったことがぁ!」

 怒りを露わにしたパトリスが、ばっと右腕を私に向ける。両目は血走り、強く噛みしめ過ぎたのか、唇から鮮血が噴き出していた。明確な殺意。恐らく私はもう、助からないのだろう。

「分かった。もう、抵抗しない。でも、最後に私の話を聞いて。ランドルフは、無事なの?」

 それなら、私に出来ることはこれしかない。死の恐怖に震える体に鞭を入れる。パトリスは答えない。聞こえているのかも定かではないが、続けた。

「お願いがあるの。私は死を受け入れる。だけど、ランドルフとオルグレンは殺さないで」

 目を逸らしたい衝動を抑え、パトリスの瞳を見つめる。パトリスの表情から怒気が消えていくのを感じた。そして、はぁっとため息を吐き、首を振った。

「なになにー? 命乞いじゃなくて、お友達の心配? ほんっとうに、しょうもない奴。はいはい。そんなことね」

「じゃ、じゃあ」

「良いよ。約束してあげるー」

 にやりと笑う。素直に快諾したようだった。

 だが、その時私は次にくるのであろう言葉が容易に推測できた。魔力の流れる音が聞こえる。私を殺すためのものなのだろう。でも、そんなことはこの際、どうでも良かった。恐怖はもうない。その代わりに、抑えようのない墳度が私の心を支配する。そうか。この少女は、最初から、私だけじゃない。私に関わる全てを憎んでいたのか。今までに何回も聞いたこの音。世界で最も醜悪な音。――――間違いなくパトリスは、嘘を吐いている。

 

「なーんちゃって」

想定した通りの言葉を紡ぎ、けたけたと笑う。

「パトリスーーーー!!」

 全身の血液が煮えたぎるような感覚を覚え、無意識に突進していた。間に合わないのは百も承知だ。この行動に意味がないことも知っている。しかし、駆け出さずにはいられなかった。自分に何ができる訳でもないが、もし、奇跡が起きるのであれば、最後に一発だけでも拳を叩き込みたい。それだけだった。

「あはー。さいっこう! じゃあね。うさぎちゃん。死んじゃえ。『レッドスパイダー』っ」

 

「はいはい、そこまで。子供の喧嘩は他所でしな」

 ぼふんと何か硬いものにぶつかり、反動で吹き飛んだ私はそのまま尻餅をついた。訳も分からず、顔をあげると、見たこともない真っ白なローブに身を包んだ長身の誰かの背中が見えた。よく見ると、淡い黄色の縦線が一本、背中の中心に描かれている。

「何かっこつけているの? さっきまで、間に合わないかもって必死に走っていた癖に」

 怒りに我を忘れていて気が付かなかったのか、背後からも別の声がして、振り返る。

 同じような純白のローブに身を包んだ女性であった。左の肩口の部分から黄色い縦線が一直線に引かれている。

「おい。それは言うなよ。恥ずかしいだろうが」

 ちらりと後ろを振り返る白装束。二人ともフードを深く被り、不気味な笑顔が描かれた独特の仮面を装着していた。そのため、表情等を伺うことは叶わなかったが、この雰囲気は敵ではないと考えても良いのだろうか。私は、そろりと中腰の姿勢をとり、いつでも跳躍できるように準備だけしておいた。

「あぁーーーーーーーーあ!! なんっで、このタイミングで邪魔が入るのかなぁ?」

 パトリスは、かなりご立腹の様であった。両手で頭を抱え、ぶんぶんと振り回している。おまけに地団駄も踏んで、溢れる怒りを体現していた。

「おぉ。元気だなぁ。俺と踊るかい? お嬢さん」

「あぁ? 何? 誰に向かってそんな口をきいているのかなー? 死にたいの? まぁ、もう手遅れだけど」

「とんだじゃじゃ馬だ。でも、そういう気が強いのもお姉さん嫌いじゃないぜ」

「あぁ決めた! もう決めた! 殺す! みんな纏めてぶち殺す! お前たちが、誰だって構わない。もう聞くのもめんどくさい。安心して。一瞬だから。でも、多分なーんにも残らないよ。皮も肉も骨も血も、全部一瞬で蒸発するから」

 どわっと周囲の空気が重くなるのを感じた。圧倒的なプレッシャー。パトリスのけたたましい笑い声がこだまし、信じられない程の重量の魔力が集まってくる。数分前に聞いた狐の内部のノイズが可愛く思えてしまう程の轟音。これほどの魔力の塊。すぐに頭に浮かんできたイメージは、御伽噺に出てくる大妖精や、はたまた神。無意識に腰が抜け、再び尻餅をつく。がたがたと振動する腕を力の限り動かし、一心不乱に両耳を覆った。これ以上、この音を聞いたら、頭がどうにかなってしまいそうだったからだ。自然と涎が口から零れ落ちる。鼻水や涙も止まらなかった。体中の穴という穴から体液が噴き出してしまうのではないかという程の不快感。それでも、懸命に視線だけはパトリスから離さなかった。

 そして、突如として、ぴたりと音がしなくなった。魔力の流れが止まったのか、恐る恐る耳から手を放す。気味の悪い静寂がねっとりと漂っていた。パトリスの笑い声も止まり、じろりとローブの女性を睨んでいた。そこから、ゆらりと一瞬体を揺らしたかと思うと「魔装『レッドスパイダーリリー』」と小声で呟いた。

 その瞬間、先ほどの異常な量の魔力が形を成し、パトリスを包み込んでいった。私は、驚愕のあまり、ただ茫然とその姿を眺めることしかできなかった。

知識としては、その存在を知っていた。だが、実際に目にしたのは初めてだったのだ。魔術適正第伍級に達した最高峰の魔術師のみが持つ、魔術の頂。神を超える力を纏う強化魔術の完成形態。

『魔装』

 文字通り、高濃度の魔力を鎧に変換し、自身に装着するという荒業である。その鎧はあらゆる物理攻撃を弾き、魔術に対しても非常に高い耐性を持つという。学校の授業では、この魔術を使用できる者は世界で十人にも満たないと教わった。その内の一人が、目の前にいるのだ。しかも、私を殺そうとしている。

 漆黒の鎧。狐の顔を模った肩当て。その瞳の部分からは黄色い炎が灯っている。両腕からは、ドラゴンを連想させるような太くて鋭利な爪、頭部は蜘蛛だろうか。不気味な深紅の複眼がこちらを覗いていた。そして、背中から生えた八本の手足。これも蜘蛛を連想させるような形状をしており、先端からは、先ほど見たものよりも遥かに濃い黄色の煙がもくもくと噴出していた。

「あっはぁ。久しぶりに使っちゃった。これ使うと、噴き出す毒で皆死んじゃうから、禁止されてるんだよねぇ。でも、今日は気分が最高に悪いから、お前たちは毒じゃなくてこっちで消し飛ばしてあげるね」

 がちゃんがちゃんという鈍い金属音を響かせながら、右の拳を私たちに見せつけるように持ち上げる。バリバリと、その拳が電気を纏う。

「この腕に少しでも触れたら体中の血液が沸騰して、内部から破裂しちゃうんだ。でも、同時に焼け落ちて灰になっちゃうから、ゴミも出ないの。あっは。最高だよねぇ」

 そう言って、デモンストレーションのつもりか、ふっと、その拳をすぐ隣の巨木へとぶつける。ぱぁんと短い破裂音を響かせ、当たった箇所が弾け飛んだかと思うと、一瞬にして木全体が真っ黒な炭へと姿を変え、跡形もなく消滅した。パトリスは得意げに「うふふ。ほらね?」と笑う。

「はは。これは、さすがにいかれてやがるなぁ。萎えちまったよ」

「軽口叩いてないで。相手は魔装持ちよ。戦略は考えているの?」

「決まってんだろ。いつものやつだ」

「はいはい。またそれね。一応言っておくけど、二発目は無いからね」

「おう。この一発で十分だ。頼んだぜ。ネル」

 あれ程の力を見せつけられても全く臆した様子もなく、拳を突き出す長身の白装束。どう考えても、パトリスの凶爪には敵いそうもないのだが、その声色からは溢れんばかりの自信が漲っていた。

「は? 何言っちゃってるのかなぁ? 頭悪すぎ。この鎧知らないの? 本物の魔装だよ? ってわざわざ説明してあげる義理も無いか。自分の体で味わうといいよ。じゃあ、死んじゃえ」

 ずっと腰を鎮めるパトリス。それに合わせて、白装束も姿勢を低くする。そして、ちらりとこちらを振り向く。

「安心しな。俺たちの方が強いから」

 対峙した二人は、ほぼ同時に踏み出した。その間合いはあっという間に縮まり、双方に拳を振りかぶる。パトリスの鎧から溢れだす強大な魔力に周囲の木々が圧倒され、べきべきと音を立てて折れ曲がる。狂風が縦横無尽に吹き荒れ、沢山の木の葉が舞った。

「・・・・っ」

 私は、声も出すことができず、ただただ見つめていた。数秒後に訪れるであろう、凄惨な未来。高らかに勝ち名乗りをあげるパトリス。想像に容易いイメージが頭を駆け抜けるが、なぜか私の心には不安や恐怖といった感情は一欠けらも存在していなかった。むしろ、不思議で仕方がないのだが、安堵してしまっている自分がいた。

