ダンジョンでコミュを築くのは間違っているだろうか (FNBW)
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プロローグ

主人公のセリフを中心に大幅にプロット変更


恥の多い生涯を送った。

自分の一生を振り返り、最後にそう結論付けた。

 

家族もなく、孤児院にも味方はおらず、自分を示すものは暴力だけ。辿り着いたのは汚れた仕事(ヤクザ)だった。

 

 

何もないからどんなことでもできる。それは力の源だった。

死んでも処理が楽だから、その理由で死地へ送られた。自分のいる組織では使い勝手のいい鉄砲玉として扱われた。

指を切ったことも一度ある。一度失敗しても二度目で必ず仕事を終わらせた。

 

気が付けば自分の隣には共に酒を飲み合う友がいて、後ろには自分を慕う部下がいた。

気が付けば、何もないとは言えなくなっていた。

 

騙され、売られ、自分の腹には幾つもの短刀が生えた。

ヤクザの殺し屋が幸せを願った末路だった。

よくあることだ。こんなこと、この業界では特に。

 

 

 

「ようこそ、ベルベットルームへ」

 

最初に聞こえたのはその声だった。

しゃがれた年寄りの枯れた声。

 

白で埋め尽くされた視界が次第に定まり、辺りを映し出す。

そこは階段だった。

それはどういう仕組みなのか、青い石畳だけが宙に浮かび、連なるように螺旋を描いている。上も下も果てが見えず、ただ青い螺旋階段と青い踊り場があるだけ。

石畳の上に、いつの間にか自分は腰を下ろして座っていた。

 

老人はそんな螺旋階段の踊り場になぜかある、黒いチェアに腰かけている。

 

 怪しい老人だ

 この奇妙な空間に自分を連れてきたのはこの老人だろうか。

 

「私の名はイゴール……お初にお目にかかります。夢と現実、精神と物質の狭間にある場所…“ベルベットルーム”の主を致しております」

 

長い鼻が特徴的な白髪の老人が異様に大きな目でこちらを見据える。

 

「ここは何かの形で契約を果たされた方のみが訪れる部屋……。貴方には近く、そうした未来が待ち受けているやも知れませんな」

 

 未来……

 

老人の言葉に鼻で笑う。自虐的な虚しい笑いだった。

 

「ご心配には及びません…ここは“あの世”ではない…貴方はまだ、生きていらっしゃる」

 

 信じられない。

 幾つものナイフで刺され、確かに死んだはずだ。

 

「貴方は確かに亡くなりました。……しかし、その魂はまだ、生きている。ここは、貴方の行く先を示す、次の部屋」

 

 次など要らない。

 

老人との距離を肉薄にし、右腕をしならせる。ボディブロー。

しかし、その手は老人に当たる前に半透明の壁に止められた。

ミシリ、という手の痛み。まるで鉄板を殴ったかのようだ。

舌打ちをして距離をとる。

 

「フフ、血気盛んなお方だ。次など要らない、それも一つの選択でしょう…私の役目は貴方を導く手助けをすること…その先々で貴方が選ぶ答えが死であったとしても」

 

老人の手が淡く輝く。数枚のカードが現れた。

 

 

「“占い”は、信用されますかな? 常に同じにカードを操っておるはずが、まみえる結果は、そのつど変わる…。フフ、まさに人生のようでございますな」

 

老人がこちらを見て笑みを浮かべる。今すぐ立ち去るか黙らせたいがどちらもできない。

 

「ほう…近い未来を示すのは“塔”の正位置」

 

宙に浮かぶタロットカードが捲られ、塔を指し示した。

 

「貴方はこれから大きな災いに晒されるようだ…そして、その先を示すのは“運命の輪”の正位置…“人生の分岐点”、“宿命”、“出会い”」

 

運命を指し示すカードが捲られ、老人はカードを消した。

 

「災いの中にも出会いがある。どうやら貴方は自らの死を望んで尚、出会いに恵まれておられるようだ」

 

手が自然と握り拳になる。老人のセリフは不快だ。

自分のこれまで(人生)見透かしたような言い方だ。

また壁に阻まれるだろうが、拳が砕けるまで振るってみようか。

 

「どうやら時間が来たようですな」

 

老人が螺旋階段の上を見てそう呟いた。釣られて上を見上げると一枚のカードが降ってきた。

 

「どうやら貴方の力は“愚者ではない”…いずれ訪れるであろう災厄に立ち向かう力を手に入れるのです。さすれば、いつの日か“愚者”をその手にここへ来ることがあるでしょう」

 

“愚者”の描かれたカードは老人の手の内で光となって消えた。

 

「では、未来のお客様。貴方の旅路に意味があらんことを」

       

老人は恭しくこちらに向かって一礼すると景色が一変した。

螺旋階段が地鳴りと共に下へと落下する。

立つことができないほどに揺れ動きついに階段から落ちた。

風を切りながら闇の底へ落ちて、落ちて――光が見えた。

 

 

 



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兎っぽい少年とロリ巨乳黒髪ツインテ女神

 

 

 

「あ、起きましたよ。神様!」

 

 

気が付けば視線の先には空が広がっていた。

 

どうやら廃墟で眠っていたようだ。崩れた屋根から日の光が差し、眩しくて手で覆う。

 

身を起こして辺りを見回す。

 

ここは教会だろうか。崩れた十字架と鐘が寝かされていた長椅子の近くに転がっている。

 

頭を振って意識を覚醒させる。

 

少年の声が聞こえたがどこかへ行ったのか辺りには誰もいない。

 

と、どたどたと教会の地下から物音がする。

 

白い髪の少年と黒い髪の少女が地下から地上へ出てきた。

 

 

「ああ、青年! 無事そうで何よりだ!」

 

 

少女はこちらを見るや否や顔を近付けてくる。

 

その顔や成りからは考えられない凶悪なソレが目前に迫り、思わず距離を取った。

 

 

「警戒しなくてもいい、何もしてないさ! 第一、昨日の夜、キミが空から降って来たんじゃないか。むしろ何をされたんだい?」

 

 

黒髪のツインテールの少女は、遊女かと思わせる扇情的な服とアンバランスな背丈、顔つき、背丈に見合わぬ凶悪なソレ。

 

近付いてくるのを手で牽制しつつ、白髪の少年の方を見た。

 

なんとかしてくれ、と目で訴える。

 

 

「あはは…神様はちょっと、人との距離感が近いお方でして」

 

 

…神様?

 

 

「いかにも!」

 

 

少女が長椅子の上に立ち上がる。それでも自分の身長(190cm)よりも低いが、大味な乳房を文字通り震わせ胸を張った。目を逸らす。

 

 

「天界から下界へ降りてきた神ヘスティアとはボクのことさ」

 

 

…ヘスティア、俺に学がないだけかもしれないが、聞いたことのない神の名前だ。乳の神なのだろうか。

 

 

その神様とやらが何の用だ?

 

 

「さっきも言っただろう? キミの方からこの教会に落ちてきたんだ。

天井を突き破って。それに鐘も地面に落ちてきたからボクもベル君も近所の皆も起きてしまってね。

ちょっとした騒ぎになったんだよ」

 

 

落ちてきた…?

 

昨日何があったかを思い出そうとして。

 

自分が死んだことを思い出した。

 

 

慌てて服を捲って腹を確認する。

 

傷一つなかった。指もある。全身の傷がなくなっていた。

 

どういうことだ…?

 

 

「どうかしたのかい?」

 

「顔色が悪いですよ?」

 

 

二人は首を傾げている。

 

それを聞き流し、思考する。

 

不気味な老人と話したことを思い出す。

 

先ほど少女は下界へ降りてきたと言った。鵜呑みにするつもりはないが…

と、二人からの視線で我に返った。

 

 

「かなりの高さから落ちたみたいだけど、体に異常はないかい?」

 

 

異常か…どこも痛くはないが無一文のところで教会の損害賠償を請求される前にズラかろう。

 

全身が痛いと腰に手を当てながら廃墟の出口へ歩き出す。

 

 

「えぇ!? 大丈夫ですか!?」

 

 

このまま押し通せるか。

 

病院の場所を聞くべきかと出口の前で彼らの方へ向き直ると、少女がじっとりとした目つきでこちらを見上げていた。

 

 

「……キミ、オラリオは初めてかい?」

 

 

オラリオとは地名だろうか。

 

首を傾げると彼女は大きくため息を吐いた。

 

 

「どうやら、それすら知らないみたいだね。神に会うのも初めてじゃないかな?」

 

 

どう答えるべきか。

 

さっさと逃げるべきか?

 

 

「可能性の一つだが、キミはかなり遠くから転移させられてこの地に来たのかもしれないね」

 

 

記憶にない。

 

 

「その言葉は本当のようだね。良い事を教えて上げよう。神はヒトの嘘を見抜くことができる。たった今、君は体が痛いという嘘を吐いたね?」

 

 

腕を組んで少女は半眼になる。

 

露骨だとは自分で思うが演技が悪かっただろうか。

 

悪かったと観念して謝ると少女は頷いて笑みを見せた。

 

 

 

「よし、なら一つキミに質問をしよう。君はオラリオがどこにある都市なのか知らない。違うかい?」

 

 

知らない。外国だとは思ってはいるが。

 

 

「どうやらその言葉に偽りはないみたいだね。君は本気でオラリオという世界的に有名な都市を知らない、と」

 

 

世界的に有名?

 

そもそもここは日本ではないのか?

 

 

 

「僕は田舎からここに来たんですけど、それでもオラリオのことは旅人や商人たちから聞かない日はなかったほどです」

 

「もし良ければ話を聞かせてくれないかな? 情報交換という事で」

 

 

なし崩し的にだが、俺は彼女らに起こったことを話した。

 

 

 

 

 

「……それは異世界の可能性が高いね」

 

 

元いた場所、日本について少し話した。

 

彼女らからすれば信じられないことだろうが嘘を見抜けるのならば真実であると伝わるはずだ。

 

話が終わるとヘスティアという自称神様は顎に指を当てて考える仕草をして、そう答えた。

 

異世界か、あの老人の言っていた『次』というのがこの異世界のことなのだろうか。

老人のことは伝えなかった。

言えば信じてくれるだろうが、情報を全て話すのは得策ではない。

 

彼らはある程度こちらを信用してくれたのかこの世界のことを話してくれた。

 

オラリオという迷宮がある都市、バベルと言われる50階建ての塔。

 

ダンジョン、ファミリアとその主神。大まかな世の中のルール。

 

地下にはモンスターが生み出される迷宮が存在している。

 

超越存在である神は神威を放っており誰でも神だと分かるらしい。

 

そして人間の嘘を見抜くことができる、等。

 

 

異世界すごいですね(なるほどわからん)

 

 

「ところでキミの名前を聞いていないのだが、これも縁だ。お互い自己紹介といかないかな?」

 

 

トロウと短く答えた。

 

 

「ベル・クラネルです。14歳です! 今後ともよろしくお願いします、トロウさん!」

 

 

握手を求められ、応じる。

 

ベルとは10も離れているのか、自分の14の頃とは性格が180度違うな。真面目で礼儀正しそうな子だ。

 

しかし、言葉に違和感があった。

 

 

「改めて、ボクはヘスティア。神様だ! これからよろしく頼むよ! トロウ君!」

 

 

違和感がはっきりと理解できた。

 

これからとはどういうことだ。

 

 

まさか、と目を剥く。

 

 

「ああ! まだ何も言っていないというのになんという洞察力! トロウ君、今後とも、よろしく頼むよ!」

 

 

と、神は手を差し出してくる。

 

話を聞いているのか聞いていないのかどっちだ、と半眼になる。

 

まさかこのまま押し通そうとしているのでは。

 

悪徳的な勧誘と同じだ。

 

 

「教会を盛大にぶち壊してくれた分、ベル君と君の二人でダンジョンで稼ぐんだ。

大家さんから立ち退きを命じられたが、金さえあればなんとかなるさ! たぶん!」

 

 

手を差し出す右手とは反対の左手に借金の金額らしき数字の書かれた紙が見えた。

 

無一文の上に身分を証明する物もない、一人で路上生活をするか、一緒に借金を返済するかの二択らしい。

 

差し出された手を握り返すしか道はない。

 

 

>>コンゴトモヨロシク

 

 

してやったりという顔で神ヘスティアは唯一の団員であるベルと互いに親指を突き立てた。

 

こちらは中指を立てたくなった。

 

 

 

それからすぐに神ヘスティアは頭を抱えた。

 

 

トロウ・ミズイシ

Lv.1

力:I 0

耐久:I 0

器用:I 0

敏捷:I 0

魔力:I 0

《魔法》

【仮面(ペルソナ)】

・心の具現化

・任意発動

・アルカナにより形状変化

・詠唱式【―――】

《スキル》

【■:□:RANK 0】

・心の形、アルカナ

 

近々、神の宴へ行かなければならないというのに、ヘスティアは胃痛が始まる思いだった。

 

 



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男なら札束で人を殴れるくらいには金を稼ぐべき

 

二日目の朝。

 

教会の地下室で寝泊まりしているのだが寝心地は悪くなかった。

 

夏場でも地下は涼しいらしいので年中ここで過ごしても不自由がないだろう。

 

夜に神ヘスティアから恩恵を賜ったのだが、ステイタスに書かれた内容を見るとどうしてもゲーム感覚になってしまうのは仕方がないと思う。

 

スキルから下の欄に明らかに消したような跡があるが問い詰めてもヘスティアは教えてくれなかった。

 

ベルも同じようなことがあったらしい。単純にすごい規模の書き間違いをしているだけかもしれない。

 

それはさておき、早速借金返済といきたいが。

 

 

――で、借金はいくらなのか。

 

 

「まずは教会の立て直しに100万ヴァリスだね」

 

 

通貨が違う。高いのだろうか。

 

 

「うーん…50ヴァリスでご飯1食分だと分かりやすいかな? 酒場だともっと高いしおやつ類はそれなりに値段がするけど」

 

 

1食50ヴァリスか…場所によるが日本なら500から1000円くらいで成人男性の腹は満たせる。

 

大体1ヴァリス10円換算するか。となると1000万円相当だな。

 

この世界ではこの立て直しの値段は妥当なのだろうか。

 

いや、単純に食べ物が飽和しているか枯渇しているかで価値は違うだろうし、

建築に至っては車などがない分要する時間や人件費や材料費などが格段に高いかもしれない。

 

そこは追々考えるとして、今の稼ぎを考えよう。

 

 

白髪の…ベルと言ったか。彼の稼ぎはどのくらいだろうか。

 

 

「ベルでいいですよ、トロウさん。ええと、日によって変わりますけども、運が良いと1日5000ヴァリスは稼げます」

 

 

 

冒険初心者の俺が加わって同じ稼ぎが出せるか分からないが、二倍して1日1万ヴァリスとみると。100日ダンジョンに潜れば返せる。

 

それまでにどんな出費があるか分からないが、長く見積もっても半年で返済は完了できるだろう。

 

…借金の利子がなければ。

 

え、利子がない? 大家は天使なのか?

 

 

なんにせよ、稼ぐためにはダンジョンへ向かわなければならない。

 

 

「その前にギルドに冒険者登録をしましょう。そうしないと換金ができませんし。それに装備の支給もありますよ」

 

 

…戸籍や身分証がないのだが大丈夫だろうか。

 

 

「ファミリアに所属していますから大丈夫ですよ」

 

 

ファミリアが戸籍や身分の代わりになるのか。それは助かった。

 

すぐに抜けられない、逃げられないということがはっきりしてしまったが。

 

 

「行ってらっしゃい。気を付けてね!」

 

 

教会から出ていく前、ヘスティアが手を振っていた。あの歩く度に揺れる胸に慣れなくてはならないのか、精神衛生上よろしくないのだが。

 

 

 

冒険者登録をしよう。

 

 

場所は変わってギルドの受付。

 

途中から人の流れに沿って行く内に受付まで歩いて来れた。ベルを担当しているエイナという女性職員と対面した。

 

 

「こんにちは。ベル君から話は聞きました。ヘスティアファミリアの新しい団員ですね」

 

 

エイナという女性は耳が尖がっていた。エルフという種族なのだろうか。眼鏡も相まって理知的な印象がした。

 

 

「私はエイナ・チュール、彼に加えて貴方の担当をさせてもらいます。どうぞお見知りおきを」

 

 

ご丁寧にどうも、と握手をする。

 

 

「背、すごく高いですね。体つきも他の冒険者と遜色ないくらいに引き締まっていますし。ここに来る前は何かしていらしたのですか?」

 

 

とりあえず世辞に対して礼をしておく。

 

何をしていたか…どう答えるか。

 

異世界に対してヘスティアからは特に口止めされているわけではないが。

 

経験上立場の上の人間に目を付けられて良かったことなど一つもない。

 

嘘をつくのはバレた時に信用にかかわる。

 

これから何度も話す相手になるかもしれない、なるべく言葉を選んで無難に答えるしかない。

 

 

「…元用心棒、ですか…。転移魔法でここへ来た、と。自分で言っていて苦しいって思いません?」

 

 

オラリオのことを知らないくらいに遠くの国で用心棒をしていたと答えた。

 

彼女はあからさまに疑いの眼差しを向けたが、生憎嘘は一つも言っていない。

 

ベルたちのいる教会を破壊してしまったので借金返済を目的としてダンジョンに入る、と伝えた。

 

 

「私は神ではないので貴方が嘘を吐いているかどうかわかりませんが、嘘を吐くならもっとそれらしいことを言うとは思います。

とりあえずは納得しておきます。ここには様々な事情を持った冒険者も来ますので」

 

 

ため息を一つ吐いて彼女は手続きを始めた。

 

どうも、と頭を掻きながら短く相槌をうつ。

 

それからしばらくダンジョン内での注意事項や事務的な手続きを行った。

 

しかし自分は文字が書けなかった。読むこともできない。

 

日本語が通じていることがまずおかしいのだが。

 

 

「読みだけでも覚えた方が今後の為ですよ。戦うだけが冒険者ではありませんから」

 

 

この世界の字を書けないので代わりに書いてもらうことになった。文字の読み書きは要勉強だな。

 

声はどうなっているのだろうか。普通に日本語を話しているつもりだが、通じている。

 

まぁ通じているのだからどうでもいいか。

 

 

「今日はこれからどうされますか?」

 

 

もちろんダンジョンに入る。

 

と答えた瞬間、チュールさんが俺の手を掴んだ。ギリギリと締め付ける力が伝わってくる。

 

 

「なら、探索は1層だけにして! 最近、ベル君がどんどん下の階層へ降りてしまうんです! 絶対に止めて下さい!」

 

 

話を聞くと階層が下がればモンスターの強さも上がり、種類も増えるとか。

 

行ったきり帰って来ない冒険者をこれまで何度も見てきたらしい。

 

確かに、昨日まで言葉を交わしていた相手が死ぬのは辛い事だろう。

 

ベルのような子供が命の危険のあるダンジョンに潜ることも彼女にとって心配する事なのかもしれない。

 

面倒見がいい人だな。

 

 

「防具と武器は支給しますが、武器は何を使いますか?」

 

 

刃物は手入れが大変だ。打撃武器にしよう、棍棒とか。

 

 

「打撃武器ですね。えぇと……ありますね。メイスですけど」

 

 

 

仕立てする部屋に案内してもらい、実際に見させてもらうと先端に装飾の施された銀色のメイスがあった。黒いグリップが真新しい。鉄なのかどうかわからないが、まぁ金属なら同じだろう。

 

長さは1mくらい、メイスとして長いかどうかは知らないが鉄パイプと同じように使えるなら問題はない。

 

加えて言うならば左右対称ではない、これは作りの甘さからくるのだろうか。

 

既に先端が斜めに歪んでいる気がする。まぁ振るえば同じだ。

 

 

「二人とも近接なんですね。乱戦はなるべく避けるのと誤って味方を傷つけることのないよう注意して下さいね」

 

 

戦いには慣れている。チンピラらしい技術も何もないただの暴力だが実績(殺害経験)はある。

 

モンスター相手には勝手が違うだろうが。人よりも楽だろうか。

 

 

「回復手段はポーションです。飲んでも傷にかけても治ります。

他には効能の高いハイポーション、魔力を回復するマジックポーションがあります。

滅多に使いませんが万能薬のエリクサーもありますね」

 

 

瓶詰の液体を渡された。透明感はあるが水と違ってドロドロしている。

 

可能なら飲みたくない。かけて使おう。いや、かけたくもないなコレ。

 

 

「こんなところですかね。他にも知りたいことがあれば可能であればお教えします」

 

 

受付に戻り、全ての手続きが終わる。

 

ベルをこれ以上待たせるのは悪い、すぐに合流したい。

 

と、聞きたいことがあったのだった。ベルにも彼女に相談するべきだと勧められている。

 

 

「魔法…ですか?」

 

 

一つだけ恩恵を受けた時に発現しているが、使い方が分からない。

 

彼女なら何か力になってくれるだろうとベルは言った。

 

 

「…あまりこういう話はファミリア外部の人間に話すのは良くないことですよ。

まぁ…誰も詳しくないなら自分で調べるか聞くしかないですけど」

 

 

どうやらステイタス関係は口外すると碌なことにならないらしい。

 

ヘスティアからも口止めがあったがこちらとしても全部を話すつもりはない。

 

チュールさんは腕を組んで思考を巡らせ考え込んでいる。

 

 

「詠唱式を口に出せば発動するのではないですか?」

 

 

