マイナー太陽神ヘリオス、人になる (歌詠)
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第一部
1話 地に落ちた神と、女神の名を冠する少年


前作の後悔を無くすべく執筆を始めました。
投稿はのんびりです。


 

「・・・君・・・しっかり・・んだ・・・きろ・・・」

 

 何か、音が聞こえる。

 鼓膜に届くその振動は、水面に投じた石のように、波紋を生み出して、俺の世界を広げていく。

 次に、熱を感じた。

 凍えた大地に吹き付ける、春風の如き温かな奔流が、冷たい身体を満たしていく。

 

 鼻孔をくすぐる甘い薔薇の香りに導かれて、俺はゆっくりと、重い瞼を上げた。

 

「っ・・・ぐ、ぅ・・・」

 

 言葉を発しようと口を開くが、掠れた呻き声が漏れ出るのみ。

 足の先から頭の天辺まで、全身の感覚が曖昧で、酷く怠い。

 

 一体、何が起ったというのだろう。

 必死に記憶を探るが、答えは出ない。

 もしかしたら、ゼウスの怒りでも買って、雷に打たれてしまったのだろうか。

 

「む、目を覚ましたか・・・! 咄嗟の判断だったが、小宇宙を送ったのはどうやら正解だったようだな」

 

「? ・・・おまえが、おれを、よんでいたのか?」

 

 聞き馴染みのない声だ。

 僅かな疑問を抱きながらも、間近の存在へと視線を向ける。

 

 そこには、端麗な容姿をした、10歳にも満たない少女がいた。

 ・・・いや、声から判断すると、少年、なのだろうか? 

 

 太陽の光を反射する、櫛梳かれた空色の長髪。

 深く透き通った湖を彷彿とさせる、意思の強い瞳に、艶のある林檎色の唇。

 

 見た者の視線を惹きつけて離さない、思わずはっとしてしまうような美しさだ。

 

 少年は、安堵の溜息を吐きながらも、俺の問いかけに答えるようにして頷いた。

 

「私の名前はアフロディーテ。聖域に向っていたところ、地に倒れ伏す君を見つけたのでな。簡易ではあるが、小宇宙による治療を施したのだ・・・具合はどうだろうか」

 

「聖域? ・・・あぁいや、助けて貰ったようで感謝する。具合はそうだな、体中が怠くて・・・──!? あ、あああ、アフロディーテだって!?」

 

「何だ? 私のことを知っているのか」

 

「知っているも何も! まさか、アーレスとの密会をヘパイストスに告げた件をまだ怒っているのか・・・!?」

 

 全身の血がサッと下がる。

 容姿が異なるため油断したが、この空色の髪をした少年は、女神アフロディーテの化身だったというのか・・・・・・一体、何を企んでいるんだ。

 少年から距離をとろうと身体に力を入れるが、上手く動かすことが叶わず、

 地面に引き寄せられるようにして転がってしまう。

 

「・・・なるほど、どうやら酷く頭を打ちつけたらしいな。神の名を子につけるなど、そう珍しいことでもないだろうに」

 

「・・・んん? なんだ、お前は女神アフロディーテの化身ではないのか?」

 

「私は神でなければ化身でもない。ただの人間だ。・・・フッ、だが、他人よりも優れた容姿をしているという点に関しては、否定する気はないのだがな」

 

「・・・人間だって? なんで、人の子が天界に──いや、まさか、ここは地上なのか」

 

 咄嗟に、辺りを見渡す。

 周囲は鬱蒼と生い茂る樹木と、地面の露出した道が前後に伸びていた。

 

 知らない土地・・・地上に存在する、どこかの樹林のようだ。 

 うん、明らかにおかしい。

 俺は確か、自分の神域に長いこと引き篭っていたはずだ。

 地上に降りた記憶などない。

 

「ふむ・・・君、名はなんというのだ 」

 

 アフロディーテと名乗った少年が、顎に手をあてながら言った。

 名前、俺を指し示すための名称。

 あぁ、それならきっちり覚えているとも。

 俺は少年に向かって、意気揚々と腰に手を当てながら答えた。

 

「ふ、ふふ、聞いて驚くがいい。俺こそは、高みを行く者──偉大なる父ヒュペリオンと、女神テイアの息子にして、誓約の守護者──太陽神ヘリオスである!」

 

 後光をペカーッと輝かせながら・・・あれ、出ない・・・まあ調子が悪いしな、そんな感じで俺は宣った。

 人間の子供であるのなら、心底驚いて、引っ繰り返ることまず間違いなしだろう。

 何せ、目の前に太陽(ヘリオス)そのものが存在しているのだから。

 ふふんと鼻を鳴らして反応を待つと、少年は哀れむような視線で静かに口を開いた。

 

「・・・相当、打ちどころが悪かったのだな。見ていて痛々しくなるまでの悲惨な有様だ・・・まさか、自らを太陽神と思い込んでしまうとは・・・」

 

「!? なっ、なんだその可哀想なものを見る目は! 俺は嘘なんてついていないぞ・・・!」

 

 失礼な少年の態度に対し、焦ったように抗議する。

 しかし、少年は困ったことを言う子供を宥める大人のようにして、言葉を発した。

 

「はぁ・・・だいたい、太陽神ヘリオスが君のような子供である訳がないだろう。大方、物盗りか人攫いにでも遭遇し、逃げ出した途中で力尽きた、といったところか」

 

「はぁ? 俺のどこが子供であると・・・・・・な、なんだ? この棒きれのように短い四肢は・・・??」

 

 反論しようと自らの身体に視線を移し、時が止まる。

 青年サイズだった俺の体躯が、なんと、頼り無い幼子のそれへと縮んでしまっていたのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 絶句。

 絶句も絶句、超絶句。

 いやもう本当、無理、勘弁してくれ。

 キャパオーバーで発狂の3秒前、といった感じだ。

 

「・・・──ッッ!! いや待てよ、まだ諦めるには早いぞ、ヘリオスよ・・・!」

 

 右拳を力強く握りしめて、よろよろと立ち上がる。

 

 そうだ、まだ慌てる時間などではない。

 確か昔、アポロンに身体の年齢を操る技を教えて貰ったはずだ。

 老いることのない神には不要な力だと思っていたが、まさか役に立つ日が来ようとは。

 

「・・・君は先程から、何をしているのだ?」

 

「まあちょっとな! なに、直ぐに終るさ」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるアフロデイーテに、満面の笑みで答え、俺は大きく深呼吸をした。

 両の足で大地を強く踏みしめ、意識を研ぎ澄ませていく。

 奇跡の力を操るための鍵──詠唱に必要な言の葉を、頭の中で反芻し、調べ歌う。

 

「・・・天空(そら)の戒め解き放たれし、凍れる黒き虚ろの流れよ──」

 

 ──球状の空間を作るように、胸の前で両の掌を対照的に構え、固定する。

 一つの時空を、自らの手の中に創り出すイメージだ。

 少しずつ小宇宙を注ぎ、乱回転させ、圧縮させていく。

 

「小宇宙が茜色に輝いて・・・っヘリオス、それ以上は・・・!」

 

 激しい風が吹き荒れ、緋色の長髪が宙を舞った。

 黄金の瞳を煌めかせて、俺は最後の言葉を世界に放つ。

 

「因を律する存在(もの)、来るべきもの、去り行くもの、その結ばれし鎖を断ち切り、我が意のま・・・──うッ!?」

 

 突如として、全身が稲妻に貫かれたかの如く痙攣した。

 どぷり、と口から赤い液体が流れ出し、口内に不快な鉄の味が広がっていく。

 

「・・・な・・・んで、血が・・・??」

 

「このッ・・・君は馬鹿か! 死にかけた身体で小宇宙を膨大に放出するなど、自ら命を削るにも等しい行為なのだぞ・・・! 何を考えているんだ!」

 

「は、ははは、人の子が何を言うかと思えば・・・こ、この程度の・・・小宇宙の消費で、神が死ぬわけ・・・ゲフゥッ!!」

 

「あああああ! おのれッ! 私に向って吐血するのは止めたまえ・・・! もう君は黙って大人しくしていろ!」

 

 棒きれのように短い両足が、がくがくと震える。

 はは、まるで我が父ヒュペリオンが大地(ガイア)から賜った大剣を、俺がこそっと拝借して振り回して遊んだのがばれて、親子で微笑ましい駈けっこをした後のようだ。

 

 ふらり、と身体が傾く。

 また地面に戻るのか・・・もういいや。

 このまま倒れたら眠ってしまおう。

 そんな投げやりにも近い思考に陥った瞬間、仄かな薔薇の香りと共に、背中が力強い腕によって支えられた。

 

「・・・アフロ・・・済まない、助かった」

 

「有り難く思うのならばそこで名前を省略するんじゃない・・・! ・・・全く、傷を悪化させおって・・・君の使おうとした術についても、詳しく聞かねばならなくなったぞ・・・はぁ」

 

 溜息を吐きながら、アフロディーテは俺を雑に背負い上げて、歩き出した。

 

「何処に行くんだ、人の子よ」

 

「いい加減、神の真似は終わりにしたまえ・・・聖域だ。本来ならば部外者の立ち入りは御法度なのだがな」

 

「・・・聖域・・・どっかで聞いた名前だなあ・・・」

 

 記憶の底を探るが、何もそれらしい情報はヒットしてくれない。

 まぁ、着いてから考えればいいか。

 少年の足取りに合わせて揺れる身体に、うとうとと瞼が下がる。

 いつしか意識は微睡んで、夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は、穏やかに微笑む。

 

『・・・許しは請うまいよ』

 

 炎のように、ゆらゆらと揺れる紅い髪。

 金のサークレットの下には、悲しみに濡れた蒼穹の瞳が覗いている。

 

『なに、お前なら地上でも生きていける・・・この私が保証しよう』

 

 男は、優しく言葉を紡ぐ。

 

 嗚呼、なんと懐かしい──久方ぶりに見る、我が朋友の顔だ。

 ・・・しかし、些か様子がおかしい。

 何故、彼は、これ程までに悲愴な空気を醸成しているのだろうか。

 

『お前の旅路が、太陽のように輝いたものであることを祈ろう・・・達者でな。奈落ではなく、天界に在ることを許された、もう一つの太陽、ヘリオスよ』

 

 友の姿が遠ざかっていく。

 

 駄目だ、待ってくれ。

 数百年ぶりに会うんだ、もっと話をしたっていいじゃないか。

 何も急く必要などない・・・時間は半永久的にあるのだから。

 

 だから、だから────。

 

「──行かないでくれ、アポロンッ・・・!」

 

「・・・起きたか、ヘリオス」

 

「・・・ぁ?」

 

 中性的な声が、俺の名を呼んだ。

 何者だ、と目を向けると、空色の髪をした美しい少年──アフロディーテと、その横に二人の大人が並び立っていることに気がつく。

 

「教皇様、見ての通りです・・・少々、記憶の混濁が激しいらしく、この者は自らを太陽神ヘリオスだと思い込んでいるのです」

 

「ふむ・・・しかし、神の力は感じられぬ。ただの幼子なのだろうよ」

 

「ですが、教皇様。瀕死の状態で発見され、小宇宙を操る術を持っている・・・この少年は、その能力故に何者かの悪意に晒された可能性が・・・」

 

 黄金のマスクに黒の法衣を纏った教皇とかいう者。

 そして、額に赤いバンダナを巻いた真面目そうな男が、難しい表情で言葉を交わしてた。

 

「・・・・・・」

 

 完全放置である。

 この者達には不敬とかいう概念はないのだろうか?

 ・・・よし、やることもないしな、ここらで自らの状況の整理でもしておこうか。

 

 まず、神域に引きこもっていたはずが、気づいたら地上で行き倒れており、何故か身体が幼くなっていた。

 そして、元のサイズに戻るために神の業を使おうとするが、小宇宙が足りず、ぶっ倒れる。

 最終的には、アフロディーテという少年に背負われ、聖域に向う途中に眠ってしまい・・・今の状況に至る・・・か。

 

 アポロンに教えて貰った業すら使用できないことから鑑みるに、今の俺には自力で天界に戻る力もないのだろう。

 

 ・・・なんで? 

 何がどうしてこうなった?

 

 反射的に緩まる涙腺が、決壊してしまわぬよう空を仰ぐ。

すると、教皇とかいう怪しい男が、俺に声をかけてきた。

 

「ヘリオスとやら、お前はアフロディーテに拾われる前は、どこに居たのだ?」

 

「どこって・・・天界だな」

 

 正確には、天界にある自分の神域だ。

 

「・・・生まれは、どこなのだ」

 

「天界だな」

 

 天界生まれ天界育ちの純粋培養だな。

 

「・・・・・・何か、今の状況に思い当たる節は?」

 

「思い当たる節? ・・・あっそうだ」

 

「む、何か手がかりが──」

 

「ここ数百年は神の役割を放棄して、自分の神域に引きこもっていたからな・・・怒ったゼウスの雷に打たれて、地上に落ちたのかもしれない」

 

「・・・・・・・・・なるほど、よく分かった」

 

 教皇と呼ばれる人間は、重苦しい溜息を吐き出した。

 黄金のマスクをしているため、口元しか表情を伺うことはできないが、どうやら酷く悩ましげな雰囲気だ。

 そういえば、アポロンもよくこんな感じになっていたっけ、懐かしいな。

 思い出に浸っていると、少しの間を置いて、教皇が口を開いた。

 

「幼い身空で外界に放り出す訳にもいかぬ・・・ヘリオスよ、元来た場所を思い出すまでは、この聖域で過ごすが良い・・・そうだな、アフロディーテ」

 

「は、はい」

 

「聖衣の争奪試合前に悪いのだが・・・この者の世話を焼いてやることはできるか?」

 

「っ私が、ですか? コホン・・・いえ、謹んでお受けいたします」

 

「うむ、頼んだぞ。困ったことがあれば、周りの助力を仰ぐが良い」

 

「ははは、忙しくなるな、アフロディーテよ。何か、私でも力になれることがあれば、いつでも人馬宮の門を叩くと良い。喜んで協力しよう」

 

「アイオロス・・・有り難うございます。恐らく、明日にでもお邪魔することになるかと」

 

 どんよりと曇った瞳で、アフロディーテは肩を落とした。

 俺を背負って長い道を歩いた疲れだろうか、可哀想に。

 労うように少年の背をぽんぽんと叩き励ますと、アフロディーテは顰め面で俺の腕を掴んだ。

 

「・・・ほら、行くぞヘリオス」

 

「あっ、ちょっと待ってくれ。俺の傷は、誰が治療してくれたんだ?」

 

「む? お前の傷を癒やしたのは私だが・・・まだ痛むところがあるのか」

 

「教皇・・・さんか、感謝する・・・! いいや、どこも痛いところなどない。むしろ、平時よりも身体が軽いくらいだ! 素晴らしい癒術の腕前・・・手放しで賞賛しよう」

 

「フッ・・・それは上々。・・・これからは、自らの身体は大切に扱うのだぞ」

 

「あぁ、もう少し気を遣うことにするよ」

 

 そう言って、俺は手を振りながら、教皇さんとバンダナの男に別れを告げた。

 

「・・・君には、ここでの礼儀作法も教えなくてはならないな」

 

 げっそりとした表情で呟く、アフロディーテに引きずられながら。

 

 

 

 



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2話 神に薔薇を投げるんじゃない

 

 

 赤、白、黒、鮮やかな色をした美しい薔薇の群れが、毒の雨となって俺を襲う。

 

「あぁぁぁぁッッ!! この鬼! 悪魔! アフロディーテッ! 俺を殺す気か!」

 

「なんだ、避けられているではないか。その調子で頑張れ」

 

「俺は投げナイフの的じゃないんだよ! ひっ──!?」

 

 紙一重で避けたと思った黒薔薇の花びらが、突如として拡散し、俺を取り囲むようにして渦を巻いた。

 こ、こんな薔薇があってたまるか・・・! 

 なけなしの小宇宙を操って、どす黒い花びらを燃やしていく。

 

「ほお、意外とやるな。薔薇に込める小宇宙を減らせば対処ができるらしい・・・また一つ、君の正体の謎が増えたな、自称太陽神よ」

 

「さっきから白い薔薇が心臓を狙ってきてるように見えるんだけど!?」

 

「あぁ、それはブラッディローズといってな。奥の手ゆえ、本来は何発も放つことはないのだが・・・フッ、動く的が得られるとは、私も運が良い。感謝するぞ、ヘリオス」

 

「こんなことで感謝されたくないわ・・・!」

 

 泣き叫びながら悪魔の薔薇から逃げ続ける。

 こんなことになるのなら、勝手にアフロディーテの薔薇に触れなければよかった・・・! 

 数刻前の己の行動を思い返し、深く後悔する。

 

「・・・君が私の魔宮薔薇(デモンローズ)を勝手に手に取り、毒の香気をムカつく程の満面の笑みで吸い出したときは怒りと焦りとで頭がどうにかなりそうだったが・・・まさか、毒が効かないとは・・・ふ、ふふ、これで私も心置きなくストレス発さ・・・鍛錬ができる」

 

「おい今ストレス発散って言ったろ・・・! 正体見せたなこの野郎! こんな幼気な姿になって弱った神を虐めて楽しいか──!?!?」

 

 ザクザクザクザクッッ──!! 

 嫌な予感がして屈んだ瞬間、後ろの岩から聞こえてはいけない音が鳴り響いた。

 

(・・・しっ、死ぬ・・・! このままじゃ確実に殺される──!!)

 

 滝の様に流れる汗と涙がグチャグチャに混じり合い、正直言って気持ち悪い。

 こんな顔、死んでも可愛い姉妹には見せられないぞ。

 一瞬にして兄としての尊厳が死に絶える。

 

「アポロン、父上・・・! 太陽(そこ)に居るのなら助けてくれ!!」

 

 駄目元で太陽に向って叫ぶ。

 しかし、天高く輝き、眩い陽光を放つ光球からは、何の答えも返ってこない。

 

 はは・・・もしかして俺は、友にも親にも見限られて、天界を追放されてしまったのだろうか。

 

「! ・・・しまっ──」

 

 柄にも無い一瞬の無駄な思考が、仇になったのだろう。

 眼前まで迫った赤黒い薔薇に、対処が遅れる。

 岩をも貫く魔の薔薇だ、真面に食らえば一溜まりもないだろう。

 

「・・・ふむ、まぁ、こんなところか」

 

 前方から、緊張感のない声が響いた。

 硬直する俺の目の前で、赤薔薇がピタリと停止する。

 

「・・・あ、あれ?」

 

「今日はこのぐらいでいいだろう」

 

 色白い指で赤薔薇をくるくると回しながら、アフロディーテは満足そうに言った。

 離れた場所にいたはずの少年が、一瞬で俺の目の前へと移動している。

 どうやら、投擲した薔薇よりも早く移動して、掴み取ったらしかった。

 

「鍛錬とはいえ気を抜けば命を落とす。肝に銘じておくのだな」

 

「・・・・・・」

 

 なるほど、真理だ。

 だが一つ問題がある。

 

「お前にとっては鍛錬かもしれないが、俺にとってはただの拷問なんだよ・・・!」

 

 良い運動したなあ、といった風の、巫山戯た顔をした少年へと抗議する。

 確かに、勝手にアフロディーテの薔薇へと手を伸ばした俺にも、負い目はあったかもしれない。

 だけど、それにしたって酷すぎる。

 暴力反対! と声を上げると、聖闘士候補生の少年は、俺の訴えを却下するかの如く鼻を鳴らした。

 

「ふん、居候が何を言うか。・・・しかし、青銅聖闘士なみの実力を持っていたとはな、正直驚いたぞ。捨て置くには勿体ない・・・どうだ? この地上の平和のために、私達と共に戦う気はないか」

 

「女神の聖闘士になれって? ・・・冗談だろ、何度も言うが、俺は太陽神ヘリオスなんだ。アポロンを馬車に乗せてペガサスの手綱を引くことがあっても、戦神アテナのために戦えるわけがないじゃないか」

 

 至極まっとうな理由でもって、アフロディーテの提案を退ける。

 そもそも我が父と母様は、大神クロノスを王と崇め、忠誠を誓っているティターン十二神なんだ。

 それなのに、後裔の俺がアテナの戦士になってみろ・・・消し炭では済まないぞ。

 

「全く・・・また太陽神設定(それ)か。何度も言うが、それは君が自らの存在を守るために創り出した、妄想のようなもの。記憶が戻ってから悶えたくなければ、その穴だらけの設定は捨てさるべきだ」

 

「・・・俺が慈悲深い神でよかったな、アフロディーテ。我が父ヒュペリオンに同じ事を言ってみろ、直ぐさま紅炎大剣(プロミネンスブレイド)の餌食になるぞ」

 

「はぁ・・・相も変わらず意味のわからんことを・・・もういい、小屋に帰って夕食の準備をするぞ、三流神ヘリオス」

 

「こ、こいつ・・・! 俺が一番気にしている言葉をッ・・・!!」

 

 全身をわなわなと震わせながら、俺は先を行く少年の背中を追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鼻腔に流れてくる草花の心地よい香りが、俺の胸を満たしていく。

 遠い空を眺めながら、眩しい陽光に目を細める。

 

 アフロディーテに拾われてから、一月余りの時が流れた。

 

「そろそろ真面目に、天界に戻る方法を探さないといけないな」

 

 虚空に一人呟いて、溜息を吐き出した。

 時間が経てば元の力も戻ってくるだろうと思い、地上での日々を楽観的に過ごしていたのだが、どうやらそろそろ動き出さねばならぬらしい。 

 未だ太陽神としての力は回復せず、あるのはその残りかすのような儚い小宇宙だけ。

 力を殆ど失ってしまった理由も、地上に落ちてしまった原因も、何もかもが分からないままだ。

 

「・・・父上達のみならず、馬車を引いてくれるペガサス達も、呼びかけに答えてくれないとはな・・・流石に洒落にならなくなってきたぞ・・・」

 

 というか、ほぼほぼ詰んでしまっていて、笑えない。

 力が戻ってくれさえすれば、簡単に天界の神域へと転移ができるというのに。 

 残るあては地上に降臨している神に、天界に戻る手助けをしてもらうくらいだろうか。

 

「・・・女神アテナはまだ降臨してないって話だったし・・・はぁ、他の神がどこで何をやってるのかなんて知らないぞ、ちくしょう・・・」

 

「・・・先程から一人で何を呟いているんだ、君は」

 

「あぁ? こちとら目の前の悪魔から一秒でも早く逃げるために必死になって帰る方法を考えてるんだよ、邪魔しないでくれ」

 

「ほう、どうやら今突き刺さっている薔薇では足りないらしいな?」

 

 アフロディーテは、誰もが見とれてしまうような美しい微笑を浮かべて言った。

 右手で凶器(バラ)を弄びながら。

 

「な、納得できない・・・こんな顔面詐欺暴力男が、地上の平和を守る聖闘士の候補せ──痛ッ! 刺すな! その薔薇で俺の頭を突っつくな!!」

 

「フッ、脳内お花畑の君のことだ・・・頭に直接薔薇を生やすのが本能なのではないかと思ってな」

 

「発想が恐ろしすぎるわ!」

 

 ゼーハーと荒い息で突っ込みをいれつつも、身体に刺さっている忌々しい薔薇を抜き取っていく。

 ええい、誰だ、この少年にこんな恐ろしい技を授けた者は。

 こういうときはビシッと言ってやらないと、この少年の将来のためにもならないだろう。

 

「いいか、アフロディーテ。薔薇は投げるものでも神に突き刺すものでもない。・・・花は愛でてやるものだ。だからもう俺にその毒々しい凶器を向けるのはやめような?」

 

「花は愛でるもの・・・? あぁ、なんだ、言っていなかったか。私が目指す魚座の聖闘士はな、代々魔の薔薇を操ることによって女神へと続く道を守り、邪悪なる者達と闘ってきたのだ・・・この毒の薔薇は魚座の聖闘士としての象徴であり、誇りだ。けして譲ることはできない」

 

「・・・なぁ、一ついいか」

 

「なんだ?」

 

「ここ数日のスパルタ勉強会で言ってたよな? 『この世に邪悪が蔓延るとき、己の肉体()()を武器として、女神の元で闘うのが聖闘士である』・・・と」

 

「そうだな」

 

「武器を使うのは無粋だとか卑怯だとか、女神なりに拘りがあるんだなあって流して聞いてたけど・・・薔薇を武器をして使っているだけでなく、毒で敵の動きを止めたりするのは、その・・・大丈夫なのか? めちゃくちゃ卑怯なんじゃ・・・」

 

「・・・・・・」

 

 純粋な疑問を口にした瞬間、スウッ、とアフロディーテの目の色が変わった。

 まるで、大切なものを馬鹿にされた者が、静かに牙をむき出すような。

 ──不味い、本気で怒っている。

 無言で白薔薇を取り出し、小宇宙を燃やし始めた少年を前に、脳内で警報音が鳴り始めた。

 

「ここにいたのか、アフロディーテ。ヘリオスも一緒だったのだな」

 

「ば、バンダナの男っ! 丁度良いところに・・・!!」

 

 突如現れた救世主の存在に、安堵の声が漏れ出た。

 なんて良いタイミングで現れてくれるんだ、神か、お前も神だったのか! 

 悪魔から逃れるためにも、飛びつく勢いでバンダナの男の元へと駆けていく。

 すると、男の後ろに隠れるようにして、金髪の少年が佇んでいたことに気がついた。

 年齢はアフロディーテよりも僅かに幼いくらいだろうか。

 

「・・・・・・射手座のアイオロス・・・その後ろにいる者は?」

 

「私の弟の、アイオリアだ。獅子座を目指し修行中の身の上でな。直に魚座となるであろう、お前の鍛錬の様子を見せてやろうかと思って来たのだ」

 

「・・・兄さん、どうしてこの人は頭に薔薇を生やしているのだ?」

 

 明らかに不審な人物を見る目で、金髪の少年アイオリアは俺を指さした。

 バンダナの男──アイオロスは、弟の質問に答えようと口を開くが、俺の頭部に視線を移すと、困惑顔で閉口してしまう。

 

「・・・・・・兄弟揃って、そんな目で俺を見ないでくれ・・・」

 

 純粋そうな人間の、可哀想な者を見る目は割と効く。

 アフロディーテめ、物理的にだけでなく精神的にも俺を痛めつけてくれるとは。

 恨みの籠もった目線で悪魔を睨めつけるが、少年は素知らぬ顔で髪を梳いていた。

 ・・・こ、この野郎、覚えておけよ.

 抜き忘れていたらしい薔薇を引っこ抜いて、俺は泣きながら心の中で呪詛を吐いた。

 

「ふむ、報告を聞いてはいたが・・・毒の薔薇をものとはしないとはな・・・」

 

「? 何か言ったか、我が救世主、アイオロスよ」

 

「・・・いや、独り言だ、気にしないでくれ。・・・それよりも、先程は何やら面白い話をしていたようだな」

 

「面白い話・・・?」

 

 聞き返すアフロディーテに、アイオロスは朗らかに笑って話しを続ける。

 

「"薔薇は武器に入らないのか"、"毒は卑怯にはならないのか"、というヘリオスの言葉が少々気になってな。・・・確かに、不思議に思っても仕方のないことだ。聖闘士は、己の身体を武器として闘う者を指すのだから」

 

 自らの右拳を胸の前に掲げながら、男は「だが、」と言葉を置いて、雄々しい顔で俺に言った。

 

「薔薇も、毒も、全てが魚座の──アフロディーテの小宇宙によって形作られたもの。つまり、その魔の薔薇は、我々聖闘士の拳と何ら変わらず、闘士の身体に等しい存在なのだ」

 

「・・・? えっと・・・毒も薔薇も、その全てを含めて、聖闘士という一つの武器として完成する、という事か?」

 

「あぁ、その理解で合っているよ。私の纏う聖衣とサジタリアスの弓矢も、私の小宇宙がなければ物言わぬオリハルコンの塊なのだからな」

 

「なるほど・・・目に見える形だけで判断してはならないんだな」

 

 なんとも、聖闘士とは奥が深い存在なようだ。

 唸るように喉を鳴らし、納得していると、アイオロスは微笑を湛えながら、今度はアフロディーテに視線を移した。

 

「フッ、分かって貰えたようでなによりだ。・・・故にこそ、"卑怯だ"と言われて憤ってしまったのだろう? アフロディーテよ」

 

「・・・えぇ、仰るとおりです」

 

「そ、そうだったのか・・・いや、そういえば"譲れない誇りだ"って言ってたもんな。・・・何も考えず卑怯だとか言って悪かったよ、誰だって大切なものを否定されたら、怒るもんな」

 

 心の底から、少年に謝罪する。

 自覚の無い間に、俺はアフロディーテの誇りを傷つけてしまっていたのか。 

 神だとか人間だとか、そういった話は関係ない。

 他者の価値観は頭ごなしに否定してはならない、尊重するべきものだと父上から教わったのだった・・・あぁ、まだまだ俺は未熟な神だ。

 

「・・・・・・はぁ、君という奴は・・・」

 

「?」

 

 悩ましげに、アフロディーテは小さく息を吐き出した。

 謝罪の言葉が足りなかったのだろうか、と顔色を伺っていると、少年は俺の目を見据えて、言葉を発した。

 

「・・・・・・私も、聖域に来てたった一月の者に対して取る行動としては、稚拙が過ぎた・・・済まなかったな」

 

「・・・えっ?」

 

「・・・なんだ、何か不満でもあるのか?」

 

「い、いや・・・お前の謝罪の言葉とか、初めて耳にしたから・・・純粋に驚いた」

 

「君、そういうところだぞ・・・!」

 

 そういうところって、どういうところ・・・? 

 眉間に皺を作るアフロディーテの言葉に、首を傾げるが、幾ら考えても答えは出てくれない。

 

「ふむ・・・人馬宮に来るアフロディーテが毎度毎度死んだ魚の様な目をしていたため、食い合わせが悪かったのかと心配していたが・・・この様子なら何も問題はなさそうだな」

 

「「──!? 問題しかないッッ!!」」

 

「・・・ヘリオス」

 

「・・・アフロ」

 

 バチバチと、俺と悪魔との間に火花が舞う。

 

「・・・私の真似をするな! 自称太陽神の駄目神が!」

 

「こっちのセリフだ! この不敬者ッッ!」

 

「「──今日という今日こそは、その曲がった根性を叩き直してくれるッッ!!!」」

 

 掴み合いの取っ組み合い、男と男の戦いが始まった。

 九割九分結果が見えていようとも、譲れないものの為に、俺は邪神アフロディーテに立ち向かっていく。

 熱い涙を撒き散らしながら。

 

「はははっ、元気な者達だ」

 

「に、兄さん、止めた方がいいんじゃ・・・」

 

「アイオリアよ・・・男はな、己の信念をかけて、闘わなければならぬときがあるのだ・・・例えどれほど下らな・・・小さな理由であろうともな・・・。そら、決着がついたようだぞ」

 

 戦闘時間、一分にも満たず。

 勝者は両手をはたき合わせ、埃を落とす邪神アフロディーテだった。

 ハリセンボンのように、背中に薔薇を生やしながら、俺は涙で地面を濡らした。

 

「こ、の・・・ッ! そんなに強けりゃ俺を的に鍛錬なんかしなくても、余裕で魚座になれるだろ!」

 

「何を言うか、魚座になるのがゴールではないのだぞ? 地上の平和を守るためには、聖闘士となってからも修行を続ける必要がある」

 

「ぐっ・・・」

 

 正論過ぎて何も言い返す事が出来ない。

 ・・・いや、それでも俺がアフロディーテの鍛錬に付き合う必要はないはずだ。

 やきもきしながら、俺は言葉を発する。

 

「・・・大体、どうしてお前達は戦うんだ」

 

「なぜ、戦うのだと? 何度も言っているだろう──」

 

「──地上の平和を守るため? それは、本当にお前達がやらなければならないことなのか? 傷に塗れて、痛みを堪えて・・・人間は神とは異なり、不死ではないんだぞ。それなのに、何故、命を懸けられる? ・・・死が、怖くはないのか」

 

 予てよりの疑問を口にする。

 死ねば、そこで全てが終ってしまうというのに、なぜ、戦うのか。

 人間たちの考えは、心底理解することができない。

 いつかは寿命を迎えて死に行く運命なのなら、生き急ぐことになんの意味があるのだろうか? 

 

「・・・フッ、まるで神のようなことを宣う・・・理由など、問うほどのものではないさ」

 

 穏やかに、射手座の男は優しく微笑む。

 エメラルドの眼を、夜空の星のように輝かせながら。

 

「私達人間には、譲ることの出来ない信念がある、誇りがある・・・そして何よりも、"守りたいものがある"」

 

 自らの傍らに立つ弟の頭を撫でながら、その者は言う。

 

「私は、その大切なものを、この手で守りたいと切に願うのだ・・・どこかの誰かでもなく、己自身の覚悟と勇気で。・・・故に、私は女神アテナに誓った。例え、何度倒れ、膝を突き、熱き血潮で大地を汚そうとも、守るべきもののために、全身全霊を懸けて、この拳を掲げ続けると」

 

「・・・死んでしまっても、構わないと言うのか?」

 

「戦う以上、命を落とすこともあるのだろう。死を恐れていないわけではない・・・だが、命を懸けてでも守りたいものがあるのだと、この胸が叫ぶのだ。だからこそ、私は前へと進み続ける、後悔のない未来を紡ぎ出すためにも」

 

「・・・・・・命を懸ける、価値のあるもの・・・」

 

「ヘリオスよ、君にもあるはずだ。自らの全てを懸けてでも守りたいと希い願う、大切な存在が」

 

「・・・・・・」

 

 全てを懸けてでも、守りたいもの。

 そんなもの・・・考えてみたこともない。

 不死の存在であるこの俺が、神が、己よりも何を優先する? 

 

『────相も変わらず、お前は神としての自覚が足りていない』

 

 ふと、記憶の底に埋もれる、誰かの声が蘇った。

 

『──神が守るべきモノとは、己を信じる民──そして、理想郷を生むために想いを分かち合う同胞だ」

 

 漆黒の長髪、威厳の籠もった力強い言の葉。

 しかしながら、その紅蓮の瞳はどこまでも温かく、見ているだけで、ちっぽけな俺の魂を安寧へと誘ってくれる。

 

『いいか、ヘリオスよ。信じるものがあってこその世界・・・そして、守るべきものがあってこその未来なのだ。想いの伴わない未来になど、幸福は在らず。・・・お前は未だ、崇める王も、守るべき民も持たぬ自由な存在だが・・・私に報告するぐらいの、掛け替えのない友ができたのだろう?』

 

 悲しげな微笑みを湛えながら、その者は言葉を紡ぐ。

 

『努々忘れるでないぞ? ・・・失ってからでは遅いのだ。譲れぬほどに価値を見いだしたものが出来たのなら、最後まで守り抜け・・・──私の息子であるのなら、それくらいは造作もないことのはずだ』

 

「そ、の声は・・・ちち、うえ・・・?」

 

 なんだ、この記憶は。

 なぜ父上は、これほど悲愴な表情をして──、

 

「・・・────リオス、おい、ヘリオス!」

 

「──っ!」

 

 両肩を思いきり掴まれて、意識が現実へと引き戻される。

 

「・・・・・・アフロディーテか、どうしたんだ」

 

「どうしたのかではない・・・! 声を掛けても反応がないどころか、死者のように肌が真っ白ではないか」

 

「・・・お前の薔薇のせいなんじゃないのか」

 

「血は抜けていないだろう。・・・何を思いだした?」

 

「・・・・・・」

 

 忘れてはならない、父の言葉を。

 そう口にしようとするが、どうせ言っても信じてはくれないのだろうと、言葉を変える。

 

「別に、何も・・・ただ、アイオロスが言ったことの意味は、少しは理解できた・・・俺にも、守りたい者達がいた」

 

 偉大なる父上、優しい母様、可愛らしい妹達、そして、三流神の俺を対等に扱ってくれた、大切な朋友。

 俺は、痛いのは嫌いだし、戦いも好まない。

 父上や友に比べれば、力のない神だ。

 だけど、大切な者達のためなら、俺はきっと、拳を握ることが出来る。

 不死の命を、懸けられるのかもしれない。

 

「感謝する、射手座のアイオロスよ・・・本来ならば、大切な事を思い出させてくれたお前とその弟に、加護を増し増しで与えたいところなんだが・・・この礼はいつか必ずしよう」

 

「ははは、それはそれは、これからが楽しみだ。・・・ヘリオスよ、今日はもう帰って休むと良い。鍛錬の様子はまた別の機会に拝見するとしよう」

 

「んん? ・・・アフロディーテは元気そうだけど? 今見ていけばいいんじゃ・・・」

 

「先程のお前達を見て分かったのだが、ヘリオスを相手にする方が、普段よりもアフロディーテの動きに切れが生まれるらしくてな。アイオリアに見せるのなら、断然動きの良い方がいいだろう?」

 

「──!?」

 

「なるほど、それならば後日」

 

「うむ、それではな」

 

 金髪の少年を連れて、バンダナの男、もとい裏切りの救世主は何処かへと消えていった。

 

「・・・・・・これが、人間のやることかよ・・・」

 

 遠い天界(こきょう)を想いながら、俺は人の恐ろしさを心に刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 




エピソードG読了した影響かは知らないんですけど、アイオリアとアイオロスの話し方が迷走してます。アフロディーテも敬語キャラでしたし、うん。
ところで黄金魂ってレンタル屋さんにありますかね・・・。


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2.5話 想いの結晶、その名は──

 

 

 

 両手を胸の前に翳し、小宇宙を集めていく。

 

「──過ぎ去りし時を呼び戻し、今帰らん、正しき流れ、あるべき姿へ──ゲフゥッ!」

 

 駄目か。

 

「──天空の戒め解き放たれし、凍れる黒き虚ろの流れよ──ゴハッッ!!」

 

 駄目かあ。

 

「ううん・・・全く駄目だ。・・・しかもこの感覚、小宇宙がなくなったのではなく、まるで封じられているような・・・」

 

「・・・おい」

 

「・・・だけど、一体誰が? 父上やアポロンならともかく、俺のような力の持たない神の力を封じたって、何の得にも・・・」

 

「・・・おい」

 

「はぁ、仕方ない・・・地道に情報を集めていくしか──」

 

「──ヘリオスッ!!」

 

「うわっ、吃驚した。どうしたんだよアフロディーテ」

 

「どうしたもこうしたもあるか! 小屋中を君の血で染めるつもりか!」

 

「神の霊血(イーコール)だ、すっごい貴重だから集めて保存しておくことを推奨する」

 

「──こ、の・・・ッッ!!」

 

 バキンッ!! 

 鉄拳制裁、正義の拳が神を襲う。

 

 激痛に原型を留めているか怪しい頭部を抑え、俺は噛み付くようにして口を開いた。

 

「お、お前っ・・・! なにすんだよ! ゼウスみたいに頭が割れるかと思ったぞ!!俺の頭からアテナが生まれたらどうするんだ!!」

 

「生まれてたまるかッ!! ・・・イーコールだか何だか知らんが、汚した場所はきちんと拭いておくのだぞ。・・・全く、君がいると読書も真面にできん」

 

 椅子に座り直したアフロディーテは、顰め面で本のページを捲っていく。

 何の本を読んでいるのだろうか。

 ものの数分で血痕を拭き取り終えた俺は、少年の背後に回り込んだ。

 

「『第五章 ヘルメス主義:宇宙と人間の調和』・・・なになに、宇宙(コスモス)とは元来、『美しい』という意味のギリシア語である・・・花のコスモスや化粧品のコスメチックもここからきている・・・この語を名詞として宇宙という意味にしたのは、ピュタゴラスである」

 

「血塗れの身体で私に近づくな・・・いや、それ以前に他人の読んでいる本を覗くのはよさないか」

 

「まぁまぁ、そう固いことを言うなよ。・・・秩序や調和、均衡を為すもの全てを『コスモス』と呼ぶ。したがってコスモスは宇宙といっても秩序をもった美しいシステムとしての宇宙を指し・・・なんか、お前向けの本だな、それ」

 

 美しいとか綺麗だとか、アフロディーテが普段自分に言っていることじゃないか。

 まさか自分の容姿を讃えるネタでも探しているのか、この少年は。

 

「・・・勘違いしているようだが、私は勉学のためにこの本を手に取ったのであって、今更自分の美貌を確かめる意図はだな・・・」

 

「いやまあそれは心底どうでもいいんだが・・・ふむ、"調和が取れているからこそ、美しい"、か・・・面白い考え方だ。まるで混沌と対を為す存在で在るかのような・・・しっかし、俺の引きこもっている間に、地上では面白いものが沢山できてたんだなあ」

 

 得に気になった項目を思い浮かべ、口にする。

 

「人々の生み出した概念や哲学といったもの・・・赤薔薇の十字、グランドクロス、女神信仰を否定する宗教や数々の予言・・・興味深いものばかりだ」

 

「・・・女神アテナの膝元であるこの聖域(サンクチュアリ)で、ギリシャの神々を否定する存在を上げ連ねて、興味深い、とはな・・・」

 

「別に減るもんじゃないし、いいだろう。・・・それにな、割とお前の役に立つものだってあるんだぞ」

 

「・・・なに?」

 

 懐疑的な視線を寄越すアフロディーテに向い、俺は満面の笑みで言葉を放つ。

 

「一種の裏技みたいなものなんだけどな。──『概念』、即ち、『ある事物の大まかな意味内容』といったものを抽出し、人や物に付与する技法があるんだ。長い時間を経て積み重なった、人間達の想いを利用し、純粋な力として扱うわけだな・・・名付けるなら『概念兵装』といったところか」

 

「概念を付与し、力として扱う・・・?」

 

「うーん、説明が難しいな」

 

 そうだな、と壁に立てかけてある掃除用のブラシを手に持つ。

 

「例えばこのブラシが、聖槍──ロンギヌスの槍だとする」

 

「また唐突な・・・確か、神の御子の死を確かめるために、その聖なる玉体を貫き、以降、所有者には世界を制する力を与える・・・と語られている槍か」

 

「そう、死を確かめるために用いられた槍・・・のはずが、神の死に纏わったというだけで、『神殺しの槍』なんていう、ご大層かつ物騒な称号を与えられている槍だ」

 

「・・・それがどうしたと?」

 

「さっきの『概念兵装』の話を前提に考えてくれ。『神を殺すという概念を付与されたロンギヌスの槍』で、神を貫いたら、どうなると思う?」

 

 ブラシの先端をアフロディーテに向けて、俺は問うた。

 少年は、不機嫌そうな表情になりながらも、小さく答える。

 

「・・・不死の神を、滅ぼせる・・・か?」

 

「その通り・・・まぁ、あくまで仮定の話だが」

 

「荒唐無稽な理論だな・・・だったらなんだ? ギリシャの神々を否定する、異教徒達の象徴・・・例えば十字架をオリンポスの神にたたき込めば、その概念兵装とやらが発動するとでもいうのか」

 

「その十字架に概念の力を込める必要はあるが・・・そういうことになる。・・・まぁ、お(まじな)いのようなものだ。敵へと放つ力を少しでも後押ししてくれる、世界に積もった想いの結晶、程度に理解してくれれば良い」

 

 なんともまぁ、抽象的で、ふわっとした話に聞こえるかもしれない。

 だが、けして侮れない力だと断言しよう。

 案外、馬鹿にできないものなのだ・・・長い年月を掛けて積層した人間達の想いというものは。

 

「聖闘士は悪霊や怪物・・・神々とも戦うことがあるんだろう? 扱える技は一つでも多い方が良いと思ってな。覚えておいても損は無いはずだぞ」

 

「・・・まぁ、頭の隅辺りに置いておくとしよう」

 

「そうしておいてくれ・・・あっ、だけど間違えても父上達には使うなよ、神様との約束だ」

 

「はぁ・・・神と戦うためにと、勝手に話し出したのは君だろう・・・」

 

呆れた様子で肩を落としたアフロディーテは、手元の本へと意識を戻してしまった。

『今度こそ読書に集中するのだから、邪魔をしてくれるなよ』・・・そんなオーラを感じる。

 

「・・・む、そういえば今日の食料調達係は俺だったか」

 

小声で呟きながら、俺は布財布を持ち出して(ねぐら)を出た。

空の光球は傾き、そろそろ月が姿を表す頃合いだ。

ふいに、月を司る、可愛い妹の顔が脳裏を過った。

 

「・・・・・・セレネ、元気かなあ」

 

ちょっぴり感傷的になって、涙腺が緩みかける。

しかし、兄としての威厳を保つため、歯を食い縛りながら俺は走り出した。

 

 

 

 

 

「・・・騒々しい奴だ」

 

窓越しに走り出した居候の背中を眺めながら、アフロディーテは言葉を漏らした。

 

()()()()()使()()()()・・・まるで、自分には使ってもいいように聞こえる言い方だな・・・自称太陽神ヘリオスよ」

 

不愉快そうに、少年は言い捨てた。

 

 

 

 

 



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3話 冥府に堕ちた、神々の話

 

 

 

「・・・はぁ、まさかアイオリアがあんなに強いとは・・・死ぬかと思った」

 

「大袈裟な、直撃は食らわなかっただろうに・・・しかし、私との鍛錬よりも必死に動いていたのではないか?」

 

「・・・俺の本能があの(ケラウノス)だけには当たるなよ、って五月蠅かったんだよ。理由は分からないんだが・・・あいたた・・・」

 

 悪魔の薔薇によって作られた傷に、汗が染み込み、激痛が走った。

 涙目になりながらも、恨みがましい目線をアフロディーテに向ける。

 

「鍛錬を見るだけって話だったのに・・・お前が『ヘリオスは鍛錬相手としては良い的・・・ではなく相手だぞ?』とか巫山戯たことをぬかしたせいでアイオリアとも手合わせするはめになったんだぞ・・・身体中がボロボロだ・・・」

 

「いつものことではないか」

 

「それが当たり前になってる時点でおかしいんだよ・・・!」

 

 女神アフロディーテとはまた別のベクトルで質が悪すぎる。

 ・・・それに、アイオロスもアイオロスだ。

『ほう、折角だからアイオリアの相手もしてやってくれ』・・・じゃないわ! 

 おかしいだろ、お前の弟もちょっと困惑してたじゃん! 

 地上の平和を守るとか宣う前に、お前達はもうちょっと慈愛の心を身につけるべきだと思う。

 

「それにしても・・・君の耐毒体質はどうなっているんだ?」

 

 唐突に、隣を歩く少年から懐疑的な声が投げかけられた。

 

「何だよ、藪から棒に」

 

「・・・言っていなかったがな、ヘリオス。私は君に薔薇を投擲する際は、一応は毒量を減らして放っていたのだ・・・最初はな」

 

「ん? 最初は・・・?」

 

「どれ程まで耐えられるのかと、少しずつ毒の量を増やしていき・・・今では五感を失うレベルの毒でも全く効かない始末だ。・・・改めて聞く、君の身体はどうなっているんだ」

 

「・・・・・・」

 

 ──おまえの頭の方こそどうなってるんだよ。

 サラッととんでもない事を言ったよな、今。

 あのオリオンでさえ盲目になった時には、俺のところへ治療を受けに来たんだぞ? 

 それが・・・何? 五感を失う毒量? 馬鹿なのか? 

 

「・・・別に、俺は耐毒体質なんてものは持ち合わせてないぞ。ただ、小宇宙で毒を浄化しているだけだ」

 

「はぁ・・・? 君の小さな小宇宙で、私の毒を浄化できるわけがないだろう」

 

「確かに今の俺の小宇宙は小さいが・・・重要なのは小宇宙の量じゃなくて、質だ」

 

 なけなしの小宇宙を全身に廻らせ、傷を癒やしながら、俺は言葉を続けた。

 

「例えば、そうだな・・・記憶を司る女神ムネモシュネの小宇宙は、人間のみならず神々の記憶にも干渉ができるらしい。万物の流転を司るオケアノスは、自然界に在る水分を自在に操るし・・・邪神エリスや戦神アレス共の小宇宙は、そこにいるだけで、人々の心を争いへと駆り立てると聞いた」

 

「・・・・・・」

 

「まぁ、つまりだな、太陽神たる俺の小宇宙は、不浄を清める力に特化しているんだ。だから少ない量でも、人間の作りだした毒や呪い程度になら対処できる・・・この浄化の力は、父上やアポロンにだって自慢できる程度には強力で・・・」

 

「・・・はぁ・・・また、それか」

 

 いい加減うんざりした、といった様子で、アフロディーテは俺の言葉を遮った。

 

「・・・既に、君の太陽神設定の補正は諦めているのだがな・・・せめて、太陽神ヘリオスを名乗るのなら、もう少し設定を凝る努力でもしたらどうなんだ」

 

「はあ? 別に可笑しなところなんてないだろう」

 

 いや、そもそも設定ではなくて事実なんだけども。

 怪訝に思って言い返すと、少年はゆっくりと口を開いた。

 

「君が父と崇める太陽神ヒュペリオン・・・かの神は、神話どおりならば冥府(タルタロス)にいるはずだろう。それなのに君の言い方だと、ヒュペリオンが未だ健在であるかのように聞こえる。・・・太陽神ヘリオスを名乗るなら、もう少し自らの神話知識を深めるべきだ」

 

「・・・・・・は?」

 

 アフロディーテの放った言葉の意味が飲み込めず、思わず足を止める。

 

 ・・・冥府(タルタロス)、と言ったのか、この子供は。

 霧がたちこめ、神々ですら忌み嫌う、冥界よりも下方に存在する澱んだ空間・・・カオス、ガイア、エロスとともに生まれた原初の神々の一柱であり、奈落(ならく)そのもの──冥府(タルタロス)

 そこに、我が父ヒュペリオンが、封じられているだと? 

 

「・・・可笑しなことを抜かすなよ。冗談だとしても、笑えないぞ、人間」

 

 いくら俺が慈悲深い神であろうとも、父上を貶す発言は、許されない。

 地を這うような低い声で、アフロディーテの言葉を否定した。

 しかし、少年は僅かに目を見開いただけで、直ぐさまいつもの調子へと戻ってしまう。

 

「・・・ふむ、その様子だと、神々ノ戦い(ティタノマキア)も知らないのではないか?」

 

「ティタノ・・・何だよ、それは」

 

「・・・大神ゼウス率いるオリンポスの神々、そして、クロノス率いる巨神族ティターンとの戦い──それが、神々ノ戦い(ティタノマキア)だ。太陽神ヒュペリオンが属したティターン神族は、偉大なるオリンポスの神々に敗退し・・・不死身であるが故、奈落の深淵へと封じられることとなったのだ」

 

 仄かな微笑を添えて、少年は綴った。

 詩歌女神(ムウサ)たちの誉め歌のように、

 オリンポスの神々を讃えるかの如く。

 

「っ・・・父上のみならず、母様も? まさか・・そんな話、信じられるか!」

 

 馬鹿なことを口にするなと、アフロディーテを睨めつける。

 俺は、そんな戦いは、知らない。

 いくら永い時間、神域に閉じこもっていたといても、主神共の戦いともなれば嫌でも気がつく。

 

「信じられぬのなら・・・そうだな、書庫にでも行って関連文献を読んでくるといい。君の知りたい情報が山のようにあるだろうさ」

 

 そう締めくくり、アフロディーテは一人で歩いて行ってしまった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 少年の背中が見えなくなるまで、俺はただ、呆然と立ち尽くした。

 心臓の音が、酷く五月蝿い。

 強ばった唇から、掠れた声が流れ出る。

 

「・・・もしも、もしもアフロディーテの話が真実だとしたら──」

 

 ──父上達と、アポロンが、殺し合ったということになるのではないか? 

 

 天が、煤まみれの雲に覆われていく。

 輝かしい太陽が、闇に覆われていく。

 

「っ・・・馬鹿か! そんなわけないだろう!」

 

 俺は、愚かな考えを否定するように、虚空へと叫んだ。

 きっと、あの少年は俺をからかう目的で、存在もしない戦いをでっち上げたんだ。

 そうだ、それ以外に考えられない。 

 

「・・・・・・だけど、あの人間が、アフロディーテが・・・今まで、他者を騙すようなことを口にしたことがあったか・・・?」

 

 直ぐに怒るし、手は出るし、神を投擲の的のように扱う不敬極まりない輩。

 しかしあの少年が、悪意を以て俺を騙したことが、一度としてあっただろうか。

 

「・・・確かめなければならない」

 

 何が真実で、何が偽りなのかを。

 

 震える身体を叱咤して、俺は大地を強く蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四肢が、悲鳴を上げている。

 アフロディーテの鍛錬だけでも疲弊が凄まじいというのに、今日はアイオリアの雷からも逃げ回ることになったのだ。

 とうに体力は尽きかけてしまっている。

 

「──うわっ」

 

 足が絡まり、体が宙へと放り出された。

 疲労困憊の身体を無理やり動かしていたのだから、十分、予測が可能な結果だったとも言える。

 しかし、急いでいる最中だというのに、何も無いところで転倒しつつある自分が、今は惨めで仕方がなかった。

 

 自嘲的な気持ちを抱えて、俺は衝撃に備えるべく体を強ばらせた。

 

 ──トスンッ。

 

「・・・え」

 

 痛みは、なかった。

 その代わりに、眼前に広がる景色が、灰一色に染まった。

 

「酷い怪我だ・・・一体、何があったのだ」

 

 偉大なる父ヒュペリオンとよく似た、優しくも力強い男の声。

 

「・・・ちち、うえ?」

 

 状況を理解できないまま、引き寄せられるようにして顔を上げる。

 すると、そこには夜明け前の空のような、藍色の長髪を腰まで伸ばした、美麗な人間が存在していた。

 灰色の正体は男が身につける服の色だったらしい。

 ・・・あぁ、そうだよな。

 父上がこんなところにいるわけがない。

 

「・・・感謝する。迷惑をかけたな、人間」

 

「迷惑という程のことでもないだろう。・・・ふむ、それにしても、見ない顔だな。私は双子座のサガという。お前の名は?」

 

 黒に蒼を溶かし込んだ、憂いた瞳が俺を覗いている。

 

「・・・俺の名は、ヘリオスだ」

 

 アフロディーテに名乗ったときのように宣う気力もなく、小さく答えた。

 太陽も、時には陰るのだ。

 夜には没し、月に隠れる瞬間もある。

 だから、不躾な態度も仕方の無いものだと目を瞑ってくれ。

 そんな自分勝手な考えで、俺はサガとかいう男の横を通ろうとする。

 

「ヘリオス・・・あぁ、アイオロスが言っていた拾い子か。・・・待て、そんな体で何処へ行くつもりだ」

 

「・・・・・・」

 

 通ろうと、したのだが・・・肩を掴まれ、強制的に動きを止められることになった。

 無理やり進もうとしても、肩を掴む手はびくともしない。

 ・・・怪力め。

 仕方がないと息を吐き出して、俺は男へと身を向けた。

 

「・・・今すぐ書庫へ行かないといけないんだ、手を離してくれ」

 

「ほう、書庫か・・・どのような蔵書を探しているのだ?」

 

「・・・・・・神々ノ戦い(ティタノマキア)という戦が、実在したのかどうか。・・・実在するのなら、詳しく説明された書物を・・・」

 

神々ノ戦い(ティタノマキア)か・・・それならば──」

 

「っ──!」

 

 突然のことに、息が詰まる。

 なんと、瞬きをした瞬間に、サガの姿が虚空へと消えてしまったのだ。

 

「・・・空間移動か? 人の身でありながら、器用なことをする」

 

 思わず、感嘆の声が漏れ出た。

 そして、数秒の時を刻んで、一冊の本を持った男が目の前に出現する。

 

「──神々ノ戦いについて、詳しく記された書物だ。少々分厚く年代も古いが、言い回しは固すぎず、万人向けのものとなっている。戦の概要を知るのには十分だろう」

 

「っ・・・そ、うか」

 

 戦は、在ったのか。

 静かに、しかして激甚に、魂が揺さぶられる。

 

「む・・・? どうした、傷が痛むのか」

 

「・・・済まない、気にしないでくれ。・・・気遣いに感謝する、双子座のサガ」

 

「礼には及ばん。昔、カノ・・・知り合いが、関連文献の量が膨大で、目を通すのが面倒だ、と嘆いていたことがあってな。その際に内容が纏められている蔵書を選別しておいたのだ」

 

 悲しい色を瞳に讃えて、サガは穏やかに微笑んだ。

 

「・・・なるほど、随分と殊勝な人間なんだな、お前は」

 

 そう言って、ズシリと重い本を受け取る。

 詳しい事情は分からないが、過去にその知り合いと何かあったのだろう。

 少々気にはなるが、こういうときは、下手に詮索しない方がいい。

 

「ところでヘリオスよ、その身体の傷はどうしたのだ? 聖闘士候補生であるのならまだ話は分かるが・・・お前は保護された、ただの少年なのだろう」

 

「・・・俺は、ただの少年などではない。・・・それに、他者の傷の理由なんてものを聞いてどうするんだ。何の得にもならないだろう」

 

 血の繋がりもなく、友でもない。

 アフロディーテや、教皇さん達のときもそうだが、どうしてここにいる人間達は、見知らぬ俺を助けようとするのか。

 不可解だという意をのせて、言葉を返した。

 すると、サガは僅かに逡巡して、静かに口を開く。

 

「全く以て、嘆かわしいことなのだがな・・・聖域には、外から来た者を歓迎しない輩が、一定数存在しているのだ。故に、もしやと思い問うたのだ」

 

「・・・そういえば、そういう連中もいるとアフロディーテが言っていたか・・・いや、それでもお前が俺を気遣う理由にはならないはずだ」

 

「何を言う。聖闘士である以前に一人の人間として、目の前で傷を抱えながら、悲愴な表情で走る子供がいれば、声をかけるのは何もおかしなことではないだろう」

 

「・・・益がなくても、構わないと言うのか」

 

「うむ・・・困っている者がいれば、手を差し伸べる。助け、助けられ、繫がっていく。人間とはそういうものだ」

 

「・・・・・・」

 

 ・・・そうか。

 見返りも、神の祝福を得たいが為でも無く。

 ただ、困っているからと言う理由だけで手を伸ばす。

 

 だから、アフロディーテも、この男も、見知らぬ俺を助けてくれたのか。

 

 それはきっと、神のもたない、人の作り上げてきた強さなのだろう。

 そして、俺は、人の強さに救われ続けてきたんだ。

 淀んだ感情に支配されていた心に、一条の光が差し込んだかのような、温かい感覚。

 強ばった頬が緩み、気づけば俺は、小さくはにかんでいた。

 

「そういうことなら、心配は要らない。この傷の半分は、好奇心に負け人間に迷惑を掛けた代償のようなもの。サガが言うような者達とは無縁だ」

 

「・・・ふむ、そう言うのなら、これ以上詮索はしないが・・・ヘリオスよ、お前が思っている以上に、人の身体は脆いものだ。限界を迎える前に休息をとるようにしなければ、いざというときに必要な力を発揮できなくなる・・・気をつけるのだぞ」

 

「・・・あぁ」

 

 そういえば教皇さんにも、身体を大切にしろと忠言を貰っていたのだった。

 

「どうにも最近、物忘れが酷いな・・・重ね重ね感謝する。この礼はいつか必ずしよう」

 

「フッ、礼など・・・だが、そうだな。代わりと言ってはなんだが、もしも助けを必要とする者と出会うことがあったのなら・・・そのときは、今度はお前が、手を差し伸べてやってほしい」

 

「俺が・・・あぁ、分かった。太陽の名に懸けて誓おう」

 

 人が、俺を助けてくれたように。

 今度は、太陽と誓約の神ヘリオスが、人の子を助けると。

 

 

 その後、双子座のサガはついでとばかりに俺の傷を癒やしてくれた。

 最後まで、善性の塊のような人間だったといえる。

 アフロディーテに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。

 

 ──そして、パンドラの箱の如き蔵書を抱えて、俺は恩人である男と別れた。

 

 

 

 

 

 



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4話 太陽を照らす光

 

 

 

 

『・・・ウラノスは、己を鎌で傷つけた息子クロノスに、言った。

 

 ──お前は、父ウラノスから王位を奪ったが、それと同じように、お前自身もレイアから生まれる子によって、王位を追われる運命に決まっている。

 

 ──・・・俺は、そんな目に遭うものか。

 

 父ウラノスと母ガイアからの予言を聞いたクロノスは、決断した。

 子供が成長する前に、生まれる子を一人も残さず飲み込んでしまえ、と。

 

 クロノスは、レイアが生んだ三人の女の子と、二人の男の子を飲み込んだ。

 レイアは、末子だけはクロノスに飲まれてはなるものかと、ガイアに生まれたばかりの赤子を預け、石を産着に包み、「この子が、生まれた貴方の子です」と言い、渡した。

 クロノスは、その石を何も疑うことなく末子だと思い、飲み込んでしまった。

 

 クロノスの手を逃れた赤子、ゼウスはすくすくと育っていった。

 

 やがてゼウスは、父に飲み込まれた兄弟達をクロノスに吐き出させる。

 そして、クロノスを王とし、世界を支配していたティターン神族へと宣戦布告をした。

 

 こうして始まったのが『神々ノ戦い(ティタノマキア)』である。

 

 オリンポス山に布陣したゼウス達、と、オトリュス山に布陣したティターン達。

 両陣営の戦いは苛烈を極め、世界を崩壊させるほどの規模であった。

 しかし、不死の神々の戦いは互いに決め手を欠き、十年の間決着が着くことは無かった。

 

 ここで現れたのが原初の神の一柱、大地の女神ガイアである。

 

 ガイアから知恵を授かったゼウスは、冥府に閉じ込められた怪物達、ヘカトンケイルと、キュプノプスらを助け、味方にした。

 キュプノプス達は助けてくれた礼に、ゼウスには万物を破壊し燃やし尽くす雷霆を、ポセイドンには大海と大陸を支配する三叉の鉾を、ハデスには姿を見えなくすることのできる隠れ帽を与えた。

 

 心強い味方と、究極の武器を手にしたオリンポス勢は、優位に立った。

 

 ティターンはオリンポス勢の想像を絶する猛攻に耐え切れず、遂に、十年も続いた神々の大戦に終止符が打たれた。

 こうして、オリンポスの神々は華々しい勝利を飾った。

 その後、不死身であったティターン族は冥府の深淵へと封印され、オリンポスの支配が始まった。』

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 動けなかった。

 心というものに形があるのなら、きっと、自らのそれには亀裂が生じて、壊れる一歩手前にあるのだろう。

 そう表現できるまでに、打ち拉がれていた。

 

 部屋の端に(うずくま)り、ただぼんやりと虚空を見つめる。

 閉めきった小屋の中は、一条の光も存在しない、暗闇に支配されていた。

 

 

 あの日。

 双子座の男に書物を渡されてから、数日が流れた。

 

 受けとった本にはアフロディーテの言った戦の詳細が記されており、俺は、再び絶望の底に叩き落とされることとなった。

 聖域にいる様々な人間にも聞いて回ったが、彼等はティターン神族が冥府へと封じられた話を、誇らしげに口にするだけ。

 片端から書庫の本を読み、何度も天界に戻るべく小宇宙を練ったが、全てが無駄だった。

 

 

 ・・・人間達の書物に記された神話だ。

 もしかしたら、誤った形で伝承されている可能性だって十分ある。

 だけど、戦いが始まる以前の記述は、俺の知っている事実となんら変わりのないもので、

 神々ノ戦い(ティタノマキア)だけが捏造されたものであると、頭ごなしに否定することはできなかった。

 

 

 何が正しくて、何が、間違っているのか。

 その答えを出せるほどの情報は、自らの内にあらず。

 無力感に襲われた俺は、縋るようにして両腕で自らの膝を抱きしめた。

 

 現実から逃げるようにして、遠い過去へと意識を沈めていく。

 

「・・・ゼウスが生まれ、育ち・・・女神レトとの間に双子が生まれて・・・」

 

 今でも鮮明に思い出せる、あの瞬間。

 

「セレネに新しい太陽神と月女神が生まれたと聞かされた俺は、その尊顔を拝んでやろうとペガサスを走らせ──」

 

 金の光を放つ赤子、温かい太陽の男神──アポロン。

 銀の光を放つ赤子、清らかな月の女神──アルテミス。

 

 ──彼等に、出会った。

 

 一目見た瞬間、俺は、その鮮烈なる神聖に驚愕をし、誉れ在る神の誕生を祝った。

 

「・・・あの時間は、偽物なんかじゃない」

 

 囁くように呟き、拳を強く握りしめる。

 

 神としての在り方を説きながら、最後は、自分らしく在りなさいと言ってくれた、優しい母様。

 無邪気に駆け回る俺と妹達を、温かい光で照らし、見守ってくれた、偉大なる父上。

 妹達と、ペガサスの馬車を引いて、空を駆けた日々。

 そして、友の奏でる美しい竪琴の調べに、心を震わし、涙を流して────

 

 ──この瞬間が、永遠に続けばいいと願い笑った、幸福な日々。

 

 遙か彼方、遠い遠い昔に在った、理想郷。

 幾星霜と時が経ようとも、決して忘れることはないと断言できる、かけがえのない思い出。

 

 

 ──だから、俺は否定する。

 

「・・・俺は、人の子なんかじゃない・・・俺は、ヒュペリオンとテイアの子、太陽神の、ヘリオスなんだ・・・」

 

 鮮明に蘇る記憶が、偽りで有るわけがない。

 だから、アフロディーテの言う、自らが記憶の混濁した人の子だと言う可能性を、切り捨てる。

 だって、有り得ないから。

 思い出すだけで、魂に刻まれたかのように、涙が出そうになるくらいに、懐かしいと、心が叫ぶから。

 

「・・・だけど、」

 

 奥歯を強く噛みしめて、声を絞り出す。

 

「なぜ俺は、地上にいる・・・なぜ、俺の力は封じられている・・・!」

 

 天界にいたはずの俺が、地上にいる理由。

 神々ノ戦いなどという、俺の知らない戦が人間達に伝わっているという現実。

 なにもかもが荒唐無稽、なにもかもが滑稽で馬鹿馬鹿しくて・・・非道く、理不尽だ。 

 

 

 今すぐにでも。

 俺は天界に戻り、そして、真実を確かめなければならない。 

 ・・・しかし、その術が、方法が、思い浮かぶ限りでは殆どない。

 何度試しても破ることの出来ない封印を解き、力を取り戻すか、もしくは、地上に降臨した神に助けを求めるか──。

 

「・・・・・・」

 

 封印は解けない。

 神がどこにいるのかも、分からない。

 探したとて、知り合いでもない者が協力してくれるかどうか。

 

「・・・は、ははは・・・」

 

 肩を震わせながらせせら笑い、俺は嗚咽を漏らして泣いた。

 止めどなく溢れる熱い雫が、木の床を濡らしていく。

 

 ・・・まるで、悪夢だ。

 いや、もしかしたら、この現実は全て夢なのかもしれない。

 

 光の存在しない小さな部屋で、俺は、目が覚める瞬間を待ち、惨めに縮こまった。

 

 

 

 

 

 ・・・ざくり、ざくり。

 

「・・・?」

 

 ふいに、土を強く踏みしめるような、誰かの気配が小屋の外に生じた。

 耳を澄ませれば、金属の擦れ合うような音も響いてくる。

 そして、

 

 

 ベキィッッ!!! ──と。

 唐突に、小屋の扉が開け放たれ──否、蹴破られ、暗闇を閉じ込めた小さな世界は、月と星の光によって照らされることとなった。

 

「っな、なな・・・!? 扉が、木っ端微塵に・・・」

 

「ヘリオス」

 

「っ・・・アフロディーテ?」

 

 金色の光を放つ鎧を纏った、小屋の主である少年、アフロディーテが、そこに存在していた。

 唖然とする俺を前に、少年は顰面で口を開いた。

 

「いつまで、そうしているつもりだ」

 

 苛立ちを隠す素振りも見せず、その者は俺を睨み付ける。

 

「君がそうなったのは、神々ノ戦い(ティタノマキア)について、話をしたときからだったな」

 

「・・・・・・」

 

「・・・いい加減、訳を話せ。・・・同居人が暗い空気を纏っていると、私の心まで凪いでしまう」

 

「っ・・・そんなもの──」

 

 ──話したところで、お前は信じてはくれないだろう。

 と、そう言葉を発しようとして、止めた。

 なんとなく、ここでアフロディーテに当たるような言葉を口にするのは、間違ったことであるような気がしたから。

 言葉を飲み込んだ俺は、話題を変えることにした。

 

「・・・その鎧・・・確か、魚座の聖衣とかいうものだったか。なるほど、つまり・・・他の候補生に勝って、とうとう夢の聖闘士になれたってわけだ」

 

 慈愛にも似た微笑みを浮かべて、褒め称える。

 

「おめでとう、アフロディーテ。・・・確か、黄金聖闘士になった者は、守るべき宮に住むことになるんだろう? ・・・良かったじゃないか、もうお前は、俺の世話を焼く必要はなくなり、平和の為に戦う日々を生きることとなる」

 

「・・・・・・」

 

「世話になったな、人間。お前は不敬で、平和を愛する癖に俺には優しくは無い者だったが・・お前のお陰で、俺は今日まで地上で生きることが出来た。知らないことを多く学べたし、興味深いものも沢山見させて貰った。・・・なかなか、悪くない時間だった」

 

 気づけば、目の前まで歩みを進めていた少年へ、俺は言葉を紡ぎ続けた。

 黄金の鎧は、月光りを反射して、眩い輝きを放っている。

 夜の闇に浮かぶその姿は、まるで、空に瞬く星のようだった。

 一頻り話し終え口を閉じると、アフロディーテが、静かに口を開いた。

 

 

「・・・相変わらず、君の発言は癇に障るな」

 

 いつもの調子で、少年は毒を吐く。

 

「なぁ、ヘリオス。君はこの世の常識を全く知らぬうえに、その言動の九割は私の気分を逆撫でるという、素晴らしい才能を持っている。・・・まるで、自由気ままに我が道を歩む、端から見れば困った子供そのものだ」

 

「おい・・・褒めてないだろ、それ」

 

「・・・だが、傲岸不遜に振る舞っているように見えて、実際のところ、君は相当私に気を遣っているな?」

 

「・・・・・・気のせいだ」

 

「嫌だ嫌だと文句を口にしても、結局は私の鍛錬に付き合うし、慣れない家事も必死に覚えようと努力している。・・・数日前、書庫の近くで傷だらけの君に会ったと、双子座のサガから聞いた」

 

「・・・」

 

「傷の理由を、君は心配は不要だと流したらしいな? ・・・なぜ、私やアイオロスの名を上げなかったのだ。私が君の立場なら、迷わず下手人の名を出すぞ」

 

 問い詰めるように、少年は捲し立てた。

 

 瞼を閉じ、再び持ち上げて、躊躇するように口を噤む。

 長い間黙り込んでから、俺は声を漏らした。

 

「・・・・・・言えるわけが、ないだろう。力を封じられていても、俺は太陽神なんだ。・・・不敬を極めた人の子だとしても、自らの夢を追う為に忙しい日々を生きる・・・命令だとしても、自らの世話を焼いてくれる者の名を、悪く言い広められるわけがない」

 

「・・・君が、私に気を遣うのも・・・誰にも助けを求めないのも、神であるからという理由で片付けるつもりか」

 

「そうだ・・・それ以外に、何があると言うんだ」

 

「・・・愚かな」

 

 すぅ、と目を細めて、少年は小さく唇を動かした。

 

「例え、君が神であろうとも、唯の人であろうとも・・・青銅並みの実力を持つだけの、十にも満たない幼子ではないか。子供が、他人に気を遣うんじゃない」

 

「・・・お前だって、見たまんまの年齢は同じくらいだろう」

 

「それがどうしたというのだ。相手が子供ならば助けを求めてはいけないのか? 相手が人間であるのなら、神という者は要らぬ誇りを保たねばならないのか? ・・・違うだろう。・・・いいか、ヘリオス、この私が、特別に一つだけ助言してやる。──譲れぬ望みがあるのなら、小さな可能性にでも縋りつけ」

 

 強い意志の籠もった瞳で、少年は俺に言う。

 

「君が何を抱え、懊悩しているのかは知らないがな・・・誰にも助けを求めようとしないくせに、諦めたかのような目をして自らの殻に閉じこもるのは、愚か者がすることだろう」

 

「・・・なんだと?」

 

「愚かでなくて、なんと評する。・・・真実なのか、妄想なのかは分からずとも・・・焦燥してしまうほどには、安否を確認したい者達がいるのだろう? ・・・だというのに、何故君は他人に助けを求めるという、小さなプライドさえもを捨て去ることができないのだ」

 

「っ・・・」

 

「可能性は潰えたと諦めた瞬間に、大切なものはこの手を零れていってしまう・・・故に、譲れぬものがあるのなら、自らの心に従い、守るのだ。・・・道を見失うな、自称太陽神ヘリオス」

 

「・・・・・・」

 

 少年の言葉に、胸を締め付けるような感覚が、俺を襲った。

 

 俺の、為すべきこと。

 譲れないもののために、取らなければならない手段とは。

 

 ふいに、数日前の双子座の男の声が、脳裏を過ぎる。

 ──助け、助けられ、繫がっていく。人間とはそういうものだ。

 

 ・・・俺は神で・・・俺は、人間ではないけれど。

 それでも、神が、人のようにして、助けを請い求めることが、許されるというのなら。

 

「・・・・・・けて、くれ」

 

 溜め込んだものを、吐き出すように、俺は、震える唇を動かした。

 

 

「・・・っ助けて、くれ・・・アフロディーテ。・・・どうか、力を貸して欲しい・・・俺は、俺は・・・真実を、知りたいんだ・・・!」

 

 祈るように、縋りつくように、俺は救いを求めた。

 

 絞り出された慟哭を、黄金の聖闘士は、ただ、静かに聞いていた。

 

 やがて。

 やがて。

 しばらくの時が流れて。

 

 魚座の黄金聖闘士となった少年は、小さな笑みを唇にのせて。

 

「──君に、良い話がある」

 

 と、澄んだ声で、空気を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──元来、宮を守護する黄金聖闘士にはな、宮の管理や任務の手伝いをさせる、いわゆる従者を持つ権利がある。

 

 ──しかし私の守護することとなる双魚宮には、少々、困った問題があってな。

 

 ──宮内には、侵入者の命を絶つ毒の薔薇──魔宮薔薇が、咲き乱れているのだ。・・・耐毒体質の持たぬ者や、小宇宙で毒を解毒できぬ者は、薔薇の香気に触れただけで、死に至る。

 

「・・・だから、薔薇の毒が全く効かない君に、宮の管理を頼みたい・・・・・・か」

 

 噎せ返るほどの薔薇の香気に目をぐるぐると回しながら、俺はげっそりと呟いた。

 目の前には、積み上がった紙の束が山の如く。

 死んだ魚のような目で、書類を捌きながら、あの日の会話を思い出す。

 

『確か君は、女神アテナに謁見をしたいとか何とかと宣っていたな・・・いつ降臨為されるかは未だ分からぬが・・・少なくとも、ただの少年である君が、女神のお目にかかることはできないだろう』

 

 驚愕の事実を口にした少年は、だが、と言葉を続けた。

 

『黄金聖闘士の従者・・・それも、十二宮で最も女神の居所に近い場所にある双魚宮にいれば、運良く拝謁が叶う・・・・・・かもしれない。どうだ、私は宮の管理者を得られて、君も、女神のお目通りが出来るかもしれない・・・お互いに益のある話だとは思わないか?』

 

 なるほどたしかに、人の言うウィンウィンというやつだ。

 そう思った俺はアフロディーテの提案を快諾し、小屋からこの双魚宮へとやって来たのだった。

 ・・・だが。

 

「・・・この、報告書の山・・・これが本当に、管理の仕事の内に入るものなのか・・・?」

 

 ・・・控えめに言っても、量がおかしい。

 断じて一人で行う作業量ではない。

 

「あの悪魔・・・まさか、俺を騙したんじゃないだろうな・・・!」

 

「悪魔とは、よもや、私のことを言っているのではないだろうな、ヘリオスよ」

 

「げっ・・・あ、アフロディーテ」

 

 ギギギ、と首を後ろに回すと、優雅に椅子に腰掛けて、紅茶を啜る邪神が降臨していた。

 

「・・・ふむ、何か、文句を言いたそうな顔をしているな? ・・・まぁ、それも仕方の無いことだ」

 

「・・・なに?」

 

「知っての通り、今、聖域には黄金聖闘士は魚座である私と、双子座、射手座、山羊座、蟹座の五人しか存在していない。故に、穴の開いた分の黄金に割り振られる仕事が、自然と流れてくることとなるのだ」

 

「は・・・? ・・・十二カ所で分けるべきものを、五カ所で・・・?」

 

「つまり、従者の仕事も単純に倍となり・・・更に、他の宮は複数人の従者がいるらしいが、君の場合は一人。故に、その書類の山は致し方のないものというわけだな。諦めて受け入れたまえ」

 

「・・・俺に諦めるなとかなんとか言ってた人間が・・・諦めろ、とはな・・・!」

 

 血涙を流しながらペンを走らせる。

 一歩前に進んだかと思えば、とんでもない泥沼の地獄がそこには待っていた。

 そんな、悲しい心境である。

 

 

 

 

 泣きながら仕事をするヘリオスの背を眺めながら、アフロディーテは満足そうに独り言を漏らした。

 

「本来ならば、私がやる仕事なのだがな・・・そのことには気づいてないらしい」

 

 そもそも、従者とはあくまで黄金聖闘士のサポートをする存在。

 しかも別に、宫に在住しなければならないという規律もなかったりする。

 重要でない書類は持ち帰ることができる訳で、ヘリオスが一人で、書類と戦う必要はないのだが。

 

「まぁ、他の者を探すのも面倒だ」

 

 全て、ヘリオスにやらせてしまおう。

 そう結論を出して、アフロディーテは空になったカップに、紅茶を注いだのであった。

 

 

 

 

 

 





聖闘士星矢エピソードゼロとオリジンって単行本になりますかね・・・なるといいなあ。


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5話 緊急事態


※独自解釈色強めです。




 

 

 

 

「なぁ、蟹マスク」

 

「蟹じゃねぇ・・・デスマスクだって何回言えば分かるんだ阿呆ヘリオス」

 

「あぁ、悪い。アフロディーテがいつもお前のことを蟹、蟹、と言っているせいで不本意だけど移ってしまうんだ・・・」

 

「・・・で? 今日は何の用なんだよ。お前の所の主は任務で留守なんだろ」

 

「俺は別にアフロディーテの従者では・・・うん、実は少々困ったことになってしまってな。気の良いお前なら相談にのってくれるんじゃないかと思って来たんだ」

 

「困ったことだぁ? 仕事の手伝いとかならお断りだぜ」

 

 一面が死人の顔面のようなもので覆われた空間で、男は怠そうに言葉を返した。

 名をデスマスク。

 巨蟹宫を守護する、蟹座の黄金聖闘士である。

 人相は悪人のそれだが、なんやかんや言って話を聞いてくれる、良い奴だと認識している。

 

 俺は神妙な顔をして頷き、力強く言葉を発した。

 

 

「──財布が、消えてしまったんだ」

 

 

「・・・あ?」

 

「一週間分の食費が入った財布が、忽然と・・・何処かへと消滅してしまったんだ。これは由々しき事態だ・・・不死であろうとも飢えないわけじゃない・・・このままでは俺は地獄のような日々を享受することに──」

 

「ただ落としただけじゃねぇかッ!! もう帰れよ! お前がいると周囲の魂が浄化されそうになる怪現象が起きるんだよッ!!」

 

「いーやーだー!! もう朝から何も食べてなくてひもじいんだよ!! 梃子でも動いてやるもんか!!」

 

 背中を掴まれ強制的に宮の外へと引きずり出されそうになるが、抗議の意を込めて小宇宙をデタラメにばらまいていく。

 

「──な、壁の霊魂が成仏して消え・・・!? ま、まさか・・・魂葬破か!?」

 

「放せー!!」

 

「あ゛ぁぁ!! 分かった! 分かったから小宇宙を放出するのをやめろ!!」

 

「ぐぇっ」

 

 唐突に手を離された俺は、床に吸い込まれるようにして倒れ込んだ。

 ついでに、強かに顔面を打ち付けた。

 

「ったくよ~財布を落としたぐらいで一々大袈裟なんだよお前は」

 

「大袈裟なものか、一大事だぞ!」

 

「こんな下らない一大事があるかよ。大体なぁ・・・飯が買えないなら、自分で獲ってくればいいんだよ」

 

 ちょっと待ってろ、と言葉を残して、デスマスクは宮の奥の部屋へと消えていった。

 なんだなんだと疑問に思い、大人しく待つこと数分。

 強面かつ悪人面の男が、何やら長細い棒を手に持ち、姿を現した。

 

「それは・・・?」

 

「・・・まさかお前、釣り竿も知らねぇのか」

 

「釣り竿・・・あれか! 魚を捕まえる道具だと前に学んだぞ!」

 

「つうことは釣りの経験はなしか・・・しゃあねぇなあ」

 

 ここの針に餌をつけて・・・と道具の使用方法を聞くこと更に数分。

 

「なるほど・・・やること自体はそこまで複雑ではないんだな」

 

「まぁな。・・・だが忘れるなよ、釣りを舐めると痛い目を見るぜ」

 

 低い声で、デスマスクは何やら忠告をしてきた。

 真剣な(似合わない)表情に、考えすぎだと俺は笑った。

 

「ははは、なんだその真面目面は。・・・よし、行くぞデスマスク。目指すは一週間分の魚の確保だ」

 

「腐るわ阿呆。双魚宮を薔薇と腐った魚の匂いの地獄にしたいなら話は別だがな」

 

「・・・そ、それは・・・侵入者対策としては良さそうだが、俺の鼻が先に死ぬな・・・止めておこう」

 

「おーやめとけやめとけ。あと俺は着いてかねぇぞ・・・教皇に報告することができた」

 

 そう口にして、デスマスクは上へと続く階段を上って行ってしまった。

 

「・・・・・・まぁ、なんとかなるだろ」

 

 取り残された俺は、受け取った釣り竿を抱えて、小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい波の音が辺りに木霊する。

 

 せっかくだ、普段来ることのない場所まで足を運んでしまおう。

 そう考えた俺は、スニオン岬の見える、聖域端の海辺へとやって来た。

 

「・・・あの神殿跡地に、ポセイドンが居てくれたらなぁ」

 

 スニオン岬の上にある遺跡を眺めながら、溜息を吐き出す。

 今はもう無きアトランティスだけではなく、このスニオン岬や海底にも神殿を持っていた一級神、海皇ポセイドン。

 得に交流のない、互いに顔は知っている程度の関係ではあったが・・・あの神ならば、会うことさえできれば、話くらいは聞いてくれるだろう。

 

「・・・まぁ、詮無いことだ」

 

 まず、会うことができないのだから。

 肩を落としながら、俺は岩場にどかりと腰掛ける。

 

 

 ──宮の管理、もとい拷問を耐え続ける日々を送り、一ヶ月程の時が過ぎた。

 

 最初は選択を誤ったのではないかと悩みもしたが、案外、報告書を纏めるという作業は、情報収集に役立ってくれている。

 

 悪霊、妖精、怪物、暗黒聖闘士の反乱など、世界中で起っている異変について記された報告書の束。

 その内の数枚、射手座のアイオロスが担当したエジプトでの依頼の記録に、目を見張るべき記述があったのだ。

 そう・・・何者かの霊血を受けて復活した──()()()()アポフィスとかいう悪神の名前が。

 

 聖闘士たちは、神々とも戦うことがあると話には聞いていたのだが、こんなにも早く地上に降臨した神の存在を確認することができるとは。

 もしかしたら、女神アテナが地上に降臨するよりも早く、他の神に出会えるかもしれない。

 そんな小さな希望が、俺の中に芽生えつつあった。 

 

 ・・・因みに、件のアポフィスは、アイオロスが討伐してしまったらしい。

 まぁギリシャの神ではないので、俺の戻るべき天界の場所など知らんだろうし、そもそも太陽の邪魔をする元太陽神など、目を合わせた瞬間に命を狙われそうなので協力など得られるはずもない。

 寧ろアイオロスの健闘を讃えたいくらいだ。

 

「・・・よし、あとは糸を垂らして・・・ええっと確か、この竿を振りかぶるんだったか」

 

 考え事を一端止め、デスマスクに教えられた手順を思い出しながら手を動かす。

 一頻りの動作確認を終えた俺は、糸を垂らすために、手に握った釣り竿を振りかぶった。

 

「おっと」

 

 釣り糸があらぬ方向へと飛んでいってしまった。

 

「──っ!?」

 

「・・・ん? ・・・気のせいか」

 

 一瞬人の気配を感じたが、周囲には誰も居ない。

 風の音と間違えたのだろう。 

 後方の木の枝に引っかかった糸を解いて、再び岩へと腰を下ろす。

 

「ううん、上手くいかないな」

 

 ビュンビュンと勢いをつけて竿を振り回すが、糸は制御の効かない鞭のようにして周囲を飛び回る。

 

「もう少し力を抜いてみるか・・・──っと」

 

「──ッ!!」

 

 ツルリ、と竿がすっぽ抜けた。

 デスマスクの言ったように、釣りとは随分と一筋縄ではいかないものであるようだ。

 まさか、糸を垂らす時点で苦戦するとは思わなんだ。

 

「はー・・・仕方がない」

 

 後方にすっ飛んでいった竿を回収しなければ。

 すくりと立ち上がり、振り返る。

 すると、先程糸が絡まった木の下に、震える手で竿を握りしめる人間が立っていることに気が付く。

 

「・・・お前っ! 俺を狙ってわざとやっているのではないだろうな!」

 

 竿を拾ってくれたのか、と声をかけようとして、なぜだか怒鳴られてしまう。

 嫌なことでもあったのだろうか・・・と心配しつつ、その者の顔へと視線を動かした瞬間に、俺は、ピタリと硬直した。

 

「・・・お前は・・・サガ、か・・・?」

 

 双子座のサガ。

 筋肉に親切心と善性を混ぜ合わせた、優秀らしい黄金聖闘士の男。

 その者が、目の前に存在していた。

 ・・・しかし、確かサガは、任務で宮を留守にしていたはず。

 

「秒で任務を終えて帰還したのか? ・・・いや・・・なんかこう、威厳がない・・・お前、サガではないな?」

 

「・・・初対面の相手に対して、随分なことを言ってくれるな、小僧・・・いや、そもそもお前、サガを知っているのか?」

 

「あぁ、双子座の黄金聖闘士のことだろう、偶にだが、世話になっている」

 

「・・・なるほどな」

 

 口端を僅かに引き上げて、男は意味深に頷いた。

 

「俺の名はカノン・・・サガの双子の弟、双子座のカノンよ」

 

「おぉ、双子だったのか・・・アポロンとアルテミスは全く似ても似つかない造形だが・・・お前達は顔だけはそっくりなんだな」

 

 よくよく目をこらせば、カノンと名乗った者の髪は、サガとは異なり、少々緑がかかっているようにも見える。

 一応、見分けることはできそうだ。

 しかし入れ替わることがあれば、咄嗟には判別がつかないだろう。

 そう断言できるくらいに、この男とサガの容姿は似通っていた。

 

「フッ・・・顔だけはそっくり、か・・・まさにその通りだ・・・俺はあの偽善者とは違い──真性の悪なのだからなあッ!!」

 

 唐突に、男は邪悪な笑みを浮かべながら、小宇宙を高め始めた。

 ・・・ん? 

