リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき (観測者と語り部)
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第一部 ストレイドマテリアル
◎プロローグ


 時の庭園と呼ばれた場所にて一つの事件が収束した。

 プレシア・テスタロッサがアルハザードに辿り着くために意図的に起こした次元震。

 それは、時空管理局と高町なのは、フェイト・テスタロッサによる尽力によって、最悪の事態を引き起こす事なく幕を降ろした。

 

 しかし、ジュエルシードによって引き起こされた次元震は何の被害も及ぼさなかった訳ではない。

 その力は一時的とはいえ、時空に亀裂を発生させ、虚数空間の入り口を開けていた。

 

 この時、時空管理局のアースラは次元震の対処に追われて気が付くことが出来なかった。

 虚数空間から偶然……いや、意図的に意志を持って現れたロストロギアの存在に。

 

 それは、闇の書と呼ばれる数多の次元世界を滅ぼし、数多の主達を破滅させたロストロギアに酷似していて。唯一、違う点は本の色が鮮やかな紫色に染められていることだろうか。

 

 

 この魔導書は闇の書と同質の存在だった。

 長い年月、それこそ常人ならば気が狂ってしまいそうなほどに、果てしない時間を掛けて虚数空間をさまよって存在。

 

 かつて闇の書と呼ばれ、数多の世界の住人に恐れられた遺失物の成れの果て。

 

 

 本は静かに浮かび上がると、そのページを開く。

 紫色の光が輝き、辺りを眩い光で照らし出すと一人の少女が姿を現す。

 

 少女は肩まで揃えられた毛先が黒い、美しい銀色の髪を持ち。水色に輝く(まなこ)に、闇を凝縮したような黒を瞳の中心に浮かべた不思議な特徴を持っていた。

 

 背には禍々しくも神秘的な雰囲気を持つ、薄い紫が掛かった六翼の漆黒の翼を誇り、少女から放たれるカリスマと相まって自然と(こうべ)を垂れたくなるような、王の風格を感じるかもしれない。

 

 

 少女はかつて誰からも愛されるような優しい存在だった。

 しかし、心優しい性格も、暖かな笑顔を浮かべていた頃の面影も、今の彼女には見る影もない。

 

 その顔に浮かべる表情はどうしようもない悲しみと憎悪に歪んだ顔付きであった。

 

(ギル・グレアム……)

 

 彼女は心にどうしようもない程の負の感情をため込んでいた。

 

 憎悪は心を焼き尽くす焔となって、彼女に力を与えると同時に、心を少しずつ擦り減らしていく。しだいに悲しみに囚われた瞳は怒りの炎を宿した瞳に変貌する。

 

 現実世界に具現化したことで、彼女は自分自身に何が起きたのか、鮮明に思い出していた。

 

 あの果てしない、無限にも等しい虚数空間の中で。自分自身でさえ忘れてしまいそうな時の牢獄の中で。ずっと、ずっと過ごしてきた少女。

 彼女は薄れながらも、忘れなかった憎悪を再び思い出す。

 

 思い浮かぶのは家族として一緒に過ごした大切な存在。

 時空管理局に戦いを挑み、果敢に少女を守ろうとして消えてしまった四人の守護騎士達の姿。

 そして、哀れにも少女を封印する儀式魔法に巻き込まれた四人の友人達の姿。

 

(時空管理局……赦せないッッ……!!)

 

 正直に言えば、少女は自らを虚数空間という何もない世界に閉じ込めた存在が憎い。

 殺してやりたくて、同じ目に合わせてやりたいと考え、心も思考もグチャグチャに掻き乱される程に彼女は怒り狂い、全てを破壊したい衝動に駆られてしまう。

 闇の書の呪いが彼女に目に映るもの全てを殺せ、破壊しろと囁きかけてくる。

 

 

 けれど、そのたびに浮かぶのは失ってしまった者達との、思い出の日々と優しくて暖かった日常の記憶。

 例え、幾百年もの時間を掛けて色褪せてしまっても、一時も忘れる事も無かった大切な記憶。

 自分の我が儘を聞き入れて、家族として過ごしてくれた守護騎士と、天涯孤独だった少女に出来た初めての友達。

 

 もう二度と笑い掛けてくれない。優しすぎる……優しすぎた友人達の姿だった。 

 

(……ッ、ぅぅ)

 

 少女と歳が近く、自らの名を呼んで甘え懐いてくれた鉄槌の騎士。

 妹が出来たみたいで嬉しくて、ついお姉ちゃんぶって色々と教えてあげたり、一緒に抱き合って眠ったこともあった赤毛の女の子。

 彼女が自分を慕ってくれることはもう二度とない。

 

 

 うっかりお姉さんの湖の騎士。掃除、洗濯と一通りの家事はこなせるのに、料理だけは不器用でいつも失敗してしまう。

 けれど少女を優しく包み込んでくれた金髪の女性。母親代わりになってくれた女性(ひと)

 その優しい温もりを感じる事はもう叶わない。

 

 

 寡黙だけど、いつも少女を気遣い、気にかけてくれた盾の守護獣。

 狼だった彼は人にも獣にも変身できて、犬を飼ってみたかった少女の為に動物の姿でいてくれた。

 そして、人に変身していた時は頼れる兄が出来たみたいで嬉しかった。

 けれど、何も言わずに傍で見守ってくれた守護獣はもういない。

 

 

 武人気質で、不器用だけど、いつも物腰丁寧だった烈火の将。

 彼女は女性であったが、少女からすれば厳しくて優しいお父さんみたいだった。

 強くて格好良くて車椅子から見上げた背中はとっても大きく感じられた騎士達のリーダー。

 彼女はまさに少女にとっての父親代わりだった。

 そんな父親代わりの頼れる彼女に会うことは、二度と叶わない。

 

 

 そして、少女にできた初めての友達。

 かけがいのない四人の友人たち。

 過ごした時間は少なくても、彼女たちが優しいと分かってしまうくらいに優しかった四人の親友の姿。

 

 呪われた己の運命の所為で人生(みらい)を喪ってしまった彼女達に、少女はなんて謝ればいいのか分からない。

 ただ、考えるだけで泣きそうになる。

 

 それらを思い出して、少女は暴走する感情を抑え込んだ。抑え込まねばならなかった。

 何故ならば、彼女はまだ死ぬわけにはいかないから。

 果たさなければならない目的があるから。

 だから、暴走する感情をなんとしても抑え込まねばならなかった。

 

 そうしなければ、紫の魔導書の内部に巣食う闇の書の闇に、乱れた心の隙間から食い尽くされて、少女の存在が消えてしまうから。

 そうなる前に贖罪を果たさなければ死んでも死にきれないから。

 

 

 封印される瞬間まで、少女は心のどこかで生きることを諦めていた。

 生を渇望しながら、同じくらい死を恐れて、だけど中途半端に生を諦めてしまった。

 心を分かち合い、親身になって慰めてくれたあの子が居たというのに。

 

 ■■■て、と一言呟けば変わっていたかもしれないのに。

 その中途半端な気持ちが、慕っていた守護騎士の皆をどれだけ悲しませていたのか知らず。

 

 あまつさえ、彼女たちが自分を救うために、どれだけ悲壮な決意と微かな希望に縋って、蒐集を行っていたのかも知らなかった。知ろうとしなかった。心のどこかで薄々感づいていながら、目を背けていた。

 

 償わなければ。

 巻き込んでしまった彼女達に償って、人生をちゃんと返して、それから謝ろう。

 消えるのはその後で良い。

 

(待っててなぁ、みんな……もうすぐ、わたしが目覚めさせてあげるから……)

 

 少女は転移魔法を発動させると、崩壊していく時の庭園から静かに去った。

 次元震の対応に追われていたアースラチームが、それに気が付くことはなかった。

 別世界から現れた闇の書だった存在が、後に起こる闇の書事件に関わることで何をもたらすのか、それは誰にも分からない。

 しかし、物語の幕は開かれたのだ。



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●一頁 生誕するマテリアル

 とある管理外世界。

 その世界の白銀の大地に少女は降り立った。

 辺りは雪が降り注ぎ、大地は白く輝いている。

 その光景の中で少女が空から舞い降りる光景を目撃したならば、神話に伝えられる天使のようだと錯覚したかもしれない。

 もっとも、今の時刻は深夜であり、この寒さが厳しい世界では北に位置する場所で。

 

 しかも、高い山と深い森の奥深くに隠されたように存在する盆地。

 だから此処を訪れる人間は、余程の事がない限り存在しないだろう。

 

 少女の姿は異質だった。

 毛先が黒い白銀の髪と、水色に輝く瞳の中心に闇を凝縮したような漆黒の(まなこ)

 背中には六枚三対の漆黒の翼を生やし、右手に十字をあしらった背丈と同じくらいの長さを持つ杖を持つ。

 左手には禍々しい雰囲気を放つ本を抱えていて、さながら堕天使を彷彿とさせる姿をしている。

 

 少女は左手に持った本から手を離すと、本は重力を無視して浮かび上がり、彼女の目の前に移動した。

 そして、紫色の本は凄まじい勢いでページを捲り出す。

 彼の書は自らの主が求める魔法をを引き出す為に、ページに記された魔法を探し出しているのだった。

 

 やがて、目的のページまで捲り終わったのか、主に必要とされる魔法を映し出す。

 それを見た少女は右手の十字杖を正面に構えて横に掲げ、魔法を発動させる。

 足元に紫色の三角形をした魔法陣が浮かび上がり、胸のリンカーコアから力を引き出す。

 

 発動させた魔法は小さな隠蔽結界。

 少女がこれから発動させる大魔法の魔力を外に洩らさない為に展開する、範囲は小さくとも強力無比な効果を秘めた大結界である。

 

 次に少女は空いた左手を本に向ける。

 すると本は真ん中のページを開き、表紙を自らの主に向けるよう反転した。

 段々と光り輝いて、不気味な漆黒の輝きを放つと同時に、少女の目の前に同じ大きさの氷塊を四つ吐き出す金の装飾が施された紫色の書。

 氷塊の大きさは少女の身体より少し大きい程度で、まるで、棺のような形をしていた。

 

「お前達には悪い事をした。我の厄介事に巻き込まれ、死なせてしまった事はどれだけ赦しを請うても赦されぬ、我の最大の罪にして未来永劫に続く業であろう」

 

 少女は溜め息を吐くと小さく呟いた。

 その顔は無表情だが泣いているように見える。しかし、涙を流すことは叶わない

 少女は嘆き、二度と赦されぬ罪に苦しみ、されど涙を流すことは許されないからだ。

 

「だが、許してほしい。我の身勝手な目的の為にお前達のリンカーコアを利用する事を」

 

 少女は慟哭する。

 罪無きかつての友の体を利用する罪悪感に。

 力無き己の弱さに。

 

「それに、我は独りが寂しい。あの幸福を知ってしまった今では刹那の孤独にすら耐えられぬ。かつての家族を取り戻す事も。もはや叶わぬ」

 

 少女は誓う。

 身勝手な自分に付き合わせるならば、生まれ出る新たな存在を満足させよう。

 それが、かつての友に対する贖罪になると信じて。

 何故ならば彼女達は正真正銘の“分身”。

 

「だから誓おう。お前達が例え我の行為を否定し、裏切ったとしても、我はお前達の願いを出来る限り叶える事を。例え偽善だと糾弾されても我は我の意志を貫こう」

 

 そして少女は大きく息を吸うと叫んだ。

 心に秘められた苦痛を少しでも吐き出すかのように叫んだ。

 

「さあ! 蘇れ!! 新たな力と秘められた力を融合させ新たな存在として!」

 

 少女の叫びに呼応するかのように本から四色の光が飛び出す。

 

 ひとつは熱き炎を宿し、強さと決断力を備えた忠義を秘めし桃色の光。

 

 ひとつは無邪気さと子供らしさを秘め、大切な存在を守るために必死になる紅き光。

 

 ひとつは優しさと残酷さを備え、皆を影から支える緑の光

 

 ひとつは寡黙の内に熱き心を宿し、自らの危険を省みず仲間を守護する蒼き光。

 

 四つの光は少女に挨拶するかのように周囲を飛び回ると、四つの氷塊に閉じこめられた人物の胸の内にそれぞれ飛び込んで行く。

 そして、再び外へ飛び出した四つの光は本の中へと戻っていった。 

 本は光を内側にしまい込むと、そのページを閉じて再び少女の左手に戻る。

 

 次に少女は十字杖をペンダントに戻して首に掛け、本を両手で抱えて、正座をしながら目を閉じて集中する。

 両手を祈るように組んで、強く強く握りしめて願うように祈る。

 

 内側に取り込んだ四つの光を新たな存在にする為に、少女は大魔法を発動させ。

 少女のリンカーコアから力を引き出す為に、ベルカ式の魔法陣は輝きを増し、魔力のうねりは熱さを伴って胸の内側で暴れる。

 

 しかし、その感覚ですら少女は心地よく感じた。

 

 周囲には人の身に余る膨大な魔力が溢れ、 少女が事前に隠蔽結界を張らなければ、巡回している管理局が気が付いて捜査を開始していただろう。

 だからこそ、感知されないような小さな結界魔法を張り、結界の内側で魔法を行使したのだ。

 そうすれば、結界の内側で行使される大規模魔法が発した魔力は、外側に漏れず感知される可能性は格段に低くなる。

 

 今、本の内側では新たな存在が闇に包まれて生まれようとしている。

 それを邪魔する事は何人たりとも許しはしない。

 新たな存在の誕生を祝福する出来るのは自分だけ。

 彼女達を護ってあげられるのも自分だけだ。

 紫天に選ばれし少女は決意と共に魔法を行使し続けた。

 

 活発な光を放つ真紅のリンカーコアと熱き炎を持つリンカーコアは引かれ合うように融合した。

 

 紫電をまとう黄色いリンカーコアは自ら積極的に紅きリンカーコアを取り込み、無邪気に新たな輝きを放つ。

 

 桃色の巨大な光を放つリンカーコアは弱々しく明滅して輝き、緑のリンカーコアが癒すように周囲を飛び回りながら、ゆっくりと少しずつお互いに融合していく。

 

 淡い紫色のリンカーコアは戸惑うように輝いていたが、やがて落ち着きを取り戻し、静かに蒼き輝きを放つリンカーコアと融合した。

 

 本の中で巨大な力が渦巻きプログラムを無数に構築する。

 膨大な力が少女のリンカーコアを圧迫し、魔力を喰らい弱らせる。

 少女は全身に苦痛を感じ、身体に熱さを伴うが、歯を食いしばって必死に耐え、魔法を制御していた。

 この魔法を失敗させれば、少女の耐え過ごした悠久の時が、ううん、ここまで繋いでくれた名も無き管制個体(さいごのかぞく)の意志が無駄になってしまうから。

 だから、全身を襲う苦痛も、身体にまとわりつく不愉快な汗の存在も、少女は無視して魔法を必死に制御する。

 

 やがて融合は終わり、本の中で新たな四つの存在が生まれる。

 

 ひとつは活発な輝きを放ち内側に焔を宿す黄金のリンカーコア。

 

 ひとつは紫電を纏い無邪気に輝く水色のリンカーコア。

 

 ひとつは膨大な魔力を秘めし巨大な光を放つ暁のリンカーコア。

 

 ひとつは落ち着いた輝きを放つ、静かな雰囲気を纏った淡い紫色のリンカーコア。

 

 新たな存在として生まれた四つのリンカーコアは自身の肉体を闇の中で構築して行く。

 

 魔法を操作していた少女も落ち着きを取り戻し、静かに左手で汗を拭う。

 後は本に秘められた意志と少女自身がサポートを続ければ四つの存在は勝手に生まれてくるであろう。

 

(我の新しい親友、我の新たな家族。早く生まれるが良い。もはや何の価値もない世界では、お前たちの存在だけが我の支えだ)

 

 この時だけ無表情の少女は忘れたはずの優しい微笑みを浮かべていた。

 もっとも、少女自身は気が付いていなかったが。

 静寂に包まれた白銀世界。雪の降り積もる地で静かに儀式魔法は続く。

 

◇ ◇ ◇

 

 そして、儀式魔法が発動して数時間ほどが経過しただろうか。

 悠久の時を、永遠ともいえる果てしない時間を過ごした少女にとっては、刹那にも満たない時間かもしれないが、少なくとも人間の感覚でいえば数時間が経過している。

 

 雪降る白銀世界。静寂に包まれたこの世界。

 その世界の静寂がようやく、破られようとしていた。

 

 少女は歓喜に包まれている。

 新たな存在が少女の目の前で生まれたからだ。

 禍々しき本から生まれた四つの存在。

 その姿は少女の生前の友と瓜二つの姿をしていた。

 

 少女は四つの存在を愛おしそうに見つめ、優しく微笑んだ。

 

 一人は暗い茶色の髪を肩まで伸ばした少女。

 私立聖祥大学付属小学校の制服に似たバリアジャケットを身にまとっている。

 しかし、その色は黒く、リボンの色も夜の色をしている。

 浮かべる表情は無表情で冷たい雰囲気を纏っているが、彼女を見つめる少女には泣いているようにも、後悔しているようにも見えた。

 

 

 少女は次に二人目の存在に目を向ける。

 

 今度は毛先が黒い水色の髪を、水色のリボンでツインテールにまとめた少女。

 何を考えているのか分からないが、表情は明るくニコニコと笑顔を浮かべている。

 バリアジャケットは元になった少女と対して変わらないようで、レオタードのような恰好に、青色のベルトと水色のスカートが特徴的だった。

 その雰囲気はどことなく、はしゃいでいるヴィータに通じるものがある。

 

 

 さらに、隣の存在に少女は目を向ける。

 先程の少女が「カッコイイ自己紹介すらしてないのに、ボクを無視するなんてっ……」と、矢継ぎ早に喋っているが話が進まないので無視する。

 

 今度は先程と違い、明るい燃えるような金髪をした少女に目を向ける。

 所々、紅いリボンで髪を縛り、私立聖祥大学付属小学校の制服をチャイナドレスにアレンジしたようなバリアジャケットを着ている。

 バリアジャケットの色は、やはり黒く、そして、腰には刀型のアームドデバイスを差していた。

 表情には勝ち気な笑顔が浮かび、小さな胸を堂々と張って偉そうな態度をとっている。

 

 主たる少女は内心で、我より偉そうにするな、とツッコミをしながら最後の存在を見つめた。

 水色の少女が「ボクより偉そうにするなアリサっ!! ボクの存在感を返せ」とか叫んでいるが気にしない。

 

 

 最後の存在は困惑した表情を浮かべている少女だ。

 紫色の髪をカチューシャで纏め、元になった存在とは違う色の瞳。紅の瞳が目立つ。

 紅い瞳が時折、かつて瞳のような黒色に変色を繰り返すのは、力を上手く制御出来ていないからだろうか。

 バリアジャケットは漆黒のイブニングドレスに所々フリルをあしらっており、長い漆黒のドレスグローブは強い魔力が込められた武具のようだ。

 頭には髪の色と同じ大きな獣耳が、狼の耳が生えている。

 ドレスに隠れて見えないが、恐らく狼の尻尾も生えているだろう。

 

 四人とも闇を凝縮した瞳をしており、生気を感じさせない、冷たい死の雰囲気が瞳から感じられた。

 

 やがて、四人の存在を見回した少女は口を開く。

 

「初めまして、名も無き新たな守護騎士たち」

 

少女が挨拶をすると四人の新たな守護騎士は雪の上に跪いて挨拶を交わす。

 

「初めまして、我らの新たな主」

「初めまして!会いたかったよはやてっ!」

「初めましてね、こんな寒い所で生まれるなんて思いもしなかったけどね!」

「初めまして、うぅ、なんで獣耳と尻尾が生えてるのかな」

 

 四人は口々に挨拶を返すと新たな主の顔を見た。

 だが、『はやて』と呼ばれた少女の表情は悲しみに満ちていて、四人はどうして良いか分からす困惑する。

 少女は、『はやて』は悲しげな表情で呟いた。

 

「はやてか、懐かしい名前だ。我がその名で呼ばれたのは何年前だったか」

 

 主の呟いた内容を聞き、水色の少女に様々な意味が込められた三人の視線が痛いほど突き刺さり、当の少女は項垂れるしかない。

 自分が地雷を踏み抜いたことに責任を感じているようだ。

 その様子を見た『はやて』は、苦笑しながらも水色の少女をフォローすることにした。

 このままでは可哀想だ。

 

「気にするな、我は気にしておらぬ、お前たちもそやつを責めるでない。だが、『はやて』の名。これから行う復讐には相応しくない名だ」

 

 やけに復讐の言葉を発する主たる少女に、茶色の髪の少女は眉を歪めた。

 だが、それも一瞬の事で気が付いた者はいない。金髪の少女を除いて。

 

「そうだな、手始めに我を含めて、新たな名を決めるとしよう」

 

 主たる少女は完璧な動作で跪いている茶色の髪をした少女を向く。

 すると、顔を向けられた少女は頭を垂れた。

 

「そう畏まるな、理のマテリアルよ。そうだな、生前の戦い方から……ふむ、よし! 今日からおまえの名は星光の殲滅者。シュテル・ザ・デトラクターと名乗るがいい」

 

「星の光を以て敵を殲滅する者。私に相応しき名です。ありがたく頂戴致します。我が主よ」

 

 『はやて』はシュテルの変わらぬ畏まった態度に内心ため息を吐くが、それが、この子の個性なのだろうと諦めた。

 出来れば家族であったヴォルケンリッターの欠片を継承する彼女たちには親しく接して欲しい。

 たとえ、『はやて』の自己満足から都合の良いように造られた存在だったとしても、前と変わらぬ態度で居て欲しいのだ。

 そう思うのは『はやて』の身勝手な傲慢なのだろうか。

 

 だが、主たる少女は、この問題は後々解決策を探すと後回しにして、水色の少女に目を向ける。

 水色の少女は見つめられると、瞳をキラキラさせて、期待に満ちた表情を浮かべている。

 そういえば、昔も好奇心いっぱいで天真爛漫な彼女は周りを振り回していたなぁと、『はやて』は懐かしそうに目を細めた。

 だから、期待には応えねばと『はやて』は頭を捻っていたが、先に水色の少女が口を開いた。

 

「実はボク、もう自分の名前は考えてあるんだ!」

「ほう、申してみよ」

 

 水色の少女が考えた名前、それに多大な期待と興味を主たる少女は抱いた。

 我が子であり、家族であり、友の一人である少女がどんな名を考えたのか、物凄く気になるのだ。

 もっとも、他の三人の守護騎士は水色の少女の言動からイヤな予感を感じている。

 

 そうして全員の期待?を一身に背負った水色の少女が立ち上がり、左手を腰に当て、右手の親指で自身を差して新たな名を言い放った!

 

「ボクの新たな名! 偉大なる名を聞いて驚け!」

 

「「「その名は?」」」

 

「疾風迅雷の化身! スーパーウルトラデラックスライトニング!」

 

 白銀世界。

 雪が降り積もり、静寂が支配する世界に真の静寂が訪れた。

 『はやて』はバリアジャケットによって感じない筈の寒さを感じ、身震いした。

 

 それは、守護騎士に相当する少女達も同様で。

 金髪の少女は呆れすぎて声も出ないようだったし、紫色の髪の少女は瞼を閉じて、引きつった微笑みを浮かべ、シュテルは微笑ましいというように優しく水色の少女を見守っていた。。

 

 

 肝心の水色本人は、ふふんっ、どうだい? かっこよいだろう! と言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべていて、偉そうに胸を張っていた。

 

 

 やがて、最初に立ち直ったのは『はやて』だ。

 身体が小刻みに震え、水色の少女を指さすと溢れんばかりの怒声をあげる。

 

「そんな! 恥ずかしゅうて、訳の分からへん名前! 誰が許可するんか!!」

 

 その声量と溢れ出る怒気に水色の少女は思わず竦み震え上がる。

 本当なら拍手喝采に包まれるはずが、いきなり怒鳴られたので、予想外の事態に怯えているのだ。

 

「ひゃいッ!でもでも……せっかく考えたカッコイイ名前なのに………」

「却下や! 却下!! 真剣に期待した私がアホやった……」

 

 『はやて』は肩で息をするほどに脱力するしかなかった。

 思わずエルシニアクロイツで力の抜けた全身を預けてしまう程だ。

 生前のオリジナルは明るく活発な子ではあったが、ここまで突き抜けた目立ちたがり。

 要するにどうしようもないアホの子が生まれるなんて、誰が想像しただろうか。

 

(いや、アリシアは天然な所があったし、ヴィータは子供ぽかった。可能性があったとはいえ、これ程とは。我に矯正出来るのであろうか……)

 

 あらゆる意味で気力を使い果たした『はやて』と、名を却下されうなだれる水色の少女。

 『はやて』は気を取り直すと、咳払いをして皆の注目を集めた。

 

「今の出来事は我の記憶から消す。何もなかった、そうであろう?」

 

 主の問いに水色の少女を除く三人は頷いた。

 

「しかし、困ったものだ。どんな名が相応しいのか思い浮かばぬ。なまじ格好悪い名ではこやつも満足せぬであろう」

 

 主の悩み。それに答えたのは星光の殲滅者シュテル。

 彼女はうなだれる水色の少女を横目で見ながら主たる少女に意見した。

 

「では、私の名と同じく彼女の戦い方から名を付けるのが良いと思います。そうですね、雷刃の襲撃者、レヴィ・ザ・スラッシャーなどは如何でしょう」

「ふむ、悪くないな。ほれ、いつまでも、うなだれとらんでしっかりせい」

「ほえ?」

「今日からお前の新たな名は雷刃の襲撃者、レヴィ・ザ・スラッシャーだ!光栄に思うが良い、我とシュテルが決めた新たな名を」

「雷刃……スラッシャー……とってもカッコ良い名前だ! ありがとう! 大切にするよ!!」

 

その時のレヴィの笑顔は太陽のような眩しい笑顔で、思わず微笑んだ四人だった。

 

「さて、残りの守護騎士にも新たな名を与えねばならぬ。しかし、困ったことに良い名が思い浮かばぬ」

 

 『はやて』の言葉に名を付けられていない二人の少女もつられて困った顔をする。

 シュテルは『はやて』の言葉を聞くと、頷いて返事をした。

 

「確かに私やレヴィは生前の戦い方から名を頂きました。しかし、残りの二人は戦闘経験もなく知識として戦い方を知っている程度。同じ方法で名を付けるのは困難だと思います」

「ぬぅ………」

 

 シュテルの言葉を聞き、ますます悩み頭を抱える『はやて』。  

 そんな様子の彼女に助け船を出したのは、皆の様子を黙って見ていたレヴィだった。

 

「ねえねえ!ボクが名前を提案するよ!いいでしょ!」

「さっきみたいに恥ずかしい名前だったら、アンタをぶっ飛ばすからね!」

 

 レヴィの言葉に金髪の少女が一応、釘をさしておく。

 金髪の少女は恥ずかしい名前を付けられるのは己のプライドが許さないし、何より後の黒歴史として他の四人にネタにされるのは嫌だった。

 金髪の少女にレヴィは、大丈夫、大丈夫と答えると、上目遣いに『はやて』を見つめた。

 

「ねぇ……いいでしょ……?」

(くっ、その表情は卑怯だぞレヴィ。そんな顔をされたら我が断りきれぬではないか……)

 

 『はやて』は別の意味でさらに悩む。

 レヴィは先程の自身の名を語った時の前科がある以上、ろくな名前ではない気がする。

 もし、厨二病全開の名前だったら金髪の少女と揉め事になり、面倒な事態に発展するだろう。

 だが、断れば………

 

(断れば……恐らく子供っぽいレヴィのことだ。きっと、いや、絶対に泣き喚くであろうな……)

 

 どうすれば良いのだ! と主たる少女は内心で叫び、悩みに悩んで結論をだした。

 

(こうなれば、仲間を頼るしかあるまい。念話はレヴィにも聞こえてしまう、なれば、アイコンタクトで意志を通じ合う!)

 

 そうして仲間を頼る為に念話と目線だけで会話する事にした『はやて』の行動は早い。

 以下、レヴィを除く守護騎士たちのアイコンタクトの内容である。

 

シュテルの場合

 

(シュテルよ何か良い名案は無いのか、我は決断を迷っておる)

(ありません。主よ)

(速答だと! 貴様、それでも理のマテリアルであろう? 主たる我に名案のひとつでも出して、我を助けてくれ)

(私はセンスがないのです。ここは王一人で頑張ってください)

(この薄情者めがぁぁっ!)

(………………)

 

金髪の少女の場合

 

(アリサよ、何か良い案はないか?)

(とりあえず、怒らないから喋らせてみなさい)

(良いのか?)

(大丈夫。間違ってたら昔みたいに頭グリグリの刑だから)

(そ、そうか。程々にな?)

 

紫髪の少女の場合

 

(すずかよ、何か良い名案はあるか?)

(う~ん、一度喋らせてみるしかないかなぁ)

(やはり、それしか方法はないか?)

(うん、下手に断るとレヴィちゃんが泣いちゃうと思うから)

(だろうな……よし!我は決断した。貴重な意見を感謝する)

(がんばってね)

 

 こんな感じで彼女たちは瞬時に意志疎通を行い、『はやて』は迷いを断ち切り、決断する。

 そうして再びレヴィに目を向けると、レヴィの顔は花が咲かんばかりにキラキラと輝いていて、彼女がどれほど『はやて』に期待を抱いているのか分かるくらいだ。

 

「レヴィよ、お前の意見を述べてみよ」

「いいの?」

「構わぬ、今はどんな意見でも取り入れるべき時、正直に言えば、気が乗らぬが仕方あるまい」

「わーい!ありがとうはやて~~!」

 

 意見を述べる許可を許されたレヴィはその瞬間、大きく喜び、『はやて』に抱きついた。

 

「こらっ!抱きつくでない!暑苦しいであろうが!!」

 

 『はやて』はそう言ってもがくが、本気で振りほどく様子はなかった。

 どうやら悪い気はしないらしく、実際に少し照れているのが、やや赤くなった頬から感じ取れる。

 

「主よ、話が進まなくなります。戯れも程々に」

 

 その様子を見ていたシュテルが話を進めるために止めに入ると、場は収まった。

 シュテルとしても本当は、いつまでもじゃれ合せてあげたいのだが、状況はそれを赦さないだろう。

 ため息一つ。シュテルは今後の未来を考えて憂いの表情を浮かべた。

 

 そんなこんなで、『はやて』はレヴィをなだめると咳払い一つ。

 再び跪いたレヴィに目線で申してみよ、と伝える。

 レヴィはそれに頷くと新たな名を伝える為に口を開いた。

 

「バーニングアリサとナイトメアスズカ」

 

 レヴィが考えた名前を聞いて悩む三人の少女たち。

 悪くはない名前ではあるが、問題点もあったのだ。

 ニコニコと笑うレヴィを見ながら、最初に悪い部分を指摘したのは『はやて』。

 

「お前の考えた名前は存外、悪くはない」

「じゃあ、採用してくれるの!?」

「話を最後まで聞かぬか! しかし、かつての名前が入っているのは頂けぬ」

「あっ………」

 

 『はやて』の指摘を受けて、しまったという表情をするレヴィ。

 その顔を心の内で呆れながら無表情にシュテルが話を続ける。

 

「それにミッドチルダ語が使われているのも減点です。私やレヴィはベルカ語なので言葉を合わせましょう」

 

「ガーーーン………」

 

 容赦ない二人の指摘に雪上でうなだれるレヴィ。

 先ほどまであった自信は見事に消失しており、どんよりした雰囲気を放っていた。

 それを見かねた金髪の少女がフォローを入れる。

 その役目は昔から金髪の少女が得意としていた分野。

 何よりもレヴィは彼女の義理の妹だったのだから。

 

「まっ、あんたの考えた名前も私たちの的を得ていて良かったわよ、別に全部を否定してるワケじゃないんだから、しょぼくれなくても良いじゃない」

「でもでも………」

 

 金髪の少女のフォローを受けて少し立ち直ったレヴィ。

 そんな様子の彼女を完全に立ち直らせるために言葉をかけたのは紫色の髪の少女。

 いつだって彼女の役割はみんなを支えること。

 

「それじゃあ、レヴィちゃん。レヴィちゃんが考えた名前を、もっとカッコ良くする為に、皆で考えるのはどうかな?」

「もっとカッコ良く……? みんなで考える……?」

「そう。みんなで頑張ろう?」

「うん! ボクもみんなと一緒にがんばる!」

 

 二人の励ましを受けて見事に立ち直った様子のレヴィ。 

 その様子を見て、かつての平和だった頃に想いを馳せる『はやて』だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「バーニングとナイトメアか」 

 

 『はやて』の呟き。

 その言葉を理のマテリアルであるシュテルが解説してくれる。

 

「燃え上がる炎と悪夢という意味ですね。ベルカ語に変換するとアオフ・ローダーンとアルプ・トラウムになります」

 

(うわぁ………)

(なんか、ベルカだとダサいわね)

(なんだかカッコ良くても、キレイな名前じゃないかも……)

 

 正直に言えば名前には向いてない言葉だった。

 むしろ名字と言う方が聞こえが良く、レヴィですら内心で少女らしくない名前だと考えるほどだ。

 

(やはり、ベルカ語のみに限定するとダメか)

 

 そんなふうに考える『はやて』に手を挙げて発言の許可を求める少女がいた。

 金髪の少女だ。

 

「提案があるわ」

「申してみよ」

「正直、このままじゃ何時までたっても意見が進まないわ。私たちの名前は自分で考えるから、決まった名前をアンタが再び命名してちょうだい」

 

 確かに少女の言うとおり、このまま話を続ければグダグダになる可能性も十分あり得る。

 ここは、生前で頭が良かった彼女に任せるのも良いだろう。

 別に自分が考える必要もないのだ。

 『はやて』はそう考えると頷いて許可を出した。

 

「良かろう。だが、考えた名前は我に耳打ちして教えるのだぞ?」

「わかってるわよ」

 

 こうして、金髪の少女と紫色の髪の少女は相談を始める。

 レヴィやシュテルと離れて円陣を組んで話す様子は、小さな子供が内緒話をしているように『はやて』には見えた。

 そして同時に主たる少女は自身の考えから自責の念にとらわれた。

 

(あの微笑ましい様子でさえ、かつての学校生活では当たり前のこと。それを奪う原因をつくった我は、きっと赦されぬであろうなぁ………)

 

 辛そうな『はやて』の様子を見たシュテルとレヴィは、無意識に手を強く握りしめ、どこか思いつめたように歯を食いしばった。

 

 彼女の考えていることが、二人には手に取るように分かる。

 優しかった八神『はやて』は、闇の書の封印に巻き込んで、友人を死なせてしまったことを思い悩んでいるのだろう。

 

 だが、それは違うのだ。

 『はやて』は何も悪くなかった、彼女も巻き込まれてしまっただけなのだと。

 しかし、それを言っても、『はやて』は納得しないだろうし、ますます自責の念に囚われると考えた二人は、それを伝えることが出来なかった。

 

 

 やがて、考えが纏まったのか金髪の少女が代表して『はやて』に耳打ちする。

 金髪の少女の言葉を聞いた『はやて』は驚いた顔をしたが、それも一瞬の事で、すぐに真顔に戻る。

 そして、再び跪いた少女たちに顔を向けた。

 

 『はやて』が名を告げる。

 堂々と言葉を発するその姿、雰囲気は王としての威厳とカリスマ性に溢れており、他の者がいれば自然とひれ伏してしまいそうだ。

 まず、主たる少女は金髪の少女に告げた。

 

「お前の新たな名は炎の鳥。アスカ・フランメフォーゲルだ。我の剣となり我が前に立ちはだかる敵を焼き尽くし、我等の道を明るく照らすが良い」

「その言葉、アスカ・フランメフォーゲル。確かに拝命いたしました」

 

 今行われているのは神聖な儀式。

 少女たちの新たな旅立ちの前の準備。

 故にレヴィですら静かに言葉を聞く。

 

 『はやて』は次に紫色の髪の少女に顔を向けた。

 紫色の髪の少女はドレス姿や美しいな顔立ち、上品な仕草と相まって、主たる少女が油断すれば逆に引き込まれそうだ。

 アスカを騎士とするならば彼女は姫だろうか。

 『はやて』はかつての親友の分身を見て、そう思うのだった。

 

「お前の新たな名は夜の守護者。ナハト・ヴィルヘルミナだ。その力で我らを守り、我らを支えて欲しい」

「はい、ナハト・ヴィルヘルミナ。この命を持って、みんなを護りましょう」

 

 そして、その神聖な儀式ももうすぐ終わる。

 全ての者が名を与えられた時、シュテルが『はやて』に声をかけた。

 

「主よ。私とレヴィも先程まで主の新たな名を考えました。受け取ってくれますか?」

 

 『はやて』はシュテルの言葉を聞いて呆けた表情をしていたが、言葉の意味を理解すると嬉しそうに微笑んで頷いた。

 

「申してみよ」

「では、我らの主。その新たなる名は闇統べる王。ロード・ディアーチェ」

「偉そうで、実際ものすごく偉いボクらの王様」

「王か……。よかろう。我は闇統べる王! ロード・ディアーチェ! お前たちを導き、あの男に断罪を下す王だ!」

 

 ディアーチェの宣言と共に結界内部を風が荒れ狂い、雪上を乱した。

 今、少女たちの神聖な儀式は終わりを告げ、ついに闇の書に匹敵する存在達が産声を上げたのだ。

 ここから未来が、変わろうとしていた。

 

 



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●二頁 出発するマテリアル

 ディアーチェの宣言も終わり、皆の名前が決まった後に、少女たちは新たな方針を考えていた。

 

「まず、我らの目標だが時空管理局に対する復讐だ。異議のあるものは申し立てよ」

 

 ディアーチェの言葉に四人の守護騎士たちは驚かない。

 生み出された瞬間に少女たちは自身が何の為に生み出されたのか、その理由を知っているからだ。

 

「ボクは王様の意見に賛成。今すぐぶっ潰したい」

「私もディアちゃんについて行くよ。管理局のしたことは許せないから」

 

 ディアーチェの意見に賛成したのはレヴィとナハト。その目には姿に似合わない憎悪が宿っている。

 

「あたしは中立の立場を取らせて貰うわ。正直に言えば復讐なんて興味ないし、アンタたちが生きてれば、あたしはそれで良い」

 

 アスカは中立の立場。

 彼女にとっては復讐などどうでも良かった。

 生きている。それ自体が奇跡であり、現状には満足しているのだ。

 

 しかし、ここで反対意見を出したのはシュテルだった。

 

「私は反対です。現状で管理局と事を構えても勝ち目はないでしょう。それに、王の目標も達成できない」

 

 シュテルの言葉を聞いて信じられないといった表情をするレヴィ。

 一方でディアーチェは納得した表情をしており、アスカやナハトは興味半分といった顔でシュテルの言葉に耳を傾けている。

 

「なんでさシュテるん! ボク達には大いなる闇の力がある。もう誰にも負けない、何者にも屈しない力があるんだよ!」

 

 レヴィの反論にシュテルは全く動じず、言葉を切り返した。

 その表情は少しも変わっておらず、氷のように冷たい。レヴィはその表情を見て身体を身震いさせる。

 

「レヴィ。私たちは大いなる闇の力に生かされているだけです。闇の書の力は衰えていて、一瞬で星一つ滅ぼす力はありません」

 

「うっ……」

 

「それに、アスカとナハトは戦闘経験がなく、魔力資質もそれなりしかない。かつての守護騎士の力を継いでも、能力は確実に劣化しているでしょう」

 

「それは、えーと、えーと、ボクらがフォローしたり、鍛えてあげれば良いんじゃないのかな?」

 

「確かに鍛錬と実戦を積めば問題は解決するかもしれません。しかし、時間がかかりますし、いずれ管理局に見つかります」

 

「そんなーーー!?」

 

 惨敗だった。元より理を主とするシュテルに力を主とするレヴィでは勝ち目がない。

 がっくりとうなだれるレヴィ。この子はあと何度、この世界でうなだれるのだろうか?

 

「では如何にすれば良いか申してみよ」

 

 今度はディアーチェがシュテルに意見を聞く。

 彼女はたとえ反対意見だろうが、身勝手な意見だろうが背負う覚悟がある。

 それが、王として臣下に出来る最大限の信頼してもらう証であり、マテリアルズの意見をなるべく聞き入れ、願いを叶えることは、彼女にとっての償いようなものだ。

 

 アスカやナハトがレヴィを慰めている様子を横目で見つつ、シュテルはディアーチェに振り向いた。

 彼女は一瞬、ディアーチェを探るような眼で見ていたが、すぐに元の表情に戻ると、これからの行動の指針を淡々と述べる。

 

「そうですね、ディアーチェ。まず私達は生まれたばかりで魔力の貯蔵が少ない。大いなる闇の力を使って魔力を回復する手段もありますが、最後の手段として残しておくのが得策です。ここは周辺の………」

 

 淡々と意見を述べるシュテルは最後まで喋ることが出来なかった。

 ディアーチェが得心といった様子で嬉々として残りの意見を喋ったからだ。

 

「つまり、周辺の管理局員からリンカーコアを根こそぎ奪い取り、我らの力を蓄え、管理局に遠回しに攻撃する方針なのだな! さすが、シュテルよ! 理のマテリアルの名は伊達ではない!」

 

「どうだ? 我の言うとおりであろう?」と言いながら小さい胸を張る王様の様子にシュテルは呆れるしかなかった。

 

 慰められて元気を取り戻したレヴィなんか「スゴいよ!さすが、ボクらの王様だ!聡明でカッコいい!シュテるんも、いろいろ考えてるんだね!」なんて、呆れるアスカとナハトの真ん中ではしゃぎ出す始末だ。

 

 だから、そんな様子の二人に思わず、ドス黒い覇気をぶつけてしまったシュテルを誰が責められようか。

 突然、ディアーチェとレヴィを襲った悪寒は凄まじいモノで、バリアジャケットの温度調節機能を無視して寒さを感じさせ、背中に氷柱を埋められたように、ディアーチェとレヴィは背筋が固まって動かなくなった。

 

(不味い、不味いぞ! 我の頭が警鐘を告げておる……早く此処を離れなくては………)

 

(あわわ……アスカやディアーチェが怒った時のイヤな感覚だけど、それよりヤバいくらいの悪寒がするよ。早く逃げなきゃ………)

 

二人ともシンクロしたように固まり、逃げようとしてもバインドで身体中を締め付けられたように動かなかった。

 

「レヴィもお馬鹿さんでしたが、我らの王もお馬鹿さんでしたか……教育が必要ですね………」

 

 不意に、ディアーチェの目の前で底冷えするような声が響いた。

 シュテルの声だ。ただ、声のトーンがおかしい。

 普段のシュテルとは違い、声に静かな怒気が含まれている。

 

(我は何か失言をしてしまったのか!?恐ろしくて瞼も開けられん………)

 

 ディアーチェは自身が王であることも忘れて、ただ、ただ、震えた。

 恐れと不安が目の前の存在を直視することを拒み、目をつむる。

 一歩、一歩、ナニカが近づくたびに彼女の心臓は大きく跳ねて、冷や汗がどっと噴き出した。

 一方、レヴィは先ほどの様子とうって変わって、膝を抱え幼い子供のように震えた。

 

「レヴィちゃん!?しっかりして、気を強く保たなきゃダメだよ」

「えへへ~~、おじさんが手を振ってるよ。わ~~い………」

「トラウマね………」

 

 ナハトがレヴィを抱きしめて、安心させようと呼びかけるが、レヴィは虚ろな表情で誰かの幻覚を見ていて、反応がない。

 アスカがレヴィの目を見やれば光と生気がなく、うっすらと涙を流す瞳があるだけだ。

 

 そして、直視することも出来ないナニカがディアーチェの鼻先まで感じる距離に近づいたとき、不意に襲ってきたのは右頬に感じる鋭い痛み。思わず目を開けたディアーチェが見たモノは………

 綺麗な笑顔のまま頬をつねってきたシュテルの姿で。

 

「あの、シュテルさん?」

「ああ、何か? いえ、怒っていませんよ。怒っていませんとも」

(絶対、嘘であろう!?)

 

 普段から物静かな人が怒ると怖いという噂は本当だと思い知るのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「さて、説教も無事に終わりました。続きを話しましょう」

 

 何事も無かったかのように話すシュテルに対し、ディアーチェやレヴィは膝を抱えて座り、シュテルの言葉を真剣に聞いている。

 その眼は若干虚ろではあるが、生気はあるため問題ないだろう。シュテルは気にせず、言葉を続ける。

 

「まず、私達は二手に別れて行動します。そして、管理外世界で管理局に気づかれぬよう、魔力を収集するのが先決です」

「メンバーはどうするのシュテルちゃん」

 

ナハトの質問にシュテルは頷くと答えを返す。

 

「メンバーはサポート魔法が得意な私とナハトを分けます。レヴィとアスカはナハトとチームを組んでください。これは、接近戦が得意なレヴィがアスカを鍛えつつ、ナハトにはサポート魔法の熟練度を上げてもらう為です」

 

「なら、必然的に砂漠や荒野のような無人世界が適任ね。そういう場所なら管理局も滅多に近づかない。それに、初心者組と熟練者組に分けて目的に見合った行動をする訳ね。初心者組が魔法訓練なら熟練者組は時空管理局に対する情報収集といった所かしら」

 

 シュテルの答えに納得した様子で頷くナハト。

 

 聡明なアスカはシュテルの考えをある程度、先まで理解できたようだ。アスカの答えにシュテルは満足そうに頷くと話を続ける。

 

「その通りですよ、アスカ。私とディアーチェのチームは魔力を収集しつつ、管理局の末端局員から魔法で現在の時空管理局の情報を引き出します」

 

「以上が私の考える方針です。異議のある方は遠慮なく申してください」

 

 シュテルの考えた方針に納得しているのか、ナハトとアスカは異議なしといった様子。レヴィはニコニコして本当に理解出来たのかは怪しいところだ。

 そして、説教から一言も喋らないディアーチェだが、彼女は目をつむって真剣な表情で考え事をしていた。

 

「ディアーチェ?」

「王様?」

 

 シュテルやレヴィの呼び掛けにも反応をせず、微動だにしない。

 さすがに心配になってシュテルが精神系の治癒魔法をかけようと考えた所でディアーチェは静かに目を開けた。

 

「シュテルよ、お前の考えはよく分かった。その計画方針に我の願いを取り入れてくれぬだろうか」

 

 ディアーチェは命令ではなく、お願いといった。そこに含まれた強い想いを感じ取って、シュテルも真剣な表情でディアーチェと相対した。

 

「ディアーチェ。貴女の願いとはいったい?」

 

 シュテルの問いにディアーチェは深呼吸を一つすると絞り出すように声を出して、願いを口にする。

 

「管理局に対する復讐を実行する前に、地球へよってほしいのだ。我は、この身に残る未練を断ち切っておきたい」

 

 ディアーチェが語る切実の願い。それを聞き、他の四人は動揺を隠せなかった。

 誰が好き好んで自らの殺された地に行こうと考えるだろう。

 まして、シュテル、アスカ、ナハトの三人はともかく、ディアーチェにとっては嫌な思い出の方が多い。

 

 そしてレヴィには良い思い出を得て間もなく、全てを奪われてしまったトラウマを持っている。

 

 シュテルはレヴィに視線を向ける。

 彼女は動揺しているのか瞳が揺れていた。

 それを隠そうと表情を変えないようにしているから、見ているシュテルの方が、心が張り裂けそうになる。

 

「ディアーチェ。貴女は本当に地球を訪れる気です?貴女にとって、あそこはもう……忌々しい場所でしかないはずです。レヴィにとっても………」

 

 シュテルの問いかけにディアーチェは動じない。

 しかし、レヴィの様子を見て迷いが生じ始めていた。

 そんな様子のディアーチェを励ますようにレヴィが声を掛ける。

 

「ぼっ、ボクなら……大丈夫だから……だから、気にしないで話を続けて………」

 

 その声は震えていて、無理をしているのが一目瞭然だった。

 ディアーチェは苦々しい表情をしながら言葉を続ける。そこには幾分かの後悔と多大な自責の念が含まれていた。

 

「王たる我が臣下に対する配慮も出来ぬとは……レヴィ、すまぬな。だが、地球を訪れることは皆にとって必要なこと。最後は嫌な思い出しかなくとも、シュテル、アスカ、ナハトにとってあの地は故郷だ。未練がないわけではあるまい?」

 

「ディアーチェ………」

「王……アンタ………」

「ディアちゃん……わたし達のために………」

 

 ディアーチェの地球に訪れる考えがシュテル、アスカ、ナハトの為だと知って、複雑な表情を浮かべる三人。

 そんな中でシュテルは思った。

 

(この娘はどこまでも優しすぎる。家族を思いやり、自身を犠牲にしてまで家族の幸せを願う。やはり、はやてには復讐は似合いませんね)

 

 できれば、再び彼女に優しい温もりと小さな幸せを。

 決して叶わぬ願いと知りつつも、そう願わずにはいられないシュテルだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ディアーチェ達がこれから行動する指針を決めた後、彼女たちは二手に分かれる前に、試合に挑む選手達の様に円陣を組んでいた。

 出発直前になってレヴィが「せっかくだから、この日、この場所でボクらの宣誓をしよう」と言い出したのがきっかけだ。

 おかげでディアーチェは悪い意味での王の気質が発動して、「ならば盛大に演出してやろうではないか、名も無き白銀世界よ、我らの旅立ちを祝うが良い!」なんて言う始末。

 

 無駄な事に魔力を使う王に、シュテルやアスカは盛大に呆れるしかなかった。

 

 そして、王の演出によって紫天の書を中心に漆黒の魔力光を放つベルカ式の魔法陣。それが回転しながら少女たちの足元を照らしている。

 

 五人の少女たちは自らのデバイスや装備を取り出す。

 ディアーチェは十字杖エルシニアクロイツを。

 レヴィは戦斧バルニフィカスを。

 シュテルは魔杖ルシフェリオンを。

 アスカは影打ち・紅火丸(べにひまる)を。

 ナハトは漆黒のドレスグローブ・シャッテンを着けた右腕を。

 少女たちは円陣の中心で重ね合わせた。

 

 少女たちは自らに語りかけるように宣言する。

 数百年の時を経て味わった苦しみと積み重ねられた怨念を忘れぬように、身体に再び刻みつけるように。

 

 シュテルが静かに告げる。

 

「私たちは還ってきました。あの何も見えぬ虚数空間。そして、ただ、ただ、寒かった氷の檻から復讐するために………」

 

 シュテルが隣に入るアスカに視線を向けると、アスカは頷いて言葉の続きを告げる。

 

「アタシ達は……まあ、恨むわね。九を救うために壱を犠牲にした時空管理局を、理不尽をアタシ達に押し付けた運命を」

 

 アスカは、何処か言いよどみながらも、目の前にいる真剣な表情をしたレヴィに言葉の続きを託す。

 

「ボクら絶対に許さない!今まで善人面してボクらを騙し!永遠に近い奈落の底に封印したギル・グレアムを許さない!」

 

 激しい憎悪と憤怒の表情で告げるレヴィから言葉の続きを受け取ったのはナハト。

 彼女は無表情だが瞳に静かな憎悪を宿していた。

 

「私たちの王を闇の書諸共、永遠の氷で封印したあげく、罪無き病院の人たちまで巻き込んだリーゼ姉妹! 私はお前たちを必ず償わせてやる!!」

 

 言葉に込められた憎悪はレヴィ以上なのか、普段の優しい少女の面影は無くしたナハト。

 そして、最後に告げるは王たる少女。

 闇の書の呪いをその身に背負い、多くの人々の命を背負った彼女はもっとも力強い声で宣言する。

 彼女の決意が少女達の中で一番強いだろう。

 

「我らは必ず復讐を果たすであろう! その為に我らは果てしない時を経て還ってきたのだ! 我らに大いなる闇の、いや、管理局ですら砕けず、永遠の時を経ても朽ちる事のなかった、『砕け得ぬ闇』の加護があらんことを!」

 

 王の宣言と共に水色、金色、紫色の魔力光がどこかへ飛んでゆく。

 予定通り何処かの無人世界へと転移したのだ。

 転移経験の豊富なレヴィが二人を先導しているから、迷う心配も無いだろう。

 

 残されたシュテルは佇む王を黙って見つめる。

 ディアーチェは、消えていった魔力光を静かに見つめていたが、シュテルの視線に気が付くと儚く微笑んだ。

 

「王よ、迷っているのですか?」

 

 シュテルの問いかけにディアーチェは答えを返す。

 

「ふふ、お前には隠し事は出来ぬな、確かに我は迷っている、いや、後悔しているのだ」

 

「復讐する事ですか?それとも………」

 

 しかし、シュテルの続く問い掛けは最後まで言えなかった。

 ディアーチェの右手がシュテルの口を塞いだからだ。

 

「ディアーチェ!? 何を!?」

 

 ディアーチェの突然の行動に驚き、困惑するシュテル。

 だが、もがき右手を振り払おうとするシュテルは、次のディアーチェの言葉で凍りついた。

 

「だが、迷っているのはお前も同じであろう?シュテルよ」

 

「それは!!?」

 

「我が気付かぬと思わなかったか? お前たちとは深い所で繋がっているのだ。故に我はお前たちの全てを知っている」

 

「っっッ!」

 

 シュテルは咄嗟に右手を振り払うと、全力で後ろに下がる。

 そして、ルシフェリオンを油断なく構えた。

 

(まさか、私の迷いに気が付かれるとは! 迂闊でした。だとすれば私の復讐に対する関心の無さにも気が付いているでしょう。些か早いですが、ここで、王とは袂を分かつ運命なのでしょうか?)

 

 シュテルはマルチタスクで今後の展開を考えながら王を見つめる。

 ディアーチェは余裕なのか悠然と構えながら動こうとしなかった。

 それどころか、肩が震えていた。まるで、笑いを抑えられぬように。

 シュテルは訝しげにディアーチェを見ていたが、ついに堪えきれなくなったのかディアーチェは王の威厳を忘れ年相応に腹を抱えて笑い出した。

 

「ククッ、あっはははッ!あーー、おかしくてたまらん。あのシュテルが動揺する顔!」

 

「………はい?」

 

 してやったり、という顔をするディアーチェの姿にシュテルは思考がオーバーフローしていた。

 展開していたマルチタスクの全てが同一の思考に染まり、疑問符を浮かべている。

 そんなシュテルの様子に答えを出したのは他ならぬディアーチェ自身だった。

 

「まだ分からぬか?お前は騙されたのよ。我はお前たちと深い所で繋がってなどおらぬ、ただ、シュテルが勝手に勘違いして自爆しただけよ。だいたい、我はお前たちのプライバシーを監視する気など無いわ!あーっはっはっはっ………」

 

 まだ抑えられない笑いを必死に堪えるディアーチェが語る言葉の意味。

 それをゆっくりと脳内で理解した瞬間、シュテルは雪上に膝を突いてうなだれた。

 

「私って本当にバカです………」

 

◇ ◇ ◇

 

 何とか気を取り直したシュテルは再び王と対峙する。

 したり顔で腕を組んでこちらを見るディアーチェに、いつか必ずOHANASHIする事を心に刻みつけながらシュテルは脱線した話を戻した。

 

「この際、お互いの迷いの内容は捨て置きましょう」

「ククッ、また、先程のようになるからか?」

「今すぐOHANASHIしましょうか?」

 

「まてっ!我が悪かった!この通りだ!」

「よろしい」

 

 シュテルのOHANASHI宣言にすぐさま土下座するディアーチェ。ヒエラルキーは簡単には覆らない。

 シュテルが咳払いを一つして気を取り直している間に、ディアーチェもすぐさま元の体勢に戻る。

 

「ではディアーチェ、これからどうするか分かっていますか?」

「地球に向けて転移しながら適当に魔力を集める、そして管理局の情報を奪うのよ」

「その通りです。しかし、レヴィ達は魔力を集めるのが上手くはいかないでしょう。その分、私たちが働く事になります」

 

「臣下が王を働かせるなッ! と言いたい所ではあるが、臣下の尻拭いも王の務め。仕方あるまい」

「王のご足労、傷み入ります。全ての準備が整い次第、王の手を煩わせないように致します」

「期待している」

 

 シュテルはディアーチェとのやり取りをしながら、片手間に転移魔法の準備を終わらせていた。

 シュテルの元になった二人の人物。『なのは』とシャマルのおかげで、この程度の魔法操作は造作もない。

 朱色のベルカ式魔法陣が足元に展開する光景の中、不意にディアーチェが思い出したように呟いた。

 

「そう言えば忘れておったが、シュテルよ」

「何でしょう?」

「先程、右手でお前の口を塞いだときにプログラムに細工をしておいた。寝るときは楽しみにするが良い」

「はい?それはどういう………?」

 

 しかし、シュテルの言葉は最後まで言えなかった。転移魔法が発動したのだ。

 たが、最後にディアーチェが言った言葉は読唇術でなんとか分かった。

 

(夢の中でユーリと楽しくな? ユーリとはいったい?)

 

 シュテルの疑問は夢を見るまで分からなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 転移する感覚に包まれた中でディアーチェは後悔して、ため息を付いていた。

 シュテルの言ったことは的を得ていて、それに驚いてしまい、話を逸らすために嘘を吐いたことも後悔している。

 しかし、それ以上に皆に対して隠し事をしている自分自身にも後悔していた。

 

 また、守護騎士の隠し事を聞こうとして聞けなかった時のように、踏み出せなかったのだ。

 

(――我はいつまで経っても愚か者だ………)

 

――王よ、迷っているのですか?

 

 シュテルの言葉が頭のなかで反芻(はんすう)される。

 そう、ディアーチェは迷っていた。

 己の身体を蝕んでいる闇の書の闇が残っていて、刻一刻と命を蝕まれていることを伝えるべきかどうか。

 

 けれど、どうしても言えなかったのだ。

 シュテルには冗談を言ったかのように、他のマテリアルズと繋がっているといったが、あれは本当のことだ。

 

 紫天の書のマテリアルとして目覚めた彼女たちの心は知ろうと思えば、何となくだが分かる。

 その想いを知ってしまった今では、なかなか言い出せなかったのだ。

 

 シュテルは、後悔しているようだった。なのはだった時、彼女は魔法の力を使って誰かを救おうとしていた。

 けれど、結局は闇の書からディアーチェを救えず、あまつさえ一部とはいえ管理局に陥れられたのだから、彼らに失望している。

 

 しかし、復讐することが何をもたらすのか、知っているようで、密かに他のマテリアルズを復讐させまいと、色々と考えているようだ。

 その決意は強く、たとえ、他のマテリアルズを裏切り、敵に回したとしても、自らを犠牲にしてでも止めるつもりだ。

 

 レヴィは、明るく振る舞ってはいたが、心の底では泣いているようだ。

 自らの半身ともいえる使い魔のアルフを失ってしまった悲しみと、守ると誓っておきながら、母親も親友も守れずに誓いを果たせなかった悲しみで泣いていた。

 

 だから、今度こそ、三度目は誰も失わずに守ろうとする決意が強い。

 管理局に対する復讐も肯定的なようで、アルフと親友を奪ったことに対して酷く怒っていた。

 ディアーチェに対する信頼も厚いようで、彼女は最後までディアーチェの傍についてくるだろう。大切なモノを守るための誓いを果たす為に。

 

 アスカは、どちらかと言えば、復讐に対しては否定的なほうか。

 彼女は訳も分からず、一瞬にして封印されたためか、あの時の記憶が曖昧なようで、因縁は残っていない。

 むしろ、復讐なんてせずに、静かに暮らしていたいという望みが強く、家族にも会いたがっていた。

 

 だから、ディアーチェはシュテルの方針にお願いしたのだ。彼女の望みを叶えるために。

 しかし、ナハトの隠し事を異様に気にしていたのが、ディアーチェには気がかりだ。

 いったい、アスカはナハトの何を心配しているのだろうか?

 

 ナハトは、復讐に対して肯定的でも否定的でもなかった。ただ、漠然とした不安感だけが心の中で渦巻いていた。自らの秘密が親友にばれないか不安に思っているようだ。

 その秘密が何なのか分からないが、ディアーチェはナハトの方から秘密を打ち明けてくれるのを待つつもりだった。

 

 彼女たちの心を勝手に覗いたことは、悪いとディアーチェは感じている。

 しかし、不安だったのだ……

 慕っていたギル・グレアムに裏切られたこともあって、他人をなかなか信用できなくなっていた彼女は、親友でも信じきることが出来ないでいて。

 

 それがまた、ディアーチェの良心を苦しめる。

 

 だから、覗いてしまって、後悔して、強い決意を抱いている親友達に、迷わせるような悩みを言い出せなくて、どんどん悪い方向へと進んでいる。

 それが、再び過ちを繰り返す結果に繋がると分かっていても、前に踏み出す勇気が今の彼女にはない。

 

(我は……どうすればいい……? リィンフォース……)

 

 結局、ディアーチェは自問自答を繰り返すだけで、答えを出すことが出来なかった。



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●三頁 シュテルちゃん、二人を止めてください ナハトより

 日の当たる時間は灼熱地獄と化し、月が照らす時間は極寒地獄と化す、砂漠と荒野が支配した無人世界。そこで一匹の百足龍が地に倒れ伏した。

 

 ただし、その姿は遥かに巨大。どれくらいかと言うと倒れた際に大地震のような、地響きを起こす程の巨体を持つ、と言えば大きさが想像できるだろうか? 都市に存在する高層ビルに軽く巻きつくことが出来そうだった。

 

 それに、地球の一軒家を丸呑みにできそうな口に、無数の丸太のような脚。眼はなく、鞭のようにしなる触覚を持つ。

 その巨体ゆえにアスカは龍のような百足を略して百足龍と呼んでいた。

 この世界に来てから遭遇した数ある巨体生物の一種だ。

 

「すごいぞっ、強いぞっ、カッコいい! そう、やっぱり、ボクさいきょう!!」

 

 そんな百足龍の頭に極光斬を叩き込んで気絶させたレヴィは百足龍の頭の上ではしゃぎ、バルニフィカスを両手で掲げ、勝利のポーズをとっていた。だから、アスカはレヴィを恨めしげに睨みながら、身体を縛り付けていた触手を力任せに振りほどく。

 

 その際、幼い身体に纏わりついた粘液やら、汗やらが飛び散ったが、アスカは気にしない。

 お気に入りのバリアジャケットが所々溶けて、素肌の部分を灼熱の日差しが焼いても、アスカは気にしない。

 

 そんな事が些末に感じるくらいアスカは怒っているから。闇を凝縮したような瞳は細まり、竜種のような縦長の形に変化していた。

 身体中からは魔力がオーラのように溢れ出し、アスカの周囲が陽炎のように揺らめく。

 腰にある鞘から抜き放たれた紅火丸の白銀に輝く刀身は、紅蓮の炎に包まれて凄まじい熱気を放っていた。

 まるで、主の怒りに呼応するかのように、紅火丸は猛々しく炎を纏ったのだ。

 アスカは、背中からも紅く輝く炎を吹き出すと、蝶のような大きな四枚の翼が形成される。

 

「はぁ~、まただよ」

 

 傷ついたアスカに治癒魔法をかけていたナハトは、アスカの隣から離れた。これから起こるであろう惨事に巻き込まれたら、ただでは済まないから。

 後の事後処理を行うためにもナハトは倒れる訳にはいかない。

 

 小さな隔離結界を周囲に張りつつナハトは静かに距離を取る。

 もちろん、アスカは怪我をしているので治癒魔法の行使は止めない。両の手からアスカに向けて蒼紫の魔力光を放出、遠距離からアスカの怪我を回復させる。

 

(耳は塞いでおこう。この獣耳は聞こえすぎちゃうから……)

 

 これから、辺り一帯が喧騒に包まれることを想像したナハトは、髪留めに使っていたカチューシャで獣耳を塞ぐ。

 あとは、様子見に徹するとして、頃合いをみて止めるしかないだろう。

 

 怒り狂ったアスカを止めるのは、それこそ、シュテルでなければ不可能だ。ナハトが止めに入るには実力が足りない。彼女の気が済むまで見ているしか方法がないのだ。

 

 アスカはゆっくりと、はしゃぎ続けるレヴィの近くまで一歩、一歩、歩み寄る。

 そして、大きく息を吸い込むと火山が噴火する如きの怒声をあげた。

 

「このッ、バカッ、レヴィィィィーー!! アタシを殺す気かァァァァッ!」

 

「うひゃああああああっ!」

 

 叫び声と共に放出された魔力は炎熱変換され、爆風となって砂漠の砂を吹き飛ばす。

 ナハトはシールドで防いだが、自分の世界ではしゃいでいたレヴィは爆風に吹き飛ばされ、気絶した百足龍の巨体から転がり落ちてしまう。

 アスカの発した爆風と、レヴィが柔らかい砂山の上に叩きつけられたことで、 砂塵が撒きあがり。思わずナハトは砂が目に入らない様に、目を閉じた。

 

 身体に砂が降りかかり、流れていた汗で濡れた部分に砂がまとわりついて鬱陶しい。

 元はそれなりのお嬢様だったナハトとしては、早く帰って、見つけたオアシスで汗を流したいと思うが、怒り狂うアスカと巻き込まれたレヴィは、そんな事を考える余裕はないだろう。

 

 こんな爆風を受けてビクともせず、気絶したままの百足龍は呑気なのか、目覚めないくらいダメージが大きいのか……

 

 なんとか、ふらつきながらも、バルニフィカスで身体を支えて立ち上がるレヴィだが、その表情は困惑している。

 レヴィがアスカを見やると彼女は般若のような顔をしており、思わず身震いした。

 とりあえず、レヴィはアスカの怒っている理由を聞いてみる。

 

「……ねぇ、アスりん。どうして、その、怒ってるの?」

 

「誰がアスりんか! 誰が! アタシは半分が優しさで出来た薬じゃないわよッ! それに、アタシが怒った理由がアンタは分からんのか!」

 

「ヒィッ!、だ、だってホントに分かんないんだもんっ………」

 

 レヴィの答えに、本当に理由が分かっていない様子を察したアスカは燃え上がる熱気を消した。

 魔力の放出を抑えたのだ。

 

 どうやら、レヴィの様子に呆れてしまい、少しだけ怒りの溜飲が下がったらしい。

 しかし、だからと言ってアスカの怒りが完全に収まったわけではない。

 レヴィが理由を理解していないなら、説明すればいい話だ。

 

「アタシが怒っている理由わね!? アンタがアタシを巻き込んで極光斬なんか放つからよ!」

 

「でも、当ててないよ?」

 

「ナハトが触手の拘束から助けてくれたからよ! だいたい、アタシ達の魔法の練習なのに、どうしてアンタはいっつも割り込んで来るのよ!」

 

「だって、つまんないんだもん。ボクだってもっと遊びたい」

 

「遊ぶな! こっちは命かけてんのよ!!」

 

 しかし、一度は収めた熱気をアスカは再び放出し始めた。

 ここ、数日。アスカとレヴィはこんな感じで戦闘後に口喧嘩する。

 どうやら、アスカはレヴィと喋っていると無意識にヒートアップしてしまうらしい。

 

 そんな様子をナハトは静かに眺める。

 アスカ本人は気が付いていないが、彼女の怪我は治癒魔法によって、ある程度は回復している。

 だから今は結界の維持に全力を尽くしていた。

 この様子ならいつものように修羅場と発展するだろう。

 

「だいたい、アンタは………」

 

「ボクだって、悪気は………」

 

「でも、二人とも本当に仲いいなぁ」

 

 呆れながらもナハトは二人が口論する様子を楽しそうに見ていた。

 喧嘩するほど仲が良いとはよく言うし、大事にならないのであれば放っておいても良いだろう。

 

 親友でありながら義理の姉妹でもあった二人は、何かと衝突していたのをナハトはよく知っている。

 主にレヴィが周囲を振り回して、アスカがそれを嗜める関係で、生まれ変わる前はアスカがよくお説教をしていたものだ。

 ナハトとシュテルでそれを眺めていて、頃合いを見てアスカを諌めていたのも良い思い出である。

 

「だから、アスカお姉ちゃ~~~ん!?」

 

「もういいっ! うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ!!!」

 

 そんなことを考えているうちにアスカの怒りは頂点に達した様子である。

 

「紅火丸!」

 

『承知!』

 

「げっ、やばい、アスりんがマジ切れした」

 

「今日という今日こそ、アンタを真面目に更生させてやるんだから!!」

 

 アスカが自身の刀型デバイス、紅火丸を振り上げる。

 刀の柄を握る右手は青筋が立ち、彼女の心境を分かりやすく表している。

 レヴィはただ、ただ、怯え、逃げるしかなかった。

 まるで、修羅のような出で立ちの今のアスカに立ち向かって勝てる気がしない。というか妹として勝てたことは一度もない。

 

「そこに直りなさい!! 反省するまでお尻を叩いてやるわっ!」

 

「ばっ、バルニフィカス! スプライトフォームセットアップしてぇぇぇ~~!」

 

 デバイスの刀身や、背中から噴出した炎の翼。そこから紅蓮の炎を撒き散らして近づいてくるアスカに、レヴィは本気で逃げた。スプライトフォームを起動して、ナハトの結界で閉じられた空間を必死に逃げ惑う。

 

 一方、アスカは周囲の被害を気にせずにレヴィを追いかける。あまりのスピード差でも彼女はレヴィがバテて疲れ果てるまで追いかけるつもりのようだ。もっとも、彼女も全力を出しているため同じようにバテるのだが、アスカは微塵も気にしていない。

 

 こういったやり取りも、マテリアルとして生まれ変わる前はよくやっていた。アスカは怒りながらも何だかんだで楽しいのだと思う。昔と同じように稽古を逃げ出したレヴィを、姉であるアスカが追いかける。彼女はそれを思い出しているのかもしれない。

 

 ただし、追いかけられる側のレヴィは涙目だったが。

 

「待ちなさい!レヴィッ!! 今日こそ引っ叩いてやるんだから!」

 

 両手で紅火丸を肩に掲げるように振り上げたアスカが、結界の壁に遮られて、あたふたするレヴィに迫り、刀の峰の部分を向けて振り下ろした。

 それを寸での所で身を横に逸らして交わすレヴィ。彼女はアスカの鬼のように形相を見て、昔のことを思い出したのか怯えている。避けた時には無意識に両手で身体を抱き締めていた。

 

 本気で怒られた時のお説教フルコースはレヴィを恐れさせるには充分だったようだ。まずお尻を叩かれてから、何時間も正座させられて、ずっと叱られ続けるのはこりごりらしい。

 

 当時の事を思い出してあまりの恐ろしさに身体を震わせながら、レヴィは大振りの攻撃で硬直しているアスカの隙をついて、結界の反対側まで瞬間移動のように飛翔する。が、アスカはそれを逃がすまいと、鬼気迫る勢いでレヴィを追いかけていく。

 

 義姉として義妹をちゃんと躾けなければならない。そういった責任感が強いアスカは執念深かった。

 

「うわぁぁ! 来ないでアスカぁぁぁ~~! 辺りが火の海にッ! 空と大地が燃えてる~~~!!」

 

「誰が貧乳かぁぁぁーーー!」

 

「そんなこと言ってないよっ! 誤解だってばっ!」

 

「五回攻撃してほしいんなら! 五枚降ろしにしてやるわよッッ!!」

 

「ひぇッ! ひぇぇぇぇ~~~!!」

 

 水色の線が雷光の如く迸り。紅蓮の炎がそれを追いかけるように駆け抜ける。そんな空の光景をナハトはのんびり眺めていた。

 水色と紅蓮の光の線が空に模様を描き、飛び散る炎は花火のように綺麗だ。

 さすがに、飛び散った炎が百足龍に降りかかれば、気絶から目覚めてしまうので、防護魔法で覆って降りかからない様に防いだが。

 

「今日も平和だなぁ」

 

◇ ◇ ◇

 

 ナハトは初めてこの世界に来た時の光景を思い出す。

 あの時は本当に驚いたもので、色々とありすぎて困った1日だった。

 転移を終えたレヴィたちは、まず、余りの暑さに目眩がした。

 

「あつい! ここは地獄なのか、ボクらは間違って地獄に転移したのか!?」

 

「そんなわけあるか!」

 

「ううぅ、バテちゃうよ……」

 

 辺り一面が砂漠の世界で、彼女たちはバリアジャケットの温度調節機能を使い、体感温度を常温に保つ。

 この時程、三人の少女たちはバリアジャケットに感謝したことはなかった。

 

「それじゃあ、私たちの目的を果たそうか」

 

 ナハトの言葉に首を傾げたのはレヴィ。

 端から見れば可愛らしい様子だが、アスカはレヴィの様子に気が付いて呆れるしかなかった。

 

「目的って何だっけ?」

 

「アンタねぇ、アタシ達はこのクソ熱い砂漠で訓練しに来たんでしょうが、ちゃんと人の話を聞いてなさいよ」

 

「そうだ!忘れてた!」

 

「忘れんな!」

 

「この先、大丈夫かなぁ………」

 

 レヴィの天然ボケに突っ込むアスカ。

 自身のパートナーのアホっぷりにナハトは不安になるしかなかった。

 

 この世界に来てから数時間後、レヴィ達は拠点となる場所を荒野の洞窟内に構築する。

 もっとも、拠点といっても洞窟内に結界魔法を展開しただけの寝泊まりする場所でしかないが、何もないよりマシである。

 

 そこで、アスカとナハトはレヴィから魔法の講義を受けていた。

 

「まず、キミたち二人は魔法の体系は知ってる?」

 

「そんなの簡単じゃないベルカ式と………」

 

「ミッドチルダ式だよね」

 

「うん! 正解だよ」

 

 二人の答えに満足そうに頷くレヴィ。

 これは、魔法を知る者なら知っていて当然の知識。知らなかったら恥をかくレベルの常識だ。

 しかし、魔法に触れたばかりの二人は知らない事も多いため、確認の為に簡単な事から始めていく。

 何事も基礎は大事である。

 

「じゃあミッドチルダ式とベルカ式の違いは何でしょう?」

 

 簡単な問題から、少し難しい問題にレベルをあげて質問する。

 今回は少々間違いやすい問題だ。

 

「えっと、ベルカ式が近接戦闘を重視した魔法体系だったかな?」

 

 レヴィの質問に答えたのはアスカ。

 だが、声音には自信がなく、やや疑問系だった。

 アスカがレヴィの顔を見やれば、やっぱり間違えたか~と呟きながら、右手で顔を覆っている。

 その様子からアスカは自分の答えが間違ってたいるのだと気が付いて、顔が羞恥で赤くなった。

 

「アスカの答えは正しくもあるけど、間違ってもいる」

 

「どういう事?」

 

 レヴィの天の邪鬼のような答えに、アスカの頭は混乱しつつも答えを聞く。

 レヴィは一つ頷くとベルカ式の特徴を、身振り手振り交えながら、二人に教えてくれた。

 

「ベルカ式の魔法を一言で言い表すのなら圧縮魔法なんだ」

 

「圧縮魔法?」

 

「そう、魔力をデバイスに圧縮させて相手に一撃必殺の攻撃を叩き込む。ベルカ式が近接戦闘を得意としているのは魔力の圧縮を持続させやすいから、遠距離戦闘だと、どうしても圧縮した魔力は減衰するからね。ただ、特殊な加工を施した矢に圧縮した魔力を溜めて放つとか、工夫次第で遠距離戦も可能だよ」

 

「なるほど、だからベルカ式魔法は、より魔力を圧縮する為に、カートリッジシステムを生み出したのね」

 

「その通り。ついでにアームドデバイスの強度が高いのは、近接戦闘によるデバイスの消耗対策と、多くの魔力を圧縮しても壊れないようにするため。これがベルカ式の特徴さ」

 

「魔力圧縮……か、難しいの?」

 

「難しいよ? ベルカ式が衰退した最大の原因が魔力圧縮の難しさにあるから、ヘタな人がやると魔力を抑えきれなくて暴発とかするし」

 

「成る程………」

 

 レヴィの講義に納得した様子で頷くアスカ。彼女は両腕を組むと考え事を始めた。

 今、彼女の頭の中では無数の魔法プログラムが構築されているのだろう。

 

 アスカが自分の世界に没入した様子を見て、レヴィは肩をすくめると、ナハトの方を見る。

 彼女は微笑みながら、真剣に話を聞いていたのだろう。

 顔は笑っているが、雰囲気は至って真面目で真剣な様子。

 

 たぶん、ナハトも魔法を自分の物にしようとしている。だから、ひとつでも多くの知識を取り込もうと必死なのだろう。

 レヴィはナハトの様子に気圧されながらも、次の質問をした。

 

「そっ、それじゃあナハトはミッドチルダ式の特徴がわかるかな?」

 

 レヴィは若干、声が震えながらもナハトに問いかけると、彼女は威圧感を和らげながら答えた。

 

「えっと、あらゆる種類の魔法を備えた汎用性の高い魔法体系だよね」

 

「うん、正解だ」

 

 ナハトの答えに満足げに頷くとレヴィは再び、アスカを見た。彼女はまだ自分の世界に没入しており還ってくる様子はない。

 仕方なくレヴィは注意する事にした。

 魔法の構築も大事だが、今から話す事も大事な事だ。

 きちんと、講義の話を聞いておいてほしかった。

 

「アスカ、アスカ!ちゃんと話を聞いてる!?」

 

「えっ!?ああ、ごめんなさい、何の話?」

 

「もう、今からミッドチルダ式魔法の特徴を話すから、ちゃんと聞かないとボク怒るよ?」

 

「ごめん………」

 

(驚いた。あのアスカお姉ちゃんが素直に謝るなんてビックリだよ)

 

 珍しく素直に謝るアスカにレヴィは内心で驚きながら、咳払いひとつすると話を続ける。

 

「じゃあ説明するね、ミッドチルダ式の魔法は一言で言えば放出魔法と言えるね」

 

「放出魔法?」

 

 可愛らしく首を傾げながら訪ねるナハトの疑問に、レヴィは頷くとミッドチルダ式魔法について詳しく解説する。

 

「うん、放出魔法。ミッドチルダ式魔法が射撃主体の理由だよ。ベルカ式の魔力圧縮と違って魔力を放出するなら簡単さ。魔法を使える程のリンカーコアを持つ人なら誰だって出来る。電刃衝!」

 

 叫ぶと同時にレヴィはデバイスなしで魔法を発動させる。

 右手を上げて、掌から水色の魔力スフィアを生成すると、雷撃を纏った射撃魔法はレヴィの隣にある大岩を綺麗に両断した。

 

「とっ、こんな風にデバイスなしでも簡単に射撃魔法が使える………、あれ?みんなどうしたの?」

 

 解説を続けようとしたレヴィは二人を見て戸惑った。

 二人とも呆けた様子で切断された大岩を見ていたからだ。

 

「レヴィちゃん凄い……」

 

「熟練者になると魔法も桁違いなのね………」

 

「おーい?二人とも??ん?、いきなり魔法を発動したから驚いたのかな?」

 

 二人の言葉は自分を褒めていることに気が付かないレヴィ。

 結局、三人とも数分ほど固まったまま時が過ぎた。

 

◇ ◇ ◇

 

 数分後、三人は気を取り直して講義に戻る。

 先ほどの数分が良い休憩時間になったのか、講義を受ける二人は集中力があがっていた。

 

「さて、ミッドチルダ式がなぜ汎用性に優れているか説明するよ。さっき説明した魔力放出を応用して、ある運用方法が考案されたからなんだ」

 

「ある運用方法?」

 

 ナハトの疑問にレヴィは頷くとバルニフィカスからプログラムデータを公開する。

 空間に表示されたミッドチルダの文字列はパソコンのプログラムに似ていた。

 

「あらかじめデバイスにプログラムを保存しておいて、使う時にプログラムに対して魔力を通し、術式を発動する使い方。こうする事で様々な効果を持った魔法が簡単に発動するようになった」

 

「あれ? でもベルカ式でも同じ方法を使っているよね」

 

「うん、でも最初に発見したミッドチルダ式と違ってベルカ式の術式はやや遅れてた。優れた使い手でもないかぎり補助魔法は数段劣ってしまう。効果は高いけど汎用性にすぐれなくて、誰でも気軽に扱えなかったんだね」

 

「そうなんだ」

 

「とにかく、この方法によってミッドチルダ式は多種多様な種類の魔法を使えるようになった。射撃、砲撃、収束、バインド、転移、幻術、ブースト魔法がね。そして、ミッドチルダ式魔法に合わせて、デバイスも処理能力と記憶容量拡大の方向性に進化した。それがストレージデバイスやインテリジェントデバイスさ」

 

 レヴィは大き伸びをすると、息をついた。

 ここまでしゃべり続けたし、何より同じ姿勢は疲れが溜まる。

 アスカやナハトも立ち上がって身体をほぐしていた

 

「少し長時間の休憩をとったあと二人の魔法を考えてみようか。そしたら今日は休んで明日、模擬戦ね」

 

「ホントに!レヴィちゃん!!」

 

「ほっ、本当だよ?」

 

 レヴィの言葉にナハトは目を輝かせてレヴィを見た。突然のナハトの行動に驚きつつもレヴィは頷くしかない。

 その様子を見てアスカは苦笑するしかなかった。ナハトは生前、姉を手伝う為に機械工学を学んでいた。その関係で魔法のプログラムに興味があるのだろう。

 

(しかし、今日のレヴィはやけに頭が良くて、饒舌だったわね。どうして普段はアホの子なのかしら?)

 

 ふと、今日のレヴィの様子に疑問に思ったアスカは、気になって本人に聞いてみることにした。

 

「ねぇ、レヴィ」

 

「なあに、アスカ?」

 

「今日はやけに博識だったじゃない?どうして普段からそうしないの」

 

「むぅ~、なんだか馬鹿にされた気がする」

 

 アスカの言葉に可愛らしく頬を膨らませて不機嫌になるレヴィ。

 そんな様子のレヴィにアスカは苦笑した。

 

「ごめん、ごめん。でもあの知識をどこで覚えたのかは気になるじゃない」

 

「ああ、それはねアスカ」

 

「それは?」

 

 アスカは今日の講義で魔法の知識を披露したレヴィを尊敬していた。アスカは魔法の事については素人同然で、だからこそ優れた知識と魔法の技術を持つレヴィを、この時だけは敬っていた。

 

 しかし、アスカの幻想は次のレヴィの一言で打ち砕かれる。

 

「全部、紫天の書の受け売りだよ。あんな難しい話ボクが知ってるわけないじゃないか」

 

「アンタは……アンタは……!」

 

「ん?どうしたのアスカ?」

 

「アタシの感動を返せ! 少しでもアンタを尊敬したアタシがバカみたいじゃない!」

 

「なんで~~~!!」

 

 魔力で生成されたハリセンを右手にレヴィを追いかけ回すアスカ。

 レヴィは涙目になりながら洞窟内を、追いかけてくるアスカから逃げ回った。

 その様子を見ながらナハトはこう呟く。

 

「正直に言わなければあんな目にあわないのに、どうしてばらしちゃうんだろう」

 

「こら~~! おとなしく捕まりなさい! そして逃げるなっ!」

 

「ボクが何をしたって言うのさぁぁぁ~~~」

 

「でも、正直で素直な所がレヴィちゃんの良さだよね」

 

それから二人の追いかけっこは、魔法プログラムの構築をやりたいナハトによって止められるまで続いた。

 



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●四頁 模擬戦は事故にご注意を

 昼は灼熱。夜は極寒。二つの顔を持つ無人世界にてマテリアルの三人は砂漠の地を訪れていた。この世界の時間も1日の半分を過ぎており、残りの時間を彼女たちは実戦訓練に使う予定だ。

 

「さて、アスカ? 準備はできてる? まずはデバイスの機能を一通り使ってみてよ。ただし、カートリッジシステムは後回しで、制御に失敗すると大変な事になるからね」

 

「わかったわ。紅火丸? 準備はいいかしら」

 

『無問題』

 

 アスカの問いかけに対して、静かに答える紅火丸。

 アームドデバイスの為か口数は少ないがアスカを一生懸命サポートしていた。

 アスカの元となった『シグナム』からの贈り物。

 

「紅火丸! 戦闘形態に移行よ!」

 

『承知!』

 

 戦闘形態に移行。

 その言葉を叫んだ瞬間、アスカは真紅の魔力光に包まれ、バリアジャケットに変化が訪れる。

 

 両腕に深紅のラインが入った漆黒の籠手(こて)が生成され、アスカに装着される。ふくらはぎまで伸びる長いチャイナドレスの裾でよく見えないが、スリットから覗く両足にも深紅のラインが入った漆黒の(すね)当てが装着されているようだ。

 

 背中は白い肌を見せびらかすように開けられているが、ちゃんとバリアジャケットで保護されている。主の可愛らしさを損なわれないように紅火丸が配慮したもの。

 

 もちろん、バリアジャケットの背中の部分が開けられるのには訳がある。

 

 アスカの背中に真紅の魔力光が集い、輝きを増すと、炎熱変換された魔力光が音を立てて炎を吹き出し、四枚の翼が形成される。

 

 やがて、形成された翼はアゲハチョウの翼のような形を成して、それを維持するように炎が噴き出し続ける。

 

 そう、この炎の翼の形成を邪魔しない様、アスカはバリアジャケットの最低限の防御力を残して、背中の部分は素肌を晒していた。

 この翼は、なのはの飛行魔法時に形成されるフライヤーフィンと同様の役割を果たし、さらには噴き出した炎を操作することで、攻撃にも防御にも使用できる攻防一体の技。

 バリアジャケットが薄くなって、背中の防御が低下したように見えるが、むしろ逆であり、噴き出した炎が近付いた者を焼き尽くす。

 

 火の鳥(フランメフォーゲル)と呼ばれる魔法。

 アスカの名前と同じ、アスカを象徴するかのような魔法だ。

 

「ほえ~、アスカ、カッコいいねぇ! 変身なんてボク憧れちゃう!! よし、決めた!ボクも新しい形態(フォーム)を考えちゃうぞぉ~~~」

 

「アンタって、本当に子供よね」

 

(それは私達も同じだよアスカちゃん)

 

 アスカの戦闘形態を見て感動したのか、両手を組んで、瞳をキラキラさせたレヴィ。羨ましそうにアスカを見ている。

 その様子を見て、アスカは苦笑しながら次の行動に移る準備をしていた。

 

 一方で二人から離れて様子を見ていたナハトは、アスカの言葉に苦笑い。

 アスカは自分がまだまだ子供だという事を忘れていないだろうか。

 

 まあ、元はバニングスという良家のお嬢様で、同時に跡取り娘でもある。

 だから、大人びているのも仕方のないことだが、もうちょっと子供らしくても良いと思うナハトであった。

 

(今度はアスカちゃんが子供に戻れるようなイタズラをしようかな? 普段からアスカちゃん、みんなに気を使っているし、偶にはストレス発散させてあげないと………)

 

 ナハトが二人を見守りながら色々と思考をする間、アスカは紅火丸を片手で振ったり、或いは両手に持ち替えて振り回したりしていた。

 振るうときに合わせて動く、足さばきは洗練された武人のように美しい。そして彼女が動くたびに足元から砂が舞い散っていく。

 戦いに素人のアスカが、ここまで動けるのは、ひとえに融合したシグナムのおかげ。

 

 しかし、空戦剣技は融合したシグナムの躯体に蓄積された知識のおかげなんとなく分かるが、アームドデバイスはアスカ専用に変質している。

 その為、紅火丸はレヴァンティンと比べて重さが違うのだ。少しだけ軽いかもしれない。

 シグナムの知識に頼って同じ感覚で剣を振るえば、違和感を生じるのは間違いないので、紅火丸を振るいながら、アスカは感覚の修正を行っていた。

 

「うんうん、アスカってば殺る気満々だねぇ。ボクも教えがいがあるよ」

 

「レヴィちゃん発音が違うから。それじゃあ、いろんな意味で危ないよ」

 

「えっ!? ああ、ホントだ。正しくは、やる気だったね。それよりも、ナハトも準備できてる?」

 

「もちろんだよ。シャッテン、形態変化」

 

 天然ボケにツッコミを入れるという漫才を繰り広げながら、今度はナハトが戦闘形態へと移行する。そして、身体が蒼色の魔力光に包まれたかと思うと、レヴィが見ている前で、バリアジャケットの変化は一瞬で終わっていた。

 

 アスカもそうなのだが、変身する際の移行速度は瞬間的と言ってよいほどに速い。

 まあ、変身中に攻撃を受けたら、ひとたまりもないので当然だといえる。

 

 変身が終わったナハトの姿は、アスカのように大部分が変わったわけではなく、一部分が変化したのみだった。

 シルクのような素材で編まれたかのような、薄手のドレスグローブは、無骨な鉄鋼のついたナックルグローブに変化しており、指先は鋭い爪のように尖った形になっている。

 

 長かったドレスの裾が膝元まで短くなっており、動きやすいように変化したのは明らかだった。

 素肌は漆黒のパンツストッキングに隠しているようだ。レヴィと違って羞恥心は大きいらしい。

 

「……なんか、アスカと違ってハデじゃないね。意外と地味っぽい?」

「むぅ、地味じゃないもん!」

「えっと、もしかして気にしてた?」

「ぷいっ……」

「わぁ~~っ!? ごめん、謝るから許してぇ~~!」

 

 そして追撃のようにレヴィから気にしていた部分を指摘され、ナハトは私、怒ってますよと言わんばかりに腕を組んで、顔を逸らした。

 ちょっと涙目である。だから、レヴィは慌ててナハトに駆け寄ると、必死に謝るのだった。

 

「ハァ、何やってんのよ、アンタ達は……」

 

 それを見ていたアスカは溜息を付いたという。

 

◇ ◇ ◇

 

「さてと、二人とも準備が完了したところで、模擬戦と行こうか。バルニフィカス!!」

 

 何とかナハトに機嫌を良くしてもらい、改めて場を仕切りなおしたレヴィ。

 そして、右腕を上げると、その手に何もない空間から出現させたバルニフィカスを掴み取った。

 

 両手で自由自在にバルニフィカスを振り回すと、頭上で大上段に構え、素早く大きな一振りをする。

 その動作で、バルニフィカスの戦斧が展開して、水色の魔力刃が吹き出し、大鎌に変形した。

 

 レヴィの纏う雰囲気も変貌を遂げており、明るく無邪気で、元気いっぱいの雰囲気は消え失せた。

 代わりに紫色の瞳を鋭く細めて、二人を威圧するかのように闘気を発する。

 アスカとナハトの肌にピリピリとした感覚が走り、三人の周囲を包む空気がどんどん重苦しくなる。

 

「ううぅ……」

 

「――ッ!!」

 

 負けじとアスカも紅火丸を正眼に構え、ナハトも左手を顔の前に、右手を腰の位置に置いて、シャッテンの鋭い爪を見せつけるように構える。

 しかし、二人ともレヴィの発する気配に飲まれた様子。アスカは腰が引けていて、ナハトも緊張したように息を呑んでいた。

 

「二人とも、どこからでもいい。かかって来なよ」

 

 レヴィが油断なく身構えたまま、普段よりも低い声で挑発する。

 しかし、アスカとナハトは様子見に徹するばかりで、襲いかかる気配は微塵も感じられない。

 これでは、訓練にならない。

 そう判断したレヴィは、自ら戦端を開くことにした。

 

「ふ~ん。そっちが来ないなら……ボクのほうからいくよッ!!」

 

 レヴィは一瞬で体勢を低くし、足腰に力を溜めると、次の瞬間には爆発する勢いで地面を蹴ってナハトに肉薄せんと迫りくる。

 蹴りぬいた砂地から巻き上がる砂塵を背に迫る。そのスピードたるや、まさに雷光のごとし。

 稲妻(レヴィン)の名に恥じない高速戦闘スタイルは、まさに、彼女の存在を表したかのようだ

 そのまま、下段に構えていたバルニフィカスの大鎌の刃をを地面にこすり付け、摩擦を負荷にして振り上げた。

 

「くっ!」

 

 地面を鞘に見立てて、振り上げられたバルニフィカスの刃は、視認できないほどのスピードでナハトを襲う。

 だが、夜の一族と盾の守護獣の身体能力を併せ持つナハトは、デバイスを振られる前に身体を横にずらして、辛うじて躱した。

 掠めた刃がナハトの髪を数本散らせ、それは魔力の残滓となって淡い燐光を残しながら砂漠の空を舞う。

 

「まだまだ、ボクの攻撃は終わりじゃないよ?」

 

「……ッ、うぅ!!」

 

「ナハトッ!!」

 

 しかし、振り上げたバルニフィカスに引っ張られるように、足を蹴りあげて一回転。そのまま空中に浮かび上がったレヴィは、返す刃で叩きつけるようにデバイスをナハトに向けて振り下ろす。

 

 空から重力に任せて振り下ろした避ける事の出来ない凶刃。

 それを、ナハトは前に踏み込むことで、鎌の内側に入り込み、バルニフィカスの柄を両手で掴んで受けとめた。

 ナハトの足元の砂が沈み込み、振り下ろされたデバイスの勢いが、いかに凄まじかったかを物語る。

 

 力で拮抗する両者。

 

 攻撃を受けとめたナハトは苦しげな声をあげ、気を取り直したアスカが慌てたように叫んで、ナハトの(そば)に向かおうと地を駆ける。

 だが、慌てているのはレヴィも同じだった。

 顔には出さないが、内心では予想外の事態に動揺している。

 

(なんて馬鹿力ッ!! 今考えられる状況で最速の斬撃を喰らわせたのに、ボクのほうが押されてるッ!?)

 

 そう。ナハトは、その身体や腕付きからは想像もできないような怪力で、レヴィのデバイスを抑え込んでいた。

 それどころか足腰に力を入れて踏ん張るナハトは、耐えるどころか、徐々にレヴィを押し返しているのだ。

 

 このままでは凄まじい力で掴まれたデバイスを振りほどくことも、手放すことも出来ない。

 このままでは……マズイ!!

 

「アスカちゃん! 今だよ!!」

 

「合点承知!! まかせなさいっ!」

 

 ナハトの声を受けて、彼女の意図を察したアスカが落ち着きを取り戻し、ニヤリと笑いながら硬直しているレヴィに差し迫る。

 振り上げた紅火丸を、レヴィの直前で飛び上がった勢いに任せて振り降ろせば、防御力の低いレヴィはそれだけでノックアウトだ。

 

「くっそう! ボクをなめるなぁ!!」

 

「うそッ……」

 

「ッ――!?」

 

 このまま負けてたまるかと、レヴィは叫びながら自身の周囲に水色の射撃スフィアを生成する。その数、八つ。

 それの威力を以前に見たことのある二人は冷や汗を流して警戒した。

 スフィアのターゲットは、もちろん、アスカとナハト。

 

「ゆけっ! 電刃衝!」

 

 四発を、ナハトを引き離すために単射し、残りの四発はアスカを近づけまいと連射する。

 仕方なくナハトは発射される寸前でバルニフィカスを離して、バックステップで距離を取り、かなりの速度で射出された電刃衝を、両手で構えたシールドで防いだ。

 

「ちッ! 面倒な」

 

 アスカが舌打ちする。

 火の鳥の騎士を近づけまいと四つの射撃スフィアから連射される電刃衝。

 彼女はレヴィに向かって加速しようとしていた自身の体を捻り、最初の一撃を回避すると、そのまま上空で左右に回避運動。

 そして、寸分たがわずに狙って発射される電刃衝から距離をとり、回避に専念する。

 

 身を掠めそうになる攻撃は、籠手(こて)の部分で弾いてあらぬ方向に逸らす。

 シールドで防ぐ暇もなく、完全に足止めされた状況だ。

 そんな、隙を逃すレヴィではない。

 

「そこだ。光翼斬!」

 

 アスカを撃墜しようと、バルニフィカスの魔力刃を振り飛ばすレヴィ。

 回転する水色の魔力刃が、高速で上空のアスカに向かう。

 

 そのまま、レヴィはアスカに向けて瞬間移動するかのように跳んで、迅雷の如く飛んでいく。光翼斬が回避されても、振り下ろしたバルニフィカスの一撃で撃墜するつもりだった。

 

「これ以上はやらせないよ。レヴィちゃん!」

 

 一方、グローブの爪先から蒼い魔力糸を展開したナハトが、胸の前で両手を交差させたあとに振り降ろした。

 レヴィが元いた場所に、蛇のようにうねる蒼い魔力糸が襲いかかるが、狙いはレヴィではない。

 そこにあったアスカを狙う四つの射撃スフィアだ。

 魔力糸はスフィアをゆで卵のように輪切りにすると、スフィアが爆発するのを尻目に、霧散して消えていく。

 

 次に、ナハトは襲われるアスカを援護するために、別の魔法を展開した。

 足元に蒼色のベルカ式魔法陣が展開され、さらに強く輝く。

 

「我は願う。愛する者達を、理不尽なモノから守護する力を。シールドスフィア!!」

 

 静かに目を閉じ、胸の前で両手を組んで祈るように呪文を唱えたナハトは、二つの蒼色に輝くスフィアを、指差したアスカに向けて飛ばした。

 

 シールドスフィア。

 その名の通り、スフィアにシールドの効果を付与した魔法であり、離れた所からでも防御魔法を発動することが出来る便利な魔法。

 ただし、効果は一度きりで、持続して展開できないため、防ぐことのできる攻撃は一瞬だけ。

 

 それに、ナハトは元々魔法が使えるほどのリンカーコアを持たなかった為、魔法の素質は低い。シュテルやレヴィが難なくこなす誘導魔法の操作を、彼女は足を止めて、集中しなければならない。まだまだ訓練が必要だった。

 

 一方、電刃衝の狙い撃ちを辛うじて防いでいたアスカは、地上から迫りくるレヴィを見て、紅火丸を構え直した。

 

「今度はアタシを倒そうってわけ? でもね、アタシだって簡単にやられたりしないわよッ!」

 

 自らを奮い立たせるように叫んで、レヴィの気迫に気圧されないよう、自分の心を勇気づけた彼女は、レヴィを迎撃する為の行動を起こす。

 まずは、水色の刃を回転させながら、アスカに向かってくる光翼斬を、パンツァーシルトを展開して防ぐ。

 次に彼女の背中から吹き出す炎の翼を、紅火丸の刃に集わせ、アスカはそれを振るった。

 一閃、二閃、三閃と縦横無尽に刃を振るわれた刃から、炎を纏った斬撃波が飛んでいき、レヴィを撃墜せしめんと猛烈な勢いで襲いかかる。

 

(ちょっ――剣士なのに遠距離攻撃ってありなの!?)

 

 内心で動揺しながら、アスカが必死に放った攻撃を、レヴィは物ともせずに突き進む。

 炎の斬撃破がぶち当たる瞬間に、身体をわずかにロールさせて、最小の動作で回避。

 

「なあっ! あれを、あの速度で避けるの!?」

 

 迫りくる攻撃に対する物怖じしない胆力と度胸は驚愕の一言で、アスカが避けられたことに驚きを隠せずにいる。

 さすがは、高速戦闘を得意とした魔導師。その勢いと速度はほとんど衰えることがなかった。

 

 予想外の展開に驚いたまま、身体を硬直させるアスカ。

 その隙は戦闘において、致命的な隙である。

 あっと言う間に、アスカの飛んでいる高度まで駆け上がったレヴィは、彼女を追い抜きバルニフィカスを肩まで振り上げ、構えた。

 

「カートリッジロードッ! バルニフィカス、モードブレイバーーッ!」

 

 そして、レヴィの叫びと共に、バルニフィカスの戦斧と柄の間に組み込まれたリボルバーが回転する。撃鉄を打ち鳴らし、カートリッジに込められた魔力を使って、デバイスはその姿を変えんと変形した。

 

 戦斧が西洋剣の鍔に変形すると、そこから、長大にして巨大な、半透明の水色の刀身が伸びていく。柄の長さも含めれば、それは、子供が振るうにしては巨大すぎる剣であり、むしろ槍と言った方が相応しい程の威容。

 

 あえて、剣の部類で表現するならば、斬馬刀と言ったところだろうか。

 

「さあ、アスカ! この一撃を受けて、砂漠の大地に抱かれて眠れぇぇぇぇっ!!」

 

 妙に厨二くさい台詞を吐きながら、レヴィは、それを。巨大な神剣と化したバルニフィカスをアスカの上空から振り降ろした。

 

「じょ……冗談でしょ?」

 

 自らに向けて振り下ろされたバルニフィカスの威容に圧倒され、さらに、攻撃をかわされて動揺し、隙を晒していたアスカは、まともに動くことすらできない。

 もはや、これまでと、覚悟を決めて目をきつく閉じたアスカ。

 そんな彼女の窮地を救ったのは、ナハトのシールドスフィアだった。

 

『アスカちゃん! 今のうちに避けて!!』

 

「ナハトっ!?」

 

 念話で届けられたナハトの叫びに、はっとして目を開けるアスカ。

 眼前では水色の巨大な刃を、蒼色の球体となって幾重にも展開されたパンツァーシルトが押し止めていた。

 

「くっ! ナハトの仕業だねっ。でも、こんなシールドじゃあボクの攻撃は防げない!! アスカもろとも叩き斬るまでだよっ!! 紙のように千切れ飛び、ガラスのように砕け散れ!」

 

『アスカちゃん! 早く!!』

 

 だが、レヴィの言葉通り、徐々にひび割れていき、ガラスが砕け散るような音と共に、あっけなく粉砕されるシールド。

 シールドは、蒼色の魔力の欠片を無数に散らしながら、大空の大気に混じって、霧散するように消えていく。

 そして、そのまま全てを断ち切らんと、水色の神剣は二つ目のシールドにぶつかった。

 

「くっ! こうなったら、やけくそよ! もうどうにでもなりなさいっ!!」

 

 刻一刻と迫る攻撃の恐怖に、アスカは自暴自棄に叫ぶと、紅火丸の刀身を、腰の鞘に納めた。

 そして、炎の翼を猛々しく燃え盛らせて、レヴィに突っ込んでいく。

 

 二つ目のシールドスフィアが、役目を終えて粉々に砕け散り、アスカはその近くをすり抜ける。

 巨大な斬撃の余波が、アスカのバリアジャケットの隅々を破るかのように、吹き飛ばす。

 余波だけで、この威力。直撃していれば、いったい何日目覚めないほどのダメージを受けただろう。だが、当たらなければどうということはない。

 

 そのまま、先ほどのお返しと言わんばかりに、アスカはレヴィに向けて肉薄していく。

 それを見て、面白いようにレヴィは慌てた。

 

「ちょっ、ちょっと、ちょっと! たんま、えっと、タイムタイム! ああっ、デカすぎて刃を返せない!! アスカ~~」

 

「なに、ふざけたこと言ってんのよ!! 例え模擬戦だろうと、待ったなんて通じないわ!!」

 

 あたふたして、混乱して、顔をあわあわとふるレヴィの姿を見て、アスカはほくそ笑んだ。

 この顔が見れただけでも、色々としてやられた分は返せたと思う。

 

 しかし、しかしだ。

 

 それと、これとは話が別で、この模擬戦の勝利は頂いていく。

 アスカは勝負ごとに関して、何でも負けず嫌いだから。彼女は勝てるなら勝ちを貰ってしまおうと笑った。

 

 巨大すぎて、しかも、大振りな攻撃のせいで、神剣を引き戻せないレヴィ。

 あの子の防御力は信じられないほど薄いから、適当な一撃でも致命傷になる。

 でも、あれだけの大技を、アスカに浴びせたのだから、やり返さないと気が済まないと彼女は思った。

 

 だからだろうか。最初のレヴィの言いつけを忘れて、講義の内容を忘れて、アスカは暴挙を犯した。

 

「紅火丸! 魔力薬莢装填(カートリッジロード)!!」

 

『承知』

 

「あっ……」

 

『あ、アスカちゃん。それは……』

 

 インテリジェントデバイスほど的確に判断ができないアームドデバイス。レヴァンティンの劣化版とも言える紅火丸は、忠実に主の命令を遂行する。

 紅火丸の柄先がスライドすると、真紅のカートリッジが一発飛び出し、アスカに魔力を供給した。

 

 それを、唖然とする様子で見ているしかないレヴィ。

 止めようとして、その先を言えなかったナハト。

 アスカは、その様子から、今更のようにレヴィの言葉を思い出していた。

 

"ヘタな人がやると魔力を抑えきれなくて暴発とかするし"

 

"魔力を抑えきれなくて暴発とかするし"

 

"暴発とかするし"

 

「あっ……、ああっ!!」

 

 つい、勢いに任せて、カートリッジをロードしてしまったアスカは、自らの犯した過ちに気が付いて、唖然とした表情で叫んで……爆散した。

 傍にいたレヴィも巻き込んで。

 爆散した。

 

 紅火丸から溢れる増幅された魔力を、制御しきれず、行き場を無くして暴発した結果だった。至近で爆発を受けたアスカとレヴィは、目立った怪我こそないものの、気を失って上空から、真っ逆さまに落ちていく。

 

「いけないっ!!」

 

 唯一、地上にいて無事だったナハトは、蒼い魔力光に包まれると、美しい毛並みを誇る狼に変身して、上空に飛び出し、駆け抜けていく。二人を救出するために。

 

「………う、痛ぅぅ! くううっ!!」

 

 レヴィは、すぐさま気絶から意識を取り戻すと、気怠さと痛みを吹き飛ばすかのように、首をブンブンと振る。

 そして、暴発に巻き込まれて弱った身体を無理やり動かし、共に落ち行くアスカの身体を支えた。

 しかし、魔力ダメージが大きかったのか、人を抱えて楽々と飛べるはずのレヴィは上手に飛べず、落下速度を緩めるだけ。

 このまま、地面に激突する前に浮遊魔法(フローターフィールド)を、展開して激突するのを防ぐしかないと、そう判断したレヴィだったが……

 

「ぐえぇぇっ!」

 

『ああっ!? ごめん、レヴィちゃん……』

 

 狼形態のナハトに襟首のマントを咥えられて、首が閉まってしまい再び気絶するレヴィだった。

 この時のナハトは珍しく、心底申し訳なさそうに謝っていたという。

 

◇ ◇ ◇

 

「もうっ! アスカ義姉ちゃんのバカっバカっバカっ! 危うく、大惨事になるところだったよ!」

 

「ごめんなさい……」

 

 ナハトから治療魔法を受けながら、レヴィは仁王立ちしてアスカを叱りつけ、アスカは正座して反省しながら、説教を受けていた。

 

 ここは、灼熱と極寒世界を過ごすために、マテリアルズの三人が天然の洞窟内に作り上げた拠点。

 魔法で過ごしやすいように、バリアジャケットの機能を応用した結界が常時展開されており、温度が一定に保たれている。

 主に、寝泊りや休憩する場所として使われていて、この世界の原生生物に襲われる心配もない。

 

「でも、模擬戦でヒートアップしたレヴィちゃんも悪いと思うよ? ちゃんと教導官として、私達を教え導き、技を受けなきゃいけないのに、本気で撃墜しにきたよね?」

 

「うっ、うう……ゴメンナサイ」

 

 ぷんぷんと怒ったように説教していたレヴィだが、ナハトの言葉を受けて項垂れた。

 たしかに、魔法の初心者である二人を教え導かなければならないのに、撃墜しては本末転倒である。

 スパルタ訓練といえば聞こえがいいが、訓練にならないのであれば意味がない。

 

 きっと、シュテルがいたらこう言うだろう。

 

"レヴィ? 貴女はとんだ大馬鹿野郎ですね。あとで、覚悟して下さい"と

 

 ここに、シュテルがいなくて本当に良かったと思うレヴィであった。

 

「でもでも、実戦のふいんきは味わえたでしょ?」

 

雰囲気(ふんいき)ね。確かに、アンタの気迫にはビビったわよ。普段おちゃらけたアンタが、歴戦の戦士みたいな感じになるんだもの」

 

「ふふん、実際にボクは歴戦の魔導師なんだぞ。アスりん」

 

 レヴィの言葉にも一理あると、正座したまま頷くアスカ。

 おかげで、アスカとナハトは本物の戦いと寸分たがわぬ経験を積むことが出来たのだ。

 これで、いざというときに怯えて足が竦むなんて事態にはならないだろう。

 

 アスカに褒められたと思ったレヴィは、少しだけ膨らんだ胸を張って、偉そうにふんぞり返った。

 

「でも、こんな模擬戦を続けたら身体がもたないよ? レヴィちゃん?」

 

「確かにね。身体が持ちそうにないわ……」

 

 ナハトの言葉には、アスカも頷くしかない。

 模擬戦だったとはいえ、互いに割と本気のぶつかり合いを繰り広げたのだ。

 こんな事を続けていたら、本懐を遂げる前に、三人とも共倒れしてしまうような気がする。

 

 だから、二人の意見を前にむむむ、と唸っていたレヴィだが、何か考え付いたのかポンッと手を叩いて、顔を上げた。

 

「ふたりとも、ボクに良い考えがある!!」

 

(嫌な感じしかしないわ)

 

(絶対、ロクなことにならない気がするよ……レヴィちゃん)

 

 しかし、アスカとナハトは、これまでのレヴィの言動から嫌な予感を感じてしまう。

 それでも、結局は振り回されるんだと諦めている二人は、反論しなかった。

 それが、とんでもない事態を引き起こすことになるとは知らずに。

 



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●五頁 訓練と蒐集

 訓練開始から二日目。

 レヴィの考えた良い案を実行するために、マテリアルの三人は今日も灼熱の熱気が襲う砂漠のど真ん中に来ていた。

 もっとも、バリアジャケットのおかげで熱さを感じることもなく、日差しに肌を焼かれる心配もない。

 

「ねえ、ナハト」

 

「なあに? レヴィちゃん」

 

「ボクらがシュテるんに言われた事は、魔法訓練と魔力の蒐集だよね?」

 

「うん、そうだよ」

 

「だからボク、いっしょうけんめい考えたんだ。訓練できて魔力も蒐集できる方法」

 

「えっ!?」

 

 レヴィの言葉にナハトは珍しく驚き、困惑する。

 そして、レヴィの考える訓練が出来て、魔力も収集する方法とは何なのか、マルチタスクを展開して思考を開始した。

 アスカも首を捻っており、どうやら彼女もレヴィの考えている方法が分からないようだ。

 

(模擬戦じゃないよね、模擬戦は訓練できても魔力を蒐集できない。私たちから魔力を蒐集しても意味ないもの。なら訓練できて魔力も蒐集できる方法は……まさか!)

 

「レヴィちゃん、まっ!」

 

「天破! 雷神槌!」

 

 そうして、レヴィの考えについて思い立った時、咄嗟にレヴィを止めようとしたナハトだったが一足遅かった。足元に通常より大きなミッドチルダ式魔法陣を展開したレヴィが魔法を発動させたのだ。

 

 詠唱せずとも高位魔法を発動させるレヴィの資質は素晴らしいが、今はそれが仇となった。

 水色の輝きを放つ剣が天空から降り注ぎ砂漠の大地に突き立つ。次の瞬間には水色の雷が閃光と轟音を放ちながら、剣に向かって降り注いでいた。

 大量の砂が魔法に付与された爆砕効果で抉り取られ、砂塵が巻き上がり、ナハトは頭を抱えるしかない。

 

「あああぁぁぁ……何てことを」

 

「レヴィ、アンタ何やってるのよ?」

 

「うん? 説明してなかった? これはねアスカ、この世界にいる原生生物を起こしたの」

 

 そんな中で、アスカはいきなり発動された魔法の意図が分からず、レヴィに質問した。だから、レヴィは悪びれた様子もなく無邪気な笑顔を浮かべながら、嬉々として義姉に説明する。

 

「はぁ? 原生生物を起こしたって?」

 

 アスカはレヴィの言っている意味が分からなかった。

 しかし、いきなり響き渡った叫びによって理解することになる。

 

'キシャアアアアア――!!!'

 

「きゃうっ!」

 

「何よ! これぇ!!」

 

「来たよ! 来たよ! 強そうなヤツが来たよ!」

 

 金属を擦り合わせたような甲高い叫びに、耳が良すぎるナハトは獣耳を両手で塞ぎ、アスカは身を竦ませた。

 唯一、レヴィだけはバンザイしながら空中に浮かんで喜んでいる。

 不意にレヴィ達のいる周囲の砂漠が盛り上がり始め、アスカとナハトは身の危険を感じて空に退避。すると、現れたのはおとぎ話に登場する龍のような体躯を持つ百足だった。

 

「何アレ………?」

 

 思わずアスカが項垂れ指を差す。

 かつて、アスカ達が住んでいた世界の高層ビルに巻きつけるような体躯を誇る百足龍。

 そんなモノを初めて見れば驚くのも無理はない。

 

 むしろ絶叫して気絶しないだけマシだろう。

 だって、虫が苦手な人がいたら気絶するかもしれないくらい色々と生々しいのだから。

 

「今から皆でアレを狩るよ~~。リンカーコアが小さいから蒐集できる魔力も少ないけど、良い訓練相手になるし!」

 

 満面の笑顔を浮かべて語るレヴィに呆れた表情を浮かべる二人。

 特にアスカは口を開けてポカンとした表情を浮かべていたが、状況を理解すると力いっぱい叫んだ。

 

「ふざけるなーーー!!!」

 

「ひゃん!?」

 

「魔法を知って間もない私たちに巨大生物と戦えですって! 冗談じゃないわよ! スパルタにも程があるわ!!」

 

 そんなやり取りをする間に、三人を外敵と判断したのか、百足龍は鎌首をもたげて口から砂の塊を吐き出した。

 

「ッ! 危ない!!」

 

 咄嗟に反応したナハトが喧嘩する二人を引っ張って飛ぶ。標的を失った砂の塊は砂漠に着弾すると爆音と共に砂塵を巻き上げて砂地に沈んだ。直撃したらひとたまりもない。

 

「あっ、危なかった~~!」

 

「助かったわナハト………」

 

「もう……二人とも油断するからだよ」

 

 ギシギシと金属音を鳴らしながらレヴィ達を威嚇する百足龍。

 それを見据えながら全員が高度を上げて距離を取る。

 

「やい! ムカデ! ボクらが名乗りをあげる前に攻撃するなんて卑怯だぞ!」

 

「アンタが怒らせたせいでしょうがッ! だいたい、戦いに卑怯もクソもあるか!」

 

 アホな事を言うレヴィに相変わらずツッコミを入れるアスカ。

 そんな二人の横で、ナハトは無言で身構えていた。今度同じような攻撃が来ても、確実に防御魔法で防げるよう集中する。

 

「とにかく、今はアイツを狩る! 先手はボクが行くから二人は援護して!」

 

「了解。行くよ、アスカちゃん。まずは降りかかる火の粉を払わないと」

 

「ちょっと待ちなさい! ああ、もう!」

 

 まず、レヴィが凄まじいスピードで百足龍に突っ込んで行く。それに続いてナハトが突っ込み、出遅れたアスカは必死に二人を追いかけた。

 

「いくぞムカデ! 食らえ! 光翼斬!」

 

 急降下する勢いのまま、バルニフィカスから魔力刃を飛ばすレヴィ。相手を切り刻まんと進む光翼斬は凄まじいスピードで回転しながら飛んでいく。そのまま人間なんて簡単に潰してもあり余る巨体に怯むこともなく、次の一手を仕掛ける為に急接近。

 

(さ~て、狙いは百足龍の触覚かな。地中で過してたアイツは音や空気の振動をたよりに獲物を探しているはず。ソレを感じ取る触覚さえ斬り落とせば狙いを定める事さえ出来なくなる。たぶん)

 

 瞬時に相手の弱点を見抜き、弱点を攻めるレヴィの動きは、もはや雷光そのもので、余りの速さに百足龍は反応すらできず、片方の触覚を光翼斬によって易々と切り落とされる。 そして、もう一方の触角の根元に近づくと、変形させていたバルニフィカスから延びる光剣で薙ぎ払い。その、丸太のように太い触角を切り飛ばした。

 

'シャアアアッ!?'

 

 いきなり両方の触覚を切り落とされた百足龍は苦悶の叫びを上げる。

 そして、黙って殺されまいと巨体を覆う固い甲殻の隙間から、無数の触手を伸ばし、レヴィを捕らえようとした。

 

「クッ、数が多い! でも、ボクを捕らえることは出来はしない!」

 

 レヴィの進路を塞ぐように展開される触手。

 それを薙ぎ払うように、レヴィはバルニフィカスから伸びる光剣を振り回して、触手を近づけまいと両断。巧みな空中機動で触手の群れを回避していく。

 

 しかし、レヴィがいくら触手を切り裂いても、それを上回る数の触手が四方八方からレヴィに迫った。

 

(マズい、このままじゃ捕まる!)

 

「極炎弾!!」

 

 焦るレヴィのピンチを救ったのは百足龍の上空から飛来した炎の塊。巨大な炎の砲弾は百足龍の頭に着弾すると、爆発して百足龍の巨体を仰け反らせる。

 

 その間にレヴィは急速離脱。

 

 一旦距離を取りながら、背後の百足龍を見やれば、レヴィを捕えようと無数に蠢いていた触手の群れも、植物の蔓が枯れるように力を失い。砂漠の大地に朽ちたように、倒れ伏していく。

 

「ほえええぇぇ、すごい火力」

 

 そして、レヴィが唖然とするなかで、アスカは黄金のベルカ式魔法陣を展開。義妹が離脱するのを確認しながら、紅火丸の切っ先を油断なく百足龍に向けていた。炎の翼からは、いつでも次弾が放てるように、紅火丸の刀身に向けて炎熱変換された魔力が流れ込んでゆく。

 

「まったく、手間を掛けさせんじゃないわよ。ナハトっ!」

 

 さらに、百足龍が怯んだ隙を見逃さず、その身体を疾風の勢いで駆け抜けていく蒼き狼の姿があった。狼形態へとフォームチェンジしたナハトだ。

 

 彼女は、百足龍の頭を目指して突き進むと、大きく空中へと跳躍。身体が蒼色の魔力光に包まれる。

 そして、空の上で、人間形態に変身すると、狙っていたかのように百足龍の頭上へと着地する。

 

 そこから大きく右腕を引き絞り、拳を強く握り込むと、彼女のデバイスであるシャッテンに取り付けられた鉄鋼を向けて、相手の頭に叩き込んだ。

 

 暴力とは無縁のような少女の、か弱い腕から繰り出されたとは思えないような怪力。それが直撃した瞬間、百足龍の頭から堅い鉱物をハンマーでぶっ叩いた時のような音が響き渡る。

 

 すると、堅い甲殻は陥没して、拳を受けた中心から周囲に(ひび)が走り、その絶大な威力を証明していた。

 

"シャアアァッ、シャアアッッ!!"

 

 手痛い強烈な一撃を頭に受けて、百足龍は受けた苦痛に耐えられんと、信じられないような絶叫を上げる。頭の上にしがみつく厄介な敵を振り降ろさんと、激しく頭を振って抵抗した。

 

「いまだよ! レヴィちゃん!!」

 

 ナハトは叫びながら、振り回された勢いを利用して空中に飛び上がると、百足龍の頭から離れる。

 

「アスカもナハトも、ありがと。 これで、止めだ。でやああああ!!」

 

 そんな、百足龍が晒した隙を見逃すようなレヴィではない。ナハトの声を受けて、彼女は戦艦すらぶった切れるような巨大な光剣を両手で振り上げ、百足龍の頭に向けて振り下ろした。

 

 非殺傷設定なので、百足龍の頭に重い打撃を与えるに留まる。そこに、電気変換された魔力が加わり、紫電を周囲に撒き散らしながら百足龍の身体を痺れさせ、気絶させることに成功する。

 

 巨大な地鳴りを響かせながら、倒れ伏した百足龍を見て、アスカとナハトは一息を吐いた。

 

「はぁ、まったく、あの子の無計画さには呆れるわ……」

 

 いきなり良い計画を思いついたと言い出し、何の相談もなしに、それを実行に移してしまうレヴィの無計画さ。それに疲れたような溜息を吐きだしながらアスカは愚痴をこぼした。

 

 そりゃあ、振り回されることを受け入れ、レヴィの考えも聞かずに反論しなかったアスカやナハトも悪いと思う。だが、まさか、ここまでとんでもない事態を引き起こすとは思わなかった。次からは注意しようと、考えを改める二人。

 

――ねぇ、みてみて! アスりんにナハっち! ボクって、すごくカッコ良いだろ~~!?

 

 愛称で呼ばれたアスカとナハトが、レヴィの声のした方向に顔を向ける。

 

 そこには気絶させた百足龍の頭の上に立つレヴィの姿があった。巨大な水色の光剣を展開したバルニフィカスを掲げながら、はしゃいで自称カッコイイポーズを取っていた。

 

 いまだ元気にはしゃぎまわるレヴィを見ながら、本当に彼女のペースには付いていけないと思うアスカ。

 

 だが、これも"あの日"の悪夢を繰り返さないため。

 

 そう思って、乗り越えなければならないのだとアスカとナハトは考え。そうして二人はレヴィの始めたモンスターハンティングのような訓練をする日々が始まるのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 さらに数日後。訓練は順調に続いている。

 周囲には百足龍や牛のような体躯を持つハエにもアブにも似つかない生物が、数多く気絶し、倒れ伏していた。

 全て、アスカ達が非殺傷設定魔法で気絶させた巨大生物である。

 

 この過酷な環境の無人世界を生き抜いているだけあって、彼らの秘められた生命力はかなり強靭であった。

 

 なにしろ、レヴィの圧倒的な魔力出力によって繰り出される攻撃で、ようやくダメージを与えられるほど。尋常ではない耐久力を誇る蟲達は、アスカやナハトがどんなに攻撃しても怯ませるくらいにしかならなかった。

 

 さすがに、ナハトの凄まじい膂力(りょりょく)の前では、堅い甲殻も意味を為さない。しかし、隙が大きいし、空を飛ぶ蟲を一匹を仕留めるだけでも苦労する。

 

 必然的にアスカはカートリッジシステムの使い方をを覚える必要があった。

 訓練を繰り返し、実戦における訓練で身体に直接叩き込むというスパルタを得て、カートリッジの魔力を制御することに成功する。

 

 その苦労は並大抵のものではなかったとアスカは語るだろう。

 なにしろ、彼女はシュテルやレヴィのように魔法の才能がまったくと言って良いほどなく、シグナムと融合するまでは、魔法すら使うことのできない普通の女の子だったのだから。

 それこそ、某二挺拳銃の魔法少女が才能がないとコンプレックスを抱いているのを鼻で笑えるくらい、アスカには魔法の才能がなくてダメダメだった。

 

 かつてはバイリンガルであり、小学校のテストも満点を取るのが殆どで。おまけに運動も並大抵の人より優れていたアスカにとって、皆ができる魔法が使えないというのは、自身のプライドが許さなかった。

 

 休憩するときにレヴィに付き合ってもらって、カートリッジの魔力制御を練習して、そのたびに魔力が暴発して怪我をするというのを繰り返した。無理に何度も繰り返すようなことはしなかったが、失敗するたびにレヴィと魔力制御の方法を見直した。

 

 そして、アスカは少しずつ魔力制御の感覚を掴んでいくと、戦闘中にカートリッジシステムを使うことができるようになったのだ。

 このように。

 

「紅火丸、カートリッジロード!」

 

『魔力薬莢装填』

 

 紅火丸の柄先がスライドすると空になったカートリッジが排出され、アスカの身体に魔力が満ちて力を与える。

 そして、紅火丸の刀身が熱を帯びたかのように紅く染まり、高密度の魔力を帯びた。

 

"キシャアアァァァ―――"

「遅い、紅蓮抜刀!」

 

 アスカを丸呑みにしようと向かってくる百足龍の頭上を取り、そのまま飛び掛かる勢いに任せて、紅火丸を鞘から横一文字に一閃する技を放つ。

 鞘から火薬式カタパルトのような爆発が生じ、斬撃の勢いを加速。そのまま百足龍の感覚器官となる二本の触角を切り飛ばし、切り裂いた部分からは肉を焼いたかのような音と匂いが生じた。

 

「これで終わりよ。でやぁっ!!」

 

 そのまま振り抜いた刀を両手に持ち帰ると、百足龍の頭めがけて振り下ろす。

 刃は百足龍の堅い甲殻に阻まれるが、付与された術式から衝撃が発生し、彼の蟲の頭を揺さぶった。

 

"オオオォォォ………"

 

 すると、脳震盪でも起こしたのか巨大な百足龍は、鈍い悲鳴を上げながら砂漠の大地に倒れ伏す。

 炎の翼を広げながら上空に浮かんでいるアスカの前で、砂塵が大量に巻き上がり、轟音が響き渡る。

 

 既に手慣れたもので、蟲との戦いは一対一でも問題なく行えている。攻撃力不足を痛感し、対巨大生物用の術式を三人で開発したのが功を為したようだ。

 倒した後は魔力を蒐集し、ナハトの治癒魔術を施せば、弱った原生生物は元の生活に戻ることも確認済みだ。

 自分たちの都合で魔力を収集してはいるが、さすがに殺すのは気が引けるレヴィたちだった。

 

「さすがアスカ義姉ちゃん。戦い方もずいぶん上手くなったみたいだね。うんうん、これならシュテるんも喜ぶよ」

 

「はぁはぁ……できるなら、二度とごめんよ。帰ってお風呂に入りたい。ふかふかのベッドで熟睡したい気分だわ」

 

「ん~~? もう息切れ? まだまだ、これからじゃないか」

 

「アンタたちの体力が底無しなんでしょうが……もう半日も戦ってるのに、なんで平気なのよ。というか、さっさと蒐集しなさいな、ふぅ」

 

「それもそうだね。じゃ、偽天の書。蒐集っと」

 

 息も絶え絶えといった感じで荒い呼吸を繰り返すアスカをよそに、レヴィは百足龍に近寄って蒐集を開始する。

 何もない空間に手を突っ込んだかと思うと、紫天の書に酷似した魔道書を取り出し、ページを開いて術式を行使。漆黒の魔方陣を展開するとともに、霧状の光が百足龍に伸びて絡み付き、魔力を本に吸収していく。

 

 シュテルやディアーチェから頼まれたことは、アスカとナハトの訓練と、今後の戦いに備えての魔力の蒐集。

 マテリアルズの身体を構成しているのは魔力なので、戦うのにも、身体を回復させ維持するのにも魔力が必要だった。

 

 偽天の魔道書はディアーチェ以外のマテリアルが蒐集を行うための簡易ストレージデバイスだ。

 魔力蒐集と魔力蓄積。魔力分配する以外の機能を持たない。しかし、紫天の書と同等の反応を示すダミーでもある。

 いざというときは、これを紫天の書の身代わりにする予定だった。

 

 本体となる紫天の書さえあれば、マテリアルは何度でも復活できるからだ。自らの生命線ともいえる魔道書の安全を確保するのに、用心しておくことは当然の帰結だった。

 

 そうして百足龍の体から、死なない程度に魔力を奪い取り、偽天の書はページを増やしていく。

 やがて、今後の生活に支障をきたさない程度に魔力蒐集を終えると、偽天の書はページを閉じて、再び何もない空間に溶けて消えた。

 

「次は私の番だね。ごめんね。蟲さんたち。今、私が治してあげるから」

 

 蒐集が終わり。身体を無数に傷つけられ、弱り果てた蟲達に、ナハトは申し訳なさそうに謝る。すると、辺り一帯を覆うほどの大規模なベルカ式の魔法陣を展開した。

 範囲内にいるナハトが指定した対象の傷を癒す魔法。ユーノのラウンドガーダーエクステンドと効果は同じである。"守護の癒し"と呼ばれる魔法だ。みんなを護りたいと願うナハトが一生懸命考えて編み出した術式の一つ。

 本来ならば、防御を専門とするザフィーラの資質を取り込んでいるナハトは、あまり、回復魔法が得意とは言えない。それは、シャマルの本領であり、シュテルが得意とする分野だ。

 

 それでも、彼女が回復魔法を欲しがったのは、足の動かない『はやて』を見て、治したい、助けたいと願ったからなのだろう。

 もっとも、"守護の癒し"はユーノの魔法と比べると効果は格段に劣っている。どこまで効果を高められるかは本人の努力次第だった。

 

 傷つけられた蟲達の身体を蒼い光が優しく包み込み、癒しながら防御魔法の効果を与える。

 やがて、気絶から覚めた蟲達は、逃げるように何処かへと去って行く。

 

 百足龍は互いの縄張りを意識して、離れるように別方向へと向かい、地中へと潜り。ハエなのか、アブなのか、よくわからない蟲は、群れを成して大空へと飛び去って行った。

 ナハトの防御魔法がしばらく効果を発揮しているので、弱っているところを襲われても大丈夫だろう。効果が切れる頃には自己治癒能力と相まって、傷も完全に癒えている筈だ。

 

「本当にアンタって律儀よね。ナハト」

 

「だって、あの子たちは何も悪くないのに、傷つけたのは私達なんだよ。放って置けないよ」

 

 大規模魔法を行使して、ふらつくナハトの身体を支えながら、アスカは労うように声を掛けた。

 それに応えるナハトの声はどこまでも優しい。暴力を嫌い、誰に対しても心優しかったナハトは、異様と言えるほど、動物に好かれる体質であり、良く懐かれていた。

 きっと、その時の記憶から凶暴な原生生物であっても、傷ついた者を放ってはおけないのだろう。

 

「その優しさの十分の一でも、ボクに分けてくれてもいいんだよ? 主にときどき追いかけ回してくるアスカからボクを助けるときにでも」

 

「ごめんね。ちょっと無理かな?」

 

「ちょっ、即答!? 酷くない!?」

 

「ぷっ、あははははは」

 

「くすくす、ふふふふふ」

 

 レヴィが哀願するように声を掛けるが、ナハトは冗談ぎみに否定する。

 それを真に受けて、あたふたするレヴィの様子が面白いので、アスカとナハトはつい笑ってしまうのだった。

 しかし、その穏やかな雰囲気をぶち壊す存在が現れるとは、この時、マテリアルズの誰もが想定していなかっただろう。

 

 三人の背後から感じた転移反応。

 それに気づいて振り返った時にはもう遅かった。

 いつの間にやら現れた男たち。地球では見かけない制服を着こんだ人間。レヴィの記憶の中にこびり付いた忌まわしい記憶を刺激する存在。

 

「時空管理局自然保護隊のグリーン・ピースだ。そこの君たち、悪いが管理外世界における原生生物に対して、自己防衛外で魔法を行使し、無暗に傷つけた罪がある。事情を聴取させてはもらえないだろうか?」

 

 その場に発せられた男の優しげな言葉に場の雰囲気が凍り付いた。

 



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〇六頁  憎しみに囚われたら終わりよ そして、英雄の息子は手掛かりを掴む

「……お兄さん? 今なんて言ったの?」

 

 時空管理局自然保護隊。

 管理世界、管理外世界の時空密猟犯から自然を守り、密猟犯を武装隊と協力して捕え、時には傷ついた生物を、凶暴な原生生物であっても保護、手当てをする部署。

 そこに所属する小隊の隊長を務めるグリーン・ピースは困惑した表情で、水色の髪をツインテールにしている少女の顔を見た。

 

(なんて、恐ろしく冷たい表情をしているんだ……)

 

 水色の髪の少女……レヴィの瞳を見てグリーンはそう感じ、背筋が凍りついたように固まり、冷や汗を掻いている。情けないが、恐怖で微かに身体も震えていた。

 冷たいなんて、生易しい瞳ではなかった。その闇に包まれたような瞳からは、生気というモノが感じられず、光を映すどころか、光を飲み込んでしまいそうなほど暗かった。

 最近、ある管理外世界で原生生物が魔法によって傷つけられている。乱獲の疑いがあるかもしれないと、通報を受けてきてみれば、とんでもない存在と遭遇したようだ。

 本能が、密猟者や次元犯罪者と相対して鍛えられた勘が警鐘を鳴らしている。

 

"こいつらはやばい、早く逃げなければ殺される"と

 

 そういった類の勘がグリーンの脳内で警告を発しているのだ。 

 

 背後にいる三人の部下たちに、相手に見えないよう背中に手を隠して、ハンドサインを送り、指示を出す。

 

 "いつでも動けるように準備を怠るな"

 

 そのサインを見た部下たちも、緊張した様子で密かに身構えていた。

 手には一般局員に支給されたストレージデバイス持っているが、相手を威嚇しないようにカード状の待機形態をとらせている。しかし、それは失敗だったのかもしれない。

 彼女たちは、自分たちが手加減して勝てる相手ではないだろう。

 むしろ、全力で抵抗して逃げ延びなければならない相手だ。たかが、子供と侮ることをしてはいけない。

 グリーンを含めた局員たち全員に、そう思わせるほどの威圧感と圧迫感を、目の前にいる二人の少女は解き放っているのだから。

 

「ふふふ、クスクス、何を言ってるのかな? レヴィちゃん? さっき名乗ってくれたじゃない?」

 

 レヴィの隣にいる、蒼色の長いウェーブの掛かった髪と狼の耳と尻尾を持つ少女が楽しそうに呟いた。

 その少女、ナハトの瞳も同様に冷たい。むしろ、こちらの方が段違いに強いかもしれない。

 グリーンはナハトの瞳に見覚えがあった。あれは、憎悪に満ちた瞳だ。

 かつて、グリーンが密猟者を捕らえた時、憎むように彼を見ていた犯罪者と同じ瞳。

 この少女たちは、その何倍も強い憎悪と背筋が凍るほどの殺意を秘めていたのだ。

 ナハトが、先ほどの楽しそうな声とは別人のように、怒りと憎しみに満ちた怒声で叫んだ。

 

「こいつら、私達を殺した時空管理局の仲間だよッ!!」

 

「なら、どうするのか分かってるよねぇ、ナハト?」

 

「決まってるよレヴィちゃん。あらん限りの苦痛と恐怖を与えてから……殺してやるッ!!」

 

「ちょっと、アンタ達! 待ちなさいッ!」

 

「ッ、総員、デバイスを展開して防御しろ!!」

 

 叫びと共にナハトは凄まじい勢いでグリーンの横にいた管理局員に飛び掛かった。

 アスカが制止の声をあげるも、彼女の耳には届いてないようだ。勢いが止まることはない。

 隊長の声を受けて、デバイスを戦闘形態に移行させようとする局員だが、彼は飛び掛かってきたナハトが繰り出す、流れるような回し蹴りを避けることが出来なかった。

 

「ガっ……」

 

 硬い靴に覆われた足の爪先が、局員の側頭部にクリーンヒットすると、バランスを崩して倒れ込んだ。彼は脳震盪を起こしたのか、砂漠の大地に横たわり、そのまま動かなかった。

 胸は上下しているので、恐らくは生きているだろうが……

 そのまま、着地したナハトは繋げるように、デバイスであるシャッテンの爪をグリーンに向けて振り下ろす。

 

「ネイチャーラヴ! シールド展開!!」

 

「ちっ、しぶといなぁっ」

 

 グリーンも黙ってやられるわけにはいかないと、腕輪型の専用ストレージデバイス『ネイチャーラヴ』を掲げ、緑色のミッドチルダ式シールドを展開して攻撃を防いだ。魔力の圧縮されたデバイスの爪と、円形の形をした緑色のシールドがせめぎ合い、拮抗したように魔力の光を散らす。

 

「お前たち、私が足止めするから、その隙に逃げて本局に増援要請を……」

 

「残念、ボクから逃げられると思ったのかい?」

 

 グリーンは、せめてやられる前に状況を打開する為、また、全員が助かる可能性を掴み取る為に、後ろにいるであろう部下の二人に命令を下すが……聞こえてきたのはレヴィの声だった。

 後ろを振り向くと、いつの間にか移動したのか、レヴィは後ろにいた二人の局員に回り込んでおり、部下二人の胸から両手を生やしていた。その手には、光り輝くリンカーコア……恐らく部下の二人から抜き取ったのだ。

 

(馬鹿な……いつの間に移動したというのだ? さっきまで、ナハトと呼ばれた女の子の隣にいたはずなのに……)

 

「へぇ……私に襲われていても、考え事ができるなんて、ずいぶんと余裕なんだね? 局員さん?」

 

 レヴィの瞬間移動のような芸当に、グリーンが驚愕していると、ナハトが挑発しながら両手の爪を突き立てようと、さらに力を込めた。緑色のシールドに十指の爪がどんどん食い込んでくる。このままでは、グリーンのシールドは紙のように引き裂かれてしまう。

 かといって、このまま膠着状態が続けば、部下の命はないだろう。グリーンは何もできない状況に歯噛みする。強く、強く。こんなことで、自分を慕ってくれている部下の命をグリーンは死なせたくなかった。

 

(諦めるな……まだ、まだ、手は残されているはずだ……)

 

 考える。グリーンは必死で考える。マルチタスクを展開して状況を打開する方法を。

 

 防ぐのが手一杯の状況において、武力で相手を鎮圧することは不可能に近い。ならば武力以外の方法で、状況を打開するしか手は残されていないだろう。両手は塞がり、足は動かせず、デバイスもグリーンのサポートに必死で救援信号を出すことが出来そうにない。

 

 他に何かないだろうか? 口を動かすことが出来る。言葉を発することが出来る。

 そして、相手に言葉が通じるというのならば手は一つだ。交渉によって生還する道を掴み取る。

 全員が、いや、贅沢は言わない。せめて、部下の命だけでも助かるのならば御の字だ。

 グリーンは眼前に迫るシャッテンの禍々しい爪を、ナハトを強く見据える。

 

(部下たちを死なせはしない……!)

 

 その様子に、ナハトは訝しげに眉を潜めた。

 何故、グリーンと名乗った局員は追いつめられている状況で、恐怖に顔を歪ませない? 自分が助かろうと保身に走り、逃げ出そうとしないのか? その瞳は絶対に諦めはしないと、強い光を宿していて、思わずシュテルの顔が脳裏に浮かんだ。

 グリーンの絶対に諦めようとしない姿は、親友が必死になって戦う姿とダブって、ナハトはとても不愉快な気持ちになる。心の内で嫌悪する。

 

(なんなの、この人、どうして諦めようとしないのかな? あぁ、イライラする。不愉快だよ。)

 

 ナハトが顔を歪ませて、嫌悪を隠そうともしない姿を見ながら、グリーンは静かにはっきりとした口調で声を掛けた。相手をなるべく刺激しないよう。かつ、弱みを見せないような、そんな声だ。

 

「提案だ。聞いてほしいことがある。君たちにとっても悪い話ではない」

 

「どういうつもり……?」

 

 不利な状況下で交渉を持ちかけてくるグリーンの意図が読めず、ナハトは不機嫌そうな顔で、首を傾げた。

 この男はいったい何が言いたいのだろうか?

 

「君たちの目的は、リンカーコアの魔力の蒐集に違いないだろうか?」

 

「…………」

 

「沈黙は肯定とみなして話を進めるよ? 部下の魔導師ランクはDランク、私の魔導師ランクはBランクだ。部下を三人蒐集するより、私一人を蒐集する方が効率がいい。管理局にも通報させないと部下に誓わせる。だから、大切な部下の命だけは助けてやってほしい。

 このまま、私達を皆殺しにすれば、管理局は本腰をいれて、君たちを捕まえようとするだろう。皆殺しは考え直してくれ。頼む」

 

(ふふ、そういう事なんだ……)

 

 ナハトはグリーンの考えを聞いて、得心が言ったと言わんばかりに頷いた。その顔には残虐な笑みが浮かんでおり、イライラしていた気分も一瞬で吹き飛んでしまった。

 この男の弱点、諦めない姿の理由、苦痛と絶望に歪ませる方法、その全てに納得がいく。

 簡単だ。目の前で部下の命を奪ってやればいい。かつて、マテリアルズを封印したグレアム一派がそうしたように。

そうすれば、グリーンの心は簡単に壊れるだろう。

 

「だってさ、ナハト。どうするの? もう、こいつ等から魔力を蒐集してるけど、死なないように止めるなら、いまのうちだよ?」

 

 レヴィが無邪気な声で、ナハトに尋ねた。

 つまり、局員の殺生権はナハトが握っているという事だ。

 だが、答えなんて最初から決まっているようなものだ。初めから管理局員を生かすつもりはない。

 ナハトが、慈愛に満ちた表情で、その口から残虐な言葉を解き放つ。

 

「ふふ、レヴィちゃん? 構わないから死ぬまで蒐集しちゃっていいよ」

 

「オッケー、ナハト。ほぉら、どんどん吸い尽くされちゃうぞ~~!」

 

「ぐああああああっ!!」

 

「いやだ……死に…たくな…い…」

 

 ナハトの声を受けて、レヴィは嬉しそうに蒐集行為を加速させた。

 二人の局員は魔力が吸われると共に、身体が衰弱していく苦しみを味わい、苦悶の声をあげる。

 

「よっ、よせっ! 頼むこの通りだ!! 部下の命は助けてくれ、そしたら何でもいう事を聞くッ!!」

 

「五月蠅(うるさ)い……聞きたくない!!」

 

「がはッ……」

 

 部下が殺されようとしている光景に、グリーンは慌て、哀願するように制止の声を吐きだす。

 けれど、防ぐことしかできない状況で、集中力を乱したせいなのか、拮抗していた防御と攻めのぶつかり合いは、瞬く間に崩れ去り、緑のシールドはガラスが砕け散るような音と共に粉々になって消えた。ナハトの、シャッテンの爪がグリーンの胸を引き裂き、肉を抉る。鮮血が舞う。

 

「ッぁ―――」

 

 そのまま、グリーンを押し倒すとナハトは馬乗りになって、爪の付いたデバイスで彼の両肩をきつく握る。子供とは思えないほどの力で握られた肩に爪が食い込んで、血が滲むように噴き出した。

 圧縮された魔力打撃の前に、攻撃力の前にバリアジャケットの防御力が追い付いていないのだ。

 グリーンのチカラではナハトの攻撃を防ぐことが出来ず、ただ、ひたすらになぶられ続けるしかない。

 襲い来るであろう痛みに目をつむるグリーンだが、ナハトから返ってきたのは、暴虐による痛みではなく、声だ……悲痛に満ちた悲しい叫び声だ。

 

 グリーンの頬に、涙の粒が滴り落ちた。

 

「お前たち時空管理局だって、そうやって……私から、私達から大切なモノを奪っていったくせにッ!! 自分たちは報いを受けないなんて卑怯だよッ!!! だから、大切なモノを奪われた苦しみを……お前たちも味わってよ! 

 そしたら……そしたらさ……? 殺され、奪われ、絶望のどん底に突き落とされた……私達の嘆きと苦しみも少しは理解できるよね……? 闇の書事件の苦しみを……理解できるよね……?」

 

「ま…て、何のことだ……?」

 

 血反吐を吐きださんばかりのナハトの叫びは、少しずつ尻すぼみになり、弱々しい声に変わる。

 彼女は、いつの間にか涙を流していて、自分でも気づかないうちに、大粒の涙が瞳からこぼれおちていた。それを見て、グリーンは傷の痛みを堪えながらも、呆気にとられたような表情(かお)をするしかない。

 なにより、自分たちは闇の書事件に民間人が巻き込まれた話を知らない……。

 11年前の事件は管理局員だけが犠牲になったのでは、なかったのか?

 

「そういうことだよ……お前たち、時空管理局もボクたちの悲しみを知ればいいッ!!」

 

 ナハトの涙と悲しむ顔を見て、激情に火が付いたのか、怒りに顔を歪ませたレヴィは、蒐集行為を一気に加速させようと力を込めようとする。

 その時、あまりに早く状況が推移していた為、動くに動けなかったアスカが、ハッとした様子で慌てて動く。

 自分でも信じられない勢いで、跳び蹴りをくりだして、レヴィを吹き飛ばしていた。

 そのまま、ナハトに早足で近づくと、手首にスナップを聞かせて頬をビンタする。

 乾いた音が周囲に響き、静寂が場を支配した。

 ナハトは自分が何をされたのか信じられず、どうして、といった顔でアスカを茫然と見つめる。

 

 アスカの顔は……怖いくらいに歪んでいて、長い付き合いであるナハトは、彼女が本気で怒っているのが分かった。おふざけに対して怒った時ではなく、大切なモノを傷つけられた時に見せる怒りだ。

 

「なんで……」

 

「いきなり、何するんだよッ! アスカァァッ! そいつらに味方するって言うのか!!」

 

 アスカの裏切りとも言える行動に、ナハトは困惑して、頭が、思考がグチャグチャになってしまうくらい混乱する。レヴィも、いや、レヴィは慕っていた人から裏切られた経験あったから、激昂して怒り狂い、アスカに斬りかかってしまいそうなほど、頭に血が上っていた。

 手にしたバルニフィカスがスライサーモード(バルディッシュのハーケンフォームと同じ)水色の光刃が鎌のように展開しており、握りしめる手にも青筋が浮かんでいて、レヴィがどれくらい怒り狂っているのか、その心情を分かりやすく表している。

 しかし、二人の困惑や怒りはアスカの叫びによって吹き飛ばされることになる。

 

「アンタ達、いい加減にしなさい! それとも何!?、ディアーチェを殺人者にしたい訳っ! 違うでしょっ!」

 

「そっ、それは……」

 

「そんな……ぼっ、ボクは、そんなつもりなんて……」

 

 アスカの言葉を聞き、頭に冷水をぶっ掛けられたように脳が冷えていくのを感じるレヴィとナハト。自分たちが殺人を犯せば、何もしていないディアーチェに罪が及ぶのは当然である。下の者の責任は主が取らなくてはいけないのだから。ディアーチェは復讐をするとは言っていたが、皆殺しにしてやるとは言っていなかったことも、アスカの言葉に説得力を生み出し、二人を抑止する事に拍車をかけた。

 

 アスカは戸惑う二人を説得するために、話をまくし立てる。こんなくだらないことで、二人の親友を殺人者にさせない為にも、絶対に言いくるめる必要があった。きっと、シュテルもディアーチェも、二人が取り返しのつかない罪を犯すことを望んではいないはずだから。

 

「ええ、そうよね。アタシ達の目的は、冤罪を晴らして、封印に関わった人たちを贖罪させる復讐が目的であって、こんな殺人じゃないわ。管理局員のすべてが敵じゃない」

 

「………そう、なのかな」

 

「――納得がいかないけれど、今回はアスカに免じて矛を収める……こいつらが何かしたわけじゃないし……納得できないけど」

 

「きっとそうに違いないし、無理やりにでも納得させないさい。この選択でアンタ達を後悔させないわ。親友であるアタシが誓う。さあ、この場の収拾はアタシに任せて二人とも先に帰った、帰った」

 

 反論すら許さないといったアスカの意見に、二人はしぶしぶ従うと、戦意と憎しみを静めた。しかし、レヴィは飛び去る前に、倒れているグリーン近寄ると、凄みを利かせた低い声で言う。

 

「アスカに何かしてみろ。そしたらボクはお前らを許さない。必ず見つけ出してバラバラにして殺してやるッ!!」

 

「レヴィッ!!」

 

「ふん、ボクはアスカが心配なだけやいっ。これくらい釘を刺しておかないと管理局の連中は何をするか分からないしね。まあ、これだけ痛みつけたんだから何もできないと思うけど、無事で帰ってきて、できるだけ早く」

 

「ッ……わかったわよ」

 

 追いつめた相手を、さらに脅しつけるレヴィにアスカは非難の声をあげるが、レヴィの言動からアスカをとても心配していることが伝わって、それ以上は言えなかった。弱っている管理局員を尻目に、レヴィは、うっすらと涙を流して困ったように立ち尽くすナハトの手を引くと、空に浮かび上がる。

 

「いこう、ナハト」

 

「でも、アスカちゃんが……」

 

「ここはアスカに任せよう。アスカが責任もって収拾付けるって言い出したんだからね。まあ、管理局の人間が何人死のうとボクの知ったことじゃないけど……王様が本意でないなら、ボクは手を下せない……」

 

 どこか、モノ悲しげに呟くレヴィ。管理局員を平気で屠ってしまいそうな意志を見せる彼女は、どんな想いを心に抱いているのか、アスカにもナハトにも分からない。しかし、憂いに満ちた表情は、きっと殺人を逃避しているだろう。

 親友が罪を犯さずに済んで安堵のため息を吐いたアスカは、飛び去る二人のマテリアルを見送ると、未だ意識のあるグリーンに振り向いた。

 

「さて、アタシが面倒を見ると言ったからには、責任を持って故郷に帰してあげる。もっとも、魔法には疎くて、治癒魔法も得意じゃないから、覚悟しといてね?」

 

(……一難去って、また一難か?)

 

 明るい、いたずらっ子のような笑顔を見せるアスカが呟いた不安な言葉に、グリーンは引きつった笑みを返すことしかできなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「しかし、君は他の二人とは違って、ずいぶんと雰囲気が違うな」

 

「アスカ」

 

「はっ?」

 

「アタシの事はアスカって呼びなさい、グリーンさん?」

 

 アスカのお世辞にも上手いとは言えない治癒魔法を受けながら、グリーンは疑問に思ったことを口にする。

 それに対するアスカの返答は、答えにはなっていなかった。ただ、グリーンに君とか、お前じゃなくて、名前で呼んでほしいというお願いだった。

 出会ったばかりの、見ず知らずの人間に。しかも、敵対関係にある相手に親しげに名前を呼ばせることに、グリーンはアスカの性格が何となくわかったような気がした。

 

「了解した。アスカ」

 

「そうそう、そんな感じね。別にアタシが特別ってわけじゃないけど、あの子たちは管理局にちょっと、ね」

 

「管理局に恨みを抱いている、か?」

 

「そう、あんまり深くは詮索しないでほしいわ。ここであったことも、出来れば他言無用にしてほしいけど……」

 

「わかった。自分からは、君たちに関する質問に対して答えないことを誓おう」

 

「まあ、無理よね……って、ええ!!?」

 

 敵対する組織である管理局員に素性を知られまいと、話をはぐらかしつつ、無理難題なお願いを言ってみたアスカはグリーンの答えに驚いて、治癒魔法を掛けるために、患部に当てていた手に力を込めてしまった。傷口から痛みが走り、グリーンの顔が歪む。

 

「ちょっ……いでででででッ!!」

 

「わあッ、ごめんなさいグリーンさん」

 

「大丈夫、大丈夫さ……ははっ……」

 

 慌てて傷口から手を離すと、焦ったように謝るアスカ。それに、苦笑いを返しながらも、鋭い痛みに悶絶しているグリーンの姿は、何というか哀れだった。この男、人が良すぎるというか、色々と仕事を引き受けて損をするような人間なのかもしれない。

 

「いいの? 犯罪者を匿うなんて、どの治安組織でも許されないわよ?」

 

 アスカは、優しく、労わるような手つきでグリーンの傷を治癒しながら、彼の考える意図を問いかける。子供とはいえ、マテリアルズがしたことは公務執行妨害、そして、罪のない人間を殺しかけたのだ。管理局としては次元犯罪者として、すぐにでも捕えなければならないのに、それを匿うような真似をしてよいのか。

 

 別に、自分たちとしては都合が良いし、願ってもないことなのだ。騙されていると考えなければデメリットなど、ないに等しい。アスカの言葉は純粋にグリーンの身を案じての事だった。もし、真実が知れ渡ったとき、彼の社会的立場はどうなるのか? 考えただけでも不安なのだろう。

 

 グリーンはアスカの質問に笑って答える。

 誰にでも好かれそうな、好青年の微笑みだった。

 

「アスカのおかげで、私と部下は命を長らえさせることができた。言わば、君は命の恩人みたいなものさ。これぐらい、お安い御用。もっとも、庇い立てできるのにも限度があるけどね。」

 

「構わないわ。今すぐ管理局の増援が来ないなら、別世界に逃げれるもの」

 

「管理局には、凶暴な原生生物に襲われた所を善良な魔導師に救われたと報告しておく。それで、時間が稼げるはずだ」

 

 どこまでも、協力的な態度を見せるグリーン。本当なら相手の態度を疑って掛かるべきなのだろうが、アスカはバニングス家の当主として、人の上に立つ為の帝王学を少なからず学んでいる。多くの使用人とも接してきた経験もあり、自分の人を見る目はあるつもりだ。この青年は嘘を吐いているような眼をしていない。どこまでもまっすぐで、自信に満ち溢れた瞳でアスカを見つめている。

 

 なら、信じてみようとアスカは思う。

 

「感謝するわね。それと、傷つけて、暴力を振るってしまって、ごめんなさい……」

 

「気にするな、アスカ。傷も癒やして貰ったし、後は自分でなんとかできそうだ。ほら、行った行った」

 

 少しだけ距離をとって丁寧なお辞儀をしながら謝るアスカに、グリーンは自分の事は気にするなと、言葉だけでなく、手振りも交えて伝える。アスカはもう一度だけ感謝の意を示すと、振り返らずに砂漠の空を飛び去って行った。

 その姿を見送りながら、グリーンはゆっくりと立ち上がる。まずは、救援要請と部下の応急処置を済ませなければならないだろう。しかし、頭からはナハトとレヴィの、怒りと悲しみに歪んだ姿がこびりついて離れなかった。

 

(いったい、自分たち時空管理局は何をしたのだろうか……人々の平和を守る組織が、幼い子供をあんなに追いつめるなんて信じられん……闇の書に関係あるのか……?)

 

 しばらくは、自らと部下の処遇や、彼女たちの事で悩みそうだと、ため息しか出ない状況に肩を竦めたグリーンだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 数日後、時空管理局の本局においてプレシア・テスタロッサ事件の裁判を行っていたクロノ達は、フェイトに時空管理局員襲撃容疑の疑いが掛けられていることを知らされ、彼女の無実を証明するために、無断外出や魔法行使を一切していない記録を提出する手続きを行っていた。

 

 その後は、事件を調査している部隊から情報提供や詳細などを知らされ、クロノは無人世界における魔力蒐集事件の顛末(てんまつ)を知ることになる。

 

 魔力の蒐集を行うようなロストロギアは珍しくもない。だが、それが生き物を対象として魔力を無差別に蒐集し、守護騎士と呼ばれる人型のプログラムが行ったのなら話は違う。間違いなく、闇の書と呼ばれるロストロギアが関わっている。だから、クロノは蒐集された被害者であるグリーンと言う男の尋問をすることにした。

 

 そう、尋問だ。被害にあった自然保護隊の中で彼だけが黙秘を貫いており、事の顛末(てんまつ)を話そうとしないのだ。被害にあった局員は気絶や死ぬような目にあったせいで、記憶が混乱しているのか、内容がはっきりとしない。蒐集されたのが理由で、犯人は守護騎士かもしれないと局員たちは答えただけだ。おかげで、犯人の姿がどのような人間なのか見当が付かず、追跡が出来ない状況だった。

 

 まして、供述している意見の食い違いも大きい。局員たちは違法魔導師に蒐集された。襲われたと答えている。しかし、隊長であるグリーンは凶暴な原生生物に襲われたと答えており、最初はどちらを信用するべきなのか迷っている状況だった。可能性としては前者の方が高いが、原生生物に魔力を蒐集されたとも限らない。ましてや、現地は砂漠であり、熱さによって幻覚を見ていたのでは、という事も考えられていた。

 

 いまでは、調査が進んだことで違法魔導師に襲われたと断定している。他の局員のデバイスが、犯人の荒い画像をデバイスに収めていて、そこから似た人物であるフェイトに容疑者の疑いが掛かったのである。詳細な画像や記録はグリーンのデバイス『ネイチャー・ラヴ』が記録しているのだが、主人に似て義理堅いのか、情報を公開しない。無理に引き出そうとすると、AI諸共、データを抹消する勢いなので強硬策もとれないのだ。

 

おかげで、初動が遅れたのは致命的だ。

 

 犯人を庇うことは局員にとって重い罪である。グリーンは降格処分、三か月間の無料奉仕、半年間の減給が決定しており、このまま黙秘を貫くのなら最悪、時空管理局から除名される勢いだ。それは、マズいと。優秀な局員であり、真面目で仕事もできる彼を手放したくないと、彼の上司がレティ提督に泣きついたらしく。裁判がほとんど終わって暇なクロノにお鉢が回ってきたのだ。

 

 優秀な執務官で、グリーンよりも年下。闇の書の被害者でもあるクロノなら、彼も何か話すかもしれないという寸法なのだろう。クロノもそれを承諾した。

 

「失礼する。時空管理局本局執務官クロノ・ハラオウンだ」

 

「時空管理局自然保護隊のグリーン・ピースであります」

 

 尋問室のドアがスライドしてクロノが入室すると、グリーンは椅子から立ち上がって見事な敬礼をして挨拶し、クロノも答礼を返す。そのまま、お互いに椅子に座り、机を挟んで対峙した。

 

「さて……無駄だとは思うが念のため聞く。グリーン。君は事件の内容について話すつもりはないか? このままでは、君の立場はますます不利になるだけだ」

 

「そうですね。そろそろ頃合いでしょうし、自分は犯人に充分、義理を果たしました。話しますよ。事件の詳細を」

 

「そうか、話すつもりはないか、待て、話すのか……?」

 

 何だか、どこかで似たようなやり取りと同じことを繰り広げる二人。クロノは、いままで頑なに黙秘を貫いていたグリーンの急な態度の変化に、驚きを隠しきれず、目を見開いていた。 その様子をおかしそうに見つめながら、グリーンは事件の内容を全て供述し、デバイスに記録されていた情報も公開した。

 

◇ ◇ ◇

 

「それで、手の空いているアースラチームが、彼女たちを追いかけることになったんだ。闇の書事件の疑いもあるから、念のためにアルカンシェルも搭載したうえで出撃。はぁ、また休暇が返上かぁ」

 

「仕方ないさ。それが、僕ら時空管理局の仕事だ」

 

 目の前で改装作業を受けているアースラの姿を見ながらぼやいたエイミィに、クロノは苦笑しながら返事をした。あの後、グリーンから事の詳細を聞いたクロノや事件担当者は、事件の性質から闇の書事件の疑いがあり、そうでなくても、瓜二つの人間を模倣した人物が犯人という事で、他人をコピーするようなロストロギアが関わっていると判断した。少数の違法魔導師を捕まえる案件から、ロストロギア対策へと事件の全貌が切り替わったことで、大規模部隊が動員されることになり、手の空いているアースラチームが事件を引き継ぐことになった。

 

「それにしても、知り合いに瓜二つの子供が犯人だなんて気が滅入りそうだよ……」

 

「そのことについてなんだが、グリーンが気になることを話していたな」

 

「気になること?」

 

「ああ、月村すずかによく似た少女が、闇の書事件に巻き込まれて、管理局員に殺されたと叫んでいたらしいんだ」

 

「えっ……でも、前の闇の書事件が起きたのって11年前だよね。その時の犠牲者に、民間人はいなかったはずだけど……」

 

 エイミィが信じられないといった顔をする。前の闇の書事件は蒐集活動を行う前の闇の書を確保したが、移送中に防衛プログラムが暴走。一人の管理局員。クロノ・ハラオウンの父親、クライド・ハラオウンを犠牲に終結したはずであり、公式記録では民間人が犠牲になったという記録はない。

 

 クロノもエイミィの発言に頷いた。

 

「ああ、だから、この事件は予想以上に複雑なのかもしれない。まずは、現地に赴いて魔力の痕跡から転移先を洗い出す作業になる。すまないが、君たちにも協力してもらうぞ」

 

 そこで、クロノが後ろを振り向いて現れた人物に言う。

 

「もちろんさ。フェイトの姿を真似て、フェイトに迷惑を掛けるようなヤツなんて、アタシがぶっ飛ばしてやるよ」

 

「これ以上、なのは達の世界に迷惑はかけられないからね。サポートは僕に任てよクロノ」

 

「うん、私も画像に映っていた子たちが気になるから協力するよ。どうして、あんなに悲しい目をしているのか、理由を聞いて助けてあげたいから。なのはが、そうしてくれたように。今度は私が誰かを助ける番だから」

 

 アルフ、ユーノ・スクライア、フェイト・テスタロッサ。新生アースラチームが紫天の書のマテリアルを追いかけるために動き出す。

 事態はより混迷を極めていく。



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〇マテリアルの中心で、魂の慟哭を叫んだ

 灼熱と極寒の二つの顔を持つ世界は今、夜が訪れていた。美しい月や星が輝くなかで、砂漠と荒野の大地は生物の熱と体力を 瞬時に奪う恐ろしい極寒地獄と化している。あの後、無事に帰還したアスカは、事の詳細を聞きつけたシュテルによって、映像通信越しからレヴィ、ナハトと共に説教されるという憂き目にあってしまう。

 

 何でも尋問していた管理局員から、最近、無人世界で派手に暴れまわる魔導師がいるという情報を聞き出し、気になって通信してきたらしく。苦笑いするレヴィとナハトから無理やり聞き出したらしい。管理局員を殺しかけたことによって、退くに退けない状況を作りだしかけたことと、ばれない様に細心の注意を払って尋問してきたことを台無しにされてしまい、ブチ切れたシュテルは、アスカ達を映像越しからでもわかる重圧と共にOHANASIした。

 

 隣で巻き添えを食らったディアーチェが泣きながら気絶していたのが、印象的だったとアスカは思う。

 

 シュテル達の行ってきたことは尋問という名の質問。要するに困ったふりをして"親切な管理局員"から情報を聞き出すという事をしていたらしい。断片的な情報をつなぎ合わせて、シュテルが推理するという何とも手間の掛かることをしていた。

 

 今から管理局に敵対行動をとると、追われることとなってしまい、動くに動けない状況を作りだすことになってしまう。警戒され対策も取られると、少数による奇襲が出来なくなる。

 

 というのがシュテルの表向きの理由。

 

 実際は、世界情勢や管理局の状況を聞き出して、どこが安全か判断した後に、ディアーチェ達を説得して復讐をやめさせ、静かに平和に暮らそうなんてシュテルは考えていた。言い出しても、復讐に燃えるディアーチェ、レヴィ、ナハトに反対されるのは、出発前の態度で分かり切っていたから、頃合いを見て説得するつもりだったのだが……シュテルの秘密主義が仇となったようだ。

 

 管理局と敵対してしまったことで、追われることとなってしまう。シュテルの心境は如何なモノだろうか……

 

 レヴィ、アスカ、ナハトに、これ以上余計な真似をするなと念を押して、シュテルは通信を切った。訓練は充分だし、力もつけてきたようだから、今後は管理局の追手が来る前に合流してほしいとの事だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 外の世界は吹雪のような砂塵が吹き荒れ、拠点にしている洞窟内も寒い。アスカが洞窟に張った結界に炎熱変換された魔力を流し込み、ナハトが流された魔力を制御することで洞窟内に即席のエアコンを作り、三人で暖を取っていた。

 

 今日の実戦訓練と局員との戦闘で、少なからず消耗した身体による転移魔法は難しい。今日は一日休んで、次の日にシュテル達のところへ転移する予定だ。

 

「こんな時はアスカちゃんの魔法って便利だよね。火は応用できる事がたくさんあるもの」

 

 少しでも皆で暖を取ろうと狼形態に変身していたナハトが呟く。もっとも、彼女のモフモフした毛皮は現在レヴィに独占されていたが。レヴィはすやすやと呼吸を乱さず、安らかな寝息をたてて眠っている。

 

「それを言うならナハトの結界や拘束魔法だって応用が効くじゃない。ようは発想とその場に適した魔法の使い方次第よ」

 

 ナハトの呟きに答えたアスカは、反対側の平らにした岩で寝そべりながら不満顔でレヴィを見ていた。生前、犬好きだったアスカがモフモフに興味を示さない訳がない。しかし、柔らかくて暖かいモフモフは瞬時にレヴィによって占領されてしまい、仕方なく義姉として我慢していた。

 

(いつか、あのモフモフをアタシも独占してやるんだから!)

 

 心の中で強い決意を抱きながら、アスカは身体を起こした。やはり、硬い岩の上で寝るのは辛かったらしく背中をさすっている。生前がお嬢様だっただけに、こういった野宿は慣れていないのだろう。

 

そんな、アスカの様子を見て、何度目になるか分からない提案をナハトはアスカに言う。

 

「やっぱりアスカちゃんも反対側においでよ。気持ち良くて暖かいよ?」

 

 ナハトの提案と共に獣耳は嬉しそうにピョコピョコ動き、尻尾は誘惑するようにパタパタと上下した。

 

「いぬみみ……しっぽ……モフモフ………ハッ!」

 

 するとナニカに魅了されたように両腕をゾンビのように上げ、瞳はトロンと揺れ、口を惚けたように開けながらナハトに近寄るアスカ。しかし、半分ほど近寄った所で正気に戻り、元の場所に戻った。首を左右に強く振り、気合いを入れ直すアスカの様子にナハトは苦笑するしかなかった。

 

(さっきから、さり気なくチャームアイで魅力してるんだけど、アスカちゃん、凄い精神力だよね。すぐに正気に戻っちゃうんだもん。そんなにレヴィちゃんが大切なんだね…すごいなぁ―――)

 

 何度、提案しても我慢して耐えようとするアスカに、ナハトは強硬手段として軽く魅力しているのだが、すぐに正気に戻ってしまう。もう、そんなやり取りが何度も行われていた。

 

(ぜったい!ぜったいに屈しないんだから!あのモフモフは私の手で独占するまで触らないんだから!)

 

 もっとも、ナハトの感心や思惑とは裏腹にアスカにとって魅了された自覚はない。ただ、自身の誘惑を押さえ込み、必死に耐えているだけだ。もし、アスカの心の内がレヴィの為ではなく、自身の欲望との戦いだと知ったらナハトがどう思うのか、それを知る者はいない。

 

「今日の戦い……どうして、アスカちゃんは私達を止めたの? ディアちゃんの為だって言って止めたけど、あれは嘘だよね? どうして、アスカちゃんは管理局が憎くないの?」

 

 ふいにナハトが、アスカに対して静かに問いかけた。復讐しないことを裏切りとは言わない。責めるつもりもない。ただ、自分たちを殺した存在である管理局を憎もうとしないアスカが、管理局をどう思ってるのか純粋に気になるのだ。

 

 アスカは、しばらく考え込むように、顎に手を当ててう~んと唸っていたが、一息ついて頷くと、ナハトの質問に答えてくれた。

 

「質問に質問で返すのは良くないんだけど、ナハトはアタシが見ず知らずの人を、管理局とは関係のない人を手に掛けようとしたら、どうする?」

 

「えっ…? それは、たぶん親友として間違ってたことをしたら、私は止めると思うよ」

 

「なんだ。なら、ナハトの中で答えなんて出てるじゃない。アタシもそれと同じよ。親友に罪を犯してほしくなかっただけよ」

 

「あっ……」

 

 アスカの言葉に、言われて気が付いたかのように、紅い目を見開くナハト。どうして、そんな簡単なことに気が付かなかったんだろうと、ナハトは心底身震いした。親友に間違ったことをしてほしくない。それは、当然の考えだ。

 

 でも、あの時のナハトの頭のなかは真っ白で何も考えられなかったのだ。ただ、管理局員が憎いと言うだけで、殺してしまいたいくらい憎かった。ナハトは管理局が確かに憎い。大っ嫌いだ。でも、管理局員だからといって無差別に殺しまくるほど残虐なわけでもない。

 

(私はやっぱり、化け物なのかな……普通の人とは違う、夜の一族と呼ばれる種族だから)

 

 昔さんざん悩んでいたナハトの命題ともいえる悩み。それを、思い出してナハト深く、深く苦悩した。

 それに気づいているのか、いないのか分からないが、アスカは言葉を続ける。自分が管理局を深く恨まない理由についてだ。

 

「そうね、恨まない理由なんて簡単だわ。私はあの時、一瞬で氷付けにされたみたいだから、あの日の情景を良く覚えていないから、かな? 笑えるわよね。皆の為に自動販売機に暖かいジュースを買いに行って、氷付けよ?」

 

 どこか、おかしそうに言うアスカの声を聞いても、その言葉の意味する内容を思えば、笑う事なんてできない。ナハトは、あの時、夜の一族としての尋常ではない生命力と、強靭な意志によって氷結魔法に少しのあいだ抗った。ナハトは地獄絵図の光景をその目に焼き付けていいるのだ。

 

 だから、アスカを含めた被害者のことを思うと笑う事なんて、出来なくて。ただ、ただ、苦悩に満ちたように瞼を伏せた。それは、封印事件の被害者を想う祈りでもあるのだろう。

 

(うぅっ、マズったみたいね……)

 

 ちょっとしたジョークというか、自分は気にしてないから、ナハトも思いつめなくてもいいよ。と、遠回しに伝えただけだったのだが、逆効果だったようだ。沈黙したナハトの様子を見て、そう悟ったアスカは気まずい雰囲気を察して片手で目を覆う。

 

 こういう時はどうすれば良いのか、アスカは考える。自分は素直じゃないところがあって、いわゆる、ツンデレとか言うヤツらしい。非常に不本意だが。でも、素直に言えなくて、言葉を濁したり遠回しに伝えようとして失敗したことは何度か経験がある。ならば、どうすれば良いのだろうか?

 

(逆転の発想よ。アスカ! 失敗したら逆の事をすれば、成功する……んだけど……)

 

 逆転の発想に従って、失敗したことと逆の事を行う。それは、アスカが素直になるという事で、でも、素直になるのが恥ずかしいから、ツンデレになってしまうのだ。そう簡単に性格が矯正できたら誰だって苦労しない。

 

「ナ、ナハ、なっ、すず、じゃなくて、なななっ……」

 

 素直に自分の想いを伝えようとすると、うまく舌が回らなくなって、言葉が出てこない。頬はヒクヒクと痙攣して、口も思うように動かせなくなる。ナハトは目を閉じていて見えないが、今のアスカはしどろもどろになって、とっても面白いことになっているのだ。考える人のポーズになったり、がっくりと肩を落としてうなだれたり、かと思えば、立ち上がって両手で頭を抱え、腰がねじれんばかりに唸ってみたり。

 

そして、ついに……

 

「うがああああぁぁぁぁぁッ!!!!」

 

(ビクッ!)

 

 アスカはいろいろと天元突破して吹っ切れた。

 

 ナハトが、その洞窟を揺るがさんばかりの魂の叫びに驚き、身体をビクつかせ、何が起きたのかと慌てて目を開ければ、目の前には狼の身体をした自分の顔をがっちりと掴んで離さないアスカの手。そして、触れ合ってしまいそうなほどまで近づけられたアスカの顔が、ナハトの瞳に映り込んだ。

 

 アスカは荒い息を吐きながら、ナハトの瞳を見つめて目を離さない。その姿から彼女が何かを決心したのだとは分かるが、突拍子がなさ過ぎて何が何だか分からないナハトだった。

 

「あ、アスカさん……?」

 

 思わず敬語で話しかけてしまうナハト。そのくらい彼女の頭のなかは混乱しているのだろう。

 アスカは、アスカでナハトを見つめたまま、荒い呼吸を繰り返しているだけだ。

 ここは、あれだ。わざととんでもないボケをかまし、強烈なツッコミをさせることで意識を正常に戻すしかない。

 そう思いたったナハトは、口からとんでもない内容を連想させる言葉のオンパレードを発した。

 

「そうして見つめあう二人は禁断の恋に落ちた。そう、百合のように可憐で、でも、どこか歪で背徳的な恋。二人は隣で眠る少女にばれないよう、夜な夜な身体を重ね合い、互いに愛を深め合い、日頃の悲しみを埋めあうことで――」

 

「そんな訳あるかぁぁぁぁッ!!」

 

「あっ、戻ったね」

 

 あまりに破廉恥な内容に、いろいろと吹っ切れていたアスカも突っ込まざるを得なかったようだ。常識人はツッコミの体現者。その性質上、ぶっ飛んだ発言に突っ込まざるを得ない苦労人なのだろう。

 

 無理矢理に精神的な労力を使わされたアスカは、肩で息をしながら呼吸を整える。そして、心身が落ち着いた頃になって、静かにナハトを見つめた。その瞳に宿した強い決意は、ナハトが息を呑んでしまうくらいに充分だった。凛々しい姿と気高い瞳は、たとえ同性でも魅了されてしまうナニカを宿している。

 

「アスカ……ちゃん」

 

「いいナハト? 一度しか伝えないから良く聞くのよ? アタシは変なところで恥ずかしがり屋で素直じゃないから、言葉を止めるなんて気遣いはしない。一気に言い切るから。アンタに伝えるから」

 

「う、うん……」

 

 アスカの決意を受けたナハトは息を呑み、圧倒されながらも頷いた。

 アスカは一度、深く深く深呼吸をすると、伝えたい思いを素直に、言葉を途中で止めることなく、吐きだした。

 

「シュテルもナハトも、いいえ、ディアーチェやレヴィもそうね。アンタ達って、そろいもそろって隠し事が多すぎんのよッ!! 暗い過去だとか悩み事抱えてるとか、アタシはそんな事、アンタ達のコト知ってるようで全然知らないわ。だって、みんな相談なんてしてくれないものね。そりゃあ、アタシが聞こうとしないのが悪いし、無理に聞きだそうだなんて思ってもいないけどさ。ちょっと、くらい……親友として相談してくれても、頼ってくれてもいいじゃないッ!! なによ! アタシってそんな頼りないわけ。それとも心配かけたくないんだったら余計なお世話ね。むしろ、アンタ達の方がアタシに心配かけてるし、ああもうっ! 素直に伝えられないってもどかしいわ。だいたい、辛いことや悲しいことを復讐なんてまどろっこしい事で他人にぶつけるなんてナンセンスだわっ!そんなに悲しい事や辛い事、怒りや憎しみをぶつけたいなら、親友であるアタシにぶつけなさいよ! いくらでもアタシは受け止めてあげるわ。抱きしめて、胸を貸して泣かせてあげてもいい。アタシはアンタ達の事が大好きだから。初めてできた親友で、大切で、かけがえのない宝物だから。失いたくなんてないッ! もし、間違えそうになったらアタシが身体を張って止めてあげる。たとえ、どんなに暗い過去を抱えていても、どんなに違う存在なったり、姿が変わったりしてもアタシは受け止めるわ! だから、みんなアタシを頼りなさいッ!!!」

 

 それは、一人の少女の叫び、心から魂から叫ぶ慟哭。親友として、対等な存在として、大切な四人の親友の力になりたいという純粋な想いだった。気が付けば、その場にいた全員が圧倒されていた。想いを告げられたナハトも、寝たふりをして盗み聞きしていたレヴィも、いつの間にか通信モニターを開いて、固まったように動かないディアーチェも。喋ったアスカですら性根が尽きたように動かない。

 

 ただ、ディアーチェと一緒に聞いてしまったシュテルだけが、意地の悪そうにニヤニヤしている。

 

「ほう、これはこれは……ちゃんと眠れているかどうか心配して通信を開いたつもりだったのですが、偶然にも良いことを聞いてしまいました」

 

 ピシリと、固まっていた空気が動き出す。アスカは錆びついたブリキ人形のように、首をギギギと動かすと、いつの間にか開かれていた通信モニターに映るシュテルに顔を向けた。身体中から冷や汗が流れる。もしかして、聞かれてしまったのだろうか、そう考えるアスカ。

 

「シュテル……いつから、そこに……?」

 

「そうですね、ナハトの"そうして見つめ合う"……」

 

「アスカっ!」

 

 シュテルの言葉をレヴィが遮った。あと、シュテルの映るモニターも顔で遮った。彼女は満面の笑みを浮かべて、瞳を輝かせると、いきなり、アスカに飛び掛かるように抱きつく。アスカも条件反射で抱きとめたが、茫然自失といった様子で気にしてはいなかった。

 

「アスカはそんなにボクの事を想ってくれていたんだね。ボクは超うれしいぞ~~!」

 

「もしかして、聞いてた………?」

 

「はい、一度しか伝えない、一気に言い切るからと言われましたので。一字一句間違いなく聞きました。なんなら私がもう一度、アスカの言葉を言ってあげましょうか?」

 

 レヴィの言葉が右から左へと通り過ぎながら、アスカはシュテルの言葉を聞いていた。

 

 "そうして見つめ合う"の部分から一字一句間違いなく聞いていて、一字一句間違いなく記憶している。という事は、シュテルはアスカの長ったるしくて恥ずかしいセリフを全部聞いていたのだ。記憶に刻みつけてしまうくらいに。

 

 しかも、アスカのセリフをもう一度言うとか、それは、なんていう公開処刑だろうか。

 

「ホアーーーーーっ!」

 

 それを理解した瞬間、アスカの中で何かが吹っ切れたようで、頭を抱えながら、ゆでだこの様に顔を真っ赤に染めて奇声を発する。レヴィをしがみ付けたまま、洞窟内を走り回り始めた。どうやら、思考がオーバーフローして何も考えられなくなったようだ。

 

 炎熱変換された魔力が顔から吹き出して、本当の意味で顔から火が出ている。

 

「あははははっ! すごいよアスカ。顔から火が出せるなんてピエロみたい!!」

 

「うが~~~!! 穴があったら入りたい! 今のアタシを見るな~~~!!」

 

「ふむ、これは方針を考え直す必要がありますね。とりあえず場が落ち着いてから意見交換するべきですか。そう思いません、ディアーチェ?」

 

「………」

 

「そんなに嬉しかったんですかディアーチェ? 身体が感動に打ち震えてますよ?」

 

 もはや、混沌と化した状況の中でナハトは静かに目を閉じる。アスカの言葉は、不思議と暖かくて心地よい。悩んでいた自分が馬鹿みたいに思えるくらいに。思い返せばアスカはナハトに色んなものをくれた。太陽のように輝く明るいアスカという親友。楽しい学校生活。家族旅行の楽しい思い出。

 

 どこか、暗いだけだった自分に月のような輝きを与えてくれたのはアスカなのだ。

 恐らくシュテルだって感謝しているだろう。彼女も暗い日常に縛られていた。笑うようになったのはアスカと出会ってからだ。

 彼女は、いつの間にか自分たちを救ってくれている。

 その事が嬉しくて、ナハトは密かに涙を流しながら、感謝の言葉を口にした。

 

「ありがとう……『アリサ』」

 

 もっとも、混沌と化して喧騒に包まれた中で、ナハトの呟いたか細い声は届くことはなかった。しかし、いずれはアスカがそうしてくれたように、ナハトも自分の想いを打ち明けることを決心する。

 

 いつか、伝えなければならないこと。大切な親友は全てを受け入れてくれると言ったのだから。自分も勇気を出して伝えなければならない。

 

 今はまだ、拒絶されることの恐怖の方が強い。一歩踏み出す決心がつかない。

 

 それでも、近い未来……必ず。

 

◇ ◇ ◇

 

「さて、落ち着いたところで、アスカにならって私達も自分の想いを打ち明けた方が良いかと。皆(みな)が本当の所、どうしたいのか、何がしたいのか。もう一度考え直してください」

 

 アリサの爆弾発言によって、混沌と化した洞窟内の騒動は、時間が経つことでようやく落ち着きを取り戻した。恥ずかしさに身悶えしていたアスカは、まだ顔を紅く染めたまま恥ずかしがって正座しているし、ストレートな好意に弱いという意外な弱点を持ったディアーチェも、バツが悪そうにあらぬ方向を見つめたまま動かない。それでも、話を聞いてはいるようで静かに頷いている。

 

 レヴィは再びはしゃいだことで、さらに眠くなったのか、こっくりこっくりと首が上下している。何度も顔をブンブンと横に振ったり、目を擦ったりして眠気を覚まし、シュテルの話を一生懸命に聞こうと頑張っていた。それを、どこか微笑ましく見ている蒼い狼の姿をしたナハトは、座り込んだレヴィの背もたれになっていて、彼女がいつ寝てしまっても大丈夫なように気遣いを見せていた。

 

 その様子を見てシュテルは話を打ち切ることにした。皆が大事な話をちゃんと聞いているのは分かっている。しかし、この話題は急ぐ必要もないのだ。むしろ、じっくりと考えて答えを出した方が良いだろう。そう考えたからこそ、シュテルは時間を掛けることを選択した。

 

「ですが、皆(みな)も疲れていることでしょうし、合流するまでの間……そうですね、地球に出発するまでの間には答えを出しておいてください………なんですか? レヴィ?」

 

 話はそれで終わりだと通信を切ろうとしたシュテルを遮ったのはレヴィだった。レヴィは眠たげな瞳でシュテルを見詰めながらも、しっかりとした意志を秘めて右手を上げていた。ボクは意見を述べたいとでもいうように。

 

 それを察したシュテルは真剣な様子でレヴィの顔を見詰め返す。

 

「ボクはね……みんなの願いを、叶えることが、望みなんだ……シュテルは…何を望む、の?」

 

 もうすでに半分くらい意識が眠っているのだろう。言葉がなんども途切れて紡がれる。それでも、彼女ははっきりと最後まで言い切った。それに応えるシュテルの返事は即答だった。まるで、最初から答えなど決まっているかのように、強く意志で、けれど、優しげな口調でレヴィに答える。

 

「私の望みは、マテリアルズの皆で静かに平和で暮らすこと。復讐など、これっぽっちも望んでいません。理由は私の過去にあるのですが、それは追々(おいおい)語るとしましょう」

 

 シュテルの言葉を聞いてもレヴィは動揺することも否定することもなかった。ただ、そうなんだとでも言うように受け入れている。むしろ、ディアーチェとナハトが何かを噛み締めるような表情をしていた。恐らくこの二人の考えていることは違うだろうが……。思いつめているのは間違いなかった。

 

 シュテルは私の番だとでも言うように、レヴィに言葉を返した。

 

「レヴィ。みんなの望みを叶えることが、アナタの望みと言いましたが、それは違います。ただ、周りに流されているだけです。私はアナタにも本当の望みが、願いがあると知っていますよ? それを自分自身の力で見つけてみてください」

 

「………」

 

 それは、親友に対しても容赦のないような意見だったが、レヴィを本当に思えばこそ紡がれたシュテルの想いだ。けれど、レヴィは何の意見も返さなかった。よく見ると、静かな寝息を立てている。どうやら眠ってしまったようだ。

 

 それでも話はしっかりと聞いていたようで、右手がピースサインを取っていて、顔もうっすらと笑っていた。任せてよシュテルとでも言うように。

 

「さて、そろそろお開きにするとしましょう。無理に答えを出さずとも良いですから、今日はゆっくり休んでください」

 

 それだけ告げると、シュテルは通信を閉じた。

 

◇ ◇ ◇

 

「ふわぁ、アタシも眠くなってきた……恥ずかしい思いもしたことだし、一眠りして忘れよう。ナハトも寝るわよね?」

 

「………」

 

「ナハト~~?」

 

 アスカが立ち上がって身体をほぐすように伸びをすると、口から大きな欠伸が出てしまい、思わず手で隠した。レヴィほど眠いわけでもないし、夜更かしにも慣れているアスカだが、疲れ切った身体は睡眠を欲しているようだ。

 

 寝る前にナハトに声を掛けるが、彼女は瞼を閉じたまま返事をしなかった。眠っているのかとアスカは考えたが、それにしては静かすぎる。たぶん、寝たふりだろうとアスカは判断した。

 

「はぁ~~、アタシのせいなのか、シュテルのせいなのか、どちらかは知らないけど、あんまり思いつめんな。一人でで、うだうだ悩むのって結構疲れるわよ」

 

 ため息を吐きながらナハトに近寄ると、かる~くナハトの額をデコピンする。すると、ナハトは観念したように目を開けて、アスカを見上げた。その紅い瞳は何処か寂しげだ。

 

「やっぱり……アスカちゃんには、分かっちゃうんだね」

 

「当たり前じゃない。アタシ達は何年親友をやってると思ってんのよ」

 

 バレたことへの悲しみと気が付いてもらえる嬉しさを含んだ声音で呟くナハトに、アスカは勝ち気に笑いながら、腰に両手を当てて、誇らしげに胸を張る。随分と偉そうな態度だったが、不快な気分はせず、むしろ似合いすぎて可愛らしいくらいだ。ニカッと笑う姿が様になっている。

 

「別にアタシは、アンタが思い詰める『想い』を無理に聞こうなんてしないわよ」

 

「んっ……」

 

 ナハトの傍にしゃがんで、彼女の頭をなでながら優しく包み込むように語りかけるアスカ。ふわふわで、さらさらの蒼い毛並みを撫でられて、ナハトは気持ちよさそうに眼を細めた。狼形態であるかぎり、犬の扱いになれたアスカには敵いそうにない。

 

「でも、これだけは覚えておいてほしいわ。アタシはナハトが、『すずか』が想いを打ち明けてくれるのを待ってる。どんなにツライ過去でも、恐れられるようなことでも、嫌われることでもね。アタシは何もかも受け入れる覚悟と意志があるから。他人から見ればちっぽけでも、ね」

 

「うん―――」

 

「さぁて、アタシも、アンタのもふもふに包まれて寝るわよ~~! レヴィなんかに独占なんてさせないんだから!」

 

 シリアスな雰囲気をぶっ飛ばしてしまうような明るい声ではしゃぎながら、アスカはナハトの暖かな毛並みに包まれている身体に抱きついた。反対側ではレヴィが、ナハトを枕にして気持ちが良さそうに眠っており、ある意味川の字のような状況だ。

 

 そのことがおかしくて、ナハトはクスクスと笑うしかなかった。どんなに暗くても、暖かい日差しのようなに照らしてくれるアスカがいる。自分を包み込んでくれる大切な友達。シュテル、レヴィ、ディアーチェがいる。だから、暗い過去にも立ち向かえる勇気が湧いてくる。

 

 それに今日は気分が良い。いつもは儚げな自分でも、勢いに任せて伝えることができそうだ。ナハトはそう思った。

 

「ねえ、『アリサ』ちゃん」

 

「なによ、『すずか』」

 

「今日はありがとう。大好きだよ『アリサ』ちゃん」

 

「な、なななっ! べ、別にアンタの為じゃないわよ……アタシが気に食わないから……むぅっ」

 

「ふふ、そういうことにしていくね。おやすみ……」

 

「まあ、いいか。おやすみ。良い夢をみましょ……」

 

 いつかは、彼女たちを、さらなる試練が襲いかかり、荒波に揉まれてしまうかもしれない。どうしようもない悲劇に嘆くのかもしれない。

 

 それでも、この瞬間だけは安らかなひと時を。

 

 穏やかに眠る三人の少女たちに安息を。

 

 いつか、本当の幸せが訪れると信じて。

 

 今日は終わりをつげ、明日が訪れる。

 

 明けない夜はないのだから。

 



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〇夢の世界 出会った少女

 夢、マテリアルの見る夢はどんな夢なのだろうか。

 少女たちは楽しい夢を見ているのか、懐かしい夢を見ているのか。

 少なくとも、レヴィが見ている夢は悪い夢ではないだろう。

 

「お~い! アルフ~~まってよ~~!」

 

 レヴィは海鳴臨海公園で親友のなのはと一緒に逃げ回るアルフを追っていた。子犬フォームのアルフは可愛くて、逃げ回る姿はすばしっこい。捕まえようとしても捕まらなかった。なのはも笑いながら悔しそうな顔をしている。

 

「楽しい夢を見てください。永遠の闇から滲み出た絶望に捕らわれ、誰かを憎まされ、苦しむマテリアルL。せめて、一時でも苦しみを忘れていて入られるように……今の私にはそれくらいしか、貴女たちにしてやれません………」

 

 ふと、レヴィの耳に悲しげな少女の声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。

 こんな楽しい夢で悲しんでいる人なんていないから、いないから………。

 ここは、いわば楽園であり、人々の望んだ理想郷なのだ。故に誰も苦しまず、悲しむことなどない。

 

「なのは! 次は翠屋でシュークリームを食べに行こう!」

 

「ええ、構いませんよアリシア」

 

 レヴィの提案に親友の『なのは』も静かな口調とは裏腹に嬉しそうな顔で頷いてくれる。

 楽しい夢だ。全てを忘れていられる。悪いことなんて何一つない。

 きっと翠屋ではレヴィの母さんと『なのは』の母さんが談笑してる。二人の親友『アリサ』と『すずか』が待ってる。最近友達になった『はやて』と五人の家族も来ている。

 

 これは幸せな現実。きっと不幸な未来なんてなかった。

 

「そうだよね、私たちはずっとずぅぅっと幸せなんだ」

 

「そうですよ『アリシア』。私たちはずっと幸せです」

 

ほら、レヴィの親友である『なのは』もそう言ってくれてる。だから、ずっと幸せな現実が………。

 

(アレ? ボクってアリシアなんて名前だったかな?)

 

「どうかしましたか? アリシア」

 

「ううん、何でもないよ『なのは』」

 

 ふと、感じた違和感。しかし、レヴィは気が付く事が出来なかった。余りにも幸せに浸りすぎて、些末な疑問も溶けて消えたのだ。

 いや、気付こうと思えば、気付けるくらいの違和感が、この夢の世界には存在している。

 

 たとえば、親友である『高町なのは』の円満な家族関係。死んだはずのアルフが生きて、レヴィの傍で笑っている姿。『八神はやて』の隣で微笑む、レヴィの見知らぬ銀髪の女性。喫茶翠屋の存在と高町の名字。そして、王様が、ディアーチェが初めて自分を名づけてくれた大切な名前を呼ばない親友。忌まわしい"偽物"の名前を呼ぶ親友。

 

 この世界はあまりにも理想過ぎて、逆に違和感を感じてしまう程の世界なのだ。少なくとも、レヴィの知っている世界と照らし合わせれば、これだけの違和感を感じる部分が出てくる。

 

 けれど、気が付くことが出来ないのは、辛い現実を無意識に思い出したくないのかもしれない。自分がマテリアルとして生まれ変わった姿。毛先が蒼い水色の髪に、光を飲み込むような闇を宿した紫色の瞳を持つレヴィ・ザ・スラッシャーではなく、生前アリシア・テスタロッサだった時の、金色の髪に紅い瞳の姿をしている自分を受け入れているのが、その証拠ともいえる。

 

 しかし、喫茶翠屋のある商店街に向かう途中ですれ違った少女をレヴィが見た時。レヴィは初めて違和感を感じることになる。他の夢の部分は違和感を感じないのに、その少女だけは多大な違和感を感じたのだ。誰かの作為すら感じるほどに。

 

(あれは、『アリサ』……? でも、あれ……なんで、左目が紅色なんだろう? 右目は翡翠のような緑色なのに)

 

 『なのは』と手をつないでニコニコしながら、道路を歩いていた時に、わざとらしくすれ違った少女をレヴィが見た時、無性に気になって仕方がなかった。姿は『アリサ』に似ているのに、瞳の色が微かに違うのが、特徴的だった。少女はレヴィの視線を釘づけにしたまま、入り組んだ住宅街の奥へと消えていく。

 

「待って!!」

 

「あ、アリシアっ、どこへ行くのですか!? 迷子になってしまいますよ!!」

 

 消えた少女を慌てて追いかけるレヴィと、いきなり手を放して何処かへ行こうとするレヴィを制止する『なのは』。『なのは』も住宅街へと消えていくレヴィを追いかけようとするが、足が凍りついたように動かなかった。それどころか、身体を動かすことができない。夢の端末としての機能が消失していく。

 

「どうして……? マテリアルLは私の術中に完璧にはまっていたはず。誰かが、私の作りだした幻想に介入している? いったい誰が?」

 

 『なのは』の口から零れ落ちたのは、別の誰かの声。その声は鈴の音の様に凛としていて、でも、どこか儚げで風が吹けば消えてしまいそうなほどにか弱々しい声だ。

 

 いつの間にか『なのは』の姿も変貌しており、肩まで長い栗色の髪は、腰まで届きそうな長い金色の髪へと形を変え、姿も『なのは』やレヴィより幼げな少女へと変化していた。身長がレヴィよりも頭一つ分低いから余計に幼く見える。

 

 背格好も一度見れば忘れられないようなモノだ。お腹をへそ出しする白いバリアジャケットに紫色の袴のようなズボンと特徴的すぎる。

 

 けれど、そこから放たれるカリスマ。神秘的なオーラは見る者全てを包み込んで魅了してしまいそうほど。部外者に圧倒的な威厳と威圧感を持って、跪かせるようなディアーチェとは正反対の優しい覇気だった。

 

 幼き少女は瞳を伏せると、データの欠片となって朽ちて、夢の世界の空間に溶けていく。見せる対象者がいなくなった世界を構成している意味はないから。周りの道路も、家も、標識から空に浮かぶ雲。果てには清々しい青空までもがデータの欠片となって、何もない空間へと姿をかえる。そこにあるのは、一切の光を宿さない闇の世界ときらめく星のように輝く、数多の人が見ている夢の世界だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「アリサお嬢様。紅茶を淹れました。じいやが丹精をこめて、手間を惜しまずに淹れた紅茶ですから、味のほうには自信がありますぞ」

 

「ありがとう、鮫島」

 

 アスカは、バニングス邸の野球ができそうなくらい広い庭園で、色鮮やかに咲き乱れる花や緑の植物で飾られた景色を鑑賞しながらティータイムを楽しんでいた。

 

 アスカをいつも支えてくれている老執事の鮫島に礼を言いながら、白いテーブルの上に置かれた美しい装飾の施されたティーカップを手に取って香りを楽しむ。いきなり、紅茶に口を付けるのは無粋というものだ。まずは、香りを楽しんで、その後、紅茶の美味しさを味わう。

 

 アスカの格好は貴族のお嬢様が着るような、中世ヨーロッパのお姫様を連想させるような豪華なドレスに身を包んでいて。それが何とも様になっている。自らを着飾る装飾品に負けないような美しさと、可愛らしさを備えていた。もっとも、絶世の美女には劣るかもしれない。だって、胸がゲフンッゲフンッ……

 

 アスカは香りに満足した後、静かにカップを口につけて、中に淹れられた紅茶を含むように、静かに飲み干していく。日本茶の様に音を立てて飲むのは上品とは言えない。

 

(うん、鮫島の淹れた紅茶は美味しいわ。味のほかにも、主人のアタシを思いやってくれているのが良くわかる。人の想いが込められた紅茶とでもいうのかしらね)

 

 静かにティーカップを置きながら、アスカは満足そうに目を閉じて微笑んだ。鮫島もそれを見て、孫娘を優しく見守るような微笑みを浮かべる。何も言わずとも、紅茶の味が及第点だったことは分かるし、主人の笑顔が見れただけで鮫島は満足だった。

 

 アスカも美味しい紅茶と良い香りを楽しめたので、気分が良い。それに従者の笑顔は主人の笑顔でもあるのだ。鮫島が喜ぶとアスカも嬉しかった。しかし、そろそろ茶番も終わりにしなければならない。

 

「鮫島、悪いのだけど席を外してくれないかしら。ちょっと考え事をしたいのよね」

 

「左様でございますか。何かあればベルを鳴らして御呼びつけください。すぐに駆けつけますゆえ」

 

 アスカの言葉を疑問に思うこともなく、鮫島は左腕にタオルケットを掛けたまま優雅な礼をして庭園から去ってゆく。優秀な従者というのは主の顔色だけで、何を考えているのか察するような従者だ。今の『アリサ』は誰にも邪魔されずに考え事をしたがっている。疑問はあるし、悩みなら相談に乗りたいと思う鮫島だが、素直に下がるのが執事たる自分の務めだろう。

 

 ちなみに、白い丸テーブルに置かれたハンドベルだが、もちろん鳴らした音を聞きつけて執事やメイドが来るわけではない。鳴らすとベルに組み込まれている発信器が、呼び出しを告げるという優れものなのだ。

 

 ハンドベルを形をして、美しい金属の音色を響かせるのは優雅なシャレというモノである。いつの世も風流(ふりゅう)とは大事なモノなのだ。

 

 アスカは自分でカップに紅茶を注ぐと、ミルクと砂糖を小さじ一杯いれ、ロイヤルミルクティーにする。そして、紅茶の入ったティーカップを持ちながら、椅子に深く座り込んだ。

 

(なんとも、アタシらしい夢の世界なことで。色々と否定してきた夢の世界は、最終的に自分の安らぐ世界に落ち着くわけか……)

 

 アスカは、自分の強靭な意識で理想の夢の世界を否定してきた。最初に見た誰も死なずに、誰もが笑っているような世界。それこそ、亡くなっている筈の親友の家族が生きている世界を否定した。親友と笑い合いながら、知らない喫茶店で談笑する光景も、幼いアリサに懐いて良く助けてくれた年老いた犬が、若々しい姿でアリサに戯れてくれる世界も。全部否定した。

 

 別に夢の世界で、理想とする世界や、過去の出来事を振り返るのはアスカとしても構わなかった。夢の中くらい最高の幸せを体感するのも悪くないだろう。けれど、この世界はやり過ぎたのだ。

 

 妙なリアリティを伴って、理想的で幸せな夢を見せる世界。現実と錯覚すれば胡蝶の夢と化してしまいそうなチカラがあった。夢が現実となってしまうのだ。

 

 それが恐ろしかったというのもあるが、親しい人の死を否定して未来を捻じ曲げるような世界をアスカが嫌ったのが大きいだろう。幸いにも人の望みを叶える夢だったから良かったが、理想を見せる夢だったらアスカは確実に暴れていた。

 

 アスカは、現実における苦しみや悲しみも含めて世界が好きだった。不幸が大好きという訳ではない。怒り、苦しみ、悲しみといった部分があるからこそ、平和は尊いもので幸福を幸福と認識できるのだ。

 

 いつまでも幸せが続いて、当たり前になってしまえば、人は何が幸福なのか分からなくなるから……

 

 辛い事や苦しいことを乗り越えて掴み取った幸せ。それこそがアスカにとっての本当の幸せだ。現実逃避して夢の世界に逃げ込みたい訳ではない。マテリアルズとなった皆で、アスカや大切な親友たちで、本当の幸せを掴み取ることがアスカの目的でもあるのだから。

 

 だから、こんな夢の世界は否定させてもらうのだ。

 

(どうやら、夢を見せている何か、或いは誰かはとんでもないお節介でお人よしといった所かしらね)

 

 少なくとも自分の見ている夢を自由自在に書き換えるなんて芸当は、アスカには絶対に出来ない。ならば、何らかの要因が介入しているのは確かだった。それを、アスカは今から探し出そうと思っている。物による影響だったら問題ないが、誰かが作為的に介入しているのならば、一発何か言わないと気が済まないのだ。お節介が過ぎるぞと。

 

 まあ、見せてくる夢の内容が良いモノばかりなので、悪い存在でないことは確かだろう。

 

「さてと、そろそろ出てきたらどうかしら? 人の事、草陰から覗くのは悪趣味だとアタシは思うけどね」

 

 優雅に紅茶を飲みながら、ふと、思い出したようにアスカは庭園の草陰に鋭い視線を送る。すると、悪気のなさそうな態度を取りながら、一人の少女が姿を現した。

 

「アンタはレヴィ……? いや、違うわね」

 

 現れた少女の姿を見てアスカが驚いたようにつぶやく。少女の姿は黒のワンピースに、金色の長い髪を黒いリボンでツインテールした姿だった。アスカよりも幼くて四歳くらいの年の頃だが、姿はアリシアと呼ばれていたころのレヴィにそっくりだ。

 

 ただ、わざとらしく変えていないのか、或いは変えることができないのか、左目は緋色、右目は翡翠色の虹彩異色だった。いわゆるオッドアイだ。両目を緋色にすればレヴィに似ていたし、逆に翡翠色にすればアスカに似ているとは、なんとも不思議な少女である。

 

 誰なのかは分からないが、アスカの夢に現れたのならば、良くある夢の世界の住人なのかもしれない。アスカは深く考えずに、そう思うことにした。

 

「まあ、覗いていたのは、この際どうでもいいし、許してあげるわ。それよりも一緒にティータイムを楽しみましょうよ。美味しいお茶請け……まあ、簡単にいうとお菓子なんだけど、幼いアンタにはそっちの方が良いかしら?」

 

 アスカが年上の優しいお姉さんを演じながら、おいでおいでと手招きすると、小さな少女は素直に頷いて対面の椅子に座る。そして、テーブルに置いてあったクッキーを頬張り始めた。顔に浮かべる笑顔を見れば、クッキーが美味しくて幸せなんだろうか? 見る者を和ませてしまいそうだ。

 

 しばらく、アスカと小さな少女はお茶の時間を楽しんでいた。

 

◇ ◇ ◇

 

(それにしても、この女の子は、なんとも夢の世界の住人らしい、不思議な雰囲気ね)

 

 いったい、どれくらいお茶の時間を過ごしていたのかは定かではないが、長い時間が経過しているのは確かだ。アスカの見ている夢の世界には時間の概念が止まっているのか、昼のままで日が沈まないからだ。おそらく、ティータイムを長く続けたいというアスカの願望を反映しているのだろう。

 

 アスカの目の前に座る小さな少女は、皿の上に並べられていたお菓子をすべて頬張ると、今度はバニングス邸や造られた庭園をジッと見つめていた。まるで、アスカの夢の世界を目に焼き付けているかのように。

 

 小さな少女の纏う不可思議な存在感のせいなのか、普段は明るい性格と、いろんな話題に付いていける会話力で相手を惹き込むアスカでも声を掛けられなかった。小さな少女の放つ、何人たりとも無意識に付き従ってしまいそうな神秘的なカリスマ性に、いつの間にか呑まれていたのだ。

 

 ふいに、女の子の視線がアスカの瞳を捉えて離さなかった。アスカも金縛りにあったように、女の子の虹彩異色の瞳を捉えて離さない。

 

 最初に言の葉を紡いだのは、神秘的な女の子のほうだ。

 

「わたしは、リヴィエっていうの。お姉ちゃんのなまえは?」

 

「アタシは、アスカ・フランメフォーゲルよ」

 

「そっか、じゃあアスカは今から鬼ごっこのオニだよ。聖祥の小学校につくまでにリヴィエをつかまえないと、負け犬になっちゃうんだからっ!」

 

「はい?……」

 

 そう言って庭園を駆け抜けていくリヴィエの姿を見詰めながら、アスカはポカーンと固まるしかなかった。少女の言動や展開が、いきなり過ぎて何が何だか分からない。自分が鬼ごっこの鬼? 捕まえないとどうなる? あの女の子はなんて言った?

 

 それを理解した時、アスカの中にふつふつと湧き上がるのは、並みならぬ闘争心と無邪気に遊びたいという子供心だ。ようするに、あのリヴィエはアスカと遊びたがっている。人の心を逆なでしてまで。だったら、アスカも子供らしく付き合うまでだ。どうせ夢の世界なんだし、時間は有り余っている。少しだけ遊んでから原因を探るのも悪くない。

 

「上等じゃないの!! アタシを負け犬呼ばわりしたことを後悔させてやるんだから!!」

 

「えへへ~、こっちだよお姉ちゃ~ん!」

 

「こら~~、まちなさ~い! リヴィエ~~!!」

 

 無意識にバリアジャケットを展開して、姿形も『アリサ』からアスカへと変わっていくアスカ。彼女はリヴィエを追いかけて、夢の海鳴市を駆け抜けていく。

 

 レヴィも知らず知らずのうちに、リヴィエと同じ存在の少女を追いかけて、聖祥の小学校へと向かっていた。

 

 不思議な少女に導かれて、同じ場所へと向かう二人の少女。いつの間にか二つの夢はひとつに交わり、同じ夢へと変わる。そのことにレヴィも、アスカも、夢を操っていた少女も気が付くことはなかった。

 

 リヴィエの意識に導かれて、三人の少女が出会おうとしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「あれれ? アスりんじゃないか。どうしてボクの夢の中にいるの??」

 

「それはこっちのセリフよ! なんでレヴィがアタシの夢の中にいるわけ?」 

 

 不思議な気配がする神秘的な女の子。リヴィエを追いかけていたアスカとレヴィは聖祥大学付属小学校の校門の前で、偶然か何かのように出会っていた。二人が夢の世界の住人ではなく本人と認識できるのは、マテリアルとなった姿と、受け答えがいつも通りの反応だったからだ。夢の住人は反応がどこかぎこちない。誰かが記憶にある人間の皮をかぶって演じているような違和感があるのだ。幸せな夢の前では些末なのだろうが、はっきりと認識すればたやすく気が付くことができる。

 

「アンタ、リヴィエっていう不思議な女の子を見なかった? 背格好がこれくらいで、金色の髪に見たら忘れないような緋色と翡翠のオッドアイが特徴的なんだけど。あと、髪型がアンタと同じで黒のワンピースを着ていたわね」

 

 アスカが身振り手振りを交えて姿や背格好を説明しながら、追いかけていた女の子を見ていないかレヴィに尋ねる。手が表す身長はアスカの胸のあたりを示したり、要点をまとめて特徴的な部分を分かりやすく伝えていた。

 

「う~ん? すれ違った人の中に、ボクが覚えている限りでは見てないよ? でも、ボクが追いかけてた少女は金髪で紅(あか)と翠(みどり)の眼に、背格好が聖祥の制服を着たアスカだったんだけど」

 

「ありゃ? 二人とも自分の夢で同じような女の子を追いかけてたわけ?」

 

「すごい偶然だね~~」

 

「アホ。偶然じゃなくて作為的と考える方が自然よ。身近な人間が夢で同じような女の子を追いかけて、しかも、見知った友人の姿をマネる女の子なんて、普通おかしいと思わない?」

 

「ボク、アホじゃないもん……!!」

 

「アンタにとって重要な部分はそっちかッ!!」

 

 いつの間にかレヴィとバカみたいな会話のやりとりを繰り広げる二人。夢の世界でも真面目な話を奇想天外な方向へ持っていくレヴィと、それにツッコミを入れるアスカのやり取りは変わらないようだ。

 

 その時、校舎の傍にある茂みからパキリと小枝を踏み抜くような音がした。アスカとレヴィがそちらを振り向くと、二人よりも頭一つ小さい女の子が慌てて学校の中へと逃げていく後ろ姿が見えた。髪は腰まで届かんばかりの金色に、お腹が見える白いジャケットと紫色の袴のようなズボンが特徴的だった。

 

「今の見たアスりん? あれがリヴィエっていう女の子? 格好がちがうよ?」

 

「たぶんね。背格好は夢の世界だから、いくらでも変えられるんでしょ。ところでアタシ、リヴィエに鬼ごっこの鬼にされたんだけど。今度はかくれんぼの鬼にされそうね。アンタもやる? かくれんぼ」

 

「へぇ、おもしろそう! やるやる~~」

 

「それじゃあ、作戦があるんだけど。ちょっと耳貸しなさい」

 

 こうしてアスカとレヴィは協力して、謎の女の子を追いつめる方法を実行に移す。

 

◇ ◇ ◇

 

 夢を見せていた少女は驚きと困惑で焦っていた。いつの間にか夢の制御が出来なくなっていて、逆に自分が夢の世界に取り込まれてしまっているのに気が付いた時には遅かった。いや、他にある無数の夢は制御できているのだが、特定の夢の世界を操ることができないのだ。

 

 すなわち、マテリアルズの夢を。

 

 しかも、夢の世界という幻惑を受けていたはずのマテリアルLとマテリアルAは、夢の世界で確固たる自我を取り戻して、あろうことか自分の元へと駆け付けてくる始末。向こうから接触してくることができないように、本体の気配を限りなく薄くしているのにも関わらず、的確に、不気味なほどに正確な位置を追いかけてくるのだ。何かに導かれているかのように。

 

 正直に言えば会ってみたいと、夢を操る少女、ユーリ・エーベルヴァインはそう思う。

 

 『はやて』がディアーチェとして生まれ変わったときから、紫天の書の内部で彼女と共に生きてきたユーリ。長きにわたる眠りから目覚めてから、初めてできた話し相手にして、親友のような存在がディアーチェだった。そんなユーリがディアーチェの語る大切な親友に会いたいと思わないわけがないのだ。

 

 しかし、ユーリはディアーチェの秘密と定められた残酷な運命を知っている。ユーリは隠し事が下手だから、ついボロが出て喋ってしまうかもしれない。そう思うと不安で会う訳にもいかなかったのだ。ディアーチェは他のマテリアルに秘密を隠しておきたいようだから。

 

 だから会わないように、こっそり隠れていた。楽しい夢を見せることで幸せそうな笑顔を浮かべるマテリアルの姿を眺めているだけで十分だったのに、今の状況はいったいどういう事だろうか?

 

「ここかな~~!? どこかな~~!? 出ておいで~遊びましょ~~!!」

 

 マテリアルL。レヴィがわざとらしく大声で叫びながら、ユーリの隠れている場所に近寄ってくる。教室の清掃用具の入ったロッカーの中という典型的な場所に隠れていたユーリは、レヴィの声にびくびくしながら叫び声をあげてしまわないように、両手で口を押えていた。

 

 もちろんレヴィのわざとらしい大声は作戦のうちだ。大声をあげることで、隠れている相手に無理やり反応させる。緊張感を煽(あお)るのだ。そうすると、鬼役が近付いてきたときに見つかるかもしれないと、精神的プレッシャーを隠れている子に与えることができる。おもわず、物音を立ててしまうような状況を作りだすのがアスカの作戦だった。

 

(あわわわ……どうすれば良いんでしょうか?)

 

 ユーリの隠れているロッカーがある教室。そこを見回るレヴィの気配を感じ取りながら、かくれんぼに慣れていないユーリはドキドキしてパニックを起こしそうになる。金色の瞳が右往左往して揺れ動く。身体が震えて、背中を冷や汗が流れ落ちる。

 

(落ち着け、落ち着くんですユーリ。ここでなんとかやり過ごして、次の隠れ場所に移動するんです。そして、彼女たちが探すのを諦めるまで待つんです! ふぁいとです。ユーリ)

 

 夢の世界に取り込まれ、操作ができないのでユーリは彼女たちに見つからないよう隠れるしかない。なんとか、怯える自分の心を励ましながら、頑張ろうとするユーリ。

 

 それをレヴィは爆弾発言でぶち壊した。

 

「はぁ~~、なんだか、あきてきちゃったなぁ。もう、めんどくさいから教室や辺り一帯を雷刃滅殺極光斬(らいじんめっさつきょっこうざん)で吹っ飛ばしちゃおうかなぁ?」

 

 もちろん、レヴィの言っていることは冗談である。これも、相手にプレッシャーを与えるための言動。されど、隠れているユーリには効果てき面だったようで、慌ててロッカーの中から飛び出してきた。

 

「それは嫌ですっ! 痛いのは嫌で、あっ……」

 

「あっ、リヴィエって言う女の子らしき女の子? まあいいか、見~つけた」

 

 自分のやらかした失態に気が付くユーリだが、もう遅い。腰に手を当ててニンマリと笑うレヴィに姿を晒してしまったのだから。こういう時はどうするのかユーリは考えて……

 

「貴女は何も見てないです~~!!」

 

「ありゃ、逃げられちゃった」

 

 とりあえず、下手すぎる言い訳をしながら、全速力で廊下へと逃げていくユーリ。

 それを、不敵な笑みで見送りながら、レヴィは準備運動を始める。屈伸したり、手足をストレッチしたりして余裕満々のようだ。たぶん、手加減して追いかけても、追いつける自信があるのだろう。

 事実、そのとおりである。

 

「まあ、スピードでボクに敵おうなんて、十万光年早いよっ! レディぃぃ、GO!!」

 

 典型的な時間と距離の間違いをしながら、レヴィは廊下を駆けていく。

 追いかける表情はとっても嬉しそうなレヴィ。逃げるユーリは焦ってあわあわしている。

 

「追いかけて来ないでください~~!!」

 

「むしろ止まらないと撃っちゃうぞ~~! バキュン! バキュ~ン!」

 

「ひえええ、ホントに撃ってきました~~!」

 

 レヴィは笑いながら逃げるユーリに向けて、軽く電刃衝を放つ。右手を拳銃の形にして指先から放たれた蒼い弾丸がユーリを掠める。もちろん当てるつもりなんてない。逃げる先を誘導してるのだ。左右の曲がり角を曲がらないよう、片方を電刃衝で塞ぎ。階段を下りないよう牽制する。

 

 ユーリは知らずのうちに屋上へと追いつめられていった。

 

「あはは~~たっのしい~~!! バキュン! ドッカ~ん! エターナルサンダーソード! 相手は死ぬ!!」

 

「私は楽しくないです~~! それに殺さないでください、死ねませんけど、痛いんですよ~~!!」

 

「はい、ゴールね! 捕まえた!!」

 

「わぷっ!」

 

 レヴィはユーリに屋上へ続く階段へと追いつめて、塞いでいた邪魔な扉を魔法で粉砕する。

 逃げるしかないユーリは当然ながら屋上へと駆け抜けるわけだが、待ち構えていたアスカによって抱きとめられてしまった。まあ、ようするに追いかけっこは終わりである。

 

「いや~~楽しかった~~」

 

「ご苦労様レヴィ。さて、リヴィエを追いつめたわけだけど……ううん?」

 

 レヴィがとても嬉しそうな顔で笑いながら、満足したように伸びをしていた。アスカは彼女を労いながらも、抱きとめた少女が追いかけている人物と違うことに気が付いた。なんだか妙にふわふわした髪の感触がするのだ。身長もアスカが見たリヴィエより高く、アスカよりも頭一つ分低いくらいだろうか。

 

 逃げようと両手を振り回してもがいているユーリを押さえつけながら、少しだけしゃがんで視線を合わせたアスカの瞳に映るのは、吸い込まれてしまいそうな程に美しい金色の瞳。もっとも、やり過ぎたらしく、その瞳は潤んでいて泣き出しそうだ。ちょっと罪悪感に駆られて良心が痛むアスカだった。

 

「ひどいです……初対面の人間にあんまりですぅ、えぐっ……でぃあーちぇの親友さんはイジワルです……」

 

「わ~~! わぁぁ~~!! どうしようっ、ボクが泣かせちゃったのか!? そっ、そうだ、ほ~ら、このアメをお食べ~~、水色のものに悪いものはないんだぞ~~、甘くておいしいぞ~~」

 

 レヴィとしては追いかけっこを楽しみ、脅かすつもりで電刃衝を放っただけで、決して怖がらせたり泣かせたりするつもりはなかった。だから、レヴィにとって見知らぬ女の子が泣き出すのは望むところではない。何とかなだめようと泣き出しそうなユーリに、どこからともなく取り出した水色の棒飴で気を引こうとする。

 

「ありがとうございます……おいひいれぇす……」

 

 さっきまで虐めていたような相手から素直に棒飴を受け取るユーリ。この性格からして彼女は根が悪い人間ではなく、むしろ、心優しい。優しすぎる少女であるのがわかる。

 何とか泣かさずに済んだレヴィは、ほっとした様子で胸をなでおろした。さりげなく自分の分の棒飴を咥えているのが何とも言えない。

 

「うぅ……なんか人違いだったみたい。いきなり怖がらせてしまって、ごめんなさい」

 

「ボクも、ごめんよ……」

 

「あわわ、何だかこっちが悪い気分になりますっ! 頭を上げてください~~」

 

 アスカもレヴィもやり過ぎたことを重く受け止めているのか、しょぼくれた様子でユーリに頭を下げた。どんよりした雰囲気を漂わせながら謝る二人の様子を見て、逆に罪悪感に駆られそうになったユーリは、長い袖に隠れてしまうような小さな手をばたつかせて頭をあげるよう必死に説得するのだった。

 

「ふふふ、ゆーりをよろしくね。お姉ちゃんたち」

 

 その様子を給水塔の影から隠れて見下ろすように眺めていたリヴィエは、優しげな笑みを浮かべながら空気に溶けて消える。それに気が付いた者はいない。

 

 三人の少女の出会いが何をもたらすのか。物語の運命は大きな転換期を迎えようとしていた。

 



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〇幕間1 少女の絶望は深淵の如く、底知れぬ闇は内に潜む

 レヴィとアスカが、ユーリと出会った頃。時は少し遡る。

 

 レヴィ達と別れたディアーチェ達は第97管理外世界に近い無人世界で拠点を構築。

 レヴィ達が転移して来られるようにマーキングを施すと、独自に情報収集と魔力の蒐集を行い始めた。

 ディアーチェの存在が時空管理局に知れ渡ると、闇の書が復活したと感づかれる可能性があるため、主にシュテル一人でこなさなければならなかったが。

 

 "各地を旅する魔導師"という設定の元、治安組織である善良な管理局員に道や危険な噂を聞き出すという面倒くさい方法でシュテルは情報を収集した。

 

 とはいえ、拷問でもしない限り個人の知れる情報など少ない。組織の中に潜り込んで施設や重要人物から情報を盗み出すスパイなら話は別だが、あいにくシュテルは、そんな人間ではないし、経験なんてない。まして末端の局員なら得られる情報などたかが知れている。

 

 目的としていた情報。

 秘密裏に実行されたであろう闇の書封印作戦が、どういった形で処理されたのか? ギル・グレアムの現在の所在は何処か? それらを知ることは不可能だった。せいぜい、最近多発している魔導師襲撃事件があるから、気を付けた方が良いと忠告されるくらいだ。

 

 この襲撃事件こそ"自分たちに取り込まれて存在しない闇の書の守護騎士"が行っている襲撃事件なのだが、シュテルは"レヴィ達が自重せずに派手に暴れまわっている"と勘違いして"世界の差異"に気が付くことができなかった。

 

 自分たちが一時的に世界から消えて、どれくらいの時間が流れたのか。それを気にしていれば結果は違ったかもしれない。

 

 とにかく、これが原因でシュテルはレヴィ達にOHANASIすることになるのだ。

 

 もう一つの魔力の蒐集については順調である。レヴィ達のように訓練や遊び? を交えながら蒐集するのではなく徹底して蒐集作業に専念することで効率が段違いだった。ディアーチェは蒐集だけならば隠れる必要がないので手伝えたのも大きいだろう。今では"闇の書のページを"半分埋めてしまえそうな程にシュテル達は蒐集できていた。

 

 もちろん管理局にばれる行為だが、生き物や環境に影響を与えないよう広い範囲で分散して蒐集をおこない、不必要に原生生物を傷つけなかったこと。レヴィやヴォルケンリッターの行動が結果的に陽動になっていることが管理局に気づかれない要因となっていたのである。

 

 現在は消耗した魔力を回復させるため構築した拠点でディアーチェとシュテルは休んでいる状況だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「しかし、意外でしたね。まさかアスカがあんなことを考えているなんて、思ってもいませんでした」

 

「う、うむ、そうだな。わ、我も驚いたぞ」

 

 シュテルは転移して来るであろうレヴィ達の分の布団を、草と樹皮で編みながらディアーチェに話しかけた。

 答えるディアーチェの声はうわずっていて、何処か調子がおかしい。いつもの尊大な態度がなく、なんというか、照れているような感じなのだ。

 

 ディアーチェに背を向けてせっせと編み物をしていたシュテルが振り向いてみても、目に映るのはシュテルが編んだ布団にくるまって背を向けるディアーチェのみ。

 

 ずいぶんと分かりやすい照れ隠しだとシュテルは思う。草で編まれた布団を無理やりはぎとったら、顔を覆い隠して縮こまりそうだ。

 きっと顔も高揚して紅く染まっているだろう。

 

 ディアーチェがこんな態度を取るきっかけは、もちろんアスカが叫ぶように告げた思いだ。

 あれを聞いてからずっともじもじして、この調子なのである。

 生前、友達と呼べる人間が皆無だったディアーチェにとって、あの言葉は胸に響くものがあったのだろう。

 きっと嬉しいのだ。

 

 いつもと違う態度のディアーチェにさすがのシュテルも、どう接すれば良いのか分からなくて困惑気味だ。

 だから、仕方なく父や姉にサバイバル訓練と称して、山籠もりさせられた際に身に着けたスキルで布団を編んでいたのだが、それも終わってしまいそうだった。

 

「はぁ……」

 

 そろそろ、向き合わねばならないのだろう……現実と。

 

 ディアーチェとは色々と話さなければならないことが多いのだ。

 こんなデレデレモードに付き合っている暇はない。

 シュテルは意を決すると真剣な声で、ディアーチェに問いかける。

 彼女と過ごしてきたシュテルは、無視できないほどに気がかりなことがあるのだ。

 

「ディアーチェ。私はひとつ気になる事がありまして、問い詰めさせていただきたいのですが。あぁ、別にディアーチェが考えている想いを聞きたい訳ではありませんから。話とは別のことなのです」

 

「………」

 

 ディアーチェはシュテルの問いに答えない。

 ただ、ゆったりと布団から起き上がると、シュテルに向き合うように座り込んだ。

 臣下の話はちゃんと聞いているという態度の表れだろう。

 そのまま、無言で続きを促した。

 

「単刀直入に聞きますが、どうしてディアーチェは眠らないのですか? 

我々マテリアルは睡眠を必要とはしませんが、人間だったころの生活リズムは大切だと貴女も存じている筈ですよ?」

 

 そう、ディアーチェはシュテルの前で一睡もしたことがないのだ。

 シュテルが寝たふりをして夜を明かしてもディアーチェが眠っている様子はなかった。

 そのことがシュテルは心配でたまらない。

 何か親友はとんでもないことを隠しているのではないだろうか? 

 

「ディアーチェ、無理に聞こうとは思いませんが、私もアスカと同じような考えなのです。悩みがあるのなら私が相談に乗ります。秘密にしたいのならば誰にも話さず、胸の内に秘めておくことを約束しましょう」

 

 身を乗り出さんばかりの勢いで問いかけるシュテルの勢いに押されてか、あるいは、どこまでも真剣で、本当に心配しているシュテルの態度に心を揺り動かされたのかは分からないが、ディアーチェはポツリと呟いた。

 

「悪夢だ……」

 

「……なんですか?」

 

「眠るとな、決まってあの日の悪夢を見せられるのだ……眠っている間に心を闇に食われてしまうと思うと、な……」

 

「それは、どういう……」

 

「すまないが、一人にしてくれシュテル。夜風にあたりたい。」

 

「あっ! ディアーチェ!!」

 

 今にも消えてしまいそうなディアーチェの声は不安の感情を含んでいたのがシュテルには分かった。もしかすると、ディアーチェらしくない照れる態度は不安を忘れていたのかもしれない。そう考えると、悪いことをしたとシュテルは思う。

 

 そして、シュテルはとぼとぼと去っていくディアーチェの背中を追うことができなかった。

 背中にあるのは明確な拒絶の意思で、追いかければはっきりとした意志で制止されるだろう。来るなッ!! と。

 力になってやれないことが悔しくて、自分の無力さが苛立たしくて、シュテルは歯噛みする。

 強く。強く。歯が割れてしまうんじゃないかと思えるくらいに。

 

 こうして起きていても仕方ない。シュテルは眠らない王を支えるためにも、万全を期すためにも、睡眠をとって休むことにした。

 

(こんなとき、どうすれば良いのかわからない自分が憎いっ!!)

 

 力になれない不甲斐なさに、心の涙を流しながら。

 

◇ ◇ ◇

 

 天然の洞窟内から出てきたディアーチェは歯ぎしりしながら、思いっ切り壁を拳で打ちつけた。

 右手からは血が流れ、皮膚が赤く染まっていたが気にする余裕はない。

 感じる痛みが激情を抑えてくれる。

 

 シュテルやアスカがああ言ってくれたことが、ディアーチェは心底嬉しかった。

 友達として過ごしてきた時間は圧倒的に少ないのに、親身になってくれたことが、どれほど嬉しかったことか。

 けれど、彼女たちの想いに答えられるわけがないのだ。

 

(応えられるものかッ!! 我とユーリが闇の書の闇に徐々に食われて消えることを。闇の書の闇が生きていて、その呪いから抜け出す方法など、とうに消えてしまったことなど……何と言えばよいのだ!!)

 

 そう、ディアーチェの身体は死に瀕していたのだ。

 闇の書の呪いで足から麻痺が進んでいた『八神はやて』だった頃と状況は何にも変わってなどいない。むしろ、前よりも酷いのだ。

 ディアーチェは己の身体が徐々に蝕まれていることを、ひしひしと感じていた。心が……魂とも言えるソレはやすりで削り取るかのように、だんだんと擦り減っていく。そして、心が欠けていくと身体も同じようにボロボロになっていった。

 身体の動かない部分を精神力で補い、無理やり動かす。そして、尊大な態度を常に取ることで、他のみんなにばれない様に振る舞っているのだが、はたして、いつまで持つのだろうか?

 

 眠れば、闇の書の闇が悪夢を見せてくる。起きていても、弱みを見せれば心の隙間からにじみ出るようにディアーチェを精神的に浸食してくる。

 ゆっくりと身体を休めることも出来ず、ディアーチェは戦い続ける。己の内側に潜む敵と。

 

 その正体は歴代の主を喰らってきた闇そのものだ。

 

 最後の闇の書の主であった『八神はやて』を、永劫の闇に囚われていない『はやて』を歴代の主と同じ末路に陥れようと、存在そのものを喰らいつくさんと闇の深淵から手を伸ばしてくる恐るべき闇。

 尊い管制プログラムの犠牲によって滅ぼしたはずだが、欠片が生きていたらしい。ディアーチェの体感時間で、この世界に復活する数年前。内に潜む闇に気が付いたのだが、どうしようもなかった。自身のリンカーコアに病巣のように憑りついていて、どうすることも出来ないのだ。

 

――苦しい、辛い、誰か■■■て……

 

「ッ――!!」

 

 思わず呟いてしまいそうになった言葉を、ディアーチェは辛うじて飲み込んだ。

 それは言ってはならない言葉だ。自身の運命に親友達を巻き込んで死なせ、大切な家族でもあった守護騎士たちの覚悟と想いを知ろうともせずに、生きることを諦めて死のうとしていたディアーチェに、そんな言葉を言う資格はない。

 

 己を戒めるように、血が滲むほど唇を噛み締め、両手を強く握る。

 

「我は……罪深き罪人なのだ。生きる資格も、幸せになる権利もない。けれど……」

 

 だが、滅ぶべき運命だとしても、赦されざる罪人だとしてもディアーチェは死ぬわけにはいかなかった。己の贖罪を果たさなければならないからだ。

 

「あと少しだけでも持ちこたえてほしい。巻き込んでしまった四人の友達に人生を返せるだけ返したいから……」

 

 再び死んでしまう前に、浸食されて新たな闇の書の悲劇を生み出す前に、罪を償い自滅すること。それが、今のディアーチェの本当の目的だった。復讐なんて本当はどうでもいいのだ。グレアムからは"真実"と"犠牲者"の想いを聞きたいだけ。

 

「だから、もう少しだけ耐えてな? 私の身体。もうちょっとだけ、生きていて欲しい」

 

 痛む身体を押さえ、夜空に輝く星々を見ながらディアーチェは静かに呟くのだった。

 

 



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〇襲いくる悪夢

少し残酷な描写があるので注意。
一応、警告しときます。


 海鳴市にある自宅の道場にて、シュテルは男と戦っていた。

 身体に攻撃をぶつけ合う打撃の音が道場に響き渡り、静かな道場の雰囲気と相まって、大きな音に聞こえる。 

 

 シュテルは心の内に怒りを秘めながらも、冷静に相手の攻撃を素手で往なしていた。

 拳による鳩尾を狙った打突を右手の掌打によって、相手の腕の側面を叩くことで攻撃を逸らし、連撃による顎を狙った掌底打を相手の懐に潜り込むことによって交わす。その際に素早い動きで、相手の急所。わき腹や腋の下に掌底、指突を軽く加わえることも忘れない。

 

 シュテルと相手はすれ違うように距離を取ると、そのまま向き直って、再び油断なく対峙した。

 

 シュテルのほうは、まったくと言ってよいほど息が乱れておらず、むしろ身体がちょうど良いあんばいに温まってきて調子が良い。

 対する相手。無駄のない筋肉、丹精に鍛え抜かれた身体を持つ男性の方は息が上がり、鈍痛に苦しんでいた。顔色も悪く、目の下に濃い隈ができていて、側から見れば死人のようである。

 

「そろそろ、おやめになられてはどうですか"父上"。それにずいぶんと顔色が優れぬようですが?」

 

 馬鹿にしたようにシュテルは言葉を紡ぐ。いや、実際にシュテルは父と呼んだ男を馬鹿にしていた。シュテル自身に言っていた言葉を自ら実践せず、むやみやたらと突っかかってくる男にどうして敬愛など抱くことができようか。いや、できはしない。

 さきほどの攻防もそうだ。シュテルの父親は"白兵戦をする際には、むやみに急所を狙わず浅く何度も何度も同じ個所に攻撃を続けろ"そう常々、シュテルに教えていた。

 それを、この男はどうだ? あからさまに急所を狙った大振りな攻撃。フェイントすら交えない単調な連撃。あまつさえ、すれ違いざまに気づかれぬよう、素早く急所に攻撃を叩き込んですらしない。

 

 この男が、不破士郎が本気になればシュテルを指一本触れさせず、完膚なきまでに叩き潰すなど造作もないというのに……

 

 だが、仕方のない事なのかもしれない。この男はしょせん偽者だ。

 戦ってみて、直に拳を打撃を交わして確信した。

 

「ゼェ…ゼェ…まだだ、『なのは』。お前は甘さを捨てきれていないだろう!? どうした? 早く敵に止めを刺せ! 敵を殺すことが不破流の極意だ。甘さを捨てろ!!」

 

「お言葉ですが父上。不破流の極意とは、敵に気づかれずに相手を抹殺すること。このような格闘遊戯ではないのですが? もう一度、基礎からやり直しては?」

 

「ほざけッ! 未熟者がっ!!」

 

「……話になりませんね」

 

 シュテルの挑発に偽物の士郎は、腰を落として突撃して来る。やはり、狙いはシュテルの急所。愚直なまでに分かりやすい。相手の視線を見れば、どこを狙ってくるのか見極めるのは容易かった。

 

 シュテルは身体を半歩退かせると、利き手の左腕を引いて士郎の攻撃を待ち構え、指を折り曲げて、いつでも掌底を放てるようにする。

 偽物の士郎が狙ったのはシュテルの頭だ。素早く近づく身のこなし、放たれる攻撃速度は常人には見破れないが、幼い頃から親兄妹に地獄のような訓練を叩き込まれたシュテルには遅く見える。

 ましてや、幾度に渡る攻防で苛烈な連撃を続け、すれ違いざまにカウンターで打撃を受け続けた士郎の動きは鈍い。

 決着はすぐに付いた。

 

「かはッ……」

 

「………」

 

 繰り出された士郎のこめかみを狙った拳による一撃。それを小さく屈むことで避けたシュテルは、思いっ切り相手の懐に踏み込んで、心臓に掌底打を打ち込んでいた。左足を震脚で踏み込み練り上げられた力を一点に集中。腰から左腕へと伝わった力を相手に叩き込む。

 

 その破壊力は凄まじく、相手の力を利用してぶつけたことで、士郎の左胸の肋骨を叩き折り、鼓動を停止させるにまで至った。

 

 口から血を吹き出してシュテルに倒れ込む士郎。肺に折れた肋骨が刺さって吐血したのだろう。

 

 衝撃を裏側に徹す、御神流・徹と呼ばれる技だが、未熟故に無駄な破壊力を発揮してしまったようだ。本来ならば心停止させるだけで肋骨を叩き折ったりはしないのだが……少しだけシュテルに罪悪感が湧き上がる。

 シュテルは倒れ込む士郎の身体を受けとめると、優しくいたわるように道場の床に横たえた。たとえ、偽者とはいえ彼は紛れもなくシュテルの父親。理のマテリアルとなって冷静な性格になったとしても、何も感じなかった訳ではない。

 

 心の内から湧き上がってくるのは純粋な怒り。

 悪趣味な夢を見せた存在に対する憎悪にも似た怒りだった。

 

「まったく、胸糞悪い夢を見せられたものです」

 

 シュテルはディアーチェの想いを聞けずに、力になれなかった自分の情けなさを嘆きながら眠りについたはずだった。

 だが、次に目覚めた時。彼女がいたのは自分のの部屋だったのだ。殺風景で、女の子らしいぬいぐるみや、小物といった物が存在せず、勉強する机と寝るためのベット。着替えを入れたタンスやクローゼットだけの寂しい部屋。

 決定的なのは朝の鍛錬の為に、シュテルを叩き起こした父親の存在だ。いつも通りの憔悴しきった顔で、シュテルを鍛錬の為に道場に連れ出した。

 

 シュテルは、そこで気が付いたのである。ここが夢なのではないか? と。

 

 厳格な父親であった不破士郎とはいえ、娘であるシュテルを心配しなかった訳ではない。さりげなく体調を気遣ってくれたし、シュテルが病気で寝込んだときは看病してくれるくらいだ。どこかで娘であるシュテルを大切にしてくれていた。

 

 しかし、この偽物の士郎は心配すらしなかった。普通、娘の事が心配なら何日、何か月かは知らないが行方不明になったシュテルの身を案じてくれるはず。けれども、その兆候すらなかった。

 

 質問してみても「何のことだ? 鍛錬に集中しろ」という始末。

 仕方なく不破流暗殺術の鍛錬を怠っていた勘を取り戻すために付き合ってみれば、この様だ。

 

 まるで、人の神経を逆なでするような言動。極めつけに実の父親を殺させるという悪趣味な演出。

 

 こんなものを見せられ、体感させられては、さすがのシュテルも怒り狂わざるを得ない。

 

 偽物の士郎の身体が光の粒となって霧散していく。続いて道場に入ってきたのは姉の不破美由希。彼女は消えていく不破士郎の姿を見て、次にシュテルに目をやって叫んだ。

 

「『なのは』……っ! どうして、父さんを殺したッ!! お前もあいつ等と同じように私から奪うというのっ!?」

 

「うるさい……」

 

 シュテルを弾劾するようにヒステリックに叫ぶ姉の言葉を聞いて、シュテルから微かな温和の気配が消える。代わりに発せられるのは濃密な殺気。人を殺すための鍛錬を続け、自己防衛とはいえ人を殺めたこともある彼女の殺気は氷のように冷たい。

 絶対零度とも言えるようなうすら寒い死の気配が、道場を包んだ。

 

――これ以上、私のトラウマを刺激しないで……

 

 そんな想いがシュテルの心から浮かび上がるが、口から発せられたのは侮蔑の言葉。実の姉に向けるような言葉ではない。

 

「黙れっ贋者(フェイク)が。お前の言葉など聞きたくもない……」

 

「ひっ……」

 

 妹であるシュテルの蔑むような視線を受けてか、強烈な死の気配に充てられたのか、偽者の美由希は息を呑んで立ち尽くすしかなかった。

 シュテルは、黒い袴と胴着姿からセットアップすると、紅いラインが散りばめられた漆黒のバリアジャケットに身を包んだ。左手には己の相棒たるレイジングハートを模したデバイス。ルシフェリオンハートがいつの間にか握られている。

 それを、躊躇なく偽者の美由希に向ける。朱色の魔力光が杖の先端に収束していき、紅い太陽が形成されると、次の瞬間には破壊の光線が炎を伴って偽者を消し飛ばしていた。

 シュテルは……家族を消した事に今度は何の感慨すらわかなかった。

 

 この世界は夢なのだから。

 なら、この頬を流れる滴はなんだろうか?

 シュテルには分からなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 あれから砲撃によって偽物の美由希を消し去ったシュテルだが、その砲撃によって夢の世界が壊れてしまい、何故か目が覚めるわけでもなく何もない漆黒の世界に身を漂わせていた。

 

 そもそも、自分の人生はどこから狂い始めたのだと、何もない真っ暗闇の空間に身を漂わせながら、シュテルは考える。

 普段なら過去に想いを馳せることなどしないシュテルだが、自分の嫌な過去を鮮明に見せられたとあっては、過去を振り替えざるを得ない。誰だって嫌なモノに蓋をしていても、きっかけがあれば思い出してしまうのだから。

 シュテルは忌まわしい過去の記憶へと手を伸ばし、それを見て彼女の心に陰りが差していく。

 

(そう……私の、世界が狂い始めたのは、お母さんが……)

 

――母である高町桃子がイナクナッタカラ。

 

 ある雨の日、幼い頃の記憶に残る、棺に容れられた白い肌をした母。謝りながら泣き叫ぶ父親。泣きながら歯ぎしりする姉。『なのは』を優しく抱きしめ続ける兄。そして、その様子を無表情で、たぶん、呆けてどこか実感がわかない様子で見ていた『なのは』

 

 その日から、高町家は不破家になった。

 

 しばらくして、父親は運動が不得意な『なのは』に身を護る術を、不破流暗殺術を教え始めた。

 護るための御神流ではなく、殺すための裏御神を。すなわち不破流暗殺術を叩き込んだ理由は分からない。もしかすると、『なのは』を暗殺者にしたてあげ、復讐の道具にしたかったのだろうか?

 その理由は、実の父である不破士郎に聞いてみたいとシュテルは思う。

 

 姉である不破美由希は何処かへと出かけるようになり、あまり家に帰ってこなくなった。

 あれほど仲が良かった『なのは』とは、口も利かなくなり冷たくなった様子は、シュテルの記憶に残っている。

 たまに家に帰ったかと思えば、士郎と何かを話していたようだが、シュテルには詳しくは分からない。ただ、盗み聞いた内容から姉は母の復讐の為にテロ組織を潰しているらしかった。

 

 そこで、『なのは』は実の母が殺されたことを知った。

 

 『なのは』は美由希が嫌いではないが苦手だ。むせかえるようなナニカの濃い匂いは、今思えば血の臭いだったと思う。

 それは、姉が風呂に入っても落ちることはなくて、思わず『なのは』は美由希とすれ違うたびに、顔を背けていた。美由希も『なのは』と顔を合わせようとしなかった。

 ただ、美由希が『なのは』の顔を見るたびに、悲しそうな辛そうな表情をしていたのを、おぼろげながらも覚えている。

 それが、何だったのか結局は分からずじまい……

 

(嗚呼、思い出してみれば、私には嫌な記憶しかありませんね……私の手はすでに赤く血で染まっていて、罪深い。そんな人間が……どうして他人を救えるのでしょうか………)

 

 思い出しても、思い出しても、嫌な記憶、悲しい思い出しか頭に浮かんでこない。いっそのこと消えてしまいたいとシュテルは願う。こんな自分は大嫌いで■を■したシュテルを見れば、きっと蔑むような眼で見つめるだろう。シュテルの後ろめたい過去を弾劾するだろう。

 きっと、数少ない親友のレヴィも、アスカも、ナハトも、ディアーチェも離れていくに違いない。

 

 だんだん、心が枯れていく。なぜかは分からないが、暗い気持ちなってしまう。いっそのこと………

 

(私なんて、ここで消え――)

 

――けれど、それだけではなかったでしょう? 思い出してみて

 

(……?)

 

 不意に、とても優しい声が聞こえてきて、思わずシュテルは辺りを見渡すが、何もない闇が映るだけで誰もいない。

 それでも確かに聞こえた。幻聴などではなく、はっきりと鈴の音のような優しい声。

 

 不思議な声だ。心に染み入るように響いた声は、まるで日の光のように暖かくて、心地よい。

 いつの間にか、シュテルの心から暗い陰りが消え、霞が掛かっていたかのように、思い出せなかった優しい記憶がよみがえる。

 

 唯一、兄である不破恭也だけは変わらず、優しい笑顔で『なのは』と接し続けてくれたのは良く覚えている。

 不破の修行が終わったとき、運動が苦手で修行もまともに身に付かなくて、士郎に怒鳴られ泣いていた『なのは』を慰めてくれたのは、いつも恭也だったのだ。だから、『なのは』は優しい兄である恭也が一番好きでたまらなかった。

 暗殺拳である不破流を加減できるようになったのも、秘密裏に兄から教わったため。そして、不破流とちがって不慣れだが、護るための御神の技を使えるのも、恭也のおかげだ。狂い始めた家族の中で、壊れなかったのも、きっと優しい兄が側にいたから。

 

 それだけじゃない、恭也の婚約者である忍さんは何かと『なのは』に構ってくれて面倒を見てくれた。

 

 『なのは』から見てもとびっきりの美少女でとっても優しい女の子。月村すずかと、アリサ・バニングスは初めての友達になってくれた。

 

 『なのは』はこんな自分でも、友達ができたことを喜んで、思い切って士郎に話したら、父は微笑んで頭をなでてくれた。

 

 冷たい態度を取るようになった姉は、誕生日の日だけはぶっきらぼうながらも、『なのは』を祝ってくれた。どこから買ってきたのか分からない、インドの魔除けやら、由緒ある教会の十字架やら、意味不明なプレゼントばかりで不満だったが、きっとお守り代わりのつもりだったんだろう。

 

 それから魔法と出会って、人を殺す技術しか能のない自分でも、魔法なら誰かの役に立てると思った。ユーノ・スクライアと出会いジュエルシード集めをしたとき、その想いは顕著になった。

 

 他人から見れば誰もが不幸な人生と哀れむかもしれないが、シュテルにとっては少なくとも悪い人生ではなかったし、少なからず良いことだってあった。おかげで、最高の親友と会うことができたのだから。

 

「私としたことが、らしくもなくウジウジと悩んでしまいました」

 

 もはや、シュテルには先程までとは違い、暗い陰りは一切なく。その顔は決意に満ちて、瞳には強い意志を再び灯していた。

 いつの間にか、シュテルは覚めない悪夢に囚われていたらしい。心の弱みに付け込まれ、だんだんと絶望の闇に引きずり込まれていたことを自覚すると、シュテルは己の未熟さを内心で恥じる。

 

――このように自分が無様では、いったい誰が救えるというのでしょうか。己を救えない者に他者を救うことなど出来はしないというのに。

 

 決意に満ちたシュテルは新たな想いをその身に宿す。

 一度目は親友と共に救いたかった人を救えなかった。二度目も結局は間違った道を歩んでしまい、あまつさえシュテルも親友も死んだ。

 ならば、三度目は必ず救いたいと思う。そのためには復讐に燃える二人の親友を救い、ディアーチェの悩みを取り除き、背負わせてしまった親友を殺めてしまったという彼女の罪悪感を共に背負う必要がある。そして、本当の意味でディアーチェを救う。

 だから、アスカの想いを聞けたのは行幸だった。まずは皆で想いを明かして、それからひとつひとつ困難に立ち向かっていけば良いのだ。皆で。

 すべてが、終わったら皆で静かで平和に――

 

「まずは、ここが何処なのか? それを探る必要がありますね。もしかすると、他の皆も悪夢を見ているかもしれませんし。ディアーチェが言っていたのはこのことでしょうか?」

 

 水の中を泳ぐような感覚で、シュテルは考えを巡らせながら、何もない闇の空間を移動する。

 ふと、思うのは先程聞こえた声だ。あの優しくて暖かい声をシュテルは聞いたこともないが、不思議と心の内で受け入れてしまっている自分がいる。見ず知らずの人間は、まず、疑うことが第一のシュテルが、だ。

 

(あのとても優しい声の主には礼を言わなければなりません。あれがなければ私は心が壊れていた)

 

――誰かは分かりませんが、助けてくれて、その、アリガトウ。

 

 呟いたシュテルの恥ずかしげな呟き、聞こえているかは分からないお礼の言葉。

 それを、聞いたシュテルを眺める紅と翡翠のオッドアイを持つ少女は、クスリと微笑むのだった。 

 

◇ ◇ ◇ 

 

 ここはいったい何処なのだろうか?

 いや、景色だけ見れば、間違いなく日本の海鳴市だという事が分かる。それでも、異様に不気味な雰囲気に、ナハトは生まれ変わってから機敏になった体を震わせた。

 明日に備えて、レヴィやアスカと眠りについたはずだから、自分が見ている夢の世界だと思うが、それにしたって妙にリアル。

 

 刺すような寒さを感じる。冬だろうか? 

 

 夢の世界だからなのか人の気配はない。そもそも人が見当たらない。

 青いはずの空は分厚い雲に覆われていて灰色。多少は明るいので夜ではないだろうが、今の時間が何時なのか分からない。

 そもそも、本当に時間が流れているのかも怪しい世界に、ナハトは段々と不安になってくる。

 人前ではお淑やかで清楚なイメージが強いナハトだが、それは人前で過ごすための仮面に過ぎない。本当は臆病で怖がりで、内心ではいつも恐れているのだ。人間という存在を。

 

 ナハトは人とはちょっと違う生き物だ。姿形は限りなく人間なのだが、遺伝子レベルで決定的な違いがある。

 彼女は夜の一族と呼ばれる種族の末裔だった。人と比べて三倍近い寿命を持ち、人間を遥かに凌駕する圧倒的な身体能力に、同じ年ごろの子供と比べて聡明な頭脳を持つのが、その証拠。代わりに生きるために人間の血を必要とするデメリットがあるが、二つのアドバンテージと比べれば些末な問題だった。

 そこだけを見れば、人間という種族を淘汰して夜の一族が世界の覇権を握っただろう。新人類が旧人類を駆逐して支配したように。

 

 夜の一族の致命的な欠点は、人間と比べて繁殖率が異様に低い事だった。一応、発情期と呼ばれる子を宿しやすい時期は訪れるのだが、それを持ってしても人間の繁殖力には敵わない。数で劣る夜の一族は迫害を恐れて、人の世に紛れひっそりと暮らすようになる。

 

 ナハトは個人レベルで人間の事が好きだ。自分たちと何ら変わりのない彼らとの生活は、ナハトが夜の一族であるということを忘れてしまうくらいに楽しかった。

 けれど、種族として人間を見ればナハトは、心底人間の事が恐ろしかった。同じ同族であっても異端と見れば排除し、迫害してしまうのが人間だ。そんな彼らに夜の一族という圧倒的な異端であるナハトの正体がばれれば……最悪、殺されれしまうだろう。そうでなくても、今の生活を捨てて迫害される日々が来るのは目に見えている。

 

 本当は。ナハトは全てを打ち明けても受け入れてくれる人を望んでいた。姉である月村忍は最愛の伴侶たる不破恭也を得たように、ナハトも全てを受け入れてくれる人が欲しいのだ。そうすれば、少しは怯えなくても済む。受け入れてくれる人が一人でもいれば心は楽になるだろう。

 

 だから、アスカがああ言ってくれてナハトは少しだけ希望が持てた。裏世界を知らない普通の女の子であるアスカが、ナハトの正体を受け入れてくれたらそれだけでナハトは絶望せずに生きていられる。だが、もしも嫌われたのならば、ナハトは正気を保てない。

 大げさかもしれないが、それだけナハトにとって迫害されること、嫌われること、恐れられることは死活問題なのだ。

 

 ナハトは恐怖と不安と微かな希望を胸に抱きながら、海鳴市の商店街を歩いている。懐かしい景色。もしも、不気味な雰囲気などなく人で賑わっていたのならば素直に楽しんでいたが、無人の商店街は寂しさを通り越して、恐怖を感じる。

 両手を胸に抱きながら彷徨うように歩いていたナハトだったが、大通りの外れ、路地裏のほうに人の気配を感じて立ち止まる。夜の一族だったとき以上に機敏になった五感でなければ分からないほど、その気配は弱々しいが、誰かいるのは確かだ。

 ナハトは恐る恐るといった様子で、ゆっくりと気配のある方へ進んでいく。感じるのは微かな息遣いと、濃い血の臭いだ。恐らく怪我をしている。

 

「ッ――」

 

 そのことに気が付いた彼女は全力で気配の場所へ向かうと、信じられない人物が路地裏の壁に倒れ込んでいた。

 思わず息を呑み、目を見開くナハト。ナハトと同じ紫の掛かった蒼い長髪に、海のように澄んだ青色の瞳を持つ彼女は……

 

「おねぇ…ちゃん…?」

 

 見間違えるはずもない、彼女はナハトの姉。生前、『月村すずか』だったナハトの大切な姉妹。月村忍その人だったのだから。

 

 忍の格好は酷い有様だった。右足の腱に深い裂傷があって、鋭い刃物で切られたかのように鮮やかだ。これでは歩くことすらままならないだろう。両手や腹、胸といった部分にも大なり小なり切り傷が見られる。呼吸がおかしいのは肋骨を折られたからか、そうなると服の下に隠れて打撲の跡もあるかもしれない。

 右手で押さえられたわき腹からは出血を押さえられずに血があふれ出しており、そこからナハトは火薬の臭いを嗅ぎ取った。恐らく銃創による傷だ。誰かに撃たれたのは確実だった。

 

 ナハトの冷静な部分がこう告げている。"この傷では忍お姉ちゃんは助からない"

 そんなことはないと、ナハトは必死に頭を振って否定した。唯一の肉親なのだ。血を分け合い支え合った家族なのだ。大好きな忍が死ぬことはないと、ナハトは想いこんだ。助かる方法があるはずだと。

 

(そうだっ! この力なら)

 

 そこで、ナハトは閃いた。まるで天啓の如く。そう、ナハトには姉を救う力があるじゃないか、魔法という奇跡を起こしてしまう力が!!

 急いで忍の側に駆け寄って魔法を行使するナハト。治癒魔法はシュテルのほうが得意だが、ナハトも出来ないわけじゃない。親友の四人を助けるために、あの砂漠で一生懸命練習したのだから。きっと練習の成果が現れて姉を救うことができる。

 ナハトの足元に蒼色のベルカ式魔法陣が展開され、特徴的な三角形が回転を始める。

 

 両手を忍のあちこちにある傷口に押し当てると、暖かな蒼色の光が輝いて、傷口を見る見る内に修復していく。そして、怪我が回復していくうちに、忍の顔色もだんだんと良くなっていった。

 

――これなら、お姉ちゃんを救うことができる!!

 

 ナハトは思わず姉を救えたことに喜色の表情を浮かべた。姉を救えたことを証明するかのように忍の虚ろだった瞳に生気が宿った気がする。そして。

 忍はどこかボーっとした様子でナハトを見ていたが、彼女が誰なのか朦朧とする意識の中で理解すると、驚いたように目を見開いた。だが、再び会えた喜びの方が勝ったらしく、すぐに微笑みを浮かべてナハトを"すずか"を弱々しくも力強く抱きしめる。

 

「痛いよ……お姉ちゃん」

 

「バカね……心配したんだから、"すずか"が行方不明になって、ホントに、心配したん、だから」

 

「うん……うんっ!!」

 

 忍は"すずか"に再び出会えたことが嬉しかったのか、怪我の痛みも構わずに涙声で叫びながら背を叩く。

 それをナハトはされるがままにしていた。彼女も泣いていた。もう会えないと思っていた姉に再開することができて、理由は分からないが大怪我した最愛の姉を救うことができたことが嬉しくて泣いた。

 

 思わずここが不気味な海鳴市で、夢の世界であるということを忘れてしまうくらいに、ナハトは嬉しかったのだ。 

 

 それが、ナハトにとって残酷な結末を見せるとも知らずに。忍を助けたことを後悔してしまうくらいの出来事が起こるとも知らずに。

 

 彼女は、ほんの一瞬だけ全てを忘れてしまっていた。

 



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〇望まない結末 それでも守護騎士はともにいる

 一応、警告を。

 残酷な描写と差別的な描写があります。


 

 それは、突然の、あまりにも理不尽な出来事。理不尽すぎる結末だった。

 

 二人に近づいてくる複数の気配。隠すつもりもなく響き渡る大勢の人間が駆け寄ってくる足音。それを最初に感じ取り聞きつけたのは健全な、ナハトではなく怪我をしている忍のほうで。

 

 忍は現れた人物を怯えたように見つめ、そして自分の胸の内にいる大切な妹をあらん限りの力を使って突き飛ばした。

 

 久しぶりに姉の忍に会えた喜び、姉を救えたことの安心感、心を許せる血を分けた姉妹が側にいることで怠っていた警戒心。それらが重なって油断していたナハトは何もできずに忍の側から突き放されるしかなかった。

 

 怪我人とは思えないほどの力で投げられたように押されたナハトは、路地裏の地面を無様に転がり、何が起きたのか分からず困惑した様子で突き飛ばした自分の姉を見つめる。

 

「おね――」

 

「っあ……『すずか』! 逃げな…さい!」

 

 どうしてこんなことをするのか? そう問おうとしたナハトの声は、忍のなりふり構わないような叫びと共にかき消され、次の瞬間に起こった出来事に完全に言葉を失うしかなかった。

 

 ナハトの狼の耳がブンっという風切音を捉える。それが、何かを投げる際に腕を振るった音だと気付いた時は遅かった。いや、全てが終わっていた。

 

「あっ……」

 

 ナハトの目の前で忍が腕を伸ばしたまま死んでいた。左胸、ちょうど心臓を捉える位置に小刀が突き刺さり、彼女の命を絶っていたのだ。その腕を伸ばした姿はナハトを自分が死ぬと分かっていて助けた姿だが、ナハトには助けを求める姿に見えてしまう。

 

 忍は……殺される間際に悲鳴すら上げなかった。それは苦痛の悲鳴を叫ぶことも出来なかったのか、それとも大切な妹に心配を掛けまいと声を押し殺した結果なのか、ナハトには分からない。それでも思うのはもっと話したかったという想い。

 

 そもそも、ナハトにはどうしてこうなったのか分からない。理解したくもない。頭のなかが混乱していて、思考はグチャグチャで何が起きたのかさっぱり分からない。本当にどうしてこうなったのだ? 姉が悪い事をしたのか? どうして姉は怪我を……

 

 怪我を? そうだ。どうして姉は怪我をしていたのだ? あれは事故に遭って負うような怪我ではない。誰かに意図的に襲い傷つけた痕だ。誰かが悪意を持って姉を殺そうと追いつめ、そして今、彼女を殺した。ナハトから大切な人を奪った。

 

「よくも…よくも…お姉ちゃんをッ!!」

 

 その考えに至ったとき。ナハトの心から姉の悲しみを上書きして凌駕する感情が湧き上がる。ナハトを、大切な親友を、月村家が護ると誓った町の人々を、夜の一族の事情を知って密かに受け入れてくれた病院の人々を、それらを奪った時空管理局に抱いている圧倒的な感情。

 

 すなわち、憎しみという人間のもっとも強い感情。それがナハトの心を支配した。

 

 ナハトは立ち上がり、姉を殺したニンゲンを殺意を込めて睨みつける。頭に血が上り、何も考えられなくなる。いや、ただ殺すという一点のみに思考は支配されていた。

 頭も心も憎しみでいっぱいになれば、身体もそれに応えるように反応した。狼の尻尾と獣の耳は感情を表すかのように逆立ち、顔の表情は悪鬼羅刹のような恐ろしい顔に変貌する。身体中に力が溢れて止まらない。

 

 姉を殺したニンゲンの正体も、動機も、この際はどうでもいい。今は殺す。ただ殺す。憎いやつを全部殺す。

 ナハトの全てが憎しみと殺意に支配された時。彼女の身体は否応がなしに、姉を殺したニンゲンに向けて獣のように突進していた。

 

「ガアアアアアアァァァァァッ!!!」

 

 彼女の口から絞り出されるのは獣の咆哮。

 瞳は夜の一族が力を発揮した時のように赤い。違う、それよりもさらに紅く、まるで血のように鮮やかだ。

 身を地面すれすれまで低くして大地を駆け抜けて疾走する姿はまさに獣。血に飢えた獣。人を、動物を、動くものを無差別に殺す狂い獣。

 

――今は、この身に流れる忌々しい一族の血も、授かりし守護獣の力も全て殺す力に変えよう。ただ、何も考えずに憎しみに任せて殺してしまおう。

 

 ナハトが考えていることは殺すことだけ、身体中から溢れんばかりの殺意に、憎しみに身を任せて。殺すべきニンゲンに異様に鋭い爪を振り降ろす。

 

 常人ならば論外。格闘技の達人でも、武術の達人でも、今のナハトの一撃を防ぐどころか反応すらできずに切り裂かれるだろう。下手すれば身体が引き千切れてバラバラにされるような一撃。今のナハトにはそれだけの力が発揮されていた。

 

「グッ、ガッ!?」

 

 だが、どういう事だろうか? そんな恐るべき必殺の一撃を忍を殺した相手は難なくいなした。

 ナハトは気が付けば男の反対方向。海鳴商店街の大通りへと投げられ、すれ違いざまに胸から腹にかけて袈裟懸けに斬られていたのだ。

 痛みはない。そんなもの既に超越していて何も感じない。ただ、切られた部分が無性に熱くてたまらないのは確か。

 

 ナハトは、自分があっけなく投げられたのは驚いたが、冷静な部分では先程の光景がスローモーションで繰り返される。

 

 何のことはない。相手はナハトが懐に入り込んだ瞬間、逆にナハトに近づいて黒いドレスの襟首を掴み、そのまま投げて、すれ違いざまに手にした小太刀で切り裂いただけに過ぎない。相手がナハトを凌駕する人間だったということだけだ。

 

 そんなことができそうな人間は少ない。まして、小太刀という特徴的すぎる武器と相手の身のこなし。そこから割り出される人間はナハトの記憶の中で四人だ。体格を考慮すれば二人。

 

 けれど、ナハトはその真実を認めたくなかった。

 でも、本当は最初に気が付いていたのかもしれない。姉の鮮やかすぎる切り傷と、止めを刺した時に飛来した凶器の小刀。そこで思い当たる節はあったのだから。

 

「どうして、ですか……?」

 

 仰向けに倒れていた身体をゆっくりと右手で支えながら半身を起こし、左手で切られた傷を押さえる。幸い、切り傷は浅く皮膚が切り裂かれただけだ。

 ただ、顔をあげてナハトが相対する人物を見上げた時。彼女の当たってほしくない考えは、残酷な現実となってしまう。

 そこに立っていたのは黒い装飾に身を包んだ不破恭也。

 親友であるシュテルの兄にして、月村忍の婚約者その人だったのだから。

 

「どうして俺が忍を殺したのか知りたいか『すずか』? それはな、お前たち夜の一族が、あの日。病院の人々を根こそぎさらって食べてしまったからだ。『なのは』を奪ったお前たちに対する復讐。だから、婚約者といえども忍は殺した。あらん限りの恐怖と苦痛を与えてな」

 

 淡々と他人事のように語る恭也の声は静かで、ナハトはそれが怖くてたまらない。何の感情を表さない。そうじゃない、よく見れば彼の瞳は汚泥がたまったかのようにどす黒い感情が秘められているじゃないか。ナハトと違って押し殺された同じ感情。相手を殺すという憎しみが。

 

 いつの間にかナハトの中から殺意と憎しみは消え、跡形もなく霧散していた。あるのは心から湧き上がる恐怖と怯え。恐れていた未来を目の当たりにした彼女は幼い身体を震わしていた。

 

(怖い…恭也さんが何を考えているのか、何をいるのか、分からない。怖いよ。震えが止まらないよ……)

 

 そんなナハトの様子に気づいているのか、いないのか、恭也は怯えるナハトを見下ろしながら言葉を紡ぐ。信じられないような真実を。

 

「だが、お前の姿を見て納得したよすずか。そんな化け物に変わり果てていれば、さぞ血が欲しくてたまらないだろう? 血に飢えていて我慢できないだろう。あの事件からお前は姿を消して、忍は俺に対してぎこちなくなったが、あの態度は俺に真実を知られるのを恐れていたからだろうな」

 

「違う……私、そんなこと、してない……人の生き血をむさぼったり、しない」

 

「ハッ、笑わせるな化け物が。じゃあ、俺に向けた殺意はなんだ? あの獣のような咆哮は? その耳と尻尾はなんだッ!? 誰がどう見ても化け物だろうがッ!! そうやって欲望に身を任せてお前は『なのは』を喰った!! 可哀想に……『なのはぁ』…怖かったろうに、裏切られて悲しかったろうに……それを、お前はッ、踏みにじった!! 忘れたとは言わせんぞッ!!」

 

「わた、わたし、そんな…こと、しません!! 絶対になにか、なにかの嘘ですっ!! 性質の悪い冗談!!」

 

「お前が何と言おうと構わんさ、嘘つきめ。これが証拠だ」

 

 蔑むような視線。軽蔑するような眼差し。口から吐き出されるのは怨嗟に満ちた叫び。ナハトが恭也の言葉を否定しても、ますます瞳の冷たさが増すだけだった。

 

 そんな彼がナハトの足元に投げ捨てたのは一冊の本。表紙や書かれた内容から、それが日記であることはすぐに分かった。

 問題なのは、日記の持ち主が忍であるという事だけだ。

 

「その日記は忍の部屋から見つけた決定的な証拠だ。最初は己の眼を疑ったさ……最後のページを見てみるがいい」

 

「そ、そんな……ウソ、なにかの、まちがい、だよ……」

 

 日記に書かれていたことは、ナハトにとって驚愕に値するには充分な内容だった。

 

 ある日、すずかが身体に流れる夜の一族の濃すぎる血筋によって、高熱をだし変異したこと。気が付けば彼女は狼の耳と尻尾をはやしていたこと。そして、変異した日からすずかの血の求める渇きが、飢えが強くなったことなど。

 

 極めつけに、血の欲望を満たし飢えから救うために病院の人を夜の一族の一部を使って、誘拐したこと。無関係の人間を、一族の事情を知って受け入れてくれた人々を妹の為に犠牲にしたことが、書かれていた。

 

 もちろん。こんなものはデタラメだとナハトは思うし、彼女は病院で何が起きたのか知っている。

 しかし、それを証明する手段や証拠は存在しない。存在しない以上、この日記が語ることが真実になってしまうだろう。

 それに、もう、手遅れなのだ。だってナハトの、『すずか』の姉は、忍は既に殺されてしまったのだから。もはやどうしようもない。

 

 ナハトには、何が正しくて、何が間違っているのか判断できない。負の感情に満ちた世界。時が止まったかのような灰色の世界。その滲み出る狂気と恐怖、闇にあてられてしまったのか思考が完全に凍り付いている。

 

 いつの間にかナハトの周囲を多くの人々が取り囲んでいて、見渡す限りの人の顔は憎悪に満ちていて、ナハトは身をすくませた。

 

「この化け物が、娘を返せ! あの子の未来を返せ!!」

 

「俺は入院していた爺ちゃんに恩返しがしたかったのに、それを、それをッ……!」

 

「見ろ、あの紅い眼を、獣の耳と尻尾を、口から覗く牙を!! あいつはおとぎ話に出てくる狼そのものだ!! ああやって人に化けて、人を騙して食べてしまうんだ!!」

 

「お母さん、あの人な~に?」

 

「見ちゃいけません! あれは恐ろしい怪物。目を合わせたら食べられてしまうのよ?」

 

「何が、月村家は町の人々を護ります、だ。むしろ、街を害する悪魔じゃないか。この化け物めがっ!! 俺たちの街から出て行けッ!!」

 

――そうだ、そうだ!

 

――いや、いっそのこと殺してしまえ!

 

――でも、どうやって?

 

――こっちには不破家の剣士様がいる。化け物から俺たちを護って、退治してくれる勇者様だぜ? 今も、もう一匹の化け物を殺してくれたじゃねぇか

 

――それに、こいつ一匹ならどうにかなる。あの傷だ。皆でかかれば倒せるぞ。

 

――そうだ。殺してしまえ。

 

――姉と一緒に八つ裂きにして首を晒せ。二度とこんな真似ができないように、他の化け物の見せしめにするんだ!!

 

殺せ、殺せ、ころせ、ころせ、コロセ! コロセ! コロシテシマエ!!

 

 人々は恭也と同じ怨嗟の声を、憎しみの叫びをナハトにぶつける。ナハトには、それが耐えられない。

 怖い、やっぱり人間は恐ろしい生き物だ。早く逃げないと、逃げないと、どうなる? 殺される。いっぱい痛いことされて殺されてしまう。それは、嫌だ。そんなこと……絶対に……いやだ!!

 

「いやぁぁぁぁッ! こないでっ! こっちにこないで!!」

 

 ナハトは人々から向けられる憎悪と殺意に耐えられず、一心不乱に逃げ出した。人の垣根を飛び越え、恐怖に震える身体を必死に動かして逃げる。どこへ? どこでもいいから人間のいない場所に。

 

――逃げたぞ! 追え、絶対に逃がすな!!

 

――うおおおおぉぉぉぉぉ!! コロセ! コロセ!

 

「追いかけてこないでぇぇぇぇ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、赦して……! こんなのいやだよぅっ!!」

 

 ナハトにとって恐れていたことが現実になる。

 彼女は忘れてしまっていた。これが自分の見ている夢だという事を忘れてしまっていた。

 あまりにもリアルで、起こってほしくない事態が立て続けに起きすぎて、現か幻か判断ができなくなってしまったのだ。

 

 今の彼女に出来るのは追いかけてくる悪意に満ちた人々から逃げることだけだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 何時間たったのだろうか? ナハトの体感時間は既に狂っていて、今が昼なのか夜なのかも判断できない。

 あれから、ずっと追いかけてくる人々から逃げ続け、気が付けば海鳴市にある廃ビルのなかにいた。

 

 ナハトの姿は酷い有様だった。目の下には隈ができ、頬は痩せこけて、光を映さない闇を凝縮したような瞳からは、生きる意志が見当たらない。あきらかに彼女は憔悴しきっていた。

 鉄柱のむき出しになった壁。コンクリートの破片や、割れた窓ガラスの破片が散らばる部屋で、ナハトはぐったりと倒れ込む。

 

――くそ、見失った。近くにいるはずだ探し出せ!

 

――絶対に逃がすものかよ!!

 

 ナハトの敏感な獣耳が外から聞こえてくる人々の声を捉えた。まだ、諦めていないようで、なんとしてもナハトを探し出すつもりのようだ。

 見つかる前に逃げ出さなければ、ナハトは殺されてしまうだろう。でも、どうでもいいのかもしれない……ナハトは人々から化け物、怪物と恐れられてしまった。なら、化け物は化け物らしく殺された方が良いのかも、そう思い始めていた。

 

 ナハトの近くで小さな足音が響く。聞こえてくる足音からして、子供なのだろうが、ナハトには逃げる気力も、隠れる体力もない。そのまま、見つかってしまっても構わなかった。

 

「『すずか』? ここにいるの『すずか』? アンタがいなくなって心配したんだから……」

 

「アリサ…ちゃ、ん? アリサちゃん!」

 

 果たして現れたのは、ナハトの親友のアリサ・バニングスだった。でも、おかしい。彼女の身体から感じられる魔力が少ない。アリサの瞳も闇を凝縮したような暗い瞳ではなく、宝石のように輝く青空のような瞳。

 この時点でナハトは、このアリサ・バニングスが偽物だと気が付くべきだったのだが、追いつめられて衰弱している彼女は思考がおぼつかず、現れた希望に手を伸ばしてしまった。それが最悪の、一生のトラウマを刻み付ける罠だとも知らずに。

 

 アリサが『すずか』を見つけて驚きに目を見開いた。その瞳に宿す感情は恐怖で、彼女はおもわず尻餅をついてへたり込む。

 

「アリサちゃん……どうしたの?」

 

 何があったのか分からず、鉛のように重い身体を引きずって、心配したように手を伸ばすナハトだが、帰ってきたのは悪夢のような言葉。

 

「こないで……来ないでよ! バケモノ!!」

 

「…………なん、で?」

 

 今、アリサは何と言ったのだ? ばけもの? もんすたー? 彼女の言っていた暗い過去を全て受け入れるというのは嘘だったのか?

 ああ、しょうがないか。狼の耳と尻尾は、人間にはない。化け物と呼ぶには十分すぎるだろうから。

 そんな考えが、ナハトの心を通り抜けていく。正直……信じられない、認めたくない。

 

「すずか……アンタ、人間じゃないなんて……」

 

「アリサ、ちゃん……ちがう、わた、し、そんなんじゃ……」

 

「来ないで! アンタなんて友達じゃない! 化け物なんて友達じゃない!」

 

 必死にすがろうと伸ばした手を払いのけられた。哀願するように言葉を尽くしても拒絶された。アリサは、そのまま逃げるように何処かへと走り去ってしまう。それはナハトにとって望まない結末だ。訪れてほしくない未来だ。

 

「あっ……あぁ…………」

 

 ナハトは掠れるような声を絞り出しながら、静かに一筋の涙を流す。伸ばして拒絶された手が力なく地面に落ちてしまう。

 たとえ偽物でも、それが現実なのか夢なのか判断ができなくても、大切な人に拒絶されるという行為はナハトの心をバラバラに引き裂いてしまうには充分で、彼女の瞳から生気が完全に消失してしまった。

 

(もういいや……もう、疲れたよ……)

 

――じゃあ、死にたい?

 

 心を閉ざし、世界を認識することをやめたナハトの耳に、頭のなかに、声が聞こえる。無邪気な声。無邪気で残酷な声だ。

 それは、聞いたことのある声で、生きてきた中で一番聞いたことのある声だった。

 そう、自分自身の声だ。

 

(分からない、でも、どうして私は普通じゃないの……? ニンゲンだったら、同じ人間だったら、こんな気持ちにならないのに……)

 

 悲しみに満ちて、悲痛の叫びをあげるように、一人心の中で独白するナハト。

 その独白を聞いて、心の中の声は悪い方向へと、面白おかしそうに導いていく。ナハトの心理をさらに悪い方向へと導いていく。

 

――だったら、余計な部分を引き裂いちゃえばいいんだよ。とっても簡単でしょ? それだけで、人間と同じ姿になれるよ?

 

(いらない部分? それは何…? ねぇ、わたしに教えてよ)

 

――アナタが目を背けているモノ。見たくない部分。ほら、あるじゃない。夜の一族としての特徴を表したような部分が。人間にはないところが。

 

(狼の耳、狼の尻尾、一族の紅い眼と鋭い牙……?)

 

――そうだよ? それをね、アナタ自身の手で引き千切って、抉り捨てればいいんだよ?

 

 そうだ。気に食わない部分は千切って捨ててしまえばいい。この紅い瞳も、恐ろしい牙も、人間にはない狼の尻尾と耳も人間にはない。

 それを、削り取れば人間と同じじゃないか。簡単に人間と同じになれる。人間になれば迫害されることも殺されることもない。

 

 ナハトにとって心の内から聞こえてくる不気味な自身の声が語ることは、とても魅力的な内容に聞こえた。おぞましい言葉が魅力的に聞こえる時点でナハトの心は狂っているのだろう。

 

 少なくともそれで人間と同じになれるのなら、それでいいと彼女は思ってしまったのだ。

 

 そうして、ナハトが両手を頭から生えた狼の耳を、根元から掴んで引き千切ろうとしたとき!!

 

――やめてぇぇぇぇぇ!! そいつの言葉に耳をかしちゃダメだよっ。自分を、傷つけないで、お姉ちゃん!!

 

 どこからともなく聞こえてきた鈴の音のように美しく、太陽の光のように心にしみわたる声。けれど、泣きそうな声がナハトの意識を引き戻した。

 

◇ ◇ ◇

 

――オオオォォォォ……

 

「ふむ、主の友人が危機的状況に陥っているのを感じて具現化してみたが、これは酷いな」

 

 蒼き猛る守護獣。彼は周囲を見回してそう言う。

 何も無いはずの闇の空間。その一点に邪な悪意が集まり、一人の少女を包み込んでいる。誰がどう見てもナハトの姿だった。

 彼女の顔色は優れず蒼白だ。心なしか微かにうめき声をもらしている。いや、確実に苦しみの声をあげている。

 

 ならば、夜天の書の守護獣たる己の為すべきことは何か? 簡単だ。苦しみに嘆く少女を救い、その原因を取り除くこと。それが、現実世界で何もできなくなった己ができる主への手向け。

 

「すぅぅ、ふっ」

 

 人の形を成した守護獣は呼吸を整えると、鋼のような肉体に力を込め、手甲を付けた両の腕を構える。その腕から振るわれる剛腕は一撃必殺にして、数多の攻撃を弾き除ける絶対防御となるだろう。守護獣自慢の攻防一体の業だ。

 

――オオオオォォォッ!!

 

 守護獣の明確な敵意に反応してか、黒い闇に映える紫色の邪気が不気味な咆哮を叫んだ。一見すればスモッグのような靄にしか見えないソレは、姿に似合わず、とてつもない悪意を秘めている。まるで、数百年の間に溜め込んだ呪いのよう。

 

 守護獣ですら油断すれば闇に呑まれてしまいそうなチカラをソレは秘めている。目の前にあるのは断片に過ぎないのだろうが、それでも、ああやって心の弱い人間を取り込み精神的に追い込んで、絶望に至らせることで廃人にしてしまう。どんなに力があっても心が弱ければ、この邪気を克服することはできないのだ。

 

 だからこそ、守護獣や彼女たちは取り込まれた人の意識を助ける。それが、小さくともいずれは大きな反撃の狼煙となることを知っているが故に。

 

――どうか、私に力を貸していただきたいのです。長きに渡る闇の書の悲劇を終わらせるために。

 

 守護獣の脳裏に浮かべるのは凛とした少女の声。優しくも、どこか畏れ多く自然と平伏してしまいそうな少女のカリスマに満ちた雰囲気。

 

 守護騎士が長年にわたり闇の書の手足となって蒐集している間にも、闇の書が破壊を振りまいている時にも、永遠ともいえる時間を一人で戦い続けてきた少女の姿。

 

 彼女は闇の書に囚われた全ての人々を救うという。だから、闇の書の守護騎士、ヴォルケンリッターの一同も協力することにした。かつての一番大切な主の側にいることを犠牲にして、彼らは戦い続ける道を選んだのである。

 

 わざと主を騙し、大切な四人の友人たちの糧になったのも必要なこと。

 

 全ては、繰り返し重ねてきた罪を清算する為。自分たちの過ちを正すために。

 

 それが、大切な主『はやて』を悲しませる結果になるとしても。最終的に、あの心優しき少女『はやて』を救うことができるという。なればこそ――

 

「我は蒼き守護獣。ここは彼女の見ている悪夢故に、名は名乗れぬ。だが覚えておくがいい、我は貴様らを滅し――」

 

 守護獣が叫びと共に怒涛の勢いで、ナハトを悪夢に包み込む邪気に突っ込んでいく。左腕を振るった勢いで邪気を振り払い、流れる清流の如く発生した青色の障壁が弾き飛ばす。

 

――ヌオオオッ!!