詠唱式が空欄だ。

 

 

「……レアな魔法の可能性が高いのでぜっったいに口外しないで下さいね」

 

 

半眼になって彼女は念を押した。

 

 

「そうですね…条件を満たせば発動する魔法なのかもしれませんね」

 

 

首を傾げる。

 

 

「自分に危険が降りかかった時やモンスターと対峙した時など、何かが引き金になり発動するということです」

 

 

使いにくそうだ。

 

 

「まぁ、貴方は体格もいいですし、最初は近接のみで戦ってその魔法はダンジョンに慣れてから考えてみるのもいいのでは?」

 

 

確かにそうだ。命の奪い合いに付け焼き刃で挑むのはリスクが高すぎる。

 

防具とメイスを持ってギルドを出た。

 

その後、外で待っていたベルと合流、教会地下で着替えてダンジョンの中に入るのは昼を過ぎていた。

 

 

 

 

 

上層、第一階層。

 

1層は一見するとただの洞窟だった。

 

普通と違うところはライトなど光がなくてもある程度の距離ならば見渡すことができることだろうか。全体的に薄青い洞窟だ。

 

周りを見回しながらベルの後に続く。

 

ベルは今にも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。

 

何かいいことでもあったのだろうか。

 

 

 

「初めてパーティを組んでダンジョンに潜ってるんです。一人の時よりもわくわくします!」

 

 

そういうことか。

 

今までベルはたった一人で戦ってきたんだな、と彼の胆力を感心した。

 

どうしてベルはこんなところ(オラリオ)に来たのだろうか。少し気になった。

 

 

 

「小さい頃からおじいちゃんと二人で暮らしてきたんですけど。少し前にモンスターに襲われて亡くなったんです。

オラリオに来たのは一人じゃ生計を立てることが難しかったから…ですかね」

 

 

考えてみれば一人でこの都市に来ている時点で普通の境遇とは違うと気が付くべきだった。

 

 

気軽に聞くことではなかった、と反省する。

 

 

「いえいえ! 遅かれ早かれ、団員であるトロウさんには話すつもりでしたし!」

 

 

それに、とベルは慌てたように言葉を続ける。

 

 

「ここには出会いを求めて来たんです。

昔からおじいちゃんから英雄のお話を聞いたりして、たくさんの英雄が生まれるこの都市に興味を持ったのと、女の子と出会ったり仲良くなりたかったりして…不純ですよね」

 

 

嫌々戦ってるよりも自分が望むから戦うというのはある意味理想的だとすら思うが。

 

もちろん、その欲望を表に出したらチャラ男と何ら変わらないが。肝心なのは節度だ。

 

年齢的にも見た目的にもベルならばまだ表に出してもセーフだろう。

 

それとは別に気になったことがあった。

 

 

出会い。

 

 

塔の正位置、運命の輪の正位置。

 

あの老人が言っていた。大きな災いと出会い。

 

もしかすると出会いとはベルとヘスティアのことだったのではなかろうか。

なら災いは一体何だろうか。

 

「それにこれもおじいちゃん譲りなんですけど、僕は英雄になりたいんです。

昔話や伝説にあるような、立派で格好いい英雄たち。昔はただの憧れだったんですけど。僕はそれになりたい」

 

 

子供の言うような絵の描いたヒーローのお話。

 

ベルの目は真剣だった。

 

 

「もしもあの時、僕に力があればおじいちゃんは死ななかった。家族を失った喪失感が、ぽっかり胸に空いたこの気持ちがたまらなく怖い」

 

 

俺には家族というものが元々いなかった。彼の言っていることを共感することはできないだろう。

 

しかし、彼の顔はどこまでも真面目で真剣だった。

 

言ってからベルは顔を少し赤くした。自分の言葉を思い出して恥ずかしがっているようだ。

 

 

「あ、トロウさんのお話、聞いてもいいですか? 二ホンという異世界の話、すごく面白そうだったので」

 

 

自分の話はそこまで明るいものではないが、と前置きをしてできるだけ彼が楽しみそうな話を詳細をぼかして話した。

 

戦いで10人を相手にして拳一つで倒したと言ったが、実際はビルを爆破したので使ったのは爆弾と指先一つで起動できるボタンである。

 

話をするとベルは目を輝かせるように聞いていた。面白い話ではないと思うが。彼にとっては価値があるのだろう。

 

新鮮だとは思う。

 

 

 

「トロウさんはここに来る前は何をしていたんですか?」

 

 

そういう言葉が出るのは仕方のない事だった。

 

どう言うべきか。

 

借金の取り立て、殺し、殺しの隠蔽、交渉。主にやっていたのはそれくらいだ。

 

犯罪者でした、とは言いたくない。

 

 

「……あ、別に言いにくいなら大丈夫ですよ?」

 

 

言いにくいことを察したのか、ベルは頭を掻いてそう言った。

 

 

>>自分だけ言わないのは、フェアじゃない。

 

 

考えた末に自分が孤児だったことを打ち明けた。孤児院でも孤立していたが。

 

なるべく無難なことをベルに話した。

 

孤児院では不自由はなかったが、あまり勉強ができず、大人になって働ける場所が限られていたということ。

 

後ろ暗い仕事をしていたということ。

 

すぐにベルは謝ったが、お相子だと背中を叩いた。

 

 

「おかしいな」

 

 

それからしばらくして、ベルがそんなことを呟いた。

 

見れば周りを見回している。

 

 

釣られて辺りを見るが誰もいないし何もない。

 

 

「モンスターが出て来ないんです。珍しいな」

 

 

そういえばここはダンジョンの第一階層だ。ベル曰く、ゴブリンやコボルトが徘徊しているらしいがまだ出くわしていない。

 

 

普段と違うことなのだろうか。

 

 

「はい。あ、そういえばダンジョンに入る前に商人さんたちがモンスターフィリアがどうとか言っていたような」

 

 

少し違うような気もするが、要は祭だ。

 

そのせいでモンスターが少ないのかもしれない。

 

関係はわからないが。

 

 

「どうします? 2層ならいるかもしれませんけど」

 

 

自分がどこまでやれるのか知りたい。チンピラになりたての頃を思い出して懐かしい気持ちになった。

 

 

「種類は増えますが群れで来ることは少ない階層ですし、二人なら対処できると思います」

 

 

チュールさんには申し訳ないが、出て来ないモンスターが悪いのだ。

 

と、下の階層に向かおうと足を進めていると下の階層から団体が昇ってきた。

 

見ればモンスターを檻に入れて運んでいる最中らしく檻の中にいるモンスターが何匹も見えた。

 

象のマークを付けた服を着ている男性たちはこちらを一瞥すると遠くから話しかけてきた。

 

 

「おーい! 今日はモンスターを輸送しているから他の冒険者にモンスターの沸き潰しを頼んでるんだ。今日はあまりモンスターが出てこないと思うぞ!」

 

「そうなんですかー! わざわざありがとうございます!」

 

「モンスターフィリアを楽しみにしてくれよー!」

 

 

ベルが手を振って応対した。

 

…気のせいだろうか。

 

檻の中のモンスターたちがこちらを見つめている気がしてならない。

 

一匹ではなくすべてのモンスターからの視線。

 

表情が分からない、それは不気味さを助長させた。

 

団体を見送り、再び二人になった。

 

 

「…今日は帰りましょうか」

 

 

今は時期が悪いのか、モンスターフィリアというのは来週らしい。

 

 

「あっ! 夜に探索しませんか? 人の眠る時間ならモンスター輸送もしないでしょうし」

 

 

なるほど、それは良い。

 

 

地上へと踵を返し、再び歩き始めた。

 

夜になったらダンジョンへ、夜が更けたら帰るということで、祭が行われるまでの方針が決まった。

 

 

「神様は予定があって来れないんですけど、今日の夜に酒場で歓迎会をしてもいいですか? ちょっとお高い店ですけど味も量も保証できます」

 

 

そこまでしなくてもいい、金を使うのは抑えるべきだろう。

 

 

「飲み食いする余裕くらいならありますよ…嫌…ですか?」

 

 

嫌ではないが、と否定する。

 

 

「それに、ちょっと前にその店で問題起こしちゃって…どうしても謝りにいかないといけないんです。お金を渡すのとは別に、酒場なら礼儀として飲み食いしてお金を払いたいな、と」

 

 

客として礼を尽くしたいということだろうか。

 

 

 

 

場所は変わって、オラリオ西区。

 

時間は日が落ちてすぐ。夜はまだ肌寒く、道を行く人々の多くは着込んでいた。

 

西区はオラリオの住人の住居があるらしく、夜でも人の数が多い。

 

ベルと俺の二人は彼が世話になったという酒場に向かっていた。

 

ヘスティアファミリアの教会はオラリオの北西と西のメインストリートの間の区画にある。歩いて数分とその酒場は意外と近くにあるらしい。

 

夜になると街灯が付けられるのか、ある程度は明るくメインストリートはよく見まわすことができる半面、路地に入ると夜目が利かない限りは見えないくらいに暗かった。

 

夜に帰宅しても教会くらいなら真っ直ぐ帰れそうだ。

 

辺りを見回しながら歩いているとその酒場に着いたのかベルは足を止めた。

 

緊張しているのか、中々入ろうとしないベルを押して無理矢理中に入れた。後に続く。

 

酒場の中に入ると最初に飛び込んできたのは濃厚なアルコール臭だった。

 

咽かえるような酒の匂い。飲み屋特有の匂いだろう。

 

電球色の明かりが店全体を照らし、様々な客が円のテーブルやカウンターに座り各々の食事を楽しんでいる。

 

ちらりと見える料理には日本でもあるようなハンバーグやパスタなどがある。

 

見るからに美味しそうだ。

 

と、厨房のある奥の部屋から給仕の女性が出てきた。猫耳がついていた、思わず凝視する。

 

 

「いらっしゃいませニャ! ああぁ! あん時の食い逃げニャ! シルに貢がせるだけ貢がせといて役に立たニャくニャったらポイしていった、あん時のクソ白髪野郎ニャ!!」

 

「黙っていてください」

 

 

――ひどい言われようだ。

 

 

唾を飛ばしながらベルを罵倒するネコ女がエルフの少女に黙らされ(殴られ)、ベルと一緒に厨房へ消えていく。

 

ベルがお金を片手に頭を何度も下げているのが遠巻きに見えた。

 

入口にいては出入りする客に邪魔になる。カウンターに腰を下ろした。ベルの席も確保しておこう。

 

 

「見ない顔だな兄ちゃん、景気はどうだい?」

 

 

隣の席の男が話しかけてきた。

 

見れば酒が入っているのかかなり臭い。赤くなった鼻が如何にも酔っているように見えた。

 

 

ぼちぼちだな。

 

 

「はっはっは! 嘘をつくなよ、モンスターフィリアのせいで上層はモンスターがからっきしだ。景気良いはずねぇわな」

 

 

…知ってるなら聞くなよ、と本音が口に出かけるが酒で酔っている相手にあれこれ言うのは争いの元だ。

 

聞くのに徹する。

 

 

「大半の連中はアガリが良くねぇからか飲まなきゃやっていけねぇ。

この店は高いが飯は美味いし給仕のねぇちゃんは可愛いし良い事ばかりだ。まぁ高いから懐が寒い奴は来ねぇが」

 

 

景気が悪いのか。確かにモンスターの中にある魔石を換金して金を稼いでいるのならば、モンスター自体がいなければ稼ぎは減る。当然の帰結だ。

 

上層だけなら中層以降に行けるレベル2以降の冒険者なら問題はないのだが。

 

この中年はレベル2なのだろうか。手や顔にある傷から何度もダンジョンに潜っている熟練者かと見受けられる。

 

自分がレベル2になるのは何年先になるだろうか。

 

借金さえなくなれば自由になる、どうするかはまだ考えても仕方がない。

 

 

「あとは尻の一つや二つ触らせてくれりゃ、文句はないんだがなぁ」

 

 

げっへっへ、とおっさんは笑う。

 

 

「へぇ、そいつは良い事を聞いた」

 

 

正面から声が降って来た。

 

前を見ると腕を組んだ女性が立っていた。女性にしては大きい、これがドワーフという種族だろうか。

 

 

「げ、ミアさん」

 

 

一瞬にしておっさんの顔が赤から青に変わった。否、鼻は赤いままで紫になった。

 

 

「今の話は聞かなかったことにしてやってもいい、ただ、もしも手が滑ったりした瞬間、私の包丁がお前の股に滑るからね」

 

 

えぐい。

 

 

「はは…冗談だよ。この前エルフの娘がドワーフのレベル2の男を蹴り飛ばしたの見てんだよ。そんな娘に手ぇだす訳ないだろ?」

 

「分かればいいんだよ。分かれば」

 

 

ミアと呼ばれたドワーフの女性は厨房へ戻っていった。

 

 

飲み直そうぜ。

 

 

「あ、あぁそうだな。飲むに限る」

 

 

酒を一杯もらって席を替えた。自分の酒代が一杯分増えたことにおそらく彼は気が付かないだろう。

 

しばらくしてベルが戻ってきた。手を上げて隣の席へ誘導する。

 

一緒に銀髪の給仕の娘が着いてきた。

 

 

「トロウさん、こちらシルさん。お世話になったこのお店の店員さんです」

「初めまして。シル・フローヴァです。貴方がミズイシさんですね。この度は態々お店まで来ていただいて、ありがとうございます」

 

 

畏まるように彼女は頭を下げて微笑んだ。

 

驚くほどの美人だ。

 

挨拶だけしておく。

 

 

この様子だとベルの方は何事もなかったようだ。

 

 

「明日にしていたら殺されていたかもしれません」

 

 

それは怖い。

 

さっきの男性と女性との会話を聞いて顔を青くする。

 

 

「では私は仕事がありますので。お二人とも楽しんで下さいね!」

 

 

そう言って彼女は給仕の仕事を再開した。

 

メニューを見て、何を選ぼうと二人で唸っていると、その前に料理が置かれた。

 

見ればいつの間にか先ほどのエルフがベルの隣に立っていた。酒場の環境音のせいか料理が置かれるまで気が付かなかった。

 

 

「男なんだろう? だったらこれくらい食べて力付けな」

 

 

と、厨房からドワーフの声が飛んでくる。

 

 

「失礼しました」

 

 

エルフはそう言って頭を下げ、厨房へ戻っていった。

 

別のテーブルで接客しているシルさんが一瞬こちらを見て、にっこりと笑った。小悪魔的な笑みだった。

 

 

「これだけで限界ですね…」

 

 

小皿に取り分けながら延々とスパゲッティの山を削った。

 

お代は飲み物込みで3000ヴァリスだった。1ヴァリス10円換算していたため、どう考えても高すぎるが、二人で3000ならと割り切った。

 

円で換算するのは止めることにしようと誓った。

 

 

 

午後8時、ヘスティアファミリアの教会地下。

 

拠点に帰ってきてもヘスティアはまだ帰って来なかった。

 

ボロいテーブルの上に置き手紙で『友神の家で泊まります』と書かれていた。

これでは恩恵の更新ができない。

 

といっても今日はダンジョンの散歩をしたくらいでステイタスが上がるようなことは何もしていないのだが。

 

 

「神様もいませんし、許可がなくて悪いですけどもダンジョンに行きましょう」

 

 

ベルがそう提案した。眠気もさほどないし疲れも一切溜まっていない。良好なコンディションと言えるだろう。

 

 

昼間と同じ道を歩いてダンジョンへ向かう。

 

同じ道のはずなのに、夜だと人通りが少なかったりたまにすれ違う人が酔っ払っていたりと町の違う顔が見れた。町が眠っている、と言うのは少し気取りすぎだろうか。

 

ふいに、空へ視線を上げる。

 

半分欠けた大きな月が目に止まる。これも月と言われているのだろうか。

 

おそらく半月前は大きな満月だったのだろう。オラリオは空気が澄んでいるからか、日本よりも夜空が綺麗だった。町を見下ろす丘があれば綺麗な町の夜景が見れることだろう。

 

物思いに耽っているとダンジョンの入り口に着いた。

 

 

「ポーションは持った…な。よし、では行きましょう」

 

 

ダンジョンへ入り1層へ、昼間と全く同じ風景だ。町は眠っているというのにダンジョンは眠らないらしい。

 

しばらくすると小さな人影が見えた。

 

 

「ゴブリンです! 数は2体! こっちに気が付いていません、行きましょう!」

 

 

走り出すベルに続く。

 

ベルはナイフを逆手に持ち、背後からゴブリンの首を切った。

 

直前でベルの接近に気が付いたが反応する前に絶命、もう1体が慌ててベルから距離を取る。

 

腰くらいの位置にいるそのゴブリンの頭に向かって、メイスをフルスイングした。

 

人体から出てはいけない音が辺りに響き、ゴブリンは白目を剥いて倒れた。頭から血が噴き出し痙攣している。

 

しばらくしてゴブリンは砂のように消えて水晶のような物が残った。

 

 

「それが魔石です。それを集めて換金するのが僕らの仕事になります」

 

 

親指程度もない小石くらいのそれ。

 

見た目は水晶のようで、触るとほんのりと生暖かい。

 

ただの石ころだと価値は付かないだろうがこれ自体を加工して街灯などで使うことができるそうな。

 

こんなに小さいのか。

 

 

「ええ、ですが敵が強くなれば魔石も大きくなりますし種類によってばらつきもあります。塵も積もればなんとやら、です」

 

 

袋に魔石を入れる。どうやら先は長そうだ。

 

ゴブリンを殺した感触は人とほぼ同じだな、ということだけ。

 

それよりも驚いたのは自分の力が増していることだ。本気ではなく軽いスイングの力しか込めてないが日本にいた頃の全力に近い威力が出た。

 

自分本来の力とは別に力が加わっている。これが神の恩恵(ファルナ)というものだろう。

 

――この力が日本にいた頃にあれば、誰も自分には敵わなかっただろう。

 

頭を振って考えを払う。

 

 

「次が来ます。おそらくコボルト、向こうはこちらに気が付いているようです」

 

 

ベルの言葉に頭を上げる。二足歩行をしている犬のような獣、コボルトが1体、こちらに向かって近付いている。

 

 

 

 

走る速さは人と同じくらい、恩恵がなければ恐ろしく思うかもしれない。

 

接近したコボルトが右腕を大きく振るい、爪で引っ掻く。

 

手首を掴みそれを受け止める。

 

左手を同様に振るう、メイスを地面に落とし同様に掴む。

 

一瞬、一秒に満たない時間。コボルトと俺が止まった。

 

コボルトが噛み付こうとするのとその両手首をへし折るのは同時だった。

 

噛み付きに対し身を低くしてそれを交わしコボルトの腹を蹴った。

 

くの字になってコボルトは飛んでいく。

 

内蔵にダメージは入ったと思うが、殺してはいない。

 

起き上がったコボルトは雄叫びを上げ、両手を下げたまま再びこちらへ突進してくる。戦意喪失はしていないようだ。

 

左手を盾にするように掲げ、コボルトに噛み付かせる。

 

それを見てベルがナイフを構えるが右手で制した。

 

腕にコボルトの歯が食い込み皮膚を破った。

 

血が腕を伝って肘から落ちる。

 

痛い、が昔ほどではない気がする。おそらくこれも恩恵だろう。

 

普通ならば腕を噛み千切られるだろうが、骨に達してもいない。

 

体もかなり固くなったと言えるだろうか。

 

分析は終わった。

 

コボルトの喉仏を握り締め、潰した。

 

ごぼり、と血の塊を噛み付いた腕に降りかかりコボルトは地面に倒れた。

 

しばらく痙攣している様を眺める。まだ辛うじて生きている。

 

ぐったりとしているコボルトは次第に痙攣がなくなり、ゴブリンと同様に消え去った。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

我慢できないほどではない。

 

丈夫さには元から自信があったが、恩恵のせいか以前よりも丈夫になっている。

 

 

ポーションを取り出して腕にかける。

 

染みることなく傷が塞がっていく。

 

それを見て軽く面食らうが呆気に取られている間に傷は塞がった。

 

これは…すごい。

 

 

これも恩恵の力の一つなのか、と治った腕を見つめた。

 

 

「僕も最初そう思いましたよ。恩恵があるからこんなに早く治るらしいです。

といっても今のはそこまで酷いケガではないですし、骨が折れたりすれば普通に病院通いになりますよ」

 

 

どうやらポーションで直せる限界を超えると普通の人間と同じ治療法で直さなければならないらしい。外傷が一番効果が出やすいのだろう。

 

 

「今のゴブリンとコボルトが1層で出てくるモンスターの全てですね。

流石というか、全く動じてませんねトロウさんは」

 

 

これでも大人だからな。と鼻を鳴らして答えた。

 

2層は別のモンスターがいるのだろうか。

 

 

「はい、さっきの二体に加えて、ダンジョン・リザードとフロッグ・シューターが2層から出てきますね」

 

 

どんなモンスターだろうか。とはいえ名前で大方予想がついてしまったが。

 

 

「僕自身あまり戦ったことがないのですが…ダンジョン・リザードは僕くらいの背丈でフロッグ・シューターは大型犬くらいの大きさです」

 

 

想像すると少し気分が悪くなる。

 

人間に近いほどやりづらくなりそうだ。今相手したコボルトは思考回路なんてあったもんじゃなかったがこれから先は頭の良いモンスターも出るに違いない。

 

 

「さぁ、行きましょう!」

 

 

ベルは明らかにテンションが高かった。

 