「あは! 本当に突っ込んできた! バーカ! そして、バイバーイ」

 打ち出される二つの拳。片方は神話に匹敵する程の一撃。対するは、魔力で多少は強化しているのだろうが、人の域を出ない貧弱な一撃だ。天地がひっくり返ったとしても、勝機は存在しない。

 そして、先端が触れ合うその刹那。

「打ち消せ。『ダンデライオン』」

 背後から吹き抜ける、そよ風を連想させるような綺麗な声。と同時に、目の前で巻き起こった現象に目を見開いた。

「・・・・綿、毛?」

 パトリスの爪の先端を起点として、ぱあっと風に撫でられるかの如く、漆黒の魔装が剥がれ飛んでいったのだ。主の体から乖離した鎧は真っ白に変色し、後方遥か上空へと舞い上がった。それはまるで、たんぽぽの綿毛。大量に出現したそれらは、太陽が昇り始めた薄紫色の空を絶妙なコントラストで美しく彩った。時間にして一秒にも満たない短い合間に、死を纏った黒は一片も残さずに白へと塗り替えられた。

「は?」

 驚愕のあまり何とも形容しがたい表情を浮かべるパトリス。

「お休み。お嬢さん」

 ごきごきごきっ

 白装束の女性の打ち出した拳は、パトリスの細い腕をいとも簡単に粉砕する。ぐちゃぐちゃに潰された右腕を呆けたように眺めるパトリス。そんな彼女の顔面に速度を緩めることもなくめり込む拳。痛みが追い付く暇もない程に一瞬の出来事であった。叫び声をあげることもなく数メートル後方へと吹き飛び、何本かの木々をなぎ倒した後に地面に落下する。一度びくんっと大きく痙攣したかと思うと、そのまま動かなくなってしまった。

 私は、あんぐりとみっともなく大口を開け、へたり込んでいた。何度も何度もせわしなく瞬きをする。ついでにごしごしと両目を擦り、二、三発強めにほっぺたへグーパンチをかました。

 勝ったのだ。あの化物に。この得体の知れない純白の魔術師は、たった一言の呪文と、たった一つの拳で。奇跡としか思えなかった。

「ちょっと、タイミング遅すぎじゃないか? さすがに肝が冷えたぞ」

「そうかしら? ベストタイミングだったと思うけど?」

 感動する私とは対照的に、何事も無かったかのように二人は笑っていた。

「どれどれー?」と、長身の女性が私の前まで歩いてきた。ゆったりとその場でしゃがみ、興味津々と言った様子で顔を覗いてくる。その後ろに、もう一人の女性も移動してきた。

「へぇ。これが、あの『炎王』が手放さなかった餓鬼か」

「もう! 女の子に向かって、その言い方は酷いんじゃない?」

「はは。悪い悪い。まぁ、卒業式って聞いてたから、近くまで来てて良かったよ。文が届いたもんで駆けつけてみたら、まさか雷帝に殺されかけてるなんてな。お前、本当に運がいいよ」

「少なくとも、ホームからだったら間に合わなかったものね。私たちのところに来る前に、死んでしまうところだったわ」

「それにしても、あの頑固爺がこの子を俺たちに譲る日が来るとはな。半分諦めていたけど、わざわざ中央都市まで足を運んで正解だったな。ネル」

「そうね。またホームが騒がしくなるわね。他の子たちにも紹介しなくちゃ」

「ふむふむ。よく見ると、なかなか可愛い顔してるじゃねえか」

「はぁ、良かったわね。貴方の好きそうなロリっ子で」

「あん? ロリっ子? 俺は、小柄で可愛らしい女が好みなだけだ。ロリコンじゃねぇって何回言えば分かるんだよ?」

「はいはい。私にはそういう趣向がないから理解はできないけど、これから気を付けてね。えーと、貴方、お名前は?」

「えっと・・・・ルナ。ルナ・エイデン、です・・・・」

 私は、流されるままに自己紹介をした。あまりの急展開に思考がぐるぐると混乱するが、ちょっと待って。この人たち、さっきから何を言っているの?

炎王? 文? ホーム?

情報が錯綜し、完全に置いてきぼりを食らっている気がする。でも、何よりもまず、引っ掛かった言葉があった。

「ルナちゃんね。これから、長い期間を私たちと過ごすことになるけど、お互い気楽にいきましょう。共同生活をする上で、分からないことや困ったことがあったら、何でも相談してね」

 そう。それだ。私のあずかり知らぬところで、勝手に話が進んでいる。一体、どういうことなのか。初耳なのだが・・・・いつから、私がこの素性の知れない人たちと暮らすことになったのだ。

「あ、あのう? 何で、私が貴方たちと一緒に行くみたいなことになっているのですか?」

 魔装使いを倒してしまう程の実力の持ち主だ。怒らせないようにと、恐る恐る尋ねてみたのだが、私の問いに対して二人は顔を見合わせると、何を言っているんだとばかりに笑い出した。長身の方が、ばしばしと私の肩を叩く。力加減を知らないのか、かなり痛い。そして、懐から綺麗に折りたたまれた一枚の紙を取り出すと、ばっと開いてみせた。私はそれを両手で受け取って、目を通す。

『――――我が娘を頼んだ。ランドルフ・ロバート・エイデン』

 角ばった、サイズのばらばらな文字の羅列。お世辞にも達筆とは言い難い独特の癖字。間違いなく、それはランドルフの筆跡であった。何度も読み返すが、間違いなく彼が記したもので間違いないだろう。まさかの事態に目が点となり、同時に思考が停止した。

 そんな私をよそに、二人はおもむろに仮面を外すと、こちらに微笑みかけた。

「と、いうことだ。よろしくな。お前は俺の好みの顔をしているから、特別に面倒を見てやるよ。良いか。覚えておけよ。俺の名は『グラディス・モニカ・アーサー』。これから、お前の師匠になる女だ」

「もう、それを決めるのはグラディスではないでしょ。ルナちゃん、ごめんなさいね。最終的に選択するのは貴方だから、心配しないでね。っと、私は『ネル・モニカ・ウォルフォード』。人々は私たちの束ねる魔術師集団を『鼓草の魔術師』と呼ぶわ」

「いや、誰がなんと言おうと、こいつは俺の弟子にする。魔術の本質が俺と似てる気がするんだ。今決めた。な? ルナもそれが良いだろう?」

 魂の抜けかけた私の両肩を、がしっとグラディスが掴む。強力な握力で握られ、その痛みで強制的に引き戻された。

「え? えっと・・・・ええええぇぇ!?」

 現実を受け止めきれない私の、心の底から絞り出された悲痛な叫びであった。

 

――――――――――――

 

 レッドスパイダーリリー : 花言葉『悲しい思い出、あきらめ、独立、情熱、想うは貴方一人、転生』、別名『ハリケーンリリー、レッドマジックリリー』、特徴『和名である彼岸花のとおり、彼岸の時期に真っ赤な花を咲かせる。強い毒を持ち、誤飲すると中枢神経の麻痺や吐き気、下痢等を引き起こす。飢餓の際には食料としても重宝されていた。また、日本においては数え切れないほどの異名を持つことで有名』、異名『曼殊沙華、葉見ず花見ず、死人花、幽霊花、地獄花、狐花、狐の松明、剃刀花、火事花、雷花、毒花、痺れ花、龍爪花、など』

 

――――――――――――

 

 




評価が得られる作品を書くか、自分の書きたい作品を書くか。

限られた時間の中で、創作をすることはその葛藤との戦いですね。と、何かそれっぽいことを言ってみる。

小説家の方と繋がりたい。そして、語りあいたい、、、、


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第一章 鼓草の魔術師 04

「絶対に認めない!!」

 私は、両手で力の限りテーブルを叩きつけ、断固とした拒絶の意志を示したのだった。パトリスの襲撃から三日が経ち、私たちは彼の所有する別荘の内の一つに身を移していた。

「あぁ! それは、かなり高価なアンティークだからもう少し丁寧に扱って!」

 それを見て顔面蒼白となるオルグレン。腕を中途半端に持ち上げた格好でにじり寄ってくる。ネルの治癒魔術により一命をとりとめ、体調も回復して、現在は瀕死の状態であったことが夢幻のようにぴんぴんとしていた。より重傷であったランドルフも、彼女の献身的な看病のおかげで、死の危険を無事回避することができた。彼女には感謝してもしきれない。とても返しきれない程の恩を受けてしまった。何度もありがとうと述べたのだが、この気持ちがどれだけ伝わったものか・・・・

 そして、私はと言うと・・・・

「だから、何で私が貴方と一緒に行かないといけないの! 確かに、危ないところを助けてもらったけど、だからって、はい分かりましたって簡単について行く訳にはいかないの。というか、弟子になれって一方的に言われても、貴方のこともろくに知らないのに、承諾するわけないでしょ!」

 テーブルを挟んだ正面にて、偉そうに腕を組みふんぞり返る白装束の俺様系魔術師、グラディスと絶賛論争中であった。あの怒り狂った雷帝をワンパンKOした張本人だ。初めての邂逅時に装着していた気味の悪い仮面を外した彼女は、その言動からは想像できない程に、端正な顔立ちをしていた。吊り気味で切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋、シャープに整った輪郭。左の側頭部を刈り上げた激しいアシメの短髪で、眉毛には剃りこみを入れている。女性にしては、かなり奇抜なスタイルだが、不思議と違和感がなく、お世辞抜きに似合っていると感じさせるのはその美貌のなせる業なのか。だが、その容姿に対する尊敬はおろか、嫉妬の感情さえ微塵も芽生えてこないのは、性格に幾何かの難が見受けられるためなのだろう。