 

 もう一度、ナハトに取りつき、そのままの勢いで守護獣を取り込もうとする邪気を、彼は右手の平を向けて城壁の如く堅牢なシールドを展開して寄せ付けない。それどころか邪気は、その捉えられぬ構成体を周囲から生えた白銀の軛が串刺しにしていた。邪気は身動きが取れない。

 

「最愛の主と、その大切な友人を護りぬく――」

 

 守護獣は目を瞑り、両腕を交差させて集中する。手の指を折り曲げ力を込めると関節がゴキゴキッと乾いた音を立てた。

 足元に展開させた白銀のベルカ式魔法陣が輝きを増し、守護獣の身体から膨大な魔力が溢れていく。人に仇なす邪気を完全に滅さんと力を溜め、やがて、ゆっくりと開かれた両の眼が眼前の怨敵を見据える。そして。

 

「守護獣だああぁぁぁッ!!!」

 

 そのまま交差させた両腕を勢いよく振るうと、溜めに溜めた膨大な魔力が解き放たれ、白銀に輝く無数の軛が邪気を埋め尽くさんばかりに圧殺して消し飛ばした。

 

 なればこそ、主と大切な御友人を仇なす者を守護獣は赦しはしない。

 

◇ ◇ ◇

 

(んぅ…・ここ、は……?)

 

 ナハトはぼんやりと薄れる意識に包まれながら、目を覚ました。どうやらいつの間にか気絶していたらしい。

 思考はハッキリとしないが、耳の付け根がとても痛い。指で触ってみると、ぬるっとした生暖かい感触がして、すぐに怪我をしていると理解した。

 指先を目の前にやれば、赤い血が付いていて指先から滴り落ちていく。

 

 ぼんやりする頭を片手で押さえながら、ゆっくりと起き上がり周囲を見回すと、追いかけていた人々が倒れ伏している。自分がやったのだろうか? ナハトには、どこからが夢で、どこからが現実なのか分からなかった。

 ただ、知らぬ間に意識を失っていたことだけは分かる。そして、悪夢を見ていたことも。

 

「無事か? 我が主の無二の友人にして、我が半身よ」

 

「えっ、だれ……!?」

 

 いきなり声を掛けられてナハトは身が竦みあがった。ぼんやりとした意識が急速に覚醒していき、声のかけられた方向へ振り向く。

 

 そこにいたのは、蒼い武胴着に身を包んだ褐色の肌を持つ男だった。身長がナハトの二倍くらい高く、筋骨隆々で体格も良い。何より特徴的だったのは頭の横から生える狼の耳とちらりと背中から覗く狼の尻尾だ。

 色もナハトと同じで、どことなく形が似ている気がする。

 

 ナハトは、この男が誰なのか知っている。知っているが、名前が思い出せない。そこだけ虫食いされたように、霞が掛かったかのように引き出せない。

 

「貴方は、ッ……あたま、が…いたい」

 

「無理に思い出す必要はない。この夢の世界で存在を認識してしまうと、お前の力となっている我は完全に実体化する。今は、それを望む事態ではない。どうしても呼びたければ守護獣とでも呼ぶがいい」

 

 守護獣と名乗る男の言葉にナハトは素直に頷く。なんとなく、心から信頼する何かが男にはあったからだ。

 なんというか、ナハトと守護獣は他人ではないような、ナハトはそんな気がした。

 

「あの、守護獣さん…貴方はどうしてこんなところに?」

 

 ナハトの疑問に守護獣と呼ばれた男は重々しく頷くと、おもむろにナハトに近づいて、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

 表情は硬く引き締められていて、何を考えているのか分からないが、その瞳はナハトを心配そうに見つめているのがナハトには分かってしまう。ナハトを心配する姉と同じような瞳をしていたから。

 

「本当なら我はでしゃばるつもりなどなかった。が、あまりにも見て居られぬ状況。故に駆け付けたまでだ。お前を傷つける者は我が退けた」

 

「ッ……」

 

 守護獣の言葉を聞いてナハトは思い出す。トラウマがフラッシュバックする。

 思わず彼女は身体を抱き締めてしゃがみこんでいた。

 それを、守護獣は優しく抱き上げる。まるで、幼い我が子をあやすかのように。

 

「えっ、あっ、あの?」

 

「無理に思い出す必要はない。あれはしょせん悪夢。偽りの幻。だが、抜け出すには切っ掛けがいる。我が、この悪夢からお前を解放してやろう」

 

「ど、どど、どうしてお姫、さま、抱っこ!?」

 

「フッ、気にするな。主にもよくこうしていた。もっとも、主は我の狼の姿がお気に召していたようだから、回数は少ないのだがな」

 

 男気溢れる守護獣の優しい腕に抱かれて、あたふたするナハト。それに加えて父親のように優しく微笑まれて、父性を感じ、ドキドキする。思わず顔が高揚してしまう。

 こんなふうに、誰かに優しく抱きかかえられたのはいつ以来だろうか? 珍しく瞳が動揺しながらも、ナハトは感じる温もりに安心して、ようやく気を抜いた。

 

◇ ◇ ◇

 

 海鳴市の街を一人の男が小さな姫君を抱えながら歩いている。

 あれほど不気味に静まり返り、時間が停滞し、灰色の空に覆われていた海鳴市は、暖かな夕日が差し込み安らかな静寂に包まれていた。人々の姿や動物の気配。虫の鳴き声すら聞こえない寂しい世界だが、暖かさだけは感じられる不思議な世界だ。

 

 商店街の大通りには何もなかったかのように元通り。走り回って滴り落ちたナハトの血の跡も、忍の遺体も、人々の憎悪も何もない。

 守護獣が言っていたことは本当のようだ。

 

「……っ」

 

「………」

 

 あれからというのも守護獣とナハトは一言も話していない。もともと無口なのか守護獣は喋ろうともしないし、ナハトは抱きかかえられた今の状況が恥ずかしすぎて口ごもってしまう。

 

「すまないな……」

 

 不意に言葉を紡いだのは守護獣と名乗る男だった。ナハトは彼が何に対して謝っているのか分からず混乱する。

 

「あ、あの、どうして、謝るんですか?」

 

「いや、お前にとって我と同じ、獣の耳と尻尾は重荷になってしまっていると思うとな」

 

 守護獣から語られる内容にナハトは息を呑む。確かにナハトにとって、この獣耳と尻尾は畏怖すべき対象だ。夜の一族にも種類があり、ナハトの叔母だった女性は桃色をした狼の耳と尻尾を持つ。

 吸血衝動を抑えるだけでも必死なナハトにとって、隠しづらい狼の尻尾と獣耳はあまり好きではなかった。

 

 親友がモフモフの暖かさや感触を喜んでくれているのは嬉しいのだが。

 

 しかし、息を呑んだ内容はそこではない。守護獣の語る『我と同じ』という部分だ。

 

「我と同じって、どういうことですか? 貴方とわたしには関係があるの?」

 

「なに、お前は我にとって娘みたいなものだ。大した意味はないさ」

 

 そこで守護獣は言葉を止めて、ナハトの事を見た。ナハトを抱えたまま片手を離すと、彼女の傷ついた獣耳を優しくいたわるように撫でる。

 不思議と痛みはない。それに、何処か心地よい。気持ちが良くて目を細めてしまいそうだ。

 

「むすめ…?」

 

「むっ? ここが夢の起点なのか。どうやらお別れのようだな」

 

 守護獣の語る言葉を疑問に思ったナハトが問いかけようと、さらに言葉を紡ぐが、それは唐突に終わりを告げる。

 男の言葉と共に夢の世界が、街が、空が、日差しが消えていく。守護獣と名乗る男の姿も、徐々に消えていく。

 突然の別れにナハトは言葉を失うしかない。もっと話したいことがあるのに、彼と自分には浅からぬ因縁がある気がするのだ。

 それをナハトは知りたかった。きっと大切なことだから。

 

「まっ、まって、貴方は本当にだれなの!? わたしは絶対に貴方を知っているはずなのに…どうして思い出せないの!?」

 

 いつの間にかナハトは何もない闇に包まれ、身体は水の中にいるようだった。

 守護獣は消えゆく夢の世界と一緒に光の粒子となって消えていく。その顔は、ナハトを見つめる瞳は優しく、娘を見つめる父親のように優しい微笑みを浮かべている。

 彼は何かを呟いている。ナハトには良く聞こえない。仕方なく、口元をみて何を言っているのか読唇する。

 

「……ッ」

 

 それを理解した時、ナハトは言葉を失った。ようやく彼がだれなのか思い出す。彼は、ナハトの大切な親友の家族。そして、ナハトの命の恩人。

 

――あまり、自分を傷つけないでほしい『すずか』。傷ついたお前を見れば主は悲しむだろう? 我は主『はやて』の力になれぬが、お前は違う。お前は主の側にいる。だから、我らの代わりに優しい主を頼む。

 

――忘れるな、我ら守護騎士一同。常にお前たちと、主と共にある。さらばだ……

 

「ッ…うっ、ぐすっ…あり、がとう、ざふぃーら、さん……」

 

 自らの存在を犠牲にして新たな命を与えてくれた存在。守護騎士。

 本当は自分たちが『はやて』の、ディアーチェの傍に居たかったろうに。それを捨てて彼らは、主のかけがえのない友人の糧になったのだ。

 それを、大切な人の為に自らを犠牲にして、新たな命を与えてくれた恩人をナハトは蔑ろにした。受け継いだものを引き千切って捨てようとした。

 その事に気づいてナハトは涙を流す。そして、自分を悪夢から助けてくれたことに、嬉し涙を流しながらナハトは礼を言う。

 今はそれだけがナハトにできる最大限のお礼だったのだから。

 

 



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〇誤解って怖いです

 

「それにしても、ユーリはどうしてこんなところにいるの? もしかして、夢の世界の住人?」

 

 海鳴聖祥小学校の屋上で、何故か願ったら出てきたお弁当を広げて三人で囲む少女たちがいた。レヴィと、アスカ。そしてユーリの三人だ

 

 レヴィはタコさんウインナーをつまようじで刺して口に頬張りながら、新しく親友に加わった女の子、ユーリに問いかける。ユーリとは出会って間もないので、レヴィの興味が尽きることはない。彼女のことをもっと知りたくて、好奇心が湧き上がっているようだ。

 

 それを、アスカは隣でおにぎりを小動物のように、少しずつ食べながら聞いていた。万が一、失礼のことのないよう、むやみやたらと深いところまで詮索しないようにレヴィのストッパーに徹している。もっとも、彼女も新しい親友に対する興味は尽きなかったが。

 

 レヴィとアスカが人違いで捕まえた少女は名をユーリ・エーベルヴァインと名乗った。

 彼女は四人のマテリアルが誕生するずっと前から、ディアーチェと共に過ごしてきた親友らしく。本当は生まれてきた四人のマテリアルにずっと会いたかったらしい。けれど、現実世界に干渉できない訳があって、今まで夢の世界を漂っていたそうだ。

 こうして会えたことが奇跡の産物だと、自己紹介の時にユーリが嬉し涙を流しながら語った姿がアスカには印象的だった。

 

「ええと、ですね。私はどちらかといえば貴方たちマテリアルと近い存在なんです。今は事情があって外の世界に出られませんけど」

 

 ユーリはレヴィの疑問や質問に丁寧に答えてくれる。

 人と話すことに慣れていないのか、身振り手振りを使って話す彼女は何とも可愛らしい。

 他のマテリアルよりも身長が一回り小さいので、どこか妹ができたみたいで、きっと、何かと世話を焼いてしまうと思うとアスカは苦笑するしかない。

 まあ、手間の掛かる妹みたいな親友は既にいるから、彼女にとっては些末な問題だろう。

 

 ユーリには何と言うか、人を引き付ける魅力のようなものがある。こう、護ってあげたくなるような、そんな雰囲気だ。

 少なくとも悪い子ではないとアスカの目は判断している。腹の内に悪意を秘めて笑顔で近づいてくるような人間に敏感なレヴィが、心の底から笑ってユーリに接している様子からも、信用する材料に値する。

 

(それにしても、あらためてみるとユーリって不思議な女の子だわ)

 

 アスカはそう思いながら、ユーリを見つめるように観察する。

 手入れが行き届いていてふんわりとした質感を持ち、腰どころか太ももまで届きそうな黄金の髪。ウェーブが掛かっているが、これを整えてストレートにしたら地面に届いてしまいそうだ。アスカが太陽のように明るい金髪だとするならば、彼女はきらめく月のような金の髪と言えるだろう。

 何より特徴的なのは黄金の瞳。すべてを見透かしてしまいそうな、見つめていると心の奥底を読まれてしまいそうな瞳。穢れを知らないような純粋な輝きを持ったソレは、どうしようもなくアスカを惹きつける。たぶん、レヴィも惹かれている。

 

 服装? いや、バリアジャケットだろうか? 身に纏うものも異彩を放って目立つ。

 上半身に纏う部分はドレスのようでありながら、着物のように袖口が広く、お腹が丸出しで白い陶器のような肌が見えてしまっている。冬は寒そうだ。

 腰にはマントのようなモノを身に着け、その下はなんと日本の袴と呼ばれる服に似たズボンを穿いていた。ズボンは紫色を基準としていて、炎の模様があしらわれていて、何かを象徴しているのだろうか?

 

(紫か……確か、ディアーチェの持っていた紫天の書も紫色だったわね。何か関係があるのかしら?)

 

 アスカが思い浮かべるのはディアーチェが肌身離さず持っていた魔道書だ。随分と大切にしているようで、ずっと抱えたまま手放そうとしない。

 生まれた時に刷り込まれた魔法の知識で、最初はディアーチェが魔法を使う為の媒介になる道具として大事にしているかと思ったが、もしかすると、あの魔道書にはアスカの知らないような秘密が隠されていて、それがユーリと関係しているのだろうかと考える。

 

 アスカの記憶にある魔道書。アスカが『はやて』の家にお邪魔した時に見た闇の書とも関係がありそうだが、証拠がない以上はさっぱり分からない。

 

「アスカ、どうかしましたか? さっきから私の顔ばかり見ていますけど、私の顔に何かついていますか?」

 

「えっ、ああ、ごめん。ちょっと考え事してた!! 別にアンタの髪が綺麗だとか、瞳が宝石みたいで美しいとか考えてないんだからね!?」

 

「ふふ、ありがとうございますアスカ。お世辞でもそう言うのは嬉しいです」

 

 どこか上の空だったアスカはユーリに声を掛けられたことで、思考の海から引き戻されると、慌てたように両手をユーリに向けて左右に振りながら弁明の言葉を口にする。もっとも、本心ダダ漏れで隠せていないのだが本人は気が付いていない。その顔はあきらかに照れている。

 

 そんな彼女の行動と、口にしている言葉が噛み合っていないギャップが面白かったのか、小さな両手を口元にあててコロコロと笑うユーリ。

 

 ここまで見れば微笑ましい光景なのだが、余計なことをする子がいることを忘れてはいけない。

 レヴィはニヤリと悪戯を思いついた子供のように笑うと、照れて混乱しているアスカをからかい始めた。

 

「アスりんの女たらし~~。ナハっちやシュテるんという親友がいながら、浮気するなんて信じられないな~~」

 

「な・ん・で・す・って?」

 

 レヴィの言葉にアスカは頬を引きつらせて、額に青筋を浮かべる。もちろん本気で怒っている訳ではないが、言われたまま黙って大人しくしているようなアスカではなかった。余計なことを言うレヴィにはお灸を据えなければならない。

 

 彼女は逃げようとするレヴィを捕まえると、両手で柔らかそうなほっぺを掴んでぎゅうっと引っ張り始めた。

 

「余計なことを言うのは、このお口かしら? じっくりとお仕置きしなきゃいけないようね~~」

 

「いひゃい、いひゃいよ。あしゅか~~。ほくがわるひゃった。ゆるひてくらさい~~!!」

 

「どうしようかしらね~~。それにしてもよく伸びるほっぺだわ。お餅みたいじゃないの」

 

 頬を引っ張られて涙目になりながら許しを請うレヴィだが、目を瞑って彼女は笑っていた。アスカに構ってもらえることが嬉しいのだ。

 アスカもにやにやと小悪魔的な笑みを浮かべているが、その瞳はどこか優しげである。

 

 もっとも、ずっと紫天の書で過ごしてきたユーリにとっては、アスカが本気でレヴィをお仕置きしているようにしか見えず、両手をあたふたさせてどうすれば良いのか分からずに混乱している。紫天の書から出れない彼女は人との交流がまったくと言って良いほどないので、二人がふざけてじゃれっていると分からないのであった。

 

「あわわ、ふ、二人ともケンカは良くないですっ。仲良くしましょうよ~~」

 

「きにひないでひゅーり。ちょっとひゃれでるらけらから」

 

「そうそう、構ってほしくて悪戯する子猫ちゃんを、ちょ~とっ躾けてるだけだから」

 

「そうなんですか!? てっきり、私はアスカが怒ってレヴィを折檻してるものかと……これは?」

 

 じゃれついている二人の行為が喧嘩ではなかったという事に驚きつつも、ユーリは何かに気が付いた様子で顔をあげた。

 どこか遠くを探る様な彼女の様子に、アスカとレヴィもじゃれ合うのをやめて、心配そうにユーリを見つめる。

 

「……? う~ん、理のマテリアルと守護のマテリアルでしょうか? こちらに向かってきているようですが」

 

「ん、ホント? あっ、シュテるんとナハっちだ。お~い、こっちだよ~~!!」

 

 ユーリに言われて気配に気が付いたレヴィが顔をあげて空を見ると、シュテルとナハトが向かっているのに気が付いたようで、立ち上がって大きく両手を振振るう。ぴょんぴょん跳ねるレヴィはさながらウサギのようだ。

 

 アスカにはよく見えないが、どうやらレヴィの見つめている方向にシュテルとナハトがいるらしい。それにしても、ユーリはどうしてシュテルとナハトが来たことに気が付けたのだろうか? 探知魔法だとしても何の予備動作も見えなかったし、範囲と精度も尋常ではない。もしかすると、この少女は見た目に反してとんでもない力を秘めているのかもしれない。

 

 左手にルシフェリオンハートを持ったシュテルと、両手にシャッテンを装備したナハトが仲良く飛んでくる姿をアスカもようやく捉える。彼女たちはそれなりの飛行速度で、見る見るうちにアスカ達のいる学校の屋上まで距離を詰めていく。

 

 やがて、シュテルとナハトは学校の屋上。その少し上、具体的に言うと30センチくらいから緩やかに急停止をかけて着地する。そして、アスカとレヴィの傍まで駆け寄って来て、彼女たちは通り過ぎていった。

 

「はっ?」

 

「ちょ!? シュテるんにナハっち!?」

 

 あまりの唐突な出来事にレヴィとアスカは思考が追い付いていかない。

 ナハトとシュテルはどうしたのだろうか? なんというか妙に殺気立っているような気がする。心なしか顔が物凄く不機嫌だったような……

 

「ルベライト!!」

 

「魔糸捕縛陣!!」

 

「ふぇ!? ええっ!!?」

 

 そのまま二人はユーリに怒涛の勢いで近づくと、いきなりバインドでユーリを拘束してしまう。

 シュテルの朱色のリングバインドが手足を拘束して動けなくし、ナハトの蒼色のチェーンバインドがユーリの身体を地面に縫い付けて転がす。見事な連係プレイだった。あっという間の出来事、それこそ瞬きする間に終わっているくらいの速さだ。息を吐く暇もなかった。

 あまりに、唐突過ぎる出来事に場は静寂に包まれた。

 

 最初に口を開いたのはシュテル。その眼はユーリを見据えていて、彼女を警戒しているようだった。射抜くような視線に、ユーリはただ怯えているしかない。

 

「さて、と。レヴィとアスカが悪夢を囚われていないようで良かった。私の心配事は杞憂でしたか。しかし、悪夢を見せた元凶を前にして無防備に身を晒すというのは、あまりにも愚かとしか言いようがない」

 

 そう言ってからシュテルはユーリにルシフェリオンの鋭い尖端を向ける。

 闇色の宝玉の付いた魔道の杖は、まるでパルチザンと呼ばれる槍のような形をしていて、突くことも斬ることも出来そうだ。そして、その杖の形態をレヴィは知っている。

 ディザスターヘッドと呼ばれるシュテルが最大出力で魔法を放つ際の形態。

 基本は近・中距離形態ののヒートヘッドか、遠距離形態のブラスターヘッドしか使わないシュテルが、威力も魔力負担も大きいディザスターヘッドを使用するという事は彼女がそれだけ本気ということの表れなんだろう。

 シュテルの語る悪夢を見せる元凶というのは分からないが、どういう理由があれ、ユーリという友達が傷つけられそうになっている事態をレヴィもアスカも見過ごない。

 レヴィはバルニフィカスを生成すると、それを掴み取ってユーリとシュテルの間に割って入る。アスカも同じように紅火丸を片手に向かおうとして、両手を広げて立ちふさがるナハトに遮られてしまう。

 

「そこを退きなさいレヴィ。何があったのかは知りませんが、そいつは油断して良い存在ではない。貴女も薄々気が付いている筈です。貴女の庇う女の子がとてつもない、それこそ闇の書を軽く凌駕する力を秘めていることに」

 

「ッッ……!! 私は――」

 

 ユーリはシュテルからそいつ呼ばわりされたことに歯噛みする。

 ディアーチェから四人のマテリアルのことを、大切な初めての友達のことを嬉しそうに何度も何度も語って聞かされ、ユーリもディアーチェが楽しそうに話すので何度もせがって聞いていたから、会えるのを楽しみにしていた。

 そして、実際にレヴィとアスカの二人に出会ってみて、ディアーチェが嬉しそうに語る理由をユーリも理解して共感する。

 彼女たちはとっても優しくて、明るい。話していると安心する。そう、なんというか居心地が良かったのだ。

 楽しくおしゃべりしたり、夢とはいえお弁当を食べたりすることは、ディアーチェ以外に友達と呼べる人がいないユーリにとって、新鮮な体験だったのだから。

 だから、他のマテリアルと出会えることに喜んでいたのにどうしてこうなったのか、経験の乏しいユーリには分からない。

 分かるのは好いてる人に他人呼ばわりされるのが悲しいことだけ。

 

「私はゆー」

 

「ユーリ」

 

 せめて、互いに名乗り、こんなことをする理由だけでも聞こうと口を開いたユーリの言葉を遮ったのは、彼女を庇うように立つレヴィだ。

 その声からは普段の明るくて元気いっぱいな意志が消えていて、代わりに感じられるのは水面のように静かで、真剣な想い。言霊のような力を持った言の葉。

 そして、力のマテリアルは容赦なくバルニフィカスの切っ先をシュテルに向けた。

 

「ここはボクに任せて、ちょっと大人しくしていて。すぐにシュテルの誤解を解いて助けてあげるからさ」

 

「レヴィ、あなたは……」

 

「…………」

 

 シュテるんという愛称を使わずに名前で呼ぶという事は、それだけ、レヴィは本気だということだ。

 付き合い始めて間もないユーリでさえ、それが分かるのだから、その想いを受けとめるシュテルの心境はいかがなものか。黒い服の少女はひたすらに黙していて分からない。

 その瞳は真剣にレヴィを見据えて離さず、レヴィもまたシュテルの眼を捉えて離さない。

 やがて、口を開いたのはシュテル。その声には呆れと微かな怒気が含まれているようにユーリは感じた。

 

「私がどれほど貴女たちを心配して、どれほどそいつを警戒しているのかを知って、その娘を庇い立ちふさがるというのですか? レヴィ?」

 

「シュテルの目を見れば、どれくらい強い想いを秘めて、どんな感情を浮かべているのかだいたい分かる。それでも引けない。だってユーリはシュテルが考えているほど悪い子じゃないから」

 

「分かりませんよ。善人面をして、私達を騙し、裏切るのかもしれません。あの時のように。忘れたわけではないでしょう?」

 

「うん、でも、この子ははそんなことしない。ボクもアスカも保障する。シュテルとナハトはユーリと話したことがないから疑うんだよ」

 

「確かに一理あります。ですが、そうして全員騙されることを酷く私は恐れている」

 

 二人の会話をユーリは黙って聞いていた。誤解を自ら解かないのは嘘を吐いているのと同じだが、レヴィが任せてほしいと言ったのだ。だから、ユーリは彼女を信じて説得を任せる。

 隣では、アスカと、恐らくナハトと呼ばれる女の子だろう。彼女たちが熱く静かに語り合っているが、こちらもユーリが介入できそうな余地はない。

 力ずくで拘束魔法を打ち破ってもいいのだが、あえて、ユーリは様子を見ることにした。

 それが、とんでもない事態を引き起こすとは知らずに。

 

「そっか。じゃあ仕方ないね。互いに譲れないなら全力全開でぶつかり合って、想いを分かち合うしかない」

 

「よく分かっていますねレヴィ。そのとおりです。言っておきますが手加減はしませんよ?」

 

「もちろん。ボクも手を抜いたりしないさ」

 

「えっ、えっ? 何ですか? この妙な展開は?」

 

 他者には理解できないような色々と言葉の足りない会話にに、もちろんユーリが付いていけるはずもなく混乱する。

 説得というのは何も知らない相手に事情を説明して、納得してもらうことだと理解しているが、ユーリの常識が間違っているのだろうか? 

 何か二人の会話からは、これから戦い、力ずくで相手を屈服させるように聞こえるのだが……気のせいか?

 

 シュテルとレヴィは互いに後ろに飛んで距離を取ると、遥か上空へと相手を見据えたまま飛んでいく。

 それを、唖然とした様子で眺めるユーリには、どうしてよいのか分からなかった。

 

 止めるべきか。けれど、レヴィが任せろと言った以上。座して待つべきなのか。

 それに止めに入ったら、レヴィが向けてくれている信頼を裏切ってしまうような気がする。でも、嫌な予感は的中していてレヴィとシュテルの魔力がどんどん膨れ上がっていく。

 

 ついでに、屋上でにらみ合う二人にも不穏な気配がただよい始める。

 

「それで、悪夢を見せられたアンタ達は巨大な力の中心部をたどり、そして見つけたアタシ達と一緒に居るユーリこそが元凶だっていう訳? 冗談もほどほどにしなさい。 いくらアンタでも、友達を勝手な判断で傷つけるのは許さない」

 

「アスカちゃんこそ、目を覚ましたほうが良いよ。自分の正体もろくに喋らず逃げ出すような人は大抵、内側に何か秘めてる。私も人のこと言えないけど。それでも、アスカちゃんやレヴィちゃんを騙して悪夢に陥れる可能性があるなら、私は心を鬼にして二人の為に……」

 

「それが勝手な判断だって言ってるのよ。だいたい、アンタ達は昔っから他人を信用しなさすぎ。何を怯えているのか知らないけど、もっと素直になりなさい」

 

「……それでも、最悪の可能性を考慮すると、私もシュテルちゃんも退けない。説得するなら力ずくで来ればいいよ」

 

「なるほど。考えすぎて頑固になっちゃったか。上等よ! そんなに人の話を聞かないのなら、ぶん殴ってでも話を聞かせてやるわ!!」

 

「そっちだって人が心配してるのに言うこと聞かないよね! なら、力づくでも言うこと聞かせるからいいよ!!」

 

 静かな口喧嘩はヒートアップしていき歯止めが効かないところまでに達した。

 アスカとナハトもデバイスを構え、全力でやり合う姿勢を持さない。殺しはしないが、相手を屈服させるまで止まらない勢いだ。

 これは止めなければまずいと判断したユーリはバインドを打ち破るが、すぐに同じように拘束されて動けなくなる。何度やっても、結果は同じ。

 どうやら、対象が逃げても自動で捕捉・拘束するように設定しているようだ。たぶん、シュテルの仕業。

 

「あわ、あわわわ!? でぃ、でぃあーちぇ! ディアーチェ!! 何とかしてください~~!!」

 

 どうすることも出来ない状況に、ユーリは最後の頼みであるディアーチェの名を呼ぶのだった。涙目で。

 

 



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〇死闘じみた決闘

 シュテルは夢の中とはいえ、どこか懐かしい海鳴の街並みを上空から眺めつつ、同じ高度で距離を取って相対する親友の姿を見据える。

 

 手には自身のデバイスであるルシフェリオン。それを、全力全開のディザスターヘッドから砲撃仕様のブラスターヘッドに変形させ、いつでも放てるように構えていた。あのユーリという少女に対して底知れぬ力を感じたため、全力で立ち向かうためにディザスターヘッドを選んだが、レヴィに対しては魔力の節約と距離の関係からブラスターヘッドのほうが効率が良いと判断したのだ。

 

 レヴィの装甲は薄く、砲撃を直撃させればすぐにでも落ちる。ディザスターヘッドから繰り出される一撃なら掠っただけでも致命傷だろう。

 しかし、彼女がそんなに甘い相手ではないことをシュテルは知っている。

 

 対峙する両者の距離は遠く、現在の位置でレヴィはシュテルに対する攻撃手段をあまり持たない。それに対して、シュテルは砲撃・誘導弾・直射弾といった豊富な射撃手段で一方的に攻撃できる。これだけ聞けば、シュテルが有利なのは一目瞭然だ。

 だが、それを補うアドバンテージがレヴィには存在する。ゆえにシュテルは絶対に己の得意な状況であっても油断できない。油断しない。

 

 その心構えを維持しつつ、『アリシア』の親友としての『なのは』は、一応、最後の説得を試みた。

 

「ここがどこか気が付いていますかレヴィ」

 

「? 夢の中でしょ? 違うの?」

 

「いいえ。ここは紫天の書の内部です。そこに潜んでいた貴女がユーリと呼んでいる少女は、私たちの誰もが存在に気が付きませんでした。でも、害意を為さないというのであれば、どうして姿を現さずに隠れるような真似をするのでしょうか? そこから考えて怪しいと判断するのは妥当でしょう?」

 

「それでもボクは、ボクの勘に従ってユーリを信じる。この考えを曲げるつもりもないし、間違っているとも思わないけどね」

 

 だが、断固とした決意で宣言するレヴィの姿に、シュテルは説得を諦めるしかなかった。自分もそうだが、あの子も、それどころかシュテルの友達は一度決めたらやり通す頑固者ばかり。だから、時には力づくで衝突することもある。まったく、信念の強い子が周りには多いとシュテルは少しだけ呆れた。そこが良い所でもあるのだが……

 

「決意は固いですか……いいでしょう。心頭滅却、我が魔導の炎を受けて少し頭を冷やしなさいレヴィ!!」

 

 叫びと共にシュテルはルシフェリオンに収縮されていた魔力を解き放つ。展開された術式はブラストファイアーと呼ばれる砲撃魔法。シールド・バリア貫通性能よりも、一撃の破壊力を重視した魔法だが、レヴィの防御魔法にとっては致命砲になりかねない。彼女のシールドやバリアは一般魔導師よりも防御性が高いが、シュテルの砲撃を防ぎきれるほど強くはない。

 

 魔杖から紅蓮の輝きが一筋の流星のように迸り、レヴィを飲み込まんと迫る。しかし、相対する水色の少女は、それを避けるどころかデバイスを槍に見立てて突っ込んでくるではないか!?

 無謀とも言える行動。それでもシュテルは表情に一切の感情を見せない。いや、舌打ちを一つすると砲撃の照射を中断して、自身の周囲に相手には見えない設置型バインドを展開、レヴィからできるだけ距離を取り始めた。感情を表には出さないが、仕草から少しだけ焦っているようだ。

 

「バルニフィカス! 『パンツァーヒンダネス』!! 一点集中展開っ!」

 

 シュテルに突き刺すように向けられたバルニフィカスの先端。そこに分厚い水色の障壁が展開され放たれた砲撃を受け流していく。

 それは、レヴィの魔法ではなく己の内に取り込んだ『ヴィータ』の魔法だった。『ヴィータ』の強力な防御魔法を得たことによってバリアジャケット以外の防御性能は遥かに高くなり、事実上、防御の薄いという弱点を克服する結果となっている。

 不意を突かなければレヴィに決定打を与えることはできないだろう。彼女の戦闘技量なら必要最低限の攻撃を避け、致命弾を確実に防いでくる。命中性の高い誘導弾は防御を貫くには威力が足りず、そもそも当てることすら難しい。

 

 これこそがレヴィの距離を補うアドバンテージ。高性能な障壁と盾を手に入れた彼女は、その速度と相まって凄まじい突進力を得たのだ。そこから繰り出される一撃は恐らく盾の守護獣ですら防ぎきれない。まさに、眼前の敵を薙ぎ払う騎兵のようだ。

 

 だからこそ、シュテルはバインドで捉えることを選択した。パイロシューターを連続して当てることはできないとは言わないが、いささか効率が悪い。

 

「ルベライトッ!」

 

 レヴィがシュテルの設置したバインドを避けようともせずに突き抜けようとする。どうやら、一切の速度も殺さずに一撃離脱でシュテルを叩き切るらしい。

 だが、ルベライトの拘束性はレヴィの想像よりもはるかに突き抜けている。『理』のマテリアルとしての得た特性から、構成する術式を人間には不可能なまでに緻密で、一切の無駄なく洗練できるようになったシュテル。その魔法は一の魔力で十の威力を叩きだせるのだ。

 それに拘束されれば、どんな猛獣でも動きは止まる。そしたら砲撃を叩き込んで勝負は終了の筈だった……

 

「無駄だよシュテルっ! こざいくでボクは止められない!!」

 

「はぁ!?」

 

 しかし、シュテルの予想とは裏腹にレヴィはルベライトの拘束を難なく引き千切り、そのまま突進してくる。

 確かにルベライトは突撃する少女の四肢を光の輪で捉えていた。それでも、レヴィから馬鹿みたいに放出される魔力の出力に耐えられず、粉々に砕け散っただけで、足止めにすらなっていない。より強力な拘束効果を持つチェーンバインドを使っても速度を緩める効果にしかならないだろう。

 バインドのプログラムを解析して解除するでもなく、魔法で物理的に外部から破壊するでもなく、純粋な魔力出力で拘束を引き千切る様は、まさに馬鹿力なのだ。

 

「バルニフィカスっ、モードブレイバー!」

 

 レヴィがバルニフィカスを振り上げると同時に、デバイスは形を変形させて巨大な剣の柄と化す。カートリッジを二発使用。リボルバー式の弾倉が回転して、撃鉄を引き起こし次いで叩く。レヴィの魔力が上昇していく。デバイスから水色の刀身が伸びて斬馬刀のような一本の剣が生まれた。雷神の武器と呼ぶにふさわしい神剣は刀身から水色の雷を迸らせ、獣の唸り声のように放電音を漏らす。

 

(あれは、マズイですね)

 

 あまりにも大きすぎるレヴィの魔力出力は本人でさえ制御しきれず、収束しきれなかった魔力が漏電したような現象を起こしているのだとシュテルは一目で判断した。恐らく見た目以上に凄まじい破壊力を秘めているのだろう。直撃なんて論外、掠っただけでも危険だ。

 けれど、神速で迫るレヴィの攻撃から逃れることは不可能に近い。すでに両者の距離は目前まで縮められており、シュテルの高速移動魔法では避けられない。

 ならば、防御魔法で防ぐことを選択するか? 否。それでは防御ごと叩き切られるのが目に見えている。レヴィは、相手を防御の上から叩き潰す『鉄槌の騎士』と融合しているのだ。その特性を引き継ぎ、力のマテリアルとしての能力も相まって防御の上どころか、防御ごと粉砕することに長けている。

 

――それなら答えはひとつしかない。

 

 シュテルはマルチタスクで高速思考しながら、状況を判断して対応を考え即座に実行に移した。

 ルシフェリオンのモードを変更。ブラスターモードからディザスターモードへ。一瞬だけ最大出力モードで抜き打ちして、レヴィの斬撃を迎撃する。

 

「フレアバスタァァァァッッ!!」

 

 なのはの使うエクセリオンバスターと双璧を成す魔法。フレアバスター。膨大なチャージをすることで絶大な威力を発揮する砲撃魔法だが、あらゆる工程を短縮することで、圧縮魔力弾として発射する。

 カートリッジを一発使用、薬莢を排出。デバイスに溜まる熱を放出。ルシフェリオンの槍のような形状の先端から、炎の塊のような魔力弾が生成され、次いでレヴィに向けてぶっ放される。着弾炸裂効果とバリア破壊効果を付与した魔力弾は直撃すれば一撃でレヴィを落とす。そして、レヴィとフレアバスターの相対速度から回避は不可能。

 

「くっ、極光斬!!」

 

 だから、レヴィには攻撃に対するアクションは二通りしか残されていない、防ぐか迎撃するかだ。

 迫りくる魔力弾をブレイバーで迎撃すると、フレアバスターの着弾炸裂効果によって、魔力弾は爆発と閃光を巻き起こしレヴィの動きを止める。両手でブレイバーを振り払った彼女は隙だらけだが、すぐにでも返す刃でシュテルを切り払う事が可能。伊達に力のマテリアルを名乗ってはいない、小柄な体から想像もできないパワーを発揮してブレイバーを振るう。

 

 それでも、シュテルには関係がなかった。レヴィは動きを止めた。最大の武器である速度を殺したのだ。思わずシュテルの口から猛禽類の笑みが漏れ、獲物を狩る目つきに変わる。

 

 砲撃を発射した反動で左手に掴んだルシフェリオンを振り払いながら、開いた右手の人差し指と中指をレヴィに向けるシュテル。指先から魔力弾が生成され、彼女の周囲にも無数の魔力弾が展開される。その総数は24個。

 

「ブレイバー使用時は強力な防御魔法が使えない、判断を誤りましたねレヴィ? パイロシューター! パイロショット! ファイア!!」

 

「ッ!? くっそ~~!!」

 

 咄嗟の判断で使った砲撃は術式が荒く、反動を完全に相殺できなかったので連続して発射できなかったが、あのまま砲撃を撃てればシュテルが勝っていただろう。だが、シュテルはレヴィの攻撃を凌ぎ切った。この射撃弾は次に攻撃を当てるための繋ぎ、牽制。勝利への布石。

 巨大な剣を生成するブレイバーは絶大な攻撃力を発揮する。しかし、パンツァーヒンダネスのような強力な防御魔法は使えなくなるという欠点がある。シールドは一面しか展開できず、バリアは効果範囲が広い反面、防御性能は低い。24もの攻撃を防ぎきれない。

 だから、レヴィは悔しげに舌打ちしながら距離を取った。動きを止めたせいで、いくつか喰らって、薄いバリアジャケットの被弾した部分に穴が開き、濃い痣が残る。痛い、激痛が走る。それでも、レヴィはうめき声も上げずに、歯を噛み締めることで耐えた。

 

 回避機動を取り、誘導弾を避けるが、それに混じって放たれた直射弾が動きをけん制する。無理やり回避した隙をついてパイロシューターが腕を掠めていく、肌に焼き痕が残り、ダメージが否応がなしに蓄積する。

 弾幕の嵐から離脱しようにも、そうはさせまいと誘導弾が退路を塞いでくる。無理やり離脱する手もあるが、全身に無数の魔力弾を受ける覚悟をしなければならない。後の事を考えると、これ以上のダメージの蓄積は望ましくない。

 

 回避する間に、デバイスの変形を済ませる。モードをブレイバーモードからクラッシャーモードへ。巨大な剣の柄からバルニフィカスは基本形態の戦斧に姿を戻す。これで防御の準備は整った。

 

「電刃衝!」

 

 レヴィの叫びと共に周囲に水色の発射台が生成され、デバイスを振るというアクショントリガーで弾丸を発射する。目標は向かってくるパイロショット。シュテルの放ってくる直射弾だ。これを迎撃、相殺して一瞬だけ弾幕の間隙を作りだすのが目的。

 水色の弾丸が、同じ色の環状加速リングを通過することで通常の何倍もの弾速を得てパイロショットを粉砕していく。

 

「迎撃しましたか。なら、それを上回る数の射撃で押しつぶせばいいだけです!」

 

 もちろんシュテルだって黙ってやられている訳ではない、迎撃されるたびに次から次へと誘導弾、直射弾を生成して、先の攻撃よりも激しく攻め立てる。炎の弾丸は流星となり、数を増やして弾幕となる。

 

 こと、ここに至って戦闘は魔法弾の激しい撃ちあいとなっていた。朱色と水色の弾幕が飛び交い、ぶつかり合う事で砕け散って、魔力の残滓がきらめく光に変わり空を彩る美しい光景。遠くから見れば戦闘とは思えないくらい幻想的に映るだろう。

 片や自身が魔法の発射台となって様々な弾丸を撃ちまくる星光の殲滅者。片や周囲に展開したスフィアから弾丸を加速、連射する雷刃の襲撃者。両者の優劣は一目瞭然で、シュテルの弾幕はレヴィを圧殺せんと迎撃弾を逆に圧倒していく。射撃を本分とする殲滅者に、接近戦と一撃離脱を本分とする襲撃者では敵わない。当然の帰結だった。

 

 しかし、魔法を展開するという時間を稼ぐ目的は叶えられている。さっきまでレヴィを牽制、迎撃してくる魔力弾の数は減っていて、動きを止めても問題ないレベルにまで弾幕の脅威は減っているからだ。

 

「パンツァーヒンダネス展開」

 

 先程までと違い、水色の防護障壁がレヴィの全身を護るように覆い尽くす。一点に集中するのではなく全方位展開。防御力は下がるが、射撃魔法程度ならば余裕で耐えられる。たとえ、防御ごと砲撃で貫こうともレヴィの加速力を持ってすれば回避は可能。このまま、傷を癒してしきりなおす。

 それが、レヴィの考えであり、その状況に追い込むことこそがシュテルの策略だった。

 

「掛かりました。これで決めます! モードA.C.S展開」

 

 シュテルは一度、大きくルシフェリオンを振り払い、カートリッジ装填と排熱を同時に行う。装填する弾丸は一発。使い終わった薬莢が排出されて空に散る。残弾は残り四発。

 再びルシフェリオンを構え直して砲撃姿勢を取る。利き腕の左手でグリップを握り、右手はフレームに添えるだけ。

 ルシフェリオンの槍状の先端部分に朱色の羽根が六枚広がり、槍の中心部分にストライクフレームと呼ばれる魔力刃が形成される。一枚一枚の羽根は飛行時、靴に生成されるフライヤーフィンと同様の機能を発揮し、ストライクフレームはあらゆる結界、防御を貫く刃となる。

 防御を貫き零距離で砲撃を放って相手を墜とす。瞬間的に一撃必殺を叩きだすシステム。それがモードA.C.Sだ。

 

 当然、零距離の砲撃は危険が伴う。直撃させた爆発の余波が自身にもダメージを与えるからだ。まさに諸刃の剣と言えるだろう。

 しかし、速度の速いレヴィに砲撃を当てるにはこれしか方法がない。チャージしている間に攻撃や回避機動を取られ、バインドで動きを封じることが不可能なのは先の攻防で証明済み。

 ならば、玉砕覚悟で突込み、至近で一撃必殺を叩き込む。レヴィが行った戦術をそのまま返すのだ。

 

「ドライブ!!」

 

 叫んだキーワードと共に爆発的な速度で加速するシュテル。その勢いは一瞬だけレヴィの速度を凌駕する。無理やり速度を叩きだす代償に膨大な魔力消費と身体的負荷が襲いかかるが、些末な問題と称して切り捨てる。この一撃で雌雄を決すると考えれば大したことではない。

 

「ぐぅッ!!」

 

 しかし、予想以上に負荷が強すぎたのか、無意識にうめき声が漏れた。苦痛に耐えることにシュテルは慣れているが、慣れているだけでどうにかできるほど安易な問題ではない。確実に障害が発生するのは目に見えている。

 それでも、レヴィを捉える視線は絶対に外さない。シュテルに向けて発射される電刃衝が身体を掠め、あるいは直撃しようが、絶対に、絶対にだ。

 

 シュテルの捨て身の一撃は、レヴィに避ける余裕すら与える事無く障壁に直撃し、徐々にストライクフレームの刃が防御を貫通していく。完全に防御を打ち破った段階でシュテルがルシフェリオンのトリガーを引き、フレアバスターを放てば装甲の薄いレヴィは一撃で倒れるだろう。

 ふと、シュテルはレヴィの顔を見た。彼女は目を見開いて驚き、息を呑んでいる。しかし、何処か意を決したような顔つきをすると、躊躇うことなく身を乗り出してきた。嫌な予感がシュテルの脳裏を掠める。それでも攻撃は止まらない。止められない。

 

「……ッ終わりですレヴィィ!!」

 

「まだだよ! シュテルゥゥ!!」

 

 シュテルがルシフェリオンのトリガーを引く瞬間。レヴィは手にしたデバイスでルシフェリオンを叩いて標準をずらし、開いた左手でシュテルの腹部に手を付けた。ルシフェリオンに収束する魔力が自身の身体を徐々に焼いていくが、レヴィは気にもしない。左手にありったけの魔力を集めて、瞬時に起爆させる。

 

「バスタァァ!!」

 

「爆光破ッ!!」

 

 生成された魔力がプラズマのような球体となって爆発し、同時に近距離で放たれたフレアバスターも着弾炸裂効果で爆発を起こす。二つの爆発が合わさり、シュテルとレヴィを飲み込んで、発生した煙が両者を覆い尽くした。

 

◇ ◇ ◇

 

「はぁはぁ……ぜぇぜぇ……」

 

「ふぅーっ……ふぅーっ……」

 

 学校の屋上で対峙するアスカとナハトは一進一退の攻防を繰り広げ、両者は荒い息を吐きながら距離を取って休んでいた。もちろん、油断することはない、片方が何かアクションを起こせば、もう片方も迎撃の為に動き出すだろう。

 ちなみに戦いを黙って見ているしかないユーリはというと、五月蠅いのでナハトに口をバインドで塞がれている。それが、アスカの戦意を火山の如く噴火させてしまう結果にはなったが。

 

 しかし、両者ともに酷い有様だった。

 ナハトのドレスのようなバリアジャケットは無数の切り口が入れられ、ところどころ肌が露出している。背中の部分には焼け焦げた跡があって、黒いドレスでも分かるくらいの煤が付いている。

 アスカのチャイナドレスのバリアジャケットも同じように破けており、スリットの部分は無残に引き千切られて、健康的な脚が丸見えだ。

 

 二人とも近接戦闘に特化したスタイルのせいで、刀と爪で切り合い殴り合うしかなく、無残な姿を晒すことになったのだが二人は気にしない。

 

 むしろ、この膠着状態をどうやって打ち破るか、それだけを考えていた。

 

 アスカの攻撃力では鉄壁とも言えるナハトの防御力を打ち破ることができず、斬撃、刺突、打撃から炎の翼による一撃、そこから放った炎の散弾に、刀に翼の炎を収束させて放つ極炎弾。そのどれもをナハトは完全に防いで見せたのだ。

 逆にナハトは決定打となる攻撃手段を持たず、両手に装着したグローブ型デバイスの爪、指先から生成される魔力糸の斬撃、手の甲の部分に装着された鉄鋼の部分をぶち当てる拳による一撃。といった攻撃だけではアスカを倒しきれなかった。

 

 それに、ちょっと前まで見せられていた悪夢の影響せいか心理面でのトラウマが消えず、全力で力を振るえないことも影響している。

 バケモノのように腕を振るえばアスカが壊れてしまうかもしれない。最悪、殺してしまうかもしれない。そういった恐れを持つ心構えではアスカに勝つことはできないだろう。

 だから、足止めに徹してシュテルとレヴィの決着がつくまで時間稼ぎする腹積もりなのだが、どうやら、アスカがそれを許してくれそうにない。

 彼女は何としても決着を付けるつもりのようだ。

 

 本当は互いに状況を打破する技を持っている。それでも使わなかったのは、必要以上に親友を傷つけたくなかったからなのだが、もはや、両者ともに加減できなくなっている。そんな心遣いはほとんど残っていないし、する余裕もない。

 

(ここで倒れるわけにはいかない。あの金髪の女の子を解放して、もしも、騙されていた時、傷ついた私達が勝てる要素はないから。でも、このままじゃ……)

 

(チクショウ。どうしても、あの子の防御が抜けない。早くユーリを助けて、誤解を解いて、上空で行われている殺し合いみたいな決闘を止めないと……)

 

――使うか? 必殺の一撃を?

 

 どちらにも躊躇いはあるし、親友である相手を傷つけたくない心は同じ。それでも、相反する考えを持ってしまって、争い合う以上は決着を付けねばならない。そうしなければ状況はますます悪化する。

 

 上空で巨大な轟音が響き、二人が目をやればシュテルとレヴィが煙に包まれて見えなくなっていた。

 これこそが、アスカとナハトを焦らせる理由。上で戦う二人の親友は加減というモノを知らず、いつだって全力全開でぶつかりあう。殺し合いのような決闘は下手をすれば大怪我では済まない。それは避けたい。できるなら止めに入りたい。

 しかし、だからと言ってユーリという存在を放って置くことも出来ないのだ。アスカは彼女の身を案じるが故に、ナハトは怪しい存在である彼女を監視するために。

 だから、早急に決着を付ける必要があると判断した。

 

(アスカちゃんには悪いけど。ここで眠っていてもらう)

 

(この一撃。紅蓮抜刀ならナハトの防御ごと斬り伏せることができるはず)

 

 アスカとナハトの身体から放出される魔力がどんどん高ぶっていく。足元にベルカ式の魔法陣が展開され、魔力を込められた術式が効果を発揮せんと超常現象を引き起こす。

 

 アスカは背中から炎の翼を吹き出し、抜き放っていた紅火丸を鞘に納めて構える。これから解き放つ紅蓮抜刀は記憶に残るシグナムの紫電一閃をアスカなりにアレンジした奥義。炎熱変換された魔力を紅火丸に込めて最速の剣技たる居合抜きで放つ技。恐らく炎を纏う刃は熱で焼き斬るどころか、爆砕する威力を秘めているだろう。未熟なアスカの技では圧縮しきれずに、余分な魔力が爆発する。

 

 柄に収められたカートリッジを全弾ロード。四発の薬莢が排出されて、アスカの足元に転がる。黒い鞘から少しだけ覗く刃の部分が赤熱して、しだいに炎を漏らし始める。その背中と刀から放たれる熱量は凄まじく、ナハトには空間が熱で揺らいで見えた。

 

 だが、ナハトだって負けてはいない。一時的に夜の一族の能力を受け入れ、全ての放出する魔力を自己強化に注ぎ込んだ彼女の身体は変化を起こし始めていた。全身の筋肉が盛り上がり、少女のほっそりとした体つきから、獣のような力強い肉体へと変化する。口元から見える歯は、狼の牙のように鋭い。赤い瞳は真紅に染まり、瞳孔が縦に割れ威圧感が増す。その姿は吸血鬼であり、人狼でもある。

 

 悪夢に囚われ、憎しみに身をゆだねて力を解放した時とは違う。一族の力を一部とはいえ、自ら解放した影響で能力は段違いに鋭く研ぎ澄まされていた。破壊力こそ下回るが、精度は今のナハトのほうが優れている。その強い決意を固めた姿にアスカは、守護獣ザフィーラの姿を垣間見た気がした。

 

 二人は同時に構え、力を溜めこむと、視線を合わせ、そして。

 

――いくよ。アスカちゃん。

 

――来なさいナハト。アタシも全力でやる。

 

ヒン・リヒテン・アングリフ(処刑する残忍な攻撃)!!」

 

「紅蓮抜刀! 砕け散りなさい!!」

 

 爆発的な跳躍力を持って、最強の一撃を叩き込むためにぶつかり合った。

 瞬間的に縮まる両者の距離。そして、中心に現れたのは黒い闇。闇から出てくる少女の名はディアーチェ。

 

「ッぅ……ディアちゃん?」

 

「なんでっ!?」

 

 突然の事態に息を呑む二人。もはや、攻撃の軌道を逸らすことはできない。このままでは二つの最強の一撃はディアーチェに叩き込まれる。

 それでも、ディアーチェは驚いた様子も、怯えた雰囲気すらない。ただ、恐ろしいほどまで冷静な瞳が向かってくる二人を瞬時に捉え。次いで、攻撃の当たる瞬間、二人を入れ替えるように手で掴んで投げた。

 

 アスカの抜刀する一撃は屋上と校内をつなぐ入り口を爆散させ、彼女自身は勢いを殺せずに瓦礫の山に突っ込む。ナハトの振りぬいた爪による一撃は眼前にあったフェンスを細切れにし、屋上の床に無数の斬撃の跡を残した。さすが、優れた身体能力を持つ夜の一族というべきか、咄嗟に足を地面に擦りつけて勢いを殺したが、床を抉ってしまったようだ。

 

 アスカもナハトも体勢を立て直すと、いきなり出現したディアーチェを見やるが、彼女自身は二人に見向きもしない。

 ただ、バインドに捕らわれているユーリを見やると、片手を向けて放出した魔力でバインドを砕いてしまった。

 

「すまぬユーリ。我がうぬの事を明かさんばかりに、余計な面倒を掛けたようだな」

 

「気にしないでくださいディアーチェ。今は――」

 

「うむ、頼めるか?」

 

 ディアーチェの言葉にユーリは無言でうなずくと背中から禍々しくも美しい、光が波打つ翼を広げて上空へと飛び去って行く。つられるようにアスカが視線を向けると、シュテルとレヴィが膨大な魔力を解き放たんと、術式を展開しているのが見えた。恐らく向こうも決着を付けるために最強の一撃を放つのだろう。そして、ユーリはそれを止めに行ったのだ。

 

 アスカはユーリのことを心配しない。魔法に日が浅いアスカでも感じ取れるほど強大な魔力を秘めたユーリ。その力はマテリアル全員を凌駕してしまうように彼女は感じたのだ。きっと、二人のことを止めてくれるに違いない。今は……

 

「なんだ……ディアちゃんの友達なんだ、ね。それならだいじょ……」

 

「『すずか』!!」

 

 力尽きたように倒れ込んだナハトのほうが心配だった。急に意識を失ったナハトを思わず本当の名前で呼びかけ、駆け付けるアスカ。

 幸いにも異変に気が付いたディアーチェが身体を支えたおかげで、地面に全身を打ちつけずに済んだが、それでも不安は消えない。

 思えば、ナハトは戦う前からどこか疲労していたようだが何かあったのだろうか? アスカには分からなかった。

 

「ディアーチェ! 『すずか』は大丈夫なの!?」

 

「案ずるなアスカ。身体を酷使しすぎたおかげで躯体が傷ついておるな。恐らく無意識に回復を促進させようと気を失ったのだろう。今から我が外部から復旧をバックアップする」

 

 不安そうな瞳でナハトを見るアスカを安心させるように、ナハトの身に何が起きたのかディアーチェは説明しながら、倒れ込んだ少女を優しくいたわるように寝かしつけ、ゆっくりと上下する胸に手を押し当てた。

 ディアーチェの足元に黒紫のベルカ式魔法陣が広がり、漂い始めた黒い光がナハトとアスカの身体を癒していく。

 それを受けてアスカも思い出したかのように膝を吐いた。どうやら彼女も相当に限界が来ていたらしい。

 

「あ、れ……?」

 

「揃いも揃って馬鹿みたいにやり合うからそうなる。今は大人しくしておれ」

 

 厳しい口調とは裏腹にディアーチェの瞳は潤んでいて、申し訳なさそうな、不安そうな表情を浮かべていたのを、アスカは薄れゆく意識の中で確かに見たのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 至近でぶつけ合った魔力の影響で爆風が発生し、周囲を視界を奪う程の煙が覆う。その中からシュテルとレヴィは爆風に吹き飛ばされるように飛び出してきた。

 シュテルは腹に爆光破をまともに受けたせいで、その部分のバリアジャケットが消し飛び、肌は焼け焦げて血が滲んでいた。口からも血が滴り落ち、空中にまき散らされた血液はデータの欠片となって消失していく。

 レヴィの怪我も酷い有様で、右半身のバリアジャケットが溶けており、右腕は焼かれたせいで炭化している。ポロポロと腕から黒い欠片が落ちていく様は悲惨すぎて見るに堪えない。

 

「ぐうぅぅっっ……迂闊でした」

 

「ちょ、と。まずいかなぁ……痛くない、痛くない、痛くない……」

 

 それでも彼女たちの闘志は微塵も衰えていなかった。いつもの冷静なシュテルなら戦闘をやめていたし、レヴィだって馬鹿じゃないから休もうとするだろう。しかし、ヒートアップした闘争心が理性を奪っていた。

 彼女たちは当初の目的を忘れ、負けたくない一心で戦っている。それほどまでに楽しいのだからしょうがない。

 

「あは、ねぇねぇシュテるん。本気のバトルは楽しいねぇ」

 

「ふふ、ええ。そうですねレヴィ。このような闘いはいつ以来でしょうか。とても心地よいのは確かです。ですが――」

 

「うん。そろそろ決着を付けようか」

 

 傷ついた躯体を戦闘に支障のないレベルにまで回復させる。元より魔力で構成されたデータで造られた身体。いくら傷つこうとも、身に宿した魔力が尽きぬ限り死ぬことはない。

 だが、そろそろ決着はつけねばならないだろう。死ぬことはないとはいえ、限界はあるのだ。さきの一撃は致命傷と言ってもよく大部分の魔力が散っている。恐らく次に出せる魔法が最後。ならば、最大最強の魔法でもって決着を付ける。弾倉に残された全てのカートリッジを装填。薬莢を排出。

 

「集え明星!  全てを灼き消す、焔と成れ!!」

 

「いくぞ~雷神!! 滅殺ッ!」

 

 今まで繰り出してきた魔法を遥かに凌駕する魔力が二人に収束していく。シュテルの杖、ルシフェリオンには太陽の焔と思えるような光の塊が生まれ、レヴィのバルニフィカスは極光剣よりも遥かに強大な神剣を生み出す。

 どちらの魔法も収束魔法と呼ばれるもの。並みの魔導師では使う事すらできない最強の魔法。その威力は、あらゆる結界を破壊し、防御は意味を為さなず無に帰す。当たれば必殺の威力を叩きだす恐るべき魔法。

 

 それを解き放ち、ぶつかり合えば恐らく、この空間は消滅する。もっとも決着を優先する二人には些末な問題なのだろう。でなければ平気で最強魔法をぶっ放さない。

 

「ルシフェリオォォォン、ブレイカアァァァッ!!」

 

「極ッ光ォォォォッ斬ッッッ!!!」

 

 そして、互いの最強魔法がぶつかり合う瞬間。着弾点に割り込んだ金色の少女がいた。彼女の名はユーリ・エーベルヴァイン。身に膨大な魔力を秘めし者。禍々しくも美しい強大な翼は、巨人の腕のような形に姿を変えて、二つの魔法を受けとめんと構えられた。

 

「喧嘩は、ダメですぅぅぅぅぅっ!!!!」

 

 ユーリの渾身の叫びと共に秘められた魔力が解放され、その瞬間魔法が着弾。周囲を埋め尽くさんばかりの爆発と閃光が響き渡る。

 

「――ユーリッ!!」

 

「……馬鹿なっ!?」

 

 予想外の事態にうろたえる二人の少女。レヴィは純粋にユーリという少女を心配する声をあげた。一方でシュテルはありえない事態に困惑する。あの少女の隠された力。それを感じ取っているシュテルは彼女の身は心配していない。むしろ、目の前で起きている現象に心配する余裕すらない。

 ぶつかり合った収束魔法の威力が予想外に小さかったのだ。それどころか、爆発が瞬時に収まっていく。

 

「うぅ……ちょっと痛かったです…………」

 

 そして、完全に消え去った爆発の中心点にいるユーリの姿はまったくの無傷。

 最強最大の魔法を、下手すれば町の区画を壊滅させる魔法を受けて、ちょっと痛いで済ますユーリにシュテルは戦慄と畏怖を覚えたのだった。

 

 こうして、誤解による決闘はディアーチェの介入とユーリの身を挺した防御によって一応の決着を見た。

 

 



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〇六人目の仲間と潜む“闇”

 夢の海鳴市。校舎の半壊した屋上で四人の少女は正座させられ、腕を組んで仁王立ちする王に大人しく説教された。

 勘違いから始まった決闘とはいえ、殺し合いに近い戦いを繰り広げたのは事実であり、ディアーチェは戦ったことよりも死闘を繰り広げたことに怒り狂っているようだ。四人は怒りの内容を聞いていて、そう思った。

 

――こやつの存在を明かさなかった我にも落ち度はある。仲間を想って戦ううぬらの気持ちも痛いほどわかる。それでも、それでも万が一にも、うぬらを失ったら我はどうすればいい? 我は……我は、うぬらを、失いたく、ないんよ……?

 

 極めつけにマテリアルの一人でも失う可能性があったことで、親しい人に死なれる可能性に怯えていたのだろう。

 怒りが悲しみに転じて涙を流したディアーチェの姿にシュテルはショックを受けて俯き、レヴィとナハトまで泣き出す始末。

 おかげで一人だけ励ます役割になったアスカは苦労した。

 

 そんなこともあったが、誤解から発生した事態は収拾したのだ。

 今はディアーチェ以外に存在を知らなかったユーリの紹介。

 そして、奇しくもマテリアルズの全員がそろうという出来事が起きたために。アスカの発案した、一度みんなの抱える想いや願いを伝え合って目的を見つめ直すというコミュニケーションを行おうとしているところであった。

 

◇ ◇ ◇

 

 聖祥小学校の教室。

 その一室においてマテリアルズは集い、思い思いの場所に陣取っていた。

 アスカ、ナハト、シュテルはかつての自分の席に座り、レヴィは空と黒板が良く見える窓側の一番後ろの席。

 ディアーチェは場を仕切りたいのか黒板を背にして、教卓の前に陣取っていた。

 

 肝心のユーリはというとクラスの転校生が自己紹介するように、教室の前に立たされて恥ずかしそうに俯いている。

 

 余談だが、この教室は『なのは』たちが通っていた自分のクラス。

 そして、話し合う場所に八神家やバニングス邸、月村の屋敷が選ばれず学校の教室が選ばれた理由は小学校に通えなかったディアーチェの希望だからだ。

 理由は一度だけ学校に通った気分を味わってみたかったらしい。

 もう叶わない願いに一同が沈んでしまい、ディアーチェがフォローするのに苦心したのも記憶に新しい。

 

 話が逸れた。

 

 とにかく恥ずかしげに立つユーリは、身体を子犬のように震わせながら深く頭を下げてお辞儀する。

 

「始めましれッ!? 痛ゥ……ゆ、ユーリ・エーベルヴァインです。よろしくお願いひます」

 

 と同時に名を名乗るユーリだが舌を噛んら。失礼。舌を噛んだようだ。

 ものすごい勢いで顔を真っ赤にしてうつむくユーリに、その場にいる皆は微笑みと優しい眼差しを向ける。

 あれほど敵愾心を抱いていたシュテルとナハトもユーリの雰囲気に呑まれたのか、はたまた王が信用している人物だからか定かではないが心を許しているようだ。

 二人の、特にナハトがユーリを見る目は母性に溢れている。三人娘の中でフォロー役に徹していたおかげか、どうも助けてあげたくなるらしい。

 

 もっとも、その役目はディアーチェがするので彼女は口を出さないが。

 

「これこれ、そう緊張するでない。先のことで色々と思う事もあるかもしれぬが、こやつらはうぬを取って食おうなどと考えてはおらぬ。安心せい」

 

「は、はいぃっ、頑張りますディアーチェ」

 

 それでも、一度緊張すると中々ほぐれないものである。

 ガチガチに固まっているユーリの身体。それを揉み解しても彼女はリラックスしきれず、ううぅと唸っている有様だった。

 これでは話が進まないので、仕方なくディアーチェが代わりに紹介することにした。

 

「自己紹介した通り、こやつはユーリ・エーベルヴァイン。我らマテリアルの主にして、紫天の書の盟主よ。何か質問があるなら手を挙げて述べるがいい」

 

「はいは~い!!」

 

「よかろうレヴィ。何でも質問せい」

 

 王様の問い掛けに、元気よく、勢いよく、真っ先に手を上げるレヴィ。

 身を乗り出している彼女は、勢い余って机から転がり落ちそうなので見ている他のマテリアルは内心、冷や汗ものである。

 もっとも、王様はレヴィの威勢の良さに腕を組んで頷いていた。その顔はとても嬉しそうで、きっと自分の友達を紹介したくてウキウキしているのだろう。

 

「ズバリ、王様とユーリはどっちがえらいの?」

 

「ふむ、難しい質問だな。そうさな、大まかな方針を決めるのは我なのだが、立場上はユーリが上位存在にあたる」

 

「ん~~???」

 

「レヴィ。簡単に言うとディアーチェが戦隊のリーダーで、ユーリが司令官のような偉い人なのです」

 

「ああっ、なるほど!」

 

 ディアーチェの言っている意味が分からず、うんうん頭を悩ませていたレヴィだが、シュテルの助け舟によって納得したように手を叩く。

 朝にやっている子供番組のヒーローもので例えられたディアーチェの内心は複雑で、分かってくれたことを喜んでいいような、変な例え方をされて悩んでしまうような、そんな気分。もっとも、数秒で気を取り直したが。

 

「さて、他に質問は? うぬらは特別だから何でも答えてやるぞ?」

 

 やっぱり、ユーリの存在はみんな気になっているのだろう。

 ディアーチェが促すと全員が一斉に手を挙げた。

 

 純粋にユーリのことを興味津々なレヴィ。

 できるだけ正体や秘めた力の詳細を知りたいシュテル。

 ユーリの好きなモノや嫌いなものなど、当たり障りのない質問をしようとしているアスカ。

 逆にディアーチェとの関係を深いところまで知りたいナハト。

 

 理由はそれぞれだが、仲間となる新しい存在を受け入れるために知ろうとしているのは確かだ。

 仲良くするためには、まず相手のことを知らなければ話にならない。

 それを積極的に行う友人たちの姿を嬉しく想いながら、ディアーチェは微笑んで質問に答えていくのだった。

 

 

シュテルの質問。

――ユーリは、どうしてそんなに膨大な、無尽蔵とも言える魔力を秘めているのですか?

 

――私は永遠結晶エグザミアを体内に内包した。いわゆる永久機関。無限の魔力を生成するロストロギア。紫天の書の動力炉みたいなものです。

 

――なるほど、古来から黄金は錆びずに輝き続けることから永遠を象徴する色と言われてきましたが、貴女の特徴にぴったりですね。見事に黄金尽くしです。それほどの力は何かしらの代償があるはずですが、そこのところはどうなのでしょうか?

 

――確かに私だけでは暴走してあらゆる存在を破壊する化身となるでしょう。でも、ディアーチェが制御して抑えつけてますから大丈夫です。

 

――ああ、つまり貴方たちは切っても切れぬ番いの鳥。おしどり夫婦というわけですか。仲睦まじきことは良いことです。

 

――だれが夫婦かっ! 誰がッ!!

 

――? 王よ、違うのですか?

 

――ディアーチェは私のことが嫌いなのでしょうか……? 悲しいです…………

 

――うぬら……もう良い、好きにせい。夫婦でも、親友でも、妻でも、夫でも何とでも表現するがいい。

 

――だから、ディアーチェは大好きです! この好きはいつだって、何度でも伝えますよ~~。

 

――ぬわぁぁぁぁ!? これ、抱きつくでない! 恥ずかしいではないか!? うぬらも笑って見てないで助けよ!!

 

――やはり、夫婦ですね。末永くお幸せに。

 

――アタシは同性愛なんて気にしないから、お幸せに。砂糖吐きそう……ブラックコーヒー。

 

――なら、アスカちゃんも私と付き合う? 禁断のか・ん・け・い・で。

 

――ブッ!? げほげほっ!

 

――冗談だよ?

 

――冗談に聞こえないわよ!!

 

――王様~~!! ボクも王様のことが、マテリアルのみんなが大好きだぞ~~。

 

――レヴィまで我にしがみつくでないっ、暑苦しいわ!!

 

 

アスカの質問

――まあ、アタシは簡単な質問でいいか。ユーリの好きなものと嫌いなものは何かしら? あとは趣味と得意なモノと苦手なモノ。

 

――質問が多いぞアスカ。これではいっぺんに答えられぬわ。

 

――これくらいは普通でしょ? ひとつひとつ、ゆっくりとでいいから答えてみなさいよ。アンタ、人見知り激しそうだから、それを治す練習だとでも思ってさ。

 

――はいぃ。えっとですね。好きなモノはディアーチェです。

 

――好きなものというより、好きな人ね。次。

 

――嫌いなモノは紫天の書に巣食う闇。あれはいかなる手段を講じてでも滅さなければなりません。そのために私は存在するのです。今は亡き聖王陛下と交わした約束を果たす為に私は……

 

――ユーリ? どうしたのよ?

 

――なんかユーリってば急に性格が変わったね。なんというか、カリスマってヤツが溢れてる?

 

――ッ! 闇の書の闇がまだ巣食っているのですか!? だとしたら『はやて』の病は……んんん~~!!?

 

――これ! 余計なことを言うでないユーリ!! その件は我から話すのだ。ユーリの嫌いなモノは嫌われること、壊すこと、怖い人だ!!

 

――王様、なんでシュテルんの口を塞いでるの?

 

――なんでもない!! なんでもないぞ!? 本当なのだぞ!?

 

――……なんか、アタシはとんでもないことを聞いてしまった気がするわ。

 

――だね。シュテルちゃんの追及が始まるよ。私とアスカちゃんも。

 

――趣味はみんなとお喋りしたいです。それと得意なモノは、好きではありませんが破壊することです。苦手なモノは……怒ったアスカです…………怖いです。

 

――って、アタシかいッ!!

 

――ひえぇぇぇ~~怖いです~~!!

 

――まあまあ、アスカちゃん落ち着いて、ね?

 

 

レヴィの質問

――………………

 

――レヴィ? 何でも質問してよいのだぞ?

 

――……ユーリはさ。

 

――なんですかレヴィ?

 

――何このプレッシャー!? 空気が重いのはアタシの気のせいかしら?

 

――気のせいではありません。レヴィ。アホな子に似合わず、とんでもない質問をするようです。

 

――今、さりげなく酷いこと言ったよねシュテルちゃん。

 

――……アイスは何味が好き?

 

――……バニラです。

 

――ユーリィ! キミは分かってるぅ! アイスの王道が何たるかを、共に道を究めようじゃないか同志!!

 

――はいぃ! 目指すはアイスマスターです! 151種類の味をコンプリートするのです!!

 

――たかが、アイスの質問で威圧感だすんじゃないわよ!! 緊張して損したじゃない!!

 

――何を~~、アスりんキミはアイスの――あれ? 王様、急にボクに抱きついてどしたの?

 

――しばらく、このままでいさせておくれ…………

 

――ん~~変な王様。

 

――(ヴィータの面影が、こんな所で残っているなんてなぁ……)

 

 

ナハトの質問

――私はディアちゃんに答えてもらいたいんだけど、ユーリの禁則事項って、いくつなの?

 

――な、ナハト!? 何を聞いてるんですか!! ッそんなの秘密に……

 

――ああそれはな。禁則事項に自主規制で閲覧不可能だ。

 

――ディアーチェも答えないでください!!!

 

――へぇ、揉みがいがありそうだね。食べていい?

 

――だろう? しかし、ユーリは我の嫁よ。やらんぞ?

 

――……どうせアタシは貧乳なのよ、つるぺたのままなのよ…………

 

――あれぇ、アスりんどうして泣いて、ひゃんっ!! シュテるんなにすんのさぁっ!!

 

――意外とレヴィの胸はおっきいのですね。ふむ、いずれは私も王を喜ばせるような胸を獲得できるのでしょうか?

 

――シュテるん何の話? どうして自分のおっぱいを揉んでるの? アスりんは何で泣いてるの?

 

――レヴィは良い子ですね。でも、知らなくてもいいんですよ。大人の話です。

 

――大人になれば分かるの!?

 

――ええ、大人になれると良いですね。

 

――うん、ボク、がんばるよ!!

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーリを中心に真面目な話題、お馬鹿な話、エッチな質問で盛り上がるマテリアル達。

 久しぶりに味わう楽しい時間、心地よい感覚に誰もが一時すべてを忘れて楽しんでいた。

 そう、不意にあらゆる存在を呑み込まんとする無粋な存在が現れるまでは平和な時間を過ごせていたのだ。

 

 気配すらなかった"ソイツ"は楽しい空間にいきなり現れて雰囲気をぶち壊しにする。

 

「えっ? あ、あぁ……なん、で………?」

 

 その存在に初めに気が付いたのはナハト。

 彼女は何かを感じたかと思うと、ソレの正体に気が付いて感情を表す獣耳と尻尾を委縮させてしまう。 

 机にうずくまり、怯えたように震える彼女の顔は蒼白で、呼吸もだんだんと乱れていく。怖くて怖くてたまらない。

 心臓の鼓動が早くなっていって眩暈がして、息をするのも苦しくて吐きそうなくらいだ。

 

「ナハト、どうしたのよ!!」

 

「アスカ! ナハトを抱いて安心させなさい!! 何かが、変です。何かこの教室に潜んでいる?」

 

 そんな様子を見れば誰だって異変に気が付く。

 ナハトに心配そうに駆け寄るアスカは、シュテルの指示を聞いて怯える少女を背中から抱きしめる。強く、強く、存在を感じさせるように。

 

 シュテルは、その利き手に相棒を模した魔杖。ルシフェリオンハートを生成すると周囲を警戒するように身構えた。

 何が潜んでいるのか、そいつの正体と居場所を特定しようと教室の周囲を鋭い視線で見回す。射殺すような視線。それに違わずシュテルは見つけ次第、仲間を害する存在を焼滅させるつもりだ。

 相手を理解することも、弁明の余地すら与えない。仲間を、家族を害する存在は全て敵である。

 

 ディアーチェとユーリは目を閉じて、何かを感じるように集中し、表情を険しくさせていた。恐らく二人は潜んでいるモノの正体を知っている。

 説明しないのは余計な混乱を与えない為か、それともする余裕がないのか。

 

「なになに~~? みんなどうしたの。怖い顔しちゃってさ」

 

 レヴィは何もわかっていないような顔をして、周囲をニコニコと見回していた。

 しかし、顔は天使のように可愛らしい笑顔を浮かべていても、その瞳は一切も笑っていない。恐ろしく冷たい目つきだ。

 現にバルニフィカスをさりげなく握っているのがその証拠。恐らく、敵を見つけたら即座に切り捨てるのは彼女だろう。

 アホみたいに笑っているのは彼女なりに場を和ませるための手段なのだ。

 

 それぞれが独自の判断で教室のあたりを警戒する。

 バラバラに動いて連携すらあったものではないが、ナハトを中心にして自然と防御陣を展開しているあたり、抜け目はない。

 誰が襲われても即座に庇えるようにしている。それほど絆は深く強い。

 

「そこだぁ!!」

 

 そして、即座に切り捨てたのは、やはりレヴィだった。

 いや、潜んでいたモノを発見したといったほうが正しいか。

 バルニフィカスを振るって飛ばした光翼斬。水色の光の鎌、その刃の部分を飛ばす魔法が教室の後ろに設置されたロッカーの扉を粉砕する。

 だが、そこから出て来たモノの正体を視たレヴィは、委縮して尻餅をついてしまう。

 

「な、なに…あれ、うぐッ……」

 

 ロッカーの扉を"入口"という媒介にして出てこようとするソレ。

 あまりにもおぞましく、直視できない、視たくもない存在にレヴィは震えが止まらない。

 気持ち悪い。見たくない。目が離せない。怖い、震えが止まらなくて吐きそう。恐ろしい。誰か助けて。

 そんな思いがレヴィの心を占めて、身体が恐怖で動かなくなってしまった。もはや彼女の戦闘力は皆無に等しい。

 

 一瞬で二人の戦意を損失させる存在。

 

 ソイツは人の形をしていなかった。いや、人ですらない。

 黒い闇。霧のような靄が凝縮してできた存在に見える。底知れぬ暗い闇。

 偽りとはいえ、窓から差し込む夕日の光。それを反射すらせずに呑みこむ様は、まさに暗黒天体(ブラックホール)だ。

 

 シュテルは"闇"を見据えて、視線を逸らさない。

 彼女は既に耐性がある。この程度の絶望で屈したりはしない。何があっても自身の存在が滅するまで戦うことをやめないだろう。

 レヴィを庇うように前に立ち、ルシフェリオンを構えていつでも眼前の敵を滅殺できるように準備は怠らない。

 なにより、シュテルは"闇"に借りがあるのだ。ここで何倍にもして返せると思うと、胸の内から闘争心が湧いて身体を奮い立たせる。

 

「久しぶりですね。さっきは貴様のおかげで私もナハトも酷い目に遭いましたよ。おまけに大切な仲間を勘違いして傷つけた。我ながら最悪です。だというのに、また、仲間を怯えさせて苦しめるとは。今度こそ跡形もなく灼き……王様?」

 

「さがっておれ。こやつは我が滅する。なにより攻撃魔法ではコイツは退けられぬ。何度も再生してしつこく襲ってくるぞ」

 

 そんなシュテルを制止したのはディアーチェだった。シュテルの肩を掴んで優しく後ろに下がらせる王。

 彼女は普段しまっている闇色の翼を背中から六翼生やすと、溢れ出てくる闇に向けて右手を向ける。

 

「今は亡きリインフォース。我が身に力を託して消えた祝福の風よ。どうか力を貸してほしい、闇を退ける力を」

 

 謳うように言葉を紡ぐディアーチェ。言葉は旋律となり、音は歌となって教室に響く。

 シュテルを遥かに凌駕する。それこそユーリと同等の魔力がディアーチェの内から湧き上がり、魔法を作り上げていく。

 足元に紫黒のベルカ式魔法陣が広がり、紫黒の光の粒子が周囲を漂うように舞った。

 まるで黒い雪のように見える幻想的な光景。だが、シュテルは謳うディアーチェの声に心を奪われていた。

 

 彼女の謳う声は美しく、どこか悲しい。まるで泣きながら子守唄歌っているようで、誰かを想って泣いているように聞こえて、聞いてるシュテルまで悲しくなる。切なくてたまらなくなる。

 ふと、ディアーチェが謳うのはやめた。どうやら魔法が完成したようだ。

 

「失せろ、紫天の書に巣食う闇め。我が生きているうちは貴様らの思い通りにはさせん。疾く消え失せるがいい。干渉制御プログラム起動。対象を紫天の書のバクとして抹消する」

 

 放たれた魔法が無数の白い光となって這い出る闇に群がると、その姿を跡形もなく消し去ってしまった。

 それを確認するとディアーチェは翼を収めて、魔力を静める。

 だが、シュテルが何か聞きたそうにディアーチェを見ていて、だから、優しく微笑んでシュテルの頭を撫でた。

 

「別に頭をなでて欲しいわけではありませんよディアーチェ」

 

「ふっ、案ずるなシュテルよ。ちゃんと全てを説明してやる。その前に皆を安心させねばならぬであろう?」

 

 そう言って微笑む、どこか決意を秘めたディアーチェ。

 けれど、どこか無理をしているような、何かを騙そうと必死になっているような表情にシュテルは不安になるしかなかった。

 

 



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〇真実と想いを見つめ直して 絶望と希望

 

 あれから、"闇"に怯えたレヴィとナハトを安心させたシュテルやアスカ。

 想定外の事態によって場の雰囲気は一変してしまい、楽しい話題を続けるような気分ではない。

 仕方なくディアーチェは本題に入ることにした。

 

 ディアーチェは教卓の前に立ち、他の皆はできるだけ固まって教室の席に付いている。

 黒板にはチョークを使って綺麗な字で"紫天の書の真実、空白の幾百年の説明会"と題名が書かれ、下に小さく"聞かせてみんなの想い"とか副題が書いてあった。

 文字の周りにはデフォルメされた皆の絵が可愛らしく描かれていて、シリアスな雰囲気をぶち壊そうと頑張った跡。

 字はシュテルで、絵はレヴィ作。

 

「さて、色々と語りつくす前に。まずはうぬらの想いとやらを聞かせて貰おう。うぬらはは何を望むのだ?」

 

「王よ、私から語りましょう」

 

「よかろう。シュテル、話してみよ」

 

 シュテルは頷いて立ち上がると皆に言い聞かせるように話した。

 自分が抱く本当の望み。心から願うことを。

 そして、自身の過去に何があったのかを。

 

「では、私の過去と望みを、本当に抱く望みを告げましょう」

 

「私の母は、高町桃子は私が幼い頃にテロリストにさらわれ、殺されてしまったと聞いています。父である士郎の目の前で。それ以来、高町家は復讐の為に不破へと家名を変えてしまいました。私も身を護る為に父や姉から暗殺術を、護身の業として叩き込まれています」

 

「それ故に、私の家庭は酷く荒んでいて、私の心も随分と枯れている。今の私が酷く大人びているのは、そのせいなのですよ。守るべき大切な人がいた兄の恭也がいなければ、私は壊れてしまっていたでしょう。兄が優しくしてくれたから、私は私でいられるのです」

 

「復讐に燃える父や姉の美由希も酷かった。日々を過ごしていくうちに、心も身体も擦り減っているのが目に見えて分かりました。優しかった性格も荒んで行って荒れて行きました。誰かを殺した日には血の匂いが酷くて、何処か、後悔しているようでした。ですから……私は大切な皆にそんな風には成って欲しくないのです。復讐はすべきではないでしょう」

 

「だからこそ、私の望みは誰にも邪魔されずに、静かで平和に暮らすことです。平穏な日常に憧れがないと言えば嘘になりますから。そして、その日常には大切な親友が、貴女たちが必要なのです……家族として」

 

「これが、私の抱く本当の望みです」

 

「なっ……」

 

「うぅ、シュテル。貴女は本当に辛い過去を過ごしてきたのですね」

 

 ただ淡々と、まるで他人事のように己の過去を語るシュテルだが、その内容は誰が聞いても壮絶と言えるほどで、正直泣きたいであろう本人に代わってディアーチェとユーリが涙を浮かべていた。

 幼い頃に母親を失う経験はとても辛い。ディアーチェだって物心つく前に両親を事故で失ったから良く分かるし、ユーリはベルカの戦乱時代に生きていた経験から親しい人を何度も損失して、その痛みを少しでも理解している。

 それでも耐えられたのは代わりに慰め、心の隙間を埋めてくれた大切な人がいたからだ。ディアーチェには家族である守護騎士や姉のように親身になって接してくれた石田先生。ユーリにも生き残った仲間やオリヴィエ聖王陛下、親兄妹のように親しい聖王騎士団の方々がいた。でも、シュテルには本来傷ついて、枯れた心を癒してくれる家族がトラウマのような存在に変わってしまった。

 それはなんと悲しくて、辛いことなのだろう。ディアーチェが同じ立場だったら確実に潰れていた。

 毎日、身を護るための訓練を積み重ね、家族は復讐に飛び回って家を空けていて、帰って来ても血に塗れて以前とは別人になっていく。どこか近くて遠い家族との距離、疎外感。だから誰かがいても孤独だと感じてしまう。独りぼっちになる。そんな日々を想像しただけでディアーチェは耐えられない。

 シュテルは本当に強い子だとディアーチェは思う。彼女はいつだって涙を流したことがない。悲しいときも、辛い時も、嬉しくても、どんな状況になっても一切の涙を流さない。少なくともディアーチェはその姿を見たことがなかった。

 心が壊れて感情が麻痺してしまったわけではない。本人は心が枯れていると言っていても、シュテルを見ていたディアーチェには彼女がうっすらとだが微笑み、静かに怒り、他人の悲しみに憂いの表情を見せることができるのを知っている。

 きっと、泣くことをやめたのだ。強く在ろうとしなければならなかったから、泣いてはいけないと自分に言い聞かせて涙を殺してしまった。

 それはなんと悲しいことだろうか? 涙を流して辛いことや苦しいことを押し流すことができず、自分の心に溜めるしかできないのだ。それでも耐えることしかできないシュテル。

 そのことを、シュテルを想うといても立ってもいられなくなってディアーチェは、気が付けばシュテルを抱き締めていた。

 

「王……?」

 

「うぬは、うぬは泣けぬから我が代わりに泣いてやる。い、言っておくが同情とかではないからな!? ただ、王たる我が涙を流せぬ哀れな臣下の為に泣いてやるだけだぞ!? 決して……決してうぬの境遇が、ひぐっ……」

 

「まったく、王は泣き虫です。上に立つ者は安易に涙を見せてはいけないのですよ?」

 

「分かっておる! わかって、おる……っ」

 

 マテリアルと心の一部が繋がっているディアーチェは、親友たちの抱いている陰りを理解しているつもりでいた。だが、とんでもない。本当は感じていただけでこれっぽっちも抱えた傷を理解できてなどいなかったのだ。

 何かを抱えているのは分かっていた。出会った時から何処か仮面を被って、何かを隠しているのは気が付いていた。

 けれどそれはディアーチェの自惚れだったのだ。彼女たちの抱える闇は想像以上に深く、大きい。ディアーチェごときが傷を完全に癒すことなどできない。

 代わりに涙を流すことしかできない自分をディアーチェは悔しく思う。逆に慰められてあやす様に背中をたたかれている自身を情けなく思う。彼女たちの心の傷をできるなら癒して、理不尽にも巻き込んで奪ってしまった未来を返すつもりだったのに、結局は辛い思いをさせるだけなのだろうか?

 このまま、彼女たちを家に帰しても辛い日々が待っているだけ。生まれ変わらせることは間違いだったのだろうか?

 ディアーチェの決意が乱れて、揺れ動く。本当に自分が正しいことをしているのか分からなくなる。

 そんなディアーチェを落ち着かせるように、優しい声でシュテルが耳元に語りかけてきた。

 

「ディアーチェ。私の為に涙を流してくれてありがとう。でも、悪いことばかりでなかったのです。自分の人生を生きてきて私はかけがいのない親友を得ることができました。それに、私の為に涙を流してくれた人は貴女で四人目です。ユーリを含めれば五人目」

 

「あっ……」

 

 そう言ってシュテルはディアーチェの肩を優しく抱いて、ゆっくりと身体を教室を見回せるように振り向かせる。

 そこには優しげに微笑む三人の少女たち。アスカ、レヴィ、ナハトの姿。

 そう、ディアーチェよりも長い間シュテルと付き合ってきた彼女たちが、悲惨な過去を知らぬはずがないのだ。何よりシュテルの家に訪れた時にギクシャクした家族関係を見れば嫌でも気が付く。訓練した時に増えていく生傷や痣、どこか暗い雰囲気を纏う親友。気付けない方がおかしい。

 彼女たちはシュテルの凄惨な過去を知って、同じように泣き、改善しようと奮闘して失敗し、それならば潰れないように支えようと決意した。

 優しく接してくれた兄の恭也。慈愛に満ちて母親代わりになってくれた忍。そして、自分にはない明るさと優しさを持つ親友の少女たち。

 これらの要素があったからこそ、シュテルは心が潰れずに生き抜いてこれたのだから。

 

 "私を想って泣いてくれてありがとう"

 

 他人の為に涙を流してくれた優しい少女に、心の底からの感謝と微笑みを浮かべたシュテルはとっても綺麗で。

 その場にいた全員が見惚れてしまうくらいに美しかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その後も気を取り直して、自身の想いを伝え合ったマテリアルだったが、レヴィとナハトは抱えた過去の闇まで話そうとはしなかった。

 まあ、出来なかったという方が正しいのだが。とにかく、何も言おうとしない二人に対して、他の四人も追求しようとはせず、いつか話してくれることだけを約束するに留まった。

 だからだろうか、その分アスカが張り切って明るい過去や日常生活を語りまくったのが印象的だった。

 

 さておき、各マテリアルの抱く望みを要約するとこうなる。

 

 レヴィは"みんなとずっと一緒にいること"を望んだ。最愛の母を失い、敬愛する魔法の師を失い、半身である使い魔さえ己の手から零れ落ちた少女の願いは、なるほどと納得させるには充分すぎる願い。三度も親しい人の損失という恐怖を経験したが故に今度こそは手放したくないのだろう。

 

 アスカは"みんなを護れるだけの力が欲しい"と語る。マテリアルとして転生する前は普通の女の子でしかなかった彼女。『なのは』が魔法少女になったときは力になってあげられなかった。事情に踏み込めず、まともな相談すらしてあげられない。あまつさえ、病院の闇の書封印事件では何もできずに殺されたのだ。ならば、無力な自分を嘆いて誰かを護ろうとするのも、現在進行形で力を手にしようとするのも納得できる。

 

 ナハトは"受け入れてほしい"と願う。人間からすれば化け物として恐れられる夜の一族としての体質・能力。たとえ親友であっても、抱えた異質を垣間見て畏怖し、友人関係に亀裂が走るのはよくあること。だからこそ異端の力を持つ少女は、内に秘密を抱えたまま過ごすしかない。いずれ崩壊するかもしれない関係に恐怖して、日々を過ごすのは辛いのだろう。なら受け入れてほしいという願いも納得できる。

 

 もっとも、それを口にする少女は臆病で内気な性格だから叶えるのには時間を要するが。

 

 ユーリは"誰かの役に立つことを"嬉しいと言う。彼女の力は扱い方を誤れば周囲に甚大な破壊をもたらすらしい。そんな恐ろしい力を持つ自分でも何かの役に立てば嬉しいと語る少女。過去には誰かに仕え、その人に喜んでもらうことが生きがいだったらしい。成程。ならば誰かのお役に立てること。主従における従者の立場において、主が喜ぶことは従者にとっても嬉しいことだ。これも納得できる。

 

「うぬらの望みは分かった。今度は我の番だな。まず、我はうぬらを巻き込んで奪ってしまった人生を返してやりたい。だから、地球に帰ったときは家族の元に戻って過ごしてもよい。そして、先も述べていた通り、我の真の望みは復讐すること」

 

「あの身体が徐々に凍てついていく感覚。我を何もない虚数に堕とし、悠久の孤独を味あわせてくれた憎しみ。目の前で家族や親友を奪った絶望。我は一時たりとも忘れてはおらぬ……」

 

 だが、王の語る望みはどこか納得できないとシュテルは感じた。

 恨みを抱いているのも、憎しみが胸の内でくすぶっているのも本当のことだろう。でも、本当の望みは別にあるのではないか?

 かつて『はやて』として生きてきた少女は優しすぎる子だった。それが、短い間だったが共に過ごしてきてシュテルが分かったことだ。

 いきなり現れた見ず知らずの守護騎士に怯えず、道具として使われていた彼らを家族として迎え入れ、自身が助かる為に他人を傷つけ蒐集することを強く拒んだ『はやて』。そんな女の子が本当に復讐という行為を望んでいるのか? 

 家族が己の在り方を歪めてまで抱いた憎悪と憤怒は内面を変えるには充分だとシュテルは知っている。側でずっとずっと見てきたシュテルだからこそ分かる。憎しみに捕らわれた人間は見境がなくなる。怒り狂い、シュテルに対して厳しく接するようになった士郎と美由希が良い例だ。

 復讐の対象と関係者は徹底的に皆殺しにして殲滅する。自身がその過程でどうなろうともなりふり構わず。それが復讐者の在り方。直接的にしろ間接的にしろ容赦はしない。

 

 レヴィとナハトが時空管理局に接触して局員を傷つけたとき、彼女たちは苦しめるように、いたぶるかのように戦ったとアスカから聞いていたが、殺す気ならば一瞬で殺せたはずである。彼女たちはそれほどの実力を持っているから充分に可能。

 だから本当に復讐を望み、怒り狂い、憎悪と憤怒に捕らわれているならば、その時に局員を殺していた。それをしなかったという事は心のどこかで復讐を望んでいないのだろう。

 それに人を、同族を殺すという行為は多大な精神力を必要とする。戦争に行った兵士が心に癒せないほどの傷を負って帰ってくるのはよくある話。日々、厳しい訓練を積んで、心身を鍛えた人間でさえ耐えられないのだ。それまで平和に抱かれていた子供に簡単に人は殺せない。

 仕方なかったとはいえ、シュテルだって人を初めて殺した時は寝込み、何日も嘔吐して悪夢にうなされ続け、しまいには性格を変えてしまうくらいに心が壊れてしまったのだから。

 恐らくディアーチェも、レヴィも、ナハトも、誰かに抱えた憤りをぶつけたいだけなのだ。子供が癇癪を起してストレスを発散させるようなモノ。シュテルはそう考える。

 ならば、導き出される結論としてはディアーチェの言っている望みは嘘だ。

 

「王――」

 

 シュテルはディアーチェの言葉を遮る。これ以上の無駄な話は不要だと言わんばかりに。

 

「茶番はよろしいのです。本当のことを話してください。貴女が何を隠して、何を望んでいるのか」

 

「ぅ……」

 

 闇を凝縮したような瞳から感情が覗き、有無を言わさぬ視線がディアーチェを射抜く。嘘は許さないと訴えかける。

 そのシュテルの迫力に押されてディアーチェは少しだけ後ずさった。周りを見れば他のマテリアルも同じように黙ってディアーチェを見据えていて。彼女たちが何も言わないのはシュテルを信じて任せているが故か。

 

 ディアーチェの瞳が不安で揺れる。心がくじけて泣きそうになる。纏っている虚勢と強がりの仮面が剥がれ落ちそうだ。

 親友であるマテリアル達に問い詰められたのは初めてのこと。否。長い間に孤独を過ごしてきた『はやて』にとって友人と過ごすというのは経験が少ない、未知なる領域だ。"友達と何かをする"ということに慣れていない彼女にとっては遊ぶことも、喧嘩することも、共に泣き、笑うという事も新鮮で、同時に酷く恐れる。

 もし、喧嘩して仲直りできなかったらどうしよう。思わず傷つけるような言葉を言って嫌われたらどうしよう。真実を伝えて彼女たちは壊れたりしないだろうか? どうすればいいんだろう? そういった想いがディアーチェの頭を駆け巡っていく。どうしようもなく不安になる。

 対人経験というモノが少ない彼女はどこまで踏み込んでいいのかが分からない。嫌なことをしないように配慮するのは慣れていても、何処まで嫌なことを言って、そういうことをして許されるのか。その境界線が判断できない。

 

 ディアーチェはすがるようにユーリを見詰めた。ディアーチェと共にあり、支え合ってきた半身。そんな彼女に意見を求めるように視線で訴えかける。

 ディアーチェよりも経験の豊富な彼女なら教えて良いのかどうか判断をしてくれると信じて。けれど、ユーリは目を閉じて首を振るだけで何も言わない。自分で考えろという事なのか、分からないという事なのか判断できないが、助けは得られないというのは確かだ。

 

「はぁっ……ひゅうっ……ひゅうっ……」

 

 怖い、怖い、一人は怖い。孤独は怖い。動悸がする。眩暈がして、呼吸ができなくて苦しい。皆に見つめられている状況が怖い。何も言ってくれないユーリは自分を嫌ってしまったのか? 分からない。今の状況が自身を責めているような気がして、ディアーチェは身体を震わせる。

 

「落ち着いて、大丈夫ですよ」

 

 怯える少女を救ったのは、問い詰めていたはずのシュテル。ディアーチェの身体を抱き締めて、安心させるように心臓の鼓動を聞かせる。

 暖かな温もりが、肌を通してディアーチェに伝わる。それは、遠い記憶の彼方に置いてきてしまった、家族と過ごした時間の中で経験した安息を思い出させるのには充分で。

 苦しかった呼吸が楽になる、暖かな温もりをもっと感じて居たくて、抱いてくれるシュテルにディアーチェはすがりつく。

 

 ぎゅっと、防護服の裾を掴む少女が愛おしくて、色んなことに打ちのめされて震える少女を護りたくて、そんな想いと共にシュテルは安心させるように抱きしめ続ける。

 この想いが自分のモノなのか、守護騎士『シャマル』のモノなのか知らないが、どちらだって構わない。

 腕の中で震える少女を安心させて、勇気づけて前に進ませることができればそれでいい。

 

「安心して。それとも『はやて』には私達のことが信用できませんか?」

 

「そんなことはない……そんなことない……」

 

「なら、もう一度、何も考えずに、疑心暗鬼にならないで、皆の瞳を見てください。だいじょうぶ。きっと貴女なら分かるはずです」

 

 優しい声音で、暖かな声でディアーチェに語りかけるシュテル。震える少女の不安を取り除くように背をトントンと叩いてあやし、ゆっくりと少女を見ている親友たちに振り向かせる。側にいることを確かめさせるためにシュテルはディアーチェの肩から手を離さない。

 ディアーチェはもう限界だった。王として振る舞うための仮面が剥がれ落ちる。強がりと虚勢でできた偽りの自分を演じることができない。

 だから、今度は『はやて』としてマテリアルの少女たちと向き合う。弱い『はやて』の心は親友であるはずの少女たちでも震えを抑えることができない。信じていた保護者代わりのひとに裏切られ、闇の書に殺された被害者の遺族だった局員に憎悪をぶつけられ、巻き込んで死なせてしまった人たちにありったけの罪悪感と申し訳なさでいっぱいな『はやて』ではしょうがないのかもしれないが。

 でも、今度は温もりを感じる。聞いていると安心する鼓動の音が聞こえる。一人じゃないからきっと大丈夫。

 

 『はやて』はレヴィを見る。アスカを見る。ナハトを見る。ユーリを見る。シュテルを感じる。

 皆が真剣な表情と瞳で『はやて』を見ていて、ひとりの少女が優しげに抱きしめてくれている。

 

「あ……あぁ……!!」

 

 伝わってくる。皆の想いが視線を通じて『はやて』の中に流れ込んでくる。言葉にして伝えないのは、心の奥底まで響かないからなのか分からない。いや、きっと信じているのかもしれない。言葉にしなければ伝わらないこともあるが、言葉にしなくても伝わる想いはある。

 それとも、紫天の書を媒介に繋がっているマテリアル達の絆のおかげだろうか? 

 理由は分からないが、『はやて』の中に伝えたい想いが流れ込んでくる。

 

――王様。ううん、『はやて』。お願いだから本当のことを教えて。一人で抱え込まないで

 

――逃げんじゃないわよ! アタシ達を頼りなさい! 友達だから、一緒に抱えてあげるから、逃げないで!!

 

――私の言えた義理じゃないけど。『はやて』ちゃんの隠してる辛いこと、悲しいことを伝えて。お願い。一人で泣かないで。

 

――ディアーチェ。いいえ、八神『はやて』。彼女たちを信じましょう。大丈夫ですよ。どんな結果になっても私は傍に居ますから。

 

 レヴィの想いが、アスカの想いが、ナハトの想いが、ユーリの想いが伝わってくる。

 みんな『はやて』のことを信じてくれてる。心から信頼してくれている。身を案じて心配してくれている。

 信じていいのだろうか? 巻き込んでしまっても良いのだろうか? 一緒に重荷を背負わせてしまってもよいのだろうか?

 不安で、怖くて、泣きそうになる。本当に話してしまっても、少しだけ楽になっても良いのだろうか?

 

「本当に、わたしは話してもええの……? 楽になってもいいんかなぁ……?」

 

 それは確認。前に進んでよいのかどうかの問い掛け。不安と恐怖に怯える少女が訴える言葉。勇気を出して進もうとする少女が伝えた精一杯の意思。

 けど、一生懸命に勇気を出して伝えた想いを、『はやて』を抱き締めている少女はいとも簡単に。

 

「ええ。楽になっていいんです。貴女は思い悩む必要も、自責の念で苦しむ必要もない。一人で抱える必要なんてどこにもないんですよ」

 

 いとも簡単に肯定した。

 ずるいと『はやて』は思う。シュテルは、『なのは』はいつだってずるい。

 『はやて』の意思を汲んで、何を考えているのか、何を隠しているのか見抜いて。逃げ道を塞いで自分から言わせて。

 それでいて、頑張って勇気を出して伝えた『はやて』の意思を後押しする。

 いつだって自分の事は棚に上げて、抱えてる隠し事は言わないのに。

 しかし、今はそれが堪らなく心強い。

 

 幾百年と闇を抱え込んできた少女は、ようやく抱えた秘密を打ち明ける決心をするのであった。

 

◇ ◇ ◇

 

「何から話したらええんかな、うん。そうやね、あの闇は紫天の書に巣食う闇。"闇"は絶望を糧に活性化するんよ。だから、かつてこれが闇の書だった時に取り込んだ人々の意識に悪夢を見せてる。シュテルとナハトはそれに巻き込まれたんよ。二人から聞いて、感じた過去は陰りがあり過ぎるからなぁ。それを刺激して、トラウマを見せたんだと思う」

 

 そう言って『はやて』は手にした書を見せるように掲げた。

 鮮やかな紫の表紙に金の装飾が施された本が、あの闇の書の生まれ変わりだという。

 確かに面影はある。装飾が同じで形も大きさも闇の書と一致する。違うのは表紙の色だけだろう。

 しかし、闇の書から感じられた禍々しい雰囲気が消えているのは何故だろう。おかげでシュテルもレヴィも気が付けなかった。

 

「ユーリが夢を見せるわけはなぁ、"闇"の見せる悪夢から捕らわれた人々を救うため。レヴィのトラウマを刺激して悪夢を見なかったのは、ユーリのおかげなんよ。ようは光と闇の喰いあい、潰し合いやね。どちらかが力尽きるまで終わらない」

 

「そして、決着はついてる。わたしとユーリは、いずれ紫天の書の闇に喰われる運命(さだめ)なんや……」

 

 悲しそうに言って『はやて』は俯いた。冗談でも嘘を言っている訳でもない。

 ユーリも何処か諦めたかのように俯いて、黙り込んでしまった。シュテルが目を合わせると彼女は静かに逸らす。

 それだけでシュテルは悟ってしまう。もう、どうしようもないのだと……

 それでも、諦めるわけにはいかない。諦めたら本当に終わってしまう。

 

「ッ……避ける方法はないのですか?」

 

「えっ……王様とユーリ消えちゃうの!? そんなのヤダァ!!」

 

 シュテルが何かないのかと希望にすがるように問い掛け、レヴィが泣きそうになりながら駄々っ子のみたいに、やだやだとうわ言を繰り返す。

 でも、『はやて』もユーリも静かに首を振るだけで何も言わない。

 『はやて』は唇を噛み締める。こんな絶望を与えるくらいなら、みんなに心配を掛けるくらいなら、何も言わずに消えてしまった方が良かった。

 

「安心してええよ? 闇の書の闇の残滓はわたしらが消滅する瞬間に道連れにする。みんなはシステムから切り離して……」

 

 だから、せめて安心させるように言う。皆のことは巻き込まず、『はやて』とユーリだけが業を抱えて消え去ることを伝える。元より親友である彼女たちを滅びの運命に付き合わせるつもりなどない。

 

 気が付けば、『はやて』は頬を叩かれていた。力の限り。乾いた音が教室に響き渡り、唖然とした様子で『はやて』は目の前の人物を見つめる。

 アスカが泣きそうな、ううん、泣きながら怒っていた。吐息が荒く、彼女がどうしようもないほど怒り狂っている様子を端的に表していて。

 今にも身を乗り出して『はやて』に掴みかかろうとするアスカを、ナハトが懸命に後ろから羽交い絞めにして抑えていた。

 よく見れば、ナハトも辛そうだ。たぶん、死ぬしかない現実が信じられなくて嘆いている。それに、アスカの気持ちが痛いほどに分かっていて、でも冷静な部分では憤っても仕方ないと理解しているからアスカを止めているのだ。

 

「ふざけんじゃないわよっ!! なによアンタ! アタシ達を蘇らせるだけ勝手に蘇らせといて、自分たちは死にます? 冗談じゃないわ!!」

 

「――痛ゥ、ご、ごめ…ごめんなさい。ごめんなさい……」

 

「ぐ、ぎぎ……」

 

 アスカが泣き叫んで叫ぶ。謝る親友を見て、友達を引っ叩いた自分に憤って砕けんばかりに歯を食いしばる。

 許せない。どうしようもない理不尽な未来を与えられて、今も避けようのない運命を押し付ける神様が憎い。『はやて』は何か悪いことをしたのだろうか。ディアーチェは復讐をしようとしたかもしれない。でも、『はやて』という女の子だったときは何も悪いことをしていない。

 どうして、こんなことばっかりなのだ。こんなはずじゃないことばかりなんだと憤る。

 何もできない自分も、友達の前で平然と自殺すると言ってのける女の子も、どうしようもない世界も何もかもが許せない。

 あげくに、『はやて』に当たり散らしているアスカという存在はもっと許せない。

 怒って、叫んで、泣かずには……いられない。

 悔しい。『はやて』が死にゆく運命を見つめて、死にたくないだろうに抱え込んで誰にも知られないよう決意していた。それに気が付いてあげられなかったことが、どうしようもなく悔しい。愚かな自分自身が憎い。

 そもそも、あれからどれくらいの時間が経った? この少女は自分たちが蘇るまで、どれくらいの時間を孤独に過ごしてきたのだ?

 もっと早くに目覚めていればと、悔やまずにはいられない。友達は一緒に居て楽しい存在で、悩んでいる時は互いに助け合う。だからアスカは皆で『はやて』のことを助けてあげられればよかったと憤った。

 また、アスカは悩んでいる親友を救えなかったのだ。これで三度目。

 畜生ッ!! と叫んでナハトから離れたアスカは、机を叩き潰した。マテリアルになって強化された膂力が木製の部分を叩き割ったのだ。

 物に怒りをぶつけてもどうしようもないことは分かっている。でも、そうせずにはいられない。

 

「落ち着いて、『アリサ』ちゃん。ディアちゃん何か助かる方法はないの? 諦めないで生きようよっ!! きっと何かある。絶対に方法はあるから!!」

 

 ナハトがなだめるようにアスカに声を掛ける。叩き潰した時に傷ついた拳を優しく労わる様に包んで、指が喰いこんで血を流すほど握られた手から力を抜かせる。治癒魔法で怪我を癒す。

 そして、訴えかけるように『はやて』に諦めないでと叫ぶ。図書館で偶然知り合った親友。互いに本が好きで意気投合した友達を失いたくない。その想いは『すずか』だって同じ。皆と同じ気持ちなのだ。

 でも、どんなに叫んでも運命は変わらない。

 

「……無理なんよ。数えるのも億劫な程の年月をかけて、方法を模索したんやけど無駄だった。せめて書の管制人格が、リィンフォースが生きていればあるいは何とかなったのかもしれない。でも、全部過ぎ去ったことなんよ」

 

 教室に沈黙が舞い降りた。何という事だろう。何と残酷なんだろう。

 真実を知った、その先は絶望しかないとは。

 シュテルは顔を片手で覆って天を仰いだ。いつも皆を不安にさせないように無表情と冷静さを装っているが、隠した顔の内でちょっとだけ弱さを見せる。

 誰にも知られぬよう、気付かぬうちに一筋の涙を流していたシュテルは、泣いた事実から目を背けて気持ちを繰り替えた。

 滅びゆくという現状は理解できた。けど、全てを知ったわけではないのだ。

 諦めていないのはシュテルだって同じ。だからこそ、まずは全てを知る必要がある。

 

「……置かれている状況は理解しました。その調子で話してください。『はやて』の隠している隠しごと。全部。全部です」

 

「…………『なのは』ちゃんはみんなお見通しなんやね……」

 

「これでも理のマテリアルですから。考えるのは、推理と推察は得意なんです」

 

 そこで、シュテルは言葉を区切った。

 意味深いように思わせて、皆の意識を集める。予想通り、『はやて』とユーリ以外がまだ何かあるのかと、意識を向けた。

 それを確認した後、シュテルは言い放つ。まだ、何も終わっていないと。

 

「みんな、覚悟してください。これから話す真実は、私達、ううん、王以外のマテリアルにとってきっと残酷なことですから」

 

 ずるい、やっぱり『なのは』はずるいと『はやて』は思うしかない。

 また、逃げ道を塞がれた。話すべきか迷う自分の背中を後押しした。

 

「さあ、話してください。『はやて』。話して互いに楽になりましょう」

 

 告げる少女の瞳は覚悟を決めた人間のソレ。一人が覚悟を決めたら、この面子は誰もが覚悟を決める。

 逃げずに受け止めると無言で意思表示する少女たちの視線に、『はやて』はただ黙って頷いた。

 

◇ ◇ ◇

 

「……ほんまはな? これは、これだけは言いたくないんやけど。みんなが知りたいっていうんなら、わたしも覚悟を決める」

 

 『はやて』は震える声で、残酷な真実を話そうとする。懸命に頑張って、気丈な声を装って。心から勇気を振り絞る。

 これから話すことは『はやて』にとっての最大の過ちであり、罪だ。

 闇の書とか、悲劇の連鎖とか、ありとあらゆるものを抜きにしてみなければならない。生涯における『はやて』の業。

 黙っておきたかった。死ぬ時まで抱え込み、墓まで持っていきたかった真実。

 これを言ってしまったら、今まで積み重ねてきた嘘がばれてしまう。

 でも、逃げることは許されない。真実を知るべき少女たちは覚悟を決めて『はやて』を見ている。

 怖いけど、嫌われるかもしれないけど、それが恐ろしくて目を背けていたいけど。向き合わなければ。

 『はやて』は怯えて震える身体を抱きながら静かに話し始めた。

 

「みんなは、な。厳密には蘇ったわけではないんや、よ? 本当のみんなは死んだままで、マテリアルズは、それを元に生み出した疑似、じん、かく。寂しさを紛らわすために、私が、造りだしたお人形」

 

 元来、人が蘇ったという道理はなく、魔法という不可思議な現象を起こす技術。ロストロギアという超常の産物。それらを用いても不可能だった。

 現にプレシア・テスタロッサがそれを証明している。プロジェクトフェイトが生み出した少女はアリシアではなく、フェイト・テスタロッサという少女。

 限りなく死んだ人間を模しても、どんなに同じ記憶を与えても、生まれてくる命は別人で、そもそもまったく同じ人間がこの世に存在した可能性すら薄いのだ。環境がちょっとでも変われば別人になる。

 だからこそ、同一人物を生き返らせることも、同一に差異なく再現することも限りなくゼロに近い。それこそ奇跡でも起こさない限りは。

 

 それはマテリアルとして蘇った少女たちも例外ではない。

 守護騎士プログラムと亡くなった少女たちのリンカーコアを融合させて生み出した存在は、もはや別人なのである。

 

「ごめん、ね。ごめんなさい……わたし、は、……傍に居てくれた家族を、失って、暖かな、家庭も失くして、唯一の家族だったリインも、いなく、なって。わた、しを、助けるため、に……なにも、か、も失くして。さみし、かった……」

 

 怖い、吐きそうになる。自分の卑しい部分を暴露するのが苦しい。

 きっと、こんな自分を見て、マテリアルとして生み出された少女は蔑んでいるだろう。勝手な理由で生み出して、友達の代わりの人形扱いした自分を憎んでいるかもしれない。心の底から嫌悪しているかもしれない。

 恐ろしくて顔も上げられない。何も言わない皆。それが逆に『はやて』を不安にさせる。

 やっぱりだめだ。どうしようもなく体が震える。心から弱音を吐いて泣きそうになる。泣いてはいけない、泣く資格なんて自分にはないのに涙は溢れて流れ落ちる。でも、話さなきゃ、伝えなければ、真実を。罪滅ぼしにすらならないけど、知りたがっているから。

 いっそのこと激情を吐いてしまおう。一気に吐き出してしまおう。

 責めは、あとで、いくらでも、聞こう。殴られても構わない。

 『はやて』はそう決心して吐きだした。全部。何もかも。

 

「……わ、たし、闇がこわかっ、た。何にもない世界が怖かったんや!! 楽しい記憶が何にも思い出せなくて、生きたまま凍らされる時の記憶とかッ、みんなが恨み、憎しみをぶつけてくる記憶とかしか思い出せなくて!! 怖くて……どうしよ、もなく、て。」

 

「それで、さみし、くなって。一人が嫌になって……知り合った、ゆーり、も、ずっと、目覚めないままで……」

 

「むしょうに、皆に、会いたくなって、一人に、慣れたはず、なのに……どうしようもなく…て…」

 

 そこで『はやて』の言葉は途切れた。無理やり言う事を抑えられた。

 誰かが『はやて』を強く抱きしめているせいだ。胸に思いっ切り頭を押さえつけられて声がうまく伝わらない。

 

「こんの馬鹿!! ばかちんが!! アンタ……アンタね……」

 

 アスカが泣きながら何かを言っている。きっと恨み言だ。当たり前だ。身勝手に生き返らせて、復讐に巻き込んで、偽善者づらして、さも本当の友達のように接してきた『はやて』を許す人間なんて……いるわけがない。

 

「どうして……どうして、もっと、もっと早くアタシたちを、生き返らせなかったの……? 生み出さなかったのよぉ……」

 

「…………ぇ」

 

 予想外の言葉。ありえない言葉。聞き間違い? そんなはずはない。恨み言以外に出てくる言葉なんてないはずだ。

 

「ごめんね……寂しかったよね。辛かったよね。傍に、いてあげられなくて、ごめん、ね……?」

 

 頬に誰かの涙が流れている。滴が落ちていく。泣いている。誰が? アスカが。泣いている。信じられない。怒り狂っていないのだろうか?

 どうして? どうして? 分からない。分からない。なんで泣いているの? なんであやまるの?

 『はやて』には分からない。分からなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 気が付けば『はやて』は皆に抱かれていた。

 背中からナハトの温もりが感じる。右手をレヴィが、左手をユーリが握ってくれている。

 独りぼっちで泣いている女の子を寂しがらせまいと、その瞳から流れ落ちる涙を止めようとしての行動。

 あまりにも大きすぎる闇を抱え込んでしまった少女の涙に共鳴したのか、誰もが涙を流していた。

 皆が口々に声を漏らす。ごめんね。寂しい思いをさせてごめんなさい。ここにいるよ。君は一人じゃないから安心して。泣かないで。誰も『はやて』に恨みは言わない。憎んでもいない。一人の少女の抱えた闇を受けとめて、一緒に背負って楽にさせようとする。

 

 ただ、シュテルだけは感情を押し殺したように黙っていた。自分も『はやて』を慰めたい、抱き締めてあげたい。けれど、彼女の口から本当の望みを聞いていない。一言。たった一言だけでも言ってもらえればシュテルは。いや、マテリアルの少女たちは喜んで力を貸せるのだ。

 だから湧き上がる感情を抑える。心を殺して、私情を殴り捨てて問い詰める。

 

「『はやて』。貴女は本当に復讐がしたいのですか? 家族を奪ったギル・グレアムを地獄に堕としてやりたいのですか? 本当の望みはなんなのですか?」

 

 場違いな質問をするシュテルに、泣いている少女を追いつめているように見える友人に、アスカやレヴィがシュテルを睨みつけてくる。ナハトが悲しそうな瞳をする。空気を読まずに問い詰めているのは分かっているから、そんな眼で自分を見ないで欲しい。

 ユーリだけは察したように顔を伏せた。友達の為にシュテルによって追いつめられた彼女は、シュテルの本質を少しだけ理解しているのかもしれない。

 

「……うう、ん。わたし、わたしは……おじ、さんから聞きたい。しんじつを……だれも、しなせたく、ない……」

 

 そんな事は知っている。初対面の人間に気を遣い、足の不自由な自分が迷惑を掛けて申し訳ないと謝る。そんな心優しい少女が復讐なんて望まないのは分かっている。聞きたいのはそんな事ではないのだ。

 シュテルは歯噛みする。苛立つ自分を、焦る心を落ち着かせんと平常心を保とうとする。

 この少女はいつだってそうだ。闇の書の呪いで苦しんでいた時も、死にゆく状況に瀕しても、孤独に怯えて泣いていても、その一言を言わない。

 どうして言ってくれないのだと叫びたい。なんで叫んで求めてくれないの、と憤りたい。

 歪んでいる。シュテルもそうだが、この子も同じように何処か壊れている。

 無意識にほんとの気持ちを殺している。

 いいだろう。自分から言わないのであれば、言うことができないのならば、シュテルが代わりに言ってやる。本当は自分から望みを伝えて欲しかったが、こうなっては仕方がない。

 

「私が聞きたいのはそんな言葉じゃない!! 貴女は本当はいつだって、いつだってたす……」

 

「言わんといて!! お願いや、それだけは、言わんといて…………」

 

 シュテルの叫びは、他ならぬ『はやて』の叫びによって遮られた。

 アスカ達も、シュテルが何を言わんとしているのか気が付いたのだろう。ハッとしたような表情をした。

 

「どう、して……?」

 

 はっきりとした拒絶。救いの手を差し伸べようと差し出した言葉は、払われるどころか粉々に砕かれてしまう。それが無性に悲しい。

 『はやて』はいつの間にか涙を流していなかった。シュテルが心の弱い部分に踏み込もうとしたことで、壁を造り、心を閉ざしてしまったのだ。自分自身を押し殺して、偽りの姿を身に纏う。『はやて』からディアーチェになる。

 ディアーチェの表情は申し訳なさそうだった。自分が許せないのだろう。苦しそうな顔をしている。

 彼女はこのまま何も言わずに、夢も終わるだろう。

 でも、納得がいかないと、ソレを言おうとしない貴女の姿が我慢ならないと、シュテルの血反吐を吐くような叫びを聞いて、ソレを言わない理由だけは話してくれた。

 

「我は、我にそんな資格はないであろう? たくさんに人を巻き込んで死なせた大罪人。守護騎士の蒐集という他人を傷つける行為を止めようともしなかった。知ろうともしなかった愚者。そんな娘があろうことか救いを求めるなど……赦せるわけないであろうが!!」

 

「それは違うでしょう!? 貴女は何も知らなかった。こ、殺される瞬間まで何も!! 貴女はただ巻き込まれた被害者なのであって加害者じゃない! ただ、闇の書の主になってしまっただけです! 『はやて』が罪悪感を感じるのも、自責の念に駆られる必要もないのですよ!?」

 

「違うな。闇の書の主になったから責任を持たねばならなかったのだ。望むにしろ望まないにしろ強大な力を手にした時点でな! それに、うぬだって同じことが言えるのか!? 闇の書の主になってっ! 知らずの内にたくさんの人を死なせて、私は巻き込まれた被害者なので悪くありませんと、同じ立場になったら平気な顔をして人々の前で宣言できるのか!? ッぅ……」

 

「そ、それは……そんなこと……」

 

 ああ、やってしまった。最悪だ。

 ディアーチェは己の口からとんでもないことを口走ったことに気が付いて、熱くなってしまった心が瞬時に凍てついたのが分かった。

 あの冷静沈着で、いつもポーカーフェイスを装うシュテルが、本気でショックを受けている。うつむいて、瞳が揺らいで今にも泣きそうだ。あんなこと言われたら誰だって言い返せなくなるのは分かっていたくせに、ディアーチェは伝家の宝刀を抜いてしまった。

 こんなことを言うつもりはなかった。ただ、自分自身の罪は自分だけで背負うから気にしないでと言うつもりだったのに。予想外に踏み込まれたせいでつい……

 

 だから、ディアーチェは自分の事が大っ嫌いなのだ。せっかく、親友と同じ姿、同じ心を持つ女の子が救いの手を差し伸べようとしているのに。それを蔑ろにする自分なんて嫌い。

 たぶん、マテリアルにとって自分が偽物だろうが、本物だろうが関係ないのだ。自分の感じたままに生きるだろう。私は私だと。他でもない私自身だと言ってのけるだろう。この想いは本物だと。

 そして、心の底からディアーチェを救おうとしてくれている。かつて守護騎士だったとか、親友だからとか関係なしに。

 本当はディアーチェは嬉しい。できるなら差し出された手を取りたいし、■■けようとしてくれることに涙を流して礼を言いたいくらい。

 でも、闇の書の被害者のことを考えると、どうしても躊躇する。本当に自分は助かってよいのかと自問自答してしまう。

 

 ディアーチェはシュテルを見た。せめて謝らなければ。謝って感謝の気持ちを伝えなければ。

 

「シュテル……その、わ」

 

「王の……ディアーチェの……」

 

「……?」

 

 ディアーチェはシュテルが何か言いかけた事に気が付いて押し黙る。

 よく聞こえなかったが、うしろめたさで聞き返せそうにない。

 耳を澄ませる。シュテルが顔をあげた。明らかに涙を流していて、あの、どんなときでも泣かないシュテルが涙を流していて、思わずディアーチェは後ずさる。

 

「『はやて』ちゃんのばぁがぁぁぁぁぁぁぁッッ―――」

 

「あ、待ってシュテるん どこ行くのさ!?」

 

 頬に痛烈な痛みを感じ、次いであまりの衝撃にディアーチェはよろけるしかない。右の頬を無意識に抑えながらディアーチェは、自分が引っ叩かれたのだと今更のように気が付いた。

 シュテルは、そのまま夢の世界の教室を飛び出して、何処かに駆け抜けていき。レヴィが慌てて追いかけ、ナハトもディアーチェに謝る様にお辞儀して、レヴィの後に続く。

 残されたディアーチェは呆然としたように佇んでいたが、同じように残ったアスカの存在に気が付いてバツの悪そうに俯いた。

 アスカはきっとディアーチェを叱るだろう。むしろ叱ってほしい。どうしようもないほどに愚かな自分をぶん殴ってほしい。その方が気が楽だ。

 

 アスカは早足でディアーチェに近づくと右手を振り上げた。殴られるとは分かっているし、覚悟もできているがやっぱり怖い。思わず目を瞑って身体をびくりと震わせる。

 痛みおでこから感じた。ちょっと小突かれたような小さな痛み。

 驚いたように瞼を開けると、アスカは呆れた様子でこちらを見ている。怒る気力も失せているというより、叱る気すらないようだ。

 

「なによ、その目つき? シュテルみたいに思いっ切りぶん殴って欲しいわけ?」

 

「い、いや。そういう訳ではない、のだが……」

 

「はぁ、アタシってそんなに怒ってるかな。気に喰わないことがあったら確かに怒りもするけど……アンタ。自分が何をしたか、何が悪かったのか分かってるんでしょ?」

 

「……うん」

 

「なら、アタシはデコピンくらいで済ますわよ、しっかりしろって意味でね。そう何度も殴られるのも嫌だろうし。ほら、手を退けて、頬を見せないさい。うわぁ、見事に紅い痕が付いちゃってるわね。回復魔法は苦手だけど、何もしないよりはマシか。ヒーリング」

 

 ディアーチェの頬に当てられたアスカの手から真紅の魔力光が溢れ出る。頬に感じる痛みに暖かくて心地よい感覚が上塗りされていく。今のアスカは焼き尽くす炎ではなく、身体を温めてくれるような焚火みたいに優しい火だとディアーチェは感じた。

 やがて治療が終わるとアスカも教室を後にしようと去っていく。どうやらディアーチェの心の中はお見通しらしい。

 その気遣いが今は何よりも嬉しい。アスカのこういった面倒見の良さには生前から何度も助けられている。ディアーチェにとって、お礼を返しきれないくらいの恩が彼女にはあるのだ。

 

「アタシもシュテルを追いかけるわ。アンタ、ユーリと二人っきりになりたそうだから。でも、これだけは言っておく。何でもかんでも一人で背負い込むのはやめなさい。でないと、本当に精神が潰れるわよ。アンタを心配してんのは誰だって同じなんだから。つらくなったら全部吐きだしなさい。じゃ、ね」

 

 ディアーチェに振り向いて、そう助言を残したアスカは確かな足取りでシュテルを追いかけて行った。

 残されたディアーチェは呆然自失といった様子で外の景色を見つめる。何も喋らないユーリはディアーチェを気遣うように見ていて、思わずすがるようにディアーチェはユーリに抱きつく。ユーリ以外の人には見せたくない本心。今度こそ彼女は完全に『はやて』になる。抱えた弱音を吐きだす。

 

「わたし、何やっとるんやろ……こんなつもりじゃないのに、みんなを傷つけるつもりなんてなかったのに……」

 

「うん……」

 

「ほんまは死にとうない……"生きたい"、わたしは生きていたいよ!! みんなと、一緒に、いたい……死にたくない!!」

 

「うん……わかっていますよ。『はやて』……」

 

 それこそが『はやて』の抱く本当の望みだった。

 叶わぬ望みだと分かっていても『はやて』は生きていたかったのだ。闇の書の呪いを受けて、死にゆくときも。永久凍結という封印処置を受ける時も。闇の書の"闇"に身体を蝕まれている今も。『はやて』は生きていたいと渇望する。

 でも、どんなに頑張っても手遅れだった。せいぜい、受け継いだリインフォースの力を使って延命を図るくらいしか、今のディアーチェにはそれしかできない。もう、どうしようもなく施しようがないのだ。

 嗚呼、なんて自分は弱いんだろうと『はやて』は嘆く。どうして我慢できないんだろう。マテリアルの皆を寂しさから勝手に蘇らせた。少女たちに真実を黙って生き返らせたことにして、平穏を取り戻させるはずだったのに、我慢できなくなって暴露した。あげくに、罪悪感から■■けてなんて口が裂けても言えない。

 愚かだ。何もかもが中途半端な自分があまりにも愚か。

 いっそのこと生きたまま封印なんて、生易しいことはしないで欲しかった。ひと思いに殺してほしかった。

 生きることがこんなにも辛くて、死にたくて。でも、死ぬのは怖くて、みんなと生きたくて。

 それでも『はやて』の心は死ななかった。絶望の淵からリインフォースが救ってくれた。ユーリが目覚めたから底なしの深淵という闇に耐えられた。マテリアルとして親友が蘇ったからこそ、疲れ切った心身に活力を取り戻した。

 しかし、そろそろ限界だ。もう、耐えられないほどに摩耗しきっている。このままいけば、廃人になってしまいそうだ。

 闇の書の"闇"に心を喰われてしまいそうだ。

 

 少女に救いは、いまだに訪れない。

 

◇ ◇ ◇

 

「シュテるん、大丈夫?」

 

「はい、ハンカチ。これで涙拭いて、ね?」

 

「うん。ありがとうナハト、レヴィも、お騒がせしました」

 

 海鳴臨海公園まで泣き叫びながら走りぬいてきたシュテルと、それを追いかけてきたレヴィとナハト。

 無意識に感情を抑え込み表に出さないようにしてきたシュテルは、泣きだしたら止まらなかった。溜め込んでいた分の涙を流しきるかのように泣いて、レヴィに抱きしめられ、ナハトにあやしてもらってようやく泣き止んだ。

 心がどこか麻痺しているとはいえ、何かのはずみで刺激が加わると年相応以上に感情を爆発させるシュテル。さぞ、ディアーチェが見たら驚いていただろう。幼馴染の三人も最初は驚いたのだから。今は慣れたが。

 

「やれやれ、こんな所にいたのね。ずいぶん探したわよ」

 

「アスりん!!」

 

「アスりん言うなッ!!」

 

 空からアスカが炎の翼を広げてやってきて、公園に降り立つ。地面に着地すると同時に翼は背中に収縮されるようにしまわれていった。

 その姿に気が付いたレヴィがあだ名で呼ぶが、アスカのツッコミに怯んだ。この二人のボケとツッコミはどんな時でも変わらない。思わずナハトもシュテルも微笑む。二人のバカみたいなやりとりが今は心地よい。

 アスカとレヴィは場を和ませるためにワザとやっているんじゃなくて、素でやってるんだろうけど。

 

「さて、シュテルぅ~~? アンタ、一人で抱え込みすぎ。参謀だか、理のマテリアルだか知んないけど。泣くくらい溜め込むなら友達に相談しろって、アタシ何度もいってるわよねっ?」

 

「いたい、いたいですアスカ!! 頭が砕けていしまいます!!」

 

「むしろ砕け散れ! いっかい砕け散って全部吐きだしてしまえ!!」

 

 シュテルにどうどうとした漢らしい歩みで近づいたアスカは、シュテルの頭を両の拳でグリグリする。あまりの痛みにシュテルが叫んでしまうくらい強烈な一撃らしい。

 ナハトは嫌な予感がした。アスカの怒っている理由は隠し事だ。つまり次の矛先は自分という事。ナハトも一族ことで悩みを抱え込んでいるから、来る。絶対にお仕置きが来る。

 何か避ける方法は? ある! 隣にいる親友を盾にすればいい。

 ふざけている時は微妙に腹黒いナハトである。

 

「必殺レヴィちゃんガード! お仕置きされる私の変わり身になって、お願いレヴィちゃん!!」

 

「ナハッち、ひどいっ!!」

 

「よく分かってるじゃないナハト。アンタも秘密を抱え込んでるんでしょう? 腹括ってゲロってしまいなさいっ」

 

 しかし、そんなものは無意味だと(あたりまえだが)言わんばかりにナハトの後ろに回り込んだアスカは、狼の耳をこれでもかと言わんばかりに引っ張る。とにかく引っ張る。ついでに指で、もふもふ、ふさふさの感触を楽しんでいるのは内緒。

 

「うう~~っ、耳がぁぁ、耳がぁぁぁ!! ごめんなさいアスカちゃん、どうしても勇気がわかないから今回はパスでっ、パスでお願い」

 

「正直でよろしい」

 

「アスりん! ボクは? ボクは~~?」

 

「アンタに突っ込むアタシの無駄な気力と気苦労を知れッ!!」

 

「へぶしっ!!」

 

 アスカとのやり取りがスキンシップのように見えたレヴィが、じゃれついてくる。飛び掛からんばかりの勢いでアスカに突撃するレヴィ。

 それを渾身の叫びと共に、アスカは右のアッパーで迎撃。夕日に染まる臨海公園にレヴィという星が浮かび上がり、流星の如く落下して地面に埋まる。まあ、脅威の再生力で復帰して、埋まった身体を怪力で引き抜いたのだから問題ない。

 

 やることをやり終えたアスカは一転して真剣な顔つきになると、三人の少女を見回した。

 公園にいる全員がアスカの言いたいことを理解している。あんなことがあったのだからディアーチェの話題だと察しくらいつく。

 

「アンタたち。アタシ達は偽物らしいわよ? でも、そんなこと言われたってねぇ?」

 

 『アリサ』にとって偽物か本物かは重要ではない。常に自信に満ち溢れた少女は、むしろ蘇ったことが奇跡と考えていた。だから、大事なのは過去に捕らわれることではなくて、これからをどう生きるか。だからこそ、ディアーチェを闇の書の呪縛から救ってあげたい。勝手に巻き込まれて、勝手に死んでいらぬ苦労を背負わせた。でも、『アリサ』はそんなこと気にせずにディアーチェに生きてほしい、幸せになってほしい。

 

 だから、絶対に助けたい。死なせたくない。

 

「うん、ボクらは、ボクらだ。何より偽りの名前じゃなくて、本当の名前を貰えた。」

 

 『アリシア』にとってディアーチェはレヴィを本物の自分にしてくれた存在だ。『アリシア』という名は気に入っていたが、しょせんは借り物の名前。アリシアと呼ばれるかぎり、自分は偽りでしかなかった。しかし、他に呼ばれる名前はなくて、新たな『アリシア』として生きるしかなかった。それを、ディアーチェは新たな名を与えることで救ってくれたのだ。偶然であっても、救われたことに変わりはない。

 

 だから、恩を返したい。ディアーチェが救ってくれたから、今度はレヴィが救う番だ。

 

「私達が偽物か、本物かは重要ではないでしょう。大事なのは王が私達を必要としてくれている。この一点のみ。それに、私は約束を果たせていません」

 

 『なのは』は身を護る為に殺す術を教えられた。辛く厳しい家庭環境にあって、今を必死に生きるしかなかった『なのは』は小学校で将来の夢について考える課題が出た時に、愕然とした。何も思い浮かばなかった。未来のことなんて全然……

 そんな時にユーノと出会い、魔法を知る。初めて誰かの役に立てた。自分には魔法の才能があって、その力で誰かを救えた。力で殺すのではなく力で救えたのだ。すっかり、魔法の虜になって全てを救おうと躍起になる『なのは』。今思えば無謀にして、傲慢だった。そんな時に約束してしまったのだ。封印されそうになる少女に向けて、必ず救って見せるから心配しないでと。

 

 その約束は果たされていない。まだ、彼女を救えていない。

 

「そうだね。必ず助けよう。『はやて』ちゃんを。きっと何か方法がある」

 

 『すずか』は『はやて』にとって初めての友達だった。図書館で出会い、互いの本好きが意気投合して仲良くなるのに時間は掛からなかった。やがて共に過ごすうちに『はやて』は『すずか』なら全てを打ち明けても大丈夫。なんだか受け入れてくれるような気がすると信頼された。その期待に応えていないし、何より『すずか』は『はやて』も、秘密を打ち明けても受け入れてくれると信じることのできる友達になっていたのだ。

 

 まだ、本当の自分を伝えていない。全てを打ち明けて貰っていない。共に受け入れるまで死んでほしくない。ううん、受け入れてその先を一緒に歩みたい。

 

「勝手で悪いけど、やりましょう」

 

「私たちは、オリジナルと守護騎士を基に生み出されたマテリアル。どちらだとしても王を救いたい気持ちは同じ」

 

「うん、ボクらの手で王様を救おう」

 

「そして、今度こそ幸せになろうね」

 

 四人の少女たちは決意する。夢の海鳴市で心を通わせ、一人の少女の真実を知り、絶望せずに救うことを。

 だからこそ、闇の書の中で一人、延々と戦い続けてきた存在は手を貸す。闇の書の悲劇を終わらせるために。

 

「そっか、じゃあリヴィエが道を示してあげる」

 

「貴女は……?」

 

「リヴィエ~~! どこいってたのさ~~!?」

 

 夢の世界から、溶け込んでいた身体を再構成するようにして現れたのはアスカとレヴィを導いた少女リヴィエ。

 シュテルが警戒して、ルシフェリオンを構えようとするが、レヴィとリヴィエが知り合いのようなので警戒を緩める。リヴィエは抱きついてきたレヴィを微笑んで受け入れていた。その仕草と雰囲気は幼い子供ではなく、上品で威厳とカリスマ性に満ちた高貴な者の特有の雰囲気。

 レヴィと一通り抱擁を交わし合い。静かに離したリヴィエは告げる。絶望の闇に一筋の光明を示す。

 

「何故かは分かりません。それでも、この世界に闇の書と同じ気配をもう一つ感じます。それを探しなさい」

 

 威厳とカリスマに満ちた声が、自然と耳に響き渡る。内容を理解させられる。言葉を受け入れさせてしまう。

 半信半疑な内容を信じさせてしまう力がリヴィエの声にはあった。

 

 四人は思い出す。ディアーチェの言っていた言葉。"管制人格。リインフォースが生きていれば何とかなる"リインフォースが誰なのかマテリアルは知らない。それでも。かつて闇の書に存在したことは確かだ。そして、紫天の書にはいないが、何故か存在する闇の書にはリインフォースがいる可能性がある。

 ディアーチェを救う方法を模索するだけでも途方に暮れる作業。時間も足りなかった。それを打開する状況が来るとはなんという幸運。これからは、もう一つの闇の書を探すことが新たなる目的になる。

 思わず四人の少女は笑顔を浮かべる。気は早いがディアーチェを救えるかもしれない。

 

「だれかは存じ上げませんが感謝しますよ。リヴィエ……?」

 

 本当に嬉しかったのだろう。シュテルが珍しく心の底から微笑みを浮かべて礼を言うが、もう、リヴィエと名乗る少女はいなかった。

 初めから存在していなかったかのように。

 

 世界に溶けて、消えていた。

 



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〇追撃、アースラチーム!! そして……意外な展開

 あれから。紫天の書で意識が繋がり、各々の気持ちを確かめ合った時から。

 マテリアルの少女たちは地球に向かうために一端集合しようとしていた。どうせ同じ目的地に向かうなら一緒が良いと考えての行動だ。

 ディアーチェに残された時間は少ない。ならば、一時でも多く彼女と共にいたいという願うのは当然のこと。

 

 結局、ディアーチェが本当の望みを言う事も、言わせることも出来なかったが、王を助けたいという気持ちはみな同じ。だから、自分の望みを捨ててでもディアーチェを救うと少女たちは決める。かつて守護騎士がそうしたように。

 

◇ ◇ ◇

 

「そろそろ行くわよ。シュテルとディアーチェ達のいる世界に転移しないと。レヴィ頼んだわよ? アタシとナハトは転移魔法に慣れてないんだから」

 

「任せてよアスりん。ボクは一人で放浪することも多かったから転移魔法のエキスパート。ベテランのボクに失敗はない!!」

 

「あ~~、大丈夫かしら……?」

 

 寝床にしていた洞窟内にあるアスカ達が過ごしていた痕跡。つまり、焚火の痕などをできるだけ処理。管理局に嗅ぎつけられても、ある程度捜査を遅らせるように細工していたアスカ達は準備を終えて転移をしようとしていた。

 時間がないならばできる限り早くディアーチェに合流して、共に向かわなければならない。リヴィエが示してくれた闇の書と同じ気配は地球の方向にあるらしい。そして、探索に取り掛かる時期はなるべく早い方がいいに決まっている。

 一応、転移になれているレヴィが主導で魔法を行使するのだが、失敗はないと豪語して輝かんばかりの笑顔を浮かべ、両手をサムズアップする親友の姿にアスカは少しだけ不安だ。その無駄に多い自信はいったい何処から湧いてくるのだろうか?

 まあ、シュテルの方から転移の目印になるビーコンを発しているらしいので迷う可能性は低いだろう。転移失敗なんて言う珍事さえ起こらなければ、無事に辿り着けるはずだ。マテリアルにしか分からない。マテリアルだけが感じることのできる波長らしいので、ビーコンから管理局に追跡される可能性は低い。

 

「ただいま。空は快晴で、荒れ果てた荒野も静かだから外で転移の準備ができそうだよ?」

 

 アスカとレヴィより一足早く起床して外の様子を見てきたナハトが帰って来た。どうやら、転移する条件も好都合に良いらしい。これならば行ける。

 そうと決まれば、三人の少女たちは早く合流しようと転移の準備を始めるのだった。だが、合流を焦らず、しっかりと外を偵察していれば気づけたかもしれない。

 グリーン・ピースから報告をきいて迅速に調査に駆け付けてきた時空管理局。アースラチームの存在に。

 

◇ ◇ ◇

 

 クロノ・ハラオウンは日照りの強い熱砂の砂漠で、蒐集されたと思われる百足によく似た巨大原生生物を麻酔系の魔法で昏倒させ、調査をしていた。別に蒐集されただけなら何もすることはない。せいぜい、傷つけられた身体を治療して回復させ、蒐集した証拠として生物の身体を画像に収めるくらいだ。

 問題なのは、その原生生物に外部から掛けられたであろう魔力の痕跡が見つかったこと。

 一つだけなら通りかかった心優しい魔導師が、傷ついた原生生物を治療したと納得して放って置いた。が、それが無数に。しかも、回復魔法によって治癒された対象が、蒐集された原生生物ばかりだと、関連性があるのかと疑って掛かるのは当然の帰結である。

 

 掛けられた魔法は、術者が魔法の行使を終えても持続するタイプの自動治癒促進系魔法。いわゆるオートヒーリングと言うヤツだ。

 クロノが術式を精査して分かったことはこれと、そして魔法のタイプが使い手の少ないベルカ系統の術式だということ。

 使用した魔法がミッドチルダ式ならグレーゾーン。

 管理局の自然保護隊が後始末をしたか。蒐集する魔導師と遭遇した局の部隊が独自に相手を追跡しつつ、蒐集の後始末をしているのか。理由として大いに考えられるのはこれくらい。

 だが、ベルカ式というのであれば限りなく黒に近い。これによって前者の理由二つは消える。そもそも、局員の襲撃事件後に付近で部隊を展開しているという報告は受けていないのだから。最初から、その線は考えられないが。

 

 使い手の少ないベルカ式の魔導師は管理局であまり見かけない。人員の多い海と呼ばれる管理局の本局においてもだ。せいぜい、ベルカの末裔が集う聖王教会に行ってようやく会えるくらいだろう。

 そして、クロノ達。アースラチームが追っているロストロギアの守護者が使うのもベルカの魔法だった。つまり、これらの点から考えられるのは追っている対象の魔導師が蒐集後に治療を行ったという事だ。

 解せないと。そうクロノは思考する。これでは見つけてくださいと言わんばかりではないか。仮に罪悪感から治癒を行ったのだとしても、管理局に追われている立場から考えてみれば、あまりにも行動が素人すぎる。

 

 実際は原生生物を勝手に傷つけた行為に罪悪感を感じたナハトが治癒魔法を使っただけなのだが、クロノはそんなこと知る由もなかった。

 

「クロノ、こっちも調査が終わった。ちゃんと言われた通りに画像と魔力の痕跡を記録したよ? あと、原生生物の治療も」

 

 いままで別行動をとっていたフェイト・テスタロッサが空から舞い降りて合流する。

 現地の調査に赴いているのは四人。戦闘において主力となるクロノ、フェイトの両名。そして、そのサポートを担当するユーノ・スクライアとフェイトの使い魔のアルフだ。調査が終わってフェイトがクロノに報告に来たという事は、アルフは一足先に拠点としている次元航行艦アースラに帰還したのだろう。

 合流予定より遅れたのは原生生物の治療をしていた為か。そんな命令をクロノは出していないが、なんとも心の優しい、優しすぎる少女だ。もっとも、クロノ達も人のことは言えないが。

 

「まったく、人使いが荒いよクロノは。一人でこの付近の生物を回復させるのは手間がかかるのに……」

 

「そういうなユーノ。お前は治癒魔法や補助が得意だろう? 適材適所さ。僕は治癒系の魔法が苦手だからな。その代わりと言ってはなんだが調査は全部引き受けただろう?」

 

「苦労の割合が全然違うじゃないか。知ってて押し付けたろ!?」

 

「クロノ。ユーノに一人でやらせたの? それは、私もひどいと思う……」

 

「はは、すまん。すまん」

 

 少しだけ疲れを見せる可愛らしい少年(それこそ女の子と間違えそう)のユーノと、フェイトの二人はジト目でクロノを責め、クロノは苦笑を浮かべて謝った。

 本当の所は追っている魔導師が闇の書に関連しているのかどうかを判断するのに時間を掛けていたから、後始末をユーノに任せたのだが。疲れ具合からして少し可哀想なことをした。手伝ってやるべきだったろう。後でお詫びに何か好きなモノでもおごろうとクロノは決意する。

 

 だが、おかげで実りはあった。蒐集に使う術式や手口が過去の闇の書事件と酷似、あるいは合致していたのだ。これは、十中八九、闇の書が関わっていると考えて間違いない。

 他の部署から類似した蒐集事件の報告を聞き、詳細を知っているクロノの記憶にある報告書から見ても、11年前に一時的な解決を見た闇の書は復活しているとみていいだろう。

 もはや、ここには用はない。急ぎアースラに戻り、事件現場にいたであろう魔導師の探索にあたらなければ。幸いにも犯人のものと思われる疑いが強い、魔力の痕跡データを確保できた。探索が少し容易になるとクロノが思ったとき、それは起きたのだ。

 

「これは……」

 

「ッ――転移反応!?」

 

 補助魔法が不得意でアルフにサポートを任せているフェイトはおぼろげに、逆に補助や回復のエキスパートであるユーノはハッキリと転移魔法の反応を捉えた。アースラ以外の転移反応だ。クロノもなんとか感じることができた。

 クロノは、半ば反射的な動作で映像通信を開く。相手はアースラ内で広域調査・探査をしているエイミィ・リミエッタ。クロノの頼れる相棒にしてアースラの目と耳を務める優秀な通信主任兼執務官補佐だ。

 

「エイミィ!!」

 

「分かってるよクロノ君。大丈夫、ちゃんと捕捉して追跡してる。魔力の照合は……さっき送ってもらったデータと三つの魔力の内のひとつが完全に合致!! リンディ艦長がすぐにでも追いかけるって言ってるから、急いで帰還して」

 

「了解!」

 

 まさか、こんなに早く見つかるとは思ってなかった。てっきり、ランダムに移動を繰り返して蒐集をおこなっているものとばかり。いや、もしかすると相手は、こんなにも速く管理局の次元航行部隊が来るとは思ってなかったのかもしれない。

 とにかく、事件の手掛かりどころか尻尾まで掴んだのだ。このまま引きずり出してやる。ただの違法魔導師なら法の名のもとに裁く。もし闇の書の守護騎士と、その主ならば……闇の書の悲劇と因縁をなんとしても終わらせる。

 クロノはそう固く決断して、指示を仰ごうと自分を見つめている二人の民間協力者に目を向けた。

 

「二人とも状況が変わった。今からアースラは転移者を追跡する。すぐにでもアースラに帰還するぞ。詳しい話はそれからだ。それと、ユーノは少し休んで構わない」

 

「わかった」

 

「分かったよクロノ、って休んでいいの!?」

 

「なんだ? 仕事したくてたまらないのか?」

 

「冗談、遠慮なく休ませてもらって次に備えるさ」

 

「賢明な判断だ」

 

「……二人とも早く行こう?」

 

 次元空間航行艦・巡航L級8番艦アースラと、それに付属する部隊。通称アースラチーム。数々の難事件を解決に導いてきた優秀な部隊は、新たなる仲間である三人の民間協力者を伴ってマテリアルの少女たちを追う。

 地球に旅立とうとする彼女たちの前に、因縁の組織に属する最大の障害。そして、鏡合わせの自分自身となる少女の一人が立ちふさがろうとしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「王。転移の準備が終わりました。あとは三人が合流すればすぐにでも地球に向かえますよ」

 

「……そうか、ご苦労。大儀であったなシュテルよ」

 

 なんだろうとディアーチェは思う。あんなことがあったはずなのにシュテルの平然とした態度が分からない。

 もっと、いろいろと追及されることを覚悟していたのだが、シュテルは何も言わないのだ。嫌われている訳ではない。彼女に辛く八つ当たりしたことを謝ったとき、すんなりと許してくれたからだ。

 それどころか、気持ち悪いくらい優しい。不気味だ。不気味すぎる。朝起きて聞いてきたのはディアーチェの体調。おまけに、仕事は全て自分が引き受けるから休んでいてほしいという始末。普段なら、王として堂々と構えてサボる余裕があるなら手伝ってください。その方が効率が良いです。とか言うのに……どういう心境の変化なのだろうか。

 死にゆくディアーチェが哀れで、悲しくて、出来るだけ楽をさせようというのか? だとしたら、むしろ心外だ。仲間外れにされているようで寂しい。いや、自業自得なのだが、どうにも、納得できないというか、それはそれは複雑な心境というか。

 でも、シュテルの瞳からは同情や憐れみといった感情は見られない。孤独に過ごす日々の中で。足が不自由だった時に向けられた奇異の視線を受けた経験で。それらで養われたディアーチェの観察眼から見てもシュテルの感情は分からない。

 失礼だが、自分の悲劇を嘲笑うような友人じゃないし、そもそも、そんな事をするような人間を容赦なく叩きのめし、殺してしまうような側の人間だ。まあ、レヴィ達もそうするだろうが。例外はアスカか? 彼女はお仕置きだけで済ませそうだ……話が逸れた。

 紫天の書を通じてリンクする精神。そこから感じ取れる感情は喜び? 嬉しさ? 地球に帰れることの? 判断できない。少し深入りする。

 シュテルの心の深淵ではなく、思考の表層、心から漏れ出る感情の色を読み取る。黄色、ひまわりのように明るい黄色。まるで太陽の日差しのようで暖かな色。これは、希望――

 

「ぬわぁっ!!?」

 

 ディアーチェは額に感じる鋭い痛みで意識を取り戻した。顔をあげればシュテルがディアーチェのことを真近で見つめていた。ジト目で。

 どうやら、深入りしすぎて何かに心を探られていることを感じたようだ。迂闊だった。

 

「王。悪い子はデコピンです。それとも、責任をとって……」

 

 ディアーチェは身構える。続くシュテルの言葉はなんなのか。

 普段から表情を変えず、感情が読み取りずらいシュテルは、何を考えているのか分からない。だから、どんなことを言われるのか想像も出来なくて、必要以上に身体が強張る。

 これも、それも、ディアーチェが心を覗くなんて言う失礼極まりないことをするから自業自得なのだ。友達とはいえ節度は持つべきである。

 果たしてシュテルから告げられた言葉は……

 

「責任を取って、私を抱いてもらわなければなりませんね。あ~んな、自主規制なことや、こ~んな、禁則事項なことまで、きゃっ、恥ずかしい……」

 

「なっ、なななななッ!!」

 

 うん、なんというか想像を絶する言葉だった。予想の斜め上を通り越して180度違う言葉。いや、一回転するどころか思考が回転し続けるほど混乱の極みに達するような囁き。

 しかも、真顔で、無表情で言わないでほしい。顔を両手で覆って照れたような表情を隠す振りをしても無駄だから。言ってることはトンデモナイ、ピーな発言だが、言葉に感情が込められてない。棒読みで喋っているので冗談だろう。冗談だとディアーチェは思いたい。

 

「なんでそうなるか~~!!?」

 

「だって、そうでしょう? 他人の心を覗くという事は、その人の全てを知るという事。ほら、よく言う身も心も貴女のモノになるというやつです。汚されてしまいました。いろいろと。あぁ、このままじゃお嫁にいけない。だから、責任を取って貰おうというのです」

 

「い、いや……あのなぁ、シュテル……」

 

 思わずディアーチェは心が『はやて』になってしまうくらいに動揺している。思考が混乱の極みに達する。

 言いたいことは分かるのだ。心を覗かれて強引にモノにされたから、身も捧げましょうなんて言いたいんだろう。きっと。

 だからといって強引というか。心を勝手に覗いたのは悪かったけど、そういう関係になるのは早いんじゃないかと。いや、何を考えているんだディアーチェは。自分自身でも訳が分からないよ。そもそも、ディアーチェとシュテルは子供で、女の子同士。百合、禁断の関係とか言うヤツはちょっと……

 

――わたしは断然オッケイだよディアちゃん! 同性愛ばっち来いだよ。ふふ、じゅるり。おいしそう。

 

――アンタは黙ってなさい!!

 

 何故かここにはいないはずの、二人の親友の声とやり取りが頭に浮かんだディアーチェ。

 現実に起こり得るので、記憶から抹消しよう。うん、そうしよう。悪い夢だった。きっと幻覚と幻聴だったんだ。

 とにかく、頭を左右に振って、強引に思考をシャットアウトさせたディアーチェは荒い息を吐きながら深呼吸。一端、動揺した心を落ち着かせる。

 

「冗談ですよ? ディアーチェ。何をそんなに動揺しているのですか?」

 

「だあぁぁぁぁ!! じょ・う・だ・ん・に。聞こえんわ~~!!!」

 

 だめだ。すっかりシュテルにペースを握られて振り回されていることを自覚するディアーチェ。

 ホントに、本当に、この臣下というやつは何処までも王たるディアーチェをコケにして、誠に尊敬しているのだろうか。そもそも、敬っているのかどうかすらあやしい。

 冗談だと頭の片隅で分かっていたはずなのに、真に受けた自分が馬鹿らしくて憎い。おもわず地団太を踏むディアーチェだった。

 

 しかし、彼女は知らない。暗く考え込んでいた思考を振り払うためにシュテルが気を利かせていたことに気が付かない。冗談は苦手だが、どうやらうまくいったようで、シュテルは優しく微笑んでいた。

 ちょっとでも、少しでも、ううん、常にディアーチェには笑っていてほしいから。暗い顔をしているのなんて似合わないから。尊大な態度で上からどっしりと構えていればいい。

 今は助かる可能性があることを秘密にしている。手がかりを探してみて、もし、発見できなかったとき希望はぬか喜びになるどころか、絶望へと転化する可能性は大いにあり得る。むしろ、確実に絶望のどん底に突き落とすだろう。それはいけない。

 せめて、闇の書に酷似したロストロギアの所在地を確認して、本物かどうかを確かめるまでは秘密だ。あとは、王の知っている方法を試すだけ。それまでは内緒。

 だから、貴女は、ディアーチェには笑っていてほしい。

 死にゆく運命だと決まっていて、覚悟を決めるのは構わない。

 でも、気を紛らわせて心を楽しい気分で占めないと。ディアーチェが知っているらしい闇の書の闇を滅する方法。それが、成功することも成功しなくなる。心の具合というのは何に対しても大事なことだ。

 

 そろそろか。

 シュテルは怒り狂って、シュテルの両肩を掴んで前後に激しく揺さぶるディアーチェをよそに、滞在している世界の外円部に沿って幾重の層にも張り巡らせた探知結界と自身の感覚をつなぐ。

 全域を薄い魔力の幕で覆い続けるのは多大な精神力を必要としていて、シュテルでも中々に消耗させられたが、王の為を想えば何のその。おかげで外敵が来ても、すぐさま探知できるし、なにより王の安眠を護るため。

 理のマテリアルとしての魔法の術式を最大限の効率で発揮する能力。『シャマル』から受け継いだ湖の騎士としての力。両手の人差し指と薬指にはめられたクラールヴィントのサポートも相まって、大規模な結界を張ることは造作もなかった。

 

 やがて、シュテルの探知結界に三つの魔力を捉えた。この魔法は、張られた結界の幕を通ると水が波打つように揺らいで侵入したことを知らせ、次に内部の侵入してきた魔力を探知できる優れものだ。間違いようがない。

 全ての準備が整った。あとは地球に向かい、さまざまな事象をやり遂げつつ、周辺次元空間か次元世界に存在するらしい闇の書とよく似たロストロギアの反応を探るだけだ。

 そう、シュテルは安堵して……次の瞬間には表情が強張った。

 レヴィ達に続いて大きな転移反応が発生した。何かとてつもない巨大な魔力と、それに伴う無数の小さな魔力反応を感知したのだ。探る。意識を集中させる。転移してきたモノの外部の形を、操作する結界の魔力で感じ取る。形状は? 『シャマル』の知識にある次元航行艦……時空管理局の船!?

 マズイ。恐らくレヴィ達と交戦した管理局の部隊の報告を聞いて調査に駆け付け、レヴィ達が捕捉されたのだ。ああ、もう! そんなことどうでもいいと思考を振り払うシュテル。

 ディアーチェの姿を見られるわけにはいかないのだ。アスカとナハトは封印事件の時。ただの一般市民だった。シュテルとレヴィも似ているとはいえ、姿が変わり果てたのだから、早々に同一人物だとバレはしないし、闇の書に関わっていた人物でもない。

 だが、ディアーチェは違う。最後の闇の書の主なのだ。封印した管理局は復活した時に備えて、姿や性別、特徴に至るまで記録に残し、熟知させているだろう。

 見られれば闇の書の復活を知られる。そうなればいままでの苦労が水の泡。常に追手がかかり、最悪、どちらかが滅びるまでの抗争になるのは目に見えている。

 手がかりを掴まれた以上はいずればれるだろうが、なるべく遅延させておきたい。シュテルは周辺空域に最大出力でジャミングを掛ける。管理局の次元航行艦と乗っている補助魔導師の探知力。つまり、目と耳を潰す。専用の機器と探知の専門家がなければ、それも凄腕の魔導師でなければ探ることすらできないだろう。

 補助に徹するおかげでシュテルの戦闘力をガタ落ちするが、今は些末な問題だ。少しの間やり過ごせればそれでいい。

 管理局のやり方は熟知している。最初に展開されるのは広域強壮捕縛結界。破壊するのにも、解除するのにも手間が掛かる厄介な魔法だ。そうなればディアーチェを安全に、ばれない様に転移させるのは難しい。

 そうなる前に先手を打たせてもらう。

 

「シュテル、どうしたのだ。何がどうなって……」

 

「王――」

 

 強張ったシュテルの表情と落ち着いた雰囲気から戦う戦士のソレに纏う気配を変えたシュテルに驚き、いきなり展開されたジャミングで状況が把握できず慌てるディアーチェを、シュテルは思いっ切り突き飛ばした。

 

「なにを、する、シュテル…いったい、どうしたというのだ!?」

 

「申し訳ありませんが先に地球に行っていてください。なに、すぐにでも追いつきます。決して、決して此方には戻ってこないように。ユーリ。ディアーチェを。『はやて』を頼みましたよ」

 

『はい、魔法は使わせませんから安心してください。どうか御武運を』

 

 尻餅をついてシュテルの行動が理解できずに身体を硬直させるディアーチェ。その足元に準備していた長距離転移魔法を発動させる。ミッド式の円形魔法陣とベルカ式の回転する三角形魔法陣がディアーチェの足元に広がり朱色の輝きを増していく。

 大規模転移には時間が掛かるが、一人を転移させるくらいなら造作もない。迅速、神速に術式を展開して魔力を注ぎ込む。素早く丁寧に行い、万が一にも失敗なんてものはない。

 

「まつのだシュ…………」

 

「またね、です。『はやて』。どうか御無事で――」

 

 ディアーチェの姿が朱色の輝きに包まれて輪郭を失い消えていく。そして、黒紫の輝きとなって空へと舞い上がり、何処かへと飛んで行って消えた。

 無事に転移したのを確認して安堵するシュテル。まだ予断を許さないので強力なジャミングは展開したままだ。管理局なんぞに行方を掴まれてたまるか。レヴィ達はビーコンを発し続けているので、すぐにでも合流するだろう。

 強力な結界が周囲を覆っていくのを感じる。間違いなく時空管理局の強壮捕縛結界。恐ろしく展開が速い。全員を転移させたり、ディアーチェを転移させる決断が遅れていれば確実に間に合わなかった。

 どうやら、相手は相当に優秀な部隊のようだ。手強い。結界の強度からして解除に時間が掛かり過ぎる上に、戦闘中や交渉中に解除をこなすのは不可能。破壊できなくはないが相当に骨が折れる。

 レヴィの瞬間魔力放出と全開出力なら結界の一部をすぐにでも破壊できるが、修復される。

 シュテルとレヴィは修復される間に転移で逃げれるだろう。でも、魔法に不慣れなアスカとナハトは無理だ。仲間を見捨てる選択肢は元よりない。『理』として、その方が効率が良いと分かっていても。

 ならば、完全破壊。レヴィかシュテルの最大にして最強の究極魔法をぶつければあっけなく破壊できるだろう。問題はどちらが行うべきかだが……

 シュテルは覚悟を決める。決死の覚悟を。あらゆる状況を想定して、瞬時にシュミレートした結果、何らかの要因が発生した時にすべて対処できるのはシュテルのみ。

 最高の結果なら問題ないが、最悪の結果なら対処できるのはシュテルだけ。レヴィでは失敗した時に対処はできないと判断した故に。

 『理』のマテリアルは作戦を組み立て、展開する。考えるのは参謀たるシュテルの仕事。ならば指揮を執り必ず作戦を成功させる。

 

『シュテるん、ごめん!! 奴らに見つかったみたい、どうすればいいの!?』

 

『レヴィ。こちらの位置は分かりますか? まずは合流しましょう。この場を切り抜ける作戦を伝えますので。それと、王は先に転移して地球で待っていますから安心を』

 

『よかった~~。うん、わかったよシュテるん。アスカとナハトを連れて合流するね』

 

『ええ、なるべく早くお願いします』

 

『オッケ~~!!』

 

 レヴィとの念話を済ませたシュテルは彼女たちが合流するまでの間。疑似デバイスであるルシフェリオンを展開して調子を確認する。

 カートリッジの残弾、魔力の伝達率、術式の展開速度、どれをとっても申し分ない。ならば行ける。あとは相手がどんな人物で、どれほどの練度を備えているかにもよるが、成功する確率は高いとみえるだろう。

 最悪、隠していた本気を使えばいい。『理』のマテリアルとして生まれ変わり、湖の騎士を受け継いだシュテルは限定的にだが生前を凌駕するほどの戦闘力を発揮できる。

 切り札は最後まで取っておくべき。でも、惜しんで負けてしまえば全てを失う。ならば、状況を切り抜けるために躊躇わずに使うことこそが最善。

 本当にどうしようもなくなったら、分の悪い賭けだがアレを使うしかあるまい。シュテルは不破を学んだものとして、効率を重視する『理』として確実ではない賭けが大っ嫌いだが。背に腹は代えられないから。

 今のシュテルは、まさに死を覚悟した武士そのものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「くっ、すごいジャミング。いったい誰が転移したんだろう。ああ、もう。捉えられない。まるで、先がちっとも見えない濃霧の中を手探りで歩いてるみたい」

 

 エイミィ、他、アースラのオペレーターチームが転移して消えた反応をジャミングされた状態で必死に捉えようとしていた。だが、状況は好ましくない。

 無理もないとクロノは思う。相手の展開したジャミングは凄まじく強力で、まるで専用のジャミング装置でも使っているかのようだ。正直、エイミィが居なければ捕捉すらできずに見過ごしていただろう。

 これを個人で行っているとしたら、捕縛しようとしている相手はかなりの実力者。強力な魔導師だ。あの展開速度は尋常ではなかった。アースラが転移しきる前に存在を感知し、こちらが対策を講じる前に先手を打たれたのだ。

 ジャミング装置は起動して、効果が発揮できるまで時間が掛かるし、補助の魔導師が協力し合うのにも、あれほどの規模を迅速に展開するには調整に時間が掛かって無理だ。よほど連携が取れない限りは。

 となると、信じられないが個人の可能性が高い。闇の書の守護騎士に当てはめて考えると転移していた三人では不可能だから、残っていた一人が発動させたのだろう。恐らくはデータにある補助タイプの守護騎士に酷似した存在。

 緊急転移させて、その存在をジャミングで妨害するほどに隠しているのは、闇の書の主に類する人間だろう。そうじゃなければ、これほどの力は効率が悪い。しかし、重要な人間に使うとなれば納得も出来る。

 転移せずに残ったのは逃げられないと悟ったか、主の人間を庇うための囮か。両方か。

 その判断力も正しく、巧妙でいて恐ろしい。

 こちらが展開した一定空間内の対象を捕縛して逃げられないようにする強壮捕縛結界の展開速度。そこから逃げるのは不可能と判断して、その場に押しとどまり囮となる。展開する結界の速度から、こちらの実力をある程度予測する。それくらいことはしていそうだ。

 ジャミングを解こうとしないのは、転移を隠し続ける以外に、待ち構えるための準備をしていると見ていい。まったく、厄介な相手だとクロノは気を引き締めるしかない。

 過去の守護騎士と同じように残虐な相手なら、死を覚悟しなけらばならないのだから。

 

「……すみません、艦長。目標をロストしました。せいぜい転移先の周辺と方向を割り出すくらいしかできません」

 

 エイミィが申し訳なさそうにリンディ艦長に謝罪するが、むしろ流石だとクロノは褒めたいくらいだ。

 あの状況で見逃したかもしれない転移反応を捕捉しただけでなく、ある程度の場所と方向を絞ったというのなら、優秀だろう。間違いなくエイミィとオペレーターチームは一流。

 リンディもそれが分っているのか咎めるようなことはせずに、やんわりと微笑んだ。

 

「いいえ、むしろよくやりましたエイミィ通信主任。貴女のおかげで手掛かりのひとつを掴めたのです。少し胸を張って誇りなさい。データは保存して解析は後回し。今は結界内に捕縛した四人の魔導師の身柄を拘束することを優先します。貴女は捕捉と魔法の解析、突入部隊のサポートを」

 

「――はい! 艦長!!」

 

 下がってしまったエイミィの気力を持ち直させ、自信をつけさせて次の指示を出すリンディ。クロノは流石というべきか人の使い方がうまいと感じた。人員の指示の仕方を熟知している。こんなふうに部下の体調を気にしつつ、状況を判断、的確な指示を出すことは、クロノにはできない芸当だ。年季が違うんだろう。

 リンディは続いてクロノを見やった。どうやら、突入の指示が下るようだ。

 

「クロノ執務官。貴方は嘱託魔導師のフェイト・テスタロッサ。民間協力者のユーノ・スクライアとアルフを連れて突入。周囲の安全が確認できしだい、武装局員を順次投入します。気を付けて。熱くなり過ぎちゃだめよクロノ。交渉の余地があるなら穏便に、抵抗するならば知り合いに似ているとしても容赦なく徹底的にやりなさい」

 

「はい、かあさ――艦長」

 

 まったく、母であるリンディの指示が的確過ぎて怖いくらいだ。ついでに釘を刺されるなんて。クロノは苦笑する。

 転移による降下作戦は危険を伴う。待ち構える敵陣に向けて突入すると強烈な迎撃を受けるからだ。初期の突入に実力や経験が低い者を含めるとあっけなく落ちる。最悪、殉職する危険がある。

 だから、強力なエースが。少数精鋭部隊が降下ポイントを制圧し、周囲の安全を確保した後に転移させた方が犠牲は少ない。

 この場合、エースというのはクロノとフェイトの両名。魔導師ランクAA以上の二人なら負けることはまずないからだ。フェイトは戦闘経験が豊富でも、実戦経験に乏しく、判断力も場数を踏んでいないから注意が必要だが、そこはクロノが補えばいい。

 ユーノとアルフは二人のサポート。補助能力や防御力も高いので、防戦に徹すれば早々に堕ちることはない。

 

 最後の言葉は闇の書の因縁に対してだろう。確定したわけではないが、可能性が高い以上、闇の書に関係するのは確実。

 分かっているとクロノは改めて考えを見つめ直す。クロノが行うべきは復讐ではない、11年前のハラオウン家の悲劇。そして、闇の書によって犠牲になってきた者達の悲しみの連鎖を終わらせる一人の局員としての義務なのだ。決して私怨で闇の書事件を解決してはならない。絶対に。

 心の迷いを取り払ってくれた母親の言葉に感謝しながら、クロノは転移の準備を始めた。鬼が出るか蛇が出るか。それは、ジャミングによって隠されている結界の中に行かなければ分からないだろう。

 

◇ ◇ ◇

 

 クロノの隣で転移装置の場所に立ちすくみ、準備を整えているフェイトは緊張していた。心で深くつながっている使い魔のアルフが、そんなフェイトの身を案じで励ましてくれるが、どうにも身体が強張ってしまうのだ。アルフには悪いが。

 これから確保しようとしているロストロギアは第一級封印指定のロストロギア。通称は闇の書。なんでも魔力を喰らい、力を蓄え、完成した暁には世界ひとつをあっけなく滅ぼしてしまうという恐ろしい危険物のようだ。クロノから、そう説明された。

 まあ、そんなことはどうでもいいのだ。ジュエルシードをなのはと取り合い、封印してきたフェイトにとってロストロギアの危険性は嫌という程理解している。これから突入すれば闘いだって始まるだろう。それにも慣れた。

 では、どうして緊張しているのか。

 答えは簡単だった。映像に映っていた自分と瓜二つの女の子にどう話しかければいいのか分からなくて緊張しているのだ。

 聞きたいことがたくさんある。何処から来たのか、自分との関係は? 他の子はどうしてなのはの友人のアリサやすずかと似ているのか? どうして、そんなに悲しい瞳をしているのか。なんで、管理局員を襲っているのか。質問が頭のなかでぐるぐる回り巡る。

 集中しなければいけないのは分かっているが、どうしても緊張する。人見知りの激しいフェイトは、どうにも他人と接することになれていない。親しげに話せるのはアルフ、なのは、ユーノ、クロノ。次いでエイミィとリンディ艦長くらいだ。

 悪いことをしているなら止めてあげたい。分からないで悪いことをしたなら導いてあげたい。助けが必要なら、なのはのように手を差し伸べたい。いろんな考えが思い浮かんで、フェイトはボーっとしていた。

 そんな姿を見かねたのか、クロノは転移前にフェイトと話すことにした。突入前に上の空では危険すぎる。場合によっては後続に回さなくてはならない。

 

「大丈夫かフェイト? どうにも緊張しているようだが?」

 

「う、ううん。だ、大丈夫だよクロノ? わたしは、緊張なんて、全然してないよ?」

 

 本人はそう言っているが、他者から見れば明らかに緊張しているだろう。そう突っ込みたいクロノだが抑える。本人が心配させまいと頑張っているのに、わざわざ指摘するのもなんだか悪い。それに、言えば言う程、意固地になるような気がした。なのはと同じくらい、フェイトも頑固者だというのは前の事件、PT事件の経験からはっきりしていることだ。

 せめて突入前くらいの心構えを指摘するだけにクロノはとどめる。そうなれば聡いフェイトは気持ちを切り替えるだろう。

 

「フェイト。強行突入というのは危険な仕事だ。毎回、何人もの局員が犠牲になってしまう。それこそ、僕以上のプロでも。君がそんな態度だとなおさら怪我をする危険がある。もし、怪我をすればなのはや、アルフが悲しむ。もちろん、僕やユーノ。リンディ艦長やエイミィもだ」

 

「……そうだね。ちょっと、どうかしてたみたい。ありがとうクロノ」

 

「気にするな」

 

 こういう素直なところは本当に良い子だ。素直すぎて悪い人に騙されてしまいそうで怖いが、そんな事はクロノやリンディ達が許さない。

 決意を改め、心と思考をを戦闘に集中させたフェイトは、いつものどおりの彼女だった。もう大丈夫だろう。

 転移の準備が整う。第一陣は戦闘能力の高いクロノとフェイト。相手が待ち構えて迎撃してきたとしても対処できる。次いでユーノとアルフが参戦して敵を打ち破る予定だ。

 そして、状況の安定。つまり敵を追いつめたか、膠着状態に持ち込んだら武装局員たちが突入する。どんなに強大な相手でもエースとの戦闘中に横やりを入れられると、あっけなく追いつめられるものだ。基本的に戦闘は数の暴力なのだから。

 稀にその法則を覆す者がいるのが魔法の世界だが、心配はいらない。それを含めて対処するために送られるのがクロノ率いる先発隊なのだから。投入しても無駄ならば、戦力は温存すると判断すればいい。

 

「クロノ、フェイト気を付けるんだよ」

 

「僕たちもすぐに駆けつけるから」

 

 ユーノとアルフが転移装置の前で二人を励ましてくれる。それに微笑みで、或いは心配するなというジェスチャーで応えながらクロノとフェイトは戦場へと転移していく。

 運命が交差しようとしている。辿るべきはずだった未来が変わろうとしている。それが何をもたらすのか。破滅か、それとも……今は誰にも分からない。

 

◇ ◇ ◇

 

 目標付近の近く。その上空に転移を終えたクロノとフェイトは、すぐに身構え体制を整える。どこからでも砲撃や射撃魔法。あるいはバインドによる捕縛や設置系の罠が仕掛けられていても対応できるように。

 けれど、一向に迎撃される様子はない。拍子抜けだが気は抜かない。ジャミングが強くて相手の魔力を探知できないのだ。まだ、奇襲される可能性は残っている。油断すれば即座に墜ちる。

 その時、異変が起きた。広域に展開されたジャミングが解除されていく。肌に纏わりつく感覚が薄れていき、周囲の気配が辿れるようになる。どういう事だろうか? クロノとフェイトは顔を見合わせ、そして驚愕に包まれた。

 新たに結界が展開されたのだ。捕縛する対象を逃がさないように展開されたこちら側の強壮捕縛結界。その内側にぴったりと張り巡らすかのように未知の結界が空間を包んでいる。

 やられた。こんな使い方は初めてだと二人は歯噛みするしかない。向こうもこちらの結界で出れないが、此方も向こうの結界で出られない。それどころか後続のユーノとアルフ。武装局員たちが増援として駆け付けることはできないだろう。相手の結界を解除しない限り。

 また、先手を打たれた。ジャミングを解いたのは結界を維持するためのリソースに魔力を割いたのだ。これで向こうは四人。此方は二人。数的不利は明らか。

 だが、気落ちしている暇はない。状況を打開するための策を考え、実行に移さなければ。もしだめならば、アースラチームが外部から結界を解除、或いは破壊してくれるのを待つしかない。時間を掛ければ後続が控えるクロノ側が有利なのだから。

 

「クロノ、どうする?」

 

「いったん地上に降りよう。まずは身を隠して相手の出方をうかがうんだ。相手が張った結界の影響でアースラと連絡はつかない。サポートは望めないと考えていい。だから、僕から離れるなよフェイト。孤立した時は連携が重要なんだから」

 

「うん……背中は任せて」

 

「頼りにしてる」

 

 そうしてクロノ達は地上に降り立つ。この世界は緑豊かな無人世界のようで周囲一帯が大草原のようだ。匍匐していれば草むらに身を隠すことができる。

 サーチャーによる探索や魔力による感知をされれば見つかるのは時間の問題だが、何もしないよりはマシだ。まず、状況が分からないときは下手に動かないほうが良い。

 それでも、相手はさらにクロノ達の予想の上をいっていた。正確には意表を突いてきたと言うべきか。

 

「ようこそ時空管理局のみなさん。歓迎しましょう。盛大に」

 

「やい、時空管理局。隠れてないで出てこい、出てこないとボクが周囲一帯をバルニフィカスの超刀でぶったぎる!!」

 

「レヴィ、抑えてください。ここは私に任せて。管理局に所属する魔導師に告ぐ。私達は交渉の席に付く用意があります。無駄な争いをしたくなければ出てくる事です」

 

 クロノ達の相手であるマテリアルの少女たちは、時空管理局と交渉しようとしていたのだから。

 グリーン一派を襲った相手とは思えない行動だった。管理局員に対して憎悪と憤怒を持って襲いかかってきたものだから、今度も戦う事になるだろうとアースラ側は予測していたのだが。

 しかし、話し合う余地があるとすれば応じるべきだろう。奇襲するならレヴィと名乗る少女の言うように大規模魔法で辺り一帯を吹き飛ばせばよかったのだから。向こうは奇襲のアドバンテージを自ら潰した。つまり交渉につくというのは嘘ではない可能性が高い。

 

「ふむ、信じるに値しないというのならば、此方は誠意を見せます。私は武器を捨てました。ベルカの言葉に和平の使者は槍を持たないというモノがあります。これでも、嘘だと疑いますか!?」

 

「ちょ、シュテるん本気!?」

 

「本気と書いて、マジです」

 

 クロノは草原から頭を出して、声のした方向を眺める。立っていたのは四人の少女。

 後ろに控えているのは、なのはがフェイトに送ってきたビデオメールに映っている。二人の友人。アリサとすずかという少女にそっくりだ。グリーンのデバイス、ネイチャーラヴに映っていた映像の犯人と特徴がぴったり一致する。

 なのはによく似た姿の少女はバリアジャケットの色が白と正反対の黒色で、髪型が違う女の子だ。デバイスをフェイトによく似た少女に渡して、両手を上げて進んできた。

 これで交渉したいという話は本当のようだと確信する。嘘だとしても対応しきる自信がクロノにはある。万が一の為にフェイトを伏せたままにさせ、此方ができる精一杯の誠意としてデバイスを待機状態で近づくのが正しい判断だろう。

 

「フェイトはこのまま伏せていろ。交渉には僕が行こう。何かあったら助けてくれ」

 

「でも……」

 

「心配するな。向こうは憎しみや敵意といった感情を抱いているようだが、戦闘する気配は感じ取れない。交渉に付くというのは嘘ではない可能性が高い。それに、話し合いで穏便に事を済ませられるなら、そうしたほうが良いに決まっている」

 

 フェイトを安心させるように、彼女の頭を優しくなでたクロノは静かに立ち上がる。

 なのはによく似た少女と、アリサによく似た少女から観察するような視線が向けられ、レヴィとすずかによく似た少女から憎しみと敵意の含まれた視線が向けられるのを感じながら、クロノは交渉に応じる旨を伝えるべく喋りかけた。

 

「時空管理局、本局執務官のクロノ・ハラオウンだ。そちらの要求に応じて交渉の席に付く」

 

「いいでしょう。私は三人の仲間を後ろに控えさせます。貴方も前に出て一人で応じてください」

 

「……分かった」

 

 どうやら、フェイトの存在は初めからばれているようだ。しかし、ブラフである可能性も考えられる。

 クロノはフェイトを伏させたまま、なのはによく似た少女。シュテルに歩み寄って交渉の席に付くのだった。

 



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〇暁の恒星 ルシフェリオンブレイカー

 シュテルが管理局のクロノ・ハラオウンと交渉しようとする少し前に時は遡る。

 急遽襲来した管理局をどう対応するか、閉じ込められたこの場をいかにして切り抜けるか、その話し合いの為にマテリアルは集っていた。

 まだ捕まるわけにはいかないのだ。リヴィエという紫天の書に潜む少女が示した希望を無駄にしない為にも、マテリアルにとって最高の未来を掴み取るためにも。

 

「で、どうするのシュテるん? 向かってくる奴ら全部、ボクとシュテるんでボッコボコにしちゃう?」

 

 レヴィの物騒な言葉にシュテルは静かに首を横に振る。確かにシュテルとレヴィが本気をだせば並大抵の戦力は意味を為さない。あらゆる敵を打ち倒し薙ぎ払うことができるだけの力を二人は秘めているのだから。さらに、アスカとナハトのサポートまであれば怖いものなど何もないのだ。

 時空管理局の英雄と謳われたギル・グレアムと、その使い魔リーゼロッテ、リーゼアリア。そして彼に付き従う精鋭には手も足も出なかった。多勢に無勢だったのだ。経験と実力の差において圧倒され苦い敗北を味わされ、一矢報いることもできなかった。

 逆に言えば彼らクラスの実力者でなければマテリアルを止めることはできないことを意味する。

 あんな化け物のような強者が管理局にたくさん所属しているなら話は別だが。

 とにかく、戦闘した場合においてマテリアルズの勝ちは揺るがない。以前とは比べ物にならないほどの"力"を手にしたのだから。

 

 では、どうしてシュテルはそうしようとしないのか? 戦って切り抜けることを、正確には相手を殺めることを良しとしないのか?

 レヴィ達に殺人の罪と業を背負わせないのもあるが、管理局を本気にさせない為なのだ。一人でも殺めてしまえば執拗な追撃をしてくるに違いない。それでは目的を果たし、平穏を無事手に入れたとしても安寧は訪れなくなるだろう。

 

「まず、私が彼らと交渉をしたいと思います。ああ、勘違いしないでください? 彼らに大人しく従う義理はありませんし、しようとも思いません。騙され結果的に殺された以上は信頼するに値しない」

 

 平和的に解決しようという意味に聞こえたレヴィとナハトが不満そうに顔を歪める。シュテルが管理局に投降しないことを伝えても、不満は和らいだが不服そうだった。知らずの内にデバイスを握るレヴィの手、腕を組むナハトの手に力が込められたのをシュテルは見逃さない。

 それほどまでの憎悪、それほどまでの憤り、怒り、悲しみ。二人とも目の前で大切な人が奪われたのだから早々に割り切ることなんて、できないのだろう。

 シュテルは憎しみを抑えろとは言わないし、我慢しろとも言えない。せいぜい二人の心を戦い以外の場所で癒すくらいしかできない。

 アスカは、ただ黙って話を聞いていた。気に入らない点がなければシュテルの考えに全面的に賛成、付き従うのだろう。かなり信頼してくれていると思う。

 

「私たちには情報が圧倒的に足りない。還ってくるまでに世界の時間はどれほど経過して、管理局はどう変わっているのか? あの事件から状況はどう推移していったのか知らないのです。少しでも管理局から情報を引き出すのが交渉の目的。これが作戦の第一段階」

 

 異論はありませんね? そう無言で告げるシュテルに誰もが反対しない。全員が心のどこかで考えていたことなのだろう。死を覚悟して生を諦めていたディアーチェは、そんな余裕があったのか分からないけれど……

 反論がないことを確認したシュテルは作戦の第二段階を告げる。この年齢の子供にしては大人顔負けの頭の良さを持つアスカとナハト。彼女たち二人は第二段階が、状況を切り抜けるための作戦にして要だと予測していた。

 レヴィは戦えることに輸税を感じる。気分が高揚する。難しいことは皆に任せる。自分はひたすらに戦って、皆を敵から守って、進む道に立ちふさがる障害を排除するだけだ。それが『力』のマテリアルであるレヴィの役目。役目を果たせることは彼女にとって最高の喜びへと変わるのだから。

 

「第二段階は確実に交渉が決裂することを前提で行動します。現在、管理局の展開した強壮捕縛結界の内側に私の結界を展開するよう準備しています。こうすることで、必要以上の戦力が投入されることを防ぎます。そして私の究極収束砲撃魔法"ルシフェリオンブレイカー"で二つの結界を完全に破壊、地球に向けて転移するのが作戦の成功とする条件です。何か質問は?」

 

 静かに手を挙げたのはナハト。シュテルは静かにどうぞ、と質問を促す。

 

「もし、管理局の連中が交渉に応じず、襲ってきたら? シュテルちゃんを騙していた時は?」

 

 ナハトの何処までも管理局を疑い、憎しみが秘められた声に。シュテルは猛禽類のような、獲物を狩る様な笑みを浮かべた。

 明るいアスカやレヴィはもとより、多少とはいえ裏世界を知っているナハトですら背筋が凍りぞっとするような笑みだ。瞳に映し出された感情は絶対零度のように冷たい。思わずナハトは秘められた憎悪が一時的に成りを潜める。息が苦しくなる。

 シュテルが殺気立ち、三人の少女を包む空気が重くなる。すさまじい重圧を感じる。逃げ出してしまいたいくらいに怖い、身体が恐怖で震える。

 これが、暗殺者としての護身術を叩き込まれたシュテルの闇。姉の忍から人を殺めた経験がシュテルにはあるとナハトは聞いたことがあるが、業を背負った人間の闇は子供でも大人でも深い。ナハトですら直視できない。

 シュテルは静かにナハトの質問に答える。

 

"その時は、容赦なく殲滅するだけです。殺しはしませんが、局員として戦えないくらい精神に恐怖を刻み込んで、徹底的に叩きのめして一切の慈悲すら与えずに灼滅させてあげましょう。生きているのを後悔するくらいに"

 

 シュテルの言葉に含まれた重みに、ナハトとレヴィは復讐しようとしていた自分の覚悟がちっぽけに感じるしかなかった。

 もちろん、その後のアフターフォローをシュテルは忘れてはいない。ちゃんといつもの優しい笑みと儚げな雰囲気で場をしきりなおしたことを、ここに記しておく。

 

「レヴィ」

 

 静かに友の名前を呼んできたシュテルに、レヴィは先程までの羅刹のごときシュテルの雰囲気を思い出して小動物のように身を竦めた。何か悪いことでもしたのだろうか、それで怒られるのかと怯えるレヴィだが、シュテルから告げられるのは別の言葉。

 

「貴女の持っている偽天の書を私に渡してくれませんか? ルシフェリオンブレイカーを使用した後、状況を安全に推移させるために魔力を回復する必要がありますから」

 

「あ、え? うん。はい、これだよシュテるん。はぁ~~びっくりだよ。てっきり叱られるのかと……」

 

 怒られなかったことに安堵しながらレヴィは、何もない空間に手を突っ込んで中から偽天の書と呼ばれた紫天の書にそっくりな魔道書を取り出す。

 それを、魔道書を片手で弄繰り回しながらシュテルにそっと手渡すとレヴィは伺うようにシュテルの顔を覗き込んだ。どうやら怒ってはいないようで、むしろ静かな水面のように落ち着いた雰囲気を晒し出していた。

 何か考えるかのように上の空だったシュテルはレヴィが見ていることに気が付くと、優しく儚げに微笑んでレヴィの頬に空いている右手をそっと添える。なぞるように頬をなで、愛おしげに髪を撫でて、絹のようにきめ細やかな感触を楽しんだ。その様子はまるで妹を可愛がる姉のように微笑ましい。

 どこかくすぐったいのか、いやいやと身を竦めるレヴィだが浮かべる表情は満面の笑顔。目を細めて気持ちよさそうにされるがままになっている。

 どこまでもシュテルは優しい。優しすぎる。これがシュテルとレヴィの本来の関係。何もなければ親友の枠組みを超えてしまうぐらい親密な関係だと知っているアスカは理解している。だけど違和感も感じていた。

 隣で羨ましそうに二人の触れ合う光景を見ていたナハトが、私も私も、と尻尾を振ってアスカにじゃれてくるので同じように撫でまわしてあげるアスカ。狼の耳がひょこひょこ上下して、尻尾を嬉しそうに振り回すナハトは子犬のようで、ちょっと可愛いくて、考えを中断してしまったアスカ。

 アスカには、シュテルがレヴィと振れあう感触を心に刻みつけるようとしているように見えた。まるで、死にゆく前の人間が悔いのないように記憶に刻みつけようとしているかのよう。事実それは正しい。

 けど、指摘しようにもできるような雰囲気ではなくて、アスカは気にしないことにした。

 もし、アスカが勇気を出してシュテルを問い詰め、彼女の瞳を見つめて感情や心の内を読み取ろうとしたなら気が付けたかもしれない。

 シュテルが決死の覚悟を秘めていることに。

 

「ふふ、別に貴女を理由もないのに叱ったりしませんよ」

 

「えへへ~~撫でて、もっと撫でてシュテるん! シュテるん!!」

 

「はい、はい――」

 

――蒐集した魔力の貯蔵量は充分。王を、みなを頼みましたよレヴィ。

 

「うん? 何か言ったシュテるん?」

 

「いいえ、なんでも。さあ、そろそろ作戦を始めましょう」

 

「ええ~~!?」

 

「膨れないでください。あとで、いくらでも撫でてあげますから」

 

「ホントに!? 約束だよシュテるん! 絶対だかんね!?」

 

「ええ、約束です」

 

 その後、侵入してきたクロノとフェイトを結界の内側に結界を張ることで閉じ込めたマテリアル。

 こうしてマテリアル側の思惑は見事に成功し、アースラチームは戦力を分断されることになる。

 状況はシュテルの考案した作戦通りに推移しつつあったのだ。

 

◇ ◇ ◇

 

「初めましてクロノ執務官。私は王に仕えるマテリアルが一基。『理』を司る欠片。星光の殲滅者、シュテル・ザ・デストラクターと申します。気軽にシュテルとお呼びください」

 

 クロノに対峙するなのはによく似た少女は、そう名乗るとスカートの裾を両手で摘んで優雅にお辞儀した。律儀な少女。クロノの第一印象はこれに尽きる。

 交渉とはいえ、まだ敵対しているといって良い関係。何気なく吐きだされる言葉のひとつひとつが情報となり答えを導くピースとなるのだ。他の三人の少女たちを御する存在である彼女も、それを知らぬわけではあるまい。伝えた言葉は恐らくクロノに知られても問題のない情報なのだろう。

 だが、向こうが名乗ってきたのに礼を返さないのは失礼にあたる。交渉は相手の機嫌を損ねず、逆鱗に触れないことが肝心なのだ。

 クロノも律儀に名と役職を名乗ろうとするとシュテルに手で制された。いわく、先ほどの名乗りで理解しているから必要ないのだそうだ。ならば、話は早い。さっそく交渉に赴くことにする。できれば平和的解決が望ましいが……それは無理だろう。

 クロノがシュテルの瞳を見た時、彼は察したのだ。彼女が絶対に意志を曲げぬ不屈の心を持つ者であると。高町なのはと同じ、やると決めたらやり通すのを信条とするタイプ。彼女は状況を打開することを諦めていない。

 ならば、これは交渉という名の情報の引き出し合いか。何らかの理由で向こうは管理局の情報を欲している。クロノはそう判断した。

 迂闊なことを口走らないよう注意しなければとクロノは自身を戒め、同時に向こうの正体をできるだけ探ってやる決意も心の内に秘める。

 

「まずは、そちらとこちらの要求を突き付ける前にすることがあります。私たちはあまりにも互いのことを知りません。話し合いをする前に相手のことを理解しておくのは交渉において必須。ですので、交互に質問しあい必ずそれに答えるというのはどうでしょう? もちろん質問の答えをぼかしても構いません。嘘か真か判断するのは各自で行ってください」

 

 これで確定した。シュテルは間違いなく情報を探る気だ。

 交渉というのが偽りで従う気が最初からないのであれば強引にバインドで捕縛してもいい。しかし、これは相手の事情を知るチャンスでもある。何より捕縛に失敗した時のリスクが高すぎるのだ。向こうが誠意を見せて武器を降ろし、一対一の話し合いに応じた以上、すぐにクロノ達をどうこうしようというわけでもあるまい。

 わざわざ質問に答えてくれるというのであれば、出来うる限りこちらも情報を引き出すに越したことはない。

 いいさ、そちらの考えに乗ってやる。クロノは心の内で気合を入れ、表情は変えずに気持ちを奮い立たせる。心は熱く、頭は冷静に。

 クロノとシュテルの腹の探り合いが始まる。

 

「それでは、そちらから質問をどうぞ。何でも答えてあげましょう」

 

 シュテルは先手をクロノに譲るようだ。クロノもシュテルの言葉に甘えて頷く。

 最初の質問はかなり重要。これによって結果と展開は劇的に変化すると言っていい。いきなり核心や相手の触れてほしくないような深い部分を探るのは、避けなければならない。後の答えが曖昧になってはぐらかされるだろう。此方が誠意をみせてもだ。

 かと言ってくだらない質問もだめだ。相手ばかりが得をする、それは望ましくない展開である。

 よって、クロノは深入りするような質問をせず、後々に重要な役割を果たすような情報を引き出さなくてはならなかった。

 目を瞑り、深く考え込むような仕草で思考するクロノをシュテルは黙って見つめる。一見すると隙だらけなように見えるが、此方の気配をちゃんと探っているようだ。シュテルの肌を刺すような威圧感が襲う。牽制されている。

 もっとも、まどろっこしい相手の熟考にシュテル側の外野が不満そうな、早くしろとでも言いたげな視線を送っているので、シュテルは背中がむず痒い。この気配はレヴィとナハトだろう。局員の行動は何でも不愉快なのか。

 やれやれ、と肩を竦めるシュテルの前で執務官が静かに瞼を開いた。どうやら考えが纏まったようだ。シュテルも気合を入れ直して身構える。

 

「率直に聞くが、君たちは何者だ?」

 

 巧いと、シュテルは内心で舌打ちする。闇の書の関係者か、闇の書そのものなのかと質問されれば、違うと答えていた。事実そのとおりだから。逆に闇の書とは関係ないのか、と聞かれれば、いいえと答えていた。どちらも正解で、どちらも間違っている。

 だが、何者かと問われれば、シュテルは曖昧に隠すつもりだった情報を言わなければならなくなる。律儀かもしれないが、シュテルは嘘が大っ嫌いだから。正確には騙して絶望に陥れるような悪質な嘘。

 他者を思いやる嘘は許せるが、他者を騙すような嘘だけは絶対に許せない。これを破れば憎いアイツらと同じになってしまうからだ。

 だから、答える。自らが何者であるか。重要な部分は言えないが、核心の答えに繋がる情報の欠片は与えよう。それをどう処理するかはクロノ次第だ。

 

「私とあの娘達は紫天の書のマテリアル。簡単に言えば闇の書の守護騎士と同じような存在です」

 

 シュテルから吐き出された情報をクロノは吟味する。

 彼女たちは紫天の書というロストロギアの守護者らしい。起こした事件から性質は闇の書に酷似しているが、守護騎士と同じような存在と名乗っているから、正確には違うと考える。クロノは情報がまだ少ないので、闇の書でないならば、何らかの関わりを持つとロストロギアと判断するに留めた。

 今度は向こうの番だ。何を聞かれるのか知らないが、管理局の情報を引き出したい。グリーンの前で叫んだすずかによく似た少女の言葉、殺された。これら二点で導き出される予測は、復讐する相手の居場所がもっとも高い。

 まあ、聞かれても正確には答えられないので分からないとしか言いようがないが。時空管理局は巨大な組織だから有名人でもない限り、クロノには答えることはできないのだ。一番多くの人員を把握しているのは人事部のレティ提督か。

 

「問います。現在の正確な日付、できれば新暦の何年なのかも教えてほしい」

 

 果たしてクロノの予想は外れた。あまりにも重要度の低い情報を求めてきたことに、一瞬だけ怪訝な表情を浮かべるが、すぐに冷静さを取り戻して相手の意図を考える。

 考えられるのは世間一般に触れていないということ、そしてロストロギアが起動して間もなく、正確な状況判断ができていない。これくらいだろうか?

 

「考え事に浸るのは構いませんが、質問に答えてからにしてほしいものです。執務官殿?」

 

「ああ……済まない。新暦65年の11月15日だ」

 

「そうですか。どうも、ありがとうございます(聞こえますかレヴィ。新暦65年は地球歴に直すといつになるのですか?)」

 

 シュテルはスカートの裾を両手で摘んで優雅にお辞儀すると、礼を述べる。その傍らでレヴィにマテリアル専用の思念通信を開いて、新暦が西暦に変換すると何年になるのか聞いていた。管理世界に疎いレヴィ以外の四人のマテリアルは新暦が何年に当たるのか分からないのだ。

 シュテル達の知っている闇の書事件から、どれほどの時間が経過したのか? それを知るための重要でいて何気ない質問のだが、レヴィから帰ってきた返答は冷静なシュテルでもってしても愕然とさせるには充分な内容だった。

 

「(しゅ……シュテるん、あのね。信じられないんだけど。ボク、バカだからよく分かんないんだけど……)」

 

「(いいから、早く教えてください。多少の時間の経過は誤算の範囲内です)」

 

「(う、うん。新暦65年は、地球歴、西暦に変換すると、××年……シュテるんとボクが出会って、闇の書事件が起きた年だ……どういうことなのシュテるん…………)」

 

「は、い……? はは、冗談、で、しょう?」

 

「おい! どうかしたのか!? 顔色が優れないようだが……」

 

 シュテルはレヴィの言葉が一瞬信じられず、唖然としたように固まった。身体がふらついて倒れそうになるのを、なんとか踏みとどまることで抑える。クロノ・ハラオウンが何か言っているがシュテルの耳には届かなかった。

 シュテルはクロノの情報を嘘だと否定したかった。だが、あらゆる要素が真実だと断定するに充分な情報の欠片を与える。

 まず、レヴィはシュテルに対して嘘を吐く理由がない。あの子は本当のことしか言わないのだ。純粋すぎて人を騙すという考えが思い浮かばないのだろう。次に、リヴィエという少女が言っていた闇の書と似た気配が地球にあるという情報。これは、ある可能性を考えれば辻褄が合う。それを補強するのが、情報を聞き出した局員たちの誰もが、有名になったであろう闇の書封印事件を知らないこと。

 シュテルは残酷な真実を、現実を直視したくない。地球に帰って真っ先にしたかったことがあるのだ。どうしてもしなければならないことが。

 

 シュテルはグレアム達に敗れて封印される前の日。『すずか』から紹介された病弱な女の子、八神『はやて』のお見舞いに行く前日に、父親である『士郎』と大喧嘩してしまった。

 原因は隠し事。つまり魔法についてだ。管理外世界で魔法のことを広めてはいけない、無暗に使ってはならないと『ユーノ』や『アリシア』から教わっていたシュテルは頑なに約束を、秘密を守り通した。

 しかし、相次いで自分の娘が内緒で何処かに行っていることを不審に思ったのだろう。『士郎』は心配して『なのは』を『美由希』と共に問い詰めた。

 テロリストやマフィアを復讐の為に殺しまわっている不破家は、身を護る術が、力が弱い娘を心配して鍛えてきた。狙われてもある程度、状況を打開できるように護身術代わりの暗殺拳と判断力を叩き込んだのだ。

 そして、一度だけ『なのは』は誘拐されたことがある。このとき、本能的に生きようとした『なのは』は誤って誘拐犯を殺してしまう。

 その時、不破家は総出で、それこそあらゆる伝手を駆使して娘を、妹の行方をさがした経緯があった。だから、娘が家族に何か隠して、何かに関わっていると知ったとき、それが争い事であると勘付いて問い詰めたのだ。愛しい家族を喪わせまいとした。

 それを知られることを『なのは』は恐れた。せっかく手に入れた誰かを助けるための力が、魔法の"チカラ"が親に取られてしまうと怯えた。危ないことに関わらせたくない父と姉はきっと魔法を禁じて、魔法の世界に関わらせまいとするだろう。

 だから、『なのは』は感情が麻痺して、凍り付いていた心を爆発させた。自分でも信じられないくらいに親や姉の言い分に抵抗して、叩かれようとも、怒鳴られようとも、屈することはなかった。

 逆に涙と鼻水を流しながら噛みついていたほどだ。さらには、いままで鍛えていた不破の暗殺拳と剣技を罵って否定した。大っ嫌いだと、不破の武術も、不破の血も、優しくない父と姉も大っ嫌いで、死んでしまえと叫んだのをよく覚えている。

 愛した『なのは』に拒絶され、否定された『士郎』と『美由希』が、その時そんな気持ちを抱いていたのかシュテルには分からない。でも、きっと泣いていた。好きにしろと怒鳴って去っていく父の背中が小さく見えた。無言で去っていく姉の背中は気落ちしていて、復讐を全否定された彼女の表情は魂が抜け落ちたかのようであった。

 本当は『なのは』は二人のことが嫌いではなかった。大好きだよと、愛してると、だからごめんなさい。そう謝りたかった。仲直りしたかった。

 でも、気まずいまま一日が過ぎ去り、次の日を迎えた『なのは』は命を喪うとも知らずに海鳴大学病院に向かう。きっと、友達と過ごすクリスマスは、あんな家族と過ごすクリスマスよりも楽しいと信じてだ。

 死に際の彼女が抱いた苦悩と記憶にある思い出は、死への恐怖よりも、あれほど嫌っていたはずの父と姉の優しい笑顔。その時、『なのは』は心に、魂に刻み付けるほどの未練を抱いた。"家族ともういちど仲直りしたい"と。

 

 それを受け継いでいるシュテルは、望みを果たせないことを知ってしまい。心が呆然して穴が開くかのようなショックを受けてしまったのだ。

 

 リヴィエが闇の書と同じような気配があると言っていた。あたりまえだ。管理局員たちが闇の書事件を知らないのも仕方がない。自分たちとは別に似たような魔導師襲撃事件が起きているのも納得できる。闇の書の守護騎士、ヴォルケンリッターが八神はやてを救わんと蒐集してるから。

 だって、ここは。この世界はシュテル達のいた世界とは違う並行世界なんだから。しかも、時を遡っているというおまけつき。

 嗚呼、そんなことはどうでもいい。もはや、シュテルは家族に会えない。レヴィから事情を聞いて、内容を理解して固まっているアスカとナハトも。シュテルの望みは、『なのは』の願いは叶わなくなってしまった。

 シュテルも、アスカも、ナハトも、心のどこかで家族に再会したかったのだろう。それができないと知って茫然自失となるのは仕方ないのかもしれない。

 

 クロノは相手の尋常ではない様子に呆然としていた。自分が言った言葉で、それほどまでに衝撃を受けるとは思っていなかったので当然だ。捕らえようという考えは浮かばなかった。チャンスではあるのだが、何か手を出すのを躊躇わずにいられなかったというのもあるし、手を出してはいけない気がしたのだ。

 心配性のフェイトが、クロノとマテリアルの少女たちを案じて、立ち上がろうとしたのを何とか手で制するくらいしか今はできなかった。

 実際、クロノの行動は局員としては間違っていたが、判断は正しかった。手を出せば一人の水色の少女に即座に斬り殺されていた可能性があるから。

 

 愕然として、気力を無くしたように佇む少女達。そんな彼女たちを救ったのは他ならぬレヴィだった。

 全てを一度喪っている彼女は、今は何が大切なのか知っている。それを教えるために、思い出させるために、大事なことを見失わないように念話で精一杯、レヴィは叫んだ。

 

「(みんなしっかりして!! 王様を助けるんでしょう!? こんなところで呆けてどうするのさ!!)」

 

「ッ……迂闊。ありがとうレヴィ」

 

 シュテルは何とか意識を取り戻す。残酷な現実ではあるが、最悪の事実ではないのだ。

 思い直せばいい。闇の書封印事件が始まっていないという事は、八神はやてを救えるという事。並行世界とはいえ、友達や自分自身が死ぬ未来なんて迎えたくはない。

 未来の知識を知っている自分たちなら、歴史を変えることができる。運命を変えることができるのだ。

 何より、紫天の書に生まれ変わる前の闇の書に出会えるとは何と言う僥倖。これで、ディアーチェも八神はやても救える。さらに、犠牲になった人々全員を悲しい運命から救えれば一石二鳥どころの話ではないのである。

 そう思えば、なんとかやっていけると三人の少女たちは気合を入れ直した。

 

「失礼。クロノ執務官殿。少々取り乱しました」

 

「あ、ああ……大丈夫、なのか?」

 

「罪を犯した犯罪者の身を案じる。貴方は優しい人ですね。私の知っている管理局、あの時も貴方のような人がいれば……いいえ、過ぎたことです。続けましょうか」

 

 とんだアクシデントはあったが、交渉という名の探り合いは続く。

 

◇ ◇ ◇

 

 その後のやり取りは淡々としたものだった。

 クロノもシュテルも聞きたいことだけを聞いて、互いに答えられる範囲で応えていく。

 数度、言葉を交わしただけだが、相手が、どんな性格であるかは、だいたい把握できた。二人とも律儀で義理堅い。少しだけ信頼されている気持ちを裏切らなければ期待を裏切らないのだ。内に打算を含ませながら、二人は真っ直ぐな想いで言葉を交わし合う。

 

――君たちの目的は?

 

――復讐と主を救うこと

 

――ギル・グレアムの居場所を教えていただけますか?

 

――普段は時空管理局の本局にいらっしゃる。復讐の相手はグレアム提督なのか? 手を出すのなら、やめておけ。たとえ、君たちがどれほどの力を持ってしても本局の戦力は桁違いだ。無謀な試みになるぞ?

 

――貴方の忠告に感謝を。復讐の相手が彼かどうかは、そうかもしれません、とだけ……

 

――……そうか

 

――最後に、できれば見逃してくださいませんか? 無駄な争いはしたくない。できれば、貴方のような良い人とは戦いたくないのです

 

――……大人しく投降してくれ。今なら情状酌量の余地と弁護の機会がある。悪いようにはしないと約束する

 

――無理ですね。あの子たちの嘆きと憎悪を視線で感じるでしょう? それに砂漠世界での報告を聞いて駆け付けたのだとしたら、ある程度、管理局に何を抱いているのか分かる筈。管理局に対する憎しみは癒えず、管理局という存在は信じるに値しません。私としても貴方個人は信頼しても、管理局という組織全体を信用することができないのです

 

――はぁ……交渉決裂という事か?

 

――そうですね。そういうことになります。互いに向き合ったまま仲間の元へ下がりなさい。まだ、手出しはしません。このままではクロノ、貴方の方が不利だ

 

――なんとも潔いことだ。だが、堂々と正面から抵抗して、無事に切り抜けられるほど僕達は甘くないぞ?

 

――そちらこそ、我々を舐めない方がよいかと。貴方たち二人で何ができるというのです? 大人しくしていれば一瞬で済みます、できれば無駄に抵抗しないでください。大丈夫ですよ、殺しはしませんから

 

――君も大概お人よしだな。優しすぎる

 

――そうでも……ありませんよ…………

 

 そうして交渉は静かに決裂した。クロノもシュテルも最初から予想していたことだが、できれば素直に受け入れてほしかった。

 

 クロノとしては穏便に事を終わらせ助けたい。たとえ、局員を襲ったのが事実だとしても彼女たちには何か事情がある。それを聞いて、少しでも管理局に対する憎しみを理解して、できれば原因を取り除いてあげたかった。

 映像データで彼女たちを見た時、ロストロギアが何らかの原因で知り合いの姿、形を真似ているものだと思っていた。ただの偽物だと考えていたが違った。シュテルと直に触れ合ってみてなのはと似ても似つかないが感情があると分かったから、彼女たちも人間と変わらないと感じたから、どうしても手を差し伸べずにはいられなかったのだ。

 フェイトの言っていた意味が、気持ちが今なら理解できる。親しい友と同じ姿をしているからこそ、悲しい瞳を変えてあげたいと思う。助けてあげたいと願う。クロノは自分の局員としての相応しくない私情に苦笑いだ。まったく、高町なのはの影響を受けたのは自分も同じだという事か。

 でも、差し伸べた手は拒絶されてしまった。できるなら彼女たちに協力したいが目的が、目的である。復讐という悲劇の連鎖を生み出すようなことをしようというのならば、全力で止めなければならない。局員として、何より瓜二つの少女の友として。

 気持ちを切り替える。母に言われたのもあるが、自らの信念を貫き通す強き意志を、決意を貫き通すために、少年は甘さを捨てる。たとえ、知り合いに瓜二つだとしても、或いは、そのものだとしても敵対するならば容赦はしない。

 

 シュテルは、後ろに下がりながら厄介なことになった、残念なことだと痛感していた。クロノ・ハラオウンは個人的に信頼できると思った人間だからだ。

 だからこそ、残念でならない。動揺したシュテルを拘束しようと思えばできたはずだ。律儀に質問に答えずとも、はぐらかして、嘘を吐いてもよかったのに正直に答えてくれた。彼のような人間が封印事件の時にいてくれれば良かったのにと思わずにはいられない。

 ぶっきらぼうだが、相手を思いやる心があっていい人だと思う。シュテル達は犯罪者という立場なのに、こちらの身を案じて、あろうことか警告までしてくれた。局員にもこんな人間がいるのかと感慨深くなったほどだ。

 できれば戦わずにやり過ごしたかった。シュテルは外道や畜生を殺すこと、傷つけることに躊躇わないが、善良な人間を無暗に傷つけるほど壊れてはいない。邪魔をしないのであれば何もしなかった。

 でも、それは無理だろう。彼は局員として務めを果たす。生真面目で意思も強いだろうから。

 ならば手加減は一切しない。王と仲間たちの道を阻むというのならば、どんな相手だろうと全力で叩き壊し、捻り潰す。

 

 シュテルの後ろに控えて大人しくしていたレヴィ、アスカ、ナハトが、それぞれの武装を手に駆け寄る。

 シュテルを庇うように前に立ち、臨戦態勢を整え、警戒を怠らない。相手がどんなことをしてきても即座に対応できるようにする。作戦通り、シュテルには指一本触れさせないつもりだ。

 

 一触即発の状態。誰かが少しでも行動を起こせば爆発する状況。

 

「待ってください!!」

 

「なっ、どういうつもりだフェイト? 交渉は失敗したんだ。今更、話し合いは意味がないんだぞ」

 

「クロノはそうかもしれないけど、私は話してないから。お願い。少しだけ、あの子達と、お話させて?」

 

 そんななかで、静かに立ち上がり、対立する二陣営の間に割って入って、両手を広げた少女がいた。

 フェイト・テスタロッサ。

 彼女の行動にクロノは眉を顰め、シュテル、アスカ、ナハトは半信半疑だった違う世界だという根拠を見せつけられたような気がして、一瞬だけたじろいだ。

 いや、一人だけ少女の姿に、行動に動揺せず前に進み出た存在がいたようだ。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャー。

 レヴィは管理局の魔導師が転移してきた時から苛立っていた。それが局員に対する憎しみによるものなのか、それともシュテルと話すクロノという存在に抱いた嫉妬によるものなのか分からなかった。

 けど。、その理由がはっきりとした。目の前で両手を広げて立ちふさがる、儚げな雰囲気の少女。自分と瓜二つの存在が原因であると。

 なぜ、こんなにも苛立つのか分からない。フェイトが隠れている間に向けてきた視線を鬱陶しく感じた?

 ううん、違う気がする。自分自身と似た存在が不愉快だとか、弱々しい態度が気に入らないとかじゃない。もっと根源的なところでレヴィはフェイトの事が受け入れられないのだ。なんとなく、レヴィは直感で理解する。

 その苛立つ理由が知りたくて、レヴィはフェイトの前に立つ。彼女との話し合いに応じようとしていた。

 

「レヴィ、どうかしたのですか? 何か気になる事でも?」

 

「シュテル、ごめんね。作戦通りならボクは皆と協力して、シュテルを護らなきゃいけないんだよね? でも……」

 

「あのフェイトと呼ばれた少女の存在に惹かれるとでも?」

 

「うん、何故か分からないけど、アイツのことが気になって仕方がないんだ。何でボク、こんなに苛立ってるんだろう……」

 

 シュテルはしばし、目を瞑って考え込むと、どうすべきか判断を迷う。

 どの道、戦闘になるのであれば相対する戦力は少ないに越したことはない。

 ここは、レヴィにフェイトという少女を連れさせて遠くで話し合いをさせる。そうすることで、結果的にクロノ執務官と引き離し、戦力を分断させるのだ。

 バリアジャケットの形状や手にしたデバイスから見ても、フェイトの戦闘スタイルはレヴィと同じだと見ていいだろう。だから、たとえ戦闘になったとしてもレヴィが慢心か、動揺しなければ負ける確率は低い。

 フェイトの持つバルディッシュにはカートリッジシステムがない。フェイトは守護騎士である『ヴィータ』の魔法と魔力を受け継いでいない。この二点の違いで、すでに両者の実力には絶対的な差がある。

 なら、大丈夫だろう。シュテルは軽く頷いて許可を出す。

 

「レヴィ。貴女の気の済むままに、好きにやりなさい。でも、気に喰わないからと言って無暗に傷つけてはなりませんよ? それと、危なくなれば念話で助けを呼ぶので、そのつもりで」

 

「ありがとうシュテル。わがままいってごめんよ」

 

「気にしないで、レヴィ。さあ、行きなさい」

 

「うん……フェイト・テスタロッサ!! ボクの名はレヴィ・ザ……ううん、キミのまえでは、あえてこう名乗ろう! 『アリシア』・テスタロッサであると!! ボクは君と一対一で話し合いたい! その意志があるのならばボクに付いて来い!」

 

 レヴィが大声で告げた真名を聞き、クロノとフェイトは明らかに動揺していた。その名はフェイトにとって、様々な意味を持つ名だからだ。

 同時に、アスカとナハトがあちゃ~とでも言いたげに、天を仰いでいた。

 並行世界の管理局に真名を知られても意味はないだろうし、自分の正体を姿から容易く想像できるだろうから問題ないのだとしても、自分から真実を告げるような真似をするのはどうなのだろう? これでは偽名を名乗る意味がない。

 もっとも、シュテルは、それでいいだろうと考えていた。

 『アリシア』の名が持つ意味を、そこに含まれた重さを正しく理解しているのは、レヴィとシュテルだけだ。

 シュテルだけは知っている。レヴィにとっての『アリシア』という名が、どれだけ忌々しくて、どれだけ彼女を傷つけたのかを。真実をレヴィと共に見て来たから。彼女が潰れそうになったのを支えたのは他ならぬシュテルなのだ。

 この世界が並行世界だとして、バルディッシュを持つフェイトがレヴィと同じ存在だと考えるならば、少女がレヴィと同じような道を歩んできたとは限らない。

 世界の歴史の差異がどれほどのモノなのかシュテルには分からないが、二人が共感し合うか、相容れない存在となるかは、異なる名を持つ同じ存在の少女たちの、その成り立ちによって決まるだろうと、そう感じていた。

 できることならば、敵味方を関係なしに、二人には受け入れあってほしいものだとシュテルは願う。

 『アリシア』という名で繋がれた、たくさんの姉妹たち。フェイトとレヴィは、その一つであることに変わりないんだろうから。

 

「クロノ。あの子、アリシアって……どういうことなんだろう……? 私の姉さん、なのかな……? 私、知りたい。あの子と話してみたい」

 

「正直に言えば、僕にも彼女の言葉の真意が判断できないし、君と僕を孤立させるための作戦と考えると、許可を出すわけにはいかない。それでも、フェイト。君は行くんだろう? いっても聞かないのは承知さ。だから、好きにしろ。ただし、無理はするなよ。あのレヴィとか言う少女の抱いている感情は間違いなく敵意だ。気をつけろ」

 

「うん。ありがとうクロノ。そして、ごめんなさい。『アリシア』! 貴女の提案に私は乗ることにする!! 話し合いに応じよう!!」

 

「よし、付いてくるがいい!! キミならボクのスピードに追従できるはずだ!!」

 

 一陣の突風が爆発したように吹き荒れ、砂塵が噴水のように、ふたつ吹き上がる。

 疾風迅雷と例えられた二人の魔導師が爆発的な加速力を発揮するために大地を蹴ったのだ。それだけの衝撃で高く舞い上がる砂塵が、二人の発揮した力の強さを示している。姿を探そうとも、二人のスピードでは、もう、ここにはいまい。

 吹き上がった砂塵が細かな砂の粒となり、重力に惹かれて雨のように降り注いだ。視界がされぎられて、汗ばんだ身体に張り付く砂の感触が気持ち悪いが、クロノにとっては好都合。この状況を利用して奇襲を仕掛ける。狙いはシュテル。

 すでに戦いは始まっているのだ。さっきからシュテルと名乗る少女の身体から膨大な魔力が練り上げられている、魔力が収束されているのを感じる。レヴィとの話し合いの間に、それを行っているのだから抜け目がない。

 この魔力の収束の仕方と、展開する術式に酷似した魔法をクロノは知っている。高町なのはが一度だけ放ったスターライトブレイカーだ。多少、術式が異なるが大部分は同じ。これで結界を破壊するのが目的か。

 レヴィの言っていた言葉を思い出す。シュテルを護らなければならないと。ならば、クロノの判断は間違っていない。相手の脱出の要はシュテルだ。

 

「ああ~~っ!! 砂がウザったいわねッ!」

 

「――くっ、あいつ油断できない。もう気づいた……アスカちゃん、クロノとか言うヤツが近付いてる!!」

 

「こんなときに……奇襲を掛けるつもり? たくっ、させないわ、よ!!」

 

 クロノは、苛立つ少女たちの声を聞きながら、超高速誘導弾のスティンガースナイプをシュテルに発射しようとして、咄嗟にデバイスのS2Uを身構えた。

 炎が吹き荒れる音。次いで鞘から刀剣を引き抜いた金属の擦れる音と風切音、さらに可燃物に着火したような音が相次いで聞こえた。かなりの速度で近づいてくる気配を待ち構える。ばれない様に足元にバインドを設置するのも忘れない。

 アスカが、炎の翼を背に、砂塵を消し飛ばしながらクロノを襲う。振り上げた刀型デバイス紅火丸が刀身に炎を纏っていて、彼女がヴォルケンリッターの剣士タイプの魔導師であると判断。接近戦は危険だと後ろに下がった。

 相手の得意分野に付き合う必要はない。むしろ、不得意で苦手な分野から徹底的に攻める。

 即座に複数のスティンガーブレイドを展開して牽制に放つ。刀で切り払われる。アスカが着地して、もう一度、大地を踏み抜いてクロノに接近しようとする。掛かった。そこはバインドを設置した場所だ。

 

「ストラグル――バインド!」

 

「バインド!? うぐ、いつの間に……!?」

 

 アスカの踏んだ地面から青色のミッドチルダ式魔法陣が広がり、縄状の光り輝く紐がアスカの足をからめ取って、そこから全身を拘束していく。

 その瞬間、アスカの背中から放出されていた炎の翼が効力を失ったかのように消え失せ。デバイスが纏っていた火炎も力の供給を断たれたのか、静かに収まっていく。アスカがバインドを力任せに引き千切ろうとすると、肌に触れた部分から血が滲んだ。

 

「いっ――アンタ……!!」

 

 思わず痛みに顔を歪めるアスカ。捕獲した対象が逃げようとすると攻勢プログラムが働くバインドなのか。それとも、治安組織らしからぬ殺傷設定で魔法を行使しているのかと疑うように、クロノを睨みつけた。

 しかし、クロノは違うとでも言いたげに、静かに首を横に振って否定する。

 アスカを援護しようと向かってきているナハト。

 彼女の姿は砂塵でよく見えないが、クロノは魔力感知と気配を頼りにスティンガーで牽制を加えつつ、無駄に暴れないようにさせるために、ストラグルバインドの効果と身体を傷つける理由を、アスカに解説してくれる。

 

「ストラグルバインドの効果は拘束した対象の身体強化魔法を強制解除することだ。今の君は思うように力が出せないはず。それに、その様子だと、君たちは魔法生命体か。魔力で構成された生物は非殺傷設定が効かないんだ。覚えておくといい。だから、あまり無茶はするな」

 

 つまり、魔法にどんな効果を付与しようが関係なく、アスカ達マテリアルにとって全ての魔法が物理的な効果をもたらすということか。アスカはクロノの言葉を聞いて、そう理解した。

 マテリアルの身体が全て魔法で、正確には魔力で練り上げられた仮初の身体。魔力の塊である魔法をぶつけられると、身体を構成する魔力が飛び散って、人間でいう怪我をするのだ。忌々しいとアスカは舌打ちする。

 非殺傷設定、殺傷設定、対物設定、対魔力設定、これらの設定関係なしに魔法はマテリアルを傷つけるという事だ。

 しかも、使い魔のように動物などを素体としているわけじゃない。純粋な魔力だけで身体を構成されたマテリアルは魔法の効果をもろに受ける。痣が残るくらいの威力でも、マテリアルにとっては肉が飛び散り、腕が吹っ飛びかねない威力に変わる。

 それを知っているディアーチェは対策として、彼女たちのバリアジャケットの強度を通常の何倍にも引き上げるために、過剰に魔力を供給しているのだが、肌の露出している部分などは比較的に装甲が薄い。

 全身を拘束している魔法の鎖を、無理に引き千切ろうとすると、身体中が切り刻まれてしまう。

 

 ……それがどうした?

 

 魔法が身体を傷つける? 非殺傷設定が効かない? そんなの攻撃魔法を使っているときから。相手を怪我させて、自分を傷つけられる覚悟くらいはできている。

 アスカよりもはるかに強い、シュテルとレヴィなんて。夢の中で喧嘩した時、加減は一切しなかった。たぶん、魔法が必要以上に自身と相手を傷つけると知ったうえで全力を出したのだ。

 親友は、腕が焼け焦げ、腹がふっとばされても戦う覚悟を決めている。ならば、この程度の、綾取り紐みたいな魔法が締め付ける痛みなど、耐えられなくてどうする? アスカはそう考え、自分の奮い立たせる。

 

「うぅ……うぅらあああああああ!!!」

 

 拘束されている身体を無理やり動かす。紅火丸を掴んだ右手を強引に振り上げる。身体を地面に縫い付け、拘束せんとバインドが身体を引く力が強くなり、綺麗な肌を傷つけていく。肉に喰いこんで、血が飛び散って、真紅の光が魔力の残滓となって消えていく。

 痛い、痛い、痛い! こんなの魔力で疑似的に再現された感覚! 本当は刻まれてなどいないし、血が飛び散ってもいない。全部嘘っぱちだ! そう自分を誤魔化すアスカ。

 

「なっ!! 馬鹿な、なんて無茶するんだ!!」

 

「余所見をするな!!」

 

「ちぃ!」

 

 クロノ・ハラオウンがアスカの予想外の行為に驚愕して、目を見開き。ナハトがその隙をついて近接格闘戦をしかけ、連撃を加えんと懐に入り込む。

 それを、予測済みだといわんばかりに空を飛んで回避。展開していたスティンガーブレイドの一部を雨あられのようにふらすクロノ。

 ナハトは守護獣から受け継いだ強固な防壁で防いでいるが、降り注ぐ魔法の密度が濃くて動けない、回避できない。ナハトを、その場に縫い付けている間もクロノは別の魔法を展開し続ける。

 そして、そんな喧騒はアスカの耳に届かない、視界に映ることもない。今は自分を捕らえている鎖を引き千切る方が先だ。

 思い出すのは、魔法の講義中にレヴィが注意してくれたこと。

 

"ヘタな人がやると魔力を抑えきれなくて暴発とかするし"

 

 身体強化魔法はストラグルバインドによって阻害され、アスカは人より少し力が強い程度しか膂力を発揮できないでいる。

 魔法のプログラムに干渉して内部からバインドを解除、破壊するのは苦手だし、そもそもクロノの魔法は、そんな簡単に解除できるほど甘くはない。緻密に洗練されていて、うまく干渉できないのだ。ハッキングする隙がない。

 ならば、自爆覚悟でカートリッジの魔力を暴発させ、その余波で無理やり引き千切る。

 

「紅火丸!!」

 

『承知。魔力薬莢装填』

 

「いっけえええええええええ!!」

 

 四発装填されているカートリッジを全弾ロードする。振り上げられた紅火丸の柄がスライドして空になった薬莢が排出され、デバイスに溜まった熱が蒸気となって勢いよく排出される。

 馬鹿みたいに上昇する魔力。アスカが内側から引き出す魔力と供給されたカートリッジの魔力をデバイスに練り込んで、制御も適当に、出せる限りの力で振り下ろす。

 まるで、戦艦の砲撃が着弾したかのような爆発と地響きが大地を揺らし、空に轟音を響かせた。アスカの紅火丸が宙を回転しながら空に吹っ飛んでいく。

 舞い散る砂塵が、爆風の余波で吹き飛んで視界が晴れていく。

 

「な……!?」

 

 結界を打ち破るための収束魔法をチャージし続けているシュテルの姿と、クロノがシュテルを取り囲むように展開していた無数のスティンガーブレイドの姿があらわになってナハトは息を呑んだ。思わず声が漏れる。

 いつの間に、これほどの術式を仕込んでいた? 決まっている。砂塵が撒きあがってからだ。この男、油断できない。ナハトは呆気にとられる。

 

「あ、アス、カちゃん……」

 

そして、爆心地で気絶して虚ろな瞳をしたアスカが頭から倒れ込んだ。柔らかい砂地の上だから良かったものの、怪我が酷い。

 紅火丸を握っていた右腕が吹き飛び、周囲に肉片や細長いナニカが飛び散っていた。構成を維持する魔力の供給が断たれた部分が、すぐに魔力の残滓となって、真紅の輝きを放ちながら消えていく。

 チャイナドレスのようなバリアジャケットは見るも無残なボロ布に変わり果てて、露出した肌のいたるところが焼け焦げている。

 顔は砂地にめり込んでいて見えないが、きっと誰にも直視できないくらいの有様になっていると、思う……

 主の身を案ずるかのように、空から落ちてきた紅火丸がアスカの傍らに突き立った。

 

 どうする? どうすればいい? ナハトは迷う。

 アスカを見捨て、シュテルを護るべきなのか。それとも、シュテルが攻撃を対応してくれると信じて、アスカを助けるべきなのか。

 

「あまりにも膨大な魔力が収束していて、シュテルの周囲がどうなっているのか感知できなかったが、防御結界は展開されていないのか」

 

 クロノが言葉と共にS2Uを振り上げた。あれを振り降ろすというアクショントリガーをこなした瞬間、無数の魔法の剣は、刃をシュテルの身体に突き立てんと向かっていくだろう。クロノを阻止するよりも、魔法が発動する方が圧倒的に早い。

 ナハトはシュテルの顔を見た。

 まったく動じた様子もない。身じろぎもしない。アスカが無茶して大怪我したのを、見ずとも感じているだろうに。シュテルを取り囲んだ数え切れないほどの剣が見えない訳ではないだろう。それなのに、動こうとしない。

 ただ、ひたすらにルシフェリオンの先端に集っていく魔力を収束させていく。シュテルの魔力、戦闘で散布される魔力。アスカが傷ついて飛び散らせた身体を構成する魔力。あらゆるものを利用して務めを果たそうとしている。

 ナハトは作戦前のシュテルの言葉を思い出す。

 

"ルシフェリオンブレイカーをチャージ中は無防備になります。戦闘ならすぐにでも発射できますが、これほどの結界を破壊するとなると、儀式魔法並みの準備が必要なのです。ですので攻撃を近づけさせないように。みんなを信じていますよ"

 

 アスカを心配していないはずがない。きっと今すぐにでも飛び出して助けに行きたいはずだ。

 シュテルに向けられた無数の攻撃魔法を恐れていない訳がない。きっと、今すぐにでも射線から逃げ出して、対応策を練ろうとするだろう。

 それをしないのは、信じているから。親友が絶対に守ってくれると心の底から信頼して、自分にできることをしようとしている。

 こんな時、アスカやレヴィならどうする? きっと、ううん、絶対にシュテルを護ろうとする。大事なことを忘れてはならない、今しなければならないのは、シュテルを攻撃から守り、結界を打ち破る時間を稼ぐことだ。何としても。

 ならば、残酷なようだが、アスカは見捨てる。

 

――大丈夫よ。アンタは間違ってないから。アタシのことは心配すんな

 

 その勇気ある決断に、気絶している筈のアスカが褒めてくれたような気がした。

 

「終わりだ。スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!!」

 

「させない。護れ、鋼の軛!! わが友を護る城壁と成れ!!」

 

 言葉と共に杖を振り降ろすクロノと、しゃがんで地面に両手をつけて叫んだナハト。二人の魔法が同時に展開する。

 シュテルを取り囲んでいた無数のスティンガーブレイドが、狙いを定めたように環状魔法陣を向ける。まるで、スコープで狙撃する相手を覗き込んだかのようだ。そして、一部を除いた剣の群れが、加速しながらシュテルに襲いかかる。

 だが、そうはさせまいと、シュテルの周囲から白銀の軛が伸びる。伸びて互いに絡み合って鼠一匹すら通すまいと、隙間を無くしていく。軛は盾となり、壁となり、あらゆる攻撃から身を護る城壁と成る。

 元々、侵入してきた敵の進路を阻むために使う拘束魔法。当然、破壊されないように物理、魔力双方に対する強度は高い。

 スティンガーブレイドのような、通常の射撃魔法より強力である魔法弾であっても一切通らないだろう。破壊するにはレヴィや、シュテル並みの砲撃魔法でなければ不可能。

 ガガガガガッと木の塀に矢が刺さったかのような乾いた音が鳴り響き、シュテルを狙ったスティンガーブレイドの連撃を阻む鋼の軛。ちゃんと、防げたことに安堵するナハト。だが、クロノが狼狽えた様子がない。まだ、何か手を残しているのかと警戒する。

 

 鋼の軛に突き刺さっていく己の魔法を見ながらクロノは、冷静に次の一手を実行に移した。

 これで通らないのならば、次の一手。それでもだめなら、更なる一手。ひとつ、ひとつの攻撃を無駄にせず、布石へと変えていく。

 シュテルと同じ、いかにして効率よく敵を無力化するのか考えながら、戦うのがクロノの戦闘スタイルなのだ。

 

「ブレイクッ!!」

 

 叫びと共に軛に突き刺さり、侵入を阻まれていたスティンガーブレイドが一斉に爆発した。

 百近い青の剣が起こした爆発は凄まじく、煙で周囲の様子が見えなくなるほどだ。手ごたえはあった。確かにスティンガーブレイドの一斉爆破は軛を打ち砕いた感触がある。煙の中から吹き飛んで出てくる軛の欠片が良い証拠だ。

 それでも、不安がぬぐえないのはナハトという少女が諦めた様子を見せていないからか、感じるシュテルの魔力が、さらに収束されていくからなのか。

 とにかく終わってはいないのは確かだ。クロノは冷徹に次に繋げる攻撃の準備を怠らない。

 

 煙が徐々に晴れていくと、ボロボロに砕けて防御機能の一部を損失させた軛の防壁があらわになる。

 所々に隙間ができていて、そこからチャージを続けるシュテルの姿が見えた。護りを完全に崩すにはあと一息といった所だろう。

 

「ブレイズカノン!!」

 

 クロノはS2Uをシュテルに向けて砲撃魔法を放つ。ナハトがクロノの攻撃を牽制しようにも、遥か上空から一方的に攻撃を加えるクロノに届くような攻撃魔法はなく、近づこうとする間に絶対防御の壁は打ち破られるかもしれない。

 もはや、ナハトも手段を選んでいられない。一瞬で狼の姿に変身すると、シュテルの所に向かう。

 その間にもクロノの連撃は続いていた。ブレイズカノンの直撃を受けて軛の一部が完全に崩れ去った。今なら射撃魔法も通るだろう。

 選択する魔法はスティンガースナイプ。狙うは護られている筈のシュテルではなく、シュテルに向かうナハト。防壁の隙間を狙えば、彼女は恐らく攻撃から身を挺してシュテルを庇うだろう。クロノはそう予測している。

 

「スティンガースナイプ! スナイプショット!!」

 

「ぐあっ!!」

 

 果たしてクロノの予想通り、ナハトは身を挺してシュテルに攻撃を通すまいと自ら盾になった。人間の姿に戻ると両手を広げてスティンガースナイプの一撃を受けとめる。腹にめり込んだ魔力弾によって身体をくの字に折り曲げるナハト。口からは血がこぼれ、内部に達したダメージの高さを物語っていた。

 辛うじて踏みとどまるナハト。痛みで意識が朦朧として、魔法の直撃でふらつく身体をなんとか踏みとどまらせる。キッとクロノを睨み付ける瞳には溢れんばかりの憎悪が込められていた。護りに徹していなければ縊り殺してやると言わんばかりだ。

 それを柳のように受け流しながら、クロノは残していたスティンガーブレイドの魔法を発動させんと無慈悲に杖を振り降ろす。

 すでに、鋼の軛による防壁は光の粒子となって霧散していた。ナハトが受けた傷と、痛みによるショックで魔法を維持する集中力が切れたのだ。ブレイドは先の一撃より数は少ないが、二人纏めて屠るには充分。

 高速で向かってくる攻撃魔法を、ナハトは怖気づいた様子もなく見つめる。

 ごめんねシュテルちゃん、ちょっとだけ避けて、お願いと。シュテルに負担を掛けてしまう事を謝り、自分にできる最後の手段を躊躇なく行う。

 手を突き出して蒼色のベルカ式シールド魔法を展開、三角形の回転する防壁がシュテルに迫るブレイドの半分を防ぎ、弾いた。反対側のブレイドはナハト自身の背中で受けとめ、シュテルの頭を狙った一撃は空いた腕を射線において、絶対に貫通させまいと、刺さった瞬間に腕に力を込めて筋肉を盛り上げ、刃の侵攻を阻んだ。

 無数に穿たれた傷口から血が流れ落ちて、口からおびただしい量の血を吐いて、ナハトは堪えきれずに膝を付いた。弱り果て痙攣する身体に鞭打って護りきった親友の姿を見上げれば、こちらを見向きもせずに、ようやく完成しつつある魔法の調整を続けている。

 ナハトの血を浴びてシュテルの顔から紅い雫が滴り落ちる、バリアジャケットに血がしみ込んで赤く黒ずんだ色に染まる。親友が目の前で傷ついても動じない冷たい少女に見えるかもしれない。不気味だと何も知らない人間からすれば、そう感じるだろう。

 でも、ナハトはうっすらと微笑んで、心配しないでと呟いた。

 シュテルの瞳をよく見れば、彼女は泣きそうだ。ホントは傷つき倒れていくアスカとナハトが心配で心配で、今すぐにでも助けに行きたかっただろうに。よく我慢した。声が出せたのなら褒めて頭を撫でていたが、身体がうまく動かないナハトでは叶わぬ願いだ。

 もはや、気力が残っていても身体が限界なのか、ゆっくりとナハトはうつぶせに倒れて気絶する。

 

 しかし、二人が身を挺してくれたおかげで、この勝負シュテルの勝ちだ。ようやく、ようやく究極の収束魔法が完成した。

 本来ならばクロノが勝っていただろう。ナハトがブレイドを受けとめた瞬間に、ブレイクのキーワードでシュテル諸共、爆砕すれば良かったのだ。やはり、あの男は甘い。大方、ナハトの身体をバラバラにするのを躊躇ったのだ。たとえ、魔力で構成された魔法生命体が、後々復活できると分かっていても。

 シュテル達は根幹のプログラムを損傷しない限り死なない。主から魔力の供給さえ受ければ何度でも復活する。

 だから、傷ついた二人は大丈夫と言い聞かせながら、シュテルは二人の受けた痛みをまとめて返すことにした。約束通り殺しはしないが、報いは受けてもらう。

 ルシフェリオンの先端に収束して出来上がった魔力の塊は、太陽の光と錯覚してしまいそうな眩い輝きを放っていて、星の光にも負けないくらいの威力を秘めている。

 それを、シュテルはクロノに向けた。クロノを見つめる瞳に感情が感じられず、彼女は一切の躊躇なしにクロノごと撃ち抜くだろう。

 

「ッ……! そこまでして、護るのか……そうまでして成し遂げる気か?」

 

 クロノがナハトの身を挺した行動に狼狽して、呆気にとられたように空中で立ちすくむ。

 そこまでするとは思わなかった。二人とも迫りくるスティンガーブレイドから回避すると予測していたのだが……秘めた覚悟を読み違えたようだ。

 それに、確かに最終手段として、ブレイドを爆破することも出来た。母の容赦なく徹底的にやれと言う言葉も頭のなかで反芻した。それでも、クロノは躊躇ってしまった。頭のなかで映像で見たナハトの絶望に満ちた悲しみの声を思い浮かべるとどうしてもできなかったのだ。

 

 あれだけの魔法を連発して、消耗しない訳がない。クロノは疲弊する身体に鞭打って回避行動を取ろうとするが、収束魔法どころか、広域殲滅魔法と化したシュテルのルシフェリオンブレイカーを避けることができそうにない。

 

「クロノ、我が究極の一撃を受けて果てなさい。集え明星……全てを灼き消す、焔と成れ……我が友の受けた屈辱を返し、行く手を阻むものを打ち砕く太陽の輝きへと昇華しろ――」

 

――真ルシフェリオォォォン、ブレイカアアアアァァァァッ!!!

 

 その渾身のシュテルの叫びと共に放たれた魔力の濁流を、太陽の噴き出すプロミネンスのような一撃を。痛みと熱さを肌で感じながら、クロノは誰かに引っ張られるような感覚を最後に一瞬だけ意識を失った。

 強壮結界は打ち砕かれ、今、地球への道が開いたのである。

 

 



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〇自分に成れなかった少女

 シュテル達が戦う戦場をやや遠く離れた上空。そこでレヴィはフェイトを静かにたたずんで待っていた。

 別にレヴィがフェイトを叩き落としたわけでも、バインドで足止めした訳でもない。純粋な速度、爆発的なレヴィの加速力と圧倒的な最高速がフェイトを上回り、つい引き離してしまったのだ。気が付いたら後ろにいたフェイトが居なかったので、最初は騙されたのかと驚いたのは内緒のレヴィである。

 もう少し配慮すれば良かったかと、ちょっとだけ後悔。キミなら追従できると言った自分が恥ずかしい。

 差が付いた原因は『力』のマテリアルとして覚醒したおかげもあるが、生前、魔法の使い方が全開過ぎたのも理由のひとつ。魔法を力任せに運用してはアルフを困らせていたレヴィ。この点で『アリシア』とフェイトの成長の方向性が決まった。

 飛んでいた時にチラリと見たフェイトの飛行魔法はレヴィよりもずっと上手くて丁寧だった。恐らくだが、速度の面でレヴィが圧倒的に勝るが、機動性はフェイトの方が上回るだろうとレヴィは考える。

 こっちが神速の一撃で叩き潰す隼なら、向こうは風のように舞って戦う燕といったところか。

 面白い。おもしろいぞフェイト・テスタロッサとレヴィは不敵に嗤う。できれば、速度と機動性どちらが有利で強いのか、優劣を競ってみたいところだが、あいにくと時間がない。援護に駆け付けるためにも、問答後は即座に墜ちてもらう。

 

「ようやく追いついたか。待ってたよ、フェイト」

 

「はぁ、はぁ、ごめんね……? ふぅ……レヴィはとっても速いんだ。ちょっとだけ驚いたかな」

 

「ふふん、スピードとパワーはボクのアイデンティティさ。これだけは絶対に負けたくないんだ」

 

「そっか、でも次は負けないよ?」

 

「次があるならね。勝てるかどうかはキミしだいさ」

 

 追いついたフェイトに振り向きながら、務めて冷静に、無邪気で天心爛漫の笑みを浮かべて話しかけるレヴィ、その笑みにあてられて、照れながらも、純粋無垢で可愛げな、花が咲いたような笑顔を浮かべるフェイト。

 互いの得意分野で話が盛り上がる二人。もしも、レヴィが感じる不快の理由さえなければ、二人は敵味方の立場も忘れて、姉妹のように語り合い、気持ちを分かち合うのに、それができない。

 どこまでもすれ違う二人の想いは、交わることなく、平行線のまま過ぎ去っていく。

 未だにフェイトを見て苛立つ心の理由が分からず、無理やり感情を抑え込んでいたレヴィは大好きなバトルのことを考えて気を紛らわしていたが、その訳もはっきりしそうだ。

 目の前に本人がいて、周囲に誰もいない状況。二人っきりならば、アリシアという存在から発生した忌まわしき業も、禁忌の話にも触れられるから。

 

「あ、あの。私、フェイト・テスタロッサっていいます。あなたとたくさん話したいことがあるんです。レヴィがどうしてアリシアと名乗ったのか分からないけれど、もしかして私のおね……」

 

「キミはっ――」

 

 王さま達の前では明るく快活に話しまくるレヴィと違って、フェイトは誰かと会話するのが苦手なのか、慣れてないのか分からない。恥ずかしさと戸惑いで声が震えながらも、頑張ってレヴィに話しかけているのだけは分かる。

 その好意的に接して来るフェイトの態度を心地よく感じ、自分も元気よく返事したいと思う。それを拒絶するように、わざとらしく怒ったような、強くはっきりとした声音で制する。それがレヴィはどこか苦しかった。思わず顔を伏せる。

 レヴィらしくないと、アスカならはっきりと告げるだろう。心の中で親友に注意される自分を想像する。

 けど、心は押し殺そう。感情を潰そう。今は冷酷でも真実に、触れてほしくない過去に向き合うとき。

 

「う……ご、ごめんね。その、うっとおしかったかな……あ、レヴィが先に話したかった……?」

 

 拒絶されたのかと思ったのか、或いは強い声で話を制されたことに驚いたのか、フェイトは花が萎れるように元気をなくしてしまう。

 謝らないでほしいとレヴィは心の中で呟く。悲しそうな、捨てられた子犬のような表情をするフェイトを見ていると、こっちが罪悪感で潰れそうだ。

 なんというか、フェイトはやりずらいとレヴィは感じた。強く接することも出来ず、拒絶するのも悪い気分になるのだ。レヴィにしては珍しく憂いの表情を浮かべる。

 歯ぎしりしながら、頭を強く振って苦心を溜め息と共に吐きだしたレヴィは、血反吐を吐くように質問する。レヴィが経験して、フェイトが経験しなかった禁断の過去の一端を触れて、自ら心を傷つける。

 

「キミは、シリアルナンバーはいくつ?」

 

「……えっ?」

 

 フェイトはレヴィの言っている言葉の意味が分からず、呆気にとられたように、きょとんとした。

 レヴィは、シュテルの動揺と封印事件よりも前の暦という事実から、この世界が別世界であることを思いだし、フェイトが真実を知らないのだと察して説明することにした。

 

「シリアルナンバーは、ボクらが『アリシア』として何番目に生まれたかを意味する番号。ちなみにボクは十二番。キミは?」

 

「ッ……あ、う」

 

「その様子だと、真実は知らないようだね。ううん、アリシアの名を知ってるってことは、少なくとも自分が何の為に生み出されたのかは知ってるのかな?」

 

 でも、知らなくても良いことを教えたか、悪いことしたなぁ。ごめんねフェイト。さっきのは忘れて。そう告げるレヴィの言葉がフェイトの耳には入らない。

 フェイトの受けた衝撃は想像以上のものだ。紅い瞳が揺らいで、身体を震わせているのが何よりの証拠。母の死から立ち直っていないのに、告げられた真実は、よりいっそうフェイトを追いつめるのに充分すぎる。

 知らなかった。いや、フェイトは自分のようにアリシアとして生み出された少女が複数いるなんて考えたこともなかった。だとすると、目の前の女の子はフェイトにとって本当の意味で姉妹だと悟る。そして、自分の知らない真実を知っていることが、ショックだった。

 母であるプレシアから偽物だと、人形だと告げられて壊れかけたのに。それ以上の真実を知っているレヴィはもっとつらかっただろう。レヴィを想うと泣きそうになるフェイトだった。

 同時に気になることが増えた。レヴィが十二番目だというのなら、他の姉妹はどうしているのか? 今までどうやって過ごしてきたのか? 何でフェイトと会えなかったのか? どうして髪の色が違うのとか? いろいろと疑問が浮かんでは消えていく。

 

 一方で自分を想って泣きそうになっているとは知らずに、レヴィはフェイトが辛い真実を知って泣きそうになっていると勘違いした。確かに半分は合っているのだが。どこまでもすれ違っていく二人である。

 実は失敗作を含めれば十二番どころではないのだが、フェイトの様子を見る限りでは、言わないで良かったと安堵するレヴィ。

 でも、このままでは申し訳ないので、バツが悪そう、頬をかいて。あさっての方向を向いたレヴィは、一応、フォローすることにした。

 本当なら言わない方が良いのかもしれないが、どうにも、このままじゃ居心地が悪い。どうせばれるのは、遅いか、早いかの違いでしかないんだし、と言い訳しながらレヴィは爆弾発言をフェイトに告げる。

 

「ま、まあ。気にすることはないよフェイト。ボクとキミの世界は違う、いわゆる並行世界だから、君の辿った歴史において、他の姉妹は生み出されずに、キミだけが生まれたのかもしれないし、ね?」

 

「え、う、うん。そう、なのかな? あれ? え?」

 

 フェイト思考停止。

 あまりにも脳の許容限界を超えるような事実を言われたせいで理解が追い付かないのだ。後からレヴィの驚愕的な発言に気が付くかもしれないが、今は良く分からないといった風に、オロオロしている。

 やがて、頭を押さえて、何かを振り払うかのように、二、三回、首を振ると、好奇心旺盛のキラキラ輝いた瞳をレヴィに向ける。

 

「あのね、あのね、レヴィに聞きたいことがあるんだ!」

 

「はっ? あれ、えっ? ……うん、どんと来い! このボクが応えられる範囲で答えてあげるとも!!」

 

 どうやら、処理限界を超えた情報を一時的に忘れて、レヴィを質問攻めする方向にシフトしたらしい。

 豹変ともいえるようなフェイトの態度に若干怯みながらも、レヴィは先の罪悪感からか、フェイトの存在に苛立っていた疑問も感じる心も忘れる。頼りになるお姉さんだぞ、とでも言うように胸を叩いて存在をアピール。

 つかの間の平和が訪れた。

 

 そこからは、質問するフェイトと応じるレヴィの微笑ましい会話だけだ。

 

「レヴィって、何処から来たの?」

 

「う~んとね? 近くて遠い世界の時の庭園」

 

「そうなんだ。髪の色が水色なのはどうして? 染めたのかな?」

 

「ああ、これね? 元々、ボクってフェイトと同じような金髪だったんだけど、生まれ変わったら水色になってた。いいかい、フェイト? 水色のモノに悪いモノはないんだぞ~~」

 

「へぇ~~。初めて知ったよ。レヴィって物知りなんだね。尊敬しちゃうな」

 

「えっへん!」

 

「ええと、レヴィが十二番目なら他の姉妹はどうしてるの?」

 

「ッ! え~と、お星さまになった、て言えば、分かるかな?」

 

「あっ……ごめんなさい…………」

 

「気にしないで。姉さんたちはボクの中で生きてるから」

 

「…………そっか。いままで、どうやって過ごしてたのかな?」

 

「サバイバル!! みんなで野宿するのは楽しいんだよ」

 

「お泊り会。してみたいな。でも、蒐集とか、管理局の人に迷惑かけちゃだめだよ」

 

「むぅ~~!! フェイトは知らないだろうけど、ボクらにとって魔力はご飯みたいなものだよ? 蒐集をやめたらお腹すく。それに、アイツらなんて嫌いだもん。死んで当然さ。それだけのことをボクらにしたんだから。ふんっ!!」

 

「そっか。でも、悪いことしたり、他人に迷惑かけちゃだめってリニスが言ってたよ。知ってる? 私とアルフのお姉さんで、魔法の師匠なんだ」

 

「ぁ……ふ……? ああ、リニスのことはよく覚えてる。って、リニスがそう言ってたの!? や、やだやだ!! ど、どうしよう……ボク、おしりぺんぺんされる……」

 

「……レヴィ、も?」

 

「……うん、痛いよね。アレ」

 

「……わたしも分かるよ。泣いても許してもらえなかった」

 

「思い出したら震えが、ガクガク、ブルブル」

 

「だ、だいじょうぶだよ? リニス……もう、いないから……」

 

「あ……こっちでも……か。ちょっとごめん。リニスのために祈らせて」

 

「うん、いいよ」

 

 身振り手振りを交え、ときに笑ったり泣きそうになったりして、そうやって微笑ましい会話を続けられたら、どれほど良かっただろうか。

 それとも、二人の関係が崩れるのは運命とでも言うのか?

 元が同じ存在であるだけに意気投合していた二人の会話は、ある質問がきっかけであっけなく崩れ去ることになる。

 

「ところで、フェイトってさ。プロジェクトF.A.T.Eから取った文字を名乗ってるんでしょ? 確かにアリシアの名前を名乗るのは自分じゃなくなるような気がして嫌だけどさ。だからってプロジェクトの名称を偽名として名乗るのもどうかと思うな~~」

 

「え、あ、え?」

 

 いきなり自分の名前について話題を転換してきたレヴィに付いていけなくて混乱するフェイト。う~んと唸りながら、彼女がフェイトの名前を偽名だと思い込んでいる、そう理解すると、なるほどと納得した。

 確かにフェイトの名前は事情を知っている者からすれば、母親から与えられた大切な名前だと気が付けないかもしれない。適当にプロジェクトの名称から付けただけだから。

 それでも、フェイトにとっては大好きな母親から与えられた宝物。決して偽名なんかじゃない。

 そのことを伝えようと、ボクがカッコいい名前を考えてあげよう。実はレヴィって名前、王さまがくれたんだ。もうボクはアリシアの代用品なんかじゃない。とマシンガンのように話し続けるレヴィを手で待ってと制した。

 ちょっとだけ不満そうな顔をして膨れるレヴィを可愛いと思いながら、フェイトは本当のことを告げるべく意を決して口を開く。

 これが、レヴィとフェイトの成り立ちを隔てる最大の違いだとも知らずに。

 

「違うよレヴィ。私のなまえは母さんがくれたんだ。たとえプロジェクト名から付けられた名前だとしても、母さんが与えてくれた大切な名前だから、レヴィの気持ちは嬉しいけど、わたしに新しい名前はいらないよ。ごめんね?」

 

「ッ――!!」

 

 フェイトから告げられた、名付け親が母親のプレシアだという真実。

 レヴィがそれを知った瞬間に彼女の全身を駆け巡った衝撃は計り知れないものだった。息をするのも忘れるくらいの衝撃。身体が硬直して、気力を失くしたようにうなだれ、うつむく。

 同時にレヴィの心から湧き上がるのは怒り、憎しみ、渇望、嫉妬、悲しみ、慟哭。いろんな感情が、混ざり合ってひとつの激情へと変わる。

 気が付けばレヴィは涙を流していた。一筋流しただけにとどまらず、嘆きの滴が溢れて溢れて止まらない。自分の意志では止められない。

 分かってしまった。どうしてこんなにもフェイトという存在に苛立つのか、心のどこかで拒絶している自分がいたのか、その理由を理解してしまった。

 フェイトが持っていたからだ。レヴィが本当に欲しかったものを持っていて、自分は持っていないという事実が許せない。

 

「――どうして……!!」

 

『サー、ご注意を!』

 

「レヴィ? な、くっ――!!」

 

 自分でも知らずの内にレヴィは手にしたバルニフィカスを振り上げて、フェイトに振り降ろしていた。

 スラッシャーモードで展開されたデバイスから大鎌の形をした水色の魔力刃が吹き出し、フェイトを切り裂かんと迫る。それを、バルディッシュの警告を受けてギリギリで防いだフェイト。

 両手でしっかりとバルディッシュを支え、長い柄の真ん中でバルニフィカスを受けとめたおかげで、凶刃はフェイトの鼻先で止まっていた。力が拮抗しているのか、鍔迫り合いになったデバイスを握る手が震える。

 だが、眼前に迫る刃をフェイトは見ていない。むしろ、その先にあるレヴィの泣き顔に困惑していて、それどころではなかった。

 どうしてレヴィが泣いているのか、フェイトには分からない。自分の言葉で彼女を傷つけたのは、なんとなく理解できる。でも、なにが彼女を苦しめた?

 それを、フェイトはレヴィ自身の魂の慟哭で知ることになる。

 

「――どうしてキミなんだ! なんで、ボクじゃないの! ボクだって……ボクだって名前が欲しかった! 『アリシア』なんて名前じゃなくて、ちゃんとした名前が! 母さんにボクを見てほしかったのに……だから、頑張ってきたのに、なんでキミなんだよ!! どうしてボクじゃない!?」

 

 ああ、そうか。だからレヴィは私に敵意を抱いていたのか。フェイトは、心の中で納得しながら、遠くなった意識で自分が鍔迫り合いに負けて、袈裟懸けに切られていく痛みを鈍くなった感覚で感じる。

 細かなところで違っていても、レヴィは自分自身と限りなく同一の存在。フェイトは嫌悪ではなく、同情と共感を抱いてしまった。それが、フェイトから急速に戦意を損失させ、あっけなくレヴィに切り裂かれて墜ちるという結末をもたらす。空から落下する。

 だってしょうがないじゃないか。もし、ちょっとでも運命が違っていたら、フェイトだってレヴィと同じ未来を辿っていたかもしれないから。そう思うとフェイトはレヴィと戦うなんてできなかった。

 大好きな母さんに見て貰えないという絶望。フェイトは経験したことがなくて、レヴィは経験してしまった悲劇。互いの立場が逆だったら憎んでいたのはフェイトだ。自分なら相手を躊躇わずに、憎しみに任せて斬るだろう。だから、斬らせた。

 それで、レヴィの激情が収まるなら、それでいいと思った。

 

 あまりにも呆気なく斬られて墜ちたフェイトを、レヴィは憎悪に満ちた瞳で見ている。顔の表情が怒りで歪む。

 抵抗しないのが許せない。母親から貰った名前を持っていることが許せない。斬られた瞬間に泣かないでとでもいうように、慈愛に満ちた表情でレヴィを見て、両手を抱きしめるように広げていたのが許せない。許せない、許せない、許せない!!

 フェイトという存在が起こす行動、仕草、表情、何もかもが苛立つ。レヴィはフェイトが妬ましくて憎い。

 手にしたバルディッシュが落下する瞬間にフローターフィールドを展開して、衝撃を和らげたようだ。軽い打撲で済んだらしい。

 それでも、起き上がって戦おうとも、逃げようともしない。レヴィをじっと見つめて、諦めたように佇んでいる。

 どうやら無抵抗のまま、されるがままに、なぶり殺しにされたいらしい。今のレヴィの前に立つとどうなるのか、身を持って味わったくせに、抵抗すらしないのか。

 なら、フェイトの望むままにしてやると、レヴィは躊躇なく片手をフェイトに向けて、短距離砲撃魔法の雷神爆光破を放とうとする。フェイトのサンダースマッシャーと同系統でいて、格段に破壊力が上の魔法だ。

 ただでさえ、装甲の薄いフェイトが防ぎもせずにまともに受ければ、しばらく立ち上がれまい。胸から腹にかけての部分が損傷しているならなおさら。

 もしかすると無意識に殺傷設定で魔法を放って、殺してしまうかもしれない。今のレヴィは暴走したナハトのように見境がないのだ。自分で自分を抑えることができそうにない。

 

「フゥゥ! フゥゥゥゥ!! あああああああ!!」

 

 荒い吐息を吐きだしながらレヴィは叫んで魔法を……放てなかった。

 展開した水色の魔法陣をかき消すと、頭を押さえて、何かを振り払うかのように上半身を振る。

 撃てなかった理由は単純。理性を取り戻したわけでも、シュテルの言葉が反芻されたわけでもない。いや、それらも確かに原因のひとつかもしれない。

 でも、決定的だったのは、フェイトの隣に立つ少女の存在。フェイトの前に立ち。両手を広げて撃たせまいと立ちふさがる少女たち。

 フェイトやレヴィと瓜二つの金色の髪に紅い瞳を持った、レヴィだけに見える複数の少女の幻影。

 少女たちはレヴィに微笑んで、首を振る。いけないことをする妹を諭す姉のように、静かに首を振る。

 

「なんで……なんで、ソイツを庇うんだよ、『アリシア』姉さん。姉さんたちが、どうして……」

 

 レヴィが最大の禁忌を犯して殺めてしまった少女達。その幻影を見たとあっては、レヴィの怒りも悲しみを行き場を失くしたかのように消え去るしかない。

 もう、フェイトのことなんて、どうでも良くなっていた。

 立ちふさがるのであれば、斬り捨てよう。それ以上の雷光でもって撃ち砕こう。でも、何もしないのであれば興味はない。

 すっかり、意気消沈した気分になって、どこか疲れたような顔つきをしたレヴィは、シュテル達を援護するべく去っていく。空を駆け抜けていく。

 後に残された少女とデバイスは、しばらく動こうともしなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「ごめんね、バルディッシュ。無理をさせちゃったね……」

 

『ノープロブレム。サー』

 

 斬られた部分から、どこか熱を持った痛みを感じつつ、フェイトは自身を助けるために頑張った愛機に謝る。バルディッシュは淡々と当たり前のように呟いて、コアを明滅させるだけで、他は何も言わなかった。

 非殺傷設定で斬られたのか、フェイトは斬られた傷口から痺れていた。四肢も影響を受けたのか思うように動かない。しばらくすれば回復するだろうが……

 フェイトは自身に問う。レヴィという女の子を追いかけて、自分は戦うことができるのか? 管理局の委託魔導師として、あの子を犯罪者として捕まえることができるのか? 答えは否だ。

 無理なのだ。どうしても、名を貰えなかったレヴィという少女の気持ちを考えると、戦う気力がわかない。

 落ち着いた今ならレヴィの話してくれた言葉を理解できる。なんとなく紫天の書の少女たちの正体も、レヴィが誰なのかも分かってしまった。

 

「戦える……わけ、ないよね。だって、並行世界の自分と友達なんだから……」

 

 シュテルはなのはで、アスカはアリサ、ナハトはすずか、レヴィは自分。グリーン・ピースから得た情報と、レヴィの言葉から、そう考えて間違いない。

 そして、何らかの理由で殺されて、この世界に蘇ってしまったのだろう。あの時、クロノの言葉で驚いていたのは、世界の違いに気づいたからだろうか?

 恐らく、クロノは彼女たちの正体に気が付いたうえで、戦っている。一人の局員として使命と責務をまっとうしようとしているのだろう。自分には無理だとフェイトは落ち込む。

 ただでさえ、親友と瓜二つの姿をしているのに、彼女たちの境遇の一端を知ったとあっては、とてもじゃないが刃を向けて傷つけるなんてできない。

 どこまでも優しすぎるフェイトだからこそ、戦えないのだった。これが、なのはなら違うのだろうが、フェイトは親友のように強くないから無理だ。

 そんな、主に声を掛けたのは、愛機であるバルディッシュ。彼は諭すように普段の寡黙っぷりからは想像できないくらい、饒舌に語りかけた。

 

『サー、あなたの戦う理由を思い出してください』

 

「戦う、りゆう……?」

 

『そうです、サー。あなたは高町なのはのように、誰かを助けるために戦うのではないのですか?』

 

 バルディッシュの言葉にハッとして目を見開くフェイト。そうだ。自分は誰かを助けたいと誓ったではないか。自分を救ってくれた恩人で、親友である高町なのはのように、誰かを救うのではないのか。

 バルディッシュは、さらに話を続けた。

 

『サー。高町なのはは誰かの涙を止めるために戦っていました。そして、あなたの涙を止めた。救ってくれた。

 いま、あなたの目の前に四人の泣いている少女たちがいます。思い出してください、あなたと御友人に瓜二つの少女たちの瞳を、表情を。誰もが泣いていました。苦しみに耐えるように悲しんでいました。

 あなたが高町なのはのように戦うというのであれば、泣いている彼女たちの涙を止めてあげること。戦う理由は、それで充分ではありませんか?』

 

 思い出せフェイト。四人の少女たちが浮かべた悲しみを。

 悩んで、苦しんで、泣き叫ぶ子もいたではないか。レヴィがまさに、泣いて苦しんでいた。どうしようもない絶望に嘆いていた。

 なら、自分にできることは、彼女たちを救う事ではないのか? なのはが絶望していたフェイトを救ってくれたように、自分もどうしようもできない彼女たちの力になって助けるべきではないのか?

 復讐を止められないというのであれば、代わりに憎しみを受け止めてあげる。なにか力が足りないというのであれば、喜んで力を貸そう。

 迷うなフェイト・テスタロッサ。お前の力は誰かを救うための力だ。その力でレヴィ達を助けるまで、倒れるな。そう自分に言い聞かせてフェイトは、バルディッシュを支えに立ち上がる。

 

「バルディッシュ。私、どうかしてたみたいだ。きっと、これからも迷うかもしれない。戸惑うかもしれない。それでも、お前は私と共に駆け抜けてくれるか? 私を支えてくれる?」

 

『Yes sir.』

 

「ありがとう、バルディッシュ。レヴィが加勢したら、クロノは苦戦するだろうから助勢に行こう。まずは、あの子たちを捕まえて復讐するのを止めてあげないと」

 

 そうして、決意を新たにフェイト・テスタロッサは空を疾走して駆け抜けた。

 自分も誰かを助けるために、再び金の閃光は往く。

 

 



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〇全力全開! そして……

 クロノは一瞬だけ飛んだ意識を、気合と根性でつなぎ戻すと、体当たりするかのようにして真・ルシフェリオンブレイカーの一撃から助けてくれた人物の正体を見やる。

 絹糸のように美しい金糸に、黒衣のレオタードのような衣装と黒き戦斧。フェイト・テスタロッサその人だった。

 バリアジャケットのマントと左腕に装着されている銀色のガントレットが消失しているが、間違いなく彼女本人。第一、特徴的な赤の瞳と金髪のツインテールは一度見たら忘れられないくらい目立つ。見間違いようがなかった。

 フェイトの表情は安堵。助けることのできた喜びと安心感。

 

「クロノ……よかっ……た。ッあっ、痛ぅぅぅ……ぁぁぁあああ!!」

 

「フェイト!!」

 

 だが、それも一瞬だけのことで苦痛に顔を歪めて飛行する体勢崩してしまう。どうしたのかと、クロノが慌てて支えれば、彼女の背中のバリアジャケットが焼け千切れており、白い素肌が丸見えになっていた。

 非殺傷設定だったのか目立った外傷はないが、内部に浸透した痛みと衝撃は相当なものだろう。恐らく飛行するのも辛いはずだ。

 非殺傷設定の魔法攻撃は相手の魔力だけにダメージを与える。したがって身体を傷つけることは稀だが、痛みや衝撃はそのままだ。過度なダメージを負えば身体機能すら低下させ、当たり所が悪ければ昏睡、最悪は死に至る。

 シュテルの放った真・ルシフェリオンブレイカーを掠めただけとはいえ、薄い装甲は何の意味もなさずに、フェイトの背中に何かで削り取る様な激痛と間欠泉を浴び続けたような熱さを与えていた。気絶せずに意識を保っているのは、ひとえに彼女自身の強すぎる意志だ。

 

「いま治してやるから、ジッとしてろっ!!」

 

 助けてもらった礼を言うよりも、クロノを助けるために捨て身とも取れる行動をしたことに、心配する苛立ちが口から漏れるクロノ。

 フェイトを抱き寄せるように支えながら、S2Uの杖先にフィジカルヒールを展開。青色の癒しの光が、暖かで心地よい輝きとなって徐々にフェイトの痛みを和らげていく。

 しかし、フェイトは震える手で杖を遠ざけ、拒絶するかのように静かに首を振る。今にも気絶しそうな程に弱々しい瞳で、けれど、何にも屈しないと言わんばかりの意思を秘めた瞳でクロノを見詰めた。

 思わず、圧倒されたように息を呑んで、見つめ返すクロノ。どうして回復魔法を中断させるんだという反論を呑みこんでしまった。

 

「……ぉ……ぁ……て……」

 

「――!? なんだフェイト。何が言いたい?」

 

 か細い声で何かを呟くフェイト。自分を省みずに懸命に何かを伝えようとする少女の意思を汲もうと、クロノはフェイトの身体を抱き寄せ、口元に耳を近づける。互いの温もりと鼓動が伝わる。普段のクロノなら破廉恥だと赤面するだろうが、必死過ぎて気にならなかった。

 少女の願いを込められた呟きが、責任感を抱く少年の耳を通して、受け継がれる。少女の意思と覚悟を少年は受け取る。

 

「――分かった……僕に任せて休んでいてくれ、こちらの結界も破壊されたが、相手の結界も破壊された。すぐに救援が来るだろうから、大人しくしているんだぞ?」

 

 クロノの指示に静かに頷いて、安心したように瞳を閉じるフェイト。限界だったんだろう。恐らく気絶したのだ。

 健気なフェイトの呟きを聞いて、不甲斐なさと申し訳なさで、思わず顔を歪めるほどに歯ぎしりしたクロノは、フェイトを素早く地面に横たえると、少女の願いを叶えるべく。そして、己の時空管理局、執務官としての使命を果たすべく、背を向けて逃げるシュテルを全力で追いかけた。

 風を切り、草原の上を駆けるかのようにクロノが疾走すると、通り過ぎた大地に衝撃と爆音が伝わる。それほどまでの勢いだ。クロノ。ハラオウンが出し切る全力全開の飛行だ。

 

――お願いクロノ。あの子達を止めて、助けてあげて。でないと取り返しのつかないことになる。わたしは……だいじょうぶだから。

 

 それが、クロノに伝えたフェイトの言葉だ。

 マテリアルの少女たちを止めることも、助けることも、まともに動けるクロノにしかできないこと。

 自分よりも五つも歳の離れた女の子に頼られたら、男として、年長者として応えてあげたくなるものだ。それが、身を挺してクロノを救った心優しい健気な少女であれば、尚更に。

 

「待っていろシュテル・ザ・デストラクターと、その仲間たち。必ず追いつめて捕まえてみせる――」

 

 クロノの己を奮い立たせる誓いは、熱い身体と魂に刻み込まれて、彼のチカラを飛躍的に高めていくのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「……フェイト・テスタロッサ。なんてことを」

 

 真・ルシフェリオンブレイカーを、凄まじい踏込と同時に撃ち放ったシュテルは、ルシフェリオンから溜まり過ぎた熱を排出しながら呟く。

 シュテルの身体を覆い隠すほどの白煙がデバイスから吹き出し、身体に熱がまとわりつくが、気にもならない。そもそも常時展開されているバリアジャケットで感じる温度は常に適温に保たれている。

 彼女を悩ませた存在の名はフェイト・テスタロッサ。

 クロノのルシフェリオンブレイカーに対する回避行動は見事な反射神経のおかげで、最適ともいえるタイミングを発揮した。素早さが伴っていれば確実に回避されただろう。もっとも、それを見越して、シュテルはぶっ放したのだが。

 必中必殺の一撃からクロノを助けたのは、フェイトだった。レヴィの八つ当たりか、愚痴のような報告を聞いて、無力化したものだと思っていたが、復帰したようだ。

 問題は彼女の行動と決断。あろうことか、自身のバリアジャケットを限りなく薄くして、高速移動魔法のブリッツアクションで、収束魔法の射線に割り込んで、突き抜けた。魔力の濁流が迫っているにもかかわらずだ。

 直撃、いや、掠めただけでもどうなるのか予測はできていたはず。それでもクロノを助ける為に実行に移すとは、なんという度胸と胆力。無謀でなければ、全力で惜しまぬ称賛を送っただろう。敬意すら表する。

 それでも、彼女の行動はシュテルを苛立たせ悲しませる。その、自身を蔑ろにする姿は、かつての『なのは』そのもの。なにより、シュテルだって無謀なことをする癖は変わらない。今も、昔も。

 

「――ちっ、馬鹿ですかシュテル。お前には関係のないことです」

 

 そう自分に言い聞かせても、納得しない。理解できても感情は納得しない。 シュテルの頭によぎる映像は、クロノに体当たりするように突っ込んで砲撃の射線から押し出そうとする少女の姿。

 それを、無理やり振り払って、友と同じ存在を傷つけたと泣き叫ぶ心を、感傷と罪悪感を引き剥がし、押し殺す。

 目の前で、親友を傷つけたクロノには容赦しないが、友と瓜二つで、並行世界という真実から同一存在だと考えるフェイトに怪我させた事実。それは、シュテルの心をかき乱すには充分すぎるようだ。

 鬱陶しい本心に、誰が好き好んで友に似た女の子を傷つけるか! と内心で吐き捨てたシュテルは、相手の様子を伺うことなく、後方へと全力で飛行していく。

 

 レヴィが高速機動のスプライトフォームを使ってまで、大怪我したアスカとナハトを救出。一か所に集めて後方で大規模な長距離転移を必死に準備してくれているからだ。

 本当なら怪我した二人を助けたいだろうに、あの子もまた感情を押し殺して、最優先の務めを果たそうとしている。

 きっと、いろいろな感情がグチャグチャでつらくて、苦しいだろう。それでも『力』のマテリアルは、余計な感情に耐えて頑張っているのだ。常に冷静沈着な『理』のマテリアルが理性を保てなくてどうする。

 

 だから、シュテルも全力を尽くす。

 外部から転移魔法を補助して迅速に完成させ、発動を促すのだ。一緒に転移するために近づく必要もある。

 それに、周囲を懐かしい魔力で構成された隔離系の結界魔法が覆いつつあるようだ。さきの強壮捕縛結界程の強度ではないようだが、砲撃で破壊するのも、術式に干渉破壊するのも手間が掛かる。この結界なら打ち破るのは、さらに困難。

 同時に後方からクロノの魔力と気配が烈風のごとく迫っている。とんでもない速度だ。だから、急がなければならない。

 

「レヴィ――!」

 

「――シュテるん!!」

 

 シュテルの焦ったような叫びを聞いて、気が付いたレヴィが嬉しそうな、元気いっぱいの明るい声を出したが、すぐに気を引き締めた。

 バルニフィカスを両手で握り、地面に突き立てる体勢を維持したまま、呪文を唱えるのを再開する。シュテルもすぐに駆けつけて、大地に展開された水色のミッドチルダ魔法陣に手で触れ、サポートとブーストをするべく干渉していく。

 

「逃がすものかぁ!! スティンガーレイ!!」

 

 そこに怒涛の勢いで接近するクロノが、レヴィに向けて高速の直射弾を放ってきた。命中精度、威力共に抜群な魔法。なによりバリア貫通効果が高く、フェイトを一撃で戦闘不能に追い込んだ実績がある。

 そうとも知らずに、咄嗟にレヴィを庇うように射線に割り込み、右掌を向けてシールドで防ごうとしたシュテル。飛行しながら射撃魔法を洗練させ準備していたクロノと、曖昧な術式で展開されたシュテルの防御魔法。どちらが勝つかは一目瞭然だった。

 

「かっ、はぁ……!!」

 

「シュテルゥゥゥゥ!!!! しっかり、いま――」

 

 まるで、発砲スチロールでも貫くかのように、いとも簡単にシールドを突き抜けたスティンガーレイは シュテルの腹部や右腕の関節に直撃。躯体を貫通こそしなかったが、シュテルがふらつき、膝を付いてしまう程の致命弾。

 ナハトと同じように口から血を吐き捨てたシュテルは、心配そうに泣き叫んで、駆け寄ろうとするレヴィを手で制した。むしろ、そのまま最速、最短で転移の術式に干渉して、無理やりにでも発動させる。

 シュテル自身を転移の効果範囲には含めなかった。一人分を減らせば、その分、術式の起動速度が圧倒的に早くなるからだ。

 展開された水色の魔法陣に朱色が混ざり、鮮やかな紫色に染め上げていく。

 

「――え? シュテるん!! だめだよぉ……キ、ミも………」

 

 シュテルの制止され、思わず硬直していたレヴィが意図に気が付いて、慌てて身を乗り出し、手を伸ばすが遅い。怪我が再生しつつあるアスカとナハト、そしてレヴィの姿が掻き消えていき、それぞれの魔力光を放つ光の玉となって、何処かへと転移していく。

 上空を突きあがり、蒼穹を駆け抜け、次元世界を包む空間へと飛び出していく。

 

「ブレイクインパルス!!」

 

 これ以上の転移はさせまいと、裂ぱくの気合と共にS2Uを突き出し、先端から固有振動波を纏わせてシュテルに叩き付けるクロノ。それをシュテルは、あえて前に乗り出し、脇を掠めて防護服の一部を破壊されながらも、脇でがっちりと抱え込んで離さない。

 

「ぐぅ、があああぁぁぁ!!」

 

 ただでさえ、内部の魔力構成を射撃魔法によって破壊されたのに、掠めた振動波で身体を構成する部分を微塵にされたとあってはひとたまりもない。苦痛に耐性のあるシュテルですら、思わず叫んで、声をあげるほどの激痛が駆け抜けた。

 魔力で構成、再現された血が口と、傷口から吐き出され、朱色の魔力残滓となって淡いきらめきを残しながら消えていく。

 それでも、シュテルはレヴィ達のサポートを続けた。痛みで集中力を失えば、魔法の効果は著しく低下するが、普段以上の魔法効果を、不屈の意志。否、不屈の魂によって叩きだす。

 時空航行艦アースラのセンサーに行方を探知されないように、全力を尽くしてジャミングを放ち続けたのだ。

 クロノが必死に抱えられたデバイスを引き抜こうと力を込めるが、シュテルの剛力ともいえる膂力で固められて、うんともすんとも言わない。まるで、火事場の馬鹿力、槍が深く突き刺さったまま抜けないかのごとく、どうにもできなかった。

 フェイトとの約束を果たせず、悔しげにシュテルを睨むクロノ。そして、狂笑ともいえる壮絶な笑みを浮かべながら、瞳に絶対的な意志を宿してクロノを見やるシュテル。

 

――お前だけは逃がさない!!

 

――貴方たちに大切な友を追わせはしない!!