チュールさんにまた心の中で謝り、ベルの後に続いた。

 

洞窟を抜けてまた洞窟、2層は1層と比べて地形的な変化も何もない。相変わらず薄青い洞窟だ。

 

 

「ゴブリンです。今度は僕が行きます!」

 

 

了解、と短く答えた。ベルは言うや否や駆け出していく。

 

サイドステップとバックステップでゴブリンの攻撃を回避している。

 

明らかにベルの方がスピードで圧倒している。

 

それでもゴブリンは執拗にベルを追い続け腕を振り回している。

 

子供の遊びに付き合う大人のようだ。違いは、その子供が明確な殺意を持っていることだろうか。

 

いつ終わるかも分からないダンスを見ていると、天井から小石がベルの傍に落ちるのが見えた。

 

 

「っ!」

 

 

それが何か確認するより先にベルが動く。

 

体をひねりベルは天井からの奇襲を回避した。

 

落ちてきたのは茶色い皮膚の人型だった。尖る口と尻尾は蜥蜴を彷彿させる。

 

蜥蜴(リザード)、なるほどこれがダンジョン・リザードか。

 

手に吸盤のような器官が付いている。これで天井に張り付いていたのだろう。

 

これは厄介だ。飛び道具がなければ先手を打てる状況でもどうすることもできない。

 

 

「やぁあああッ!」

 

 

ベルはゴブリンを無視して飛びかかってきたダンジョン・リザードを攻撃した。着地狩りだ。

 

ダンジョン・リザードは逃げようと背を向けた瞬間にベルのナイフが背中に突き刺さった。

 

短い断末魔を上げ、ダンジョン・リザードは動かなくなった。

 

 

「ギィッ!」

 

 

背を向けた相手を見逃さないほどゴブリンは間抜けではないらしい。

 

背後を取ったゴブリンはベルに飛びかかる。

 

メイスを握る手に力が入る。

 

 

「大丈夫です!」

 

 

それに察していたのか、ベルは振り返り際に持っているバックパックを投げつけた。

 

思った以上に鈍い衝突音が響き、ゴブリンが尻もちをついて倒れた。

 

 

「ふッ!」

 

 

ベルは倒れたゴブリンの首を蹴り、その骨を折った。

 

ゴブリンは痙攣し、動かなくなった。

 

天井も含め、辺りを確認しモンスターを全滅させたことを確認してベルに近寄った。

 

自身の警戒不足である。危うく取り返しのつかないことになるところだった。

 

ベルの俊敏さ故に助かった、自分ならば怪我ではすまなかったかもしれない。

 

 

「いえいえ、僕も言ってなかったですし、むしろ二人いるからと警戒を怠った僕に責任がありますよ」

 

 

お互いに謝った。

 

お相子ということで手を打ち、それから魔石を回収し、2層を探索した。

 

数時間が経過し、3層へ。

 

3層の次は4層へ。

 

5層への階段を見つけた頃にはベルの魔石入れが入り切らなくなった。

 

 

「帰りの遭遇戦もありますから、今日はこれで引き返しましょう」

 

 

帰りの遭遇戦か。帰りにも気を配らなくてはならないのは辛いことだな。

 

常に余力を残さなくてはならないということだから。

 

地上に着くころには丁度二人とも魔石袋が満杯になるだろう。

 

 

モンスターの血で様々な色が付いているメイスを地面に擦り付けて血を拭い、地上へ向けて歩き出した。

 

 

「地上に着く頃にはもう朝ですかね。先にバベルのシャワー室で体を洗いましょう。背中を見られないように注意して下さいね」

 

 

 

また数時間経ち、地上へ着いた頃にはすっかり日が昇っていた。

 

他の冒険者の姿が見え、肩の力が抜ける思いだった。疲れが一気に押し寄せてくる。

 

一杯になった二つの魔石入れの擦れ合う音を耳元に近付けて二人で聞きながら歩いていると、受付よりもかなり離れたところでチュールさんが立っていた。丁度出勤時間らしい。光を失った目をしていた。

 

神の恩恵をフルに使い、追いかけてくる彼女から逃げた。

 

魔石の換金時に待ち伏せされすごく怒られた。

 

換金結果、ドロップアイテムを含めて二人で7000ヴァリス。あと一往復すれば一日のノルマを達成できたが、チュールさんが常に目を光らせていたので帰って寝ることになった。

 

 

 

 

 

 



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信頼と信用の価値観

 

ギルドに登録してから四日が経った。

 

何度も何度もダンジョンに通い四日、ベルとはうまくやれていると思う。

 

今日は怪物祭(モンスターフィリア)の当日、朝から町はいつもと違う賑わいを見せている。

 

汲んできた水で顔を洗い、箒で教会の周りを掃除していると子供たちの楽し気な笑い声が聞こえてきた。

 

モンスターの祭と聞いて物騒な連想をしてしまうが、子供たちにとってはただのお祭りらしい。

 

外の掃除を終えて地下に戻ろうとすると、地下の掃除を終えたベルが出てきた。

 

 

「掃除は終わりました! ではダンジョンに行きましょう!」

 

 

了解、と短く答えて身支度に取り掛かる。

 

地下に入る前に、昨日着た服が干されているか確認した。

 

帰ったら毎日手もみで洗濯しなければならないのが面倒だが、今日の日差しだとしっかり乾きそうだ。

 

こちらの世界に来た時の黒のスーツ一式は教会地下の物入れに畳んでいれてある。こちらの服はやや肌触りが悪いがすぐに慣れるだろう。

 

 

少し長くなってきた髪は近い内に切らなくてはならないだろう。

 

教会地下で、ヒビの入った鏡を見て身なりを整え、防具を身に着けて最後にバックパックを背負う。

 

 

「今日は5階層から下に行きましょうか」

 

 

何度か聞かされているが6層にはウォーシャドウがいるらしい。

新米殺しと言われているとチュールさんが言っていた

 

 

「ウォーシャドウを倒して脱新米ですよ!」

 

 

西のメインストリートに出た頃、ベルが今日の予定を立てた。6層行きを頷いて同意する。

 

ベルはいつも以上に気合が入っているがどこか無理している気がする。

 

理由はわかっている。

 

おそらくヘスティアが拠点に帰って来ないからだろう。

 

自分は大して気にしていない。

 

彼女は神である。見た目相応の子供であれば自分も多少は気にするだろうが、大人よりも遥かに長い時を生きているのだ。

 

神が死傷すれば天界に送還され恩恵はなくなるらしい。

 

つまりはまだ恩恵があるのだから無事だということだ。

 

帰れない理由があるのだろう。

 

何か事件に巻き込まれているのでは、と考えてしまう。

 

ダンジョンに潜っている時に恩恵がなくなれば自分とベルの死は必然だろう。

 

もしも今日の夜に帰って来なければギルドに届け出ようと二人で相談して決めた。

 

何もなく帰ってくれると助かるのだが。

 

 

「おーいっ、待つニャそこの白髪頭ー!」

 

 

考え事をしているとベルが呼び止められた。

 

振り向くと豊饒の女主人の店先からあのキャットピープル(ネコ女)が手を振っていた。

 

 

「おはようございます、ニャ。いきなり呼び止めて、悪かったニャ」

 

 

ぺこりと頭を下げられてベルも釣られて頭を下げた。

 

 

「ちょっと面倒ニャこと頼みたいニャ。コレをあのおっちょこちょいに渡してほしいニャ」

 

 

そう言ってベルにがま口の財布を手渡した。

 

――話が見えないが。

 

困り顔のベルを横に口を開く。

 

ダンジョンへ潜るということは仕事なのだ。ちょっとした小間使いに使ってもらっては困る。

 

…あぁ、ベルには借りがあるのだろうか。勝手な真似をしてしまったかもしれない。

 

速攻で自己嫌悪する。口を出してしまってからでは遅い。

 

 

「アーニャ。それでは説明不足です。彼らも困っています」

 

 

二人して困っているとエルフが割り入った。

 

 

「リューはアホニャー。店番サボって祭り見に行ったシルに、忘れていった財布を届けて欲しいニャんて、そんニャこと話さずともわかることニャ。ニャア、白髪頭?」

 

「というわけです。言葉足らずで申し訳ありませんでした」

 

 

なるほど、そういうことか。

 

どうやらシルさんは休暇らしく、モンスターフィリアを見に行ったらしい。

 

曰く、モンスターフィリアとは闘技場でモンスターを調教する様を見せる催しらしい。だから檻に入れて移動していたのだろう。

 

 

「闘技場に繋がる東のメインストリートはすでに混雑しているはずですから、まずはそこに向かってください。

人波に付いていけば現地には労せず辿り着けます」

 

「わかりまし…あっ! トロウさん、どうしましょう?」

 

 

返事をしようとしたベルが慌ててこちらに聞いてくる。ダンジョンに行くつもりだったが、もしかするとシルさんを探すのに一日使うかもしれない。

 

断ればベルも嫌とは言わないだろうが、どうするか。

 

 

――団長はお前だ。

 

 

「う、うーん…」

 

 

意地悪な言い方だっただろうか。だが、こういう決断を迫られる時はおそらく何度もあるだろう。

 

言葉の責任を持ってほしい。もっと欲を言えば判断力を養ってほしい。

 

 

「ニャぁ、お兄さん。確かにダンジョンに行くのは大事ニャ。でも…」

 

 

部外者は黙っていてくれ。

 

 

考え込むベルを黙って待つ。どちらを選んでも従うつもりだ。

 

ヘスティアが帰って来ないという状況の為か、ベルはやや無理をしている。

 

モンスターフィリアでシルさんと遊ぶのもいい息抜きだと思う。

 

だが判断するのはベルだ。

 

おそらくベルは頼ってくれている彼女らと先に約束をしていた俺を天秤にかけているのだろう。

 

頼りにされて借りもあるのだ。俺がいなければ間違いなくダンジョンに行くのをやめてモンスターフィリアに向かっていただろう。

 

目を閉じて考え込んでいたベルはしばらくして口を開けた。

 

 

「すみません、トロウさん。シルさんには恩があるんです…」

 

 

――了解、もちろん俺も手伝う。二人で手分けした方が効率が良いだろう。

 

 

といっても、シルさんの髪の色はこのオラリオではそう珍しくはない。何か特徴はないか、とリューと呼ばれたエルフの方を向くと。

 

 

「おっさん! ちょっとこっち来いニャ!」

 

 

すごい剣幕でネコ女に首元を掴まれて店前まで連れて来られる。

 

すぐに彼女の手首を握って振り解こうとするがビクともしない。どういうことだ。

 

 

「おっさんがシルを見つけたんじゃ意味がないニャ!察するニャ! ミャーでも察したニャ!」

 

 

何を言ってるんだこの小娘は。

 

おっさんは違うときっちり否定しておく。

 

というか、さっきお兄さんと言ってただろう。

 

 

胸倉を掴んで揺すってくるネコ女に本気で抵抗しているが力で勝てず、その合間にエルフが再び割って入ってきた。

 

 

「シルはクラネルさんの事をいたく気に入っているのです。

だから可能であれば、クラネルさんがシルを見つけるのが理想、ということです」

 

 

気に入ってる…? ああ、そういうことだったか。

 

つまりコレか、と小指を立てて見せる。

 

二人とも小指を立てて見せて頷いた。

 

 

「であるので、ミズイシさんにはクラネルさんと一緒にシルを探してもらいます。

それであわよくば二人きりに。シルは紺色のローブを被って頭を隠しているのでそれを目印にしてください」

 

 

とりあえず一緒に行動して見つけることになった。見つけてからはベルに任せればいいか。

 

 

「ミズイシさん、これを」

 

 

エルフが掌サイズの麻袋を手渡した。

 

 

「迷惑料です。零細のファミリアなら一日ダンジョンに向かわなかっただけでも損失が出るでしょう。

これは、私からの気持ちということで」

 

 

中にはヴァリス金貨がぎっしりと詰まっていた。

 

 

――これは仕事ではない。

 

 

速攻で突き返した。

 

金をもらったら完全に仕事になる。

 

仕事ではないし仕事にしたくもない。

 

どうしてもと言うならば貸しにした方が無難だろう。

 

 

「貸し…ですか」

 

 

酒場でお酌でもしてもらいたい。

 

あの店高いしそうそう行かないが。

 

 

「分かったニャ」

 

 

お前は何もしなくていい。

 

 

「クソ生意気ニャおっさんニャ…」

 

 

またおっさんと言いやがった。その言葉忘れないからな。

 

 

「シルはさっき出かけたばっかだけど、このおっさんのせいで追い付けるかわからニャい」

 

「わ、わかりました。急ぎます」

 

 

効果有りとみたのか、おっさんを強調してくるクソネコ女。効果は抜群だ。

 

背負っているバックパックを顔面に投げつけてやるといとも容易く受け止められた。

 

にやりと笑う顔に軽く歯軋りして背中のメイス投げつけて躓かせた。

 

マジ切れして襲い掛かろうとしたが即座にエルフに組み付かれた。

 

 

「トロウさん。急いで見つけてダンジョンに向かいましょう! どっちもできるかもしれません」

 

 

 

駆け出したベルの後に続いた。

 

 

 

 

 

特徴は紺色のローブ。それから、女性が立ち止まりそうな露店はくまなく探すべきだろう。

 

 

 

足はベルの方が早いが、ある程度離れても俺の高身長だとベルは見つけやすく、白髪頭のベルを俺は見つけやすい。

 

メインストリートにいる以上ははぐれる心配はないだろう。

 

しばらくそうして探していると闘技場が近づいてきた。円形の巨大施設だ。

 

しかし、見つからない。すれ違っているのだろうか。

 

もしかすると闘技場の中に入っているかもしれない。観客席なら見回せば分かりやすそうだが、入場するのに金がかかるだろう。その場合はどうしたものか。

 

と、ベルの姿を目に入れつつ左右の確認をしていた時だった。

 

路地裏で紺色のローブが見えた。その人物は丁度角を曲がる瞬間で男性か女性かも分からなかった。だが紺色のローブを着ていた。

 

彼女よりも身長が高い気もするが、確認は必要だ。

 

 

人が誰も通っていない路地に入り角を曲がる。

 

その先に紺色のローブの人物が立ち止まっているのが見えた。

 

尾行がバレたのだろう。忍ぶ気もない、堂々と近寄ろう。

 

 

「……何か? 急いでいるのだけれど」

 

 

その姿を見た瞬間、脳が焦げ付くように意識が遠退いた。

 

ローブを着ていたのはやはり女性だった。

 

だがシルさんとは違う。彼女を超えた美貌の持ち主だった。

 

美しすぎる。

 

振り切れた美しさ、これは魔性なんてモノじゃない、毒に近い。

 

人違いでした、という言葉が出てこない、口を動かせない。

 

意識がどんどん遠退いて、視界が黒く染まり――

 

 

「あー! トロウ君じゃないか!」

 

 

彼女の声に引き戻された。

 

その声の方へ反射的に視線が行った。

 

黒髪ツインテールのロリ巨乳、ヘスティアがローブの女性の隣に立っていた。

 

先ほどまでの圧迫感はなくなり、頭も痛くない。

 

夢現から現実に引き戻された気分だ。

 

 

「こんなところで何してるんだい? それに君は…フレイヤじゃないか。奇遇だね」

 

 

フードの主に向かってヘスティアは微笑んだ。

 

フレイヤ…その名は知っている。ゲームなど、神話に出てくる女神だ。

 

こちらを向いたその神物は銀の髪をした大人の女性だった。シルさんではない。

 

人違いだった。すみません、と謝る。

 

「…誰と間違えたのかわからないけれど、彼女の言う通り、私はフレイヤ。ただの女神よ」

 

重ねて謝る。知り合いと勘違いした、と。

 

 

「……そう。ヘスティア、私はもう行くわ」

 

「そうかい? また時間があったら話そうか」

 

 

そう言ってフレイヤという神は踵を返し、路地の奥へ去っていく。

 

姿が見えなくなると全身から汗が噴き出た。

 

 

「…無事かい? あの距離でフレイヤを直視すれば大抵ああなるんだ。彼女は美の神だからね」

 

美の神…?

 

「魅了(チャーム)してしまうのさ。大衆は彼女がただそこにいるだけで勝手に魅了される。だからこそああして姿を見えないようにして、隠れるように移動するしかないんだと思う」

 

 

 

魅了という状態異常になったということか。

 

あまりいい気分じゃない、好きになるとかいう次元ではなく、彼女しか頭に入らないという思考を変えるような異常。恐ろしくも思う。

 

頭を振ってヘスティアに向き直る。

 

シルさんは見つからなかったが行方知れずだったヘスティアが見つかったのは良かった。

 

 

「あーごめんよ? ちょっと友神の家で野暮用ができちゃって…」

 

今は理由はとにかく、ベルと合流しよう。

 

元来た道に向かって歩き始める。

 

ヘスティアがそれに続こうとして、躓いた。

 

躓いた音が聞こえて反射的に手を伸ばした。

 

ギリギリ間に合った。

 

 

「ああ、すまないね。ちょっと安心しすぎたみたいだ」

 

 

うっかりしているな、などとは思わない。

 

どういうことだ、と彼女の顔を見ると化粧で隠しているが確かに目元に隈ができている。疲労による立ち眩みかもしれない。

 

神はその能力や権能を使わなければ、身体能力は人と大差ないということをベルから聞いている。

 

彼女はその精神こそ人間よりも遥かに成熟しているだろうが、肉体は年相応だ。

 

一体何があったのか。

 

 

――俺(眷属)たちに言えないことなのか。

 

 

「違うんだ!本当になんでもないんだ!」

 

 

慌てたようにヘスティアは取り繕うがその目をずっと見ていると、諦めたようにため息を吐いた。

 

 

「どうにも弱いね…。トロウ君、手を出してくれないかい?」

 

 

ヘスティアが背中に背負っていた布巻を剥がすと、黒い棒が顔を出した。

 

 

「杖さ。君がボクの眷属になった時、ステイタスに魔法があっただろう?

どんな魔法か分からないけれど、杖があれば安定して魔法を発動することができる…と聞いた。

刃物と並行して作ったからデザインには目を瞑ってくれ!」

 

 

ヘファイストスの奴が、と愚痴を始めた。

 

 

まさか自分たちの武器を作っていたのか。

徹夜で? 四日間も?

 

「そうとも。と言っても、ボクの友神がほとんどやって、ボクはただ鍛冶場に立って見様見真似で打ち込むだけだったけどね」

 

 

それでも素人と熟練者がやるのでは疲労の溜まり方が違うだろう。

 

ベルは分かる。会って間もないが彼女がベルに気があることは分かりやすい。

だが、どうして…

 

 

――どうして俺まで?

 

 

会ってまだ数日、彼女と面と向かって過ごしたのはたった一日だ。

 

そんな相手にどうしてそこまでする。

 

嘘を言っているようには見えない、本気で俺の武器をベルの武器と同じくらいに苦労して作ったのだろう。

 

何か裏があるのか、それだけダンジョン探索に力を入れろということなのか。

 

俺の言葉にヘスティアは眉をひそめた。どうしてそんなことを聞くのか本気で分からないようだ。

 

俺にはそれが理解できない。

 

 

「ボクらは、家族だろう?」

 

 

家族、その言葉に胸が痛くなる。

 

初めて聞いたわけじゃない、日本でも家族と言ってくれる仲間はいた。

 

だが、家族と言ってくれた彼らが自分を殺したのだ。

 

裏切られた。その果てに殺された。

 

彼らから見て自分は都合のいい男だったのだろう。

 

同志に体を縛られ滅多刺し。

 

それが、自分の、日本での最期だった。

 

だからこそ、俺は人を信じるなんて反吐が出るくらいに嫌いだ。

 

利害を見て互いにメリットのある関係を作るのは社会の鉄則で、そこには信じる心など必要ない。

 

彼女は人格者だ。神だから神格者と言うのだろうか。

 

家族だと、期待してくれている内は答えなくてはならない。

 

人が信じられない自分なりのケジメや礼を尽くさなくてはならない。

 

 

「トロウ君。教会で渡したかったけれど、今、受け取ってくれるかい?」

 

 

手に取ってそれを見つめた。

 

黒いロッドは血管のような青い筋がいくつも入っている。装飾は何もなく、先端にも何も付いていない本当に棒切れのような外観。

 

綺麗で、力強いと思った。

 

ひやりとした感触が手に伝わる。

 

 

「ボクは、神だ。神はダンジョンへは入れない。できることは眷属(こども)たちを見守ることだけ。

他の神はどうなのか知らないけど、ボクは君たちを家族だと思っているよ。だから、せめて家族のためにできることはないかと考えた。

こんな小娘みたいなボクだけど」

 

 

隈のできた顔でにやりと悪戯っ子のような笑みを見せた。

 

 

「君の事、信頼したいからさ」

 

 

―――。

 

 

……重い。

 

「あれ!? おかしいな、君なら余裕で持てると思ったんだけど! むしろボクがここまで持ってくるのがかなり辛かったんだけど!」

 

 

そうじゃない、と言おうかと思ったが止めた。

 

この重みに答えられるようにしないとな、と心の中で思った。

 

ダンジョン内で背中に差していたメイスの位置にロッドを差し込んだ。

 

長さは丁度メイスと同じくらい。両手でも片手でも振るうことができる。

 

 

>>ありがとう

 

「んんっ! 今なんて? 今の言葉もう一度言ってくれないかい!?」

 

 

 

ふら付くヘスティアに手を貸しつつ路地を出た。

 

柔和な笑みを見せる彼女の顔を、俺は直視できなかった。

 

これをもらう資格など、やはり俺にはないのだから。

 

 

 



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信頼に答えなくてはならない、信用を得なくてはならない

 

「いやぁー、それにしても素晴らしいね! 会おうと思ったら本当に出くわしちゃうなんて!