 

「サガごと、俺の存在をお前の記憶から消してくれる──食らえ! 幻朧拳ッ!!」

 

 カノンは高らかに声を上げて──

 ──指先から、小宇宙の閃光を放った。

 

「えっ──」

 

 喉から、間抜けな音が漏れ出る。

 状況を把握する暇も与えずに、光は俺の額へと直進し──、

 

 

 ──跳ね返った。

 

「っな、なに──ぐわあああッッ!?」

 

 バシャンッ!! 

 男は、悲鳴を上げながら海へと落ちていった。

 

「・・・・・・は? なんだ、身体を張った芸か・・・?」

 

 自らの放った小宇宙で、自らを海にぶち込むという奇行を前に、呆然と呟いた。

 

 ・・・今の光、俺に接触するタイミングで威力が増してたように見えたぞ。

 指くらいの光の線が、神殿の柱くらいの極太光線になって・・・。

 まさか、一度指から放った小宇宙の閃光を、遠隔で強化したのか? 

 

 困惑しながら、俺は海面を覗いた。

 

 ・・・・・・。

 ・・・。

 

「・・・お、おい! いつまで潜ってるつもりだ!」

 

 悪ふざけにしても長すぎる。

 焦った俺は、僅かに躊躇してから、海へと飛び込んだ。

 

「──ガ、ガボガボガ!? (き、気絶してる!?)」

 

 数メートルほどの海底で、意識を失っている男を発見してしまった。

 当たり所が悪かったのだろうか。

 しかし・・・不味いな。

 負傷者を出したとなれば、アフロディーテに半殺しにされることまず間違いなし。

 そう思った俺は、急いで男を岩場へと運んだ。

 

「た、頼む・・・起きてくれ」

 

 俺の未来の安寧のためにも、こんなところで倒れることは許さない。

 俺は、冷や汗を流しながら小宇宙を送り、男の蘇生を促した。

 

「・・・ぐ、こ、この・・・ただの小僧かと思えば・・・貴様、何者だ・・・!」

 

「よかった起きたか・・・! そういえば名乗っていなかったな、俺の名はへリオスだ。・・・で、カノン。お前は何がしたかったんだ?」

 

「・・・なに?」

 

「いきなり指から小宇宙を放ったかと思えば、俺に当たったタイミングで自分に技を戻すとか・・・流石に驚いたぞ」

 

「馬鹿な、お前が幻朧拳を跳ね返したのだろう・・・!」

 

「ゲンロウケン・・・? 技芸名か?」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 なんとなく、話が噛み合っていないように感じる。

 小さく息をついて、俺は投げ出された釣り竿を回収することにした。

 

「・・・なぁ、その・・・カノン?」

 

 竿を拾い、俺は、やんわりと男に話しかける。

 

「事情は知らないが・・・身投げは、良くないと思うぞ」

 

「・・・は?」

 

「・・・確かに、お前の命はお前のもので、その使い方は神でも他人でもなく、お前が自らの意思で決めることだ。・・・だが、それは、きちんと考えを纏めてから出す結論であって・・・少なくとも今のお前が選ぶべき道ではないだろう」

 

 言いながら、岩場に腰を下ろして、釣りを再開する。

 竿を振りかぶるが、相変わらず糸のリリースは上手くいってくれない。 

 手先は器用な方だと自負していたのだが、今日は調子が悪いらしい。

 

「・・・俺の命が、俺のものだと?」

 

 少しの間を置いて、背後から、低く問いかける声が届いた。

 利己的な雰囲気を感じさせる人間にしては、少々違和感のある発言だ。

 小さく頷いて、俺は言葉を発する。

 

「そうだろう。他の何者でもない、お前自身の尊い命だ」

 

「・・・・・・」

 

「確かに、『人間の命や未来は、神の手によって定められるもの』・・・と主張している者が多いのが現状だ。だけどな、多少の敬意を払いさえすれば、お前達は神の都合から切り離されたところで、自由に生きてもいいんじゃないかと、俺は思う」

 

 ただでさえ、人の一生は神と比べると酷く短い。

 だから、世の秩序を乱したりしない限りは、神々は人間にも自由に生きる権利を認めるべきなんだ。

 ・・・まぁ、俺自身が一級神の都合に振り回された経験があるから、そう思うのかもしれないが。

 

「・・・フン、まるで神のような物言いをする・・・お前は、何も知らないからそのような口を叩けるのだ」

 

 呻くような声で、カノンは言った。

 

「なんだ、何か悩みでもあるのか? このヘリオスが聞いてやるぞ」

 

「・・・なぜ、お前のような生意気なガキに話さなければならない」

 

「意味深な言葉を漏らすから聞かれるんだぞ? それにな、悩みというものは口にしてみると、自らの中で整理がついて解決へと導かれることもある。吐き出してみたらどうだ?」

 

「・・・・・・」

 

 ポチャン。

 ・・・あぁやらかした。

 勢い余って釣り竿を海に放り投げてしまった。

 一応借り物だ・・・紛失する前に回収しなければ。

 小さく息をついて、立ち上がるため、腰に力を入れる。

 

「・・・俺は、双子座の聖闘士となる運命(さだめ)を受けて、この聖域に生を受けた」

 

 海に飛び込もうと、大きく空気を吸ったタイミングで、そんな声が響いた。

 振り返ると、緑の瞳に陰を落とす人間が目に入る。

 俯きながら、カノンは掠れた音で言葉を紡ぎ始めた。

 

「地上の平和を守るため・・・俺はサガと共に鍛錬を重ね、数え切れないほど多くの本を読み、他国の言葉を学び、血反吐を吐きながら小宇宙を燃やした。・・・ときには、命を落としかける瞬間すらもあった。それでも、震える本能を理性で押さえ込み、俺は必死に拳を振るい続けた・・・全ては、誉れ在る女神(アテナ)の聖闘士となるために・・・!」

 

 拳を痛いほどに握り、奥歯を強く噛み締めて、男は嘆く。

 

「試練を乗り越えた俺は、そこらの聖闘士共よりも遙かに高い実力を手に入れた・・・! ・・・だというのに・・・今は、ただの、兄の後釜でしかない」

 

「・・・サガの、後釜?」

 

 意味を上手く読み取れず、鸚鵡返しに問いかける。

 すると、カノンは自嘲的な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「あぁ、そうだ。・・・双子座の聖衣は一つだけ。故に、真の双子座の聖闘士となれる者も一人だけ。サガよりも僅かに劣る俺は、ただの兄の予備として、身を隠して生きればならないのだ」

 

「後釜、予備・・・? ・・・待て、どうして身を隠す必要があるんだ? 堂々と、サガの弟として過ごせば良いだろう」

 

「敵を欺くのならば、まずは味方から、と言うだろう。俺の存在を知っているのは聖域でもサガと教皇だけ。サガに何かがあったときは、俺が真の双子座の聖闘士となり、聖衣を纏うことになるが・・・あの神の化身とまで言われる兄に何かなど、あるはずもない」

 

「・・・・・・」

 

「・・・フッ、俺の命は俺のもの、だったか? 馬鹿馬鹿しい。・・・所詮、俺の一生は平和の礎・・・兄の代わりの、代替えでしかないのだ」

 

 言うだけ言って、カノンは歪んだ口を静かに閉じた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 なぜ、どうして。

 そんな言葉が喉まで上がるが、声には出せず消えていく。

 

 ・・・俺は、太陽神として生を受け、ペガサスを御すべく努力をし、やがて、太陽の名に恥じない神となれた。

 だが、この人間はどうだろう。

 双子座の聖闘士になるために研鑽を重ね、相応の力を手に入れた。

 それなのに。

 カノンは、真の双子座の聖闘士にはなれず、サガの代わりとなる瞬間まで、身を隠しながら生きなければならない。

 

 ──そんなの・・・余りにも不条理だろう。

 

 唇を噛み締め、何か、目の前の人間に届けられる言葉はないかと、記憶を探る。

 そして。

 

 

『ヘリオス? ・・・あぁ、ペガサスの力を借りなければ、太陽神としての役割を果たせない、三流神のことか』

 

『ヒュペリオンとアポロンがいる以上、あれは代わりでしかない。・・・人間達の中には、別の神と同じ存在であると認識している者もいる。力の弱い神は、消え行く定めなのだ』

 

『よく働いてくれたな、ヘリオスよ。世界に蔓延る戦の汚れは既に消え、最早、お前の浄化の光はこの世には不要となった。これからは、我が息子アポロンに、太陽としての役割を譲るがいい』

 

 ふと、淀んだ水底から浮かび上がる毒の泡のように、苦い記憶が蘇る。

 俺の大切なものを。

 誇りを、尊厳を傷つける言葉の数々。

 

「・・・ちがう・・・」

 

 震える声が、口から零れた。

 

「・・・は? なにがちがうと──」

 

「──お前は、カノンは! 誰かの代わりなんかじゃない!!」

 

 怒気を孕み、悔しさを混ぜ込んで。

 燃え上がるほどの熱量を込めて、俺は叫んだ。

 

「カノン! 教皇さんのところに行くぞ!! あの者ならば、お前の嘆きに耳を傾けてくれるはずだッ!!」

 

「──は? お、おい、放せ! 誰もそんなことは頼んでいない!!」

 

 俺の手を払いのける男に向かい、悲鳴にも似た声で言葉をぶつける。

 

「お前は、悔しくはないのかよ! 理不尽だって怒りの声を上げないで・・・どうして、諦めたような顔ができるんだ!!」

 

「っ・・・分かったような口を聞くなッ!! 悔しいに決まっている・・・自分は何の為に生まれたのかと、自問自答を繰り返し・・・自らの運命と、神を恨むことしかできない己の不甲斐なさを呪う日々・・・お前に、俺の苦しみの何が理解できる・・・!」

 

 

 憎悪に濡れた目で、男は言った。

 

 確かに、俺は、カノンの気持を本当の意味で理解することはできない。

 分かったような気になって、理不尽な境遇が非道いものだと評価することしかできない。

 ・・・だけど。

 誰かの代わりと言われながら生きなければならない悔しさは、痛いほどに分かる。

 自分の存在意義を否定する現実に、憤る感情くらいは持ち合わせている。

 

「お前の言うとおり・・・出会って一刻も経たない俺では、お前の気持が理解できるなんて言葉は、口が裂けても言えないだろう」

 

「・・・ならば──」

 

「──だけど、お前には、共に道を辿った兄がいる。カノン・・・お前は一度、面と向ってサガと言葉を交わすべきだ」

 

「・・・・・・俺に、双子座としての自覚を持てなどと口にする男に、俺の苦しみを理解できるものか」

 

「いいや、お前の声は届く。サガは言っていたぞ。『困っている者がいれば手を差し伸べる、それが人間というものなのだ』と。他ならない弟が悩みを抱えているのに、あの人間が、お前の嘆きを無視するとは到底思えない」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 沈黙し、カノンは、険しい表情で俺を睨めつけた。

 鋭い眼光に、反射的に身を引きたくなる。

 だが、ここで引いてなるものか。

 負けじと男に視線を合わせて、言葉を発する。

 

「・・・・・・なぁ、人間。人も神も、誰であろうとも、誰かの代わりにはなれない。なれるわけがない。お前は、お前で、サガの代わりでも代替えでもない。世界にたった一人しか居ない、双子座のカノンなんだ」

 

 そのことを理解しているからこそ、お前は憤るんだろう。

 それなのに、なぜ、自らのことをサガの代わりだと口にするのか。

 どうして、自分で自分を否定するような言葉を言ってしまうのか。

 

「胸に(わだかま)る痛みがあるのなら、耐えなくて良い。例え正しいことの為だとしても、お前を犠牲にするやり方は、間違い以外の何ものでもない。その苦しみは、声を上げて訴えるべきものだ」

 

 大体、悪いことをした罰というわけでもないのに、自らの存在を秘して生きなければならないなんて、余りにも辛すぎる。

 サガと、教皇さん以外の人間とは一切話すこともできず、こんな狭い聖域の端にしか居場所がない。

 下手な拷問よりも、心を歪めかねない境遇だ。

 

「・・・・・・」

 

 カノンは、唇を引き結びながら、俺から目を逸らした。

 岩を打つ波の音だけが虚空に木霊して、酷く虚しい。

 懊悩に沈み、逡巡を繰り返して。

 少しの時を刻んだ男は、囁くように、口を開いた。

 

「・・・余計なお世話だ。俺の問題は、俺が、自らの力で解決する」

 

「・・・カノン」

 

「ふん・・・だが、兄以外の者と話をするのは、随分と久しぶりのことだったな。せっかくだ、お前の言った言葉の半分くらいは、覚えておいてやる」

 

 尊大に言いながら、すっ、とカノンは右手を海へと向けた。

 そして、何かを掴むように手を握り、勢いよく腕を引いた。

 

「・・・あっ、あれは・・・デスマスクの釣り竿・・・!」

 

 海へと落としてしまった、借り物の釣り竿が、宙に浮かんでいた。

 

「おい・・・デスマスクとはまさか、趣味の悪い巨蟹宮の男のことを言っているのではないだろうな」

 

「そうそうそのデスマスクだよ! というかカノンお前、神通力が使えるんだな!」

 

 そういえばサガも空間移動をして、本をとってきてくれたのだった。

 全く・・・この双子は涼しい顔で、人には難しいことを、平然とやってのけてくれる。

 相当努力を重ねたのか、はたまた生まれつき才能には恵まれていたのか。

 先程までの暗い空気はどこへやら、頬を緩ませながら、俺は言葉を発していた。

 

「凄いな、カノン・・・! 遠隔で小宇宙を操れて、神通力の制御も安定している。人の身では、そう簡単にできることではない・・・流石、言うだけはあるな・・・!」

 

「フッ・・・ただのサイコキネシスだ。そう囃したてるような事でもない」

 

 満更でもないという表情で、カノンは宙に浮かぶ竿を掴んだ。

 

「特別だ。呪われているのかと思うほどに不器用なお前のために、釣りの手本を見せてやろう」

 

 ヒュンッ、と手のスナップを効かせてカノンは竿を操り、一発で餌を海面に落として見せた。

 途端、釣り糸が下へと引かれ、竿が小さく弧を描く。

 

「まずは一匹」

 

 片手で持ち上げられた竿の先で、元気よく暴れ回る鱗が姿を現した。

 

「・・・っな、一分も経たずに魚が釣れた・・・!? ど、どういうことだカノン!」

 

 デスマスクの言っていた話と違う。

 餌を落とした後は、魚が食いついてくれるまで気ままに待つのではなかったのか。

 ひょいひょいと数匹目の魚を引き上げながら、カノンは言う。

 

「なに、ちょっとした工夫というやつだ」

 

「工夫?」

 

「そうだ、ただ糸を垂らしていても時間の無駄だからな。竿越しに小宇宙を海へと送り、海流を操ることで魚の行き場を餌の下に集めているのだ」

 

「・・・・・・」

 

 ・・・なんというか。

 凄く、せこい。

 作業めいた動きで魚を捕まえていく人間に、ジトリと視線を送る。

 

「なんだ、その目は? そら、口止め料だ、受け取れ」

 

 言いながら、魚の入った籠をぞんざいに手渡された。

 

「おっと・・・ひい、ふう・・・十匹も・・・ん? 口止め料?」

 

「言っただろう、本来ならば俺は、存在を秘さねばならない者なのだと。・・・記憶を消そうにも、再び幻朧拳を跳ね返され、今度は俺の記憶が改ざんされては目も当てられんからな・・・魚座の従者ともなれば、殺すこともできん、代替策というやつだ」

 

「・・・うわ、いきなり物騒なことをいうなよ」

 

 というか、この男は意地でも俺がゲンロウケンとかいう技を跳ね返したことにしたいらしい。

 全く意図は読めないが、少なくとも気分のいい話ではない。

 

「良いか、俺のことは誰にも口にするんじゃないぞ。魚座にも、サガにも言うな、分かったな」

 

「仕方がない・・・と言いたいところだが、一つ、条件がある」

 

「・・・なんだ、言ってみろ」

 

「あと、六日」

 

「・・・なに?」

 

「あと六日、ここに来て、魚を釣ってくれ。実は財布を紛失してしまってな・・・一週間分の食費を失い、正直このままでは仕事にも手を着けられず、任務から帰ってきたアフロディーテの鉄槌を受けるところだったんだ」

 

「・・・・・・なんという、間抜けな・・・はあ、いいだろう。ついでに、お前の力の正体も探ってやる」

 

 肩を落とし、疲れた様子で男は溜息を吐き出した。

 案外、話の分かる良い人間だ。

 にっこりと笑みを浮かべて、俺は言葉を発する。

 

「いやあ、助かる。感謝するぞ、釣り師カノンよ」

 

「・・・釣り師になった覚えはないぞ、小僧」

 

 そんなこんなで。

 俺は、優秀な食料調達係を獲得することに成功したのだった。

 

 

 

 

 



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6話 任務発令

 

 

 

 

 双子座のカノンとの出会いから、幾ばくかの時が流れた。

 

「・・・まさか、女神アテナと冥王ハーデスが地上を廻る戦いをしていたとはな」

 

 黄道十二宮へと続く道を歩みながら、囁くように言葉を漏らす。

 

 オリンポス十二神のうちが一柱、冥王ハーデス。

 普段は天界にはおらず、冥界を統治している神であり・・・どうやら太陽の光を好まないらしく、太陽神は軒並み敬遠されていたりする。

 

 ・・・その神が聞いた話だと、地上支配を目論み、二百数十年ごとに女神アテナと聖戦を繰り返しているとのことだった。

 随分と長きに渡って争っているらしいのだが、神々ノ戦い(ティタノマキア)然り、俺はこの事実を初めて耳にした。

 つまり、天界に戻り確かめなければならない理由が、また一つ増えてしまったというわけだ。

 

 というか、そもそも・・・他の神は、何をしているのか。

 オリンポスが荒れなければ地上の都合などには興味が無いのか・・・はたまた、一級神同士の戦いに手を出せないのか。

 

「・・・まぁ、引きこもっていた俺が言えた話ではないな」

 

 呟き、肩を落とした。 

 

 正直・・・分からないことだらけで、気持は逸る。

 だが不安と焦燥に支配されてしまえば、いざというときに十分な行動がとれなくなってしまう。

 今は、冷静になり、確実に情報を集めるのだ。

 そう自分に言い聞かせ、俺は大きく息を吸った。

 

「・・・もし、そこの緋色の髪の坊や。貴方はヘリオスという名の従者ではありませんか?」

 

 ふいに、背後から声を掛けられた。

 

「ん? あぁ、俺がヘリオスだけど・・・」

 

 返事をし、傍らへと歩み寄ってきた声の主へと目を向ける。

 するとそこには、艶のある髪を腰まで伸ばし、母様のような穏やかな瞳をした、美しい女人が存在していた。

 俺の記憶が正しければ、一度も会ったことのない人間だ。

 

「あぁ良かった。実は、貴方に渡すものがあるのです」

 

 優しい微笑みを浮かべて、その者は腕に下げた籠から、何かを取り出した。

 

「! ・・・そ、それは、俺の布財布・・・!! 一体どこで見つけたんだ・・・!」

 

「私の恋人の奏でる、竪琴の旋律に誘われた猫が、口に咥えていたのです。魚座様の従者をしている少年が、布財布を探しているという話を聞いたので、もしやと思い尋ねたのですが・・・ふふ、無事に届けられて幸運でした」

 

 どうぞ、と女人は財布を俺に手渡してくれた。

 

「良かった、もう無くなったものだと諦めていた! えっと・・・」

 

「私はユリティース。この聖域で静かに暮らす者です」

 

「ユリティースか・・・心の底から感謝する。この恩義は忘れず、必ず返すと誓おう・・・!」

 

「まぁ・・・ふふ、では、楽しみに待っていますね、ヘリオス」

 

 花のような相貌を綻ばせて、女人は踵を返して去って行った。

 なんて清らかな心をもった、親切かつ素晴らしい性格の人間なのだろう。

 財布が戻ってきた喜びと良い出会いに、足取りが軽くなる。

 

「・・・なんだ、その腐抜けた顔は」

 

「うわ、アフロディーテ、なんでこんな場所にいるんだ?」

 

 十二宮の近くまでやってきたところで、腕を組み柱に背を預けるアフロディーテと遭遇してしまった。

 本来ならば双魚宮にいるはずの人間が、なぜこんなところで油を売っているのか。

 不思議に思って問い掛けると、少年は眉を顰めながら口を開いた。

 

「教皇様の命でな、君を呼びに来た」

 

「教皇さんが? ・・・お、俺何かやらかしたっけ」

 

「『思い当たる節しかない』みたいな顔をするんじゃない・・・巨蟹宮に行けば分かる。さっさと行くぞ」

 

 アフロディーテに連行されて、俺は長い階段を上っていく。

 それにしても怠い登り道だ。

 普段は十二番目の双魚宮まで上ったり下ったりをしているので慣れはしたが、鍛錬をしていないものは足腰にきそうな距離だ。

 ・・・そういえば教皇さんは人間であるのに二百歳を超えているらしいのだが、大丈夫なのだろうか。

 つらつらと考えを廻らせていると、白羊宮、金牛宮、双児宮を抜けて、四番目の巨蟹宮へと辿り着いた。

 

「む、来たか」

 

 金の兜で頭部を覆った人間が、俺達の到着に気づき声を漏らす。

 

「お待たせしました、教皇様」

 

「久しぶりだな、教皇さん・・・と、デスマスクは分かるが、何故アイオロスが居るんだ?」

 

 人面のようなもので囲まれた宮の中には、微妙な表情を浮かべるデスマスクと、人馬宮にいるはずのアイオロスも存在していた。

 

「うむ・・・アイオロスは私が此処へ呼んだのだ。見定める者は、一人でも多い方がいいと思ったのでな」

 

「・・・見定める?」

 

 真剣な表情をする人間に、促すようにして問い掛ける。

 教皇さんは俺を見据えて、よく響き渡る声で話し出した。

 

「ヘリオス、お前がこの聖域で過ごして暫くが経つが・・・未だに、どこから来た何者なのかは調べがついてはいないのだ・・・済まなんだ。・・・だが、アフロディーテやデスマスクからの報告により、お前が特異な能力を有していたということが判明した」

 

 一端言葉を区切り、教皇さんは若葉の如き長髪を揺らしながら歩き出す。

 そして周囲に人面のない、アイオロスの傍らで止まると、再び口を開いた。

 

「魚座の毒を無効化し・・・この宮の魂を成仏させたという浄化の小宇宙。それを今一度、この場で振るってみてはくれぬか?」

 

「・・・ここで?」

 

「あの、教皇・・・様・・・やはり、他の方法でもいいんじゃ・・・」

 

「黙れデスマスク。貴様の悪列極まるほどに趣味の悪い宮を消すため・・・ではなく、ヘリオスの力を見極めるためだ、邪魔をすることは許さぬぞ」

 

 地を這うような声を放ち、教皇さんはデスマスクを睨めつけた。

 殆ど顔が隠れているのに、その眼には凍てついた光が灯っているようにも見える。

 

「・・・えっと、教皇さん・・・とりあえず、小宇宙を宮全体に放てばいいってことだよな?」

 

 確認の意を込めて言うと、教皇さんは首を縦に振った。

 なるほど、よし。

 実はちょっと怒られるのではないかと思って緊張していたのだが、そういうことならお安いご用だ。

 

 すう、と目を細め、宮内をぐるりと見渡す。

 嘆く顔、涙を流す顔、絶望に歪んだ顔・・・まるで、死の瞬間に生者が浮かべる、最期の表情を集めたかのような、趣味の悪い装飾の数々。

 

 ──いいや。

 

 本当は、分かってはいた。

 この壁を覆う人面が、ただの内装などではないということぐらいは。

 死に顔(デスマスク)という名前からして、この顔達が、何か、デスマスクにとって意味のあるものだということも。

 ・・・だが、教皇さんの許可は得た、ならば存分にこの力を振るおう。

 

「──この世あらざる者どもよ」

 

 弔いの念を込めて、言葉を紡ぐ。

 今までは偶然を装って発していた小宇宙を、強く燃やし、束ねていく。

 

「彷徨う悲しき者、歪みし哀れなる者よ、浄化の力もて・・・世界を繋ぐ、永久へと歩み行け──浄化炎(メギド・フレア)!」

 

 収束させた力を、自らを起点として球状に解き放った。

 瞬間、純白の炎が世界を包み込む。

 

「──ゴフェッ!!」

 

「・・・っ!?」

 

「ヘリオス!?」

 

「い、いつものことだ・・・気にしないでくれ」

 

 吐血しながら、驚愕の表情で駆け寄る教皇さんとアイオロスに笑いかける。

 というかアイオロス、心配してくれるなら俺を弟の鍛錬相手に据えるのを止めてほしい・・・そろそろ本気で雷に当たりそうで怖いんだよ。

 

「・・・それよりも・・・上手くいったようだな」

 

 口元を右手で拭いながら、俺は辺りを見渡す。

 壁も、天井も、一面を覆っていた人間の顔は、最初から存在していなかったかのように、その全てが消滅していた。

 

「・・・フッ、この威力、アフロディーテが嘆きたくなるのも分かるな」

 

「え?」

 

「・・・アイオロス、余計な発言は控えてくれ」

 

 いつもの顰め面で、アフロディーテは嫌そうに言った。

 よく分からないが、そういう顔ばかりしていると、眉間の皺が取れなくなるんだぞ。

 美しくありたいなら余裕を持った顔で堂々としていればいいのに。

 少年の将来をほんの僅かに心配していると、何やら考えを巡らせていた教皇さんが言葉を放った。

 

「ふむ・・・浄化の力を宿した小宇宙・・・それも、予想していた以上の"濃さ"。生まれ持った性質だとすれば、神にも匹敵しかねない程の純度だ・・・これならば、件の地での対処を任せられるか」

 

「教皇様、件の地とは一体・・・?」

 

 問い掛けるアフロディーテに、黄金の兜を着けた者は小さく頷いた。

 

「実はな・・・先日、突如として異変の生じた島があるのだ。先んじて送った調査の者達も、その特異性ゆえに奥地までは足を進められん状況でな。・・・名を──『ロドス島』。エーゲ海南部の、アナトリア半島沿岸部に位置する、ギリシャ領の島だ」

 

「っ!? ・・・ろ、ロドス島だと」

 

「別名をローズ島とも呼ばれるように、太陽と薔薇の島として有名な土地なのだが・・・この地の人里を離れた小さな森に突如として──()()()()()()()()()()()()

 

「──!」

 

 毒薔薇。

 その言葉を聞いて、アフロディーテは小さく息を呑んだ。

 それもそのはず。

 毒薔薇は、魚座としての誇りを象徴するものなのだから。

 だがしかし、険しい表情をする少年の隣で、俺はまた別の意味で目を見開いていた。

 

「ま、まて! ロドス島と言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 そう、その名は労いだとか何とかと言われて、俺が得ることになった島のものだ。

 赴いた回数は少ないが、それでも俺の巨像とかを作り讃えてくれた管轄地。

 それがなぜ、毒薔薇に塗れる特異点などになったのか。

 

「うむ、よく勉強しておるな・・・まぁ、正しくは太陽神ヘリオスがゼウスに与えられた島、なのだが」

 

「だから俺がそのヘリオスなのだと・・・いや、それよりも、島の状況はどうなっているんだ」

 

「・・・幸い、毒薔薇が咲き乱れておるのは人里から距離のある場所、死者は未だ確認はされていないが・・・行方不明の者が多数だ。それに加え、香気に触れるだけで、常人を昏倒させる薔薇の領域が、徐々に広がりつつある。・・・故にこそ、毒に耐性のある者を送り、早急にこの異変を解決する必要があるのだ」

 

 険しい声で、教皇さんは現状を話した。

 どうやら、事態は急を要する程に、切迫しているらしい。

 ・・・しかし、毒薔薇の源になるものなど、あの島に在っただろうか。

 思い当たる節がない・・・だとすれば、外からもたらされた脅威と考えるのが順当か。

 

「・・・教皇様、一つ問いますが・・・まさか私に、ヘリオスを連れて行けと命ぜられるおつもりですか」

 

「決めるのはヘリオスだ。今はお前の従者をやっているそうだが、だとしても、保護した幼子には変わりない。特異な力を有しているとはいえ、未だに記憶も戻っていない様子・・・決して強制はせん」

 

 言って、教皇さんは俺に視線を移して口を閉じた。

 答えを待っているのだろうが・・・殆ど意味の無い確認だ。

 目線を合わせながら、俺は朗々と言葉を発する。

 

「行くに決まってるだろう。ロドス島は、一応は俺が管理しないといけない場所なんだ。異変が起きているというのなら、直ぐにでもその脅威を祓う必要がある」

 

「ヘリオスよ・・・最悪の事態も考えられる。それでも、その覚悟は揺るがぬか?」

 

「もちろんだ」

 

 力強く言って、大きく頷いた。

 寧ろ俺が、アフロディーテに同行することを頼みたいくらいなんだ。

 断る理由などあろうはずもない。

 

「そうか・・・では、その決断に最大限の感謝と、敬意を表そう。──今ここに、魚座のアフロディーテと、その従者であるヘリオスに、任務を発令する。準備が終わり次第、即刻ロドス島へと向かい、毒薔薇による異変の元凶を突き止め、排除せよ・・・! 抗戦はアフロディーテが、毒の浄化はヘリオスが主に担当し、いち早い解決へと繋げるのだ!」

 

「──はっ!」

 

「あぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨蟹宮から双魚宮へと移動し、任務へと向かうための準備に勤しむ。

 淡々と仕度をする魚座の少年に、俺は声を掛けた。

 

「なぁ、アフロディーテ。今回の異変について、何か思い当たる節とかはないのか」

 

「・・・ないな。毒薔薇を作り出すこと事態はできたとしても、園と呼べるほど広範囲に拡げられる者など、私以外には聞いたことがない」

 

「・・・あぁ、まぁお前ならできるよな」

 

「・・・・・・」

 

 沈黙し、アフロディーテは無表情で宮の入り口方向へと歩き出してしまう。

 恐らく、怒っている訳でも、苛ついている訳でもなく、思考に没頭している状態なのだろう。

 結構そのときどきの感情が顔に出やすいため、最近は無駄に地雷を踏まずに済んでいる。

 というか前に無表情のアフロディーテに話しかけたら『考え事の邪魔をするな』と薔薇を頂戴するはめになったことがあるため、その可能性がとても高い。

 

 少年の背を追い、宮の外へと出る。

 階段をいくつか下ったところで、前方から声が響いた。

 

「ヘリオス・・・今回は随分と、君らしくはなかったな」

 

「俺らしくない・・・任務の話か?」

 

「巨蟹宮の壁を覆う人面の方だ。・・・てっきり君は、あの人面がただの装飾だと思い込み放置しているのかと思っていたが・・・あれが成仏の叶わぬ魂だと知っていたのならば、ああいうのは気にくわないと手を出す質だと認識していたぞ」

 

「・・・何を言っているんだ? 俺は、その者が望まないことを強制するような、身勝手な神ではないぞ」

 

「なに・・・?」

 

 懐疑的な視線を寄越す少年に向かい、言葉を続ける。

 

「確かに、この世に留まることを望まない幼子や、ただ嘆き悲しむだけの魂達は、既に輪廻へと送っていたが。・・・先程まであの巨蟹宮に浮き上がっていた者達は、己の意思であの場に留まっていたんだぞ」

 

「・・・あの魂達の声が、聞こえていたとでも言うのか?」

 

「俺だけじゃなく、教皇さんやデスマスクにも聞こえていただろうさ。『この男を殺せ』『無念を晴らすために死ね』・・・死んでも死にきれず、怨念となってデスマスクを呪い殺そうとする者達の恨みの声が」

 

 ・・・初めてあの宮を通ったときは、冥界に足を踏み入れてしまったのかと錯覚するほどに、怨念のこもった声達に動揺させられた。

 今までにも残酷かつ残忍なものは沢山目にしてきたが・・・人間という存在を図りかねていたのかと思い直すほどに、驚愕することとなったのだ。

 それなのに。

 宮の主は残虐な人間なのだろうと身構えてみれば、案外気の良い人間で・・・最終的に俺は、混乱することになった。

 

「己が殺し、己を呪い殺そうとする魂に囲まれ過ごす人間を見て、俺は判断に迷った。死に急いでいるのか、嘆く声が心地いいのか・・・それとも既に狂ってしまっているのか。・・・どちらにせよ、魂達が成仏すること以上に、デスマスクを呪い殺す方を優先していたから、俺は小宇宙を振るわなかった」

 

 殺した者と、殺そうとする、殺された者達。

 何とも歪で、理解の遠い関係なのだろうか。

 

「・・・・・・力こそが、正義である」

 

「うん?」

 

「前にあの蟹が言っていた言葉だ。どのような相手であろうと、殺すことが出来る。それが己の強さの根源であり・・・あの壁の魂こそが、己の強さの勲章なのだと」

 

「・・・強さの証、か」

 

 小さく呟き、俺はかぶりを振った。

 

「本当に、自らが強い戦士であると主張するのなら・・・証なんてものは不要なんだけどな」

 

 実際のところ、デスマスクがどう思っていたのかは定かではないが。

 もしも死者の魂を勲章として飾っていたのなら、それは、自らの弱さを認めているのと相違ない。

 強さとは、きっと、その者の内に宿るものなのだから。

 

 

 

 

 






リアル事情で更新が危ういですがのんびり書いていきますので温かい目で見守っていただければと思います。

最近、ロストキャンバス外伝に手を出したのですが、聖闘士星矢への愛がなければ描けないすこぶる凄い作品でめっちゃ感動しました。
本編も早く読まなくては…。


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7話 太陽と薔薇の島

 

 

 

 潮風に紛れる、仄かな甘い香り。

 馴染みの深い、花の幽香。

 船上からでも感知できる毒の蔓延具合に、自然と表情が険しくなる。

 

「・・・毒薔薇の香気が風に乗って流れてきているのか・・・アフロディーテ、無事か?」

 

「無論だ。・・・だがこの島に住む者達は長くは持たん・・・速攻で片をつけねばなるまい」

 

「あぁ、いくら家に籠もっていても限度があるしな・・・」

 

 常人であれば、触れるだけで昏倒してしまう毒の香り。

 それが、既に島全体を包み込んでしまっている。

 残された時間は、余り多くはなさそうだ。

 

 港に到着し船から下りたアフロディーテは、紅く染まった遠くの空を睨めつけた。

 

「薔薇の花弁が舞い、空を染めるか・・・何とも分かりやすい道標だ、美しさの欠片も無い」

 

「あそこが教皇さんの言っていた"毒薔薇の園"ってことだな・・・よし、急ぐぞ人間!」

 

「・・・待て」

 

「ぐぇっ」

 

 気合いと共に走り出そうとすると、唐突に襟元を掴まれ、呼吸が止まる。

 なんで止めるんだよ。

 涙目になりつつも抗議の視線を送ると、少年は紅い空を見据えながら、声を放つ。

 

「・・・どうやら、家内への避難が遅れた者達がいるようだ。君は、その者達の毒を浄化し、船で確認した避難所へ連れて行け」

 

「むっ・・・確かに、複数人の気配を感じるが・・・お前、一人であの茨の中に突っ込むつもりなのかよ」

 

「問題あるまい・・・それに、教皇様の命を忘れたとは言わせんぞ。君の担当は人命救助だったはずだ。要らぬ心配を抱くな、ヘリオス」

 

「・・・相変わらず刺々しい・・・分かった、人間達を避難させてからお前の後を追う。・・・無茶はするなよ、アフロディーテ」

 

「あぁ」

 

 頷き、金色の鎧を纏った少年は、毒薔薇の園へと向かい駆けていった。

 

 少し前まで聖闘士候補生だった少年が、今ではもうすっかり聖闘士達の先頭に立つ黄金の戦士となってしまった。

 つい先日、十歳になったばかりだというのに・・・うん、人間の成長速度は恐ろしいな。

 あのまま育てば、サガのような、立派な女神の聖闘士になるのだろう。

 多少、性格の補正は必要かもしれないが。

 

「おっと・・・感慨にふけっている場合ではないな」

 

 俺も、為すべき事をしなければ。

 浄化の小宇宙を燃やし、身を包もうとする甘ったるい香りを吹き飛ばす。

 巨蟹宮でやったような広範囲浄化術は身の負担が大きい。

 幸い、毒の香気は人の命を奪うほどのものではない・・・少々時間はかかるが、地道に救助活動を行うことにしよう。

 課題を設定し、俺は地に伏す者達を探して人里を走り回った。

 

 

 

 ──────

 

 

 

 ──余りにも、無機質だ。

 

 初めに浮かんだ言葉が、それだった。

 居住区の人間の避難を終えた俺は、毒薔薇の園へと足を踏み入れていた。

 

「・・・・・・」

 

 意識を外へと傾けて、目を瞑る。

 肌を撫でる微風に、無数に重なった葉擦れの音。

 遠くから届く、小川のせせらぎ。

 

 ──何かが、足りていない。

 

 緑の園、原初の森、神に近しい自然の集合体・・・ここは、本来ならば心地よさを覚える空間であったはずだ。

 だからこんな・・・胸を刺すような虚しい感覚は、この場にはそぐわないし、在ってはならないものなんだ。

 世界に蔓延る違和感を炙り出すために、更に感覚を鋭く研ぎ澄ませていく。

 やがて、なんとも単純で残酷な答えへと辿り着く。

 

「・・・・・・あぁ、そうか・・・この森には、生がないのか」

 

 言葉が、口から流れ出た。

 虫達の羽音や、小動物らの鳴き声といった生き物の気配が、この森には無いんだ。

 淡い緑の草むらも、天を穿つ巨木の群れも、毒に浸食され、朽ちる時を待っている。

 

 ──許せない、反射的にそう感じた。

 この島が俺の管轄地であるから、というのもある。

 だがそれ以上に、生を蝕み、殺すために毒の薔薇を使う何者かに、酷く腹が立った。

 ・・・きっと、他者を守るために毒薔薇を操る少年を知っているからこそ、余計に、その対極の存在に嫌悪を抱いているのだろう。

 

「・・・そうだ、アフロディーテはどこに居るんだ」

 

 後を追うとは言ったものの、とくに集合場所などは決めてはいなかった。

 余程不味い状況になった際は、避難所か船で合流することになるのだろうが、現状、少年がどういった状況なのか分からない。

 簡単に周囲の気配を伺うが、毒薔薇の香気が邪魔をして、上手く探知ができない。

 仕方なしと溜息をついて、俺は両手を目の前に翳した。

 

「──陽光よ、我が手に集いて道を示せ」

 

 茜色の炎が灯り、周囲を照らす。

 探知の術だ、これで行くべき方角が分かるだろう。

 力のある神ならば、こんな詠唱など唱えずとも奇跡の力を操れるのだが・・・今の俺は三流にも劣る状態だ、使えるものは迷わず使わなければな。

 炎の先端は俺の斜め左前を示した、導きに従うことにしよう。

 

 ざくざくと地面を踏みしめて奥を目指す。

 木漏れ日が辺りを照らす獣道を、淡々と真っ直ぐに突き進む。

 

 そういえば、昔この島に訪れた際は、このように歩くことは無かったな。

 ただペガサスに乗って島の生物を眺めて、自らの神域へと帰る。

 何しに降臨したんだよって自分でも突っ込みたくなるほど、あの頃の俺は、この島の民にも自然にも、興味を持つことができなかった。

 ゼウスに管轄地を与えられた証明として、義務的に足を運ぶだけの日々。

 ・・・うん、俺を崇め讃えてくれた民達には、悪いことをしたな。

 

「・・・ん? この匂いは・・・」

 

 鼻腔をかすった違和感に、思考に沈んだ意識が急浮上する。

 甘い薔薇の香気に隠れる、鉄の香り。

 導かれるようにして香りを辿ると、開けた場所に出た。

 

「ここは・・・っ!! お、おい、しっかりしろ!」

 

 地面から伸びる茨の蔓と、そこから群生する赤の薔薇。

 そして──その中で俯せに倒れる、血だらけの人間。

 すぐさま駆け寄り、浄化の小宇宙を燃やしながら、その者を仰向けにする。

 

 ──瞬間、呼吸が止まった。

 

 身に纏うのは質素な貫頭衣。

 だが、その衣ですら一つの美しさに変えてしまうほど、端麗な容姿をした・・・人間の、男。

 一部の女神が嫉妬しかねない顔面だ、だが、問題はそこではない。

 ・・・余りにも似すぎているのだ、この青年は。

 土に塗れる空色の長髪も、あの少年との共通点を埋めていく。

 

「っ・・・なんだ、この血は!? 薔薇の毒かと思えば、それ以上に濃い猛毒じゃないか!!」

 

 二度目の衝撃に、思わず声を荒げてしまう。

 人間の身体を流れる毒の血、それもアフロディーテが作り出す毒をも超える、猛毒。

 

「・・・後天的に授かったものなのか? だとすれば、人の世で生きるのは相当・・・」

 

 唖然としつつも、男の傷口に手を当てて治療を続けていく。

 対毒体質を備えて生まれる人間ならば、そう珍しい話でもない、歴史を紐解けば割かしといる。

 ・・・だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、初めて目にするものだった。

 

「・・・う、ぐ・・・」

 

「! 意識が戻ったか! その調子だ、心を強く保て、今すぐその傷を治してやるからな!」

 

「・・・? あの神の、瘴気が、消えていく・・・この小宇宙は・・・?」

 

「浄化の光だ・・・もう大丈夫だからな。何があったのかは知らないが、今は安心して──」

 

「──ッ!? わ、私に触れるなッ!!」

 

 唐突に、その者は叫び、俺から離れるように後ずさった。

 近づこうとするが、男は酷く焦燥した様子で、傷だらけの身体を必死に動かし更に後退していく。

 

「・・・・・・」

 

 ・・・ちょっと傷ついたが、恐らく状況が把握できずに混乱しているのだろう、多分。

 俺は寛容で慈悲深い神だからな、助けようとした人の子が不敬な態度をとったとしても、全然気にはしないし辛くなんてない。

 

「っ!? その手についた血は私のものか!?」

 

「そうだが」

 

「!! ・・・私は、私はなんということを・・・守るべき人の子を毒の血で殺めてしまうなど・・・!」

 

「おい、勝手に殺すな」

 

「・・・ルゴニス先生、私は、貴方から受け取った誇りを汚してしまいました・・・一度死に絶えた身であれど、到底許されざる愚行です・・・!!」

 

「・・・おい、まだ死んでないだろ、もっと生に執着をもて、人間」

 

「何を言う! だいたい今の私、は・・・・・・待て、お前、何故平然と立っていられるんだ?」

 

「そりゃ・・・平然とする他ないから平然としてるんだよ、今は呆然に変わりそうだが」

 

「・・・・・・は?」

 

 首を傾けて、男はじぃ、と俺を観察し始めた。

 無言で視線を動かし、血に濡れた俺の手を見て、目をとめる。

 やがて悩ましげな面持ちを浮かべて、その者は口を開いた。

 

「・・・本当に、その鮮血は私のものなのか・・・?」

 

「自分の小宇宙が宿ってるんだから識別できてるだろ、お前の血だよ」

 

「・・・・・・」

 

「・・・俺はこの島の異変の元凶を探し、解決するために来たんだ。人命救助をするようにも言われている、だから、その傷の治療をさせてくれ」

 

 両手に小宇宙を灯し、男の傍らへと歩みを進める。

 男は一瞬身体を強ばらせ、一歩下がろうとしたが、俺はすかさず距離を縮めて傷口へと手を伸ばした。

 

「っ・・・毒がまるで効いていない・・まさかお前は、私と同じく、耐毒体質を持って生まれた者なのか」

 

「いいや、浄化しているだけだ。小宇宙で毒を防ぐのとそう変わらないものだと思ってくれ」

 

「小宇宙・・・そうだ、お前は聖闘士なのか? 先から行っている治療も、ただの子供に扱える技術では無いはずだ」

 

「俺は聖闘士ではない、その連れだ・・・というかそういうお前は何者なんだ、小宇宙を扱える一般人は少ないと学んだぞ」

 

 詰問、という程きつい言い方ではないが、険しい声で俺は問いかけた。

 恐らく、この人間は、この島で起きている異変と関わりを持つものだ。

 何かしらの情報を引き出さねばならない。

 

「・・・・・・そうだな」

 

 空色の長髪を風に靡かせて、その者は自嘲的な笑みを浮かべる。

 傷の痛みには目もくれず、それ以外の何かに葛藤するように、唇を噛む。 

 やがて、どこか苦しそうな空気を醸成しながら、男は僅かな逡巡の後に答えた。

 

 

「──私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 魚座の会遇

 

 

 

 

 天高く輝く光球は、木の葉に防がれ、その威光を地表まで届けられずにいた。

 僅かに零れる陽光と、若葉達が生み出す影、そして血色に咲き乱れる、赤薔薇の世界。 

 

 静寂に包まれる、極彩色の空間で、俺は、小さく息を呑んだ。

 

 男の放った言葉が頭の中を駆け巡り、形を成していく。

 

 魚座の、アルバフィカ。

 死者の蘇生、生ける屍(リビングデッド)

 ロドス島における異変、毒薔薇の元凶。

 そして──この島の主神を意味する、神の名前。

 

「・・・太陽神、ヘリオス、だと」

 

 低く呟き、『虚言など、直ぐにばれるぞ』と、男の目を見遣る。

 しかし、そこにあったのは悪意では無く、透き通った、空の瞳だった。

 

 俺を騙そうという気概は一切感じられない、愚直なほどに、真っ直ぐな眼差し。

 

 俺は、この眼光を識っている。

 何度も見てきた、これは、嘘を云う者には到底浮かべられない──真実の光だ。

 この人間の言葉は信じて良い、そう断言できる。

 だとすれば。

 自らを太陽神ヘリオスと名乗る、不届き者がいるのだと考えるのが妥当か。

 

「──ふ、ふふ・・・あはははは!! そうか、そうきたか!」

 

「・・・っ!?」

 

 途端、笑いがせり上がってきた。

 よじれる腹を抱え、肩を大きく震わせながら声を荒げる。

 唖然とした視線を向ける者の前で、俺は自らの口から流れる言葉を、せき止められずにいた。

 

「手段としては最悪だが・・・この島においては悪くは無い戦略だ。なにせ、ここは俺を崇めてくれた民達の想いが積層した土地だからな。その名を使えば、多少の力は得られるだろうよ・・・──卑賤な輩め、父上達から賜った大切な名を汚すとは、恥を知れ」

 

 静かな怒声と共に、虚空を睨み付ける。

 どうやら、俺がこの島に来ることになったのは、単なる偶然ではなかったらしい。

 俺が相手をしなくてはならない何者かが、この島のどこかに居る。

 苛立ちを隠す余裕もなく顔を顰めていると、驚いた表情を浮かべる人間と視線がかち合った。

 

「・・・あぁ、そうだ、まだ名乗っていなかったな。俺の名は、ヘリオス。父上と、母様から、太陽を冠する名を与えられた者だ」

 

「──っ!? まさか、お前は・・・あの神の追手だったのか・・・!」

 

「違う。お前のいう神とは面識はない・・・というか、追われてたんだな」

 

 驚愕の表情で硬直した人間に、間髪入れずに言葉を返す。

 完全なる風評被害だ、大神クロノスと時の神クロノス並にややこしいことになりかねない・・・やめろ、探るような目で俺を見るんじゃない。

 溜息を吐き出しながら、宥めるように言葉を発する。

 

「安心しろ、といっただろう。俺が来たからには、もう偽太陽神の好きなようにはさせない」

 

「なに・・・偽、太陽神だと?」

 

「そうだ、お前を蘇生させた者は偽物だ。何せ本物は、こんな異変を起こすような阿呆ではないのだからな」

 

「・・・まるで、本物の太陽神に会ったことがあるような口振りだな」

 

「ははは、鏡越しであれば毎日会っているとも表現ができるな。なにせ、俺がその太陽神ヘリオスその者なのだから」

 

「・・・・・・は・・・?」

 

 笑顔で締め括り、俺は止めていた治療を再開することにした。

 今すぐにでも、太陽(ヘリオス)を名乗る不届き者を成敗しに行きたいが、こういうときは順序が大切だ。

 

「・・・しかし、酷い傷だ。それにこの瘴気、よくこんな質の悪いものを身に受けて正気を保っていられたな。・・・不浄は清められそうだが、今の俺の小宇宙では、傷を塞ぐので精一杯だ。治すと言った矢先にこの体たらく、済まないな」

 

「・・・いや、謝罪は不要だ・・・・・・だが、一つ、いいか」

 

「うん、なんだ?」

 

「私には、お前はただの子供にしか見えないのだが・・・お前は、本当に自らを太陽神だと思っているのか。それとも、私を揶揄して言っているのか?」

 

「はぁ? なんでそんな益の無いことをしなくちゃいけないんだ。確かに、俺を助けてくれた人間は、俺の話を頭を打ってできた妄想だとか、記憶の混濁だとかと言って信じてはくれないが・・・俺は、こんな見た目でもちゃんとした神なんだぞ」

 

 唇を尖らせて、小さく俯く。

 別に、俺自身が、俺の存在を肯定できているから、信じろと強制するつもりはない。

 それに、今の俺は、神の威光も感じられない、虚弱で儚い存在だ。

 信じられないのも、仕方が無いとは思う。

 だがやはり、疑念を抱かれ、存在を否定されるのは・・・けっこう、悲しいんだ。

 

「・・・成る程、お前の事情は、薄らではあるが理解した。しかし、お前が自らを信じているのなら、俯くな。他者の言葉に惑う必要はない、堂々と顔を上げて、前を向け」

 

「・・・あぁ、そうだ、お前の言う通りなんだろうな。・・・それに、今は、弱音を吐いている場合ではなかった」

 

 顔を上げ、人間の身体から吹き出る、得体の知れない瘴気を祓い、傷を癒やしていく。

 小宇宙は、その者の心の在り方に応じて、小さくも、大きくもなる。

 だからこそ、今は気を強く持ち、アルバフィカの傷をいち早く、塞いでやらなければならないのだった。

 浄化と治療に奮闘していると、眼前の人間が、複雑そうに声を出した。

 

「今更ではあるが・・・お前は、私がこの毒薔薇の園の元凶であると聞いて、何故当たり前のように施術を続けているんだ。この島の異変を解決しに来たのではなかったのか」

 

「・・・? だからこそ、逆に続けないと不味いだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──っ、何故、それを・・・」

 

「簡単に出せる結論だと思うぞ。お前の話を前提に考えれば、この島に咲いている赤薔薇は、魚座の魔宮薔薇(ロイヤルデモンローズ)なんだろう? 本来ならば、触れた者の命を奪う猛毒の香気であるはずが、島の民達は昏倒するだけで済んでいる。・・・だとすれば、魚座の聖闘士が、小宇宙を操って毒を弱めていると考えるべきだ」

 

 森に拡がる香気に潜む、微かな小宇宙・・・そして、それと同一の、アルバフィカの小宇宙。

 

「・・・気づいていたのか」

 

「あぁ、だけど、お前に近づくまでは気づけなかった事から鑑みるに、香気に混ざる小宇宙は、追手から身を隠す、隠れ(みの)の役割も担っていたらしいな。細かな小宇宙の制御が得意な辺り、流石、魚座といったところか」

 

「・・・・・・聖闘士ではない人の子が、随分と、魚座の聖闘士に詳しいのだな」

 

「そりゃ、毎日のように毒薔薇を食らっていれば嫌でも詳しくなる。・・・アフロディーテも小宇宙を使って魔宮薔薇の毒を一時的に消したりしてたからな、魚座の聖闘士は当たり前のように出来る技なんだろ」

 

「・・・アフロディーテ? 誰だ、その者は」

 

「魚座の黄金聖闘士。さっき言った、この島の異変を解決するために派遣された人の子だ」

 

「! ・・・そうか、私の死した後に、魚座を継いだ者が・・・」

 

 自らの傷口を流れる血に視線を移し、男は美麗な顔を歪めた。

 

「魚座の"誇り"は・・・今の世代にも、継がれているのだろうか」

 

「誇り? "毒の薔薇"のことなら、しっかり次代に継承されているぞ」

 

「・・・・・・毒の薔薇・・・そうか、"赤い絆"は・・・」

 

「赤い絆・・・?」

 

「・・・なんでもない。厳しき修羅の・・・毒の道が断たれたとしても、その者が誇りを持つ戦士であるのなら、私がその在り方を否定するのは筋違いなのだろう」

 

 言って、アルバフィカはどこか哀しそうに微笑んだ。

 ・・・まぁ、一度死に、蘇った人間だ。

 色々と思うところがあるのだろう。

 見守っていると、男は遠くを見るような瞳で、静かに口を開いた。

 

「・・・その、アフロディーテとかいう聖闘士は、どのような者なんだ」

 

「どのような、って・・・」

 

 中々、返答に困る質問だ。

 少し迷った俺は、記憶に刻み込まれた日々を思い返していくことにした。 

 

 道端に倒れた、見ず知らずの俺を救った者。

 十歳の人の子で、自分の容姿が大好きで、容赦が無い乱暴者。

 年相応ではない思想を持ち、毒の薔薇に誇りを持つ、女神の聖闘士。

 

 いくつか候補を並べ連ねて、適切な表現を見つけた俺は、一つ頷き、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「一言で表せば──悪魔か邪神の生まれ変わり、だな」

 

「・・・は、悪魔、邪神?」

 

「まず、すぐ手を上げてくる。前に、鏡に向って自分の容姿を褒め称えているところを目撃してどん引きしてたら毒薔薇を投げられた。というか俺を薔薇あての的と勘違いしている節がある・・・とんでもない人間だ。しかも俺のことを三流神とか自称太陽神とかと言って貶してくる不敬者で・・・──」

 

「・・・それは」

 

「──聖闘士となっても日々の鍛錬は怠らないし、十年しか生きていない癖に、実力は相当だ。周りには興味を抱いていないように振る舞うのに、大切なところは見逃さず、きちんと捉えられている。・・・本当に、質が悪いと感じるのはあの目だな。・・・俺の百分の一も生きていない人の子が、己の誇りを掲げて、そこらの神共よりもギラギラと光った瞳で前を向くんだよ・・・末恐ろしいとはこのことだ」

 

「・・・・・・」

 

 苦笑と共に、言葉を連ねた。

 改めて振り返ると、途轍もない不敬具合に笑うしかないな。

 そして、それを補える程の実力と、要領の良さ。

 もうあと十年も経てば、どれほどの戦士になってしまうのか。

 

「・・・よほど、その者に信頼を寄せているらしいな。素行は気になるが、そのアフロディーテという者は、良き女神の聖闘士になるのだろう」

 

「信頼・・・? いいや、そういう意図で言ったわけじゃないぞ」

 

「ん?」

 

「俺はただ、人一倍この地上の平和を願うくせして俺のことをぞんざいに扱う、最低最悪、悪魔や邪神にも勝る人間がいるという話をだな・・・」

 

「ほう、その人間とはまさか、私のことを言っているのではないだろうな、ヘリオスよ」

 

「・・・・・・・・・」

 

 俺の後ろから、聞こえてはならない声が聞こえた気がする。

 

 ギギギ、と滑りの悪い首を後ろに回すと、形の良い唇に弧を描いた、美麗な少年が立っていた。

 頬や鎧を赤い血で汚して、綺麗に微笑むその姿は、冥界に連なる神の如く。

 

「間の抜けた君の笑い声が聞こえたから、何事だと思い駆けてみれば・・・前に私の悪評は広められないとか何とか言っていたのはその口か? いいだろう、今すぐ私の黒薔薇で塞いでやる」

 

「まままま待てっ!? 悪評では無く正当な評価を言っただけなんだ、ピラニアンローズは止めてくれ!! ・・・というかその血はどうした、怪我でもしたのか・・・!」

 

「・・・はぁ、余計に質が悪い・・・これはただの返り血だ。・・・──それよりも」

 

 アフロディーテは酷く不機嫌そうな様子で、言葉を区切り、鋭い視線でアルバフィカを捉えた。

 

「貴公が、魚座のアルバフィカという者か・・・まさか、私よりも先にヘリオスが当りを引くとはな」

 

「・・・お前が、魚座のアフロディーテか」

 

 二人の視線が宙でぶつかる。

 等しい守護星座を持つ者同士の会遇。

 同一の瞬間に、同一の聖闘士が二人現れることは、本来では有り得ないことだ。

 だからだろうか、互いに、一言目に迷っているようにも感じられる。

 

「・・・えっと、お前達は初対面のはずだよな? どうしてアフロディーテはアルバフィカのことを知っているんだ?」

 

「・・・先ほど、抗戦をした者達が探していたのだ。・・・アルバフィカという名の、空色の長髪をした、美しい魚座の聖闘士をな。・・・お陰で、特徴の一致した私に雑兵共が殺到することになったが」

 

「な、なるほど・・・それは散々だったな」

 

 他人と間違えられた挙句に襲撃されるというのは、余り気持ちのいいものではなかったらしい。

 疲れた様子で話す少年に向かい、労いの意を込めて言葉を返した。

 

 しかし、自らが美しい者であるということを前提に話す辺り、流石としか言い様がない。

 アルバフィカも『あぁ、そういう性格なのか・・・』みたいな目で見ているし・・・ここは、相互理解に繋がったと前向きに考えておこう。

 若干名が微妙な気持ちに晒されていると、アフロディーテが治療を受ける男に歩み寄って、言葉を放った。

 

「アルバフィカよ、先に言っておくが、私は、雑兵共や貴公の話す言葉全てを信じることはできない。・・・私を襲った者達が口にしていた、この地に降臨したらしい、太陽神へリオスという存在に対しても、懐疑の念を抱いているのが現状だ」

 

 一瞬、少年は俺を見やったが、すぐさま男へと視線を戻した。

 なんだ、アフロディーテも俺の名を騙る者のことを知っていたのか。

 話が早くていいとばかりに眺めていると、アルバフィカが静かに頷いた。

 

「・・・適切な判断だ。そちらのヘリオスを名乗る子は、私の話全てを信じているようだが、敵地にいる者の言葉は、話半ばに聞くくらいでいい」

 

「然り、だ。・・・しかし、今の私達には、元凶に関する情報が著しく不足している。故に、()()()()()()()()()よ、貴公が小宇宙で包む、この島で何が起ったのか・・・それを、私達に聞かせてほしい」

 

 対等の相手に、敬意を表するように。

 誠実な態度で、少年は、魚座を名乗る青年に言った。

 直感か、現状からそのように振る舞うにたる相手だと判断したのか。

 自らの後継に当たる聖闘士の言葉を受けて、アルバフィカは、真剣な表情で口を開いた。

 

「分かった・・・寧ろ、私から聞いて貰おうと思っていたくらいだ」

 

 強い意志を内包した瞳で、男は語り始めた。

 

「・・・冥王との聖戦の最中で命を落とした私は、冥界の淵で同胞達と共に、輪廻の時を待って、眠っていた。・・・しかし、突如として私の魂は翠色の極光に包まれ──気が付けば、この地に屹立していた」

 

「翠色の、光・・・」

 

 囁くように呟き、記憶を廻るが、死者を蘇生する際にそのような色の小宇宙を放つ神には、心当たりが無かった。

 アルバフィカは一瞬、口の端を引き結び、眉間に皺を刻みつけて、言葉を続けた。

 

「自らの意識も朧気で、ただ生き返ったのだという漠然とした思考しか存在しない中、私の身体はあろうことか・・・魔宮薔薇でこの森を一瞬のうちに覆い、その恐ろしい勢いのまま、今度はこの島全域を毒薔薇の園へと変えようとしたのだ」

 

「・・・一瞬で、だと? 馬鹿な、いくら黄金聖闘士であろうとも、この広大な森を瞬時に魔宮薔薇で埋めるなど、不可能だ」

 

「あぁ、魚座の聖衣を纏っていたとしても、人の力では到底叶わぬ現象だ・・・だが、そのときの私は、神の力をこの身に受けていた」

 

「っ・・・それが、太陽神・・・ヘリオスか」

 

 眉を顰めるアフロディーテに、「そうだ」と肯定し、男は忌々しげに言葉を連ねる。

 

「私を蘇らせた神の威光は、正しく、太陽の名に恥じぬ鮮烈さだった・・・森を毒薔薇で覆った私に、その神はこう宣った。『我が名は太陽神・・・ヘリオス。女神の聖闘士だった者よ、この瞬間よりお前はコロナの聖闘士となり、私の意に従う戦士となった・・・私の力が回復するまで、我が身を守る盾となれ』・・・と」

 

「・・・・・・」

 

 それは、つまり・・・力を失っている状態であっても、その神はアルバフィカを蘇らせる程の力を有していたことになる。

 俺の名を騙るくらいだから弱い輩だと決めつけていたが、考えを改める必要がありそうだ。

 

「身を守れと命じながら、その神はこの島の民を、私の毒によって殺めようとしていた。・・・故に私は、抗った。自らの身を覆おうとする、神の小宇宙をこの身体ごと引き裂いて、なんとか支配の軛から逃れることに成功したのだ。追手として蘇った兵達も、黄金に届く程の実力者は居なかったからな。辛うじて、命を繋ぐことが出来た」

 

「・・・そして、今に至るか。・・・そうか、貴公はこの数日間、一人で戦い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「フッ・・・私もまさか、次代の魚座に出会えるとは思わなかったのだがな」

 

 穏やかに笑って、アルバフィカはゆっくりと立ち上がった。

 

「まだ完全には治っていないが・・・良いのか?」

 

「あぁ、これでも大分良くなった方だ、感謝する。・・・あの太陽神の凍てつくような瘴気を、君の温かい小宇宙は浄化してくれた・・・これで、私も、戦うことが出来る」

 

 力強く拳を握った男は、決意に満ちた眼差しで、空を、太陽を仰ぎ見た。

 

「──案内しよう。一刻も早く、人の平和を脅かすあの太陽を、穿たなければならない」

 

「・・・あぁ、急ぐとしよう」

 

 毅然とした態度で、アルバフィカは毒薔薇の中を進み始めた。

 

 ・・・理解は、しているのだろう。

 自らを蘇らせた神を倒せば、再び、命を失うということぐらいは。

 それでも、自らの命を燃やし尽くすことになっても、この人間は民の平和のために、戦う道を選んだ。

 

「・・・人は、凄いな」

 

 命を懸ける姿勢を、手放しで賞賛することはできない。

 だが、自らの命を賭してでも、平和を守ろうとする姿は、気高く、美しい。

 矛盾を抱えた自らの思考に苦笑し、俺は魚座の二人を追って足を踏み出した。

 

「はぁ・・・これから、自らと等しい名を持つ神の元へと赴く者の顔ではないな。君はもう少し、緊張感を持て」

 

「別に良いだろ、偽物退治に必要なのは本物としての矜持と余裕だ。・・・それよりも、お前の方こそらしくない雰囲気だな? 何か心配事でもあるのか」

 

「・・・・・・」

 

 普段よりも元気の感じられない少年に問い掛けるが、沈黙が満ちるばかり。

 まぁ、年齢を考えれば、今回の異変は少々情報過多だったのかもしれない。

 返答のない少年の心情を勝手に結論づけて、片付けようとする。

 

「憂いなど、あるものか」

 

 すると、前方の小さな背中越しに、声が届いた。

 

「・・・ただ、私は、この島で異変を起こしている迷惑な輩に比べれば、君が真の太陽神であった方がましだと・・・そう思っただけだ」

 

 

 

 

 








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9話 忘れ去られた太陽

 

 

 

 

 

 二人の聖闘士に続き、木々の隙間を進んで行く。

 

「アフロディーテよ、一つ、お前に言っておくことがある」

 

「なんだ?」

 

「あと少し進めば、件の太陽神の元へと辿り着く。そして私とお前は、神と、戦うことになるのだろう」

 

 純白の衣に身を包んだ男が足を止め、真剣な表情で振り向いた。

 

「力を惜しめば勝利はない。故に、一対一が聖闘士の基本であるとはいえ、共闘は必然だ・・・だが決して、私には近づくな。後方にて距離をとり、私の援護をする形で戦いに望んで欲しい」

 

「訳を、尋ねようか?」

 

 問いかけるアフロディーテに、アルバフィカは僅かに沈黙してから、ゆっくりと唇を動かした。

 

「私の身体には、"毒の血"が流れている・・・傷から噴き出た血を浴びれば、命はない」

 

「・・・それは、毒を操る魚座の聖闘士であっても、耐えられぬ程のものなのか」

 

「そうだ。・・・現に、私の血で、魚座の聖闘士であった私の師は・・・──命を、落としている」

 

「・・・!」

 

 鋭く息を呑み、俺とアフロディーテは目を見開いた。

 硬直する俺達を視界に留めながら、アルバフィカは言葉を続ける。

 

「私の毒の血は、ルゴニス先生から受け継いだ、魚座の誇りであり・・・大切な、絆なんだ。・・・故に、この毒で守るべき民や同胞を傷つけることは、あってはならない。どうか、聞き入れて欲しい」

 

 艶やかな長髪を揺らしながら、男は凜と紡ぐ。

 研ぎ澄まされた刃の如き、真っ直ぐな視線の奥には、滲み出る何かがあった。

 

「・・・誇りと、絆か・・・承知した。貴公の言った通りに動くとしよう」

 

 一瞬きの後に、アフロディーテは肯定の意を込めて応えた。

 アルバフィカは小さく微笑む。

 

「感謝しよう、今代の魚座よ」

 

 それだけ言って、男は踵を返して、再び歩み始めた。

 衣に木漏れ日を反射させるアルバフィカを追い、俺達も足を動かす。

 

 前へ、前へ。

 生き物の死滅した森の中を、唯ひたすらに突き進む。

 

 暫くして、濃厚な、甘ったるい香りが鼻腔をかすめた。

 前方──幾つかの樹木を超えた先に、紅い光を反射する空間が拡がっている。

 とうとう、目的の地へと到着したのか。

 

「ん・・・? あれは・・・結界か?」

 

 前方の空間を包み込む、薄い膜のように、何者かの小宇宙が展開していた。

 件の偽神の小宇宙を感じられなかっため、不思議に思っていたのだが、どうやら境界を区切ることで気配の放出を防いでいたらしい。

 

「・・・疑似神域でも展開して、神性を補強しているのか? 畜生、他神の管轄地で好き放題してくれるな・・・!」

 

「ヘリオスよ、その・・・疑似神域、とはなんだ?」

 

 怪訝そうに問い掛けるアルバフィカに、少し考えてから口を開く。

 

「簡単に説明すると・・・そうだな、領域を内と外に分けることによって、自らの神域のようにして、権能を振るえる空間を作り出す技法、と言えばいいだろうか」

 

「ふむ・・・それは、女神アテナが聖域に貼る結界と、似た様なものだと思えば良いか?」

 

「あぁ、その理解で十分だ。今言えるのはそれくらいだな・・・別途、気づいたことがあれば伝える」

 

「承知した。・・・では、行くぞ」

 

 真剣さを増した声で言って、アルバフィカは結界内へと侵入する。

 次いで、アフロディーテが颯爽と歩みを進めた。

 

「・・・・・」

 

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 美しい赤薔薇で彩られていようが、この先は戦場(いくさば)だ。

 気を引き締めろ。

 眉間に力を込め、神経を尖らせた俺は、力強く一歩を踏み出した。

 

 そして。

 

 

「──ッ!? この、小宇宙は、まさか──アポロンの・・・!?」

 

 動揺。

 焦燥。

 胸が詰まるような、懐かしさ。

 

「・・・・・・どうしてこんな所に、アポロンの小宇宙が・・・」

 

 湧き上がってくる様々な感情に翻弄され、か細く声を零す。

 すると、様子の変わった俺に気が付き、少年が振り返った。

 

「ヘリオス? 一体どうし──」

 

 

「──今、我が怨敵の名を呼んだ者は、誰か」

 

 

 ずん、と、荘厳さに満ちた声が、世界に轟いた。

 腹の奥に響くような、畏怖すら覚える声音だった。

 吸い寄せられるようにして、視線が動く。

 

「・・・あれが、太陽神ヘリオス、だと?」

 

「っ・・・お前が、俺の名を騙る者か・・・!」

 

 呻くアフロディーテに続いて、声を荒げる。

 紅く咲き乱れる薔薇の園に、屹立する神が一柱。

 

 それは、美しい、男だった。

 

 肩まで伸びて揺れる、鮮やかな藍色の髪。

 豊かな睫毛に縁取られた瞼に──虚ろに染まる、蒼の瞳。

 血のように紅い衣と、それを覆う冷たい白の外套。

 

 一目見ただけで確信する。

 あれは、紛う事なき、一級神だ。

 

 ──しかし、

 何よりも目を引くのは、美麗な容姿でも、圧倒的な小宇宙でもなく、

 

 ──男を中心として渦巻く"漆黒の瘴気"だった。

 

 憤怒が、悲しみが、重苦が、拒絶が──虚無が、形を為して顕現しているかのような。

 男神の足下から溢れ出る醜悪な闇に、思わず眉根を顰めた。

 

「・・・まるで、混沌から、負の感情だけを掬ったような有様だな」

 

 アルバフィカの身を侵食していた瘴気など、比較にもならない。

 とんでもない濃度の穢れだ。

 冥界に連なる神でさえ、これ程までに暗く染まる瘴気を発することはないだろう。

 

「お前だな? 忌々しい、アポロンの名を口にした者は」

 

 冷徹な声で、偽太陽神は俺を睨めつけ宣った。

 途端、カチンと、頭に血が上る。

 

「・・・あ? 俺の名を騙るだけには飽き足らず、お前、俺の友を貶すつもりか?」

 

「友だと? フッ・・・矮小な人間の子が、あのアポロンの友を自称するとはな、とんだ笑いぐさだ」

 

「俺は人間でもなければ、虚言吐きでもないわ・・・! この偽太陽神が・・・お前は一体どこの何者なんだ、答えろッ!!」

 

「・・・なに?」

 

 吠える俺を、神は、訝しむような目で見据えた。

 

「そこの人間から訊いてはいないのか? 私は太陽神ヘリオス、この島を統治する──」

 

「既に分かっている嘘を吐くな。一応はゼウスよりも先に生まれたこの俺が、一度として見たことの無い神・・・答えろ、お前は、どこから来た、何者だ」

 

「・・・・・・ふむ。成る程、その小宇宙・・・酷く儚いが、この島に残存していたものと同質のようだな」

 

 すう、と目を細めて、男神は口を動かした。

 

「そうか、"ヘリオス"とはアポロンを指す名の一つだと認識していたが、()()()()()()()()()、個別に存在する神であるようだ。そして、お前は太陽神ヘリオスに連なる者、といったところか──いいだろう、幾分か力は取り戻した。最早この名に拘泥する必要は無い」

 

 薄く、嘲りの笑みを讃えて、男神は朗々と言葉を発する。

 

 

「──我が名は、フォェボス・アベル。神々の父にして、全知全能の神ゼウスの子であり・・・()()()()()()()、忘れ去られた太陽神である」

 

「・・・──は? 異界・・・っい、異世界だと!?」

 

 愕然と、間の抜けた声を上げる。

 異世界──平行世界とも言える、遙か彼方に在る時空。

 その、並大抵の神では超えることの叶わぬ果てから、アベルはやって来たというのか? 