 

 瞳を、視線を通じて互いの意思をぶつけ合うかのように、睨み合う両者。そんな二人をよそに結界魔導師と称されるユーノ・スクライアの展開した隔離結界が二人を包み込んだ。

 

◇ ◇ ◇

 

 近づいてくる。近づいていく。シュテルの感じる二つの気配と魔力は、それぞれユーノとアルフのようだ。ユーノはシュテル達の所に、フェイトの使い魔であるアルフは、主人の身を優先してフェイトの所へ向かっているのか。

 

「いいかげんに離してくれないか? シュテル・ザ・デストラクター」

 

「そっちこそ離れなさい。邪魔ですよ? ええ、本当に――」

 

 忌々しい。そう呟いて、嫌気がするほど厄介で、人のことは言えないが、とんでもなくしぶといクロノ・ハラオウンとの拮抗状態を打破しようとシュテルは動き出す。

 だが、それは向こうも同じこと。クロノは空いた右手で人差し指と中指をシュテルに突き立てるように向けると、指先からスティンガーレイを構築、展開して射出する。狙いは顔面ではなく、傷ついたお腹。

 頭では非殺傷設定でも物理的ダメージを与えて怪我させてしまう。そんな、マテリアルの性質に対して配慮したのもあるが、頭部を捻って回避される可能性を懸念してのこともある。

 そうはさせまいと、誘導弾を瞬時に一発、生成したシュテルは、足元から突き上げるように、誘導弾を振り上げるように操作。クロノの右手首を弾き、射出されたスティンガーレイがシュテルの頬を傷つけて、あさっての方向に飛んでいく。

 チッと舌打ちしたクロノが何かをする前に、シュテルは相手の腹に蹴りを放ち、その勢いで距離を取ると同時にパイロショットで追い打ち。不意打ちを受けてよろけるクロノ。せき込むほど痛みや衝撃はない。バリアジャケットが吸収してくれるからだ。

 しかも、流石は執務官といったところか、瞬時に体勢を立て直して、側転で射撃魔法を回避しながら、お返しとばかりにスティンガースナイプでカウンター。回避しても無駄。誘導弾だから反転して襲ってくる。シュテルもパイロシューターで迎撃、相殺する。

 やはり、一筋縄ではいかないと歯噛みするシュテルと、密接近接格闘における身のこなしの素早さに、相手の戦闘力を上方修正していくクロノ。

 互いに、頭のなかで次の作戦を組み立てては、直射弾、誘導弾、囮の弾と様々な射撃魔法の撃ちあいで牽制を続ける。

 二人の攻防は美しい光景だ。周囲に青色と朱色の光が飛び交っている幻想的な光景は感嘆してしまうだろう。もっともやってることは血なまぐさい闘争なのだが。

 

「ッ、ブラストファイアー!」

 

 シュテルが何かに気が付き、クロノを誘導弾で牽制しつつ、探知した気配の方向に向けてルシフェリオンから砲撃魔法を放つ。続いて聞こえるのはサークルプロテクションの掛け声。

 見ずとも結果は把握している。防がれた。後方に跳んでクロノを射撃魔法で牽制しつつ、距離をとり、多方向から迫ってきた淡い緑色のチェーンバインドを回避。

 シュテルに焦りが生まれていた。状況がどんどん悪化しているのだ。逆にクロノは苛立つほどに冷静な澄まし顔。確実にシュテルを追いつめる算段を考えているのだろう。

 その焦りのせいなのか、いつの間にか後方から接近してきた気配に気が付けなかったシュテル。ようやく、感知した時には遅かった。完全なる背後からの奇襲。無意識の反射行動でプロテクションを展開する。

 

「うおらあぁぁぁ!! パリア――」

 

 迫りくるは獣のごとく、俊敏な身のこなしで接近する体格のいい女性。特徴的なオレンジ色の狼の耳と尻尾、額に紅き宝石を宿した使い魔。

 彼女の叫びに、この世界でも補助と厄介な攻撃魔法は変わっていないのかと舌打ちするシュテル。来るであろう衝撃にシュテルは備えた。

 

「ブレィィィィクッ!!」

 

 アルフの渾身の一撃。拳にまとわせた術式がシュテルの朱色に輝く光の壁をひび割れさせ、打ち砕いて、思いっ切りシュテルの顔面にめり込んだ。とっさに殴られる反対方向へと跳んで、威力と衝撃を軽減させるも、とんでもない威力の拳打だ。

 シュテルが草原を二転、三転と転がり、吹っ飛んでいく様子から見ても、その力がいかに凄まじいか理解できるだろう。

 使い魔アルフのバリアブレイク。拳に防御系魔法の術式を干渉破壊する魔法を纏わせ攻撃する。補助攻撃系の魔法。アルフの膂力と組み合わさって繰り出される一撃は、補助なんてレベルをとっくに超えているけど。

 本来なら、フェイトの攻撃を通すための一撃。しかし、今の一撃はアルフの全力が込められた必殺の一撃だ。

 大好きで、大好きで、愛しいご主人様のフェイトを傷つけた輩に対する、アルフの怒りの打撃。

 

「どうだい! 思い知ったか! これがフェイトが受けた痛みだよ!!」

 

「アルフ、殺す気じゃないだろうな? 頼むから少しは手加減してくれ……」

 

「ふん、まだまだ殴り足りないくらいさ」

 

 怒り心頭といった様子で鼻息を荒くさせ、気性の激しい性格を、さらに激しくするアルフを冷静に押しとどめるクロノ。もっとも、とうのアルフは腕を組んでシュテルを睨み付けたまま。

 

「大丈夫かい、クロノ? 妙たえなる響き、光となれ、癒しの輝きとなりて、傷つきし者に安らぎを、フィジカルヒール!!」

 

「済まない、助かったぞ。ユーノ」

 

 別方向から飛んできたユーノは、クロノに素早く駆け寄ると、独自の呪文と共に両手から癒しの魔法を放って、クロノを回復させた。

 そんななかで、シュテルは静かに立ち上がる。口元から一筋の血と鼻血を垂れ流す顔を拭い、ぶたれた頬に手を押し当てて、癒しの風で急速に傷を回復させていく。顔面が腫れて、みっともない姿を晒したくないし、なにより痛みがうざかったのだ。

 殴られたおかげで冷静に成れた。状況は最悪だが切り抜ける手段がないわけではない。

 シュテルは一度だけユーノを見て、何処か想いを馳せるような、けれど、哀愁に満ちたような表情をした。もっとも、それも一瞬のこと。

 誰も気づかぬうちに感情を冷徹に研ぎ澄まし、再び徹底的に心を潰す。

 かつての知り合いとまったく同じ姿、同じ在り方をする人間を傷つけるのは、激痛をともなうように、心苦しいから。

 

「さすがに厄介ですね。結界魔導師のユーノ・スクライアに、アリシア。いいえ、フェイト・テスタロッサの使い魔アルフ。二人の補助と、クロノ執務官の多彩な攻撃にさらされては、いくら私でも墜とされてしまう」

 

 不破『なのは』ではなく、星光の殲滅者として呟いた言葉は、シュテルでも驚くくらい、冷たかった。

 

「なのは……?」

 

「いんや、アンタも映像でみただろうユーノ。こいつは偽フェイトと同じく、なのはの偽者だよ。見た目に惑わされんじゃないよ?」

 

 粒子となって消えゆく血を拭いながら不敵に嗤うシュテル。ようやく気が付いたかのように、驚き目を見開くユーノと、偽者は偽者と割り切ってシュテルと対峙するアルフ。

 それぞれが、異なるリアクションを見せながらも、クロノだけはシュテルの気配が変わったことに嫌な予感を感じて、警戒を強める。

 シュテルが、静かに宣言した。それははったりではなく、本当なのだと理解させるような自身に満ち溢れた声。

 

「ですから本気を見せてあげましょう。『理』のマテリアルのみに許された真の力を」

 

◇ ◇ ◇

 

「真の力……だと?」

 

 クロノがシュテルの言葉を半信半疑といったように問いかけた。シュテルは静かに頷く。

 

「ええ、本来ならばレヴィにも資格がありますが、あの子では完全に使う事の出来ない能力ですよ。私の高速処理能力によって、はじめて実現できるのですから」

 

 シュテルの説明するような口調と共に、彼女の周囲に漂う魔力の気配が異質なモノへと変わっていく。

 朱色の魔力光が粒子となって周囲で輝き、それと同時に翠の魔力光も同じように輝く。

 

「そんな、馬鹿な! ありえないよ!!」

 

「落ち着けユーノ」

 

 信じられないものを見たように、驚愕するユーノ。彼は思わず叫んでしまう。クロノが務めて冷静にユーノに呼びかけたが、もっとも、クロノも内心で驚きを隠せない。それほどまでにシュテルの切り札は信じられないものなのだ。

 アルフも、警戒したように唸り声を上げて、組んでいた両手を、握り込んで拳を造りながら、徒手空拳の構えを見せた。動物の本能でシュテルの危険性を察知しているのだろう。

 

 シュテルから感じる魔力は二つ。一つの身体に異なる魔力が混在するというありえない現象が発生していたのだ。普通、というか絶対に魔力の質は一人に付きひとつ。その人の性質を表す魔力と魔力光は、何らかの要因で変質しない限り生涯、変わることはない。

 なら、目の前の現象はなんだ。説明が付かない。理解できない。

 

「なっ――!!」

 

「……ックロノ!!」

 

 驚き、警戒する間にシュテルの身体が瞬時に揺らいで消えた。何処へ? そう思い、慌てて探すクロノは咄嗟に飛びついたユーノによって押し倒された。そして、瞬時にクロノが立っていた場所にシュテルのブラストファイアーが通り過ぎる。

 クロノが、眼を見やれば、さらにありえない光景。

 シュテルの足元に展開するのは朱色のミッドチルダ式魔法陣と、翠色のベルカ式魔法陣。円形と三角形の回転する幾何学模様が二つの輝きを放って回転していた。

 

 これが、シュテルの切り札。ミッドチルダとベルカ。異なる術式の魔法を、膨大な処理能力によって同時使用する力。

 不破『なのは』にしろ、高町なのはにしろ、補助魔法は、それほど得意でもない。しかし、ヴォルケンリッターの参謀、湖の騎士『シャマル』は別。彼女の魔法と能力がシュテルの補助不足を補う。

 恐るべきは短距離をノーモーションで転移して、いかなる方向からでも奇襲、絶大威力の砲撃を放てること。両手の中指と薬指にはめられた指輪型デバイス、クラールヴィントが旅の鏡を作りだすことで可能になる能力だった。

 

「なに……?」

 

 しかし、背後からのクロノに対する奇襲はユーノによって避けられた。想定しない事態に怪訝そうに呟くシュテル。シュテルはユーノが転移する場所を感知していると予測して、行動を修正する。

 感知して避けられるというなら、避けられない攻撃を繰り出せばいい。シュテルの周囲に無数のパイロシューターが生成され、鏡のように光り輝く壁に吸い込まれて消えていく。

 

「なんだ……? ッ――アルフ、クロノ、その場を動かないで!?」

 

 ハッとしたように何かに気が付いたユーノが、仲間の二人に警告を叫びながら、呪文を高速詠唱。同時に素早く両手で印を結び、高等防御・結界魔法を完成させていく。

 妙たえなる響き、光となれ、不滅の城塞のごとく、我らを守護せし盾となれ。スフィアプロテクション!! そう叫んだユーノのソプラノのような声と共に、薄い半透明の障壁がアースラチームを包む。

 その瞬間、三人の魔導師を無数の鏡が完全包囲して出現。同じ数だけパイロシューターを射出して、大量の魔力弾が障壁に叩き込まれていく。

 これには、普段から冷静なクロノでも冷や汗を流した。転移魔法と射撃魔法を組み合わせた全方位多角同時攻撃。ユーノが居なければ瞬時に全滅していただろう。

 

(やはり、ユーノは優秀ですね。さすがは私の魔法の師匠。敵となると厄介です)

 

 強力な砲撃を感知されて避けられ、かといって発動速度に勝る射撃魔法は厚い防御で防がれる。相手にダメージを与えても瞬時に回復されてしまう。防御力と耐久力が組み合わさって、しぶとい。

 能力全開のシュテルとアースラチーム。全力でぶつかり合えば勝つのはシュテル。シュテルにはディバインバスター・フルパワーを抜き打ちで撃てる状態にある。

 しかし、消耗も激しい。この戦いで勝つことができても、後方に控えている戦力を退けることはできないだろう。ユーノのせいで短期決戦が望めないなら、最後の手段を取らざるを得ない。

 嘆くようにため息を吐きながら、ルシフェリオンの矛先をユーノへ。詠唱中の術者は隙だらけで、当てるのは容易い。いくら強力な防御でも、それを上回る砲撃をぶつければ、破壊できる。直撃は難しいだろうが牽制しないに越したことはないのだ。

 

「させるかぁぁぁ!!」

 

 殲滅者が砲撃体勢を整える姿を見て、そうはさせまいとアルフが爆発的な脚力を持って、シュテルに飛び掛かる。

 砲撃が完成するよりも、アルフの打撃の方が速い。フェイト程ではないが、アルフも速度には自信がある。今なら防御で防ぐことも出来るだろう。しかし、拳の先に展開された魔法はバリアブレイクだから意味を為さない。

――先程と同じように拳を叩き込んでやる。そう息巻いて激情と共に襲いかかるアルフを、シュテルは横目で見て大胆不敵に微笑んだ。瞬間、アルフの背筋に悪寒が走った。嫌な予感がする。

 

「私がなんで空中戦に移行せず、地上で戦っていたのか分かりますか?」

 

 アルフを混乱させるように呟きながら、シュテルは準備していた魔法も、生成したルシフェリオンも消し去って、素手になる。利き手の左腕を矢をつがえるように引き、独特の構えをとる。空中から飛び掛かってくるアルフの攻撃にタイミングよく合わせて……

 

「それは、武術を行うとき、地に足をつけた方が本来の力を発揮できるからです」

 

 不破流奥義、透勁。鎧徹。但し魔法合成ノ武技。

 すなわち、強烈すぎるカウンターを叩き込んだ。

 

「掌底打、炎・滅・撃!!」

 

「ごはぁ……!!」

 

 アルフの拳打を交わしつつ、掌底打ちを、クロスカウンターで叩き込む。左足で踏み込んだ震脚と共に放たれた打撃は、アルフの鳩尾に深くめり込んだ。

 さらに、バリアブレイクのように魔法が付与された一撃は、叩き込まれた瞬間に爆発を起こし、アルフに胃液を吐かせながら吹き飛ばす。まるで、顔面に受けた借りを返すとでも言わんばかりの見事な一撃だった。

 爆発の反動で引いた左腕をシュテルはひらひらと振るう。さすがに全力で叩き込む掌底打ちは、手首に負担が掛かる。

 近接打撃、射撃魔法などの威力を軽減するバリアジャケットの防御。それを貫くにはこれくらいしなければならない。まあ、元は暗殺拳だが死にはしないだろう。

 

 隙だらけのシュテルの身体を、青と緑のバインドが、雁字搦めにした。見れば、クロノとユーノが手のひらをシュテルに向けて、捕縛魔法を放ったようだ。

 やれやれと、無駄だと言わんばかりにシュテルは静かに首を振る。彼女が少し力を込めただけで、縛り付けていた強固な魔法の鎖は、錆びつき風化したかのように、脆くも崩れ去った。

 

「なっ……!!」

 

「そんな、馬鹿な。干渉破壊が速すぎる」

 

「無駄ですよ。言ったでしょう? 尋常ではない処理速度を誇っていると。今の私に生半可な拘束魔法は効きません」

 

 シュテルの圧倒的な力を前にして、驚愕するユーノとクロノをよそに。彼女は淡々と、あくまで余裕を崩さない。

 それは、この状況で不利なのは、シュテルだからだ。力の差を見せつけるように戦ってはいるが、長期戦。それも消耗戦になれば、倒れるのはシュテルと目に見えている。

 少しでも優位に立ちたい、シュテルの苦肉の策。心理面を攻めて、精神的に余裕を保っているようにみせかける。

 

(……とまあ、余裕ぶっていますが……そろそろ、げ、ん界、です……)

 

 戦闘前に使った広域探知魔法。無数のサーチャー。戦闘直前に使用した大規模な広域ジャミング魔法。続いて最大出力で放った、真・ルシフェリオンブレイカー。再び広域ジャミングと高速処理による儀式転移の干渉と加速。追い打ちをかけるように、異種魔法の同時並行使用と全力戦闘行使。

 立て続けに、これだけの魔法を使い続ければ、魔法において天武の才があると褒め称えられたシュテルでも限界が来る。いや、とうに超えている。

 向こうは補助特化のユーノによって、体力、魔力共に回復可能というのが、状況をさらに悪化させていた。

 本当は荒い息を吐きたいし、立っているのだって苦しい。眩暈がして、意識が朦朧としそうだ。それでも立っているのは、ひとえにシュテルの不屈の精神力ゆえか。はたまた仲間との約束を果たそうとする決意なのか。

 不敵に微笑んでいた表情をよく見れば、彼女がやや、弱々しげに笑っているだけだと分かったはずだ。頬流れ落ちる汗も、限界を突破していることへの証明。身体を支える足も、杖を握る手も微かに震えている。

 

 シュテルはユーノが展開した結界魔法を解析する。やはり、強度は高いが、覆っている広さはそれほどでもないようだ。

 正直に言えば助かった。もはや、飛行魔法を行使するのも億劫。瞬間移動のような転移も、もって数回。ならば、一度だけ無理やりにでも全力砲撃。すなわち、ブラストファイアー・フルパワーで結界を減衰させ、最後の手段でもって破壊する。

 それで、長距離転移できればシュテルの勝ち。できなければシュテルの敗北だ。捕まるくらいなら彼女は死を選ぶだろう。

 震える手で、シュテルはスカートの内側から、カートリッジの装填されたマガジンをとりだす。ようやく、クロノがシュテルの虚勢に気が付いたようだが遅い。

 

「ユーノ、シュテルは満身創痍だ。今なら……」

 

「……ざん、ねん、ですが。私の勝ちです」

 

 なかなか嵌らないマガジンを、ルシフェリオンの窪みに差し込んで、魔力の弾丸を全弾装填。連続して吐きだされた薬莢が草原の大地に転がっていく。

 杖の先端に膨れ上がる様に、朱色の輝きが塊となって生成され、次いでクロノ達に向けてぶっ放す。クロノとユーノが左右に飛んで空に逃げ回避するなか、全力で放たれた朱き閃光は結界の壁を貫かんとする。

 しかし、流石というべきか、ユーノの結界は思いのほか強度が高い。いくばくか減衰させただけでビクともしない。しかも、修復が既に始まっているようだ。破壊しようにも時間がない。

 シュテルを昏倒させようと放たれたスティンガーの弾幕。或いは捕縛しようと向かってくる緑のチェーンバインド。周囲に発生しようとしている、アルフが放ったであろうリングバインドの気配。

 それらすべてを、瞬間転移によって避け、損傷させた結界の壁の近くに移動したシュテル。わざとらしく、偽天の書をクロノ達に見せつけるように、何もない空間から取り出した。

 

「あれは、闇の書……? いや、似ているが違う」

 

「……ッ、ユーノ・スクライア!! 全力でみなを防御なさい!!」

 

「えっ……くっ……!! 広域個別防御!!」

 

 紫天の書と形状、色彩がまったく同一の、偽天の書を見て、クロノが一瞬だけ硬直した。小さな隙だが、シュテルには、それで充分。

 消耗しすぎて言葉を喋るのも億劫だが、シュテルは気力を振り絞って叫ぶ。同時に、適当な数のパイロショットをデタラメにクロノ、アルフ、ユーノに向けて連射。特に深手ともいえる一撃を受けて、ふら付くアルフを重点的に狙う。

 動揺し、あるいは怪我によって動きの鈍る仲間二人。ユーノはフォローの為に防御に徹するしかないが、それでいい。

 これからシュテルが行うのは分の悪い賭け。命を賭けに、クモの糸のような可能性を掴み取る。そんな博打だ。クロノ達は身体を魔力で構成されていない分、危険度も少ないだろうが、備えさせるに越したことはないから。

 

 シュテルは偽天の書を結界の損傷個所に向けて、あらん限りの力で放り投げる。続いて最速で生成、展開したパイロシューターでソレを撃ち抜いた。

 

 瞬間、結界内を強烈な魔力爆発と閃光が包み込んだ。無秩序な破壊の乱流が、範囲内の存在すべてを襲う。

 偽天の書に内包され安定した状態の魔力が、意図的に乱され不安定になって暴発したのだ。脆くなっていた結界はシュテルの望み通り消し去られた。

 けれど――その代償は……

 

「きゃう……」

 

「なんて、熱と閃光なんだ、視界が……」

 

 アルフとユーノが、ラウンドガーダーの防御結界に包まれて、自分自身もシールドを展開して暴虐の光を防ぐ。それでも、熱や衝撃を吸収して和らげる防護服越しに、熱波の熱さを感じるのだから、どれだけ凄まじい熱量なのか想像に難くない。

 そんななかで、クロノだけは腕で両目を覆いながら、歯ぎしりしていた。

 

「シュテル、馬鹿なことを――!! 非殺傷設定の魔法でも致命的なダメージになる君が、そんなことをすれば……」

 

 呟きは無謀な策を実行に移したシュテルの身を案じての言葉。

 非殺傷とはいえ、残酷ともいえるほどに、苛烈な攻撃を仕掛けたクロノだからこそ分かる。どれほどの魔力量で、どれほどの威力の魔法をぶつければ、マテリアルズの少女たちに、どんな影響を及ぼすのか。

 ただでさえ全力ではなく、戦闘不能にする程度の絶妙な手加減で攻撃を仕掛けて、クロノはシュテルをボロボロにした。なら、純粋な破壊に特化した暴発する魔力の衝撃を受ければどうなるだろう?

 シュテル自身が良く分かっていた。死ぬぐらいなら、運が良い。悪ければ……システムそのものが消滅する。

 

――あぁああああああぁぁぁぁぁ…………

 

 シュテルの声にならない絶叫。暴発した魔力の轟音にかき消されて、クロノ達には聞こえない声にならない叫び。

 

――痛い、苦しい、熱い、あつい、あつい……

 

 身体が焼けるなんて生易しい感覚ではない。むしろ、削られていく、熱さと激痛を伴いながら、徐々に身体を削り取られていく。赤く熱した鉄のやすりで擦られているかのようだ。

 身に纏う防護服なんて一瞬で、まるで、鱗が剥がれ落ちるかのように消し飛んだ。白かった肌は無残に焼かれて黒焦げ。髪や、眼や、口の中がどうなったかなんて想像したくない。

 それでも、それでもシュテルは、最後の魔法を構成しようとする。防御も、回復も、身体を維持することも、あらゆる魔力を全て転移に注ぎ込む。

 この吹き荒れる魔力の爆光の中で、転移に成功すれば、アースラチームはシュテルの足取りを完全に見失う。捕らえることなど不可能。海水の中に混じった淡水を見分けることなど出来はしない。

 

――あ、れ……?

 

 でも、賭けは成功する確率が低いから、賭けなのだ。奇跡なんて起きるのは稀。

 シュテルは、全身に熱と痛みを感じながら、自分の仮初の身体が、地に倒れ伏したことを感じた。それどころか、意識が薄らいでいく。痛みや感覚が鈍くなって、何も感じなくなる。指一本すら動かせない。

 嗚呼、死んじゃうんだ。とシュテルは凍り付いた感情で思った。怖くはない。一度、生きたまま氷漬けにされていく経験を知っているから……

 

――いや、だ……いやだ……しにたく、ない……

 

 違う、嘘だ。怖くないなんて嘘だ。本当は怖い、死にたくない。痛いのも耐えられる。苦しいのも耐えられる。けど、自分の存在を、大切な人の記憶を失うのだけは耐えられない。怖い。

 浮かんでくるのは笑顔を浮かべている家族の映像。士郎、美由希、恭也、そして、ぼやけているが母親の微笑んだ姿。

 浮かんでくるのは己よりも大切な友の顔。『はやて』、『すずか』、『アリサ』、そして『アリシア』。

 浮かんで忘れていく記憶。感じなくなる心。徐々に四肢から消える身体。

 

――みん、な、との……はた、さなきゃ…………や、くそ……く………………

 

 それらを感じながら、シュテルは最後の最後で掴み取る様に、欠けた左手を空に伸ばした。

 

――諦めないで『なのは』ちゃん。大丈夫です。私が付いてますから。

 

 意識を失うなかで聞こえたのは幻聴なのか。慈愛に満ちた母のような、『湖の騎士』のこえだろうか。

 シュテルには分からなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その後。

 アースラチームは、最後の爆発の瞬間にハッキングを受け、探査機能がシステムダウンしたことを、クロノ達は知る。

 リンディ艦長は、追撃を中断して、ハッキング対策と整備不足のアースラをオーバーホールすることを決断。その間、地球を中心とした周囲の次元世界を調査する局員。クロノ、フェイト、アルフ、ユーノ。そして、サポートのエイミィを現地の地球に先行させる。

 なお、星光の殲滅者の生死は不明。転移したのか、消滅したのか、痕跡は残っていなかった。

 

……その日、黒紫の王と欠片の少女たちは、ひとつの絆の繋がりを失い、断たれたことを記しておく。

 



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〇すれ違った世界 差し伸べられた暖かな手

 少しだけ肌寒い空気と風が肌を撫でる。暖かな日差しは徐々に沈んでいるから、これからもっと冷え込んでくるだろう。

 この慣れた空気、冬の訪れを感じさせるような気温、そして季節が秋であると実感させるような食欲をそそる香りは秋刀魚の塩焼きと焼き芋のものだろうか?

 久しく感じる地球の、日本という国の環境にディアーチェはただ、ただ、戸惑うばかりだ。

 ようやく己は、この世界に帰ってくることができた。あの底知れぬ闇と無限とも言える時間を共に過ごし、日々を耐え凌いでいたディアーチェは懐かしい感覚に涙を流しそうになる。

 ここがどんな場所であるかもうっすらと覚えていたようだ。かすかに残る記憶を頼りに思い出してみれば海鳴市の商店街だと分かった。都市の中央部にあるデパートでは家族であった守護騎士の服やぬいぐるみなどの小物でお世話になったが、新鮮な食材は此方で買い出しに来ていたものだ。

 足が不自由で動けない『はやて』の車椅子を押してくれた『シグナム』や『シャマル』と一緒に買い物に来た記憶が建物の風景を見て呼び起される。かつての自分と守護騎士の姿が幻影となって通り過ぎる幻覚を見たディアーチェ。

 嗚呼、何もかもが懐かしい。永かった。悠久とも云える時が過ぎ去るなかで、何度と過ごした街に帰りたいと願ったのか分からない。

 ようやく、ようやくディアーチェは帰ってきた。帰ってこれたのだ。

 それを素直に喜べないのは傍に居るはずの友が、家族が、自身の一部である欠片が存在しないからだ。

 格好を怪しまれないよう六翼の闇色の翼をしまい、杖を消す。

 そして、商店街の裏道に潜み、表の主要通路を人々が通り過ぎていく様子を伺いながら、ディアーチェは数えるのも億劫になるほど吐いた溜め息を吐く。

 

(ユーリよ。何故、うぬは我に魔法を使わせぬ? こうして待つ間にもシュテル達は憎き怨敵たる管理局の魔導師どもと戦っているかもしれぬというのに……なぜだ? なぜ我を阻むのだ!?)

 

(ごめんさいディアーチェ……ごめんなさい)

 

 念話で自身の内に潜むユーリに語りかけるディアーチェ。頭の片隅で騒ぎを起こすのはまずいと、冷静に判断する部分がなければ、今頃は取り乱して警察を呼ばれていただろう。補導されるのは面倒で逃げるのも手間が掛かる。だからディアーチェは大人しく身を潜めていた。

 

 ユーリはディアーチェに魔法を使わせようとしない。

 申し訳なさそうに謝罪しながら、ディアーチェが行けばシュテル達が残って囮になった意味がなくなると静かに諭すのだ。

 ディアーチェだって頭では理解しているが感情は納得していない。自分にとって何よりも大切な欠片が戦っているならば、能々と安全地帯にとどまらずに共に戦いたい。護ってあげたい。たとえ本物を模した偽物の存在であっても。

 戦う力が、他を圧倒して凌駕する力がディアーチェにはあるのに何もできない自分が悔しかった。これでは車椅子に座って何もできない無力な八神『はやて』だったときと変わらないではないか。

 今すぐにでも駆けつけて助けに行きたい。でも、それをしたらシュテルの身を挺した献身が無駄になる。ふたつの想いを頭のなかで葛藤して悩むディアーチェは決断できない自分を呪った。

 だからこそ、シュテルはユーリにディアーチェを頼んだのだろう。迷うディアーチェが万が一にでも過ちを犯さないようにと。その想いに応えるためにもユーリは全力でディアーチェの魔法行使を妨害する。魔法の術式にディアーチェが魔力を流し込んだ瞬間、ユーリの魔力を流し込んで発動を阻害させるのだ。

 結局、なにもできないディアーチェは静かに皆の帰還を待つしかない。項垂れて、裏通りに設置されたごみ箱に背中を預け、体育座りで心細そうにしていた。

 

「こんな所で何をしているのかしら。お嬢さん?」

 

 そんなディアーチェを見かねたのか、さっきからずっと彼女を見つめていた女性は声を掛けた。激務が終わり閉店時間となった自分の経営する店の片付けをしていた女性は、ごみを捨てに来て偶然座り込んでいるディアーチェを見つけたのだ。

 時間にして十数秒ほどどうしたのかと見ていたが、休んでいる様子でもないし、かくれんぼして遊んでいるようにも見えない。どこか上の空で呆けたように佇む少女に女性は声を掛けることにしたのであった。お人よしな性格の女性はどうしても事情がありそうな少女を放って置けなかったのだ。

 家出であれば話を聞く、その場合は警察を呼ばれたくないだろう。誰かに追われているのであれば警察を呼び、店に匿ってあげることも出来る。幸いにも頼れる旦那にして凄腕のボディーガードが店で働いているから安心だ。

 

「――ッ!!」

 

「あっ、待ちなさい!!」

 

 まったく気配に気が付くことができなかったディアーチェは驚いて咄嗟に逃げようとするが、女性はそうはさせまいとディアーチェの腕を掴んだ。振り払おうとしてもすごい力で、魔法を使えないディアーチェでは解けそうにない。

 面倒なことになったとディアーチェは舌打ちする。同時に自身の迂闊さに腹が立つ。今の自分たちを、あまり他者に見られることをディアーチェは良しとしない。この日本において子供は学校に通う義務があり、見つかれば補導される。そこから身元が確認できないと知れれば保護という名の施設行き確定だ。

 魔法で脱走するのは簡単だが、それが原因で管理局に見つかったとなれば、くだらなすぎる。

 何よりディアーチェは身内以外の他者を信用しなくなった。慕っていたグレアムおじさんに騙された経験から人間不信に陥ってしまったのだ。親切心から話しかけてくる人間に騙されるのはもう嫌だ。だから逃げようとする。

 

「くそっ。ええい、離せ! 離さぬか下郎!!」

 

「離しません。口は悪いけれど独特な話し方ね。良家のお嬢さんなのかしら? 夕方の路地裏は危険だから留まっちゃだめなのよ?」

 

「そんなこと知らぬ! だいたい、我は大切な友を待っておるのだ。うぬごとき塵芥に付き合っている暇なんぞ一片たりとも存在せぬわ!!」

 

「なら、なおさら放って置けません。外は冷え込んできたし、寒いでしょう? こんなところで待っているより私のお店に来た方が断然いいわよ? 美味しい紅茶に甘いお菓子が食べられるんだから。携帯は持ってるかしら? 喫茶翠屋で待っているって言えばわかるわよ」

 

「だから知らぬッ! そのようなお菓子も、翠屋とか言うお店も知らぬわ!! なんぞ貴様は!? 新手の誘拐犯か!? この強引さは大阪のおばさん並み……ええい、離せったら離せ!!」

 

「あら意外。私のお店も有名になってきたと思ったけれど、まだまだね。それとも箱入り娘で世間知らずなのかしら? それにしても、あなたは勘が良いわね。私って大阪出身なのよ。それとお人よしなだけで、誘拐犯じゃありません。私にもあなたと同じ年の頃の娘がいるから放ってはおけないのよ」

 

「ぐぬぬぬ~~! なんという馬鹿力、うんともすんともいわぬとは……!!」

 

 ディアーチェは身をよじりながら、綱引きでもするかのように女性の掴む手を引きはがそうとする。しかし、まったくビクともしない。それどころか女性は踏ん張る足を物ともせずに店の裏口へと引きずられていく。

 しまいには、ディアーチェは抱きかかえられてしまった。身に潜む強大な力で、女性に暴力を振るう訳にもいかない。

 仕方なく弱々しい力で、ディアーチェはポカポカと女性の身体を叩きながら、抵抗と拒絶の意思を示すが、ついに無駄だと悟って諦めた。この女性、かなりのやり手だ。逆らえそうにない。

 

 それにしても何とも懐かしく暖かな感覚だろうか。ディアーチェは女性に抱きかかえられて遥か遠い記憶の彼方へと薄れてしまった記憶を思い出す。こんなふうに抱かれたのはいつ以来だ? 『シグナム』や『シャマル』とは違う、自分の母親と似た温もりを感じる。

 もはや、はっきりと顔の輪郭も思い出せない母親に抱かれた記憶。この女性に抱かれていると、うっすらと残る感覚が呼び起されて泣きそうになる。

 しかし、弱みを見せれば付け込まれるのでディアーチェは涙を堪える。どうにも、この女性のことが、ディアーチェは苦手のようだ。

 ディアーチェがうぬぬ~~と、唸りながら現状を嘆いていると、ふと、微かに香るシャンプーのにおいに混じって、今はいない親友の残り香を感じた。

 ハッとして、ディアーチェは初めて女性の顔を見上げた。顔立ちが親友にそっくりだ。髪の色は親友と違って明るい栗色だが、頬にかかったときに感じた長い髪の質感は似ている。

 まさかと思う。いや、そんなはずはないと。

 それでも確かめるために意を決してディアーチェは女性の名を聞くことにした。

 

「うぬは、うぬは名は何と言うのだ……?」

 

「あら? 名乗ってなかったかしら? 私は高町桃子。三児の子供の母にして、喫茶翠屋のパティシエールをしてるのよ。貴女のお名前は?」

 

「我は、私は……■■■■……」

 

「ふふ、いまはそういう事にしといてあげます。安心して、詳しく事情は聴かないから。言いたくないこともあるだろうしね」

 

 桃子と名乗る女性の問い掛けに、咄嗟に考え付いた偽名を口走るディアーチェだが、そんなこと気にならないくらい心は動揺していた。

 親友の言葉を思い出す。"母である高町桃子は殺されてしまった"確かにそう言っていたはず。ディアーチェに嘘を吐いていたとも思えないし、あの話し方は演技に見えなかった。きっと苦しくて辛くて、泣きそうになるのを我慢して悲しい思い出を吐きだしていたのだ。

 では、どういうことだろうか? ディアーチェには目の前にある真実がさっぱり分からない。理解できない。

 ディアーチェを保護した女性はこう名乗ったのだ高町桃子と。はっきりと、間違えようもないくらいに。

 それは、シュテルの死んだはずの母親の名前だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「はい、紅茶と翠屋名物の桃子さん特製シュークリーム。遠慮しないで食べてちょうだいね」

 

「……あ、ありがとう」

 

 翠屋の休憩室にあるソファに腰かけたディアーチェ。

 彼女はテーブルに差し置かれた紅茶とお菓子、それに、恐縮した様子でおずおずと手を伸ばした。

 きらきらと金色に輝く装飾の施されたカップを手に取り、紅茶の香りを楽しむ。甘い洋梨の香りがした。口に含むと紅茶特有の渋みが広がって思わず、顔をしかめてしまう。砂糖が入っていなかったようだ。

 素早く丁寧に紅茶のカップを置かれた場所に戻すと、慌ててシュークリームを頬張る。あの紅茶、口直し用に違いない。最初に甘そうなシュークリームから食べればよかったとディアーチェは後悔していた。

 

(――ッ!!)

 

 そして、シュークリームを口にしたディアーチェの身体に電流のような衝撃がほとばしる。驚きのあまり、放心したように固まる。シュークリームの味は、今までディアーチェが食べた、どのスイーツよりも美味しかった。

 まあ、一人身だった少女にとって、遠くに旅行に行ける機会などなかった。有名店に足を運んで、美味しい料理を口にした経験などない。シュークリームだって、せいぜいコンビニで売っている安い庶民のものを口にしたくらいだ。

 それでも、翠屋のシューがどれほど絶品なのか分かる。いちど味わえば忘れられない。焼き加減、クリームを包む生地の歯ごたえ、クリームの甘みの程よさ、全てが絶妙に入り混じった究極の一品。

 

 あっという間に用意された洋菓子を食べきったディアーチェは、心なしか満足した様子で再び紅茶を口に含む。渋みの効いた味と、甘くて良い香り、紅茶の暖かさが、ディアーチェの心を落ち着かせていく。

 何より食べられる木の実や、肉を焼いただけの粗末な食事ではなく、幾百年ぶりに感じた料理の美味しさはディアーチェを虜にするには充分だった。

 

「ふふ、どう? 美味しかったかしら?」

 

「うん! ほんまに、おいしかったで、ぇ……じゃなくて、このような美味の品、我に相応しい一品であったわ、ぁ……でもなくて!! ええと、とってもおいしかった、で、す……」

 

 対面の席から微笑ましそうにディアーチェの様子を見守っていた桃子の言葉に、ディアーチェは思わず素で返事をしてしまった。

 八神『はやて』だったときの明るい口調で話し、慌てて口元を両手で紡ぐ。取り繕おうと口に出した言葉は紫天の王の尊大な態度。しかし、今は■■■■なので、それも相応しくない。心を落ち着かせて、どうにか演じている普通の女の子の口調に戻した時には遅かった。

 

「―――っ!!」

 

「ううぅ……」

 

 桃子さん、声にならない声で大爆笑していた。うん、それも清々しいくらいに。目じりに涙を浮かべ、お腹を抱えてみっともなくテーブルの上に突っ伏している。

 あまりの恥ずかしさに、頬をあかく染めて、うつむくディアーチェ。身体をぷるぷると振るわせて、縮こまるしかない。本当に恥ずかしい

 

 もはや、桃子さんの中で、ディアーチェの株は鰻登りだ。最初は手間の掛かる子供という印象だったが、一喜一憂、百面相に変わる表情、一生懸命に演技して正体を隠そうとする健気な姿。グッジョブだった。

 リアクションが面白い、おもしろすぎる。

 

 故に、解せない……桃子の直感による洞察力は、心の内でディアーチェの壊れた部分を感じ取っていた。

 恐らく、演じようとする前の口調が本来の性格なのだろう。一瞬だけ浮かべた笑顔は、娘のなのはが嬉しそうに笑う姿とそっくりだったから。

 どうして本心を隠そうとするのか、何が彼女を追いつめているのか、闇のように暗い瞳に秘められた揺らめく不安と怯えは何なのか。

 何よりも解せないのは、どうしてこんなに壊れるまで、家族は誰も気が付かなかったのか。桃子には、それが許せなかった。

 この年の頃の子供なら、美味しい食べ物を食べて無邪気に笑い、素直に喜ぶものだ。どうして演技してまで隠そうとする?

 さきほど路地裏で佇んでいた少女の浮かべる表情を桃子は思い出す。

 瞳はどこか虚ろで光がなく、寂しそうに一人で立ち尽くしていたディアーチェ。あれは、桃子が仕事の忙しさを言い訳に、幼いなのはを独りぼっちにさせてしまったときの表情に似ていた。

 違う。それ以上の悲しみと絶望を抱えている。桃子の勘はそう訴えていた。

 しかし、事情を知ろうと無理に踏み込めば、この少女は桃子の元を去るだろう。そして、二度と姿を現すことはない。そんな気がする。

 だから、桃子に出来るのは、寂しさを和らげること、絶望の苦しみを暖かさで癒してあげることくらいだった。

 

「あ、あの……その……」

 

「うん? なぁに■■さん」

 

 いつの間にか、爆笑するのをやめて、突っ伏したまま考え事に没頭していた桃子は、申し訳なさそうなディアーチェの声を聞いて居住まいを正した。何事もなかったかのように優しい微笑みを浮かべる姿は、さすが営業のプロといった所か。

 もっとも浮かべる微笑みは、娘に向ける慈愛と同じモノが向けられているが。

 どこか、申し訳なさそうに、もじもじしていたディアーチェは意を決して口を開く。

 

「えっと……しょ、食事代の、もち、あわ……」

 

「ああ、お代のこと? いいわよ。気にしないで。桃子さんからのサービスです」

 

「……うぅ、ほんまにごめんなさい」

 

「気にしないでいいのよ? う~ん、でも、そうね。ちょっとこっちに来てくれるかしら?」

 

「え、あ……はい」

 

 お金を払えなくて申し訳なさそうに、うつむくディアーチェ。桃子にしては本当にサービスのつもりなのでお金はいらなかった。どのみち今日は閉店する予定だったから尚のこと。

 だが、ふと考え付いた妙案を思いついて、それを実行に移すためにディアーチェを手招きする。

 後ろめたさによるものか、罪悪感からか、びくりと身体を震わせたディアーチェは、言われるまま、怯えた様子で桃子に近づいた。

 

「あ、あぁ――」

 

 その瞬間、ディアーチェは桃子に優しく、けれど力強い抱擁をされて思わず安堵した。

 

「何が怖いのか私には分からない。どうして怯えて、何に悩んでいるのかも聞かない。でも、忘れないで。貴女はひとりじゃない、決して、この世界で孤独じゃないわ」

 

 感じる暖かな温もり、胸に押し当てられたディアーチェの頭、やさしく髪を撫でてくれる手の感触。聞こえてくる心臓の鼓動、命の音はディアーチェを安らげる。思わず安心して強張った力を抜いてしまう。

 桃子の言葉で泣きそうになる。欲しかったものが目の前にある。シュテルに申し訳ない気持ちをあるが、抱いた欲の方が強い。

 シュテルにごめんねと心の内で謝りながら、シュテルに、お母さんを貸してほしいと願いながら、ディアーチェは桃子に母の温もりを求めた。

 仕方ないのかもしれない。両親を早くに亡くし、再び母代りの湖の騎士を失くし、悠久の孤独を過ごしてきたディアーチェが優しい桃子に母の温もりをもとめてしまう。他者の、友の母だと分かっていても。それを誰が責められるとでも言うのか。

 

 ディアーチェは震える両手で、恐る恐る桃子を抱き返した。桃子が優しく抱き返してくれて、ディアーチェから段々と震えが治まっていく。

 嗚呼、我慢できそうにない。ディアーチェは湧き上がる衝動を抑えられそうにない。久しく言っていなかった言葉を口にしそうになる。親友が失った大切な存在だとしても呟きたい。

 

「あ、あの……お、おか……」

 

「なぁに? どうしたの?」

 

「おかあさ……なッ!!」

 

 お母さん。そう言おうとしたディアーチェは、急に驚いたように顔をあげ、素早い身のこなしで桃子の抱擁から離れた。

 

「待って! どうしたの!? ■■ちゃん!?」

 

 慌てたように周囲を見回し、何かを探すかのように遠くを見つめるような仕草をしたディアーチェは、桃子の制止の声も聞かずに部屋から去り、翠屋から出て行く。

 桃子が手を差し伸べて、何かを叫んでいるようだが、ディアーチェはそれどころではなかった。感じたのだ。見知った魔力の気配を。心の底で繋がっている絆の繋がりが強くなっていく。

 ここから近い場所に、そう遠くないところにマテリアルの少女たちが転移してきた。迎えに行かなければならない。

 ディアーチェは翠屋の裏口から、先ほどまでいた裏通りに飛び出すと、商店街の大通りを、人の垣根をすり抜けて駆けていく。

 

◇ ◇ ◇

 

 海鳴臨海公園。日が沈んでひとけの無くなったその場所で、レヴィは大規模転移の疲れが抜けきらない身体を、引きずるようにして歩いていた。

 本来であれば時間を掛けて、呪文の詠唱と魔法の構築を行う大規模な転移魔法。それを、シュテルは無理やり介入することで発動時間を短縮し、レヴィの強大な魔力放出を利用して、瞬時に発動させた。

 レヴィの意図しない、魔力の強制使用は彼女に負担を強いるのに充分すぎた。あるいは、わざと消耗させ、戻って来れないようにするのも、シュテルの計算の内かもしれない。

 シュテルと同等の魔力を持つレヴィだが、『理』による魔法行使によって最低限の魔力で、最大限の魔法を使うと言った芸当はできなかった。

 むしろその逆で、瞬間的な魔力放出によって、魔法の効力を爆発的に高めるのを得意とするレヴィは消耗も早い。魔力の供給源であるディアーチェが近くに居なければ、すぐに息切れする。

 

「シュテ……る、ん……シュテ、ル……『なの』……」

 

 それでも、レヴィは魔力が足りなくなって朦朧とする意識を、シュテルを慕う意志のみで、辛うじてつなぎ止めていた。

 身体の損傷個所を回復させ、意識の再起動を始めているアスカとナハトを茂みに隠し、シュテルを助けに再び転移しようと身体を酷使しようとする姿は、幽鬼のようだ。

 倒れないのが不思議なくらい。執念のみで動き続ける少女は、放って置けば自滅するだろう。

 

「もう良い、もう良いのだレヴィ。しかと休め。あとは我に任せておくがいい」

 

 そんな弱り果てても、倒れようとしないレヴィを抱き止めたのはディアーチェ。

 愛しき少女たちの転移に気が付いて、できる限り迅速に駆けつけた彼女は、労わる様にレヴィの背中を撫でる。

 そして、ひとつの魔法を発動すると、マテリアルの少女たちを紫天の書の内部に回収した。レヴィ、アスカ、ナハトの身体が粒子になって徐々に消えていき、完全に姿を消失させる。

 躯体を維持したまま、外部から復旧させるよりも、内部から回復を促進したほうが速い。何よりも、そのままにしていたらシュテルの為に、ナハトとレヴィは突っ込んでいきそうだから。

 

――またね、です。『はやて』。どうか御無事で

 

 シュテルはディアーチェと約束したのだ。あの子は約束を必ず果たそうとする。絶対に戻ってくるはずなのだ。

 だから、ディアーチェは戻って助けに行きたい本心を押し隠して、公園のベンチで待つことにした。何よりもユーリが転移を許してくれないだろうから。

 

◇ ◇ ◇

 

 待つ、少女は一人寂しく待ち続ける。公園に備え付けられた時計は六時を回った。少しお腹がすいた。

 頬に暖かい、硬い感触がして顔をあげると、見知らぬ男性が微笑んで立っていた。差し出された手には暖かい缶ジュース。ホットココアだ。

 

「うぬは……?」

 

「俺は高町士郎、桃子の旦那さ。君が■■ちゃんだね。こんなところにいたら、風邪をひくぞ」

 

 士郎、確かシュテルの父親だったとディアーチェの記憶にある。どうやら、桃子から聞いて追いかけて来たらしい。なんとお人よしなのだろうか。

 だが、ディアーチェは此処を離れるわけにはいかないのだ。シュテルが来るまで彼女は待ち続けるつもりだった。

 

「すまぬが、我は親友を待っているのだ。約束を果たすまで、ここを離れぬ。放って置くがいい」

 

「なら、俺も一緒に待つ。夜中に子供を一人にしておけないからね」

 

「…………好きにせい」

 

 待つ、士郎とディアーチェは手にした飲み物を口にして、身体を温めながら待ち続けた。公園に備え付けられた時計は七時を回った。お腹がすいてたまらない。

 士郎の持っていた携帯が鳴り、彼はポケットから取り出して一言、二言話すと、携帯電話を戻した。

 

「夕食ができたらしいが、断ったよ。変わりに、家の大きなほうの娘にあとで握り飯を持ってこさせるよう言っておいた。■■ちゃんもお腹がすいただろう?」

 

「阿呆が。馬鹿か貴様は? こんなことに付き合ってないで、はよ家に帰れ。家族との付き合いは何よりも大切にせねばならんのだぞ?」

 

「分かっているさ。けど、君と約束を待ち続けるのは、この日しかできない。そうだろう?」

 

「……ふん、礼はいわんぞ?」

 

「構わないよ。俺が好きでやっているだけだからね」

 

 待つ、士郎とディアーチェは美由希が持ってきたおにぎりを頬張りながら、一緒に待ち続けた。公園に備え付けられた時計は八時を回った。シュテルは、まだ、現れない。

 ディアーチェの表情が、だんだんと不安に彩られていく。身体がソワソワし始め、瞳は泣きそうに揺らいでいる。

 それを、優しく見守る士郎は、桃子が持ってきてくれた毛糸の上着をディアーチェの肩に着せながら、落ち着かせるように背を叩き続けた。

 

「大丈夫かい?」

 

「……すまぬ士郎。手間を掛けさせてすまぬ。だが……もう少しだけ、待たせてほしいのだ」

 

「構わないよ。寒くないかい?」

 

「ふふ、実は、この服、温度調節機能があってな、夏も冬も快適に過ごせるのだ」

 

「ははっ、そりゃ、便利だ」

 

「だろう? もっとも特別な人間にしか着れぬがな」

 

 待つ、士郎とディアーチェは待ち続けた。公園から見える家々の灯が消えていく。備え付けられた時計は九時を回った。

 ディアーチェは嗚咽を漏らしていた。シュテルはもう、現れない。ディアーチェとシュテルの、マテリアルの繋がりが。心の底で繋がっている絆がか細くなって、たった今、消えた。

 それは、シュテルの身に何かあったことを意味する。

 ……考えたくはないが、シュテルは消滅した可能性が高い。ううん、捕らえられているだけなのかもしれない。けど…………まったくつながりを感じないのだ。

 今すぐにでも助けに行きたい! 確かめに向かいたい! でも、約束がディアーチェの邪魔をする。シュテルは"決して此方に戻ってこないで"そう言った。王が約束を破るわけにはいかない。何よりシュテルの行動を無意味にしたくなかった。

 馬鹿が、格好つけて殿なんぞ務めるから……シュテルの嘘つき、どうしてこないん……? すぐにでも追いかけるって言ったやんか……心の内で、そう罵倒しても状況は変わらない。シュテルは……こないのだ。

 

「う、ぅぅ……もう、もう、ええです、士郎さん。もう、待っても友達は来うへん……」

 

 ついに我慢できなくなって、泣きじゃくるディアーチェ。演技することも忘れてしまう程に動揺してるのか、『はやて』の口調で喋っていることにも気が付いていない。

 士郎は、静かに立ち上がると、ディアーチェの正面に立ち、視線を合わせるように屈んだ。そして、そっと優しくディアーチェの頭を撫でてくれる。

 彼は静かに微笑んでいた。

 

「士郎さん……?」

 

「うん、今日はもう来ないだろうね。でも、明日来るかもしれない、明後日来るかもしれない。諦めちゃだめだ」

 

「っ……でも……」

 

 酷く狼狽して、来ないと決めつけようとするディアーチェの唇を、士郎は指でそっと塞ぐと語りかけた。

 それは、諦めなかった家族の話。目覚めは絶望的と言われても諦めなかった、ある家族の話だ。

 

「俺はね、仕事でへまをして重傷を負ったことがある。意識不明になるほどの重症だ」

 

「…………」

 

 黙って聞いているディアーチェの頭を撫でながら、士郎は話を続ける。少女の絶望に希望を灯すように。

 

「でも、俺の家族は諦めなかった。桃子も、恭也も、美由希も、そして、愛娘のなのはも、皆が病院に通い続けてくれた。俺が目覚めると信じてね。そして、俺は目を覚ますことができた。生きて再び、家族をこの手で抱くことができたんだ」

 

 だから、君の友達も何かあっただけで、いつかは来るかもしれない。絶対に諦めてはいけないよ? そういってニカッと笑う士郎に、ディアーチェも釣られたように笑ってしまった。

 そうだ。王であるディアーチェが諦めてどうする。シュテルはきっと来る。レヴィも、ナハトも、アスカも彼女を信じている。なら、ディアーチェも信じよう。

 少しだけ待ってあげればいいのだ。それでも来ないというのなら、こちらから迎えに行く。なんだ、簡単ではないか。

 

「ところで君の家はどこだい? 送って行ってあげるからさ、教えてくれないか?」

 

「もう、帰るべき家なんてないです……てっ、あっ……」

 

「なら、家に来なさい。事情は後で聞く、今日は遅いから泊まっていきなさい」

 

「……はい、ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 

 だが、油断か、はたまた安心感からなのか、ディアーチェは士郎の質問にボロを出してしまう。

 有無を言わさぬ、にこやかな士郎の微笑みに怖気づいたディアーチェは、仕方なく頷いた。なんというか、逃げられないような気がするのだ。

 差し伸べられた士郎の手は暖かくて、久しく感じた家族の温もりにディアーチェは心が、少しだけ幸福感に満たされるのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 私は還らなければならない。

 重い身体を引きずる。どうしようもなく怠い身体は、思うように動かなくて、もどかしい。家の垣根を壁伝いに歩きながら私は歩く。

 清んだ夜空、暗くなった街並み、何処かで見たような景色。懐かしい気分だが、どうでもいいことだ。

 

 私は還らなければならない。果たさねばならない約束があるから。

 けど、身体も、黒い制服も見た目は無事なはずなのに、上手く動かせなくて。私はついに冷たい道に倒れ込んだ。

 それでも、私は身体を這って前に進む。どうしても、そうしなければならないから。

 きっと、みんな心配して泣いている……誰が泣いているのだろう? 顔が思い出せない。

 そもそも、私はどうして還ろうとしている? 約束があるから。約束ってなんだろう?

 

 少し休もう。冷たい道。道路の上に居ては轢かれてしまうから、私は垣根を気力を振り絞ってよじ登る。

 けれど、ふら付いた身体でバランスを取ることができなくて、不覚にも家の庭に倒れ込んでしまった。

 寸でのところで受け身を取ったが、物音で誰かが気が付いたようだ。目の前にある家の中から慌ただしい音が聞こえる。

 逃げようにも、私の身体は、もはや指一本動かせない。痕跡をできる限り消し去ろうと、魔力リンクを断ち切ったのがまずかった。

 …………なんで、私はこんな知識を知っているのだろうか?

 

「――ッ」

 

 酷く頭痛がする。頭が割れそうな痛みだ。思わず両手で頭を押さえこんでしまう。

 それに息をするのも苦しい。身体がだるくて熱でも出したみたい。私はどうして、こんなに苦しんでいる?

 

「誰か庭におるんか~~ッ!?」

 

 家の一階にある窓が横開きに開いて、車椅子に座った少女が顔をのぞかせた。

 私を見て驚いた顔をしている。まずい、誰か人を呼ばれるわけにはいかない。私の身体が、右手が少女を引きずり倒して無力化しようと動くが、助けを求めるように震えながら伸ばされるだけだ。

 少女が驚いた顔をしている。私はそんなに酷い外見をしているのだろうか? 嗚呼、泣きそうな顔をしないでほしい。王が悲しそうな顔をすると私まで……王って誰だ?

 

「あかん、動かんといて! シャマルっ! シグナムっ! ヴィータっ! ザフィーラっ! 誰でもいいから、はよ来て!! ほな、しっかりしい、いま助けたるからな」

 

 そういって、少女は車椅子から降りると、動かない下半身を引きずって私の所まで這って来た。

 この少女はとんでもない馬鹿でお人好しだと判断する。足が不自由なら誰かに任せておけばいいものを。人を呼んだ意味がないだろう。少女が来て何になるというのか?

 

「ッ……ぁ、あ……『はゃ』……」

 

「はやく……? わかっとる。いま、治療ができる人を呼んだからなぁ。もう少しの辛抱や。安心して」

 

 けど、気が付けば私は、知らずのうちに泣いていた。少女が駆け付けてくれたことが無性に嬉しい。どうしてか、私は愛しい人に会ったかのような、そんな感慨に浸っていた。

 少女が動かない足に私の頭を乗せて膝枕をしてくれる。目の前にある顔に伸ばした私の震える手を、少女はやさしく両手で握ってくれた。

 どうしてか知らないが、私は、この少女に安心感を抱いているようだ。記憶にはないが、少女は敵ではないのだろうか? それとも還ろうとしていた場所はこの家なのか?

 まあいい。今はとにかく眠ろう。疲れた身体を癒して明日に備える。分からないことも多いが、少しずつ知って行けばいい。

 

「あっ……目を閉じて、どうしたん!? ……なんや、眠っただけかぁ。驚かせんといて。でも、こ……で……きれ………かみ……あっ……マル……」

 

 瞳に映る少女の顔がぼやけていくのを感じながら、私は静かに目を閉じる。

 差し出された手は、とても暖かな手で、私が長年、求めてやまないものだった。

 

 



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第二部 運命の分岐点
〇対象a アクムノキオク 完全版


 暗い、暗い、闇の中を私はひとりぼっちで過ごしていました。

 もう、時間の感覚がありません。何十年と経ったような気がするし、数時間かもしれません。

 確かなのは、真っ暗な闇の世界では時間なんて、あってないみたいなもの。

 お腹もすかないし、喉も乾かないし、眠くならない。ただ、ボーっと考え続けることしかできないんです。そもそも、私の身体がありません。意識だけがあって、ここにいるということだけ、はっきりしてる感じなんです。

 だから、私は記憶を振り返って、思い出に浸ることだけしかできませんでした。

 

 私が浮かべる光景は決まって、楽しいはずだったクリスマス・イブです。12月24日の情景を何度も思い返すんです。

 始まりは、明るくて、気配りができて、勝ち気な女の子。初めてできた異国の友達。金髪の髪と日本人にはない綺麗な白い肌が特徴的な女の子が、飲み物を買いに行ってしまうところから。

 私は何度も行かせないように手を伸ばすんですが、どうにもなりません。記憶を見ているからなのかな……

 

 それまでは楽しかったんです。図書館で困っていた所を助けてもらってから、読書好きの女の子と友達になって。付き添いに来ていた他の女の子二人とも仲良くなれました。三人とも不思議な雰囲気を纏ってたのが印象に残ってます。

 それから、さっき言った金髪の子も紹介してもらって、お泊り会までしてくれて、何度も遊びに来てくれました。

 ちょうどその頃、わたしに出来た家族は、内緒で出かけていて。だから、寂しかったわたしにとっては、嬉しいことでした。あの頃がほんまに楽しかった。

 やがて、訪れるクリスマスの数日前に、持病が悪化して入院しましたが、初めてできた四人の友達は私に内緒でクリスマスの計画をしてくれたんです。悪夢の始まりだとも知らずに。

 本当は嬉しいことなんですが、今となっては、悲しいことです……来てほしくなかった…………

 

 病室から金髪の女の子が出て行って、数分が過ぎましたが帰って来ません。心配になった紫髪の女の子が見に行きます。

 その時、空気がざわついたのをわたしは感じました。なにか、こう、空間が揺らめくような、水に呑み込まれるような感覚です。

 家族である守護騎士のみんなと、暗めの栗色のセミロングにした女の子。腰まである長い金髪をツインテールにした女の子が、険しい顔つきをました。

 慌てて出て行く皆をよそに、わたしは不安がおさまりません。嫌な予感がしました。すがるように手を伸ばしても無駄です。けど、伸ばさずにはいられない。

 残ったのは普段はわたしの為に、蒼色の大きい狼に変身した守護獣。安心させるように、私の身体に寄り添ってくれます。しかし、私の"みんなはどこにいったん?"という問いかけには答えてくれませんでした。彼はここが、一番安全だと言います。

 部屋の床を翡翠色の魔法陣が覆い、守護獣が私を護る結界だと説明してくれました。

 

 それから、数分と経たずに、部屋に妹のような守護騎士と出て行った紫髪の女の子が帰ってきます。

 小さな女の子に似合わない鉄槌を、利き手で引きずるようにして、部屋に入ってきた守護騎士。引きつれた女の子を優しげにベットに座らせると、私の側にいてやってくれと頼みました。

 何が起こってるの? そう問いかける私を安心させるように、心配すんなと言って。妹はニカッと笑顔を浮かべ、付き添っていた守護獣を連れて出て行きます。隠すようにしていた片腕は、信じられないことに薄い氷が覆っていました。

 有無を言わさない守護騎士の態度。見せつけられた異変。馬鹿な私でも、何か起こっていると確信しますが、足の不自由な体では何もできません。くやしい。

 紫髪の女の子が、震える身体で私に抱きつきました。わたしは彼女の頭を胸に抱いて、髪を優しくなでます。

 金髪の女の子はどうしたの? その問いに彼女は震えたまま、嗚咽を漏らしたまま、首を静かに振りました。わたしは……彼女を問い詰める真似はできません。だって、この子は悲しみに苦しんでいたから、気が付けばわたしも泣いていました。

 

 どれくらい待ったでしょうか。ふと、わたしを護るという、不思議な魔法陣が縮まり、消えてしまいます。すぐに部屋を猛烈な寒気が襲ってきて、わたしは一緒にいた女の子を布団で覆いました。

 やがて、現れたのは二人の女性。見慣れない制服に、猫の耳と尻尾を持っていました。いきなり、そう、気が付けば目の前にいた女性たちに唖然とするわたしと紫髪の少女。

 髪の長い女性が、わたしに向けて手をかざしたと思うと、わたしの身体と意識は光に包まれて、気が付けば病院の屋上でした。

 

◇ ◇ ◇

 

 ……わたしは目の前の光景に空いた口が塞がりません。

 夜空を揺らめく壁が覆っていました。ううん、病院の周囲というべきかな。とにかく揺らめく透明の壁が覆っていて、周囲を槍のような杖を持った、空飛ぶ人々が囲んでいます。みんな、仮面で顔を隠していて、表情が判らない。不気味でした。

 でも、そんなことより、私の視線を奪って止まないのは目の前に立つ女性。守護騎士のリーダーで、いつも凛々しくて、カッコいい女性(ひと)

 強くて頼りになる守護騎士は、剣(つるぎ)を支えにして、膝をついていました。苦しげな表情を押し隠して、眼前の初老の男性を見据えていて。

 でも、傷だらけで、切り傷とか、打ち身とか、何より身体中を薄い氷の膜が覆い始めていて、わたしは訳も分からず彼女の名前を叫びます。

 驚いたように振り向く彼女は、申し訳なさそうな顔をして、わたしに謝ります。状況を打破できず、我ら守護騎士一同、主に会わせる面目がないと。大切な御友人の、ご助力を頂いたのに無残な結果で、不甲斐ない己を赦してほしいと。そう、言います。

 わたしは、そんなことよりも、彼女を助けようと、不自由な身体を引きずり、這い進んでいきますが、あまりにも遅い。

 そして、手を伸ばす私の前で、守護騎士のリーダーは光となって消えていきました。信じたく、ありませんでした……

 絶望して絶叫するわたしに、初老の男が言います。恨んでくれていい。憎んでくれて構わない、と。

 わたしは男の言葉通りに憎しみを抱き、憎悪に顔を歪めました。目の前の男が元凶なのは間違いありません。この時は、大切な家族を奪い、友達を悲しませ、、病院を異変に叩き落とした男が許せなかった。

 

 そんな、わたしを引きとめた手がありました。冷たいけれど、小さく優しい手。

 わたしが、顔をあげれば栗色の髪の少女が立っていました。写真で見せてもらった聖祥付属大の小学校の白い制服。私服から、それによく似た白い制服に、いつの間にか着替えていた少女は、静かに言います。

 怒りや憎しみに、身をゆだねてはならないと。貴女は戦ってはいけないと。

 よく見れば少女はボロボロです。傷だらけで満身創痍。さきに消えた女性と大差ないくらいです。

 隣にいた紫髪の少女が、"アリシアちゃんはどこにいるの"と栗髪の少女に聞きますが、少女は静かに首を振るだけ。

 それで理解したのか、紫髪の少女はうっすらと涙を流して、糸が切れた人形のように床にへたり込みました。

 栗色の髪の少女は、何も言わず、ただ不思議な呪文を唱えると私達の周りを、結界? とにかくバリアのようなもので覆います。

 そこから出てはいけないと彼女は言いました。でれば、いずれ屋上にも迫るであろう冷気で、たちまち凍り付いて死んでしまう。少女は淡々と説明します。

 恐らくたくさんの人が死んだんでしょう。けど、何も感じていないかのような、少女の言葉に憤った馬鹿なわたしは、睨むように彼女を見上げて、後悔しました。

 無表情だけど、彼女は静かに涙を流して、泣いていました。そうでしょう。わたしの友達になってくれた少女たちは、彼女の親友。わたしなんかよりも、ずっと長い日々を過ごした友達。それを失って泣かずにはいられない。

 

 きっと、アリシアと呼ばれた子の死を知っているのは、彼女自身が看取ったから……

 栗色の少女は涙を流したまま言います。目の前にいる男を殺して、状況を覆し、一矢報いると。

 やめてよ……もう、にげようよ……。泣きながら呟いた紫髪の少女に、彼女はやさしく微笑んで、私達に手をかざして。

 最後に見た光景は、桃色の閃光。そうして私は意識を失いました。たぶん、紫髪の少女も。

 あの子の悲しげな微笑みは、今も記憶に焼付いています。

 

 どれくらい意識を失っていたのか、わたしには分からない。

 ぼやける思考。かすむ視界の中、聞こえてくるのは苦しげな喘ぎ声。

 目を覚まし、意識をはっきりさせようとする私の気配に、気が付いたのだと思います。お願いだから見ないで欲しいと言われました。

 声は、紫髪の女の子のものです。わたしは自分の身体が寒さで震えているのに気が付くと、理解してしまいました。恐らく栗色の髪の少女は……

 守護騎士のリーダーが睨んでいた、初老の男性の声が聞こえました。

 どうして、そんなに頑張るのか、無意味な行為だと気が付いているだろうと。身体をこおら……私が聞こえたのはそこまでです。

 何故ならば、びっくりするくらいの怒声で、男の声を紫髪の髪の少女が遮ったから。煩いと、この子に手を出したら赦さない。殺してやると叫んでました。

 でも、何か氷が這うような音と、苦しげな、でも、必死に声を押し殺す少女の声が聞こえたきり、静かになりました。

 たぶん、この時に紫髪の女の子も亡くなってしまったんだと思います。彼女の言葉から、気絶していたわたしを庇ってくれたんでしょう。

 何もかも失って、わたしは泣いていました。状況に耐えられず、悪い夢であってほしいと心の底から願い。寒気と嗚咽は止まりませんでした。

 誰かのしっかりとした足音が響き、私の耳元まで近づいたかと思うと、初老の男性の声が間近で聞こえます。彼は言います。もう、目を開けても大丈夫だ。望み通り、私が殺した少女の遺体を見えないようにしたと。

 堂々と言い放つ、彼の言葉に、怒りすらわかず、絶望と諦観に満ちたわたしは静かに瞼を開きました。

 

 わたしは、"なんで、何でこんなことするん……?"そう問いかけました。男は何かを堪えるかのような表情をして、たぶん、辛くて、顔が歪むのを我慢してたんだと思います。とにかく、何かを堪えて言いました。

 こうしなければ、たくさんの世界が滅び。今日は地球が滅んでいただろう。と

 君に家族と温もりを与えた闇の書は、世界を滅ぼしてきた魔導書。狂ったように不幸と破壊を振りまいてきた、と説明されました。

 いつもなら納得がいかずに、反論していたでしょうが、そんな気力もないわたしには、どうでもいいことだったんです。

 でも、彼の正体を言われた時、わたしは……

 

――私の名前はギル・グレアム。そう、君を助け、手紙のやり取りをしたグレアム叔父さんだ。恨んでくれて構わない、憎んでくれていい。だが、せめて、静かで安らかに。できれば楽しい夢を見て眠ってほしい。ほんとうに……

 

 わたしが、彼を慕っていた叔父だと知った時。憎しみを抱けず、どうしようもない嘆きと虚しさで心が覆われて。

 闇の書を抱えたまま氷漬けにされて、薄らいでいく意識の中で、不気味な異空間に落とされてる光景を他人事のように眺めるなか。

 書が光り輝いたとおもうと、わたしの意識は闇の中にいて。

 もう、永遠とも感じる時間の中で、わたしは変わらないまま、同じ時間を過ごし。

 誰も憎めず、誰かを悼むように泣くこともできず。

 ただ、夢を、見続けていたんです。

 

◇ ◇ ◇

 

 高町なのはは、ハッとして目を覚ました。

 すごく悲しい夢を見ていたような気がする。ぼやけて、曖昧とした記憶では、詳しい情景も思い出せない。けど、何か身近で大切な存在を失ったような感覚。既視感?

 眠気を覚ますように目を擦ると、涙を流していることに気が付いた。枕が濡れいていて、まさか、自分は夢を見ている間、泣いていたのだろうか。

 

「うぅ……ぐす。あぁぁ……悲しい。ものすごく悲しい夢」

 

『morning.マスター。あまり良い目覚めではないようですね。どうかしましたか?』

 

「ううん、ちょっと、夢をみて泣いてたみたい。ありがとう、レイジングハート。心配しないでいいよ、大丈夫だから」

 

 机の上に置かれた宝石。自分のデバイスであるレイジングハートに、大丈夫だと笑顔をみせながら、なのはは起き上がる。

 壁に掛けられた時計を見れば早朝の四時半だ。いつもよりも、だいぶ早い目覚め。けれど、もう一度眠る気分ではない。このまま、早朝の魔法練習に向かうのもやぶさかではなかった。

 ふと、隣で抱きついて眠っていたであろう女の子を見やる。昨日、母と父が家に連れてきて保護した女の子。なんでも行く宛てがなくて、迷子だったらしく。しばらく、家で預かることにしそうだ。名前は高月ゆかり。白銀の髪と弱視ゆえの瞳の輝きが薄い子で、態度がおどおどしてるのが、第一印象だった。それと、なのはに懐いてくるのに、一線を引いているのも。

 なのはは、ぎょっとした。ゆかりも泣いていた。それも、激しく嗚咽を漏らして、怯えるように震えてだ。

 悪夢でも見ているのか、口から寝言が漏れる。"いかないで、ひとりにしないで、ごめんなさい、ごめんなさい"。ゆかりは何度も、何度もごめんなさいと呟き、何かを掴み取ろうと手を伸ばす。

 その手を、なのははそっと握りながら、添い寝するように、ゆかりの身体を優しく抱きしめてあげた。

 もはや、早朝の魔法の練習なんてどうでもいい。ゆかりをどうにかする方が先だ。

 

「えぐっ……ぐすっ……あ、うあぁぁ、あああ!! いかないで……」

 

「大丈夫だよ」

 

「しぐ……な…………ごめん、なさい……みんな、どこぉ……?」

 

「ここにいるよ」

 

「『なのは』……『なのはぁ』…………」

 

「うん、わたしはここにいるよ」

 

 知り合って間もないのに、自分の名前を呼ぶ少女。けれど、なのはには、泣き続ける少女が呼んでいるのは、自分ではないような気がした。なんというか、なのはに向けられた感情と、『なのは』に向けられた感情の度合いは違う気がする。信頼感とでもいうのだろうけど。とにかく、なのはの鋭い勘は、そう感じていた。そして。それでいいのだと思う。

 たとえ、ゆかりが呼んでいる子が別の子だとしても、誰もいないよりはいい……ひとりぼっちは、寂しいから。だから、いまは隣にいてあげるだけでいい。なのはにも孤独の寂しさは嫌という程に共感できるから。

 ゆかりは、無意識に隣に人がいると、気が付いたのか分からないが、なのはの身体に抱きついてきた。顔をなのはの胸に埋めて、背中に回された震えの止まらない両手でしがみ付く。まるで、怯えた子犬のようで、それを可愛らしいと同時に、酷く悲しい姿に見えた。

 なのはは思う。いつか手に入れた魔法の力で、泣いている全ての人の涙を止められたらいいなと。この子のように、一人でも多く、悲しんでいる子を救ってあげたいと。けど、いまは。

 

「だから、泣かないで良いんだよ。安心して眠っていいんだよ。ゆかりちゃんは独りじゃないから」

 

 隣で眠る女の子の涙を止めてあげたいと、不屈の心を持つ少女は決意していた。

 

◇ ◇ ◇

 

 そうして、どれくらい夢を見続けていたのかは、分かりません。

 

「はやて、主はやて」

 

 ふと、わたしの耳に、いえ、身体がないので、この場合は意識とでもいうべきでしょうか。

 とても優しげで、暖かな声が聞こえてきて、わたしは夢から覚めたんです。"はやて"という言葉も懐かしい響きでした。昔、誰かに愛おしげに呼ばれていた名前だったような。

 

「ようやく、見つけることができました。ああ、主はやて。お会いできてよかった」

 

 わたしをはやてと呼ぶ存在は、人の姿をしていました。とても綺麗で、美しい女性。背中にある二対の四枚の黒い翼は、まるで天使のよう。おとぎ話の絵本からでてきた登場人物? それとも、死んでしまったわたしを迎えに来た神様の使いなんでしょうか?

 天使さんは、意識だけになったわたしの存在を抱いてくれたような気がしました。こう、両の腕でお姫様抱っこされているような感覚です。湖の守護騎士や烈火守護騎士にも、こうしてもらった記憶があって、とても懐かしい気分になりました。

 

「お身体がなくて、ご不便でしょうが、しばしお待ちを。別たれた意識と身体をもとに戻すには時間が掛かりますゆえ」

 

 天使さんに抱かれて、きゃっきゃっと喜んでいるわたしに、微笑みをむけた彼女。

 理解しているのか、いないのか怪しい私に、丁寧に説明しながら、天使さんは闇の世界の空を飛ぶように漂いました。

 もう、ずっと人と会って、会話もしていないわたしは、人が恋しくなっていたんでしょう。煩わしく話しかけるわたしに、天使さんも満更ではなさそうな様子で、返事をしてくれました。

 

――なぁなぁ、天使さんって、名前はなんていうの?

 

「――恥ずかしながら、私には名前がないのです。以前は夜天の書の管制人格と呼ばれていました」

 

――う~ん、名前がないのは不便やなぁ。あっ! わたしが名前を付けてあげる。う~ん、あれぇ? なんも考え付かへん。おかしいなぁ。

 

「主ご自身の存在が揺らいでしまうほどに、精神(こころ)を保てず、自我が薄れてしまった影響です。知識や記憶も大部分が消えてしまったのでしょう」

 

――そうなん? 天使さんが言うなら、そうなのかもしれへんなぁ。そういえば、わたしのこと、はやてって呼んだけど?

 

「主の大切な、お名前ですよ」

 

――はやて。は・や・て。うん、なんだか私は、そう呼ばれ取った気がする。でも、ひらがな三つではやてって変かな?

 

「いいえ、とても素敵な名前ですよ。貴女の優しい御両親が付けて下さった良い名前です」

 

――ありがとう。天使さんって優しいなぁ。わたし、ほんまに嬉しい! 天使さんのこと大好きや!!

 

「私も、はやてのことが大好きですよ。我ら夜天の書を家族として接してくれた貴女を愛しております。その御恩を、少しでもお返ししたい」

 

 わたしと天使さんが、他愛のない会話を続けているうちに、テレビでしか見たことがないような大草原にいました。

 天使さんは、ここが夢の世界だと言います。今は闇の書と呼ばれている魔導書の内側にある世界。そのひとつだそうです。

 わたしが、天使さんに何するん? と聞いてみると、なんでもわたしの歩行練習するそうです。そういえば、いつも見ている夢の中では、わたしは車椅子に乗っていて、歩いた事も走ったこともありません。

 お傍にいますゆえ、共に歩んでみましょう。そう言って、天使さんが私を芝生のような草地の上に横たえました。

 そこで、わたしは、いつの間にか自分の身体を得ていることに気が付きました。いつもの白いセーターとズボンを穿いていて、お気に入りの交差する髪留めを付けています。そして、驚きで固まるとともに、嬉しくなって。

 

 わたしは、初めて立ち上がりました。

 

「天使さん。わたし身体が、わぁ!!」

 

 でも、急に立ち上がった私は足に上手く力が入らなくて、しだいにガクガクと震え始めた足では身体を支えきれずに、前に倒れ込みそうになります。

 慌てたように天使さんが、駆け付けて抱き寄せたおかげで、なんとか転ばずに済みました。天使さんの優しさと、わたしの愚かさに涙が出そうでした。それでも、次第にわたしの心に芽生えたのは喜びです。生まれて初めて立つことができた経験は、心が感動で打ち震えるほどです。

 

「主はやて! 大丈夫ですか!? お身体に怪我はありませんか!?」

 

「ううん、へーきや。えへへ。天使さん。私立てたよ? 初めて自分の足で立つことができたよ?」

 

「――はい! 御身を蝕んでいた闇の書の呪いはありません。いずれ自分の足で歩き、この草原を駆けまわれるようになりますよ」

 

「ほんまに!? わたし、自由に動けるようになるん!?」

 

「ええ。ですから、しっかりと、徐々に身体を慣らしていきましょう」

 

「うん! わたし、がんばるよ!」

 

 天使さんの大きな胸に顔を埋めて、温もりと安心できる鼓動の音を聞きながら、わたしは、満面の笑みを浮かべていました。

 自分の身体が自由に動く、声を発して喋ることができる。人肌の温もり、世界の空気を肌で感じることができる。どれもあたりまえで、けれど素晴らしいこと。歩ける足を失っていた私にとって、それを取り戻した感動は、きっと、同じ経験者にしか分からない。

 どこまでも優しい天使さんに頭を撫でられながら、わたしは愚かにも笑っていました。都合のいい幻想を見て、現実を直視しないことが、どんな結果をもたらすのか知らないまま。

 わたしは、ただ、嫌なことに蓋をして楽しい夢を見続けていました。それが、大切な四人の友人を裏切り、あまつさえ最悪の結果を招いてしまったというのに。

 愚かにも……笑っていたんです。

 

◇ ◇ ◇

 

 天使さんの両手を必死ににぎって、わたしは震える足腰をゆっくりと動かしていく。

 一歩、一歩、と前進するたびにわたしの心は嬉しさで満ち溢れ、感動に震えるのがわかる。

 そよぐ風の心地よさと、草木の揺れる音、森の中にいるような香りが、わたしを安心させてくれるのもあるだろう。

 けれど、目の前で微笑む天使さんの存在が何よりも大きい。彼女が支えてくれるなら、わたしは何だってできそうな気がする。

 

「いっち、に、いっち、に……ふぅ。車椅子を動かすのも一苦労やったけど、歩くのもけっこう大変や」

 

「主は歩くことに慣れていませんから仕方ないですよ。少し休憩にいたしましょう」

 

「ううん、もうちょっとだけ、がんばれる」

 

「ですが……」

 

「もうちょいで、あの木陰にたどり着けるし、そこまで歩きたい。そしたら休憩や」

 

「なら、私が支えますから、無理はしないでください。主はやて」

 

「うん、ありがとな。天使さん」

 

 わたしは天使さんに支えられながらも、なんとか大きな大樹の木陰にたどり着くことができた。

 大樹を背もたれにして腰かけて。痺れる足を天使さんにマッサージしてもらいながら、樹の枝葉の影響でカーテンのように揺らめく日差しに目を細めた。冬の寒さを忘れさせてしまいそうな、暖かな光。心地いい。

 気のせいだろうか? 日の光に紛れて、四つの光の玉が空に浮かんでいたような?

 ううん、気のせいじゃない。どこか、ゲームで見たことあるような、赤と、桃色と、翠と、蒼。四つの光の玉が輝く粒子をまき散らしながら、わたしに向かって飛んできた。特に赤い色の光は物凄い勢いで突っ込んでくる。

 

「天使さん、なんかくる……」

 

「ああ、彼らは主の大切な――」

 

「ひゃあ、ちょ、ちょう待って」

 

 天使さんが安心させるように微笑んで、光の玉を説明してくれるけど、わたしはそれどころではなかった。赤い光の玉が頬をくすぐる様に懐いてくるのだから。

 不思議な感触がした。なんというかふわふわしていて、ぷにぷにする? それに生暖かい、人肌の温もりを感じる。

 桃色の光の玉が赤い光の玉を追い払うかのようにぶつかり、翠の球と蒼色の球は諌めるように何度か輝いてます。三つもの光の玉に虐められて? 多勢に無勢。しょんぼりとしてしまった赤い光の玉を、わたしはやさしく両手で抱きかかえました。

 なんというか、この子たちはわたしにとって大切な存在だった気がするのです。そう、短い間だったけど家族みたいにずっと一緒にいたような。共に笑い、泣き、時には喧嘩して、時には支え合った。おぼろげながらも、そんな記憶があります。

 赤い光は照れたように強く輝きますが、しだいに居心地がいいのか胸の中で落ち着きました。胸の中で輝く光を中心にわたしの身体もポカポカと温まるので、失礼だけどカイロみたいだなと思ってしまいました。

 他の子たちもなんだか羨ましそうに見ていた気がするので、同じように一緒に抱きかかえてあげると、されるがままに大人しくしています。でも、なんだか満足そうなのは気のせいではないのかな?

 

「ふふ、やはり主はやてはやさしい人だ。貴女が最後の夜天の主で本当に良かった」

 

「そ、そんなことないよぉ。天使さんのほうがとっても優しいし、それにこの子たちだって……え~と」

 

「思い出せませんか? 彼らの名前を。よければ私が……」

 

「ううん! 待って天使さん。わたしが自分で思い出す。きっと、この子たちもそれを望んでると思うから」

 

 天使さんの言葉を遮ってわたしはそう言い切ります。だけど、ほんとは自信がありません。わたしが誰だったのか、どのように過ごしてきたのか、天使さんが言っていたように酷くあやふやなんです。

 腕の中の四つの光が自ら飛び出すと、うんうんと悩む私を励ますかのように何度も発光します。それが嬉しくてわたしは大丈夫だよって、安心させるように言うのですが、光は。特に翠の光と桃色の光が不安そうに明滅してます。もう、心配性なんだから……

 あっ、思い出してきました。そう、さっきからわたしの周囲を飛び回ってはしゃいでいる赤い光。彼女は確か。

 

「あなたは、ヴィータやね。そう、わたしの妹だったきがする……違う?」

 

――コクコク!!

 

「そうです主はやて! 貴女の大切な御家族です。妹です!!」

 

 当たりだったのか、すごく嬉しそうに上下に行ったり来たりする赤い光。まるで、なんども頷いているみたいで微笑ましいです。天使さんも言い当てたことが嬉しかったのか、感動したように両手を合わせて頷いています。というか、うっすらと目じりに涙を浮かべて泣いていました。

 すると、まるで私は? と言わんばかりにおずおずと翠の光がわたしの真ん前に近寄りました。この子の優しくて淡い光も記憶にうっすらと残っています。そう、わたしが怪我をしたときとか、不治の病? で苦しんでいた時に助けてくれた光。ああ! 思い出しました!!

 

「あなたはシャマルやろ!! この優しくて心地よい光はちゃんと覚えてたみたいや!!」

 

 大当たりだったのか、翠の光は感動したかのように震えています。赤い光も自分の事のように嬉しいのか、回転しながら上下に行ったり来たりで、さっきよりも興奮した面持ちではしゃいでます。天使さんも今度は隠そうともせずに泣いていました。腕でごしごしと涙をぬぐっています。だめだよ、そんな乱暴に目をこすっちゃ。

 けど、桃色の光と蒼色の光は微動だにしていませんでした。何と言うか主人の許しがあるまで控えている忠犬みたいに大人しくしています。わたしがおいでと手を招いてみても来てくれません。

 焦れたんでしょうか? 赤い光が二つの光をわたしのほうに押しやろうとします。まるで、次はお前たちの番だから早くしろと急かしているようです。それでも二つの光は動こうとしませんでした。

 やがて、見かねたのか天使さんが二つの光に近寄ると耳打ちするように何かを告げました。小さな声だったのでわたしには聞こえませんでしたが、二つの光を揺り動かすには充分だったようで、しぶしぶと桃色の光がわたしの前に出てきました。何を言ったんでしょう?

 桃色の光はおずおずと畏まるように大人しいです。ちょっと、わたしは寂しく思います。もう少し気楽に接してくれてもいいのに。

 でも、この頑なまでに生真面目な態度はわたしの記憶の琴線に触れるものがありました。凛々しくて強くて、頼りになる女性。みんなのリーダー。

 そう、彼女は……

 

「シグナムなんか? 相変わらず堅苦しいなぁ。もっと楽にしてええっていつも言ってるのに」

 

 正解だったのか、感動に打ち震えたかのように桃色の光はふるふると揺れていました。こういうところはさっきの翠の光とそっくりです。

 わたしもだんだんと思い出してきました。彼女たちのこと。四つの光のこと。ヴィータは末っ子さんで好奇心旺盛。いろんなことに一喜一憂してはしゃいだ妹。シャマルはおっとりお姉さんで優しくて甘えたくなる。でも、料理がてんでダメで砂糖と塩を間違えるようなうっかりさん。シグナムは女性なのにカッコ良くて、まるでお父さんみたいな人。

 それに、立派なおっぱいをお持ちでした。わたしが「天使さんも大きいけど、シグナムのおっぱいもすごいやね」っていうと、今度は恥ずかしさに悶えるように桃色の光は打ち震えます。天使さんは主はやてだったら、いくらでも触ってよいですよと答えました。なんだか、両者の格の違いを見た気がします。

 

 さあ、最後です。ここまで正解したのだから、蒼い光のこともズバッと言い当てたい。盛り上がってきたのか天使さんはどこからともなく取り出した応援旗振っていて、紅い光と翠の光、無理やり付き合わされた桃色の光が紙ふぶきを舞わせています。

 緊張したかのように蒼色の光がわたしの前にでてきました。わ、わたしだってものすごく緊張してるのに。ここまで言い当てて、最後に外れましたでは、何と言うか恥ずかしさを通り越して泣いてしまいそう。

 わたしは、おでこを手で押さえて考えに考えます。蒼い光。蒼い光。確か女性ばかりの守護騎士たちのなかで一人だけ厳つい男性がいたはずです。褐色で筋骨隆々。シグナム以上に寡黙で多くを語らない男の人です。でも、その人の記憶があまりない。

 あるのは、何と言うか蒼くて立派な狼です。確か犬が欲しかったわたしが無理言って……いぬ? おおかみ? ハッ!? 思い出しましたピンときました!!

 彼の名前は……

 

「名犬ザッフィーや!!」

 

――がーーーん!!

 

 わたしが叫んだ瞬間、ザッフィーと呼んだ蒼い光はショックを受けたかのように力を失って地面に墜落します。あれ? もしかして、わたし間違えた?

 慌てて周囲を見回すと赤い光と翠の光が爆笑するかのように小刻みに震えていました。桃色の光も笑いを堪えようとして堪えきれていません。プルプルと震えています。天使さんもお腹を抱えて倒れ伏していました。それはもう声にならない声で笑ってます。笑いすぎて死にそうなくらいです。

 あとで聞くところによると名犬ザッフィーではなく。盾の守護獣ザフィーラ。立派な狼なんだそうです。うぅ……ごめんねザフィーラ。わたしのせいで笑いものに……

 

◇ ◇ ◇

 

 久しぶりに懐かしい夢を見たと、ディアーチェは感慨深くなった。

 震える手で頬を拭うと、やはりと言うべきか泣いていたらしい。夢を見るとディアーチェはいつも涙を流している。自分には、そのような資格はないというのに、泣き喚いて誰かにすがるらしい。何度か一夜を過ごしてくれたシュテルが言っていた。

 しかし、妙ではあった。いつもならディアーチェ最大の罪にして罰である悪夢を。現実を直視せず、守護騎士の蒐集に気が付かなかったせいで、多くの人間を巻き込んだ悪夢を見るはずだった。忌まわしい闇に、同じ夢を繰り返し幻視させられるはずなのに。

 今日は、その先の懐かしい思い出を見ることができた。

 夜天の管制人格。ディアーチェが、まだ、『はやて』だった頃、共に過ごした最後の家族。

 天使さんと呼んで慕っていた彼女に、名前を与えることができず、ディアーチェの為に犠牲になった彼女の存在は、己の後悔のひとつだ。

 

 ふと、頬を柔らかな布で拭われた感じがして、ディアーチェは目を開けた。誰かいるのだろうか? 泣いている自分を見られたのだとしたら恥ずかしいが、ディアーチェなんかの為に世話をしてもらうのは、申し訳ない気がするほうが大きい。

 目の前でディアーチェの顔を覗き込んでいるのは、大切な親友にして、家族のひとりだった。思わず名を呼ぶ。

 

「シュテルか……すまぬな、世話を掛ける」

 

「シュテル……? 違うよ、ゆかりちゃん。わたしは、なのは。高町なのは」

 

 あれ? おかしい。確か新たなる存在となった自分たちに相応しい名前を付けて、生前の名前は封印したはずだが? もしかして、まだ、夢を見ているのだろうか? 優しくて、楽しかった。明るい世界の夢。なら、もう少しだけ寝ようとディアーチェは瞼を閉じるが。

 

「ゆかりちゃん寝過ぎ! もう、朝なんだから起きなきゃダメだよ!?」

 

 ゆかりちゃん? ゆかりって誰? そもそも、声の主はシュテルに似ているようで、響きが違う。明るくて元気いっぱいな声、静かで落ち着いたシュテルとは正反対だ。

 そこまで考えて思い出す。自身の置かれた状況と待遇。昨日は押しに負けて、部屋の主と共に寝たという事実を。今のディアーチェは"高月ゆかり"。訳あって高町家に、しばらく居候することになった女の子。目の前の少女は高町なのは。

 並行世界におけるシュテル・ザ・デストラクター。不破『なのは』の同一人物。幸運にも母親が生存していて、姓名が高町のままでいられた、なのは。

 変なところでボロを出したディアーチェは慌てたように起き上がるが、それが拙かった。覗き込むように、ディアーチェの寝顔を見ていたなのはと、おでこをぶつけてしまう。二人とも痛そうに、涙目になりながら頭を抱えた。

 

「うおぁ!? あだ……ッ!?」

 

「あいた~~……うぅ、いきなり起き上がらないでほしいの」

 

「す、すま……ううん、ごめんね。なのちゃん。」

 

 慣れない"ゆかり"としての人物を演じながら、少しだけディアーチェは落ち込んだ。自分とマテリアルの少女たちの繋がりがひとつ足りない。あの日から欠けたままのようだ。シュテルは、まだ、帰って来てはいないらしい。

 

「どうかしたの? ゆかりちゃん。 あ、そっか。悪い夢見てたんだもんね。気分はどう?」

 

「だいじょうぶだよ。心配してくれてありがと。それと、おはよう、なのちゃん」

 

「あ、えへへ。うん! おはよう、ゆかりちゃん!」

 

 でも、悪くはない気分だ。久しぶりに暖かなベットで眠って、誰かと挨拶を交わす朝は、存外に心地よい。

 目の前で名前を呼ばれて嬉しそうな、高町なのはの笑顔をにこやかに見つめながら、ディアーチェは穏やかな気持ちに包まれるのだった。いつか、こうして皆と幸せいっぱいの朝を迎えられたらいいなと、望んでしまうくらいに。

 無意識に浮かべたディアーチェの微笑みは。

 

「ほえぇ~~」

 

「ん? なのちゃん、どうかしたの?」

 

「う、ううん。なんでもないの」

 

 同性のなのはが見惚れてしまうくらいに綺麗で、朝日の木漏れ日を背にする姿が。まるで、天使のように見えた。

 



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〇尊くて愛しい日常

 一日の始まりにして朝の清々しい光景。空は快晴で、日差しも暖かな良い天気。

 ある家庭の食卓に日本の代表的な料理の数々が並べられていく。

 炊き立ての白いご飯。猫舌の人には少々熱い味噌汁、具はワカメと豆腐。焼き鮭の漂う香りが食欲をそそり、それ以外にも納豆や海苔、黄色と緑色の野菜の炒め。ベーコンと一緒に焼いた目玉焼き。かつお風味の梅干し、と事欠かない品々の数。

 もっとも、毎日と言っていいほどの頻度で、古武術の鍛錬を続ける高町の家庭においては、少々控えめかもしれない。師匠である父親に、一番上の兄と姉は多大なカロリーを消費しているのか、食欲旺盛。育ちざかりの子供並みに食べるのだ

 世話になりっぱなし、というのもアレなので、なのはと一緒に起きたディアーチェ。桃子にお願いして、料理が得意だからと手伝わせてもらったが、あまりの品数に驚きを隠せなかった程。

 けれど、下ごしらえどころか、なのはと同い年の女の子にしては、上手で華麗な包丁さばき。炒め物に使うフライパンの手馴れた扱い方。といった風に主婦顔負けの料理技術を見せたディアーチェには、桃子も驚かされているのだが。

 てっきり、箱入りの家出した娘だと思っていたから、料理は素人なのだと思い込んでいた。

 思いもよらぬ同居人の技術に、ちょっと翠屋に弟子入りを誘おうかなと、思っちゃったりする桃子さんである。隣で野菜の下ごしらえをする、なのはが瞳をキラキラと輝かせながら、凄いねゆかりちゃん、と褒めて、頬を真っ赤に染めたディアーチェが可愛らしかった。

 実に惜しい。実力といい、性格といい、面白いリアクションの三拍子が揃った逸材。ぜひともスカウトしたいが、他人の子ゆえに、踏み込めないのであった。

 

――いただきま~~す!!

 

「ぃ、いただ、き、ます……」

 

 とっても明るくて、元気いっぱいの。古き良き日本の食事前の習わし。

 それを唱和する高町一家に合わせられず、完全に出遅れたディアーチェ。にこやかにほほ笑む一家に見守られて、恥ずかしげに呟くと、士郎と桃子は満足げに頷いた。

 歳が近いからと、隣の席に座るなのはが、えへへと微笑んでいるものだから、なおさら羞恥心が湧き上がる。まるで、自分ができの悪い妹のようだと、ディアーチェは感じてしまう。服も、なのはのおさがりを着せられているから、なおさらだ。今の彼女は蜜柑色の長そでに、オレンジ色のスカート姿である。

 ちなみに、テーブルの両端を桃子と士郎が座り。美由希と恭也が隣り合わせ。その反対側になのはとディアーチェが隣り合わせという組み合わせだ。

 

(妹か……)

 

――はやてぇ~~!!

 

 思い起こすのは、家族となった守護騎士。一番小さなヴィータという女の子。箸を上手に使えなくて、芋の煮つけを串刺しにして食べていたのが、懐かしい。

 行儀が悪くて、口に食べ物をいれながら喋ることもあった。咎めつつも根気よく教えてあげて、ヴィータは箸の扱い方が上手になって、ちょっとした姉の気分を感じた時もあった。

 そうして、ぽや~と呆けている間に。

 

「ゆかりちゃん、はい、お醤油なの」

 

「お姉ちゃんが、鮭の切り身を細かくほぐしてあげよう」

 

「野菜もきちんと食べた方が良い。貴重なビタミンやミネラルが豊富だ」

 

「はっはっはっ! いつにも増して賑やかでいいなぁ。桃子さん」

 

「ええ、士郎さん。ゆかりさんのお友達を招いたら、もっと素敵になるわよ」

 

「そりゃ、楽しみだ! クリスマスは月村家やバニングス家を交えてパーティーも悪くないな! もちろん、なのはやゆかりちゃんの友達も招いてな」

 

「……はっ、えっ? なんじゃこりゃ~~!!」

 

 ディアーチェのおかずを載せるお皿は大変なことになっていたのだった。

 美由希が丁寧に鮭の切り身を箸で細かくして、皿に乗せていく。恭也も黄色、緑色野菜を食べやすいようにカットして載せる。なのはは目玉焼きに垂らす醤油を隣に置き、士郎と桃子も会話しながら、さりげなくおかずをディアーチェにお裾分けしていく。

 気が付けば、溢れんばかりのおかずが、皿に載っていた。ついでに、ご飯のてっぺんに艶の良い梅干しが君臨していて、シュール。

 正直、食べきれそうにない……美味しそうではあるが。

 

"いいなぁ~~おいしそう……王様だけずるい! ずるいぃ~~!! 味覚きょ~ゆ~してよ!!"

 

"ちょっと、汚いわね! よだれ垂らすんじゃないわよ!!"

 

"はい、レヴィちゃん。お口を拭ってあげる"

 

"おいしそ~です。お腹が空きましたです。わたしも食べたいのです!!"

 

"ユーリ、アンタもかい!!"

 

"ほらほら、アスカちゃんも落ち着いて、ね?"

 

 さらに、頭ん中で騒がしい声が響いて、ディアーチェの気が滅入っていく。

 諸事情とはいえ、アスカ、ナハトは、アリサ・バニングスと月村すずかの同位体。この世界に、限りなく近い同一人物が存在している以上は、迂闊に外に出れない。紫天の書で休み、もとい、還元されている。

 レヴィも髪の色と瞳の色が違う点を除けば、フェイト・テスタロッサそのものだ。何処に知り合いという関係者のつながりがあるのか、分からない以上は、外出禁止。一番暴走して手が付けられないのはレヴィ。恐らく天然なところも相まって本人すら何したいのか分からないはずだ。

 三人ともユーリの側で、夢の海鳴市を思い思いに過ごしている。ユーリの側にいれば、闇の書の闇に悪夢を見せられることもないし、安全と言えよう。

 

 ディアーチェを通して、視覚、味覚、聴覚といった五感を共有することで、外の世界を観測している欠片の少女たち。役二名がエサにつられたらしく、五月蠅くて煩わしい。

 それは、起床してから時間が経ったとはいえ、起き抜け状態のディアーチェには辛いものがあって、つい。

 

「うぬら! 五月蠅いわ!! 少しは静かにせんかぁ!! ……ぁ」

 

 叫んでしまった。

 慌てて両手で口をつぐむが、時すでに遅し。高町家の面々は驚いたように固まり、楽しい食卓に静寂が訪れてしまう。

 気まずい。非常に気まずい。こうなれば、渾身の一発ギャグを……思いつくわけがない。何とか微笑みを浮かべて、取り繕うとするディアーチェは、しかし、引きつったような笑みと、苦しい言い訳しか出てこなかった。

 

「あ、あははは~~。頭のなかに声が響いてきたもので、ついかっとなって……ほんまにごめんなぁ~~。気にせんといてな?」

 

 ああ、それは爆弾発言だ。

 普通なら、頭のおかしい人か、不思議系の電波少女とでも勘違いされそうな言動。

 だが、ディアーチェの隣には高町なのはがいるのだ。彼女は魔法と関わったことで、頭のなかに声が響く"念話"という話術を知っている。

 だから、ディアーチェを魔法の関係者と疑い。ついでに念話を試みようとするのも無理はないものだった。

 

『ゆかりちゃん、聞こえる?』

 

「ッ……!」

 

『あ、その様子だと聞こえてるんだね。へぇ~~、ゆかりちゃんも魔導師さんだったんだ。あのね、なのはも……』

 

 まずい、このままでは、いらぬことまで詮索される。

 冷や汗を流して焦るディアーチェの窮地を救ったのは、以外にも桃子さんだった。

 

「あらあら、そうなのね。きっと今朝見た夢を思い出したのかしら? でも、居候して間もないのに、図々しかったわね。ごめんなさい」

 

「あっ、いえ。そんなことありません。わたしとしても、お世話になりっぱなしなのに、迷惑かけてばかりで。おまけに、寝床や服、食事まで用意していただいて、ほんまに恐縮です」

 

「そう言ってもらえると助かるわ。さあ、気を取り直して、冷めないうちに食べちゃいましょう」

 

 このときほど、ディアーチェが桃子さんに感謝した時はなく。同時にこう思う。

 桃子さん、まじぱない。肝っ玉母ちゃんや、と。

 

 箸を右手に持ち、ご飯の盛られた茶碗を左手に持つ。

 ご飯を箸でつまんで、梅干しの身を口にいれる。暖かさと懐かしい味を噛み締める。美味しい。桃子さんが料理上手というのもあるが、久しい家族の団欒(だんらん)。なにより、優しい家庭風景が、闇に塗れた王を感傷に浸らせる。

 惜しい。実に口惜しい。シュテルの求めたモノ。手に容れたかった風景。心底に望んでやまない場所が此処にあるというのに、当の本人がいないとは。

 

"うぇぇ~~。ごはんがおいしい、けど、すっぱい~~!! 変な味~~! 何これ~~!?"

 

"ぶっ! 梅干しよ。梅干し。日本の誇る伝統的な干し物ね。納豆と梅干しは外国人が苦戦する食事だし、レヴィには辛いかしら?"

 

"アスカちゃんも一応、外国人だよね?"

 

"アタシ、日本生まれの、日本育ち。外国人の皮を被った日本人!!"

 

"これ、わたし好きかもしれません"

 

"ユーリは渋いの好きなの? ボク、だめぇぇぇ。嫌いじゃないけど、苦手ぇぇぇ。味覚きょ~ゆ~解除ぉぉぉ~~"

 

 ディアーチェの脳内と心の内は相変わらず賑やかだった。外も内も賑やかすぎるぐらいだ。

 レヴィのぐったりして、机にうっぷつする光景が浮かんできて、王は笑みを隠せない。怒鳴ったり、照れたり、笑ったりと、ディアーチェが百面相で、表情がコロコロ変わる。そう聞いていて、理解している、士郎や恭也、美由希。その様子を微笑ましそうに眺めていた。

 あと、なのはがこっそり嫌いなものを、兄の皿に移そうとして、桃子さんにメッ! されたりと、おもしろおかしさに事欠かない食事風景。

 僅かではあるが、ディアーチェは不安や恐怖から解放されたような気がした。絶対の死の運命に立ち向かう少女は、少しだが、心が楽になった。

 この世界に希望はある。自分を救う方法も王は知っている。もうひとりの自分も"ついで"に救われるだろう。

 だからこそ、失った仲間の行方を急いで取り戻そうと、密かに決意しているディアーチェであった。

 

 余談だが、デザートに差し出されたシュークリームを、味覚共有で感じたレヴィ。彼女の意識が昇天しかけたことを記しておく。

 

◇ ◇ ◇

 

「はい、これでおしまい。今日もばっちり可愛らしく決まってるわよ」

 

「えへへ、ありがとうお母さん」

 

「忘れ物はないかしら?」

 

「うん! ハンカチ、ティッシュ、それに宿題もちゃんと持ってます」

 

 玄関で母親に制服のよれがないか、自分で忘れ物がないかチェックしていた高町なのはは、履いた靴のつま先をトントンと床にぶつけると、見送りに来ていたディアーチェに向きなおって微笑んだ。

 

「ゆかりちゃん」

 

「うっ……なんだ。その、どうかしたの、か?」

 

 向けられた柔和な微笑みに思わず気後れするディアーチェ。

 別に妙な気迫にたじろいで恐れたとか、なのはが苦手で避けてしまうのではなく。ただ、どうしても彼女をシュテルと比べてしまって、別人だと分かっていても、あまりにも違いすぎる性格や雰囲気のギャップを感じてしまう。

 ようするに、ディアーチェは高町なのはという存在に惹かれていたのだ。そりゃあ、添い寝してもらって、普段着を着せられて可愛い、似合ってると褒められ、家族以上の親密さで接してもらえれば、疑心暗鬼でもない限り心を許してしまう。

 しかも、なまじ親友の姿に似ているものだから、余計に性質が悪い。冷静沈着な親友との違いが、王を戸惑わせる。だから、自分と関わるのは危険だからと邪険に扱うことができず、彼女に対して非情になれないのは、致命的だった。誰にとっても不幸な結果に為ると分かっていてもだ。

 優しすぎる夢のような一時は、いずれ終わってしまうと理解している。闇の浸食という身体を蝕む呪いが進行している以上、いつまでも世話になる事は出来ないのだから。

 

「行ってくるね。良い子にしてるんだよ」

 

「はうっ! なっ、あっ、うわぁ!!」

 

『帰ったきたら、魔法の事について、お話しようね? なのはとゆかりちゃんの秘密だから、気持ちを分かち合いたいんだ』

 

『ちょう、ちょう待っ、あう、あううぅぅ~~!!』

 

 だというのに、この娘ときたらディアーチェの心情も知ってか知らずか、苛烈なまでに急接近して来る。王の口から飛び出た声は上擦っていた。

 朝の行ってきますのキスとか、おはようの挨拶みたいに。軽いスキンシップのような感じで、ディアーチェに抱きつくものだから、王の混乱は頂点に達していて。シュテルとなのはの違いに、どう接すればいいのか分からない。

 いつもは、どこか一線を引いている親友が、ある日、態度を急変させて心身に踏み込んでくるような状況。もう、ディアーチェの心臓はドキドキしっぱなしで、身体も緊張して固まっている。

 片想いする高嶺の花。相手は自分に無関心だったのに、いきなり好意を寄せてきて。恋い焦がれる感情を何処にぶつければいいのか分からず、放心してしまうような感覚。フリーズするとも言う。

 ディアーチェを抱き寄せるなのはの体温が温かい。首筋に掛かる吐息が妙にくすぐったく感じる。心臓の鼓動が煩いくらいに聞こえて、頭がボーっとする。

 

 『はやて』だった時の対人経験は皆無に近いのだ。まともに人とコミュニケ―ジョンできた経験は、守護騎士と過ごした半年と友達と過ごした数週間の日々だけ。このような、スキンシップなんて知らない。

 『アリサ』から親愛の証としてほっぺにちゅ~された暁には、顔を真っ赤に染めて硬直したくらいである。

 ましてや、体感時間に換算して約数百年もの間、闇のなかで孤独に過ごしていた少女なのだ。いきなり"抱っこ"なんてされれば、どうなるのか?

 

「きゅ~~……」

 

 答えは、緊張しすぎて気絶するという結果だった。

 いきなり身体の力が抜けたディアーチェを、なのはが慌てて支え、桃子さんは冷静に手馴れた手つきで、横から支える。

 

「ふにゃ!? うわわ、ゆかりちゃん! ゆかりちゃん! しっかりするの!?」

 

「ふふふ、ゆかりちゃんには、ちょっと刺激が強すぎたみたいね。なのは。介抱は母さんに任せて、学校に行きなさい。もうそろそろ、バスが来る時間だわ」

 

「うぅ~~……悪いことしたの……ごめんね、ゆかりちゃん。お母さん、行ってきます!」

 

「行ってらっしゃい。気を付けるのよ?」

 

「は~~い!!」

 

 元気よく外に飛び出していく娘を見送りながら、桃子はディアーチェの身体を軽々と持ち上げた。

 目が覚めるまで面倒を見てあげたいが、あいにくと、桃子も士郎も喫茶翠屋を営業しなければならない。すぐにでも出発する必要があった。

 美由希は高校に通っていて時間がないし、恭也も大学に出席して単位を取得しないといけないので、家には誰もいなくなってしまう。

 少し心配ではあるが、書き置きを残して脱走しないように釘を刺すことにした。わずかとはいえ、ディアーチェと接してきた桃子は彼女が義理堅い性格で、他人に心配かけることを良しとしない女の子であると感じたが故に。

 一階の空いている和室。そこに布団を敷いて、うんうんと唸る少女を寝かせると、毛布掛けてやる。桃子は実の子のように、愛おしげにディアーチェを撫でると静かに微笑むのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 額に冷たくて心地よい感触がして、ディアーチェはゆっくりと目を覚ました。なんというか、濡れたタオルで拭われたような肌触りを感じたのだ。

 

「うぅ、ん……?」

 

「あっ、気が付いた?」

 

 そして、寝込んでいた自分を覗き込んでいた少女がいることに気が付いた。よく見知っている少女の顔立ち、特徴的な紫を帯びた蒼い髪に、大切にしているヘアバンド。何より髪の毛から覗いている蒼の獣耳。狼の耳を持ったような女の子なんて一人しか知らない。

 紫天の書に還元されて、大人しくしていたはずのナハト・ヴィルヘルミナが、にっこりとほほ笑みながらディアーチェの眠る布団の隣で鎮座している。

 手にはタオルが握られていて、水が入っているであろう桶に浸して冷たくすると、千切れるくらいにねじり込んで絞っていた。

 

「…………『すずか』ちゃん?」

 

「残念、ナハトでした。ちゃんと偽名で呼ばなきゃダメだよディアちゃん?」

 

「って、そういう問題ではないわ!! 何故(なにゆえ)勝手に実体化しておるのだ!? 万が一見られでもしたらどうすんねん!?」

 

「あうッ! うぅ、ひどいよディアちゃん」

 

 いる筈のない存在。姿を隠さなければならない親友の姿に、ディアーチェは慌てて起き上がりツッコミのチョップをナハトにぶちかます。涙目になりながらナハトは両手で痛む額を押さえた。

 海鳴市において不破家もとい高町家に関係性の深かった『アリサ』と『すずか』。それに、正体をばらしてしまったレヴィは迂闊に姿を晒すことができず、潜伏している間は書の中に還元、収納することで身を隠す手はずだった。

 なのに、ディアーチェの許可なく勝手に具現化しているとは、どういう了見なのだろうか。事と次第によっては書の中に強制送還するつもりで、ディアーチェはナハトに問うように睨み付ける。

 ナハトは、痛がる振りをしていたが、仕える王様の、友達の真剣な表情に、ん~~と唸って考える仕草をすると、軽くディアーチェの胸を手で押す。

 

「な、に……?」

 

 それだけで、上半身を起こしていたディアーチェの身体は布団の上に倒れ込んでしまった。まるで糸の切れた人形のようにあっけなく。

 唖然とするディアーチェをよそに、どこか納得したような様子でナハトは頷くと、再び手にした濡れタオルをディアーチェの額に乗せる。

 

「やっぱりね。ディアちゃん、慣れない環境で疲れてるみたい。正体がばれないように頑張って、なのちゃんとシュテルちゃんの違いに戸惑って、変に緊張して安らげてないのかな? それとも、私達に言えないような秘密を抱えて、背負いすぎてるのかな?」

 

「ッ…………」

 

「どっちにしても、休息が必要なのは確かだよね? だから、看病の為に私が選ばれたんだよ? "気配りができて、思いやりがあるアンタが適任よ"って、アスカちゃんに後押しされて表にでてきた」

 

 そういう訳だから、おとなしくしててね。そう言ってナハトは、食べやすいようにカットされた林檎の載った皿を手に取り、掛けてあったラップを丁寧に外した。

 高町桃子が、起きたディアーチェの為にと用意していた林檎。それを、タオル一式を拝借する際に見つけたナハトが、持ってきていた物だ。

 小さなフォークで林檎の欠片を串刺しにすると、それをディアーチェの口元へと運んでいく。俗に言うあーんだった。

 

「なっ、なななななっ!! ど、どういうつもりだ!?」

 

「何って、わたしがディアちゃんに林檎を食べさせようとしてるんだよ?」

 

「み、見れば分かるわ! 何故(なにゆえ)あ~んなのだ!? 普通に献上品として差しだせばいいであろうが!?」

 

「うん。わたしがしたいだけ。それとも、恥ずかしいのかな? なのちゃんに抱っこされたみたいに、恥ずかしさのあまり気絶しちゃうから? わたしが、咀嚼して口移しで食べさせたら、どんな反応するのかなぁ」

 

「なぁ!?」

 

 さらっとすごいことを口にするナハトは、この際、どうでもよかった。問題なのは、最初の発言だ。

 アレを見られていたというのか! ディアーチェ一生の不覚にして、黒歴史に認定したいほどのハプニングを!? その瞬間、ぬわ~~~と苦悶の悶え声を上げながら、ディアーチェは頭を抱える。

 書の中に閉じ込めて不自由させてるからと、せめてもの償いに五感を共有したのが仇になった。絶対にからかいのネタにされるのは目に見えていて、ディアーチェはがっくりと項垂れるしかない。

 そんな彼女の様子に微笑みながら、ナハトはディアーチェの背中を片手で支えるように起こすと、もう一度、フォークを持った手を口元に差し出した。

 恥ずかしさのあまりに、駄々っ子のように、いやいやと口を開こうとしない王様。ナハトは慈愛に満ちた表情で、じっと見つめたまま動こうとしない。完全な根競べだ。

 やがて、観念したのか、ディアーチェは大人しく差し出された林檎を口にした。ゆっくりと静かに、甘い果実を噛み締めて呑み込んでいく。

 

「良い子だね。ディアちゃん」

 

「こ、こども扱いするでない……」

 

「ふふ、良い子、良い子」

 

「うぅ――」

 

 支えていた手を離して、ディアーチェの頭を撫で始めたナハト。

 それに抗議しつつも逆らうことができず、されるがままに撫でられ、差し出された林檎を食べていくディアーチェ。何よりも悪い気分はしなかった。

 やがて、お腹がいっぱいになって眠くなったのか、心を許せる親しい友が側にいて安心しきったのか、ナハトに見守られながら、ディアーチェは安らかな表情で眠りについた。

 

◇ ◇ ◇

 

 高町家の立派な武家屋敷ともいえる家の前に、ひとりの男が立っていた。

 全身を隠すかのようにロングコートを着こなし、腰まである長い髪を一つに束ねた彼は、黒ずくめと言ってもいい格好だった。

 着ている服、履いている靴、手にした皮の手袋、髪の色から瞳の色まで黒、黒、黒。そんな中で肌は青白いのだから余計に不気味である。

 男はコートのポケットからひとつの茶色の封筒をとりだして、そっと郵便受けにいれると、静かに何処へと去っていく。まるで、何事もなかったかのように。誰もいなかったかのように。

 周囲を偶然歩いていた人々は、彼を気にもしない。それどころか気が付いていない様子だった。

 

「……ISシルバーカーテンは正常に稼働しているが、些か身体の不具合が酷いな。世界を渡った代償か……」

 

 男の呟きは誰に聞かれることもなく、静かに街中へと姿を消す。ただ、首に付けた紅い宝玉のペンダント、右手の甲に備えられた金色の三角形をしたアクセサリーが心配するかのように、明滅する。

 男はそれに、心配するなとでも言わんばかりに、アクセサリーを撫でることで答えるのだった。

 



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〇八神家の新たな家族

 ダブルベットの上に寝かされていた少女は、意識を覚醒させ、うっすらと瞼を開けると起き上がろうとした。しかし、身体が思うように動かず、柔らかな羽毛を詰められた敷布団の上に倒れ込んでしまう。幸い怪我はなかったが、硬い地面の上だったら危なかった。それほどまでに勢いよく倒れたのだから。

 

「っあ……うぁ、あ……!?」

 

 信じられないかのように痙攣する手を見つめる少女。瞳は真ん丸に見開かれていて、自分の現状にどれほど驚愕しているのか、誰が見てもよく分かる様子だった。

 貧血にも似た気怠さが少女を蝕み、空腹と渇きが意識を朦朧とさせていく。足りない、少女は満たされていない。身体を維持するために必要な何かが欠けていると本能が訴えかけているが、それが何なのか分からなかった。

 不安で心細くなって泣きそうになる。うっすらと瞳に涙を浮かべてしまう。

 何か大切な繋がりを絶たれたような空虚な感覚。無理やり身体から何かを切り離したか、むしり取られたかのような。そう、いつも感じている"絆"のような心を満たしていた安心感。そこから流れ込んできていた暖かな光がないのだと理解してしまう。

 

「ああ……うああああ!! やだ、やだああああ!!」

 

 ついに少女は幼子のように泣きだしてしまった。少女自身も他のことも何もかもが思い出せず、そばにあった筈の大切な繋がりさえも失い、気が付けば見知らぬ部屋。身体は死にそうなくらい苦しい。

 それほどまでの事がいっぺんに襲い掛かれば、誰だって不安にもなるし、恐怖に駆られても仕方ないのかもしれない。

 

「おーさま、みんな、どこっ!? ひとりにしないでぇ!!」

 

 熱にうなされるような怠い身体で、震える手はベットのシーツを握りながら、少女はありったけの声で叫んだ。

 少女が出せる声で、今できる精一杯のシグナルを、助けを呼ぶ。もはや、錯乱している少女に、記憶を失う前の冷静沈着な面影はなかった。

 その声を聞いたのか、あるいは部屋の異変を察知したのか分からないが、部屋を結ぶ扉の向こう側から慌ただしい音が聞こえて少女はひっ、と怯えた声を漏らしてしまう。誰か、来る。

 もしかしたら、少女の求める存在が助けに来てくれたのかもしれないが、見知らぬ誰かなのかもしれない。後ずさりしようにも、布団にくるまって隠れようにも身体が言うことを聞かず、怯えたように扉を見据えることしかできなかった。

 果たして、扉を蹴破るようにして現れたのは、金髪の女性に抱えられた少女とポニーテールの凛々しい女性。勝ち気な雰囲気を纏う赤毛の女の子。

 何よりも少女の目を引いたのは屈強な体格を持つ、褐色の男性。少女の失われた記憶がフラッシュバックする。思い起こすのは、厭らしい笑みを浮かべて少女に手を伸ばす男の姿。だから、少女は怖くなってがむしゃらに急所を不意打ちして、眼を抉って、心臓、肝臓、胃、腎臓といった急所に"徹"を何度も何度も叩き込んで、蹲るソイツに鋭い鉄パイプの切っ先を何度も何度も突き刺して、手が赤く染まって、身体が赤く染まって、雨が降っていて、血が混じって、悪夢を見て嘔吐して……

 

「いや、いや、嫌々……いやああああっ!! こないで、あっちいって! 近寄らない、うえぇっ……」

 

「――っザフィーラ、ごめん! 部屋の外で待ってて。この子、男の人に反応して酷く怯えてる」

 

「……御意に」

 

 尋常ではない様子を見せる少女に、金髪の女性に抱えられた女の子は一瞬だけ怯む。それでも、少女の視線の先に誰がいて、何に怯えているのか察するとザフィーラと呼んだ男を退室させた。

 いろいろと限界が来て、咳き込むように嘔吐を繰り返す怯えた少女。幸い何も食べてないせいで、ベットに嘔吐物をぶちまけることはなかったが、酷く苦しそう。それに、怯える少女の姿は、足が不自由で満足に動かせない女の子から見ても悲惨すぎて、放って置けなかった。

 だから、危険だと渋る家族に無理言って少女の側に降ろしてもらう。上体だけで身体を引きずるようにして傍に近寄ると、苦しむ少女を抱きしめて、あやす様に背中を叩く。

 怯えたかのようにビクッと身体を震わせる少女。しかし、抱いている女の子の姿が、見知った王様に似ていることに気が付いて安堵したように強張った身体の力を抜く。すがるように、しがみ付くように、目の前の存在に抱きついた。

 

「怯えんといて、怖がらなくてええよ。誰もあなたのこと、傷つけない。大丈夫やで?」

 

「おーさま、よかった。どこいってたの? 怖いよ、わたしをひとりにしないで……」

 

「うん、ごめんなぁ。わたしが悪かった。ちゃんと傍にいてあげるから、今は安心して眠るとええ」

 

「で、でも、ねむったら怖いゆめみるから、やだよぅ」

 

「ほんなら、わたしが一緒に添い寝してあげる。そしたら安心やろ?」

 

「ホントに? ホントにいっしょに寝てくれ……る、の? 怖い、ゆ、め……み、な……い?」

 

「なんなら子守唄でも唄おうか? ~~♪~~~♪」

 

 背中を叩いてあやされながら、少女の意識は心地よいまどろみの中へと誘われてゆく。少女の背後で金髪の女性が両手を突きだして、掌から翡翠の光を照射していることに気が付けないくらい眠くなる。

 それに、大好きな王様が添い寝してくれていうなら安心だ。かつて、こんなふうに怖くて、怯えていて、眠れなかった時も優しい兄が一緒に寝てくれた。だから、きっと大丈夫なんだろう。

 暖かな光を受けて、気怠さも、気持ちの悪さも吹き飛んで行って、とても心地よい。体調の悪さが嘘のように無くなると、不安も薄れていく。

 やがて、記憶喪失の女の子は、優しい歌声を聴きながら、目の前の存在。八神はやてにもたれ掛るようにして安らかな眠りについた。

 

◇ ◇ ◇

 

「やっぱり、わたし、この子の傍にいてあげようと思う。誰もいないのに気が付いて、怯えて泣き叫んでしまうような子を放っておけないんよ」

 

 主である優しすぎる少女。八神はやての言葉に渋面を作るのは守護騎士一同。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラに至るまで理解できても納得はできないと言った表情をしている。それも、そのはず得体のしれない正体不明の女の子と一緒にいるというなら、どんな危険があるのか分かったものではない。

 はやてにしがみ付くようにして寝ている少女は、人間ではなかった。主の必死の叫びを受けて、急速に駆けつけた守護騎士は、傷ついた女の子を助けたが、しかし、纏っていた服が魔法でできた防護服だと知ると管理局の人間だと疑うのは必然。それでも、治癒して療養させた後に軟禁しておけば問題はなかった。

 問題なのは、治療して魔法で身体検査した結果、少女が魔法プログラムでできた、守護騎士と同一の存在だという点。

 しかも、身体を構成するプログラムの半分がシャマルと酷似していて、何者かが造りだした守護騎士プログラムのコピーなのかと疑ったくらいだ。

 目的が何なのか、それどころか記憶がなく正体も分からない。明らかに何者かと争って傷ついた怪我から、何らかの厄介事を抱え込んでいるということが推測される。

 一番の懸念事項は少女が魔法生命体ということだ。身体を維持してあげるのに魔力を喰う。蒐集した魔力を与えるわけにもいかず、大気中の魔力を吸収することも出来ない少女と守護騎士。なら、身体を維持するための魔力を誰が与えているのか? 簡単だった。目の前にいる八神はやてだ。

 ただでさえ闇の書の呪いに蝕まれているというのに、健気で優しすぎるはやては、助ける唯一の方法を教えられて、いとも簡単に承諾した。どんなリスクを背負うのか知ったうえで。

 だから、守護騎士にとって記憶を失った少女は疫病神でしかなく、印象は最悪に近い。しかも、錯乱した様子を見たばかり。何かないとは絶対に言いきれない。下手すればはやてに危害が加わる可能性だってある。

 だから、守護騎士の代表としてシグナムは懸念事項を伝え、はやてを説得しようと試みた。

 

「お言葉ですが、主はやて。また、その娘がパニックに陥れば、意図せずとも主を傷つけてしまうかもしれません。ここは、ザフィーラ以外の我ら守護騎士に、面倒をお任せ頂けないでしょうか」

 

「ううん、シグナム。気持ちはありがたいけど、私じゃなきゃだめだと思う。さっき、この子。わたしのこと王様言うて、甘えたやろ? きっと誰か大切な人と私を重ねて見てるんや。だったら、私が傍にいた方が安心できる。それに、私自身もそうしてあげたい」

 

「ですが……」

 

「わがまま言うとんのは分かっとるし、みんなが私を心配してくれてるのも知ってる。でも、このとおりや!」

 

 そう言ってお願いするはやてに、シグナムは眉尻をさげて困ったような表情をするしかなかった。

 主の道具でしかなかった守護騎士を家族同然に接してくれて、人間としての心を取り戻させてくれたばかりか、衣食住の世話までしてもらっている身。仕える主の、しいては大切な家族のお願いとあっては無下にできるはずもなく。

 秘密裏に蒐集して、はやてを闇の書の主にすることで病を治そうとしている。その行いを隠している負い目。主の人を傷つけてはならないという約束を破った罪悪感もあって、シグナムは折れるしかなかった。

 

「はぁ……仕方ありません。ただし、シャマルを何と言おうとも傍に控えさせます。彼女なら何かあった時に対応できますから。それに、娘の魔力とも親和性が高いので、魔力不足で苦しませるような事態も防げます。よろしいですね?」

 

「ほんまおおきにな。シャマルもよろしく頼むで?」

 

「はやてちゃんの願いなら、何だって叶えちゃいますから気にしないでください」

 

「ちぇっ、今日ははやてと一緒に寝る予定だったのに……」

 

「ごめんなぁヴィータ。あ、なんなら、ヴィータも一緒にいてもいいんよ?」

 

「べ、別に、嫉妬とかしてねぇし。それに、大人数で居たら、ソイツが目覚めたとき不安にさせちまうだろ。なら、一緒に寝るのは今度でいい。行こうぜ、シグナム」

 

「そういう事ですので、私とヴィータは部屋から離れます。リビングにいますので何かあれば、お呼びください」

 

「……ほんまに、心配してくれてるのに、わがまま言ってごめんなさい」

 

 そそくさと、けれど名残惜しそうに部屋を出て行くヴィータの後に続いて、同じように退室するシグナムの背中に掛けられたはやての言葉。

 謝るのは我ら守護騎士のほうです。喉から出そうになった言葉を無理やり呑み込んで、気にしないでくださいと言うのが精いっぱいだった。

 後姿を見られているだけで良かったと思う。きっとシグナムの顔は、苦虫を噛み潰したかのように歪んでいただろうから。言えるわけがない、他人を傷つけて蒐集していることも、主に負担を掛ける記憶喪失の少女を秘密裏に消そうとしたことも。

 いったい、何度はやての御心を裏切れば気が済むのか。犯した罪を思えば決して許されないことも理解している。けれど、このまま主が死ぬ未来なんて容認などできなかった。自分たちがどうなっても構わない。でも、はやては死んでほしくない。なら、進むしか……道はない。

 

「……シグナム」

 

「ザフィーラ?」

 

 苦悩したまま廊下に出たシグナムに声を掛けたのは、壁を背にして腕を組んでいたザフィーラだった。迷走するように両目を持て、寡黙で多くを語らない守護獣。

 

「……あまり一人で背負い込むな。お前は我らヴォルケンリッターの将。我らのまとめ役。だが、我も、ヴィータも、シャマルも立場は対等、家族なのだ。苦悩、後悔、抱えた罪は同じように背負っている」

 

 ようするに、気にするなと言いたいのだろう。普段は物静かだからこそ、言葉に重みがある。

 シグナムは少しだけ気が楽になったような気がした。はやてに心配かけないよう、戦闘で消耗した様子をみせないよう演技しているのに、家族に心配されるようでは、いけない。

 一人で思い悩んでいるよりは、家族みんなで思い悩んで、どうすべきか考えた方が良いに決まっている。未来のことも何もかも。

 

「そうだな。すまなかった、ここのところ蒐集が巧くいっていないせいで、少し気分が滅入っていたようだ」

 

「……風呂は沸いている」

 

「そうか。なら、気分転換に湯浴みをするとしよう」

 

 どこまでも優しい気遣いをみせる守護獣に、シグナムは思わず微笑むのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 翌日、ディアーチェが高町家に居候して共に朝食を迎えている頃。いつもなら八神家も同じように賑やかな食事風景を迎えるのだが、今日はちょっと違っていた。具体的に言うとある人物の食事に手間取っている。

 もちろん、ある人物とは記憶喪失の女の子だ。昨日の夜はお風呂に入ることができなかったので、はやてと一緒に朝風呂に浸かり、暗めの栗色の髪を洗ってあげて、風邪をひかないように身体をよく乾かしたまでは良かった。

 しかし、はやてのおさがりのパジャマに着替えさせて、さあ、ご飯にしようとしたところで問題が生じた。トラウマなのか、心理的ストレスの影響なのか、少女は食事を満足に食べることができず、吐いてしまったのだ。これには、はやても守護騎士一同も困り果ててしまった。

 少女の好物を作ろうにも、そもそも記憶がないので聞き出すことは不可能。病院で栄養剤でも処方してもらう手はあるが、早朝なので開院していない。急患扱いで担ぎ込むのは最終手段だ。

 云々と唸って知恵を振り絞る一家。あるとき、はやては本で見た知識を実践することにした。それは、少女の目の前でおいしそうに料理を食べて、食欲を促すという方法。選んだ料理は、できるだけ消化器官に負担を掛けないおかゆ。たまごを溶かし、塩で味付け、梅干しを載せた一品。うまそうに食べる役はヴィータ。選ばれた理由は、単純に下手な演技をせずに子供らしく食べてくれるからという理由だった。本人は不服な様子だったが。

 

「これ、超ギガうまな料理だな。食べやすくて、味もしみてて、うめぇうめぇ!」

 

「こらこら、ヴィータ。そんなにがっついたらあかんよ? この子の分が無くなってしまう」

 

「だって、ホントに旨いんだからしょうがねぇだろ? おかわり!!」

 

「はぁ~、あれだけ食べたのに食欲旺盛やなぁ」

 

「育ち盛りなんだよ。きっと」

 

 少女の眠るベットの上で茶番劇を繰り広げる二人。上体を起こして、不安げに何事かと事の成り行きを見守っていた少女も、あ、う、と戸惑うような声を漏らしながら、何か言いたげに手を伸ばしては、引っ込める。

 不意にごぎゅるるる~~と腹の虫が鳴る。少女のほうからだった。はやてとヴィータが顔を見合わせて、少女のことを見つめると、顔を羞恥に染めて布団をかぶってしまう。けど、恐る恐るといった様子で、小動物のようにおかゆに視線を向けているのが、なんとも可愛らしい。

 いい傾向だ。体調の悪い少女に食欲があることを確認できてほっとするはやて。それに、ヴィータも何だかんだで人畜無害そうな少女の様子に、警戒心を緩めて、にやけていた。

 

「お前も食うか? うまいぞ、激うまだぞ?」

 

 はやてが、優しく"きみもたべる?"と言う前に、ヴィータはニカッと笑いながら、おかゆを掬ったレンゲを差し出す。

 一瞬だけ、ビクッと身体を震わせた少女だが、敵意がないと知るとコクコクと頷きながらレンゲに口を開いてあーんした。自分で握って食べないのかよと心の内で愚痴りながらも、丁寧かつ繊細におかゆを食べさせてやる。

 すると、一瞬だけウッと唸った少女は、しかし、ゆっくりと咀嚼しておかゆを呑み込んだ。お気に召したのか花が咲いたような笑みを浮かべて、おかわりを催促するかのように再び口を開く。

 

「あー、あー!!」

 

「たくっ、しょうがねぇな。ほら、慌てずにゆっくりと食うんだぞ?」

 

「こくこく」

 

 愚痴りながらも、満更でもなさそうにおかゆを食べさせていくヴィータ。その様子がおかしくて、はやては思わずクスクス笑いながら"ヴィータってお姉ちゃんみたいやね"と言うと、八神家の末っ子だったヴィータは激震が走ったかのような衝撃を受けた。

 つまり、この少女を受け入れればヴィータも姉になれるという事。ヴィータの中で得体のしれない少女が妹分になっていく。意外と面倒見が良い鉄槌の騎士は、しだいに少女の存在を受け入れていた。

 

「お、かわ、り……おかわり!!」

 

「まだ、食うのかよ……すげぇ食欲だ。さっきまでの様子が嘘みてぇ。はやて!」

 

「うん、シャマル~~! おかゆのおかわり持ってきて~~!!」

 

「は~い!」

 

 はやての呼び声を受けて、すぐさまお盆におかゆのおかわりを載せて現れるシャマル。まだ、心を許していないのか、シャマルを警戒していた少女。すぐにおかゆに視線が行ったのか気にしなくなる。しかし、それでも少女の身を案じたシャマルはおかゆを手渡すと、すぐに退室していった。

 また、同じようにレンゲにおかゆを掬って食べさせようとするヴィータ。少女は震えていた腕を確認するかのように動かし、手をグーパーして問題ないと思ったのか、おかゆのよそわれた皿とレンゲに手を伸ばす。自分の手で食べてみたいようだ。

 不意に身体を上手く動かせなくて、おかゆを布団の上にこぼしてしまうと渡すのを躊躇するヴィータだが、隣ではやてが頷いたのを見て皿とレンゲを差し出す。少女は嬉しそうに受け取ると、がっつくように、米の一粒までむさぼるような勢いで食べ始めた。

 

「はむはむ! もきゅもきゅ! ごっくん!」

 

「はは、旨いだろ? 食べられるようになってよかったな」

 

「コクコク!!」

 

 あまりにも美味しそうに食べるものだから、呆れるのを通り越して笑ってしまう。ヴィータが頭を撫でてやると少女はくすぐったそうに目を細めて、気持ちよさそうだ。気分は子犬の面倒を見る飼い主といったところか。

 優しげに見つめるはやてとヴィータ。それに、何か感じ取ったのか、少女はおかゆをレンゲで掬うと、差し出してくる。どうやら、食べたいのかと思ったようだ。

 

「はい!」

 

「わたしらはええんよ。もう、ご飯食べたからお腹いっぱい」

 

「ああ、だから安心して全部、食いな」

 

「ほん、と、に?」

 

「嘘ついてどうすんだよ? いいから、食べなって。そしたらはやても喜ぶからさ」

 

「……うん!」

 

 昨日の錯乱していた様子とは一転して、優しい思いやりを見せる少女の意外な一面に二人は微笑んだ。

 きっと、本来は心優しくて性根の良い子なんだろう。なら、一刻も早く記憶や感情を取り戻してほしいと思う。今よりもずっと楽しくなるはずだ。

 そいういえば、とはやては気が付いた。今更だが自己紹介を済ませていなかったのだと。記憶喪失余はいえ、もしかすると名前や住んでいた場所は覚えているかもしれないし、いつまでもあなたとか君では不便だ。

 

「わたし、八神はやて」

 

「あ、あたしは八神ヴィータ。よろしくな。おまえはなんて言うんだ?」

 

「はやて……ヴィータ……? なま、え……うっ、ぐっ!」

 

 だが、少女は二人の名前を聞いた途端に、両手で頭を押さえてうずくまってしまう。おかゆが半分ほど残っている皿がベットから転げ落ちて中身をぶちまけるが、はやてとヴィータは、そんなことも気にならないくらいに慌てた。

 苦しげに荒い呼吸を繰り返し、焦点の定まらない瞳が誰かを探すかのように揺れ動く。やがて、はやてに弱々しく左手を伸ばすと、はやても安心させるように伸ばされた手を両手で包んだ。ヴィータも過呼吸で苦しまないように優しく背中をさする。

 はやては視線でヴィータに"魔力不足で苦しんでいるのか?" と問う。それに、ヴィータは首を振って否定した。どうやら何か別の原因で激しい頭痛に襲われているようだ。なら、考えられるのは失った記憶を思い出そうとして苦しんでいる?

 だめだ。こういった記憶や心理に関する病気や怪我の知識に疎く、門外漢なはやてではどうすれば良いのかさっぱり分からない。せいぜい、こうして手を握ってやることが精いっぱい。落ち着かせるために水を汲みに行くことすらできず、この状況で足の不自由な自分が恨めしかった。もっと自由に動ければできることは増えるのに。

 

「大丈夫か、しっかりしろ!」

 

「なま、え……わたし、だれだった……? おもいだせない、おもいだせないよ……」

 

「あんま無茶すんな。無理に思い出さなくてもいいんだ」

 

 自分が何者なのか思い出せず、不安げに呟く少女を慰めるようにヴィータは声を掛ける。

 それでも、少女はうわごとのように名前を求め続けるだけだ。よほど大切な名前だったんだろうと、そして名前が必要なんだろうと、はやては思った。だから。

 

「あなたとは澄んだ夜空に星々が輝く日に会えた。だから、あなたは今日から八神星光や。優しい星の光みたいに皆を照らしてくれる。きっとセイちゃんはそんな子だと思うから。どうかな?」

 

 つい、名付けてしまった。

 

◇ ◇ ◇

 

 海鳴市の何処かにあるセーフハウス。

 黒いロングコートで身を隠し、黒い長髪を束ね、女性と見間違うかもしれない容姿を持った男は、扉をノックもせずにすり抜ける。

 そう、文字通りすり抜けたのだ。扉を開けるという動作を必要とせずに。まるで、無機物が水のように変化して、その中を泳いだとでも言わんばかりだ。

 やがて、セーフハウスの中に入った男は、室内で盗聴している猫の耳と尻尾を持つ女性に声を掛けた。

 

「そっちの様子はどうだ?」

 

「うにゃあ!! び、びっくりした。頼むからさ、いきなり背後から声をかけないでおくれよ。アンタ、ただでさえ気配がないんだから」

 

「それは失礼した。今度から気を付けるよ」

 

 絶対に嘘だと女性。リーゼロッテは思う。この男、こっちが驚く反応を見て楽しんでるのだ。現に口元が薄い笑みを浮かべているのが、その証拠。

 どうやら、男が帰ってきたという事は、用事とやらは済んだらしい。

 

「しっかし、アンタもお人好しだねぇ。あの子たちが心配しないように写真とメッセージをわざわざ送り届けるなんて」

 

「海鳴市に釘付けにする打算もあった。下手に次元世界を動き回られるよりはよほど監視しやすいからね。そっちは?」

 

「だめだね。聞いてる限りじゃ、シュテルって子は完全に記憶喪失。たぶん、何もかも忘れてる」

 

「……そうか。一応、万が一に備えて八神はやての髪留めに超小型発信器を仕込んであるけど、なの……シュテルが記憶を取り戻せば誘拐未遂を起こす可能性もある。監視を強めて貰ってもいいかい?」

 

「りょーかい。ま、アンタと向こうの父様の頼みとあっては断れないし……アタシも父様に、あんな未来は迎えてほしくない。協力は惜しまないから何でも言っておくれ。ウュノ」

 

「ありがとうリーゼ。さっそくだけど、本局の腕のいい技師に心当たりはある? どうも、身体の調子が悪いんだ。一度、本格的にメンテナンスをしておきたい。このままじゃ、闇の書にプログラムすら撃ち込めなさそうだ」

 

「なら、一人だけ適任がいるね。マリエル・アテンザ。たぶん彼女ならアンタの身体を弄っても問題ない。腕は確かだ」

 

 陰で暗躍は進む。リーゼ姉妹とウュノと呼ばれた男の行動。それが何をもたらすのか?

 それは、誰にも分からない。

 



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〇幕間2 作戦会議の筈が

 夜、なのはにせがまれて一緒に風呂に入り、互いに抱き合うようにして眠りに付いたディアーチェは、夢を見る事無く精神を紫天の書の内部へと送り込んだ。今後の行動を起こすための作戦会議をしようと、書に還元されている欠片の少女たちに会いに行くためである。

 なのはに抱きつかれてのぼせてしまったディアーチェは結局、何も行動を起こせぬままのんびりと過ごしていたわけだが、感情を揺れ動かし、不自然なほどの動揺を誘った出来事が二つあったのだ。

 

 ひとつは日本語で高月ゆかりと書かれた封筒を桃子から渡された事。この世界に知り合いはおらず、誰が送ってきたのか疑問に思う中で、封筒を丁寧に切り裂いたディアーチェは中身を見た。この時、周囲に誰もおらず一人で空き部屋に居たことを良かったと思えるほどだった。それほどまでにディアーチェが驚きを隠せなかった。一目瞭然と言えるほどに。

 中身は写真だった。映っていたのは、この世界の自分自身。八神はやてに見守られて眠るシュテルの姿。

 最初に見た時は心の底から安堵を抱いた。主の為に、管理局に邪魔をされないようにと、身を挺して庇ってくれたシュテルに感謝を。そして、シュテルが望み、独断で決行したとはいえ、友を一人残して危険な目に遭わせた自分自身に、罪悪感を抱いていたのだ。あのまま行方がわからず、シュテルの帰還を待つ日々が続いていたら、苦悩しすぎて眠れないほど追いつめられるところだった。

 だが、疑問にも思う。

 どうして無事だったのなら連絡のひとつも寄越さないのか? 八神家に偶然潜入できて、守護騎士に察知されないように念話を使わない為とも考えたが、躯体を維持するための魔力供給ラインを断っているのが解せない。紫天の書と自分たちの"繋がり"。消滅の危険性を犯してまでリンクを遮断している理由はさっぱりだ。

 それに、写真のシュテルは見るからにボロボロの状態。防護服ではなく、はやてのお下がりであろうパジャマを着せられ、捲られた袖や呼吸を楽にしようと開けられた胸元から覗く包帯が、彼女の容体を端的に伝えていたから良く分かる。

 その答えは写真の裏に書かれたメッセージが教えてくれた。

 記憶喪失。八神家に保護され、はやて自身に魔力を供給されて躯体を維持。現在、意識不明の様子。これを信じるかはキミ次第だ。

 半信半疑だが、メッセージの内容を信じるならばシュテルは連絡を取らないのではなく。取れないという状態だった。一応、辻褄は合う。それでも、警戒をせざるを得ないし、疑えばきりがないくらいに怪しいメッセージだった。正確には送り主なのだが。

 何故、ディアーチェが高町ゆかりと名乗っていることを知っているのか、そして、シュテルの転移した場所を知っているのか。疑問は尽きないが、いずれにしろ何者かに監視されていることは確かだった。今のところ正体は不明で敵なのか味方なのかはっきりしない相手。

 その対策も含めて、シュテルをどうするのか決めなければならなかった。

 

 もう一つはビデオメール。高町なのはの部屋で一緒に見た。正確には見せてもらった映像。

 これには正直、戦慄と焦りを抱くには充分すぎる内容だったのである。映っていたのはフェイト・テスタロッサ。高町なのはの親友にして、レヴィの同位体。あなど同一人物だから当然だが、ディアーチェにとっても親近感を覚える少女。ぜひとも友達になりたいものだ。管理局の委託魔導師でなければ。

 フェイトが局員だと知ってディアーチェは世界の差異に唖然とした。何故ならば、シュテルとレヴィは局員とあまり接点を持たなかったのだ。ジュエルシード事件をシュテル達とレヴィ達で協力して解決したと聞いていたから。当時のはやてとも局員でなければこそ争わずに、仲良くなれた。

 しかし、この世界では敵対する時空管理局の一員。フェイトが友達なら必然的になのはも局員の一員か、それに関わっているとみて間違いない。ここまではいい。やりようはいくらでもあったし、誤魔化しきる自信もあった。問題なのはフェイトの語った内容。

 裁判が無事に終わって自由の身になる事。裁判中にロストロギア絡みの緊急の事件が起きて対処に向かったこと。そこで、自分とよく似た少女や、前にビデオメールで紹介してもらった、なのはの親友のアリサとすずかに瓜二つの女の子と出会ったこと。

 情報がまだ規制されているのか映像や画像を見せなかったが、提示されたら一発でアウトだった。この時ほどディアーチェが肝を冷やした瞬間はない。間違いなく闇色の瞳を見て、なのはは関連性に気が付くだろう。

 

 だが、悪い事態は止まることを知らなかった。この世界ではフェイトがジュエルシード事件を起こした犯人の一人として裁判をしていた。その裁判が無事に終わったフェイトは、なんと、アースラチームのメンバーと共に地球近辺に潜伏したであろうロストロギアを追うらしい。間違いなく紫天の書のことだ。

 まだ、準備に時間が掛かるので具体的な期間は決まってないらしい。そのあいだ、件のロストロギアを無限書庫で調べるそうだ。

 なのは会えるのは嬉しいけど、無茶しないで大人しくしててほしいと語るフェイトに、隣に座る少女は素直に頷いていて、片やディアーチェは目がテンになっていた。なのはは、ディアーチェがフェイトの言っている内容が理解できないと思っていたようだ。

 本当のところは、ディアーチェがそんなこと気にならないくらい放心していただけだが。

 しかも、闇の書なるロストロギアが活動してる可能性があるとも教えてくれて、なんでも、魔導師を狙うそうだから、なのはも気を付けてと心配そうにフェイトは言う。この段階でディアーチェは酷い頭痛に悩まされていて、なのはに心配される程、顔色が優れない状態。

 ああ、闇の書の呪いは順調に進行してるのか、管理局もくるんだ。ハハ、うん、やばいね。非常にピンチだね。と現実逃避してしまうほど、知らずのうちに推移した状況は最悪だったのである。

 こうして、安息に過ごせるタイムリミットが設定されたディアーチェは、二つの案件をどうするのか仲間と相談し合うために、紫天の書に精神を送り込んだのである。

 

◇ ◇ ◇

 

「なんぞ……これは……」

 

 ディアーチェが唖然と呟いてしまう程に、夢の海鳴市における私立聖祥付属大学小学校の近辺は酷い有様だった。一言でいえば廃墟と化していた。ユーリの存在が近くにいるので、闇の書の闇が何かしたわけではなさそうだが、来て早々この状況では、頭を抱えてしまうのも無理はない。

 校舎は半壊していて、周囲の家々、道路に至るまで火の海だ。燃え盛る炎の音と、害はないが感じる熱波が凄まじい。時折、聞こえてくる轟雷と爆炎の響きが木霊しては消えていく。どうやら犯人はアスカとレヴィ。何らかの理由で争っているようだ。

 青白い閃光と、遅れて聞こえる雷鳴。再び、ディアーチェの目の前で天から降る雷が大地を砕き、地を熱で焼く。レヴィが落雷でも落したのだろう。その凄まじさと威力から、わりと本気で殺しにかかっているようだ。反撃と言わんばかりに炎の濁流が空を呑み込まんばかりの勢いで、まるで津波のように空間一帯を埋め尽くした。対するアスカも全力なのだろう。前に見た時よりもアスカの実力が上がっている。喜んでいいのか、悲しむべきなのか。ディアーチェには分からなかった。

 赤い閃光と水色の閃光は互いに幾度も交差し合いながら、時折、流星のような線を空に引いた。射撃魔法を遠目から見た風景だ。そして、思い出したように距離をとって大規模魔法をぶつけ合うと、再び空戦格闘に移行していく。

 

「あ、ディアちゃんだ。おかえり」

 

「ホントです。ディアーチェなのです。会えて嬉しいのです」

 

 巻き込まれないように結界を張って、その中でのんびりと想像した弁当を広げて頬張っていたナハトとユーリ。すんげぇ落ち着いた様子。呑気に手を振っている。

 ディアーチェも、溜め息を吐きながら結界の内部に入ると、敷かれているレジャーシートの上に座り込んだ。

 

「うぬら、いったい何がどうなっておるのだ? 我に分かりやすく説明しておくれ」

 

「じゃあ、私が教えてあげるね」

 

 呆れたように説明を求める王の問い掛けに答えたのはナハト。彼女は困ったように微笑みながら、死闘染みた決闘に至る過程を説明してくれた。

 事の発端は体感時間にして昨日の夜からだとナハトは語る。ディアーチェの命令で書の中に還元され、姿を隠しながら傷を癒していた三人の少女達。だが、当然と言うべきなのか、レヴィはシュテルが行方不明という事態に居ても立ってもいられず、探しに行こうと暴れ出したらしい。

 しまいには、何かを感じ取ったのか"『なのは』が助けを呼んでる気がする! わたし行かなきゃ!!"と叫んで強引にでも顕現(けんげん)しようとしたらしい。だから、新たなトラブルの予感がしたアスカは、待ったと言ってレヴィの前に立ちふさがった。

 最初は説得しようとしたらしく、ディアーチェがどうして紫天の書に自分たちを還元させたのか? シュテルを探しに行くデメリットなどを、分かりやすく説明する。それでも、納得がいかないのか、待つことを我慢できないのか、レヴィはアスカを押しのけてまで行こうとしたようだ。

 ここに来てアスカはブチ切れた。こっちは精神的に不安定なレヴィの身を案じて、しかも、アスカだって大切な『なのは』の心配をしていない訳がない。むしろ、レヴィと同じ気持ちだった。でも、そうしたらシュテルの行為が全部無駄になってしまう。それだけは絶対に許せない。

 なのに、レヴィときたら、そんなこと関係ないとでも言わんばかりの態度。親友を一途に想う気持ちは誰にも負けないだろう。けれど、いささか身勝手すぎた。

 少し頭を冷やす意味と足止めを兼ねて昨日からアスカは戦い続け、レヴィも邪魔をするなら容赦しないと戦斧を振るう。二人の壮絶な喧嘩が勃発した。

 

 ディアーチェがのぼせた時にナハトが看病に選ばれたのは、そういった理由があったからだった。適任なのではなく、ナハトしか手が空いていないから。

 朝食の時に感覚共有で仲良く元気そうにしていたのも、ディアーチェに事の次第をばれない為の演技、嘘。戦い続けているうちにヒートアップした両者は、しだいに、王にばれたら拙いと理解したが故の行動。冷静さも一応はあったようだ。

 王の予期せぬ来訪で、気遣いが全部無駄になったが。

 

「あやつら……」

 

 事情を聴いたディアーチェは呆れと痛いほどの悲しみを抱いた。

 前に殺し合ったときに伝えた想いを忘れて、再び死闘に興じるとはいい度胸。色々と抱え込んで悩んでいる自分を心配してくれているのは分かるが、せめて相談のひとつくらいはあっても良かったではないか。自分はそんなにも頼りないだろうかと落ち込む。

 このままにしておくわけにもいかず、力ずくで止めようとエルシニアクロイツを取り出すディアーチェ。広域殲滅型大規模魔法のひとつ。ジャガーノートを詠唱なしで解き放とうとするが、杖を握る手を誰かに掴まれた。顔をあげれば静かに首を振るナハトがいた。

 

「何故止める? 前にもいったであろう、万が一にでも躯体に致命的な損傷をおよぼすと。そうなれば……」

 

「知ってるよ。だから、私やユーリも最初は止めようとしたけど、やめた。だって」

 

 久しぶりの姉妹喧嘩だもん。という言葉にディアーチェは首を傾げた。

 えっ? 誰と誰が姉妹? いや、この場合は二人だけ。レヴィとアスカが!!?

 驚愕の真実に、雷鳴にも似た衝撃が止まない。背後で雷が落ちたような効果音が響いた気がした。実際にレヴィが稲妻を落しているので、あながち幻聴でもないが。とにかく、ディアーチェは驚愕していた

 

「我はそんなこと知らんぞ!? というか、あの二人、血の繋がった姉妹!? 似てないやんか、髪の色だって微妙に違うし、性格も、あれ、ええっ!?」

 

「どうどう、落ち着いてディアちゃん。正確には義理の姉妹。少しの間だけど、『アリサ』ちゃんと『アリシア』ちゃんは姉と妹の関係だった」

 

「ナハト。それ、馬を止める時の言葉ですよ」

 

 慌てふためくディアーチェを落ち着かせるように、両手でまあまあと仕草をするナハト。

 ユーリの鋭いツッコミで、"わたしは馬と同じ扱いなんかい!"と本来なら叫ぶ王様が、叫ばない。そのくらいの動揺。激震。

 説明してくれるな? そういう視線を送るディアーチェに、ナハトは静かに頷いた。

 

「詳しくは知らないけど、春先の、『なのは』ちゃんが魔法に関わっていた事件。それが終わった時、『なのは』ちゃんが一人の女の子を連れてきたの」

 

 恐らく、というか確実に、それが『アリシア』・テスタロッサだったのだろう。

 ふむふむと頷くディアーチェに、ナハトの説明は続く。

 

「それで、事情を教えて貰えなかったけど、『アリシア』ちゃんは天涯孤独の身で、行き場がなかったんだって。だけど、『なのは』ちゃんの家で引き取ろうにも、不破家はあんな状態でしょ? 断念せざるを得なかった『なのは』ちゃんは、子供を養える財力を持った二つの財閥に頼った」

 

 二つの財閥とはバニングス家と月村家のことだ。この二つの家は、友達になる前からディアーチェも知っている。

 海鳴市において有名すぎるくらいの名家。月村家は海鳴市に関わりが深く、バニングス家はいくつもの大企業を抱えていて、CMにも家名を見かけるくらいだ。なんでも、出資している株主だとか、なんだとか。

 なるほど、それぐらい大金持ちなら、子供を養子にして養うこともできるだろう。

 

「あの時はね、とっても驚いたかな。あの無愛相であまり人を頼ることをしなかった『なのは』ちゃんが、泣きそうな顔で、安くないお詫びの品まで携えて頭を下げるんだもの。お姉ちゃん。土下座しそうになる『なのは』ちゃんを必死に止めてたっけ」

 

 でも、月村家は事情があって、引き取ることができなかったと、残念そうにナハトは語った。少し違えば『アリシア』はアリシア・テスタロッサ・月村になっていたかもしれない。妹、できたのにね。と引き取ること自体には、満更でもなさそうな様子のナハトだった。

 忍も、非情に申し訳なそうだったという。妹の友達、しかも、恋人の恭也の妹でもある『なのは』は、忍にとっても実の妹のようなものだ。力になれない自分を悔やんでいたそうだ。まあ、最終手段として、本気で迎え入れることはできたらしい。条件付きで。

 困り果ててしまった『なのは』と、どうすればいいのか分からないと言った様子で、『なのは』にすがりつく『アリシア』。当時の『アリシア』は『すずか』から見ても、弱々しくて、どこか消えてしまいそうな女の子だった。

 何とか力になってあげたいと、『すずか』が『アリサ』に連絡して事情を説明すると、ものの数分で彼女は月村家を訪れた。

 申し訳なさそうに、『アリサ』に頼み込む『なのは』を彼女は一喝すると、差し出されたお詫びの品を受け取って、その品の値段の二倍くらいの金額を返した。

 受け取らないのは無粋だから、貰う。だけど、子供が変な気を使うんじゃないわよ。素直に大人を頼りなさいとは『アリサ』談。

 あれよこれよと言う間に、『なのは』と『アリシア』を乗ってきたリムジンに乗せ、バニングス家に連れ去ると、客間に二人を残して父親と母親に事情を説明。普段、わがままを言わない娘の頼み込み。次期当主として責任をもって面倒をみるという凛とした態度。そして、『アリシア』の出自や過去を聞かないでほしいという娘の優しさ。それに、親は折れた。この時ほど、アリサが漢らしいと思ったことはない、とは『なのは』談。

 次の日。『アリシア』はアリシア・テスタロッサ・バニングスとなっていた。

 

「というわけで、アスカちゃんとレヴィちゃんは義理の姉妹なんだよ」

 

「は、初耳だ」

 

「しょうがないよ。ディアちゃんと知り合って間もなかったから。レヴィちゃん、堅苦しいお嬢様生活とか、上流階級のマナーとか、色んな勉強が耐えられなくて家出を何度も繰り返してたし。自分はバニングス家に相応しくないって、家名を名乗らなかったもの。アスカちゃんとも他人の前では仲のいい友達で居たかったみたい」

 

「まあ、ディアーチェが心配するのも無理ないです。けど、あの二人はちゃんと手加減して戦ってます。かなり本気でもありますけど。それに収拾が付かないようでしたら、力ずくで止めれないいのです。私はそうすることにしました」

 

「むっ……ぬぅ、致し方あるまい。五分だ。五分で決着が付かなければ、我は止めるぞ。大事な話があるのだ」

 

「大事な話ってなぁに? ディアちゃん」

 

「シュテルの居場所がわかった。そして、なのはは管理局と知り合いだった。その対策をいかにするかの話し合いだ」

 

「……」

 

「そうですか、無事でよかったです」

 

 シュテルが見つかったというのに、ディアーチェの浮かべる表情は暗く、あまり優れない。それでも、ユーリはにこやかに微笑み、シュテルの無事に安堵していた。今は生きていてくれたことを喜びたかったのだろう。

 片や、ナハトは俯いて押し黙ってしまった。ディアーチェとユーリは顔を見合わせると、そっとナハトの傍から離れていく。きっと見られて欲しくないだろうから。

 

――よかった。生きてて良かったよぅ……!!

 

 その場で蹲って顔を伏せたナハトは珍しく泣きじゃくった。朝食の場でも、王の看病の時も平気そうな様子を見せていて、裏では不安でいっぱいだったのだ。再び友達を失ってしまったかと思うと怖くてたまらなかったに違いない。

 友に心配かけまいと気丈に振る舞って、気遣いを続けてきた夜の守護者は少しだけ弱みを見せるのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 迫りくる雷光の化身。閃光のごとき戦斧の一撃。めまぐるしく動き回る空戦の中で、アスカはレヴィの一撃を的確に捉え、あえて受け止めていた。

 アスカのデバイス、紅火丸は刀型で打ち合う事よりも、攻撃を受け流すことを前提にしている。アスカ自身も決して防御力や技量も高いわけではないので、本来なら回避に専念しなければならない。言ってしまえば慣れない無駄な動きをしていた。

 真正面からぶつかり合って、想いを受けとめたい思ったから。友達としてではなく、姉として妹のたまった鬱憤や不安を晴らしてあげたいと思ったから。

 

 本来ならば実力差という点で、天と地ほどの差がある二人。それが互角以上の戦いを行えるのは、アスカ自身の実力が上がったという点もあるだろう。しかし、大部分は紫天の書の内部で展開された特性によるところが大きい。

 "想いを力に変える"ユーリがアスカにアドバイスとして説明してくれたことだ。精神世界における"力"とは意志であり、すなわち想いである。つまり、抱いた本心が大きければ大きいほど、強さとなって具現化する。

 紫天の書はある程度、精神世界を模しているので、書の闇に心を浸食された時も、これを覚えておけば役に立つと彼女は言っていた。

 とにかく、二人が互角に戦えているのは、その想いが同じくらいに大きいという事だ。レヴィはシュテルに対する想いが。アスカはレヴィに対する想いが。両者ともに負けないくらい、優劣を付けれないほど同等で大切なことだから。

 

 金属と金属がぶつかりあう甲高い音。重い手応え。鍔迫り合いでアスカの刀を握る手が震える。デバイス越しにレヴィを見やれば、彼女は涙を流していてひどい顔だ。嗚咽を漏らして、癇癪を起した妹のような友達。あとでハンカチで拭いてあげなきゃな~なんて考えながら、何度となく繰り返される罵倒を聞く。受け止める。

 

「『アリサ』のばかばかばか! 『なのは』が心配じゃないの!? ずっと一緒にいたんだよね、大事な友達なんでしょ!? だったら、なんで助けにいかないのさっ! どうして、わたしの邪魔ばっかりするの!? わたしなんて、心配でいてもたってもいられないのに、なんでへいきなの!?」

 

「バッカじゃないの!? アタシが『なのは』を心配してんのは当然じゃない。でもね、アイツはアタシ達の為に身を挺してくれた。管理局に追われないように頑張ってくれた。相変わらず何の相談もなしに勝手な行動するのは気に喰わないけど、その頑張りを無駄にすんのは耐えられないのよ。アンタみたいにね!! 偶にはお姉ちゃんのいう事を聞いて、大人しくしてなさい!!」

 

 叫ぶレヴィをキッと睨み返しながら、アスカも負けじと反論する。この子だってきっと心のどこかで分かっている。ただ、依存するくらいに甘えた相手が、いつも隣にいた大切な存在を失って、どうしていいか分からないんだろう。

 アスカの役目はそんな子を止めることだ。その為の抑制のマテリアル。誰かが間違えたり、迷って暴れたりしたら止めるためのストッパー。自ら望んだ役割。

 

「なにさ! こういう都合のいい時だけ姉面して!!」

 

「姉として、妹の心配をするのは当然でしょうがっ!! だいたい、アンタ。そんな泣き顔晒して、心に不安を抱えたまま『なのは』を探しに行くつもり!?」

 

「ッ……!! うるさい! うるさい! うるさいっ!! このまま邪魔をするって言うんなら、力ずくで叩き切るまでだよ!!!!」

 

「上等よ。やれるもんなら、やってみなさい」

 

 もう、我慢の限界なんだろう。レヴィはバルニフィカスのブレイバーモード、水色に光り輝く雷剣を大きく振りかぶってアスカを叩き切らんとする。

 それに対してアスカは紅火丸を鞘に納めると、雷剣を受けとめるかのように両腕を広げて身構えた。レヴィが予想外の事態に目を見開いて、動揺しているのがよく分かる。闇色に染まる感情を映さないような瞳が揺れていた。

 てっきり、アスカも最大最強の一撃で立ち向かってくると思い込んでいただけに、受けた衝撃は計り知れないものがあったのだろう。デバイスを握る手が震えていて、躊躇している。

 

「ほ、本気だから……手加減なんてしないんだからっ、下手したら死んじゃうかもしれないんだからっ!!」

 

「なに? 力ずくで叩き切るんじゃないの? それとも、アンタの『なのは』を想う気持ちは、その程度!? ハッ、笑わせんじゃないわよ! そんなんで誰が救えるっていうのよ!!」

 

「う、う、ボクは、わたしは、わたしは……うわああああああああああ!!!!」

 

 しかし、そんな戸惑いもアスカの安い挑発と共に吹き飛ばされ、自暴自棄になったレヴィは凄まじい速度で空を駆ける。紫電が迸る雷光の太刀をアスカめがけて横一文字に振るい、吹き飛ばす。立ちふさがる親友を薙ぎ払った少女は、失った星の欠片を取り戻す旅に出る。そのはずだった。

 レヴィの必殺剣は寸でのところで留められ、アスカを斬ること無く、水色の刃を消失させていく。

 

「できない……できないよ」

 

「馬鹿ね。アンタ達の想いを受けとめるって、洞窟で泊まった時に言ったじゃないの。遠慮する事なんてないじゃない」

 

「だって、そんなことしたら、『アリサ』死んじゃう!! そんなのやだぁ!! やだよぅ!!」

 

「…………」

 

「『なのは』がいなくなっちゃって……お姉ちゃんまでいなくなったら、ボク……うわあぁぁぁぁん!! もう、どうすればいいのか分かんないよぅ……!!」

 

 アスカは両手で目を擦りながら、泣き叫ぶレヴィを静かに抱きしめるしかなかった。

 社交界デビューの礼儀作法。淑女のたしなみとか言うダンス。慣れない異国の言葉、日本語の勉強。自由に遊ぶことができず、予定に縛られた日々。

 何もかもがうまくいかなくて、癇癪を起しては叱られる。その度に『アリシア』は『アリサ』に泣きついた。ちょうど、こんなふうに。

 だから、アスカも昔みたいに妹のサラサラの髪を梳くようにして、頭を撫でてあげる。

 ぎゅっと抱きしめる。安心させるように。ひとりじゃないよと温もりが伝わるように、強く、強く。後はいつものように勇気づけてやればいい。元気が出る言葉をたくさん掛けよう。

 

「……ごめんね。辛かったよね。病院の時も、なのはを執務官から護るときもアタシは役に立たなかった。ダメなお姉ちゃんで……ごめんね」

 

 けれど、励ましの言葉を口にするはずだったのに、意に反して贖罪の言葉ばかりが吐きだされる。あの、いつも強気で勝ちな女の子であるアスカが弱音を吐いていた。

 きっと、レヴィの感情にあてられたせいだ。決してアスカは泣いてなんかいないし、頬を流れる滴は、激しい運動をした後の汗に違いない。

 

「お姉ちゃん、『なのは』に会いたい……でも、何処にもいないんだ……どっか行っちゃった……!!」

 

「アタシだって会いたい! ホントは不安でたまんないわよ! だけど、待たなきゃだめなのよ。それが、アイツとの約束なんだから……うあああああ!!」

 

「ひっぐ、えっぐ、ぁあああああ!!」

 

 壮絶なぶつかり合いを繰り広げた親友でもある姉妹は、抱きしめあいながら泣き叫んだ。

 仲間を失って、みんな不安でたまらないのは同じだったのだから。夢の海鳴市も、少女たちの心情を表すかのように雨が降り注ぐ。

 余談だが、シュテルが生きていたという報告を聞いたアスカのグーパンが、ディアーチェを地に沈めることになる。いわく、そういう大事なことは真っ先に伝えるべきだそうな。

 もっともである。

 

 



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●幕間3 それぞれの行動

 11月の終わりごろというべき季節。

 いつものように鮫島の送迎するリムジンで帰宅の途についたアリサ・バニングスは、屋敷の前で倒れている犬を発見した。犬といってもとんでもなく大型の種類。ゴールデンレトリバーか、それ以上の大きさを持ったどちらかと言えば狼に近い犬種。妙にもふもふで艶のある蒼い毛並みが気になるが、放って置くことも出来ず、怪我が回復するまで面倒を見ることにしたのだ。

 体毛に隠れていくつかの切り傷を負っていたが、それ以上に酷かったのが衰弱。元気のない様子でアリサを見上げて、弱々しく懐つき。外見から想像できる誇り高そうな部分は見る影もない。人に懐かなければならないほど追いつめられていたのだろう。

 愛犬家としてアリサは自分から献身的に世話をした。跡取り娘に何かあったら大変と執事やメイドが制止するのを遮ってまで行ったのだ。一応、人を襲うような気配がなかったので両親も渋々ながら許可を出したが、鮫島だけは傍に控えさせていた。万が一のことに備えてである。

 包帯を代えてやったり、警戒して食事を摂らない彼女(調べたら雌だった)を安心させるように撫でて、食べ終わるまでじっと堪えていたりと、忙しい合間を縫って世話をしたアリサ。そんなアリサに誇り高い狼が懐くのも、そう時間は掛からなかった。

 

 やがて、ヨノと名付けられた狼は元気を取り戻すとアリサと行動することが多くなる。

 

 ヨノは異様に頭が良くて賢い狼だった。扉のドアノブを自分で開けて行動する。アリサが鞄などの忘れ物をした時は、傷つかないように加えて届け出た。雇ったメイドや執事が怪我をしたり、困っている様子なら吼えて、人を呼んだ。

 しまいには広い庭でアリサを背中に乗せて、飼っている犬や警備の犬と共に駆け回ると、アリサはすっかりヨノの虜にされてしまって、大のお気に入りになる。それを気に喰わない犬と争うかと思われても、ヨノは先住の犬を敬って譲るところは譲り、喧嘩もしなかった。

 ここまで名犬のごとく活躍すれば、他の人間もヨノに全幅の信頼を置くことになる。しかも、誰に対しても懐いて決して嫌がらないヨノが好かれるのも当然のことで。今では、バニングス家の一員として、マスコット的な存在として可愛がられていた。

 アリサもヨノの傍にいることが多くなり、寝る時は一緒と部屋の中にヨノを招く。もはや凶暴だからと堅牢な檻に閉じ込めておく必要すらない。

 その信頼を得ることが作戦のうちであると知らずに。

 

◇ ◇ ◇

 

「おやすみヨノ。良い子にしてるのよ?」

 

「ウォン!」

 

「そうね。お前は悪いことするような子じゃないものね」

 

 天蓋の付いた絢爛豪華なベットの隣に大人しく居座るヨノ。彼女の頭をひと撫でしたアリサは乱れていたネグリジェを整えると、柔らかな羽毛布団に包まって眠りに付く。

 すやすやと寝息をたて始めた主人の姿を見計らっていたかのように、ヨノは伏せていた顔を静かにあげた。そして、起こさないように膂力のある四肢を使って身体を起こすと、その大きな体躯からは信じられないほどの忍び足で部屋の広場に移動する。不気味なまでに足音を立てなかった。

 ヨノは周囲を警戒するかのように見回すと、問題はないと安心したのか全身の力を抜く。さらに、身震いするかのように身体を揺すって、蒼色の光に包まれた彼女の姿は一変。二秒と掛からずに黒色の色気を含んだドレスを着る少女の姿へと、その形態を変えていた。ヘアバンドをした艶のある紫髪と特徴的な闇を凝縮したかのような瞳はナハト・ヴィルヘルミナその人である。

 

 はぁ、と彼女はため息を吐いた。

 

 バニングス家に潜入するためとはいえ、人の尊厳を捨てて犬に身をやつしてしまえば、誰だって溜めい息のひとつも吐きたくなるものだ。

 作戦会議のあと、ある程度の状況を此方側で操作しようと画策するマテリアル。特に八神はやてと接触することは早急の課題と言えた。シュテルの様子を観察することと、完全復活に必要な闇の書を入手するのだから最重要である。

 しかし、事を起こす前の直接的な接触は避けねばならない。向こうは蒐集の為に魔導師を襲っているので、迂闊に近寄るのはご法度だ。マテリアルの少女たちも魔法生命体だから、同じ存在である守護騎士も勘付くだろう。警戒されるのは目に見えている。

 だから、間接的に接触する必要がある。こうして誰かを媒介に様子を見ようというわけだ。そう、接触する可能性の高い月村すずかや友達のアリサ・バニングスとか。

 問題は潜入方法と誰が行くか、だ。まさか身寄りがないので拾ってくださいと馬鹿正直にいう訳にもいかない。レヴィは性格からして身を潜めるのに向いてないので除外。何よりビデオメールの件でフェイト・テスタロッサの姿を知っているすずかとアリサに妙に勘ぐられたら誤魔化しきれない。アスカも存在が有名すぎるので却下。

 ここで白羽の矢が立ったのはナハトだった。彼女はザフィーラの能力を継承しているので狼に変身できる。アスカに「アンタ、今日から野良犬」と言われ、「大丈夫、アタシなら絶対に怪我してる犬を見捨てないから」と模擬戦で傷ついた怪我をそのままに、バニングス家の近くに放り出された次第である。

 あとでたっぷりと埋め合わせをしてもらわないと割りに合わないとナハトは思う。好きな本を買ってもらって、ディアーチェの手料理を頂いて、レヴィとシュテルを着せ替え人形にして、アスカを好きなように弄りまわすくらいはしないと気が済まない。

 

 もっとも、良かったことと言えば、この世界のアリサ・バニングスと出会えたことか。

 ナハトはそっとアリサの眠るベットに忍び寄ると、だらしなく顔をにやけさせた少女の髪を愛おしげに撫でた。良い夢を見ているのかアリサの口から嬉しそうな寝言が漏れる。「えへへ~~そうよ、ヨノ……」と呟きを聞く限り夢の中でも変身したナハトと遊んでいるようだ。

 

「世界が違っても『アリサ』ちゃんは変わらないんだね」

 

『呼んだかしら?』

 

「うっ……ぷはぁ!」

 

『いきなり念話で話しかけないで、アスカちゃん。びっくりして叫びそうになったんだから、もうっ』

 

『そりゃ、悪かったわよ』

 

 あまりにも唐突に頭のなかに響いてきた親友の声。恐らく念話なんだろうが、いきなり過ぎて驚く。叫び出しそうになった口を両手で塞ぎ、漏れる息を吐きだしたナハトだった。

 アリサが目覚めてナハトの正体を見られたら計画が水泡に帰してしまう。それだけは何としても避けねばならない。

 

『でも、どうしたのアスカちゃん。何か問題でもあった?』

 

『いや、ナハトがアタシ、じゃなかった。アリサの携帯電話を見れなくて困ってるんじゃないかと思って』

 

『ううん、まだ見てないよ?』

 

『たぶん、パスワード掛かってると思うのよね。******で解除できない?』

 

 ああ、成る程。確かに向こうの状況を知ろうと言うのに携帯を見れないのは困る。仲良し三人組のなのは、アリサ、すずかは頻繁にメールのやり取りをする。それは、この世界においても変わらない。だから、八神はやてに出会ったとき即座に報告のメールが来るはずなのだ。こんな子と仲良くなったよ。今度紹介するね、といった具合に。

 ナハトはアリサの枕元からそっと携帯電話を抜き取ると、折り畳み式の画面を開いて操作する。すると、やはりというべきかパスワードが掛かっていた。アスカの教えてくれたパスワードを打ち込むと簡単に解除されたが。

 

『解除できたよ。でも、よくわかったね。パスワード』

 

『アタシ自身のことだもん。よく分かるわよ』

 

 それじゃ、と言ってアスカは念話を切った。あまり念話を使うと二勢力のどちらかに傍受される危険もある。長時間の会話はできない。今回は緊急のことだったので仕方なく使ったのだろう。

 それにしても、本当にアリサは変わらないのだとナハトは改めて驚かされた。たぶん、アスカとアリサが出会ったら以心伝心で互いの気持ちが分かり合えるんじゃないだろうか。そう、双子みたいに。

 ナハトは携帯電話のメニューからメールを選択すると履歴を覗いていく。やはりというべきか、圧倒的に多いのは、なのは、すずかのメール。次いで親、鮫島からの連絡が割合を占めている。

 最新のメールは月村すずかからだ。なんというか自分で自分のメールを見るのも変な気分になる。恥ずかしいと言うべきか。内容は風芽丘図書館で不思議な女の子とであったらしい。名前は八神はやて。どうやら随分早く接触していたようだ。

 何でもはやては記憶喪失の女の子を保護していて、彼女の記憶を取り戻すにはどうすればいいのか本を探しに来ていたらしい。そこで困っていた彼女をすずかが助けたそうだ。保護した女の子も連れていたらしく、幼くて甘えんぼだけど、どことなくなのはに似ていて驚いたとすずかは言っている。

 

 女の子の名前は八神セイというそうだ。

 

 添付されていた画像を開いてみると、車椅子に座った八神はやてと隣に寄り添うように立つすずか。そのすずかに嬉しそうな表情で抱きついたシュテルが映っていた。暗めの栗色の髪に、闇を凝縮した瞳は見間違いようもなく失った大切な女の子。

 届けられた封筒の情報は嘘ではなかったらしい。これは、早急に対策を取らなくてはならないだろう。ナハトは仲間に相談するために念話を繋げた。

 

『アスカちゃん聞こえる?』

 

『あ、ナハト。どうだった?』

 

『シュテルちゃん、はやてちゃんの所に居るよ。アリサちゃんのメールで確認したから間違いない』

 

『こっちもなのはのメールで確認したいんだけど、パスワードが分かんないから無理だったわね。でっ、どうするの?』

 

『ディアちゃんは?』

 

『なのはとぐっすり眠ってる。ここのところ添い寝してばかりよ。寝顔も穏やかでかわいいわよ? ナハトにも見せてあげたいくらいだわ』

 

『そっか。じゃあ、アスカちゃんと相談するしかないね。レヴィちゃん、寝てるでしょ?』

 

『最高にぐっすり。膝枕されてよだれ垂らしながら寝てるってユーリが言ってたわよ。それじゃあ、要件は?』

 

『昔、ディアちゃんの家で鍋パーティーしたの覚えてる』

 

『ああ、あれね。自己紹介もかねて親睦を深め合ったわ』

 

『うん、アレを早めようと思うんだけど』

 

『分かった。じゃあ、アタシが念話ですずかの家に電話して提案するか。詐欺まがいで嫌だけど』

 

『お願いアリサちゃん』

 

「ふぅ、ひと段落かな」

 

 念話を切ったナハトは再びアリサの寝顔を観察する。

 安らかに眠るバニングスの姫様はきっと非日常に巻き込まれるなんて思ってもいないだろう。そのことを申し訳ないと思いつつも、背に腹は代えられない。ディアーチェの命が係っているのだから。

 

「ごめんね、アリサちゃん。少しだけ悪い夢を見るかもしれない……ごめんね」

 

 にやけて眠るアリサの頭を撫でながら、ナハトは悲しげに謝り続ける。

 

◇ ◇ ◇

 

 次元航行艦アースラのオーバーホールと闇の書対策の切り札、アルカンシェルを搭載するために本局へと帰還したアースラチーム。それぞれの局員が次の作戦に対する準備行動を行っていた。

 リンディ提督は闇の書と、それに酷似した"紫天の書"は別物と考え、万が一に備えて人事部のレティ提督と掛け合い一時的な武装局員の増員を行うことにした。人員不足の時空管理局だが、闇の書クラスのロストロギアが相手となれば話は別で優先的に配属されているらしい。もっとも、闇の書に憎しみを抱く者も少なくないので選抜は慎重に行っているとか。

 エイミィは各地で頻発する魔導師襲撃事件のデータを整理している。今回の事件は負傷者が出ても殉職者や死傷者は報告されていない。闇の書事件の今までにない例だった。その為、目撃情報も多く集まる。しかし、紫天の書と思われるような襲撃事件はグリーン・ピースの一件以来報告されていないのだ。このことからも闇の書と紫天の書は別物であり、ロストロギアが二つ活動していると判断するには充分である。

 

 そして、クロノは仕事の合間に、無茶をした反動で寝込んでいるフェイトの見舞いを。ユーノは無限書庫に赴いて紫天の書の正体を探っているところだった。

 

「ほら、フェイト。果物の詰め合わせだ。好きなやつを食べるといい」

 

「……ありがとう、クロノ」

 

「じゃあ、アタシがフェイトの為に林檎とか蜜柑とか剥いてあげるよ」

 

 本局に備えられた医療ブロックにある個室。そこで安静に寝かされていたフェイトを訪ねてきたクロノは、手にしていた果物の詰め合わせ袋をアルフに手渡して、自身もベットの脇にある椅子に腰かけた。病衣を着せられているフェイトは思ったよりも健康そうで安心する。

 フェイト自身の怪我は大したことはない。非殺傷設定による魔力ダメージが主な症状で重大な後遺症も残らないと医者のお墨付きである。ただし、一日は病室で絶対安静にしなければばらばいと厳命もされたようだ。自業自得である。本人は自分だけ寝ているので、申し訳なさそうな表情をしていた。

 クロノとしては、むしろあのような無茶したことを申し訳なさそうに思ってほしいのだが。

 

「はい、フェイト。綺麗に剥けたよ? ほら、あ~ん」

 

「ありがとう、アルフ。はむ」

 

 果物ナイフを使って丁寧にリンゴの皮を剥いたアルフは、食べやすいよう一口サイズにカットすると使い捨て用の皿に盛り合わせた。そして、フォークで一刺しすると林檎の欠片をフェイトの口元に運んでやる。フェイトもそれを美味しそうに頬張っては咀嚼して飲み込んでいく。

 しばらく、そんなやり取りが繰り広げられたあと、急にクロノは座ったまま静かな動作でフェイトに頭を下げた。

 

「すまなかったフェイト」

 

「えっと、クロノ……?」

 

 クロノが頭を下げて謝っている理由が分からず、紅い瞳を真ん丸に見開いて驚くフェイト。空いた口が塞がらずにポカンとしている。

 だから、クロノはフェイトに思い出させるように説明する。自分が謝っているわけを。

 

「キミと約束しただろう? フェイトの代わりにシュテルや『アリシア』を止めるって。だけど、僕は彼女たちを止めることができなかった。約束を破ってしまったなら謝らなくてはならない」

 

「そ、そんな、クロノが気にすることないよ……わたしだって、その、役立たずだった、から」

 

「そう言って貰えると助かる。けど、自分を卑下するのは良くないぞフェイト。君だって充分頑張ったじゃないか。フェイトが助けてくれたからこそ僕は無事でいられたんだからな?」

 

「うん……」

 

「もう、しんみりしちゃってさ。暗い話はおしまい! それよりもクロノ。なのはの方はどうだった?」

 

 落ち込む主に気を使ったのか、ネガティブな話の流れを嫌ったのか分からないが、アルフは手をパンっ、パンっと叩いて場の空気を入れ替えると、話題を別の方向へと転換させる。

 フェイトもなのはのことは気がかりだったのか、クロノを催促するような眼差しで見つめた。

 エイミィが紫天の書の転移方向を地球近辺と割り出しており、相手がなのはやフェイトと瓜二つの存在。そして、レヴィの証言から推測される並行世界から来たかもしれない可能性。管理局は彼女たちが地球の海鳴市に出現すると予測して警戒していた。

 クロノは空間モニターを出現させると目にもとまらぬ速さでキーを叩いていく。画面上にミッドチルダの言語が凄まじい勢いで流れていき、ひとつの圧縮されたデータを解放した。フェイトが少しだけ読み取れた言語は音声データ。つまり、このデータは。

 

『えっと、これでいいのかな? ちゃんと録音されてる?』

 

『マスター。もう、録音は始まっていますからご安心を』

 

『あっ、そうなんだ。ありがとね、レイジングハート』

 

 高町なのはの声を録音した音声データという事だ。

 

「なのは、そっか無事だったんだ。良かった」

 

 なのはの声を聞けたことが嬉しくてフェイトは思わず笑みを漏らす。フェイトにとって高町なのはは特別な存在だ。苦しいとき、辛いとき、悲しいときに支えてくれる存在。ジュエルシード事件で何度もぶつかり合い、想いを分かち合った親友。フェイトにできた初めての友達。

 音声データはなのはの声を再生し続ける。

 

『クロノ君から緊急の連絡があった時はビックリしました。ダメだよフェイトちゃん。なのはが言うのもなんだけど、あんまり無茶して周りの人に心配かけないようにね。それと、例のドッペルゲンガーさん。友達のアリサちゃんやすずかちゃんに聞いてみたけど、それらしき子は見たことないの』

 

『なのはの方でも暇があれば探してみます。それじゃあ、お大事にフェイトちゃん。いつか会える日を楽しみにしています。かしこ』

 

 ここで、音声データは途切れてしまい何の言葉も発さなくなった。できればフェイトとしてはビデオメールのように映像つきで親友の顔を見たかったが、急を要したので音声だけなんだろう。なのはの安否を確認できただけでも良しとしよう。なのはが言っていたように、いつかは会えるのだから。それも近いうちに。

 クロノは展開していた空間モニターを閉じるとフェイトに向き直る。その顔は何やら渋面で困っているようだった。

 

「それで、なのはの言う事が確かなら彼女一人で探索を行うらしい。正直、僕としては自宅で安静にしていてほしいんだけど、注意しても無茶するのはジュエルシード事件で証明済みだ。だから、僕と武装局員数名を連れて現地に向かう事にした」

 

「わたしもっ……」

 

 わたしも一緒に連れて行って。そう言ってベットから身を乗り出したフェイトをクロノは手で制した。アルフもいけないと言わんばかりの表情をしている。なんとしてもフェイトを行かせないつもりなのだ。

 何せ医者から絶対安静を宣言されてしまっている。クロノも、主人を最優先に行動するアルフも、この時ばかりはフェイトの意見に反対だった。身体に魔力ダメージを残したまま警護や調査に参加させても足手まといにしかならない。

 どんなに頑張って説得しても行かせて貰えないと理解したのか、フェイトはあうぅぅと呟きながら委縮してしまう。フェイトとしてはなのはが心配で、皆の役に立ちたいのだが、どうやら周囲はそれを望んでないようだ。

 

「フェイト。絶対安静だ。ゆっくり休むのも仕事のひとつなんだ。大人しくしていてくれ。一日待ってリハビリすれば、すぐに現場復帰できる」

 

「そうだよフェイト。クロノの言う通りさ。少しは自分の身体を大事にしておくれよ」

 

「アルフ、クロノ…………分かった」

 

 長い沈黙の後にフェイトは渋々といった表情で頷いた。

 無理もないだろう。親友の高町なのはが事件に巻き込まれるかもしれない不安(もっとも、なのは自身は自分から首を突っ込んでいるが)。並行世界から来たかもしれない、自分と出生を同じくするレヴィの存在。管理局に殺されたと叫ぶ、友達候補のすずかと似たナハト。勝ち気な性格で自爆するような無茶して大怪我をしているアリサに似た少女アスカ。いろんなことが頭に浮かぶ。

 こんな自分でも誰かの役に立って助けたいという強い想いを持つフェイトは、なのはのことも、レヴィ達のことも心配でたまらない。できれば力になってあげたいのだ。

 

「それじゃあフェイト。ゆっくり休むんだぞ?」

 

 クロノは挨拶もそこそこに病室を去った。一度約束を破った手前、安易に任せろとか大丈夫だとか言えるわけもない。

 

 フェイトのことはアルフに任せる。クロノも面倒を見てやりたいが、つもりに積もった仕事がそれを許してくれないのだ。ため息のひとつも吐きたくなる状況。

 

「はぁ……」

 

 とりあえず、なのはが無茶をやらかそうとしていることに、ため息を漏らすクロノだった。

 

 



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〇紫天に吼えよ! 我が鼓動!

 ディアーチェは結界の張られた海鳴市の上空で待機していた。満天の星空はなんとも美しいと感じさせるくらいに綺麗で、この二週間ちょいは飽きずに空を見上げていたものだ。失ったからこそ、美しいと思える日本の景色だった。

 膨大な魔力を、いや、桁違いに圧倒的で畏怖すら覚えてしまいそうな魔力。それを恐れもせずに急速に向かってくる気配は四つ。さらに、周囲を感知してみれば無数の魔力反応。複数の魔導師がいる気配だ。

 向かってくる四つの気配は、ディアーチェが良く知る家族のものだ。もっとも、家族だったというべきか。彼女たちは『はやて』の守護騎士ではなく、はやての守護騎士なのだから。主を救うためとはいえ、蒐集しようとしている相手の化け物みたいな魔力は肌で感じている筈なのだ。なのに向かってくるという事は、それだけ彼らの決意が固いということ。

 周囲を囲んだ無数の魔力の気配は時空管理局の魔導師たち。闇の書とそれに酷似した紫天の書を一網打尽にしようと包囲網を敷いている。その戦力ときたら、前にシュテル達を囲んだときの数倍といった所か。指揮官はクロノ・ハラオウン。フェイトやユーノとやらも来ているのだろう。

 あたりまえか。これだけの大規模な結界魔法、気が付かなければおかしい。何より、ディアーチェはわざと圧倒的な魔力を見せびらかすように、漏らしていた。この結界は入るのは容易いが、出るのは難しい。管理局も、守護騎士も入り乱れて混乱すれば、それだけディアーチェの目的も達成しやすくなる。

 クロノ達が海鳴市近辺に引っ越すことや、彼らがアースラチームという管理局の精鋭であることは、なのはとの秘密の共有で聞かせて貰っていて、概ね戦力は把握できている。ビデオメールのやり取りを見て、質問したのがきっかけだったが、幸いであった。

 おかげで、ディアーチェ達は未来知識を元に先手を打つことができたというわけだ。11月15日から拾われて、12月2日までの約二週間。一時の休息と安寧を謳歌しつつも、着々と布石を打ち、作戦を練った。

 シュテルが交渉によって引き出した情報。並行世界という結論。違う世界の過去。限りなく同一人物に近い人たち。ここは並行世界、しかも自分たちが封印されるひと月前の過去というわけだ。

 ならディアーチェ達が未来を変えたいと、想いを抱くのは当然の帰結であった。故に愛する者であっても敵に回すことを選択する。全ては悪夢のクリスマス・イブを、悲劇を回避して、闇の書のもたらす滅びから逃れるための行動。

 ディアーチェにとって、なのはや高町家と過ごした日々は甘美であったし、これから敵対するであろう守護騎士も、違う世界とはいえ大切な人には変わりない。

 チクリと胸を刺すような痛みを振り払う。高町家の、なのはとの優しい日々の思い出。自分の心に彩りを与えてくれたヴォルケンリッターの皆との記憶。それらにディアーチェは鍵を掛けて封印する。最高の結末を迎える為に『はやて』を殺し、紫天の王になる。残虐で無慈悲な暴君に変貌する。

 想いを馳せるように閉じていた瞳を開き、口元を釣り上げた王は、傲慢な態度で現れた四人の騎士を迎え入れた。

 

「ようこそ、哀れな子烏に魅入られた盲目の騎士たち」

 

「てめぇか。この馬鹿みたいにデカい魔力の持ちぬ……? はやて? どうして、こんなとこに」

 

「ヴィータちゃん、油断しちゃダメ……はやて、ちゃん……? うそ……?」

 

「……戯けめが。現を抜かしたまま消し飛べぇ!!」

 

 期待していた誤算。八神はやてと瓜二つの姿に、ヴォルケンリッターの二人は動揺している。それは、一瞬の出来事だが戦闘においては致命的な隙となる。何よりも、ディアーチェは奇襲する腹積もりだったから、尚のこと好都合。

 足元に回転する黒紫のベルカ式魔法陣が広がる。右手に手にした十字杖エルシニアクロイツを素早く回転させながら、紫天の書から魔力と術式を急速に引き出し、握りとめた杖を縦に振り降ろす。

 

「アロンダイト!!」

 

「なっ、くっ……」

 

 紫の魔力で構成された砲撃が、呆けたように固まるヴィータとシャマルを襲う。流石は歴戦の戦士にして一騎当千と謳われたヴォルケンリッター。ヴィータは砲撃を咄嗟に防御しようとシールドを展開する。しかし、それだけでは、防げない。

 ディアーチェの使う魔法のほとんどが、広域殲滅型。砲撃においても例外はなく。アロンダイトは着弾すると爆風が相手を呑み込み、防護服を削る。蓄積されたダメージはいずれ、相手に致命傷を与えるだろう。

 が、そう上手くいかないもので、ディアーチェは「チィ」と舌打ちしつつ、距離をとった。爆発の煙から現れたのはヴィータよりも一回り大きなシールドを展開したザフィーラ。彼の背後にいるヴィータとシャマルを庇うように展開された防御陣は、爆風を見事に遮っていた。

 

「ハァァアアアア!! 紫電――」

 

「なにぃ? ッ!!」

 

「一閃!!」

 

 守護獣の勇士に歓喜しつつも、厄介な防御だと、撃ち抜くにはちと、手間が掛かる、どうするか。そう思考するディアーチェの上空から烈火の剣を振り上げて、襲い来るシグナム。容赦のない奇襲。

 燃え盛る炎の剣をプロテクションで受けとめるも、勢いを殺しきれず光の輝く防御膜ごと叩き切られた。ディアーチェの防護服の肩口を抉られ、左手に握る紫天の書を離してしまう。幸いにも書は自らの意思で、ディアーチェの傍に浮かんでいるが、危ない所であった。

 非殺傷設定なのか肉を削いだり、傷を焼かれてなどいない。それでも魔力打撃はじわりと残るような激痛をもたらす。感じたことのない痛みに顔を歪めるも、歯を喰いしばって耐えたディアーチェ。自動治癒で傷口を修復していく。

 このような痛み、マテリアルとなった親友たちが受けた痛みと比べれば、屁でもない。

 

「まだだ!」

 

「ちぃ、寄るな下郎めが!!」

 

 振り切った体勢から、すぐさま二撃目をたたき込もうとするシグナム。それよりも早くディアーチェは己の杖から爆砕効果を付与した、人を呑み込んでしまいそうな光球を発生させて、シグナムを牽制する。

 一端退いた烈火の将だが、そこは近接戦の玄人というべきか。巧みなステップのような空中機動で、右に左にとディアーチェの照準を錯乱しつつ、最短距離でクロスレンジへと踏み込んでくる。

 そうはさせまいと、手の空いた左手にリンカーコアから魔力を集めて、発射台を生成したディアーチェ。作りだされたスフィアから無数の光の粒を雨霰のように解き放つ。エルシニアダガーと呼ばれる広域射撃魔法。誘導性能はお粗末だが、連射が効いて使いやすい。

 

「小手先の技など通じん、ハァッ!!」

 

「ひっ……」

 

 だが、シグナムは小さな魔力弾の嵐を物ともせずに突っ切ってくる。恐るべき胆力と覚悟だ。闘志に燃える彼女の瞳は眼前の敵を見据えたまま、出せる最速の踏込でもって、王の懐に潜り込もうとする。

 シグナムの魔力光で光り輝く騎士甲冑。あらゆる部分を被弾してはいるが、貫通はしていない。なんという堅牢な鎧だろう。急所に被弾する攻撃は左腕の籠手で弾き、受けとめて防いでいく。この防御魔法、ディアーチェは知っている。

 パンツァーガイスト。幻影装甲とよばれる強化されたフィールド系防御魔法。全身に魔力光を固めて、纏う騎士甲冑の防御力を瞬間的にあげる効果を持つ。反面、消耗も激しいし、全身に纏えば攻撃などできなくなるが、シグナムの技量なら問題ない。

 堅牢さは、防御に秀でたザフィーラのシールド並みだ。データによれば、過去に砲撃魔法をも防ぎ切ったらしい。

 ならば、エルシニアダガーのような射撃魔法など、文字通り歯が立たないだろう。ぶち抜くにはシュテルのブラストファイアーかディアーチェのアロンダイト。或いはレヴィの極光斬のような高出力の攻撃魔法が必要だ。

 しかし、こうも接近されては、砲撃を放つ余裕などない。迫りくる騎士の右手に握られたレヴァンティンからカートリッジが装填され、魔力薬莢が排出される。魔剣の刀身、そこに唸る蛇のように火が覆い、火竜の咆哮のような炎が唸る叫びをあげた。

 紫電一閃。近接戦における爆発的な攻撃速度と、瞬間的な破壊力を誇る技を防ぐ方法は、あまりない。少なくともシグナムの気迫に押されたディアーチェには無理だ。王は、圧倒的な力を秘めているとはいえ、実戦経験がないに等しい。どうしても、身が竦むときがある。

 何もかも傷つけても、求める未来を掴み取ると覚悟していても、怖いものは怖い。ディアーチェは傲慢な王様の皮を被った、臆病な小娘に過ぎないのだ。

 

"ディアーチェ!!"

 

「なんだとっ、本がひとりでに、それにこの本は闇の書に似ているッ……!!」

 

 だから、紫天の書は自らの意思でページを開いて、シグナムの剣閃を受けとめた。紫天の書の内部に潜むユーリの意思を反映している。未来を変えたいというディアーチェの想いを聞き届けた紫天の盟主は座して待つことをやめたのだ。自分に出来る限りのことをして王を支える。

 見えない障壁のようなもので剣撃を防がれ、引き離そうにも何か強大な力で握られたかのようにがっちりと固定されて動かないレヴァンティン。自らの愛剣を手放すことも出来ず、さらには闇の書と酷似した紫天の書を前にしてシグナムは冷静さを失っていた。

 そこに、追い打ちを掛けるように紫天の書は濃い紫の色に輝くと、環状の拘束魔法を四発。すさまじい勢いで飛ばす。その飛来速度はまさに疾風のごとく。フェイトやレヴィの速度をもってしても避けるのは困難だと思えるほどだ。そんな勢いのある魔法を、近距離で放たれてはシグナムと言えども避けることは不可能。

 シグナムの四肢に紫に輝くバインドが巻きつき、彼女を十字架に貼り付けにするかのような姿勢に拘束する。あっという間の出来事であり、他のヴォルケンリッターが援護に駆け付ける暇すらなかった。

 

"ディアーチェ今です!!"

 

「っすまぬ、ユーリ。そして、烈火の将よ、うぬに恨みなどはないが、ここで沈んでくれ。インフェルノ!!」

 

 ユーリが作り出してくれた絶好の機会。ディアーチェは感情を振り払うかのようにエルシニアクロイツ、十字杖を振り降ろすと天から無数の隕石のような魔力弾が降り注いでいく。秘められた一発、一発の威力はとんでもなく高く。シグナムと言えども直撃すれば立ち上がれまい。

 

「ぐっ、私としたことが……!!」

 

「いま助けます、シグナム」

 

「次から、次へと、アロン――」

 

「くそ……させねぇ、テートリヒシュラーク!!」

 

「ぬぅっ!」

 

 どうしようもなく、万事休すかと思われたシグナムの窮地を救ったのは湖の騎士シャマルだ。旅の鏡でシグナムの隣に転移すると、四肢を拘束するバインドの術式に干渉して破壊。間一髪のところでシグナムを抱えて安全圏まで、再び旅の鏡で転移する。

 千歳一隅の機会を潰されてはならないとディアーチェも転移して隙だらけなシャマルごと二人の騎士を砲撃魔法で潰そうとするが、飛来してきた鉄球によって邪魔され、防ぐためにシールドを展開するしかない。忌々しげに鉄球の飛んできた方向を見やれば、ヴィータが迷いを秘めた瞳でディアーチェを見つめていた。

 ここにきて事態はこう着状態となった。さすがはヴォルケンリッターだとディアーチェは称賛するしかない。一人一人の一騎当千と謳われた技量も凄まじいが、何よりも個々の連携が抜群で、致命的な隙をフォローするのが巧い。戦い慣れている。

 一見すると互角か、有利に戦えているように見えるディアーチェ。だが、ロストロギアと謳われる馬鹿魔力で圧倒しているからにすぎず、隙を見せればシグナムの紫電一閃を受けた時のように、一撃で落とされる可能性もある。油断はできない。

 

 いや、ディアーチェが本気をだせばあっという間に決着はつく。だが、それは加減のできない恐ろしいチカラだ。間違いなく魔法生命体の守護騎士を一度殺してしまうだろう。目的を果たす為なら、最初から本気を出せと思うかもしれないが、相手は家族なのだ。

 たとえ、この世界の八神はやての家族だとしても、姿がよく似た別人だとしても、家族を誰よりも大切にしていたディアーチェに守護騎士を殺すという選択ができるはずもない。残酷な王になると決意しても、心のどこかで躊躇してしまうのは仕方ないのかもしれない。

 

 そして、それは圧倒的な存在感と威圧感を放っている王と対峙したヴォルケンリッターも同じことだった。突如として張られた結界。現れた強大な魔力の発生源。主と、鍋パーティーをしているアリサ、すずかという二人の御友人を護るべく。あわよくば巨大な魔力を蒐集しようと駆け付けたが、眼前に立ちふさがる相手は主はやてと瓜二つの少女なのだ。

 ヴィータ、シャマルは言わずもなが。仲間を助けるためとはいえ切り込んだシグナム。普段は冷静なザフィーラでさえも内心、困惑の色を隠せていない。魔力の波動もどこか似ていて、威圧的な姿の裏に隠れた、時折見せる悲しげな表情がどうしても、主はやてとだぶってしまう。

 

「……貴女は、何者なのだ?」

 

 代表してシグナムが、一歩前に進み出てディアーチェに問いかける。レヴァンティンは構えられておらず、いますぐ斬りかかるという意思は見せない。しかし、納刀はせず、いつでも攻撃に対処できるようにしていた。

 ディアーチェは感極まったように瞳を潤わせると、片手で顔を覆う。やっぱりどんなに決意しても、自分は弱い小娘らしい。涙を見られたくなくて顔を覆ったが、何とも情けない王だ。

 ちょっと話しかけられただけで、この様とは。でも、それほどまでに守護騎士に声を掛けられたこと、話したことは嬉しい。何百年ぶりに声を聞いたであろうか? もう、彼女達とすごした記憶なんて遥か遠い昔のことなので、だいぶ薄れてしまっていて、よく思い出せない。

 それでも、ここは心を鬼にしなければならない。拾うべきものと捨てるべきものを見誤ってはならない。重要なのは巻き込んでしまった友達を助け、ついでに自身もはやても救われることなのだ。一時の感傷に惑わされてはいけない。

 十二月二十四日までに何とかしなければ、滅びの運命が訪れてしまうから。管理局だってディアーチェの魔力を嗅ぎつけて、捕縛しようとしているのだ。迷えば最悪の未来に転がり落ちてしまうかもしれない。

 

「頭が高いぞ下郎! 王の御前だ、跪けぃ! と申したいところであるが、あいにくと時間がなくてな。うぬらの持つ闇の書は、我ら紫天に集いし欠片が頂いていく!」

 

 だから、己の感情を振り払った王は、差し伸べられた話し合いの機会を自ら断つ。

 

◇ ◇ ◇

 

「なんで、うぬというやつは無理やり風呂に押しかけてくるのだ!? 我はひとりでゆっくりと湯に浸かりたいと言ったであろうが!!」

 

「えへへ、だって、ゆかりちゃん寂しそうにしてたから放って置けなくて」

 

「ぬぅ……」

 

 それなりに大きな浴場。湯気が立ち上る暖かな湯。それに、浸かろうとするディアーチェは入る前に掛け湯をしようとしていたのだが、突如として乱入してきたなのはに演技するのも忘れて、王さま口調で抗議する。

 対するなのはは、そんな彼女の豹変ともいえるような言葉遣いに身を竦めることもなく、堂々と本心を口にする。あまりに素直でまっすぐな想いをぶつけられては、さすがのディアーチェも言い返すことができない。どうも、ディアーチェはこの少女が苦手だ。

 まだ、羞恥というモノをしらない高町なのはは幼い裸を晒したまま、座り込んでいるディアーチェに近づくと掛け湯の続きをした。ディアーチェの手から桶を奪い取って、優しく湯を身体に浴びせていく。

 次に、桶に溜めた湯の中にボディタオルを浸すと、それをボトルから取り出したボディソープを使って泡ただせた。充分に泡が立ったのを見計らったなのはは、タオルを使って丁寧にディアーチェの身体を洗っていく。

 

「ちょっ、待て……! 誰が身体を洗って良いと許したのだ。それぐらい我は自分でできる……」

 

「いいから、洗わせて。ほら、暴れたりしないの」

 

「うるさい。こ、こんなこと恥ずかし……ひゃん! どこ、洗っておるのだ……くすぐったい。あぁ、そこだめっだって言っておるのにぃ……」

 

 本当にこの娘は御神流の才能がないのかと疑問に思わせるくらい、鮮やかに押さえつけられたディアーチェは隅々まで身体を拭かれていく。タオルの柔らかな感触が、敏感な肌を伝っていき、そのたびに妙なくすぐったさがディアーチェの全身を駆け巡るのだ。

 自分で洗っている時はこんなことないのに、他人に身体を洗われるという恥ずかしいシチュエーションのせいなのか、どうにも感じてしまう。拙いと、このままでは理性が吹っ飛ぶと恐れたディアーチェは、なんとか脱出しようともがいた。

 

「もう、暴れたりするのが悪いんだよ。手元が狂っちゃうんだってば。どうして抵抗するのかな」

 

「阿呆が!! こんなことされたら、誰だって抵抗するわ!!」

 

「ええっ!? アリサちゃんとか、すずかちゃんは一緒に洗いっこするとき平気だよ!?」

 

「うぬらと、我をいっしょにするでない。ええい、貸せ!!」

 

「ふぇ、ふぇえええええ!?」

 

 なのはの手からボディタオルを奪い取ったディアーチェは、先ほどのお返しとばかりになのはの身体を洗っていく。

 思わぬ反撃にたじろいだなのはは、入れ替わるように立ち位置を変えられ、ディアーチェに馬乗りにされる。されるがままに身体を洗われ、泡だらけになってしまった。

 

「えへへ~~、ゆかりちゃんと洗いっこだぁ~~」

 

「ぐぬぬぬ、おかしい。嫌がらせをしている筈なのに、何故(なにゆえ)嬉しそうなのだ? この妙に漂う敗北感、なんたる屈辱っ……」

 

 無理やりに身体を押さえつけられ、がむしゃらにボディタオルで拭かれているのに、なのははとても嬉しそうだ。これでは恥ずかしがっていたディアーチェが馬鹿らしいではないか。もはや、一緒に風呂に入ることに疑問が無くなってしまうからくらい、王は呆れてしまった。

 まとわりついた泡を流すために、組み敷いていたなのはを解放すると、一緒に浴びるようにして肩から湯を掛けあう。冬場はとても寒く、冷え切った身体に暖かな湯が染みて心地いい。

 そのまま、風呂場に張られた湯に浸かるなのはとディアーチェ。

 

「はぁ~~、いい湯。あったかい」

 

「くはぁ~~!! この快感! 誰の手も借りずに一人で風呂に入れるのは、こんなにも素晴らしいのだな、ふははは!!」

 

「ゆかりちゃん……おやじくさいの」

 

「ほっとけっ!!」

 

 極楽、極楽、風呂場の縁に両手をのせ、枕代わりにして顎をのせる二人。のほほ~んとした何とも言えない穏やかな雰囲気を醸し出していた。

 

「はぁ……」

 

「ん? なのはよ。どうかしたのか?」

 

「あっ、ううん。なんでもないよ」

 

 なのははお風呂効果によって、話しづらい部分に踏み込む為。ディアーチェの入浴する頃合いを見計らって乱入したのだが、意志が強い彼女にしては珍しく決断できずにいた。ここ数日間で、ディアーチェの様子がおかしく、心配になってどうしたのかと聞いてみたい。けれど、そうしたら彼女が何処かとても遠い所に行ってしまうような気がして踏み込めないのだ。

 写真。ディアーチェは決して見せようとしないので、覗きこむのを遠慮していた。それを、見るようになってからディアーチェは不安げで、寂しそうで、心配でたまらないといった様子を時折のぞかせる様になる。士郎や桃子が気を利かせて、楽しい話題で雨のような彼女の心を紛らわせても、消えることはない表情。

 

 それほどまでに深刻なのだろうか? だから、なのはは力になってあげたいと想いを抱くが、嫌な予感がして踏み込めない。

 

「それじゃあ、次は髪を手入れしてあげる!!」

 

「くっ、どうしてもやるというのかっ!?」

 

「とーぜんだよ。大丈夫、アリサちゃんにしこまれたから、洗髪は得意なの」

 

 結局、その日も話しかけることはできず、なのはは問題を先送りにしてしまう。

 それが、間違いだったのだろうか?

 

◇ ◇ ◇

 

 朦朧とする意識。冷たい夜風が頬を撫でる。

 なのははかすむ視界で景色を見て、ぼんやりとした思考で状況を整理する。

 目につくのは、なのはの勉強机やゆかりと名乗る居候の女の子と一緒に寝ていたベット。風で舞い踊る部屋のカーテン。

 手にはレイジングハートが強く握りしめられていて、頼りになる相棒が呼びかける様に強く発光していた。着込んでいるのは、お気に入りのパジャマ。

 思い出す。何があったのかを、どうして自分の部屋らしきところで倒れ伏しているのかを。確か、あれは。

 

――ねぇ、ゆかりちゃん。さいきんどうかし……

 

――すまぬ、なのは。お前と過ごした日々、高町家の世話になる日常は決して嫌いではなかった。とても、居心地が良くて、いつまでもこうしていたいと思うくらいに……

 

――えっ?

 

――だが、いつまでもこうしてはおれぬ。いずれ誰にとっても不幸な結末を迎えてしまう。

 

 ゆかりが何かを言っているのか、なのはには分からなかった。いや、分かりたくなかった。まるで別れみたいな台詞。どこかへ去ってしまううじゃないかと思わせるような口ぶり。

 手を伸ばす。彼女が消えてしまわないように、その手を掴み取ろうとする。だけど。

 

――なのは、ここで眠っていておくれ。今日までの事は夢。泡沫の夢だ。なに、目覚めたらいつもどおりの日常が待っておる。安心するがいい。

 

――違うよ、いつもどおりじゃない。そこにはゆかりちゃんが……!!

 

――マスター!!

 

――ッ!

 

――さらばだ。高町なのは。

 

 ゆかりから伸ばされた手が、なのはの胸に押し当てられた瞬間。胸に鋭い痛みが走り、意識が遠のいていく。この痛みをなのはは知っていた。魔力ダメージによるものだ。全身が弛緩していき、力が抜けていく。

 ゆかりちゃんがいないよ。あなたがいない日常なんて、いつもの日と違う。そう言おうとした言葉は喉から出かかって、声にされる事無く消えていく。

 霞んでいく視界のなかで、ゆかりは悲しげな顔でなのはを見下ろしていて、うっすらと頬から一筋の涙を流していた。半年前まで泣きそうな瞳をしていたフェイトと同じ瞳。ううん、それ以上に深い悲しみを秘めているんだと、なのはは理解する。

 嗚呼、いままで浮かべていた笑顔はきっと嘘で、本当なんだと。無理していたんだろう。何か辛いことを我慢していたんだろう。もっと早く気が付いて踏み込んであげればよかったのだ。失ってしまいたくないと躊躇した結果が、この様か。

 部屋の窓から夜空へと、背に黒い六枚の翼を広げて飛び去って行く親友の姿に震える腕を伸ばすことしかできず、そこでなのはの意識は途絶えた。

 

 困った時は人に相談すればいいと学校では教わった。なら、相談する人がいなければ? 相談する勇気がなくて、他人を巻き込みたくないと恐れている子はどうすればいい?

 待っているだけではだめなのだ。なのはの両親も、兄妹も、なのは自身でさえもゆかりの心に踏み込もうとしなかった。それは彼女を思いやってのこと。向こうから悩みを話してくれるまで、時間を掛けて心の傷を癒し、辛いこと嫌なことを忘れさせようとする配慮。

 それがいけなかった。きっと彼女は誰も巻き込まず、一人で解決しようとする。現に何かをしようとしていて、なのはを巻き込むまいと気絶させたのがその証拠。

 相談もできずに一人で全部抱え込んで、思い悩むというのなら、光に気が付くように、こちちから手を差し伸べよう。手を差し伸べても無駄だというのなら、無理やりにでも捕まえて、たまった鬱憤を吐きださせる。きっとそれくらいしないと、ゆかりを助けるなんて到底無理な話。

 

 まったく、自分らしくないとなのはは朦朧とする意識を振り払いながら思った。フェイトを助けた時のようにぶつかり合って、いっぱいお話して、それから想いを分かち合わなければ、泣いている子を助けるなんてできないのに。

 ふら付きながらも立ち上がると、全身をくまなく動かしていく。受けた魔力ダメージによって、どれくらい身体が動かせないのか確認する為。少々手足がしびれて、気怠さも感じるが一戦やらかすには問題ないと判断。

 

「レイジングハート。さっきは咄嗟に護ってくれてありがと。おかげで寝過ごさなくて済んだの」

 

『マスターを危険から守るのは当然のことです。本当なら安静にしていてほしいのですが、言っても聞かないんでしょう?』

 

「うん、家出した駄々っ子さんを捕まえて、叱ってあげないといけないの。気付いてあげられなかった私も悪いけど、あまりの身勝手さにちょっとカチンと来たかなって。それで……」

 

『皆まで言わずとも分かっています。全力でサポートしますから思う存分やってください』

 

 まったく、このインテリジェントデバイスは自分にはもったいないくらいできた子だ。いままで散々無茶をしてきて、その度にレイジングハートは付き合ってくれた。常に共にあって支えてくれる。それが嬉しくて笑ってしまうのも無理はない。

 なら、なのはにできることは全力で期待に応えること。わがまま言った分、自分の意思を貫き通し目的をやり遂げることだ。不屈の心と共に。

 屈伸、手足のストレッチ、首回し、準備運動を欠かさず行い戦闘に備えたなのはは告げる。自分自身を変える魔法の言葉を。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

 

 瞬間、なのはの部屋を桃色の爆光が包んだ。着ていたパジャマは粒子となって還元され、黒いインナーが素肌を包んでいく。その上に私立聖祥小学校の制服を模した防護服が構成されていき、解かれていた髪はフェイトの黒いリボンによって、いつものツインテールに纏められた。

 紅き宝玉は姿を変え、主の力を最大限に発揮する杖となる。

 それを、バトンのように左手で回転させたなのはは、最後に感触を確かめるように、二度、三度、杖を振るう。絶好調とは言い難いが、悪くはない感じだ。

 瞳を閉じて意識を集中させ、追いかけるべき存在の魔力を感じる。周囲の状況を探っていき、海鳴がどのような状況に陥っているのか把握していく。

 ここから、そう遠くないところで感じる巨大な魔力。自分など矮小で取るに足らないと思えるほどの、ロストロギアだと間違えてしまうくらいの存在の波動を感じる。傍に異なる四つの魔力。少なくとも五人の魔導師がいるのだろうか。

 その巨大な魔力はゆかりから微弱に感じていた魔力に似ている。恐らく、というか確実にゆかりはそこにいる。

 展開されている結界は誰のものか知らないが、都合がいい。思う存分、魔法の力を振るえるから。

 ゆかりは、まだ、追いかければ間に合う位置にいる。

 

「行こう、レイジングハート」

 

『Flier Fin』

 

 なのはの履いた白い靴から桃色の天使の羽根が形成され、彼女の身体を宙に浮かす。そのまま窓から飛び出すと、なかなかの加速度で戦闘の中心域に向かう。フェイト程ではないが、なのはの飛行も充分に速い。

 表情は引き締まり、鋭い視線は先を見据えたまま動かない。けれど、なのはは知らない。真っ直ぐに突き進む己に立ちふさがる存在がいることに。

 

◇ ◇ ◇

 

「来たわね。良い子はお寝んねしてればいいのに、どうして厄介事に首を突っ込むのかしら?」

 

『不退転、不屈、絶対意志』

 

「そうね。そういう子だったわ。あの子はやると決めたら退かないんだから。シュテルと同じでほんとにバカ。まあ、そこが良い所でもあるんでしょうけど」

 

 紅火丸と喋りながら、アスカはビルの屋上からフェンスの上に腰かけて、海鳴市を一望できる場所にいた。

 見渡す限りの夜景は美しいが、結界のせいで活気がなく、見ていてつまらない。退屈しのぎにもならなくて暇をしていた所だ。もっとも、できれば暇のままでいたかったのも本音である。アスカが動かなければならない時は、嫌な役目をしないといけないから。

 アスカの視線の先にあるのは、なのはの武家屋敷のような家がある場所だ。先程、そこから桃色の光が煌めいたのを遠目からでも確認できた。発生した魔力はアスカよりも大きく、それだけ強力な魔導師という事だ。

 懐かしいシュテルに似た魔力波動が、徐々に接近していることを感じ取って、アスカも動き出す。フェンスから飛び降り屋上のタイルに突き刺していた紅火丸を引き抜くと躊躇いもなくビルから飛び降りた。

 アスカの役目は高町なのはの足止め。二週間とはいえ、一緒に過ごした少女が相手ではディアーチェも本気で戦えない。情が移ってしまったのだ。だから、アスカはそれを見越して自ら足止め役を買って出た。

 レヴィでも、ナハトでも、きっとなのは相手に戦うのは辛いだろう。それに、彼女たちにしかできない役割がある。この戦いの本命はそっちなのだ。だから、必然的にアスカにお鉢が回ってくるのも致し方ない。

 高町なのははイレギュラーに成り得る存在。絶対的な存在である王を打ち倒す可能性がある。ならば、どんな手を使ってでもディアーチェ元にたどり着かせてはならない。そう、たとえばアリサ・バニングスのように振る舞って、戸惑い油断させるのも、厭わない。

 だが、全力で戦ってみたいというのも事実。せっかく魔法という同じ土俵に立てたのだから競い合ってみたいという想いもあった。色々と好都合。ずっと引きこもっていて話せなかったのだ。この世界の親友と話してみたいとも思う。

 ようは足止めできればいい。戦いにしろ。話し合いにしろ。その場に釘づけることができればアスカの勝ちだ。

 

 背から燃え盛るように炎の翼が噴き出して、落ち行くアスカの身体を浮かび上がらせた。

 

「ちょっと挨拶しに行くわよ、紅火丸」

 

『承知』

 

 火の鳥は夜空を舞う。不屈の星を阻むために。

 



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〇火の鳥の騎士

『マスター! 避けてください!!』

 

「っ……!?」

 

 高町なのははレイジングハートの警告を受けて上空から飛来する魔力の斬撃波を次々と交わしていく。フェイトには及ばないがなのはだって飛行適正は高い。まだまだ粗削りながらも紙一重で攻撃をすれすれで避け、避けきれないものはシールドで弾き飛ばす。

 それでも飛来する魔力の斬撃波止むことを知らない。三日月状の炎を纏った刃。それが無数になのはを切り刻まんと迫ってくるのだ。

 なのはは持前の空間認識能力で自分と相手の距離や位置を直感で掴み取る。すると、レイジングハートの切っ先を向けて魔力を収束させた。

 

「誰だか知らないけど、出てこないならこっちだって――」

 

『ディバイン――』

 

「お返しだよ!!」

 

『バスター』

 

 桃色の魔力を杖の先端に収束させてぶっ放す砲撃魔法。なのはの十八番であるディバインバスター。それは飛来する魔力の斬撃を纏めて呑み込むと、そのまま攻撃を行っているであろう魔導師に直撃したはずだ。確かに手ごたえはあった。

 けれど、それでもなのはは警戒を緩めてなどいない。本能というべき部分が告げているのだ。相手はまだ倒れてはいない、向かってくると。

 その認識は正しかった。なのはの上空で爆発したかのように炎が膨れ上がり、そのまま巨大な塊となって突っ込んでくるのだ。砲撃で撃ち抜くか、シールドで防ぐか、素早く回避するか、なのはのとれる行動は三つ。そして、なのはは避けることを選択した。

 砲撃形態のレイジングハートを構えたまま、なのはは落下する炎の塊に巻き込まれないよう後ろへと下がる。だが、燃え盛る炎の音と共に通り過ぎた塊から、人影が飛び出してきて刀を振り上げ、向かってくるではないか! 

 

「くぅっ……」

 

 炎の中から人が飛び出してくるなんて予想外もいいところだが、なのはは何とか攻撃を凌ぐことができた。両手でレイジングハートを握りしめて刀の刃を受けとめ、鍔迫り合いになる。押し合う力は拮抗しているのか、互いの得物がカタカタと震える。

 

「こんばんわ。なのは? ダメじゃない良い子は寝てる時間よ?」

 

「えっ……アリ、サちゃん? きゃっ!!」

 

 だが、聞き覚えのある声で目の前の人物から話しかけられて、なのはは戸惑い一瞬だけ意識を逸らしてしまう。そのせいで力の緩んだなのはは押し切られ弾き飛ばされてしまった。それでも、相手の顔を見ようと向けた視線は逸らさない。

 間違いなかった。なのはと戦っている魔導師は友達のアリサ・バニングスだ。防護服が黒くて夜の闇に溶け込んでいるせいで認識しづらいが、なのはが羨むほどの見慣れた金髪に、とっても綺麗な顔立ちは心当たりがあり過ぎる。

 まったくと言っていいほど、なのはは訳が分からなくなった。どうしてアリサがなのはに立ち向かってくるのか、そもそも彼女が魔導師だなんて、なのはは知らない。アリサも魔法とは縁が遠いはずだ。そうでないならば念話を傍受して彼女のジュエルシード事件に巻き込まれていたはずだから。

 そんな、なのはの混乱をよそにアリサらしき人物は追撃の手を緩めなかった。一切の容赦も慈悲もなく全力で襲いかかってくる。構えた刀の切っ先を向けて突進。いわゆる平突きと呼ばれる技だ。

 アリサに良くの似た少女のの背中から爆発するようにあふれ出す炎。それは翼となって羽ばたき、彼女を凄まじい勢いで加速させる。その炎の輝きが闇の中では一層眩しく感じられて、なのはは思わず目を細めた。なのはは拙いと思考する。このままではやられる。

 

『プロテクション』

 

「ちっ、硬いわね」

 

 その窮地を救ったのは他ならぬレイジングハートだ。設定されている自動防御を独自の判断で展開。桃色の障壁が刀の切っ先を阻んで、なのはを傷つけることを許さない。

 再び互いの力が拮抗する。

 

「ねぇ、アリサちゃんなんでしょ? どうしてこんなことするの? 答えて!!」

 

 なのはは真摯な瞳でアリサらしき人物に問いかけると、彼女は静かに首を振る。

 自分はアリサではないと否定する。

 

「私はアスカ・フランメフォーゲル。紫天の書のマテリアルにして、抑制の欠片をつかさどる者」

 

「どういうことなの」

 

「分かりやすく言えば、同じ姿をした別人。そしてアンタが追いかけているディアーチェの友達で、アンタの行く手を阻む敵だってことよっ!!」

 

 そこまで聞いてなのはは思い至った。フェイトやクロノから聞かされていた、自分や友達によく似た少女たちが管理局員を襲った事件。恐らく彼女が犯人なのだろう。

 そして、ディアーチェという少女のことは分からないが、何となく高町家に居候していた高月ゆかりのことだと察する。ディアーチェ、それがゆかりの本当の名前なのだろうか? いずれにしても目の前の少女がゆかり。この際ディアーチェと呼ぼう。ディアーチェの関係者であることは間違いない。

 ならば、やることは決まっている。事情を聴くことだ。どうしてディアーチェが悲しい瞳をしていたのか、高町から家出することにしたのか聞き。できれば力になってあげることだ。

 

「アリサちゃ……」

 

「違うわよ。アタシはアスカ」

 

「あっごめんなさい。その、アスカちゃん教えてほしいの。どうして局員さんを襲ったのか。ゆかり、じゃなくてディアちゃんが何を抱え込んでいるのか。困っていることがあるなら、なのはも力になる。あなた達を助けたいの。だから……」

 

「その必要はないわよ」

 

「っ……どうして?」

 

 しかし、差し伸べた手は払われ、なのはのお願いも、申し出もきっぱりと断られてしまった。

 まさか、拒絶されるとは思ってもいなかったなのはは悲しげに瞳を揺らめかせる。まるで、アリサ本人から絶交でもされた気分みたいになって泣きそうだ。

 そんな、なのはの姿を見てあからさまに罪悪感で顔を歪めたアスカは、ああ、もうっと叫んで苛立つように頭を振る。

 

「別にアンタのことが嫌いだからってわけじゃない。むしろ逆で親愛の情も抱いている。『なのは』としてではなく、なのはとしてね。でも、だからこそアンタに関わってほしくないのよ……」

 

 そう告げるアスカの表情は、ものすごく辛そうだとなのはには映った。色々と感情を押し殺した雰囲気はかつてのフェイトにそっくりだ。

 だからこそ高町なのはにも譲れないし、引き下がることも出来ない想いがある。親友とは別人と言われても、姿や浮かべる感情に言動。何か何までアリサにそっくりな少女を放って置くという選択肢は存在しない。

 なのはは助けたいのだ。アリサとよく似たアスカという少女も、フェイトとよく似た少女も、短い間だったけど一緒に過ごしたディアーチェも。

 

「でも……」

 

「はぁ……納得いかないって顔してるわね。じゃあ、賭けをしましょう?」

 

「賭け?」

 

「そう、アタシが勝ったら二度と関わらない。アンタが勝ったら全てを教える。どうかしら?」

 

「……約束だよ? 私が勝ったらぜんぶお話してもらうんだから! あなた達が何を抱えているのか全部!!」

 

「上等!! そう簡単に勝てると思わないことねっ!!」

 

 鍔迫り合いの状態から一転。なのはは叫びと共にアスカの懐へと踏み込んで体当たりを行う。そのまま勢いよく両手で握ったレイジングハートを振り払い彼女を吹き飛ばす。自らも後退することで距離を取ろうとする。

 刃を交えたのは一瞬だけだが、戦ってみた感じではアスカが接近戦を得意とするようだ。ならば、距離をとって相手の苦手なロングレンジから攻めるのは定石ともいえる。それに遠距離からの砲撃はなのはのもっとも得意とする魔法。

 まずは、再び突撃を敢行してクロスレンジへと詰め寄るアスカを足止めする。

 

「ディバインシューター。いっけぇ!!」

 

 杖を振り上げ、瞬く間に周囲に生成される桃色の誘導弾。その数は六つ。今のなのはが完全制御できる最大数。

 そして杖を振り降ろすと同時に誘導弾はまっすぐアスカへと向かう。避ければ再追尾してしつこく追いかけまわすし、シールドで防いで足を止めようものなら、そのまま撃ち貫くのがなのはの算段。

 既に砲撃形態へと移行したレイジングハートの先端に魔力が収束し始めている。放つ魔法は十八番のディバインバスター。

 

 けれど、アスカが取った行動はなのはにとって予想外もいいとこだった。

 

「はあ! でや! ふん! せい!」

 

 炎の翼を大きく広げたままなのはに向かうアスカは、誘導弾を気にするそぶりも見せず速度すら落とさない。むしろ、加速したようにすら見える。右手には振り上げた紅火丸。左手にはいつの間にやら抜き放っていた紅火丸の鞘。漆喰で黒塗りされたかのような鞘だ。

 裂ぱくの気合とともに、そのまま向かってきた誘導弾を紅火丸ですれ違いざまに二発切り払い。炎の翼で二発を逸らして焼き尽くす。そこまでは良い。

 

「うそっ!?」

 

 だが、鞘であろうことか誘導弾を打ち返すのは非常識にも程がある。いままで経験したことのない事態に狼狽えたなのはは回避すべきか防ぐべきか迷ってしまった。

 打ち返された誘導弾は緋色に魔力光を染めて、まるでアスカに乗っ取られたかのよう。さらなる加速度をもって本来の術者へと牙をむく。もはや、誘導弾というよりは直射弾。それもフェイトのフォトンランサーのように馬鹿げた加速を誇るタイプ。

 もはや時間がない。慌てたように荒い機動で飛来した二発の弾丸を避ける。決定的な隙を晒してしまうが、直撃よりはマシだ。

 なのはがちらりとアスカを見やれば既に互いの距離はないに等しい。すぐにでも詰められて刀の斬撃有効範囲に収まってしまうだろう。まだ、ディバインバスターは集束しきっていない。

 

『撃ってください! マスター!』

 

「っ――!! バスタァァァ!!」

 

「うらああああ!! 舐めるなぁぁぁ!!」

 

 それでも、未完成な術式でも秘めた威力は十二分。アスカに向けて桃色の光の濁流が勢いよく放射される。

 しかし、一歩遅い。瞬間的に加速したアスカは紅火丸でレイジングハートの矛先を振り払い、射線を逸らした。あらぬ方向へと照射された砲撃が、仮想の街並みを粉砕していく。

 拙い。まずい。マズイ!! 超密接近接戦闘はアスカの得意分野でなのはの弱点だ。防ぐだけで精一杯になってしまう! なのはに焦りが生まれる。呼吸が緊張で荒くなる

 アスカが横薙ぎに振り払った刀を返す刃で戻し、再び紅火丸の凶刃がなのはを襲う。それをなのははレイジングハートの柄で防いだ。杖の真ん中で受けとめた紅火丸の刃がレイジングハートのフレームに罅(ひび)を入れていく。元々、接近戦を前提としたアームドデバイスと射撃魔法を主に想定したインテリジェントデバイスではフレーム強度に雲泥の差がある。かち合えばレイジングハートが砕け散ってゆくのは当然の結果と言えた。

 

「あっ……!?」

 

『お気になさらず、マスター』

 

 なのははレイジングハートで防いだ結果に驚愕した。愛杖は心配いらないと呟くがそうもいかない。すぐにアスカを蹴り飛ばし、掌からシールドを発生させて追撃して来るアスカの連撃を阻んだ。なのはの膨大な魔力で編まれたシールド魔法は鉄壁にも等しい。少なくともこれでレイジングハートが傷つくことはない。あとは高速移動魔法のフラッシュムーブで距離をとって再び遠距離からの攻撃を試みようと考えた時。

 

 アスカが刀を鞘に納めて身構えた。

 

 ぞくり、となのはの肌に悪寒が走る。背筋が凍り付いたような感覚。何か、とても嫌な予感がした。

 

「カートリッジロード!!」

 

『魔力薬莢装填』

 

 アスカの叫んだ一言と共に紅火丸の柄先がスライドして一発の弾丸が白煙を吹きながら排出された。なのはは目を見開いて驚く。信じられないことにアスカの魔力がぐんと上昇したのだ。大規模魔法を行使するときのように徐々に高まるのではなく、文字通り急激な魔力の上昇を起こした。背中から吹き出す炎の翼は、よりいっそう激しさを増して猛るように燃える。そこから溢れだした火の粉は煌めきながら導かれるように紅火丸へと集っていき鞘の内側に集束、鞘から覗く刃が赤熱して輝いていた。

 

「紅蓮抜刀!!」

 

 足元に展開する三角形の魔法陣。なのはの使うミッドチルダ式とは異なる形の魔法。それを足場にしてアスカを腰を低く構えると、気合の叫び声を上げながら目にもとまらぬ速さで踏み込んで刀を抜刀する。振り上げられた刃がアスカの攻撃を微塵も通してこなかったなのはの防御をあっさりと、まるで紙屑みたいに切り裂いていく。

 

「あつ! ぐぅ!」

 

 なのはのバリアジャケットは意味を為さないかのように赤熱した刃を止めることができない。切り裂かれた痛みと熱で焼かれた痛みが同時になのはを襲い、思わず苦悶の声を漏らしてしまう。非殺傷設定なので実際に傷ついたわけではないが感覚だけは現実味をもって味わうことになる。

 

 アスカの追撃は終わらない。

 

「これで終わり!!」

 

 刀を振り上げた体勢からさらになのはへと深く踏み込んで懐へと潜り込むと、いまだ炎が集束し続けて燃え盛る紅蓮の刃を振り降ろさんとする。絶体絶命のピンチ。なのはは痛みに気を取られていて魔法を発動しようにも集中しきれない。展開した術式が途切れてしまう。

 

(こんなところで……)

 

 視界に映るアスカがやけにゆっくりと動いていて、思考が何倍にも加速したような感覚になのはは陥っていた。このまま何もしなければなのはは負けてしまう。そうすれば約束した通りディアーチェ達のことに関与できなくなる。約束を破って無理やり介入することも出来るが、そうすれば彼女たちは心の全てを打ち明けてくれないだろう。なのははそんな事が絶対に嫌だった。

 決意したのだ。お話し合って、辛いことも悲しいことも分かち合って、それができないなら全力でぶつかり合って抱えたモノを全部受け止めようと。

 だから。

 

「負けるもんかっ! 勝つんだ! 勝ってアスカちゃんと、ディアちゃんと想いを分かち合うんだから!!」

 

『マスター、貴女に力を』

 

 高町なのはは諦めない。

 ならば、それに全力で答えるのが術者の願いを反映するインテリジェントデバイス。レイジングハートの役目だった。

 なのはの意志とそれを叶えようとするレイジングハートの意思が新たな術式を生成していく。魔法を構成する数式や理論を感覚で組み上げていき、絶体絶命の状況を打破する為の力を完成させる。

 なのはの差し出した右手。その手のひらから桃色の障壁がなのはを包むように広がった。一見すればただのプロテクションだ。シールドよりも強度が低いバリア系の防御魔法。これではアスカの斬撃を防ぐことはできない。普通ならば。

 

『バリアバースト』

 

「なっ……!?」

 

『予想外……想定外……』

 

 果たして驚愕した声はアスカのものなのか、彼女が手にする紅火丸のものなのか。どちらにしろ判断するのは難しいだろう。

 紅火丸の刃が展開したプロテクションに触れた瞬間、展開する防御魔法の魔力が膨れ上がった。そしてアスカ目掛けて指向性を持った爆発が襲いかかったのだから。それはアスカの攻撃を弾くどころか彼女自身を吹き飛ばしてダメージを負わせるほどの威力を秘めていた。

 爆風と衝撃で相手を吹き飛ばしつつ、なのは自身も技の衝撃で後退する攻防一体の攻勢防御魔法。それが新たに生み出したバリアバーストと呼ばれる魔法の正体だった。

 

「はぁ……はぁ……これで……」

 

 荒い呼吸を繰り返しながらなのはは呟く。咄嗟に編み出した魔法なので未完成な部分が多く、なのはに無駄な消耗を敷いていたのだ。お腹から肩口まで斬られたダメージと相まってちょっとだけふら付く。だが、消耗しているのはアスカも同じだ。彼女は至近距離でバリアバーストの直撃を受けている筈。発生した魔力の煙のせいでまともに前が見えず確認できた訳ではないが、確かな手ごたえはあった。

 

 けれど。

 

「残念だったわね」

 

「そんな……どうして……」

 

 信じられないことに煙が晴れた先にいたのは無傷の姿で、炎の翼をはためかせチャイナドレスを風で揺らしているアスカの姿だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 なのはが必死の形相を浮かべて叫びながら展開した防御魔法。その時、攻撃を加えていたアタシは間違いなく慢心してたんだと思う。

 現実世界に具現化することなく紫天の書の内部で過ごすこと二週間。アタシはただひたすらに己を鍛えてきた。レヴィやナハトと模擬戦を繰り返し、未熟な魔法を完成させ、新しい術を編み出そうと頑張ったのよ。クロノという少年に手も足も出なかったのが、アタシは物凄く悔しくて。だから、強くなろうとした結果だった。

 その甲斐あって魔力量では到底及ばないであろうなのはの防御をあっけなく破ったとき、アタシはやれると確信した。鍛えてきた努力は無駄ではなかったんだって喜んだ。

 だから、勢いに任せて追撃の手を緩めず、一撃の名のもとになのはの意識を刈り取るつもりだった。

 

 結果は土壇場での編み出したあの子の魔法で反撃をもろにうけるという惨めなもの。

 

 爆発した時に煙幕が発生してくれてホントによかった。おかげでアタシの無残な姿をなのはに見せなくて済んだのは幸いね。だって、あまりにもグロテスクだったから。爆風で致命傷を負ったのは二度目だ。クロノ執務官のバインドから逃れようと自爆したとき。そして、なのはの爆発する防御魔法を受けたとき。一度目は紅火丸を握っていた右腕が吹っ飛んで指がバラバラになって地面に転がった。二度目は咄嗟に顔を庇った左腕が千切れて消滅した。

 噴き出す血が粒子となって消えていく光景を見ながら、アタシは勝てると油断した自分自身を戒める。忘れていた。あの子もなのはだってこと。不破『なのは』といい高町といい、 ピンチの時ほど強くなるんだからシャレにならないわよね。アンタらどこの戦闘民族かと。

 でもアタシにだって負けられない理由がある!!

 

 なのはは優しい子だから、悲しい雨の日から優しさを失う前の『なのは』と同じくらい優しいから。きっとアタシ達の事情を知れば助けようとする。けど、待ち受けている真実はあの子が思っている以上に残酷だ。そして、あの子を必要以上に傷つけるのは目に見えてる。アタシは傷ついて悲しんで泣くあの子を見たくない。

 だから、この先には絶対に行かせない。これ以上、なのはを関わらせるわけにはいかない。

 

 腕を失ってお腹に風穴が開いちゃうくらいの重症。前の戦いの時だったら、これでアタシの負けだ。でも、今は違う。

 主であるディアーチェが、無限の魔力を持つユーリが居てくれる。魔力が尽きなければアタシ達マテリアルは何度でも蘇れる。そして、アタシの特性は炎。おとぎ話の火の鳥は炎を纏って新生するのと同じように、フランメフォーゲルの名を冠するアタシも他のマテリアルにはない再生能力を持って復活できる。

 背中から溢れ出る炎の翼がアタシ自身を包んで焼く。もっとも焼いたように見えるだけで、本当は魔力を供給してるんだけどね。その魔力を使って躯体を造り直す。失った左腕を炎が形作っていくと見事に元通りだ。開いたお腹も塞がる。

 そして、炎を振り払えばアタシはものの見事に転生したわけ。無傷の身体を取り戻し、破損した防護服も新品同様。

 

「手ごたえはあったのに……なんで?」

 

 なのはが驚きを隠せないって顔してるわね。

 無理もないか、確実に攻撃はきまったものね。でも、大怪我した姿を見られるよりはいい。きっとあの子のトラウマになる。心に一生モノのキズを残す。そんなのに比べたらアタシのズルみたいな復活劇なんて安いもの。罵られたって構わない。

 卑怯かもしれないけど、このまま決めさせてもらう。できなくても持久戦に持ち込んで消耗させる。どちらにせよアタシの勝ちは揺らがない。

 

「悪いけど次で終わりよ」

 

「っ!?」

 

 アタシが紅火丸に炎を纏わせ、なのは目掛けて振り抜くと。飛び出した炎は巨大な火炎の渦となってなのはを閉じ込めた。回避しようにも炎の濁流だ。全身を防御で固めないかぎり、防ぐことはできない。無理に抜け出そうとしたら、それで消耗したなのはは墜ちるだろう。

 別に炎の濁流を直接ぶつけてやるのも手のひとつ。そうしないのはこっちの方が確実性があるから。直接、紅火丸を使って斬り伏せた方が威力が出るのだ。なのはの防御魔法はアタシの生半可な中距離攻撃魔法を難なく防ぐだろうし、あの子が得意とする遠距離戦では分が悪い。だったら近づいて斬れ! を実践したほうが良いに決まってる。もちろん、アタシにも最強の遠距離攻撃魔法はあるけど、アレは未完成だから実戦でなんてとてもじゃないが使えない。

 この炎の渦は次の攻撃を確実に当てるための布石。さっきみたいに居合抜きでシールドごとぶった斬ってもいいけど溜めを必要とする以上適切な技とは言えない。だから、なのはの体勢が整わないうちに最速の技でもって沈める。今からアタシが繰り出す突き技で。

 レヴィ程ではないけどアタシにだって突進力には自信がある。炎の翼から生み出される推進力を使って繰り出した一撃は、充分すぎるほどの威力を叩きだせるはずだ。

 

「紅火丸」

 

『承知!』

 

 アタシの掛け声を受けて紅火丸が気合のこもった返事をする。ホントに頼もしい相棒。語る言葉は少ないけれどアタシの期待に確実に答えてくれる。裏切ったりなんてしない。だからこそアタシも全力で信頼する。

 柄の内部に収められた三発のカートリッジ。それを全弾装填してアタシ自身の少ない魔力の底上げを図る。魔法の才能がないアタシが強烈な一撃を繰り出すためにどうしても必要なことだ。そして、高まった魔力を背中から吹き出す炎の翼に全部回して、文字通り爆発の勢いに任せてアタシは炎の渦の中をなのは目掛けて飛翔する。疾走して駆け抜ける。

 

「はあああぁぁぁぁ!!」

 

 刀を持つ右腕は最大限にまで引き絞れられ、前に突き出した左腕がその力を高めてくれる。筋肉が引き締まる感覚。疾走する勢いをのせたまま解き放てば絶大な一撃を発揮するでしょうね。防御なんて意味を為さないくらいに。

 なのはが身構える。痛むのか、右手で斬られた傷を押さえながらシールドを展開してアタシの進撃を阻もうとしてる。まあ、ないよりはマシなんでしょうけど。

 だけど、この一撃は下手すれば先の居合抜きより強力な一撃。弱ったなのはに防ぎきれるものではない。何より消耗と傷のせいでさっきよりも防御魔法の強度が下がってる。アタシは今度こそ勝利を確信する。

 

 鳴り響くのはキーンという金属の甲高い音。

 

「嘘でしょ……?」

 

 ……信じられないことにアタシの全力を持って繰り出した一撃は堅い手応えと共に阻まれていた。ゆ、油断も慢心もしてなかったわよ! でも、これ以上ないくらい最大限の一撃は本当に防がれてたんだから……止められた紅火丸を両手で持ち直して力を込めても、止められた刃はうんともすんとも言わない。

 アタシの目の前に広がるのは淡い緑色をした優しい魔力光。幾学模様をした円形のシールドがなのはに対する凶刃を拒絶する。防いだのはなのはじゃない。そもそも、なのはの魔力光は桜色にも似た桃色。これは違う。

 アタシの目の前にいたのは金髪に翡翠の瞳をした少年だった。民族的な防護服が特徴的。その眼光は鋭く決意に満ちていてアタシを見据えて離さない。この目つきをアタシは知っている。たとえ何があっても絶対に退かない。譲らない想いを秘めた。そんな瞳だ。

 

「ユーノ君……」

 

「なのははボクが護る! 誰にも傷つけさせはしないっ!」

 

 アタシの前に立ち塞がったのはユーノ・スクライアその人だった。

 はは……まさか、ここに来て援軍が現れるなんてね。管理局はてっきり陽動を担当するディアーチェの方に全戦力を割いたと思ってたんだけれど、あてが外れたわ。

 ……運のなさも実力のうちという事か。だけど、それでもアタシは退けない! 挫けない! 譲ることはない!!

 

「……久しぶり、というのはちょっと違うかしらね。でも、例えアンタであろうともアタシは――」

 

「退いてほしいアスカ。できれば君を」

 

「傷つけたくない? あるいは戦いたくないかしら? それとも勝ったつもりなの? そこからくる余裕? なめんじゃないわよ……アタシはアスカ・フランメフォーゲル! ディアーチェに仕える騎士にして親友だ! あの子の為にアタシは最後まで戦う!!」

 

 ユーノの言葉を遮ってアタシは叫ぶ。咆哮一喝。それと同時に紅火丸を振り上げて二人に飛び掛かる。

 たぶん、アタシは負けるんだと思う。それでも最後まで戦うことをやめないのは勝てる可能性が少しでもあるから。なら、諦めるという選択肢はアタシにはない。

 あとは上手くやんなさいよ? レヴィ、ナハト。

 



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〇幕間4 真実の断片

 海鳴市のビルがたくさん並んだオフィス街。そのとあるビルの屋上にてアスカは四肢を緑の輪っかで拘束され、緑色の鎖が逃すまいと手足を伝いながら全身に巻かれ、がらん締めにされて捕らわれていた。まるで十字架に張りつけにされたかのような格好だ。ユーノのリングバインドとチェーンバインドによる拘束は強固であり逃げ出すことは不可能に近い。アスカも諦めたかのように大人しくしているが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。なんというか全てをやりきったかのような満足した表情である。

 それも、そのはずアスカは良く抵抗したと言えるからだ。なのはが万全な状態ではないとはいえディバインシューターによる後方からの援護射撃。前線にでてきたユーノによる各種バインドの弾幕の嵐。特にチェーンバインドは蛇のようにうねり、執拗にアスカを追いつめた。アスカの攻撃はことごとくユーノの鉄壁の防御陣によって無効化され、なのはを狙おうにもユーノがそれをさせず、隙を見せればバインドで捕らわれるギリギリの戦いだったのだ。

 結局、彼女は猛攻ともいえる魔法の前に耐えることができず、こうして捕まってしまったわけだが良く健闘した。魔法の才能でなのはとユーノに圧倒的に劣るにもかかわらずニ対一の状況で数分に渡って戦い続けたのだから。

 いくら無限の魔力を供給されて不死鳥の如く再生できると言っても、拘束された状態では意味を為さず、抵抗しようにもバインドに何らかの術式が施されているのか力を発揮できないのだった。何でも対魔法生命体用に調整された術式らしく、必要以上に傷つけることもないらしい。これで非殺傷設定と同等の効力を発揮できるわけだ。なのはのデバイスにもユーノから同じものがインストールされている。

 なのははユーノに治癒魔法を施されながら申し訳なさそうな表情でアスカを見ていた。たぶん、正々堂々と戦わずにニ対一で戦って勝ったことに納得がいかないんだろう。あのまま戦っていれば確実にアスカが勝利していたのだ。

 

「アタシの負けね……約束どおり答えられることなら何でも教えてあげるから」

 

「アスカちゃん、でも……」

 

「気にすんじゃないわよ。なのは。どんな形であれアタシは負けて、アンタは勝ったのよ? むしろ誇りなさいな」

 

 気落ちするなのはにアスカは清々しいくらいの微笑みを向ける。どんなときでも凛として変わらない『アリサ』という少女は、たとえ負けたとしても潔く堂々としている。その態度と高貴な者が持つ特有のカリスマと相まって見惚れてしまうくらいに美しい。さすがは将来、上に立つはずだった社長令嬢といったところか。

 アスカの笑顔に当てられたのか、顔をあげてようやく、はにかんだ笑顔を浮かべるなのは。そうだねと言って胸を張ると、アスカの正面。目と鼻の先とは言えないまでも結構なところまで近寄った。約束通り、お話するために。

 

「ねぇ、アスカちゃん。どうして局員さんと戦うの? なんで、彼らを憎んでいるの?」

 

「…………沈黙も答え、と言いたいところだけど約束したとおり教えるわ。でも、ちょっとだけ決心する時間をちょうだい?」

 

「うん、いいよ」

 

 なのはの了承にアスカはありがとうと頷く。そして、どこか泣きそうな瞳、悲しそうな表情を浮かべて遠くを見るように夜空を見上げた。アスカの視線の先ではディアーチェと守護騎士、そして介入を始めた時空管理局が戦っている。

 やがて、アスカは首をがっくりと落して盛大なため息を吐くと静かに語り始めた。管理局に戦いを挑む訳を。自分たちがどういった経緯をたどったのかを。

 

「始まりは今から約三週間後のクリスマスイブだった」

 

「えっ、でも、今日は一二月二日……」

 

「話は最後まで聞きなさい。そこでアタシ達は八神『はやて』って言う女の子のお見舞いを兼ねてクリスマスを祝うつもりだったのよ。アンタもその子の鍋パーティーに誘われたでしょう? 交差した髪留めが特徴的な女の子」

 

 なのはは交差した髪留めの女の子に心当たりがあった。この二週間、できるかぎり傍にいて一緒に日常を謳歌した女の子。白銀のような髪で毛先を黒く染めた彼女は紫色の同じような髪留めをしていた。いつもは温和な態度(恐らく演技だったんだろう)なのにからかうと尊大で偉そうな態度をする彼女は名をディアーチェと言ったか。

 

「あっ、もしかして」

 

「その通りよ。彼女こそがディアーチェであり八神『はやて』。そして、アタシはアスカであり『アリサ』・バニングス。アンタの親友のアリサと同一人物よ」

 

「まさか、君たちは未来の並行世界からやってきたとでもいうの?」

 

 ユーノの言葉にアスカはこくんと頷いた。アタシ達も予想の域を出ないけどねと言いながら。

 これは一大事だとユーノは唸る。管理局の予想ではマテリアルの少女たちをロストロギアがコピーした魔法生命体だと思い込んでいた。しかし、並行世界からやってきた来訪者だとすれば話は違ってくる。暴走したロストロギアではなく。ロストロギアに巻き込まれた被害者だという事だ。

 

「そして、この世界にも当然、八神はやては存在する。彼女は闇の書の主だったらしくてね。書の呪いが原因で足が不自由だった。何かと生活に困るのは想像がつくでしょ? そこを偶然助けたのが『すずか』たち。それが縁となってアタシも友達になった。この世界もおんなじような経緯をたどったみたいだけど」

 

「アスカちゃん。すずかたちって?」

 

「付添いがいたのよ。それがアタシの世界の『なのは』と『アリシア』だった。ああ、この世界じゃフェイトだったかしらね。ん? どうして名前がフェイトなのかって? 説明しなくていいわよ。他人の過去を詮索する趣味はないわ。で、仲良し四人組メンバーはプレゼントを用意して海鳴大学病院に向かって……それで……」

 

「それで……どうなったの?」

 

「ごめん。詳しくは知らないのよ。途中まで最高に楽しいクリスマスだった。はやても、守護騎士のみんなも、アタシ達も笑っていた。アタシは寒い季節だから温かい飲み物が欲しいだろうって気を使って一階の自販機までの飲み物を買いに行って……そこから記憶がないわね」

 

「そっか」

 

「でも、確かなのはアタシ達は時空管理局に殺されたってことよ」

 

「うそ……だって、時空管理局はロストロギアや災害から人々を護る警察官だって。そんなことするはずないの!!」

 

「事実よ。でなければレヴィやナハトがあそこまで恨むはずないもの。それに闇の書は危険なロストロギア。そうでしょ? ユーノ。アンタの方が詳しいだろうから教えてあげなさい」

 

 なのははアスカの言葉を認めたくないように首を振る。ジュエルシード事件の時、リンディ提督やクロノは親身になってなのはの世界をロストロギアの脅威から救わんと頑張ってくれた。事件の犯人であるにも関わらずフェイトを助ける為にいろいろと便宜を図ってくれた。そんな良い人たちがロストロギアを封印するために他の人を犠牲にするなど信じられなかった。

 アスカは何を言っても無駄だろうと悟ると、第三者のユーノに説明を求めた。闇の書の危険性はアスカもディアーチェやシュテルに説明されて理解している。世界を滅ぼして回った有名なロストロギアだと。ならば、魔法が使える管理世界の出身である彼も闇の書の脅威を充分に知っているだろう。そして、そんなロストロギアを前にして管理局がどんな行動をとるのかも。

 

「闇の書がこんなところにあったなんて……」

 

「ユーノ君、闇の書ってなんなの?」

 

「闇の書は第一級封印指定のロストロギア。数多の次元世界を渡り歩いては滅ぼしてきた災害。見つけたら即座に封印しなければいけないシロモノなんだ。そして、その災害はずっと昔から続いている。一説には管理局が創設される前からも。なのは。そんなロストロギアの被害にあって家族や友人を奪われた人はどう考えると思う?」

 

「そのロストロギアのせいだって悲しんで、まさか……」

 

「恨みを抱くだろうね。管理局にも闇の書の被害に遭った人は多い。強硬手段に出た可能性はある。君たちは殺された復讐をするために、こんなことを?」

 

「復讐したいって子もいるけど、生憎と復讐のせいで人生をめちゃくちゃにされた子が居てね。その子のおかげで復讐はなんとか止められた。どっちかといえば、最悪の未来を回避するために行動してる。このままいけば同じような未来を迎えるかもしれないから。アタシが言えるのはここまで。他にもいろいろとあるんだけど、個人に関わることだから教えられないわ」

 

「だったら今からでも、遅くはない。投降して僕達と協力してくれないかな」

 

「そうだよアスカちゃん。みんなで考えた方がきっといい方法が見つかるの! それに、なのはたちがそんなことさせないから!!」

 

「無理よ」

 

 ユーノ達の申し出をアスカはきっぱりと不可能だと断言する。それこそ迷いなく二の句も継がせないような迅速さでもって。

 ユーノは困惑した表情を隠しきれず、なのはは納得がいかないような顔だ。なんでなのとアスカを涙目で問い詰めてしまうくらいに狼狽えている。

 そんな二人に対してアスカの言葉はまさに冷や水を浴びせるようなほど、淡々としていて冷酷な一言だった。

 

「じゃあ聞くけど、アンタたちは殺した組織に協力してくださいと言われて、はいそうですかと頷けるのかしら」

 

「あっ……」

 

「それは……でも……」

 

 無理だろう。一度殺された身だ。しかも、闇の書と同等クラスの危険物を抱えている。再び封印するために殺されるのではと疑うだろう。そうでなくても抱いた恨みが消えるはずもなく、警戒して疑心暗鬼に陥るのは必然と言える。

 なのはもユーノも、同じ境遇になったらと思うと、何も言い返すことはできなかった。

 

「どっちにしろ上手くいかないのは目に見えてる。だったらアタシ達は独自の方法で未来を変える。そして、邪魔するならたとえ管理局も、守護騎士も、友達のアンタ達だって容赦しないわ! と凄んでみても無駄ね。アタシは負けたんだから。ねぇ、なのは」

 

「なにかな……アスカちゃん」

 

「この真実はまだ優しい。けど、これから待ち受ける真実はもっと残酷でアンタを傷つけるわよ? それでも、アンタはアタシ達に立ち向かうの?」

 

「心配してくれてるの?」

 

「べ、別に、アンタが心配でいってるわけじゃないわよ! ただ、邪魔されるのが癪だから脅して家に帰らせようとしてるだけ。そう、きょーはくよ。脅迫!」

 

「そっか、ありがとね。でも、やっぱりアスカちゃん達のこと放って置けないよ。間違いを犯さないように止めてあげたいし、困ってるなら力になる。だから、わたしは立ち向かう」

 

「……そう、だったら何も言わないわ。まっ怪我しないように気を付けなさい」

 

 それだけを言い残すとアスカは何も言わなくなった。もう話すこともないんだろう。

 

「行こうユーノ君。こうなったらディアちゃんを力づくで説得するの」

 

「あっ、待ってよなのは」

 

 なのはとユーノはアスカを置き去りにしたままディアーチェの元へと飛び去って行く。まあ、妥当な判断だろうアスカ単独では逃げ切れないし、そもそもユーノのバインドが強力過ぎて解除できないのだ。レヴィとナハトは助けに来れる状況ではない。ディアーチェも同様。たとえ助けに来たとしてもアスカはお断りだった。小さなことで大事なことを失敗してほしくないから。

 せいぜい、アスカに出来ることは祈ること。すべてがうまくいくように。そして。

 

「頑張んなさいよ、なのは。アンタが辛くて苦しい現実に押しつぶされないことを願ってるわ」

 

 この世界の大事な親友が残酷な現実に壊されてしまわないように。アスカは祈り続ける。

 

 



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○闇統べる王

最新話じゃなくて、補完の話。
相変わらず汚い文章と王様のテーマでお送りします。


「うぬらの持つ闇の書は、我ら紫天に集いし欠片が頂いていく!」

 

 守護騎士に対して放ったディアーチェの宣言とともに、十字杖、エルシニアクロイツから魔力の奔流が迸り、シグナムを打ち倒さんと振るわれた。

 振るわれた杖から膨大な魔力が砲撃の術式に変換され、ディアーチェの魔力光を反映した黒紫の輝きが瞬く。

 シグナムに迫りくる光はアロンダイトと呼ばれる砲撃魔法。着弾した瞬間に爆風が吹き荒れ、砲撃と爆発による二重のダメージを与える。シュテルの砲撃が防御魔法の貫通力に優れるのならば、こちらは防御ごと粉砕するような一撃。

 いかに、シグナムの防御に優れた甲冑であろうとまともに受ければ撃墜は必須だった。

 

「ッ……!!」

 

 シグナムは慌てて真横にかっ跳ぶようにして交わす。砲撃がシグナムのいた場所を通り過ぎて、付近のビル群を崩落させた。余波だけでシグナムの甲冑が削れる。直撃していないのにも関わらず、この威力。いつものように無駄なく最小限の動きで、最大限の攻撃を。そんな方法で避けて、反撃に移っていたら終わっていた。背中から冷や汗が流れ、背筋が凍る。

 

 この主に似た少女……感じられる圧倒的な重圧感に違わない能力を秘めている。油断したらやられる……

 だが、相手は一人。そこに勝機があった。

 

「てりゃああああぁぁぁ」

 

 ディアーチェの背後からヴィータがグラーフアイゼンのロケットブースターを噴射させて突っ込んでくる。完全なる奇襲だ。相手は砲撃の硬直で一瞬だけ動けない。だが、その一瞬こそが決定的な打撃を与える隙になる。

 獲った。そうシグナムは確信した。破砕鎚から繰り出される一撃の破壊力は、シグナムの奥義である紫電一閃すら上回る。ましてや噴射機構による爆発的な加速が加わっているのだ。並大抵の魔導師なら必殺する一撃。シールドを張ろうが防御ごと粉砕する打撃力。ヴィータの十八番だ。

 だからこそ、次の結果には驚きを隠せない。

 

「うおりゃぁ!! なっ……」

「油断も隙もないな……鉄槌の騎士。闇に、沈めぃ!!」

 

 未だ背後を向けるディアーチェに勢いよく振り降ろさせるグラーフアイゼンの鉄槌。

 だが、半身を振り向かせたディアーチェが、ヴィータに向けて十字杖を掲げ、いとも簡単にシールドで防いでしまった。グラーフアイゼンの尖った先端が黒紫の光の壁を打ち破らんと唸るが、うんともすんとも言わない。

 展開したシールドと攻撃するデバイスの間で眩い火花が飛び散る中、もう片方のディアーチェの手がシールド越しにヴィータに向けられた。

 拙いと思った瞬間よりも早くシグナムは動き出している。ヴィータの攻撃が防がれた時点で次の一手を本能的に繰り出していた。

 

「飛龍・一閃っ!!」

 

 足元に淡い紫色の幾学模様の魔法陣。三角形となって回転するベルカ式の魔法陣。カートリッジを一発使用して空になった薬莢を排出する。自身の魔力を爆発的に高める。太く分厚い鞘にシグナムのデバイスを収めると、収めた剣を掲げた体勢で一気に抜刀する。振り降ろす。

 炎を纏った剣が、鉄線で結ばれた無数の刃に分かれて伸びる。蛇腹剣と呼ばれる遠距離攻撃可能な特殊な形態。炎の爆砕音と共に迸る炎剣の刃は、ディアーチェに食らいつかんと空を疾走して駆け抜ける。

 それと同時にディアーチェの手のひらから発生した暗黒球がヴィータを呑み込まんとするが。

 

「させません」

 

 旅の鏡で転移してきたシャマルが、ヴィータの背後から現れると同時に。彼女を抱え込んで消えた。一瞬で安全な後方に転移したのだ。

 

「縛れ。鋼の軛!」

 

 そして、シグナムの奥義を確実に叩き込むため。ザフィーラの拘束魔法がさく裂する。

 ディアーチェが何かをする間もなく。彼女の周囲に現れた蒼白のベルカ式魔法陣から無数の軛が飛び出して、それは幾重にも重なり合い王を閉じ込める檻と化す。

 長年、闇の書の守護騎士として戦ってきたヴォルケンリッターならではの息の合った連係だった。ディアーチェは為す術もなく炎を纏った飛龍の顎に呑み込まれていく。

 轟音と眩い閃光が辺りを照らした。魔力の爆発で起きた煙がディアーチェを覆い隠す。

 

(手ごたえはあった。あったはずだ)

 

 シグナムはレヴァンティンの刃を手元に引き寄せながら、警戒を緩めない。

 飛龍一閃は並みの魔導師なら防いでも、防御の上から一撃で墜とせる威力だ。まして、直撃ともあればなおさら無事ではいまい。だというのに、この言い知れぬ不安は何だろうか。胸の鼓動が早くなるほどの焦燥感。あの少女からは、何か、圧倒的なものを感じて仕方がない。

 この程度で終わるような容易い相手ではないと、長年養ってきた戦士の勘がシグナムに告げている。ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも構えを解かぬまま、油断なく煙の晴れない場所を見つめていた。

 

 果たして現れたのは無傷のディアーチェだった。埃でも払うかのように防護服の袖を手で払うと、口元を釣り上げて不敵に微笑んだ。

 

「惜しかったな? だが、半ば覚醒した紫天の書、もとい闇の書の主の前では生半可な攻撃など通じん」 

「闇の書の主、だと……」

 

 ディアーチェの告げる単語に聞き捨てならないものが含まれていて、シグナムは明らかに狼狽えていた。驚愕を隠せないと言った様子。

 やはりそうなのだろうか。一目見た時から、彼女は似すぎているのだ。守護騎士たちにとって大切な存在である八神はやてと、あまりにも。姿が瓜二つとかそんな問題ではない。雰囲気、時折見せる仕草、表情に至るまで彼女は、はやてとそっくり……いや、同じなのだ。

 それに闇の書の主とはいったいどういうことだろう。確かに彼女から感じる強大な魔力の波動はシグナムの知っているものと似ている。闇の書とはやての魔力を合わせれば同じようになるのだろうか。だけど、それはありえないことだ。それでは闇の書が二つ、闇の書の主が二人存在することになる。

 

 シグナムだけではなく、ヴィータも、普段は冷静なシャマルとザフィーラでさえ、ディアーチェの存在に戸惑いを隠せない。どうしても彼女を相手に全力を行使することなど出来なかった。現にシグナムとヴィータは最大最強魔法を使っていないし、ザフィーラの鋼の軛も全力で放ってなどいない、どこかで手加減してしまう。

 

 それを察しているのかは知らないが、ディアーチェは笑みを隠すと腕を静かに振るった。何かあるのかと警戒する守護騎士たち。

 果たして現れたのはディアーチェの全周囲を覆う防壁だった。普段は不可視化されて見えないであろう防御魔法は、限りなく薄い紫色の膜を張っている。

 

「これこそが我を守る"物理魔力の複合四層防御"今は訳があってナハトに譲り、一層しか展開できぬ。だが、貴様らの攻撃を防ぐには充分すぎる代物よ」

(これは……)

 

 守護騎士の参謀であり、補助型の騎士でもあるシャマルは、見せられた魔法を分析して悔しげに歯噛みする。確かにあの魔法、通常攻撃ではどうやっても破壊できない。破るにはシグナムのファルケンか、ヴィータのギガントシュラーク級の破壊力が高い魔法でなければ無理だ。

 それを繰り出すにはどうしても隙ができる。その隙を見逃すディアーチェではないだろう。繰り出そうとすれば確実に致命的な一手で妨害を加えてくるに違いない。喰らえば一撃で落ちるような攻撃を、だ。

 仮に先のような連撃を何度も加え、展開している防壁にダメージを蓄積させて破壊する方法もあるだろうが、そんなことをすれば此方の体力が先に尽きてしまう。何とか状況を打開する一手を見つけなければならない。

 

 それにしても、目の前の相手は闇の書の主に似すぎている。心優しい"はやて"に似ている。歴代の主が覚醒した姿に似ている。それがどうにもやり辛い。尊大な態度をしているくせに、どこか泣きそうな表情で攻撃を仕掛けてくるのもやり辛い。

 

「故に貴様らでは絶対に勝てぬのだ。な。だから、大人しく闇の書を渡すのだ。そうすれば手荒な真似はしないと誓おう」

 

 最後通告でも告げるかのようにディアーチェは守護騎士に降伏を促す。

 そう、こうして降伏勧告してくるのもそう。まるで、守護騎士である自分たちとは戦いたくないとでも言っているかのようで。でも、それでも自分たちは決めたのだ。誓ったのだ。

 

(わり)いけど――」

 

 ディアーチェの言葉を遮ったのはヴィータ。彼女は振り払った鉄槌をゆっくりと肩に担ぎなおすとと苦しげに吐きだすかのように言葉を紡ぐ。戦いになると苛烈な彼女にしては珍しく、何処か迷っているかのようだった。

 

「……悪い、けどさ、闇の書ははやてを救うために必要なんだ。あんたの目的が何なのか知らないけど、渡すわけにはいかねぇ」

 

 ヴィータが代弁してくれたが、それは守護騎士全員の総意。

 彼女たちは決意したのだ。あの日、あのビルの屋上で。はやてを救うためならば、殺し以外は何でもすると。たくさんの人々を苦しめて、はやての意思に背き、力を振るっては蒐集してきたのだ。今更、止まるわけにはいかないし、道半ばで犠牲を無駄にするなどあってはならなかった。

 こんな所で立ち止まるわけにはいかない。今も闇の書の呪いで苦しみ続けるはやてを救うのだ。それから、彼女に全部打ち明けて、いっぱい叱られて、また家族皆で平和に暮らす為に。

 

「そうか……」

 

 ディアーチェは悲しげに目を伏せた。

 自分に隠し事をしてまで蒐集をして、主である『はやて』を救おうとした守護騎士たち。彼女たちがどんな想いで蒐集を続けて、どれほどの覚悟を秘めていたのか。ディアーチェは紫天の書の主として覚醒しても。ついぞ知ることは出来なかった事だ。

 ただ、王に分かることは、この騎士たちは絶対に意志を曲げず、退かないということだ。はやての願いでもない限り覆すことは出来ない。圧倒的な力に屈することもないだろう。文字通り最後まで意志を貫き通す。それこそ、病院の屋上で多勢に無勢の戦いを挑んだ時のように。

 

 そして、自分は八神はやてじゃないから。本当の家族じゃないから。だから、彼女たちを止めることは出来そうもなかった。もちろん、ここが並行世界だと知った時に、説得も考えたが無駄だと結論付けた。だって、あの日まで本当に幸せだったのだ。仮に別世界から、自分によく似た存在が現れて、このまま蒐集を続けても、主は死んでしまうと告げられてもきっと止まらない。

 

 仮に守護騎士と自分の立場が逆だとしたら、ディアーチェ(八神はやて)守護騎士(かぞく)を助けるために何でも縋っただろうから。それを否定されたとしても、大切な人の命が掛かっているなら、信じることは出来ないだろうと自分でも思ったから。

 たとえ、どんなに儚い希望だったとしても、それに縋っただろうから。だから……彼女たちは止められない。

 

 ディアーチェは一筋の涙を流すと、揺らぐ己の心を強い決意で固めた。流した涙の意味は、騎士達がどれほど、自分を想ってくれていたのかを、知っての喜びか。それとも説得が上手くいかずに、彼女たちを傷つけることなってしまう悲しみの涙なのか。

 ただ、もはや躊躇はしない。あらゆる意味で。

 

「うぬらでは、八神はやてを救うことは出来ん。やり方が間違っているからな」

「何を……言っているのだ?」

「なんだよ、どういうことだよそれ!」

 

 ディアーチェの告げたことに、シグナムは彼女の言わんとしていることに首を傾げる。

 ヴィータはやり方を否定されたことに、彼女の態度に言い知れぬ不安を覚えた。

 シャマルとザフィーラはどういうことなのかと黙って推理する。ディアーチェのやり方を間違えたという意味を。

 

 王様はそれを待つことなく畳み掛ける。それは、守護騎士を衝撃の渦に叩き落とすための真実。経験から基づく絶対的な真実。

 

「ねぇ、どうしてわたしに黙って蒐集したん……おかげで……たくさんの無関係な人を巻き添えにしたんよ……?」

「っ……主はやて!?」

「そんな、はやて?」

「……はやて、ちゃん?」

「我が主……!?」

 

 彼女が八神はやてと繋がりを持つという、その疑惑を確信に変える口調で語りかけたディアーチェ。

 その瞬間、ヴォルケンリッターにはディアーチェの姿が、自分達の大好きな、はやてに重なって見えた。

 悲しんでいる。主はやてを悲しませてしまっている。約束を破ってまで彼女を救おうとしたことが、結果的に彼女を苦しめ涙を流させている。でも、あのまま放置していれば、呪いと言う病に苦しんで、彼女を死に至らしめる末路が待ち受けていた。

 どうすればいいのか分からない。何が正しくて、何が間違っているのか分からなくて守護騎士たちは動揺する。

 そして、その絶対的な隙を見逃すディアーチェではない。

 

 ヴォルケンリッターの中心地点に瞬間移動する。その手に生成されているのは黒い球体。禍々しいまでに魔力を凝縮させた究極魔法。そのうちのひとつ。それを彼女はキーワードと共に解放する。戦いを制するための一撃を。

 

「闇に呑まれて、絶望に沈むがいい。デアボリックエミッション・アビス!」

 

 叫びと共に、ディアーチェを中心として急速に広がる暗黒球は、瞬く間に四人の騎士を呑み込むだけにとどまらず、オフィス街のビル群すら闇に沈めて尚有り余るような攻撃範囲を持っていた。回避することなど不可能に近い。

 

 ディアーチェの得意とする広域殲滅魔法。その魔法の威力たるや一撃必殺。防ぐことすら叶わないだろう。

 何故ならばデアボリックエミッション・アビスと呼ばれた魔法の効果は吸収。範囲内に存在する空間の魔力を、術者が任意で己の物とすることができる。

 ましてや、守護騎士は魔法生命体だ。身体を構成して、動かすための魔力を奪われてはひとたまりもない。

 

 かのデアボリックエミッションの術式を書き換えて、ディアーチェ自らが作成したオリジナル魔法のひとつだった。元は管理局の奴らに。アイツ等に蒐集される苦しみを味合わせようとして。憎悪がくすぶっていた頃に編み出した奥義。だが、今では王の胸に虚しくて哀しい感情が広がるばかりでどうでも良い事。それに未完成だった。どうしても対象の人物を指定して蒐集する域にまで昇華出来なかったのだ。

 

 結局、周囲の魔力を無差別に吸収して、己の魔力を回復させる手段に成り下がったが、対守護騎士用としては充分すぎる魔法だった。

 

 守護騎士が墜ちていく。その姿を見ながらディアーチェは涙を拭うと、彼女たちが怪我しないように魔法で落下速度を緩めてやった。八神家を守護する邪魔者は消えた。あとは潜入しているナハトが上手くやってくれれば、闇の書が己の手の内に収まる。そうすれば計画を次の段階に進められる。

 自分のせいで失われてしまった管制人格を、この手に取り戻し。シュテル達から聞いたリヴィエという存在を探り、話を聞き。闇の書の闇を如何にかする方法を見つけ出す。

 最悪、ディアーチェが二つの闇を抱えて虚数空間にでも墜ちてしまえばいい。マテリアル達は守護騎士のように独立したプログラムだし、ディアーチェがいなくても生きていける。闇の書を完全に封印することはできないだろうが、皆が生きていられる時間を稼ぐには充分だろう。

 

「この感じは……あやつか」

 

 その時、ディアーチェが急速に接近する巨大な魔力反応を捉えた。感覚からしてシュテルにとても似た魔力反応は、高町なのはのモノで相違ないだろう。不意を突いた一撃で、魔力ダメージによるノックアウトを防いだばかりか、足止めを任せたアスカを突破してきたらしい。もう一つの魔力は知らないが、恐らくなのはの仲間であろうことは間違いない。

 

「ふふ、ふははは!」

 

 まったく難儀なものだとディアーチェは不敵に笑う。同時に苦笑も隠せなかった。

 少しとはいえ一緒に過ごした仲だ。高町なのはの性格は良く分かる。お人好しの高町夫妻に似て心優しく、気遣いができて、何よりも頑固だった。一度こうと決めたら決して退こうとしない心の持ち主だ。

 もう関わるなという意味を込めて魔法で攻撃したのに。酷いことをしたのに。逃げるように高町家を去ったというのに、こうしてディアーチェを探して向かってきている。知らない振りをしてくれれば、それで良かったのに。あのまま寝ていてくれれば、それで良かったのに。

 まったく、厄介で、馬鹿な奴だとディアーチェは笑う。変なところで無理やりに関わってこようとするのは、シュテルにとてもよく似ている。自分に見過ごせないことは決して放っておけない。本当にお人好しで、バカな女の子だ。

 そんな二人がディアーチェは好きだった。シュテルの優しさに救われた。なのはの優しさに癒された。あの日、叫んでしまった心の叫びを受け止めて、必死になって手を伸ばしてくれた女の子に、ディアーチェはとても感謝している。

 

 そして巻き込んでしまったことを申し訳なく思う自分に嫌気がさす。どの口で贖罪の言葉をほざくというのか。自分のせいで親友を死なせてしまったことに変わりはない。彼女(マテリアル)たちから家族を奪い。未来を奪い。平和で暖かな日々を奪ったのは自分なのだ。

 この罪は決して消えはしないだろう。自分は決して許されることはないだろう。出なければ封印に巻き込んで死なせてしまった人々に申し訳が立たないではないか。

 

 他のマテリアルがいたなら、ディアーチェは悪くないと言うだろうが。元が心優しかった『はやて』であるディアーチェは、決して自分を許そうとはしていなかった。だから今でも、悪夢にうなされて苦しんでいる。あの日の夢に、あの日の悪夢に囚われたまま苦しんでいる。闇の中で幾百年も過ごした間にも、彼女を苦しめ続けている。

 

 やがて、両足の踵から桃色の輝く天使の翼を広げ、光の羽を舞い散らしながら、高町なのはがディアーチェの前に降り立った。結界に包まれた街の空で向かい合う二人は、何事も喋ることなく、時間だけが経過していく。

 

 そして、沈黙したまま、なのはの方が意を決して口を開いた。

 

「やっと見つけた。ゆかりちゃん。ううん、ディアーチェちゃん」

「………」

「それとも……『はやて』ちゃんって、呼んだほうがいいのかな?」

「………………」

 

 なのはの問いかけ。まずは相手をきちんと名前で呼んで、それから話をしようとする。しかし、彼女が名乗った名前も、教えられた名前も偽名でしかなく。アスカに教えてもらった彼女の"本当の名前"も、呼んでもいいものか。その声には迷いがあった。

 

 ディアーチェは答えない。ただ、何事かを考えるかのように虚空を見つめるだけ。その視線の先にはユーノに一か所に集められ、拘束された上で治療を受ける守護騎士の姿があったが、ビルに遮られて直接見ることは叶わない。ただ、魔力の動きだけで相手の動きを把握しているだけ。或いはなのはと何を話すべきなのか迷っているのかも知れなかった。

 

 やがて、ディアーチェが意を決したように口を開く。

 

「なのは」

「うん……」

「その名で我を呼ぶな――」

 

 それはどうしようもない程の拒絶の言葉だった。

 思わずなのはは息を呑む。嫌われたわけじゃない、怒られたわけじゃない、ただやめてほしいという拒絶の言葉。

 そこに含まれた感情どうしようもなく悲しかった。悲しく感じてしまった。

 

 彼女の本当の名前なのに。親からもらった大切な名前なのに。きっと大切にしていたであろうそれを、子である彼女自身が否定してしまうことが、どうしようもなく悲しかった。

 

「我はその名が嫌いだ。その名は臆病で、あまりにも愚かで、忌々しい自分の、弱かった頃の我の過去を思い出させる。今の我はロード・ディアーチェ。闇総べる王! 臣下より貰ったこの名こそが、我の名よ。だから、その名で呼ぶことは許さん。二度と口にするな」

「……うん、分かった。ディアーチェちゃん」

 

 だから、なのはは素直に頷いた。

 頷いたうえで、次に進むための言葉を紡ぐ。

 

 どうしてこんな事をするのか。いったいディアーチェは何をしようとしているのか。自分に手伝えることはあるのか。

 そして彼女が間違っているのなら全力で止めるために、高町なのはは言葉を紡ぐ。かつて自身がフェイトにそうしたように。

 

「アスカちゃんから色々聞いたよ。闇の書のこと。あなたたちのこと。そして管理局の人に、殺されちゃったことも………でも」

 

 だから、そうして歩み寄ってくるなのはの姿に、ディアーチェは内心で笑うしかなかった。蔑むでも、嘲るでもなく。ただ、微笑ましいようなくすぐったい様な、そんな笑みだ。

 

 彼女の優しさは知っているつもりだ。だって他ならぬシュテルと同じような存在だから。彼女に良くしてもらったように、ここ二週間でなのはにも良くしてもらった。その光景は記憶に新しく、昨日のことのように思い出せる。お節介で、困っている人を放っておけないような優しい女の子。人の寂しさを、悲しみを黙って見ていることなど出来はしないだろう。

 

 恐らくディアーチェの瞳の奥に秘められた感情には気付いていた。それでも積極的に関わってこなかったのは、自分から話してくれるのを待っていたからか。

 

 拒絶しなかったらどこまでもついてきそうだ。気持ちとしては嬉しいが、彼女を"加害者"として巻き込むつもりはない。できれば"被害者"として眠っていてほしかった。そうすれば、彼女に万が一が降りかかる可能性もなくなる。管理局に追われるのは自分たちだけで充分だ。

 

 もしかしたら闇の書に呑み込まれて消えてしまう危険だってあるのだから。

 

 だからこそ、ディアーチェは敵として彼女に接する。どのみち、管理局が迫っている以上、悠長にしている時間はない。向かってくる敵は全て蹴散らし、目的を達するために行動する。ナハトが待っているのだ。捕まっているだろうアスカも拾ってやらねばならないし、フェイトとやらを足止めしているレヴィの安否も気がかりだった。セイと名乗っているらしいシュテルのことも心配だった。

 

「でも、クロノくんやリンディさんはそんなことしないから。闇の書のことも、あなた達のことも、ちゃんと話し合って相談し合えば、きっといい方法だって見つかるの」

「ふん、管理局の人間のことなど信用できぬわ。貴様は当事者でないからそんなことをぬかせるのだ。あの時、味わった苦痛と絶望。忘れることなど出来るものか」

「お願いディアーチェ、話を聞いて!」

「――いいや、話は終わりよ。ぴーちく、ぱーちく(さえず)るような煩い小鳥は、ここで落として地に這い蹲らせてくれる!」

 

 言うが早いか、ディアーチェはエルシニアクロイツに向けて振り下ろす。空から闇色の剣(ドゥームブリンガー)が降り注ぎ、なのはに襲い掛かってくる。

 

「この、分からず屋!!」

 

 それを彼女は難なくかわし、追撃で放った誘導弾(エルシニアダガー)をフィールド魔法で防ぎながら後退。薄桃色の光の羽を撒き散らしながら、自らの相棒たるレイジングハートを構え。

 

「ディバイン――」

『Buster』

「シュート!!」

 

 桃色の極光(ディバインバスター)をディアーチェに向けて解き放つ。

 高速で迫りくる光の濁流は、直撃すれば下手な相手を一撃で落としかねない必殺砲だ。

 だが、ディアーチェは不敵に笑うと、避けるそぶりも見せずに、抱えていた紫天の書を静かに掲げた。

 

 桃色に輝く閃光が、ページを開いた魔導書に直撃し、爆風をまき散らす。あっという間の出来事。

 

「囀るな下郎。そこに跪け」

「っ、バインド!?」

 

 そう、高町なのははあっと言う間に拘束されていた。

 ディバインバスターから次の一手に繋げようと動くも、四肢を拘束した闇色の拘束輪(バインド)はなのはを捕えて離さない。

 顔を上げればディアーチェの砲撃魔法(アロンダイト)が迫りくるのが見えた。

 

「レイジングハート、お願い!」

「all right.」

 

 それを防ぐために右手のバインドを解き、咄嗟にシールドを展開して砲撃を防ぐ。砲撃と爆発による二重ダメージがシールドの効果を減衰させるも、何とか凌ぐことに成功する。だが、煙が晴れた先には至近まで迫るディアーチェの不敵に満ちた顔と、伸ばされた彼女の左手の掌。魔法による高速突撃だと気付いた時にはもう遅かった。

 

「あっ……」

「ダインスレイヴ」

 

 ディアーチェの左指が、なのはのシールドを溶かすように喰い込み、直後割れるようにしてシールドは霧散する。

 なのはとディアーチェを遮る壁はなくなり、拘束されたまま無防備な姿を晒すなのは。続くようにディアーチェはなのはの襟首を片手で掴んで持ち上げると、たった一言こう呟く。

 

ペインメイカー(我が闇に包まれて墜ちろ)

 

 それだけでなのはの小さな体は闇色の球体に包まれ、魔力による爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる。白い防護服(バリアジャケット)は見るも無残に砕け散って、内側の黒いインナーを曝け出していた。咄嗟にレイジングハートが最終防衛機構(リアクターパージ)を行い、バリアジャケットを自ら爆発させてダメージを相殺したのだろう。

 

 それでも、魔力ダメージによるノックダウンで、なのはの意識を奪うには十分すぎる威力だった。

 

「なのはっ!」

 

 守護騎士たちを一ヶ所に集めて治療を行っていたユーノが、墜ちていくなのはの体を受け止める。そして、地面に激突する前にビルの間を補助魔法による網(ホールディングネット)で覆い、ユーノとなのはの身体を受け止めさせた。

 

「よし、何とか受け止められた、って……」

 

 自身の魔力光(薄緑色の優しい光)に包まれながら、ユーノが安堵して顔を上げれば。

 

ハウリングスフィア(恐怖に怯え、地に這いつくばり)

 

 そこには自身の周囲に無数の小さな発射体(暗黒球)を展開して、腕を振り上げたディアーチェの姿があって。

 

「ちょっ、待っ――」

ナイトメア(闇に沈め)

 

 慌ててなのはと自分を守るように、全周囲防護魔法(強力なプロテクション)を展開するのと、ディアーチェが腕を振り下ろすのはほぼ同時。いや、ディアーチェが少し遅いくらいだろうか。

 無数の高速暗黒砲撃魔法が緑色に光り輝く防護壁に連続して着弾し、ユーノとなのはを追い詰める。とどめに十字杖を振り下ろして特大魔力隕石(インフェルノ)を喰らわせてやれば、硬い防御魔法が砕け散る音とともに、ユーノとなのはは地にひれ伏した。

 

「ほう、噂にたがわぬ少年ということか。誉めてやろう」

 

 連続砲撃魔法と広域破壊魔法で、着弾点が見えないほどの煙が晴れてみれば、満身創痍で立つユーノの姿。そして背後には倒れ伏したままのなのはの姿があった。恐らくユーノは全魔力(フルドライブ)でシールドを展開して、なのはを攻撃から守り切ったのだろう。

 

 もちろん、そうすることもディアーチェの予測の範囲内。追撃の手を緩めなければ、いくらでも攻撃の嵐を加えることができた。極大砲撃魔法(エクスカリバー)で、周辺のビル街を消し飛ばすこともできるし、遠距離魔力爆撃(ジャガーノート)で街そのものを瓦礫の山に変えることもできた。

 

 それをしなかったのは偏に二人の無力化を優先したから。手心を加えたとも言えた。これが管理局の武装局員や聖王教会の騎士団であれば話は別だったかもしれない。だが、相手は別人とはいえ、親友とその友達に瓜二つの少年少女だ。ディアーチェの邪魔さえしなければ、彼女らをどうこうするつもりはなかった。

 

 力尽きて気絶し、地面に倒れ伏そうとする護り手の少年。それをディアーチェは魔法で保護し、ゆっくりと寝かせた。下手に頭でも打って怪我してしまわないように。

 

「ふぅ……」

 

 それが終わればディアーチェはゆっくりと溜息を吐く。

 久々の力の行使。それは、この身体で堪えるには些か無理があったかと、思う。

 

 近くに浮かんでいた紫天の書を掴み取った左腕が震えていた。いつの間にか防護服(デアボリカ)の袖を上から抑えるように、真紅の革紐が展開され、何かを抑え込むように強張っているのだ。

 

 腕に巻きつく真紅の革紐は、魔力で出来た拘束具だった。ディアーチェの内側から溢れ出ようとする闇の書の闇を抑え込むためのものだった。

 

「我も、もう時間が無いのかもしれぬな……」

 

 憎しみに駆られて、力の行使を全力で行えば、四肢にも拘束具が展開され、終いには頬の辺りまで覆うのだろう。そうなった時、自分が正気を保ったままでいられるかどうか自信はなかった。

 

 かつてシュテルは自分の両手が血に染まっているといった。だが、それはディアーチェだって同じなのだ。数でいうならディアーチェの方がずっと多くの人を死なせているし、そして何よりも罪深い存在だった。

 

 何故ならディアーチェは闇の書の主だからだ。闇の書の化身といっていい存在だからだ。闇の書の罪は、ディアーチェの罪であり、たとえ紫天の書になったとしてもそれは変わらない。歴代の主が重ねてきた罪を、ディアーチェは最後の闇の書の主となったことで背負っているのだから。

 

 それから、ディアーチェは倒れ伏したなのはの傍に降り立つと、小さな少女の体を抱き上げた。

 

「なのは、許せとは言わぬ……ただ」

 

 そして、彼女の体を倒れたユーノの傍まで運ぶと、二人が戦闘の余波で怪我しないように防護魔法で包み込む。

 

「シュテルを頼む。この街は、この世界は、あの娘にとって理想の世界だから」

 

 倒れて気を失ったなのはを抱きしめながら、ディアーチェは呟く。うっすらと涙を流しながら謝り、シュテルのことを頼むという。あの優しい母親だった桃子に合わせてやってほしいと。ここはシュテルにとって、どれほど待ち望んだ世界だろうかと。心の奥底で、あれほど恋い焦がれた"家族"がここには居る。本当は優しかった父も、姉もちゃんといる。

 

 ディアーチェは周囲に無数の魔力を感じていた。ディアーチェを中心にして囲むように展開するそれから、懐かしくも忌まわしい気配がしていて。だから、ディアーチェは先ほどから溢れ出す憎しみを抑えきれそうになかった。

 

 管理局の局員が近くまで来ている。それはこの街の景色と相まって、あの時の光景を思い起こさせる。

 

 彼女の流した涙が、なのはや守護騎士に対する涙なのか、それとも"あの日"の悲しみの涙なのかは分からない。ただ、分かるのは心の奥底から溢れ出る憎しみが、彼女の理性を徐々に奪い、激しい怒りに震わせるということだけだった。

 

 憎い。憎い。憎い。全てが憎くてたまらない。世界が憎くて……違う、全てを奪った奴らが憎い。他は関係ない。関係ないッ―――

 

 そうだ、闇を抑え込んでいるユーリの声が聞こえなくなるほどに憎い。だから、ディアーチェは禁断の言葉を口にする。

 

Nacht Wal(闇の書の闇よ)

 

 右腕に真紅の革紐が巻き付き、その上に右腕を覆うほどの槍射砲(パイルバンカー)が装着される。

 

Einsatz!!(我に力をっ)!!」

 

 そして闇統べる王は空を飛翔する。憎き敵をすべて打ち砕くために。

 

 しかし、それは闇の書の闇による浸食が加速することを意味していた。




Qリメイクはどうしましたか?