やっぱりボク達はただならない絆で結ばれているんじゃないかなー、ふふふっ」

 

それからのヘスティアはすごかった。

 

寝不足の覚束ない足取りでベルに抱き着いて頬ずりしたりと、泥酔の酔っぱらいを超えた絡みの強さをしている。

 

素面で。

 

一晩明けたら顔を真っ赤にしていそうだ。

 

 

「ベル君、ベル君」

 

「あ、はい。何ですか?」

 

「あーん」

 

「……へあっ!?」

 

 

若いなぁ、とその光景を微笑ましく見る。

 

これまで自分にはそんな事など一瞬たりとも訪れなかったのだが、見ているとつい自分が年を取ったと思ってしまう。

 

羨ましいと欠片も思わないのは何故だろうか。

 

畏敬すべき主神への理性がガリガリ削れつつあるベルに声をかける。

 

――こっちでシルさんを探すから、後よろしく。

 

「トロウさん!? なんか達観していませんか!?」

 

 

シルさんやあの二人には悪いが、仕方がない。優先順位の問題だ。

 

俺が先にシルさんを探して、ベルと彼女が会えるように場を整えればいいか、と走ってその場を去った。

 

ベルが俺の名前を叫んでいたが聞かなかったことにした。

 

一人になり、先ほどと同じように女性が行きそうな露店を回る。

 

女性ものの服や下着にはベルを行かせるようにしていたが自分が行かざるを得ない。

 

数々の女性に白い目で見られながら衣類の露店も隈なく探す。

 

元々ベルと手分けして大半の露店を探し終えた後だったからか、すぐに闘技場まで探し切ってしまった。

 

すれ違ったか闘技場の中に入ったか。流石に中には入れないだろうな、と闘技場の外周をしばらくぶらついていると、辺りが騒がしくなった。

 

人の集まりができていて、近付くとギルドの制服を着た職員と象の意匠のついた服を着た調教師が屯していた。

 

 

「ミズイシさん? どうしてここに」

 

 

そこにはチュールさんの姿もあった。シルさんのことを聞こうとすると、横から別の職員が口を挟んだ。

 

 

「エイナの担当? 丁度良かった」

 

「いえ、彼はまだレベル1です。散らばったモンスターの掃討は無理ですよ」

 

「なら市民の誘導を」

 

「それなら…」

 

 

ほとんど話したことはないが、一目見てチュールさん以外のギルド職員がこの場に集結していることが分かった。

 

何かあったのは間違いない。面倒なことにならなければいいが。

 

チュールさんは咳ばらいを一度して、取り乱しましたと謝った。

 

 

「フィリア祭のモンスターが脱走しました。犯人は不明、モンスターの被害を大きくなる前に止めなくてはなりません。

それに加えて市民を避難させるために誘導も必要。でもどちらも人手不足で…」

 

 

――把握。で、俺は市民の避難誘導をしてほしい、と?

 

 

「お願いできますか。ミズイシさん」

 

 

了解、と短く答えた。

 

普段なら適当に理由を付けて断るのだが、ギルドや主催のファミリアと繋がりを作るには丁度良い。

 

何よりも。

 

『ボクらは、家族だろう?』

 

彼女に証明しなくてはならない。

 

背中のロッドを背負ったままなぞる。

 

 

そう言ってガネーシャファミリアの男たちの下へ向かおうと足を踏み出した。

 

その時だ。

 

 

「なるほどなー。ありがと兄ちゃん、聞く手間が省けたわー」

 

 

振り向くと赤毛の女性と金髪の少女が立っていた。

 

金髪の方はまだ子供だろうか。成人していない幼さが残った顔つきをしている。

 

 

「ア…アイズ・ヴァレンシュタイン!!」

 

 

ギルドの職員たちがざわめき出した。

 

有名人だろうか。首を傾げる。

 

 

「彼女のこと、知らないんですか? 名前も?」

 

 

二人の周りに職員が集まる中、チュールさんが小声で話しかけてきた。

 

 

「ヴァレンシュタイン氏はレベル5の凄腕冒険者です。逃げたモンスターの適正レベル的にはかなり心強い。

というかベル君から何も聞いてないんですか?」

 

 

初耳ですが?

 

どうやらベルと因縁があるようだ。ベルの幅広い女性関係に一抹の不安を感じるが、それは後で考えよう。

 

しかしなるほど、とりあえず脱走したモンスターは彼女に任せればいいらしい。

 

で、隣の赤毛は誰なんだ?

 

 

「主神のロキ様です。彼女も知らないんですか?」

 

 

――え、女?

 

あのロキが…女?

 

日本ではむしろ知らない人が少ないくらいに知名度のある名前だ。

 

神が出てくるゲームではフレイヤ以上に必ずといってもいいくらいに出てくる。

 

悪戯者(トリックスター)の代名詞、悪神という認識を持っている。

 

男神だったはずだが。

 

 

「なぁんか、めちゃくちゃ失礼な言葉が聞こえたなぁ? 女に見えないんかなぁ、なんでかなぁ?」

 

 

糸目をかっ開いて件の神がこちらを睨んだ。咄嗟に目を背けた。

 

聞かれてしまったようだ、こちらの認識している通りの神ロキならば、目を付けられたくない相手なのだが。

 

とりあえず何か返答しなくては、と彼女の方に向き直る。

 

改めて見てもその胸は平坦であった。女だとは声で分かるが。

 

 

――すごい…関西弁ですね。

 

 

「関西? なんやソレ?」

 

 

苦しすぎる、どうすれば。

 

 

「ロキ様! ヴァレンシュタイン氏が先に行きましたよ! いいのですか!」

 

「おっと、アイズたーーーん!」

 

 

両手を上げてヴァレンシュタインさんの下に走っていくトリックスター。

 

覚えておこう。女だと。あと関西弁。

 

神ロキの姿が見えなくなってからチュールさんはため息を吐いた。

 

 

「神ロキは女性的なコンプレックスをひどく気にしています。…さっきの言葉は彼女じゃなくても怒りますけどね?」

 

 

そこに触れたつもりはなかったのだが。俺以外にはわかるはずもなし。

 

とはいえ…ウチの主神と出会ったら喧嘩になりそうだ。

 

天地の差、というのはこれのことだろう。ヘスティアは話す度に揺れるから非常に目に毒だ。

 

 

「そういえば、ヘスティア様とは先ほど出会いましたよ。ベル君と一緒に」

 

 

既に会っていたのか。おそらくシルさんを探している時に会ったのだろう。

 

ちゃんと祭を満喫しているだろうか。

 

 

「ええ、しっかり楽しんでいましたよ。人探しもしているみたいでしたが」

 

 

二人はデートしながらシルさんを探しているらしい。修羅場になりそうな予感がする。

 

そうだ、彼女にもシルさんを探してもらおう。

 

 

「見てませんねぇ。ベル君が探しているヒューマンの女性と同じですか?」

 

 

そうだと答える。

 

見つけたら教えてもらいたい。避難誘導中に自分が見つければそれでいいが。

 

 

「会えば声をかけますが、こんな状況ですので期待はしないでくださいね」

 

 

とりあえずチュールさんの手を借りられることになった。貸しを作れたと思ったがこれで相殺だろうか。

 

話を終えたあたりでガネーシャファミリアの調教師が避難誘導の招集を行った。

 

ギルドの職員たちが急ぎ足で集まる中、俺とチュールさんも向かった。

 

 

 

それからしばらく経ち、闘技場の正面玄関。

 

あらかた人は出て行ったが、足の遅い老人がまだ取り残されていたりと避難は終わっていない。

 

そしてシルさんは見つからなかった、流石にもう闘技場の中にはいないだろう。

 

中にいたとすれば先に誘導されて避難していたか、別門から出たか。

 

脱走したモンスターの被害にあっていなければいいのだが。

 

ベルとヘスティアも心配だ。進んでモンスターと戦いでもしなければ、今頃は他の避難している市民と一緒に安全な場所に行っているだろう。

 

日本であれば携帯などで連絡がとれるのだが、ないと不便に感じてしまう。

 

このまま問題なく避難が終わればいいのだが。

 

と、不安を覚えた時のこと。

 

ぐらり、と地面が揺れ始めた。

 

立っていられないほどの揺れの強さ、市民の悲鳴と倒れる人が周りで見える。

 

揺れが長い…このまま揺れが続くと闘技場はともかく周辺の家が倒壊する可能性がある。

 

まともに走れないほどの揺れだがこの場を離れようと手を使いながら歩く。

 

その時、爆発音と同時に近くの石畳が割れ、長い蔓のような物が生えてきた。

 

闘技場の一角を破壊して土煙と共に天高く昇ったそれを見て唖然とする。

 

 

なんだあれは、モンスターなのか?

 

 

「き――きゃああああああああっ!?」

 

 

誰かの叫び声で我に返る。

 

蔓だか蛇だか分からないが、地面から生えている以上この場を離れれば脅威ではないだろう。

 

路地に入り、身を隠す。自分の他にも何人もの市民が同じ路地を通っていた。

 

死に物狂い、という言葉が合うほど必死に、時に誰かとぶつかりながら我先へと逃げている。

 

大きな打撃音がモンスターの方からして、路地から顔だけを出した。

 

逃げ遅れた市民たちを守るように二人の褐色の少女がモンスターと相対していた。

 

武器がないのか、モンスターに有効打を与えられていないように見える。

 

まだ逃げ遅れた市民たちも残っている。避難させなくては。

 

 

「「レフィーヤ!?」」

 

 

叫ぶ声に釣られて目をやると、いつの間にか戦闘に加わっていたエルフの少女の腹を地面から生えた触手が貫いていた。

 

モンスターはエルフの少女を投げ飛ばし、喀血した少女が宙を舞った。

 

路地を飛び出した。

 

落下地点までの距離を滑るように走って、地面に叩きつけられる直前に少女を受け止めた。

 

年端も行かないエルフの少女だった。浅い呼吸で息をするのも辛いのがわかる。

 

咳と共に黒い血の塊が少女の服に落ちた。傷が臓器にまで達している証拠だ。

 

――致命傷だ。

 

すぐに止血、臓器の修繕を施さなくては確実に命に係わるだろう。

 

抱き上げる手に力が抜けるが、恩恵を持った冒険者ならばまだ助かるはずだ。

 

これまでの常識と比較するべきではない。

 

再び指に力を込めた。

 

 

「逃げ……」

 

 

エルフの少女の声を聞いた時には遅かった。

 

もう一体(・・・・)の触手による横薙ぎ、避け切れない。

 

愚かなことをしたと思った。敵の懐に入り込んで何をしり込みしているのか。

 

少女があまりに重傷だったから?

 

敵が増えるのは予想外だった?

 

言い訳にならない。

 

俺にできることは一つ、少女に横薙ぎが当たらないようにかばうことだけだった。

 

 

 瞬間、体が砕けるような激痛が駆け巡った。

 

 

痛みで体から発する音が聞こえなかったのは運が良かったに違いない。

 

もしも体の骨が砕ける音を聞いていれば、心までも砕けていた。

 

白くぼやけた視界で、意識が定まらない。

 

どうやら建物の壁にぶつかって背中と頭を打ち付けたらしい。

 

うめき声を出す前に口から血反吐がゆっくりと垂れてきた。

 

狭くなっていく視界の中でエルフの少女が地面を這いながらこちらに向かって来るのが見えた。

 

自分も死にかけているというのに歯を食いしばって必死に何かこちらに向かって話しかけている。

 

逃げて、と言っているのだろうか。

 

それを見て自分がとても悪いことをした気分になった。

 

どうしてこんなバカな真似をしたのか。

 

日本にいた頃の自分ならさっさとこの場を離れていたはずだ。

 

自分の実力(神の恩恵)を過信していたか、それともヘスティアの言葉を意識しすぎたか。

 

ようやく血を吐き出し終え、呼吸を始める。一度息を吸うだけで全身を焼き尽くすような痛みが体に響いた。再び喀血する。

 

しきりに暗転する意識の中で、自分とエルフの少女を黒い影が覆った。

 

縦に伸びた触手は容易くエルフと俺の場所まで圧し潰すだろう。

 

立ち上がることはできない、避けることはできない。

 

二体のモンスターに阻まれ二人の褐色の少女も、間に合わない。

 

闘技場の壁を蹴って最速で飛来する金髪の少女も、間に合わない。

 

ここに、命運は決した。

 

ああ、もう死ぬのか。

 

諦めるように、目蓋を閉じ――

 

 

『君の事、信頼したいからさ』

 

 

まだ早いと目を見開いた。

 

瞬間。辺りの景色が、色が、凍った。

 

時の流れが凍結し、固まる。そんな感覚。

 

潰れるより先に自分が死んだのか、そんな間抜けた想像をする。

 

全てが止まった色のない世界で、青い蝶が目の前を通り抜けた。

 

目で追うと同時に気が付いた。

 

ヘスティアからもらった棒切れ(ロッド)が自分のすぐ近くに落ちている。

 

青い蝶はロッドの上に止まり、溶けるように消えていった。

 

僅かに残る意識を、集中させた。

 

立ち上がれない、避けられない。

 

ならば、できることは一つだけだろう。

 

這うように手を伸ばす。

 

魔力はない。

 

詠唱も知らない。

 

だが、できる。

 

 

「――ぺ」

 

 

――手を伸ばす。

 

体から激痛が走る。

 

抜き取るもの(対価)など何もないというのに。

 

残り僅かな意識が沈んでいく。

 

 

「――ル」

 

――手を伸ばす。

 

口から喀血する。

 

呪いのような言葉を吐き出す。

 

意識が消える、その前に。

 

 

「――ソ」

 

 

――握り締める。

 

もはや感覚など残っていない。

 

あるのはこれから訪れる明確な死のイメージ。

 

一度死んだのだ、死の感覚くらい覚えている。

 

それは避けられないことだと、身を以て知っている。

 

目蓋が降りる寸前、螺旋階段(ベルベットルーム)が見えた気がした。

 

 

「―――」

 

 

最後に、自分はなんと叫んだのか。

 

虚脱感を最後に、意識は途絶える。

 

空気を震わす獣のような産声がとても遠くで聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 



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そこは階段だった。

 

それはどういう仕組みなのか、青い石畳だけが宙に浮かび、連なるように螺旋を描いている。

 

上も下も果てが見えず、ただ青い螺旋階段と青い踊り場があるだけ。

 

石畳の上に、いつの間にか腰を下ろして座っていた。

 

またここに来たのか。

 

以前と何も変わっていない、が。

 

踊り場にはあの老人が座っていた椅子だけが置いてあった。

 

老人の姿は…ない。

 

辺りを見回すが人の気配はなかった。

 

何かが駆動するような装置の音だけがこの場所で聞こえる唯一の音だった。

 

あの老人がいればあの魔法について小言の一つでも聞かしてやりたいところだったが。

 

ズキリと頭が痛くなる。

 

つい先ほどまで何をやっていたのかが思い出せない。

 

――どうでもいいか、そんなこと。

 

考えるのを止めて、老人の座っていたソファへ腰を下ろして何もせずに過ごした。

 

しばらく時間が経っただろうか。

 

いつまでもこうしていられるような心地よさを感じていて、ひと眠りしようかと考えた時だった。

 

なんとなく視線を辺りに巡らせていると、地面にカードが落ちていることに気が付いた。

 

先ほどまであっただろうか。疑問が浮かぶが好奇心に突き動かされてソファから立ち上がり、それを拾い上げた。

 

あの老人が使っていたタロットカードだ。

表には雷が建物を破壊している絵が描かれていた。

 

見覚えがある。

 

これは“塔”のカードだ。

 

確か、災いのカードだったか。

 

 

「もし、こんなところで何をしているのです」

 

 

心臓が跳ね上がるのを実感した。

 

振り返ると見たこともない男が立っていた。

 

声がするまで何も気が付かなかった。

 

いきなりそこに現れた、得体の知れない恐怖を感じた。

 

思わず飛び退いて距離をとる。

 

 

「ベルベットルームが開かれていると来てみれば。

貴方は誰ですか。

ここは契約の為された客人のみが訪れることのできる場所なのですが」

 

 

顎に指を添え、考える仕草をして彼はこちらを観察するように見ている。

 

男は青い衣服を着た、銀髪金目の外人だった。

 

 

「…あぁ、私としたことが。

まずは私から名乗るのが礼儀でしたね。

私はテオドア。ベルベットルームでイゴール様にお仕えしております。

とはいえ現在、主は不在なのですが。

…それで、貴方は?」

 

 

自分の名前を名乗った。

 

 

「ふむ、聞き覚えのない名前ですね。

契約者の鍵をお持ちでないところを見ると、貴方は客人ではないようだ。

穏便に退去を願いたいところですが」

 

 

イゴールという老人とは面識がある。

 

ここへは自らの意志で来たわけではない、と伝えると彼は眉間に皺を寄せてまた考え始めた。

 

 

「侵入者ではないということですか。

視たところペルソナ使いとしては覚醒されているようですが、ワイルドではない。

我が主が会ったということは可能性があると見込まれてでしょうか」

 

 

ペルソナ使い、という言葉を聞いて頭痛が酷くなった。

 

そして思い出した。

 

先ほどまで死にかけていたということを。

 

少なくとも今こうやって立ち上がることなどできないはずだ。

 

自分は死んだのだろうか。

 

見届けることはできなかったが最後にペルソナという魔法は発動したのだろうか。

 

頭痛は収まったが吐き気が込み上げてくる。

 

 

「少し混乱なされているようだ。

紅茶でも飲んで落ち着いて下さい」

 

 

こちらが頭を抱えている傍ら、どこからともなくそこにあったティーセットに紅茶を淹れ始めた。

 

マイペースかよ。

 

客人ではないと言っていただろうに。

 

 

「貴方は客人ではありませんが現状、我が主に仇なす存在でもないようなので。

どうぞ」

 

 

どうも、とカップを受け取る。

 

客人ではないと言われた手前、老人が座っていたソファに再び腰を掛けるのは彼の望むことではないだろう。

 

立ったまま紅茶を啜る。

 

久々の元の世界の飲み物に柄にもなく感動する。

 

 

「姉たちにはまだまだと言われておりますが、ご満足していただけたようで何よりです」

 

 

姉がいるのかよ。しかも複数。

 

こんな不思議空間に住んでいるとは、まともな人間ではなさそうだ。

 

…人間じゃないのか?