 

 にわかには信じられないが・・・もしも、その言葉が真実であったとするのなら。

 この神は、力を失った状態で世界を超え、死者を蘇らせたということになる。

 

 眼前の神を凝視し、硬直していると、沈黙を守っていたアルバフィカが口を開いた。

 

「よもや、ヘリオスの言葉が真実であったとはな。太陽神ヘリオスの名を騙る、異界の神・・・フォェボス・アベルよ。お前は何故(なにゆえ)私達の世界に降臨し、この地の平穏を脅かそうとするのだ・・・!」

 

「フッ・・・私の元から逃亡した聖闘士が、自らの足で戻ってきたかと思えば・・・お前は一つ、勘違いをしているな?」

 

「・・・勘違い、だと?」

 

 鸚鵡返しに問う人間に、異界の神は平然と口を開く。

 

 

「"私達の世界"と言ったが──ここは、お前が守り、戦いの果てに没した世界ではないのだぞ?」

 

 

「・・・・・・は?」

 

「やはり気が付いていなかったのか、アルバフィカ、気高き魚座の聖闘士よ。お前は、此処でも、私の居た世界の人間でもない・・・異なる世の冥界にて眠り、私に選ばれ、蘇った者なのだ」

 

「なっ・・・アルバフィカも、異界から来た者だったのか!?」

 

 驚き叫び、アルバフィカを見やる。

 前方の人間は身じろがない。

 だが、ただ一つ、その指先は動揺を表すように、微かに震えていた。

 

「もう良いだろう──我が元に戻れ、アルバフィカよ。この地上にいる民は、お前の守った人間達とは縁はない。ここに、お前の守るべき者は存在しない。・・・故に、お前が私に逆らう理由は、既に潰えたのだ」

 

「・・・・・・」

 

「っ・・・アルバフィカ・・・!」

 

 声を荒らげ、男の名を呼ぶ。

 しかし、アルバフィカは、縫い付けられたかのように立ち竦み、何も語らない。

 その胸中をはかることは叶わず、僅かな焦燥が俺の心に浮き上がり始める。

 

 ──すると、

 

「ふん、全知全能の神の子を名乗りながら、お前は、人というものを何も理解できていないのだな」

 

 突如として、澄んだ声が空間に響いた。

 

「なに?」

 

「あ、アフロディーテ?」

 

 声の主は、事の成り行きを俯瞰していたアフロディーテだった。

 失笑を零し、少年はアルバフィカに視線を向ける。

 

「言葉にするのも愚からしいことだが・・・貴公ならば、答えられるだろう。そこの物知らぬ神のために、教えてやれ」

 

「・・・──そうだな」

 

 囁くように呟いて、アルバフィカは右手に一本の薔薇を添え、それを左胸に掲げた。

 

「アベルよ──世界など、関係はないのだ。目の前で苦しみ喘ぐ民がいるのなら、その者を救う為に拳を握り、立ち向かうのが聖闘士だ」

 

 敢然と言い切った男に呼応するかの如く、深紅の薔薇が宙を舞う。

 

「・・・縁のない者達のために、みすみすその命を散らすというのか?」

 

「縁ならば既に──此処にある」

 

 迷いのない瞳で振り向き、俺と、アフロディーテを視界に納めて、戦士は言葉を綴る。

 

「傷に塗れ、倒れ伏す私を助けてくれたヘリオスが・・・私の誇りを信じてくれたアフロディーテが、彼等がいる・・・! 世界を超えた先で、人の世の平穏を望む、幼くも勇ましい同胞達に出会うことが出来たのだ・・・──ならば」

 

 男は、一輪の赤薔薇を神に標準し、猛然と叫ぶ。

 

 

「例え、二度目の生を与えられたとしても・・・私はお前の軍門には降らない! この島の民のため、そして、私を信じてくれた異界の同士のため──この命、燃え尽きようとも悔いはない!!」

 

 

 声は、紅く染まる天の果てまで轟いた。

 異界の戦士の言葉が、長い余韻を残して消える。

 

 俺はちらりと、視線をアベルへと向けた。

 凛烈なる相貌の男神は、読めない表情で、アルバフィカを視ている。

 だがしかし、その虚ろな眼に、一瞬、苛立ちにも似た色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

 

 

「・・・・・・そうか」

 

 やがて。

 少しの間を置いて、アベルは、小さく息をついた。

 ピリッ、と、空気が張り詰める。

 

 ──くるか・・・! 

 

 身構え、射貫くように、異界の神を注視する。

 

 すると、漆黒の闇を纏う神は、右手をゆっくりと持ち上げて、一言、

 

 

「──残念だ」

 

「──ッッ!? が、あああああああッ!!!」

 

 翠色(すいしょく)の小宇宙が男神から迸ると同時に、

 アルバフィカの心臓から、漆黒の闇が噴き出した。

 

「アルバフィカッ!?」

 

「無駄な力を割きたくはなかったのだがな・・・従わぬというのなら、致し方あるまい」

 

 憐憫にも似た空気を纏い、アベルは冷たく言葉を放つ。

 

 不味い。

 反射的に、そう感じた。

 

「──やらせないッ!!」

 

 浄化の小宇宙を燃やし、暗闇に包まれる同胞の元へ駆ける。

 

 間に合え、間に合ってくれ・・・!! 

 

 悲鳴にも似た叫びが、心の中で木霊する。

 全身全霊をかけて、地面を蹴る。

 

 しかし。

 

「──ヘリオスッ!!」

 

「えっ──」

 

 バキンッッ!!! 

 

 

 と、鈍い音が、耳朶を打った。

 何が起きたのか理解出来ず、呆然と瞬きを繰り返す。

 

 ──視界に拡がるのは、小さな、金色の背中だった。

 心臓がけたたましく、ドクドクと脈打つ。

 

「・・・・・・あ、アフロディーテ・・・?」

 

「ぐっ・・・聖衣も纏わず、この威力か・・・!」

 

 呻く少年に、何故、と問おうとして、その先にいる存在に、息を止める。

 

「・・・そん、な」

 

 一回り小さい、アフロディーテの右手に止められる、()()()()()()()()()()()

 漆黒の闇に包まれ、虚ろな瞳で少年を見据える、魚座の聖闘士。

 その姿が意味することは、ただ一つ。

 

 異界の太陽神による、人心の掌握──完全支配。

 

「はあぁぁッ!!」

 

 猛り吠えて、アフロディーテは空いた左腕を突き出した。

 何の飾り気も無い、光速の、小宇宙を込めた正拳突き。

 しかし、アルバフィカは後ろに飛び退き、それを難なく躱してみせた。

 

「忌々しいアポロンの結界により、私はこの場を動くことが叶わなかったが・・・フッ、私の小宇宙により蘇り、私の意思によって命を繋がれている人間が・・・何故、このアベルに盾突けるなどと思えたのか」

 

 異界の神は、嗤う。

 

「その身を蝕む小宇宙をいくら祓ったとしても、その命が私の力によって維持されている以上、この支配から逃れる術などないのだ」

 

「・・・・・・」

 

 アルバフィカは、アベルを守る騎士のようにして、赤薔薇を構えた。

 

 信じたくない。

 だが、目の前で起きている全てが、現実なのだ。

 

 異界の同士は、魚座のアルバフィカは、もういない。

 熱い闘気は失われて、誇りは、暗闇へと沈み、消えた。

 俺達の前に立ち塞がるのは、太陽神アベルの手により蘇った、コロナの聖闘士。

 

「・・・アルバフィカ」

 

「ヘリオス、君は、下がっていろ。君は十分、役割を果たした」

 

「だけど・・・!!」

 

「──ここから先は、聖闘士の務めだ」

 

 少年は、見たことの無い厳しさを漂わせ、足を踏み出した。

 何故そうも粛然としていられるのかと疑念を抱くが、その背に溢れる攻撃的な小宇宙を認識し、悟る。

 ──アフロディーテは、激怒しているんだ。

 

「・・・確かお前は、我が妹、アテナの聖闘士にして、私に忠誠を誓った魚座の・・・」

 

「どこの世界での話をしている、私を愚弄しているのか?」

 

「・・・フッ、まぁ良い・・・私の邪魔をするというのなら──慈悲はない」

 

 太陽神アベルは、冷ややかな声で、裁定を下す。

 

 

「そこの者達を殺せ、アルバフィカよ。この島を・・・この世界を我が手中に収め──真なる太陽神とは誰なのかを、愚かな神々に知らしめるのだ」

 

「──・・・御意」

 

「行くぞッ・・・!」

 

 アルバフィカと、アフロディーテ。

 二人の魚座による戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 







真紅の少年伝説視聴後の作者。
「・・・結局、真紅の少年は誰だったんだ・・・?」
困惑しています。

お気に入り登録、温かい感想など、本当にありがとうございます。
好き勝手に書いているので、評価バーに色がついたのはとても驚きました。本当にありがとうございます。

リアルが忙しすぎて執筆速度が落ちていますが、のんびり更新していきますので、読んでいただけるととても嬉しいです。

今話は、ヘリオス以外の登場人物の名前が「ア」から始まる方しかいなかったので、結構混乱しながら書いてました(白目)


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10話 真紅の決死圏

 

 

 

 ヘリオスは、力のない神だった。

 

 一級神には遠く及ばず、二級神には鼻で笑われる、

 ティターン十二神の子であり、太陽神であるということだけが、ヘリオスを太陽(ヘリオス)たらしめる、存在の証明となっていた。

 

 悔しかった。

 

 自分が悪く言われることが、ではない。

 それくらいならば、許容することもできたのだ。

 自らが力のない三流神であることは事実なのだから、好きに言わせておけ、と無視をすることができた。

 

 だが。

 自らを貶す者達が、大切な家族の名を挙げ連ねて、哄笑の対象とし、侮辱することだけは、許せなかった。

 

 だから、ヘリオスは、必死になって努力をした。

 小さな掌が血塗れになっても手綱を握り続け、ペガサスを御すべく鍛錬を重ねた。

 "光に照らされた万物が、良き方へと導かれますように"

 そんな願いを小宇宙に込めて、小さな神は世界を駆けた。

 

 やがて、暫くの時が経ち。

 願いは、"浄化"という性質へと昇華した。

 細腕にはしなやかな筋肉がつき、ペガサス達とも仲が良くなって、

 気が付けば、ヘリオスは太陽神の呼称に恥じない、立派な神へと成長していた。

 純粋な神力(デュナミス)は相も変わらず弱くとも、自らの役割を遂げられるだけの小宇宙を得ることが出来たのだ。

 

 安心した。

 

 これでもう、父上や母様、可愛い妹達が誹られることはないだろう。

 時は巡り、太陽を司る友ができ、安寧と停滞に満ちた、幸福な日々が訪れる。

 

 ──しかし、

 

 地に落ちて、力を失って。

 目の前で戦う、小さな恩人の背中を見るだけしかできない、今の自分を顧みて、痛感する。

 

「・・・・・・俺は、あの頃と、何も変わってはいなかったのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地を覆う真紅の薔薇──魔宮薔薇(ロイヤルデモンローズ)

 魚座の操る、触れた者を死へと誘う、恐ろしくも美しい毒の薔薇。

 そして、

 その毒の海を物ともせずに光速で駆ける、二つの陰。

 

「初手より奥義にて仕る──!」

 

 アルバフィカから距離を取った場所で、アフロディーテは声高らかに叫んだ。

 

「──ピラニアン・ローズッ!!」

 

「・・・ピラニアン・ローズ!」

 

 刹那の時を刻んで、アルバフィカも鋭い声で技名を口にした。

 

 途端、漆黒の薔薇が、空間を埋め尽くすようにして発生する。

 黒水晶のような、美しい輝きを纏う少年の薔薇と、全てを拒絶するが如き、闇の瘴気を撒き散らす青年の薔薇。

 両者の黒薔薇は、それぞれの標的へと向かい、空間を引き裂き疾駆する。

 

 "ピラニアン・ローズ"

 触れたものを粉砕する程の、恐ろしい威力をもつ、魚座の必殺技の一つ。

 本来ならば花びらは拡散しつつ敵に襲いかかり、まるでピラニアが獲物を食い散らす如く、対象をズタズタにするのだが・・・。

 

 ドドドドドッッ!!! 

 

 と、莫大な振動が空間を支配した。

 アルバフィカとアフロディーテ、両者の放った数百・・・いや、千を優に超えるであろう黒薔薇の群れが衝突する。

 花びらが拡散する間もなく、さながら戦場で射られる矢の如く。

 漆黒の嵐は、互いを食い潰し合うようにして、主の敵を穿たんと襲いかかった。

 

「・・・当たれば、串刺しじゃ済まないな」

 

 拮抗する膨大な小宇宙の衝突に、乾いた声が喉から漏れ出た。

 

 前方、離れたところでピラニアン・ローズを繰り出すアフロディーテ。

 そして・・・少年の黒薔薇を防ぎきれず、白い衣を己の血液で汚していく、アルバフィカ。

 

 戦況は、僅かにアフロディーテに傾いているようだった。

 ・・・だが、

 

「・・・どうして、アベルは動かないんだ」

 

 身動ぎもせず戦いを眺める異界の神が、今は何よりも不気味だった。

 聖闘士の掟である、一対一の戦いを遵守しているから? 

 ──否。

 聖闘士の掟を守っても、アベルにとって益になることはない。

 

 では、わざわざ自分が手を下すまでもないと考え、アルバフィカに一任しているのか。

 ・・・いいや、戦況はアフロディーテに傾いている。

 そんな余裕はないはずだ。

 だとすれば。

 アルバフィカがアベルの支配に抗い、その抵抗を抑え込むのに手一杯なのか、

 

「・・・それとも、()()()()()()()()()()

 

 囁くように呟いて、俺は眉根に力を入れた。

 静かに佇むアベルを凝視し、その真意を探ろうとする。

 

「目を覚ませ、魚座のアルバフィカよッ!! そのような暗闇に飲み込まれる貴公ではないはずだ!!」

 

「・・・・・・」

 

 荒い声で呼びかける少年と、鮮血を撒き散らしても攻撃の手を休めない、異界の聖闘士。

 目の前で繰り広げられる、仲間同士の戦い。

 

「・・・・・・見ているだけしか、できないのか」

 

 虚しさが胸中に蟠り、思わず唇をぎゅっと噛み締めた。

 何故、必要なときに限って、俺は何もすることができないのか。

 

 ・・・もしも、もしもあの抗戦地点に踏み込めば、ボロ雑巾のように惨めに、塵よりも虚しく身体を散らすことになるだろう。

 不死身の身体だ。

 再生には時間がかかるだろうが、一度くらいなら、少年を庇うことができるかもしれない。

 しかし、タイミングを誤れば無駄に身体を散らすことになる。 

 アフロディーテに隙を作ってしまうかもしれない。

 

「・・・ちくしょう」

 

 力のない自分が、惨めで、悔しかった。

 だが、少年の足を引っ張ることだけは、してはならない。

 結果・・・今の俺には、視て、考える。

 ただ、それだけのことしか、許されてはいなかった。

 

 

「はあああぁぁぁッ!!」

 

 アフロディーテが咆吼する。

 相殺を免れた黒薔薇を叩き落とした少年は、気合いと共に高く、跳躍した。

 激しい黒薔薇の衝突が、轟音を炸裂させる空間を超え、

 少年は、天に輝く光球を背に、アルバフィカを鋭く捉えた。

 

 

「その身に受けるがいい──ブラッディ・ローズッ!!」

 

 ゴオッ!! と、風が唸り声をあげると同時に、少年の掌から、眩い光芒が迸った。

 

 魚座の黄金聖闘士、最大にして、究極の必殺技、"ブラッディ・ローズ"。

 小宇宙を込めた白薔薇を相手の心臓目掛けて投げつけ、刺さった白薔薇が対象の血液全て吸い上げるという、恐ろしい技だ。

 

 一輪の白薔薇は宙を駆け──

 

「・・・!」

 

 ──アルバフィカではなく、戦いを眺望していた異界の神へと突き進んだ。

 

 猛烈に邁進する白薔薇は、少年の想いに呼応するが如く、温かくも力強い光を放つ。

 さながら、その光は、万物を照らし出す陽光のようだった。

 ・・・"願い"だ。

 アベルに対する怒りではなく、白薔薇に込められたのは、切実な願いだった。

 地上よ、人の世よ、平和であれと。

 同胞よ、異界の魚座よ、安らかに眠れ──私が、全てを終らせてみせる。

 そんな、アフロディーテの全身全霊の想いをのせた、究極の一撃だった。

 

「・・・ふん・・・()()()

 

「っ──!!」

 

 ──ドシュリ。

 

 鈍く、耳障りな音が鼓膜へと届いた。

 瞬間、戦慄くアフロディーテの視線の先で、血しぶきが、艶やかな空の髪を汚す。

 

「あ、あ・・・」

 

 理解が追いつかず、強張る唇を震わせて、俺は呻いた。

 

()()()()()()()()()()()()・・・!?」

 

 視線の先。 

 そこにはアベルを庇い、心臓にブラッディ・ローズを受ける、異界の同士がいた。

 どぷり、とアルバフィカの口から鮮血が伝い、純白の衣を汚していく。

 灼熱の痛みが、身を引き裂かんばかりの衝撃が、その身を支配しているはずなのに・・・

 アルバフィカは眉一つ動かさず、凍てつくような瞳で、アフロディーテを見据えていた。

 

「相見える敵を無視し、不意を突いて私を攻撃するなど・・・この世界の魚座(ビスケス)とは、随分と卑怯な存在であるようだ」

 

「っ──お前ッ!! 巫山戯るなよ! アルバフィカを盾にしておいて、アフロディーテを卑怯と誹るだとッ!? それでもお前は太陽神か、それでも誇りのある神なのかッ!?」

 

 燃え上がるような怒りが沸き起こり、俺は鋭く叫んだ。

 しかし、アベルは自らを糾弾する言葉を涼しい顔で受け止めて、静かに口を開いた。

 

「何を喚く・・・戦士が、その身を挺して主を守るのは、おかしなことではないだろう」

 

「お前が無理やりそうさせたんだろう・・・!? これ以上そこの人間の・・・アルバフィカの命を弄ぶなよ!」

 

「神に命令をするとは・・・身の程を知らぬ愚か者が。・・・貴様は私に意見をする前にまず、臆病な太陽神を、この場に引きずり出すことから始めるがいい」

 

「臆病・・・だと?」

 

「それが、相応しい評価だろう。自らが統治する島の守護を女神の聖闘士に任せ、この場に現れない卑怯で臆病な神・・・いいや、若しくはこの島の顛末になど、然程の興味も抱いていないであろう神に比べれば・・・私の行ないの何処に、非を見いだせようか」

 

「っ・・・」

 

 言葉が、詰まった。

 

 ヘリオス(オレ)は今、ここに居る。

 だけど、

 

『自らの統治する島の守護を女神の聖闘士に任せ──』

『この島の顛末になど、然程の興味も抱いていないであろう神──』

 

 アベルの放った言葉は、残酷なまでに、的を得ていた。

 

 偶然、このロドス島が危機的状況にあると知らされるまで、俺の頭の中は、天界に戻ることで一杯になっていた。

 ・・・いいや。

 それどころか、ゼウスに島を与えられた時ですら、この地に対する興味は微塵もありはしなかった。

 

 俺を信仰してくれた民のことなど、頭の片隅にも置いてはいなかったのだ。

 

『神が守るべきものは、己を信じる民─そして理想郷を生む為に想いを分かち合う同胞だ』

 

 かつて、遠い昔に、父上が教示してくれた言葉が蘇る。

 あの頃は、俺を信じてくれる民も、友も、存在しなかった。

 

 だけど、今は、

 

「そうだ・・・民も、友も・・・大切なものは全て、手を伸ばせば、届く場所にいたんだ。・・・それなのに、俺は」

 

 ──全てを諦めて、自らの殻に閉じこもった。

 

 俯き、項垂れる。

 言い返さない俺に対し、表情を変えず、異界の神は言葉を続けた。

 

「ふん・・・アポロンの友を嘯く、太陽神ヘリオスに連なる人間よ、貴様とて、同じであろう。歳もそう変わらぬであろう、そこの聖闘士の背に隠れ、声を荒らげることしかできない・・・どころか、アルバフィカの黒薔薇から守られていた者が私を糾弾するなど・・・失笑も零れぬわ」

 

「──は?」

 

「なんだ、その間抜けな面は? ・・・己こそが、目の前の少年を盾とする卑怯者であったことに、言われてるまで気がつかなかったとでも言うのか? ・・・フッ、なんとも、目出度い頭であるようだ」

 

 漆黒の瘴気を撒き散らして、アベルは酷薄な笑みを浮かべた。

 異界の神の言葉が、深く突き刺さる。

 ぴしり、と、魂の奥底で、何かに亀裂が走る音が響いた。

 傷など一つも負っていないはずなのに、心が、魂が、引き裂かれるような激しい痛みを主張する。

 

「・・・嘘だ」

 

 俺は、既に、アフロディーテの足を引っ張って──、

 

 

「──誰が、卑怯者だと?」

 

 地を這うような声が、空気を揺らした。

 霞む視界の中で、肩を震わせる人間が、一人。

 

「なぜ、戦う力がないというだけで、貴様は、ヘリオスを卑怯と謗れるのだ?」

 

 それは凜々しい、少年の声だった。

 

「私は先刻言ったはずだぞ、ヘリオスは既に、自らに課せられた役割を遂げたのだと。ロドス島の民を毒から救い、アルバフィカの傷を癒し・・・この場を、私へと繋いでみせた!」

 

 柳眉を吊り上げて、烈火の如き双眸で、アフロディーテは噛み付くようにして言い切った。

 ぽかんと間の抜けた顔で硬直していると、小さな戦士は振り向き、

 

「そこの、三流神ヘリオスッ!!」

 

「っ!? な、なんだ?」

 

「君こそ、何を縮こまっているんだ! 教皇様から与えられた任以上のことを、君は成し遂げたのだぞ? 誇りこそすれど、そこのくだらん神の戯言に付き合う必要はないだろう!?」

 

「だ、だけど・・・俺は、お前を盾にして・・・」

 

()()()()()()()? 前に教えただろう・・・聖闘士とは、民の盾となり、鉾となる存在なのだ。私が君を護ることに、何の問題があるというのだ! 無力を嘆いても不毛なだけだ! 背伸びをする必要はない・・・君は、今の君に出来ることをしろッ!!」

 

 アフロディーは憤然とした様子で、いつものように、俺を叱責した。

 敵に向けるよりも強い炎を灯した双眼で、俺を一瞥して、少年は身を翻す。

 

「・・・・・・」

 

 俺は、間抜けに開けていた口を、静かに閉じた。

 

 普段ならばムカッと頭にきて、言い返していたであろう、不敬で不遜な人の言葉。

 それが。

 その一喝が、今は、

 

 ──存外、ガツンと胸に響いた。

 

「・・・聖闘士め、余計なことを」

 

「異界の太陽神よ! 最早、貴様を守るアルバフィカはブラッディ・ローズに心臓を穿たれ、身動きがとれん・・・観念するがいい! 我が同胞の誇りを汚し、無辜の民より平穏を奪おうとした罪・・・女神の名の下に断罪してくれる!!」

 

 憤るアベルに向けて、アフロディーテは力強く宣った。

 そして、

 ──再び、少年の掌に、眩い光芒が宿る。

 二輪目の──ブラッディ・ローズだ。

 アフロディーテは白薔薇に小宇宙を込めて、大きく腕を振りかぶった。

 

 しかし。

 

 

「──だから、甘いと言っているッ!!」

 

 怒りの篭もったアベルの声が、世界に轟くと同時に、

 

 ──血塗れの聖闘士・・・アルバフィカの瞳が、妖しく瞬いた。

 

 

「──クリムゾン・ソーンッ!!」

 

 迸る、獰猛な雄叫び。

 アフロディーテの不意を突く、必殺の一撃。

 

「──なっ」

 

 アルバフィカの傷口から射出される、深紅の鮮血──猛毒の針の雨に、アフロディーテは小さく喘いだ。

 少年の知らない、アルバフィカのみが操れる技による、敵の殲滅。

 自らの聖闘士が傷を負い、アフロディーテが油断をした瞬間を・・・アベルは、狙っていたのだろう。

 

 硬直する少年に、幾千を超える毒の針が襲いかかる。

 

 ──だが。 

 

 

「──浄化炎(メギド・フレア)アアアッッ!!!」

 

 その全てが、()()()()()()()

 

「ッ・・・!?」

 

 息を呑んだのは、誰だったのか。

 カッ、と閃光が迸り、純白に輝く炎が、猛毒の嵐を退けた。

 かつて、巨蟹宮の壁を覆う、人間達の魂を輪廻へと送った浄化の小宇宙──浄化炎(メギド・フレア)が、毒薔薇の園ごとアルバフィカの攻撃を包み込んだ。

 

「ガハッ・・・ゲホッ・・・あ゙ぁ、良かった・・・()()()()()()()()!」

 

「ヘリオス・・・!」

 

 血を吐きつつも、俺はアフロディーテの傍らまで歩みを進めた。

 

「無茶をする・・・!」

 

「無茶なものか。それに、()()()()()()()()()()って、そう言ったのは、お前だろ」

 

「! ・・・フッ、そうだったな・・・感謝する。流石の私も、今の一撃には耐えられなかった」

 

 アフロディーテは薄く笑い、視線をアベルへと戻した。

 倣うようにして、俺も前を向く。

 異界の神は、どす黒い瘴気で大気を震わせながら、俺達を睨みつけていた。

 

「おのれっ・・・アルバフィカの瘴気を祓ったその小宇宙。・・・やはり、先に片付けるべきは貴様だったか! 太陽神ヘリオスに連なる者よッ!!」

 

「ぐっ──あ゙あああぁぁッッ!!」

 

 アベルが怒声を放つと同時に、アルバフィカの心臓から、漆黒の闇が激しく噴出した。

 全身を飲み込む瘴気に、異界の聖闘士は苦悶の叫びをあげる。

 そして、最早焦点の定まっていない双眼で、絶叫する。

 

「クリムゾン・ソーンッ!!」

 

「っ──浄化炎(メギド・フレア)ッ!!」

 

 再び襲いかかる猛毒の奔流に、俺は、小宇宙を解放する。

 掌から、純白の炎が発生し、クリムゾン・ソーンを相殺していく。

 

「うっ・・・」

 

 ゴプリ、と血の塊が地面を汚す。

 それでも、アルバフィカの攻撃が止むまでは、耐えなければならない。

 ガクガクと震える全身を叱咤して、俺は両手を掲げ続けた。

 

 しかし。

 

「・・・()()()()

 

「・・・あぁ」

 

 傍らで声を漏らす少年に、俺は小さく頷いた。

 

 降り止まぬ、猛毒の嵐──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「もうとっくに、人間の体内に循環する血液は全て放出したはずだッ!! それにも拘わらず・・・なぜ尽きない! なぜ、その命を流し続けることができるんだッ!!」

 

「・・・フッ、ハハハハハッ!!! 最初から貴様達には、勝利などはなかったということよッ!」

 

 アベルは、狂ったように嗤う。

 

()()()()()()()()()!! 自らの命を刃と変える、アルバフィカの最大にして諸刃の秘技、"クリムゾン・ソーン"・・・その欠点を補う策としては、これ以上の方法はないだろう!!」

 

「っ!? 死者を蘇生し続ける、だと・・・!?」

 

「そうだ。・・・無駄な小宇宙の浪費はしたくはなかったが・・・最早、躊躇うまい!!」

 

 アベルは獰猛な笑みを浮かべて、これ以上言うことはないと、口を閉じた。

 

 

「・・・・・・そんな」

 

 身体から、力が抜けていく。

 

 ──届かないのか。

 

 俺達では、異界から来た脅威に対抗することは、できなかったのか。

 同胞を、アルバフィカを支配の軛から解放することも叶わずに。

 ロドス島の民を守ることも出来ずに。

 

 惨めに、負けてしまうというのか。

 

 口内に広がる鉄の味も薄れていき、世界が、遠くなる。

 諦めたくない。

 抗いたい。

 だけど、どうしようもなく──力の差は歴然だった。

 

 

「・・・ヘリオス、君に、頼みがある」

 

「・・・・・・アフロディーテ?」

 

 少年が、静かに言葉を放った。

 この状況で、何を頼むというのだろうか。

 怪訝に思い、弱々しくその名を呼ぶと、

 

 

「君は、()()()()()。・・・そして、射手座のアイオロス、双子座のサガ、山羊座のシュラ・・・彼等の内から一人を・・・最後に、死者の魂を操れる者──蟹座のデスマスクを、この地へと連れてきて欲しい」

 

 

 迷いのない瞳で、そう言った。

 

 

 



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11話 鼓動に委ね、全てを放つ

 

 

 

 

 小宇宙を振り絞り、浄化炎を維持しながら、思考する。

 

 アフロディーテが一人残り、アベルとアルバフィカをこの場に止める。

 そして、俺が聖域へ戻り、黄金聖闘士の増援を要請する。

 

「・・・・・・」

 

 それは、

 ──現状に即した、賢い選択だった。

 

 エジプトの任務にて、アポフィス神を打倒した射手座のアイオロス。

 神の化身とまで呼ばれる清い心と、確かな実力を持ち合わせる双子座のサガ。

 人の身でありながら自らを研ぎ澄まし、一振りの聖剣へと昇華させたという、山羊座のシュラ。

 ・・・そして、小宇宙を死の燐光へと変換し、魂へと直接干渉する術を持つ、蟹座のデスマスク。

 

 彼等の力があれば、この島の民達を守ることができる。

 この絶望的な状況を覆し、異界神アベルを打倒することが叶うのかもしれない。

 

 任務を遂げるために導かれた、お手本のように綺麗な解答だった。

 戦士という視点から判断するのなら、多くの命を救える、賢い選択だった。

 

 だから。

 

 

「──駄目だ」

 

 俺は、はっきりと、拒絶した。

 

 大勢の民を救うという目的は、正しいものだと断言しよう。

 だが、その過程で、切り落とされる者がいる。

 全を救う為に、個が──()()()()()()()()()()()()()

 

 そんなの、絶対に──許容できない。

 

 血の気の失せた掌から小宇宙を放出し、『クリムゾン・ソーン』防ぎながら、

 

「却下だ。そんな頼み、聞きたくもない」

 

「ヘリオス」

 

「お前は、理解しているのか。一人で、あの神とアルバフィカを相手取れば、いくらお前でも、」

 

「ヘリオス」

 

「・・・・・・きっと、何か、別の手段が、」

 

「ヘリオスよ」

 

「・・・・・・」

 

「最早、これ以外に、手段はないのだ」

 

 どこまでも透き通った瞳で、アフロディーテは毅然と言った。

 

 ──分からない。

 

 未だ十歳の少年が、どうして自分の命を切り捨てる選択ができるのだろうか。

 全てを悟ったかのような表情で。

 怒りもせず、嘆きもせず。

 粛々と、己の任務を遂げようとする。

 

 唇を噛み締めて、俺は叫んだ。

 

「──絶対に駄目だ!! 死んだら何も残らないんだぞ!? 今まで積み重ねてきた過去の努力も、これから続いていく未来も、全てが消えてしまうんだッ!! それなのに・・・なんで、どうしてそんな悟ったような目ができるんだよ!!」

 

「・・・・・・」

 

「・・・俺は、嫌だ。散々お前の鍛錬に付き合ったんだ・・・だから、立派な聖闘士になったお前を見る権利だってあるはずなんだ。それに、おかしいだろ。誰かの命を守るために戦うお前が、どうして自分の命を切り捨てる選択ができるんだ・・・そんなの、矛盾している」

 

 自らの無力さは棚に上げた、酷く醜悪で、無責任な言葉だった。

 ・・・いいや。

 最早それは、少年ではなく、無力な自分に向けた糾弾でもあった。

 

 少年は、地に落ちた俺を見つけ、助けてくれた恩人だ。

 力を失い天界へと戻れない俺に、地上での生き方を教授し、俺が無気力に打ち拉がれていたときは、道を示し、導いてくれた。

 

 自らも聖闘士として忙しい日々を送っているというのに、この生意気で不敬な人間は、常に俺を支え、助けてくれていたのだ。

 

 それなのに。

 そんな、大恩のあるお前を、犠牲にしろというのか。

 まだ何も報いていないのに。

 不死の神が、十年しか生きていない少年を、見殺しにするしか、道はないというのか。

 

「フッ・・・死ねば、何も残らないか・・・それは違うな」

 

「・・・は・・・?」

 

 深紅の猛流──クリムゾン・ソーンの余波で、空色の髪を靡かせながら、アフロディーテはきっぱりと言った。

 

「無駄になど、なるものか。死者の想いは継がれていく。私が守った命が、多くの人々の願いが、やがて新たな芽と息吹き、次代へと繫がっていくのだ」

 

 論するように、言葉を連ねる。

 

「ヘリオスよ・・・人間はな、不死の神とは異なり、定命の(サガ)を背負う存在だ。・・・だがな、だからこそ、全ての積荷を、独りで背負わなくて済む。他の誰かに、想いを託すことができるのだ」

 

「・・・・・・だから俺に、託すというのか」

 

「そうだ」

 

「・・・俺は、神で、人間ではないんだぞ。それなのに・・・人ではない俺に、託すというのか」

 

「フッ・・・私が言いたいのは、神だとか人間だとか、そういった類いの話ではない」

 

「・・・?」

 

「人間の、ヘリオスという少年でなくてもいい。・・・太陽神のヘリオスでなくてもいい。君が何者であろうとも、構わない。・・・ヘリオスよ、私が想いを託したいのは──共に時を過ごした、君という存在そのものなのだ」

 

「俺、だから・・・?」

 

 か細く聞き返すと、アフロディーテは深く、しっかりと頷いた。

 

「・・・・・・」

 

 ・・・奇妙で、不思議な感覚だった。

 小宇宙も、体力も限界で・・・全身が凍えるように冷たくなっていたはずなのに。

 

 ──どうしてこんなにも、熱い想いが、胸から溢れ出てくるのだろうか。

 

 

「・・・──ッ!?」

 

 

 グワンッ!! 

 

 突如として、視界が大きく揺れ動いた。

 

「──な、にが・・・ッ!」

 

 宙に浮く身体に、吹き飛ばされたのだと理解をし──強かに、全身を地面へと打ち付ける。

 一体、何が起こったというのか。

 痛む身体を叱咤して、直ぐ様状況を把握しようと目線を動かし、

 

「っ・・・アフロディーテ!?」

 

「ぐっ・・・」

 

 遠く離れた場所で膝をつく少年と──その左肩から溢れる、夥しい量の赤い血潮。

 身を守る聖衣を貫通し、地へと突き刺さった純白の薔薇。

 

 瞬時に理解する。

 アフロディーテは猛毒の奔流に隠れて迫る白薔薇に気づき・・・俺を突き飛ばして、庇ったのだ。

 

「おのれ・・・『クリムゾン・ソーン』を隠れ蓑に、『ブラッディ・ローズ』を放つとはな・・・このような死合でなければ、手放しで賞賛していたところだ──!!」

 

 ドッッ!! 

 

 猛毒の血流が、再び少年へと襲いかかった。

 大蛇のようにしてうねり、分かれ、獲物を狙うその様は、さながら怪物──ヒュドラを彷彿とさせる、巨悪さだった。

 ・・・いいや、触れたものを皆殺すという意味では、怪物の再来と言っても差し支えない。

 

 少年は、アルバフィカの猛攻を紙一重で避けながら、叫んだ。

 

「行け、ヘリオスッ!! 君を信じ、君に全てを懸ける!! 」

 

「っ・・・俺は、」

 

「君がこの場を私へと繋いだように・・・今度は私が、未来を、同胞達へと繋いで見せようッ!!」

 

「俺はッ・・・!!」

 

 

 ──お前の犠牲の上に成り立つ未来なんて、見たくないんだ!!!! 

 

 

 

『・・・──では、お前は、どのような未来を望むのか』

 

 

 ふと、唐突に。

 懐かしい声が、頭の中で木霊した。

 

「・・・その、声は・・・まさか、」

 

『何故、お前は力を求める。・・・天界へと戻る為か?』

 

「・・・違う」

 

『では、目の前の神を滅する為か?」

 

「違う!!」

 

 ──俺が、俺が求める力は・・・!! 

 

 虚無に沈んだ瞳で血流を操る、異界の聖闘士、アルバフィカを。

 そして、視線の先で戦う、小さな少年の姿を見て、その答えを口にする。

 

 

「俺を信じて、俺に懸けてくれた──同胞達を、守るための力だッッ!!!」

 

 

 ──パリィィィィィィンッッ!!! 

 

 

 甲高い破裂音が、世界に轟いた。

 同時に、魂の奥底から、熱く滾る小宇宙が放出する。

 

 ──今の俺なら・・・できる!!! 

 

 揺るぎない確信を胸に、咆哮する。

 

「──天を翔ける我が盟友よ! 雄々しき翼を携える者よッ!! 太陽神ヘリオスの名の下に・・・(いにしえ)の契約に従い、我が元へ現れ出でよッ!!」

 

 全身全霊の咆吼は、空の最果てまで響き渡り。

 ──ゴオッ!! と、純白に輝く柱が、天と地を繋いで屹立した。

 

 ──俺は、眩い輝きを放つ柱へと、飛び込んだ。

 

「!? ヘリオス──なッ!?」

 

 驚愕の声を上げる少年の元へと()()()()、その胴を掴み、自らの後ろへと座らせる。

 

「こ、これは、まさか──()()()()()()()!?」

 

「あぁ、俺の大切な朋友の、(アネモス)だ」

 

 珍しく取り乱す少年に笑いかけ、天馬へと話しかける。

 

「アネモス・・・久しいな。俺の呼びかけに答えてくれて、有り難う・・・感謝する!」

 

『ヒヒン』と優しく啼いて、アネモスは空を旋回する。

 純白に輝く翼がはためき、強風が生まれる。

 空を覆う深紅の花びらが四散し、美しい青空が、姿を現した。

 

「っ・・・その小宇宙は、まさか! おのれッ!! アルバフィカよ、あの天馬を打ち落とせ!!」

 

「っ──ブラッディ・ローズッッ!!」

 

 漆黒の闇を撒き散らして、アルバフィカは絶叫した。

 暗黒の小宇宙を纏った『ブラッディ・ローズ』が眼前へと迫る。

 

「──何もかもが、計算通りだ!」

 

「・・・!?」

 

 ドシュリ。

 翳した左手へと吸い込まれるようにして、白薔薇が突き刺さった。

 

「──自ら、白薔薇を・・・!?」

 

「・・・なあ、アフロディーテ、俺の策に乗る気はないか」

 

「・・・策、だと?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、言葉を放つ。

 

「目には目を、歯には歯を・・・相手が毒の血を使ってくるのなら、こっちは、神の霊血(イーコール)を使ってやろう」

 

「・・・・・・巫山戯ているのか?」

 

「いや、大真面目だ怖い顔をしないでくれ。・・・復活を続けるアルバフィカの肉体。正直、どうすれば勝てるものかと考えていたんだが・・・思えば、あの脅威の蘇生は、アベルとアルバフィカの間に、小宇宙の繋がり(ライン)があるからこそ成り立っている現象だ」

 

「だから」と言葉を句切り、俺の血を吸い赤く染まったブラッディ・ローズを眼前へと翳して、

 

「一撃で、その繋がりを断ち切ってしまえば・・・死者の蘇生を止め、アルバフィカを支配から解放させられる。このロドス島に積層した民の信仰と、俺達の力を束ねれば──必ず、届く」

 

「・・・君は、本気で、言っているのか?」

 

「本気の本気だ・・・だが、この策を成功させるには・・・アフロディーテ、お前の力が必要だ」

 

「・・・・・・」

 

 沈黙し、少年は俺の掌から、慎重にブラッディ・ローズを抜いた。

 一瞬きの後、唇に大きな弧を描いて、アフロディーテは言葉を放つ。

 

「面白い、私を試すか・・・良いだろう! あの神が不要と断じた、ロドス島の民の信仰心に・・・アルバフィカのブラッディローズ。そして、私の全身全霊の小宇宙に──()()()()()()()()()()で!! あの神を穿つッ!!」

 

「よし──決めてやれ、アフロディーテ!! アネモス、頼んだ!!」

 

『クオォォォンッ!!』と、天馬が咆吼を上げる。

 すると、俺達を包み込むようにして、球状に旋風が生まれた。

 

「この風の防壁は・・・成る程、この天馬(ペガサス)は、風を操れるのか・・・!」

 

「そう・・・これでもう、俺達の邪魔は出来ないぞ、アベルよッ!!」

 

 地上から、憎悪の籠もった目で俺達を見上げる、異界の神へと叫んだ。

 天高く輝く光球を背に、俺は口を開いた。

 

「・・・幾星霜と時を刻み・・・太陽(オレ)を信じ、祈りを捧げたロドス島の民達よ。お前達の信仰に目を向けず、この島の危機を知るまで、微塵も興味を示さなかった俺を・・・許してくれとは言わない。だがどうか、この島に生きる民達を救う為──俺達に、力を貸して欲しい!!」

 

 魂の底から、叫びを上げた。

 

 ──刹那。

 

 アフロディーテの握る白薔薇が、黄金(こんじき)の閃光を放ち、凄まじい轟音の圧力が、世界を震わせた。

 

 祈りが、届いたのだ。

 

「っ・・・感謝する、民達よ!!」

 

「フッ・・・これで──全てが揃った!!」

 

 苛烈に笑った少年は、黄金の薔薇をアベルへと標準し、絶叫する。

 

 

「──漆黒の瘴気を纏う、異界の太陽神アベルよ!! この世界を照らす太陽の輝きを貴様にくれてやろう! 全ての想いを束ねたこの一撃──受けるがいいッ!!」

 

強烈な閃光が、幾筋も迸った。

 

「──"陽光纏う終幕の薔薇(ルミナス・ローズ)"ッッ!!!」

 

「──ッ!!」

 

 

 全ての祈りと、願いが宿った黄金の薔薇は、異界神へと邁進し。

 

 ──波紋の如き衝撃波となって、ロドス島全域を包み込んだ。

 

 

 

 

 



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12話 繋がりを希う者たち

 

 

 

 

 馴染み深い香気が、鼻腔を擦った。

 

「・・・う・・・わ、たしは・・・」

 

 掠れ声を漏らし、男──アルバフィカは感覚の遠い身体に力を入れた。

 朧気な意識の中に残るのは、神に操られ同胞を傷つけた、忌々しい記憶。

 易々と身体を支配された己の不甲斐なさに、表情を歪めて、アルバフィカは重い瞼を開く。

 

「・・・!」

 

 その刹那。

 

 視界に飛び込んできたのは──“黄金(こんじき)の光”だった。

 

 

「っこれは・・・・魔宮薔薇が全て、黄金に染まって・・・」

 

 自らが作り出した深紅の薔薇園、他者との共存を拒絶する毒の海。

 その全てが、神々しい輝きを纏い、気高く咲き誇っているではないか。

 

 力強くも優しい光たちに、鼻を擽る甘い薔薇の香気。 

 

「・・・懐かしい光景だ」

 

 ふと、五感の捉えた情報が、幼い頃の記憶を呼び覚ました。

 厳しくも、アルバフィカを自分の子のように接し導いてくれた、大好きなルゴニス先生との修行の日々。

 

 ──疲れ果て、毒薔薇の園に倒れ伏した時に見上げた、満開の星の海。

 

 虚空に溶け消えていく、儚くも尊い黄金の花弁達に、アルバフィカは二度と戻らない過去の情景を重ね、小さく呟いた。

 

「・・・まるで、星空のようだ」

 

「──貴公も、そう思うのだな」

 

「! その声は・・・アフロディーテか」

 

 視線を上げると、自らの傍らで膝をつく、小さな聖闘士に気がつく。

 先刻まで浮かべていた険しい眼差しは消え、少年は、穏やかに薔薇園を眺め佇んでいた。

 

 星空を彷彿とさせる輝きの中で、二人の魚座は視線を交え、先に口を開いたのは、地に身を預けるアルバフィカだった。

 

「・・・迷惑を、かけたな・・・お前達のおかげで、私は、多くの命を奪わずに済んだ。・・・共に戦うと誓っておきながら、異界神に操られるという体たらく・・・本当に、すまなかった」

 

「謝罪は不要だ・・・そもそも、貴公に非はないだろう。・・・寧ろ、()()()()()()()()

 

 凜々しく、アフロディーテは言葉を紡ぐ。

 

「神に操られながらも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。・・・支配に抗う驚異な意思力に、繊細な小宇宙の制御技術・・・貴公は宣言通り、民を守り切ってみせたのだ。賞賛されこそすれど、糾弾される謂われはないだろう」

 

「・・・私一人では、到底なし得なかったことだ。全ては、お前達の決死の奮闘あってのもの。感謝する、アフロディーテ、ヘリオ・・・ん?」

 

 懐疑的な声を漏らし、アルバフィカは辺りを見回す。

 しかし、視界に収まる範囲にいるのは己と、目の前の少年のみ。

 

「アフロディーテよ・・・ヘリオスは、どこへ消えた?」

 

「・・・・・・」

 

「・・・?」

 

「・・・ヘリオスは、だな・・・」

 

 少年は口ごもり、悩ましげに視線を彷徨わせる。

 相手が神であろうともお構いなしに言葉を放ち続けた少年にしては、違和感を覚える所作だった。

 余程話すことが憚られる理由があるのだろうか? と思考したところで──嫌な汗が背筋を伝った。

 

「まさか・・・ヘリオスは、黄金の薔薇(ルミナス・ローズ)を放った後に、命尽きて──」

 

「いや、あの大馬鹿者はきちんと生きているぞ」

 

「むっ・・・では、ヘリオスは何処へ行ったんだ?」

 

「・・・それは」

 

 少年は歯切れ悪く言い淀む。

 無事であるのなら言葉を躊躇う理由はないはず。

 訝しげな視線をやると、アフロディーテは小さく息をつき、言葉を放った。

 

 

「ヘリオスは──あの異界神を、()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・・・は?」

 

「・・・『急がないと神の道が閉じる・・・悪いアフロディーテ!! 俺はアベルを元の世界へ連れて行く! ・・・俺の代わりに、アルバフィカによろしく言っておいてくれ』・・・と捲し立て、あの馬鹿者はペガサスごと異空間へと飛び込んでいった」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・止めなかったのか?」

 

「・・・その隙も無かった」

 

「・・・・・・そうか」

 

 二人は肩を落とし、大きく息を吐き出した。

 アフロディーテは胃の辺りを擦りながら、現実から逃避するように虚空を眺める。

 

「・・・まぁ、なんだ・・・ヘリオスは愚かだが、信用はできる。此度の戦いも、彼奴の力が無ければ、勝利は無かった。・・・異界神アベルは、この島の主・・・太陽神ヘリオスに任せても問題ないだろう」

 

「お前がそう判断するのなら、私は何も言うまい・・・しかし、まさか本当に、ヘリオスが神だったとはな・・・見た目で判断してはならないとはこのことか」

 

「あぁ、未だに解せん・・・私は教皇様に何と言って報告すればいいのやら・・・」

 

 年不相応に、アフロディーテは眉間に谷を刻み込む。

 すると、アルバフィカは、そんな少年の姿に僅かに笑んで、言葉を放った。

 

「・・・アフロディーテよ、私は一つ、お前に謝らなければならないことがある」

 

 密やかに、然して確固たる決意の感じられる声音で、男は少年へと姿勢を傾ける。

 

「? 何だ、謝罪は不要だと言っただろう」

 

「いいや、あの戦いとは別件だ・・・私は一人の魚座の聖闘士として、お前に告白しなければならぬことがある」

 

「魚座として?」

 

 思い当たる節が無いといった様子で、空色の瞳を丸々とさせる聖闘士に、アルバフィカはゆっくりと頷き、答えた。

 

「私は、お前が"赤い絆"を持たぬ者だと知ったとき、酷く、悲しく思った・・・いいや、思ってしまったんだ」

 

「・・・赤い絆とは?」

 

「・・・私の世界の魚座にはな、"血の儀式"という、師と弟子で、数年に渡り互いの毒の血を交換する儀式があるんだ」

 

 透き通った声で、男は綴る。

 

「より強い毒が生まれるまで・・・つまりこの儀式は、師と弟子、そのどちらかが死ぬまで続く。・・・しかし、私はそんな事実は微塵も知らず──否、知ろうともせず・・・ただ、毒の血を持つが故に孤独に生きるルゴニス先生と、同じ存在として共に生きたいと願い、儀式を履行したんだ」

 

「・・・・・・まさか、先刻言っていた、師の命を奪ったという話がそれなのか」

 

「そうだ。私は先生を超える毒の血を得て、先生は、私の血によって亡くなった・・・考えてれば分かる結末だったというのに・・・私は、先生と同じ存在になれることに舞い上がり、何も、見えてはいなかった」

 

「・・・・・・」

 

「毒の薔薇も、毒の血も、この身に宿る技も教えも、全てが魚座としての私の誇りだった。故にこそ、次代に"赤い絆"を継承せずに死した己に、私は少なからず悔いを感じていた」

 

 悩ましげに言ったアルバフィカは、「だがな」と言葉を置き、アフロディーテを真っ直ぐ見据えると、再び口を開いた。

 

「・・・それは、私の誤りであったようだ」

 

 美麗な戦士は、憑き物が落ちたように微笑んだ。

 

「アフロディーテよ、お前は、"赤い絆"を持たぬ魚座だった。・・・だが、お前には、気高い意思と、誇示がある・・・そして、何よりも──太陽のように眩い絆があった。どこに憂いを見いだせようか」

 

「・・・アルバフィカ」

 

「フッ・・・励めよ、アフロディーテ。お前は賢く、実力もある。だが、黄金聖闘士としてはまだまだ未熟だ。・・・その誇りを貫き通せる、強い男になれ」

 

「っ・・・!」

 

 ──途端、男の身体が、淡い光と溶けていく。

 空へと消えていく、金色の薔薇たちに混ざり合うように。

 夜空を照らす、灯のように。

 

「どうやら、私も在るべき場所へと還るときが来たようだ。・・・アフロディーテよ、見事な戦いぶりだった・・・ヘリオスにも、世話になったと言伝を頼む」

 

「・・・あぁ、確かに」

 

「また再び、相見えることがあるのなら・・・今度こそは、共に戦いたいところだな」

 

「・・・私もだ・・・きっとまた、いつか、必ず・・・」

 

「・・・・・・」

 

 風が凪ぎ、優しい香りが黄金の園を駆け抜けて、二人の空の長髪を揺らした。

 風が止み、草花の掠れ合う音が消え、世界は、静寂に包まれる。

 やがて。

 異世界の魚座は、穏やかに頬を緩ませて、

 

 

「さらばだ、幼くも雄々しい同胞、アフロディーテよ・・・──お前ならば必ず、混沌に染まる光を見つけ出し・・・奇跡を、手繰り寄せられるだろう」

 

 

 アルバフィカは、自らの仲間達が眠る場所へと、還っていった。

 

 

 

 

 

 ────────

 

 

 

 

 

 ゆらゆらと、揺れている。

 右へ、左へ。

 時には下に、時には上に。

 

「・・・・・・」

 

 ・・・いいや。

 前後左右という概念は、この空間においてはあまり、意味のないものだったか。

 男は、重い瞼を薄らと持ち上げ、独りごちた。

 

 眼前に拡がるは、銀河にも似た、果ての無い空間──"神の道"。

 神の加護なき者が足を踏み入れれば、たちまち塵と化す、神々のみに許された異空間。

 そう、太陽神である己──()()()()、異界へと渡る際に通った場所だ。

 

「目が覚めたか」

 

「ッ──お前は、太陽神ヘリオス・・・!」

 

「暴れるなよ、アネモスから落ちる」

 

『クォン』

 

「っ・・・ペガサスか」

 

 どうやら、意識を失っている間に天馬に乗せられ、運ばれていたようだ。

 自らの状況を理解したアベルは、天馬に跨がるもう一柱の神へと言葉を投げかけた。

 

「・・・何故、私を助けた」

 

「・・・・・・」

 

「答えろ、太陽神ヘリオス! 不死であれど、封印するなり、この身を千に裂くなり・・・打てる手は幾らでもあったはず・・・一体、何を企んでいる」

 

「・・・はあ」

 

 自らの背へと怒声を浴びせるアベルに、ヘリオスは小さく息をつく。

 やがて、数秒の沈黙の後に、天馬の御者は振り向き、答えた。

 

 

「──お前は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ・・・」

 

「俺はてっきり、あの惣闇の瘴気はお前から溢れてるものだと踏んでいたんだが・・・黄金の薔薇(ルミナス・ローズ)の浄化の小宇宙で綺麗さっぱり、闇だけが吹き飛ぶとは思わなんだ・・・お前も、アルバフィカと同じで、瘴気に支配されていただけだったとはな」

 

 不機嫌そうに眉根を寄せて、ヘリオスは淡々と言葉を放った。

 すると、口を閉じていたアベルが噛み付くようにして言う。

 

「愚かな・・・確かに私は、あの瘴気により意識をかき乱されてはいたが、地上の粛正も、世界の支配も、他ならぬ私の願い、積年の本懐だ! ・・・選択を見誤ったな、私にとどめを刺さなかったこと、後悔することになるぞ・・・!」

 

「・・・・・・」

 

 沈黙するヘリオスに、アベルは鋭い視線を送り続ける。

 しかし、また一つ溜息を吐き出して、ヘリオスは大きくかぶりを振った。

 

「・・・いいや、後悔はない・・・そもそも、今のお前からは、地上や天界を支配しようなんて気概は感じられない。戦う気のない相手を滅ぼす趣味は無いし、結果論だが、俺はお前との戦いのお陰で、僅かではあるが神の力を取り戻すことができた。・・・だとすれば、同じ太陽神のよしみとして、迷子の神を元の世界へ送るぐらいはするさ」

 

「・・・なんだと?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。大方とっくに人間のことは許してはいるが、長年抱いていた"世界を支配したい"という想いをあの瘴気に利用され、今回のような騒動を起こすに至った・・・違うか?」

 

「・・・・・・」

 

「アベル、あの瘴気は何だ、どこで拾ってきた? ・・・運良く俺達の力で祓うことができたが、あんなどす黒い淀んだ闇、俺は今まで一度も見たことがないぞ」

 

「・・・・・・・・・」

 

「・・・アベル?」

 

 口を閉ざし、男神は見澄ますような視線を、眼前のヘリオスへと注ぐ。

 やがて、怪訝そうな表情で返答を待つ小さな神に、アベルは問うた。

 

「・・・何も、覚えがないと言うのか?」

 

「は?」

 

「ヘリオス、あの瘴気は、お前の管轄地──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ・・・はあ!?」

 

「・・・初めから、話すべきなのだろうな」

 

 驚愕するヘリオスに、アベルは事の経緯を語り始める。

 

「・・・私の居た世界での、ペガサスの聖闘士との戦いに敗れた私は、不死故に完全なる消滅はないが・・・復活まで数千年はかかるであろうという状態で、虚空に漂う儚き存在と化していた。・・・しかし、どこか遠くから、私を呼ぶ気配が在った」

 

「気配・・・まさかそれが、あの瘴気だっていうのか」

 

「そうだ。・・・導かれるように手を伸ばし・・・気づいたときには、世界を超え、私の身体と魂はあの瘴気に包まれて・・・不完全ではあるが、復活を遂げていたのだ」

 

「・・・・・・」

 

 それは、

 余りにも荒唐無稽で、信じがたい話だった。

 ヘリオスは考え込むように俯き、やがてぽつりと言葉を零した。

 

「・・・混沌から負の側面だけを掬ったかのような、趣味の悪い闇・・・あんなものは、俺が昔ロドス島に訪れた際にはなかったものだ・・・だが、お前のいう通りに、あの瘴気が島から噴出するものだとすれば・・・──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・──いいや、()()()()()()()()()()

 

「なんだって?」

 

 低く問うヘリオスに、眉根を寄せ、重く響く声でアベルは言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()、即ち──()()()()()()()。あの男の神域も、少なからず島との繋がりを持っているはずだ・・・園に展開されていたアポロンの結界が良い証拠だ。ヘリオス、お前にも何か思い当たる節があるのではないか?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ヘリオスは、否定しがたい現実に、心の中で深く頷いた。

 

 ──確かにある、と。

 

 何度天へと叫んでも、返答の無い空の光球。

 自らの身に施された、神の力を抑える封印。

 そして、つい先刻、頭の中に響いた、()()()()()()

 地上に落ちてからの出来事全てが、友によって起こされたものだと考えれば・・・話の筋が通ってしまうのだ。

 ・・・到底、納得はできないのだが。

 

「太陽神ヘリオス、お前の、その身に施されている複雑奇怪な封印も、アポロンによって為されたものなのだろう? 神が、人間かと見間違うほどに力を奪われるなど、到底許すことのできぬ所行だ」

 

「・・・・・・」

 

「私もかつて、アポロンによって討ち滅ぼされたことがあるが・・・フッ、世界が違えども、あの男の在り方は変わらずか」

 

「・・・・・・お前の世界のアポロンがどんな奴かは知らないが、俺の友は、意味もなく俺を虐げるような神ではないぞ」

 

「なに?」

 

 真剣な瞳で、ヘリオスは言葉を放つ。

 

「確かにアポロンは、今回の騒動に関わっているんだろうさ・・・だけどきっと、理由がある。・・・アベル、確かお前はアポロンの結界によって、あの場に封じられていたんだったな」

 

「・・・それがどうしたと言うのだ」

 

「あれはお前ではなく、()()()宿()()()()()()()()()()()()()()()()()()? だとすれば、アルバフィカが辛うじて正気を保ち、お前の支配から逃れられたのも頷ける・・・まぁ、あの人間自身の精神力がなければ、叶わない結果だったのだろうが」

 

「・・・・・・お前はあくまでも、アポロンを信じると言うのか」

 

「信じるとも。アポロンからすれば、俺は数いる友の内の一人に過ぎないのかもしれないが・・・それでも俺は、友と重ねた時間と繋がりを疑いはしない」

 

「・・・・・・ふん、その瞳が、盲目で無いことを祈っておこう」

 

 皮肉げに鼻を鳴らし、アベルはヘリオスから視線を逸らす。

 異界の太陽神は、銀河の如き空間の果てを眺め、口を閉ざしてしまった。

 身を翻す必要もなくなったかと判断し、ヘリオスも身体を前へと戻す。

 しかし、数秒経って浮かんだ疑問に、流れるようにして言葉を漏らした。

 

「なあアベル、どうしてお前は、アルバフィカを選んだんだ? 俺やお前の世界の人間でもなければ、あの人間は接点も繋がりも存在しない、異界の死者のはずだろう」

 

「・・・それを聞いてどうする」

 

「どうもしない・・・いや、アフロディーテには伝えるか。あの少年にとって、何かしら意味のある戦いにはなっただろうしな」

 

「・・・・・・」

 

 付け足すように「ただ疑問を口にしただけだ」と言い、ヘリオスは口を閉ざした。

 答えたくなければそれでも良い。

 そんな意図で投げかけられた問い掛けに、アベルは逡巡をし、やがて静かに言葉を綴る。

 

「・・・私には、可愛い妹がいる」

 

 どこか遠くを見つめるような眼で、静かに言う。

 

「──名を、戦女神アテナ・・・妹と私は、神話の時代から心を通わせる仲にあった。・・・だが、私は地上と天界を支配しようとしたため、アポロンの怒りを買い、神々の手によって、歴史の闇へと屠られることになった」

 

「・・・・・・」

 

「酷く、長い時を経て、私は復活することに成功した。・・・手始めに地上を滅ぼそうとした私は、妹であるアテナを我が神殿へと導き、再び、同じ時を生きようと約束を交わしたのだ。・・・だが、アテナは私ではなく、地上の人間共を守る道を選び・・・私へ、ニケの杖を向けた」

 

 ニケの杖──勝利の女神ニケの化身。

 アテナに仕える、勝利をもたらすと言われる神の名だ。

 

「よもや、あのアテナが・・・と、私はこの世の全てを呪い、また嘆いた。・・・妹だけは私を裏切らないだろうと思っていた。妹だけは、私の気持を理解してくれると、そう、信じていたのだ・・・だが、私と妹の間に出来た亀裂が消えることはなく、私はアテナの聖闘士の一撃を受け、再び、滅びの淵へと落ちる事になった」

 

「・・・そんなことが」

 

 大切な家族との戦い。

 もしも、自らが可愛い妹達、エオスやセレネと戦うことになれば・・・とてもじゃないが、耐えられないだろう。

 いいや、父上や母様であったとしても、とても正気ではいられないと断言できる。

 ヘリオスはアベルの凄絶な話に己を重ね、苦く表情を歪めた。

 

「だから、なのだろうな・・・虚空に塵のように漂う最中、たまたま観測した異界の記録。"赤い絆"という、見えぬ絆を守り続けるあの人間の・・・アルバフィカの在り方に──私は焦がれ、憧れたのだ」

 

 大切な妹との間に、消えぬ絆が在って欲しいと。

 例え、袂を分かった後であったとしても・・・もう一度、妹と笑い合いたいのだと。

 そんな想いが、師との絆を守る戦士を、自らの元へと呼ばせる理由になったのだと、異界神は語った。

 

「・・・だが、最早それは叶わぬ夢なのだろうよ。私と妹の間に生まれた亀裂は、修復が不可能なほどに拡がってしまった」

 

「アベル・・・」

 

「フッ・・・神々に追放され、アテナとも殺し合った・・・ヘリオス、お前が向う先の世界に、私の居場所は存在しないのだ・・・故に、」

 

 ──いっそのこと、ここで終わりにしてくれ。

 

 と、アベルは力なく笑い、掠れた声で懇願した。

 ヘリオスは。

 

 

「断る」

 

「・・・・・・何故だ」

 

「居場所が無いから死ぬしか無い・・・この大馬鹿者。神が、そんな理由で滅びようとするんじゃない」

 

 振り向き、ヘリオスは暗く沈むアベルの瞳を射貫くようにして言った。

 

「確かに、お前のやったことを考えれば、天界には、お前の居場所は見つけられないのかもしれない・・・だが、()()()()()()()

 

「・・・地上、だと?」

 

「そう、人間達の生きる地上なら、お前の居場所もあるんじゃないか? 慣れるまでは時間がかかるかもしれないが、人間達との暮らしは驚きに満ちあふれていて、存外楽しいぞ。それに、人の中で生きるお前を知れば、戦神アテナと歩み寄る未来が生まれるかもしれない」

 

「アテナと・・・」

 

「・・・『可能性は潰えたと諦めた瞬間に、大切なものはこの手を零れていってしまう』・・・これは、俺が打ち拉がれていたときに、人間に言われた言葉だが・・・なあアベル、きっとまだ、諦めるには早いと思うぞ」

 

 励ますように微笑んで、小さな太陽神は言葉を紡ぐ。

 

「時間はかかるだろうし、簡単に解決できる問題ではないのかもしれない。だけど、俺達は不死の神で、何度でもやり直せるし、いつまでも粘ることが出来る存在でもある。お前が諦めない限り、希望は潰えない・・・だから、小さな可能性かもしれないが、縋り付いてみないか?」

 

「・・・お前は、この私に・・・神に、試練を与えるつもりか」

 

「試練・・・はっ、面白い表現だ・・・そう、これは俺がお前に課す試練だ。だが、数々の英雄英傑が、神々の下した試練を乗り越えてきたんだ・・・だったら、一級神であるお前に、超えられない道理はない。・・・まぁ、そうだな。駄目だったときは、俺の居る世界に来たらいい。そのときはこの世界にお前の居場所を用意しよう」

 

「・・・・・・お前が?」

 

「あぁ、今は僅かな神力しかないが、いずれ全ての力を取り戻す。隠居に近い身の上ではあるが、迷子の神一柱を招待する権能くらいは振るえるはずだ。だから、安心して挑戦してこいよ、太陽神アベル」

 

「・・・・・・」

 

 答えは、直ぐには返ってこなかった。

 常闇に染まる無限の世界を、月光の如き燐光を放つ、一騎の天馬が駆け抜けていく。

 やがて。

 感情の読み取れない瞳をしていた異界神は、どこか葛藤の滲んだ表情で囁いた。

 

「・・・アテナ・・・そなたを殺そうとした私でも・・・今一度、そなたと共に、笑い合える日々が訪れるのだろうか」

 

 しばらくの間、虚空を仰ぎ見たアベルは、深く瞑目すると小さく首を振った。

 

 

「・・・いいや、そうか・・・()()()()()()()()。例えそなたに嫌われようと、例え、もう二度と手と手を繋ぎ合うことが叶わなくても・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 迷いを振り切ったような、確固たる決意の感じられる声で、きっぱりと言った。

 

「道は定まった・・・私は、大切な者の障害を振り払い、影ながら支えられる者となろう。・・・それが、今の私の願いだ」

 

「・・・そうか・・・うん、お前ならなれる、俺も全力で応援しよう。・・・──さて、そろそろ目的の地へと近づいてきたようだ」

 

 ヘリオスが前方へと姿勢を直すと、目視できる位置に、淡く瞬く光──異界への、入り口があった。

 アベルはその光を目に収めると、小さく口端を上げて、艶やかなペガサスの背に触れた。

 

「・・・(アネモス)といったな。・・・良い乗り心地であった。太陽を引く天馬なだけはある・・・そなたの主

 を・・・いや、友を傷つけた私を送り届けてくれた、その寛容な心に感謝する」

 

『クィン・・・グルル』

 

 アネモスは低く、気遣うように嘶き、嬉しそうに翼をはためかせた。

 

「・・・ヘリオス、最後に一つ、お前に忠告しておくことがある」

 

「俺に、忠告・・・?」

 

 首を傾げるヘリオスに、アベルは厳しい顔つきで言い放った。

 

 

「今のお前は──()()()()()()

 

「・・・・・・・・・は?」

 

「やはり・・・その様子だと、気づいてはいなかったようだ。恐らく、お前に施された封印がそうさせているのだろうよ。・・・お前の身体は神のそれだが、強度は、人間とそう変わらぬ状態だ」

 

「・・・・・・うそ、だろ・・・?」

 

「虚言を吐いても私の益になることは何もない。・・・留意せよ、お前は今、神と人の間に立つ不完全な存在だ」

 

「・・・・・・」

 

 目眩にも似た感覚が、ヘリオスを襲った。

 アベルの話が真実であるのなら・・・己は、随分と綱渡りな道を歩んできたことになる。

 

 ──いいや、落ち着け・・・こんな恐怖、アフロディーテ達は平然と飲み込んで生きているんだ。

 

 神であるのなら、こんなことで取り乱してどうする。

 背筋にひやりとした汗が伝ったが、ヘリオスは大きく深呼吸をして、己を制した。

 

「・・・・・・分かった。忠告、感謝する」

 

 辛うじてそう返すと、ヘリオスは険しい表情で前を向いた。

 光が、眼前まで迫る。

 

「じゃあな、アベル。達者でやれよ・・・あと、もしも機会があるのなら、お前はきちんとアルバフィカに謝るんだぞ」

 

「・・・あぁ、必ず。あの戦士にも、相当な迷惑をかけた。許されることはないだろうが、きちんと謝罪しよう」

 

 頷き言うと、アベルは天馬から降り、虚空へと足を着けた。

 どうやら、自らの力で歩ける程度には回復を遂げていたようだった。

 アベルは己の世界へ続く扉へと歩み始めると、あと一歩という所で足を止め、ゆっくりと振り向いた。

 

「太陽神ヘリオス・・・此度は、世話になった。お前の慈悲と情けに感謝する・・・私は必ず誓いを果たし、試練を乗り越えてみせる」

 

 意思の籠もった、力強い声で別れを告げる。

 

 

「健闘を祈る・・・また会おう、小さくも雄々しき天馬の御者よ。お前は確かに、太陽の名に相応しい神だった」

 

 

 最後に一つ微笑んで、鮮烈な翠色の小宇宙で、世界を明るく照らし出し。

 

 太陽神アベルは、己に課された、新たな戦いへと身を投じて行った。

 

 

 

 

 





あとがき。

太陽の島編が終りました。
正直こんなに時間がかかるとは思いませんでしたが、なんとか一段落つけられたなあとちょっと安心しています(なお原作には突入していない模様)

聖闘士星矢にはアベルと名のつく登場人物が二人(正確には一人と一柱)いますが、作者はアベルと聞くと聖書に出てくる方のアベルが思い当たったので、どうしてギリシャ神話の神様の名前にするんだろう?と不思議に思いながら深紅の少年伝説を視聴してました。(アベルという名前に他の意味があるのかも知れませんが)


感想やお気に入り登録、評価など、有難うございます。
とても参考になるのでありがたいです。

時間はかかりそうですが、ND星矢の再開を祈りつつ、続きを書いていきたいと思います。

夏に出版されると予告されていた究極版の星矢も楽しみですね。




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13話 彼らと、道と

 

 

 

 

 

「──・・・以上が、ロドス島における任務の詳細です」

 

「・・・うむ。報告、ご苦労であった」

 

 教皇宮の間にて、聖域を統括する教皇──シオンは、難しい表情で口を開いた。

 

「・・・前聖戦を生き残り、二世紀を超える年月を生きてきた私ではあるが・・・・・・まさかこの年になって、本物のペガサスを目にするとは思わなかったぞ」

 

「・・・・・・はい。・・・その、教皇様。今後の太陽神ヘリオスの処遇については──」

 

「そう憂いた顔をするな、アフロディーテよ。太陽神ヘリオス・・・いや、ヘリオスについては、先日から引き続いて、離れの小屋で過ごして貰うこととする」

 

 僅かに表情を緩めて、教皇シオンは言葉を続ける。

 

「十二宮への出入りは禁じ・・・暫くは窮屈な思いをさせることになるが、今我らは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『アテナの都合が良くなるまで待つ』と言った、ヘリオスの言葉に甘えるとしよう」

 

「・・・僭越ながら、一つ宜しいでしょうか」

 

「なんだ?」

 

「ヘリオスは太陽神、我らが相手取る冥界の神ではありませんが・・・教皇様はなぜ、あの者を一切疑われないのですか」

 

「なにも、全てを信じているわけではない。事実、私はヘリオスに()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・それはそうですが・・・とても、そのようには見えません」

 

「ふむ、そうさな・・・確かに、女神に代わって聖域を預かる私が、女神の許可も無く他神の滞在を許すことに、危惧する気持も分からんでもない・・・だがな、アフロディーテよ。ヘリオスについては、お前が一番よく理解しているのではないか」

 

「・・・・・・私は・・・」

 

 空色の瞳を小さく震わせる少年に、聖域を統括する男は静かに微笑んだ。

 

「フッ・・・異界の神に、異界の魚座・・・そして、神らしからぬ小さな神。流石のお前も、此度の疲弊は相当だと見える。暫くは、養生するが良い」

 

「・・・・・・」

 

 労いの言葉に、僅かに沈黙をし、少年は力強い眼差しと共に口を開いた。

 

 

「お心遣い、感謝いたします・・・ですが、私は──」

 

 決意に満ちた声が、教皇宮に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 釣り糸を慎重に垂らしながら、傍らの男へと声を掛ける。

 

「あぁ、そうだ。未だきちんと紹介をしていなかったな。先に話した通り、俺とアフロディーテの危機に駆けつけてくれた、ペガサスの(アネモス)だ。(フォティア)(ヒュドール)(エザフォス)・・・四頭のペガサスの中では、一番の機動力を誇っている、俺の自慢の盟友だ」

 

『ヒヒーン』

 

「・・・・・・」

 

「カノン? どうした、死んだ魚のような目になっているぞ」

 

『クォーン・・・?』

 

「・・・・・・・・・」

 

 俺と、心配そうに啼くアネモスを視界に納めるやいなや、カノンは小刻みに肩を震わせた。

 怪訝に思いその相貌を覗き込もうとすると、男はぶつぶつと口から言葉を漏らす。

 

「お、お前のような・・・」

 

「ん?」

 

「お前のような神が居てたまるか──ッッ!!!」

 

「うわあっ!?」

 

 ドボーンッ!! 