「そう言われても、お前の親父から直々に許可も貰っているんだけどなぁ。お前も見ただろ。あの手紙をよぉ。今更、そんな事言われても、世の中そんなに甘くないぜ?」

 靴を脱ぎもせずに、組んだ両足をどすんっとテーブルに投げ出すグラディス。

「っ・・・・」

 オルグレンは、その粗暴な行動に唖然として口を開けたままフリーズする。だが、直ぐに観念したかのように大きなため息を漏らし、一言も発することなく部屋の隅に設置された高級そうな革のソファに腰を下ろして、俯いてしまった。

「ぐっ。いくらランドルフが許可したからって、私が嫌なの!」

「あぁ? お前の意志なんか聞いてないっての」

「何それ? 私の意志は関係ないってこと? 当の本人の意見は無視なの?」

「そう言ったつもりだったんだけど、理解できなかったのか?」

「ほんっとうに、貴方って最悪な人だよね。言って良いことと悪いことの区別もつかないの!?」

「人の顔ばっかり伺って、都合の良いことしか喋らない奴よりは良い性格してると思うぜ?」

「っ。そういう事が言いたいんじゃなくて・・・・」

 ランドルフたちの無事が確認できてからというもの、ずっとこんな調子である。売り言葉に買い言葉。論点はずっと水平線上を辿り、終着点はまだ見えない。私は早朝からの数時間、休むことなく怒り散らしていたためか、ひどく疲れを感じた。一度冷静になろうとテーブルに乗り出した体を引き、椅子にぼすんと腰を下ろした。

すると、聞き慣れた足音が聞こえてきた。ぴくりと耳が反応する。

「まだやっていたのか。二人とも元気なことだな」

 隣接する寝室からのっそりと姿を現したのは、ランドルフであった。昨夜よりも、随分と顔色が良くなっている。

「ランドルフ! もう体は大丈夫なの?」

「あぁ。おかげさまでな。グラディスも色々すまなかったな。世話をかけてしまって」

「んぁ? 気にするなよ。俺が好きでしたことだ。その分の報酬も頂いたことだしな。まぁ、その報酬が言うこと聞かない駄々っ子で困っているんだけどよ」

 意地悪い口調でそう言って、じいっと私の顔を意味深長に見つめる。

「なっ。報酬って、人を物みたいに言わないで!」

「まぁまぁ、そう怒るなルナ」

「怒るなって、もとはと言えば、ランドルフがあんな手紙を勝手に書くからこんなことになったんでしょ?」

 今度は、横から入ってきたランドルフに噛みついた。

「うっ・・・・それは・・・・」

 熊のような巨体を縮ませて、口ごもる。

「はは。お父さんは大変だな」

 グラディスは、にやにやと他人事のように笑っていた。

 そんな私たちに痺れを切らしたのか、また別の人物が口を挟んできた。

「もう。皆して、何を悠長に話しているの?」

 別の部屋で眠っているはずのネルであった。若干呆れ気味な口調に聞こえたのは、きっと間違いではないだろう。がらがらと木製の引戸を開け、姿を現す。

 白い肌にふわふわの長い金髪。特徴的なのは、両目を隠すように巻かれた白い包帯。産まれつき盲目とのことらしいが、何故包帯で隠しているのかは、あえて掘り下げるような話でもないかと思い聞いていない。亜人であり、その証拠に側頭部からはえている耳はエルフの様に尖がり、羽毛で覆われている。鳥人族と呼ばれ、私の種族である兎人族と同様に、容姿はほぼ人族のそれである『近人種』だ。そのため、差別の対象とされることはほとんどないのだが、亜人特有の強力な身体能力を持たない弱小種のため、生存能力が低く個体数はかなり少ないと言われている。目鼻立ちについては、言うまでもなく美形の領域内に入るのだろう。人形のような小顔で、瞳の形を伺い知ることは叶わないが、白く艶やかな肌と整った各パーツ。グラディスが『かっこいい』寄りの顔であると例えるならば、ネルは『可愛い』という雰囲気の美女であった。

「おう。もう起きたのか?」

「まぁね。あれだけ騒がしくされたら、嫌でも目が覚めるわよ」

 ネルは、目が見えないとは微塵も感じさせない程に自然な動きでこちらまで歩いてくると、ぱんっと手を叩いた。

「それじゃあ、皆勢ぞろいみたいだから、もっと建設的な話をしましょうか」

 たったの一言。それだけであるのに、ここにいるどの大人よりも頼もしく見えた。あぁ、もし弟子になるならこんな人の下が良いなと心の中で呟き、見えていないことは承知の上で尊敬の念を込めた眼差しを送っておいた。

 

 

――――――――――――

 

 

「と、いうところかしら。グラディスの肩を持つわけではないけど、少なくともここに残るよりはずっと安全だと思うわ」

 一通り話し終えて、ネルはにこりと微笑んだ。瞳が覆われているのにも関わらず、こちらの位置を完璧に把握しているようで、きちんと私を正面に捉えていた。

 つまりは、こういう事であった。 ――――今回、パトリスを撃退できたのには、彼女がネルたちを『鼓草の魔術師』として認識していなかったことに大きな要因があり、次回は無傷で対処できるという保証はなく、下手をしたら死者がでてしまう可能性もある。それが無関係の人間であってもおかしくない。

 そして、中央都市にはパトリスの他にも、同等の力を持った四人の『元帥』が存在する。同志であるパトリスがやられたとあって、万が一にも報復が決行された際には、到底勝ち目がない。こちらの主戦力はネルとグラディスの二人しかいないのだ。私はもちろんのこと、転移魔術の専門家であるオルグレンも戦闘に関しては心もとない。それは、ランドルフも同様だ。かなり衝撃的な事実なのだが、ネル曰く、ランドルフはかつて『炎王』という通り名を持つ中央都市の『元帥』の一人であったらしい。しかし、当時の様な圧倒的な力は既に失ってしまっているとのことで、戦いについては全く役に立たないそうだ。

 そこで、この窮地を脱するために、中央都市を抜け、『鼓草の魔術師』のホームがある『北の地』に移り住もうというのがネルたちの提案であった。確かに、ここにこのまま身を隠し続けるのには無理がある。ネルの提案は実に合理的だった。

 ――――だが、

「どうして、私だけなの?」

 なぜか、ランドルフたちは連れていけないとのことであった。

「そうね。ルナちゃんはずっとこの地で生きてきて、外の世界を見たことがないものね」

「うん。そうだけど・・・・」

「簡単に言うと、中央都市と北の地は、恒常的に戦争状態にあるの。理由は、中央都市が建設された時代からの遺恨に関係しているのだけど。そういったことがあって、例え幹部クラスの魔術師であっても、ここの人間が北の地に足を踏み入れることはとても難しいのよ。それが、かつて『元帥』であった程の存在であれば、言うまでもないわね。見つかれば、唯じゃすまないわ。もしかすると、ここにいるよりも危険かもしれない。ちなみに、オルグレンも『中央都市の魔術師』として指名手配されているから同じことね。だから、二人には悪いけど、一緒に行動することはできないの」

 申し訳なさそうに眉尻を下げる。私は俯き、「そう・・・・なんだ」とこぼした。私たちの置かれた状況から考えて、これが最善の策なのだろう。それは十分に理解できた。後は、その為の決心というか、決め手というか。それだけであった。

 すっと顔を上げて、ネルを見る。そして、心の奥に引っ掛かっている最大の疑問を口に出した。

「どうして、貴方たちは私を守ろうとするの? メリットは何?」

 私と、彼女たちを繋ぐ接点。どうしても思いつかなかったのだ。何の得も無しに私に執着する訳がない。何の見返りもない事に時間を割く訳がない。必死に守ろうとしてくれる訳がない。何か秘密にしている理由がある筈だった。

案の定、「それは・・・・」と呟き、困ったように口を閉じてしまった。そして、しばらくの沈黙の後に、ゆっくりと口を開く。

「それはね」

「それはなぁ。お前が必要だからだ」

「グラディス!?」

 突然、今まで沈黙を守っていたグラディスが横やりを入れた。ネルは、驚いたようにグラディスの方を振り向く。明らかに不自然なネルの反応に、何かが怪しいと直感した。

「良いから、良いから。どうせ適当なこと言っても、こいつには意味がないんだろう?」

「でも、貴方は言葉を選ばないから」

「あぁ? 駄目なのか?」

「時と場合っていうものがあるでしょう」

「はは。じゃあ、今は俺の方が適任ってことだな。どうせいつかは話さないといけないんだ。それに、俺がこの世で一番嫌いなことが何か知ってるだろう? 仲間に、『嘘』を吐くことだ」