 

 

「ふむ、隠すようなことではないのですが、秘密ということにしておきましょうか。

それよりも貴方には聞きたいことがあるのでは?」

 

 

ないが。

 

 

「……まぁいいでしょう。貴方もまだご自分のことで精一杯のようだ。

私からできるアドバイスも差し出がましいかもしれません」

 

 

こちらが客人でないからか、彼も自分で紅茶を淹れて飲んでいる。

 

一体いつまでここにいればいいのだろうか。

 

しばらくの間、紅茶を啜る音と何かの駆動音だけが辺りを支配した。

 

 

「強いて言うならば」

 

 

言いたがりかよ。

 

 

「貴方がワイルドとして覚醒された暁にはこの場で我が主と共に貴方の旅を補佐させていただきましょう」

 

 

そのワイルドってのはなんなんだ。

 

 

「タロットカードでいうところの愚者、何でもなく何でもである力、といいましょうか」

 

 

俺は違うと言っていたな。

 

 

「貴方の該当するペルソナは塔、愚者ではありません。

ただ、後天的に愚者へ転じ、ワイルドの能力を会得した者を私は知っております」

 

 

可能性というのはそういうことだろうか。

 

手元にある塔のタロット―カードを見つめる。

 

塔の正位置、運命の正位置。

 

塔は俺自身だったのだろうか。考えたところで仕方ないことだが。

 

どうして客人としてもてなすのか気になったが、聞いたところで自分はまだ違うのだからと話を流した。

 

あれからどうなったのだろうか。

 

 

「この場所にいるという事はおそらく貴方は意識を失っているのではないかと考えられます。

これまでここへやってきた契約者の鍵を持たない者たちは、夢を通じて我が主がここへ招いておられましたので」

 

 

死んでないなら儲けものだ。

 

ペルソナがあの状況を打開できたかと言われるとそうではないと思っているが。

 

時間稼ぎくらいはできたはずだ。…できてたらいいなぁ。

 

 

「ふむ…少なくとも貴方はペルソナ使いとしては覚醒されましたが、貴方の宿すペルソナはまだ完全に覚醒していないようですね。

塔のアルカナは良くも悪くも力が強い。

誤ってご自分の身を滅ぼさぬように――」

 

 

景色が一変した。

 

螺旋階段が地鳴りと共に下へと落下する。

 

立つことができないほどに揺れ動きついに階段から落ちた。

 

 

風を切りながら闇の底へ落ちて、落ちて――光が見えた。

 

 

 

 

「一度来れたのですから、次もあるでしょう。またのお越しを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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タダ飯を食べよう

 

 

肌を撫でる心地の良い風が部屋を吹き抜けていた。

 

目を開けると、否、いつからか目は開けていたらしい。

 

次第に目の焦点が合っていくと天井が見えた。

 

見覚えのない天井だった。

 

目を泳がせてみると白で彩られた部屋が見える。病室のような清潔さがあった。

 

ここはどこだろうか。少なくとも教会地下ではない。

 

身を起こすと腰に鈍痛が走った。

 

誰かが着替えさせてくれたのか、買った覚えのない服を着ていた。

 

寝台から靴を履いて立ち上がる。

 

体が重いし固い、外でストレッチでもすれば解れるだろうか。

 

首を傾けると関節から大きな音を鳴った。

 

 

一体どのくらい眠っていたか分からないが猛烈に喉が渇いている。

 

水を飲みに井戸か水場に行かなくては。

 

部屋を見渡すが。水らしいものは花の入った花瓶くらいしかない。

 

部屋を出る。

 

長い廊下に出た。やはりというか、看護婦らしき女性が廊下を歩いていた。

 

 

話をすると俺の主神呼ぶのでしばらく部屋で待機するようにと言われた。

 

喉が渇いた旨を伝えるとシャワー室を使わせてもらえることになった。

 

そこで水を飲めと申すか。

 

まぁ丁度いいのだが。

 

廊下から階段を降りると見たことのある風景があった。

 

どうやらここはシャワー室があるバベル内らしい。

 

ベルと何度も利用しているので途中からは迷わず真っ直ぐシャワー室まで行くことができた。

 

シャワー室で汗を流すと同時に水を飲んだ。

 

 

今度は猛烈に腹が減ってしまった。

 

我ながら単純なものだと内心苦笑いしながら病室へ向かう。

 

 

どこかで腹を満たせないか。

 

日本なら適当にぶらつけば安いファストフード店に辿り着けたがこの世界ではそうはいかないだろう。

 

そして自分は飯を食べるところというと豊饒の女主人しか知らないのだった。

 

あそこは値段が高い、だが日本の飲食店のようにモーニングでもやっていないだろうか。

 

今は昼間だろうけども。

 

淡い期待をしつつ、病室の前から踵を返し、バベルから出た。

 

西のメインストリートを歩く。

 

途中で幾つかの酒場が見られたが夜にしか営業していない店が多いらしく、鍵がかかっていたり店前の店員に準備中だと入るのを断られた。

 

冒険者は昼間大概ダンジョンに行っているのだから客足は必然的に少ない。

 

日本でも昼間は営業しない店は存在する、人の営みが昼間と夜間で分かれている以上それは世界共通だった。

 

豊饒の女主人の前までやってきた。丁度中から客らしい人が出ていくのが見えた。どうやら営業しているらしい。

 

店の前に立てかけてある小さな黒板にメニューの名前が値段と共に書かれていた。

 

読めないが数字だけは自分のステイタスを見て教えてもらっているので理解している。

 

以前ベルと来た時と違ってゼロの桁が少ない料理がいくつも書かれている。

 

これは想像通りかもしれない。

 

 

「……昼間は夜と違い、料理の種類が違うのです」

 

 

黒板と向かい合っていると後ろから声をかけられた。

 

振り向くとエルフの姿があった。

 

たしか、リューさんだったか。

 

 

「夜は酒場、昼間は食堂として切り替えをしています」

 

 

だから値段が安いのか。

 

納得した。だが早いところ文字が読めるようになりたいな。

 

 

「クラネルさんから大怪我をされて昏睡状態だと聞きましたが」

 

 

さっき起きた。

 

と、言葉短めに伝えた。

 

 

「……怪物祭(モンスターフィリア)から今日まで眠っていたのですか?」

 

 

深く考えていなかったが結構な時間が流れたらしい。

 

何日経ったのだろうか。

 

 

「10日です」

 

 

一週間以上も寝ていたのか。

 

通りで腹が減るはずだ。

 

もしかして病室で待っていれば病院食でも出たのだろうか。

 

そこまでしっかりしている病院かどうか怪しいが。

 

まぁ腹が減ってるから普通に食べても大丈夫だろう。

 

 

「物によっては嘔吐するかと」

 

 

あ、そう。

 

流石に店で吐きたくない。次から来にくくなるし、あのネコ女に弱みを握られるかもしれない。

 

踵を返す。

 

 

「どこに行かれるのですか?」

 

 

ファミリアの家(ホーム)で食べることにしよう。

 

 

「待って下さい。胃に優しい料理もあります。祭での一件もありますので」

 

 

真面目な人だな。

 

何か狙いがあるかと思ったがそんな様子はなさそうだ。

 

祭の一件というとシルさんに財布を届けるよう頼んできたことだろう。

 

騒動があったとはいえ財布を渡すというお願いは果たすことはできなかった。

 

自分は意識を失ったからその後の顛末を知らないのだが、ベルはシルさんに財布を渡せたのだろうか。

 

 

「騒ぎもあり、その日の内には無理でした。

ですが翌日にクラネルさんがここに来てシルに財布を渡したので」

 

 

大丈夫です、と彼女は頷きながら言った。

 

祭には間に合ってないのだが、それでいいのか。

 

二度断るのも気が引ける。素直に彼女の礼を受けよう。

 

 

他人の奢りで食べる飯は美味い。が、特に親しくないのに加えて女性の奢りで食べる飯は美味いのだろうか。

 

案内されるがまま店内に入り、席に座った。

 

 

「あの時のクソ生意気ニャおっさんニャ。

くたばってニャかったのかニャ」

 

 

自分はまだ24だ。おっさんと言うにはまだ早い。

 

案の定ネコ女に絡まれた。無視して店内を見回すがシルさんはいなかった。

 

祭の時どこにいたか聞いておきたかったが仕方がない。

 

腕を組んでこちらを見るネコ女に顔を向けず返事をして、テーブルに置いてあるメニューを開く。

 

お腹に優しそうな料理はどれだろうか。

 

…ああ、読めないんだった。

 

 

「んん? もしかして文字が読めニャいのかニャ?」

 

 

察しがいいネコだ。

 

 

「メニュー、上下逆さまニャ」

 

 

……そっか。

 

言い逃れができない。

 

 

「ニャはは! お客様は文字をお読みにニャれニャいのでございますかぁ!!」

 

「アーニャ、周りのお客様に迷惑です」

 

 

腹を抱えて笑い始めたネコ女がいつの間にか地面に伏せていた。

 

早すぎて目で追えない一撃だった。

 

やはりエルフの彼女はただ者ではないのだろう。元冒険者だろうか。

 

日常風景で行われる早業に戦慄していると少しして料理の入った皿が置かれた。

 

白いお粥みたいな…スープだろうか。湯気が上がっていて熱そうだ。

 

 

「ミズイシさんは東国の出身なのだろうか」

 

 

スープを啜っているとリューさんがそう切り出した。

 

文字が読めないから聞いたのだろうか。

 

わからない、と答えた。

 

 

「…どういう意味でしょう?」

 

 

転移してきたことと、オラリオを知らないくらいの遠くにいたことを伝えた。

 

彼女は少し考える素振りを見せた。

 

 

「では、帰るためにファミリアに入ってお金を稼いでいるのですか?」

 

 

彼女の疑問は尤もだった。

 

当然の帰結、転移してきたのだから元いた場所へ帰るのが普通だろう。

 

異世界から来たとは言わない、信じてもらえるか分からないし、これ以上変に疑われて心証を悪くしたくもない。

 

ヘスティアは他の神の玩具にされる可能性があるので言わない方がいいと言っていた。

 

ただ、神に対して嘘は吐けない、そのため嘘ではない範囲でぼかして言うしかないだろう。

 

じっくり一分ほどスープを啜りながら考えて、帰ろうとは思っていない、と答えた。

 

 

「そうですか。……お代わりは必要ですか?」

 

 

二つ返事で答えてその後二杯お代わりした。

 

 

 

 

「ボクがどうして怒っているか、わかるかい?」

 

 

向かい合って、俺を見上げる形になったのが気に食わなかったのか、彼女はベッドの上に立った。

 

それでも俺を見上げることになると分かると指で床に座るように指示した。

 

床に正座する。

 

どう答えるべきか、どう切り出しても怒られる未来しか見えない。故に沈黙を保つ。

 

 

「あと二週間は寝ていろとお達しが来たよ。本来はもっとかかるだろうけどその様子だと早くしてもらって正解だったみたいだね」

 

――ありがとうございます。マイゴッド。

 

「…その言い方は不快だから金輪際やめること」

 

 

ベッドの上に立って俺の主神は言った。

 

腕を組んで俺を見下ろしている。

 

 

豊饒の女主人から出てすぐに病室に戻ったが、すでにヘスティアは病室にいてこの調子だった。

 

体感だが起きてから豊饒の女主人でご飯を食べてここに戻るのに一時間半ほど経過している。

 

携帯などの連絡手段がないがヘスティアがもう来ている可能性があった。

 

それでも自分はまだまだかかると思っていた。

 

いつ病室に着いたのか。

 

 

「一時間半ほど前! 今ボクはバベルの上層でアルバイトをしていてね。すぐ来たよ。す!ぐ!」

 

 

激おこだった。更に怒りを助長させてしまったかもしれない。

 

前の業界だと首切り案件だぞ、猛省しろ、俺。

 

 

「でも、怒っているのはそのことじゃない。言わなくても、わかるだろう?」

 

 

わかっているつもりだ。死にかけたからだろう。

 

自分はあの後どうなったのか。

 

どうしてまだ生きているのか。

 

自分でも死んだと思ったのだが。

 

 

「直接見たわけじゃないけど、ボクが聞いたのは君が暴走したモンスターに襲われて瀕死の重傷を負った後、ロキファミリアがそのモンスターを討伐したらしい。

エルフの少女が魔法で瞬殺さ。ロキのヤツが君にありったけのエリクサーをぶっかけてここに運び込まれて今日に至るってわけ」

 

 

――エルフの少女か。

 

 

あの子だろうか。

 

抱きかかえた感触が蘇る。華奢で、か弱い印象だった。だがそれでもあのモンスターを倒したのか。

 

――すごいな。

 

そういえば、自分はあの時魔法を使えたのだろうか。発動したような感覚はあったのだが。

 

 

『一度来れたのですから、次もあるでしょう。またのお越しを』

 

 

瞬間、頭が割れるように痛くなった。同時にベルベッドルームでのやりとりを思い出す。

 

発動はした、自分はペルソナ使いとして覚醒した。

 

詳細はわからないが。

 

 

「なんだいそれは。ボクは聞いてない。…しかし、なるほど。少し合点がいったよ」

 

 

顎に手を当てて考えるような仕草をして、彼女は言った。

 

 

「三日ほど前にロキのやつが君のことを聞いてきたよ。

そして礼がしたいと言ってきた。

ただの見舞いに許可を求めるなんて、あからさまにおかしいと思った」

 

 

礼か。助けられたのはこちらだというのに。

 

 

「君には悪いが蹴らしてもらったよ。

あまりにもあいつは胡散臭い。

貧乳だし」

 

 

最後のは余計だったが、それも含めて同意する。

 

といっても俺が警戒しているのは俺の世界のロキという神であって彼女ではない。

 

もしかすると性別と共に180度逆の性格をしているかもしれないし。

 

関西弁だし。

 

だが、エリクサーを使ってくれたのが彼女ならば、自分が起きた今、礼には応じなければならないだろう。

 

それが社会の礼儀なのだから。

 

ヘスティアは蹴ったと言っているがまた近い内に何かあるかもしれない。

 

 

神ロキはどういう神物なのだろうか。

 

 

「暇すぎて神々同士で殺し合いを始めさせるようなやつだよ。

彼女を恨んでいる神も多い。

地上に降りてきて丸くなったと聞いたが会ってわかったよ。

あいつは何も変わってない。くれぐれも、注意するように」

 

 

彼女にしては珍しく、念を押すように言った。

殺し合わせた、か。俺の知ってるロキのイメージと同じだ。

 

 

「ああ、ボクが渡した杖だけど。

とりあえずそこの鏡の前に置いているよ」

 

 

見ると布で全体が巻かれたロッドがボロボロになった防具と一緒に置いてあった。

 

メイスとバックパックは祭の時に豊饒の女主人に置いて行ったが返してもらうのを忘れていた。

 

先ほどまでいたというのに、聞くことも忘れていた。

 

ベルがあの店に行った時に持って帰ってくれているだろうか。

 

 

どういう理屈か知らないが、あのロッドのお陰で魔法が発動できたらしい。

 

どんな魔法だったか何もわかっていないが。

 

 

「早速役に立ったみたいだね。渡した甲斐があったよ」

 

 

あの杖は他の杖とは何か違うのだろうか。

 

 

「他の杖とは概ね同じだけど、大きく違うところはボクの血と髪を混ぜて作ったことだね。

材質もミスリルで滅多に砕けない上に、使い手である君やベル君と共に成長する。

製法は違うけど同時に作ったナイフとは姉妹みたいなもの、ベル君の持つナイフは君にも扱うことができるし、君の持つロッドはベル君も扱うことができる。

ただ、別のファミリアの人間は使えない」

 

 

まるで説明書をそのまま音読するように彼女は言った。覚えさせられたのだろうか。

 

 

「端折って言うと、この武器はボクのファミリア以外に使えないってこと。

壊れ難いし君と一緒に成長していくからメンテナンスフリー」

 

 

――で、値段は?

 

 

「………………」

 

 

ヘスティアは口を閉ざした。

 

新たな借金の予感。

 

だがそうまでしてくれたお陰で自分は今生きている。

 

値段がいくらか知らないが教会に匹敵するほどの値段ではないはずだ。

 

彼女もバイトをしているらしい、ファミリア全員で借金を返していこう。

 

 

「で」

 

 

はい。

 

 

「ボクが怒っていることに対して、何か言うことは?」

 

 

>>申し訳ございませんでした。

 

 

土下座をする。

 

 

「君が死んだら悲しむ人がいる、ということだけはどうか忘れないでくれるかな。

――さて! 待ちに待った神の恩恵の更新といこうか!」

 

 

手を叩いて、ヘスティアはベッドから降りた。

 

ベッドを叩いてこちらを見ている。寝転がれということだろう。

 

寝転がるとヘスティアが背中に乗った。甘い香りが鼓動を早くする。

 

頭を振って冷静さを保った。

 

血が背中に垂れ、部屋が少し光輝いた。

 

 

「――終わったよ」

 

 

しばらくして彼女は疲れたように息を吐いた。

 

背中を叩かれ起き上がって服を着る。

 

写しに書かれた文字は相変わらず読めないが、また消したような跡がある。

 

少し、疑問に思った。ここには何か書かれていたのではないか、と。

 

ヘスティアの方を向こうとすると、背中に衝撃があった。

 

見ると、ヘスティアが背中を抱き締めていた。

 

 

「ああ…生きていてくれて、本当に良かった」

 

 

安心するような、落ち着くような、今まで聞いたことのない言葉だった。

 

 

今までこんなことを言われたことはなかった。

 

親がいればヘスティアのようなことを言ってくれるのかもしれない。

 

それから看護婦さんが部屋に入ってきて、気まずい雰囲気になって、彼女はホームへ帰っていった。

 

 

 

 

 

トロウ・ミズイシ

Lv.1

力:I 0→I 100

耐久:I 0→G 220

器用:I 0→I 12

敏捷:I 0→I 80

魔力:I 0→I 80

《魔法》

【仮面(ペルソナ)】

・心の具現化

・任意発動

・アルカナにより形状変化

・詠唱式【―――】

《スキル》

【塔:XVI:RANK ● 】

・自身の心の形、16番目のアルカナ

・自身の在り方で性能変化、ランクにより性能強化

・他者に対する絆でランク上昇

・対象スキル自動更新

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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リハビリをしよう

感想から内容を加筆修正、追加しました。ご指摘ありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。


 

「体を動かして慣らしたい…ですか」

 

 

お願いします、と真剣な表情で頼み込む。

 

 

「…えぇ……」

 

 

看護婦さんはすごく嫌そうな顔をして、視線を逸らした。

 

 

二週間の入院生活その一日目、朝。

 

昨日、ヘスティアが帰ってからの夕方から就寝するまでの間だけでも暇で死にそうだった。

 

ので、体を動かせるくらいの自由を手に入れるべく、病院の受付までやってきた。

 

辺りにいる入院患者が迷惑そうにこちらを遠巻きから見つめているのを後目に、再度看護婦さんに訴えた。

 

 

「柔軟はいいでしょう。でも、ダンジョンへ向かうのはおかしいとは思いませんか?

失礼ですが貴方はまだレベル1ですよね?」

 

 

誰の迷惑にもなりませんので。

 

 

「迷惑になるほどに動かないでください! っていうかそれソロでダンジョンに行くつもりですよね!? 自殺したいんですか!?」

 

 

モンスターにやられたら他殺でしょう?

 

 

何を言ってるんですか、と言うと。看護婦さんの額に大きな青筋ができた。

 

 

「貴方の入院費用は全額ガネーシャファミリア持ちとなっていますが、何かあって入院が長引けばその分の費用は貴方が支払うことになります」

 

 

別に今日退院しても大丈夫なんだが。で、早くなった分の費用は貰う。

 

 

「無理です。貴方が寝ている10日間で腰の骨が修復できたばかりです。常人なら半身不随で一生を過ごしているところですよ!」

 

 

>エリクサーすごいですね

 

 

「我々の治療魔法の力ですが!!」

 

 

看護婦さんは唾を撒き散らしてそう叫んだ。

 

肩で息をしながら最後に受付台を両手で叩くと、話は終わりだとばかりに他の患者を対応し始めた。

 

1層くらいなら大丈夫だと思うのだが、うまくいかないものだ。

 

仮に退院したとして後になって患者に何かあれば病院の信用問題にかかわることもある。

 

そういう決まりが既に定められているのだろう。

 

交渉に失敗して病室に戻る。

 

病室は冒険者専用の個室だ。

 

普通ならば患者の人数の都合、多くの病人と部屋が一緒になるのだが、ガネーシャファミリアが退院までの全額負担を約束したため、値段の高い個室を使えるようになったとヘスティアが言っていた。

 

他の冒険者も一部怪我をしたらしいが俺以上に酷い怪我人はいなかったらしい。

 

後日ガネーシャファミリアの団長自ら謝罪に来ると言われたが断る旨を看護婦に伝えた。

 

自業自得なところが大きいからだ。治療費を出してくれるだけで大満足だ。

 

 

退院まで2週間。何をすればいいんだろうか。

 

ベッドで大の字になって寝転がり天井をぼんやりと見上げる。

 

14日もこの調子だと確実に体が鈍るだろう。そもそも10日間眠ったままだったのだ。すでに鈍っているはず。

 

どうにかしてダンジョンに行きたいのだが。

 

ベルは元気だろうか。誰かに騙されたり誑かされたりしていないだろうか。

 

ヘスティアから聞かされた話だが、祭の日、ベルはシルバーバックという大猿のモンスターと戦ったらしい。

 

ヘスティアが作ったナイフと直前の恩恵更新によりベルはシルバーバックを単身で倒すことに成功した。

 

シルバーバックとは11層以降に出るモンスターらしい。つまりベルは既に適正レベル2の13層から24層(中層)直前のモンスターを倒せるほど成長している事になる。

 

自分は今、どこまでの力を持っているのだろうか。

 

昨日ヘスティアに神の恩恵を更新してもらった。

 

どれだけ変わったのかも試さなくてはわからない。

 

今こうしている瞬間にもベルは強くなっている。

 

10も年が離れている。だがそれだけだ。

 

こちらが年上であるが故に負けていられないという気持ちになる。

 

ふと、寝返りを打つと視線の先にロッドがあった。

 

ヘスティアから送られた特注のロッド。彼女曰く俺にしか使えないらしい。

 

俺の魔法が発動できたのは間違いなくこのロッドのお陰…だと思う。

 

あの魔法がどんなものかわからない、一度見ておくべきだろう。

 

だがダンジョンには行けない。

 

ここで使うか。

 

起き上がり、杖を両手で握る。

 

どうしてもその握り心地から鉄パイプや金属バットと同じ握り方になってしまう。フルスイングをすると風の切る音が部屋に響いた。

 

どれほどの魔法かまだ分からない。窓から外に向かって杖を構えた。

 

 

ペルソナ

 

 

何も起きない。

 

 

ペルソナ

ペルソナッ!

ペールソナ!

 

言い方の問題ではないらしい。何も起きない。

 

声を出せば発動するのではないのか。

 

祭ではどうして使えたのか。

 

何か条件が違うのか。

 

あの時と何が違った。

 

『条件を満たせば発動する魔法なのかもしれませんね』

 

チュールさんの言葉を思い出す。

 

『自分に危険が降りかかった時やモンスターと対峙した時など、何かが引き金になり発動するということです』

 

あの時の状況は自分に危険が降りかかる、モンスターと対峙、そのどちらも満たしている。

 

やはりダンジョンに行かなくてはわからない。

許可をとろうとするからいけないのだ。暗黙の了解として行き、何事もなく帰ってくれば実質何もしていないことになる。

 

バレなきゃ大丈夫、と病衣から着替えようと窓から振り向く。

 

 

「……あっ」

 

 

エルフが立っていた。リューさんではない、祭の時に戦っていたあの少女だ。確かレフィーヤといったか。

 

その後ろには同じくあの時見た褐色の少女や名前が長い金髪の少女(ヴァレンなんとかさん)がいた。

 

 

「…えっと…ノックはしたんですけど…」

 

 

目を泳がせて言い辛そうに彼女は言う。褐色の二人は腹を抱えて笑い悶えていた。

 

放心した。

 

 

どこから?