 

 突如として叫んだ人間は、あろう事か、釣りに興じていた俺を勢いよく海面へと叩き込んだ。

 

「い、いきなり何をするんだ!!」

 

 傷口に海水が染みて滅茶苦茶痛い。

 未だ激しい運動が出来ないほどに、身体中傷塗れだというのに、何てことをしてくれるんだ。

 死にそうな思いで岩場にしがみつくと、柳眉をつり上げた男と視線がかち合った。

 

「・・・巫山戯るなよ・・・仮に、お前が本物の太陽神であるというのなら・・・何故、神を恨む俺に近づこうとする。封印だか何だか分からんが、神の力を取り戻したのならさっさと天界へ帰ればいいだろう!」

 

「っ俺だって、戻れるのなら今すぐにでも戻りたい・・・!! だけど、駄目なんだ・・・神の道を通って帰ろうとすると、アポロンの障壁に邪魔をされて、押し戻されるんだ」

 

 突き刺すような視線を向ける男に、俺は言葉を続ける。

 

「それにだな・・・お前が恨む神とは、お前の自由を縛る者のことでは無かったのか? まさか、この世に存在する神全てを憎んでいる訳ではないよな?」

 

「ふん・・・人を軽んじ、平気でその命を奪う悪逆非道で傲慢な連中・・・神など、人間からすれば災厄以外の何ものでもない。毒にしかならん連中を嫌わぬ理由など、あるはずもない」

 

「・・・なるほど、神という存在そのものが、嫌気の対象だったのか」

 

 その気持は、分からなくもないが・・・俺が言っても説得力に欠ける。

 アネモスに風素を生成して貰い、濡れた衣服を乾かしながらも、俺は何と返すべきかと小さく呻いた。

 

「・・・そうだ」

 

 妙案が思いつき、俺は口端を上げてカノンを仰ぎ見た。

 

「お前が神を恨むのなら、俺が神の代表として、カノンに神の良いところを知って貰えば良いんだ」

 

「・・・・・・もう一度海に叩き込まれたいのか?」

 

「フッ、一度見た技は聖闘士には通じな・・・いや、冗談だ、ちょっと言ってみたかっただけだから小宇宙を燃やすのを止めてくれ」

 

 重圧を纏い小宇宙を練り始めたカノンに、俺は慌てて制止の声を掛けた。

 

「た、確かに、お前の言葉にも一理ある。神々は基本的に自分の欲に忠実で、手段を厭わないきらいがある・・・俺自身、その例に漏れない性格なのだと自覚している」

 

 自嘲的に言葉を連ねるが、俺は、傍らの人間を真っ直ぐと見据えながら言った。

 

「だが、だからこそ、カノンには、神々の他の側面も知っておいて欲しいと思うんだ。・・・神を好いてくれとは言わない、嫌いなままでも良い。だけどせめて、俺の父上や母様達のような、素晴らしい神が居ることを記憶に刻んで貰いたい」

 

「・・・何故俺が・・・そもそも、そんなことを知っても、不毛なだけだろう」

 

「無駄なものか。母様だって言っていたぞ、『相互理解こそが共生への道』なのだと」

 

「はあ・・・お前の妄想か、はたまた本物の女神の言葉なのかは判断がつかんが・・・どちらにせよ、俺は神と共生したいとは思わん」

 

 いつの間にか数匹の魚で籠を埋めていた男は、先程までの重い空気は何処へやら、用は済んだとばかりに背を向けて歩き出した。

 

「なんだ、もう行くのか? 気をつけて帰るんだぞ」

 

「・・・この俺が何に気をつけるというんだ、お前は」

 

「慢心はよくないぞ、お前は人間基準で見れば最高位に近い実力者ではあるが・・・っと、そうだ、一つ聞き忘れていた」

 

 立ち去ろうとするカノンに、俺は言葉を投げかけた。

 

「お前、結局サガとは話し合えたのか?」

 

「なに?」

 

「今のカノンの"役割"や"待遇"についての話だ。お前が現状を打開したいと願うのなら、避けては通れない問題だったはずだろう」

 

「・・・・・・俺は一言も、お前の助言に従うと言った覚えはないのだがな」

 

「なっ、なんだって・・・!?」

 

 ガガン、と、雷に打たれたかの如き衝撃が全身を駆け抜ける。

 てっきりカノンは兄であるサガと、未来(これから)について言葉を交わすものだとばかり思っていたが・・・いや、確かにサガと話し合うと、明言はしていなかった。

 硬直し、早とちった自らの思考回路を大いに反省していると、カノンが振り返き口を開く。

 

「・・・丁度、今日の夜半、あの兄は任務から帰投することになっている」

 

「・・・へ?」

 

「サガに悪を囁き続けた、この俺の言葉が届くものかと、諸々全てを諦めていたが・・・フッ、あれだけ壊滅的に釣りの出来なかったお前が、今では辛うじて一匹の魚を捕まえられるようになった。・・・ならば、例え不可能な事象であれど、挑むだけの価値は存在しているということなのだろう」

 

「っ・・・カノン・・・!」

 

 俺の釣りの手腕を不可能レベルのものだと思っていたのか。

 

 とんでもない人間だ。

 失礼を通り越して悲しくなってきたぞ。

 眼前の人間の不敬度を上方修正しつつも、俺はやれやれと言葉を紡いだ。

 

「じゃあ、数日後、ここで結果を報告して貰うからな、頑張ってこいよ」

 

「・・・ふん」

 

 声援に鼻を鳴らして応えると、カノンは踵を返して、今度こそ去って行った。

 背を向けるその瞬間、その唇は、僅かに弧を描いていたようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天の光球が沈む前に、なんとか一匹の魚を釣り上げることに成功した俺は、アネモスを小屋に送り一人ぶらぶらと聖域内を歩いていた。

 酷く儚いが、霊血(イーコール)による再生能力のお陰で、傷だらけの身体でも何とか日常は送れそうだ。

 ただ、この身に宿る不死の力が働かない以上、ロドス島で行ったような戦いは避けるべきなのだろう。

 

「・・・()()()()()()()()()()()()()()、人として降臨した赤子である以上、今はまだ意思疎通は不可能なんだろうな」

 

 藍色に染まる空を眺めながら、俺は独りごちた。

 

 "戦神アテナの降臨"。

 教皇さんは俺にその事実を隠したいようだが、聖域へ戻った瞬間に、懐かしい女神の気配を感じ理解した。

 とうとう、女神が地上に姿を現したのだと。

 

 だが正直、見通しが甘かったと思う。

 今までは、アテナが降臨してさえくれれば、後は交渉するだけだと考えていたのだが・・・十二宮の先から感じられる女神の小宇宙は、驚くほどに微弱だった。

 極めつけに教皇さんがアテナを隠そうとしている以上、今のアテナは守らなければならない、小さな存在なのだと察しがついてしまう。

 

「・・・いいや、どちらにせよ、相手があのアポロンであると判明した以上、覚醒した女神の力を借りても足りない可能性があるな」

 

 戦神アテナは、オリンポス十二神に名を連ねる女神だ。

 その強大さは俺もよく理解している。

 ・・・だが、アポロンは、アテナを凌駕する小宇宙を所持している一級神なのだ。

 であれば、友が地上の平和を脅かす存在にならない限り、アテナが俺に協力してくれる可能性は低いと考えるべきだ。

 

「・・・・・・」

 

 さて、どうしようか。

 

 駄目元でアテナに頼るにせよ、女神が成長するまで待つ必要がある。

 しかし、何もせずに聖域に滞在していても、時間の無駄だ。

 地上を巡り、力を取り戻す方法を探すか。

 それとも・・・天界に戻れないのなら、いっそのこと冥界に赴くのも一つの手か。

 

 ・・・・・・駄目だな、太陽神が冥界へ赴けば、九割九分追い出される未来しか見えない。

 

 冥王ハーデスは太陽の光を忌み嫌う。

 力の弱い今の俺でもその例には漏れないだろうし、『太陽神は冥界に来るな』という冥界神共の言葉を無視すれば封印されても文句は言えない。

 ・・・そもそも、それ以前に、冥王の誘拐事件をデメテルに密告した俺に、良い顔はしてくれないだろう。

 

「はあ・・・アポロン、気づかない間に、俺はお前に嫌われることでもしてしまったのか」

 

 先行きが定まらず、長々と溜息を吐き出した。

 

 異界の太陽神アベルとの戦いによって、俺は神の力を一部取り戻した。

 だが、結果として、力を取り戻す前よりも絶望的な事実を知ることになった。

 まさか、あのアポロンが俺の前に壁となる日が来ようとは。

 

 ・・・今はただ、少しずつでも前に進めている現実を、喜ぶべきなのだろうか。

 

 

「──君は、何だ」

 

「・・・ん?」

 

 思考に没頭していると、唐突に、前方から声がかかった。

 どこかぼんやりとした頭で視線を向けると、そこには黄金の輝きがひとつ。

 

「ん? その鎧・・・まさかお前は、黄金聖闘士なのか?」

 

 金の長髪に、閉ざされた眼、皺の刻まれた小さな眉間。

 アイオロスの弟、アイオリアと変わらぬ年齢であろう少年が、警戒心を露わにして屹立していた。

 じろじろと観察していると、ぎゅっと眉根の皺を三割増しにした子供が口を開いた。

 

「もう一度言う。隠そうとしているようだが、私にはわかるぞ。君からは私に近い・・・ゆうなれば、"神の力"を感じる。・・・答えろ、君はいったい、なんなのだ」

 

「何だって? それはこっちのセリフだ。黄金聖闘士はアフロディーテと、アイオロスと、サガと、デスマスクと・・・その他二人の合計六名で構成されていたはずだ。他者にその正体を問う前に、自らの正体を開示したらどうなんだ」

 

「ムッ・・・業腹だが、一理なくもない。・・・私は乙女座の──」

 

「──こんな所に居たのか、()()()

 

「! その声は、アイオロスか」

 

 久方振りに耳にする声音に首を動かす。

 すると、ぞろぞろと、射手座のアイオロスを筆頭とする金ぴか集団が出現した。

 

「集合場所に現れないと思えば・・・ヘリオスと一緒だったのだな」

 

「アイオロス、貴方は、この得体の知れぬ者のことを知っているのか」

 

「うむ、ヘリオスは双魚宮の従者を務めていた拾い子だ。・・・諸般の事情により、今は暇を出されているが・・・」

 

 アイオロスはちらり、と視線を俺に向けながら、困ったような表情で言う。

 なぜそんな微妙な顔で俺を見るのかと小さく首を傾けると、黄金の鎧を纏ったアイオリアが歩み出た。

 

「・・・得体の知れぬとは聞き捨てならないな。ちょっと変なところもあるが、ヘリオスは私の鍛錬に付き合ってくれた、良い奴なのだぞ」

 

「アイオリア・・・しかし、」

 

「シャカよ、ヘリオスは少々特殊な事情を持って聖域に滞在していてな。()()()()()()()()()()()()()()()、諸々の対応については教皇様が全て把握しているがゆえ、その点については安心してほしい」

 

「教皇が・・・そうか。少々解せないが、了承した」

 

 渋々と言った様子で頷いたシャカは、瞳を閉ざしたまま俺を()()()、のんびりとした歩調でアイオロス達の元へと向って行った。

 どうやらこれで、俺の話は終りにしてくれるらしい。

 小さく溜息を吐き出した俺は、視線を先頭の男にずらして、予てよりの疑問を口にした。 

 

「あー・・・アイオロス? この者達は、黄金聖闘士なのか?」

 

「うむ、先日、黄金聖闘士となった、獅子座のアイオリア、牡羊座のムウ、牡牛座のアルデバラン、乙女座のシャカ、蠍座のミロ、水瓶座のカミュだ。此方の、山羊座のシュラは既に知っているだろう?」

 

「あぁ、直接話したことはないが、聖剣の担い手であるという面白い噂は聞いている。・・・そうか、とうとう黄金聖闘士が揃ったんだな」

 

 新たに黄金聖闘士となった人の子達を見ながら、感慨深げに言う。

 しかし、少し驚いた。

 全員アフロディーテよりも幼く、小宇宙も小さい子供ではないか。

 自ら戦う道を選んだのか、はたまた神の運命に絡め取られたのか。

 真摯な眼差しでアイオロスを仰ぎ見る少年達を観察し、俺は何とも言えない気持になった。

 

「アイオロス」

 

「あぁ、済まない、本題に入ろう・・・といっても、お前達の意思は定まっているのだろう」

 

「えぇ・・・私達は黄金聖闘士になったとはいえ、まだまだ半人前。故に、修行の地へと戻り、技の総仕上げをして参りたいのです」

 

 丸い眉をした、桃色髪の少年がそう言うと、周りの少年達も同調するように深く頷いた。

 そんな幼子達にアイオロスが微笑むと、黒髪の男──山羊座のシュラが、言葉を放った。

 

「頼もしい奴らです・・・アイオロス、我らも、彼等が鍛錬に集中できるように──」

 

「うむ、()()()()調()()()()()()()()()()。アイオリア、ムウ、アルデバラン、シャカ、ミロ、カミュ・・・お前達は安心して修行に打ち込むがいい」

 

「有難うございます・・・! 一人前の黄金聖闘士としてお役立て出来る者になるため・・・全力で励んできます」

 

「兄さん、有難うございます・・・!」

 

 ほっとした面持ちで少年達は礼を述べる。

 

 ふむ、人手不足を気にして先輩聖闘士に許可を取りに来るとは、真面目な子供達だ。

 アフロディーテに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。

 ・・・というか、サガは具合が悪いのか。

 カノンの話だと任務に行っているとのことだったが・・・大丈夫だろうか。。

 

 ぐるぐると、少し離れた所で考えを巡らせていると、話が済んだのか、幼子達は別れの言葉を継げて去って行った。

 

「では、アイオロス。俺もここで失礼します」

 

 やがて山羊座のシュラも宮へと戻ると、アイオロスとアイオリア、二人の兄弟だけが残る。

 そろそろいいだろうか。

 事の成り行きを静観していた俺は、獅子座となった少年の元へと歩み寄った。

 

「おめでとう、アイオリア! 驚いたぞ、いつの間に獅子座の位を授かったんだ?」

 

「有り難う、ヘリオス。貴方が任務で聖域を留守にしている間に、正式に獅子座の聖闘士となれたのだ。貴方には、何度もライトニングボルトの的になって貰って・・・」

 

「・・・ああ、本当に・・・あの頃は死ぬかと思ったぞ」

 

 じとり、と諸悪の根源その一へと恨みがましい視線を送る。

 

「ははは、そう怖い顔をするな、ヘリオスよ。さて、そろそろ太陽が沈みきる。暗くなる前に帰るとしよう」

 

「お前、アイオロス・・・・・・惚けたって無駄だからな、覚えてろよ」

 

 快活に笑い去ろうとする男に、低い声で答える。

 すると、アイオロスは歩む足を止め、眉尻を下げながら小さく呟いた。

 

「・・・太陽神・・・まさか、お前がな・・・」

 

「兄さん?」

 

「・・・あぁ、アイオリアにはまだ話していなかったな。アフロディーテとヘリオスは、先の任務で太陽神と戦ったのだ」

 

「なっ、神と・・・!?」

 

「・・・アイオロス?」

 

 言葉の意図が読めずその名を呼ぶと、男は穏やかに微笑み言った。

 

 

「ヘリオス・・・ロドス島における任務の詳細を知るのは、私を入れて四人のみだ。だが、全ての人を代表して礼を言わせてほしい。我らの女神以外にも、人を信じる神がいてくれた・・・この喜びを、私は一生涯忘れないだろう」

 

「え・・・?」

 

 思わぬ謝礼にぽかんと口を開けると、「ではな」と言葉を残して、黄金の兄は弟を連れて、自らの居場所へと帰っていた。

 

「・・・・・・」

 

 人を信じる、か。

 

 一人残された俺は、その言葉を心の中で反芻した。

 

 俺は別に、人間を信じているわけではない。

 あの時はただ、俺を信じてくれた魚座の戦士達と、あの島の民を守りたかったから、戦う道を選んだんだ。

 失いたくないと願ったから。

 抗うことが、俺に課せられた神としての義務であり、また、後悔の無い選択だと思ったから。

 

「・・・それに、サガにも、困っている人を助けると約束したしな」

 

 囁くように呟いて、俺は地上に落ちてからの日々を思い返した。

 気が付けば、俺を取り巻く世界も、大きく変わったように感じる。

 少年に救われて、様々な人と出会い、異界の神と戦って。

 停滞の中に生きていた時間が嘘のように、良い意味でも、悪い意味でも、毎日が劇的で。

 

 遠い昔、世界に光を届ける最中、見下ろしていた景色は、表面上のものでしかなかったんだな。

 

「今なら少し、戦神アテナの気持も理解できるような──」

 

 

「──ユリティースッ!! お願いだ、目を開けてくれ・・・!!」

 

 

「っ──」

 

 突如として、悲鳴にも近い声が空間に木霊した。 

 知った名に、俺の両足は痛みを無視して疾駆する。

 

「オルフェ・・・ごめんなさい」

 

「嫌だっ・・・僕を置いて、逝かないでくれ・・・ユリティース、ユリティース・・・!!」

 

 白銀の鎧を纏う男の膝に、知った顔の女人が身体を預けていた。

 そう、俺がロドス島へと向う少し前に、財布を届けてくれた親切な人間だ。

 

「どうした、何があったんだ!」

 

 声を荒げ、俺は二人の元へと駆け寄った。

 すると、ユリティースは薄らと瞳を開き、小さく唇を動かした。

 

「・・・貴方は、確か・・・魚座様の従者の・・・ヘリオス、ですね?」

 

「っ双魚宮の・・・浄化の小宇宙を持つ少年か・・・!」

 

 白銀の男は、はっとしたように目を瞠ると、鬼気迫る勢いで俺の肩を掴んだ。

 

「頼む、君の力を貸して欲しい!! 毒蛇が、ユリティースの足を噛んで──」

 

「っ──分かった、任せろ!!」

 

 男の言わんとする意図に気づき、俺は身に宿る小宇宙を鳴動させる。

 毒の除去、それは俺の専売特許だ。

 両手をユリティースへと翳し、極限まで高めた力を放出していく。

 

「聖なる活力よ、来たれ──ッ!」

 

 闇夜に沈みつつある世界に、小型の太陽が顕現した。

 

 眩い陽光は女人を包みこみ、その身を蝕む毒を検出していく。

 

「・・・ん? この毒、いや・・・毒から感じる、この気配は・・・」

 

「ぅ・・・この、光は・・・?」

 

「・・・浄化の小宇宙だ。ユリティース、もう少しの辛抱だからな」

 

 掠れた声を出す女人を励ますように微笑み、俺は一瞬浮かんだ思考を断ち切った。

 噛まれた箇所は足だけのようだが、最早毒は全身へと廻ってしまっている。

 慎重かつ入念に毒を浄化していき、ついでとばかりに、弱まった分の生命力も活性化させていく。

 

「よし、もう大丈夫だ」

 

「ユリティース!! あぁ奇跡だ・・・!」

 

 男は顔色の良くなった女人を、壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめると、静かに涙を流した。

 ・・・間に合って良かった。

 涙を流す二人の人間を眺めながら、俺はほっと胸を撫で下ろした。

 

「驚きました・・・有難うございます、ヘリオス。貴方のお陰で、私はオルフェを一人残して死なずに済みました」

 

「僕からも、最大級の感謝を。・・・魚座の従者が、巨蟹宮の壁の魂を浄化したという噂は本当だったんだな」

 

「あぁ・・・俺も、恩人の危機に気づくことが出来て、本当によかった。・・・なあ、一つ聞きたいんだが」

 

「なんでしょう?」

 

 不思議そうな顔をする二人に、俺は僅かに躊躇ってから言葉を放つ。

 

「ユリティースを噛んだ蛇は──本当に、ただの毒蛇だったのか?」

 

「えっ?」

 

「僕は直接その蛇を見てはいないが・・・それが、どうしたんだ?」

 

「・・・・・・いやちょっとな・・・」

 

 言い淀み、俺を口を閉ざした。

 

 毒から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などと言えば、混乱を招くことになる。

 教皇さんには報告するべきなのだろうが・・・俺には、俺の為すべき事がある。

 どこまでこの聖域の問題に首を突っ込むのか、考えておく必要があるな。

 小さく息をついて、俺は話題を転換した。

 

「そうだ、ユリティース、お前にこれを渡しておこう」

 

「これは・・・髪飾り、ですか?」

 

「あぁ、友と共同制作した、いわゆる魔除けのようなものだ」

 

 仄かに温かい、純白の燐光を放つ"翼の髪飾り"を差し出しながら言った。

 材料はアネモスから離れた翼と、俺の浄化の小宇宙だけだが、その辺の悪霊程度なら余裕で退ける一級品だ。

 

「財布を届けて貰った礼をしていなかったからな・・・何が良いかと悩んだ結果、身を守る品が一番だと思って創作してみたんだ」

 

「まあ・・・ですが、お礼ならば命を助けて頂いただけで十分・・・」

 

「んん、そう思うのなら、なおさら受け取って欲しい。恐らくだが・・・()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ!? ヘリオス、何故そんなことが分かるんだ・・・!?」

 

「・・・すまないが、きちんとした説明はできない。だけど、今のお前達を引き裂こうとする神・・・いや、悪意在る運命が在るとだけは言っておこう」

 

「・・・悪意在る、運命・・・・・・」

 

 険しい表情で声を揺らす男に、俺は心の中で謝罪した。

 ここが、今の俺に出来る最大限のラインだ。

 これ以上の干渉は、女神と冥界神の戦いに参入することを意味する。

 先行きが定まっていない上に、不死の力が封じられている以上、一級神共の戦いに関わるのは危険すぎる。

 

「──分かりました。此方の髪飾りは、大切に扱わせて頂きますね」

 

「・・・しかし、」

 

「大丈夫よ、オルフェ。私には貴方がいる・・・そして貴方には、私がいるもの。どんな運命にだって負けはしないわ」

 

 彼女は、気高く咲き誇る花のように微笑み、凜と紡いだ。

 

「っ・・・ユリティース・・・──分かった。相手が何者であろうと、君は必ず、僕が守ってみせる」

 

「ふふ、頼りにしているわ・・・さて、日が暮れてしまったことですし、今日はもう帰りましょうか」

 

「ああ。・・・ヘリオス、非礼を詫びよう。僕の大切な人を救ってくれた大恩、決して忘れはしない──」

 

 ──ありがとう、と。

 最後にまた一つ、感謝の言葉を述べて。

 二人の人は、固く手を繋いで、夜の帳へと消えていった。

 

 

 

 

 

 



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14話 この手よ、届けと

 

 

 

 

 闇夜を、ひた歩く。

 

 予想外に、帰りが遅くなってしまった。

 アネモスはもう眠りについてしまっただろうか。

 俺の帰りを持って未だ起きているのなら、早く帰ってやらないと。

 

「・・・・・・少し、遠いなあ、新しい塒は」

 

 暫くは此処に住むようにと用意してもらった小屋は、聖域の端に位置している。

 何でも、今の人の世において天馬は夢幻と等しい存在であるらしく、アネモスは聖域の人間が相手であっても、なるべく知られぬように過ごさなければならないらしいのだ。

 俺の呼びかけに応え助けてくれた友には悪いが、聖域にいる限りは窮屈な思いをさせることになる。

 

 まあ正直、俺達を受け入れてくれただけでも、僥倖だろう。

 

 "記憶が混濁した子供"と"忠する女神と無縁の太陽神"では、対応も変わってくるのだから。

 今なお滞在を許してくれる人間達に心の中で感謝をし、痛む身体を引きずりながら、俺は硬い地面を踏み締めていった。

 

 

「・・・遅いぞ、やっと帰ったか」

 

「アフロディーテ? お前、どうしてこんなところに居るんだ」

 

 やっとこさという思いで帰路につくと、機嫌の悪そうな少年の悪態が俺を迎えた。

 宮に滞在しなければならない者が、何用で聖域の端まで来たのだろうか。

 懐疑的な視線で見やると、少年は呆れたように腕を組んで言葉を漏らした。

 

「君に用があるから赴いたのだ」

 

「俺に?」

 

「そうだ」

 

「? ・・・なんだ、俺が本物の神だと知って、ようやっと敬意を表する気にでもなったのか?」

 

「・・・・・・逆に聞くが、今さら畏まった態度で接せられたいのか、太陽神ヘリオスよ」

 

「・・・・・・・・・」

 

 ──気味が悪いから止めて欲しいに決まっている。

 恭しい少年の姿を想像し、俺は思わず表情を歪めた。

 

「・・・その顔が答えだな? まったく・・・本題に入るぞ」

 

 怒りを取り越して、呆れたといった様子でそう言うと、アフロディーテは組んでいた腕を解いて、妙に畏まった態度で身を向けた。

 

「私は一度、()()()()()()。そう長い期間にはならないが、私が居ない間に何かあれば、アイオロスを頼るようにして欲しい」

 

「お前も・・・? なんだ、故郷にでも帰るのか」

 

 少年の発言に、思わず困惑混じりに問い掛ける。

 今はアテナが降臨した、大切な時期だったはずだ。

 黄金の幼子たちが修行で聖域を離れる以上、聖域の守りは固めるべきではないのだろうか。

 首を傾けると、アフロディーテは小さくかぶりを振った。

 

「帰郷ではない・・・──グリーンランド、私が君と会う前に居た、修行の地へと向う。新しく黄金となった者たち同様、私も初心に戻り、鍛え直す必要があると思ったからな」

 

 らしくなく、焦燥の滲んだ声音で言うと、アフロディーテは俯き気味に続けた。

 

「自らの力に疑いなど無かったというのに・・・ロドス島の一件で思い知らされたのだ。今の私では、とても聖戦まで生き残ることなど出来ないのだと。だから、神を打倒してみせたアイオロスのように、神の支配に抗い続けたアルバフィカのように・・・私も、強くなりたいのだ」

 

「・・・・・・」

 

 吐露するように述べ連ねられた言葉に、俺は小さく息を呑んだ。

 ──あの瞬間、

 あの薔薇園で無力さを嘆いていたのは俺だけではなく・・・お前も一緒だったんだな、と。

 毅然とアルバフィカとアベルに向って行く最中、お前もずっと、悔しさを押し殺して戦っていたのか。

 

「人間・・・いや、アフロディーテ」

 

 言い直し、真っ直ぐと眼前の戦士に視線を注ぐと、俺はハッキリとした口調で言葉を放った。

 

 

「──ロドス島の民達を守ってくれて、ありがとう」

 

 

 一瞬、目を瞠った少年に微笑み、言葉を続ける。

 

「思えば未だに、きちんと礼を言っていなかったな。・・・心の底から感謝する。お前が命を懸けて拳を掲げ続けてくれたから、民達を・・・アルバフィカやアベルを、あの瘴気から救うことができたんだ」

 

「・・・別に、民を守るのが私の務めなのだから、君が礼を言うようなことではない。・・・寧ろ、礼を述べるべきは私の方だ。君があのとき力を取り戻していなければ・・・今頃私は、物言わぬ骸となっていたのだろうからな」

 

「はは、じゃあお互い様ってことにしよう」

 

 アフロディーテが守ってくれたお陰で、俺は今もこうして生き長らえているのだから。

 

「・・・あぁ、違いない」

 

 僅かに肩を下ろした少年は、和らいだ口調でそう返した。

 恐らく、アベルとの戦いからずっと、気を張っている状態なのだろう。

 少しでも早く、今よりもずっと強い聖闘士になりたいのだと。

 だが、

 

「なあ、アフロディーテ・・・──焦るなよ」

 

「焦り・・・?」

 

 鸚鵡返しに呟くアフロディーテに頷きつつ、俺は率直な感想を告げる。

 

「どうも、今のお前を見ていると、"天界に戻ろうと焦っている俺自身”と被るんだよ。『すぐさま真実を知らねばならない』、『今すぐにでも、強い戦士になりたい』・・・って部分が特にな」

 

「・・・・・・君から見た私は、焦っているように見えるのか?」

 

「あぁ、いつものムカつく余裕が感じられないのは確かだ」

 

 夜空を見上げながら、静かに言葉を続けた。

 

「・・・きっと、焦ること自体は悪くない感情だとは思うんだ。だけど、お前たち聖闘士の鍛錬は、じっくりと地道に積み重ねて、自らを高めていくものなんだろう? だったら、逸る気持ちはぐっと堪えて修練に打ち込んだ方が、得られる成果は大きくなる」

 

 俺も昔、父上から最低限の稽古をつけてもらったことがある。

 攻撃の避け方、防御や受け身の方法など、守りに一貫した鍛錬ではあったが、それでも、父上は戦いに不得手な俺のために、かなりの時間をかけて身を護る術を教授してくれた。

 

「自らを守る術を学ぶだけでも相当な時間がかかるのに、他者の命も背負うとなればその比重は計り知れない。・・・だが、だからこそ長く険しい道の半ばで疲れ果ててしまわないように、自分に合ったペースを見つけて、お前らしく強くなればいいんじゃないか」

 

「・・・私、らしく・・・・・・」

 

 長い睫毛を瞬かせ呟くと、アフロディーテは少しの間黙りこくり、やがて苦笑い混じりに鼻を鳴らした。

 

「フッ・・・簡単に言ってくれるな。だが確かに、急いても事をし損じるという言葉があるのもまた事実。・・・私も、君に倣って、もう少し気を緩めるべきか」

 

 息を吐き出すと、少年は考え込むようして遠くの空を見やった。

 静寂が満ちて、夜風が肌に染み入り始める。

 これ以上の長話になるのなら小屋に入って話すべきか、と思考したところで、神妙な面持ちをしたアフロディーテが言葉を放った。

 

「ヘリオス・・・現状、天界に戻る見立てはあるのか」

 

「・・・・・・そうだな」

 

 重いため息と共に、言い連ねる。

 

「正直・・・状況は絶望的だ。相手があのアポロンだと判明した以上、俺が全ての神力を取り戻したとしても、足りるかどうか・・・。戦神アテナや海皇ポセイドン達のような、一級神の助力を得られれば、何とか力技で戻れるかもしれないが・・・」

 

「・・・そうか」

 

 首肯すると、少年は真剣みの増した眼差しで言った。

 

「もしもこの先、君に戦力が必要になった時は、私も任務に支障がない範囲で手を貸そう」

 

「・・・いいのか?」

 

「無論だ。あの日の夜に言っただろう、気にせず助けを求めればいいと」

 

「そう、だったな・・・気を使わせて済まない、感謝する」

 

 少年の厚意に礼を述べるが、俺は口端を引き結んで沈黙した。

 今の俺にとって、アフロディーテの提案は、またとない程に有り難いものだ。

 

 だが、つい先刻、女神と冥王の戦いに関わらぬように彼等との間に一線を引いた俺が、少年の力を一方的に借りるのは・・・かなり、卑怯ではないか? 

 

 俺は是が非でも、天界に戻らなければならない。

 だが、為すべき使命があるのは俺だけではない・・・アフロディーテにも、聖闘士としての務めがあるのだ。

 だというのに。

 この少年の善意を一方的に享受するというのは、余りにも・・・、

 

「まったく、また何か悩んでいるな? 君も一部とはいえ力を取り戻して、今や()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、もう少ししゃんとしたまえ」

 

「・・・ああ・・・・・・」

 

「・・・ヘリオス?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 気遣いの混じった声音で名を呼ぶ少年を見据えると、俺は、自らの心に問いかけ続けた。

 

 ──こんなとき、父上ならどんな選択をするのだろうか。

 ──どのような道を選択すれば、後悔のない未来を掴めるのだろうか、と。

 

「・・・・・・そうか、」

 

 考えること、数秒。

 その答えは、拍子抜けするほどあっさりと浮き出てきた。

 思わず苦笑しながらも、囁く。

 

「・・・ここが、腹の決め時か」

 

 俯き気味だった姿勢を戻しつつ、俺は自らの願いと、在るべき姿を定義した。

 

 ──彼らと共に戦おう。

 

 受けた恩義に報い、自らの目的も達成する──それが大切な血族と自身に恥じぬ、俺の進むべき道だ。

 

 だから、女神の助力が得られるかどうかじゃない──女神に協力し、意地でも力を借りられるべく行動する。

 それが、俺の進むべき未来の道筋だ。

 

 女神アテナに与する以上、冥王ハーデスを筆頭とする冥界神と抗戦することにもなるのだろう。

 だが、それが、どうしたというのだ。

 俺は既に、アポロンを、遙か高みの一級神を相手にしているじゃないか。

 今更、何を縮こまる必要があったのだろうか。

 

「アフロディーテ、ここで少し待っていてくれ」

 

 自らの方針を決定した俺は、少年に一言告げ、一旦小屋へと入る。

 そして、うつらうつらと船をこぐアネモスを発見し、その背に毛布をかけると、先刻、オルフェとユリティースを襲った悪意ある現象を書にしたため封に入れた。

 

「これは?」

 

 小屋を出て(ふみ)をアフロディーテに手渡すと、俺は躊躇いなく言った。

 

「教皇さんに宛てた手紙だ。俺は十二宮を出禁になってしまったからな・・・どうか、よろしく頼む」

 

「・・・なるほど、承った。早急に届けるとしよう」

 

 凜とした声音で了承すると、少年は文を懐にしまい歩き出す。

 

「暫くは会えなくなるが・・・私がいないからと言って、皆に迷惑はかけるんじゃないぞ、ヘリオスよ」

 

「お前は俺をなんだと思っているんだ。大丈夫だ、お前が居ない分は特別に、このヘリオスが聖域を守護してやるから、安心して研鑽してくるんだぞ、アフロディーテ」

 

「・・・・・? 君が、この聖域を守ると・・・そう言ったのか?」

 

 立ち止まり困惑混じりに問うた少年に、俺は大きく頷いた。

 

「あぁ、()()()()()()()()()、そう言った」

 

「・・・・・・・・・そうか」

 

 アフロディーテは、ぽつりと一言零すと、月光に照らされる道を再度進み出した。

 

 

「最後に、良い知らせを聞けた」

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 数日が流れた。

 

 黄金の幼子達とアフロディーテは己の修行の地へと行き、聖域に残った者達はその穴を埋まるように忙しない日々を送っている。

 俺はといえば、未だ癒えぬ傷に四苦八苦しながらも、先日()()()()()()()()()()()()()()()を探して聖域内をうろうろと彷徨っていた。

 

「・・・ここも、異常なしか」

 

 殆どの場所は捜索したのだが、芳しい成果は無し。

 俺の文を読んだ教皇さんも、信頼の出来る者に、極秘裏に調査するよう命じたらしいのだが、空振りが続いているようだった。

 小さく息をつき、眩い空を仰ぐ。

 

 ロドス島で使用した探査の術を用いても、反応は無し。

 俺の力が不安定な影響か、はたまた見つからないように何かしらの策を施してるのか・・・もしくは、その両方か。

 

「・・・()()()()()()()・・・どうやって聖域に侵入したんだ」

 

 死の運命を司る女神、ケール。

 それが、ユリティースの身を蝕む毒から感じた、小宇宙の所持者だった。

 その神とは天界で擦れ違ったことがあるくらいの関係しかないが、小宇宙の在り方は記憶していたため、正体を突き止めるに至ったのだ。

 

 何を企んでいるのかは定かではない。

 しかし、放置する訳にもいかないだろうと、聖域内を探索しているのが現状だ。

 残念ながら、証拠らしい証拠は未だになし。

 これだけ探しても見つからないのなら、既にこの地を離れている可能性もあると考えるべきなのだろうか。

 

「・・・そして、今日も、カノンは訪れないか」

 

 自然と辿り着いていた釣り場で、俺は重く声を漏らした。

 数日前サガと言葉を交わすと言ったきり、カノンは一度も姿を表していない。

 後押しをしたのは俺だが、正直かなり心配だ。

 

「・・・・・・」

 

 俺は両手を胸の前に翳して、朗々と声を発した。

 

「──陽光よ、我が手に集いて道を示せ」

 

 言葉に反応するように、茜色の燐光が、俺の手を包みこむ。

 だが、それ以上の変化はなし。

 ロドス島の時のような力強い灯火は生まれず、今にも消えてしまいそうな儚い光が、淡く揺れるだけだ。

 

 ・・・やはり、ケールの探知同様、術が上手くいかないのは、俺の神力の問題なのだろうか。

 

 そう思考した瞬間、

 ドッッ!! と、唐突に、天まで届きかねない勢いで、茜色の炎が噴出した。

 

「っ・・・なんだ、いきなり・・・!?」

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()燃える火柱に驚愕していると、その先端が突き穿たんばかりの勢いで、とある方角を指し示した。

 

 ──スニオン岬。

 

 聖域の端に位置する、かつて、海皇ポセイドンの神殿があった場所だ。

 

 そこにいるのか、カノン。

 通常有り得ない挙動をした火柱を打ち消して、俺は大地を強く蹴り、目的の地へと向った。

 

 空を切り、風を置き去りにして、駆け続ける。

 

 身体の痛みに表情を歪めながらも、スニオン岬の崖下に辿り着いた俺は、呼吸を整えながら辺りを見渡した。

 そして。

 荒波が容赦なく岩場に衝突し、水飛沫が視界を遮る崖の下で、俺は確かに、藍色に緑を溶かし込んだような、見知った色の長髪を見つけ出した。

 

「カノン・・・!!」

 

「っ・・・・・・お前、何故ここに・・・」

 

 海に浸かる、崖をくりぬいて作られた岩牢の中で、男は動揺混じりに声を漏らした。

 

「なぜって、いつまで経っても姿を表さないから、探知の術を用いて探したんだ」

 

「術だと・・・まさか、()()()()()()()が言っていた忌々しい太陽神とは・・・お前だったというのか」

 

「神を名乗る、小娘?」

 

「・・・・・・つい先程まで、冥衣と特徴の一致する、黒曜にも似た鎧を纏う小娘がそこにいたのだ。悪霊だかなんだか訳の分からんことを宣い・・・最後に、太陽神の術が鬱陶しいと吐き捨てて去っていった」

 

「なっ・・・その小娘ってまさか、冥界の女神ケールじゃないだろうな」

 

「ケール・・・あぁ、確かに、そんな名を口にしていたな」

 

 内と外を隔てる鉄格子の向こうで、カノンは厳しい表情で口を噤んだ。

 そして、眉に深い皺を刻むと、一言、

 

「去れ」

 

「・・・・・・え、」

 

「早々に、ここから立ち去れと言っている」

 

 有無を言わさぬ鋭い眼光で、男は俺を睨めつけてきた。

 思わずひゅっ、と、嫌な音を立てて息を飲み込んだ俺は、その恐ろしいまでに()()()()()()に唇を震わせた。

 

「な、なんでだよ・・・確かに、俺はお前の忌み嫌う神ではあるが、お前を助けるまでは梃子でも動かな──」

 

「違う」

 

「・・・は?」

 

「・・・察しが悪いな・・・俺は、一刻も早く立ち去らなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そう警告しているんだ」

 

 焦燥にも似た声音で発せられた言葉に、俺は今度こそ完全に硬直した。

 

「・・・・・・冗談、だよな? まるでその口振りだと、サガがお前を岩牢に閉じ込めたみたいじゃ──」

 

「──みたいではなく、それがこそが真実なのだ」

 

「・・・・・・・・・」

 

 そんな、馬鹿な。

 あの、サガが。

 仁、智、勇を兼ね備え、善性の一言が当てはまる、優しくも雄々しいあの聖闘士が──実の弟であるカノンを、牢屋に閉じ込めた・・・? 

 

「・・・何が、何があったんだ」

 

「・・・・・・」

 

「カノン!」

 

「・・・ふん」

 

 カノンは皮肉気に失笑を零した。

 そして、諦念に満ちた空気を醸成し、緩慢に口を動かす。

 

「結局は・・・俺も、お前も・・・サガのことなど、微塵も理解していなかったということよ」

 

「・・・どういう、意味だ」

 

「・・・教皇が退位を表明していることは知っているか」

 

「教皇さんが? いや、そんな話は初めて聞くが・・・」

 

「・・・退位に向け、教皇は自らの後継を任命するべく、サガとアイオロスの二人を宮に招集し、あろう事か・・・次の教皇として、アイオロスを選んだのだ。・・・──それが、サガと俺の希望を打ち砕く選択だと知らずにな」

 

「え・・・?」

 

「・・・サガは教皇になるという野望を、そして俺は、正式に双子座を継げる可能性を失ったということだ」

 

 淡々と、カノンは語り続ける。

 

「・・・俺は諦めてなるものかと、サガに提案した。教皇に考えを改めさせるべく、共に教皇宮へ向かおうと。・・・だが、サガは、教皇が考えを変えることは無い、アイオロスこそが次期教皇として相応しいのだから・・・"諦めろ"、と、俺の言葉を撥ね除けた」

 

「・・・・・・カノン」

 

 か細くその名を呼ぶと、男は静かに、己の現状を作り出した、決定的な一言を口にした。

 

「・・・・・・気づけば、俺は、サガに拳を向けていた」

 

 己を理解しようとしない兄に、怒りと、悲しみと、様々な感情が巻き上がり・・・・・・気づいたときには、手が出てしまった。

 そして、サガも逆上し、カノンをこの岩牢に閉じ込めた。

 そういうことなのだろう。

 

「・・・お前は前に、『俺の声は必ずサガに届く』と、そう言っていたな? ・・・フッ、フフ・・・何も、何も届きはしなかった。あの男は結局、俺の慟哭に傾ける心などは、持ち合わせてはいなかったのだ」

 

「っ・・・」

 

 カノンの言葉が、深く胸に突き刺さった。

 俺はサガを、測りかねていたのか。

 そして、己の判断を正しいと疑わないばかりに、カノンの背中を押し・・・あろうことか、こんな、最悪の未来を作り出してしまった。

 まるで、魂を抉るような残酷な現実に、俺は言葉をなくし、呆然と立ちつくした。

 

「・・・小僧、最早、お前が何者であろうとも関係ない。・・・・・・もう、俺たちの問題に関わろうとするな」

 

「っ・・・嫌だ! それに、お前が投獄された原因の一端は俺にもある・・・絶対に、無関係なんかじゃない!!」

 

 悲鳴混じりに叫びをあげて、俺は拳を強く握りしめた。

 

 全てが噛み合わず、拗れに、拗れた。

 だけど、カノンが牢に居なければならない理由は微塵も存在しない。

 こんな理不尽な境遇・・・絶対に認めてなるものか・・・! 

 

「まずは、お前をここから救い出す・・・!」

 

 確固たる決意と共に、目の前の鉄格子を標準した俺は、右手に破壊の力を凝縮し──解き放った。

 ドッッ!!! と衝撃波じみた大音響が炸裂し、辺りを震わせる。

 

 ──しかし、

 

「・・・嘘だろ、今ので壊せないのか」

 

 鉄格子には、亀裂一つ生じていなかった。

 

「・・・無駄だ。この岩牢は神話の時代、アテナが捕らえた敵を閉じ込めた場所。人間の力では、破ることはできん・・・諦めて、さっさと帰れ」

 

「諦めてたまるか・・・一撃で足りないのなら、全ての小宇宙を収束した瞬間最大火力で・・・!」

 

「馬鹿者め、小宇宙を使い果たし気を失えば最後、サガに見つかり・・・下手をすれば、殺されることになるのだぞ」

 

 心底理解できない、といった様子で溜息を吐きだすと、カノンは憐憫の混じった眼差しで俺を見た。

 

「もう、十分だ・・・ヘリオス」

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()、踵を返して別れを告げる。

 

「お前の気持は、よく分かった・・・だが、もういい・・・お前は、お前の居場所へと帰れ」

 

「っ・・・」

 

 男は、光の届かない岩牢の奥へと進み出した。

 

 何も、十分なんかじゃないだろう。

 悔しさが沸き起こり、唇を強く噛み締めて、俺は衝動のままに小宇宙を燃やし始めた。

 

 ──絶対に、カノンを、独りにはしない。

 

 燃えろ、

 燃えろ・・・! 

 限界を通り越した彼方まで、俺の小宇宙よ、燃え上がれ──ッ!! 

 

 ──瞬間、世界を照らす、永遠の輝きが顕現した。

 

 右腕に宿った鮮烈な光芒は、巌窟の奥まで光を届けてみせた。

 いける。

 この力を叩き込めば、確実に、戦神アテナの鉄格子を破壊することができる。

 制御の安定しない小宇宙を必死に押さえ込みながらも、俺は、カノンを岩牢から出してやれる未来を、疑いなく確信した。

 

 

 バキンッッ!!! 

 

 唐突に、光に照らされた巌窟の奥から、岩を砕くような破壊音が轟いた。

 

「な・・・カノン・・・?」

 

 突然のことに混乱し、俺は鉄格子越しに奥を見やった。

 すると、そこにはまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、カノンの姿があった。

 

 ──あの鉾、どこかで。

 

 神々しく輝く三つ叉の鉾に、俺の意識は縫い止められた。

 見たことがあるはずなのに、記憶の底に埋もれてしまったかのように、思い出すことが出来ない。

 まるで、時が引き伸ばされたかのようにして動く人の姿を眺めながら、俺は掬うことのできない過去の記憶に困惑した。

 そして、カノンが黄金の鉾を手に掴み、引き抜いた瞬間。

 

 カッ!! と、鉾が、凄まじい極光を解き放った。

 

 眠りから覚めるようにして放たれる光を起点とし、膝まで浸かっていた海水が蜷局となって荒立ち始めた。

 

「なっ、なんだ、この光はッ!?」

 

「っ──カノン!!」

 

 不味い。

 あの鉾を、封印しなければならない。

 俺は全ての小宇宙を込めた右手を突き出して、岩牢へと突進した。

 そして、ベキィッ!! と鈍い音を立てて消えた鉄格子の破片を身に受けながら、必死に突き進み、

 

「──ヘリオスッッ!!」

 

「えっ──」

 

 突然叫んだカノンに驚き喘いだその刹那──背後から、叩きつけるような衝撃が発生した。

 鉄格子の消えた入り口から、荒波が洞窟内へと侵入したのだ。

 岩窟の奥まで押し寄せた海水は俺とカノンを飲み込むと、その荒々しい勢いのまま、スニオン岬の崖下まで俺達を押し出した。

 

 このままでは、海に、連れ去られる。

 

「ぐっ・・・」

 

 ──身体が、思うように動いてくれない。

 全ての小宇宙を込めた一撃が、ここにきて影響を及ぼすか。

 

 だが、諦めない。

 

 諦めた瞬間に、大切なものはこの手を零れていくのだと、少年が俺に教えてくれたのだから。

 虚脱し、碌に力が入らない腕を叱咤して、俺はカノンへと手を伸ばした。

 

「──この手を取るんだ!!」

 

「・・・・・・」

 

「カノンッッ!!」

 

「・・・・・・ヘリオスよ」

 

 朦朧と霞み始めた景色の先で、カノンは、小さく笑った。

 

 

「一生を孤独に生きる俺へ、手を差し伸ばす者が存在していた・・・それだけで、俺は十分──」

 

「っ────」

 

 男は、穏やかに最後の言葉を紡ぐと、

 

 

 ──手を伸ばす俺を、自らの小宇宙で突き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15話 星に誓いを

 

 

 

 

 波の音が、聞こえる。

 

「ぅ・・・ゲホッ・・・」

 

 節々が重く、怠い。

 身体が、悲鳴を上げている。

 

 朦朧とする頭を揺らし、俺は、ゆっくりと瞼を開けた。

 

「────・・・?」

 

 瞼を、開けたのだが。

 視界に現れたのは、ただの、暗闇だった。

 何故。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──、

 

「・・・ま、さか」

 

 次第に血の気の引いていく手を握りしめると、俺は、勢いよく上体を起こして空を仰いだ。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 足下から、逃げ場を奪うようにして絶望が這い上がった。

 

「・・・俺はずっと、意識を失っていたのか・・・? っ・・・嘘だ、嘘だ!」

 

 目の前の現実を否定するべく、辺りを見渡す。

 しかし、判明するのは覆しようのない現実だけ。

 昼は夜に。

 荒々しい海流は、傍らに居たカノンを連れて、既に消えて失せていた。

 

「・・・・・・嘘だと、言ってくれよ」

 

 魂が崩れていくような虚脱感とともに、身体の力が抜けていく。

 

 

 ──届かなかった。

 

 

 俺の手は届かなかった。

 届く寸前に、明確なカノンの意思で拒絶されたのだ。

 俺を、海流から救い、生かすためにと。

 

「・・・馬鹿だ」

 

 ぼろぼろと溢れ出る涙を、手の甲で拭うと、俺は闇に染まる海面に向って、叫んだ。

 

「・・・お前は馬鹿だ、大馬鹿野郎だ!! なにがっ・・・なにが『俺は十分、()()()()』だよ!! たった十数年しか生きていない人の子がっ・・・どうして手を差し伸ばされただけで、満足したような顔ができるんだよッ!?」

 

 小さな拳を岩場へと叩きつけて、嗚咽を漏らして泣き叫ぶ。

 悔しい。

 悔しい。

 あの人間に、"報われた"などと言わせてしまった、己の無力さが、何よりも悔しかった。

 

「・・・こんな終わり、俺は、絶対に認めないぞ」

 

 震える足を奮い立たせて、俺は立ち上がった。

 

 過ぎ去った時は、戻せない。

 俺は愚かで浅はかで、何度も、選択を誤ってきた。

 だけど。

 だとしても、こんなところで諦める気は更々ない。

 何故ならば、

 

 ──カノンは、必ず、生きている。

 

 人間は脆く、儚い存在だ。

 だが、あの人間は、黄金聖闘士の中でも屈指の実力を誇るサガと、競い合うほどの逸材なのだ。

 だとすれば、海底に引きずられた程度では傷を負うことはあっても、命に別状は・・・ないはずなんだ。

 

 自らに言い聞かせるようにして気持の整理をつけると、俺は、新たに生まれた驚異──岩牢の奥から出現した、()()()()()()()()()()()()()()()()()について、思考を巡らせ始めた。

 

「・・・カノンを連れ去った荒波は、あの三叉鉾(さんさそう)によってもたらされた現象だと考えるのが順当だ。・・・しかし、全く以て訳が分からん。何がどうしたら、聖域の岩牢から、海皇の小宇宙を放出する(ブツ)が出てくるんだよ・・・!」

 

 許容を超える現実に、苛立ちを込めて吐き捨てる。

 

 冥界神ケールに、海皇ポセイドン・・・今までは片鱗も見せなかった神が、次から次へと。

 間が悪いにも程があると毒づきたいが、全く以て忌々しいことに、今の俺一柱では、到底対処はできないのが現実だ。

 ここは素直に・・・いいや、意地でも、教皇さんに協力して貰わなければなるまい。

 

 細かい事情は知らないが、教皇さんは、地上の平和や聖戦の為にと、双子の片割れを秘し、間接的といえども、岩牢に投獄されるまで追い込んだ当事者でもあるのだ。

 陰で生きてきたカノンを救うべく動くのは、当然の責務と言えるだろう。

 

「・・・待ってろよ、カノン」

 

 決意を込めて呟くと、俺は拳を強く握りしめた。

 

 気がつけば、言葉を交わし合う隣人となっていた、双子の片割れ。

 双子座のカノン。

 多大な努力は人知れず、不条理な運命に翻弄され、孤独に生き・・・そして、俺を何度も助けてくれた、優しい人の子。

 俺は、お前の優しさに報いたい。

 本当の意味で、お前に幸せになってほしいと切に願うんだ。

 

「足は、きちんと動くな・・・よし!」

 

 自らを鼓舞するようにして、虚脱する身体に力を入れる。

 そして、今直ぐにでも飛び込んでしまいたい衝動を抑え、惣闇の海面を一瞥すると、俺は踵を返して地面を強く蹴った。

 

 さあ──教皇さんの元へ、急ぐぞ・・・! 

 

 ──と、そのとき。

 

『クオォォォォォン!!』

 

 月を背に。

 鮮やかな弧を描いた一対の白翼が、一陣の風となり飛翔する。

 風を司る盟友、天馬のアネモスだ。

 

「っ・・・アネモス! 良いところに来てく──うわあっ!?」

 

 ざぁっ!! と、荒々しい突風となった天馬は、下降の勢いを上乗せして迫ると──あろうことか、俺を掻っ攫い、己が背へと乗せてしまった。

 突然のことに訳も分からず、抗議の声を上げようと口を開くが、白翼は有無を言わさず上空へと急上昇。

 俺はただ、振り落とされぬようにと、アネモスにしがみつく他なかった。

 

「あああ、アネモス!? どこに向う気なんだッ!? カノンが海に連れ去られてっ・・・俺は、今から教皇さんの元へ行かなければならないんだッ!!」

 

『ヒヒーンッ!!』

 

「っ──!?」

 

 雄々しい嘶きと同時に、天馬の周囲を突風が舞った。

 俺ごと包み込むように、幾重にも幾重にも合わさった空気の層は、やがて光の屈折率を変え、内部を透明化する不可視の防御壁を形成する。

 

 (アネモス)の奥義が一つ──風王結界(インビジブル・エア)

 

 物理的な防御と、視覚的な気配遮断を同時に為してみせる、滅多にお目にかかれない技だ。

 繊細な小宇宙制御能力と、極度の集中力が必要なため、余程の事情がなければ扱うことはないはずなのだが・・・。

 

「アネモス、何があったんだ。教えてくれ、お前はどこに向っている・・・!?」

 

『・・・・・・』

 

 鬼気迫る勢いで疾駆する友に問いかけるが、返答はなく、

 

「アネモ──ッ!?」

 

 ──答えは、別の形となって現れた。

 

 突如として、月と、星明かりが支配する夜闇の世界に、()()()()()()()()()()()

 

(──こんな足場もない空に、なぜ、影が・・・?)

 

 一瞬の動揺と、薄く引き伸ばされたかのように、停滞する思考。

 そして、

 

 ドスンッッ!! と、目の前に、刹那の衝撃が発生した。

 

「ぁ・・・っぐ・・・」

 

「なっ──きょ、()()()()!?」

 

 影と、衝撃の正体は、空から降ってきた──否、落ちてきた人間だった。

 

 どうして空から人間が、と、俺は振り向き、遠ざかっていく景色を確認した。

 そこに在ったのは、夜闇に座する、物々しい渓谷の群れ。

 天を穿つように屹立する岩崖(がんがい)の地──スターヒルだった。

 

「確か、聖域の教皇が星見をする高台だったか・・・? まさか、足でも滑らし・・・ッ!?」

 

 視線を人間へと戻した瞬間、俺は思わず目を瞠った。

 

 呻き声を上げる人間の左胸──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 致命傷だ。

 黒の法衣を纏っていてもなお、その赤は余りにも鮮烈で、瞬く間にアネモスの純白の背を汚していく。

 

 直ぐさま傷口を治療しなければ、この人間は──死ぬ。

 

「不味い、このままではっ・・・アネモス、教皇さんを治療する! 俺に小宇宙を分けてくれ!!」

 

『クォォォーン!!』

 

「感謝するッ!」

 

 意識のない人間の傷口に手を押し当てると、俺は腹の底からあらん限りの力を込めて、咆吼した。

 

「──聖なる癒しのその御手よ、輝き燃える猛き炎よ、彼の者に、壮麗たる抱擁の力を──ッ!」

 

 ドッッ!! と、白銀に輝く炎が、結界内に迸った。

 

 鮮烈なる光は、冷たくなっていく人間の身体を包み込むと、やがて赤黒い傷口へと渦巻くように寄り添い、凝縮していった。

 

 治癒の術──知の女神である母様から教わった、呪文の一つだ。

 その効果は絶大で、致命傷であれど、傷跡を跡形なく抹消してみせる恐ろしい術なのだが──、

 

「ぅ・・・ゲホッ!! 小宇宙がっ・・・」

 

『クォーン・・・』

 

「ちくしょう、やっぱり足りないかッ!!」

 

 血を吐きながら、俺は唸り声を上げた。

 そう、術を成功させるためには、膨大の小宇宙を消費する必要があるのだ。

 神であれば、そう問題のある量ではないのだが・・・今の俺達の小宇宙では、完全に教皇さんを救うには至らなかった。

 

「・・・・・・そ、の、声は・・・ヘリオスか・・・?」

 

 生気の感じられぬ瞳が、俺の黄金の眼へと向けられた。

 

「っ目が覚めたのか!! そうだ、俺だ! ヘリオスだ!!」

 

「そう、か・・・ああ、最期の瞬間を、太陽神に看取られることになろうとはな・・・」

 

「っ──何を弱気な・・・! お前には、カノンを助けてもらわなくちゃいけないんだ! それに、俺はまだお前の恩に報いていない!! 死ぬなよ! 俺がなんとかしてみせる・・・だから、生きることを諦めるなッ!!」

 

「っ・・・カノン、だと? お前、いつの間にカノンと知り合って・・・」

 

「事情は後で話すし、後で聞く!! ・・・──アネモス!! 一旦地へと降りるぞ!!」

 

『ヒヒィィィーンッ!』

 

 力強く啼くと、アネモスは風王結界(インビジブル・エア)を解除し、地上へ足を着けた。

 俺は直ぐさま、浅い呼吸を繰り返す人間を仰向けに寝かせると、再び小宇宙を燃やし、白銀に輝く手を傷口へと翳した。

 

「頼む、治れ、治ってくれ・・・!」

 

 魂の力を絞り尽くすかのように念じ、術を維持し続けた。

 だが、人間の命そのものである赤い液体は、いっこうに止まろうとしない。

 小宇宙が、絶望的に足りていないのだ。

 

「足りないのなら、俺の命を燃やして補えば──!」

 

「・・・・・・太陽神、ヘリオス・・・」

 

「喋るな、今は生きることだけを考えるんだ!」

 

 自分の力が儚いことを理由に、目の前の命から目を逸らしたくない。

 もうこれ以上、取り零したくない、失いたくない。

 後悔は、したくないんだ。

 

「ぅ──ゴホッ・・・ゲホッ・・・!」

 

「っ・・・ヘリオスよ、お前も十分ぼろぼろではないか。また血を吐いて・・・()()()()。例えこの傷穴が消え、一時の延命が叶ったとしても、老いぼれたこの身体では、この先を生きる体力が持たぬだろうよ」

 

「・・・・・・教皇さん」

 

「・・・なんだ?」

 

「俺は、『()()()()』っていう言葉を、日に二度も聞きたくはなかったよ」

 

 口元から溢れ、地へと滴る霊血(イーコール)を朧気に眺めながら、弱々しく言った。

 

 この聖域に生きる者達は、皆一様にそうなのだろうか。

 自分が、一番傷だらけで、誰かに助けを求めるべき局面のはずだというのに。

 カノンも、教皇さんも、俺を気遣って『もう良い』と口にする。

 

 分かっている。

 

 それが優しさから生まれる言葉だという事実は、嫌と言うほどに理解している。

 ──だけど、

 

「結構、悔しいんだよ、頼りにされないのって。・・・確かに俺は、頼りない神かもしれないが・・・だけど、それでも、死にそうなときぐらいは、目の前の俺をあてにしたって、罰は当たらないだろうよ」

 

「・・・だがこれ以上は、お前が・・・」

 

「・・・・・・」

 

 教皇さんの言うとおり、このままでは、小宇宙も体力も尽き果てて、衰弱の一途を辿ることになる。

 だが、ここで術を止め人間の死を見届けるなど、到底許容できない。

 考えろ、考えるんだ。

 きっとなにか、この窮地を脱する方法が──、

 

「っ・・・そうだ、いや、だが・・・」

 

「ヘリオス?」

 

「・・・・・・なあ、人間。今此処に、一つだけ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──な、に」

 

 息を呑み、双眼を見開く人間を前に、俺は僅かに逡巡してから、ゆっくりと唇を動かした。

 

「俺は、『太陽神』であると同時に、『誓約の守護者』でもある。故に、力を失った今の状態であっても、浄化の小宇宙を操れるように──誓約の守護者としての、権能を振るうことが出来る」

 

 徐々に力を失っていく教皇さんの眼を覗きながら、俺は言葉を放った。

 

「名を──()()()()。人が、神の使者となる古の契約だ。一度結べば、眷属となった人間は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。擬似的な不老不死の存在となる」

 

「・・・そ、れは・・・」

 

「分かっている。戦神アテナに仕える人間・・・それも、聖域の教皇に対してする提案ではないことは、十全に理解している。だから決して、強制はしない。それに、現状、この契約には致命的な問題があるんだ」

 

「問題とは・・・?」

 

「・・・これは、俺がアポロンに力を封じられている影響で生じた欠陥なんだがな。──現状、この契約は、俺が完全に力を取り戻すまでは、破棄することが出来ない状態にある。つまり、ここで契約をし、教皇さんが十分に快復したとしても・・・直ぐに元の人間に戻ることはできないという訳なんだ」

 

「・・・ふむ」

 

「さあ、選んでくれ。女神を奉ずる聖域の教皇よ。冥界へと旅立つか、俺の手を取り、生きて戦い続ける未来を進むか──二つに、一つだ」

 

「・・・・・・」

 

 真剣な声音で告げると、俺は、右手を前へと突き出した。

 片手は教皇さんの傷口へと翳した状態を続けているが、正直そろそろ体力も限界に近づいてきた。

 残された時間は、あと僅かもない。

 だが、少しでも、目の前の人間に、己の未来を考える時間を作って──、

 

「では、結ぼうか」

 

「・・・へ?」

 

 血塗れの小さな右手を、氷のように冷たく、同時に陽だまりのように温かい人の手が、優しく握り返した。

 躊躇いなく発せられた一言に困惑し、顔を上げると、教皇さんが唇を動かした。

 

「我が名は()()()牡羊座(アリエス)の黄金聖闘士として前聖戦を戦い、過去と次代を繋ぐ(かすがい)として、聖域を統べる教皇なり。地上の平和の為に死していった同胞達に報いるためにも、私は戦う。・・・これまでも、そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ──」

 

 瀕死の賢者は、青白く血の気の失せた顔で、穏やかな笑みを浮かべて言い切った。

 どこまでも澄んだ紫の瞳が、きらきらと光を湛えて、俺を見つめている。

 それが、教皇さん──()()()の、答えだった。

 

「・・・お前の覚悟、(しか)と受け取った」

 

 歴史を紡ぐ人の子よ。

 過去の想いを継ぎし戦士、教皇シオンよ。

 ()()()()()()()()()()()()()()、お前が未来を望むなら、俺は応えよう。

 深く瞑目すると、俺は両手でシオンの手を包み込み、

 ──高らかに、(うた)った。

 

 

「天を駆ける、闇夜の星々よ。混沌を束ねる、古の契約よ。太陽神ヘリオスの名の下に、我此処に汝らに誓う。

 ・・・天空(そら)のいましめ解き放たれし、凍れる黒き虚ろの流れよ。我が力、我が身となりて、共に滅びの道を歩まん──ッ!」

 

 瞬間、光が生まれた。

 凄烈なる陽光は、粒子となって舞い上がり、やがて一点に集うと、

 

「ッ──!」

 

 彗星の如き軌跡を描きながら──シオンの心臓を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 







閲覧並びに、お気に入り登録や評価、はちゃめちゃに温かい感想など、本当に有難うございます。
ランキング載っててびびりましたが、励みに頑張りたいと思います。

二つに分岐するルートのうち、どちらを選ぶかで大変時間を要しました。
今後ものんびり投稿になると思いますが、読んでいただけると嬉しいです。


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16話 終わりの始まり

 

 

 

 

『眷属契約』

 

 神と人間、その両者の意思が合致した際に初めて結ぶことが許される、古の誓約である。

 本来ならば、両者の魂を繋げることで、記憶や経験の一部を共有し、内面に潜む力を最大まで引き上げる効能もあるのだが・・・。

 

「っ・・・この姿は!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()──()()()()()が、驚愕の声をあげながら、自らの四肢へと視線を彷徨わせた。

 

「勝手で悪いが・・・俺の友、アポロンから教わった、年齢を操る術を、契約に混ぜ込んだんだ・・・だが、若返ったと言っても、傷口はそのままだ。不死身と言っても、無理はするな・・・」

 

 掠れ声で答えると、シオンは再び目を見開き、絶句した。

 

「・・・お前を封印している神の、太陽神アポロンの術だと? なぜ、そのようなことを・・・」

 

「本来、眷属を誓う契約を、体力がない上に瀕死の人間に用いることはない。神の技量にもよるが、人間の身体が持たない場合もあるからな。・・・だから、お前の肉体を、少しでも術に耐えられる状態にする必要があった」

 

「なるほど・・・故にこそ、若く、また体力の豊潤な全盛期の姿へと、私の時を戻したのか」

 

「そうだ。・・・と言いたいところだが、ちょっと違うな。()()、細かい年齢の調整までは手を着けていない」

 

「なに?」

 

「全く以て情けないことに・・・今の俺は、術の細かい制御が出来ない状態にある。気を抜けば今にも意識を失いそうだからな。・・・だが、それなのに、お前が全盛期の姿を獲得したというのなら・・・『未来に生きて戦う』と宣った、お前の意思が、その身を戦うに相応しい姿へと導いたんだろうさ」

 

「っ・・・私の意思が・・・」

 

 俺の言葉に、シオンは驚愕めいた表情で、息を呑んだ。

 暗闇に浮かぶ紫の双眼が、動揺を露わにするかのように淡く揺れ、静かに伏せられる。

 黙してその様子を見守っていると、やがて、若き賢者は柔らかい微笑みを浮かべて言った。

 

「なんと、礼を述べるべきなのか・・・心の底から感謝する、太陽の神、ヘリオスよ。・・・死を待つ私に、生きることを諦めるなと、叱咤をしてくれたこと・・・神にとっても重要な意味を持つ契約を、私の命を繋ぐ手段と用いてくれたこと・・・。私は、この命の全てを賭して、貴方の慈愛に応えてみせよう」

 

「その気持だけで十分だ。今まで通りに接してくれると嬉しい、教皇さ・・・いや、シオン。お前は地に落ちた俺に、居場所をくれた人間だ。だから俺はその恩義に報いたかったし、さっき言ったように、協力して貰いたいこともあった」

 

「ムッ・・・そうだ、確か、カノンが危機に陥っているという話をし・・・──うッッ!?」

 

 突如として、シオンは苦悶の表情で自らの額を抑えると、全身を強張らせて地に膝をつけた。

 

「ぐうっ・・・なんだ、この記憶は・・・!? 三つ子の、赤ん坊が・・・──ッ」

 

「し、シオン!? どうしたんだ!! まさか、術が失敗していたのか!?」

 

「ち、がう・・・これは──!!」

 

 楕円の眉を寄せ、深々とした皺を刻み込んだシオンは、悔しさの滲んだ唸り声を上げた。

 

「くっ・・・そういうことか。おのれッ──()()()()()()()!! 私の記憶を封じ、()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・赤子殺しを躊躇した因果が、このような形で巡るとは・・・!」

 

「──は?」

 

 男の口から放たれた言葉に、驚声が喉から漏れ出た。

 

 ・・・今、ケールの凶星と、シオンは言ったのか。

 ケールの凶星──又の名を、『悪霊レムール』。

 それは、俺が先刻探していた冥界の女神ケールに従う、死者の霊、思念の塊を指す名である。

 

「シオン」

 

 一体、どういうことなのか、と促すようにして目線をやると、シオンは小さく唇を動かした。

 

「・・・全ての始まりは、今より、十五年前へと遡る」

 

 よろめき傷口を押さえながら立ち上がると、硬い声音で男は語る。

 

「十五年前の夜、この聖域に、始まりを告げる流星──告知星が落ちた。かの星は、今代初めての聖闘士の誕生を示するものでな・・・。私は星の導きに従い、双児宮へと向かい・・・三人の、赤子を発見した」

 

「・・・・・・十五年前に、双児宮だと・・・まさか、」

 

「まさに、その予想通りよ。始まりの星が連れた赤子の正体こそが、サガとカノンの双子なのだ。・・・だが、そこには、本来なら居るはずのない()()()の赤子──()()()()()()が存在していた」

 

 険しい表情で、シオンは続ける。

 

「廬山の大瀑布にて、私と、双児宮の様子を伺っていた天秤座(ライブラ)の童虎は、直ぐさまその赤子の正体を悪霊と見抜き、私に、冥界神の使いたる赤子を殺めるように言った。・・・・・・だが、愚かな私は、取り返しのない過ちを犯してしまったのだ」

 

「過ち・・・?」

 

「逡巡──即ち、私は躊躇したのだ。例え、我らが女神と相対する、冥界神の使いであろうとも、生まれたばかりの赤子を殺すことが、私には出来なかった」

 

 苦しげな声が絞り出される。

 

「だがそれは、驕りだったのだろう・・・躊躇いを抱いたその刹那、まるで私の選択を嘲笑うかの如く、三人目の赤子の瞳が怪しく瞬き──私は、今この瞬間まで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・・・」

 

 ああ、と、俺は心の中で独りごちた。

 離れた点と点が繋がり、明確な形が生まれていくような感覚。

 ・・・まず、このタイミングでシオンの記憶が蘇ったのは、眷属の契約を結んだ影響で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、十五年前に双児宮に現れた悪霊は──、

 

「レムールは、()()()()()()()・・・十五年の時を経て、教皇シオン、()()()()()()()()()

 

「然り。・・・星見の最中、私のこの胸を穿ったのは──()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 シオンは硬く拳を握りしめると、血が滲むほどに唇を噛み締めた。

 目前の賢者の胸の内では、様々な感情が錯綜し、激しく吹き荒れているのだろう。

 人の運命を弄ぶ神への憤激・・・そして、非情になりきれなかったが為に、赤子のサガに、悪霊を取り憑かせてしまった、己への怒り。

 

 ・・・だが、これで全てが繋がった。

 

 ユリティースやオルフェの運命に干渉するという、女神ケールの訝しい動向。

 アイオロスが言っていたサガの不調と、弟であるカノンを岩牢に投獄する等という、行き過ぎた行動。

 聖域内にて引き起こされた異常の正体は、聖域を混乱に貶めるという、冥界神の策略だったのだ。

 

「っ・・・だとすれば、不味いな。奴らの狙いは戦神アテナの暗殺か・・・!? シオン、今すぐに赤子のアテナの下へ──」

 

 行かなければ、と、言いかけた瞬間。

 

 ──ドオオオオンッッ!! 

 

 と、黄金聖闘士達が守護する十二宮の方角から、凄まじい破壊音が轟いた。

 ビリビリと肌を刺すような小宇宙が空気を震わせ、虚空へと溶けていく。

 

「っ今の小宇宙は、シュラのものではないか!!」

 

山羊座(カプリコーン)のシュラ・・・アイオロスと仲が良さそうだった聖剣の担い手か! くっ、戦いは既に始まっているというのか──アネモス、向うぞ!!」

 

『クオォォォォン!!』

 

 天馬は翼をはためかせ、俺とシオンを己が背へと乗せると、冷光に瞬く星の空へと飛翔した。

 相手はサガか、冥界の手勢か・・・それらを率いる神そのものか。

 それらしい小宇宙は感じられないが、どちらにせよ、今の十二宮を守護する黄金聖闘士は僅か三名、突破される危険性が大いに高い。

 

「アテナを失えば、カノンを助けに行くどころか、俺の目的そのものが瓦解する・・・それは、駄目だ、絶対に許さない」

 

「っすまない、十五年前のあの瞬間、私が躊躇しなければ、このような事態には──!!」

 

「──狼狽えるな、教皇シオン。過ぎてしまったことは変えられない。だが、これからの未来は変えていける! 今は、戦神アテナを救うことだけに集中するんだ・・・!」

 

「・・・ヘリオス」

 

「それに、あの運命神のことだ。お前が、赤子の命を奪うことに躊躇することすら、計算の内だったんだろうからな。責めるべき矛先を見誤らないように、一度己を顧みると良い」

 

「・・・・・・」

 

 言って、俺は自らの顔に掛かる髪を退けながら、大きく息を吐き出した。

 霊血により、俺の体力は、少しずつ回復しつつある。

 しかし、小宇宙の殆どを燃やした影響か、酷く身体が怠く、眠い。

 なんとか、この騒動が収まるまでは、意識を保たなければならないのだが・・・、

 

「っ、ヘリオス!」

 

「うわっ・・・すまない」

 

 背中に、力強い腕が回った。

 どうやら、身体が猛風に煽られるがままに、アネモスの背から落ちかけていたようだ。

 

『ヒヒーン・・・』

 

「大丈夫だ、アネモス・・・有り難う、シオン。カノンがスニオンの岩牢に閉じ込められていてな・・・鉄格子を破壊する為に小宇宙を使い果たして、この有様なんだ」

 

「っ・・・! まさか、サガが、カノンを投獄したのか」

 

「ああ、カノンはそう言っていた。・・・それと、岩牢の奥からポセイドンの小宇宙を発する三叉の鉾が出現して・・・カノンは、鉾を握ったまま、海の底へと連れて行かれてしまったんだ」

 

「っ・・・海皇ポセイドンだと・・・何故こうも錚々(そうそう)たる神々の名前が挙がってくるのだ!」

 

「俺に聞かないでくれ! ともかく、今は一つずつ解決していくしかない、確実に行くぞ!!」

 

 容量を超えそうな現実に嘆きつつも、俺はアネモスの背にしっかりと掴まって、遙か彼方の地上へと目を向けた。 

 十二宮まであと僅か、先程の爆発音からして、聖域は相当の混乱状態にあるはずだ・・・そう思考しつつ視線を動かす。

 

 しかし、どこか様子がおかしい。

 

 てっきり雑兵や、青銅や白銀の聖闘士達も出這っているのかと思っていたのだが、宮の付近には疎らに雑兵が配置されている程度。

 ・・・いや、どこか忙しなく走り回っている者達も居る。

 何か、異変が起きたのは明らかだ。

 だが、戦闘の気配どころか、その痕跡すらも、空からは確認することができない。

 

「・・・これは、一体、どういうことなのだ・・・先のシュラの小宇宙の高鳴りが嘘のように、余りにも静かだ」

 

 困惑混じりに囁いたシオンの一声に、俺は同意を露わに頷いた。

 まるで、全ての戦いの終わりを告げるかのように、十二宮は静寂に包まれていた。

 

「──待てよ」

 

 呟き、俺は静かに目を瞑った。

 周囲の気配に自らを溶け込ませるようにして、戦神アテナの小宇宙を辿る。

 

「・・・いない」

 

「ヘリオス?」

 

()()()()殿()()()()()()()()

 

「なッ!?」

 

「・・・・・・」

 

 必死に、戦神アテナの小宇宙を探し続ける。

 宮には、いない。

 では、聖域のどこかにいるのか。

 嫌な汗が背筋に伝い始める。

 最悪の未来が脳裏を過ぎった──その刹那。

 

「っ・・・アネモス、あっちだ、黄道十二宮の先へ向ってくれ!」

 

『クルル・・・!』

 

「ヘリオス、アテナが見つかったのか!」

 

「ああ、一瞬ではあるが確かに、アテナの小宇宙を感じた! ・・・それと、今にも消滅しそうな、アイオロスの気配も・・・!」

 

「ッ!!」

 

 シオンが息を呑み込むと同時に、アネモスは両翼を傾けて旋回した。

 耳元で空気が轟音となって唸り声をあげる。

 風と一体になるかのように、純白の翼は、音を置き去りにして駆け続ける。

 

 ──そして、十数秒後。

 俺の視界の中央に、岩場に倒れ伏す男の姿が現れた。

 まるで、鋭利な刃物で切りつけられたかのような、惨い傷口が幾重にも走っている。

 

「──アイオロスッッ!!」

 

「っ・・・な、ヘリオス・・・?」

 

 弧を描き減速しながら、アネモスはアイオロスの傍らへと着陸した。

 驚愕の表情で硬直する瀕死の男に、天馬の背から降りたシオンが声をかけた。

 

「っ酷い傷だ・・・そのうえ、この傷口から感じられる小宇宙は、シュラと、デスマスクのものではないか・・・!」

 

「・・・その小宇宙に、威厳のある声音・・・まさか、教皇なのですか・・・?」

 

「そうだ。死にかけていたところをヘリオスに助けられてな、一時的に若返ったのだ」

 

「死にかけ・・・!? まさか、サガが、」

 

「うむ・・・詳細は後に話すが、今のサガは、我らの知るサガとは別の存在となってしまった」

 

 シオンはアイオロスの傷口に手を翳し、小宇宙による治療を施しながら、言葉を続けた。

 

「何があったのだ、アイオロス。アテナは無事なのか・・・!?」

 

「っ・・・アテナは、」

 

 

「──フッ、死にかけの老いぼれが、どのような手を使い蘇ったのだ?」

 

 

 喜悦の混じった哄笑が、虚空に木霊した。

 途端、背筋が凍り付くかのような、恐ろしい圧が全身を支配した。

 弾かれるようにして、声のした方へと視線を動かす。

 

 ──そこに居たのは、俺の知った顔をした、全く別の人間だった。

 灰を被ったかのような、腰まで届く豊かな長髪。

 身の竦むような、赤く血走った三日月の眼。

 

「よもや、聖域の教皇が冥王に魂を売ったとは言いますまい」

 

「貴様、言うに事欠いてッ!!」

 

「・・・サガ、なのか?」

 

 目の前の光景が信じられず、俺は思わず掠れ声で問い掛けた。

 

「フッフフ・・・私がサガでなければ、一体何者であると言うのだ、ヘリオスよ?」

 

 男はいつものような優しい声音で、愉快そうに答えてみせた。

 だが、内に潜む歪みを隠すことはできていない。

 サガであって、サガではない・・・穏やかな微笑みも、気高い眼差しも、その全てが幻であったかのように、失われてしまっていた。

 

「スターヒル付近より、ちょろちょろと飛び回る者がいるかと泳がせてみれば・・・久しぶりに驚かされたぞ。現代には居ないはずの天馬を目にすることになろうとはな・・・どこから拾ってきたのだ?」

 

「っアネモスは、俺の危機に駆けつけてくれた、大切な盟友だ!」

 

「ほう、天馬を友と呼ぶか。相変わらず愉快な事を宣う・・・」

 

 くつくつと身を捩らせながら、サガは獰猛に嗤った。

 理解の遠いその反応に、俺は愕然と身を強張らせる他なかった。

 すると、教皇シオンが噛み付くようにして叫ぶ。

 

「フン、化けの皮はとうに剥がれ落ちているわ、貴様はサガではない・・・──悪霊レムールよッ!! ・・・その身は双子座のサガのもの、即刻その依代から立ち去るがよい!!」

 

「・・・なに?」

 

「悪霊、レムール・・・?」

 

「アイオロスよ、彼奴は、本来のサガではない。十五年前、赤子のサガに取り憑いた冥界神ケールの使い、悪霊なのだ」

 

「っ・・・そんな、では、最近のサガの不調も、全ては悪霊の仕業だったというのか・・・!」

 

「・・・・・・・・・」

 

 鋭い視線で、アイオロスはサガを睨めつけた。

 しかし、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「・・・なんだと?」

 

「ケールの使いに、悪霊レムールだと? 何故この局面で、神話にて、冥界神ケールの下に集う悪霊の名を口にする? この私を愚弄しているのか?」

 

 俺達に向い、サガは吐き捨てるかのように怒気を放った。

 ・・・どういうことだ? 

 まさか、自分が悪霊レムールである自覚がないというのか。

 それとも何か、俺達が思い違いをしているのか? 

 一触即発な危うい空気の中、俺は、記憶の底に埋もれる悪霊レムールの知識を掘り起こした。

 

「・・・悪霊は人に取り憑き、その精神を歪める存在・・・っ・・・そうだ、母様が言っていた、レムール本体には人格と呼べる様なものはないのだと。・・・あくまでも、このサガは、レムールが取り憑いたことによって生み出された存在でしかなく・・・」

 

「ヘリオス?」

 

 訝しむシオンの声に、俺は慎重に言葉を選び、告げた。

 

「・・・シオン、この者は今まで表に顔を出さなかっただけの、サガ本人なんだ。レムールはあくまでも、サガの魂から、二人目のサガを作り出すきっかけに過ぎなかった」

 

「なっ」

 

 一つの身体に、悪霊とサガの魂がある訳ではなく。

 正しくは、二人の人格、二人のサガが、一つの身体に収まっている状態だったんだ。

 まあ、端から見た関係性に違いはないのかもしれないが・・・。

 

「引き裂かれた二つの心・・・レムールにより分かたれた、魂の片割れ、もう一人のサガ・・・そうか、アテナを殺そうとしたのは、私の友であるサガではなく・・・私の知らぬ、サガだったのだな」

 

 凜々しい声が、夜空に響き渡った。

 地に倒れ伏していたアイオロスが、ぎこちない動きで立ち上がろうとする。

 

「アイオロス、動いたら駄目だ・・・!」

 

「心配をするな、ヘリオスよ。それに、どうやらこれ以上・・・のんびりとは眠ってはいられないようだからな」

 

「っ!」

 

 意思の籠もった雄々しい戦士の視線の先で、邪悪に蠢く、濃密な闇色の小宇宙が生み出されていた。

 ・・・サガだ。

 

 

「もう良いか? ・・・貴様らの発言の意図は読めんが──どちらにせよ、不愉快だ。そこな天馬も、胸に穴を開けたまま若返った愚かな教皇も、死にかけの英雄も・・・私の邪魔をする存在は、その一切を塵と化してくれるッ!!」

 

 直後、

 

 ッッッズン!!!! 