A時間がないので、突き進むことにしました。我慢できないともいう。もう、矛盾も文章の汚さも気にしない。

手始めに二章の補完からスタートします。これと、あと一つ。それから辛い続きをスタートしなきゃ。あのシーン書けるだろうか……

王様の簡単なスペック。
管制人格のすべての機能。常時○○状態。
ユーリの無限魔力の一部。
闇の書の闇という名の防衛プログラムの機能の一部。
物理魔力の複合四層防御を一層(接近戦と弾幕砲撃無効)ゲーム的に言えばユーリのスーパーアーマーが一回。全盛期はそれが四回分。掴み無効。


時空管理局もといクロノ君には頑張って欲しいところ。


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〇ファランクスシフトvs電刃瞬殺雷豪雨

 はやての住む住宅街付近。レヴィは遠目からディアーチェと守護騎士たちの戦いを眺めながら、付近に展開している管理局の部隊を鬱陶しそうに思っていた。それは顔によく出ていて、唇はへの字にまがり、目つきは半眼。苛立ちを表すかのように組んだ両腕の指をトントンと叩いていた。

 いつだって管理局はレヴィ達の邪魔をする。闇の書の呪いから『はやて』を救おうとしたときも、アスカとナハトに訓練させていたときも、地球に転移しようとしたときも、本当に肝心なところで邪魔するものだから苛立ちのレベルは最高潮に達する。

 しかも、フェイトというヤツの魔力がレヴィに向かって一直線で進んできているのだ。なまじ同じ魔力の波長を持つものだから、どれほど距離が離れていようが、高速機動で移動しようが感じ取ってしまう。

 フェイトはレヴィにないモノを持っていて、ただでさえ不愉快な存在なのに、大っ嫌いな管理局に所属しているものだから余計に鬱陶しい。

 雷刃の襲撃者はイライラしすぎて電柱の上で軽く地団駄まで踏み始めてしまう。レヴィの邪魔するもの、仲間の邪魔するもの、大好きな王様を邪魔するもの、その全てを許さない。立ちふさがる者は敵だ。圧倒的な"力"で捻じ伏せてしまえばいい。それだけの力がレヴィにはある。

 

 本来であれば戦闘はご法度だ。レヴィに課せられた任務は誘拐を担うナハトのサポートとバックアップ。最終的にははやての身柄を引き受け、誰にも追いつけない速度で迅速に海鳴の領域から立ち去る予定だった。

 だが、鏡合わせの存在である少女フェイト・テスタロッサに捕捉されたのなら話は別だ。レヴィを付け回されてはやての居場所を気が付かれるわけにはいかない。はやてとディアーチェは同一人物。管理局も馬鹿ではないから何らかの関連性に気づくだろう。

 だから、できる限りフェイトを引き離しつつ叩き潰すしかない。ついでに海鳴臨海公園で転移の準備を済ませておく必要がある。ナハトが来たらすぐにでも転移できるように。海鳴臨海公園ならば広さも充分だし、紫天の書の全員が場所を熟知している(もっともユーリはその限りではない)。集合場所に最適だった。

 別にはやてを誘拐するなんてまどろっこしいことはせず、その場で儀式を始めてしまっても構わない。強力な結界とマテリアル。そして闇の欠片からなる堅牢な防護陣で時間を稼ぎつつ、ディアーチェが二つの"闇"を取り除く。実際、レヴィはそれを推した。

 けれど、ディアーチェが断ったのだ。いわく、万が一の事に備えて無人世界で行うと。レヴィとしては王様が失敗するなんて微塵も思っていないし、何となく成功すると直感していた。『アリシア』の頃から勘だけは異様に鋭かったから。それでも王様は故郷を巻き込みたくないんだろうと思う。

 

 レヴィが右腕を一振りすると、手にはいつの間にかバルニフィカスが収まっていた。電柱の上という目立つ場所だからカッコイイポーズと台詞で決めたいところ。もっとも、今はそんな気分じゃないし、観衆がいない場所ではやる気も起きなかった。ただバルニフィカスの石突でダン、ダン、と電柱のてっぺんを突くだけだ。

 バルニフィカスを振り回し、グルグルとバトンのように回転させ感触を確かめる。やはり、手になじんでいて素晴らしい。残念なのはかつてのように喋らないことか。シュテルとレヴィの愛機は忌まわしき病院に置いてきてしまった。恐らく管理局に回収されたんだろう。

 それでも王から魔力を頂いて創り上げたデバイス。性能としては充分。カートリッジもなく技量でもレヴィに劣っているフェイトなど敵ではない。

 

『レヴィちゃん? そろそろ始めるよ?』

 

 ナハトからの念話が届いた。どうやら向こうでも作戦を始めるようだ。けれど当初予定していたプランは変更せねばならない。

 

『ナハっちか。悪いんだけどサポートできそうにない。フェイトとか言うヤツが鬱陶しいんだ。ああ、もうっ! プランDでいこう。海鳴臨海公園で転移の準備をしておくからそこまで連れてきて』

 

『わかった。あんまり無理しちゃダメだよ?』

 

 レヴィは少しだけ機嫌を直してニンマリとする。シュテル、アスカ、ディアーチェ、ナハト。みんな、みんな、レヴィの大好きな親友だ。心配されるだけで一喜一憂して心が満たされる。早く取り戻したい。あの暖かな日常を。王様を元気にして皆で笑うのだ。きっと素晴らしい日々が始まるんだろう。

 

『心配してくれてありがと。それじゃあ、任せたよ』

 

 だから、レヴィは戦う。皆が笑いあえる世界を取り戻すために。もはや、復讐などどうでもよかった。シュテルが泣くのならばそんなものクソくらえだ。王様がそれを望まないのならばレヴィも望まない。

 もう二度と迷わない。失いたくない。騙されたりなどしない。だから差し伸べられた手など振り払う。自分たちだけで何とかできるのだから必要ない。

 フェイトとかいう奴が何をするつもりなのか知らないが、一切の容赦はしないだろう。一応、殺さないように手加減はする。だって殺してしまったら■■■も死んでしまうから ……■■■って誰だ? とにかく殺しはしない。マテリアルの皆に怒られるのは嫌だから。

 

「行こうかバルニフィカス。王様の邪魔するヤツをぶった斬って、道を切り開く!」

 

『…………』

 

「そこは、いつもみたいにイエス・サー! って返すところなんだけどなぁ。ちょっと寂しいや……」

 

 やがて、一刀両断するかのように両手でバルニフィカスを大上段から振り降ろしたレヴィは、正眼にぴたりと戦斧の矛先を止めた。両の眼が捉える先にフェイト・テスタロッサがいる。邪魔をする敵。叩き潰す対象。

 電柱のてっぺんから飛び降りるとマントをはためかせながら空に浮かび上がる。そして雷鳴の轟きのような爆音を響かせながら瞬間的に加速。一気にトップスピードを叩き出す。高速機動形態スプライトフォームを展開していないとはいえ、その速度たるやフェイトを軽く凌駕していた。

 まずは牽制に電刃衝を放って向かってくる勢いを削ぐ。そして、接近戦を挑み高速機動戦を繰り広げ、ナハトから引き離すのだ。最終的に拘束または撃墜して海鳴臨海公園で退路を確保しておく。簡易的な転移ではないのだ。超長距離の大規模転移になるだろう。準備に時間も掛かる。儀式魔法は必要だった。

 いくつものマルチタスクを頭のなかに展開して並列思考する。そして作戦を瞬時に編み出すと迷いなくフェイトの迎撃に向かう。

 運命の雷光と戦斧の主従に、影である雷刃の襲撃者がその名の通りに強襲しようとしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

『サー、ご注意を』

 

「うん、分かってるよバルディッシュ」

 

 フェイトは律儀に警告してくれる相棒に感謝しながらも、向かってきた高速の直射弾を最小限の動きでひらりとかわしていく。咄嗟に認識した魔力光は水色。感じる魔力の波長からしてフェイトと瓜二つの少女レヴィだ。どうやら気のせいではなかったらしい。レヴィが潜んでいると勘に従ってみたが大当たりだ。

 いつか決意したなのはのように誰かを救うという想い。レヴィ達を悲しみから救い憎しみと復讐の連鎖を断ち切ること。困っているのなら助けるという己の誓い。それを果たす時が来たのだ。が、向こうはやる気満々らしい。まずは戦いを制して、お話する状況を作りださねばならない。かつてなのはがそうしたように。

 脇をいくつも通り過ぎていくフォトンランサーに似た魔力弾の群れ。フェイトを直接狙う弾からフェイントまで様々な照準で放たれている。これらは撃墜が目的ではなく、足を止める牽制だろうと判断する。

 それにしても、叩きだされた魔力の出力が半端ではない。フェイトのフォトンランサーはビルの壁を砕くだけだ。だが、背後のビルや家々に直撃している電刃衝は壁を砕くどころか、ぶち抜いて崩落させている。直撃すれば装甲の薄いフェイトはただでは済まない。恐らくなのはでも危険だろう。一撃でもまともに喰らってはいけない。回避は、必須だった。

 

 ふいに向かってくるレヴィが速度を瞬間的にあげてフェイトの頭上に回った。感じ取れる魔力の波長から相手が何処に居て、どんな動きをするのかは分かるが、あまりにも速すぎる。

 

「はぁぁぁぁ! 一刀両断! 爆・砕・斬!」

 

「っ……!」

 

 たとえ相手の姿や気配を捉えていても認識速度や反応速度を上回れば、それは充分に奇襲となる。

 フェイトは迎撃すらままならず回避すら危ういと判断すると、振り降ろされた超刀バルニフィカスの刀身をタイミング良くバルデッシュの戦斧で弾いて、その勢いで距離を取った。恐ろしい相手だ。速度で自分を上回るなどフェイトにとって初めての経験。故にいつもどおりの牽制・速度を生かした強襲の戦い方は意味を為さない。

 新しい戦術が必要だった。カウンタースタイルか、更なる速度でレヴィを上回るか、どちらにせよ難しいだろう。技量の差があり過ぎる。

 

 それでも、負けられないことは確かだった。

 

 レヴィから後退しつつもバルニフィカスを振り抜いて隙だらけな少女にフェイトは左手を向ける。掌に電気変換によって雷を帯びた魔力が集束していく。サンダースマッシャー。フェイトの砲撃魔法だ。バリア貫通能力には劣るが破壊力ではディバインバスターを超える。

 それを金色の環状魔法陣で指向性を持たせてやるとレヴィに向けてぶっ放した。

 

「サンダースマッシャー!」

 

 バチバチと音を立てながら金色の閃光がレヴィを呑み込まんと襲い掛かる。それはレヴィを撃ち貫き彼女の背後にあったビルの一棟を破壊したかに思われた。フェイトも目で確認している。

 

『サー!!』

 

「くっ!?」

 

 背中に走る悪寒、バルディッシュの警告、背後から感じる自分と同質の魔力波長。それらに従ってフェイトはバルディッシュをサイズフォームに展開すると、金色の魔力でできた死神の鎌を振り向きざまに切り払う。手応えがない。蜃気楼のようにぶれるレヴィを切り裂いただけだ。

 何処へ? フェイトがレヴィを探そうと辺りを見回しながら振り抜いたバルディッシュを引き戻そうとしたとき。

 自分の胸に押し付けられた手の感触を強く感じて唖然とした。目の前にレヴィがいた。デバイスを振り抜いた体勢で隙だらけなフェイトの懐に潜り込んで。いつの間に?

 まるで悪ガキのように歯をむき出しにしてニカッと笑うレヴィ。押し当てられた手に集束していく水色の魔力光。マズイと思うも身体が思考速度についていけない。回避できない。このままでは直撃する。

 

「ざ~んねん。キミが捉えたのはボクの残像でした。本物は目の前。そして、これはさっきのお返し」

 

 雷刃・爆光破。フェイトが先に使ったサンダースマッシャーのレヴィ版。いや、それ以上の破壊力を秘めた砲撃魔法。集束し帯電を始める魔力の塊。いまだに解き放たれていないというのに防護服に押し当てられたそれはフェイトの身体を電流で焼かんとする。フェイトの電気耐性を凌駕する出力が放出されている証だ。

 フェイトは打開策を高速思考する。シールド、バリア、どっちも間に合わない。そもそも密接された状態では使用不可。蹴りや打撃で突き飛ばす。威力が足りない。

 リニスから教わったことを思い出せ。バインドに捕まった時、密接されてどうしようもない時の対処法は?

 

――フェイト。今日はバインドの壊し方を教えてあげます。とりあえず手っ取り早く抜け出したいときはバリアジャケットの全魔力を

 

(全方位に向けて解放することでバインドを吹き飛ばす!)

 

「爆光「ジャケットパージ!」なにっ!? わっ!?」

 

 ジャケットパージ。フェイトのレオタードのような防護服が解除されて一瞬だけ黒のシャッツとスカート姿になる。巻き起こる衝撃波はレヴィを吹き飛ばし、構成された雷刃・爆光破の術式を中断させた。すぐさまフェイトは防護服を身に纏い、バルディッシュを構える。サイズフォームは既に解除されて元のデバイス形態だ。

 レヴィに速さで追いつけないことも反撃がままならないことも百も承知。それは前の戦いで彼女を追いかけた時から把握している。戦術だってちゃんと考えてきた。

 

「やるね、フェイト。だけど……あっ!」

 

 吹き飛ばされた体勢からクルリとバク転するかのように一回転して受け身を取ったレヴィ。そのまま次の一手につなげようとしたところで彼女は初めて驚愕した表情を見せた。両手両足を捕らえる金色の輪っか。ライトニングバインド。

 

「いつの間に、こんなこざいくを」

 

「サンダースマッシャーを放ったときだよ。レヴィならきっと避けて近づいてくるだろうと思った。だから私の周囲にあらかじめバインドを設置しておいたの。砲撃はそれを隠すための囮」

 

 フェイトの説明を聞きながらレヴィは悔しそうに噛み締める。まんまと相手の策にはまったのが気に喰わないのだろう。それを行ったのが大っ嫌いなフェイト・テスタロッサであれば尚更。

 レヴィが何らかの方法で抜け出して近づいても無駄だ。フェイトの周囲には同じようなバインドがいくつも設置されている。速さで捉えられず反撃も意味を為さないというのなら罠に陥れるのは必然だった。相手を自分より格下だと侮ったのがレヴィの敗因だ。

 そして、次がフェイトの必勝の魔法。バインドから攻撃へと繋げる基本中の基本ともいえる戦術を活かした魔法。サンダーレイジ。相手の頭上から雷を落す強力な魔法だ。いくらレヴィに電気の耐性があるといっても限度がある。ましてや雷の速度は音を超えるのだ。放たれたら最後。回避は不可能に近い。

 先のサンダースマッシャーも雷を落としやすくするためにわざと放ったもの。もとより当てるつもりなどない。ばら撒いた魔力を再利用するための布石。

 一連の動作はすべてこれを直撃させるための下準備だったのだ。

 

「こっ、こんなもの! こんなことでボクは!」

 

 けれど、暴れまわって何とかバインドを振りほどこうとするレヴィに対して、フェイトは仕掛けた魔法を発動させたりしなかった。すべては話し合う状況を作りだすための下準備。こうでもしなければレヴィは会話などしないだろう。暴れるようなら無理やり拘束して大人しくさせる。それが悩んだ末にフェイトが出した結論だった。

 

「レヴィ、あなたと話がしたいんだ。どうか武装を解いてほしい」

 

「五月蠅いな!! お前と話すことなんてあるもんかっ!」

 

 レヴィの明確な拒絶を含んだ叫びにフェイトは一瞬だけ怯む。それでも諦めるわけにはいかない。なのはだってフェイトに何度も拒絶されても立ち向かってきたのだ。なら、フェイトだって事情を話してくれるまで退きはしないし、相手が戦いを挑んでくるならフェイトも戦う。

 レヴィも自分と同じ性格だろうからそう簡単にいかないだろうけど。フェイトは大人しい性格からは想像もできないほど頑固なのだ。

 

「それでも、私はあなたのことが知りたい。生まれも育ちも似ていて、本当の姉妹といっても違わないレヴィのことが知りたい。困っているなら助けたい。どうか、差し伸べた手を取ってほしい」

 

「あっ……」

 

 レヴィは優しく微笑んで手を差し伸べたフェイトの姿を見て、既視感を感じた。遠い記憶から思い起こされる情景。海鳴に来て右も左も分からぬままジュエルシードを探索していたときに出会った少女。ここではない場所。そう、確か神社と呼ばれる場所でレヴィと彼女は出会い、ジュエルシードモンスターを倒すために共闘して、それで。

 

――アリシア。私にもジュエルシード集めを手伝わせてください。わたし、お母さんがいないから。遠い所に行ってしまったから。だから、あなたのお母さんを助けたい。

 

 『なのは』も優しく微笑んで不安で怖がっていた『アリシア』に手を伸ばしてくれて、それが嬉しくてレヴィも手を……

 バルニフィカスを握っていない左手のバインドが解かれる。もし、受け入れてくれるなら自ら手を伸ばして、差し出された手を取ってほしいという事だろう。

 レヴィは無意識に恐る恐る手を伸ばす。フェイトの姿が亡き親友の姿とだぶって見える。やがて、レヴィの手とフェイトの手が触れ合うところまで近づいたそのとき。レヴィの心の内から声が聞こえた気がした。また、自分は騙されるかもしれないと。

 レヴィは差し出した手を引っ込めると慌てたように首を振る。幻影に惑わされた己の意識を振り払うかのように。よくみれば相手はフェイトであって『なのは』じゃない。

 フェイトがどうして? というような驚愕の表情を浮かべているが、レヴィだって同じ気分だ。どうして自分は手を差し伸ばした? 相手はレヴィに持たざるモノを持つフェイト・テスタロッサ。そんな奴に救われるなど気に入らない。何より相手は時空管理局の一員なのだ。危険なロストロギアである自分たちを救うなど虫が良すぎる話。仮に本当だとしても怖い。また、氷漬けにされて封印されると思うと怖い、怖い、怖い!!

 

「そうやってボクらを騙すつもりなんだ! 油断したところを襲ってきて氷漬けにしちゃうんだ! あの時みたいに!! だから、管理局なんて信じられない!!」

 

「違うよレヴィ! わたし達はそんなことしない! 現に管理局は罪を犯したわたしを……」

 

「うるさい! うるさい! うるさい!! お前たちの言う事なんか信じられるもんか!!」

 

 フェイトの弁明も聞かず、叫びと共にレヴィはバインドで縛られた右腕を震わせる。そこに凄まじい力が込められていることは想像に難くない。ライトニングバインドに徐々に亀裂が走り、信じられないことに力づくでバインドを砕いてしまった。魔法による物理的な破壊でも、術式に干渉して解除する方法でもなくきわめて純粋な"力"のみでレヴィはバインドを解除するという荒業をやってのけた。

 右手だけでなく、左足と右足のバインドも同じように打ち砕くレヴィ。

 

「うそ……」

 

 フェイトは唖然とするしかない。肩で息するレヴィは隙だらけだが、再びバインドで拘束するということすら忘れてしまう。それほどまでにレヴィのやってのけたことは信じられないのだ。何度やっても同じかもしれないという不安が、そうさせなかったのかもしれないが。

 はぁ……はぁ……と荒い息を吐いていたレヴィがゆっくりと顔をあげた。瞬間、フェイトを襲うのは背筋が凍りつくほどの悪寒と怯えだ。レヴィの瞳がいままでに見たこともないくらいの憎悪に満ちている。それは死を連想させる闇に染まった瞳と相まって、なお恐ろしい。かつて母であるプレシアが向けた嫌悪の瞳すら凌駕していた。

 レヴィから湧き上がる魔力の波動が強くなる。肌がピリピリとざわつく感じがするほどの圧倒的な魔力の放出量。瞬間移動するかのようにフェイトから距離を取ったレヴィの身体を水色の紫電が纏わり始め、足元に同じ色の巨大なミッドチルダ式魔法陣が展開する。レヴィの眼前にバルニフィカスが浮かび上がり、両手を広げた彼女は呪文を静かに詠唱した。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。集え、集え、雷神の槍。我が意のままに。疾風迅雷の如く疾走して駆け抜け王に逆らう敵たちを撃ち滅ぼせ」

 

 この詠唱のフレーズ。フェイトには聞き覚えがあった。詠唱の部分はフェイトのとだいぶ違っているが、基本的な部分は同じ。何より展開していく無数の雷球がどんな魔法であるかを物語っていた。フォトンランサー・ファランクスシフト。フェイトが使える最大にして最強の魔法。リニスから教わった必殺の一撃。

 それは放たれれば無数の槍となって文字通り敵を撃ち滅ぼすまで止まない雷雨となる。なのはは耐えることができたようだが、防御の薄いフェイトでは防ぐことなど不可能。だからといって千にも及ぶフォトンランサーの嵐などかわしきれるものではない。

 何よりも忘れてはならないのはレヴィの馬鹿みたいに高い魔力出力だ。魔法の威力と魔力の消費量は出力に比例する。その一撃、フォトンランサーを遥かに凌ぐだろう。恐らくなのはでも耐えきれまい。ユーノが全力で結界防御してようやくといったところか。

 背を向けて逃げる? いや、逃げる間に背中から撃ち抜かれるのが落ちだろう。術を止める為に先制攻撃を仕掛ける? きっとレヴィには通じない。何らかの方法で躱すか、防ぐかする。今のフェイトではレヴィに勝てない。

 ……待て、レヴィは何と言った? 王に逆らう敵たちを撃ち滅ぼせ? まさかフェイトだけではなく無差別に攻撃を仕掛けるつもりだろうか? なのはが結界に取り込まれたのはフェイトも知っている。確実だとエイミィも言っていた。だからユーノが保護に向かっている訳だが、もし、流れ弾が彼女たちを巻き込んだりしたら……

 フェイトはその考えにぞっとした。なのはやユーノが自分のせいで怪我などしたら、それは恐ろしいことだ。一生自分を許せそうにない。

 なら、どうする? 防ぐことも、かわすこともできない。広域に渡る攻撃の被害を抑えるにはどうしたらいい?

 フェイトの脳裏に思い浮かんだのは、なのはのディバインシューターとフォトンランサーをぶつけ合った光景。魔力弾を魔力弾で相殺する。やれるかどうか分からないが、これしか被害を押さえる方法はないだろう。

 レヴィのフォトンランサー・ファランクスシフトをフェイトのフォトンランサー・ファランクスシフトで迎撃する。

 そうと決まれば話は早い。フェイトもすぐさま同じ儀式魔法を展開する。眼前にバルディッシュを浮かべてあらんかぎりの魔力を振る絞る。

 

「バルデッィシュ。どうか力を貸してほしい。わたし、また無茶をするけど付き合ってくれるか?」

 

『サー、あなたを支えるのがマイスター・リニスに与えられた使命です。どうか存分に力を振るい下さい』

 

「ありがとうバルディッシュ。私と二人であの子の攻撃を止める。やるよ」

 

『Yes sir.』

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ」

 

 フェイトの足元に金色のミッドチルダ式魔法陣が展開する。それはレヴィに負けず劣らず強大で眩い輝きを放っていた。フェイトの周囲横一列に魔力弾の発射台である雷球が無数に生成され浮かび上がる。

 距離を取った二人の少女を中心に展開される金色と水色の魔法陣。そこに浮かび上がる魔力球はまるで夜空を彩る星々のように美しく幻想的な光景。だが、放たんとしているのは眼前に立ち塞がる敵を圧倒的な手数で屠る強力な槍の群れだ。

 

「「バルエル・ザルエル・ブラウゼル」」

 

 謳うように紡がれる少女たちの呪文。一字一句紡ぐたびに魔法は完成していき、やがて発射の号令を下す直前まで至る。

 レヴィの生成したスフィアの数は30基。対するフェイトが生成したスフィアの数は38基。数こそフェイトの方が多いものの油断はできない。なぜなら威力は圧倒的に向こうの方が上だからだ。果たして相殺しきれるかどうかは、フェイトの底力とバルディッシュの連携に掛かっている。

 フェイトは一瞬だけレヴィを見やる。彼女の瞳は相変わらず憎悪に満ちていて躊躇う気配がない。それどころかフェイトなど眼中にないと言ったように虚ろで焦点が定まってはいなかった。いや、見ているのかもしれないがフェイトの他にも何かを見ていると言ったほうが正しいか。

 

「お前たちなんか消えてしまえばいい! もう、誰にも奪わせるもんか! 今度こそボクは皆を護るんだ。絶対に死なせはいない! 死なせるもんか!!」

 

「レヴィ……」

 

 レヴィの叫びを聞きながらフェイトは彼女を想う。

 いったいレヴィ達の身に何があって、どうして管理局を憎むのかフェイトには分からない。けれど泣き叫ぶような血を吐くような叫びは明らかにレヴィが苦しんでいる証拠だ。何かを心底恐れて、身内以外信じることのできなくなった可哀想なレヴィ。何としても助けてあげたい。同情だろうと、哀れみだろうと、偽善と罵られても構わない。

 レヴィはフェイトと生まれを同じくする者。境遇は違えど姉妹のようなものだ。姉妹を助けるのに理由なんていらない。かつて、なのはがそうしたように今度はフェイトが誰かを助ける番だ。レヴィを、姉妹を闇に閉ざされた過去から救い出す!

 

「電刃瞬殺雷豪雨(でんじんしゅんさつらいごうう) 一斉射撃で管理局のやつらを撃ち砕け!!」

 

「フォトンランサー・ファランクスシフト。全ての弾丸を撃ち砕け、ファイアー」

 

 少女たちは展開した槍の群れに号令を下すと、一斉に手にしたデバイスを振り降ろす。

 瞬間、轟音と共に放たれるのは凄まじい数の雷の槍だ。水色の槍が先制とばかりにフェイトやその背後目掛けて迅速な勢いで飛来すると、後から放たれた金色の槍がそれを阻止せんと打ち砕いていく。砕かれた瞬間に水色の金色の魔力の欠片が飛び散り、粒子となって魔力素に還元されていく。

 まるで、塹壕に隠れながら、向い合せにライフルを一斉に撃ち合うような光景だ。たった二人の少女が戦争のような光景を起こしているのだから末恐ろしい。フェイトとレヴィの間にあったビル群や建造物の数々はたちまち蜂の巣にされて、粉々に砕け散ると崩落していく。結界内部でなければ大参事だったろう。

 

「っ……」

 

 フェイトは違和感を感じていた。別に魔法の技量で劣る自分がレヴィのファランクスシフトを迎撃しきれていることではない。そんなもの阻止する前提で無理やり魔力を振り絞り、バルディッシュに限界以上のサポートをさせているので、防げるのは確信していた。

 問題は別にある。

 フェイトの側を一発の電刃衝が駆け抜けて後方の建造物に直撃。あるいは別の弾丸が地面に穴をあがつ。

 

(迎撃しきれてない……数が多い?)

 

 そう、レヴィのスフィアから連射される電刃衝の数が多いのだ。一秒間撃ち合った結果で分かったことはフェイトのフォトンランサーが秒間七発もの弾丸を連射するのに対して、レヴィの電刃衝は秒間十発もの弾丸を連射しているように見える。たった三発もの違い。だが、それは大きすぎる違いだった。

 スフィアの数こそフェイトが多いものの、秒間における魔力弾の発射数はフェイト266発に対し、レヴィ300発。実に34発もの電刃衝を防げないことになる。同時発射数こそフェイトが上回る。けれど、攻撃を相殺するフェイト側にとって弾丸の数が足りず、連射速度に劣るというのは致命的だった。

 それにフェイトのファランクスシフトの持続時間は四秒だ。もし、レヴィがそれ以上の持続時間を誇るとなるとさらなる無茶をしなければまずい。何故ならば一秒でも足りなければ300発もの電刃衝がフェイトや、その周辺目掛けて殺到するから。大技を撃ち切って疲れ果てたフェイトに回避する余裕は皆無。次の瞬間にはボロボロになるまで槍の群れに喰われるだろう。

 こうなれば迎撃する方向から一刻も早く術者を沈める方向にプランを変更しなければならない。撃ち合いの果てにレヴィを倒せなければ待っているのはさらなる被害だけだ。幸いにもファランクスシフトのフィニッシュ技は特大の圧縮射撃魔法。雷神の放つ神槍だ。その一撃でレヴィを止める。

 

 二秒、三秒、と時間が流れるたびに膨大な数の槍が飛び交い。二人の少女が対峙し合う中心地は廃墟同然の様相を醸し出している。たった一秒という刹那の時間がフェイトには何分にも引き延ばされたかのように長く感じる。

 迎撃は間に合っていないけれど、フェイトは良く頑張ったほうだ。迎撃しきれなかったとはいえ、背後の建造物は崩落したりしていない。流れ弾によって壁が崩されたくらいで済んでいる。

 もし、周囲に人がいたとしたらぞっとする。一応、撃ち合いの中心部に魔力の気配や人の気配がないことは確認しているが、背後まで気を回せるほどの余裕がなかったからどうなっているのか分からない。誰も巻き込まれていないことを祈るばかりだ。

 四秒、これ以上はフェイトが耐えられない。ファランクスシフトを放てる限界時間。相殺するために魔法の威力を底上げし、いつも以上に魔力を込め、バルディッシュとの協力で術式を最大限以上に洗練させたのだ。胸のリンカーコアが疼き、痛みを訴えていた。無意識にフェイトはデバイスを握らない手で胸を押さえる。

 

「はぁ……はぁ、これで、終わりだ……スパーク」

 

 霞む視界、荒くなる呼吸、フルマラソンを走りきったかのように汗は止まらず、身体は火照り過ぎて熱いくらい。それでもフェイトは最後の力を振り絞ってバルデッィシュを握る右腕を震わせながらも振り上げる。生成するのは神の槍。雷の神が振るううような特大サイズのフォトンランサー。これにぶち抜けない障壁は存在しない。少なくとも今のフェイトなら、なのはを確実に撃ち倒せそうだった。

 それを投擲するかのごとくレヴィ目掛けて撃ち放つ。幸いにもレヴィのファランクスシフトも限界時間は四秒のようで、それ以上は撃ってこない。先制したのはフェイトの方。レヴィが後から特大の電刃衝を放っても遅い。術を防ごうとも展開したシールドごと打ち砕く。そして、レヴィも大規模な魔法の使用で消耗しているはず。フェイトも苦しいが向こうだって苦しい。回避などできるはずもない。

 

「エンド!」

 

 決まったとフェイトは確信していた。それが覆されたのはいつだったか。

 

「必滅雷神槍!」

 

 気が付けばフェイトの神槍は、それを上回る力を持ったレヴィの神槍で打ち砕かれ、そのままフェイトに雷神の槍が向かってくる有り様。フェイトは自身を愚かだと後悔する。どうしてレヴィがフィニッシュ技を放ってこないなどと考えたのだろう。 ふらつく身体と意識を保てないせいでよく分からない。考えるのも億劫だ。

 それからのことはスローモーションで流れて行ったのだけ覚えている。

 ゆっくりと迫る巨大な槍。自分を貫こうと迫るソレを見ながら、フェイトは無意識に避けようと身体を捻る。当然ながら間に合わない。

 ふと、誰かに突き飛ばされた。顔をあげてそちらを見れば燈色の髪をしたたくましい女性がフェイトに腕を伸ばしていて。彼女が自分の使い魔であり、大切な家族であるアルフだと。そして主人を助けようと突き飛ばしたのだと気が付くのに時間は掛からなかった。

 どうして、と思う。アルフにはレヴィと一対一で戦うから待機を命じていたはずなのに。

 

「フェイト逃げ……」

 

「アルフ!! いけな……」

 

 互いに手を伸ばし、神槍がアルフに直撃しそうなところで、フェイトの意識は一時的に途絶えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 ボクはいま……誰を撃ち抜いた?

 頭に血が上って熱くなっていた自分が冷静になるのを感じると、心底恐ろしいくらいの寒気が襲ってきてボクは震える。

 あのフェイトを庇った女性。見覚えがある。ううん……見覚えがあるなんてどころじゃない。ボクは彼女を知っているだろう? ■■■のことを。大切な家族だったはずだ。でも、あのひとはボクの知ってる■■■じゃない。だって、■■■はいつだってボクを優先してくれて。だから、フェイトを庇う筈がない。

 そもそも、■■■はどうしていないんだろう。 ボクはおかしいと思わなかったんだろうか? 彼女がいないことに。最愛の使い魔が傍にいないことに疑問に思わなかったのだろうか? 違う、忘れていたんだ。なら、思い出そう。彼女がどうしているのかを。

 

 やめて、と心の中で声が聞こえた気がした。思い出しちゃダメと聞こえた気がした。だけど、ボクは思い出さなきゃいけないんだ。だって、■■■は大切な家族なんだから。忘れることなんてあってはならないから。

 

 思い出す。思い出す。彼女との過ごした日々を。

 死にかけていた■■■を拾って、助ける為にリニスに手伝ってもらって使い魔の契約を結んだ。ボクと■■■が寂しくないよう契約の内容はずっと一緒にいること。

 リニスが居なくなったとき■■■と一緒に泣いた。お腹が空いた。ご飯が無くなった。■■■がボクに負担を掛けない為に休眠モードの入って、それからボクは…………? どうしたんだっけ? 思い出せない。きっとどうでもいいことだ。

 それから、アルフが目覚めて母さんの病気を治すために一緒にジュエルシードを探しに行って、『なのは』と出会って、『アリサ』や『すずか』と出会って、『はやて』と出会って。それから、それから、病院で……見舞いに……

 

 それ以上はダメだよぅと声が聞こえる。五月蠅い、煩わしいと振り払う。思い出す。思い出す。病院で何があったのか。

 

 氷漬けにされる人々。ジュースを買いに一階に下りた『アリサ』は手遅れで、一緒について行った幼い■■■も……ドウナッタノ?

 

 

――そんな……うそだ。うそだよね。『アルフ』……? ちょっと眠っただけだよね? 寒い所だと眠くなるって、だから

 

――…………

 

――アルフ、目を覚ましてよ……

 

――…………

 

――あ、あ、あぁ、うわああああああああ!!

 

「あ、あ、ああああああああ!!」

 

 そんな、『アルフ』がいない!? 死んじゃったから……死んで? だから魔力リンクも感じないの!? あの夢にでてきた『アルフ』は? わたし、わたし、わたし! 訳が分からない! どういうことなの!? 助けて、誰か助けて! 『なのはぁ』!!

 あぁ! 『なのは』の魔力リンクも感じない! どうしよう、どうしよう、わたしひとりぼっちなのかな? 母さんも、リニスも、アルフも、『なのは』もいない。どうすればいいの!? 『アリサ』お姉ちゃんは!? 『すずか』は!? 『はやて』は!? そばにいてほしい人がいないよぅ!!

 

「みんな、どこ!? ずっとそばにいてくれるって……」

 

 あぁ、そうだ。わたしが傷つけたんだ。だから『アルフ』はいないんだ。わたしのせいで『アルフ』は。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 目元を真っ赤に腫らしながら水色の少女は怯えた幼子のように泣きじゃくる。もはや、憎悪も闘志もなく。そこにいたのはただの独りぼっちの少女。もはや、強くてすごくて、カッコいいレヴィの面影など何処にもいなかった。レヴィにとってアルフの存在はトラウマだ。彼女と出会うだけで心が耐えられずに戦意を失ってしまう。

 空を飛ぶ力も維持できず、廃墟に倒れ込むようにして降り立った『アリシア』は、ただ、ただ、廃墟の片隅で泣きじゃくる。ひたすらに謝り続ける。自分を攻め立てる少女の慟哭を止める者は誰もいなかった。 

 

◇ ◇ ◇

 

「フェイト、大丈夫、かい?」

 

「ぁ……ぁ、ぇ?」

 

 『アリシア』が泣きじゃくる廃墟のそう遠くない場所にフェイトとアルフは墜落していた。咄嗟にアルフがフローターフィールドで着地の衝撃をほぼ殺してくれたので目立った外傷はない。せいぜい二人の肌が攻撃魔法の余波でですすけた程度だ。

 もっとも、互いに防護服が見るも無残なほどボロボロになっていて。あの一撃はまさに致命打を与えるには充分すぎるほどの威力を秘めていた。二人とも意識を保つのが精一杯。とてもじゃないが戦闘行為などできるはずもなかった。そんな中でアルフは気力を振り絞って立ち上がると倒れ込んでいるフェイトに歩み寄る。フェイトもアルフに大丈夫と言おうとして違和感に気づいてしまう。

 

 声が上手く出ない。

 

 掠れたような声しか出せず、よくよく考えれば身体中のそこかしこが痺れて動かせないのだ。防護服によって重要な器官は守られたものの、それ以外は本当にピクリともしない。

 

「無理もない、よ。フェイト、フェイトが最後に何をしたか、覚えているかい?」

 

 フェイトに対して優先的にフィジカルヒールを行使しながら、最愛の主人の驚愕を勘付いたアルフがどうしてそうなったのか知っている風に言う。

 フェイトは思い出す。思い出そうとする。あの最後の一撃に対して自分は何をしたのか。

 

(確か……アルフを逆に庇って、それで……)

 

 そう、最後の一撃が決まる瞬間に、あろうことかフェイトはブリッツアクションでアルフを庇うように必滅雷神槍の前に躍り出た。そして防護服の防御性が比較的に高いマントを向けるよう、背中側からあえて直撃を受けたのだ。アルフよりも防御力が低いフェイトが喰らえばどうなるか、結果は火を見るよりも明らかで、こうしてフェイトは全身が痺れて動けない状態に陥っていた。

 

「もう、あんな無茶しないどくれよフェイトぉ……フェイトに何かあったらアタシはどうすればいいのさぁ……」

 

「ぁ……ぅ……」

 

 大粒の涙を流しながらフェイトが無茶無謀をしないようにと訴えかけるアルフにどうすればいいのか、金色の少女は分からない。ごめんなさいと言おうとしても声が出ない。涙を拭ってあげたくても腕が動かせず。念話もできないほどに魔力は消耗していて、どうしようもない。

 ふと、誰かの泣き声が聞こえた気がした。幼い子供の泣き叫びだ。アルフ以外にも誰かが泣いている?

 瞳を動かして横目で風景を見やれば一定の範囲内で廃墟と化した街並みが見える。その中で誰が何処で泣いているのかと探してみるも、そんな子供は見当たらない。比較的近くにいると思うのだが。

 悔しいと、フェイトは己の不甲斐なさを呪う。誰かが泣いているのを止められないのも、疑似的に作られた偽物とはいえ街がこうなったのもフェイトの責任だ。力及ばずレヴィの暴走を食い止められなかった。あまつさえ説得にも失敗している。

 

(強く、なりたい。もう誰にも負けないくらい。そうすればきっと……)

 

 想いだけじゃダメだ。暴走するレヴィだけじゃない。次元犯罪者全般から弱い人を守るためには、どうしても力が必要だった。大きすぎる力を止められるほどの抑止力が。理不尽な暴力から誰かを守るための力が。

 

(次は負けない。だから、いまは休もう。そしてアルフに謝るんだ。今度は二人でレヴィを……)

 

 フェイトは最後の気力を振り絞るかのようにして、痺れが残る右腕を伸ばすとアルフの涙をそっと拭う。そうして彼女の意識は今度こそ深い眠りへと堕ちて行った。

 



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〇さよなら

 シュテルははやてを抱えて逃げていた。結界によって薄暗くなった街並みを駆け抜け、記憶の中にある不破の屋敷。すなわち自らの家へと急行する。

 襲撃者は突然現れた。はやての新しい友達と親睦を深め合う鍋パーティーを大好きな守護騎士、優しい友達、心を寄せるはやてと共に楽しんでいたのに。守護騎士が慌てた様子で薄暗くなった外の様子を見に行くといった時からおかしくなった。

 不安そうな自分たちを安心させるように微笑んだ守護騎士の皆は、心配いらないと言って出かけてしまう。その際、姉としてシュテルの面倒をよく見てくれたヴィータにはやてのことを任され、シュテルも力強く頷く。はやてのことは無性に護りたいから。

 やがて、カードゲームや話をしながら気分転換をして守護騎士を待っていた少女たちを襲った存在が現れる。蒼い毛並みが美しい狼だ。

 シュテルの大事な友達になったアリサは狼のことを知っていた様子で、驚きを隠せないようだったが、すずかと共にバインドでがらん締めにされてしまった。

 狼は念話で大人しくしてほしい。はやてを渡してこちらに戻っておいでと諭してきたが、ヴィータにはやてを任された以上、はいそうですかと従うこともなく。何より大事な友達を傷つけられたとあっては黙っていられない。

 

 シュテルは記憶にある禁じ手を使うことにした。

 すなわち不破流武術・体術弐。通称猿落としと呼ばれる蹴り技だ。

 相手を蹴り、脚を突き立てたまま反転。すなわち蹴り上げたまま一回転して相手を背中から叩き付けるという、九歳の子供にしてはとんでもない技で狼を叩きのめした。これにはさすがの狼も参ったらしく、というか攻撃される事すら想定外だったようで何の反撃も出来ぬまま受けた衝撃で身悶えしていたをセイは覚えている。

 本来なら一回転して頭から叩き付けるという殺人術。相手を確実に即死させるための体術だったのだが、シュテルがそれをしなかったのは命を奪う事を恐れたからだ。記憶の奥底に眠る雨の日の悪夢があるかぎりシュテルはどんなに変わっても一線を越えることはしない。

 

 すずかとアリサは諦めるしかなかった。それだけがシュテルの心残りだ。二人とも初対面なのに記憶を失ったシュテルのことを本当の友達みたいに接してくれて、いっぱい優しくしてくれたのに。でも、シュテルの身体では子供一人を抱えるだけで精一杯だったのだ。不思議な光の拘束輪を外せないというのもあった。

 

 ともかく、シュテルは狼が怯んだ隙に混乱するはやてを連れ出して、こうして海鳴の街を駆け抜けているわけである。

 海鳴の外の街は賑やかで活気があった頃はとは別世界に変貌しているのが二人を驚かせた。不気味なまでに人の気配がなく、騒ぎを聞きつけた大人がやってくる様子もなかった。携帯は圏外で通じない。遠くの方でいくつもの光が瞬いたかと思うと大きなビルを崩落させてしまう恐ろしい光景。さらに遠くではいくつもの爆音が響いてきて戦場にでも迷い込んだかのような錯覚を覚えてしまう。

 仕方なくシュテルは回り道をして比較的に安全なルートを通ることにした。

 

「セイちゃん。やっぱり外は危険だよ。大人しく家で待ってた方がいいかもしれない。狼よりはマシや。それに、アリサちゃんとすずかちゃんが心配でたまらない」

 

「やっ」

 

「どうしてあかんの?」

 

「アリサとすずかは心配いらない。あの狼はセイたちを狙ってるから。セイ、ヴィータお姉ちゃんに任されたの。はやてを護ってほしいって。はやてに何かあったらセイは顔向けできなくなる。それにすずかとアリサは絶対に助ける。約束する」

 

「セイちゃん……」

 

 はやての悲しそうな疑問の声にシュテルは淡々と答えていく。自分と同じくらいの子供一人を抱きかかえて走り続けているというのに、息ひとつ乱れていない。同年代の子供と比べても一際凌駕した体力を持っているようだ。

 それに、はやてと出会った頃に比べてシュテルは幾分か饒舌になっている。これは二週間の間に色んな人と接してきた影響だろう。他者とのコミュニケーションと暖かな家庭環境がシュテルの心の成長を促した。

 

 ヴィータに連れられて近所の老人会に顔を出した。柔和なお爺さんやお婆さんにいたく気に入られて、可愛がられたシュテルはゲートボールを教わってのめり込んだ。今では誰かに教わった気がする盆栽と並んでシュテルの趣味のひとつだ。次はぜひともバックスピンを披露してみたい。デパートに来ては色んなアイスクリームの味を買いあさって楽しんだし、ヴィータがおこずかいで買ってくれたのろいうさぎの髪留めはシュテルの宝物だ。

 

 シグナムには師範代をやっている剣道場にこそ連れて言って貰えなかったものの、何処からか手に入れてきた囲碁や将棋といった盤上の遊びをしてもらった。八神一家最強の打ち手であるシャマル。その道に立ち塞がるザフィーラを打倒すべくシグナムと日々切磋琢磨するくらいには仲が良い。相変わらずシュテルのことを少しだけ疑いの目で見ることもあるけれど、何処か厳しかった父の面影を彼女に見た気がしてシュテルはシグナムに懐いていた。

 

 シャマルとは一緒に料理ダメダメ同盟として八神家の皆に恐れられたコンビだ。妙な隠し味を使って独創的な料理を作るシャマルと何故か全力全開で料理を作ろうとして灰燼にしてしまうシュテル。二人は涙を呑んで特訓の日々を送っている。いつか皆を見返してやる為に。もっともお菓子作りは綺麗にできるのでシュテルが一歩リードか?

 

 ザフィーラは寡黙だけど他の守護騎士が蒐集に出掛けていて、はやても病院でいないときに傍に居てくれた。屈強な大男だったザフィーラを見るたびにシュテルの悪夢がよみがえって苦手だったが、献身的な彼の姿に兄の面影を見た気がして、次第に慣れていく。今では狼形態で散歩に出かける彼の背中に乗せて貰って海鳴臨海公園まで行くのがシュテルの楽しみ。恐ろしい雨の日にずっとあやしてくれたから彼のことも大好きだ。

 

 アリサとすずかは初対面の筈だが、妙にシュテルに優しくしてくれて、記憶喪失だという自分を今度は家に招待してくれるらしい。彼女たちはシュテルの記憶にある『アリサ』と『すずか』とは違う気がしたが、大切な友人であることに変わりはない。何せ、シュテルの初めての親友になってくれたのだから。だからこそ助けられなかったのが悔しくて、はやてを優先する事しかできない自分が情けなかった。必ずや助けると心に誓う。

 

 そして、腕の中に抱えた八神はやて。彼女は見ず知らずの自分を救ってくれて、家族の温もりを与えてくれて、シュテルの欲しかったモノをくれた大切な人だ。守護騎士が護ろうとするのも分かる気がする。シュテルも、この子を全力で守ってあげたい。

 

「ごめんなぁ。わたしが足手まといだったばっかりに。せめてこの足が動かせればいいんだけど」

 

「ん、はやてが気にする事じゃない。優しくしてくれたはやてを守りたいのはみんな同じ。今はいないけれど、きっとヴィータお姉ちゃんたちも異変を解決しようと頑張ってる。だから、それまではセイがはやてを守る。安心して?」

 

「ほんまありがとセイちゃん」

 

「……心がほぅってなった。これが嬉しいってことなのかな」

 

「あはは、きっとセイちゃんが思うならそうやね。次は苦手だった笑顔ができるといいやね」

 

「えがお、微笑み、笑う事……こう?」

 

 そう言ってシュテルが浮かべる笑顔は無表情な顔付きで頬が引きつった不気味な笑みだ。表情筋に力を入れすぎて頬がひくつく笑みは、何と言うか怒りを笑顔で隠しきれない人間が浮かべるソレに近い。

 

「……あはは、今度一緒に練習しようなセイちゃん」

 

「難しい。でも努力する。うん、頑張る」

 

――オオオオォォォォォォォ!!

 

 ふと耳に聞こえてきた狼の遠吠えにシュテルは身体をビクつかせる。はやてには聞こえないがシュテルの鍛えられた聴力や警戒心には届くように、絶妙なさじ加減で発された叫び。律儀ながら相手に追いかけるよと伝える意味でもあるし、相手の恐怖を煽って追いつめるための算段でもある。

 シュテルは走る速度を少しずつ速めながら、遠吠えから逃げるようにして路地を駆けた。今の街は危険がいっぱいだが人目を避けるように動けば少なくとも、あの狼以外は追ってこないはずだ。

 

「セイちゃんどうかした? 顔色が悪いよ?」

 

「何でもない。これから不破の屋敷にいく。そこに家族だけしか知らない隠し部屋があるから。隠れてれば屋敷ごと壊されない限り安全だと思う」

 

「不破のお屋敷……」

 

「ん、セイのお家。本当は帰りたくないけどあそこしか頼れる場所がない」

 

「セイちゃん。もしかして記憶が戻ったの?」

 

「分からない。これがわたしの記憶なのか、誰かの記憶なのか。でも、はやて達と過ごしてから、ほんの少しだけど自分のこと思い出せた気がする。わたしの住んでた場所、家族のこと、友達のこと。身に染みついた戦い方。今はそれを頼るしかない」

 

 シュテルは決意に満ちた眼差しではやてを見つめると、さらに駆ける速度をあげる。その横顔をはやてが心配そうに見つめていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 ナハトは海鳴臨海公園にたどり着くと連れてきたアリサとすずかをベンチに寝かせて、強力な防護結界を張る。非殺傷とはいえ魔法が飛び交っているのだ。防護服も展開できない二人に流れ弾が直撃したらと思うとぞっとする。目の届く場所に置いておいて巻き込まれないように配慮するのが一番だ。本当なら安全な場所へと。結界の外へと送り出してやればよかったのだが、管理局に人質にされたらと思うと怖くてできない選択だった。管理局もそんな卑劣な真似はしないだろう。けれど、殺された経験のあるナハトは局員を疑ってしまう。当然のことだった。

 アリサは深い眠りに付いたかのように動かない。ナハトが夜の一族特有の暗示で強制的に夢の世界に送ったからだ。一族の紅い瞳は純血種であればあるほど強力な暗示を掛けることができる。人の記憶を書き換えることも、負担は掛かるができるだろう。

 それでも、同じ存在であるすずかだけは抵抗を示しており、いまだに眠りに付くこともせず意識を保っていた。暗示を掛けようと見つめるナハトと抵抗しようと気を抜けず、瞳を逸らすことも出来ないすずか。両者の力はナハトに軍配が上がるだろう。逃避しながらも一族の力を受け入れたナハト。いまだに一族の力から逃げ続けるすずか。この決定的な差が拮抗する能力を崩した。

 

「くっ、だめ、意識が……遠のく、はぁはぁ……」

 

「いい加減に諦めて、暗示を受け入れた方が良いと思うよ? これは悪い夢なんだから。覚めたら元通りになる夢」

 

「誰が……あなたの言うこと、聞くと思う? アリサちゃんを、はやてちゃんを、セイちゃんを傷つけようとするあなたの、言葉なんて、信じられるもんか……!!」

 

「はぁ、レヴィちゃんもディアちゃんも、もう一人の自分のこと嫌悪してるけど。わたしもなのかな。随分と嫌われてるみたい。同族嫌悪? そんなに狼の耳と尻尾、忌々しい紅い瞳を持った私自身が嫌いなのかな? わたし?」

 

「分かって、る……くせに、きかない、で……」

 

「まあ、そうだよね。私も化け物の自分が嫌いだもの。人間として皆と一緒にいたいもの。でも、もう一人のわたしからすれば私は充分、化け物に見えるってことかな……そろそろ、眠ってね? 私、あなたに構ってあげるほど暇じゃないから」

 

「っ……ごめ、ん……アリ、サちゃん……」

 

 それだけ言い残すと糸の切れた人形のようにすずかは倒れ伏し、ナハトはその身体を優しく受け止めた。アリサの寝込んでいる隣に彼女を寝かせてやると、その手をそっとアリサの手に置いてやる。こうすれば目覚めた時不安になる事もないだろう。

 あとは逃げ出したセイとはやてを追いかけて捕まえるだけだ。

 しかし、ナハトは驚きを隠せないでいた。まさか、あのシュテルが本気で自分に体術を振るうとは思っていなかったから。想定外の奇襲によって防ぐことも叶わずまともに猿おとしを喰らってしまうなんて一生の不覚である。記憶を失っても、何処か自分たちのことを本能的に受け入れ、思い出せると勘違いしていたナハトが悪いのだがショックは隠せない。

 幸いにも無意識に加減してくれたおかげで致命傷とならずに済んだが、殺人術として振るわれていればナハトの首の骨が折れていた。そうなればしばらく活動停止するのもやむ得なかっただろう。

 

 ナハトは硬くなった筋肉をほぐすかのように準備運動すると、魔法を使わずに最速で追いかける為、狼の姿に変身する。そして大きな遠吠えをひとつ。ある程度、警戒して怯えてくれた方が気配は読みやすいからだ。案の定、懐かしいシュテルの気配に恐怖の臭いが混じった。激しい運動をして掻いた汗の中に、別の臭いが混じったから読みやすい。人が恐れた時に浮かべる冷や汗がでたのだろう。狼の鋭い嗅覚を持つナハトには容易に捉えることができる。

 怖い思いをさせて可哀想だが、優先順位はディアーチェを助けることだ。あの日、皆で誓ったこと。そのためにも手段は選ばない。

 シュテルの失った記憶はディアーチェが流し込んでやれば元に戻る。荒療治でシュテルに大変な苦痛をもたらすが、どうしてもシュテルの力が必要なのだ。ディアーチェの復活の儀式を護る戦力は多いに越したことはない。何かアクシデントが起きた時もシュテルなら対応できるだろう。

 できることなら、そのまま平和なひと時を過ごして貰いたかったが、運命とやらはそれすら許さない。何せ滅びのタイムリミットは止まってなどいないから。シュテルも無関係ではいられないのだ。

 

「さてと、逃げた子を急いで捕まえなくちゃね」

 

 蒼い狼が海鳴の大地を疾走して駆け抜けた。

 

◇ ◇ ◇

 

 狙われている。背後から迫りくる獲物を狙う視線。それを感じてシュテルは身震いした。記憶にある不破の修行の時、姉と山籠もりさせられて、山犬が狙ってきた時のような。それと同じ視線だ。耳に聞こえてくるのは硬い爪がコンクリートの大地を蹴る音。断続的に響くそれは凄まじく早い。このままではあっという間に追いつかれてしまう。

 狼と人とでは走る速度が圧倒的に違う。

 何よりもシュテルは自分と同じくらいの体躯を持った女の子一人を抱えているのだ。どんなに頑張っても、必死に気力を絞り出して限界まで走る速度を上げようとも逃げ切れないのは目に見えていた。

 

 シュテルがどうすればいいのかと考える暇もなく、蒼き狼は家々の塀を飛び越え、屋根を伝い、電信柱やありとあらゆる壁を蹴ってシュテル達の眼前へと回り込んだ。

 敵意もなく、獲物を狩るような害意もない瞳でシュテルを見つめてくる狼。ナハト。

 まただ、どうしてなのか知らないがナハトはシュテルとはやてに対して穏やかな瞳をする。あれほどシュテルが全力を持って彼女を叩きのめしたというのに。いつもと変わらない調子で接して来るのだ。普通の相手なら怒りを露わにするのだが。

 シュテルがナハトの態度に戸惑い、腕の中のはやてを渡すまいとギュッと守るべき少女を抱いて警戒していると、ナハトが口を開いた。

 

「ねぇ、シュテルちゃん。まだ思い出せないの? 私たちが誰なのか? どうしてはやてちゃんを必要としてるのか?」

 

「どんな理由があってもはやては渡さない。セイはヴィータお姉ちゃんと約束したの。はやてを守るって。それにアリサやすずかを傷つけるような輩、セイは信用できない」

 

「じゃあ、この姿なら信用できる?」

 

「えっ……?」

 

 そう言ってナハトは身体を蒼い光で包み込むと見る見るうちに人型へと変身する。その姿はすずかとまったく同じ。狼の耳と尻尾が生えていなければ瓜二つといっても過言ではない姿だった。

 相手の予想外の正体にシュテルは狼狽えて言葉が出ない。どうして狼はすずかと同じ姿をしているのか、自分は知らずの内に友達を傷つけ殺めてしまいそうになっていたのかと混乱する。

 そんなシュテルに変わってナハトに話しかけたのは妙に落ち着いたはやてだった。

 

「なぁ、あなたのことはなんて呼べばいいんかな?」

 

「『すずか』じゃ紛らわしいからね。私のことはナハトって呼んで」

 

「じゃあ、ナハトちゃん。どうしてわたし達を狙ってるのか? アリサちゃんとすずかちゃんはどうしてるのか? この街の惨状は何なのか? できれば教えてほしいんやけど、ダメかな?」

 

「うん、いいよ」

 

 やけにあっさりと了承するナハト。

 その裏には正直に答えることで信頼を得ようとする打算があった。別に隠していてもメリットなどひとつもないし、むしろ自分たちマテリアルが置かれている状況を説明すれば、優しいはやてなら救おうと協力してくれるかもしれない。そうすれば、力ずくで身柄を奪うなどという面倒くさいこともしなくて済む。

 

「まず、アリサちゃんとすずかの身柄だけど安心して良いよ? 今は安全な場所で大人しく眠って貰ってる」

 

「良かった~~。ほんまに良かったよ――」

 

 初めてできた二人の友人。明らかに自分のせいで巻き込んでしまったと考え、心が不安でいっぱいだったはやて。

 安堵させるような優しい表情と声で語りかけたナハトの言葉に、感極まったように大きく息を吐いた。

 しかし、混乱していたシュテルは落ち着きを取り戻すと警戒心を剥き出しにしてナハトを睨む。彼女が語る言葉が真実だという保証は何処にもない。騙して油断させようという罠なのかもしれない。そう思うと、いまいち信用できなかった。

 ただ、心の奥底がどうしてかずきりと痛む。シュテルにはそれが何なのか分からない。

 

「……二つ目は、この惨状を起こしたのは私たち。貴女の、はやての身柄を確保するために起こしたの。もちろん、あまり無関係な人は巻き込みたくないから。結界で街を隔離させてもらった。ここは元いた海鳴市とは違う空間だよ。だから、いくら暴れても問題ない」

 

 ナハトはそんなシュテルの心情を察しながらも、話を続けた。管理局の陽動をしていられる時間は限られる。王の膨大な魔力を隠れ蓑にしているとはいえ、ナハトの存在をいつ察知して来るのかも分からない。話は手短に済ませる方が良い。

 記憶を失えば築き上げた友情は脆くも崩れ去るのかと、悲しくなる己の心は殺すことで隠した。誘拐に来たのがレヴィじゃなくてよかったと思う。こんな態度でシュテルに接されたら、あの子は泣くことを止められなかっただろう。家族のように、恋人のように仲の良かった二人だから。

 

「……どうして私のことが必要なの」

 

 悲しそうに面を伏せるナハトに戸惑いながら。はやては問う。何故、こんな大規模な事件を起こしてまで自分の身を必要とするのか。

 ナハトは少しの間迷っていたようだが、決心したように顔をあげると正直に答えようとした。はやてのことを必要とするその理由を。

 

「あのね、私たちと、はやてちゃんのことを……」

 

「何をもたもたしておるのだ? ナハトよ。そんな悠長なことせずとも有無を言わさず連れ去ってしまわぬか」

 

「ディアちゃん……?」

 

「あっ、わた、し……?」

 

 しかし、ナハトの言葉は途中で遮られてしまう。

 彼女の傍らに降り立ったディアーチェが強い口調で咎めたのだ。

 陽動に当たっている筈の彼女がどうしてここにいるのかと言う疑問でナハトは戸惑い。はやては自分を鋭い視線で睨み付けてくる瓜二つの少女に怯え。シュテルに至っては凍り付いたかのように固まって動けない。

 ディアーチェは腕にうずくまるレヴィを抱きかかえていた。レヴィは虚ろな表情をしていて、ごめんなさいと小さな声でうわ言のように呟いている。そんな彼女を労わる様に慰める王。どれだけ水色の少女を大事にしているのか端から見ても分かるほど。愛おしそうに優しい手つきでレヴィの頬を撫でた。

 王の背には闇色に輝く六枚の黒翼ではなく、波打つような黒く禍々しく光り輝く翼が生えていて。そこから圧倒的な力が漏れている。魔導師として完全に覚醒していないはやてでも感じられるほどの圧倒的な威圧感。魄翼と呼ばれるユーリから借り受けたチカラ。

 

「ディアちゃん。管理局との戦いは?」

 

「烏合の衆を蹴散らすなど造作もない。だが、若い少年の指揮官は優秀なようでな。勝てぬと見てあっさりと部隊を引き下げおった。向かってきたなのは達と守護騎士は気絶させてやったが、加減するのに些か苦労したぞ」

 

「守護騎士を気絶させたって……あんた、私の家族に何したんか!?」

 

 対して苦労していないかのように言うディアーチェ。

 それに喰ってかかるのは、家族を傷つけられたことに対して怒ったはやてだ。友達や家族が助かるならば自分はどうなっても構わなかった。けれど、その逆は許せない。家族や友達に何かされたとあっては黙ってなどいられない。相手が自分によく似たディアーチェだったら尚更。

 

「黙れ……貴様の発言を赦した覚えはない。何も知らぬ小娘が、守護騎士のあやつらが何をして、どんな気持ちだったのか、知ろうともしない童が!! 一丁前の口を利くでないわっ!!」

 

「っ……」

 

 それを王は一蹴する。ただでさえ恐ろしげな眼光ではやてを射抜いているというのに。凄みを効かせた憤怒の表情ではっきりと、はやてを見据えたディアーチェの眼差しは身が竦むどころでない。知らずとはやては身体を震わせ、押し黙るしかなかった。

 たかだか、数年を生きた少女と。数百年とも知れぬ長い時を闇の中でさまよい続けた王とでは、覚悟の差が違う。

 

「ディアちゃん……」

 

「ナハトよ。レヴィを頼む。こやつを抱きかかえてやってくれ」

 

「……うん。分かった」

 

 自分自身に対して憎悪とも取れる感情を見せたディアーチェに、何か思うことがあったのだろう。ナハトは何か口ずさもうとしたが、出て来た言葉はディアーチェの頼みによって塞がれた。

 蒼の狼は水色の少女を優しく抱きうけると、ギュッと身を包む。一人ではないと少しでも感じてほしいから。せめてもの慰めだ。

 

「さて。"シュテルよ。その娘を大人しくこちらに明け渡せ"」

 

「ぁ……」

 

 シュテルに優しく手を伸ばしたディアーチェが、尊大な口調で"命令"すると。シュテルは呆けたようにゆっくりと歩み出す。マテリアルはディアーチェにとって命よりも大切な親友だ。だから、あまり使いたくはないが、紫天の書の管制制御を担う王のマテリアルは他のマテリアルに対して介入することができる。

 普段通りに意識を保っていれば抵抗できる。けれど、記憶を失いマテリアルとしての自覚を欠いたシュテルに逆らう術はない。

 シュテルは、腕の中にいる守ると誓った少女を、いとも簡単に手放した。王は差し出されたはやての身柄を担ぐと、労わる様にシュテルの頭を撫でる。そして、預かったはやてを魔法で強制的に眠らせた。これ以上騒がれると目障りだから。

 

 ディアーチェははやてを担ぎながら深く思慮する。シュテルの処遇について。このまま連れて行ってもよいが、この世界にはシュテルの望んだ光景が全てあった。

 優しい父の士郎。愛情をたくさん注いでくれる母の桃子。面倒見が良い兄妹の恭也と美由希。思わずディアーチェが、ずっと此処にいたいと願ってしまうくらいに、暖かな家庭が高町家にはあったのだ。

 このまま連れて行って良いのだろうか。むしろ、並行世界とはいえ、優しい家族の元に帰すべきではないのか。シュテルはディアーチェと居てたくさん傷ついた。もう休むべきなのだ。自分を助ける為に無茶をして、そのせいで記憶を無くすくらいに傷ついてしまうなら。こっち側に居ない方が良いだろう。

 ディアーチェは顔を俯かせながらも決断する。身勝手で押し付けがましい選択だが、こうするほうがきっと……

 王は命令を発する。

 

「シュテル……っ"高町家に居候せよ。迎えに来るまで我らと関わってはならぬ"」

 

「ぅ……」

 

「ディアちゃん、それは!!」

 

 ディアーチェの最後に放った命令は、いわば呪いだった。シュテルの行動の自由を奪う呪い。はやてを探し求めようが、記憶を思い出してマテリアルの元へ戻ろうが、命令が彼女の行動を阻害する。関わろうとすればするほど、彼女を頭痛と吐き気が襲い、戒めるだろう。

 ナハトもそれが分かっているのか、咎めるように王に対して声を荒げる。しかしディアーチェの浮かべた表情を見て息を呑むしかなかった。

 先程まで王の威厳を保っていた少女は泣いていたのだから。瞳からいくつもの滴が流れ落ちては防護服を、コンクリートの大地を濡らしていく。

 

「ごめんねシュテル。わたし、なんどもあなたを傷つけた……家族と仲直りする機会も、記憶を失くしたのもわたしの所為。わたしがシュテルから奪ったようなもんや……せっかく、シュテルが欲しかったモノがあるのに、また失わせたりしたら。今度こそ私は耐えられないと思う……」

 

 ディアーチェとしてではなく。『はやて』として語る、少女の懺悔と慟哭。赦しを乞うつもりはないけれど。せめて、一言。分かれる前に謝っておきたかった。

 

「だから、ここでしばらくお別れな……」

 

「あっ……や、だ……いかないで、はやて……」

 

「そんな、不安そうな顔しなくても、大丈夫だから。士郎さんも、桃子さんも良い人や」

 

「っえ、ぐ……うぇ……はや、て……」

 

 はやて、はやてと呟きながら近寄るシュテル。彼女の呼ぶはやてとは八神はやてなのか、それとも八神『はやて』なのか分からない。

 自らディアーチに歩み寄ったことで、さっそく制約が発動したのか。シュテルは吐きだしそうになるのを何度も堪えてはやての名を健気に呼ぶ。

 自分の行ったこととはいえ、目も当てられない様子にディアーチェは目を背けると。少しずつ近寄るシュテルから退いた。距離にして五歩分。たったそれだけの距離でも制約の効果でふら付くシュテルには、あまりにも遠すぎた。

 

「行くぞナハト。もうここには用はない」

 

「……いいの?」

 

「構わぬ。それとアスカなのだが、管理局に降るそうだ。前に宣言した何をしようとも咎めず、退きとめはしない。あの言葉を持ち出されてはな。止めようがない」

 

「アスカちゃんが……?」

 

「そうだ。敵対する事だけが道ではないと言っていた」

 

「それが、アスカちゃんの答えなんだね……」

 

 互いに言葉を交えながらもディアーチェとナハトは、シュテルから離れていく。王が命令を解除しないかぎり、シュテルは制約によって苦しみ続ける。なら、いっそのことすぐにでも別れた方が良い。

 

「――あっ、おーさま……いかないで! おーさま!!」

 

 そんな二人を必死に追いかけるシュテル。躓いて転びそうになって、制約のせいで気持ちが悪くなり、足をもつれさせて盛大に転ぶ。何度も転んで膝をすりむき、手を突いた部分が血を流す。それでも立ち上がって、飛び去る二人を追い縋ろうと走った。

 彼女は思い出したのだ。あの日、記憶を失ったときに断ち切れた。心の奥底で繋がる暖かな光の持ち主が誰なのか。ディアーチェが触れることで、その正体を知った。

 だから、取り戻そうと追いかける。シュテルの欲しかったモノをくれたはやてを。大好きで堪らない王様を。でも、シュテルが追い付くことは永遠にない。魔法の使い方を忘却した彼女に空を飛ぶ術などないからだ。

 

(っ……ええい、振り向くなディアーチェ! 置き去りにすると決めた以上、可哀想だと偽善ぶらずに……突き放すの…だ)

 

(……バイバイ、シュテルちゃん。私はディアちゃんの決めたことに逆らえない。でも、また会おうね)

 

「おうさまぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 少女の慟哭を背に受けながら、紫黒の王と蒼き獣は二人の少女を抱えて何処かへと消えた。

 



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第三部 リリカル『なのは』
〇プロローグ1 悲しい雨


 ここから、リリカル『なのは』編
 残酷な描写があります。苦手な方はご注意を


 不破美由希は、梅雨の到来によって激しい豪雨が訪れるようになった季節を、これほど恨んだことはなかった。おかげで追跡おいて役立てる嗅覚が、まったく機能しない。雨によって染みついた微かな臭いが、全て流されてしまっている。

 こうなっては、犯人の心理、現場周辺の隠れるのに適した場所、土地勘に優れた美由希の洞察力によって、犯人の居場所を特定するしかなく。普段の限界の、さらに限界を超えて軋む身体を、酷使し続けていた。探索する場所が外れていると知るや、猛スピードで別の場所へ向かう。それを繰り返す。

 豪雨の真っただ中を突き進むたびに、水たまりを踏み散らす。服は水を吸い過ぎて、地面へと流れ落ちるしかない。重くなった装飾など脱ぎ捨てたいところだが、面倒なこととなるのでやめた。

 

「はぁ……はぁ……ぐぅぅっ……」

 

 神速の連続使用による代償なのか、呼吸は荒く、既に身体が悲鳴を上げる頃だ。これ以上無理をすれば、二、三日は指先を動かすことすら、ままならなくなるだろう。だが、それがどうしたのだと美由希は吐き捨てる。

 自分の身体がどうなろうと、知ったことではないのだ。自分よりも大切な、妹の命が掛かっていた。

 そう、彼女が己を省みずに海鳴の街中を探索するのは、それが理由だった。大切な大切な妹のなのはが、誘拐されてしまったのだ。前々から恐れていた事態が、起こるべくして起きてしまった。学校の帰り道、人気の少ない時間帯を見計らって、浚われたと思われる。

 すぐに気が付けたのは、浚われたなのは自身のおかげだった。彼女に護身術として不破流を叩き込み、反射神経や身体能力を向上させてきたおかげなのか。妹に前もって渡していた防犯ブザーを偽装した発信器。それを押してくれたのがきっかけ。

 それでも相手は誘拐において、腕が立つ人間だ。こうして全力で探しているのにも関わらず、一向に足取りがつかめない。ブザーを鳴らされた時点で、相手も発信器だと気が付いたんだろう。現場に発信器を放り捨てられていた。だから相手の場所も、動きもさっぱりだ。

 探索には不破家の総力どころか、月村家、バニングス家の協力も得ていた。父の士郎が昔の伝手を使って、協力を仰いだらしい。しかも、月村家が裏で警察を動かしてくれて、街は騒然となっている。街の出口に検問が敷かれ封鎖された。

 だというのに、これほどの人員を動かしているのに、一向に手掛かりはない。

 

 ポケットの中で携帯の着信が鳴る。電話ではなくメールだ。話している時間すら惜しいから、あらかじめ、決められた暗号によって、探した場所とこれから探す場所を伝えるメール。件名に、たった一文字の英記号が送られてくる。

 美由希はそれを素早く一瞥すると、高速でキーを叩いて返信。ポケットに乱暴に突っ込む。

 内容は恭也から。なのはは未だに見つかっていないらしい。これから山の中を探索するそうだ。美由希も住宅街を一通り探し終えたので場所を変更する。

 次に向かうのは郊外にある廃ビルだ。頭のなかにある海鳴の地図と照らし合わせて犯人が逃げ込みそうな場所のひとつと予測しているところ。一度は探索したと報告は受けたが、どうにも怪しいと勘は伝えている。犯人は隠れ家一か所に止まらず、こちらの様子を見て絶えず移動している可能性もある。だから、もう一度、確かめようと判断した。

 時間はないのだ。この誘拐が不破一家の復讐劇に対する報復。見せしめの意味も兼ねたなのはの抹殺であるならば、時間を掛けるほど生存は絶望視される。

 母の桃子が見せしめに父の目の前で殺されてから始めた復讐劇。母を殺した敵対組織と、その施設を潰して回ってきた不破家を向こうも忌々しく思っていることだろう。だから、妹のなのはを殺す。復讐の連鎖は止まることを知らない。

 

「ぜぇ……ぜぇ……なのは……無事でいて」

 

 豪雨の降りしきる街中を美由希は駆け抜ける。ただ、やみくもに。ひたすらに走り抜ける。この雨の中では視認すら難しいほどの速度で大地を駆ける。

 なのはは美由希にとって顔を合わせたくない子だ。義理の母ではあったけど桃子は美由希にたくさんの愛情を注いでくれた。美由希もそんな母親にたくさん甘えた。だからだろうか、なのはの顔を見るたびに桃子のことも思い出して辛くなる。あの子は母親の面影があり過ぎるから。

 あまり顔を顔をあわせないのも、たくさん話をしないのも、美由希が泣きそうになるからだ。だから愛しい妹にきつく接してきた。厳しい態度を見せることでなのはの心を、いかなる状況でも動じないように鍛えると言い訳しながら。

 

 なのはには悪いことをしたと思う。おかげで妹の感情は色あせた。それでも、美由希は態度を改めることを良しとしない。復讐が終わるまで弱みを見せてはいけないのだ。己の感情を殺すことで美由希は殺人機械となることを決めた。そうしなければ戦えなかった。

 兄の恭也はその事で何度も美由希を叱ってきた。優しい兄は復讐よりも、今ある日常を大切にして、桃子の分までなのはを愛そうと論して来る。

 恐らくそれは正しいことだ。美由希も自分が間違っていることはとうに気が付いている。

 なのはのことは本当に愛している。可愛い、可愛い妹だ。生まれてきた時からずっと見守ってきた。受け継いだ御神の技を使うなら、この子を守るためにしようと決めた。それくらい愛している。

 だけど、敬愛する父も、美由希自身も、己を納得させることが、できなかったのだ。愛した妻を、母を奪われた憎しみ。それが、消えることはなく。元凶を滅ぼすまで止まることはない。

 

 その報いが、なのはの命を奪われるという、悲劇なのだろう。でも、そんなことは神が赦しても、美由希が赦さない。そのような運命は覆してやる。

 もし、なのはの命が奪われたならば、美由希は修羅となる。己を永遠に戒めつづけ、相手を見境なく殺す。今度は生易しいものではない。女子供容赦なく、幼子であろうが、赤子であろうが殺す。

 母を失った日から歪み続ける美由希は、間違った道を進み続ける。己の復讐劇が、愛するなのはを危険に晒していると気付けずに。

 

◇ ◇ ◇

 

 不破なのはは口、両手、両足をガムテープで縛られた状態で軟禁されていた。廃れた部屋の一室。コンクリート片や建築用の鉄パイプが散乱する部屋に転がされている。

 晴れて私立聖祥の小学生の一年生として入学することができた彼女は、家に帰れば辛い修行が待っていると憂鬱な気分で下校していた。日々のストレスで疲れていたのか、慣れない環境で極度の緊張状態。うまく他の子供と接することができず。友達作りに失敗した矢先の出来事。

 激しい雨が降りしきる前の、降り始めのころ。雨の中で俯きながら歩いていた彼女の背後から忍び寄る影にハッとして、反射的に防犯ブザーを鳴らしたものの、あっというまにハンカチを嗅がされて意識を失った。気が付けば見知らぬ部屋という訳である。

 

(どこなの、ここ!? なのはどうなっちゃうの……!?)

 

 瞳を必死に動かして状況を把握しようと周囲を観察する。不慮の事態にあった時は、まず落ち着いて状況を観察しろと厳しく父に叩き込まれた影響であった。

 部屋にはなのは以外にも見知らぬ男がいた。全身黒づくめの格好をした男。この男がなのはを浚ったのだろうか。男の普通ではない気配になのはは怯えた、父や姉と同じにおいがする。こびりついた血なまぐさい臭い。普通の人間なら感じ取れないが、不破流の古武術を学んでいるなのはは、常人と比べて五感が鋭く研ぎ澄まされている。誘拐されるという異常事態が少女の危機能力を高めていた。いわゆる火事場の馬鹿力というやつかもしれない。

 

 男は何やらマットを敷いて、その先に三脚で立てた高級そうなビデオカメラを準備していた。あたりを試しに撮影しているのか、しきりに何やら調節している。その傍には鋏やナイフ、大きすぎる注射器。何かの薬品。ロープ。ろうそく。しまいには玩具にしては物騒な馬の乗り物と、何に使うのかよく分からない器具ばかりで、なのはの不安を煽るには充分すぎた。

 

「んー! ん~~!?」

 

 恐怖に駆られた少女は堪えきれずに助けを呼ぼうと叫ぶ。けれど、口を塞がれていて声が言葉になる事はない。

 そんな、なのはの様子に気が付いたのか、男がゆっくりと振り向いて……笑った。異性でなくとも嫌悪感を抱きそうな厭らしい笑み。瞳にはありありと加虐心が浮かんでいて、まるで獲物をどうやって甚振ろうかと考えているかのよう。

 なのははぞっとした。恐怖による怯えで身体は震えだし、瞳が見開かれる。顔を逸らしたいのに男から目が離せない。

 

「よう、嬢ちゃん。目覚めたかい? ひっひっひっ、安心しな。とっておきの(自主規制)ムービーだ。すぐには殺さねぇよ。そうだな~~まずは股座を開いてそれから……」

 

 男の言葉は途中から頭に入らなくなった。恐怖でアドレナリンが分泌され瞳孔は拡大し、血圧が上昇することで著しく体温が上がる。なのはの中で何かが書き換わろうとしていた。

 

(しにたくない……しにたくないっ……)

 

 幼い少女の思考はただひたすらに、死にたくないと願い。生存本能が極限まで高まっていく。

 

「さて、お楽しみの時間だ。ははっ! すげぇあったかい身体、興奮してんのか? それともビビってる? いいぜぇ、泣き叫び恐怖で顔を歪ませろ! そのほうが最高に絵になんだよ。失禁するとなおいいなぁ。きひひ!」

 

「んー! んーー!!」

 

 男は無造作になのはの身体を持ち上げるとマットの上に放り込んだ。襲い来る脅威から遠ざかろうともがくなのはだが、手足を縛られた状態では為す術もない。

 それを知ってか知らずか、男はなのはの口元を塞ぐガムテープを剥がす。途端に部屋に響き渡る幼子の悲鳴。

 

「やだぁ!! はなして!、なのはをおうちに帰してぇっ!!」

 

「いいぞぉ、もっとだ。もっと叫べ! 嬢ちゃん虐めがいがあんなぁ。ははは!」

 

「いや……助けておにぃちゃん! おねぇちゃん! おとーさん」

 

「助けを呼んだって誰も来ねえ。嬢ちゃんは俺と二人っきりだ。いっぱい気持ち良くなって、それからいっぱい痛くして、最後に絶叫をあげてくれよ? ひゃはははは!!」

 

「あっ……あっ……」

 

 男の誰も来ないという言葉になのはは絶望する。足を縛っていたガムテープを剥がされ、両手で股座を開かせようとする男に抵抗していた少女は諦めたように大人しくなる。

 ドクンッとなのはの心臓が高鳴った気がした。鼓動は次第に大きくなっていく。頭がすーっとしていく。思考が感覚がクリアになる不思議な感じ。時間が遅くなったかのような錯覚をなのはは覚えた。

 死にたくないという切望。殺されるという絶望。何されるのか分からない恐怖。虐げられることへの逃避。それらは極限まで追いつめられた少女の覚醒を促すには充分で。

 衣服を乱暴に破られ、素肌が顕わになったなのはに、男の醜い顔が近付いてきた瞬間。なのはは最大限の危機感を抱いた。

 その瞬間、少女の頭のなかで何かがはじけた。

 

 腹筋の要領で身体をくの字に曲げる。その速度が尋常ではなく、男にはなのはの顔が急に近づいたかのように感じられただろう。だが、迫ってきたのは縛られた両手の指。

 

「ぐぎゃああああ…………!!?」

 

「…………」

 

 なのはの小さな手、細い指がオトコの左目に差し込まれたかと思うと、躊躇いもなくえぐりぬいた。おびただしい量の返り血が溢れて飛び散る。なのはの顔を、素肌を晒した上半身を鮮血が染めていく。

 たまらず、なのはから手を放して絶叫を挙げる男。背中を仰け反らせて両手を抉られた眼窩に押し当てる。

 なのははぶにゅりとする眼球を握りつぶした。別に意図したわけではなく手首に力を入れる際に、両手を握りしめただけのこと。両手を縛るガムテープを、顎を使って食いちぎる勢いで引き延ばすと、縄ぬけのようにするりと両手を引き抜いた。

 その速度が尋常ではない。あきらかになのはは身体の限界を超えている。

 蹲って痛みに震える男を背筋が凍りつくかのような視線で一瞥すると、素早くしなやかに飛び掛かって。男の片耳を全力で食いちぎる。何処を攻撃すれば致命傷を与えられるのか、小さく幼い自分と男の体格差を把握して判断した結果だった。

 

「ああ、あああああぁぁぁ! み、耳が、目が、イタイィぃぃ……」

 

 怯む男になのはは攻撃の手を緩めない。普段の意識がシャットアウトされ、本能と咄嗟の判断力、戦闘に特化した高速処理される思考で戦っている。

 食いちぎった耳をペッと吐き捨てると、落ちていたナイフを拾って男の肋骨の隙間に突き刺す。刺さった凶器は筋肉に挟まれてとてもじゃないが引き抜けない。反撃を受けないよう刺したまま離れる。

 

「あぐぅ……かひゅ、かひゅ、はぁふぅは……」

 

 大胸筋、腹筋、わき腹では筋肉に阻まれると判断して、次は鋏を男の喉に突き立てる。手近なコンクリート片を頭に投げつけて脳震盪を起こさせる。ふら付く男の後頭部に不破流・徹を叩き込む。素早くしなやかに行われる連撃。男が痙攣して血反吐と泡を吹きながら倒れた。

 肺と喉の呼吸器系を損傷させられたのだ。あふれ出す血が肺の中に溜まり、喉から通る筈の空気は漏れだす。想像できないほどの苦しみと激痛が襲っている筈だ。いや、もしかすると脳の機能はすでに麻痺して感じる意識さえないかもしれない。

 

 なのはの攻撃はなおも続いた。自分でも扱えそうな先の尖った鉄パイプを探し出して、倒れる男の背中から素早く突き立てる。追い打ちで鉄パイプを捻った。内臓はグチャグチャになり、肉の潰れる音や骨の砕ける音が響いた。鮮血がいくつも噴出しては床に血だまりが出来上がる。マットは男の鮮血で染まる。

 男はもはや悲鳴すら上げない。ただ、びくんっびくんと身体を痙攣させているだけだ。

 

「…………」

 

 それでも、なのはの一方的な攻撃は続いた。何本もの鉄パイプを手にしては男を滅多刺しにしていく。

 なのははシリアルキラーと化していた。不破の鍛錬によって外れかけていた肉体のリミッターが皮肉にも誘拐犯の手によって外されたのだ。まさか、男自身も小学生になったばかりの女の子に殺されるなど夢にも思わなかっただろう。

 やがて、煩いくらいの豪雨の音が部屋に響き渡る中で、なのはは力を失ったかのように膝から崩れ落ちた。

 

◇ ◇ ◇

 

 美由希は声がかき消されそうな程の豪雨の中で、確かに誰かの悲鳴を聞いた気がした。甲高い悲鳴ではなく、野太い絶叫のような叫び。組織の抵抗する人間を始末した時にあげる叫びに似ている。平たく言えば死に際に上げる断末魔だ。

 思わず立ち止まって意識を聴覚の方に集中させ、周囲から聞こえる雨音の中にあっても、小さな音を聞き分けられるように研ぎ澄ます。肌で感じる体感すら利用して音の種類を判別する。

 聞こえる。確かに聞こえてくる。一際、大きな絶叫と、小さすぎて聞こえにくいが地面を叩く音。

 

「あのビルか!!」

 

 美由希にとって音の種別はどうでも良いことだ。響き渡る音の発生源から場所と方向を割り出すことができればそれでいい。音を感知して数秒も立たずに目的地に向けて駆け出す。

 廃ビルのひとつに向かい、ガラス張りの扉を開けるのも面倒なので、ガラスを蹴り砕いて室内に突入する。そのまま非常階段へと向かい、上階に続く階段をひとっ跳びで乗り越えていく。

 そして、目的の部屋の前にたどり着いた瞬間。美由希は躊躇いもせずに扉を蹴り破った。脆くなっていた扉は開くどころか、固定された部分が外れて勢いよく床に叩きつけられる。

 

 暗器のひとつ。飛針をいつでも抜き放てるようにして、部屋に飛び込んだ美由希は目を疑った。疑うしかなかった。

 まず目に映ったのは血塗られた床だ。視線を辿っていくと形容しがたい肉の塊があった。ケーキの蝋燭を突き立てるみたいに何本もの鉄パイプが突き刺さっていて、身元は誰なのか判別できそうにない。

 

「なのは……」

 

 その傍に、虚ろな瞳の少女が佇んでいる。衣服は無残にも引き裂かれ、綺麗な肌に鮮血を纏った女の子。見間違いようがなかった。美由希の大切な妹のなのはだ。彼女のお気に入りだった髪型、二本のおさげは解かれていて。母から貰った物だと大事にしていたリボンが無くなってしまっていた。

 美由希は唇を痛いほどに噛み締めた。胸中には無事で良かったと思う安堵。そして、間に合わなかったという後悔が渦巻く。

 生きていたくれたことが、忘れていたはずの涙を流してしまう程嬉しい。けれど、流す涙には悲しみも大いに含まれる。

 妹の顔を見ただけで分かってしまった。人形のような生気を失ってしまったかのような表情。何も映しだそうとしない虚ろな瞳。もう、もう二度と妹は明るい笑顔を見せることはないだろうと悟ってしまった。少女に及んだであろう凶事が未遂に終わったのだとしても。

 この惨状を引き起こしたのが誰なのか言うまでもない。そうなるように仕組んでいたのは父であり、美由希でもある。そして、どんな理由があったにせよ人を殺した苦しみは一生、彼女を傷つけるだろう。かつて美由希がそうであったように。だから、なのはの笑顔を見ることはできない。

 

 美由希はなのはに駆け寄ると滴の滴る装飾を脱ぎ捨てて、強く抱きしめた。もはや、抵抗する気力がないのか、それとも敵意がないと分かっているのか、されるがままに姉の抱擁を受け入れる少女。

 

「ごめん……ごめんね、なのは……」

 

 謝ったってきっと妹は許してくれないだろう。たとえ許されたのだとしても、美由希は己を赦すことができそうにない。なのははどれほど怖かっただろうか、助けを求めても誰も来なかった状況にどれほど絶望したんだろうか。それを考えると助けられなかった自分など許せるものか。

 同時に美由希は決心する。もう二度と妹にこんな想いはさせないと。相手が報復になのはを襲ったというなら、付け入る隙が此方にあったということ。ならば今度は逃げ回ることしかできないように徹底的に容赦なく叩き潰してやると。鼠一匹とて生かしては返さない。

 どの道、なのはに厳しく接して辛く当たってきた美由希に、いまさら優しい顔して会う資格などない。ならば、自分なりのやり方でなのはを護ってみせると美由希は誓う。

 そんな、慟哭と憤怒に震えて涙を流す姉を、なのはは無意識にそっと抱き返した。

 

◇ ◇ ◇

 

 悲劇の日から一週間が経過した。

 あの後、連絡を受け付けて駆け付けた不破一同はなのはの保護を最優先とした。後始末は月村家とバニングス家が引き受けてくれたので問題ない。死体の処理は月村、警察組織の抑えと説明はバニングスがしてくれる。

 報復はすぐに始まった。士郎と美由希が率先して海鳴に潜む組織の間者を始末するところから始まり、苛烈な拷問によって情報を引き出す。さらなる襲撃と繰り返されるようになる。この日から美由希は家に帰ることが少なくなった。

 そんな中にあって恭也はなのはの側を離れなかった。あんなのことがあったのだ。誰かが常に傍にいて護衛するのは当然だが、恭也は何よりも優先して妹の傍に居てやることこそが大事なんだと気が付いたから。

 なのはの部屋に居座りながら、ベットに眠る少女の看病をずっと続ける。

 

「うっく……おえぇぇ……はぁはぁ……うぅ……」

 

「なのは、大丈夫か?」

 

「ふるふる」

 

 なのははあの日から悪夢にうなされ、嘔吐するようになった。今も洗面器に用意された桶に胃液を吐きだしてしまっている。だから、用意する食事は粥などの流動食でなるべく起きているうちに食べさせた。足りない栄養は点滴で補う。そうしないと、彼女は餓死してしまうんじゃないかと恐れてしまうくらい危ない状況だ。

 妹の背中を労わる様に優しくさすりながら、恭也は自然と優しい声でなのはを案じる。

 なのはは弱々しく首を振ることしかできなかった。そりゃそうだろう。あそこまで追いつめられれば誰だって大丈夫だと言えない。むしろ、素直に弱音を見せてくれる方が安心できる。抱え込むよりはずっといいと恭也は思う。

 

 普段の明るさはなりを潜めて怯えるなのはを、恭也は抱きしめる。ずっとそばにいる。離れたりしないから安心してほしいと少しでも伝わるように。

 実際、恭也は片時もなのはの側を離れるような真似はしなかった。食事も、寝る時も、風呂も、排泄の時でさえ彼女のそばにいた。食事の準備は忍の計らいで派遣されたノエルがしてくれるので問題ない。

 こんなときでさえ、復讐に走る士郎と美由希に言ってやりたいことは山のようにある。でも、なのはの方が大事だから恭也は全てを後回しにした。自分のことでさえも。

 

 その甲斐あってかなのはは少しずつ回復の兆候を見せ始めた。流し込むように食べさせていた粥も自分で食べようとしてくれる。手が異様なまでに震えるのでそっと添えてやらねばならないが、食べようとするのは生きようとしているのと同じこと。

 脳が疲労困憊になるまで眠れなかったのも、恭也が添い寝すれば安心して眠るようになった。

 それでも、まだまだ油断できない。真夜中に叫び声を挙げてはパニックになって暴れる。ここのところ恭也の身体は、なのはに抉られたひっかき傷でいっぱいだ。

 何よりも厄介なのは雨の日だ。なのはは雨がトラウマになってしまった。雨音を聞くだけで震えあがり、緊張しきった身体は体力を無駄に消耗させる。

 そんなときは恭也が無駄に大きな声を挙げて歌うことで、雨音を気にしないようにした。フィアッセという知り合いの女性を真似てみたが、無駄に下手くそで居合わせていた忍に腹を抱えて笑われた。なのはも少しだけ笑ってくれた。

 恭也は少しだけむっとしたが、自分が道化になる事でなのはが元気になるならそれで良かった。

 

 さて、今日はどうしようかと考える恭也。一週間となるとやることも無くなってくるころだ。恭也はまだまだ人生経験が足りないので、おもしろい話などひとつも浮かばない。ならば、忍が選んでくれた絵本でも読み聞かせようと考えて、袖を引っ張られる。相手は言うまでもない。

 

「なのは、どうかしたのか? 何か食べたいものでも……」

 

「あの、ね。おにぃちゃん……」

 

「なんだい。遠慮せず言ってごらん」

 

 か細い声で呟く妹を励ましながら、恭也はできるだけ聞き取ろうとなのはの口元に耳をよせる。五感を研ぎ澄ましている恭也なら、そんな事をしなくてもいいのだが。ちゃんと話を聞いているという姿勢を見せることは大事だった。

 なのはは迷ったように言葉を詰まらせたが、やがて意を決したように呟く。

 

「どうして、おとーさんも、おねぇちゃんも、なのはの傍に居てくれないの?」

 

「それは……」

 

 恭也は押し黙るしかなかった。言えない。言えるはずもない。二人が何をしているかなんてとてもじゃないが……

 

「寂しい、会いたいよ」

 

「ごめんな、なのは。父さんと美由希には後でちゃんと言って聞かせる。だから、その、ごめんな」

 

「こくん」

 

 恭也の言うことを聞いて素直に謝るなのは。

 謝ることしかできない恭也は己を不甲斐なく思う。本当に妹が望んでいることをしてやれなくて情けなく思う。

 この少女は、ただひたすらに家族の温もりを求めている。恭也だけじゃ足りない。もっと大きな温もりを。

 一緒にご飯食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てあげる。幼い時に誰もが経験するであろう家族の、親兄妹の愛情。そんな当たり前のことすら与えてあげられない自分たちを恭也は大層嘆いた。護るべきはずの少女を傷つけているのは他ならない自分たちだ。

 だというのに、それに気が付いているのに何もしてやれない自分自身が情けなくて、恭也はただ、ただ、目の前の愛しい妹を抱きしめることしかできない。強く強く抱きしめることしか。

 

「いたいよ……おにぃちゃん」

 

「ああ、ごめ、ん、な」

 

「どうして泣いてるの……なのはがいけないことしたの……?」

 

「いや、ただ、俺たちのせいなんだ。なのはは悪くない」

 

「……?」

 

 表情が乏しくなった首を傾げる少女の頭を優しくなでる。

 今からでも間に合うだろうか。母の桃子は決してこんなことなど望んじゃいない。きっと一家が幸せになる事を望んでいる筈だ。

 まだ、手を伸ばせば家族の絆を取り戻せるだろうか? いや、やるしかない。なのはにこれ以上、寂しい思いをさせない為にも、自分が何とかしなければと恭也は決心するのだった。

 



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〇プロローグ2 友達と家族

「いや……いやぁ……」

 

 なのはは豪雨の鳴り響く部屋の中で身動きが取れずにいた。身体が異様に震えて、いうことを利かない。

 目の前に薄汚い笑みを浮かべて、なのはを捕まえようと手を伸ばす男がいた。嫌悪感を抱くような情欲にまみれた瞳。薄汚い歯をむき出しにして笑う醜悪な顔。

 逃げられない、逃げられないならどうすればいい? 助けが来ないならどうすればいい? 決まっている。殺すしかない。

 その考えに至った時、なのはの頭で何かがはじけた。

 

「あ、あああぁぁぁああ!!」

 

 次に意識を取り戻すと、なのはは怯えたような悲鳴を漏らす。

 気が付けば男は腹に鉄パイプを突き刺したまま立っていた。千切れた耳から血を流し、黒い色に塗りつぶされた眼窩から血を垂れ流し、身体中の至る所から、男の血液が全て噴き出したんじゃないかって思うくらいに赤い液体がこぼれて。

 

「うげ……がぁ、ぐぎがぁ……」

 

 男が訳の分からない言葉を吐きながら、今度は血にまみれた手を苦しそうに伸ばす。どろどろとした血を手のひらから、指先から飛び散らせる。

 

(な、なに、なんなの……?)

 

 顔に掛かったそれを拭おうと、手を擦りつけるようにして拭いたなのはは違和感を感じた。拭いた手からぬちゃりとした熱い水の感触がしたのだ。

 

「ひぃ!!」

 

 思わず手を顔から離して覗き込んだなのはは、よろけて尻餅をつくしかなかった。

 なのはの手から赤い、赤い液体が零れ落ちていた。不思議と痛みは感じない。それでも血が手から滴り落ちる感触は気持ち悪い。咄嗟に来ていた服で何度も、何度も、手を拭いても、溢れ出る血は止まることを知らない。それで、なのはは気が付いてしまった。

 これは、自分の血ではない。目の前の男の返り血。よく見れば、なのはの胸も、お腹も、血にまみれていて。そこから滴り落ちた血液はふとももから足先まで、なのはを赤く染め挙げた。

 血はだんだんと溜まって行って、床に大きな血だまりが出来上がる。それはとどまる事を知らずに部屋中を埋め尽くし、一面が赤く染まった。心なしか窓から見える降りしきる雨も赤い気がする。

 気が付けばなのはは血の海にいた。あっという間に赤黒い海の中に沈んだ少女。苦しくて気持ち悪くて息を止めるけれど、堪えきれずに開いた口から血液が流れ込む。不思議と味はしなかった。だが、溺れる。このままじゃ溺死してしまう。

 何とか息を吸おうと水面を目指そうとして、足を掴まれた感触。なのはを逃がさないと、引きずり込もうと引っ張られる。下を向くとなのはが殺した男が醜悪な笑みを浮かべて、こう呟いていた。

 

――オマエモミチヅレダ。

 

「っ――――――!!」

 

 寝室に声にならない悲鳴が響き渡る。

 なのはは上半身を勢いよく起き上がらせると、恐怖で高ぶる鼓動を抑えるように、寝巻の上から胸に手を当てる。背中はびっしょりと汗で濡れていて気持ち悪い。震える体と荒い呼吸は、いくら深呼吸しても収まる気配を知らなかった。

 また、この夢だ。雨季が近づくと決まってなのはは悪夢にうなされるようになる。あの日から、がむしゃらに勉強に打ち込んで、嫌だった不破の鍛錬を自ら率先して行うことで心身を鍛えてきた。その甲斐あって悪夢を見なくなったのに。雨の降りやすい時期だけはどうにもならない。必ず悪夢を見る。

 怖い。こんな日は外に出歩きたくない。また、浚われるんじゃないかと思うと憂鬱になる。

 

(大丈夫。大丈夫だから怯えるな、なのは。私は大丈夫だ)

 

 けれど、いつまでも閉じこもっている訳にはいかないと、なのはは自分に言い聞かせる。弱いままの自分では一生悪夢にうなされる。なら、乗り越えるためにも強くならねばならない。恐怖に打ち勝って克服せねばならない。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 一際、大きなため息を吐いたあと、なのははベットから抜け出してパジャマを乱暴に脱ぎ捨てた。本当なら朝起きて、無愛想な父親と一緒に不破の鍛錬を行うのだが、こんな日は中止だ。気が滅入って真剣に打ち込めない。それでは意味がない。

 きっと起こしに来たであろう父も、それを察しているのか起こさなかったんだろう。どうせなら悪夢が終わるよりも早く起こしてほしかった。あるいは起こせなかったのか。無理にでも目を覚まさせようとすると酷く暴れると、なのはは兄の恭也から聞き及んでいる。

 

 なのははクローゼットから聖祥の制服に着替えると、クローゼットの裏に備えられた鏡を見た。目元に濃い隈ができた酷い顔だった。気分転換に新しく買ってもらったリボンを使って、おさげにしようかと思ったがやめた。どうせ、今の自分がしても似合わないだろうから。

 朝から最悪な一日だ。こんな日は学校に行きたくない。

 

 当然ながら、誘拐されたなのはは、しばらく学校に通える状態ではなかった。

 兄がつきっきりで看病してリハビリを手伝ってくれたおかげで、外に出歩けるようになり、学校にも通えるようになったが、死人のように暗い女の子に誰も近寄らなかった。だから、仲のいい友達なんて一人もいない。

 勉強のしすぎで学校の授業は学んだことばかりの内容でつまらない。あのことを忘れる為に予習復習を繰り返してきたせいか、忘れることもなかった。テストは睡眠不足で居眠りしない限り満点だ。

 体育も不破の修行の所為なのか、誰よりも運動が飛び抜けてしまって全力を出せない。ドッチボールは加減しなければ相手の男の子は泣き出してしまうし、駆けっこだって、ゴールしたことに気が付かずに100メートル分、余計に走っていた。相手の子はずっと後ろ。抜き放した事さえ気が付かなかった。

 勉強もつまらない。運動もつまらない。クラスの子との会話も何を話していいのか分からず、喋る気力を失くす。

 

 だというのに、学校に通い続けるのは、それしかやることがないからだ。家に居ても暇なだけ。仲の悪い父親と二人っきりなど御免だった。

 

 士郎は負傷したのか、家にいることが多くなった。身体に走る裂傷が傷の深さを物語る。まあ、それでも、なのはなど足元にも及ばないくらい強いのだが。

 姉の美由希は何処かへ出かけることが多くなり、いつにも増して、なのはをあからさまに避けるようになった。会うたびに顔を歪ませるのでよっぽど嫌われているんだろうと、なのはは思う。

 二人とも帰って来るたびに、血なまぐさい臭いが濃くなっている。だから、二人が何をしているのか、なのはは薄々勘付いているが指摘するつもりもない。これ以上、仲がこじれるのは面倒だから。

 二人が自分を嫌う理由も、なのはは何となく察している。失った母の面影を見て傷つくからだ。だから、あからさまに、なのはも二人を避けるようになった。

 

「はぁ……」

 

 ため息を吐いたなのはは、とぼとぼと部屋を出た。いろいろと憂鬱に考えすぎた。早く、兄が作った朝食を食べて学校に行くことにする。

 

◇ ◇ ◇

 

「学校の用意した通学用のバスだからと言って気を抜くな。帰宅するときも警戒しろ」

 

「はい」

 

「学校の中でも油断するな。なるべく人と行動するよう心掛けろ」

 

「はい」

 

 同年代のクラスメイトがみたら泣くんじゃないか。そう思わせるほどの形相で淡々と注意して来る父の士郎に、何処か上の空で、なのはは返事する。

 別に彼は怒っている訳ではない。昔からそうなのだ。深い皺の刻まれた顔立ち。コールタールのようにどす黒いと思わせるほどの暗い瞳。表情も一切変えようとしないので、付き合いの短い人は士郎が何を考えているのか読めないだろう。

 

「聞いているのか?」

 

「……はい」

 

 娘が真面目に聞いていないことを察した士郎は、軽く顎を掴んで顔をあげさせる。本当に聞いているのかと、問いかけるように。

 しばらくして、こうしても意味はないと判断したのか、呆れたのか分からない。士郎は手を離すと咎めるように軽くなのはの頭を叩いた。今日はそれだけだ。怒るときは静かでいて烈火のごとく怒り狂う父も、悪夢を見た娘を追いつめるような真似はしないらしい。そのまま家の中に去って行った。

 

(他に言うことがあるでしょうに……)

 

 例えば、いってらっしゃいとか。気を付けないさいとか。

 どうして私の親は、そんな当たり前のことが言えないんだろうと、なのはは俯いた。そして、仕方がないことだろうと諦める。普通の家庭がしてくれることを父や姉に求めたのが間違いなのだ。

 最初は真に受けていた父の言葉も、なのはは無視する。あれでは四六時中、気を抜くなと言っているようなものだ。そんなことがしたら息が詰まってしょうがない。

 迎えに来たバスに乗り込むと、なのはは適当な席に腰かける。朝からどっと疲れた。

 

◇ ◇ ◇

 

「かえして、かえしてよ!!」

 

「なによ! ちょっと見せてほしいからとっただけじゃない!!」

 

(はぁ、どうしてこうなったんでしょう?)

 

 なのはは心の中で呟くと頭を押さえてため息を吐いた。どうにも今日は憂鬱げに息を吐くことが多い気がする。

 

 小学二年生になっても、授業が退屈であることに変わりはない。よその学校と比べればいささか内容の難しい授業だが、大学生である恭也と忍から勉学を学んだ身としては簡単すぎてどうにも暇になる。

 

 そんな中で新たに見つけた趣味は二つ。

 ひとつは人間観察。真面目に授業を受けるふりをしながら、ノートに黒板に書かれたことを書き記す。そして先生の隙を伺ってはクラスのみんなが何をしているのか盗み見る。これがなかなか楽しい。まるでゲームみたいだ。

 退屈そうに欠伸をしている金髪の少女もいれば、大人しい雰囲気で生真面目に勉強している女の子もいる。なかには勉強が詰まらなくて居眠りする男の子もいる。先生の前で堂々と。自分にはあんな真似できないと驚いたものだ。もちろん、その子は後でこってりと叱られていたが。可哀想なので今度は起こしてあげようと思う。

 

 二つ目は読書だ。暇つぶしに学校を散策していたのだが、そこらへんの本屋よりも立派な図書館を見つけた。そう、図書室ではなく図書館。見渡す限りの、あらゆる蔵書が眠った部屋。退屈しのぎにと司書の人におすすめを聞いて一冊だけ拝借した。

 せっかくなので、食事がてら借りた本を読もうと、いつものように屋上の給水塔の影で過ごしていたなのはだったが、慌ただしい足音と気配を感じて思わず隠れる。

 

 現れたのは二人の女の子。見覚えのある子たちだった。

 今年からクラスメイトになったアリサ・バニングスと月村すずかだ。アリサは、いつも退屈そうにしていて、高飛車な態度で他を寄せ付けない。すずかは頭は良いものの、どこかおどおどしていて、満足に言葉を話せない子だった。どちらも、その性格ゆえか友達らしき子供はいない。なのはも人のこと言えないが。

 なのはは影から二人の様子を伺っていたが、やがて顔をしかめるようになる。月村すずかが泣き出したからだ。

 聞いている内容では、どうやらアリサがすずかの大切なヘアバンドを無理やり取ってしまったらしい。それはどうでも良かった。いじめに対して変な正義感を抱いて介入するのを、なのはは良しとしない。自分は殺人者。過剰な力は余計に人を傷つけてしまう。だから、アリサのことは放って置くつもりだった。

 だが、すずかの泣き叫ぶ声はダメだ。甲高い声は寝不足気味のなのはの頭にガンガン響くのだ。おかげで頭痛は収まることを知らず、鬱陶しいことこの上ない。

 

「それは、たいせつなものなの!! だから、かえしてよぅ……!!」

 

 返して返してと叫ぶわりには、決して無理に取り返そうとしないすずか。そんなに大切な物なら、どうして力づくで奪わないのかと、なのはは不思議に思う。すずかは、ああ見えて運動能力はトップクラスだ。流石になのはには叶わないだろうが、他の子よりも運動が得意なアリサ程度など造作もない。

 彼女は他人を傷つけるのが嫌いなほどに優しすぎるのだろうか。でも、ヘアバンドを諦めるそぶりは見せない。意外と頑固なのか、もしかすると、あのヘアバンドは、なのはの母がくれたリボンのように大切な物なのかもしれない。

 

(くだらない……)

 

 そう思いつつも、なのはは介入することにした。ほんとに五月蠅くて敵わないのだ。決してすずかに情が湧いたわけではない。ないったらない。

 給水塔の上から軽々と飛び降りると、なのはは足音をできる限り殺して着地する。意図したわけではないが、無意識に気配を消そうとするのは、暗殺者としての不破家の常か。そして、騒々しく口喧嘩する二人の少女の背後から忍び寄って、そっとヘアバンドを取り上げた。

 

◇ ◇ ◇

 

「ちょ、だれよ。アタシからヘアバンドを……えっ!?」

 

「あ、それ……わたし、の……うっ」

 

 アリサはいきなり背後からヘアバンドを取られたことに驚いた様子で振り向き、すずかは誰かに取られたヘアバンドは自分の物だと主張しようとするも、幽鬼のように立ち尽くす少女の顔を見てぎょっとしたように固まる。

 気配もなく現れたことにも驚いたが、何よりもヘアバンドを取り上げた少女はあまりにも酷い顔をしていたから。目元には濃い隈ができていて、充血した瞳は生気がないかのように輝きを失っている。きちんと手入れすれば綺麗な髪も肌も荒れていて、今にも倒れそうな程に疲れ切っているのが、二人とも一目で分かってしまった。

 どうしてこんなになるまで休まないんだろうかと疑問に思う。疲れたのなら素直に眠ってしまえばいいのに、そんな当たり前のことをしないのが不思議だった。

 

「ほら、これは貴女の物なのでしょう? 大切な物なら、何が何でも自分で取り返そうとする気概を持ちなさい。泣き叫んで助けを呼んでも、誰も助けてくれない時がある。弱腰になって哀願するのも、やめた方が良いです。相手に付け入る隙を与えるだけだ。月村すずか。貴女には常人よりも力があるのでしょう? 嫌なことは嫌だともっとはっきりと言いなさい」

 

「う、うん……」

 

「アリサ・バニングス。この子の気を引きたいならもっと穏便な手段があるでしょう? それこそ一緒に弁当を食べようと誘ったりすることも出来たはず」

 

「っ……別にそういうつもりじゃ」

 

 少女はすずかに押し付けるようにしてヘアバンドを渡すと、押しの弱い虐められっ子に忠告を残す。

 もちろん、アリサだけ何も言われないということもなく。彼女はアリサに会ったことも話したこともないのに、勝ち気で素直じゃない女の子の本質を言い当てた。それは殺し合いで役立つと鍛えられた少女の鋭い洞察力だからこそ為せること。

 すずかは驚いたかのように目をぱちくりさせてアリサを見る。てっきり、大人しくて、いつもおどおどしている自分のことが気に入らないから、食って掛かっていたんだと思っていたのだ。まさか、そんな理由があったとは思いもよらなかった。

 少女の言い当てたことが図星だったのか、顔を羞恥に染めて瞳を逸らすアリサ。だが、恥ずかしさから湧き上がる感情はしだいに怒りの炎へと変換されていく。出会ったばかりの女の子に己の心を暴露されたのも気に入らない。けど、少女の淡々とした態度はもっと気に入らない。妙に癪に障る。

 アリサは攻撃的な雰囲気を滲み出して少女を睨み付ける。対する少女は動じることもなく涼しい顔で怒気を受け流していた。というより眼中にないといった表情だ。呆れているんだろうか? それにアリサはますます怒り。すずかは怯えたように身を竦ませるしかなかった。

 

「ッ! てっ、どうして見ず知らずのアンタに、そんなこと言われなきゃなんないのよ!? アンタにアタシの何が分かるっていうわけ!?」

 

「別に。ただ、ここのところ月村すずかに対して目立つ、貴女の行動を観察して、そこから推測したまでです。それと、騒ぐなら別の場所でやってください」

 

「なっ!?」

 

 いっそ冷徹とも言える表情でアリサを睨む少女。

 暗に、いつもならお前のことなどどうでもいい、ここで喧嘩されると鬱陶しいと、少女は真顔で言ってのけた。そのストレートな態度にアリサは絶句する。クラスメイトの子は誰もがアリサの勝ち気な雰囲気に呑まれて、委縮してしまう。だから、こうも真正面から感情をぶつけられたのは新鮮だった。それが嫌悪であっても。

 少女の覇気に当てられたのか、ぺたんと尻餅をつくアリサ。それを見届けると、もはや興味がないといった風に立ち去ろうとした少女だったのだが。

 

「ぁ……」

 

「あぶない!!」

 

 まるで、糸の切れた操り人形のように、意識を失って倒れそうになる。

 異常に気が付いたすずかが、目にも止まらぬ速さで少女を支えなければ、頭から固い屋上の床に叩きつけられていただろう。

 

「なにしてるのアリサちゃん! 早く先生を呼んできて!!」

 

「わ、わかったわ」

 

 急な事態に唖然としていたアリサだったが、すずかの叱責するような態度に押されて、慌てて保険の先生を呼びに行くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 どうしてこうなったのかと、なのはは人生で何度目か分からない。数えるのも億劫に成るほどの、溜息を洩らした。

 学校の屋上で広げられた弁当の数々、なのはと、すずかと、アリサの分。左を見やればアリサが、身振り手振りを交えながら、新人として雇われた執事の失敗談をおもしろおかしく話していた。右を見やればアリサの話を聞き、瞳を閉じて口元を手に当て、上品に笑うすずか。

 

 こうなった原因はもちろん、自分自身にあるんだろう。すずかに今後も虐められないよう助言を、アリサには友達ができない理由を指摘して。最後に屋上に近寄らないようにと、同年代の子供が恐れるほどの凄みを効かせる。そして、二人とは関わらないようにするつもりだった。なのはと関わると、危険な目に遭うかもしれないからだ。

 計算外だったのは、凄みを効かせた瞬間、限界が訪れてしまったこと。睡眠不足で唐突に意識を失わないよう、気を強く持っていたのに。余計なことをしたせいで疲労困憊になったのだろう。唐突に意識を失った覚えがある。

 

 そして、目覚めた時には学校が終わっていて、目の前にアリサとすずかがいた。なんでも付きっ切りで看病してくれたらしい。

 容体を見てくれた保険の先生は何も言わなかった。不眠症に陥ったなのはの事情を、ある程度には聞き及んでいるのだろう。しかし、このようなことが続くのであれば、入院も視野に入れると小声で呟いていた。なのはが気が付くのは当然として、すずかが息を呑んでいたから、彼女も聞いてしまったのかもしれない。

 まあ、ここまでは、なのはにとってどうでも良い話だ。

 問題なのは、アリサが素直になれない態度で、なのはのことを心配しつつも、あろうことか友達になりたいと告げたこと。

 なのはの仲介? もあって、すずかと仲良くなり、友達になれた彼女は、なのはとも仲良くなりたい様子だった。すずかも期待するような瞳で、訴えかけていたから、彼女もなのはと友達になりたいだろうと察した。

 物好きな子たちというのが、なのはの正直な感想。端から見れば根暗で、おもしろい話のひとつも言えず、意図的とはいえ空気といっても過言ではない自分と友達になりたい? 何の冗談だとなのはは薄く笑う。けれど、彼女たちの決意は本気だ。本気でなのはと友達になりたがっていた。

 だから、皮肉って言ってやったのだ。

 

――孤立組だからといって親近感でも覚えましたか? 傷の舐め合いがしたいなら余所でやりなさい。

 

 それは、あからさまな拒絶だった。こうすればアリサは怒り狂って、じゃあ知らないわよ。と離れていくだろうし、押しの弱いすずかも身を引くと思っていた。

 だけど、勝ち気な女の子は腰に手を当てて、にんまりと笑って見せた。なのはの態度に起こることもなく、気にした様子もない。ただ、堂々と、こう宣言したのだ。

 

――傷の舐め合い上等! アタシをバニングス家の娘だと知って、堂々と話しかけたのは、アンタが初めてよ。アタシに対して気に入らないことをハッキリと言ってくれるの、すごく嬉しかったんだから。それに。

 

――それに?

 

――アタシ、なのはのこと好きだから。

 

――……えっ?

 

――だから、アンタと友達になりたい。

 

 絶句するしかなかった。いや、アリサが友達として自分を好いているんだと、なのはは頭では理解している。けど、理性が追い付かないのだ。

 好き……? 誰を……? 不破なのはを? どうして? そんな疑問がなのはの頭の中を支配する。

 なのはは、自分がどうしようもなく、歪んでしまっていることを自覚している。友達などできるわけないと諦めていたし、誘拐される前ならともかく、今は他人と関係を持ちたくなかった。あの日から自分に巻き込まれると危険なので、できる限り、人を遠ざけていた。嫌われ者を演じることで、あえて他人に火の粉が降りかからないようにした。それは、なのはの優しさなんだろう。

 だけど、優しいからこそ、なのは自身が酷く傷ついた。本心は違うのに嫌われることをするたびに、なのはは落ち込んだ。だから、より一層の感情を殺すことで、無機質になることを選ぶ。そうすれば傷つかない。痛みは少ない。

 そんな凍り付いていた彼女の心に、ぶつけられたまっすぐな好意。あまりにも不意打ちすぎる想いに、なのはの思考は混乱する。閉じ込めていた心に隙が生まれる。

 そして、それを見逃すほど、月村すずかという少女は甘くはない。大人しい印象に反して、したたかな女の子は、本能的にアリサの援護をするべく言葉を紡ぐ。嘘偽りない正直な自分の想いを、なのはに伝える為に。

 

――わたしね。誰かに嫌われるのが怖くて踏み出せなかったの。けど、なのはちゃんが背中を押してくれたから、一歩を踏み出せた。アリサちゃんとこうして友達になれたんだよ? すごく嬉しかった。だから、今度は二歩目。わたしは、なのはちゃんと友達になりたい。ダメかな?

 

 上目遣いで、真っ直ぐに、なのはの瞳を見つめてくるすずかに、心を閉ざした少女はたじろいだ。えっと……。その……。と妙に恥ずかしそうな態度。他人に嫌われることは慣れていても、好意をぶつけられることは慣れていないのだ。家族とはまた違った情愛は、なのはの心を溶かすには充分すぎる。

 決定的な隙。アリサとすずかは顔を見合わせて頷いた。この子、押しにすごく弱いと。

 それからは、あっという間だった。あれこれ理由を付けて断ろうとしたのに、強引にも、互いを知る為に、屋上で弁当食べて話し合いましょう。そうしましょうと話を決められ。翌日、昼休みに逃げようとして、強引に連れ去られて、事の次第に至るという訳である。

 

「はぁ……むぐぅ!?」

 

 本日、何度目になるのか分からない、なのはの溜息。そのむざむざと開けられた口に、アリサから卵焼きを突っ込まれた。非難するかのように、ジト目でアリサを睨み付けるが、当の本人は呆れた顔をしている。

 

「何、辛気臭い顔してんのよ。食事の時くらい、嫌なことは忘れたら? 味気なくなるわよ?」

 

「むぐむぐ、ごっくん。ぷはぁ! だからといって、強引に人の口におかずを突っ込む人がいますか!」

 

 食べながら喋るのは行儀が悪いので、律儀に卵焼きを呑み込んで、抗議するなのは。対するアリサは涼しい顔をしている。

 

「じゃあ、強引じゃなければいいのかな? はい、あ~ん」

 

 そして、人の揚げ足を取って、さも当然のように別の卵焼きを差しだしてくる、月村すずか。

 

「そういう問題では……」

 

「食べないの?」

 

「うっ……」

 

「食べて、くれないの?」

 

 またもや、上目遣いでなのはを見つめる御淑やかな少女。瞳にうっすらと涙を浮かべている。

 なのははそれを嘘泣きだと判断した。絶対に演技が入っている。騙されないぞと警戒する。けれど、うっすらと瞳から滴をこぼし始めたすずかに、慌てた。もしかして本気で泣いているのではないか?

 仕方なく、渋々と言った様子で、差し出された卵焼きを咀嚼すると、途端に花の咲いたような笑顔を浮かべるすずか。涙をごしごしと拭って、えへへと笑っている。本気で泣いていたらしい。無意識に感情に訴えかけているのだとしたら、なのはは、この少女が苦手だ。どうにもやりずらい。

 まったく、本当にどうしてこうなったんだろう。友達なんて必要ないと思っていた。授業をつまらないし、学校に通うのは退屈だ。

 

「どう、おいしい?」

 

「そうね、ついでにアタシの卵焼きの感想も聞かせなさい」

 

「強引に食べさせられた上に、味わう気分でもなかったというのに、それを聞きますか? でも、まあ……」

 

(あっ、なのはちゃんが……)

 

(笑ったの、かしら?)

 

 自分でも気が付かないうちに、なのははうっすらと笑みを浮かべる。

 こういうのも悪くないと思い始めている自分がいた。他の子と同じように友達を作って、他愛ない話をして、一緒に食事を共にする。もはや、諦めかけていたこと。それが、叶って嬉しかったのかもしれない。

 歪んで、自ら凍り付かせた感情を、なのはは少しだけ溶かす。心を失くしていた女の子は、その欠片をほんのちょっと取り戻したのだった。

 

――味は悪くないですよ。アリサ、すずか。

 

◇ ◇ ◇

 

「それで、恭也兄さんは何の用があって私を呼びとめたの? こうしている時間ですら惜しいんだけど?」

 

 訓練用の胴着姿に無理やり着替えさせられた美由希は、不服そうに顔を歪めて目の前に立つ恭也を睨み付けた。チャームポイントだった三つ編みは解かれ、愛嬌のある眼鏡も普段からしなくなった美由希は、実の母である美沙斗にそっくりだ。鋭い眼つきは威圧感を伴って見る者を圧倒する。

 大事な話がある。そう恭也に呼び止められて、渋々したがって道場まで訪れた美由希だが、本意ではないのだ。かつて、義理の兄に恋をしていたからこそ、一時的に付き合っているだけに過ぎない。本当なら暗殺用の仕込みや情報を仕入れて、再び海外に高飛びするつもりだった。復讐の為に。

 兄が何の目的で声を掛けたのか定かではないが、少なくとも戦うことだけは分かる。わざわざ、訓練用の模擬刀を用意するくらいだから。

 

 恭也は、そんな美由希の態度を仁王立ちで迎え入れると、二番目の妹を見据えるように瞳を向ける。視線には、どんなに変わり果てても美由希を受け入れる。そういった意志が含まれていた。

 まるで、自分のことを咎めているような感じがして、美由希は気まずそうに瞳を逸らす。

 やがて、恭也は静かに口を開いた。

 

「父さんがなぜ、復讐をやめて家に留まっているのか。知っているか?」

 

「負傷して戦えるような身体じゃないから、かな。あとは……知らないわね」

 

 娘のなのはの事が心配だから。とは口が裂けても言えない美由希だった。一言でも呟いてしまば、本心を見透かされそうな気がして。なのはのことが、大好きなんだと、ばれてしまう気がして。そうなってしまったら戦えなくなるような気がした。いつも通りの復讐鬼でいられなくなる。弱く、なってしまう。

 もはや、復讐は歯止めが効かない。ならば相手を殺し続けることで、なのはに迫る危険をできる限り遠ざける。それが美由希の覚悟。自分の都合の為に、いいように妹を理由にしている。美由希の歪んでしまった覚悟だった。

 美由希の答えに、恭也は静かに首を振る。そして、驚くべき真実を告げた。

 

「負傷ごときで復讐をやめるほど、父さんの抱いた憎しみは軽いものじゃない。止めなければ死ぬまで戦っていたはずだ」

 

「どういう、こと……?」

 

「俺が父さんを戦えなくした。負けたら復讐を止めて、なのはの傍にいるようにと。そういう条件で叩き潰した。だけど、勝ったとき。悪いと思ったが、剣士の命である利き手の筋を断ち斬ったよ。そうでもしなければ、きっとあの人は止まらないだろうから」

 

「なっ……!」

 

 美由希は兄の言葉に絶句する。だが、流石というべきか。すぐさま冷静さを取り戻して身構えた。同じように恭也も二刀を構える。殺すための不破ではなく、護るための御神の構え。彼の決意を体現する力。

 恭也の態度からして、何が目的なのか美由希は察した。止めるつもりなのだ。美由希を傷つけても、剣士として二度と立ち直れないようにしてでも。

 

「本気なの?」

 

「俺が冗談を言えるような男だと思うか? 全ては、なのはの為だ。あの子が真に望むものを叶えてやる為に。言っても聞かない家族は無理やりにでも……」

 

「っ……違うわよ……」

 

 彼のなのはの為という理由に、顔を苦悩で歪ませながらも、美由希は否定する。本気という意味はそこではないと。訝しむ恭也に美由希は告げた。己の真意を。

 

「本気で私に勝てると思っているのか? そう聞いたのよ」

 

 それは純然たる事実。恭也と美由希にある力の差。

 御神の剣士としての才能は美由希の方が遥かに上だった。恭也は努力する秀才だが、美由希は本当の天才だったのだ。物覚えは悪くとも一度覚えたことは決して忘れない。確かに恭也も強い。神速を重ね掛けできるほどの才能もある。だけど、美由希は復讐という戦いを繰り広げ、数多の戦場を駆け巡ることで、その才能を開花させていた。師である士郎と恭也を超えるかのように。

 何よりも普段から護る為に、大切な人の傍に居て平和の中で過ごした恭也と、殺すために地獄ともいえる裏世界で、戦いを繰り広げた美由希。どちらが強いのは、恭也も分かりきっていたことだ。それでも……

 

「俺には負けられない理由がある」

 

 それでも退くつもりなど毛頭なかった。全ては、妹のなのはの為。桃子が何を望んでいるのか考えた結果。

 戦う目的を見つけ、覚悟を決めた男に引き下がる理由などありはしない。

 家族を、もう一度優しかった高町の絆を、取り戻すために。

 

「それに、勝てるんじゃない。勝つのさ」

 

「そう、なら全力で叩き潰してやるっ! 私を阻むものは誰であろうと許しはしないんだからッ!!」

 

 不敵に嗤う恭也に美由希は咆えた。

 

 二人の剣士が暴風の如く駆け、互いに刃を交えた。護るための御神と殺すための不破。

 道を違えた兄妹、相反する性質を持つ、二つの流派がぶつかり合った。

 たった一人の少女の為に。

 なのはは、そのことを知らない。

 

 



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出会い

 なのはの夢は決まって、あの雨の日の悪夢だ。最初の内は、血まみれで迫ってくる男に怯える有様であった。しかし、対処法を見つけてからはそちらを率先して行うようになる。すなわち、なのはの手で男を殺すこと。

 

向こうが何かしてくる前に、あらゆる手段を講じて男を殺す。気分は最悪だが、追いつめられるよりは、遥かにマシだった。おかげでうなされることも無くなり、寝ている間に無意識に暴れて、自身を傷つけることも少なくなる。

 

 なのはは思うのだ。この夢はきっと人を殺したことを忘れさせない為の戒めなんだと。

 だから、最近は慣れてきている。小学三年生になった今でも見続ける嫌な夢だが、対処法が分かれば怖くない。己の心を押し殺して耐えればいいのだから。

 

 でも、他の夢が見れないのは寂しいと思う。人は遠い過去の記憶を夢として見ることがあるという。できれば、喪った母親と変貌した父が仲良く微笑んでくれる。そんな夢が見てみたいものだ。そう、なのはは願っている。叶わない望みだと分かっていても。

 

 今日も夢の中の海鳴市は雨が止まない。

 気が付くと雨の中、なのはは佇んでいて、そこから悪夢が始まる、筈だった……

 

(雨が止んでいる……でも、風が強い。どういうことでしょう?)

 

 その日の夢は一味違った。いや、何もかもが見覚えのない光景。今までとは違う夢。

 けれど、妙に現実味があってハッキリしている夢。

 

 雨が降り出しそうな曇り空の景色。風の強さや、肌に伝わる冷めたさ、目の前に広がる木々のざわめきまで、現実と寸分変わらない感覚が、なのはを包んでいた。ただ、いつもなら存在するはずのは肉体はない。まるで、意識だけそこにあるかのような感覚。例えるなら、リアルを肌で体感しつつ、映画でも見ている気分。そんな感じだ。

 

(これは、いったい? なっ!?)

 

 夢の中では一人の美少年が怪物と激闘を繰り広げていた。

 

 アリサの家に誘われた時、プレイする彼女の隣で見せて貰ったRPGに出てくるようなモンスター。ドロドロとしたヘドロのような物体を身に纏い、中から覗く赤い双眸で少年を見据える怪物。ソイツは、素早い身のこなしで少年に向けて体当たりを放つ。

 

「はぁっ!」

 

 同性のなのはでも、一見すると女の子と勘違いしそうな少年。彼は短く吐息を吐きだすと、両手で凄まじい速さの印を結んで手を怪物に突きだす。すると、どうだろうか。不可思議な文様をした、淡い緑色の魔法陣が飛びかかる怪物の巨体を弾いた。それは、すずかの家で鑑賞したアニメにでも出てきそうな光景。もっともDVDは忍さんの所持品だったが。

 

「妙なる響き、光となれ! 赦されざる者を、封印の輪に!」

 

 吹き飛ばされた怪物は体勢を立て直そうと、着地でもしようとしたのだろうか。しかし、少年が声高に呪文のようなモノを叫ぶと、怪物は四方八方から延びる光の鎖に捕らわれて動けなくなる。鎖は逃がすまいと絡みつき、怪物の体内に喰いこんで離さない。

 

「ジュエルシード、封印!」

 

 これで勝ったんだろうか? しかし、少年の顔付きを見ると苦悶の表情を浮かべていて、歯を喰いしばっている。どうやら抑え込むのに手がいっぱいのようだ。

 

(が、がんばって! 負けないでください!!)

 

 なのはは、知らずの内に少年のことを応援していた。夢とはいえ、恐ろしげな怪物と戦っている人間。ましてや同年代の男の子となれば尚更に励ましたくなる。幼い子供が悪役の怪人と戦う特撮ヒーローに声援を送るかのように。

 悪夢を見続けた少女にとって、この夢は久しぶりに見る、何らかの、別の夢だ。普段は冷静沈着に振る舞うのだが、こんなふうに童心に返ってしまうのも無理はないのかもしれない。

 そうして、なのはの声援を密かに受けながらも、怪物を封じようとする少年と、もがいて暴れまわる怪物の、一進一退の攻防が続いた。少年が優勢なのか怪物の方は徐々に縮んでいく。その様子に上手くいきそうだと安堵の表情を浮かべる少年だが……

 

(危ない! 気を付けてください!!)

 

「えっ? なっ!!」

 

 それに気が付いたなのは、油断する少年に向けて咄嗟に叫び声をあげる。届くはずのない警告は果たして、少年に届き、彼も異変に気が付いた。

 収縮していた怪物の身体は、力を解き放つかのように弾け飛び。喰いこんでいた光の鎖を打ち砕く。無数の礫となって襲い来る怪物の破片。少年は光の壁を展開して防ぐも、衝撃で吹き飛ばされてしまう。木の幹に背中から打ちつけられ、怪物の攻撃で飛び散った破片が少年の額に直撃した。

 

 がっくりと崩れ落ちる少年。歯を喰いしばって必死に立ち上がろうとする彼は、脳を揺さぶられたせいなのか、上手く立ち上がることができないでいる。もしも、なのはの声が届かなかったら戦っていた少年はやられていたかもしれない。だが、何の因果か、こうして声は届き防ぐことが叶った。

 飛び散った肉体を、再び一つに集めて身体を再生する怪物。

 しかし、怪物も弱っているのだろうか、少年に止めを刺すことなく何処かへと逃げてしまう。

 

「逃がした……追いかけなきゃ……」

 

 怪物が逃げた方向に、震える手を伸ばして、這い蹲ってでも追いかけようとする少年。けれど、よく見れば無数に傷ついた怪我のせいで上手く体を動かせないようだった。民族衣装のような衣服にも血が滲んでいる。見るからに意識が遠のいて、瞼を閉じようとする少年。

 

 なのはは息を呑んで、少年に駆け寄ろうとした。目の前で誰かが傷つくことで、なのは生粋の優しさが揺さぶられていた。他人を思いやる心が彼を助けて、と叫んでいた。このまま放って置けば死んでしまうかもしれない。素人目から見ても酷い怪我だ。幸いにも父から怪我をしたときの応急処置の方法を叩き込まれている。止血して何処か安全な場所に運ぼうとして……

 

(っ……)

 

 気が付いた。

 この世界は自分が見ている夢の世界で、感じることはできても、触れることができない。

 せいぜい、なのはにできることは。

 

(しっかり! 気を強く持ってください。決して諦めちゃ、ダメ……!)

 

 少年を励ますことぐらいだった。

 本来は決して届くはずのない声。

 ここは夢の世界なんだから無意味なのかもしれない行為。それでも。

 

「さっきの、こえ……女の、子……の……」

 

 確かに、なのはの言葉は少年に聞こえていた。うっすらと瞼を開けて、瞳で虚空を見上げる少年。彼の翡翠のような瞳と、なのはの黒曜石のような瞳が交わった気がした。そこで、なのはの意識は揺らいでいき。

 

「不思議な……夢……」

 

 なのはは部屋のベットの中で目を覚ますのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「ふ~ん、つまり、今日のなのはは、いつも見ていた悪夢じゃなくて、正夢のような不可思議な夢をみたと」

 

「そういうことになります」

 

 神妙な顔をして俯くなのはの隣で、腕を組んでうんうん唸るアリサは首を傾げた。なのはの向こう側、つまりアリサの隣では、すずかがにこやかな微笑みを浮かべながら悩む親友を見守っている。

 小学二年生の時から、なし崩し的に友達となったアリサとすずか。なのはとしては乗り気ではなかったが、二人の積極的なアプローチの前に折れるしかなく。しかも、兄の恭也とすずかの姉である忍の後押しもあって、月村家の茶会にアリサと二人で呼ばれるなど、その仲を進展させるには充分すぎるほどの交流があった。

 おかげで、なのはは少しずつだが笑うようになる。

 笑うと言っても、他人から見れば微々たる表情の変化しかなく見分けるのは難しい。

 それでも、アリサとすずかにすれば、随分と心境の変化があったんだと、微笑ましい思いだ。少なくとも友達に悩みを打ち明けてくれるほどには心を開いてくれたらしい。

 

 相分からず何処か一線を引いていて、踏み込んでほしくない部分は、はっきりと拒絶の意思を見せる。けれど、誰だって隠し事のひとつはあるものだ。

 これからも徐々に知っていけばいいと、二人の親友はそう考えていた。

 

 やがて、アリサはなのはの悩みを聞いて結論を出したのか。顔をゆっくりとあげると、安心させるように穏やかな顔つきをした。

 なのはと付き合ってみて分かったことは、冷血そうに見えても、その心はすごく繊細だということ。本当は人一倍、寂しがり屋で優しい女の子なのだ。ただ、感情を表に出すのが苦手なだけ。内面を知ってしまえば可愛い妹みたいなものだ。

 だから、面倒見のいいアリサはつい助けたくなる。すずかも同じ気持ちだろう。

 

「難しく考える必要はないと思うわね。むしろ、いつもの悪い夢を見なくなった分、いい傾向なんじゃないかしら」

 

「そうでしょうか……」

 

「そうなの! ほら、むすっとしてないで。良いことがあった時は笑ってみなさい! アンタ、ただでさえ素直に喜ぼうとしないんだから、ね」

 

 なのはは言われた通りに笑おうとするが、今まで感情を麻痺させてきた影響なのか、どうすればいいのか分からなかった。心から嬉しいという想いが、湧き上がることは少ないのだ。まして、表情の出し方を忘れてしまったかのように、顔つきは変わらず人形のよう。

 だからなのか、アリサは一計を投じることにした。

 脇に居たすずかの顔を引き寄せると、頬を摘んで無理やり笑顔を形作る。そして、なのはに見せつけるかのように、弄られている、すずかの顔を近づけた。

 アリサの表情には悪戯っ子の笑みが浮かんでいて、なのはは、どう反応して良いのか分からない。

 

 まだだ、ここからがアリサの本番。友達を笑わせるための茶番劇。

 

「あ、ありひゃひゃん。いだい! いだい!」

 

「ほ~ら、なのは。これが笑い顔。い~ってして。あっはっはって声を出せばいいのよ?」

 

「もお~、ありひゃちゃん。おかえひ~~!」

 

「ちょっ、すずか!? 頬がひぎれる~~!!」

 

「ぢぎれでしまえ~~」

 

 すずかの頬を引っ張るアリサ。

 おかえしとばかりに、すずかも頬をひっぱらせたまま反撃に出る。

 開いた手でアリサの頬を引っ張ったのだ。

 

「ふふ、くすくすくす……」

 

((よし、笑った!))

 

 それが面白かったのか、二人が変な顔をしていたからなのか。なのはは思わず口元に手を当てて、微笑んでいた。

 可笑しくて堪らないといった様子で、肩を震わせている親友に、アリサとすずかも内心でガッツポーズ。顔を引っ張り合って変な表情を作りながらも、仲良くじゃれ合っているところを見せるだけだが、笑顔につられて笑わせることに成功したようだ。

 

 年相応の素直な喜びを見せるなのはは可愛らしい。

 いつもこのように明るくて、素直な女の子だったら、彼女はもっと素敵になれるだろう。

 それこそ、同じ女の子であるアリサが可愛いと思ってしまうくらい。なのはの笑顔は魅力がある。

 

「やっぱり、なのはってば、笑った方が可愛いわね」

 

「えっ……なっ、ななな……なにをいってるんですか……うぅ」

 

 そして褒めてあげたりすると、すごく照れ屋さんな彼女は顔を真っ赤にして、微笑むすずかの背中に隠れてしまった。

 恥ずかしすぎてアリサの顔もまともに見れないらしい。

 

 喧嘩とかずっとアリサよりも強いなのはだけど、心はとても弱いかもしれない。素直じゃない妹分の親友として、姉御肌なアリサは放っておけない。何よりも、アリサにとって、なのはとすずかは初めてできた友達。だからこそ、助けてあげたくなるのだ。

 

「な、なのちゃん!?」

 

「うぅ、うぅ、恥ずかしいのでこのまま……」

 

 すずがは驚いたようだったが、背中から腕を回してぎゅっと抱きついてくる恥ずかしがり屋さんに、優しく手を添えてあげる。まるで、母親がよしよしと娘を慰めているようだ。

 なのはの体温は意外にも高い。まるで、屋敷で飼っている猫のように暖かな温もりをすずかは感じていた。背中越しに感じる人肌の暖かさに、思わず心地よさそうに目を細めてしまう。そんな、ちょっとした二人だけの空間が出来上がっていた。

 

「ちょっ、ずるいわよ! アタシも混ぜなさい!」

 

 それを見て、除け者にされたと感じたのか、アリサもすずかに飛びついていく。

 何だかんだで仲のいい三人は、昼休みをこんな風に過ごしているのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「それでは、ここらへんで。私にも鍛錬があります」

 

「うっ、鍛錬ってあれよね。超スパルタなやつ……」

 

「なのはちゃん。あんまり無理しないでね。嫌になったら、うちに逃げてきていいよ?」

 

「そうね。アタシの家も頼りなさい」

 

「ふふ、お気遣いなく。それでは、またね、です」

 

 夕方の照らし出す帰り道で、下校途中の三人の少女たちは手を振り合いながら別れた。

 アリサとすずかはヴァイオリンの稽古とか、色々と習い事をしているらしいから、今日がその日なんだろう。二人そろって音楽教室に向かっていく。

 

 あまり人込みが好きではないなのはは、人通りの少ない場所を選んで帰宅していく。父からはあまり郊外を一人で歩くなと言われているが、なのはにとっては人が少ない方が気が楽なのだ。誰が誘拐犯なのか判断できないから、あえて一人になる事で誰も警戒する必要が無くなる。発想の逆転みたいなものだ。

 そうして、無意識に誰かの意識に吸い寄せられるようにして、獣道のような林の中を通っていたなのはだったが、妙に鼻に付く臭いのせいで顔をしかめた。もはや、なのはの中で嗅ぎなれてしまった臭いは、彼女を嫌な顔にさせるのに充分すぎる。

 それは血の臭いだった。偶に帰って来る姉が、身体に纏わりつかせているので良く分かる。いくら心地よい香りがするボディーソープで身体を洗っても誤魔化せないものだから、相当な数を斬ったんだろう。なのはの両手だって意識すれば漂ってくるから気持ちの問題だとは思うのだが、そう易々と割り切れるものではない。

 運の悪いことに、なのはの研ぎ澄まされた嗅覚は容易に臭いを嗅ぎ分けるし、意識してしまえば感覚も鋭くなってしまう。腕で鼻を覆っても、気休めにしかなからないほどだ。

 

(こんな所で味わうとは最悪な気分です。真新しい動物の死骸でもあるのでしょうか?)

 

 原因を考えながら、一刻も早く通り過ぎてしまおうと歩く速度を速めた時だった。

 

 血の臭いに刺激されて、感覚が戦闘時のソレへと切り替わっていたなのはは、立派に育った木々の幹に違和感を見つけてしまった。弾痕のような傷跡が残されていたのだ。

しかも、易々となのはの体格ほどもある木の幹を貫通しているらしい。恐るべき威力だ。飛来したと思われる方向に、慎重に歩み寄っていくと、草木にはいくつもの風穴が開いていて、可哀想に、枯れ始めた植物もいる。

 

 ここは人が通る道なんて在って、ないようなものだから、意図してこない限り、誰も異常を発見できないだろうと容易に想像がつく。そして、血の臭いを漂わせている元凶は、その奥にいると判断した。近寄れば近寄るほど臭いも濃くなっているからだ。

 警戒心の強いなのはは、本来であれば見なかったことにして立ち去るだろう。けれど、なのはは迂闊にも、吸い寄せられるようにして中心部へと歩み寄っていく。

 

(私は……ここを、知っている? ううん、この景色を見たことがある?)

 

 デジャヴとでもいうのだろうか。それは奇しくも、なのはが今朝方、夢で見た光景とまったく同じものだった。ゲームか、何かに出てきそうな怪物が、その身体をはじけ飛ばして付けた傷跡。ならば、この血の臭いの発するのは誰なのだろうか。アレは夢ではなかったのか?

 

 なのはは言い知れぬ不安をよそに、居ても立ってもいられなくなって駆けだした。臭いが強くなる方向を,近寄れば近寄るほど木々の損傷が大きくなっていく被害の中心部を目指す。

 そして、そこに彼はいたのだ。異国の民族衣装を着た傷だらけの少年が、夢で見た通りに血まみれになって倒れていた。

 慌てて駆け寄ると脈を測ると、なのはは安堵した。良かった生きている。弱々しいが確かに彼の脈はあって、ちゃんと生きて心臓はは動いていている。

 怪我をした少年を警戒するよりも、無条件で助けようとするあたり、彼女の性根は優しさで満ちていることが伺えた。

 

まだ、不破に染まりきっていない証拠だ。

 

 こんな時に、不破の鍛錬には感謝せずにはいられない。叩き込まれた応急処置の方法が少年の命を繋ぐきっかけになるかもしれないからだ。

 民族衣装の上から手のひらを這わせるようにして、触診していく。肋骨や腕は折れていない。夢で見た限り相当な勢いで弾き飛ばされて、木の幹に叩きつけられたのに、むしろ折れていないのが不思議なくらいだ。まるで、攻撃や叩きつけられた衝撃を吸収したかのよう。

 それでも、彼が血をにじませていたことは覚えているので、背中辺りに裂傷でもあるのだろうと見当をつけた。

 なのはは申し訳ないと思いつつも、民族衣装を破こうとして、驚愕する。

 

「何ですか……これはっ、くぅっ!」

 

 瞬間的に力を込めて、勢いよく破ろうとしても、うんともすんとも言わないのだ。いったいどんな素材で、どんな編み方をすれば、このように破けない衣服が出来上がるのか、想像もつかない。それどころか捲ってみようとしても、上着はともかくインナーが肌にぴったりと吸い付いていて、断念せざるを得なかった。

 そうして触診しているうちに、なのはは違和感に気が付いてしまった。破れた衣服から覗く肌が綺麗すぎるのだ。明らかに切り傷があって血を流していた部分。血液が凝固した痕が残っている筈なのに、綺麗に塞がっていて、白い地肌が覗いていた。いくらなんでも自然治癒が速すぎる。

 思えば血をに滲ませるほどの怪我をしていたというのに、血だまりが少ないのがおかしい。地面には少量の血が染みついているだけだ。

 

 そういえば不可思議な術を使っていた気がする。淡い緑色の文様を浮かべた陣。あのおとぎ話の魔法のような術で自分に何かしたのか?

 なのはが考えても分からないことだらけだった。

 

 だが、急いで此処を離れなければならないだろう。それだけは確かだ。

 

 なのはの夢で見たことが現実で、実際に起こった出来事であるならば、少年を襲った怪物が近くに潜んでいるとも限らない。しかし、なのはは同年代の子供と比べて、身体能力が優れていると言っても、少年を運ぶのは些か骨が折れる。

 

(……仕方ありませんね)

 

 困った時に頼れるのは親兄妹。

 けれど、こんな見るからに訳ありの少年を父は警戒するだろう。兄は嬉々として助けてくれるだろうけど、疑心暗鬼な父はそうもいかない。姉は海外に行っているから、そもそも頼れない。

 説得に骨が折れるんだろうなぁ、と思いながらも、なのはは携帯電話を取り出して兄に電話を掛ける。父の士郎に通話したら絶対にひと悶着あるだろうから、まずは兄を頼ることにした。今は一刻も早く危険地帯を離れる必要がある。父の説得などと、そんな悠長なことをしてられない。

 

 連絡すると恭也はすぐにでも来てくれるそうだ。いつでも兄の恭也は頼りになるが、迷惑かけたことを申し訳なく思う。兄だって大学の講義とかあっただろうに。

 恭也が来る時間も惜しかったなのはは、ランドセルを逆から、胸側から背負い込む。そして手馴れた手つきで少年をおんぶして現場を離れて行った。

 とにかく、嫌な感じがする場所から一刻も早く逃げ出したかったのだ。本能が危険だと訴えていたから。

 

 なのはの予感は正しく。去っていく少年と少女を一対の紅い瞳が覗いていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 案の定、父の士郎は少年を不審な目で見ていたが、恭也の根気強い説得によって渋々と言った表情で匿うことを許可した。とはいえ一時的なものなので、場合によっては追い出すかもしれない。彼はそういう人だ。子供でも容赦がない。何せ、娘のなのはの鍛錬にすら手を抜かないから、やるときは徹底するだろう。

 

 少なくとも、なのははそう予想していた。

 

 血まみれになるほどの厄介事を抱え込んだ少年。危険な香りがする子供をわざわざ家に招きよせて、災いも一緒に連れ込むのを父は良しとしないんだろう。それが、裏社会に生きた復讐者の警戒心からなのか、家族を心配してのことなのかは判断が付かないが……

 正直、父の考えなど、なのはにはどうでも良い。ただ、お人好しな恭也となのはは、怪我をしている子供を前にして見捨てることなどできはしない。

 

 暗殺術を叩き込まれたなのはだが、人を傷つけるのは大っ嫌いだ。喧嘩なんてもってのほかだから。万が一、人を殺めてしまうと思うとぞっとする。

 既に真っ赤に染まってしまった両手だが、そんな自分でも誰かを救えるのなら救いたい。ある意味、強迫観念にも似た想いがなのはを支配していた。

 

 だから、なのはは自らの手で少年を手厚く看病する。

 

 少年の強靭な服を脱がせることはできないので、衣服はそのままに布団に寝かせていた。傷もほとんどが塞がっているので施すことは何もない。それでも、汚れた手や顔を綺麗に拭いてあげたり、時折、うなされる少年の手を握るなどはする。

 もっとも、少年から苦しげな声が漏れるたびに、なのはは身体をそわそわと揺らしたりして、オロオロするのだが。結局は何もできずに手を握ってジッとするくらいしかできない。彼を安心させるかのように。かつて、恭也がなのはにしてくれたように。

 

 これくらいしか出来ない自分が歯がゆい。幼い頃に、あの日の後に、なのはを看病してくれた兄も、こんな気持ちだったのだろうか?

 今は少年が無事に目覚めてくれることを、なのはは祈った。

 

 そうして、日が沈み。夜の鍛錬が終わった後もなのはの看病は続く。

 ちょくちょく少年の様子が気になっては、起こさないように、静かに覗いているのだが、一向に目を覚ます気配はない。夢で見た時のように、吹き飛ばされた際、打ち所が悪かったのだろうか。それが原因で目を覚まさないのかと不安になる。

 

 そんな、なのはを恭也は大丈夫だと安心させるように諭した。脈拍も安定していて、呼吸の乱れもない。疲れが溜まって寝ているだけだからと言う。

 そして、なのはも無理はせずに眠りなさいと。

 

 なのはも、恭也の言葉に頷いて自分を無理やり納得させた。だから、寝る前の看病で今日は最後にするつもりだ。

 汗を浮かべた少年の身体を熱湯に浸した暖かなタオルで拭って、風邪をひかないように毛布をしっかりと掛けてやる。

 そうして静かに去るつもりだった。少年が目を覚ますまでは。

 

「「……えっ?」」

 

 二人は呆けたように固まる。なのはは少年が目を覚ましたことによる驚きで。少年は目の前に見知らぬ女の子がいた驚きで。少年の翡翠の瞳と、なのはの紫水晶の瞳が互いを捉えて離さない。

 

「あっ、うわぁ!!」

 

 やがて、動いたのは少年の方だった。慌てたように布団から上体を起こして、立ち上がろうとする。

 なのはを警戒してのものではなく、すごく可愛い女の子が隣に居るという恥ずかしさから、咄嗟に起こした行動だった。

 

「ま、まだ動いちゃダメです!!」

 

「っぅぅ……」

 

 なのはも、少年の行動に慌てて制止の声をあげるが、時すでに遅し。急に身体を動かしたことで、全身に残る鈍痛が刺激され、痛みで顔をしかめた少年は、身体を両手で抑えながらうずくまった。すぐさま、なのはは少年の背中を支えてあげると、ゆっくりと彼を布団に寝かしつける。

 

 傷は塞がっているとはいえ、全身を打撲したようなものだ。服に隠れた身体の節々は痣だらけに違いない。それに、半日ほど眠っていたので筋肉も硬くなっているし、安静にしていなければ怪我は悪化する。

 

 とりあえず落ち着かせるように、なのはは少年の手を両手で優しく握り込む。兄がそうしてくれた時、なのはも安心したから、こうすれば彼も不安になる事はないだろうという判断からだ。実際には手を繋がれた恥ずかしさでいっぱいなのだが、異性を認識するには、まだ早いなのはが知る由もなかった。

 

「落ち着いて。別にあなたを襲ったりはしません。ここは安全ですから。今、水を持ってきますから大人しくしていてください」

 

 自分の言葉に少年がこくりと頷いたのを確認すると、なのはは安心したように息を吐く。どうやら言葉は通じているらしい。そのまま、少年を刺激しない様に部屋を出ていくと、飲み物を取り行った。自己紹介や事情を聞こうにも、ひとまず落ち着く必要がある。

 そして、和室の畳部屋に残された少年はと言うと。

 

(あんな可愛い子に手を――)

 

 羞恥に染まった顔を布団で隠しながら、握られた右手を見つめていた。

 

 



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●魔法少女とか、少年の決意とか

 なのはから、水を飲まされて落ち着いた少年は、ユーノ・スクライアと名乗った。

 なんでも、此処とは違う別の世界からやってきた異世界人であり、遺跡の発掘業を生業としている一族の一人らしい。不可思議な術について聞いてみれば、魔法と言って、ユーノの世界では広く使われた技術。

 そして、第97管理外世界。この世界でいうところの地球にやって来た訳は、発掘した遺失物が事故でばら撒かれてしまった為。責任を感じた彼は自らの手で、ばら撒かれた遺失物を回収しに来たのだとか。

 ユーノが予想外だったのは、遺失物が暴走して怪物に変じていること。厳重に封印していた遺失物は、地球にばら撒かれた際の衝撃で、その封印が解けてしまったらしいのだ。戦闘能力が低く、戦いにおいて補助向きな彼には、怪物の封印は荷が重すぎた。

 それでも、発掘した者の責任と義務で、何とか二つまで回収することに成功したものの、三つ目の、あの怪物を相手にして力が尽きたらしい。

 

 正直、なのはからすれば、ちんぷんかんぷんだ。

 魔法? 世界を滅ぼす可能性がある遺失物? 別の世界からやってきた異世界人?

 どれもこれもが常識として考えれば信じられないものだ。というか信じたくない。今日だけで、なのはの常識の大半が崩壊していて、彼女の思考は混乱の渦に巻き込まれていた。特に万が一でも世界が崩壊する危険というのは、受け入れられなかった。

 明日、地球は消滅しますと言われて、はい、そうですかと、納得できるほど素直な人間じゃない。

 ただ、冷静な部分で受けとめている真実は、身近に危険が迫っているということ。ユーノを襲った怪物が近くに潜んでいて、襲ってくる可能性があるということだ。

 

 なのはは、自分を落ち着かせるように、用意した緑茶を啜る。まあ、緑茶と言っても、市販されたペットボトルのやつを、湯飲みに入れ直して、レンジでチンしただけの粗末な飲み物だ。

 だが、今はそれで充分だった。

 

「だから、ここに留まるわけにはいかない。僕と居ると君が危険な目に遭うかもしれないから。助けてくれてありがとう。感謝してます」

 

 説明を終えたユーノは、そう言って起き上がろうとする。迷惑は掛けられない。だから出て行くつもりなんだろう。

 だけど、ユーノの怪我は完治していないのだ。そんな怪我で出て行ったら最後、確実に命を落とすのは目に見えていた。

 せっかく助けたのに、みすみす死なせるような真似は、なのはには出来ない。だから、起き上がろうとしたユーノを再び布団に押し倒す。

 

「ちょ、不破さん。何を……」

「状況は何となくですが察しました。ですが、ここでユーノさんを解放するわけにはいきません。怪我人を放置するほど不破家は腐っていない」

「で、でも……」

「危険だというのは承知の上です。もとより、怪我をしていた貴方を見て、何らかの厄介事に巻き込まれるのは予測済み。むしろ、化け物の対処法を知っているユーノさんが死んでしまったら、誰が街を護ってくれるのです?」

「っ……」

「怪我を癒すまでの間、不破家に滞在するといいでしょう。出て行くのは、それからでも、遅くはないでしょう?」

 

 なのはは、小難しい言葉で淡々とユーノに説明しているが、要するに怪我したお前を保護してやったのに勝手に出て行くとは、どういう了見じゃボケェ。きちんと治癒してから出て行かんかい。と言うことらしい。

 ユーノを押し倒すときに、なのははそれほど力を込めていなかった。ちょっと押したくらいの匙加減だ。もっとも、意図的に体が倒れやすいところを狙ったのだが。

 この程度にも逆らえないユーノは、どれほど体力を消耗しているのか、ハッキリと判る程だ。恐らくだが、出血したせいで貧血気味なのだろう。目を覚ましてから何も食べていないし、保護されるまでゆっくりと休めていたかどうかも怪しい所。

 そもそも、この世界に来てからちゃんと食事をしているのだろうか? しっかり、食べないと体力を回復させることもできないのは周知の事実。当たり前のことだ。

 何か、食べる物でも持って来よう。そう考えて、なのはが立ち上がった時だった。

 

「えっ……」

 

 ぞくり、となのはの肌を液体のようなものが包んで、撫でるような感覚と共に、何かが通り過ぎたような気がした。瞬間、周りからユーノ以外の人の気配が消える。

 自室で寝ている筈の士郎と恭也、それどころか近所の家に至るまで生き物の気配を感じ取れない。急に消失してしまったかのようだ。

 不気味だ。酷く不気味で、静かすぎる。

 なのはは無意識に警戒心を最大まで引き上げると、いつでも戦闘できる体勢になって身構える。耳を澄ませば遠くで獣の遠吠えが聞こえた気がした。

 

「結界……あのジュエルシードモンスター、進化したんだ!」

「結界? 進化した? どういうことなのか、何が起きているのか説明してもらってもいいですか?」

 

 全身を襲う痛みに苦悶の表情を浮かべて起き上がろうとするユーノ。そんな彼の肩を支えて立ちあがせながら、なのはは説明を求めた。

 ユーノを支えて歩きながら、なのはは部屋を出て素早く移動するために靴を履き、玄関から外に出る。襲撃される可能性が高いのに、家の中で待っていても不利なだけだ。相手が人間でない以上、屋敷の罠は役に立たないだろうから。

 その移動する間にユーノが状況を説明してくれた。

 

「僕を襲った怪物です。先程、お話したジュエルシードが暴走して生み出す怪物。それが、僕らを襲うために結界を使って外界を遮断しました。要するに元いた世界とは別の位相空間に閉じ込められたんです。アイツを倒さない限り、帰れない……」

 

 なのはは住宅街の道路を歩きながら成程と頷いた。状況は最悪だが、むしろ良かったのかもしれない。少なくとも無関係な人々を巻き込まずに済んだのだから。

 それにしても、ユーノが襲われる理由は分かるが、どうして自分が襲われたのか検討もつかなくて、なのはは首を傾げる。理由はあるのだろうか。怪物が無差別ではなく、特定の人を襲う条件が。

 

「ユーノさん。どうしてわたしが巻き込まれたのか分かりますか?」

「その、ごめんなさい。たぶん、不破さんに魔導師の資質があるからだと思います。ジュエルシードモンスターは魔力を持った人を襲う性質があるんです」

「なのは」

「えっ?」

「なのはで結構です。名字で呼ばれるの、慣れてないので。できれば、名前で呼んでほしいです」

「なのは、でいいのかな?」

「はい」

「分かった。もしもの時は僕を置いて逃げて構わないから。キミは僕の命に代えても守ってみせる。それが、巻き込んでしまった僕の責任だ」

 

 何馬鹿なことを言っているんだと、なのはは思ったが、口には出さないのでおいた。話してみて分かったことだが、彼は責任感が強くて、人一倍真面目なんだろう。

 遺跡を発掘する現場責任者を任されたという話だし、海鳴の街に起きている異変を一人で解決しようとする姿勢からも、彼の性格を読み取ることができる。

 なのはは傷ついた彼を一人で戦わせるつもりはなかった。対抗できる手段がユーノにしかないのであれば、自分が囮になる作戦まで立てていたのだ。相手は未知の怪物。使える手段は何でも使う決意をしていた。それこそガソリンスタンドを爆破するとか、ビルの屋上に誘い出して突き落とすとか、普段使わないような派手な手を、彼女は考える。

 だけど、ユーノの言葉を聞いて考えが変わった。

 自分にも魔導師の資質があるというのならば、その魔法とやらを使って怪物と戦えないのだろうかと、そう思い至ったのだ。

 

「このままじゃ、動きにくいか。なのは、少しだけ僕を離してくれないかな?」

「良いですが、何を?」

「見てれば分かるよ」

 

 ユーノをコンクリートで舗装された道路に、ゆっくりと降ろしてやると、彼はしゃがみこんだまま集中するかのように瞑想を始める。

 すると、彼の足元から淡い緑色に輝く、幾学模様の描かれた円形の魔方陣が具現化。彼の身体がその光に包まれたかと思うと、彼の身体が段々と縮んでいく。

 

(え、えええぇぇぇ!?)

 

 なのはがありえない光景に、いや、魔法を夢で目にしていて少しだけ慣れていたが、許容限界を超えた異常事態に驚いている。その間にも、ユーノの身体は小さくなっていった。

 最終的に小動物ほどの大きさにまで小さくなったユーノは、艶の良い毛並みを持つ金色のフェレットに変身していた。

 

「これで少しは動けるはずって、なのは、どうかした?」

 

「あっ、いえっ、ちょっとというか、かなり見慣れない光景に驚いていただけ、ですよ……?」

 

「そっか、事前に説明していれば良かったね。スクライア一族は遺跡の発掘を生業とするから、狭い所を抜けられる小動物に変身する魔法は重宝してるんだ」

 

「そうですか……」

 

 なのはの頭の中は混乱して、唖然とした様子で呆けてしまう。何と言っていいのか分からないのだ。辛うじて出て来た返事はそっけないものだが、無理はないかもしれない。

 今日で、いったい幾つの常識が壊れたのか、なのはが知る由もない。

 何も知らない子供なら無邪気に喜んでいたかもしれないが、なまじ裏世界の事情を知っているだけに、聡明ななのはの受けた衝撃は計り知れない。

 

――グオオオオオォォォ!!

 

 その時、背後から聞こえてくる叫ぶような唸り声に、なのはの身体は一瞬だけ硬直してしまう。すぐに整息法で呼吸を整えて、身体の緊張を解きほぐすと、フェレットになったユーノを抱き上げた。 そして、全力で駆け出していく。この住宅街では戦いづらいのだ。場所を変える必要があった。

 

「ちょっ、なのは。何処に行くつもり!?」

「戦いやすい場所に、近所の公園に向かいます。そこで、相談なのですが――」

「何をするのか知らないけど、何でも言って」

「魔導師になるには、魔法を使うには、どうすればいいのですか?」

 

 なのはの声を聞いて、その意味を悟ったのか腕の中に納まったユーノが身体を硬直させたのが、手に取るようにわかった。

 知り合って間もない子供、それも魔法のいろはも知らないような小娘が、戦う意思をみせたのだ。

 ユーノからすれば複雑な心境だろう。それでも、なのはは本気だ。鍛錬で養ってきた力で誰かを傷つけるのは嫌いだけど。けれども、なのはとて不破家の人間。降りかかる火の粉は払わねばならない。

 何よりも誰かを守る為ならば、己の力を使うことに何の躊躇いがあるというのだろう。彼女の決意は固かった。たとえ恐れる父と姉から何を言われようとも、その不屈の心が揺らぐことはない。

 ユーノは、なのはが走る勢いで揺さぶられながらも、じっと彼女の瞳を覗き込んで、溜息を吐く。どうあっても、なのはは退かないつもりだと察したから。それならば自分が素人の彼女を導いた方が、安全かもしれないと判断する。

 

「ひとつだけ方法がある。成功するかどうかは分からないけれど、これを」

「これは?」

「その子はレイジングハート」

「レイジングハート?」

 

 ユーノが口に咥えて差しだしてきたのは、身に付けていた首飾り。

 先端に紅い宝玉の付いたそれを、なのはは手に乗せてもらっって、握りしめた。

 

「デバイスと呼ばれる魔法を使う為の杖です。魔導師の中には僕のようにデバイスを使わずとも、魔法を使える人がいますけど、例外にすぎません。デバイスと契約して魔法の発動を補助してもらう。それが、本来の魔導師の在り方なんです」

「それで、契約をするにはどうすれば?」

「デバイスを握りしめて、今から教える起動の呪文を言ってください。次にレイジングハートの名前を呼んで、最後にセットアップと唱えます。後は、この子が応えてくれるはずです」

 

 説明を終えたユーノが、なのはの腕からすり抜けて、肩に飛び乗る。フェレットの小さな腕で服にしがみ付きながらユーノは、なのはの耳元で起動の為の呪文を呟く。

 なのははそれを一字一句、間違えないように小声で呟くと、心と脳裏に刻み付ける。せっかく巡ってきた反撃のチャンスだ。失敗するわけにはいかない。

 そうしている間に、いつの間にか公園にたどり着いた。ここならば広さも充分で、問題なく戦えるだろうと、なのはが足を止めたその時。足元に影が差しこんだかと思うと、不破の少女は嫌な予感がして咄嗟に公園の入り口にある手すりを足場に、広場へと飛び込んだ。

 瞬間、なのは達を追って来たであろう怪物が、その巨体で手すりと、周囲にあるフェンスを押しつぶす。

 間一髪だった。反応が遅ければ、考えたくもない状況に陥っていただろう。

 それにしても、怪物の大きさには圧巻される。夢で見た時と変わらない姿、車を容易に呑み込めそうだ。もっとも、なのはの与り知らぬことだが、回避に失敗してもユーノが防御魔法で確実に防いでいただろう。むしろ、なのはが予想外に軽快な動きで、怪物の攻撃を回避したために、慌ててしがみ付く破目になったのは内緒だ。

 ユーノは、なのはの肩から飛び降りると、怪物と彼女の間に立ち塞がるような位置で身構えた。怪物も、なのはからユーノに標的を変えたようだ。なのはに押しかかっていた重圧が幾分か和らいだ気がした。

 

「ユーノさん!?」

「なのは、僕がコイツを引きつけるから、落ち着いてレイジングハートと契約を!」

「分かりました。決して無茶はしないでください」

 

 なのはが返事をする間にも、すでに戦闘は始まっており、怪物の巨体をユーノは光の壁で弾き、光り輝く鎖で拘束していた。けれど、夢で見た時よりもユーノは弱っているのか、長くは持ちそうにない。

 

 なのはは瞼を閉じると集中する。

 レイジングハートと呼ばれるデバイスを握りしめ、胸に手を当てて、祈るようにはっきりと呟く。教えられた呪文の通りに、ユーノを守る力を手にする為に。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に……どうか私に守るための力を、お願いです。応えてください!」

『all right』

「レイジングハート、セットアップ!」

『stand by ready.set up』

 

 そして、訪れたのは光の濁流。天まで立ち上る、溢れんばかりの巨大な光の柱。それが、なのはを包み込む強大な力となって、彼女を覆い隠した。

 胸から溢れだした光の粒子を糧にして、なのはの感じたこともない未知の力が自らを覆う。就寝前に来ていたパジャマが分解されて、身体にフィットする黒いインナーが生成されていく。

 

『聞こえますか? 新たな私のマスター、小さな主。まずは思い浮かべてください。貴女の考える最強の防具を、そこから貴女のバリアジャケットを構築します』

(急にそんなこと言われても……というか誰ですか)

『私はレイジングハート。不屈の心を意味する名を冠したインテリジェントデバイス。貴女の呼びかけに応じた魔導の杖』

「レイジングハート、ですか……貴女が?」

『そうです。ジャケットのイメージが思い浮かばないのであれば、普段着ているような服でも構いません。後は私が最適な防護服を構築します』

 

 頭の中に聞こえてくる優しい女性の声。彼女はレイジングハートだと言う。杖が喋るなんて聞いてないけれど、なのはは微塵も驚いていなかった。魔法と言う未知の技術があるのだ。自動音声があってもおかしくはない、なのはは持ち前のポテンシャルを発揮して状況に適応する。

 それよりも、問題は彼女が問いかけてくる防護服とやらのイメージだ。正直に言うと、なのはは衣服や格好に無頓着だったので、自分が何を着ているのか頭に浮かんでこない。防具と呼ばれても、騎士の甲冑のようなごてごてした鎧は嫌だった。不破の鍛錬の時に着ている胴着と袴が咄嗟に思い浮かんだが、すぐに振り払う。あんまり好きではないのだ。着るだけで嫌な気分になる。となると、次に思い浮かんだのは、着なれた衣服、学校の制服だった。

 聖祥の制服は仕立てが良いらしい。アリサ、すずかからも制服姿が似合っていると太鼓判を押されているので、とりあえず変に見えることはないだろう。

 

「どうですか……?」

『マスターの中のイメージを理解しました。防護服に設定後、イメージを反映させます。マスターは魔法には慣れていないようですが、驚かなくて大丈夫ですよ』

 

 レイジングハートが言葉を続ける間にも、なのはの姿に変化が訪れていた。桃色の粒子が周りから溢れだすと、身体をベールのように覆っていく。瞬く間に光は見慣れた学校の制服を形作っていき、気が付けば、なのははいつもの制服姿になっていた。

 

「えっ……」

 

 驚くなと言われても、それは無理があった。あっという間にいつもの制服を着こんでいたのだ。なのはが呆気にとられている間にも渡された紅い宝玉、レイジングハートは形を変え、先端に握り拳ほどの紅い宝玉を三日月状のフレームに支えられた杖が生成される。

 なのはの身長に合わせて最適化されて生まれた長物の杖は、彼女の利き手に自然とおさまると、先端の宝玉から光の文字が瞬いた気がした。

 そうして、なのはを覆っていた光は徐々に霧散していき、彼女は元いた公園の風景の中に立ち尽くしていた。あっという間の出来事だ。

 

「よし、成功だ! くっ……!?」

 

 茫然自失と言った様子で立ち尽くすなのはの意識を取り戻させたのは、安堵が含まれたユーノの声。フェレットになっている彼は素早い身のこなしで怪物の攻撃をいなしながら、時には光り輝く鎖で拘束し、時には防護陣で怪物の巨体を寄せ付けない。けれども、怪我の傷がうずいているのか、小さな身体をもたつかせることもあって危なっかしい。

 

『マスター、まずは魔法についての説明ですが手短に……』

 

「ユーノさん!」

 

 手にした杖、レイジングハートの声を無視してなのはは怪物に向かっていく。いつもより向上している身体能力を疑問に思いつつも、彼女の頭の中はユーノを助けることでいっぱいだった。ユーノ目掛けて体当たりをぶちかまそうとしている怪物との間に割って入ると、見事なタイミングでのカウンターを決める。両手に握りしめたレイジングハートで勢いと体重を乗せた突きを怪物の顔面に叩き付けたのだ。それで終わらず、彼女は怪物の懐に踏み込んで上段から杖を叩き下ろす。人間相手であれば脛や肋骨などの急所を狙うが、相手は未知の怪物。一番威力の大きい攻撃を無意識に選択していた。

 しかも、ただの力任せの一撃ではない。不破の教えに基づいた棒術で、力を拡散させず効率的に叩き込む一撃だ。

 この間、なのはの思考はほとんどが本能的なもの。ユーノの危険を察知して咄嗟に行動しただけ。

 怪物の身体が凄まじい一撃を受けて収縮する。それすら予測していたかのように、なのはは手をかざすと桃色の魔力で構築されたシールドを展開。はじけ飛んだ怪物の身体の断片を受けとめながら後退する。

 そして、シールドを展開したまま、フェレット姿のユーノをレイジングハートの先端で器用にすくい上げて、腕で抱き止めた。

 戦闘の素人とは思えない鮮やかな動きに、レイジングハートは圧倒されていたがフォローを忘れたわけではない。主を守る防護服の出力を最大限にしながら、デバイスの周囲に簡易のフィールドを張ることで打撃時、フレームに影響が出ないようにしていた。まさか、ベルカのアームドデバイスのように近接戦闘の武器にされるとは思わなかったが……

 ユーノもなのはの予想外の行動に呆けて瞬きを繰り返す。

 

「大丈夫ですか? ユーノさん」

「はは……驚いただけで怪我はしてないから大丈夫」

「そうですか。良かったです」

 

 大事なさそうなユーノの姿にほっと一息ついて、安堵するなのは。

 そのタイミングを見計らってレイジングハートが大事なことを告げる。

 

『小さな主。もしかして、マスターは近接戦闘が得意なのですか?』

「た、嗜み程度には……その、身体が勝手に動いてました。ごめんなさい」

『いえ、ですが対象の遺失物暴走体相手に近接格闘は危険です。私は祈願型デバイスなので基本的になんでも可能ですが、遠距離戦をお勧めします』

「どうすればいいのですか?」

『簡単なことですので、不安にならなくて大丈夫ですよ。先程も申しあげたとおり、私は祈願型デバイスです。マスターが遠くから相手を攻撃したいと願えば、最適な魔法を生み出すことができます。普通は不可能ですが、魔導師として素晴らしい資質を持つ貴女と私の相性は良いので可能です』

「願う……強く願う……」

 

 なのはとレイジングハートがやり取りする間にも身体を飛び散らせた怪物は、その流動する肉片をかき集めて再び巨体を構築し始める。

 そして、巨体から覗く赤い眼でなのはを見据えると、怪物はなのはを標的に変えて襲いかかってきた。どうやら、ユーノよりも強大な魔力と、なのはから苛烈な攻撃を受けたことによって標的の優先順位を変えたらしい。

 しかも、単純なルーチンワークを繰り返すかのように体当たりするのかと思いきや、怪物は体当たりしながら、身体から軟体の無数の触手を伸ばしてきたではないか。

 あんなもの避けきれるほど、なのはは素早くはないし、物量が物量だ。避ける間もなく触手の波に呑み込まれてしまうだろう。見た目に反してとんでもない能力を秘めているのかもしれないから、触れるだけでアウトだ。最悪、掴まれた瞬間に身体を潰されるかもしれない。あるいは生気でも吸われるのか。どっちもなのはは御免だ。

 

(うっ……どうか、あの怪物の攻撃から身を護って!)

『はい、マスター』

『Protection』

 

 ぬちゃぬちゃと粘着質な音を立てて迫る触手に怖気を抱きながら、なのははレイジングハートの言葉通りに強く願った。怪物を退けるための力を。杖を両手で掲げながら、なのはの肩にしがみ付いているユーノと自分を護ろうと必死に願い続ける。

 小さな主の望みを叶えんとレイジングハートはそれに応え、敵の攻撃を退けるための障壁を張る。アクティブプロテクションと呼ばれるバリア魔法。触れた対象を弾き飛ばして、術者の身を護る魔法は、なのはの願いどおり触手を退けるどころか、怪物の身体を吹き飛ばしてしまった。

 

「つ、追撃を……」

『相手に掌をかざしてください』

「こ、こうですか?」

『Divine Shooter』

 

 不破の修行の成果なのか、身に付いた戦闘技法から追撃を選択するなのは。

 レイジングハートの導きに従って右手を吹き飛んだ怪物の方向へ向けると、生成されたスフィアから一発の誘導弾が飛び出して、怪物の直撃する。少なくない魔力ダメージを負ったことで身体を震わせている怪物。

 

(すごい。この子は天才かもしれない)

 

 ユーノは彼女の魔法の才能に驚かされていた。本来であれば先の触手による攻撃も自分が防ぐつもりだった。それに魔法に触れて間もない彼女に戦わせるつもりもなく、彼女から魔力を借り受けて封印魔法を行使。一気に決着を付けるつもりだった。

 それがどうだ。彼女は圧されるどころか、相手を圧倒している。まだまだ未熟なところはたくさんあるだろうが、すぐにでも才能を昇華させるに違いない。

 なのは自身は気が付いていないが、魔法を行使する際に無意識に最適な術式を頭の中で組んでいるのだ。理論ではなく感覚でそれを、やってのけるのだから恐ろしい。

 彼女の中にある不破の血が状況に適応しようとして。そして、がむしゃらに訓練と勉学をこなしてきた努力の結果がここに来て身を結んでいた。頭の中で高速で回転する思考、演算能力は、そのまま状況の打開策を生み出し、強力な魔法の術式構築に繋がる。

 もっとも、魔導師に成りたての少女は怪物を封印する方法が分からない。分からないと魔法も浮かばない。

 なのはは魔力ダメージを徐々に癒していく怪物を見ながら、横目で肩にしがみ付いているユーノを見やる。瞳がどうすれば奴を倒せるのか教えてほしいと訴えていた。

 

「レイジングハートに搭載されたシーリングフォームを起動させて」

「分かりました。レイジングハート」

『all right』

『sealing mode.set up.』

 

 ユーノのアドバイスを受けたなのはがお願いすると、レイジングハートは己の機能を全力で稼働させる。

 フレームを変形させ、先端部分を音叉のような形状に変化させた。そして、左利きのなのはに合わせるように、杖と先端を繋ぐ部分からトリガーとグリップを生成する。

 それを見届けたユーノは最後の決め手となる方法をを告げる。

 

「頭の中に呪文が、なのはだけの呪文が浮かんでくるはずだ。それを叫んでトリガーを引いて!」

 

 もちろん、既になのははレイジングハートを構えていて、左手はいつでも魔法を放てるようにグリップを握り込んで、トリガーに指を掛けていた。あとは言われた通りにして魔法をぶっ放すだけである。

 

(浮かんでくる呪文、呪文)

 

 うわ言のように頭の中で呪文という言葉を反芻するなのは。

 やがて、閃いた魔法のキーワードが頭の中に浮かんでくるのと、怪物が今までにない豪速で飛び掛かるのはほぼ同時。

 なのはは妙に冷静になりながらも、デバイスの照準を怪物に向けていた。全ての情景が、移りゆく視界がやけに遅く感じるなかで、彼女はしっかりと怪物を引きつけそして。

 

「リリカル! マジカル! ジュエルシード、封印!!」

 

 トリガーを引いて封印に特化した極大な砲撃魔法を解き放つ。

 桃色の光の濁流が怪物の巨体すらも呑み込んで、一条の光の輝きが夜空に煌めいていく。

 怪物は徐々に魔力でできた身体を霧散させながら、やがて跡形もなく消え去った。残ったのは手のひらに収まりそうなほど小さな宝石。ジュエルシードだけ。

 レイジングハートの先端から飛び出た、二つの突起物がスライドして溜まった熱を排出する。蒸気の音だけが静けさを取り戻した街に鳴り響いた。

 怪物が倒されたことで結界も晴れたのだろう。徐々に海鳴の街の喧騒が戻ってきた。夜とはいえ深夜に差し掛かった時刻だ。まだ、街並みは活気に満ち溢れている。

 

「はぁ、はぁ、成功、ですか……?」

「そうだよ、なのは。ありがとう、君のおかげで最悪の事態を避けられた。もうなんてお礼をしていいのか分からないよ」

『お見事でした私のマスター』

 

 ロストロギアを封印する為にかなりの魔力を持ってかれたのだろう。運動した程度では疲れを見せないなのはが、荒い息を吐いていた。慣れないことをしたことで緊張していた分、無駄な体力を消耗したのもある。

 そんな彼女にユーノとレイジングハートが労いの言葉を贈った。

 

「なのは、疲れてるところ悪いんだけど、デバイスをジュエルシードの近くに」

「はい」

 

 なのはがジュエルシードに近づいて、レイジングハートを掲げようとする。こうすれば封印状態の遺失物はデバイスに収納されて、外に出さない限り誰の願いも叶えることはないだろうとは、ユーノの談だ。封印していても万が一と言う可能性がある以上、こうしたほうが安全らしい。

 そうして、ジュエルシードがレイジングハートの中に吸い込まれようとした瞬間。

 

「うわあ!!」

「ぐっ、いったい何が!」

 

 一陣の風が吹き荒れて砂埃が巻き起こる。あまりにも凄まじい爆風だったものだから小動物になっていたユーノが吹き飛ばされた。

 なのはは後ろに跳び下がりながらも、放り出されたユーノを捕まえると離さない様に抱き寄せた。これで下手に叩きつけられたりしたら、治りかけていた怪我が悪化する。なのはは彼のことは心配で何かと放って置けない。

 警戒心を最大限に現状を把握しつつ身構える。他のジュエルシードモンスターとやらが襲撃してきたのか、なのはの与り知らないような出来事が起きたのか分からない。

 しかし、凄まじい速さで正体不明の何かが通り過ぎたのは確かだ。それに。

 

(しまった。ジュエルシードを盗られた)

 

 そう、なのはの目の前でジュエルシードが掻っ攫われた。既にジュエルシードが浮かんでいた場所には何もなく、一筋の線が砂をかき分けたような跡があるだけ。

 気が緩んでいたのは確かだが、気配に敏感ななのはが何も感じることは出来なかった。恐ろしい相手だ。

 

「ごめんなさい、ユーノさん。ジュエルシードを盗られてしまいました」

「ううん、いいんだ。むしろ、なのはに怪我がなくて良かったよ」

「それにしても、さっきのは何だったのでしょう? 速すぎて捉えられませんでした」

 

 なのはの疑問に、フェレットのユーノは腕を組んで首を傾げていたが、予想が付いたのかひとつの可能性を教えてくれる。

 

「……もしかすると、僕ら以外にも魔導師がいるのかもしれない。管理世界の中にはいるんだよ。遺失物を盗んで売り払うことで金を得ようとする連中が。悪用されなきゃいいんだけど」

「ッ!! 追いかけましょう! あれは元々ユーノさんの物ですし、そんな奴らを野放しにしては……」

「待って、待ってなのは! その気持ちは嬉しいんだけど、なのはは魔導師に成りたてなんだ。消耗も激しかっただろうから、ゆっくり休まなきゃだめだよ!」

 

 許せないというように歯を喰いしばり、血相を変えて追いかけようとするなのはを、ユーノは慌てて制止した。封印魔法は消耗が激しい魔法だから、たとえ資質の高いなのはでも影響がないわけではない。ここで倒れられたら元も子もないのだ。親御さんだって心配するだろう。

 納得がいかないような様子のなのはだったが、ユーノの翡翠の瞳に見据えられて徐々に怒気を抑え込んでいく。不破の教えが頭の中で、常に冷静たれと告げていた。

 普段、冷静沈着のなのはがここまで熱くなるのは珍しいことである。けれど、仕方のないことだ。今日はなのはが、初めて誰かの役に立てたと実感することができた日。何の取り柄もない自分が友達を助けることができて嬉しいのだ。心のどこかではしゃいでいるのかもしれない。

 もっと自分を見てほしいという渇望。それが誰に向けられたものなのかは知らないが。

 

「失礼しました。つい、取り乱しました」

「気にしてないから大丈夫。それよりも帰ろう。もう、夜も遅い時間だ。家族に心配かけるといけないよ」

「……そうであれば、良いんですけど」

 

 なのはの意味深な言葉をユーノは最初、理解できなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 構築され身体を覆っていたバリアジャケットを解除したなのはは、待機状態に戻ったレイジングハートを首に掛けると、パジャマ姿のまま帰宅する。

 怪物の襲撃のよって着替える間もなく飛び出してきたから、見るからに怪しい格好だ。

 少なくとも夜中、出歩いている大人や巡回している警察官が彼女を見れば、何か事情があるだろうと声を掛けるだろう。そうなれば親を呼ばれてしまう。そんな事態は色々と面倒になるので人目を避けて家に向かっていた。

 元の姿に戻ったユーノを肩で支えながら、なのははゆっくりと夜の街を歩いていく。

 夜風が戦闘行為で火照った身体に涼しいが、長引けば風邪を引く。春先とはいえ、まだまだ寒いのだ。ユーノに断って少しだけ歩幅を速めた。

 ユーノが人の姿なのは、保護した時にその姿だったからだ。フェレットモードの方が消耗も低く便利らしいが、怪しまれない様に家では人の姿でいなくてはならない。

 ふと、なのはは思い出したようにレイジングハートに目を向ける。これは、ユーノの物だ。事件のひとつが解決した以上、元の持ち主に返すのは当然と言えよう。

 別に、なのはは魔法少女として怪物と戦うのは嫌ではない。が、デバイスは、特にインテリジェントデバイスと呼ばれる種類は帰宅する道中で大変高価なものだと聞いた。相性が良い人間は少ないから、適性があるなのははすごいねと褒められもした。けど、そんな高価で大事なものを持っているのは気が引けるのだ。

 

「そう言えばユーノさん。これはお返ししますよ。元はユーノさんの持ち物ですから」

「それなんだけど、レイジングハートはなのはが持っていて欲しいんだ」

「?……何故ですか?」

 

 ユーノの頼みに、なのはは純粋に首を傾げる。自分に預けてくれる理由が分からないからだ。

 

「何時、ジュエルシードモンスターが覚醒してなのはを襲ってくるのか分からない。それに例の魔導師の件もあるから。勝手なお願いだとは充分承知してるけど、身を護る為に身に付けていて欲しいんだ。本当に、迷惑を掛けて。巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 肩を支えていなければ、深く真摯な姿勢で頭を下げていただろうユーノの態度。なのはは遠慮しかかった自分を抑え込んだ。こうまで頼まれたら断りづらい。

 それに例の魔導師が自分を狙ってくるのは考えが及ばなかった。てっきり横取りする姿勢から遺失物を優先的に狙う卑怯な輩かと思い込んでいた。自分を襲撃して、ジュエルシードを奪いに来るかもしれないのかと、なのはは考えを改める。

 もしかすると、相手の魔導師は相当に狡猾な奴なのかもしれない。

 

「分かりました。では、事件が終わるまで肌身離さず持ち歩かせて頂きます。よろしくお願いします。レイジングハート」

『はい、私のマスター』

「ははは……」

 

 ユーノはなのはに聞こえないような小声で苦笑い。

 返そうとしてくれる気持ちはありがたいが、目の前でそんなこと言っている彼女に告げられるわけがない。

 契約したのは、なのはだから、マスター権限もなのはにある。もう、なのはの許可なしにレイジングハートは使えないと、言えない。言えるはずもない。きっとショックを受けるに違いないから。自分のせいでユーノの持ち物をダメにしてしまったと。

 別に、レイジングハートはスクライアの族長からの贈り物だし、ユーノには扱いこなせないので、使い手に相応しいなのはにプレゼントしても問題ないのだが。

 

 やがて、目的地である不破の屋敷が見えてきて、なのはは露骨なまでに顔をしかめた。ユーノもなのはと同じ事に気が付いて申し訳なさそうな顔をする。

 敷地の入り口の前に立つ人物。不破士郎。なのはの父親。

 士郎は門限時間外の無断外出を嫌う。なのはを心配してのことだろう。それは、彼女も分かっているが、その事で叱りつけられるだろうと思うと気分も憂鬱になる。

 

「二人して何処に行っていた?」

「…………」

 

 士郎の水面のように静かで、けれども厳しさを含んだ問い掛けに、なのはは答えることができない。正しい答えなど持ち合わせていない。

 今日の不思議な出来事を正直に話したとして、誰が信じるだろう? 最悪、夢遊病でもあるのかと疑われるかもしれない。むしろ、世迷いごとを申すなとさらに厳しく怒られる可能性もある。

 近くのコンビニに買い物に行ったとしても格好が不自然だ。夜は寒いから、せめて上着のひとつくらい着ていく。

 下手な嘘など厳格な父は見破るだろう。だから、なのははどうしようもなくなって沈黙を保つ。

 

 なのはの無言の姿勢が気に入らなかったのか、士郎の瞳を見ようとしない娘の態度が癪に障るのか知らないが、士郎は手を振り上げた。

 頬を打たれる。そう思ったなのはは怯えたようにぎゅっと目を瞑る。けど、いつまでたっても衝撃と痛みはやってこない。

 恐る恐る瞼を開けてみれば、いつの間にかユーノが庇うように前に出ていた。なのはからでは後姿で見えないが、その視線ははっきりと士郎の瞳を捉えている。

 

「その、ごめんなさい。勝手に飛び出した僕が悪いんです。目が覚めたら見知らぬ部屋で、パニックになってしまって……慌てて飛び出した僕を彼女が追いかけて、連れ戻してくれたんです。だから、なのはは悪くありません」

(ユーノ、さん……?)

 

 ユーノには目の前の男となのはの関係を良く分かっていないだろう。それでも雰囲気から、なのはが咎められていることを察して庇ってくれている。

 でも、なのはには、どうして彼がそんな事をするのか理解できなくて、目を真ん丸に見開いて驚いていた。ユーノは……ぶっちゃけてしまえば不破家とは何の関係もないし、知り合ったばかりでアリサやすずか程に、なのはと親しいわけではない。

 もしかすると、士郎に邪魔するなと打たれるかもしれない。或いは怒鳴られるかもしれない。自分が痛い目に遭うかもしれないのにどうして……?

 そんな困惑にも似た感情がなのはの心を占めていた。

 

 士郎の纏う雰囲気が一瞬だけ重くなったのは気のせいだろうか……ただ、娘を容赦なく打つと思われていた手は、躊躇うようになのはに伸ばされて。そして何もせず、静かに降ろされたのは確かだ。

 訓練の時は苛烈で厳格な父のらしくない態度に、なのはは驚きを隠せない。それに、もっと、厳しく詮索されると思い込んでいたから、彼が潔く引いたことも尚更。

 

「……早く寝所に戻れ、子供は寝る時間だ」

 

 そっけない態度で、そう告げた士郎は踵を返すと先に家へと入っていった。

 

◇ ◇ ◇

 

「その、助かりました。ユーノさん」

 

 父に言いつけられた通り、ユーノが寝ていた畳部屋に戻った二人。

 慌ただしく飛び出していったせいで乱されていた布団は綺麗に整えられていた。恐らく士郎か、恭也が整えてくれたんだろう。

 ユーノが布団に寝付く前に、なのはは正座したまま深く頭を下げた。本来であれば厳しい叱責と体罰を受けていたであろう所を助けて貰ったからだ。

 だけど、ユーノとしては自分に関わったせいで、なのはが、そんな目に遭いかけたので、頭を下げられるのが気恥ずかしく、どうにも居心地が悪い。本来であれば協力してもらったばかりか、寝何処まで提供してくれた彼女の方に、ユーノが頭を下げるべきなのだ。

 

「こっちこそ、その、色々とありがとう」

 

 何とも言えない気まずい雰囲気が流れた。このままだと、どちらも謙遜し合って、延々と謝り合うような事態になりそうだ。だから、なのはの方が先に折れることにした。

 

「……もう寝ましょう。明日の朝は早いですし、ユーノさんの怪我を治すためにも睡眠は必要不可欠ですから」

「あ、えっと。なのは、さん……?」

「おやすみなさい。ユーノさん」

 

 おずおずと敷かれた布団に潜り込んだなのはは、すぐに寝息を立てて、夢の世界に誘われた。どうやらユーノの疑問に答えてくれる余地はないらしい。

 ちなみに、布団は二枚敷かれている。もちろん、ひとつはユーノの分。そして、もうひとつは、なのはの分だ。

 なのはがユーノと同じ部屋で寝る理由は、怪我人を勝手に家を抜け出せさないという名目で、彼の監視と保護をするという、恭也がなのはに与えた罰だ。

 実際の所は一人でで眠ると、高い確率で悪夢にうなされる妹の為なのだが、そんなこと、なのはが知る由もない。

 もっとも、出会って間もないユーノなんかは、不破家の事情を察することなどできず、唖然としている。

 上体を起こしていると身体の節々が痛むので、仕方なく状況に流されて彼も布団に潜り込むのだが、馬鹿みたいに高鳴る心臓は、明らかにユーノが緊張していることを示していた。

 

 スクライア部族の子供たちと寝ることはあっても、このように女の子と二人っきりで寝るのは初めてだ。しかも性質の悪いことに年が近い。憧れのお姉さん的な存在を前にした時とは、また違った緊張感があった。

 ユーノの顔は徐々に真っ赤になり、目を回し始めていく。緊張しすぎて眠れそうにない。

 隣で静かに眠るなのはは、ユーノから見ても綺麗だ。暗めの性格はお淑やかで慎ましいと考えれば美点だし、怪我人を助けた義務とはいえ、彼女は親身になって看病してくれた。何となくだが、熱を測る為に額に、柔らかな手が触れられたのも覚えている。

 そして、彼女からは返しきれないほどの恩を貰っている。命を二度も救ってもらったばかりか、自分の不始末を解決するために手伝って貰ったのだ。

 ここまでされてユーノが彼女に惹かれない理由など何処にもない。まして、就職年齢の早いミッドチルダ出身のユーノだ。多少大人びている彼が異性を認識してしまうのも、無理はないだろう。

 

(ね、眠れない……ちょっ、ええっ!?)

 

 しかも性質の悪いことに、ユーノの右手を両の手でぎゅっと握った存在がいる。もちろん、不破なのはその人である。

 寝静まった人の、子供特有の暖かな体温が肌を通して、ユーノに伝わる。もはや、ユーノは冷静な判断が出来ないくらい混乱していた。脳が焼き切れるんじゃないかと錯覚してしまうくらい、頭が熱い。

 

「あの……なのは? あっ……」

 

 このままじゃ眠る事すら出来ないとまいってしまったユーノは、せめて、手だけも放して貰おうと彼女に向き直って絶句した。するしかなかった。

 静かに寝入っていた筈の少女は熱病に晒されたように、苦悶の表情を浮かべていた。呆けたように開かれた口から熱い吐息を漏らしている。ユーノの手を握る彼女の肌は汗ばんでいて……怯えたように震えていた。

 まるで頭を金槌で打たれたかのような衝撃。急に恥ずかしがってた自分が愚かに思えて、ユーノの思考は急速に冷めてしまう。

 

「や……やだぁ、こない、で……」

 

 少し考えれば分かる事だった。魔法の事に慣れていない、こんな年端もいかない女の子が。恐ろしい化け物と戦って平気でいる筈がないのだ。

 普段の彼女はとても冷静で、物怖じせず、動揺することも殆どなかっただけに、ユーノは気が付くことができなかった。なんてのは言い訳に過ぎない。

 どこかで無理をしていた部分があったはずだ。そう、たとえば戦闘が終わって荒い息を吐いていた時。あれは疲労からではなくて、極度の緊張を解きほぐそうと深呼吸していたのだとしたら?

 やはり、なのはを魔法の事に巻き込んだのは間違いだったのかもしれない。だけど、もう遅い。

 レイジングハートが、なのはを正式なマスターとして認めた以上、ユーノが封印魔法を行使することは出来ないからだ。あれは、レイジングハートを媒介にして無理やり引き出した魔法だったから。もはや、不破なのはの協力なしにジュエルシードを封印する事は不可能。

 なら、せめてユーノに出来ることは、彼女が傷つかない様に護ること。彼女が戦いやすいようにサポートすることだ。

 ユーノは隣で怯える女の子の手を握り返す。

 

「安心して、なのは」

「う、うぅ……っ」

「キミは僕が護るから。絶対に傷つけさせはしないから。だから、なのはは怯えなくていいんだ」

 

 互いに向き合うようにして眠る二人の子供。

 少女の知らないうちに、密かに決意を秘めた少年。

 そんな彼の意志が伝わったのか、なのはの様子は次第に落ち着いていき、安らかな寝顔を浮かべ始めるのだった。

 

 



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●内緒のこと

「んぅ……っ!?」

 

 早朝四時半。

 なのはが眠りから覚めると、目の前に美しい少年の寝顔があって、驚愕のあまり声を漏らしそうになるのを寸での所で止める。

 彼は昨日、酷い怪我を負っていた所を保護した異世界の人間。ユーノ・スクライア。

 慣れない世界。いつもと違う家屋で、しかも初対面に等しい他人の家では良く寝つけなかったのだろう。目元にはうっすらと隈が浮かんでいて、彼が寝不足であると訴えていた。

 これは仕方ないことだろう。

 それに彼は怪我人であるし、このまま寝かせておこうと、何時ものように布団から抜け出そうとして、なのはは気が付いた。

 自分がユーノの手を握りしめていたことに。恐らくだが無意識に彼の手を、兄のものだと勘違いしたのだろう。だとするとユーノには悪いことをしてしまった。彼が手を握られたせいで、寝つけなかった可能性もあるのは想像に難くない。

 

「あぁ、やってしまいました……」

 

 ユーノに迷惑を掛けてしまったことを申し訳なく思い、なのはは落ち込んだ。

 唯でさえ魔法のことで足を引っ張っているのだ。昨日は強引にも魔導師にさせて貰い、所有物のレイジングハートまで貸し与えられた。

 これ以上、彼を苦労させるわけにはいかない。

 なのはは、ユーノの手をそっと解きほぐすと布団から起き上がる。

 そしてユーノを起こさない様に布団を畳むと気配を殺して部屋を出た。

 いつものように胴着に着替えて朝の鍛錬。その後は学校に行って、授業を受け、放課後はジュエルシード探しだ。あのような危険物を放って置くわけにはいかないから。

 その間、ユーノにはゆっくりと休んでもらおう、と予定を考えながら、なのはは自室を目指す。

 

 部屋に入ってタンスから胴着と袴を取り出すと、なのははパジャマを脱ぎ捨てた。

 服の内側に隠されていた少女の身体は、小学生には似つかわしくないほど引き締められている。

 そして、所々肌に傷跡があった。不破の鍛錬の成果だ。

 今は徒手空拳と体術を絡めた軽い棒術だけだが、その内、剣術や本格的な素振りをやらされるかもしれない。そうなれば手のひらは硬くなり、ますます女らしくなくなるだろう。果ては姉の美由希のようになるのだろうか? 目を背けたくなるような傷だらけの無骨な女剣士。

 

「うぅ……」

 

 なのははクラスの女の子。とりわけアリサやすずかのことを思いだす。自分もあのように可愛らしく着飾ってみたいという願望は、少しだけある。だけど、血に塗れた不破の家系では戦わなければ生き残れないことも知っている。故になのはの女の子らしくなってみたいという想いは叶わない。

 

 できれば、お母さんの桃子と一緒に得意だったというお菓子作りをしてみたかった。

 ……やめよう。こんな事はしょせん叶わぬ望み。無駄なことは非効率的だと割り切ったなのはは、胴着を着こなすと、下から袴を穿いて帯をきつく締めた。

 鍛錬中に袴がずり落ちるなど恥ずかしいどころではない。間違いなく士郎に怒鳴られる。

 

 ふと、机の上に置いてあるレイジングハートが目に入る。流暢に言葉を話してくれる不思議な杖。

 修行中は余計なものを付けると怒られるので、常に肌身離さずと言う訳にはいかない。彼女を身に付けるのは学校に行くときだ。

 眠っているのか、さっきから一言も喋ろうとしない。それとも家族に不審がられない様に、あえて黙り込んでいるのだろうか?

 でも、無視するのは可哀想なので、なのはは挨拶してから修行に向かうことにした。

 

「お早う御座いますレイジングハート。学校に行くときに沢山話しましょう。魔法の事、これからの事を」

『…………』

「行ってきます」

 

 やはり、何も喋らないレイジングハート。

 なのははその態度を気にもせず、部屋の扉を開けて自室を出て行く。

 そっと扉を閉める時。レイジングハートが一瞬だが、静かに輝いた。それが思わず行ってらっしゃいと、言ってくれてるような気がして。

 なのはは少しだけ微笑むのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノが目を覚ましたのは朝の六時半頃といったところだ。ミッドチルダとは違う異世界とはいえ、遺跡の探索や発掘業務に従事する彼にとって寝床は問題にならない。むしろ、荒野は深い森の中で野宿するより遥かにマシな環境だと断言できる。

 昨日の夜に眠れなかったのは、未知の体験。というより勝手にどぎまぎしてしまって、興奮したせいだ。あんな経験は初めての異世界で眠るとき以来。あの日も緊張して寝付けなかったものだ。

 

「うっ、痛ぅ……」

 

 起き上がろうとしたユーノは身体の節々が痛むのか、顔をしかめて蹲る。やけに響くような鈍痛が動きを遥かに鈍らせていた。どうやら相当に三匹目のジュエルシードモンスターとの戦いは堪えたらしい。しばらくは満足に戦えそうにない。昨日は命の危機だったので痛みが吹き飛んでいたんだろう。その後遺症が表に出てきているというのもある。

 しばらくは大人しくするしかないだろうとユーノは溜息を吐くしかない。

 やることはたくさんあるのだ。未回収のジュエルシードが暴走した時の対応をなのはに話しておかなければならないし、謎の魔導師のこともある。迂闊に彼女一人で問題解決に当たらせる訳にはいかなかった。

 せめて自由に動くことができれば、彼女を見守っていて、いざというとき助けることができるのに。もどかしい。

 一応、怪我人扱いのユーノが勝手に家を出て行くことは出来ない。なのはにも、不破家にも迷惑が掛かる。昨日の一件で彼女の両親もユーノが飛び出さない様に警戒しているだろう。迂闊な行動は避けるべきだ。

 少なくとも怪我が完治するまでの間は当分、安静にしている必要がある。不審がられない為にも。

 

「はぁ、困ったなぁ」

 

 二度目の溜息。こうしている間にもジュエルシードが暴走していたら? 或いは件の魔導師が遺失物を悪用していたら? そう考えるとユーノは居ても立ってもいられなくなる。

 もし、ジュエルシードが原因で第97管理外世界が滅んだら、どう責任を取ればいいのだろう。この不安感を払拭できそうにはない。

 依頼人である学者のリエルカ・エイジ・ステイツさんも、受け渡しの日程がずれ込んでしまい、困っている可能性が高い。

 

 最悪、ユーノの身を案じた依頼人か、積み荷を運んでくれた船員が管理局に連絡して事態を収拾するかもしれないが、何分管理外世界のことだ。彼らが重い腰を上げるのは先のことになるだろう。

 ジュエルシードごとき遺失物など他にいくらでもあるだろうし、緊急を要するほどの案件ではない。次元震さえ起きなければ。

 輸送の手続きをする際に遺失物は完全封印状態で非常に安定していると、書類を提出してしまったから、管理局はジュエルシードが暴走しているなんてことを知らないのだ。

 連絡しようにも次元間通信をする設備などない。まさに絶体絶命の危機である。

 

 管理局が駆け付けるにしても、事態を収拾してより危険度を下げる方が良いに決まってる。管理世界にとっても、この世界にとっても。最悪の事態になる可能性は出来るだけ回避するべきだ。

 その為に、この身がどうなろうと知ったことではない。ただ、なのはには、出来るだけ無理をして欲しくない。それがユーノの独善であってもだ。

 

 ふと、部屋の襖を叩く音がした。なのはだろうか? 彼女は目が覚めた時に居なかったので心配だったが、密かにサーチャーを使うことで気配を察知した。どうやら抜け出して遺失物探しをしている様子ではないので安心したのは内緒だ。

 

「はい、起きてますからどうぞ」

 

 あまり気を使わせないように、ユーノから入室を促す。

 すると、部屋に入ってきたのは予想外の人物。少なくともユーノが初めて会う不破家の人間。

 黒い胴着と袴を着こなした屈強でいて、しなやかな肉体を持つ男性。

 どことなく士郎の面影を残した彼は名を、不破恭也と言う。

 

「失礼する。ああ、そのまま寝ていて構わないよ。君は怪我人だからな。ユーノ君、妹から話は聞いている。大変だったろう?」

「えっと、貴方は?」

「おっと、名を名乗ってなかったな。俺は不破恭也。なのはの兄で、父さんの、士郎の息子だ。よろしくな」

「そうでしたか。すいません。何から何まで助けて頂いて」

「気にするな。お礼なら、なのはに言ってあげてほしい。あの子は今でこそあんな性格だが、本当は明るくて元気いっぱいで、とても優しい女の子だからな。君の事を放って置けなかったんだろう」

 

 軽い挨拶とともに差し伸べられた手を握り返しながら、ユーノは少しだけ警戒する。恩人の家族に失礼な態度だが、彼の瞳が探るような目付きをしていたから。

 

「さて、いくつか質問があるのだが、いいだろうか?」

「構いません。あなた方にとって僕は怪しい人間でしょうから。気になるのは当然です」

「まあ、そう緊張しないでくれ。不破家の人間は不器用だから尋問みたいになってしまうが、別にどうこうするつもりはないよ」

 

 本当だろうか。恭也から放たれる眼光は刃のように鋭い。まるで少しの嘘でも見透かすように。

 彼の表情は言葉とは裏腹に真剣そのものなので、ユーノも気を引き締めるしかない。

 

「まず君の出身地なんだが、何処の国からやって来たんだい? 金髪に翠の瞳。ここらじゃ見ない特徴だ」

「その、僕は、記憶がないんです。だから」

 

 恭也の質問に馬鹿正直に答えるわけにはいかなかった。

 なのはに説明したのは、あえて話すことで距離を置こうとしたからだ。

 彼女が子供だったのもあるが、当初は管理外世界の住人を、魔法の事に巻き込みたくなかった。

 たいていの人間は理解できない未知を恐れる。その隙をついて脱走することで一夜の夢のように消え去るつもりだったのだ。

 

 しかし、長期間不破家に滞在することになった今は違う。迂闊なことを喋るわけにはいかない。訳の分からない空想を語る変な子供と思われるのは構わないが、それでなのはに迷惑を掛けるのは御免だ。万が一ということもある。

 

 ユーノを通して魔法世界の技術が漏えいする。それだけは避けねばならない。不相応な科学は身を滅ぼすからだ。かつての大戦はミッドチルダとベルカに連なる多くの世界を消し去ったのだから。

 管理外世界にとって魔法の事はロストロギアに匹敵するのだ。

 

「ほう? その割には流暢に言葉を話すね? しっかり考えているようだ。普通、記憶喪失なら自分は誰なのか? この国は、地域は何処なのか知ろうとするものだが?」

「あっ」

「そして、その態度から見るに君は嘘を吐いている。どうかな?」

 

 しまったとユーノは自らの失態を嘆くが、もう遅い。恭也は確信したかのような笑みを浮かべていた。穏やかで優しい微笑みなのに、何故か怖いと思うのは、彼が発している雰囲気がそうさせるのか。

 

「ふむ」

 

 ユーノの瞳をじっと見据えていた恭也だが、しばらくするとユーノが感じていた重圧感が和らいだ気がした。 

 恭也は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままだ。ユーノは気配や威圧感だけで、こうも人は変わるのかと驚き、緊張で鼓動が早まる。

 背中から浮かべる冷や汗は止まらず、こんなやり取りは心臓に悪い。嘘を吐いた申し訳なさはあるが、できれば早く終わって欲しいと願うユーノだった

 

「成程、人を騙そうとしているのではなく、話せない事情があると見た。何も言いたくない人は、時に寡黙になるからね」

「すみません……」

「なぁに、君が謝ることじゃないさ。なのはが君を受け入れた時点で信頼はしてたよ。あの子は心の内で家族以外の異性を酷く恐れる。そんな妹が君を心配して隣で眠るなんてよほど信用してる証拠だ」

「そう、なんですか?」

「ああ、ちょっと事情があって、ね」

 

 そう言って苦笑いと共に複雑な感情を顔に浮かべた恭也に対し、ユーノは事情とやらに踏み入ることができなかった。ユーノだって、この家族に隠し事をたくさんしているのだ。自分がどうこう言える筋合いはない。

 

「すまん、すまん、辛気臭くなったな。まあ、本当のところを言えば君に頼みごとがあって来たんだ」

 

 恭也は気さくな笑みでユーノを安心させると、次には真剣すぎる態度で頭を下げた。

 身体を九十度、きっちり折り曲げて頼みごとをする彼の態度にユーノは驚きを隠せない。

 

「無茶を承知で頼みます。どうか、あの子を助けてあげてください。本当なら俺が為すべきことなのですが、俺の両手だけじゃ守りきれない」

「ちょ、恭也さん! 頭をあげてください」

「図々しい態度なのは承知です。傍に居てくれるだけでいいんです。あの子を孤独の恐怖から助けてあげてほしい」

「わ、分かりました。分かりましたから頭をあげてください!」

 

 そんなやり取りが続けられる内に、部屋の襖が静かに開かれた。入ってきたのは話題のなのはその人。どこか眠そうな、それでいて人形みたいな無表情は相変わらず、ユーノには彼女が何を考えているのか読めない。

 恭也はいつの間にかユーノの隣で胡坐をかいて座っており、にこやかな笑顔を浮かべている。先程の低姿勢な態度は影も形もなかった。恐るべき変わり身の早さだ。

 

 襖を開けた体勢で立ち尽くすなのはは、どうやら予想外の珍客に驚いている様子。瞼をぱちくりさせながら恭也をじっと眺めていたから良く分かる。

 

 彼女の格好はユーノが昨日見た防護服にそっくりの制服姿だった。肩まで下ろされた髪や、大人しい姿勢と相まって、お淑やかな女の子という印象を抱かせる。背負ったランドセルがなければ子供らしさの欠片もないだろう。

 首のあたりには紐が巻かれていて、恐らく制服の下にレイジングハートが隠れているのが、ユーノには分かった。

 ただ、何処となく、なのはの動きがぎこちないのは気のせいだろうか? まるで疼く痛みで身体が上手く動かせないような。そんな感じだ。

 

 ユーノは知らないことだが、恭也は妹の身がどうしたのか察していた。制服の下に隠れて見えないが、肌は痣だらけに違いない。今日も士郎と実戦形式の組手を行い、しこたま打撃や投げ技を受けたのだろう。

 少しだけ目を伏せる。彼の家族の絆を取り戻す戦いは果てしなく遠い。士郎が復讐に赴くことは無くなったが、そんな彼が娘に与えるのは愛情ではなく身を護る術だ。いまいち大事なモノを履き違えているだろうと思う。

 美由希を止めることができず、相変わらず復讐で海外を飛び回る日々だ。元の家庭に戻すには程遠い。

 なのはの惨状を見て、己の無力さを密かに噛み締める恭也だった。

 

「兄上がどうして此処にいらっしゃるのでしょうか?」

 

 首を小動物のように傾げたなのはは、恭也にそう尋ねた。初対面のユーノと兄の接点が分からず、不思議なんだろう。

 恭也は気さくな態度でユーノの肩に手を置くと、まるで仲の良さをアピールするかのようにユーノと握手まで強引に交わす。

 

「挨拶も兼ねて漢の約束をしていただけさ。なぁ、ユーノ君」

「え? ええ、もちろんですよ恭也さん」

「そうですか」

 

 果てしなく妖しさ満点の不審な態度を見せる二人。けれど、なのはは気にならなかったようだ。

 成程と頷くとランドセルを降ろす。そして、正座したまま三つ指をついてお辞儀をすると挨拶の口上を述べ始めた。

 

「それでは兄上、"ユーノ様"。なのはは学校に行って参ります故、また、後ほどお話致しましょう」

「ああ、気を付けて行ってらっしゃい。あまり遅くならないうちに帰って来るんだぞ?」

「心得ております。それでは失礼いたします」

 

 そうして正座したまま襖を静かに閉めると、彼女は歩き去って行ったようだ。気配が少しずつ遠ざかって行く。

 先程とは別人なまでの態度にユーノはポカンとしていた。ころころ変わる不破家の態度にどう接してよいのか分からなくなる。

 

「気を悪くしないでくれユーノ君。家族の前ではいつもあんな感じなんだよ。何処かで距離を置いてるんだ。悲しいけどね」

「そうなんですか……」

「さてと、そろそろ俺も大学の支度をしなくてはならない。今日は失礼するよ。何もない我が家だが、しばらくゆっくりしていてくれ。それと、あのことは妹には内緒で頼む」

「分かりました。あっ、恭也さん」

「ん、何だい?」

 

 話は終わりだと言わんばかりの恭也を、ユーノは慌てて引きとめた。

 あることを思いだして言質を取って置こうと思ったのだ。すなわち外出の許可である。そうすればジュエルシードが発動した時に、家を飛び出しても不振がられずに済む。理由は怪我のリハビリと言う事にしておけば良いだろう。

 

「外に出てもいいですか? 身体を動かさないと鈍ってしまうので」

「そうだな……なのはと一緒なら外出しても構わないよ。俺としてもその方が都合が良い」

 

 しばらく迷うように、顎に手を当てて考え込んでいた恭也は、ひとつ頷いて許可を出してくれた。なのはと一緒にというのも都合が良い。ジュエルシードの騒動を解決した時に一緒に帰ってくれば問題ないからだ。

 

 けど、続く言葉はユーノを羞恥で染めるのには充分すぎる破壊力を秘めていた。

 

「なのはとのデート、しっかり楽しんで来いよ!」

「なっ、どうしてそうなるんですかぁ!!」

 

 からかわれているとも知らず、生真面目なユーノは恭也の言葉を真に受けてしまう。

 そんな、彼の初心な反応に笑みを漏らしながら恭也は部屋を去って行った。自分も忍にだいぶ影響されたなぁと思いながら。

 それは兄の密かな思惑だった。なのはが気にしている男の子との時間が、妹の心を癒してくれるかどうかの賭け。その為の電撃的な訪問だったのだが、ユーノは知る由もない。

 恭也によって人格を見極められていたことも。

 

◇ ◇ ◇

 

 小学校の長い昼休み。屋上に設置された給水塔の隣で、なのはは男の子達が興じるサッカーの遊びを遠目に眺めていた。

 耳を澄ませば風の音に混じって彼らの歓声が聞こえて来る。それに、よく観察してみると女の子も少なからず混じっているようだ。ああやって平和に過ごせるのはとても良い事だと、なのはは思う。

 別に憧れているという訳ではなく、アリサとすずかの二人を待っているだけの事。単なる暇つぶしだ。それに、なのはは裏に片足を突っ込んだ異端者。子供は普通と異なる存在に敏いから、きっと怯えさせてしまうだろう。せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊すこともあるまい。

 

 どうして、いつも三人一緒に居る筈のなのはが一人なのかというと、アリサはクラス委員の仕事に捕まり、すずかは体調を崩して保健室で休んでいるからだ。

 そして、アリサの仕事を手伝おうとすれば、すずかの傍に居てやりなさいと追い出され。すずかの看病をしようとすれば、ちょっと一人にしてほしいとお願いされてしまう。どうすれば良いのか分からなくなった彼女は、二人に相談したいことがあると伝えて、今に至る。

 もっとも、独りぼっちという訳ではない。今日からは特別な相棒がいるのだ。"彼女"は色々と興味を示しては質問してくれるので、自分から会話するのが苦手ななのはでも話しやすい。

 

『マスター? あの子供たちは何をしているのですか?』

「あれはサッカーと呼ばれる球技です。世界的にも有名で、全国の強者が集まって競い合うこともあります。詳しいルールは知りませんけど……」

『ということは、あの子供たちは日々全国出場を目指して特訓を?』

『一概にそうとも言えませんね。中にはサッカー選手を夢見る子もいるでしょうが、あれは休み時間中の息抜きでしょう。いわゆる遊びです』

 

 誰もいないので、胸元から出されて外の空気に晒された紅玉の首飾り。待機状態のレイジングハート。

 彼女が喋るたびに紅玉の表面に桃色の文字が浮かび上がるので、普段は制服の内側に隠していた。けど、ずっとそうだと息が詰まると哀れんだなのはは、休み時間なら構わないかと、こうして表に出されたのである。

 レイジングハート自身、気にはしていなかったが、主の心遣いには密かに嬉しさを滲ませていた。なのはが自分を大切にしてくれているのが感じ取れたからだ。

 そして、なのはも相棒の事を気に入っている。彼女から得られる魔法の知識は興味深いものばかりだし、困った時は念話で密かに助け舟を出してくれる。特にクラスメイトとの会話を苦手とするなのはにとって、彼女の助言はとても助かるのだ。

 伊達に相性が良い二人ではない。少しずつではあるが確かな絆が芽生えていた。

 

「ごめん、なのは。お待たせ~~」

「ごめんね、なのちゃん。待ったよね?」

 

 やがて、屋上に繋がる扉を開けて、アリサとすずかの二人がやってきた。

 

 なのはは静かに立ち上がると、学校内と屋上を繋ぐ建物の上に設置された給水塔から飛び降りて、音もなく着地する。二人の親友の背後に立った形だ。

 そして後ろ手で開け放たれた扉を閉めて、そのまま寄りかかる。二人を逃がさない為ではなく、部外者が勝手に入って来ないようにする為。これから話すことは信用できる人間以外、誰にも喋ってはならないと、なのはは察していた。もちろん、魔法の事だ。

 

「うわぁっ!? あ、アンタね……いっつも神出鬼没のように、いきなり背後に立つのやめなさいってあれほど言ってるじゃない!」

「ですがアリサ。わたしが給水塔の隣を気に入っていて、其処に居るのは周知の事実でしょう? 驚く要素は何処にもないと思いますが」

「慣れの問題じゃな・い・わ・よ」

「ま、まあまあアリサちゃん。落ち着いて。昼休みも残り時間が少ないんだから、ね?」

 

 いきなり扉が閉められたので、驚いて振り向きざまにバランスを崩したアリサを、すずかが慌てて支える。

 喜怒哀楽の激しい親友は、なのはの悪い癖に腹を立てるものの、すずかによって窘(たしな)められることで、落ち着きを取り戻した。

 そう、こんなくだらないことで時間を潰してられない。だって、他人に弱みを見せず、悩み事も自分一人で抱え込んで解決しようとする親友が、相談を持ちかけてきたのだ。頼ってくれた事が、すごく嬉しいと感じると同時に、何かあったのだろうかとアリサ達は心配になっていた。

 なのはが一人で解決できないような問題だ。きっととんでもない事に違いない。

 

(家庭の問題は絶対に違うわね。まさか、恋の悩み、とか……?)

(う~ん、なのちゃんの悩みかぁ、捨てられた子猫か、子犬を拾っちゃって、引き取って欲しいのかな?)

 

 アリサもすずかも、なのはが相談したいことは何なのか考えつつ、もじもじと恥ずかしそうにしている親友の言葉を待つ。

 

「その、詳しい事は休日の茶会にでも話したいのですが……うぅ、笑わないでくださいよ?」

「笑わないよ、なのちゃんの頼みだもん」

「そうよ。いいから話して御覧なさい。どんな事でもアタシが胸を貸してやるわ」

 

 すずかは優しさに満ちた微笑みで、アリサは頼れるお姉さんといった態度で、なのはを促した。

 そんな二人の様子に、なのはは安堵したのか、意を決したようだ。ひとつ頷くと、真剣な表情で一言呟いた。

 

「実は、昨日の夜に魔法少女になりまして。それで、アリサとすずかに相談を……その、困った時は遠慮なく頼ってね、と言われたものですから」

「「えっ……?」」

 

 その爆弾発言に二人の親友は固まってしまう。ポカンとした様子で口を開いたまま、唖然としているようだ。

 なのはだって突拍子もない話だと言う事は理解している。すぐに納得してもらおうとも思っていない。もしもアリサか、すずかに魔法少女になったと告げられたら、真意を疑う。酷ければ遠回しに病院を進めるかもしれない。親友を心配して。現に彼女たちは瞬きを繰り返す。落ち着こうとしてるんだろう。

 

 だが、今回ばかりは冗談でも何でもない。身を持って願いの宝石、その恐ろしさを実感したなのはは、早期解決のためにも二人の力が必要だと感じていた。

 大人達を頼るわけにはいかない。事態を大きくしては街が混乱してしまう。秘密裏に集束させる必要があるのだ。しかし、ジュエルシードは手のひらに収まるほど小さく発見するのも一苦労だ。とてもじゃないが手が足りない。

 

 ユーノから聞くところによると、ジュエルシードに対して強く願望を抱かなければ発動はしないらしい。まあ、無差別に願いを叶えていては今頃、海鳴市は崩壊しているだろう。けど、発動しなければ発見は困難だと言う厄介な特性を備えていた。

 

 だから人出がいるのだ。幸いにしてバニングス家は大財閥。月村家も海鳴市と深いつながりを持つ由緒ある一族だ。人員を使って街に捜索網を展開してくれると発見率はグッと上昇するだろう。万が一の事態が恐ろしいが、見つけたら連絡するだけに留めて貰えれば防止策になるか?

 

 とまあ、なのはは一人でここまで考えて、実行に移すことにした。協力を得られなくても事前に知っていて貰えれば二人が巻き込まれる心配もなくなる。それも折りこみ済み。

 問題は話の切り出し方だが、魔法少女であると明かしてから話題を繋げればいいと考えて、彼女は硬直する。なのはからすると、魔法少女と言うのは恥ずかしい存在だ。フリフリの衣装を着て、可愛らしいステッキを持つ姿を想像しただけで羞恥に染まる程。

 だから、ちょっと話すのを躊躇っていたのだが、喋り始めてしまえば問題ない。

 レイジングハートを証拠に信じて貰えるよう説得を……

 

「「ええええぇぇぇ!!」」

「っ!?」

 

 しようとして耳を塞いだ。

 余りにも驚愕的すぎて、叫んでしまうくらいだったらしい。呆れられるよりは信じてくれているだろうが、説得は時間を要するだろう。

 口下手ななのはにとっては前途多難。それでも、やるしかない。

 

(う、上手くいくのでしょうか……)

『マスター、頑張ってください。私も手伝いますから』

(ありがとうレイジングハート。そうですね、頑張りましょう)

 

 なのはは、レイジングハートを握りしめて不安になる気持ちを抑えながら、まずは二人を落ち着かせようとするのだった。

 



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●ライバル登場?

 海鳴の外れに存在する高台に建てられた神社。

 その境内で一人の小柄な女性が倒れているのを発見した少女は、素早く近寄ると頬や首筋に触れて温もりを確かめた。どうやら無事に生きているようだ。少女は安堵するかのように息を吐く。

 

 少女の格好は、この辺では見られない異質なもの。滑らかな黒の生地で作られた、肌に吸い付くようなレオタード。黒の滑らかなストッキング。各部を固定する赤いベルト。薄いフリルのようなスカート。両手に装着された甲に金の三角形を持つグローブ。現代では廃れた背に纏うマント。まるでどこかの舞台の衣装のようだ。

 

 一言で言い表すのならば際どい格好とでもいうのだろう。

 

 そんな中で、異様に目立つのは右手で抱えられた黒の戦斧。柄と斧の接合部分に金の宝玉が収まった少女に似つかわしくない武器。それらと相まって少女の存在感はひとたび目にすれば、忘れられないインパクトを誇る。

 

 しかし、同性でも可愛らしいと魅了してしまうほどの、人形のような彼女の姿は精彩に欠けている。綺麗に輝くはずのツインテールに纏められた金糸の髪は痛んでいて、何日も手入れされていないのが伺えたし、袖のない衣装から露出した腕は同年代の子と比べると痩せ細っていた。目元の隈も酷く、少女は明らかに憔悴しているようだ。

 

 それでも赤い瞳に宿る強烈な意志は少しも衰える事無く、戦斧を握る右手は強い力が込められている。まさに彼女は気合と根性で。意志の力で立っている状況だった。

 そんな今にも消えてしまいそうな儚さと、あらゆる痛みに耐える強さを持ち合わせた少女が見つめるのは、石畳で舗装された道端に散らばる壊れたリード。そこから森に向かって大きな獣の足跡が続いていた。

 どうやら狙う獲物は逃げたか、隠れ潜んでいるらしい。気絶した女性を襲わなかったのは幸いと言うべきか。

 

 少しだけ女性を一瞥すると少女は獣の足跡を追って森に進んでいく。そこに一切に迷いも恐れも感じさせない。

 

「見つけた。二個目のジュエルシード。手早く狩り取るよ、バルディッシュ」

『Yes sir』

 

 やがて、少女は戦斧を展開すると金色の魔力で大鎌の刃を生成する。そして、グッと両足を踏み込むと勢いよく森の中に飛び込んで行った。怪物と化した獣が潜む、魔の森の中に。

 

「待ってて母さん。すぐに私が助けてあげるから」

 

 少女の独白は誰に聞かれることもなく、体感する風の流れにかき消された。

 

 獣の足跡は徐々に途絶えていくが問題はない。残されたもう一つの痕跡。魔力の残り香とでもいうべきものを辿れば充分に追跡は可能だ。

 

 そして、地面を草が覆っていない、木々に囲まれた平地にたどり着いた時。少女の本能とでも呼ぶべき警戒心が最大限の唸りをあげて危機を訴える。

 首筋のあたりがざわつく異様な感覚。それを感じた瞬間、少女は背後を振り向きざまにバルディッシュと呼んだ戦斧を横薙ぎにする。

 手応えは確かにあった。獲物を打ち付けた感触が手に伝わる。

 が、相手である異形の狼は、バルディッシュから伸びる光刃に触れる事無く、柄の部分に噛みつくことで受けとめていた。背後からの強襲に失敗したと理解して咄嗟に反応した結果なんだろう。

 一撃で相手を沈められなかったことに苛立ちを感じて、少女は小さく舌打ちしつつも、喰いついた獣を引き剥がすべく、生成した発射台から槍の弾丸を装填。狙いを定めてぶっ放そうとする直前で、願望石に取り込まれた狼は、口から柄を離して素早く森の中に退いていく。

 

「意外と賢い?」

『…………』

 

 可愛げがなくなり、知性の欠片もなさそうな獣の意外な行動に少女は首を傾げる。

 攻める時は攻め、退く時は退く。恐らく襲撃と撤退を繰り返すことで此方を消耗させ、弱った所を見せた瞬間に本命の一撃を繰り出すつもりなんだろう。

 バルディッシュは訴えかけるように、コアを明滅させる。元々寡黙で喋らない彼なりに、どこか爪の甘い主を心配しているのだ。

 

「うん、分かってるよバルディッシュ」

『…………』

「心配しなくても二度目はないから」

 

 二度も同じ手はくわないという少女に対し、バルディッシュはさっきよりも激しくコアを明滅させる。

 主の妹であり、姉でもある狼の使い魔が、供給される魔力不足で休眠している以上、自分がしっかり支えねばと思うのは当然のこと。

 彼の生みの親でもあるリニスと呼ばれた少女の教育係にも、しっかり世話を言いつけられている。だから、彼女を支えるのは己の命題とも言えた。

 もっとも、少女の方は、らしくない相棒の様子に微苦笑するしかない。もはや、この戦闘は終わったも同然なのだ。少女に同じ手は二度も通用しない。既に対策は済んでいた。

 

 再び先と同じ要領で飛び掛かってくる異形の狼。飼い犬だった彼は強くなろうと願い、大柄な体躯に成長し、柔らかかったであろう毛並みは硬い剛毛となる。鋭い牙や鋭利な爪は恐ろしく、白目のような眼光と相まって禍々しい姿だ。穏やかだったであろう性格は見る影もない。願望石の歪んだ解釈が狼の凶暴性を増幅させていた。

 狼の中では、今度こそ必殺の一撃を見舞うつもりだった。愚かにも相手は油断していて気を抜いている様子。先よりも素早い一撃で少女の命を刈り取ろうとする。だが、それは永遠に叶う事はない。狼の身体が空中に縫いとめられていたから。

 光り輝く帯で構成され、不可思議な文様が刻まれた輪っか。異形と化した狼の四肢を拘束するそれは、いわゆるバインドと呼ばれる捕縛魔法。少女がデバイスと話している間に設置した"対策"だ。少女に同じ手は二度も通用しない。

 

――グルルルゥ! グガァ!!

 

 口から涎をまき散らしながら、もがき暴れることで拘束を振りほどこうとする狼。力が足りないのなら、さらに与えようと願いを叶えるべく発動するジュエルシード。

 それとは対照的に気だるげで、ゆったりとした動作で狼に振り向く少女だが、デバイスは既に狼に向けられていて、彼女の魔法が発動する方が圧倒的に速かった。

 光刃を霧散させて戦斧を折りたたんだバルディッシュの先端に、柄の部分に、少女を通して紫電が迸る。母から受け継いだ雷光を統べる才能から為す一撃。その最大の威力を発揮する魔法のひとつ。

 

「願いを叶えるジュエルシード。我が轟雷を受けて眠れ!」

『Thunder Smasher』

 

 サンダースマッシャー。バルディッシュの先端から放たれた破壊力の高い砲撃魔法は、拘束された狼の身体を呑み込んで、そのままジュエルシードを封印してしまうには充分すぎる程であった。

 

◇ ◇ ◇

 

 昼休みの時間もなく、明日の休日に改めて詳しい事情を説明する。

 そうアリサとすずかに約束したなのはは、彼女達と別れた放課後の帰り道で、いつものルートを変更して別の場所に急いでいた。途中で念話によるユーノの連絡と魔力のざわめきを胸の奥で二回も感じたからだ。

 

 ジュエルシードが発動した後に海鳴りの街で誰かが魔法を行使しているとは、ユーノの談。だとすれば件の魔導師かもしれないと、なのはは焦る気持ちを抑えつつも現場に急行している。

 誰かがジュエルシードの被害に遭って、それを奪おうとしている奴がいる。そう考えると焦燥感に駆られるのも仕方ないのかもしれない。

 ユーノも家を抜け出して駆け付けているそうだ。この世界で魔法を堂々と使うには結界が必要で、結界魔導師と呼ばれる彼の出番らしい。

 何よりも件の魔導師が結界も張らずに魔法を使うものだから、隠蔽と捕縛の意味も兼ねて急いで構築せねばならないと、彼の焦った声がなのはの頭に残っている。

 本来であれば安静にしなければならない筈のユーノだが、そういった理由なら仕方がないとなのはは渋々頷くしかない。外出の言い訳は後で考えればいい。

 

 やがてたどり着いたのは、延々と続く階段で上り下りに苦労すると有名な、小高い丘に建てられた神社だ。この先の境内が発生現場らしい。

 なのはは休みもせずに、一段飛ばしで階段を駆け上ると同時に、胸元で揺れる待機状態のレイジングハートを握りしめて呟く。魔法少女として覚醒するための起動パスワードを。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。レイジングハート、セットアップです」

『all right』

『stand by ready.set up』

 

 瞬間、少女の身体は爆光に包まれて変身を終えていた。背負っていたランドセルは消え去り、右手には魔導の杖たるレイジングハートを握りしめる。身を包むのは白い衣の防護服。

 彼女の魔法少女としての姿がそこにはあった。

 

 いつもより軽くなった身体に驚きつつも、階段を三段飛ばしで駆け上がる。どうも変身すると身体能力が向上するらしかった。これは都合のいいことだ。不破として鍛えられた彼女の身体能力を遺憾なく発揮できるから。鍛錬によって蓄積した身体中に残る鈍痛を感じなくなったのも嬉しい誤算。

 油断なく杖を構えて境内に突入。ジュエルシードの怪物か、謎の魔導師どちらが出ても対応できるように警戒を怠らない。

 

「これは……」

『仔犬、ですね。それに倒れている女性は飼い主でしょうか? 命に別状はないようです』

 

 境内に居たのはどちらでもない第三者の姿だった。優しく寝かされた女性の傍に仔犬が居て、しきりに飼い主を起こそうと頬を舐めている。

 どうやら出遅れたらしい。見たところジュエルシードモンスターもいないようだし、恐らくもう一人の魔導師が封印して持ち去ったのだろう。

 なのはは少しだけ肩の力を抜いて、一応辺りを見回す。目立った異常はないが、しいていうなら森の中から焦げくさい臭いが漂ってくる事だろうか。

 

「逃げられた……?」

『なのは、聞こえる?』

『ユーノさん? 聞こえていますよ。どうかしましたか?』

『サーチャーに反応があるんだ。結界を張るから人目を気にせず周辺を探索してみてほしい。ジュエルシードが落ちてるかもしれない』

『了解です』

『僕もすぐにいく。魔力消費を抑える為にフェレットの姿だけど気にしないで』

 

 ユーノからの念話と共に、水の波が身体を通り抜けていく感覚が広がっていく。恐らくこれが結界を展開した感覚だろう。

 証拠に先程まで目の前にいた小柄な女性と仔犬の姿は影も形もない。周囲から生き物の気配が消えて、街の喧騒も聞こえてこなくなる。

 感じられる魔力の壁のような存在は、ざっと神社の周辺一帯くらいだろうか。それが結界の範囲だと容易に想像がつく。

 なのはは、まず焦げくさい臭いが何なのかを調べるべく森の中を目指して進んでいく。途中、似ているのに大きさの合わない獣の足跡を見つけたが、一瞥するだけで興味すら持たない。怪しくはあるが、警戒心が湧いてこないのだ。

 それよりも、微かだが人の気配がしていて、そちらの方に警戒心を向けていた。

 結界とは指定した対象を除外する魔法らしい。なら、そいつは指定した対象。ジュエルシードを持っていると言う事になる。まさかと思うが、件の魔導師?

 なのはは用心深く、周囲の様子を観察しながら森の中を歩いていく。五感を研ぎ澄ませ、身体は自然体に。いつ襲われても対応できるように。ガチガチに緊張していてはいざという時、竦んで動けなくなるから緊張感は適度に保つ。

 

 やがて、森の中で日が差し込んだ開けた場所にたどり着いた時、なのはは思わず立ち止まった。

 ある方向に向けて草木が薙ぎ払われ、折れた樹木の表面が焼け焦げている惨状に驚いたからではない。

 殺気、それも獣のように鋭くて冷たい感覚。うなじ、首筋、背筋にかけて通り過ぎた悪寒。なのはは己の直感に従って、その場を飛びのいた。瞬間、大地に突き刺さるのは上から降り注いだ無数の黄金の槍。立ち尽くしていたら串刺しになっていただろう。

 

「はあああぁぁぁっ!!」

 

 だが、なのはが感じた殺気は上からではない。森や茂みで覆われた奥地からだ。視線の先に見据えるのは黒い衣装を身に纏う子供。金色を風に揺らめかせながら、裂帛の気合と共に恐るべき速さで駆けてくるのと、両手で掴んだレイジングハートの柄を構えるのは同時。

 互いにかち合う、黒の戦斧と魔導の杖。襲撃者の振り降ろす一撃を受けとめたなのはは、地面を引きずりながら押されるのを踏ん張って耐えた。デバイスは主人同士の力が拮抗しているのか、震えが伝わって小刻みに揺れる。

 むしろ、なのはの方が押し返しているのかもしれない。大地に足を付けたままのなのはと、宙に浮いたままの少女では込められる力に差が出る。相手が見るからに痩せ衰え、疲れ切っているのもあるだろう。

 もっとも相手はそんなこと微塵も感じさせないような気迫を帯びていた。まるで追いつめられた獣のようで、、なのはは戸惑いを隠せない。黒衣の少女が襲ってくる理由も分からないから余計に。

 

「貴女は誰ですかっ!? どうしてこんなことをっ、くっ!」

 

 なのはの問い掛けにも応じる気配すらなく、彼女は問答無用と言わんばかりに、後方倒立回転とびの要領で顎先を蹴りあげてきた。

 咄嗟に上半身を後ろに捻ることで、紙一重で避けることに成功したが、その隙に黒衣の少女は天高く舞い上がっていく。反撃で杖による痛撃を繰り出そうとしたなのはは、たたらを踏んでしまった。空に逃げられてはどうしようもない。

 ならば撃ち落とすまで。咄嗟にレイジングハートを構えると、相棒である彼女は制止の声をあげた。

 

「どうしましたレイジングハート? 今忙しいのですが」

『マスター。この距離で撃っても当たる確率はゼロに等しいです。ですから追いかけましょう?』

「えっ……?」

 

 唖然とした様子で、ぽかんと口を開けてしまうなのは。レイジングハートは今なんて言った? 追いかける? つまりそれは、なのはに空を飛べという事だろうか?

 人が自らの力で空を飛ぶことは不可能。だからこそ、人類は飛行機やヘリコプターを造ることで鳥のような自由に飛べる翼の代わりにした。そんな個人の力で出来ないことをレイジングハートはやろうと勧める。常識外れも良い所だ。

 

「いや、でも、空なんて……」

「大丈夫ですよマスター、私が支えます。忘れたのですか? 私は祈願型デバイス。貴女の願いを魔法の力で叶えることができます」

 

 空を飛ぶという未知の領域に困惑して、怯えるなのは。

 でも、彼女を励ますレイジングハートの暖かくて優しい声が、なのはの胸に染み渡り、徐々に落ち着かせていく。

 そうだ。何を怯える必要がある。今の私には魔法という力がある。何よりも、現に黒衣の少女は平然と空を自由に駆けているのだ。あの子に出来て、私に出来ない筈がない。そんな考えがなのはの心を占めていく。

 

「そうですねレイジングハート。私にも、やればできますよね?」

『ええ、もちろんです。貴女は最初の時だって魔法を上手く使えたじゃないですか。ですから、いつも通り強く願えばいいのです。空を、自由に飛びたいと』

「――はい!」

 

 両足に力を込める。頭の中で考え、心の中で願う。空を飛びたい、あの子を追いかける力が欲しいと。どこか戸惑いを含んだ想いは、レイジングハートの力となって、ひとつの魔法を具現化させる。

 

『Flier fin.』

 

 学校のような上履きを連想させる、金の金具が装飾された純白の靴。防護服を展開した時に履いているなのはの靴は、その踵の部分から一対の翼を生やしていた。桃色に光り輝く綺麗な天使の羽。それが両の足から展開されている。

 新たな魔法に驚きつつも、思い切って飛び上がってみると、なのはの身体は徐々に空へと浮かんでいく。自分が飛んでいるという驚きの光景。だが、ちゃんと空を飛べているという事実は、段々と強い自信に変わり、レイジングハートに更なる力を与えて魔法の効果も高まる。

 ふふ、という微かな笑みを浮かべながら地上を眺めたなのはは、少しずつ上昇速度を加速させながら上を振り向いて固まった。

 一目見ただけでは数え切れないほどの無数の金色の槍が、なのは目掛けて飛来していたからだ。

 

「うっ、避け、でも、空でどうやって……」

『Wide area Protection』

 

 まだ飛行する感覚に馴染んでいないなのはは、どうすれば良いのか分からず、咄嗟に両腕で顔を庇う。

 そんな彼女をサポートするかのように、レイジングハートは広域防御の障壁を展開すると、向かってくる槍の群れを全て弾き落とした。支えるといった手前、主人を全力で助けるのがデバイスの務めだ。

 

「あ、ありがとうレイジングハート」

『いいえ、気になさらず。空を飛ぶコツはイメージです。身体を思うように動かすのではなく、どのように飛びたいのか頭の中で思い浮かべると上手に飛べますよ』

「はい、やってみます!」

 

 レイジングハートのアドバイス通りに空を飛ぶ。するとどうだろう。なのはは水を得た魚のように、空という空間に適応していく。まだまだ粗削りな部分はあるが、素人にしては見事な回避機動で、はるか上空に待ち構える黒衣の少女との距離を詰めて行った。

 時折向かってくる金色の槍。フォトンランサーによる迎撃も防御から、回避に変わって、段々と最小限の動きで、かわすようになった。

 伊達にユーノが魔法に関して天才と評したわけではない。彼女の適応力は群を抜いているのだ。慣れてしまえば新しい魔法を造作もなく使いこなす。

 

「っ、はぁはぁ……」

 

 それを黒衣の少女は苦しげに呻きながら、忌々しそうに見つめていた。ジュエルシードを封印した際に魔力を消耗したせいで、いつもより術式のキレが鈍いのだ。

 封印魔法というのは膨大な魔力を使う。対象を無理やり押さえつけるに等しい行為だからだ。その影響がここに来て顕著に表れていた。

 

 本来であれば先の奇襲で決着を付けるつもりだった。一撃の名のもとに意識を刈り取って結界を解除することで逃走する手筈が、予想外の抵抗で上手くいかない。

 魔法の使い方はデバイスにフォローされてばかりの素人の癖に、こと近接白兵戦において白い魔導師の子は侮れない実力を持っていた。

 奇襲に対する咄嗟の判断力。死角からの蹴り上げによる不意打ちを避ける勘の良さ。反撃に転じた時の見事な棒術の構え。どれをとっても自分では格闘戦において、相手の子に及ばないだろう。

 そう感じたからこその遠距離攻撃。砲撃魔法は消耗が激しい。だから、十八番であるフォトンランサーで上空から一方的に攻撃することを選択。弱った所を強襲して今度こそ意識を奪う予定だったのに。あろうことか、相手は空の領域にまで手を出すに至っていた。

 

 これでは遠距離攻撃の独壇場から仕切り直されてしまう。

 

 どうして世界は理不尽な事ばかりなんだと、黒衣の少女は歯噛みする。もう、時間はあまり残されていたいというのに。ここで捕まれば一途の望みすら絶たれてしまう。それだけは絶対に避けねばならない。必ず勝利を掴み、この場を逃げる。そして、ジュエルシードを手にして願いを叶えて貰うのだ。

 その為にも負けるわけにはいかない!

 

「バルディッシュ……!」

『Scythe form Setup.』

 

 唯一の安全かつ完全な勝利への道筋。それは白い魔導師の子に空戦機動を挑むこと。

 黒衣の少女がもっとも得意とする魔法分野。特に速度の面において誰にも負けない自信がある。魔法の師であり、姉であるリニスも褒めてくれた。

 向かってくる女の子は確かに、"飛ぶことに関しては素晴らしい"と言えるだろう。黒衣の少女も初めてにしては上出来だと、素直に褒め称えたいくらいだ。自分でも最初は上手くいかなかったのだから。

 でも、それだけだ。移動するには便利だろうが、完全な空中戦についてくるには技術や経験が不足している。空戦は圧倒的な機動性についてこれる動体視力。全方位、何処からでも飛んでくるかもしれない攻撃を避ける勘の良さ。何よりも場数を熟さなければならない。人は生まれてから空を飛ぶことなど出来ないからだ。魔導師として覚醒して、空を飛ぶ感覚を掴むまで慣れを必要とする。

 あの子には、それが欠けている。だからこそ付け入る隙も多い。戦斧から金色に輝く光刃を展開した少女は、大きくデバイスを振るう。

 

「アークセイバー!!」

『Arc Saber.』

 

 すると先端から分離した光刃は、大きな円形を描くように回転して飛んでいく。襲い掛かる相手はもちろん白い魔導師の子。

 再度、黒の戦斧から光の鎌を展開した黒衣の少女は、デバイスを振りかぶるように、腰のあたりで構えると。新たな攻撃に驚いているなのは目掛けて突っ込んだ。

 

 黒衣の少女が繰り出してきた新たな攻撃。一見すると先に放ってきたフォトンランサーよりも弾速が遅く、ゆっくりとした動作で向かってくる巨大な円月輪のような刃。

 なのはは嫌な予感がして大げさな程の回避機動を取った。攻撃との軸線をずらすように真横に逸れたのだ。せっかく縮めていた距離が開けてしまうかもしれないが、油断から大怪我するよりはマシだ。なのはの勘は良く当たるのだから。

 しかし、光の刃は射線から逸れたなのはを追いかけるように、徐々に軌道修正を行ってくる。厄介なことに追尾誘導タイプらしい。

 

「っ、レイジングハート。シールドを!」

『分かりました。マスター』

 

 こうなったら埒が明かないと、仕方なく防御を選択した彼女は、念には念を込めてプロテクションよりも堅いシールドの防御魔法を展開する。相手の魔法が、どの程度の攻撃力を持っているのか分からないからだ。

 左手で杖を握りしめながら、開いた右の掌から生成される桃色の幾学模様が描かれた円形の盾。一方向からしか防げないが、防御魔法の中でも性能は一番高い。砲撃すら防げる可能性を秘めている。

 

 そして二つの魔法はぶつかり合う。迫りくる光刃とシールドが干渉し合い、二つの術式に込められた魔力が勢いよく減っていく。

 アークセイバーと呼ばれた魔法の攻撃力はそうでもなかったが、何処までも厄介な性質を秘めていたらしい。シールドに喰らいついて離れないのだ。防御を抜ける程ではないが、かといってシールドを消すわけにもいかない。魔法の効力が消えるまで待つしかない。

 

――ギリッ

 

 なのはは相手の意図を見ぬいて歯噛みした。成程と思う。足止めには最適の魔法だと。

 ならば、次に行われるのは本命の一撃だ。砲撃か、近接戦による一撃か。なのはは警戒して杖を構える。しかし、黒衣の少女がいるであろう上空には、既に姿がなかった。ならば後ろかと振り向いてみても相手の姿がない。

 

(逃げられた? そんなはずは)

 

 先の攻撃が足止めだったのならば、逃げる可能性も少なくないが、そんな事はないのだ。ユーノとレイジングハートが魔法について講師してくれた時。結界魔法のことを教わったのだが、並大抵の攻撃では破れないらしい。打ち破るには足を止めて魔力を溜めなければならない程の攻撃魔法が必要となる。

 そんなことをすれば、魔法に素人のなのはでもすぐに気が付く。だから、相手は攻撃するか身を潜めるかの選択しかない訳だが、今更隠れるメリットが考えられない。必然的に相手の考えは攻撃するしかないと判断できる。

 

『マスター!!』

 

 そこまで一瞬のうちに高速思考したなのはの意識を、レイジングハートの叫び声が呼び戻した。

 途端に感じるのは悪寒にも似たぞくりとするような感覚。先程まで感じていた嫌な予感は消えていなかった。なのはの勘はアークセイバーによる攻撃を警告していたのではない。ならば何を?

 冷や汗を掻きながら、下を見下ろす。戦斧の大鎌を振りかぶりながら迫りくる黒衣の死神。風に揺れる金色の髪、なのはを捉えて離さない紅い瞳、人形のような綺麗な顔立ち。なのは以上に無表情な彼女からは、何も感情を読み取ることができない。

 全ての情景がスローモーションで見えた。ゆっくりと迫りくる黒衣の少女に反して、繰り出される斬撃は早く見える。それほどまでに攻撃速度に優れた一撃なんだろう。

 なのはが捉える攻撃の狙う先は足。スカートに覆い隠されていない部分。足首よりも上にあるアキレス腱のあたり。

 光の筋がなのはの足を両断するかのように走った。光刃が肌を、筋肉を、骨をすり抜けて切り払っているというのに、不思議と痛みは感じない。

 下から迫りくる黒衣の少女が、身体を横に一回転させながら斬撃を放ち、上空へと離脱するまでの、遥か一瞬の出来事。

 それが終わった時。なのはは苦悶の声と共に熱い吐息を吐きだした。

 

「ぐあっ、くぅぅっ!」

 

 今まで感じたこともない痛みに叫び出しそうになるのを、歯を喰いしばって必死で堪える。無駄な酸素を吐きだすわけにはいかない。

 どうやら体感時間が元に戻ると同時に、痛覚を初めとした五感が正常に戻ったらしい。足が痺れているのに、痛みは感じるという訳の分からない感覚。鋭い痛みと、焼けつくような痛みが同時に襲い来る激痛。同い年の子供なら泣き叫んでもおかしくない。

 それでも、なのはは上空からの追撃を掛けようとする黒衣の少女に対して身構えて。異変に気が付いた。高度が段々と下がっているのだ。おまけに飛行制御が上手くできない。なのはは飛ぶことができなくなっていた。

 

(これ、は、いったい……?)

 

 なのはが黒衣の少女が行った攻撃を知ったら、舌を巻くかもしれれない。それ程までに的確な一撃だったのだから。

 人は上からの襲撃にもっとも弱い。普段、道を歩いていて真上から物が落ちてきたら対応できずに頭に直撃する。何せ死角なのだから。それでも、警戒していればある程度の対処は出来るだろう。すくなくとも地上においてはそうだ。

 ならばもっとも恐ろしいのは真下からの奇襲。少なくとも地を歩く人々にとって、地面から攻撃されるなど、考えもつかないようなことだろう。

 だが、なのはがいたのは空という空間だ。全方位から攻撃を受ける可能性を秘めた場所。空に不慣れな少女は、当然。真下に対する警戒心など持つべくもない。しかも、相手は遥か上空に居たのだ。反対方向に対する警戒など微塵もなかった。

 黒衣の少女はそれを見越して、意識の外の死角を突いた。空を飛び始めた初心者が警戒を怠ると知っていて。アークセイバーの攻撃を目暗ましに、なのはの足元に高速移動で回り込んだ。

 そして、狙ったのはもっとも防御が薄い足首あたりの部分。防護服で覆われていない、素肌を晒していたウィークポイント。しかし、これはついでに過ぎなかった。なかには見た目に反して全方位を防護している魔導師もいるからだ。

 本命は飛行制御を奪う事だった。足首に展開された桃色の輝く光の翼を奪う事。電気の属性を帯びた斬撃で切り払い、痺れさせると同時に痛みも与えることで集中力を奪う。ついでに術式に供給される魔力も遮断する。

 案の定、なのははフライヤーフィンの制御ができなくなり、落下していた。

 

『……っ!』

 

 レイジングハートも必死に術式を制御して、せめて落下するのを止めようとするのだが、いかんせん状況は悪い。一切喋ろうとしない彼女の態度がそれを示していた。

 なのはも、痛む足を押さえながら、何とかしようと魔力の供給を多くしてみたりするのだが、一向に状況は好転しない。

 せめて主の怪我を最小限に留めようと、レイジングハートはフローターフィールドをセット。三段重ねで使用することで、落下するなのはの身体を受けとめる。そうすれば最悪の事態にならずに済む。

 

「これで終わりだよ!」

 

 もっとも、黒衣の少女も黙って状況を見ている訳ではない。止めの一撃を繰り出すために、戦斧を大きく振りかぶって突撃する。すれ違いざまに斬ることで意識を奪うつもりなのだろう。

 

「くっ……」

 

 せめてもの抵抗。ディバインシューターを生成しては向かってくる黒衣の少女に狙いを定めてぶっ放す。制御も甘く、がむしゃらな誘導魔法。当然、当たる筈もなくちょっとした足止め程度にしかなっていない。

 一発向かって来ようが、二、三発向かって来ようが大した脅威にもならず、黒衣の少女は的確に迎撃を掻い潜ると、なのは目掛けて確実に距離を縮めて来ていた。

 やられる! そう覚悟してなのはが目を瞑った時。

 

「ごめん、なのは。駆け付けるのが遅くなった」

 

 ふんわりと、なのはの身体は抱えられていた。瞼を開けば目の前には申し訳なさそうなユーノの顔。

 どうやら落下するなのはを受けとめてくれたらしい。いわゆるお姫様抱っこという体勢なのだが、今は恥ずかしさよりも安堵の方が勝る。ユーノが助けに来てくれたことが素直に嬉しかった。そして、あまり役に立てずに足手まといになった自分が悔しかった。

 

「ユーノさん。わたし……」

「いいんだ。今はゆっくり休んで」

 

 不甲斐ない自分に苦悩するなのはに優しく微笑んだユーノは、彼女を手近な地面の上に降ろすと、しゃがみ込んで素早く印を結び魔法を唱える。防御と回復の結界魔法。ラウンドガーダー・エクステンド。淡い緑の幾学模様と半透明の膜に包まれたなのはは、暖かな光の感触に目を細めた。足首のあたりから響く痛みが徐々に引いていく。とても心地よくて安らぎを感じてしまう光。

 

「防御と回復の結界魔法。ここから出ちゃダメだよ。効果が切れてしまうからね」

「はい。ユーノさんは? まさか……」

 

 なのはが狼狽える様子を見せる。それも無理はない。目の前の少年は戦う決意をしていたから。

 これまでの経緯を聞いても、ユーノは戦闘行為を苦手とする。でなければジュエルシードの暴走体に後れを取ったりしないはずだ。

 はっきり言って、黒衣の少女はなのはよりも強い。実際に戦ったからこそ、なのはには分かる。魔導師として戦う以上、今の自分では万に一つも勝ち目はない。だからこそユーノを戦わせるわけにはいかないと焦る。こんなこと言いたくはないが、ユーノがやられてしまう所を、なのはは見たくない。

 

 だが、それは杞憂なこと。なのははひとつ勘違いをしていた。

 

「なのははそこで休んでて」

 

 確かにユーノ・スクライアは戦闘能力が低い。けれども決して弱いという訳ではないのだ。ユーノは攻撃魔法に適性がないだけで、他の魔法はハイレベルと言っていい程に高い。

 相手を倒すと言う事に限定しなければ、魔法の技術は指折りの実力者である。伊達に若干9歳で発掘責任者を任されていない。

 遺跡の発掘や遺失物の探索を行う過程で、違法魔導師や原生生物と争いになる事も少なくない。ユーノはその度に、困難を乗り越えて経験を積んできた。相手を確実に捕縛することで間接的に無力化する。封印・捕獲のエキスパートなのだ。

 

「後は僕がやる」

 

 不安がるなのはを安心させるような力強い声。その宣言と共に上空を睨み付けるように見据えるユーノ。彼の視線の先には強烈な敵意を抱いた少女の姿があった。

 



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●片鱗

 新手として現れた二人目の魔導師に黒衣の少女は警戒心を剥き出しにしていた。そして勘付いた。結界を張ったのは白い魔導師の方ではなく、民族衣装の少年の方だと。

 白い魔導師を助ける為に、少年の展開した高等防御と回復の結界。そこから感じ取れる魔力の波長と、辺り一帯を覆う封鎖結界の魔力の波長は同質の物。つまり術者である少年を倒すことができれば、逃げることも可能だということだ。しかし、並大抵のことではないだろう。

 首筋から感じるピリピリとした嫌な感じ。このまま踏み込めば危険だという本能が訴えかける警告。うかつに飛び込んだら容易にやられてしまうと、少女の勘は告げていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

『Please do not strain yourself. Sir』

「大丈夫だよ……バルディッシュ、私はまだやれる……」

 

 休みがてら相手の様子を伺う。もう、こうして空を飛んでいるのも辛いのだ。心配そうに声を掛けてくるバルディッシュ、それに応じる少女の声は弱々しい。

 ユーノと呼ばれた少年が注意深く此方を観察しながら接近してくる。飛翔する速度は大したものでもなく、空戦機動も黒衣の少女が上回るのは容易に想像がつく。なのに、優位なアドバンテージがある筈なのに、嫌な予感はちっとも消えなかった。

 バルディッシュを身構える。展開する魔力の刃はアークセイバー。相手がどのように動いても、全て断ち斬ってやろうと万全の姿勢で挑む。何をするつもりなのか知らないが、少女に接近してくるユーノは無防備。少なくともすぐさま攻撃を仕掛ける気配はない。

 少女にとっては好都合。勘付かれるかもしれないが、バルディッシュに小声で命じて周辺魔力の吸収を促進させる。今の内に身体を休め、少しでも魔力を回復させたい。激しい空戦機動を行わない限り、消耗も抑えられるだろう。辛くても"アレ"を使う訳にはいかない。

 ユーノが多少の距離を取って、同じ高度で止(とど)まった。デバイスを振っても届かない、フォトンランサーを放ってもギリギリで防げるような。そんな距離。

 

「まずは自己紹介と行こうか。僕はユーノ・スクライア。キミの名前は?」

「……」

「どうしてこんな真似をするの?」

「…………」

 

 少女が問い掛けに答えるつもりは一切ない。彼女は頭が良いとも言えないし、嘘が苦手なことは充分承知している。だから、下手なことは言わずにだんまりを決め込むことにしたのだ。だというのに、目の前の少年は不快感も表情に出さず、淡々と喋り続ける。その瞳は少女の一挙一動を見逃すまいと鋭く、まるで観察されているようだ。

 

「まあ、最初から答えなんて期待して無いけどね。じゃなきゃ、なのはを襲ったりせず話し合いに応じただろうから」

「………………」

「ところでキミ、ジュエルシード持ってるよね?」

「っ! なん、で――」

 

 息を呑む。紡がれようとした言葉を慌てて呑み込む。何も漏らさぬように下唇を痛いほどに噛み締める。

 少女は大丈夫と心の内で念じながら、キッとユーノを睨み付けた。相手はかまかけただけで核心には至ってないはず。

 だが、黒衣の少女の態度は願望機の宝石を所持していると肯定しているようなものだ。ユーノにはそれで充分すぎる。そう、戦う理由としては充分すぎるほどに。彼は確信しているような態度で喋り続ける。

 

「あれは危険なモノなんだ。安全の為にも返してくれないかな?」

「誰が渡すもんかっ! 私にはジュエルシードしかないんだから!!」

 

 焦った少女は自分がボロを出していることも気づかない。それほどまでに動揺していた。

 悪いことをしている自覚はあって誰かに叱られることを恐れている。けど、縋(すが)りたい最後の希望を奪われることに怯え、大切なモノを取られまいと激高している自分もいる。いろんな感情がごちゃ混ぜになって混乱してしまう。

 少女が爆発的な加速力で接近して、閃光の鎌で襲い掛かる。しかし、少女の渾身の一撃はユーノの厚い防壁の前に、シールド魔法に阻まれていた。ユーノの表情はいたって冷静で、少しも驚いた様子はない。恐らく前もって奇襲に対する心構えをしていたのだろう。

 

『Please settle down. Sir!』

「はああああぁぁぁぁ!!」

 

 異なる魔力が干渉し合って、光の粒子を撒き散らす。

 焦ってはいけない、頭を冷やして冷静になって欲しいとバルディッシュが必死に呼びかけても、黒衣の少女は止まることを知らない。

 頭に浮かぶのは余命わずかな母の顔。母の残り少ない時間を伸ばすために自ら消えて行った母代りの猫の使い魔。そして、黒衣の少女に負担を掛けない為に眠り続ける、姉妹のような狼の使い魔の、微笑むような寝顔。

 それらが少女を焦らせ駆り立てる。早く事を終えて皆を助けないといけない。願いを叶える宝石に全てを託し、幸せな未来を掴み取る為に。記憶に強く刻み込まれた少女の名を優しく呼びかける母に、もう一度笑ってほしいから。

 彼女は戦い続ける。それしか術を知らないかのように。

 

「チェーン」

 

 静かに呟くユーノの声。

 心臓が強く鼓動を打って、身体が硬直する。肌が鳥肌立つような悪寒。それを振り切るように少女が一旦ユーノから距離を取ると、周辺の空間に展開された魔法陣から鎖が伸びて少女を捉えようとする。危ない。一歩遅れていれば鎖でがらん締めにされていた。

 しかし、それで終わったわけではない。絡みつく相手の魔力を払うようにロールしながら避けると、今までいた場所にリングバインドが発動していた。嫌な感じはまだ消えない。その場を素早く飛び退けば設置型のディレイドバインドが遅れて発動する。

 

 嫌な予感の正体は空間一帯に設置・展開された数々の拘束魔法のだったのだ。あの少年、ユーノは辺り一帯を覆う程の結界を行使できる使い手。恐らく補助や回復に特化した後衛型の魔導師だと少女は推察する。なら、戦闘能力も大したことではない。

 だというのに致命的な一撃を与える隙はまったくなかった。足を止めれば強度の高い拘束魔法が瞬時に絡め取ろうとして来るのだ。かといって移動しながらの攻撃では威力も低く、堅い防御陣の前に無効化される。

 空戦機動の合間にフォトンランサーを撃ちこんでもあっけなく防がれたから証明済みだ。

 

 砲撃魔法はどうしても動きが止まる。だから接近戦しかない。少女を拘束しようとする魔法の合間を縫って奴に近づき、強烈な一閃を繰り出して意識を奪う。それだけで全てが終わる。

 

 緑の鎖が蛇のようにうねりながら、少女を捕らえようと青空を縦横無尽に駆け回る。それも一本や二本ではない。十数はありそうな鎖の数々が、少女を追いつめてくる。素直に追いかけてくる鎖もあれば、行く手を阻もうと鎖の横腹で進路を遮る物。死角を鋭く突いて、絡みつこうとする物まで多種多様だ。

 そのたびに少女は避けた。自慢の加速力とトップスピードで振り切り、見事なマニューバで不意打ちをやり過ごす。身体を丸めて後ろに流れるように急減速。鎖を追い越させたかと思えば、鋭く鮮やかな宙返りで鎖をからぶらせることもある。

 時折、思い出したかのようにリングバインドがいきなり発動して、少女を捕らえようとする。或いは設置型のディレイドバインドが空中機動の一瞬の硬直を狙ったかのように発動する。それらを無理やり振り払う。

 

 ユーノは冷静に対処して来る厄介な相手だった。その場に止まりながら演奏の指揮者のように腕を振るって全ての魔法を操る。その瞳はずっと少女を捉えて離さない。

 足元のミッドチルダ式円形魔法陣はずっと輝いたまま。戦いが始まってから魔法の効力は切れていない。恐るべき持続力だった。

 これだけの魔法を操りながら息切れもせず、集中力も維持した状態。少女程ではないが彼も膨大な魔力を身に秘めているのか、それとも顔に出さないだけで本当は苦しいのか分からない。その顔はずっと冷静さを保っている。焦りを見せる少女とは正反対。

 かなり癪に障るので、嫌がらせにバリアに噛みつく特性を持つアークセイバーで攻撃を仕掛ければ、涼しい顔で飛来する大鎌の光刃を防ぎきる。もちろん挑発ではなく意図してやった攻撃なのに効果は少しもない。

 集中力を乱してやろうと思ったのだ。数えるだけでも鎖型のチェーンバインド、基本形のリングバインド、設置タイプのディレイドバインド、宙に浮かび続けるための足場、フローターフィールド。異なる四つの魔法、それらが常時発動しっぱなしの状態。操作、維持し続けるのは並大抵のことではない。

 恐らくマルチタスクを活用して分割する思考で、異なる魔法を並列操作しているのだろうが。少女を的確に捉える魔法を操る処理速度は尋常ではない。

 一瞬でも気を散らせば、持続する魔法の効果はたちまち霧散してしまうだろう。

 だからそれを狙った一撃だというのに、少しも効力が見られない。無駄な徒労に終わっただけ。

 

「うぁ……」

『Please regain consciousness. Sir!』

「はっ!?」

 

 霞む視界、ぼやける思考。バルディッシュの呼びかけで何とか意識を取り戻す。無意識に迫りくる捕縛魔法の数々を寸での所で回避。

 高速機動によるマニューバの負担は魔法によって軽減されているものの、一切掛からない訳ではない。少女の気力、体力、魔力は限界に近づいていた。

 早く、決着を付けなないとマズイ。短期決戦に持ち込むはずが、思わぬ長期戦に陥っている。次で決めなければ…………

 

 勢い良くしなるチェーンバインド。迫りくるそれらを従えながらも、黒衣の少女は弧を描きながら急上昇する。ユーノに対して遥か頭上を陣取った形だ。ここから重力を味方に付けて一気にトップスピードを得る。そしてすれ違いざまに神速の一撃を叩き込むのだ。

 下手な攻撃が防がれてしまうなら、防御の反応も出来ないほどの攻撃を繰り出せばいい。現状、それしか打破する方法は考えられなかった。

 

「バルディッシュ……」

『……Yes sir! Scythe form. Setup!』

「ありがとね」

 

 いつも寡黙な戦斧。己の掛け替えのない相棒。バルディッシュはたった一言の呟きで察してくれたのか、サイスフォームを展開してくれた。

 自分には勿体ないくらい良い子だと黒衣の少女は思う。これから行おうとする無茶に付き合ってくれるばかりか、支えて貰ってまでいるのだから。

 目指す敵はただ一人。眼下に佇む結界魔導師の少年。最初にして最後の渾身の必殺を叩き込む!

 

「――――でやあああぁぁぁ!!」

 

 自らを奮い立たせる気合の叫びと共に、まるで落雷の如く上空から急襲を仕掛ける黒衣の少女。手にした死神の鎌を振りかぶり、交差する瞬間に痛打を繰り出す為。その一瞬を見極めようと集中する。

 ユーノも気が付いているのかチェーンバインドを中心に少女を迎撃しようと魔法を操作する。しかし、少女の方が上手だった。紙一重という表現が相応しいほどに、迎撃の合間をギリギリですり抜ける。鞭のようにしなる鎖の一撃も背面飛びのように避ける。防護服のマントが破れ、レオタードの背中の部分を擦ったが気にしている暇はない。

 もはや標的は目の前にいるのだ。少女を止めるすべなどなかった。慌てたような素振りで防御しようと、高速で魔法の印を結ぶユーノ。

 遅い、遅すぎる。バルディッシュと少女の必殺の方が速い。

 

――とった!

 

 黒衣の少女が確信を持って一撃必殺の一閃を放とうとした時、それは起きた。

 

「封縛陣」

 

 少年の静かな呟き。

 ユーノが展開する全てのバインド系魔法が消え失せ、フローターフィールドの円形魔法陣が広がったかと思うと、そこから伸びた無数の鎖が少女を足止めしてくる。鎖を身体に絡みつかせながらも繰り出す一閃は、後ろに飛び退いた少年の防護服の胸あたり。その表面を切り裂くだけに終わった。

 いや、まだ終わりじゃない。黒衣の少女は二撃目を繰り出そうとジャケットをパージ。とっさに繰り出された捕縛の術式はそれだけで粉々に砕け散った。すぐに防護服を再構成する。だが、少女に出来た抵抗はそこまで。

 足を止めてしまった時点で勝負はついていたのだ。

 

「広がれ、戒めの鎖」

 

 ユーノの両手から円形の幾学模様が描かれた魔法陣が展開。そこから強固に構築された緑光の鎖が伸びてくる。先のチェーンバインドや封縛陣の比ではない。恐るべき強度を誇るであろう鎖だ。練り込まれた魔力の量も半端ではない。

 それが一瞬にして少女の身体に巻き付いた。拘束を逃れたデバイスを握っていない手で引き千切ろうとしても、ビクともしない。

 

「捕らえて固めろ、封鎖の檻」

 

 さらに拘束を完璧にするべく、少女の周辺に広がっていた鎖が一斉に収束すると、黒衣の少女はがらん締めにされてしまう。

 

「アレスターチェーン!」

 

 最後のキーワード。それでユーノ最強の拘束魔法は此処に完成する。今までより何倍も太く強靭な鎖によって捕らえられた少女の姿は、空中に張りつけにされた罪人のようだ。

 

「ぐ、くっ、こんなもの」

「無駄だよ。高位の違法魔導師や強力な原生生物である竜種を捕獲するために使う、最高位の捕縛魔法だ。滅多なことじゃないかぎり自力で解けない。諦めて降参してくれないかな?」

「誰がっ……!」

「認めなよ。君は――」

 

――負けたんだ

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノの戦いはすごかった。素人のなのはから見てもわかるくらい、魔法の使い方が巧いのだ。的確な状況判断と、取捨選択された最適な魔法によって、相手を圧倒できるほどに。

 ごり押しのように力づくで相手を制するのではなく、確かな技を持って相手に挑み、隙あらば弱点を付く。かわせるものは必要最低限に避け、防げるものはきっちり防ぐ。恐らく格上の相手にだって引けを取らないんじゃないだろうか。 

 暖かな光が降り注ぐ、半透明の緑の膜と幾学模様の魔法陣に包まれたなのはは、遥か上空の戦いを眺めてそう思う。

 

 それに、不謹慎かもしれないがその光景は幻想的なまでに美しくて、一瞬だけ危険な闘いをしているという自覚が薄れるほどに見惚れてしまった。

 ユーノの操るチェーンバインドが淡い緑の軌跡を、空を舞う黒衣の少女が金色の軌跡を、青空のキャンパスに描く光景。まるで儚く散る流星を描いた絵画のようだったから。

 そんな感傷に浸っていたなのはだが、また全身に悪寒のような、嫌な予感を感じて。その傷ついた身体をビクリと跳ねあげた。

 何か、とてつもなく恐ろしい事が起きようとしてるんじゃないか。理由もなくそんな焦燥感に駆られた彼女は、傷の治りきっていない足で立ち上がろうとして転んだ。

 

『マスター、ご自愛を! まだ怪我が痛むのでしょう』

 

 レイジングハートが無茶をしようとするなのはをたしなめる。

 まだ、怪我が治りきっていない。足に残る痺れは彼女の動きを阻害する。普通に歩くことすら儘(まま)ならないはずだ。

 それでもなのはは這ってでも動こうとしていた。徐々に結界の外へ出ようとする。

 

「っっ、レイジングハート、手伝ってくれませんか?」

『マスター?』

「このままでは危険なことが起こるかもしれない。だから、万が一に備えるための、準備を、くっ、うぅ……」

『ですが……』

 

 また立ち上がろうとして転ぶ。そして這ってでも動く。幾度となく繰り返しながら、ようやく結界の外に出た。

 対象が効果範囲外に出たことで役目を失った結界兼、回復魔法は、空間に溶けるよう霧散して消えていく。

 ユーノには申し訳ないが、これも最悪の事態を避けるための非情処置と思って、なのはは割り切ることにした。結界の中で易々と安寧を享受していては何もできないから。

 

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」

 

 手近な木に寄りかかって休む。

 ちょっとした距離を動いただけなのに息は荒く。汗はとどまる事を知らない。身体が異様に熱くて、鉛みたいに重くなったかのよう。

 なのはは自分の不甲斐なさを忌々しく思った。ユーノに手伝わせてほしいと無理に願ったくせに、全然役に立てず、あまつさえ足を引っ張っている状況。なのはとしては絶対に許せないことだ。力及ばずとも、せめて何かの役に立ちたい。

 じゃないと自分は何のために力を得たのか分からなくなる。嫌々ながら不破の技を学んだ努力が無意味になる。そんなのは嫌だ。

 もしかしたら捨てられるかもしれない。父がなのはに不破の技を教えているのは、きっと新しい復讐の道具が欲しいからに違いないのだ。なら役立たずはいらないと捨てるのは道理。彼の性格からして躊躇いはしないだろう。

 ユーノはどうだろう。責任感の強い彼のことだ。やっぱり、なのはを巻き込むわけにはいかないと、危険な目に合わせたくないと姿を消すかもしれない。

 

 そしたら独りぼっちになる。独りぼっちになるのは嫌だ。

 

 自らの恐れる最悪の未来。そこから来る役立たずはいらないという強迫観念。それがなのはを突き動かしていた。

 

『それでマスターはどうなさるおつもりですか?』

 

 レイジングハートの静かな問い掛けに驚いて顔をあげる。いつのまにか心の内に捕らわれていたようだ。

 これではいけないと、なのはは自らを律する。こんな事では上手くいくことも失敗する。

 とりあえず、なのはは思いつく限り、不測の事態に対する対処法を述べる。

 

「なにか、魔法で援護の準備を」

『魔法の使用はお勧めできません。その怪我では空を飛ぶことすら出来ませんよ?』

「なら、射撃魔法で――」

『無理です。ディバインシューターのような射撃魔法では、あの高度まで届きません。第一、あの魔導師の強さなら牽制にすらならないでしょう。それはマスターがよく御存じのはず』

「じゃあどうすればいいんですか……」

『…………』

 

 沈黙が舞い降りた。

 なのはは嫌な予感と不安感に苛まれながら、どうしていのか分からず俯く。

 レイジングハートは考え込んだかのように喋らない。

 そうして十数秒の間に何分にも感じられる程の体感時間が流れた時。

 

『はぁ……仕方ありませんね。怪我した状態でマスターには使わせたくなかったのですが』

「レイジングハート?」

『ひとつだけ方法があります。貴女には多大な負荷を生じるかも知れま――』

「本当ですかっ!? なら、その方法を教えてください!!」

 

 レイジングハートの言葉を遮ってまで問い詰めてくるなのはの姿に、不屈の杖は苦笑を隠せなかった。もし、表情があったのならば呆れていただろう。

 なのはは、それなりの代償を強いるかもしれないとちゃんと聞いているのだろうか? いや、聡明な彼女のことだから聞き逃してはいないだろう。それを無視してまで実行に移すつもりなのだ。

 まだ短い時間しか主と過ごしていないレイジングハートだが、何となく彼女の性格を察していた。

 こうと決めたら、とことんやるまで引き下がらない。頑固で融通の利かない少女。それが不破なのは。

 だったら、倒れてしまわない様に支えるのがデバイスたる己の務めだろう。少なくとも勝手に無茶されるよりはマシだ。

 レイジングハートは静かに告げる。新たな力、状況を打開するための方法を。

 

『砲撃魔法です。マスター』

 

 それは、一人の少女の才能を、魔導師としての才能を開花させる天啓だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「私が、負け、る……?」

 

 身体を鎖締めでがらん締めにされ、巻きついたバインドによって四肢を広げられた黒衣の少女に、無情にもユーノが告げた言葉。それは染み渡る毒のように黒衣の少女の心を蝕んでいくと、彼女は虚ろな表情を浮かべて俯いてしまう。

 ここで負けたらどうなる? ジュエルシードを取り上げられてしまう。そうしたら病に苦しむ母を救うことは出来なくなる。少女の大好きなリニスと同じところに行ってしまうのだ。母親に会えなくなってしまう。自分に微笑んでくれなくなる。アルフと三人で過ごす明るい未来すら訪れなくなる……?