「私は別に、嘘をつくつもりは・・・・」

 ネルはグラディスからそっと目を逸らし俯く。注意深く思慮しているように見えた。彼女なりの考えがあるのだろう。

「都合の良いことだけ摘み上げて伝えるのも、俺にとっては『嘘』と一緒なんだよ」

 だが、グラディスのその一言を聞いて、諦めたようであった。

「・・・・全部お見通しって訳ね。はぁ。良いわよ。貴方が話しなさい」

「悪いな」

「何を今更。最初からそのつもりだったんでしょ。ルナちゃん。ごめんなさいね。別に騙そうとか、そういうつもりはなかったんだけど、まだ全部話すのは早いかなって思ってね」

「え、う、うん。別に」

 私は、二人の会話に若干ついていけていなかったが、とりあえず返事だけはしておいた。

 

――――幸いにも『嘘の音』は、微塵も聞こえなかった。

 

「十五年前、俺たちの師匠がこの中央都市で死んだ」

「え?」

 思いもよらぬ一言に、声が漏れた。構わずに続けるグラディス。

「当時は、『南の地』にホームがあってな、師匠の死を伝えに来たのが『創造の魔女』だった。詳しい話は何も教えてはくれなかった。死因も、場所も、時間も、何一つとしてな。ただ、死んだという事だけを伝えて、直ぐに帰っちまった。納得できる訳ないよな。だから、俺たちはこっそり中央都市に忍び込んだんだ。そこで俺たちは、『何か得体の知れないモノ』を見つけた。巨大な機械みたいだった。土地勘も無かったし、まだ幼かったから、この都市のどこにあったのかは覚えていないが、とても重要なモノだったんだろう。その証拠に、奴は俺たちを殺そうとした。そして、失った・・・・」

 グラディスの顔に影が差す。

「失ったって、殺されたって、こと?」

「あぁ。目の前でな。当時俺たちは四人だったんだ。だけど、一人は殺されて、もう一人はその後直ぐに道を違えちまった」

 あの、万物を愛し全てを赦すと言われる『創造の魔女』、クローディアが人を殺した? にわかには信じがたい話だが、元『元帥』のランドルフが無言を決め込んでいるところをみると、あり得ない話でも無いのだろう。

「そうまでして、秘密にしたかった何かだ。あくまで直感だが、それは師匠の死とも関係してる。そんな気がした」

「でも、だからってなんで私が?」

「『創造の魔女』は、きっとその秘密を知っている。だが、奴の力は絶大だ。俺はこの目で見た。いくら俺たちでも太刀打ちできない程に奴は強い。そんな相手に正面から力ずくっていう訳にもいかないだろ。だから、お前を利用する。師匠の死と同じ十五年前に拾われ、ランドルフの保護の下に育てられ、何よりも『創造の魔女』から直接手を差し伸べられた。あまりにも不自然すぎると思わないか? お前は俺たちにとって、奴との間を繋ぎ止めることの出来る唯一の鎖なんだ。奴の隠す秘密を暴く、残された鍵なんだよ。俺たちの目的が、師匠である、『モニカ・メイジ―・ワイアット』の死の原因の解明である限り、お前のことを何があっても守る必要がある」

「つまりは、私に利用価値があるから、助けてくれたってこと?」

「そうだ」

「利用価値がないって分かったら?」

「・・・・それでも守りつづけるさ。お前はもう、俺たちの仲間だからな。まぁ、優先順位は落ちるかもしれないけどよ」

「そう・・・・」

 グラディスの言う通り、私自身腑に落ちない不自然な点は幾つかあった。なぜ、クローディアは私を選んだのか? 人族でもなければ、飛びぬけた魔術の才能を持つわけでもない。平凡と言うのもおこがましい位の落ちこぼれ。一つ思い当たるとしたら、彼女と夢にでてくる母が瓜二つであることくらいだが・・・・。それに、ランドルフがこの人達と私を引き合わせたことにも合点がいく。その十五年前の出来事は、きっと私の過去と関係しているのだろう。私が、知りたいと願ったから。だからランドルフは、あのような手紙を記したのだ。でも、何故自分の口から伝えようとしないのか?

 私は、テーブルから少し離れたところで椅子に腰をかけ、こちらを心配そうに眺めるランドルフの方を向いた。視線が合うが、彼の表情に変化は見られない。

「そいつに聞いても無駄だぜ」

「どうして?」

 その質問に答えたのは、ネルの方だった。

「『沈黙の呪い』。とても古い、強力な呪術よ。対象の物事に関する情報を口にしたり、何かに記したりして他人に伝えることを禁ずるものね。いわゆる口封じよ。魔術の発展したこの時代に、こんなものを使用できる呪術師がいるなんて正直驚きだけど、どうやら彼等からは、十五年前に起こったであろう出来事に関する一切を開示する権限が剥奪されているみたいなの」

「誰がかけたのかは知らねぇが、誰の意志でかけたのかは容易に想像ができるな」

「・・・・『創造の、魔女』」

「そういうこった。全く、いけ好かない野郎だぜ」

 ちっと舌打ちをするグラディス。そして、机から脚をどかすと、すっと立ち上がった。

「まぁ、こちら側の事情はそんなところだ」

それを見て、他の皆も一斉に立ち上がる。私は、訳も分からず周囲を見回した。

「で、どうするんだ?」

 グラディスの瞳が私をしっかりと捉えていた。

「どうするって言われても・・・・」

「お前が選択するんだ。俺たちの要望は伝えた。後は、お前がどうするかだ」

 すっと差し伸べられる腕。その掌は決して暖かそうではなかった。むしろ、硬くて冷たそうだ。明るい未来なんてとてもではないが連想できない。幸福どころか、思いもよらないような不幸が突然降りかかってきてもおかしくない。この手を取れば、絶対に後戻りはできない。私の運命を左右する重要な選択になるのだろう。この人達と進む未来は、きっと苦悩と困難に溢れている。

 でも、この人は、絶対に『嘘』を吐かない。

 確信があった訳ではない。だが、グラディスのどこか癪に障るにやけた顔は、私を安心させるには十分に足るものであった。

「私は、貴方たちについて行く。でも、絶対にグラディスの弟子にはならないから」

 クローディアの時にはあれだけ重かった自分の腕が、驚くほど軽く持ち上げられた。そして、グラディスの手に触れる。

「上等だ」

 がしっと力強く掴まれ、そのままぐいっと引っ張られる。

「うわっ」

ふわりと両足が地面から離れ、テーブルを飛び越えてグラディスの懐へとぽすんと抱き寄せられた。

「はは。軽いな。もっと食べろよ。ネルみたいになれないぞ」

「ちょっとグラディス。それってどういう意味? それによっては、説教コースが待ち受けているわよ」

 ネルの質問を、「ははは」と軽くいなしながら、がしがしとめちゃくちゃに頭を撫でまわされる。

「耳は、デリケートだから、強く撫でないで!」

 強引につき飛ばそうとするが、びくともしなかった。そして、ぐるりと強引に体の向きを変えられ、ランドルフ達の方を向かされる。

「そら、お別れの挨拶だ」

「え? お別れってっむぐ!」

 次々と襲い掛かる衝撃。今度は何だと頭を動かすと、ランドルフが私を抱擁していた。いつもなら、背骨が軋むような怪力で抱きしめられるのだが、今回はやけに弱弱しい。そこで、本当にお別れなのだと悟った。いつまでも続くものだと、心のどこかで思っていた親子の時間が一旦幕を閉じるのだ。悲しいかと言われると、意外なことにそうでもなかった。また会えると、確信しているからだろう。

「ルナ、いつまでも愛しているぞ。俺の最愛の娘よ」

 その声は、震えていた。慰めるように、大きな背中に手を回す。

「私もだよ。お父さん」

 すぐ耳元で鼻水をすする音が聞こえた。泣いている? のだろうか。本当にこの人は、見た目とのギャップが凄いのだから・・・・

「また、会おう」

「うん」

 しばらくそうして抱き合っていたが、落ち着いてきたのかランドルフの方からそっと離れていった。もじゃもじゃの髭の至る所に水滴らしきものが見えた。瞳も湿っている。

「元気でな」

「そっちもね」

続けて、オルグレンが私に向かって右腕を差し伸べた。私は迷わずにその手を握る。

「また、近いうちに何処かで」

「そうだね」

 お互いの目をしっかりと見つめ、短く約束を交わす。

「よし。じゃあ、そろそろ行くか」

「グラディス・・・・もっと気を遣いなさいよ。ルナちゃんにも心の準備っていうものがあるんだから」

「あ? 今生の別れっていう訳でもないだろ? これくらいで良いんだよ」

「うわっ!」

 後ろから襟首を掴まれ、半ば強引に引き戻される。と、同時に魔力の流れる音がした。音源はグラディスの右手からのようだ。

「あ、そういえば、君たちの脱出方法なんだけど、僕の転移魔術を使わないって言ってたけど、もしかして?」

 穏やかな表情から一変して、オルグレンの顔に不安が宿る。

「いやぁ。さすがは転移魔術の専門家だよなぁ。こんな素晴らしい立地に別荘建てるなんてよ」

「はは。まさかね」

 明らかに動揺するオルグレン。その視線がテーブルへと下ろされる。

「ごめんなさいね。転移魔術は追跡されやすいからって、使いたがらないのよ。そうなると、一番安全なのはこの道しかなくて・・・・」

「ちょっと待って。それなら、テーブルどかすから!」

「もう遅い。あまり近づくと怪我するぜ」

「そんな。嘘だろ」

 オルグレンは、絶望したように頭を抱える。ええーと。今から何が起こるの? 前言撤回だ。私、この人達について行かないほうが良いかも・・・・

未知の未来に怯える私の耳元に、グラディスが顔を寄せた。

「あぁ、それと、お前を弟子にしたいっていうのは俺の個人的な願望で、それも、お前を守る理由の一つだ。パトリスに向かって行ったあの勇気に、俺は未来を見出した。あと、俺好みの顔をしているっていうのも本当な」