 

 と、凄まじい震動の圧力が、周囲一帯へと襲いかかった。

 

 

 

 

 







閲覧並びに、お気に入り登録や評価、聖闘士星矢歴が高そうな感想など、本当にありがとうございます。
エピソードGアサシンのかっこいいデスマスクの巻を読んだのですが、シリアスもギャグもこなせる素晴らしいキャラクターだなあと思いました。
カースト制度なんてなかったんだ()

なんというか上手く文章を纏められているか怪しくなってきましたが、きちんと完結までもっていけるよう努力いたします(遠い目)



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17話 命を灯せ

 

 

 

 

 

 ──死を、確信した。

 

 サガが放った小宇宙の波動には、生の終わりを悟らせる程の威力があった。

 景色が白一色に塗りつぶされる。

 恐ろしいと思った。

 名のある技ですらないただの威圧で、神である己が畏怖を覚える、その実力に。

 

 だが、

 今この瞬間、それ以上に強く俺の胸中を駆け抜けた感情は──哀しみだった。

 俺自らの命が尽き、未来への道が閉ざされることが・・・ではない。

 運命を翻弄される人間達が、不憫で仕方がなかったから。

 誰かを守るために磨き上げられた男の力が、仲間を殺すために振るわれている現実が、悔しくて、虚しくて、許せなかったから。

 

 俺は、まだ、死ねない。

 

 己のためにも、

 アフロディーテとの誓いを果たすためにも、

 アベルの居場所を創る日のためにも、

 海へと落ちたカノンのためにも、

 

 そして・・・──サガのためにも。

 

 ・・・ああ、だというのに。

 このままでは、この身もろとも、全ての想いが溶け消える。

 サガの放った小宇宙の一撃で、俺は塵と化し・・・

 そら、白く霞んだ景色も、()()()()()()──、

 

「・・・あ、れ?」

 

 間抜けな声を漏らしながら、瞬きを繰り返す。

 確認する。

 視覚が捉える世界の彩りを、鼓膜へ届く音の連なりを、

 そして、

 ──生が途絶えず在ることを。

 

「──ヘリオス、アイオロス、太陽の天馬よ・・・無事か?」

 

「っ・・・シオン! ああ、無事だ!」

 

 力強く返すと、片目を後ろへと向けた緑髪の賢者は、穏やか微笑みを浮かべて前へと向き直った。

 人間の掲げた手の先には、極光を放つ透明の壁が、俺達を守る城壁のように展開されている。

 シオンが、俺達を守ってくれたんだ。

 

「馬鹿な・・・左胸を抉られておきながら、私の波動を防いだだと?」

 

「フン、重傷者が相手ならば容易に一掃できるとでも思うたか? 慢心も極まれば、己が首を絞めると知れ・・・──クリスタルウォール! 我が小宇宙潰えぬ限り在り続ける、光の障壁よ」

 

「成る程・・・若返ったのは見て()れだけではないといういうことか」

 

 サガは極低温の響きを纏った声で呟き、シオンを睨めつけた。

 風も吹いていないというのに、男の灰色の長髪が、怒りを露わにするかの如く放射状に拡がっていく。

 さながらその姿は、己の欲を満たすためならば一切の躊躇いを捨て去れる、慈悲なき簒奪者のようであり・・・また、時折天界で会遇した、かの戦神を彷彿とさせる禍々しい有様でもあった。

 今のサガを相手に、情けや容赦といった感情は期待するべきではないのだろう。

 立ち向かい、抗い、戦い抜くことでしか、この場を生き抜くことは叶わない──・・・、

 

「・・・・・・」

 

 ああ、何故だろうか。

 過去にも、こんな事があったような気がする。

 心がじくじくと痛んで、酷く息が苦しい。

 カノンも、教皇シオンも、アイオロスも・・・サガも。

 違いはあれど、彼等は一つの目的のために手を取り合い、己が栄光のためではなく、ただ、この人の世の未来の為にと戦ってきた仲であるというのに。

 どうして、同胞同士で対立し、戦わなければならないのだろうか。

 

「ヘリオス、どうした、傷が痛むのか?」

 

「! ・・・悪い、アイオロス・・・俺は大丈夫だ。それよりも、今は、この場を凌ぐ術を考えなければならないな」

 

『フルル・・・』

 

「アネモスの小宇宙もあと僅かか・・・ここは、シオンがサガを押し留めている間に、聖域に滞在する黄金聖闘士たちに、助けを求める他ないか」

 

「・・・・・・」

 

「アイオロス?」

 

 突如として険しい表情で黙した男に、俺は懐疑的な視線をやった。

 アイオロスは眉根を寄せながら、拳を固く握りしめると、低く答えた。

 

「・・・ヘリオス、それは、できんのだ」

 

「は?」

 

「──クッ・・・ハハハハハッ!! ああ、そうとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最早、この聖域に味方は存在しないのだと・・・嫌と言う程に、己が未来を理解できているではないか、アイオロスよ!!」

 

「ぎゃく、ぞく・・・何を言って、」

 

「はは、私は未だ、未来を諦めてなどはいないのだがな、もう一人のサガよ」

 

 芯の通った声でアイオロスは宣ってみせた。

 しかし、依然として状況は読めないままだ。 

 

「アイオロス・・・どういうことなんだ?」

 

 傍らの男に向い焦燥混じりに問い掛ける。

 すると、アイオロスは小さく息を吐き出してから、口を開いた。

 

「・・・サガがアテナを殺めようとしているところを、偶然発見してな。間一髪で防げたまでは良かったが、教皇に扮したサガの命により、私はアテナを殺そうとした逆賊として、聖域中に名を轟かせる者となった」

 

「はあ・・・!?」

 

「・・・成る程、お前の傷口から、シュラとデスマスクの小宇宙を感じたのは、そのためだったのだな」

 

 冷静さを保った声音で、シオンは言った。

 しかし、どうしても納得できなかった俺は、噛み付くようにして叫んだ。

 

「っなんでだよ・・・! デスマスクは知らないけど、あの山羊座はアイオロスと仲が良さそうだったじゃないか!! 他の人間達もそうだ・・・皆、アイオロスのことを、羨望と信頼の混じった眼差しで見ていたのに・・・それなのに、」

 

 

 ──どうして誰も、アイオロスのことを、信じてやらなかったんだ。

 

「・・・ヘリオス、」

 

「お前もだアイオロス。どうして仲間に殺されかけて、逆賊と呼ばれ、誰も信じてくれないのに・・・お前はそんな平然とした顔ができるんだ」

 

「・・・・・・」

 

 弱々しく問うが、返答はない。

 すると、前方から、重々しい声が届いた。

 

「・・・教皇の命、そして何よりも、女神アテナの危機とあらば、誰しもが冷静さを失い、真実を見落とす。教皇が私ではなく、偽物と見抜ける者がいれば話も変わったのだろうが・・・此度の天秤は、サガの方へと傾いてしまったのだろう」

 

「・・・・・・シオン」

 

 深い悔恨の滲んだ声で、シオンは語った。

 ああ確かに、筋の通った説示ではある。

 だが、だとしても・・・俺は、納得することはできなかった。

 

「ハッ・・・まるで運が私に味方をしたかのような口振り。私一人が刃向かっただけで瓦解した、貴様の統治に問題があったのだと・・・素直に認めたらどうなのだ?」

 

「・・・・・・」

 

「サガ、お前っ・・・!」

 

「よい、ヘリオス・・・業腹だが、サガの言うように、私は教皇としては不足だった」

 

「・・・なんだと?」

 

 潔く言い切ったシオンに、サガは訝しむようにして眉を寄せた。

 すると、シオンは厳粛な態度を崩さぬまま、言葉を紡ぐ。

 

「私は信じ、疑ってはいなかった。この二半世紀の刻の中で・・・かつて在った未熟な己はとうに消え、この“我”は、教皇たるに相応しい器へと完成したのだと」

 

 シオンはすう、と目を細めると、掠れた声で続けた。

 

「だがそれは誤りだった。気が遠くなるような恒久の刻は、いつしか私を役割をこなすだけのシステムへと甘んじさせた。私は己の手で、己の限界を定め、成長を止めた・・・この身を防人たらしめるは、血よりも熱き心意気だというのに、私は、そんな“熱”を喪ってしまっていた。そして、心の隙間に生まれた慢心から・・・サガよ、お前に、悪霊を取り憑かせてしまった」

 

「・・・未だ、この私を悪霊などと蔑み、愚弄するか」

 

「揶揄している訳ではない。運命神ケールの策略にはまるという私の甘さゆえ、お前はこうして私達に立ちはだかる脅威と化してしまった。なればこそ、私の愚行こそが惨劇を作り出した発端なのだと認め・・・私はお前に贖うためにも、全ての業を背負い、責を果たさなければならん」

 

「っ・・・──老いぼれが、訳の分からぬことを熟々と宣うなッ!」

 

 余裕綽々とした態度と一変、

 サガは忌々しげに身体を震わせると、まるで自分に言い聞かせるようにして叫んだ。

 

「確かに貴様は愚かだったッ!! このサガを差し置いて、アイオロスを次期教皇と任命したのだからな!! ・・・だが、それだけだ。悪霊も運命神も関係ない・・・私は他の何者でもなく、私自身の意思で反旗を翻し──貴様をこの手で屠るのだッ!!」

 

 怒声と共に、サガは腕を交差させると、月を穿たんばかりの勢いで、天へと掲げた。

 途端、

 

 ──ゴウッッ!! と、風が唸り声を上げ、男の手へと集い始めた。

 

 空気が軋む。

 サガの両腕を起点とするかのように、世界に歪みが生まれ、虚空に無数の亀裂が走った。

 ──紛れもない、奥義の兆しだ。 

 シオンは呻き声を上げると、グッと全身に力を入れた。

 

「サガめっ・・・ここで大技を放てば、聖域中に異変が伝わると分かっていてもなお──ッ!!」

 

 シオンは猛然と吼えると、両手に莫大な小宇宙を結集させ始めた。

 七色の、眩い閃光が迸る。

 美しい輝きは、俺達とサガを隔てるクリスタルウォールに押し寄せると、城壁をより頑強なものへと強化していく。

 

 そして、

 

『ヒヒィィーーン!!!』

 

 シオンに次いで、天馬(アネモス)が嘶き声を上げ──風王結界(インビジブル・エア)が精製された。

 風は揺蕩い、捻れ、やがて猛流へと急激な変貌を遂げると、シオンが生み出したクリスタルウォールを呑み込んだ。

 七色の煌めきを閉じ込めた、苛烈に渦巻く大気の層。

 その荘厳さは、地上に顕れた極光(オーロラ)と呼称しても良い程に、圧巻だった。

 

 鉄壁は金城。

 思わず、感嘆の声が喉から漏れ出た。

 

「戦神のアイギスまでとはいかないが、これなら・・・!」

 

 触れずとも分かる。

 アネモスとシオンが創り出した防壁は、俺が破壊した鉄格子を遙かに超える、凄まじい強度を獲得してみせたのだ。

 

 人の身でこの防御を突破することなど、不可能に決まって──、

 

 

「──笑止」

 

 

 嘲る。

 

 

「そのような平板で、我が最大の拳を防げると思ったか」

 

 

 一言で、希望を一掃する。

 

 

「望み通り、命で以て贖罪と為すがいい・・・受けよ、銀河の星々さえも砕く一撃をッ! 

 ──ギャラクシアン・エクスプロージョンッッ!!!」

 

 

 ──圧縮された歪みが、弾けた。

 

 

 万物を砕き滅す、純粋な破壊の力が、極光の防御壁へと衝突する。

 

「ッッ──ぐっ!? なんと、いう・・・でたらめなっ!! おのれ、屈する訳にはああああッッ!!!」

 

『──キュウウウウッッ!!!』

 

 命の小宇宙を炎と燃やし、絶叫するシオンとアネモス。

 

 接触面からは夥しい量の光が溢れ、大地を激しく揺さぶり抉る。

 荒れ狂う両者の力の奔流は、どちらも一向に退く気配を見せず、拮抗し続ける。

 

 数瞬か、それとも数秒か。

 このまま両者は相殺し、消滅するのかと思われた、

 

 ──その刹那。

 

「ッ──不味い、ヘリオスッ!!」

 

 傷口から、深紅の鮮血を撒き散らしながら、

 アイオロスが、俺の目前へと躍り出た。

 

「ぇ──」

 

 間抜けに口を開けるが、続く言葉は、凄絶と迫る爆風に掻き消された。

 

 ──ドッッ!!! と、圧倒的な衝撃波が炸裂し、俺の身体は、恐ろしい勢いで空へと跳ね上げられた。

 轟音が空を引き裂き、四方八方へと余波を撒き散らす。

 クルクルと、世界が回り続ける

 

「──ぁ」

 

 視界の端で、吹き飛んだアネモスが後方の小河へと叩きつけられるのが見えた。

 血溜まりに沈み、倒れるシオンの姿が見えた。

 

「アネモスッ!! シオンッ・・・ぐあッ!!」

 

 鈍い音をたてて、俺は地面へと激突し、転がった。

 喉の奥から咽せるような違和感がせり上がり、直後、ばしゃりと大量の鮮血を撒き散らす。

 

「・・・ぅ・・・ゲホッ」

 

 口端を引き結び、喘鳴混じりに呻く。

 明滅する視界を無理やりこじ開ける。

 震える全身を叱咤して、俺は、未だ生存を確認できていない人物を必死に探し、

 

「──フン、延命にしかならなかったな、アイオロスよ」

 

「ぅ・・・サ、ガ・・・」

 

 見つける。

 サガに首を掴まれ宙に浮く、アイオロスの姿を。

 

「お前の実力ならば、爆風に身を隠し、一人逃れることも出来ただろうに・・・ただの子供を庇いその機を失うとはな。相変わらずお優しい・・・いや、ここは、愚かと評するべきか」

 

「・・・ガッ、ァ・・・!」

 

 ミシリ、と、聞こえてはならぬ音が響く。

 

「アイオロスッ!!」

 

 涙を流しながら、俺は訳も分からず叫んだ。

 

「お前っ・・・生きてるのが不思議なくらいに・・・俺よりも傷だらけで、ぼろぼろなのに・・・!」

 

 ──何故、俺を庇ったのか、と。

 そんな問を投げかけようとして、ピタリと、言葉が止まる。

 

 ──ふいに過ぎった、過去の記憶が、そうさせた。

 

 

『──前に言っただろう。聖闘士とは、民の盾となり、鉾となる存在なのだ。私が君を護ることに、何の問題があるというのだ!』

 

 

 それは、ロドス島の薔薇園で、少年が放った、一喝だった。

 

 思い出した。

 彼ら聖闘士の信念の重みを。

 彼らの意地と執念を、胸を焦がすような、真っ直ぐな覚悟の在り方を。

 

「──嗚呼、そうだ・・・お前達は、異界神ですら憧憬を抱くほどの誇りを掲げ、絆を護ろうとする、そういう生き物だった」

 

 ──答えは既に、俺の中にあったんだ。

 

 最早力の入らなくなった両足を、微かな感覚を頼りに地に着ける。

 ゆっくりと立ち上がると、俺は、真っ直ぐとサガを見据えて言った。

 

「サガ、アイオロスを放せ。その者の命は、俺が預かる」

 

「ほう・・・お前が? 多少特別な小宇宙を操れると聞いてはいるが・・・ただの子が、満身創痍の身で以て、私の相手を担うというのか」

 

「ぐっ・・・」

 

 狡猾に嗤うと、サガは、アイオロスを無造作に投げ捨て、俺へと身を向けた。

 

「お前に割く時間が惜しいが・・・フッ、この局面で命乞いもせず、私へと立ち向かうその勇ましさ・・・──死なさず、傀儡と育てるのも一興か」

 

「・・・・・・」

 

「逃、げろ・・・ヘリオスッ!!」

 

「フン、無駄だ・・・──喰らえ、幻朧魔皇拳(げんろうまおうけん)ッ!」

 

 チカッと、俺を標準したサガの指先が瞬いた。

 虚空を邁進する光線は、一瞬きの時間も要さず俺の額へと到達をし、

 

「俺は、逃げない・・・最後まで諦めない!」

 

 ──閃光は、神殿の柱ほどに増幅され、跳ね返った。

 

「なっ──ッ!!」

 

「やはり、この小宇宙・・・()()()()()()()()()()()

 

 ドッッ!! と、()()()()()()()()()()()()()()()()、光槍となりサガへと押し寄せる。

 賭けではあったが、やはり、想定通りに事が運んだ。

 

 ・・・しかし、

 流石と言うべきか。

 

 サガは瞬時に飛び退き、見事に光線を避けてみせた。

 残念ながら、ここで戦いを終らせてはくれないようだった。

 

「──ヘリオスお前、何をした!?」

 

「俺は何もしていない・・・だが、避けたか。お前の弟(カノン)は、反射されたゲンロウケンとやらに当ったんだがな」

 

「! 何故、カノンを知って・・・奴を知るのは私と、そこに倒れる教皇だけのはず・・・!」

 

 烈火の如き相貌で俺を睨めつけるサガに、俺は小さく唇を動かした。

 

「・・・・・・釣り仲間なんだよ」

 

「・・・は?」

 

「お前の弟は・・・お前が岩牢に閉じ込めた双子座のカノンはッ! 俺の大切な、釣り仲間なんだよッッ!!」

 

 ──ブワッッ!!! 

 叫ぶと同時に、煌々と輝く純白の炎が、俺の身を包み込んだ。

 みしり、みしり、と全身の至る箇所から不快な音が響く。

 負荷に耐えきれぬ傷口から鮮血が噴き出て、地面に滴る。

 だが止められやしない。

 自らの崩壊も、灼熱の痛みも、俺を止める理由にはなりはしない。

 

「っ・・・それが巨蟹宮の亡者を浄化した、お前の小宇宙か! ・・・・・・フッ、だがその程度の微温火(ぬるび)では、私に勝つことなど──!!」

 

 

「──では、私の力を重ねよう」

 

「・・・教皇、貴様・・・まだ生き足掻くかッ!!」

 

「言っただろう、私が、全ての責を負うと」

 

 鮮血を左胸から溢れさせながら、緑髪の賢者は緩慢な動作で立ち上がる。

 ・・・眷属契約の影響で、シオンは、擬似的な不死の状態にある。

 だが、死んだ方が楽と思えるほどの、凄まじい激痛が全身を支配していることに変わりは無いはず。

 意識を手放してしまえば、全ての痛みから解放されるだろうに・・・それでも、抗う道を選ぶか。

 

「・・・シオン」

 

 震える足を一歩ずつ動かして、シオンの傍らに立つ。

 

「ヘリオス、すまないな。私の贖罪に、神であるお前を巻き込み・・・」

 

「良い。・・・それに今、一つ、分かったことがある」

 

「・・・?」

 

 大きく息を吸って、吐くと、俺は静かに告げた。

 

「お前達はいつも、独りで、全てを背負おうとするんだ」

 

 かつて、誇りを重んじる少年は、俺に言った。

 人は、定命の(サガ)を背負う存在であるからこそ、全ての積荷を独りで背負わなくて済むのだと。

 だがどうだ。

 シオンも、アイオロスも、『使命』と称して、全てを一身に引き受けようとする。

 同胞たちを傷つけず、命を守る為に、自らを厭わない道を選ぶ。

 

「きっと、お前達のような者が居なければ、護れない命もあるのだろう。そうせざるを得ない状況に陥る瞬間もあるのだろう」

 

 掠れ声で綴り、「だが」、と一言置くと、俺は声高に断言した。

 

「今は、独りで背負わなくて良い──この太陽(ヘリオス)が、共に在る!!」

 

「・・・!」

 

 だから、お前達が自らに科す罪も、責務も──命も、俺が共に背負い、守ってみせる。

 お前達に助けられた、恩を返すためにも。

 ・・・此の今を、生き抜くためにも! 

 

「そして──サガッ!! お前もだッ!!」

 

「ッ・・・な、にを、」

 

「お前を独り置き去りになんてさせやしない・・・俺達は、サガを、取り戻してみせるッ!!」

 

 ゴウッ!! と、熱風が渦巻き、四方へと吹き荒れる。

 全身から溢れる霊血が粒子と舞い、純白の火炎に溶け、()べられていく。

 命が、燃えていく。

 

「──ッ傲慢な!! 目障りだ・・・傀儡と生きる未来を受け入れんのなら、諸共に死ぬがいい、ヘリオスよッ!!」

 

 激情のままに叫び、サガは、拳圧を放った。

 最早、奥義を使う必要も無いと考えたのか。

 それとも、僅かに働いた理性が、二度目の奥義の発動を躊躇わせたのか。

 

 ──だが。

 その隙が、俺達の、活路への希望を生み出した。

 

「──クリスタルウォールッ!!」

 

 キィィィンッ!! 

 

 甲高い音が夜空に響き渡った。

 サガの放った拳圧が、極光の防壁に弾き返される。

 そして、間髪入れず、俺は叫びを上げた。

 

「命よ、燃え盛れッ──浄化炎(メギド・フレア)あああああッッ!!!」

 

 眩い火焔が解き放たれる。

 全身から放たれた命の猛流は、光の粒子を撒き散らしながら虚空を邁進し──()()()()()()()()()()()()()()

 

「ハッ、笑止な、どこを狙って──」

 

 言葉が、途切れる。

 邪悪な笑みが、次第に、険しい表情へと変貌していく。

 

「言ったであろう──私の力を重ねるとッ!!!」

 

 シオンが咆吼を上げると同時に──クリスタルウォールが、白銀に煌めいた。

 

 ・・・──時に光は、レンズやガラスなど、透明な物質を透過する際に、屈折することがある。

 大気により不可視の空間を作り出す、アネモスの風王結界が、まさに良い例だ。

 光の指向は、物質の形状により制御することが可能であり、光を反射、拡散させることも、

 ──収束し、膨大な熱量を生み出すこともできるのだ。

 

 神の霊血を吸った、純白の炎──浄化の光。

 そして、放たれた奔流を一点に収斂、極限まで凝縮する、シオンのクリスタルウォール。

 

「バ、バカな・・・その輝き、まるで、本物の神の──」

 

「俺の灯火を、微温火(ぬるび)と言ったな? ・・・だったらその微温火(ぬるび)──全て纏めて、受けきってみろッッ!!!」

 

 

 一条の軌跡が、暗闇を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








凸レンズ、平行光、焦点距離・・・?
・・・教皇シオンが小宇宙で何とかしたのでしょう。


お気に入り登録並び、評価や、沢山の感想など、本当に感謝しかありません、ありがとうございます・・・!
時間を見つけつつ、更新していきたい所存ですが、聖闘士星矢の文字がランキングに入ったと分かり、思わずガッツポーズをしてしまいました。
聖闘士星矢の小説が増えることを願いながら、車田先生執筆、本日発売の風魔の小次郎を購入しに行きたいと思います。



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18話 輝きを繋ぐ者

 

 

 

 

 轟音が、大地を激しく揺るがした。

 

 砂埃が周囲を覆い尽くし、視界の悪い虚空には、道標のようにして白銀の火焔が残滓と舞い上がる。

 

「ゲホッ・・・っぐ・・・」

 

 どさり、と膝から地面に倒れ込む。

 口内に溢れる血液が逆流し、最早、呼吸すらままならない。

 

「無事、か・・・ヘリオス?」

 

「・・・・・・辛うじて、生きている・・・」

 

 傍らから響くシオンの声にそう返すと、俺は、砂塵の奥へと視線を移した。

 

 

 ──立ち上がる人影は、見えない。

 

 

「・・・届いたのか」

 

 持ちうる全てを出し切った、未来への、万感の願いを込めた一撃は、

 サガに、届いたのか。

 

 虚空に舞った砂塵が地へと落ちていく。

 視界が、徐々に開けていく。

 

 

 しかし、

 

 

「ッな──()()()()()()・・・!?」

 

「!!」

 

 探せども、探せども、光線の直撃を受けたはずの男は、何処にも居ない。

 有り得ない。

 俺と、シオンが束ねた小宇宙の一撃に、黄金聖闘士の身を消滅させるほどの威力はなかったはず──、

 

 

「──流石の私も、直撃を受ければ危うい一閃だった」

 

 

 後方から、聞こえてはならぬ声が響いた。

 

「っサガ・・・あの局面からどうやって・・・!!」

 

「──アナザーディメンション。異次元への扉を開く、私の、二つ目の奥義だ」

 

「くっ・・・直撃を受ける寸前で、異次元へと逃れたというのか!」

 

 荒く肩を上下させながらも、シオンはサガへと向い身を翻した。

 しかし、いくら不死の身といえども、既に、精神の限界をとうに超えている。

 先の一撃で小宇宙も出し尽くしたのだ。

 これ以上は無理筋だ、シオンの魂が崩壊しかねない。

 

「太陽神ヘリオス・・・自らを神と信じ込んだ、記憶の混濁した少年だと思いきや・・・真の神であったとはな」

 

 サガは、重く息をつくと、一瞬で、俺の目前へと歩を進めた。

 

「ヘリオス!! ──ぐっ・・・」

 

 ドプリ、とシオンの白い唇に、鮮血が滴った。

 身体の稼働限界を迎えたのだろう。

 シオンは糸の切れた人形のように倒れると、身を蝕む激痛に耐えかね、悲痛な呻き声を上げた。

 だが、強い光を内包した紫の双眼が、俺を真っ直ぐと見据え、訴える。

 ──逃げろ、と。

 

「・・・・・・」

 

 懸命に足掻こうとするシオンを目にしても、サガは、何も語りはしなかった。

 無言で、俺へと片手を向ける。

 ・・・ああ、不味い。

 抗わなければならないのに、身体が、微塵も動いてくれない。

 

「ちくしょう・・・これじゃあ、カノンの言った通りじゃないかよ・・・」

 

「・・・なに?」

 

 懐疑的な声を漏らすサガへ、俺はか細い声を絞り出した。

 

「あの人間は、苦悶に満ちた声で、言ったんだ・・・自らの想いも、慟哭も、サガには、何も届かなかったのだと」

 

「・・・・・・カノンが、そのようなことを・・・」

 

「俺は・・・諦めなければ、きっと届くのだと、信じていた。だからカノンへと手を伸ばした。だから、こうして、お前へと立ち向かった・・・・・・だというのに、届かなかった。どんなに強い願いを胸に秘めていようとも、誰よりも硬い決意を抱いていたとしても、それを成し遂げるための力が、今の俺には足りていなかった」

 

「・・・・・・」

 

 俺へと向けられたサガの掌に、膨大な量の小宇宙が集っていく。

 確実に殺す気なのだろう。

 

 ああ、嫌だ。

 

 俺は未だ何も為し遂げられていないのに。

 こんな道の半ばで死んでしまうというのか。

 必死に押し殺していた恐怖が、今になって全身を支配する。

 堰を切ったように、涙が溢れ出る。

 

 滲んで霞む景色の中で、サガは、静かに唇を動かした。

 

 

「確かに、届いたとも」

 

 

「・・・・・・え?」

 

「お前の熱き小宇宙は、私に、運命へと抗う力をくれた」

 

 

 涙で濡れる景色の中で、変化が、訪れた。

 

 男の、灰に染る長髪が、鮮やかな藍色へと彩りを変えていく。

 赤く血走った獰猛な眼が、黒に蒼を溶かし込んだような、穏やかな色を取り戻していく。

 

「・・・・・・()()、なのか?」

 

 俺は、問うた。

 お前は、焦燥する俺に手を差し伸べ、人の在り方を説いた、俺の知っているサガなのか、と。

 弱々しく投げかけられた言葉に、眼前の男は、深く、首を縦に振った。

 

「ああ・・・迷惑をかけたな、ヘリオスよ」

 

 サガは悩ましげに眉間を寄せ、片膝を地につけると、掌から眩い小宇宙を放った。

 温かい奔流が、俺の身へと流れ、凍える全身を癒やしていく。

 全身の感覚が明瞭になってきた辺りで、サガは立ち上がり、今度は意識を失ったアイオロスの傍らに歩み寄り、同じようにして小宇宙を分け与え始めた。

 

「・・・サガよ、お前・・・」

 

「教皇・・・お察しの通りです、()()()()()()()()。今この瞬間も、もう一人の私が貴方たちにとどめを刺すため、身体を乗っ取ろうとしている・・・ですから、」

 

 サガはシオンの下へと歩み、夥しい量の小宇宙を注ぐと、凜然と声を放った。

 

「私は、賭けに出る」

 

「!!」

 

 倒れ伏す俺達を包み込むようにして、サガの小宇宙が渦を巻いた。

 地面が激しく震動する。

 空には歪みが生まれ、異次元へと通じる裂け目が姿を現した。

 

「サガ、一体なにを・・・!?」

 

「お前達を、もう一人の私の手が届かぬ場所へと送るのだ」

 

「っ!?」

 

 告げられた一言に、思わず息を呑む。

 他にも何か手段があるはずだと、反論のために大きく息を吸い込んだ、その時。

 

「──ありがとう、ヘリオス」

 

 サガは、静かに告げて、微笑んだ。

 吹き付ける風に、藍の長髪を靡かせながら。

 隠しきれない悔恨と、痛々しさの滲んだ相貌で、穏やかに言葉を紡ぐ。

 

「異次元へと逃れる刹那に触れた、一筋の光が、私に思い出させてくれたのだ。・・・例え滑稽でも、不格好でも・・・涙を流し、泥と血に塗れていたとしても──己の運命(サガ)へ抗う諦めない心こそが、強さの証であることを」

 

 眩い光を宿した瞳で、男は言う。

 

「故に私は、異次元へと逃れた、もう一人の自分(サガ)から身体の支配権を奪い取った。全てはお前達に・・・未来への、希望の(たすき)を託すため」

 

「なっ・・・まさかお前、この騒動を独りで、」

 

「太陽神、ヘリオスよ」

 

 鳴動する渦の中、男は、静かに、然して確固たる決意の籠もった小宇宙を纏い、

 

「奇跡は起る、お前が諦めない限り、何度でも。だからどうか、抗う心を、忘れないでくれ・・・お前が信じ、握りしめた正義は、確かに私の心に届いたのだから・・・!!」

 

「──ッ!」

 

 その言葉は一瞬の衝撃となって、感覚の遠くなった全身を貫き、震わせた。

 じわりと染み入るようにして、胸に温かいものが生まれ、やがてそれは両目から溢れる涙へと形を変え、頬を伝った。

 

 ・・・──理解は、及んでいるのだ。

 最早、綺麗事で片付けられぬほどに、事態が錯綜してしまっていることも。

 レムールにより生まれた、もう一人のサガから俺達を助けるためには、選べる手段が限られているということも。

 

 だけど。

 

 俺は小刻みに震える口を、何とかして開こうとした。

 運命へと立ち向かおうとする男に、伝えなければならないと思ったから。

 独りではないことを。

 不条理な運命を共に背負い、抗う同胞がいることを、忘れないで欲しいと思ったから。  

 

 ・・・しかし、

 

 吹き荒れる猛風を掻き消すほどの、凜と張った叫びが──時を、両断した。

 

 

「──アナザーディメンションッ!!」

 

 

 銀河の星々の如き輝きが、視界を塗りつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────、」

 

 何か、音が、聞こえる。

 

「・・・リオス」

 

 知った声だ。

 

「ヘリオス・・・!」

 

 俺の名を呼んでいる。

 

「・・・・・・その声は、シオン、か」

 

「ヘリオス! 意識が戻ったか」

 

 傍らより、安堵するように、息をつく音が聞こえた。

 どうやら俺は、意識を失っていたらしかった。

 閉ざされた眼を、ゆっくりと開き、

 

 ──硬直する。

 

 視界に飛び込んだのは、時が複雑に絡み合い、位相が法則を捨て錯綜する、闇の世界。

 

「っ・・・なんという、滅茶苦茶な・・・神の道を逸れた場所か? いや、そうか、違うな・・・サガが言っていた、異次元空間か」

 

「見間違うのも無理はない・・・我らが飛ばされたこの場所は、十万億土を優に超える、異次元の果ての果て。脱出そのものも容易ではないが・・・時空震動にでも巻き込まれれば、人の身では、たちまち塵と化すこととなる・・・危険な領域なのだ」

 

 焦燥混じりにシオンは言った。

 

「・・・どうやら、とんでもない場所に飛ばされたらしい」

 

 ぼやきながら、俺は自らの容体を確認することにした。

 ・・・なんとか、四肢は動く。

 見たところ辛そうではあるが、シオンも同様に、最低限の生命力は取り戻したようだった。

 恐らくサガは、自らが持ちうる小宇宙の殆どを、俺達に与えたのだろう。

 そして、自らですら訪れることが容易ではない、危険な異次元へと、俺達を吹き飛ばしたんだ。

 確かに、賭けと言う他ない選択だ。

 

「・・・・・・」

 

 俺は、重い頭を振ると、沈黙のまま周囲に視線を廻らせた。

 前後左右の区別がつかない、距離の感覚も朧気な世界に、俺と、シオンと、意識を失ったアイオロスが、星屑のように漂い、浮かんでいる。

 

「? ・・・待て、アネモスはどこだ」

 

「・・・恐らく、ギャラクシアンエクスプロージョンの余波で小河に叩きつけられ、下流へと流されてしまったのだろう」

 

「っ・・・あの時か!!」

 

「直撃は避けられていたはずだ・・・だが、海までの距離は近い、溺れていなければいいのだが・・・」

 

 俯き加減に放たれた言葉に、俺は小さくかぶりを振った。

 

「・・・その心配は、ないだろう・・・アネモスは、風神アイオロスの生み出した風から誕生した、自然とほぼ変わらぬ存在。食物から栄養を摂ったり、眠ったりはするが、水に命を奪われることはない・・・」

 

 そう、溺れる心配は、ないのだ。

 しかし、もう一人のサガの命により追っ手がかかれば、小宇宙を使い果たしたアネモスに抵抗する術はない。

 早く、早く助けに行かなければ、最悪の事態も考えられる状況なのだ。 

 

「・・・・・・風神アイオロス、か・・・フッ・・・神の口から、その名を聞くとは・・・妙な気分になるな」

 

「!! アイオロス、意識が戻ったんだな!!」

 

「うむ・・・友の・・・サガの小宇宙が、ギリギリのところで、私を生かしている・・・だが、ゴホッ」

 

 目を背けたくなるほどの、全身の惨い傷。

 生気の欠片が喪われた、大理石のように白い肌。

 そして、夥しく溢れる、深紅の血潮。

 自らの容体を光のない眼で確認すると、アイオロスは、緩慢な動作で首を振った。

 

「・・・私は、もう、長くはない、な」

 

「そん、な・・・」

 

「・・・教皇、ヘリオス・・・どうか、アテナを、頼みます。・・・アテナは、教皇も知る者・・・グラード財団の総帥、城戸光政に、射手座の聖衣と共に、託しました」

 

「!」

 

 俺は鋭く息を呑んだ。

 戦神アテナは、生きている。

 アイオロスが命を懸けて、守り抜いてみせたのだ。

 

「・・・そうか、アテナは無事なのだな。よくやってくれた、アイオロスよ・・・!」

 

「守る為に、命を使うこと・・・それが私の、使命、なのですから・・・」

 

 死に際の男は、途切れ途切れに紡いだ。

 

 掛ける言葉が、見つからなかった。

 

 ・・・いいや。

 一つだけ、男の命を救う方法はあった。

 だが、何度も傷つき倒れる男を見て・・・心に、迷いが生まれた始めた。

 この人間は、きっと、生きている限りは戦う道を選ぶ。

 だが、いくら聖闘士といえども、十数歳の人間が戦いに身を投じ続けなければならぬ道理が、どこにある。

 終らせてやるべきではないか。

 痛みからの解放、穏やかな永遠の眠りを与えることこそが、せめてもの情けではないのか。

 

「・・・・・・だが、悔しいな」

 

 ふいに、男の口から、密やかな一言が零された。

 

「・・・アイオロス?」

 

 名を呼ぶと、虚空を眺める男の瞳が、大きく揺れ動いた。

 

「・・・使命を全うし、死ぬことは、聖闘士の本懐なのだと・・・そう、覚悟を決めていたのだがな・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・」

 

「っ・・・」

 

 ──違う。

 俺は馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。

 こんなものは、救いなどではない。

 こんなに哀しい別れが、死が、救いであるものか。

 

『──戦う以上、命を落とすこともあるのだろう。死を恐れていないわけではない・・・だが、命を懸けてでも守りたいものがあるのだと、この胸が叫ぶのだ。だからこそ、私は前へと進み続ける、後悔のない未来を紡ぎ出すためにも』

 

 かつて、聖域に来て間もない頃に、この人間は言った。

 例え、有限の命を使い果たすことになっても、譲れない、大切なもののために、戦う道を選ぶのだと。

 そしてこの男は言葉だけではなく、今度は自らの身を以て、体現した。

 アテナを、俺を、同胞達を、命を燃やし尽くして、最期まで守り抜いた。

 

 では、

 今、俺が為すべきは、迷うことではない。

 一柱の神として、勇敢に戦い抜いた戦士の意思に応えることこそが、俺の使命のはずだろう。

 

「・・・──アイオロス」

 

「? ・・・どうしたのだ、ヘリオスよ」

 

「・・・あと、一人分の余力は、ある・・・ゆえ、お前に問いたい」

 

 俺は固く目を閉ざし、奥歯を強く噛み締めた。

 残存する迷いを噛み砕いた。

 そしてゆっくりと目を見開くと、死に際の男へむけ、射貫くような視線を送り、言葉を絞り出した。

 

 

「気高き魂を持つ者、アテナの聖闘士、射手座(サジタリアス)のアイオロスよ──人間を辞め、太陽の眷属として生きる道を・・・お前は、望むか?」

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 ──シオン、後は、頼んだ。

 

 そう言って意識を失った小さな神と、同時に気を失ったアイオロスを目前に、教皇シオンは肺に溜まった息を尽く吐き出した。

 それは、呆れや安堵の溜息ではなく、自らの精神を切り替え、極限まで律する為の動作だった。

 仕方のないことだった。

 一度離れれば、二度と出会うことは叶わない異空間の中で、意識を保っている者が、唯一人しかいないのだから。

 

「・・・サガに気づかれぬよう、()()()()()()・・・あとは脱出あるのみなのだが──ッ」

 

 シオンは鋭く息を呑み込んだ。

 遠方から、複数の物体が勢いよく迫ってきているではないか。

 恐らく正体は、現世から異次元空間に入り込んでしまった船や飛行船の残骸、なれの果てなのだろうが・・・。

 シオンは、傍らに浮かぶヘリオスとアイオロスを左腕で抱え込むと、右手を天へと垂直に構え、小宇宙を集中させ始めた。

 そして、掌に星光を彷彿とさせる光芒が宿ると同時に、シオンは掲げた腕を一気に振り下ろした。

 

「スターダスト・レボリューションッ!!」

 

 星屑の群れが、異次元の闇を駆け抜けた。

 黄金の流星群は迫り来る鉄の塊に接触すると、重々しい衝撃音を轟かせ、貫き、四散させた。

 数十を超える標的を片付け終えると、シオンは小さく呟いた。

 

「・・・やはり、容易に脱出させてはくれないようだな」

 

 頬に冷たい汗が伝う。

 力業のテレポーテーションでは、この空間から脱出することはできない。

 慎重に移動を試みようにも、肝心の道標がここにはない。

 今必要なのは、現世とこの空間を繋ぐ、何かしらの繋がりだ。

 

「・・・・・・繋がりか・・・私とアイオロスは、恐らく・・・」

 

 言葉を漏らしたタイミングで、

 

 グワァァァンッ!! 

 

「っ!!」

 

 突如として、正体不明の轟音が唸り声を上げた。

 全方位に反響する不穏な音に、シオンは聴覚ではなく、自らの第七感へと意識を向けた。

 錯綜する時空の流れから、異音の発生箇所を探し、的確に対処をするためだ。

 

「・・・!」

 

 ──見つけた。

 

 複数の層となり蠢く、時空の流れを。

 だが、不味い。

 シオンは歯がみした。

 轟音の発生箇所は一点ではなく、時空をぐるりと織りなす巨大な層そのもの。

 つまり異音は──全方位から押し寄せる、時空波の前触れだったのだ。

 

「ッ・・・クリスタル、」

 

 意識するよりも先に、シオンは小宇宙を燃やし始めた。

 すると、間髪入れずに、

 まるで押し潰された地層のようにして、

 

「──ウォールッ!!」

 

 ──時空の歪みが、弾けた。

 

 シオンは、計六枚の防壁を自らと仲間を囲うようにして展開した。

 隙間のない立方が完成するのと、猛流が押し寄せるまでの時間はほぼ同時だった。

 

 ──ガリガリガリッッ!! 

 

 まるで、巨大な岩同士を無理やり擂り潰しているかのような、耳障りな重低音が防壁内に轟いた。

 負荷に耐えかねたクリスタルウォールの外壁が削られているのだ。

 シオンは眉間に深い皺を刻み込むと、小さく唸った。

 

「ッ・・・このままでは!!」

 

 徐々に薄くなっていく防壁を維持しながら、シオンは歯を食いしばった。

 ここが、正念場なのだ。

 耐えなければ、全滅は必至。

 不死となった自らも、()()()()()()、契約主たるヘリオスが死ねば、命を散らすことになるのだから。

 

(・・・落ち着け)

 

 このままクリスタルウォールに小宇宙を注ぎ続けても、いずれ防御は突破される。

 

「・・・」

 

 皆が生還するには、どうすればいい。

 

「・・・・・・」

 

 シオンは静かに眠るヘリオスとアイオロスに片目をやった。

 全身に刻まれた数え切れない裂傷に、打撲痕。

 両者ともに、余りにも凄惨な有様だった。

 本来ならばそれらの傷は、冥界の女神の策略に嵌まった、自らに刻まれるべきものだった。

 そう、惨劇の引き金を引いたのは、迷いを捨てきれなかったシオンなのだから──、

 

「・・・いいや、そうではなかった」

 

 シオンは瞑目すると、小さく笑った。

 

「責めるべき矛先を見誤るなと、先刻ヘリオスに言われたばかりだったな」

 

 目を開き、前を向く。  

 砕かれていくクリスタルウォールの破片を視界に納めると、シオンは刹那の逡巡を捨て去った。

 

 ──私もサガに倣い、僅かな可能性に賭ける。 

 

 複数あった目的を、一つに絞る。

 生きて、帰ること。

 それだけに全力を尽くす。

 シオンは、クリスタルウォールへと注ぎ込む小宇宙の流れを断ち切った。

 すると、供給の途絶えた防壁が恐ろしい速度で削れ始める。

 

「・・・燃えよ、サガより託されし小宇宙よ・・・皆の想いを束ね、形と為せ」

 

 呟きと同時に、クリスタルウォールの内部に、黄金の輝きが渦巻いた。

 

 そして、

 

 ガリガリガリガリッ──パリィィィンッッ!!! 

 

 甲高い破壊音が炸裂した。

 時空の歪みより放たれた猛流が、極光の防壁を砕ききったのだ。

 

 七色に輝く水晶の破片が、黄金の小宇宙に触れる。

 荒々しい死の衝撃が、全てを呑み込もうと襲いかかった──その刹那。

 

「──クリスタル・ウォールッ!」

 

 シオンは、不屈の想いのままに、猛然と吼えた。

 ドッ!! と身を覆う小宇宙は渦を巻くと、やがて黄金から、鮮やかな七色へと輝きを変えていき──シオン達を閉じ込め護る、三つの、等身大の水晶となった。

 

(・・・託された想いの全てを込めた、このクリスタルならば・・・必ず、私達を、現世へと導くだろう・・・)

 

 さながらそれは、七色の煌めきを反射する、水晶で創り上げられた、棺のようだった。

 だが、その棺は死者を弔うものではなく、生者を護るための、限りない願いの籠もった棺だった。

 

(・・・・・・すまないな、ヘリオス・・・)

 

 シオンは、水晶の中で眠る神を見つめながら、心の中で深く謝罪をした。

 ここが、異次元の果てだと分かった瞬間に、シオンは確信していたのだ。

 例え、奇跡的にこの時空から脱出することが叶ったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──直後。

 

 あらゆる光を吸い込む闇の奔流が、シオン達を包む水晶に殺到し、彼方へと吹き飛ばした。

 

 

 

 

 



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19話 猛りし焔の申し子よ

 

 

 

 心地よい微風が頬を撫でる。

 神殿の外れ、草花の生い茂る、美しい園にて、

 俺は一柱、つい先日に発現した『浄化の小宇宙』を使いこなすための鍛錬に打ち込んでいた。

 

 自らの胸の前で両手を翳し合わせ、魂の奥底に眠る小宇宙を呼び覚ます。

 意識すると同時に、淡く、儚い光芒が、手の内に宿った。

 

『・・・はあ』

 

 まだまだ弱い陽光だ。

 俺は少し落ち込んで、小さく息を吐き出した。

 こんなものでは、父上のような立派な太陽神にはなれやしない。

 ・・・しかし、鍛錬初日に比べれば、小宇宙の濃度は幾分か高くはなったか。

 

『着実に、成果は出ている・・・なら、落ち込むだけ時間が勿体ないな』

 

 自らに言い聞かせるように言うと、俺は再び意識を魂の内へと集中させた。

 静かな水面を少しずつ震動させることで、波紋を生み出し、やがて巨大な流れを創り出すかのような、力の流れを想像する。

 

 小宇宙とは、命。

 そして、命とは、宇宙なのだ。

 

 小宇宙を燃やすこととは即ち、自らの命、自らの内に広がる宇宙を糧とし、思いを体現する行為に相違ない。

 つまり、自らを知ることにより、小宇宙はより濃度が高く、また強大な奇跡を発現する力となってくれるのだ。

 

 生まれ持った神の力だけに頼っていては、父上のような、偉大な太陽神にはなれない。

 集ってくれた天馬達だけに頼っても、世界を照らすことは出来はしない。

 だから、向き合うんだ。

 己の命そのものである小宇宙と向き合って、俺は、前に進まないといけないんだ。

 

 

『随分と、励んでいるのだな、ヘリオスよ』

 

『・・・! 父上!』

 

 背後から聞こえた声に、自然と口角が上がる。

 勢いよく振り返ると、そこには大好きな父ヒュペリオンと、母ティアの姿があった。

 

『母様まで! どうしたのです、確か今日は、クロノス王の下へ用があるのだと伺っていましたが・・・」

 

『その用が早く済んだので、こうして、鍛錬に打ち込む息子の元に来たのですよ』

 

 知の女神たる母様は、優しい微笑みを浮かべて言うと、俺の手に宿る小宇宙をじい、と見つめ始めた。

 いつにもなく真剣な眼差しを向けられ、思わずたじろいでいると、父上が小さく呟いた。

 

『やはり、この小宇宙は・・・()()()()

 

『え?』

 

『父の言うとおり・・・ヘリオス、貴方は自らの力について、一度、顧みる必要があります』

 

『・・・母様まで・・・一体、俺の小宇宙のどこが危険だと言うのですか』

 

 最愛の両親に突きつけられた言葉に、弱々しく返す。

 すると、眉尻を下げた俺に向い、父上が口を開いた。

 

『ヘリオスよ、お前にとっての小宇宙とは、なにか』

 

 それは、研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる声音だった。

 

『・・・俺にとっての、小宇宙? ・・・それは、以前にも申し上げた通り、"願い"です』

 

 そう、願うこと。

 それこそが、力の無い俺に許された唯一であり、適正だった。

 

 "光に照らされた万物が、良き方へと導かれますように"

 

 そんな想いが、やがて"浄化"という性質へと昇華し、今の俺の小宇宙となったのだ。

 

『では、ヘリオス。貴方の言う"良き方"とは一体、何なのですか?』

 

 今度は、母様が問い掛けた。

 

『それは・・・』

 

 僅かに口を噤んでから、俺は言った。

 

『・・・良き方とは、皆が困難や苦痛に支配されず、哀しい運命に慟哭を上げることもない・・・そう、誰もが笑顔で、明日に不安もなく、健やかに日々を生きることが叶う、平和な世へと向うことなのだと思います』

 

『それは、例えば?』

 

『呪いは祝福に・・・生者を苦しめる毒は、無害な物質に変えること。冥界へとたどり着けずこの世を彷徨う魂は、輪廻の輪へ送ること・・・そして、他者を傷つけ自らの益とする、邪悪なる悪徳を許さず、滅することです』

 

『・・・──なるほど、お前の考えはよく分かった』

 

 父上は静かに頷くと、俺の眼前まで歩みを進めた。

 導かれるようにして仰ぎ見る。

 すると、形の良い口が開かれると同時に、深紅の瞳が俺を射貫いた。

 

 

『では、私は──お前の小宇宙により、滅ぼされることになるのだな』

 

『──っ!? な、んで・・・俺が父上を滅するなど、有り得ません!』

 

『お前が言う"善い"とは、そういう意味なのだぞ』

 

 父上は草花の茂る地へと片膝をつけ、俺に目線を合わせると、言った。

 

『ヘリオスよ、この世には、絶対の正義も邪悪も、在りはしないのだ。皆が皆、自らの正義を持っている。故に、他者に邪悪と評される存在があったとしても、それもまた一つの正義の形でもあるのだ』

 

『・・・邪悪が正義? ・・・ですが、父上は邪悪なんかじゃありません』

 

『それは、お前がそうだと評しているにすぎぬことだ。私は正義でもあり、また我が大剣により死した者達にとっては、邪悪な存在でもある。・・・よいか、ヘリオスよ。まだ儚いが、お前が獲得した浄化の小宇宙は、お前が邪悪だと判じた存在を滅する恐れのある、一方的で、危険な力なのだ』

 

『そんな・・・俺は、そんなつもりじゃ・・・!』

 

『誰かを守る誓いの元に生み出された毒があるのかもしれない。自らの意思で冥界へと旅立たぬ魂がいる可能性もある。主観と見てくれだけを判断基準としていれば、気付かぬ間に、誰かの想いを踏み躙ることとなる』

 

『・・・・・・』

 

 ・・・違う。

 俺は、誰かを排したいが為に、鍛錬をしていた訳じゃない。

 弱い俺のせいで誹られる家族を、守りたかった・・・ただ、それだけなのに。

 俯き、項垂れる。

 すると、前方から小さく息をつく音が聞こえた。

 

『なに、私もティアも、お前を責めている訳ではない・・・寧ろ、誇らしいぐらいなのだぞ、ヘリオスよ』

 

『俺が、誇らしい?』

 

『そうだ』

 

 誇りの宿った父の手が、戸惑う俺の頭に触れた。

 どこまでも優しく、そして、どこまでも力強い光を瞳に映して、父上は言葉を紡いだ。

 

『お前は自らの未熟さから逃げず、向き合うことの出来る強い者だ。ならぱ、強きお前に必要なのは、憂いではなく経験だ。研鑽せよ、ヘリオスよ。万物を見極める目を培い、身に宿った力に相応しい、心を磨くのだ』

 

『っ・・・父上』

 

『貴方は我らの自慢の息子・・・安心なさい、守るべきものを持つ神は、気高く、強い。父に憧れを抱く貴方ならば、その意味を理解することは容易いでしょう』

 

 母様は父上の傍らで身を屈めると、美麗な相貌を花のように綻ばせて言った。

 

『母様・・・』

 

 反射的に緩む目元を乱暴に拭うと、俺は精一杯の笑みを唇に乗せて、言葉を放った。

 

『有難うございます・・・! 未熟な俺では、父上と母様がくれた言葉の全てとその真意は、まだ、知るよしもありません・・・だから、俺、強くなります。力だけじゃなく、心も強い神になって、セレネもエオスも、父上も母様も守ることができるような、立派な太陽神になってみせます!』

 

 ──だからどうかその時まで、この小さな太陽を見届けてください。

 父上、母様。

 俺は必ずや、貴方達の期待に応えてみせますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・あぁ」

 

 複雑な想いに耐えきれず掠れ声が喉から漏れ出た。

 それは、余りにも、懐かしい記憶だった。

 友に出会うよりも更に昔の、遠い遠い遙かな過去の断片。

 魂の奥底に大切にしまわれて、気づけば埋もれてしまった、決して忘れてはならぬ、輝かしい理想郷。

 

 ──二度と戻らない、幸せだった日々の名残り。

 

「どうして・・・今までずっと、忘れていたんだ・・・」

 

 自らの記憶に生じた異変に、小さく呟いた。

 どんなに時が経とうとも、忘れようとしても消すことの出来ない、そんな思い出だったはずなのに、何故。

 けっして見過ごすことの許されない異常事態に、俺は自らの記憶を巡り直さなければならないと結論を出して、

 ──閉ざされた目を、開いた。

 

「・・・──へ?」

 

 しかしながら、視界に広がる世界を、直ぐさま理解することはできなかった。

 それは、目慣れた風景ではあった。

 だが、太陽としての役を担っていない今では、可笑しな光景だとしか判断のできないものだった。

 

「・・・・・・嘘、だろう」

 

 何度も瞬きを繰り返すが、現実は変わらない。

 

 ・・・──蒼。

 視界に映るのは、どこまでも広大な、深く透き通った蒼い空! 

 

「っ──空・・・しかも、落ちてるのか、俺はあああ!?」

 

 ゴウッ!! と、恐ろしい爆風に呑み込まれながら、太陽(オレ)は地へと落ちていく。

 耳元で唸る、怪物の嘶きが如き重低音。

 全身を切り裂かんと押し寄せる烈風に、全身を熱く貫く天の陽光。

 状況の理解が追いつかない。

 きらきらと、七色の光を反射し虚空に溶けていく結晶を視界に納めながら、俺は必死に思考を回し始めた。

 

 ・・・異次元の最果てに迷い込み、意識を失った瞬間までの記憶はある。

 だが、傷だらけだった身体も、尽き掛けた小宇宙も、かなり回復してる。

 

(・・・治療の痕跡はない・・・だとすれば、サガの小宇宙と、俺の霊血により自然治癒が為されたと考えるのが順当だが・・・それでは、俺が感覚で掴んでいる以上に時間が経過していることになるな・・・!!)

 

 異次元空間と現世の時の流れは同一ではない。

 しかし、この訳の分からないうえに、シオンとアイオロスの姿がない現状は、正直言って致命的だ。

 

「契約主である俺が生きている以上、シオンもアイオロスも、生きてはいるのだろうが・・・!!」

 

 二人は、無事なのだろうか。

 途轍もない速度で地面へと降下していくなか、俺は吐き捨てるようにして声を荒げた。

 全盛期の力があれば、眷属者を召喚する術を使用するだけでシオンとアイオロスの二名と合流することが叶うのだが、残念ながら今の俺にそんな神力はない。

 

「・・・っアネモス、カノン・・・サガ。・・・頼む、皆、無事でいてくれ!」

 

 顔にかかる緋色の髪を手で払いながら、俺は奥歯を強く噛み締め覚悟を決めた。

 

 一先ずは、着地の準備を・・・──自らが生き抜くことに集中するんだ! 

 

 俺は天に輝く光球を背にするようにして、身体を反転させた。

 最早この命は、俺一柱のものではなくなった。

 安易な死は許されてはいない。

 俺は恩人たる戦士の命を繋ぎ止め、また自らの本懐を遂げる為に、生き続けなければならないのだ。

 

「陽光よ、我が意に従え──!!」

 

 自らを奮い立たせるように吼えると、俺は両手を地上へ向けて翳し合わせた。

 このまま落ちれば死は必然。

 

 故に、地面に接触する寸前に特大級の浄化炎を放ち、落下の勢いを相殺しつくす。

 

 かなり危険な方法ではあるが、宙に浮くことも転移もできない以上、それしかない。

 

 両手に集めた小宇宙の煌めきが、空気の層を広範囲に叩き、僅かではあるが落下の速度を減少させる。

 気休め上等、少しでも、生存率が上がればそれでいい。

 目視による着地点の確認も終了。

 このまま突っ切って問題なし! 

 浄化炎を放つ準備も万端に済み、地上までの距離が百メートルを切ろうとした、

 ──その時。

 

「っ──!」

 

 俺は大きく目を見開いた。

 最悪だ。

 迫り来る地上に、突然、()()()()()()()()()()()

 恐らく、いや確実に、自ら達の上空に、俺が現れたことには気が付いてないだろう。

 僅かな逡巡も許されぬ局面で、俺は毒づきたくなる衝動を抑え声を張り上げた。 

 

「──そこのッ!! 頼む、動かないでくれッ!!」

 

「「なに!?」」

 

「──え?」

 

 ──このまま広範囲に小宇宙を叩きつければ、彼等が死ぬ。

 普段とは異なり、今放とうとしていた浄化炎には、降下の勢いを相殺する程度の殺傷力があるのだ。

 ただの人間に当たれば、助かることはまずないだろう。

 だが、このまま何もせずに落ちれば俺が死ぬ。

 ならば、小宇宙を操り、彼等に当たらぬように、広範囲に向ける予定だった炎を一点に絞るほかない。

 ・・・そう、シオンと力を重ねサガへと解き放った、真っ直ぐな光の軌道を、今度は俺が一柱で再現すれば・・・! 

 

「──ハッ」

 

 身体中痛むが、この程度の損傷具合ならば、やってやれないことはない。

 俺は広げた両の手を握り合わせ、腕を真っ直ぐと伸ばすと、渾身の叫びを上げた。

 

「一点収束──光槍・浄化炎(メギド・フレア)!!」

 

 ドッ!! と轟音を響かせ、一条の光線が地面を深く抉り、赤く染め溶かした。 

 増しに増された降下の勢いも相殺され、俺は二回転を経て大穴の空いた地面の近くへと激突。

 何とか落下死を防ぐことに成功した。

 凄まじい余波に、三つの人影のうちの一つ──大柄の、()()()()()()()()()()は吹き飛ばしてしまったようだが、見たところ命に別状はなさそうだ。

 

「よかった・・・何とか、人間を巻き込まずに済ん──」

 

 

「ッ──死ぬな!! エスメラルダッ!!」

 

「──、」

 

 見えざる糸に引かれるようにして、俺は声のした方へ首を傾けた。

 そこには、涙を流す黒髪の少年と、少年の逞しい腕に抱かれ力なく瞼を開ける、金髪の少女がいた。

 荒野に咲く一輪の花のように美しい少女の腹部には、その白く柔らかい肌には似合わぬ、赤黒い血痕が現れ、広がっていった。

 

「お、のれ・・・拳が、僅かに逸れたか・・・フッ、だが、脆弱な娘の命では・・・そう長くは保たないだろうよ・・・」

 

「──何故だッ!! エスメラルダは俺の修行とは無縁のはず! なのに、何故、何故っ・・・彼女に手を下したのですか、師よ!!」

 

「バカめ、その娘は貴様が殺したのだぞ。敵にとどめをさせん、貴様の甘さがな・・・」

 

「ッ!」

 

 鬼の形相で叫ぶ少年と、後方にて地に這う、仮面の男の口から放たれた言葉に、俺は目の前で起きた事態を僅かながらも把握した。

 細かい事情は分からないが、仮面の男が少女──エスメラルダに拳を放ち殺そうとしたタイミングで、俺が現れ、その攻撃が逸れたのだということ。

 そして、少女を狙った一撃が彼女らの不意を突く、不条理な一撃であったということを。

 

「・・・神も人も、変わらないな」

 

 ふらふらと、師と呼んだ男の元へ憎しみと共に歩む少年の姿に、俺は自らの腹の底に生まれた仄暗い熱を押し止めると、死の淵に立つ少女の元へ駆け寄った。

 少女の腹部から溢れる血量からして、まだ、治療を行えば、十分間に合う容体だと分かったからだ。

 俺は浅く呼吸をする少女の傍らで片膝をつくと、その凄惨な傷口に触れようとした。

 

 しかし、

 

「エスメラルダに触れるな、下郎ッ!!」

 

「!」

 

 爆発的に膨れあがった殺気に、俺は瞬時に後方へと飛び退いた。

 突然のことに思わず眉間に皺を刻み、殺気の在る方へ視線をやると、俺の心臓があった虚空に、少年の拳が鎮座しているではないか。

 

「っ何をするんだ! 危ないだろ──うわっ!!」

 

 一撃、二撃。

 正確に急所を標準し放たれる、容赦の無い少年の拳圧に、俺は思わず歯がみした。

 こんなことをしている暇はないのだ。

 奇跡的に一命を取り留めたとはいえ、今すぐにでも出血を止めなければ、エスメラルダという名の少女は命を落としてしまう。

 錯乱したかの如く拳を振るう人の子に向けて、俺は必死に声を張った。

 

「頼む、話を聞いてくっ──ああこの!! 万が一でも死んだらどうするんだ!」

 

「此方はもとよりそのつもりだ!! いきなり上空に現れ奇襲を仕掛けるとは・・・怪しい輩め、名を名乗れ!!」

 

「──俺はヘリオス、太陽神ヘリオスだ! 人の子よ、非礼は詫びるが奇襲は誤解なんだ! 今は一刻を争う・・・俺に、その少女の治療をさせてほしい!!」

 

「っ──()()()()()()()、だと・・・!?」

 

 黒髪の少年は弾かれたように肩を動かすと、やがて烈火の形相で俺を睨み、怒声を放った。

 

「この局面でその名を騙るか! ・・・やはり信用はできん、この一輝(いっき)が成敗してくれるわッ!!」

 

「はっ!? なんっ──」

 

「──問答無用!! 鳳翼(ほうよく)羽撃(はばた)きを聴くがいい──鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)ッ!!」

 

「!!」

 

 業火を纏った爆風が、視界を紅く染め上げた。

 少しばかり小宇宙を理解した少年と侮っていたが、どうやらその見当は大きく外れていたらしい。

 憎しみと哀しみをぐちゃぐちゃに織り交ぜ炎と姿を変えた、今の少年の心境を露わにするかのような一撃に、俺は凜然と言葉を放った。

 

「大馬鹿者、お前は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!!」

 

「っ──!!」

 

 片手を掲げ、少年の生み出した爆風を浄化炎を用いて打ち消し、自らと、後方にて倒れ伏す少女の被害を防ぐ。

 激情により、平時よりも倍増した自らの技の威力を計算に入れ忘れるのは、実戦経験のなさ故か。

 ・・・それとも、少女の存在に気がつけぬほどに、怒りと憎しみに呑み込まれてしまったのか。

 見たところ、幾分か老けてはいるが、アフロディーテよりも数歳上、アイオロスやサガに近い年齢といったところだろうか。

 だとすれば、大切な存在を傷つけられ精神の箍が外れ、錯乱状態へと陥ったのかもしれない・・・。

 

「・・・どちらにせよ、俺の立ち退いた位置が悪かったな!」

 

 大いに反省し、俺は全ての爆風を消し尽くすと、倒れ伏す少女をそっと背負い、少年を一瞥した。

 

「っエスメラルダ!」

 

「・・・迷惑をかけたな、鳳凰座(フェニックス)・・・神話なき星座の子よ。とりあえず、この娘は俺が預かり治療を施してくるから、お前はそこの仮面の人間を折檻してから、頭を冷やしてくるといい」

 

「なっ、待てッ!!」

 

「すまないが、これ以上は無理だ・・・──陽光よ、爆ぜよ」

 

「ぐッ──!?」

 

 

 鮮やかな茜色の閃光が、少年の視界を奪い尽くした。

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 突如現れた、

 ()()()()()()()()()()

 最愛の少女の亡骸を背負い、

 一輝の手の届かぬ遠くへと、

 陽炎のように、

 消えていった。

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・、」

 

 動けなかった。

 突然の乱入者が放った恐るべき光は、一輝の視界どころか、その五感全てを麻痺させ、緩やかに機能を停止させたのだ。

 

「フッ・・・これで分かっただろう、一輝よ。お前の心に愛などいらぬ・・・必要なのは、大いなる憎しみなのだと」

 

 数分か、はたまた数刻か。

 ただ、少女の亡骸を取り戻すことは叶わない、そんな覆しようのない時が経過してから、一輝の背に声が掛かった。

 それは、エスメラルダの命を奪った、残虐で、冷徹な、一輝が師と仰いでいた男の声であるようだった。

 

「・・・ああ、そのようだ」

 

 未だぼやける視界の端で、無様に地面に這う自らの師だった男へ向けて、一輝は低く応えた。

 

「フッフフ・・・ならば、お前の憎しみを更に完璧なものにするために、いいことを教えてやる・・・お前の父親・・・いやグラード財団に集められた百人の孤児すべての父親の正体をな・・・!」

 

「!!」

 

 ドオオオンッッ!! と、島の火山が噴火する轟音と同時に、男の口から、信じがたい事実が告げられた。

 それは、呪いの一言以外の、なにものでもなかった。

 全身を引き裂きたくなる程の憎悪と憤激に、全身の血が沸騰する。

 師の一撃を避けた際に生まれた額の傷口から、夥しい量の血潮が溢れ出る。

 

「この血が・・・あの男のものだというのなら! 実の我が子を玩具扱いにした悪魔の、あの男の五体を・・・ズタズタに引き千切りぶち殺してくれるッ──!!」

 

「・・・残念だがそれは永久にできん。あの男は五年前に既に死んでいるのだからな」

 

「な、なんだと・・・」

 

「フフフ・・・最早、お前の憎しみを受けるべき生者は、あの悪神を名乗る小僧だけとなったが・・・あの小僧を殺したとて、お前のその"血"の増悪を晴らす相手はこの世にはいない・・・お前は永久に、晴らすことの出来ぬ憎しみに、小宇宙を燃焼し爆発し、フェニックスとして最強の力を発揮することになるのだ」

 

「──ならば俺はその力を復讐のために使ってやる・・・あの男がこの世にいないのなら、あの男の息が掛かった者──グラード財団も百人の孤児たちも、瞬・・・お前さえも、あの男の血が流れているというのなら!! 何もかもこの地上から消滅させてやるッ!!」

 

 激情のままに、一輝は雄叫びを上げ、憎しみに身を委ねた。

 仮面の男はクツクツと嗤う。

 

「フッ・・・ならば、この師を殺し、あのファイヤーマウンテンの火口近くにいる暗黒聖闘士より、お前の──フェニックスの青銅聖衣(ブロンズクロス)を奪い返してくるがいい・・・さあ!」

 

 最早、守るべき矜持も、守りたい少女も、その全てを喪失した一輝には、全てを焼き尽くす未来しかないのだ。

 仮面の男は自らの死で以て完成される、最強の聖闘士の生誕を待ち、歓喜に打ち震えた。

 ・・・しかし、

 

「フンッ・・・愚かな」

 

「な、なに・・・?」

 

「貴様は最早、師に在らず──ならば、貴様の掌の上で踊るような真似を、続ける義理は、有りはしない」

 

 一輝はどこまでも冷酷な双眼で、地に這う男を睨めつけると、すうっと右手を向け、言った。

 

「・・・その一生を、幻覚と共に歩むがいい──鳳凰幻魔拳(ほうおうげんまけん)ッ!」

 

「──ガッ!?」

 

 避けることの叶わぬ一輝の魔拳に、仮面の男は全身を痙攣させ、やがて意識を失った。

 鳳凰幻魔拳(ほうおうげんまけん)──相手の心の恐怖心を増大させ、幻覚により精神を破壊する、伝説の魔拳である。

 その一撃は、一輝の心根に残った、師に対する最後の情けか──それとも、最愛の少女の命を奪った罪の前には、死など生温いと判じたが為か。

 

「貴様の精神が完全にズタズタになるか、貴様が改心し、二度とエスメラルダのような少女の命を奪わぬ者へと転生するか・・・未来は、二つに一つ・・・さらばだ、師だった者よ」

 

 火山へ向い、一輝は、二度と振り返ることなく、歩みを進めた。

 冷徹なる仮面の男の未来は、神のみぞ知る。

 しかし確実に、歯車は歪み、また、賽は天高く投げられた。

 

 

「──その首、よく洗って待っているがいい、太陽神・・・いや悪神ヘリオスを騙る者よ。何故エスメラルダを連れ去ったのかは解せんが・・・この身体を流れる血縁ものとも、貴様の命、この鳳凰星座(フェニックス)の一輝が燃やし尽くしてくれる──ッ!!」

 

 

鳳凰は、天高い太陽へと、その拳を突き出した。

 

 

 

 

 






明けましておめでとうございます。
大変遅くなってしまいましたが、19話をお届けいたします。

一月以上前になりますが、誤字報告をしてくださったお方、本当に有り難うございました。
誤字が多すぎてもはや新手のウォーリーを探せ状態なので大変助かります。

いつも感想をくださる皆様、好き放題な内容なのに読んでくださっている読者の皆様、いつも元気と活力を有り難うございます。

・・・ところで先日、りんかけ2と、チャンピオンレッドで連載していたらしい風魔の小次郎を拝読いたしました・・・全てに目を通すことは出来なかったのですが、滅茶苦茶おもしろかったです。やっぱり御大はすごいなあと。名言しか生み出せないのかな。

それでは、皆様にとって良い一年になりますように。


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20話 過ぎ行く世界

 

 

 

 

 天より照りつける容赦のない陽光に、海辺に広がる砂浜は、灼熱の地獄と化していた。

 

「っ・・・うぅ・・・」

 

「・・・よし、よく頑張ったな。これで応急治療は終りだ」

 

 断崖の影により生み出された、涼やかな砂浜で、俺は、エスメラルダという少女に労いの声を掛けた。

 シオンやアイオロスが聖闘士らより受けた、常人であれば数回も命を落としてしまうような重傷の場合は、膨大な小宇宙を用いなければ治療は行えないのだが、今回は少量の小宇宙で処置が済んだ。

 少女が精神に受けた分の衝撃・・・死の恐怖を消すことはできなかったが、安静にしていれば、内面の傷も徐々に和らいでいくだろう。

 

「しかし・・・はあ、上空から見て分かってはいたが・・・どこなんだ、この島は」

 

 轟々と唸り、荒れ狂う波を眺めながら、俺は力なく呟いた。

 頭が重い。

 異次元を彷徨い、かなり長いこと意識を失っていたようだが、精神は全く休まっていないのだ。

 正直な話そろそろ休息を挟まないと、疲弊が洒落にならない段階まできている。

 ・・・この生物には優しくない気候も、体力の減少に拍車をかけているのだろう。

 島の面積の殆どを占める中央の火山に、たいへん吸い込みにくいうえ、お世辞にも美味しくはない淀んだ大気の群れ。

 現世への生還を果たすことが叶ったのは、恐らくはシオンが奮闘してくれたお陰なのだろうが、どうやら俺は、聖域から見て遠方へと飛ばされてしまったらしい。

 

「んん・・・あ、なたは・・・空から落ちてきた、ひと、ですか・・・?」

 

「むっ・・・目が覚めたか。俺はヘリオス、太陽と誓約を司る、大いなるティターンの血を継ぐ神だ」

 

「へ、リオス・・・あの、太陽神の、ですか?」

 

「そうだ」

 

「・・・でも、確か、その名前の神様は・・・()()()()()()()()()()、一輝が・・・」

 

「・・・・・・は?」

 

 何を言っているんだ、この娘は。

 謂われのない唐突な糾弾に、思わず間抜けな声が流れ出た。

 致死に至るほどの拳を腹に受け、一時的に錯乱してしまっているのだろうか。

 俺は数瞬考えを巡らせたが、情報が足りなければ考えも纏まらないだろうと結論を出し、再度少女に話しかけることにした。

 

「エスメラルダ、といったな・・・その話、俺に詳しく──、」

 

 

「──嗚呼、よもや、十三年前に死んだ者と、こんな僻地で再開することになろうとはな」

 

「ッ──!!」

 

 ぞわり、と背筋が粟立った。

 頭で考えるよりも先に、傍らで仰向けにした少女を左腕で抱え込むと、俺は砂浜から、灰色の海に飛び込んだ。

 

 ──ジュワッッ!!! 

 

 自らの小宇宙を防壁代わりに展開すると同時に、海中から見上げた海面が一色に侵された。

 それは、黄金の光だった。

 俺が失ってしまった、絶対的な太陽を象徴する、黄金の光だった。

 

 凄まじい爆風に、辺りを満たしていた海水の全てが蒸発し、彼方へと消えていく。

 

「こんのっ・・・なんていう馬鹿火力だ!!」

 

 毒づきながらも、俺は空いた片手で小宇宙を操り、巨人の鉄槌が如き衝撃を後方へと流し続ける。

 ・・・咄嗟に逃れていなければ、今頃、塵も残らなかったな。

 着弾の余波だけで、青銅や白銀の聖闘士達の技に匹敵する・・・いいや、それ以上の威力があるのではなかろうか。

 俺は左腕に抱えた少女に負荷が掛からないよう注意しつつも、後方より襲い掛かる巨大な荒波から逃れるため、比較的足場の安定した岩場へと一息に跳躍した。

 

「っ──い、一体何が・・・?」

 

「・・・すまない、エスメラルダ。恐らく・・・いや、確実に、俺がお前を巻き込んだ」

 

「ヘリオスさんが・・・?」

 

「ああ、だが必ず、お前は無事に帰すと約束する・・・絶対にだ」

 

 悲鳴を上げることすら出来ぬほどに震える少女の姿に、心の底から謝罪を告げる。

 そして、崖上に現れた、眩い光芒に身を包む者へと向かい、俺は怒声を放った。

 

「──そこの金ぴか! 大方、偽教皇に遣わされた追手だろうが、とりあえず名を告げろ!!」

 

「・・・フッ、名乗れだと?」

 

「ぐっ・・・!?」

 

 一笑が響くと同時に、肌を突き刺すような小宇宙の波動が、俺の身を襲った。

 まるで、唯一神に傅かぬ愚者を咎めるかのような、慈悲なき小宇宙の重圧に、呼吸が辛く、苦しくなる。

 

「十三年前から変わらぬその小さな頭では、一度聞いた私の名を覚えることすら難しかったらしい」

 

「っ・・・一度、聞いた・・・?」

 

 厳かな声を響かせると、その者は自らの発する威光を緩やかに抑え、内へと仕舞った。 

 光に溶け、判別のつかなかった人間の輪郭が浮き出ると、やがて、隠された相貌が露わになる。

 

 ──それは、美しくも儚い面をした、中性的な人間だった。 

 

 特徴的な額のチャクラに、固く閉ざされた二つの眼。

 声音から判断するのならば男なのだろうが、純金を鋳溶かしたかのような豊かな長髪が、金色の兜に覆われた頭部から腰の下まで伸びている。

 凡そ常人とは思えぬ、下手をすれば俺よりも神々しい人間の姿に、一瞬目眩を覚えそうになったが、男が纏う金色の甲冑が、俺の意識を縫い止めた。

 

「・・・? 何故、その鎧が・・・っ──まさか、」

 

 黄金の鎧を凝視し、その意匠の意味を理解した瞬間、俺はいっそう訳が分からなくなり、小さく喘いだ。

 だが、いくら思考を回そうが可能生を切り捨てようが、導き出される答えは、俺が否定したいと願う一点へと収束するばかりだった。

 

「我が"天魔降伏"を避けたことは褒めてやろう・・・だが、やはり、得体の知れぬ君をこのまま放って置くことは(まか)り成らん。消炭とまではいかずとも、腕の一本は奪わせてもらうぞ」

 

「・・・・・・その小宇宙に、傲岸不遜な物言い、そして乙女座(バルゴ)黄金聖衣(ゴールドクロス)っ・・・嘘だろう、お前──乙女座(バルゴ)のシャカなのか!?」

 

「フッ・・・そうだ。しかし、流石の私も驚いたぞ。異空間にて流れる異様な揺らぎを感じ、私の念力により引き寄せてみれば・・・神の名を騙り、早々に散ったはずの不敬者が降ってくるとはな」

 

「・・・・・・お前、」

 

 敵意ある言葉に、反射的に噛み付いてやろうと口を開いたが、ぐっと堪えた。

 それは身に迫った危機よりも、矛盾の多すぎる現実に、一周回って頭が冷静になってしまったからだった。

 だって、有り得ないだろう。

 十歳にも満たない小さな子が、一月も経たぬ間に青年へと成長するなど。

 

「なにかね、その惚けた顔は? ・・・十三年前、聖域を混乱の渦へと貶めるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして双子座のサガ──()()()()()()()()()()()()、よもや、何も知らぬなどと宣うつもりではないだろうな」

 

「・・・・・・な、に?」

 

 男の口から流れ出た言葉に、俺は唖然と掠れ声を漏らした。

 

 ──俺が、アイオロスを誑かして、シオンを殺した? 

 ──サガが現教皇で、俺は、サガに討たれた? 