 

「ロッドの素振りあたりから…」

 

 

逃げるために窓の外へ飛び出した。

 

ヴァレンなんとかさんが窓の外へ先回りして部屋の中に戻された。

 

 

 

 

>先日はお世話になりました。

 

 

自分のファミリアと名前を言って、簡単な自己紹介を済ませた。

 

エルフの少女はレフィーヤ・ウィリディスさん、褐色のヒリュテ姉妹の姉の方がティオネさん、妹の方がティオナさん、名前が長いのがアイズ・ヴァレンシュタインさん。

 

多分もう忘れないはずだ。むしろこれだけ赤っ恥を掻いた後ならば絶対に忘れそうにない。

 

 

「…ごめんなさい。ノックの返事を待たなかった私たちのせいです」

 

 

ウィリディスさんはそう言って頭を下げた。

 

彼女らは祭の時に蔓のようなモンスターと戦っていた冒険者だ。

 

話したことはないのだが。

 

どうしてここに来たのだろうか。

 

 

「目が覚めたと聞いたので改めてお礼に伺いました」

 

 

――律儀な子だな。

 

エルフという種族は誇り高い性格の種族で気品があるとベルから聞いた。彼女も例に漏れずそうなのだろう。

 

 

「ありがとうございました。貴方のお陰で私は今も生きています」

 

 

彼女はそう言って再度頭を下げた。

 

礼を受け取っておいて言うのもおかしな話だが。

 

助けられたのはこちらも同じである。

 

こちらこそ出しゃばった真似をして申し訳なかった。

 

 

「それについてだけど」

 

 

それに口を挟んだのはティオネさんだった。

 

 

「どうしてこの子を助けたの? 助けに入ったらああなる可能性があることは分かっていたはずだけど」

 

 

見ていられなかった、と言えば彼女らは侮辱だと怒るだろうか。

 

心配だと答えるのは違う気もする。

 

正直な話、自分でも何故飛び出したのか、と今更ながら考えてしまった。

 

尤もらしい言葉が見つからない、が。

 

後悔したくなかった、それだけは確かだ。

 

あのまま黙って見ているのは後になって必ず後悔していたに違いない。

 

その時の気持ちを表すと、きっと、こうだろう。

 

 

「結果、自分が死ぬことになりそうだったのに?」

 

 

そう言われると弱い、身の程を弁えていない行動だったのだから。

 

 

「…この子が女だから助けたのかしら? それともロキファミリアに恩を売るため?」

 

「ちょっとティオネ!」

 

 

疑うような目で彼女は俺を見た。態度はあからさまに威圧的だ。

 

考えれば理由はいくつか上がるが、自分には警戒される身に覚えがない。

 

オラリオで最大勢力の一角であるファミリア故にそういう問題も多いのだろうと当たりを付ける。

 

別の組を蹴落とすための手口と同じだ。理由はわからないが、おそらく彼女らのファミリアは貸し借りを作るわけにはいかないのだろう。

 

疑われるのは心外だが仕方がないことも理解できる。

 

一切の下心がなかったわけでもない。助けて恩を売れれば良いなとは思っていることだ。ロキファミリアだとは知らなかったが。

 

重傷を負った自分を助けてもらい、むしろこちらが礼をしたいくらいだ、と話を逸らす。

 

 

「なら、あの時使った魔法について聞かせてもらえるかしら?」

 

 

話題を逸らしたというのに彼女は即答した。

 

もしかするとこれが本題なのだろうか、と内心冷や汗を流す。

 

魔法を他者に話すのは危険な行為だとチュールさんから聞かされた手前、話すべきではないことはわかる。

 

話しても話さなくてもいい、真実を話す必要もない。

 

彼女らは神ではないし嘘を言っても誤魔化し切る自信はある。この場ではだが。

 

後日問い詰められるリスクがある。

 

 

>わかりました。あの時使った魔法について話します。ただ――

 

 

しかし、これは彼女らの目的を知る機会でもある。

 

何を調べているのか、それくらいはわかるはずだ。

 

知ったところでこちらにメリットがあるかどうかわからないが。

 

実際、自分がどんな魔法を使ったのか知る機会だ。

 

交換条件としての価値が今の自分にはまるでわからない。

 

割に合うか合わないかは彼女らの情報次第だ。

 

 

「私たちが何を調べているか知りたいわけね。

何も調べていないし、これは興味本位だって言ったら信じる?」

 

 

ならばこちらから言う事は何もない、ロキファミリアの連中は平気で格下の相手にステイタスを聞いてくると酒場辺りで愚痴っておこう。

 

 

彼女は目を鋭くしたがこちらが態度を変えないとわかると、ため息を吐いて眉間に指を添えた。

 

脅しもできるタイプの人物らしい、このティオネという女傑は。

 

経験上、力もあるインテリ系とはあまり長く話をするべきではない。

 

口を割らされる可能性がある。

 

 

「…わかったわよ。嘘偽りなく正直に話すわ。

18階層の事件については知ってる?」

 

 

知りませんが、と話を促す。

 

13階層から24階層は中層と呼ばれていることまでは調べている。

 

レベル1の自分が辿り着くのは通常ならば不可能だろう。

 

そしてそこに辿り着くのはまだ先だと碌に調べてもいない、何より情報源はベルとチュールさんの口頭だけだから。

 

文字の読み書きを入院中に覚えなければな、と意識を別の場所へ飛ばしかける。

 

 

「もう表に出てる情報だと思うけど、18階層での殺人事件が未解決のままなのよ。

犯人は捕まっていない」

 

 

それはなんとも、穏やかな話ではないな。

 

どんな殺人で、一体いつの話だろうか。

 

否、何よりもその話をするということは。

 

 

――自分が犯人だとでも?

 

 

「そうは言ってないわ。それにその事件は怪物祭が終わってすぐの頃。

貴方が昏睡状態だったのは聞いているわ。重傷だったことも見て知っている」

 

 

そうだった。彼女らは怪物祭の時に自分の近くにいたのだった。

 

ある意味で一番力のあるアリバイだろう。

 

加えてレベル1がそんな中層に行けるはずもない。

 

 

「故あってその殺人事件を調べることになって、犯人と交戦、取り逃がしたわけだけど。

その時に犯人が使役していたのが食人花なのよ。

食人花が何かは貴方も知っているでしょう?」

 

 

知らない、と言いかけたが思いついた。

 

怪物祭で見たあの蔓、あれが食人花だったのか。

 

 

「あれは怪物祭でガネーシャファミリアが調教(テイム)していたモンスターではなかった。

…犯人はどこの所属でどこの人間なのか。

今私たちはそれを調べているってわけ」

 

 

自分が疑わしいと?

 

 

「さぁね。

貴方のモンスターを使役する魔法、どこか通ずるものがあるんじゃないかって私の主神は考えているみたいだけれど」

 

 

……は?

 

 

素で聞き返してしまった。

 

彼女は今なんと言った。

 

モンスターを使役する魔法、とは一体。

 

 

「…何か誤解があるみたいね。

で、貴方の魔法のことは教えてくれるのかしら?」

 

 

この期に及んで言わないという選択肢はない。

 

疑われているのだ。身の潔白のためにも答える。

 

そもそもどんな魔法なのか自分でも理解していないのだから。

 

ヘスティアが書き写したステイタスの魔法欄に書かれている内容を伝えた。

 

心を具現化する魔法だということ、自分の意識を失う直前で自分にも何が起きたか把握していないこと。

 

それで、あの時に何があったのか。

 

四人は顔を見合わせた。

 

 

「魔物が貴方から出てきた」

 

 

最初に口を開いたのはヴァレンシュタインさんだった。

 

病室の入り口を塞ぐように立っていた彼女は感情の篭ってないような声でそう答える。

 

魔物…モンスターが俺の中から?

 

 

「黒い姿の剣を持った怪物。

空を飛んで食人花を切り倒した」

 

 

エルフの彼女が倒したと聞いていたが。

 

 

「残りは私とレフィーヤで倒した。

でも、最初の1体は貴方が倒した。

倒した後、砕けるように消えた」

 

 

どういうことだ。

 

これがペルソナの力なのか。武器がなかったとはいえ彼女らが苦戦したあのモンスターを自分の魔法が倒した?

 

いや、それよりも大事なのは魔法発動の結果、モンスターが現れたという事だ。

 

アルカナによって形状変化するというのはモンスターに変わるという事だったのか。

 

しかも、自分が意識を失ってからも活動している。

 

いや、途中で消えたのだから意識が完全に消えるまでということか。

 

それはほとんど秒殺したということだろう。

 

 

「見たこともない魔法。それにあの時、詠唱する暇なんてなかったわよね?」

 

 

その通りだ。詠唱式もない、ただ魔法名のペルソナと口に出しただけ。

 

魔法は詠唱が長くなればなるほどに強力だという。

 

レベル1の俺が使える魔法では破格の性能、否、異常な性能だと断言できる。

 

だから疑われているのだろうか。

 

わからないことが多い。多すぎて彼女らに話すのはリスクが高いように感じ始めた。

 

だが言わざるを得ない。

 

 

「詠唱式がない?」

 

「初めて魔法が発動した?」

 

「さっきの、発声練習じゃなかったんですね…」

 

 

各々が疑問を口にする。

 

さっきのは本当に忘れて欲しい。発声練習だと思われていたのか。

 

しかし、もし発動してしまっていたら危険だった。迂闊に口にするのは避けよう。

 

 

「なるほどね。

そっちの言っていることが真実なら、少なくとも私たちの追っている相手とは関係がなさそうね」

 

 

各々が首を傾げている中、ティオネさんだけがそう呟いた。

 

納得したような口振りにかえって疑問が募る。

 

これ以上変に探りを入れると自分の状況が悪くなるかもしれない。

 

とにかく今は、自分の魔法の情報が得られたことだけを収穫としよう。

 

 

「療養中に失礼したわね」

 

 

じゃあね、と褐色の姉妹は病室の扉を開けた。

 

自分が疑われているとわかったからか情報の出し惜しみをしなかったが、この話は神ロキの耳に入ることだろう。

 

自分の行く末がどう転ぶかは彼女次第だ。

 

話過ぎただろうか、と今更ながら後悔する。

 

 

「聞きたいことがあるのですが。

アリアという人物を知っていますか?」

 

 

最後に部屋に残ったのはヴァレンシュタインさんだった。

 

これも事件と関わっているのだろうか。関わっているなら彼女らが出て行く前に話していたはず。

 

別件だろう。

 

アリア…どういう意味の言葉だっただろうか。

 

英語の勉強など碌にやった覚えもないため分からない。

 

いや、そもそも人物名か、なおさら知らない。

 

 

「…変なことを聞いてすみません」

 

 

がっくりという言葉がしっくりくるほどヴァレンシュタインさんは気を落とした。何かあったのだろう。

 

そういえば思い出した。ベルが彼女と何かしら因縁があるのだった。

 

一応ベルとの間に何があったか聞いてみようか。

 

 

「貴方のファミリアの団長?」

 

 

知らないのか。名前を言えばわかるだろうか?

 

 

「ベル・クラネル?」

 

 

名前も知らないのか。

 

チュールさんの話やベルの異性関係からするとまた惚け話やヘタレ話の類と思ったのだが。違うのか?

 

白髪で赤目の少年で、ウサギっぽい―――

 

 

「――詳しく」

 

 

ヴァレンシュタインさんはベッドに座る俺まで一瞬で間合いを詰めて肩を掴んだ。

 

 

「詳しく」

「是非」

「その子のことを詳しく」

 

畳みかけるように彼女は肩を握り締めて言った。

 

ベルは一体何をしでかしたのか。

 

 

 

 

 

 

 



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無茶と無謀。心の整理

 

 

――鬱だ。

 

 

病室で一人大の字になって寝転がる。

 

全力で肩を揺すられてまだ頭が揺れている。

 

大きくため息を吐いてそう呟いた。

 

ヴァレンシュタインさんにベルのことを根掘り葉掘り聞かれて、知っていることを全て話した。

 

詳しい理由は彼女の方からは何も言っていないが、どうやら彼女はベルに謝りたいらしい。

 

昨日の夜、ダンジョンで精神疲弊(マインドダウン)により気絶したベルを見つけ、謝るために膝枕をして起きるのを待ったらしいのだが、起きた瞬間顔を真っ赤にして逃げられたとのこと。

 

突っ込みどころが幾つかあるが、彼女にとって重要なのが謝る前に逃げられたということだった。

 

きちんとケジメをつけたいと彼女は言った。その協力をしてほしいと頭まで下げられてお願いされてしまった。

 

ベルを逃げられない状態にして合わせてくれとのこと。

……縛って引き渡せということだろうか。

 

どうやら彼女は物の言い方を知らないらしい。脳筋なのかな。

 

断る理由もなく、とりあえず了承すると、彼女は生き生きとした表情で病室を出て行った。

 

誰もいなくなった病室で頭を抱えた。

 

惚け話をベルから聞かなければいかないような確信を持ったからだ。

 

鬱だ、自分にはそういった話が今までなかったからか余計に気になる。

ベルくらいの年に自分は何をしていたか。

 

――馬鹿なことを考えた。

 

 

自分が学生の頃に人を殺めたことを思い出して、その資格がないことを思い出した。

 

 

寝台から体を起こす。

 

切り替えよう。

 

気になることが一つある。それはベルがマインドダウンで倒れていたということだ。

 

それはつまり、ベルは魔法を習得したことになる。最早魔法を持つのは自身だけではない。

 

辛うじて保っていた優位性がなくなった。

 

わかっていたが自分はやはりベルよりも弱い。自分はそれが純粋に悔しいのだ。

 

自分は人殺しだ。荒事の専門、兼業殺し屋だ。

 

存在価値は人を殺すことで、それ以外は必要とされなかった。

 

だが、ここは異世界だ。

 

人を殺した経験などこの世界では何の意味もない、犯罪としての殺しではなく、生きるために他者を殺すことが成立している。

 

ヒトではなくモンスターを、だが。

 

倫理観はほぼ同じだろう。少なくともオラリオの表では。

 

 

 

この世界において、自分はまだ価値のない人間だ。何も為していないのだから。

 

だから強くならなくては。自分の価値を見出すために。

 

強くなったベルに見限られないように。ヘスティアに見限られないように。

 

 

一刻も早く、

強くなるために、

ダンジョンに行かなくてはならない。

 

 

病室の隅に置いてあった私服を着て、ロッドをホルダーに巻き付けて背に持つ。

 

魔石を入れられるような小さな袋はあるが、メイスはない、防具もボロボロで使い物にならない、それでも構わない。

 

行こう。

 

廊下を出て誰にも見つからないように慎重に階段を降りた。

 

 

 

 

バベルから地下のダンジョンへ。

 

多くの冒険者が出入りをするダンジョンで人気のない場所を狙って歩く。

 

まだ1層への階段は誰もいない。

 

 

ペルソナ

 

 

試しに一声魔法名を唱えてみる。

 

何も起こらない。何がトリガーなのか、それも早く知らなくては。

 

1層、背後からゴブリンが走ってきた。

 

ロッドを背にしたままの徒手空拳のこちらを見て、武器がないと飛びかかってきたが、裏拳で顎を砕いた。

 

地面に倒れたゴブリンの頭を蹴り首をへし折る。折れた音がダンジョンに響いた。

 

死体から魔石を毟り取って袋に入れる。

 

前回はベルと二人で5層まで降りた。

 

6層には新米殺しのウォーシャドウがいるとベルが言っていた。

 

そいつを倒すのを目標にしよう。

 

1層を降りて2層へ。

 

ダンジョンリザードが天井に張り付いていた。気が付かないフリをして下を通り抜ける。

 

待ってましたと言わんばかりに飛びかかってくるダンジョンリザードの口にロッドを突き入れた。

 

棒きれの角が喉を貫き、内蔵をズタズタにして背中からロッドの角が突き出る。

 

蜥蜴の串刺しができた。

 

口から垂れる血が腕を伝って病衣に付く、ロッドに刺さったそれを地面に放り投げ、魔石を回収して歩く。

 

フロッグシューター、単眼のカエルの魔物。

 

こちらに気が付くとすぐに舌を伸ばして腕に絡みついた。

 

力で拮抗するかは考えない、自ら近付いて互いに体当たりする。

 

ロッドの柄で目を潰し、滑る舌を両手で持って地面に何度も叩きつける内に爆発するように弾けて魔石が残った。

 

3層、3体のコボルトに出くわした。

 

走って一番近くのコボルトをロッドで薙ぎ飛ばす。

 

倒れているコボルトの止めを刺す前に、残り2体が同時に飛びかかってきた。

 

1体は腕を振るって往なす、が残り1体に押し倒された。

 

こちらの肩を踏みつけたコボルトが頭を潰そうと爪を振り上げる、自由な足でコボルトを蹴りどけた。

 

倒れているコボルトに今度はこちらが跨ってコボルトの胸にロッドで突いた。

 

同時に背中に熱が伝わる、見れば往なしたコボルトが背中に鉤爪を振り下ろした後だった。

 

同時に後方で砂利を蹴る音、もう1体が体勢を立て直したことを確信した。

 

振り向き際に裏拳を叩き込む。

 

飛びかかるコボルトの顔面に当たった。またもコボルトは倒れて体勢を崩した。

 

そのまま後ろを見ずにバックキック、手応えを感じるが蹴り飛ばすほど威力はない。

 

裏拳で倒れたコボルトの顔面に全体重を乗せてニードロップし頭を潰し、腹を抑えている残りのコボルトへ走って飛び蹴りをした。

 

最初のコボルトからロッドを引き抜き首を蹴って砂に還し、飛び蹴りを食らわせたコボルトの首を蹴る。

 

頭を潰したコボルトは既に魔石と砂だけがその場所に残っていた。

 

息を吐いて辺りを見回す、残りの敵はいない。

 

魔石を回収して腰を下ろす。

 

 

刺突として使えるロッドがある分マシだが、メイスと比べると打撃としては使い物にならない。

 

メイスは自分の戦い方としては必要だ。

 

それか組み付かれた時のために短刀も欲しい。

 

武器の重要性を改めて実感した。

 

背中が痛むが、ポーションの入ったバックパックも持って来ていない。

 

とにかくダンジョンに、と熱が入って来たはいいが明らかに準備不足だ。

 

なんと間抜けか。

 

自分が強いとでも思ったか、違う、そう思いたかった。

 

自分が弱いことを改めて実感する。

 

小柄な体と速さを活かしたベルなら難なく倒していたかもしれない。

 

先に進むか引き返して準備を整えるか考えていると2体のゴブリンと出会った。

 

舌打ちをしてロッドを片手で握り締めた。

 

 

 

 

 

1層、時間はかなり流れた。時刻はおそらく夕方。

 

度重なるモンスターとの戦闘で既に体は満身創痍に近い。

 

二度目の魔石袋も既に収まり切らない程に入り、今はポーションの入ったバックパックの中に乱雑に入れてある。

 

地上へ一度出た時に満杯になった魔石袋を換金し、そのままバックパックとポーション、ナイフを幾つか買った。

チュールさんと会わないように隠れて行くつもりだったが案の定彼女はいなかった。今日は休みなのかもしれない。

怪物祭で見た彼女の同僚とは何度か視線が合ったが気が付かないふりをした。

あちらもわざわざ覚えていないはずだ。俺なら見ても知らないふりをする。

 

メイスを買う金が残らなかったがファミリアの拠点にも取りに戻れないため、ナイフとロッドだけで戦うことになった。

 

浅い層であればモンスターは1体か2体程度だと思っていたが考えが浅かった。

 

一度にダンジョンで生まれるモンスターは浅い層だと1体ずつかもしれないが、モンスター同士が合流するという可能性があったようだ。

 

結果、二度目の時も何度も複数のゴブリンとコボルトと出会い戦い、服はボロボロになった。

 

何度も窮地に陥ったがペルソナは発動しなかった。

 

条件は同じはずなのに、何があの時と違うのかわからない。

 

到達階層は5層だった。

 

6層に続く階段にすら辿り着けなかった。

 

これはフロアを知らず、マッピングができないからだった。

 

時間をかけて5層を探索すれば6層へは行けるだろうが5層に長時間留まることができるほど連戦ができない。

 

結果、ベルと共に探索したところ以上に先へは進んでいない。

 

この様か、と自虐して踵を返した。

 

1層の地上付近では帰還途中の他の冒険者もちらほら見え始め、大きく息を吐く。

 

さっさと地上に出て病室に戻ろう。

 

 

「おい、そこのお前」

 

 

声をかけられたのはそんな時だった。

 

地上への階段の前に獣人が立っていた。

 

灰色の髪の獣人。頬に入れ墨が入っていて『いかにも』な男だ。

 

行く手を阻むようにこちらへ歩み寄ってくる。

 

立ち止まって睨めつけた。

 

 

「いや、大した用じゃないんだけどよ。

そんな恰好でダンジョンに入るとは、自殺志願者かと思ってな。

珍しくてつい声をかけちまった」

 

で?