 

「あ、あぁぁ……や、だ…そんなの、嫌だ……」

 

 少女の心臓が激しく鼓動を刻む。身体は小刻みに震えだす。防護服の内側に隠された素肌は冷や汗が止まらない。

 戦意を挫くために告げたユーノの敗北宣言は、皮肉にも少女の心を追いつめるのに、充分すぎた。心を折られれば誰だって、戦うことなど出来はしない。だが、追いつめられた人間は時に思わぬ暴走を引き起こすことがある。目の前の少女がまさにそれだった。

 胸の奥から湧き上がる衝動は激情。怒りとも、悲しみとも、言えるような様々な感情がごちゃ混ぜになった心。それが黒衣の少女を動かす原動力となる。瞳には憤怒の炎を宿し、涙でぐちゃぐちゃになった表情で目の前の少年を睨む。

 

 思わず、ユーノが怯んだ。

 

 封印魔法の行使と、連戦による消耗で、枯渇しかけていた少女の、リンカーコアの魔力は不思議と回復していた。いや、増幅しているといった方が正しいだろうか。何処からともなく湧き上がる、複数にして同質の魔力の塊は、あっという間に少女の許容値を超えて、限界以上に魔力を供給する。

 少女の身体に活力が満ちた。あれほど疲労困憊していたのに、衰弱しきって弱っていたのに、体調は嘘のように優れている。だというのに胸の奥から、喉から、口から湧き上がる熱いモノが何なのか、少女には分からない。

 そんなものどうでも良い事。今は少女から希望を奪おうとするヤツを倒す方が先だ。

 黒衣の少女はゆったりとした動作で、鎖で縛られたまま、左手を動かすと、己を縛り付ける光の鎖を握った。ちょっとづつ力を込め、力を込めすぎて腕が小刻みに震えるくらい握りしめると、少女を縛り付けていた鎖はあっけなく、木っ端微塵に砕け散った。

 

「そんな馬鹿な……素手でバインドを砕くなんて、ありえない」

『………っ!!』

 

 ユーノが驚愕の表情を浮かべて驚いているが関係ない。

 少女のデバイスが何事かを叫んでいるが頭に入って来ない。理解できない。

 

「お前なんか、こふッ――、おま、え、なんが……」

 

 少女が激情のまま叫び声をあげようとして、口元からせり上がった何かを吐きだす。ゴホゴホと何度も咳き込むたびに赤く染まった涎が垂れ、紅染の唾が飛ぶ。思わず口元を手のひらで抑えて、そのまま拭うと。黒いグローブに赤黒い、見慣れた血が付着していた。

 

「っ、もうやめるんだ! そんなに魔力を高ぶらせたら、キミの身体は――」

「うるざい! 黙れ! おまえなんがに、わだじの……」

 

 ユーノの制止を遮って少女は叫ぶ。すると湧き上がる魔力は、突風を起こすまでになり、怒りのまま腕を振るえば、無数の鎖は全て砕け散って霧散した。

 魔力の風はユーノが身構えて顔を腕で覆わなければならない程に激しく、少女の長い金髪、フリルのスカート、黒いマントを激しく、はためかせる。

 両手で握りしめて構えたバルディッシュの柄が、ひび割れているのに気が付かない程、少女は激昂していた。デバイスに供給された過剰な魔力がバルディッシュを傷つける。そして、展開されたサイスフォームの光刃は、馬鹿みたいな出力の魔力量と密度を持って形成されていた。

 バルディッシュ自身が全力で制御しなければ形を維持できない魔力の奔流、気を抜けば、彼はすぐさま壊れてしまうだろう。もはや制止の声をあげることすら出来ない。

 

「わだじの、があさんを、うばわぜて、たまるがあああぁぁ――――!!」

 

 血反吐を吐きながら、泣き叫んだ少女は、先とは比べ物にならない、爆発的な加速力を持ってユーノに突撃する。

 振り上げられた禍々しくも巨大な光刃。迫りくるそれをユーノはシールド魔法で防ごうとして、瞬間、逸らすことに専念する。経験によって養われた勘による咄嗟の変更。しかし、それは無駄な足掻きにしか過ぎなかった。

 

「そんな! ぐわああぁぁ!!?」

 

 ちょっとかすっただけ。たったそれだけのことで幾学模様の防御陣は、紙屑を細切れにするかのように吹き飛んだ。それだけには止まらず、斬撃の余波はいとも簡単に防護服を引き裂いてボロ布に変え、ユーノの素肌が晒された両手両足を傷つけた。

 陶器のように白い肌から血が噴き出す。目の前の少女は非殺傷設定を完全に制御できていないらしく。無意識に一線を超えないようにしているようだ。

 ユーノは意識が飛びそうになるのを、辛うじて堪えた。なのはのようにインテリジェントデバイスのサポートを受けられない彼は、自力で魔法を制御しなければならない。飛行魔法の制御を失えば待っているのは墜落死だ。

 

(いけない。早く止めないと)

 

 むせて血反吐を吐きだすのを押さえようと、必死で口元を押さえている黒衣の少女に、ユーノは恐れよりも焦りを抱く。明確に殺意を向けられた怯えもある。確かに、気を抜けば死に至るかもしれない恐怖もある。現に背から流れ落ちる冷や汗はとまらない。

 だが、少女の目前に迫る死の気配のほうが、ユーノを焦らせる。

 

 黒衣の少女は、彼女は気が付いているのだろうか?

 その尋常でない程に高ぶらせた魔力が、全身からとめどなく溢れだす己の魔力が、自身を死の淵に追いやろうとしていることに。

 現に吐血しているのが良い証拠。それにリンカーコアの酷使は多大な疲労をもたらす筈なのに、先の突撃で限界以上の能力を発揮して尚、一切の気怠さも見せないのだ。少女の感覚が麻痺している可能性は大いにあり得る。

 放って置けば過剰な魔力に蝕まれた少女を、確実に死に至らしめる。そして、目の前で誰かが死ぬなど、ユーノは我慢ならない。たとえそれが自身を脅かす襲撃者であっても。

 

 少女が再び禍々しい歪曲の光刃を振りかぶって愚直なまでに突進してくる。ただ、ひたすら真っ直ぐに向かってくる。近づいて相手を斬り伏せる単純な攻撃だが、速度も威力も馬鹿にならない。

 しかし、先よりも動きが鈍っているようだった。瞳は虚ろで濁っていて、光がなく、叫び声をあげる気力すらもないようだ。

 早く止めなければ。動きを止めて外部から魔力の流れを調節してやるか、強力な一撃で意識を刈り取って魔法の行使をやめさせなければ。

 そして、ユーノに出来るのは前者だけだ。

 

「っ、とまれ、とまってくれ!」

 

 手足から伝わる痛みを無視してユーノは、バインドで少女を拘束しようとする。彼女から放出される膨大な魔力の前に、無意味だと分かっていても、そうせずにはいられない。

 リングバインドが彼女の手足を拘束しようとして砕け散る。チェーンバインドが身体に巻き付こうとしてボロボロに崩れ去る。ユーノとの間に設置されたディレイドバインドは発動することもなく、少女に触れた瞬間、崩壊する。

 

(こうなったら――)

 

 ユーノは覚悟を決めた。その凶刃が振り降ろされる瞬間に差し違えてでも少女に触れ、無理やりにでも魔力の流れを抑え込もうと。この身がどうなるのか予想もつかないが、彼は本気だった。

 そうして決意を固めたユーノが迫りくる少女に掴みかかろうとした時。

 

 光の柱と表現したくなるような桜色の軌跡が、天を貫き雲を断つ勢いで黒衣の少女を呑み込んだ。

 

 



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●はじめてのともだち

 少女が目を覚ますと見たこともない天井が目に映った。少なくとも少女の住んでいる時の庭園と呼ばれた場所とは、まったく違う構造の天井だと理解できる。古めかしい木造で出来ていているからだ。ぶら下がっている電球も見たことない形をしている。

 咄嗟に起き上がろうとして息を呑む。別に拘束されて動かないとかではなく、純粋に身体が言う事を聞かないのだった。せいぜい指先をピクリと動かせる程度でしかない。

 

 少女は恐怖した。目が覚めれば見知らぬ場所に動かぬ身体。これで恐怖を覚えるなと言う方が無理だ。いつも傍にいてくれた戦斧の相棒はおらず、頼れる家族も周りにはいない。大人しかった心臓の鼓動が激しく脈打って、怯えのあまり身体が小刻みに震える。

 思わず叫び出しそうだった。いや、叫べたのなら叫んでいただろう。けれど、口から零れるのは掠れた声だけで、言葉にすらならない。荒い吐息だけが吐きだされる。

 

「目が覚めましたか、良かった」

 

 その時、隣で誰かが動く気配がした。いや、少女が気が付かなかっただけで初めからそこに居たのかもしれない。

 暗色系のブラウスに白黒のチェック柄をしたスカートを身に付けた女の子。彼女には見覚えがあった。少女と空戦を繰り広げた未熟な取るに足らない白い魔導師の子だ。間違いなかった。白から黒に服装を変じただけなのに、違和感を感じない。むしろ自分と同じ黒こそが本来の姿だと言われても納得してしまいそうな程似合っている。

 

 そして、彼女によって己が身を撃ち抜かれたことは鮮明に覚えていた。知らない人に捕まったら何をされるのか分からない恐怖と相まって、後ずさろうとする少女。だが、起き上がろうとして身体を支える腕は力が入らない。すぐに布団の上で倒れ込んでしまった。

 

「ぁ―――! ぁ、ぁぁ……!?」

「む、無理しちゃ駄目です! 今の貴女は酷く衰弱していて、満足に動ける状態じゃないんです」

 

 慌てた様子で少女の身体を支えながら、元のように布団に寝かしつけた不破なのは。少女に事情を説明しながら、置いてあった手鏡で姿を映しだす。そこには見るに堪えない自分の顔があって少女は絶句してしまう。蒼白い肌に、どす黒いと形容されるような隈。おまけに目は酷く充血している。生気の欠片もない。

 

「っ……」

 

 弱っていることを自覚した途端、正常な感覚が戻ってきた。喉は急激に渇きを訴え、激しい空腹は腹痛と頭痛を訴えだす。眠気と眩暈はとまらず、気を抜けば意識を失ってしまいそうになる。

 少女の訴えを察したのか、なのはは用意されていたコップの水を口に含ませる。すると、少女は乾いた喉を潤すために急激な勢いで飲み干して、咽た。なのはが慌てて背を摩ると徐々にだが落ち着いていく。頃合いを見計らって、もう一度。コップに容れられた水を、今度は落ち着いた様子で飲んでくれた。

 

 とにかく少女には色々なものが不足している。栄養、休息、水分、ちゃんと摂取できていなかったそれらを、身体は急激に求めている。

 

 少女が水を飲み終えると、なのはが見たこともない料理を床に置いてあった盆から持ち上げた。平皿に盛られた料理は一見すると、ミルクに穀物を浸したようなものだ。一口サイズの肉や食べやすいように切られた緑野菜も一緒に煮込まれている。

 

 いわゆるお粥という料理だった。つくりたてなのか、湯気が立ちのぼるお粥からは、食欲をそそるような香りがする。俗に言う空腹は最高のスパイス。それらと相まって少女は料理を貪り喰らいたい衝動に駆られた。まともな食事は久々だったから。

 

 思わず涎を垂らしてしまいそうな程、料理に釘付けになっている少女の様子に、なのはは意地悪するでもなくレンゲでお粥をすくう。熱々のそれを食べやすいように息を吹きかけて冷ますと、少女の口元へ。

 

 差し出された料理を少女は弱々しく顎を開いて、口の中に咥えこんだ。程よい塩加減で味付けされたどろどろの粥は喉の奥へと流れ込んでいく。けれど、柔らかく煮込まれた鶏肉の塊や千切られた白菜を噛みちぎることができず。わずかな粥と共に口から零れ落ちてしまった。

 

 なのはは眉をひそめる。別に少女がはしたなくこぼした事がではない。それはどうでも良かった。問題は少女に柔らかく煮込まれた食べ物を噛みちぎる力がないことだ。そこまで筋肉が弱っているとは想像もつかなかったから。戦闘の時とは大違いすぎて戸惑いを隠せない。それ程までに少女が衰弱しているとは考えも及ばなかった自分が恨めしい。

 

 唖然とする少女の目の前でなのはは料理を口に含む。あ、と驚きの声と次いで恨めしい唸り声が聞こえて来るが気にしない。半ば液状と化した米も、程よい柔らかさの肉も野菜も噛みちぎってすり潰し、何度も何度も噛み締める。そして。

 

「んんっ!?」

 

 少女を背中に腕を回して抱き寄せ、顎を掴んで持ち上げると、無理やり口を開かせて口移しで料理を流し込んだ。少女が驚きで目を見開く。動揺しているのか、せわしなく動く赤い瞳。鼻息は荒く、密着した身体から伝わる鼓動は早鐘を打っていた。熱い血潮がそのまま伝わるかのように体温も熱い。風邪をひいたみたいに熱でも出したかのようだ。

 

 強引な口づけから解放されると、ぷはぁと少女は息を漏らす。咄嗟にかすれた声で抗議の声をあげようとして口で塞がれる。料理を流動食のようになるまで噛み砕いたなのはが、再び口移しで無理やり呑み込ませたのだ。それは皿に盛られた料理が空になるまで続き、終わるころには少女の頭の中が真っ白になっていた。呆けたようにぼーっとしてしまって何も考えられない。

 

「とにかく今はゆっくり休んでください。詳しい事情は後で聞きます」

 

 なのはは、零れてしまった料理をちり紙で拭き取ると、少女の口元も拭ってやる。そして丁寧に少女を布団の中に寝かせてやった。部屋を後にしていくとき、静かに告げて去って行く彼女の頬は微かに赤く染まっていたのかもしれない。

 

 なのはが退出したのを見届けると、強引な献身を受けた少女はハッとし、改めて部屋を見回した。不思議な模様の部屋だ。床は大理石や木造ではなく、藁を丁寧に縫いこんだかのような敷物。堅紙で作られたかのような、廊下に繋がる横開きの扉。反対側には真っ白い紙が一面に張りつけられた窓、だろうか?

 

 それらは畳、襖、障子と呼ばれる日本独特の文化が生み出した家具だった。

 

 見たこともない、初めて見る異国の住まいに少女は感嘆の息を漏らす。この部屋は、なんというか、落ち着く感じがする。決して居心地のいいものではないけれど、とても静かなのだ。

 何だか急激に瞼が重くなったような気がした。渇きを癒し、腹が満たされたことで本格的な眠気が襲ってきたのだろう。ベットとは、また違った布団の心地よい温もりに包まれた少女は、やがて、誰もいなくなった部屋で安堵の溜息を漏らすと、すぅと寝息をたてて微睡の中に沈んでいった。

 

 

 

 少女を刺激しない様に部屋を退出したなのはは溜息を付いた。あの後、少女を砲撃によって撃墜した後は大変としか言いようがなかったから。

 まず、砲撃の負荷によってなのははしばらく魔法が使えない状態になった。手足に微かに痺れ、急激な疲れと眩暈が襲ってきたのだ。それを気合によって捻じ伏せ、ユーノがアリシアを抱きかかえて降りてくると、緊張の連続だった。

 

 ユーノと協力しての蘇生行為。砲撃によって気絶したアリシアは、今にも死にそうなくらい弱っていて、呼吸も微弱でしかなかった。すぐさま仰向けに寝かせて気道を確保。喉を詰まらせないように、なのはは血を吸いだして吐きだし、人工呼吸。ユーノは回復魔法を全力で掛け続けた。その甲斐あって一命を取り留めたが、放って置けば確実に死んでいただろう。

 

 黒の薄い防護服が解かれた少女は患者着のようなワンピースしか身に付けていない状態。身元も証明する持ち物も持たず、靴すら履いていない有り様だった。

 頼みのインテリジェントデバイスであるバルディッシュと呼ばれた戦斧も、自己修復モードに入ったのか一言も喋ることができない状態。

 

 事情を聞くことは後回しにした二人は、急いで少女を連れ帰って休ませることにしたのだ。士郎からの追及も、恭也からの問い掛けもなのはは強引に説き伏せて、今の今まで看病していた。その甲斐あって目を覚ましたが、もう夜の半ば。

 意識を取り戻す兆候があって、病院食を用意していたものの、このまま目を覚まさなかったらどうしようと、内心では冷や汗を掻いていたなのはだった。

 

(はぁ、ひとまず峠を越えたようで何より。ですが……)

 

 溜息を吐きだす。気になるのは、少女の悲痛なあの叫び。

 

――わだじの、があさんを、うばわぜて、たまるがあああぁぁ――――!!

 

 聞き直してみれば分かるのは、私の母親を奪わせてたまるかという言葉。ジュエルシードと母親にどんな関係があるのか、なのはは知らないが、気になって仕方がないのは事実だった。

 

 なのはの母親、桃子はこの世に居ない。愛する娘に向けてくれる筈の笑顔は遺影の向こう。

 

 最初はジュエルシードに関係する不届き者でしかなかったのに、今はあの金色の髪が綺麗な少女のことばかり考えている。母と言う単語に惑わされたばかりに。

 

(やめましょう。考えても仕方のないこと。名も知らぬあの子の体調を回復させることが優先です)

 

 余計な思考を振り払ったなのはは二階にある自分の部屋に向かう。

 そこでは可愛らしいパジャマに着せ替えられたユーノが勉強机の上に置かれたバルディッシュを精査しているところだった。

 

 もちろん彼の着ているパジャマはなのはの御下がりである。薄い桃色の生地に花びらがプリントされた柄が目立つ。いつまでも防護服を展開したままでは疲れるだろうと、なのはが強引に着せ替えた結果だった。正直、恐ろしく似合っていて初見だと女の子に見えるくらいだ。

 

「あっ、なのは、お帰り。どうだった彼女の様子は?」

 

 部屋に入ってきたのがなのはだと分かると、にこやかでいて、心配したような表情のユーノが問いかけてきた。笑顔はなのはに向けられたモノだろう。ユーノは人を安心させるように笑顔を浮かべる癖がある。そしてパジャマについて文句を言わないのは慣れてしまったのか、大人しく諦めた結果なのか。

 

「ようやく目を覚ましたようで一安心です。酷く衰弱していますが、食欲も良好なので問題ないでしょう」

「そっか、こっちはもう少し時間が掛かりそうだよ。セーフティのおかげで、コアに過剰な負荷は掛かってなかったけど、フレームはガタガタだから」

「そうですか」

 

 なのははベットに腰かけると疲れの溜まった肩を解きほぐす。このまま眠りに付きたいところだが、折を見て安静にしている少女に湯浴みをさせなければならない。触診しただけだが、恐ろしく筋肉が固まっていたのだ。痛みに呻いて安眠できなくなる前にマッサージで解してあげるつもりだった。

 

「疲れてるでしょ? 少し仮眠をとるといいよ」

「いえ、ユーノさんが頑張っているのに、私だけ休むわけにはいきません」

「いいから、いいから」

「ですが……」

 

 ふいに、デバイスを修理する作業をしたままユーノが休んでいいと提案してくる。

 なのははそれを辞退した。目の前の少年だって病み上がりにも関わらず、魔法の酷使によって疲労困憊の筈なのだ。自分だけのうのうと休むわけにはいかなかった。

 だけど、頑なとして譲らない少年の押しに、ついになのはは折れるしかない。このまま不毛な言い争いをしても意味はないと、合理を優先する不破の思考が介入した結果。

 

「仕方ありませんね。なら、三十分だけ」

「そのまま、朝まで熟睡しても……」

「一時間」

「遠慮せずに寝ていなよ」

「はぁ、三時間です。やることがありますので、時間が来たら起こしてください」

 

 心地よい眠気に身をゆだねて、なのはは瞼を閉じる。薄れ行く意識の中でユーノが、護ってあげられなくてごめん、と謝っていたような気がした。

 

◇ ◇ ◇

 

「ッ! うっ、うぅ~~!?」

「ええい、大人しくしなさいっ。お湯で身体を洗うだけといっているでしょうが」

「―――!!」

 

 夜も更けた深夜に近い時刻に、眠っていた金髪の少女を叩き起こしたなのはは、強引に風呂場の脱衣所まで彼女を連れ出す。そして、弱々しく抵抗する少女から病院着みたいなワンピースを脱がすと洗濯機の中に放り込んで、自分の着ていた服も脱ぎ捨てた。

 

 生まれたままの姿になった二人。驚くことに少女は下着の類を着ていなかった。なのはは軽く眩暈を覚える。いったいどんな教育を受けたら下着を身に付けないという非常識に染まるのか。或いは、致命的なまでの世間知らずなのか。

 この時ほど、少女と自分の体格が同じくらいで良かったと思う日はない。おかげで貸し与える服も下着も、なのはの物で代用できる。

 

 身を捻って逃げようとして全身に痛みが走ったのか、苦悶の表情を浮かべる少女の腕を引いて、なのはは湯気がたちこもる風呂の中に入り込んだ。

 「う~~っ」と唸る少女を腰かけの上に座らせると、風呂桶に湯をくみ取って、肩の上から流してやる。

 

「あぅ!!」

「あ、熱かったですか?」

 

 びくりと身体を震わせ、悲鳴を漏らした少女に、なのはは湯の温度を確かめてみる。腕を浸して、お湯が噛みつくような熱さでないことを確認すると、ただ単に慣れないことをされて驚いただけだと判断した。

 

 もう一度、少女に湯をかけて、自分の身体も余すことなく汚れを落としたなのはは、シャンプーのボトルを手にした。

 

「今度は頭からお湯をかけますから、目を瞑っていて下さい。ちゃんと大人しくするんですよ?」

「う~~! う~~!」

 

 どうやら少女には風呂に入るという風習がないらしく、湯浴みを新手の虐めか何かと勘違いしているようだ。瞳を潤ませながら、何すんだよぅとでも言わんばかりに視線だけで訴えてくる。

 

 それにしても微笑ましいとなのはは思う。助けた当初は元気がなかったのに、身振り手振りで反抗する程度の体力は戻ったらしい。喉が枯れているようなので喋るに喋れないが、明日になれば流暢に言葉も話せるだろう。

 

 二、三度しつこく、湯が目に染みないように目を瞑れと言い聞かせ、頭から桶の湯をゆっくり流す。くすみ痛んで見るに堪えなかった金糸の髪はそれだけで、だいぶマシになった。

 

 ボトルを一押しして、手のひらにシャンプーを載せて広げるなのは。宝石でも磨くみたいに繊細な手つきで少女の髪に塗りこんでいくと、金糸の一本、一本が艶を取り戻し、光に照らされて美しく輝きだす。枯れた植物の蔓のようになっていたのが嘘のようだ。

 

 気が付けば、思わず息を漏らしてしまうくらいに、静かに呟いていた。

 

「綺麗です」

「……?」

「貴女の髪はとても綺麗ですよ」

「っっっ――!!」

 

 照れたように黙り込んだ少女をよそに、なのはは髪を洗う手をとめない。今日からきちんと髪の手入れを欠かさなければ、少女の持つ金糸の美しさは際立ち、本来の姿を取り戻すだろう。

 湯をかける合図を囁いて、髪に塗りこまれたシャンプーを洗い落としてやる。液体石鹸で身体を洗うのに目を瞑ったままでは辛いだろうから。

 

 今度は身体を洗うためにボディソープのボトルを手にする。しっかりと手の掌に広げて、雪のように真っ白な肌にボディソープを塗り込むと、なのはは少女の身体を揉み解した。硬くなった筋肉を優しく優しく。その度に少女は身じろぎして、くすぐったそうな声を漏らす。

 

 マッサージをこなしながら、身体を洗う作業を続けると、肌は垢ぬけて、本来のきめ細やかさを取り戻していく。それはなのはが羨むほどに洗練されていて、ここまでくると作り物なのかと疑いたくなるほどだ。

 

「んぅっっ」

「ああ、もう、じっとしていてください。手元が狂ってしまいます」

「っ~~~!!」

 

 マッサージが心地よいんだろう。顔を振り向かせた少女の紅い瞳は、別の意味で潤んでいた。

 なのはは気にせずにマッサージに専念する。背骨に沿うように手を滑らせ、背筋の筋肉を手の掌を使って擦る。そして、筋肉の硬い部分を軽くたんたんと叩いたり、揉み解したりを繰り返す。

 

 折を見てはお湯にタオルを浸して絞る。暖かな人肌の温度を保つタオルで少女の身体を余すことなく拭いてやり、身体が冷えてしまわない様に温めた。

 

 そうして何度も同じことを繰り返すうちにマッサージを終える。後は少女を湯船に浸からせて、身体を心行くまで温め、布団に寝かせてやるだけだ。

 

「先に湯船に浸かっていなさい。そのままでは風邪をひいてしまいます」

「…………?」

「どうかしました?」

 

 なのはを見て、一面に張られたお湯を見て、もう一度なのはを見るような仕草を繰り返す少女に、なのはは首を傾げた。少女の瞳に宿るのは微かな怯え、戸惑い。出来ないよとでも言わんばかりに彼女はふるふると首を動かす。

 

 そういえばと思う。風呂に入るのが初めてならば湯に浸るのを戸惑うのも無理はないと。初めて海を見て、水に浸るのを恐れるのと同じ感覚を少女は抱いているのではないか?

 

 少しばかり配慮が足りなかったと、自らの失態を悔やんだなのはは、少女の手を取って先に風呂の湯に身体を沈めていく。身体も髪も洗っていないのに湯船に浸かるのは流儀に反するが、この際は仕方ないと目を瞑ることにした。

 

 少女も恐る恐るといった様子で片足を踏み出す。まずは足の指先を浸してみて慌てて離した。お湯の温度にびっくりしたようだ。だが、徐々に慣れていったのか両足をまで湯に浸かった彼女は、なのはを見て意を決し、肩までお湯の中に身体を沈める。

 

 子供二人分の体積から溢れだしたお湯が、水音を立てながら流れ落ちて、排水溝まで吸い込まれていった。

 

 そんな中で、少女はあまりなのはと顔を合わせようとしない。時折、ちらちらと横目で視線を向けて来るので気にはなっているんだろう。けれど、先まで敵対していた者同士。すぐに打ち解けあうというのは無理があり過ぎる。

 

 だから、なのはの方から歩み寄ることにした。かつてアリサ達がそうしてくれたように、今度はなのはが手を差し伸べる番なのだ。彼女が母親のことで何を抱えているのかは分からない。でも、遠い記憶の人となった自分の母のことがあるからこそ、なのはには彼女を放って置くなんて選択肢がなかったのだ。

 

 どこか共感にも似たものを少女から感じ取ったのもある。彼女の雰囲気は昔のなのはと良く似ている。アリサとすずかに出会う前の自分。全てを拒絶して独りになろうとする自分自身そのもの。だから、彼女のことを助けたい。なのはは心の底からそう思う。

 

 背中から少女の身体を抱き締めると、びくりと身体を震わせたのがよく分かった。それでもなのはは少女を離そうとしない。まるで、子を安心させようとする母のごとく深い慈愛を持って少女を抱きしめ続ける。

 

「怯えなくて、いいんですよ。誰も貴女を、アリシアを傷つけたりしません」

「どう……して……」

「貴女のデバイスが、バルディッシュが教えてくれました。アリシア・テスタロッサ。それが貴女の名前だって。彼はとても良い子ですね。傷ついた自分よりも主人である貴女の身を案じるのですから」

「…………」

「アリシア?」

 

 アリシアと呼ばれた少女は俯いてしまった。何か話題を間違えてしまったのかと焦ったなのはは、しどろもどろになって目を泳がせる。場を持ち直すために話題を変えようとするも、良い案はまったく浮かんでこない。元々彼女は口下手で話すことを得意としていない故に。

 

「えと、ええと、そうだ! 友達になりましょう」

「ともだち――」

「そうです! 友達というのはですね。困った時に手を差し伸べあって助け合うといいますか、その、つまり……貴女と仲良くなりたいってことです! な、なに言ってるのか自分でもさっぱり分からなくなってきました……」

「う、うぅ、ひっぐ、えぐっ」

「ど、どうして泣くんですか!? も、もしかして友達になるのが嫌だったとか……? それとも、私は何か悪いことでもしてしまいましたかっ!?」

「うわ~~~ん!!」

 

 いきなり嗚咽を漏らして泣き始めたアリシアに、なのはは混乱する。彼女が泣いている理由も分からず慌てふためくしかない。

 そんななのはをよそに振り返ったアリシアは、抱きしめてくれた少女に強くしがみ付くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その女の子が髪を洗ってくれたとき、思い出したのは優しかったリニスの笑顔。

 なのはと名乗った女の子が身体を揉み解してくれたとき、思い出したのは大好きなアルフが怪我してくれたときに世話してくれた光景。

 

 わたしを抱きしめてくれたとき、暗く悲しい瞳をした彼女の身体はとても暖かくて、まるでお母さんに抱き締められてるみたいだった。そう思ったら、あれほど怖かった女の子におびえることはなくなった。

 

 そしたら我慢できなくなって、わたしは泣いた。

 

 久しぶりに感じた家族の温もり。なのはっていう女の子がくれた優しさ。

 

 ずっとひとりぼっちで寂しかった! ずっとひとりで不安でたまらなかった! もし、ずっとこのままなんじゃないかと思うと、わたしの心は壊れてしまいそうだった。

 

 そんな時に差し伸べられた手はあまりにも暖かくて。あれほど酷いことをしたのに、優しくしてくれる女の子は心地よい存在で……だから、だから……

 

 わたしは、思わずその手を取ったんだ。

 



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●協力体制

「わぁ~~、あんなに破損してたのが綺麗に治ってる。これ、ユーノがやってくれたの?」

「そんな大した事はしてないよ。殆どバルディッシュ自身がやっただけで、僕は修復の手助けをしただけ」

「ううん、そんな事ないよ。バルディッシュもすごく感謝してるもの。ありがとね、ユーノ」

「どういたしまして」

 

 アリシアは寝室として貸し与えられている和室で、ユーノから受け渡されたバルディッシュを手にしてはしゃいでいた。

 本当に大切なデバイスなんだろう。優しい手つきで待機状態のバルディッシュを包み込んだアリシアの様子からもよく分かる。その瞳も涙で潤んでいるほど。

 ユーノとしては本当に外部から自己修復をサポートしただけなので、そんなに苦労はしていないのだが、ここまで喜び感謝されると逆に照れくさい。

 

「それよりも身体の調子はどう? 何処か痛い所とかないかな?」

「う~んと、痛くはないんだ。でも、胸の奥が熱い感じ、怠い?」

「じゃあ、しばらく魔法を使うのは禁止だね。たぶんリンカーコアが回復しきってないんだ。使えないことはないと思うけど、相応の負担は掛かるから注意して」

「む~~、すぐにでもジュエルシード探し行きたいのに……」

「だめだよ。なのはだってしばらく安静にしてなきゃダメって言ってたろ?」

 

 ユーノの魔法禁止令に一転して顔を俯かせるアリシア。

 実は彼女、昨日の夜から脱走未遂を何度か繰り広げていた。

 決して暴れたり、無理に逃げるような真似はしないものの、抜け出そうとしては、なのはに捕まるということを繰り返したのだ。

 

 これ以上やるならバインドでがらん締めにするぞと軽く脅して収束したが、隙あらば抜け出すかもしれない。一体、何が彼女をそこまで焦らせるのか、詳しい理由をまだ説明してもらってないので分からないのが現状。もっとも無理に聞き出すのは、なのはによって止められている。

 

 そもそも、彼女は本調子ではない。魔法の事を抜きにしても、なのは達は彼女を大人しくさせるつもりだった。油断すればまた貧血と過労で倒れてしまう。

 

 アリシアは唸りながら布団にもぐって不貞寝をする。

 そのすごく子供っぽいしぐさにユーノは微笑みを隠さない。

 ミッドチルダでは職業適性年齢が低いので、こういった子供らしさを持ち続ける少年少女は少ないのだ。つい物珍しさで微笑んでしまうのも仕方ない。

 

 ちなみになのはは居間で食事中だった。

 ユーノにアリシアの世話を任せた彼女は、二人の朝食を用意すると早々に退出していった。

 同行しようとしても止められてしまう。何でも家族の食事風景は気まずい雰囲気なので一緒に居てほしくはないそうだ。

 だから、こうしてアリシアと世間話をしたりして暇をつぶしているのだが、なのはが戻ってくる様子はない。もう一時間ほど時間が過ぎているのに。

 今日はなのはの学校は休日らしいので、ユーノ達はジュエルシード集めに専念する予定だったのだが、大事な用事があるとの事で引きとめられた。詳しいことは後で話すと言われたので、詳細は知らないが、そういうことならと大人しくしている訳である。

 

「二人ともお待たせしました」

「遅いよ、なのは~~」

「申し訳ありませんアリシア」

 

 引き戸を静かにに開けて現れたなのはに、アリシアが不満そうに頬を膨らませる。それに対するなのはの返答はものすごく丁寧だ。

 廊下の前で正座でしゃがんで、引き戸を開けた体制のまま、彼女は三つ指を付いてゆっくりと頭を下げた。この国の座礼というお辞儀の仕方らしい。ユーノは少しだけ日本の文化について彼女から教えて貰ったので知っている。

 だが、目の前の少女にとても懐いていたアリシアは、堅苦しいなのはの態度の心底驚いたようで、目を真ん丸にして絶句していた。

 そんな彼女の様子に気が付いたなのはは、柔和な微笑みを浮かべるとアリシアに近づいて優しく頭を撫で、彼女の腰まである長い金髪を指で梳く。

 

「な、なのは?」

「ふふ、あれは昔から教えられた礼儀作法のようなもので、まあ、言ってみれば癖のようなものです」

「もう、驚かさないでよ!」

「はい、ごめんなさいアリシア。それと迎えの手配を用意しておきましたので、目的地に向かうまで時間が掛かります。その間に着替えてしまいましょう。さ、アリシア」

「ん~~?」

 

 首を傾げるアリシアをよそに、なのははアリシアの身体を支えながら立ち上がらせると、手を引いて隣の部屋に移動していく。なのはの手にはふたつの紙袋が握られていて、中には子供サイズの服が入っているようだ。それをひとつ、ユーノに投げ渡す。

 

「ユーノさん。いつまでも防護服姿のままでは何ですから、それに着替えてください」

「う、うん」

「それでは……覗いちゃダメですよ?」

「覗かないよ!!」

 

 冗談とはわかっていても、ユーノは照れてしまって顔を逸らした。そんな様子をなのははちょこんと首を傾げて、微笑ましそうに眺めると、襖の奥に消えていく。

 自分の激しくなった鼓動を抑えるように、胸のあたりに手を添えるユーノだが、中々収まる気配はない。いつも無表情のなのはが、ふとしたきっかけで見せる感情や仕草は凄まじい破壊力をもっている。思わず恥ずかしくなってしまうくらいに。

 

(か、可愛かったなぁ……なのはの笑顔)

 

 そう。思わず意識してしまう程に、明るく魅力的な微笑みだった。目立たないように咲いた小さな花が見せる可愛らしさとでも言うのだろうか。ユーノは自制心を総動員して、激しく揺れ動く心臓を落ち着かせる。彼はしばらくの間、そうして顔を赤らめて呆然としているくらい落ち着きがなく、そわそわしていた。

 

 そんなことも知らずに、なのはは隣の部屋でアリシアの着替えを手伝っていた。病人である彼女に負担を掛けさせない為でもあるし、馴染の薄そうな、この世界の洋服だったら、着替えに戸惑うかもしれないとの配慮からそうしている。

 ニコニコしながら大人しくしているアリシアをばんざいさせると、彼女の着ているパジャマのボタンを素早く丁寧に外して脱がせる。それにズボンの裾を掴んで足をあげて貰って手際よく下着姿になって貰った。

 着させる服はなのはの普段着。オレンジ色のブラウスに、白い上着とプリーツスカート。もちろん、なのはが明るく可愛らしい服を自分で買うはずもなく、アリサが似合う服をなのはに試着させて買い与えてくれた物だ。

 なのはの性格からして普段着は少なく、アリサ、すずかと比べてもオシャレには疎い。今年も似合う服を買いに連れ出されるだろう。もちろん恥ずかしいので、なのはは拒否させてもらうつもりである。

 そして、肝心のなのははというと、なんと学校指定のジャージ姿だった。これ以外だと鍛錬中に着る袴と胴着しかなかったのだ。数少ない残りの私服は洗濯中である。

 

「はい、できましたよ。アリシア」

「えへへ、ありがとう、なのは」

 

 身嗜みを整えられたアリシアは、立てられた鏡の前で嬉しそうにはしゃぐ。スカートを摘んで見たり、その場で一回転してみたりと、初めて自分を着飾った女の子のように嬉しそうだ。

 

「…………」

「どうかしました……?」

 

 その様子を眩しいものでも見るかのように眺めていたなのはだったが、アリシアが無邪気な笑顔を消して押し黙ってしまったので、戸惑い冷や汗を掻いた。何処か調子でも悪いのかと心配になる。

 

 なのはがそうしている間に、アリシアはとても真剣な表情で振り向いて――

 

「ごめんなさいっ!!」

 

 悲痛の入り混じった声音と共に頭を深く下げた。

 あまりにも唐突過ぎる展開になのはは唖然としてしまう。

 

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」

「アリシア?」

「なのはのこと傷つけて、ごめんなさい。いきなり襲いかかったりして、ごめんなさい。たくさん迷惑かけて、ごめんなさい!」

 

 滴がぽたぽたと零れ落ちて畳を濡らした。

 それはアリシアの双眸から流れ落ちた涙。とめどなく溢れて止まらない涙。抑えようとして抑えきれない嗚咽と相まって、なのはには痛いほど彼女の感情が伝わってくる。演技なんかじゃなく本気で泣いている。

 良心の叱責、犯した過ちの重さ、それらに耐えかねて許しを乞うたのかは、分からない。

 少なくともアリシアが泣いているという事実だけは確かだった。

 

「どうして、謝ろうと思ったのですか?」

 

 なのはは出来るだけ怯えさせない様に、安心させるような声で問いかける。

 眼前で泣く少女の肩に両の手を置くと、彼女はびくっと身体を震わせたるが気にしない。そのまま下げた頭をあげさせて、慈愛に満ちた眼差しでアリシアの紅い瞳を覗き込んだ。

 潤んで怯えたように揺れ動く動く視線。けれど、最後にはしっかりとなのはのことを見つめ返す。なのはも優しく受け止める。怒っていないよと示すかのように。

 

「ぐすっ、悪いことを、したら、謝らなきゃだめだって、リニスが……」

「そうですか。アリシアは良い子です。勇気をだしてきちんと謝ることが出来るのですから」

「うぅ、お願い、わたしのこと、嫌いにならないで」

「嫌いになったりしません。ほら、涙をふいて鼻をかんでください」

 

 ジャージのポケットから取り出したハンカチでアリシアの顔を拭い、鼻水をかませながら、なのははアリシアの背をあやす様に叩く。

 どうして彼女に惹かれているのか心当たりはあったが、やっと確信する。彼女がなのはに持っていないモノを持っているからだ。

 なのはは幼い頃に涙を捨てた。感情に振り回されて心が傷つかない様に、喜怒哀楽を凍り付かせた。だから、素直に感情をあらわにするアリシアが眩しくて仕方がないのだ。無邪気に笑う彼女と居ると、なのはの心は満たされて嬉しい。

 でも、そのたびに心の奥底がずきりと痛むのも事実。昔に捨てた涙を流してしまいそうになる。その涙が悲しみによるものなのか、喜びによるものなのか理解できないけれど。

 少なくとも自分に泣く資格がないと信じ込んでいるなのはには関係のない話だった。

 今は、腕の中にいる少女を助けたい気持ちがいっぱいだったから。

 

◇ ◇ ◇

 

「「可愛い~~!!」」

 

 着飾られたアリシアを見たアリサ、すずかの第一声がそれだった。口々に「なのは、その子誰よ。紹介しなさい」とか「綺麗な髪だね? どこか外国からきたの?」とか「そっちの男の子は兄妹かしら」と連れてきた珍客に興味津々の様子。

 ここは月村邸。アリシアと争った日にお茶会の約束を交わしていたなのはは、魔法の事について詳しく説明する為、この場所に訪れていた。彼女たちが動員できる人員を使って、ジュエルシード集めに協力してもらえれば事件も早く終息すると考えての行動だ。

 そして、今日の朝に二人を着替えさせて月村邸に来たは良いが、その前に一悶着がありそうな雰囲気だった。

 ちなみにリムジンで迎えに来たのが、なんと当主の月村忍であり、ユーノとなのはの関係を勝手にボーイフレンドだと決めつけて、からかわれたのは余談である。それはデートの為に同乗していた恭也が止めるまで続いた。おかげでなのはの隣に居るユーノは恥ずかしがって、なのはを直視できない様子。 

 

「っっっ! なのは~~!!」

「アリシア。ちゃんと挨拶しないと」

「だって……」

 

 アリサとすずかの態度に怯えたアリシアは、びくっと肩を震わせると脱兎のごとく、なのはの背中に隠れてしまった。なのはの両肩に手を置いて、肩ごしにじっとアリサ達を観察するアリシア。今にも泣きそうな表情で瞳を潤ませている。

 その様子に顔を見合わせたアリサとすずかの行動は素早かった。瞬時にアリシアが人見知りの激しい子だと理解した彼女たちは、アリシアと仲良くする段取りを相談し合って、仲良くなる手段を急速に決めていく。

 まず、初めに近づいてきたのはすずかだった。彼女はテーブルの上に置いてあったお茶菓子のビスケットを手に取ると、ゆったりとした足取りで、なのはの背中に隠れるアリシアに近づいていく。視線はアリシアに向けられたまま、外そうとしない。

 

「はい、これ。とってもおいしいよ? 食べてみて」

 

 そして人を安心させるような笑みを浮かべながら、アリシアにビスケットを差しだした。

 彼女の黒曜石のような瞳は目じりを下げていて、出来るだけ警戒させないように配慮しているのが見て取れる。

 

「うっ……」

「遠慮しないで食べていいんですよ、アリシア」

 

 どうすればいいの? となのはを見上げて訴えかけていたアリシアは、大丈夫ですと保証されて、恐る恐るビスケットに手を伸ばす。

 そーと、すずかの右手に腕を伸ばし、素早くビスケットを奪い去ったアリシアは、お菓子を口にして表情を綻ばせた。どうやらお気に召したようだ。

 

「ほら、こっちは生チョコレートよ。甘くておいしいんだから」

 

 今度はアリサがそっぽを向きながら、手の平に乗せた一口サイズのチョコレートを差しだす。

 よく見るとアリサの表情は赤みが差していた。照れているんだろう。この勝ち気で、頼れる姉御肌の友人が恥ずかしがり屋だと、なのはとすずかは知っている。

 

 アリサの強めな口調にうっと、身を縮こまらせたアリシアだが心を開いた親友の眼差しと、とても優しくて慈しむようなすずかの視線に見守られて、やっぱり恐る恐る手を伸ばす。そして、チョコレートをひとつ掴むと目にも止まらぬ速さで口に放り込んだ。

 瞬間、彼女は花が咲いたような笑顔を浮かべた。太陽のように輝くといっていいような、そんな笑み。なのは達はアリシアの周辺にキラキラと星が輝く幻が見えたような気がした。チョコレートが大変お気に召したようだ。

 

「おいしい~~!!」

「でしょう? 普段は食べられない高級品よ」

「こっちに来ればもっと食べられるよ? ふふ、美味しい紅茶も淹れてあげるね」

「ホントに!?」

 

 餌付けされたアリシアは、二人に抱いた警戒心を緩めて、あっという間に心を開いていく。さりげなくテーブルの前まで連れ出されているのも気が付かない様子だ。アリサとすずかに手を引かれて、当然のように椅子に座らされた。

 

「私たちも座りましょうユーノさん」

「えっ、ぼ、僕も? お茶会って、女の子だけの参加じゃないの?」

「そんなことはないですよ。それに、貴方には魔法について説明してもらえると助かります」

 

 その様子に苦笑を浮かべながら、さも当然のようにユーノの手を引いて、同じようにテーブルの椅子に着くなのは。

 アリシアがご機嫌な様子でお菓子を食べるなかで。にこやかな表情をしたすずかと、真面目な顔つきをしたアリサに、今回の目的である魔法の説明を始める。

 

「さて、どこから話せばいいのでしょう」

「ふむ、まずアタシらが知らない二人のことかしら」

「そうだね。まだ名前も教えて貰ってないし、なんとなく察してはいるけれど」

「ああ、そうでしたね」

 

 思い出したかのように手を打ったなのはは、紹介が遅れて申し訳ありませんでしたと軽く頭を下げ、アリシアを差した。

 

「むぐっ、ん?」

「こちらがアリシア。訳あって喧嘩して仲良くなった三人目の友達です。二人目の魔法少女といった所でしょうか」

「へぇ~~?」

「そうなんだ。なのちゃんが自分から初めて作った友達だね」

 

 アリシアは急に話題にあがったことで、不思議そうに首を傾げた。きょとんとした様子で目をぱちくりさせる。

 その仕草が小動物みたいで、アリサは思わず保護欲を刺激されたらしい。お菓子で汚れたアリシアの口元をナプキンで拭っていた。

 

「そして、私の隣に座っている彼はユーノ・スクライア。密かに街を騒がせているジュエルシード。それを見つけた若き学者さんです」

「ど、どうも。ユーノ・スクライアです。よろしくお願いします」

「アリサ・バニングスよ。よろしく」

「わたしは月村すずか。よろしくね、ユーノくん」

 

 紹介し合った三人は互いに握手を交わす。

 初めて会う人に緊張しているのか、単に女の子に対して慣れていないのか、ユーノの声は少しだけ震えていた。

 まあ、仕方ないかもしれないと、なのはは思う。アリサとすずかはとびっきりの美少女だ。同じ女の子のなのはでさえ、そう思うのだから相当なものだろう。

 実際に二人に気があるクラスメイトの男の子が、同じように話し掛けて狼狽している光景を間近で見ていたので緊張するのも、何となく分かる気がする。

 

 それに、もしかすると慣れない環境に緊張しているというのも、考えられるだろう。

 アリサとすずかの家は街では有数の大豪邸だ。庶民の感覚とはあらゆる意味でかけ離れている。

 なのはは気にしたことはないのだが、クラスの友達を招いた時に、あまりの広大さ、巨大さに呑まれて恐縮する子が大半らしい。住んでいる自分の家とあまりにも違いすぎて圧倒されるんだそうだ。ユーノも同じように場の雰囲気に呑み込まれてしまったのかもしれない。

 

 そして、なのはの見当はあながち間違いではない。ユーノは緊張していた。今朝のなのはの不意打ちの笑顔で心を乱されたのもあるだろう。だが、それ以上に、相手に自分の不始末でばら撒かれたジュエルシードの回収を手伝って貰うのだ。

 本当は魔法のことに関わらせたくないのがユーノの本音である。しかし、なのはがせっかく提案してくれた助力。協力してもらう相手を無下にすることも出来ない。魔法を知らない住人に、魔法関係の事情をどう説明すれば良いのか? という葛藤もあるだろう。

 責任感の強いユーノは色々と考え込んで、背負いこみすぎて混乱している状況だった。

 

 ちなみになのはの感覚は少しだけずれている。不破家も他人から見れば武家屋敷のような住まいだ。充分にお金持ちといえる人間なのに、本人にその自覚はまったくない。

 そもそも私立の小学校に通っている時点で庶民とはかけ離れている。

 故になのはは、場の雰囲気に呑まれるようなことはない。アリシアはそもそも認識からして違う。単にとても居心地のいい場所程度にしか思っていない。

 結局ユーノだけが場違いのように委縮している有り様だった。

 

「ふふ、そんなに緊張しなくていいんだよ? 好きなだけお菓子を食べて、飲み物を飲んで楽しむくらいでちょうどいいの。

 まずは、紅茶でも飲んで落ち着くといいよ。落ち着けたら、なのちゃんの言う事情も含めて、ユーノ君から聞かせてほしいな。貴方たちが何に関わっているのか」

 

 そんなユーノを察したのか、すずかは優しい微笑みを浮かべながら、気分を紛らわせるよう色々と良くしていた。

 他人を思いやり、気遣う点においてすずかはとても秀でている。常に一歩引いた視点から物事を見る彼女は、他者の機敏に敏いから。

 

「そうね。初対面のアンタに配慮が足りなかった点は同意だわ。でも、安心しなさい。別に変なことに巻き込んだことを怒ったりなんてしないから。

 むしろアンタ達の力になりたいくらいよ。この子が"友達"として助けを求めた点も含めてね」

 

 すずかの言葉を引き継いでアリサが場の主導権を握ると、ぐいぐいと前に引っ張っていく。何処でもリーダーシップを発揮する彼女は、会話をスムーズに進めるのが上手だ。

 すずかが他人を気遣いながら、アリサが話しやすいように場を取りまとめる。ある意味で、この二人の相性はとても良いのかもしれない。虐めていた、虐げられていた頃の関係が嘘のようだ。

 

「あ、どうもすいません。えっと、それじゃあ、何から話したものかな……」

 

 ユーノは紅茶を一口飲んで落ち着くと、戸惑いながらもひとつひとつの事をゆっくりと、かいつまんで説明した。

 

 自分とアリシアが異世界の住人であること。管理世界と呼ばれる文明には魔法という技術が存在すること。

 

 世界を滅ぼしかねない遺失物と呼ばれる遺産があること。それを発掘し輸送している途中で事故が起こってしまったこと。

 

 第97管理外世界、通称"地球"にある日本の地域。海鳴市にピンポイントで落下してしまったこと。

 

 そして責任を感じたユーノが回収に来てのだが力及ばず。命の恩人であるなのはから協力を受けていることなど、隠すことなく説明した。

 

 もっとも、アリシアとなのはの戦闘については黙っているが。

 せっかく快く迎えて貰って、仲良くなりかけているのに、わざわざ印象の悪くなることを離す必要はないとユーノは判断していた。

 当のアリシアは気付かない振りをしているのか、きょとんとしている。

 なのはも何か思うところがあるのか、黙したまま何も語ろうとはしなかった。

 

 ユーノの話をアリサは腕を組んで、難しい顔をしながら聞いていた。時折、いくつかの質問を交えながら話のひとつひとつを、自分なりに噛み砕いて理解していく。

 すずかも真剣な表情だ。いつもはにこやかな微笑みを浮かべている彼女も、唇に指を添えて考え込んでいる。

 二人がユーノの話を疑う事はなかった。事前になのはからある程度の事情を聞いていたから。それに、滅多に頼みごとをしない親友が助けを求めてきた。とどのつまり、それほどまでに事態は重く、厄介なんだろうと聡明な彼女たちは察している。

 

「なるほどね。だいたいの事情はわかったわ。それでなんだけどさ、アタシ達にも魔法の才能ってあるのかしら?」

「アリサ?」

 

 全てを話し終えたユーノに、アリサは納得したように頷く。

 そして、自分たちにも魔法の才能がないのかとユーノに問うた。

 黙して静かに紅茶を飲み、アリシアの世話をしていたなのはが驚いてアリサをまじまじと見つめる。アリサの意図が分からなかった。どうして、そんな話になるのか、なのはには理解できない。

 

 もしかして魔法という未知の力に興味があるのか? それとも、自分のように誰かの役に立ちたいと思っているのだろうか?

 ユーノも腕を組んで首を捻っている。

 

「なに驚いた顔してんのよ。別に、魔法を使ってどうこうしようって訳じゃないわ。ただ、親友としてなのは達の力になりたいだけ。

 そりゃあ、技術的にも魔法の現象には興味あるし、そこから来る利益もバニングス家の跡取りとしてなら頭をよぎるわね。

 でも、アタシの心を一番占めているのは、いつだってなのはやすずかのこと。大事な友達だもん。大切にしたいじゃない。困ってたら助けだってするわよ。」

 

 それはアリサの心からの本心だった。すずかも同じだと言うようにうんうんと頷いている。

 なのはは呆けるしかない。色々と言いたいことはある。自分から協力を要請しておいてなんだが、危険だから良く考えて決めてほしいと言うのが本心だ。

 でも、アリサの心遣いが素直に嬉しかった。もし自分に感情と言うものがあるのならば素直に泣いていたかもしれない。嬉しくて。

 

「それで、どうなの?」

「うん、はっきり言わせて貰うけど。残念ながらアリサさんとすずかさんには魔法の才能はないみたいだ。魔導師は胸にリンカーコアって言う器官を備えているんだけど、そこから感じ取れる魔力がまったくない。つまり君たちにはリンカーコアがないんだ」

「そう、残念だわ。せっかくアンタ達の力になれると思ったんだけどなぁ」

 

 アリサは呆気なく納得していた。なのはとしては『なんでよ!』と叫んで反抗して来るものだと予想していたのだが意外だ。

 心のどこかで諦めていたのか、最初から期待していなかったのかもしれない。

 

「仕方ないよアリサちゃん。私たちには私たちの出来ることをしよう? せっかくなのちゃんが助けを求めてくれたんだもの」

「そうね。そうときまったら段取りよ。具体的にはアタシ達が何をすればいいのか。注意することは何なのか。専門家としての意見が欲しい所ね」

「わかりました。そうですね……」

 

 そこからはひたすらにユーノと、アリサ、すずかによるジュエルシード探索隊の取り決めだった。

 二人の令嬢の権限よる出来る限りの人員の動員。それによるジュエルシードの探索。

 発見次第、なのはやユーノに連絡を取ること。そして、絶対にジュエルシードに触れてはいけないこと。適切な処置を取らない限り、基本的には触れて願いを強く抱いた瞬間、ジュエルシードは暴走するから。

 

 万が一、ジュエルシードの暴走に巻き込まれた場合が唯一の懸念事項だ。一応、ジュエルシードは魔力を持つ存在を優先して狙う。それでもシャレにならない危険であることに変わりはない。

 本来であれば誰も巻き込みたくないユーノが頭を抱えて悩んでいた。アリサとすずかも上に立つ者として難しい顔で考える。

 

 その状況を打開したのは能天気にはしゃいでいたアリシアの鶴の一声だった。

 

「あのね、ジュエルシードが暴走したら、わたしがソッコーで片付けるよ? 暴走した場所の座標を特定してから転移して、次の瞬間に封印して、おしまい」

「えっと、アリシア? キミがどれだけ無茶なことを言っているのか、自分でも分かってるかい?」

 

 ユーノが頬を引きつらせながらアリシアに問いかけると、彼女は無邪気な笑顔を浮かべて「うん!」と力強く頷いていた。

 正直、魔法の事に関して門外漢なアリサ、すずか、なのはは首を傾げるしかない。

 そこで、ユーノは彼女がどれだけ無謀な事をしようとしているのか簡単に、わかりやすく説明してくれる。

 

 いわく、なのはやアリシアのような才能を持った魔導師は希少。

 そんな才能を持った人たちでも転移してから封印魔法を行使するというのは、疲労困憊になるほど辛いことらしい。

 転移の連続使用は苦ではない。問題は封印魔法。これの特性が厄介なシロモノで暴走する魔力を、更なる魔力で上塗りすることで対象を静めるというものだった。

 

 これではいくら膨大な魔力を秘めていても、身体に掛かる負担は半端ではない。残りのジュエルシードは十七個。単純に十七回もの封印魔法を行使すれば最悪、命に関わる。ユーノは彼女の意見に反対する口調で、そう警告した。

 他の三人も同様にそんなのは許せないと頑なに否定するも、アリシアはにっこりと無邪気な笑顔を浮かべるだけだ。

 

「大丈夫だよ。だって、わたし一人で全部のジュエルシードを封印するわけじゃないでしょ? なのはとユーノも手伝ってくれる」

「当たり前です。貴女一人に全部押し付けるような真似はしません」

「うん、ありがと。なのはは優しいね。それにわたしはちょっと特別だから。なのはと喧嘩した時は無理やり引き出したから失敗したけど、お願いすればきっとうまくいく」

「それはどういう……」

「ここじゃ、言えない。もうちょっとだけ待って欲しいんだ。わたしがジュエルシードを集める理由も、ちゃんと話すから」

 

 何処か清純な雰囲気を纏わせて、そう言うアリシアになのはは口を噤むしかなかった。

 

 穏やかな表情をしているのに、彼女の赤い瞳は真剣そのもので。何処か遠くを見ている風でもある。その瞳に秘められた意志を覆すことはできないと、なのはは悟るしかない。父の士郎と姉の美由希も意味は違えど同じ瞳をしていたのを知っているから。なのはは何も言えなかった。

 

 結局、なのはが学校に行っている間はアリシアがジュエルシードの封印担当になる。逆に放課後はなのはが封印を請け負って、アリシアが休息を取る形で落ち着いた。ユーノは二人のバックアップ。アリサとすずかは魔法以外の部分で三人のサポートを取る体制になる。

 

 その日はそれだけを決めて、後は解散した。アリシアは最後まで御機嫌な様子を崩さなかった。食べたお菓子が気に入って満足したのか、或いはジュエルシードを集められることに満足しているのか、なのはには分からない。まだ知り合って間もないのだ。

 だから、帰り道にアリシアの提案してきたお願いは、渡りに船だったのかもしれない。

 

「あのね、なのは」

「どうかしましたか、アリシア?」

「これから、時間、あるかな……? 少しだけ付き合って欲しいんだ」

「えっと、何処かに行きたいのですか?」

 

 少なくともアリシアの抱える、親子に渡って受け継がれる宿業。その一端を垣間見ることが出来たのだから。

 そして、なのはは知ることによって決意することになる。流されるままに魔法を行使していた自分が、何のために魔法の力を使うのかを。

 

「うん、母さんのお見舞いに来て欲しいんだ」

 

 沈痛な面持ちで告げられたアリシアのお願い。

 それは彼女の抱える深淵の一端を覗く、扉の鍵だった。



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●踏み込んではならぬパンドラの領域

 ユーノとなのはは、アリシアに連れられて彼女が住んで居るという時の庭園に転移していた。

 もちろん、アリシアが魔法を使える程、万全な体調では無いので、ユーノが転移魔法を行使した形だ。座標を教わり、テスタロッサ家の起動パスワードを取り込んで行った転送は、瞬く間に三人の少年少女を別世界に誘った。

 

 そこは古城の雰囲気を漂わせた住処とでも言うのだろうか?

 ゲーム風に言うのなら、いかにも訳ありなダンジョンといった所。

 目の前に人の行列が余裕で通れそうな大通路が広がっている。海鳴の商店街にも引けを取らない大きさだ。通路の左右には、中世の騎士の甲冑が剣を構えて、ずらりと鎮座していて、今にも動きだしそうだった。

 通路の向こう側には巨大な扉が門を閉ざしている。アリシアによると、あの向こう側が玉座の間で、時の庭園を動かす制御室でもあるらしい。

 

 失礼かもしれないが。正直なところ、なのはは時の庭園を不気味だと感じた。

 活気がなくて、生きている存在の気配が感じ取れないから。まるで死んでいるようだと感想を抱くのも仕方ないかもしれない。

 こんな所にアリシアが住んで居るのかと考えると、可哀想だと思う。なのはだったら人があまり居ない広大な場所は寂しさを覚えるから。せめて多数の使用人がいて、人の過ごしている生活感さえあれば違ったのだろうけど……

 

 ちなみに三人ともバリアジャケット姿である。アリシアの親のお見舞いと挨拶ということで、失礼のない格好に着替えようとして単純に選んだのが防護服だった。流石にジャージ姿で友人の家に訪問するのは気が引ける。月村家とは違って外面を気にしない程、親しいわけでもない。

 

 恭也のお下がりを着てラフな格好をしていたユーノ。なのはの私服を着せられていたアリシアも防護服姿だ。二人は単純に万が一のことに備えてだったらしい。転移の失敗で意図しない座標に飛ばされたら目も当てられない。なのはに伝えなかったのは、知らせる前に本人が防護服姿に変身したからである。

 

「色々と案内してあげたい場所は沢山あるけど、また今度で。今は母さんの様子を見る方が先だよ」

「すごい。この庭園って君のお母さんが個人で所有しているの?」

「う~ん、詳しい事は分かんないんだ。あっ、でも、庭園の概略を記したデータマップがあるから、ユーノなら何か分かるかもね。バルディッシュ?」

『Yes sir』

 

 アリシアが待機状態のバルディッシュをかざすと、空間投影モニターに時の庭園らしき外郭部が表示される。まるで3Dモデルのように投影された庭園は、巨大な城塞のようだった。彼の有名な天空の城を連想させるかもしれない。

 モデルの周囲にはミッドチルダらしき文字が多数投影されているが、なのはには読むことが出来なかった。

 代わりにユーノがアリシアからバルディッシュを受け取ると。色々と操作しつつ、なのはに庭園の概略を説明してくれる。

 

 なのはの常識では考えられないことだが、時の庭園は次元航行船であり星々の海を渡ることが可能であるらしい。

 内部には超大型の魔導炉を備えていて、自給自足の発電が可能だそうだ。しかも、多数の傀儡兵と呼ばれるロボットを備えていて、施設の防備も強力。下手すると管理局の次元航行艦と渡り合えるかもしれないとユーノは驚愕していた。

 

 次元航行艦がどれ程の強さなのか、なのはは知らない。でも、きっと凄い事なんだろうと納得しておく。

 

 彼女の興味はもっぱらアリシアの母親の事だった。一体どんな人なんだろうと気になって仕方がない。

 母のいない環境で育ったなのはが、親友の母親に興味を抱くのは必然だった。月村家の両親は別居していて見たことがないし、バニングス家の両親も企業のトップに立つ人間。早々会える機会もなく、なのはは他人の母親を知らない。

 

 お母さんとは一体どんな存在なんだろう? 父親とは何が違うんだろう? そんな漠然とした疑問ばかりが彼女の頭の中で広がっていくけど、質問しようにもアリシアの母親は病気らしい。どんな人なのか気軽に尋ねるべきかどうか、彼女は迷ってしまい。結局言えず仕舞いになっていた。

 

 アリシアは、にこにこと時の庭園のお勧めの場所や、お気に入りの場所を自慢しているし、ユーノは庭園の詳細なスペックを呟きながら学んでいる。

 それを、どこか上の空で聞いていたなのはだったが、ユーノが急に乾いた笑いを浮かべたことで意識を引き戻された。

 

「は、はは……、ねぇ、アリシアの家系って、かの有名なテスタロッサ家?」

「う~んとね、有名かどうかは分からないけれど、名字はテスタロッサだよ?」

「えっと、そういうことじゃなくて。なんて言ったら良いんだろう」

 

 いまいち会話が噛み合っていない二人。

 云々と顎に手を当てて悩んでいたユーノだったが、閃いたかと言わんばかりに頷くと、核心に至る質問を繰り出した。

 

「お母さんの名前って、プレシア・テスタロッサかい?」

「うん、そうだよ! 良く分かったねぇ~~」

「まあ、有名だからね……」

 

 何度も一人で頷きながら、納得した様子のユーノ。

 なのはは、そんな彼に聞いてみることにした。プレシアがどんな人なのかを。管理世界で有名ならば、その人となりも知っているかもしれない。

 バルディッシュの空間投影モニターを消して、丁寧な手つきでアリシアに返すユーノに、なのはは静かに声を掛ける。

 

「ユーノさん。プレシアとはそんなに有名な人なのですか?」

「ん? ああ、ごめんよなのは。キミには分かりにくかったよね。プレシアって人は――」

 

 プレシア・テスタロッサ。

 いわく次元世界でも数えるほどしかいないSSランクの魔導師。条件付きとはいえ、その魔力と魔法の行使力。処理速度、術式の制御、威力、どれをとってもトップクラスの、まさに大魔導師と言っても過言ではない人だったらしい。

 本職は有名な会社の技術主任。魔導炉の技術開発・運用者であり、現場を指揮する立場に居たそうだ。技術者としても優秀。時の庭園の魔導炉は彼女が一から設計を手掛けたオリジナル。既存の理論で組まれた新型の魔導炉。これだけでも莫大な利益と、いくつもの賞が取れるとユーノは断言する。

 

 そんな子供からすれば誇らしい母親は。ある時、魔導炉の実験に失敗して大規模な事故を起こしたらしい。

 幸い犠牲者は少なかったものの、当時は事故を起こした責任者としてマスコミを初めとする追求と弾劾を受けた。そして程なくして地方に異動後、失踪したという話だ。

 後に事件は会社が実験を強行したことが原因で、プレシアには何の罪もなかった。それどころか事態を収束させようとした人間の一人だった。世間は手のひらを返したように企業を責めて、会社は倒産。けれど、彼女は表舞台に戻ってくることはなかった。

 今の今まで噂すら聞こえなかったようで、ユーノは彼女がこんな所に居たことが驚きらしい。

 

 プライベートの事については一切不明だそうで、彼女がどのような生活を送っていたのかは分からない。少なくとも娘がいた事すら分からなかった。

 

 不謹慎かもしれないが、そういう意味ではアリシアと出会えた事は幸運なのかもしれない。もし、彼女の辿った道筋がひとつでも違っていたら。アリシアとなのはは出会う事すらなかっただろうから。

 なのははアリシアに会えて嬉しいと思っている。人の運命とは数奇なもので、出会いすらも定められているのかもしれない。それでも、彼女に会えたことは純粋に喜ばしい。もちろんユーノにも同じ気持ちだ。

 

 最近は、こんな私でも変わって行けたと思う。もちろんいい方向に。昔は随分と人を寄せ付けなかったのだが……異世界の人間と関わって価値観が変わったのだろう。なのはは、そう自分を納得させる。

 もしも、彼女の家族がいたのなら気が付いただろう。それは、なのはが元に戻っている証拠。本来の、優しくて、明るく可愛らしい女の子に戻っているのだと。

 

 結局、プレシアがどんな人物かは分からずじまいだった。せいぜい想像できるのは、仕事に生真面目で、責任感が強い人だったと言う事だけ。頭もよくて、きっと美人なのは間違いないだろうけど。アリシアの綺麗な顔立ちと、美しい金糸の髪を見ていれば、そう判断できる。

 

「へぇ、なのはは母さんの事について知りたいの?」

「えっ? ええ、母親の事をあまり知らないので、参考に良ければと思いまして」

「じゃあ、私が母さんのこと話してあげるねっ!! 大好きな母さんの事、なのはに聞いてもらえると嬉しい!!」

「じゃあ、お願いできますか?」

「うんっ!!」

 

 自分の大好きな母親の事について話題にされるのが嬉しいのか、アリシアは明るい雰囲気をよりいっそう輝かせて頷いた。

 

 ユーノは、なのはの母親の事をあまり知らないという言葉に違和感を覚えた。それでも、余所の事情に深く踏み入ることは躊躇われるのだろう。自分の好奇心を律すると、彼もアリシアの話に耳を傾ける。

 

 ユーノとしても稀代の大魔導師であり科学者でもあるプレシアがどんな人物だったのか気になるのだ。数々の賞を受賞するほどの遺業。自分とは研究分野の違いはあっても尊敬に値する人物。

 その数少ない人柄を知る機会。是非とも記憶に留めて置きたかった。後の将来、考古学者として歴史の研究をするならば特に。

 

「母さんはね、いつも仕事が忙しそうで、帰って来るたびに疲れた顔をしてるの。でも、わたしが笑顔で"おかえり、ママ!"って言うと、すごく嬉しそうな顔で"ただいま、アリシア"って微笑んでくれるんだよ。それにすっごく優しいの!

 マカロンのジャムもわたしの好きな味にしてくれる。ピクニックに出掛けた時は、美味しいサンドウィッチを作ってくれたし、ピクニックに行った先で懐いちゃった山猫のリニスを飼うのも許してくれたんだよ?」

「でも、仕事が忙しいと言う事は、なかなか家に帰って来れないのでしょう? その、独りぼっちで寂しくはなかったのですか?」

 

 アリシアの母を語る口調は活き活きしていて、身振り手振りを交えながらも一生懸命伝える様子が、彼女の母に対する愛情の表れと言える。

 "優しい"とか"すごく"を強調するかのように声を張り上げて、大きく腕を広げるのだ。その大げさすぎる表現からも、いかに彼女がプレシアを慕っているのか伝わってきた。

 

 なのはは微笑ましそうに。まるで自分の事のようにアリシアの話に耳を傾けていたが、ふと悲しそうな顔をすると、寂しくないのかと、問いかけた。

 彼女も不破家において孤独だった頃がある。誘拐されて、救出された直後の頃。どうしても兄の恭也が手を離せない時。彼女は独りぼっちだった。その孤独感、誰も傍に居ないという寂しさを知っているが故に。そう問いかけるのも仕方ないのかもしれない。

 

 今でもなのはと家族の間では深い溝がある。自分ではどうしようもない程の疎外感。家庭内での独りぼっちの寂しさは続いていた。

 

 それは父の士郎も、姉の美由希も同じなのだろう。復讐に身をやつして心を自ら壊した不破家。激情に駆られるままに、閃光のように人生を駆け抜ける彼らは、酷く孤高でいて孤独だ。だから、誰もが声を掛けることは出来ない。同じ境遇を分かつ者か。家族という絆で結ばれた者にしか声は届かない。

 

 なのはが抱いたのは共感。境遇は違えど同じ孤独を味わった者として、アリシアがどんな気持ちだったのか知りたかった。そうすることで傷の舐め合いでもしたかったのか、或いはアリシアの言葉で救われたいのか。それは分からない。

 ただ、彼女はアリシアの語る母の思い出を聞いて、自分の知らない母の温もりを感じようとしたのは確かだった。

 

「う~ん、寂しかったのかなぁ? でも、使い魔のリニス。あれ? 山猫のリニス? とにかくリニスが居てくれたから大丈夫だったよ。

 それに、我儘を言って母さんを困らせたくないもん。だから、我慢するの。だって、ちゃんと帰って来てくれるし、寝る時は一緒だもん」

「そうですか。アリシアは良い子ですね。私なんて兄上に迷惑ばかり掛けてしまいました」

「そうなの?」

「ええ……とっても」

 

 アリシアの話はそれからも続き。なのは達はアリシアの謎めいた母親の事を少しだけ知ることになった。

 そして、同時に彼女の母親を、病から救ってあげたいという気持ちが強くなっていく。これ程までに娘は母を慕っているのだから。

 

◇ ◇ ◇

 

 なのは達は時の庭園の玉座の間を経由して幾つかの区画を移動する。

 自然の広がる区画は、驚くほどの大草原が広がって、奥地に森の生い茂る山がそびえている場所。本物の空と変わらない様に見える人工の空は綺麗だ。

 

 様々な本や資料を収め、何らかの実験に使う器具や施設が広がる研究用の区画。

 

 途中、大自然の区画でリニスのお墓参りをした。アリシアの姉とも、魔法の師匠ともいえる使い魔のリニスは既に息を引き取っていた。

 

 己の使い魔のアルフという狼がいるらしいが、彼女はアリシアに負担を掛けない為に子供の姿で眠り続けているらしい。彼女の見舞いは母親の後で、と言う事になった。

 

 本当に……アリシアは独りぼっちのようだ。少なくともバルディッシュ以外は誰も話し相手などいない。広すぎる住処にずっと一人で過ごす。どれ程の孤独だったのだろうか。少なくともユーノは想像が付かなくて顔をしかめていたのを、なのはは見逃さなかった。

 そして、数々の部屋それぞれに調度品が置かれ、住み心地の良さそうな居住区まで行くとアリシアは足を止めた。ここが目的地らしい。

 

「ごめんね。母さんは機械のベットに入って眠ってるから、お話は出来ないかもしれないけど、ジュエルシード集めをする前に顔を見ておきたかったんだ」

「いえ、気にしないでください」

「その、そんなにプレシアさんの容体は悪いの?」

「うん……母さんは――」

「そこに誰かいるのかしら?」

 

 ユーノが戸惑いがちにプレシアの具合を尋ね、アリシアが瞼を伏せて悲しそうに答えようとしたとき。

 部屋の中から女性の声が聞こえた。少年少女の幼さを残したソプラノの声とは違う。少しだけ低めに抑えられたような、落ち着いた女性の声。

 

「まさか、母さんっ!!」

 

 アリシアが叫び声をあげ、ノックもせずにスライド式の扉を叩き開けた。

 それは歓喜からくる叫びではない。焦りからくる切羽詰まった叫び。少女は友人の前にも関わらず、対面も何もないまま、一心不乱に部屋の中に飛び込んだ。

 一瞬、呆気に取られたなのはとユーノだが、慌ててアリシアの後を追いかけて部屋の中に飛び込んだ。

 

 そこに居たのは一人の妙齢と思われる女性。顔立ちは若く、二十代後半に見えた。

 髪の色は艶のあったであろう黒色。それにアリシアのようにとても長い。腰まで余裕を持って届きそうだ。

 瞳の色や髪の色はアリシアとまったく違うが、顔の輪郭はそっくりだ。アリシアの瞳と金糸の髪は父親譲りだろう。髪質はもしかすると母親譲りかも知れないが。

 病院着を着込んだ彼女こそが、アリシアの母、プレシアであることは間違いない。

 

 部屋の中には簡素なベット、大の大人が余裕で入りそうなポッドを備えた機械がある。

 恐らく、あの機械がアリシアの言う生命維持装置なのだ。なのははそう検討を付けた。

 

(顔色が優れませんね。アリシアの母親の病は本当に……)

 

 アリシアは眠っている母を優しく、丁寧に支えて抱き起していた。娘の力を借りて上半身だけ起こしたプレシアの表情は優しげだ。

 ただ、顔色は蒼白くて生気がなさそうに感じられる。彼女は目に見えて弱っているのがよく分かってしまう。食事を摂っていないのか頬は痩せこけているのが痛々しい。

 ジュエルシードと言う願いを叶える宝石を使ってまで、病を完治させたいというのも頷ける話だった。アリシアの母親は少しでも気を緩めれば儚く消えてしまいそうな感じがした。

 

「ダメだよ母さん! ちゃんと、あの中で眠ってないと……!!」

「大丈夫よ、"アリシア"。母さんは仕事が終わるまで、倒れたりしないわ。ちょっと忙しいけれど、この仕事が終わったら時間を作ってあげられる。小学校に上がる前の貴女に、今まで与えられなかった愛情も、楽しい時間も」

「……かあ、さん……」

 

 なのはは違和感を感じた。隣で立ち尽くすユーノも同じだったようで、小さく唇を開いて「えっ、あれ?」と疑問を漏らしている。

 アリシアが身体を抱き起してくれて、縋るようにプレシアにしがみ付き、身を案じるように訴えているのにも関わらず。彼女はアリシアの事を見ていない気がした。

 視線もちゃんと傍に居るアリシアに向けられている。娘の声にも気が付いている様子はある。だというのに、その瞳は別の誰かを見ているよう。まるでアリシアを通して、その面影を持つ別の誰かを。心なしか喋る言葉も、アリシアに向けられたものではないような。

 アリシアも慣れているんだろう。ショックを受けた様子もなく、悲しそうに俯いて小さな声で母さんと呟くだけ。それでも、瞳は涙で揺れていて、今にも泣きだしそうだった。

 

「……あら? そこに居るのは"アリシア"のお友達かしら?」

 

 プレシアが初めて気が付いたかと言うように、ゆっくりとなのは達を見た。

 思わず二人ともびくりと身体を震わせて、身を竦めてしまう。彼女の瞳は虚ろで、どこか夢心地のような感じがする。現実を認識できず、幻想を見ているような。

 確かにしっかりとなのは達のことを見ている。ちゃんと捉えて認識している。けれど、何処か致命的なずれを感じる。何かが噛み合わない。

 

「あっ、はい。ユーノ・スクライアと言います」

「ふっ、不破なのはと申します」

 

 声を上ずらせながらも、なのはとユーノは挨拶を交わす。プレシアの、その瞳を見ていると虚無に捕らわれてしまいそうで、失礼だが目を逸らすしかなかった。

 

「そう、こんな格好でごめんなさいね。せっかく"アリシア"のお友達が来てくれたのに、何のお持て成しも出来ないなんて。母として失格だわ」

 

 他人に聞かせるというより、まるで自分に言い聞かせるかのように呟くプレシア。

 その顔はどうしようもなく憂いに満ちていて、後悔に苛まれているかのようだった。

 なのははそれに、在りし日の父の姿を垣間見た気がした。士郎もこうやって。なのはのうんと幼い頃に、泣き崩れていたような。

 朧気ながらも覚えている。あの時の彼の顔は取り返しのつかない過ちを犯して。それを悔やみ続ける顔をしていた。自分を責めていた。

 

「本当に私は……いつも気づくのが、遅すぎる……ゴホッ、ゴホッ!」

「い、いやあああっ! 母さん!!」

「っ、大丈夫ですか――!?」

「二人とも落ち着いて!!」

 

 そうして、なのはが遠い記憶に想いを馳せていると、急にプレシアが咳き込んだ。顔を歪めて、苦しそうに何度も何度も。

 咄嗟に口元を手で抑えた彼女だが、指の隙間から血が零れ落ちてしまう。ゆっくりと肌を伝い、地面に滴り落ちるソレは、瞬く間に純白のシーツを赤黒く染めた。

 

 アリシアが目を見開いて、泣き叫ぶようにプレシアを呼ぶ。

 なのはも混乱していた。いきなりの吐血に何をどう対処すればいいのか分からない。

 

 そんな中でユーノだけが落ち着いていた。慌てたなのはを押しのけ、混乱するアリシアを引き剥がすと、プレシアに回復魔法を掛けていく。身体を蝕む病魔を根治させることは出来なくても、進行を抑え、症状を緩和することは出来る。

 

 部屋の中にフィジカルヒールの光だけが淡く輝く。術者の内面を表したかのような優しい緑の光。

 ユーノは黙々と治癒魔法を行使し続ける。なのははそれを漠然と見守ることしかできなかった。せいぜい出来ることは泣き震える少女を抱いてあやすことだけ。「大丈夫だよ」とアリシアに言い聞かせながら、安心させるように背中をとんとんと、手のひらで叩く。

 

「お加減はどうですか?」

「はぁはぁ……身体が暖かい、少しだけ楽になった気がするわ。ありがとう、坊や」

「良かったです。でも、やっぱり、アリシアの言う通り、医療用の治癒装置で眠っていた方が良いです」

「そうね、そうかしら? ええ、そうしましょう。ごめんなさいね、迷惑を掛けたわ」

「お気になさらず、どうかゆっくり休んでください」

 

 プレシアはゆっくりと立ち上がる。ユーノは彼女の身体を支え、なのはも同じようにプレシアの身体を支えた。

 弱々しく治癒装置の所まで一歩一歩、ゆっくりと進んでいくプレシア。そんな彼女の手をアリシアは引いていた。己の手を引っ張って導いてくれる娘の姿に、母は慈愛の微笑みを向けるも、やっぱりそれは別の誰かに向けられている。だって……

 

「貴方たち二人。とても良い魔導師に成るわ。感じ取れる魔力から才能が伝わってくるもの。量も質も飛び抜けてる」

「私はプレシアさんの子供にだって、アリシアにだって同じような才能があると思います。私では太刀打ち出来ませんでしたから」

「ふふ、謙遜はいいわよ? 残念だけどアリシアには魔力資質があまりないの。その変わり頭はとても良いから、将来は学者さんに為るのかしらね。いつも"ママ"のお仕事を手伝うんだって張り切ってるのよ」

「…………」

「でも、もしも私の魔法の才能を受け継いでいたら、貴女にも引けを取らなかったでしょうね。貴女と一緒にインターミドル・チャンピオンシップに出場したら、きっと素晴らしい試合が見れたかもしれないわ」

「そう、ですか……」

 

 彼女はアリシアの事をちゃんと認識していないのだから。

 なのはの違和感は確たるモノとなって、彼女を悲しみのどん底へと急速に落していく。

 嗚呼、如何してこんな事になっているのだろうか。娘はこんなにも母の事を慕っているというのに、肝心の母親はそれを正しく受け取ることが出来ない。アリシアの親を想う気持ちも、プレシアの娘を想う気持ちも、致命的なまでにすれ違っている。その事がどうしようもなく悲しくて。

 なのはは、プレシアが治癒装置に入るのを手伝いながら、顔を伏せる。

 

「はやく、はやく元気になって笑ってね。母さん」

 

 腕に栄養剤の点滴を流し込むための注射針を差し込み、横たわったプレシア。

 その姿が治癒装置に備えられた円錐状の、半透明な蓋が閉まっていく事で見えなくなる寸前。

 アリシアは涙で瞳を揺らしながら、気丈にも笑顔を浮かべた。母の病の快方を願う少女は最後まで涙を流すことはなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 プレシアの病は一種の記憶障害だった。周囲の人間が認識している時間と、本人の中で認識している時間が決定的にずれているらしい。少なくともユーノはプレシアの治癒データを見て、そう判断した。だが、それは単なる合併症に過ぎない。彼女の身体を蝕んだのは別にある。

 病の原因となったのは過去で起きた魔導炉の暴走による事故。その時に魔導炉から漏れた反応魔力素を彼女は大量に吸い込んでいた。体内に残留した魔力素は彼女の内臓を蝕んでいき。そして、運悪く脳に達してしまった。これがきっかけとなって、プレシアは今の状態に陥った。治癒データはそれを端的に示している。

 内臓の殆どがぼろぼろで機能が低下している状況。免疫系も大幅に低下していて、別の病も発症している可能性もある。

 

 ユーノが驚愕していた点は、プレシアが一切の治癒を行っていなかった事。早期に医療施設で処置を受けていれば、ここまで重傷に陥ることはなかった。

 そして、彼女の病は末期症状まで進行していて、手の施しようがない。それこそ奇跡でも起こらない限りどうしようも。高度なミッドの医療技術を持ってしても症状を緩和して、延命するのが関の山。

 どうして彼女はこんなになるまで自身の病を放っていたのかと、ユーノが歯ぎしりしながら呟いていたのを、なのはは隣で聞いていた。

 

 彼は今、プレシアの治癒データをかき集めながら、彼女の寿命が何処まで持つのか計算している。

 もはやジュエルシードを使う事に何の躊躇いも見せていない。その上で安全にジュエルシードを運用できるのか計画しているようだった。暴走した時に即座に封印する方法から、願いを正しく認識させるにはどうするのか、時の庭園にある資料と自分の中にある遺失物の知識を照らし合わせて奔走している。

 

 寿命の予測はジュエルシードを集める所から、発動させる準備をするまでの期間のタイムリミットを割り出すため。いざ準備して間に合いませんでした、では話にならない。

 

 ついでに治癒装置の誤作動でプレシアが出て来ないよう、念入りにシステムのチェックまでこなす。その激務になのはも何か手伝おうとしたが、「なのははアリシアの傍にいてあげて」と、やんわりと断られてしまった。

 

 むしろ、なのはは、ジュエルシードの封印で忙しくなるのだから、休んで居て欲しい、とまで言われた。

 いわく裏方の仕事は僕の役目だからと。

 

 どうして其処までして無茶をするのかと、聞いてみると、彼もテスタロッサ親子の姿に思うところがあったらしい。それに、「他人を助けるのに理由はいらないし、友達なら尚更だよ」と語った。こんな事、苦じゃないと笑ってもいた。

 だから、知識が必要な部分は僕に任せろと、彼は胸を放って言い放つ。その姿にアリシアは真摯な態度で「お願いユーノ。母さんを助けてください!」と深く頭を下げ、彼は快く了承した。

 

 もちろん、なのはもユーノと同じ気持ちだ。なのはだってプレシアの事を助けたい気持ちは同じくらい強い。アリシアに母を喪う気持ちを味合わせたくない。だから……

 

「アリシア。私にもジュエルシード集めを手伝わせてください。わたし、お母さんがいないから。遠い所に行ってしまったから。だから、あなたのお母さんを助けたい」

「なのは――うん!」

 

 彼女は決意する。段々と高まっていったアリシアの母親を助けたいという気持ちは、現状を理解したことで揺るぎ無い決意として、なのはの中で固まった。

 その意志を伝えられたアリシアは、感極まって嬉しそうに、堪えていた涙の一筋を流す。ずっと独りぼっちで、時の庭園で過ごしていた少女。頼っていた親代わりのリニスを喪い、支えてくれる使い魔のアルフも眠り続けている現状で、全てを背負って行動していたアリシアは、初めて支えてくれる"親友"の絆を感じ取った。

 それが嬉しくて涙を流すのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「ここが一応、わたしの部屋だよ。なのは」

「では、あの子が?」

「うん、使い魔のアルフ。わたしにとっての妹だし、頼れるお姉ちゃんでもあるの」

 

 決意を新たにしたなのはは、アリシアに連れられて彼女の部屋を訪れる。後回しにしていたアルフの見舞いをする為に。室内では、なのはよりも幼い姿をした橙色が印象的な女の子がベットに横たわっていた。彼女がアルフだとアリシアは言う。橙色の長い髪から覗く、同色の狼の耳が特徴的で、元が狼だったと一目で分かるくらいだ。

 使い魔は動物を素体として作り出されるので、元になった動物の特徴が強く色濃く出るらしいとは、アリシアから道中で聞いていた。此処まで分かりやすいものなのかと一人納得しているなのはである。

 

「すぅ、すぅ」

「アルフ、負担ばかり掛けちゃってごめんね。でも、もうすぐ元通りだよ。そしたらいっぱい遊ぼう。アルフのしたい事。やりたい事にうんと付き合ってあげる」

 

 アルフが安らかに眠るベットに駆け寄ったアリシアは優しい手付きで、アルフの髪を撫でた。その仕草から、いかに彼女が自身の使い魔を大事にしているのかが分かる。なのはよりも断然子供っぽい性格の、幼げな少女が見せる大人っぽい一面。慈愛に満ちた年上の女性の表情。優しい眼差し。なのはの知らないアリシアがそこには存在した。

 

「それと紹介するね。こっちに居るのがなのは。初めて出来たわたしの友達なんだぁ。えへへぇ、すごいでょ~~?」

「安眠している手前、申し訳ありません。私は不破なのはと申します。以後お見知りおきを」

 

 アリシアに紹介されたことで、アルフの眠るベットの傍まで歩み寄ったなのはは、スカートを摘んで小さくお辞儀をしながら挨拶の言葉を口にする。

 

「もっと気楽に接してあげても良いんだよ?」

「これが性分ですので」

「まあいいや。立ったままだと辛いでしょ? ベットの隣に腰かけていいよ。話したいこといっぱいあるんだ」

「では、お言葉に甘えて。失礼します」

 

 眠る少女を起こさないようにそっとベッドに腰掛ける。

 改めて部屋を見回してみれば、なんと質素な部屋であろうか。

 居住区にある多くの部屋にはたくさんの調度品が飾られているというのに、この部屋にはあまり物がないようだった。

 あるのはそこそこ良さそうな使いこまれたベット。最低限の機能を保った机。そこに飾られている写真立て。たったこれだけしかない。

 着替えをしまうためのタンスやクローゼット。書物をしまうための本棚。空間モニターが主流なので分からないが、テレビのような映像装置もなさそうだ。観賞用の植物も、娯楽の為の遊び道具も、子供が持っていそうな物は存在しない。

 

 だからこそ、写真立てに飾られた一枚の写真は一際目立っていた。そこに映るのは美しい女性と幼いながらも利発そうな女の子。プレシアとアリシア。テスタロッサ親子の眩しい笑顔が収められた写真だった。特にプレシアの姿は見間違えるほどに綺麗だった。とても幸せそうな表情をしている。アリシアも真っ白な花弁が美しい花冠を頭にかぶせていた。母親に勢いよくしがみ付きながら、カメラに向かって元気よくピースサインをしている。

 背後の景色は話していたピクニックの時に撮ったのだろうか。見渡す限りの大草原が広がっているのが印象的。 

 写真立てから思い出話に行こう。幼いアリシアとプレシアが二人で映る写真

 

「その写真が気になるの?」

「ええ、二人ともすごく楽しそうで、私には眩しいです。これは何処で撮ったものなのですか?」

「うんとね、ミッドチルダの北西部、クルメア地方だったかな。わたしの生まれた地方とは比較的近い場所なんだ。リニスと出会った場所でもあるんだよ? ちなみに時の庭園はミッドチルダの南。アルトセイム地方。こっちは自然が豊かなんだ。おっきな森があるの」

 

 なのははミッドチルダという世界が未来都市のような自然が少なく、機能性が追及された都市群を先入観として抱いていた。魔法という技術に触れているなら特に。

 実際は、だいぶイメージと違いそうだった。アリシアの話からすると町の近くに大自然が広がっていそうだ。もしかすると自然と人間が上手く共存できた世界なのかもしれない。

 写真から掴み取れる情報は少ないが、海鳴の街の近辺でこんな大草原が広がっているなんて、聞いたこともない。そこからして違うのだ。

 もっとも、都会から遠く離れた田舎で過ごしていた可能性も否定できないが。プレシアは有名な研究者だった分、私生活はひっそりと静かに暮らしてたのかもしれなかった。と勝手な想像をしてみるなのはである。

 

 それにしても、アリシアの言動にはさっきから違和感があって、敏い不破家の少女は首を傾げていた。

 会話の合間が疑問形だったり、極めつけに呼称が変わっていたりする。プレシアの事を母さんと呼ぶ時もあれば、"ママ"と親しげに呼ぶ時もある。

 言葉に含まれた親密度は大して変わらないだろう。けれど、ニュアンスがまったく違うのだ。プレシアをママを呼んだとき、すごく甘えている感じがする。母さんと呼ぶ時は何処か遠慮がちなのに。

 自分の過去を話すときも、アリシアは自分の事のように嬉しがっているだけで、何処か他人行儀だ。まるで自分によく似た別の誰かの事を話しているような。

 どこかしっくりと来ない、気持ち悪い歯切れの悪さが目立って仕方がない。

 

「?……なのは、どうかしたの?」

「アリシア……いえ、何でも、ないです」

「もしかして疲れちゃった? もし、そうならごめんね。無理に付き合わせちゃったのかな……」

「そういう訳ではないのですけど」

 

 なのはは何て切り出していいのか判断できない。疑問点を付けば容易にアリシアの存在を崩してしまいそうな気がした。

 本人がどう受け止めているのか分からないのだ。ならば、部外者であるなのはが容易に口出しして良い事ではない。

 せいぜい、自分に出来るのは、その事で振り回されて苦しんでも大丈夫なように、助け舟を出せるようにすることだけ。

 

「私はアリシアがどんな存在でも受けとめます。だから、悩みがあったら、その、相談して下さい」

「……嬉しいなぁ。なのははやっぱり優しいや。いつだってわたしの欲しい言葉をくれるんだもの」

「そんなことないですよ。アリサの方が頼れますし、すずかよりも気遣いは下手っぴです」

「もう、謙遜しなくていいのに」

「あんまり、褒めないでください……照れます。

 そろそろ行きましょう。あまりユーノさんに頼るのもいけません」

「そっか。そうだね、そうしよう」

 

 またね、アルフ。と囁いたアリシアに続く形で部屋を後にする。

 来た道とは別方向。アリシアが近道だと教えてくれる帰り道を歩きながらユーノの元へ急ぐ二人。

 研究区画を横切って居住区を目指すルート。居住区と違ってどれも同じに見える扉や通路が広がる区画は迷いやすそうだ。実際に最初に使った道は、なのはが迷っても戻って来れるように、分かりやすい目立つルートにしただけで。本来であれば此方を主に使っているらしい。

 

 そうして歩くこと数分。巨大な両開きの扉の前を通った瞬間。なのはは顔をしかめ、口元を咄嗟に抑えることしかできなかった。

 嗅ぎ慣れてしまった臭い。嗅ぎ過ぎて本能的に嫌気を催す臭い。幼い頃に刻み付けられた嗅覚への特定の刺激は強烈な不快感となってなのはを襲う。それは、父と姉が纏いすぎた臭いであり、なのはから彼らを遠ざける一因ともなっているモノだ。

 

 尋常ではないくらいの血と腐臭が、両開きの扉の奥から漂ってくる。部屋の存在を示すミッドチルダ語をレイジングハートに直訳してもらえば、其処は動力炉直結の保管庫と書かれているらしい。よほど大切なのか見るからに厳重なセキュリティが施してありそうだった。隣には壁からせり出したコンソールが目立っている。

 

 なのはにとって不幸だったのは、不破の武術を学ぶものとして五感が非常に優れていた事。常時、自分の意志で抑制しているのだが、血の臭いを嗅いだことで枷が外れたらしい。血の臭い=危険という図式が防衛本能を呼び覚ました結果だった。

 この臭い、常人には嗅ぎ取れない。現に前を歩くアリシアは何にも感じていないのか平然と前を歩いているのだから。

 

「うげっ……ッ、むぐぅ……」

 

 込み上げてきた吐き気を辛うじて抑え込む。本当に気持ち悪い。早くここから離れたい。

 だというのにショックでふら付いた身体は言うことを聞かず、壁伝いで歩かなければ倒れてしまいそうだった。

 あまりにも刺激が強すぎて、身体が拒絶反応を起こしたらしい。身体の過剰な反応は時として人を傷つける。一種のアレルギーのようなものだ。

 

「あれ……なのは!? 大丈夫? 気持ち悪いの!?」

「ふるふる……」

 

 なのはは大丈夫と言おうとして首を振る。息を吸うのも気持ち悪いのに、言葉なんか吐きだしたら耐えられそうにない。せめてもの意思表示が精一杯だった。もはや仕草でさえ、良し悪しをのどちらを表すのか判断できないほど。

 アリシアはなのはに肩を貸すと、気持ち悪くなった自分に負担を掛けないよう、ゆっくりと歩いてくれる。

 少しずつ、少しずつだが、確実に不気味な扉から離れていく二人。

 

 なのはの顔は無意識に歪んでいた。瞳は涙目になっていて、彼女がどれほど辛かったのか端的に表している。泣くことを忘れた彼女が、防衛本能として涙を流しそうになったことも、不快指数の強さを表していた。

 アリシアが申し訳なさそうに言う。

 

「そっか、わたしは普段から気にしてなかったけど。他の人はそうじゃないよね。ごめんなさい……」

 

 その口ぶりから彼女はソコが何なのか知っている様子だった。

 声を出した瞬間に吐いてしまいそうだったので、視線で訴えかける。ここは何なのかと。

 その眼差しにアリシアは、はっきりと瞳を逸らした。顔を伏せ、表情を隠す。ただ押し殺した声で一言呟くのがせいぜい。

 

「此処は…………そう、……捨て場! 生の、とか、処理しきれなかった、ものが……わたしの、庭園の、管理が……ずさん、だから……」

「…………」

「お願い、あんまり、聞かないで欲しい、の……できれば、忘れて…………」

 

 例の両開きの扉は、保管庫と記された場所はアリシアにとっても良くない場所らしい。

 いや、もっと恐ろしい何かだ。あそこは開けてはならない禁忌の扉。パンドラの箱が収められた扉。

 其処にはきっとアリシアの最大の秘密が隠されているのだと、なのはは確信する。同時にもっとも触れてはいけない場所だとも悟る。不安定な金色の少女がもっとも弱さを見せる程だから。

 なのはは忘れることにした。いや、信じたくなかっただけなのかもしれない。

 

 多種多様にある血の臭い。草木が切り刻まれた臭い。刺身などの生物(なまもの)から、豚肉、牛肉、鶏肉に至るまで違いがある。

 保管庫から漂ってきたのは、幼い頃に知ってしまった嗅ぎなれた臭い。トラウマを刺激するほどの腐臭。

 なのはとしても本当に信じたくない。きっと違うんだと思いたい。

 

 だけど、あそこから漂ってきたのは間違いなく。

 

(あそこに保管されているのは……遺体、なのでしょうか……)

 

 人の血の臭いに他ならなかったのだから。

 

 



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●幕間5 二人の女の子がいるって意味でダブルデート

 現状を知ったなのは達の行動は迅速だった。

 まずはバニングス、月村の両家探索隊が起動前のジュエルシードをいくつか発見する。それを学校が終わる前はアリシアが、放課後以降はなのはが封印する。

 民間のプールから。学校の敷地内。果ては、綺麗な石を拾って上機嫌の少年から、事情を説明して好意的に譲り受けたこともあった。ちなみに聖祥の生徒だ。

 

 だが、起動前のジュエルシードを見つける方が珍しいことなのだ。大抵は暴走して、ユーノの構築した監視網に引っかかる。そして、即座に結界で封鎖して一戦交えたのち、封印するのがセオリーとなっていた。

 その殆どはジュエルシードに取り込まれた野生動物というパターンが多い。好奇心旺盛で、宝石に興味を持ち、何らかのきっかけで触れてから暴走する。

 稀にジュエルシード単体で発動して思念体が暴走することもあるが、なのはが襲われた時と探索中の一回のみだった。

 そのことごとくを、なのはとアリシアは封印していった。あまりにも順調すぎるくらいだ。

 

「いくよ、バルディッシュ!!」

『Yes sir!』

「君の翼を斬り墜とす!」

『Scythe Slash!』

 

 海鳴の大空を舞う、不死鳥のごとき変身を遂げた鴉に対し。圧倒的な速度で追いついたアリシアが、その翼をもぎ取れば。

 

「公園の木が意志を持って人を襲うとは……人に恨みでも、御持ちですか?」

『Sealing Mode』

「ですが、その望みを叶えさせる訳にはいきません。アナタを護る障壁諸共、ぶち抜いて差し上げます! ディバイン……」

『撃てます』

「バスターー!!」

 

 堅い防壁を持った樹が、その枝葉で人を襲わんとする前に、桃色の閃光が撃ち砕く。

 

「なのは、無理しないで」

「ええ、ユーノさんこそ」

「アリシアは無茶して突っ込みすぎないでよ?」

「心配性だなぁ、わたしは大丈夫だよ?」

 

 そして、ユーノによるサポートが二人の負担を軽減させていた。不破家で療養している間も、彼はサーチャーでジュエルシードの探索を続けている。結界を展開するのも彼の役目。封印を行う時は、強力なバインドで対象の動きを止めて二人のサポートをする。或いは前に出て、敵の攻撃を一手に引き受ける役目を負っていた。

 

 その甲斐あって、ジュエルシードは残す所、六個だけ。

 だが、その六個だけがどうしても見つからない。

 

 既に充分な数のジュエルシードを確保してはいるが、海鳴に住むなのはとしては街に潜む災厄は取り除いておきたい。

 ユーノとしても同じ気持ちだった。何よりもジュエルシードを発掘した者の責任として最後まで回収する義務があると、彼は自負している。

 

 そしてアリシアも全てのジュエルシードを回収することに快く了承した。初めて出会った友達で大好きな女の子。不破なのは。仲良くなれそうな、とても優しくて、思わず懐いてしまうアリサとすずか。彼女たちの住む街を守りたい。恩人であるユーノにも恩を返したい。そんな気持ちで、彼女はニコニコと頷いてくれた。

 

 そんな訳で、ジュエルシードの落下地点が割り出せるまで、本格的な探索は休む事に為ったのである。三者三様に思い思いの日常を過ごしている訳だが、少しだけスポットを当ててみよう。

 

 なのははこれまで通り、不破の鍛錬と学校を続けている。

 その日常に新たに加わったのは魔法の訓練だろう。授業中にマルチタスクを展開して、並列思考で授業とレイジングハートによる魔法の講義を受けていた。

 

 イメージトレーニングによる訓練で射撃技術、砲撃技術、魔法障壁を貫通させる多重弾殻の生成などを行い。空戦機動すらも腕を磨いていく。ひたすらに己の技術を磨き、最適化していくのは彼女の得意とするところ。

 

 そうして養ったイメージを、空いた時間でアリシアに付き合ってもらい、模擬戦にて実際に行う事で、少しでも己が物とする。

 足りない知識はユーノを筆頭に教示をしてもらう事で学ぶ。それを繰り返す。並みならぬ努力の積み重ね。

 

 おかげで魔法の扱いに関してはそこそこ上達してきたとなのはは思っている。特にアリシアとの空戦機動を絡めた撃ち合いと近接白兵戦は結構、為になるのだ。

 

 しかし、流石に不破の鍛錬を行う時は、魔法の事を忘れなければならなかった。そんな事をしている余裕などない程に苛烈な特訓。

 

 父の士郎は死なないよう加減はしても、容赦という言葉は知らない。一瞬たりとも気を抜けば、意識は真っ暗な闇の中に落とされて、次に冷たい冷水の洗礼で目が覚める。

 

 繰り出される技も正確無比だ。烈火のごとき正拳の一撃から。身体の内側を破壊するような掌底打。不意打ち、或いは連携からの裏拳。油断したところの蹴り技。相手を無力化どころか、殺しにまで持っていく絞め技。寸止めとはいえ喉に突き破る貫手。

 

 それらに気を取られていると、隠し持っていた砂で目を潰されるわ。あらかじめ準備してあった釣り縄に誘導されてぶら下げられるわ。殺すためならば本当に容赦がない不破の暗殺術。正道も邪道も呑み込んで、確実に相手を仕留める。卑怯な手段も一切問わない。

 

 なのはが学ばせられているのは無手からの体術だけだが、本来であれば其処に剣術が加わる。小太刀二刀と飛び道具の暗器。鋼糸と飛針。剣術を絡めつつ体術も用いて相手を追いつめる。そして全てを極めてこそ。最大の奥義である『神速』を会得出来るようになる。限られた才ある者だけがたどり着ける境地。無意識に抑え込まれている身体のリミッターを意図的に外して超人的な能力を得る奥義。

 

 なのはには、その才能がないので、護身術として体術しか会得していない。それでも相当な技術を叩き込まれた少女の身体能力は、同じ年代の子を遥かに凌駕していた。

 

 あの日、あの時のような事が起きても、対処できるようにする為。あるいは己が娘を新たな復讐の道具にする為? 

 なのはには、父の真意が分からないが、もはや日々の日課と化したそれを繰り返すだけだった。

 

 

 

 アリシアは、もう一度母親のお見舞いに行ってから、居候の身と化す。

 不破家、月村家、バニングス家の三家を行ったり来たりして遊びに出掛けている。気まぐれで来訪しては、そのまま居座って寝泊りすることが多い。

 

 彼女にとっては見る物全てが新鮮で、好奇心を大いに刺激されるようだった。

 基本的に眺めているだけで手は出さないのが特徴的。恭也の盆栽をじっと眺めては、「やってみるか?」と誘われて逃げ出し、すずかの読書を眺めているうちに、音読が始まって、それを静かに聞き。耐え切れずにお昼寝タイム。

 

 唯一、アリサがバニングス邸の庭園で犬と戯れている時に自然と混じっていたというのは、アリサから聞き及んだなのはである。アルフという狼の使い魔がいるので親しみ易かったのかもしれない。

 

 後はアリサが強引にテレビゲームに誘い。強引にチェスを教え。アリシアが眺めていたダンスの練習に、強引に付き合わせ。強引に夕食を一緒に食べさせて、マナーをしっかりと教え。アリサがバイオリンの練習をしていた所を眺められたので、強引にカスタネットを持たせ、簡単なリズムを取らせながら即興で一曲奏でてみせた。

 

 月村邸では、姉の月村忍がバルディッシュに興味を示して強引に分解しようと迫る所から、すずかは彼女を逃がし。興味津々で迫ってきた猫の群れに、強引に呑み込まれたアリシアをすずかが助けだし。うっかり月村家の庭でお昼寝してしまった彼女を、すずかは膝枕して寝かせた。

 

 とにかく強引に誘わない限りは、眺めているだけで何もしようとしない大人しい子だった。興味はあるけれど、触れてみるのが怖いと言うのが本人談。

 そんな彼女の態度が気に食わないから、アリサは手を引いて色々なことに積極的に参加させていた。すずかは基本、好きなようにさせて見守っている。

 

 そんな中でユーノだけは例外だった。彼は海鳴の街の外にまでサーチャーを飛ばして探索を続け。これまでのジュエルシードの回収地点から、何処に落下しているのか法則を見つけ出そうとしていた。けれど、流石に顔には疲れが滲み出ている。

 

 なのはとアリシアには散々、無理せず休めって言ってるのに、当の本人が休んでないのはどうなのか?

 

 この中で探索魔法に優れているのはユーノだけなので仕方ないのかもしれないが、なのはとしてはそろそろ心配になってきた。

 

 なので、少し気分転換に出掛けないかと、お誘いを掛けに来たのだが……出かける理由が思い浮かばない。彼女はそんな単純な理由で、廊下をうろうろしているのだった。

 

「……どうしたものでしょうか?」

「なのはぁ?」

「ん? ああ、アリシアですか」

 

 廊下の壁に寄りかかって、顎に手を当て、上の空で悩んでいたなのはは、名前を呼ばれたことに気が付いて振り向く。

 

 すると、廊下の曲がり角でちょこんと顔を覗かせていたアリシアが、ひょっこり出てきて近づいてくる。確か曲がり角の先は父が良く居る母の遺影が飾ってある部屋があった。

 詮索するつもりはないけど、ちょっとアリシアが何をしていたのか気になる、なのはだった。

 

 まあ、それは別として。なのはは隠すつもりもないので、自分が悩む理由を正直に答える。

 

「いえ、出掛ける理由が思いつかなくて」

「えっ、出掛けるの!? やったぁ。あ、そうだ! ユーノも誘おうよ!! ねぇねぇ、ユーノ~~「ア、アリシアっ、いきなりどうしたの!?」なのはが……」

 

 そうしたら興奮した様子で頬を赤く染め、嬉しそうに笑った。相変わらず太陽みたいに眩しい笑顔だ。アリサの力強い笑みとは違う。本当にキラキラ輝く眩しい笑顔。その上で思い立ったらすぐ行動する性格だから、無遠慮にユーノをいる部屋まで突撃して、彼を誘っているようだった。

 

「ちょっ、アリシア!?」

 

 呆気に取られたなのはは、待ちなさい! とか。 少しはユーノさんに気を遣いましょうよ、とか。そんな事も言う暇もなく、遅れて伸ばした手が空を掴んだだけだった。

 

 こういう時にアリシアの迷わない性格が羨ましいと思う。戦闘に関わらないことで一度悩めば、ウジウジと迷い続ける優柔不断な性格は自分でも把握している。けど、なのははどうしても一歩踏み出す勇気を、中々持てないから。こうして即断即決して飛び出す友人がいるのはちょっと助かる。

 

 とりあえず、足元見ないで突っ走る友人が暴走しすぎないように、ちゃんと手綱を握って置こうと決意したなのはは。少しだけ楽しそうに微笑むのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「わぁぁぁ――海だよ! 海! ねぇ、なのは、見て見て!!」

「そんなに身を乗り出したら危ないです! 落ちてしまいます!」

「大丈夫。へーきだよ?」

「そんなこと言ってる人ほど落ちるんですっ! はしゃぐのは良いですけど、自重してください!」

「え~~……」

 

 目前の広がる広大な海の景色を見ると。アリシアは勢いよく飛び出して手すりから身を乗り出す。

 それを慌てて追いかけて、海に落ちてしまわないように彼女の身体を抑えるなのは。口では厳しく咎めているが、瞳はとても心配そうな視線を送っていた。

 

 ここは海鳴臨海公園。

 海鳴市の中心に立ち並ぶオフィス街。そのビル群から少し離れた海岸線にある、文字通り海が良く見える場所だった。周囲にはベンチもあり、見晴らしの良い景色と相まって恋人たちのデートスポットになる事も多いとか。

 

 案内したのは、勿論なのはだ。商店街を食い歩きするのも悪くはなかったのだが、ユーノの体調を考えて海風が心地良い臨海公園を選んだのだった。ベンチに座って屋台の鯛焼きでも食べながら、お話しようという計画。

 

 それがアリシアの行動でとん挫し始めたのは言うまでもない。やっぱり初めての海は怖かったのか、空から眺めるだけで間近で見たことはない彼女。なのは達と訪れたことで最初の一歩を呆気なく突破したアリシアは、自由気ままに動いて、なのはを困らせていた。

 心配性の不破の少女は、抑え込むどころか、振り回されていて。何かしでかさないようについて回るのが精一杯の様だった。

 

 今度は美味しそうな香りにつられて飛び出していく友人を、慌てて追いかけている。彼女達が向かうのは美味しいと評判の鯛焼き屋さん。気の良さそうなオッチャンがニコニコ笑いながら、向かってくる女の子二人を見守っていた。

 

「うん、悪くないな」

 

 一連の光景を眺めていたユーノは、とてもリラックスした表情で空を仰いだ。ちょっと年寄臭いが、肩を叩いては首に溜まるコリを解している。

 

 晴れた天気は、気持ちの良い青空が広がっていてるし、吹き抜ける海風は涼しくて、なのはの案内通り心地よい。春の暖かさのおかげで寒さを感じないのもポイントが高いだろう。

 

 そろそろ時刻も夕方なので、日は沈み始める。そうすると綺麗な夕焼けが見れるそうだ。

 ここで現地の住民だと、夕日を眺めてから、振り向いてビル群を眺めるらしい。

 夕日に照らされたオフィス街が別の味を楽しませてくれる。一粒で二度おいしい……とは、地元の子である、なのはの談。

 

 ちょっと自信がないのは、人に何かを進めるのが苦手と本人が恥ずかしそうに告げたからだった。その表情はやけにユーノの印象に残っている。

 

 リラックスして疲れを癒すと、頭に掛かった霞が晴れていくような気がした。

 

 自分でも根を積みすぎたとユーノは自覚している。海鳴近辺の地図を貰って、ジュエルシードが発見された地点に印を付けることで、落下の予測地点を割り出していたのだが、思うようにいかない。

 

 二十一個の中で、実に十五個ものジュエルシードが海鳴で回収されている。だから、残る六個もそう遠くない位置に落ちている、筈なのだが……

 

 それにしても、輸送船の事故の時、次元の海に散らばって行ったジュエルシードが、よくもまあ集中的に落ちていると思う。まるで個々のジュエルシードが一つに集まろうと惹かれあっているような。都合のいい偶然。

 

「まさか……ね」

 

 ユーノはその考えを在りもしない偶然として頭の片隅に留めた。

 落下の予測地点はサーチャーで隅々まで調べたし、アリサとすずかに頼んで現地に人を派遣してもらったこともある。そこまでして見つからないのなら、そこに目的のモノはない可能性が高い。

 

 そうして海鳴の中心街から郊外まで調べ終え。山側の方面も探索は終了した。残す所は海だけだ。

 もっとも探索の方法が思いつかない。潜水の魔法なんて聞いたこともないし、海は得てして広大なものだ。隅々まで探索するとなると、サーチャーの維持も難しく、時間が掛かるだろう。けど、プレシアの容態からして彼女の寿命は長くない。少しずつタイムリミットが迫っている。

 

 すぐに見つける方法は一応、ある。危険なのでユーノとしてはやりたくないのが本音。だが、最終的には、その方法を取らざるを得ないと計算している自分がいるのも事実。朝から、そのことでずっと悩んでいたのだった。

 

「はい、こしあんの鯛焼き。中に入ってる黒い練り菓子が甘くておいしいよ? 熱いけど……」

「ありがとう。アリシア」

 

 差し出された鯛焼きの包みを受け取ったユーノは、魚を模る小麦色の菓子を一口頬張った。熱々の衣の中から、甘みと柔らかい感触が広がって、とても美味しい。

 隣ではアリシアが鯛焼きをふー、ふー、と冷ましながら、熱くないよね、とでも疑うようにジト目で睨んでいる。それが、ちょっと可愛いとユーノは微笑んだ。

 

「ん~~っ! おいしいっ!」

「良かったね、アリシア」

「うんっ!!」

 

 どんな食事でもそうなのだが、アリシアは出された料理を必ず"おいしい"と言って食べてしまう。お世辞でも何でもなく、本心からの言葉だと、声のイントネーションや表情から察することが出来るので分かりやすい。彼女はその時の気持ちが顔によく出るのだ。

 この鯛焼きも、大変お気に召したようで、早くも完食した少女は二つ目を食べようとしていた。そして、余りの熱さにうぇ~~と悶絶している。

 

「はぁ……良く冷まさないと火傷しますと、あれほど注意したでしょう?」

「だってぇ……」

「食べ物は逃げませんから、ゆっくり噛んで食べてください。味わって食べるのも食事を楽しむコツです」

 

 そこへコンビニの買い物袋を両手に抱えたなのはが現れた。

 どうやら鯛焼きを買ったあと、別の所に買い出しに出かけていたらしい。

 袋の中にはジュースやフランクフルト、パンなどの手軽に食べれるフードが入っているようだ。

 

 当然ながらユーノも、アリシアも現地のお金を持っていないので、なのはのおごりと言う事になる。せめて換金できそうな物でもあれば、自分が代金を払ったのにと。男の子として立つ瀬がないユーノだった。

 

 もっともミッドチルダと違って、ユーノは子供であるから換金できる筈もない。大人であると世間から認められている意識の差が、変な所で弊害を発揮していた。

 

「隣、よろしいでしょうか?」

「僕は気にしないから、なのはの好きなようにすると良いよ」

「では、失礼いたします」

「えっ……?」

 

 なのはが断りを入れて座ったのは、アリシアの隣ではなく、ユーノの隣だった。

 てっきりユーノを隅に追いやる事を謝りつつ、アリシアの隣に座ると思っていただけに。予想外で、一瞬、ユーノは呆けてしまった。

 自分の右側にアリシア。左側になのはが座っている形になる。

 

 海の潮風に混じって、甘いシャンプーの香りと美味しそうな食べ物の香り。いろんな臭いが鼻を刺激して来る。

 この前、月村邸に訪れた時、すずかの姉の月村忍に散々からかわれたものだから。ちょっぴり意識して照れるユーノだった。

 

「? どうかしましたか?」

「ううん……なんでもない」

「そうですか? お顔が赤いです。熱でも――」

「あっ、なのは! 空から猫の鳴き声がするよ!? どうして? 猫が空飛んでるの? 背中に翼でも生えてるのかなぁ?」

 

 ある意味、勘違い。でも、心から心配しておでこに手を伸ばしてくる。そんな、なのはの行動を遮ったのは、はしゃぐアリシアの一声。

 

 助かったと、ユーノは安堵した。いろんな意味で天国と地獄だ。嬉しいような、恥ずかしいから、やめて欲しいような。いろんな気持ちがない交ぜになって、暴走するハートの鼓動が苦しい。やけに心臓の音が五月蠅い。だから、緊張しているのをありありと自覚してしまう。

 

「あれは海猫と呼ばれる鳥の鳴き声です」

 

 そんな、密かに心を落ち着けようとする傍らで、なのははアリシアの質問に一生懸命、答えていた。

 ユーノのことを少し気にかけてか、チラリと様子を見てくる。それでも、とりあえず大丈夫だと判断すると、全ての意識がアリシアと海猫の方に向けられたようだ。

 

「ん~~? トリ~~?」

「ええ、ミャーミャー鳴いてますけど、紛れもなく鳥の鳴き声なんです」

 

 空を飛んでいる鳥から、猫の鳴き声がするのが不思議なんだろう。

 アリシアは好奇心が刺激されたのか、その表情を輝かせながら首をちょこんとかしげた。

 美味しい鯛焼きから、すっかり海猫へと興味が移り変わっているようだ。

 

「そうですね、簡単に説明すれば海の近くに住んで居る鳥さんです。

 カモメの仲間で、あのように魚を主食としていますが、実は雑食性。ですから何でも食べます。

 そして気を付けないと……」

 

 "気を付けないと"のあたりで語調を強めたなのはは、注意深く観察していた海猫の一匹が向かってくるのを確認した瞬間、手にしていた鯛焼きをアリシアの前に掲げた。

 

「うわ、わ!」

「ひえぇっ、わたしの鯛焼きを狙ってきた~~!!」

 

 すると、ものの見事になのはの鯛焼きが掻っ攫われていく。

 アリシアは海猫の急な襲来に身体を縮こませ、ユーノは驚いてベンチから上半身を仰け反らせていた。

 

「このように食べ物を掻っ攫う、油断も隙もない鳥さんですので、ご注意を」

 

 なのはだけは落ち着いた様子で新たな鯛焼きを頬張り始める。その眼光は鋭く、次に来たら容赦しませんよ、とでも言わんばかりに細められている。

 気のせいか、遥か空にいる海猫たちが怯えて、海の方に離れていったふうに見える。動物的な本能が誰かさんの殺気を感じ取ったのかもしれない。

 

「もぉ~~!! それは、なのはの鯛焼きなんだぞ~~!! 返せ、このやろ~~!!」

「まあまあ、アリシア。他にも鯛焼きはあるのです。あの分は彼らにくれてやりましょう」

 

 ぴょんと立ち上がって、海側の手すりまで走ったアリシアは、そのまま両手を振り回しなながら海猫に向かって叫んだ。

 が、声は夕日に染まりつつある海に響き渡るだけ。あたりまえだが海猫は反応することもなく知らん顔だ。

 

 その光景をベンチで眺めながら、なのはは鯛焼きを、もう一口頬張って、うが~~と唸っている少女を嗜める。何と言うか、彼女はちょっとだけアリサに似てきたみたいだと思った。たぶん、アリサと付き合っているうちに染まって来たんだろう。アリシアは見た目通り純粋無垢なので他人の影響を強く受けやすい。ましてや、明るい所が共通点のアリサとは何かと波長が合ったのは容易に想像が付いた。

 

 出会った頃の、全てが敵で不安だったアリシアはもういないように見える。それはきっと良い事だ。

 

 なのはは一人納得して頷いた。

 

「ふぅ、びっくりした」

「大丈夫ですか? ユーノさん」

「うん、ぼ「あ~~~!!」今度は何さ!?」

 

 次に過剰なまでに、海猫の襲来と羽ばたきの音に反応してしまったユーノの身を案じる。

 けれど、またもやアリシアの声に遮られてしまって、二人は今度は何だと叫んだ少女の方向を向いた。

 そこにはユーノを指差して、おかしそうに笑う女の子の姿があった。

 

「あはははっ! ユーノのほっぺたにあんこが付いてる!!」

「うわっ、ホントだ」

 

 指摘されてユーノが頬を指で拭うと黒い餡子が付着した。どうやら仰け反った時に、食べかけの鯛焼きが頬を掠めたんだろう。その時に中身の餡子が付いたのだ。

 

「まって下さい。今、ハンカチを――」

「えへへ~~、わたしが舐めとってあげるね」

「と……はっ?」

 

 しょうもないことで指に付いた餡子が、恭也のお下がりである私服に付いたら、洗濯が大変だ。

 なのはは咄嗟にそう考えて、ポケットからハンカチを取り出そうとして固まった。

 

 予想外すぎるアリシアの言葉。

 どうツッコんでいいのか混乱している一同を置いて、アリシアはユーノに向かって駆け出し。そのまま顔を近づけた少女は、子犬のように少年の頬に付いた餡子を舐めとる。しまいには味わうように吸い付いて、ちゅ~~と艶めかしい音が鳴り響いた。

 

 ユーノは頭がぼうっとしているのか反応できていない。というか何が起きたのか自分でも分かっていない様子だった。

 ただ、今まで以上に顔を羞恥に染めて固まっている。半ば気絶しているようなもの。たぶん彼の思考は真っ白に染まっている。

 

 衝撃を受けて混乱しているのは、なのはも同じだった。

 いや、過剰なスキンシップだとか、無邪気さ故の行動だとか考えてはいる。けれども、一向に状況を呑み込めていない。彼女も混乱している。

 初めて目撃した異性同士のキス。頬とはいえ、かなりの熱烈な愛情表現に見えた。キスじゃない。これは違うと分かっていても、そういう風に見えた。そりゃあ、もう凄まじいまでの衝撃なんだろう。過剰反応ともいう。見ただけなのにもかかわらず。あの感情表現の薄いなのはのほっぺたが、ユーノ負けないくらい赤くなっているんだから。

 

「だ、だだだっ、大胆です、大胆すぎます……見てられません――」

「ん、どうしたの、なのは? 顔が赤いよ?」

「ちゅう、ユーノさんにチューを」

「ああ、これ? えっとね、アルフがよくやってくれたの。食べ物がわたしのほっぺに付いた時に、舐めとってくれたんだよ? だから、こうするのが普通かな~~って思ったんだけど」

「そ、そうですかっ? 異世界の人はやけに進んで、その、大人、なんですね!?」

「ん~~? わたしは子供だよ?」

 

 もはや会話すら成り立っていない状況だった。

 なのはは、えっと、えっと、と混乱して首を左右に振り、身体をそわそわさせて落ち着きがない。両手で頬に手を当て、自分が動揺していることに気が付く。すると慌てた様子でコンビニの袋から飲料水を取り出して、勢い良くごくごくと喉に流し込んだ。

 

「ぷはぁ――はふ、ぜぇぜぇ……」

 

 胸に手を当て、自身を落ち着かせようと荒い呼吸を続けるなのは。

 まだ九つの、年頃でいえばまだまだ子供な少女。同年代の子は異性を意識し始めるのが、もう少し先だろう。

 

 だが、不破なのはという少女は大人びているというか、精神が成熟しすぎている。それはミッドチルダで大人扱いされてきたユーノとて同じ。だから、アリシアの好意(?)を無駄に意識してしまっていた。

 ましてや二人とも片親だったり、両親が不在という境遇。親同士の熱烈な愛情表現を見たことがなかったのだ。初めて目撃し、初めてキス(?)された行為に過剰に反応するのも無理はない。

 

(落ち着け私。でも、落ち着けません!? うっ、アリサちゃん、すずかちゃん助けて。こういう時、二人ならどうするんでしょうかっ? えっ、分からない? そうだ! 整息法です。乱れた呼吸を整えて集中しましょう。不破は何時如何なる時も冷静にですね……)

「は、ははは……? 僕、キスされた? 誰に? アリシアに? えっと、どういうことなのさ?」

「ねぇ? 二人とも~~? どうかしたの~~? お~い?」

 

 みゃー、みゃーと海猫の鳴き声が聞こえる。海の波音はバックコーラスとなって一定のリズムを刻む。

 完全に夕暮れに染まる臨海公園と、背後にそびえるビルが目立つ街並み。目前に広がるのはキラキラとオレンジの陽光を反射させる海。

 

 うん、本当だったら三人で仲良くベンチに座って、楽しくお喋りしながら、この美しい光景を眺めて食べ物を頬張るんだろう。

 

 だけど、状況はおかしな光景に推移していた。

 なのはは目を瞑って精神統一をしている。その顔はやっぱり羞恥に染まって赤い。決して夕日に照らされて赤い訳ではないと、一目で分かる程に。

 ユーノも目を点にしてぶつぶつと独り言を呟いている。完全にあっちの世界に旅立っていた。

 アリシアがそんな二人の前で手を振ってみても無反応。

 

 結局、日が沈むまで二人が正気を取り戻すことはなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノ、アリシア、なのはの三人は不破家の和室。畳部屋に海鳴の地図を広げていた。

 最後のジュエルシード回収作戦の段取りを決めるためだ。使い込まれた地図には無数の印が付けられていて、どれほど念入りに調査が行われたのかを物語っていた。

 

「最後のジュエルシードがある場所は、たぶん此処だと思う」

 

 そう言ってユーノがマジックペンで丸印を描くのは、海鳴の近海。先日まで三人で、休憩がてらに出掛けた海鳴臨海公園の先にある場所だった。

 

「海の中、ということですか?」

 

 なのはの質問にユーノは静かに頷いた。

 

「うん、今までの回収地点から割り出すと、こうなるから」

 

 ユーノはマジックペンで記されたジュエルシードの回収地点を指差して説明する。

 海鳴のオフィス街を基点として見ると、海に面した南側が最も多く。五つものシュエルシードが回収されている。

 その南側を落下点の中心として見たならば、四分の一ものジュエルシードが海に落下していても、おかしくはなかった。

 そして、未だに六個のジュエルシードは覚醒する気配すらないのだから。動きの掴めない海の中に存在すると予測するのは自然な流れだろう。

 

 なのはは海にいる暴走体がどんなものか想像して、ちょっと震えた。

 海の生物は深海に行くほど不気味な姿をしていると、学校の教養ビデオで学んだことがあったのだ。タコやイカのような生物が巨大化していたらどうしよう。無数の触手に絡め取られるのは遠慮したい。あのヌルヌルした感触を想像しただけで身震いする。張り付く吸盤も痛そうだ。

 

 あるいは、アリサの家で見学していたRPGのような。海王龍の幻獣みたいな存在へと超絶進化してるのかもしれない。それはそれで手に負えなそうなので遠慮したいところ。大津波でも起こされると対処に困りそうな予感がする。

 

「なのは、どうかした?」

「いえ、何でもありません。ちょっと変な想像をしてしまっただけです」

「なら、いいんだ。でも体調が悪いなら言って欲しい。今度の回収作戦はとても危険だからね。

 何せ同時に六個ものジュエルシードを相手にしなきゃならないんだ。なるべく万全な体制で挑まないと」

「六個同時にですか!?」

 

 なのはは絶句した。

 今までジュエルシードの暴走体を相手にした時は、単体でしかなかった。複数同時に相手にした事例は存在しない。運よくジュエルシードの発動が一つだけというのが多かった。そして不測の事態の場合はアリシアと手分けして行う事で、必ず一対一の状況に持ち込んだ。

 

 暴走体の恐ろしさを知っているからこそ、彼女達は油断も慢心も捨てて全力で挑んできた。奴らの攻撃は岩を軽々と砕く破壊力を持つ。それに速くて鋭い。まともに喰らったら重症は免れないし、防護服がなければ即死するのは確実だ。

 

 特になのはは、己の命の危機に対して酷く敏感になる。だから、常に意識を研ぎ澄まして全力で挑んできた。封印が終わった後もかなりの疲労を感じた程だ。なまじ不破として鍛錬を受けたせいなのか、本能的なモノなのか分からないが。

 

 なのはは"こんな自分でも"誰かの役に立ちたいという想いもある。けれど、それ以上に死という存在が身近にある恐怖も。

 誰もが死にたくないのは同じ。あの時、記憶の奥底に刻まれた恐怖に負けないようにと、生存本能が訴える。だから彼女は常に全力全開で挑み続けるだろう。魔法は夢見る子供の遊びじゃないのだから。

 

「僕も色々と安全な方法を考えたんだけど、これしかない。

 潜水の魔法はないし、この世界のサルベージなんてやってたら時間がどうしても足りないんだ」

 

 なのはの深刻そうな表情に対して、ユーノは真剣な表情で、けれど申し訳なさそうに答えた。

 瞼を伏せて、震える程に膝を握りしめている彼の姿は、どれほど己の無力を噛み締めているのか、分かりやすく伝わって来る。

 

 だから、なのはは何も言うつもりはなかった。元より彼の少年が最善を尽くしてきたことは知っているから尚更だ。

 でも、流石に危険すぎると思うのも事実。

 

 そんな中で優しげな表情をしたアリシアが、そっと二人の手を握った。いつの間にか、固く握りしめられていた二人の拳を解きほぐすように。優しい優しい手付きで、そっと労わる様に拳の上から包み込んだ。

 

 彼女の暖かな体温と、デバイスを握りしめているせいで少し硬くなった手のひら。その感触が伝わってなのはとユーノは顔を上げ、目を丸くした。ちょっと驚いているらしい。

 

「二人とも、ありがとね。わたしの母さんを助ける為に、こんなに頑張ってくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいだよ。

 でも、今度のジュエルシードは危険な相手なんでしょ? なら、後はわたしが――」

「「そんなの出来るわけない!!」」

 

 続く言葉は二人が同時に発した声に遮られた。

 今度はアリシアの手が強く握りしめられる。左手をなのはによって。右手をユーノによって。強く強く離さないとでも言わんばかりに。

 

「私はアリシアに笑ってほしくて。アリシアのお母さんが元気になって、貴女が心の底から笑顔になれるように頑張っているんです!

 今更、危険だからと言って貴女一人をみすみす行かせるような真似はしません!!

 そ、それに、友達は困った時に助け合うものでしょう? 私は最後まで貴女と共にあります」

 

 それは、なのはの切実なる望み。絶望していた自分を救ってくれた友達という存在を大切にする事。

 そして、母親という存在に対する密かな憧れ。大好きな親友が優しい母に抱かれて笑う光景は、なんとも素敵なことじゃないか。それを見ることが出来るだけで、頑張った甲斐があるというもの。なのはとしても、そんな光景を見て見たい。そしたら、何処か暗い影を残す心は救われるかもしれない。

 

「元々ジュエルシードがばら撒かれたのは僕の責任だ。最後まで回収する義務が僕にはある。

 それに、キミは危なっかしくて放って置けないよ。目を離すと、すぐ何処か行っちゃう困った子だからね。もちろん、なのはも放って置けない。キミはすぐに無茶をする。

 ジュエルシードをなるべく正常に使うのだって、僕じゃなきゃ出来ないだろ? だから最後まで付き合うよ」

 

 責任感の強いユーノ。最初は義務感で動いていた彼も、彼女達と触れあう内に私情で動くようになった。

 スクライア一族は孤児も多い。捨て子を拾って育てるなど珍しくない。そして、危険な遺跡発掘で助け合い、庇いあって、共に多くの時間を過ごすことで強い仲間意識が芽生える。

 ユーノは短い間だが、彼女達と危険な遺失物回収作業をこなしてきた。好意的に助けて貰った恩義もある。だから、二人の少女に、そうした仲間意識が芽生えても不思議ではなかった。

 

 なのはは感情をあまり表に出さない少女だが、すごく気遣いのできる優しい女の子だ。常に誰かに気を配っていて、心配してくれるのがとっても伝わる。また、危険なことは全て自分一人で引き受けようとする困った子でもある。だから放って置けない。何よりも彼女は命の恩人なのだから。

 それに、たまに見せる微笑みや笑顔が、すごく綺麗で思わずドキリとしてしまうのも事実。ユーノはちょっとずつ彼女に惹かれている。

 

 アリシアはいつも元気いっぱいで笑顔を絶やさない少女だ。好奇心旺盛で自由奔放な振る舞いに、ユーノは振り回されてばかりだが、悪い気はしなかった。部族の幼い子供たちにも何人かいるし、面倒をよく見ていたので慣れていたのもある。アリシアは手の掛かる妹みたいなものだ。

 

 ジュエルシードがいつ暴走するかも分からない。それが原因で九十七管理外世界が滅んでしまったら? 次元世界に多大な被害を及ぼしてしまったら?

 そう考えると不安で仕方なくて、いつも張りつめていたのは自覚していた。でも、そんな時こそアリシアが助けてくれた。彼女の無邪気さに癒されて、ついつい微笑んでしまうのだ。不安や責任感に押しつぶされなかったのは彼女のおかげとも言える。

 

 ユーノとしても、アリシアの母親は助けてあげたい。プレシアは尊敬に値する人だ。そして恩人である大切な友人の母親。助けない理由など、何処にもなかった。

 

 だから、多大な恩義を受けた二人に報いたい。最善の結果を求めて尽くしたい。

 ユーノひとりでは絶対に事態を収拾できなかった。その助けて貰った礼を返すのだ。

 

「二人ともありがとね。すごく嬉しい、あれ?」

 

 アリシアがいつもの様に、にっこりと笑顔を受けべた時。滴が零れ落ちて、畳を濡らした。

 滴は膝立ちになっていた彼女の足元にぽたぽたと落ちて、止まる気配がない。

 

「わたし、なんで泣いてるんだろう……? あれれ、おかしいなぁ。こんなにも嬉しいのに、どうして?」

 

 それはアリシアの流した涙だった。赤い瞳から溢れて出る涙。

 笑顔を浮かべながら、何度もごしごしと目元を腕で拭うも、やはり止まる気配はない。それどころか、さらに勢いを増したようだった。

 

「アリシア」

「なのは?」

 

 なのははそっとアリシアのことを胸に抱いた。立ち上がって彼女の頭を抱き寄せると、空いた手で背中をポンポンとあやす様に叩く。いつかのように。彼女にそうしたように。

 

「感極まってしまったのですね。

 人は嬉しくても涙を流すそうです。実際に見たのは初めてですけど。

 とりあえず、私が胸を貸しますから、たくさん泣いても良いですよ。我慢する必要なんてありませんから」

「う、れ、し、い? そっか、わたし、嬉しいんだ――」

 

 戸惑っていた少女は、ひとつひとつの言葉を噛み締めるようにして呟く。

 そして己の内から湧き上がる激情を理解した瞬間――!

 

「わたし、嬉しいよ!

 二人に会えて良かった! なのはとユーノに出会って、友達に為れて良かった!

 襲ってきたわたしを、見ず知らずのわたしを助けてくれて嬉しかった!

 母さんを助ける為に、ジュエルシード集めを手伝ってくれて嬉しかった!!」

 

 自らの胸の内に潜む感情を吐きだすかのように叫んだ。

 涙を流しながら力強い声で。二人に、この想いが届けと言わんばかりに。

 

「ふふ、そうですか。私も貴女に会えて良かったですよ。アリシア」

「なんだか、真正面から言われると照れるな。僕も同じ気持ちだよ。アリシア」

 

 その言葉をなのはとユーノは微笑んで受け取る。

 今だけは心がとても穏やかだった。何だか言葉では言い表せない、不思議な感覚。

 胸が打ち震えて鳴り止まない。気を抜けばこっちまで泣いてしまいそうだと二人は思った。

 

「なのは。アリシア。今度の作戦、必ず成功させよう!」

「ええ、当然です」

「わたし、みんなを助けられるように、とっても頑張るね!」

「無理しちゃダメですよ?」

「えへへ、うん!!」

 

 ユーノの差し出した手の上に、それぞれ手をのせるアリシアとなのは。

 まるで、試合前に選手たちが団結するときに行う仕草と同じもの。

 この瞬間、三人の心はひとつに合わさった。目指すは最後のジュエルシードが待つ海である。

 

 



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●雨の日のトラウマ

 空は快晴。上空から見下ろせる海は、穏やかな波を揺らし続けている。

 なのは、アリシア、ユーノの三人は一定の高度で待機しながら、緊張した様子で封印の準備を始めていた。

 既に防護服に身を包んだ状態で完全武装を終えている。魔法の術式に魔力を通せば、すぐにでも魔法を発動できるような体勢。

 全ては、これから行う封印作業に全力を尽くすため。油断なく、かつ迅速に。そうしなければ此方の身が危険に晒される。

 

「二人とも、用意はいい?」

「私はいつでも」

「わたしとバルディッシュも絶好調だよ!」

『Yes sir. All systems are go.』

 

 ユーノは傍らに浮かぶ二人の少女の言葉に頷くと、素早く印を結んで呪文を唱えた。印を結ぶのはデバイスとの相性が悪い彼によって編み出された独自の魔法行使法。胸の内に眠るリンカーコアから魔力を引き出して、展開した術式に通し、魔法を具現化させる。

 すると結界魔導師と謳われたユーノを中心として急速な勢いで魔力の檻が広がっていく。快晴だった空模様の空間は、異質な雰囲気に呑まれ、たちまち現実世界を位相空間へと誘った。周辺一帯に設定された人物と物質以外は外界に隔離される。

 これで大規模な異変を起こしても周囲には悟られない。桜色の光が飛び交おうが、雷光の輝きが瞬こうが、街の人々は気付きもしないだろう。たとえ穏やかな海が荒れ狂う大嵐に見舞われたとしても。何故ならばそれは別世界の出来事として処理されるのだから。

 結界が無事に展開できたことを確認したユーノは二人の魔法少女の後方に下がった。これからの彼はサポート専門。あくまでも二人を補助することが目的になる。デバイスを持たない彼では上手く封印魔法を行使できない故に。

 

 あらかじめ相談して決めていた作戦の第一段階。周辺一帯を結界で封鎖する作業は完了した。次は遥か海の底に眠るジュエルシードを強制起動させること。それが作戦の第二段階。

 

「それじゃあ、次はわたしの出番だね。いくよ、バルディッシュ!」

『Yes sir!』

 

 入れ替わるように前に躍り出たのは、金糸の輝く髪を、二房に纏めた女の子。その腰まで届くような長髪を風になびかせながら、黒色の戦斧をバトンのように回して、少女は身構えた。かなり無駄が多いが、彼女なりの気合の入れ方なのかもしれない。

 アリシアは瞼を閉じて押し黙ると集中し始める。彼女の足元に金色のミッドチルダ式魔法陣が広がり、魔法が発動し始める。それに呼応するかのように身体からは、小さな金色の雷光が迸って鳴り止まない。周囲を威嚇するようにバチバチと放電現象が起き始める。

 溢れんばかりの魔力から漏れ出た余剰な力。それを周辺に吐きだしている。雷に強力な耐性を持つ専用の防護服が遮ってはいるも、扱い方を間違えれば、少女に秘められた魔力は自身を滅ぼしかねない。それほどの力を彼女は持つ。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。轟きたる雷神の化身。どうか、わたしの声を聞き届けて欲しい」

 

 アリシアはバルディッシュを掲げるようにして、静かで力強い詠唱を続ける。その彼女の言葉に応えるかのように、空は瞬く間に集い始めた暗雲で覆われていく。雲一つない快晴だった青空は、見る見るうちに様変わりして、夜のような暗さに変貌していった。

 分厚い黒雲からは無数の雷光が輝きを放ち、遅れてやってくる雷鳴の轟きが聞く者を威圧する。アリシアの魔法によって意図的に起こされた自然現象。今まさに、雷が唸り声をあげて放たれんとしていた。

 

「大海たる水の底に眠る宝石。かの宝石を呼び覚ます力を今ここに」

『Thunder Rage. Setup.』

「その力を解き放て! サンダー・レイジ!!」

 

 そして、アリシアはバルディッシュを両手で持ち上げると、叫びと共に黒き戦斧を叩き降ろした。デバイスの石突が足場となっている円形の魔法陣に突き立ち。コーンという硬質な音を響かせる。

 瞬間、今か今かと待ち焦がれていたかのように、無数の雷光が収束地点に目掛けて集っていく。数個の巨大な塊となった雷光は、そのまま眩い光を放ち、次の瞬間には轟音と共に海へと導かれて落ちていった。

 一発、二発、三発、四発、立て続けに発生する落雷。そのたびに海は大きな水しぶきを上げ、雷鳴に負けじと海鳴も轟き声をあげた。

 

 サンダーレイジに変換された魔力が海を伝い、その奥底へと駆け廻ってゆく。彼の宝石を呼び起こさんと海をアリシアの魔力波長で満たしていく。やがて海の底にたどり着いた魔力が、眠り続けていた六つのジュエルシードを呼び起こした。強制的に覚まされ、目覚めたジュエルシードは互いに共鳴し合いながら、急速な勢いで海面に向かって巻き上がると、蒼白い不気味な光を放って空に浮かび上がる。

 追いかけるようにして集っていくのはジュエルシードに操られた海水だ。小さかったそれらは、しだいに膨大な量にまで膨れ上がって、ついには六つの巨大な海水の竜巻となって形成されていく。まるで覆い隠したジュエルシードを守らんとするかのように。

 そして、爆流のごとく渦巻く海水の中にあって、ジュエルシードの輝きは衰えることを知らない。巻きあげた海流の水面(みなも)に光を煌めかせながら、意志を持ったかのように時折輝くのが、何とも不気味で威圧感がある。思わず発する魔力に気圧されてしまう。

 そのまま巻き上げられた海水が、天まで伸びあがっていくと、止まる事を知らない水は分厚い雲に溶け込んで広がっていくかのようだ。

 少しずつだが、水滴が降り始めていた。雨だ。このままでは嵐になる。叩きつけるような豪雨は視界を遮り、吹き荒れる風は飛行を困難にするだろう。そうなれば落ち着いてジュエルシードの封印を行えなってしまう。一瞬の隙が命取りになりかねない。だから、早急に決着を付ける必要があった。

 

「負けるもんか! チェーンバインド!」

 

 ユーノが前面に展開した魔法陣から魔力で編み込まれた鎖を無数に放出。荒れ狂う六つの海流を抑え込まんと幾重にも絡みついていく。

 小さな鎖でも無数に束ねれば強靭な拘束具に変わる。後はこのまま少しでも長く暴走体の動きを抑え込めばいい。発動直後のジュエルシードは、自身の手足となる躯体を生成する過程だから動きも鈍っている。完全に覚醒して暴れまわる前に叩く。

 

 作戦の第二段階。ジュエルシードを覚醒させ、発動直後の暴走体をユーノが抑え込む作戦は成功した。

 次は暴走体の封印。動きを抑え込んだ暴走体に対して最大出力の封印魔法を叩き込むこと。それが作戦の最終段階。

 

 アリシアとユーノの後方に控えたなのはは、砲撃形態を取ったレイジングハートを構えて、ずっと魔力の収束を続けていた。チャージの時間が長ければ長い程、砲撃魔法の威力も比例して上昇する。六つものジュエルシードを封印するには、それくらいの威力がなければ、封印できるかどうか不安だった。

 ユーノは暴走体の動きを抑えるのに忙しい。アリシアは儀式魔法の行使によって消耗と反動ですぐには動けない。だから、最後の作戦はなのはの役目。収束させた魔力を最大出力で暴走体にぶっ放すだけ。

 

『今です。撃ってくださいマスター』

「っ……分かって、います。レイジングハー、ト……」

『マスター? どうかなされたのですか? 呼吸が乱れています』

「でぃ、ディバイン……ディバイン……」

 

 だというのに、なのはは一向にレイジングハートのトリガーを引こうとしない。

 動きが止まっているに等しい暴走体に対して、狙いを定めてトリガーを引く簡単な動作。たったそれだけの動きを彼女は出来ないでいた。

 魔杖を構える腕どころか、全身が震えだして止まらない。震えるせいで歯はカチカチと鳴り止まず、血の気が引いて青ざめているのが目に見えて分かる。

 

 雨が降っている。小雨なんかじゃない本降りの雨。それは段々と激しくなって土砂降りの雨に変わっていく。防護服に覆われていない顔や素肌を濡らす。打ち付ける水滴はとても冷たい。ザァザァと鳴り響く雨音はすごく煩かった。

 ジュエルシードの魔力に影響されたのか、風も吹き始め。穏やかだった波は段々と荒れ狂っていく。大型の船舶すらひっくり返して転覆させてしまいそうな勢いの荒波。

 

 あの日も、こんな風に雨が降っていた。小雨だった天気は台風のように荒れ狂って、助けを呼んでも声がかき消されるような雨の日。

 

「このままじゃ抑えきれないっ」

 

 ユーノが焦ったように叫ぶ。その声を聞いて呆けていたなのはは我に返るが、やはり引き金を引くことは叶わなかった。撃たなきゃいけないことは分かっている。頭では理解している。けれど、それとは関係なく身体に力が入らない。本人の意思に逆らって思うように動いてくれない。

 心が悲鳴を上げている。やけに早くなる自分の鼓動。怖いくらいに寒いのに、脈拍だけは激しくて熱い。体中が泣き叫んでいるかのように苦しくて、なのは自身も泣きだしてしまいそうだった。恐ろしい怪物がやってくる。あの日のように自分を闇の中に誘おうとしている。そう思うと動くに動けない。

 怖くて怖くてたまらなかった。逃げ出したい。早く此処から逃げ出したい。彼女の本心が心からそう訴えている。

 

「なのは!?」

『マスター!?』

 

 ユーノとレイジングハートの呼びかけは届かない。不審に思ったアリシアが嵐に四苦八苦しながら、なのはの所まで飛んでくるが、それにも気付けない。

 

 不破なのはは強い女の子。だけど、とても弱い女の子。

 心に刻み込まれたトラウマは豪雨の日をきっかけに、フラッシュバックする。すると、彼女は一歩も動けなくなってしまう。

 アリサとすずかは事情は知らずとも、雨を怖がるなのはの体質を目にしているから、付き合い始めて一年間ですごく配慮してくれていた。

 しかし、頼れる二人の親友は此処にはおらず。恐怖に震える少女の体質を知らなかった二人と二つのデバイスでは、どうすることも出来ないのが現状で。

 

「私……わたしは……」

「なのは、しっかり。わたしが傍にいるから」

「いや、嫌々……いやあああっ!! 来ないでぇ!!」

「きゃあ!」

 

 なのはを安心させようと駆け寄ってきたアリシアを突き飛ばしてしまうのも、仕方のない事かもしれなかった。

 彼女は一種の恐慌状態に陥っていて、瞳に映る景色は別の場所を映しだしていて、身体が今よりも幼くなったと錯覚する女の子は為す術もなく震えるだけ。厭らしい眼つきの何かが手を伸ばしてくる光景がなんども繰り返されては、どんどん衰弱していく。瞳が恐怖と絶望で揺れ動いて、光を失ってしまうくらいに。彼女は会い詰められていく。

 レイジングハートの先端に集束されていた膨大な魔力なんて跡形もなく霧散してしまった。もはや彼女に封印魔法を行使する力なんて残されていなかった。

 そこには、トラウマに怯えて、身を護るように自身を抱きしめる女の子がいるだけだった。

 

「やだ……やだよぅ……助けて、おにい……助け、……ね、ちゃ……けて、おとう……いや、ひとりは……いやだ」

『マスター、落ち着いて』

「なのは! なのはが苦しんでるのなら、わたしが助ける! きみを独りぼっちになんてさせなっ、ぐぅ!!」

『マスター!? やめてください! マスター!』

 

 主を支えんとするデバイスの声も、彼女に呼びかける親友の声も届かない。

 それどころか、肩を掴んで必死に語りかけるアリシアの首を、本気で絞め始めた。レイジングハートが咄嗟に待機状態に戻らなければ、デバイスを鈍器として確実に殴りかかっていただろう。 

 瞳は虚ろで錯乱しているなのはの力は恐ろしい位に強い。アリシアがいくらもがいても万力のように、確実に締め殺しに掛かってくる。両腕を伸ばしきって、指で握りしめるのではなく。二の腕を曲げて牛乳パックでも潰すみたいに、アリシアの首の横から腕の力を加えて、圧殺してくる。

 なのはは混乱した末に、ある種の強迫観念に囚われてしまったのだ。誰も助けに来ないというのならば、あの時のように殺してしまえばいいと。

 

「そうだ……殺さないと……ころ、されるなら……ころ、さないと……」

「かはっ、な、のは……だい、じょ……」

 

 それでも、アリシアは大好きな親友のことを想っていた。

 たとえ殺されそうになっても、満足に息ができなくて苦しくても、なのはの事を一番に考えて、安心させようと笑おうとするのをやめない。

 だって、一人で不安だったアリシアに手を差し伸べてくれたのは、他ならぬなのはだ。弱っている自分を看病してくれて、不安なときに抱き締めてくれた。一緒にお風呂に入ってくれて世話をしてくれた。優しい友達を二人も紹介してくれた。

 共に支え合い、助け合った戦友。勘違いとはいえ全力でぶつかり合った相手。魔法の模擬戦で共に切磋琢磨し合う好敵手。

 そして、プレシアを助けようと危険なジュエルシード集めまで手伝ってくれる優しい友達。

 

 なのはは、かけがいのない多くのモノをアリシアに与えてくれた女の子だ。

 そんな、彼女が何かに怯えて、本気で絶望している。少し前のアリシアと同じ表情をして、苦しんでいる。助けて欲しいと泣き叫んでいる。ひとりで不安になってしまって震えている。

 だから、今度は、アリシアがなのはを助ける番!!

 

『I'm sorry sir. Photon Lancer』

『待って、バル、ディッシュ』

『But,』

『ここは、わたしに、まかせて』

『……Yes sir』

 

 主人の危機を察したバルディッシュが、フォトンランサーでなのはを昏倒させようとしたのを、念話で押しとどめる。傷つければ、彼女はますます錯乱するだろう。それでは意味がないのだ。

 

「な、の、は」

「っ……!?」

 

 声を、絞り出す。

 こうも首を絞められては、息を吸う事も、声を出すために、声帯を震わせることもままならない。けれど、アリシアの渾身の呼びかけは、一瞬だけ気を引くことには成功したが、正気に戻すことは叶わなかった。

 

(な、ら……)

 

 声がダメなら、言葉で伝わらないなら、行動で伝えるだけだ。

 アリシアは少しでも息を吸おうと、首を絞めてくるなのはの腕を掴んで、その力を少しでも緩めようと抵抗していたが、それをあっさりとやめた。

 当然だが、さっきよりも締め付ける力が強くなった。意識が朦朧として、気を抜けば一瞬で気絶してしまいそうだ。それはアリシアの死を意味する。アリシアはそんなことは望まない。みんなで笑いあうのだ。元気になったプレシアとアルフを改めて紹介して、知り合った皆を交えて楽しいピクニックでも行きたい。そんな未来を掴み取るためにも。

 そして、こんな下らないことで、大好きななのはに罪を背負わせたくもない。なのはがアリシアに笑っていて欲しいように、アリシアもなのはに笑顔でいて欲しいから!

 

(な、の、は……なの、は……なのは!)

 

 これは賭けだ。なのはに絞殺されるのが先か。或いは彼女が正気に戻るのが先か。

 アリシアは自由になった両腕を使って、なのはを抱きしめる。かつて、自分にそうしてくれた時のように。彼女が不安で泣いてしまわないように。

 安心させる鼓動の音が伝わって欲しい。寂しさを溶かす温もりが伝わって欲しい。大好きな友達に想いが届いてほしい。

 とにかく、ありったけの想いを込めて抱擁する。

 

「かはっ……ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……なのは?」

「わたし……わたし……なにを……?」

 

 そんな、彼女の想いが届いたのか、なのはの腕に込められた力が徐々に緩んできて、アリシアは息を吸うのが楽になる。

 かつて兄によって、抱きしめられていたように。アリシアに抱かれたことがなのはをトラウマから解放してくれた。伝わって来る親友の温もりが、雨で冷え込んだなのはの身体を温めてくれる感触が、彼女を呼び戻した。奇しくも、アリシアの行動は最善だったのだ。

 

 なのはは、瞳を揺らしながら、混乱したように視線をせわしなく動かす。

 記憶は曖昧でもはっきりと覚えている。手に残った最悪の感触は、親友の首を絞めていたという罪の証。

 最悪だった。死んで終いたい位に自分が赦せない。たかがトラウマで錯乱したあげく、よりにもよって親友をこの手で……

 

「だいじょうぶ?」

「わたし、なんてことを……」

「ううん、なのはのせいじゃないよ。なのはは悪くない。自分を責めないで、苦しまないで」

「でも、わたしは……」

 

 雨が降っている。周囲の音をかき消してしまうくらいの豪雨。間近にいる、なのはとアリシアの声だけしか聞こえない位の雨音。

 だからだろうか。二人は気が付けなかった。なのは自身はフラッシュバックによって混乱していたし、アリシアは、なのはのことを正気に戻すことに必死で、余裕がなかったのもある。

 

 まず聞こえてきたのは、何かが砕け散るような甲高い音。そう、まるで鎖でも砕け散ってバラバラにはじけたかのような。

 

『二人とも逃げて!』

『Sir!』

『マスター、アリシア、逃げてください。ジュエルシードの暴走体が――』

 

 次にユーノの念話による渾身の叫びが二人の頭の中に響いたのと、二つのデバイスが警告を発するのは同時だった。

 びくりと身体を震わせたアリシアが、慌てて背後を振り返れば、向かってくるのは海水を纏ったジュエルシードの暴走体。本体はチェーンバインドによって辛うじて抑えられているが、縛り上げられた海水の一部が拘束から逃れていた。

 

 アリシアは咄嗟になのはの手を引いて逃げようとした。けれども、魔法の準備が整っていなかったから、一瞬とはいえ発動に時間が掛かる。高速移動のブリッツアクションが発動するためのタイムラグ。

 そして、その一瞬の隙は致命的だった。間違いなく濁流に呑み込まれてしまうだろう。だから、アリシアは、なのはだけでも逃がそうとして……

 

「えっ……」

 

 最初に感じたのは、背中に感じる熱くて鈍い痛みと、突き飛ばされた感覚。意識していない妙な浮遊感。

 首を後ろに動かして視線を向ければ、脱力した様子の、なのはの姿。間に合わないと思ってアリシアを突き飛ばそうとしたのは彼女も同じ。最初からアリシアの後ろを向いていたから早く気が付くことが出来たなのはのとった行動は、親友に全力で体当たりすること。

 アリシアの視界で流れる映像が、妙にスローモーションで流れる。ゆっくりと見せつけるように。なのはが激流に呑み込まれようとしているなか。彼女の声だけははっきりと聞こえた。

 

「ごめんなさい」

 

 それは、アリシアの首を絞めて殺そうとした事なのか。いきなり突き飛ばした事に対する謝罪なのか。アリシアには分からない。

 

「―――!!」

 

 大好きな親友の名前を叫んだのに声が出ない。ううん、聞こえていないのだ。それでも、なのはの声だけははっきりと聞こえた。口元の動きで良く分かる。脳が勝手のなのはの言葉を、なのはの声で再生している。

 

「なのはああああぁぁぁーーー!!」

 

 そして、悲鳴みたいに叫んでいる自分の声が聞こえてきたのと、なのはが水の激流に呑み込まれるのはほぼ同時だった。

 

◇ ◇ ◇

 

『……――! ……して下さい! マスター!!』

「ごぼっ……!!」

 

 水の激流に叩きつけられ、失神しかけたなのはの意識を繋ぎとめたのはレイジングハートだった。彼女の必死の呼びかけと、原始的な生存本能が、後悔と絶望で諦めかけた少女を無理やりにでも引き戻す。

 口から漏れ出た空気の音が聞こえて、手で口元を無理やり抑え込んだ。息の出来ない水の中で、少しでも生きようと酸素を肺の中に溜め込んでおこうとする。咄嗟に行った生きようとする生存行動。

 でも、なのはの心は諦観が占めていた。自分に対する嫌悪、罪悪感、後悔、嘆きといった負の感情が、彼女を死んで終いたいと思わせるくらいに苛んでいた。

 

(わたしは……)

 

 脳に送られる酸素が少なくなって曖昧なっていく意識。

 なのははもういいだろうと思った。母親はいないのは我慢できた。誘拐されてトラウマを刻み込まれても、アリサやすずかのような友達が支えてくれたから生きて来られた。

 でも、父や姉から厳しくされて愛されないのは苦しい。なのはだって我慢した。これは仕方のないことだと我慢して不破の鍛錬に挑み、逃げることを選択しなかった。何故ならば、いつかは褒めてくれるんじゃないかと期待していた自分がいたからだ。

 

 痛いことばっかりの鍛錬は苦手で、大っ嫌いだ。人殺しの技術など逃避してしまいたいくらい苦手だ。

 それでも、心のどこかで良く頑張ったって、褒められることを期待していた。そうして褒めてくれるなら、たとえ人殺しの護身術でも学んだ甲斐はあったって嬉しく思えたかもしれない。

 

 それも、もう終わりだ。なのはは人を手に掛けようとした。よりにもよって大切な親友の命を奪おうとした。

 許すとか、許されないとか、錯乱していたから仕方ないとか、そんなものは言い訳にすらならない。自分自身が赦さない。

 親にも愛されず、トラウマに怯えて意味のない日々を過ごす日々。なのはは生き甲斐すら感じることが出来ない。そんな無意味な日々に加えて、誰かを殺めようとした真実は彼女から生きる気力を奪うには充分すぎた。

 

(……死にたいよ)

 

 そうして、辛うじて繋ぎ止めていた意識を手放そうとした時。

 誰かに防護服の裾を掴まれた感触がして、彼女は驚いてに目を見開いた。

 

(ユーノ……さん?)

 

 見知った少年の顔がそこにはあった。絶対に諦めないという強い意志を翡翠の瞳に宿して、なのはの身体を引き寄せた少年は、離さないとでも言わんばかりに互いの身体をバインドで結びつける。

 

 どうしてユーノが此処に居るのか? どうして自分を助けようとしているのか? 誰がジュエルシードを抑え込んでいるのか? 

 ありとあらゆる疑問が尽きないなのはの前で、ユーノは顔を寄せてきた。

 そして何をするのかと、ユーノの行動を見ていたなのはをよそに。

 

「んっ……」

「むぐっ!?」

 

 彼はなのはの唇を、己の唇に吸い寄せるように合わせていた。

 驚愕に目を見開くなのはをよそに、口移しで送り込まれるのはユーノの肺に溜め込まれた酸素。少しでも、なのはを生き長らえさせようとする、自身を省みない無謀な行動。

 驚きすぎてやめて欲しいとか、拒絶するかのように突き飛ばすとか、そんな反射的な行動が取れるはずもなかった。ただ、追いかけてきたユーノに抱き寄せられるままに、なのはは大人しく、少年の身体に身を寄せていた。

 

 長くは続かないこの状況。激しい水の流れに任せるまま、彼はどうしようというのだろう。

 ぼんやりとする意識の中で、なのははそんな事を考えて、ユーノの胸元に顔を埋めた。足手まといで、迷惑ばかりかけている。それが申し訳なくてユーノと顔を合わせるのも辛かったのだ。

 

『なのは、聞こえているかい?』

 

 落ち込んで、自分を責めて、生きる気力も失くしていく少女。その負のスパイラルに陥った彼女に語りかける優しい声。

 ユーノの言葉は何時だって優しい。心配こそすれ叱りつけるような事は一切しない。それが、なのはには心苦しい。

 どうして罵ってくれないのだろう。アリシアを殺そうとしたことを責めてくれないのだろう。この封印作戦だって、なのはが失敗しなければ確実に上手く行っていた。

 アリシアも……どうして、自分なんかを許してくれるのだろうか。むしろ嫌っても、拒絶してくれてもいいのだ。彼女にはその資格がある。

 

 どうして、という疑問の声。なのはの心の中はそればかり。自分を助けようとする理由が分からなくて、疑問ばかりが浮かんでは消えていく。

 

『もうすぐ、アリシアが僕たちを助ける為に"本当の全力"を使ってくれる。たぶん、巻き添えは避けられないし、死ぬほど痛いだろうね。でも、耐えて欲しい。』

 

 いっそのこと、そのままジュエルシード諸共殺してくれればいい。そうなのはは考えている。

 昔っから自分の事が大っ嫌いだからだ。他人に迷惑かけてばかりか、友達を手に掛けるような自分など死ねばいい。

 だというのに。

 

『……大丈夫、僕が、全力で、君を護るから。なのはのこと――だから』

 

 彼は土壇場でそんなことを口にするのだ。彼も意識が朦朧としてきたのだろう。言葉がたどたどして肝心な部分がうまく聞き取れなかったけど、その意志はちゃんと伝わっている。

 ずきりと胸が痛んだ。普段なら他愛もない冗談として受け流したのに、この状況でそんなこと言われたら、縋ってしまう。

 それは甘い毒だ。なのはを骨の髄までか、魂すらも蝕むような猛毒。なのはに希望を抱かせ、さらなる絶望を与える言葉。

 やめて欲しいと思った。聞きたくないと耳を塞ぎたい衝動に駆られた。

 

『しんぱい、しないで』

 

 そして、ユーノの優しい言葉で少しでも"生きたい"なんて考えてしまった自分が浅ましい思った。

 

◇ ◇ ◇

 

 自身のキャパシティを超える魔力を引き出しながら、ユーノが苦戦していた暴走体の動きを呆気なくバインドで封じる。

 それを成した少女は激痛に胸を押さえながら、顔をしかめるしかなかった。考えるのは空中をうねる海水の激流に呑まれた少女の事。そして躊躇いもなく助ける為に飛び込んで行った少年の事。

 

"護るって約束したから"

 

 たったそれだけの理由で少年は、アリシアに後を託して、激流の中に躊躇わずに飛び込んで行った。ほんの少し前の事だ。

 もっとも恐れていた事態にアリシアは動揺して、なのはを助けに行こうとした。それを遮ったのはバルディッシュとユーノ。

 

『Please remember yourself, Sir!

 You'll make the same mistake if things continue in this way.』

 

 主人を一番に思いやる戦斧は、珍しく感情を露わにして冷静になれと、このままでは二の舞になると怒鳴りつけた。今まで見たこともない相棒の剣幕にアリシアが踏鞴(たたら)を踏むのも無理はない。それが彼女を落ち着かせた。

 そして、ユーノは念話で状況を手早く、分かりやすいように説明してなのはの後を躊躇なく追いかけた。それが出来るのは、きっと心の底からアリシアを信頼している証で、なのはの事を心の底から心配しているからこそだろう。

 

 全力全開を行使させてしまう事に対して謝っていた少年の身と、如何にかしてあげたい位に怯えていた少女の身を案じながら、アリシアは魔法を使う。

 ユーノはアリシアの秘密を少なからず知っていた。倒れたアリシアを治療したのが、ユーノだという話だから、恐らくその時にでも知ってしまったんだろう。リンカーコアを調べればすぐに分かることだから。

 彼は謝っていたが、アリシアとしては是非もないことだ。むしろ喜んで使うだろう。それで親友が助かるのならば戸惑う必要もない。たとえ自分自身が命の危機に瀕してしまうとしても。彼女は躊躇わない。

 

「いくよ、バルディッシュ」

『Yes sir!』

 

 アリシアは先程と違って、硬質な声で気合を込め、相棒もそれに応える。普段の明るさは鳴りを潜め、瞳は真剣なまでに強烈な意志を宿している。ユーノと同じ、何かを絶対に為そうとする決意を秘めた瞳。

 今の彼女の頭の中は、母親の事ではなく、二人の親友の事。これだけで、いかに少女の決意が本気なのか窺い知れるだろう。もっとも大事な母親の事を二の次にしてまで、その身を捧げようとしているのだから。

 

(お願い。どうか力を貸して――わたしの大事な人を助ける為の力を貸してほしいんだ。

 この身がどうなろうと構わないから。だから、お願い―――!!)

 

 願う彼女が引き出すのは普段の十数倍にも至る魔力の塊。

 前の時、なのは達と戦ったときは無理やり引き出そうとして失敗した。激しい胸の激痛、リンカーコアの暴走。魔力の暴走によって身体の内から傷つき、即座に治癒を繰り返す、終わらない苦痛が繰り返される行為に気絶した。

 アリシアの全力全開とは、文字通り封じているリンカーコアのバイパスを全開にすることだ。その数は実に十一個。■■達の協力が得られなければ、魔力が好き勝手に暴れまわる。自滅する。無理やりには引きだせない。だから、お願いするしかない。それでも、■■達の協力を受けても意識を強く繋ぎ止めなければ瞬く間に気絶するだろう。効果は絶大な分、反動も凄まじい諸刃の剣。

 果たして応えたのは、半数以上の六人分のリンカーコア。一つの魔力で一つのジュエルシードを封印すれば充分足りる。その分の負担はアリシアに掛かるわけだが、問題ない。その程度の苦痛を受け入れるなど慣れている。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。バルエル・ザルエル・ブラウゼル!」

 

 選択する魔法は■■そろって同じ魔法。考えることだって同じなのは■■だから。

 この場に吹き荒れる嵐、空を覆う黒天の暗雲を利用すれば、恐らく最大限の威力を叩きだせる。それはいとも容易くジュエルシードを静めるだろう。

 だってアリシアの母さんが得意とした魔法だから。次元を超える程の精度は出せないが、魔法の威力を超えることなら造作もない。むしろ七人分も魔力を使うのなら、出来て当たり前の事。

 

「サンダーレイジO.D.J!!」

 

 叫びと共に片手で振り上げたデバイスを振り降ろす。

 "アリシア"の記憶に眠る、憧れの母親を完全に模倣する動きで魔法を行使する。かつて“アリシア”を守るために力を振るったカッコいい母親の姿を真似て。偉大なる大魔導師プレシア・テスタロッサの最強魔法を解き放つ。

 

 その瞬間、轟雷の叫びが音をかき消した。瞼を閉じているのに、視界は閃光で埋め尽くされたかのように眩しい。

 

 それは、まさしく天を切り裂く神の雷だ。

 人を呆気なく呑み込むどころか、街ひとつを壊滅させるんじゃないかと言うくらい巨大な海の竜巻は、さらに巨大な雷光によってかき消され、大海を叩き割って有り余る一撃を叩き出した。

 水の滴を霧散させながら、自らの存在を示すかのように青く光り輝く六つのジュエルシード。その輝きは暴走した時のように激しくはなく、むしろ穏やかで大人しい。封印は成功した。

 空を覆う暗雲は散り散りになるまで吹き飛ばされ、叩き付けるような豪雨はかき消された。残ったのは清々しいまでの快晴と太陽の暖かな光。

 結界と言う位相空間での感覚とはいえ、日の光はアリシアを安らげるには充分で。

 

「うぷ、うげぇ!!」

 

 そして彼女の異常を映しだすくらいに残酷だった。

 アリシアは咄嗟に抑えた口元から血を吐きだす。喉から溢れる血を抑えきれずに、手から零れ落ちていく。血の滴は手首から腕へと流れ伝い、真っ白な肌も、黒いバリアジャケットも赤く染めて輝く。キラキラと陽光に反射して輝く命の源は、そのまま海に降り注いで、溶けては消えていくだけ。

 赤い色彩が特徴的な瞳は白い強膜の部分が充血して真っ赤に染まる。そこから少しずつ出血するとアリシアの瞳から血涙が流れた。常人なら失明しているところだが、彼女の回復力がそれを許さない。無意識に発動する回復魔法が出血を抑えていく。

 血液は沸騰しそうなくらいに熱くて、血管が破れて爆発するんじゃないかってくらいに収縮している。暴走している魔力の流れが肉体にも干渉して彼女を傷つける。そして彼女を救わんと治癒も同時に行われている。怪我と回復の同時進行による激痛は頭がどうにかなってしまいそうだった。

 そうして貧血でフラフラになって飛行制御もままならなくなった彼女は、まっさかさまに海を目指して墜ちていく。このまま落下すれば海面に叩きつけられるのは必定で、下手すれば死んで終うかもしれない。それを事前に防止するのがデバイスの役目。

 

『Sir……』

 

 バルディッシュは主人が叩きつけられる寸前で、フローターフィールドを展開。

 三段重ねで使用されたそれは、アリシアをふわりと受け止めて、落下する勢いをゆっくりと相殺した。そのまま少女は海に着水して、たゆたうように波に身体を揺らす。

 バルディッシュとて無事では済まないだろうに、彼も主人に似て無茶をするデバイスらしい。その躯体は数人分の魔力を受けとめられる程、頑強には作られていない。膨大な魔力で魔法を行使した代償に、なのはと戦った時と同じで、黒き戦斧は無残にもひび割れて、いくつもの欠片を散らせていた。

 そのコアは動作不良を起こしているかのように点滅して、明滅する光も弱々しい。彼もまた、主と同じで見るも無残な姿を晒していた。

 

「かふっ……ふ、う……」

 

 吐きだされる血もようやく収まったのか、アリシアは少しだけ苦悶に歪んだ表情を和らげた。

 防護服を構成するリボンがほどけて、腰まで届く金糸の髪が、水の流れに良いようにされているが、気にする余裕もない。

 

(二人とも、無事だよね……)

 

 唯、ひたすらに二人の親友の身を案じながら、アリシアは眠るように目を閉じた。次に目を覚ました時は皆で笑い合おうと誓いながら。

 



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●幕間6 業を背負った不破の涙

 ユーノが目を覚ました時、彼の視界に映し出された景色は、ここ数週間で見慣れた部屋のモノだった。

 日本独特の和を基準とした部屋の内装。木造の天井に、畳張りの床。部屋と廊下を分け隔てる襖の扉。庭へと続く窓の景色を遮るのは綺麗な和紙を張りつけた障子。

 ここはどうやら自分が寝泊りするために貸し与えられた不破家の一室らしい。

 

(確か僕は、ジュエルシードを封印するために出掛けて、それで……)

 

 ユーノは頭がぼーっとしていて自分が何をしていたのか、いまいち思い出せなかった。だから記憶の前後をゆっくりと整理していく事で、意識を失う前に自分が何をしていたのか思い出そうとする。

 思い出される光景はアリシアがジュエルシードを封印するために儀式魔法で発動前のジュエルシードを呼び起こした場面。そして、自分が拘束魔法で暴走する思念体の躯体を縛り上げて、とどめになのはが封印魔法を砲撃に乗せて放とうと……

 

「そうだ! なのははっ……痛ぅ!?」

 

 なのはが急に青褪め、何かに怯えたように錯乱して、ジュエルシードの思念体の纏う水流に呑み込まれたシーンまで鮮明に思い出したユーノは、彼女が無事なのか確認しようと慌てて身体を起こした所で蹲った。

 身体の節々がズキズキと激しい痛みを訴えている。曖昧だった意識が完全覚醒したことで、鈍かった痛覚も正常な反応を取り戻したようだ。熱を伴うそれらは、身体のどこかを動かすだけでも激痛を催す。ユーノは自分が相当なダメージを負ったのだと理解して、顔をしかめながら布団の上に再び寝込んだ。

 

(やっぱり、結構な無茶だったんだろうな)

 

 最後になのはを庇いながら、全力でアリシアの一撃を受けとめたのが、満足に動けなくなった原因だろうとユーノは推測する。

 なのはを中心にして何重もの防御陣を展開。それこそ結界、防壁、障壁と各種の防御魔法を多重に展開して、万が一でも彼女に危害が加わらないように、自身を試みない無茶な魔法運用をしたのだ。当然、魔法の反動による負荷も相応なもので。さらに、アリシアの封印魔法を乗せた一撃も、軽減したとはいえまともに受けてしまった。

 今のユーノの身体は多大な魔力ダメージと、電気変換された魔力による痺れ、火傷のような疑似的な痛み、そして魔力酷使による極度の過労が同時に襲っている状態。ある意味で彼は重傷だった。しばらくは簡単な魔法を使うことも出来ないし、身体を動かすこともままならないだろう。

 

 こうなること気になる事が一つある。ユーノはアリシアの雷撃を諸に受けたわけだが、当然無事でいられる筈もなかった。恐らく満足に動ける状態ではなかっただろうし、実際に何かを喰らった感覚を受けた瞬間、ユーノは意識を手放してしまった。

 

 その後、気絶し傷ついたユーノ達を誰が運んだのだろう?

 少なくともアリシアではないことは確かだった。ユーノは彼女が全力行使をした場合どうなってしまうのか、ある程度の予想は付いていたから。最初の遭遇戦の時に吐血して倒れた彼女を治癒したのはユーノだ。だから診察した時にアリシアの状態をある程度理解した。

 きっと彼女もユーノと同じように。いや、それ以上の激痛に苛まれて血反吐を吐きながら倒れたのだろう。恐らく満足に動けるような状態じゃなかった筈。

 気絶して動けない少年と無茶をして動けない少女。海に揺蕩う二人の子供と、溺れて死にかけた女の子が一人。いったい誰が自分たちを岸まで運び上げて、不破の家まで送り届けたのか謎だ。通りかかった親切な人が助けてくれたのだろうか。

 

(まさか、なのはが運んでくれた?)

 

 いやいや、あり得ないとユーノはその考えを一蹴する。あの怯えようは、どう考えても普通ではなかった。怯えると言う事は、何か彼女にとっての恐ろしい出来事が、記憶に深く刻まれているということ。それを思い出してしまったら、身体が無意識に震えてしまうのは想像に難くない。思考だって真っ白に染まっただろうに。

 それは彼女が悪いわけではなく、身体の反射的な反応による現象。そんな状態で思い通りに身体を動かすなど満足に出来ない状態だったはずだ。だから、なのはがユーノとアリシアを抱えて浜まで泳ぐか、空を飛んで運べるなど普通に考えてあり得ない。

 

「……失礼します」

 

 そこまで思考を巡らせたユーノは、廊下に繋がる襖が静かに開かれた音に反応して、そちらを向いた。

 そこには正座しながら襖を開けたなのはがいた。瞳は充血していて赤くなっていて、散々泣き腫らしたであろうことを、ユーノは嫌でも察するしかない。だというのに、彼女の隣に置かれているのは、湯気の立つ桶と身体を拭く為のタオル。相変わらず責任感が強くて、自分で面倒を見ないと気が済まないらしかった。なのはだって少なくない魔力ダメージを負っている筈だから、休まなければいけないのに。心だってきっと癒えていない、むしろ今でもトラウマに蝕まれているかもしれないに。

 彼女は、其処に居た。

 

「あっ……」

 

 なのはが、目を覚ましたユーノを見て呆けたように固まる。再び紫水の瞳が揺れ出して泣きそうになる。でも、なのはは泣き叫びそうだった自分に気が付いて、慌てて両手で口元を抑えた。まるで自分には涙を流す資格がないというかのように。

 

「なのは、無事で良かった」

 

 だからユーノの方から声を掛ける。普段通りの口調で告げるのは彼女を少しでも安心させるため。自分自身が元気な姿を見せることで、なのはに少しでも心配させないようにするため。

 

「ッ――よかった……! 貴方達を岸まで泳いで引っ張って、アリサに頼んで家まで送ってもらったのですが。目覚めなかったらどうしようかと……わたしのせいで、死んじゃったら、どうしようかと、思いました……」

 

 それで我慢の限界を超えてしまったのか、なのはは自分が用意した身体を拭く為の御湯の存在も忘れてユーノにしがみ付いた。

 どうやら気絶した二人を運んでくれたのは、なのはらしい。疑問が一つ解けたわけだが、ユーノにはもはやどうでも良い事だった。今は目の前で泣きそうになって、顔を歪ませている女の子をどうにかする方が先だ。

 しがみ付いて懺悔の言葉を口にする少女は、自分の所為で危険な目に合わせてごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい、なのはは悪い子だから赦さなくてもいいと叫ぶ。決して"許してください"なんて一言も口にしようとしない。そこまでする程に彼女は自分を追い詰めている証拠だった。

 

「泣かないで、なのは。僕は気にしてないからさ」

「だって、だって、なのはのせいで……」

 

 あやす様になのはの頭を撫でて慰めるユーノに、なのはは顔を上げて上目づかいで見上げてくる。たくさん泣き腫らして、再び泣くまいと堪えていたであろう涙を、呆気なく流し始めた。とても弱い女の子がそこにいた。心なしか普段の冷静で落ち着いた口調も成りを潜め、すごく幼くなっているように見える。

 そう、なのはは本当の姿に戻ってしまっていた。いつも纏っている筈の強い自分が崩壊して、隠されていた弱い自分が表に出て来てしまったのだ。

 フラッシュバックしたトラウマ。自分の所為で大怪我して目覚めない親友。自責の念と圧し掛かる不安。友を失ってしまうかもしれない恐れ。それらを前にして偽りの殻を纏っていられる程、彼女は強くなかった。

 

「ごめん、な、さい。ユーノ、くん……」

「ほら、気にしない良いって言ったよ?」

「でも、なのはのせいで。なのはが足手まといだから……」

「そんなことない。なのはのおかげで僕は命を救われたんだよ。アリシアだって、君が看病して助けたじゃないか。僕だけだったら彼女は心を開かなかった。むしろ、対峙した時に碌な抵抗も出来ず、やられていたかもしれない」

「それに、それに……どうして、"好き"だなんて言うんですか……なのはにそんな資格なんてないのに……」

 

 ちょっと錯乱しているのか会話が通じているのか怪しい所。しかし、そんな事よりも、なのはの告げたことにユーノは苦笑するしかない。あの時は決死の覚悟だったので、間際と勘違いして無意識に口にしていたのだろう。朦朧としていたなのはの意識を呼び覚まそうと、心の底に浮かべた勇気づける言葉と共に自分の気持ちまで叫んでしまったのだ。

 でも、ユーノの叫んだ言葉は偽りのない本心から来るもので、他意と云うものは存在しない。しいていうならば、好きという感情が"友達" としてなのか"異性"としてなのか判らないだけ。

 

 もっとも、どちらの好きだとしても、なのはの心がかき乱されている事実に変わりはない。彼女、生まれ生きてきた人生の中で、本気で家族に愛された記憶がないのだから。

 なのははユーノに好きと言われた事を真に受けてしまっていた。普段ならアリサやすずかが、友達としての好意を示しても軽く受け流していた。

 だが、錯乱して混乱の極みに達し、不安、絶望、後悔に押しつぶされそうな状況で、無意識に誰かの助けを求めていた少女は、駆け付けた少年と少女の存在に多大な希望を見出してしまったのだ。ピンチの時に助けに来てくれる救世主として。

 アリシアの好きという言葉が、なのはに正気を取り戻させ二人の絆を強固にしたのなら。あの状況によるユーノの好きという言葉は、求めていた家族の温もりと錯覚させるに等しい言葉だ。

 もはや、なのはの中で二人の存在は縋ってしまう対象だった。再び何かあれば依存してしまうかもしれないくらいのレベルに達している。

 

「…………」」

 

 それから互いに黙り込んでしまった二人は、言葉を発することもなかった。

 ただ、なのはが落ち着くまでユーノは彼女を抱きしめてあやし続けた。幼い子供にするかのように背中を叩いて、安心させるように頭を撫でてやる。

 かつて看病されている時に泣いてしまったアリシアにしていたように、今度はなのはが同じようにあやされていた。

 きちんと手入れされたなのはの暗めな栗色の髪が、ユーノの細い指をすり抜けていく。アリサによって不用意に男子に髪を触らせるなと注意され。それを訳も分からず徹底遵守してきたなのはにとってありえない光景。アリサ、すずかが見ていたら絶句することだろう。

 

 やがてユーノはなのはが落ち着いた所を見計らって、次の疑問を口にする。

 なのははもう大丈夫。少なくとも一人にしなければ、彼女が怯える心配はない。

 だから、今度は寝具の中で苦しみ喘いでいるであろう女の子を気にする番。

 

「アリシアはどうしてるの?」

 

 その言葉に、なのはの身体がびくりと震えた。

 ユーノはアリシアが重傷を負って意識不明なのかと疑う事はしない。むしろ全力を出した後遺症で、ユーノと同じように療養していると確信している。不破の屋敷の中からアリシアの魔力波長を感じ取れているからこその確信。

 だというのに、なのはの怯えよう。恐らくだが、なのはが一方的に嫌われたと思い込んで、一度も会っていないんじゃないだろうか?

 もしかするとユーノと話しているのも、なのはが看病に訪れた時間とユーノが目覚めた時間が偶然一致しただけで、本当はユーノにも合わせる顔すらなかったのだとすれば?

 そして、話しかけるのも顔を合わせるのも控えようとしていたのなら、彼女はこうして衝動に駆られるまま話してこなかった?

 ……充分にあり得る事だった。

 

「もしかして、目を覚ましたのに、一度も顔を合わせてないの?」

 

 なのはを抱き締めて、あやす様に背中を叩いていたユーノの腕に、彼女が身震いしたのが伝わった。

 どうやら図星だったようだ。嗚咽を漏らしながら、なのはは不安を口にする。

 

「だって……あんなことしたら。絶対に、なのはのこと、嫌いになった筈だから。もし、真正面からきらいって言われたら。なのは、どうすればいいの?」

 

 普段から弱みを見せない彼女が、内心をユーノにまでぶちまけるというのは、彼女が弱り果てている証拠だろう。付き合いの浅いユーノにでも分かるのだから、相当に参っているのかもしれない。

 こんな、なのはは見たくなかった。

 むしろ彼女には笑顔が似合うのだ。普段は余所余所しいのに、ふとしたことがきっかけで浮かべる嬉しそうな微笑み。ユーノが彼女に惹かれてしまったわけ。此間(こないだ)のように、もう一度笑って欲しい。それが少年の切実な望みだったりする。

 なのはが戸惑っているなら勇気づけよう。それがユーノに出来る精一杯のこと。きっとアリシアもなのはに会いたがっている。

 皆でプレシア・テスタロッサを助けて笑い合おうと、ジュエルシードを必死になって集めてきた。なのに、その過程で友情に罅が入って仲違いするのは本末転倒だ。

 

「大丈夫。なのはだって悪気があって、迷惑かけるつもりじゃなかったんだから。それにアリシアも絶対に会いたがってる」

「……ホントに? なのはのこと嫌いになったりしない? アリシア、許してくれるの?」

「うん、だから自信を持って会いに行こう?」

 

 うん、と小さく頷いたなのはは、抱きついていた少年からゆっくりと離れると弱々しく立ち上がった。

 ユーノもアリシアとの仲直りを見届けようと、全身の痛みを堪えながら立ち上がる。

 ちょっと、少し、いや、もの凄く痛くて身悶えしながら叫び出しそうになるのを彼は耐えた。女の子の前で男の子が泣いてはいけないという、ささやかなプライドがユーノを奮い立たせる。

 回復魔法を使って痛みを誤魔化すことが出来ないので相当に辛い。せいぜい魔力吸収を促進して、自己治癒力を高めるくらいしか出来ない。

 

 なのははついて来ようとするユーノに何も言わなかった。普段の彼女なら慌てて、安静にしなくちゃダメですと押さえつけに掛かっただろう。

 恐らく不安すぎて誰かに付いて来て欲しいのだ。その事を示すかのように黙って立ち上がったユーノの身体を支えてくれた。

 

(痛いッ! ものすごく痛い! でも、支えて貰っている手前、痛いなんて正直に言えない!)

 

 なのはに触られている部分が強烈に痛かったのは内緒だ……

 

◇ ◇ ◇

 

 屋敷の廊下をなのはに支えられながら歩いていたユーノは、アリシアの寝室に向かう途中で意外な人物に出くわした。

 濃紺に染められた日本文化独特の着流しに身を付け、服の上からでも身体が鍛えられていると一目で判る容姿。立ち振る舞いは静かでいて、動きに一片の隙も感じられない身こなし。目元には深い皺が刻まれ、感情を映していないかのような瞳は見つめるだけで震えあがってしまいそう。

 ただならぬ雰囲気を漂わせる人物は、なのはの父親である不破士郎その人。

 彼はその恐ろしげな視線をなのはとユーノに向けると、見定めるかのように瞳を細めた。

 

(怖っ、こうして会うのは二度目だけど、やっぱりなのはのお父さんって本当に怖いっ)

 

 正直、見られているだけでも身が竦み上がりそうだった。

 いつもは彼に遭遇してしまわないように、なのはがこの時間帯に廊下を出歩いてはいけない。彼のいる部屋を訪れてはいけないと注意してくれていた。

 だから、いままで面として出会う事はなかったのだが。今再び、なのはが魔導師として覚醒した日のように、不意打ち気味で対峙する羽目になってしまった。

 

「お父さん……」

 

 なのはがようやく気が付いたとでも云うように小さく呟いた。

 ゆっくりと錆びついた機械のように顔を上げた彼女は、光を失ったかのような虚ろな瞳で父親の顔を見詰める。

 いつもの彼女らしくない弱り果てた姿。普段であれば"父上"と敬称しながら冷たい態度を取って、厳しい父の言葉をあしらう姿は何処にもない。

 

「…………」

 

 士郎は娘に対して何も言わなかった。いや、何かを呟こうとして口を開こうとするのだが、言葉が喉に詰まったかのように言い出せないようだった。

 もしかすると彼もまた戸惑っているのかもしれなかった。それがなのはの変わり果てた姿によるものか、二人の子供が怪我をして尋常ではない様子だったからなのか分からないが。

 士郎は静かに手をあげようとしてやめた。なのはが彼の動きを見て怯えたように身を竦めたからだ。

 代わりにユーノに向けて視線を完全に固定した士郎は、低い声音と共に警告するような言葉を口にした。

 

「小僧、あまり無理をするな。身体が悲鳴をあげているぞ……」

「あ、はい。その、すみません」

 

 何だか怒られたわけでもないのに、恐縮するかのように身を竦ませるユーノ。

 士郎の為すこと全てが恐ろしく感じるのは、彼の人としての観念がそうさせるのだろうか?

 なのはが出来るだけ士郎を避けるように配慮した意味が分かった気がする。この人の雰囲気に毎回付き合っていたら身が持たない。思わず腰を抜かしてしまいそうだ。

 やがて、興味を失くしたのか恐ろしげな雰囲気を纏ったまま士郎は二人の横を通り過ぎた。恐る恐る振り返って様子を見ても、ユーノの視線を無視したかのように歩みを止めない。

 彼は廊下の曲がり角まで進むと、その突き当りを右に曲がって奥まで同じ歩幅で歩いていく。確か、なのはに案内された時に聞いた話では、彼の向かう先が屋敷の居間だったはずだ。

 

「はぁ……」

 

 士郎が姿を消した事で、ユーノも溜息と共に強張っていた肩の力を抜く。ちょっと見つめられて、一言二言会話を交えただけなのにどっと疲れた。まるで魔法を使い続けてばてた様な気分。

 なのはは何も言わずに、再びゆっくりと歩き始めた。心なしか怖い父親がいなくなって、彼女もほっとしているのは気のせいだろうか。

 ユーノを気遣うようにゆっくりと、リハビリに付き合う看護師のように廊下を歩いてくれる。部屋を出てから何も喋ろうとしない彼女だが、気遣いをする余裕はあるみたいだった。これならアリシアと会っても大丈夫なんじゃないだろうかとユーノは思う。

 

 そして少しずつ廊下を進んできた二人は、ようやくアリシアが安静にしている部屋の前にたどり着いた。

 なのはは手を震わせながら部屋の襖をノックしようとするも、やっぱり決心が付かないのか、手を出したり引っ込めたりを繰り返す。

 そんな彼女の手を上から優しく握ったユーノは、彼女の震えが治まるまでそうしていた。あくまで自分の意志でアリシアに会おうとするのが大事であって、無理やり扉を開けさせて、事を進めるのは良くないことだから。

 

「大丈夫だよ、なのは。深呼吸して落ち着いてからノックすればいい。慌てる必要はないんだ。ゆっくり行こう」

「うん……ユーノくん」

「ん~~、そこに誰かいるの? もしかしてユーノ? それともなのはっ!? この声はユーノだと思うんだけど、なのはの声も聞こえたような……? う~ん? だ~~れ~~?」

 

 が、そんな友人の決意しようとする流れをぶち壊すのがアリシアクオリティ。

 一生懸命勇気を出して、自ら部屋に入ろうとしていたなのはの行動を妨げ、自分の流れに無理やり乗せた彼女は、なのはの逃げ道を塞いでしまった。

 ユーノはなのはの事を見つめる。もはや逃げられない状況に、彼女は顔を赤く染めてプルプル震えていた。たぶんどうすればいいのか分からず緊張しているんだろう。

 だからユーノは心の中でため息を吐くしかなかった。せめて襖の奥から聞こえてきた会話で状況を察してほしいものだが、自由奔放なアリシアにそれを求めるのも酷か。

 

「ア、アリシアっ……失礼しますっ!」

「うん、いらっしゃいなのは~~。会いたかったんだ。ずっと待ってたんだよ?」

 

 緊張でガチガチに震えたなのはの声にアリシアの声が応えた。

 なのはの後ろから続くようにしてユーノも部屋に入ると、そこには布団に入ったまま上半身を起こして此方を見つめる少女の姿があった。

 

「ユーノもいらっしゃい。目が覚めて良かったよ。結構、心配してたんだからね?」

「うん、ごめんアリシア。心配かけた」

 

 なのはのパジャマを着こんで、いつも通りのにこやかな笑顔を浮かべたアリシア。一見すると後遺症もなく過労で寝込んでいるだけ。至って健康体なのだと安心できたかもしれない。ユーノはあえて気にしない振りをして、いつも通りの対応を取ることにした。

 何故ならば普段の彼女と一点だけ違う部分があったから。彼女の首元をよく見れば絶句してしまいそうな程の傷跡が残っていた。首の周囲を添うようにして刻み込まれた赤黒い痣。一見すれば天使の羽を模した刺青のように見えるソレは、間違いなく小さな人の手の形をしていた。不破なのはの、どうしようもない罪の証。一生残るであろう傷。首を強く締めた時に残ってしまう痣の痕だった。

 それはなのはの心を責め続けるだろう。本人が意図せず傷つけたとはいえ、あまりにも残酷すぎる結末。アリシアの将来において好奇の視線に晒す傷跡を残してしまったのだから。誰もが目を逸らしてくれるわけではない。誰かが必ず興味本位で聞いてくるだろう。その傷は何だと。その度になのはは自責の念に駆られてしまう事は容易に想像が付く。

 

「ッ……!」

 

 だって当の本人が目の前で下唇を血が滲みそうなくらい噛み締めているのだから。苦渋と悲しみに満ちた表情はなのはが自分を責めている証拠。

 ユーノは何も言う事が出来ない。彼女を赦せるとしたら殺されかけたアリシアだけ。アリシアだけが罪深き少女の苦しみを和らげることが出来る。せいぜいユーノに出来ることは何も言わずに見守るだけだ。それが堪らなく悔しい。せめてなのはが潰れてしまわないよう支えようと、震えるなのはの手を少しでも安心できるように握りしめた。

 

「どうしたのなのは? 顔色が悪いよ? もしかして、何処か調子でも悪いの!?」

 

 いつもの様子と違うなのはに、心の底から心配する声を上げたアリシア。

 それに対してなのはは恐る恐るといった様子でアリシアの傷跡を指さした。

 自ら手を下した親友の傷跡を直視するのは辛いだろうに。それでも、なのはは視線を逸らす様な真似をしない。

 

「アリシア、それ……」

「ああ、これ? 痛くも痒くもないし全然平気だよ?」

 

 何でもない事のように、そっと自らの首に走る赤黒い痣を撫でる少女。その微笑んだ表情と安らかな瞳はとても優しい。アリシアは本当に傷つけられた事に対して怒ってもいないし、悲しんでもいないようだった。ひたすらに優しい眼差しを向けるだけ。それがなのはにとって逆に辛い。いっそのことを怒鳴って、糾弾して、ありとあらゆる罵声を浴びせ掛けてくれた方が気が楽になるのに。

 なのははそれ以上アリシアと視線を合わせることが出来なくなって俯いてしまう。どうしようもない位の罪悪感が心を締め付けて苦しい。勇気を出して"ごめんなさい"って一言謝らなくちゃいけないのに、どうしても声に出すことが出来なかった。ユーノに謝るときは絞り出せたのに。

 

「ねぇ、なのは」

 

 アリシアに呼びかけられて、びくっと猫のように肩を震わせたなのは。恐る恐る顔を上げると、やっぱり向けられた視線は優しいままだった。

 なのはは情けない事だが逃げ出してしまいたかった。この視線に耐えられそうにない。責められている訳ではないのに、すごく息苦しく感じてしまう。

 

「そんな所にいないでこっちに来て? ホントはわたしの方から駆け寄りたいけど、いま思うように身体が動かせないから」

「あっ、ごめんなさい……」

「いいから、いいから」

 

 なのははアリシアの望むままに従う。罪人が我儘を言っていい立場ではないのだ。罪の自覚があるならば傷つけた者の言葉に従う義務がある。そうすることで償えるのならば、なのははいくらだってそれに従う。同じように首を絞めさせろと言われれば大人しくされるがままにするし、命を断てと言われたならば刃を心臓に突き立てるだろう。それだけの覚悟がなのはには在った。彼女は自暴自棄になっていた。

 アリシアの傍までふらふらと歩み寄りながら、彼女と同じ目線に膝から崩れ落ちたなのはは、心の底から怯えている。まるで親に叱られる子供のように。そんな彼女にアリシアはそっと手を伸ばして、やっぱり頬を打たれるのか、同じように首を絞められるのかと、ぎゅっと目を瞑ったなのはに行われたのは。

 

「えっ……?」

 

 弱々しく抱き寄せるような暖かい抱擁だった。

 呆気に取られてアリシアの肩ごしに瞬きを繰り返す。

 自分を抱きしめる女の子の表情が伺うことが出来ない。彼女はどんな表情をしているんだろうか?

 いつも、なのはの手を引いてひっぱり回していた少女の力はとても弱々しかった。あんなに力強く手を握って、離さないと言わんばかりに抱きついてくるアリシアの姿はどこにもない。だというのに彼女の抱擁は逃れられる気がしない。

 いつかなのはがアリシアにそうしたように、今度はアリシアがなのはを抱きしめてあやしていた。優しく頭を撫でるアリシアの手は暖かくて、綺麗な細い指が何度も髪を梳く。

 ユーノもそうだったが、どうしてこの二人はなのはを抱きしめてくれるんだろうか。なのはには到底分からない。だって自分は許されないことをした。友達を危険に晒して、あげく殺そうとした大罪人。だというのに何故。

 

「ごめんね、なのは」

「どうして、謝るの? 悪いのは、いけないのは、なのはだよ……」

「ううん、わたしの我儘でなのはを危険に晒したから。わたしの所為でなのはを不必要に傷つけちゃったから」

「でも……なのは、アリシアの事……ころして、しまい、そうに……」

 

 アリシアの首を絞めていた光景と、その時の感触を思い出したのか、なのはは歯をガチガチと震わせて嗚咽まで漏らし始める。きっと彼女の中では激しい雨の日の光景まで思い起こされているのだろう。

 今回の出来事で、日常的に意識しないよう努めていたトラウマが再発したのだ。こうなってしまうのも無理はなかった。

 だからアリシアはよりいっそう抱擁を強めた。なのはに自分の温もりが伝わるように。肌を重ねあわせるくらいに密着して、支えようとする己の存在をなのはに決して忘れさせないように。

 怖いんだろう。また正気を失ってアリシアやユーノを傷つけないかと不安なんだろう。だから、アリシアはなのはの事を支えてあげたいと思う。

 

「なのはのこと大好きだから。これぐらいで嫌いになったりしないよ?

 わたしは母さんとアルフとバルディッシュ。それだけじゃない、ユーノ、アリサ、すずか、おじちゃん。みんな、みんな大好きな人たちで一緒に笑い合いたい。幸せを分かち合いたい。

 だから、なのはにも笑って欲しいんだ。悲しんで欲しくないんだ。なのははわたしに出来た初めての"友達"だから」

「ありしあ……」

「大丈夫。同じようになっても、わたしがなのはの目を呼び覚ましてあげる。ピンチになったらユーノと一緒に助けに行く。そうでしょ? ユーノ」

「もちろんだよ。僕はなのはのこと護るって誓ったからね」

「ゆーの、くん……」

 

 それでようやく我慢の限界を超えたのか、なのはは再び声を押し殺して泣いた。アリシアの肩に顔を埋めて小さな嗚咽を漏らしながら涙を流した。

 口にする言葉はやっぱり“ごめんなさい”という六文字の言葉。それに対してアリシアは“じゃあ仲直りしよう”と笑顔で笑うのだった

 



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●願いの果てに

 なのはとアリシアの和解の後、二、三日で療養を終えたユーノは魔法でアリシアの治癒に専念した。その甲斐あって一番後遺症が酷かったアリシアの復帰は大分早まる事になる。

 

 もちろん、なのはの献身的な看病があったのは言うまでもない。ユーノにとっては羞恥プレイ、アリシアにとってはべったり甘えられるような看病を彼女は施してくれた。

 

 どのような看病なのか具体的に言うと、消化しやすいお粥などを運んできてはスプーンで食べさせようとするに始まり、お風呂に一緒に入って世話するのは当たり前。さらには排泄の時にトイレの中にまで入って世話しようとする始末。これにはユーノどころか、流石のアリシアも狼狽え恥ずかしがりながら断った。

 

 鈍ってしまった身体のリハビリにも彼女は常に支えてくれた。移動するときに立つだけでも辛い二人に肩を貸して支え。歩けるまでに回復したら、ゆっくりと両手を引いて先導してくれた。なのはは寝るとき以外は、アリシアか、ユーノのどちらかに付きっきりだった。

 

 そして看病の間、彼女はずっと学校を休んだ。休む建前としては過労による体調不良だと、ありきたりな理由を述べたが、実際に嘘は付いていない。トラウマが再発した彼女は普段通りとは言えない、どこか弱い部分をさらけ出しているような状態だったからだ。

 

 そんな精神的に衰弱しているなのはを学校に通わせたところで、彼女が勉学に励めるわけでもない。アリシア達だけでなく、なのはにもきちんとした休息が必要だった。それは厳格な父親である士郎と、なのはに優しい兄の恭也が相談して決めたことだ。

 

『今日も休みなのね?』

「……ごめんねアリサちゃん」

『別に気にしなくていいわよ。なのはの事情は良く分かってるつもり。ゆっくり休みなさいよ? あと、なのはの分のノートはアタシとすずかで写しておくから』

「……ありがとう。その、このお礼はちゃんとするね? なのはの出来ることなら何でもするから」

『だから気にすんなってば。それに簡単に何でもするとか言っちゃダメじゃない。ん? すずかも話したがってるみたいだから、すずかに代わるわよ』

 

 だから、こうしてなのはは元気に学校に通い続ける二人の親友に事情を説明する。

 最初に学校を休むと説明した時にアリサ達から帰ってきた声は、心の底から親友を心配する声。

 次に何でもいいから、なのはの力に為れる事があれば言って欲しいと、明るい声でサポートを引き受ける旨を伝える声だった。

 少なからず不破家の事情を知っている二人の親友は本当に頼れる存在で、普段から自分を殺して甘えないなのはも、この時は二人の事を頼っていた。

 

『もしもし、なのちゃん?』

「……うん、聞こえてるよ。すずかちゃん」

『いつもの感じじゃないけど、少しだけ元気が出て来たみたいだね。良かった』

「……なのはは……大丈夫だから」

「うん、分かってる。今度の日曜日にでもお見舞いに行くから。あっ、バスが来たみたいだから切るね。それじゃあ、またね、なのちゃん」

 

 自分の部屋の中に敷かれたベットの上で横になっていたなのはは、静かに携帯電話の通話を切ると、折り畳み式のそれを充電機に差し込んでベットの脇に放り込んだ。

 

 「はぁ……」と静かに溜め息を吐く。アリシアに許して貰えたものの、なのはの気分は意気消沈したまま。それは、未だに自分で自分を許していない証拠だった。いつまでも終わったことを引きずるのは良くないとの自覚はある。なのはを許してくれたアリシアにも失礼だ。

 でも、たくさんの業を背負った幼い女の子に割り切れと言うのは酷だろう。いろんな事を経験して大人になったのならばともかく、身も心も発展途上にある彼女には気持ちの切り替えが上手く出来ずにいた。

 

(不破の流儀は殺人術に過ぎず、そんなモノを学んでいる私が誰かを助けようなど、到底無理な話だったのでしょうか?)

 

 自問自答するも答えなんて出る訳がない。

 なのはは両手を天井に翳して、手のひらを見つめる。女の子らしくない樫みたいな堅い手は己を鍛えてきた証であり、デバイスを強く握りこんで全力で振るってきた証拠だ。アリサとすずかのような柔らかい手とは大違い。アリシアも少なからず堅くなっているとはいえ、ここまで酷くない。

 

 一見すると肌色に見える両手。しかし、なのはからすれば真っ赤に染まって見える。人の返り血で紅く染まった手。格闘選手のように相手を傷つけ、競い合うような誇らしい拳ではない。生きている人間の命を奪った罪の象徴。汚れた手だ。

 

 そんな罪深い手で誰かを救おうなどと、おこがましかったのだろう。現に親友を殺しかけた。

 

『マスター。食欲がないのは分かりますが、ご飯を食べましょう? もう、すっかり冷めてます』

「……そうですね、レイジングハート。私は所詮、人殺し。咎人なんです」

『もう、しっかりして下さいマスター! プレシア・テスタロッサを助けに行くのに、貴女が調子を悪くしたら本末転倒じゃないですか!!』

『…………分かっていますよ。レイジングハート』

 

 首に掛けた胸元のレイジングハートに促されて、なのはは憂鬱げにベットから身を起こした。

 身体は健康そのものでも、弱りきった心では何をするにも億劫になる。これでは元の冷静で力強い自分を取り戻すのに、幾ばくかの時間を要するだろう。劇薬のようなモノがあれば話は別だろうが。

 

 勉強机に置かれた食事になのはは目を向けた。白いご飯。焼き鮭。焼き海苔。納豆。ワカメと豆腐入りの味噌汁。食欲を促すためであろう梅干し。ドレッシングの掛けられたサラダ。コップに入った新鮮な牛乳。娘の健康を考えて作られた料理の数々。

 

 なのははそれらを静かに口にする。ゆっくりと咀嚼して、ゆっくりと呑み込んでいく。食事の進み具合はいつもより遅い。

 

 冷たくなった朝食、それも独りで食べる朝食も味気がなくて美味しくない。いや、落ち込んだ心では、味覚が美味しいと感じられないのだろう。これでは、どこか気まずくても家族と一緒に食べる食事の方が美味しかった。

 

『少しでもいいですから、しっかり食べて元気になってください』

「レイジングハートは……」

『なんでしょうか?』

「まるで、お母さんみたいですね」

『なっ、私が、お母さんですかっ?』

 

 なのはの突然すぎる爆弾発言にレイジングハートは動揺して黙り込んでしまった。『わ、わ、私が、マスターの、マザー?』と、珍しく口調がどもりまくっている。彼女はそのまま沈黙してしまった。

 

 なのはは思う。もし、母親が生きていたのならば、レイジングハートのように叱ったり、励ましたりしてくれたのだろうかと。

 

 記憶の中で薄れゆく母親の記憶は殆ど思い出せない。あまりにも幼い頃の出来事なので、意識がはっきりとしていなかった彼女は母親との思い出を鮮明に覚えていなかった。

 

 ふと、机の横に置かれた写真立てに目を向ける。なのはの心の支えのひとつ。それを手に取って眺めた。

 そこに映るのは、手入れされた栗色の髪を腰まで伸ばした綺麗な女性が、幼い子供を抱きかかえて笑っている姿だ。なのはの性格を明るくして成長させれば、こんな風に瓜二つの美人が生まれるだろう。それくらい彼女はなのはに似ていた。

 高町桃子。詳しい詳細は知らされていないが、なのはの幼い頃に亡くなった人。なのはの……

 

「お母さん……」

 

 抱きかかえられた子供は幼い自分らしかった。なのはには考えられない。だって無邪気そうに笑って、隣に立つ男性に小さな手を伸ばしているのだから。自分が明るく笑うなどありえないと、なのはは断じて苦笑した。

 その隣にはもっと信じられない光景がある。柔和で優しそうな微笑みを浮かべて、カメラに顔を向けた男性。でも、その視線は心なしか心配そうに、母親に抱かれた娘へと注がれている気がする。幼い娘が母親の腕から落ちてしまわないか不安なのかもしれない。

 

 彼は高町士郎。なのはの父親にして、母親である桃子の妻。

 写真の彼は母の死に苦悩し、復讐鬼となった面影は何処にもない。目元に刻まれた深い皺も、目付きの悪い鋭い視線も、目元に出来た隈も何もない。

 優しげな理想の父親としての姿がそこにはあった。

 

「お父さん――」

 

 いったい不破家は何処で間違ってしまったのだろうか。

 どうして、なのはのお父さんは、娘に殺しの武術など教え続けるのだろうか。

 優しくおかえりって言ってくれて。朝にはおはようって起こしてくれて。休みの日には何処か一緒に出掛けてくれる。そんな父親の姿は何処にもない。

 あるのは己にも他人にも厳しい、厳しすぎる父親の姿。

 やっぱり、お母さんがいないから。だから狂ってしまったのだろうか?

 

「なのはは――」

『マスター……』

「ううん、なんでもありません。行きましょう、レイジングハート。アリシアのお母さんを助ける為に」

 

 再び弱い自分を押し殺したなのはは行く。

 ユーノも、アリシアも準備を終えて待ってくれている。なのはに出来ることは少ないが、アリシアを見守ることぐらいは出来るし、万が一ジュエルシードが暴走した時のストッパーは自分にしかできない。今度こそトラウマに怯えず、自分の責務を全うする時だ。

 自分や家族の事など、アリシアのお母さんが救われた後でも出来るのだから。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 名目上は気分転換とリハビリの為の散歩と称して、なのは達は時の庭園に転移した。

 儀式を行う場所は庭園の玉座の間。ユーノはすぐに準備に取り掛かり、ジュエルシードの行使に必要な術式などを整えていく。

 ジュエルシードの使用に当たって問題なのは安全性と確実性である。唯でさえ暴走率の高いロストロギアなのだ。ましてや正常に願いを叶えた事例は殆どないと言っていい。月村邸の子猫を大きくさせたのが、唯一の成功例かもしれないが、あれを成功と言われれば疑問が残る。

 

 本来であれば管理局にロストロギアの使用を申請したうえで、彼らの協力を仰ぐのが最高の手段だ。ロストロギアの封印を主任務の一つとしている次元航行艦。それが、ひとつでもバックアップに付いてくれたなら頼もしい事この上ない。あの部隊ほどロストロギアを熟知している部門は他にないだろう。

 しかし、そんなことを悠長にしていてはプレシアの寿命が先に尽きてしまう。そんな事になっては本末転倒だった。

 よってユーノは違法を承知の上でジュエルシードの使用に踏み切る。人の命が掛かっているとなれば、少年は迷いはしなかった。最善の解決策を模索しつつ実行に移す計画を整えてきたのだ。

 

 安全性においては、時の庭園の魔導炉を使用することで解決を図った。ジュエルシードの暴走する波長を魔法陣の術式に記憶させ、暴走した瞬間に魔導炉の魔力出力を利用して大規模封印を行う。時の庭園という巨大な次元航行船を支え、内部の傀儡兵を大量に起動させても余裕のある魔力出力。たとえ二十一個のジュエルシードだろうと瞬時に封印出来るだろう。

 これに、なのはのバックアップ体制による二段構えだから抜かりはない。封印の術式に不具合があったとしても、魔導炉の補助を受けたなのはの封印魔法でジュエルシードを静める。もっとも、そうならないように術式の構成は念入りにチェックしているユーノである。

 

 願いを叶える確実性においては賭けに近い方法しかなかった。

 ユーノはジュエルシードを発掘した時の資料やデータで、願いを正常に叶える方法を知っている。

 二十番目までのジュエルシードをサポートに使い、二十一番目のジュエルシードを使用者が握って心から願う。すると握られたジュエルシードが願いを受信し、他のジュエルシードがそれを増幅していく。最後にジュエルシードが内包する魔力を使い、増幅した願いを魔法で叶える。これが基本的な使用理論。

 

 しかし、これには大きな欠陥が存在する。

 魔法で叶えられる願いが限定されるのと、雑念が入ると正しく願いを受け取れない点である。

 前者は死者蘇生や時間遡行などの世界の法則を書き換えるような真似は不可能という点。人間に出来ない事は、人間によって創られたジュエルシードでも叶えられないと事実を表していた。

 

 後者は人の思考を判別するシステムが上手くいかなかったせいだ。膨大な人の思考から、一つだけを選択して実行に移すという技術は完成に至らなかった。大抵は余計な願いまで受信してしまう。ジュエルシードが歪んだ形で願いを叶えるのはそのせいである。

 

 今回はプレシアの不治の病を増幅した治癒魔法で治す形になるだろう。アリシアが母親の健康的な姿を思い浮かべるか、元気に治療してほしいと願言えば問題ない。後はジュエルシードの膨大な魔力が全てを解決してくれる。

 もっとも不治の病だから、治癒というよりは再生魔法に近い形になるかもしれないが。病に侵されたプレシアの細胞を元通りに復元するのだ。プレシア自身に負担が掛かるだろうが、そこは耐えてもらうしかない。

 

 結果的に願いを叶えるだけならば可能である。

 しかし、最大の問題点はアリシアが何とかするしかない。雑念の入らない一点のみに絞られた願い。曇りのない純粋無垢な願いが成功のカギを握っていると言っていい。アリシアの母に対する想いに全て掛かっている。

 

「いいかい、アリシア。絶対にプレシアのこと以外で考え込んじゃダメだ。難しいかもしれないけど、"プレシアの病を治してください"ってはっきりと。それも心の底から願い続けないと失敗する」

「うん……」

「曖昧な願いもダメだよ。"プレシアを助けたい"なんて願ったらジュエルシードは叶えられない。大事なのは"何"から"助けたい"のか明確なビジョンを持つことなんだ」

「……うん、がんばるっ」

 

 魔導炉の魔力供給を調整し終え、封印の術式のチェックを再三に渡って行ったユーノは、注意と助言をアリシアに何度も伝えた。

 肩を掴んで、視線を合わせ。真剣な表情で告げるユーノの様子にアリシアも表情を強張らせて頷く。

 何せ自分の両肩に母親の運命が掛かっているのである。掛け替えのない存在であるプレシアを大切に想ってきたアリシアだ。背負う重責も半端ではないだろう。

 いつも明るい彼女にしては、らしくない表情だった。

 

「アリシア、私が言うのも何ですが、頑張って下さい」

 

 そんなアリシアを、なのははそっと抱き寄せた。耳元でささやく言葉は彼女なりの励まし。

 

「なのは――ありがと。ちょっとだけ勇気が湧いた」

「ごめんなさい。今の私ではあまり役に立てません……」

「ううん、いいんだ。なのはが傍に居て、ユーノも支えてくれる。それだけで、わたしは頑張れるから」

 

 名残惜しそうにアリシアは抱擁から離れると、なのはとユーノから距離を取った。

 そして丁寧にお辞儀をする。"二人とも今まで手伝ってくれてありがとね"と、彼女はそう言って笑う。

 そこには抱えていた不安も、怯えもなかった。いつも通りのアリシアがいた。いや、普段よりも決意に満ちた女の子が、凛々しい表情で立っていた。

 

 アリシアは、なのはに背を向けて巨大な魔法陣の中央に歩み寄っていく。後ろから続くのはユーノ。陣の中央には患者着のプレシアが寝かされていて、なのははそれを静かに見守っていた。

 その手には、いつでも不測の事態に対応できるようにレイジングハートが握られている。

 

「レイジングハート、バルディッシュ。ジュエルシードを」

『stand by ready.put out』

『put out』

 

 ユーノの呼びかけに、二基のデバイスが応えながらジュエルシードを展開していく。それぞれ半分ずつ収納していた封印状態のジュエルシード。それらは浮かび上がってアリシアの周囲をぐるりと囲む。

 そして、厳重に封印された二十一番目のジュエルシードを、ユーノはアリシアにそっと手渡す。アリシアがジュエルシードに願いを注ぎ込んだ瞬間、封印は解けて活動を再開するだろう。

 封印の為の魔法陣を制御するために、陣の外側でしゃがみこんで両手を地面に添えるユーノ。不安と励ましの籠もった瞳で身構えているなのは。床に静かに寝かされて、両手を組んで穏やかに夢を見ているプレシア。手のひらに収められた願いを叶える宝石と、周囲に浮かぶ二十もの宝石。

 それらを見回してアリシアはバルディッシュを待機状態に戻す。三角形のペンダントは右手の甲に収まった。

 

「すぅ……いくよ。みんな」

「はい! アリシア」

「僕らが全力でサポートする。キミは願いを叶えることに集中して」

『私たちが付いています』

『Good luck to sir』

 

 この場に居る全員の掛け声を受けてアリシアはしゃがみこんだ。いわゆる正座のように両膝を付いた彼女は、愛する母の前で願いを込める。

 目を瞑り、顔の前で握りこんだジュエルシードを掲げる少女。その姿は神に祈りをささげる聖女のようだ。

 

(どうか、お願いします)

 

 やがて、アリシアの意をくみ取ったジュエルシードが淡い輝きを放ち始める。暴走の時とは違う優しい光。まるで、透明な海の様に透き通った光。それに呼応するかのように周囲の宝石たちも輝きはじめ、玉座の間を照らしだしていく。

 

(母さんを、わたしの母さんを助けてください!)

 

 アリシアが純粋に想い、それを願いとして変換する度にジュエルシードもまた応える。宝石たちは瞬いて、大気を命の鼓動のように揺らした。溢れ出る淡い輝きは無数の粒子となってプレシアの身体に降り注いで、少しずつ病に蝕まれた母の身体を癒していく。

 神秘的な光景だった。ひたすらに祈りを捧げる少女と、寝込んだ女性が、死人のような血の気のない肌から活力を取り戻していく光景。煌めいて降り注ぐ光がよりいっそう、奇跡のような演出を印象付ける。

 だからだろうか、その光景に見惚れていたなのはとユーノは、一瞬だけ気が付くのが遅れてしまった。

 

「ゴホッ……っ!」

 

 アリシアが口元を抑えて血を吐きだした事実。それを認識するのが遅れた。

 

「アリシアッ!?」

「アリシア!!」

 

 なのはとユーノの叫び声が玉座の間に木霊する。

 前のめりになって倒れそうになったアリシアの手から、二十一番のジュエルシードが転がり落ちた。硬質な金属を叩いたような音が無情にも響き渡るのと、アリシアが地面に手を付いて身体を支えようとしたのは同時。それでも、身体に力が入らないのか、彼女は全身を痙攣させて蹲ってしまう。

 ユーノには何が起きたのか訳が分からなかった。ジュエルシードが暴走したわけでもなく、アリシアが魔力を全開にしたわけでもない。だというのに、蹲るアリシアは例の発作を起こしたかのように苦しんでいる。その原因が分からない。

 

「このままじゃ、とにかく封印を!」

 

 しかし、ジュエルシードを放置しておくわけにもいかず、彼は地面に描かれた封印用の魔法陣を起動させる。

 

「なっ……どうして!?」

 

 が、封印の為の魔法陣は起動した反応も見せず、沈黙したままだった。魔法陣の構築を間違えたわけではない。何度も何度もチェックした。それなのに封印の儀式魔法が発動しないと言う事は、何か別の原因があるのだろうか。

 

「なのはっ!」

「はい、ユーノさん! レイジングハート」

『all right.my master.』

 

 ならばと、ユーノに促されたなのはが既に収束させていた砲撃魔法を放とうとする。矛先はアリシアの周辺に浮かぶ二十個ものジュエルシード。魔導炉から引き出した魔力を上乗せして封印するための砲撃魔法を放てば自体は集束する。

 

「ディバインッ――そんなっ!?」

 

 しかし、収束された魔力は四つの環状魔法陣を通って放出される前に、徐々に霧散してジュエルシードに吸い込まれていった。

 なのはの桃色の魔力光がジュエルシードの魔力に変換されて、さらなる光の粒子がプレシアの周囲に漂い始める。よく見ればアリシアの身体からも彼女の魔力光が放出されていた。ここまでくれば誰もが異常の原因に気が付く。

 

「周辺の魔力が、吸収されているとでもいうのですか?」

「それだけじゃない、魔導炉の魔力も吸い込まれてる。だから、封印の魔法陣が発動しないのか」

「そんな……アリシア!!」

「なのは、待って――」

 

 なのははユーノの制止を振り切って魔法陣の内側に飛び込んだ。必死に足を動かして、アリシアの元に駆け寄って彼女を助けようとする。せめて、アリシアだけでも何とか助けたいと、なのはは降りかかる危険を考えもせずに動いていた。

 

「きゃあっ!!」

「なのは!」

『マスターー!』

 

 けれど、それを阻むかのようにジュエルシードの周辺に張られた不可視の障壁が彼女を吹き飛ばす。なのはは床に叩きつけられて、魔法陣の外側まで転がってしまう。

 その身体をユーノは咄嗟に受け止めたが、なのはは極度の魔力ダメージを受けたかのようにぐったりしていた。

 

「ア、アリシア……いま、たすけに……」

「ダメだよ、なのは! 今はジュエルシードの周辺に近づけるような状況じゃない」

 

 それでも、なのはは這い寄ってでもアリシアを助けに行こうとして、ユーノに抱き抑え込まれてしまった。力なく左腕をアリシアに伸ばす少女の腕は、とても弱々しくて震えていて。けれど、なのはの瞳に込められて意志は屈していない。諦めていない。

 

「なの、は……?」

 

 そんな彼女の意志が届いたのか、それとも呼びかけられた自身の名前に反応したのか分からないが、アリシアも震える腕を伸ばした。そして大好きな友達の元へ行こうとするも、意志に反して伸ばされた腕は二十一番目のジュエルシード掴み取ろうとする。

 

(あたま、痛い……わたしの、こころが、バラバラになりそう……)

 

 周辺を照らすジュエルシードの輝きが増すなか、アリシアの中では劇的な変化が発生していた。

 頭が割れそうだと錯覚してしまうような痛み。朦朧とする意識で視界はぼやけ、全身が熱くなって融けてしまいそうな感覚。心ははじけてバラバラになり、アリシアがアリシアでなくなるような感覚。いや、それは眠っていた意識が目を覚まそうとしている感覚? 分からない。アリシアには分からない。

 アリシアの心の中で、アリシアではないたくさんの意識がある。ううん、アリシアだけど"アリシア"じゃないような意識。限りなく自分に近いけど、自分ではない独立した自我が、アリシアの思考をかき乱す。思い浮かべたわけではないのに、心から誰かの想いが無数に浮かび上がる。

 

――お母さんに会いたい――外に出たい――誰かに会いたい――お話したい――遊んでみたい――自由に身体を動かしてみたい――あなたはだれ? わたしはだれ?――わたしはアリシア――あなたもアリシア――みんな、アリシア?

 

 どれも、これもが心の底から浮かび上がる"アリシアの"想い。その数は十一人分。

 ジュエルシードはそれら全てを叶えようとして、足りない魔力を補おうとしていた。ある意味でジュエルシードは暴走している。"アリシア"との共鳴現象が予想の付かぬ事態へと動こうとしている。

 

 "いいかい、アリシア"

 "絶対にプレシアのこと以外で考え込んじゃダメだ"

 "大事なのは……明確なビジョンを持つことなんだ"

 

(――いめーじ……めいかくな、ビジョン……)

 

 ばらばらに弾けそうになる意識の中で、アリシアはユーノの言葉を思い出す。朦朧として、気を抜けば自分が自分で無くなりそうな意識を繋ぎ止める。

 たとえどんなに自分の意識が拡散しようとも、アリシアの胸の内に秘めた母親への想いは変わらない。それは限りなく同じに近い"アリシア"でも同じこと。

 

 "アリシア、頑張ってください"

 

 それに、どこかぎこちない大好きな親友の笑顔と声援を思い浮かべれば、アリシアはいくらでも頑張れる。なのはが傍に居る。ユーノが付いている。だから、絶対に諦めてなるものか。

 皆がみんな同じ"アリシア"だというのならば、その想いを一つに束ねればいい。海のジュエルシードを封印した時と同じように、彼女たちにお願いして。いや、彼女達と一体化してでも無数の想いを一点に集束させる。

 その為に必要なアリシアの願いは何だ? 今までアリシアとして生きてきた"アリシア"の望みは一体……

 

(わたしは……ボクたちの願いは……)

 

 瞬間、アリシアの中で生まれてからの記憶が爆ぜるようにはじけた。濁流のように過ぎ去っていくシーンは鮮明だった。

 

 プレシアの呼びかけで目が覚めて、初めて母親である彼女と対面した。お姉ちゃんのようなリニスと挨拶した。魔法資質があることが分かって、リニスを先生に魔法を教わった。三人で出かけた時に群れから逸れて弱っていた子供の狼を使い魔にした。アルフと名付けられた使い魔の彼女と姉妹のように育った。プレシアが研究で忙しくなって滅多に会えなくなった。アルフと二人で魔法をいっぱい勉強して、プレシアの役に立とうと頑張った。プレシアが病気で倒れてしまった。そしたらプレシアは、アリシアを"アリシア"としか見なくなった。リニスがプレシアの看病を続けていたけど、彼女は段々と衰弱していった。やがて、バルディッシュを完成させてリニスはふと消えてしまった。アルフと二人っきりになった。初めは二人で過ごしていたけれど、ご飯が段々と尽きていく。アルフがアリシアに負担を掛けないように子供の姿になって深い眠りに付いた。お腹が空いた。誰かの呼ぶ声が聞こえた。母親から入ってはいけないと厳重に注意された部屋に、意を決して入り込んだ。アリシアは初めて自分の姉妹たちに会った。たくさんお話して、たくさん培養槽ごし触れあって、たくさん心で繋がった。頭の中でたくさんたくさんお話した。そして、アリシアは姉さんたちに哀願されて禁忌を犯した。アリシアと姉妹たちが一つになる事で、動けない姉妹たちを自由にした。アリシアは生きる為に姉妹たちと融合を果たした。そして、段々とアリシアがアリシアじゃなくなった。自分が"アリシア"なのか、"アリシア"が自分なのか。アリシアが姉さんたちなのか、姉さんたちがアリシアなのか。ときどき分からなくなるようになった。ある日、母親を看病した時に、バルディッシュがこのままだと持たないと告げてくれた。アリシアたちは必死になってプレシアを助ける方法を探して、文献からジュエルシードの存在を知った。バルディッシュに従って、時の庭園のコンピューターを動かした。ジュエルシードの在り処を探して、発掘されたジュエルシードを追いかける為に時の庭園事態をメインコンピューターに動かさせた。

 

 それから、それから、アリシアにたくさんの友達ができた。怒るとちょっぴり怖いけど、面倒見が良いアリサ。甘えるアリシアを包み込んでくれた優しいすずか。不器用で、怒るとすごく怖いけど、実は優しいおじちゃん。おじちゃんを何倍も優しくしたようなお兄さん。アリシアの事をいっぱい助けてくれたユーノ。

 そして――とっても大好きで、初めての"ともだち"になった。なのは――

 

 それが生まれてからのアリシアの全ての記憶だった。

 記憶の中でプレシアが笑ったことは一度もなかった。いつも悲しそうな顔をしているだけだった。

 一度目の邂逅も、二度目の邂逅も、三度目から十二度目の邂逅に至るまで、アリシアは母親の微笑みと言うものを見たことがない。プレシアの笑顔を写真の中でしか見たことがない。そう、優しそうに微笑む女性と自分たちによく似た女の子の写真だけが、唯一の母親の笑顔を閉じ込めた思い出だった。

 

(……ボクたちの願いは……あんな風に……) 

 

 笑い掛けて欲しい。名前を呼んでほしい。アリシアじゃなくて“アリシア”って愛おしそうに呼んでほしい。

 心は何時だって母の温もりを求めていて、生まれた時からずっとそうだったのだと納得するまで時間は掛からなかった。

 それは、どの“アリシア”も望んだこと。姉妹たちが共有する強い願い。心の底から望み続けた希望だった。

 だから、アリシアは……

 

(ボクを……わたしを見てっ! お母さん!!)

 

 母親の病の治療ではなく、自分の望んだ願いを強く思い浮かべてしまった。

 十二人分に束ねられた強烈な想いがジュエルシードに反映され、ひときわ強いジュエルシードの輝きが玉座の間を照らし、そして。

 

「アリ、シア……?」

 

 深い眠りに付いていたプレシアが目を覚ました。

 



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●ママ/お母さん

「アリシア……」

「母さん!」

 

 目を覚まし、視線を彷徨わせたプレシアに、アリシアは駆け寄った。血反吐を吐きだして消耗していたのも忘れたように、横たわる母の元へと一心不乱に。まるで探していた宝物を見つけたように。事実、アリシアにとってプレシアは何物にも代えがたい大切な人なのだから。

 だから、その一言はアリシアの心を打ち砕くのに充分すぎた。

 

「どこなの、アリシア……?」

「………………えっ?」

 

 長い沈黙が舞い降りた。当の本人であるアリシアどころか、二人の傍に向かっていたユーノとなのはでさえ、唖然として押し黙ってしまう程だったのだから。アリシアが受けた衝撃は計り知れない。

 アリシアは必死だった姿も、浮かべかけた笑顔も消えて。愕然としたように、その場で崩れ落ちてしまった。

 

「何も見えない、真っ暗闇だわ……それに、寒い……此処は何処なのかしら……?」

 

 だが、プレシアの呟き続ける声がアリシアを突き動かす。彼女はハッとして、それから唇を痛いくらい噛み締めてから。泣きそうな表情でプレシアの傍にもう一度歩み始めた。

 そして、母親の隣でしゃがみこんで手を握りしめる。プレシアの手は冷たくて、戻りかけていた血の気は再び失ってしまったかのように青白い。アリシアの手を握り返す力も無くて弱々しかった。

 今にも消えてしまいそうな、まさに風前の灯のようだった。

 

「暖かい手、誰かそこに居るの? 悪いけど、何も見えないのよ。何も……」

「母さん。ここだよ。ボクはここに居るよ。母さんは、ひとりじゃないよっ」

 

 アリシアは泣きそうな声でプレシアを励ます。ううん、既に彼女は泣いていた。宝石みたいな赤い瞳から溢れ出る涙が、彼女の頬を伝って流れ落ちていく。

 プレシアの事を励まそうと表情は笑顔を形作り、けれど喉からは嗚咽が漏れ出て、泣き笑いみたいな表情になってしまっている。

 

 そんな、アリシアの表情でさえ、プレシアは見ることが叶わない。瞳は虚ろで、玉座の間を照らす明かりに何の反応も示していなかった。眩しいからと瞼を閉じることもない。偶に瞬きをしては、アリシアの声がする方向に視線を向けているだけで。肝心な焦点はちっとも定まっていない有り様だった。

 

「しっかりして母さん。ボクがきっと治してあげるから……だからっ……」

「その声は……アリシア、なの?」

 

 プレシアの問いにアリシアは言葉に詰まった。

 プレシアの呼んだ名前はきっとアリシアのことではない。別の"アリシア"の事。

 プレシアだけが知っている本当の"アリシア"を呼んでいるんだろう。

 

「…………そう、だよ……母さん。私はここにいるよ」

 

 だから、アリシアは嘘を吐いた。せめて少しでもプレシアが安心できるように。

 でも、嘘を重ねる度に胸の奥が苦しくなって、もっと泣きそうになる。

 本当はアリシアとして見て欲しくない。もう、アリシアでいたくない。そんな悲痛な思いが渦巻いて仕方がない。

 嘘のアリシアを演じれば演じる程、自分が自分じゃなくなるような気がするのだ。自分の存在が消えてなくなるような気がして怖くなる。消えてしまうのは……嫌だった。

 

 ちゃんと、自分のことを見て欲しい。"アリシア"の代わりとしてじゃない自分を。

 記憶の中にある母親の笑顔も、優しさも、自分に向けられたモノじゃない気がした。だって、アリシアは"アリシア"として目覚めてから、ただの一度も母親に優しい微笑みを向けられたことがないのだから。

 本当の"アリシア"のことが嫌いなわけではない。でも、アリシアは本当の"アリシア"の事が羨ましかった。

 あの微笑みも、優しさも、愛情も、全部彼女のモノだ。それらは記憶として知っているアリシアにも、とても暖かく感じられる程のもので。

 いつの間にか、それを切望している自分がいた。自分も、あの笑顔が欲しいと、ずっと望んでいた。

 だから……

 

「……ごめんなさい。お母さん。ボクは"アリシア"じゃない。ボクは……」

 

 アリシアは嘘を吐くのをやめた。もう、苦しいのを我慢することが出来なかった。

 

「そう……薄々、そんな気が、していたわ。私の知っているアリシア、とは……どこか、違うもの。とても似ている誰か、なのね……?」

「うん……」

「顔を、撫でさせて、貰えるかしら……?」

「う、ん……」

 

 アリシアはプレシアの手をそっと自分の頬に導いた。ひんやりとした手の感触が頬に伝わり、支えられたプレシアの手は優しくアリシアの輪郭をなぞっていく。特になのは、アリサ、すずかによって丁寧に整えられてきた金糸の髪は、何度も何度も確かめるように指で梳いてくれた。それが嬉しくて堪らなかった。知らずに微笑んでいる自分がいるのを、アリシアは自覚する。

 

 ようやく、プレシアは自分のことを見てくれて、それがアリシアにはたまらなく嬉しかった。そして、病で苦しみ続ける母の姿が、たまらなく悲しかった。もっとこんな時間が続いて欲しいと思う自分がいる。早く母を苦しめる病を治してあげたい。

 もっと撫でて欲しい。笑って欲しい。褒めて欲しい。一緒にお出かけして欲しい。美味しい手料理を作って欲しい。魔法を教えて欲しい。知らないことを教えて欲しい。添い寝して欲しい。子守唄を歌って欲しい。

 アリシアは切にそう願う。想う。これから過ごしたかった幻想的な未来に想いを馳せる。

 

「とても、良く、似ているわ。私の、アリシアに……顔の形も、肌の感触も、髪の感触も……そうか、プロジェクト・F.A.T.E……完成、していたのね」

「母さん……」

「この、水滴の感触は、涙、かしら……? 貴女、泣いて、いるの……? 何か、悲しい事でも、あった……?」

「っ!? ううん、違うよ……! そう、えっと、これは汗! 時の庭園が熱いから……」

「ふふ、貴女は、嘘が下手ね……」

 

 アリシアの誤魔化しが可笑しかったのか、弱々しく喉を鳴らして笑うプレシア。だけど、そんな呑気そうな彼女とは裏腹に風前の灯のように消えかけていく命の鼓動。

 さっきからプレシアの手を握っているアリシアだが、伝わって来る母親の体温は段々と冷たくなっている。まるで氷のようだと錯覚してしまうくらいに。それは、プレシアの脈が弱まっていると言う事。生命を循環させる心臓が力を失くしているということ。少しずつ、少しずつ、お別れの時間が迫っている残酷な現実。

 それでも、アリシアと喋りつづけているのは、プレシアの精神力がそうさせているからだ。最後の時間を少しでも引き伸ばそうと、無理してでも己の生命力を全て爆発させている。寝たきりのまま生き長らえる時間を削って、彼女はしゃべり続けている。

 それは、自分の命が長くないと悟ったプレシアの、最後ばかりの親心なのかもしれない。母親から娘に送る少しばかりのだけど、とても大きな愛情の欠片。"アリシア"に送る筈だったソレは、確かに目の前のアリシアに注がれていた。

 だけど、もう……プレシアは長くない。アリシアはそれを本能で悟っている。いつも生命維持装置で眠る時とは違う感じ。今度の眠りはきっと長く永遠と続くだろう予感。きっと母が眠ってしまったら、もう、会えない……そして、たぶん何をしても間に合わない……

 アリシアは、そう、悟ってしまった……

 

「何だか……とても、眠いわ……とても、とても……」

「……ょ」

「? どう、した、の……」

「やだよ……死んじゃやだぁ!! もっとお母さんと一緒に居たい! これからっ、一緒に暮らすんだって、ずっと、頑張って来たのに……」

「そうね……私も、アリシアと、貴女と一緒に、過ごしてみたかった……だって、貴女は、アリシアの……私の……」

「お母、さん…………?」

 

 もう、口元に耳を近づけないと聞こえない位の声で呟かれる、プレシアの声。アリシアの頭に弱々しく伸ばされる、もう片方の手。だけど、それ以上の言葉が彼女の口から紡がれることはなかった。

 

 プレシアはゆっくりと瞼を閉じると気を失ったかのようにぐったりとしてしまう。伸ばされていた腕も完全に力を失い、大理石の床に落ちた。そして、アリシアの手を握り返していたプレシアの指が、ゆっくりと離れていく。途端に重くなるプレシアの腕。大地に吸い込まれるように落ちようとするプレシアの身体の一部。

 

「母さん……? お母さん……? お母さんっ……お母さん……!!」

 

 アリシアは何度も何度もプレシアの身体を揺する。彼女の胸元に縋って呼びかける。それでも、プレシアは何の反応も返さなかった。息遣いが、微かに伝わる温もりが、胸から伝わる筈の鼓動が、感じとれない。何も、何も……

 

 冷たすぎるプレシアの身体。動かない母親の肉体。呼びかけに応えない、お母さん。

 

「あっ、あ、あっ……うぁ、あ…………」

 

 アリシアの頭の中でいくつものビジョンが駆け巡っていく。記憶の濁流。自分のものではない誰かの思い出。

 とても楽しかったピクニックの思い出。自分じゃない本当の"アリシア"が作った花冠を、母の頭に飾ってあげると、嬉しそうに微笑み返してくれた。休日に作ってくれたおやつのマフィンは甘いジャムがたくさん詰まっていて、ママ大好きって言うだけで嬉しそうにしてくれた。

 仕事で疲れて帰ってきた時は、おかえりって笑顔で迎えるのが楽しみだった。

 

 どんなに寂しくてもリニスと待っていれば平気だった。

 一生懸命、描いた母親の絵をみせると、まあ、良く出来ているわねって嬉しそうに笑いながら褒めてくれた。

 

 走り回って、転んで、心配されたことがあった。ちょっとしたイタズラをして叱られたこともあった。一緒にベットで眠った日、眠るまでの間、絵本を朗読してくれた。

 お母さんの困った顔、疲れた顔、泣きそうで心配そうな顔、嬉しそうな顔、喜んだ顔。そして大好きな笑顔。

 抱きついて、抱きしめ返された時に伝わる母親の温もり。

 大好きなママ。

 

 それを、たった今、アリシアは失った。

 

 もう、笑わない。もう、笑い掛けてくれない。心配してくれない。悪いことをした時に叱ってくれない。心配してくれない。美味しい料理を作ってくれない。一緒にお出かけして、色んな所に連れて行ってくれない。抱っこしてくれない。一緒に眠ってくれない。傍で見守ってくれないっ……!

 

「うわああああああ、ああああっ! あああああああああっ――!!」

 

 自覚したら涙が溢れて止まらなかった。気が付けば泣き叫んでいて、叫び声をあげる自分の声が良く聞こえないくらい意識が朦朧とした。

 頭の中にある記憶は、本当の記憶じゃない。誰かから借り受けた偽りの記憶。なのに、急にそれが尊いものに感じられて。母親との思い出が自分の記憶のように大切になってしまって。それがまた、プレシアの……を、現実を自覚させる。

 

――ただいま、アリシア。

――あっ、おかえり、ママ~~!

 

 幾度となく繰り返される母親の微笑み。

 いくら母の胸元に顔をうずめて泣き叫んでも、呼びかけに目覚めて再び頭を撫でてくれるなんて言う奇跡は起こらない。

 アリシアは、ただ悲しくて、虚しくて、切なくて、苦しくて、嗚咽が止まらないくらい泣き叫んで、涙が枯れ果ててしまいそうなくらい涙をこぼして。

 それから、アリシアの意識は暗いまどろみの中に落ちて行った。

 

「アリシア……眠っていて、ください。」

 

 泣きそうな、掠れた声で呼びかける、大好きな親友の、なのはの声を聞きながら。




 今回は短め……です。アリシアよりも作者の心に多大なダメージ……きたもので。
 というか、これくらいの文字数でいいんだろうか……←一話一万文字書こうとする弊害。
 それと19話と矛盾が生じ始めているけど、どうしようもないです。はい。一応、フォローできる範囲だけども、ついにやってしまった。


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●パンドラの扉の向こう側

 睡眠系の魔法でアリシアの意識をまどろみの中に誘導すると、精神的に追いつめられていたアリシアは意図も簡単に意識を失った。

 その身体を、駆け寄ったなのはが優しく抱き止める。大好きな母を喪った少女は、眠らせても泣き続けていた。そうなってしまうくらいにショックだったのだろう。

 なのはも泣きそうなくらい辛かった。そして、何もできない自分が悔しくて、プレシアを助けてあげられない自分に腹が立った。それが傲慢なのだとしても、なのははプレシアを助けてあげたかった。

 辛くて、悔しくて、悲しみのあまり涙を流しそうになった。でも、なのはは必死にそれを堪えた。だって、本当に泣きたいのはアリシアなのに、自分が泣いてどうするんだって思ったからだ。一番辛い本人を差し置いて泣くなどあってはならないと思ったから。

 そして、自らを戒めた彼女は、同時に自分自身を赦すつもりはなかった。何故ならばアリシアに嘘を吐いたからだ。貴女のお母さんを助けると誓ったのに約束を破ったからだ。

 プレシアが亡くなってしまったのは、どうしようもない事で、僕らでは手の施しようがなかったと慰めるユーノだけど。それでも、なのはは自分自身を赦せなかった。

 だから、己の全存在を掛けて、アリシアを支え、尽くすつもりでいた。極端な例えだが、死ねと言われれば自ら命を断ってしいまうほどの覚悟を持って。それくらい覚悟でアリシアに対しての贖罪を果たしたいのだ。たとえ自己満足だとしても。

 だって、アリシアは大切な母親を失ってしまったのだから。アリシアもなのはと同じで片親だったのに、目の前で大事な肉親を失ってしまった。たったひとりの家族を喪ってしまった。助けるって言ったのに、アリシアを独りぼっちにしてしまった。

 何と言って詫びればいい。どうすればアリシアに顔向けできる。あれだけアリシアに期待させておいて、なのはは、なのははっ……

 

「っぅ……!」

 

 なのはは自らに対する怒りでいっぱいになりそうだった激情を、頭をぶんぶんと振って追い払った。今はそんな事をしている余裕はない。

 何故ならば先程、時の庭園に緊急事態が起きたのだから。アリシアが泣き叫んでいる間に発生した事故。時の庭園の魔導炉の暴走。ジュエルシードによって無理やり魔力を引き出された魔導炉は、出力を限界以上に引き上げたせいで、自ら停止できなくなったらしい。何よりも長年、碌な整備もされていない魔導炉だ。暴走する結果は必然だった。

 その連絡が、庭園のメインシステムからユーノの元に届いたのがついさっきだ。アラートの文字と共に表示された真っ赤な空間モニター。異常を知らせる報告。ミッドチルダの文字が読めないなのはにも、ユーノは詳しく説明してくれた。

 

 このままでは時の庭園は崩壊し、次元の海の藻屑になると。そしてそれを止める術はないと。

 

 時の庭園の魔導炉は、それを設計したプレシアにしか迅速な操作が出来ない。魔導炉を緊急停止させる操作は誰にもできない。なのはは論外として、ユーノにも不可能な事。悲しみに暮れるアリシアに、そんな事をさせる訳にも行かない。何よりも暴走する魔導炉に近づいて操作こと自体が不可能な話。

 だから、迅速に庭園から脱出しなければならなかった。できればプレシアの事を弔ってやりたいし、アリシアが落ち着くまで泣かしてあげたかったのだが、そんな事をしている余裕など微塵も残っていなかったのだ。

 さっきから微弱な揺れが庭園を揺らしている。地震でいえば日本の震度二か、震度三くらいの揺れだろうか。段々とそれが強くなってきているのだ。ユーノの傍に展開するモニターには何処の区画が閉鎖されていくのか、逐一システムが伝えてくる有り様だった。

 

「……行こう、なのは。いろいろと名残惜しいのは分かるけど、ここにいても」

「分かって、います。分かっていますよ……ユーノさん」

「なら」

「でも、少しだけ祈らせてください。プレシアさんのこと」

「………少しだけだよ。今は本当に危険なんだからっ」

「――ありがとう」

 

 なのはは抱えていたアリシアの身体を、そっとユーノに明け渡すと、プレシアの傍で手を合わせた。

 病魔に蝕まれ、外界を見るための光すら失った彼女は、亡くなるその時までどんな気持ちだったのだろう?

 

 けれども、彼女は確かになのはの大好きなアリシアを見ていた。ちゃんとアリシアの事を気遣っていて、微かに笑い掛けてさえいた。観察力が鋭いなのはだからこそ気が付けた僅かな微笑み。

 プレシアは確かに母親だった。なのはの理想とするお母さんだった。娘に微笑みかける姿は、写真に映る桃子のモノとそっくりで。だからこそ救えなかったことが悔やまれる。

 なのはは両手を合わせて、一瞬の間にたくさんの事を祈る。アリシアの事。これからずっと彼女の傍に居て助ける誓い。天国から私達を見守って欲しいという願い。心配しないで欲しいという想い。後の事は何とかするから任せて欲しいという心からの宣言。

 それは時間にして数秒のことだったのだと思う。

 やがて閉じていた瞼を開けてユーノを見やれば、彼も何かを小さく呟いていた。たぶんユーノなりのお祈りなんだろう。なのはとユーノは視線を合わせると、そろって頷き合い、玉座の間を後にしていく。

 そして、なのはは去り際に、もう一度だけ振る向いて一言呟くのだった。

 

「さようなら。アリシアのお母さん……」

 

◇ ◇ ◇

 

 その後は時間との戦いだった。ジュエルシードを回収し、普段から厳しい不破の鍛錬で鍛え抜かれているなのはは、アリシアを抱きかかえて飛行する。万が一にも誤って落としてしまわないように、ユーノのバインドで自分とアリシアの身体を括り付ける念の入り用。左腕でアリシアの身体を抱え、右手には魔法を支えてくれる相棒のレイジングハートを握っていた。

 ユーノは飛行しながら、目先の横に空間モニターを展開している。そこに映るのは時の庭園の図面。最短ルートを通るための道しるべであり、自分たちが安全に脱出するための手掛かりだ。既に崩壊したり、封鎖された区画は赤く染まっている。或いは封鎖された通路が先に存在していることを知らせいていて、その度になのはのディバインバスターが防壁ごと粉砕して道を作っていた。

 すぐに転移で脱出しないのは、アリシアの使い魔であるアルフを連れ出すためだ。彼女はアリシアに負担を掛けない為に眠っているだけで、プレシアと違い生きている。アリシアの事を家族として理解できる唯一の存在。彼女だけは何としても助け出さなければならなかった。

 幸いにして彼女の眠っている居住区は被害がそんなに及んでいない。著しい損害を受けたのは魔導炉周辺の研究区画などだ。そこから徐々に被害が広がっている状況。また、最重要の区画は完全防護で封鎖しているらしい。その他にも、緊急時の為に全てのロックは解除されているのが救いだった。認証などの手間が省ければ破壊しなくて済む。その分の時間のロスは出ない。迅速な行動が必要な現在、それは貴重な時間だった。

 

「なのはっ、次の曲がり角の防壁だ。砲撃で撃ち破って!」

「はいっ、ユーノさん!」

 

 先導するユーノの声に従ってなのははレイジングハートを構える。片手撃ちで精度が著しく落ちるが、進行方向に風穴を開ける分には問題ない。飛行速度を徐々に落として直角の曲がり角を曲がった瞬間に、なのははディバインバスターを発射。区画と区画を遮断する防壁を、人を呑み込むような極大の砲撃で貫通させる。

 桃色の閃光が収まった時には、見事な貫通孔が出来上がっていた。

 

「この先が居住区。もうすぐ脱出できるからしっかり付いて来てっ!」

「大丈夫です。まだ、余裕がありますから」

 

 飛行する人間が余裕で通れる風穴を通過して、なのは達は居住区に飛び込んでいく。既に幾度も続く揺れによって時の庭園の通路はひび割れを起こし、中には天井の一部が崩落して通路に瓦礫が散らばっている所もあった。崩落の音やガラスの割れる甲高い音が何度も響いていたから、時の庭園を彩っていた調度品などは見るも無残に砕け散っているのは想像に難くない。

 アルフさんも無事で居て欲しいと、なのはは心の底から願っていた。あの部屋に飾られていた調度品は簡素なベットと勉強するための机だけだったから、天井や壁が崩れない限りは無事なはずだ。目覚めて下手に動かれても困るが、それらしい動体反応はないとユーノが言っていた。

 やがて、アリシアに案内された記憶の通りに、アルフの眠るアリシアの部屋までたどり着いた一同は、部屋の中へと転がり込むように駆け込んだ。

 

「よかった。無事でしたか」

「ここら辺も、いつ崩壊が始まるか分からない。すぐに脱出しよう」

 

 アリシアの部屋の中では、アルフと呼ばれた幼稚園児くらいの女の子が、あの日のまま眠り続けていた。足をかがめ、両手を胸元に運びながら穏やかに眠り続けている。横になって布団にもぐり続ける使い魔のアルフ。彼女はどんな夢を見続けていたのだろうか。

 なのはは抱きかかえていたアリシアを、アルフの隣に寝かせると、ふぅと一息ついた。命に関わるような緊急事態。迫る死の恐怖。いつ崩落するか分からない焦り。そんな感情を押し殺して必死に飛び続けられたのは、ひとえに不破の鍛錬によるものだろう。少しだけ自分を鍛えた父に感謝した。

 ユーノは、さすがに焦りはあるものの、ずっと落ち着いて居る様子。遺跡の発掘を生業とする彼は崩落などの事故も経験しているから常時冷静でいられた。なのはとアリシアは自分の判断に全て掛かっている責任も大きい。好意を抱いている女の子を二人を命に代えても護ろうとする責任感が彼を支えていた。

 後は転移魔法で脱出するだけ。ユーノが素早く正確に術式を組み始める。そんな中で。

 

『Please wait for sir friend!』

 

 今まで黙り込んでいたバルディッシュが制止の声を張り上げた。アリシアの右手の甲に収まる寡黙なデバイスにしてはらしくない態度。それに、なのはも、ユーノも困惑した表情を浮かべる。

 

「どうかしましたか。バルディッシュ? 急がなければいけないことは分かっていると思うのですが」

『There is a person wanting you to rescue it!』

 

 横たわるアリシアの傍に屈みこんで、三角形の金色の戦斧を覗き込んだなのはに、主を想うデバイスは必死に呼びかけた。

 彼は助けて欲しい人がいると哀願する。同時にユーノとレイジングハートに送られてくる救出対象の居場所を示した座標。ここからそう遠くない場所に救出するべき人物がいるらしい。

 しかし、先にも言ったとおり動体反応はセンサーに引っかかっていない。もしかするとアルフと同じように眠っている可能性が高いのかもしれない。

 もう、時の庭園の崩壊が危険域に突入するまで時間はないのだが、なのはにとって誰かの命を見捨てるなどという選択肢は微塵もなかった。目の前に救える命があるのならば、出来る限り救ってあげたいのが彼女としての本音。迷っている暇はなかった。

 それに、主が第一のバルディッシュが必死に助けを乞う程の人物だ。もしかするとアリシアにとって深い関係をもった人物かもしれない。なら、もはや答えなど決まっているも同然。

 なのははアリシアの手から三角形の金色の戦斧を取り外すと、自らの左手にバインドで巻き付ける。ユーノと一緒に行動したほうが迅速かつ安全なのだろうが、それは出来ない。故に忠実なる戦斧に例の場所まで案内してもらう事にしたのだ。

 

「なのは……?」

「わたしが行きます。ユーノさんはアリシアとアルフさんを連れて脱出してください。いつまでも危険な場所に留まっている必要はないでしょう?」

「そんなっ、危険だよ! もうすぐ時の庭園の完全な崩壊が始まるんだっ! そんなことなら僕が行く! なのはを危険な目に遭わせるくらいならっ」

「危険は承知の上です。助力の申し出も嬉しいです。ですが、ユーノさんは二人を無事に脱出させてあげてくれませんか? 貴方にしか頼めない事なのです」

「でもっ――」

「お願いします、ユーノさん。それにこんなところで死ぬつもりもありませんよ。わたしはアリシアに対して贖罪を果たさなければなりませんから」

 

 静かに頭を下げて、お願いするなのはの姿に、ユーノは唇を噛み締めた。できれば役目を変わりたいのがユーノとしての本音。だけど、一度やると決めたら言っても聞かないのが、なのはという女の子の性分なのだ。でなければ最初の事件の時に、自ら望んで戦おうとするものか。魔導師になろうとするものか。

 効率の面から考えても、脱出の可能性を考えても、ユーノが向かうのが最適である。フェレットモードで人が通れない場所を潜りぬけながら、対象の救出に向かい、転移で脱出すればいい。なのは達もあらかじめ転移魔法で脱出させておけばベストだ。

 でも、こうなったらなのはは意地でも退かないだろう。場合によっては無理矢理にでも戻ってこようとする可能性がある。そう、使ったことのない転移魔法を駆使してでも。この子はそれが出来てしまう程の才能を持った子供だから。魔法に愛された女の子。厄介すぎるだろう、とユーノな内心で嘆くしかなかった。

 意地這って、無駄に責任を背負い込んで、自分を責める。プレシアの事に対して負い目を感じているのは、なのはだけではないというのに。ユーノだって……いや、よそう。この場では、いかに最善を尽くすかが最優先される。ユーノは深い、とても深いため息を吐くと、諦めたように目を伏せて首を振る。

 

「なのは……レイジングハートを貸してくれる? 君が無事に帰って来れるように、いくつか魔法とマップデータを登録するから」

「はい、その……ごめんなさい。ユーノさん。我儘ばかり言ってしまって……」

「なら、無茶な事を言わないでよ。レイジングハート、これらの魔法とデータを受け取って」

『はい、確かに登録しました』「いいかい、なのは。危なくなったら全力で転移魔法を使うんだ。一応、海鳴の臨海公園に設定してあるけど、最悪どこか近くの辺境世界に跳ばされるかもしれない」

「ええ、その時はすぐにでも使わせてもらいます」

「それと、通路の床に不自然で不気味な穴が開いてるかもしれない。それは虚数空間と言って落ちたら二度と出られなくなる異空間だ。しかも、魔法が使えなくなる。絶対に落ちちゃダメだよ。そもそも近寄らないで」

「分かりました。注意します」

「それに、アリシア達を送り届けたら、すぐにでも迎えに行くから」

 

 それから、それから、他にも言いたいことがありそうなユーノだったが、迷ったように口を噤んだ。なら、話はこれで終わりだろうかと、なのはは背を向けて部屋を後にしようとする。そんな時に少年は再び言葉を紡いだ。

 

「なのはっ!」

「何でしょうか、ユーノさん」

「僕は君の事が好きだ! もちろん、アリシアだってっ! だから、だから、絶対、無事に帰ってきてっ!」

「っ……」

 

 なのはは背中に浴びせ掛けられた真っ直ぐな好きという言葉に肩をびくりと震わせた。

 いままでにも好意を向けられたことはある。アリサやすずかにそれとなく好きと言われた。だが、それは友達としての好きだし、アリシアだってとても深い友達としての好きに分けられる。だけど、ユーノのソレはちょっと違う気がした。たぶん、男の子から初めて向けられた好きという言葉だからに違いない。

 何だろうか? となのはは少しだけ戸惑いを露わにする。胸のあたりが少しだけ高鳴ったような気がした。恐らくだが、これから危険な所に向かうために身体が緊張し始めたのかもしれない。なのはは、純粋にそう思った。

 ただ、自分の事はひた向きに心配してくれる少年には、応えてなければならないと思う。純粋に心配してくれるからこそ、想っていてくれるからこそ応えてあげたい。

 

「わたしも――わたしもユーノさんの事は嫌いじゃ……」

 

 顔を合わせる勇気が出なかったので、背中を向けたままという失礼な態度になってしまった。おまけに最後の方は恥ずかしくて聞こえない位の小声だ。

 

「なのは?」

「いえ、何でもありません。すぐに用事を済ませますから、アリシアとアルフさんの事、よろしくお願いします」

「――うん、まかせてよ。なのはも無事でいて」

「ユーノさんも」

 

 たったそれだけの言葉を交わせば十分だった。なのはは振り向かずにアリシアの部屋を飛び出していく。文字通り浮かび上がって飛行し始め、目的地の救助者がいる区画へと迅速に向かう。

 

 ユーノに渡された時の庭園のマップデータを頼りに通路を飛行し続けると、あることに気が付いた。

 バルディッシュが示した座標ポイント。それは、なのはにも覚えがある場所だったのだ。以前、アリシアによって時の庭園を訪れた際に、此処からの方が玉座の間に近いと案内されたルート。その道程はなのはの中にある記憶と寸分違わない。

 

 空間モニターに表示される庭園の図面では、この辺りは研究区画らしい。稼働に大量のエネルギーを必要とするのか、魔導炉と隣接しているエリアで、通路は魔導炉暴走の影響でひび割れ、崩れているのが大半だ。

 なのははさらに飛行速度をあげる。自身が発揮できる限界速度まで振り絞り、足元に展開する光の翼は、魔力で形作られた光の羽根を大量に舞い散らせていた。

 やがて、たどり着いた扉の前で彼女は急停止。いや、厳重な扉によって封鎖されていたであろう通路の前にというべきか。

 

 巨大な両開きの扉はロックが解除されたのか、開け放たれたままで、その先にある同じような扉も、なのはを招き入れるように開かれていた。

 他の場所と比べて、照明が薄暗く先に何が待ち構えているのか予想もつかない。だが、バルディッシュの示した救い出すべき人物は、この先に間違いなくいる。

 

「うっ……!!」

 

 あの時と同じように鼻をつく刺激臭が漂ってきて、思わず防護服の袖で口と鼻元を覆う。嗅ぎなれない血の臭い。けれど、それにしては強烈すぎるだろう、となのはは内心で疑問に思う。

 同級生の子供が転んで、膝を擦りむいた時とは訳が違う。もっと、そう、なのはが初めて人を手に掛けた時と同じくらい、血の臭いが半端ではなかった。それに肉が腐ったような臭いも。確かレイジングハートが翻訳した時の文字は保管庫だったが、それにしては保存状態が悪すぎるだろう。遺体に何らかの処置をしなかったのだろうか。

 しかし、こうして漂う臭いに嫌悪感と拒絶感を抱き、二の足を踏んでも仕方がない。なのはは意を決して、素早く歩みを進めていく。まだ、手元にある二機のデバイスは危険信号を発さないが、庭園の崩壊までの猶予を考えると急いだ方が良い。ここに長居したくないという思いもある。

 

「誰かいますっ……か、ぁ……ぁぁ…………」

 

 だが、なのはは部屋に足を踏み入れて、発した声が霞んでしまった。身体は無意識に震えてしまい、瞳の焦点は定まらず、後退して壁に背中をぶつけてしまうくらいの衝撃を受けた。

 パンドラの扉。絶対に開けてはならず、踏み込んではならないと直感が訴えた部屋の先。アリシアが怯える程の秘密が隠されている部屋の先にあったのは……

 

 裸の死体だった。唯の死体ではなく、見覚えのある、在り過ぎたからこそショックだった彼女たちの亡骸。

 雪みたいに白い肌。陽光を反射して輝く金糸の髪。有名子役のように綺麗に整った可愛らしい顔立ち。なのはと同年代位の女の子、たち……

 みんな、みんな、アリシアと同じ姿で、同じ顔立ちをしていた。姉妹にしては瓜二つと言っていい程に似すぎた顔立ち。一卵性の双子のように似すぎている。ううん、双子なんかよりもずっと似ている。まるで、複製したみたいに。

 

「あ、ああぁ、うあ……」

 

 なのはは、あまりにもその光景が衝撃的すぎてなんて言っていいのか分からなかった。むしろ、叫び声をあげてしまいそうなくらい動揺している。下手すれば気絶していたかもしれない。そうならないのは、いかなる時でも冷静であれ、という不破の教えがあればこそだった。

 

「なん、で……どうして……?」

 

 ただ、あまりにも予想外すぎた事態に思考が追い付かず混乱している。動揺しすぎて眩暈がし始め、心臓は動悸が激しくなっていく。はぁはぁと苦しいくらいに繰り返す呼吸は、いささか過呼吸過ぎた。

 大好きな親友の遺体を前にして、生きている筈の女の子の遺体を前にして、なのはが冷静で居られる訳がなかった。なぜ、此処にアリシアがいるのか。どうして亡くなっているのか。だって、アリシアは生きている筈で、さっきまでユーノさんに連れられて……

 

『落ち着いてください、マスター。彼女達はアリシアととてもよく似ていますが別人です』

『……That's right.』

「でもっ! レイジングハート、この子たちは……」

『辛いでしょうが、マスターの向いている方角から左手前を見てください』

 

 冷静な二機のデバイスに、なのはの知るアリシアではないと指摘されながら、彼女は言われた通りの場所を恐る恐る垣間見た。

 そこに居たのはアリシアと同じ姿をした女の子。だけど、髪の色がまったく違う。その子の髪は白兎みたいに真っ白で、確かにアリシアとは違う存在。別人だろう

 

『この部屋にある遺体の保存用ポッド。もしくは培養槽とでもいうのでしょうか。その、楕円形の装置に刻まれたミッドチルダ語は……』

「なんて、書いて、あるんですか。教えてください、レイジングハート。私は、大丈夫、です、から……」

『……アリシア・クローン1と、他のも番号が違うだけで全て同じです』

「アリシアの、クローン……」

 

 胸に手を当てて呼吸を落ち着けながら、なのはは噛み締めるように己の言葉を呟いた。

 アリシアのクローン。クローン、テレビのニュースなどで少しだけ聞いたことがある単語だ。確か食糧生産の分野で、元となる牛の細胞からまったく同じ牛を作り出すような技術がクローンだった、ような。ニュースキャスターが、そんな感じの説明していたのをうろ覚えだが、記憶に留めてある。

 だとしたら、この子たちはアリシアと同じ細胞から作られた姉妹なのか? アリシアは……なのはには難解すぎる問題で、色々と考えることが多すぎて理解不能な事柄だった。聡明なユーノなら何か閃くか、考え付くのだろうが。

 

 それにしても、改めて見渡しても、その、アリシアに似た遺体は惨すぎる有り様だった。遺体の所々に喰らいつかれた痕があるのだ。明らかに人間の歯型と思わしき痕。柔らかそうな太もも、二の腕の筋肉、そしてわき腹に集中して付けられている。中には肉を食いちぎられた遺体もあって、そこからおびただしい量の出血をしたんだろう。周辺が紅色に染まっていた。

 十一個もの楕円形の培養槽らしき装置が収められた部屋の床面は乾いた血がびっしりとこびりついていて、そこが血の海だったことを容易に想像させる。せめてもの救いはウジ虫が発生しなかった事だろう。遺体は分解されずに原型をとどめている。それでも腐敗は多少進行し始めていて、凄まじい臭気が漂っていた。時間からして、そう長くは経っていないようだが。

 培養槽のガラスは全てが割れていた。この区画は暴走による影響を受けないほど頑丈なのか構造物に損傷はない。だから、意図的にガラスを割って、中に収められていた遺体を取り出したのだろう。恐らく惨劇を起こした人物が保存されていた遺体を食べる為に。

 

「バルディッシュ……助けるべき人は、此処にいるの、ですか……?」

『The other side of the door』

 

 あまり見ていても気持ちの良い光景ではないので、なのはは先を急ぐことにした。バルディッシュによると対象はこの先に居るらしい。

 プレシアと同じく、アリシアの姉妹らしき子供たちを丁寧に弔ってやれないのは残念だが、そうしてあげられる時間もない。なのはは手を合わせて少しだけ祈りを捧げると、バルディッシュの示した扉の前まで移動する。

 レイジングハートが翻訳する部屋の名称は『誕生室』。それがいったい何を意味するのは分からない。

 

「なっ、これは……」

『Too late!』

 

 なのはは驚きを隠さず、バルディッシュが珍しく感情を露わにして舌打ちする。

 開け放たれた扉の先にあったのは、明るい照明に照らされた二個の培養槽。

 しかし、二つとも横向きにされていて、密閉している筈のガラスは開け放たれていた。左側の十二番と右側の十三番の培養ポッド。

 その十三番の培養ポッドに気になる部分があった。開け放たれたばかりなのか、水とは違う液体で濡れていたのだ。そこから転々として液体のあとが続いていて、何処かに移動している。

 ついさっきまで誰かが此処に収められていた証。バルディッシュの言う連れ出してほしい人物がいたのだ。

 

「レイジングハート! センサーに反応はありますか!?」

『微弱ですが、転々と移動しています』

「行き先はっ」

『方角から玉座の間だと思われます』

 

 急いで保護しなければならない。

 なのはには助けて欲しい人物が誰なのか検討が付いてしまった。先の様なアリシアの姉妹だ。まだ生きている子がいるっ!

 だから、最速で向かおうと飛行魔法を使おうとしたのだが。

 

「くっ、これは、立っていられない……」

『マスター、屈んでください!』

「ええ、わかっています。レイジングハート」

 

 時の庭園が大きく揺れる。立っていられない程の揺れだが、地震大国の島国で伊達に生きて来た訳じゃない。なのはは取り乱さず、落ち着いて対処する。

 その規模は今までの比ではない。施設全体が崩れ去ってしまうんじゃないかと思えるくらいの震動。天井や床が悲鳴を上げ、大きな音と共に亀裂が走っていく。影響が殆どなかったこの場所まで崩落しそうな勢いだ。もはや時間は残されていない。

 見るも無残な部屋と化した『誕生室』と保管庫を飛び去って、なのはは目的地である玉座の間に向かう。バルディッシュの指示によれば、此処から玉座の間に続く隠し通路が存在しているらしい。でも、その通路は先の震動で崩れてしまったようだった。だから、仕方がなく遠回りをする羽目になる。

 道を塞ぐ瓦礫を砲撃で消し飛ばし、落ちてくる構造物を避け、時には誘導弾で迎撃し、二基のデバイスによるサポートを受けて全速力。

 なのはは今まで以上に魔法を全力で行使して、既に息はあがっている。頭がくらくらして疲労困憊で倒れそうになるのを気合で捻じ伏せる。

 しかし、たどり着いた玉座の間にアリシアの姉妹らしき女の子はいなかった。

 

「ハァ、ハァ、いったい、何処、に……」

 

 見るも無残な瓦礫の山と化した玉座の間。柱が倒れ、散らばった瓦礫が無数にある。

 そんな中でアリシアの姉妹らしき女の子の姿を探すも、全く見当たらない。

 ふと、寝かされているプレシアの遺体になのはは目を向ける。驚いたことに散乱した瓦礫で傷つくこともなく、綺麗な顔で眠ったままだ。周辺だけ不自然に何も積もっていない。辺り一面が砕けた構造物の欠片や破片だらけなのに。まるで、誰かがプレシアを崩落から守ったような……

 

「プレシア、さん……」

『マスター! これを見てください!』

「これは、血の跡っ」

 

 まさか、この崩落の中でアリシアの姉妹は大怪我てしまったのかと息を呑む。

 だが、落ち着いて観察してみれば出血量はさほどでもない。床に手形でも付けるみたいに、子供らしき足跡が点々と続いていた。恐らく目覚めた時に衣服も着ておらず、靴も履いてない可能性が高い。この瓦礫の山を裸足で歩けば足の裏を怪我するのは当たり前だろう。

 早く見つけて連れ帰ってあげたい。服を着せて、温かい食事と寝床を与えてあげたい。怪我も治してあげたい。

 焦燥感に駆られながら、なのはは血の跡を追いかけていく。それは玉座の裏に隠された扉の奥まで続いていて。

 彼女は、そこに居た。

 

「アリシア――?」

「……? おねぇちゃん、だぁれ?」

 

 なのはの知っているアリシアと瓜二つの顔立ち。とても幼く見える表情。紅玉みたいな瞳。水に濡れて輝く金糸の髪。雪のように白い肌。血で所々が赤く染まった肌。

 生まれたての赤子のように純粋無垢な笑顔を浮かべて、なのはのことを見上げる女の子はまさしくアリシアと同じ姿だった。

 アヒル座りで、ぺたんと床に尻餅をついている彼女は、愛らしい笑顔でなのはの事を見ている。

 初めて出会ったなのはという女の子に興味津々で、瞳は好奇心が輝いているかのようだ。この無邪気さはアリシアとそっくりである。

 けれど、彼女は何も着ていない生まれたままの姿で、怪我も酷い。足の裏は血で赤く染まり、転んで擦りむいたのか膝も所々血がにじんでいた。ときおり床から手を離すと、赤い手形の跡が残る。もしかすると手のひらも怪我しているのかもしれない。瓦礫の山で転んで手を付き、破片が刺さってしまったのだろう。

 

「わたしは、いえっ、そんなことより、早くこちらに!」

「おねぇちゃん!」

 

 言いながら、なのはは手を伸ばして、アリシアの姉妹に近寄っていく。でも、足を止めざるを得なかった。

 嬉しそうにおねぇちゃんと叫びながら、座り込んだ女の子が指を伸ばした先にあるものに気が付いたから。アリシアの姉妹に視線を釘付けにしていて、それに気が付かなかった。

 そこに存在したのは培養槽の、半透明の緑色に染まった液体に浸されている『アリシア』の姿。なのはの知るアリシアと、目の前に居るアリシアの姉妹に瓜二つの女の子。それは、とても丁寧に、大事そうに保管されているのがよく分かる。

 一見すると生きているのか、死んでいるのか分からない『アリシア』は、膝を抱えた姿で眠っているかのようだ。

 彼女も生きているなら助けなければ、でも、どうやって培養槽から出せばいい。そんな思考がなのはを支配する。『アリシア』が亡くなっているとも知らずに。彼女こそがアリシア達のオリジナルだとも知らずに。

 だから気が付くのが遅れた。咄嗟の出来事に出遅れた。

 再び時の庭園が揺れる。

 

「えっ、わぁっ!」

 

 アリシア達の足元が崩落で崩れ去って行く。

 その真下は崩落した時の庭園の構造物でもなく。次元の海が広がる空間でもない。見たこともない不気味な異空間。

 虚数空間。落ちたら永遠に出て来れないと言われる異次元の空間。或いはブラックホールのような存在。

 魔導炉の暴走が小規模の次元断層を引き起こし、時の庭園の至る所で局地的に発生している現象。よりにもよって、こんな時に。

 狙ったように発生したそれはアリシア達を呑み込まんとしていた。

 

「――危ないッ!」

 

 だが、なのはが咄嗟に駆け出して掴み取ることが出来たのは、アリシアの姉妹のみだった。オリジナルの『アリシア』が保存されたカプセルは虚数空間の底を目指して真っ逆さまに落ちていく。

 

(くっ、わたしはまたっ……!)

 

 また、誰かを救えなかった。魔法という力が在るにもかかわらず、誰かを目の前で失った。その事で、なのはは歯噛みするも、今は目の前にいる幼い女の子をすくい上げる方が先だった。

 しかし、落ちないように掴み取ることは出来ても、持ち上げることが出来ない。床が崩落した瞬間に、頭から滑り込むようにして飛び込んだので体勢が悪いのだ。なのはの姿勢は寝そべるようにして、アリシアの姉妹の身体を両手で掴んでいる状況。両足で踏ん張ることも出来ず、共に落ちないようにチェーンバインドで身体を固定する事が精一杯だった。

 

「レイジングハートっ、このまま転移を」

『起動までに時間が掛かります。それまで何とか持ちこたえてください!』

「分かって、います。なるべく早く……!」

 

 この状況では彼女を掴んだまま転移するのが最良の手段。しかし、なのはの足場はすぐにでも崩落しそうな勢いだった。徐々に、徐々に虚数空間の穴が広がるように大理石の床が崩れていく。

 そして、いくら鍛え抜かれた身体をしていても、なのはは幼い子供である。同じ体格をした少女を腕の力だけで支えるのは厳しいものがあった。

 バインドで自分と少女を固定しようにも、穴の先まで魔法の効果が及ばず発動がキャンセルされてしまう。だから踏ん張るしかなかった。絶対に落とさないように掴んでいるしかなかった。

 

「おねぇちゃん! おねぇちゃんっ!」

 

 だというのにアリシアの姉妹は泣きそうな顔で、落ちて行ったオリジナルの『アリシア』に向けて手を伸ばす。掴みあがろうとするどころか、自分で落ちようとするような行動。それ程までに『アリシア』は彼女にとって大切だったんだろう。自分の命を試みない程に。

 このままではアリシアの姉妹が落ちかねない。最悪、足場が崩落して二人そろって虚数空間に呑み込まれる。

 そんなの、なのはは嫌だ! 誰かが目の前で死ぬのはもう、耐えられないっ!