「え?」

 すっと肩にグラディスの手が回り、胸元へ引き寄せられる。身長差のせいか、ふっと体が宙に浮く。直後に鳴り響く轟音と、オルグレンの悲痛な叫び。グラディスが床に拳を振り下ろしたのだ。

そして、訪れる浮遊感。も束の間、全身に強力な重力を感じながら、私の体は暗い闇の底へと自由落下を開始した。

「いやぁぁぁぁぁ!」

 自分でも初めて聞いたのではないかという程の大音量の悲鳴が、体の奥底から自然と漏れ出した。

 

 

――――――――――――

 

用語解説

魔術について: 自らの体内に宿る有限の魔力を、体外に存在する半無限の魔力に干渉させることで様々な現象を引き起こすことが可能な技術。その種類は、基本魔術と応用魔術から成る詠唱を必要としない『名無しの魔術』と、詠唱を必要とし魔術適正第参級以上の上位魔術師のみが使用できる『名持ちの魔術』の二つに分けられる。

魔術の発動は、『魔術陣の形成』、『魔力の集約』、『魔術名の詠唱』、『魔術の展開』の四工程を踏むことで行われる。(『名無しの魔術』の場合は『魔術名の詠唱』を要しない)

 

・『魔術陣の形成』: 形成は基本的に術者の頭の中で行われる。魔術の土台となる部分であり、設計図のようなもの。強力な魔術になれば、それだけ複雑な魔術陣が必要になる。この際のイメージが十分でないと、上手く発動しなかったり暴発してしまったりする。

・『魔力の集約』: 体内と体外の魔力を混ぜ合わせ、操作することで、肉付けをしていく段階。この際の魔力が多すぎても少なすぎても上手く発動しなくなってしまい、微妙な調整が必要になる為、見習い魔術師が最初に躓く関門である。

・『魔術名の詠唱』: 上位魔術とされる『名持ちの魔術』を使用する際、その強大な魔力を制御するために、集約された魔力の塊に『役割』を付与し、使役する必要がある。これを魔力の『本質』に『名』を与えると言う。古くからこの『名』には花名が使用されている。

・『魔術の展開』: 設計図通りに肉付けされた魔力を、事象として発現させる段階。上記の工程が正確に行われていれば、問題なく魔術が発動する。

 



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第一章 鼓草の魔術師 05

 

※※※

 別荘にぽっかりと空いた底の見えない大きな穴と、無残に砕け散ったテーブルの破片を交互に見つめ、どさりと崩れ落ちるオルグレン。

「あ、あ、あ」と、言葉にならない声を壊れてしまったかのように紡いでいた。

 ランドルフは、そんな彼の肩をぽんぽんと叩く。

「まぁ、仕方ない」

「もっと優しい言葉をかけて!」

 珍しく鋭い剣幕でランドルフを睨みつける。ランドルフは「おぉ。すまんすまん」と、両手を挙げて二、三歩後退した。

「はぁ。何年もかけて購入したものだったのになぁ・・・・」

「物はまた買えば良い。ルナの選択と引き換えだったと思えば、安いものだろう?」

「・・・・はぁ。それもそうだね。そう考えることにするよ。はぁ」

 完全に納得はしていないようであったが、割り切れはしたようであった。がくがくと小鹿の様に震えながらも、何とか立ち上がる。

「じゃあ、僕達も行こうか」

 そう言って、早速魔術陣の形成を始める。だが、ランドルフは何を思ったのか、オルグレンから距離をとった。

「いや、俺はここに残るよ」

「え? 君は一体何を言って?」

 オルグレンは、首を傾げるが、その理由をすぐに理解することになった。

「どうぞ。お入りください」

それは、オルグレンに向けられたものではなく、その背後にある外へと繋がる扉の、さらに先へと向けられていた。

 ぞくっと嫌な気配を感じて振り返る。そして、扉が開いた。

「ごめんなさい。お話の途中に邪魔をしてしまいまして」

「な、貴方は・・・・」

 驚愕するオルグレン。それを余所に、ランドルフは、その姿を見るや否やばっと片膝をつき、深々と頭を垂れた。

「申し訳ありませんでした。貴方の御意向に背くような選択をしてしまい・・・・」

「頭を挙げてください。謝罪しなければならないのは私の方なのです。部下が、とても無礼な行為をはたらいてしまったようで。きつく言いつけておきましたので、この都市にいる限りはもう二度と、貴方方に危害を加えるようなことはしない筈です。本当に迷惑をおかけしました」

「もったいない御言葉です」

 そう言って顔を上げる。オルグレンは、身動き一つとれずにいた。それもそのはずであった。入ってきたのは三人。その内の全員と面識があった。と言っても、最後に会ったのは十五年も前のことだ。

ランドルフよりも長身で背中から三メートル程にもなる巨大な剣を下げた男、中央都市の『元帥』のトップで、名をエグバート・ナディア・ワーナー。

漆黒の剛毛を持つ伝説の魔獣の革で作られた羽織を頭から被った小柄な男、中央都市の闇に生きる呪術師で、名をガス・ハンセン。

そして、中央都市の『大元帥』、『創造の魔女』クローディア・マーゴット・アシュリー。

 この地のトップスリーが他に護衛をつけることもなく、突如として眼前に現れたのだ。反射的に、転移魔術の魔術陣を形成しようとする。だが、いち早くそれに勘付いたエグバードが制止した。

「やめておいた方が良い。この時期に中央都市から離れることが何を意味するか。貴様なら分かるだろう」

「・・・・」

 オルグレンは、返事はしなかったものの、直ぐに作業を中断した。エグバードの言葉の意味を理解しているからだ。

「それで、本日の要件は?」

 ランドルフが尋ねる。クローディアは、ルナ達が落ちていった深い穴を覗いてから、寂しそうな表情を浮かべた。

「あの子は、本当に行ってしまったのですね・・・・」

「はい。あの子の選択です」

「そうですか・・・・それは、仕方のないことですね」

「追わないのですか?」

「いいえ。あの子には一度、こちら側へつく機会も与えました。それでもなお、別の道を選んだのです。今はまだ、あの子の選択を優先させてあげるべきでしょう」

「今はまだ・・・・ですか」

「はい。それと、要件なのですが。例の件について、報告に来ました」

「・・・・」

 固唾を飲んで次の言葉を待つ。少しの間を置いて、クローディアが口を開いた。

「災厄の時は近いようです。世界を滅ぼす強大な闇がもう直ぐ目を覚ますでしょう」

「な!」

 思わずオルグレンの口から驚嘆の声が漏れた。ランドルフは、依然として黙っているが、その表情は非常に険しい。

「それはいつごろの話なのですか?」

「近い将来です。あと、数年程度か、早くて半年ももたないかと・・・・」

「そんな・・・・」

 窓から差し込む光が、急ぎ足で流れる雲で遮断され、部屋を暗くする。

「ですが、安心してください。私は、この都市に生きる愛しい子供達を絶対に守り抜きます。私の体がどうなろうとも、どんな手段を使っても・・・・計画も既に最終調整の段階に入っています。後は、その時が来るのを待つのみ・・・・宜しければ、貴方方も協力してくださいませんか?」

「もちろんです。貴方に受けた恩を、私はまだ返しきれておりません。こんな老いぼれで良ければ、喜んで力をお貸ししましょう」

「ありがとう。ランドルフ。それで、貴方は如何でしょうか?」

 穏やかな表情でオルグレンを見つめる。

「これは、命令ですか?」

 オルグレンは、ちらっちらっとクローディアの傍らに控える二人の様子を伺う。それを見たクローディアは、ふふふと静かに笑った。

「心配なさらないでください。命令ではありませんよ。この都市に生きる全ての人々には、平等に選択する権利が与えられています。自らの意志による選択は、計画の遂行を除いた何物にも優先されます。貴方が断ったからと言って、私達が何かをするような事はありませんよ。ただ、貴方のその力を少しでも貸して頂けるのなら、それはとても心強いことだと思っただけです」

「・・・・それなら、僕もしばらくは協力しますよ。ただ、やりたくないことはやりませんが、それで良いですか?」

「構いません。ありがとうございます」

 そして、クローディアは自らの痩せた掌を見つめる。その瞳には確かな意志が感じられた。

「私に守れる命など、たかが知れています。だとしても、一人でも多くの命を守る」

 ぐっと拳を握る。

「それが、彼女との・・・・モニカとの約束ですから」

 握りしめられた小さなそれは、力強く、そして淡く、今にもほどけてしまいそうであった。

 

――――――――――――

 

用語解説

 中央都市: 何千年も昔に、クローディアが魔術で創った巨大な浮遊都市。円柱状の構造をしている。外側は分厚い壁に覆われており、どのような手段を使っても破壊は不可能と言われている。内部は、第一層から第十層に分かれており、陸路の場合は中心部に存在する連絡通路からのみ各層への移動が可能。第一階層にはクローディア達、都市の幹部が集う聖殿があり、第二階層から第六階層までが居住区、第七階層には唯一外部との往来が可能なゲートが設置されている。第八階層及び第九階層には娯楽などの施設が充実し、内外問わず日々沢山の人々が行き交う。そして、第十階層は外部の魔術師や要人等の為の滞在施設が設けられている。

 また、各階層には魔術により人工的に造られた空が存在し、外部と同様の時間軸に沿って、刻一刻とその姿を変える。電気や水道なども全て、魔道具によって賄われており、世界で最も裕福で発展した都市とされている。

 

――――――――――――

 

 



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第一章 鼓草の魔術師 06

 ずどん

 全身を貫くような振動を感じ、底に着いたのであろうことを察した。同時に掛かっていた重力もなくなる。どれくらい落下したのか。頭上を見上げても、光源は見えない。周囲がどうなっているのかも分からない、一筋の光も存在しない完全な暗闇だった。

 心臓が激しく踊っている。叫び過ぎたせいか、喉も痛かった。

「おし、着いたぞ」

 耳元で声がした。落下の時間から考えて、かなりの高さだったと思うのだが、特に痛がる様子も無かった。足腰は一体どうなっているのだろうか・・・・鋼か何かでできているのか?