 

 この人間は何を言っている。

 俺を惑わすつもりか、それとも揶揄して言っているのか。

 本気で言っているのなら、事実は全くの真逆だ。

 ・・・まさか、俺達が異次元の果てを漂っている間に、聖域ではシオンは死んだことになり、俺とアイオロスは聖域を脅かした存在として葬られたことになっているのか。 

 

「・・・・・・笑えない、話だな」

 

 思わず叫び、激昂したくなる衝動を理性で制すと、俺は拳を握りしめ、ただ懸命に、崖上の人間へと言葉を絞り出した。

 

「・・・お前は、お前達は、本当にそんな虚実を信じているのか!? 大体、何が十三年前だ。俺とお前、出会って未だ一月も経っていないだろう・・・!」

 

「・・・なんだと?」

 

 懐疑的な声を出す人間へ向い、俺は畳み掛けるようにして言い放つ。

 

「乙女座、お前は本気で、アイオロスが聖域を裏切ったと思っているのか? あの者は、修行へ向かったお前たちとの約束を守るため、たった独りで、冥界の悪霊により人格の分かたれたサガに立ち向かい、赤子のアテナだけではなく、自らを逆賊と呼ぶ同胞達ですら傷つけぬようにと守り抜いた、真の戦士なんだぞ」

 

「・・・・・・冥界の悪霊だと? ・・・君は、そんな降って湧いたような世迷い言を信じろと言うのかね?」

 

「・・・──いいや、俺の言葉は、信じなくていい」

 

「なに?」

 

「俺もお前も、互いをよく知らない。疑い深いのは余り好きではないが・・・敵地にいる者の言葉は、話半ばに聞くくらいでいいと、アルバフィカも言っていたしな。聖闘士たる者、未知に近い相手には、警戒をして然るべきなのだろう」

 

 一呼吸に言い連ね、「だがな」と区切ると、俺は乙女座へ向かい、腹の底から声を放った。

 

「アイオロスに対して、憧憬と、信頼の念を寄せていたお前達は、他者の言葉を信じるよりも先に、せめてもの誠意として、アイオロス本人に聞くべきだったんだ。『どうして裏切ったのか』とな・・・そして、真実を見定めるべきだった」

 

 そもそも、片方の主張だけを聞いて決めつけるのは、フェアじゃない。

 それも誇りある戦士の名誉を毀損するのなら、なおさら慎重に情報を精査し、考えるべきだった。

 だというのに、聖域の人間共は偽教皇の言葉を盲目的に信じ、アイオロスを邪悪なる反逆者と攻撃した。

 シオンは教皇の命令であると同時に、アテナの命がかかっているのだから仕方が無いと言っていたが・・・冤罪を被ったアイオロスのことを思うと、やはり俺は、納得することが出来ないでいる。

 

「フッ・・・まるで、正義の女神・・・星乙女(アストライア)の如き説法だな」

 

 一瞬、シャカは滑らかな眉間に皺を寄せたが、それ以上は感情の機敏を表すことなく、静かに宣った。

 

「だが、君の手に真の天秤はない。その主張は的外れだ・・・人に、死者の声を聞く権能はないのだからな」

 

 それは、至極真っ当な返答だった。

 いかに冥界へ足を運べる人間がいようとも、転生を待つ膨大な死者の中から、特定の人間を見つけ出すことは不可能に近い。

 死んだと言われた俺達の元へ、話を聞きに行こうとする人間などいないのだ。

 だが、この時点でまだ一つ、確かめなければならない疑念が存在している。

 冷然と佇む人間を真っ直ぐと見据えると、俺は低く声を響かせた。

 

「なあ、乙女座、()()()()()()()()()()()()? 俺も、シオン・・・教皇やアイオロスも、死んでいない。サガのアナザーディメンションで異次元の果てへ飛ばされはしたが、俺がこうして生きている以上、全員きちんと生きている。だったら偽装でもしなければ死体はなかったはずだ」

 

 死体もなく、教皇であるシオンや、俺やアイオロスの死を決めつけることはできない。

 神々も人間たちも、戦において敵対する将を討ち取った際は・・・首や死体そのものを、勝利の証として持ち帰るのが常だった。

 残虐極まりない行為ではあるが、『敵将は未だ生きている』などという噂が広まるのを根本から断ち切ることが出来るため、敵を討った証拠を持ち帰らぬ者は懐疑の視線を向けられることとなるのだ。

 

 ──つまり、死体が残っていなかったのなら、俺達の生存を信じる者がいたはずなんだ。

 

「・・・十三年前の事件の中心にいた者の死体は、残っていない。前教皇は君が、君やアイオロスは、双子座のサガが、塵も残さず滅ぼし尽くしたことになっている」

 

 問い掛けに対し、シャカは予想通りの回答を口にする。

 俺は間髪入れずに投げかけた。

 

「──何故だ? そんな怪しい主張、疑う者は誰一人としていなかったというのか」

 

「・・・・・・当然、いたとも」

 

「っ・・・だったら! あの騒動から何日が経過したのかは分からないか・・・アイオロスを逆賊だと決めつけるには早すぎると、お前も理解できるはずだろう!」

 

 乾ききった口を動かし、軋むような声で俺は叫んだ。

 サガに対する疑惑も、事件の違和感も、きちんと残っているというのに、それでもなおサガの言葉を信じる理由とは一体何なのか、と。

 しかしシャカは、口を閉ざしたまま、何も言わない。

 天の光球により、灼熱の地獄と化した海岸に、沈黙が満ちる。

 

「・・・・・・何日経ったか分からない、か」

 

 やがて、どこか哀れむようなる口調で、男は低く言った。

 

「大方、君の姿形が変わらないのは、人成らざる者故かと思っていたが・・・一つ、認識を改める必要があるようだ」

 

 シャカは一歩を踏み出すと、崖上から、自身が生み出した大穴の元へと緩やかに降り立った。

 すわ奥義でも放つつもりかと、俺は咄嗟に、後方にて沈黙を守る少女を守れるよう、神経を尖らせ身構えた。

 しかし、乙女座のシャカから放たれたのは奥義ではなく、迷いの混じった一言だった。

 

「私は、他者の本質を見抜く眼力を持つ・・・だが、君は、虚ろにしか映らないのだ」

 

 ──すう、と、固く閉ざされた瞼が開かれると、密やかに、翡翠の双眼が姿を現した。

 

「このシャカの眼を以てしても、君の善悪を測ることは叶わず、君の言葉の真意を知るよしはない。・・・だが、私にはどうにも、君が嘘を言っているようには聞こえないのだ」

 

 遠い空よりも透き通った、この世の無常を憂うような瞳で、シャカは言葉を紡ぐ。

 

「・・・乙女座?」

 

「ムウの言った真実・・・そして、色を持たず、虚ろであっても、人を救おうとする奇怪な君の姿。早々に天誅を下し、聖域へ連れて行こうかと思ったが・・・私自ら見定めるべきなのだろうな」

 

 人間は、翡翠の瞳で真っ直ぐと俺の両眼を捉えると、

 

「神になれぬ人でもなく、人と転じた神でもない・・・太陽を名乗る、何者にもなれぬ者よ。私はただ君に、事実を伝えよう」

 

 シャカは、数歩歩けば辿り着く距離まで近づくと、凜然と言葉を放った。

 警戒心を露わに小宇宙を燃やす、俺の目線の先で、先程までの敵意はかなぐり捨て、ただ静謐な水面のように屹立する男は、小さく息を吸い込み言った。

 

「君がいうように、悪神と呼ばれる君やアイオロスを擁護し、サガに異議立てる者はいた。だが、その者達・・・特に聖闘士は、聖域の復興の妨げになるという理由から、暫くは独房に拘禁されることとなった・・・これは、今から十三年前の出来事だ」

 

 ──その瞳に、嘘はなかった。

 

「・・・安心したまえ。彼等は一年程で釈放され、今では女神に忠誠を誓う聖闘士として、地上の平和を守るため、任務に勤しんでいる」

 

 男は、溜息のように口にすると、視線を逸らさぬまま言葉を終えた。

 まるで、俺の、何かしらの反応を待つかのように。

 だが、恐らくその答えは、既に手の届く場所に存在していた。

 男の嘘偽りのない目を見た瞬間に、心の奥底では、その可能生に気が付いていたのだから。

 

「・・・・・・なあ、エスメラルダ」

 

 俺は背後の少女に向い、問い掛けた。 

 

「一輝という少年が、俺が・・・太陽神ヘリオスが聖域を襲い、また滅ぼされたと、そう言っていたらしいな」

 

「・・・はい。女神様の命が狙われた、とても大きな事件で、聖域に関わる者で、知らない人はいないと・・・」

 

 少女特有の、転がった鈴のような声が返ってくる。

 ああそういえば、セレネもこんなふうに喋っていたなと、ぼんやりと記憶の底を攫う。

 一瞬の逃避に走ると、俺は、震える唇を動かして、再度、問い掛けることにした。

 

「それは、いつ起きた出来事なんだ」

 

「・・・・・・それは、」

 

 僅かの逡巡の後に、少女は言った。

 

「・・・──今から数えて、十三年前です」

 

「────、」

 

 ──ああ、やっぱり。

 俺は口端を引き結んで、立ち竦んだ。

 目の前の戦士を差し置いて、遠い空を仰ぐ。

 そして、眩い、友が居るであろう光球を、前髪越しに眺めながら、呟く。

 

「・・・済まないな、乙女座のシャカ。俺はきっと、最初から、その可能生を切り捨てていた」

 

 今からでも未だ間に合うはずだという、甘い考えがそうさせた。

 ちっぽけな矜持が、そうさせた

 

 そして、なによりも──()()()()()()()、時空神の管轄であり、容易に為せる所行ではないと決めつけていたから、真っ先に切り捨てた。

 

 だが、その全ては、最早言い訳にしかならないのだ。

 心の中で、なにかが、ガラガラと音を立て崩れていく喪失感を感じながら、俺は力なく声を漏らした。

 

 

「俺は、アフロディーテとの約束を、守れなかったんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









誤字報告ならびに、お気に入り登録や評価、嬉しい感想など、大変励みになります、本当に有り難うございます・・・!

ハーメルン管理者様が読み上げ機能を実装してくださったのでわーいと思いさっそく使おうとしたら総合評価が1000に満たない作品では出来ないと知りちょっとひねくれそうになりましたが、スマホで電源を切っててもゆかりさんが話してくれるので、とんでもない革命だなあと一人驚いていました。 まだ試していない人は是非、眼が疲れてるときなどおすすめです。



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21話 積み重ねてきたもの

 

 

 

 

 

 ──お前が居ない分は特別に、このヘリオスが聖域を守護してやるから、安心して研鑽してくるんだぞ、アフロディーテ。

 

 軽口混じりに宣った、重き、誓いの言葉。

 

 脳裏に過ぎるのは、あの少年が別れ際にみせた、邪気の混じらぬ微笑みだった。

 

 ──そうか、最後に、良い知らせを聞けた。

 

 あの瞬間。

 俺はきっと、心底緩まった表情を浮かべていたのだろう。

 嬉しかったのだ。

 不敬で不遜な、俺を守り導いてくれた少年が、このヘリオスを肩を並べるにたる同胞と認めてくれたことが、酷く嬉しくむず痒く。

 また、なぜだかとても、救われた気持になったのだ。

 

 俺は、同胞たる少年が向けてくれた信頼に、応えなければならなかった。

 ・・・否、応えたかった。

 

 俺が、誓約の神であるからではない。

 この果てない世界に生まれ、何かしらの縁により引き寄せられ、出会い、等しい目的のために力を合わせ合う同胞へとなれた・・・この奇跡的な人間との繋がりを、失ってはいけなかったから。

 アフロディーテが与えてくれた多くの親切に、俺は、報いたかったから。

 

「・・・だが既に、誓約神の誇りは地へと潰えた」

 

 俺は約束を守れなかった。

 アフロディーテが不在の間に、聖域は冥界神の策略により混沌の渦へと追いやられ、人間たちの間に結ばれた絆は、目も当てられぬほどに踏み躙られた。

 現世(うつしよ)では、取り返しのつかぬ程の時間が経ち、太陽神ヘリオスは、聖域を守ることが出来なかったのだ。

 

「随分と、気落ちに暮れた面持ちだ」

 

 前方から、感情を悟らせぬ声が届く。

 

 俺を虚ろと評し、また見定めると宣った人間、乙女座のシャカ。

 この男が何を考え、また何を狙っているのかは想像することしかできない。

 だが、あの馬鹿火力を開帳することもなく、俺に十三年の時の経過を知らしめさせた態度から察するに、この人間は聖域に対し、盲目的な忠義を示している訳ではないようだ。

 

「・・・乙女座のシャカ、お前に一つ、確認しなければならないことがある」

 

 俺は、重い口を切り開くかのように、男へと視線をずらし言った。

 

「お前の口振りからして、聖域や近郊に住む民達・・・人の子達は、無事なんだな? 一時の混乱に見舞われはしたが、現状、冥界神共の侵攻もなく、聖域は淀みなく機能している。違うか?」

 

「フム・・・"無事"の定義にもよるが、君が言うような事態には陥ってはいない。この十三年間の時の間は、双子座のサガが身を粉にして指揮を振るい、地上の平和を守ってきたのだからな」

 

「サガが?」

 

「そうだ」

 

 俺の疑問符に一つ頷くと、人間は怜悧な声で言葉を紡いだ。

 

「前教皇の死により、統率の潰えた聖域を束ねたのが、あの男なのだ。君が言うように、サガの主張に疑念を抱き異議立てる者は大勢いた。だが、サガの指揮により多くの命が救われたのも、覆すことのできぬ確かな事実なのだ」

 

「・・・・・・」

 

「十三年。君がその時を如何様に判じるかは分からないが、幼き人の子が、皆の憧憬を集める戦士と成長を遂げるほどの時が流れたのだ。君の言葉が真実であったとしても、人々の認識を覆すことは容易ではない。例え女神アテナであったとしても困難な事象だといえよう」

 

 聖域の人間であるというのに、男の言葉は余りにも客観的な色味を帯びていた。

 まるで遙か高き天空から俯瞰しているかのような、言うなれば、一級神共を相手にしているかのような感覚を覚える物言いだった。

 一瞬、嫌な思い出が蘇りかけ、反射的に眉根に力がこもる。

 だが、乙女座により語られた聖域の現状を知り、俺は安堵の溜息を吐き出すに至った。

 

「ハッ、そうか。サガが地上の平和を守っていたんだな・・・それを聞けて安心したよ」

 

「・・・なに?」

 

「お前の言うことが正しければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 なにせ、シオンの謀殺を企て、アイオロスを逆賊に仕立てた二人目のサガが、大人しく地上の平和を守る役目を為すとは思えないからな」

 

 男の懐疑の視線に笑みで返しながら、俺は言い切った。

 しかし、シャカは未だに解せない様子で、翡翠の眼に強い懐疑の光を宿す。

 

「君は、己の命を奪おうとした者を、信じるというのかね」

 

 それは、この男の立場からすれば、当然の疑念だった。

 俺は、真っ直ぐとシャカを見据えながら、間髪入れずに言葉を連ねる。

 

「俺達を殺そうとしたのがサガならば、俺達を助けてくれたのもまたサガなんだ。だから俺は、俺達を信じてくれたサガを信じたい。・・・それに、乙女座のシャカ。お前のお陰で希望も生まれたからな。これ以上、こんなところで足踏みをしているわけにはいかなくなった」

 

「私のお陰で、だと?」

 

「精度は定かではないにせよ、お前のその眼は他者の本質を見抜くのだろう。そして、お前は今の教皇サガを擁護する立場をとっている。つまり、お前から視たサガは悪霊により生まれたサガではなく、俺の知るサガだという裏付けになる」

 

「・・・愚かな。私が君を騙そうと、虚言を吐いている可能生もあるだろう」

 

「それはない。これでも神だ。お前の目を見れば、嘘ではないと分かる」

 

「本気で、言っているのかね?」

 

「ああ。だから、お前の親切に感謝する。ありがとうな、乙女座のシャカ。問題は山積みだが、お前のような聖闘士が聖域にいると分かって、俺も安心した」

 

「・・・・・・」

 

 シャカは真実を述べると言った通りに、真摯に事実を教えてくれた。

 ならば、誠実な人間の態度に対し、敬意を表し礼を述べるのは当然の行いだろう。

 初めから、諦めるつもりは微塵もなかったが、サガが無事だと判明し、心根に巣くう憂いの一つが断てた。

 これで、少しは真面な歩調で前へと進むことが出来る。

 

「・・・・・・ハア、気が削がれるとはこのことか。・・・太陽を名乗る者、ヘリオスよ」

 

 やがて、重い溜息の後に、乙女座のシャカは俺の名を呼んだ。

 

「私は本来、暗黒聖闘士を誅するために、この島へと足を運んだ。しかし、聖域を混乱たらしめた者の生存を確認した以上、放っておくことはできん。君の主張は聞き届けたが、口にするだけならば、誰にもできる。君が私を信じようが、私は君の味方にはなりはしないのだ」

 

「だろうな、そう言うんじゃないかと思っていた。だけど、俺も大人しく掴まるわけにはいかない。言葉は尽くした・・・後は、全力で抵抗させて貰うとしよう」

 

「あくまでも、抗う道を選ぶか・・・いいだろう」

 

 シャカは翡翠の眼をすう、と細めると、

 

 

「──ならば存分に、力で、語るとしよう」

 

 

 男は恐ろしい勢いで、内に納めていた小宇宙を燃焼させ始めた。

 チカリ、と星の瞬きの如き閃光が弾けると、天を穿たんばかりの勢いで、人間の全身から黄金の焔が噴き上がった。

 背後から、鋭く息を呑む音が聞こえる。

 

「──先程の爆発と同じ、黄金の光・・・!?」

 

「エスメラルダ。巻き込んだ挙げ句に、恐ろしい目に遭わせて済まない。だが、お前は絶対に守ってみせる・・・約束する!」

 

「っ・・・わ、たしは・・・」

 

 背後の少女に向かい力強く返し、俺も魂の小宇宙を爆発的に燃やし始める。

 ゴウッ!! と、シャカが発する黄金の闘気に対抗するように、白銀の焔が渦を巻く。

 ここから先は、尊厳と矜持を賭けた戦いだ。

 だが、間違えるな。

 俺の勝利条件はシャカを倒すことではない。

 少女と共に生き残ること、それこそが俺の掴むべき未来なんだ。

 

「──天魔降伏(てんまこうふく)ッ!」

 

「──浄化炎(メギドフレア)ッ!!」

 

 二つの咆吼が、小宇宙が。

 超新星の爆発のように弾け、衝突する。

 

 たちまち、灼熱の海岸に、二度目の災厄が顕現した。

 

「っ・・・ぐううぅぅ──ッ!!」

 

 苦悶の叫びを上げ、俺は前方から押し寄せる金色(こんじき)の濁流を必死に堰き止め続ける。

 なんて出鱈目な火力なのだろうか。

 純粋な力の暴力に圧倒され、俺の放つ小宇宙は徐々に後退、儚く霧散し虚空へと溶け消えていく。

 

「・・・どうして、なんです」

 

 負荷に耐えきれず、全身の至る箇所から鮮血が舞い上がった。

 

「もう、やめてください」

 

 黄金の小宇宙の奔流が、容赦なく浄化炎を呑み込んでいく。

 

「私は既に一度、貴方に命を救って貰った・・・十分過ぎる程のものを受け取りました! だから、もういいんです。私に構わず逃げてください、ヘリオスさんっ!!」

 

「・・・っ・・・」

 

 ──ああ、やはりそうだ。

 エスメラルダ。

 この少女はどこか、妹、セレネに似ているところがある。

 優しさの下に、花のように気高い心を持ち、どこか放っておけないところがあって。

 兄である俺よりも覚悟が決まっていて、苦しい未来であろうとも、決断を下せる、勇気がある。

 笑っていられるような状況でもないというのに、思わず頬が緩まる。

 吹き荒ぶ猛流を必死に耐え凌ぎながら、俺は少女へと言った。

 

「腰が抜けて、立てないんだろう・・・!」

 

「っ・・・どうして、それを」

 

「逃げようと思えば、いつでも離脱はできたからな。出来ない理由があったんだろう・・・! なあ、エスメラルダ・・・俺も以前、今のお前のように聖闘士に庇われ、命を救って貰った事があるんだ!」

 

「えっ・・・?」

 

 困惑の混じる声に、俺は笑みらしきものを浮かべて叫びを上げた。

 

「その者は言った。聖闘士とは、民の盾となり、鉾となる存在なのだと! 俺は神だ。戦神アテナの聖闘士ではない。だが、聖闘士たちから多くのものを受け取った・・・志は共にある!」

 

 人は儚い。

 だが同時に、眩い可能生を秘めた存在でもある。

 夜空を駆ける流れ星たちのように、誰かの心を惹きつけて、願いを背負い命を燃やす。

 俺も、一緒だ。

 この太陽は、父上やアポロンに比べれば脆弱な存在だ。

 だが俺は、俺に課された使命を遂げるために、魂の炎に想いを()べ、力と成す。

 弱くとも、人の世の平穏を望む同胞たちの願いを共に背負い、抗い戦う道を選択した。

 

「俺は、アフロディーテとの約束を守れなかった・・・だが、まだ冥界神が地上へと攻めあぐねているのだと判明した以上、例え惨めであったとしても、俺は前へと進まなければならない・・・! ここで怯めば、本当の意味で、大切な者達を喪ってしまうのだから!!」

 

 俺は叫んだ。

 今にも張り裂けてしまいそうな、胸の痛みを必死に耐えながら。

 空白の十三年の間に、あの誇りを重んじる少年が、どのような待遇を受けていたのかを、想像しながら。

 

 俺は血を吐き、嘆きを呑み込みながら、魂を燃やした。

 この手をすり抜け、海へと連れ去られた人の子の生存を、強く願いながら。

 独りにはしないと宣誓しながらも、長きに渡り独りにしてしまった、双子の片割れに思いを馳せながら。

 

「エスメラルダ! お前は、お前は必ず、あの一輝とかいう少年の元へ帰してみせる! だからどうか、未来に生きることを、諦めないでくれッ!!」

 

「・・・・・・ヘリオス、さん・・・」

 

 視界が黄金に染まっていく。

 最早、浄化炎を放つために前方へと大きく開いた掌で、直接、シャカの天魔降伏を防いでいるような状態だ。

 

「フッ・・・我が天魔降伏を防ぎ続けるとは、大きな口を叩くだけのことはある。・・・だが、限界らしい」

 

「ッガ──ああああああッ!?」

 

 ドッッ!! と、黄金の奔流は大きく脈打つと、一瞬にして威力を倍増させ・・・──あろうことか、俺の腕を肘まで喰らい、焼け焦がしていった。

 血の赤、眼前で弾ける、微細な光の粒子たち。

 浄化炎を突破したシャカの小宇宙が烈風となり、全身を切り裂く刃と化す。

 

「ぐうぅぅ・・・!」

 

 苦痛に耐えかね、片膝が地に落ちる。

 それでも、浄化炎を維持する腕は曲げない。

 真っ直ぐと突き立てて、金色の波動を防ぐ盾で在り続ける。

 

「ヘリオスさんッ!!」

 

「諦めたまえ。意地を張って何の益がある。ただ、苦しむだけだ」

 

「っ──いいえ、違います・・・!」

 

「なに?」

 

「決して、苦しみだけなんかじゃない・・・そうでしょう、ヘリオスさん」

 

「エスメ、ラルダ・・・ッ!?」

 

 シャカに異を唱える痛切な少女の叫びに、俺は掠れ声を漏らした。

 呆気にとられていると、血に濡れ感覚が薄れつつあった右腕に、仄かな温もりが優しく触れる。

 

 ──それは、華奢で白い、少女の掌だった。

 

 腰が抜け歩けないというのに、恐ろしい死の閃光が目の前まで迫ってきているというのに。

 少女は懸命に砂浜を這い、数歩先にいる俺の元まで自らを運んだのだ。

 

「・・・詳しい事情は分かりません。ですが、大切なお方との約束を守れず、辛く苦しい思いをしたヘリオスさんが、今再び、私を守ってくださるのだと約束を結んでくれた。・・・苦しみの先にある未来に、確かな希望を見いだしていなければ、このような重き覚悟・・・背負うことなど、決して出来ません!」

 

 凜と響く声で言い切ると、少女は真剣な表情で俺を見た。

 

「見ず知らずの私を助けてくれた、優しいお方。誇り高き、太陽の神様。──私は、貴方を信じます」

 

「っ・・・にん、げん・・・」

 

「あの黄金の聖闘士さまに、証明して差し上げましょう。貴方の覚悟が、言葉だけではないことを・・・!」

 

 少女は、俺の背を押すように、毅然と言葉を発してみせた。

 瞬間、俺の魂の奥深いところに、新たな熱が濁流となり流れ込んだ。

 それは、少女の意志そのものが生み出す想いの力、個の隔たりを超えて伝う、魂の共振だった。

 

 

「・・・ああ、神の誇りにかけて、示してみせよう」

 

 

 確固たる意志を込めて、宣誓した。

 そして、一つの決断を下す。

 ──防御に傾いた浄化炎の性質をねじ曲げることで、攻めに転じることを。

 一切の防御を捨てさる行為だ。

 一撃で決めることができなければ、敗北は必然。

 リスクは大きい・・・だが、

 

「守るべき者をもつ神は、強い・・・そうでしたよね、母様ッ!!」

 

「!!」

 

 苛烈に笑い、俺は光の衝突の先で目を見開いた男に、真っ直ぐと両手を合わせ、標準を決める。

 

「優しさも、厳しさも、温もりも・・・全てをくれた者達を守る、未来の為にッ! 貫けッ──光槍・浄化炎(メギドフレア)あああッ!!」

 

 全身全霊を込めて、俺は吼えた。

 瞬間、天地を揺るがさんばかりの衝撃波と共に迸った、一条の閃光は──黄金の奔流を撃ち抜いて、シャカへと迫った。

 

 ──ガガアァァンッッ!! という大音響が響き渡り、少女を抱えた瞬間、俺は押し寄せてきた爆風により後方へと吹き飛ばされた。

 

「・・・っ・・・賭けには、勝てたか! エスメラルダ、怪我はないか?」

 

「わたし、は、無事です・・・!」

 

「そうか・・・」

 

 か細く絞り出された声に安堵の息を零し、よろよろと立ち上がると、俺は爆心地へと視線を向ける。

 砂塵が舞い、まだ白い輝きが仄かに舞う地点には──黄金の鎧を纏う人間が、静かに屹立していた。

 

「・・・・・・」

 

 沈黙を貫く人間──乙女座のシャカは、涼しい顔で俺を視ていた。

 男の足下には、黄金の兜が転がっている。

 どうやら全くの無傷という訳ではないようだが、この場からの逃走を測るにはまだ足りなかったらしい。

 ・・・直ぐさまにも次の手を、考えなければならない。

 焦燥に駆られる心を制し、冷静さを失わぬよう努めながらも、俺は懸命に思考を回転させ始めた。

 

「・・・なるほどな」

 

 しかし、ふいに、

 気落ちをしてしまうほどに殺気の抜けた声で、男は言うのだった。

 

「覚悟も、小宇宙も十全だ。だが君は、戦う術を知らない。そのままでは他者の命どころか、自らを守ることすら叶わないだろう」

 

「なっ・・・」

 

 シャカは悠然と歩みを進めると、金色の闘気を纏わせた掌を、再び、俺へと向けた。

 

「フッ・・・私の説法は終わりだ。後は己で判断し、行動に移すことだ」

 

「ッ──!!」

 

 ぞくり、と背中が粟立つのを感じながら、俺は、迎撃のためにと浄化炎を生み出そうとする。

 しかし、度重なる負荷により痙攣した腕は、俺の意志に反し動いてくれない。

 ああ、不味い。

 このままでは、皆の願いが、水泡と帰す。

 

 ──積み重ねてきた、想いの全てが、無駄になってしまう。

 

 

「──ストリンガーノクターンッ!!」

 

 

 ──刹那の絶望を、打ち消すように。

 壮麗たる旋律が、花吹雪となり、世界を席巻した。

 

「っ──琴の音、だと」

 

 一瞬、友の奏でる旋律が脳裏を過ぎり、呻き声を上げるが、シャカを強襲した参入者を確認するためにと、俺は声がした方へと視線をやった。

 すると、遙か高い海上に浮かぶ影が、俺とエスメラルダを目指して()()()()()()()()()()()()

 

「ヒヒィィーーンッ!!」

 

「っ!! ああ・・・アネモス!! よかった・・・無事だったんだなっ!!」

 

「お久しぶりです、太陽神ヘリオス。──白銀聖闘士(シルバーセイント)琴座(ライラ)のオルフェ、お迎えに参りました」

 

「お前は、あの時の・・・!!」

 

「到着が遅れてしまい、申し訳ありません。貴方の敵を討ちたいところではありますが、流石の僕も、乙女座のシャカが相手となれば分が悪い・・・──離脱します。ご両名共々、天馬の背にお乗りください」

 

「っ分かった・・・エスメラルダ」

 

「ふふ、大丈夫ですよ、ヘリオスさん。難しいことは分かりませんが、今この場に残る方が危険なのだということは、私でも分かります」

 

「っ・・・ああ、感謝する」

 

 余程情けのない顔をしていたのだろう。

 少女は柔らかく微笑むと、オルフェに抱えられ、身を低く伏せたアネモスの背へと腰を下ろした。

 俺も次いで盟友の背へと腰を預けると、アネモスは一つ嘶いて、雄々しき双翼で空を叩き、上昇していく。

 

「・・・この場に近づく小宇宙に、よもや、と思えば。琴座(ライラ)のオルフェ。数週間前から姿を消していた君が、聖域の敵たる存在を庇うとはな」

 

「退くがいい、乙女座のシャカ。例え十三年前の真実を知らずとも、真実を見抜くその瞳が盲目でなければ、少女を守るために戦ったこのお方が、邪悪なる存在ではないと分かるはずだろう」

 

「・・・・・・」

 

 オルフェは、上空へと向い放たれたシャカの言葉に厳しく返すと、白銀の琴に手をかけて、

 

「天馬よ、頼んだぞ! ストリンガーノクターンッ!!」

 

 叫びを上げると、竪琴の旋律を奏でさせ、奥義を放つ。

 美しい音色に反し、高らかな小宇宙の一撃は射線上の砂塵を尽く吹き飛ばすと、シャカへと着弾。

 最早何度目かも分からぬ爆発が発生し、元の地形を失った砂浜は、海面との高低差を失うほどに削られ、やがて海水が流れ込む海の一部と化した。

 

「クオオオォォォン!!」

 

 アネモスは咆吼を上げると、小宇宙を燃焼させ、風王結界を生成しながら水平線目掛けて翼をはためかせた。

 

 追撃もなく──死の女王(デスクイーン)島が、徐々に小さくなっていく。

 

「・・・乙女座のシャカ、あいつ、」

 

「ヘリオス神、いかがなさいましたか?」

 

「・・・・・・いいや、何でもない。助かった、ありがとうな。アネモス、琴座(ライラ)のオルフェ」

 

「ヒヒン・・・!」

 

「当然の行いです。僕は貴方に、多大なる恩がありますから。・・・お疲れかとは思いますが、貴方のことをお待ちになっている方がいらっしゃいます、急ぎましょう」

 

「俺を待つ者?」

 

 前方に座る少女が落ちぬよう留意しながらも、先頭に座る人間へと向かい問い掛ける。

 オルフェは暫し後方へと意識を向け、シャカが追ってきていないことを完全に確認してから、一つ頷いた。

 

 

「──異次元より、貴方よりも一月早い時間軸へとお戻りになられた、教皇シオン様が、貴方の無事を祈っておいでなのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──フッ、盲目でなければ、か。言ってくれるな、琴座(ライラ)のオルフェよ」

 

 崖上から、遠い空の果てを眺めながら、シャカは独り呟いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()

 だが、シャカは、遠ざかっていく者達の背に奥義を放つことはしなかった。

 最早、ヘリオスが言葉と小宇宙で以て、己の正義を証明した瞬間に、追撃をする理由は失われていたのだから。

 

「この眼に映る君が、虚ろであることに変わりはない。しかし、何者にもなれんという評価は、大きな間違いだったらしい。・・・何者でもない君は、何者にもなることができる。少々人を見る目が甘い嫌いはあるが、私に打ち勝ったあの眩い光のように、邁進を続けたまえ」

 

 片手に抱えた金色の兜を装着すると、シャカは、透き通った声で告げた。

 やがて踵を返し、猛る火山へと歩みを進める。

 

「望んで進んだその果てに、どのような結末が待っているのかは、君の選択次第だ。・・・私に迷いを抱かせた者、ヘリオスよ──君が己を獲得するその瞬間まで、その旅路、見届けさせてもらうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








お久しぶりです、21話をお届けいたします。

前回の後書きを読んでか、多大なる応援をしてくださった皆様、本当に有り難うございます。読み上げ機能に必要なハードルが下がったことも相まって、散歩をしながらでも小説の内容を確認することができるようになりました。本当に本当に有り難うございます・・・!

誤字報告や感想、お気に入り登録や評価など、大変励みになります。
あとあれですね・・・投稿して直ぐのタイミングで最新話にしおりがつくのを確認すると、なんかこう、ぐっときました。感謝いたします。

作者がやらかしたこともあって、今話に登場したオルフェの年齢は原作より高くなってしまっています。詳しくは次話のあとがきで説明いたします。申し訳ないです・・・。

次の投稿もいつになるかは定かではないのですが、時間を作って書いていきたい所存です。
巷では危ない感染症もはやっています。どうか皆様ご自愛くださいませ。


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22話 其は、誰が為の旋律か

 

 

 

 

 

「・・・──琴座(ライラ)のオルフェ」

 

「はい」

 

 全身を吹き抜ける、爽やかな風を浴びながら。

 俺は、天馬の先頭に腰を下ろす男に、極めて冷静に問い掛けるのだった。

 

「・・・すまないが、もう一度言ってくれないか?」

 

「ですから──」

 

 口を開いた男──琴座のオルフェは、悪びれる様子も、再度の問い掛けに不機嫌になることもなく。

 何なら『昨日の夕食はハンバーグだったんだよ』と報告するアイオリアのように、軽い口調で言うのだった。

 

 

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 ──はてさて、死とは一体、なんだったかな。

 

 いい加減限界を超えた精神を磨り減らしながら、俺は目の前でとんちきな発言をする人間の真意を測ろうとしていた。

 

 場所は海を越えた、地上の空。

 万が一、人間達に姿を見られぬよう、アネモスには一度解いた風王結界を再展開してもらっているのだが、そんな友の背には、俺と、俺達の危機を救った琴座のオルフェ、そして海上で気を失い眠りについたエスメラルダの一柱と二人が搭乗中だ。

 

 少女が意識を失ってしまった際は背筋が凍りかけたが、考えてみれば、瀕死の状態から蘇生された精神が不安定な状態で、俺の背を押すためにと意思の力を極限まで燃やしたのだ。

 むしろ、よくぞここまで意識を保っていられたものだと賞賛すべきなのだろう。

 

 ──よく頑張ったな、エスメラルダ。

 

 俺とお前、こうして無事に生き長らうことが叶っているのは、お前が未来を諦めなかったお陰でもあるんだ。

 静かな呼吸を響かせて眠る少女に、俺は最大限の労いを込めて微笑みかけた。

 目覚めた際には、きちんと礼を述べなければならないな。

 己の課題表に新たな記述を書き加えると、俺は、先程からにこやかな笑みを向け続ける男へと視線を移した。

 

「・・・それで? 琴座のオルフェ。何がどうなったら『聖域の人間であるお前が俺達を助けてくれたのか』という問いの答えが『僕は一度、死んだのです』になるんだ・・・!?」

 

「いたたたた!! へ、へりおふひん!? なぜ僕の頬をつねられるのれすか!?」

 

「痛い? この下手すりゃ赤子よりも握力の弱い手につねられて痛いわけがないだろう!」

 

「いえちゃんと痛いですから!! 林檎を潰せるくらいの力は入ってますから!! どうしてそんなお怒りになられているのれす!?」

 

「精根尽き果ててすぐにでも眠りにつきたい折りにお前がインパクト重視で順序をかっ飛ばした発言をしたから以外になにがあるんだー!!」

 

「ごごご誤解です! そんな、貴方を謀るような意図は微塵もないのです!!」

 

「ムッ・・・・・・嘘では、なさそうだな」

 

 必死に叫ぶオルフェの様子に気づくと、俺はエスメラルダ越しに男の頬へと伸ばした手を離した。

 なるほど、てっきり俺の最後の砦たる精神力を積極的に削りに来ているのかと疑ってしまったが、ただ単に説明の順番を間違えてしまっただけのようだ。

 俺は小さく溜息をつくと、朱く染まった頬を手甲で冷やそうとしている男に声を掛ける。

 

「お前、仮に林檎を潰せるくらいの力で抓られても、白銀聖闘士の小宇宙があれば、痛くもかゆくもないはずだろう。どうして小宇宙で身を守るなりして抵抗しないんだ。これじゃまるで、わざと俺の良いようにされているみたいじゃないか」

 

「ええ、もとより、僕はそのつもりでした」

 

「そのつもりって・・・なんだそれ、不健康だぞ。俺が言うのもなんだが、もう少し自分を大切にした方がいい。聖闘士が戦場以外の場所で傷を負えば、その誇りにも傷がついてしまう」

 

「・・・ですが、僕は、貴方に抓られても仕方の無いことをしたのです」

 

「・・・なに?」

 

「そも、貴方は奇妙なことを仰っています。太陽神である貴方が、なぜ聖闘士の誇りを重んじるのですか」

 

「そりゃ、大切にするに決まっている。今の俺を形作るのは、お前たち聖闘士の誇りなのだから」

 

「・・・・・・」

 

 なぜだか突然表情を曇らせてしまったオルフェに、はっきりと言って返すが、とうの相手は一瞬小さく見開いた目を伏せて、沈黙してしまう。

 

 ・・・なんだなんだ、いきなりどうしたんだ。

 

 情緒が安定していないにも程がある。

 まさか、先ほどから続く違和感のある態度からして、何か言いにくいことでも抱えているのだろうか。

 恐らく、いや、きっとそうに違いないな。 

 

「──アネモス、シオンが居る目的の地までは、まだ掛かるな」

 

「ヒヒン」

 

「そうか、よし。だったら一から順々に、話を進めても問題は無いな」

 

 友から返ってきた肯定の合図に笑顔で頷く。

 このまま話を進めていけば、オルフェが抱えている『何か』の正体も自ずと掴めるだろう。

 心の中で結論を出した俺は、眼前の男へ向い口を開いた。

 

「オルフェ。お前は一度死んだと言った。しかし、今はこうして元気に生きている。つまり、俄には信じられないが、お前は死者蘇生という奇跡をその身で体現したことになる。そうだな?」

 

「──はい、仰る通り。僕は冥界へと霊魂を落とされ、蘇った者なのです」

 

 オルフェは伏せた瞳を上げて、肯定した。

 死者の蘇生、か。

 それが、どれほどの偉業なのか、オルフェはどれほど理解しているのだろうか。

 余りにも平然調と語る男の様子に、俺は一度、己の記憶を整理し直すことにした。

 

 ──『死』とは、一般的には生命の終わりを指し示す言葉である。

 永遠の別離を死と表す例外もなくはないが・・・オルフェの言う人の死とは即ち、肉体の死により魂が冥界へと旅立ち、転生を待つ亡者と化すことを意味する。

 

 冥界は、冥王ハーデスが納める領域だ。

 

 つまり、一度死んだ人間が蘇るためには、冥王に見いだされるか、冥王を超えるほどの凄まじい神の力が必要となる。

 以前、ロドス島にて出会った魚座のアルバフィカが、死後に蘇ることができたのは、異界の太陽神アベルが、冥王ハーデスの権能を超える力を持っていたからに他ならないのだ。

 ・・・今思えば、いくらアベルが力を失った状態だったとはいえ、あの戦力差で勝てたのは正しく奇跡そのものだった・・・と、思考が逸れたな。

 

「・・・混乱してきたぞ。口振りから推測するに、お前が島を離れる際に口にした『俺に対する多大なる恩』と、お前の『蘇生』には関連があるんだろうが、俺にはオルフェを蘇らせた記憶はない。まさかとは思うが、戦神アテナが、お前を蘇らせたんじゃないだろうな」

 

「残念ながら、我らが女神の消息は完全には掴めていないのです。先日、シオン様の証言により進展はありましたが」

 

「そうか、アテナとは合流はできていないのか・・・ん? じゃあなんだ。結局、お前はどこの神に蘇生されたんだ」

 

 俺でなければ戦神アテナでもない。

 アテナの聖闘士を冥王ハーデスが蘇らせるとも思えないし、ともなれば、残るは俺に縁のある神の何者かが候補に挙がり得るが、地上に落ちてから今日に至るまでの日々を振り返ると、その可能生は万が一にもないと言えよう。

 では、誰が? 

 俺は、首を傾げながら、オルフェの回答を待った。

 

 ──待ったの、だが。

 

 

()()()()

 

 

「へ?」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「・・・・・・は?」

 

 呆気からんと放たれた理解の遠い言葉に、時が止まること、数秒。

 ついでに思考に空白が生じること、もう数秒。

 俺は、たっぷりと十数秒の間、あんぐりと開いていた口を静かに閉じる。

 そして、脳裏に浮かぶ文字列を再度なぞり、確認した。

 

 ──この人間は、一体何を言っているのだ? と。

 

 俺が、死したオルフェを蘇らせた? 

 ない、絶対に有り得ない。

 俺の記憶領域にそんな出来事の記載はないし、そもそも、死した人間を蘇らせる権能など今の俺には振るえない。

 他神の仕業か、それともオルフェがなにか、盛大な思い違いをしているのか。

 

「・・・すまない、オルフェ。もしかしたら、お前は別の神と俺を、間違えていたりするんじゃないだろうか」

 

 俺は困惑の視線をオルフェに向けつつも、慎重に言葉を選び、放った。

 しかし、オルフェは首を横に振り、断言する。

 

「いいえ、ヘリオス神よ。冥界に落ちた僕の魂を導いたのは貴方で間違いありません。ですが、そうですね。正確に言うのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──俺の、小宇宙?」

 

 鸚鵡返しに問い掛けると、オルフェは柔らかい微笑みを浮かべ、透き通った瞳で俺を視た。

 

「ええ。・・・前置きが、長くなってしまいましたね。順を追って、経緯をお話致しましょう。──(くだん)の時は、今より十三年過去に遡ります」

 

 小さな決意を、視線に乗せて。

 もう、何度も耳に聞いた字句を継起として、オルフェは語り出した。

 

「悪神の手により聖域(サンクチュアリ)が混沌の渦に苛まれた、あの日、あの時、あの場所で。聖域は、新たに教皇となったサガを支持する者、サガに疑念を抱く者、そして・・・何を信じれば良いのか分からず、途方に暮れる者達に分かれてしまいました」

 

 それは、俺やシオン、アイオロスが、サガの奥義アナザーディメンションにより異次元へ飛ばされた直後の出来事であるようだった。

 俺は口を閉ざし、オルフェの話に意識を集中させた。

 するとオルフェは目を細め、憂いに満ちた声で綴った。

 

「・・・僕は、三番目の人間でした。一度、貴方にユリティースを助けていただいたというのに・・・『あのヘリオスが悪神なんて、嘘に決まっているわ』と訴える彼女の言葉に賛同することが出来ず、また、完全に貴方を疑うこともなく、事件直後はただ戸惑うことしかできずにいたのです」

 

 己の不義理をさらけ出し、男は、自嘲的な声で綴った。

 言わなければ、知られることはないというのに。

 正直すぎる告白に何とも言えない気持ちになり、思わず口を挟みかける。

 しかし、俺が口を開くよりも早く、オルフェが言葉を放った。

 

「やがて聖域は、亡き教皇よりも、新たな教皇を中心に纏まり始めました。僕たち聖闘士が言い争いを続けていようが、地上を脅かす者達は待ってはくれませんからね・・・。ですが、何よりも、統治者たるサガの手腕が素晴らしかったことこそが、新教皇派の力を強めた最大の要因なのでしょう。サガに異を唱える聖闘士らは、死の刑に処されることはなかれども、暫くの間は独房に投獄されたりなど、手酷い扱いを受けることとなった」

 

「・・・・・・シャカも、そんなことを言っていた」

 

「・・・! あの乙女座のシャカが、貴方に、そこまで話したのですか」

 

「ああ、色々と教えてくれた。随分と悟ったような物言いをする人間ではあったが、真摯なうえに、盤面を俯瞰できる、良い聖闘士だった・・・っとすまない、話を逸らしてしまったな」

 

「ふふ、ご安心を。僕も興味深いことが聞けましたから。・・・話を戻しましょう。そんな、教皇サガの元に聖域が纏まりつつあった、とある日の夜のことです。何事もなく一日を終えようと帰路についていた、僕と、ユリティースの元に・・・──貴方の予言通りの災厄が、姿を現したのです」

 

「俺の予言通りの災厄・・・っ・・・まさか、」

 

 一瞬緩まった頬を引き締めると、オルフェはどこか緊張した面持ちで頷き、硬い唇を動かした。

 

「その、まさかです・・・──運命神ケール。強大な小宇宙を纏うその存在は、自らの名をそのように告げました」

 

 オルフェは眉根に深い皺を刻みつけながら、低い声で言葉を紡ぐ。

 

「突然の神の降臨に驚愕する僕達に向い、かの女神は言いました。僕とユリティースは、神話の時代より引き裂かれる運命にあるのだと。しかし、本来ならば死したユリティースを蘇らせるために、僕が冥界へ下る定めにあったところを、他神が邪魔をし、運命がねじ曲げられてしまった。故にこそ、冥界の女神は僕達が正しい運命を辿れるよう、ユリティースを、直接殺めることにしたのです」

 

「・・・・・・」

 

 努めて冷静に語ってはいるが、人間の声音からは、隠しきれない怒りの感情が滲み出ていた。

 だが、それも当然の話なのだ。

 自分の恋人の命が狙われた理由が『神話の時代からの運命』などと言われて、納得できる人間など果たして存在するのだろうか? 

 否、否である。

 死別を強要する運命など、神も人も関係なく、理不尽だと憤るのが普通なのだ。

 

「フッ・・・まさか、聖闘士である僕の力を削ぐことが目的なのかと思いきや、ただ生まれ持った運命(サガ)ゆえに彼女の命をが狙われていたとは、思ってもいませんでしたが・・・かの女神は冥界の女王とは違い、慈悲無き存在でした。女神が指を鳴らした瞬間、閑散とした、僕達しかいない海岸の上空には、漆黒の毒蛇が空を埋め尽くすようにして生まれました。そして、毒蛇は死の濁流となり、僕とユリティースを呑み込まんと、一斉に襲いかかってきたのです」

 

 オルフェの、色素の薄い空色の髪の隙間から、鏡のように透明な瞳が覗く。

 まるで、オルフェが体験した過去の情景が、今、時代を超えて、男の双眼にそのまま映し出されているのかと思わせるような、そんな語り口だった。

 

「咄嗟にユリティースを背中に庇い、僕は小宇宙を込めた一撃を毒蛇の群れに放ちました。しかし、僕の渾身の琴の音は、本物の津波を剣で切り裂こうとするぐらい、無謀な抵抗にしかならなかった。連なる波の一枚をはがすことが叶っても、後に続く波には届かず、目の前が、悍ましい黒一色に侵されてしまったのです」

 

 目前に迫る、死神の遣いたち。

 哄笑を浮かべる、冥界の運命神。

 そして、抵抗虚しく不条理な運命に翻弄される、儚き命。

 

 ──絶望的な情景が、脳裏を過ぎった。

 

「っ・・・そうか、分かったぞ、お前の死因が。ケールは死によってお前達を引き裂こうとしたが、冥界へ落とす魂はお前でも問題は無かった・・・! ユリティースの代わりにお前は毒蛇の波に呑まれ、一人死んで──、」

 

 

「──いやあ! 流石の僕も、あの時は死ぬかと思いましたよ!」

 

 

 ──ずるりっ、と。

 晴れやかな男の声が響くのと、俺が体勢を崩しアネモスから落ちかけるのは、ほぼ同時の出来事だった。

 

「へっ、ヘリオス神? 大丈夫ですか!」

 

「・・・・・・・・・大丈夫だ」

 

「で、ですが・・・もしや、体力が限界に達しているのでは」

 

「・・・──いい、問題ない。だから頼むから、このまま普通に、客観的かつ冷静(クール)に温度を変えず、事実だけを話してくれ」

 

「・・・? はあ、畏まりました。貴方がそのように仰るのなら」

 

 オルフェは、心配そうな表情で「でも無理はしないでくださいね」と付け加えると、咳払いを一つ零した。

 

「そう、自らの死を確信し、何とかユリティースだけでも助けるようとした刹那の出来事です。・・・──突如として、ユリティースの髪飾りから、黄金と白銀を織り交ぜた美しい炎が立ち上り、毒蛇の群れを尽く焼き払ってみせたのです」

 

「・・・! その髪飾りは、もしかして、」

 

「はい。貴方がユリティースに授け、彼女が髪留めとして持ち歩いていた"天馬の翼"です」

 

 ・・・そうか。

 財布の礼に創った、翼の髪飾り。

 俺が渡したあのお守りを、ユリティースはきちんと持ち歩いてくれてたのか。

 アネモスの羽根を髪につける女人の姿を脳裏に浮かべ、心に温かいものを感じながら、俺は男の言葉に意識を戻した。

 

「貴方の小宇宙の発現に、女神は、非常に狼狽えた様子でした。・・・そして僕も。貴方の小宇宙に触れた瞬間に初めて、確信を得ることができたのです。貴方が本物の太陽神であり、また、聖域を混乱たらしめた真なる者の正体こそが、目の前で僕達を殺そうとしている、冥界の手勢だったのだということを」

 

 オルフェは拳を強く握りしめると、呻くような声で続けた。

 

「僕は、酷く憤りました。眼前の運命神に・・・そして何よりも、貴方のことを信じられなかった、自分自身に」

 

「・・・・・・オルフェ」

 

「毒蛇が一掃されると、運命神ケールは不気味な笑みを浮かべ、立ち去ろうとしました。しかし、二度にもわたりユリティースの命を奪おうとしたこと。そして、貴方に償うため、僕は衝動のままに女神の後を追おうとしました。・・・──それが、貴方の守護の届かぬ場所へ、僕を誘き寄せる罠だとも考えずに」

 

 オルフェは、小さく息をつくと、言った。

 

「一歩。たったの一歩。貴方の小宇宙の支配下から足を踏み出した瞬間。僕は、女神の放った闇色の小宇宙の波動に貫かれ──絶命しました。ユリティースの悲鳴が遠くに消えていく感覚を最期に、僕の魂は肉体を置き去りにして、冥界へと旅立ったのです」

 

「・・・それが、お前の死だったんだな」

 

「はい。悔いる暇も慟哭を上げる間もなく、呆気なく・・・僕の愚かさが、僕を殺めた。ですが、これで良かったのだとも思いました。僕が死ぬことでユリティースが助かるのなら、それが己にとっての、唯一の救いになり得ましたから」

 

 困ったような笑みを作り、「ですが」、とオルフェは続けた。

 

「それは、残された者のことを考えない、独りよがりの考えでしかなかったようです。冥界──音も光も失われた闇の世界に落ちて。僕は、自分という存在が徐々に薄れ、暗闇に溶けていくような、抗いようのない感覚に呑み込まれていました。しかし、全てを手放し闇に身を委ねようとした瞬間、ふと、僕の名を必死に叫ぶ、誰かの声が、天上の彼方から響いたのです」

 

 男は空を仰ぎ、眩い太陽に目を細めながら、

 

「おかしいですよね。冥界では、七感は働かず聴覚は機能しないはずだというのに。ですが、確かに音はありました。そして、懐かしい声に導かれて目を見開いてみれば・・・闇の中に、温かい、太陽が生まれているではありませんか」

 

「冥界に、太陽が・・・」

 

 ・・・──ああ、なるほど。

 ようやく、話が見えてきた。

 つまり、オルフェが語る太陽の正体こそが、お守りに込められた、俺の小宇宙だったのだ。

 眠り続けるオルフェに、必死になって声をかけ続けるユリティース。

 そして、そんな女人の叫びを、万物を良き方へと導く浄化の小宇宙が、オルフェの元まで届けたのだ。

 

「希望という光を思い出した僕は、僕を呼ぶ大切な人の元に帰るため、消えゆく(おのれ)を奮い立たせました。道中、自らをファラオと名乗る奇妙な輩に邪魔はされましたが、四十九日彷徨った後──僕は阿頼耶識(あらやしき)に覚醒し、床に伏す自らの肉体に、魂を戻すことに成功したのです」

 

「なっ、阿頼耶識(あらやしき)──エイトセンシズ、だと・・・!?」

 

 俺は愕然と声を上げ、瞼を大きく見開いた。

 

「本当に・・・いや、だが、そうか。蘇るにしては簡単過ぎるというか、重要なピースが足りていないように感じていたが、阿頼耶識か。それなら話の筋が通る」

 

 思わず上がる口角を手で抑えながら、俺は呟いた。

 

 通常人間は、視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚の五感、霊感や超能力などの第六感までを知り、ごく少数の者が、第七の感覚──セブンセンシズに目覚める。

 確か、黄金聖闘士の最低条件がセブンセンシズに目覚めることだか何だかと前にアフロディーテが言っていたので、セブンセンシズは人類最高位の実力者が有する力だともいえる。

 ──しかし、阿頼耶識(あらやしき)は、そんな最高位の更に先にある、ただ努力するだけでは辿りつけない彼方の域にあったりする。

 なにせ、本来ならば死者しか訪れることのない冥界で、生者のまま行動することができる冥界の秩序乱れまくりの力なのだ。

 人の子が、生きている内に取得するのは困難を通り越してほぼほぼ不可能。

 ものすごい大偉業と言っても差し支えのない奇跡なのだ。

 

「はは・・・オルフェ。お前、俺が導いたから生き返れたとかと言ったが、それは大きな思い違いだぞ」

 

「えっ?」

 

 驚きの表情を浮かべたオルフェに、俺は口端を上げながら説明した。

 

「お前が阿頼耶識に覚醒し、帰ってこられたのは、お前とユリティースが互いを想い合い、運命を乗り越えようと、最後まで諦めなかったからに他ならない。その証拠に、お前が生還を果たした後には、運命神ケールは姿を現さなかっただろう」

 

「・・・はい。仰る取り、あの後に冥界神が現れることはありませんでしたが・・・。一体、どういうことなのですか」

 

「言わずもがな、()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前達が太陽神の手により運命から逃れたのではなく、お前達自身の力で神の試練を乗り越えてみせたのだと」

 

 確かに、翼の髪飾りに込められた俺の小宇宙は、オルフェの復活に貢献したのだろう。

 だがそれは、冒険者が持ち歩く地図ぐらいの機能しか有しない。

 実際に長く険しい道を踏破してみせたのは、他ならずオルフェ自身なのだ。

 

「地力で試練を超えた人間を無碍に扱えば、神の誇りに傷がつく。聖戦で相見える可能生はあるが、神話の時代からの運命というやつは、此度の奮闘で綺麗に清算された。運命神ケールは、もう、お前達を別とうとはしないだろうさ」

 

「っ・・・! それは、本当ですか」

 

「ああ、太陽神の名にかけて断言しよう」

 

 最大級の笑みをのせながら、力強く言って返す。

 すると、オルフェは強張っていた肩から力を抜き、安堵の溜息を漏らした。

 

「? オルフェ、どうかしたのか」

 

「・・・──ヘリオス神。本当に、貴方には何とお礼を言えばいいのか」

 

 突然俺の両手を掻っ攫ったかと思いきや、オルフェは涙ぐんだ声でそう言った。

 驚き固まる俺を尻目に、顔面に大洪水を引き起こした人間は嗚咽混じりに言葉を放つ。

 

「一度とならず二度までも助けていただいたこの大恩、一生掛けてでも報いてみせます・・・!」

 

「いやだから、俺は、そんな大した助力はしてないのだと・・・というか、アテナの聖闘士が他神に一生を掛けるのは不味いだろう!」

 

 だから早く、手を離してくれ・・・。

 これ以上は、俺とお前に挟まれたエスメラルダに鼻水が飛びかねない──!! 

 

「──恩有る方に不義理な者を、果たして真の聖闘士と言えるでしょうか。きちんと恩を返しなさいと、我らが女神も仰るはずです」

 

「・・・・・・」

 

 ・・・お前、アテナに会ったことないだろう。

 

 極めて真剣調と言う男に内心つっこみを入れながら、俺は盛大に溜息を吐き出した。

 オルフェの気持ちは、正直言って大変嬉しい。

 

 だが、オルフェが一生を掛けるよりも圧倒的に早く──俺は天界に戻るんだ。

 

 だから、これでいい。

 アテナを忠する人の子が、太陽の神に一生を掛けて恩を返す必要などどこにもない。

 俺のちょっとしたお節介が、上手い具合に人間達の導きになった。

 今回の騒動は、そんな一文で完結する、単純かつ明快な話でしかなかったのだ。

 

「クオォーン・・・クルル」

 

「ん?」

 

 そんなこんなと思考を回していると、突如として、沈黙を守っていたアネモスが、俺に何かを訴えかけるように、嘶き声をあげた。

 そして、風王結界の内部に、己の小宇宙で風を作り始めたではないか。

 

「・・・? アネモス、一体なにをしているんだ」

 

 いまいち意図を汲み取ることができず、俺は、翼を動かし続ける友に目を向ける。

 

 ──すると、

 

「! これは・・・天馬の小宇宙が、塊になって──」

 

 

 ──ザアアァァァッ──・・・ポロン、ポロン。

 

 

「・・・っ──」

 

 穏やかな風が。

 春の訪れを知らせる、心がじんわりと温もるような、優しい風が・・・空気を震わせ、音を生み出す。

 天馬の小宇宙が、オルフェの背負う白銀の琴に当り、弦を弾く。

 

「・・・・・・」

 

「驚きました・・・まさか、天馬が琴を弾いてみせるとは」

 

「ああ・・・俺も、驚いている」

 

 まさか、アネモスがこの調べを覚え、俺に聴かせてくれるとは。

 

「・・・懐かしいな。思えば、もう随分と長いこと、聴いてはいなかった」

 

 ──(アポロン)が奏でる、美しい、琴の音を。

 目を閉じ、振り返れば、瞼の裏には、かつての情景が黄金の花吹雪となって蘇る。

 そこには、時の流れるままに、友の琴に耳を傾けた、俺が一番幸せだった時代の記憶があった。

 もう二度と戻らない、友と過ごした楽園があった。

 

「・・・・・・なあ、友よ」

 

 ──俺は、時を超えてしまったんだぞ。

 ・・・それを、なんだ。

 地球の時間を監視する役にあるお前が、どうして俺に忠告の一つも言いにやってこないんだ。

 せっかくゼウスに言われて、お前に太陽としての役割を渡したのに、こんなことでは、俺が再び元の役割を担うことになるではないか。

 

「・・・なあ、アポロン」

 

 空に輝く、俺ではない太陽を見上げて、呟く

 

 ──お前は今、一体何をしているんだ?と。 

 

 無音の空に、自然と、眉が下がる。

 口が曲がって、胸に苦しい思いが湧き起こる。

 呑み込みきれない感情の渦が、自分の中を嵐となって通り過ぎていくのを、目を瞑りながら見送って──、

 

「・・・ヘリオス、神?」

 

「・・・・・・──うん、よし。わかった、よーくわかった。オルフェ! お前に、お願いがあるんだ!」

 

「──えっ? っ・・・はい、何なりと!」

 

 真っ直ぐ背を伸ばす男に、俺は、最大級の笑顔をつくり、言った。

 

 

「お前の琴の音を、聴かせてほしいんだ──アポロンにも負けないぐらい、とびっきりの情熱が籠もったやつをな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








お久しぶりです。閲覧してくださり誠に有り難うござます。
まず一言。
予想以上に長くなりました。そして更新まで2ヶ月かかってしまいました。
でも作者が書きたいものは書けました。
待ってくださった方々に、本当に有り難うございます。
もう少しテンポ良く話をかけるよう精進いたします。

お気に入り登録、評価や感想、誤字のご報告など!本当に、本当に有り難うございます。
大変励みになります。小宇宙を燃やしながら次話を書いていきたい所存です・・・!


さて。
前話のあとがきに書きました、オルフェとユリティースの年齢を間違えたお話をします。
というのも、一言に、わたしの思い込みが招いた事故と申し上げた方がいいのかもしれません。
「冥界下りかー・・・ん?オルフェはユリティースに琴を演奏して冥界で過ごしていたのか?じゃあ食事も冥界でしていた?でも冥界でご飯食べたら冥界の住人になるんだよな(神話のベルセポネを見ながら)・・・そうか、オルフェの時は止まってしまったんだな!(鏡月のレモン味をキメながら)そうかそうか、オルフェとユリティースは暫くの間冥界にいたから若い見た目だけど本当はサガとかアイオロスみたいに27歳とか28歳で三十路前だったんだなあ」十三話投稿ポチーッ。
21話投稿辺り
「今日も酒が美味い・・・え、オルフェ19歳?え、見た目の年齢・・・?いや、そうだ。そもそも冥界で時が止まったとか言う公式設定はないぞなにやってんだ・・・え、本当になにやってんだ?」
原作確認
「・・・パンドラさん、肩幅やばいな・・・じゃなくて、星矢がオルフェのこと数年前に行方不明になった伝説の聖闘士っていってるけど、例えば4年前にオルフェが行方不明になってたら回想シーンのオルフェとユリティース15歳とかで一輝兄さんとためになる。成熟しすぎなのでは・・・いや、じゃあこの時点で19歳であっているのか?・・・・・・・」
作者は、考えることを、やめた!

・・・はい。
本当に、申し訳ありませんでした。


それと、もう一つ。

この作品では、冥界の運命神ケールが、オルフェとユリティースに手を出したことになっていますが、これは公式で名言された設定ではありません。
ケールが出てきているチャンレを購読されたかたは知っていると思いますが、念のために。
車田先生は、ギリシャ神話に出てくるオルフェウスとエウリュデケーをモデルとして、オルフェとユリティースの設定を考えたのだと思われますが、この作品では、その神話こそがオルフェとユリティースの前世であると解釈をし、ケールが二人の前世(=死別)を運命と捉え、二人の内のどちらかの命を狙ったというように描写いたしました。

ですので、原作でユリティースが毒蛇に噛まれて亡くなり、オルフェが彼女を取り戻す為に冥界へ下ったこの神話をそのままなぞるような出来事は、正しく死の運命によるものではありますが、果たして死の運命を司るケール神が関わったかどうかは、神(車田先生)のみぞ知る領域のお話になります。

つまりこれは作者の考察と解釈の後に生まれた設定で有り、女神ケールが公式でやったことではないですよ、ということが言いたかったのです。(大事なことなのでもう一度)


長くなりました。
1300文字を超えてしまったあとがきを、果たしてここまで読んでくださった方がいるのかは定かではありませんが、巷では、いわずもがな、色々な時代の変化が巻き起こっています。作者もメンタル死んで就活がやばいです(血涙)

どうかご自愛くださいませ。皆様の健康ハーメルンライフをお祈り申し上げます・・・!


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23話 秘境

 

 

 

 

 

 ──琴座を寄越したのは、君なのだろう? 

 

 フッ、安心したまえ。私は、かの者の生存を、聖域に報告するつもりはない。

 

 

「・・・まったく。一体、どういった風の吹き回しなのでしょうか」

 

 蒼穹の彼方を見据えながら、男は楕円の眉を寄せ、呆れるように言葉を漏らした。

 一見、悩ましげに聞こえる声である。

 しかし、彼をよく知る者であれば、その響きに込められた安堵の色に気づくことが出来ただろう。

 

「かの神は、最良の選択をしたようだ。己を"今世に存在してはならぬ虚ろ"と称したシャカの評価を、尽く塗り替えてみせたのですから」

 

 声は、平坦だった。

 そこには賞賛や感嘆、神を恐れ敬う等といった感情は含まれてはいなかった。

 彼はただ、己の感情に蓋を閉め、冷静に状況を分析する。

 盤面を俯瞰し、自らに科せられた役割を遂げるために思考を巡らせる。

 

 しかし、ふいに、

 

 ──フッ、少し見ぬ間に一丁前の戦士になりおって・・・しかし、弟子の成長をこの眼にできるとは、私は幸福者なのかもしれんな。

 

 ──なあ、そうは思わないか、ムウよ? 

 

 

「・・・・・・・・・シオン」

 

 脳裏に過ぎる師の言葉に、男は小さな葛藤を覚える。

 

 ──天照らす光は、男の足下に、物憂げな影を伸ばしていた。

 

「ハア・・・どちらにせよ、今の私に出来ることをするしかない、か」

 

 溜息をつくと、静寂に満ちる空の一点へと、視線を向ける。

 風が、後ろで結った長髪をたなびかせる。

 時が、流れていく。

 

 そして、そして。

 

 

「・・・来ましたか」

 

 

 見据えた遠い空の端。

 眩い太陽を背後にして、一頭の天馬が、その姿を露わにした。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 海を越え、山を超え。

 なお墜ちること無き、その両翼。

 

「さあ、到着です」

 

「!」

 

 凜々しいオルフェの声に、半ば眠りかけていた意識が急浮上する。

 両目を思い切り瞬かせて、俺は小さく頭を振ると、眼前の景色に言葉を漏らした。

 

「ここが、異次元を超えた、シオンが辿り着いた地──ジャミール、なのか」

 

 背に日を浴び、蒼穹の世界から望む眼下には、険しい山脈と、荒涼とした大地が地平の先まで広がっていた。

 そして、真っ直ぐ視線を下げた場所には、風景に溶け込むようにして(そび)え立つ、『石造りの館』があった。

 地上から天まで真っ直ぐと伸びる、五層に分けられた館からは、俺の体感にして凡そ数刻ほど前に眷属の契約を結んだシオンの小宇宙が、しっかりと感じてとれる。

 

「・・・ああ、よかった」

 

 無事に、辿り着くことができたのだ。

 大袈裟すぎるぐらいに肩の力が抜けていく。

 万が一の事態を考えて、意識を落とさぬよう努力していたのだが、それもここまで。

 少々空気は薄いが、耐えられない程じゃない。

 エスメラルダには簡易な術で空気が行き渡るよう施したし、うん、もう何の心配もいらないのだな・・・──、

 

「──ん?」

 

 ──ピリッ、と。

 和らいだ思考を遮るようにして生じた、肌を刺すような感覚に、俺は間の抜けた声を上げる。

 殺気とまではいかないが、喉につかえるような、呑み込みきれない複雑な渦のようなものが、ほんの一瞬だが俺の首筋を掠めていったのだ。

 

「ヘリオス神、なにか気になることでも?」

 

 オルフェが、気遣わしげに声を投げかける。

 

「・・・いや、少し疲れただけだ。気にしないでくれ」

 

 軽く笑って返すと、俺は何事もなかったように姿勢を正した。

 オルフェが気づいていないのなら、俺だけを対象とした何者かの無意識の感情を、俺が偶然拾ってしまっただけだろう。

 まあ、稀によくある現象だ。

 考察の余地はあるが、悪意は感じられなかった以上、今は頭の隅に置いておくのが吉だろう。

 

「ヒヒィーン!」

 

 そうこう考えているうちに、アネモスから着陸の合図が入った。

 白翼は、大きな烈風を巻き起こして、岩で形成された大地へと舞い降りる。

 流石は俺の盟友だ、慣れぬ三人乗りでも難なく着陸完了である。

 誇らしげに思い、友の翼をぽんぽんと労うように叩くと、俺はオルフェがエスメラルダを抱えて降りるのを見届けてから、自分も友の背から滑り落ちるようにして身体を降ろした。

 

「いてっ」

 

 ──やばい、シャカに焼かれた腕の火傷と裂傷、今になって痛くなってきた。

 じんじんと痛みを訴え始めた両腕に、和んで上がった機嫌が急降下していく。

 小宇宙で簡易な治療は施したし、オルフェの頬を抓るときは痛みもなくなっていたのだが・・・流石に酷使しすぎたのだろう。

 

 よたり、よたり。

 

 エスメラルダを抱えて館へと歩み出したオルフェと、後に続くアネモス。

 そんな愉快な仲間達の背中を眺めながら、ぼんやりと傷の具合を分析していた結果だろう。

 俺の身体は、大酒をくらった酔いどれさながらの蛇行を刻むと、前方ではなく背後の"崖"へ、吸い込まれるように後退し──盛大に足を踏み外したのだった。

 

 刹那の、浮遊感。

 

 

「──あ、やべ」

 

 

「──『あ、やべ』じゃないでしょうッ!!」

 

 

 ガシィッ!! と、自らの薄い腹に凄まじい衝撃が走る。

 誰かが、俺の身体を掴んだのだのだ・・・そう理解した瞬間、()()()()()()()()()()()、崖から離れた位置にある館の目の前へと一息に運ばれることとなった。

 ぽかんと口をあけて、俺は目を瞬かせた。

 

「く、空間移動、だと・・・? ・・・ああ、サガやカノンと同じように、人の身で神通力を使える者がいるのか、凄いなー」

 

「──貴方は!! 真面目に考察していないで少しは死にかけたことに対する危機感を持ったらどうなのですか!?」

 

「ひっ・・・す、すまない。ちょっと気が緩みすぎていたようだ。・・・ええっと」

 

 地面に腰をつけて座り込みながら、俺は憤激を露わにする人間をのぞき見た。

 険しく寄せられた見覚えのある楕円の眉に、膝元で結った桃色の長髪。

 緋色の首巻きの下には、この地域特有かと思われる衣装を身に纏っている。

 

「ムウ様ー! どうしたんですか!」

 

牡羊座(アリエス)様、一体何が・・・」

 

 と、崖から俺を救った人間を観察していると、館の入り口から、新たに二人の人間が姿を表した。

 一人は、茶髪の、これもまた特徴的な楕円の眉をした、アイオリアくらいの幼子。

 もう一人は、言わずもがな、凜とした佇まいをした、美しい女人である。

 

「っユリティース!」

 

「まあ、ヘリオス様! オルフェが向ったので大丈夫かとは思っていましたが・・・ご無事で何よりです!」

 

「ああ、俺も・・・オルフェから話は聞いていたが、元気そうでなによりだ!」

 

 安堵の声を漏らしながら、俺は緩慢な動作で立ち上がった。

 つかの間の再会を歓喜しながらも、俺は、幼子とユリティースの口にした言葉を反芻する。

 "ムウ様"、"牡羊座様"。

 オルフェの演奏を聴きながら教えて貰った、ジャミールの情報のなかに、当てはまる名前はあった。

 

「そうか、お前だったのか」

 

 俺を助けた人間に向き直る。

 そして、芽吹いたばかりの若葉のような、意志の強い男の双眼を見据えながら口にした。

 

「シオンの弟子にして、白羊宮を守護する黄金聖闘士──牡羊座(アリエス)のムウ! そう、あのときアイオロスに修行の地へ行く相談をしていた、元気な金ピカちびっこ集団の中の一人だな」

 

「・・・間違えてはいませんが、最後の部分、必要でしたか?」

 

 ムウは、曖昧な表情で言うと、呆れたように続けた。

 

「既にご存じのようですが、改めて名乗らせて頂きます。私は牡羊座のムウ。この地で、聖衣を修復する者です」

 

「俺は太陽神ヘリオス。牡羊座のムウ、助けてくれてありがとうな! ・・・それにしても大きくなったな。少し前までそこの幼子と変わらないくらいのサイズだったというのに」

 

「ムウ様が、おいらと同じくらいのサイズ?」

 

「・・・貴鬼、お前はオルフェを奥の部屋に案内し、その少女を床に寝かせてあげなさい」

 

「ハーイ!」

 

 元気に声を発すると、貴鬼(きき)と呼ばれた幼子はオルフェを館の中へと手招きした。

 

「ヘリオス神。僕は一度、ここで御前を失礼します」

 

「では、この()の看病は私が。ヘリオス様、積もる話もありますが、また後ほどお礼を申し上げに参りますね」

 

「え? ああ、また後でな、オルフェ、ユリティース。エスメラルダをよろしく頼む」

 

 柔らかく微笑む女人と、ぺこりと頭を下げたオルフェを見送ると、館の前には、俺とアネモスとムウのみが残る。

 なんだか慌ただしいなあと感じつつも、俺は無言で俺を見据える人間へ向けて、口を開いた。

 

「なあ、牡羊座。エスメラルダについては、何も聞かなくていいのか」

 

「問題ありません。貴方が時を超えたことや、乙女座のシャカに生存が知られてしまったことも含め、デスクイーン島での出来事は、オルフェからテレパシーを受けています」

 

「いつの間に・・・」

 

 恐らく、俺の意識が半分飛んでいたときにオルフェは連絡したのだろう。

 話は早くて助かるが、ちょっとだけ置いてけぼりだ。

 この地が、聖衣を修復する修復師の住まう場所であることや、シオンの弟子が牡羊座のムウで、更にその弟子があの貴鬼という幼子だということは既に聞いている。

 しかし・・・。

 

「あんな亡霊で埋まる崖があるとは、思わなかった」

 

 先ほど落下しかけた崖に視線をやりながら、俺は呻くような声を漏らした。

 そこには、ジャミールの入り口だと思える、濃霧に包まれた、人一人通るのがやっとの細道があった。

 岩で出来たその道には、巨蟹宮と同じぐらい・・・いや、下手をすればそれ以上の"死した人間達の魂"が漂っており、更に足場を逸れた十数メートル下の地点には、鋭利な岩石が所狭しと犇めいている。

 常人が落ちれば、岩に突き刺さり、絶命を余儀なくされることまず間違いなしだ。

 

「聖域同様、このジャミールは秘さねばならぬ聖衣修復の要地ですからね。誰彼構わず、簡単に入ってこられては困るのです」

 

「それもそうだが・・・なあ、あそこの聖衣みたいなのを纏った魂達は、」

 

「聖衣の墓場の亡霊たち。彼等は、デスマスクの集めた巨蟹宮の亡霊達とは異なり、同意のうえでジャミールの門番を引き受けています。付け加えて、貴方の小宇宙に触れれば浄化される可能生がありますから、今後出入りの際は、先ほどのように空か、異次元を通ってください」

 

「そう、だったのか。・・・わかった、気をつける」

 

 牡羊座の言葉に、どもりながら首肯する。

 すると、よほど覇気の無い返事だったせいだろうか。

 

「不憫な思いをさせてしまい、申し訳なく思っています。ですが、この地の秘密を守るためには必要なことなのです。どうかご容赦くださいますよう」

 

 ムウは目を伏せると、恭しい一礼を加えて済まなそうに言った。

 ・・・ついさっき怒らせてしまった相手に、畏まった態度をさせてしまった。

 何だかちょっぴり複雑な心境に陥りながらも、俺は軽く笑って返す。

 

「はは、容赦も何も、新参者は俺なんだ。そう気を遣う必要はないうえ・・・まあ、俺の態度が紛らわしかったな」

 

「はい?」

 

 不思議そうな顔をするムウに、俺は声がつっかえた訳を告げた。

 

「別に不憫に思ったのではなく・・・ただ、少し・・・"おセンチ"になったんだ」

 

「・・・"おセンチ"とは?」

 

「? 今時の人間が使う言葉だと、デスマスクが教えてくれたんだが・・・感傷的という意味らしい。ムウは知らなかったんだな」

 

「・・・・・・あの男は・・・神になんていう俗語を吹き込んで・・・」

 

 こめかみの辺りを抑えながらぶつくさと呟くと、ムウは俺に向き直り口を開いた。

 

「いいですか、太陽神ヘリオス。"おセンチ"などという言葉を使う者はそうそういません。通じる相手はデスマスクと・・・まあ、よくて老師くらいでしょう」

 

「そうなのか。・・・ところでその"老師"というのは?」

 

 

「──天秤座(ライブラ)童虎(どうこ)。前聖戦を生き残り、今は廬山の大瀑布にて次代の聖闘士を育てている。私の同胞のことだ」

 

「その声は・・・──シオン!」

 

「無事でなによりだ、ヘリオス」

 

 館の中から現れたシオンは、安心したかのようにまなじりを下げて言った。

 俺は咄嗟にシオンの傷の具合を確かめようとした。

 視線を動かし、シオンの衣服から覗く肌を見るが、サガと戦った際の傷は既に無くなっている。

 

「きちんと治療ができたんだな」

 

 言うと、俺もシオンに倣う形で、顔の筋肉が緩まった。

 すると、どこか焦りを滲ませた口調で、ムウが言葉を放つ。

 

「っ・・・シオン、いけません。貴方は瀕死の重傷で、牡羊座の聖衣の元に現れて・・・いくら傷を癒やしても、立ち上がることすらできなかったというのに」

 

「そうだな。お前の言うとおり、この一月の間は話すのがやっとで、意識を保つことすら難しかったが・・・うむ、どうやら不調が治らぬ原因は、ヘリオスと結んだ契約にあったらしい」

 

「・・・なんですって?」

 

ムウが眉を顰める。

俺はシオンとムウを交互に見やりながら、ああ、と手を叩いた。

 

「なるほど。現世と異次元空間の隔たりが、契約の効力を弱めてしまったんだな。・・・これもアポロンの封印の影響だろうなぁ・・・。同じ時空にいる間は問題ないだろうから、これから異次元に向う際は同時にか、短時間の移動に用いるくらいにしよう」

 

「承知した。しかし、今気づくことが出来てよかったな」

 

「ああ、全くだよ」

 

 俺とシオンとアイオロスが、同時に異次元に放り込まれる場合は、契約者同士が同じ時空にいるので問題なし。

 また、異次元を介して行う空間移動(テレポート)も、契約の繋がりが消えるのはほんの一瞬なので、特に問題は無し。

 しかし、誰かが単独で異次元に飛ばされ分断されると、シオンかアイオロスが実質行動不能になってしまうので要注意、というわけだ・・・。

 

「・・・・・・あ」

 

 一頻り思考を巡らせてから、俺はとんでもない可能生に気がつき、目を見開く。

 不味い。

 非常に不味い。

 アネモスに預けていた背中をピンと伸ばすと、俺は両手を合わせて術を唱えた。

 

「──陽光よ、我が手に集いて道を示せ!!」

 

 弱々しい茜色の炎が灯るが、炎に変化は訪れない。

 噴き出る汗に急かされながら、俺は目を回した。

 

「っ・・・ち、ちくしょう・・・アイオロスがジャミールに居ないのはオルフェから聞いてたが、まさか現世にすらいないのか!」

 

「へ、ヘリオス神? ひとまず落ち着いてくださ──、」

 

「大変なんだ牡羊座のムウ! 探知の術が反応しないということは・・・アイオロスだけ、異次元に置き去りにされてるんだ! 俺が現世にいるってことは真面に動くこともできない! 今すぐ迎えにいかないと──、」

 

 ──視界が、歪んだ。

 力が抜け、これまで気力で保っていた意識が、溶けるように沈んでいく。

 

「ヘリオス!」

 

「ヒヒン・・・!」

 

 思えば俺も、スニオンの岩牢を壊すために小宇宙を放出してから、真面な休憩を取れておらず、限界をとうに超えているのだった。

そのうえなけなしの小宇宙を使い、追い打ちをかけた。

 

「あ、あいおろ・・・──」

 

 焦燥に駆られる意志に反して、俺の意識は、安寧を求めて暗闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──お前は確か、太陽の天馬・・・いや、ヘリオスの友、だったな』

 

 

 海面に屹立する人間は、静かに告げた。

 

 

『・・・・・・』

 

 ささやかで、切実な日課が、実を結んだ。

 

 空を駆け、時には海中に潜り込み、

 目の前の人間を探すことこそが、私の日課だったのだ。

 

『お前と顔を合わせてから、あれから十年も経つのだな』

 

『・・・・・・』

 

 私は、沈黙した。

 

 私を友と慕う神は、この人間の生存を、信じ疑ってはいなかった。

 ゆえに、私は、友の信じた可能性に賭けて、毎日、毎日、男を捜して世界を回った。

 それが唯一、今の自分にできることだったから。

 

 

『・・・()()()()()()()()、と風の噂に聞いたのだが。・・・アネモスよ。お前は無事だったのだな』

 

 

 緑を溶かし込んだ長髪を、海風に混ぜられながら、人間──カノンは、陰った瞳でそう言った。

 人間の言ったとおり、ヘリオスは死んだ。

 もう一人のサガに殺され、邪神と蔑まれ、寄り添ってきた人間に尊厳すら奪われて、消えた。

 しかし、

 

『クォーン』

 

『・・・・・・違う、と言うのか』

 

 私は首を横に振った。

 ヘリオスは死んだ・・・それは、人間達の中でのみ通じる事実だ。

 ヘリオスは生きている。

 残念ながら、遙か昔に友と結んだ契約の糸は、太陽神アポロンが施した封印に邪魔され、辿ることができない。

 ゆえに、明確な印はない。

 だが、私の確信が揺らぐことはなかった。

 

『・・・? これは、海水が風にすくわれて・・・』

 

 

『──我が友は、約束も果たさず滅びる神ではない

 

 

『・・・!!』

 

 操った風で海水を浮かばせ、宙に文字列を創り上げる。

 

友は生きている。友がカノンの生存を信じていたように、私も、友の生存を信じている

 

『っ・・・ヘリオスが、この俺が生きていると、そう言っていたのか?』

 

 アネモスは、深く頷いた。

 小宇宙を解除し、海水が音を立てて海面に落ちるのを見送る。

 

『・・・・・・あの大馬鹿者め』

 

 カノンは口端をぎゅっと引き結ぶと、俯いてしまった。

 

 流石に十年も経てば、背も伸びた。

 その身から溢れ出る闘気は並々ならず、神話の時代から生きてきたアネモスですら驚くほどに、磨き上げられている。

 我が友の想像通りだ。

 カノンは自らの力に驕らず鍛錬をし、小宇宙を極限まで高め続けたのだろう。

 

『ヒヒン』

 

 アネモスはカノンを労うように啼いた。

 カノンは、()()()()()()()()()、アネモスの頭に、優しく触れた。

 

『・・・お前も、苦労したのだろうな』

 

『・・・・・・』

 

 アネモスは、()()()()()()()()()()()()()じぃ、と眺めながら思考した。

 聖域の統治者シオンが、友の術を受け意識を飛ばしている間に、カノンの身に起った顛末は聞いた。

 兄であるサガの手によって岩牢に放り込まれたこと。

 それを見つけた友が鉄格子を壊した際に、手に握っていた海皇の三叉鉾(トライデント)と共に海中へと引きずり込まれたのだということも。

 

 やがて、時間はかかったが、アネモスは、カノンを見つけることが叶った。

 この人間の生命力を信じていたヘリオスの想像が当たり、後はめでたい話を土産に、友の帰還を待つだけとなるはずだったのだ。

 

『フッ・・・この鎧が気になるか?』

 

『ヒヒン・・・』

 

 だからこそアネモスにとって、カノンが身に纏う鎧は、想定外の存在だった。

 

『・・・まあ、お前の反応も無理はない。これは海龍(シードラゴン)鱗衣(スケイル)。海皇の元に集う海将軍(ジェネラル)に与えられる、黄金聖衣(ゴールドクロス)にすら匹敵する硬度をもった鎧だ』

 

 ──カノンよ、お前は誉れ有る、双子座(ジェミニ)聖闘士(セイント)ではなかったのか? 