 

「ッ――待っています!」

「えっ……」

「貴女の、お姉さんが――アリシアが待ってます! だから、死なないでっ! 生きてください! 二人でっ!」

「おねぇ、ちゃん……?」

「そうです。貴女のお姉さんが待ってます!」

 

 なのはの口から咄嗟に出たのは紛れもない本心だった。彼女を説得しようとして叫んだ言葉ではない。無意識に、そう口走っていた。

 アリシアの姉妹は、潤んだ瞳でなのはのことをじっと見つめ、それから虚数空間に向けて伸ばしていた手を使って、なのはの手を掴み取る。良かった。彼女が生きようとしてくれている。声は弱々しく掠れているようだが、後は転移を終えるまで耐えるだけ。

 だというのに。

 

(手が、すべる……この子の血で……)

 

 怪我をした少女の手のひらから流れ出る血が、それを妨害する。ぬるぬると生温かい感触と共に伝わるそれは、少しずつ二人を繋ぐ腕を解き放とうとしてくる。

 なのはがどんなに話すまいと腕から指に力を込めても、残酷な事実は覆らない。一刻と少女は虚数空間に落ちようとしていた。もはや、転移が先か、落下が先かという問題。時間との勝負だった。

 

「絶対に、離すもんかっ。絶対に――!」

 

 なのはは歯を喰いしばりながら必死の形相で耐えている。自分の命が必要なら平気で差し出さんばかりの覚悟が滲み出ていた。

 額から流れ出る脂汗が、なのはの消耗を物語る。魔法を使った全力疾走で身体に残った疲労。バインドで身体を支えながら、子供一人の体重を支える状況。どんなに頑張っても限界は訪れてしまう。

 少女を支える腕が痺れてきた。指に上手く力が入らない。心の中でお願いと哀願しても、焦って叫び出しそうになって、それをこらえても状況は変わらない。何よりも。

 

「あっ……」

 

 アリシアの姉妹から漏れた呟き。意識しないで零れた声。少女の左腕が力を失ったかのように離れた。

 どうして? と疑問に思ったのか首を傾げながら少女は離れた腕を持ち上げようとするも、すぐに力を失い垂れ下がってしまう。

 手のひらから、右腕を伝って零れ落ちていく血液。足元からぽたぽたと零れ落ちる赤い滴。虚数空間に零れ落ちていく命の源。

 白い肌に刻まれた無数の怪我が彼女を追い詰める。

 そう、なのはよりも、少女の方に限界が訪れようとしていた。

 

「しっかり、しっかりして下さい! もう少しですから」

『転移まで、あと三十秒です』

「ほら、もうすぐ助かります」

 

 意識が朦朧とするのか、アリシアの姉妹は首をうつらうつらさせながら、瞼と閉じたり開いたりと繰り返す。なのはの手を握り返す手も、力が喪われていくのがよく分かる。彼女は、意識を失いかけている。生きようとする生命力や気力といった物が、今まで少女を支えてきた。

 しかし、それも限界のようだった。

 

「頑張って! わたしが付いてますから!」

 

 なのはは少女を励まそうと、自分も辛いだろうに、精一杯の笑顔を浮かべた。なのはの大好きなアリシアに向ける笑顔とまったく同じ微笑み。

 

「えへ、へ……」

 

 虚ろで意識を失いかけていた少女は顔をあげて微笑んだ。嬉しい時のアリシアとそっくりな笑顔で笑った。

 

「やさしい、おねぇ、ちゃん……」

「なんですか!? まさか、どこか痛いのですかっ!?」

「うう、ん、違うの。ありがとね――」

「あっ、だ……」

 

 だめですと叫ぼうとして、時の庭園が完全に崩落するのと。なのはが転移すること。

 そして、なのはの手からアリシアの最後の姉妹がすべり落ちるのは、ほぼ同時。

 純粋無垢な笑顔を浮かべた十三番目の『アリシア』の妹は虚数空間に呑み込まれていく。いや、言葉から伝わるくらい大好きなお姉ちゃんを。自分のお姉ちゃんを追いかけたかったのかもしれない。

 だって、彼女は自ら、なのはの手を離したのだから。

 次元の海に呑み込まれていく時の庭園。玉座の間を中心に虚数空間に呑まれるアリシアの家。虚数空間に落ちていく娘を愛した母親と二人の姉妹。失われていくアリシアの思い出の場所。

 

「うあ、あっ……あ、あぁ……」

 

 結局、何一つとして救いたい人を救えなかった不破の少女は。

 

「うわあああああああぁぁぁ――――っ!」

 

 転移した辺境の世界で、ユーノが迎えに来るまで声にならない慟哭を叫んでいた。

 



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●幕間7 時にアースラ、そして月村邸の別荘にて

 先の事件にて、なのはとフェイトは魔力ダメージによるノックアウトで撃墜され、衰弱したように弱った身体をベッドの上で休ませていた。命に別状はないが身体が気怠い感じで上手く動かせない。動けるようになるまでは医者から絶対安静を宣告された。

 現在のアースラにはそんな人がたくさんいる。言ってしまえばアースラチームの武装隊は壊滅状態に陥っているのであった。マテリアルと自称する少女達。そのなかでも主と思われるディアーチェと名乗った存在によって、多くの武装局員は戦闘不能。指揮官であるクロノの的確な指示で局員の半数が撤退に成功したが、無傷では済まなかった。大規模な広域魔法を前にして回避は無意味。局員の誰もが少なからず魔力ダメージを受けている。

 追撃するにも戦力は足りず、いろいろと準備する必要があった。設備の整った本局で人員を入れ替えるなり、なのは達の治療をするなり、やることは山積みで大忙し。次の出撃に備えて広域殲滅魔法の対策も施さねばならない。

 だから、その間にもやるべきことは少しでも進めておく必要があった。具体的には捕らえた守護騎士と、最重要人物であるアスカ・フランメフォーゲルの尋問である。

 

◇ ◇ ◇

 

 なのはとフェイトは入院している個室から、クロノが尋問している光景を空間モニターを通して見せて貰っていた。とても沈痛な面持ちをしながら二人は話を聞く。だって、アスカの語る話は悲しい事ばかりだったから。特になのはとフェイトにとっては耳を塞ぎたくなるような、信じられない話ばかり。

 これは、そんな尋問の光景を映した一部である。

 

『これから事情聴取を始める。此方の質問を正直に答えて欲しい。答えたくなければ黙秘してくれても構わない』

 

『そうね、答えられることなら何でも答えるわ。そちらの手の内にあの子がいる以上、アタシも迂闊には動けないし、こっちにも事情があるから協力させてもらう』

 

『協力に感謝する。それと、君の仲間である八神セイ。いや、君たちの愛称はシュテル・ザ・デストラクターだったか。彼女は重要参考人のひとりだ。此方としても丁重に扱わせてもらっている。心配しなくていい。もっとも話を聞きたくても、聞ける状態ではないから、療養を優先させてもらっている』

 

『それについては感謝します』

 

 ここで、アスカがクロノに対し頭を下げている。

 

『では、始めようか。改めて聞くが君の名前は?』

 

『マテリアルとしてはアスカ・フランメフォーゲル。生前の名前は『アリサ』・バニングスよ』

 

『どっちで呼べばいい?』

 

『お好きにと言いたいけど、ややこしいからアスカで構わないわ』

 

『じゃあ、アスカ。君達は何のために行動している?』

 

『そうね。主な目的は貴方たち時空管理局に対する復讐……だった』

 

『……シュテルと対峙した時にも聞いたな。復讐する理由は?』

 

『アタシを含めた大勢の人間が管理局の人間に殺されたから。海鳴市にある大学病院を知っていますか? そこに居る全ての人間が皆殺しです。アタシ達はそれが赦せない。もっとも、アタシとしては復讐は本意ではありません。それは保護していただいたシュテルも同様です。でも、心情としては赦せないとも思っています。今でも』

 

 ここでアスカは苦々しく顔を歪めて答え、聞いていたクロノも顔をしかめている。しばしの沈黙のあと聴取が再開。

 

『殺した相手が時空管理局だというのは確かなのか?』

 

『間違いないと……思います。アタシも管理局に詳しいわけではありませんが、此方の世界の守護騎士が彼らの事を管理局と。それと貴方たちの装備には見覚えがあります。彼らも同じような格好をしていました。後は杖ではなく剣や槍を持った騎士のような人もいた気がします。少なくともアタシの中にある記憶ではそうです』

 

『そうか、良く分かった。君達は武力によって、その、殺されたのか?』

 

『いえ、アタシも詳しくは知りません。ただ、笑えますよ? 気が付いたら死んでるんです。お喋りする皆の喉が渇いたと思って、病院の一階受付にある自販機でジュースを買いに行ったら、寒さを感じて、そのまま』

 

『すまないが、笑えない冗談だ。寒いというのは?』

 

『その日は地球でいうクリスマス・イブでした。12月の冬の季節。日本ではとても寒くなる季節です。だから、温かいホットココアとか買ったんですけど、いきなり手にしていた飲み物が氷みたいに冷たくなって、驚いて手を離しました。そこから急に体が冷たくなって、寒さで震えて動けなくなって、倒れたんです。辛うじて見渡せる周囲の人たちも倒れていました。そこからは意識がありません。あと……死ぬ前に部屋中に霜が張っていた気がします』

 

『その証言だと前述する管理局の姿を見る前に亡くなったように聞こえるが、彼らを本当に見たのか?』

 

『ああ、言い忘れていましたがアタシには二つの記憶があります。アタシが守護騎士と同じように魔法生命体だと言う事は?』

 

『キミを身体検査した時の結果報告で聞き及んでいる。過去にシュテルも証言しているから間違いないだろう』

 

『アタシは守護騎士のシグナムを元にして創られたみたいです。たぶん、アタシとは別にシグナムの記憶があるんだと思います』

 

 ここで、クロノ執務官は空間モニターからデータを呼び出して確認している。

 

『確かに、その可能性はあるな。キミの言葉を一応だが信じよう。ところで疑問なんだが、管理局は遺失物の封印に対してなるべく民間人を巻き込まないように配慮する。管理外世界であってもだ。偽装した避難勧告などは出されなかったのか?』

 

『そんなものないです。むしろ病院にいた人を逃がす素振りすらありませんでした。積極的に口封じに動いていたかもしれません。管理局にも裏の部分はあると思いますが? 聞いている限りではとても大きな組織みたいですから、秘密の部隊でも動いたんじゃないですか?』

 

『そのような部隊は存在しないと言っておこう。仮に存在したとしても、次元航行部隊がそれを許さない筈だ。闇の書事件ほどの大きな事件は早々ないから、僕らのような艦船の部隊が動いただろう?』

 

『いえ、時空管理局と出会ったのはその時が初めてなんです』

 

『そんな馬鹿な…いや……そういえば、シュテルは僕と初めて会ったようなそぶりを見せたな。疑問なんだが、キミ達の世界でジュエルシード事件は起きているか?』

 

『ええ。でも事件を解決したのは、『なのは』、『アリシア』、『ユーノ』の三人で、他の魔導師なんていませんでした。バニングス家と月村家も捜索に協力したので良く知っています』

 

『並行世界……タイムパラドックスの可能性か……事件の詳細を聞かせて貰っても?』

 

『いいですよ……ただ……』

 

『なんだ?』

 

『この話は、なのはにとって辛い話になるかもしれません。アタシとクロノさんの会話。あの子の事だから、今も聞いていますよね?』

 

『ああ、その通りだ。本人が強く望んでいた。キミ達の事情を知りたいと。少し待て、確認する…………聞かせて欲しい、そうだ』

 

『分かりました。申し訳ないですけど、長くなります。それと、『なのは』から聞いた話なので、全て知っている訳ではありません。そうですね、どこから説明したものか。まず、この世界と分かる範囲での違いを――』

 

 ここから先はアスカの口から世界の相違点が説明されている。それは家族構成と家庭環境の違いが主で、アスカ以外の個人的な過去にはあまり触れなかった。知られたくない友人の過去を配慮してのことだろう。そこから徐々にシュテル本人から聞いたというジュエルシード事件の出来る限りの詳細が語られた。

 

 もっとも、時の庭園で『なのは』がみた『アリシア』の秘密は語られなかった。それは、『なのは』本人が自分だけで抱え込もうと決めた秘密だったから。アスカにも教えていないのだが、語る本人は知る由もない。

 

『これがアタシ達の世界におけるジュエルシード事件の顛末です。他に聞きたいことはありますか?』

 

『今のところはない。協力に感謝する。辛い話をさせてすまなかった。そろそろ休憩にしよう。キミも喋り疲れただろう?』

 

『いえ、お構いなく。アタシは平気ですから』

 

『続きは後日聞こうと思う。そうだな、ジュエルシード事件の、その後。闇の書事件の始まりと終わりまでを聞きたい。話を纏めておいてほしい。もちろん黙秘したいなら無理には聞かない』

 

『分かりました。あの、アタシは独房入りで構いません。でも、シュテルだけは、なのは達の傍に居させてくれませんか。できればなのはの家族の傍に』

 

『難しいお願いだが、艦長と相談して検討しておく。他には?』

 

『それだけです。ご配慮感謝します』

 

◇ ◇ ◇

 

 なのははベットの上で横たわりながら空間モニターを閉じた。彼女の視線の先にはベットにもたれ掛るようにして八神セイが、いや、不破『なのは』が眠っている。

 保護した当初から泣き崩れたまま、動こうとしない彼女は局員に連れられる形でアースラに乗船した。今は泣き疲れて眠っているようだが、目が覚めれば悲しい表情をしたまま膝を抱えて蹲るだろう。

 その髪を、暗い栗色の髪をなのはは優しく撫でた。なのはの髪の毛は母である桃子に似ているが、『なのは』の髪の毛はどちらかといえば父の士郎に似ている。髪の感触もちょっとした違いがあって、それだけで自分とはまるで別人のように見える。けれど、彼女は正真正銘、高町なのはと同一の存在だった。

 そして、自分と同じように魔法の力に憧れて、力及ばず誰も救えなかった女の子なのだ。一歩間違えれば自分も同じ道を辿っていたかもしれない。

 いや、同じだなんておこがましい。何故ならば高町なのはの家庭環境は幸せだから。なのはは家族から愛され充分に甘やかされている。でも、不破なのはは家族から厳しく躾けられ、まともな会話もない程にぎこちない家庭環境だったらしい。少なくともアスカの話を聞いて判断するならそうだ。

 何よりも、なのはの大好きなお母さんが亡くなっていることは耳を疑ったくらいだ。それ程の衝撃をなのはは受けた。思わずアスカに聞こえないと分かっていても、空間モニターに向けて「嘘、だよね……?」と問い掛けてしまうくらいに。

 複雑な家庭環境。まともに愛してもらえない毎日。厳しい稽古。どこか虚ろで、未来への展望はなく、なりたい職業の課題で悩むどころか、生きる意味すら分からない。自分よりも不幸で可哀想だなんて、あからさまに哀れむつもりもないが。それでも胸が痛くなる『なのは』の過去。

 あげくの果てに、『なのは』は時空管理局によって殺されてしまうなんて、そんな結末はあんまりすぎだと。なのはは自分の事のように泣き叫びだしたいくらいだった。

 

「なのは……」

「フェイトちゃん……」

 

 対面のベッドで横たわるフェイトの悲しそうな声を受けて、なのはもフェイトと同じ気持ちで悲しくなる。

 何も、不破『なのは』だけが不幸だったわけではない。フェイト・テスタロッサの同位体である『アリシア』・テスタロッサも、悲劇の運命を辿ったその一人だ。

 まるで必然のような運命(さだめ)を回避するために。この世界においても、フェイトはジュエルシードを集めた。そうすれば母が笑ってくれると信じて、記憶にあるような優しい家族に戻れると信じて行動した。それでも運命は覆らなかったのだ。プレシアは自らを蝕む病に追いつめられ、最終的に虚数空間の底に消えた。

 

 それは向こうの世界も同じこと。ううん、もっと酷いかもしれない。この世界と違い『なのは』と『アリシア』は対立せずに、互いに手取り合い、助け合ってきた。それどころか魔法の力を秘密にせず、友達の助力を受けることすら惜しまなかった。だというのに結果は変わらない。運命を変えることは出来なかったのだ。

 

 なのはは眠る『なのは』の頭を、もう一度撫でた。こうしてあげることで、せめて眠っている間だけでも苦しまなくて済むように。ユーノの話では、彼女の身体に何らかの制約が施されており、それが彼女を苦しめているらしい。時折、目覚めては何処かに行こうとして、その度に『なのは』は苦しむのだ。正直、見ていられなかった。

 そんな彼女をアスカは頼み込んできた。誇り高い彼女が床に頭を擦りつけるんじゃないかってくらい土下座して、『なのは』を、なのはの家族に会わせてやって欲しいと。その意味を、なのはは先の話で理解できてしまった。

 家族の温もりも知らず。母である桃子の作る美味しいお菓子の味も知らない。もう一人の『なのは』。そんな彼女を癒すならば絶好の機会だろう。なのはも、『なのは』にたくさんの愛情を与えたい。支えてあげたい。不思議とそう思える。彼女に自分の家族を取られるんじゃないかって恐れはない。何と言うか、そう、妹が出来た感じなのかもしれない。

 

「ん……」

 

 『なのは』が目をさまし、瞼をゆっくりと開いた。眠たげな表情で視線を彷徨わせて、自分が撫でられていることに気が付くと、闇色に染まる瞳でなのはを見つめる。

 

「おはよう。どう、良く眠れた?」

「…………」

「うぅ、無視されたの……」

 

 きょとんした様子でじっとなのはを見つめ続ける少女は、自分と瓜二つの存在に案じられても無反応だった。いや、少しだけ首を傾げているところを見ると、自分と同じ顔が目の前にあることに疑問を抱いているのだろうか。少なくとも嫌悪や拒絶といった感情はないように見える。レヴィのように自分と同じ存在を憎んでいる訳ではないようだ。

 やがて、『なのは』はきょろきょろと首を彷徨わせて、驚いたように固まった。その視線の先には対面のベットで、少女を見守っていたフェイトがいる。

 

「ど、どうかしたのかな? わたしの顔に何かついてる?」

「…………」

 

 フェイトが興味を向けられたことに戸惑いながらも、恐る恐る声を掛ける。『なのは』はなのはと比べると雰囲気も全然違っていて、どう接して良いのか、フェイトは分からないのだ。それでも、なけなしの勇気を振り絞って語りかける。

 しかし、それは届くことはなかった。『なのは』は虚ろで心ここに非ずといった様子だった。

 やがて、『なのは』が泣きそうな表情をした。瞳を潤わせて今にも涙をこぼしそうな表情で。「な、泣かないでっ」と慌てるフェイトや、「わっ!? どうかしたの」と驚くなのはをよそに。

 

「ごめん、なさい」

「えっ?」

 

 『なのは』はフェイトに向けて涙声ではっきりと謝った。

 フェイトは何故自分が謝られたのか、理由も分からず混乱する。

 

「あの時、助けてあげられなくて、ごめん、なさい……」

 

 でも、そんなのお構いなしに、『なのは』の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 どうして彼女が謝っているのかフェイトには分からないが。少なくとも『なのは』にとっては大事な事で。きっと、誰にも言えないような辛い事を抱え込んでいるのは確かで。彼女がとても苦しんでいることを、二人の心優しい少女は察した。

 

「なのは」

「うん、フェイトちゃん。まかせて」

 

 だから、ベットから動けないフェイトの代わりに。慰めるようになのはが彼女を抱きしめた。幼い子供をあやす姉のような仕草で優しく優しく。

 それを『なのは』は為すがままに受け入れているのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

  マテリアルは自分たちを捕らえようと迫ってくる管理局を返り討ちにした。その上で捕捉、追撃されないように転移して、海鳴市の街から去って行った訳だが。辺境世界に逃げずに、無人になっている月村家の別荘に潜んでいる状況だった。

 別に潜伏する場所が、長期休暇に使われる住み心地の良い別荘でなければ嫌だったという訳ではない。抱え込まなければならない厄介な荷物が居た為に、地球に潜伏し続けるという危険な手段を選ばなければならなかったのだ。

 八神はやて。未だ闇の書の呪いに蝕まれ続け、しかも魔導師として覚醒をしていない、ひ弱な子供のままの存在。危険な辺境で、そんな足手まといを抱えて潜伏するのはリスクが高すぎた。だから環境の良い別荘に留まっているのだ。

 マテリアルと違って、人間であるはやては食事も睡眠も必要とする。万が一、彼女を死なせようものなら計画は水泡に帰すだろう。誰も救われない滅びの道を一直線である。八神はやての身に内包した、ディアーチェが失いしプログラムの断片。それが全てを救う鍵になる。

 だから、ことが上手くいかずに王が苛立ちを募らせるのも無理はなかった。不愉快な存在が、かつての自分自身が傍に居ると言う事も拍車をかけた。海鳴市から離れているとはいえ、迂闊に魔法を使おうものなら捕捉される。故に慎重でなければならないのも苛立ちを増幅させる要因である。

 

「ええい、忌々しいッ!」

「ひっ……」

 

 ディアーチェが別荘にあるリビングのソファでふんぞり返って、悪態をつく。その様子にはやてが思わずびくりと肩を震わせてしまうのも無理はない。ディアーチェは、はやてに対してだけは容赦がない。機嫌を損ねれば詰め寄って来て、間近で怒りの籠もった視線を向けて来るから。もっとも、その度にナハトがディアーチェを咎めるのだが。はやてとしては恐ろしい事に変わりがない。誰かに、本格的な悪意を向けられるなど初めての経験故に。

 

 ディアーチェが苛立つ理由はひとつ。上手くいっていないからだ。

 

 闇の書に潜む呪いともいえるバグに立ち向かうためには、どうしても大規模な儀式の準備がいる。かといって地球でそれを行う訳にも行かず、わざわざ巻き込まないように、遠く離れた無人世界を選んで準備していた。

 だが、管理局の目を掻い潜って辺境世界を行ったり来たりするのは手間が掛かるのだ。儀式の準備と、それを隠蔽するための結界の維持も馬鹿にならない徒労を要する。辺境世界に居座ることが出来ればいいのだが、儀式の準備中は無防備でナハトの護衛がいる。

 かといって八神はやての監視を怠れば、何をしでかすか分からない。誰かに連絡でもされようものなら、今までの苦労が徒労に終わってしまう。それだけは避けねばならなかった。

 人手が足りないのだ。シュテルは記憶喪失で、これ以上負担を掛けない為に海鳴市に置いてきた。レヴィはトラウマを刺激され、心身を自失してしまって書の中で休んでいる。アスカは自分たちと道を違えて、管理局に投降した。アスカなりの考えがあるんだろうが、此方側に居て欲しいと思ったのも事実。彼女は此方の不利になるような事はしないので、裏切りではないだろうが。どこか釈然としない。

 故に、定期的に別荘に帰って来ては、はやてを監視し、場合によっては何もさせないように脅す。その度にナハトが窘めるといった行動が続いている。儀式の準備が終わるまでこんな状況が続くと思うと気が滅入るデイアーチェだった。

 

 ディアーチェは自分自身が大っ嫌いだ。その現身である八神はやてはもっと嫌いだ。まるで、あの頃のように、のうのうと生きていた自分自身を見ているようで吐き気がする。

 あの頃は何も知らなかった。家族が出来て、友達が出来て、楽しい日々を無知のまま過ごしていた。家族と友人が、その裏で自分を救おうと必死になっていたことも知らずに。そして知らなかったからこそ、悲劇が起きてしまったのだと思うと、ディアーチェは己を赦すことが出来そうになかった。だから大っ嫌いだ。自分も、同じ罪を背負う八神はやても。

 

「あの……」

「ちっ、小鴉は空気を読むことも出来んのか――なんだ?」

「もう、ええやろ? お願いやから家族の元に帰して欲しいんよ。きっと、皆心配しとる」

「ならん。貴様は重要な鍵、だ。それに、どうせ帰った所で誰もおるまいよ。貴様の愛する家族は罪を犯した。貴様に黙って人や動物を襲い、蒐集をしていたのだ。今頃は管理局に捕らえられているだろうよ」

「嘘や! みんながそんなことする筈あらへん。だって……だって、ちゃんとシグナムは、あの月夜に約束してくれてっ」

 

 ディアーチェの何処か他人事のように淡々と語る真実。それに、はやては自分でも驚くぐらい語気を荒げて反論した。

 だって、自分とそっくりな恐ろしい存在は、家族がはやてとの約束を蔑ろにしたと決めつけているのだ。シグナム達のことを何にも分かってないような口調で、彼らが約束を破るような存在だと侮辱した。はやてを裏切っていると決めつけた。

 それは、はやてにとって赦せないことだ。自分を馬鹿にするのは構わないが、家族を馬鹿にするヤツは許さない。

 だけど、それは、ディアーチェの逆鱗に触れるには充分すぎた。彼女は何も知らない少女ではなく、八神はやてをもっとも理解できる半身のような存在。無論、シグナムとの約束の事も覚えている。ディアーチェも同じことをしたから。そしてシグナム達がどんな想いで自分を助けようとしたことも知っている。

 

 だから、燃え盛る激情に身を任せて激昂してしまうのも無理はなかった。

 

「――ッ、何も……何も知らない小娘が……」

「な、なんや……」

「知ったような口をほざくでないわっ!!」

「ひっ、あっ……」

 

 自分でも抑えきれないような怒りを爆発させて、蔑みの言葉を口にしながら。ディアーチェははやてに掴みかかった。車椅子に乗っていた少女の服の襟を掴んで、片手で持ち上げるとソファの上に叩きつけて抑え込む。

 

「かはっ……」

 

 いくら衝撃が柔らかいソファに吸収されたといはいえ、小柄なはやてに駆け巡った衝撃と痛みは並みならぬものがあった。堪えきれずにはやては咳き込む。抵抗しようにも足が麻痺した身体では上手く力が出せない。上半身の力で抵抗するには無理があった。

 

 そんなことお構いなしに、ディアーチェははやての頭を押さえ付けて、苛立ちのまま叫ぶ。

 

「貴様にッ! 何が分かるというのだッ! 運命を受け入れ、迫りくる破滅に抗おうとせず、全てを諦観して! つかの間の幸せに溺れていた貴様に!」

 

「うっ……」

 

「守護騎士の皆がどんな気持ちで蒐集を行っていたか分かるか? 『なのは』ちゃんや『アリシア』ちゃんが、心配かけないように普段は笑っていてくれて、疲れも見せようとせずに頑張っていた気持ちが分かるか?」

 

「わたしが、真実を知った時……シグナムに嘘だよねって問いかけて。約束したやんかって、問い詰めた時。シグナムがどんな表情をしていたか分かるかぁ……」

 

「貴様は、ええよ。何も知らなくて、幸せや。でも、知らないことがどれだけの人を不幸にしてしまったか。分かる……か?」

 

「分かる筈がない。だって、貴様は、何も知らないんやから……」

 

 はやての頬を冷たい涙の滴が伝い落ちた。それははやて自身が流したものではない。身体の上に圧し掛かっているディアーチェの瞳から零れ落ちたものだった。

 

 あの凍てつくような恐ろしい闇に染まった瞳から、明らかに感情のこもった涙があふれ出ている。

 

 ディアーチェの流す涙に込められた想い。悔しくて、辛くて、悲しくて、どうしようもない感情がまじりあい、それが涙に凝縮されている。心が悲鳴をあげて抑えきれない感情が涙となって零れ落ちる。表情はくしゃくしゃに歪んでいて、目の前の自分と瓜二つの存在がどうしようもなく苦しんでいることに、はやては気が付いて。

 

「っ……」

 

 だから、はやては言葉を失うしかなかった。

 

「そうや……わたしのせいで……」

 

 ディアーチェの瞳が揺れる。既に焦点は定まっておらず、はやてを見てすらいない。どこか遠い場所を見ているよう。

 

「わたしが……わたしが知ろうとしなかったから……皆に嫌われることを恐れて、隠し事に踏み込もうとしなかったから……だから、あんなことに。わたしのせいで。わたしが、わたしが、あっ、うあ、ああああっ! あああああああああぁぁぁ!!」

 

 そして、ディアーチェは湧き上がる激情にも似た感情を抑えきれずに錯乱する。

 後悔と自責の念は己自身を責めたて、心がバラバラになりそうな程、苦しくて辛くて。

 だから、ディアーチェはそれを言葉にして吐きだしながら、両手で頭をかき乱して泣き叫ぶしかなくて。

 

「――ディアちゃん! 落ち着いてっ!!」

 

 自分でも抑えきれなくなって、暴れ出しそうになるのを、異変に気が付いて台所から駆け付けたナハトが抑え込む。

 ナハトは、すぐにディアーチェに駆け寄ると、圧し掛かっているはやてから引き剥がし、抱きしめてあやす様に背中を撫でた。ディアーチェがナハトにしがみ付いて、苦しみを吐きだすように爪を背中に喰いこませてきても、ナハトは嫌な顔せずに受け止めた。

 

 シュテルに絶対命令権を施して別れてからというもの、ディアーチェは情緒不安定になっていて、普段の落ち着きは何処にも見られなくなった。

 せっかく高町家で過ごして、笑顔を見せるようになってきたのに。前よりももっと追いつめられた表情をするようになってしまった。マテリアルが生まれたころよりも酷い有様だ。せっかく作った食事は喉を通らず。ディアーチェは眠れない日々が続いている。

 

 きっとどうしようもなく不安なのだ。自らの選択が。その結果が。この少女は己の判断が本当に正しいのかと自信が持てないでいる。自分の過ちで大勢の人を亡くならせてしまったと思い込んでいる故に。

 ナハトには、せめてこうしてディアーチェをあやす事しか出来ない。彼女の苦しみが和らぐように少しでも優しく抱きしめて、温もりを感じさせる以外、出来ない。それがナハトは悔しい。

 

 シュテルならもっと上手にはやてを慰める。レヴィなら明るい言葉でディアーチェを和ませる。アスカなら、きっと力強く励まして立ち直らせる。

 

 それでも、こうすることで少しでもディアーチェが落ち着くなら、ナハトがためらう理由はなかった。悔しいと思う自分の感情は二の次にする。

 

「ほら、だいじょうぶだよ。ディアちゃんの傍にはわたしがいる。だから、落ち着いて、ね?」

「あああぁ! うぅ、ッ~~~~! ッ~~~~~!!」

 

 しばらくそうしていると、少しだけ感情が落ち着いてきたのか。ディアーチェは嗚咽を抑え込んだ。抱きしめるナハトに素直に甘えて、顔を埋めて離そうとしない。

 この様子なら、しばらくすれば泣き疲れて腕の中で眠り始めるだろう。

 そんなディアーチェの頭を撫でて、髪を梳きながら。ナハトはソファの上で放心したように固まる八神はやてに顔を向ける。

 

「ごめんね、はやてちゃん。怖がらせちゃったよね?」

「あっ、いえ、その……」

「もうすぐ鍋が出来るから。そうしたらご飯にしよう? あまり料理はしたことないから、はやてちゃんのお気に召すか分からないけどね」

 

 浮かべる表情は、いつもの誰かを安心させるような微笑み。ただでさえ、軟禁して不自由な思いをさせているというのに。これ以上怯えさせてしまうのも可哀想だと感じているから。

 ディアーチェが鬱憤をぶつけた分だけ、ナハトがフォローする。臣下として当然の行い。

 それに、個人的にはやての事は嫌いではない。当然だ。並行世界の存在で、厳密には違うとはいえ、彼女もナハトの好きなはやてに変わりはない。図書館で出会った大切な親友だから。

 

「ディアちゃん。ご飯はどうする?」

「……ふるふる」

「そっか、でも食べたくなったら、いつでも言ってね。ディアちゃんの分もちゃんと残しておくから」

「…………こく」

 

 このはやても、こっちの『はやて』も早く幸せになれる未来が訪れますように。そう、彼女は願っている。

 そして、みんなで手を取り合って笑うのだ。

 それから、あの幸せだった日々の続きを、そうすれば。

 

(心から笑わなくなった『はやて』ちゃんも、きっと笑ってくれるよね)

 

 ナハトは願っている。いつか、皆で過ごした愛おしい日常を取り戻せることを。

 

◇ ◇ ◇

 

 こたつの上に鍋がある。

 コンロを使ってぐつぐつと煮込まれた。具材とスープの美味しそうな香りを漂わせる土鍋だ。

 ディアーチェが休んで居る間に、ナハトがせっせと調理を行い、出来上がった料理。お嬢様育ちで、あまり料理を経験したことのない彼女にしては上手に出来た力作。あの尊く愛おしい日常の記憶を思い出して作った一品。

 冬の寒さに負けないよう身体を温めて欲しいと願って作られた料理。一番に食べて欲しい王様は泣き疲れて、部屋で一足先に眠ってしまったが、それでも八神はやてに食べて貰うだけで作った甲斐があったというものだ。

 

「いっ、いただきます」

「はい、どうぞ召し上がってね」

 

 何処かぎこちない様子で手を合わせて、食事の前の作法を済ませた八神はやては、恐る恐るといった様子で箸を手にする。

 動かない足はこたつの中に入っているが、感覚は残っていて。その足に妙に障り心地の良い尻尾が当たっている。ナハトのお尻から生えた尻尾が上下に動いて、はやての足をわざとくすぐっているかのようだ。目の前で穏やかに微笑む少女に、そんなつもりはないんだろうけど。

 なんというか微妙に居心地が悪いのだ。平和な生活を乱されて、詳しいわけも知らされずに強引に誘拐され、家族である守護騎士には合わせて貰えない。そんな犯人など嫌って当然なのに、どこか憎めない。それは犯人が自分と同じ姿をした少女で、付き人は友達になってくれて、親しくしてくれた月村すずかに似ているせいだろう。

 まだ、軟禁されて二日程度の日にちしか経っていない。にもかかわらず会話を交えれば交える程、ナハトと呼ばれた女の子は月村すずかと比べても違和感ない位同じで、だから少しでも心を許している自分がいることを。はやては感じていた。

 ディアーチェはあからさまに自分を憎んでいる。というよりも嫌悪しているのだろうか。はやてが声を掛ければ途端に不機嫌になり、まともな会話さえままならない。今日は彼女の逆鱗に触れてしまう有り様。

 家族である守護騎士がどうしているか。どうして自分を誘拐などしたのか。アリサちゃんとすずかちゃんは無事なのか。そしてナハト達は一体なんなのか。聞きたいことは山の様にあれど、上手く聞きだせていないのが、はやての現状だった。

 

「あの、聞いてもええんかな」

「なぁに?」

 

 でも、もしかしたら、心優しいナハトなら或いは。そう思って恐る恐る声を掛けてみれば、ナハトははやてに応じてくれた。少なくともディアーチェのように無視したり、不機嫌になったりしないようだ。

 

「どうして、わたしなんか誘拐したん? おまけに沢山に人に迷惑かけてまで」

「はやてちゃんを助ける為」

 

 鍋に煮込まれている惣菜を摘んで、小皿に移していた手をはやては思わず止める。

 即答だった。ナハトの声に一切の戸惑いも、迷いまない。ただありのままの事実を淡々と述べるように。ナハト達は八神はやてを救うためだけに、警察のような組織から追われるような真似をしたのだという。

 ナハトの顔を見詰めてみれば、真紅に染まった瞳に並みならぬ覚悟が秘められていて、はやては思わず息を呑んだ。なんの力もない自分でも気迫みたいなものが感じ取れるくらい、彼女の意志は堅い。まるで鉄のように。

 だけど、それもすぐに霧散した。ナハトは表情を柔らかくして一度だけ微笑むと、上半身だけしか動かせないはやてを気遣って、鍋の隅っこにある取れない具材を小皿に移し、飲み物の少なくなったコップにお茶を注ぐ。

 彩の少なかった小皿は、惣菜、牛肉、豆腐、えのきと色鮮やかで豪華になって、はやては思わず恐縮する。この少女はどこまでもはやてという人物に対して気遣う姿勢を崩さないから。

 いくら、知り合って、、すぐに友達になってくれた月村すずかと同一人物らしいとはいえ。どう接して良いのか分からずに苦笑いを浮かべるはやてだった。

 相手は自分を誘拐した存在で。だけど、はやてに優しく接し続けてくれている女の子。そんな彼女の抱えている事情に踏み込んでもいいのだろうか?

 

 そうして迷っている間に、ナハトが声を掛けてきた。

 

「むかし、こうやって鍋を囲んだときがあったの。わたしと、『アリサ』ちゃんと、『アリシア』ちゃんと、『なの』ちゃん。そして、今はディアーチェって呼んでる『はやて』ちゃんと、八神家の皆で。あの頃は……楽しかったなぁ」

 

 それはどちらかといえば、独り言のような呟きだったのかもしれない。まるで遠い昔を懐かしむような瞳で、ナハトは思いで話に花を咲かせる。そして、はやてはそれに乗っかることにした。

 心の底から気を許したわけではない。でも、この少女のことを知りたいとはやては思った。初めて友達になってくれた月村すずかによく似た少女。気にならない訳がなかった。

 

「一昨日(おととい)にした鍋パーティーみたいにかな? 結局、潜入してたナハトちゃんが台無しにしたけど」

「あはは……ごめんね? 本当は楽しませてあげたかったけど、わたし達にも時間がなかったからしょうがなく。あれは、わたし達が最初から仕込んだことだから。最初からはやてちゃんを誘拐するために」

「ほんまにびっくりしたで? 守護騎士の皆は急に居なくなるし、アリサちゃんが連れてきた狼さんが、いきなり光り輝いたと思うと、すずかちゃんに似た女の子になったんやから」

「本当にごめんなさい。でも、ああするしか、はやてちゃんを比較的無傷で奪う方法が思いつかなかったから。はやてちゃんの周りには常に、守護騎士の誰かが付いてる。その人たちと本気で戦ったら、どちらも無事で済まない。何とか引き離して、その隙にわたしが誘拐するしかなかった。はやてちゃん達の楽しみを台無しにしたくはなかったけど……」

 

 そう語るナハトはとても申し訳なさそうで、悲しそうだった。

 いつもそうだと、はやては思う。ディアーチェとナハトはずっと悲しそうな表情をしたまま日々を過ごしている。確かにナハトは微笑むときがある。でも、心の底から笑ったことなど一度もない。ヴィータのようにすごく嬉しそうな表情をすることがないのだ。

 

「あの、鍋パーティーを邪魔したことを気にしてるなら謝らんでもええよ。その、確かに楽しかったことを邪魔されたのは悲しいけど。せやけど、そのことでナハトちゃん達が悲しそうな顔をするのも、見ていて辛いんよ」

「うん、ごめんね……」

「でも、他にも何か……あったんか? よければ話して欲しいんや。わたし、ナハトちゃん達のことが気になるから」

「…………」

「そして、教えて欲しいんや。ディアーチェの言う、わたしの罪が何なのか。わたしが知らなかった守護騎士のみんなの隠し事。あなた達が知ってる範囲で良いから。教えて欲しい」

 

 はやては、踏み込むべきかどうか悩んだが、勇気を持って核心に至る部分に触れてみることにした。

 自分は知らなければならない。はやてにそっくりなディアーチェは、しきりに何も知らない小娘がと罵る。貴様の無知が罪だったと糾弾する。何も知らないことが罪で、大きな悲劇を呼び込んでしまったのだと。

 だったら、はやてはそれを知るべきなのだ。何があったのか知って、どうするべきなのか考える。今からでも遅くはないはずだから。

 

 それに、ディアーチェの言葉に思うところがなかった訳ではない。

 

 確かに最近の守護騎士の皆は何か隠し事をしていた。家族なら秘密のひとつやふたつくらいあるだろうと、あえて聞こうとしなかったが本音は違う。

 はやては嫌われることを恐れていたのだ。隠し事に踏み込んだら取り返しのつかないことになるような気がして。初めて手にした暖かい家族の日常を失ってしまうと恐れて。適当な理由で自分を無理やり納得させていただけだ。

 

 でも、今日のディアーチェの言葉で、はやての心は揺らいだ。家族の事で疑問に思うきっかけを与えた。

 確かに、自分自身が死を受け入れている節を見せるたび、シグナム達は苦しそうな表情をしていた気がする。それがどれほど彼女達を追い詰めていたのか、自分は気にしていなかった。だって、あまりにも幸せすぎたから。

 

 だけど、家族の幸せな生活から引き剥がされたことで、はやては真実に向き合う覚悟が決まったのかもしれない。

 この自分や友達と瓜二つの少女たちにさらわれて。彼女達の抱える苦しみに触れて。はやては少なくとも知りたいと思ってしまった。

 だから、後は止まる事を知らずに突き進むだけだ。秘められた真実を知る為に。

 そうすれば、はやては何をすべきなのか方針を定めることが出来るから。

 

「…………」

 

 ナハトは黙したまま語ろうとせず、淡々と鍋に煮込まれた野菜や肉を口に運んでは咀嚼している。

 それでも、はやては根気強く待ち続けた。真剣な表情をして、ナハトから視線を逸らさずに見つめ続けた。

 

「んぐ――ぷはぁ」

 

 やがて、コップのジュースを飲み干したナハトは、大きく息を吐きだすと、にこやかに笑う。

 

「うん、はやてちゃんの覚悟は生半可じゃないみたいだね」

「もう何も知らないのは嫌なんや。何も知らないまま、周りに振り回されるのはもっと嫌や。わたしは知りたい」

「でも、知ってどうするの?」

「それは、まだ分からへんけど……」

 

 ん~~、と声を出しながら、ナハトは唇に指をあてて首を傾げる。

 その紅い瞳だけが、はやてを品定めするように見つめていた。まるで、一瞬の変化も見逃さないと言わんばかりに。

 それでも満足したのか、彼女は小さく頷いた。

 

「まあ、及第点といった所かな? 未来を定める意志は足りない。でも、簡単には折れない覚悟がある」

「じゃあ――」

 

 教えくれるのか。と自由に動かせる上体を机に乗り出さんばかりの勢いで、はやてはナハトを見た。だけど、ナハトはその出鼻を挫くかのように問いかける。

 

「最後に聞くけど……本当に良いの? 聞いていて楽しい話じゃないよ? あとで後悔しても、わたしは責任をもてないくらいに……」

 

 それは最後通告。残酷な真実を知ってはやてが必要以上に苦しまない為のナハトなりの優しさ。

 

「それでも、わたしは聞きたいんよ――!」

 

 そして、その優しさに感謝しながらも、八神はやては自らの意志で押し開いた。

 五人の少女達を悲劇に突き落とした残酷な運命の扉を。

 



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●番外 おじちゃんとアリシア

 士郎はなのはの事に関して悩みが多い。

 

 数日前に怪我を負った身元不明の少年を匿う事になったのだが、続けて見知らぬ少女を保護したとなれば、娘のなのはが何らかの事件に巻き込まれているのは確実だった。問い質そうとしても、なのはは頑なに口を閉ざして何も語ろうとしない。怒声を浴びせても、ぐっと堪えて耐え忍ぶ。父親に対する恐れを抱きながら。

 

 士郎は娘にどれほど恐れられているのか分かっている。普段から関わってこようとせず、あからさまに避けられているのが事実を示していた。

 それでもショックは少ないものだ。何故ならば、士郎は己が娘に対してどれほど過酷な扱いを強いて来たか、理解しているから。

 

 妻である桃子が殺された時の絶望に比べれば、娘に嫌悪される位、どうということはない。彼の心はその日から死んでいる。

 苛烈なまでの修練をなのはに施し、彼女の肉体を屈強な身体に鍛え上げ、殺しの術である不破の体術を叩き込んできたのも、全ては娘のなのはが自分の身を護れるようにする為。

 

桃子が死んだ要因のひとつに、護身の心得がひとつもなかった事があげられる。愛する妻を護れなかったのは、自分の不徳のなさが原因だと理解しているが、裏世界の事情に巻き込まれるなら、心得のひとつでも教えておくべきだったと後悔し続けている。

 

 だから、士郎は心を鬼にして、なのはに不破流を叩き込んだ。結果として娘に誘拐の手が伸びた時、それが功を成して彼女の命を救う結果になった。しかし、代償として娘は他人に対して警戒心を抱き、容易に心を開かなくなってしまった。

 

 この時のごたごたと考え方の違いから恭也と一悶着があり、復讐の因果を止める為に足の腱を断ち斬られたが恨むつもりはない。肉体の枷を外す神速の代償により、士郎は己の身体に限界が来ていたのを理解していたし、誘拐の件以来なのはを護る事に専念しようと思っていたからだ。

 

 桃子を殺した非合法テロ組織。通称"龍(ろん)"への復讐は美由希が継いでいる。美由希は士郎の妹であり、本当の母である美沙斗の伝手を頼りながら、世界中を旅して回っている。今更、士郎一人が歩みを止めたところで、復讐の連鎖は止まらない。

 

 組織と一族の怨讐は深いものだ。どちらが先に手を出したのかは定かではない。

 要人の警護役などを務める表の御神家。要人の暗殺から不穏組織の殲滅までを担当する裏の不破家。古くから裏に関わる一族は移り変わる平和な時代が油断を招き、組織が起こした爆破事件で一族郎党は皆殺しにされた。それも、御神家と不破家が一族の結婚式という祝いの席に集まった所を狙われた。

 

 御神宗家の最後にして最強の正統後継者。御神静馬もこの世を去り、彼の妻であった不破美紗斗が復讐の旅に出たのが、本格的な復讐劇の始まりだったかもしれない。士郎に美由希を預けてから彼女とは殆ど顔を合わせなくなった。

 

 その復讐劇が周りに回ってきたのか、鬼神の如き美沙斗による組織へのダメージがあまりにも大きすぎたのか知らないが。彼らは肉親である士郎と、その関係者を人質として狙ってきた。それが愛する桃子に害を及ぼし、結果として士郎の目の前で桃子は斬殺された。

 

 今でも思い出せる苦々しい光景。時折悪夢として蘇る、愛する妻が殺される瞬間。

 士郎に残された道は憎悪の対象である組織を根絶やしにする事。そして、残された忘れ形見である、なのはを護る事だけだった。

 

 美由希もそれに賛同し、彼女は組織を壊滅させる道を選んだ。血の繋がった親子ではないが、美由希は桃子の事を本当の母親のように敬愛していたのだから。その深い愛情が、同じくらいに激しい憎悪に代わるのも無理はない。

 

 恭也は反対派に回った。月村家の当主であり、忍という生涯の伴侶を得た彼は、復讐するよりも身近にある大切な人を護る側に付いた。そして父の士郎と意見の違いから口論になることも多い。

 

 それは決まって、なのはの扱いに関してである。恭也は身を護る術を与えるよりも、母親を喪った損失を埋める程の愛情が必要だと士郎に訴えかけていた。

 

 どちらも正しくて、どちらも間違っているのかもしれない。それでも士郎に分かる事が一つだけある。このままでは永遠に末の娘と仲違いしたままだということ。そして、娘が関わっている事件とやらを解明しないと、不安で仕方がないというものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノという異国の少年を保護して、数日後の事。

 娘のなのはが、またもや得体の知れない子供を連れてきた。

 ユーノと同じくらいの年の少女は、日本では見かけない金糸の髪が特徴的で、見るからにボロボロだった。

 具体的には痩せていて栄養失調が目立つ。そして、レオタードのような舞台劇の衣装と錯覚するような格好をしていた。悪く言うならばコスプレか。

 

 彼女の扱いについて、士郎となのはは覆いに揉めた。

 

 いわく、身元の知れない人間は、何処で裏に関わっているか知れない。最悪、何処かの組織の暗殺者かもしれない。今すぐ警察などの公共機関に引き渡すべきだという士郎の意見。

 

 いわく、怪我をしている子供を見捨てるほど不破家は腐っていない。元が他者を護るための御神であるならば、保護するのは当然。自分が責任を持って面倒を見る。それにユーノも彼女も、悪い人間ではないというなのはの意見。

 

 下手すれば格闘術を用いた喧嘩になりそうな口論を、夕飯を作りに来ていた恭也が諌めた。彼はなのはの側に回ったため、二人の子供は不破家で面倒を見ることになる。

 恭也いわく、常に家にいる父さんが見張っていれば万が一など起きない。保護しても大丈夫だろうという甘い考え。

 

 そして、この時のなのはの気迫は凄まじく、士郎に対して恐れを抱いているのに、一歩も引くことはなかった。

 

 士郎としては溜息を吐くしかない。いったい娘は誰に似て頑固な性格になってしまったのだろうか。このまま口論していても仕方がないと、結局は士郎が折れた。怪しい動きをするならば、即座に家から叩きだすという条件付きで。

 

 懸念があるとすれば、娘の隠し事が一切把握できないと言う事か。バニングス家と月村家を通じた情報網でも、第一線から退いて衰えた肉体を酷使し、娘を尾行しても、その全貌を捉えきれないのだ。不思議なことに必ず撒かれてしまう。まるで、魔法にでも掛けられたかのように。

 

 娘を護る為に常に気を研ぎ澄ましている士郎としては、警戒することが多すぎて、心労で倒れてしまいそうだった。復讐の因果が回り廻ってきているので、自業自得と言えばそれまでなのだが。どうにもやるせない。

 

 そんな矢先のことだ。鬱陶しくも、健気に士郎と触れあおうとした少女が現れたのは。

 それは、言わずと知れた保護した少女。アリシア・テスタロッサその人だった。

 

 彼女と士郎の本格的な接触、第一印象を決定付けたとも言える出会いは太陽が真上に昇った昼間の頃。

 腱を断ち斬られた片足を引きづるようにして歩いていた士郎は、用意した緑茶を運びながら、とある部屋に向かっていると、人の気配がする事に気が付いた。

 

 恭也でもなのはの気配でもない。そもそも恭也は普段、月村家の令嬢の傍に居る。なのはにしても恐れを抱いている父親には必要なとき以外近寄ろうとしない。

 

 つまり、見知らぬ誰か。士郎の予測では最近保護した子供の内の二人。

 

 思わず舌打ちと溜息。あの部屋は士郎にとって神聖な場所なのだ。荒されたら即座に叩きだしてやろうと、心の底で決心した彼は部屋に早足で近づいた。

 

「誰だッ!」

「ほえ? おじちゃん、だぁれ~~?」

 

 そこに居たのは一人の小娘だった。なのはの数少ない古着を着ていた彼女は、襖を勢いよく開けて怒声を放った士郎に、動じてすらいなかった。ただ、座布団の上で女の子座りをしながら、金糸の長い髪を揺らし、小首を傾げて士郎を見上げている。

 

 彼女の隣には綺麗に手入れされた仏壇。此処は桃子の遺影が飾られた部屋なのだ。

 

「小娘、そこを退け」

「小娘じゃないよ。アリシアだよぅ! おじちゃんは誰なのさ? 知らない人~~?」

 

 士郎が凄みを効かせた形相で睨みながら、もう一度静かに脅しても、アリシアと名乗る少女は遺影の前の座布団から離れようとしない。部屋を出て行く気配すらない。

 

 そもそも本当に士郎が誰なのか知らない様子だった。なら、教えてやることにする。そして、この部屋が何なのかも。

 

「俺は不破士郎。貴様を拾ったなのはの父親だ。此処は亡くなった人を祀る神聖な場所。他人がとやかく入っていい場所ではない。分かったら出てけ」

「誰か死んじゃったの? この写真のひと?」

「ッ……」

 

 思わずギリリッと歯ぎしりしてしまう程に士郎は苛立つ。他愛ない子供の無邪気な質問だが、桃子の事に関して不躾に触れられれば腹も立つ。この小娘の頭に痛烈な拳骨でもくれてやろうか。それとも無知を弁えさせるために青臭い尻を百叩きにして、庭の木に吊し上げてやろうか。士郎は本気で実行に移そうかと苛立ちと共に思案する。

 

「どうしたの、おじちゃん。おでこに青筋が経ってるよ」

 

 士郎は何も言わない。誰のせいだと思っているとも口に出さない。

 ただ、襖を開けたままアリシアに近寄って、畳の床に強烈な踏込をする。ダンッと地を揺るがすような重低音が響き、アリシアがびくりと肩を震わせた。ここに来てようやく自分が踏み込んではいけない領域に、足を踏み入れたのだと理解したらしい。

 

 士郎はしゃがみこむと、アリシアの顎を掴んで、彼女の耳元に口を寄せた。そしてそっと呟く。

 

「早く此処から出て行け……それとも、ここで貴様の首をねじ切ってやろうか……?」

「――こくこくこくっ!!」

 

 底冷えするような声で囁かれて、顎を掴まれていても、必死に頭を縦に振る少女。

 手を離してやると仰け反って尻餅を突き、怯えたように後ずさりした。そして慌てたように部屋から出て行と、遠ざかる足音と主に姿を消した。

 

 これで、もう二度と、この部屋を訪れることはないだろう。

 

 ようやく落ち着いた時間を手にした士郎は、遺影が床に落ちていることに気が付く。あの少女が桃子の写真でも眺めていたのだろう。それをそっと元の位置に戻すと、蝋燭に火をつけ、香炉に三本の線香を捧げた。自分と、美由希と、あの少女の分だ。

 

 士郎は両手を合わせて静かに祈る。時間にして数分くらいだろうが、士郎にはもっと長く感じられた。日々の後悔。子供たちの事。これからの事。己の抱く悩み。そういったモノを桃子に伝えている。返事は帰ってこないが、何もしないよりはマシだ。

 

 それからは、外の廊下に続く横開きの扉を開け、縁側に座りながら庭の景色を眺めて、熱い緑茶を淡々と飲む。これが士郎の欠かせない日課だった。

 

 なのはに早朝と夕方の鍛錬を施す以外は基本的に暇だ。娘が学校に行っている間も、わざわざ様子を監視しに行くほど彼も酔狂ではない。海鳴市に築いた情報網と人脈。それらに怪しい人物が引っ掛からない限りは動く事もない。要注意人物は出来る限りマークされている。何かあれば士郎の伝手から連絡が入るだろう。

 

 この静かな時間で、彼は自問自答するのが常だった。自分は正しいのだろうか、と。

 

(桃子が今の俺を見れば、何というのだろうな。俺の愚かさを叱るだろうか? それとも……)

 

 士郎は、その日も静かに佇む。彼の悩みは今日も解決することはなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 この状況を何と評すればいいのか、士郎には分からなかった。一言云うのであれば予想外。これに尽きるかもしれない。

 

(あの小娘は何をしているのか理解できん)

 

 今日も今日とて、日課である仏壇の部屋に通い詰めていた士郎は、襖の陰から覗いているアリシアに呆れるしかなかった。

 

 そ~っと士郎の様子を伺うようにして部屋を覗き込んでいる少女。時折、チラリと士郎が視線を向ければ、怯えた小動物のようにサッと顔を隠すのだ。そして気が付かない振りをして、遺影に顔を向ければ、また士郎の様子を伺い始める。

 

 正直に言おう。まず、気配からして察知するのは容易である。相手の気配を読むことに長けた士郎からすれば、怯えた少女の気配など嫌でも感じ取れてしまう。恐らく普通の人間でも視線位は感じるだろう。

 しかも、二つに別けた長い金糸の髪が、空いた襖から見えてしまっているのに、彼女はに気が付かないらしい。これほど滑稽なことはない。

 

 まあ、このまま放って置いても良いのだが、祈りを捧げる前に覗かれていると気が散る。前のように追い出してもいいのだが、懲りずに部屋を訪れている所を見ると、再び戻ってくる予感さえする。

 

 士郎は、どう接して良いのか分からない。彼は子供が苦手だ。

 気が強いバニングス家の令嬢でも、士郎と対面して怯えていたし。おとなしい印象の月村家の次女には顔を見られただけで泣かれた。そんなに自分の顔は恐ろしいのかと士郎は少し憂鬱になる。確かに鏡をみると、昔と比べてやつれているかもしれないが。

 

 まあ、それに比べれば人の顔を見ても平然としているアリシアという小娘はマシな方なんだろう。ただ、行動と考えがイマイチ読めないのが難点だ。何がしたいのかさっぱり分からない。

 

「いい加減に入ってきたらどうだ」

「バレてるっ!?」

 

 低めの声で静かに呟くと、アリシアはギョッとしたように目を見開いた。そして、怯えたように小刻みに震えだす。気のせいか紅い瞳も揺れていた。

 

「最初から気が付いていた。入って来たらどうだ? そこに居られると気が散る」

「怒らない……?」

「怒らん。懲りずにやってくる貴様を叱っても、意味がないと判断した」

「キサマじゃないもん……アリシアだもん……」

「嗚呼、分かった。分かったからとっとと入って来い、アリシア」

 

 士郎の許可を受けて、アリシアは身体をびくびくと震わせながらも、そ~っと部屋に入室する。

 その顔はずっと士郎に釘付けで、怒られないか顔色を窺っている様子だった。

 

 前の時は部屋に無断で入っていたアリシアに苛立ち、つい出て行けと脅した士郎だったが、別に子供が嫌いという訳ではない。単にどう接して良いのか分からないだけだ。だから、嫌悪ではなく苦手と表現される。

 

 今日は機嫌もいいので、多少の事なら付き合ってやるつもりだった。不躾な質問にも目を瞑ろう。あれこれ苛立っていては心身が持たない。

 

「で? 何の用だ。小娘?」

「う~~っ!」

「名前で呼ばれないことが不満か? だが、貧相な貴様など小娘で充分だ。認められて欲しかったら一人前に成長することだな」

「一人前って何なのさ?」

「ふん、それは小娘が己自身で見つけ出すことだ。俺は他人をとやかく言う程、答えを持ち合わせておらん」

「そうなんだ。難しいね……」

 

 それっきりアリシアは考え込んで黙り込んでしまった。士郎の隣で女の子座りをしながら、彼女はぼんやりしている。口からほえ~~と声まで漏れていた。

 このままでは会話が続かない。そう判断した士郎は溜息を付きながらも、もう一度問いかける。此処へ何をしに来たのかと。

 

「もう一度聞くが、何用があって部屋を訪れた?」

「んぅ? あっ、そうだ! わたし、おじちゃんに用があって来たんだった」

「ほう?」

 

 それは多少なりとも興味を持たれる事象だった。士郎とアリシアの接点は、不破家の末っ子である娘の“なのは”だけだ。そこからどうして士郎に関心が向くのか気になる所。或いは士郎に対して、聞きたい事でもあるのかもしれない。

 

「このひと、だぁれ?」

 

 アリシアが士郎の顔色を窺いながら、静かに指差すのは仏壇に飾られた遺影。写真を撮ったあくる日から、変わらぬ微笑みを見る人に向け続ける、愛する妻の遺影だった。

 

 もしかすると前に部屋を訪れていたのは、この写真の女性が気になってしまったのかも知れない。アリシアを献身的に世話したのは娘のなのはだ。彼女と良く似た女性の写真であれば尚更だ。

 

 士郎は、少しだけ寂しそうに笑う。それは桃子に関わるものに触れられて、在りし日の想い出を振り返っているからだろうか。

 

「気になるか?」

「うんっ!」

「その人は、俺が生涯で愛した、たった一人の女性。なのはの母親だ」

 

 なのはの母親という言葉に、アリシアは息を呑んだ様子だった。

 その表情は驚き、次いで寂しそうな物に少しずつ変化していく。

 

「なのはの、お母さん?」

「そうだ」

「……もう、会えないの?」

「…………そうだ」

 

 アリシアは士郎の言葉を聞きながら、寂しげな表情で、じっと写真を見つめ続ける。それは、とても真剣な様子で、邪魔をしてはいけないと判断させるには充分すぎた。

 

 やがて彼女は、静かに目を閉じると、しばらくの間それを続けた。恐らくだが祈ってくれているんだろう。そのことに士郎は少しだけ感謝する。名前を聞いただけの、実際に会ったこともない女性の為に祈ってくれる。そんな少女を無下にする程、士郎も無粋ではない。

 

「ねぇ、おじちゃん」

「なんだ?」

「この人は優しい人だった?」

「……そうだな、血に濡れた業を背負う俺に対して怯えず、心の底から愛してくれる優しい女性(ひと)だった」

 

 士郎の答えに対して、アリシアは嬉しそうな顔を隠さない。士郎はそこから、この娘が母という存在に特別な想い入れがあるのだと推測する。

 だから、会えないという士郎の返答に悲しい顔をしたのかも知れない。

 

「そっか、わたしのお母さんもすごく優しいんだよ? 仕事でなかなか帰って来れないけど、ピクニックに連れて行ってくれた時は、すごく優しい笑顔をするの。ずぅぅぅっと、わたしの記憶に残っている。母さんとの大事な思い出なんだ」

「そうか」

「うん、わたしは母さんが大好き」

 

 でも、とそこで少女は言葉を区切った。続いて語り紡がれる言葉は、お父さんの顔を知らないというもの。

 顔も、姿も、声さえも知らない。写真でも見たことがない。実の父親がどんな性格をしていて、どんな仕事をしていたのかも分からない。何処に住んで居るのかも分からず、今を生きているのかも知らないと少女は語った。

 

 それを聞いても士郎は顔色ひとつ変えない。だから、どうした? とでも言いたげですらある。しかし、この娘が何を言いたいのかも察してはいる。要するにアリシアと名乗る少女は。

 

「だから、おじちゃんが初めて見た、お父さんって存在なんだ」

 

 士郎という男に対して父性を求めていたのだから。

 

「――幻滅したか?」

 

 士郎は己が、世間一般でいう所の父親とかけ離れていることは自覚している。

 普通なら愛する我が子に頼れる背中をみせたり、休日にはどこか遠い所に連れて行ってあげるのがお約束だ。

 

 仕事や出張から帰ってきた時には、ただいまと笑顔で出迎えつつ、土産を期待して顔を輝かせる子供達。それに対して、ほらっと持ち帰った土産物を渡してやり、喜ぶ子供たちを抱き上げてやる。

 

 学校の行事なら運動会の参加が良い例だろう。親御さんを中心した二人三脚や綱引きで、負けるな、頑張って、といった声援を受け、他のお父さん方と誇らしい父親像を掛けて戦う。子供にとってはヒーローみたいな存在。

 

 それが、一般的な父親像だろう。

 

 だが、アリシアが初めて目にした父親という存在は、己が娘に厳しく、余所の人間に排他的で、優しくて頼れるヒーローの面影など何処にもない。ましてや娘を思いやるが故に厳しく接する頑固親父ですらないのだ。

 

 ただ単に自分勝手な都合を娘に押し付け、放任主義といっていい程に学校の行事には参加しない駄目な父親。そのくせ都合の悪い部分には身勝手にも口を出す。これでは父親という存在に憧れるアリシアが幻滅するのも無理はないだろう。

 

 まあ、士郎としては、世間の目など気にもしない。アリシアがショックを受けたとしても、勝手に期待を押し付けられただけだと割り切ってしまう。そんなことを気にしている余裕など彼にはないのだから。

 

 しかし、アリシアの反応は士郎の予想とは正反対のものだった。彼女はにこやかで、無邪気な笑顔を浮かべたのだから。

 

「ううん、そんなことないよ?」

 

 それはお世辞でも、嘘でもなく、本心から告げた言葉なんだろう。心に偽りや後ろめたさを抱えた者特有の、感情の揺れの様なモノがまったく見られない。

 かといって相手を騙すために偽りの笑顔を浮かべて、悪意を隠している風でも、自身の心を殺している訳でもない。

 本当に純粋で、素直すぎる少女の想いだった。

 

「ふん、どうだかな。貴様が思っているよりも、俺は悪逆非道の極悪人かもしれんぞ?」

「それは、違うと思うけどなぁ」

 

 士郎が己を皮肉下に自虐しても、少女の想いは変わらない。それどころかハッキリと否定までしてきた。

 

 アリシアは士郎の心を見透かそうとしている。それが癪に障ったのか士郎は苛立たしげに顔を背けた。苦虫でも食わされている気分だ。それでも、この娘を追い返そうとしないのは大人げないとでも思っているからか。

 

 ただ、黙って士郎はアリシアの考えに耳を傾けた。

 

「おじちゃんは、なのはに危険が及ぶと思ったから、わたし達に口煩くするんだよね? なのはから聞いたよ。わたし達を家に泊める為に家族と一悶着あったけど、気にしないでくださいって。それって、なのはを大切に想ってる証拠だよね」

「……俺が娘に厳しく接していることくらい知っているだろう。貴様の勘違いだ」

「うん、そうかもね。なのはから、おじちゃんに近づかないように言われて、どんなおっかない人なのかなって、ビクビクしてたもん。実際、初めて会ったときは怖かったし」

 

 でも、とアリシアは一旦言葉を区切った。そして、その紅い眼差しで、士郎を純粋なまでに見つめてくる。

 

「おじちゃんは優しい人だよ。だって、おじちゃんの大切な部屋に、招き入れてくれたもん。わたしの事も怒らずに許してくれたでしょ? ほら、優しい」

「………」

 

 士郎は深い深い溜息を吐く。それは怒る気力も失せて、呆れてしまったからなんて、口が裂けても言えない。

 

 それに、小娘の中では士郎が以前の事を許していると決定されているらしい。別の意味で勘違いしている少女に、さらなる呆れが追加されたが故の溜息。この小娘は話をポジティブに捉えるのがすごく上手いらしい。

 

 そして、愛する妻の面影を感じさせるほどの強引さと直向きさ。どうも、士郎はこの少女が大層苦手らしかった。何と言うか自分のペースを悉くかき乱されるし、真面目に相手をすればするほど疲れる。何より、桃子のことを思い出して辛くなる。

 

 娘のなのはが姿という形で桃子の面影を残すなら、アリシアという少女は性格の方で妻の面影を見せてくれるらしい。本当に困ったものだ。

 

 早く話を切り上げよう。そう思い、士郎は話題を強引に終わらせようとした。

 

「……もう、良いだろう? 小娘の話に付き合っている程、俺も暇ではない。この後は、大事な時間だ」

「ほえ? 何かするの?」

「茶飲みだ。哀愁漂う惨めな男は、過去に想いを馳せるらしい。誰の相手もせずにな」

 

 遠回しに、これ以上付き合ってられないから、とっとと部屋から出て行けという宣告。だけど、士郎は判断を誤った。

 

 この娘に皮肉や遠回しな発言は通用しないのだ。断るならはっきりと突き付けるべきなのである。先程も結論付けたように、話をポジティブに捉えるのが上手いのだから。

 

「じゃあ、わたしも一緒にお茶を飲んでも良い?」

 

 やはり、この強引さは桃子を思い出すと、士郎は寂しげに"笑う"

 

 フィアッセ・クリステラという恭也と同年代の世紀と謳われる女性歌手であり、幼馴染でもある娘。その子の父親であるイギリスの上院議員アルバート・クリステラ。

 彼とは親友同士であり、御神の技を使ってボディーガードを務めていた時は、共に世界中を飛び回ったものだ。

 

 そんな護衛の最中、とあるホテルに滞在する事になった。そして、そのホテルには桃子が居たのだ。彼女の作るシュークリームは絶品で、一口目で気に入ったのを今でも覚えている。あの味も忘れられないものだった。

 

 そして、アルバート議員を狙った、ホテル全体を巻き込んだテロ事件。士郎が全力を尽くし、身を挺して奔走することで事件は鎮圧されたが、自身は重傷を負ってしまった。

 

 その時に桃子は律儀にも見舞いに来てくれたのだ。貴方のおかげで命を救われたのだと。もう見舞わなくても良いよ。と丁重にお断りしても、彼女は毎日強引に押しかけてきた。命を喪い掛けた士郎を本気で心配してくれたのだ。一度、こうと決めたらなかなか譲らない女性であった。

 

 この娘もその類の人間らしい。

 

「あのね、おじちゃんとわたしが仲良くしてれば、なのはも一緒に付き合ってくれて。おじちゃんとも仲良くできるんじゃないかなって、思うんだけど。

 やっぱり、家族を喪ってもいないのに、仲違いしたままなのは寂しいよ。わたしは、おじちゃんとなのはが、仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 少女の提案に、士郎は「家族の事に余所の人間が口を出すなっ」と怒鳴るのは簡単だった。気に喰わなければ難癖つけて、怒鳴り散らして追い返せばいい。言って聞かないなら常人なら怯えて失禁する程の殺気で脅してしまえば良い。

 

 それをしないのは、アリシアの純粋な心に触れて、奥深くに閉ざされていた士郎の心が解されていたのかもしれなかった。或いは少女に、桃子の面影を重ねたせいで、少しだけ気を許していたのだろうか。

 

「…………小娘の、アリシアの好きにしろ」

 

 ともかく士郎は少女の提案に、そっけなく返事をする。

 そのそっぽを向くような態度が、素直じゃないなのはと重なって。士郎となのはは、やっぱり親子だなぁ、と微笑ましく思うアリシアだった。

 

 それからというもの、アリシアは何度か士郎とお茶を共にした。桃子の遺影に向けて合掌を済ませ、座布団の上に座りながら、渋い茶と前餅を口にする。

 

 もっとも、その前餅はアリシアが慣れない茶に苦戦することを予想して、予め士郎が用意しておいた一品だった。中々の高級品で程よい甘みが癖になる大福。

 

 案の定アリシアは、苦い茶の所為で、大福を何度も摘んだ。人形のように整った精細な顔の表情が、お茶の苦味で涙目になる姿は滑稽だったと士郎は心の内で表する。

 

 それは彼なりのちょっとした悪戯心だったのかもしれない。或いは己の心をかき乱す小娘への意趣返しか。

 

 茶請けに用意された湯飲みは"三人分"。前餅の大福は気を利かせて一人前と半人分。士郎はお茶だけでも飲めるので、アリシアが全部食べきれる量であり、なのはにお裾分けできる程よい量だった。

 

 お茶の時間は急須に注いだ熱い液体が無くなるまで。その間になのはが来ればよし、来なければそのまま解散というのが暗黙のルール。これは士郎が茶を飲み終わると自分の茶飲み道具を片付けて帰って来ないからだった。それに対してアリシアは何も言わない。

 

 そして、茶会というのもアリシアが一方的に士郎に話しまくるのが主な光景だった。士郎は自分から語ろうとしないので必然的とも言えるが、単に子供に何を話して良いのか分からず、黙して語らないだけである。

 

 アリシアが話すのは自分の事、母親と過ごした思い出、姉妹ようなアルフとの生活の事、大好きなお姉さんのようなリニスとの授業風景。魔法の事はぼかしているが、それ以外はありのままの出来事を熱心に語った。

 

 とりわけ、なのはの話が多い。なのはと過ごしている時間の事を語るときは活き活きとして笑顔が輝いていた程だ。それくらいアリシアは、なのはの事が大好きだという証だった。

 

 士郎も顔には出さないが、なのはの話を聞く時は少しだけ雰囲気が柔らかくなる。何だかんだ言って、この男も愛する妻との間に授かった娘の事を気にしているのだろう。だから、アリシアもなのはの事を沢山に語った。士郎の知らない娘の姿を。

 

「なのは、来ないね~~」

「……そうだな」

「やっぱり、そう簡単には上手く行かないのかぁ~……」

「嗚呼……そうだな……」

 

 もっとも肝心のなのはおびき寄せ作戦は上手くいっていない。アリシアは間が悪いのかなぁと悩んでいる様子だったが、そうではない事を士郎は知っている。

 

 元々、作戦の成功率など在って無いようなモノなのだ。なのはが士郎の事を恐れて普段から近寄って来ない以上、彼女が部屋を訪れる確率は限りなく低い。それに平日は学校に通っていて、帰って来るのは夕方ごろ。狙うなら休日の土日が妥当だろう。

 

 それに娘が部屋を訪れるのも少し困る。何せどう話していいのかさえ、士郎には分からないのだから。

 

「うぅぅ、おじちゃん、ごめんね。わたしの考えが浅はかだったばっかりに……おじちゃんの大切な時間を邪魔するだけだったよね……」

 

 そんな士郎の胸中を知らないアリシアは、しょぼくれて眉を下げながら士郎に謝ったのだが、対する返答は信じられないものだった。

 

「……そんな事はない」

「ほぇ!? あっ――えへへ~~」

 

 なんと、あの士郎がアリシアの頭を優しく"撫でた"のだ。鍛え上げられた逞しい腕。鍛錬の積み重ねで硬くなった手のひら。そんな岩肌のような不器用な手が、恐る恐るといった様子でアリシアの金糸の髪をくしゃくしゃにしている。

 

 アリシアも驚き、恐る恐る頭を両手で抑えながらも、満更ではなさそうに撫でられていた。まるで、本当の親子のような姿がそこにはあった。

 

「お前の話は……聞いていて飽きない」

「ホントっ!?」

「ああ。それに小娘のおかげで、俺の知らない……なのはの姿を知ることが出来た――感謝している」

「おじちゃん?」

 

 いつもとは様子の違う士郎の姿に、アリシアは戸惑い始めた。いきなり頭を撫でられた驚愕もあるが、その時は喜びが勝った。だが、落ち着いてみれば明らかに士郎の様子は何処か違った。何か決意して、覚悟を決めた様な表情だった。

 

 不器用な男はアリシアに向き直ると、胡坐を掻いた姿勢で静かに頭を下げる。

 

「娘を……なのはをよろしく頼む」

 

 それは、恋人公認ならぬ友達公認。普通の家庭に置き換えるとおかしな光景だが、士郎がアリシアを認めた瞬間でもあった。事実上の友達でいてやってくれ宣言である。

 

「――もちろんだよ! おじちゃん!」

 

 ただ、そんな態度や決意は。無粋かもしれないが、自分じゃなくて、娘のなのはに向けてやって欲しいと思うアリシアだった。

 

 呆れという隙間から染みこんできた、暖かな少女の心。

 それは、湯水のような暖かな滴が、氷を溶かしていくように。少しずつではあるが、冷たく凍り付いた復讐者の心を癒していく。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 なのはがトラウマで寝込んでいる時。ユーノに弱さを見せて縋っている娘の慟哭を廊下で盗み聞きしていた士郎。

 

 しかし、ゆっくりと首を振って部屋から去っていく。向かう所はアリシアを寝かせている部屋。

 

「調子はどうだ」

「あっ、おじちゃん。え~~と、うん、わたしは全然平気だよ」

 

 これはアリシアの強がりだろうと士郎は判断した。目の前の少女は身体をちょっと動しただけで、すごく痛がるように顔をしかめるのだ。それでも強がって涙目になりながら笑顔を浮かべる彼女は困った子供である。痛いのなら痛いと正直に言ってくれれば、士郎としても何かしてあげやすいのだが。

 

 ふと、士郎はアリシアの首元に目を向けた。首の前から後ろに掛けて赤い痣が走っていたからだ。アリシアの肌は西洋人と比べても、とても真っ白で雪のような肌をしている。だから、その痣は目立って仕方がない。むしろ気付けない振りをする方が無理だ。

 

 仏頂面で無愛想な士郎の表情が険しくなったことに気が付いて、慌てた様子で首元を隠したアリシア。笑顔でえへへ~~なんて笑って誤魔化そうとしても、もう遅かった。

 

「その痣、首を絞められた跡だな? 誰にやられた?」

「これはその……えっと、何でもない!」

 

 絞めた後だと断言するのは死体を何度も見てきた経験故だ。指の数よりも多くの人間を殺めた士郎にとって、傷跡を見ればどのように殺したのか一発で判る。ましてや絞殺された遺体などは分かり易い。

 

 士郎の問い掛けに対してアリシアの答えは誤魔化しだった。下手な嘘を吐かれるよりはマシだが、何でも無いというのは無理があり過ぎるだろう。

 

 犯人は恐らく子供。それも、彼女と同じ年ぐらいだろうと士郎は予想した。痣の形や大きさからして縄ではなく手で直接絞めた痕だ。

 

 ずぶ濡れになって帰ってきた娘。気絶した二人の子供。普段と様子は違い怯えたように震えるなのはの様子から、何があったのか大体見当が付く。

 

「……なのはがやったのか?」

「ばれてるっ!? でもでも、なのはのこと怒らないであげて。なのはは悪くないんだ」

 

 この子は隠し事が苦手だな、と士郎は苦笑するしかない。

 

 それに不器用に娘のなのはを庇おうとするアリシアの存在は酷く滑稽だ。でも、とても良い友達なんだろう。殺されそうな目に遭ったのにも関わらず、こうしてなのはを庇おうとしてくれる友人。娘は本当に得難いものを得ることが出来たようだ。

 

 あたふたしながら、身振り手振り交えて、必死になのはが悪くないことを弁明し続ける少女の頭に、士郎は手を乗せた。

 

「……ずっとなのはの事は見てきたつもりだ。あの子の抱えたトラウマも事情も知っている。だから、不慮の事故があったことくらい……分かる」

「うん……」

「……むしろ、そこまでされて娘のことを嫌いにならないのが不思議なくらいだ」

 

 士郎が疑問を投げかけると、アリシアは考え込むような仕草をした。

 そしてきっぱりと自分の考えを口にする。自分がどれくらいなのはに対して心を許しているのか、士郎に伝えられるように。虚無に満ちた男の眼差しを真正面から見据えるようにして。それだけでも彼女の芯の強さは相当なモノだろう。何かが彼女を支えているのだ。

 

「だって、なのはは初めて出来た友達で、わたしのこと気に掛けてくれたもん。初めて会ったときに喧嘩して、持病で苦しんだわたしを助けてくれる優しい女の子だよ? 好きになる理由はあっても嫌いになる理由はないと思うな。

 それに、なのははわたしと同じ苦しみを抱えてる気がするから。わたしも、いけないこと、たくさんしてきたから」

「そう、か」

 

 いけないこと、とは自分の犯した罪の過ちのことだろう。でも深く追求するような無粋な真似はしない。

 

 それはきっと、この少女が抱え込んで、背負っていくべきもの。他人がとやかく出る幕ではないのだ。その問題を解決できるのは自分自身だけだろう。

 

 たとえ大人として助言すべきだとしても、士郎にその資格なんてなかった。彼は表の住人から見れば大罪人であり、復讐とはいえ、数多の人を殺した殺人鬼と呼んでもいい裏の顔を持つ。そんな自分の助言など無意味でしかない。誰かを導く資格など自分には持ちえない。

 

 ……せめてもの士郎にできること。それは誰かを想ってやることぐらい。祈りをささげるくらいだ。

 

 願わくば訳ありの子供たちに幸多からんことを。

 

「えへへ~~」

 

 アリシアが嬉しそうに笑う。士郎のごつごつした大きな手が、無意識に彼女の頭を撫でていたからだ。父無しの彼女にとって士郎の存在は初めて感じる父性。とても嬉しくなってニコニコしてしまうのも無理はない。

 

 でも、だからこそ彼女は士郎に酷な問い掛けをする。嬉しそうに目を瞑って笑う表情から、困ったように微笑む表情に変えながら。彼女は士郎にとって最大の悩み事を口にした。

 

「ねぇ、おじちゃん。どうしてなのはの所にいかないの?」

「う、むっ……」

 

 唸りこんで士郎は黙るしかなかった。無意識に撫でていた手を止めて、正座している膝の上に戻す。そして気が付けば本能的に少女に対し、凄みを効かせた顔つきで睨み付けていた。まるでそれ以上踏み込むなと言わんばかりに。

 

 しかし、アリシアは怯まない。愛らしい女の子の笑みを浮かべながら、上目遣いで士郎に問い掛ける。

 

 だって、おじちゃんはなのはのお父さん何だよね? なのに、どうしてわたしの所に来たの? と。

 

 士郎は居心地が悪そうにして、大きく深いため息を吐いた。問われた以上は答えねばなるまい。

 

 沈黙もまた一つの答えなんだろうが、少女はそんな答えを望まない。何故ならば彼女が求めているのは士郎の本心だからだ。誤魔化しても深く追求してくるか、純粋な眼差しで士郎をじっと見つめるだろう。彼が本心を口にするまで。

 

 やがて、仏頂面で、強面で、不器用な父親が呟くように答えを口にする。それは生きることに疲れ切ったような老人のような呟きだった。

 

「……俺には、その資格なんてないからだ」

 

 娘と同い年くらいの子供に何を言っているのだろうと、士郎は自らを嘲笑した。大の大人が守るべきはずの子供に悩みを打ち明けるなど、みっともないにも程がある。

 

 でも、そんなこと関係ないと言わんばかりに、アリシアは士郎の話を聞いていた。体調が悪く、少し苦しそうな表情はしていたが、浮かべる微笑みは士郎を安心させようとするかのようだ。彼女は自分が苦しい時でも、他人の身を案じていた。

 

 士郎が娘と同じ年ごろの女の子に心を開き始めたように。アリシアもまた士郎に対して心を開いている。大好きな親友のお父さんで、アリシアが初めて出会った父親と言う存在。そして、なのはと良く似た不器用な性格の人。どこか放って置けなかったのだ。

 

 何より、半月ほど共に茶飲みを交わした絆が二人の心の距離を縮めていた。。

 

「しかくって、なのはに会うには相応しくないってことだよね?」

「……ああ」

「でも、そんなの関係ないと思うけどなぁ。だって、おじちゃんは、なのはのお父さんだよ? 親に会いたくない子供なんて普通はいないもん。きっと、おじちゃんのこと待ってるよ?」

 

 頑固な父親を諭す娘のような口調で、アリシアは士郎に自分の考えを告げた。

 

 実際、彼女は親に対してそう思っているし、両親に対する愛情は溢れんばかりに満ちている。

 

 母であるプレシアの事がとっても大好きなアリシア。そんな彼女は自分の父親の事は見たことも、聞いたこともない。それでも父と言う存在がいたのならば、母と変わらず愛していただろう。実際に会ってみたいという想いもある。

 

 そして、親が心配してくれたり、自分のことを構ってくれたりするのは、すごく嬉しいのだ。彼女は記憶にあるプレシアの笑顔を思い出しては、それを心に染み渡らせるように実感する。

 

 そんな彼女にとって、士郎という男性は初めて見る"父親"という存在だった。

 しかし、士郎は憧れていた、想像していた、優しくて頼りがいのある父親とは違う。むしろ、彼は正反対の人物だった。強面で、厳しくて、怒ると怖いような。アリシアがもっとも苦手とする性格の人。

 

 でも、話してみると意外と優しい一面もある。何だかんだ言って、アリシアのことを構ってくれるし、無視したことは一度もない。しつこく喋りかけてくるアリシアの話をちゃんと聞いてくれる。鍛え抜かれて、ごつごつした手で、頭を撫でてくれた時は、すごく嬉しかった。自分のではないが、"父親に"頭を撫でられたのは初めての経験だったから。

 

 だから、ある時、恩返しをしようと思って勝手に協力し始めた。その名もなのはと仲直りしよう大作戦。

 

 自分が気さくに話し掛け続けていれば、なのはも興味を持って会話に混ざってくるかもしれない。そんな期待と共に居候している間は士郎と一緒にいることも多かった。

 

 彼もさりげなく思うところがあったのか、"三人分"の緑茶を用意していることもあった。結果は失敗だったが。

 

 アリシアは、それくらい士郎のことが気に入っていて懐いている。だから、大好きな、なのはとも仲良くしてほしいと思うのは当然の事だった。

 

 不破士郎と言う父親は素直になれない不器用な人間だ。娘のことを愛している。心配していると打ち明ければいいのに、それが出来ないでいる。

 

 色んなことを考えて、自分一人で抱え込んで解決しようとする所も、感情を表に出さず仏頂面なところも、本当になのはとそっくりだ。

 

 現にこうして娘の元に行かず、逃げるようにアリシアの所に来ているのだから。

 

 どんなにすれ違っていても、二人は似た者同士の親子なんだなぁ。とアリシアは嬉しく思う。そして、大好きな二人だからこそ仲良くなって欲しいと思う。

 

 まずは弱気になっている父親の背中を押してあげたい。

 

「ねぇ、おじちゃん。わたしは大丈夫だから、なのはの所に行ってあげて?」

「……だが、俺は――」

「声を掛けられないなら、頭を撫でてあげるだけでもいいから」

 

 痛む身体を動かして、アリシアは小さな手で士郎の大きな手を包み込んだ。

 士郎が恐れ、苦悩する気持ちもわかるのだ。アリシアだって、娘を認識できなくなったプレシアを見舞う時は、少しばかりの勇気がいる。大切な人に距離を置かれてしまうのは、心がとても辛いだろう。苦しいだろう。

 

 それでも、どちらかが歩み寄ろうとしない限り、何も進みはしない。もっと仲良くなる事も、関係を取り戻すことも出来はしないのだ。

 

 アリシアは笑った。自分の笑顔で少しでも士郎を励ませるように。

 

「だから、頑張って、おじちゃん」

 

◇ ◇ ◇

 

 士郎はアリシアに言われるまま、彼女の寝室からそっと抜け出た。娘の所から逃げるようにアリシアの所を訪れたのに、逆に娘と顔を合わす羽目になってしまった。

 

 そんな彼の顔は苦悩で酷く歪んでいる。どんな表情を浮かべて、どんな言葉を娘に掛けて、どんな態度で接してやればいいのか、まったく判らないからだ。

 

 何時もの様に、仏頂面な態度で「……なのは、怪我はないか」と声を掛けるべきか。それとも気さくな態度で「無事だったかい、なのは? 父さんは心配したんだぞ~~」とでも言うべきか。いや、いきなりそんな態度で接しても困惑されるだけだ。

 

 娘との間に広がる距離を縮めようとしても、親の過ちとして重ねてきた業が、絶壁のような障害として立ち塞がったかのような錯覚を感じる。今まで距離を置いてきた分だけ、普通に接することを難しくさせていた。

 

 士郎の歪んで居た顔が、溜息と共に無表情に変わる。近所の幼稚園児に見られると一発で泣かれる強面の顔だ。大人でさえ身を引くのだから、それは恐ろしい顔をしているのだろう。自分では分からないが。

 

 娘に掛ける言葉が浮かんでこない。ならば、態度で示すべきと愚考する。

 アリシアのような人懐っこい笑顔を見せれば、怯えさせることもなく安心してくれるだろうかと思い、士郎は歩きながら微笑みを形作ろうとした。

 

 ものすごく引きつった笑顔だった。本人に自覚などありもしないだろうが、娘のなのはが形作る笑みとそっくりである。十人が見れば九人が後ずさってしまうだろう。まるで、険しい顔をした猛獣が牙を剥き出しにして、相手を威嚇するかのよう。

 

 見る人によっては、例えば亡き妻とアリシアが見れば。変な顔だとお腹を抱えて笑い転げるだろう。士郎は至って真面目なのだが、何処かずれているのは否めない。

 

 困った。どんなに考えても、行動を模索してみても、いい案が浮かばない。そうこうして居る内に、士郎はユーノが寝ているであろう部屋の近くまで来てしまった。

 

 二階に繋がる階段を登れば、なのはの部屋へ一直線である。正直、このまま何もなかった事にして、遺影にある部屋で茶でも飲もうかと頭を悩ませたその時。

 

 運の悪いことにユーノの肩を支えて歩く、なのはと遭遇してしまった。ユーノという少年も予想外だったのか、困惑した様子で士郎を見つめている。

 

 そして、なのはは……

 

「お父さん……」

 

 酷く憔悴しきった様子で、士郎の事を弱々しく見上げた。いつもなら顔を険しくして、警戒心を露わに此方を観察して来るというのに。この時は今にも消えてしまいそうな程、儚い存在だった。

 

 無理もない。トラウマで錯乱して、あの人懐っこい友人を殺しかけたのだ。悪夢に苛まれながら、アリシアを手に掛けようとした。それは娘にどれだけの心の傷を負わせたのか、士郎には想像もつかなかった。

 

 何て声を掛けてあげればいいんだろうと混乱する。だから、冷静になって簡単だと己を鼓舞した。

 

 無理はするな、ゆっくり休め、とか単純な一言だけで済む。それだけで、なのはの心を少しでも励ますことが出来る。復讐に身を焦がす愚かな父親だが、娘を心配する気持ちは余所の親と変わらない。だって、彼は娘を心配して、勇気を振り絞って見舞おうとしているのだから。

 

「……」

 

 でも、士郎は励ましの言葉を紡ぐことが出来なかった。喉から出かかっているのに、それを発音することが出来ない。

 

 なのはに対する仕打ちと、それによる罪悪感が彼を戸惑わせる。お前にそんな資格があるのかと、心の内で士郎を責めたてるのだ。今更になって父親面するのは虫が良すぎないかと。

 

 でも、このままではいけないというのも、彼には分かっていた。これほどまでに、なのはが衰弱しているのは、彼女が誘拐されて、其処から救い出されたあの日以来。あの時は恭也が傍に居て励ましたからこそ立ち直れた。今度は自分が支えてあげねば。

 

 言葉が出ないなら、頭を撫でてやるだけでいい。簡単だ。あの娘にしてやったように、優しく栗色の髪をぐしゃぐしゃにしてやればいい。不器用でも、愚かで惨めでも構わない。

 

 だから、士郎は戸惑うように腕を伸ばして。

 

――悲しそうに、その手を引っ込めるしかなかった。

 

「ッ……」

 

 なのはが怯えたように目を閉じて、その身を竦ませたからだ。

 思わず叱られると思ったのだろう。士郎の反対を押しきり、身元の不明な子供を二人も引き取って、勝手に保護したこと。親に内緒で何かに関わっている後ろめたさ。ずぶ濡れになって帰ってきて、おまけに保護した子供が怪我をしている。叱られる理由は充分にある。

 

 いつも鍛錬で武術を叩き込まれた仕打ち。長年続けて娘に刻まれた士郎の厳しすぎる姿。腕をなのはの頭に伸ばした時、叩かれると思ったに違いない。もはや、なのはにとって士郎とは畏怖すべき存在でしかないのだろう。

 

「小僧、あまり無理をするな。身体が悲鳴をあげているぞ……」

「あ、はい。その、すみません」

 

 伝えたかった言葉や態度が娘に届くことはない。代わりに場違いな忠告がユーノに向けられるだけだった。そして、逃げるように、なのはの隣をすれ違う。

 

 やはり、娘は士郎が傍に来るだけで、身を竦ませてしまった。それだけの事をしてきたとはいえ、もうどうしようもない程に士郎となのはの距離は遠すぎた。簡単に触れ合う事など出来はしない。

 

(……赦せ、小娘。俺は……約束を違える)

 

 結局、その日。士郎がなのはを見舞う事はなかった。

 娘が自室で寝ている時に、頭くらいは撫でてやってもいいのかもしれない。けれど、面と向かって接してやらねば、この関係が改善することはないだろう。

 

 娘に嫌われても、平気でいられるなんて嘘だったのだ。自業自得とはいえ、士郎の心は少なからず憂いに満ちていたのだから。

 

 桃子の遺影の前で、彼は悲しげに顔を歪ませるのだった。

 




 アリシアの言っていた。大好きなおじちゃんの正体。そして、ユーノと憔悴したなのはが、廊下で士郎とすれ違った理由はこれでした。

 次はもう一つ、伏線になる話を挟んで、過去編の本編に進みます。思考錯誤した結果、なのはの視点メインで進むでしょう。はやては何処まで行ってもヒロインポジションなんだもの。

 前半がアリシアを主とするのなら、後半は……なのはと家族の……


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●プロローグ3 世界はいつだって残酷で優しい

 手にした魔法という力。

 願いの対価に災厄を撒き散らす種を封じる事。

 自分にしかできない事。

 

 その時、わたしは始めて誰かの役に立てる気がした。

 こんな自分でも、人殺しの娘でも、誰かを助けられるんじゃないかって。

 だから、彼の為に頑張った。あの少女の為に頑張ってきた。

 

 でも、結局は自惚れだったんだ。

 だって、わたしは願いを叶える宝石が光り輝いたとき何もできず、救いたかった人も救えないのだから。

 

 わたしは……人殺しの娘……

 業を背負い、血に染まった両手で誰かを救うなど、愚かでしかなかったのだろうか……

 

◇ ◇ ◇

 

 ユーノが迎えに来てから散々、後悔で泣き叫んだ不破なのはは、絶望の底に堕ちてしまいそうだった。アリシアと同じ姿をした少女を、アリシアの妹のような存在を、目の前で救えなかった事実は、なのはの心を確実に蝕んでいたからだ。

 

 そして、立て続けにこんな筈じゃなかった事ばかりが続いていた事も拍車を掛けた。何せ、幸せを掴み取ると信じて疑わなかった未来(みち)を歩んでいたのに、絶望の落し穴で道を踏み外したのだ。プレシアを喪い、大好きなアリシアが傷ついた所に、止めとして救えたはずの少女を喪う。いくら、不破なのはの心が不屈でも、堪えない訳がなかった。あまりにもショックが大きすぎる。

 

 いや、偽りの不屈の心か。

 なのはの心は幼い日に凍り付いている。あの"雨の日"の悪夢が少女の心を凍てつかせた。自分自身が壊れてしまわないよう、心が病んでしまわぬように、なのはは感受性の殆どを自ら棄てるしかなかったのだから。

 

 そんなニセモノの心では、今回の出来事に耐えられる筈もなく、なのはの姿は呆然自失といった有り様だ。時の庭園を脱出して、海鳴の街に帰って来たはずなのに、その過程はぼんやりとして思い出せない。迎えに来たユーノが声を掛けても、どこか上の空。あれから何日たっているのかさえ、思い出せそうになかった。

 

 それでも、なのはの精神が完全に壊れることがなかったのは、心の何処かでアリシアを想っていたから。自分なんかの事よりも、彼女の安否を気になって仕方なかったからだ。アリシアは無事だろうか。あの時、血を吐いていたけれど、体調を悪化させてはいないだろうか。そんな想いばかりが心を過ぎ去っていく。

 

 だから、何処かのベッドの上で休まさせられていた少女は、ふとアリシアの顔が見たくなって這い出るように動きだした。身体と心が別々に分かたれたんじゃないかと錯覚するほど、なのはは上手く動く事が出来なかったが、そんな事はお構いなしだった。

 

「アリシア……アリシアっ……」

 

 今は、無性にアリシアに会いたい。あの子の笑顔を見たい。あの天真爛漫で、太陽みたいな笑顔をもう一度見たい。あの子が笑ってくれるなら、何でもする。そんな気概で彼女は衰弱した身体を酷使した。

 

「あっ、ちょっと、なのは! 無理すんじゃないわよ。大人しくしてなさいってば」

「アリサ……? アリサぁ……!!」

「わっ――」

 

 それを押し留めたのは親友のアリサだった。久しぶりに見た気がする友人の顔に、なのはは途方もない安心感を覚え、アリサにしがみ付いた。時の庭園での事件から、少女は想像を絶する損失感を覚えてもいたのだ。まるで長年、共にあった半身を喪ったのような恐ろしい感覚。不安で不安で仕方がなかった。自分が独りぼっちになるんじゃないかと絶望しそうになる。

 

 結論から言えば、なのははアリシアに依存している状態だった。アリシアだけではない。アリサ、すずか、ユーノ、恭也といった心を赦せる家族や友人たち。なのはにとって大事な人たちに、無意識に心を寄せることで、孤独感に苛まれる自分を慰めていたのだ。

 

 本来であれば親に甘えたい年頃の女の子。そして愛情を渇望している時期でもある。親離れするにはまだ早すぎる。いくら自身を納得させようとも、心の何処かで諦観しようとも、本心が気付かない所で、暖かな温もりや愛情に飢えていたのだ。

 

 そして依存すればするほど、損失した時の傷は凄まじいものとなる。今回は心を寄せていたアリシアが傷つき、同時にアリシアと瓜二つの少女を喪ったことで、なのはは自分の事のように深く傷ついてしまったのだ。アリシアの境遇に共感していた分、冗談ではないくらい死に瀕しそうな精神的ダメージを受けていた。

 

「ッ――よしよし、アンタがどれだけ苦しくて、辛いのかはよく分かるわ。今は、ゆっくり休んでいいのよ」

 

 それが分かっているからこそ、アリサも普段の勝ち気な態度は鳴りを潜め、幼い子供を甘やかせるような優しい声音で囁いた。いつものアリサとは違う母性に満ち溢れた彼女の一面。ぎゅぅっとしがみ付いてくる親友が苦しいくらいに力を込めても、寛容に受け入れる。今のなのはは誰かが支えてやらないと、二度と立ち上がれない位に倒れてしまう。それだけは何としても阻止しなければならなかった。

 

 まだ、春の終わりに過ぎない季節なのだ。梅雨の季節を通り越せば、暑い夏がやってくる。夏休み。海開き。プールでもいい。バーベキューやキャンプ。風物詩の夏祭りだって待っている。楽しい事が沢山あるのだ。世の中、悲しい事ばかりじゃない。この親友と楽しい夏を過ごすためにも、悲しい絶望など張り倒す。大好きな親友が笑って嬉しいのは、アリサとて同じなのだから。

 

「アリサっ、アリシアが、アリシアが……わたし、助けられなくて……目の前で……」

「大丈夫だから、落ち着きなさい? あの子はちゃんと生きてる。いつもみたいに元気だから安心して」

「ほんとっ……?」

「本当よ。アタシがアンタに嘘を吐いた事なんてあったかしら?」

「ううん……アリサなら、信じられる……」

「なら大丈夫。だから、もう少し休んでなさい。今はアタシ達に任せてればいいから」

「うん……」

 

 アリシアの事情は、ホントを言えば少し違う。彼女もまた最愛の人を喪って、ある部分に"変容"きたしているのだが、それをこの少女に告げるのは酷だろう。彼女がもう少し普段の状態に戻らなければ、自責の念で潰れてしまうのは間違いない。

 

 なのははアリサの態度に安堵したのか、徐々に落ち着いていく。そして強張っていた身体の力を抜いて、彼女は毛布の中に包り、静かに寝息を立て始める。

 

 アリサはそんな彼女の寝汗を用意していた濡れタオルで拭いてあげた。人肌よりも少し暖かい湯で濡らしたタオルだ。寝汗を拭いてあげるだけでも寝心地は変わるだろう。慣れない看病ではあるが、それでも、なのはを思いやればいくらでも頑張れる。

 

「なのはがどれだけ頑張ったのか、アタシには良く分かる。アンタの事だから自分を省みずに必死だったんでしょう? 本当なら無茶したことを叱りたいけど……」

 

 アリサはそこで、なのはの頭を撫でた。

 

「今はゆっくりお休み――なのは」

 

◇ ◇ ◇

 

 それから数日後。なのはの眠るベッドの隣には、椅子に腰かけた月村すずかの姿があった。アリサと交代しながら、時には二人一緒になって、なのはを献身的に支えてくれた。そんな二人の存在には感謝してもしきれないと、なのはは思う。

 

 それなりに長い時間を掛けた療養は、心と身体を癒すには充分すぎる。しかも、頼れる親友が任せろと言ってくれたのだ。そのことが何よりも、なのはの心を癒した。自責の念に駆られて、何もかもを背負い込んでいた彼女から重圧を取り除いたのだ。少しは肩の荷が軽くなった気分だった。

 

 おかげで、幼くなっていた精神は少しだが、安寧を取り戻している。心に様々な負の感情がくすぶってはいるが、なのはは比較的に落ち着いていた。

 

「だいぶ落ち着いたみたいだね、なのちゃん」

「……ええ、これもアリサとすずかのおかげです。感謝していますよ」

「――良かったぁ」

 

 すずかは大きく息を吐いた。安堵の溜息である。

 

 なのは自身は知らないだろうが、保護した当初は、それはもう酷い有り様をしていた。瞳に生気はなく、今にも消えてしまいそうな程に儚くて弱々しい存在。普段の冷静でいて隙のない立ち振る舞いは面影すらない。それは死んでしまいそうと表現するのが妥当だろうか。虚ろな表情は、初めて出会った時よりも悪化していた。

 

 すずかは心の底から恐怖した。恐れを抱いてしまった。このままでは大事な人を喪ってしまうという恐怖だ。それが身近にいる親友ともなれば尚更。アリサが止めなければ、夜通し看病を続けていただろう。それこそ自身を省みず、ぶっ倒れるまで続けていたに違いない。

 

 とにかく、なのはの手を握っていなければ不安だった。それはアリシアに対してもだ。手を離したら、掻き消えてしまうんじゃないかと怯えに怯えた。おかげで、看病する側なのに、アリサに心配されてしまったほどだ。

 

 今にして思えばダメダメだなぁと苦笑する、すずかである。看病する側なのに、自らも看病されかける側に為りそうだったとは。

 

「何か、欲しい物とかある? わたし、すぐに用意するよ? それとも、聞きたい事でもある?」

「そうですね……やはり、アリシアの事でしょうか」

 

 なのはは、少しだけ考えるような素振りを見せると、アリシアの事を聞かせて欲しいとせがんだ。今はどんなに弱っていても、それだけしか思い浮かばないから。

 

 だが、すずかは少しだけ困ったような顔をした。それは知らないことを聞かれたというよりは、話すべきかどうか迷っている様子だった。なのはをじっと見つめていた瞳が彷徨うように揺れ動く。彼女は迷っていた。迷っていたが、なのはの瞳に込められた真剣さを見て、意を決した。

 

 どうせ、すぐにでも知る事になるだろうから。

 

「いいけど、ちょっと待ってね……何処から話せばいいのか、整理するから」

「ええ、構いません」

「えっとね、落ち着いて聞いてほしいんだけど……アリシアは、部分的に、記憶を無くしちゃったの……」

「……――えっ?」

 

 なのはがすずかの言っている意味を理解するのに数秒は要した。あまりにも予想外すぎて、まるで背後からバッドで殴られたような気分。そして遅れてやってくる衝撃。

 

 アリシアが血反吐を吐きながら、ジュエルシードを行使し、母の死を目の当たりにするという最悪の結末までは鮮明に覚えている。そこから酷く落ち込み、肉体だって休めなければならない程、消耗しているんだと予測はしていた。海のジュエルシードを封印した時だってそうだったのだから。

 

 だけど、記憶喪失? なんだそれは? 

 

 理解できても受け入れることが出来そうにない。なのはの事を忘れてしまったのか。ユーノの事も、アリサの事も、すずかの事も? これまで出会ってから共に過ごしてきた思い出も? 彼女は全てを忘れてしまっているのか?

 

 なのはは愕然とした様子で、ショックのあまり眩暈すら覚えたが、それを支えたのは他ならぬすずかだった。ベッドの上に横たわる、なのはの身体を支えながら、慌てたように彼女は言葉を取り繕う。

 

「そん、な…………」

「ああ、えっと、落ち着いて、なのちゃん! その、記憶喪失といっても部分的なの! 全部じゃないから、わたし達の事とかちゃんと覚えてるから!」

「ぶぶん、てき……?」

「そう! 部分的!」

 

 言い聞かせるどころか、無理やりにでも理解させようとするほどの勢い。思い浮かんだ言葉をろくに整理もせず、勢いに任せて吐きだす少女。それ程までにすずかが慌てている証拠だった。やっぱり、もう少し時間を置くべきだったと後悔しているのは内緒だ。

 

 そのおかげで、なのはも何とか落ち着きを取り戻す。部分的と言う事は全部忘れていないと言う事だ。でも、一部の記憶を無くしたのは事実なので、衝撃は大きいままだ。自責の念はどんどん強くなって、後悔ばかりが募る。でも、アリシアの状況を理解しなければ始まらない。なのははすずかの声に耳を傾けた。

 

「落ち着いて、聞いてね。なのちゃん」

「……え、ええ、大丈夫です。大丈夫ですから続けてください。すずか」

「うん……」

 

 すずかは言う。最初はアリシアが幼児退行を起こしていた事。う~~、あ~~と無邪気な声をあげて、まるで赤ちゃんみたいな反応を示していた。それから徐々に落ち着きを取り戻し、元通りになったと思った時には、ようやく異変に気が付いた。

 

 口調が変わっていた。そして一部の記憶が欠落していた。彼女は母親の死を認識できなかったのだ。何処か遠い所に単身赴任でもしていると思っている。……真実を伝えるには余りにも酷すぎると、アリサが黙して語らないことを決め、すずかとユーノも深刻な顔で了承した。そんなアリサの判断を誰が責められよう。真実を告げて、アリシアの精神(こころ)が壊れては意味がないのだ。

 

 油断ならないのは肉体面でも同じだった。アリシアは酷く体調を崩しやすくなってもいたからだ。ユーノが献身的に治癒魔法を掛け、外部から魔力の流れを整えてやることで、ようやく正常な状態を維持できるのだが、油断すれば胸を抑えて苦しそうにする。ユーノの話では、リンカーコアに異常をきたしていて、それがアリシアを苦しめているのだという。

 

 軽く魔法で触診した結果、分かったことは。彼女が自身と同質のリンカーコアを複数取り込んで居る事。その数は11にも及ぶ。そして、歪なまでに複雑怪奇に癒着していると言う事だ。複数の魔力の塊が融け合わず、半端な形で融合してしまっている。これでは魔力を引き出す流れが不安定になり、その余波が彼女の身体を蝕んでしまう。

 

 魔法を全力行使して頻繁に吐血するのはその所為だ。あふれ出す膨大な魔力が彼女の身体を傷つけ、生存本能が急速な治癒を施して傷を瞬時に塞ぐ。魔力の流れを血液に例えれば分かりやすいかもしれない。全力で運動すると、血管が破れて出血する。そして休むと血管と血流は元通りになるが、繰り返せば段々と身体がボロボロになっていく。そんなことを繰り返していては彼女の身体が持たない。早死にしてしまう。

 

 治癒は難しいとの事だった。そもそも限りなく同じに近いとはいえ、リンカーコアを複数持っていること事態、異例すぎる。下手な刺激を加えれば、それこそ彼女のリンカーコアが暴走しかねない。簡潔に言えば、魔力を制御できなくなって、死んでしまう。全身に熱を伴い、吐血を繰り返しては、衰弱し、死に至るかもしれない。魔法を、これ以上使わせない位しか手は打てない。ユーノはそう悔しげに判断したそうだ。

 

 話を聞いて、なのはは足元が崩れ落ちたんじゃないかと錯覚するくらい動揺した。アリシアが記憶を失ったこと、魔法を使えない身体になったこと。そして、アリシアが原因不明の持病に陥った理由に心当たりがあったから。悪いことが一気に押し寄せてきて、夢なんじゃないかと思い込みたい位、今の状況が辛い。

 

「どうして……」

「なのちゃん……」

「どうして……こんな事に……」

 

 彼女が何をしたというのだ。アリシアは、ただ病気で苦しんでいた母親を救おうとしただけではないか。これではあまりにも報われない。あまりにも不憫すぎる。もしも神様がいるなら。これが安易にジュエルシードという奇跡に縋った罰だというのなら。なのははその神を喰い殺してやりたい。

 

 それとも人殺しの娘が誰かを救おうとした罰なのか? 穢れた罪人が誰かを救おうとし、誰かを不幸にしたというのか?

 

 だというならば、なのはは己を断罪する。贖罪の業火で身を焼き、己の首を掻き斬る。ありとあらゆる責め苦を味わったって良い。

 

 だから、だから、アリシアのお母さんを返して欲しい。救えなかったもう一人の『アリシア』を返して欲しい。全ての結末を覆して、誰もが望んだ幸せな未来を。こんな残酷な結末を迎える為に皆で頑張って来た訳じゃない。こんな事の為に命を賭けて、災厄を招く宝石を封印してきたわけじゃない!

 

 ……でも、分かっている。本当はなのはも、心の底で理解しているのだ。

 

 起きてしまったことは二度と覆らない、と。

 

「っ……ぁ……」

「なのちゃん!」

 

 眩暈がした。すずかが驚愕に満ちた表情で叫ぶ姿が、辛うじて見えた。視界が暗くなり、意識はテレビの電源を落したようにプツリと途絶える。なのはの意識は再び深淵の奥底に堕ちていった。

 




書き貯めなんて、できる筈もなかった……
二カ月ぶりの更新。目指すのは毎日更新という名の無謀な挑戦。
少しばかり手を抜くゼェ。でも、クライマックスシーンには時間を掛けたい。
つまり、時間が掛かるときはそういうこと。



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●プロローグ4 別れと再会の約束

 僕にとって二人の女の子は特別な存在だった。

 

 一人は巻き込んでしまった責任から、何としても護らなきゃって思った。

 一人はその弱り果てていた姿と境遇に同情して、何とか力に為りたいって思った。

 

 でも、いつからだろう。そんな義務感に突き動かされるんじゃなくて、自分から彼女達を助けたいって思ったのは。

 なのはとアリシアを助けてあげたいって心から純粋に、まるでマグマのように湧き上がってくる衝動に突き動かされるようになったのは。

 

 それはきっと、彼女達と一緒に生活していたからかもしれない。

 決して長くはなかったけれど、一緒にご飯を食べて、お喋りをして、共に信頼し合ってジュエルシードの怪物と戦った。

 その時間はとても濃密で、僕の過ごしてきた人生の中で一番輝いていたのかもしれない。

 

 或いは、僕が彼女達の笑顔に惹かれていたのか。

 そう、僕は惹かれていたんだ。

 ふとしたことで心の底から笑うアリシア。それを優しく見守って微笑むなのは。そんな二人の姿がとても心地よかったのだ。

 

 あの夕日に照らされた海鳴臨海公園の海の景色。そこで過ごした光景が脳裏に焼き付いて離れない。きっかけはたぶんそれ。二人は僕にとって特別な女の子に変わった瞬間。本当の家族がいない僕にとってアリシアは妹みたいな存在で、なのはは僕にとって――

 

 だから、二人が悲しんでいるこの状況が嫌になる。誰かを助けたい想いで頑張り、誰もが望むような幸せの掴み取ろうとした少女達に、理不尽を押し付けた世界に納得なんて出来る訳がない。

 

 だから、僕は決意したんだ。

 もう一度二人の笑顔を取り戻せるのなら何でもするって。

 もう一度、あの子達に笑って過ごして貰いたいから。アリシアが、なのはが、好きだから。

 

 僕は――あの日、彼女と約束をした。

 とても、大事な約束を。

 

◇ ◇ ◇

 

 ショックで心労を起こして倒れ、すずかに心配を掛けてしまったあの日。なのはは、それまでの日常生活と魔法の探索を無理して両立していた疲れが出たのか、疲労で熱を出して寝込んでしまったのだ。

 

 アリシアが大変なときに限っての急な事態に、アリサとすずかは慌てに慌てた。そりゃもう家の力を使ってでも最高の治療を施してと病院に働きかけてしまいそうになるくらい。それだけ二人も追いつめられていたのだろう。ものすごく心配を掛けて申し訳ないとなのはは思う。

 

 それを制したのは兄の恭也だ。自分だって忙しいだろうに親友の二人を大人の包容力で宥めて、それから大学の休みを取って来て、付きっ切りで看病してくれた。それは、なのはが初めて人を殺めた日以来の事だったので、久しぶりにゆっくりと兄と会話して、なのはも少しだけ落ち着くことが出来た。自分の後悔と悩みを少しばかり打ち明けたのだ。魔法の事をぼかしていたから、支離滅裂な内容だったかもしれないが、それでも恭也はちゃんと最後まで聞いてくれた。

 

 傷ついて倒れていたユーノさんを見捨てられなかったこと。母を助けようと一人で頑張っていたアリシアの力に為ろうとして失敗したこと。とにかくいろんな事を話すと、恭也は何時もの様に優しく、いつでも頼って欲しいと、俺はいつでもなのはの味方だからと微笑んで、頭を撫でてくれた。それが嬉しくて、ちょっとだけ頬を染めてしまうなのはだった。

 

 平たく言えば、その瞬間だけ彼女は年相応の子供に戻ったのだ。

 

 休む当てもなく孤独な戦いを続けてきたユーノの保護。ジュエルシードという世界を脅かす災厄も封印。魔法という技術の秘匿。アリシアの家族の事情。仲がぎこちない自分の家族の事情。それらの責任と重圧から少しばかり解放されたのである。

 

 おかげで、なのはは、ようやくゆっくりと療養できていた。

 

「なのは? 起きてる? ちょっとお邪魔してもいいかな?」

「その声は……ユーノさん? どうぞ入ってきてください」

 

 そんな矢先に、自分の部屋を訪れたのは意外な人物で、なのははベットの上で驚きを隠せなかった。ユーノとは久しぶりに会う。アリシアの看病に付きっ切りで、此方に顔を出せるほど余裕はないみたいだと、アリサとすずかの二人に聞き及んでいたから、彼の登場に予想外すぎて目を少しだけ見開いてしまった。

 

 なのはがゆっくりと上半身をおこすと、布団に隠れていたパジャマ姿が顕わになる。桃色の可愛らしい寝間着だ。

 

 そう言えば、アリシアの体調も徐々に良くなっているという話をアリサから教えられた気がする。近いうちに、海鳴のとある名家に引き取られるとも。またすぐに会えるようになるとも聞いている。なんだか、顔の表情がニヤニヤしていたのがとても気になるけれど、アリシアが元気になってくれるのならばそれでいいと、アリサの悪戯っ子みたいな微笑みは気にしていなかった。余裕がなかったともいう。

 

 しかし、冷静に考えればユーノがつきっきりで看病する必要がない程、アリシアの体調が回復したことを示しているのだろう。そこまで考えてほっとするなのはだった。

 

「久しぶりですね、ユーノさん」

「うん、なのはも思ったより元気そうだね。アリサ達から様子を聞いてたから、心配してたんだ。ごめんね、看に来てあげられなくて」

「いえ、アリシアの事ですごく苦労したと聞いていますから。むしろ、貴方とアリシアの事が心配でたまりませんでした」

「そっか。恭也さんから林檎を頂いたんだけど食べる?」

「では、せっかくなので頂きます」

 

 互いに身を案じながら、なのはの寝ているベットの隣に腰かけたユーノは、手にした林檎を果物ナイフで丁寧に剥いていく。魔法を使って林檎を空中に固定し、均等に八等分割すると、ナイフで切れ込みを入れて俗に言うウサギさんの形を完成させる彼の手捌きは、すごく手馴れていて数分も掛かっていない。

 

 それを用意していた皿の上に並べ終えると、フォークと一緒になのはの膝の上に置いてあげた。さすがにアリサとすずかの入れ知恵であ~んを実行するほど、彼の勇気は大きくなかったようだ。

 

 出来上がった林檎を前に、なのはは小さく「……頂きます」するとそれを少しずつ口にする。既に春の終わりの季節。旬ではないとはいえ、林檎の程よい酸味と甘みが口の中に広がると、なのはは顔をほころばせる。

 

 その様子を眺めながら、ユーノが何か言いたげな表情で口を開きかけたが、黙り込んでしまった。何か言いづらいことでもあるんだろうか? なのはは少しだけ首を傾げる。

 

「どうかしましたか、ユーノさん?」

「あ、いや、何でもないよ」

 

 何でもない訳がないだろうというツッコミはしない。短い付き合いだが、今の彼が悩んでいることくらい、なのはにも分かる。でも、無理に聞く必要もないだろうと思い、あえて何も聞かない。アリシアに関する大事な事なら、きちんと説明してくれるだろう。なのはも無関係ではないのだから。

 

 きっと、彼は別の事で悩んでいる。

 

 そうしてなのがが林檎を黙々と咀嚼する音が響き、ユーノがなのはに横顔を見せたまま、どこか上の空で黙り込んでいるという状況が続いた頃。なのはが最後の一欠けらを食べ終えてしまった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 なのはがフォークを皿の上に丁寧に置き、ティッシュで口元を拭うのと。ユーノが空になった皿を勉強机の上に片付けるのは、ほぼ同時。

 

 再びベットの隣に腰かけたユーノは、意を決した表情でなのはを見つめると、自らの決断を口にした。

 

「なのは、聞いて欲しいことがあるんだ」

「いいですよ、ユーノさん」

「僕はあれからいろいろと考えた。これからどうするべきなんだろうって。特にアリシアの事は僕に多大な責任がある」

「それは違います! アリシアの事は私にだってっ……」

「それでも、安易にジュエルシードを使わせたのは僕の責任だ!」

「っ……」

 

 ユーノにしては珍しく、強い口調で言いきってきた。そんな彼の迫力に、なのはは気後れする。何と言うか今のユーノは苦悩に満ちているようだ。まるで、桃子の遺影の前で黄昏ていた士郎のように。

 

「っ……怒鳴ったりしてごめん。でも、アリシアが現状を一番理解しているのは、亡くなったプレシアさんを除けば僕だけなんだ。そして、知れば知るほど辛いんだよ……焦ってしまうんだ」

「どういうこと、ですか……?」

「アリシアが良く吐血して苦しむから、僕は気になって時の庭園のデータベースを調べたんだ。ちょうど、ジュエルシードを使う準備をしている時くらいかな」

 

 あの時か。なのはは思い出す。あの場でジュエルシードの使用方法を理解しているのはユーノだけだった。それは儀式の準備ができるのはユーノしかいないという事になる。魔法の事に疎いなのはは、手伝おうとしても邪魔になるだけで、アリシアも儀式魔法に関してはあまり得意とは言えなかった。だから、二人で緊張しすぎないようにお喋りに興じていた頃だ。

 

 たぶん、庭園の動力炉をジュエルシードの封印式に組み込む際に、ついでにデータベースを閲覧していたのだろう。なのはとアリシアの姿が見えないところで。それは彼がアリシアの出自に関して少なからず嫌な予感を覚えていた事を示していた。

 

「アリシアのおかしな点はいくつもあった。特に病気のプレシアさんとアリシアの言動の不一致。二人の言葉を照らし合わせると共通する記憶に不整合な点が見つかるんだ。しかも、アリシアの記憶は部分的な所も多かった」

 

 そこまで喋って、一端ユーノは言葉を区切る。そして少しだけ呼吸を整えると意を決したように、ある真実を口にした。

 

「結論から言うとアリシアは、"クローン"だった。本物のアリシアは既に……」

「――亡くなってるんですね」

「驚かないんだね」

「ええ、実はあまりにも衝撃的すぎて黙っていたんですけど。わたし、崩壊する時の庭園で見てしまったんです」

「何を?」

「アリシアに良く似た女の子の、無数の遺体ですよ……」

「っ! そっか、プレシアは機械工学技術の権威だったから、遺伝子工学の分野にあまり精通していなかった。たぶん、失敗と挫折を繰り返して――」

 

 何やら一人で納得していくユーノ。ただ、なのはの辛そうな顔を見ては、良く頑張ったね。一人で我慢して辛かっただろう、と頭を撫でて慰めてくれたりもした。なのはとしては、かなり恥ずかしかったのは内緒である。

 

 そして彼は知り得る限りの真実を、なのはに話してくれた。魔導炉実験の事故で愛する娘を喪っていた事。アリシアは"本物"のアリシアを蘇らそうとして生み出された事。それに使用された技術がプロジェクトFという管理世界では違法に問われる技術だという事。

 

 アリシアに施された処置は完璧と言っていいもので、健康状態は問題なし。人造生命の低下するであろう病気の抵抗力も克服し、テロメアなどの人間の寿命も常人と変わらないらしい。そう、ここまでは完璧だったのだ。

 

 アリシアの調整は不完全だったのだ。いや、完璧だったのだが何らかの要因で乱れてしまっていた。それは複数のリンカーコアを取り込んだせいだと結論付けるのは容易。あのままだと、アリシアは長く生きられない。遠からず寿命を迎えてしまう。

 

「だから、僕はアリシアの治療方法を見つけ出すことにした。どんな手段を使ってでも」

「それって、もしかして……」

「うん、そろそろお別れになると思う。僕は元の次元世界に帰らなくちゃいけない。封印したジュエルシードもそのままにしておけないからね」

 

 お別れ。せっかく出会えたのに、何処かに居なくなってしまうこと。なのはの頭の中で言葉の意味が何度も反芻される。思わず嫌ですっ、と叫んでしまいそうになるのを何とか押し留める。ユーノは既に決意を固めている。その瞳に宿るのは絶対に諦めないという意志だ。

 

 たぶん、アリシアの看病をしているうちに、彼女の苦しむ姿に耐えられなかったんだろう。なのはがプレシアの死と、アリシアの病に苦悩して苦しんで居たように。心優しい少年も、それ以上に苦しんだに違いない。そして何もできない無力な自分自身にも。

 

「ごめんね、なのは。まだお礼も何もできていないのに。急に決めつけちゃってさ」

「いえ、ユーノさんが決めた事ですから、わたしが口を挟めることではありません。それにアリシアの為なんでしょう?」

「うん、僕はアリシアとなのはの笑顔が好きなんだ。二人には笑って居て欲しいんだ。だから―――」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

 ユーノの唇を慌てて人差し指で塞ぐ。

 

 なんだ、その告白じみた言葉は、と。なのはの頭は混乱でいっぱいになった。ちょっと時と場合を弁えようかとか、そんな恥ずかしい台詞をいきなり口にしないで欲しいとか。とにかくユーノさんには黙っていてほしかった。

 

 ただでさえ精神的に参っているというのに、お兄ちゃんに続いて、ユーノさんにまで優しくされたら、そりゃもう恥ずかしさで顔を真っ赤にする自信がある。というかもうすでに顔が赤い。見られると恥ずかしいので布団で顔の半分を覆い隠して対処。

 

 普段の鋼の心を纏っていればいざ知らず、いまは精神的に無防備(ここ重要)なんだから優しくされると、その、困る。たぶんアリサだろうが、すずかだろうが、アリシアだろうが同じことをされれば容易く陥落する。甘えたくなってしまう。それなのに頭を撫でられるどころか、口説き文句じみた優しい言葉を掛けられたら、耐えられない!

 

 甘えてはいけない。自分は強くならねばならない。父の施した苛烈な鍛錬が、なのはにそうさせる。というか感情的には不器用になっているから、素直じゃないとも言うけれど。とにもかくにも甘えてはいけない。ある種の一線を越えてはならない。強く在れ、不破なのは。

 

 そう、なのはは自分に言い聞かせる。決してごにょごにょだったわけではない。

 

「あの、なのは、さん?」

「その、あれです。お別れの挨拶は、ユーノさんが出発する時にでもしましょう。そうです。だってプレゼントとかちゃんと用意してませんし、その、ですから」

「えっと?」

「とにかく一人にしてください!」

「うわっ! うん、分かった! 分かったから、枕とか投げないでっ!!」

 

 何やってるの自分と、なのはは疑問に思う。普段ならユーノさんに向かって枕を投げるなどという事もしないのに。

 

 少しばかりというか、かなり様子がおかしくなっているなのはの意を汲んで、ユーノは慌てて部屋から退出していく。去り際に「また、会おう。おやすみなのは」というのも忘れない。

 

「うううぅぅ~~~!!」

 

 おかしい。なんだ、この感覚は。なのはは疑問に思う。心臓がどきどきして、身体が熱くなって堪らない。有酸素運動のように荒く呼吸を吐いて、身体が苦しくなるのとは訳が違う。それは九年という人生経験の中で初めて味わう感覚だった。

 

 思えば、アリシアとユーノの二人で臨界公園に出掛けて、雨の日のトラウマを思い出して二人に迷惑を掛けたあたりから。彼が身を挺して助けてくれた辺りから"意識"していたような気がする。だいたい、なのはは男性恐怖症とは言わないまでも、異性に対しては常に距離を置いていた。それは過去の事件のトラウマが彼女をそうさせるのだが、不思議とユーノにはそれがないのだ。今まで家族と親しい人以外では、クラスの男の子ですら警戒して鋭い視線を向けていたのに。

 

 自分はどうしちゃったんだろう。なのはは戸惑いを隠せない。

 

「そうだ。アリサちゃんなら何か……プレゼントの事でも相談したいし」

 

 なのはは放り投げた枕を回収すると、充電していた携帯電話を取り出した。あの頼りがいのある親友なら何か知っているのかもしれない。

 

「もしもし、アリサちゃん?」

「なのは、どうしたのって。アンタ、いつになくしおらしいわね。何かあった?」

「あのね……」

 

 なのはの相談を受けて、アリサがいつになくニヤニヤしたのは言うまでもない。それは恋だという事はあえて教えなかった。何も知らずに行動させた方が、おもしろいからというのもあるし、本格的に意識させたらお別れの時にさせる、ある行動を戸惑うのは間違いないから。

 

 アリサからすずかにその話を通したら、悪趣味だよアリサちゃんと窘められたが、向こうも乗り気だ。なのはに大胆な行動をさせて、それを隠れながら間近で観察するまたとないチャンス。

 

 親友二人の少女も、かなり早いが恋に興味津々のお年頃だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 そうして、ユーノのお別れの日がやって来た。転移魔法を使うから、まだ人が起きて間もない早朝の時間に、人目の少ない桜台登山道(なのはが魔法の練習をする場所)で行う事になった。

 

 ユーノはやっぱり礼儀正しい子供で、律儀にも旅立つ前日には世話になった人たちに挨拶して回っていた。なのはも付き添っていたから良く知っている。

 

 恭也は短い間だったが、なのはの傍に居てくれてありがとうと。おかげであの子は珍しく笑っていてくれたと微笑みながら、少しばかり名残惜しそうだった。それでも、彼だって不破家の人間だからユーノの事情は何も聞かず元気でな、とユーノを笑顔で見送ってくれた。

 

 対照的に士郎はユーノに顔を見せようともせず、背中を向けたまま淡々と一言「そうか」と、それだけを告げてそれっきりだった。あまりにも失礼すぎる態度に、珍しく文句を言いそうになるなのはだったが、ユーノが迷惑を掛けたのは僕の方だからと抑えるので、何も言わなかった。

 

 月村家の面々は笑顔でユーノを迎えて、分かれる前に盛大に持て囃してくれた。(もっとも、すずかの姉の忍がユーノをからかいまくっていたが)

 

 バニングス家はご当主様は忙しい立場なので、とアリサ付きの執事である鮫島さんが手作りのクッキーを持たせてくれた。それから貴方様の探し物が見つかって良かったですね、と自分の事のように喜んでくれた。ただ、お嬢様の御友人が遠い地に帰られるのは少しばかり寂しいですな、と残念そうでもあったが。

 

 何だかんだで、ユーノはとても恵まれていたんだと実感したらしい。こんなにも優しい人たちが、自分の巻き起こしたトラブルを解決するために色々と便宜を図ってくれたのだ。だというのに魔法を秘密にしなければならない観点から、大したお礼が出来ないのは心残りになりそうだと呟いていた。

 

「もう、行ってしまうんですよね」

「そうだね、これから当分は会えないと思う。アリシアの事は時間との勝負だから、なるべく早く治療法を見つけたいんだ」

「そう、ですよね。あの――」

「なんだい、なのは?」

 

 いまこの場にはユーノとなのはの二人しかいない。周囲には誰もおらず、同じく見送りに来るアリサ達は準備に時間が掛かるので、後から追いついてくる予定らしい。だから二人っきり。そう、たった二人っきりなのだ。

 

 実行するなら今しかないと、なのはは思った。アリサに教わった何よりも喜ぶ別れのプレゼント。それはあまりにも恥ずかしすぎて、人前で行うのは絶対に無理な類のモノだからだ。だというのに、いざ行動に移そうとすると躊躇ってしまう。

 

「っ! うぅ、うううぅぅぅ~~~――」

「なのは、どうかしたの?」

 

 なのはが挙動不審になるのを、さすがに訝しげに思ったのか、ユーノが心配そうに声を掛けた。だって、顔を逸らしてはチラチラと此方の様子を伺うという行動を繰り返しているのだから。心なしか顔も赤いようだし、熱でもあるんだろうかと気になったのだ。

 

 そうして少しずつ近づいてくるユーノに、逃げ場はないんだと悟ったなのはは、不退転の決意でアリサから教わったプレゼントを実行に移すことにした。俗に言う為るようになれというヤツである。

 

「ユーノさん!」

「は、はいっ!」

 

 思わず大きな声で彼の名を呼んでしまった。しかも、声が上ずっているし、ユーノが驚いて直立不動の体勢になってしまったではないか。

 

 何やってるんだ自分は、落ち着け、落ち着け不破なのはと言い聞かせながら、なのはは胸に手を当てて告げる。勇気を出して実行に移すための最初の一言を。

 

「その、ちょっとだけ目を瞑ってもらっても、良いでしょうか?」

「えっと?」

「すぐに、済みますから――」

「う、うん」

 

 羞恥で顔を真っ赤に染めながら、恥ずかしそうに言葉を紡ぐなのはに戸惑いながらも、ユーノは言われるままに目を瞑る。

 

 暗闇に閉ざされる視界。聞こえて来る自分自身の鼓動の音は早鐘を打っている。耳に伝わるのは草を踏みしめて彼女が少しずつ近づいてくる音。そして。

 

「……んっ」

「むぐっ!?」

 

 唇に触れる暖かでいて、しっとりとした感触。ユーノが慌てて瞼を開けば目と鼻の先に、頬を赤く染めた可愛いなのはの顔がある。あまりにも恥ずかしすぎたのか、瞼をぎゅっと閉じて、身体を震わせている女の子。きっとなけなしの勇気を振り絞ったんだと思う。彼女はこの行為に及ぶと想像するだけでも恥ずかしかったに違いない。

 

 ユーノは驚いて突き飛ばすとか、目の前の少女が愛おしすぎて抱き寄せるとか、そんな行動は一切取れなかった。取る余裕なんてなかった。思考は停止して何も考えられず、頭の中は真っ白に染まって燃え尽きている。完全なる硬直。もはや、彼にはどうすれば良いのか分からない。

 

 自分は何をされた? キスを。誰に? 守りたいと思ってた大事な女の子に。 それは誰? 不破、なのは。僕にとって特別な女の子。妹みたいなアリシアとは違う、もっと根本的な意味で大事な、そうこれは。僕はこの子の事が……

 

 そうして時間はどれくらい過ぎたんだろうか。一秒かも知れない。十秒かも知れない。あるいはもっと長いのかもしれないし、短いのかもしれない。少なくともユーノにはずっとずっと長い時間が過ぎたように思えた。刹那の出来事なのに、永遠とも思える永い体感時間が過ぎていく。

 

「ぷはぁ……」

 

 彼女が瞳を閉じたまま唇を離した。そっと身体を一歩ずつ後退させ、ユーノから離れる。瞼を震わせながらゆっくりと目を開き、紫水晶の瞳がユーノを捉えて離さない。けれど、すぐさま視線を逸らして顔を斜め下に俯かせた。身体をもじもじさせて、左腕は恥ずかしさのあまり自分を抱き締めている様子は、よりいっそう――可愛らしい。

 

「驚かせてしまって、ごめんなさい。でも、アリサが、こうしたほうが男の子は喜ぶって言うので」

 

 ぼそぼそと呟かれる彼女の言い訳じみた言葉はユーノの耳に入って来ない。彼の意識は遠い地へと旅立っていた。具体的に言うならば夢見心地で、昇天してしまっているのだ。

 

 それでもなのはは語らずにはいられなかった。何か喋っていないと彼女も風呂上りのようにのぼせて、倒れてしまいそうだから。

 

「――その、勇気をだして、頑張ってみました」

 

 そこからは二人して放心したまま長い沈黙が訪れるはずだったんだろう。声を上ずらせながらも、いつも通りの意識に戻ろうと試行錯誤して、この事は二人だけの秘密にしましょう、そうしましょうと良い雰囲気に為ったりするはずだったんだろう。

 

「おおおおぉぉぉ! ちゅうだ! ちゅうした!」

 

 場違いな興奮した声が響き渡らなければ。

 

 ギギギと、なのはは錆びついたボルトを動かすように首を回す。視線は驚愕と共に声のする方向へ。

 

 そこには草むらの中から隠れていたであろうアリシア・テスタロッサが立ち上がり、興奮した様子で二人を指差していた。

 

 その隣には「ちょっ、バカ! アンタ何やってんのよ」とアリシアを再び草むらに隠そうとするアリサ。「もう遅いよアリサちゃん」と言いながら、半分くらい申し訳なさそうでいて、ごめんねとでも言うような顔を向けた月村すずかがいる。

 

「……見られちゃった、の……?」

 

 今度は、なのはの思考が停止する番だった。

 

 見られた。誰に? アリサちゃん達に。今のキスシーンを? そう。

 

「きゅ~~~~」

「あああああ! なのは! なのは!」

「しっかりして、なのちゃん!」

 

 そうして全ての事象を理解すると。

 

 かああああっという擬音語が似合いそうなほど、その瞳をグルグルとギャグ漫画のように回しながら、なのはは顔を赤くして草原の上にぱたんと倒れてしまったのだった。

 

 不破なのは。一世一代の恥ずかしい秘密を見られるの巻。

 

「男の子って、女の子にちゅうされると嬉しいの? じゃあ、ボクからの別れのプレゼントはちゅうだねっ!」

「ちょっ、アリシア待っ、うっ、むぐぅ!!」

「アンタはいい加減にしろおおおお!!」

 

 そして、ユーノはアリシアに飛びつかれた挙句、その勢いを支えきれずに後ろに倒れ込んでしまう。しかも、抱き付かれて、吸われてるんじゃないかってくらいのキスをされながら、だ。ちゅうううっという擬音語が似合いそうなくらいの熱烈なディープキス。

 

 これには場を混乱させるきっかけを作ったアリサといえども赦せなかったらしく、なのはの介抱をすずかに任せて、引き剥がしに掛かって行った。

 

「そっか……これは夢だ。夢に違い、な、い」

「あれ、ユーノ? どうかしたの?」

「アンタの所為よ。あ、ん、た、の!」

「ほえ、どうして?」

「いいから、ユーノの上から、離れな、さいっ」

 

 ついでに、脳の許容限界を超えたユーノも状況を理解できずに気絶。自業自得とはいえ、アリサは事態を収拾するのに一苦労する事になった。

 

 完。

 

◇ ◇ ◇

 

「んぅ……」

「あっ、目を覚ました」

 

 涼しげな風のせせらぎを肌で感じたなのはは、ゆっくりと目を覚ます。目の前には嬉しそうに笑う見慣れた親友の顔。長い金色の髪を二つに結い別けて揺らしている女の子。アリシア・テスタロッサの元気そうな姿。

 

 彼女は草原の上でなのはの頭を膝枕しながら、片手を扇いで風を送っていた。

 

「おはよう、なのは。心配かけてごめんね? 」

「アリシア――良かった。元気そうで」

「ボクはいつだって、元気百倍だよ。なのはこそ大丈夫? アリサお姉ちゃん達から、熱を出して寝込んでるって聞いたから心配してたんだ」

「わたしだって、アリシアの事が心配で」

「心配してくれてたの?」

「うん……」

 

 そっか、嬉しい。とアリシアはと笑った。それにつられて、なのはも優しげに笑う。心配していたのはどちらも同じこと。そして互いを想い遣っていたことが分かって一層、二人の距離が縮んだ気がした。貴女が元気だと私も嬉しい。貴女が笑うと私も微笑ましい。そんな言葉では言い表せないような関係。

 

「アリシアっ――」

「なのはっ――」

 

 そうして互いに名前を呼び合って、お互いの存在を確かめるように抱き合う。もう離さないと言わんばかりにぎゅっと身体を引き寄せる。

 

 側に居てくれるだけで満たされるような感覚がなのはを支配した。それはアリシアも同じ。互いに伝わる温もりがとても暖かくて、いつまでもこうして居たいと思わせるくらいに心地良い。触れ合う頬と頬の感触。聞こえる息遣いすらも。

 

「とまあ、いい感じになってるところ悪いんだけど。お二人さん、そろそろ離れない?」

「アリサひゃん!?」

 

 そして急に親友から声を掛けられて、ハッとた様子で慌ててアリシアから飛びのくなのは。彼女の中でアリサ達に大事な秘密を見られた瞬間が蘇ったのか、再び頬が羞恥に染まる。思わず言葉を噛んでしまうくらいには動揺しているらしい。

 

「え~~? 良い所なのにひどいよ。アリサお姉ちゃん」

「アンタはTPOを弁えなさいっ! ユーノがいつまでたっても出発できないでしょうがっ」

「いひゃい! いひゃい! 頬をひゅねらにゃいでっ!」

 

 ついでに不満そうに頬をふくらますアリシアに盛大なツッコミ。この自由すぎる少女の手綱を握っている彼女は中々苦労しているようだった。

 

 もっとも、事態を混乱させるきっかけを作ったのは自分なので、そこは深く猛省しているアリサである。後でお詫びの品を見繕わなければなるまい。

 

「お姉ちゃん?」

 

 ふと、なのははアリシアの言葉の中に聞きなれない単語が混じっていることに気が付く。確か、記憶の中ではアリシアはアリサの事を名前だけで呼んでいたはずだ。彼女を対等な親友として呼び慕っていた。"お姉ちゃん"とは慕っていなかった気がする。

 

 そこでアリサも気が付いたようだった。確か、なのはにはアリシアの事情は説明していなかった。昨日の今日でユーノの旅立ち、なのはの相談と慌ただしく、アリシアの事もアリサの知らない所で急に決まったことなので、説明する暇がなかったのだ。

 

 アリサは、軽く引っ張られた頬を抑えながら悶えているアリシアの背中をそっと押す。

 

「ほら、なのはに改めて自己紹介。頑張って練習した通りに出来るでしょ?」

「自己紹介?」

「そっ、自己紹介」

「え、えっと……」

 

 何が何だか二人のやりとりが理解できず困惑する不破なのはをよそに、アリシアは軽い足取りでなのはの正面に立つ。そして不慣れで丁寧なお辞儀をした。

 

「初めまして。アリシア・T・バニングスです。よろしく、おねがいします」

「あっ、これはどうも……私立聖祥大学付属小学校に通っている不破家の末の妹。不破なのはです。よろしくお願いしますってっ、ええっ!?」

 

 今、何やら聞き逃してはいけない単語を聞いた気がする。アリシアの本名は、アリシア・テスタロッサ。その後にバニングス? バニングスってアリサちゃんのお家が代々次いで来た家名だよね。あれ? そこまで考えてなのはは思考停止。なんでバニングス? 訳が分からないと。

 

 混乱しすぎて頭を押さえるなのは。それを不思議そうに眺めるアリシアを余所に、アリサが二人に近寄ってきて説明する。

 

「まっ、簡単に言えばアリシアはアタシの妹になったってこと」

「か、簡単にし過ぎじゃないですか?」

「仕方がないじゃない。なんか、アタシの知らない所で父様と母様が決めてたみたいで、理由を聞いても古い友人の頼みだからとしか教えてくれないんだもの」

 

 そうなのだ。病弱になったアリシアの面倒を見てあげたい。けれど、不破家では環境は不適切だし、月村家にはやんごとなき家系の秘密があらしいから、引き取ってあげられないと悲しそうにすずかが告げていて。だから、如何にかしてウチで引き取れないかと考えていた矢先に、両親から告げられた一方的な決定事項。

 

 アリサとしては願ったり、叶ったりなのだが、いきなりすぎて唖然としてしまったほど。

 

 こう言っては何だが、アリサは後継ぎとしては大変優秀で、学校の勉強が退屈でつまらないと感じるくらいには頭が良い。運動だって大人顔負けの能力を誇るなのはやすずかに劣るとしても、二人を除けはトップの成績を誇れるほど努力している。

 

 大財閥を率いる後継者として帝王学を学ぶ彼女は、このまま努力を続ければ何も問題なく当主に収まるのだ。他の後継者は必要としていないし、アリサとしては面倒事の多い当主の役割は全て自分が引き受けるつもりである。

 

 だから、両親のアリシアを引き取る意図が分からなくて混乱するばかりだった。普段から仕事で忙しい二人は、アリシアと交流を深める時間はない。しかも、娘の哀願でもない限り、自分から誰かを引き取ろうとするほどお人好しでもないのだ。

 

 しかし、結果としてアリサがお願いする前から、両親はアリシアを引き取る事に決めた。何者かが両親に口添えしたんだと憶測するのは簡単だが、それが誰なのかはさっぱりだった。少なくともアリシアの事を知っていて、彼女の現状を理解している人物だろうことは間違いない。間違いないのだが、そこからバニングス家の当主と個人的に関わりのある人物となると該当する人物は極端に少なくなる。

 

 案外、すずかの姉である月村家の当主。月村忍が妹から事情を聞いて何とかしてくれたのかもしれないが、すずか本人から否定された。いわく、お姉ちゃんの交友範囲は狭いから、とのこと。家同士の付き合いはあっても、それ以上の関係ではないらしい。

 

 こうなると謎は深まるばかり、事件は迷宮入りである。

 

「わたしたち以外にアリシアを心配してくれる、ひと?」

「分からないことを考えても仕方ないでしょ。こうなった以上、アリシアの事はアタシが責任をもって面倒見るから安心しなさい」

 

 なのはも事情を聞いて首を傾げる。しかし、アリサは気にした様子もない。もはや彼女の中では過去の事よりも未来の事を見据えているらしかった。

 

 実は妹が出来て、密かに喜んでいるのだが、それは内緒である。

 

「さてと、待たせたわねユーノ。アンタが遠い所に出発するっているから見送りに来てあげたわよ」

「ありがとう、アリサ。でも、ごめんよ。散々、お世話になったのに、急に次元世界に帰ることを決めちゃってさ」

「いいの、いいの。アリシアを助ける為なんでしょ? むしろ力に為れなくて申し訳ないくらいよ。アタシ達は魔法の事はさっぱりだもの」

 

 アリシアが抱えてしまった持病を治すきっかけ。それを見つけることが出来るのは、魔法という技術が進んだ次元世界を旅できるユーノだけだ。自分と同じ年ごろの少年に全てを託すしかなく、彼の力に為ってあげられない事をアリシア以外の全員が悩んでいた。

 

「それでも、君たちには充分お世話になったから。正直、僕一人ではジュエルシードを回収しきれなかった」

 

 だから、ありがとう、とユーノは丁寧にお辞儀をした。

 

 あの日、なのはに出会って、助けて貰わなければ自分はジュエルシードモンスターに襲われて死んでいただろう。そして彼女達の協力があったからこそ、街に大きな被害を出すこともなくジュエルシードを回収できたのだ。最後の結末を除けばこれ以上ない良い結果を迎えたのである。

 

「これ、ユーノ君の為にプレゼントを用意したんだよ。受け取って」

 

 そんな彼にすずかが、可愛らしい模様の紙に包まれた贈り物を差しだす。

 

「これは?」

「アタシと、すずかのお小遣いで用意したスカーフよ。アンタの民族衣装風なバリアジャケットに似合うんじゃないかと思って、見繕ってみたわ」

「はは、皆、本当にありがとう。大事にする」

「当然よ。なんたって最高級の素材を使用した特注品で、アタシ、すずか、なのは、アリシアの名前を刺繍入りしてあるんだもの、大事にしなかったらぶっ飛ばすわよ」

 

 ユーノはアリサの言葉に苦笑する。彼女は遠回しにそれを、自分たちの代わりだと思って大事にしてほしいと言っているのだ。

 

 だから、彼は本当に大事そうにプレゼントを胸に抱いた。共に過ごして一カ月くらいの月日しか経ってないのに、ここまでしてくれたのは初めての経験。嬉しすぎて泣きそうになるのを必死で我慢する。女の子の前で泣きたくない、ささやかな男の子としての矜持。

 

「それと、ユーノさん……これを」

 

 次に、なのはは近づいてきて、すずかと入れ替わりにペンダントを差しだした。それはレイジングハート。かつてユーノが持っていたデバイス。彼がもともと持っていたソレを、なのはは律儀にも返してくれるらしい。

 

 でも、ユーノは微笑みながらゆっくりと首を振った。そして、レイジングハートを握るなのはの手を掴むと、彼女の胸元まで遠ざける。自分はそれを受け取らないという意思表示。

 

「ユーノさん?」

「それは、なのはが持っているべきだ。僕はインテリジェントデバイスと相性が悪いからね。彼女を使いこなしてあげられないよ」

「でも……」

「僕からの贈り物だと思って受け取ってよ。アリサとすずかの分がないのが残念だけど。スカーフのお返しだと思ってさ」

『改めてよろしくお願いします。私の小さなマスター』

 

 ユーノが「レイジングハート、なのは達を護ってあげて」と告げれば、彼女も肯定するようにチカチカと明滅した。意志を持つデバイスに、決意を表明されては返却など出来る筈もない。だから、なのはは困惑しながらも大事そうに、レイジングハートを胸に抱く。

 

 アリサとすずかは、その光景を微笑ましく見守っていた。アリシアも自分の事のように満面の笑みを浮かべながら眺めていた。

 

「それじゃあ皆! また会おう! 必ず、必ず此処に帰って来るから!!」

 

 そしてユーノは別れを告げると、四人の少女達に激しく手を振りながら、起動した転移魔法陣の上に歩いていく。

 

「じゃあね~~ユーノ! 今度はいっしょに遊ぼうね~~っ!!」

「なのはとアリシアの為にも絶対に帰って来なさいよ。約束を破ったら承知しないんだからね!!」

「あんまり無理しちゃダメだよ? 皆でユーノ君の帰りを待ってるからね」

 

 少女達も手を振り返しながら、それぞれ別れの言葉を告げた。

 それを嬉しそうに見届けると、ユーノは光に包まれて何処かへと旅立っていく。

 

「ええ、また会いましょう。ユーノさん」

 

 後に残るのは涼しげな風が吹く緑の大地。

 そして彼が旅立った跡をいつまでも眺めている四人の少女達。

 

 その中で、なのはは気が付くことが出来なかった。

 自分が心の底から微笑んでいたという真実に。

 

 もし、彼女の昔を知る家族の誰かが目にしていれば驚愕しただろう。

 それは昔の幼いなのはが浮かべていた天使のような微笑みだったのだから。

 

◇ ◇ ◇

 

「お久しぶりです、ステイツさん。こうして直に出会うのは初めてですね」

 

 ユーノは今回の依頼主であるリエルカ・エイジ・ステイツとクラナガンの外れにあるカフェで対面していた。

 

 本来であれば管理局の通して彼の元にジュエルシードが届けられる予定だったのだが、向こうから直に会って話がしたいと誘われたため、ユーノもそれを了承したのである。

 

 ステイツという男はその業界でも有名な学者であるらしく、博士号をいくつも取得している天才。数多の新技術や理論を発表しては、管理局や民間に出回る製品に流用されているらしい。

 

 最近では彼の頭脳を狙って犯罪組織が誘拐を企んでいるそうで、身を護る為にいくつもの偽名を持つという。ステイツという名前も、そのひとつだそうだ。

 

 それ程までに高名な学者ならアリシアの治療法について何か分かるかもしれない。せめてヒントだけでも掴めれば良い。そう考えたユーノは彼と会う事を二つ返事で了承したわけである。

 

 実際に出会ってみると高名な研究者のイメージとはかけ離れており、黒のスーツを着こなした青年だった。

 

 白衣を着こんだ年老いた老人という想像をしていたのだが、だいぶ若いようだ。さながらセールスマンにも見える。

 

 整えられた紫の髪。均整な顔立ち。目元はサングラスで隠していて分からない。恐らく軽い変装なのだろう。有名な人物がサングラスをするだけで、一見しても同一人物だと分からなくなる。下手な変装よりは効果的だ。端から見ればファッションのひとつなのだから。

 

 椅子に座るステイツの後ろには二人の女性が控えていた。

 

 一人は同じようにスーツを着こなした女性。出で立ちから考えて彼の秘書だろうか。血縁関係でもあるのか同じように髪の色は紫色で、肩まで伸ばしこんでいた。眼鏡の奥に見える瞳の色は一般的な青色。

 

 もう一人は護衛なのだろう。管理局の制服を着こんだ女性だった。赤毛の髪に、鋭い眼光から覗く視線は見る者を怯ませるには充分だ。

 

「やあ、ユーノ・スクライア君。キミの噂はかねがね聞き及んでいるよ。たった九歳という年齢で発掘現場の責任者を任され、知識や経験も豊富だとか」

「いえ、ステイツさんに比べれば僕なんてとても。今回の件だってジュエルシードを無事に届けられませんでしたし……」

「輸送船の事故で依頼品が散らばってしまい、君は責任を感じて回収してくれたそうではないか。いやはや、一時はキミの事が心配で、管理局に捜索を依頼しようと思っていたのだが無事で何よりだ。ユーノ・スクライア君」

「きょ、恐縮です」

 

 恐らく本当のことだろう。現に依頼の品よりも、ユーノの身を一番に心配しているのだから。もう少し帰還するのが遅ければ本当に次元航行部隊が捜索に来ていたのだろう。

 

 海も陸も人手が足りず、辺境世界に次元航行艦を派遣できるほどの余裕はない。しかし、彼のコネならばそれが出来るのだろう。依頼しようとしたという事は、それだけの繋がりが彼にはあるのだ。現に管理局の人間が護衛に付いているのだから。

 

「さてと、約束の品を確認してもいいかな」

「良いですよ。厳重に封印してありますので、危険はないですから」

 

 ユーノはアタッシュケースをテーブルの上に置くと、閉じられたケースを開錠してステイツに差した。

 

「クハハハ、素晴らしい。確かに依頼していた品と間違いないようだ。これで私の研究も捗る」

 

 嬉々として収納されたジュエルシードを手に取り、好奇心旺盛に観察する姿は、さすが研究者といった所だろうか。だが、仮にもジュエルシードは遺失物である。万が一に暴走しないように封印してあるとはいえ、慎重に取り扱って欲しいと苦笑いするユーノだった。

 

「博士……」

「ん? ああ、すまなかったね。私とした事がつい好奇心を優先させてしまったようだ」

 

 護衛らしき局員の女性がステイツに耳打ちすると、ようやく自分がはしゃぎ過ぎていた事に気が付いたらしい。丁寧な手つきで観察していたジュエルシードをケースに収納すると、秘書に持たせるステイツだった。

 

 代わりに秘書から端末を受け取り、素早く何らかの操作を施してユーノに手渡す。受け取ったユーノが端末を確認すれば画面に浮かび上がる送金完了の文字。どうやら約束の報酬をスクライア一族の口座に振り込んでくれたようだ。

 

「これでキミの依頼は完了だ。ご苦労だったね。ユーノ・スクライア君」

「いえ、あの、少しだけお時間を頂いても良いでしょうか?」

「どうかしたのかね?」

「実は……」

 

 受け取った端末を返しながら、ユーノは話を仕掛けるタイミングはここだと判断した。

 

 立ち上がりかけたステイツを呼び止めるとアリシアの事情を話す。もちろん出自のことを可能な限り伏せた上でだ。特にプロジェクト「F.A.T.E」は人造生命を生み出す技術。それは管理局で違法として禁じられている技術だから話すわけにもいかなかった。

 

「複数のリンカーコアがひとつに癒着する難病か、その少女は中々面白い症状に……おっと失礼」

「いえ……」

 

 ステイツは自分の発言で場を弁えない表現が混じっているのに気が付いたのだろう。わざとらしく困った表情をしてみせると、ユーノに謝罪してみせた。

 

 もっとも謝罪されたユーノ自身はそれほど不快になっていない。確かに病に苦しむ友人をおもしろいと評したのには苛立ちを覚えた。だが、それでアリシアが病状が悪化した訳でも苦しんでいるのでもないのだ。

 

 むしろ彼が興味を持ってくれた方が重要だった。上手く行けば病状の解明ついでに治療法すら確立してくれるからだ。

 

 研究者とは得てして興味を持ったモノを調べ尽くさねば気が済まない生き物。特に天才と評される人物なら尚更である。

 

 遺跡の発掘以外に考古学者としての側面を持つユーノは、仕事や個人的な付き合いでそれを学んでいた。

 

「よろしければステイツさんの考えを聞かせてください」

「ふむ、そのアリシアという少女を直接診断しなければ分からないが、治療法に関してはいくつかのプランが考えられる」

「本当ですか!?」

 

 これは思わぬ僥倖だった。さすがは管理世界で天才と謳われる人だ。これでアリシアは救われるとユーノは純粋に喜んだが……

 

「残念ながらそれを行う理論と技術を完成させるまで二、三年を要するのだよ。済まないが今は力に為れないね」

「そうですか……」

 

 掴みかけた希望は一瞬にして儚く散った。それでも数年の時が経てば助かる手段をひとつ確立できる。

 

 ユーノは絶望と希望の半々を胸に抱く。時間はまだあるのだ。もっとたくさんの治療法を見つけ出して希望の割合を増やせばいい。

 

 自分は治療法を探して帰って来ると約束したのだから。

 

 ありがとうございました。そう言って別れようと立ち上がったユーノに彼の秘書が名刺らしきものを渡してきた。

 

 何だろうと首を傾げるユーノに、ステイツは意味深に笑ってから告げる。私の連絡先だと。

 

「よければ無限書庫に行ってみるといい。そこは無限の知識が埋蔵する知恵の泉。キミが治療法を求めるのならば必ず役に立つだろう。無限書庫に入るための申請書は私が発行しておこう。これでも管理局に顔が利くからね」

「あ、ありがとうございます。何から何まで本当に」

「いいんだよ。面白い話を聞かせれくれたお礼というヤツさ」

 

 深々とお辞儀をして去っていくユーノに軽く手を振って見送りながら、ステイツは零れ落ちる笑みを抑えきれそうになかった。

 

 脳の奥底から好奇心が溢れだして止まらなくなる。サングラスの奥底に隠された蛇のような瞳が細まり、表情は輸税を隠そうとして隠しきれていない。

 

「まさか、プロジェクトFの残滓の手掛かりがこんな所にいたとは。私はてっきり庭園の崩壊と共に潰えてしまったのだと勘違いしていたよ」

 

 自分が基礎理論を完成させ、何者かがそれを利用して技術を立証段階にまで持ち込んだという噂は聞いていた。

 

 だから、その何者かを探し出して研究データと成果を頂戴するつもりだったのだが、発見した時はすでに研究所である庭園が崩壊し始めたという有り様。仕方なく派遣した部下に研究データの方だけ確保させるに留めた。

 

 まさかこんな所で研究成果の行方を掴む手掛かりを得るとは何たる幸運だろう。ステイツは厭らしく口元を歪めた。

 

「拉致して行方を吐かせますか?」

「いや、その必要はないよ。好き勝手に動いたせいで爺どもの監視が厳しいからね。今は大人しくしているさ」

 

 物騒な提案をする秘書と、すぐにでも動こうと身構える護衛らしき女性の二人に、ステイツは軽く手を振って否定する。

 

 時の庭園の件を飼い主に咎められていたのだ。あまり好き勝手に動くとステイツとしても自由に動けなくなる。最悪、裏で処分されかねない。

 

「それにスクライア一族の天才。彼は思っていた以上に優秀なようだ。私の求める遺失物を探す手駒としては充分ではないかね」

 

 秘書が抱えているアタッシュケースに収められたジュエルシード。こんなモノは探せばいくらでもあるし、ステイツも動力炉程度の利用価値しか考えていない。ただ模造品を造るための原型が欲しかっただけなのだ。

 

 だが、単に御使い程度の、それこそ暇つぶしでしかない遺失物探索の依頼を、あの少年は見事にやってのけた。ステイツの部下を持ってしても時間が掛かる作業を意図も簡単に、だ。

 

 これを有効に利用しない手はない。表向き依頼という形で動かせば何も問題はないし、遺失物は研究の為にオークションで取引されることもある。誰も不振に思わないだろう。

 

「ユーノ・スクライア君。キミとは近いうちに会いそうな予感がするよ。その日を楽しみにしておこう」

 

 ユーノが知っていれば驚愕したかもしれない男の正体。

 それは数ある次元犯罪者の中でも凶悪な一人。無限の欲望の異名を持つ男。

 

「それにしても、彼の身に付けていたスカーフは上等なものだったね」

「それでは私が、博士に似合うスカーフを見繕いましょうか?」

「ダメよ、ウーノ。博士の事だからきっとナプキンの代わりにして、せっかくのプレゼントを台無しにしてしまうわ」

「それは、いくらなんでも酷くないかね? ドゥーエ」

「博士には前科がおありでしょう? 私が帰還する度に渡している贈り物。いったい何処に消えているんですか?」

「……黙秘権を行使するよ」

 

 彼こそがジェイル・スカリエッティなのだから。

 

 

 




 あばばば、間違って瞬間投稿してしまったでござる!

 うん、シリアスの反動って酷いよね。でも、しょうがないんだ。これも予定調和の内なのだから。

 博士はフラグ1に、気付けなかった。
 アリシアを入手できなかった。

 博士はフラグ2を、手に入れた。
 隠しルート解放。完全勝利フラグ設立。

 ○○のカルマ値が、急速に上昇している!



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●図書館での出会い

 その女の子と出会ったのは単なる偶然だった。

 でも、困っている彼女を助けたのは必然だ。

 見て見ぬ振りをするなど、どうしても出来なかった。それは、運命に翻弄されたあの子を見捨てるのと同義だったから。

 

 少しばかりのお節介。だけど、あの時のように簡単に手を差し伸ばすことは躊躇われた。

 だって、わたしの手は赤い血がずっと滴り落ちてるんだから。

 こんな穢れた手で誰かを握ったら、その人が不幸になるんじゃないかって怖くなる。

 だから、少しだけ助けて、それで終わりにするつもりだったのに……

 

 その子の笑顔はわたしには眩しすぎたんだ。

 わたしを惹きつけてしまうくらいに綺麗だったんだ。幸せそうだったんだ。

 

 例えるなら太陽。彼女は表という光の道を歩いている眩しい人。

 闇の側にいるわたしは、路地裏の影からそれを眺めているだけで良かったのに。

 あろうことか、その子は、穢れたわたしに手を伸ばした。

 

◇ ◇ ◇

 

 彼女との出会いを一言で表すならば、"驚愕"。

 

「本を、取りたいのですか……?」

「おわぁっ!?」

 

 だってそうだろう。いきなり気配もなく背後から声を掛けられれば、誰だって心臓が飛び跳ねるくらい驚くに決まっている。それが平気だとしたらよほど肝が据わっている人物に違いない。少なくとも八神はやては、その例外に該当しない一般人。唯の子供。普通の人間とちょっと違う事情を抱えただけの女の子だった。肩をびくりと震わせて大げさに驚くのも仕方がない。

 

 声を掛けられた方向を"見上げる"。そこに居たのは同い年くらいの女の子だ。この辺でよく見かける白を基準とした立派な制服を着こなしている。確か私立聖祥大学付属小学校という海鳴市でも有名な学校の制服だったと、はやては記憶している。

 

 肩のあたりまで伸ばした暗めの栗色の髪。人形みたいに整った顔立ち。立っているだけなのに、姿勢はすごく綺麗で、最近家族になった侍みたいな女性のように美しいと、はやては素直に感心してしまう。思わず、はわ~~、と吐息が漏れてしまった。

 

(この子、すごく悲しそうな顔してる。どないしたんかなぁ)

 

 だけど、その子は今にも泣きそうな表情をしていて。何か嫌なことでもあったんだろうかと、どうにも心配してしまうはやてだった。

 

「……余計なお世話だったでしょうか」

 

 困っていた自分を助けようと親切に声を掛けてくれた女の子が不安そうな顔をしたので、はやては慌てて取り繕った。いけない。こんな風に誰かに声を掛けられたこと自体、久しぶりの事だったので、つい呆けてしまった。

 

「あっ、ごめんなぁ。考え事してたんよ。わたしが読みたい本はそれや。でも、もうちょいで手が届かなくてな。取ってもらってもええやろか?」

「……ええ、少しお待ちを」

 

 大抵の人は車椅子のはやてを好奇心と哀れみに満ちた目で見るが、向こうから関わってくることは稀だ。余計なことは背負い込みたくないという事だろう。はやても慣れている。だけど、親切心から助けてくれる人もちゃんといるのだ。もっとも偶にが付いてしまうが。

 

 だから驚くのも無理はなかった。それも同い年くらいの女の子に助けられたのは初めてのことだ。嬉しさよりも、戸惑いの方が大きい。

 

 声を掛けてくれた女の子はは少しだけつま先立ちをすると、手を伸ばして目当ての本を掴んだ。幅が五センチ位ありそうな分厚い本だ。はやてが無理して取ろうものなら、誤って床に落としてしまったかもしれない。素直に図書館の司書さんを呼べばよかったかと、はやてはちょっぴり反省する。

 

 だけど図書館の司書の人は忙しそうにしていたのだ。今の季節な夏で、どこの学校も長期休暇に入っている。だから、勉強や暇つぶしなど、用途は様々とはいえ普段よりも利用する人が多いのだ。当然、貸し出しの受付をする件数も増える。自分の読みたい本をとってもらうために声を掛けるのは気が引けた。

 

 本当なら付き添いの優しい家族が居るのだが、最近は忙しいのか、はやてに秘密で何処かに出掛けている。今日も出かける様子だったので、家で待っているのは退屈だからと、迎えに来るまで図書館で本を読んで過ごすことにしていたのだが、まさかこんな所で見知らぬ女の子に助けて貰えるとは思ってもみなかった。

 

 はやてには両親がいない。幼い頃に交通事故で他界してしまった。

 

 手紙でしか知らないギル・グレアムという両親の遠い親戚の人が遺産の管理をしてくれて、月に送られてくる充分な生活費を自分でやりくりしながら、はやては日々を生活している。食材の調達はデリバリーサービスを頼り殆ど外に出たことがない。

 

 本当であれば学校に通うべきなのだが、幼い頃から原因不明の足の麻痺が進行して、今では自分で立つことさえもできなくなってしまった。

 

 車椅子を自分で動かして移動するというのは大変な労力を要する。急な坂道などは人の助けがなければ登れない。必然的に遠出するにはバスやタクシーなどの交通機関を頼らなければならなかった。これでは学校にも満足に通えない。

 

 私立聖祥大学付属小学校はバスの送り迎えをしてくれるらしいが、問題はそこだけではなかった。車椅子では別の教室に移動するだけでも苦労するだろう。階段に直面しただけでアウトだ。上級生は必然的に上の階にある教室を使わねばならないので、進級する度に階段という壁が立ち塞がる。他にもたくさんあるが、学校に通うための問題は解消しなかった。

 

 だから、通信教育が精一杯で。そんな彼女に友達ができる環境など巡ってくるはずもなく、はやてには友達と呼べる子供が一人もいない。同じ年の頃の子供は公園や広い草原で球技を行い駆けまわって遊ぶか、仲のいい友達同士、家でゲームをするのが主流だ。

 

 そんな子達に声を掛けて混ぜて貰うほど、はやてには勇気がなかった。この足では満足に駆け回ることすら出来ないのだから。

 

 けれど、家で一人でいることが長すぎた少女は人肌が恋しかったのだ。そして、望外にも家族が出来たことで、もっと欲しくなってしまった。友達という温もりが。友達という絆が。

 

 そんな境遇だった八神はやてにとって、目の前で起きている出来事は千歳一隅のチャンスでもあった。わざわざ困っているような所を助けてくれる。今どき珍しい親切な女の子。暗い雰囲気と悲しそうな表情が気になるが、もしかしたら。

 

(友達に……なれるかなぁ)

「……お待たせしました。どうぞ」

(でも、断られたらどないしよう……?)

「……あの、どうかしましたか? どこか具合でも?」

 

 少女に読みたかった本を差しだされていることに気が付いて、はやては慌ててそれを受け取る。いけない。また、考え事に没頭していたようだ。せっかく助けてくれたのに、あまりにも失礼な態度ではないか。

 

「あっ、ごめんな。わたし、また、考え事に浸ってたみたいや」

「考え事ですか? もし宜しければわたしが……」

 

 そこまで言いかけて、親切な少女は口を閉ざした。小さな声で呟かれた声は良く聞こえなかったが、まるで自分自身を自虐しているような言葉をはやては聞いた。

 

「……いえ、何でもありません。それでは、わたしはこれにて失礼いたします」

「あっ、待って!」

「……何か?」

 

 咄嗟に親切な少女を呼び止める。ここで別れてしまったら、もう二度と会えないような気がしたから。誘ってみるなら今しかない。勇気を振り絞って言うのだ。わたしと友達になってくれませんか、と。

 

「その、もしよかったらで、構わへんよ? その、えっと、少しだけ話し相手に、なってくれへんかな~~なんて?」

 

 なに怖気づいてるんや、わたしのばか。心の中でそう自分を罵倒しつつ。しどろもどろになりながら、はやては少女に付き合って欲しいと誘う。

 

 ああ、せっかく助けてくれたのに無駄な時間に付き合わせてごめんなさい。本当は友達に成って欲しいんです。でも、なかなか素直に友達になって欲しいという言葉が出て来ない。初対面の人に緊張して声が出せないのだろうか?

 

 違う。本当は、はやては怖いのだ。もしも、友達になって欲しいとお願いして、女の子からお断りしますと拒絶の言葉を向けられたらどうしよう、と怯えている。だけど、このまま別れたくはない。そんな曖昧な選択をした結果。見知らぬ女の子とお喋りしたいという見苦しい選択をしている。

 

 少女は顎に手の甲を当てて考え込むような仕草をした。はやてを見つめていた視線が逸れて、どうしようかと悩むように瞳が揺れる。

 

 困ってしまったのだろう。制服の裏に隠れて見えなかった少女の首に掛かっている紅い宝石のペンダントを握りしめると、考え込んでしまった。

 

(あのペンダント。シグナムやヴィータが持ってたデバイスっていうのに似とるなぁ。同じくらいの大きさだし、何となくやけど雰囲気がそっくりや)

 

 思案する少女を見つめながら、はやてはそう思った。あのペンダントは自らの家族が持っていたデバイスというのにそっくりだったのだ。はやては気が付いていないが、それは魔導師としての片鱗が捉えた感覚だった。少女のデバイスから漏れる魔力をおぼろげにだが感じ取った結果。

 

 そうこうしている内に答えは決まったのか、少女が顔を上げると真っ直ぐにはやてを見つめた。

 

「わたしなんかで宜しければ構いません」

「ほんまにっ!?」

 

 自分でもびっくりするくらいの喜色を帯びた声があがった。どうやら、はやては彼女とお話できることが相当に嬉しいらしい。思わず車椅子の取っ手を掴んで、立ち上がるように上半身をずいっと伸ばし、少女に顔を近づけてしまうくらいに。

 

 少女が戸惑うような表情を見せる。はやての勢いに退いたというよりは、自分なんかとお喋りするだけなのに、そんなに喜ぶことなのだろうかと困惑している様子だった。瞳が落ち着かないように揺れ動き、はやてから視線を逸らしてしまう。

 

「あっ、ごめんなさい。わたしったらつい……」

「いえ、少々驚いただけですから、お気になさらず。ですが、わたしなんかと話しても楽しい話題などありませんよ? お恥ずかしい限りですが、俗世に疎いので」

「ううん、そんなことあらへん。実はわたし、同い年の女の子とお話するの、初めてなんや」

「えっ……?」

 

 はやての告白に衝撃を受けたかのように固まる少女。本当にびっくりしたみたいで、目を白黒させていた。

 

「はっ、んんっ。失礼しました」

「ん~ん、気にしんといて」

「はい。それでは、何処で話しましょう?」

「ん~~、人様の勉強や読書を邪魔するのもあれやし……そやね、どこか人が少ないテーブルにでも移動しよか」

「そのように。では、差し出がましいようですが、わたしが貴女の車椅子を押させて頂きます」

「あはは、どうも親切に。ありがとなぁ」

 

 話し合いの場所を決めると、少女はしっかりとした足取りではやての後ろ側に回る。そして、車輪のストッパーを外すとゆっくりと車椅子を押し始めた。好奇心旺盛で、車椅子を勢いよく押そうする子供とは違う。相手のことを思いやって、静かにゆっくりと。少女の気遣いと優しさが伝わるような押し方だった。

 

 二人はゆっくりと目的にテーブルまで向かう。周囲には殆ど人もおらず。小声で話せばあまり迷惑は掛からない。興奮して、はやてが騒がなければ追い出されるような事態にはならないだろう。

 

「そういえば自己紹介がまだやった。わたしは八神はやていいます。よろしくなぁ」

「なのは。わたしは不破なのは、です」

 

 はやての顔が上機嫌でにこやかになる。少女の名前を知れたことが嬉しかった。

 

「ん、不破ちゃんって呼べばええんかな?」

「な、なのはで結構です。その、わたしもはやてと、名前で呼ばせて頂きますので」

 

 知り合って間もない子にいきなり名前で呼ぶのは急すぎるかなと、名字で遠慮しようとするはやてだったが、帰ってきた返答は恥ずかしそうに、名前で呼んでほしいという答え。気になって首を回して後ろを見れば、なのはと名乗った少女の頬が微かに高揚していた。

 

 はやてと瞳が合うと、なのはは恥ずかしそうに瞳を逸らす。だから、はやては何も見なかった事にしてあげた。

 

(意外と照れ屋さんなのかなぁ?)

 

 そんな事を思いつつも、はやては目的のテーブルまで押して貰った。邪魔な椅子を隣にどかして、代わりに車椅子を止めて貰う。

 

 なのはは、はやての対面の席に座ると丁寧に腰を下ろす。互いに向き合った形だ。

 

 照れた姿は何処へやら。既に、なのはの表情は落ち着いていて、無表情の、良く言えば落ち着いた雰囲気を晒し出していた。

 

 はやてもにっこりと柔和な笑みを浮かべる。第一印象は大切だから。名前を教えてくれた女の子に嫌われたくないから。この子に好かれたいから。

 

「ッ、それでは、はやて。聞きたいことがあれば何なりと仰ってください。答えられることであれば応えてあげます」

「そやなぁ……わたし、こんな足やから、学校に通えないんよ。だから、学校生活がどんなものなのか知りたい」

「学校生活、ですか?」

「なのはちゃんが、普段どんな学校生活を送っておるんかでもかまわへん。何でもええから聞かせてなぁ」

「そうですね……」

 

 そこからは、はやてにとって楽しい一時始まりだった。一時間にも満たない短い間だが、同年代の女の子との会話はなんて心躍るんだろうかと、感嘆の息を漏らしてしまうくらいに。

 

 なのはの話してくれる学校生活は、はやてが頭の中で描いていたものよりもすごかったのだ。

 

 クラスの男子を差し置いて、なのはとお淑やかな女の子がドッチボールで超人的な接戦を繰り広げたとか。なのはの気の強い友人が飼育委員を務めた時、動物に懐かれ過ぎてハーメルン状態になってしまいクラスでひと騒動あったとか。学校に在籍していない外国人の子がいつの間にか授業に紛れていて。先生の出した問題に手をあげた瞬間、授業がフリーズして、あなたは誰ですか状態になったりしたとか。

 

 とにかくなのはの学園生活は色々とすごいらしい。はやての想像もおよばない程ドタバタしていて、聞いているだけで楽しそうだった。

 

「ええなぁ。すごく楽しそうや。わたし、学校に通えなくてもええから、その子達とお喋りしてみたい」

「宜しければ今度紹介しましょうか?」

「ほんまにっ? でも、わたしなんかと友達になってくれるやろか……?」

「大丈夫ですよ。少なくとも二人は馬鹿みたいにお人好しですから」

「クスっ、なのはちゃんも人のこと言えへんよ。困っている人を助けてくれる優しい女の子や」

「……そんなこと、ないですよ」

 

 はやての素直な褒め言葉に、なのはは顔を寂しそうな微笑みを浮かべるだけだった。まただ、どうしてそんなに悲しそうな表情をするのだろう。気になったはやては、一歩踏み込んでみることにした。

 

 お節介かもしれないが、どうしても放って置けなかったのだ。

 

 でも、それは。

 

「はやてちゃ~~ん」

 

 迎えに来た女性の声によってタイミングを見失ってしまった。はやては顔を上げる。なのはも声をした方に振り向く。そこには涼しげな白のブラウスにジーンズを着こなした金髪の女性が居た。

 

 はやての大切な家族のひとり。シャマルだ。

 

「あっ、シャマル。もう用事は終わったんか?」

「ええ、待たせてしまってごめんなさい。これから皆で昼食にしましょう。あら?そちらの女の子は」

「この子はなのはちゃん。困ってたわたしを助けてくれたとっても親切な友達なんよ」

「そうですか、はやてちゃんがどうもお世話になりました。ありがとう、なのはちゃん」

「いいえ、此方こそ。わたしもはやてに世話になりましたから。シャマルさん」

 

 なのはが椅子から立ち上がり、握手を求めて手を伸ばすと、シャマルもそれに応えた。その時の視線の交差を何と評すれば良いのか、はやてには分からない。

 

 しいて言うならば戸惑い、だろうか。なのはとシャマルは互いに顔を見ながら握手しているのに、困惑したような表情を浮かべていたからだ。それを問う暇もなく流れは推移していく。なのはが別れの挨拶を告げたから。

 

「わたしもそろそろ御暇させて貰おうと思います。元々友達の付添いできたものですから。はやて、また会いましょう」

「そっか、ほんまに楽しかったで。なのはちゃん」

「わたしもですよ。はやて」

「今度会ったときは、わたしの家に来てな? 前から友達を家に誘うのが夢やったんよ。それと、なのはちゃんの友達の紹介、楽しみにしとるなぁ」

「ええ、その時は是非。それでは失礼します」

 

 自分の座っていた椅子を元の位置に戻し、机から一歩引いて深く深くお辞儀をしたなのはは、振り返らずに去っていく。

 それを、はやては姿が見えなくなるまで、見送っていた。

 

 礼儀作法からして立ち振る舞いが丁寧な彼女は、きっと良い所のお嬢様なんだろう。そんな彼女が庶民で平凡な自分と友達になってくれた事が嬉しくて、はやては満足げな笑みを浮かべるしかない。友達なんて一生縁がないものだと諦めていたから。その喜びは一押しだったのだ。

 

「なぁ、シャマル? こんなわたしでも、初めての友達が出来たんよ? 今、すごく嬉しいんや」

「はい、大変めでたい事だと思います。良かったですね、はやてちゃん」

「えへへ~~、わたしは幸せもんや。家族が出来て、友達も出来た。ほんまに幸せもんや」

 

 はやては知らない。この出会いが運命の邂逅だということを。

 この瞬間から未来は劇的に変動したということを。

 闇の書という事象の中心に居る彼女は気が付かない。

 

(あの子、魔導師ね。どうしてこんな所に? 管理局かどうか分からないけど、とても勘が鋭い子だった。あの視線、私のことを疑っていたのかしら?)

「シャマル~~、どないしたんかぁ? 難しい顔しとるよ?」

「ああ、ごめんなさい、はやてちゃん。ちょっと昼食の献立で考え事を」

「あはは……シャマルは、もう少し料理の勉強しようなぁ……」

「もう、酷いですっ、はやてちゃん。私だってやるときはやるんですからね?」

(シグナム達と相談して、どう対応するか決めておかないと。場合によっては……)

 

 運命の歯車は動き出す。

 




ちなみに友人の付添いはもちろん。すずか嬢。

学校の宿題を終わらせる&趣味の読書の付添い&アリシアの面倒を見る&子供の体調を落ち着かせる方法さがしといったところ。

フラグ1 はやてと友達になる。
フラグ2 ヴォルケンリッターとの邂逅。

守護騎士による襲撃フラグが立ちました。
アリシア死亡フラグが立ち掛かっています。
なのは、復讐者になるフラグが立ち掛かっています。
なのは死亡フラグが立ち掛かっています。
美由希の復讐フラグが立ち掛かっています。


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●やっぱり私の娘って素敵!

 

 アリシア、運命に翻弄されてしまった可哀想な子。

 神様はどうして彼女に不幸ばかりを与えるのでしょうか?

 彼女はお母さんが大好きで、病に伏した母を助けようとしただけなのに……

 

 アリシアが苦しむと私も苦しくて辛くて堪らない。

 でも、わたしにはどうしようもなくて、苦しむ彼女を見ているしかない。

 そんな自分が歯がゆいと思ったのは何度目だろうか。

 

 春の出会いから梅雨を経て、夏の始まりまでの時間。

 結局、彼女の病は和らぐどころか酷くなる一方で、わたしの中には焦りが生まれていく。

 徐々に徐々に失われていくであろう命の灯。

 わたしは、それが怖い。

 

 変わってあげられるのなら、変わってあげたい。

 必要だというのなら、この命を差しだしてもいい。

 

 でも、わたしは無力だった。

 人殺しの力を得ても、魔法の力を得ても、たった一人の大事なあの子を救う事は出来ないのだ。

 

 そうして何も出来なくて謝るわたしに、いつもあの子は笑うのだ。

 なのは、いつもありがとう。大好きだよって。

 それがわたしを苦しめる。追いつめる。

 

 だって、こんなにも大好きなあの子を喪いたくないと思ってしまうんだから。

 

◇ ◇ ◇

 

 バニングス邸はいつみても壮大すぎると、不破なのはは常々思っていた。

 

 だってそうだろう。こうして玄関まで近寄ると、見上げなければ屋敷の全容が見えなくなってしまうのだ。窓の配置から考えて四階から五階は在りそうな程の豪邸。馬で駆けまわる余裕がありそうな程広い敷地。一部は色鮮やかな花が彩る庭園にもなっている。映画なんかで出てきそうな庭木の迷路も存在する。しかも、警備に訓練されたドーベルマンという軍用犬まで徘徊する始末。アリサが大財閥のお嬢様だと再認識する瞬間である。

 

 もちろん隣で機嫌良さそうに歩いているすずかも例外ではない。こちらもバニングス邸と負けず劣らずの豪邸に住んで居る。むしろ、アリサが言うには月村邸の方がヤバいらしいが、五十歩百歩だとなのはは思うのだ。

 

 とはいえ、一般家庭の子からすれば不破なのはの屋敷も大概である。なにせ家が二つ並べられそうな敷地に道場まで完備。おまけに庭園は盆栽や大きな池で彩られているのである。普通と比べればこちらも規格外なのだ。なのはの中の基準が少々? おかしいだけである。

 

「なのちゃん。とっても浮かない顔をしてるね」

「……そんなに酷い顔をしていますか? わたしは」

「うん、心配なのは分かるけど、もっと明るく笑わなきゃだめだよ? アリシアちゃんが心配するよ」

「……分かっています。分かってはいるのですけど」

「ユーノ君だって頑張っているんだから、ね?」

 

 そう言って自分を慰める少女をなのはは素直にすごいと思った。自分はアリシアの病気の事が心配でたまらないのに、この娘はそれを表に出すことはないのだから。

 

 すずかはいつも柔和に微笑んでいる。たとえどんな時でも、だ。アリサが怒っている時も微笑んで怒気を静めてしまうし、アリシアが病で苦しんでいる時も健気に微笑んで励まそうとする。決して相手を不安にさせたりはしない。大丈夫だよ。心配ないから。この二言で相手の心を落ち着かせてしまうのだ。

 

 自分には決して真似できない芸当。一度、貴女はとても強いです、とその事を話してみても、そんな事ないよと静かに否定された。

 

 本当は泣きたいくらい不安なんだよ? 彼女はそう言って微笑むのだけなのだ。

 

 むしろ、そうした不安を隠せる時点で充分強いとなのはは思うのだが。現に今だって自分の不安が顔に出てしまうくらい、なのはの心は揺れているのだから。

 

 ただ、あの事をぶり返された時には納得してしまうと同時に、不覚にも笑ってしまった。初めてなのはと出会った時のこと。アリサに大事なヘアバンドを取られて泣いていた頃のすずか。確かに泣き虫だったなぁと思ってしまったのだ。

 

 そしたら当の本人から、笑うなんて酷いよなのちゃん、と頬を膨らまして拗ねられる始末。おまけにその光景すら普段の姿とかけ離れていて笑いを誘うのだから性質が悪い。

 

「それにしても遅いね。アリサちゃんとアリシアちゃん。すぐに出発するから玄関で待ってて。そう言われてもう数分も経つのに」

 

 言いながら携帯電話で時間を確認するすずか。

 確かに遅いとなのはも思うが、なんとなく事情も察している。アリシアがバニングス家の養子になってから起きた問題。自由奔走で風のように無邪気にはしゃぐ少女を、バニングスという家のルールで縛れるわけないのだから。

 

「恐らくいつものアレでしょうね……」

「ああ、そっか。アリシアちゃん苦手だもんね。上品、華やか、厳格どれも無縁だったと思うし」

『そうだよ~~』

「アルフちゃん!」

 

 念話で話し掛けてきた元気な幼い少女の声。

 

 自分の頭の中だけに響いた言葉に反応して、なのはが顔を向けると、それに気が付いたすずかが近寄ってきた橙色の仔犬を嬉しそうに抱き上げた。

 

 仔犬はただの動物ではない。使い魔と呼ばれるアリシア・テスタロッサのパートナー。主の負担を軽減するために眠り続けていた存在。健気にして最後に残されたアリシアの家族としての拠り所。アリシアが嬉しそうに紹介してくれたアルフという幼女の正体である。いや、本当は同性すら羨むほどの引き締まった身体に、男性が思わずチラ見してしまう程の巨乳の持ち主だと、本人は主張するのだが。いかんせん、アリシアの魔力負担を軽減するために幼女のままである。なので嘘か真か真実は定かではないのだ。

 

 そして長い時間を眠り続けて過ごしてきたためか、精神面でも幼く。口調も比例するかのように幼く感じる。本人いわく精神面がアリシアに引っ張られているから仕方がないと。舌っ足らずな声で説明してくれたから間違いない。

 

『アルフ。元気そうで何よりです』

『うん、だいじょ~ぶ。おいしいお肉とクッキーみたいなのたくさん出してもらえるし、いっぱいあそんでもらってるから。えへへ』

 

 すずかに抱き上げられて、もふもふで、ふさふさで、すんげぇ暖かそうな毛並みに頬ずりされながらも、アルフは嫌がる素振りを一切見せず、犬のように(実際、犬だが)口の端をつりあげてハッハッと笑いながら念話で答えた。

 

 この人懐っこい仔犬幼女、人と同等の知能を有する分、ものすごく甘え上手。その愛くるしい瞳で見つめられて、可愛らしい外見で懐かれたら犬好きの人間はたちまち陥落してしまう。アリサとすずかは当然として、バニングス夫妻を初めとした殆どの人間が籠絡されている。

 

 そして彼女の性格がこんな感じに年相応で幼いので、皆から愛されて本人も大満足であるらしい。

 

 ちなみにアルフが人間の幼女に変身できることを知っているのは、なのはとアリシア以外に、アリサとすずかだけである。

 

 もう一人、妹が増えたとアリサは大喜びで、それにアリシアが少なからず嫉妬して、アルフとしては嬉しいような嬉しくないようなハプニングがあったりもした。アルフの人間形態はなのは達よりも幼いので、アリサの中では完璧に第二の妹扱いだ。

 

 アリシアが友達のような妹なら、アルフは甘えん坊の妹と住み分けが出来ているのも大きいだろう。

 

 普段は犬として接しているが、秘密を知っている子供達だけの時は喋れる。それ以外は犬の姿のまま、身振りでコミュニケーションをすることが多い。もっとも念話が使えるアリシアとなのはの二人は、こうして普通に会話できるのである。

 

『それでね~、アリシアはいつものアレ』

『はぁ……ということは逃げ出したんですね?』

『アリシアは頭はいいんだって、でも、ベンキョーが嫌いだってアリサお姉ちゃんがいつも言ってる~~。今はね~~、こわくて、ドキドキしてるかんじ?』

『そうですか……』

『うん、だれか助けて~~って聞こえるよ。でも、めいどって人やしつじって人はたすけちゃいけないって言うの。だから、何もできないんだぁ~~』

 

 そうして世間話をしている内に、豪邸の立派な扉がゆっくりと開かれた。まるで、誰にもばれない様に恐る恐るといった様子だ。扉の隙間から美しい金糸が溢れだし、続いて宝石のような紅い瞳を潤ませながら、一人の少女が外を覗き見た。

 

 バニングス家の養女となった女の子。アリシア・T・バニングスその人である。

 彼女は二人の親友と目が合い、なのは達も困ったように視線を合わせた。

 

「あっ……なのは、すずか! 助けてっ!!」

 

 するとどうだろう。二人の背中に隠れるように脱兎のごとくアリシアが飛び出してきたではないか。それは、天心満欄で誰からも愛され、そして他人をあまり人見知りしない彼女を恐れさせる存在が近づいてきた証。

 

「こぉ~らぁ~~アリシア~~。せっかく、アタシが時間を割いて、アンタのレッスンに、付き合ってあげてるのに、逃げ出すとは、いい度胸ね」

 

 怒髪が天を衝くといった様子で身体中から怒気を滲ませながら、ゆらりと豪邸の扉から現れた人物はアリサ・バニングスその人である。わざわざ一句を区切って話している辺り、相当頭に来ているらしい。アリシアが怯えるのも無理はない。

 

 現にアリシアを庇ったすずかが小動物のように怯えだし、あまり動揺しない、あのなのはですら顔を引きつらせていた。

 

 そりゃもう本当に怖い。直視できない位に恐ろしいといえば分かるだろうか。肌を差すような威圧感に、本当に髪が逆立っているんじゃないかって雰囲気。鋭い眼光で睨まれたら、たちまち委縮してしまうんじゃないかってくらい、彼女はおっかない。

 

 すずかの腕の中に居るアルフだって身体を丸めて怯え続けている。御主人の危機に立ち向かうのは無理そうだった。

 

「アンタ達……うちの妹を庇い立てして、甘やかすんなら容赦しないわよ? わかるわね――?」

「「こくこく、コクコク」」

「ちょ、みんな、ひどい! ボクを見捨てるっていうのっ!?」

「アリシアちゃん。ごめん、今回は無理だよ……助けてあげられない……」

「逆らったら後が怖い。貴女が一番、理解しているでしょう」

 

 そんなギルティの使徒と化したアリサに逆らえるはずもなく、アリシアを無意識に庇っていた二人は、ずいっ、と罪人を前に差し出す。

 

 彼の者の罪は家の御稽古をサボろうとしたこと。その大義名分を前にしては、さすがの親友二人でも助けてあげられない。正統性は姉のアリサにある。何よりも彼女はアタシの怒りが有頂天状態なのだ。戦う前から二人の戦意は挫けていた。

 

「そ、そんな……なのはぁ~~、ボクたち親友だよね? どんな時でも一緒だよね」

 

 せめてもの旅は道ずれ、世は情けといわんばかりに、一途の望みを託してなのはに子犬のような視線を向けるアリシア。それを制するようにあぁん?とガンをつけるアリサ。二人の親友どちらに付くのか、なのはの心は大いに揺れ、そして。

 

「アリシア。運命を受け入れてください」

「そんな……そんなぁ、そんなぁ~~っ!」

 

 なのはが遠い目で首を振る。その瞬間絶望に顔を染めるアリシア。

 

 無情にもアリシアに罰を与えられることが決定した。いや、本人が悪いのだから自業自得なのだが。しかし、瞳を潤わせて本気で泣きそうになっている彼女を見ると、どうにも可哀想になって来るというか。なんというか、やるせない。

 

「毎回っ! 稽古を抜け出してッ! アタシや鮫島に苦労を掛けるアンタにゃっ! 梅干しの刑だゴラァッ!」

「うぎゃあああああぁぁぁ……」

 

 その日、バニングス邸の周辺にて、あまりにも痛々しい少女の叫び声が聞こえたとか、何とか。

 

 合掌。

 

◇ ◇ ◇

 

「うぅ~~痛いよ~~、頭がじんじんするよ~~……」

「よしよし」

 

 アリシアのおしおきが完了した後、涙目の彼女を抱き締めながら、なのははあやすように彼女の背中をなでた。相当に痛かったんだろう。アリシアの瞳から零れ落ちた涙が、なのはの肩の衣服を濡らしていく。それで庇わなかった罪悪感を感じてしまうなのはだった。

 

「痛いの痛いのとんでいけ」

「はふっ、はふ、ワンっ!」

「ふんっ……」

 

 ついでにアリシアの頭を撫でながら、おまじないを口にするすずかと、慰めるようにご主人様の頬をしきりに舐めまわすアルフ。ここまで優しくされれば、そのうち機嫌を直して元気になるだろうとふんぞり返っているアリサ。

 

 でも、心の内ではアリシアに嫌われるんじゃないかと、兎のように怯えているアリサである。飴と鞭は使いようなのだが、やりすぎは良くないと自覚してもいた。このお姉ちゃん、基本的に妹に甘々なのだ。ちなみに父親はデレデレである。二人そろって似た者同士のダメ親子なのだ。

 

「で、今日は何の御稽古から抜け出したんですか?」

「ダンスのレッスン……あのガミガミ怒るオバサン嫌い……」

「オバサン言うなっ。たくっ、今度からアタシがマンツーマンで踊ってリードしてあげるから、次は頑張んなさい」

「ホントっ、アリサお姉ちゃん大好き!!」

「アンタはステップとか得意なんだし、運動神経も良いから、リズムにさえ乗ればワルツでもマーチでも踊れるはず何だけどなぁ」

 

 妹の調子の良さに呆れながらも、内心ではお姉ちゃん大好き!? いぃぃぃやっほうっとアメリカン魂全開のテンションで喜んでいるアリサが居た。しかし、誰も気が付くことはない。というよりも気が付かれたらドン引きされること間違いなしである。

 

 アリサは必死ににやけそうになる口元を意志の力で抑え込んだ。普段のイメージを壊さないようにする為の努力。その甲斐あってなのはとすずかは友人の意外な一面を目にすることはなかった。

 

 ふと、ダンスの練習? と首を傾げて、なのはは改めてアリシアの格好を眺めた。彼女は上流階級の社交ダンスに出るような、華やかな衣装を着こんでいたのだ。アリサ有頂天事件に気を取られ過ぎてまったく気が付かなかった。

 

「ほえ? なのは、どうしたの?」

「ちょっと、じっとしていて下さい」

 

 なのはは、アリシアの肩にそっと手を置くと、可愛らしく首を傾げる彼女をよそに、念入りに薄い化粧が施された姿をじっと観察していく。

 

 雪のように白い肌はファンデーション(白粉のようなもの)で整えなくとも、日本人から見れば綺麗すぎる。紫外線対策に最低限の下地だけ練り込んであるようだ。さらにはアリシアの可愛らしさを引き立てるように、唇にはピンクのリップが塗られている。しかも、頬にチーク(頬紅のこと)が施されているものだから余計に魅力が増している。

 

 アリシアの明るい性格を補強するかのような薄い化粧。他の女性から見れば素顔のままでも充分なのに、美しい顔の造形はさらに洗練されて、周囲から見ればますます輝いているように見える。

 

 卑怯である。世の女性はマスカラ、リップ、マニキュア、さらにはヘアカラーで武装を施さねばならないというのに、アリシアという少女はそのままでも完成された存在なのだ。そこにちょっとした工夫をするだけで、此処まで違うのかと悔し涙を流したくなる。

 

 簡単に言えば、薄い化粧が施されたアリシア、まじ可愛いである。少なくとも、化粧なんて一ミリも興味ない不破なのはが魅了される位には。

 

 ただ、残念なことに泣きながら逃げまくったせいで、せっかくの化粧が崩れて魅力半減である。見る人が見れば保護欲を湧き立てる姿なのだろう。

 

「……すごく、良い」

「なのは、どうしたの……? ボクの顔に何か付いてる?」

 

 現に約一名がチャームの状態異常に掛かっているのだから。

 

 なのはさん。擬音語で表すると、ぽけ~~とか、ふわふわ~~とか、意識が半分くらい飛んでいる様子。詳しく言えば、アリシアをじっと見つめたまま呆けたように固まってて、目の前に手をかざそうが、激しく手を振ろうが反応しない状態である。

 

「そっか、なのちゃん。社交界に出席した経験ないから」

「普段のアタシらと印象が百八十度違うからしょうがないわよ」

 

 おかげで、すずか嬢はくすくすと微笑ましそうに眺めているし、アリサは肩を竦めてやれやれと呆れている。

 

「だったら、びっくりするんじゃないかな。アリサちゃんが、社交界ではお淑やかで慎ましい大和撫子のような、お嬢さんって評されてること」

「パパとママ、んんっ! 父様と母様に恥は掻かせたくないもの。すずかだって人見知りする癖に、明るくて社交的、まるで満月のように美しいお嬢さんって言われてるじゃない」

「分かってて言ってるよね? あれは家名を貶めない為の演技だってこと。わたしだって猫くらい被るよ?」

 

 上流階級とは一般家庭よりも裕福な生活を送れる分、その苦労も半端ではない。上に立つ者としての重責。下々から、他家の人間から恥ずかしく思われない為の品格と立ち振る舞い。その苦労が滲み出ている年に似合わない少女達の会話。

 

 次期当主のアリサ。次期当主候補のすずか。彼女達も裏の世界や魔法の世界に片足を突っ込んでいるなのはとは、別の意味で苦労しているようだ。

 

「アリシアも大人しくしていれば、すごく可愛らしいお嬢さんで済むのに。あのままじゃおてんばなお姫様よ。だから教育係の苦労が知れるってわけ」

「その割にきちんと面倒見てるんだよね。アリサちゃんが学んだことを、進んで教えちゃうくらい」

「別に。姉として見苦しいから放って置けないだけ。妹になったアリシアが可愛いわけじゃ……ないんだからっ」

 

 そんなこんなで、社交界デビューは当分先ね、とか。アリサちゃん苦手じゃなければすぐに吸収しちゃう天才肌だから、教育係の人もアリシアちゃんも大変そうだよ、とか。いろいろと子供らしくない世間話で盛り上がるなか。

 

「……かわいい」

「なのはもドレス着てみる? きっと似合うと思うけどなぁ」

 

 一目惚れしたような状態の不破家の末っ子はアリシアのドレスをずっと眺めていた。

 

 子供用とはいえ高級な生地で仕立て上げられたドレス。触ってみると素材の良さがよく分かる。分かりすぎて困ってしまう。

 

 肌触りが良すぎてゲレンデのように滑るのだ。しかも、ぐっと押し込めば包み込んでくれそうなほど柔らかい。着心地は想像するまでもなく良いだろう。表面に施された刺繍も見事なもので、一流の職人が丁寧に施した意匠だと分かる。

 

 アリシアも自分の華やかな衣装に憧れているのかと思って、なのはにされるがままだった。正しくは衣装を着こなしたアリシアの姿なのだが。まあ、間違っていないから良しとしよう。たぶん、訂正しても聞こえないだろうから。

 

「この服を着せたまま、はやてにお披露目しましょう」

 

 アリシアの姿に完全に魅了され、駄目っ子と化したなのは。

 

「はっ?」

「えっと?」

「ん? おひろめ? 新しい友達に、この格好で会いにいくの?」

 

 そんな彼女の口からとんでもない言葉が漏れた。人目に気を使うアリサとすずかが、ぽかんとして口を開いてしまったのも無理はない。それくらい、なのはの意見は常識を逸脱していた。まさしく、何言ってんだこいつ?状態である。お前は何処の子煩悩もとい親馬鹿ですかと。いや、友馬鹿か。

 

「なのは、アンタね。その衣装がいくらすると思って、だいだい……」

「ですが、こんなにも可愛らしいアリシア――」

「でも、なのちゃん。いきなり豪華な衣装に身を包んで会いに行ったら、絶対にビックリする。それに変に威圧させちゃうし……」

「ですが、こんなにも可愛らしくて、綺麗で、清楚なお嬢様になったアリシアが――――」

 

 それから、彼女の説得にアリサとすずかが苦労したのは言うまでもない。

 

 衣装の値段から手入れの大変さ。図書館で待ち合わせしているのに、こんな格好で行ったら異様に目立つこと。唯でさえリムジンで目立つのに、バニングス家が何かやらかしてると噂になること。はやてちゃんは庶民暮らしだから威圧とか圧倒させる真似はまずいこと。そもそも初対面でフル装備して来る友人ってどうよ、と印象の面でも色々とまずいこと。

 

 とにかく棒読みでアリシアの可愛らしさ、素晴らしさを繰り返すなのはを、アリサ達は肩を掴んで揺さぶりながら何とか説得し、四人と一匹は新しい親友となる少女に会いに行くのだった。

 




なのはさんに、Pさんが乗り移ったようだ。

トロフィー獲得
「貴女は私の半身」
「脱走の常習犯」
「実はシスコン」
「笑顔の裏に隠された素顔は?」

誰が何のとはあえて言わない。



本編に関係ないような話に見える今回。

アリシアがバニングス家に引き取られたらどうなる?→バニングス家って習い事多いよね?→お稽古に耐えられなくて脱走→涙目でなのはに縋りつくアリシア可愛い。

まで妄想したら筆が勝手に動いていた。何言ってるか分からねぇと思うが俺もry



アリシアの姿が想像つかない人。

まず、明るく笑うフェイトの姿を思い浮かべる。次に薄い化粧で画像検索して美人さんの姿を眺める。照らし合わせてアリシアの姿を想像する。

それでも思い浮かばなければ、ホテル・アグスタのなのは達のドレス姿を見ればいいんじゃね?

あっ、ドレスはお好みでピックアップしておくれ。曖昧な表現にしといたから。誰とは言わないけど、黒が似合う人は白も似合うよね。

ん、ということはプレシアさんもなのか!? あのロリ姿でフェイトの格好してた。衝撃的な画像のようにっ!? 美人は何着てもry

作者、この小説が終わったらマテ子たちにダンス踊らせるんだ……



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●八神はやてとの触れ合い

 八神はやて。

 第一印象は良く出来た女の子で、他人の気配りを忘れない優しい子。

 知れば知る程、わたしは彼女の事を似ていると思ったのだ。

 わたしの大事な親友の月村すずかに似ていると。

 

 友達にどんな秘密があっても受け入れて、受けとめてくれるようなおおらかさ。

 足が不自由な環境で苦労しているのに、それを表に出さないひた向きな強さ。

 どこか人との繋がりを求めているのに、それを躊躇っている姿も、とても良く似てる。

 

 きっと傍で過ごしている人間は守ってあげたくなるだろう。

 優しく接してくれる彼女を放って置けないだろう。

 

 なら、はやての遠い親戚と紹介された彼女達もそうなのだろうか?

 シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル。

 彼らは大切な者を護ろうとわたしを警戒しているのか、それともはやてを利用していて、それに勘付いたわたしが邪魔なのか。

 

 みんなを護るためにも見極めないと。

 そう思っていたのに……

 

 ◇ ◇ ◇

 

「「お邪魔しま~~す!!」」

 

 約二名の元気な挨拶が家の廊下に響き、それに隠れるように大人しめな声と無機質で淡々とした声の挨拶が続く。

 

「ほんまにいらっしゃい。なのはちゃん。すずかちゃん。アリシアちゃん。アリサちゃん。どうぞゆっくりしてってなぁ」

 

 それを出迎えるのは幼くも暖かな声。

 車椅子に座る少女、八神はやての声だ。

 

 彼女は世話をしてくれる家族の一員。シャマルと呼ばれている女性の袖を引いて車椅子を動かして貰い、迎え入れる予定の五人の少女に向き直り挨拶をすると、とても嬉しそうな顔で友人たちを招き入れた。

 

 そう友人たちだ。図書館で待ち合わせして、なのはの紹介の元で出会った少女たちはあっという間に打ち解けた。それこそ、本当に初対面と疑問を抱いてしまうくらいに仲良くなったのだ。

 

 これには、はやての親しみ易いおおらかな性格のおかげでもあったし、何よりもアリサという何かと世話を焼きたがるお節介な少女と、アリシアという初対面でも気にせず接していく彼女の活躍があったのが大きいだろう。さすが血が繋がっていないのに、学校で似たもの姉妹と謳われる事はある。もちろん騒がしいという意味で。

 

 そんな中で、なのはだけは浮かない顔をしていた。

 

 シャマルという女性と再び邂逅してから難しい表情をしたり、不安そうな顔を浮かべては誰かしらに、どうしたのと尋ねられて何でもないと返す始末。正直に言えば誰が見ても何かあると疑ってしまうくらい。それくらいには不審だ。

 

 追求しないのは、はやての前でことを荒立てたくないから。なのは以外は初対面なのに、いきなり険悪そうな雰囲気になるのは不味いと考えて、ほぼ全員の思惑が一致しているからだ。

 

 そんならしくない態度も、八神家の廊下から出迎えに現れた家族を見て、ますます大きくなった。なのはの中で疑心はさらに膨れ上がる。

 

 桃色の髪を高く上げて纏めた武人のような女性。燃えるような赤毛をおさげにした女の子。大人を軽々と乗せれそうな体躯をした蒼い毛並みの狼。はやてからそれぞれシグナム、ヴィータ、ザフィーラと紹介される遠い親戚と、そのペット。彼らを目にした瞬間、アリシア達を庇うように前に出ていた。

 

「なのはちゃん、わたしの家族がどないしたんか?」

「……えっ?」

「あっ、もしかしてザフィーラが怖かったん? でも、安心してええよ。ライオンみたいに大きいけど、噛みついたりせえへんから」

 

 恐らく本人も無意識に取った行動なのだろう。はやてにそのことを問われて、ようやく気が付いた様子だった。なのはの身を案じるフォローも恐らく耳に入ってはいまい。

 

「この子の代わりにアタシが謝るわ。ごめんなさい、はやて。この子、ちょっと人見知りの気が強くて、打ち解けないと警戒すんのよ」

「そうなんか? わたしにはすごく親切やったけど」

「はやてはきっと特別なのよ。アリシアみたいに、ね」

 

 そう言ってアリシアの肩を軽く叩くアリサ。

 

 なのはは内心でアリサに感謝しながら、失礼な態度をとってごめんなさいとはやてに謝った。

 

 本当は声に出して謝罪するべきなのだろう。でも、抱き始めた警戒心はそれを許さなかった。自分でもどうして、はやての家族に敵意をむき出しにするのか分からない。でも、心臓が早鐘を打って身体が強張るのだ。こいつらに対して油断してはいけないと、不破として鍛えられたなのはが囁いている。

 

 向こうも警戒しているのか、しばらくなのはを観察するように見つめていたが、ふと武人のような女性が微笑んでかぶりを振った。

 

 どうしたのだろうと、なのはが疑問に思えば答えはすぐに分かった。

 

「ねぇねぇ、はやて。家の中からおいしそうな香りがするんだけど、何か作ってる?」

「おっ、アリシアちゃんは鋭いなぁ。実は皆を歓迎しようと思って野菜カレーを煮込んでたんよ。今夏場やし、ばてたらあかんから」

「おぉ~~、実はボクお腹ペコペコなんだ。ダンスの練習で疲れちゃった」

「ほんならすぐにお昼の用意やな。たくさんあるから、いっぱいおかわりするんやよ」

「やったーっ!」

 

 なのはの警戒をよそに、アリシアとはやては昔からの友人のように仲良くなっていたのだ。それを見たシグナムも思わず微笑んでしまったのだろう。それどころか、なのはに対する注意さえ薄れたようだった。

 

「食べ過ぎないように、程々にしときなさいよ?」

「は~~い!」

 

 おまけにアリサも便乗するように打ち解けていて、自分でも警戒するのが馬鹿らしくなってくる。

 

 それでも抱き始めた怯えや恐れといった感情は、なかなか治まろうとしなかった。だから、自分が此処にいるのは場違いなんじゃないかって不安になる。これでは、せっかく楽しんでもらおうと自宅に招いてくれたはやてに、申し訳が立たない。

 

「大丈夫だよ。不安ならずっと手を握っていてあげるから」

 

 そんななか、なのはを安心させるように、すずかが暖かく手を包んでくれた。握られた彼女の体温を感じてびくりと身体を震わせるほど驚いて、思わず目を白黒させてしまったが、じっと見つめられると不思議と心が落ち着いていく。

 

 赤い。赤い。真っ赤な緋色の瞳がなのはを捉えて離さない。吸い込まれるように瞳から目を逸らせない。ずっと見つめていると不思議と頭の中に霞が掛かってきて、なのはは警戒するのも忘れて呆けてしまう。それくらいに彼女の瞳は魅力的で、美しい宝石のように綺麗だった。

 

 なんだこれは? この囚われるような感覚は? 身を委ねてしまいそうになる感覚はなんだ?

 

「ッ……!!」

 

 ハッとして、なのはは幻惑を振り払うかのように頭を強く振る。不破として心身ともに鍛えられてきた彼女の防衛本能がそうさせる。囚われてはいけない。身を委ねてはいけない。自分は常に強くなければならない。

 

 だいたい、すずかの瞳の色は夜のように深い藍色だ。決して血のように赤い緋色ではない。現になのはを見つめる瞳は綺麗な夜の色をしている。

 

「そっか、ごめんね。考え事をしてたのに邪魔しちゃって」

「いえ……」

 

 今のは何だったのだろうかと、なのはは首を傾げるしかない。あの囚われるような感覚は錯覚ではない、筈だ。

 それとも警戒しすぎて、疑心暗鬼に囚われて、幻覚でも見たのだろうか?

 それこそ、まさかである。

 

「あっ、でも、手は握っていて下さい。その、嫌ではありませんので」

「えっ……?」

「ですから……その、手を、握ってて……」

 

 なのはの言葉にぽかんとした様子のすずかだったが、頭の中で意味を理解すると、嬉しそうに「うん、わかったよ。なのちゃん!」と頷いてぎゅっと手を握ってくれた。

 

 普段から他人を遠ざけて、自分に触れさせないように一定の距離を保つなのはだが、だからといって触れ合うのが嫌いな訳ではない。むしろ親しい人には気を許して、こうして甘える時もある。

 

 それは彼女が愛情に飢えている証拠でもあるし、決して強くなんかなくて、むしろ抱え込んだ不安でいっぱいの女の子であることを少なからず示している証拠でもある。

 

 はやてには悪いが、今はこうしていないと落ち着かない。自分の遠い親戚だと紹介された、似ても似つかない家族たち。そいつらに対する疑いの眼差しが完全に晴れるその時までは。

 

 なのはは自分を落ち着かせるように、胸に手を当てると、小さなため息を吐くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 結論から言うと、なのはの心配は杞憂だった。というか陥落していた。

 

 美味しい料理の前に。

 

 だって、こんなにもカレーが旨いのだから。いつも気まずい家族関係で料理が美味しいと感じられない自分を唸らせる味。肉体を健全に維持する為と無理やりお腹に詰め込む作業とは訳が違う。僅かに顔を綻ばせて食が進むのも無理はなかった。

 

 故に対立を招くのは必然である。

 

「はやて、おかわりをお願いしてもよろしいですか?」

「はいはい、待っててなぁ」

「はやての料理がギガウマで、おかわりするのは分かる。けどな、テメェはいくらなんでも喰いすぎだろ!? ふざけんな、少しは自重しろよ!!」

「そうだぞ、なのは。残りのカレーライスはボクのモノだ」

「あっ、テメェ。抜け駆けは卑怯だぞ」

「あっ、みんな喧嘩したらあかんよ。おかわりは、まだまだあるんやから」

 

 しれっとおかわりを要求するなのはに、ヴィータが噛みついて抗議し、アリシアも参戦するカレー争奪戦。

 

 幸いにもヴィータとは席が反対側だったため、妨害されること無く、隣に座るはやてにおかわりを要求できる。だが、運悪くヴィータと隣同士だったアリシアは互いの頬を引っ張り合って、カレーを渡さんと微笑ましい喧嘩を繰り広げていた。

 

「珍しいわね。なのはが何回もおかわりするなんて」

「そうだよね。いつもはわたし達の用意する高級料理だって遠慮して、あまり食べないのに」

 

 アリサとすずかは本当に不思議そうな顔をして、なのはの顔をじっと見つめていた。それが恥ずかしくて、噂されている少女は顔を俯かせる。既におかわりの回数は三回を超えている。毎日鍛錬を繰り返して活動源を消費しているとはいえ、少々喰いすぎだ。

 

 普段は弁当の時でもあまり食べないのだ。別に小食という訳でもなく、それどころか放って置けば早食いして数分ほどで楽しい食事を終わらせてしまう。彼女を惹きとめる為に多めのおかずを用意して、アリサとすずかのあ~ん合戦で足止めするくらいだ。それくらい食に拘らない。

 

 せっかくの高級料理(下手すれば三大珍味クラスの料理が陳列するときもある)も、あまり食べようとしない。アリサが理由を聞けば、美味しいと思います。でも、あまり味を感じないんです。とのこと。

 

 不破の武術で鍛えられたなのはは健康そのもの。ならば、問題は味覚ではなく、心理的な部分にあると判断するのは容易。なら楽しい、嬉しいと喜びでいっぱいにして美味しい食事を摂らせれば、食の感動を得られる筈。そうした試行錯誤が家庭の事情を知ってから、一年くらいはアリサとすずかで続けられていた。

 

 まさか、これほど簡単に陥落させられるとは驚きである。

 

 二人してカレーライスを口にする。

 確かに美味しい。食だって止まらないくらい良く出来たカレーだろう。少なくとも美食家のお嬢様を納得させられる出来だ。

 でも、三ツ星料理人に匹敵すると聞かれれば、そろって首を振る。

 

「う~ん、何が違うのかしら」

「友達の手料理だからとか?」

「でも、それはアタシ達だってやったことあるわよ」

 

 アリサの答えに、そうだよねと頷くすずか。結果は散々だったけど、苦笑いしながら食べてくれたのが懐かしい。なのはの、あの時の表情は嬉しそうだったと二人は記憶する。微妙な味に顔をしかめたのも事実だけど。

 

「はやて。アンタ、カレーを作るときに何か隠し味でも入れたの?」

「別に何もしとらんよ? ただ、みんなが喜んでくれるように愛情をたくさん込めて作っただけや」

「じゃあ、愛情をこめて作っている筈なのに、皆からいつも敬遠される私の料理は何なんですかぁ!」

「あはは……シャマルは、もうちょい料理の基礎をがんばろ。わたしだって出来るんやから、なぁ?」

「うぅぅ……」

 

 ならば原因はカレーを作った張本人であるはやてにあると、アリサが質問してみても、ありきたりな答えだけで特別なことは何もしていないらしい。それだったら財閥お抱えの料理人も、弁当を作ったアリサ達も込めているのだが。

 

 ちなみにシャマルの料理と聞いて眉を潜めたシグナムと、子供の喧嘩を続けるアリシア、ヴィータの間で、シャマル本人が涙を流して訴えてくるのはご愛嬌である。

 

「なのちゃん。このカレー、何処が美味しかったの?」

「……家庭の味」

「えっ?」

「懐かしい、お母さんの味。わたしも……昔はこうして、家族みんなで楽しく、ご飯を……」

 

 よく、おふくろの味と評されることがあるが、なのはの場合はまさにそれだった。

 

 このみんなで騒ぎながら囲んだ食卓、そして毎日だれかの為に料理を嬉しそうに作るはやての経験、食の喜びを知らなかった守護騎士に料理の美味しさを教えるような優しい味。それらが合わさって、なのはの心を郷愁に打ち震わせた。もう二度と戻らない幼少期の、本人も忘れて久しい過去の光景、その感覚を。

 

「なのちゃん……泣いてるの?」

「あれっ、えっ……?」

 

 気が付けば涙を流していたらしい。驚いた様子のすずかに指摘されて、ようやく気が付いたかのように目元を拭う。手に伝わる涙の感触。泣くことなど在り得ない、在ってはならない。自分に泣く資格はないと否定しつつも、なのはは困惑を隠せなかった。

 

「これは眼にゴミが入っただけで、泣いてるわけじゃ……そうです、わたしは泣いてません」

「そう言う事にしておくから、このハンカチ使いなさい」

「ぐすっ、ありがとうございます。アリサ」

 

 だから、慌てたように否定して、アリサにハンカチを借りた礼を言いながら、誰にも見られないように目元を丁寧に拭うなのは。心を落ち着かせれば、後にはいつもどおりの無表情な少女がいた。それを残念そうに思いながらも、微笑ましそうに見守るアリサとすずかもいた。

 

 焦る必要はない。少しずつ心を取り戻していけばいい。そうすればきっと彼女は素敵な笑顔を毎日見せてくれるようになる。えへへと笑いながら、アリサちゃん。すずかちゃんと元気に挨拶してくれる。そんな子に戻るんだろうから。

 

◇ ◇ ◇

 

 はやては満たされていた。満たされ過ぎて、心から満足を覚えてしまうくらい幸せだった。

 

 微かに残る顔も良く思い出せない両親と幸せに過ごした記憶。そこからずっと独りぼっちだった彼女は、日々を淡々と過ごしながら生活していた。そしてある意味では満たされていたのだ。

 

 父の古い友人と名乗るグレアム叔父さんが財産を管理してくれるおかげで生活費には困らない。少なくないお金で贅沢だってすることも出来るし、好きなものも買えた。それだけの金額をはやては渡されている。

 

 もっとも、欲しい本と必要経費以外はほとんど使っていない。自分一人では到底使いきれない金額に困って、どうしたものかと貯金ばかりしていたが、それで新しい家族を養うことが出来たのだ。感謝すれども、不満はないに等しい。

 

 もちろん寂しいと思ったことも一度や二度ではない。料理を作り、本を読んで気を紛らわせても孤独の寂しさに苛まれる時がある。一人でテレビを見ている時、食事の用意をした時、帰ってきてただいまと言ったとき。どうしても寂しいと感じてしまう。

 

 朝起きて誰もいない家。夜が深くなれば近所の喧騒も消えて無音のような世界になる。近所との付き合いなど無きに等しい。家族も友達もいない。孤独を感じる要素何て探せばいくらでもあった。夜に枕を濡らしたのだって何度も経験した。

 

 でも、慣れてしまえば大したことではない。必然的に彼女は小さな満足で幸福を覚えるようになった。本を読んで居れば周りを気にすることもないくらい物語に集中できる。

 

 彼女は幸せだった。

 

 それが大きな幸せに変化したのは今年の誕生日を迎えてからだ。

 良いこと尽くめが多すぎて夢なんじゃないかって錯覚するほど、色んなことが起きた。

 

 はやてに家族と呼べる人たちが出来た。正確に言えば人ではないらしいが、それでも家族であることに変わりはなかった。

 守護騎士。いつの間にか家の書物に紛れていた闇の書と呼ばれる魔導書。そこから現れた四人の人物達。

 

 シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。はやてを主と呼び慕う彼らに、最初こそ戸惑いと驚きを隠せず初対面で気絶するという醜態を晒した。しかも、彼らは常識というものをほとんど知らなくて、服の着せ方から食事といった日々の生活に必要な事を教えるのに苦労した。

 

 でも、それ以上に喜びの感情が勝っていたのは事実だ。挨拶すればおはようからおやすみまで言葉を返してくれる。日々の話題を会話の種に、話し掛ければ自分で色々と考えて応えてくれる。他人と接するという喜びをはやては知った。

 

 病院に文字通り担ぎ込まれてから帰宅して、みんなで一緒に眠った時、はやては他者の温もりの暖かさを感じて心地よく眠れた。夢にまで見た誰かと川の字になって眠る行為は、寂しさを忘れさせるのには充分すぎた。

 

 或いは一生懸命作った料理を食べてくれて、美味しいと言って貰ったときの感動。一緒に出掛けて色んなことに一喜一憂したり、ショッピングモールで好奇心旺盛に出店を巡ったり。一人では感じられなかった楽しさを感じることが出来た。

 

 そう、毎日が楽しすぎてはやては、さらに大きな満足感を得るようになったのだ。こうなると元の生活に戻りたくないと思うのは当然として、それどころかさらに求めるようになってしまうのは、今まで我慢してきた反動なのだろうか。

 

 学校に通ってみたいと思った。友達と一緒に勉強して、放課後には遊んでみたいと思った。一緒に出掛けたいと思った。修学旅行は? 映画館は? 帰りの食べ歩きやウインドウショッピングは? 祭りに参加して皆で花火を見たら、どれだけ楽しいんだろう。

 

 いろんな出来事を想像しては、あれしてみたい、これしてみたいと、望むようになった。それらを想像して頬を緩めてしまうことも多くなった。

 

 そんな矢先の事だ。今度は家族みんなで祭りに行ってみようとはしゃいで、夏を過ごし始めてから友達と出会ったのは。不破なのはという女の子に出会う事になったのは。

 

 はやては、それをきっかけに四人の友人を得ることが出来た。ここまでくると神さまのくれた贈り物じゃないかって、思ってしまうくらいだ。

 

 故に、彼女は満たされ過ぎていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 食事の後は家での遊びで盛り上がった。はやての足が動かないので当然とも言えるが。

 

 トランプを使ったババ抜き、ジジ抜き、七並べから始まり。仮初の人生を楽しむボードゲームで億万長者を競ったりと遊ぶ遊戯は様々だ。家には話題のテレビゲームなども置かれていたが、アルフとザフィーラを抜けば八人という大人数だったため、皆で遊べるゲームを選択した結果である。

 

 超が付くほどの幸運で目当てのカードを引き当て、ボードゲームで良い目ばかりを出すアリシア。虚言やポーカーフェイスなどの駆け引きで相手を惑わし、自分や身内に有利な状況を作りだすシャマル、アリサ、すずかの三人。守護騎士からの贔屓(ひいき)で最下位だけは免れるはやて。それらに振り回される事無く普通を維持するなのは。そして、全ての煽りを受けいらないカードを引き続けるシグナムや、とんでもない額の借金を背負って不動産に全財産を売り払うヴィータなどなど。

 

 ただの遊びなのに大いに盛り上がって、一喜一憂する子供たちの姿がそこにはあった。

 

 一人の子供を除いて。

 

「みんな、お風呂沸いたけど、どないする~~?」

「見ての通り、今忙しいから後にするわっ!」

「ふっふっふっ、アリサお姉ちゃん。このハンマーで画面外までぶっ飛――ああっ、ハンマーの先端が取れて柄だけにっ」

「へっ、貰ったぜ! このホームランバットで止めだ!」

「ごめんね、ヴィータちゃん。そこ地雷原だから」

「な、いつの間に……」

 

 楽しい時間は過ぎるモノで、既に時刻は夕方を回り始めている。夏場だから、まだまだ外は明るいが、子供は暗くならないうちに帰らなければならない。ましてやアリサとすずかはお嬢様なのだ。門限だって厳しいだろう。

 

 だから、はやては皆が帰る前に、友達と一緒に入るお風呂というものを経験したかったのだが。料理の下ごしらえをしながらリビングを見れば、かの有名な乱闘ゲームで盛り上がっている様子。対戦は中々に白熱している様子だった。

 

 これは声を掛けにくいなぁ、と思いつつもはやて本人の笑顔は絶えなかった。皆がすごく楽しそうにしているのがとても嬉しいのだ。それを眺めているだけでも、とても幸せな気分になれる。あの独りぼっちだった頃と比べて随分賑やかになって、それが嬉しくて堪らない。

 

 アリサ、すずか、ヴィータ、アリシアがテレビの前でちょこんと座ってゲームで盛り上がるなか、ソファの後ろではシグナムが新聞を読みながら、子供達が歓声を上げるたびに様子を覗き見ている。最近では剣道場で子供に鍛錬を施すバイトをしているというし、意外と子供好きなのかもしれない。顔は、随分と穏やかだった。

 

 その隣ではカーペットで横になるザフィーラと仔犬のアルフの毛並みを整えているシャマル。彼女も一喜一憂する子供たちの様子を見ては、クスクスと微笑ましそうに笑う。彼女も昔と比べて随分と感情豊かになった。

 

 そうして、楽しそうな光景を眺めるなかで、一人だけ場違いな雰囲気を醸し出す少女がいた。窓際に座り込んで外の景色ばかりを眺めている少女、不破なのは。

 

 ぼうっとした様子で空を眺めている彼女は、アリサやアリシアがゲームを進めても静かに辞退していた。やや強めにアリサが進めても、哀願するようにアリシアがお願いしても微動だにしない。すずかが言うには、一人で考え事をしているのだという。だから、しばらくそっとしておいてね、とはやては言われた。

 

 しかし、気にならないと言えば嘘になる。

 

 思えば、なのはという少女は出会った時から、哀しい顔ばかりしていた。何と言うか状況を心の底から楽しめていないというか。

 

 確かに笑いもするし、怒ったりもする。人形みたいな表情の裏で、ふと感情を浮かべることは多々あるのだ。でも、それらはすぐに押しこめられてしまう。今日の食卓にしたってそうだ。何かを懐かしむように泣いていたのに、すぐに感情を殺してしまった。

 

 まるで自分にはそうする資格など無いとでも言うように。

 

(よし、決めた)

 

 あの子と一緒にお風呂に入ろう。共に背中を流し合えば、何か本音を明かしてくれるかもしれないし、新たな友情が芽生えるかもしれない。そう安直に思い至った八神はやての行動は、思いのほか早かった。

 

「なのはちゃ~ん。良かったら、わたしと一緒にお風呂入らへんか?」

「わたしと、お風呂ですか? いいえ、遠慮しておきます」

「ありゃ!?」

 

 そして撃沈するのも早かった。はやての思いきった提案は、あろうことか考慮の余地もなく一蹴されてしまう。

 

 もうちょっと譲歩とかしてくれてもええのにぃ……と苦笑いするしかないはやて。しかし、なのははお風呂という単語には反応したらしい。少しだけ首を傾げると何かを考えているようだった。

 

「ですが、そうですね。心身を落ち着かせるために湯浴みという選択肢も悪くありません。申し訳ありませんが一人で湯船に浸からせて頂きます。長湯はしませんのでで御心配なく」

 

 が、よりいっそう一人に為るための口実を手に入れただけだったらしい。シャマルに風呂場の場所を聞きながら、なのはは早足にリビングを去って行った。

 

(しまった。わたしとした事がやってしもううたぁ~~!!)

 

 苦笑いしたまま固まって、はやては心の中で頭を抱えるしかない。まるで千歳一隅のチャンスを逃してしまったような気分だった。

 

『はやてちゃん。はやてちゃん。チャンスです』

『この頭に響く声はシャマルか? チャンスって何がや?』

 

 そこへ差し出された救いの手はシャマルだった。念話ではやてに喋りかける彼女は、ザフィーラ達の横で、妙案を思いついたように得意げな顔をしている。

 

『ここで、はやてちゃんのお世話を頼むんです。実は一番風呂に拘っていて、でも一人ではお風呂に入るのが難しいから手伝って欲しいと』

『そうか、その手があった。でかしたよシャマル!』

 

 一番風呂は、あからさまに怪しい理由だが、それでも半分はある意味で間違っていない。はやての足は不自由だから、誰かの介護がないと風呂に入るのも一苦労なのだ。必然的に面倒見が良さそうなあの子のことだから、見過ごすことなど出来はしないだろう。

 

『しかし、危険ではないだろうか。もしも主の御身に何かあったら、どうする? 我ら守護騎士の内、誰か一人を付けるべきだろう』

 

 ここで異を唱えたのはシグナムだ。それもある意味で間違ってはいない。はやてはまだまだ子供だし、身体も幼い。大人として心配するのは当然の事だった。体格的に大差ないなのはに面倒が見きれるだろうかという不安もある。それにあの少女は……

 

『大丈夫や。これでもわたし、みんなが来る前は一人でお風呂に入っとった。だから心配せんでもええよ?』

『主……』

『主はやて……』

『はやてちゃん……』

『はやて……』

 

 それをはやては明るい声で抑えた。それは気にしてもいない風だったが、あまりにも悲しい言葉。足に障害を背負った少女がずっと一人っきりで過ごし、それに慣れてしまっているという現実。守護騎士一同が揃って主を想い、心を痛めるのも無理はなかった。

 

『そんな声せんといて。今は皆が居てくれるから平気や。それよりもシャマル、悪いけどすぐにでも準備してくれるか? わたし、あの子の事がどうしても気になるんや』

『――ええ、はやてちゃん。でも、何かありましたら、遠慮なく呼んでくださいね。すぐにでも駆けつけますから』

『モチのロンや。お願いなぁ』

 

◇ ◇ ◇

 

(何をやってるんですか、わたしは……)

 

 身に纏う服を脱ぎ捨て、掛け湯で身体を清めたなのはは、ゆっくりと湯船に浸かると身を沈めて落ち込んだ。

 

 素直に友達の家で楽しめない自分、はやての家族を疑っている自身に対する嫌悪感。不破として何時如何なる時も警戒するよう鍛えられた自分と、なのはという女の子として素直になりたい自分の狭間で揺れ動く心。九歳の少女には似つかわしくない苦悩がずっと身を苛んでいた。

 

 おまけに、ジュエルシード事件によってもたらされた非日常は、過去の殺人というトラウマを刺激するには充分で、実際にアリシアをその手で殺しかけた。プレシアを助けられず、アリシアが記憶の一部を忘れなければならない程、心の傷を負わせてしまった。それらに対する自責の念もある。子供が背負うにしてはあまりにも重すぎた。

 

 厳しい鍛錬を施す父の士郎とは微妙な関係が続いているし、あの人は厳格だから怖くて相談できない。自らを護る為に心の殆どを殺したなのはとっては、やっぱり父親だし、心の奥底で何も感じないわけがないのだ。ただ、じっと耐えているだけである。

 

 かといって根底では優しすぎるなのはが、アリサ達に相談できる筈もない。頼れる兄の事も同様。この少女は苦悩を打ち明けて相手に迷惑を掛けるくらいなら、黙っていた方が良いと全部溜め込んでしまうのである。苦しむのは自分だけでいいと、それで自分が壊れてしまっても構わないと思っているのだから。

 

「なのはちゃん? ちょいとええかな? お邪魔するよ?」

「えっ、この声、はやて……? だ、駄目です!」

 

 だが、それを無視してでも彼女の心に押し入ってくる存在がいた。八神はやてである。他の子供たちが空気を読んで、なのはをそっとしている中で、彼女は敢えて深く悲見入ろうというのだから大した胆力である。或いは強引な娘か。

 

 とにかく風呂場の扉を押しあけて入ってきた事実に、なのはは肩まで湯に沈めていた身体をさらに沈め、恥ずかしそうに顔の半分まで隠してしまった。

 

 上目使いで闖入者を見やれば、シャマルに抱えられて綺麗な裸体を晒したはやてがいる。足が動かない彼女の世話役なんだろう。いわゆるお姫様抱っこで風呂の洗い場に入ると、掛け湯ではやての身体を流し始めた。なのはの意志を無視してでも一緒に入ると予想するのは簡単だ。

 

「どういう、つもり、ですか?」

「ごめんなぁ、なのはちゃん。でも、こうして友達とお風呂に入るの夢やったんよ。家族と一緒に入るのは経験したんやけどね」

「ここは百歩譲って、はやてちゃんのお願いを聞いてくれませんか? なのはちゃん」

「そういうことなら、別に……」

「ほんま、おおきになぁ」

 

 礼を言いながらも、はやてはシャマルと向かい合って髪を洗うのをやめない。最初は自分で洗おうと身体を動かしていたはやてだったが、それを抑えてシャマルが恭しく世話をし始める。髪を湯で濡らして、シャンプーを塗りこむように丁寧に丁寧に。まるで貴族かお姫様のような扱いだった。

 

 強引に入ってきた少女をジト目で見ながらも、なのははあることに気が付いて視線を逸らす。はやてはいわゆる女の子座りだったが、上半身を前かがみにするような体勢だったのだ。それは下半身に力が入らず、上半身を上手く支え切れていない証拠で。改めて彼女が足を動かせないのだと認識してしまう瞬間だった。

 

「ふぅ、さっぱりした~~。ありがとなぁシャマル」

「いえいえ、はやてちゃん。これも当然の務めですから。さあ、湯船に身体を付けますよ。万が一の事がないように気を付けてくださいね」

「心配してくれてありがとなぁ」

 

 万が一、というのはお風呂で溺れてしまわないようにという事だろう。誤って湯の中に沈んでしまったら、起き上がるのでさえ苦労するのだ。その先は想像したくもない。

 

 そうならないように誰かと一緒に入るか、溺れないように浴槽の湯を半分程度に留めて一人で浸かっていたんだろう。そう考えるとはやては随分苦労していると憐憫の情を抱かずにはいられない。出自の怪しさは別にして、はやての親戚と名乗る彼女達が居てくれて本当に良かったと思う。

 

 と、そこまで考えてなのはは気が付いた。何かがおかしい。

 

 シャマルは万が一の事がないように気を付けてくださいと言っていた。普通は気を付けます、ではないのか? だってシャマルも一緒に入ってはやてを世話するんだろう? でも、それだと服を着たままの格好をしている彼女の説明が付かない。まさか、はやてと二人っきりという訳ではないだろう?

 

 だが、冗談ですよね、と訴えかけるような、なのはの視線も虚しく、シャマルはにこやかに風呂場を去って行った。それを見送るように笑顔で手を振るはやて。どうやら本当に二人っきりにされるらしい。別にそれが嫌だという訳ではないが、苦手なのは事実だった。なのはの内面は自分で世話しきれるのかという不安が少々に、何を話していいのか分からない不安が大半である。

 

 忘れてはいけないが、完全に心を開かない限り、不破なのはという少女は人見知りするのだ。命がけで封印を共にしたユーノと、アリシアの母を愛する姿に親近感を覚え、仲良くなった例外なだけである。あの時は彼女達を世話しなければという、責任感もあったから。

 

 けれど、今はそういった理由がない。せいぜい少しだけ仲良くなったばかりで普通の人よりは親しい程度。境遇に同情は覚えるものの、なのはから積極的に親しくなろうとするには付き合いが足りない。まだ仲良くなって月日が二日程度というのもある。

 

 なので、ちょっとばかり距離をとるなのはだった。浴槽は不破家とあまり変わらないので、子供一人が距離を取るには充分すぎる大きさがある。さすがにバニングス家や月村家ほど豪華ではないけれど。あれは風呂というより温泉だろうと、なのはが珍しくツッコミを入れるくらいデカかった。

 

「なんか、図書館で会ったときと比べて、偉くよそよそしいんやね。どないしたの?」

「いえ、あの時は困っている貴女を放って置けなかっただけで。それに最初の時も言いましたが、わたしなんかと話してもつまらないだけです」

「そんなことあらへん。なのはちゃんの話、知らないことばっかりでとても面白いんよ? これは、お世辞やのうて、わたしの素直な気持ちや」

「そうですか」

「でな、すずかちゃんとか、アリサちゃんとか、アリシアちゃんとはいっぱい話したんやけど、なのはちゃんとは全然喋れてへんやろ? もっとお話したいんよ」

「え、ええ……」

 

 足が上手く動かないのに、ずいっと迫ってくるはやてに、なのはは困惑する。なのはの態度はそっけなく、あしらっているとさえ勘違いされても仕方がないのに、それでもめげずに急接近して来るのだ。アリサとはまた違った強引さに、どうすればいいのか分からなくなる。

 

 後ろに下がろうにも、浴槽に壁が背中に当たって退路はない。はやてを置いて逃げ出すという選択肢はなく、そもそも頭は混乱しすぎて思考は乱れまくっている。

 

 どうして、はやては自分に興味を持つのだろう? そんな疑問ばかり頭に浮かんでは消えていく。友達として当たり前かもしれない行動が、なのはには分からないのだ。対人経験が不足しているから、仲良くなろうとしていると素直に受け取れない。常に警戒している心が疑心暗鬼に陥れる。

 

 が、そんなの関係ないと言わんばかりに、はやては接してくるので、困惑するのである。それはある意味、未知との遭遇だった。

 

「だから、そんなに遠慮せんで、もっと積極的でもええんよって……なのはちゃん、その傷は……」

「あっ……ッ!!」

 

 ふと、はやてが驚いた様子でなのはの身体を凝視したのに気が付き、慌てて身体を隠そうとするがもう遅い。そもそも腕で身体を抱こうとも、原因は腕にだってある。それでは隠しきれる訳がない。

 

 それは傷というにはあまりにも生々しい痕だった。なのはの身体は打ち身や打撲で出来た痣だらけだったのだ。酷いと一生残りそうな肌の傷跡さえあった。

 

 なのはは堪忍したように肌を隠すのをやめた。ただ痛々しい身体を見られることに抵抗があるのか、身体を背けてしまう。そうすると向かい合ってからでは見えない背中の傷も露わになって、全身傷だらけという驚愕の真実が顕わになってしまった。

 

 たぶん、なのはは意図したわけではないんだろう。それでも背けることを優先したのは、きっと顔を合わせることを良しとしなかったのだと思う。少なくともはやてからすればそう見えた。傷だらけの少女は目に見えて落ち込んでいたから。

 

 思えば、夏場だというのに彼女の格好は薄い長そでだった。少し気になって訪ねてみたが、返ってくるのは日焼けするのが嫌だからという単純な答え。だから、それで納得してしまって気が付かなかった。

 

「一体どないしたん……? もしかして……虐待とかされてるん……?それともアリサちゃん達の知らない所で虐められてるんか……?」

 

 本気で心配してくれてるんだろう。強張ったはやての口からは良くある出来事を漏らしていた。だが、どれも見当違いの予想である。見慣れぬ人が見れば信じられないかもしれないがこれは。

 

「……心配しなくていいですよ。そのどちらも当てはまりません。これは家の鍛錬で付いた傷ですから……大したものではありません」

「えっ……」

 

 これは、不破の厳しい鍛錬によって残った傷跡なのだから。それでも在り得ないような、信じられないと疑うはやての反応は間違いではないだろう。誰が見てもあまりにもやりすぎだと思うくらいに酷過ぎた。

 

 なのはは内心でうんざりするしかない。きっとクラスで問われたように家の事情を尋ねて来るに違いないから。それは彼女にとって苦痛でしかない。あまり居心地のよくない、悪く言えば嫌いな家の事情など話すだけでも嫌な気分に陥る。できれば思い出したくないのだ。

 

「その、触っても痛くないんか?」

「っ……平気です」

 

 だけど、真っ先に出て来たのは身を案じる声で、なのはは驚きを隠せなかった。労わる様になのはの身体を触るはやての手付きは、とても優しさに満ち溢れている。その瞳は見ているだけで包み込まれそうな慈愛に満ちている。

 

「それでも、痛かったやろ? 苦しかったやろ? 我慢なんかしなくたってええんよ」

 

 どうしてこんなにも八神はやては優しい? どうして友達だからというだけで、此処まで優しくなれる?

 

 いや違う、そうじゃないだろう。はやては無意識の内に別の事をしている。優しさだけに止まらず、なのはにとってもとっもに恐れている事をしようとしている。犯してはならない領域に、たやすく踏み込もうとしている。

 

 それは、なのはの心に触れること。

 

 アリサやすずかが、閉ざされたなのはの心を開くことは出来ても、奥底に隠された本心まで至ることが出来なかった。当のなのは自身が、心の内を明かすことを拒絶し続けてきた。それは最大の禁忌なのだ。

 

 何故ならば、本心に触れるという事は、なのはの隠し続けてきた全てを知るに等しいから。秘めた想い何て生易しいものではなく、溜まりに溜まった激情のすべてを受け止めると同義だからだ。

 

 大事な友達に、憎しみ苦しみ悲しみといった悪感情をぶつけてしまう。悪い意味での、なのはの本音を明かすということ。子供が背負うにはあまりにも重すぎ、そして子供にぶつけるにはあまりにも酷すぎる心の闇を、友達に曝け出す。なのははそれを良しとしない。

 

「辛いなら泣いてええんよ? わたしが胸を貸してあげるから」

「ッぅ……」

 

 はやてが包み込むように、なのはの身体を抱き締めてくれる。優しくあやすように背中を撫でてくれる。暖かいと感じるのはお湯のせいだけではないんだろう。

 

 肌と肌の触れ合いで、密着する身体の体温が伝わって来る。暖かな命の鼓動が聞こえて来る。そして暖かな温もりと共に、柔らかな肌の感触が理性を焼き焦がしていく。ともすれば、このまま身を委ねて甘えたい衝動に駆られてしまいそうになる。

 

「何が……やめ、て……離れて、ください……」

「なのはちゃん……?」

 

 だけどそれを赦さないのが不破としての、なのはの歪んだ在り方だった。

 口から漏れかけた。悪態や罵倒を寸で吞込み耐える。抱きしめてくれた少女をゆっくりと突き放す。

 

 背負い続けてきた業や負い目が、なのはに甘えることを断じて許さない。何故ならば自分にそんな資格はないからだ。心の底から愛されたいなどと願ってはいけない。そう彼女は思い込み続けて、戒めとしてきた。

 

 正直に言おう。この時、なのはは殺気立ってすらいた。

 

 それは本人が意図したものではないが、不躾に心に触れようとする輩に対して、反射的に発動した防衛本能のようなモノだった。咄嗟に俯いて視線を逸らさなければならない程に。

 

 きっと今のなのはは士郎と同じように、恐ろしい形相をしているに違いなかった。顔の表情が相手に対する敵意で歪んでいると、感覚が伝えてくるのだ。自分でもはっきりとそれが分かってしまう。

 

 こんな顔、友達に向けるべきじゃない。だからそれを必死で隠そうと深く俯いた。きっとはやてが見たら怯えてしまう、嫌われてしまう。それが怖くて、なのはは溢れ出しそうになる衝動を必死で殺した。例えるなら火の付いた爆弾の導火線が、それ以上進まないように、火傷すら辞さない覚悟で抑え込んでいるに等しい。

 

「大丈夫だから、怯えなくても、怖がらなくてもいいんよ?」

 

 だというのに、はやては容易く触れてきた。拒絶も心の壁もなかったかのように、震えるなのはの手を握りしめたのだ。

 

 その純粋すぎる瞳は、なのはに何をされても赦してしまいそうな程おおらかだった。まるで全てを受け入れてくれるような優しさと暖かさ。それに、もうどうしようもない程に心が揺さぶられてしまって。だから、なのはの我慢も限界を超えてしまうのは。

 

「貴女に何が分かるって言うんですかっ!!」

 

 無理もない話だった。

 

「何も知らない貴女が偉そうに、知った風な口を利かないで下さいっ!」

 

 気が付けば心にもない罵声を怒りのままに浴びせていた。でも、起爆した爆弾が元に戻らないのと同じで、それを抑える術はない。

 

「車椅子で一人っきりで生活するのは確かに大変でしょう……家族が居なくて独りぼっちで寂しかったのも、貴女のような子供には辛い話でしょう……でも、そんな不幸自慢みたいな境遇で、わたしに同情するくらいなら……わたしに触れるんじゃないッ!!」

 

 自分は今何を喋ってるんだろうとなのはは思う。衝動のままに叫んでいる言葉は最低で最悪だ。でも止める事なんてできない。

 

 それは溜まりに溜まったどす黒い感情だ。どうしようもなく抑えられない衝動だ。決壊したダムは溜め込んだ水を吐きだすまで止まらない。

 

「分かる筈がないんです!! だって、貴女は罪を犯したことがないでしょう!? 人として赦されざる行いを犯したことがないでしょう!? そんな貴女にわたしの苦しみを理解できる筈がないっ――!!」

 

 声を荒げて、激しく呼吸するくらい叫んだあと。なのははようやく自分の犯した過ちに気が付き、顔を青褪めさせた。誰も見たことがないくらい怯えて、小動物のように身体を震わせていた。

 

 さっき、自分は何を口走った? 

 そうだ。この少女に対して最低最悪な言葉をぶつけたのだ。しかも、殺気を伴って。

 

 だから、頭の中にある思考も、心の中にある感情もグチャグチャで訳が分からなくて、どうすれば良いのか分からなくなって。

 

 嫌われてしまうと思った。逃げ出したい。今すぐこの家から逃げ出してしまいたい。今のなのはの心はとても脆いのだ。剥がれかかった強がりの仮面を再び纏う気力も、それを維持する力もあまり残っていない。

 

 もしも嫌われたら。もしも、事情を知ったアリサ達に怒られたら。きっと彼女は耐えられないだろう。最悪、心を壊してしまうかもしれない。

 

 そこに普段の強くて、冷静な少女の面影はなかった。唯の、か弱い一人の女の子がいるだけだった。

 

「そりゃあ何もわからんよ? わたしは、なのはちゃんじゃあらへんし、胸の内を全部察するなんてできん。だけど……」

 

 そんな彼女にはやては何も気にした風もなく、普段通りの口調で接していた。それは遠回しに自分は怒っていないという証明。

 

 怒らない? と怯え竦みながらも、俯かせた顔を少しだけあげたなのはの前で、彼女は優しく微笑んで言う。

 

――親身になって聞くぐらいなら、わたしにだって出来る。と

 

「う……あ……」

 

 それは、あまりにも純粋すぎる少女の言葉だった。何も考えず想いのままに紡がれた言葉はあまりにも真っ直ぐすぎて、なのははどうしようもない程、身体を震わせた。

 

 怯えているからではない。それは嗚咽だった。ずっとひた隠しにしていた弱い自分。不破にとって必要とされないなのはの本心。偽りの仮面に隠された本当の姿。

 

「あああぁぁ――! うああああぁぁ――!!」

 

 なのはは、はやての華奢な身体にしがみ付いた。みっともなく、どうしようもない位幼くなった姿を曝け出して、感情に任されるままに泣き叫んだ。

 

 はやてをそれをしっかりと受け止める。足に力が入らず踏ん張れないのならば、しがみ付く彼女にされるがまま押されて、壁を背にして自身を支える。殺気立つなのはが怖くなかったと言えば嘘になるが、守護騎士の過去の行いを聞いている彼女は、それに耐えて受け入れる下地があった。

 

 むしろそんな事よりも、この泣いている少女を受け止めてあげたかった。抱き締めてあげたかった。どうしてそんなに悲しい顔をしているのか。何故、自分は楽しんではいけないとでも云うように遊びに夢中にならないのか。どうして素直に泣こうとしないのか。初めて会った時から、この家に招いて一緒に遊んでからも、ずっと気になっていた。

 

 辛いのなら支えてあげたい。苦しいのなら悩みを聞いてあげたい。本の受け売りだが、悲しい時、辛い時、苦しい時、傍に居て支えてくれるのが友達だから。楽しい時や嬉しい時を一緒に分かち合うのが友達だから。

 

 はやては、初めての友達を。とても親切にしてくれた、この女の子を助けてあげたかったのだ。たとえ自分が嫌われるとしても、絶交されたとしても。そして何も事情を知らなないはやてだからこそ出来る、お節介だった。アリサにも、すずかにも出来なかったことを成し遂げようとしていた。

 

「わたし……ホントは辛くて、痛くて、毎日の鍛錬が嫌だった。ずっと、逃げ出したかったっ……!」

「うん」

「でも、我儘言ったらっ……お父さんに怒られるかもしれないって……お兄ちゃんに、迷惑掛かるかもしれないって……だから……良い子にしなきゃって……だって、そうしないと…………」

 

 きっと家庭が崩壊すると思ったんだろう。少なくとも今の生活はなかったに違いない。恐らくだが、なのはの方針を巡って、心優しい兄と厳格な父は争い合っていただろう。

 

 そんな姿をなのはは見たくなかった。だから、自分が我慢すれば丸く収まると思って、流されるままに鍛錬を続けてきたのだ。それに耐える為に心も殺した。彼女の我慢するという事はそう言う事だから。

 

 だけど、耐えられる筈がないのだ。繰り返される容赦のない鍛錬。毎日付いていく討ち身や擦り傷。どこかぎこちない家庭に、素直に甘えることのできない環境。仕方なしとはいえ人を殺めた過去のトラウマ。それらを抱えて過ごすのは余りにも酷だろう。

 

 むしろ、ここまで良く耐えたと思う。普通であれば誘拐された時点で、文字通り言葉を失ってしまう程のショックを受けてもおかしくない。一歩間違えれば虐待と見なされても仕方がない鍛錬は、少女の心を閉ざすには充分すぎる。不屈の心を秘めたなのはだからこそ我慢し続けられた。

 

 勿論、はやてには、なのはの事情は良く分からない。それでも、この子が苦しんでいると、何か抱え込んでいると察した心優しい少女は、受けとめようと思ったのだ。その心に抱えた闇を、少しだけ肩代わりしようと思っただけ。そして、それで充分だった。

 

「ほんまに辛かったな。寂しかったんよな。だけど、もう大丈夫」

「わたしは……逃げても、いいの……?」

「逃げたい時は逃げてもええよ? そん時は八神総出で匿ってあげる。なのはちゃんが優しい味だって泣いてくれた暖かいご飯も食べさせてあげる」

 

 はやての言葉がとても優しくて。背中を撫でる柔らかな手は暖かく、鍛えられて樫の木のように硬くなった自分の手とは大違いで。

 

 あのあったかいご飯の味や、今までの楽しかった日々を思い出してなのはは。

 

――うわああああ、あああぁぁ、あああっ!!

 

 心の底から泣いた気がした。

 




あれ、『なのは』が泣くのって、もっと後半の、最終決戦時だよね。なんで涙流してるの。最後の一回きり。心を殺していた少女がやっと涙を流して、おおぉってなる予定なのにあれ?

というより、はやてって、ディアーチェの時に『なのは』の過去知らない設定だったよね。なんで、こんな簡単に心に踏み込めるの。しかも過去の一端に触れてるし。どうして?

まさかっ!

これが、所謂キャラが勝手に動くという伝説の……!

作者のプロットは崩壊した。作品に矛盾が生まれた。後付け設定が生まれた。修正は色々と不可能だ。

称号『攻略王はやて』

デデーーン!!

という訳で色々と悪戦苦闘してます。はやてのキャラが難しい。ディアーチェの時は動かしやすいのに、オリジナルはホント……

それと士郎さんがプロットよりも優しくなってるのもヤバい。本当だったら、はやてと関わるなっ。喧嘩に発展。泣き別れの三段コンボ決める予定だったのに。鬱憤溜めてたなのはが、母親の代わりに貴方が○ねば良かったと口にする予定なのに。アリシアとはやてのおかげでお破産ですな。

この二人、まじで不破家を根底から変えやがった……

ほら、修正だぞ。喜べ。書き直せよ。
ぬわあああああああ。

べ、別に更新が遅れたのは某潜水艦アニメのイオナに影響されて浮気してたとかじゃ……決して、別の小説書いてたりとか浸食魚雷。

ジィィィクリンデ・エレミアァァっ!

エレミア! エレミア! エレミア!

あっ、このキャラいいな。新しい設定で練って、リリカルなのは白のエレミアでも書いてみようとか考えてな……設定の下地できた。しかもダクネスと繋がってる……不破・御神流古武術師範代。不破なのは。推して参る!

本当にごめんなさい。次はもうちょっと早い更新を心がけます。



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●帰り道

 

 八神家の夕食は言わずもなが、大変おいしいものだった。一流シェフには劣るだろうし、お金持ちのお嬢様二人が普段食べている料理の方が味の質は上である。それでも、美味しいではなく、おいしいと言えるほどの家庭の味がそこにはあった。なのはが心から喜べる暖かな料理だったのだ。

 

 ちなみにメニューは皆で摘めるからと、すき焼きだったのだが、出汁があまりにも本格的すぎた。少なくとも九歳の少女を超えたレベルだと断言できる。それとヴィータとアリシアのお肉争奪戦があって、もはや定番と化していた。

 

 大きな違いはなのはが声に出して笑っていたことだ。箸を使って争うのは行儀が悪いからと、素手で頬の引っ張り合いを行う二人が微笑ましく。彼女はついつい茶碗をテーブルに置いて笑いを堪えていた。そしてついには声に出して笑ってしまったのである。

 

――なのは?

――なのはちゃん?

――ごめ、ごめんなさいっ。その、二人の顔が、おもしろくて。ふふ、あははっ!!

 

 これにはアリサとすずかはおろか、ヴォルケンリッターも驚きを隠せないでいた。微笑ましい喧嘩の当事者であるアリシアとヴィータに至っても、思わず固まってしまったほどだ。それ程までに、なのはが声に出して笑うのは珍しい事だった。もしかすると初めてかもしれない。

 

 唯一、事情を知っているはやてだけは、とても優しい微笑みを浮かべて見守っていた。自分の、あの行動は間違っていなかった。少なくとも悪い結果にはならなかったと。ようやく笑ってくれたね、なのはちゃん。と自分の事のように嬉しそうにしていたのが印象的。

 

 そんな夕食を終えて、遂には楽しい時間も終わってしまった。日が沈むのが遅い夏とはいえ、暗闇が訪れる夜は子供にとって危険である。それが有名な財閥の令嬢だったり、裏世界に足を踏み入れる子供なら尚更。当然のごとく送迎のリムジンが迎えに訪れていた。流石にバニングス、月村両家の迎えのリムジンが来ては場所に収まらないので、代表してバニングス家の送迎が選ばれている。

 

「はやて、今日は楽しかったわ。また遊びに来るからね。もちろん、こっちの妹も連れて」

「うん、またね。はやて、バイバイ!」

「こら、アリシア! お邪魔しましたでしょうがっ。お邪魔しましたっ。はい、やり直しっ!」

「ん、えっと、お邪魔しました?」

「……まあ、いいわ。及第点よ」

 

 初めに明るく快活なバニングス姉妹が、玄関まで見送りに来ていた八神家に礼を言う。アリサが積極的なスキンシップで、はやてと抱き合いながら別れを告げ。続いてアリシアが大きく手をぶんぶんと振って別れを告げた。そこに、公私の使い分けが出来ない妹に対する注意が飛び、アリシアは疑問形になりながらも行儀よくお辞儀する。それは素人から見れば立派なお辞儀。上流階級のお嬢様に見える立ち振る舞いだった。

 

「うん、待っとるよ。アリサちゃん、アリシアちゃん。いつでも家に遊びに来てなぁ」

「……ぷい」

「こら、ヴィータ。アリシアちゃんが、ちゃ~んと別れの挨拶しとるのに、ライバルのヴィータは負けとるで?」

「誰がこいつなんかとっ! 別にライバルなんかじゃ……っ」

 

 それに、にこやかに対応するのは流石はやてといった所だろうか。また来たくなるような雰囲気を纏いながら、はやてはバニングス姉妹に小さく手を振り返す。だが、はやての座る車椅子の後ろに隠れて、何か言いたげなヴィータに気が付くと、言いよどむ彼女の背中を押した。

 

 戸惑いながらもゆっくりとバニングス姉妹の、アリシアの方へと歩み寄るヴィータ。その顔を慣れないことをしようとして羞恥に染まっており、対象的にアリシアは何時もの様に無邪気な笑みを浮かべて出迎えた。ものすごく満面な笑顔だった。

 

「おう……そのよ、気を付けて、帰れよ。えっと、それで。次も遊びに、来いよ、な」

「うん! 家の習い事が嫌になったらいつでも遊びに行くねっ!」

 

 緊張しているのかガチガチに固まって、たどたどしい別れの挨拶を告げるヴィータ。まだまだ対人経験が少ないのが原因だった。それを気にした風もなく、アリシアは笑顔でサムズアップしながら空気を読まない爆弾発言をかます。

 

「へぇ……? アタシの目の前で個人レッスンをサボろうと宣言するなんて、いい度胸してるじゃないっ!」

「いひゃい。いひゃい! ありひゃおねへじゃん。いひゃいよ!」

「なんか……大変そうだけど。まあ、頑張れよ?」

「みへないへ。ひゃすけてよ~~!!」

 

 当然、責任を持って妹の面倒を見てあげなさいと言われ、自分もそのつもりだと宣言しているアリサが見逃すはずもなく。何時もの様にアリサは妹に対してお仕置きを実行。柔らかな白い頬に、つねられた痕が残るくらい引っ張っていた。

 

 それを見て、アリシアも大変なんだなぁと思いながらも、ヴィータはおずおずとはやての元に退き下がっていく。既に彼女の中でアリサには逆らえないというヒエラルキーが出来上がっていたのだから。あの姉はきっと他の妹でも容赦しないだろうと、この一日で理解してしまった。迂闊に手を出すと。何よ、何か文句あるわけ? と巻き込まれかねない。そう判断しての撤退である。

 

 無情にも見捨てられたアリシアは、憐憫を誘うような手振りで助けを求めるが。本人はお仕置きすらも満更ではなさそうである。たぶん、彼女にとってこのやり取りは姉妹におけるじゃれ合いにしか過ぎないのだろう。

 

「それじゃあ、またね。はやてちゃん」

「またなぁ、すずかちゃん。今度はお勧めの本でも教えてな。わたし、楽しみにしとるから」

「うん、約束。わたしも楽しみにしてるね」

 

 そんな二人のやりとりを余所に、すずかが歩み寄ってはやてに別れを告げる。互いの趣味が読書という事で意気投合した二人は、相性も抜群であり、他とは違う信頼感すら生まれていた。この人なら自分の全てを曝け出しても、受け入れてくれるという予感である。もっとも容易に表には出さないけれど。

 

「でも、ちょっとだけ嫉妬しちゃうかな。なのはちゃんの心をお風呂場で開いたでしょ?」

「あはは……なんのことかなぁ……?」

「大丈夫。誰にも言わないから。わたしってね、普通の人よりも耳が良いんだよ? 盗み聞きするつもりはなかったんだけど……大事な友達の事だから気になって」

「すずかちゃん……」

「ありがとう。はやてちゃん。私にもアリサちゃんにも出来なかった、なのはちゃんの心を助けてくれて。本当に感謝してる。だから、ありがとう」

 

 そして、別れ際の耳打ちにはやては驚きを隠せなかった。ある意味ではやては、約束を破っているのだ。すずかのそっとしておいてねという約束を、自分の都合で踏みにじった。あまつさえ、なのはの心に土足で踏み入るような真似をしたのだ。友達思いの彼女に叱られても仕方ないと甘んじて受けるつもりだった。

 

 けれど、返って来たのは心の底から浮かべた感謝の言葉。ありがとう、と単純だけど、ものすごく深みを持たせたお礼。耳元から顔を遠ざけたすずかの表情は、はやてが見た事ないくらいの優しい笑みが浮かんでいた。同性でも甘えたくなるような。まるでお母さんみたいな慈愛に満ちた表情。

 

 そうして、月村すずかは誰にも悟られないよう、いつもの笑顔を浮かべると送迎のリムジンに向かっていく。

 

 最後に残ったのは、憑き物が落ちたかのような安穏とした表情を浮かべる不破なのは。だけど、彼女は送迎のリムジンを見送るだけで、乗り込もうとはしなかった。その様子に気が付いた誰もが、不思議そうな顔をする。いや、アリシアだけは引っ張られた頬を押さえてうずくまっていた。

 

「なのはちゃん、どないしたん?」

「いえ、偶には歩いて帰ろうと思いまして。それに夜道は危険ですから、武術の心得があるシグナムさんに送って欲しいのです。二人っきりで話したいこともありますから」

 

 これに驚いたのはアリサとすずか。そして指名を受けたシグナム本人である。前者は彼女の珍しく積極的な態度に対して。後者はあまり接点のない自分と話したいという意図が分からない故に。

 

「珍しいわね。アンタの方から我儘言うなんて。どういう風の吹き回し?」

「別に、色々と吹っ切れただけですよ。少しだけ自分から触れ合ってみるのも悪くないと、そう思えたんです。わたしだけはやての家族とあまり交流しなかったですし、悪い印象を払拭できるうちに、お喋りして交流を深めたいだけですよ」

「でも、はやてちゃんに迷惑じゃないかな?」

「わたしは構わへんよ? そういう事ならシャマルも一緒に付いて行ってあげてなぁ。大人二人がいれば夜道も安心や」

 

 いつもなら人と積極的に触れ合わないのに、どうしたのだろうと疑問に思うアリサ。事情は察しているけれど、さすがに迷惑なんじゃないかと心配するすずか。それをあっさり了承したはやて。そんな中でシグナムとシャマル。ヴォルケンリッターの二人は主の言葉に二つ返事で了承する。御意に、と。

 

 家族であると同時に、主でもある少女、八神はやて。そんな彼女の身を護る事が守護騎士と呼ばれる彼らヴォルケンリッターの役目である。元より、なのはとアリシアの正体を探るつもりだったのだ。彼女の頼みは守護騎士側にとっても願ってもない事だったのである。

 

 但し、それに待ったを掛ける人物がいる。当然のことながら、いつも仲良しメンバーの中でリーダーシップを発揮するアリサその人だ。どうにも、なのはの行動が解せなくて納得がいかないらしかった。

 

「また隠し事じゃないでしょうね?」

「ある意味ではそうかもしれません」

「それは、例の秘密に関わること?」

「というよりは裏に近いのかもしれません。現状、限りなく黒に近い灰色といった所です」

「裏。ウラねぇ。アタシは話してみて、そんな感じはしなかったわよ?」

「だから、直接話してみて確信したいだけですよ。他意はありますけど」

「他意はあるんかいっ! まあ、いいわ。そういう事なら一応、納得する」

 

 はやては、アリサとなのはのやり取りに何の話かと頭を捻るしかない。それもその筈、なのはの事情を少なからず知っている人間にしか分からない言葉。わざと、そんな言い回しをしているのだ。あくまでも一般の人を巻き込まない為の配慮。

 

 ちなみに例の秘密とは魔法の事であり、裏とは裏世界の事情を示す隠語だ。魔法の事はあまり、この世界の住人に知られてはいけないし。裏世界の事情も本当なら踏み込まない方が良いのである。

 

 なのはは当然として、アリサも次期当主の事情から少しばかり裏に理解を示している。その危険性を知っているからこそ、はやてを巻き込まない為に配慮した結果だった。彼女が興味本位で踏み込んで、御三家に対するカードとして誘拐でもされたら冗談では済まないのだ。

 

 もっとも、はやての家族がいる限りそんな事にはならないだろうけど。現に疑問に思ったはやての裏に対する質問に、シグナムが知らない方が良いでしょうと念を押していた。

 

「というわけで、アンタ達。先に帰るわよ」

「ん~~? なのはは車に乗らなくていいの?」

「なのはちゃんはちょっと用事があるんだって。だから、心配しないでアリシアちゃん」

「分かった。なのは、まったね~~!!」

「ええ、また会いましょう。アリシア」

 

 そうしてアリサ達は次々と黒光りするリムジンに乗り込んでゆく。最後に手を振って別れを告げたアリシアに、なのはも微笑みながら手を振り返して。鮫島と呼ばれる老執事が丁寧に後部座席の扉を閉めた。そうしてバニングス家の送迎車は静かに、八神家を去っていく。

 

「それでは、よろしくお願いします。シグナムさん。シャマルさん」

「ああ、頼まれよう」

「こちらこそよろしくね。なのはちゃん」

 

 残されたなのはも、シグナムとシャマルを伴って帰り道を歩いていく。また、遊びに来てなぁ~~。必ずやよ~~と大きな声で、お見送りするはやての声を受けながら。

 なのはも、またね、と彼女の声に静かに応え、微笑んだ。

 

◇ ◇ ◇

 

 なのはと守護騎士。はやてにはああ言ったが、他愛ない会話をしながら家まで歩くことはなかった。別に互いの事を嫌っていたわけでもなく、警戒して油断すら見せなかった訳でもない。どちらも口下手で何を話せばいいのか分からなかっただけ。そうして不破家の近所にある公園にまで辿り着く。そこのベンチに腰かけたなのは。隣に座るシャマル。近くの電柱に腕を組んで寄りかかるシグナムという形。

 

「ここなら落ち着いて話も出来るでしょう。わざわざ一人になってあげたのですし、聞きたいことがあるのでしょう?」

 

 それは、なのはが図書館でシャマルと会ってから気が付いていた事だ。相手の観察するような視線。警戒している雰囲気。それは八神家を訪れてから大きくなっていて、ヴィータなどは露骨に敵意を滲ませていたものだ。まるで、絶対に秘密だったことを知られたかのように。

 

「そうね、正直にいえばありがたいわ。あまり手荒な手段を取らなくて済みそうだもの」

 

 そしてシャマルの言葉で完全に証明された。

 

「別にわたしは、貴方たちに対して何かをした覚えはありませんが……どうでしょう? ここは単刀直入にお互いの印象を口に出すというのは」

「回りくどい事は無しにして、腹を割って話そうという事?」

「ええ、私は口下手なのです。あまり会話は得意ではありません。そのほうが、分かりやすいでしょう?」

 

 それでも、なのはは務めて冷静に話を続ける。はやてと触れあっていなければ、魔法や武術で身構えていただろう。しかし、はやてとの間に築いた信頼感が、はやての家族に対する警戒心を少しばかり下げていた。対立するには、まだ早い。

 

 なのはの言い回しに、何かを悟ったのか。それとも八神家での彼女の行動を鑑みて納得したのか。シャマルは頷きで了承を返すと、シグナムに視線を向けた。シグナムも目を開けて軽く手を振ることで応える。恐らくはシャマルに任せるとでも言いたいのだろう。

 

 そうして、せ~の。の要領でなのはとシャマルは互いの印象を口にした。

 

「はやてを利用している不審者?」

「時空管理局の魔導師って。えっ? 私がはやてちゃんを利用する不審、者?」

「えっと……管理局、ですか?」

 

 なのはの確証に至ってないような物言い。見方を変えれば失礼な態度。そしてシャマルの戸惑いのない宣言。結果は空振りに終わった事による気まずさだった。シグナムが手で目元を覆って、空を仰いでいることからも。その気まずさの度合いが覗える。まるで犯人を当てる名探偵が、推理を完全に間違ったかのよう。

 

 なのはは管理局が何なのか分からず、本当に知らない様子で首を傾げ。シャマルは八神家の一員として家族のように接しているのに、幼気な少女を利用する不審者呼ばわりされたショックで硬直。自分たちはそんなに怪しかったのかと……

 

 だから、なのはが次に口にする言葉はごめんなさいだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「不破。本当にすまなかった。この世界に魔導師はいないと判断していた故に、大きな魔力を持ったお前を不審に思ったのだ。後から思えば子供のお前に向ける態度ではなかったな。本当にすまなかった」

「いえ、わたしも貴方たちを疑っていましたし、お互い様です」

 

 ベンチに座るなのはの前で深く頭を下げたシグナムに、なのはは戸惑ったように反応する事しか出来なかった。

 

 あの後、シャマルは「不審者……私たちがはやてちゃんを狙う、ふしんしゃ」と繰り返しつぶやいて、放心してしまった。心なしか涙を流している様な気配さえする。けれど、そんな態度を取れるという事は、なのはに対する警戒を完全に解いたのだろう。なのはの予測では、どんな時でも一線だけは絶対に譲らない、油断ならない相手と認識していた故に。意外と通常時は精神的に脆いのかもしれない。

 

 だから、使えなくなった彼女に変わってシグナムが行動するのも当然で。シャマルの態度に溜息を吐きながら、近づいてきたシグナムが最初に起こした行動が謝罪である。いっそ清々しいと言える程、実直なまでに彼女は頭を下げた。

 

「しかし、魔導師という単語を知っているという事は、貴女たちはこの世界の住人ではないんですね」

「そうだ。我ら四人は訳あって居候させて頂いている身。詳しい事情は語れないが、主はやてに危害を加える輩ではない。そこは安心してほしい」

 

 その点については問題ないと、なのはは思っている。はやての家族と称する彼女達は、ずっとはやてを護るように動いていた。それは家の中で合っても例外ではなく、常に誰かが傍に居る状態を保っていた。いっそ心酔していると言っても良い。

 

 疑問なのは魔導師に対して警戒心を抱いていること。特に時空管理局を警戒している理由が分からない。ユーノに聞いた話では、管理局は次元世界のおまわりさん的な存在であるらしい。やましい事がなければ何も問題はないはずだ。そこまで考えて、思い至る。つまり、この人たちも次元世界で云う裏側の人間だったのかもしれないと。

 

「過去に、何か罪を犯したのですか?」

「……そうだ。我ら四人は先代から、ずっと先々代の主に至るまで、ある命令を受けて人々を襲っていた過去がある。愚かにもそれが大きな過ちであると知らず、知ろうとせず、命じられるままに戦場を駆け抜けた罪。それを管理局は赦しはしないだろう」

 

 だが、当代の主。つまり八神はやてに出会って彼女達は変わったという。基本的に主の命令に逆らえない彼女達に、家族として接した。さらには傍に居てくれるだけで良いから、他には何もいらないとも。この四人もあの少女の優しさに救われたのだ。

 

「過去の罪をなかった事にするつもりはないが。出来る事なら、このまま平穏に過ごしていたいのだ。管理局に我らの事が知られてしまえば、主はやても無事で済まないだろう。最悪、何の罪もないあの娘も罰せられるかもしれん。我らはそれを恐れている」

 

 それは、なのはにも分かる気がした。

 なのはの両手も赤く染まっている。その両肩に咎を背負い、罪の意識に苛まれることも多くある。

 それはとても苦しい事。

 

 そしてずっと恐れ続けるしかないのだ。いつか、大切な人を知ってはならない世界に巻き込んでしまうのではないかと。巻き込んでしまえば、最悪。自分の母のように手折られてしまうかもしれない。その事に怯えるのも無理はないだろう。

 

 かといって太陽の温もりを知ってしまった今では、それを遠ざけることも、自分から遠ざかることも出来ない。光に照らされた道と暗い影に閉ざされた道を、中途半端に行き来する事しか出来ないのだ。一度でも纏わりつかれれば、闇は決して離れない。だからこそ、闇が光を閉ざさないようにするしかない。光を喪い闇に堕ちてしまえば、その先に待っているのはは、なのはの姉や父と同じ道だ。

 

「少しだけ、貴女たちに共感できるかもしれません。わたしも同じですから」

「主と同じ幼さでありながら、理解できると?」

「わたしが、ただの小娘ではないと、シグナムさんも薄々察しているのでしょう?」

「……そうか。お前も背負っているということか。難儀なものだ」

 

 寡黙で、あまり表情を表に出さないシグナムが、この時ばかりは苦心した様子だった。この平穏な世界において、なのはのような子供がいる。これが戦場だったら珍しくもないと割り切れるが、平和な世界で染まった子供がいるのは心が痛む。本当は、こうなるべきでは無かったろうに。

 

「そろそろ頃合いだろう。よければ、このまま家まで送っていくが?」

 

 シグナムは腕時計を見て、話しは終わりだと言わんばかりに立ち上がった。肝心なことはぼかされていて、詳細は分からなかったが、それで良いのだろう。これが彼らなりの、巻き込まない為の優しさだと、なのはも気が付いているから。だから追及はしなかった。

 

「いえ、わたしの家はすぐ近くにあるので、お構いなく。そちらも、はやてに心配かけないうちに帰ってください」

「そうか。よければ、また主の元に遊びに来てくれるか。あんなに笑った主の姿は久しぶりなのだ」

「もちろんです。はやてと、約束しましたから」

「感謝する」

 

 なのはも立ち上がり、今度は疑いもなく歓迎されたいと笑い。シグナムもそうだなと、微笑みを返す。互いに交わした握手は信頼の証。すくなくとも双方が恐れていた疑念は晴れた。ならば、それでいいのだ。余計なことは知る必要もない。

 

 シグナムは、なのはに深々と謝罪のお辞儀をするシャマルを連れると、静かに公園を去ってゆく。それを最後まで見送りながら、なのはも帰りの途に付く。そうして屋敷の玄関に繋がる門まで辿り着いたのだが、そこで驚くべき人物が待ち構えていて、なのはは驚愕を隠せなかった。

 

「……おとう、さん」

 

 不破士郎。なのはの父親にして厳格という言葉を体現したような人。復讐の為ならば、己の娘すらも容赦なく鍛え上げる冷血漢。愛する人を喪って、優しさは微塵もなくなり、根底から変わってしまった男。そこにかつての快活な面影などない。

 

 また、怒られるのかと、なのはは戦々恐々とした。もしかして、自分はいつの間にか門限でも過ぎたのだろうか。或いは、父親の癇に障ることでもしたのだろうかと、身を竦ませる。いつもなら、どこか諦めた風に淡々と接することが出来るのだが。はやてによって心を幾分か癒された少女は、感情を少しばかり取り戻していたのだ。麻痺していた喜怒哀楽が戻ることによって、それまで無視できていた些末な恐怖も感じるようになってしまったのである。

 

 きゅっと、きつく目を閉じた。もしかしたら、ぶたれて怒鳴られるかもしれないと思ったのだ。そう思うと目を開ける事なんて、とても出来なかった。まだ何も見ない方が痛みや恐怖にも耐えられる。そうして、幼子のように身を震わせる少女に。いつまでも頬を叩くような衝撃は訪れなかった。

 

「……ッ…………?」

 

 感じたのは頭にごつごつした岩のような感触。とても大きな手を乗せられた重み。恐る恐る目を開けてみれば、目の前には父親の鍛えられた大きな身体。見上げれば、そこには何か戸惑うような顔をした父の姿。何か、気恥ずかしいというよりも、怯えている様な。普段の姿とはとても似つかしくない士郎の姿。

 

「あっ、えっ……? あ、れ……?」

 

 だから、それ以上になのはが困惑するのも無理はなくて。思わず口を魚のようにパクパクさせて、だけど言葉が出て来ない。本当にどうしてこうなったのか理解できない。あまりにも突然すぎる父親の、異常? いや、殴られないだけ良しとするべきなんだろうが。どういう心境の変化だろうか。とにもかくにも、なのはの頭は真っ白に染まり、心は混乱して心臓の鼓動すらも早くなる。もう、訳が分からないよ状態だった。

 

 だってそうだろう。いつも厳しくする人が、突然優しくなったら、それは違和感がありすぎるだろう。何か悪いモノでも食べたか、それとも記憶喪失になったのかと心配するか。逆に気味悪がって近寄らないか。或いは何か裏があるんじゃないかと疑うか。冷静な行動を取れる人がどれだけいる。すくなくとも、なのはは混乱する状況に陥った。

 

 これは仕方のない事ではある。なのはの知らない所で、アリシアの天心満欄さに触れ、少しずつ心境の変化を来たしたなど誰が推測できるのか。事情を知っているのは当の士郎本人とアリシアだけ。ここに当事者である少女が居れば、意味深に満面の笑顔を浮かべたのかもしれないが、今はいない。

 

 よって、あまりにも混沌とした情景が訪れてしまったのである。少なくとも、二人の関係を知る人が見れば、口を大きく開けて放心するくらいの異様な光景。そこから、状況はちっとも進まず、空白の時間がしばらく続くことになる。だが、数秒か、数分の時間か分からないが、しばらくして、なのははひとつの結論に思い至る。それは。

 

(もしかして……頭、撫でられてる?)

 

 この不器用な男が、ぶっきらぼうに娘の頭に手を置いている。考え直してみれば、頭を撫でていると受け取れなくもない。

 

 だが、どうして? 理由が分からない。なのはは怒られるようなことをしている自覚はあるが、褒められるような事をした覚えはない。というか、父親が何を褒めるのか、それすらも分かっていない。知らないのだ。親に褒められた事なんて一度もない。

 

「あ、あの……」

 

 決まってできるのは、恐る恐る声を掛けることのみ。どうにも困惑に満ちているが、それは仕方のない事。なのはだって訳が分からないのだ。そもそも何を喋っていいのかすら分からない。分からないことだらけ。こんな風に父と触れあったのは、昔はあったのかもしれないけど。今はないも同然だったから。

 

「ッ……」

 

 娘から恐る恐る声を掛けられて、士郎は顔を歪めながらゆっくりと手を離した。続いて口から漏れるのは怒声ではなく、大きな溜息。それも、なのはに対してではなく自分に向けてのモノだったように、なのはは感じた。

 

 そして、何をやっているんだ自分とでも言うように、彼は己の手のひらを見つめると。背を向けて不破家の屋敷まで去っていく。

 

「あっ――」

 

 なのはは手を伸ばしていた。そこに戸惑いや恐怖はなく、はっきりと名残惜しいとでも言うように、手を伸ばした。これは千歳一隅のチャンスなのかもしれない。これを逃したら、こんな機会は二度と訪れないかもしれない。そう思うと、どうしようもなく胸の内から切望が湧き上がってくる。親に愛されたいという想いが、子供なら誰もが抱く、そんな当たり前の感情が溢れて止まらなくなる。

 

 どうしよう。どうすれば良い。こんな時、なんて声を掛ければ良かったんだっけ。なのはは思い出す。必死に思い出そうとする。自分の家に帰ってきたら、誰もが口にする言葉があったじゃないか。おはよう、おやすみ、と並ぶくらい当たり前の挨拶があったじゃないか。それは何だったろうか。

 

 考えて、考えて、知恵熱が出そうなくらい必死に思い出そうとして。

 

「た、ただいま……」

 

 気が付けば、小さな声でそんなことを口にしていた。自分でも、どうしてそんな事を口にしたのか分からないくらいに。でも、自覚してしまえば、それは大きな波紋となって広がり。今度はもう一度、はっきり告げようと決意して。

 

「ただいま。お父さん」

 

 なのはは母を喪ってから、声に出すことがなかった。あたりまえの挨拶を父の背に向けて告げた。

 

 それを受けた士郎の心境はどうだったろう。娘にただいまと告げられて。父上ではなく昔のように、お父さんと呼ばれて。彼はどんな気持ちだっただろうか。なのはに察する事が出来ないが、それでも背を向けた父の歩みは止まった。

 

 そして数秒の沈黙の後。

 

「……おかえり、なのは」

 

 不器用な男は、ぶっきらぼうにそう告げて去っていく。

 だけど、久しく交えていなかった父親とのやり取り。会話にも満たない単なる挨拶。娘にとってはそれで充分だった。

 

 「はいっ! ただいま、お父さん!」

 

 だから、もう一度、大きな声で挨拶して、去っていく父親の背中を追いかけるように、なのはも屋敷の中へ駈け込んでいく。感じるのは胸の内から湧き上がる喜びと予感。はっきりと何かが変わった。そんな予感がしていた。

 



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●海開き

 夏の風物詩と言えば色々あるだろう。夏祭り、海開き、バーベキュー、山登り、泳ぎから飛び込み、魚釣りから虫取りと。数えればきりがない程の遊びが思い浮かぶはずだ。

 

 その中で、なのは達は海鳴市近くの海岸に遊びに来ていた。いつものメンバーに加えて、八神家が総出で加わる大所帯。その後も交流を続けて、はやてが海を見たことがないと聞きつけたアリサの手回しで急遽、海に遊びに行くことが決まった。

 

 当初はバニングス家のプライベートビーチに飛行機で飛んで行こうとする計画だったのだが。アリサの自費でバニングス家を総動員。しかも、出費は全てアリサ持ちである。庶民のはやてが引け目を感じるのも無理はなく。慌てて阻止したのは言うまでもない。ならば、すずかも協力すると笑顔で提案したのだが、これも却下。財閥の令嬢二人組は金銭感覚が大いにずれていると理解したはやてだった。

 

 見かねたなのはは、兄に頼んで近場の海水浴場に連れて行って貰えるよう折衷案を出す。さすがに父に頼むには、まだまだぎこちなく。それに彼は足を怪我している身。車の運転など造作もないだろうが、あまり負担を掛ける訳にもいかない。

 

 そんな夏休みの終わりごろに迎えた思い出づくり。引率は恭也と忍の二人によって行われ、レンタカーのワゴンに本格的な海グッズの数々を仕込んで出発。付いた頃には太陽が真上で照りつける真昼頃になっていた。当然、砂浜も熱したフライパンのように熱々である。興味津々に裸足で駆けだそうとしたアリシアを即座に撃退する灼熱は想像に難くない。そして、水飛沫と清涼感を漂わせる海の波が、夏の暑さを和らげるように満ちては引いていく。

 

「うわぁぁぁ~~、これが海かぁ。生で見るのは、ほんまに初めてや」

 

 はやては瞳を輝かせて広大な海の景色に見惚れていた。世話係のシャマルに景色が一望できる場所まで連れて来てもらい、遠目から海を眺めるだけ。足の不自由な少女が海に直接触れて遊ぶのは危ないから。それぐらいしか出来ない。けれど、それだけで充分だった。

 

 初めて経験する未知の世界。それはテレビや本で知る知識よりもずっと素晴らしく輝いて見える。それだけでも来た甲斐があったというものだ。

 

 ちなみに車椅子は砂に足を取られるため留守番である。余分な荷物として車に置いてきた。だから、シャマルとシグナムが交代で。場合によっては引率の恭也と忍が面倒を見る。小柄で華奢な身体をお姫様抱っこで連れ回して貰うのだ。そんな、はやての水着姿はワンピースタイプの白。スク水にスカートが付けたされた姿を想像すればだいたいあっている。

 

「こらっ、待ちなさい! すぐに済むわよ」

「やだ、やだ~~! すぐに遊びに行きたい! 海に飛び込みたい!」

「アンタ、まだ泳げないでしょうがっ! ええい、大人しくせんか~~!」

 

 はやての眼下では色々と準備が行われている。休む人の為にレジャーシートを展開。恭也の指示に従ってシグナムがパラソルを設置。車から持ち出した備品を眺めては、これから行う数多の遊びを思い浮かべ、子供のように嬉しそうに笑う忍。そして子供たちはパラソルのに日陰で日焼け止めを丹念に塗りこんでいた。

 

 ワゴンの中で、それぞれの水着に着替え。バスタオルで隠していた水着姿を露わにした少女達。しかし、繊細で綺麗な肌を強烈な日差しに焼かれては堪らない。特に財閥のお嬢様たちは至高のブランド品である。嫁ぎに行く娘が、小麦色に肌を日焼けさせるなど言語道断。最高級の日焼け止めを各種用意して万全に挑む体制だった。此処ばかりは後継ぎのアリサ、すずかも自分の立場を弁えているからこそ妥協しない。

 

 しかし、その重要性を理解していないアリシアは本能の赴くままにはしゃごうとするので、姉のアリサが苦労している訳である。暴れるアリシアに馬乗りになり、露出した肌から水着に隠れた部分まで、彼女は日焼け止めを塗りこんでいく。

 

「だいたい、唯でさえ肌が弱いんだから。日焼けなんてしたら地獄を見るわよ!? アタシ、日焼けしたことないけど。あとお母様に二人そろって怒られる!」

「恭也~~。解説よろしく」

「そうだな。まず、全身に熱さと痛みを伴う。ものすごくヒリヒリするだろう。それとお風呂に入るたびに激痛が走るぞ。身体も真っ赤になって、雪のように白い肌が痛々しくなるのは嫌だろう?」

 

 アリサの妹を心配する声は、しかし肝心なところで説得力がない。だから忍が人差し指を立てながら恭也に解説を頼み、経験者である恭也がアリシアに言い聞かせる。それでも、あまり効果はなさそうだ。まあ、暴れるアリシアに無理矢理にでも日焼け対策させるアリサである。それがアリサの姉としての責任なのだ。

 

 ちなみに得意げな顔をしてる忍姉さん。彼女も一応、お嬢様なので日焼け未経験である。たとえ普段ははっちゃけていて、寡黙で婚約者な恭也を振り回し。月村家の防犯対策(過剰)を魔改造するマッドな人だとしても令嬢の一人なのだ。やる時はやる人とは、この人の為にある言葉だろう。たぶん。

 

「あまり見ないでくださいね、すずか。恥ずかしいですから」

「そんな事ないよ。なのちゃんの身体。鍛えられてて、カッコいいから。それに……なのちゃんこそ、優しくしてね」

「……最近、忍さんに似てきました?」

「き、気のせいだよ?」

 

 そこから少し離れた場所では、なのはの身体に丹念に日焼け止めを塗るすずかの姿。自らの身体を恥じるように肩を抱くなのはに対して、妙に艶っぽく応えるすずか。そんな彼女に、忍の影響を見た婚約者の妹だった。忍のエロスというか、セックスアピールは半端じゃないのだ。今も露出度の高い水着を着て、通りかかる男性の視線を釘づけにしていた。

 

 そりゃ、もう紐である。見事なVラインを描いた赤のヒモ。ちょっと横にずれただけで隠れた山の先端が見えそうだ。これも鈍感な恋人の恭也を振り向かせるためだと思うと、彼女の涙ぐましい努力に同情を禁じずにはいられない。そして、それに動じない恭也は枯れている。ヤル時はヤル男だが、日常における恋人の気遣いも覚えて欲しい所。主に、清楚なお嬢様から小悪魔エロス系お嬢様に変化しようとしてるすずかの為にも。なのはは切に願う。

 

 小話ではあるが、水着を買いに行った際。シグナムに着せる水着がビキニではなく、紐になりそうだったとか何だとか。原因は言うまでもなく主はやてであり、羞恥に顔を染めたシグナムが遠回しに遠慮したのは言うまでもない。それでも胸元を強調するビキニは譲らなかったらしく、本当に彼女の姿は眼福である。

 

◇ ◇ ◇

 

「さてと、みんな! 用意はいいかしら?」

「「「「おお~~!!」」」」

 

 忍の掛け声で、準備体操を終えた少女達が一斉に頷いた。恭也とシグナムの活躍により砂浜の一角に立派な休憩所も設置され、あとは心置きなく遊びまくるだけ。日が沈みかけ、夕焼けが海をオレンジ色に染め上げるまで、思う存分。楽しい時間を満喫しまくれ!