 その後すぐに、地面を踏む感触が足裏に広がる。降下時はずっと抱きかかえられていた為、下ろされたのだろう。落下の恐怖から解放されたためか、足元がおぼつかなかったためか、はたまたその両方によるものなのか、よろめいて倒れそうになるが、すぐ近くにあった布らしき物にしがみつき体勢を整えた。それが、グラディスのローブであることは状況的に見えなくても分かるが。

「おいおい。急に甘えん坊になったな」

 イラっとした。

「ちょっとふらついただけ!」

 すぐに手を放し、グラディスから間隔を置く。すがりつく物がなくなり、少々不安を感じたが、すぐに慣れるだろう。それにしても、微かに聞こえるこの音は・・・・

「大将が到着したみたいだぜ」

「え?」

 大将? と一瞬困惑したが、すぐにそれが彼女のことを指しているのだと理解した。こつんっと静かにネルであろう人物が傍に着地したのを感じた。

「大将って誰のことよ?」

 案の定、ネルのようだ。声色は少し怒気を含んでいた。

「はは。さて誰のことだろうな」

「はぁ、常に誰かを怒らせないと気が済まないのね。本当に子供なんだから」

「あぁ? 俺が餓鬼だと?」

 思わぬ反撃を食らうグラディス。すぐさま、突っかかる。売られた喧嘩はどんな些細なものでも残さず拾う、そういうところだよ。と、指摘をしたくなったが、火に油なのでやめておいた。そんなグラディスの相手はお手の物のようで、ネルは全く焦った気配もなく魔術を唱えた。

「『ガーベラ』」

 使役詠唱を伴わない『名持ちの魔術』。世で言う『共有魔術』と呼ばれるものだ。個々の魔術師が本来持つ自らの魔力の本質に名を与えた『固有魔術』とは異なり、ある一定の素質があれば、誰でも使用可能な魔術である。といっても、魔術適正第参級以上の上位魔術師のみが使用できる『名持ちの魔術』の一種だ。実際に詠唱するのは初めて拝見した。

 ぱっとネルを中心に周囲が明るくなる。

「おわっ! 眩し!」

 さすがのグラディスも、明暗のギャップに怯んだようであった。右腕を顔の前にかざし目を細める。

「はいはい。さっさと行くわよ。私の魔力が尽きる前に、ホームに戻らなくちゃ、でしょ?」

「そうだったな」

 それは、私達三人を包み込む球体状で、光の結界の中に閉じ込められているような不思議な感覚に陥った。光源の近くは、ほのかに暖かかった。周囲は、狭い通路のようになっており、見渡せる範囲に分かれ道はない。下水道かと思ったが、それらしき匂いはしないし、水滴の一つも見当たらない為、恐らく違うのだろう。

先程まで居た別荘が第四階層にあたるので、中央都市の構造上、ここは第四階層と第五階層の間に位置するのだろうか? こんな空間が設けられていたとは。一体、何の為に?

「進むぞ」

「あ、うん。って、そっち?」

 何の躊躇いもなく歩み始める二人。私は、前を行くネルのローブの袖を握り、引き留めた。顔が自然とひくつく。二人が進もうとしている通路の奥、暗闇に包まれた先から、聞いたことのない奇妙な音が聞こえるからだ。ずりずりと、大量の何かが地面を這うような・・・・

 二人は、一瞬きょとんとしたような顔をしたが、直ぐに私の言葉の意味を理解したようであった。

ネルが、私の頭を優しく撫でながら「大丈夫よ」とほほ笑む。

「へぇ。さすがだな。この距離から、もう聞こえるのか」

 グラディスは、にやりと笑った。

「この先に何があるの?」

「『ウィード』だ」

「えっと、何それ?」

「行けば分かるさ」

「え。ちょっと、行きたくないかも・・・・」

「心配すんな。危険は・・・・そんなにねぇよ」

「何で、今ちょっとだけ黙ったの? そんなにってことは、少しはあるんだよね?」

「良いから良いから。とりあえずついて来いって」

 ばんばんと私の肩を叩いてから、進行を再開する。

「痛っ。力強すぎだってば」という私の苦情に、「わりぃ」とこちらを振り向きもせずに答え、右手を顔の横でひらひらと振ってみせた。その言動にカチンときたため、背後からドロップキックでもお見舞いしてやろうかと考えたが、避けられるのがオチなので実行には至らなかった。ネルも、グラディスの後を追うように進み始めた。

「本当に大丈夫よ。直ぐにちゃんと説明するから。ほら、早くおいで。置いて行っちゃうわよ?」

 数歩進んだ所で一度止まり、躊躇する私に手招きをする。

「分かった・・・・」

 一抹の不安が残ってはいたが、まぁネルが言うのなら、大丈夫だろう。という確証の無い理由で、重たい足を動かした。

 それから、一時間くらい行き止まりのない真っ直ぐな通路を進んだ。先頭はグラディスで、その次にネル、最後尾に私の順に並んでいる。いくら歩いても代り映えのしない狭い道。心地の悪いあの音も、どんどんと近づいてくる。明かりが無かったら、発狂してしまいそうだった。ネルは、時折こちらを振り向き微笑みかけてくれた。私を心配してのことだろう。その優しさに幾分か心が安らいだ。グラディスの方はと言うと、そんな事など気にもかけない様子であった。自分のペースでずんずんと突き進んでいる。

しばらくして、ふとその歩を止めた。それに続いて、ネルも立ち止まる。あまりにも急停止であったため、私は彼女にぶつかりそうになったが、寸前で踏ん張った。

「ルナ。お待ちかねだ。これが『ウィード』だぞ」

 現在の位置からでは、何も見えなかった為、恐る恐るグラディスの隣まで移動する。

「落ちないでね」とネル。

 グラディスの立つ位置から、ちょうど一歩分の距離、そこでこの永遠に続くとも思われた狭く殺風景な通路は終了していた。その代わりに広がるのは、これまた先が見えない広大な空間。ただ、少し違うのは、ほんのりと明るい点だった。とはいっても、通常の生活をするのに不十分な程度には薄暗かった。天井もかなり高いようで、どうやら光はそこから発せられているようだ。ネルの忠告通り、通路と空間の境目から先に足場は存在しなかった。高低差は、どれくらいだろうか。少なくとも誤って落下すれば怪我では済まないだろう。そして、『ウィード』の姿も確認できた。

「なに、あれ?」

 空間の底をびっしりと埋め尽くすように、真っ黒な物体が無数に蠢いていた。大きさはまちまちで、数十センチ程度から、中には数メートルにも及ぶ個体もいた。腕や目などの目立つ器官はなく、形は丸い。ある程度の伸縮性があるようで、ぶよぶよとした形状はスライムを連想させた。それが、何層にも重なってあたり一面を覆い隠しているのだ。あまりのおどろおどろしさに吐き気を覚え、思わず口元に手を添えた。

「いつ見ても寒気がするな。ここの『ウィード』は」

「生き物なの?」

「いや、正確には違う。魔力の絞りカスみたいなもんだ。外の世界には、うじゃうじゃいるぜ? つっても、これ程の数が集まるのはここくらいだけどな」

 うじゃうじゃって・・・・考えただけでも鳥肌物だ。夜中にふと目が覚めて、目の前にこんなのがいたら、卒倒してしまうだろう。

「なんでこんなに・・・・」

「『ウィード』はなぁ。魔術の副産物なんだよ。魔術使う時って、魔力を使役するだろ? そん時に、消費されずに余った魔力は行き場を失う。そんな中途半端なのが一定以上集まると、実体を持ち失った魔力を求め彷徨うようになるんだ。特に中央都市は馬鹿みたいに魔道具使うから、とんでもない量のあれが生成されんだよ」

「じゃあ、十分な魔力を与えたら元に戻るの?」

「いんや。いくら吸収しても、ただ肥大化するだけだ。満たされることは絶対にない。ちなみに、お前みたいな鼻垂れがあれだけの『ウィード』の群れに飛び込んだら、一瞬で魔力を搾り取られちまうぜ」