 

「そんなに死にたかったら介錯でもしてやろうかってな。

なに、ただの親切心だ」

 

 

嘲るように彼は笑った。

 

ロッドを抜いて見据える。

 

それを見て獣人の男は更に笑みを深めた。

 

 

「なんだ、怒ったか? 短気な奴だなぁ、構えてもない奴に武器を抜くなんてな」

 

最初から抜き身のお前に言われたくないが。

 

歩み寄って来た獣人の足音は相当重かった。

 

それを難なく履き、かつ今は足音を殺すような歩き方。

 

別段重い物を着込んでいるわけではない姿を見るに、相当な重量が脚部に集中している。

 

異常な筋力の持ち主だ。

 

 

「新米でもわかるか。

だが、俺の事を知らないのがわかったよ。

オラリオに来て日が浅いみたいだな」

 

 

どうやら有名人らしい。噂に聞く一級冒険者だろうか。

 

余程暇らしい、自分のようななりたて相手に喧嘩を売るとは。

 

二流以下だな。

 

 

「目障りなんだよ。雑魚の癖に武器だけ一丁前なんてな。

お前のその杖が泣いてるぜ」

 

 

挑発を挑発で返された、ただそれだけ。

 

彼の一言で杖を握る指に力が入る。

 

純然たる事実だった。

 

泣けてくるくらいに自分は弱い。

 

何もかもを一人でこなしてきたあの頃とはまるで勝手が違う。

 

ベルだったらもっと上手くやる、そんな事ばかり思いながらモンスターを倒していた。

 

ペルソナさえ使えれば、そんな使えもしない魔法に縋りたくなるくらいに自分の心は弱く脆かった。

 

だからこそ、その言葉を、どうしても無視することはできなかった。

 

自分はこの杖に相応しくないのだと言われているのだから。

 

 

「へぇ…やるのか? 新米」

 

 

その言葉に再び杖を握る指に力が入る。

 

 

――いや、お前の言う通りだ。

 

 

力が入るが、手は出なかった。

 

戦えば確かに気は晴れるかもしれない。

 

負けても得る物はあるだろう。

 

だが、彼の言っていることは事実だ。

 

否定することはできない。

 

自分が弱いことは理解した。他人に言われて漸くその事実を飲み込むことができた。

 

ならばそれを補って今から強くなるしかないだろう。

 

こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 

魔石袋を獣人の足元に放り投げる。

 

 

「…なんのつもりだ?」

 

 

用ができた。今すぐに装備を整えて万全の状態でダンジョンに挑まなければならない。

手持ちはこれしかない、これで勘弁してくれ。

 

 

この男も人通りのあるこの場で殺害するような愚は犯さないだろう。

 

 

「…要るかよ、こんな小銭」

 

 

さっきからこの男はなんなのだろうか。

 

魔石を受け取らなかった時点で、金銭目的ではないことがはっきりした。

 

弱者をいたぶるのが好きなだけだろうか。

 

そういう性格は何度も見てきている、が。

 

どうにも違和感がある。

 

しかし対処は簡単だ。

 

 

――やるなら早くやれ、俺にも都合がある。

 

 

殴るにしても最悪の後味にさせてやる。

 

だが、予想外のことがあった。

 

男は何もしてこなかった。

 

表情なく立ち尽くしている。

 

無表情なのは予想外だった。

 

疑問が膨らむ。

 

 

「もしも俺がその杖を欲しいと言ったらどう出る?」

 

 

――死んでも渡すかよ。

 

 

即答する。

 

この男がその気になれば必ず奪われるだろう。

 

死ぬまで抵抗してやる。

 

奪われてもどこまででも追いかけて、必ず奪い返す。

 

死ぬまで追い続けてやる。

 

武器として使い続ける以上はいつかこの杖も壊れるだろう。

 

他人に譲ってもそれは同じだ。

 

だが、自身が壊すのと誰かに壊されるのではワケが違う。

 

ヘスティアは許すだろう。だがきっと自分は自分を許せない。

 

これはヘスティアが俺のために作った武器だ。

 

自分以外が壊すことは決して許されない。

 

 

「……へっ、興ざめだ」

 

 

地面に唾を吐いて、男は明後日の方向へ歩き始めた。

 

足元の魔石を蹴ってこちらに転がしてダンジョンの奥へ歩き始める。

 

一体あの男は何がしたかったんだ。

 

その意図が分からず、しばらくその場で獣人が消えていった方向を眺めていた。

 

 

 

 

 

「ボクがどうして怒っているか、わかるかい?」

 

 

土下座をする自分を見下ろして、彼女は言った。

 

呆れと疲れが同時に口から出たような、ため息が耳に残る。

 

装備を整えるために一度病室に戻った。

 

病室には替えの服があり、ボロボロになった服と交換するためだ。

 

アーマーなどの装備はここにはない。ホームに行くかそれとも魔石であり合わせを買うかと悩んでいると。

 

ヘスティアが部屋の中に入って来た。

 

生傷があるのを確認してから彼女は烈火のごとく怒った。

 

昨日以上の激おこである。

 

どうやら、チュールさんの同僚から彼女を知る者がいたらしく、自分がダンジョンに入っていることが伝わったらしい。

 

たぶんチュールさんにも今回のことは伝わっただろう。少し申し訳ない気持ちになる。

 

圧しかない彼女の言葉に従い、地面に両ひざをついて今に至る。

 

 

「自分が何をしているのかわかっているのかい。碌に装備を身に着けずにダンジョンに潜るだなんて、自殺志願者と思われても否定できないんだよ?」

 

はい。

 

「ねぇ、昨日に言わなかったかな。一週間は寝ていろって。その後君はそれをきちんと理解したはずだよね?」

 

はい。

 

 

見ずとも彼女の目が冷ややかであることがわかる。

 

 

「おかしいな。理解しているのに約束を破るなんて。君はいつから背神者になったんだい?」

 

約束まではしていないが。

 

「……」

 

 

頬を引っ張られた。

 

どう考えてもこちらが悪い。抵抗せずにそれを受ける。

 

堪能するように俺の頬を引っ張っては放しを繰り返す。

 

痛みで頬が少し熱くなった。

 

 

――頼みがあります。

 

「何かな?」

 

武器と防具を取りに教会へ帰ってもいいですか。

 

「……武器はメイスだったかな? 重いだろうけどボクが持ってくるよ」

 

 

大きくため息を吐いて彼女は言った。

 

反対されるのを覚悟で言ったのだが、予想と反して彼女は肯定的だった。

 

…どうして?

 

強く止められると思っていたが真逆の反応で思わず聞き返してしまった。

 

 

「きっとダメだと言っても君は行くだろう? ボロボロで帰って来られるよりもしっかりと装備を整えて少しでも危険を減らす方がいいよ。

医者にはボクから言っておく。

ステイタスの更新も今やろう、明日はバイトで忙しいからね」

 

ありがとう。

 

昨日の今日だが再びステイタスの更新を行った。

昨日よりも力が漲る気がする。

 

「君の気持ちをあまり考えてやれなかった。というよりもベル君そっくりだねトロウ君は。

ちょっとしたところで対抗心を燃やすところも、それを口に出さないところもそっくりだ。

無茶の度合いが違うけれど」

 

 

彼女はそう言って立ち上がり、近くの椅子に腰を下ろした。

 

そっくりだろうか? 真逆な気がするが。

 

顔を上げると丁度彼女の白い下着が見えた。視線を左に逸らす。

 

 

「君たちは方向性が違えど、根っこの部分が似ているのだとボクは確信し始めたよ。

君たちはきっと、譲れない拘りというものがあるんだろう。

それは時に自分の命よりも大切なモノなのかもしれない。

それはとても素敵なことだとボクは思うよ」

 

思うのは勝手だが。

 

ロッドの時といい、こういう言い方をする彼女は苦手だ。

 

ここに来て初めて知ったが、自分は褒め殺しが苦手なのかもしれない。

 

むず痒いというか、心がぞわぞわするような。

 

何も言わずに黙っていると、くすりとヘスティアが笑った。

 

 

「いや、ベル君もあの場にいれば君と同じ行動をしただろうなと思ってね」

 

 

あの場とはどの場だろうか。

 

首を傾げていると彼女は怪物祭での一件だと言葉を繋げた。

 

ウィリディスさんを助けているベルの姿を幻視した。

 

確かに、と自分も笑う。

 

どうしてだろうか、自分が今日までとてもつまらない事に拘っていたような気持ちになった。

 

起きてからまだ一日だが、ベルは、元気だろうか。

 

「元気だよ。…でも、ちょっと厄介なことになっているかな」

 

――と、いうと?

 

「最近ベル君と別のファミリアのサポーターが一緒にダンジョンへ潜ってる。

そのサポーターがね…」

 

 

ヘスティアはベルが彼女に打ち明けたサポーターの身の上を俺に話してくれた。

 

偶然の出会い、落としたヘスティアナイフの経緯、それらを踏まえた上でのサポーターの身の上。

 

聞き終えて、なるほど厄介なことになっているなと苦笑いした。

 

 

「君はどう思う、いや違うか。君ならどうする? それでも彼女を、そのサポーター君を信じるかい?」

 

 

…信じない。

 

 

即答はできなかった。

 

騙されて、結果死んでしまったら、信じたことを死ぬほど後悔するだろう。

 

それは、自分の身の上話だった。

 

でも、と考える。もしも俺があんな死に方をしなければ、信じると答えていたかもしれない。

 

結局は自分が何を信じたいか、たったそれだけのことだ。

 

俺はそうやって今まで生きてきて、最後にそれで死んだ。

 

だからこそもう簡単に人を信じることはできないだろう。

 

これはある意味トラウマだ。

 

実際に死んだのだから飛び切り大きな心の傷だ。

 

 

「少し意外かな。君なら信じると思ったよ」

 

普通なら信じないだろう。

 

「でも君ならベル君と同じで、自分が信じたいかどうかの問題だと言うと思ったよ。

結果、裏切られても自分で決めたから後悔しないってね」

 

彼女に自分の考えを見透かされているようだった。

 

嘘は言っていないと思うが、何か引っかかりでもあったのだろうか。

 

咳払いする。

 

 

「どうも自己が曖昧だね、君は」

 

ヘスティアは立ち上がった。

 

どうやら先日言っていたバイトの時間が近いらしく病室にある鏡で身なりを整え始めた。

 

「君はおそらく他の誰よりも深いベル君の理解者になるだろう。

でもそれは反対に、君の理解者はベル君になるということ。

そのことを心のどこかで覚えてくれないかい?」

 

了解、と短く答えた。

 

満足したように彼女は一度笑みを見せ、部屋を出て行った。

 

と思ったらすぐ帰って来た。

 

 

「今日はもう遅い、明日まで体をゆっくり休めてくれ。

とりあえず持ってきた装備一式はロッドの隣に置いておくよ。

くれぐれも看護婦にバレないように、それと何よりも怪我に気を付けてね」

 

 

俺の装備を廊下に置いていたのか。

 

だとすれば、俺がダンジョンに行くと言い出す事を彼女は予想していたということか、それも確信レベルで。

 

目を白黒させていると、閉めた扉をまた開いて顔だけこちらへ出した。

 

 

「あと、ポーションはしっかり買うこと。怪我は早めに治療すること。

近くに別の冒険者がいたら協力し合うのも悪い事じゃないからね。

あとは――」

 

――わかったから、バイト頑張ってくれ。俺も、頑張るから。

 

「――ああ!」

 

 

元気よく返事をすると彼女は今度こそ病室を出て行った。

 

 

翌日、日が昇り切った後。

 

病衣を脱ぎ捨てて身なりを整えた。

 

今までとは違う、晴れ晴れとした気分で、気合が入った。

 

 

さて、行くか。

 

 

フル装備で病室を出た瞬間に看護婦と出くわし、逃げながらダンジョンに向かった。

 

帰ってきたら病室に縛り上げられるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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彼らと彼女と部外者と

 

 

5層、昨日とは違い、ダンジョンの広い通路を使いここまで順調に降りて来た。

 

モンスターと何度か遭遇したがメイスも短刀も持っていたためほとんど無傷だった。

 

広い通路は人通り多いらしい、おそらく何度もここを利用している熟練の冒険者が踏み鳴らしているからだ。

 

入り組んでいるダンジョンで道なりという言葉は正しくないだろうが、地面を見ると多くの人々が行き交った足跡がある。

 

それを見ながら進んでいる。

 

もちろん足跡はモンスターらしいものまである。

 

すれ違う他の冒険者が何人もいたことを考えると広い通路はあまりモンスターが湧かないらしい。

 

怪物祭の始まる前にガネーシャファミリアがモンスターの輸送を行っていたのもこういう広い通路だったと思い出した。

 

人の痕跡、モンスターの痕跡、じっくりと見る機会はなかったが調べてみると面白くも思う。

 

ここで遭遇し、戦闘が行われたとか、装備の欠片が散乱していて、ここで逃げ帰った、など。

 

天井からたまにこちらに落ちてくるダンジョン・リザードをメイスでホームランさせながら周囲を観察して歩き続けた。

 

昨日にはなかった心の余裕というものが実感できた。

 

ヘスティアと話さなければ昨日と同じような結果になっていたに違いない。

 

我ながらチョロいと内心舌打ちしつつも、体はかつてないほど軽かった。

 

妙な胸騒ぎがしたのはそんな探索を満喫している時の事だった。

 

背中が熱くなっていることに気が付く。

 

熱源はロッドからだった。

火傷はしないが、明らかに自分の体温よりも高い。

 

見た目は何も変わっていないが、握るとロッドが脈打つのが手に伝わった。

 

 

ペルソナ

 

 

しん、と間が訪れる。

 

もしかしたら魔法が発動するのでは、と期待したがそんなことはなかった。

 

自分ではなく、ロッド側に何かが起きているということだろうか。

 

ヘスティアが言っていた、この武器には人間同様にステイタスが刻まれていて、持ち主と共に成長する生きた武器、だと。

 

文字通り生きているのだろうか。

 

ただの比喩のようなものだと思っていたが。

 

どうなっているのかしばらく地面に置いて見つめていたが何もわからない。

 

魔法を使う専門家がいればわかるかもしれないが、いないものは仕方がない。

 

使い手の身を危険にするほどではない、と思う。

 

とりあえず背中に背負い直して探索を続けようとすると、強い風が背中を突き抜けた。

 

通路の端へ飛び退いてメイスを両手で構える。

 

飛び退いた瞬間、先ほどまで立っていた場所に砂埃を撒き散らしながら何かが地面を滑走した。

 

砂埃が止むと剣を腰に差した金髪の少女が立っていた。

 

ヴァレンシュタインさんだ。

 

 

「あの子はどこにいますか?」

 

 

彼女は口早にそう言った。鬼気迫る、といった表情だ。

 

昨日の今日でまた何かあったのだろうか。

 

あの子とはベル以外にいないだろう。

 

 

こちらも探していることと、何をそんなに急いでいるのかを聞くと。

 

 

「ソーマファミリアの厄介ごとに巻き込まれてるみたい」

 

 

どうやら緊急事態らしい。

 

ソーマファミリアとはなんだったか。

 

例のサポーターが所属しているところだろうか。

 

辺りにベルがいないことを確認するやいなや、彼女の周りに風が吹き荒れる。

 

魔法の類か、風を操り移動速度が上がるのだろう。

 

つまり魔法を使わなくては間に合わないかもしれない状況ということでもある。

 

 

「あの子の到達階層を伺ってもいいですか?」

 

 

言い方にやや堅苦しさがある。これも他人に聞いてはいけないことなのだろうか。

 

だがそんなことを気にしている場合ではない。

 

彼女は少なくともベルにとっては敵ではない。伝えても問題はないはずだ。

 

だが自分の知っているベルの到達階層は5層までだ。

 

今は知らない。

 

ただ、怪物祭の際にシルバーバックを単身で倒していることを考慮するべきだろう。

 

彼女にそう伝えると眉間に皺を寄せながらわかりました、と頷いた。

 

彼女は一歩風を纏わせた足で踏み込むと跳ねるようにダンジョンの奥へと跳んでいった。

 

 

暴風が吹き荒れ、彼女の姿は見る見るうちに遠くなっていく。

 

自分も探さなくては、と慌ててその背を追いかけた。

 

速すぎてすぐに見失ったが下の階層へ行ったであろうことは予想できた。

 

幸いにも彼女の通り過ぎた地面を抉るような風の痕跡はわかりやすかった。

 

それに続くように走って階層を降りる。

 

ヴァレンシュタインさんは道中で会ったモンスターを瞬殺しているのか、ゴブリンらしき残骸が通路に散乱するように落ちていたり、魔石を回収するまでもなく突き進んでいる。

 

お陰でこれまでモンスターと遭遇していない。

 

他の冒険者が呆然として立っていたりと彼女の特異性が見て分かる。

 

それを横目に風の痕跡をひたすら辿り走る。

 

しばらく時間が経ち、7層への階段に差し掛かった頃。

 

ロッドの熱が収まった。

 

見た目は変わりないが、熱はなくなり通常時のそれに戻っている。

 

背中の温度の変わりに若干の気持ち悪さを感じるが今は気にしている場合ではない。

 

階段を駆け降り7層を走った。

 

時間が経ったからかそれとも人通りがあったからか、風の痕跡は見つけ辛くなった。

 

隠れてやり過ごしたり最低限の戦闘で終わらせているが、戦闘を避けた結果、挟み撃ちを受けるのも時間の問題かもしれない。

 

明らかに群れで行動するモンスターが増えている。

 

戦えばわかるだろうが、おそらくこの階層のモンスターは今の自分では容易に倒せないだろう。

 

1対1で負けはしないだろうが、連戦は鬼門だ。

 

8層への階段を見つけて降りている途中で立ち止まる。

 

もっと下に降りている可能性も十分に考えられるが、帰りにベルと出会う可能性もある。

 

これ以上進むのならば死ぬ覚悟で行かなければならない。

 

おそらくヴァレンシュタインさんはこの下へ向かったはずだ。

 

ただ言うならば風の痕跡は見当たらない為、この階段を使ったかどうかは定かではない。

 

別のルートで下へ行った可能性が高い。

 

 

「……のっ、糞ホビットがあっ!」

 

 

踵を返し引き返そうとした時、階段の下から声が聞こえた。

 

遠くからでも聞こえるくらいの荒々しい声。言い争いだろうか。

 

誰がいるのか、確認する必要がある。

 

階段を降りてすぐ近くのルームで中年の冒険者が少女を殴っていた。

 

衣類を剥ぎ、彼女の持っている道具を物色しながら少女に暴行を加えている。

 

足音を立ててその場に歩み寄ると彼は少女を殴るのを止めた。

 

 

「あぁ?」

 

 

少女の胸倉を掴んだまま男はこちらへ振り向いた。

 

俺の姿を確認すると舌打ちして目を細めた。

 

 

「こっちの事情だ、部外者は失せろ」

 

 

吐き捨てるように彼はそういった。

 

苛立っているのがすぐわかる。

 

 

――見てしまった以上、見過ごすことはできない。

 

 

この現場を目た以上、彼はこちらを無視することはできないだろう。

 

ギルドに報告すればどうなるかは自分でも予想ができる。

 

口封じをしなければ地上へは戻れないはずだ。

 

メイスを握り構える。

 

 

「別にいいぜ? なんたってこのコソ泥は人殺しも同然なんだからなぁ。

ギルドにはワケを話せばいいだけだ」

 

人殺しか。

 

 

少女を見る。

 

男に散々暴行を加えられたのか、雑に放り投げられた彼女は地面に倒れ、鼻血を出して震えている。

 

見たところベルよりも更に幼く感じるが、先ほど男が言っていたホビットというのはおそらくパルゥムの蔑称だろうか。

 

ならば、見た目以上の年齢なのかもしれない。

 

 

「あぁそうだ。今日もこいつは白髪のガキに付き纏ってたんだぜ? だが、今ここにはこいつ一人だけだ。

これがどういうことか分かるか?」

 

……どういうことだ。

 

 

白髪のガキ、その言葉に嫌な予感がした。

 

 

「罠に嵌めて殺したんだろうがよ。今まで何度もやってきたんだろう。

金目の物を巻き上げてから捨てたんだよ」

 

 

本当か?

 

 

「…っ……!」

 

 

少女は目を逸らして黙り込んでいる。

 

否定しないところを見るとどうやら彼の言葉は本当らしい。

 

確信を持ったが確認は必要だ。

 

続けて喚く男の言葉を無視して少女を見る。

 

 

お前はソーマファミリアか?

 

「…はい」

 

お前が騙して死なせたのは…ベル・クラネルで間違いないか。

 

「……え?」

 

 

目を見開いて少女は俺を見た。

 

 

ベル・クラネルは俺のファミリアの団長だ。

 

「……そう、ですか。貴方が」

 

何層にいる?

 

「10層です。でも、もう」

 

 

彼女は顔を伏せた。

 

もう遅い、そう言いたいのだろうか。

 

今にも舌打ちしそうになる口を引き締めた。

 

 

こちらにはお前を殺す理由がある。それは理解できるか。

 

「……はい」

 

今すぐに10層へ向かう。

ベルの死体を確認するまでお前は道案内をしてくれ。

 

 

少女の下に近付こうとすると剣を抜いた男が立ち塞がった。

 

 

「おいおいおい、こいつは今から俺が殺すんだよ。

何勝手に連れて行こうとしてんだ?」

 

道案内が必要だ。

今すぐに。

邪魔するなら相手になるが?