 

「それじゃあ、総員! 海に向かって突撃~~!!」

「うおりゃ~~!!」

「負けないもんねっ」

 

 そして忍が振り上げた腕を降ろすと同時に、二人の少女が真っ先に砂浜を駆け抜けた。一人は赤毛の長い髪を二つに結った少女ヴィータ。はやてと同じワンピースタイプの水着を着用し、トレードマークの赤色で良く目立つ。そしてスカート部分はフリルのようになっていて、とても可愛らしい。

 

 対照的に金色の髪をポニーテールに結ったアリシアはセパレートタイプの水着だ。こちらは対照的に水色を基準としていて、胸元の部分と腰の部分で上下に分かれているタイプ。白い水玉が無数に描かれ、スカート部分はトレードマークのリボンが目立つ。何よりも腰回りを覆うフリルが水色に透けているのが特徴だ。透明度が高く、太ももの素肌が見えてしまう。もちろん大事な部分はしっかりと覆われているので安心してほしい。

 

 広い遊び場を駆けまわりたくてしょうがないわんこのように、二人の少女は砂浜を駆けた。駆け抜けようとした。

 

「熱い! あっつい! うわぁぁぁ、はやて~~!!」

「あちい! やっぱりむりむり! こんなの無理だ~~」

 

 しかし、夏の日差しを受けた砂浜の熱。それは地獄の熱さである。慣れていない者や初めて経験する者には耐えられない。突っ立っていれば素足が焼かれてしまう。

 

 だから、ヴィータとアリシアは溜まらず休憩所のレジャーシートの上に退散した。

 

「うわぁ、ほんまに熱いなぁ。この砂でお肉が焼けそうや」

「ほんっとに、アタシの妹はバカなんだから。さっきと同じこと繰り返して、少しは学習しなさいよ……ほら、ビーチサンダル履きなさい」

 

 泣きそうになりながら、しがみ付くヴィータを優しくよしよしと抱きしめるはやて。彼女は片手をヴィータの背中に回しながら、レジャーシートの外に広がる砂浜から一握りの砂を掴んで手放す。本当に掴んで居られないくらい熱い。これはヴィータも逃げ出す訳である。

 

 そして片手を腰に当てて、頭を押さえながら呆れを隠さないのはアリサ。レジャーシートの上で転がる自分の義妹の姿を見て、姉の彼女は苦労を滲ませていた。

 

 そんな彼女の水着は目立つことこの上ない。

 

 アリシアと同じタイプの水着なのだが、デザインが派手なのだ。それは、まごうこと無きアメリカンスピリッツの証であり、五十の州を表した星条旗を、そのままプリントしたデザイン。彼女がアメリカ人のハーフだと示す証。ブラの部分も星条旗なら、可愛らしいお尻を強調するパンツも星条旗。USA! USA!

 

「という訳で、お二人方も二の舞には為らないよう。気を付けて下さい」

「心得た」

「ええ。ヴィータちゃんの犠牲は無駄にしないわ」

「あたし、死んでねえからっ!?」

 

 なのはの忠告を受けてしっかりと頷くのは、八神家の保護者組でもあるシグナムとシャマル。そろって胸元を強調するかのように、ビキニタイプの水着を着せられた二人の胸は眼福である。繰り返そう眼福である。

 

 シグナムの水着は髪の色と合わせるように、扇情的なピンク色であり、忍ほどではないが男たちの視線を釘づけにしている。海水浴に来ていたカップルの男性が、相方の女性に怒られる位。それくらい魅力的なのだ。上乳を強調するデザイン。胸の谷間は深く大きく、母性に溢れている。顔を埋めれば優しく包んでしまいそうな程に。それは、はやてだけに赦された特権である。

 

 シャマルの水着はシグナムと比べると清楚で御淑やかだ。本人の気質を示すかのように白のカラーリングを施されたシンプルなデザイン。しかし、胸の中心で結ばれた紐と腰の両側で結ばれた紐は、少しだけ引っ張ってみたくなる衝動に駆られそうである。本人の気付かないうちに解いてしまえば、エッチなハプニングもあるよ。うん、きっと初心な反応をしながら、解けたビキニの胸元を隠し、波にさらわれたパンツの所為で海から出られなくなるだろう。

 

 良い子の皆は真似しないように。

 

 そして、なのはの水着。それは王道の中でも王道のスクール水着である。幼女から少女に為るまでの間のみ、着ることを赦されたアイテム。胸元に白のワッペンが張り付けられ、ひらがなで、なのはと刻まれた文字。でも、彼女の名前はひらがな。あまり意味はない。

 

 真相は、ただのスクール水着である。胸元に白のワッペンなど存在しない。経費の無駄を嫌った彼女が、学校指定の水着を選んだだけなのだ。この事に嘆いたのは、言うまでもなくアリサとすずかの二人。そして忍姉さんである。女の子なのに、ファッションのひとつである水着に興味を示さないのは虚しさを通り越して悲しい。彼女が女の子らしさを取り戻すのは、アリサとすずかに掛かっているのである。

 

 もっとも、なのはの心情としては身体の生傷を隠したいのが本音。以前は肌を晒すのを嫌って、海やプールに行くのを遠慮していた分。今回の海遊びに参加したのは大きな進歩と言えよう。これも、はやてのおかげである。

 

「ああ、脱いだビーチサンダルは俺と忍で見張っているからな。子供達も、海が始めて組も、気にせず海辺で遊んでいいぞ。ただし、沖合にはいかない事。油断してると波にさらわれる。注意するんだぞ」

 

 ボクサータイプの水着だけを身に付け、引き締まった身体を見せつける恭也が優しく注意する。その身体は、なのは以上に傷だらけであり、彼が護る為にどれほど壮絶な戦いを繰り広げてきたのかを。それを示す証である。そして、ただならぬ武人だと見抜いたシグナムが、興味深そうに恭也を見ていた。

 

 その傍らには守護獣ザフィーラこと名犬ザッフィーである。狼形態の彼は、はやてを寂しがらせないように傍に居るのが役目。そして、万が一に救助犬としても活躍する予定だ。何せ守護騎士の中で泳ぎが一番得意らしい。ちなみに仔犬のアルフはお留守番である。

 

「わたしは、はやてちゃんの傍に居るね。一緒に遊ぼう」

「うん、よろしくなぁ。すずかちゃん」

 

 そして、レジャーシートに座り込んでいるはやてに、屈みこんで優しそうに笑うのがすずかである。彼女は一人では海遊びも儘ならない八神はやてに気を使って、一緒に遊ぶつもりだった。思いっ切りはっちゃけるのは姉の忍の役割だ。

 

 すずかの水着はAライン呼ばれる、ワンピースをそのまま水着用に仕立て上げたデザインである。肌にあまり密着はせず、防水加工された布がひらひらと風に舞う。その色は可愛らしい水色だが、小さな花の模様が愛らしさを、さらに強調している。忍のような色気では勝負しない、彼女の控えめな性格が表れた水着。保護欲を掻き立てられるのは水着の所為なのか。本人の無自覚な魔性の微笑みなのか。真相は定かではない。

 

「一通り水遊びした後は、定番のスイカ割りに、かき氷。砂浜で遊べるグッズもたくさん用意してきたからね。思う存分遊んじゃいなさい!」

 

 忍の掛け声を聞きながら、それぞれの水着を手にした少女たちは海へと駆けていく。もう二度と砂浜に足を噛みつかれない為に、その足にビーチサンダルを履きながら。今度こそ、涼しげな風を運ぶ、母なる海に到達した。

 

「シャマル、ちょっと屈んでくれへんかな。海に触ってみたいんよ」

「分かりました。はやてちゃん」

 

 まずは、シャマルに抱えられたはやてが、波に浚われぬようしっかりと身体を支えられながら、満ち引きをする波に触れる。濡れて柔らかくなった砂に手を付き、冷たい水が彼女の腕を何度も呑み込んだ。

 

「おお~~、ほんまに凄いなぁ! 腕が波に引っ張られてしまいそうや!」

 

 お風呂場でする水遊びとは違った感覚。砂と一緒に波に引きずり込まれそうになる腕の感触。全てがはやてにとっては未知であり、感動を与えるには充分すぎる経験だった。夏の熱い日差しも相まって、自分が海遊びをしている気分をちゃんと味わえている。

 

「シャマル。主はやてをしっかりと支えるのだぞ。ダメそうなら私が変わろう」

「もう、シグナム。私はそんなヘマなんてしません!」

 

 その様子を背後で仁王立ちして見守るシグナムが、世話をするシャマルに忠告した。足の不自由な少女が波に浚われれば、どうなるのか考えたくもない。それを心配しての事だった。もっとも、正座するように屈んで、しっかりと腕の中の少女を抱えているシャマルは不満そうである。

 

 でも、心配なのだ。シグナムも足首辺りまで海に浸かっているが、想像していたよりも波は身体を強く引っ張ってくる。屈んで膝から腰まで波に浸かっているシャマルを見ると、少しばかり心配にもなろうというものだ。

 

「ぐっ、何だ!?」

 

 そんな、シグナムの全身に降りかかる水飛沫。ひときわ大きな波が打ち付けたのではない。明らかに何者かが、シグナムに向けて水を掛けまくっている。それは近くにいたシャマルとはやてにも被害を及ぼしていた。

 

「辛気臭い顔してんじゃねえよ、シグナム。せっかく海に来たんだから、あたしらも楽しむべきだ」

「だからと言って、主はやてまで巻き込む奴が……」

 

 それはヴィータだった。守護騎士としての役割を一時的に忘れた少女は、童心に返って遊ぶ気満々である。その事に苦言を呈そうとしたシグナムだが、それはヴィータに対する思わぬ反撃よって中断された。

 

「あはははっ! ヴィータ、お返しや!!」

「あっ、はやて~~!! やったな~~!?」

 

 はやてからの精一杯の反撃。シャマルにしがみ付きながら、腕を必死に動かしてヴィータに水を掛けまくる。対するヴィータもシャマル諸共、はやてに水を掛けまくった。両手で振りかける水飛沫は何度もはやて達に降りかかる。

 

「ふふ、わたしも手伝うね。はやてちゃん」

「ありがと、すずかちゃん。ほらほら、シグナムも見てないで反撃や」

「あっ、はい。主はやて」

「ちょっ、三対一なんてずりぃぞ、はやて!?」

「なら、アタシも加勢するわよ!!」

 

 そこに加わるすずかとアリサ。それぞれ、はやてとヴィータの側に付いた少女たちも、互いに笑い合いながら盛大な水かけ紛争に発展した。夏の日差しを和らげるように降りかかる、冷たい水の掛け合いはとても気持ちが良くて。誰かが止めなければいつまでも続きそうな遊び。

 

 そんな遊びに横やりが入るのは当然の事だった。

 

「ぶはっ、ぺっぺっ。くそぅ、しょっぱいな」

「誰よ、アタシ達の顔目掛けて水を掛けたヤツ!」

「へっへっ~ん。油断する方が悪いんだもんねえ」

 

 それは悪戯っ子な笑みを浮かべたアリシアだった。こんな楽しそうな遊びを始めといて、彼女が興味を抱かない訳がないのだ。そして、最初のターゲットは当然、慣れ親しんだ姉のアリサと。何かと互いにライバル意識を持つヴィータである。

 

「あっ、テメェ……やりやがったな~~!!」

「いい度胸してるじゃないアリシア。覚悟は出来てるんでしょうね」

 

 すぐさまアリシアに向けて二人分の水飛沫が襲う。全身に降りかかる冷たい水の滴に、アリシアはキャッキャッと喜んで、嬉しそうだった。

 

「ナイスや! アリシアちゃん。これで挟み撃ちやな。者ども、であえ、であえ~~!!」

「はっ、この期を逃す我々ではない」

「ごめんね? アリサちゃん。ヴィータちゃん」

「ええい、卑怯すぎるわよ! 正々堂々と戦いなさい」

 

 だが、油断してはいけない。ここぞとばかりに、チームはやてが奇襲攻撃を加えたからだ。奇しくも挟撃という思わぬ形になって、アリサは苦々しそうに叫びながら、チームはやてに反撃を行う。その背後ではヴィータがアリシアに善戦を繰り広げていた。

 

 そして油断してはいけないという言葉は、この場にいる全ての人間に当てはまるのである。遊びにおいて、壮絶愉快犯な彼女が何もしない訳ないのだから。

 

「ふべらっ!?」

「はっ……?」

 

 チームアリサの背後で奇襲を攻撃を仕掛けていたアリシアがぶっ飛んだのだ。文字通りぶっ飛んだのである。あまりの事態にヴィータは唖然とするしかなかった。まさにポカン、である。それもその筈、アリシアの背後から襲いかかった水流が、彼女を前のめりに倒したのだ。あまりの光景に信じられないのも無理はない。

 

「ふっふっふっ、この忍さん特製水鉄砲が火を噴く時が来たようね」

 

 よろよろと起き上がるアリシアの背後からゆっくりと近寄る女性。それは魅惑の紐姿を隠すように、白い上着を着た忍であった。もちろん下半身は際どい水着姿であり、雪のように美しい足のラインが際立っている。魅惑のお尻もくっきりと強調されていた。

 

 ただし、その美しさは片腕に抱えられた得物さえなければの話である。

 

 彼女は銃火器と見間違えそうな玩具を抱えており、銃身には巨大な細長い水のタンクが括り付けられていた。それは、いわゆる水鉄砲という奴なのだが、何処からどう見ても鉄砲ではない。もはや対戦車ライフルの域に達していた。

 

「元は防犯グッズ用に拳銃サイズの水鉄砲を改造しただけのシロモノなんだけど、それだと一回きりなのよね。だから、忍さん。今回は連射できるように大型バージョンを作ってきました」

 

 そう言って笑いながら、忍は容赦なく魔改造水鉄砲の照準を向ける。

 

「そんなもの、あたしに向けんなっ、ぶほっ」

「ちょっ、忍さん。アタシまで……」

「問答無用よ。アリサちゃん」

「へぶしっ!?」

 

 次々と犠牲になっていく子供達。水鉄砲から発射される水は、もはや放水と言っても良いレベルである。その強烈な水圧に耐えられず、ヴィータとアリサは海に素っ転ばされた。さすがに追い打ちをかけるほど非道ではないが、立ち上がれば再び襲い掛かってくるのは明白だった。

 

「あかん、あんなもので撃たれたらおしまいや」

「もうっ、おねえちゃ~~ん!」

 

 ものすげえ、清々しい笑みを浮かべながらはやて達に照準を向けてくる忍。水鉄砲の威力に戦慄したはやては、危機感を覚え。すずかは、姉の暴挙とも言える暴走に抗議じみた叫びで訴える。しかし、忍は容赦という言葉を知らない。繰り返すが、やる時はやる人である。

 

「主はやて、私の後ろに。すずかも私の後ろに隠れろ」

「ふふっ、シグナムさんに耐えられるかしら? さっきは出力を絞って発射したけど、威力はまだまだ上がるわよ」

「私は、これでも守護騎士なのでな。主とご友人に降りかかる火の粉は払わねばならん」

 

 そこに立ち塞がるは烈火の将シグナム。優れた武人である彼女は子供達を背中に隠し、果敢にも武装したマッドサイエンティストに挑もうとしていた。せめて護身用に棒状の物があれば、水流と言えど切り払って見せるのだが。無いものは仕方がない。シグナムは徒手空拳で挑むべく身構えた。

 

 対する忍も水鉄砲の捻りを調節して、放水の威力を上げる。威力が上がる分、水の残量も減ってしまうが、ここは海である。無限に近い水によっていくらでも補給可能。シグナムのような大人を転ばすことが出来れば、防犯対策の試作品としてもばっちりである。要は実戦テスト。

 

 そうして、忍が笑みを深め。グリップを掴んだ指をトリガーに掛けて、握りこもうとしたとき。

 

「うわ~~ん! なのは~~!!」

 

 アリシアが割とマジ泣きしそうな勢いで逃げ出した。その先に居るのはゆっくりと忍に近づいてくるなのはだ。

 

「遅れました。アリシア、どうかしたのですか?」

「なのは、アイツが。忍って奴がいじめるっ!」

「分かりました。仇を取ってあげますから、離れていてください」

 

 なのはは縋りつく勢いで、抱き付いてきた少女を優しく受け止める。そして、よしよしと頭を撫でて慰めると再び忍との距離を詰めた。

 

「あら、なのはちゃん。この私と素手で戦うつもりなの?」

「忍さんはちょっとやりすぎました。ですから、少しばかり制裁を受けて貰おうかと」

「水を掛けるくらいじゃ、私はやめないわよ。集中砲火を受けても気にもならないわ」

「ええ、ですから。少しばかり本気をだそうと思いまして」

 

 宣言するなり、なのはは身構えた。

 

 まさか、この距離で如何にかするつもりなのだろうかと、忍は疑問に思う。彼我の距離は八メートル。遠距離攻撃ができる忍が有利であり、どう考えてもなのはの攻撃手段は皆無。後に待つのは一方的な蹂躙である。なのに、あの少女は身構えている。考えられるのは、忍の一撃を避けて距離を詰めてくるという事か。

 

 面白い、と愉快犯たる忍は笑った。アリシアと同じ悪戯っ子な笑みを浮かべて笑った。これだから悪役に徹するのは面白いのだ。本当は恭也が出張ってくると予想していたが、予定変更。まずは目の前の小さな正義の味方を撃ち倒す。

 

「いくわよ! なのはちゃん」

 

 気合の叫びと共にトリガーを引く。発射される強烈な水流が、なのは目掛けて襲い掛かる。その全ての光景が、忍にはゆっくりと見えた。一族の人を凌駕する反射神経によって、引き起こされた情景。その中をなのはがゆっくりと動く。いや、身を低くした?

 

 一見すれば、それは最小限の動きで回避したように見れる。だけど、違う。あれは避けたのではなく構えのひとつだ。彼女は構えと共に忍の攻撃を避けただけ。なら、次に接近してくる。

 

 忍は、そう考えて。次の瞬間にはそれが過ちだと知った。

 

「なっ、あっ……」

 

 反転する景色。浮かび上がる情景は青空と白い雲。眩しい太陽の日差し。続いて自分が海に叩きつけられる感触。

 

 何てことはない。なのは、あの距離からモーゼのように海を切っただけに過ぎないのだと。頭の何処かで忍は理解していた。

 

(水斬り……恭也が、行っていた武術の鍛錬のひとつ、なのね)

 

 全身を脱力させた状態から、ゆっくりと加速し、インパクトの瞬間に膨大な力を一点に集中させて蹴り上げた。そしたら忍の所まで浅い海が、水飛沫を数メートルあげて割れただけ。その衝撃に巻き込まれて忍ぶっ倒されただけなのだ。但し、少しばかり魔法で身体能力を強化するというズルもしているが。

 

「なのちゃんすご~い!」

「あはは、海の天然シャワーやな!!」

 

 子供たちは天然のシャワーに大はしゃぎである。ただ、忍だけが海を静かに漂っていた。あまりの威力にちょっと起き上がれそうにない。

 

「忍、あまり羽目を外しすぎるなよ? ほらっ」

「あっ、ありがと……恭也」

 

 だから、見かねた旦那(仮)の恭也が手を差し伸べて来て。忍は愛する男性の逞しい姿に頬を染めながらも、助け起こして貰う。

 

 その鍛えられた身体も、誰かを護る為に付いた傷跡も、誰かを気遣う優しさも全部好きだ。忍は恭也の全てを愛している。ある事が切っ掛けで自分の秘密を打ち明けて、それを彼は受け入れてくれて。それから気になっていた気持ちが、好意から純愛に変わるまで時間は掛からなかった。

 

「それとな、忍……」

「ん、どうしたの。恭也?」

「はみ出ているんだ。その……胸が」

「えっ、きゃあ!? 恭也のエッチ!! 凝視しないでよ、もう!!」

 

 どこか気まずそうにしながらも、ヒモのような水着の紐がずれていることを指摘され。慌てて肩まで海に浸かる忍。愛しの彼を惹き付けるためとはいえ、いざとなるとやっぱり恥ずかしい忍であった。彼女は頬を染めながらも海の中で水着の位置を直す。

 

 そして苦笑を隠せない恭也。初心な反応を見せないのは、もはや慣れてしまっているからだろうか。それとも愛しい人の姿が微笑ましいからだろうか。

 

 何だかんだで仲睦まじい二人だった。

 




ホントは海水浴まで行きたがったが、パワーダウン。
次回まで待ってね。後二話くらい海遊びだ。

いずれ文章全体を修正するけど。
この後書きみたいな。
○で改行する方が。

見やすいかな?


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●海遊び

 夏の思い出作りから始まった海遊びは水掛けから始まり、遂には海で泳ぐところまで発展した。

 

 恭也が泳げないアリシアを背中にしがみ付かせて、彼女の代わりに泳ぐ。揺らめく波の心地よさは彼女の身体を包み、アリシアを大いに喜ばせた。その隣に随伴するように泳いでいたなのはも、微笑ましそうにアリシアを見つめていた。

 

 それを遠目から眺めていた守護騎士たちも妙案を思いついたとばかりに相談する。主はやてが嬉しそうにしながらも、友達が泳ぐ姿に憧れていた事を察していた。だから、如何にかして、この少女にも泳ぐ感覚を体験させてあげたいと悩んでいたのである。

 

 結論としては名犬と化したザッフィことザフィーラに泳いでもらう事だった。狼の彼の背にしがみ付いて貰い、動かない足をシャマルのバインドで固定する。水の中なら魔法の光も目立たないという判断。そこに認識疎外の魔法を掛ければ問題は解決する。そして、補助を専門とするシャマルなら、その程度の魔法は魔法陣を展開せずとも行使できる。

 

 はやての後ろには同じ背丈のヴィータに騎乗してもらい、万が一がないように支える役割を。ついでにヴィータも楽しめて一石二鳥だ。すずかも随伴して泳ぐので万が一の備えは万全である。最悪、旅の鏡で転移させれば問題ない。

 

「いっけ~~、ザフィーラ! 目の前にいるアイツを追い越せ!」

「こら、ヴィータ。あんまり、はしゃいじゃあかんよ?苦労を掛けてごめんなぁザフィーラ」

『いえ、主はやて。これも御身の為ならば苦ではありません。それに幼子二人を背に乗せてへばる程、軟ではないのでご安心を』

 

 はやては背中の後ろで腕を付きだして、GOサインを出すヴィータを嗜めつつ、労わる様に股座に挟んだザフィーラの背を撫でた。

 

「そか。でも、無理したらあかんよ? 疲れたらいつでも言うてくれて構わへん」

『御意に』

「それと、ほんまにありがとな。わたし、海で泳げるなんて思っても見なかった。だから、ありがとうザフィーラ。願いを叶えてくれてありがとう」

 

 蒼い毛並みが水を吸って身体が重いだろうに。この守護獣は苦も無く主の願いを叶えようと頑張ってくれている。その事に感謝しながらも、はやてはありがとうの言葉を何度も守護獣に伝える。

 

 それくらい嬉しかったのだ。走ることも、泳ぐことも出来ぬ身体では叶わぬ願い。それを叶えてくれたのだから感謝してもしきれない。感無量とはまさにこの事を云うのだろう。気を抜けば喜びの涙が溢れてしまいそうだった。

 

「げっ、まずいよ恭也号。後ろから赤毛のチビが追いかけてきた」

「俺は乗り物じゃないんだがな――」

 

 その様子を前方に泳いでいた恭也、その背中にしがみ付くアリシアが気が付いて。慌てたように恭也を急かした。何が何でもヴィータに追いつかれるのは嫌なようだ。彼女達の背後では、誰がチビだゴラァ! と怒りの叫び声まで聞こえる始末。向こうも何だかんだで張り合っているらしい。

 

 恭也は乗り物扱いされたことに苦笑いを隠さなかったが。愛しい妹の友人であり、もう一人の妹みたいな存在に急かされては。応えぬわけにも行かぬというもの。ゆっくりと泳ぐ平泳ぎのスタイルから、素早く泳ぐためのクロールにフォームチェンジを行う。

 

「しかし、ここで負けては不破家の名が廃るというものだっ!」

「きゃっ! きゃっ! はやい、はやい! いいぞ負けるな恭也号!」

「ぬおおおぉぉぉっ!」

 

 大喜びのアリシアを背にしたまま、良く分からない闘争心に火が付いた彼は、あっという間に遠ざかって行った。その場に唖然として立ち泳ぎする不破なのはを残しながら。

 

 その横を通り過ぎていくのは名犬ザッフィーに騎乗したはやてとヴィータである。ザフィーラは人間を遥かに凌駕する膂力で、子供二人を背に乗せても軽快な動きを損なっていない。余裕綽々とはよく言った物だ。いっけーっと大はしゃぎするヴィータの声と、明るく笑いながらザフィーラにしがみ付くはやての声だけを残して、恭也を追いかけて行った。残されたのは随伴して泳いでいた月村すずか。

 

「すずか、兄上が妙なテンションで先に行ってしまいました」

「こっちも手綱を握るヴィータちゃんが全力を出すものだから、置いて行かれちゃった」

 

 残された付添い係の二人は、困った顔で笑い合いながら、ゆっくりと海を泳いで先を行く二人を追いかけた。

 

 楽しい遊びはまだ続く。

 

 

 

「は~い、みんな! 海は楽しんだかしら?」

「おうよっ! てか、忍が手の持ってる黒と緑の縞々はなんだ?」

「よくぞ、聞いてくれましたヴィータちゃん」

「わたしそれ知ってる。スイカ割りやな!!」

「私の説明が取られたっ!?」

 

 泳ぎ終わった後は保護者組が一生懸命作った休憩用のパラソルの下でゆっくりと休みながらお昼ご飯。その後に忍がワゴン車のカーゴから冷やしておいたスイカを準備。急遽スイカ割り大会が開催される事になって。特にそういった行事を本で読んだり、テレビで見たりしていたはやては、憧れのスイカ割りを前に瞳をキラキラと輝かせていた。

 

 割ったスイカが砂で汚れて食べれなくなってしまわないよう、砂浜の上にレジャーシートを敷いて準備完了。いつの間にやら用意していたスイカ割り用の木刀を子供たちは手渡され、いくつかのチームに分かれて身内の催しを始める。

 

「おっしっ、ヴィータ真っ直ぐや。真っ直ぐ行って手にした木刀を叩き下ろすって……左に逸れとるよ~~?」

「でも、はやて。前がみえないよ」

「あわわっ、左なの!? アリサ、なのはっ! どこっ!? ボクは何処に向かえばいいの!?」

「それは隣のはやての指示だから。落ち着きなさい! とにかくアタシの声だけを聴いてれば……」

 

 そしてそう言った催しごとが大好きで、積極的に自主参加をしたいと手を挙げたのはもちろん。ヴィータとアリシアの二人である。しかし、人間らしさを獲得したばかりで、初めてスイカ割りを体験するヴィータは悪戦苦闘。

 何処かアホの子で、行動に天然が抜けきらないアリシアは、目隠しされた状態で周囲から聞こえる指示を鵜のみにし過ぎて四苦八苦。

 二人ともあらぬところに木刀を振り降ろしたり、ずっこけたり、その場でぐるぐると犬のように回ったりしていた。

 

 勿論、初めてとはいえ二人はそんな無様を晒すほど間抜けではない。そこには悪戯心を多分に含む悪意があるのだ。

 

「は~い、ヴィータちゃん。そこを真っ直ぐ行って左です。進んだら後ろに二歩下がって三歩前進。そこでアリシアちゃんが」

「あのな~~シャマル。それじゃあヴィータは指示が分からへんよ? もっと簡潔に言わんと」

 

 素朴な疑問のように問いかけるはやてに対して、シャマルは小さな声で告げる。日頃、振り回されている意趣返しです、と。そして、何も場を混乱に導いているのはシャマルだけでなく、悪乗りした忍が欺瞞情報をばら撒き。それをお姉ちゃんっ!と複雑そうに叫びながら、善意の掛け声を掛けるすずかである。しかし、それがさらなる混乱を招いているなど本人は霞も知らない。

 

 すずかの場合、本人が意図したわけではないのだが、間違った情報を正そうと掛け声を掛けるたび、ヴィータとアリシアの二人が更なる混乱の坩堝に叩き落とされるのである。純粋に友達や家族の言葉を信じる二人だからこそ、全ての言葉を鵜のみにして命令通りに色んな行動を実行に移す。

 

「あはははっ、なんや、これ。状況がカオスやっ!」

「はやて。そうは言っても、あたしは誰の指示に従えばいいのかわかんねぇんだよ!?」

「ヴィータちゃん。右ですよ~~?」

「その声、シャマルか? よし、右。右だな」

「いえいえ、左ですよ~~?」

「どっちだよ!?」

 

 まさに混沌とした状況が広がっていて、通りかかる他の海水浴客の目を引いていた。

 

「……本当にやるのですか」

「ああ、構わんぞ不破。恭也殿ほどの御仁。こんな形とはいえ手合せしてみたかったのだ」

「勝負を挑まれた以上。不破として逃げるわけにはいかんな」

「ご厚誼に感謝する」

 

 所変わって奇想天外な勝負を行おうとしていたのはシグナムと恭也の二人。恭也を優れた武人であると見抜いたシグナムが手合せを願い、忍の提案で平和的な競い合いが催されたそれは、名付けるのならスイカ斬りであろう。レジャーシートの上で思い思いに木刀を構える良い大人二人をよそに、なのははどうしてこうなったのかと呆れの表情すら隠さない。

 

 それもその筈、スイカをぶん投げる役割はなのはなのである。人の頭ほどもあるスイカを放り投げて、恭也かシグナムのどちらがより早くスイカを叩き切れるのか。これはそんな勝負だ。通りかかる野次馬が好奇の視線を向けて来るし、恥ずかしいったらありゃしないのである。

 

 想像してみて欲しい。海に泳ぎに来たら水着姿の大人が木刀を構えて真剣な表情をしている。しかも、目隠しをしてスイカ割りを行う様子はない。小さな女の子が抱えたスイカをじっと見つめて動かないのだ。これだけでも相当目立つだろう。

 

「行きますよ。準備は」

「私はいつでも」

「ああ、遠慮なく……来いっ!」

 

 だから、早く終わらせようと恥ずかしそうに目を伏せたなのはは、思いっ切りスイカを放り投げて。宙に舞った大きな緑と黒の縞々を二つの剣線がぶった切るのはほぼ同時だった。あまりにも鮮やかすぎる切断面に周囲の観客が思わず拍手をしたのは言うまでもない。

 

 勿論、遊んだあとにスイカは美味しくいただきました。

 

 その後もバーベキューに使う高級な肉と安物の肉を賭けるという名目でいろんな催しが行われた。

 

「うおおおお! 松○牛はあたしのもんだ!!」

「へっへ~ん、スピード勝負なら負けないもんねっ!」

「そこで名犬ザッフィーの出番や!」

「「なぬっ!?」」

 

 ビーチフラッグ勝負でヴィータが張り切る中、アリシアが他を出し抜いてぶっちぎりの一位かと思いきや。はやての代走として参加した名犬ザッフィーがダークホースの如く全てを抜き去って行ったり。

 

「いいのかな? このチーム分けで大丈夫なのかな……?」

「いいんじゃないですか? 公正なくじ引きで決まったチームですし」

「でも……」

 

 ビーチバレー大会で、学校では組ませてはならないと暗黙の了解だったすずか、なのはペアが編成され。他のチームがバレー初心者の最中、大人げなく全てのチームを総当たりで叩き潰し。

 

「どうせアタシは除け者よ……」

「そんなアリサちゃんに通りかかった助っ人の登場や!」

「………よろしく頼む」

「どちら様!?」

 

 バレーにおける二人一組のペアでアリサが運悪くチームを組めず、はやてと一緒に観戦しようと思ったら。急遽通りかかった褐色で筋肉マッチョな寡黙の男性がチームを組んでくれたりと。一夏の海を過ごす時間は面白おかしく過ぎていったのだった。

 

 

 

 はやては夕日に照らされた砂浜に座り込みながら、一生懸命に手を動かしていた。

 

 背後ではバーベキューで余った肉を焼く食いしん坊さん達が「それはあたしの肉だ」とか「いいや、ボクが育てた肉だもんね」とか言い争う声が聞こえてきて、思わず微笑みを隠せなくなる。あれだけ騒いで遊んだのに元気なことだ。

 

 あれだけの肉や野菜を食べ、はやてが頼み込んで直々に作らせてもらった焼きそばも食したというのに、あの子供二人はまだ食べるらしい。育ち盛りで食欲旺盛なのは嬉しいが、食べ過ぎてお腹を壊さないか心配である。

 

「よいしょっと、こんな感じでええやろか」

「何をしているのですか、はやて?」

「うおわっ!? な、なのはちゃん……あんまり驚かさんといて」

 

 はやては背後から急に声を掛けられ、肩に手を置かれる感触で、猫の様に飛び上がりそうになった。慌てて顔を振り向かせれば、そこには不思議そうな表情をした不破なのはの姿。

 

 びっくりした。驚きを通り越して驚愕にも等しい衝撃だった。まるで夜中にトイレに行こうとして、暗い廊下で幽霊にでも出くわしたかのような衝撃。なのはの気配はまったく無いに等しいので、近付かれた事も分からなかった。

 

「あ、その、一人で座っていたので気になったのです。驚かせてしまったのなら、ごめんなさい」

「こ、こっちこそごめんなぁ。勝手に驚いたりなんかして」

 

 非常に申し訳なさそうな顔をして謝るなのはと、あはは~と苦笑いを浮かべながら謝るはやて。

 

 そうして互いを気遣った後で、改めてなのはは視線をはやての手元に向けた。そこに在ったのは砂で塗り固められた作りかけの城。手を伸ばせる範囲に水の入ったバケツが置いてあり、どうやら砂遊びをしていたのだと覗えた。

 

 どうしてこんな事をと、不思議に思って聞いてみれば、はやては恥ずかしそうに頬を掻きながら応えてくれた。指に付いた泥が頬を汚すのも構わない。

 

「憧れやったんよ。こういうの。テレビに映る砂浜で、家族に囲まれながら砂遊びをする子供みたいに。わたしもそんな風に遊んでみたかったんや」

 

 はにかんで恥ずかしそうに笑う少女を見ながら、なのはは胸が痛むのを押さえられなかった。守護騎士が居候するまで、はやてはずっと独りぼっちで暮らしていたという。まだまだ甘えたい年頃だろうに。傍に親もいらず、物心ついた時から孤独に過ごすという時間はどれほどの寂しさに苛まれるのだろうか。

 

 何処か距離感があるとはいえ、なのはには家族もいる。それに自分を支えてくれる親友もいる。

 

 だから、はやてがどれほどの寂しさを感じていたのか、なのはには想像もつかない。季節が巡る度に夏や冬の風物詩の情景を、テレビでしか知ることが出来なかった彼女の境遇も分からない。

 

「じゃあ、一緒に作りませんか」

「ほんまに? 手伝ってくれるん?」

「ええ、一人よりも二人の方が立派なお城を作れるでしょうから」

 

 ただ、自分に出来ることはこうして彼女と一緒に過ごすことだけだ。

 一緒に遊んで、一緒にお喋りして、一緒に思い出を分かち合う。それがどれだけ素晴らしい事であるのか、なのはは知っているのだから。

 

「何よ、アンタ達。随分と面白そうなことしてるじゃない」

「ボクもまっぜろ~~♪」

「わぁ、砂のお城だね。じゃあ、わたしはちょっとした小道具持ってくるね」

 

 そうしていると砂浜で何やらやっている二人を不思議に思ったのか、アリサ達が近づいてきた。

 

 彼女達は、はやてがやっていることを知るや否や進んで輪に加わり、おもしろそうに城の外観を整えていく。

 

 なのはとはやてが砂の外観を塗り固め、アリサが外観を整えていき、細かな装飾はすずかが施すと、アリシアは砂の周りを掘って水路を作っていた。

 

「ほう、これは立派な城ですね。主はやて」

「じゃあ、私たちは敵襲対策に外壁でも作りましょうか?」

「それじゃあ立派な城壁を建ててやろうぜ」

 

 子供たちが集まると見守っていた大人達も気になるものだ。

 守護騎士たちは小さな主が砂で作っているものを知ると、こぞって外堀制作に熱を入れ始めた。城の大きさに反して随分と立派な城壁を作り出していく保護者チーム。

 

 想定している敵は大海原が繰り出す波。少しでも城が長持ちするようにと、全てを呑み込む大海に備えた防壁である。

 

 それを忍と恭也は微笑ましそうに見守り、自分たちで残りの片付けを率先して行う。

 

「できたでぇ!」

「「「おおぉぉぉぉ~~~」」」

「我ながらイイ仕事をしましたね」

 

 そうして出来上がった城は子供が作るにしては随分と立派なものだった。特に機械工学を専門とする忍の妹。手先が器用なすずかが城の門や、外観の模様を細かく掘ったことによってそれなりのリアリティが生まれている。

 

 水路に注がれた水は限りなく透明で、夕日に照らされるとキラキラと輝いていた。時間があれば離塔も作れたのだが、もうそろそろ帰る頃合い。夕日が完全に沈むまで残る時間もわずかだ。

 

 それでも、湧き上がる達成感に、腕に付いた泥に構わず額を拭ってしまうなのはが居るくらいだから。どれほど子供たちが砂遊びに労力を惜しんだのか覗えそうな程だ。

 

 うん、それを超える労力を注いで、明らかに過剰とも言える城壁を築いた背後の存在は見ないことにする。まるでどこぞの長城のようだ。

 

「ほら、はやて。離れて見ると、夕日に照らされた海と相まって綺麗ですよ」

「うん。なのはちゃんの言うとおりやね。ほんまに素敵――」

 

 なのはが気を使い、鍛え上げられた身体で苦も無くはやてをおんぶすると、動けない彼女を城から離した。

 

 遠目から見える景色は確かに綺麗だ。昼間とは違う蒼い海の姿も。灼熱に砂浜を照りつけた太陽の姿も。茜色に染まった空までが随分と違う。夕焼け何て見慣れた景色の筈なのに、はやてにはその光景が特別なものに見えて仕方がなかった。

 

 口から零れるのは感嘆の溜息。自由に動く両手は祈るように組み合わされ、いかに彼女が感激しているのか分かる。

 

 楽しかった。そう、今日は本当に楽しかったのだ。

 傍に居てくれる家族が出来て。生まれて初めて友達が出来て。そんな家族や友達と一緒に海にお出かけすることが出来た。

 

 それはいつまでも遊んでいたくなるくらい。本当に楽しかったのだ。

 

「あっ、城壁が……」

 

 だけど、そんな楽しさも終わりが来るのだと告げるように。無慈悲にも差し迫る波の一撃が、哀れにも城壁を脆く崩した。波に呑まれた痕には何も残らず、濡れた砂浜と崩れ落ちた砂の山があるだけだ。

 

 それを見て、はやてが寂しそうに笑う。笑って小さく呟いてしまう。

 

「わたしも、いつかこんな風に崩れ去ってしまうんやろか……」

 

 想いを馳せるのは自分の足のこと。日に日に動かなくなっていく自らの下半身。徐々に強くなっていく胸の発作。幼い頃から少しずつ少女を蝕んできた原因不明の病。それは彼女の心を不安にさせるのは充分で。波に崩れる城壁が考えないようにしていた事柄を思い起こしてしまった。

 

「何言ってるんですか。これから始まるんでしょう?」

 

 だから、傍に居たなのははそれを紛らわせるように笑った。楽しい事も、嬉しい事も、これから始まるんだと優しく告げる少女の瞳は、希望に満ち溢れている。

 

 心優しい少年と約束したことがある。二人の親友に支えられて過ごす日々がある。大好きな少女と共に日々を過ごせる喜びがある。

 

 そして自分を支えてくれた腕の中の少女が、八神はやてが新たに加わる。楽しい日々を彩る大切な存在として。

 

「今度、夏の終わりに祭があります。一緒に行きましょう。わたしも本格的に参加するのは久しぶりなので、楽しみなんです」

「祭か~~。家から花火を見るくらいしか縁があらへんかったなぁ」

「間近で見ればもっと綺麗ですよ。色んな屋台もたくさんあります」

 

 そっと、はやての手を握り、嬉しそうに祭の事を語るなのはの顔は優しい微笑みが浮かんでいた。

 

 ちょっとだけ頬に朱が差している気もするが、気のせいだろう。

 

 夕日に照らされてそんな風に見えるだけだと、はやては思う事にした。恥ずかしがってるなんて指摘するほど意地悪じゃない。

 

 でも、嬉しい。こうして自分のことを誘ってくれる友達がいること。傍で支えてくれる家族がいること。それを改めて自覚すると胸がいっぱいになるほど満たされる。きっと自分は幸せなんだろうと、はやても嬉しそうに笑った。太陽みたいな眩しい笑顔だった。

 

「じゃあ、誘ってもらってもええやろか?」

「ええ、もちろんですよ。はやて」

 

 互いに指切りして約束を交わす少女たち。

 

 その後、乗ってきた車から、一眼レフのカメラを取り出した忍が、八神家と子供達を交えて記念写真を撮影した。

 

 夕日を背に、砂の城を中心にして寄り集まった全員が何処か嬉しそうに笑っていたという。

 

 残された写真は、そんな思い出の一枚となった。



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夏祭りの後に

 その日、海鳴の町は活気に満ち溢れた喧騒に包まれていた。

 独特の和笛の音が鳴り響き、和太鼓の心地よい音色が騒がしさを助長するように響き渡る。人々は、その音に惹かれるようにして町の広場に設けられた会場を目指す。それを迎える多くの屋台が客を引き寄せようと躍起になっている。

 

 そんな騒がしい広場の中にあって、なのは達は楽しそうに祭の中を歩き回っていた。今宵の日に着飾る浴衣は色取り取りであり、赤、蒼、水色、橙、若草、黒、黄色、薄桃とそれぞれの個性に合わせた布地が歩くたびに揺れていて。一部には装飾された紫陽花や桜などの花の柄がとても綺麗である。

 

 しかし、何人かは着慣れていないのか袖や襟元を頻りに気にしている様子。桃色の髪を一纏めに結ったシグナムや、この日の為に赤毛の髪を解いて、丁寧に結い降ろしているヴィータなどは特に戸惑っていた。

 

「浴衣という民族衣装は何と言うか、その、不思議な着心地だな」

「なんだか、袖がスースーします」

「あたしは草履がちょっと苦手だ。歩き辛いし」

 

 ザフィーラ以外の三人がそれぞれ感想を口にする。シグナムは着つけのように引締められた帯と、それによって強調された胸元を気にし。シャマルは広い袖口に手を突っ込んでもぞもぞする。ヴィータは歩きなれておらず、脱げそうになる草履で緊張し、たまに転びそうになっていた。

 

 はやての誕生日に現れた守護騎士一同。当然、先の海開きのように水着も持っていなければ、彼女達の浴衣などある筈もない。せっかくの夏祭りなんだし、家族皆で浴衣が着たいというはやての願いを叶えたのは、やっぱりバニングス家と月村の両家だった。

 

 特にバニングスは元は外国に住んで居た一族だというのに、倉庫から日本由来の民族衣装が出るわ出るわ。浴衣を初めとして、振袖から十二単衣。さらには戦国時代の甲冑と武具一式まで揃えているときた。もちろん展示用の物が殆どだが、本家で働く執事、メイドの全員に行き渡らせるくらいには浴衣のストックがあるらしい。何でも父親が密かな日本マニアだとか、アリサがため息交じりに教えてくれた。日本に移住しているのも、それが理由らしい。

 

 という訳ではやての願いを叶える為に、八神家全員分の浴衣を余り物から仕立て直し、それをプレゼントしたという逸話があるが、それはまた別の話。当然、申し訳ない気持ちと遠慮がちなはやてが断ろうとして、強引に押し付けられたのも想像に難くないだろう。

 

 人の好意を無視すんなっ、とはアリサの談である。

 

 そして娘から嬉しそうに祭りに行くという話を聞いて、密かに妻の桃子が使っていた浴衣を仕立て直し、娘に贈ったという士郎の苦労も余談ではある。

 

 祭りの前日。顔も合わせず、ぶっきらぼうな態度で折りたたまれた浴衣を差しだす父に、なのはは困惑したとかなんとか。そして当日に浴衣姿を披露してくれた娘の姿に、不覚にも桃子と重ねてしまい。泣きそうになって、そそくさと庭の縁側に逃げだした士郎の話も余談である。

 

 今頃、彼は祭の喧騒を聞きながら縁側で緑茶でも飲んでいるのだろう。いつもの胴着、袴姿で打ち上がる花火を見上げるつもりの彼は、一体どういう心境をしているのだろうか。その隣に居てくれるはずの愛する人もなく。楽しいはずの祭りも過ぎ去った過去を思い起こさせる一因でしかない。愛する妻と過ごした一夏の思い出。家族と一緒に過ごすはずだった夏の思い出。一人寂しく黄昏る彼が、娘と祭に出掛ける日は訪れるのだろうか。

 

 そう考え、父を想うと自分も寂しくなってしまい。来年は父も誘ってみようと密かに決意し、一人頷くなのはだった。

 

「さて、ようやく祭りの会場に着いた事だし、はやて。何処か行きたいとこはある?」

「広場の真ん中で盆踊りをやってるんやろ? それも見て見たいし、でも屋台でたこ焼きとかも買って食べ歩きたいなぁ」

「それなら、色んな種類の食べ物を買い歩きながら、皆でお裾分けすればいいよ」

 

 アリサの提案にう~んと、迷いながら希望を口にするはやて。色々とありすぎて悩んでいる様子。

 それなら全部網羅する勢いで、会場全体を渡り歩けばいいよ。とは、すずかの提案。資金も、花火までの時間も余裕がある。

 

「ボク、かき氷食べたい。ブルーハワイ」

「あたし、いちごシロップな」

「わふ、わふ」

「アルフは串焼きだって」

 

 途端、横から口を出すのはお子様組のヴィータとアリシアだ。すっかりはやての料理に胃を掴まされた二人は、食い意地が張っている。

 ついでに仔犬姿でアリシアの腕に抱かれているアルフも食い意地が張っている。

 

 二人と一匹は瞳を星のように輝かせて、口から涎を垂らしそうな勢いだ。おまけに祭の喧騒に当てられたのだろう。初めてという事もあって、かなり興奮している。アリサやシグナムが抑えなければ、今にも祭会場に飛び出して行って迷子になりそうだった。

 

「はいはい。屋台は逃げないから、そうせっかちになんな。今日の主役ははやてなんだから」

 

 水色の浴衣姿になった自らの妹の襟を掴んで制しながらも、アリサは視線でなのはやシグナム達にそれでよいかと伺う。返ってくるのは静かな肯定。守護騎士は主に合せるのが基本だし、なのはも皆の後に付いて行くつもりらしい。

 

「じゃあ、アタシはたこ焼きの確保。すずかは人数分の焼きそばをお願い。花火を見る時に食べるやつね。なのははヴィータとアリシアの面倒を見て、ついでにかき氷を買ってあげて。何? シャマルは大判焼きが食べたい? じゃあ、シグナムと一緒に並んで買って来なさい。アンタ達はその後、荷物持ちで活躍してもらうから。その後は会場の中央で合流しましょ。くれぐれも迷子になるんじゃないわよ?  あっ、はやてはアタシと一緒に行動ね。すずかはザフィーラを連れてきなさい。それじゃあ行動開始」

 

 アリサはてきぱきと全員に指示を下しながら、自身もたこ焼き屋の屋台の前に並んだ。勿論、はやての乗った車椅子を押すのも忘れない。

 

 ちらりと横を見やれば隣の屋台は焼きそば屋なのか、夜の星空を想像させる浴衣を着こんだすずかがいる。彼女はアリサの視線に気が付くと、微笑んで小さく手を振った。行列に並ぶの大変だけど、頑張ってね。何となくそう言っている気がして、アリサはとりあえずサムズアップしておいた。

 

「う~ん、おいしそうな、ええ匂いやなぁ」

「昼から何も食べてないんだから、お腹がすいて仕方がないものね」

「でも、甘い物は別腹なんよ? 初めての祭りやし、一度リンゴ飴も食べてみたいなぁなんて」

「分かったわ。後でそっちも確保ね」

「よっしゃ、リンゴ飴ゲットや! でも、お代はちゃんと出すから安心してなぁ」

「何言ってるのよ。アタシのおごりに決まっているでしょ。というより奢らせろ」

「アリサちゃん男前や。あまりの懐の深さに姉御って呼んでしまいそうやね。でも、やっぱり……」

「ストップ。はやてはリンゴ飴がプレゼントされて嬉しい。アタシもはやての喜ぶ顔が見れて嬉しい。それで良いじゃない」

「……かなわんなぁ」

 

 はやてと二人でそんなやり取りをしながらも、アリサは屋台のおっちゃんに頼んで、たこ焼きを三つ購入。

 透明な容器に入れられたたこ焼きを、レジ袋に包んでもらい、アリサは腕にぶら下げた。

 

「じゃあ、次はリンゴ飴。大きい奴より小さい方がオススメね」

「その理由はどうしてなん?」

「えっと、恥ずかしい話なんだけど。昔、大きいリンゴ飴を買って食べきれなかったのよ」

「あはは……初めて味噌汁作った時、作りすぎて食べきれない。そんな、ヘマしたのをを思い出したわ」

 

 楽しそうに話しながら、はやてとアリサは街行く人々をかき分けて次の屋台に向かう。

 

 

 

 一方で、なのは組はかき氷を抱えながら足を止めていた。何を隠そう、好奇心旺盛のアリシアが興味津々である場所に駆けていってしまったからだ。

 それは射的や金魚すくいといった遊戯コーナーが集中する屋台だった。景品や楽しそうな遊びに多くの子供達が集まっている場所である。

 

「まったく、アリシアのバカは何やってんだよ。アタシらを置いて先に行くなっつうの。迷子になったらどうすんだ」

「すいません。わたしが面倒見なければならないのに。ちょっと目を離したら遠くへ行ってしまいました」

「別に、なのはが謝る必要はねぇだろ? 屋台で買い物を済ませている時にいなくなるアイツが悪い。でも、迷子になってたらどうすりゃいいんだ?」

「その時は中央広場で迷子の放送をしてもらいましょう」

「あの、でっけぇ櫓が立ててある場所だよ、な――」

 

 人込みに紛れていなくなってしまったアリシアを追いかける二人。どう対処しようかと相談しながら人の列をかき分けて進む中で、ふとヴィータが足を止めた。

 

「どうしました。ヴィータ」

「………えっと、何でもねぇよ」

「そうですか」

 

 どこか恥ずかしそうに、でも少しだけ高揚した様子でそっぽを向くヴィータ。その姿に何でもない筈がないだろうと思い、そっとヴィータの向いていた視線の先を見やれば。

 

「あぁ、成る程」

 

 そこにはヴィータくらいの子供が抱き抱えられそうな人形があった。のろいうさぎと呼ばれるちょっと不気味な兎の人形。八神家に何度か遊びに行くうちに、はやてとヴィータの寝所に飾ってあったのを思い出す。景品より少し小さめのサイズだったが、確かにアレと同じのろいうさぎだったはずだ。

 

 きっとヴィータは、あの景品を一目見て、欲しいなと思ったに違いない。だけど、射的屋に挑戦する子供たちの惨敗ぶりを見て、きっと取れないだろうと諦めてしまったのだろう。ゲームの景品は儲ける為に簡単に取れはしない。子供の夢をぶち壊す悲しい話である。

 

「ちょっと遊んできますね」

「あっ、おい!」

 

 そこまで思い云った少女の行動は早いものだった。まるで散歩に行くような気軽さで射的屋に向かうと、驚くヴィータを余所に五百円を取り出す。

 

「へい、お嬢ちゃん。いらっしゃい!」

「お金です。かき氷を台に置かせてもらっても?」

「構わねえぜ。氷菓子が溶けねえうちに遊んじまいな」

 

 射的屋は一回、三百円。それで三発撃たせてもらえる。五百円なら六回だ。

 勿論、おもちゃのピストルからコルクの弾を撃ち出すだけなので威力は余りない。なのはの狙う景品の大きさから考えると少しも動かないだろう。それなら下の段に並べられている駄菓子を狙う方が建設的だ。特大のろいうさぎは絶対に取れないのだから。

 

 だから、ちょっとだけ悪戯(ずる)をすることにした。

 

 一発、二発、三発と続けざまにコルク弾を撃ち出す。やはりというべきか人形は少しも動かない。その度の横から見ているヴィータが残念そうな顔をした。

 

『レイジングハート』

『all right』

 

 そして、五発目まで撃ち終えると、なのはは首から掛けられているレイジングハートに合図を送る。最後の弾丸を装填すると、密かに魔法の準備を整えた。誘導弾一発程なら魔法陣を展開する必要もない。それを銃身の内部に生成。

 

 狙いを定めてピストルをぶっ放す。コルク弾が同じように飛び出し、力なく人形の顔面を撃ち抜いたが、その瞬間。玩具のピストルから常人には認識できない速さで誘導弾が射出された。そのまま、のろいうさぎの眉間を続けざまに直撃。的となっている台の上から人形が落ちていく。

 

「取れました」

「はっ……? あ、いや、良かったな嬢ちゃん」

 

 景品が取れて嬉しそうな表情を浮かべるなのは。呆気に取られた様子で、口をあんぐりと開けるおっちゃん。恐らくだが落ちない筈の景品が落下した事実を信じられないのかもしれない。

 それでも景品が取れたのは事実である。顔に疑問符を浮かべながらも、おっちゃんは快く人形を手渡してくれた。

 

「どうぞ、ヴィータ。わたしからのプレゼントです」

「お、おう……なのは」

「何でしょう?」

「その、ありがと……」

 

 恥ずかしそうに俯きながらも、小さな声でお礼を言うヴィータに、何でもない事のように受け取るなのは。でも、優れた魔導師であるヴィータは最後の悪戯(ズル)に気が付いていたようで。なのはは指摘されると、ばれちゃいましたか、内緒ですよ。と悪戯っぽく微笑んで、ヴィータが一瞬だけ見惚れた。それは、コイツ、こんな顔も出来るんだなという驚きと、浴衣を着た少女の微笑みが儚くも美しかったからだ。

 

「ねぇ、みてみて! なのは、ヴィータ!」

「アリシア、一体どこ行ってやがったんだ!? こっちは随分と探して……」

 

 そこに颯爽とアリシアが現れて、ヴィータが無駄に祭り会場を探しまっくった愚痴を言おうとした。しかし、それもアリシアの手に持っていた代物が黙らせる。それは所謂、ヨーヨーという玩具で、水風船に少量の水を入れ、ゴムひもを通した夏祭りでは定番のアイテムのひとつだった。

 

「ほらこれ! びよん、びよ~んって! おもしろいよ!?」

「なんだ、それ! すげぇ! おい、何処にあったんだよ、それ!」

「こっち! すごく親切なおじさんがいてさ」

「あっ、二人とも待ってください!」

 

 何処か大人ぶっていても、中身背丈は子供のヴィータである。アリシアに対する文句もたちまち忘れて、ヨーヨー風船の虜にされた彼女は、手元に抱いたのろいうさぎを大事そうに抱えながら、祭りの喧噪のなかに消えていく。

 それを慌てて追いかけるなのはだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 はやてにとって今日ほど楽しいと思った日はなかった。

 初めての夏祭り。遠くから聞いている事しかできなかった賑やかな喧噪。二階の窓から眺めた浴衣姿の家族連れや、友人たちの集団。その全てがはやての傍にあるのだ。やさしい家族に、初めてできた親友。買い食いに、盆踊り、屋台の遊戯。今まで知らなかった"初めての経験が"そこにはある。

 

「あははははははっ、あははははっ!」

「もう、はやてったら、さっきから笑いすぎ「食らえアリサ! 水鉄砲!」うわっ、冷た! やったわねっアリシア~~!!」

 

 はやてに何かと世話を焼いていたアリサが、義妹のアリシアに玩具の水鉄砲を浴びせられたことも。たこ焼きうめぇと頬張りつつも、ザフィーラにちゃんとお裾分けしているヴィータの喜ぶ顔も。これ美味しいとシャマルが綿飴を頬張って、横からどれ、私にも食わせてもらおう。と大部分をおちゃめに掻っ攫うシグナムも。

 

 どれもこれもが楽しくて、面白すぎて、とても幸せで。はやての顔から笑顔が消えることはなかった。

 

「はやて、見てください。花火が上がりますよ」

 

 そして車椅子に座るはやての目線に合わせ、屈んだなのはが指差した夜空には、まさに轟音と共に色鮮やかな花が咲き誇った。

 

「うわあああ~~~」

 

 思わず感嘆の声が漏れた。

 本当に綺麗だと心の底から感じたのは何時以来だろうか。目の前に浮かぶ光景を遠くから眺めたことはあったが、これほど近くで眺めて、肌で感じ取った花火は初めてだった。

 そりゃ、満天の星空。夕焼け、臨海公園から眺める海の景色。テレビやドラマで放送される感動的な光景を見て感じることはたくさんあっただろう。でも、楽しくて、嬉しくて、思わず泣いてしまいそうなほど感情が溢れるというのは、久しくなかった気がするのだ。

 それもこれも、きっと守護騎士の皆や、友達が傍にいるから。

 

「すごい! すごい! アリサ、なのは! どか~んって! どか~んて空に花が咲いたよ!?」

「はいはい、分かったから大人しくする! ああもう、口元にお好み焼きのソースが付いてるじゃないの。拭いてあげるからじっとしてなさい」

「なのはちゃん。久しぶりに笑ったね。よかった」

「そう…ですか……? すずか、わたしは、笑って? いえ、そうですね。とても気分がいいのは事実です」

「このような光景。"前"の時は見たことも、楽しむ余裕もなかった。これも主はやてのおかげだ。だからこそ我々は」

「ええ、そうですねシグナム。この幸せをずっと護ってきましょう。私たち守護騎士(ヴォルケンリッター)にはその力がある」

「ははっ、すげ~~な! ザフィーラ! 火花が咲いて、扇になったり、打ちあがったり――うわっ、動物の形になった!?」

「わん」

 

 ああ、楽しい。いつまでもいつまでも、こんな光景がずっと続けばいい。秋には運動会もあるし、たくさんの食べ物が旬になる季節だ。それに、冬にはクリスマスがあって友達とプレゼント交換もできる。

 ヴォルケンリッターの皆にもプレゼントを用意して、ケーキや素敵なご馳走で祝ったら、びっくりするくらい喜んでくれるかな。その時には腕によりをかけて、料理の腕前を披露しよう。ヴィータはサンタさんの存在を信じそうだし、ザフィーラあたりに頼んでサプライズもしてもらわないと。

 

 そんな風に満面の笑顔を浮かべて、頭の中でいろいろと楽しい予定を組んでいた八神はやて。

 

 けれど、運命というのはいつだって、こんなはずじゃなくて。残酷で。唐突に訪れるものなのだ。良くも悪くも……

 

(……? なんやろ、胸に違和感が……ッ、う)

 

 急に襲ってきた胸の痛み。最初は軽い発作だけど平気だと高を括っていた。

 でも、しだいに強くなるどころか、いきなり激しい痛みに襲われて……はやては、声を漏らしてはいけないと思った。せめて、この楽しい時間を台無しにしたくない。皆に心配を掛けたくない。せっかくの祭りに最後まで参加していたい。そう思い頑張ろうとした。我慢しようとした。

 

「はやて!!」

 

 けれど、身体は無意識に痛みに反応して、気が付けば蹲りながら、胸を押さえていた。必死に声を押し殺そうとして、うめき声が漏れてしまっていた。異変にいち早く気付いたなのはが背中を摩り、シャマルが反射的に魔法を使おうとしてシグナムに止められ。動揺しながらも、自分がしっかりしなきゃとアリサが必死に指示を下す。

 

 誰かが電話する声が聞こえる。意識が朦朧としてよく聞き取れない。

 目に映る景色が揺らいでいく。花火の音だけがやけにはっきりと聞こえて。

 

(ああ、せっかく楽しかったのに……わたしのせいで……)

 

 この日、はやてが意識を失うほどの発作で倒れることが切っ掛けとなり、平和な日々は終わりを告げることになるとは、誰も予想していなかった。

 絶望に至る未来が始まろうとしていた。

 



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決意

 始まりは夏祭りのはやての発作から。

 たぶん其処から徐々に運命が狂っていったんだと思います。

 

 誰もが驚きと恐れに支配されました。

 このまま、はやてが死んでしまうんじゃないか、そう思うと怖くて身体の震えが止まりませんでした。

 そして、苦しみ、うめく彼女に何もしてあげられない自分自身に。己の無力さに悔みました。

 このままではいけない。何とかしなきゃ。でも、どうすれば。焦燥感ばかりが募って、時間ばかりが過ぎていく……

 

 でも、告げられたのは無残な死の宣告で、現代医学でも、魔法でもどうしようもない運命で。

 絶望が……ありました。知っている絶望でした。大切な人を失いかけた時の絶望でした。父を、姉を、家族を狂わせた性質の悪い猛毒のようなそれを、わたしは知っていました。

 

 正直、頭が真っ白になったのを今でも覚えています。

 忘れられません。忘れる筈がありません。

 

 そんな中で、もっとも早く動き出したのは"彼ら"でした。

 闇の書の守護騎士。ヴォルケンリッター。

 この中でもっとも多くの時間をはやてと過ごし、傍で見守ってきた存在。

 

 彼らは己の主が倒れた原因を知っていました。

 彼らは発作に苦しむ少女の救い方を知っていました。

 彼らは残酷な運命に抗おうとしていました。

 

 それは主を裏切る不義理の道。多くの生きとし生けるものを不幸に叩き落とす血塗られた道。かつて彼らが犯していた過ちを繰り返す道。

 闇の書の蒐集。リンカーコアを持つ生物から魔力を奪い取り、失われた機能を完成させること。

 かつて、はやてが守護騎士たちに禁じたこと。

 

 誰かを傷つけてまで生きることを彼女は良しとしないでしょう。

 でも、守護騎士はそれでも彼女に生きていて欲しいのです。大好きなはやてに叱られ、嫌われても生きていて欲しいのです。

 彼女が救ってくれた恩返しもあったでしょう。しかし、それ以上に共に過ごした愛おしい日常が、あの夏の思い出が彼らを動かす原動力となっていました。

 何故なら、愛する主が一番笑っていたからです。とても幸せだったからです。そして自分たちも幸せだったからです。

 その日々を思えば、彼らの中に迷いなどありませんでした。

 

 その気持ちにはわたしにも痛いほど分かりました。

 だって大切な人を取り戻さんとする女の子のために、大好きな親友のために、わたしは命を懸けたのだから。

 そして、一度両手を血に染めているわたしが。罪深い業を犯しているわたしが。彼らの所業に手を貸すのに、何を躊躇う必要があるのでしょう?

 でも、彼らは言うのです。お前が罪を犯す必要はない。これは我らの役目だって。

 

 結局、わたしにできることなんて、はやての傍にいる事ぐらいでした。

 いえ……少し違いますか。

 わたしは、はやての為なら……

 

◇ ◇ ◇

 

 拳を壁に叩きつける重い音が響き渡る。それは主の異変に気が付けなかったシグナムが、己の失態を怒り、悔やんで無意識に行った行為だが、咎めようとする者は誰もいなかった。賑やかな夏祭りにはしゃいでいた誰もが、意気消沈し、悲しみに暮れ、不安に揺れ動いていたからだ。

 

 ここは海鳴大学病院の集中治療室。そこに繋がる廊下の待機場所。閉ざされた扉の上には"治療中"の文字が赤ランプで照らされ、重苦しい雰囲気と相まって、はやての未来を暗く照らし出しているかのように見えてしまう。

 

 あの後、意識を失ったはやては、すぐさま救急車で運ばれ、急いで治療を受けることになった。付き添いにシャマルとシグナムが同行し、他の皆はアリサが呼んだバニングス家ご用達のリムジンで後を追いかけたのだ。

 

 あんなに楽しかった時間は一気にどん底へ変わり果てた。

 

 なのはは俯いて唇を噛みしめ、今にも血が滲みそうで、膝を握る両手から力が抜ける気配は一向にない。隣ではアリシアが祈るように両手を組んで、目を瞑って必死にはやての無事を願っている。その姿は失った記憶の中にある、母と自分のため、願いの叶う宝石に祈った姿を彷彿とさせた。

 

 アリサは壁に背中を預け、腕を組みながら、強い眼差しではやての運び込まれた治療室を見ているし。すずかは、はやて、はやてと泣きじゃくるヴィータを抱きしめて、大丈夫とずっと囁き続けている。シグナムと同じく責任を感じて涙を流すシャマルに付き添うのは、いつの間にか人間形態に変身したザフィーラで、その拳は力強く握り締められている。

 

 

 誰もが沈黙を保ったまま既に一時間以上は経過していて、微かに聞こえていた花火の轟音はとっくに消えてしまっている。まさか、こんな形で終わるなどとは夢にも思わなかっただろう。少なくとも不破なのははそうだった。

 

(どうして……わたしは……気が付かなかったのでしょう)

 

 湧き上がる気持ちは後悔ばかりが募っていた。はやてが持病もちで、足の麻痺から始まり、たまに軽い発作を起こすことは本人から説明されていたのだ。しかし、主治医のお墨付きで、出かけることぐらいは大丈夫だと聞かされていた。実際、シグナム達が来る前は一人で買い物に出かけることもあったそうだ。それを聞いて安心していた己の不甲斐なさに腹が立つ。

 

 もっと、慎重に考えるべきだったのではと思う。病気が悪化することを懸念すべきだったとも思う。

 

 でも、それをしなかったのは何故か?

 

 答えは簡単。楽しかったからだ。

 

 母が亡くなって家庭の様相が様変わりし、誘拐されて恐ろしい目に遭い、それから苦しい武術の鍛錬の日々が続き。親友とも呼べる友達ができて、将来についての課題で不安になって、魔法に出会って、ジュエルシード事件にあって、掛け替えのない新たな友達と奔走して。

 

 そんな日々のなかで、なのはが楽しいと思ったことなど極僅かしかなかった。

 

 けれど、八神はやてという女の子はいとも簡単にそれを与えてくれたのだ。

 

 料理はどこか懐かしさを感じさせる美味しさで、もう味わえない家庭の味を想起させてくれた。抱え込んだ不安や凍った心を溶かすように抱きしめて、慰めてくれた。

 

 家族や友人と出かける際の彼女は、ずっと笑顔を絶やさず、本当に嬉しそうだったから。なのはやアリシア達もつられて笑ってしまうことが多かった。そんな彼女と過ごす日々が楽しくて、愛おしくて、それを大事にしている守護騎士たちに共感して、なのは達と八神家の仲は急速に深まっていった。

 

 ぎくしゃくしていた父親との関係も良くなって、いずれは疎遠で苦手な姉とも少し話してみようかな。そうポジティブに考えるようになったなのはを、再びどん底に突き落とすような事態。いっそ自分のせいで誰かが不幸になるのではと疑いもした。

 

 どうして、いつも、こんな筈じゃなかったという事は、タイミングの悪い時に最悪の展開で訪れるのだろう。もし、運命の神様という奴が実在するのであれば、なのははソイツを呪ってやりたいくらいだった。

 

 でも、はやての無事を祈るのも神様しかいなくて、神頼みにしかすがれなくて、なのはは己の無力さに泣きそうだった。

 

(嗚呼、どうか神様、仏様。どうか、どうかはやてを連れて行かないでください。まだ、わたしはあの子に話してないことがたくさんあるんです。皆、はやてのことが大好きで、もっとずっと一緒に居たくて。もっと楽しい思い出を作りたいんです。どうか、どうか、はやてを連れてかないでっ!!)

 

 だが、そんな想いも知ってか知らずか、時間ばかりが過ぎ去っていく。

 

 結局、はやての治療が終わったのは、それから一時間後で、彼女が目を覚ましたのはそれからさらに一時間後だった。

 

 大事な人を失う恐怖や不安が過ぎ去り、何事もなかったかのような顔で目を覚まし、戸惑いの表情を一瞬浮かべたものの、八神はやては何時もと変わらない笑顔を見せた。その事に誰もが安堵の表情を浮かべ、涙を流したのは言うまでもないだろう。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「いや~~、ほんまに心配かけて、ごめんなぁ」

「ホントよ、このっ! このっ!」

「ツッコミにチョップしちゃ、だめだよアリサちゃん。はやてちゃんは安静にしてなきゃいけないんだから」

「わ、分かってるわよ」

 

 病院の個室で照れ笑いを浮かべながら、頭をさするはやての姿。

 それに、泣き笑いという複雑な表情をしたアリサが、このバカっと口にしようとしたところを寸でのところで抑え。軽く頭をど突こうとした右手は、すずかによって何とか防がれた。どうやら無意識の内だったらしい。

 

 恥ずかしそうに掴まれた右手を下すと、そのまま俯いてしまった。頬が羞恥に染まっているところを指摘すると、もれなく連撃のチョップが飛んでくるが、はやてはそんな無粋な真似はしない。友達が自分を心配してくれた事実に申し訳なさと嬉しさを感じながら、密かに胸の内にしまっておくだけだ。

 

 これがアリシアやヴィータだったら、空気も読まずにツッコんで、アリサ・バニングスがアリサ・バーニングと化すのは目に見えている。そして、烈火のごとく怒り狂った彼女に締め上げられるのだ。何度となく見た光景を思い浮かべて、はやては笑った。

 

 もっとも、そんなアリシアはベッドの布団に隠された、はやての足に蹲るようにして眠っている。悲し涙と嬉し涙で、泣き疲れてしまったのだろう。

 

 そんな彼女の肩から背中にかけて流れる金色のツインテールを、なのはが優しく愛おしそうに梳いていて。時折、んんぅ、とアリシアはうめき声をあげる。それでも寝顔はどこか気持ちよさそうで。安堵した彼女はきっと良い夢でも見ているのだろう。

 

 ヴィータは、はやてに笑いかけながらも、時折難しそうな顔で扉の隙間から覗く、暗がりの廊下を見つめていた。幼い見た目に反して果てしない年月を生きている彼女は、未だに戻ってこないシグナム達を気にしているのかもしれない。そう考えると、声をかけられなくて、はやては手を合わせて謝るだけに努めた。

 

 ヴィータははにかむ様な笑顔で、だけど済まなそうな、寂しそうな顔で手を振る。自分が倒れたことを気にしているのだろうとはやても、申し訳ない気持ちで一杯になる。だから、今度は美味しいご馳走を用意してあげようと心の中で決めておく。

 

 だが、実際は……

 

「でも、本当に良かった」

「そうよ。苦しかったら次は我慢しないでちゃんと言いなさいよね。いきなりぶっ倒れられたら、こっちの心臓がいくつあっても足りないわよ。もう!」

「ほんまに、ごめんなぁ」

 

 アリサとすずか、代わる代わる声を掛けるなかで。なのはだけは、その不審な様子に気が付いていて。

 

「……すまねぇ。シグナム達の様子を見ておきたいんだ。はやての事、頼んでもいいかな?」

「いいけど、すぐに戻ってきなさいよ。アンタ達ははやての家族なんだから」

「へっ、あたりまえだっつーの。はやて、ごめんな」

「気にせんといて、ええよ。むしろ迷惑かけとるのは、わたしのほうやし。今度、お詫びにハンバーグ作ったるから。ヴィータ好きやったもんね」

「ホントか!? じゃあ、楽しみに待ってる!!」

「ここは病院やし、外は暗いから静かにせなあかんよ?」

「分かった。じゃあ、行ってくる!」

 

 だから、ヴィータがそそくさと病室を後にした時も、すぐに追いかけることを決めた。あの四人と初めて出会い、夜の帰り道を共にした夜で聞かされた話。彼女たちはもしかしたら、はやてに内緒で良からぬことを企んでいるのではないか。そう思い至るのは自然だった。

 

 それは、なのはだけが知っている。そして少なからず裏の世界に関わったことのある彼女だからこそ、思い至った結果でもある。

 

 きっと、彼女達は大好きな(はやて)の為なら何だってするのだろう。もし、そうであるのなら止めるべきなのか。それとも協力すべきなのか。或いは誰かに相談するべきなのか。なのはには分からない。

 

 でも、自分の勘を信じるならば、追いかけなければいけない。そんな気がして。

 

「ちょっと、トイレに行ってきます」

 

 気が付けば彼女は病室を後にしていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 海鳴大学病院の近くにある道路。病院を利用する患者のために、バス停としての機能を発展させたそこは、座るためのベンチも多く、昼の時間であれば活気に満ちているのだろう。

 

 だが、すでに深夜に入りつつある時間帯では、車や歩行者の通行も殆どなく、夜の蚊帳と相まって寂しげな雰囲気に包まれていた。

 

 その場所で三人と一匹の姿が寄り集まり、密かに話を続けている。それは知る人が見れば、八神はやての家族である守護騎士だと一発でわかるだろう。

 

「うっ、やっぱり……はやての病はアタシ等のせいで……」

「――ああ、そうだ。闇の書の呪いは静かに……だが、確実に主はやての命を奪おうとしている」

 

 守護騎士の中でも一番幼く、はやての妹として可愛がられているヴィータは、瞳に涙を浮かべながら、その赤毛の長いお下げを揺らして落ち込んだ。シグナムとシャマルがはやての保護者として、主治医の石田先生から伝えられた話を聞き終えたばかり。

 

 しかし、現状を正確に理解している彼女は、残酷な真実に心を痛めて、涙を浮かべている。直面しているのは、大好きな(はやて)の死という現実。それも遠くない未来の内に訪れる、あまりにも悲しい結末であった。

 

「ッ……助けなきゃ………はやてを助けなきゃ!! このまま、はやてが死んじゃうなんて、アタシ――そんなの、嫌だ!!」

 

 だから、彼女がこう叫んでしまうのも無理はない。かつて、闇の書の守護騎士として、歴代の主から使い捨ての道具のように扱われ、いいように利用されてきた中で。はやてだけは自分たちを人として扱い、愛し、慈しみ、家族として傍にいさせてくれた。その恩は片時も忘れたこともなく。思い出はヴィータの中で宝物のように、心の中で輝いてすらいる。

 

 それは、他の三人の守護騎士たちも同じことで。

 

「お前に言われずとも分かっている。我ら守護騎士、皆が同じ思いだ」

 

 それを、証明するかのようにシグナムがはっきりと告げる。その言葉に込められた想いは、愛する主への尽きることなき騎士の忠誠と、家族としての愛情。

 

「その通りよ……はやてちゃんとの約束を破るのは申し訳ないけど、私たちは、あの娘に幸せに生きていてほしいから」

「それじゃあ――」

「そうだ。主はやてを闇の書の主として、正式に覚醒させる。そうすれば」

「主の病は治る。少なくとも、病の進行は止まる!」

 

 守護騎士たちの中に芽生えるのは、残酷な未来に抗おうとする覚悟。

 ただ一度の約束。人や他の生き物を傷つけるなという約束を反故にするのは心が痛む。だが……それでもやらねば、八神はやて(愛する主)が死んでしまう。いずれ犯した罪に対する罰が訪れるのだとしても、そんな運命だけは避けねばならない。

 ならば、彼女たちの中に迷いなどなかった。

 

「待ってください!」

 

 そんな彼女たちを差し止めるかのように立ち塞がる少女の声。誰かに付けられていたのかと焦り、シャマルやシグナムは、この場を切り抜けるための言い訳を考えるが。姿を現した少女の姿を見て、守護騎士の誰もが肩の力を抜いた。

 

 なのはだった。彼女が優れた魔導師であることは誰もが知っている。何処か悲しい過去を背負っていることも何となく察している。それでも、聞かれたくない話を聞かれてしまった身としては、何とも申し訳ない気持ちになるのも事実。

 

 とりあえず失態を犯したヴィータがシグナムに拳骨されて「痛ってえ!」と叫ぶことになるのだが、それは余談。病院から全力疾走で追いかけてきたであろう、なのはへの弁解が先だ。

 

 一応、補助に優れるシャマルが周囲に人払いの結界を展開していたのだが。それを無理やり突破してきたらしい。毎日鍛錬を積んでいる彼女が息を切らしている所をみると、慣れないことをして頑張ったのだろう。

 

 或いは待機フォルムで首にぶら下げられた愛機のレイジングハートが主を支えたか。

 

「聞いていたのか」

 

 シグナムの問いに、なのはは静かに頷く。

 

 といっても先ほど着いたばかりで、何をしようとしているかまでは分からない。ただ、放っておいたらとんでもない事をするんじゃないかっていう勘だけはあって、何とか事情を聴かなければという思いが先行しているだけだ。

 

 つまり行き当たりばったりであるが、それでも友達である、はやてに悲しい思いをさせたくないという想いがなのはを突き動かしていた。

 

 頭の中はグチャグチャで、はやてが発作で倒れたことに気は動転していて、胸中は不安でいっぱいで。でも、裏が関わっているのならば、自分が何とかしなきゃという行動指針が彼女の中にはあって。もう誰にもあんな思いはさせたくなかったのだ。怖い思いも、誰かを傷つけて苦しむのも自分だけで充分だから。

 

 アリサが聞いたら、また一人で勝手に背負い込んでっと、鉄拳制裁が飛んでくるところだが、それが不破なのはという少女なのだから仕方がない。

 

「何を……っ、するつもり、ですか?」

「主はやてを助けに行く」

 

 息を整えながら、声も絶え絶えに問いかけるなのはに、シグナムは淡々と事実を口にした。

 

 隠し事もしても、しつこく問いかけてくるのは想定済みだ。元よりはやてや友人たちのために、一人で守護騎士に立ち向かってくるような女の子である。だったら、いっそのこと共犯者になってもらったほうがいい。"事情を知る子"がはやての傍にいれば少しは蒐集もやりやすくなるだろう。

 

 主に不信感を抱かせず、自分たちの代わりに主が寂しくならないよう傍にいてもらい。場合によってははやてに対して、自分たちの行動をフォローしてもらう。そう理由づけして、蒐集行為から遠ざける事をシグナムは即決即断した。

 

 主の大事な友人に、ましてや年端もいかない子供に外道を働かせたとあっては、守護騎士の名が廃る。罪を背負うのは自分たちだけでいいのだ。

 

『おい、シグナム』

『ヴィータ。すまんが、ここは私に任せてくれないか』

 

 何か念話で言いたげに動こうとしたヴィータをシグナムが手で制し、シャマルとザフィーラは状況を見守っている。ここはリーダーである烈火の将に任せようという判断なのだろう。

 

「どうやって?」

「主はやてを闇の書の主として覚醒させる。そうすれば御身の体を蝕んでいる忌々しい呪いの進行も止まるだろう」

「闇の書……? 呪い、それに御身を蝕んでいるって……」

「そうだ。詳しく話せば長くなる。だから、簡単に説明しよう。主はやてが何故(なにゆえ)倒られたのか」

 

 そうして、なのはは守護騎士の正体を知った。

 彼らが闇の書という"ロストロギア"を守る端末であり、正確には人間の形をした端末であること。本来であれば主を守り、闇の書を完成させて絶大な力を主に与えるため、魔力を持つ他者を蒐集して、それを奪い取ること。その為には、行く手を阻むものには抹殺すら問わなかったこと。それを何百年も続けて、転生を繰り返してきたこと。

 

 それらを、シグナムから全て語られ、聞かされた。

 

「でも、はやてはそんな事を……」

「そうだな、主はやては誰かを傷つけてまで力を手にしようとしなかった。足の病を治せるのだと語っても蒐集だけは命じ為されなかった。それを望んでいない事など充分に理解している」

 

 分かっているなら、どうして?

 そう問おうとしたなのは。しかし、次のシグナムの言葉で絶句した。

 

「もし、我々が原因で貴女が死にかけているのだと。その足の麻痺も、お身体を蝕む苦しみも我々のせいだと告げても。きっと、あの小さな優しい主は笑って赦すのだろうな」

「ッ……」

 

 なのはの脳裏に、はやてが「ほんまに、しょうがないなぁ」と笑う姿が脳裏に浮かんだ。

 胸が痛い。もし、守護騎士の立場が自分だったとして、そんなこと言われたら泣きそうになる。ううん、きっと泣き叫んでしまう。いっそ憎んでくれと叫んでしまう。

 

 嗚呼、これなのか。シグナムたちを蝕んでいる心の痛みはこれなのか。きっと今にも彼女たちは飛び出していきたいのだ。あの優しい少女を救いたいのだ。どんな罪を背負ってでもいいから、そんな未来を避けたくて必死で。なのははそれを邪魔している。

 

 でも、はやてが自分のために蒐集という許されざる行為をしていると知ったら、どう思うのだろうか。

 

 決まっている。きっとあの子は自分が死んでもよいから、蒐集をやめろ言うだろう。他人を傷つけてまで生きるくらいなら、自分はどうなっても構わない。あの子はそういう、馬鹿みたいに優しすぎる女の子なのだ。

 

 そんな優しいはやてだからこそ、彼女には死んでほしくなくて。それでも生きていてほしくて。せっかく会えた友達で、大切な人で。シグナム達にもそれは同じで。

 

「うぅ、ううぅぅ――」

 

 もう、自分がどうすればいいのか、なのはには分からなかった。ただ涙だけが目から溢れて零れていく。何もできない自分に腹が立つ。

 

 守護騎士の皆だって、できれば蒐集という行為は避けたいだろうに。できれば大好きな(はやて)と穏やかに過ごしていたいだろうに。

 

 しかし、彼女たちは選択した。たとえ最愛の人に嫌われることになっても、構わない。どんな結果になろうと、一人の少女の未来のためにその手を汚す覚悟を決めた。それを阻むということは、八神はやてに死を宣告するのと同義。なのはが殺したようなものである。

 

 もはやどうあがいても、彼らを止めることなどできはしない。それは、なのはだけでなく、誰にだって言えたこと。はやてがこの場にいたとしても難しいだろう。

 

 皆があの少女に死んでほしくないのだから。

 

「泣くな不破。これは我らがすべきことで、お前はただ主の傍にいてくれればそれでいい」

「でも、それじゃあ……いえ、わたしも何か……そうです! わたしだって魔導師ですから! 皆さんのお手伝いくらい……」

 

 静かに涙を流すなのはに視線を合わせるように、シグナムはそっと屈むと。その暖かな手が、なのはの頬に触れて涙を拭った。

 

「不破、お前は優しいな」

「シグナムさん……」

「だが、気持ちだけで充分だ。後は私たちに任せておけ」

 

 シグナムの顔は優しかった。はやてみたいに穏やかな笑みを浮かべて、なのはの顔を見つめていた。まるで姉妹のように。妹の面倒を見るお姉ちゃんのように。そして、どこか済まなそうな表情を浮かべていた。

 

「主はやてに叱られるのは我々だけでいい」

「その時は、はやてちゃんをうまく取り成してくれると助かります」

「おう、アタシらだって、ホントははやてに嫌われたくねぇからな」

「蒐集行為は危険を伴う。それに我らの罪をお前たちが背負う道理もない。お前は我らの帰る家を護ってくれると助かる」

 

 シグナムが、シャマルが、ヴィータにザフィーラも。彼ら守護騎士四人はそろってなのはの頭を撫で、安心させるような笑顔を浮かべていた。

 

 以前は命令されるがまま、歴代の主のために蒐集行為を行っていた。だが、自分たちには帰るべき場所も、こうして身を案じてくれる人もいえる。

 

 人を傷つけることに変わりはない。しかし、今度は私利私欲のためではなく、人を助けるために戦うのだ。なるべく人は襲わず、それでも間に合わない場合は魔導師を。それもできるだけ穏便に済ませる形で。

 

 なら、なのはにできることは、彼らの負担を少しでも減らすこと。困っている彼らを少しでも支えること。

 

「……もし、魔力が足りなくなったら、わたしを蒐集してください」

「ふっ、その時が来ないことを祈っている」

 

 そして、彼らを見送ってあげることだ

 

「シグナムさん、シャマルさん、ザフィーラさん。それにヴィータ」

 

――行ってらっしゃい。

――行ってきます。

 

「主はやて。我らの不義理をお許しください」

 

 その日から守護騎士の蒐集行為が始まり、それを知る一人の少女は運命の日まで、それを胸の内に秘め続けた。

 

 そして彼らの、一人の少女を救うための戦いが始まる。

 

◇ ◇ ◇

 

 時を巻き戻して、現在。

 

 聴取室の中で、念のために手枷をつけられているアスカは思う。シグナムの記憶を振り返って、残念に思う。

 

 もし、あの場にユーノが居てくれたら。ハラオウン家の面々や時空管理局という組織のバックアップがあれば。

 

 恐らく未来は確実に変わっていた。少なくとも蒐集を行う前に何らかの対策を行い、ギリギリまで別の案件を探っていたはずだ。その日から蒐集行為を確認したことで、彼らも最後の決意を固めたことだろう。はやてが発作で倒れた日が、事件を穏便に済ます最大の分岐点だったのだ。

 

 けれど、過ぎたことだ。どのみちあの世界で、自分たちにとっての最悪の未来は避けようがなかった。定められた運命というのは理不尽なまでに強大で、並大抵の事では覆せないものだ。アリシアの、レヴィのお母さん(プレシア)が病で亡くなったように。

 

 だからこそ、次こそは。

 

「幸せな結末を、ハッピーエンドをこの手に」

 

 そして、すべてが元通りになったら、シュテル(なのは)の顔を引っぱたいて、笑ってやろう。

 

 アタシに隠し事すんなって言ったでしょって。



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見舞いと不安な胸中と優しい嘘

 神様。

 わたしは嘘を付いています。

 わたしは赦されざる罪を犯したことがあります。

 

 わたしは……どうすればいいのでしょう?

 

 一言つけ加えるのならば、全てを受け入れて抱きしめてくれるあの子の事が大好きです。

 だから、どうか。

 

 せめて、あの子だけは幸せな結末を。

 

 あの子は、わたしのように母親を奪われ、父親すらも……

 アリシアもお母さんを失い、彼女自身も相当苦しみました。

 わたしも、多くの咎と悲しみを背負い、ようやく少しずつですが、前を向いているのです。

 

 だから、どうか……

 

 これ以上、あの子を傷つけないで。

 

◇ ◇ ◇

 

 はやてが倒れたその日から、守護騎士たちは蒐集を始め、自ら傷つきながらも裏では激闘を繰り広げていた中で。なのははしばらく入院することになったはやての面倒を良く見ていた。

 

 もちろん、アリサ姉妹やすずかもできるだけ見舞いに来るが、彼女たちは大財閥の娘だから習い事も多く、来れない日も多々あった。それでも残り少ない自由時間を削って親身になってくれている。守護騎士の面々も毎日見舞いに来て、はやてが寂しくない様に図ってくれる。

 

 だが、なのはだけは違った。彼女はよく通うどころか毎日見舞いに訪れるようになった。学校の帰りには必ず訪れ、仲直りし始めた父親とよく相談して、稽古の時間も少しばかり融通してもらってすらいた。もちろん不破の武術鍛錬で手を抜いたことは一度もないし、士郎もその気は毛頭ない。

 

 休日の日も時間と折り合いをつけて、見舞いに訪れた。時には兄に相談して、見舞いの品は何が良いのか聞いたりもした。恭也が心配して、その子の容体はそんなに悪いのかい? と聞かれたこともあったが。どれくらい悪いのか、なのはは見当も付かないので、正直に分からないと言っておいた。隠し事のことは抜きにして。

 

 そんななのはの献身に、はやては喜びもあったが、戸惑いのほうが大きかったかもしれない。或いは申し訳ない気持ちもあっただろう。自分のせいで友達に迷惑をかけていると。

 

 それを察したアリサが軽い拳骨をかましたのは言うまでもない。曰く人の好意はちゃんと受け取るべきだそうだ。

 

 もっとも、アリサやすずかも、なのはを心配しているのは事実。大切な人のために無茶するのは、先のジュエルシード事件で身に染みているから。そこは少しも妥協しない。万が一体調を悪くしたりしたら、簀巻きにしてでも休ませる用意がある。

 

 最後にアリシアだけは、持ち前の明るい性格で場を和ませてくれていた。誰もがはやての病気で不安にならないのは彼女のおかげが大きい。やれ、義姉が隣にいるのにも関わらず。はやての前で稽古がつまらない、もっと遊びたいと愚痴を漏らしては、なんですってと、おしおきされていた。

 

 はやてと一緒に絵本を読み、時にはヴィータと遊びたいとせがんで一緒にゲートボールの約束をするくらいに仲が良く。友達というよりは可愛い妹という扱いをされていたかもしれない。

 

 そんな訳で、なのはは今日も欠かさず、はやての見舞いに訪れていた。

 

 季節は秋。運動会や文化祭が始まり、豊穣の恵みが訪れるとともに、寒い冬が訪れようとする季節の変わり目。

 

「なんやごめんなぁ。毎日見舞いに来てくれて」

「このやり取りも何度目でしょう。わたしが好きでしていることですので、お気に為さらず」

「あはは……なのはちゃんの、その言葉も何度聞いたか分からへんなぁ」

「そして、最後に体調のほうはどうですかと聞くのがお決まりの文句です」

「もちろん、バッチのグーやで」

 

 患者着を着込んで、ベッドに横たわるはやての隣。その椅子の上で、なのはが持ってきた見舞いの品を丁寧に扱っている。とりあえず、はやてのサムズアップには微笑みで返しておいた。手は果物を切り分けるので忙しい。

 

 すでに花瓶の花は入れ替えたし、水も新鮮なものを汲んできた。付け加えるなら主治医の石田先生や看護師たちとはしっかり顔馴染みと化している。石田先生は、はやてが遠い親戚の家族に続いて、親身になってくれる友達が出来たことを、自分のことのように喜んでいた。

 

 彼女にとっても、はやては患者以上に大事な妹のような存在なのだから。

 

「でも、なのはちゃん。あんまり無理しちゃあかんでぇ。アリサやすずかちゃんに聞いたよ。お家の武術のお稽古、すごく大変なんやろ?」

「大丈夫です。拳骨を受けたくらいで、涙目になるアリシアと違って、そんなに軟ではありませんから」

「アリシアちゃん可愛ええよな。うちの妹に欲しいくらいや。ヴィータとも仲良いし」

「今ではアリサのお気に入りですから難しいかと。ちなみに犬も一匹ついてきますので、あしからずです」

「確かアルフって名前の子やったな。祭りのときにも一緒に来てた橙色の子犬の」

「ええ、主人には顔を涎で台無しにするくらい嘗め回します。もちろんアリサも例外なく」

「うちのザフィーラとも仲良くなれるかな?」

「主人に危害を加えない人なら、誰とでも仲良くなるような子なので、大丈夫だと思います」

「抱っこしてみたいなぁ。入院中じゃなければ、すぐに会いに行けるのに。これじゃお出かけもできへん」

「でも、検査入院のようなものなのでしょう? 安静にしてれば大丈夫ですよ。すぐに……良くなりますから」

 

 そこで、少しだけはやての顔が曇ったのを、なのはは見逃さなかった。

 

 拙い。今の会話の中で悪いことを言ってしまっただろうか……いかんせん自分はコミュニケーション不足というか、話をするのが苦手なので、どうして駄目だったのかすぐに判断することができない。こんな時アリサだったら、うまいことフォローを。

 

 そうだ。フォローだ。何か別の会話を仕掛けて、話題をそらす。でも、何を話せばよいのかわからない。朝と夕方の鍛錬のこと。学校のこと。最近のこと。天気やニュースの話? だめだ。どうすれば良いのかちっとも、それで喜んでくれるかどうか分からなくて不安になる。

 

 はやては笑顔のままだが、それはあたりまえ。この子は誰かの前で泣いたり、悲しんだり、怒ったりすることは殆どない。というか、なのはは見たことがない。足の病のことだって何となく察しているだろうに。この子は不安になる素振りすら、少しも見せはしないのだ。

 

 強い子だ。少なくともなのはよりはずっと……だけど、それは無理をしているからで、いつかは破綻してしまうということを、なのは知っている。自身がそうだったから。

 

 でも、それで彼女の不安に触れて、心を苦しめてしまっては意味がない。だから、なのははその事に関して何も言い出せなかった。

 

 自分の役目は、はやての傍にいて、世話をして、彼女を支えること、励ますこと。それが大好きな(はやて)の為に戦っている守護騎士との約束で。自分が為すべきだと思った大事なことだから。

 

 それが、はやてを蝕む病に対して何もできない自分ができる精いっぱいのこと。

 

 そんな、なのはにはやては静かに問いかけた。笑顔のまま、優しく。だけど、ちょっと不安げな。そんな感じの表情で。

 

「なあ、なのはちゃん。何かわたしに隠し事とか、あらへん?」

「それは……」

 

 勘の鋭い子だ。恐らく守護騎士が、影で何かをしていると勘付いている。もっとも家族のことは親身になる子だし、無条件に信頼するくらい純真な子だ。

 

 シグナム達がはやてに黙って蒐集行為をしているとは気付いていないし、考えもしないだろう。出なければ、こんな態度で済ます筈がない。もっと取り乱し、自分が止めなければ必死になり、最悪見たこともない怒りの感情を露わにするかもしれない。

 

 落ち着け、落ち着け。

 

 なのはは久々に跳ね上がる自らの心拍数を抑え込もうとした。表面上は冷静で、外面では一ミリも表情を変えない鉄仮面だが、内心では焦りと驚きでいっぱいである。

 

 ポンコツになるときは、本当にポンコツでダメダメになる。とは、大好きな友達を観察して、異常がないか心配しているすずかの談である。

 

「えっと、気分を悪くしたなら謝るよ。でも、その、シグナム達とよく話してるって聞くから。あの子たちが迷惑掛けとらんか心配で、それを黙ってるんじゃないかって。わたしがしっかりせんとあかんのに、見てのとおり体この様や。あの子たちにご飯も作ってやらなきゃあかんのに」

 

 ちゃんとご飯食べてるかなぁ。と心配するはやて。それに、ええ、大丈夫です。シャマルが料理をしようとして皆が慌てだして、結局出前を頼むくらいには。と嘘をつくなのは。

 

 はやては笑っていた。心の底から笑顔を浮かべていた。それなら、はやく退院して、皆に美味しいご飯を食べさせてあげんとなぁ。なのはちゃんも一緒に、アリサちゃんも、すずかちゃんも、アリシアちゃんにもご馳走や。また皆でご飯食べて、どこかにお出かけしようなぁって。嬉しそうに笑う。

 

 なのはは心が痛かった。自分は本当のことを知っている。こんなに優しい少女に嘘をついて、騙して。心配かけないようにして。その後で、守護騎士たちと口裏を合わせるのだ。今日はこんな事を話しました。はやては元気そうですって。

 

 きっとシャマルは慌てだすだろう。私の料理は不味くはないです!ど、独創的な味なんです!と。それを、他の守護騎士たちが茶化すのだ。そんな事態になったら、確かに不破のいう通りにするだろう。早く蒐集を終えて、主を迎えに行かねばならないなって。

 

 自分は嘘を吐いている。自分は罪を犯している。自分の手は赤く染まっている。それから。それから。

 

「……なのはちゃん?」

「いえ……なんでも、ありません」

 

 ん~~怪しいなぁと唸り、次いで、でも無理に聞き出すわけにはいかへんし、と小声で呟くはやての言葉を、なのははしっかりと聞いている。武人として鍛えられている彼女は資力も耳も良いから。

 

 そして、なのはが真剣に見つめているのに気が付いたはやては、意を決したように自身の想いを告げた。

 

「前に、なのはちゃんが初めて家に来て、弱音を聞かせてくれた時があったやろ?やっぱり、そん時みたいに、わたしも心の内を暴露しなきゃ、本心を明かしてくれへんのかなぁ」

「いえ、そんなことは……」

 

 しかし、説得力のないなのはの言葉であるし、はやては悩みっぱなしのままだ。おかげで、はやては続いて、確かと呟き。なのはが叫んだ言葉を繰り返していた。

 

 車椅子で一人っきりで生活するのは確かに大変でしょう……家族が居なくて独りぼっちで寂しかったのも、貴女のような子供には辛い話でしょう……でも、そんな不幸自慢みたいな境遇で、わたしに同情するくらいなら……わたしに触れるんじゃないッ!!

 

 分かる筈がないんです!! だって、貴女は罪を犯したことがないでしょう!? 人として赦されざる行いを犯したことがないでしょう!? そんな貴女にわたしの苦しみを理解できる筈がないっ――!!

 

 そんな、今聞くと聞くに堪えない恥ずかしい台詞を。

 

「あの、なんというか。ごめんなさい。あと、一字一句の間違いもなく。あの時のことを繰り返すのは、やめて……」

 

 下さい……。などという言葉は尻すぼみになって消えた。あまりの恥ずかしさに、なのはは俯くしかない。あの時の自分は、とんでもない事を口にしたと思う。あまりにも酷く、自分勝手な言葉。もしかすると、はやてに受け入れられず。酷いこと言わんといてっ、と泣き叫び。そのまま喧嘩したまま、絶交すらありえたかもしれないのだ。

 

 はやては気にせんといて。と優しく呟き。次に友達の悩みを聞けて嬉しかった。わたしなんかで友達の助けに為れて良かったと語る。

 

 それから、こう続けた。

 

「あはは、ほんなら、お返しにちょっとだけ。ほんのちょっとだけ弱音吐いてもいいかなぁって」

「ッ……いいですよ。わたしで良ければ」

 

 ああ、そうか。全て、この状況に持っていくための前振りか。となのはは理解した。きっと、友達が何か隠し事をしているのに気が付いていて。でも、語ってくれそうにないなら、己の弱さを打ち明けて。互いに親身になってから、隠し事を聞き出そうという魂胆なのだ。

 

 本当に自分は不器用だ。はやてに余計な心配を掛けている。それに、やっぱりお喋りは苦手で。そういうところは父の士郎とそっくりなんだなと実感した。親子揃って本当に不器用でどうしようもない。

 

「わたしな、本当は足の病のことが怖い。な~んて、なっ……?」

 

 そうして、己の弱音を明かし始めたはやてだったのだが、そこで彼女は異変に気が付いた。

 

 手が震えていた。ベッドから上半身を起き上がらせて、布団の上に置かれた手が。はやても動揺しているのか、信じられないといった表情で、己の手を見つめている。

 

 あれ、あれ?と呟いて、自らをごまかして。強がってみても手の震えが収まることはなくて。きっと本人からすれば冗談のつもりだったのだろう。わざと弱音を打ち明けて、実はそんなことなくて、わたしは平気だとでも言うつもりだったのだろう。

 

 でも、本当の心は、彼女自身の本音は違った。心の内に溜め込み、隠していた弱さを表すかのように、身体は正直で。生まれて九年という短い時間のさなか、人生の大半を己の病と向き合ってきた少女の苦悩はとても大きくて。見ていられなくて。

 

 だから、なのははその手を優しく握って、包んであげる。一緒にお風呂に入ったときは、助けてもらった側だった。今度は自分がはやてを助けてあげる番なのだ。

 

「わたし、ほんとは、怖い……」

「ええ、分かっています」

 

 しだいに手だけじゃなくて、身体全体が震え始めて。だから、なのはは靴を脱いで、はやてのベットに潜り込んだ。潜り込んで彼女の身体を抱きしめた。

 

 分かる。分かってしまう。どうしようもない時、自らの死やトラウマと向き合って、恐怖で震えが収まらなくなることは良く分かる。

 

 なのはもそうだったから。雨の日がトラウマで、事件が起きた直後は全然眠れなくて、一日中布団の中で震え続けて。それから誰か安心できる人が傍にいないと、錯乱してしまうくらい酷かったから。怯えるはやての気持ちが痛いほどに理解できた。

 

 死と向き合い、死に掛けることは本当に怖い。それが一瞬ではなく、徐々に迫ってくるのだから尚更。

 

 でも、それは幸せだからだ。生きることに喜びを感じていて、日常の中で大切なものを見つけて、それを尊いと思えるくらい大事にしているからだ。

 

 はやてはきっと幸せを感じている。そして、それを喪うことを酷く恐れている。だから、死ぬのが怖くなって、諦めていた人生を、もっと続けていたいと願ったのだろう。

 

 それはきっと、とても良いことで。だからこそ、守護騎士たちも、自分たちも彼女を護りたい。助けてあげたいのだ。

 

 この心優しい少女が理不尽な運命に振り回されて、不幸になってしまわないように。

 

「わたし、本当は死にたくない……死にたくないよ!」

「大丈夫、大丈夫です……」

 

 それは、一人の少女の心の叫び。絶望と闘い続ける少女の嘆き。

 

「なのはちゃん、わたしもっと生きていたい! せっかく守護騎士の皆と、家族と会えて。一人ぼっちじゃなくなって! 一生懸命作った料理を美味しく食べてくれる人がいて、朝起きたらおはようって、出かけ帰りにおかえりって言ってくれる人がいる……夜は寂しさと怖さを感じなくなって、おやすみって言ってくれる人がいる……」

 

 それはずっと隠していたはやての本心。誰にも打ち明けたことのない弱さ。

 

「なのはちゃん達とも会えて、初めての友達ができて。一緒に遊びに出かけて、夢だった海にも夏祭りにも行けた。なのに、なんでや! どうしてこんな幸せな時に発作が起きるん!? わたし、なんも悪いことしてへんよ。ただ、一生懸命生きているだけなのに。この足は動いてくれなくて。足の麻痺は進んで行って、何も感じる事はないのに。胸は締め付けられるように痛くて、苦しくて……」

 

 言っていることは段々と支離滅裂になってきて、自分でも何を言っているのか、はやてはきっと分かっていないだろう。彼女の顔は涙にぬれて、悲しみと怯えに染まっていて。だから、なのはは自分の胸に彼女を抱いた。

 

 はやてが、なのはの身体を抱きしめ返してきて。離れたくないというように互いの足は絡み付いて。それから、なのはの心臓の音を聞くように、はやては身を寄せた。鼓動の音を、命の音を聞くことで自分は生きているんだと実感するように。

 

「わたし、死にたくない……もっと、みんなと一緒にいたい……」

 

 そうして、泣き疲れて、はやては眠ってしまって。

 

「大丈夫です。わたし達がきっと何とかしますから。大丈夫」

 

 なのははそこで、一人静かに呟く。眠りについたはやての頭を撫でて、背中を安心させるように擦る。かつて兄がそうしてくれた事を、自分も彼女にしてあげたいから。

 

 この後、様子を見に来た石田先生に心配され、特別にはやてと一緒に病院で寝泊まりすることになった。家族にも事情を説明して、説得も石田先生が便宜を図ってくれた。何というか、申し訳ない気持ちでいっぱいだが、よかったと思う。はやてをあまり一人にしておけない。明日は学校が休みだったのも幸いした。

 

 個室のベットに二人で潜り込み、一緒にいろんなことをお話しして。はやての好きな本を読み聞かせてもらって。二人分用意された病院食を、はやての頼みであ~んと食べさせ合ってみたり。そういうことをしている内に、あっという間に消灯時間になってしまった。

 

「はやて、まだ起きていますか?」

「なあに、なのはちゃん? まだ、起きとるよ?」

 

 そうして、後は眠りにつき、明日の朝日を迎えるだけとなり。

 

「その、隠し事のことは……」

「ああ、そのこと? もうええよ。シグナムたちに黙っとるよう言われたんやろ?」

「はい」

「家族が何しとるんか、気にはなる。でも、無理に聞き出すような真似はしたくない。どうしても喋れないんなら、それでええ。わたしは、皆を信じてるから」

「…………」

 

 しばらくの沈黙の後。

 

 なのはは、せめて自らの秘密を打ち明けることにした。

 

 それは、はやてに嘘をついている自分なりの罪滅ぼしだったのかもしれない。或いは誰かに聞いて欲しかっただけのかもしれない。誰にも、それこそアリサにも、すずかにも打ち明けたことのない、家族だけが知る不破なのはの秘密を。

 

 人として赦されざる行いをした自らの罪を。

 

「……はやて、聞いてくれますか?」

「うん、わたしで良ければ」

「前に、わたしは赦されざる罪を犯したと言ったでしょう?」

「うん、ずいぶん……そのことで苦しんで。ずっと抱え込んでたんよね」

「はい、わたしは随分小さなころに、この手で……」

 

――人を、殺したことがあります。

 

 それを打ち明けた時、しばしの沈黙が訪れた。はやても、なのはも何も喋ろうとせず、布擦れの音がやけに大きく聞こえる。背中合わせで、互いの顔が見えなくて不安になる。

 

 なのはは急に居心地が悪くなった。やっぱり打ち明けるべきではなかったかもしれない。常識的に考えて、友人が殺人を犯していると知ったら、怯え怖がり、軽蔑するのが当たり前だ。それとも怒って、叱りつけるだろうか。或いはなのはを見放すか。

 

 ただ、どんなことをされても、なのははそれを受け入れるつもりだ。自分はそれだけの事をした。状況が、状況とはいえ、仕方がなかったで済まされる問題ではない。殺しは殺しで、罪は罪なのだ。なのはの手が赤く染まっていることに変わりはないのだから。

 

 しばらくして、はやてが口を開く。

 

「ねえ、なのはちゃん」

「はい」

「ちょっと、こっち向いてくれる?」

 

 なのはが言われたとおりにすると、はやても此方を見ていて、互いに向き合う形になって。

 

 夜目がよく利くなのはには、はやての表情が良く見えた。優しい微笑みを浮かべている。あの時と、前に八神家を訪れて、一緒にお風呂に入った時と同じ慈愛に満ちた表情で。だから、なのはは安心してしまう。はやてに、今は亡きお母さんの温もりを感じているからかもしれない。

 

 強張っていた身体から力が抜け、不安で揺れていた瞳は、少し落ち着きを取り戻す。覚悟しているからと言って、嫌われるのに慣れているわけではないし、怖いものは怖いのだから。

 

「なのはちゃんが嘘を吐くような子じゃないっていうのは分かる。たぶん、人を殺したっていうことも本当だと思う」

「……はい」

「でも、好き好んで暴力を振るいたい訳じゃないやろ。なのはちゃんの事だから、仕方なくそうしたんとちゃう?」

 

 

 なのはは静かに頷いた。しかし、何度も言うが罪は罪なのだ。あの日のことが、トラウマなのが、その証。なのはを人殺しと責め立てる悪夢はずっと終わらない。終わったことなど一度もない。

 

「なのはちゃんはきっと真面目さんやから、その事でずっと悩んで、苦しんできたんやな」

 

 はやての小さな手が、なのはの背中を優しく摩ってくれた。今までよく頑張ったね。よく耐えたねと。まるで、いい子いい子されているみたいで恥ずかしいが、不思議と悪い気がしないのは何でだろう。相手がはやてだからだろうか。

 

「守護騎士の皆も、特にヴィータはその事でとても苦しんでたんよ。アタシはいっぱい人を傷つけてきたんだって。でも、はやてと出会って、もうそんな事しなくて済むって。あの子たち、ず~と昔から戦ってたみたいで、きっと色んなことを抱えてるんだと思う」

 

「そりゃ、なのはちゃんの秘密を知ってびっくりしたけど。昔は昔。今は今や。大切なんは、これからをどう過ごしていくかだと、わたしは思う。だから、わたしは守護騎士と過ごす日々を精一杯生きていたい。一日、一日を大事にしていきたい。もちろん、なのはちゃん達との日々も」

 

 はやてに抱きしめられて、はやての鼓動が聞こえる。眠る前だからか、触れ合う身体の体温が熱いくらい暖かい。居心地の良い、この雰囲気をずっと感じていたいと思わせるくらい。それくらい、はやては優しくて、包容力がある。

 

 守護騎士たちが護りたいのもわかる気がする。きっと、なのはのように彼女たちも受け入れてもらったのだ。そうして、毎日を彼女と過ごして、その日々が愛おしくて、尊くて。だから、彼らは今もどこかで戦っている。大切な(はやて)のために。

 

 そして、それを悟られないよう、幸せな日々を彼女に過ごしてもらうのが自分の役目。本当は死にたくなくて、もっと生きていたいと願った女の子を、不安にさせないのが自分の役目。

 

「はやて」

「なあに、なのはちゃん」

「クリスマスの日を、楽しみにしていてください」

「あっ、もしかして守護騎士の皆は、わたしに内緒でプレゼントの準備とかしてるん?」

「ええ、でも、皆には内緒にしていてくださいね。はやてを驚かせたいようですから」

「うん! 約束する。あれ……? でも、黙っといてって言われてたんは、もしかして……」

「だから、内緒です……わたしが口を滑らせてしまっただけです」

「うわっ! ごめんな! せっかく、サプライズ用意してくれてるのに……えっと、今日のことは聞かなかったことにする! 寝て、忘れて、おしまいや」

 

 じゃあ、おやすみ~~という、はやての声に応えて、なのはも眠りに付くことにした。

 

 彼女は、今日、優しい嘘を付いた。誰かを貶めるためのものではなく、誰かを為を想っての嘘。

 

 でも、心がこんなに痛いのはどうしてだろう。はやてから、たくさんのモノを貰っているのに、自分は何一つ返せていないような感覚に陥りそうだ。

 

 せめて、全てが露呈した時は、自分も守護騎士のみんなと一緒に頭を下げよう。誠心誠意の土下座を畳の上でずっとしていてもいい。アリサから拳骨も受けるし、すずかにも優しく咎められよう。それから、いっぱい、いっぱい恩を返そう。はやてや皆に楽しい思いをしてもらうのだ。

 

 それから、それから、それから――

 




さようなら、リィンフォース(劇場版)

あのシーンのピアノを聴きながら、書いている私は外道であろう。

理不尽な運命を押し付ける作者を存分に恨むがいい……

あと、もうすぐなのだから……


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守護騎士の戦い

 守護騎士たちの蒐集行為は順調と言っていい。これといった妨害は存在せず、管理局の魔導師に捕捉されることも少なかった。癒しと補助が本領である湖の騎士シャマルがバックアップにいるとはいえ、拍子抜けするくらいだ。こうなるとわざと見逃されている気さえしてくるが……そこで、シグナムは考えるのをやめた。

 

 都合がいいことに変わりはない。このまま万事順調にいけば、クリスマスという行事には間に合うだろう。なのはからレイジングハートを介して伝えられた行事は、少しばかり概要を見た程度だが、主がとても楽しみにしていることだけは分かる。何とか足の病や命の危険を悩ませず、穏やかに日々を過ごさせてあげたい。

 

 烈火の将の眼前に広がる巨大な赤竜の姿。主はやてが語ってくれた本の中に登場するような、おとぎ話のドラゴンがいた。

 

 その顎から繰り出される一撃は、大の大人を簡単に丸呑みできてしまいそうだ。する鋭く生え揃った牙は、騎士甲冑を簡単に噛み砕いてしまうだろう。吐き出される灼熱のブレスは、丸焼きどころか灰燼も残させないほどの威力があり。事実、背後の山一つを消し飛ばしてしまった。

 

 油断すれば命はない。そして、自らの躯体消滅させれば、再生に使う魔力で(はやて)に余計な負担を掛けてしまう。それは彼女の命を削る行為に等しい。故にシグナムに油断はなく、効率よく全力に最速を持って相手を叩き潰すのみである。

 

「レヴァンティン」

『Explosion.』

 

 刀剣型デバイス、レヴァンティンの形態が一つ、剣と鞘を基準としたシュベルトフォルム。その鞘に納められた刃の付け根に組み込まれしカートリッジシステム。

 

 単純な可変機構を備えたシステムが稼働し、金属の低音が静かに響く。排熱の煙とともに一発の魔力薬莢が勢いよく排出され、シグナムの纏う魔力は爆発的な勢いで高められていく。それに危機感を抱いたのか、赤竜は耳をつんざく様な咆哮を挙げて、シグナムを排除しようと爪を振りかぶるが遅い。

 

 大樹のような腕から繰り出される一撃も、周辺の木々や岩をも薙ぎ倒す尻尾の一撃も、嵐のごとき強風を生み出す翼の猛威すらシグナムには届かない。

 

 全てを避け、必殺を誇る一撃一撃をいなし、無意味な攻撃に変えながら、遂には赤竜の頭目掛けて上空から急降下。

 

「紫電一閃!」

 

 その勢いのままに炎熱を纏いし刃を鞘から繰り出し、巨大な赤竜の頭蓋を叩き割る。相手は苦悶の叫びをあげることもなく、大顎から大量の血反吐を撒き散らして大地に落下。地響きを立てながら、その巨体を大地に横たえた。

 

 あらゆる力を一点に収束させ、さらには抜刀術まで用いた必殺の一撃だ。外せば隙も大きいが、こと対大型生物相手には効率が良い。シグナムの見事な剣技と相まって相手は苦痛を感じる事もなく即死だっただろう。

 

 未だに炎を纏っているレヴァンティンの刀身を一振りすると、炎は熱の残滓を辺りに振りまいて消える。そのまま静かに納刀。シグナムはしばし黙祷を捧げた。

 

「許せとは言わぬ。しかし、これも主とそのご友人の平穏な未来のため。お前の死を無駄にはしない」

『Ja. 』

「闇の書、蒐集」

 

 また一つ、シグナムの罪が増えた。もう何度目とも分からぬ、リンカーコアを持った現地生物の蒐集。すでに命を奪った数は数えきれないが、闇の書のページを完成させるには、まだまだ足りない。

 

 一応、現地の凶悪生物を優先的に狩ってはいるのだが、だからと言って魔力をたくさん持っているとも限らないのだ。最悪一ページも埋まらないことがある。相手はタフで、強靭で、生命力も桁外れに高く。全力で、一瞬の油断もなく掛らないとと容易に狩れはしない。

 

 こうなると人間の魔導師の方が効率が良い。だが、それをするにはリスクも伴う。数多の次元世界を管理、統括する時空管理局。次元世界の法的機関が黙ってはいない。

 

 烏合の衆に後れを取るヴォルケンリッターではないが、一騎当千の力も数の前では押し切られる事も理解している。本格的に出張られては、些か面倒なことになるだろう。

 

(申し訳なくあるが、不破の提案も考慮のうちに入れなければならんか)

 

 不破なのは、アリシア・T・バニングスの両名が持つ魔力は膨大だ。将来的には守護騎士ですら上回りかねない魔力総量を持つだろう。魔法の才能も稀に見るほど恵まれている。

 

 アリシアはリンカーコアの持病を持つ故に、蒐集は対象外になるが、なのははその限りではない。彼女を収集すれば闇の書のページも数十ページは稼げるだろう。本当に、どうしようもなくなった時の最後の手段である。

 

「お~い、シグナム~~!」

 

 聞こえてきたヴィータの呼びかけに振り向けば、こちらに向かってくる幼い騎士の姿が見えた。紅いドレスに、帽子にお気に入りのぬいぐるみを取り入れたヴィータの姿だ。確かのろいうさぎといったか。シグナムには少し理解できない可愛さがあるらしい。うむ、分からん。

 

 今回、守護騎士は手分けしてある世界の魔法生物狩りを行っていた。ヴィータはシャマルと共に、シグナムとは別の場所で蒐集をしていた筈だが、何かあったのだろうか。それにしては、顔が喜びに満ちていて。

 

 そこで、シグナムはクリスマスに関することだろうと合点が行った。確か、なのはから話を合わせるために、全員に対して概要が送られてきたのだったか。それを見て、ヴィータは早くもはしゃいでいるのだろう。

 

 主はやての命は我々に掛かっているのだぞ、と少しは咎めたくなる気持ちもあるが、無理もないだろうとも思う。かく言う自分もクリスマスを楽しみにしているのだから。

 

「ヴィータ」

「分かってるよ」

 

 だから、注意の意味を含めて名を呼ぶと、ヴィータは真面目な顔で頷いた。

 

「でも、休憩の合間に話をするくらいならいいだろ」

「それも、そうか。焦っては事を仕損じる。肝に銘じておこう」

「おう、絶対はやてを助けるって誓ったんだ。万にひとつも間違いは許されねぇ」

 

 人を殺さないこと。無暗に傷つけたりしないこと。自分たちが大けがするような無茶はしないこと。細心な立ち回りで、大胆な行動もそこそこに、蒐集を行う。気を付けることはいくつもあるが、以前の蒐集行為に比べれば気は楽かもしれない。

 

 自分たちの勝手な都合で、相手を傷つけることに罪悪感はあるが、それでも無差別に相手を殺すことよりはマシだ。ベルカの戦乱期はもっと酷かったから。

 

 復讐のために闇の書の力を求め、その復讐のために闇の書の力を求めるなんていう、復讐の延々巡りまであったくらいだ。今の時代は恵まれているとも言っていい。

 

 だからと言って、自分たちが赦されようとは思っていない。最悪、はやてを救った後は自分たちの消滅すら考えていた。

 

「それにしても、クリスマスって面白そうだな! ケーキに、ローストチキンに、光り輝くツリー。それにサンタクロースっていうおじさんが、プレゼントを配ってくれるらしいし」

「あまりはしゃぐなよ。主役は主はやてなのだから」

 

 それでも明るい未来の話を語れるのは、自分たちが心の底からソレを望んでいるからだろう。目指すべきは最高の未来。(はやて)の大好きなハッピーエンドだ。

 

「分かってるよ。そういや、なのはがプレゼントを用意しておけって言ってたけどどうすんだ。アタシら、はやてに養って貰ってる身だから金なんて持ってねぇぞ」

「大丈夫だ。こんな時もあろうかと、道場で剣術の師範役をしていた講師代がある。それでプレゼントを用意しよう」

「おまっ、いつの間にそんな事をしてたんだ」

「なに、幼い主に養われるのもアレなのでな。何か出来ることはないかと、密かに探していた時に、自分に合う仕事を見付けただけだ」

 

 シグナムが語る衝撃の真実にヴィータは本当に驚いた様子で、目を見開いていた。この家事の手伝いや近所付き合いが得意そうではない、根っからの武人気質な家族が、そんな事をしているようには思えなかったからだ。家では、いつもテレビか新聞眺めて、偶に将棋を指したりする程度の姿しか見せていなかったから。

 

 稼いだ金額は十万ちょっと。ほんの一か月程度の短い時間であり、闇の書の蒐集のため、急にやめる事を言い出したシグナム。そんな彼女に用事が済んだら、また来てくれという言葉とともに、道場主が快く渡してくれたお給料。

 

 正規の雇用ではなく、しがないお手伝い程度の間柄でしかない。そんな大金は受け取れないと、辞退していたシグナムの説得して、深く問わずに送り出してくれた道場主。彼には感謝の念も堪えない。用事がすんだら、改めてお礼を言いに伺いたいものだ。

 

 まさか、こんな所で役に立つとは思っていなかったが。

 

 ヴィータから受け取ったシャマル謹製のカートリッジの弾丸を受け取りながら、懐かしそうな顔でシグナムは、そう語った。

 

「そんじゃあ、とっとと終わらせて帰らねえとな。はやての見舞いにも行かなきゃなんねぇ」

「ああ、そうだな」

「クリスマスプレゼントは何を送れば良いんだろうな。はやての好きな本とかか?」

「アリサ嬢に電話で聞いてみたらどうだ。あの子は頼れるし、頭もいい。お前の親友のアリシア嬢とも会えるし、偶には怪しまれない程度に遊びに行って来い」

「う、うっせー! アイツとはそんなんじゃねぇし。こ、好敵手。ライバルだよ。ライバル!」

「ふっ。なら、そう言うことにしておこう」

 

 彼女たちの目の前に広がるのは、凶暴な魔法生物の群れだ。ワイバーン、ドラゴン、そういったお伽話の生物が、久しぶりの獲物を食ってやろうと立ち塞がっている。

 

「グラーフアイゼン!」

『Ja.』

「レヴァンティン!」

『Jawohl.』

「うおりゃあああ――」

「うおおおおおお――」

 

 それらを蹴散らし、蒐集し、今日も無事に主のもとへ帰るために。守護騎士たちは次元世界の何処かで戦いを続ける。幸せな日常、主の、そして自分たちの望んだ平穏で、穏やかな日々を勝ち取るために。

 

 彼女たちを、監視している存在がいるとも知らずに。

 

「闇の書の蒐集。始まったか」

「マルタ……自分たちのしている事は、本当に正しいのか?」

 

 大規模な機器を使い、支援魔導師の遥か認知の外から、妨害を物ともせずに監視する存在。時空管理局。

 

 "正式"に設立された対闇の書対策部隊は、静かにその主と守護騎士たちを監視していた。主となる少女が闇の書とともにあった数年前からずっと。

 

 その中にいる一人の男性局員と、教会のカソックを身に着けた女性。緑の髪と、銀色の長い髪が特徴的で、年は同じくらいだが。男性は瞳に戸惑いを、女性の方は瞳に確かな憎しみを宿していた。

 

「グリーン。忘れたわけではないだろう? 某の母上と父上。そして、そなたの母上と父上は、11年前の闇の書事件に巻き込まれ、アルカンシェルの光とともに消えたことを」

「分かっている! だけど、相手はまだ幼い子供じゃないか! 他に方法を探すべきで……」

 

 グリーンと呼ばれた男性が、苦悩した表情で訴えかけるが、騎士の女性。マルタ・シュヴァリエは動じない。あるのは、どこか空っぽな、感情を失ったかのような声と、闇の書に対する因縁だけ。少女に対する配慮は、既に存在しなかった。そんなものは、決行すると決めて、部隊に配属された時から捨てたから。

 

「某たちの親は、婚約を控えた挨拶に訪れた折の矢先だった。某は今でも、父上と母上の別れ際の笑顔を昨日の事のように思い出せる。それだけじゃなく、本局には多くの家族や、その子供もいた。今更何を躊躇う必要がある?」

「だけど……」

「放っておけば、闇の書は復活し、あの星に住む人も生き物も喰らいつくすだろう。そうなる前に、何百年も続く過去の因縁を終わらせるために。某たちは決意を固めている」

 

 そこで、マルタはグリーンの顔を見つめた。悲しみを宿し、生きる気力を失ったかのような瞳。だけど、一筋の光は闇の書を捉えて離さない。不動の意思を宿した。覚悟を決めた者の瞳が、そこにはある。

 

「もはや止まれんのだ。ここに居る者の多くが、闇の書によって家族や友人、恋人を失った局員と騎士たち。故に某たちは止まれん。いかに相手に大切な者がいようと、過去の罪を悔いていようと、もはや遅いのだ」

「マルタ……」

「そなたの優しい気持ちも分かる。そなたが憂いていることも。故にそなたが、手を染める必要はない。その為に某は此処にいる」

 

 運命はめぐり、さらなる因果を巻き込んで、ひとつの結末に収束する。対守護騎士用のベルカの騎士。教会より騎士が派遣されるのも、必然であった。

 

 どうしようもないほど理不尽な運命は、静かに動き出す。来たるべき日に、全ての因果を終わらせるために。

 




忘れたころにやってくるグリーン・ピース。


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鍋パーティーの裏で

タイトルを飯テロの裏でにするか悩んだ。


 あの日から、はやては入退院を繰り返し、主治医の石田先生が親身になって検査と治療を試みているが、足の麻痺は悪化していく一方だ。

 

 それもその筈、はやてを蝕むのは病ではなく、闇の書の呪いという現代医学では御しきれぬどうしようもない類のものである。それでも治療を諦めず、根気よく身を粉にして闘っている石田先生は、間違いなく医者の鑑といっていい。

 

 はやてが守護騎士と友達に会うまで、数年間絶望しないでいられたのは、彼女のおかげだ。こうして家族と友達で食事を開けるのも、偶には自宅療養も必要と配慮してくれたからに他ならない。なのはに説得された守護騎士たちも蒐集を中断して、主のために全員勢揃い。

 

 石田先生様々である。

 

 ともあれ鍋で煮こまれる肉、野菜、豆腐の軍団。醤油と砂糖で味付けされただし汁に煮込まれるそれらは、優に四人前。そんなのが三つも用意されて、テーブルや炬燵の上に鎮座している。

 

 熱を逃がさないように蓋をして、ぐつぐつと煮込まれる水の音を聞きながら、まだかまだかと待ち構えているのは、食い意地のはったちびっ子二人組。

 

「う~~~っ」

「むぅ~~っ」

 

 アリシアとヴィータは炬燵で向かい合いながら、好きな具を取られまいと互いに睨み、唸りあっていた。料理長たるはやての、召し上がれ宣言がだされれば、手にしたフォークとスプーンが凌ぎを削って争うだろう。

 

 ちなみにスプーンなのは、お箸の練習中という証明である。二人とも箸を器用に使うにはスキルが足りず、刺しやすいジャガイモなどは、その身を突き立てられる毎日だ。

 

 アリシアなんかは、既にテーブルマナーの授業がトラウマと化しているかも。とは一緒に暮らしているアルフの談である。バニングス邸を訪れるなのはとすずかに、子犬の姿で近づいて、念話で報告してくれるのだから間違いない。

 

 もっともすずかは念話が使えないので、何となく察しているだけだが。

 

 そんなわけで、自由に楽しい時間を過ごし、好きなようにご飯を食べて、好きなように遊び、好きなように寝ることを至上の喜びとするアリシアにとって。良家のお嬢様として束縛されるのは受け付けがたいのだろう。姉となっているアリサは、そう判断して頭を悩ませている。

 

 本当のところは、好きではないが頑張るというのがアリシアの心情。アリサのことは結構好きである。愛している大好きなお姉ちゃんなのだ。

 

 そんな普段から束縛される生活を送っているアリシアは、八神家の鍋パーティーに招待され。鎖から解き放たれた猟犬のように本能を、食欲を晒している。既に胃袋ははやての愛情たっぷり料理が掌握した証であった。

 

 侮ることなかれ、あの不破なのはに家庭の味を思い起こさせ、感涙させた料理だ。バニングス家の食事も庶民からすれば、想像を絶する美味を誇る。しかし、諸事情で親を失っている二人にとって、ふたつの料理を比べさせたら結果は言うまでもない。

 

 贅沢な話かもしれないが、お袋の味に勝る料理なしである。

 

 どないしたら、皆においしく食べてもらえるんやろな~~。そう、愛情たっぷり、手間暇かけて作られたはやての料理は、まさに母の料理を体現していた。

 

 つまり、八神はやてという少女は9才という年齢ながら、母性を発揮する。某、赤い彗星どストライクの小さき母である。

 

 それを普段から食べて、はやての料理はギガウマと評するヴィータが、ライバル意識を燃やしているアリシアに対抗心を抱いているのも、無理はない話だろう。

 

「こら、ヴィータ。喧嘩したらあかんよ。仲良くみんなで食べんと、めっやで」

「喧嘩してねーです。睨んでるんです」

「アンタね……人はそれを、喧嘩を売っているっていうのよ。うちの義妹は負けず嫌いなんだから、あんまり火に油を注がないで欲しいわ」

「絶対負けない。お肉も、野菜も、トーフもボクのものだ。この鍋はボクが全部食べるんだ」

「「い~~っ、だ!!」」

「まあ、ある意味予想どうりですが」

「あはは、二人とも仲いいもんね」

 

 同じ炬燵に座っている四人の少女は、苦笑いを隠せない。ダブルお姉ちゃんの嗜めも効果は薄く。せめて、仲裁はしっかりしようと、フォローに回るなのは、すずかであった。

 

 それを、いつも使っているテーブルに座って見下ろしている大人二人組。

 

「この日々を守り、平穏を続けていくために、我々も頑張らなければならんな」

「そうね、はやてちゃんの笑顔は久しぶりに見たって、なのはちゃんも言ってる。時間もないし、急がないと」

『闇の書の蒐集はあと半分。やはり、不破なのはの提案を受け入れるしかあるまい……不本意ではあるがな』

 

 シグナムとシャマルは、微笑ましそうに子供たちの雑談を眺めていた。そのテーブルの下ではザフィーラが、先に作り終えていた鍋の中身を、橙色の子狼と共に噛みしめている。子供たちを冬の寒さに晒してはならないとする大人組の配慮であった。

 

 蒐集状況はよろしくない。確かに妨害らしい妨害もなく、効率よく魔力を蒐集している。しかし、魔法生物相手では一回で蒐集できる絶対量が少ないのも事実。あまりしたくはなかった魔導師に対する蒐集も視野に入れなければならなくなった。

 

 季節は秋で、クリスマスまであと一か月といったところ。つまり十一月の後半に差し掛かっているのだ。主はやての未来を、あまり血で汚したくなかったが、背に腹は代えられない。絶対に助けると誓い、主の名に背いている以上は、人殺し以外は何でもする。

 

 もう、主をこれ以上呪いで苦しませるのも、家族のいない寂しさを味合わせるのも、終わりにしなければ。

 

 守護騎士一同が決意を新たにするなか、相変わらず魔力不足で、子犬形態。かつ眠り続けていたせいで、精神年齢がアリシア並みに幼いアルフは、わ~いお肉お肉、おいし~とザフィーラと同じ鍋を頬張っていたりする。

 

 この小さな使い魔は、ザフィーラの事が気に入ったのか、彼に父性を感じているのか、すっかり懐いてもいた。時には主人を差し置いて、はやての膝の上にいることもある。おかげでアリシアとアリサがぶ~たれる、らしい。

 

「は~い、待ちに待ったお鍋解禁や」

「ふん!」

「とう!」

 

 アリシアとヴィータのフォークによるこうげき。

 ミス、こうげきはふたりのしょうじょにとめられてしまった。

 うでをつかまれて、うごけない。

 

「アタシの目で見えなかった……」

「はいはい、ダメだよ。ヴィータちゃん」

「なのは~~、お預けなんて酷いようっ」

「わたしがよそってあげますから、大人しくしていてください」

 

 夜の一族特有の高い身体能力。不破家の人間として武術を嗜む一族。すずかとなのはの動きは気を抜いていると察知不可能である。しかし、いつものことなので周りは気にしない。

 

 それくらいで驚いていると、ちびっ子二人組の組み合わせで巻き起こるハプニングには耐えられない。慣れているともいう。

 

 世話を焼かれる同年代の少女たちと、世話を焼く同年代の少女たち。精神年齢の違い。子供っぽさと大人びているの違い。とても同い年とは思えない光景。それを尻目にアリサは、煮込まれた肉の旨味を味わい。白菜のシャキシャキとした感触と、飛び出るアツアツの汁を堪能し。豆腐の柔らかさと歯ごたえに満足を覚えた。

 

 やっぱり鍋最高。日本食はいつ食べても美味しいわね。

 

 お茶目なはやてのグッジョブ。満足したかい、ヘイユー!とでも言わんばかりの顔。それに目を瞑り、すまし顔で返すアリサ。やっぱり、はやての料理は最高ね!とでも言いたいのだろうか。

 

 ともあれ、今日も海鳴市は平和である。

 

◇ ◇ ◇

 

 不破志郎は寒いなか、今日も縁側で熱い緑茶で喉を潤す。なのはが最近見舞いに通うようになった友達の家に、鍋パーティーを開催するため出かけていることは知っている。

 

 出かけ頭にバニングス家の迎えが来て、おじさ~んと懐いてきたアリシアが嬉々として説明してくれた。何かとあの娘は、士郎に会いに来るので最近は慣れたものだ。なのはとの関係も少しは良好である。ちょっとだけ進展しているという意味で。まだまだ、道は遠い。

 

 そもそも復讐鬼という名の人切り修羅と化した悪滅惨殺を胸に、世界を飛び回る美由希の活動は、まだ終わりを迎えていない。テロ組織の"龍"という組織は強大で、潰すには時間が掛かる。

 

 目障りな不破の一族を潰すために、再びなのはを狙ってくる可能性がある以上、親子として縁を戻すのは難しい。それに今更、どの面して父親を名乗れようか。美由希も同じ気持ちであろう。

 

 だから、"呼び戻されて"父に理由を告げられた時、苦虫を噛み潰したような顔で、怒りと苦悩をない交ぜにした表情をしたのだ。

 

「はぁ……」

 

 海よりも深く、底知れぬ闇よりも尚暗い、そんな溜息を吐き出して、美由希はぞっとするような瞳で父を見た。何も知らぬ人が見れば、無意識に身体を震え上がらせ、自然と彼女を避けようとするだろう。なのはですら、そうなのだから。

 

 彼女はあまりにも業を重ねすぎているし、何より殺した人数が人数だ。相手が犯罪者でなければ稀代の殺人鬼と評されてもおかしくはない。その手は、なのはが恐れる己の手よりも朱く。染みついた血の匂いは動物すら警戒させる。いくら身体を洗い流そうとも、決して落ちはしない。穢れは清まらない。

 

 既に感情の殆どを摩耗し、怒りと憎しみと、復讐心のみで殺人を続けてきた。その代償は自身の破滅だ。復讐を続けるうちに、自分自身さえも失っていき、最終的には誰かに殺される。油断したところを殺される。士郎がそうなりかけたのだから、よく分かる。

 

 故に美由希の本当の母親である美沙斗は士郎に相談したのだろう。まだ、間に合うからそちら側に呼び戻してくれと。

 

「それで、クリスマスなんかをするために……父さんは、私を呼び戻したの?」

「クリスマスが嫌ならば、大晦日でも正月でも構わない。お互いいつ死ぬとも知れぬ身だからな」

「ッ……死なないわよ。家族の皆は私が護るもの。アイツ等を全員、一人残らず殺して……」

「殺した後は、どうするつもりだ?」

「…………知らないわよ、そんなの」

 

 士郎の問いに美由希は言葉を詰まらせた。恐らく何も考えてはいないのだろう。殺して、殺して、最後に殺される事しか考えていない。覚悟はしているし、普通の人生などとっくに諦めてしまった。そんな彼女に未来のことなど考えられる筈もない。

 

 娘の悲しい答えに、父の心中は少しばかり痛む。己も心の殆どを失って何年たっただろうか。しかし、僅かばかりの親心は、今更になって、士郎が後悔しているということを伝えてくれる。どうして、あの時に復讐心に囚われず、美由希に全うな道を歩ませなかったのかと。

 

「何だかさ。父さん、変わったね」

「……そうだな」

 

 美由希は父の隣に腰かけた。縁側に用意してあった二人分の緑茶。その内のひとつを手に取り、熱くて苦い液体で喉を潤していく。父は変わった。それはアリシアという少女が諦めずに何度も話しかけて、家に通い続けているせいなのだが、家を長いこと留守にしている美由希は知る由もない。

 

 この屋敷は兄の恭也と忍さんがきちんと手入れしてくれて、庭にひっそりと佇む盆栽は帰るたびに形を変えている、様な気がする。近々結婚して結ばれるらしいが、本家のドイツに高跳びせずに、海鳴に残るらしい。父を、妹たちを、そして高町の帰る屋敷を放っては置けないから。

 

 在り方を変えようとしないのは自分と、父だけだ。ずっと復讐の事だけを考えて生きてきた。父は最愛の人を、姉は最愛の母を失って。損失の痛みと悲しみと苦しみ。そして湧き上がる憎しみと憤怒と絶望。それに耐えられずに悪鬼羅刹と化した。

 

 そのおかげで、なのはにはとても迷惑を掛けた。無論、それを止めようと奮闘し、説得して、諦めずに支えてくれている兄達にも。

 

 だが、父は変わろうとしている。己の過ちに気が付いたのか、それとも別の理由があるのかは分からないが、変わろうとしている。

 

 変わらないのは、美由紀の背後の部屋にある元夫婦部屋。そこに飾られた遺影に写る高町桃子の優しい微笑みだけだ。

 

「なのはは……元気?」

「ああ、最近は友達とよく遊んでいる。病気がちな子の見舞いにも通っている」

「……そう」

「やはり……桃子の娘だな。昔、桃子を庇って怪我をしたとき、俺の見舞いに通い続けた頃にそっくりだ」

「あの子は、身内を大事にするから。私は別にして……」

 

 美由季の最後の呟きはどこか悲しげで、か細くて、今にも消えて今にも消えてしまいそうな声だった。なのはが誘拐されたときに、いの一番に飛び出して、真っ先に救出したのが彼女だ。最愛の妹で、一番守らなければならない存在。それが美由希にとってのなのはだ。

 

 表向き、そっけない態度をとって遠ざけているのは、母親の事を思い出して辛いから。あの子の、唯一桃子という女性の面影を残した妹は、どうしても見ることができない。正面から見据えたら、自分はきっと泣いてしまうから。

 

 弱い自分はいらない。必要なのは強い自分。溢れ出る感情を鋼の意思で抑え込み、復讐鬼に為らなければ戦えない。護るために戦うことはできても、殺すために戦うことなど出来はしない。

 

 だから、美由希は妹を遠ざけた。それは今でも後悔していないし、後悔してもいる。矛盾した心の内側。

 

 自分と一緒にいたら狙われる。でも、護ることは出来ない。自分と離れていれば狙われない。でも、護ることはできる。

 

 長い月日が怒りを冷まし、冷静さと冷徹さを取り戻し。色々と考えて、どうすれば良いのか考えて。それでも遠ざけることに決めた。それが美由希の結論。今更戻るのは虫がいい話だし、何より妹は、自分を恐れて避けている。もしかすると嫌っているかもしれない。最悪、殺人を犯す姉を憎んでいる。

 

 嫌われるのが、恐れられるのが、怖かった。憎まれたら生きていけなかった。母親の生き写しともいえるあの子に、それをされたら。妹にも母にも責められた感じがして、美由希はそれを恐れてもいた。

 

 なのはの話を聞いて蹲る。膝を抱えて、顔を伏せる。家族の前だけで見せる美由希の弱さだった。

 

「……まだ、やり直せる」

「……そう、かな?」

「俺は、取り戻したい。あの頃の暖かな日々を……」

「でも、今更よ……もう遅いもの。父さんも、私も。手は真っ赤……」

「だが、なのははそれでも前向きに生き始めた。あの子は、心の底から笑っている。己の罪と向き合いながら」

 

 姉は顔を上げると、父の顔を見つめた。父である士郎も、娘のことを見ていた。

 

 どこか濁った瞳、負の感情を秘めた悲しい瞳。長年溜め込んだ憎しみと心労でやつれた顔。それでも、父は真っ直ぐに娘を見ていた。力強くて、母さんを失う前だった頃の目をしていた。

 

 本気なのだ。いつの間にか変わっていた士郎は、家族との関係を取り戻そうとしている。それが、美由希には眩しすぎて、だから目を背けた。俯いた。

 

「なのは、許してくれるかな……」

「分からない。俺も許してもらってはいない。まだ、謝ってもいない。だから、一緒に謝ろう。俺たちが悪かったと……」

「……お父さん」

「なんだ?」

「わたし……そっちに戻って、いいのか、な……」

 

 俯いた美由希の顔は窺い知れない。けれど、発せられる声はどこか泣いているかのようで。彼女は怯え、怖がり、震えていたのだろう。己の抱えてしまった罪の重さに潰されそうで。だから、士郎は。

 

――ああ、戻ってこい。

 

 堕ちてしまった娘を導き、引っ張り上げるかのように。昔のように、高町士郎だった頃のように暖かな声で娘を励ました。

 

 結局、悩んだあげく美由希は高跳びしてしまった。恐らくは身を寄せている母の、美沙斗の所に行ったのだろう。その顔は来たときと同じく、無機質で、無表情。瞳には底知れぬ憎しみと怒りを秘めた復讐鬼に戻っていた。けれど、大丈夫。

 

 きっと心優しいあの子は、妹のために舞い戻ってくるだろう。

 

 士郎はどこか吹っ切れた顔で、桃子の遺影と向き直ると、手を合わせた。俺も変われるだろうかと迷い、悩んだ挙句に出した答え。それを愛する人に報告するために。

 

 今度は、家族みんなで色んなことをしよう。そう、まずは縁側でお茶でもして、それからなのはを遊園地にでも連れてったら、喜ぶだろう……か?

 

 まあ、考える時間はたくさんある。少しずつ始めよう。取り戻そう。家族の、失ってしまった。時間を。




数千年とちょっとの平行世界の話

高町なのは
なのはが闇の書の主。
世界確率一%以下の偶然によって闇の書の主化。
足の麻痺で学校に通えないことを寂しく思い、同時に自分のせいで父や母に迷惑を掛けていると思っているため、暗い性格になってしまった。
要するにひとりぼっちだった頃のなのはが、そのまま歪みを抱えた状態。
リリカルなのはが始まらない。
なのはの不屈の心による介入がないためフェイトが救われない。
フェイトの不在により、闇の書事件が最良の形で解決できない。
高町家の家族構成により、グレアムが正規の手段で介入してくる。
よって世界が闇の書で滅ぶか、氷結封印されるかの二択。
確率的には、氷結封印されるほうが大きい。
氷結封印されると、守護騎士とともに笑い合い、泣きあって、皆に別れを告げる。なのはにとって守護騎士も大事な家族だから。

ちなみに闇の書の管制人格は広域型。なのはは収束砲撃型。相性はまあまあなので悪くない。
しかし、はやてのように最高値の相性を叩き出せず、能力は八割未満である。

八神はやて
両親はやっぱり事故で失っている。本人も事故に合う確率大。
闇の書の加護がなかったため、そのまま死亡するか、大怪我を負うかの二択。分岐点。この場合死亡する可能性がとても高い。
しかし、仮に生き残ったとしても親戚筋に引き取られるため、海鳴りから離れてしまうか。そのまま越してきた親戚と同じ自宅で過ごし続けるかの二択。分岐点。
通う学校は私立聖祥大附属高等学校。そこで、読書好きのすずかとは意気投合して親友となる。
すずかとアリサの喧嘩を仲裁、やんわりと説得して、なんとか二人目の友達を得る。
すずかの姉が、高町家の長男と付き合っている関係上、すずかはなのはのお見舞いに訪れている。
その関係で早くも仲良し四人組が結成される。なのは、はやて、アリサ、すずかの四人。
リリカルはやてが始まる。
しかし、ジュエルシード事件の関与。つまり非日常に積極的ではないため、あまり介入はしない。町に降りかかる火の粉の排除が先。
フェイトに関しても、事情を少し聞いて、協力しながら事態の解決にあたる。
インテリジェントデバイスとの相性が良くないため、高い魔道資質がありながら、全力を発揮できない。魔法もおっかなびっくり運用。
よってフェイトに勝てる可能性は限りなく低い。
最終的に管理局に事件を任せて、身を引く可能性が高い。
後にレイジングハートとの相性問題で、デバイスをユーノに返し。私には魔法が向いてないと自傷する可能性大。
その後、闇の書事件でなのはを失った事で、時空管理局入りする可能性大。
理由としては、親友のようにロストロギアによって命を失う人を見過ごせないから。


フェイト・テスタロッサ
同じように母の命令でジュエルシード集め。
しかし、グレアムが正規の手段で闇の書に介入。なのはを監視しているため、早くも時空管理局が登場。
プレシアの計画は、闇の書という予想外の存在によって、挫かれることになる。
プレシアは最終的に早期に集めたジュエルシードを使って、アルハザードに旅立とうとするか、そのまま捕まるかの二択。
アルハザード行きの場合、フェイトはプレシアを追いかけて虚数空間に落ちてしまう。
捕まった場合、間もなくプレシアは病でなくなる。この場合、拒絶されたフェイトは心を壊したまま、管理局に保護されることになる。
保護責任者は、グレアムの要請で事件を担当したリンディ提督。
しかし、そのまま衰弱して亡くなるか、リンディの献身によって何とか生きていくことになるかは本人次第。
確率的には衰弱死するほうが圧倒的に大きく、生き残っても、プレシアの影が人生に影を落とすことになる。

始まらないストライカーズ。
スバルが空港火災で死亡。
ギンガが空港火災で死亡。
フェイト不在でエリオは心を開かない。スカリエッティの玩具。
キャロは制御できない竜召喚で舞台を転々とする。
ティアナは執務官になろうと奮闘するが、才能を開花させられない。
時空管理局の崩壊。スカリエッティの暴走。次元世界の崩壊。
第三次、次元世界全面戦争勃発。ベルカとミットチルダ戦争並みの規模。地球も無事では済まない。
はやてが戦死する可能性大。
どこかの次元世界が、状況打開の兵器として氷結封印状態の闇の書を解放、暴走する可能性大。なのは死亡。

バッドエンド。

全てのフラグを叩き折り、バッドエンドを覆す。

私たちの最後の贖罪を始めよう。

幸せな最期を迎えるために。

紫天の盟主とその騎士たちが挑むは、こんなはずじゃなかった最悪の世界。

魔法少女リリカルシュテル始まります?

続かない。


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メリークリスマス!!

 クリスマスの日。闇の書の完成も間近となり、あと数ページ蒐集すれば、はやては真なる主として覚醒する。そうなる前に、はやてが心の底から楽しみにしていたクリスマスを祝おうというのが、二週間ほど前に守護騎士となのはが計画したことだった。

 

 アリサ達も、はやて本人ですら闇の書のことは知らない。ばれないように努めてきたし、なのはが守護騎士の行動をフォローして、互いに口裏まで合わせてきたのだ。はやてを支える側と救う側で協力し合えば、日常生活を怪しまれずに蒐集することなど造作もなかった。

 

 各々でプレゼントを用意して、集合場所と時間を決めておいたのが一週間前。場所は海鳴大学付属病院の玄関前である。それぞれが温かい恰好をしながら、プレゼントを入れた紙袋を手に、集合を待っていた。

 

 最初にやってきたのは守護騎士一同。次に月村すずか。そしてアリサ・バニングスとアリシア・T・バニングス。意外なことに最初に来そうな不破なのはは最後だった。しかも、集合時間に数分遅れるというおまけ付き。

 

 時間を厳守する親友の失態に、怒りよりも心配が先に訪れる子供たち。そんな彼女たちを迎えたのは、どこかそわそわした様子のなのはだった。

 

「どうしたのよ、なのは? 何か良いことでもあった?」

「それとも心配事でもあるの?」

「い、いえ、何でもないです」

 

 長年の付き合いから察しの良いアリサとすずかが、口下手ななのはを促してみるが、彼女は恥ずかしそうに顔を俯けるだけで、何があったのか語ろうともしない。

 

 ただ一言、遅れてしまってごめんなさい、と謝るとそのまま黙り込んでしまった。

 

 う~んと唸るアリサ。何か悪いことをして隠し事している様子ではない。むしろ嬉しいことがあって、それを素直に喜べないといったほうが近い気がする。でも、無理に聞き出すのもどうかと思うし、彼女は先を急ぐことにした。

 

「それなら早く行きましょ、はやてが待ちくたびれてるわ」

「そうだね。はやてちゃん、この日をすごく楽しみにしてたもの」

「そ、そうですね」

「ボクもクリスマス超楽しみ~~!」

 

 先頭を歩き始めたアリサ、追従するすずか、どこかほっとした様子のなのは。それに続いてアリシアが何時になくご機嫌な様子で、なのはの後ろに続いて。

 

「クリスマスって、な~に?」

 

 そして、淡い灰色のダッフルコートに身を包んだアリシアの肩から下げた鞄から、彼女たちよりもさらに幼い声が聞こえ、場が一瞬で凍りついた。

 

 アリサを筆頭に親友三人組はこの声を知っている。首謀者であれば尚更。守護騎士一同は固まった子供たちを不思議そうに眺めていたが。

 

「アリシア? な~にか、アタシに黙って変なの持ち込んでない? 具体的には橙色の子犬とか」

「えっ? そんな事ないよ? アリサお姉ちゃんの勘違いでしょ?」

 

 この期に及んで堂々と白を切るアリシアは流石と言うべきか。しかし、対するアリサの表情は怒りメーターが壱上がって、顔が引きつっている。あぁん? とでも言うように睨みを聞かせ、九歳の子供とは思えない鋭い眼光がアリシアを射抜いた。

 

 威圧されて肩をびくりと震わせたアリシアは、何でもないよというように鞄を背中に隠したが、むしろ何かあると言っているようなもので。

 

「その鞄、見せなさい」

「やだ」

「怒らないから」

「そう言って、いつも怒るからやだ!」

「今なら拳骨いっぱつで許してあげるわ」

「やっぱり、怒るじゃないか~~!!」

 

 必死に無駄な抵抗を続ける義妹に、アリサは溜息を付きながら実力行使に出ようとして、やめた。何というか不毛な争いだ。せっかく飲んで騒いでの祝い事なのに、こんな事しているのもバカらしくなってしまったのだ。

 

「アルフ、出てきなさい」

「は~い!」

「うわぁっ!! 出てきちゃダメだって~~!!」

 

 やれやれといった様子でアリサが語りかけると、アリシアの鞄の中から、橙色の毛並みをした子犬が姿を現した。額には特徴的な赤色の宝石のようなものが付いている。間違いなくアリシアの使い魔、アルフだった。

 

 アリシアは必死に隠そうとしているが、アリサもご主人様の一人であるので、アルフは素直に言うことを聞く。

 

 困惑するアリシアの胸にしがみつく子犬は、ますます幼くなった様子。事実、アリシアのリンカーコアに負担を掛けないよう、アルフは必要以上のリソースを取らないよう自ら切り捨てた。

 

 おかげで精神や肉体が幼児退行を起こしているが、アリシアがその分、長生きできれば本人としては満足である。彼女はここ数ヶ月で狼型使い魔の誇りを捨てて、ただの子犬に成り下がっていた。その選択に悔いはない。

 

 喋らなければ、ただの可愛らしいペット。バニングス家の面々から愛されるマスコットだ。

 

 しかし、アリシアに負担を掛けないよう成長途上で眠りについたので、知らないことには興味津々。周りが身内だけなら、こうして喋りだすこともある。夏のお祭りにも行きたがっていたし、意外と賑やかな事が好きなのかもしれない。

 

 おかげで義姉に睨まれたアリシアは、やや怯えたように肩をすくませているが。

 

「なんで連れてきたの?」

「だって、一人ぼっちじゃ可哀そうじゃんか~~」

「病院はペット厳禁て、言ったでしょ」

「じゃあ、人型に変身させる」

「省エネモードじゃないと、アンタに負担が掛かるからって、アルフと約束して禁止にしたでしょうが」

「む~~!!」

「たくっ、ホントにしょうがないわね」

 

 引き下がろうとしない義妹の様子に、呆れたように頭を押さえるアリサ。彼女はアリシアから優しくアルフを抱き上げると、一同に突き出してこう告げる。この子、うちで開発した最新型のペットロボットよ。いいわね。と。

 

 その九歳児とは思えない気迫に誰もが、お、おぅ……と頷くしかなかった。もちろん守護騎士の誰もがアルフの正体に気が付いている。だけど、病院にペットを持ち込むのは厳禁と言っておきながら、それは如何なんだろうと苦笑いを浮かべるのも無理はなかった。

 

 もしこれがザフィーラだったなら、ロボット扱いされた彼は何て思うんだろう。

 

「そういや、犬で思い出したんだが、ザフィーラは?」

 

 ここで思い出したかのように、ヴィータがシグナムに問う。途中まで一緒だったのに、使い魔扱いされることを嫌う誇り高い守護獣がいないのだ。

 

「アイツはふと通り掛かったサンタ役だ。人の姿でサンタの格好をしてプレゼントを配る予定になっている」

「いつの間にそんな計画を……」

「あまり人型の姿で主はやてのご友人たちと接していないからな。あまり見知ら人と行き成り祝い事を楽しむというのも難しいだろう?」

「確かに……」

「それに、守護獣の姿で病院に連れてくるわけにもいかない。故にクリスマスにどうやって参加させようかと悩んだ末の答えが、これだ。サンタの格好なら誰でも気兼ねなく接することができる、筈……自信はないが」

 

 蒐集の合間にいろいろ考えてたんだなぁとヴィータは感心する。

 

 何でも図書館でクリスマスの絵本を借りてきて、サンタとはどういうものなのか学び、口調を変えてメリィィィクリスマァァァスと発声練習とかもしてたらしい。おかげで、それを聞いたシャマルが腹を抱えて大爆笑だったとシグナムはザフィーラから聞いたらしい。

 

 ザフィーラの渋い声でメリィィィクリスマァァァス。そんなに面白いなら、ちょっと聞いてみたかったヴィータだった。

 

「ザフィーラ頑張れよ」

「ああ。それに、サンタの姿なら狼の耳と尻尾も仮装で誤魔化せそうなので、筋骨隆々のケモミミサンタさんになる。ちゃんとサンタの白い髭もつけるらしい」

「ご、ごめんザフィーラ。想像したら腹が――」

「今のうちに笑っておけ、私も失笑を抑えきれなかったからな」

 

 付け加えるなら道中、不審者と間違われないようにと思うシグナムだった。獣耳+尻尾+褐色+筋骨隆々=サンタの格好。普通の人が見たら変な外国人と思うのは間違いなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

――メリ~~クリスマ~~ス!!

 

 大人と子供を含めた七人の声が一斉に病院の個室で響き渡った。この日を八神はやては生涯忘れないと誓う。それくらい感動的な光景が彼女の前には広がっていた。

 

 何せ今日は初めて皆で祝う本格的なクリスマスだ。いつもは一人寂しく過ごしていたし、石田先生と食事を一緒にすることもあったが、基本的に一人ぼっち。幼い頃に両親と過ごしていたかもしれないが、曖昧すぎてよく覚えていない。

 

 だから、こうしていろんな人と祝い事を過ごすのは新鮮で、何より楽しい雰囲気に包まれて嬉しくなる。一人ぼっちの寂しさを感じることのない時間はなんて心地良いんだろうと思うのも自然だった。

 

 今年は最高の一年だ。確かに持病が悪化して、発作に苦しんだこともあった。

 

 それでも守護騎士の皆が現れて、優しい家族ができた。それから親切な子供に助けられて、すぐに仲良くなり、念願だった友達もできた。学校に通うことは叶わないが、そんな友達から小学校の授業や生活というのを教えてもらって、日本に住む子供が当たり前にしていることがどんな事なのか知ることができた。

 

 しかも、仲良くなった四人の子供たちは全員いい子で可愛くて、海遊びや夏祭りにまで連れて行ってくれた。絶対に叶わないと思っていた願いを二つも叶えてくれたのだ。

 

 近頃は一緒に過ごす時間も少なくなったが、優しい守護騎士はいつもはやてを支えてくれて。友達の皆も暇を見ては、はやての家に遊びに来てくれて。おまけに生活するために必要で、いっぱい練習した自分の料理を美味しいと食べてくれて。だから、自分の心は幸せでいっぱいだと感じるのだ。今もこうして心の底から笑っていられるのだから。

 

 だから、死ぬのが怖くなってしまって。痛くて苦しいのだって本当は嫌で。でも、なのはちゃんが自分の罪を打ち明けて、はやての不安を紛らわそうとしてくれて。それから病気のことも何とかするといって、彼女は頑張ってくれた。

 

 それだけで、はやてにとって充分すぎるほどで、満足している。

 

 だから、精一杯、今日というこの日を楽しむことに彼女は決めていた。たとえ、どうしようもなくなって足の麻痺や発作で亡くなるのだとしても。後悔がないといえば嘘になるし、やりたいことだっていっぱいある。だけど、満足したから後悔していない。

 

 そんな矛盾に満ちた嬉しい気持ちで、はやては心の底から笑っていた。だって本当に楽しかったのだから。

 

 まず、手始めにアリサとアリシアのバニングス姉妹が、はやての眠るベッドに近づいた。暖かそうな格好をしたアリシアの手には大きな紙袋が握られている。なのはが告げたクリスマスプレゼントが入っているのだろう。中身が何なのか分からないが、湧き上がるワクワク感だけはすごかった。

 

 自然と上がる期待の眼差し、アリサが得意そうに喋り始める。

 

「社交界のクリスマスパーティーには劣るけど、皆でクリスマスプレゼントを用意したわ。アタシとアリシアからはこれ」

「はい、これ! 病院だと暇そうだからって買ってきたよ」

 

 そう言ってアリシアが袋の中から取り出したのは、赤を基準としたクリスマス用の可愛らしい包装紙に包まれたプレゼント。それも二つあって、ハードカバーの本より少し大きめのサイズだ。

 

 包装紙の絵柄には可愛らしくデフォルメされたサンタさんとトナカイさんが描かれていて、はやてはそれだけでも気分がいっぱいになった。

 

「うわぁ! ほんまにありがとうなぁ、わたしとっても嬉しい!」

「ちなみに中身は、画面をタッチペンで操作するゲームと、UMDとかいうディスクを入れるやつ。CMでよく話題になってる、何だっけ?」

「開ける前にネタ晴らしすんなっ!!」

「あいたぁっ!!」

 

 アリシアの悪気のない台詞にはやては苦笑い。アリサがすかさず義妹のおでこにチョップする光景もそうだが、プレゼントの中身を知ってしまった事のほうが大きい。

 

 彼女の思い浮かべる思考はただ一つ。そんな高いもの貰ってしまってもよいのだろうか?である。タッチペンの奴は1万5千。UMDの奴は2万ちょっとしたような……テレビのCMでそんな事をやっていた気がする、うろ覚えだが。

 

 そうすると合計で3万5千円相当のプレゼントを貰ったわけで。しかも、暇つぶしと言っていたから当然ソフトも込み。だとすると金額はさらに膨れ上がる。

 

 プレゼントを貰った経験は殆どないに等しいが、それにしたってこんな高い商品を貰う経験は初めてで。嬉しさもあるが、本当にいいの?という戸惑いもある複雑な気持ちである。

 

 それを察したのか、アリサははやての肩を叩いて気にしないでと、太陽みたいな笑顔を浮かべた。

 

 彼女が上流社会の世界を知ったら、驚愕するだろう。主に金額的な意味で。

 

「それじゃあ次はわたしだね」

 

 入れ替わるようにすずかが、はやての眠るベッドに近づいた。

 

 同じように紙袋の中から取り出したのは丁寧に包装されたプレゼント。受け取ってみると大きさや手触り、そして重さなどから本だということが分かる。それも結構分厚いやつだ。二、三冊はあるだろうか。

 

「すずかちゃんもありがとうなぁ」

「ううん、気にしないで。前に、はやてちゃんが欲しがってた本と、わたしのお気に入りの本を選んでみたの。あとで感想聞かせてね」

「えへへ、それくらいやったら、お安い御用や」

 

 二人して談笑を重ねる姿は、幼馴染と言っても過言ではないくらい似合っていた。それくらい二人の波長が合うのだろう。

 

 はやてのベッドの上にプレゼントが増えていく。それだけで、子供なら誰もが喜んでしまいそうな状況。

 

 プレゼントはまだまだ増えるし、クリスマスも始まったばかり。お楽しみはこれからである。

 

「我ら守護騎士一同から、私が代表してこれを」

「みんなと相談して、はやてちゃんが喜んでくれるようにって買ってきたの」

「あたしが言うのもなんだけど、結構可愛いと思うぜ」

 

 お次は守護騎士たちがはやてに近寄り、代表してシグナムが紙袋の中からプレゼントを取り出した。

 

「わぁぁぁ、テディベアや。すごく可愛いなぁ。とっても柔らかい感触で、肌触りもええ感じ。これ、高かったやろ?」

「いえ、それほどでもありません。主はやてが喜んでくれて何よりです。念には念を入れて選んだ甲斐があったというもの」

 

 それは某国某社の老舗によって、手作りで作られたテディベアで、ちまたで話題の人気モデルである。クリスマスプレゼント用としてお勧めされていた商品でもあった。

 

 シグナムとシャマルが悩みに悩み、アリサやすずかに相談し、彼女らの伝手を使って手に入れた高級品。大事にすれば何年もいっしょに居られる丈夫さも持つ。はやてと自分たちが過ごす日々の、新たな思い出になってほしいという願いが込められたプレゼントだった。

 

 おかげでシグナムの貯めていた給料が吹っ飛んだが、本当に嬉しそうな主の笑顔に比べれば些末なこと。彼女の喜びが、守護騎士にとっての何よりも変えがたいクリスマスプレゼント。本当に頑張ってきてよかったと思う。

 

 後は怒られる覚悟で主を、闇の書の真の所有者として覚醒させれば、彼女を苦しめている足の麻痺も治るだろう。そうすれば穏やかな日々が戻ってきて、万事解決である。事を為すにはまだ早いが、もうすぐハッピーエンドなのは間違いない。

 

 守護騎士と入れ替わるように、はやてに近づいたのは、なのは。彼女のプレゼントで最後になる。もちろん、ここに居る子供たち全員に向けてザッフィーサンタが急行中であるが、はやてへのプレゼントはこれで最後だ。

 

「わたしからは、これを……」

「これは、マフラーかな? ちょっと解れてるけど。もしかして、なのはちゃんの手編みなんやろか?」

「え、ええ。いっぱい練習したんですけど、あまり上手く出来ませんでした。その、初めてで……」

「ううん、そんなことない。よく出来てる。わたしの為に一生懸命編んでくれて、ありがとうなぁ――ほんまに、嬉しい」

 

 なのはが取り出したマフラーは可愛らしい桃色の毛糸で編まれたものだった。

 

 プレゼントは何が良いのか悩んでいた時に、兄の婚約者である忍さんが、手編みのプレゼントを作っていたのを思い出して、自分でも実践してみたのだった。しかし、思いのほか苦戦してしまい、出来上がったのは製作者の不器用さと、不器用な性格を表したかのようなマフラーだった。

 

 それでも喜んで貰えたなら何よりである。何せこれは。

 

「はやて、その足が治ったら一緒に出掛けましょう。そのマフラーに、はやての足が良くなるようにと願いを込めました。そのマフラーを付けて外を歩けるように、と」

 

 そう、なのはの心の底からの願いが込められた大事なマフラーなのだから。

 

 かつてアリシアがジュエルシードに願ったのと同じくらいの想いが、マフラーには込められている。

 

 そして、暗に聖夜の夜を終えた瞬間に、はやての足の麻痺が治るという暗示でもあった。

 

「なのはちゃん、それって……」

「あっ、あ~~! アタシ喉が渇いたし、温かい飲み物が飲みたくなったわ」

 

 何かを察したかのような、はやての言葉を遮ったのはアリサだった。

 

 彼女は唐突な話題変更とでもいうように、微妙になりかけた場の空気を霧散させようと、注目を一身に集めた。

 

 その顔は何だか、とても恥ずかしそうだし、親友のフォローになのはは心の底で感謝するしかない。彼女には助けられてばっかりだ。

 

「そうなの?」

『そ~なの?』

 

 アリシアが首を傾げると、いつの間にか胸に抱かれていた子犬のアルフも首を傾げた。

 

 二人の主従は幼く、可愛らしい。周りが大人びているのもあるだろうが、それにしても一段と雰囲気が幼いのである。つまり可愛い。

 

 だから、最近シスコン気味に為りつつあるアリサは、恥ずかしそうに顔を逸らす。犬好きで、可愛いものが好きで、妹も好きとあっては、受けた衝撃も並々ならぬものがあろう。

 

 頑張って、アリサちゃん。とすずかは心の中で応援していた。

 

「そうなの! アタシが買ってきてあげるから、好きなの頼みなさい!」

「ココア!」「ミルクセーキ!」「わたしは緑茶」「主と同じで」「はやてちゃんと同じで」「わたしは平気」

「ああ、もう! 一人ずつ喋りなさいよ!」

「アリサにお任せします」

 

 ちなみに声を上げたのは、アリシア、ヴィータ、はやて、シグナム、シャマル、すずか、なのはの順である。

 

「アルフぅぅ、任せたよ!」

『は~い!』

 

 人数が人数なので、運びきれないだろう。そう思ったアリシアは、アルフを手放すと、手伝ってあげてと姉の所に向かわせる。

 

 アリサもそれを察したのか、近寄ってきたアルフを抱き上げると、小声でトイレで変身するわよ。と伝えていた。

 

 アリシアを引き取るにあたって、彼女の諸々の事情を、アリサは把握している。使い魔のこと。魔法のこと。抱えてしまったリンカーコアの持病のこと。親には内緒だが、アリサと親友たちは事情を把握していた。子供達だけの大切な、そして内緒にしなければいけない秘密である。

 

 ちなみに、はやてにもアルフは、最新型の子犬ロボと説明しているが、察しの良い彼女はザフィーラと同じような存在だと感ずいて、あえてスルーであった。はやてなりの優しさである。

 

「じゃ、行ってくるわね」

『くるね~~』

 

 橙色のモフモフ子狼を腕に抱いて、アリサは部屋を飛び出していった。




メリィィ苦しみますぅぅぅ!!

本当はクリスマスの日に投稿して、そこから連続更新する予定だったけど、無理でした。

皆様、大変お待たせしました。忘れたころにSilentBible聞いて復活する作者です。

完結するまで諦めない心、大事。

さて、まず一人目。


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異変の始まり

 病院の一階まで幼女に変身したアルフと共に降りてきたアリサは、事務所にいた看護師からコンビニ袋を貰った。人数が人数なので、アルフと一緒に缶ジュースを運んでも持ちきれない量だ。なので、これは当然の帰結といえる。

 

 病院付属の売店などはとっくに閉店しているし、クリスマスなのだから尚更。今頃、店で働く店員さんも家族、友人、恋人と聖夜を過ごしていることだろう。こんな日まで勤めている病院の人たちには感謝が尽きない。

 

 特に、はやての見舞いに関して今回も融通を聞かせてくれた主治医の石田先生には。彼女は今日も夜勤に勤めていて、仕事に都合が付けば、はやての所にお祝いに来てくれる予定だ。本当に良い先生だとアリサは思う。

 

「えっと、ココアにミルクセーキ。あとは緑茶が三本。アタシとなのはの分は、そうね。熱々のホットコーヒーにしてやるわ。すずかは紅茶でいいかしら?」

 

 自動販売機に千円札を入れて、目的の飲み物を買い。それを取り出し口から取り出して袋に詰める。お釣りが出るたびに小銭を投入という作業を繰り返す。

 

 暖房が利いてるとはいえ、真冬の寒さが直撃している海鳴はまだまだ寒い。少し冷えたアリサの手に、暖かな飲み物の温度が伝わってくる。だから、アリサは自分のホットコーヒーを手に持つことにした。

 

 病室に帰るころにはちょうど良い暖かさになっているし、自分の手も温まって一石二鳥だ。

 

「アリサ~~。これ、重いからアタシが持つね?」

「ありがと。途中で交代しながら持っていきましょ。ホント、アンタって良い子よねぇ~~っ」

「えへへ~~」

 

 アルフの気を利かせた申し出に、アリサは思わず彼女をぎゅうっと抱きしめた。アルフもそれが嬉しいのか頭に生えた獣耳が反応し、尻尾が感情を表すかのように激しく上下している。傍から見れば仲のいい姉妹の抱擁にしか見えないだろう。

 

 元々、大の犬好きで、屋敷に多数の愛犬を飼っているアリサとして、アルフの存在は至高ともいえる。そこに姉を思いやるような健気さが加われば、アルフに抱く愛情が大きくなるのも仕方がない。おかげでアルフばっかりずるい~~とはアリシアの談である。

 

 そんな、二人と一匹の子犬も、天蓋付のベッドで仲良く川の字になって眠るのだから、事情を知る者にとっては微笑ましいことこの上ない。姉妹で、親友で、大事な家族でもあるという奇妙な関係が三人の間で結ばれている。

 

 その絆はとても深い。こうして過度な愛情表現を示すように。

 

「そこのお嬢さんたち、ちょっと良いかな」

「えっ、あっ、はい」

 

 それを邪魔したのは他でもない見知らぬ二人組。社交界で多数の人と顔を合わせるアリサが、はっきり初対面だと言える見覚えのない大人の人。

 

 若草色の髪を短めに纏めた悲しげで、だけど精一杯の微笑みを浮かべたような。悪く言えば胡散臭そうな表情をした男性。もう一人は近寄りがたい威圧感をもった、まなざしの鋭い。まるで鉄のように冷たい雰囲気を持つ、背中まである銀の髪を後ろで結った女性。

 

 こんな独特な印象を持った相手に会えば、まず忘れることはないだろうとアリサは思う。故に彼らとは初対面。思い出そうとしても記憶にないのだから。

 

 アルフもどこか怯えたように、アリサの背中に隠れてしまった。だから、それを庇うようにアリサは少し前に出る。

 

「私たちに何か御用でしょうか?」

 

 いきなり声を掛けられて驚いてしまったが、こういうときは長女である自分がしっかりしなければならない。

 

 そこには、いずれ"バニングス"を背負うという宿命を背負った者の覚悟があった。

 

「いや、こんな時間に子供二人で病院にいて、近くに親が見当たらない。だから……心配になって声を掛けたんだ」

「結構です。友達の見舞いに来ているだけですから」

 

 どうやらアリサ達が迷子になっているんじゃないかと心配して声を掛けたようだ。だが、アリサはそれを毅然と断った。

 

 よく子供に、知らない人にはついて行ってはいけません、と注意するだろうが。アリサの場合は大財閥の娘という立場で、誘拐の危険はかなり大きい。本人もそのことは自覚している。

 

 海鳴は治安も良いし、バニングス、月村、不破による御三家のお膝元だから不審な人物は片っ端からマークする。そうして先手を打って対策をとる。未遂のうちに裏から手を引いて潰す。だから、大丈夫だと思うが……。

 

 何というか、この二人はそんな存在ではない気がする。親切にしてもらって申し訳ないが、この二人と関わってはいけないような、嫌な予感するとでも言うのだろうか。

 

「――なら、いいんだ。気を付けてね」

 

 そこで優しげな青年がアリサの頭に手を伸ばす。大方、頭でも撫でようとしたのだろう。それを寸での所で邪魔したのは、隣にいた相方の女性だった。険しかった表情がさらに歪んで、親切な青年を咎めるように睨んでいる。

 

 アリサはその姿に友人と、その家族に対する既視感(デジャヴ)を見た。似ているのだ。復讐に燃えるなのはの父、不破士郎の姿に。そして、世界に絶望していたかのような表情をしていた。あの頃の不破なのはに。

 

「……よせ、グリーン。ここで余計なことをすれば、全てが台無しになる」

「マルタ、でも――」

「既に賽は投げられた。あとは全うするだけだ」

 

 グリーンと呼ばれた青年に厳しい言葉を投げかける、マルタと呼ばれた女性。彼女は有無を言わさないようにグリーンの腕を引くと、そのままエレベーターを使って上階に向かってしまった。最後に、せっかくの聖夜を邪魔したなと、アリサに言葉を残して。

 

「な、なんなのよ。もう……」

 

 アリサは待合のために設置された椅子に座り込む。正直に言えば怖かった。あのマルタと呼ばれた女性の雰囲気。あれは普通じゃない。

 

 こんなに怯えたのは、なのはの父である士郎と対面した時以来だ。あの時は、厳しい鍛錬を施されて体中痣だらけになる親友を助けようと直談判しに行ったのだったか。我ながら無謀なことをしたものだと思う。結局、恐ろしげな雰囲気に呑まれて何も喋れず、しどろもどろになりながら帰ってきたに終わったが。

 

 その時、士郎は娘にできた初めての"友達"を自分なりに持て成しただけだったのだが、アリサは知る由もない。畳部屋の和室でお茶も、和菓子も出された記憶はあるが、テーブルの対面に正座して、じっとアリサを睨み付ける士郎の姿が本当に怖かった覚えしかない。

 

 実際は見つめていただけだが、幼いアリサにそれを察せというのは無理な話である。

 

 とにかくマルタとグリーンは変な人たちだったと結論。出来れば二度と関わりたくない。

 

「アリサ、だいじょ~ぶ?」

「心配しないで。ちょっとへたっただけよ。少し休めば問題ないわ」

 

 はぁ~~とため息を吐いて、買ったばかりの自分のホットコーヒーに口を付けた。アルフにはホットミルクを分け与えて、二人して暖かい飲み物を口にする。

 

 とんだアクシデントに遭遇したものだ。飲み物を待っている皆には悪いが、落ち着く時間がほしかった。

 

 しかし、あの二人は何者だったのだろう、とアリサは疑問に思う。マルタという人物は既に賽は投げられたと言っていた。何か悪いことでもしようとしているのだろうか。警察に連絡して不審な二人組がいるんですと通報するべきか?

 

 いや、と思い留まる。ここは病院だ。もしかすると知り合いか、家族が入院していて。もう長くないのかもしれないとか。或いは命懸けの手術を今日執り行うので、既に賽は投げられたと覚悟を決めていたのかもしれない。それにしては雰囲気が異様だったが。

 

「考えても仕方がない、か」

「ど~かした?」

「ううん、なんでもない。そろそろ行きましょう。あんまり遅いと心配させちゃうし、飲み物も冷めちゃうわ」

 

 ふぅ、と一息ついてアリサは立ち上がった。あの二人のことでせっかくのクリスマスを台無しにしたくない。悪いことは忘れて、今だけは楽しんで、皆との思い出を作ろうと割り切った。どうせ明日にでもなれば忘れているだろう。

 

 飲み終わったホットコーヒーとホットミルクをゴミ箱に捨てて、それなりに重い袋を抱えながら階段まで歩く二人。エレベーターは、あの二人と鉢合わせになったらどうしようと思い、使わないことにした。はやての病室は屋上に近いので、昇るのはちょっと大変だが、悪い気分に成るよりはマシだ。

 

「冷たっ!」

 

 そうして階段の踊り場まで来て、手すりに手を掛けようとしたアリサは、思わず手を放してしまう。

 

 冬の寒さが病院を蝕んでいるとはいえ、怪我や病気で入院している多数の患者のために、院内では暖房が効いている。仮に節電のために、一部の区画で暖房を切っていたとしても、この冷たさは尋常ではない。

 

 例えるなら氷だ。真冬の冷たさに知らした鉄の棒を握ってしまったかのような感覚。あまりの冷たさに感覚を無くしてしまいそうな勢いだ。身体の芯から体温を奪われそうな錯覚さえしてくる。何かがおかしい……。

 

 事務室のほうで誰かが倒れる音がした。それも勢いよく物に頭をぶつけたような音だ。驚いて振り向けば、いつの間に廊下や部屋中に霜が降りるという異様な光景が繰り広げられていて。アリサは驚いて尻餅を付いてしまう。

 

「何よ……これ」

 

 いや、怯えている場合ではない。頭を振って気を取り戻す。

 

 そして、幼くなってしまったアルフの手を引いて逃げようとして、出来なかった。

 

 床に落ちたジュースの缶が、鉄の塊でも落としたかのような音を響かせ、それっきり動かなくなった。転がりすらしなかった。まるで、氷の床に張り付いてしまったかのように。それと同じようにアルフも倒れ伏して動かなかった。

 

 それどころか気が付けば自分すら階段の踊り場で倒れていて。いつの間に倒れたのかとか、どこかぶつけて痛みを感じるとか、そういったものは一切感じなかった。ただ、目と鼻の先に病院の床があった。

 

 震える手で倒れたアルフに手を伸ばす、互いの手と手が触れ合うが、冷たいのか暖かいのすら分からない。ただ、アルフの手は柔らかさがなくて、とても固かった。年老いた犬が天寿を全うした時に、固くなってしまった身体と。それと同じような感覚がした。

 

 助けを呼ぼうにも声が出ない。寒い、寒い、体が震える間もないくらい凍えている。動くことも、それどころか床を這うことすら叶わない。瞼が勝手に閉じていく。視界が暗くなって、何も映らない。自分の鼓動すら感じなくなってゆく。

 

 ただ、寒かった。手にしたアルフの温もりも、自分の温もりも忘れてしまうくらい冷たくて寒かった。

 

 親に抱きしめてもらった温もりも、友達と触れ合った暖かさも忘れてしまうくらい寒かった。

 

 思い出も、走馬灯のように浮かび上がる記憶も凍ってゆく。

 

 まぶたが重い。身体が重い。動かすことができない。痛みすら感じない。なにも感じない。怖いとも恐ろしいとも、悲しいとも思わない。思うことすらできない。思考が、凍っていく。

 

――アリシア……なのは……すずか……はや、て……

 

 最後に病室でアリサたちの帰りを待っている親友の姿を思い浮かべて、アリサ・バニングスという少女は、文字通り命の灯を凍らせ、覚めることのない眠りについた。



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3→1対104+α

 アリサが一階の待合室にジュースを買いに行った頃。守護騎士全員が異変に気が付いた。

 

 そこで咄嗟に主はやてに言い訳し、病室を飛び出して異変の中心である屋上に向かったのが先のこと。それから何らかの儀式魔法が展開されるのと、なのはから念話で何が起きているのかという問いかけが来たのは同時だった。

 

 立て続けに通信妨害。転移妨害。広域封鎖結界の展開され、瞬く間に相手を封じ込めるための魔法が発動し、なのはとの連絡も途絶えてしまう。最後の会話はアリシアが何かに気が付いて病室を飛び出したという焦った声が聞こえただけだった。

 

 だが、シグナム達にそれらを対処している余裕はない。何故なら目の前には守護騎士にとって最悪の相手が存在していたから。

 

「時空管理局だと……」

 

 シグナムの呟き。レヴァンティン片手に騎士甲冑を纏った彼女の前には、大勢の管理局員が待ち構えていた。まるで最初から屋上で待ち伏せしていたかのように。空から一定の距離をとって病院を囲んでいる。その背後には強制封鎖結界の魔力の壁が展開されていた。

 

 少なく見積もっても百人以上はいるだろうか。恐らく結界の外にはもっと大勢の局員が待ち構えている。対してこちらはシグナム、ヴィータ、シャマルの三人だけだ。ザフィーラも向っているだろうが、それでも四人。まさに多勢に無勢だった。

 

 そしてシグナムの視線の先。病院屋上の中心では初老の男性がデバイスを構えて魔法を展開している。恐らく病院で起きている異変は奴の仕業だろうと、シグナムは当たりを付けた。既に一階から魔法による氷結が始まっており、氷による浸食が徐々に上に向かっているのを、屋上に来る前に確認したから間違いない。

 

 その隣には術者を守るよう猫の使い魔が二人備えており、前衛には白銀の甲冑に全身を包んだ騎士。後衛に若草色の髪をした男性局員が控えていた。

 

 病室では口にしなかったが、恐らくアリサは死んだ。それについて行った使い魔のアルフも。先の念話でアリシアが飛び出していったのはそれが理由だろう。

 

 このままだと残された子供たちの身も危ない。そうなる前に命を賭してでも脱出口を作る必要があった。たとえこの身に変えても。

 

「いったい何時から我らのことがばれていた。」

「分からない。少なくとも私の探知魔法には一度も引っかかってなかったわ」

「どうだっていいよ。そんなこと……」

 

 訝しげながらも、構えをとるシグナムとシャマルに対し、先に前に出たのはヴィータだった。顔を俯かせ、愛機の鉄槌を引きずりながら幽鬼のように前に進む。その頬には涙が伝い、床に滴が零れていく。

 

「なんでだよ……」

 

 彼女は慟哭に満ちていた。

 

「はやては、こんなアタシ等を家族として迎え入れてくれて。いつも作ってくれるご飯は美味しくて。それを見て、いつも嬉しそうに笑ってくれてんだ」

 

 その口から零れていくのは、今まで過ごした楽しかった思い出の数々で。

 

「そんなはやてに友達ができて。どいつもこいつもお人好しばっかの良い奴で。知り合ったばっかのアタシ等を色んなところに連れてってくれて……」

 

「特にアリシアって奴はいつもアタシに突っかかってきて。美味しいご飯を横取りするムカツク奴で、でも一緒にいて悪い気はしなかった。アイツは……アタシに出来た初めての親友だったんだ」

 

「そんなアイツは、いつも姉ちゃんのアリサに引っ付いててさ。お姉ちゃん、お姉ちゃんって嬉しそうに笑うんだ。人間関係なんて良く分かんねぇアタシにも分かるくらい、姉ちゃんのことが大好きだったんだ。本当の家族みたいに笑ってたんだよ……なのに」

 

「まだ、恩返しも全然出来てねぇんだ。海や夏祭りに連れてってくれて、はやてのためにクリスマスを企画してくれて。それから今度は着付けして一緒に初詣でに行くわよって張り切ってた。だから、今度の誕生日は、アイツと一緒にプレゼント用意して驚かせてやろうぜって、考えてたのに。なのに……」

 

 だからこそ、顔を上げたヴィータの表情は。

 

「テメェ等……絶対に許さねえッ!! アタシが全員この手でぶちのめしてやる!!」

 

 激しい怒りと憎しみに染まっていた。

 

「アイゼン!」

『Jawohl!』

「待て、ヴィータ――」

「テートリヒシュラーク!!」

 

 シグナムの制止を聞かず、紅き衣を翻しながら、突撃するヴィータ。たった一歩の踏込だけであっという間に封印術を展開する男の元まで距離を詰め、ありったけの殺意を込めて振り下ろした。

 

「ズィルバー。カートリッジロード」

「うおりゃぁあああっ――!!」

「弾け、白銀の盾よ!」

 

 しかし、それを許さなかったのが銀色の騎士。凛々しい声と共に魔方陣を展開すると、前面に強固なシールドを展開して、ヴィータの渾身の一撃を防いでしまう。

 

 突進の勢いまで威力に乗せた鉄槌を防がれたヴィータは吹き飛ばされ、地面に転がって片足を付いた。そのまま立ち上がると、忌々しそうに白銀の騎士を睨み付ける。

 

「某の名はマルタ・シュヴァリエ。ベルカ戦争から続く由緒正しきシュヴァリエ家のベルカの騎士だった」

「ふざけんなっ! こうやって無差別に関係ない人間を巻き込んで、大規模封印術を行使する奴が騎士を名を語るのかよっ!」

 

 淡々と言葉を紡ぐマルタと名乗った女性に、ヴィータが怒りに満ちた声で叫ぶが、彼女はまったく動じない。

 

「元より民間人を巻き込むのは承知の上。全ては永きに渡る闇の書の因縁を断ち切るため。これはその為の必要な犠牲だ」

「己の正義の為なら管理局は民間人でさえ虐殺するというのか?」

 

 ヴィータを庇って前に出たシグナムの問いに、マルタは静かに頷いた。

 

「いかにも。そして、これから行われるのは、そのために必要な行程。封印の儀式の為の幕開けだ」

 

 そして右手の剣を振り上げると。

 

「闇の書の悪夢は今日で終わる。終わらせる。すべてが凍てつき。永久、動かぬ氷に閉ざされて」

 

「虚空の彼方に沈めっ」

 

 それを振り下ろした。

 

 瞬間、病院を囲んでいた局員たちが四方八方から守護騎士に向けて魔力弾を撃ち放つ。ひとつひとつは大したことのない威力でも、それが無数ともなれば話は別。魔力ダメージが蓄積すれば、動くこともままならなくなり、致命的な一撃を受ける隙となる。

 

「くそっ、卑怯な! アイゼン!」

『Panzerhindernis――!』

 

 ヴィータがシャマルとシグナムを庇うように、全方位防御壁を展開。向かってくる魔力弾すべてを防ぐが、徐々に防御壁に罅が入り始める。さらに髪の長い猫の使い魔が、砲撃魔法で此方を狙っていた。

 

「ッ――このままでは脱出も叶わん。せめて封印術か結界の片方だけでも止める。術の中心を担っているあの男を狙うぞ」

「それじゃあ、シャマルがっ」

「分かったわ。二人とも援護するから振り返らずに進んで」

 

 焦りを含んだシグナムの判断に、ヴィータが異を唱えるも、その事に誰よりも納得したのはシャマルだった。ヴィータが防御を解けば、戦闘が不得意なシャマルは弾幕の雨に晒されることになる。それを理解した上での発言。ヴィータは歯ぎしりしながら頷いた。

 

 誰もが理解していた。ここまで強固な布陣を敷かれた上に、距離をとっての集中砲火。おまけに術者の中心には手練れが四人。一対一では最強を誇るベルカ式の弱点を突くように多対一の戦闘を強いられている。

 

 恐らく全員が無事に主の元に帰れない。

 

「合図で突っ込む。遅れんなよシグナム」

「無論だ。私を誰だと思っている?」

「……後はお願い。はやてちゃんを、皆をよろしくね」

「今だっ!!」

 

 ヴィータの叫びとともに、展開されていた防御壁が粉々に砕け散った。それと共に放たれる猫の使い魔の砲撃魔法。全員が散開して避けるも、機先を削がれた形となる。そこに降り注ぐ魔力弾の集中砲火。

 

「うぉおおおおおっ!」

「これ以上好きにはさせねぇぇぇ!!」

 

 シグナムとヴィータはそれに意を返さず突撃した。パンツァーガイストで全身に魔力の鎧を身に纏い、パンツァーシルトによる魔力の盾で攻撃を防ぐ。ミットチルダ式の脆弱な攻撃など無駄だと言わんばかりに。事実、二人は掠り傷すら追ってない。だが、これは後先考えずに魔力の消費を度外視した形であり、短期決戦に持ち込まなければ勝機はない。

 

「風よ、二人を導いて!」

 

 それを支えるのは湖の騎士シャマルとクラールヴィントによる援護。広域にジャミングを展開し、周囲を取り囲む局員たちのデバイスに干渉して、演算処理を狂わせた。少しでもシグナムとヴィータの所に攻撃が行かないようにするために。さらには二人の周囲の風を操って、直撃する攻撃まで逸らして見せた。

 

 だが、代償は大きい。無数に降り注ぐ攻撃を何とか凌ぎつつ、支援を継続しなければならない。次第にシャマルの騎士服を魔力弾が貫き、徐々にボロボロになっていく。

 

 シャマルの右腕に直撃した魔力弾が骨を砕いた。頬にかすった弾のせいで肉が裂け血が噴き出す。更に迫る魔力の弾幕。それを何とか避ける。避け続けて、少しでも長く支援を継続する。時には風を操って向かってくる魔力弾を防ぎ、逸らす。

 

 痛みに顔はしかめても、声は一言も漏らさない。叫びこみそうになる自分をシャマルは抑え込む。自分の悲鳴を聞いて突撃していく二人の気を逸らさないように。

 

 その姿は宛ら踊っているかのように見えただろう。周囲に赤い血を撒き散らしながら、死の舞踏を踏む踊り子そのもの。

 

(あぁ……はやてちゃん、ごめんなさい。シャマルは……もう、料理のお手伝い…できそう、に……)

 

 それも長くは続かず、己の躯体に力すら込められなくなったシャマルは膝をつく。そこを狙ったかのように無数の魔力弾が降り注ぎ、鈍い音を響かせながらシャマルは、自ら流した血だまりに倒れ伏す。それっきり動かなくなる。

 

 己の身を挺した時間稼ぎ。それは功をなし、シグナムとヴィータは術者の近くまで接近することに成功する。この距離なら周囲を囲む局員は誤射を恐れて援護できない。後は元凶を殺せばすべてが終わる。しかし、それを阻むのは四人の手練れ。

 

 あらゆる攻撃を防ぐことに長けた『銀鉄の騎士』の異名を持つマルタ・シュヴァリエ。接近戦と遠距離戦という対極の得意分野を最高のコンビネーションで補う双子の使い魔リーゼロッテとリーゼアリア。そして術者と護衛をサポートする召喚士のグリーン・ピース。

 

 全部で四人存在する守護騎士用に集められた対守護騎士用のチーム編成だというのは一目で分かった。

 

 対してこちらは既に二人。まともに戦って勝ち目はない。だから、先陣を貫くヴィータは奇策を使用する。

 

「アイゼンゲホイル!」

 

 音と強烈な閃光を発する瞬間的なスタン効果を及した空間攻撃。至近での目くらましで相手が怯んでいる隙に、術を行使している男を倒す。

 

 筈だった……

 

「無駄だよ。守護騎士」

「かはっ――」

 

 そんな姑息な術など効かない言わんばかりに、腹に蹴りを入れたリーゼロッテの姿がヴィータの目の前にある。

 

 何てことはない教官すら務めたこともある双子の使い魔は、守護騎士の魔法を研究して対策済みだということだ。無論、この場にいる他の局員と騎士たちも。

 

「チェーンバインド!」

「ブレイズキャノン!!」

 

 ヴィータの行き足が止まる。そこを狙ってグリーンの召喚した鎖が鉄槌の騎士の四肢を拘束。リーゼロッテの砲撃魔法が、すかさずそこを狙ってくる。

 

「ヴィータっ!」

「アタシにかまうなっ! いけぇ!!」

 

 拘束されたまま砲撃の直撃を受けるヴィータを追い抜き、迫ってきたリーゼロッテの鋭い体術をいなして、シグナムは術者の元まで差し迫ると、レヴァンティンを振りぬいた。

 

「穿空牙!」

 

 攻撃速度を重視した魔力の斬撃を飛ばす。隙だらけの術者を殺傷するには十分な威力を秘めた一撃。

 

「――アイギス」

 

 その眼前に立ち塞がるのは銀鉄の騎士マルタ。彼女は全身を甲冑で身に纏い、顔すら兜で覆い隠しながらも、鋭い殺気をシグナムに向けてくる。そして、掲げた銀色の盾から発せられた障壁で攻撃を防いでしまった。

 

「紫電、一閃っ!」

 

 ならば、お前から斬り捨てるのみと。鞘に刃を収めた状態でカートリッジをロード。最速の斬撃を誇る抜刀で防ぐ隙も与えないまま、相手を地に沈めようと、炎を纏ったレヴァンティンを振るう。

 

「っ……」

 

 マルタは危なげながらもそれを盾で往なした。凄まじい威力だったのか盾に罅が入り、熱を魔力で遮断しきれず、表面が融解する。だが、態勢を崩しながらも、片手剣に魔力を込めて斬撃を振るう。

 

「邪魔をするな!」

「くっ……」

 

 シグナムはそれを防がない。振るわれる瞬間にマルタに蹴りを入れて相手を吹き飛す。あまりに強烈な蹴りに呻き声を漏らすマルタ。しかし、完全に体制を崩した彼女を支えたのは、グリーンの召喚した鎖だった。それで倒れそうになった体を持ち直す。

 

「シュワルベフリーゲン!」

「かはっ!?」

「マルタ!」

 

 それを阻止し、止めを刺したのはシグナムの背後から顔ほどもある鉄球を放ったヴィータ。拘束を無理やり引き千切り、渾身の一撃を放ったのだ。それと同時に止めの一撃が周囲から無数に殺到し、鈍い音を辺りに響かせる。しかしシグナムは止まらない。この瞬間に援護が来ることを彼女は直感で気が付いていた。長年共に戦ってきた信頼がそこにはある。ヴィータの犠牲を無駄にはしない。

 

 マルタの顔面に鉄球が直撃し、顔を覆っていた兜が粉々に粉砕され、体を支えていた魔法の鎖すら砕いて後方に吹き飛ばす。それでも気絶せずに何とか立ち上がろうとすほど、彼女は執念じみていた。そこに憎しみと揺るぎない決意がある。すぐに剣を片手にシグナムの元まで迫ってくる。

 

 だが、そんな奴など眼中になかった。シグナムの狙いはただ一人。この病院を地獄に叩き落とした張本人である術者のみ。

 

 背後からシグナムを飛び越えるように迫るリーゼロッテ。術者を守ろうと彼のそばに駆け寄るリーゼアリア。立ち塞がるならば全員纏めて斬り捨てるのみ。そして、この距離はシグナムの距離だ。

 

「レヴァンティン!」

『Explosion』

 

 カートリッジを再びロード。レヴァンティンが再び炎を纏い、屋上の床が踏み砕けるほどの踏込を行う。それと共にレヴァンティンを大上段から振り下ろすだけで全てが終わる。封印術を行使する術者は発動中の術によって防御ができない状態。たとえ二、三歩離れていようと援護がなければ斬撃の余波だけで殺せる。

 

「紫電――、一閃っ!」

「ホイールプロテクション」

 

 屋上の一部が崩壊するほどの斬撃を放ち。前が見えなくなるほどの煙が巻き起こるが、シグナムは構わず前に飛び込む。その顔に浮かぶのは焦り。渾身の一撃が咄嗟に防がれたのを確認し、次こそ確実に止めを刺すための強襲を試みる。

 

「ダブルブラストッ!」

 

 瞬間、シグナムは背後へと吹き飛ばされていた。一瞬だけ見えた青白い砲撃魔法の光を、咄嗟に鞘を振って発生させたシールドで防ぎ、直撃だけは免れた。だが、甲冑の一部が崩壊するほどのダメージを受けてしまう。相手を見やれば双子の猫の使い魔が、術者を守るように立ち塞がり、揃ってに両手を向けていた。

 

 リーゼロッテとリーゼアリアはコンビネーションを得意とする使い魔。互いの位置を確認して転移し合うのは造作もない。そうやって入れ替わり立ち代わりながら、優位な状況を作って攻撃する。シグナムの斬撃をアリアが防ぎ、転移してきたロッテが反撃を行う。攻防一体の見事なコンビネーション。代償にアリアは火傷を負わされ、腕の辺りの防護服を吹っ飛ばされたが戦闘に支障はない。

 

 あとは数の暴力でもってシグナムを射撃で封殺すればいい。かつて数に勝るミッドチルダ式がベルカ式を圧倒したように。そして、二度目の接近のチャンスは与えないし、そうなる前に確実に殺せるだろう。先の一撃は間違いなく致命傷であり、シグナムは全力戦闘を行えないほど支障を来している。

 

 だが、シグナムとて唯で終わる訳ではない。

 

 床に背中を打ち付けられ、転げまわりながら、屋上の隅まで吹き飛ばされたシグナム。だが、その闘志は微塵も尽きることはなく。次の手を既に整えていた。手にしているのは剣ではなく弓。ボーゲンフォーム。放たれる矢は結界やバリアを完全破壊できるほどの威力を秘めたシグナムの最強の一撃。シュツルムファルケン。

 

 自身の躯体を消滅させる勢いで魔力を練り上げ、瞬時に矢を生成する。ありったけの魔力を込めたそれは、シグナム生涯の中でも最高の威力を誇るだろう。それを構えて狙いを付けるまで数秒も掛かっていない。立ち上がり、敵を見据える烈火の将の瞳は鋭かった。

 

 それに咄嗟に反応できたのは、歴戦の経験と長年の勘。そして野生動物すら上回る俊敏性を備えたリーゼ姉妹のみ。

 

 あの攻撃は防げない。ならばと先制攻撃を行い、相手の出鼻を挫いて、狙いを逸らさせる。

 

「スティンガースナイプ!」

「翔けよ、隼!」

「ミラージュッ、アサルトォォォォ」

 

 矢を放つ瞬間、アリアの放った青白い閃光が膝を砕く、シグナムの体勢が僅かに崩れる。だが、その誤差は致命的。術者もろとも結界を破壊しようとしたシグナムの試みは、矢が術者の脇に逸れるという結果となって終わった。

 

 火の鳥となって駆けた隼は、無残にも結界の壁に衝突して大爆発を起こす。凄まじい熱量と衝撃波が周囲にいた局員を巻き込み、その命を奪っていった。

 

 遅れてやってくるロッテの必殺の一撃がシグナムを屋上から蹴り落とし、甲冑が完全に砕けて無防備となった状態に、追い打ちの弾幕が襲い掛かる。そして、勢いよく地面に叩き落とされた騎士は、凄まじい衝撃と遅れてやってきた弾幕の嵐によって止めを刺された。

 

 後に残ったのは人に見せられない無残な姿。それでもシグナムの表情は最後に笑っていた。

 

 何故なら、たとえ攻撃が外れても、最後の希望を繋ぐ二段構えを取り、その成功を確信していたから。

 

「てぉああああ――!!」

 

 突如鳴り響く爆音と甲高い崩壊音。結界の一部を砕き、修復される寸前に突撃してきたのは守護獣ザフィーラ。魂を震わせるような雄たけびをあげ、凄まじい勢いで上空から封印術の中心に迫る。

 

 その身体は既にボロボロだった。主と友人たちを喜ばせようと一生懸命準備して、着なれぬサンタの格好から小さなプレゼントまで用意。そのまま病院まで向かっていた彼を襲ったのは、外で待ち構えていた局員と聖王教会に所属する騎士たち。そして己を閉じ込める内と外の二重結界。

 

 シグナム達は知らなかったが、結界は二段構えであり、病院周辺を覆う封鎖結界を突破しても、別の結界が覆っていた状態だったのだ。全ては事を隠密かつ確実に済ませるための時空管理局の作戦の内。離れて行動していたザフィーラすら監視され、病院付近に近づいた瞬間、二つ目の結界が彼を閉じ込めた。闇の書の関係者を一人足りとて逃がさぬようにする為に。

 

 その後に待っていたのは一騎当千とは名ばかりの、多勢に無勢による一方的な戦闘。戦闘態勢をとったザフィーラを魔法による射撃と砲撃が襲い、空を飛ぼうとすれば撃ち落とされ、接近戦を挑めば多数の騎士たちの剣が、槍が、鎚が、矢が、拳が彼を襲った。

 

 襲ってくる相手をすれ違いざまに殴り倒したのも一人や二人ではないが、それを上回る数攻撃のよってザフィーラの肉体は消滅寸前である。それでも耐えたのは盾の守護獣というヴォルケンリッター随一の防御力を誇る彼だからこそ。そして内側に展開された結界の一部が崩れた瞬間、目にも止まらぬ速さでザフィーラはそこに飛び込んだ。主はやてを、その友人たちを、仲間を放っておくことなど出来なかった。

 

 シグナムが最後の最後で繋いだ突破口。命を賭した捨て身の一撃を阻む者はいない。シュツルムファルケンの一撃で周囲の武装局員は墜ち、アリアとロッテも無理をした反動ですぐには動けない。それでも術者を護ろうとしているが、ザフィーラの方が圧倒的に早い。かろうじて攻撃を防げる位置にいるのはマルタだけだが、既にボロボロである。そして周囲を囲む武装局員たちの並み居る攻撃はザフィーラの前では無意味。彼の突進を阻むには至らなかった。

 

 だからこそマルタの決断は早く、自分の身を犠牲にすることに何の躊躇いもない。ザフィーラの進路上に己の身を割り込ませ、その身を以て盾とする。銀鉄は彼女の鉄壁を称えた二つ名。最後は騎士甲冑による防御を持って守護対象を護り通す。何人たりとも触れさせはしない。だが。

 

「させ、ん……!」

「邪魔だっ!! 牙獣走破ーーー!!」

 

 ザフィーラはそれをあっけなく打ち砕いた。魔力による推進力に、重力加速を加えた蹴りの一撃。銀色に輝く甲冑は、金属がひしゃげ砕け散るような凄まじい音を立てて粉砕される。それどころか肉が裂け、骨が砕け散るような音まで響かせていた。強靭な筋肉に隠された心臓すら潰し、衝撃が背中まで突き抜けるほどの一撃。それを食らいサッカーボールのように滑稽に地面を跳ね転がるマルタ。勿論、即死だった。痛みすら感じなかった。死んだことにすら気が付いていないだろう。

 

 ザフィーラは、勢いのまま二撃目を封印術を行使する術者に向けて放とうとする。だが、彼にできたのはそこまでだった。

 

 封印術を行使する男を中心に魔法陣が展開され、そこから飛び出した翡翠の鎖がザフィーラを拘束したからだ。万が一、防御陣を突破された時のためにグリーンが用意した布石。対象が指定した場所を踏むことで発動する強力な拘束魔法。一説ではアルザスの竜すら拘束して見せたとある。元自然保護隊に所属していた彼が、一日に一回しか発動できない文字通りの切り札。

 

「ぐっ、うおおおおぉぉぉ!!」

 

 ザフィーラはこれを引き千切ろうとしたが、魔法の鎖はあまりにも頑丈だった。発動させるために予め準備が必要になるが、そのぶん構造は複雑で、術式を簡単に破壊されないようプログラムが組んである。おまけに拘束対象に重力を付与するので、今のザフィーラは身体が鉄塊のように重く感じることだろう。これで簡単には動けない。

 

 そこに殺到した数名の聖王教会の騎士が、それぞれの得物をザフィーラに突き刺す。傷口から血があふれ、咆哮を発する喉から血反吐を吐き出す。それでもザフィーラは抗うことを辞めなかった。力を失い膝をついても、気力を振り絞って立ち上がろうとする。顔をあげ、親の仇でも見るかのように相手を威圧するのをやめない。

 

 そして、彼にできたのはそこまでだった。

 

 目の前に憎しみとも悲しみとも付かぬ酷い顔をした若草色の髪を持った男。グリーン・ピース。蒼き獣を見下ろす彼の手には、婚約者でもあった騎士が愛用する銀の剣が握られていて。

 

(主はやて、力及ばず――)

 

 それが拘束されたザフィーラの脳天目掛けて叩き下ろされる瞬間が、彼が最後に見た光景だった。

 




守護騎士退場。そしてマルタさんが予定外の戦死を遂げる。君の死ぬ場面はここではなくて、なのはに首を食い千切られて恋人に看取られる予定だったのに。ザフィーラが劇場版仕様だから。

やっぱりAsはグレアムさんとリーゼ姉妹がいないと。仮面の男が二人出てきたときの絶望感よ……

次は……あの子だ。


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許さないッ!!

 神様。

 

 あの日、父親と少しばかり触れあえて、はっきりと何かが変わった気がしたのは私の思い込みだったのでしょうか。

 

 それとも何か? これが人を殺した経験のある私に対しての罰だとでも?

 

 だというのなら、わたしは神様を恨まずにはいられません。

 

 如何してこんな事になっているのか。私にはそれすらも分からないのですが。はっきりと分かる事は胸の奥が締め付けられて痛いことです。気を抜けば泣き叫んでしまいそうになるほどの悲しみ。私の理性はとっくに限界を迎えているでしょう。

 

 それでも。

 ねぇ、神様。

 私は心の何処かでこれが夢であれば良いとそう願っていたんです。

 

◇ ◇ ◇

 

 シグナムが咄嗟の一撃を放ち、そこからザフィーラが突入して拘束され、殺される瞬間までの一部始終をヴィータは見ていた。既に躯体はボロボロで意識が朦朧としていて、立ち上がることすらままならない。放っておけばはやてを護ることもできずに、闇の書の中へと還っていくだろう。まだ、闇の書の主として覚醒を迎えていないはやてでは、四人の守護騎士を復活させることすら難しい。還元されるということはヴィータの消滅を意味している。

 

 虚ろな目で氷の封印術を行使する男や仲間たちを見ていると。ザフィーラが殺した女騎士に駆け寄ったグリーンが、無残な遺体となった亡骸に上着を被せて静かな慟哭をあげていた。それを見守る猫の使い魔も、周囲の局員たちも悲痛な面持ちだ。

 

 思わず舌打ちしたくなる。泣きたいのはこっちだ。せっかくの楽しいクリスマスを邪魔されて、共に幸せになった仲間を殺されて。その上で大好きな主であるはやてすら護れずにいる。巻き込んでしまった主の友人であり、ヴィータにとっても親友だったアリサのことは悔やんでも悔やみきれない。

 

 なのはやアリシアは無事だろうか。あの二人は優れた魔導師の資質を持つが経験不足が目立つ。おまけにアリシアはリンカーコアの疾患を抱えていて、上手く魔法を使えないとシャマルが言っていた。こんな状況に陥って無事に対処できているのか不安が募る。

 

 特に月村すずかがもっとも危険だった。なのはやアリシアが結界魔法を使って保護していればしばらく持つだろうが、魔法の資質も才能もない彼女は、すぐに意識を失ってもおかしくはない。そして、そのまま凍り付いたら二度と覚めぬ眠りにつくだろう。管理局が行使しているのはそういう魔法だ。

 

 闇の書の主であるはやてはしばらく無事のはずだった。彼女には闇の書の加護があり、万が一の際は書の管制人格が結界を張って主の身を護る。だが、それも気休めにすぎないだろう。時空管理局の狙いは闇の書の封印だと言っていた。未だ効力を発揮し続ける氷結封印術が完成したとき、はやての命も最後になるかもしれない。

 

 ヴィータは己の無力さが悔しくて、悔しくて歯ぎしりをするしかなかった。そうしている間にも局員たちは動き回って、何らかの確認をしている様子。その中でヴィータは猫の使い魔の片割れ。リーゼアリアが闇の書を持っていることに気づいて愕然とする。

 

「なん、で……てめぇが……」

 

「闇の書の最後のページは守護騎士自身が魔力を差し出すことで完成する。これまで幾度となく転生を繰り返す中で、何度かそういった事があった筈よ。もっとも、アンタ達には関係ないことだけど」

 

 ヴィータの問い掛けを知ってか知らずか、アリアはそう言って片手で闇の書を掲げた。分厚い魔道書はそのページを開くと、四つの光の帯を守護騎士に向けて伸ばす。

 

「闇の書よ。奪え」

 

 すると、消滅せずに残っていたザフィーラの躯体から光の粒子が飛び出していく。それらは不気味な光を放つ帯を通して闇の書に吸収されているようだ。ここからでは見えないが、シグナムとシャマルも同様の効果を受けているのだろう。

 

「うわあああああぁぁぁぁ――」

 

 もちろんヴィータでさえも。まだ、自分にそんな気力が残っていたのかと驚くくらい、喉から声が絞り出されていた。痛みは感じないのに自分の体が消滅して無くなっていく感覚。そして徐々に闇に飲み込まれようとしている意識。その恐怖なのか、それとも感じないだけで凄まじい苦痛を受けているのか。それは分からないが叫び声は止まらない。

 

 そして四人の守護騎士の消滅とともに、闇の書と氷の封印術。そして虚空の彼方に通ずる入口が、ついに完成を迎えようとしていた。

 

 それと同時に病院の一階で、新たな惨劇の幕が開かれる。

 

◇ ◇ ◇

 

――あああああぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!!

 

 それを例えるなら獣の叫び。あまりにも残酷すぎた真実は、強烈すぎる刺激となって少女の脳を奥底まで焼いた。心が悲鳴をあげるのを止めることすら出来ず、胸の内から湧き上がる激情すら抑えることが出来ない。それは涙に変換されてとめどなく少女の紅い瞳から零れ落ちた。

 

 今までで一度も経験したことのない悲しみ。ううん、きっと心の何処かで忘れていただけで。少女にとっては何度か経験したことがあるかもしれない。でも、幾ら何でもこれは酷過ぎるだろう。あまりにも惨すぎるだろうと思わずにはいられない。

 

 真実を受け入れることを拒否した脳が必死に身体を動かして、倒れ伏している姉と尊敬し、呼び慕う少女の身体を抱き上げた。それは余りにも冷たかった。そしてあまりにも重すぎて、硬すぎた。そこにはもう少女の愛した姉の温もりも、人肌の柔らかさも残されていなかった。

 

 傍らには幼い橙色の子狼が寄り添うように倒れ伏していて。それは少女と家族のように過ごし、いつまでも傍にという願いを果たせなかった証で。心の中の暖かな繋がりが途切れたことを意味していた。

 

 ただ、冷たすぎる亡骸があるだけだった。

 

「はは、あははっ……」

 

 次いで湧き上がるのは乾いた笑い声だ。いっそのこと狂ってしまえたらどれだけ楽だったんだろう。

 

 けれども、抱き上げた冷たい身体が、一欠けらの温もりも残していない身体が。少女を狂わすことを止めたのは何と言う皮肉だろう。

 

 アリシア・テスタロッサ・バニングスは、ぎゅっと姉の、アリサ・バニングスの身体を抱き締めた。

 

 しかし、狂おしい程に愛おしい姉をどれだけ抱き締めても、その肉体が動き出すことは二度とない。

 

 もう二度と、あの力強い声で『アリシア』って呼びかけてくれることはない。

 

 それを理解してしまうと不思議と絶望感は湧いてこなかった。

 

 あるのは怒りだ。胸の底から浮かび上がるマグマの様な灼熱の怒り。憤怒の炎。自分すらも焼き焦がしてしまいそうな程の業火。

 

「バルディッシュっ……セットアップ……」

「bad sir……」

「セットアップ!!」

「yes sir……」

 

 金色に輝く三角形のデバイス。待機状態となってペンダントとして首にぶら下げられている己の戦斧に命令を下す。

 

 その際に変身しては病が悪化する。貴女は魔法を行使してはならないとバルディッシュが警告を下すが、アリシアにとって知った事ではなかった。姉を死に追い詰めるほどの白銀世界を作り出した元凶がいる。魔導師として培われたアリシアの冷静な部分がそう告げている。

 

 そんな元凶を倒せる力が自らに備わっているというのに。それを行使しないのはおかしいだろう。アリサは常々口にしていたではないか。私にも魔法の力が在ればアンタ達を助けられるのにと。彼女に行使できないことを妹の自分が代わりに行って何が悪い。

 

 力強い意志を込めてセットアップと叫べば、主を止められないと悟った主思いの戦斧は意に応えた。金色の魔力光が私服姿のアリシアを包み込み、彼女を幼い少女から黒衣を纏いし死神へと変えていく。

 

 そう、死神だ。友達が入院している病院を地獄絵図に変えた元凶を刈り取る死神。その戦斧から繰り出される一撃でもって立ち塞がる障害全ての命を刈り取ろう。

 

 もはやアリシアの中に容赦なんて言う言葉は消えていた。大事な人を喪ったのだ。これは、もう許す許さないの次元を超えている。あるのは深い悲しみと煮えたぎるような底知れぬ憎悪だけだ。そこに相手を思いやる慈悲なんて存在しない。

 

 それにアリシアの魔導師としての勘が、早く術者を止めなければならないと囁いている。ジュエルシードの騒動で経験を積んだ魔導師としての勘だ。この事態を早急に収めないと防護の結界で守られているはやて達の身に危険が及ぶ。

 

 病院の一階は完全なる白銀世界だ。床も、壁も、天井からそれを支える柱まで凍り付いて。霜が降りている。防護服を展開して体温調節機能が動いているのにもかかわらず、寒いと感じてしまうくらいの極寒だ。

 

 なのはが頑張ってくれているだろうが、それも長くは持たないだろう。だから、自分が早急に手を下す。楽しいクリスマスを、大事な家族を奪った奴らを殺す。絶対に逃がしはしないし、誰にも邪魔はさせない。必ず見つけ出して殺してやる。

 

 殺してやる。殺してやる。殺してやるッ!

 

「sir……」

「バルディッシュ、手伝って」

 

 そんなアリシアの傍で彼女を支えてきた相棒ともいえる戦斧は、もう一度警告の声を発する。いつもは無機質に感じる彼の悲しそうな声。どんなに絶望的な状況に陥っても、それでも主の身を案じるリニスからの贈り物。

 

 そんな彼に対して自分でも驚くくらいの無機質な声が漏れていた。もはや、アリシアにいつもの明るく無邪気に他人を気遣う余裕なんてなかった。

 

「bad――」

「手伝えって言ってるんだよっ!!」

 

 今度は信じられないくらいの怒声が喉から絞り出され。アリシアを気遣ってくれていたバルディッシュの躯体を握りしめ、柄が圧し折れるんじゃないかと思うくらいに力を込めていた。

 

 あの大人しいアリシアが切れていた。目は据わっていて、精巧で可愛らしく整った顔つきが歪んでしまうくらい怒り狂っている。

 

 違う。怒り狂う? 当たり前だ。当たり前すぎて反吐が出るくらいだ。尚も反対するバルディッシュの態度にすら苛立ちすら覚える。それくらいアリシアは怒り狂っている。憤慨している。憎んでいる。違う。もう、自分ではどうしようもないくらい憎んでいる。誰が相手でも止まらない。なのはでも、アリサでも止められない。

 

「見ろよ! 何とも思わないのっ!? アリサが死んじゃったんだよ!? 殺された!殺された!殺された! 何にも悪いことなんてしてないのにっ! あんなに、ボク達に優しくしてくれたのに――」

 

 目の隅に涙を浮かべて激情のまま訴えかけてくるアリシアの姿に、バルディッシュは何も言えなかった。ずっと主の傍にあって、無言ながらも今までの生活を見守っていたのだから。

 

 今でも思い出せる明るく快活なアリサの姿。バニングスはこれ以上ないくらい自分たちの面倒を見てくれた。アリサなんて本当の実の妹の様にアリシアを可愛がってくれた。

 

 バニングス家に迎え入れられてからの日々は本当に天国の様だった。母を助けようと駆け回っていた時は食料が確保できなかった。飢えに飢えた。最終的に保存されていた実の姉妹の肉体に喰らいつかねばならない有り様だった。

 

 それが激変した。あれほど困っていた食う物には困らず、毎日が飢えと無縁な生活。言うことを聞いて居れば何もかも満たされる日々が続いていたのだ。

 

 楽しかった。勉強は退屈で詰まらなく、おまけに新しく習う日本語とか言うのは難しくて、翻訳魔法に頼りきりだった自分に悲鳴を上げさせるのは充分で。それでも日々通い続ける学校は楽しかったのだ。学校に通えないはやての、学校に通いたいという気持ちが分かるくらい楽しかったのだ。

 

 知らないことがあればアリサを初めとした子供たちが教えてくれた。クラスの少年少女は皆親切で、アリサの様にアリシアも人気者になった。ミッドチルダ語と何処か雰囲気の似ていた英語は得意科目で、クラス中の皆や先生から発音を褒められた。英語の朗読は楽しかった。

 

 おまけに学校は毎日なのはやすずかと会えるのだ。しかも一緒のクラスでいろんな時間を過ごせる。こんなに素晴らしい事はない。

 

 体育の時間で行う駆けっこやドッチボールで身体を動かすのも気持ち良かったし、毎日変わるお弁当の中身も楽しみになった。暇さえあればずっとアリサ達と一緒に居られた。学校生活は充実していた。

 

 数学と体育と、あと英語科目は得意だった。けど、アリシアは社会や国語の授業がてんで駄目で、テストで赤点を取った時は怒られた。だけど、次の模試ではアリサが特訓に付き合ってくれて、頑張れば八十点以上をキープできた。

 

 そしたら家にいるアリサのお母さんが強く優しく抱擁してくれて、良く頑張ったねって褒めてくれた。アリサによく似た美人な人で、怒りん坊なアリサと違ってとても優しい人で。でも、怒るとアリサよりも怖いそんな人だった。悪戯したり教養を学ぶとか言って受けさせられた個人レッスンを抜け出せば大目玉だ。それでも懲りずに繰り返すものだから。今思えば何度も迷惑かけたと悪い気持ちになるかもしれない。

 

 それでも、アリサママは分け隔てなくアリシアを愛してくれた女性だった。アリシアが『養子』という言葉が何なのか分からなくても、彼女と血が繋がっていない事だけは察していた。だから一度、アリサママに『血がつながってないのに、どうして愛してくれるの』って馬鹿正直に聞いたら『貴女が私の娘だからよ』って本気で宣言してくれる。そんな人だった。

 

 アリサのパパであるデビットは偶にしか帰って来れない忙しい人だったけど、海外から帰って来たときは沢山のお土産をくれる人だった。しかも、アリサとアリシアを本当の姉妹のように扱い、同じ規模のプレゼントをくれる人だった。本当に自分と分け隔てなく接してくれてるんだと、幼いながらもアリシアが理解できるくらいの扱いを毎日受け続けた。

 

 アルフだって満たされていた。アリシアに魔力的な負担を掛けない為にずっと眠っていて、アリシアも碌に世話をしてあげられなかったけど。バニングス家に来てからは嘘みたいに世話を焼いて貰った。

 

 専属の世話係の人が来て、立派な毛並みだねと彼女を褒めながら体毛を整えてくれた。日に出されるドックフードはおやつ感覚で食べれる優れもので、しかも旨いと来たものだ。一度、市販の安物と食べ比べて見て味の違いにビックリしたとアルフは幼いながらも、良く語ってくれたのを今でも思い出せる。

 

 アルフが人の言う事をちゃんと聞ける狼だと知れ渡ると扱いは一気によくなった。ちゃんと言う事を聞いて居れば、望んだ以上の待遇が待っている。毎日アリサとアリシアに散歩に連れて行かれたら、お嬢様を頼んだよって。色んな人が声を掛けた。二人が忙しい時は飼育の人やメイドが庭を駆けまわらせてくれた。おまけに奥様に気に入られて、お茶会の傍らに置いてくれたことも合ったくらいだ。

 

 バニングス家は本当に良い場所だった。それもこれも全部、世話焼きのアリサが手を回してくれたおかげだ。本気でアリシアとアルフの事を心配して。本気でアリシアを最高の親友の一人だって自慢してくれて。本気で一人の家族として、妹としてアリシアを愛してくれた。アリシアにとっての自慢の姉。

 

 

 でも、もう……

 

 笑わない。

 

 頭を優しく撫でてくれない。

 

 夜怖いからって一緒に寝てくれない。

 

 悪戯しても怒ってくれない。

 

 起きたらいつもの快活な笑顔でおはようって言ってくれない。

 

 

 あんなにも、あんなにも元気いっぱいで、病気とは一切無縁の勝ち気な姉が、冷たくなってしまった。プレシア母さんと同じで死んでしまった。

 

 アリシアは頭がどうにかなりそうだった。今でも信じたくないくらいだ。怒りと悲しみで心が張り裂けそうだ。

 

 だって、今日はクリスマスで、楽しい行事なのよって前から嬉しそうに教えてくれて。良い子はサンタさんからプレゼントがもらえるのよって、好奇心旺盛でワクワクしている自分に教えてくれて。何時もの様にお嬢様行ってらっしゃいませなんてお見送りされて。

 

 何時もの様に出かけただけだったのに。それなのに。

 

「……なのに、死んじゃった。あんなに元気いっぱいだったアリサお姉ちゃんが、死んで。あ、ああ! 死んで、もう動かない。朝だぞ、起きなさいよ、ねぼすけとか、アンタね~~てっ怒ってもくれない。こんなのってない!」

 

「アルフは幼い頃からずっと一緒にいてくれた大事な家族でっ……ずっと一緒にいようねって約束したのに、なのに……どうして………」

 

 アリシアは瞳に涙をいっぱい溜めて涙を流した。錯乱しそうになって、髪を掻きむしれば、皆から褒められる金糸の髪がいくつかブチブチと引き抜けてしまった。バルディッシュが慌てて制止の声を上げても、彼女は聞く耳すら待たない。精神的に追い詰められている主を抑えられないことを、自らの主の自傷を止められる体がないことを、バルデイッシュはこれ程悔やんだことはない。

 

 彼には何もできないと言っていいに等しい。ただ、魔法の力を貸すことしかできない。アリシアのご友人たちのように彼女の心を癒すことができない。それがどうしようもなく歯がゆい。自分自身が恨めしい。

 

 きっと主は、アリシアは泣き叫んで狂ってしまいたいに違いない。家族や姉妹だと呼び親しんでいた人を二人も失って、彼女の心は深く傷ついている。それくらいアリサの事が大好きだった証拠。

 

 せめて自分にできることは、バルディッシュにできることは。最後まで主に力を貸すことだけだ。

 

「魔法っ……これは魔法によるものだ。分かるかい、バルディッシュ。アリサお姉ちゃんや皆を、こんなクソみたいな世界に叩き落とした元凶がいる」

「…………sir」

「ソイツを今すぐぶっ潰さないとボクがどうにかなりそうなんだ。所構わず、全部ぶっ壊したくなる」

「手伝ってくれるよね、バルディッシュ。一緒に仇を討ってくれるよね?」

「――Yes」

 

 静かな声で淡々と呟くアリシアの言葉に戦斧は反論することが出来ない。

 

 アリシアがそっとバルディッシュを持ち上げ、そのコアを見つめていた。その身体は震えていて、怒りか悲しみによるものかは判別できなかった。

 

 ただ、一つだけ分かったことがある。先の言葉は訂正しよう。彼女は既に狂っている。紅い瞳はバルディッシュを見ているのに捉えておらず、どこか夢見心地の様に魅了されているかのよう。意志の力はなく、既に虚ろだった。

 

 違う。壊れないように耐えていたんじゃない。既に壊れていたんだ。たったひとつ。たったひとつ大事なモノを喪ってしまっただけで、アリシアの心は壊れてしまった。もしかすると心の底ではアリサの死を受け入れていないのかもしれなかった。それが一辺に二人もだ。

 

 プレシアの時とは違う。今は支えるべき人が傍に居ない。たとえ、不破なのはという少女やライバルのヴィータが居たとしても、彼女の心が壊れるのを止められなかった。ううん、一緒に壊れてしまったかもしれない。それくらいアリサという少女の存在は大きすぎたんだ。

 

 だから、もう、誰にもどうすることも出来ない。

 

「My wish is to be with you forever」

「うん、ありがとう。バルディッシュ」

 

 そんな彼女の身を気遣って魔法を使うなとか土台無理な話なのだ。別れ際、ユーノは治療法を見つけて治癒するまで絶対に魔法を使うなと警告してきた。だけど、身体を治す前に心が壊れてしまったんじゃどうしようもない。

 

 バルディッシュは愛する主と共にいることを誓うと、それっきり何も話さなくなった。彼は覚悟を決めた。たとえ誰が何と言おうとも最後まで主の望むままに力を尽くし、最後まで主と共に戦うことを。その結末がどうなろうと彼は戦い続ける道を選ぶしかなかった。それだけしか愛する主にしてやれなかった。

 

 たとえ、此処で彼女を止めたところで何になるというのか。待っているのは等しく死という結末だけだ。心が壊れるか、身体が先にぶっ壊れるかの違いだけだ。だというのなら、いっそのこと最後まで好きにやらせよう。

 

 それで彼女の気が済むのなら、彼女の心が少しでも救われるなら。

 

 己は、最後まで付き合おう。

 

 バルディッシュはそう誓った。たとえ、その結末があまりにも悲しく残酷で、後悔する道であったとしても。

 

 もはや、彼らは止まることが出来なかった。

 



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悲劇の連鎖

 ギル・グレアムは封印の術式を行使しながら、長年の宿敵である闇の書の守護騎士が討たれるのを見て、何の感慨も抱かなかった。

 

 少なくとも意図的に感じないようにしていると言った方が正しいか。長年に渡って八神はやてという少女の生活を監視していた男は、ここ最近の幸せな生活がどんなものであったのかも熟知している。無論、守護騎士が幸せを得て、人間らしさを得たことも。

 

 勿論、闇の書に憎しみを抱かなかった訳でもない。かといって人の心を手にして、本当に幸せそうに笑う彼らを見て、何とも思わなかった訳でもない。

 

 それを差し引いても、長年に渡る悲しみを。闇の書の因果を終わらせるという鋼の意志の前では、グレアムの心を動かすには至らない。闇の書を封印する局員たちも含め。それに関わった者全ての人間がとうに覚悟を終えている。長い葛藤の末の決断だ。そう易々と意志を変えては犠牲になった人も、犠牲にした人も浮かばれない。

 

 代償を払った以上は、何が何でも封印作戦を完遂させる。それがこの場にいる局員たちの決意だった。

 

「せめて、安らかに、眠ってくれ……」

 

 悲痛の面持ちをしたグリーンが両腕に赤毛の子供を抱いて、床に寝かせられた守護騎士たちの遺体の隣に、その亡骸をそっと横たえた。もちろん本物ではなく八神はやてを絶望させ、闇の書の主として覚醒させるために用意したダミーだ。

 

 あれは確かヴィータという名前の守護騎士だったか。守護騎士の誰よりも子供っぽく、屋上に誘い込まれて現状を知った時は、誰よりも激情を露わにして戦いを挑んできた騎士の一人。殺ったのは双子の使い魔の片割れであるロッテ。止めを刺したのはロッテの姉のアリア。

 

 彼女たちは守護騎士を殺めたことに対して淡々としているが、グリーンはそうではなかった。

 

 いくら覚悟を決めたと言っても、子供を殺めた事実は辛かったろう。苦しかったろう。彼も前の闇の書事件で家族を喪った一人。だが、守護騎士だから、相手が人間じゃないからと言って嬉々として子供をぶっ殺すような外道ではないという事だ。

 

 封印作戦に従事する前は部下の誰からも頼りにされ、信頼されている人柄のよい隊長だったと聞く。自然が誰よりも大好きで、動物にも子供にも心優しい局員、だった。

 

 それが今では好青年の面影もなく憔悴しきっている。

 

 無理もない事だと思う。目の前で婚約者を失ったばかりか、無関係な子供や市民を巻き込む封印作戦。言い換えれば虐殺の真っただ中にいるのだから。それも主犯格の一人として。

 

 たとえ事件が無事に終わったとしても。はいそうですかと平和を、いつもの生活を享受できる筈もない。そしてそれは彼以外の何人かの局員も同じ。中にはかつての守護騎士との戦いで犠牲者を出し、親しい友人や家族を失った者もいる。

 

 今の戦闘だってそうだ。いったい先ほどの戦闘で何人の局員が守護騎士に殺されたか。

 

 そう、この場にいる全員が訳はどうあれ、闇の書から始まる悲劇の連鎖を終わらようとした者である。たとえその結果地獄に落ちようとも構わないと覚悟も決めている。だが、実際に仲間を犠牲にし、親しい人をまた失い。他人の幸せすら踏みにじったともなれば、その精神的ショックは計り知れないだろう。

 

 殺し、殺され。また殺して殺される。闇の書が転生を繰り返す限り終わることはない永遠の連鎖。復讐と憎しみの連鎖は終わらない。

 

 それもこれもギル・グレアムという男の無能が招いた結末だった。誰が何と言おうとも、どんなに優秀で伝説の偉業を称えられる程の偉人だと褒め称えても、この結果は変わらない。全ては己の対策不足が招いた結末だ。

 

 思えば闇の書の力を侮り、半永久的に氷結封印するという計画に欠陥が出たのが始まりだったのかもしれない。もっと早くに気づいて対策を打っていれば変わったのかもしれない。せめて無関係な市民や、あの子供たちを巻き込まずに済んだのかもしれない。それもこれも、もう遅い。

 

 もう、此方も進み続けるしかない。どんな結末が待っていようとも。

 

 闇の書を氷結封印したうえで、虚数空間の底に落とす。そうしなければ、闇の書は不完全な封印を解いて、未来で再び悲劇を繰り返すだろう。だから、負債を未来に押し付けることはできない。主もろとも這い上がってこれない虚数の底に落とすしかない。

 

(すまんが、今だけは耐えてくれ。私を恨んでくれても、憎んでくれても構わん。だが、今だけは)

 

 グレアムは闇の書封印の為だけに造られたデュランダルを握りしめ、大学病院を今もなお蝕んでいるエターナルコフィンの術式に集中する。

 

 魔力の変換資質を持つ人間は貴重で、氷結変換の資質となるとさらに数は少なくなる。

 

 個人の履歴や実績。裏があるかどうかを絞ったうえで実力ある局員をこの局面に投入しているのだ。特にロッテ、アリア、グリーン、マルタの四人は対守護騎士用の要として選抜された選りすぐりだった。彼女達を選出するだけでもかなりの時間を捻出している。それを命を捨ててもいいという者たちでもある。

 

 それ以外は封印式の中心から離れた補助に回した。守護騎士と直接対峙して犠牲にならぬように。結果はこの有様だが。

 

 そんな状況だから、氷結封印のデバイスを扱えるような実力ある魔術師は、そうそう運よく見つかるはずもなく。実力と経験に裏打ちされた魔導師としても最高峰の局員であるグレアム自身が封印を担っていた。

 

 おかげで制御や範囲の指定に一苦労して、海鳴大学病院の一帯を犠牲にせざるを得なかった。そこにに虚数空間への入り口を開くとなると、さらに大規模な術式が必要になる。闇の書の完成までの残り時間もあって、結果的に犠牲を最小限に留めることは叶わなかった。

 

 なんてのは言い訳に過ぎない。

 

 封印を成功させるには、闇の書に感づかれないようにじわじわと。それも真綿で首を絞めるようにゆっくりとやる必要がある。そうしなければ、危険を察知した闇の書は自らの主を喰らって転生してしまうからだ。直接なんてもってのほか。急に危害を加えるような真似は出来なかった。

 

 あくまで主に影響のない範囲でゆっくりと、まるで自然災害でも起きたかのように。多少の違和感があってもいいから、少しでも時間を稼ぐ。そし意図的に覚醒させる瞬間に一気に氷結させて、虚数空間に突き落とす。

 

 でも、それには時間が掛かる。今か今かと封印術を行使し続けるグレアムだが、一向に悪夢が終わる気配はない。自ら引き起こした悪夢は永遠に続くかのようだ。

 

 もはや、病院で無事な区画は闇の書のあった病室ぐらいだろう。そこも時期に氷が蝕んでいく筈だ。そうなったら、はやての病室に予め仕込んでおいた転移魔法を発動させる。それで彼女を屋上に導いてから、封印術は最終段階に移行するだろう。

 

「……ロッテ」

「ああ、何か来るね。あのちみっ子二人は魔導師だったから。そのどっちかだろうけど」

 

 ふと、ロッテとアリアがやりきれない表情で、屋上と病院を繋ぐ扉を眺め、身構えた。

 

 固く閉じられたそれは氷結封印の術式で冷え切っていて、一般人では押し開けられない程凍り付いていた筈だった。

 

 そんな扉が瞬時に細切れにされる。扉だけでなく、周りの壁も、周辺の床すら巻き込んで、閃光の斬撃が幾度も迸った。

 

 重い音を立てて崩れる扉や薄い壁。その先に現れたのは黒衣の衣装にマントを纏った戦斧を持つ死神だ。煌めく黄色の光刃の大鎌を構え直し、どこか冷めた虚ろな瞳で。けれど、煮えたぎるような底知れぬ怒りと尽きる事なき悲しみを宿して。

 

 一人の少女が相棒となる死神の鎌を携えて。此方を睨み殺すかのように殺気立っていた。

 

 この場にいる誰もが思う。あの少女は復讐者だと。そして既に心が死んでいると。

 

 この状況を作りだしたのは自分達であるが、ああした少女を生み出してしまったのだと思うと本当にやるせない。死にたくなるくらいの後悔が胸から湧き上がった。それでも止まるわけにはいかない。ここで彼女に殺されては今まで犠牲になった者たちの全てが無駄になる。

 

 闇の書が引き起こす悪夢はここで終わる。終わらせる。誰にも邪魔はさせない。地獄に落ちるのはそれからで良い。責めはそこで聞こう。

 

 アリシアの視線が局員たちを見据えた。

 

 アリシアは静かにグレアムを見て。身構えるロッテとアリアを見て。二人の指示でグレアムの護衛に付く虚ろのグリーンを見て。それからダミーとして用意された守護騎士の亡骸を見て悲しそうに目を伏せた。あの子のお気に入りののろいうさぎが寂しそうに床に横たわっていた。

 

「そっか。ヴィータも死んじゃったんだ」

 

 それはあまりにも淡々とした声だった。どこか他人事のように呟かれた幼い子供の声。あまりにも現実味のない底冷えする声だったから、誰もが思わず身を震わせるような。そんな恐ろしげだけど悲しすぎる幼い声。

 

「は、はは……なら、仇は討たなきゃダメだよね……」

 

 それからもう一度、親の仇でも見るようにグレアム達を睨み付けると、アリシアはグッと足に力を踏み込んで。

 

「お前ら絶対に許さない……殺してやる……殺してやるっ――!」

『Blitz Action』

 

 神速のごとく飛び出した。

 

 ありったけの憎悪を込めた叫び。そこから続く爆発的な踏み込み。閃光の如く駆け抜ける死神の凶刃がアリアとロッテに迫る。

 

 地面をすれすれに飛ぶようにして、すれ違いざまにアークセイバーを振りかぶる。金の閃光を纏いし大鎌の刃が、ロッテの身体を両断せんと瞬時に迫った。非殺傷設定すら無視した魔法の一撃は防がなければ本当に身体を両断する。

 

 ロッテはそれをいなす様な事もせず、重々しく受け止めてシールド魔法で防いだ。

 

「援護を……」

「手を出すなっ!!」

 

 それを見て、周囲で浮遊している局員たちが助太刀しようとするのを、ロッテは声で制した。

 

 彼女達は健気にもはやての見舞いに来てしまった。そうなった段階で、こうなる事は心の何処かで分かりきっていたことだ。

 

 唯でさえ多くの局員たちに罪なき人の命を奪う重責を背負わせた。この期に及んでこれ以上の重荷は背負わせたくない。ましてや子供を直接手に掛けるなんて言う苦痛は自分たちだけで充分だ。これ以上背負わせる訳にはいかない。

 

 アリアも同じ想いだ。双子の使い魔故に姉妹の考えていることは何となくわかる。

 

 彼女はここで殺さなければならない。説得は意味をなさない。アリシアをここまで追い詰めたのは自分たちなのだ。せめて出来るのは苦しまないように殺してやることだけ。出なければ、彼女はこの場にいる全ての人間を殺しつくすまで止まらないだろう。そして、アリシアを殺人鬼にしない為にも殺されてやる訳にはいかない。自分たちのエゴを押し通す。偽善でもいい。子供に怒りのまま殺されて、人殺しの咎を背負わせる訳にはいかない。

 

 何よりも、闇の書がもたらす悲劇を終わらせるチャンスなのだ。

 恨みも、責めも、憎しみも、そのあとで全部受けよう。

 

 今は安らかに眠ってほしい。せめてあちらの世界で友人たちと、家族と笑い合えるように。

 

 だからこそ、ロッテとアリアは容赦しなかった。

 

 悪い夢はすぐに終わらせる。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「なのはちゃん……」

「大丈夫ですよ。わたしが守りますから」

 

 すずかの呟きに、なのはは彼女の手を握って安心させるように言う。

 

 病室を出て行ったアリシアを追いかけようとして、なのははそれができなかった。病院全体が異様な冷気に包まれていて、そこから二人の親友を守れるのはなのはだけだったからだ。困惑する三人。なのはだけは、これが魔法による現象だと気づいていたが、冷気を魔法で遮断するのが精いっぱいだった。

 

 特に魔法に耐性を持たないすずかは非常に拙い状態だった。少しずつ下がっていく室温。吐き出される吐息は白く、彼女の手から伝わる体温は、バリアジャケットのグローブ越しからでも分かるほど冷たかった。目も虚ろげで、先ほどから意識が混濁してきている。

 

 はやても、なのはも大切な親友を救おうと必死に努力した。なのははありったけの毛布をかき集め、はやては彼女を少しでも助けおうと、自身のベッドに招いて温め合っている。それでも状況は刻一刻と悪くなるばかりだ。シーツに包ませて体を温めようにも全然だめで、なのははどうすればいいのか分からなくて混乱していた。普段は冷静に努めようとするなのはがパニックに陥るほど事態は悪化していた。

 

 すずかが、はやてが死んじゃう。どうしよう。どうしようと心のどこかで怯えているなのはがいた。

 

 守護騎士やアリシアとの念話は繋がらず。ナースコールも、部屋の外への呼びかけも意味をなさない。ううん、なのはだけは気付いている。部屋の外を自由に出歩けるなのはは、凍死したたくさんの死体を見てしまったのだから。皆、何が起きたのか分からないといった表情をしていた。

 

 窓の外はたくさんの雪が積もり始めている。きっと、はやても気づいているだろう。この異常事態に。これは何らかの異変なんだって。

 

「すずかちゃんしっかり! もうすぐ助けが来るからな。きっとどこも同じような状況で大変なだけだから。だから……」

「うん、信じる……信じるよ……はやて、ちゃん……」

 

 はやてが必死にすずかに呼びかける。彼女の身体を抱きしめ続け、背中をさすり続けている少女はきっと気づいている。もうすぐ手遅れになってしまうのだと。いいや、何もかも遅いのかもしれないと。はやてはすずかを通して、彼女の体の冷たさを知ってしまっている。なのはでさえそうなのだから。

 

(お願いや神様。どうか、すずかちゃんを、なのはちゃんを。みんなを守って。この身はどうなってもかまわへんから)

 

 それでも諦めきれないのは達観してないから。子供じみた意地があるから。一心に友達を救いたいという願いがあるから。だから、心の中では神様に祈り続けていた。はやて自身はどうなっても構わないから。必死に家族を、友達を助けてと祈り続けていた。

 

 そんな二人を見て、なのはがどれほど歯がゆい思いをしていたのかは想像に難くない。彼女は無力だった。何もできない自身を恨み、恐れていた。魔法という力があるのに何もできなくて。このままでは友達を救えないまま失ってしまうかもしれないと恐れていた。

 

 それが途轍もなく怖くて。怯えて。手が寒くないのに震え始めて

 

(わたしは……わたしは――)

 

 なのはは絶望し始めていた。

 

「っ……!?」

「なんや! なにが起きたん?」

 

 ふと、部屋を襲う急な震動。いや、病院全体が揺れたのかもしれない。そう思うほどの衝撃が響いた。

 

 何らかの爆発音みたいな音が響き。その度にどこかが揺れる。遠くから聞こえる剣戟のような音に、なのはは誰かが戦っているのだと判断した。音は遠くに響いていて分かりにくいだろうが、恐らく屋上からだろう。

 

 こんな時に何をやっているのだろうという疑問が、普段なら浮かび上がるだろうが。今はそんなことを考えている余裕などなかった。彼女にできるのはすずかとはやての傍にいることだけだった。今離れ離れになったら、二人ともどこか遠くへ行ってしまうという確信があった。

 

「なのはちゃん……」

「大丈夫ですよ。はやて」

 

 続く異常事態に、はやてが恐る恐るなのはに手を伸ばす。なのはは震えを押し殺して、少しでも冷静に気丈に振舞い。その手を取った。荒事や非日常に慣れていないはやてでは不安になるのも無理はない。

 

 だから、自身がしっかりしないといけないのだと。なのはは弱気になる心を押し殺して。不安を少しでも忘れようとした。なけなしの勇気なんてこれっぽっちもわかなかった。冷静に状況を判断しようとする不破としての自分が残酷な答えを導き出そうとしている。それを少しでも否定したかった。

 

「なのはちゃん」

「はい、はやて。わたしは此処に居ますから」

 

 はやてが安心したように笑い。なのはも安心させようと微笑もうとして、うまく笑えなかった。笑い方なんて当の昔に忘れてしまっていて、ふとした拍子にしか笑えないなのはは、こんな時にどう笑えばいいのか分からなかった。

 

 だって、笑顔なんて楽しいときにしか浮かんでこなかったから。だから、今の表情はどこか歪んでいて、怯えていて、泣きそうになっている事になのは自信が気づかなくて。だから。

 

 だから、はやてはなのはを安心させるように笑って。

 

「なのはちゃん。大丈夫や。きっと、守護騎士のみんなが何とかしてくれる。だって、あの子たちはわたしなんかよりずっと――」

 

 語る途中で、彼女の姿が何処かに消えた。

 

「はや、て……?」

 

 手の中に残る温もりが、はやてが先ほどまで其処にいたという実感を知らせてくる。だから、これが異常な寒さからの幻覚ではなく、只の現実なのだと否応にでも理解するしかなくて。

 

「はやて!!」

 

 気が付けば、なのはは無意識に彼女の名を叫んで、椅子から立ち上がっていた。だけど、叫んでも彼女の姿は何処にもない。急に部屋から姿を消した真実が、静寂とともに残るだけ。

 

『Master.』

「レイジングハート。はやてが、はやてが――! 彼女は一体どこに!?」

 

 レイジングハートの呼びかけに、なのはは愛杖に必死に縋って、はやての居場所を問いかける。そこに何時もの彼女の冷静さはなくて、何かに怯える幼い子供がいるだけで。いつもの強さなんてどこにもなかった。

 

『マスター。落ち着いてください、マスター。少し深呼吸して、落ち着きましょう?』

「レイジング、ハート……」

 

 そんな彼女にレイジングハートは優しく呼びかける。まるで母親のような声と態度で、幼子を優しくあやし掛けるように。そんな愛杖をなのはは縋るように抱えて、言われたとおりに深呼吸をした。もう、自分ではどうすればいいのか分からなかった。

 

 そして、自らの主であるなのはが落ち着いたのを見計らって、レイジングハートははやてが急に消えた真実を告げる。

 

『先ほど、僅かですが転移反応を捉えました。恐らく八神はやては』

「……屋上」

 

 なのはの脳裏に先のジュエルシード事件から転移魔法という言葉と情景が浮かび上がった。アリシアが故郷ともいえる時の庭園に帰るときや、ユーノ・スクライアが遠くに移動するときによく使っていた魔法のことを。

 

 転移対象の周囲に魔方陣が浮かび上がり、何処かへ転移させる魔法だが、これほど違和感なく一瞬のうちに作動させられるのを、なのはは見たことがなかった。

 

 それと同時にどうして、はやてが屋上に転移したのかも、何となく理解してしまう。ううん、理解していた。

 

 恐らく全ての元凶は、この病院の屋上にいるのかもしれないと薄々気が付いていた。でも。

 

 落ち着いたなのはは、そっとベッドを見やり、意識を朦朧とさせているすずかの手を取った。弱っている彼女の事を放っておくことなど出来はしない。置いていくなんてもってのほかだった。優しいなのははそれができない。どうしても残酷になんてなれない。たとえ、手遅れだと無意識に分かってしまっていても。そんなの信じたくない。信じたくなかった。

 

「すずか……」

 

 なんて、冷たい手なんだろうと思う。なのはの体温を奪っていく彼女の手は、まるで氷の彫刻のようで。震えず微動だにしないのが余計にそう思わせた。

 

 なのははベッドに寄り添うと、背中からすずかの半身を助け起こし、自分の胸により掛けさせた。力を込められないすずかは、普段よりも重くて、冷たい背中が防護服越しに伝わってきて。それが何よりも悲しかった。もう、元気がないように感じられるのが、昔見た月村邸での死んでいく猫のようだった。

 

 ぎゅうと、彼女を背中から抱きしめる。少しでも彼女の体が温まるように。普段なら憧れになりそうなほど、よく手入れされた長い髪の感触とか。暖かな温もりに何だかどきどきして安心したりするんだろう。でも、今はただ、ただ、悲しいだけだった。体重をすべて預けてくる親友の姿が、微動だにしない彼女の姿が。頬から伝わる冷たさがただ、ただ悲しくて。寂しくて。どこかに行ってしまいそうで怖かった。

 

 冷たい。冷たい。彼女は冷たくなっていく。凍って行ってしまう。

 

 このたくさん雪が降り積もる世界の中で。凍えていく寂しい病室の一室で。すずか自身の魂でさえも凍って行ってしまう。

 

「すずか……」

「…………」

 

 嫌だ。嫌だ。もう、どこにも行かないで。一人ぼっちにしないで。寂しいのはもう嫌だ。独りは嫌だ。

 

 すずかの背中を抱きしめる。もう何処にも行かないように。何処かに消えてしまわないように。

 

「すずか……」

「―――」

 

 一人ぼっちになるくらいなら。いっそのことこのまま。二人で一緒に……

 

「すず「――なのは、ちゃん」か?」

 

 急に彼女の声が聞こえて、なのはの朦朧としていた意識がはっきりとする。

 

 いつの間にか眠っていたのかもしれない。なのはの左の頬には、相変わらず冷たい月村すずかの右頬の感触が。そしてなのはの右頬にはすずかの冷たくて小さなてのひらの感触があった。そっと添えられた、すずかの右の手。氷の彫像のように冷たい手。

 

「お願い――」

 

 か細い声だった。今にも消えてしまいそうで、そとの雪と風の音のほうが大きく聞こえるくらいで。だから、なのははすずかの口元に耳を寄せて。それからいやいやと首を振った。視界がぶれて、今にも泣きそうだった。なのはの鼓動は慟哭して激しいのに不安で、ちっとも熱くなかった。

 

「いや、です……いや、だ。いや……」

 

 こんな震えはいらなかった。そんな言葉は聞きたくなかった

 

「お願い――」

「やだ、いやだよ……だって、そんなの……」

「お願いだから言うこと聞いてよ!!」

 

 でも、震える声はすずかの叫びにかき消されて。なのははいつの間にかベットに押し倒されているんだと気付いた。気づくのが遅れた。唖然としてしまって気持ちの整理なんて付くわけなかった。目の前に馬乗りになったすずかの姿があった。

 

 いつものすずからしくない姿だった。初めてこんな風に怒鳴られた気がした。その剣幕に押されてなのはは何も言うことができなかった。ただ、ただ、触れている彼女の手が冷たくて、悲しくて。死んじゃいやだと叫びだしそうになる自分を必死に抑えるしかなかった。

 

 すずかの白く吐き出される吐息が荒い。呼吸が乱れている。彼女の目は据わっていて、微動だにしない。けれど、揺れていて焦点が合っていない。その瞳から一滴の涙が零れ落ちて。それからなのはの頬を伝って流れ落ちて。

 

 なのはの視界が揺れて、ああそうか。すずかの目は揺れていない。揺らいでいたのは自分の方。

 

 なのはは自分が泣いているのかもしれないと思った。きっと泣いているんだと思った。

 

 自分が悲しくて、心が叫びだしそうなくらい悲しくて。でも、どこか心が壊れている自分は静かに泣いているんだと他人事のように感じていた。

 

 目の前にすずかの顔がある。馬乗りになって、自分を見つめおろしたすずかの顔がある。

 

 ああ、何でだろう。さっきまで楽しいひと時を過ごしていたはずなのに、まるで悪い夢でも見ているかのようだ。

 

 悪い夢なら早く覚めてほしい。

 

「お願いだから……アリサちゃんの様子を見てきて……二人でアリシアちゃんとはやてちゃんを探しに行って」

「でも……すずか……」

「もう、気づいて、ううん……わたしはだいじょうぶ……だいじょうぶだから……だから、ね?」

 

 だから、どうしてそんな事を言うんだろうと思う。そんな寂しいことを言わないで。そんな悲しいことを言わないで。そんな風にお願いされたら、きっと心の弱い自分はそれに縋ってしまう。友達の願いだからと言い訳にして、きっとそれを実行に移してしまう。

 

 置いていかないで。わたしを置いていかないで。

 

 必ず迎えに行くから。必ず迎えに来るから。

 

 だからわたしを独りにしないで。お願いだから。

 

「はやく……いって、みんなを……助けて、あげて……」

 

 なのははすずかに促されて、静かにベットから立ち上がった。すずかに毛布を掛け直し、寒さで震える彼女の手を温めなおすように強く握って。それから何度も何度も、ベッドで眠るすずかに振り返りながら。優しく微笑むすずかに振り向きながら。ゆっくりとした足取りで廊下に繋がる扉のほうへと進んでいった。

 

 自らの吐息と鼓動以外は何も聞こえず、やけに静かになった世界。なのはの足音はすずかにとって、とても大きく聞こえる。

 

 足音が去っていく。彼女は迷うような足取りで歩いていたようだが、やがて先を急ぐように走ったようで、段々とそれも聞こえなくなった。ごめんね、なのはちゃん、とすずかは弱々しい声で謝る。だが、そんなちっぽけな気力もすぐに消えた。寒さが容赦なくすずかの体力を奪っていく。感覚が徐々に無くなっていく。

 

 本当は大丈夫じゃない。本当はとても怖いし、心細いし、一人で死にたくなかった。こんな寒い死は認めたくなかった。誰かに傍に居て貰わないと、恐怖のあまり叫びだしそうになる。でも、そんな気力すら当に無く。考えが纏まらなくなっていく状態こそが本当に怖かった。叫びたしたいのに叫べる体力も気力も無くなっていくのが怖かった。

 

 これが死の恐怖なのだと理解する事ができない。何も考えられなくなっていく。身体は冷たくなり、まともに動かすことができない。もはや震えすら無くなっていた。ただ、ただ冷たくて肉体どころか、魂すらも凍り付いてしまいそうで。

 

 それでも、なのはに自分の哀れな死を看取ってほしくなくて。そんな残酷なことを、優しいあの子にさせる訳にはいかなくて、だから無理やり遠ざけたのだ。

 

 それに、一階に向かったアリサとアルフも寒さに参っているだろう。自分でさえこうなのだから、アリサが無事である保障はどこにもない。それでも僅かな可能性があるなら、それに賭けたかった。なのはが傍にいれば、この寒さを魔法とやらで凌ぐことができるだろう。先ほどそれは実証されたばかりだ。すぐに凍りつくことなく、こうして生きながらえているのは、なのはの張ってくれた魔法のおかげなのだから。

 

 後はアリサか守護騎士たちを追いかけて行ったアリシアと合流して、はやてちゃんを探し出して逃げてくれれば良い。最悪なのは何もしないで、このまま二人で共倒れすること。何故ならば自分の命が長くないことは、すずかが一番理解しているから。

 

「やっぱり、そばに居て貰えば、よかった、かなぁ……」

 

 自分の吐息が白くて冷たい。体が重くて全然動かない。指先すら動かない。冷たい感覚だけが残っていく。痛みを感じないのが救いといえば救いだろうか。

 

 最後に大きく息を吐き出し、瞳から一粒の涙を流してすずかは眠るように息絶えた。

 

 目を瞑り涙を流す少女の、その横顔は酷く寂しそうで。伸ばされた手はまるで置いていかないでと言っているかのようだった。

 

 悪い夢はまだ終わらない

 



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こんなはずじゃなかったのに

 不破士郎は武家屋敷のような家の中で空を見上げる。なのはが友達の見舞いも兼ねて、クリスマスに向かったので、再び行われようとしていた不破家のクリスマスは寂しいものであった。

 

 というか士郎と美由希のふたりぼっちのクリスマスはすぐに終了し、早くも解散となっていた。どこか恥ずかしくなった美由希は、後片付けをすると。そそくさと家の道場で鍛錬を始め、風呂に入って部屋に引きこもってしまった。

 

 どうやら懐かしい趣味の読書に耽ることにしたらしい。部屋はそのままにして、世界中を駆け巡っていたから懐かしいのだろう。もちろん、久しぶりに過ごす家族との生活が気恥ずかしかったのもあるだろうが。

 

 だから、士郎も同じように一人になって。熱々のお茶を飲みながら、降り積もり始めた雪を見ていた。

 

 アリシアと触れ合い考えを徐々に改めた士郎。そして、徐々に元の明るい性格に戻っていくなのはの様子を見守りながら、まだやり直せるだろうかと一人考え続けていた。

 

 息子の恭也が言うように少しでも傍にいることを、あの子は許してくれるだろうか。復讐に身をやつし、裏世界に娘を巻き込んだ自分を許してくれるだろうか。と、まだ悩んでもいた。

 

 だから、桃子の遺影に一人語りかけるのだ。今更、父親の顔をして良いのだろうか、と。

 

 当たり前だが写真に写る桃子は喋らず、ただ出会った当初と変わらない満面の笑顔を浮かべているだけ。

 

 物思いにふけながら、士郎は箪笥から一着の振袖を取り出した。桃子が幼いころに使っていたものを、なのは用にと打ち直したものだ。

 

 どうせクリスマスの後は大晦日があり、娘とゆっくり過ごすのは、その日でも構わない。その時に渡して、友達と初詣に行くであろう娘を着飾ってやろうと考えたのだ。

 

 復讐から足を洗うために色々と手も打たなければならない。街の盟主であるバニングス家と月村家に頭を下げて、街の治安を裏からよくするのも必要だ。

 

 娘たちが裏に関わらずに。表の世界で平和に生きていけるように。少しでも笑顔で日々を過ごせるように。親として裏から助けなければならない。その為にも士郎はできる限りの手は打つつもりだった。

 

 娘が帰ってきたら何を話そうか。いや、何を話せばいいのかわからない。たぶん美由希も同じだ。なのはだってそうだろう。不器用な不破家。きっとコミュニケーション不足で、話題の一つも上がらないに違いない。こう、元気か。とか。そんな一言を呟いて終わりそうな予感がする。

 

 できれば、おしゃべり好きな、あの小娘も。アリシアも連れてきて欲しいものだ。誰かが喋っているのを聞くのは苦痛ではないから。そう、明るい友人が語るクリスマスの楽しい時間を、相槌をしながら聞くのも悪くない。

 

 それから楽しかったかと聞いて、うんと頷くアリシアの頭を撫でてやる。そして、娘のなのはが構って欲しそうにしてたからと同じように頭を撫でてやろう。

 

 そうだ。お年玉も用意しなければ。娘が生まれた年に用意した羽根つきは残っているだろうか。娘たちが皆で遊んで、顔を墨だらけにした所を想像すると、厳つい士郎の顔は自然と緩んでいた。それに、独楽やけん玉なんかもある。みんなで一緒に挑戦するのもいいだろう。

 

「まずは……おかえりと言って、久しぶりに迎えてやるとするか」

 

 久しぶりにほほ笑んだ士郎の視線の先で、雪が降り積もり続けていた。まるでクリスマスの夜を祝福するかのように。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「うあ、あ、あぁぁ」

『マスター。しっかりして下さい。マスター……』

 

 なのはは凍りついた世界で、激しいショックを受けた自分の胸を押さえた。思わず立っていられなくて、足元がふら付いてしゃがみこんでしまった。杖となったレイジングハートが必死に呼びかけてくるが、その声も遠く聞こえる。

 

 視線の先ではアリサとアルフが倒れていた。その肌には霜が降り、まるで冷凍庫に入れられたかのように凍り付いて動かない。視線が向き合い握り合った手。それから何が起きたのか分からないような唖然としたアリサの表情。それに、なのはは取り乱して、魔法による解凍と蘇生を試みる。

 

「ああ、あぁぁ、アリサ、アリサ。どうして、どうして」

 

 身体の氷を溶かし、仰向けに寝かして。心臓マッサージを施して、気道確保と人工呼吸を行う。必死だった。とにかく必死だった。

 

 泣きながら心肺蘇生を行い、流れ落ちた涙がアリサの頬を濡らして。何度も何度も諦めたくないと行為を続ける。レイジングハートはそれを静かに見守り、好きなようにさせていた。無駄だと分かっていても、主の好きなようにさせてあげるべきだと判断して。

 

 心臓の音を聴く。どうして動かない。動いてくれない。まだ、死んだわけじゃない。死んだわけじゃない。生き返る可能性はあるはず。目を覚まして、いつものように名前を呼んで欲しい。あんたバカねって叱ってほしい。いつもみたいに勇気づけてほしい。

 

 慣れない回復魔法を試し、冷たくなった身体を魔法で温め、時には自分の肌でアリサを摩っても彼女は目覚める気配はなかった。開いたままの瞼が動く気配すらない。アルフも同じで魔力を分け与えてみてもピクリとも動かなかった。ただ、幼い狼の姿のまま力尽きていた。

 

 認めたくない。こんなこと認めたくない。二人が死んじゃったら、残されたアリシアだって深く悲しむ。なのはの心がどうにかなってしまいそうなのだから、アリシアはもっと悲しむだろう。まるで、本当の家族のように二人を愛していたあの子は、ひとりぼっちになってしまう。なのはに二人を託したすずかも酷く悲しんでしまう。心優しいはやてだって、同じだ。

 

「そんな、嘘、ウソ、うそ!! いや、いやぁぁぁぁ……こんなのやだよぉ……」

 

 なのはは慟哭しながら、両手でアリサの頬に触れる。それから熱でも測るかのようにおでこを合わせて、瞼を閉じた。涙がとめどなく溢れて止まらなかった。固くなったアリサの体に、その胸に顔を埋めながら静かに瞼を閉じてあげた。

 

 本当は手遅れなのだと心のどこかで分かっていた。分かりたくないのに不破として冷静な自分が、手遅れだと判断してしまう。開き切った瞳孔と唖然とした死の表情をしたアリサの姿など見たくなかった。ただ、ただ酷く悲しかった。怒りすら湧かなかった。深い絶望に似た感情だけがあった。

 

 こんなの見たくなかった。認めたくなかった。これが夢なら覚めてほしい、これが性質の悪い冗談ならどんなにいいだろう。

 

 でも、これは悲しいくらいに現実だった。あの雨の日と同じくらいに現実だった。

 

『マスター……お気持ちはわかります。でも、今は、アリシアとはやてを探すのが先決、です』

「アリシア……はやて……」

 

 躊躇いがちに呟かれるレイジングハートの声を聴いて、なのははゆっくりと顔をあげた。それからよろよろと体を起こして、白いバリアジャケットに付いた霜を払う。

 

 幼い狼のアルフも同じように開いていた瞼を閉じてあげた。それから、なのはは冷たくなったアリサを背中におぶさり、小さなアルフを抱き上げて動き出す。その姿はどこか虚ろでもあった。

 

『……マスター。二人をどうするおつもりですか?』

「――いっしょに、連れて、行きます。こんな寒くて、冷たいところに置いていくのは、あまりにも可哀そうです」

『……私にも、身体があれば、良かったのですか』

 

 普段は小さくとも力強いマスター。そんな彼女の想いをレイジングハートは支えることにした。こんな状況で、そんなことは無意味だと口が裂けても言えなかった。ただ、彼女のさせたいようにさせるべきだと判断した。バルディッシュと同じように。

 

「ううん、その気持ちだけで充分です。行きましょうレイジングハート」

『………』

 

 それでも思考の奥底で、なのはに逃げてほしいという想いがあったのも事実だった。もはや、なのは一人の手に負えないほど状況は切迫しており、できれば一人でも脱出してほしいと考えていた。

 

 ただ、この心優しい少女に、自分よりも大切な友人を置いていけなどと言える筈もなく。レイジングハートはなのはをできる限り支えようと再び沈黙した。でも、その心には迷いがあった。レイジングハートが考える限り、今の状況では己のマスターもいずれ……

 

 けれど、何も言うことはなくレイジングハートは沈黙を貫くのみである。

 

 なのははとても重くなったアリサを背負い、小さな狼のアルフを抱っこして元の部屋まで戻っていく。すずかの安否を確認しつつ、アリシアとはやてを探す。それからどうすべきか考えよう。まだ、自分の為すべきことは残っているのだ。一日中泣き腫らすのはその後でも構わない。今は残った三人だけでも助けないと、心が潰れてしまいそうだった。この悲惨な現実を直視し続けられるほど、なのはの心は強くはないから。

 

 冷たくなった世界で、命を凍らせた人々の死の光景は、なのはの心を追い詰めるには充分だった。階段を上る途中で、開いた部屋の扉から見える人々の動かない姿が、嫌でも先ほどのアリサとアルフの姿を連想させる。それがとてつもなく辛くて悲しい。二人の冷たい感触も、なのはを悲しませるのに充分で。零れ落ちた涙すら、床に落ちて凍りつく。

 

 いっそのこと悲しむ心すら凍ってしまえばいいのにと思う。早く、夢なら醒めてほしい。

 

「……すずか。お待たせしました……すずか?」

 

 白い吐息を零しながら、すずかの居る病室に辿り着くなのは。頭の中では、すずかにアリサ達のことをどう説明すべきか迷っていたが、それも病室の扉を開けたことで杞憂に終わった。

 

 杞憂は放心するほどの悲しみと胸の痛さに変わり、なのははよろよろと病室の中に入っていく。

 

「すずか……すずか……」

 

 ベッドの上ですずかが、アリサ達と同じように動かなくなっていた。身体を揺すってみても、呼びかけてみても、閉じられた瞼が開く様子もない。その肌の感触は二人と同じように冷たくて、硬かった。寂しそうな表情で固まったまま、肌には霜が降りて動くことすらない。

 

「…………ッ」

 

 なのはは泣かなかった。泣きすぎてしまって、涙が出なかった。ただ、ふらつきそうになる身体に鞭打って、抱えている友人たちを、すずかと同じベッドに寝かせるので精一杯だった。

 

 部屋の壁に背を預け、膝を抱えてうずくまった。白く凍り付いていく部屋の中で何度も嗚咽を漏らした。こんな事なら離れなければよかった。すずかが眠るように死んでいる。その手は置いて行かないでというように伸ばされていて。なのははすずかの傍にいなかった事を酷く後悔した。胸を締め付けるような苦しみが止まらない。心は凄まじいほどに悲鳴を上げていて、普段、冷静でいるなのはがどれほどショックを受けたのか物語っている。

 

 そして、いくら泣いても、悔やんでも、物言わぬ友人たちは慰めてくれないし、励ましてくれない。

 

 やっぱり涙がでないなんてのは嘘だ。今の自分はこんなにも心が泣いている。涙は出ずとも嗚咽が止まらない。

 

 あの明るくて勝気な声も、静かで優しい声も聞こえてこない。なのはの小さな嗚咽だけが、静かな部屋に響いて。それがより一層、なのはの心に寂しさを募らせた。悲しみすぎて心は虚ろになっていき。それに引っ張られるように身体も動かなくなっていく。

 

「―――ッ!!」

 

 ただ、叫んだ。声にならない叫び声をあげた。そうしないと悲しみで狂ってしまいそうだった。いっそのこと、皆と一緒に動かなくなってしまえばいいとさえ思った。もう永遠に眠ってしまいたいと。それでも、なのはは止まることができない。まだ、助けるべき人たちがいる。

 

 気を抜けば意識を失ってしまいそうだった。もう、何も考えたくなかった。

 

 それでも、杖にしたレイジングハートを支えに何とか立ち上がると、なのはは動かなくなった三人の身体を魔法で暖めた。それから彼女たちの眠っている姿勢を整えると、寒くないように毛布と掛布団を敷いて、部屋を後にする。

 

「………アリサ。すずか。アルフ。おやすみなさい」

 

 心が壊れかけた少女は、ふら付きながらも杖を支えに、屋上を目指す。せめて残された最後の希望を救うために。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 怒り狂ったアリシアの魔法は台風そのものだった。暴風雨のような攻撃の嵐は、雷鳴とともに大気を轟かせる。邪魔する相手を殺し、何らかの術を施している奴を殺し、遠巻きに空から見守っている連中も殺す。

 

 それは子供の八つ当たりだったのかもしれない。ただ、技もなく力任せに戦斧を振るう、相手を薙ぎ払わんとする。死神の鎌をした戦斧から振るわれる一撃は床抉り、黄色の閃光が大気に煌めいては残光となって消えていく。相手が避ければそれを追って飛び上がり、再び切り伏せんとバルディッシュを振るう。

 

 受けるロッテはそれを飛び退って避け、時には防御魔法で往なし、逸らし、決して受けることはしない。そこには魔導師としての技量という絶対的な差が存在した。

 

「あああぁぁぁぁっ!! ブリッツアクション! ブリッツアクション! ブリッツアクション!」

 

 それでもアリシアは果敢に攻めて、攻めて、攻めた。ロッテの背後から遠距離魔法を得意とするアリアが弾幕を展開する。それを避けもせず、ひたすら愚直に突進して、真っ直ぐロッテに追従する。単に一番近くにいるやつをぶった切るという本能に従って。それすらもリーゼ姉妹の策の内だとも気付かずに。

 

 すべては術の要を担う。ギル・グレアムに接近させないため。

 

 防御すら忘れたアリシアの全身はボロボロだった。顔を逸らし、片腕を捨てて胸をかばう。そうして致命的な一撃は防ぐのだが、ダメージが全身に蓄積していく。身に纏う防護服はボロボロで、黒衣のマントは千切れて見る影もない。服が破けて露出した太腿やわき腹からは血が滲んでいる。リーゼ姉妹による攻撃を受け続けた結果だった。

 

 ずっと非殺傷設定の魔力ダメージが蓄積させられたのだ。それでも痛みを超越したアリシアは微塵も止まることはなかった。常人ならば痛みと疲労で動けなくなるはずなのに。少女は限界を超え続けてまで、動き続ける。

 

「かはっ……くぅ、痛っ……」

「もう分かっただろう。お前じゃアタシ等には勝てない。大人しくしてれば楽になれる」

「――っうるさい! うるさい! うるさい! アリサを返せ! アルフを返せ! 母さんを……かえしてよ……!!」

 

 ロッテがカウンターで腹に蹴りをくれてやっても、吹き飛ぶだけで、再び立ち上がってくる。もう、このやり取りを何回も繰り返している。そしてロッテが「もう、やめろよ」と告げてもアリシアは、五月蝿いと一蹴して向かってくる。全身から血を流し、床を一滴ずつ赤く染めながら、それでも向かってくる。

 

 抵抗しなければリーゼ姉妹はアリシアを文字通り"楽に死なせていた"。意識を眠らせてしまえば、そのまま二度と目覚めることはなかったのだから。それでも下手に抵抗されれば、こうしてなぶり殺しにするしかない。

 

 アリシアの魔法の素質がなまじ高いだけに、下手に手加減できない結果だった。一手間違えれば、本当に胴を切り裂かれそうな威力が、あの斬撃にはある。かといって派手な大技を使えば封印術や覚醒を迎えていない闇の書にどんな影響があるか分からない。

 

 だけど、それもすぐに終わる。

 

(あと一撃で本当に身体は動かなくなるだろう。そして、凍結魔法をレジストできなくなれば、他の人間と同じように凍り付いて死ぬ)

 

 本人は気づいていないが、ダメージの蓄積で身体が思うように動いてない。牽制の射撃魔法はなくなり、繰り出される斬撃も精彩を欠いている。さらに言えば、吹き上がる無尽蔵ともいえる魔力で身体能力を極限まで上げたようだが、逆にダメージを受けているのだ。放っておいても遠からず自滅する。

 

 あの忠実なデバイスが主を必死に支えていたようだが。それも、もう終わりだ。主から供給される魔力がなければどうすることもできない。

 

 今、アリシア・テスタロッサの魔力は大幅に乱れている。複数の魔力を持つ原因は分からないが、それが乱れれば乱れるほど体の内側を傷つけているようだ。噛みしめた唇の隅から血が溢れ出し、鼻血だってさっきから止まってない。

 

「ああああああぁぁぁぁ―――」

 

 振りかぶる大鎌の一撃をロッテは受けた。受けて弾き、アリシアを掴んで投げ飛ばそうとして。

 

「サンダー……スマッシャァァァーーーっ!」

 

 至近距離で。密着したとも言える状態で。アリシアは左手でロッテに触れ、なりふり構わず繰り出した砲撃魔法を放つ。文字通り捨て身の一撃で、暴発させたに等しかった。自爆したとも言っていい。

 

 ロッテに弾かれた右手からバルディッシュが零れ落ちて、それから魔法を繰り出した左腕は完全に焼け焦げて。アリシアは反動で屋上の入口へと吹き飛んでいく。

 

『―――!!』

 

 同じように吹き飛ばされたバルディッシュが何か言っているような気がした。黒の戦斧は、金色に輝くペンダントに戻って屋上から落ちていく。

 

 吹き飛んで、背中を強打して、転がり落ちて、それから何かにぶつかって止まった。アリシアは抱きしめられた。

 

 歪んだ視界の奥に、大好きな親友の姿があった。

 

 目の前になのはがいた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 なのはは、泣きそうな顔でアリシアを見た。腕の中で眠る少女は、見るも無残にボロボロで、元気にはしゃいでいた姿は見る影もなかった。

 

「けほっ……ゴホッ……」

 

 咳き込んだ口から血が吐き出されて、なのはの防護服を血で染めた。慌てて、アリシアをうつ伏せの状態にして血を吐き出させた。それから背中を摩る。服や手が血で濡れても、なのはは気にしなかった。そんな余裕はどこにもなかった。

 

「アリシア……」

 

 なのははアリシアの名を呼ぶ。けれど大切な親友は定まらない視線でなのはを見ていた。なのはを見ているのに、なのはが見えていないような気がして。それでも伸ばされた震える手を、なのははそっと掴んだ。それぐらいしかしてやれることはない。

 

 拙い治癒魔法で必死に傷を塞いでも、アリシアの血が止まらない。治りきらない。ユーノが言っていた複数の癒着したリンカーコアの暴走で、アリシアの全身が傷ついた。そしてついに限界を迎えたのだ。傷つくたびに自身の治癒能力で癒していた身体の傷が塞がらないのはそういうことだ。

 

 もう、アリシアの限界はとっくに超えていた。只でさえ人より少なかった寿命を一気に使い切るように。ろうそくの残りを燃やし尽くすように。アリシアは自分の命を捨ててまで立ち向かっていった。

 

 それくらい義理とはいえ姉になってくれたアリサを奪われたのが許せなかった。ずっと一緒にいようと約束したアルフを奪われたのが許せなかった。友達を家族を傷つけられたことを許せなかった。アイツ等を殺してやりたいくらい憎くて、許せなくて、悔しくて。悲しかった。

 

 それは家族の仇を討てなかったからだろうか。それともユーノとの約束を破って魔法を使ったことだろうか。

 

「なの…は……?」

「……っアリシア」

 

 それとも泣きそうな顔で、自分を見下ろしているなのはを見てしまったからだろうか。

 

 さっきまでアリシアの全身は痛くて叫びだしそうで。なのにそれを感じさせないくらい熱かったのに。心臓だって馬鹿みたいに激しく動いて、リンカーコアも信じられないくらい熱くて、沸騰しそうだったのに。

 

 なのにそれを今は感じなくて、ただ寒くなってきて全身が冷たくて。なのはの手がとっても暖かかった。膝枕された頭は呆けていて、なんだか眠いみたいで。なのはの声もぼんやりとしか聞こえない。全身に力が入らない。寒いけど暖かい。

 

 ああ、なのはの頬っぺた触りたいな。叶うなら義姉と同じように後ろからじゃれついて、追い掛け回されて、二人で駆けっこして、いつの間にアルフも加わって。一緒に走り回って、疲れて。整備された草地で寝転んで、叱られて。お母さんがそれを見守ってくれて。自分の知らない本当の名前で呼んでくれて。それから、それから……

 

 アリシアの意識が途切れていく。なんだかとっても眠い。ひどく眠い。瞼が重い。何も考えられない。

 

「……っ!!」

 

 なのはの声がよく聞こえない。

 

「………」

 

 最後に擦れた声で、なのはの名前を呼んだ。呼べたらいいなと思う。

 

 暗い瞼の奥で、大好きな皆が微笑んだ気がした。

 

 

 

 

 

 アリシアが死んだ。

 

 




たぶん次で最後。

今後の予定。
一章と二章をコピー削除して、没として別に作った小説に移す。
三章をリリカル『なのは』編として微修正した上で一章にする。いわゆる本当の過去編に変える。じゃないと矛盾が気になって書けない。

番外編の、この世界のその後を描いた復讐者のレクイエム編。

お楽しみの並行世界編

二章リリカル『なのは』チェンジ。幼年期編
三章リリカル『アリシア』メモリーズ。無印編。
四章リリカル『はやて』アナザー。As編
五章リリカル『ユーリ』ダークネス ????編
最終章 紫天と夜天の交わるとき。 

それで完結まで書けるはず。

 


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憎悪に満ちた『なのは』

 アリシアが眠るように死んでいる。腕の中で眠る少女は苦しむことなく、安心した表情を浮かべている。さっきまで、なのはの父や姉と同じような憎悪に満ちた表情をしていたのに。今の彼女は安らかで、二度と苦しむことはない。

 

 なのははその事に安堵するつもりはなかった。悲しむこともできなかった。慟哭することもできなかった。そんな余裕は何処にもなかった。立て続けに親友を失って、彼女の心は限界を迎えていた。気力のみで動いていた身体は愕然としていて、脱力したように動かない。

 

『マスター……?』

 

 むしろ、その顔は笑っていた。

 レイジングハートの呼びかけにすら、応えないくらいに顔を歪ませて。

 

「はは、あははは………あはは、はははははっ!!」

 

 心の底からオカシイと言わんばかりに笑っていた。

 

「くく、ふっ、あははははっ!!」

 

 嗚呼、嗚呼、分かった。分かってしまった。これが本当の苦しみか。これが本当の嘆きか。自分が抱いてきた悲しみなど偽りにすぎないのか。そうか、これが憎悪なのかと。彼女は心の底から湧きあがる本当の気持ちに気付いてしまった。

 

 すなわち、母を失った父の士郎と姉の美由希が抱き続けてきた感情を。憎悪という果てしない心の叫びを。尽きることのない悲しみを。それらが振り切ったときどうなるのかさえも。身をもって理解してしまった。共感してしまった。

 

 それは心に空いた穴を埋めるのには充分すぎて、失っていた気力を取り戻させるのに時間は掛からなかった。

 

 悲しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。枯れたと思っていた涙はこんなにも溢れてくる。苦しくて、苦しくて、笑いが止まらなかった。泣き叫びたいのに、笑い声が溢れて止まらなかった。

 

 冷たくなったアリシアの身体を抱きしめる。こんなにも傷つけられて痛かっただろう。苦しかったろう。それに義姉の死を、本当の妹のような使い魔の死を理解してしまって、とても辛かっただろう。分かる。分かるよ。今なら痛いほど分かってあげられる。

 

 だから、あんなにも顔を歪ませて憎んでいたんだろう。だから、あんなにも傷つけられても、暴力を止められなかったんだろう。だから、あんなにも約束を破ってまで、禁じていた魔法を使ったんだろう。

 

 分かる。その気持ちを今なら理解してあげられる。

 

 ああ、昔の自分はなんて愚かだったんだろうと、なのはは自らを恥じた。こんな感情に支配されてしまったら誰だって、自らの衝動に抗えないというのに。父も、姉も間違った事はしていなかった。ただ、仕方がなかったのだと。今なら分かってあげられる。その行いも今なら笑って許してあげられる。

 

「あは……はは、はぁ……はぁ……」

 

 そしてひとしきり笑った後に、なのはは顔を俯かせると、優しげな手つきでアリシアを寝かせてあげて。それからゆっくりと顔をあげた。

 

 その瞳は憎悪に満ちていた。その表情(かお)は憎悪に歪んでいた。その口は憎悪で噛みしめられていた。その手は憎悪で握りしめられ、血が滲んでいた。

 

「許さない……殺してやる。殺してやる。殺してやるッ!」

 

 全身に有り余るほど力がたぎってくる。溢れ出す魔力は無尽蔵みたいに尽きることはない。無理やり変換された魔力が憎悪の炎となって、防護服の霜を溶かした。そして、学校の制服を模した純白のバリアジャケットが黒く染まり、青のラインも血のように紅く染まる。

 

 もはや、なのはの頭の中は殺意でいっぱいだった。全員殺す。男だろうが、女だろうがこれに関わった人間は殺しつくす。それから、はやてを助けて。それからどうしようか。ああ、家族の復讐の手伝いをするのもいいかもしれない。それともいっそのこと……

 

 なのはは立ち上がり、目の前の階段を上ろうと進みだす。ふと、振り向くと寂しげな表情をして眠るアリシアを見たが、それも一瞬のことだった。

 