「鼻垂れって・・・・でも、それならどうやって処理するの? 放っておいたら勝手に消えてなくなるとか?」

「それも違うな。理由は知らねぇけど、『ウィード』は極端に光を嫌う。強烈な光を浴びせて灰にするんだよ」

「光・・・・」

 そこで、私は気付いてしまった。なぜこの道を進んできたのか。まさか、私にこの光景を見せたいが為という訳でもないだろう。そして、『ウィード』は光を嫌う。この近辺で光と言ったら・・・・

 おずおずと、ネルの方を振り返る。ネルは、なぜか恥ずかしそうに赤面していた。

「ねぇ、本当にあれをやるの? ルナちゃんもいるし、少し恥ずかしいのだけれど・・・・」

「あ? 他に良い方法があるのかよ? 別々に着地したら、俺がやられちまうだろうが」

「・・・・そう、よね」

「ほら、さっさと来いよ」

 ネルは、ちらっと私に目をやってから、はぁとため息を吐くと、グラディスの側へと寄った。それを確認したグラディスは、彼女の腰に右手を回しグイッと持ち上げた。出来の悪い御姫様抱っこのような状態になる二人。ネルは両手で顔を覆っている。

「ネル、お前少しふとっ・・・・」

「それ以上言ったら、張り倒すわよ」

 両手の隙間から殺気が漏れる。グラディスは、慌てて口を噤んだ。

「ルナ。分かるよな?」

「降りるんだよね・・・・あの中に」

 にいっと、口の端を吊り上げるグラディス。

「ご明察。ほら、行くぞ」

 見事に予想が的中し、逃げ出したい衝動が体を駆け巡った。あんな気持ちの悪い塊に飛び込むなんて、言語道断だ。

 だが、グラディスは空いた左手で私の襟首をがしっと鷲掴みにすると、間髪入れずに跳躍した。

「ぐえ。痛い痛い! って、いやぁぁぁぁ!」

 本日二度目の大絶叫が、幽幽たる世界にこだました。

 

 

――――――――――――

 

「うぅ・・・・」

 前後左右どこを見ても、『ウィード』だらけであった。私は、込み上げる嘔吐感を無理くり押し込めながら、前方を行くネルの背中にしがみついていた。グラディスの述べた通り、光を厭忌する性質があるようで、光の壁を隔ててこちら側に侵入してくる気配はないのだが、ほんの一メートル先をグロテスクな物体が覆っているのだ。もちろん、上空もである。ろくな魔術も使えない私としては、心中穏やかではいられなかった。そういえば、オルグレンの別荘で転移魔術は追跡されやすいからとか何とか言っていたが・・・・中央都市の警備も、まさかこのような経路で出入りされるなんて思いつきもしないだろう。

「うへぇ。気持ちわりいなぁ」

「そうね。私もここはあまり好きではないわ。さっさと抜けましょう」

「ねぇ。いつまで続くの?」

「あと、一時間位だ」

「一時間も!?」

 衝撃で、耳がピンと立ち上がる。目的地に辿り着く前に、精神を病んでしまいそうだ。私は、少しでも不安を落ち着けようと、何か話をすることにした。

「外の世界ってどんな感じなの?」

 ネルは、常時魔術を展開しており忙しそうなので、というよりは、下手に集中力が途切れて生命線がなくなってしまっては困るので、彼女の背中からひょいっと顔を出し、グラディスに尋ねた。

「ここよりも、千年くらい遅れた技術で生活しているようなところだ」

「・・・・」

「・・・・」

 ・・・・っそれだけ!?

 思いのほか、話が広がらなかった。負けじと、別の話題を振ってみる。

「ホームがあるっていう、北の地はどんなところなの?」

「犯罪と戦争が絶えない弱肉強食の世界だよ」

 え? 何か今さらっと凄い事を聞いたような・・・・そんな恐ろしいところに、今から連れていかれるのか・・・・

「魔獣とかも沢山いたりして?」

「いや、都市が発展してるから、西とか東に比べたら、ほとんどいねぇな。その代わり、頭のぶっ飛んだ魔術師がわんさかといるぜ。はは」

 そこは、笑うところなのかと、疑問に感じる。

「他の地域にも行ったことあるの?」

「まぁな。仕事の関係で、大陸の隅々まで旅したぞ」

「仕事?」

「あ? そうか。言ってなかったな。俺達の収入源は、何でも屋だ。探し物から、盗賊や魔獣の討伐、犯罪の解決に要人警護まで、お金さえ積まれれば大体のことはやるぜ? ただし、殺しだけは請け負わないけどな」

「なんか、凄く大変そうだね・・・・もちろん、私も手伝わないといけないんだよね?」

「当然だろうが。働かざる者、食うべからずだ」

「うぅ。私なんかにできるのかな・・・・落とし物の探索位ならいけるかもしれないけど」

「その為に、これから俺達が鍛えてやるんだよ。中にはかなり危険な依頼もあるからな、真面目に修行しないと、直ぐに死んじまうぜ?」

「もう、あまり脅さないの。ついさっき、守ってやるって担架を切ったばかりじゃない。ルナちゃんが不安になるでしょ」

「修行か・・・・でも、グラディスの弟子には、絶対にならないけどね」

 見えていないだろうと思い、べっと舌を出す。

「いいや、お前は絶対に俺の弟子になる。分かるんだよ」

「何を根拠に・・・・」

 学校でいくら学習をしても上達することの無かった私に、一体どのような修行が有効だというのか? そもそも、その事実を二人は知っているのだろうか? いざ、魔術の鍛錬を開始した時に、がっかりさせてしまうのではないか?

 自分の才能に対する不信感と、それでもまだ少しばかり残っている未来への期待が頭の中でせめぎ合う。もしかしたら、ネルのように立派な魔術師になれる日が、私にも来るのかもしれない。その為の努力であれば、いくらでもする覚悟があった。パトリスと対峙した際に感じた、強大な力を前に大切な人々を守ることができない惨めさ。もう、あんな経験はしたくないのだ。誰かに守られるのではなく、誰かを守ることの出来る力。今の私には、喉から手が出るほどに手に入れたい物であった。

 それから、グラディス達が発見した各地の美味な料理や、絶景ポイント等、二人の思い出話に花が咲き、あっという間に時間が経過した。途中からは周りのぶよぶよ共も気にならなくなった。体感的に、そろそろ一時間経つ頃だろう。そこで、ふと第二階層に置いてきたランドルフ達のことが気にかかった。

「そういえば、ランドルフ達と随分仲が良いみたいだったけど、どういう関係なの?」

 その瞬間、すっと明かりが弱まったように感じた。と、同時に二人の笑い声が消える。空気の変化に気付いて、慌てて口を塞いだ。これ、聞いたらいけないやつだった? もしかして、地雷だった?

 グラディスは、ちらりと私を一瞥すると、低めの声で囁いた。私の耳でなければ、拾えない位の声量だった。

「あいつは、俺達が初めて未来を奪った魔術師だ。仲は良くねぇよ」

 その声からは、後悔のようなものが感じ取れた。

「あの? この話題は、あまり良くなかったかな? ごめん、あれだったら、別の話をしようか・・・・」

 こっそりとネルの表情を伺う。悲しそうな表情だった。

「いや。この際だから話しておくよ。お前の過去ともどこかで繋がるかもしれねぇし、何よりもこれから魔術を学んでいくうえで、知っておいて欲しい教訓だ。強い力を求めているお前には、特にな」

 どくんっと一際大きく心臓が鼓動した。『強い力を求める』。言葉にしていない筈の私の気持ち。彼女は気付いているようであった。

「何でそれを・・・・」

「俺が見込んだ餓鬼のことだ。大体予想はつくさ。大切なものを守るには絶対的な力が必要。俺もお前と同じ経験をして、同じことを考えた。何回もな」

「・・・・」

「少しだけ長くなるぞ? 良いな」

「う、うん」

 グラディスの背中を遠くに感じた。私が触れる余地がない程に、強く見えたのだ。それでいて、とても危なっかしい。今にも背負った重圧に潰されてしまいそうな・・・・逞しさの裏側に潜む脆弱さ。彼女の背中は沢山の絶望を乗り越え、その分傷だらけなのだと思った。支えてやるには、今の私はあまりにも弱い。

グラディスは、こちらを振り返ることもせず、足を止めることもせず、ただ前だけを向いて、独り言のように話し始めた。私は少し俯きながら、耳を傾ける。

 

 