 

『お前と再会できてよかった、アネモスよ、悪いことは言わん・・・天界へ戻れ。お前の友ヘリオスは死んだ・・・俺が巻き込み、あの悪魔に殺され、神としての尊厳まで汚されたのだ』

 

『・・・!』

 

 違う、それは、絶対に違う。

 アネモスは必死に想いを伝えようと、海水で文字を作り続けた。

 

 ──ヘリオスはきっと生きている。

 ──自らを責めるな。

 ──全ては、冥界神の策略だったのだ。

 

『・・・・・・フッ、安心しろ、アネモスよ・・・』

 

 想いが伝わったのか。

 アネモスは、穏やかなカノンの声に安堵しながら、文字からカノンへと目線を移す。

 

『──、』

 

 しかし、

 穏やかな声に反し、カノンの瞳は、殺意に濡れて、ぎらぎらと怪しい光を放っていた。

 

『冥界神がヘリオスの死に関わっていることは、既に想定していた。なにせ現状、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『・・・!?』

 

『さらばだ、天馬よ。もう相見えることもないだろう・・・"ゴールデントライアングル"』

 

 天の中心にある太陽を見据えながら言うと、カノンは鱗衣(スケイル)の手甲を腕にはめ、別れを告げるかのように身を翻す。

 そして小宇宙を燃焼し、自らの眼前に三角の図形を描く。

 

──たちまち、空間を引き裂いて、異次元への扉が姿を現した。

 

 

『俺は必ず、ヘリオスの仇を討つ・・・──サガを、この手で殺してやる』

 

 

 静止する間も与えず、

 復讐の業火に支配されたカノンは、異次元へと姿を消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







いつも閲覧ありがとうございます。

明朝、誤ったかたちで投稿してしまったため削除をし、再度投稿しました。


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24話 失ったもの

 

 

 

 ──金色(こんじき)の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 ギョッと驚いて、尻餅をつく。

 温かいお湯で濡らしたタオルが手を離れて、目の前で横たわる"神"の顔に覆い被さった。

 

「うぶっ・・・」

 

「っ──!!」

 

 どうしよう、やってしまった。

 故意ではないけれど、神様の顔に、濡れたタオルを投げてしまうなんて。

 幼子──貴鬼は、全身の血の気がさっと下がるのを感じながら、悲鳴にも似た声を上げた。

 

「ごっ、ごめんなさ・・・じゃなくて、申し訳ございません!」

 

「・・・・・・?」

 

 思い切り頭を下げて、貴鬼は謝罪した。

 しかし、館の中に設けられた小部屋には、沈黙が満ちるばかり。

 貴鬼はどくどくと心臓が脈打つのを感じながら、床を見つめ続ける。

 

「・・・すまない、寝起きで頭が回らず言葉がでてこなかった。まずは顔を上げてくれないか」

 

「ハ、ハイ」

 

 予想よりも随分と穏やかな、それでいて掠れた声に困惑しつつも、貴鬼は視線をゆっくりあげた。

 先程まで死んだように眠っていた神──太陽神ヘリオスは、目の下に痛々しい隈をべったりと刻ませながら、唇を動かした。

 

「ムウの弟子の・・・貴鬼、だったか。この濡れた布は、お前が?」

 

「っ・・・おいらが、やりました。ずっと魘されていて、ずっと泣いていたから、拭って差し上げたいと思ったんです・・・だけど、手が滑ってしまって・・・」

 

「そうか」

 

 簡潔に呟くと、ヘリオスはのんびりと瞬きを二つ終えてから、貴鬼に手招きをした。

 ──どうしよう、怒らせてしまったのかもしれない。

 貴鬼は、氷のように冷たくなる両手を握りしめながら、ヘリオスの傍らまで歩みを進めた。

 緋色の前髪から覗く、金色の瞳が、貴鬼を見据える。

 

「お前は、優しい心をもっているんだな」

 

「・・・エッ?」

 

「名乗りが遅れた。既に聞いているだろうが、俺はヘリオス。看病してくれてありがとうな、貴鬼」

 

 ヘリオスは、柔らかく微笑むと、両手で丁寧に布をたたんで、枕元にあった桶にかけた。

 そして放心しつつあった貴鬼の頭に手を乗せて、ぽんぽんと労うように触れた。

 

「見たところ、アイオリアと同じくらいの歳か・・・・・・ああいや、もう十三年経ったから、あの子獅子は立派な成人なのか・・・」

 

「あの」

 

「ああ、そうだ。ここはムウの館で間違いないだろうか」

 

「そうです・・・あの、傷は痛みますか?」

 

「違和感はあるかな。だが動かなければ平気っぽいから、問題なしだ」

 

 ヘリオスは快活に言って返す。

 しかし、その表情はどこかぎこちなく、痛々しかった。

 貴鬼は言葉に迷い、視線を彷徨わした。

 

「ど、どうした。もしかして体調でも悪いのか? それとも俺の寝相が悪くて迷惑でもかけてしまったのか・・・!?」

 

 貴鬼が唇を噛みながら、自らの衣服を小さな拳で握りしめると、ヘリオスはおろおろと焦った反応を示す。

 まるで、年の離れた兄妹(きょうだい)との接し方に悩む、兄のような慌てようだった。

 気絶をする直前も、英雄アイオロスの件で酷く取り乱していたらしいが・・・この神は、予想していたよりも遙かに、人間に近い感性をもってるようだった。

 

「・・・あの!」

 

 貴鬼は、思い切って言ってみることにした。

 

「おいらは、もうこれ以上耐えられないって思ったら、涙が溢れるんです」

 

「? ・・・うん」

 

 ヘリオスは不思議そうな顔をしながらも、先を促すように頷いた。

 

「だから、だから・・・神様でも、同じなんじゃないかって・・・ヘリオス様は、心が限界だから、泣いてしまわれたのかなって・・・」

 

「・・・・・・」

 

「もしもそうだったら、おいら、お力になりたいんです」

 

「・・・どうして、そう思うんだ?」

 

「・・・・・・」

 

 ヘリオスの問いに、貴鬼は口を噤んだ。

 何か、話すに話せぬ理由があるのかとヘリオスが思考した段階で、貴鬼が言葉を零した。

 

「今まで、一度も見たこともないようなお顔で・・・ムウ様が、涙をこぼしてたんです」

 

「あの、牡羊座(アリエス)のムウが?」

 

 ヘリオスが驚いた様子で聞き返すと、貴鬼はこくりと頷いた。

 

「今から一月ほど前、シオン様が牡羊座の聖衣のところに現れたとき・・・すぐに顔は背けてしまわれたけど、ムウ様が涙を零していて。でも、同時にとっても嬉しそうだったから、おいら、自分に当てはめて考えてみたんです。もしもムウ様が、もう二度と会う事のできないくらい、どこか遠くに行ってしまって、おいらが大きくなったときに、帰ってきたらって」

 

「・・・・・・」

 

「いつもはお叱りをうけてばかりだけど、おいらはムウ様のことが大好きだし、ムウ様がいなくなったら悲しくて、心にぽっかり穴が空いちゃうと思ったんです。・・・そう考えたら怖くて・・・だから、シオン様が帰ってきて、ムウ様の心の穴を埋めてくれた神様が涙を流していたから、おいらは、ヘリオス様が泣かなくてもいいように、お手伝いしたいと思ったんです」

 

「・・・・・・そういう事情、だったのか」

 

 必死に語る貴鬼の言葉に、ヘリオスは目を伏せて呟いた。

 

 ──瞼の裏には、過ぎし日の情景が映り込んでいた。

 

 きらきらと輝いた目でアイオロスの名を呼んでいた、幼き日の、牡羊座のムウ。

 確か、アイオリアと同い年だから、あの頃のムウは七歳という年若いときに、己の恩師であるシオンを失ったことになる。

 ・・・父親も、母親も、聖闘士たちの家族の事情を、ヘリオスは知らない。

 しかし、アフロディーテや他の聖闘士たちと共に過ごしていたから、踏み込んではいけない部分や、避けた方が良い話題はなんとなく察していた。

 極めつけに、家族の話題を、自ら好んで口にする者は少なかった。

 つまりはそういうことだ。

 聖域(サンクチュアリ)で暮らす人間達が、地上の平和を常人以上に乞い願うのも、十にも満たない幼子が戦士となるのも、そうならざるを得ない相応の理由があるということなのだ。

 

「・・・ムウにとってのシオンは、俺にとっての父上や母様のような存在なのかもしれないな」

 

 ヘリオスは閉じた瞼を上げると、汗を浮かばせる貴鬼に向き直り、その眼をじっと見つめた。

 貴鬼は物怖じしそうになりながらも、ヘリオスの黄金の瞳に視線を注ぎ続けた。

 

「・・・・・・へっ、やるな貴鬼。まさかこんなに小さな人の子に、心の内を当てられるとはなあ。・・・貴鬼の言うとおりだ。ハッキリ言って、かなり、落ち込んでいた」

 

「!」

 

 突然のことだった。

 ヘリオスの両眼から、熱い雫が頬を伝って落ちたのだ。

 

「──悪夢を見た。大切な者同士が命を奪い合っているのに、俺はそれを、止められない。そんな悪夢だった」

 

 自らの無力さを嘆く、苦悩に満ちた声だった。

 しかし、貴鬼が何かを言おうとする間もなく、ヘリオスは桶にかけられた布を掴むと、乱暴に顔を拭った。

 そして、自らの両頬をバシンッ!! と勢いよく叩くと、「~──いってえ・・・!」と全身を震わせて、

 

 

「──だけど、もう大丈夫だ・・・!」

 

 

 今度は曇りのない、晴れやかな笑顔を咲かせるのだった。

 

「ありがとうな、貴鬼」

 

「え、えっ? おいらは、何もしてません──」

 

「話。俺に、話をしてくれた。それと、力になるって言ってくれた」

 

「それだけで・・・?」

 

 首を傾ける貴鬼の姿に、ヘリオスはまだ古くない過去の情景を思い出していた。

 

 

『──もしもこの先、君に戦力が必要になった時は、私も任務に支障がない範囲で手を貸そう』

 

 

 それは、とある少年が修行の地へ出立する前に結んでくれた・・・もう二度と果たされることのない、約束の言葉だった。

 

「・・・ああ。誰かが力になるって言ってくれるだけで、心ってのは、十分過ぎるくらいに満たされるものなのさ。・・・それに、」

 

「それに?」

 

「貴鬼の話を聞いて、俺はもっとこの命を大切にしなくてはならないのだと、今一度、心が引きしまった」

 

 ヘリオスは己の胸に手を翳し、強く握りしめた。

 

 そこにあったのは、共に背負った命の重さだった。

 シオンと、アイオロスの命──ヘリオスが死ねば、消えてしまう、儚くも尊い二つの命。

 

 だけど、貴鬼の話を聞いて、また異次元で弟の名を口にした瞬間のアイオロスの姿を思い出して、ヘリオスは考えを改めた。

 背負っていたのは、ヘリオスの恩人たる二人の命だけではなく、ムウや、アイオリア、その他にも、シオンとアイオロスを大切に想う、大勢の者の願いがあったのだということを。

 

「・・・良い重みを背負えたな」

 

 地上に落ちて直ぐのころの己では、決して背負うことが出来ず押し潰されていたであろう、多くの因果。

 けれども今は、そんな重さが足下のおぼつかない自分を支えてくれる・・・荒波を耐える、船の錨と同じ重みなのだと、ヘリオスは自信をもって言えるのだった。

 

「よし」

 

 一言零し、立ち上がった。

 

「ヘリオスさま? 駄目ですよ、まだ寝てないと・・・衰弱がひどくて、丸三日も意識がなかったんですよ!」

 

「療養はきちんとする。無理はしないと誓う。だけど、その前に、話しとかなきゃならないことがある」

 

「話さないといけないこと?」

 

「ああ。貴鬼、皆を集めてくれないか。俺はそのあいだに、我が友・・・アネモスに、確認しなくてはならないことができた」

 

 憂いの滲んだ声で言うと、ヘリオスは確かな足取りで、部屋の扉を潜っていった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「驚いたぞ。まさかお前が、人の子と言葉を交わす術を得ていたなんて」

 

「・・・・・・」

 

「かつては言葉にせずとも、互いが何を考えているのか分かったんだけどな・・・神の権能が封じられれば、察することしかできなくなった」

 

「・・・・・・」

 

「なあ、アネモス」

 

 館の外。

 美しい月が空の頂点に上がり、星々が輝きを纏って、暗き夜空を照らし出す時間。

 ヘリオスは、何も語らぬアネモスに、言った。

 

 

「──あの夢は、お前が俺に、見せたものなんだろう?」

 

 返答はなかった。

 隣り合わせで座る友は、瞼を閉じ、俯いたままだった。

 

「カノンのこと、シオン達は知っているのか」

 

 アネモスは、首を横に振った。

 

「じゃあ皆に、あの夢の内容を話してもいいか」

 

「・・・クォーン」

 

「そうか」

 

 今度は、肯定の言葉があった。

 ヘリオスは安堵の息を漏らした。

 

 ──カノンの生存を知らしめる夢は、今より三年ほど前の出来事であるようだった。

 

 酷い悪夢だった。

 海皇ポセイドンやら、冥界神やら、気になる言葉は多かったが、何よりもヘリオスにとって衝撃だったのは、カノンが海皇ポセイドンの戦士となってしまったことだった。

 咄嗟には、意味を理解することすらままならなかった。

 しかし、カノンが自らの仇を討つために、サガの殺害を計画しているのだと知った瞬間、ヘリオスは最悪の事態が起きていることを察し、また絶望した。

 

「・・・色々と、聞きたいことはある」

 

「・・・・・・」

 

「だけど、まずはきちんと、お礼を言わないといけないよな。・・・ありがとうな、アネモス。俺がいない間、俺の代わりに、カノンのことを捜してくれて」

 

 ヘリオスはアネモスに向き直ると、深く頭を下げた。

 月光に照らされた緋色の長髪が、肩から滑り落ち、冷たい地面に触れる。

 アネモスは、長らく閉じていた瞼を上げると、隣で頭を下げ続けるヘリオスの首元に、自らの頭を埋めた。

 雄々しい天馬のたてがみが触れ、擽ったそうに身を捩らせると、ヘリオスは静かに告げた。

 

「カノンと言葉を交わしたときのように、俺と話すことは、できないんだろう」

 

 ヘリオスは確信を込めていった。

 案の定、アネモスからの反応ない。

 

「・・・ここから先は、ただの推測。俺の独り言だ」

 

 ヘリオスは、眉間に薄い皺をつくりながら、言葉を紡ぐ。

 

「今、天界で、異変が起きている・・・──そして、お前は天界で起きている異変の正体を、知っている」

 

「──・・・」

 

「どれほどの規模かは分からない。だが十中八九アポロンは異変に関わっており・・・また俺も、その渦中にいるのだろう。しかし、アポロンは俺を巻き込みたくはないようだ。なにせ俺の神力だけではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 憂いと焦燥、重苦しい色を滲ませて、ヘリオスは低く言った。

 

 

「──っな・・・ヘリオス、それは一体、どういうことなのだ・・・!?」

 

「・・・良いタイミングで来たな、シオン。他の皆も揃っているようだ」

 

 館の入り口に目を向けると、そこにはシオンとムウ、オルフェとユリティースの四人の人間が立っていた。

 ムウが待機するよう命じたのだろうか、貴鬼の姿はそこにはなかった。

 

「貴鬼には、エスメラルダの看病を任せました」

 

 視線を彷徨わせたヘリオスの思考を読み取ったのか、ムウが説明した。

 話の内容次第では、席を外させた方が懸命だと判断したのだろう。

 ヘリオスは小さく頷くと、一度大きく深呼吸をしてから、立ち上がった。

 すると、そんなヘリオスの行動に、ムウが小さく目を瞠る。

 

「てっきり、どなたかの協力で館を出たのかと思いきや・・・驚きました。治療は施しましたが、人であれば未だ自由に動けぬほどの重傷だったはずです。それが、神の霊血(イーコール)が為せる技なのでしょうか」

 

「ああ。だけど、本当だったらもう完治してるくらいなんだよな。今は不死でもないし、治癒力も下がっているから、人より少し頑丈なぐらいだと思ってほしい」

 

 苦笑すると、ヘリオスは先程のシオンの問い掛けに答えるため、口を開いた。

 

「シオン。サガが俺に放った幻朧魔皇拳(げんろうまおうけん)が跳ね返ったのは、覚えているか?」

 

「うむ・・・確か、過去にはカノンの幻朧拳(げんろうけん)でも、同じ現象を起こしたらしいが・・・」

 

 シオンは考え込むように眉を顰めた。

 

幻朧拳(げんろうけん)は相手に幻覚を見せて翻弄する技。幻朧魔皇拳(げんろうまおうけん)は、相手の頭脳を支配し、意のままに操る伝説の魔拳だ。クリスタルウォールであれば反射も可能だろうが、あの瞬間、お前は丸腰。とてもじゃないが、魔拳を反射できる状態ではなかった」

 

「その通り。俺には、抗う術はなかった。・・・だが、()()()()()()()()

 

「・・・!」

 

 一同は、またもや口にされた神の名に、鋭く息を呑み込んだ。

 太陽界アポロン。

 大神ゼウスの子であり、月女神アルテミスの双子の兄である、オリンポス十二神のうちの一柱を担う存在。

 また、女神アテナの兄にも相当する、詩歌・医術・芸術を司る太陽の神。

 ヘリオス曰く、かの神は神話の時代からのヘリオスの朋友であり・・・今は、ヘリオスの神力を封じる、得体の知れぬ存在でもあるのだが・・・。

 

「・・・そういうことか」

 

 何やら事態を察したがシオンが、頬に汗を浮かべながら言うのだった。

 

「二つの魔拳。その共通点は、相手の精神、即ち──()()()()()()()()()()()()()()()()()()。太陽神アポロンが、何の目的でヘリオスの記憶を封じているのかは分からんが、魔拳を受ければ、折角封じたヘリオスの記憶が戻ってしまう危険性があった。故に、かの太陽神は、魔拳を反射せざるを得なかった」

 

「っ記憶を封じる、記憶が戻る・・・ま、待ってください。それでは今、ヘリオス様は、記憶喪失ということに・・・」

 

「・・・ヘリオス神が人間と言われていた頃、皆は口を揃えて記憶の混濁やら、記憶喪失やらと言っていたらしいが・・・ある意味、その言葉は正しかったことになるのだな」

 

 困惑するユリティースに、オルフェが冷静に言葉を続けた。

 一同は眉を顰めて、思考に没頭する。

 そして、次第に、共通の疑問を持つこととなった。

 

 ──何故、太陽神アポロンは、同じ太陽神であるヘリオスの記憶を封じているのか、と。

 

 

「・・・俺には、神々ノ戦(ティタノマキア)の記憶がない」

 

 

 静寂を割くように、ヘリオスが言葉を放った。

 

「人間の書物によれば、その戦で、大神クロノス率いるティターンの神は、オリンポスの神々に敗退し、冥界の更に下方にある、冥府(タルタロス)に閉じ込められたことになっている。海皇ポセイドンの作った青銅の門があるため、脱出は不可能。・・・俺の父上や母様も、今より遙か昔より、光無き闇の世界に、幽閉されていることとなる」

 

「・・・ヘリオス」

 

「今まではこの話を信じるつもりはなかった。・・・信じたくは、なかった。だが、今なら分かる。神々ノ戦(ティタノマキア)は、俺が忘れているだけで、確かにあった戦なんだ。・・・そして、戦の記憶が封じられているということは、今回の異変と戦には、何かしらの関連があるのだと分かる」

 

 ヘリオスは、夜空の頂点に瞬く月を仰ぐと、悟ったような表情で言った。

 風が凪ぐ。

 

「・・・アネモス、貴方は、ヘリオス神の神力(デュナミス)と記憶が封じられた理由を、知っているのですか」

 

 ムウが、僅かに考えを巡らせてから、問うた。

 どうやら、ヘリオスが気づくよりも早く、ムウはヘリオスとアネモスの会話を聞いていたようだった。

 しかし、ヘリオスが訊ねたとき同様、返答はない。

 天馬アネモスは沈黙を貫く・・・・・・──どこか、苦しそうな面持ちで。

 表情に変化はないが、まるで質問に答えられぬ罪悪感に苛まれているように、普段は元気な両翼の先端は力なく垂れて、大地を向いていた。

 

「フッ・・・それほどまでに元気がないのは、十三年前のあのとき以来、初めてですね」

 

 語気を緩め、和らいだ表情でムウは言った。

 まるで、心を許した旧友に対する態度のようで、ヘリオスは思わず目を瞬かせた。

 そして、ふって湧いた疑問を口にするのだった。

 

「ムウは、十三年前の時点で既に、アネモスに会っていたのか?」

 

 その疑問に答えたのは、シオンだった。

 

「会っていたもなにも、川に叩きつけられ、下流へ押し流されていったアネモスを救ったのは、他ならずムウなのだぞ」

 

「・・・なんだって?」

 

 ヘリオスは全身を硬直させた。

 

「・・・どういうことだ? ちびっ子黄金集団は、修行で聖域を離れていたはずだ。どうしてムウが、あのタイミングで聖域に・・・」

 

「我が師シオンの小宇宙が弾けるのを感じた私が、テレパシーを送ったのです。・・・丁度、貴方と師が、サガに一撃を入れた直後に、声は届きました」

 

「・・・私からは、童虎にもムウにも状況を伝えられなかったからな。ムウがテレパシーを繋いでくれたお陰で、冥界神ケールや、サガのもう一つの人格、聖域の現状を話すことができたのだ」

 

 シオンが、付け加えるように話す。

 ヘリオスが相づちを打ちながら聞いていると、今度はムウが、言葉を連ねた。

 

「師の声が途切れた瞬間、私はてっきり・・・いえ、話を聞いた後、私は聖域へテレポートをしていました。・・・空間を超えた先で、私が目にしたのは、瀕死のまま下流へと流されていく、一頭の天馬でした」

 

 饒舌なムウにしては珍しく、なぜだか歯切れは悪かった。

 

「放っておけばサガに発見されると考えた私は、天馬を担ぎ、老師の元へ向いました。そして事件の詳細を説明し、直ぐさまアテナを探しに聖域へ戻ったのです」

 

「そう、だったのか。まさか、俺達が異次元を漂っている裏で、ムウがそんな苦労をしていたとは。何と礼を言うべきか・・・」

 

「お礼でしたら、私ではなく老師に。アネモスの傷を治癒したのは、老師なのですから」

 

「そうか、では後から、天秤座(ライブラ)のところにも行かないとだな・・・・・・うん、それにしたってアネモスを見つけて、運んでくれたのはムウなんだ。ありがとうな、牡羊座のムウ・・・! 何か、俺に協力できることがあったら言ってほしい。友の命を救ってくれた、恩を返したいんだ」

 

「それは・・・我が身に余るお言葉です。お気持ちだけで十分ですよ、太陽神ヘリオス」

 

 ムウは、薄らと微笑んだ。

 

 

 

 

 






ご感想やお気に入り登録、評価など、大変励まされております。
たぶん今話のヘリオスは車田泣きを成し遂げたと思います。

夏に再会するネクストディメイションが楽しみすぎて夜しか眠れません。


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25話 対話と利害と結論と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイミングを伺うかのように、「あの」と、オルフェが口を開いた。

 

「僭越ながら、よろしいでしょうか」

 

「ん? どうした、オルフェ」

 

 首を傾げて見やると、男は僅かに躊躇いながらも問い掛ける。

 

「・・・それでは結局、天馬アネモスが、ヘリオス神に施された封印の原因について語らないのは、なぜなのでしょうか。僕は、この天馬が貴方にとって不利になる行動を選択するとは、どうしても思えないのですが・・・」

 

「ふむ、ならばオルフェよ。お前の考えこそが、その疑問の答えなのかもしれんぞ」

 

「エッ?」

 

 シオンの一言に、驚きたじろぐオルフェ。

 若き賢者は穏やかに目を細め、頷くと、オルフェからアネモスに視線を移し、言葉を続ける。

 

「天馬アネモスよ。お前は今まで何度も、その命を賭してヘリオスを救ってきた。カノンの捜索を続けたのも一重に友であるヘリオスのため。・・・つまり、お前が今、ヘリオスの身に生じている異変の正体を語らぬのも・・・──語らぬ事こそが、ヘリオスの益になるからに他ならない。そうなのだろう?」

 

「っ・・・」

 

 ──びくり、とシオンの言葉を受け、四足の足を震わせたアネモスに向い、ヘリオスが呆気からんと笑いかける。

 

「まあ、それしかないよな」

 

「・・・クォーン?」

 

「『それでいいのか?』とでも言いたげな顔だな。・・・いいんだよ、それで。だってお前、これからも俺と一緒に来てくれるんだろう?」

 

「・・・・・・」

 

 迷いのないヘリオスの一言に、思わず、アネモスは沈黙してしまう。

 物言わぬペガサスは、どこか戸惑うような空気を滲ませ、「グルル」と喉を鳴らして固い大地を見つめるが・・・やがて、決意を表すかのように、下げていた視線を戻し、曇りのない内眼で、ヘリオスをじっと見据えた。

 

「──私は、友を信じ、友の幸福を、ただ願う

 

「!!」

 

 唐突に宙に浮かび上がったのは──砂で作られた、殊勝で、どこか健気な古くからの友の返答だった。

 アネモスは、風で海水を操りカノンに思いを伝えたときと同じように、今度はジャミールの地の砂を集めて、言葉を紡いだのだ。

 

「・・・アネモスお前、俺とも言葉を交わせたのか」

 

「・・・・・・」

 

 すまなさそうに全身を縮める天馬。

 それはまるで、これ以上語ることは許されていないとでも言いたげな態度だった。

 

「そうか」

 

 小さく息をつくと、ヘリオスは身体を萎縮させるアネモスの元へ歩み寄り、笑いかけた。

 

「お前の意志を知ることができて、嬉しいよ。・・・ごめんな、アネモス。お前が今、独りで抱えている苦しみを、俺は一緒に背負ってやれなんだ」

 

「クオン・・・!」

 

「フッ・・・気にするなとでも言っているのか? 全く、自由に生きればいいものを」

 

 アネモスの柔らかい首元に優しく触れると、ヘリオスは瞳を友へと向けて言う。

 

「今までたくさん世話になった・・・これからも、どうかよろしく頼む、勇敢なる風の天馬よ」

 

 言いながら、こうして落ち着けた場所で、アネモスと言葉を交わしあうことができて幸運だったと、ヘリオスは痛感していた。

 それは、つい先日起きてしまった人間達の不毛で哀しい、想いと想いのすれ違いを目の当たりにした影響だろうか。

 ・・・きっと、言葉を交わしていれば避けられた惨劇があったはずなのだ。

 もしかしたら、拳で語り合わなければ、分かり合うことのできない・・・そんな想いも、あるのかもしれない。

 だけど、できることならば、痛みも哀しみも、犠牲も、ない方が善いに決まってる。

 

 ──俺達に足りていないのは、純粋な力よりももっと、単純だけど本心を包み隠さない、対話なのかもしれないな。

 

 アネモスの首元にぐりぐりと頭を押しつけながら、ヘリオスはそう思う。

 

「どうやら、これでひとつ、蟠りが消えたようですね」

 

 ほっとした表情を浮かべて微笑むユリティース。

 

「ああ、皆のお陰だ、有り難う」

 

 小さな神は嬉しそうに頷くと、アネモスからそっと身体をはがして、一同を見渡した。

 まだ、語らねばならぬことがある・・・それも、今後を左右する重要な話だ。

 話題を切り替えるように、ひとつ咳払いを零してから、ヘリオスは大きく口を開く。

 

「後は、消えていった、同胞達の行方を探さなければならない」

 

 ──戦神アテナと、射手座のアイオロス。

 ヘリオスからすればつい先日の出来事だが。現実換算だと、この両名は十三年前から行方を眩ましていることになる。

 聖闘士たちからすると冥王の聖戦という観点から、ヘリオスからすると天界へ戻るという目的のために、一柱と一人の安全確保は、現時点で最重要事項とも表現できるほどの急務なのだが・・・。

 

「あー・・・そのだな」

 

 頬に汗を滲ませながらも、申し訳なさそうにヘリオスは一同へ言った。

 

「・・・三日前は疲れ果てて頭が回っていなかったが、貴鬼と話している内に考えが追いついた。その、お前達の落ち着いた態度からして、もしかして俺たち同様──アイオロスって無事なのか?」

 

 確認をするようにしどろもどろに問うと、シオンはヘリオスを安心させるように力強く頷いた。

 

「そうさな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、クリスタルウォールの棺により、やがては射手座の聖衣に導かれ、現世に現れることになるだろう」

 

「・・・棺とは?」

 

 些か物騒な単語に、反射的にヘリオスが眉を顰めるが、平然調とシオンは説明を加える。

 

「うむ。水瓶座のフリージングコフィンから構想を得た、圧縮型クリスタルウォールとでも言うべきか。サガから渡された小宇宙を注ぎ込み、本来平面のクリスタルウォールを人を包みこむ形で凝縮し、全方位からの衝撃に耐えられるようにした。結果として、頑強なだけではなく、現世にある、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も発現させることができたのだ」

 

「・・・なるほど?」

 

 その水瓶座のフリージングコフィンを知らぬため想像することしかできないのだが。とりあえず全身を守れるうえに、異次元から現世に帰るオプションも付属した凄いクリスタルウォールなのだろう。

 そういえば、デスクイーン島の上空を落下する刹那に見えた、七色の結晶の正体。

 あれは、シオンがクリスタルウォールで創った棺の破片だったのか。

 加えて、シオンがムウの所有する牡羊座の聖衣の元に出現した理由も、今語られた“強い繋がりを持つ存在へ導かれる効能”のお陰らしい。

 

 ・・・では、順当に考えれば、シオンが牡羊座の聖衣に導かれたように、アイオロスも己の聖衣に導かれることになるのだろうか・・・。

 

「射手座の聖衣は今、日本のグラード財団の元にあります」

 

 ヘリオスの思考を読んだかのように、ムウが言葉を放つ。

 

「・・・グラード財団。たしか・・・異次元でアイオロスがそんな名前を口にしていた気がするな」

 

 眉間に皺をつくりながらも、思い返す。

 サガの奥義アナザーディメンションにより異次元に放り込まれた後、意識を取り戻したアイオロスの口から放たれた言葉。

 

『・・・アテナは、教皇も知る者・・・グラード財団の総帥、城戸光政に、射手座の聖衣と共に、託しました』

 

「──っ!!」

 

 思いだした瞬間、弾かれたようにヘリオスは口を開く。

 

「そうだ!! 戦神アテナも射手座の聖衣と共に、そのグラード財団とやらに託したと・・・!」

 

「ええ、その証言をシオンから聞いた後、私を含め、手の空いた者は直ぐさまアテナの捜索をしました」

 

「! ・・・アテナは、見つかったのか?」

 

 ヘリオスの問い掛けに、ムウは大きく頷いて返す。

 

「──はい。アテナであろう少女、そして射手座の黄金聖衣・・・どちらも日本の東京にて、無事、存在を確認しました」

 

「っ・・・そうか! じゃあアイオロスも次期にアテナの元に現れる・・・十三年も経っているのだから戦神が生きているかどうか不安だったが安心した!」

 

「丁度、今から一月後に、件の地にて青銅聖闘士の大会が開かれる模様です。聖闘士が集まる、コンタクトをとるには、良い頃合いかと」

 

「・・・っわかった、よし、シオン! 今すぐとは言わないが、明日にはトーキョーとやらに出発しよう!!」

 

「・・・・・・」

 

「ん? シオン、何を黙り込んでいるんだ?」

 

「・・・あー、そのことなんだがな、ヘリオスよ」

 

 懐疑的な視線を向けるヘリオスに、シオンは歯切れの悪く言い淀む。

 なんだなんだ。

 アテナと射手座の聖衣の場所も分かっているのに、何故こんなところで足踏みをしていなければならないのか。

 不満げにヘリオスが口を開こうとすると、シオンに代わるように、ムウが一歩踏み出して言った。

 

「太陽神ヘリオス」

 

「うん?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・・・うん?」

 

 有無を言わさぬ牡羊座の一言に、頷く教皇シオン。その他の二人の人の子たち。

 

 

「えっ、どうしてそうなるんだ・・・?」

 

 

 間の抜けた神の疑問符が、夜風に溶けて、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 何もしないでいることが億劫に感じた俺は、さんさん照りつける陽光の下、土と岩の他にこれといったもののない大地を散歩していた。

 時刻は真昼。

 館を出る途中に会った貴鬼には心配されたが、独りになりたい気分だったので近場だからと無理やり外に出たのだ。

 

 そう、今はデスマスクに教えてもらった“オセンチ”な心情なのだ。

 

 

『重々承知でしょう。太陽神ヘリオス、貴方が死ねば、我が師と、英雄アイオロスも共に死ぬ。それは、貴方自身と聖域にとって、避けなければならぬこと。・・・自由を剥奪するようで、申し訳なく思いますが、どうか理解してください。サガを相手取ったときも、デスクイーン島でのシャカとの戦いも、貴方が生き残ることができたのは、奇跡であると同時に、偶然の産物ともいえる。・・・けっして、必然ではなかったのです』

 

 

 分かっている。

 あのとき、サガが己を取り戻していなければ。

 あのとき、エスメラルダが、俺を信じてくれなければ。

 俺は今頃聖域で捕らえられるか、もしくは、絶命していただろう。

 現状、我が友アポロンの干渉は、ロドス島でのアベルとの一戦と、記憶領域に関わるカノンとサガの奥義を反射した、計三回のみ。

 

「アポロンの干渉は・・・恐らく、俺の知らない何かしらの裁定でもって為されているんだろうが・・・」

 

 わからん。全く以て。

 真実を知るアネモスも、俺に語ることこそが俺の不利益に繋がるらしく、秘密を明かすことはない。

 アポロンの意志によりアネモスの自由が制限されているのか、はたまた他神も関わってくる大事にでもなっているのか・・・まあ、そのへんの事情も不明だが、今言えることは、アポロンを当てにしてはならないということだろうか。

 ・・・うん、アポロンが最初から俺を助けるつもりなら、神力や記憶を封じたり地上に落とすことも、アネモスが駆けつけてくれる事態にもならなかっただろうからな。

 今のまま目標は変わらずに、アテナの助力を得られるように行動しよう。

 ・・・どうにも他力本願なきらいがあるのが、とっても嫌だけではあるけども。

 

「・・・はああ・・・・・・冥界神も海皇も突然でてきたかと思えば場上を引っかき回すし、俺はなぜか時を超えるし・・・どうしてこうもイレギュラーばかり起るんだろう・・・?」

 

 両手で頭をかきながら、情けのない声を上げる。

 目的の地もなく歩き続けていれば、気づけばちょっぴり小高い崖へと辿り着いていた。

 崖下を覗いてみると、山羊などの動物ならひょいひょい行き来ができそうな断崖が広がっている。

 うん、行き止まりだな。

 降りれなくもないが、これ以上遠くへ行くのも館から離れすぎるのでやめておこう。

 赤茶げた色の荒涼とした大地に腰をつけて、遠くを眺める。

 

 

「・・・・・・」

 

 

 しばらく、最初からそこにあった置物のように過ごしてから、「はあ」と溜息を吐き出す。

 

「・・・なんだ、また俺が崖から落ちないように監視してるのか、()()

 

 独り言のように、誰も居ない虚空に言葉を投げかける。

 すると一瞬、息を呑むような音を鼓膜に拾い・・・数秒経って、背後に一人分の気配が生まれる。

 

「・・・気づいていましたか」

 

「今の俺は不安定ななりをしてるが、神としての権能の一部はちゃっかり残っているからな。・・・それで、ジャミールへ来たときも感じたが、お前のその・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()はなんだ?・・・・・・都合の良いことに今ここには俺とお前しかいない。言いたいことがあるなら言っておいて損はないと思うが」

 

「・・・・・・、」

 

 言葉は、返ってこない。

 ・・・まあなんとなくだが、ムウが俺に向ける罪悪感めいた感情の正体については、想像がついてる。

 ──それは、俺やアイオロス、多くの同胞達の名誉が毀損されてしまってる現状を、作り出してしまったことだろう。

 

 恐らく、十三年前のあの日、ムウがアネモスを天秤座の元へ届けたタイミングでは時既に、俺とアイオロスは反逆者と言い広められており、邪神を討ったサガが、次期教皇を名乗っていたのだろう。

 

 一度、混沌の渦に覆われた聖域に、老師童虎とムウが、サガの主張と全く逆の真実を告げれば・・・聖域の人間達はそれこそ「誰が味方で誰が敵か分からない」、混乱状態に陥っていただろう。

 全ての元凶たる冥界神ケールの動向も不明、赤子のアテナや、教皇シオン等の行方も知れぬ。

 ・・・このような惨状で聖域が分断されるどころか、内乱でも勃発しようものならば、糸も容易く聖域は崩壊する。

 唯一真実を知る、天秤座の童虎と、御羊座のムウは、極めて困難な選択を迫られたに違いない。

 

 要は、守らなければならぬ、優先順位の問題だ。

 彼等は、崩壊寸前の聖域を、例え崩壊の引き金を引いたサガの手に委ねてでも、維持しなければならなかったのだ。

 最上の目的を成し遂げる・・・即ち、地上の平和を守るため。

 ひいては、女神アテナを密やかにでも、生かすため。

 

 だから、俺のような部外の神や、アイオロス達の名誉は、列の後ろへ送られた。

 なんとも薄情な選択ではある。

 しかし、結果として、表だった聖域は維持できたし、地上の平和は守られている。

 

 

「哀しいが、お前達の選択は、間違ってはいなかったよ」

 

 

 人の世を守るという点に関しては、残酷なまでに、正しかった。

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 

 ゆっくりと腰をあげ、立ち上がると、俺は背後で佇むムウに身体を向ける。

 ムウは、険しい表情で、俺を見ていた。

 まるで、「責めてくれた方が楽だ」とでも言いたげな面持ちだった。

 

「・・・十三年前。もしもあの時、私がもっと冷静に動けていたら」

 

 何と声を掛けるべきか悩み、口を閉ざしていると、もやついた心情を吐露するかのように、ムウが重い口を開いた。

 

「シオンから真実を聞いて直ぐに、聖域にテレポートするのではなく、老師にテレパシーで真実を告げていれば。老師が、聖域の者達にテレパシーを送り、もう一人のサガの野望を食い止め・・・貴方やアイオロスの名誉を守ることができたのですよ?」

 

 ・・・なるほど。

 当時ムウは、シオンの危機を知り聖域へテレポートし、偶然見つけたアネモスを助け、老師の元へ向い、シオンから聞いた真実を告げた。

 しかしそれが、シオンの危機を知った段階で、老師にテレパシーを送っていれば、その僅かな時間の違いで、サガの台頭を防ぐことができたと、ムウは言ってるのだ。

 しかし、当時ムウはまだ貴鬼と同じ、七歳の子供だ。いくら黄金聖闘士とはいえ駆け出しではあるし、大人であれ冷静な判断が難しい状況だ。責められるどころか、あの混乱のなかでよくぞやってくれたと賞賛してもいいぐらいなのだが・・・。

 厳しい顔を向けるムウに、俺は言葉を選びながら、言う。

 

「・・・でも、お前がシオンの危機を知って、いてもたってもいられなくなって、聖域にテレポートしてくれなければ、傷だらけのアネモスは、海に流されてしまっていたかもしれない」

 

「しかし、天馬アネモスは溺れることはないのでしょう。サガの手による追手も、サガを先に食い止めていればそもそも掛かることもありません。どちらにしろ、天馬は助かったのです」

 

「・・・そうだな、違いがあるとすれば、アネモスの苦しみが、ムウが助けてくれた分はやく納まったという点だけかもな。だけど、あの混乱を極めた聖域の人間達に、果たしてサガを捕まえることはできただろうか?」

 

「・・・なんですって?」

 

「聖域に残った黄金二人で、サガを止められたか? 下手すりゃその過程で死人が出ていたかもしれない。サガを逃がせば誰が聖域を纏められた? アテナは無事でいられただろうか。だったら、俺やアイオロスの死体を持ってこないサガに対して、疑いの目を向けてくれる者がいる現状は・・・良くはなくても、最悪なものではないのではないか」

 

 思ったままを、はっきりと言って返す。

 しかし、ムウの表情は険しくなるばかり。

 何がそうも気にくわないのか。

 心の中に疑問符を浮かべ、男の様子を伺っていると、

 

「・・・理解出来ません」

 

 困惑の混じる、否定の言葉が放たれた。

 

「神とは、誇りを重んじる存在であるはずだ。万物を照らす、偉大なる太陽の神よ。なにゆえ貴方は、人に尊厳を奪われ、悪と誹られる状況を、そうも客観的に語れるのです」

 

「・・・・・・」

 

 凜とした佇まいで、ムウは問う。

 お前に、神としての誇りはないのか、と。

 静かに、しかて激甚に。明確な憤りを向けられて、俺はようやっと、ムウが俺に向ける、敵意の正体を知るのだった。

 

「・・・そうか」

 

 己の中で導き出された答えを、言葉にする。

 

 

「・・・牡羊座のムウ。お前は・・・俺がシオンと結んだ契約が──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ──眷属の契約を結ぶことによる、延命。

 本来ならば、神の眷属を作る契約を、人間の延命を目的として使用する、誇りなき行為。

 提案した神も、自らの奉ずる神ではない他神の眷属になることを選択した、自らの師に対しても・・・加えて、師の無事を喜んだ自分自身に対してさえも、ムウは憤りを感じてしまったのだろう。

 

 俺の断言にも等しい問い掛けに、ムウが答えることは無かった。

 しかし、その美しい翡翠の瞳の奥には、聖闘士としての誇りと、人としての情の間で揺れ動く“迷い”が見て取れた。

 ムウ自身も、はっきりとした答えを出すことができずにいるのだろう。

 人が迷いを抱くのは、そうおかしな事象でもない。

 答えが見つからないのなら、じっくり時間をかけて考えるか、放っておくという手もある。

 だが、この者は聖闘士だ。・・・一つの迷いが、時として生死を分ける事態に陥りかねない。

 

 ・・・うーん。

 どちらかというと俺は、策略を巡らすとか、相手の一手二手先の行動を読むとかいう頭の使うタイプの神じゃない。

 いや少しは頭も使うけど。どちらかというと、のびのび真っ直ぐストレートに物事を進めたいと思っている。

 

 

「──ムウ、俺さ、皆が生きていてくれることが、どうしようもなく、嬉しかったんだよな」

 

 

「・・・は?」

 

 

 だから、とりあえず、言いたいことを述べ連ねることにした。

 

「誇りのためならば死すらも厭わないお前達が、十三年の時を経ても、欠けることなく生きていてくれた。俺は、人の命はとは儚く、一瞬きのうちに消えてしまうものだと認識していた。だが、お前達と同じ時を過ごすことで、その儚さのうちに秘められた、命の輝きに気づくことができた。・・・だから、気づけばその尊く、掛け替えのないものを、守りたいと願ってしまった」

 

 沈黙を貫く人の子に、俺は笑みらしきものを浮かべて、言う。

 

「自らが犯した過ちには気づいてる。だから、安心して欲しい。()()()()()()()()()()()()。契約を、そして俺が守りたいと願った、儚き人の命を・・・()()()()()()()()()()()()()()()

 

 目の前の男から、鋭く、息を呑む音が聞こえた。

 恐らくムウは、俺が、そこまで考えて行動したとは思わなかったのだろう。

 だが、俺には確信があったのだ。

 因果は廻る。ならば、過ちの代償を払う日が、いつか必ず訪れる。

 シオンとアイオロスの、人としての死の運命を強引にねじ曲げた、傲慢な神の行いに、制裁が下される日が来るのだと。

 自嘲するように笑いながらも、俺は続けた。

 

「それに、誇りならば、この胸にきちんとあるんだ。父上達から受け継いだ、神としての誇り・・・──そして、アフロディーテたちが教えてくれた、人としての輝かしい誇りが」

 

「・・・人としての、誇り」

 

「・・・・・・うん。まあ、そんなこんなで、ムウに頼みがあってさ」

 

「・・・私に、頼み?」

 

 

「ああ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「・・・・・・」

 

 きっぱりと意志を表明すると、ムウは突き刺さるような、冷ややかな視線を寄越してきた。

 

「ヘリオス神、昨晩の話は、覚えておいでですね? 残念ですが、出立の同意を差し上げることはできません」

 

「“俺が死んだらシオンとアイオロスも死ぬから引きこもっていろ”という話だろ。まあ凡そお前の主張は正論だし、俺も案としては悪くないと思っていた。・・・だが、この考えは、過ちであると気づいた」

 

 胸に灯った熱き情熱をぶつける勢いで、冷たいムウの瞳に、俺は視線をかち合わせる。

 

「俺は、戦わなくてはならない。共に戦うと誓った同胞達と、肩を合わせて並び立つ戦士でありたい。・・・守られてるだけの存在なんて、絶対にごめんだね」

 

「・・・気絶させてでも、この地にいて頂くことになりますよ」

 

 

「物騒だな! だから、そういう意味での頼みではなくでな・・・」

 

 

「・・・はい?」

 

 

 未だ了見のわからぬ、といった様子のムウに向い、俺ははっきりとした声で、言葉を放つ。

 

 

 

「俺は、牡羊座のムウ・・・お前に──()()()()()()()()()()()、そう言っているんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







大変お久しぶりです。25話をお届けいたします。

前回から大分・・・といいますか、有り得ないほど時間があいてしまったので、もしかすると、「ん?」と思われる部分があるかもしれません。
作者もなんども原作と物語を読み返したのですが、明らかに「こんなの絶対おかしいよ!」な矛盾点がありましたら、教えていただけると幸いでございます。

展開が遅いことに定評があるこちらの小説なのですが、果たしてヘリオスは沙織さんに会うことはできるのか。聖闘士星矢と銘打っているはずが、原作主人公が25話をして未だ片鱗すらも登場していない・・・。(天馬は出ていますが、天馬ちがいなのが哀しみを深めている)

作者のいきがいの車田先生原作の男坂が、次巻でもって完結してしまうそうです。
かなしいです。でもNDもあるので車田先生を応援しながら、一ファンとして、のんびり執筆を続けていきたい所存です。

昨日は蠍座のミロさんの誕生日だったそうで・・・おめでとうございます。



寒くなって参りましたので、皆様どうか、ご体調を気遣って、たのしいハーメルンライフをお過ごしになってください。




PS就活おわりません。(震え声)


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26話 光を切り裂く刃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は、館の床を揺らしかねない勢いで歩みを進める。

 その美しい水面を彷彿させる瞳には、深い焦燥の色が滲んでおり、男の心情をありありと表していた。

 やがて目的の人物を発見すると、ダンッ! と音を立てて立ち止まる。

 

「シオン様ッ! いい加減もう我慢の限界です!! 今すぐヘリオス神とムウを止めてください!!」

 

 目の前で聖衣を修復していた教皇シオンは、ぴたり、と動きを止めて肩を落とした。

 

「オルフェ、またその話か」

 

「貴方もご覧になったはずです・・・! 死人同然の容体で意識を失う、ヘリオス神の惨いお姿を」

 

「そうさな、だが、死んではおらん」

 

「・・・貴方は、あのお方がどうなっても良いと、そう仰るのですか!?」

 

 ぎり、と奥歯を強く噛み締めて、オルフェは吠えた。

 シオンは手に握った金槌を置き、目前の聖衣からオルフェに視線を向けると、静かに言った。

 

「私も、同じ事を言ったよ」

 

「・・・え?」

 

「10日前の夜。異次元空間にて行われる1日目の修行を終え、ボロ雑巾同然の姿でムウに運ばれたヘリオスの姿を見たとき、私も同じ事を言ったのだ。『ムウ、お前はヘリオスをどうするつもりなのか』とな」

 

 驚いた表情を浮かべたオルフェに、シオンは聞き取りやすいハッキリとした声で続けると、小さく溜息をついた。

 10日前に突如始まった、ムウによる、ヘリオスの修行。

 貴鬼曰く、ムウの修行は鬼らしいが、ムウは繊細な小宇宙の制御が出来る、数少ない聖闘士だ。力加減を誤りヘリオスが死ぬ心配は無い。

 しかし、その事実を理解していても反射的に声をかけてしまうほど、ヘリオスは惨い姿でシオンの前に現れた。

 シオンはひとつ、苦笑いを浮かべて続けた。

 

「するとどうだ。ムウが答えるよりも早く、意識を失っていたはずのヘリオスが目を覚ましてな」

 

 

『──ムウはちゃんと、加減してくれているから心配はいらない。ああ、それと、シオン。今更だが、異次元での修行できがついた。サガの奥義で異次元に飛ばされたときは、あんな不安定な場所で、全てを丸投げしてしまってすまなかった。俺とアイオロスの命を守ってくれて、ありがとう』

 

 

「そのように言われてしまっては・・・私にはもう、口を挟むことはできんと悟るほかなかった」

 

「・・・どういうことです?」

 

「オルフェよ。お前は聖闘士候補生や聖闘士が、命懸けの修行を続けている最中、『危ないから止めろ』などと口を出すか?」

 

「っ・・・彼等は戦士です、ヘリオス神の話とは関係ないでしょう」

 

「一緒だとも」

 

 シオンは立ち上がると、未だ解せぬと言った顔をするオルフェに、穏やかに言う。

 

「お前も一度目にしたはずだ。シャカからエスメラルダを守る、ヘリオスの姿を。“守る為に戦う者”を戦士と呼ばずなんと言う。なにより、同じ志をもった我らと肩を並べて戦うことを、ヘリオスは、己の意志で選んだ。・・・ならば我らが為すべきは、ヘリオスの心配でも、修行を止めさせることでもない。“信じて待つこと”。それこそが、あの小さくも温かい輝きで我らを信じてくれる、太陽のためにしてやれることではないか」

 

「・・・シオン様」

 

 諭され、オルフェは口を閉ざして、過去に思いを馳せる。

 オルフェにとってのヘリオスは、自らと大切な人を守り、導いてくれた、恩ある神だった。

 故に、オルフェは大恩に報いるため、ヘリオスをあらゆる困難から守りたいと願っていた。

 ・・・だが、それはオルフェの一方的な願いであり、ヘリオスの本懐とは異なっていた。

 

 自らが真にヘリオス神の恩に報いたいのなら・・・かの神の想いを尊重し、その願いに寄り添える者にならねばならない。

 

 オルフェはゆっくりとシオンの言葉を咀嚼して、自らの胸にしまうことにした。

 

「・・・しかし、待つことしかできないというのも、歯痒いものですね・・・」

 

自嘲するように俯くオルフェに、シオンは口角をあげて言った。

 

「フッ、オルフェよ、そんなことはない。我らには我らの為すべきことがある。・・・()()()()()()()()()()()()()()()、仕度はすませておくことだ」

 

「!! ・・・はい! アテナ、及び聖域の動向等──ヘリオス神が不便なく日本へ渡れるよう、準備は万全にすませておきます」

 

「うむ、頼りにしているぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──常闇の果てから、死の星光が襲来する。

 

 

「浄化──・・・くッ!!」

 

 

 咄嗟の判断だった。

 天も地もない闇の世界に浮かぶ俺は、鋭く息を吐き出すと共に、大きく身を翻す。

 

 シュパンッッ!!! 

 

 間一髪。

 正に今、宙に浮く身体を貫かんと背後から迫った光弾は、脇腹を掠めて常闇の果てへと消えていった。

 

「──はあ、はあ・・・うぐっ・・・」

 

 血が滲み熱をもった脇腹を押さえ、小宇宙での治癒を試みる。

 肩で息をしながらも、全ての感覚を研ぎ澄ませて、次の攻撃に備える。

 

 視界に広がるのは、闇一色に染まる世界を駆けていく、星屑の群れ。

 それは端から見れば、思わず見とれてしまうほど美しくも神秘的な光景だった。

 

 ──だがそんな光景も、光の終着点目線だと、たまったものではない。

 

 なにせ、美しい星屑の正体は、()()()()()()()()()()()()()()()

 聖衣もない生身で直撃すれば、内臓が破裂するか、下手をすれば身体に大きな穴を開けることとなる。

 しかも、そんな恐ろしい攻撃が、全方位から殺到してくるのだ。

 とてもじゃないが正気じゃない。

 だが、正気では生き残れない世界での戦いを、俺は自ら選択した。

 本能的な恐怖を押し込めながら、俺は全神経を研ぎ澄ませた。

 

「っ──!!」

 

 鋭く、息を呑む。

 気づけば認識をくぐり抜けて眼前に迫っていた、小さな光弾。

 なるほど、小ぶりの光弾を、通常の光弾よりも早く放てば、視界に収まる光弾は全て同じ大きさに見える。

 視覚だけに頼っていれば、遠近感覚の隙をつかれ着弾を許してしまうということか・・・やってくれる。

 

「このッ!!」

 

 寸前のタイミングで、小さな光弾を、小宇宙を込めた拳で叩き落とす。

 光弾は、ドシュッ!! と鈍い音を立てて、確かな手応えをと共に塵となった。

 そして叩き落とした勢いを維持しながら大きく前に一回転。

 死角である斜め下から迫っていた光弾を、ぎりぎりのところでやり過ごす。

 

「ここだっ──浄化炎ッ!!」

 

 叩き落として、躱して、余裕が生まれれば浄化炎で広範囲の光弾を焼き払う。

 そうして、全ての小宇宙の光弾がなくなると、今度は目の前に、一つの気配が発生する。

 

「──10日で、ここまで動けるようになりましたか。・・・なるほど、私が予想していた以上に、貴方には戦いのセンスがあるらしい」

 

「っ!!」

 

 咄嗟に身構えるヘリオスを前に、先ほどまでの光弾を放っていた張本人──牡羊座のムウは、小さく首を降った。

 

「しかし、私は全ての星屑を打ち落とすように言ったはず。六割以上を避けてやり過ごしているようでは・・・自分の身は守れても、他者を守ることはできないでしょう」

 

 厳しい言葉だった。

 だが、それを告げるムウからは敵意は微塵も感じられない。

 抗戦の意志はなし。俺は、構えていた拳を下げて、ほっと息を吐いた。

 

「そうか、自分の身は、守れるようになったか。喜ばしいな」

 

「・・・褒めたつもりはなかったのですが。何故そこで喜ぶのです」

 

 思わずといった様子で額を抑えたムウに、俺は当然のように答えた。

 

「なぜって、少なくともこれで、誰かが俺を庇って怪我を負うような事態は避けられるようになったんだろ。これを喜ばずしてどうするんだ」

 

 少なくとも、ムウと同じ黄金聖闘士であるシャカに言われた『自らを守ることすら叶わないだろう』という言葉を払拭できるくらい、前には進めたことになる。

 

「ほら次だ、次。岩石と槍の雨から始まって、飛行機やイージス艦・・・今ではお前の奥義になったが、見ての通り俺はまだまだ元気だ。もっとビシバシ鍛えてくれ」

 

「・・・・・・本気で、直接日本へ出立するおつもりなのですね」

 

「当然だ。そのためにお前に頼み込んで、こうして鍛えて貰っている」

 

 まだ及第点はもらえてないが、確実に成長できている。ならば諦めず、なんとしてもムウを納得させられるくらい、強くならねばならんのだ。

 気合いを入れるように拳をたたき合わせながら、急かすようにムウを見据える。

 しかし、ムウは「・・・はあああ」と肺の底から絞りだすほどの大きな溜息を吐き出して、沈黙してしまう。

 

「ん? どうした、腹でも痛いのか? 大丈夫か?」

 

「・・・・・・」

 

 いきなり下を向いたムウを心配して声を掛けたのだが、返答はない。

 意図をくみ取れずじっと黙って待つこと、数秒。

 

 

「・・・毎日毎日、出血多量で気絶していれば、じきに諦めると思っていたのですが」

 

 

 北欧の神もびびりそうな極低温の響きをもった声で言うと、ムウはこれまでの修行では比較にならないほど強大に、小宇宙を高め始めた。

 ──めきり、めきりと、何かが割れるような音がムウを中心に生まれ、よく見えれば異次元空間に歪みが生じていることに気がつく。

 

「・・・えっと、ムウ師匠・・・?」

 

「ええ、ええ。太陽神ヘリオスよ。お許しください。正直私は、貴方の覚悟を侮っていました。故に大抵の聖闘士なら根を挙げる程度の修行に甘んじていたのですが・・・どうやら、貴方には不足だったようです。──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「エッ?」

 

「光に包まれて眠りなさい──スターライトエクスティンクションッ!!」

 

 

 この世は無常。

 言葉の意味を汲み取る間も与えず、清浄さに満たされた光の波動が眼前まで迫り来る。

 

 

「──、」

 

 

 叫ぶ間もない。

 本能が回避では間に合わないと悟ったのか、咄嗟に両手が前に出る。

 浄化炎での相殺・・・否。

 それも、間に合わない。小宇宙の炎を放とうと、掌に小宇宙を手中させた瞬間、光の濁流が俺に衝突した。

 

「ッグ、ウウウウッ!!」

 

 焼けるような痛みと、防ぎきれない衝撃に、苦悶の声をあげる。

 

 

「──そのままでは、光に消えてしまいますよ?」

 

 

 光の先から、感情のこもらぬムウの声が響く。

 そんなこと、俺が一番理解している。必死に星光の濁流を受けとめながら、奥歯を強く噛み締める。

 ・・・きりが無い。

 受けとめつづけても・・・これじゃシャカの攻撃を受けたときとまるで変わらない。

 このままでは、いずれ小宇宙がつきて、俺は光に呑み込まれてしまう。

 

「ッ・・・」

 

 思い出せ・・・シャカの光を跳ね返したあの時、俺はどうした。

 ・・・そうだ、俺は賭けに出たはずだ。防御に徹しても無意味と理解したから、攻めに転じた。

 エスメラルダの想いを束ねた小宇宙を、浄化炎として放ち・・・結果、小宇宙の殆どを失う危機的状況に陥ってしまったのだ。

 

 ──考えなしに小宇宙を放ち続ければ、直ぐに疲弊し戦えなくなってしまう。

 ならば、黄金聖闘士たちのように効率よく小宇宙を用いるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

全力でムウの奥義を防ぎながら、高速で思考を回していく。

 

 創造しろ。

 先へ進むために。彼等と肩を並べる戦士になるために。

 皆それぞれの“我”があっただろう。

 

 ──薔薇を誇りと掲げる聖闘士がいた。

 ──雷を拳に纏う、雄々しき獅子が、身をなげうって俺を救った射手座の英雄がいた。

 ──星光を自在に操る賢者とその弟子、星々をも砕く圧倒的な破壊力を持つ者、神の如き黄金の光を纏う、理を問う者。

 

 彼等は皆一様に、自らの決意の形を持っていた。

 では、俺は? 

 今までは、我武者羅に小宇宙をふるって来た。それで、自身と、人の子達を守ることができた。

 だが、これからも奇跡のような偶然に縋うようなやり方では、本懐を遂げることなど到底不可能。

 今この瞬間でさえ、ムウの放つ星光に、行く道を閉ざされている。

 未来も、行く末も、乗り越えなければならぬ壁が幾重にも立ち並んで、俺の歩みを妨げる。

 

 ──でも、だったら。

 

「──ッ・・・そうだ、道が、閉ざされているのならッ!!」

 

「!」

 

 前方へ広げた掌を合わせて、掌に込めた小宇宙を束ね、()()

 全集中。白銀に煌めく自らの小宇宙を凝縮させて、かつて憧れた形へと成形し──、

 

 

「そんなのは、切り拓けばいいッ!!」

 

 

 ──ザアアァァンッッ!! 

 

 

 ()()

 高らかな音を響かせて、大いなる光の波は、真二つに引き裂かれる。

 左右に逃れるように光は溶け、純白の輝きに染められた空間は、異次元空間そのものの漆黒を取り戻す。

 

 開けた道の先にいたムウが、驚愕の表情で口を開いた。

 

「・・・それは、“剣”ですか」

 

 俺の手に納まる、白銀の剣。

 刀身は俺の背を超すほどにも長く、幅広い。持ち手から先は、鋭い剣尖へと収斂し、眩い燐光を放っている。

 かつて憧れていものとは大分違う。

 だが、俺の決意を露わにするように雄々しい輝きを纏う剣に、誇らしげに言葉を紡ぐ。

 

 

「ああ、父上がガイアから賜った武具たる楚真(ソーマ)太陽光剣(プロミネンスブレイド)を形取って構築した、俺の剣──名付けて光の剣(ルミナスブレイド)だ」

 

 

 奇跡のように美しい剣を見やって、一つ苦笑いを零す。

 まさか争いを嫌う自分が、戦う為に剣をとることになろうとは。

 しかも我が父ヒュペリオンが所有する太陽光剣は漆黒だし、倍以上も巨大で、放つ神力も桁違いだというのに・・・父上と同じ武器を持てるということだけで、舞い上がりつつある自分がいる。

 先程まで危機的状況にあったというのに、俺は緊張感もなく笑みを零してしまう。

 

「フッ、光の剣(ルミナスブレイド)ですか・・・なるほど、貴方の欠点を補う、良い奥義です」

 

「俺の、欠点・・・?」

 

 鸚鵡返しに聞き返すと、白銀の剣を興味深そうに観察しながら、ムウは答える。

 

「貴方の唯一の武器だった浄化炎は、連打と小回り、及び放つという特性上、小宇宙の消費が多いという欠点があった。しかし、“剣”と小宇宙を固定することにより、それらの欠点を補うことに成功するだけではなく、新たに接近戦と持久戦を可能とするまでに至った。・・・素晴らしい進歩です」

 

「そ、そうなのか」

 

 いきなり褒めちぎられて、しどろもどろに頷く。

 何故か先程までと比べても数段以上、ムウの纏う空気から並々ならぬ“やる気”のようなものを感じる。

 

「ヘリオス神、剣を振るったご経験は?」

 

「嗜む程度だな」

 

 正確には、父上の太陽光剣を振り回して遊んだり、護身術を習ったときに多少使った程度である。

 

「なるほど。理解していると思いますが、どんなに良い剣があろうとも、扱う者が使い方を知らなければ意味がありません」

 

「そうだな」

 

「ええ、ですので、これから徹底的に、貴方に剣術を叩き込みます。その奥義を実戦で使えるようになるまで、異次元空間からは出られないと思ってください」

 

「・・・は?」

 

「今度こそ、全てを打ち落としてみせなさい──スターダストレボリューションッ!!」

 

「──なっ」

 

嫌な予感がして反射的に剣を構えた瞬間、

 

──ドオオオォォンッ!!!!

 

と、怪物の唸り声を彷彿とさせる轟きと共に、これまでの数倍以上の物量をもった星屑の群れがムウから俺へと放たれた。

まるでこれじゃ、隕石の集中砲火だ。

再び純白に染まった視界に呆然となりながら、

 

「やっ、・・・やってやるううう!!」

 

俺は半ば自暴自棄になりながらも、肉薄する星屑達に、刃の切っ先を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








修行編。
思えば現実換算、半年以上ジャミールにいたなあヘリオスさん・・・。


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27話 集え、蘇りし戦士たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・それから、幾ばくかの時が経過して。

 

 

 ──どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ。

 

 ──いいですね? けっして無茶はなさらぬように。・・・健闘を祈ります。

 

 ──アネモスのことはオイラに任せてくださいね!! 

 

 ──・・・フルル、ヒヒーン・・・。

 

 

 頼もしい仲間の激励と、目立つからと言う理由で留守番を余儀なくされた友の嘶きを受け、ジャミールの地を出発してから数日。

 

 俺は生と死の間を行き来しながらも、なんとか鬼・・・いや()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・! 

 

 

「・・・話には聞いていたが、あっぱれ驚いた。ここが日本の東京なんだな」

 

 

 ぽかんと口を開けながら、辺りを見渡す。 

 天を穿つように屹立する赤い塔や、忙しなく動き回る様々な衣装に身を包んだ人の群れ。馬車のように行き交う鉄の塊など。

 

 これが、日本の中心にある都、東京か。

 

 自前にオルフェから、日本とは大きな戦いの後にめざましい発展を遂げ、今では地上のなかでもとりわけ高度な文明を築くことに成功した国なのだと聞いていたのだが・・・まさかこれほどまでに隆盛を極める都市が存在していたとは。

 

 この地に来る際も、飛行機とかいう空飛ぶ鉄の塊に乗ってきたのだが、まるでびっくり箱を連続で開けるぐらい驚きの連続だ。凄いぞ人の子。

 

「──っ! なんだあのビッグな建築物は!」

 

 落ち着きのない動作で周囲の事物に目を輝かせて歩いていると、半球状の形をした、巨大な建物が目に飛び込んできた。

 

「あれこそが我々の目指す場所、グラードコロッセオですよ」

 

 苦笑いの混じった声で、背後から説明がなされる。

 

「フッ、活気のある(みやこ)だ。聖域に住んでいる者が訪れれば、皆ヘリオスと同様の反応をしめすのだろうな」

 

「ええ、僕も任務の都合で他国へ渡ったことはありますが、この国の発展はめざましいものがあります」

 

 微笑ましそうに語らっているのは、東京の町並みに合わせた衣服に身を包む、シオンとオルフェの二人だった。

 本当なら、聖域で着ていた簡易な衣のまま訪れる予定だったのだが、町に溶け込めるようにとわざわざユリティースが服を選んでくれたので、俺達は今まで袖を通したことのない衣服を着ているのだ。

 因みにオルフェはサングラスという黒い硝子に、黒いスウェットのシャツと、デニムの下履き。シオンと俺は眼鏡とかいう視力を補う医療器具と、色の違うジャケットという上着を羽織っている。後の下履きなどの名前は忘れたが・・・とにかく衣服にも種類が多いことは理解した。

 

 

 俺と、シオンと、オルフェ。

 これが今回、日本に訪れたメンバーだ。

 ムウは聖衣の修復や情報収集、またいざというときのために待機。大分具合は良くなったが、未だ目覚めぬエスメラルダの看護は、ユリティースが。アネモスは日本では確実に目立つため、拠点を確保できていない現状では待機がいいだろうと泣く泣く留守番。貴鬼はアネモスの励まし役を買って出てくれた。ジャミール待機組はこんな内約である。

 

 まあ今回は戦いに行くわけでもないし、戦うにしても戦力としては申し分ない一柱と二人と、いざというときに戦えるムウとアネモスで別れたので、バランスは悪くない。

 

 あと、一体どういうことなのか。既に俺の存在が乙女座のシャカにより聖域へ報告されているだろうと思いきや、ムウ曰く、現状“蘇った邪神ヘリオス”の噂は一切流れていないとのこと。教皇サガとその側近にのみ伝えられて秘密裏に捜索がされている可能生もあるので慎重に動かねばならぬことに変わりは無いのだが・・・うん、それにしたって奇妙だ。

 

 まさか、本当にシャカが報告してないなんてことも有り得るのか? ・・・わからん。

 考えても仕方なし、と思考を切り替えて、上の方にたっぷりとボリュームのある帽子のつばを押さえると、俺は真剣に言った。

 

「いいか二人とも、遊びに来たわけじゃないんだからな。俺のせいだが予定より5日も到着が遅れてしまっている。早くアテナの元に行くとしよう」

 

 そう、本来ならば遅くてもアテナと思われる少女が開催している大会──銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)の大会初日には日本に訪れる予定だったのだが、ムウの修行による俺の傷の治り具合を考慮して、出発日時と移動方法を急遽変更。身体に掛かる負担の少ない道順、かつ傷の治療をしながら、日本へ訪れることになったのだ。

 俺としては、別に空間移動で日本へ飛んでもそこまで負担はないと思ったのだが、シオン曰く「まあ今の人の世を見ながら移動することにも十分、意義はあるだろう」とのことだったので、その提案に乗ることにした。

 

 実際、到着が遅れた分、得られるものはあった。

 

 チベットにあるジャミールから、日本の東京までを渡り歩いて・・・アテナや聖闘士たちが守り、また未来に繋げたいと願い戦ってきた人の営みの一部を、自らの目で見て、肌で感じることができたのだ。

 

「おとうさん、おかあさん、早く行かないと試合が始まっちゃうよ!」

「こらこら、あまり走るとはぐれてしまうぞ」

「そうね、手を繋いで行きましょう」

「もう、私迷子になるような子供じゃないもん!」

 

 ふと目を向ければ、幼い少女と、その両手を握る、夫婦の姿が眼に映る。

 慈愛のこもった眼差しで我が子を見守る二人と、そんな両親の愛を疑いなく一身に受け、向日葵のように微笑む幼い少女。

 切り取られたように景色に浮かぶ、理想的な家族の姿。

 じっくり眺めてから、目を逸らす。

 すると今度は、ずらりと並んだ屋台と、見たことのない食べ物を売る者が元気に客寄せをしている姿が眼に映る。

 道の先にある巨大なコロッセオに向けて楽しそうに歩く、お祭り気分の、賑やかな人の子達。

 なかには何か辛いことでもあったのか、大声で泣きわめく子供と、困ったように笑う大人や、つまらなそうに溜息を吐く女人や、煙をふかして空を仰ぐ男もいる。

 ・・・色々な者が、ここにはいる。

 

「・・・・・・」

 

 なんだろう。言葉にし難い、この感覚は。

 羨ましいのか、微笑ましいのか。心が、落ち着いてしまうのか。

 胸中で複雑に渦巻く感情を俯瞰的に観察しながらも、俺は、自然と笑みのようなものを浮かべて、零れるように呟いた。

 

「・・・これが、お前が命をかけてでも守りたかった世界の景色なんだな」

 

 一瞬、脳裏に過ぎった空色の長髪をした少年に、共感にも近い感情を向ける。

 あの少年が見てきたものと、今俺の瞳に映る世界は、別のものかもしれない。

 だけど、たった十歳だった子供が守りたいと信じたものが、ここにはある。・・・そんな確信にも近い予感を肌で感じてから、俺はそっと、自らの中から溢れそうになった感情に、蓋をした。

 

「ヘリオス神、なにか仰いましたか?」

 

「・・・気のせいだ! そら、アテナの元まであと少し。色々と興味をそそるものが目白押しだが、兵は拙速を尊ぶともいう。急ぐとしよう!」

 

「エッ? ちょっ、待ってください!」

 

 慌てるオルフェの声を背景音に、俺は眼前の一本道の先にある“グラードコロッセオ”へ向けて、強く地面を蹴り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──・・・・・・・・・、」

 

 おかしいな。

 さっきまで人が沢山いたはずなのに、どうしてこの辺りはここまで閑散としているのだろう。

 

「オルフェー、シオンー、どこ行ったー?」

 

 しかも一緒に居たはずの二人の姿も、いつの間にか見失ってしまった。

 カアカア鳴いている鳥の声を聞きながら、とぼとぼと歩く。

 いやあ、二十数歳と二百数歳で迷子とか、あの二人も案外うっかりしてるところがあるんだなー。まったく、困った人の子達だ。

 いくら聖域の人間達に出会っても問題がないよう小宇宙を押さえているとはいえ・・・迷子とか、うん。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・。

 

 

「・・・・・・あれ? もしかして迷子は、俺・・・?」

 

 世の中には気づいてはならないこともある。

 冷たい、灰色の地面に座り込みながら、呆然と綺麗な空を仰ぐ。

 ・・・嘘だろ。神だぞ俺は。もう数えるのがばからしくなるくらい長生きしているんだぞ。それで、はしゃいで迷子? 嘘だろ。

 

「・・・・・・」

 

 ・・・いや、何となく、かなり希薄ではあるが、契約者であるシオンの気配は探れる。この俺の後ろに聳え立つグラードコロッセオの中だ。うん、よし、中にさえ入ってしまえば合流できる。最悪、最終手段として探知の術もある。大丈夫、慌てるには未だ早い。なんとかなる。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・。

 

 ──多分、いや、確実にシオンには怒られるし、後からムウにも怒られるな、これ。

 

 

「あー、お前、大丈夫か?」

 

「・・・大丈夫じゃ・・・ない・・・気づけば迷子・・・このままではまた、怒られることに・・・」

 

「迷子? もしかして、コロッセオの入り口を間違えたか?」

 

「・・・なに、入り口?」

 

「人の多い方が一般入場口で、こっちの裏の方が関係者入り口・・・ってそうだ、説明してる暇はないんだった」

 

「うわっ」

 

 腕をひっぱられ、体育座りの状態から、強制的に立ち上がらされる。

 驚きながら目を見開くと、俺と同じくらいの身長をした、黒髪の少年と目線がかちあった。

 この国の人間らしく少し幼い印象を受ける顔立ちをしているが、意志の籠もった良い眼をしている。恐らく十代前半の、アイオロスより数歳若いくらいの年齢だろう。

 

「星矢、連れて行くにしても、急がねば・・・」

 

「わあってるよ。だけど、流石に迷子の子供を放ってはおけないだろ」

 

 目の前の少年──星矢に、焦り混じりに言ったのは、腰まで黒い長髪を伸ばした、異国の衣装を纏う少年だった。

 なにやら二人とも急いでいるらしいが、星矢と呼ばれた少年は頭に包帯を巻いているし、もう一人の少年も動きにどこかぎこちなさがある・・・恐らく俺同様、服の下は傷で覆われている余りよろしくない容体なのではないか。

 そう、まるで、苛烈な戦いを終え休息をしている最中の戦士の様な──、

 

「その緋色の長髪、外国から来たのか。名前は?」

 

「・・・・・・俺は、ヘリオス、ギリシャから、友の妹に会いに来た」

 

「「っ──!」」

 

 名乗った瞬間、二人の少年は鋭く息を呑み込んだ。

 ああ、思った通りだ。

 隠すことのなく熱く燃える、少年たちの、聖闘士の小宇宙。そして今の反応。

 なるほどこの者達が、このグラードコロッセオで銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)を繰り広げる、青銅聖闘士(ブロンズセイント)なのだろう。

 聖闘士であれば、十三年前の事件──邪神ヘリオスのしでかしたこともよく言って聞かされたはず。

 まあ冤罪なのだが。しかしフェニックスの時もそうだが・・・悪評も当時生まれたかどうかの子供にまで広がれば、さすがに少し落ち込むぞ。

 内心ため息を吐き出しながらも、俺は素知らぬふりで会話を続けることにした。

 

「どうした、星矢とやら。急いでいるんだろう。それとも何か困り事でもあったのか?」

 

「! ・・・いや、悪い。お前には関係ないんだが、“ヘリオス”っていうのは、俺たち聖闘士にとっては因縁のある名前だったから」

 

「聖闘士、そうか。二人は大会の出場者だったんだな」

 

「ああ。・・・ん、紫龍?」

 

 懐疑的な星矢の声に、釣られて目をやれば、なにやら険しい表情で俺を見る長髪の少年──紫龍の姿があった。

 怒っているというよりかは、どちらかというと、焦燥に近い面持ちだ。 

 どうしたのだろうか。思い当たるふしがなく首をかしげると、紫龍はハッとしたように顔をあげた。

 

「すまない、一瞬、君から懐かしい小宇宙を感じたのだが・・・」

 

「懐かしい小宇宙とは?」

 

()()()()()・・・ヘリオスよ、君は日本へ訪れる前に、ペガサスに会わなかったか?」

 

「・・・・・・」

 

 これは、試されているのだろうか。

 じっと紫龍の双眼をのぞき、真意を探るが・・・・・・うん、悪意は、ないな。

 だとすれば、どういった経緯かはわからないが、紫龍は風の天馬(ペガサス)──アネモスとどこかで出会ったのだろう。

 質問の意図はわからないが・・・まああとからシオン達を交えて確認をすればいい。

 

「紫龍、いきなり何を言い出すんだ。まさか俺の他にペガサスの聖闘士がいるとでも言うのか」

 

「いや、それはない。ペガサスの聖闘士は世界にお前唯一人だけだ。・・・ヘリオスよ、後から時間のあるときで構わないから、俺と話をしてはくれないか」

 

「ああ、わかった。とりあえず今は、互いに急ぎの用をすませるとしよう」

 

「承知した」

 

「・・・二人とも、あとから俺にも説明しろよ」

 

 蚊帳の外だと言わんばかりに口を尖らせた星矢に、紫龍は苦笑交じりに頷いた。

 ひとまず話を切り上げて俺達はコロッセオの中へと足を速める。

 

「──そういえば、急いでいる様子だったが、今は大会中だよな? なにかお前達でないと対応の難しい問題でも起きたのか」

 

 コロッセオ内の通路を走りながら、かねてよりの疑問を口にする。

 会場に近づくにつれて、眼に映る人の子たちの顔に焦りや困惑といった感情が浮かび始めてきたし、予期せぬ事態が起きたのは確実なのだが・・・。

 

「・・・死んだはずの男が、蘇ったかもしれんのだ」

 

「なんだって?」

 

「信じられないかもしれないが、俺も確かに嫌な小宇宙を感じて病院を抜け出してきた。ヘリオス、やばくなったらお前は逃げろよ」

 

 緊張により強張った忠告の言葉。

 いったい、何が待ち受けているというのか。

 通路に差し込む会場内部の光が、大きくなる。

 関係者用かと思われる出入り口を抜ける。

 

 

 ──ワアアアアァァァ・・・。

 

 

「──きゃあっ!」

「うわあ!!」

 

 

 叫び声。

 コロッセオ内の観客席に押し込まれた人の海が、大きくうねる。

 試合中だったのか。鎖を装備する甘栗色の髪をした少年と、星矢と似た野性味溢れる黒髪の少年が、呆然と上を見ている。

 導かれるように、全ての人の目が、会場内部のとある一点へと向けられている。

 

 

「・・・あ」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 見たことがある。いや、あれこそを俺達は探していたはずだ。

 会場の天高いところに眩い光と圧倒的な存在感を放ち、鎮座するあれは、間違いない。

 

 ──射手座(サジタリアス)黄金聖衣(ゴールドクロス)だ! 