 

 

メイスを再び握り締め、男と向き合った。

 

 

「ちょっと待ってくれねぇか、お二人さん」

 

 

ルームの別の通路口から声がした。

 

見ると獣人の男がにたにたと笑みを浮かべながらこちらを見ている。

 

気が付けば別の通路口にも人影が見える。

 

 

「おー、早かったな」

 

 

誰だ、と話す前に目の前の男が機嫌よくそう返した。

 

どうやら彼一人で少女を探していたわけではなかったらしい。

 

 

「丁度良い所に来た。

カヌゥ、この男を殺すぞ。

分け前の話はその後だ」

 

「そのことなんですがねぇ、ゲドの旦那。

申し訳ないんですがね」

 

 

下卑た笑みを浮かべているカヌゥと呼ばれた獣人は手に持っていた何かを俺と男の間に投げた。

 

モンスターの残骸だろうか。

 

 

「キ、キラーアント……!?」

 

 

持ち運びやすいように下半身を断たれた蟻のモンスター。

 

まだ動いている。

 

それが追加で二つ分、計三つが俺と男の前に投げ込まれた。

 

虫の羽音のような、生物ではあまり聞きなれない音がルーム内に響き渡った。

 

 

「しょ、正気かてめえらぁあああああああああっ!?」

 

 

男が叫ぶやいなや、別の通路口から蟻のモンスターが出て来た。数は五匹。

 

大型犬程度の大きさだ。

 

今はまだ五匹だが、まだ奥から増えてきている。

 

男が絶叫した理由が分かった。

 

キラーアントは瀕死の状態だと仲間を呼ぶのか。

 

三匹が呼び寄せるのだ。

 

このルームに一体どれだけのキラーアントが押し寄せるかわからない。

 

キラーアントが来た通路とは別の通路へ一目散に男は逃げる。

 

少しして断末魔が聞こえた。

 

その声を聞いて頬に冷や汗が流れるのを実感した。

 

 

「あんたは逃げねぇのかい? 一応言っておくが、ゲドの旦那が通った通路はやめた方がいいぜ?」

 

俺は彼女に用がある。

今死んでもらうわけにはいかない。

 

 

ゲドという男は運がなかったが、彼の即断は自分も思いついた手だった。

 

集結する前に逃げるのは悪くはない。

 

ただ言うならばその通路に一体どれだけのキラーアントがいるかわからないところだ。

 

自分一人ならおそらく彼と同じ通路を使って逃げていただろう。

 

二人いれば彼も生き延びたかもしれない。

 

もう手遅れだが。

 

なによりもそれを実行しなかったのはまだこの場に留まる理由があるからだ。

 

飛びかかってメイスを獣人に振るう。

 

舌打ちして彼は飛んで回避した。

 

 

どうせ彼らはこの子を助けるつもりもないだろう。

 

「助けるさ。なんたって俺はアーデと同じソーマファミリアだからなぁ」

 

本当に助けるつもりなら、こんな回りくどい手は使わない。

脅しのシチュエーションとしては最高だが。

 

「…部外者が、ふざけた口を」

 

 

取り繕い方でモロバレなんだが。

 

彼女自身を生け捕りにしなくてはならない理由があるのだろう。

 

キラーアントに囲まれつつあるこの状況なら良い脅しになる。

 

通路口の一つからにじり寄ってくるキラーアントを横目に少女の下に駆け寄る。

 

ゲドという男に散々嬲られたのか、自力で立てないほど消耗している。

 

背負うしかないようだ。

 

 

「…らしくないですねカヌゥさん。そんなに私の金がほしいですか」

 

「…あぁ?」

 

 

幾分か余裕が出たのか、彼女は倒れたまま獣人の同僚に向かってそう言った。

 

あからさまに男の顔が歪む。

 

どうやら予想通りだったらしい。

 

 

「なるほど脅しですか。…もしも私がこの場で全部情報を話せばその後は用済みですね?」

 

 

助けるから情報を寄越せ、そういう筋書きだったのだろう。

 

そういう意味ではこの男のプランは完璧だったのだろう。

 

部外者の第三者がいて、誠に申し訳ないな。

 

 

「……クソがっ!」

 

 

ルームの通路口では彼の仲間がキラーアントが雪崩れ込んで来るのを防いでいる。

 

皮肉にも彼は自ら1対1になる状況を作ってしまったわけだ。

 

3人いれば労せず自分を殺せただろう。

 

 

「魔剣を使って下さい。何度も使えませんが、当たれば必ず彼を倒せます」

 

 

俺にだけ聞こえるような小声で少女は言った。

 

散乱する道具の中にある剣を手に取る。

 

こちらは使い方をまず知らない。脅しくらいにしか使えない。

 

だが明確にカヌゥの顔色が変わった。これがどういう物なのか知っているらしい。

 

 

「潮時だ。

お前ら、行くぞ」

 

 

憎々しい表情で彼らは去っていった。

 

すぐにキラーアントが俺と少女を囲うようにルームを埋め尽くした。

 

 

腕を肩に回せるか。

 

 

魔剣を片手にキラーアントを制しながら少女を背に乗せる。

 

地面に散らばった他の道具は捨てるしかない。ポーションを飲ませる暇もない。

 

背中に背負うロッドとバックパックの上に乗せるような雑な乗せ方だが、

首に回された手に確かな力を感じた。

 

立ち上がってメイスと魔剣を両手で持って周りを見回す。

 

あの男たちは俺がこのルームに入って来た通路を使った。

 

つまりは上の階層へ行ったことになる。

 

だがこちらはその方向とは逆だ。

 

 

下の階層へ行くが、覚悟はいいな?

 

「……はい。どちらにせよ、死ぬのは覚悟していましたから」

 

お前には選択肢が二つある。

一つはこのまま俺と共に10層へ向かってベルの死を確認してから俺に殺されるか、もう一つはその途中で俺を殺してモンスターに殺されるかだ。

 

「……っ」

 

 

ぶるり、と背で少女が震えたのが分かる。

 

結局彼女の結末は変わらない。

 

だが、それくらい、彼女ならばわかったはずだ。

 

 

>どうしてこっちを選んだ

 

 

聞かずにはいられなかった。

余裕のない状況だというのに。

 

 

「こっち…というのは、カヌゥさんと貴方ということですか?」

 

 

脅されることが分かっていれば情報を盾に生きてダンジョンから出られる可能性はあったはずだ。

 

彼女を生かすメリットさえ考え付ければ彼はこの場で彼女を死なせなかっただろう。

 

五体満足とはいかないかもしれないが。

 

 

ベルが死んでいるのを確認した瞬間にお前を殺してやる。

必ずだ。

 

「…はい」

 

ならどうして。

 

「どうしてでしょうね?」

 

 

質問をそう返されるのは予想していなかった。

 

迫ってくるキラーアントの一体の頭をメイスで潰す。

 

今にも全員が一斉に飛びかかってきそうだ。

 

 

 

「きっと、もう、どうでもよくなったんですよ。

何もかもが。

もう、全部終わりにしたい」

 

 

死にたい、と彼女は続けて言った。

 

 

ベルを死なせて後悔したのか。

 

「……はい」

 

 

彼女の置かれた環境を俺は知らない、だがカヌゥを見る限り、彼女の立場は悪いのだろう。

 

命を狙われるほどに。

 

 

なら、お前は死なせない。

 

「…なぜ?」

 

お前は死ねば楽になれると思っているだろう。

なら殺さない。

生きて地獄を味わえ、ベルを死なせた仕返しだ。

 

 

飛びかかってくる三匹をメイスで横に薙ぐ。

 

互いに衝突し合い群れの中に押し戻した。

 

 

まずはソーマファミリアを抜けてヘスティアファミリアに来い。

ヘスティアがお前を許すなら、そのまま一生俺の下で働け。

 

 

状況は刻一刻と悪くなっている。

 

魔剣を使えば切り抜けられるだろうか。

 

…とはいえ使い方がわからない。

 

 

ベルならお前を死なせないだろう。

生きろと言うはずだ。

俺がそう思うからな。

 

「それは…どういう―――」

 

「―――ファイアボルトオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

瞬間、爆炎がルームに立ち昇った。

 

 

 



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彼女の選択

 

「……え?」

 

 

燃え上がる炎を見て、少女が呆けた声を出した。

 

きっと信じられないものを見たような顔をしているのだろう。

 

俺も同じだった。

 

だがその力の篭る声を聞いて理解した。

 

生きていた。そして、来たのだ。

 

方向転換しようと互いにぶつかり合って動けないキラーアントを踏み、跳ぶ。

 

決死の形相でキラーアントを切り裂くベルが見えた。

 

 

「トロウさん!どうしてここに、入院してるはずじゃ!?」

 

 

成り行きだ、と短く答えてメイスを握り直す。

 

 

ベルの姿を確認して安心するが、既にベルの体は満身創痍でところどころ裂傷が見られた。

 

ここまで一直線に走ってきたのだろうか。

 

背中の杖が熱くなる。魔法名のペルソナを叫ぶが発動しない。

 

ベルと反応しているのか。

 

違う、ベルの使っているヘスティアナイフと反応しているのか。

 

上層で感じたあの熱は10層でベルが戦っていたから生じたのかもしれない。

 

ベルの来た通路側はもうキラーアントがいない。

 

少女を下ろす。

 

ベルが彼女の名前を叫んで駆け寄ってくる。

 

 

バックパックも下ろしベルにポーションを渡して、キラーアントの群れにメイスを振るう。

 

恩恵の乗った力で丁度中腰にあるキラーアントの頭は簡単に潰せた。そのまま横に薙いで死骸を群れの中に飛ばす。

 

もぐら叩きのようにたてに振るってキラーアントの胴体と頭を順番に叩き潰していく。

 

密集しすぎた末に行動不能に陥るのはモンスターらしい欠陥だ。

 

とはいえ時間をかけるほどに方向転換が終わりこちらに飛びかかってくるキラーアントが増えてきた。

 

 

「ファイアボルト!」

 

 

熱線のような速い爆炎がキラーアントを焼いた。

 

キラーアントが虫だからか火の効果は高いらしい。

 

この場においてこれほど頼もしい魔法はないに違いない。

 

 

 

 

戦いはすぐに終息した。

 

何度も硬いキラーアントを潰したからかメイスは曲がり、曲刀のようになってしまった。色の違う血液が気持ち悪い。

 

ルームには魔石が辺りに散らばるように落ちている。

 

回収すれば今日だけで借金返済の週ノルマは達成できるかもしれない。

 

腰を下ろして息を整える。

 

長く感じる戦いだったが、実際に流れた時間は30分程度だろう。

 

連続戦闘にしてはそれでも長い方だが、恩恵のお陰か、汗が流れる程度の疲労しか感じなかった。

 

いや、恩恵だけではないだろう。

 

横に同じく地面に倒れて大の字で息を切らしているベルを見て考えを改める。

 

ヘスティアの言う通り、どうやら俺とベルは相性が良いらしい、共に戦った時間は少ないが、驚くほど戦い方が噛み合う。

 

欲しいと思った場面に何度もベルのフォローがあったし、俺自身のベルに対するフォローも隙を埋められる程度には役に立っていた。

 

互いに近接戦闘をしているが、ベルの速さとフットワークの軽さが俺の大振りのゴリ押しと噛み合うようだ。

 

 

「助かった。ありがとう、ベル」

 

「間に合って良かったです。本当に、良かった…」

 

 

噛み締めるようにベルは言った。

 

そういえばベルはモンスターに襲われて祖父を亡くしたのだった。

 

その時のことを思い出しているのだろうか。

 

と、少女のことを忘れていた、俺から言いたいことが山ほどあるが、まずはベルに任せよう。

 

魔石を回収してくる、とベルに言い席を外した。

 

立ち上がってバックパックから魔石袋を取り出す。

 

なるべく遠い所から集めよう。

 

馬鹿とか間抜けとか涙ぐんだの少女の言葉はしっかり聞こえた。

 

そして泣きながらベルに抱き着いていた。

 

ベルは本当にいつか女性に刺されるかもしれないと思いました(感想)

 

ひとしきり泣いたのか、魔石を集め終わる頃には少女は落ち着いていた。

 

 

悪い話がある。

 

 

彼らにそう切り出した。

 

少なくとも自分が予想できるこれから。

 

ポーションを飲んで立ち上がれるまで回復した少女に言わなければならないことがあった。

 

カヌゥという男は間違いなく地上で、もしくは上層のどこかで待ち伏せている。

 

理由は――

 

「まだ私から金を巻き上げていないから…でしょうか」

 

 

頷いて肯定する。

 

複数人いたところを見るとまたダンジョン内で網を張っている可能性が高い。

 

だがここで時間を潰していると様子を見にこの場所にまた来るだろう。

 

どうするべきか…

 

 

「僕が先に地上に出て、エイナさん(ギルド)に言うのはどうでしょう?」

 

 

とてもいい考えだ。

 

ベルはあいつらとは面識がないはず。

 

ただ、ベルの容姿はそれなりに目立つらしい、白髪はそこまで多くないのだろう。

 

フードで隠せば大丈夫だろうか。

 

 

「それなのですが、私に考えがあります」

 

 

二人して考え込んでいると、少女が手を上げてそう言った。

 

 

 

 

「よう、さっき振りだなぁ、おい?」

 

 

3層、人通りがまだ少ないダンジョンの表層で、獣人は待ち構えていた。

 

やはり待ち伏せていたか、と予想通りでも回避できなかったことに内心舌打った。

 

 

「待ちくたびれたぜ、あれから半日も何をしてたんだ、あぁ?」

 

 

粘着質な笑みを浮かべてはいるが、口調から相当苛ついていることがわかる。

 

 

「…アーデは、あの女はどこへやった?」

 

さぁ?

 

「……惚けると長生きできねぇぜ?」

 

明確な苛立ちを見せるカヌゥに構わず言葉をつなげた。

 

ゲドという男には言ったが、俺があの女を助けたのは団員を助けるためだ。

生きているにしても死んでいるにしても確認するために行く必要があった。

道を知っているのはあの女だけ、だから案内させた。

 

「…それで?」

 

10層でヘマをしてな。彼女を置いてくるしか生き延びる術がなかった。

 

 

声を聞きつけたのか、別の通路から彼と行動を共にする二人が現れる

 

姿が見えないと不安で仕方がなかったが、安心した。

 

おそらくこれで全員だろう。

 

 

「へぇ、いい度胸だな。お前の目の前にいるのはアーデの所属するファミリアの団員だぜ?」

 

それにまだ生きている、かもしれないだろう?

そして何よりも、先に不祥事を起こしたのはそちらだ。

 

「屁理屈を言うと寿命が縮まるぜ? ともあれ、俺たちはお前を殺す理由ができたわけだ」

 

 

ロッドを取り出す。

 

 

「3対1だ。勝てると思っているのか?」

 

残念だが3対2だ。

 

「何…?」

 

 

こちらの来た通路から足音が響いた。

 

 

「歩くのが早すぎるよ、トロウさん」

 

そこにいたのは白髪赤目のベルだった。

 

ベルを知らないのか、呆気に取られるカヌゥを見てにやりと笑う。

 

 

10層でベルはまだ死んでなかった。

間に合ったわけだな。

お前たちの到達階層はどうでもいいが、10層を一人で耐え続けたベルとキラーアントの大軍を一人で切り抜けた俺の二人相手に勝てると思ってるのか?」

 

完全に虚勢だが、あの場で逃げた時点で彼らの強さなどたかが知れている。

 

ついでとばかりに魔剣を抜いて見せてやる。

 

魔剣もまだ使えるという威嚇だ。

 

彼女から使い方も教わった。

 

これでも立ち向かってくるならば彼ら相手に使うつもりだ。

 

効果があったのか、三人は顔を青くしている。

 

 

「…引くぞ。アーデの行きつけを全て潰して金に換える」

 

見捨てるのか。

ベルみたいにまだ生きている可能性はあるぞ。

 

 

去っていく三人の背中に言葉を投げかけたが彼らは振り向くこともなく足早に去っていった。

 

 

――うまくいったな。

 

 

魔剣を鞘に納める。

 

これで彼らは真っ直ぐ地上へ向かうだろう。これで安心して外に出られる。

 

同時に、リリルカ・アーデという少女は死んだことになったはずだ。

 

 

「意外と役者肌なのですね、貴方は」

 

 

ベルがじっとりとした目付きでそう言った。

 

 

似たようなことを何度かやったから、と答えた。

 

それで、これからお前のことはなんと呼べばいいのか、

 

 

「リリでお願いします。トロウ様」

 

 

様付けは正直付けなくてもいいが、彼女が呼びたいならそれでいいか。

 

白髪に赤目のベルは何かを口ずさむと次の瞬間に別人になっていた。

 

リリルカ・アーデその人である。

 

彼女は魔法で姿を変えることができる。

 

ベルに姿を変えてもらって演技に協力してもらった。

 

フードで髪を隠したベルは少し前に地上に出て、今頃彼女の貸し出し金庫からお金や宝石を全て回収しているだろう。

 

彼女は死ななかったし、お金もカヌゥの手には渡らない。

 

良い筋書きだ。台本は彼女が作って、カヌゥは彼女に出し抜かれたことになる。

 

ソーマファミリアから報復が来るかどうかは、カヌゥが上に報告するかにかかっているが。

 

彼女にそのリスクについて話すと、隠し財産を探し続けている内は報告しないと言っている。

 

彼の取り分がなくなるのを恐れてだろう。

 

そういう男であるということは数度話しただけの自分でも理解できるが。

 

まだ先の話だが間違いなくソーマファミリアから何かしらの接触はあると見ていいだろう。

 

その時あちらがどうしてくるか、まだわからない。

 

予測を立てるためにもソーマファミリアをもっと知らなくては。

 

新たな問題に今更ながら後悔しかけている。

 

 

「それよりもトロウ様、半日経ちましたが体力は残っていますか?」

 

それは問題ない。5層くらいなら何時間でも篭れる。

 

連戦は辛いが。

 

「すごい体力の持ち主ですね、貴方は」

 

そういう彼女は自分の体格よりも大きな荷物を持っている。

 

スキルの力によるものだが、見た目だけならば彼女の方が大したものだろう。

 

地上に向かって歩き出す。一応リリにはまたベルに変身してもらう。

 

地上に出て鉢合わせては意味がないからだ。

 

また別の誰かに変身して彼女は自分の痕跡を可能な限り消す必要がある。

 

生きていることが知れればヘスティアファミリアも危険に晒される可能性もあるだろう。

 

 

「…これで全て終わったのですね」

 

「安心するのはまだ早い。俺は団長の方針に従うが、俺らの主神はどうするか」

 

 

ヘスティアは自身の家族を傷付けた者を許さないだろう。

 

ヘスティアがギルドに突き出すと言うならば、ベルも俺も従う。

 

リリの命運は彼女に握られていると言っても過言ではない。

 

 

「…貴方はリリを許してくれるのですか?」

 

許すも何も、お前は何もしていないだろう?

 

「……へ?」

 

ベルは確かに危険な目にあった。

…が、死んでいない。

お前と関わろうとしたのもベルが自分で選んだことだ。

今回の結末、どう転んでもベルの自己責任だ。

 

「ベル様が危険な目に遭ってもなんとも思っていないのですか?」

 

そこまで深い仲じゃない。出会ってまだ数週間だからな。

 

「いいえ、そういう事ではありません。貴方はこんなことをしたリリを信用できるのですか?」

 

信用や信頼という問題じゃない。

俺は利益不利益でしか判断しない。

お前の存在は俺たちにとって利益になる。

ただそれだけだ。

 

「……そう、ですか」

 

 

彼女は残念そうな顔をした。

 

信用、信頼が欲しいというのはわかる。

 

だが彼女のそれはやがて依存になる。

 

今の彼女を見ると日本でチンピラをやっていた時のことを思い出す。

 

あの頃の俺も誰かを信じたい、信じてもらいたいと心の底で願っていたのだろう。

 

だから組に仇なす者は全て殺してきた。なんでもやってきたつもりだ。

 

それがそもそもの間違いだと今なら断言できる。

 

俺も依存していたのだろう。

 

それではいけないのだ。

 

 

地上に出てから、お前は自由だ。

そのまま逃げてもいい。

ベルはきっとギルドには何も言わないだろう。

辺りの地理や情勢は知らないが、金があるならオラリオから離れるのも悪くない。

選ぶのはベルでも俺でも他の誰でもない、お前自身だ。

後悔するなよ。

 

言いたいことだけ彼女に言って、先を歩く。

互いに無言になった。

 

それから彼女は地上に出てベルからお金を受け取り、去っていった。

 

少ししてからどうして他人のそんなことを気にする必要があったのか、と自己嫌悪に陥った。

 

 

 

 

二日経った。

 

 

脱走した結果ダンジョンに行っていることがバレてベッドに縛り付けられて二日目。

 

もしも次にダンジョンに行っていることが分かれば、ヘスティアファミリアは病院では診ないと言われたため、入院中は二度とダンジョンへ行けなくなってしまった。

 

逆に言うとダンジョン以外には外出ができるという事でもある。

 

完全に屁理屈だが。今のところ病院側は何も言ってこない。

 

残りの日数暇をすることになったが筋トレだけは病室内でしている。

 

そんなこんなで日が昇ってすぐの時分。

 

腹が減った、先日のキラーアントのお陰で少しだけだがお金にも余裕があることだし、豊饒の女主人に朝飯を食べに行こうか。

 

縛り付けられたベッドごと立ち上がって起き上がり、窓から外を眺めてそう考えていると、遠くで見覚えのある白髪が見えた。

 

今日も数多くの冒険者がバベルの門を通りダンジョンへと潜っていく。

 

それを眺めているとベルがダンジョンへ向かっているのが見えた。

 

門の近くで大きなバックパックを背負った誰かと対面している。

 

彼よりも小さな背中に大きすぎる荷物。

 

 

 

彼女は選んだ。そして、来たのだ。

 

 

 

 



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