「師匠が死んで何年か経った後にな、一度だけクローディアを倒そうとしたことがあったんだ。兄弟子が目の前で殺されて、躍起になっててな。毎日寝る間も惜しんで修行して、奴を倒せる程の力を手に入れたと思っていた。でも、甘かった。何千年も生きている化物の力は俺達の想像を遥かに凌いでいた。結局は、全く歯が立たなくて、ずたぼろになりながら退却したんだけどよ。その時に、俺達の前に立ち塞がって、奴との決戦を食い止めようとしたのがランドルフだった。モニカ繋がりで、元々知り合いでな。モニカが死ぬ前は、ホームに顔を出すこともよくあった。何回か魔術の手ほどきを受けたこともあったな。そういった思い出もあったからだろう。どうにかして、俺達がクローディアと戦うことを阻止しようとしてた。あの頑固親父、お人好しの癖に不器用だから、障害になることでしか止められないと考えてたみたいだ。でも、当時の俺達は怒りに支配されてて、その真意を汲み取る余裕も無くて、本気で衝突した。いくら格上の魔術師だとは言え、こっちは三人だ。勝負は目に見えていた。もちろん俺達が勝った。そして、止めを刺した。命にではなく、魔術師としての人生に。ネルの固有魔術は特別なんだ。モニカの『ダンデライオン』よりも強力で、魔術だけではなく、魔術師の才能でさえ打ち消すことが出来る。その後クローディアにボロ負けして、仲間とも喧嘩別れして、全部が終わって、そこでようやくその罪の重さに気付いたよ。やり方はどうであれ、俺達を守ろうとしてくれた奴の全てを奪っちまったんだ。とんでもない大罪だ。魔術は使い時を誤れば、取り返しのつかないことになっちまう。その怖さを思い知った瞬間だった。それから、俺達はネルのその力を使わないことに決めた。仲間を守るために、どうしても必要になった時以外はな。まぁ、そんなことになる前に、俺が何とかするから、一生使う時はこないんだろうけどな・・・・だから、ランドルフは、俺達が犯した罪の最初で最後の被害者なんだ。どれだけ憎まれていても仕方がない。お互いに表には出さないがな。分かるか? 強大な力を求めるということは、同時にそれに見合った責任と代償を背負うことだ。お前には、俺達のような失敗はして欲しくない。これから、そのことだけは心に刻んでおいてくれ」

 思いもしていなかった告白に、上手く言葉が出てこなかった。こういう時は、どういう言葉を返すのが正解なのだろうか?

「うん。何か、ごめん・・・・」と、明らかに場違いな言霊が紡がれる。素直に『任せてよ』と言えない自分がどこか腹立たしかった。自信が無かったのか。または別の理由によるものか。ただ、いつかこの瞬間のことを後悔する日が来る。そんな予感がした。

「何で謝るんだ?」

「いや、何か・・・・」

 私はもごもごと口ごもった。説明のできない複雑な感情が絡みあう。

 

 ちょうどその時、ネルの魔術とは異なる光を前方から感じた。

グラディスは、ころりと声色を変えて歓喜する。ネルの表情も一瞬にして晴れやかなものに変化した。

「おぉー! 着いたぞ。息苦しかったなぁ」

「やっとね。もうへとへとよ」

「あと、ひと踏ん張りだ。頼むぜ」

「はいはい」

 私は、そんなグラディス達の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。ああいう重々しい空気は昔から苦手なのだ。

 光は歩を進める度に強くなっていき、それに合わせて周囲を囲む『ウィード』達も減っていく。そして、ドーム型の空間に出た。と、同時にネルが魔術の展開を中止する。出口らしきものは見当たらない。私には、唯の行き止まりにしか見えなかった。背後を振り返ると、楕円状の通路が確認できた。『ウィード』に取り囲まれていたため気付かなかったが、いつの間にか、ここを進んでいたらしい。目を凝らすと、先刻まで纏わりついていた黒い塊が、奥にびっしりと詰め込まれていた。ぶるっと身震いして、顔を背ける。この部屋の明るさを嫌ってだろうが、侵入してくることはなさそうだった。

 止まることなく中央まで歩いていく二人に、とことこと着いて行く。グラディスが、くるりと反転した。

「そろそろ時間だな。準備はどうだ?」

「歩いている途中に陣までは形成しておいたわ」

「上等だ」

「ねぇ。何の話?」

 嫌な予感がして、間に入っていく。

「転移魔術だ」

「え!? ネルって転移魔術も使えるの?」

「あまり得意ではないのだけれどね」

「いや、使えるだけで凄いよ!」

「ネルは、魔術の才能だけは誰にも負けないからな」

「だけってどういう意味?」

 また、余計な一言を皮切りに痴話喧嘩が始まってしまった。既にこの展開には慣れっこだ。気にせずに自分の質問をぶつけた。

「でも、転移魔術は追跡されやすいからとか言ってなかったっけ?」

「あぁ。それなら心配ないわ。魔力が大好きな子達がすぐに、証拠隠滅をしてくれるから・・・・」「それって、どういう?」

すると、襟首に何かが触れた。「ひえっ」と、声が漏れ、瞬時にグラディスの手だと悟る。

「来るぞ」

 その言葉と同時に、ごごごと、重々しい音が響き始めた。地面も小刻みに振動している。

「え? 何々?」

 突然の出来事に慌てる私。首筋を鷲掴みにされているため、辺りを見渡すことが出来ないが、この状況はついこの前も体験したような・・・・

「なぁ、ルナ。ここは中央都市の外壁の中にあるんだぜ」

「へ? そうなの? というか、そんな事よりも、今何が起こってるの?」

 がががと天井が円状に開いていく。周囲も徐々に暗くなっていた。

「外壁に作った理由は簡単だ。層状になっている中央都市の構造に関係なく、一直線に最下層、そそしてその先の地上まで貫くことができるのが、外壁だけだからだ」

「最下層・・・・まさか!」

 背後で、にやっと笑うグラディスの気配がした。見なくても分かる。先程通った『ウィード』で溢れた巨大な施設。もしも、あれが一時的な格納施設だと考えたら、ここは・・・・

 がこっと足場が消える。あぁ、またか。本日三度目の落下である。ひとりでに涙が溢れだしてきた。そして、「いやぁぁぁぁぁ!」

 世界が線状に変化した。じたばたと暴れる私を胸元に抱き寄せるグラディス。落ちているのは筒状の滑走路。彼女の言葉が本当なら、このまま行けば最下層である第十階層を超え、外の世界だ。さすがのグラディスでもそれだけの高さであれば、ぺしゃんこになってしまうだろう。体中の毛が逆立ち、ぞくぞくと嫌な感覚が駆け巡る。最悪の展開だった。さらに、はるか上空から、予想通りあの音まで聞こえてきた。

「『ウィード』!?」

「分かったか。はは。そうだ。ここは『ウィード』の廃棄路だ。今頃、さっき通ってきた巨大な格納施設が照らされて、行き場を無くした奴等が上の部屋に流れ落ち始めている頃だろうな。見えるか? 壁の魔術陣。って、そんな余裕無さそうだな」

「やばいんじゃない? 転移は? グラディス! これ、本当に大丈夫なの?」

 半狂乱になって、グラディスにしがみつく。頭の中は恐怖でぐちゃぐちゃであった。

「まだだ。オルグレンの転移魔術とは違って、共有名を使用するから、目標地点までの『繋がり」が必要になる。全階層が開くまでは発動できないんだ」

「ひぃぃ」

 風を切る音が鼓膜を刺激し、喉の奥から聞いたことの無い音が出る。その間にも、『ウィード』が落下してくる音が刻一刻と近づいてきた。上も下も地獄。気を失ってしまいそうだった。すると、グラディスが私の顔を自らの胸部に力いっぱいに押し付けてきた。ふかふかの柔らかさの中に、視界が埋もれる。

 次の瞬間。遮られていても分かる程の強烈な光を感じた。恐らく、魔術陣がどうとか言っていたため、周囲の壁から発せられているのだろう。上空から『ウィード』のものと思われる悲鳴のような甲高い断末魔が聞こえた。あまりの明度に瞼を開けることが出来ない。

「やつらは、消滅した後に灰になる。そのカスを捨てるために、外界へと続く噴射口が設けられているんだ。その先は、東の地の湖中に繋がってる。そこと連結した川は北の地の山脈から流れてきてるんだ」

「あー! 分かった! 分かったから、早く終わってぇー!」

 視界を奪われ、落下の恐怖が最高潮に達していた。自分でも何を言っているのか分からない。

 そして、

「繋がった」

 ネルの声がした。すぐさま「よし、やるぞ!」と反応するグラディス。ふっと、彼女の胸部から顔が離れた。薄目を開けると、拳を振りかぶる姿が見えた。照準は、私の背後にいるであろうネルへと向けられている。

「せーの!」

 グラディスが叫び、拳を振り下ろす。それがネルの体にめり込む瞬間。

「『インパチェンスバルサミナ』」

 ぱんっという破裂音が鳴り響いた。

 

――――――――――――

 

 

ガーベラ : 花言葉『神秘、光に満ちた、希望』、別名『ハナグルマ、アフリカセンボンヤリ』、特徴『すんと真っ直ぐに伸びた花茎から、沢山の花を咲かせる。色や花形も多彩。色毎に複数の花言葉も持つ。

 

用語解説

 名持ちの魔術: 魔術適正第参級以上の上位魔術師のみが使用できる強力な魔術。複雑な魔術陣と、高度な魔力操作を必要とする為、魔力に役割となる『名』を与え使役する。

自らの魔力の本質に名を与えた『固有魔術』と、魔術研究などにより開発され、適正があれば習得することの可能な『共有魔術』が存在する。見分け方は、名を唱える前に使役詠唱を伴うかどうかであり、一般的に固有魔術の方が優れた効果を持つ。

(例: 固有魔術「打ち消せ。『ダンデライオン』」 共有魔術「『インパチェンスバルサミナ』」)

 

固有名は、原則一人に一つであり、例え同じ名を冠していても、術者毎にその性質は異なる。

 

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