 

「バ、バカな!!」

「黄金聖衣の箱が開くぞ!!」

 

「だ、だれか黄金聖衣の箱の中にいる!!」

「あ・・・あいつは!!」

 

 誰かが、その名を口にする。

 

「──フェニックス!!」

 

 銀河大戦、大会の最中に、突如として・・・いや、満を持して登場したのは、鳳凰座(フェニックス)の聖衣を纏う、仮面の少年。

 しかし、隠された顔を見なくても、はっきりと分かる。

 かの者は、俺がデスクイーン島で出会い一時的に五感を麻痺させた、鳳凰座(フェニックス)の一輝その人なのだと。

 

 

「・・・──お、おい!! ()()()()()()()()()()()()()!!」

「うわあ! ()()()()()()()()()()()──ッ!!」

 

 

「・・・ッ!?」

 

 混沌を極めたグラードコロッセオの空気が、再度、極度の緊張状態へと高められていく。

 黄金の宝玉(オーブ)

 突如として発生したそれは、まるで、空間を侵食するかのように少しずつ光の面積を広げていき──、

 

 

 ──パリイイィィィィンッ!! と、甲高い破壊音を響かせて、空間を引き裂いた。

 

 

 粉々に砕けた黄金の破片が鳳凰座に降り注ぐなか、驚愕に染められた、俺達の視界に飛び込んだのは、見知った、血塗れのバンダナ男。

 かつて英雄と称えられ、今では冤罪により、その名誉を傷つけられた、射手座の黄金聖闘士。

 かの者の名を、

 

 

「──アイオロス」

 

 

 冷静に見届けるさきで、黄金の光に包まれたアイオロスは、ゆっくりと地面へ落下していく。

 どうやらまだ意識はないようだが、射手座の聖衣が、無事にアイオロスを導いてくれたらしい。

 ああ、ひやっとした。危うく飛び出すところだった。

 俺はほっと息を吐き出した。

 これでようやく仲間もそろう。少々面倒ごとが増えた気もしなくはないが、なんとか誤魔化すなり時間を稼ぐなりすれば、なんとかなるだろ──、

 

 

「なんだ、貴様は?」

 

 

 低く唸るような声とともに高められる、鳳凰座の、赤黒い小宇宙。

 

 

 ──冷静になれ。アイオロスは、死なない。俺が死なない限り、死ぬことはない。

 

 

「貴様は、この黄金聖衣と縁のある者か?」

 

 

 ──でも、聖衣も纏わず、攻撃を受けてしまったら? 死ななくても、痛みはある。あまりに巨大な苦しみは、いつか人間に戻った時のアイオロスを、苛むだろう。

 

 

「まるで聖衣に認められたかのように黄金の輝きを纏う様、気に食わん」

 

 

 ──・・・そうだ。全世界に中継されているんだ、目立った行動をとることは許されな──、

 

 

「──消し飛べ!! 鳳翼天翔ッ!!」

 

「──ッやらせるわけがないだろう!!!」

 

 

 身体が、勝手に動いた。

 気を失うアイオロスの元まで一息で空を駆け、その身を拾い上げる。

 

 瞬間、ドオオオォォンッ!! と重低音を轟かせて、鳳凰座の放った奥義が、会場の一角を吹き飛ばした。

 余波に煽られ、被っていた帽子と眼鏡が地面に落ちる。

 刹那の静寂。

 舞い上がった灰色の煙が、ちりちりと赤く光る火花が、地に落ちていく。

 やがて、ゆるやかに視界が開けていく。

 

 

「なっ・・・き、貴様は──ッ!!」

 

 

 俺の姿を確認した瞬間、驚愕から一瞬で憎しみに瞳を染め上げた鳳凰座の一輝。

 なんてタイミングの悪い。いや、これもまた、星の導き。ひとつの縁なのだろうか。

 

 

「──ヘリオスッ!! 貴様、エスメラルダの死を冒涜しておきながら、よくもぬけぬけと姿を現したな!!」

 

「──久しいな、鳳凰座(フェニックス)。お陰でとんでもないことになったが・・・うん、さっさと勘違いを正せという天からのお達しなのだろう・・・」

 

 

 両手で自分よりもでかいアイオロスを抱えながら、俺はどこにぶつければいいのか分からない怒りと後から受けるであろう説教の苦しみで心を殺しながら、死んだ目で答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






27話をお届けします。

読んでくださった貴方に感謝を。おかげでやっとこさ原作に突入することができました。1年かかりました。20万文字かかりました。

ちなみに蘇りし戦士は、紫龍と一輝とアイオロスです。
余談ですが原作星矢の「消えるな龍よ!!」のコマがめっちゃ好きです。車田先生ほんとうありがとう。






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28話 未来の選び方

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──眩いばかりに光を放つ、黄金の聖衣箱の上空に現れた、一人の男。

 銀河戦争の主催者である城戸沙織と、その従者である辰巳徳丸は、混乱を極めたコロッセオ内を驚愕の眼差しで眺めていた。

 

「お、お嬢様!! 空から半裸の男が!!」

 

「見れば分かります。・・・しかし、あの者、以前どこかで・・・」

 

 落ち着きを払った普段の佇まいとは異なり、少女はその麗しい相貌を険しく曇らせていた。

 連絡の途絶えていたフェニックス一輝の、予想だにしない登場。それだけでなく、射手座の聖衣の元に現れた、謎の男。

 聖域に潜む邪悪を誘き寄せるために開催した、銀河戦争の行く末が、もはや開催者である少女ですら掴めぬものとなりつつあった。

 

 

「──二半世紀ぶりですな、アテナよ」

 

「!!」

 

 

 脈絡もなくかかった声。ここは、容易に立ち寄れぬように警備が敷かれた部屋である。

 少女は腰掛けていた椅子から勢いよく立ち上がると、後ろを振り返った。

 立っていたのは、二人の男。

 一人は、水面のような短髪に、黒を基調とした衣服を纏う、どこかさっぱりとした出で立ちの、サングラスの者。

 そしてもう一人の者は、豊かな若葉色の長髪に、ジャケットを羽織った、穏やかな印象を受ける眼鏡の男だった。

 恐らく、話しかけてきたのは二人目の男だ。

 何か言おうとする辰巳を手で制すと、沙織は静かに問うた。

 

「何者です」

 

「貴方の下に集い、戦う者です」

 

 男は、恭しく頭を垂れて言った。

 互いに、初対面の相手のはずだ。常識で考えれば男の発言は錯乱しているとしか言えないだろう。

 ・・・だが、少女は懐かしささえ覚える眼前の男の小宇宙に、確信する。

 

「貴方は、聖闘士──、」

 

「沙織お嬢様!! 会場に、また新たな乱入者が!!」

 

「っ・・・今度はいったい、」

 

 

「──あああ! シオン様、ヘリオス神があんなところに!! しかも妙に懐かしい小宇宙を感じるかと思えばっ、射手座のアイオロスまで、現世に戻ってきています!!」

 

「・・・・・・フッ、オルフェよ、幻覚ではないのか」

 

「現実です!!」

 

「・・・バカな」

 

「状況から推察するに、射手座に導かれたアイオロスが現世に戻り・・・敵と見なされたのか、フェニックスがアイオロスを攻撃したところを、ヘリオス神が庇ったのかと思われます」

 

「・・・・・・、」

 

 先程までのシリアスな空気はどこへやら。

 教皇シオンは、急に沈黙したかと思いきや、今度はふるふると全身を震わせて、ついでに死んだ魚のような目で、憎々しげに呟くのだった。

 

 

「──おのれ、間が悪いにも程があるぞ、射手座(サジタリアス)黄金聖衣(ゴールドクロス)・・・ッ!!」

 

 

 世界に散らばった神々の意志(ビッグウィル)の影響か、はたまた聖衣が、自らの奪還者を前に、真なる所有者であるアイオロスを召喚したのか。

 何故、一番秘さねばならぬ聖域に盛大にばれるような全世界生中継がなされているタイミングで、アイオロスが射手座に導かれたのか。

 

「・・・お嬢様、この者達は、なにをしにきたんです?」

 

「・・・・・・」

 

 その真実は、神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さん!!」

 

「なっ、エスメラルダ!?」

 

 フェニックスと俺の間に割って入るように登場した、青銅の少年の顔を見て、俺は驚愕の声を上げた。

 先程まではうえを向いていたので気づけなかったが、この者、顔立ちがエスメラルダとそっくりだ。

 まさか、性別は異なるが、サガやカノンと同じ双子なのか。

 

「俺の邪魔をするな、瞬」

 

「どうして、僕は、兄さんと再び会うために・・・約束を果たすために、聖闘士になったのに!」

 

 フェニックス一輝と、このエスメラルダとうり二つの少年は、兄弟なのか。

 悲痛に叫ぶ瞬の様子に心をざわつかせながらも、冷静に分析する。

 

 

「邪魔をするなと言ったはずだ!!」

 

「!!」

 

 憎しみの籠もった、容赦のない一撃。

 フェニックスの放った拳圧が、瞬と呼ばれた少年へと肉薄する。

 

「っ──このっ、大馬鹿者ッ!!」

 

 叫び、アイオロスを抱え直しながら、俺は瞬の前に躍り出た。そして瞬時に空いた片手で拳圧を防ぐ。

 間一髪のところで防御に成功するが、デスクイーン島で相見えたとき以上に強大になっているフェニックスの小宇宙に、俺はゴクリと生唾を呑み込んだ。

 なんと成長の早いことか。今はぎりぎり青銅に納まっているが、すぐに白銀ぐらいなら追い越しかねない勢いだ。

 

「き、君は兄さんの敵なんじゃ・・・どうして僕を助けて・・・」

 

「・・・兄弟は、助け合うものだろう。それを、目の前で傷つけあうところなど、俺は見たくない」

 

 呻くように告げながら、前を向く。

 

「おい、フェニックス。再会を喜ぶ弟に攻撃をぶつけるなど、お前、何を考えているんだ!」

 

「──黙れ、外道の説法になど貸す耳持たん!」

 

「うわっ! だからっ!! 勘違いだと言っているだろう!!」

 

 地を蹴り、一瞬で俺の眼前に現れたフェニックスは、アイオロスを抱え身動きの取りにくい俺へと高速で打撃を加え始める。

 背後には瞬がいる。聖闘士とはいえ迷いのある少年を危険に晒す真似は避けるべきだ。俺は、憎しみの籠もった一撃一撃を小宇宙を込めた片手で防ぎながら声を張り上げた。

 

「──聞け!! エスメラルダは生きている!! 今この場にはいないが、治療は済んだ。後は精神が回復すれば、すぐに会えるようになる!!」

 

「世迷い言を抜かすな!!」

 

「事実だっ! あの少女は、黄金聖闘士を前にしても懸命に立ち上がり、生在る未来を勝ち取った!!」

 

「ならば何故貴様は逃げた! 何故、あの島に留まらなかったのだ!!」

 

「それはっ・・・あの島に残れば、俺もエスメラルダも、危険だったから、」

 

 痛い指摘に、言葉が詰まる。

 乙女座のシャカの襲撃。

 俺達はかの者から逃れ、生き残るために、デスクイーン島を離れざるを得なかった。

 それが、あの時の最善だった。あの後、ジャミールでの修行中も、アネモスにフェニックスに当てた手紙を運んで貰ったりもしたが・・・タイミングが悪かったのか、既に、デスクイーン島にこの少年の姿は無かった。

 

「・・・」

 

 ああ、だけど。

 俺は自らの犯した過ちに気づき、ぐっと奥歯を噛む。

 そうだ、俺は、修行やらアテナやらと他のことばかりを優先して、フェニックスがどんな気持ちでいるのかなんて、一度として考えてもみなかった。

 子供でも聖闘士なのだから、強い精神をもっているとか、エスメラルダに会えば誤解が溶けるだとか・・・そういう問題ではない。 大切な人を失った一輝の苦しみに寄り添おうとしなかったから、今こうして憎悪の念をぶつけられている事態に発展した。

 俺からすれば勘違い。けれど、この一輝からすれば、俺は最愛の少女の亡骸を奪った、仇。

 

 ──憎しみで実の弟を攻撃してしまうほどに、この少年が追い詰めたのは、他ならぬ俺なんだ。

 

 

「──喰らえッ!!」

 

「しまっ、」

 

 

 心の隙を、鳳凰が見逃すはずもなく。

 憎悪の炎を纏った拳が、俺のガードを抜け、急所である心の臓を狙う。

 俺には聖闘士たちのような鎧はない。だが、ある程度の攻撃ならば防げるくらいの小宇宙は、身に宿っている。

 当たっても死ぬことはないだろう。

 

 ・・・それでも、と、確信する。 

 

 ──きっと、さぞかし、痛いのだろうな。

 

 この少年の一撃は、確実に、俺の心の奥深いところを抉るだろう。

 まるで他人事のようにそう思考しながら、俺は訪れるであろう衝撃に備えて身を強ばらせた。

 

 

 ──瞬間、宙を駆け抜けたのは、黄金の閃光だった。

 

「なっ!?」

 

「──、」

 

 まさしくそれは、光の速度。

 人の限界を超えた、最高潮の聖闘士にのみ許される、奇跡の体現。

 オルフェでも、シオンでもない。今この場で、その奇跡を起こせる者など、一人しかいなかった。

 

「お前は、まさか、」

 

 俺は、フェニックス一輝の拳を受けとめる、黄金の鎧を纏う者の背中に、掠れた声で呼びかけた。

 

 

「──アイ、オロス」

 

 

 名を告げると、顔も見えぬのに、ふっ、と顔を綻ばせる男の気配があった。

 まるで最初からそこに存在していたかのように、射手座の聖衣を身に纏い、俺と一輝の間に立つ、英雄の姿。

 背中の瞬と、目の前の一輝。

 そして、会場中の人間の目を一身に集めた射手座のアイオロスは、迷いなく、凜と、紡いだ。

 

 

「──アトミック・サンダーボルト」

 

 

 最強の戦士の奥義が、炸裂する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大会は一時、中止となった。

 アイオロスの放った一撃により、フェニックスの一輝は吹き飛ばされ、少年は、暗黒の聖衣を纏う者達を連れて離脱を余儀なくされた。

 しかし聖衣にはひびが入る程度で本人はぴんぴんしていたから、幾分か時が経てば、また襲撃してくるだろう。

 

 俺の窮地を救ったアイオロスは、意識を取り戻したかと思いきや、奥義を放った後、糸が切れたように地面に崩れ落ちた。

 恐らく、初めから目は覚めていなかったのだろう。無意識で・・・それでも戦いの気配を察知したアイオロスは、無理やり身体を動かして、フェニックス一輝を追いやった。

 

「・・・まったく、また助けられてしまったな」

 

 フェニックスの攻撃が当たっても、死ぬことはなかったというのに。無茶をしすぎなんだ。お前は。

 寝台に横たわるアイオロスに、術による治療を施しながら、俺は苦笑いを零した。

 

 

「・・・太陽神ヘリオス。貴方が生きていたことにも驚きましたが、まさかこのような形で(まみ)えることになろうとは、思ってもいませんでした」

 

「俺も予想だにしない再会だったさ、()()()。だが、先にシオン達と合流していてくれてよかったよ」

 

 

 と、寝台の周りを囲う、遮光の役割を果たす真白い垂れ布を閉じて、俺は部屋に集まった者達を見渡した。

 

 亜麻色の長髪をした、戦神アテナの化身たる美しい少女、城戸沙織。

 先程まで、銀河戦争を繰り広げていた六人の青銅聖闘士(ブロンズセイント)の少年達。

 そして、俺の同伴者、聖域の教皇シオンと、琴座のオルフェ。

 

 僅かに沈黙に包まれつつあった真白い部屋の中。

 始めに口を開いたのは、険しい表情をした星矢だった。

 

「・・・信じられないね」

 

 アテナと、俺を交互に見た星矢の瞳に浮かんでいたのは、困惑と、強い怒りだった。

 

()()()()()()()()()()? 十三年前の事件は嘘っぱちで、このヘリオスが神話に登場する太陽神ヘリオス・・・しかも時を超えてきた? 冗談はよしてくれ!」

 

「全て事実だ、ペガサスよ」

 

「・・・っ事実、だとして・・・いきなりそんな話をされて、俺達にどうしろっていうんだよ」

 

「ただ、聞いて欲しい。我らの話を聞いたその先は、お前達の意志に委ねる」

 

「・・・・・・」

 

 静かに告げるシオンに、星矢は開いた口を静かに閉じた。

 アテナと、彼ら聖闘士の少年たちには、俺がアイオロスの治療をしている間に、シオンの口から真実を話してもらった。

 俺達の正体、フェニックスとエスメラルダの話、そして十三年前の事件の真実。

 すぐに信じて貰えるとは思っていなかったので、訝しむ彼等の反応は仕方が無いと思うが、意外だったのは、アテナと青銅聖闘士たちの関係性だ。

 なんと、青銅の少年たちは、城戸沙織がアテナである事実を知らずに、アテナの下で戦いを繰り広げていたのだ。

 それも全ては聖域に潜む邪悪を誘き寄せるという、アテナの作戦によって。

 

「沙織お嬢さん、あんたは、この者達の言葉を信じるつもりなのか」

 

 少年達の中でひとりだけ目立つ金髪をした少年が、低く言葉を投げかける。

 アテナは、ひとつ瞬きをしてから、真っ直ぐな意志の籠もる瞳で答えた。

 

「──信じます。私は、十三年前の惨劇で、射手座のアイオロスにより命を助けられた身。お爺さまにも、聖域で語られる事件には裏があると、よく聞かされてきました。そしてなによりも、邪悪さとはかけ離れた彼らの小宇宙を見て、確信しました。彼らの語ることこそが、十三年前の真実なのだと」

 

「・・・ふん、あの城戸光政に、ね」

 

「俺も、ヘリオスの話は、真実だと思う」

 

「なっ、紫龍、お前までどうしちまったんだよ」

 

 青銅の少年達の中で唯一人、揺るぎのない意見を発した紫龍に、星矢は慌てたように言った。

 俺も驚いて、紫龍の顔をまじまじと眺める。

 意外そうにしている俺の視線に気づいたのか、紫龍は笑みを浮かべながら言葉を放った。

 

「理由は二つある。一つは、大恩ある老師が、十三年前の事件を語る際、一度としてヘリオスやアイオロスを悪く言わなかったことだ。老師のことだからなにかあると思っていたが、ヘリオスの話が事実なら、納得がいく」

 

「ムッ、確かその者は、」

 

「俺の師、天秤座(ライブラ)童虎(どうこ)。皆親しみと尊敬の念を込めて、老師と呼んでいるのだ」

 

「ああやっぱりそうか! アネモスの傷を治療してくれた男は、紫龍の師でもあったんだな」

 

「アネモス・・・そう、先ほどの十三年前の話に登場した、天馬(ペガサス)。かの者が二つ目の理由に該当する」

 

 紫龍は落ち着きを払った口調で、昔を思い出すかのように口角をあげる。

 

「聖闘士になるための修行を始めてまだ間もない頃、麓の村からの帰り道に、崖から足を踏み外してしまったことがあってな。・・・老師も近くにおらず、死を覚悟したとき、俺は空を駆ける一頭の天馬に助けられたのだ」

 

「・・・なるほど、アネモスとはそのような経緯で出会っていたのか」

 

 納得したとばかりに頷くと、紫龍は困ったように眉を下げて言う。

 

「出会った・・・ああ、出会いはしたのだが、なかなかアネモスは俺の前に姿を表してくれなくてな。修行に明け暮れる日々の中、近くにその気配を感じることもあったが、ここ一、二年はすっかり気配すら感じられなくなっていた」

 

 ふむ、だからさっきは、あんなに慌てた顔をしていたのか。

 多分アネモスは、本来ならば姿を隠さないといけないと分かっていても、崖から落ちた紫龍のことが心配で、時間を見つけては近くで見守っていたのだろう。

 そして、紫龍が力をつけてからは、もう心配は要らぬとそっと側を離れたのだ。

 アネモスの心の内を想像しながら、俺は紫龍に向けて安心させるように笑みを湛えた。

 

「だったら、紫龍が真実を知った以上、アネモスが隠れる意味はなくなったはず。機会があれば、また会えるだろう」

 

「! そうか・・・まだきちんと助けて貰った礼を言えていなくてな。そのときが来るのが楽しみだ」

 

 つられたように笑う紫龍に、俺もまた微笑ましいなあと頬を上げた。

 元気かなアネモス。まだそう長く離れたわけではないが、留守番と聞いたときはだいぶ落ち込んでいたから、少しばかり心配だ。

 

「コホン・・・積もる話もあるのだろうが、本題に戻るぞ」

 

 と、話が脱線する気配を察知したのか、シオンが咳払いを零して、軌道を修正する。

 慌てたように緩まった顔を戻すと、シオンが聞き取りやすい声で言葉を放った。

 

「話したように、我々は紆余曲悦を経て、アテナの下へ訪れた。皆、思い思いの意見があるだろうが・・・そろそろ、聖域の者達が動き出す頃合いだろう。フェニックス一輝の件もある。ゆえに、お前達の意志を問いたい」

 

 一人一人の少年達の瞳を見据えて、シオンは問うた。

 

「今、この場で退くか。それともアテナの下で、我らと共に戦うか。二つに、一つ。自らの望む道を選んでくれ」

 

「「「・・・・・・」」」

 

 真剣な表情でそう言ったシオンと、重苦しくなった青銅の少年たちの空気。

 俺ははて、と内心首を傾げた。

 そういえば青銅の少年達は、城戸沙織がアテナであることも知らず、またアテナもその事実を告げていなかったようだが。

 ふつう、自らの奉ずるアテナの正体が知れたのなら、敬意や恭しさを態度に出すと思うのだが、そういった様子の者は約一名黒髪の少年を除いて一人もいない。

 

「・・・なあ、オルフェ、俺たちが合流する前に、アテナと少し話をしたらしいけど・・・もしかして、アテナと青銅たちって、仲が良くないのか?」

 

 こそこそとオルフェの横に移動して、周りには聞こえないように小声で聞いた。

 俺の問いに、オルフェはサングラスを外して、困ったような笑みを浮かべて言った。

 

「・・・ヘリオス神にはまだお伝えできていませんでしたね。既に、テレビにて放映された情報ですが、説明いたします。彼ら青銅の少年達は皆一様に、グラード財団に集められた、孤児なのです」

 

「・・・孤児?」

 

「はい。アイオロスがアテナを託した城戸光政という男を覚えておいでですね? かの者は、百人の孤児を集めると、聖闘士にするため強制的に世界の各地へ送りこんだのです。・・・そうして、そのうちの十名の少年が、青銅の聖衣を持ち帰り、大会への出場を余儀なくされた」

 

「オルフェ・・・?」

 

「申し訳ありません、アテナに会う前には、きちんと伝えるつもりだったのですが・・・」

 

「い、いや、いい。・・・しかし、そうなると、この少年達は、自らの意志で聖闘士になったわけでは、ないんだな?」

 

「・・・そうなりますね」

 

「・・・・・・」

 

 オルフェの語る真実を前に、俺は口を閉ざさざるを得なかった。

 どくどくと五月蠅くなり出した心臓の音。得体の知れない感覚に震え出す、小さな指先。

 ふと、嫌な思い出が蘇る。

 

 ──これではまるで、アベルの傀儡にされたアルバフィカと、何ら、変わらないではないか。

 

 人を駒としか見ていないからできることだ。

 城戸光政。既に死したかの者よ、いったい何が、お前をそうさせた。

 神の意志なら・・・アテナか? それとも、別の何者か。

 

 それに、百人の内の、帰ってこなかった残りの九十人の子供はどうなった? 

 

 どろどろと、心の奥底に黒く淀んだものが生まれるのを感じながら、俺はハッと周囲を見渡した。

 眉を下げ、気を遣うような問いを投げかけた、シオンの真意。

 六人のうち、重く口を閉ざした五人の少年。

 そして──、

 

「──いいえ、シオン。彼等の道は、既に定まっています」

 

 沈黙を守っていたアテナが、口を開いた。

 

「ここで逃げたとて、彼らに聖域から逃れる力はありません。戦うほかに、選択肢は残されていないのです」

 

 アテナは、十代前半とは思えぬほどに冷酷な声音で、裁定を下した。

 戦神らしい。どちらかといえばアテナよりも、戦神アレスに近い残酷さがそこにはあった。

 シオンが開いた口を閉じて、なにやら考えを巡らせている。オルフェは沈黙を守り、青銅のうち五人の少年は憤りにも近い空気を醸し出す。

 アネモスの話をしていた際はにこやかだった紫龍も、今は既に表情が無い。

 

 

 俺は、耐えられなかった。

 

 

「──駄目だ、そうではない、それでは、意味がないんだ・・・!」

 

 

 俯きながら、しかし重苦しい空気を吹き飛ばす勢いでもって、言葉を発する。

 肩が震える。手の指先が、冷たい。だけど、後悔の無い未来をつくるために、今ここで、変えなくちゃならないものがある。

 

「いきなりどうしたんだ、ヘリオス。大丈夫か?」

 

 迷子の俺に声をかけてくれた時と同じ、心配するような星矢の声。

 そう、優しかった。この少年も、紫龍も。兄を心配する瞬も・・・大切な人のために憎しみに心を奪われた一輝も。青銅の少年達はみんな、優しい心を持っていた。まだ話していない者もいる。だけどわかることがある。それは、彼らが自分の力で立ち上がって、ここまで頑張って、生き残ってきたということだ。

 

 俺は。

 

 俺は、まずは彼等の想いを尊重したい。そして、アテナに知って欲しい。彼等の優しさと、勇気の在り方を。

 ざわつく自らの心を落ち着かせるように大きく深呼吸をして、勢いよく顔を上げる。

 全力の決意を言葉にのせて、放つ。

 

 

「──シオンも、アテナも、そもそもが違うんだ」

 

 

「・・・違う、とは?」

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

「・・・は?」

 

 ぽかんと口を開けるアテナと、シオン、目を瞬かせる少年たちに、俺は当然のように続けた。

 

「だってそうだろう。順当にいけば、もう一人のサガによる俺とアイオロスの抹殺命令、あと銀河戦争につられて、聖域から聖闘士達がやってくるのだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()。だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「「・・・・・・・・・」」」

 

 

 真剣な眼差しで言い終える。

 静寂。

 誰も言葉を返さない。

 

 理解は、している。俺の発言がいかに馬鹿らしいことなのかは。

 だって、初めから戦わずに済むのなら、誰だってそうしたい。だけど、話し合いによる解決ができない相手が存在するからこそ、彼らアテナと聖闘士達は存在する。

 

 でも、だからこそなんだ。

 

 もう既に対話では解決不可能だから戦わねばならぬという前提条件。彼等の存在理由(レゾンデートル)に、俺は異を唱える。

 何故なら、今回の相手は、冥界神ハーデスでも邪神エリスでも戦神アレスでもない。

 聖闘士だ。

 人の子だ。

 仲間だ。

 ならばまずは、言葉をつくせ。言葉という人智をつくして、和解しろ。

 拳という手っ取り早い解決手段ではなく、苦しくても哀しくても、言葉での解決を優先しろ。

 

 ──だって、地上の平和を守りたいという最大の願いを、お前達は既に共有しているのだから。

 

 

「・・・ん?」

 

 

 するとふいに、視界の端に、肩を震わせるシオンの姿が目に入る。

 

 

「──くっ・・・ハハハハハ!」

 

「!?」

 

 シオンは、腹を抱えて爆笑していた。

 

「ヘリオス、お前っ・・・フッ、アハハ! 流石、教皇宮に魚をもってきてぶちまけただけはある!!」

 

「・・・はあっ!? ちょっ、お前、シオン!! どうして今その話をするんだ・・・!?」

 

 唐突に黒歴史を暴露されて顔を真っ赤にしながら抗議すると、今度はオルフェが、どこか愉快そうに言葉を放つ。

 

「実際、妙案かと。いずれ避けては通れぬ道。それも、こちらから攻め込むのではなく、向こうから来てくれるのであれば、我らは万全に()()()()()()()()()、構えていればいい」

 

「・・・正気で言っているのですか」

 

「正気だ。それに、話し合いによる解決は、もとよりアテナの一番の望みなんじゃないか」

 

「それは・・・そうですが」

 

「自信を持て戦神アテナ! お前がその気になれば山だって空を飛ぶ。神話の時代より地上を護り続けてきたお前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。困ったときは俺達がなんとかするから、だから諦めずに一緒に頑張ろう!」

 

「・・・・・・、」

 

 アテナの瞳が、揺れる。

 終始一貫して迷いのなかった少女の相貌に、始めて、逡巡とも呼べる感情が浮かび上がる。

 俺は、ようやっと緩まった場の空気に、小さく安堵の息を吐き出した。

 

「・・・まあそういうわけで、星矢たち。もう、望まぬ戦いをする必要はなくなった」

 

「エッ? でも、ヘリオス・・・神。これからどうするつもりなんですか?」

 

「どうするつもりとは?」

 

 辿々しく発せられた瞬の言葉に、俺は鸚鵡返しに言った。

 瞬は、戸惑い混じりに続けた。

 

「具体的にです。こちら側は君・・・じゃなくて貴方と、白銀の聖闘士一人、教皇のシオン様に、意識のない黄金聖闘士が一人。・・・そして、沙織お嬢さん。しかし相手は、一輝兄さんと暗黒聖闘士、加えて聖域からの刺客たち・・・多くの聖闘士がここに攻めてくるかもしれないのに、これでは。どう見ても戦力が足りていない」

 

「そうか? 別に戦わないなら、なんとかなるだろ」

 

「和解に失敗したら戦うことになるんですよ!?」

 

「そこはほら、頑張れ俺たち! ってことで・・・・・・駄目?」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 口を開けたまま眉をハの字に固定する、残念なものを見るような瞬の顔に、思わず閉口。

 おかしいな。よく見れば、瞬だけでなく他の人の子達からも、凄く呆れた空気を感じる。

 

 

「──ハア・・・仕方がない奴だな」

 

 

 そう言って、星矢が一歩、歩み出す。

 

「・・・星矢?」

 

「付き合うぜ、ヘリオス。あいにく、ペガサスの聖衣は破損して纏えないけどな」

 

「!!」

 

「フッ、俺も乗った」

 

「・・・紫龍まで、いいのか!」

 

「アネモスの件もあるが、なによりも、力を失いながら聖域を守ろうとした者の名誉が毀損され、命まで狙われている事態だと聞いて・・・黙っていられるほど、俺は腐った人間ではない」

 

「・・・二人とも」

 

 じんわり涙ぐみながら、俺は星矢と紫龍をみやった。

 ニッコリ頼もしい笑顔を浮かべると、星矢は他の青銅の少年に声をかけた。

 

「それで、お前達はどうするんだ? ・・・邪武(じゃぶ)は聞かずとも答えは出てるんだろうが」

 

「はっ、分かってるじゃねえか。言われなくても、俺は最初から沙織お嬢さんに着いていくつもりだぜ。・・・那智(なち)、お前は?」

 

「俺も戦うかね。大会を滅茶苦茶にしてくれた一輝の野郎が戻ってくるなら、あの黒い聖衣を纏った奴ら同様、一発殴ってやらないと気が納まらん」

 

「・・・血の気の多い奴らだ」

 

 金髪の少年が、呆れたように息を吐く。

 

「私闘を繰り広げる聖闘士を粛正するために、聖域より使わされて・・・よもや、聖域を相手取る事態になろうとはな」

 

「っ! 氷河も戦うの?」

 

 瞬が驚いたように言う。

 すると、鋭い視線で、氷河と呼ばれた少年が答えた。

 

「勘違いするな、瞬。俺はお嬢さんも、このヘリオスを名乗る者たちも、信じてはいない。ただ真実を知るためには、迫り来る戦場に参じる必要があると判断したにすぎない」

 

「そっか・・・氷河も皆と一緒に戦うんだね」

 

「・・・・・・俺の話、聞いてたか?」

 

「僕も、戦います。未だ信じられないことばかりだけど、兄さんを説得するためにも、ヘリオス神、微力ながらも協力します」

 

 真っ直ぐとした瞬の瞳に、俺はしっかりと頷いて返した。

 アテナが、どこか驚いた様子で青銅の少年達を見つめている。

 

「貴方たち・・・」

 

「・・・人の子が、自らの意志で助けてくれる。これほど頼もしいことはないな、アテナ」

 

「・・・・・・」

 

 思ったままを口にすれば、アテナも思うところがあったのか、硬い表情を和らげて、一人一人、強さと優しさに溢れた少年たちの姿を目に映していく。

 ・・・このアテナは、力を失った神たる俺とは違う。人として転生した女神なのだ。

 どのような生を送ってきたのかはわからないが、人としても神としても生きねばならない分、想像も絶するほどに多くの因果と使命を背負っている。

 それも今代のアテナは、赤子の頃に命からがら聖域を逃れるという経験をしているのだ。

 ・・・聖闘士たちだけでなく、俺もできるだけ助けになれるよう気を遣った方がいいかもな。

 

 心の中で独りごちて、記憶の中にあった恐ろしく強い戦神アテナのイメージを修正していく。

 そしてあらかた記憶の整理を終えると、今度は青銅の少年達にも感謝と、一人の少年に謝罪の言葉を伝えようと思い、口を開いた。

 

「有り難う、青銅の少年たち。・・・そして瞬。俺の不手際で、お前に兄の拳を向けさせてしまって、すまなかった」

 

 頭を下げる。

 しかし、返ってきたのは意外な一言だった。

 

「・・・いえ、ヘリオス神。多分、貴方も、勘違いをしています」

 

「なに?」

 

「僕を攻撃したときの、一輝兄さんのあの目。あれは間違いなく、僕自身に向けられたものでした。きっと、貴方のいうエスメラルダさんの一件以外にも、兄さんをあそこまで追い込んだ()()がある。だからどうか、独りで責任を背負い込まないでください」

 

「・・・瞬」

 

 ニコ、と美しい相貌を綻ばせて力強く言った瞬に、俺は感極まって声を震わせた。

 

 

「フッ、どうなることかと思ったが、話は纏まったようだな」

 

 

 シオンが紫の眼に優しい光を浮かべながら、言う。

 

「──丁度、ムウからテレパシーがあった。聖域に動き有り、と」

 

「っ、とうとう聖域が動き出したか・・・!」

 

 いよいよだ。

 俺はいつの間にか温かくなっていた拳を強く握りしめる。

 

「ならば早速、準備を始めるといたしましょう。ここが戦場(いくさば)になるか、和睦の地となるか・・・アテナ、全ては貴方のご意志の下に」

 

「──オルフェ。・・・はい。アテナの聖闘士たち。シオン、星矢、紫龍、瞬、氷河、邪武、那智・・・」

 

「・・・お嬢さん?」

 

 名を呼ばれたのが意外だったのか、自然と、一同の視線がアテナの元へ集まった。

 

 

「──そして、眩い太陽の神、ヘリオスよ。地上の愛と平和を守るため、皆、どうか(わたくし)に、力を貸してください」

 

 

 まさしく地上の護身者と呼べる、温かい希望の宿った瞳で、少女は願いを口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









28話をお届けいたします。

現在、ギガントマキアの盟の章を拝読しているのですが、もう文字がシュパッと、簡潔なのに戦う星矢達の情景がありありと浮かんでくる素晴らしい小説で、自分の描写のつたなさや課題にぶちあたっております。

なにやら、星矢の新シリーズがこれから始まるようで、しかも冥界で異世界転生系の話と聞いて、「ナニソレハーメルン??」と疑問符が乱立してしまっています。
界隈は阿鼻叫喚だったりたのしみ!な意見もあったりと、様々ですが、個人的には、聖闘士星矢という作品が時代に合わせて残り続けていくことが、たいへん嬉しく、また楽しみでもあります。



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29話 序曲、虚構戦域を目指して

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教皇の間。

 

 聖域を守護する黄金十二宮の更にその先、アテナ神殿の門前に位置する宮である。

 平時ならば静謐かつ神聖なその宮には、しかし、騒然たる空気を纏う聖闘士たちが集っていた。

 

 黄金が三名。

 白銀が十名。

 

 教皇に招集を掛けられた聖闘士達は、跪きながら、アテナの補佐を務める教皇の言葉を待つ。

 

 

「──罠かと」

 

 

 と、玉座に腰掛ける教皇に向って、先頭の黄金の聖闘士が口を開いた。

 教皇は低く問い掛ける。

 

「罠とは。申してみよ」

 

「はい」

 

 先を促された黄金は、恭しく頭を垂れて、「僭越ながら」と言葉を続けた。

 

「かつて貴方が討伐された、邪なる太陽神ならびに、逆賊アイオロスの復活。神の力をもってすれば不可能ではない事象とはいえ・・・わざわざ、全世界の人間が注目をする場所に、ああも堂々と姿を現すなどという愚かな行為。これらは全て、聖域の戦力をばらけさせる目的で、何者かが仕掛けた策略としか考えられませぬ」

 

 一息に語った黄金の指摘に、複数の聖闘士が同調をあらわに頷いた。

 玉座に腰掛ける教皇は、跪く聖闘士たちの反応を観察しながらも、やがて重々しく言葉を放った。

 

「決めつけるには時期尚早だが、可能生はある。故にこそ、いたずらに混乱を広めぬよう、獅子座のアイオリアを筆頭とした者達には、情報統制をかけたのだ」

 

「・・・では、やはり。ここに集められた者達は」

 

「そうだ。既にかの中継で起きた出来事を知った者を中心に、招集をかけた。本件は早急かつ内々に処理する必要がある」

 

 言いながら、時間の問題だろうがな、と教皇は心の中で付け加えた。

 いくら情報が行き交わぬよう手を回したとして、既に聖域内外問わず、人づてに伝わる噂の流布はコントロールの及ばない範囲にまで広まってしまったのだ。

 直ぐにでも小うるさい連中がこの教皇宮までやってくる未来が見える。

 

「・・・日本のグラードコロッセオに現れた因縁深き姿の者共。彼奴等(きゃつら)が本物なのか偽物なのかは現状ではなんとも言えん。姿が十三年前のままであることも気に掛かるが・・・どちらにせよ、このまま放っておくことはまかり通らぬ」

 

「それでは!」

 

「うむ、アテナの意志を預かる教皇の名の下に命じる。黄金の三名は地上の脅威である存在の討伐。白銀の十名は黄金の補佐と並行しつつ、聖闘士の掟を破った青銅聖闘士(ブロンズセイント)共の資格剥奪、また射手座(サジタリアス)の黄金聖衣の回収と、銀河大戦を主催し青銅を煽動した“城戸沙織”という少女の身柄を確保するように」

 

「「「──御意に」」」

 

「──ああ、それとひとつ、言っておくことがある」

 

 教皇は立ち上がると、自らに向けられる視線の一つ一つを見渡してから、硬く言う。

 

 

「此度の相手は、まず間違いなく幻術を得意とする輩であるはずだ。偽物であれば見たままだが、本物の邪神ヘリオスも私と戦った際は卑怯にも幻術を用いてきた。精鋭揃いのお前達ならば心配は無いだろうが、万が一にも、敵のまやかしには惑わされぬように」

 

「・・・なんと! 畏まりました」

 

 黄金も白銀も関係なく、聖闘士達は先ほどよりも表情を引き締めると、了承の意を示すよう深く頷いた。

 そうして、物々しい空気を醸成しながら、聖闘士たちはそろって宮を後にする。

 

 

 教皇の間は、普段の静寂を取り戻した。

 

 

「・・・・・・ハア」

 

 

 黄金の兜をはずし、憂いに満ちた翡翠の瞳が露わになる。

 双子座のサガ。

 十三年前の事件の首謀者であり、また神の手により善と悪の二つに人格を分かたれた、哀れな人間。

 苦節の時を経て、ようやっと異国の地にて生存する同胞達の姿を確認したサガは、硬く瞳を閉ざしながらも安堵の息を吐いていた。

 

「──生きていてくれたか、アイオロス・・・そして、ヘリオス」

 

『馬鹿者め。まだ本物と決まったわけでも無かろうに』

 

「・・・・・・」

 

 嘲笑。頭の中に、響き渡る声。

 それは、冥界の神が放った、悪霊レムールにより生まれた者。

 悪徳を尊び、地上の支配を目論む、もう一人のサガの声だった。

 

「あれは、私が異次元の最果てに送り込んだ二人だ。間違いない」

 

『フン、だとすればお前の不手際だ。余計な真似ばかりに精を出しおって』

 

「・・・例え嘘を重ね、虚実を創り上げたとしても、お前も私もいずれ報いを受ける」

 

『このサガが? ハハハッ!! 笑止な、だとすれば何故、先ほどは邪魔をしなかった。あれほどの聖闘士を相手にすれば、いくらあの教皇が生きていたとしても、殲滅は避けられんよ』

 

「・・・・・・」

 

 クツクツと哄笑を浮かべるもう一人の自分に、サガは、もはや哀れみ混じりに告げるのだった。

 

 

「・・・──愚かで卑劣な、もう一人の私よ。お前は十三年前の戦いを経てもなお、何一つとして、理解できていないのだな」

 

 

 冷たい玉座から立ち上がると、サガは足早に歩き出した。

 床を蹴る硬質な音が、教皇の間に響き渡る。

 

 

 ──どうにも先日から、嫌な予感が胸中をざわつかせてくれる。

 

 

 得体の知れぬ焦燥感に苛まれながら、サガは星読みの地であるスターヒルを目指した。

 

 

 

 声はもう、聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一輝様! 我ら暗黒四天王(ブラックフォー)ただいま到着いたしました!」

 

 

 時刻は夕方。

 まばらに立ち並ぶ摩天楼の海の中、天を穿つ超高層ビルの屋上に、彼等は集結していた。

 暗黒聖闘士(ブラックセイント)

 私利私欲のために力を使う彼等は、聖闘士になれなかった者や聖闘士の資格を剥奪された者たちにより構成されている。

 その存在はアテナにさえ見離れたと言われるほどだ。

 

「・・・揃ったか」

 

 沈み行く太陽を眺めながら、フェニックスの一輝は煮えたぎる殺意に満ちた声を漏らす。

 

「お前達を急遽招集したのは他でもない。あれだけ探しても見つからなかった怨敵がのこのこ姿を現した。憎き血筋もろとも、根絶やしにしてくれる」

 

「あのヘリオスとかいう巫山戯た子供と、城戸光政の血をひく者達ですね」

 

 暗黒ドラゴンが跪きながら言った。

 一輝は振り返ると、部下である暗黒四天王と、その後ろに控える暗黒聖闘士たちに、憎悪に濡れた双眼を晒す。

 

「そうだ! あの憎きヘリオスの首は俺が獲る。お前達の使命は、俺の邪魔をする聖闘士どもの抹殺と、射手座の黄金聖衣の奪取だ」

 

「一輝様!」

 

 暗黒ドラゴンの隣に膝をつく、暗黒スワンが口を開いた。

 

「グラードコロッセオにて一瞬、黄金聖衣を纏った、アイオロスとかいう男はいかが致しますか? どうも諜報部隊の情報によれば、十三年前に聖域を荒らした射手座のアイオロスが蘇ったなどという巫山戯た噂も流れているようなのですが・・・」

 

「──・・・お前達では相手にならん。俺に奥義を放ったときの容体からして今頃寝こけているはずだが・・・今は手を出すな。此度は、怨敵の心臓を引きずり出すことだけに集中する」

 

「ハッ! 畏まりました!」

 

「・・・・・・行け」

 

 指示を受けた暗黒聖闘士たちは、屋上の鉄柵を飛び越えて、ビルの側面を駆けて消えていく。

 

「それでは、我らも御前を失礼します」

 

「我らが主、一輝様に輝かしい勝利を!」

 

 暗黒四天王たちも、恭しい礼とともに、夕日とビルの光に彩られた下界へ飛び込んでいった。

 

「・・・・・・」

 

 一人残された一輝は、自らの聖衣に刻まれた傷を手でなぞった。

 グラードコロッセオにて、怨敵を前にみすみす撤退を余儀なくされた、アイオロスとかいう男の奥義──アトミックサンダーボルトによる、聖衣の損壊。しかしその一撃により破損した傷は、聖衣の自己修復機能によって、徐々に塞がりつつあった。

 

 ──射手座のアイオロスが蘇ったなどという巫山戯た噂も──。

 

 

「・・・フン、仮に黄金聖闘士だったとしても、俺の邪魔をするなら殺す」

 

 

 そう、殺す。

 例え差し違えてでも、あのヘリオスを殺す。

 今の一輝にあるのは、罪なき少女の遺体を攫った悪魔をばらばらの残骸にしてやりたいという衝動だけだった。

 

 

「・・・日が沈んだか。太陽を騙る貴様が死ぬには、良い頃合いだ」

 

 

 ──荒れ狂う憤怒の炎が無限に内圧を高め、解き放たれる瞬間を今か今かと渇望している。

 一輝は鈍色の瞳で東京の町並みを睥睨すると、勢いよくビルから飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の瞳を輝かせながら、たっぷりの蜂蜜を入れたホットミルクを見つめる。

 

 食欲をそそる香り。ほかほかの湯気も黄金の蜂蜜が溶けた絹色のミルクの見た目も大変グッド。

 グビッと一気に飲みほしたい。

 しかし、重要なのは味だ。

 コーヒーとかいう、香りは良いのに苦くて酸っぱい飲み物に一敗をきしたばかりのヘリオスは、慎重にコップへ唇をつけた。

 

 

「──う、美味い・・・!!」

 

「よかった、お口に合いましたか」

 

 ニコニコと頬を綻ばせる瞬に、ヘリオスは心の底から首を縦に振った。

 アイオロスの治療や、聖域や一輝たちとの話し合いの準備を終えたヘリオスは、所定の位置に向って廊下をあたふたと走り回っていた。

 そんな折に「少し休みませんか?」と提案をしたのが瞬だった。

 アンドロメダの瞬。彼はこれから襲撃をしてくる、フェニックス一輝の弟である。

 辰巳を除き使用人の避難が終った城戸邸の厨房を借りて、瞬はわざわざ皆のために茶や珈琲を用意してくれたのだった。

 つかの間の休息ではあるが、椅子に腰を下ろす瞬間、必要以上に自らの筋肉が強張っていたことに気がついたので、ヘリオスにとって瞬の提案は僥倖でしかなかった。

 

「・・・ジャミールで振る舞って貰ったバター茶も美味かったが、このミルクも驚くほど美味しい。材料が良いのか蜂蜜とミルクの比率が良いのかはわからないが、ほっとする味だ。セレネにも飲ませてやりたいくらいだ」

 

「セレネ? ああ、そういえば、貴方も妹が二柱いる、兄でしたね」

 

「そうとも。俺より大人っぽいのが暁の女神エオス、目に入れても痛くないほど可愛いのが月女神セレネだ。・・・というより、瞬はあっさりと俺が神なのだと受け入れてくれたな」

 

「ええ、嬉しかったので」

 

「嬉しかった?」

 

 不思議そうに問うヘリオスに、瞬は澄んだ瞳を向けて答える。

 

「僕を庇いながら“兄弟は助け合うものだ"と言ってくれた言葉が、嬉しかった。だから僕は、貴方を信じることにしたんです」

 

「・・・それだけで?」

 

「それだけで」

 

「・・・・・・」

 

 ・・・恐らく根が正直で真っ直ぐなのだろう。

 信じてもらえるのはヘリオスとしても大変嬉しかったので、そう納得することにした。

 するとヘリオスの意味ありげな沈黙に察しが着いたのか、瞬は付け加えるように言葉を連ねる。

 

「それに、アテナの聖闘士である僕は言うのもおかしく聞こえるかもしれませんが、僕は出来ることなら誰も傷つけたくない。戦いは苦手なんです。ですから、話し合いで戦いを収めようとする貴方に、協力したいと思った」

 

「! ・・・そう、だったんだな。戦いが苦手だと明言する聖闘士には、初めて会った」

 

「フフ、そうでしょうね。僕もよく女々しいと言われます」

 

「・・・女々しい、か」

 

 自嘲的な笑みをつくる瞬に、ヘリオスは僅かに思考を回した。

 やがて空になったカップを手に立ち上がると、瞬へ身を向けて言葉を放つ。

 

「瞬は、格好いい奴なんだなあ」

 

「・・・あれっ? 今の話を聞いた感想がそれですか・・・!?」

 

「だって、そうだろう。周りにどれだけ言われても、自らの意志を揺るがすことなく、傷つく痛みを知っているから傷つけることを拒んで・・・そして、戦いを嫌っていても、フェニックスとの誓いを果たすために、命懸けの修行を乗り越えて聖闘士になった」

 

 満面の笑みで、ヘリオスは確信を込めて言った。

 

「アンドロメダの瞬。お前は太陽の照り返しがなくとも、自ら光り輝ける、格好いい奴だよ」

 

「・・・ヘリオス神」

 

「そろそろ、時間だな」

 

「!」

 

 窓枠越しに沈み行く太陽を見つめながら、ヘリオスは真剣に言う。

 ガラリと纏う雰囲気の変わったヘリオスの姿に、瞬も倣うように意識を切り替えた。

 

「──ヘリオス神、どうか兄さんを、よろしくお願いします」

 

「ああ! 偉大なるティタンの神々と、輝かしい太陽の名に誓う。必ずやフェニックスをお前とエスメラルダの待つ場所へ帰してみせる」

 

 ヘリオスの不手際と、先ほどアテナの口から語られた恐ろしい真実により生まれた、一輝の憎悪の念。

 一人の少年を蝕むには、あまりにも冷たく重すぎるそれらの憎しみに、決着を着ける時が来たのだ。

 

 

「あー、見つけた。二人ともここにいたのか」

 

 

 と、開け放たれた扉から、ペガサスの星矢を先頭に、ドラゴンの紫龍、琴座のオルフェが現れる。

 

「星矢! ・・・って、どうしたんだい。ふらふら歩いて、顔色も最悪だよ・・・!?」

 

 瞬が困惑混じりに声を上げる。

 すると、星矢に変わって紫龍が苦笑いを返した。

 

「色々あってな。だが俺も星矢も、これできちんと戦力に加われるようになった」

 

「・・・って紫龍もか! おいおい、怪我ならちゃっちゃと治療するぞ!」

 

「いや、大丈夫だ。ヘリオスもこれからかなりの小宇宙を使うのだろう? 気持ちだけ受け取っておくさ」

 

「そうは言ってもだな・・・」

 

「どうかご安心を。青銅の少年たちには、彼等の知らぬ小宇宙の真髄について、可能な限りレクチャーしました。今は、彼等を信じましょう」

 

「ムッ・・・オルフェがそう言うなら」

 

 先ほどまで血色も良く元気だった二人が、青白い顔をしているのはかなり気になるが・・・ヘリオスは渋々といった様子で引き下がった。

 

 合流した一柱と四人は、アテナである城戸沙織の待つ部屋へと移動する。

 

 城戸邸の最上フロアの一室に辿り着いたヘリオス達は、重厚な作りの扉を押し開けて、中へ入る。

 小型のテレビ画面が壁一面を覆うこの部屋は、城戸邸の周囲に張り巡らされた監視カメラの映像を逐一映し出す役割を担っていた。

 

「来たか」

 

 城戸沙織と会話をしていたらしいシオンが振り返り、ニッと口角を上げる。

 部屋には既に聖域の重鎮たるアテナとシオン、そして青銅聖闘士の氷河と邪武、那智が揃っている。巨大なスクリーンの前には、沙織の執事として唯一残る事を選択した辰巳の姿があった。

 ヘリオスが口を開く。

 

「アイオロスの治療は完了したが、まだ意識は戻らない。だけど、聖域との話し合いの準備はアテナと皆のお陰で、滞りなく完了した」

 

「有り難うございます、ヘリオス神。・・・予想だにしない方法でしたが、無事に結界の構築が済んで安心しました。問題はフェニックスの一輝ひきいる、暗黒聖闘士たちの相手ですが・・・」

 

「そちらは手はず通り俺達がなんとかしますよ! どうかご心配なさらずにお任せください、沙織お嬢様!」

 

「頼りにしています、邪武、青銅の聖闘士たち」

 

「!! は、はい!」

 

 アテナの言葉に、一角獣星座(ユニコーン)の邪武が嬉しそうに返事をする。

 心強い人の子だなあとヘリオスが眺めていると、呆れたように星矢が小声でぼやく。

 

「・・・ほんと、相変わらず簡単に言ってくれるよな」

 

「ハッ、怖いならお前は隠れてろよ。聖衣もないお前じゃ、速攻で退場を余儀なくされるだろうよ」

 

「ああ?」

 

「煽るな煽るな、星矢も邪武もうるせえぞ」

 

「アハハ・・・星矢達は、六年前と変わらないなあ」

 

 那智が諫め、瞬が苦笑いを浮かべる。

 ここだけ切り取れば年相応なやり取りに映るのだが、しかし彼等は聖闘士だ。

 

 

 ──パキン、パキン。

 

「こっ、これは・・・」

 

「辰巳、襲撃者ですか?」

 

「いいえ、人の姿はありません! ですが、カメラの画面に(しも)が張り付いています」

 

「霜?」

 

 奇妙な発言をする辰巳に、ヘリオスは視線を監視カメラの画面へ向ける。

 

「・・・ん? おお、三番と位置的に真逆の百八番の画面に雪が降ってるぞ。今の時代、この温かい時期でも雪は降るんだなあ」

 

「っ・・・!? 違う、この雪は自然現象などではない・・・!!」

 

「氷河?」

 

 終始冷静に振る舞っていた氷河の焦りように、紫龍が驚いて首を傾ける。

 三番のカメラは城戸邸の前門付近。

 百八番のカメラは後門を通過した広大な林地点に設置されてる。

 と、皆が眺めている一瞬のうちに、一番から三十番までと、百番台の数個の画面が凍り付き駄目になってしまう。

 物知り顔で頷いたのは聖域の教皇シオンだった。

 

「なるほど面白い。奴ら、同時に凍気を放ってきたか」

 

「シオン、分かるように説明してくれ」

 

「とどのつまり、()()()()()()()()()()()()()ということだ」

 

「・・・はあ、聖域にもフェニックスの方にも凍気使いがいるってことか? 手を組んでるわけにもあるまいに、同時に仕掛けてくるとか仲良いな」

 

「呑気に言ってる場合か! カメラの損傷数が膨大な前門には、俺の師である黄金聖闘士、水瓶座(アクエリアス)のカミュがいるはずっ・・・中途半端に構えていれば、あっという間に一帯を氷漬けにされるぞ!!」

 

「大丈夫だ白鳥星座(キグナス)、そんなことにはならないし、させない」

 

「ええ、全て、想定内です」

 

「!!」

 

 力強く言ったヘリオスとアテナの足下から、眩い閃光が迸った。

 魔方陣。

 時間の都合上、青銅聖闘士たちには簡易な説明しかできていなかったので仕方が無いが、いつ襲撃者が来ても問題が無いように、準備は万全にすませてあるのだ。

 アテナとヘリオス、そして協力者の小宇宙により生成された黄金の光に包まれながら、ヘリオスは一同の視線に頼もしい笑みで返す。

 

 

「──よし。アテナと聖闘士達、心の準備は済ませたか? 作戦会議の最初に言った通り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 今までは小宇宙も神力も足りず上手くいかない事ばかりだったが、知の女神たる母様の息子としての、本領を発揮する時が来たのだ。

 意気込むヘリオスに城戸沙織──女神アテナは、芯の籠もった目線で合図する。

 

「──それでは、結界を発動します。太陽神ヘリオスよ・・・!」

 

「ああ、頼んだ、戦神アテナ!」

 

 アテナの合図と共に、ニケの杖が、星の光を凝縮したかの如き、美しい輝きを解き放つ。

 

 聖闘士達が見守るなか、星光に包まれたヘリオスは──そのまま、光に溶けて、姿を消した。

 

 

 

 ──さあ、話し合いの始まりだ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








29話をお届けいたします。

読んでくださってありがとうございます。
お気に入り登録や、評価、ご感想など、たいへん励みになります。
お陰様で、ストーブをつけたり毛布にくるまったりしながら、楽しく執筆させていただいております。



次話から聖闘士星矢での恒例行事が始まります。






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30話 虚実のディスタンス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりが美しい夜。

 しんしんと、真白い雪が降り注ぐ。

 

 未だ、雪が降る季節ではない。

 普段よりもひときわ眩い月光が見守るなかで、冷たい雪華の粒達は温暖な東京の気候には気にもとめず、城戸邸を囲うように宙を舞う。

 

 それらが気軽に鑑賞を楽しめる存在だったなら、どれほど幸運だっただろう。

 

 大地に降り注いだ美しい雪の結晶たちは──ベキベキベキベキィッ!!! と空間を引き裂くような恐ろしい音を響かせながら、触れたもの全てを容赦なく凍り付かせていった。

 庭園に咲く小さな花々が、純白に染められる。

 植えられた樹木も、噴水も、一切の抵抗を許さず、冷たい氷の中に閉じ込められていく。

 

 呆気なく。

 

 城戸邸の門前を飾る美しい庭園は、現代の科学では説明のできぬ荒唐無稽な現象により次々と蹂躙されていった。

 しかし、それを可能とする力をもった人間が存在している。

 

 

「──カミュ。一人として、逃がしてはならないぞ」

 

「・・・言われずとも。射手座の黄金聖衣を狙って現れたらしい暗黒聖闘士もろとも、全てを氷牢に閉ざしてくれる」

 

 

 答えたのは、宝瓶宮を守護する黄金聖闘士、水瓶座(アクエリアス)のカミュだ。

 端正な容貌に、さっぱりと流れる深紅の長髪、ルビーアイに、真っ赤なマニキュアで指先を彩るこの男は、聖闘士のうちでも珍しい、氷の闘気を修得している戦士だった。

 

「・・・私が寄越した氷河の消息もつかめん。此度の事件の元凶が関与しているのであれば、もはや一切の慈悲もない」

 

 極めて平静を装ったクールな顔をしているが、その口から漏れたのは低く冷たい声だった。

 

「フッ、水瓶座のカミュよ。我々白銀聖闘士の任務を忘れてもらっては困るぞ」

 

「そうとも、城戸沙織とかいう少女まで氷漬けにされちゃ、俺達が教皇様に大目玉をくることになるのだ──、」

 

「・・・私が失態を犯すとでも?」

 

 ギロリ。

 あまりにも無機質なカミュの視線に、窘めるために物申した蜥蜴座(リザド)のミスティと烏星座(クロウ)のジャミアンは本能的な閉口を余儀なくされる。

 

 このカミュ、実は青銅聖闘士キグナスの氷河の師匠でもあった。

 

 六年間シベリアの地にて氷河を師事し、聖衣を与え、氷河に青銅の少年たちの抹殺を命じるように教皇に働きかけ、また今回の騒動を察知した際は、教皇に命じられるよりも先に、日本への出立を願い出るなどしている。

 

 過去に弟子を一人亡くしていることもあってか、手塩にかけて育てた氷河の消息は掴めない上、それは氷河がミイラ取りがミイラになったのか・・・はたまた敵の手により危機に陥っているのかも分からない現状は、カミュの苛立ちを増幅させた。

 

「おのれ、これだけ誘っているのに何故姿を表さない? このまま邸宅もろともコフィンに閉じ込めてしまおうか」

 

 ──とどのつまり、カミュはすこぶる機嫌が悪かった。

 

 城戸邸の前門を飛び越えて侵入した聖闘士たちの周囲は、既にカミュの心情をありありと映すかのように、鋭利な氷が所狭しと生成される地獄と化していた。

 

 

「・・・おいカミュ、後始末のことも考えろ。普段ミロにクールになれと言っているお前らしくもな、」

 

「──フリージングコフィンッ!!」

 

「──馬鹿者それは黄金が数人がかりでも壊せないやつだッ!!!」

 

 同僚の叫びも虚しく、極限まで凝縮された小宇宙が解き放たれてしまう。

 カミュの右手から発生し、眩いばかりに青白い光を撒き散らす氷の吹雪は、蜷局を巻きながら城戸邸目掛けて邁進していった。

 

 衝突まで、あと──、

 

 

「させると思うてか」

 

 

 

 誰かの声。

 七色の極光壁が、全ての凍気を跳ね返す。

 

 

「なっ、うぐぅ──ッ!?」

 

「ッがああああ!?」

 

 

 フリージングコフィン餌食となったのは、城戸邸ではなく、カミュを筆頭とした聖域の刺客たちだった。

 身体の芯まで凍てつかせる凍気を純白のマントでなんとかいなすものの、聖闘士達は硬い防御の姿勢を余儀なくされる。

 

「バカな・・・! このカミュの凍気を跳ね返せる者など──・・・っ?」

 

 苦渋を呑み込まされたように表情を歪めたカミュだったが、この絶好の機会に追撃を飛ばしてこない敵の奇妙な行動に、眉をひそめる。

 全神経を尖らせながらも背後の白銀聖闘士たちの状況を確認するが・・・一人として、凍り付いてはいない。

 どうやら、跳ね返されたフリージングコフィンの威力は、本来の威力の十分の一にまで拡散させられていたらしかった。

 

 ──なぜだ? 

 

 侮られているのか。

 かつて聖域を荒らした邪神ヘリオスか、はたまた姿をかたどった別の何者か。敵の正体はいまだ不明瞭だ。しかし少なくともテレビの中継を用いて、聖域を誘き寄せようと画策する連中であることに変わりはない。

 いや、たまたま偶然、カメラの前に映ってしまったなどという愚かな理由であっても、邪神ヘリオスと射手座のアイオロス本人である時点で討伐対象であることに変わりは無いのだが・・・だとしても、襲撃者に手心を与える意味が分からない。

 

 高速で思考を巡らせながら、カミュは猛風を耐え凌いだマントを勢いよく翻す。

 

 

「──!?」

 

 

 カミュは驚愕に息を飲んだ。

 敵の尊顔を拝んでやろうと向けた視線の先には、人っ子一人いないどころか、有り得ない、あってはならないものが存在していた。

 右手に勝利の女神像を。

 左手に正義の盾(アイギス)を。

 

 

 それは、地上を見守るように屹立する──()()()()()()だった。

 

 

 本来ならば聖域の黄道十二宮を辿った先にあるはずのそれは、瞠目するカミュの前に、まるで初めからそこにあったように聳え立っている。

 いや、アテナ像だけではない。

 振り向いて見れば、背後の白銀たちの先にいつのまにやら燭台が立ち並ぶ通路と、十二宮へ下る岩階段までもが生成されている。

 充満する静謐な空気も、女神の小宇宙に包まれた心安らぐ空間も、五感の捉える全ての情報が聖域そのものへと転換されているではないか。

 

「ここは、アテナ神殿なのか? ・・・いや、()()()

 

「ああ、幻術だろう」

 

頷いたのは、磨羯宮を守護する黄金聖闘士、山羊座(カプリコーン)のシュラだった。

兜を装着する緑がかった黒髪から、黄金の聖衣に包まれた足の指先までが、研ぎ澄まされた一振りの剣を連想させる。

武人調とした彼の性格を表す、切れ長の双眼が、周囲を警戒するように動いた。

 

「やってくれる。強制的にアテナ像の前まで飛ばされたのかとも考えたが、十二宮内ではテレポートは使用できん。フリージングコフィンを跳ね返すと同時に、敵は、我らを幻術の世界に放り込んだのだ」

 

 冷静に分析する山羊座のシュラの言葉に、カミュは下唇を噛んだ。

 試しに虚空めがけて小宇宙をこめた強打を叩き込むが、拳は虚しく空を引き裂くだけで、手応えはない。

 白銀聖闘士の何人かも周囲の床やの破壊を試みるが、傷一つつかない。恐らく力業では、この空間から脱出することはできないのだろう。

 

「なんということだ。・・・敵を侮っていたのは、私の方だったか」

 

「フッ、頭が冷えたなら切り替えろ。()()()()()()()()()()()()()()。今背中を預けられるのはお前だけだ」

 

「──なんだと!?」

 

 ハッと顔を上げて乙女座のシャカの姿を探すが、シュラの言う通り、影も形も残っていない。

 

「先程まで確かにシャカの小宇宙は残っていたはず・・・いつ消えた?」

 

「あのシャカのことだ。囮代わりに気配のみ残したのだろう。自ら幻術から逃れてどっかへ行ったのか、敵の手により分断されたかは定かではないが・・・心配は不要だろう」

 

「・・・相変わらずだな、シャカは」

 

 前者であることを願いたいが、何故だかそれはそれで自由が過ぎないか? とカミュは頭を押さえた。

 いくら聖闘士の戦いが一対一を基本としたものだとしても、相手が神であるならば話は変わってくる。主な発端はカミュにあった(とシュラと白銀聖闘士たちは確信している)かもしれないが、これ以上、敵地で統率が崩れる事態は避けなければなるまい。

 失態を挽回するためにも、カミュは自らの内に宿る究極の小宇宙──第七感(セブンセンシズ)を研ぎ澄ませ、気配を探る。

 

 

 ──と、怪しい影が視界の端から、階段下へと駆けて行った。

 

 

「──っ!! 待て!!」

 

「追うぞ!!」

 

 

 タイミングを合わせるように出現した謎の影を追い、十二名の聖闘士達はアテナの巨像に背を向けて地を蹴り上げる。

 一瞬きの後に辿り着いたのは、アテナ神殿の一区画。宮の一室だった。

 更にフロアを下っていけば教皇宮につくが・・・まるでカミュ達を誘き寄せるように現れた影は、忽然と、空間に溶けるように消えてしまう。

 

「・・・いったい何を企んで──、」

 

 

『ハァ、ハァ・・・急所は、ついた。スターヒルを落ちた先で、何者かに拾われていったが・・・フン、時間の問題だろう・・・』

 

 

「!?」

 

 黒い帳を編んだように、突然、闇の中から黒い法衣を纏った教皇の姿が現れる。

 いいや、影と表するべきか。五感ではなく小宇宙を高めた感覚で見れば、それが本物の教皇ではない形だけの幻影だとわかる。

 すわ、仕掛けてくるか。 

 咄嗟に身構える聖闘士達だが、影はそんな臨戦態勢の彼らには目もくれず、ふらふらと苦しげな声を漏らしながら蛇行していく。黄金の短剣を片手に引っさげた教皇の影が向う先には、大人が両手で抱えられるほどのサイズの、藁を編んで作られたカゴがあった。

 

 無意識に藁カゴの中を覗く。

 そこに納まっていたのは、柔らかい布にくるまれ幸せそうに微睡む、赤ん坊だった。

 

 剣と、その先の赤子。

 

「っ──まさか」

 

『うおおおお!!』

 

 察しがついたように誰かが呻いた瞬間、

 教皇は狂ったように咆吼をあげ、振り上げた短剣の切っ先を、無抵抗の赤子へと振り下ろした。

 咄嗟に手を出そうとする者もいたが、幻影に干渉する術はない。

 

 誰も、無抵抗の赤子に迫る凶刃を、止めることはできないのだ。

 

 

『──おやめなさい!!』

 

 

 間一髪のタイミングで、教皇の腕を掴む者がいた。

 ・・・聖闘士達はほっと胸を撫で下ろす。

 敵が生み出した幻覚だと理解しても、赤子が殺される光景など誰が望んで見るものか。

 彼らは意識するまでもなく、赤子を守った、新たな登場人物に目を向ける。

 

 ──瞬間、聖闘士たちの全身を、雷撃にも似た戦慄が貫いた。

 

 教皇の腕を掴む、()()()()()()()()()()()()()。それは、彼らの任務の討伐対象と同じ貌をしていた。

 ブラウンの短髪は、全ての生命を受けとめる、広大な大地のように力強く。

 宇宙の星々の煌めきを映した、優しくも温かい深緑の双眼は、見たものを安心させる不思議な魅力をもっていた。

 

 ・・・とくに面識のあったカミュとシュラは、かの者の予想だにしない登場の仕方に、全身を硬直させていた。

 

 秋空を吹き渡る風のように澄明に、過去の記憶が蘇る。

 彼らが幼く、まだ満足に戦えなかった頃。いつも太陽のような笑顔で導いて、時には背中を支えて、時には手を差し伸べ・・・双子座のサガと双璧になって、守ってくれた人。

 聖闘士としての在り方を説いてくれた、皆の羨望の対象だった存在。

 かつて英雄と呼ばれ、逆賊と身を堕とした裏切り者。

 

「・・・ぁ、」

 

『アイオロスッ!!』

 

『教皇!! 貴方はご自分のなさっておられることが分かっているのかっ!! この子は数百年に一度、神がおくだしになる女神(アテナ)の化身!! それをっ、』

 

『ええい、邪魔をするな、アイオロス!!』

 

 乱心した教皇が黄金の短剣を振り回す。

 アイオロスの影は、アテナの化身たる赤子を抱き留めると、教皇の短剣を素手で叩き落とした。

 ガガアアンッ!! と耳障りな金属音を轟かせて、教皇の黄金の兜が床を転がっていく。

 

『なにっ・・・!? 教皇、ではない。お前は──()()ッ!?』

 

『う・・・うう、見たな、アイオロス。私の素顔を見た者は、アテナ共々生かしておくことはできん! 死ね!!』

 

『くっ!!』

 

 教皇の法衣を纏ったサガが、アイオロス目掛けて破壊の小宇宙を解き放つ。

 アイオロスはアテナを抱えたまま、宮の窓を突き破って、下のフロアまで吹き飛ばされていった。

 

『誰か出会え──っ!! アイオロスが反逆を試みたあ──!!』

 

 サガが叫び、衛兵をアイオロスへけしかける。

 まったくの嘘偽りだ。今、アテナの命を狙ったのはアイオロスではなく、教皇に扮したサガのはず。

 息を吸うように真実を塗り替えたサガは、しかし、急激に呻き声を上げながら床に膝をつけた。

 

『ああ、アイオロス・・・この姿、お前にだけは見られたくなかった・・・』

 

 呆然と目を見開く聖闘士達の視線の先で、サガの影は、涙を流しながら闇に溶けていった。

 

 静寂。

 

 ハッと我に返った白銀の聖闘士達が、かぶりを振りながら掠れた声を出す。

 

「・・・・・・バカな。これではまるで、十三年前の事件は、サガが起こしたようではないか」

 

「っ・・・思い出せ! 教皇も仰っただろう、敵は幻術を用いてくる卑怯な輩だと!」

 

「いや・・・しかし・・・今でこそサガは教皇として敏腕を振るい信用を取り戻したが、事件当時は、サガも相当怪しばまれていたと聞くぞ」

 

「愚か者め。惑わされている場合ではないだろう。全ては幻。ならば、まずはこの空間から脱出するのが先決だ・・・!」

 

 伝え聞かされた顛末とは全く異なる幻の内容に、聖闘士達は思い思いの意見を口にする。

 そして、敵の策略にわざわざのっても時間の無駄だと、数人の白銀は来た道を戻ろうと振り返った。

 しかし、来た道は既に暗闇により閉ざされている。

 彼等は、進むしか無かった。

 

「・・・・・・まさか、本当に・・・」

 

「どうかしたのか、シュラ?」

 

「っ──・・・い、いいや。・・・ここまで趣味の悪い幻覚を見せておきながら、一切の殺意も、悪意も感じさせない敵とは、いったいどこの何者なのかと関心してただけだ」

 

 シュラにしては随分と珍しい、歯切れの悪い物言いに、カミュは少しばかり違和感を覚えつつも、同意するように頷いた。

 

「確かにそうだ。私の奥義を跳ね返すに留まらず、これだけの高精度の幻術を生み出す使い手であれば、その気になれば既に我々のうちの半分は倒されていてもおかしくない。それなのに、このような幻術を見せ続けるに甘んじるとは・・・まるで、私達と拳を交える気がないようではないか」

 

 思考をそのまま並べるように言うと、「・・・しかし」と、カミュはシュラへ向けて言葉を放つ。

 

「これが本当に十三年前の事件の改竄(かいざん)だとしても、この先はとくに惑わされることもあるまい。あの落ちていったアイオロスの影が次に辿り着くのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、巫山戯た寸劇も虚実だと一蹴できる」

 

「・・・・・・・」

 

 サガ、アイオロス、デスマスク、そしてシュラ。

 当時、カミュたち黄金の年少組と、魚座のアフロディーテ、そして天秤座の童虎を除いた四人の黄金聖闘士は、黄道十二宮にいた。

 そう、カミュや白銀聖闘士と異なり、事件の当事者たるシュラがいるのだから、この先どのような幻覚を見せられても、無意味でしかないのだ。生き証人であるシュラがいる以上、臆せず進めば良いだけ。

 

「ともかくここから出るには、十二宮を下るしかなさそうだ。階下へ進むぞ!」

 

「・・・ああ」

 

 彼等は階下に吹き飛ばされたアイオロスの影を追うべく、アテナ神殿を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 














閲覧してくださって有り難うござます。30話をお届けいたします。

ご感想やお気に入り登録など、増えてるとへへっ・・・となります、ありがとうございます。


以下駄文。

聖闘士さんたち一人一人の心情を考察し出すと脳みそが溶けることに気づきました。
原作とアニメがもう全くちがうことは置いておいて、エピソードゼロとかオリジンとか最近出たシュラさんたちのお話をみてみると原作のシュラさんの言葉の意味とかももうめっちゃ変わってくるのでは・・・?と考え始めたらIQがサボテンになった。イマジナリーもうひとりの僕は「車田先生、そこまで考えてないとおもうよ?」とにこやかに恐ろしいことを言ってくれるけど多分この頭痛が痛い考察作業が星矢の醍醐味なんだドンドコドーン!と積み上がった原作を読み直す作業に戻る。



ところで、カプリコーンって美味しそうな名前してますよね。




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