 もう何も許せなかった。ただ、憎い。目の前のすべてが憎い。心からの憎悪が止まらない。憎くて、憎くて、たまらない。

 

『――ター。マスター。待ってください、マスター!!』

 

 ふと、声が聞こえてきて。なのはは訝しげに、レイジングハートを見つめた。何だろうか。今は忙しいので後にして欲しい。

 

 殺さなければならない。屋上にいるであろう奴らを殺さなければならない。こんな惨状を引き起こした連中など死ねばいい。死んでしまえ。死んで償え。あの世でみんなに詫びろ。

 

「なんですか、レイジングハート? 用があるなら手短にお願いします」

『―――っ』

 

 レイジングハートは、なのはの淡々とした声に押し黙る。これがあの優しかったマスターなのかと戦慄を隠せなかった。

 

 今までは、どこか淡々としていても優しさがあった。誰かを思いやり、自分よりも他人を気遣うような。どこか不器用でも優しい女の子だった。それが今では見る影もない。瞳は憎悪に満ち、どこか恐ろしい冷たさがある。大の大人ですら戦慄してしまうほどの。

 

 それでもレイジングハートは止めなければならなかった。今、行かせたら愛するマスターはきっと死んでしまう。誰かのために必死に行動してきたマスターが死んでしまう。そんなのはダメだ。だって、ようやく家族と仲直りしそうだったじゃないか。あんなにも焦がれていた父親と仲直りできそうだって笑っていたじゃないか。

 

 まだ、引き返せる。これ以上進んだら、きっと取り返しのつかないことになる。アリシアの傍にバルディッシュがいなかったのもきっと、そういう事だったんだろうから。

 

『マスター……もう、逃げましょう。もう良いではありませんか』

「…………」

『今逃げても、誰も文句は言いません。それとも、このまま戦って、戦って、戦い続けますか? 勝ち目があるかも分からないのに?』

「レイジングハート……」

『帰りましょう。だって、貴女には家族が……』

「レイジングハート……」

 

 レイジングハートはあくまでも冷静に、だけど心の底では必死になって呼びかけた。この復讐鬼に堕ちようとしている幼いマスターが、冷静になってくれる事を願って。絶望して、泣き喚いて、逃げ出したって構わない。幼い少女に、この現実を直視させ続けるのも無理があり過ぎる。

 

 ただ、一人生き残ってしまっても、絶望に閉じこもってしまっても、生きていればやり直せる。まだ、なのはを迎えてくれる家族がいる。なのはを抱きしめてくれる家族がいる。なのはの心を癒してくれる父や、姉がいる。兄もきっと駆けつけてくれる。

 

 だから、こんな所で死なないでほしい。それがレイジングハートの純粋な願い。知能を持つインテリジェントデバイスとしてのひとつの結論。だけど、それは……

 

「レイジングハート……どうしてそんな事を言うのですか?」

 

 だけど、それは他ならぬ彼女のマスター自身の手によって否定される事になる。

 

 レイジングハートを顔の前で掲げて、杖の先端に付いた宝玉に話しかける少女の目は冷たかった。冷たくて、憎悪に満ちていて、なのに無表情だった。ただ、理解できないと告げるように、首を少し傾げていた。本当にレイジングハートの気持ちが理解できないというように。

 

「あなたはわたしの相棒でしょう? 手伝ってくれるのでしょう? 手伝ってくれますよね?」

『いいえ、いいえ! 逃げましょう。逃げるべきです。アリシアは殺されました。貴女より強い守護騎士の方々も。私は貴女を―――』

 

 それでも呼びかけ続けるレイジングハートの声を遮って、なのはは叫ぶ。

 

「ええ、そうですっ! アリシアは殺されました! アリサも、すずかも、アルフも。きっと守護騎士の皆さんだって、そうなのでしょう! 貴女が言うのなら間違いないのでしょう!? さらわれたはやてだって殺されるかもしれない!」

『聞いてくださいっ、マスターっ!! 私は――』

「それなのにあなたは全てを捨てて、逃げろというのですか!? このわたしに、何もできないわたしに。なにも出来なかったわたしに、いまさら逃げ出せと? そんなの……できない、できない、出来ないよっ!?」

 

 レイジングハートの呼びかけは届かない。叫びは届かない。必死の思いは、それ以上の叫びによって遮られる。もはや、彼女に何の言葉も届かない。なのはは言葉を聞いているようで、聞いていなかった。まるで、必死に自分に言い聞かせているようだった。たぶん、自分自身でもわかっていない。なのはは、もう自分が分からない。

 

 ただ、衝動に突き動かされるように動くだけ。あふれ出る憎悪に身を任せ、本能に従って動くだけ。

 

「――ああ、そうだよね。そうだった。そうでした。わたしの魔法は、結局なんの役にも立たなかった。誰も救えませんでした」

『マスター……?』

 

 それどころか、レイジングハートは、なのはの次の行動に驚愕することになる。そして、予測すらできなかった。

 

「ばいばい、レイジングハート。次はわたしよりも相応しいマスターに出会って下さい」

『っ――マスター、マスター! なのはーーー………』

 

 あろうことか待機状態に戻したレイジングハートを投げ捨てたのだ。頑丈な躯体が傷つくことはなかったが、ペンダントは階段の隙間から転がり落ちて、そのまま階下へと消えていった。

 

 なのはは再びゆっくりと階段を上っていく。身に纏う黒いバリアジャケットを自身の力だけで制御し、迫りくる冷気も無理やり遮断して突き進む。身体から揺らぎ出る黒い炎が尽きることはなく。ただ、敵を打ち倒す為に突き進む。

 

 もはや、憎悪に満ちた『なのは』が止まることはなかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 リーゼアリアは傷ついた身体に顔をしかめながら、治癒魔法を行使し続けていた。応急処置だが何もしないよりはマシだった。

 

 あの時、捨て身に等しいアリシアからの砲撃魔法を受ける瞬間。転移でロッテとポジションを変更したアリアは、割り込む形で砲撃魔法サンダースマッシャーを防ぎ切った。身を挺してロッテと封印術を守り抜いたのである。

 

 しかし、代償としてアリア自身は負傷していた。両手は焼け焦げてしばらく使い物になりそうにない。それ程までの渾身の一撃であり、アリシアがどれほどの殺意を魔法に込めていたのか窺い知れるというものだ。腕の部分の防護服だって弾け飛んでいた。防ぎきれなければ、確実に消し飛んでいたのはこちらだった。

 

「助かったよアリア。少し油断してたかもだ」

「ええ、ロッテ。無事でよかった。だけど、ごめんなさい。しばらく援護できそうにない」

 

 ロッテはホイールプロテクションを発動させたアリアの両手を横目で見た。だらんと垂れ下がった腕は、完全に力が入っていないことを示していた。

 

「まあいいさ、アリアはそこで休んでなよ。あとは、あたし一人でやる」

 

 屋上の入り口を見やれば、ふらりと一人の少女が現れるところだった。

 

 その身に黒衣を纏い、不気味な陽炎を揺らぎだす少女。ロッテは彼女から恐ろしいまでの殺気を浴びせられても微動だにしなかった。ただ、静かに構えを取ると、いつでも対応できるように息を整えるだけだった。

 

 無粋な問いも、呼びかけも必要ない。あるのは殺しあうことだけ。どちらかが死ぬまで戦い続けるだけだ。

 

 その為に、あの娘はここに来たんだろう。不破なのはが、さきほど殺めた少女をどれほど大切にしていたのかは、痛いくらいに知っている。ジュエルシード事件の時から監視していたのだから尚更に。

 

 だからこそ、ロッテはなのはの殺意と憎しみを全身全霊で受けるつもりだった。受けて、往なして、傷つけて、弱らせる。今更引き返すつもりはないが、せめて"見ている少女"に最後の別れくらいはさせてやる。それがせめてもの手向けだ。

 

「もうやめて……もう、やめてよう……!! なんで、こんなことするん……」

 

 やめてと叫んでいるのに、やめなかったロッテとアリアの罪を誰かに背負わせるわけにはいかない。さっきから聞こえるのは、この場にいる局員すべての者に罪悪感を抱かせるはやての悲痛な叫びだ。はっきりいって気が滅入るなんてもんじゃない。聞いていると心が折れそうになる。けれど、やめるわけにはいかない。

 

 闇の書の悲劇はここで終わらせる。それだけは絶対に覆らない。覆すわけにはいかない。

 

 なのははロッテとアリアを見て首を傾げた。なんで平気そうな顔をしている。アリシアの渾身の一撃を受けて立っている。死ななきゃダメじゃないか。殺したら殺されなきゃダメじゃないか。

 

 ああ、そうかと考え直した。死んでいないなら殺せばいいと。自らの手で仇を討つと。皆の恨みを自分が晴らそう。それが死んでしまった彼女たちにできる自分の精一杯の手向けだ。

 

「あああぁぁぁぁアっ!!」

 

 なのはは駆けた。我武者羅に駆けて、駆け抜けて、ロッテに肉薄した。それは若干9歳の少女とは思えないほどに早く、恐ろしく、そして繰り出される貫手からは殺意が込められている。だけど、それだけだった。

 

「……………」

「ぐっ……」

 

 ロッテはそれを片手で往なした。そして続く連撃を。身体の回転とともに繰り出される、なのはの裏拳を受ける前に、幼い少女の身体を蹴り飛ばした。

 

 転がって、転がって、元の場所まで蹴り飛ばされて、受け身を取りながら立ち上がるなのは。普段なら鍛えられた不破の武術に感謝するところだろうが、憎悪に満ちた彼女にはもはや関係なかった。ただ、頭の中は相手を殺すことでいっぱい、いっぱいだった。

 

「殺してやるっ、殺してやるっ、殺してやるっ……」

 

 獣染みた眼つきをしながら、なのはは再び駆け抜ける。相手の懐に飛び込んで殴り殺そうとする。その手に黒い炎を纏って、相手の肉を肌を焼き尽くさんとする。肉を抉り、掌打で内臓を殺し、無意識に組技で相手の人体を破壊しようと迫る

 

「無駄だよ……」

 

 ロッテはそれを哀れな目で見ながらも、軽くいなして再び蹴り飛ばした。吹き飛んだ小さな体に魔力の誘導弾(スティンガー)を何発も叩き込み、確実に魔力ダメージを与え、体力を削っていく。不用意に接近せず、触れることもしないのは、なのはの纏う炎を警戒してのこと。

 

「げほっ、痛っ……」

 

 それでも、なのはは咳き込んで立ち上がることをやめない。その身に宿した憎悪をより一層強めながら、なのはは腕を構え、腰を落とす。思い出すのは父、士郎との鍛錬の日々。間近で見せられた不破流としての体捌き。それを瞬時に思い浮かべ、彼女は実行に移す。

 

「――――っ!!」

 

 ふと、誰かの悲痛な叫びが聞こえた気がしたが、気のせいだろう。きっと自分の弱い心が生み出した幻聴だ。最後まで、なのはを止めようとしたレイジングハートの叫びが、なのはの良心からくる微かな罪悪感を刺激しただけだ。それよりも、今はアイツ等を殺さないと。

 

 瞬間、ロッテの前から、なのはの姿が掻き消えた。

 

 見よう見真似の『神速』に酷似した動き。足りない分は魔法で補って行う縮地にも似た歩法。肉体の限界を超え、なのはの感じる周囲の景色がモノクロに変わり、周囲の時間経過を遅く感じるようになる。そして、肉体はそれに追いつこうと爆発的な加速力を叩き出していた。

 

 さらに、己の利き腕が見せる構えは御神流奥義・虎切(こせつ)。一刀での高速、長射程を誇る抜刀術。父の士郎がもっとも使い込み、信頼していたひとつの必殺剣。それに『神速』が加われば、剣術の中でも、もっとも速度と射程に秀でた技となる。

 

 なのはは己の腕を鋼の剣に見立てていた。肉体を自身の魔法で限界以上に強化し、無意識に脳を極限状態まで移行させ、肉体のリミッターまで外す。幼い自らの身を試みない方法。なのはの中にある最強の武術を引き出す為には、捨て身ともいえる方法を使うしかない。

 

 だが、そんなスローモーションに満ちた光景の中でも、ロッテは平然と対応してくる。瞬間的に構え、なのはの左腕による抜刀術に合わせるように、彼女も腕で防御の構えを取る。

 

 しかし、魔法による防護が間に合わない。振り抜かれるなのはの腕。なのはの刃そのものと化した腕が、ぶつかり合う。

 

「シィッ――!」

「くぅ――」

 

 骨が軋む音。筋肉がぶつかり合う音。骨がひび割れるような音が順番に聞こえてくる。なのはは自身の腕の骨が駄目になったような気がしたが、痛みは感じなかった。まだ、動ける。

 

 ロッテは痛みに顔をしかめたようだが、それだけだった。そこに追撃を掛けるように、なのははコンクリートを踏み抜く。飛び込むように駆け抜けた力を変換し、振りぬいた腕と空いた手を使って新たな技を繰り出すために動き出す。

 

 御神流奥義・虎乱(こらん)虎切(こせつ)から発生する高速連続切り。相手との間合いを詰めた状態で放つ必殺剣の連撃。高速抜刀術を防いだ相手に対して確実に仕留める為の技。姉の美由希の武術から盗んだ見よう見真似の技の続き。

 

 そんな左右斜め上から振り下ろされる、なのはの両手をロッテは掴み取ることで対処した。なのはの纏う黒い炎を、拳に纏わせた防護魔法(プロテクション)で相殺し、完全になのはの動きを止めてしまう。体格差によるリーチと、数々の戦闘経験。そして、使い魔特有の高い身体能力の為せる技だった。

 

「おらぁっ!」

 

 ロッテの膝がなのはの腹に入る。肺から空気が吐き出される。浮かび上がる小さな身体。続くようにロッテから、頭突きを繰り出され、なのはの額から出血する。頭が揺れる。視界が揺らぐ。

 

「がぁっ――!!」

 

 そんな中でも、なのはは反撃の手を緩めず。相手の喉笛を食い破らんと噛みついた。ロッテの目の前で鋼鉄のワイヤーすら喰い千切りそうな歯が、カチンと音を鳴らす。そして、これ以上変なことをされる前に、なのはは遠くに放り投げられていた。

 

 無残に転がる小さな体は傷だらけだ。しかし、それは幼い肉体で無茶をした代償であり、半ば自滅したにも等しい事。

 

「――――っ!!」

 

 ふと、誰かの悲痛な叫びが聞こえたのだろうか。もう、何も聞こえなかった。分からない。分からないよ。

 

 ふら付きながら立ち上がる。うまく立つことが出来ない。さっき足を思いっきり踏み抜いたときに、膝か足首を痛めたのかもしれなかった。痛みを感じないのに、身体がいうことを効かない。左腕がだらんと垂れ下がる。転がった時に変なぶつけ方をしたのだろうか。ただ、妙に体が熱かった。怪我をした部分はもっと熱かった。

 

 そして、気配を察知して顔を上げれば、目の前に飛び掛かってきたロッテの姿。

 

 頭を思いっきり掴まれ、地面に押し倒されて、それからなのはの体はバインドで拘束された。地面に展開された回転する円形魔法陣(ミッドチルダ式魔法)から延びる無数の青い鎖が、なのはの身体を拘束する。起き上がろうとしても、魔法の鎖を引きちぎろうとしても、それはびくともしなかった。

 

「があぁぁっ、くがぁぁっ!!」

 

 それでも諦めきれないと、相手を殺すまでは止まらんと、獣じみた叫び声をあげてなのはは抵抗する。

 そのままにしていれば鎖を無理に引きちぎろうと腕を折ってまで暴れ続けるだろう。ロッテはため息を吐いた。

 

「いいから大人しくしてろ」

 

 なのはを見下ろす形で、何らかの術式を行使する。次の瞬間、なのはは自身の肉体を強化していた魔法が解かれたのを感じた。ストラグルバインド。対象の強化魔法を強制解除する捕縛魔法。ロッテのはリーゼ姉妹が使うバインドからの発生系で、術の発動速度を見直したタイプだった。気取られないよう設置に時間が掛かったが、うまくいった。

 

 捕縛対象が殺意に曇り、デバイスの補助がなかったからこそ容易に罠に嵌められた。これがアリシアの時だったら、間違いなく優秀なデバイスが阻止していただろう。最後まで支え続けようとしたバルディッシュならそうする。そして、主を支えるべきレイジングハートは此処にはいない。

 

 今の、なのははどこまでも一人だった。

 

「ぐっ……殺してやるっ。殺してやるっ。殺してやるっ!!」

 

 尚も暴れようとするなのはに、ロッテは噛みつかれないよう再びなのはの頭を掴んだ。伸ばした指すら喰い千切ろうとするから油断ならない。そこからフィジカルヒールに加えて追加で即効性の催眠魔法を、なのはに掛けた。対象の精神を落ち着かせて、興奮や錯乱から元に戻すための魔法だった。自殺防止用でもある。

 

 いくら高い魔法の資質を持っていたとしても、レイジングハートの補助がなければ抵抗は不可能。ベテランのリーゼに未熟ななのはが叶うわけがない。

 

 それでも整った呼吸の合間に呟いては、殺してやる、殺してやる、と無意識に怨嗟の声が漏れ出ていた。それ程までに深い憎悪だった。精神が落ち着いても、頭の中では殺意に満ちている。心から湧き上がる憎悪が止まることはない。

 

 地面に這いつくばっても、顔をあげてなのははロッテを睨んだ。その先にいるアリアを睨んだ。呆然と此方を見つめるグリーンや、空に浮かび上がる魔導師たちを睨んだ。そして、その最奥で封印術を行使し続けるギル・グレアムを睨んだ。

 

 その、殺意に満ちた視線。憎悪に歪んだ表情は、大人たちの心に感傷を抱かせるには充分で。

 

「……っ、なのはちゃん」

 

 だからこそ、それを見せつけられていた八神はやては、悲痛に満ちた表情をしてしまう。何も信じたくなかった。何も見たくなかった。何も感じたくなかった。この世界で起きている全てが、悪い夢であればいいと思いたいのに。一向に夢が終わることはない。ただ、空しくてあまりにも悲しい現実がそこに転がっているだけだった。

 

 それは心優しい少女が見るには辛すぎる光景だったのに違いないから。

 

 家族が目の前で死んだ。明るくて無邪気だった大切な友達(アリシア)が殺された。そして、自分を慰めてくれて、死にたくないと本心を明かしても支えてくれるような優しかった友達(なのは)は、見る影もなかった。

 

 こんな光景は見たくなかった。

 

 ただ、なのはにはもう、はやてがどうして泣いているのか分かることすら出来なかった。頭の中は憎悪でいっぱいなのに、体が動かなくて、酷く眠くなって。けれど、溢れ出す憎悪が意識をはっきりとさせてしまっていて。

 

 もう、なにが何だかわからなかった。そこに理性は存在しなかった。十歳に満たない小さな子供が怒りと憎しみで狂っているだけだった。心なんて当の昔に壊れているだけだった。なのはは、もう、なのはじゃなかった。憎悪に満ちた、ただの小さな復讐鬼だった。

 

 婚約者を失い。どこか呆然としていたグリーンは、その光景を見て打ち拉がれたように動かなかった。心ここに非ずといった風に動かなかった。動けなかった。もう、何も見たくなかった。これが本当に正しいことなのかどうかすらわからなかった。

 

 リーゼ姉妹は、最後の抵抗者であるなのはの様子を見ながら、最終段階に移行した封印術の補佐していく。病院の敷地一帯を包むように、巨大なミッドチルダ式魔方陣が展開され、病院の屋上の一部が虚無に満ちた光を現出させる。虚数空間の入り口が開こうとしている。

 

 そして、ギル・グレアムは全てを凍てつかせる封印の杖。デュランダルを両手で掲げながらゆっくりとはやてに近づいていった。先ほどまでの戦いを目に焼き付け。復讐を叫び続けるなのはを目に焼き付け。そして、ゆっくりとはやてを見下ろした。病院に存在するすべてを凍てつかせながら、何も感じないように意識していた初老の男は、初めてはやての事を見た。足が不自由でまともに立つこともできず、両手で上半身を支えながら、涙を流して凍てついた世界を見ていた八神はやてを。悲痛に心を痛め、呆然としている彼女を。

 

 そして、絶望に打ちしがれる八神はやては、静かに涙を流しながら、ゆっくりとグレアムの顔を見上げた。グレアムは酷い顔をしていた。まるで怒っているように歪んだ顔つきで、けれど喋りだすことは一切ない。口を噤んだ男は、今まではやてが泣いても叫んでも語りかけることは一切なかった。ただ、淡々と凍てついた魔法を行使するだけだった。

 

 けれど、それでもはやては問いかけずにはいられない。心が絶望に満ちても、悲しみに潰えても、問いかけずにはいられなかった。

 

 もう、それくらいしか出来ることはなかった。

 

「なんで、何でこんなことするん……」

 

 お前たち許さない。殺してやると叫ぶことが出来る。それは簡単だ。しかし、復讐を叫び続けるなのはの声が耳から離れなくて、今も聞こえ続けていて。ただ、こんな事になったのは自分の所為だという自責の念だけが、はやてを傷つけ、追い詰めていく。口から無意識にごめんなさいとという、か細い声がこぼれて。涙を流す資格はないと思っているのに、涙が溢れて止まらなかった。追い詰められた苦しみと、自身の過ちによる深い絶望と。そして全てを失った深い悲しみだけがはやての心を支配していた。

 

 ロッテが動くことすらなくなったなのはを、はやての傍に横たえた。ただ、殺してやると微かに呟き続ける少女を、はやてはそっと抱きしめた。見詰め合ったなのはの瞳は、何も映していなくて。ただ、ただ、虚ろだった。涙を流しながら、絶望に満ちて憔悴しきった顔をしていて。なのに表情は憎しみで歪んでいて。それが、よりいっそう、はやての心を締め付けた。

 

 そこにはもう、はやての知るなのははいなかった。昔の物静かだけれど、心優しい少女の面影などなかった。

 

 戦いで傷ついた身体で、立ち上がることすら出来ないなのはを抱きしめながら、はやてはそっと優しくなのはの髪を梳いた。もう、誰も殺さなくていい。誰も傷つけなくていい。ゆっくり休んでほしいと願って。憎悪に心を凍てつかせた少女を少しでも安心できるように祈って。頭を撫でた。強く抱きしめた。

 

 或いはこれから死ぬかもしれない恐怖に打ち震えた自分の傍にして欲しいだけなのかもしれなかった。これから何が起こるのか分からなくて、怖くてたまらなくて。悲しくて堪らなくて。誰も助けてくれず独りぼっちになった自分の傍にいて欲しかっただけなのかも知れなかった。

 

 それでも、最後に残った温もりだけは、離したくなくて。この手に残して置きたくて。はやては弱り果てた姿で、泣きながらグレアムを見上げて。怖くて何もできない自分がはがゆかった。

 

 それを受け止めながら、グレアムは静かに告げた。はやての最後の別れとなる言葉を。

 

「お前の罪。それは闇の書に選ばれたお前の存在そのものだ」

 

 グレアムの手がかざされ、虚数空間を開くための術式が発動しても。雪降る静寂な街を見ても、光り輝く神秘的な魔方陣に世界が照らされても、はやての心は動かなかった。グレアムの諦めたような瞳を見ても、何も感じなかった。

 

 ただ、腕の中でうずくまる、はやての罪の象徴となった親友の温もりと感触だけが残っていた。

 

 不破なのは。封印の術式に抗えず、身体を蝕む氷に為されるままになり。死に逝こうとしている少女。そんな彼女の失われつつある温もりを必死に抱き留めた。

 

 ただ、ただ、悲しかった。どうしてこんな事になったのだろうという想いだけが残っていく。

 

「ごめんなさい」

「………」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 それは、何のことに対する謝罪の言葉なんだろう。闇の書に選ばれたという自分の罪か? 自分のせいで巻き込まれてしまった親友や、病院の人たちに対するものであろうか? 或いは、蒐集していた真実を知って、ショックを受けて少しでも守護騎士や親友を心の中で責めた自分の愚かさにだろうか。

 

 何のことかは分からない。ただ、謝りたかった。誰かに謝りたかった。そうしないと罪悪感や絶望感に押しつぶされてしまいそうだった。心がどうにかなりそうだった。

 

 闇の書が氷漬けになる主を取り込んで転生しようと、動き出す。はやてが無意識に手を伸ばして、闇の書を掴み取る。だが、転生する前に、備えていたグレアムが動き出すほうが遥かに速い。はやてごと、闇の書は凍りついた。腕の中で衰弱するなのはも同じように凍てつかされる。その身に憎悪を宿したまま。なのに、はやては眠ることができない。なのはも、はやても生きたまま凍って、動けない。氷越しに世界の風景を見続けるしかなく。痛いとも冷たいとも感じないのだけが救いだった。もう、身体の感覚がなかった。

 

 虚数空間の穴が開き、底知れぬ暗闇に落ちていく自分。そこから急速に小さくなって消えていく元の世界への穴を見た。いや、遠ざかっていく元の世界だろうか。同じように落ちて来る凍りついた人々の遺体を見る。それでも心は薄れて行って、深い悲しみだけが残っていく。今のはやては、ただ謝り続ける生きた躯のような存在だった。

 

 それでも最後に残った失われつつある友人の温もりを、肌の感触を、命の重みを手放したくなくて。落ちようとする世界で必死に抱きしめ続けた。凍てついた体で、ずっとずっと落ち続けた。

 

 それが穴に落ちる瞬間に見た、はやての最後の光景だった。瞬間的に凍結封印されて、親友もろとも虚数空間に落ちた少女の末路。それでも意識が消えることはなく、肉体は凍てついたまま、闇の書と共に虚数空間の中を漂い続ける。

 

 そんな中で闇の書だけが静かに胎動を続けていた。



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復讐者のレクイエム 士郎の後悔

 その日。海鳴市は最悪のクリスマスを迎えた。

 後に神隠し事件と呼ばれるようになったそれは。人々を驚愕させ、当事者に涙と絶望を与えるには充分すぎるほどで。何十年と立ち直れない人が何人もいた。

 

 祖父や祖母が入院していた孫は泣き続け。出産を控えた妻を亡くした夫は心に深い傷を負い。後を追うように自殺する者も少なくなかった。もちろん復讐に駆られる者も……。愛しい子供を亡くした夫婦が立ち直れず、家庭が崩壊した一家も少なくない。

 

 中には家族や友人の帰りをずっと待ち続けている者もいた。

 

 神隠し事件の驚愕すべき所は証拠が一切残っていない所にあった。

 

 何らかの荒らされた形跡が無いまま、病院にいた患者、医者、看護師といった。生きている人間が一夜にして消えるという現代ではあり得ないような出来事。それどころか大学で飼われていた実験動物すらいなかった。ここまで見境がないと恐ろしさすら感じるくらいに。

 

 まず、海鳴り大学病院の近隣に住む住人が、深夜だというのに静かすぎる事に気がついた。しかも、クリスマスという一年に一度の特別な日。少しばかり賑わいがあってもおかしくはない。

 

 警察がそれを受けて現場に駆けつけ。医療機器に何らかの異常が発生した可能性もあるとして、近くの消防隊や救急車まで迅速に向かった。詰所から電話を掛けるも、応答は一切なし。病院は緊急を要する事もあるため、応対に出る人間は必ずいるというのに。

 

 ここにきて、ようやく異変が浮かび上がってくる。

 

 そして一番先にパトカーで駆け付けた警察官は、あまりの異常な事態に息を呑むことになった。

 

 消灯し、暗くなった夜の病院は不気味で人気がない。駆けつけた警察官の一人が外側から懐中電灯で院内を照らし、何度もすいませんと呼びかけるも応答なし。ならばと、入り口のドアを何度もノックしても応答なし。拳がぶつかる音が院内に強く響いても、誰も反応しない……

 

 二人の警察官はようやく事態の急用性を理解し、本部に報告するとともに、中を確認するため突入を決意。病院のガラスを叩き割って内部に侵入すると、状況を確認しつつ誰かいないか呼びかけ、事情を聴こうとフロア周辺をくまなく探した。

 

 誰もいなかった……。寝ているはずの患者も、当直の看護師や医師も。応対や受付をする社員も。

 

 しんっと静まり返った病院は恐ろしく。そして誰もいない異常性は恐怖を与えるには充分すぎる。二人の警察官は、この異常事態に怯えつつも、一縷の望みを託して生存者を探した。死体すらないのはおかしい。さりとて争った形跡もない。大規模な誘拐にしても、内部と外部の人間に気づかせずに事を済ませるなど不可能だ。

 

 そして、昨日のように物がそのまま置いてあることが、よりいっそう不気味さを増長させた。

 

 食べかけのケーキ。フルーツ。スーパーで売っているようなステーキ。病室にある途中で開けられたクリスマスプレゼント。あるいは手つかずに枕元に置かれた物もあった。

 

 患者のベットの横には点滴の針が、今まで刺さっていたかのように存在し、シーツを薬液で濡らしている。同じように患者が消えたことで、ベッドに置き去りになった心電図のパッドは、横の心電図の機械によって脈が止まった事をピーっという音と共に知らせ続けていた。

 

 点滴の針を抜けば血の跡が一滴くらいあってもおかしくはない。患者につける心電図のパッドを外したにしては綺麗すぎる。何より集中治療室の患者を動かせば、院内の人間は必ず異変に気付くはずなのに。

 

 それをこんな短時間で、誰も気づかせずに誘拐することなど不可能。もちろん院内の人間を全員殺して死体を隠蔽することも。

 

 誰が返事をしてくれっ!! そんな、とある警察官の叫びは空しく響いて消えただけだった。

 

 

 

 そして、応援に駆け付けた警官隊が現場に到着すると調査を開始する。周辺に病院の患者か職員がいないか捜索態勢まで臨時で組まれた。そこには消防隊員や救急隊員も駆けつけ。テロの疑いありと、自衛隊の出動要請まで考えられる事態となった。

 

 次に捜査官が現場に到着し、事件の調査を始める。あらゆる専門的な視点から事件の手掛かりを追うも、関係性は一切見つからなかった。手掛かりが全くない事件。それこそが海鳴大学病院で起きた事件の異常性を一言で表している。

 

 テレビ番組では緊急のテロップが流れ始め、続くようにどの局も臨時ニュースを行い始める。ここに来て町の人間どころか、日本全国規模で人々は騒然となってゆく。別の病院に入院していた家族の安否を確かめようと、全国の病院がパンクするほどの電話がひっきりなしに鳴り始め。政府主導のもとで、直ちに安全を確認する事態となる。

 

 同時に関係者を誘拐して、海外に逃亡しないか国境線に警備が敷かれた。海上保安庁の巡視船が海を監視し、全国の空港で警官隊を総動員して臨時の検問が行われた。

 

 やはり、何の手がかりも掴めなかった。

 

 世界各国ですら、この異常事態に関心を示し、トップニュースで伝えるころになると。誰が言い出したのか、これを神の裁きだ。悪魔の陰謀だと囁かれ。人の手によってなされなかった事件。いわゆる神隠しだと言われるようになり。

 

 2005年12月25日。この日より、海鳴市にとってクリスマスとは祝いの日であり、弔いの日となる事になった。

 

 

 

 最初に、その一報を受けた時。不破士郎は何を思っただろうか。

 

 情報を察知したバニングス家と月村家が総動員体制で娘と友人たちを探そうとする中。不破美由希はテロ組織"龍"の仕業かもしれないと顔を強張らせて周辺を走り回っていた。まるで、娘が、なのはが誘拐されたあの雨の日の焼き直しのように。

 

「父さんっ!!」

 

 ただ、士郎を襲ったのは発作だった。家の電話から受話器を取り、耳に当て、聞こえてきたバニングス家の使用人と名乗る男から娘が消えた事を知った時。頭が真っ白になった。心に浮かんだのは焦燥でも、憎しみと怒りの炎でもなく。損失感。愛する妻の桃子を失った時のような絶望感。

 

 三度目となる家族の危機は長年、己の身を省みずに動き続けてきた士郎に止めを刺すには充分だった。復讐をするために全国を駆け回り、鬼気迫る戦いを繰り返し、家の中であっても常に気を抜けぬような生活を続けてっ来た彼が、ついに限界を迎えてしまった。

 

 身体からは急速に力が抜けていき、慌てて駆け寄った息子の恭也に支えられるも、ひどく動揺した士郎の動悸は収まることを知らない。頭の中が真っ白で何も考えられない。心は動揺して不安でいっぱいで、一向に落ち着きを取り戻さない。

 

 手を伸ばす。失ってしまったのか、失おうとしているのか分からない。ただ、最愛の存在をもう一度掴み取ろうとするかのように。震える腕を虚空に伸ばす。

 

 誰かの手を求めたのかと勘違いした恭也が、片手間に携帯電話で救急車を呼びながら、安心させるように握り返す。暖かなで安心させるような、でも、ごつごつしていて誰かを守るために鍛え抜かれた掌。もうすぐ彼も父親になる。生まれてくる赤子をその手に抱き上げる父親になるのだ。

 

 取り戻せると思っていた。小娘と呼び捨てていたアリシアの、なのはの友人のおかげで気づいた大切なこと。もう一度やり直せるのだと思っていた。桃子を失ってからバラバラになってしまった家族の絆。あたりまえのような家族生活。なのはの幸せを考えて毎日を頑張る。娘を不器用なりに支える。そんな日々を。

 

 しかし、大切な存在はもう一度、手の届かない向こう側に行こうとしている。探しに行かなければ。でも、身体に力が入らない。耐え難い損失感を味わった心が悲鳴をあがている。まるで魂が抜けていくかのよう。

 

「な、のは……」

「大丈夫だ父さん。なのははきっと無事だ。だからしっかり――!!」

 

 近くで爆弾が爆発したみたいに音が飛ぶ。耳鳴りがキーンとする。恭也の声がよく聞こえない。意識が遠のいていく。

 

 なのは。心の中で何度も呼び続ける娘の名前。しかし、それに返事をしてくれる最愛の娘の声は結局聞こえなかった。

 

 

 

 救急車が到着し、各地で同じような事が何件も続いていると焦る救急隊に運ばれ、病院まで搬送された士郎は。入院したその日から茫然自失となってしまった。

 

 誰が呼びかけても虚ろな反応しか示さず、動くこともままならない。点滴だけで生かされているような存在。段々と衰えていく肉体は、屈強だった頃を忘れるかのようにやせ細っていく。

 

 なのはがやっぱり見つからない。探しに行こう。美由希にそう呼び掛けられた気がするが、反応は無い。終いには張り裂けるような怒声と、頬に残る熱さを伴った痛みだけが残った。

 

 娘に殴られたのだと薄ら薄ら気が付いたが、反応できない。なのはを失った損失感だけが残り、何も考えられない。動く気力もない。

 

 結局、美由希は恭也に怒鳴られながらも、何処かへと消えてしまった。恐らくなのはの事を探し出すつもりなのだろう。或いは誘拐したと思われる存在を探し出して殺すのかもしれない。今までそうしてきたように。しかし、もうどうでも良いことだ。

 

 バニングス家の当主であり、古い友人であるデビットが忙しい合間を縫って訪ねてきた。同じように大事な娘を失った父親として、お前の気持ちは良く分かる。こんな事を言うのも何だが、支えてくれる伴侶すら亡くしたお前がそうなるのも……私だって勝気な妻がいなければ今頃は。そんな言葉を聞いた気がする。

 

 だが、最後には諦めるな。必ず俺達の娘を探し出そう。きっとあの子たちは、助けを求めて待っている。だからお前も立ち上がって来いと励まされたようだった。だが、どうでも良いことだ。クリスマスのあの日。行ってきますと言って出かけて行った娘はもういない。呼びかけに答えない。ただいまと帰ってこない。どうしてだ。

 

 約束したのに。

 

 その後も、月村家の当主となっている、娘の友人の姉。恭也の伴侶となる忍が、相談に来たりもした。

 

 ……気がする。

 

 あの子たちがいない所で、結婚式を挙げるべきかどうか。こんな状況だからこそ慎むべきではないか。何か月たっても見つからないあの子たちを待つべきじゃないかって。そんな事を。でも、恭也が励ましてくれたから、形だけでも結婚式は上げることにしたと。新郎の父として参加してほしいと言われた。そんな気がする

 

 どうでもいい事だ。なのはが帰ってこない、娘がいない。

 

 いつの間にか退院していたことに気が付いたのは何時だったか。恭也が毎日面倒を見に来てくれて、日々の出来事を言い聞かせてくれるが、良く分からない。用意してくれたらしい布団で寝て、トイレで用を足し、飯を食う。毎日が茫然自失としている。何も感じないような虚ろな日々。まるで夢でも見ているかのようだ。

 

 どうでもいい事だ。剣士を引退して、裏社会から半分足を洗った時に、ずっとそうしてきたじゃないか。

 

 娘に無理やり稽古をつけて、強くして。不埒な輩から己を護れるようにと鍛え、帰りを待つ日々。在りし日の思い出を浮かべながら、ただ日々を過ごす存在。それが不破士郎だったじゃないか。

 

 もう、どうでもいい。桃子に、なのはに会いたい。

 

 

 

 

 いつの日からだろう。士郎が酒に溺れるようになったと自覚し始めたのは。

 

 度数の高い酒を水で薄めず、グラスにすら注がない。瓶を傾けて酒を浴びるように飲んでは、泥酔する。常人が想像を絶するような鍛錬で鍛え抜かれた士郎の体調は、さらに悪化し、日に日に衰えていく。

 

 それでも意識だけはしっかりしていた。戦闘民族としての不破や御神の血が、アルコールや薬物に強い耐性を示すからだ。悪酔いして物や人に当たり散らすような事もせず、酒が与える高揚感で全てを忘れようと、日々をぼーっと過ごす毎日。

 

 そして、アルコール量が許容範囲を超えれば、嘔吐する。肉体にとって有害な毒を少しでも排出するように。さすがに畳部屋でやらかすと拙いと思う程度の理性はあったのか、ふらつく体を支えて洗面所に向かったのをぼんやりと覚えている。

 

 恭也も見かねて何度も止めようと注意し、時には羽交い絞めにしてでも士郎の暴挙を抑えようとした。だが、一時の間は止まっても目を離せばすぐに酒に逃げる士郎。一時は病院に隔離しようとも考えたが、今の父親を一人にすることの不安感が勝ってどうすることもできなかった。目を離せば彼は自ら命を絶ってしまいそうだったから。

 

 士郎は自らの習慣だった仏壇にお祈りする行為すら忘れてしまった。怖かったからだ。仏壇に立つことで娘が死んでしまった事実を認めてしまいそうで怖かったからだ。或いは行方不明で、誰も見つかっていないという状況に希望を持たせたかったのかもしれない。娘は、なのははいつの間にかひょっこり帰ってくるんじゃないかと。

 

 ただいま、お父さんって。そう言って帰ってきて。いつものように学校に出かけて、時には友達を連れてくる。そんな日々が。

 

 戻ってくるんじゃないかと。

 

 心のどこかで、それにすがっている自分がいる。

 

 

 

 帰ってきた娘を迎え入れて自分は怒鳴り散らすだろうか。いや、もしかすると心配のあまり、泣き散らしながら娘を抱きしめて、ずっと話そうとしないかもしれない。

 

 妻を亡くしてから涙を流すことを忘れた自分が、いとも簡単に嗚咽を漏らす姿を想像して、次には首を振って否定する。

 

 涙を流すことなどできはしない。泣くことも笑うことも忘れて、日々を憤怒と憎悪に彩られるまま、復讐心に駆られて過ごしてきた自分には。きっととうの昔に忘れてしまったのだ。半身ともいえる存在を失ったその日から。

 

 

 

 

 日々を虚ろに過ごして季節が何度か移り替わったある日。

 

 士郎は娘との日々の記憶が段々と薄れていく感覚に恐怖した。徐々に思い出せなくなっていく、娘の顔。幼い娘の妙に落ち着いた声。たとえ僅かでも記憶の精細さが失われていく事実に怯えるしかなかった。

 

 記憶の中の娘が死んだとき。なのはの死が確定してしまう。そんな気がした。

 

 ふらつく身体を押して家中を必死にあさった。朦朧とする意識。思うように動かない体。おぼつかない足取り。霞が掛かったかのような思考のなか。頭の中はどうにかして記憶を失うまいと、都合のいい術を探す。そう、アルバムだ。娘や妻との写真が納まったアルバム。それさえあれば。

 

 いつの間にか、手には一冊のアルバムが握られている。記憶の片隅で、なんとなく恭也が助けてくれたような感じがしたが些末なことだ。今は、なのはとの思い出を探すほうが先決である。

 

 アルバムの題名は高町家の思い出。綺麗な文字の横には可愛らしい動物が描かれていて、絵心を感じさせた。

 

 ページをめくる。いきなり結婚式や披露宴の写真ばかりが目に入った。それもそうだろう。結婚するまえは士郎も何かと忙しかった。御神の剣士として、裏社会の脅威から要人を護衛するボディーガードの日々。多くのツテはあったが、交友と言えるほどの関係はなく。あくまで仕事上の付き合いでしかない。

 

 日々を彩る光景を写真や絵にして、個人で日記をつづったりもしなかった。趣味ではなかったし、仕事柄で些細な情報すら誰かの危険に為りかねなかったから。

 

 アルバムを持とうと考えたのは、やはり家庭を持つことになったのが大きいのだろう。その頃には危険な護衛の依頼も殆ど受けなくなっていた。

 

 なんだか懐かしいような気がする。

 

 

 披露宴の中で新郎新婦は幸せそうに笑っていた。そこには笑顔があった。在りし日の自分が嬉しそうに、幸せそうに笑っていた。その隣には愛しい妻の桃子が幸せそうに微笑んでいる。二人とも、その先に地獄があることなど知らないように。

 

 士郎は写真の中の自分が自分であって、自分でないような気がした。懐かしいような寂しいような、そんな気分。今の自分は、こんな風に笑うことすらできないだろう。

 

 そして写真に写る幸せそうな桃子の姿を見ていると、心が締め付けられるようで苦しかった。彼女を失った時の絶望感と損失感。そして申し訳なさ。自分に対する情けなさ。無力な自分に対する怒りと憎しみ。妻を奪った相手に対する憎悪。いろんな感情に振り回されて頭がどうにかなってしまいそうだった。

 

 ただ、ただ、己を恥じるしかなかった。何が護る為の御神の剣士だ。結局、大事な人は救えはしないのだ。それも、これも自分の弱さが招いたことだから。

 

 だから、士郎は仏壇に祈ることはしても、思い出を振り返るようなことはしてこなかった。幸せそうな桃子の姿を見れば見るほど、あの日の光景が思い浮かぶ。脳裏に焼き付いた瞬間が再生される。無力な自分にどうしようもなくなる。なんど、護れなくて済まないと詫び、なんど、護れなかった己を責めたか。

 

 いっそのこと士郎のことを責めてほしかった。不甲斐ない自分を殺してほしかった。

 

 でも、死のうとしなかったのは。そうしなかったのは、きっと娘がいたから。なのはがいてくれたから。

 

 アルバムのページをめくる。 

 

 幸せな夫婦生活。新婚旅行の写真と続いて、現れたのは生まれたばかりの赤ちゃんの姿。

 

 ひらがなみっつで、なのはと名付けられた。士郎と桃子の本当の娘。菜乃花では可愛げがないからと、桃子がひらがな三つにしましょうと付けた名前。

 

 生まれたばかりの娘が自分の指を握った感触を思い出す。とても小さくな手が、自分の指を強く握りしめたあの時。小さくても力強く、そして新しい命を感じさせる暖かさを感じさせてくれた。

 

 抱き上げればとても軽いのに、命の重みがあった。吹けば消えてしまいそうなほど弱く、けれど力強く今を生きている命の鼓動を感じた。決して失ってしまわないと、とても大事に扱い、触れる時も些細な事にまで気を付けた。

 

 あの時は、桃子が苦笑していたのをよく覚えている。

 

 士郎さん。そんなに心配しなくても大丈夫よ。この子はとっても強い子だから。だから、安心して抱っこしてあげて。そう、言われたのをよく覚えている。

 

 そうしてアルバムのページをめくるたびに、時を刻んでいく高町家の姿がある。

 

 特に子供の、なのはの成長は早いもので、赤ん坊から幼児に成長するまであっという間だった気がした。赤ん坊の頃は、何かあるたびに泣きわめいては、士郎を心配させたものだ。お漏らししてないか。おむつの取り換えは必要か。お腹がすいてしまったのか。風邪はひいてないか。

 

 時には寂しくなってぐずらないように、何度も変な顔をして笑わせ。抱き上げては親が傍にいるよって。何度もぬくもりを感じさせた。その度に伝わってくる、なのはの体温はとても暖かかった。そうして、士郎は安心するのだ。この子はちゃんと健やかに育ってくれていると。

 

 なのはが初めて立った時は、思わず万歳して、高い高いと抱き上げそうになったが、桃子に叱られたのでやめた。なのはが二本の足で歩いて、自分の元までやってきたときには感動のあまり泣き叫びそうになった。

 

 桃子も何度も娘のことを褒めていたのを覚えている。もちろん時には厳しい人だったが。自分はどうだったろうか。少なくとも、妻を亡くす前までは、なのはを甘やかしてばかりだった気がする。

 

 娘がちょっとずつ言葉を覚えていくのにも感動した。心がわくわくした。少しずつ成長しているんだろうと感じ、同時に期待感もあった。

 

 自分のことは何て読んでくれるんだろう。パパかな。お父さんかな。そんな気持ちでワクワクしていた。

 

 ママが先か、パパが先か。どちらが最初に読んで貰えるのか桃子と競争したこともあった。結局、なんだかんだで、なのはの世話を焼いていた恭也がおにーちゃん♪と呼ばれるのが、一番早かったが。あの時はちょっとした嫉妬心から。ついお話してしまった。

 

 あの頃が一番楽しかった。

 

 

 

 

 そうして消える桃子の姿。桃子を映した写真は一枚もなくなった。小学校の入学を控えている時期に、消えてしまった愛する妻の姿。

 

 これからだというのに。入学を祝い、事業参観に出て、学校は楽しいか聞いて。友達はできただろうか。仲良くやれるだろうか心配して。お迎えの準備をするときは、どうしようかな。なんて考えていた。

 

 けれど、桃子の夢だった小さな喫茶店を建てる夢も、何もかもが消えた。

 

 もう、その頃には何もかもがどうでもよかった。頭の中は悲しみと怒りでいっぱいだった。あの時から自分はどうにかしていたのだろう。悪鬼が生まれてしまったのだ。自分の心の中から復讐を躊躇わない恐ろしい悪鬼が。

 

 桃子を殺されてから復讐に奔った。心を激情に突き動かされるままに。世界を奔走して桃子を殺した人間も、それに関わった人間も常に皆殺しにしてきた。感情に突き動かされるままに剣を振るい、足を斬り、腕を裂き、首を跳ね飛ばした。そこに躊躇いも、疑問の余地もなかった。

 

 それでも怒りは収まることを知らず、二度と惨劇を繰り返さないためと称して、それを大義名分にして、悪質なマフィアやテロリスト共を斬った。

 

 奴らの背景にどうしようもない理由があったとしても、剣を振るう腕は止まらなかった。

 

 楽しかったころの思い出も。喜びも。笑顔も。悲しみも。涙も。すべて忘れた。怒りだけがすべてを支配した。

 

 ただ、怒りのままに全てを斬り捨ててきた。それ程までに妻を愛していた。だからこそ妻を殺した存在も、遠因となった存在すらも赦せなかった。妻を目の前で殺されて、守れなかった自分自身にも怒りが向いていた。だから、己を試みないで復讐を続けた。

 

 やがては、殺しても、殺しても満たされず。復讐を果たしても怒りが収まることはなかった。恭也に止められる形で負傷して、裏稼業から足を洗っても心は満たされなかった。

 

 後には損失感だけが残って……

 

 

 

 

 何の写真もおさめなくなったアルバムの白紙のページをゆっくりめくる。

 

 もう少しでなのはの入学式だった。順調だった夫婦生活は終わりを告げた。

 

 ため息を吐く。どうしてこんなことになったのだろう。

 

 少しだけ冷静さを取り戻した士郎は、何度もアルバムのページを捲って。

 

「ああ………」

 

 気が付いてしまった。気が付くと、心は愕然として。それから後悔ばかりが募った。

 

 思い出してしまった。楽しかった頃の高町としての生活。そんな日々を僅かでも。桃子となのはの写真が思い出させてくれた。

 

 そうして気が付く事実は、娘との思い出など殆ど残ってないという真実だけ。

 

 人生に一度のめでたい入学式の写真がなかった。制服姿にランドセルを背負った娘の姿がなかった。授業参観で一生懸命頑張る娘の姿がなかった。夏休みに水着姿ではしゃぐ姿も、海でスイカ割りや砂遊びをする写真がなかった。運動会の駆けっこで親に良いところを見てもらおうと頑張る娘の姿がなかった。冬のクリスマスでサンタさんを心待ちにして、やっぱり寝てしまった娘の寝顔の写真がなかった。

 

 なのはとの思い出は妻を失った日から殆ど無いといっていい。あるのは護身術と称して無理やり鍛錬を施し、厳しく接し続けた日々の記憶だけ。

 

 そして、傍らの、なのはの日記にすら家族との思い出はほとんどなかったのだ。

 

「嗚呼……俺は……なんて、事を……」

 

 自分は、実の娘である、なのはすら。復讐の道具として見ていなかったか? 何が身を守るためだ。そんな言い訳ばかりして、嫌がるあの子に暗殺術すら仕込まなかったか?ハッ、何が護身術だ。笑わせるな。ただの人殺しの技じゃないか……と。士郎は心の中で吐き捨てた。自分を罵って、嫌悪した。親として最低だった。

 

「俺は大馬鹿野郎だっ……!!」

 

 酔いが醒めた。後に残るのは気怠さ、吐き気、めまいと頭痛。そして死にたくなるほどの後悔だけ。

 

 満たされる訳がなかった。

 

 士郎が欲しかったのは復讐を果たすことではなかった。

 

 ただ、家族との幸せな日々が欲しかった。愛する妻と一緒に互いを支えあいながら、子供たちを育てて。幸せそうに過ごす家族に囲まれて。いつの日か結婚する子供たちを送り出して。生まれてくるであろう孫を抱く。

 

 やがては老い、どちらかが先に看取って、あとを追うように死ぬ。

 

 誰もが当たり前のように思い描く、人の一生を果たしたかった。

 

 桃子が死んでしまったのだとしても、怒れるままに復讐をするのではなく、振り返るべきだった。自分の背中を見上げていたであろう娘に気づいて、二度と離さないよう抱きしめてやるべきだった。護ってやるべきだった。親として支えてやるべきだった。

 

 だが、護るべき娘はもういない。桃子が残した忘れ形見は、士郎を置いて消えてしまった。果たして生きているのか、死んでいるのか。それすらも分からない。

 

 士郎がすべき事は復讐ではなかった。娘をきちんと育てることだった。育てなければならなかった。

 

 きっと桃子が今の自分を見たらぶん殴るに違いない。それほどまでの過ちを士郎は犯してしまったのだから。

 

 そして、男は一人。部屋の中で慟哭し続けた。

 

 もし、叶うのならやり直したいと泣き続けた。

 

 けど、その時は永遠に訪れないだろう。もう、何もかも変わってしまったのだ。

 

 ただ一つの儚い希望は、日記に残された娘の希望を叶えるために、待ち続けることだけ。

 

 そう、士郎にはもはや待ち続けることしかできないのだった。



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復讐者のレクイエム 不破なのはの日記 前編

 ○月×日

 おかあさんがいなくなって、わたしのかぞくは変わってしまいました。

 みんな、ぎすぎすしてるの。なんだか、こわいです。

 こんなとき、おかあさんがいたら……

 会いたいよ。どうしてしんじゃったの? おかあさん。

 おかあさん……おかあさん!!

 

 ○月×日

 しりつの小学校に通うことになってから、わたしはしゅぎょーを始めました。

 身をまもるためのれんしゅうだと、お父さんは、そういってわたしをきたえます。

 なぐられるのがいたくて、体力づくりはくるしくて、いやです。

 お姉ちゃんも、でかけるようになって、なのはと目を合わせなくなってしまいました。

 お姉ちゃん……なんだか、いやなにおいがするの。

 

 こう、むせかえるような、よくわからないにおい。

 お兄ちゃんは笑って、気にしないでというけど……

 これも、なのはがわるい子だからいけないのでしょうか。

 

 ○月×日

 今日は、がんばってお兄ちゃんといっしょに料理をしました。

 なのは、へたくそで、ぜんぜんできなくて、ほとんどお兄ちゃんまかせ。

 でも、いつも怖いお父さんとお姉ちゃんは、少しだけ笑ってくれたの。えへへ。

 うん、がんばろうと思います。また、家ぞくみんなでやりなおしたいとおもいます。

 むかしみたいに、毎日をわらってすごしたいです。

 

 ○月×日

 あ、ああ! あああ!! 怖い、怖い! あの男がわたしを見ている。わたしに何かしようと手を伸ばす……

 おかすとか、いたぶるとか、良く分からないことを言われた。でも、このままじゃ、わたしはころされてしまうのは分かった。

 

 そしたら、お父さんの言葉が、頭に浮かんで……気がついたら、わたしの、りょうて、あかくて、あかいみずが手からこぼれて。

 

 おとこの、ひとは、たおれていて、わたしはお姉ちゃんにだかれてた。

 おねえちゃんが、やっつけた? でも、このむせかえるようなにおい、は、血……?

 ああ、お姉ちゃんは……そして、わたしは……わたし……?

 わたし……なにしたの……? 

 

 ○月×日

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、お父さんとお姉ちゃんはどこなの?

 いない、そばにいてほしいのに……どうして、いないの。なのはのことなんて、どうでもいいのかな……

 くるしい、だれかたすけて、はきけがする。ごはんがたべれない。

 あかいものがこわい。雨はきらい。

 

 恭也おにいちゃん……なのはのとなりにいて……

 お兄ちゃんのからだ。あったかい。あんしんするの。

 ねぇ、そばにいて。おにいちゃん。

 

 ○月×日

 最近、あの夢を見てばかりだ。私を襲う忌々しい悪夢。

 夢を見て、目が覚めて、吐き気が止まらなくて嘔吐した。苦しくて、苦しくて、涙が出る。

 悪夢を振り払おうと、嫌いだった修行に精を出す。

 勉強をたくさんして、兄の盆栽を習ったり、色んなことに手を出した。

 おかげで、学校の授業が退屈で仕方がない。習ったことばかりだ。

 本当に憂鬱でしょうがない……

 

 ○月×日

 雨が怖い。雨が怖い。雨が怖い。雨が怖い。雨が怖い。

 いや、いや、いや、いや、嫌々嫌々!! わたしに近寄らないで! 私に手を伸ばさないで!

 そうだ。殺せばいいんだ。その術をわたしは知っている。死にたくない。怖い!!

 私の手から赤い血が零れ落ちる。ううん、溢れてくるんだ。私の手から私じゃない誰かの血が溢れる。

 コンクリートの地面に落ちて、地面に血だまりができて、雨と混じって。

 いやだ……もう、いやだ……

 ごはんって、こんなに、おいしくなかったっけ……?

 

 ○月×日

 はぁ、何をしているんだろう。私は今日、らしくないことをした。

 最近、眠るのが怖くなって、睡眠時間を削っているので、日々の体調が優れなかった。

 そんな、私の前で同級生の二人が喧嘩した。

 

 カチューシャを取って虐めている方は別に気にもしなかった。

 問題は、もう片方の虐められている気弱な少女。

 返して、返してと五月蠅い。しまいには泣き叫んだ。

 

 私の寝不足気味の頭に響いて不快だったので、喧嘩両成敗で下してやった。不破の技を使う必要もない。ちょっと煩いと脅してやればいい。

 そしたら、私の顔を見てぎょっとした二人の女の子に心配されて……はぁ、らしくない。

 確か、二人はアリサ・バニングスと月村すずかだったか? 

 なぜだか、友達になってしまった……どうして、こうなった? あれですか、孤立組だから親近感でも覚えましたか?

 友達なんて……必要ないのに。私と関わったら不幸になってしまうから……

 はぁ、ほんと、私らしくない。

 

 ○月×日

 ……意外なことに、友達ができてから、悪夢を見なくなった。

 少し嬉しい。アリサ、すずかとバスに乗って、一緒に通学して、勉強と運動をする。

 楽しみなのが、お弁当の時間だ。最近、家族とますます疎遠になって、全員で食事をする日が減った。

 だからだろうか、皆と一緒に食事をする時間は、存外楽しい。何より、食べ物が美味しく感じる。

 うん、私は充実している。悪くない気分。嫌なこともたくさんあるが、その分、小さな幸せが、大きな幸せに感じるから。

 アリサに、笑った方が可愛いわよ。とか言われて恥ずかしかった……すずかも、微笑んでるし、もうっ!

 わたしは照れ屋さんじゃないもん! アリサちゃんだって、ツンデレさんのくせに!

 

 ○月×日

 何故か。魔法少女になった。どうしてこんな事になったのかわからない。

 けれど、放っておくと街が大変なことになるらしいので、仕方がなく動くことにする。

 個人的に誰かの為に力を振るえるなら構わない。それは嫌ではない。

 人を殺してしまうよりはずっといい。この力で人を助けられるなら――

 

 それにユーノさんは放っておけない。

 責任感が強い人みたいなので、一人でなんでも解決しようとするかもしれない。

 とても心配だ。

 

 きっとアリサが見たら、お人好しというんだろう。

 けれど、それでいい。

 

 私は、私の力で、誰かを救えたならきっと、変われる気がするのだ。

 この血塗られた手でも、誰かを救えるんだって。

 復讐鬼に落ちてしまった不破の人間でも誰かを助けられるんだって。

 

 証明したい。証明するんだ。私が。

 そうすれば家族とも和解できるかもしれない。

 まだ、やり直せるんだよって、言えるかもしれない。

 

 天国のお母さん。なのはにほんのちょっとでもいいから勇気をください。

 おとーさんとおねーちゃんと仲直りできる勇気を。

 なのはは友達になれそうな男の子を助けるために頑張ります。

 

 かしこ。

 

 ○月×日

 今日は勇気を出して友達に相談した。

 家族に相談するのは気が引けたので、話さない。話せるわけがない。

 

 そんな事をしたら、せっかく助けたユーノさんが原因だとして、彼は追い出されるに決まっている。私としては断固として容認できないことだ。

 

 だから、友達に相談。

 その、困ったときは何でも相談してくださいと言われたから。

 そしたらとっても驚かれてびっくりしました。まあ、私もアリサや、すずかが魔法少女になったら、内心で動揺を隠せなかったでしょうけど。

 

 でも、ジュエルシードの事を話して、それがどんなに危険なものか話したら、できる限り協力してくれると約束してくれた。

 原因となったユーノさんの事でちょっとひと悶着あったけれど、概ね納得してくれた。

 私以外にレイジングハートの力が使えないことには、ちょっとがっかりしていたけれど。

 やっぱり、年相応の女の子は魔法とか、不思議な力に憧れるものなのでしょうか?

 

 私には分かりません。むしろ、幸せな家庭や平穏な日常のほうが大切です。

 それはきっと大切なことで。当たり前のように過ごせることはとても幸せなことで。

 もしも、おかーさんとおとーさんが笑っていられる日々があれば、それはきっと尊い事なのだと思うから。

 

 それにしても今日は悩みを相談――うん、相談して、良かったと思います。

 

 私が同じ立場で、友達が人知れず危険な事をしていると知ったら、それを止めるでしょう。

 そして、どうしようもないことだと知れば、どんな事をしてでもアリサとすずかを助けたでしょう。出来る限り二人を支えたでしょう。

 

 だって、二人は大切な友達だから。

 

 なのはの大切な、大切な友達。

 はじめてなまえを呼んでくれた親しい友達。

 

 街もみんなも、家族の平和も、なのはが絶対、絶対守って見せるから。

 修行の日々はとっても辛いけど、それでもなのははがんばります

 

 大切なおとーさんとおねーちゃん。

 それに、近々結婚する予定のおにーちゃんと忍さん。

 

 一緒に遊んでいて楽しくて、安らぎを与えてくれるアリサとすずか。

 そして、困っていると放っておけなくなるユーノさん。

 みんな、みんな、なのはが護って見せます。

 

 だって不破のお家は、護ることを信条とする御神のお家でもあるんだから。

 なのははとっても頑張ります。

 

 天国のおかーさん。

 なのはを優しく見守っていてください。

 

 かしこ。

 

 ○月×日

 今日も大変でした。

 反応があった二つ目のジュエルシードを鎮めて、事件を解決するつもりでしたが。

 何というべきかユーノさん以外の魔導師に襲われました。

 

 年はわたしと同じくらいで、あんまり食べてないのか見るからに痩せていて、顔がやつれていた女の子。

 

 彼女にいったい何があったのでしょう?

 

 おかあさんの事必死になって叫んだ少女。

 もし、何か事情があるのなら助けたいです。

 

 なのはにはおかーさんがもういないから。

 とりあえず、病院食も食べてくれましたし、一安心です。

 

 再び目を覚ましたら、今度はお風呂に入れてあげて、それからゆっくり寝てもらいましょう。

 睡眠は体力を回復させる一番の近道ですから。

 

 追伸

 アリシアをお風呂に入れてあげたら、何故か泣かれてしまいました。

 なのはは、何か悪いことをしてしまったでしょうか。

 もしかして、友達になるの嫌だったでしょうか。余計なおせっかいだったのかも……うぅ、とっても不安です。

 

 とりあえずゆっくり眠ってくれたので、なのはも今日は眠ることにします。

 父の説得に骨が折れそうですが。それはまあ、考えないことにしましょう。

 

 ユーノさんにも慣れない魔法の行使で、身体に負担が掛かっているだろうから寝たほうがいいと言われましたし。

 明日も頑張りましょう。おやすみなさい。

 

 追伸2

 あの子が脱走するので、やっぱり眠らないことにしました。

 今日ほど気配に敏感なことに感謝したことはありません。

 病人は大人しく寝てろとユーノさんと軽く脅したので、もう大丈夫だと思いますけど……

 

 これ以上逃げるならバインド。いえ、縄抜けできない拘束術で、布団と一緒にぐるぐる巻きの刑です。

 まったく……おとなしい印象に反してやんちゃな子ですね。気が抜けません。はぁ……

 でも、助けられてよかったです。

 

 本当に――あの子を救えて、よかった。

 

 ○月×日

 今日は月村邸に行って、改めてユーノさんとアリシアを二人に紹介しました。

 二人とも、私やアリシアと、ユーノさんの三人を、自分のことのように心配してくれて。友達に何かあれば絶対に助けるんだと仰ってくれて。

 

 素直に嬉しかったです。

 

 けれど、やっぱり魔法の力や才能がないことには少しがっかりしていました。

 まあ、すぐに気持ちを切り替えて、次の行動に移そうとするあたり、アリサはさすがだと思います。ちょっと羨ましいです。

 

 すずかはちょっとだけ悩んでました。あの子は優しい子で色々と考えてくれます。

 だから、一緒にいて安心できるというか、包容力があるんでしょうか。傍に寄り添ってくれる人という感じです。

 

 その日はジュエルシードの対処方法について相談し、事件が起きればわたしとアリシアで対応することに決まりました。

 ユーノさんはわたしたちの後方支援を担当します。役割分担ですね。

 

 あと、アリシアに家族のお見舞いに誘われました。

 何でも病気で眠っているお母さんに紹介したいので、会って欲しいのだとか。

 

 アリシアの衰弱具合を見て虐待されているのかと心配してもいましたが、そんなこともなさそうで一安心です。

 でも、どうしてそれなら病院とかに入院しないのでしょうか。ちょっと、不思議ですね。なにか事情があるのでしょうか。

 それとも……ジュエルシードに願いを託さなければいけないほどに、重い病気を患っているのでしょうか。

 

 心配です。

 アリシアの住む時の庭園という場所に付いたら、少し調べてみましょう。

 

 ○月×日

 今日は……今日はいろいろ、そう、色々ありました。

 まず、アリシアのお母さんですが、とても重い病気に掛かっていて寝たきりでした。

 記憶障害も患っていて、何処か遠くを見ているかのようでした。アリシアを見て笑っているのに、まるで別の誰かを見ているような、そんな感じで。

 アリシアもお母さんを泣きながら心配していて、けれど、自分を見ているのか分からないようで、浮かべる笑みも悲しそうで、とても寂しそうで。

 

 ユーノさんのおかげで容体は安定しましたが、予断を許さないそうです。

 次元世界を渡って病院に入院しても治るかどうかの保証はないくらい悪化していて。

 それこそ、過程を無視して願いを叶えるような力。ジュエルシードの力が必要になるとユーノさんは仰いました。

 

 本当は遺失物を勝手に使うなど許されないそうですが、人助けのためにユーノさんは快く承諾してくれました。

 迷惑かけた分。これで恩返しできるならいくらでも力になると。

 ユーノさんはとてもいい人です。

 

 わたしもアリシアに家族を失う苦しみを知ってほしくありません。

 絶対、助けたいと思います。レイジングハートとユーノさんがくれた魔法の力で。

 

 アリシアが虐待を受けてなくて本当に良かったです。

 

 それから、アルフさんという使い魔の女の子を紹介していただけました。

 リンカーコアに障害を抱えているアリシアに負担を掛けないように、幼い姿で眠ったままでしたが、何でも狼系の使い魔だそうです。

 性格は自分よりも明るくて、甘えん坊なんだとか。いずれ目が覚めたらちゃんと紹介してくれるとのことでした。

 

 それと、何処かの部屋に通じている固く閉ざされた扉。

 あの部屋の向こうは……血の臭いがしていて……わたしは嗅ぎなれたそれに思わず…………

 わたしは、わたしは、どうすればいいのでしょう?

 

 あの部屋の向こうにはきっとアリシアが隠したいものがあるのです。

 それを暴くべきではないのでしょう。でも、放置してよいはずもなくて……

 わたしは、どうすれば……

 

 ○月×日

 アリシアのお母さんの体調が悪くなる前に、急いでジュエルシードを集める必要があります。

 わたしとアリシアとユーノさんの三人がかりで、時には二手に分かれてジュエルシードを集めていきます。

 やっぱり友達に相談したのは正解で、いくつかのジュエルシードを発動前に確保することができました。

 

 わたしとアリシアの二人でジュエルシードの封印に動き、ユーノさんが探索などのバックアップをする。

 おかげでジュエルシードは残すところ六個というところまで集められました。

 アリシアの為にも、アリシアのお母さんのためにも、残りも早く集めたいですね。

 

 もちろん、街に被害を出さないようにするのも重要な事です。平和が一番、ですから。

 

 すっかり体調が回復したアリシアは、天真爛漫で色々なことに興味を示しました。

 たとえば兄の盆栽を眺めて、誘われてみたり。月村邸で猫の群れに囲まれたり、すずかにお世話されたり。

 あと、バニングスの屋敷ではアリサが強引にいろいろなことに参加させたそうです。本人も楽しそうだったので、なによりでしょう。

 

 アリシアが元気いっぱいな性格なのに、どこか臆病なところがあります。

 初めてな事に触れるのが怖いのかもしれません。アリサはそんな彼女を放っておけなくて、何かと面倒を見ているようでした。

 こう、頭はいいのに。知識や常識が欠けていてチグハグなんだそうです。

 

 それと、ユーノさんは、お見舞いに行ったあの日から、恐ろしいほどの集中力で探索魔法を行使。休みなしでずっとジュエルシードを探し続けているようでした。

 

 わたしとアリシアがいくら言っても休もうとしないので、出かけようと誘うことにしたのですが……

 わたしは、その、口下手ですので。どう切り出せばいいのか困ってしまいました。そしたら、アリシアがすぐに誘ってしまいました。

 アリシアはわたしと違って行動力があります。ちょっと羨ましいです。わたしにも怖気ないような勇気があれば……

 

 とりあえず、明日は散歩にはちょうどいい海鳴臨界公園に出かけることにしました。

 

 ○月×日

 鯛焼きが甘くて美味しかったとか。夕日が綺麗だったとか全部頭から吹き飛びました。

 今日の日記になんて書けばいいのかわかりません。だって、アリシアがユーノさんのほっぺにちゅうして。ちゅうして――ちゅう――

 やっ、やっぱりミッドチルダの人は、す、進んでます。

 

 兄と恋人の忍さんだって、人前でキスしたりとかはしない筈、う、うぅ……アリシアとユーノさんのちゅうする光景が頭から離れない。

 夕日に照らされた丘の上で、ベンチに座って綺麗な女の子が、好きな男の子にキスをする。まるで恋愛映画さながらのような光景で……

 はっ、わたしは何を書いてるんでしょう!?

 

 ち、違う。違うの。決して羨ましいとか、そういうことではなくて。でも、ちょっと気になり――はわ、はわわ。

 と、とにかく日記を書くのは後回しにしましょう。次のページ。次のページです!とりあえずお風呂に!!

 

 追伸

 よし、落ち着きました。前のページのことは考えないようにしましょう。そうしましょう。

 

 ユーノさんいわく残りのジュエルシードは海の中にあるのではないかとのこと。

 海中に魔力を流してジュエルシードを強制的に励起させ、活性化させるそうです。

 

 そこをアリシアとわたしの二人がかりで封印するとのこと。少し危険な気がしますが、他に方法がない以上やるしかありません。

 海流に流されたり、人知れず覚醒したりして、目の届かない場所で被害を出されても困りますし。

 

 ユーノさんも危険な方法しか取れない自分の無力さに歯噛みしていました。ユーノさんは責任感の強い人ですから仕方ないのかもしれません。

 でも、ジュエルシードの事は事故です。起きてしまった事は仕方がない。だから、そんなに思いつめないでほしい。そう言ってもきっと無駄なんでしょうね。わたしも同じ立場だったらきっと同じように思い悩んでいたでしょうし。

 

 そして、二人して危険なことに、どうするべきかとうんうん唸っていたら、アリシアが一人で事件を解決しようとしたので、思わず「そんなの出来るわけない!!」とユーノさんと二人で叫んでしまいました。

 

 だって、アリシアを放っておけるわけがないんです。

 

 アリシアのお母さんは病気で、姉妹同然に育ったアルフさんはアリシアに負担を掛けないように眠ったまま。

 そして頼れる親も保護者もいない状況で、お母さんにために一人で頑張って。一人で一生懸命考えて。幼いながらに縋ったすべてを解決する方法がジュエルシードだったんですから。

 

 正直、すごいことだと思います。あの広い時の庭園でひとりぼっちになってしまって。親も友達も頼れる状況になってしまったとしたら。

 わたしだったらきっと不安で泣いているだけに終わってしまっていたでしょう。

 

 わたしが言うのもなんですが、アリシアはもっと人を頼ることを覚えるべきだと思います。

 だって、アリシアは友達ですから。掛け替えのない大切な親友。助けるのは当然です。アリサとすずかも同じ立場だったらそうしていたでしょうし。

 

 そしたら、感極まったのかアリシアは嬉し涙を流しながら、内に秘めた想いをいっぱい、いっぱい叫んで泣いてしまいました。

 思わず放っておけなくて。わたしが兄にそうされて嬉しかったように。抱きしめて背中を擦りながら、安心するようにぎゅっとしてあげて。不安だったことや、わたしたちと出会えて嬉しかったこと。初めて友達になれたのが二人で良かったことなど。彼女の想いをいっぱいいっぱい聞くことができました。

 

 だから、わたしも少しだけ涙目になってしまいました。ユーノさんも泣いていたように思います。もちろん、恥ずかしさと嬉しさからくる涙でした。

 

 アリシアの言葉が嬉しい。

 わたしもアリシアに出会えて良かった。ユーノさんに出会えて良かった。そう思います。

 この純粋で明るくて、素直で子供っぽい。アリシアを助けられて良かったと、そう思います。

 

 わたしの魔法の力で、きっと二人を助けて見せます。

 そしたら、わたしもきっと前に進めると思うから。

 

 事件が無事に解決したら。みんなと笑いあえるような明日が来るといいなぁ。

 やっぱり物語はハッピーエンドが一番だから。

 

 ○月×日

 わたしは、わたしは何てことをしてしまったのでしょう……!

 アリシアを、この手でわたしが……それにユーノさんもわたしのせいで傷ついて、みんなボロボロで。

 わたしのせいで。わたしのせいでっ……

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……

 

 ○月×日

 今日は声を押し殺して泣いてしまいました。もう泣かないと決めていたのに、なのはは情けない子です……

 

 ユーノさんは、わたしをかばったせいでぼろぼろで。なのに全然怒ってなくて。

 あの子に、アリシアに合わせる顔がないと、不安になっているわたしの事を支えてくれて。

 

 わたしを助けるためにアリシアだって無茶をして。だから、しばらく安静にしないとけなくて。

 首にはわたしが本気で絞めた痕まで残っていて。とても痛々しい姿なのに明るく元気に笑っていてくれて。でも、首の痕はわたしが犯した罪の象徴そのもので……だから、見ていられなくて……

 

 心が、苦しい……辛いよ。

 ううん、こんなこと……なのはに書く資格なんて……

 

 なのはは二人にどうしてあげたらいいんだろう。どんな顔をして会えばいいんだろう。

 本当になのはは二人のことを護れるのかな……

 力になって、あげられるのかな……

 

 ○月×日

 学校の授業のことでアリサとすずかには助けられっぱなしです。

 二人には感謝してもしきれません。事件が無事に解決したら、お礼をしないといけません。

 

 その、あまり実感はないのですが、でも、友達というのは良いものでしょうか?

 支えてもらってもいいのでしょうか? 迷惑かけても大丈夫なのかな。

 

 ユーノさんとアリシアの二人が回復して、看病が終わった時です。

 

 前の海での事件のことでわたしの犯した過ちのことを相談したら、アリサは何も言わずに抱きしめてくれて、よく頑張ったわねって言ってくれて。でも、それがやっぱり、どこか苦しいんです。たぶん、わたしは許されてほしくないんじゃないかと思います。

 

 何故かワンワン屋敷で、子犬にもふもふされて、ペロペロされました。顔がよだれまみれになりました。

 

 すずかもわたしの話を静かに聞いてくれて、辛かったら逃げてもいいんだよって言ってくれて。支えてくれるように手を握ってくれて。それから猫屋敷でいっぱいもふもふされました。猫たちに。それから悪いことをしてない子を叱るなんてできないよって言われました。

 

 二人には絶対、わたしの内心を見透かされている気がします。

 

 いつも厳しい父も、何も言わずに二人の看病や、学校を休むことを黙認してくれました。

 兄が父に掛け合ってくれたのだと聞いています。兄も忍さんの事で忙しいのに、わたしは迷惑かけてばかり。

 なのはは……悪い子です……

 

 そんなネガティブな気持ちで、食事もあまり喉を通らない日々を過ごしていたら、レイジングハートに心配されてしまいました。

 まるで、お母さんみたいな口調で心配されるので、その事を指摘したら動揺して黙ってしまいました。

 

 ペンダントにして首にかけているレイジングハートのコアは、その日はずっと明滅してましたけど、大丈夫だったでしょうか……それとも、悪いこと言ってしまいましたか?

 

 それから、父のことや母のこと。どこか歪んでしまった不破家のことで、その日は珍しく悩んでしまいました。

 いつもなら、考えないようにして、気にしないようにしているのですが……

 

 考えてはいけないのに……こんな、こと……

 

 会いたいよ。おかーさん……

 

 どうして、なのはやおとーさんを置いて、違う……違う違う。

 

 こんなこと書きたいんじゃなくて、でも……

 

 ……なんだか今日はつらくて、かなしい。

 

 ……さびしいよ。

 

 ……おかーさん。

 

 〇月×日

 出かける前に、寝る前に書いている日記を書いていきます。

 これを書いて気持ちを切り替えて。それから心を落ち着かせて。

 

 今日、なのははユーノさんとアリシアを連れて時の庭園に向かいます。

 それからジュエルシードを使って、アリシアのお母さんの病を治してきます。

 

 アリシアのお母さんを助けたいと想う気持ちは真剣そのもので。ユーノくんもジュエルシードを必死に調整してくれて。

 

 わたしは二人を支えたり、生活の面倒を見たりするしかできません。

 

 いよいよ、ジュエルシードでお母さんを治せるかもと、期待と不安でいっぱいになっているアリシアを励まして、手を握ってあげて、一緒に眠ったりとか。必死に問題がないか見直し続けているユーノさんを、根を詰めすぎないように支えたりとか。

 

 それくらいしか出来ません。

 

 でも、わたしたち三人ともやれるだけのことは、やりました。

 必死になって頑張りました。

 

 だから、だから、今日くらいは笑って帰ってこようと思います。

 アリシアとわたしと、ユーノさんの三人で。

 

 天国のおかーさん。

 なのは達のことを見守っていてください。

 

 必ずアリシアのお母さんを助けて帰ってきます。

 行ってきます。

 

 かしこ。

 

 



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復讐者のレクイエム 不破なのはの日記 中編

 ○月×日

 結局、わたしは、誰も……

 

 アリシアのいもうとが、めのまえで……

 落ちて行って……

 

 夢に見る。何度も、何度も。

 わたしは、手を伸ばして……でも、届かなくて…………

 

 わたしは、わたしは……

 

 うああ、あああああぁぁぁぁっ!!

 

 ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!

 

 誰も助けられない、弱いなのはを、ゆるして……

 

 でも、なのはのこと……ゆるさないで………

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 ごめんなさい……

 

 ○月×日

 アリシアがきおくを、うしなった……

 それに、びょうきだって、それも、いのちにかかわるかもしれないほどの……

 わたしのせいだ……わたしの…………

 

 ○月×日

 

 ○月×日

 

 ○月×日

 今日は何も書きたくない。何も……

 

 ○月×日

 ………………わたしは

 

 ○月×日

 久しぶりにユーノさんとお話しした。

 忙しいのに見舞いに来てくれて、リンゴまで食べさせてもらった。

 

 それから、アリシアの事で、お話ししました。

 アリシアは本当の『アリシア』ではありません。アリシアのクローンなんだそうです。

 でも、何となくですが想像はついていました。崩壊する時の庭園で、11人の女の子の遺体を見たから。それも、アリシアと同じ顔の。

 

 まだ、何かを書くのが辛い。落ち着くためにも時間を置くことにします。

 気持ちの整理をしないと……いいかげん、前に進まないと……

 

 

 

 

 

 追伸

 アリシアの事でお話ししたことの続きを書こうと思います。

 

 ユーノさんにはアリシアの事で、よく頑張ったねって頭を撫でてもらいました。

 その、ちょっと恥ずかしかったのは内緒です。

 

 アリシアのお母さん。プレシアさんは次元世界では有名な人だったそうです。特に魔導炉と呼ばれる動力炉。その開発で右に出るものはいない程の人物だったそうです。

 

 でも、ある時、魔導炉の実験中に事故が起きて、それで娘の、本当のアリシアを……亡くしたらしい、です。

 

 大切な人を失う気持ちはよく、分かります。今も痛いほどに心が悲鳴を上げているから。

 わたしも、お母さんを亡くしました。でも、もしも立場が逆だったら、お母さんもこんな風に苦しんで……プレシアさんみたいに、なってしまったのでしょうか?

 

 なのははそんなのは嫌です。家族には幸せになっていてほしいです。でも……大切な人を取り戻したい気持ちは、今なら少しだけ分かるかもしれません。

 プレシアさんは、きっと。とても苦しんで、とても悲しんで。大切な一人娘を失って辛くて堪らなくて。でも、なのはみたいに支えてくれる優しい家族も残っていなくて。だから、ひとりぼっちで……

 

 だから……

 

 だから、彼女はある決断をしました。

 アリシアの遺伝子を使って、娘のクローンを作り、大切な人を取り戻そうとしたんだそうです。

 プロジェクトFと呼ばれる技術を使って。

 

 その事で、なのははとやかく言うつもりはありません。

 ただ、そのおかげで、なのはにとってのアリシアと会うことができたのは確かです。

 

 生まれてきたアリシアの調整は完璧だったそうですが、ひとつだけ誤算があったとすれば、プレシアさんの体に限界が来ていた事でした。

 

 魔導炉の事故の後遺症が、彼女の身体を蝕んでいたそうです。

 わたしたちが見たプレシアさんの状態は、その事が原因でした。

 記憶にも障害が見られるようになって、それでも娘のことだけは絶対に放っておけなくて。無理してでも調整を終わらせたのだと……ユーノさんが言っていました。

 

 そして、プレシアさんが意識不明になって、面倒を見てくれていたリニスさんという方も消えてしまって。幼いアルフも負担を掛けないために眠りについた。

 

 この空白の期間の間に、アリシアは何かをしたのでしょう。それが原因で、アリシアは魔法を全力で使うたびに苦しんでいる。放っておけば寿命も……

 

 やっぱり、日記を書いても落ち着かない。

 ……きっと、わたしは後悔している。

 

 結局、誰も助けられなかったから……

 アリシア……

 

 〇月×日

 

 ユーノさんがアリシアの病の治療のため。そして封印されたジュエルシードを今度こそ安全に保管して、依頼主のところに届けるために、元の世界に帰ることになりました。

 正直、寂しくないといえば嘘になります。まだ、何のお礼もできてないし、助けてもらった感謝も出来てないのに……

 

 だから、数日だけ待ってもらうことにしました。

 告白みたいな事を言われた時は、素直に嬉しかったです。

 本当は、別れたくない。傍にいてほしい。

 

 ひとりは寂しいから……不安になる。

 

 でも、どきどきもしている。

 ユーノさんの声が耳に残っている。

 あの温もりがまだ残っている。

 

 どうしてこんなにも意識してしまうんだろう?

 やっぱり、別れてしまうから? もう二度と会えないような遠いところに行ってしまうから?

 

 こういう時は誰かに相談するのがいい。アリサにも、すずかにも、そう教わったから。

 わたしもしっかりしないと。

 

 ……アリシア、どうか無事でいてください。

 ユーノさんがきっと助けてくれます。わたしも、精一杯アリシアを支えますから。

 

 

 

 

 

 追伸

 

 悩んだら相談しようってなって、アリサちゃんに相談したら、相談したら……

 

 その、ちゅうしろって。

 

 その方が男の子にとって忘れられない思い出になるからって。

 わたしが、ユーノさんと―――

 

 …………ふぇぇ!? どうしよう!? どうしよう!?

 ユーノさんとキス? わたしなんかが、キスしていいの――!?

 それで本当に喜んでくれるの!?

 

 あわわわ、は、恥ずかしいよう。なのはは、なのははどうすれば!?

 あぅあぅ、て、天国のお母さん。なのはに勇気を、勇気をください!!

 

 

 ~~~~~~っ!!

 

 

 ○月×日

 昨日の事はその、一旦考えないようにしました。

 

 今日はユーノさんと別れの挨拶をして回りました。わたしはその付き添いです。

 父が相変わらずの態度でしたので、人としてそれはどうなのかとちょっと文句を言いそうになりました。

 いくらなんでも縁側に座って背中を向けたまま、「そうか」なんて挨拶はないと思います。

 

 兄はちゃんと寂しくなるなって、言ってくれて。それでも笑顔で見送ってくれたというのに。父は、もうちょっと愛想良くすればいいと思います。本当に。

 

 月村家では忍さんに、わたしとの事でユーノさんがからかわれてしまいました。

 すずかの事をこっそり見てみたら、ごめんねって仕草で謝られました……うぅ、企みが、ばれてます……

 後で、わたしもからかわれるパターンです……

 

 恥ずかしくなったので、ユーノさんと忍さんのやり取りから目を逸らしました。

 月村猫さんは今日も元気です。他のねこたちも可愛い。ちなみに猫が名前らしいです。だから、月村猫さんです。

 

 バニングス家では忙しい当主に代わって、アリサちゃんと鮫島さんが挨拶してくれました。

 まあ、ジュエルシードなんていう危険物に子供が関わっていると知ったら、とても心配されてしまうので秘密裏に協力してくれたんでしょうね。

 アリサのお父様のデビットさんは、魔法のこととか知らないと思います。

 

 執事の鮫島さんは本当に人の好い初老の方で、ユーノさんの探し物が見つかったことを自分の事のように喜んでくれました。それからお嬢様の友人が遠いところに行ってしまうのは、少し寂しいですなとも。

 

 父にも少しくらい分けてほしいですね。その愛想の良さを。

 ……わたしも少し欲しいかも。もうちょっと感情豊かで、素直になれたら。学校のクラスメイトにも仲良くなれた子がいたのかなぁ。

 友達もアリサとすずかくらいしかいないですし。まあ、親友と呼べるくらい仲は親密ですけど。

 

 こんな性格じゃなくて、もっと可愛らしかったら。それも、理想の妹と呼ばれるくらいに愛らしかったら。お父さんの心を、お姉ちゃんの悲しみを、もっと慰めてあげられたのかな……?

 

 ……はっ、いけない。いけない。

 明日はユーノさんが遠いところに行ってしまう日。

 こんな風に感情が乱れてしまって、悲しい顔をしてしまったら、最後の別れが悲しい思い出になっちゃう。

 それに明日は――――

 

 うぅ、やっぱり恥ずかしい――

 本当にキスしなきゃだめなの……?

 

 た、確かにユーノさんは優しくて、わたしよりも綺麗な人で、頼りになる男の子ですけど。そんなんじゃないですし。落ち着こう。心頭滅却です。おちつくんです。なのは。

 

 でも、キスは大人の男の人と大人の女の人がするもので、結婚式とかデートとかで好きあう人同士がするもので。でも、ユーノさんの事嫌いじゃないし。でも、わたしとユーノさんは友達同士で、助け合う仲で、恋人ってわけでもない。いや、ユーノさんみたいな素敵な男の子がボーイフレンドさんだったら、なのはも嬉しいと思いますけど。それとこれとは話が別で。それにわたしみたいな武道一辺倒で、どこか男の子っぽくて愛想もない。すずかちゃんみたいな清楚さも。アリサちゃんみたいな明るさもない。二人みたいなお嬢様とか、可憐な花みたいな可愛らしさがないですし。女の子らしさなんてあんまり、ないと思います、し……うぅ、自分で書いてて悲しくなってきました。

 

 せめて、お母さんみたいに料理上手で、お菓子作りも得意だったら、わたしも将来の夢はお嫁さんとか、そんな夢を持てたのですけど。お母さんの料理、とっても美味しかったらしいですし。シュークリームは特に絶品だったって噂ですが……なのは、あんまり覚えてないの……

 

 お母さん……

 

 ううん、しっかりしよう。

 明日はユーノさんと会える最後の日。

 なまえを呼んで、寂しくないように笑顔で見送るんです。

 

 また、会えるって信じて。

 

 それに、明日はアリシアにも会える。

 今日は安静にしてないといけないから眠っていたみたいですし、最近はあまり会えてなかったですから。

 

 アリシア、元気そうだといいなぁ――

 

 今日は早く寝て、明日に備えよう。

 

 

 

 

 

 ○月×日

 キスしてるところ見られちゃったの……

 うぅぅ、不破なのは、一生の不覚だよぉ。

 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしいよぅ……

 

 アリサちゃんのばか、ばか、ばか。

 うわぁぁぁぁん。

 

 

 

 

 

 追伸

 前のページの事は忘れましょう。そうしましょう。

 とにかく今日はいろいろな事がありました。

 

 まず、アリシアの事ですが、何故がバニングス家に養子入りしてました。

 アリシア・T・バニングスです。どうしてそうなったんでしょう?

 

 何でも、アリシアの事を心配してくれる人が行くあてのない彼女を保護してもらうために、バニングス家の養子縁組を後押ししてくれたんだとか。

 いくら何でも、バニングス家の息女であるアリサの一声だけで、養子縁組を結べるほど簡単ではなかったはずです。

 本当に何があったんでしょう? 不思議です。

 

 いや、何となくアリシアの事を知っていて、御当主であるデビットさんとも知り合いとなると、候補となる人物は限られてくるのですけど。

 でも、父がそんな事をするとは思えませんし……やっぱり忍さんあたりなんでしょうか……?

 この事は、考えても分かりませんね。

 

 それからユーノさんにわたしたち四人の名前が刺繍されたスカーフをプレゼントしました。

 きっとユーノさんのバリアジャケットに似合うと思います。

 

 それと、レイジングハートを返却しようと思いました。

 わたしには無用の長物です。元々、ユーノさんの物ですし、それにわたしの魔法では誰も救えはしないと、分かりましたから……だから、返そうと、思いました……

 

 そしたら、ユーノさんはお守り代わりにと、レイジングハートを譲ってくれて。レイジングハートもわたしといることを嬉しそうに承諾してくれて。だから、嬉しいです。でも、わたしなんかが本当に持っていていいのかと、少し悩んでもいます。

 

 ……いえ、せっかく、ユーノさんがくれた大切な宝物です。わたしもレイジングハートと一緒にいると、心強いですし。それに、やっぱり魔法には未練があるみたいですから……

 

 不破以外の力にもすがりたいのかな…………?

 それとも、ユーノさんとの繋がりを失いたくない……?

 

 手にした宝石はちょっとだけ温かい気がします。

 今手にしている。この瞬間も。

 

 ふふ、不思議な気持ちですね。心の奥が温かくなるような。

 

 それから、それから――ユーノさんとは、また会うことを約束して。彼は遠いところに旅立っていきました。

 

 今度はみんなで笑い合って過ごせるような未来を創るために。

 アリシアの病気を治して、普通の人と同じように長生きできるように。

 

 ――寂しくなるなぁ…………

 

 

 

 ○月×日

 代わり映えのしない日々です。

 いえ、平和なのは良いことなのですが……

 

 家にいると鍛錬ばかりしてしまって、学校と比べると退屈です。

 久しぶりに盆栽、しようかなぁ……

 

 ○月×日

 今日はすずかとドッジボールで決闘しました。

 クラスに忍者の末裔の子がいて、少し苦戦しましたが、鍛え方が違うので負けるつもりはありません。

 

 忍者の国家資格を正式に収めていた人だったら、こっちが負けていたでしょうけど。

 

 まあ、隣のクラスと比べて、とても真似できない超人的な球技になりましたが、いい運動になりました。

 ドッジボールのボールって回転がかかると、ちゃんと変化球になるんですね。

 

 跳躍して回避しようとしたら、対空ボールの変化球が真上に飛んできたので、さすがのわたしも驚愕を隠せませんでした。まあ、空中で投げ返してやりましたけど。

 

 あと、「すごい、超エキサイティングだよ。鮫島のおじちゃん!!」 とか、すごく聞き覚えのある声がしたような気がしましたが気のせいでしょう。

 

 気のせいですよね……?

 

 ○月×日

 今日は学校がちょっとした動物園になりました。

 いえ、アリサは飼育委員なのですが、とても動物に好かれやすい体質なんです。

 クラスの皆も周知の事実だったのですが、ハーメルン。いえ、あれはブレーメン音楽隊でしょうか。

 ニワトリとか、ウサギさんがアリサの後ろをついて回って離れないのです。

 

 彼女が餌をやろうと飼育場に入ると、取り囲んで体を摺り寄せて愛情表現までしてました。

 どこからかやってきた子猫が、遊びたいのかじゃれついてもいましたし。

 

 教師の人たちが事態を収めようと奮闘するよりも、アリサが一声掛けるだけで動物たちは言うことを聞いてしまいました。

 アリサは将来、動物の調教師とかのほうが向いているような気もします。

 

 まあ、将来のことが何も決まっていない。こんな、わたし何かが言えた義理ではないでしょうが。

 

 しかし、動物たちに何があったんでしょう。

 普段はもう少し大人しいのですけど、今日は珍しい事もあるものです。

 

 何か、動物たちの好奇心を刺激するような事があったんでしょうか。

 

 ○月×日

 ……今日は疲れました。

 アリサはもっと疲れているでしょうし、今も苦労しているんでしょうね……

 

 ……何となく、そんな予感はしていたんです。

 でも、そこまで好奇心旺盛じゃないというか。普段はもうちょっと大人しかったというか。

 

 今日は学校の授業の質問で、先生が生徒を指名しようとしました。

 ちょうど、学校のお昼休みが終わった頃ですね。

 

 それで、聞き覚えのある声が後ろからしたんです。

 すごく元気よく。「は~~い!! ボクが答えたい!!」って

 

 それでまさか、と思いつつも後ろを振り返ってみたら。

 

 学校の制服を着たアリシアが一生懸命手を挙げていました。

 昼休みのお喋りに思いのほか夢中になってしまって、教室に戻るのがギリギリになったのがいけなかったんでしょうね。

 

 アリシアが屋敷に書き置きまで残して、いつの間にかクラスに潜入していた事に気が付きませんでした。本当に。

 

 しかも、天真爛漫な性格と仕草が気に入られたのかクラスメイトといつの間にか打ち解けていて。面白そうな悪戯にクラス全員が協力する始末です。しっかりとアリシアの机と椅子まで用意されてました。

 

 おまけに誰かから貸し出された教科書にノート。手には鉛筆と消しゴム。一緒に勉強する気満々です。

 

 まあ、アリシアの心情も理解できます。わたしたち三人が学校に行っているのに、どうして自分はお留守番なんだと、疑問に思った事でしょう。

 

 でも、アリシアは例のリンカーコアの障害以外にも、栄養失調とかいろいろあって、安静にしていなければいけません。わたしの家でしっかりご飯を食べて、療養したといっても、ジュエルシード集めの片手間に治療しただけです。とにかく食べて、休んで、適度に休憩して眠ることがアリシアにとって療養の最善でした。お医者様からもお墨付きをもらっています。しっかりリハビリしないといけません。

 

 ですから、アリサが本当に心配して怒るのも無理はありませんでした。

 しかも、何時もの可愛らしい怒鳴り方じゃなくて、その、静かに怒る……怖い感じの……

 

 もう、仁王立ちでした。アリシアに有無を言わさず正座させて、言い聞かせるように説教してました。担任の先生が嗜めても、ひと睨みで委縮させる程の怒気を漂わせていて。わたしは先生の「ひゃい」なんて声は初めて聴いた気がします。クラスの皆さんもあまりの迫力に何も喋れません。顔を逸らしています。中には机の上に顔を埋めて黙り込む子も。

 

 今回の件は、かなり怒っていると伝わったのか、アリシアもちょっとだけ泣きそうな顔をしてました。本当に凹んでいます。基本的にアリシアは叱られても反省してへこたれない強い子なのですけどね……

 

 かくいうわたしも、アリサの本気の怒りを前に動けませんでした。ちょっと……トラウマ気味なんです。ごめんなさい。アリシア……

 

 あれは、そう、アリサとすずかが、わたしの友達になったばかりの頃。

 わたしが自分を顧みず鍛錬ばかりで、昼食も適当な感じで。人生を投げ捨てた世捨て人みたいな雰囲気を漂わせ、何もかもがどうでもよくなっていた頃。

 

 心配するアリサを無視し続けて、適当に相槌ばかりをしていたら。いつの間にか正座させられて、目の前に仁王立ちで見下ろすアリサの姿があって……その後はどうなったのか覚えていませんけど。いっぱい怒られた気がしますね……本当に…………

 

 だから、アリシアの気持ちはよく分かります。逃げようにも身体が硬直してしまって動けないんですよね? 人間は本当に怖くなると、身体が震えるんじゃなくて、動かなくなるんです。車に轢かれそうになった猫が咄嗟に動けなくなるように。

 

 そんなアリサを嗜めたのは、すずかでした。いつものように、まあまあアリサちゃんって。それで事態は一応、解決です。

 

 すずかは、いつも後ろで支えてくれて、どんな時でも寄り添ってくれる。受け入れて包み込んでくれる優しい子ですから。アリサの怒りも瞬時に鎮火させてしまいました。おまけにアリシアに優しく言い聞かせて、フォローして。クラスの皆にも先生にも気配りを欠かさない。本当に人を宥めるのが上手です。

 

 どんな時でも一緒にいて居心地が悪くならないすずかは本当にすごいと思います。

 

 その後も、勝手に屋敷からいなくなったアリシアを探して、学校まで追いかけてきたバニングス家の執事やメイドの人たちが駆けつけてきたり。警察の方から何事かと電話が掛かってきたりと、担任の先生が事後処理で大変な目にあってしまいました。

 

 その、アリシアと一緒に本当にすみませんでしたって謝るしかなかったです。アリサも一緒に謝っていました。彼女は義姉として妹の責任をすべて背負う覚悟でした。すずかも友達として一緒に付き添ってくれて。いろんな人にご迷惑を……

 

 だから、アリシアも、ものすごく申し訳なさそうな顔してました。意気消沈です。普段の元気百倍みたいな態度が嘘のようにしおらしくなってしまいました。まあ、自分の興味本位で、こんな事になるなんて思いもしなかったでしょうね……わたしも予想外でしたから。

 

 アリシアに世界の常識をちゃんと教え込まなかったわたしたちにも非はあります。アリシアが悪いわけではありません。

 

 なので、今度はアリシアが寂しくないように、授業の合間に特別に電話させてもらったりとか。皆に内緒で念話でお話したりしました。さすがレイジングハートとバルディッシュです。サポートが的確で、マルチタスクの負担もかなり少ないです。こちらから一方的に念話を繋ぐだけなので、アリシアのリンカーコアにあまり負担もないですし。

 

 魔法を使ったお話は、クラスの全員に聞こえないので気分はちょっぴり悪い子です。

 

 そして、数週間後にアリシアが無事に転入してきて、やっぱりクラスの人気者になっていました。早くも打ち解けて、病気のことで心配されても明るく振る舞っているので、クラスも気にしないようにしています。まあ、魔法を極端に使わなければ元気でいられますから。

 

 もっとも、かなり遅い遅行性の病なので、ユーノさんの頑張りに期待です。わたしもフォローしてあげないと。

 

 それにしても、なんだかんだでアリサはお姉ちゃん気質です。よくアリシアの面倒を見ていて、何かと気にかけています。気分的には友達だけど、妹でもあるので放っておけないと言いますか。そんな感じです。

 

 まあ、気持ちは分かります。私もそうでしたから。アリシアの事は心配になります。とても大切な親友ですし、放っておけないです。

 

 それにしても、仲が良さそうで安心しました。その姉妹仲がちょっぴり羨ましい気もします。

 

 わたしもお姉ちゃんと久しぶりに話そうかなぁ――

 

 ○月×日

 何事もない平和な日々です。

 春の初めに起きた魔法の事件もなく、街は平和そのものです。

 

 こんな日々がずっと続けばいいと思います。

 

 ○月×日

 今日は久しぶりに姉が帰ってきました。

 相変わらず酷い顔をしています。

 目の下の隈。そして、やつれた表情を見ると心配になります。

 

 だから、久しぶりにお帰りなさいって、声をかけたら無表情だった顔が驚いていたのが印象的でした。

 親子、兄妹、姉妹そろって表情の変化が乏しいので、分かりづらいですけど。家族なので分かります。

 

 けれど、その後はいつもどおり避けられてしまいました。姉はわたしを見ると、とても悲しそうな顔をします。

 

 やっぱり、わたしでは家族に笑顔を取り戻せないのでしょうか……?

 

 ○月×日

 五月の連休が終わると、姉はまた海外へ旅立っていきました。

 あまり、お話することもできないまま…………

 

 手元にはちょっとしたお土産が残りましたが、正直あまり嬉しくありません。

 でも、少しずつ変わっていけたらいいなと思います。

 

 ちょっとずつでも歩み寄って行けば、いつかきっと。

 

 ○月×日

 最近、雨がひどいです。

 一週間ほど曇りの日が続いて、晴れの日が来ない。

 そんなことを考えていると、梅雨の季節だったことに気が付きました。

 

 雨は苦手です。

 あの日を思い出すから……

 

 ○月×日

 今日はすごい雨です。嫌な予感がしま――

 

 

 

 

 

 

 

 いま、ベッドの中に潜り込んでいます。

 すごい風と雨で、雷の音も聞こえます。

 

 レイジングハートが励ましてくれるけど……

 

 やっぱり、こわい。

 こわくて一歩も動けない。

 

 だれか、たすけて……

 だれか……

 

 

 

 

 

 

 追伸

 ドタバタと足音がしたと思ったら、アリシアがずぶ濡れで駆けつけてくれました。

 レイジングハートがバルデイッシュに連絡してくれたみたいです。

 

 それで、家に様子を見に来てくれていた来た兄は、アリシアを見ると呆れながらも彼女をお風呂に入れてくれました。泥棒さんと勘違いしていたのは内緒です。

 

 なのはも、手を繋いで一緒にお風呂に入りました。

 

 それから急にいなくなったアリシアを心配して、アリサから電話が掛かってきましたが、事情を知ると安心した様子だったみたいです。

 でも、アリシアは電話越しに酷く怒られてしまいました。なのはのせいです。

 ごめんなさい……

 

 アリシアが来てくれて嬉しかったです。

 怖くないように今も、一緒に眠ってくれています。

 

 それから、アリサとすずかも一緒です。

 習い事を終わらせて、わざわざ駆けつけてくれました。

 

 毎年、酷い雨の日は、こうやって様子を見に来てくれます。

 助けに来てくれて、ありがとう。

 

 皆の温もりが暖かいから、よく眠れそうです。

 もう、寂しくないから。怖くないから。

 

 えへへへ、嬉しいな。

 

 ○月×日

 ううぅ、とても申し訳ない気分です。

 今日はアリサもすずかも予定を全部キャンセルしてしまいました。

 

 絶対に、わたしのせいです。

 

 えっ? ちょっ

 

 これを見る人へ。

 ボクはなのはの友達のアリシア・T・バニングスって言います。

 

 やっぱり、悲しいことよりも楽しい思い出のほうが、日記を見たときに楽しいと思うんだ。

 だから、ちょっとだけ日記を借りています。

 前のページは見るなって言われたので、見ないことにします。まだ、あんまり漢字読めないし。

 もっと、べんきょーしないと。

 

 でね。今日はね。皆で夏休みの予定を立ててたの。

 何でも学校では夏になると、たくさんのお休みがもらえて、習い事がいっぱいのお家でも、いろんな所に出かけたりするんだって。

 ボク、母さんたちとアルトセイムの森とか、草原とかに出かけた記憶しかないから、とっても楽しみ。

 

 アリサお姉ちゃんとか、すずかが言うには山とか海とかに別荘があって、今度とーきょーの一等地に共同でテーマパークを作る予定もあるんだって。

 何でも遊ぶ園って書いてゆうえんち?って所を作るんだとか。

 

 すっごい遊び道具とか、お魚さんがいっぱいの水ぞく館とか、夜になると星みたいにキラキラ光るパレードとかやるみたいで、ボクすっごく楽しみなんだ。

 

 ボクの友達のなのはは、時々悲しそうな顔をするので、一緒に遊んで元気いっぱいになって、たくさん笑わせてあげるんだ。その方がぜったい楽しいもんね。それに、なのはが笑ってくれるとボクも、うれしいから。

 

 アリサはちょっとおこりんぼだけど、ボクのお姉ちゃんになってくれた人で、新しい家族になってくれた大切な人。なのはとすずかと、ユーノ。それにアルフと同じくらい大切な人。あと、アリサママとアリサパパはすごく優しい人で、たくさん甘やかしてくれて。でも、心配もしてくれる。さめ島のおじちゃんもすごく親切で。バニングスのお家での暮らしは悪くない。時の庭園にいた時よりも楽しい。遠いところにお仕事に行っている母さんもきっと気に入ってくれると思う。

 

 あと、いろんな犬がいっぱいいるの。アルフも友達がたくさん出来たみたいで、ボクも嬉しい。それにみんな人なつっこい良い子で、学校から帰ってくると甘えてくるし、一緒に遊んでると顔とか手をぺろぺろされちゃう。よく、ね転がって制服をよごすと、すっごくおこられるけど。

 

 あと、バニングスの庭はとっても広いから、ボク、そこを駆け回るのが大好きなんだ。アルトセイムにいたころを思い出す。リニスに見守られながら、小っちゃいアルフと一緒に遊んでた。うんと、リニスがどうしてるのか分からないけど。きっと母さんの事を助けてくれてると思う。だって、母さんをとっても心配していたから。

 

 それに、いつもごめんなさいねってあやまるの。だから、ボクとアルフはいつも元気いっぱいなんだ。リニスも母さんも、悲しませたくないから。いつも元気でいるの。

 

 それから、ええっと、ええっと、違う。違う。楽しいこと。楽しいこと。あとで、消しゴムで消しこっと。

 

 すずかはおこりんぼのアリサを止めてくれるすごい子なんだよ。ボクもね。すずかにぎゅうってされるとすごく優しい気持ちになれるの。なんだか暖かくて、それから落ち着いちゃうような。それでね、やさしく注意してくれて、それに何だか逆らえないの。素直に聞いちゃうというか。

 

 お屋しきもねこがいっぱいいてみんな仲良しなの。よく、ちっちゃいアルフが逆に追い回されるけど。あと、なのははすごいなつかれていて、よくねこに囲まれて大変なことになるんだって。ボクもね。いっぱいなでなでしたよ。ねこさん。ひざの上に乗せると、とっても気持ちよさそうにして丸くなるの。かわいかったなぁ。

 

 すずかの家には、おもしろお姉さんが住んでいて、よく一緒にゲームするんだ。ボク、レースする奴が好き。カミナリ落としたりとか、たけのこで爆走したりとか。

 

 あと、すずかは絵本をいっぱい読んでくれる。ドラゴンを倒しておひめさまを救うお話とか。悪いマジョの呪いから、おひめさまをキスして目覚めさせる話とか。たくさん。たくさん。

 

 そういえば、どうして、うさぎはたぬきを、カチカチして火をつけたんだろうね。そんなイラズラはしちゃダメなのに。

 

 あと月にはおひめさまが住んでいてるんだって。竹の中におりてきて、それからお泊り会したあとに、男の人たちに難しい宿だいを出して。お月さまに帰っていく……そういえば夏休みに宿だいがあるらしい……遊ぶだけじゃダメなのかな。

 

 そうだ。夏休みの終わりに全部まとめてやっちゃえば、あとは全部遊んで……いやいや、最初に全部ぱぱっと終わらせて、残りを楽しんだほうが、ぜったい楽しい。後で怒られるのはこわいし。うん、そうしよう。

 

 えへへ、なのは、今度の夏休みはいっぱいいっぱい遊ぼうね。

 

 ここまで、いっぱいボクの気持ちを書けたから、満足。

 

 なのは、大好きだよ。

 

 

 

 

 ええ、アリシア。

 

 一緒に遊びましょう。忘れられない思い出を、たくさん作れるように。

 

 それから、励ましてくれてありがとう――

 

 わたしも、大好きです。

 

 

 



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復讐者のレクイエム 不破なのはの日記 後編

 ○月×日

 今日はとても不思議な出会いがありました。

 八神はやてという名前の、同い年くらいの女の子です。

 

 すずかとアリシアの付き添いで、風芽丘の図書館に来ていた時に出会い、高いところにある本を取ってあげたのが切っ掛けでした。

 

 少しだけお話ししましたが、とても良い子でした。特に学校生活には興味津々で、自分も通ってみたいと憧れを口にしているのが印象的でした。でも……

 

 最後に会った、はやての家族という人。

 あの人は本当に人間なのでしょうか……何処か普通の人とは違う気配がするような。

 

 気のせいだといいのですが。

 

 帰りに、すずかとアリシアに相談。アリサにも電話して、はやてという子と、一度皆で会ってみる事になりました。

 珍しくわたしが気にする子ということで、ちょっと気になるみたいです。

 

 ○月×日

 図書館で、いつもの四人で談笑していたら、再びはやてと出会う事ができました。

 本人は、わたし以外の見知らぬ子たちに戸惑って、話しかけるのを遠慮していたみたいですが、こちらから話しかけることで打ち解けることができました。まあ、友達の友達は友達というやつです。

 

 特にアリサとアリシアは社交的で、誰とでも打ち解けるような性格をしているので、初対面でも平気な様子。それをきっかけにすずかも打ち解けて、あっという間に友達になってしまいました。

 

 意外と、はやては大人しい印象の割に、お喋りが好きみたいで。特にすずかとは好きな本のことで話題が盛り上がり、意気投合した様子。アリサとアリシアも家の事とか、お互い普段は何してるのかとか、いろんな話をしていて。

 

 わたしは、それを隣で聞いている。いわゆる聞き役に徹していました。

 話すの、苦手ですから。

 

 はやてとの会話を聞いていて思うのは、彼女に不思議な包容力があるという事でしょうか。

 

 わたしたち四人の中で、アリシアが一番会話の距離が近く、親しい相手なら抱きついたりすることも珍しくありません。だから、はやてにも後ろからぎゅうって抱きしめて、親愛の気持ちを行動で示していました。

 

 はやては、それに対して、「もうアリシアちゃんは仕方ないなぁ。とっても甘えんぼさんや」って優しく受け止めて。

 

 アリシアが車椅子のことで、質問して。それをアリサがちょっと怒ったように叱ると、それを優しく仲裁して、嗜めて。

 

 すずかとは違ったベクトルで優しいというか。例えるならそう……

 

 まるで、お母さんみたいな――

 

 

 

 わたしは何を書いているんでしょう。らしくありませんね。

 

 わたしに人に甘える資格なんてないのに。

 

 アリシアを傷つけて、助けられなかったわたしに……

 

 

 

 

 追伸

 今度、はやての家にお邪魔する約束をしました。

 はやての家にリムジンで、送り迎えもしたので、家の場所も判明しています。

 生憎、家族の方は留守にしているみたいでしたが、今度紹介してくれるそうです。

 

 なんでも、外国からはやてをお見舞いに来てくれた、遠い親戚の方だとか。

 この時点で何だか怪しさ満点なのですが、警戒くらいはしておきましょう。

 

 虐待されている様子もなさそうですし、杞憂だといいのですが……

 

 

 ○月×日

 

 何を書けばいいんでしょう。

 たくさん、書くことがありすぎて迷っています。

 本当に、たくさん。たくさん。

 

 今日は本当に素敵なことがありました。

 

 その、はやての家に遊びに行って、一日中遊んだんです。

 トランプをしたり、億万長者のボードゲームで遊んだり。あと流行のゲームで遊んでいるのを眺めたり。

 

 楽しむつもりはありませんでした。

 心の何処かで、わたしに日常を楽しむ資格なんてないんだって思っている自分がいたから。

 

 でも、はやてがお風呂場で、全部受け止めてくれました。

 

 わたしが誰も傷つかないよう。傷つけないように隠していた心を。負の感情を。溜め込んでいた想いを受け止めて、癒してくれた。

 一緒に笑ってくれるって。泣いてくれるって。逃げてもいいから無理しないでって。本当に自分のことのように心配してくれて。

 

 それが嬉しかった。

 

 あんなにいっぱい酷い事を言ったのに、全然嫌わないでいてくれて。むしろ心配されてしまって。だから、久々にあんなに泣いてしまいました。

 わたしの心は穏やかでした。こんな気持ちになったのは久々です。些細な楽しいことでも笑ってしまうくらいに。

 

 今だからこそ書きますが、本当は辛かったんです。

 不破の鍛錬の日々も、無機質な日常も。

 

 でも、家族が離れ離れになるのが嫌だから、本当は優しい父と、いつでも優しい兄が、わたしの事で争ってしまうのが怖かったから。だから、ずっと我慢していました。

 

 不安な日々も。明日が分からない未来も。自分の事も。周りのことも。心のどこかで目を逸らして生きている自分がいたんです。

 

 アリサもすずかも、わたしのことを心配してくれました。アリシアの天真爛漫さは、わたしの心を子供心に戻してくれました。ユーノさんは、いつでもわたしとアリシアを支えてくれました。でも、そんな優しい皆に、わたしの負の感情を吐き出してしまったら、今の関係が壊れてしまいそうで怖かった。怖くて、たまらなくて。その優しい心を傷つけたくなくて。だから、溜め込んで嫌なことも悲しいことも全部我慢して。

 

 ずっと耐えて。耐えて。耐えてきた。

 

 でも、それがいけなかったのかもしれません。

 

 はやてに優しくしてもらったこと。抱きしめてくれたことは素直に嬉しいです。でも、そのおかげで彼女を傷つけたこともまた事実。あとで謝っておかないといけませんね。

 

 それとシャマルさん達は良い人でした。出自は明かせないようですが、とても遠くから来た人たちで、わたしと同じくはやてに救われた人たちでした。そして、血は繋がっていなくても本当の家族のように、はやてを愛しているのだと。今日、一緒に過ごしてみて分かったので一安心です。

 

 それから、今日は父に。おとーさんに頭を撫でてもらいました、久しぶりにお帰りって言ってくれて。家族がまた、少しでも歩み寄れるんだって嬉しくなって。その時のわたしはきっと笑っていたと思います。

 

 だから、今日はとてもいい日です。

 

 わたしも、もう少しだけ頑張ってみようと思います。抱えてしまった罪を拭うには、まだまだ時間が掛かりそうですが。それでも少しずつ前へ進んでみたいと思います。

 

 たとえ、この手が血で赤く染まっているのだとしても。

 

 こんなわたしでも、誰かを救えるかもしれないと。もう一度信じて。

 

 ○月×日

 今日から夏休みです。

 アリシアがとてもはしゃいでいます。

 

 夏休みの宿題とは別に、アリシア専用の課題も出されているので、ちゃんと勉強しましょうって注意しておきました。わたしも手伝いますから。一緒に頑張りましょう。それに、アリサばかりに負担を掛けるわけにもいきませんし。

 

 あれからも八神家との交流は続き、はやての家族の方ともだいぶ打ち解けてきました。

 

 わたしはシャマルさんと特に仲がいいです。その、鍛練でよく怪我をするので、お医者さんの彼女に色々と、お世話になっています。彼女のおかげで痛む身体もだいぶ楽になりました。とても感謝しています。湖の騎士としては、その身体で鍛錬しすぎるのは止めたいそうです。

 

 だから、兄は幼いころから御神流を修めています。姉も七歳くらいの頃から同じ鍛錬を始めています。わたしなんて遅いくらいですよって言ったら呆れられてしまいました。でも、性分なのでやめられないんです。どんなに辛くても。

 

 今は鍛錬も頑張りたいと思っていますから。鍛錬しないと落ち着きませんし、これも日課です。

 

 他には、アリシアとヴィータさんの馬が合うみたいで、とても仲良くなっていました。お昼の唐揚げとか、おかずを奪い合うくらいには元気いっぱいです。まあ、はやての料理は美味しいので気持ちはわかります。シャマルさんの料理は……調味料を間違えなければきっと美味しいです。前の時は普通にできたのに、なんで失敗する時があるんでしょうね。

 

 それで、交流を続けるうちに夏休みにやりたい事の話になって、皆で海に行くことになりました。

 

 はやては海に行ったことがないそうですので、その希望を叶える形ですね。

 

 その途中で、アリサが海外旅行とかプライベートビーチなどを提案し、はやてが却下しました。費用はアリサの私財で全部出すとまで言いましたが、あまりの豪華さにはやてが委縮してしまい辞退した形です。わたしも、いくら掛かるんだろうと眩暈がしました。ちょっと手が震えます。

 

 そしたら、今度はすずかが、じゃあわたしが費用の半分を負担するから、それでいいよねと提案してきましたが。そういう問題じゃありません。普通の人は自家用ジェットとか、プライベートビーチとかありません。海の近くにある別荘とかで過ごさないんです。わたし達にはまだ早すぎます。絶対にお金のこととかで、気にしてしまいます。

 

 なので、はやてと一緒に普通のでお願いしますと頭下げました。

 

 安全面を考えるのなら、プライベートビーチのほうが良いに決まってますが、そこは守護騎士と名乗る皆さんにお願いします。下手な警備よりは安全でしょうし。

 

 引率はすずかの姉の忍さんと、わたしの兄にお願いすることにしました。

 海に行く日が楽しみです。

 

 

 ○月×日

 海水浴はとても楽しい思い出になりました。

 

 砂浜に着いた途端、アリシアが待ちきれずに駆け出して、熱くなった砂に返り討ちにされました。裸足で直に触れたものですから、相当熱かったと思います。そのまま転げまわりそうだったので、急いで抱きかかえて皆の所に連れて行きました。まずは日焼け止めを塗らないといけませんので。

 

 はしゃぐ妹を抑えて、一生懸命お世話をするアリサは、とても良いお姉ちゃんをしてくれていると思います。まるで、本当の姉妹みたいです。

 

 兄がビーチパラソルやレジャーシートなどの準備をして、シグナムさんがそれを手伝ってくれています。その間に忍さんは「おもしろアイテム~~」と言いながら巨大な水鉄砲を用意していましたが、見なかったことにしました。

 

 はやては、シャマルさんに抱えられて初めて見る海の景色に目を輝かせていました。その顔は本当に嬉しそうで、それを見ただけでも誘った甲斐があるというものです。わたしも久しぶりに海水浴に来ましたが、心なしか胸が弾んでいる気がしていました。楽しんでいる皆を見るのが好きで、それを遠目から眺めているだけでも幸せな気分になれてしまいます。

 

 そうしてすべての準備を終えたら、忍さんの掛け声とともに海辺に、わたしたちは一斉に海辺に駈け出して。

 

 水かけで楽しんだり、魔改造水鉄砲でアリシアをいじめた忍さんに、ちょっとお灸を据えたり。恭也号と名犬ザッフィー号が背中に子供たちを乗せて競争したりもしました。

 

 スイカ割りは純粋なアリシアとヴィータが皆の掛け声を素直に信じすぎて、すごい事になっていたのを遠目から眺めました。

 

 けれど、兄とシグナムさんはどちらが武人として素早くスイカを切れるのか勝負する事になり、わたしは付き添いでスイカを投げる仕事を手伝ったので、あまり見ることができませんでした。衆目の好奇の視線が恥ずかしかったです。

 

 ですが、二人そろって木刀でスイカを綺麗に叩き切ると、周囲から歓声が上がってちょっと誇らしかったです。勝負は引き分けですが、兄は剣士として尊敬できるすごい人ですし。それに真っ向勝負できるシグナムさんもすごい人です。そこを間近で見れたわたしはちょっと役得かもしれません。

 

 その後は、何故かバーベキューで使う松○牛と安物のお肉を掛けて勝負する催し物が行われました。

 

 ビーチフラッグではアリシアが圧倒的なスピードで砂浜を駆け抜けていきました。わたしも本気で勝負したのですが、瞬発力に勝るアリシアに勝てませんでした。わたしと良い勝負をするすずかですら追いつけないのは純粋にすごいことです。でも、ちょっぴり悔しいです。

 

 そしたら、見学していたはやての号令で、どこからともなく名犬ザッフィーが現れて、すべてを抜き去っていきました。ええと、それってありですか。と忍さんを見たら面白いからオッケーと両手で大きな丸を作っていました。

 

 ビーチバレーではすずかと一緒になったので優勝させていただきました。二人一組のバレーでは、身体能力以上にチームワークが試されますから。おかげ様で学校では組ませてはいけないという暗黙の了解が作られるほどですけど。大人げなかったでしょうか。

 

 意外といえば急遽チームを組むことになったアリサと謎の助っ人さんですね。筋骨隆々な褐色肌のお兄さんだったのですが、アリサのサポートを受けてすさまじいパワーでスパイクを決めてくる強敵でした。巷では天才少女と言われるアリサですが、運動神経も抜群のスポーツ万能少女でもあるので、敵に回すと厄介です。危うく負けてしまうところでした。

 

 後で助っ人さんの正体が、普段は狼の姿をしているザフィーラさんだと知って、とても驚いたのは内緒です。

 

 そうして海遊びも終わりを迎え、最後に夕日に照らされた砂浜で、はやてと一緒に砂の城を作りました。アリサ達も手伝ってくれて、おまけに波に負けないように立派な城壁を守護騎士の皆さんが作ってくれて。

 

 結局、城壁は波に負けてしまいましたけど。砂の城と一緒に、皆で夕日に照らされて写真を撮ったのは良い思い出です。今度、忍さんが写真を焼き増ししてくれるそうなので、海の思い出とともに、たくさんの写真をアルバムに飾ろうと思います。

 

 きっと素敵な思い出になります。

 

 だから、いつかこんな風に崩れ去ってしまうなんて悲しいことを言わないでください。

 

 はやてが悲しそうな顔をすると、わたしも胸が苦しくなります。友達が泣いているのを、困っているのを見ると、放っておけなくなります。何とかして助けてあげたいと、そう、思います。

 

 今度、一緒に夏祭りに行きましょう。きっと、今以上に楽しいですから。

 

 ○月×日

 最近はアリシアと一緒に日々を過ごしています。

 

 アリサが家の用事で、アリシアの面倒を見てあげられないときは、わたしが代わりに付き添っています。わたしは毎日の鍛錬以外はやる事がなくて暇だったりしますので。夏休みの宿題も7月中には終わらせてしまいました。

 

 ですが、アリシアは初めての夏休みではしゃいでしまい。夏休みの宿題や、授業の遅れを取り戻す課題が終わっていません。ちょっとずつ終わらせているそうなのですが、飽きると違うことをやりだすので、こうして一緒にお勉強したりもします。

 

 アリシアは数学の才能があるのか、計算が早いです。わたしも苦戦するような問題をすらすらと解いてしまいます。ですが、漢字や社会の問題が苦手のようで。ここは丸暗記と文字の練習をひたすらこなしてもらうしかありません。あとは分かりやすい覚え方ですね。

 

 何というか、わたしも人のことを言えないのですけど。アリシアはとても寂しがり屋です。だから、一人で勉強するのが苦手みたいで、こうして一緒に問題を解いていると嬉しそうに笑いながら、取り組んでくれます。わたしも数学で分からないところは、アリシアが教えてくれるので助かっていますし。

 

 分からない問題を解説するたびに褒められるのは、その、照れますけど。

 

 それが終わったら、一緒にはやての家におじゃましています。アリシアは、はやての家にくると気ままにごろごろしたり、ヴィータと一緒に遊んでいることが多いです。バニングスの家では礼儀作法に厳しいので、気を抜けるときはリラックスしたいんでしょうね。だから、アリサも息抜きに、こうしてアリシアを出掛けさせているのでしょうし。

 

 でも、慣れない環境で一生懸命頑張っているアリシアはすごいと思います。

 

 わたしは最近、はやての家で、シャマルさんと一緒に料理を習うことが多いです。授業で将来の夢について考えるように言われたとき、そういえば鍛錬と真面目くらいしか取り柄がないと気づきまして。こうして色々と挑戦する日々です。

 

 シャマルさんは、普段はしっかりしているのですけど。何でもないところでうっかりを発動させるので、ちょっと心配です。真面目な時は大丈夫なんですけど、ふとした時に気を抜いたりすると大変なことになります。主に調味料的な意味で。

 

 お肉の下ごしらえに白砂糖と塩を間違えるとは、甘い生姜焼きなんて初めて食べました。

 

 

 ○月×日

 アリシアがカブトムシを捕まえてきました。

 

 今日もはやての家で料理を学んだりしながら、思い思いに過ごしていました。そしたら麦わら帽子を被って虫取り網を手にしたアリシアが、ザフィーラとヴィータを伴って何処かに出かけていきました。そして夕方ごろになって帰ってきてみれば、何故か捕まえてきたカブトムシを渡されました。

 

 カブトムシは、わたしのデニムサロペット(肩紐付のジーパンみたいな素材でできた服です)の上に止まっています。意外と力が強いのか、腕に乗せると爪が素肌に食い込んで痛いです。今は肩あたりまで上ってきて、何故かわたしの顔を目指しています。

 

 ある程度、上ってきたら捕まえてお腹のあたりひっつけるの繰り返しです。本当にどうしてこうなったんでしょう。

 

 何でも昨日テレビでやっていた夏の特集に憧れて、虫取りに出かけたとかなんとか。

 

 あと、遊んでいた神社の森で狐の久遠と名乗る女の子と遊んだそうです。それから、ぎんがと雪虎と名付けられた人懐っこい猫と追いかけっこしたり、一緒に森を探検したりしたそうで。それで、カブトムシも一緒に探してくれて、夏の思い出として捕まえたんだそうです。

 

 とりあえず、カブトムシは夜になったら、そっと元の場所に戻しておきました。あと、捕まえたおわびに、木の幹に砂糖水を塗っておきました。アリシアも捕まえたかっただけで、ペットとして飼うつもりはなかったので、これでよかったのでしょう。

 

 帰りに虎模様の猫たちに懐かれてしまったのですが、八束神社には猫さんがたくさん住み着いているんでしょうか?

 

 

 ○月×日

 夏休みも終わりが近づいてきています。

 

 夏祭りの日が近づくにつれて、アリシアとヴィータが子供らしく浮かれていました。わたしも楽しみなのか、無意識にそわそわしているみたいで。アリサやはやてに指摘されると、ちょっと恥ずかしくて照れてしまいます。

 

 最近はわたしも、笑えるようになってきた気がします。アリサとすずかが献身的に支えてくれて、ユーノさんとアリシアは魔法のことで不思議な出会いをして、それから友達になって助け合って。

 

 アリシアのお母さん。プレシアさんと悲しい別れがあって……

 

 そして、はやてと出会って、彼女の優しさに受け止めてもらって、心の何処かで救われていて。

 

 こうして毎日を楽しそうに生きているはやての家族とアリシアの笑顔を見たり。夏祭りが近づいて浮かれている皆さんを見ると、わたしも幸せそうな気分になってしまいます。

 

 わたしも夏祭りが本当に楽しみです。

 

 ○月×日

 今日はアリシアとヴィータに連れられて近所のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にゲートボールの交流会に参加することになりました。ようやく時間がとれるようになったアリサとすずかも参加してくれて。はやて達は近くのベンチで見学している形になりました。

 

 ゲートボール。これが中々奥が深くて難しい競技でした。ハンマーを振る力が強すぎれば、転がっていくボールは明後日の方向に飛んでいきます。逆に力が弱すぎるとゲートまでの転がる距離が足りなくて、相手との差が開いてしまいます。ボールをゲートに通すには繊細な力加減と、狙った方向にボールを打つコントロール力が試されます。

 

 いつの間にかゲートボール仲間になっていたアリシアとヴィータはおじいちゃん、おばあちゃん達の期待の新人エースです。当然のように二つのチームに分かれて、競い合う二人は仲のいいライバル同士。それを皆で微笑ましそうに見守っていました。

 

 自分のボールが転がる途中で、相手のボールにあたった場合。スパークと呼ばれる"はじき"で相手のボールを明後日の方向に飛ばす事ができます。当然のようにヴィータはアリシアのボールをはじいてしまいました。ゲートから遠ざかるアリシアのボール。それを見るとアリシアが悔しそうにします。

 

 ですが、アリシアも負けていません。自分の打順が回ってくると、ボールとゲートを見比べて、頭の中で必要な打撃力やボールの転がる距離を計算して打っているようで。アリシアは一発でゲートにボールを通してヴィータに追いついていきます。

 

 あっと言う間に追いつくと、得意げな顔をして悔しそうにするヴィータを見るのですけど。ヴィータはヴィータで容赦なく邪魔をして、ボールをスパークではじいてしまいます。同じチームのおじいちゃん、おばあちゃんはあんまり二人の邪魔をしないので、必然的に決着が付くのは長引きそうでした。あれではあがりまで遠そうです。

 

 わたし達と言えば、ゲートボール初心者なのでおじいちゃん、おばあちゃんに打ち方を教えてもらって。地面に書いた数字の上に、上手にボールを止めるという遊びえ押しました。マス目の中に数字が書いてあって、ダーツのように真ん中に止めると5点。端っこは1点や2点です。決められた打数でより多くの点数を取ったほうが勝ちという単純な遊び。

 

 最初はわたしと、アリサと、すずかの三人で。途中からは、はやてやシャマルさん、シグナムさんを加えた皆で遊びました。車椅子の上からだと打つのが大変ですけど、それでも数少ないはやてが参加できる球技だったので、彼女は嬉しそうに笑っていました。

 

 その後も皆で楽しく遊んでその日は終わりました。特に誰とでも仲良くなれるアリシアと、常連のヴィータは本当のお孫さんのように可愛がってもらっているようで何よりです。

 

 はやての家に帰ったあとは夕飯を一緒にごちそうになって、いつの間にかアリサとシグナムが将棋で盛り上がるくらいに仲良くなっていました。アリサはああ見えて盤上遊戯が得意なので、皆の中では負けなしの存在ですね。わたしも本気になった彼女に一度も勝てたことがありません。

 

 彼女は自称ゲームマスターの忍さんが認めるくらいには強いです。アリシアが負けて泣き出しそうなほどに悔しがっていたので、あとで慰めてあげました。今頃はヴィータも同じように、はやてに慰められているのでしょうか。

 

 二人は悔しがり屋さんなので、しばらく将棋とチェスにはまりそうですね。わたしもアリシアに教えられるように少し勉強しておきましょう。まあ、バニングスのお屋敷で、アリシアがアリサに何度も挑んでいるかもしれませんが。その時はその時です。

 

 アリシア、意外とチェスとか強くなりそうな気がしますね。

 

 ○月×日

 アリシアと守護騎士の皆さんが戦隊を組んでしまいました。なんでしょうね。世の雲に隠れしヒーロー戦隊ヴォルケンジャーズって。赤がリーダーでヴィータ。桃色がシグナムさん。翠色がシャマルさん。それに藍色がザフィーラさんです。黄色はアリシアでした。趣味は近所のおじいさんとおばあさんの人助け。何故か専用の戦隊ポーズと決め台詞まで考え出して、妙に皆さん乗っています。バリアジャケット姿になれば、本物のヒーローみたいに見えます。

 

 それを見たはやては笑いを堪えきれないのか、お腹を押さえて蹲っています。笑いすぎて苦しそうです。普段とのギャップがかなり激しかったみたいで。熱血なシグナムとか、饒舌に決め台詞を喋るザフィーラとか。あまりにも唐突すぎるサプライズに腹筋をやられてしまったようです。

 

 まあ、これはあれですね。日曜日の戦隊ものに影響されてしまったみたいです。でも、人助けはいいことなので、しばらく付き合うことにしました。ちなみにわたしは助っ人枠でブラックです。いえ、戦隊もののヒーローは五人がちょうどいい数らしいので。

 

 今度、それぞれの色のマフラーを編んでもらうことになりました。赤いマフラーは正義の証とか。何とか。

 

 遊びに来たアリサも妙にノリノリで、ヒーローを裏で支えるお嬢様役になったりしています。すずかだけはちょっと遠慮気味です。たぶん忍さんにばれたら、碌なことにならないからでしょうね。絶対に悪乗りするにきまってます。悪の女科学者として、何かしらの発明品をぶつけてきそうなのが何とも。

 

 でも、それはそれで楽しそうですね。

 

 

 ○月×日

 今日は楽しみにしていた夏祭りの日です。

 

 天気も良くて、夕暮れの空にはあまり雲もありません。これなら雨が降る心配もなさそうですし、花火もよく見えそうです。外から和太鼓や笛の音が聞こえてきて、人々の喧騒がここまで届いてきそうなほど賑やかです。

 

 わたしは今、浴衣に着替えています。何でも母が幼いころに使っていた浴衣を仕立て直してくれたみたいで、ちゃんとわたしの背丈に合わせて作られています。夜空の布地に桜色の花びら模様が描かれた可愛らしい浴衣です。父はそっとこれを差し出して、何も言わずに縁側まで戻って行ってしまいましたが、気持ちは何となく伝わりました。

 

 ……もしも、もしも、おかーさんが無事だったら。昔みたいに優しかったおとーさんと、おねーちゃんで手を繋いで祭りまで行って。それをおにーちゃんがやさしく見守ってくれる。そんな家族みんなで仲良く過ごす光景があったのかな。

 

 …………らしくありませんね。

 

 そろそろ夏祭りに出かけようと思います。この日記の続きは帰ってきてから書きましょう。

 

 幸いにも八神家全員分の浴衣はアリサが用意してくれましたし、他の皆も今頃は同じように浴衣に着替えている頃です。少し早いですが、先に行って会場の下見をしながら、皆を待ちたいと思います。

 

 皆の浴衣姿が楽しみですね。それから日記の続きも。

 

 きっと海に行った日みたいに楽しい夏の思い出でいっぱいになります。

 

 ○月×日

 

 

 

 

 

 

 ○月×日

 何を書いたらいいのか分からない。

 

 神様はどうしてこんなにも残酷なんでしょうか。

 

 アリシアに続いて、はやてまで………

 

 〇月×日

 

 

 

 

 

 ○月×日

 ようやく気持ちの整理が、付いたかも、しれません。

 

 はやての足の麻痺は原因不明の先天性のもの。だけど、実際は違う。

 

 闇の書と呼ばれる魔導書の呪い。主に絶大な力をもたらす代わりに、一定期間蒐集しないと主を蝕んでいく機能がある。まるで、完成を急かすかのように。シグナムさんから説明されたときは耳を疑いましたが、真実なようです。

 

 そして、シグナムさん達が闇の書によって生み出された守護騎士。いわゆる闇の書の防衛プログラムなのだと説明された時も耳を疑いました。だって、人と同じように笑って、人と同じように悲しんで。毎日を一生懸命過ごしている彼らが人間じゃないなんて………話を聞いたときは、そう、思いました。

 

 けれど、今では彼女たちのことよりも、はやての事のほうが大事でした。もはや闇の書の呪いの進行は一刻の猶予もなく、放っておけばはやての命を蝕むまで止まらない。これを止めるために、シグナムさん達は自ら手を汚すことを選び、はやての為に日々を戦い続けている。毎日、傷ついた身体で帰ってきては、シャマルさんの治療を受けて、何事もなくはやての家に帰っていく。そして、はやてに心配かけないようにどんなに辛くても、苦しくても笑っている。

 

 わたしは……わたしはシグナムさんの話を聞いて。何かできるなら手伝おうとしました。でも、他ならぬシグナムさんに止められました。いわく、主はやての帰る場所を守っていてほしいのだと。秘密を共有する者として、はやての傍にいて支えてあげてほしいと。

 

 わたしは彼女たちの覚悟を無駄にできません。

 

 だから、家族のことを心配するはやてに真実を語らないまま過ごしています。できる限りはやての傍にいて、学校の帰りもはやてのお見舞いに行って。なるべく一緒に過ごすようにしています。彼女が寂しくないように。せめて、ヴォルケンリッターと呼ばれた大切なはやての家族たちの代わりに、少しでも一緒にいられるように。

 

 嘘を吐くのが苦しくないといえば嘘になります。けれど、わたしはそれ以上に大切な人を失ってしまうことのほうが怖い。母を失って。父も、姉もかつての面影を無くしてしまいました。優しかった家族はバラバラになってしまって。親しい人の死はそれくらい。ひとり、ひとりの人生を狂わせてしまうくらいに影響を与えてしまいのだと。わたしは知っています。

 

 アリシアもプレシアさんを失って、一部の記憶を改ざんしてしまうくらいに傷つきました。

 

 はやてを失ってしまったら、守護騎士の皆はきっと生きる気力を無くしてしまうでしょう。せっかく親しい友達になったアリシアやアリサ、すずかもきっとたくさん悲しんで、いっぱい涙を流してしまう。それが容易に想像できてしまう。

 

 わたしも、きっと泣き続けて、どうしようもなく胸が苦しくなって。今もそんな結末を認めたくないと心が泣き叫んでいる。

 

 そうなるくらいなら、たとえ誰かを傷つけることになっても、大切な人を守りたいと思うのは間違っているのでしょうか。もう二度と失いたくないと足掻くのは間違っているのでしょうか? わたしは、わたしはどうすればいいんでしょう……

 

 誰か、誰か助けてください……

 

 神様。どうか、はやてを奪わないでください。あの子の幸せを奪わないでください。

 

 ようやく、わたしたちは心の底から笑えるようになったんです。アリシアも元気になって、守護騎士の皆さんも海鳴の町に馴染んできて。父も何処か変わろうとしている。

 

 わたしも、誰も助けることができなかったジュエルシードの事件から、ようやく立ち直れて。これから平穏で穏やかな日々を皆で送っていくのだと、そう思っていたのに。

 

 はやてだって、今度は秋の紅葉を皆で見たり、クリスマスを皆で過ごすのが楽しみだって、あんなに喜んでいたんです。

 

 だから、だから、どうか………

 

 神様……

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 はやてが死にたくないと言うなら、わたしは……

 

 わたしも、覚悟を決めます。

 

 もう一度、魔法少女として立ち上がろう。

 誰かを守れるかもしれないと信じた。この力で。

 

 しばらく日記は書けそうにありませんね。

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

 

 

 ○月×日

 

  

 

 ○月×日

 今日はみんなが、楽しみにしていたクリスマスです。おいしいもの食べて、プレゼントを貰って、サンタさんに会おうと頑張る日。はやてとアリシアがとても楽しみにしていたので、サプライズするこちらとしても張り切ってしまいます。

 

 蒐集のほうも間に合いそうでよかったです。守護騎士の皆さんが張り切ったおかげで、結局わたしが手伝うことはありませんでした。というよりも、この手を血で汚すことを止められました。

 

 その分、はやてが寂しくないように毎日お見舞いに行ったので、いまでは家族同然みたいな仲の良さです。わたしと、アリシアとアリサ。それにすずかの四人。いつまでもずっと一緒です。シグナムさん達も戻ってくれば、ようやく元の平和な日常を取り戻せます。

 

 

 お父さん。そして、天国にいるであろうお母さん。私は、なのはは今日も元気です。

 今は、少しだけ毎日が楽しく。けれど、友達のことで一抹の不安があります。

 でも、それさえ乗り越えればきっと楽しい日々が待っている。

 

 わたしは、そう信じている。

 

 将来の夢はわかりませんが、このままだと碌な事にならないのは目に見えています。

 いっそのこと、パティシエだったという母と同じ道を目指すのもありかもしれません。

 喫茶店を開きたかったという亡き母の夢をついで、素敵な旦那さんと一緒に過ごすなんて。

 

 きっと素敵な夢物語でしょうね。

 帰ったら、いろいろと考えてみたいと思います。

 

 まずは、家族と少しでも触れ合って、それからお母さんのことを少しでも聞ければいい。

 私があまり知らない。お母さんのことを、たくさん聞けたらいいな。

 

 疎遠になっている姉とも、一緒に過ごせるようになれば幸いです。

 ううん、嬉しいのかな?

 

 お父さんが、一緒にやり直そうって言ってくれて。ちょっと信じられないけど。

 でも、夢じゃないんだって思います。

 

 もしも、幼いころのように家族みんなで過ごせたら。優しい日々を過ごせたら。

 それはきっと幸せなことなんだって思うから。

 

 でも、今日は皆で楽しみにしていたクリスマスなので。

 続きは帰ってきてから書こうと思います。

 

 それでは、行ってきます。

 

 かしこ。

 

 

 

 

 

 この先のページは涙で濡れたまま、何も書かれていない。



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復讐者のレクイエム 彼の苦悩。そして……

 イギリスの郊外に存在する田舎町に、立派な邸宅が建っていた。

 

 大理石で造られた表札にはグレアムと掘られていて、この家が誰のものであるかを明確に示している。

 

 しかし、その立派な邸宅の雰囲気は、いささか暗く。整備されていない庭は荒れ果て、植えられた草木のツタが邸宅の壁を覆っていることから、人は住んでいない様に見えるだろう。

 

 だが、彼は……時空管理局の英雄と称えられたギル・グレアムは確かに住んでいた。

 

 この荒れ果てた邸宅のように、心身ともに少しずつ憔悴していきながら、苦悩と後悔の日々を送っていた……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『なんで、何でこんなことするん……?』

 

 見ている者まで悲痛に顔を歪めてしまいそうなほど、うっすらと涙を流し、絶望した表情の少女がグレアムの瞳を、信じられないといった目で見つめてくる。

 

 セピア色に染まる。あの日の光景。そして、少女の問いにグレアムは答えなかった。答えられるはずもなかった。

 

 決して忘れる事の出来ない、いや……忘れる事すら許されない記憶。

 

 罪なき一人の少女を地獄よりも酷い、虚無と絶望の空間へと、二度と出てこられない様に、魔法の使えない虚数空間に叩き込んだ所業。グレアムという男が犯した許されざる罪の日の記憶。

 

 それは、いまだに彼を蝕む悪夢となって、毎日のように夢として出てくる悲劇の記憶だった。

 

 そして、慟哭する少女をエターナルコフィンで病院ごと氷漬けにして、虚数空間に放り込んだ場面で目が覚めた。

 

「グッ……はぁ、はぁ……また、あの夢か……」

 

 荒い息を吐きながら、アリアが用意してくれていた水の入ったコップを手に取り、ゆっくりと飲み干す。グレアムの顔は酷い有様で、頬は痩せこけ、目の下には濃い隈が出来ていて、ひどくやつれていた。

 

 現役であったころの屈強な面影は見る影もなく、痩せこけた身体は、病魔に蝕まれた老人のように見える。

 

 いや、病魔に蝕まれた……呪いに蝕まれた老人か。

 

 死ぬその時まで、永遠に覚めない悪夢という呪いのような病魔に蝕まれた老人だ。

 

 八神はやてという哀れな少女と管理外世界の人々を犠牲に、自らの手で闇の書を封印した時から、彼の苦悩は始まった。

 

 全てが終わったとき、彼の心に残ったものは、言いようのない虚しさと無力感だけだった。

 

 人々の怨讐も、少女の嘆きも、永遠に背負い続ける覚悟を決めてまで封印を実行したのに、この様だ。

 

 長きにわたる闇の書の因縁、多くの犠牲と悲しみを振りまいてきた災害ともいえるロストロギア。それを事実上、永久封印したのだ。それを素直に喜ぶことができれば、どれだけ良かったことか……

 

 結局、良心の叱責に苦しむなどという偽善を彼は抱えてしまったのだ。

 

 そして、そんな事は赦されていい事ではなかった。

 

 誰かに罰せられたいと思ったグレアムは、闇の書を封印する過程で、違法行為を犯した主犯の一人として、封印に関わった局員を庇いながら、素直に自己申告した。

 

 使い魔のリーゼロッテとリーゼアリアも、巻き込みたくはなかった。だが、彼女たちは、父親が罰せられるのに、娘が罰せられないのはおかしいと言って、頑なに意見を変えようとせず、結局は彼女たちも巻き込んでしまった。

 

――これで、私は罰せられる……罪を償うことが出来る……

 

――お父様……

 

――父様……

 

――すまない、アリア、ロッテ。お前たちを巻き込んでしまって。

 

――いいえ、お父様。私達はお父様が決めた道にどこまでもついていきますから。

 

――そうだよ父様! アタシらは父様の使い魔なんだからさ。

 

――すまない、本当にすまない……

 

 自身の罪に巻き込んでしまった愛する娘のような、二人の使い魔に謝りながら、彼は罰せられる時を待った。

 

 しかし、グレアムの期待とは裏腹に、結果は予想していたものと違っていた。

 

 本局は、時空管理局は、彼を稀代の英雄として祭り上げた。

 

 管理世界の人々は、彼を称賛して止まず、グレアムが真実を告げても、一種の熱狂に包まれた人々の声の前にかき消されてしまう。

 

 少女と無関係な人々の犠牲は、災厄を振りまくロストロギアの消滅の為には仕方がなかったこととして、人知れず闇に葬られていった。

 

――さすが、時空管理局の英雄と称えられたグレアム提督ですな。

 

――やはり、貴方こそが真の英雄に相応しいと我々は思っていましたよ。

 

――さあ、人々をロストロギアの脅威から救った英雄として、我々、時空管理局がロストロギアの脅威から人々を守り続ける象徴として、人々の期待に応えてあげてください。

 

 本局の上層部に居座る高官たちの声。

 

――やっぱり、グレアム提督はすごいですね。

 

――私達の平穏を脅かすロストロギアを封印してくれてありがとうございます! グレアム提督!!

 

――あのね、ぼく、おおきくなったら、かんりきょくいんになって、しょうらいは、グレアムていとくみたいな、えいゆうになりたいとおもってます。

 

 管理世界に住む人々の声。

 

――ありがとうございますグレアム提督。闇の書と戦って殉職した息子も報われました。本当にありがとう。

 

――やっと、やっと終わったよ。父さん。母さん。あの日、父さんと母さんを奪っていった闇の書を、グレアム提督が滅ぼしてくれたんだ……こんなに嬉しいことはない――ありがとうグレアム提督。

 

――これで、私達のように、理不尽に家族や友人を奪われる人々が減るのですね……。遺族を代表してお礼を言わせて貰いますわ。ありがとうグレアム提督。

 

 そして、闇の書の災禍や守護騎士の蒐集によって、家族や友人を、故郷を奪われた遺族たちの声。

 

 そのすべてが、グレアムを罰することなく、彼を称え、称賛し、心から礼を言った。

 

 そこに含まれる打算や、憧れはグレアムにとって、どうでも良い事柄だった。

 

 大切なのは、誰もグレアムの罪を責めることがなかった一点に尽きる。

 

 人々の熱気に押されたこともあって、管理世界が、時空管理局が望む英雄としての姿を、グレアムは演じ続けた。

 

 しかし、それは表向きの話で、裏で彼は相当に荒れた。人々の見えぬところで、壁に拳を叩きつけ、何度も頭をぶつけ、望まぬ結果に憤り、嘆き叫んだ。

 

――違う!! 私はこんなことをされるために、英雄になる為に真実を伝えたわけじゃない!!

 

――どうして、誰も犠牲になった少女と無関係な人々の事に目を向けようとしない! 何で目を背けるのだ!! なぜ、私の罪を罰してくれないんだあああぁぁぁっ!!

 

――私が、あの孤独に悲しむ少女を見て、何も思わなかったと思っているのか!! 闇の書の復活を阻止するために、入院するであろう病院に術式を仕掛けて、無関係な人々を巻き込むことを何とも思わない冷血漢だと思うのかッ!!

 

――管理外世界だから関係ない? そんなわけがあってたまるかッ!! あそこは私の故郷の世界なんだぞ!! イギリスと日本! 国は違えど、私だってそこに住む人々を、世界を愛していたんだ!! 

 

――父様! 落ち着いてッ!! そんなに御身体を傷つけちゃだめだよ!!

 

――確かに私は闇の書に私怨を抱いていた。決して善良な気持ちで、管理局員としての使命感で、闇の書を封印しようとした訳ではない。だが、闇の書の悲劇を終わらせようとした想いだけは、本物だった……

 

――それでも、罪なき少女や無関係な人々を巻き込んだことは、赦されることではない、本来ならば罰せられて当然の罪を犯しているというのに……

 

――なのに……どうして、誰も私を罰してはくれんのだ……。嗚呼……頼むから私をそんな目で見ないでくれ、私は決して英雄と称賛される人間ではない。裁かれなければならない人間なのだ……

 

――私を……憧れた目で見ないでくれ……

 

――お父様……

 

 その後、間もなくしてグレアムは逃げるように時空管理局を退職。

 

 故郷のイギリスで隠居生活を始めた。

 

 後悔しても、過去を振り返っても遅いというのに、封印方法に間違いがあったのではないか? 他に方法はなかったのかと模索したり、教会で懺悔を行う日々を送る。

 

 グレアム達も当初は罪なき人々を巻き込むつもりはなかった。最初は、破壊方法や別の封印方法を探し回っていたのだ。

 

 しかし、闇の書の対処するための方法が書かれた資料があるであろう、無限書庫を探索するには人手が足らず、時間も足らなかった。

 

 当時は秘密裏に事を進めていたこともあって、正式に増員を要請することも出来ず、結局は断念することになる。

 

 そして、唯一の確実な封印方法であろう、極大氷結魔法のエターナルコフィンを秘めた魔法の杖。デュランダルを以て封印する事を決定した。

 

 しかし、デュランダルの開発には莫大な予算が掛かるし、何より、先に言ったとおり秘密裏に事を進めていたため、開発する人員と予算を調達するのに時間が掛かった。

 

 封印する無人世界の選定も行わなければならず、守護騎士に妨害されずに、主である八神はやてを闇の書の完成直前に誘拐する方法も計画せねばならなかった為。

 

 気がつけば、あっという間に時間が過ぎ去っていた。

 

 ようやく、封印場所の選定も終わり、緻密(ちみつ)に練り上げた誘拐計画も整ってきたころに、問題が発生する。

 

 闇の書を氷結魔法で封印して、永久氷結世界に運び込んでも、いずれは封印が解かれてしまうという結果が出たのだ。

 

 その頃には闇の書の守護騎士が覚醒していて、もはや、守護騎士が蒐集を行い、闇の書を完成させるまで時間がなかった。

 

 いまさらになって、他の封印方法を模索するわけにもいかず、かといって、いますぐ闇の書を確保してアルカンシェルで吹っ飛ばすわけにもいかない。

 

 覚醒する前に闇の書を見つけられたことは好機であり、千載一隅のチャンスなのだ。この機会を逃せば、生きているうちに覚醒前の闇の書を発見するのは不可能だろう。

 

 関わっている局員の多くが、罪悪感に駆られながらも、検討されていた一つの方法を推進した。闇の書の悲劇に終止符を討つ為に……

 

 それは、儀式魔法を以て虚数空間に続く道を開け、氷結魔法で封印した闇の書を、魔法の使えない虚数空間に封印する方法だった。そうすれば、闇の書が何らかの要因で虚数空間から放り出されない限り、凍結魔法の封印を解かれる可能性は低い。

 

 守護騎士の妨害を受ければ、失敗してしまうであろう儀式魔法を、確実に成功させるために、場所は入院するであろう大学病院が選定される。

 

 氷結封印が解かれる可能性がある。

 

 それは、闇の書の移送中に起きる可能性も含めており、病院が封印場所に選ばれたのは、移送中の事故で暴走して闇の書の犠牲者を出さないため、苦渋に決断された苦肉の策であった。本局事件のような悲劇を繰り返さないためにも必要だった。

 

 闇の書の主と守護騎士を逃がさないよう、病院もろとも結界魔法で閉じ込める。

 

 そこには、大規模氷結封印魔法の被害を減らし、外部の人間に目撃されないようにという理由もあった。

 

 そして、彼らは孤独に苦しむ悲劇の少女と、無関係な病院の人々を巻き込んで封印を実行した。

 

 自業自得とはいえ、後に封印に関わった幾人かの局員が、自責の念に駆られて、管理局を退職する。

 

 酷い者は罪の意識に耐え切れず自殺した者までいた。婚約者を失ったグリーンなどがそうだ。

 

 あるいは、素直に栄光と称賛を受け入れ、英雄と呼ばれた局員もいた。関わった多くの人々の人生を良くも悪くも変えてしまったのだ。

 

 そのことが、グレアムの心をさらに傷つけ、精神を蝕んでいた。

 

◇ ◇ ◇

 

 そもそも、事の始まりは何だったのだろうか?

 

 いいや、決まっている。大切な人をアルカンシェルを使って、グレアムの手で葬った時からだ。

 

 グレアムはベッドから抜け出して、机の上に置いてある写真を手に取った。

 

 写真に写るのは今は亡き、笑顔を浮かべるハラオウン一家。闇の書事件が最悪のケースで終結した悲劇の事件。本局における暴走事件のせいだ。

 

 ハラオウン一家は、この時に全員が亡くなった。グレアムが……殺した。

 

 事件の始まりは、稼働前の闇の書を移送していたときだ。すべてが順調で、強固な封印も安定していて、万に一つも闇の書が暴走する危険など誰もが考えていなかっただろう。見くびっていたのだ。ロストロギアの恐ろしさを。誰もが稼働しなければ安全だと思っていた。

 

 移送艦隊は本局にて補給を受け、それから闇の書を永久氷土の世界に移送。封印したロストロギアを誰も手の届かない無人世界に葬り去る予定だった。

 

 クライドも一時的に艦を降りて、見学に来ていた妻のリンディと息子のクロノと触れあい、笑っていたのをグレアムはよく覚えている。

 

 その時に、異変が起きた。闇の書を移送した艦が乗っ取られ、あろうことか本局まで侵食し始めたのだ。想定外の事態に誰もが狼狽えた。まさか、本局をアルカンシェルで消し去るわけにもいかない。しかし、このままでは次元世界の秩序が崩壊する。

 

 英断を下したのはハラオウン夫妻。二人の上位権限で本局の一部をなりふり構わず、浸食されたブロックごとパージして分離させたのだ。そこには、息子のクロノもいた。彼らは身の安全より、局員としての使命を選んだ。

 

 分離ブロックが本局との連結部分を崩壊させ、次元の流れに乗って漂流する瞬間をグレアムはよく覚えている。

 

 もちろん、グレアムも救出しようとした。他の滞在していた提督も、伝説の三提督もだ。取り残された局員たちを、みすみす無駄死にさせるわけにはいかなかった。

 

 しかし、強固な防壁によって転移魔法を阻まれ、救出は不可能だった。そうこうしているうちに、闇の書は力を急速に蓄え暴走の度合いを増していく。通信から聞こえてくる人々の悲鳴がグレアムの耳に残っている。内部でどんな悲劇が起こっていたのか、今となっても分からない。

 

 最後の通信は、クライドからだった。彼は自分たちに構わず撃ってほしいと願い出た。このままでは、次元世界に大きな被害をもたらす。そのまえにアルカンシェルで闇の書を消滅させてほしいと。声はそこで途切れた。

 

 そして、グレアムは決断したのだ。自らの手でアルカンシェルの引き金を引き、多くの人々を葬り去る事を。

 

 その日の光景も忘れたことはない。今でも鮮明に思い出せる。彼の悪夢の始まりだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「全巡航L級艦のアルカンシェル発射コードを本艦にリンク……私が全ての責任を持って暴走した闇の書を分離ブロックごと消滅させる」

 

「グレアム提督……ッ、了解しました。全艦のアルカンシェル発射コードをリンク。エスティアの発射タイミングと同時に放ちます」

 

(何故だっ! 何故クライドが、リンディが、クロノがこんな目に遭わなければならないッ!! あのブロックに取り残された人たちに、何の罪もないというのに、闇の書はそれすらッ、彼らの未来すら理不尽に奪い去ろうというのかッ!!)

 

「リンク完了。全艦のアルカンシェルのチャージは完了しています…………あとは、提督のご判断に、任せます……」

 

(わ、私は撃てるのか…家族のように、親しいクライドを…娘のように可愛がっているリンディを…初めてできた孫のようなクロノを……そして、故郷に家族がいるであろう局員たちを、無数の未来を、可能性を持った若い局員たちを、その家族を……葬れるのか?)

 

「提督……」

「ッ……分かっている。撃たなければ、ここで彼らを犠牲に闇の書を滅ぼさねば、より多くの犠牲を生み出すという事も分かっているんだ……」

 

 何処か弱々しい声で呟くグレアム提督を誰も責めはしない。誰もが提督の苦悩を、自分の事のように考えていた。アルカンシェルを使って取り残された局員を救出せずに葬り去る。そのことを自分が行うと想像しただけで罪の重さに押しつぶされそうだった。

 

 ただ、他の巡航L級艦に座上する何人かの艦長は既に覚悟を決めており、いつでも撃てるように準備は怠らなかった。事の重要性は誰もが嫌という程に理解していて。ここで暴走した闇の書を滅さなければ最悪、時空管理局本局が崩壊する危険があるからだった。

 

 そうなれば、次元世界は次元犯罪者の暴走を抑えることができなくなるばかりか、自然災害の如く発生するロストロギア事件に対処できなくなり、多くの世界が滅んでしまう。それだけは絶対に避けねばならない。

 

 本当なら今すぐアルカンシェルを放ち、事件を収束させるのが管理局員としての義務。いや、責務だ。だが、グレアム提督の苦悩を理解しているがゆえに、僅かな猶予を与えている。もし、グレアム提督がアルカンシェルを撃てなければ覚悟を決めた艦長の誰かがアルカンシェルを撃つだろう。そうなれば、戸惑っている艦の人間も否応にも撃たざるを得ないのは確実。

 

 あとは、ギル・グレアムという男の決断次第だった。

 

「――ッ、目標、闇の書の暴走に取り込まれた分離ブロック。アルカンシェル発射カウント開始」

 

 やがて、覚悟を決めたのか顔をあげて、分離された本局ブロックの映るモニターを見据えるグレアム提督。彼は冷徹な声で命令を下す。

 

 その瞳には様々な感情が秘められている。闇の書に対するコールタールのようにどす黒い憎しみ。闇の書に巻き込まれた人々に対する憐れみ。大切な人を失う耐えようのない悲しみ。そして、人々を犠牲にすることと、管理局員としての使命の板挟みに絶望する苦悩。

 

 その時から、グレアムは変わった。

 

「了解、しました……アルカンシェル発射カウント開始。10、9、8、7、6、発射コードのロックを解除……」

 

 オペレーターの言葉と同時に、グレアムの手元にある透明な保護カバーに覆われた赤いスイッチが輝きだす。権限を与えられた二人の人間が同時にキーを回す通常の発射方式と対を成す緊急用の単独発射コード。

 

 カウントゼロと共に保護カバーを粉砕する勢いで叩き押せば、アルカンシェルが発射され、闇の書と取り残された多くの人々を葬り去る死のスイッチ。

 

「5、4、3、2、1、提督ッ!」

「アルカンシェルっ!! はっしゃああああぁぁぁッ!!」

 

 そしてグレアム提督は迷いを振り切るように叫んで、発射スイッチを叩き壊す様に拳を振り降ろした。保護カバーが粉砕され、赤いスイッチが押されると同時にエスティアの艦首からチャージされたアルカンシェルが発射される。三つの展開された巨大な環状魔法陣から白銀の光が放射され、分離ブロックを貫いていった。

 

 エスティアだけでなく、他の艦からも発射されたアルカンシェルの輝きは幾条もの流星となって分離ブロックを貫く。その光景は、何も知らぬものが遠くから見れば美しいと呟いてしまうかもしれない。しかし、行われているのは残酷な行為だ。

 

 対象を着弾後の空間歪曲による反応消滅で消し去る禁断の術式兵装。その効果は凄まじく、アルカンシェルの斉射が終わったときには……

 

 その空間には、何も残らず、ただ虚しい空間が広がっているだけ……

 

「ッ……くっ、うっ、うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……」

 

 何も移さなくなったモニターを見てグレアムは頭を抱えて床に崩れ落ちると、事後処理の命令も、上に立つ者は冷静でなければならないという心得も忘れて、血反吐を吐きだすかのように叫び続ける。

 

 その行為を局員たちは誰も注意をしようとはしなかった。いや、声を掛けられなかったという方が正しいか。

 

 全責任を背負い、自らの手で多くの人間を葬り、親しい人を自らの手で、アルカンシェルで消し飛ばした男。ギル・グレアム。

 

 次元世界の人々はこの事件の内容を知って彼をどう思うのだろう? 闇の書の被害から人々を護る為に苦渋の決断をくだした悲劇の英雄? それとも、無慈悲にも巻き込まれた局員を助けようともせず、名声の為に多くの局員を犠牲に闇の書を消し去った偽善者?

 

 だが、グレアムにとって他人の評価などどうでも良いこと。

 

 今、周囲の人間が分かることはグレアムの苦悩はグレアム自身にしか分からないということだけだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 嫌なことを思いだした。グレアムは写真のついたてを伏せると、静かに立ち上がる。

 

 少しだけ夜風にあたりたかったのだ。もう、眠るような気分でもないし、もう一度悪夢を見たくなかった。リーゼ達は身体を労われと叱るだろうが、少しだけ許してほしい。

 

 きっとグレアム自身は永遠に救われる事無く、呪いに苦しみ続けて死ぬのだろうから。

 

 寝室からベランダまでフラフラと歩くグレアム。その時、初めてグレアムは異変に気が付いた。妙だ。静かすぎる。リーゼ姉妹がいるので多少の気配はする筈だが……この感じは戦場の臭いだと、グレアムは経験から判断した。

 

 冷たい、底冷えするような感覚は、家に襲撃者が潜んでいることを意味する。衰えたとはいえ、彼は歴戦の勇士すぐに身構える。

 

(……いや、私にはどうでもいいことか)

 

 しかし、もう生きることに疲れ果てていたグレアムは構えを解いた。

 

「がっ――!!」

 

 その瞬間、上から圧し掛かるような衝撃と共に、グレアムは床に倒れ込んだ。どうやら音もなく忍び寄って、静かにグレアムに飛び掛かったらしい。まるで、暗殺者のような人間。

 

 首筋に押し当てられる冷たく鋭い感触は、恐らく刃物。襲撃者が獲物を静かに引くだけでグレアムは死ぬ。

 

 だが、それでいいのかもしれない。グレアムはそれだけの事をしたと罪を自覚している。裁かれるというのであれば、甘んじて受け入れよう。

 

「妙な技で抵抗しようとしても、助けを呼んでも無駄。獣の臭いがする女二人は一階で気絶している。誰かが来る前に私の刃がお前の命を奪う方が早い」

 

 どうやらロッテとアリアを無力化したらしい。とんでもない手練れだ。声からして女。それも、まだ若い。歳の頃は20から30といったところか。

 

 恐らくグレアムを殺しに来たのは間違いない。さっきから鋭い殺気がグレアムを蝕んでいる。すぐに殺さないのが不思議なくらいだ。

 

「お前がギル・グレアムか?」

「そうだ」

 

 女の憎しみを押し殺したような声に、グレアムは静かに肯定の意を示した。

 

 歯ぎしりする音と共に、女からの殺気がさらに増す。グレアムもかつては、このような憎悪を抱いていたのだろうか?

 

 女が何かを取り出して、グレアムの目線に見せるように置いた。見覚えのある手紙。かつての八神はやてに宛てたもの。

 

 なら、女の正体は、忌まわしい事件となった被害者の遺族か、それに雇われた暗殺者といった所だろう。態度からして前者だろうが。手紙だけを手掛かりに、グレアムの居場所を特定するとは恐るべき執念だ。

 

「……三年だ。私はお前を見つけるまでに三年も掛かった。答えろ!! なのはは、私の妹の不破なのははどうした!? 病院の人々を何処へやった!?」

 

 なのは、不破なのは。グレアムには聞き覚えがある名前。思い出す。封印事件の時に最後まで抵抗してきた少女の姿を。決して諦めずにはやてを救おうと抗った少女を。

 

 なら、この女性は、その家族か。

 

 けれど、グレアムは女の期待に応えられない。絶望しか示すことはできないだろう。あの子は……

 

「死んだよ。私が殺した。病院にいた人間は全て氷漬けにして、異世界に放り込んだ」

「貴様……!! キサマ――よくもっ、ぬけぬけと!!」

「ぐっ……私を殺すのかね。なら、好きにすると言い。殺される覚悟はできている」

 

 女が抑えていたグレアムの喉元を絞めていく。

 

 振り下ろされた鋭い獲物はナイフではない。刀。それも小太刀と呼ばれる物の類。グレアムの肩に激痛が走り、熱さを伴う。

 

 この女性はグレアムを一思いに殺すことはない。恐らく徹底的に痛みつけて、あらん限りに苦痛を与えて殺すのだろう。

 

 それでいいと、グレアムは思った。死ねるのなら、他人の手で殺されるのならそれでいい。どこかで望んでいた結末ではないか。

 

「さあ! 剣を振り下ろしたまえ!! 憎き仇は目の前にいるのだぞ!!」

 

「言われなくても、お前はここで死ぬがいい!! 死んで神隠しのクリスマスの罪を贖えええぇぇぇぇッ!!」

 

 女が振り下ろす獲物の風切り音と共に、グレアムは静かに目を閉じた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 あれから7年。グレアムは今でも生き恥を晒し続けている。女はグレアムを最終的に殺さなかった。既のところで鳴った携帯電話の着信音。それは女の持っていた携帯から鳴り響いていた。

 

 そして、電話の相手と女は散々に口論を繰り広げて、女は泣き叫びながら去って行ったのをよく覚えている。

 

 電話主との会話の内容から、復讐を止められたという事しかグレアムには分からなかったが、とにかく死ぬことはできなかった。

 

 グレアムは異変に気が付いて通報を受け、訪ねてきた警察に女のことをぼかした。家に忍び込んだ強盗に殺されかけて、運よく生き延びれた。そういう事で良いのだ。

 

 女とグレアムは会う事は二度とないだろう。

 

 朝に起きて、使い魔の淹れてくれた紅茶でぼんやりとした頭を覚ましながら、テラスで町の景色を見ていたグレアムは、静かにため息を吐く。

 

 クライド達を失ってから、グレアムは物事を見る視野が狭くなったと思う。あのような若い女性にまで復讐の連鎖に陥れるとは。結局グレアムは世界を救っても、本当に救うべき人は救えなかったということか。

 

 親しい人を奪われて、誰かの大切な人を奪い去って、局員として、そこに住む人々をあらゆる脅威から助けるという理念も忘れて。使命という言い訳を元に復讐を果たした。

 

 これでは、ただの畜生ではないか。

 

 なりふり構わず自殺できれば、どれほど楽だっただろう。けれど、神様というやつは残酷で、みじめなグレアムに生きろとおっしゃるらしい。

 

 もしかすると、生き地獄を味わうことがグレアムに対する罰なのかもしれない。

 

「父様、お腹はすいていませんか?」

「いや、アリア。もう少しあとで構わない。軽めのもので頼むよ」

「ダメだぞ父様。ちゃんと食べなきゃ。ただでさえ、痩せてきてるんだからな」

「はは……すまないね。ロッテ」

 

 甲斐甲斐しく主人の世話をしてくれる。娘でもある二匹の使い魔に、礼を言う。彼女たちにまで業を背負わせたことは、一生における後悔のひとつ。リーゼたちには悪いことをした。

 

 このまま、何もできずにグレアムと言う男は、悪夢にうなされて死んでいくのだろう。共に歩む使い魔も、心に影を落としたまま死んでいく。立ち止まった男の時は永遠に停滞したままなのだろう。

 

 それが、あの日、幼い少女たちを封印した男に対する罰なのだから。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 その少年がフェレットになって病院に辿り着いたとき、助けたかった大切な人は何処にも居らず。助けを求めてくれた紅玉と零れ落ちた黄金の三角形すらも現場に残されていなかった。

 

 物だけが残り、人の姿が何処にもない静かな病院で、彼は愕然としていた。

 

 そして、自身が間に合わずに、彼女たちを助けられなかった事を知る。

 

 心に浮かんでくるのは魔法の事に巻き込んでしまった後悔。助けると約束していながら助けられなかった苦しみ。そして、大切な人を失ってしまった悲しみだった。

 

 彼は何処かの世界で泣き叫ぶような声を上げ続けた。

 

 けれど、声は決して彼女たちに聞こえず。伸ばした少年の手が届くことはない。

 

『遥か昔から次元世界に災厄をもたらし続けてきた闇の書事件が無事に解決して……』

 

『管理局は英雄ギル・グレアム率いる彼らを称えると共に、闇の書によって犠牲になった人々に哀悼の意を……』

 

『そして、管理局は管理世界の人々の秩序と平穏を守るとともに、これからもロストロギアや次元犯罪者の脅威に立ち向かっていくことになるでしょう』

 

 どこかの世界の、どこかの街で声が聞こえる。人々の喧騒に紛れて、街のモニターに映し出されたニュースから闇の書事件の顛末が語られている。年に一度繰り返し聞かされる内容に、ユーノ・スクライアは耳を傾けることもせずに街中を歩いていく。ボロボロの外套で身を隠しながら、次元世界を渡り歩いていく日々を送る。

 

 闇の書事件が終わってから一年目は、事件の詳細を調べるために各地を回った。連日放送されるニュースや情報誌を目で追いながら、各地の伝手まで総動員して事件の詳細を追い続けた。もしかしたら、何処かで生きているかもしれないと期待しながら、事件の被害者の生き残りを、彼女たちを探し続けた。けれど、徒労に 終わった。

 

 そんなユーノに接触してくる人物がいた。

 

 いつかの依頼人。リエルカ・エイジ・ステイツだった。

 

 管理局に押収されていたレイジングハートとバルデッシュを回収していたステイツは、ユーノにそれを手渡してくれた。そしてユーノは主を失ったデバイスたちから事件の詳細を聞いた。彼女たちが虚数空間の奥底に封印されてしまったことを。

 

 呆然とするユーノに、ステイツは言う。

 

「私に協力してくれるなら、手を貸そう」

「管理局は彼女たちを永劫の檻から解き放つことはしないだろう」

「だが、管理局と対極に位置する私たちならば、封じられた彼女たちに手を差し伸べることができる」

「どうするかね」

 

 だから、『ユーノ』は迷わず手を伸ばした。

 

 稀代の次元犯罪者ジェイル・スカリエッティの手を取った。

 

 全てはあの日の約束を果たすために。もう二度と後悔しないために。

 

 そして、大切な人を絶対に助けるために。

 

(待っていて。僕が、僕が必ず迎えに行くから……)

 

 彼は闇の中を渡り歩いていく。かつての、主のデバイス二機と共に……

 



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第四部 闇の欠片編
序章『はやて』の独白とはやての葛藤と


『ぐっ……殺してやるっ。殺してやるっ。殺してやるっ!!』

 

 嫌な夢を見た。大切な親友が、憎しみに染まってしまって、なりふり構わずに相手を殺そうとする夢。本当は誰も殺したくないと。自らの手を赤く染めてしまった事に誰よりも苦悩していた心優しい子だったのに。

 

『なんで、こんなことするん……?』

『お前の罪。それは闇の書に選ばれたお前の存在そのものだ』

 

 『はやて』の問いかけに、どこか諦めたような表情をした老人は何も答えてくれない。ただ、淡々と『はやて』を暗い闇の底に落とそうと手をかざす。

 

 『はやて』は、せめて『なのは』を抱きしめようと手を伸ばす。抱きしめて、どんなに慰めようとも、優しい言葉を掛けようとも、思ったように声が出ない。ただ、『ごめんなさい』とうわ言のように繰り返しているだけ。あの日の出来事が辛くて悲しくて、巻き込んでしまった皆に申し訳なくて。家族を、親友を殺されながら何もできない自分が情けなくて。

 

 巻き込んでしまった事に対する贖罪の言葉を口にしながら、暗い闇の底で『はやて』は謝り続ける。永遠とも思えるような長い時間を独りで過ごし続ける。氷漬けになった親友の■■を抱きながら。

 

 そして、夢を見る。幸せだった頃の夢。『なのは』や『アリシア』の記憶の夢を。そして繰り返される終わらない夜の悪夢を。何度も。何度も。

 

「我は……また、うなされて……」

 

 目を覚ます。寝心地の良いベッドの上で寝かされている自分に気が付き、同時に嫌な汗を掻いていたらしい。ディアーチェは荒い息を吐きながら、胸の辺りを抑えて、寝間着を握りしめた。

 

「我に嘆きと悲しみを抱くことは……許されぬというのに…………罪を贖い続けることが、巻き込んでしまった者たちへのできる、我のせめてもの償い……」

 

 海の音が聞こえる。十二月の忌々しい季節が近くなり、肌寒くなってきた頃。優しい月明かりだけが周囲を照らしてくれるけれど。ディアーチェにとっては誰もいない夜そのものが悪夢に等しい。病室で一人ぼっちだった頃の不安と、何もかも失って闇の中で独り過ごしていた悠久の日々を思い出すから。

 

 不安になって誰かいないのかと手を伸ばす。けれど、いつも傍にいてくれるシュテルもレヴィも傍にいない。どうして……と不安になってしまう。そして、自分が置いてきたのだと気が付いて俯いた。アスカも向こうについた。ナハトには八神はやての世話をさせている。

 

 本当は傍にいて欲しいのに、何を自分勝手なことをと。自問自答して、自分で自分の心を傷つけていく。自己嫌悪に陥っていく。

 

 心配だがシュテルはアスカと共に管理局に置いてきたのだ。

 

 それにレヴィは、過去のトラウマを思い出して一時的に心を閉ざしてしまった。躯体の傷を癒したものの意識が戻らない。封じていた過去の記憶は、彼女の心を相当に傷つけてしまったらしい。今は紫天の書の中で眠っている。

 

 支えてくれる人がいないというのは、こんなにも辛いことなのかと意識してしまう。

 

 そんな彼女の元に、ナハトが部屋の扉を開けて入ってきた。思わず顔を見られたくなくて、布団を深くかぶって背中を向けた。誰よりも優しくて心配性な友達を不安にさせたくない。

 

 けれど、背中におんぶされている八神はやての顔も見えてしまって、ちょっとだけ安心した心は、すぐに同族嫌悪に歪んだ。自分と同じ顔をして、自分と同じようにのうのうと安寧を貪っていたはやてを許せそうにない。自分自身と同じように。

 

「ディアちゃん、起きてたんだ」

 

 はやてを、ディアーチェの眠るベッドにそっと下ろして腰かけさせたナハトは、ディアーチェに優しく声を掛けてくれる。寝たふりで誤魔化せそうにないし、またあの悪夢を見ると思うと寝付けそうにない。

 

 ただ、ナハトの言葉に静かに頷くだけに留めた。

 

「――ごめん、ディアちゃん。全部話しちゃった。わたしたちの事も、何があったのかも」

「……余計なことを」

「うん、ごめんね。でも、毎晩うなされるディアちゃんを放っておけないから。それに力になれる人は多い方がいいと思う」

 

 遠まわしにはやてちゃんは信頼できるからと言われては、ディアーチェも返す言葉などなかった。自分自身と同じような存在だから。『すずか』だったナハトがはやてを信頼するのも当然の帰結と言える。

 

 大方、はやてに自分の悩みや苦しみを話してみたらとでも言うのだろう。確かに、ディアーチェは心配かけまいとマテリアルの誰にも自らの心情を明かそうとはしなかった。シュテルに無理やり促されるまでは、ずっと隠しておくつもりだった。今も不安や悩みを打ち明けられずに、一人で抱え込んでいる。

 

 ナハトは何も言わずに、ただ寄り添ってくれる。自分はそれに甘えている。でも、やっぱり打ち明けられないことはたくさんある。負い目がある。

 

 ナハトはそれを察して、はやてを連れてきたのだろう。はやてになら、自分自身と同じような存在なら。独白くらいなら出来るかもしれないから。

 

 本当は不安を打ち明けたい。でも、話したくない。心配かけたくない。毛布の内側に包まりながら、ディアーチェは不安な自分を隠すように月を見上げて。それから大きくため息を吐いた。二人きりにして欲しいと小声で言う。

 

「ディアちゃん。でも……」

「ナハトちゃん。大丈夫だから。二人っきりにしてあげてほしい」

 

 感情的になった衝動で、ディアーチェがはやてを傷つけて、自分自身も苦しめてしまわないだろうか。そう心配するナハトを安心させるようにはやては微笑んで、頷いた。ここはわたしに任せてほしいと。

 

 ナハトは頷いて、悲しそうに狼の尻尾を揺らした。本当は自分もディアーチェの支えになりたいし、悩みがあるなら聞いてあげたい。何をされても全部、受け止めてあげられる自信がある。けれど、親友はそれを望んでいない。ナハトを頼って重荷を背負わせてしまうことを望んでいない。

 

 ナハトは気遣いのできる子だ。自分を押さえつけることなど造作もない。ディアーチェがそれで少しでも救われるならと、本心を押し殺して頷いた。

 

「何かあったら、いつでも頼ってね。わたしは、ずっと傍にいるから。もう独りになんてさせないから」

 

 去り際にディアーチェに近づいて、耳元でそうささやいてナハトは部屋を出て行った。その事に申し訳なく思いながらも、静かに頷いた。でも、嘘を吐いた。親友を巻き込んでしまうのは、ディアーチェにとって大きなトラウマだから。できれば巻き込みたくない。

 

「……全部、聞いたよ。昔のことも、最後に何があったのかも……」

 

 背中越しに聞こえてくるはやての独白に、お前に何がわかると内心で思う。今でも八神はやて(自分と同じ存在)は許せないし、本当なら突き放してやりたい。けれど、独りはどうしようもなく不安だった。静かな夜の月を、横になって見上げている自分は、どんな顔をしているのだろうかと、ディアーチェはそう思う。

 

 こんなにも自分は心細くて、寂しがり屋だったのかと。誰かに傍にいて欲しかったのかと、そう思ってしまう。自身にそんな資格はないというのに。

 

 静かな夜に、長い沈黙。

 

「……軽蔑したか?」

 

 やがて出てきたのは、そんな言葉だった。同じ『はやて』の声。だけど、どこか彼女よりも薄暗い声で語りかける。

 

「我も……いや……」

 

 ディアーチェは……

 

 ……『はやて』はそこで口調を変えた。言葉を変えた。

 

 随分昔に喋っていたような気がする昔のものに戻した。

 

「あなたもわたしも結局やっていた事は家族ごっこ。闇の書の主として何も知ろうとせず。平和な日々を望んで、それを享受しようとした愚か者。その末路がわたし」

 

「その裏で、家族と慕った守護騎士たちが、わたしを救うために奮闘してくれた。力を振るうことでしか誰かを救えないと嘆いていた友達を、さらに苦しめた」

 

「挙句の果てに無知を晒して、裏切られたと糾弾して、泣き叫んで、自分自身の無力さを嘆きながら何もしようとしなかった。それがわたし。わたしという存在の末路。あなたが辿るかもしれなかった。未来の可能性のひとつなんよ……?」

 

 自分に言い聞かせるように独白する『はやて』の言葉を。もう一人の自分ともいえる少女の声を、はやては黙って聞いていた。ベッドの上で横になって『はやて』と背中合わせになりながら。薄暗い部屋を見つめている自分はどんな顔をしているのだろうかと、はやてはそう思う。

 

 きっと自分のことのように感じて悲しい顔をしているのかもしれない。あまりにも痛々しくて寂しげな『はやて』の声に、心痛ばかりを感じている。

 

「わたしの心が穏やかだったのは、マテリアルとなった皆と共に過ごしていた日々くらいだった。あれは、ちょっとした冒険みたいで楽しかった。夢で見たようなおとぎ話の世界の住人となって、皆で世界を旅をした。よく読んだ本の登場人物と同じようになぁ」

 

「シュテルと、レヴィと。それにアスカにナハト。わたしら五人にユーリも加えて旅をした日々だけは本当に楽しかった」

 

 そう語る少女の声は、本当に安らぎに満ちていた。『はやて』の過ごした永遠にも等しい夜は終わり、それは新しい朝の訪れでもあったのだ。それがたとえ束の間の平穏であったのだとしても、『はやて』にとっては何よりも満たされた日々であったに違いない。

 

 だって『はやて』が友達との思い出を語る口調は、本当に優しげで嬉しそうで。はやてと同じように優しく話すのだ。それを聞いていると、はやても自分のことのように嬉しくなった。夢にまで見た友達との日々は、はやてが思い描いていた日常そのものだったから。

 

「それも、管理局の莫迦どもが追撃してきたせいで唐突に終わってしまったがな。まさか、並行世界とは思わなかった。少しだけ違う歴史に、どこか穏やかなよく似た友達の顔。最初は、なんや出来の悪い夢物語だと思った」

 

 けれど、不意に『はやて』の声は沈んでしまった。帰ってきたマテリアル達を迎えた予期せぬ出来事が、すべてを変えてしまったから。

 

 管理局に目を付けられた時ははどうしようかと焦った。また、封じられて、虚数の果てに落とされるかもしれないと心底恐れた。それを咄嗟に助けてくれたのがマテリアルとなった親友たち。自分の身を挺してまで、地球まで送り出してくれた。

 

 迎えに行くこともできず途方に暮れていたところを、別世界の高町家が助けてくれて。

 

 『はやて』の声は再び嬉しそうになる。そこで過ごした優しい日々は、本当に嬉しかったから。優しい日常を過ごしていると、『はやて』は失ってしまった安寧の日々を思い出してしまって、どうしても頬が緩む。けれど、それとは裏腹に心は悲しくなる。

 

 優しい思い出は、同時に悲しい思い出も蘇らせる切っ掛けでもあったから。

 

「高町の家での日々は、まあ悪くなかった。どうせならシュテルの家にお呼ばれしたかったけどなぁ。『不破家』の家庭環境がどんなに複雑だとしても、わたしにとっては些末事や。この足が動けさえすれば遊びに行ったのにと、今でも思う」

 

「シュテルは、わたしの手料理が好きでな。よく家庭の味だって喜ぶんよ。レヴィとヴィータなんて、とってもはしゃいでて、よくおかずの取り合いをしてた。それを見ていたシュテルはとても優しそうな顔をして。よく笑うんよ。本当に優しそうに」

 

「本人は気づいておらんけど、あの子は幸せそうな家族の情景をみると微かに笑ってくれるんや。それから、とっても寂しそうな顔をする。それも一瞬だけだけど」

 

 『はやて』は語る。嬉しそうな口調で。泣きそうな顔をしながら。背中合わせのはやてに、決して弱みを見せないように語り続ける。心の奥底で、自分に泣く資格なんてないのだと言い聞かせながら。

 

 彼女の口から語られるのは家族や友達との優しくて、楽しい思い出ばかりだった。それは、それは本当に楽しそうに語るのだ。自分の過ごした大切な日々を。

 

「そうそう。レヴィにはよく手を焼かされた。うちの家でお菓子の取り合いをして、ヴィータと喧嘩になってな。アスカが加われば妹を叱る姉の図が完成や。そこにシグナムも加わると、途端に二人とも大人しくなって。喧嘩両成敗で、どっちも怒られおったよ」

 

「だけど、レヴィはどんなにはしゃいでも、好奇心旺盛な猫みたいに悪戯をしても、人の嫌がることは決してしない。レヴィはな、人を笑顔にする天才なんや。あの子が笑ってはしゃぐだけで、見ている皆が微笑ましくなる。シュテルも、よく笑っていたよ」

 

「しかも、意外と気配りでな。当時は、車椅子で生活していたわたしを何かと気にしてくれて、よく助けてもらったりした。代わりに習い事を嫌がったときはよく匿ってあげたりもした。習い事をサボると必ずアスカが怒って追いかけてくるって、だから、助けて~~ってな感じでな」

 

「今思えば姉を困らせる妹みたいな真似をしたかっただけなのかもなぁ。あの子の根底には、姉妹に対する憧憬があったから」

 

「それから、ヒーローごっこは特に好きで、戦隊物のポーズとかよく好んでやってたんよ? 自分が真ん中なってポーズを取るものだと思ってたけど、意外なことにヴィータを真ん中にしていてな。赤はリーダーの色だからって。あの子はイエローの役をよくやってた」

 

「シグナムがピンクで、シャマルがグリーン。そしてザフィーラがブルー。五人そろってヴォルケンジャーズって名乗って、専用のポーズまで考えてな。あれは傑作だった。それに、ヒーローごっこの一環で、よく困っている人を助けたりとか茶飯事だった」

 

「困っている人を放っておけないんよ。根は友達想いの優しい子やから。それで近所の爺様、婆様方には大人気で、人助けはえらく好評だった。孫ができたみたいだって、レヴィとヴィータはよく好かれてたなぁ」

 

 そこまで語ってから、『はやて』は不意に悲しそうな声をした。

 

「わたしは、どちらかといえば助けられるほうだった。ヴォルケンリッターやシュテルたちと会うまでは独りぼっちだった。誰も助けてはくれない日々に。その事に疑問を持ったこともあったし、世界はこんなにも寂しいものなんかと、ひとり枕を濡らしたりもしたなぁ」

 

「………もう一人のわたしにも、きっと覚えはあると思う」

 

 悲しそうに告げる『はやて』に、はやては何と答えていいか迷ってしまう。それは闇の書の主となって、足の麻痺が徐々に進んでいった時から。はやてを蝕んでいった呪いだ。独りぼっちの寂しさを感じながら。けれど、何も感じなくなっていくような孤独の日々。

 

 はやてにも、それが痛いほどの分かってしまう。思わず寂しさに、胸を握りしめてしまうくらいに。

 

 『はやて』の独白は続く。

 

「家事も、料理も、洗濯も全部自分ひとり。特に食事はテレビを付けていても、寂しさが増すばかりだった。むしろ、テレビの音がいっそう空しくて。会話をする相手もいなくて、両親を亡くしたばかりの頃は泣いてばかりだった。料理の味もあんまりしなくてな」

 

 覚えてる? そんな『はやて』の言葉に、はやての胸の内に、一人だったころの思い出がよみがえる。自分も、きっと同じだったから。

 

「懐かしいなぁ」

 

「ご飯食べて、洗濯と掃除を終わらせて。ベッドの中に潜り込んで、一日が終わるのを待つような、そんな何もない生活を過ごす日々」

 

「このままひとり寂しく死んでいくのだと。そう思いながらも、何処で誰かと一緒に暮らすことを望んでた。或いは学校に通って友達ができるのかもと思ったりもした。もっとも、そんな明日は、足の麻痺が進行したせいで完全に断たれたけど」

 

 たぶん、そこからがグレアムの仕込だったのかもしれない。近所の人どころか、はやて自身ですら疑問に思っていなかったのだ。一人で過ごすことに慣れてしまった少女は、助けを呼ぶこともしなかった。達観していた。諦めていた。

 

「そのことで随分苦労したし。悲しいことばかりで、理不尽な世界に対して怒りを抱く暇もなかった。泣いてばかりだった。寂しさと苦しさで、何度も何度も自分の部屋で泣いて、泣いて、泣き続けた。誰かに慰めてほしくて、けれど誰も慰めてくれなかった」

 

「それから退屈が辛くなった。学校には通えなかったから。でも、通信教育しか受けられないことに何の疑問も持たなかった。しかも、当時はグレアムの奴の世話になっているのだから、我慢しなければと思ったなぁ。遺産の管理をちゃんとしてもらっているのだからと。ずっと我慢してた」

 

「だから、わたしは本を読んだ。書き手によって世界が変わるから、飽きることなんてない。ジャンル問わずにいろいろ読んだりもした。本を読んでいるときは、自分が登場人物のひとりになった気分で、自分ならどうしたとか。自分ならこうしたいとか。そんな想像ばかりをずっとしてた。そうしていれば寂しさを紛らわせることができるから」

 

 『はやて』の話を聞いて、はやても自分と同じだと思う。同じような寂しさで泣いて、初めての事で苦労の連続で。自分が孤独でいることに何の疑問も抱かなかった。ただ、寂しさだけがあった。だから、同じように本の世界に逃げて、寂しさを紛らわせようとした。孤独に苛まれる自身の環境から少しでも目を背けようとした。

 

 ひとりぼっちは辛いから。とても、寂しいから。

 

「だから、ヴォルケンリッターの皆が家族になったときは本当に嬉しかった。『なのは』ちゃん達が友達になってくれて、一緒にいろんな事をしたり、出かけたりするのも楽しかった。友達と家族みんなで過した日々は本当に忘れられないくらいの、思い出で……」

 

「本当に幸せだったのに、どうして……」

 

 嗚呼。

 

 本当に、本当に些細な違いだったのだろう。もうひとりの『はやて』と、はやてを取り巻く環境の違いは。

 

 そう、たったひとつだけボタンをかけ間違えた。そしてほんの些細な違いが、『はやて』に決定的な悲劇をもたらしてしまった。

 

 だから、はやてには、悲劇の当事者じゃない自分には、もうひとりの自分である『はやて』の話を聞くことくらいしかできなかった。なんて言葉を掛けていいのか分からなかった。それほどまでに違う世界から現れた自分の言葉は重かった。

 

「ごめん……ごめんな……!!」

「あっ……」

 

 気が付けば謝っていた。背中から『はやて』を抱きしめてすがりつくようにしていた。どうして自分でも謝っているのか分からない。けれど、そうしなけれないけないような気がした。そうしないと、今にも『はやて』が消えてしまいそうだった。何処かに行ってしまいそうだった。

 

「ごめん、なさい……」

「くっ……謝るな。うっとうしい。貴様の泣き声を聞くと、弱かった頃の自分を思い出して腹が立つ……」

 

 いつの間にか、『はやて』はディアーチェの口調に戻っていた。強くて尊大で、皆を自信満々に導こうとした王様の声。だけど、本当は弱くて寂しがり屋で。心身共に酷く傷ついてしまった少女の成れの果て。強く在ろうとした『はやて』の理想。

 

 でも、泣きながら謝るはやての向こう側で、ディアーチェもきっと静かに泣いていた。それは、暖かな日常。失ってしまった過去の原風景。最後に悲劇が訪れてしまう物語を思い出してしまったからだ。それを思い出すと、心の支えになるけれど、とても悲しい気持ちになるから。

 

 あの暖かな日々は、まだ戻らないけれど。

 

 ただ、変わらない月の光だけが優しく二人を照らしている。

 

 そうして、二人して静かに泣き続けた。

 

 しばらくして。はやてが泣き止んだ頃を見計らって、ディアーチェは話を続けた。そこに弱かった少女の面影はない。すっかり強がりの仮面を被ってしまったようだった。或いは、これ以上別世界の自分自身に情けない姿を見せたくなかったのかもしれない。

 

「……幸せな頃の夢を見たとしても、結局待っているのは同じ結末。同じ悲劇。同じ末路よ。そう、あの日の悪夢は決して消えはせぬ。未来永劫続く呪いとなって、我を蝕み続ける。それが、惰眠を貪り、闇の書の呪いと戦おうとしなった我に対する罰なのだから」

 

「虚数の底に落とされて幾百年。あるいは幾千年。それは永遠のように長かったかもしれぬ。それ以前のことは、もう覚えておらぬ。あまりにも時間が経ちすぎて、幼い頃の思い出は遠すぎるようになってしまった」

 

「もう、家族の顔など思い出せぬ。父と母の顔は曖昧で、鮮明に思い出せるのはそれこそ、かつての守護騎士とマテリアルとなった四人の友人たちだけ。それから永劫の時を共に過ごしたユーリの顔くらいか」

 

「お前はまだ、家族の顔を覚えておるのか?」

 

 ディアーチェの言葉にはやては頷いた。

 

「うん、覚えてる。大事な、大事な家族の思い出だから」

 

 もしも、ここがはやての家なら。幼いころの自分の写真があって。そこに両親の姿も見ることができるのだが。残念ながら身を隠すために今は月村家の別荘にいる。ここには思い出の写真などどこにもなかった。

 

 せめて、出会った場所がはやての家だったら、懐かしい写真くらいは見せてあげることができたのに。

 

 再び背中越しとなったはやての答えに、ディアーチェは静かに頷いて「そうか」とだけ返した。

 

 しばらく部屋に沈黙が訪れる。月の淡い輝きだけが、静かな夜に二人を照らしている。冬を思わせる寒い夜。あの日を思い出すから、ディアーチェは今もクリスマスの季節が嫌いだった。楽しみだった筈の季節は、思い出したくもない悲劇に変わって……自分のせいで取り返しの付かないことになって……今も、ディアーチェを……

 

 何でもないと、ディアーチェは首を振る。弱くて、今も忌々しく寄り添おうとしてくる自分に、内心を悟らせたくない。

 

 こんな悲しい気持ちになるのは、自分一人で充分だ。

 

 もうすぐ、他のマテリアル達にも、彼女たちだけでも、あの幸せだった日々の日常を返してあげられる。

 

 欲しかった闇の書は自らの手の中に。自分のせいでいなくなってしまった管制人格と共に、今度こそ闇の書の悲劇を終わらせる。そうして、最後には……

 

 だから、立ち上がってはやてから離れるように、部屋に備え付けられた窓から夜空を見上げた。遠くの街では華やかな海鳴市のビルの街並みが見える。相変わらず綺麗な月と星空さえも。

 

 そうして心を落ち着かせるようにして、自分に触れ合おうとしたはやてを自ら遠ざけた。その頬は静かに流れ落ちた涙で濡れていた。

 

 はやても、ディアーチェが立ち上がったので、上体だけを起こして彼女を見つめる。相変わらず動かない足はいうことを利かない。そう思うと、自由に足を動かせるディアーチェを少しだけ羨ましいと思うのも無理はなかった。

 

 悔しい。はやてはそう思う。自由に足が動けば。皆のように魔法が使えれば。自分にも力があれば。こんなにも泣いているこの子たちを助けられるかもしれないのに。自分にも何かできるかもしれないのに。何もできない自分自身が悔しくてたまらない。

 

 はやては、見上げるようにしてディアーチェを見つめた。ディアーチェはそんな彼女に振り向いて見下ろした。闇を凝縮したような水色の瞳の奥で、彼女は何を思うんだろう。はやては何をしてあげられるんだろう。ただ、この悲しい王様のすることを黙って見ている事しかできないのだろうか?

 

 そうして時間だけが過ぎて行って、その間にもディアーチェは月を見たり、自分自身の手を握ったり開いたりして、何か考える様子を崩さない。いや、その手に、いつの間にか十字杖のエルシニアクロイツが握られている。

 

 彼女はエルシニアクロイツを震えるほどに握りしめる。それ程までに力を込めている。もっと拳を握れば血が滲みそうなほどに。

 

 そうして、ゆっくりとダブルベッドの傍らにあった椅子に座り込んで、何かを抑え込むように十字杖を抱きかかえた。その表情に、鋭い視線に浮かんでいるのは果てしない怒り、そして何度も思い返される悲しみ。それをはやてに悟らせないよう俯いて隠そうとしている。

 

 悪夢を見ても見なくても、何度も何度も繰り返してしまうあの日の光景と。自らを蝕み続ける自責の念。果てしない後悔。もう戻らない日々へのどうしようもない切なさだ。いろんな気持ちが彼女の中でぐちゃぐちゃになっている。

 

 そうして、深く深く息を吐き出して、怒りの感情を吐き出すと。心が震えて泣き出しそうになってしまう自らの感情すらも蓋をして、ディアーチェははやてに話しかけた。

 

「お前と話して、いろいろと考えたのだが……」

「うん」

「やはり、憎んでないとい言えば嘘になる」

「……うん」

「―――ギル・グレアムが、リーゼ姉妹が、時空管理局の者どもが憎い。憎くてたまらない」

 

 憎しみを捨てきれないディアーチェの顔は無表情だ。闇色に染まった瞳だけが、感情を表すかのように揺れていて。杖を握る手から力が抜けることはない。

 

「だが、それ以上に救いたい者たちがいる。せめて、友だけは救ってやりたいと思う。未来を返してやりたいのだ。シュテルも、レヴィも、アスカも、ナハトも。我の大切な友達で親友だ。できるなら自由にしてやりたい。あやつらには何の罪もない。闇の書の罪は、最後の主である我が背負うべきものだから」

 

 静かに語るディアーチェの言葉は重い。少しだけ胸に秘めた想いを吐き出したところで、それが軽くなるわけでもない。

 

「眠るたびに夢を見続けてきた……あの日の悪夢ばかりを…………」

 

「今でも鮮明に蘇るのだ。目の前で家族同然の守護騎士が、為す術もなくひとり、ひとり、なぶり殺される光景を。『アリシア』が怒りと悲しみの慟哭を叫びながら、涙を流して戦い挑んで、散っていた光景を。優しかった『なのは』が心に絶望を抱きながら、憎悪の感情をあらわにしたときの光景を。最後まで抗って、瞳にあらゆる感情を宿しながら、呪詛を呟き続ける。心を壊してしまった『なのは』ちゃんの末路を」

 

「『アリサ』も、『すずか』も、あんなに幸せそうに笑っていたのにな……どうしてと、今でもそう思う…………」

 

 はやての顔を見ながら、語り続けるディアーチェの視線を、はやては泣きそうになりながらも決して逸らさない。

 

 ディアーチェは、何もなせずに誘拐され、されるがままになっていた自分とは違う。そこには自分の意志で何かをなそうとする少女がいた。そして、絶望しても、未来を諦めかけていても、失くしてしまった時間を友達の為に取り戻そうとする少女がいた。

 

 そんな彼女にはやては何をしてあげられるのだろう?

 

「ッ……!!」

 

 そう、疑問に思っているうちに、ふとディアーチェが自身の胸を押さえた。思わず大丈夫かと叫んでしまいそうになったはやての口元を、咄嗟に抑え込んで黙らせる。ナハトに聞かれて心配でもされたら堪らない。まだ、自身の不調を知られるわけにはいかなと思ったのだろう。

 

「しんぱい、するな……ちょっと、いきぐるしいだけ……だから、ナハトには、言うな」

 

 事が終わるまで、誰にも知られたくない。知られるわけにはいかない。

 

 あの日、病院で。マテリアル達との旅の中で。助けてほしいと願った言葉に嘘はない。けれど、それ以上にディアーチェの中で償わなければならない、救われる資格がないという。強迫観念にも似た想いが積み重なっているのも事実だ。

 

 それが、彼女から素直さを奪ってしまった。罪の意識が、その重さがディアーチェの心を邪魔して蓋をしてしまっている。

 

 そして時間がないのも事実だった。

 

(……二つの闇の書が共鳴し合って、制御できなくなった力が暴走し始めておるのか。急がねばならん。やはり、ナハトヴァールの力を行使した影響が出ておる。我の、我の時間もあまりないのかもしれん)

 

 ディアーチェの中に潜んでいる闇の書の闇は消えたわけではない。封じられていたそれは、ディアーチェの時間が動き出すと同時に活動を再開している。それを失われし管制人格が残した力で抑え込んでいるに過ぎない。

 

 もしも、闇の書の闇が完全にディアーチェを飲み込んでしまえばどうなるか。かつての■■の書の管制人格以上に暴走し、それ以上の破壊をまき散らすかもしれない。何よりも、ディアーチェの秘められた憎しみと悲しみが大きすぎる。それを解放するかのように力を振るえば、世界はきっと壊れてしまう。

 

 彼女の髪が白く染まるほどの魔力質は、名前すら与えてやれなかった管制人格がくれたもの。その祝福が続く限り、ディアーチェは闇の書の闇を抑えていられるだろう。そして、それが無くなった時がきっとタイムリミットなのだ。

 

 だから、そうなってしまう前に……

 

 紫天の書は、闇より移り変わり、暁の空へと織りなすための魔道書だという。ユーリいわく、何者かが闇の書を終わらせるために生み出した古代ベルカのアーティファクトらしく。これを使って闇の書の闇を終わらせる事ができるらしい。

 

 だが、それには闇の書の闇の中にある深淵。その奥深くの中枢に触れる必要がある。それは、かつて闇の書に取り込まれた意識や自分自身の過去の悪夢と向き合うことに等しい。繰り返された破壊と転生の中で蓄積され、滅びの瞬間に抱いた歴代の主たちの絶望と無念の記憶。巻き込まれ死にたくないと願った者たちの記憶。その全てと向き合うには時間が必要だった。けれど、残された時間も少なく、タイムリミットが刻一刻と迫っている。

 

 覚悟がいる。何物にも負けない覚悟が。全てを貫き通す意志が。

 

 幸いにもようやく儀式の時間は整った。あとはそれを発動させたうえで、闇の書の闇と向き合えばいい。邪魔してくるであろう管理局の人間どもを抑える手段も用意してある。それは、皮肉にもかつての彼らの記憶を使ったもの。あまり使いたくない類の力ではあるが、闇の書を活性化させれば勝手に発動してしまうので、仕方がない。

 

 闇の書が記憶した人物たちが、闇の欠片となって再現される現象が起きてしまう。

 

 その間に自らの闇と向き合わねばならない。

 

(我にできるのか? 弱々しくて、情けなくも泣いてばかりいた我に……)

 

 ディアーチェは自問自答する。

 

(いや、今の我には力がある。あの時とは違う。家族たる守護騎士はおらぬが、代わりにマテリアルとなった友も、ユーリもいる。傍にいなくとも我の心を支えてくれておる。今度こそ繰り返させはせぬ。我が、我こそが闇の書の悲劇を本当の意味で終わらせるっ!!)

 

 助けてなんて言葉は言えない。巻き込んでしまって、多くの人の人生を終わらせてしまった自分自身にその資格はない。これは、ディアーチェ自身が何とかしなけれないけないことだと。彼女は決意を固めていく。

 

(管理局の狗どもの力など必要ない。我が、我こそがこの終わらない夜を終わらせる義務があるのだから!!)

 

 ディアーチェの決意は揺るがない。

 

「王様……」

 そんな中で、はやては心配するように彼女を見つめている。心の中に本当にこのままでいいのかと疑問を抱きながら。

 

 けれど……

 

「えっ……?」

 

 それも、次の瞬間には霧散した。

 

「な、ぜ……?」

 

 ディアーチェが本当に信じられないといった風に、目を見開いて後ろを振り返ろうとする。けれど、動くことができない。その胸を小さな腕が刺し貫いている。正しくは、湖の騎士シャマルが魔力を蒐集する時と同じように、ディアーチェのリンカーコアに干渉しているといった風が正しいだろう。

 

 けれど、どちらも同じことで。

 

 彼女がディアーチェを傷つけているという事実は変わらなくて。

 

「違、う……」

「…………ごめ、ん」

「ごめん、なさい……」

 

 驚くはやてと、ディアーチェの後ろに、いつの間にかナハトが居た。その腕でディアーチェを刺し貫きながら、彼女のリンカーコアを掴み取っていた。

 

 そして……

 

 その腕に絡まった闇色の蛇が、デイアーチェをさらなる闇に染め上げて……

 

「まさ、か……ナハトヴァー、ル……?」

「やめ……」

「あっ、あああぁぁぁっ!!」

 

「ディアーチェ!! 『すずか』ちゃん、お願いや!! やめて!!」

 

 目の前ではやてが何かを叫んでいる。意識が闇に呑みこまれていく。深い闇底に誘われるように、ディアーチェを眠りの中へと落としていってしまう。

 

(拙、い…意識が、とぎれる……)

 

 だから、咄嗟にはやてに手を伸ばす。エルシニアクロイツを握っていない、もう一つの手をはやてに向けて。

 

「ディアーチェ!! 『すずか』ちゃ………!!」

 

 転送魔法で儀式を行うはずだった場所に飛ばす。はやての姿が消え、何か言おうとしていた声も途切れた。

 

 転送先は海鳴大学病院の敷地内。ディアーチェを知るものなら、誰もがそこへ近づかないだろうという盲点を突いた場所。そして、闇の書の防衛プログラムであるナハトヴァールの影響を受けて、暴走してしまうであろう自分が、本能的に避けるであろう場所に。

 

 それからゆっくりと、前に進んで刺し貫くように干渉してくるナハトの魔の手から逃れる。まだ、向こうも本調子じゃないらしい。なら、ディアーチェにも抵抗できる余地がある。

 

 手元に現れるのは浮かび上がる紫天の書、それと同じように向こうにも、こちらの世界の闇の書が浮かび上がる。

 

――憎め、憎め、憎め。

 

 声が聞こえる。暗く淀んだ『はやて』自身の声で語りかけてくる。

 

 いつも、いつも、いつも。

 

 忘れたころに、思い出したかのように限って、こいつは語りかけてくるのだ。『はやて』の声で、闇の書の闇そのものとなったナハトヴァールの意思が、あの日の己の罪を忘れさせないとでもいうように語りかけてくる。

 

 それに、追い詰められたディアーチェは、自らを奮い立たせるように勝気な笑みを浮かべる。

 

「はっ……笑わせてくれる。それで手中に収めたつもりか」

 

 元より忘れるつもりなど、微塵もない。あの日の記憶も、絶望も、ディアーチェだけのものだ。ディアーチェだけが抱えるべきものだ。他の誰にも背負わせてたまるものか。

 

 それから、ディアーチェは目の前の、意識を乗っ取られて、この光景を無意識に夢の様に見ているであろうナハトに向けて。

 

 静かに涙を流して、虚ろな表情でゆっくりと近づいてくるナハトを見つめて。

 

「ごめんな『すずか』ちゃん。また、巻き込んでしまって……」

「今、助けるからな……」

 

 そんな、彼女に自愛の表情を浮かべながら、ディアーチェは受け入れるようにナハトに手を伸ばし。そうして、友達を傷つけてしまった罪悪感で泣いている少女を抱きしめて。強く強く、決して離さないようにしながら。

 

 "デアボリックエミッション"

 

 全てを夜の闇に呑みこむ魔法の呪文を唱えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ここがそうなのかい?」

 

 腕組みしながら、リーゼロッテは目の前の人物に語りかけた。

 

 彼の持つ高度な認識阻害の術式を施されたロッテは、事の発端となった建物。海鳴大学病院の前に居る。

 

「…………」

 

 そして、ロッテの言葉に何も言わずに、その建物を見上げていた青年は何も答えない。協力はするが、あまり馴れ合うつもりもない。そんな態度だった。

 

「相変わらず、愛想がない奴だね……」

 

 まあ、理由も分かるし、頭では理解しているつもりだ。

 

 "まだ"、実行していないとはいえ、自分たちは青年の大切な人たちを、この世界に住む多くの住人たちを。闇の書を封じるという大義の下に氷の世界に閉ざして、虚数の底に陥れた張本人なのだから。

 

 たとえ別世界の人間であっても、その恨み辛みが薄れることは有りはしまい。

 

「ふう」

 

 やれやれといった風に、ロッテは首を振ると、大きくため息を吐いた。

 

 元よりそこまで大規模な封印をする予定はない。こっちの世界はせいぜい八神はやて、ひとりを闇の書もろとも封印する程度だ。

 

 もっとも、それすらも彼にとっては許せないことなんだろう。だから、先んじてこっちの世界に来てまで、こうして裏で動いている。機が訪れるのを待っている。

 

 ここを訪れたのも、マテリアル達の仕込みを確認するためだ。青年と手を組んだ彼らグレアムの一派は、マテリアルの所在を把握しながらも、あえて泳がせている。彼の持っている切り札は、あくまで不測の事態に備える為のもの。

 

 もしも、彼女たちが暴走してしまったときに切られる最後の切り札。

 

 ある感染症を発症した人物の術式を解析して作られた、それの改良品すらも彼は待ちだしてきているのだから。

 

「ん……これは転移反応!!」

 

 不意に何かを感じたロッテが、素早く身構えて反応がした方向を向いた。

 いつでも瞬時に動けるように構えるあたり、伊達に教導隊の教官には付いていない。

 

「ディアーチェ、『すずか』ちゃん!! あっ……」

 

 果たして、そこに現れたのは、ここに居るはずのない少女そのもので。急に雪の降り積もる敷地に降り立った少女は、何とか立ち上がろうとして、でも足が動かない自分にはがゆい思いをしているようだった。

 

「八神、なんで……」

 

 そして、驚くロッテをよそに、青年はゆっくりとはやてに近寄っていく。

 

「えっと、あなたは……」

 

 そして、いかにも不審者ですといった、見慣れない風貌をしている彼を見上げて。咄嗟に動こうとして、それでも動けずにいるはやてに近寄って。彼ははやての傍に寄り添うと、そっと手を伸ばした。

 

 まるで、不安に思っている子供を安心させるように、ゆっくりと頬に触れて、視線をはやてに合わせてくれる。

 

 白いケープみたいなコートの内側には、SF映画で見たような強化外骨格が施された身体つきで。だけど、はやてを見つめる表情はどこか優しげで。

 

「助けて……」

「みんなを、助けてください!!」

 

 だから、そっと差し伸べられた、その手に助けを求めるように。

 

 はやては彼の手を握りしめた。

 

 




これが闇の欠片編の始まり。


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act1 いつも一緒にいてくれてありがとう『アルフ』

 それは、とてもとても小さなころの記憶。

 

「ねえ、リニス。この子、だいじょうぶなの?」

「そうですね。たぶん、安心して眠ってしまったのだと思います。使い魔の契約で疲れているでしょうから。今はそっとしてあげましょう」

「さあ、『アリシア』。貴女も、もう寝る時間です。今日は皆で一緒に眠りましょうか」

「うんっ!!」

 

 それは、ずっと傍に居て欲しいと約束した女の子と。自分の事を一生懸命世話してくれた。育ての親との出会いの記憶。

 

「あははははっ―――」

「お~い、『アルフ』。待ってようっ!! 置いてかないで~~~!!」

「あんまり遠くに行ったらダメですからね~~~!!」

 

 それは、いつも元気いっぱいだった。大好きなご主人様との記憶。あたしの前ではいつも笑っていて。一緒に、アルトセイムの草原を駆け回ったりすることが大好きで。だけど、ひとりになると寂しそうに笑う女の子。

 

「ボクのせいでアルフは小っちゃいままだけど。身体の調子が良くなったら、ちゃんと大人になれるってリニスが言ってた」

「だから、心配しないで」

「ん~~、えへへ。『アリシア』。大好き~~」

 

 だから、起きているときは、ずっと傍にいるよう寄り添ってた。あまり彼女のリンカーコアに負担を掛けたくなくて、無意識に眠っているときも多かったけれど。それでも、ずっとずっと傍にいる約束を果たすために、大好きなご主人様の傍にいた。

 

「アルフ。こっち、こっち」

「ここで眠ってる子は、ボクの妹なんだ。今はまだ目を覚ましてないけど」

「起きたら一緒に遊ぶんだ」

 

「その為にも母さんの病気を治して、迷子になったリニスを探しにいかないとね」

「もちろん、バルディッシュも一緒」

 

「ボク、頑張るね。それから大きくなったら一緒に遊ぼう」

「それまでは悪いけど、いい子で留守番しててね」

「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから」

 

 でも、そんな平和な日々も唐突に終わりを告げて。『アリシア』は何処かに旅に出るようになった。相棒の戦斧と共に、たったひとりで何処かに出かけていく。あたしは追いかけて行きたかったけど、小さな身体のままでは足手まといになる。だから、また眠ることにした。

 

「紹介するね。こっちに居るのがなのは。初めて出来たわたしの友達なんだぁ。えへへぇ、すごいでょ~~?」

「安眠している手前、申し訳ありません。私は不破なのはと申します。以後お見知りおきを」

 

 それから、いつの間にか『アリシア』に友達ができた。

 

「あんたは今日からアリシア・T・バニングス。アタシの大切な友達で、妹」

「今日から、よろしくね」

 

 次に目覚めた時には、新しい家族になったバニングスの家で、平和な日々を過ごすことになって。

 

「今日もアルフはいい子ですね」

「わんっ!!」

 

 専属の世話係であるメイドの人は、いつも毛並を整えてくれてブラッシングもしてくれる。毎日出される食事は美味しくて、一緒に暮らしている犬たちと仲良く、競い合うように食べたりもした。暇なときは、お屋敷の子犬たちと一緒に遊んだりもした。

 

「アルフ。アルフ。お稽古終わったよ~~。一緒に遊ぼう!!」

「こらっ、稽古のドレス着たまま遊ぶな。ちゃんと着替えなさい~~!!」

「やばい。着替えるの忘れてた。アリサ姉ちゃん怒ってるっ!!」

 

 そして、大好きなご主人様は、よく笑うようになってくれて。毎日が大変そうだけど、とても楽しそうだった。ちょっと痩せているのが心配だったけど、ここに来てからは見る見る健康的になっていって。顔色もとてもよくなった。

 

 ちゃんとご飯も食べているようで、一安心だ。ここにいれば『アリシア』も元気でいてくれる。もう、寂しい思いをする必要はないんだ。

 

「みんな、散歩に行ってくるね」

「あたしも不安だから一緒に行くわ。迷子になられたら大変だもの」

「ええ~~、大丈夫だよ?」

「……昨日迷子になって、大騒ぎになったばかりでしょうが。まあ、お屋敷がとても広いから仕方ないけど。別に、アリシアが心配な訳じゃ……いや、心配だわ」

「えへへ、心配してくれてありがとう。『アリサ』」

「アタシはアンタのお姉ちゃんで友達だもん。当然よ」

 

 もう一人のご主人様になった『アリサ』はとても面倒見がよくて、よく『アリシア』の世話を焼いてくれた。寂しくないように気を配ったり、不安なことがないように色んなことに手を回したり。分からないことがあったらよく教えてくれたり、言い聞かせてくれたりしてくれる。とても優しくて、頼りになる。勝気で姉御肌な人。

 

「アルフも、何か困ったことがあったら、あたしに言うのよ?」

(大丈夫だよ。だって、お腹がすかないし、ごはんもおいしいし、寂しくないもん。アリサの事も大好き!!)

「……う~ん、やっぱり何言ってるのか分からないわね」

「アルフはね。アリサの事が大好きだって」

「うひゃあっ!! って、いつの間に木の上にいるのよ!?」

「えっと、そこに木があったから?」

「理由になってない!!」

 

 『アリシア』と『アリサ』はとても仲良しで。あたしも、そんな二人と一緒にいることが好きで。毎日がとても楽しくて。幸せで。すごく、嬉しかった。

 

 だけど……

 

「……死んじゃった。あんなに元気いっぱいだったアリサお姉ちゃんが、死んで。あ、ああ! 死んで、もう動かない。朝だぞ、起きなさいよ、ねぼすけとか。アンタね~~てっ怒ってもくれない。こんなのってない!」

 

「アルフは幼い頃からずっと一緒にいてくれた大事な家族でっ……ずっと一緒にいようねって約束したのに、なのに……どうして………」

 

 とても、悲しいことがあって。突然の別れに何もできなくて。傍にいたいのにあたしの体は……もう、動かない。

 

 ねえ……泣かないで。

 

 どうか、笑っていて。

 

 あたしが、ずっとそばにいるから……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 12月に入り、クリスマスも近くなった頃。ディアーチェによって半数近くが戦闘不能にされたアースラチームは再び動き出した。行方をくらませたマテリアル達と、連れ去られた八神はやての行方を追うためだ。

 

 そんな時に、急に複数の反応が現れた。それも闇の書に酷似した反応で、それに対処するために動き出すことになった。

 

 海鳴の上空。かつてジュエルシード事件の時にフェイトが滞在していたマンションのある立派な街並み。遠見市とも呼ばれる場所は、静寂に満ちている。

 

 クリスマスも近いというのに人々の喧騒すら聞こえてこない。それもその筈、管理局が街に被害を及ぼさないようにするために、結界を張ったから。

 

 闇の書に酷似した反応は、街の複数の箇所にわたって広がったり、消えたりしており、調査のためにいくつかのチームに分かれて展開している。

 

 ジュエルシード事件の罪滅ぼしのために嘱託魔導師となったフェイトとアルフも、そのチームの一つだった。

 

「フェイト。ここら一帯が不思議な魔力反応があった場所だよ」

「うん、分かってる。アルフ、気を付けて行こう」

「フェイトはアタシが守る。変な奴がいたらぶっ飛ばしてやるっ!」

「えっと、まずはちゃんとお話ししないとだめだよ?」

 

 バリアジャケットを展開し、黒衣のマントと金糸の髪を風にはためかせながら、フェイトは街の上空で警戒する。

 

 闇の書と似たような反応ということで、誰かが攻撃してくる可能性があるかもしれない。ヴォルケンリッターの面々は捕縛されたが、強大な力を持つディアーチェやナハトは潜伏したままだ。

 

 これが、逃亡を続ける彼女たちの用意した策だとしたら、管理局に対して容赦のない攻撃が始まるだろう。

 

 彼女たちはそれだけのことをされて。それ以上の悲しみと憎しみを抱えてしまっているから。管理局に対して何をするのか分からない。

 

 フェイトはアスカの話を聞いて。向こうの世界の自分たちの境遇を思って。今でも涙を流してしまいそうになるし。彼女たちの事を思えば思うほど、優しい心も張り裂けそうだった。辛くて。痛くて。悲しい気持ちになってしまう。

 

(いけない。しっかりしなきゃ)

 

 思わず首を振る。もしも、ディアーチェやナハトが現れたら。向こうの世界の自分自身ともいえるレヴィが現れたら。フェイトは立ち向かえるんだろうか。もしも、復讐の続きをしようとしているなら止めないといけないのに。

 

 フェイトは母親の指示に従って前の事件で、ジュエルシードを集め。最終的には虚数の底に落ちかけた。眠り続けるアリシアと、それに寄り添い続けた母のプレシアが、虚数空間に落ちていく様を見ながら。空しく手を伸ばした。

 

 フェイトはなのはとクロノによって助けられたものの。もしも、止まらなかったら。きっとフェイトも母親と一緒に虚数の底に落ちていたかもしれない。

 

 ディアーチェ達も同じように行き着く果てまで行ってしまったら。待っているのは破滅かもしれないのだ。そうなる前に、フェイトは手を差し伸べたい。あの日、なのはやクロノがそうしてくれたように。

 

 アスカとも約束した。マテリアルの皆を絶対に助けるんだって。

 

 そして、できればレヴィの本当の『なまえ』も呼んであげたい。あの日、なのはがフェイトのなまえを呼んでくれたように。会って、友達になりたい。もう一度、みんなでやり直したい。

 

 世界はこんな筈じゃないことばっかりで。悲しいこともたくさんあるけれど。楽しいこともちゃんとあるんだよって伝えて。明るい未来を一緒に歩いていきたい。

 

 それがフェイトの今の戦う理由で。まっすぐな気持ちだった。バルディッシュも新しくなって、カートリッジシステムを搭載し、バルディッシュ・アサルトになっている。体調は万全。あとは、フェイトの気持ち次第だ。

 

「フェイト。あそこ」

「どうしたの?」

「ほら、あの公園に誰かいる」

 

 上空でアルフが指を指す。そこに目を向けると、確かに人影が動いているようだった。ここからでは遠すぎて判別できないが、小さな子供のようにも見える。

 

 管理局の展開している隔離結界は、対象を作り出した位相空間に文字通り隔離する。よほどの事がない限り一般人は巻き込まれない筈だった。ならば、公園にいる人影は、サーチャーに反応のあった闇の書に関わる人物かもしれない。魔力反応もそれに酷似している。

 

「行ってみようアルフ。まずは話し合いと、任意同行の確認をして。それからどうするか決めよう」

「フェイト。気を付けて行こう。何があるか分かったもんじゃない」

「うん、気を付けるよ」

 

 フェイトとアルフはゆっくりと、その人影を逃がさないよう注意しながら、公園の近くに降り立った。相手を警戒させないようにゆっくりと近づいて行って。

 

「こちらは時空管理局嘱託魔導師のフェイト・テスタロッサです。あの、よければ――」

 

 そして固まった。

 どこかで見たような少女。いや、可愛らしい幼女が居たからだ。

 

「あれ、あれ?」

 

 混乱しつつもフェイトは隣を見上げる。よし、アルフはちゃんとそこにいる。もう一度、前を見る。小さな『アルフ』がいる。

 

「アルフがふたりいる? えっと……アルフ?」

「あ、あたしにも分かんないよ。でも、確かにあたしとそっくりというか。小さくて、まるで昔のあたしみたいというか」

「ありぇ、ふたりともだぁれ~~?」

 

 混乱する主従に、公園のブランコに座って揺れていた小さな『アルフ』が声を掛けてきた。その顔はとても無邪気で、なんだか嬉しそうだ。橙色の尻尾も嬉しそうに揺れているというか、ぶんぶんと上下に振れている。

 

「小っちゃいアルフ。舌っ足らず……なんだか、かわいい」

「あ、あんまりジロジロみないどくれよ。いくら違う自分だとしても、なんか恥ずかしくなっちまう」

「でも、とっても可愛いよ?」

 

 そんな小さな『アルフ』の姿にフェイトは魅了され、アルフはとても恥ずかしそうにしていた。

 

「あっ――!」

 

 小さな『アルフ』は橙色の尻尾と獣耳を無邪気に動かしながら、ブランコを飛び下りると、幼子がするように全力で駆け寄ってきた。そしてフェイトにタックルするみたいに飛びついてきて、その幼い体でぎゅうっと、しがみついてくる。

 

「『アリシア』。『アリシア』だ。ねぇねぇ、どこ行ってたの?」

「それに、お姉さんはだぁれ? なんだかとっても大きいね。わたしに似てりゅ?」

 

 その言葉にフェイトとアルフは、驚いたように固まる。心臓が激しく鼓動を打ち始め、指先が緊張したように動かなくなる。

 

 つい先ほどまで、向こうの世界の悲しい話を聞いたばかり。なら、その正体も自然と察しが付いてしまう。フェイトのことを『アリシア』と呼ぶアルフなど一人しか心当たりがないのだから。

 

「この子……」

「向こうの世界の、あたし……?」

 

 まるで幻影魔法でも見せられている気分だった。

 

 何故なら、アスカの話によればマテリアルとなった少女たちだけじゃなく、病院にいた人々も全員が氷漬けにされて。痛みもなく寒さとともに眠らされてしまったのだから。直接的な言い方をするなら死んでしまった者たちで。

 

 今はもう、ここにいる筈のない存在だった。

 

 それとも、マテリアルのように生まれ変わったのだろうか。フェイト達の頭の中を疑問が駆け抜けていく。

 

 でも、抱きしめてくる幼い身体は、すごく温かくて柔らかい感触がした。とても幽霊だとか、幻だとかそんな風には思えなかった。

 

「……どうしたの?」

「あのね。ちょっと、お姉さんとお話ししようか」

「『アリシア』? お姉さん?」

「――違うよ。わたしはフェイト・テスタロッサ。『アリシア』とは……そうだね。姉妹みたいなものかな」

「うぅ~~~???」

 

 フェイトはしゃがみ込んで、幼い『アルフ』と視線を合わせながらそう言う。

 

 小さな『アルフ』は、フェイトの言葉に疑問符をたくさん浮かべて、首を傾げていたし。激しく動いていたお耳と尻尾も、垂れ下がって。よく分かんないよって感情表現をしていたけれど。

 

 しだいに、納得したのか。どうでもよくなったのか。花が咲いたような明るい笑顔を浮かべた。

 

「『アルフ』、へいととお話しするっ!!」

「……ありがとう。いい子だね」

 

 そんな元気いっぱいで、幼い彼女をフェイトは強く抱きしめる。その心の内側は決して穏やかではなくて。この子のことを想えば想うほど、悲しくて心が張り裂けそうになる。だって、こんなにも明るく笑っている『アルフ』は、本当に楽しそうで、幸せなんだったと理解できてしまうから。

 

 だからこそ、それを理不尽に奪われてしまった事を思うと。本当にやるせなかったのだから。

 

(フェイト……)

 

 そんなご主人様の心を、使い魔として心のつながりで理解しているアルフは、悲しそうに俯いた。無邪気に尻尾と獣耳を激しく揺り動かす幼い『アルフ』とは対照的に、その獣耳と大きな尻尾は垂れ下がり続けていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「あのねあのね。それでね。『アリサ』がね。がお~~ってライオンみたいに怒るの」

「ふふふ、そうなんだ」

「でね、『アリシア』がわたしを抱えて、うわぁぁぁってお庭で逃げ回って。お屋敷で、お仕事してた黒い犬の友達も、ご主人様と新しい遊びだ~~って一緒に駆け回ってれて。いっぱい、いっぱい遊んでくれるの」

「なんだか、とっても楽しそうだね」

「うん! 楽しい! 毎日毎日とっても!!」

 

 フェイトは幼い『アルフ』を膝の上に乗せて、公園のベンチの上で話を聞いていた。隣には神妙な顔つきをしたアルフが、腕を組んで立ちながら周囲を警戒している。

 

 幼い『アルフ』の話を要約するとこうだ。

 

 いつの間にか知らない場所で目が覚めて。気づいたら空の上にいたこと。『アリシア』や『リニス』を探して、不思議な空間に覆われた街をさ迷い歩いていたこと。疲れて、公園で休んでいたこと。心細くて、寂しくて。泣きそうになっていたら。目の前にへいとと、自分によく似た大きなお姉さんが現れたこと。

 

 記憶がところどころ曖昧だったけれど、幼い『アルフ』が自分の最期を覚えていなかったのは幸いだったかもしれない。けれど、覚えている記憶の時系列はバラバラで。アルトセイムで『アリシア』や『リニス』と過ごした記憶はあるのに。『プレシア』の事を覚えていなかったり。時の庭園やバニングスのお屋敷の場所を忘れていて。帰る場所を知っているのに、帰れなかったりとチグハグだ。

 

 おまけに自分がどうしてここにいるのか分からず。時折、頭が酷く痛くなったり、身体が寒くなっていったりと、不安になることもたくさんあったらしい。彼女が現れてからどれくらいの時間が経過したのか分からないが。それでも、立て続けにそういう症状が現れているとなると、フェイトとしてはどうしても放っておけなくて。何とかしてあげたいと思ってしまう。

 

 だって、目の前の小さな女の子は『アルフ』なのだ。群れからはぐれてしまって、ひとりぼっちで。今にも死んでしまいそうに弱っていく小さな狼をどうにか助けてあげたくて。リニスに使い魔の契約の呪文と魔法を教えてもらって。ずっとずっと傍にいる約束をした『アルフ』なのだ。

 

 世界は違くても、残されたフェイトの家族であることに変わりはなくて。だからこそ、無邪気に笑いがらも、時々苦しんだ表情を見せる小さな女の子を、どうにかして助けてあげたくて。フェイトは悩んでいた。

 

 そんなご主人様の苦悩を察しているアルフも、同じように悩んでいる。どうすればいいんだろうと。

 

 どうすれば、この子にとって救いになるのだろうと。

 

「それで、お屋敷のみんなはとっても優しくて。『にゃのは』も『すずか』も優しくしてくれ、て……」

「っ―――大丈夫!?」

「しっかりするんだ。おチビちゃん!!」

 

 急に自分を抱きしめて、蹲ってしまった幼い『アルフ』を見て、アルフは思いっきり歯噛みする。

 

「寒い……寒い……」

 

 小さな『アルフ』はときどき思い出したように寒がったり、泣き出したりする。そして、それが収まると何事もなかったかのように笑うのだ。フェイトとアルフを心配させないようにと、涙の痕を隠して、一生懸命に、元気いっぱいに笑うのだ。

 

 フェイトも、アルフも、発作のように襲ってくる寒さや頭痛をどうにかしようと。治癒魔法を掛けたりしてみたが何の効果もない。存在を維持する魔力が足りないのかと思ったがそれも違う。

 

 せいぜい、できるのは。幼い『アルフ』が寂しくないよう、不安にならないよう、フェイトが抱きしめてあげること。そしてアルフが力強く、その小さな手を握っててあげることだけ。そんな事しかしてあげられない。

 

「くっそう、どうすればいいんだい」

「はぁ……はぁ……『ありしあ』……どこ?」

「しっかり! わたし、ここにいるからね! 『アルフ』の傍にいるから!!」

 

 発作を起こした幼い『アルフ』は目の焦点が合ってないのか、握られてない方の手を震わせながら、虚空に向けて小さな手を伸ばす。まるで、そこに誰かがいるのではないかと幻でも見ているみたいに。

 

 荒い息を吐きながら苦しんでいる。そんな幼い『アルフ』を支えながら、フェイトは一生懸命声を掛けるけれど。意識が朦朧としている幼い『アルフ』には、あまり届いていないようで。

 

 アースラに通信しようにも、何故か通信状態が悪く音信不通で。助けを求めようにもどうすればいいのか分からない。誰か、頼れる誰かを探してみても、この症状が何とかできるとは思えなかった。少なくとも魔法で治療とか、医療技術で治せるとかそういう類ではない。

 

 まるで、過去の記憶を再生しているかのような現象に。フェイトとアルフはどうすることもできなくて。フェイトは幼い『アルフ』を膝枕で寝かせながら、泣きそうな顔で発作が治まるのを待つしかなくて。

 

「――泣かないで」

 

 そんな時に、声が聞こえた。

 

 小さくて、か細い声。

 

 でも、誰かを慰めるような、とてもとても優しい声。

 

「――ねえ……泣かないで……」

「――どうか、笑っていて……」

 

 いつの間にか、幼い『アルフ』がフェイトを見ていた。フェイトに優しく、儚げに笑いかけていて。その、小さな手をフェイトに伸ばして、涙で濡れた頬を拭った。そこで、初めてフェイトは自分が泣いていたことに気が付いた。

 

「――あたしが、ずっとそばにいるから……」

「――『アリシア』の傍に、いるから……」

「――ふぇいとの、傍に、いるから……」

 

 その言葉でフェイトは声にならない悲鳴を抑えながら、俯いた。泣き叫びそうになる自分がいた。この子はこんな時でも、『アリシア』を想ってくれている。フェイトを想ってくれている。

 

 かつて、幼いころにした約束を、こんな時でも叶えようとしてくれる。

 

 母さんに見てもらえなくて、ひとりぼっち寂しくて。リニスに励まされながら過ごしていた自分が。無意識に、寂しくないように、ずっと傍にいることを願って契約した。その約束を、最期の瞬間まで果たそうとしてくれている。

 

「あんた、ばかだよぅ……」

「こんなときくらい、苦しくて、悲しくて、辛いよって」

「そう言ってくれても、いいじゃないのさ――」

「―――ごめん……ごめんね……」

 

 そんな、もうひとりの自分の姿を見て。アルフは幼子のように泣いた。フェイトももう涙を堪えきれなかった。せめて、せめて『アリシア』にだけでも。レヴィとなって今も生きている本当のご主人様に会わせてあげたい。

 

 でも、その身体は生きているように温かいままなのに。寒さに苦しんでいる幼い『アルフ』は今にも消えてしまいそうで。その姿もだんだん薄くなっているような気がして。もう、あまり時間がないのだと、そう、理解するには充分で。

 

 なら、自分にできることは。せめて、フェイトにできることは……

 

「……っ、バルディッシュ!」

「YesSir」

「終わらせてあげよう……『アルフ』の悪い夢を」

「今度は、迷子にならないように……」

「幸せの、夢を見て……いつまでも、笑っていられるように」

 

 声を震わせながらフェイトはそう呟く。

 

 待機状態のバルディッシュを展開して、黒い戦斧が形となってフェイトの手に広がる。足元に広がる閃光を放つ魔法陣。黄色のミッドチルダ式魔方陣が、フェイトを中心にして幼い『アルフ』を包み込む。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

 

 そして、フェイトは小さな『アルフ』を膝の上で寝かせながら、バルデッシュを横に掲げて静かに呪文を唱えていく。

 

「疾風なりし天神、今、導きのもと――」

 

 小さな『アルフ』の身体を優しい閃光の光が包み込んでいく、暖かな輝き。それに包まれても、『アルフ』はフェイトを見上げ続けていて。その幼い表情からは信じられないほど優しく笑っていて。

 

「『アルフ』の、悲しい、夢を……」

 

 そして、フェイトのか細くて消えそうな……今にも泣きそうな声とともに。

 

「どうか、終わらせてあげて」

 

 眩いほどの光が、フェイトと二人のアルフ(『アルフ』)を。辺りを包み込んだ。

 

――ずっと一緒にいるって約束、まもれなくてごめんね。

 

――大丈夫。今度はひとりじゃないから。ちゃんと一緒に、アルフと一緒に歩んでいけるから。

 

――それに、こんな私にも友達ができたんだよ。

 

――だから大丈夫。あの子もきっと大丈夫。

 

――ちゃんと私と同じように歩んでいける。迷っているのなら手を伸ばす。支えてあげる。わたしがちゃんと手を引っ張るから。

 

――だから、安心して。もう、眠っていいんだよ。今度は優しい夢が見れるように。

 

――……良かった。

 

――あのね……

 

――泣いてる『アリシア』を、みんなを助けてあげて。

 

――ありがとう、フェイト。

 

――助けてくれて、ありがとう。

 

――がんばれ、もうひとりのあたし。

 

――ばいばい、ね?

 

 全ての閃光が輝きを放ち終わったとき。フェイトの膝の上には誰もいなかった。

 

 確かな温もりと、確かな感触だけが。幼い『アルフ』がそこにいたのだと伝えてくれていて。

 

 フェイトはアルフに抱きしめられて、その胸の中に蹲りながら。小さくすすり泣いた。『アルフ』と『アリシア』の最期を思って泣いた。

 

 どうか、次こそはちゃんと幸せになれますように。

 

「フェイト。大丈夫かい?」

「うん。いこうアルフ」

「きっと同じように苦しんで悲しんでいる人がたくさんいるかもしれない」

「だから、終わらせてあげよう。『アリシア』たちの、悪い夢を」

 

 フェイトとアルフは結界に包まれた空間を飛び去っていく。今度こそ悲しい結末で終わらせないために。こんな筈じゃなかった未来を迎えてしまった。もうひとりの自分たちを助けるために。

 

 優しい金の閃光は、再び空を駆けていく。その優しさで誰かを助けるために。

 



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act2 それでも『リニス』は帰りたかったんだ

 私はいつも間に合わないことばかりでした。

 

「ごほっ……ごほっ、ぐ……」

「『プレシア』!!」

「私は、まだ……倒れる、訳には……」

 

 愛するマスターの異変に気が付いたとき。彼女の身体は、病によって酷く侵されていることを知りました。どうにか、伝手を使って何とか手を尽くしたけれど、『プレシア』は過去の記憶を混濁するようになってしまって。

 

「『リニス』……私のことは、もういい……」

「『プレシア』、でも……」

「それよりも、あの子の面倒を見て頂戴、もうすぐ、もうすぐ目覚めるはずよ……」

「せめてあの子だけでも、調整を完璧に……手を、施して……」

「私は……あの子達から託された……大切な、やくそくを……」

「『プレシア』! しっかりして下さい」

「『プレシア』! 『プレシア』!!」

 

 私は今にも消えてしまいそうな『プレシア』の命を繋げるために、治療ポッドによる延命を施すしかありませんでした。本当なら病院に入院してほしかったのだけど。それだけはしてはならないと。あの子たちをひとりにする訳にはいかないと。そう哀願されて。結局、彼女を時の庭園に眠らせたまま、容体を見守ることしかできない。

 

「なっ……これは……」

 

 それから、私は時の庭園の禁止区画に入って、そこで行われていた『プレシア』の研究と……

 

「おねぇさん? だぁれ……?」

 

 彼女の研究成果である。彼女の失われた娘に。

 目を覚ました『アリシア』に出会ったんです。

 

「『リニス』。これはなんていうの?」

「これはですね――」

 

 私に与えられた役割は、新しく生まれてくる娘のお世話と教育係。

 

 それが意識を失う前の『プレシア』の最後の望みでした。

 

 『プレシア』に代わって、この子が生きていけるだけの教育を施し、当面の生活の面倒を見ること。そして万が一の事があった時のために、魔導師としての力を鍛えること。幸いにも『アリシア』には魔導師としての才能があって、教えたことをすぐに自分のものにしてしまいます。

 

 けれど、『アリシア』の実力が伸びていくのと同時に、私の使い魔としての能力が段々と衰えていきました。供給される魔力が少なくなり、自分の姿と命を維持できなくなっていきました。私に残された時間はあまりにも少なくて。

 

「『リニス』。どうしたの?」

「――いいえ、『アリシア』。何でもありませんよ」

 

 だから、私が消えてしまう前に、『プレシア』の病を治して、『アリシア』も立派に育て上げないといけません。本当はずっと一緒にいてあげたいけれど、私が生きている限り愛する『プレシア(マスター)』の寿命を縮めてしまうから。

 

 恐らく持って数年が限界。それ以上は持たない。私も、マスターも。

 

 そうなる前に、私が何とかしないと。

 

 この親子が……本当の意味で、出会ってもいない親子が、明るい未来を歩んでいけるように。

 

 そして最後に真実を伝えたい。『アリシア』には、私も知らない本当のなまえがあって。貴女は『アリシア』の代わりじゃなくて、本当の妹として生まれてきたのだと。過去の記憶を見てしまっているプレシアの為に『アリシア』を演じる必要はないのだと。

 

 貴女は貴女らしく生きていいのだと。

 

 『プレシア』がきっと素敵ななまえを貴女に付けてくれる筈だから。

 

「『リニス』! 『リニス』!!」

「『アリシア』どうしました……っ、その子は?」

「森で怪我してたのを見つけたの。でも、ボクじゃ治してあげられなくて。だから、お願い。『リニス』、この子を助けてあげて」

「分かりました。私も全力を尽くしましょう」

 

 それから、私たちの暮らしているアルトセイムに、新しい家族が生まれて。

 

「あははははっ―――」

「お~い、『アルフ』。待ってようっ!! 置いてかないで~~~!!」

「あんまり遠くに行ったらダメですからね~~~!!」

 

 暮らしも少しずつ華やかになっていって。

 

「闇を断ち切る閃光の刃。『バルディッシュ』――どうか、あの子の力に」

『Yes.Sir』

 

 私はそれを見守りながら、刻一刻と迫るその時に備えている。

 

「『プレシア』。どうか元気になってくださいね」

「私は消えてしまってもいい。でも、どうか貴女だけは、あの子と一緒に幸せになってください」

 

 『プレシア』の治療と延命を続けながら、彼女の病を完治させる方法を独自に探しました。『プレシア』の行っていた研究が世間に知られれば、彼女も『アリシア』もどうなるか分からない。あまり人に頼るわけにはいきませんでした。

 

「『プレシア』はいったい何をしようとしていたのでしょう?」

 

 私は『プレシア』の行っていた研究を調べながら、彼女は何をしたかったのか学ぼうとしました。過去に魔導炉の事故で娘を失ってしまった彼女が何をしようとしたのか。何にすがっていたのかを。

 

 それからプロジェクトFのことやアルハザードのこと。祈願型デバイスや、死者蘇生。そして、願いを叶えるロストロギア。彼女が目をつけていたジュエルシードの存在を知りました。

 

「……これしか、ないのでしょうね」

 

 もう、あまり時間がありません。わたしが生きていられるうちに、使い魔として存在できるうちに、二人のことを何とかしなければいけません。

 

「あっ、『リニス』。何処か行くの?」

「ええ。『アリシア』。私はちょっと出掛けてきます。すぐに帰ってきますから、『アルフ』と良い子で待っていてくださいね」

「うん! いい子で待ってる。だから、早く帰ってきてね」

「ええ。約束です。必ず、必ず帰ってきます。だから……」

 

 私は『アリシア』と、傍にいた『アルフ』を抱きしめます。

 

 私の愛する可愛い教え子たち。

 

 どうか、まだ幼いこの子たちに幸せの未来が訪れますように。

 

 だから、神様。私に時間をください。『プレシア』の病を治す方法を見つけて、この子たちの所に無事に帰ってこれるように。私に時間をください。

 

 そのあとはどうなっても構いませんから。だから、どうか……

 

 この親子の未来が、明るく照らし出される。そんな道筋を掴み取る。その時まで。

 

 『プレシア』。『アリシア』。『アルフ』。どうか待っていて。

 

 わたしが……必ず……

 

 ジュエルシードさえあれば、きっと……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 向こうの世界の小さな『アルフ』を見送ったあと。フェイトとアルフは再び結界に封鎖された街並みを飛んでいた。闇の欠片の反応は徐々に増大しており、いつ各地で実体化してもおかしくない状況だ。

 

 小さな欠片の反応をバルディッシュのシーリングモードを使って封印しているが、それでもきりがない。同じように各地を飛び回っているなのはとユーノのペアも苦労しているだろう。その分、自分がもっと頑張らないと、フェイトはそう内心で決意していた。

 

 その心の裏には、もしかしたら『アルフ』のようにテスタロッサと関わりのある人物が、闇の欠片として再生されるかもしれないという懸念があって。だからこそ、自分が対処しなければならないという使命感にも似た気持ちが溢れてきていた。

 

 あの子の、『アリシア』に関わることなら。せめて、自分が受けてめてあげたいと、そう思うのだ。その記憶の欠片が悲しみに満ちて、今も苦しんでいるというなら尚更に。

 

 自分が見送ってあげないといけない。悲しい夢を見ているなら、それを終わらせてあげたい。

 

 そして、もしも叶うのなら。

 

 家族として、その想いを……

 

『フェイトちゃん。聞こえる!?』

「なのは? どうかしたの?」

 

 その時、頭の中になのはの声が聞こえてきて、空を駆けていたフェイトとアルフは空中で静止した。

 

 なのはからの念話だ。どうやら何かあったらしい。

 

『今、『リニス』さんって人とお話してたんだけど、記憶が混乱してたみたいで』

「『リニス』が――!?」

『落ち着かせようと思ったんだけど、私もユーノ君もバインドでぐるぐる巻きにされちゃって、その間に逃げられちゃったの』

「ッ――二人とも怪我はない!? 大丈夫?」

 

 フェイトは焦った声を出しながら、なのはとユーノの事を心配した。たとえ、向こうの世界の違う『リニス』だとしても、フェイトにとって身内だという事に変わりはない。そんな姉や母親代わりのように慕っている人が、大切な人を傷つけたのだと思うと、フェイトの胸は張り裂けそうなほど苦しくなってしまう。

 

『わたしたちは大丈夫だから。だから、お願い。フェイトちゃん。『リニス』さんを止めてあげて』

『帰る場所が分からなくなっちゃって。それでも帰らなきゃ、帰らなきゃって、泣きそうな顔で。今でも『アリシア』ちゃんの事を心配しながら迷子になっちゃってるの。だから、だから……!』

 

 なのはの泣きそうな声が聞こえる。それがあまり関わりのない人であっても、その人が泣いているのなら放っておけなくて。自分のことのように悲しんでくれて。何度でも手を差し伸べてくれる。真っ直ぐで優しくて。フェイトの初めての友達。なまえを呼んでくれたあの日から。大切な親友になった女の子。

 

 そんな子がフェイトに泣きながらお願いしている。向こうの世界のフェイトの家族のことを、自分のことのように心配してくれて涙を流してくれている。その事がとても申し訳なくて、とても心が痛くて。だけど……その思いやりが、すごく嬉しくて。

 

「なのは……分かった」

「それから、『リニス』の為に泣いてくれて――」

「ありがとう」

 

 だから、『リニス』を想ってくれたその涙に、フェイトは真っ直ぐに感謝の気持ちを伝える。

 

「これから、私たちで『リニス』を追いかけるね」

『うん、気を付けてね。それから『リニス』さんの反応データは、レイジングハートからフェイトちゃんのバルディッシュの中に送っておくから』

「ありがとう。なのはも気を付けて」

『大丈夫。こっちはこっちで何とかするから。頼りになるユーノくんもいるから。だから、フェイトちゃんも気を付けて』

「分かった」

 

 念話による通信を切る。それから俯いていたフェイトは顔をあげて、まっすぐに空の向こうを見つめた。その夜空の向こうに、別世界の『リニス』がいる。見つめるフェイトの紅い瞳は何を思っているのだろうか。もしかしたら心の中で迷っているのかもしれない。

 

 それでも向こうの世界の小さな『アルフ』や『アリシア』たちの事を想いながら。フェイトは今だけは前を向くことを決める。

 

 アルフはそんな優しいご主人様の事を心配そうに見つめていて。そんなアルフにフェイトは心配かけないように優しく微笑んで頷いた。

 

「行こう。アルフ。向こうの世界の『リニス』を助けないと」

「うん……フェイト。あんまり無理しないどくれよ」

「大丈夫。わたしは平気だよ」

「だって、アルフも友達もいてくれるから。もう、ひとりじゃないから」

「だから、大丈夫」

 

 そうしてフェイトとアルフは黒いマントを風にはためかせて、星空に照らされた暗い夜空を飛んでいく。向かう先はリニスのいるであろう場所。その出会いがフェイト達に何をもたらすのか、今は誰もわからない。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

帰らなきゃ……

 

帰らないと……

 

あの子が、『アリシア』が待ってる。

 

きっと、『アルフ』と一緒におなかを空かせてるだろうから。

 

早く……帰らないと……

 

だから、まだ……消えるわけにはいかない。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……っ、見つけた」

 

 なのはから教わった反応を追いかけて空を飛んでいたフェイトは、見覚えのある『リニス』の後ろ姿を見つけて、空中で静止した。アルフも同じように『リニス』を見つけて、少しだけ懐かしそうな嬉しそうな顔をする。

 

 たとえ、別世界の存在だとしても、もう会えないはずの慕っていた家族の姿。それを見て思わず懐かしさに心を震わせてしまうのも無理はない話だった。

 

 けれど、その顔は次第に悲しそうな顔になってしまう。

 

「フェイト……」

「うん、『リニス』。ボロボロだ……何があったんだろう」

 

 さ迷い歩くように住宅街の路地を歩いている『リニス』の姿は、普段とは違うものだった。自身の猫の耳を晒すのが嫌で、それを隠すために大事にしていた帽子を被っていなかった。服装もところどころ解れてたり、破けたりしている。

 

 まるで、戦闘を繰り返して治療もせずにそのままでいるような。そんな感じだった。もしかしたらなのはと戦ったのだろうか。

 

 何にしても、このまま放っておくわけにはいかない。フェイトはアルフを伴って急速に高度を下げ、『リニス』の前を遮るように住宅街の路地の上に立ちふさがる。

 

「『リニス』。久しぶり……なのかな?」

「あなたは……『アリシア』……? それに『アルフ』、なのですか……?」

 

 急に立ちふさがった相手を警戒して、デバイス代わりのワンドを構える『リニス』。けれど、どこか見覚えのあるフェイトの姿を見て立ち止まったままになる。その顔は驚きと困惑に満ちている様子だった。

 

 フェイトはリニスの声を聴いて、少しだけ悲しそうな顔をして、困ったような表情を浮かべる。分かっていた事だが、『リニス』はフェイトの事を認識できていない。彼女にとってフェイトの姿をした存在は、『アリシア』なのだから。その事に少しだけ寂しさを覚えるフェイトだった。

 

 それでも、何とか力になってあげたいと。そう思う。

 

 どうすればいいのか分からないけれど。

 

 でも、『リニス』の事を助ける方法がちゃんとあるはずだ。

 

「一緒に行こう。『リニス』」

「『リニス』が何処に向かおうとしているのか分からないけど、でも……」

「わたしは『リニス』の力になりたいから」

 

 だから紅い瞳を涙で潤ませながら、フェイトは優しく微笑んで『リニス』に手を差し伸べた。

 

 でも、それは迷っている人たちには。闇の欠片にとっては関係ないことで。

 

 『リニス』は訝しげにフェイトを見つめて、それから自身の記憶よりも(・・・・・・・・)成長しているフェイトとアルフの姿を見て。警戒心を強めたようだった。

 

 彼女は、フェイトとアルフが駆け付けた理由を、自分を捕まえるためだと判断する。そうじゃなければ駆けつけるのが早すぎるし、自分を助けようとするのなんて都合が良すぎて信じられない。きっとさっき立ちはだかった優秀な魔導師の女の子。その仲間だろうとそう考えていた。

 

 自分の知っている『アリシア』と違って成長した姿だし、フェイトを見て感じられる些細な違和感が決定打となっていた。『アリシア』と比べると雰囲気が大人しすぎる。何よりも、『リニス』の中では、『アリシア』はまだ幼いままなのだ。

 

「貴女は……『アリシア』じゃありませんね」

「よく似た別人。もしかしたら、あなたもあの子たちの姉妹のうちのひとりなのでしょうか……?」

「でも、わたしを捕まえようというなら容赦はしません。お願いですから、そこをどいてくださいっ!!」

 

 だから、差しのべられたフェイトの手を振り払うように、彼女は抵抗する。その身に残された時間は、もう残り少ないから。

 

「ッ……フェイト!!」

 

 そして、フェイトの危機を咄嗟に察知したアルフも動き出す。大好きな彼女を護るために。そして『リニス』にフェイトを傷付けさせない為に。

 

 構えた『リニス』の足に力を込めてからの踏み込み。恐ろしい速度で突っ込んでワンドを振り下ろしてくるリニスの攻撃をアルフが防ぐ。咄嗟にフェイトの前に躍り出て、防護壁(プロテクション)を展開する。

 

 フェイト達は知らないことだが、闇の欠片となった記憶は負の感情に囚われやすい。

 

 『リニス』の場合は焦燥感。もとより消える寸前だった頃の記憶の欠片だからか。彼女は普段の冷静さを欠いている。それこそ落ち着いて話し合うことができないくらいに。今も自分が消えて無くなりそうな感覚と、不安が『リニス』を蝕んでいる。

 

「アルフ!」

「大丈夫っ……リニスとほんとは戦いたくなんてない。でも、フェイトを傷つけようとすらなら、アタシはフェイトを守るために戦う……!!」

「アルフ……でも、邪魔をするなら貴女でも、私はっ!!」

 

 フェイトの叫び。アルフの決意。『リニス』の困惑。

 

 それでも使い魔の二人は止まることはない。

 

 アルフと『リニス』は、お互いに拳とワンドで殴り合う。展開した障壁がひび割れるほどの、重い一撃一撃を繰り出し合う。

 

「うっ……」

 

 先に引き下がったのは『リニス』だった。アルフの一撃を相殺しきれなかったのか、『リニス』は自分から後ろに飛ぶようにして下がった。その表情は疲れ切っていて、見ていられないほど体はふらついている。けれど、瞳に込められた意志の強さは微塵も揺らいでいない。

 

 まるで、追い詰められた獣のように鋭い視線でフェイトとアルフを睨む。そして、何かに突き動かされるように抵抗することをやめない。

 

「っ……くっ、シルバークラッシュ」

「ランサーっ!!」

 

 魔法の斬撃(シルバークラッシュ)が飛んでくる。それをアルフは射撃魔法で相殺して対応する。結界に封鎖された静かな住宅街を砂塵が覆い尽くして視界を奪った。目くらましだ。

 

「スマッシャーっ!!」

「サンダースマッシャーっ!!」

 

 そして、砂塵の中から空高く跳躍して、『リニス』は空中から砲撃魔法を放つ。フェイトを背にして待ち構えていたアルフも、迎撃するように砲撃魔法を放つ。『リニス』を消滅させてしまわないように手加減した一撃で。対する『リニス』は立ちふさがる相手を排除しようと精一杯の全力で。

 

「きゃあああああっ!」

 

 果たして吹き飛ばされたのは『リニス』のほうだった。

 

「『リニス』!」

「っ、アクティブガード!!」

 

 『リニス』が咄嗟に受け身をとって怪我を最小限にし、アルフとフェイトが落下する衝撃を弱めてくれたおかげで怪我はない。

 

 少し相対しただけで分かる戦力差。手加減されている『リニス』に勝ち目はない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 それでも彼女は立ち上がる。

 

 年老いて弱った猫のように動きは鈍い。息は上がり、荒い息を吐きながら呼吸を繰り返す。気を抜けば今にも倒れてしまいそうだった。それなのに気迫だけでアルフの動きに追従しようとしてくる。

 

 自身が逃げても追いつめられると分かっているから。二人を倒してでも前に進もうと立ち向かってくる。

 

 そんな痛々しい『リニス』の姿を見て、フェイトは動くことができないでいる。彼女にバルディッシュの刃を振り下ろしたら、今にも消えてしまいそうで怖かったから。

 

「はああぁぁぁっ」

「『リニス』。もう、やめようっ!」

 

 だから、説得しようと声を叫ぶのだけど。

 

「やめませんっ! わたしは、わたしは――」

 

 悲しい想いに囚われている『リニス』には届かなくて。

 

 そうして『リニス』の想いが、共振するようにフェイトに流れ込んできた。

 

――帰らないと……わたしは帰らないといけないんです。

 

――あの子が待ってる。

 

――『アリシア』と『アルフ』が、今も病気に苦しむ『プレシア』が待ってる。

 

――わたしはあの子たちを幸せにしないといけないんです。だから、だから……

 

――帰らなきゃ……帰らないと……

 

――わたしは、あの子と約束したのだから!!

 

――必ず帰るんだってっ!!

 

「『リニス』……」

 

 ボロボロになりながら戦い続ける『リニス』。その悲痛な叫びと、心に流れ込んでくる想いにフェイトの心が揺れ動く。

 

 辛くて、悲しくて、苦しくて。何度も泣き叫びながら、それでも帰るんだって決意しているのに。『リニス』は帰ることができないのだ。彼女にとっての帰る場所は、この世界には存在していないから。

 

 それを思うと、フェイトは溢れる涙が止まらなくて、胸が苦しくなる。

 

 たとえ、真実を告げたとしても『リニス』はきっと信じないだろう。そして、止まることも出来ない。

 

 相対しているからこそ分かる。闇の欠片という悲しい記憶に囚われた存在の本質が。

 

 きっと、彼女たちはその存在が消える最後の瞬間まで彷徨い続けるのだろう。

 

(わたしは……っ)

 

 それが分かっているのに、フェイトの手は震えてしまう。『リニス』の想いが、気持ちが流れ込んできている。相手が過去の記憶を再生している偽物なんだと頭では分かっていても、迷ってしまう。

 

 たとえ相手が闇の書の力によって生まれた記憶の欠片でも。それでも愛していた人だから。育ててくれた人だから。母さんと同じくらい大好きだから。

 

 刃なんて、本当は向けたくない。泣いているのなら、なのはのように手を差し伸べてあげたい。だけど、リニスはそれを拒絶する。

 

 そんなフェイトの代わりにアルフが『リニス』の前に立ちふさがる。何度も振るわれる攻撃を、ワンドから迸る閃光の刃を、その拳で、腕で受け止める。時には障壁を張って、高速で飛んできた魔法の斬撃(シルバークラッシュ)を受け止めていく。

 

 主を守るのが使い魔の役目で使命だ。アルフにとってフェイトは大好きで、大切なご主人様だから。ずっと一緒にいて、傍にいて護ってあげたい女の子だから。だから、たとえ相手が『リニス』だったとしても何度でも立ち塞がる。立ち向かう。その悲しい記憶に。悲しい想いに。

 

 アルフが出来ることは、気が済むまでその悲しみを受け止めるだけ。フェイトの決心が付くまで、アルフが何度でも『リニス』の攻撃(想い)を受け止める。その刃で、拳でフェイトが傷ついてしまわないように。悲しい想いに傷つけられないように。そして『リニス』がフェイトを傷つけてしまわないように。

 

(『リニス』……もう、やめとくれよ……)

(アタシだって本当は……)

 

 だけど、ぶつかり合うたびに、アルフの心も少しずつ傷ついていく。目の前で愛する人が泣き叫びながら、ワンドを振るうたびに。それを受け止めるたびに心が苦しくなる。

 

 どうすれば終わるのか分からない。でも、フェイトのことは守らなきゃいけない。ここは絶対に退けない。

 

 そうしてぶつかり合う二人の使い魔を前に、ふとフェイトを優しい風が包み込んだような気がした。

 

――あははははっ―――

 

――お~い、『アルフ』。待ってようっ!! 置いてかないで~~~!!

 

――あんまり遠くに行ったらダメですからね~~~!!」

 

(えっ……)

(これは……)

 

 再びリニスの記憶が流れ込んでくる。それは奇しくも、かつてのフェイトが過ごしていたアルトセイムとよく似た風景で。笑い合っている三人の、思い出の景色を前に心が温かくなる。アルトセイムの草原の匂いが、吹き込んでくる暖かい風が、フェイトを包み込んでいく。

 

 帰りたい。帰らないと。帰らなくては。約束を果たさないと。

 

 だって、だってそうしないと……あの子たちが寂しい思いをしてしまうから。愛するプレシア(マスター)の事を助けられないから。だから、わたしは……

 

「うっ……ひぐっ、『アリシア』……『アルフ』……ごめん、なさい……」

 

 いつの間にか『リニス』は抵抗をやめていた。

 

「やくそくを……まもれなくて……」

「ごめん、なさい……」

 

 子供のように泣きじゃくりながら膝を突く。もう碌に抵抗できる力も、魔力も残っていなくて。放っておけば消えてしまいそうなほどに弱っていて。

 

 何よりも自分を姉や母親のように慕ってくれた『アリシア』や『アルフ』に良く似た子たちを、傷つけ続けるなんて、もう出来なくて。

 

 そんな『リニス』の頬を、涙を拭うようにフェイトは手を添えた。唖然としたように『リニス』は顔を上げる。

 

 悲しい顔をして泣いているフェイトがいた。その紅い瞳から涙をたくさん流して、『リニス』を想って泣いている。

 

「『リニス』……」

 

 そうして、フェイトに『リニス』の最後の想いが伝わってくる。

 

 それは、どこか遠い場所の最後の記憶。

 

 ひとりぼっちで消えゆく彼女の悲しい想い。

 

――そんな……こんな、ところで……きえる……?

 

――まだ、わたしは……こんな……嫌です……

 

――消えたくない……消えたくない……

 

――せめて、あの子たちに……会うまでは……

 

――帰らなきゃ……帰らないと……

 

――あの子たちと……やくそく、したんだ……

 

――わたしは…………

 

――ああ、『プレシア』(ますたー)………………

 

――…………………

 

 ひとりぼっちで、誰にも看取られず。

 

 消える最後の瞬間まで大切な家族ののことを思い続けていた。その、気持ちを。

 

 フェイトは胸の中で受け止めた。

 

(ああ、リニスはあの場所に帰りたいんだ。家族みんなが幸せだったあの頃に)

 

 彼女はもう終わってしまった記憶の欠片。過去に存在した親しい人が、悪い夢を見て今も、さ迷ってしまっている存在。そんな悲しい夢を見ている人たちを、封印魔法で終わらせてあげることがフェイトの役目。それは、相手を思いやれる優しいフェイトにとって、とても辛いことで。それが親しい人なら尚更で。

 

 本当はもっとお話ししたいこともあるし、できる事なら一緒に居たい。

 

 それでも、迷って苦しんでいるのなら、送ってあげないといけない。

 

 たとえ、どんなに辛い別れになるとしても。

 

 『リニス』はもう終わっている存在だから。安心して眠っていられる場所に送ってあげないといけない。じゃないと悪い夢をみたまま永遠に迷子になってしまうだろうから。

 

「フェイト」

「うん、もう大丈夫だよ」

「ありがとう、アルフ」

 

 そうして、力尽きて崩れ落ちてしまった『リニス』を、フェイトは抱きしめた。

 

「リニス。もういいんだよ。もう、迷う必要なんてないの」

「だから、一緒に帰ろう?」

「もう、迷わないように、わたしが導いてあげるから」

 

 泣き崩れる『リニス』の背中に、フェイトは手を回して受け止めて。そして優しく慰める。

 

「バルディッシュ……」

『YesSir』

 

 そして抱きしめたまま、足元に光り輝く円形の魔方陣を展開した。

 

「終わらせてあげよう……『リニス』の悪い夢を」

「今度はちゃんと、帰れるように……」

「時の庭園で待っている『アリシア』と『アルフ』の所に、『母さん』の所に。今度こそちゃんと帰れるように……」

「『テスタロッサ』の、家族みんなで。幸せに暮らして、いつまでも笑っていられるように」

「ちゃんと、この手で送ってあげよう」

「だから、わたしに力を貸してっ」

『GetSet』

 

 主に応えるバルディッシュの声とともに、変形したデバイスから光が溢れていく。フェイトを中心にして金色の円形魔方陣が広がっていく。唱える呪文は静かな優しい声で告げられて。だけど少しの寂しさと悲しみを含んだ声で別れ(導き)の言葉となっていって。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

 

「疾風なりし天神、今、導きのもと――」

 

「迷える『リニス』の、悲しい夢を……」

 

「どうか、終わらせてあげて」

 

 そうして告げるフェイトの声とともに、泣いている『リニス』は優しい閃光に包まれていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 『アリシア』にとてもよく似た。だけど、とても優しくて静かな女の子に導かれて。

 

 私は光に包まれていく。

 

――リニス、おそい~~。

 

 声が聞こえる。可愛らしく甘えてくる幼い『アルフ』の声が。

 

――待ってたよリニス。おかえり!!

 

 それから、いつも笑ってわたしを励ましてくれる。優しい『アリシア』の姿が見える。私をおかえりって迎えてくれる。

 

――あのね、あのね、向こうで母さんも待ってるの。だから、一緒に行こう?

 

 そうして、二人に手を引かれて、光に満ちたアルトセイムの草原を歩いていく。そこに、見慣れた時の庭園の庭に座っている愛するプレシア(マスター)の姿があって。

 

――ああ、『アルフ』。『アリシア』。それに『プレシア』。

 

――帰るのが遅くなって、ごめんなさい。

 

――ううん、いいの。

 

――だって、ちゃんと帰ってきてくれたもん。

 

 だから、私はようやく待ち望んでいた光景を前に、思わず涙と嬉しさが堪えきれなくて。

 

 強く、その言葉を叫んだ。

 

―――――ああっ、ただいま!!

 

―――――おかえりなさい。『リニス』

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 足元に広がる金色の円形魔法陣(ミッドチルダ式魔法陣)と共に眩い光が収まっていく。フェイトは抱きしめていた温もりが徐々に消えてしまった事を感じると、閉じていた目をそっと開いた。

 

 そこに『リニス』の姿はない。フェイトとバルデイッシュの魔法で暖かな光の世界に送られた彼女は、もういない。

 

「リニス……」

 

 フェイトは今はいない育ての親代わりだったリニスを想う。目を閉じれば、瞼の奥に浮かんでくるのは優しい思い出の日々。アルフと一緒に魔法のことや、勉強のこと。次元世界の常識を教えられながら、日々を過ごしていた頃の思い出を振り返る。

 

 大好きな母さんに振り向いてほしくて、一生懸命、一生懸命、日々を過ごしていた。フェイトの記憶。プレシアに与えられたアリシアの記憶じゃない。フェイトだけの思い出。そんなフェイトにいつも優しくしてくれたリニスとの日々。

 

 それを思い出すと、何故か涙が止まらなくなってしまう。

 

 たとえ、違う世界の『リニス』だったとしても、共通する思い出は確かにあって。だからこそ親しい人との別れはこんなにも辛くて。涙があふれてあふれて止まらなくなる。心が痛くて、どうしようもないほど悲しくなる。

 

「リニス……!」

 

 拭っても、拭っても、その涙が止まることはなくて。

 

「フェイト」

「ごめん……ごめんね、アルフ……今だけは、泣かせて……」

「大丈夫だよ」

「アタシはずっと、フェイトに傍にいるから」

「うん……」

 

 そんなフェイトを、アルフはいつまでも優しく抱きしめていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「フェイト。大丈夫かい?」

「うん、もう大丈夫だから」

「行こう、アルフ。彷徨う闇の欠片の悲しい夢を終わらせてあげないと」

 

 やがて、落ち着いたのか。自分の心に整理をつけたフェイトは、顔を上げると。静かな表情に再び決意を宿らせた。

 

 悲しんでいる暇はない。泣きたいなら、また後で泣けばいい。そう、自分に言い聞かせて。遠い世界で起きてしまった悲しい事件を、本当の意味で終わらせるために。フェイトとアルフは再び立ち上がる。

 

 クロノも、なのは達も戦っている。自分が立ち止ってなんかいられない。

 

『フェイト。聞こえるかしら?』

 

 そんな二人に念話で通信を送ってきたのはアスカだった。確かクロノ達と協力してディアーチェが潜んでいる結界の中心に向かっていた筈。何かあったのだろうかと、フェイトは小さく首を傾げる。

 

「どうしたの、アスカ?」

『実は、フェイトに会って欲しい人がいるのよ』

「会ってほしい人……?」

 

 そうして、フェイトはアスカの言葉に驚くことになる。

 

『向こうの世界の『プレシア・テスタロッサ』』

『その闇の欠片よ……』

 

 



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act3 『プレシア』は、母さんは間違っていたのかな?

 最初の過ちはいつからだったのだろうか……?

 

 実験中だった魔導炉の運用を、本部の計画通りに進めようとしてスケジュールを前倒しにしたから? 忙しさにかまけて、娘ともっとちゃんと一緒に過ごせる時間を作らなかったから? それとも、愛する夫と仕事の都合で別れて、娘に寂しい思いをさせてきたから?

 

「あっ、ああ……『アリシア』……『アリシア』っ!」

「嘘よ! 嘘だわ……!」

「お願いだから目を覚ましてちょうだい!!」

 

 病室のベッドの上で、娘が冷たい姿のまま眠っているのが信じられなかった。

 喪失感に心が蝕まれる。目の前の現実が信じられない。認めたくない。

 

「いつもみたいにママお帰りって……」

「いつもの、ように……元気で、笑って……」

「あっ、あああああああっ!!!」

 

 ただ、目を覚まさなくなった娘の横で、泣き崩れて後悔し続ける私の姿だけが、私の過ちの結果を証明し続けていた。

 

 ……わたしは、いつだって……気づくのが、遅すぎる。

 

 それからの日々はよく覚えていなかった。ただ、もしかしたら『アリシア』が目を覚ましてくれるんじゃないかと、娘を治療ポッドの中に入れて。娘の身体が崩れてしまわないように培養槽の保護液の中で眠らせて。

 

 それから……それから……

 

 私は、ずっと長い間。どうすれば娘を取り戻せるのか。そのことばかり考えてきた。

 

 だから、その計画書と技術と方法を記した概念を見つけた時。天啓だと思った。

 

「これだわ……」

「プロジェクトF。クローンに記憶を転写する技術の概要……」

「人は記憶によって形作られる。だから、新しく生まれた命にアリシアの記憶を宿らせれば……」

 

「きっと、娘は甦る。私はアリシアにもう一度会うことができる」

「あの子が、昔みたいに、私に笑いかけてくれるようになる」

「待っててね。すぐに母さんが元気な姿を取り戻してあげるから……」

 

「そしたら、また一緒に、ピクニックに出かけましょうね」

「欲しいものがあれば何だって買ってあげる」

「今度はもっと多くの時間を使って、ずっと一緒に居てあげるから……」

 

「もう二度と、寂しい思いなんてさせないわ……」

「だから、また私に、笑いかけて頂戴……」

「おねがいよ。『アリシア』……」

 

 私の専攻は魔導炉や魔力運用に関する技術が大半。生命操作技術なんて専門外にも等しかったけれど、娘を取り戻すためならと必死に学んだ。それこそ何年もかけて地道に、ひとつひとつ間違いがないように丁寧に。だけど、誰よりも早く学んで、娘に会うために必死になって。何年も、何年も……

 

 気が付けば多くの時間が過ぎ去っていたけれど、些末なことでしかなかった。

 

 私の時間は、娘を、アリシアを失ってしまった瞬間から。きっと止まってしまっていたのだから……

 

 そうしてプロジェクトFに必要な情報を集めて、技術を集めて、違法だと分かっていたから誰にも頼らずに、全部一人で手配して。

 

 ようやく、娘に会えると、そう思っていたのに……

 

「どうして……?」

「どこで間違えたというの……?」

「これじゃあ失敗じゃない……」

 

 培養槽の中で成長した娘の新しい身体は白い髪をしていた。遺伝子情報が間違っていたわけじゃない。どこかで遺伝子に欠損があっただけ。クローンを培養する過程で何らかの間違いがあって、正しく成長できなかっただけのこと……

 

 最初のクローンは、いわゆるアルビノ。

 

 こんな身体に記憶を転写しても、娘は元気にならない。自分に対する怒りと、失敗してしまった失望感に机を叩きながら、どうするかと考えた。

 

 単純だ。廃棄してしまえばいい。この失敗を糧にして次こそ成功させればいい。また、新しい身体を用意して。そこに娘の記憶を転写してあげればいい。こんな失敗作なんて、なかったことにしてしまえばいい。

 

 そうして、このクローンを廃棄しようとして、ふと私は『アリシア』に見られているような気がした。

 

 目の前の出来損ないと違って、隣の培養槽で眠り続ける娘は、事故当時の幼い姿のままで眠り続けている。

 

 『アリシア』は夢を見続けているように安らかな顔で眠っていて。微笑んだ表情のまま目を覚まさない。

 

 そんな娘の姿を見続けて私は……

 

 私はふと――

 

 娘との、約束を、思い出した。

 

 思い出して、しまった。

 

 久しぶりの休暇を使って、アルトセイムの平原に出掛けた時の。在りし日の記憶を。

 

――アリシア、お誕生日のプレゼント。何かほしいものある?

 

――う~んとね。

 

――あっ、わたし、妹がほしい。

 

――えっ?

 

――だって妹がいたらお留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもい~ぱいできるよ?

 

――それは、そうなんだけど……

 

――ママ。やくそくっ!

 

 それは子供がどうやって生まれてくるのか分からない。幼い子供の無邪気で純粋な約束。私はいつも仕事ばっかりで、アリシアをずっと一人にしてしまって、寂しい思いばかりをさせてきたから。

 

 だから、妹がいれば寂しくないし、二人一緒にいれば、もっと私を手伝うことができるって。そんな娘なりの優しさから生まれた言葉。

 

 いつも忙しそうにしていて、仕事から帰ってきても遅い時間で。あんまり娘と一緒にいてあげられない。そんな母親としてダメな私を、一生懸命支えてあげたいって。心の底から私のことを思って言ってくれた言葉で……

 

 そんな優しくて、いつも明るく笑ってくれる娘を失って。悲しくて、辛くて、胸が張り裂けそうで。だから、あの日々を取り戻したくて……

 

 だけど、私は……

 

 そんな娘との約束も忘れて、新しく妹として生まれようとしている命を、棄てようとしている?

 

(……っ)

(アリシア……)

 

 そう思うと、目の前の、『アリシア』と瓜二つの子供を捨てることなんて出来なくて。

 

 だから、私は……

 

 私は……二度目の過ちを、犯した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「おかあさん……?」

 

 娘と瓜二つのクローンが私に呼びかけてくる。首を傾げて、どうしたの?と心配そうに。

 

 最初に生まれたアリシアのクローン。アリシアの初めての妹で、私の二人目の娘になる筈の子供。その姿は雪のように白い肌をしていて、髪も真っ白だ。アリシアとは似ても似つかない。だけど、顔の形や浮かべる表情はどことなくアリシアにそっくり。

 

 当たり前か。この子はアリシアのクローン。むしろ似ていないほうがおかしいのだから。

 

「私は母さんじゃ……いいえ」

「なんでもないわ」

 

 だけど、私は娘と同じ顔と声で、呼びかけられるたび。失くした『アリシア』との思い出をかき乱されそうになって、心が苦しくなる。だけど、それでも我慢したわ。

 

 この子は、もしかしたら『アリシア』の妹になるんじゃないかって思うと、悪いようにはできなかった。だけど、どう接すればいいのかも分からなくて。

 

 悪いのは私のほうだ。愛する娘とのことで折り合いが付けられなくて。それでも、それでもと失った時間を取り戻そうとして、今もあがき続けている。だから、この子は何も悪くない。だから、『アリシア』の妹としてちゃんと接してあげないと。

 

 『アリシア』との約束を忘れて、娘と同じ姿を持つこの子を道具のように扱ってしまったら。きっと私は人として大切なものを失ってしまうと。そう、思ったから。

 

 時間だ。時間さえあればきっと、私は……

 

「こほっ……こほっ……!」

「っ、大丈夫……?」

「くる、しい……」

 

 娘のクローンが咳込んだ。

 

 大丈夫なわけがない。遺伝的欠損を持って生まれたこの子は、病気に掛かりやすい身体をしている。今も無菌室のような部屋でしか過ごしてあげられなくて。普通の子供と同じように、元気に外で遊んだりとかできるような状態じゃない……

 

 ……こんなことなら。

 

 ……いっときの情に流されて、目覚めさせるべきじゃなかったかもしれない。

 

 自分の過ちを見せられているような気がして、心のどこかが摩耗していくのを感じる。だけど、放っておくことなんて出来なかったから。

 

 せめて私は、親として、私にできることをたくさんしてあげたい。

 

 たとえそれが、ただの自己満足なんだとしても。

 

 私は……

 

「今日はマフィンを作ったのよ」

「まふぃん……?」

「甘くておいしい食べ物。『アリシア』も……あなたのお姉ちゃんも、好きだったから……」

「あまい……? おねえちゃん……?」

 

 幸いにも臓器が弱っているとかそういう病気はなかった。ただ、身体が弱いだけだ。だから、食べ物はちゃんと食べることができる。栄養も流動食だったり、点滴だけだったり、普通の生活はあまりさせてあげられないけれど。でも、せめて美味しいものくらいは食べさせてあげられる。

 

「あむ……?」

「おいしい……!」

 

 久しぶりの手料理に、お菓子作りだったけれど。

 彼女は花が咲いたような笑顔で笑ってくれた。だから、思わず私も笑ってしまう。

 

 本当ならアリシアの為に使ってあげる愛情と時間の筈だったけれど。

 それでも、今だけは、この子と優しい時間を過ごす事を許してほしい。

 

「ふふっ、良かった。まだ、沢山あるから食べていいわ」

「いえ、一緒に食べましょうか」

「うん……!」

 

 そうして、私は娘のクローンと一緒に、同じ時間を過ごしながら研究を続けようとした。でも、何時からか研究よりも、『アリシア』の妹として生まれたこの子と過ごしている時間のほうが多くなっていった。

 

 病気がちの子だったから目を離せなかったし、何よりも心配で心配で堪らなかったから……

 

 研究も自然と、彼女の身体の弱さを克服するための方向にシフトしていった。

 

「『フェイト』よ……」

「ふぇいと?」

「あなたの仮の名前」

「なまえ?」

 

 プロジェクトFの名前。妹として生まれるはずだった運命。それになぞらえて、『フェイト』と名付けた運命の子供。本当はひとつひとつ名前を考えてあげたいけれど、そんな時間もなかったから。

 

 せめて、仮の名前だけでも、と。そう思って名付けた。

 

 目を離したら、この子はきっとすぐに死んでしまう。だから、あまり時間は残されていない。

 

 でも……また……

 

 また、娘を失うようなことになったら、私は……耐えられる、の?

 

 ッ……

 

 いいえ、そんなことはさせないわ。

 

 そう決意して私は、『フェイト』が少しでも長生きできるように研究と治療法の確立を目指した。この子も在りし日の『アリシア』のように。元気になってくれる。そう信じて。

 

「うぅ、お注射にがて」

「少しの辛抱よ。我慢しなさい」

「……うん」

「これが終わったら絵本を読んであげるから……」

「ほんと……!」

「本当よ。母さん嘘は付かないわ」

 

 そうして私は『フェイト』と一緒に過ごしている時間が増えていく。

 

 『アリシア』みたいに一緒に遠くに出かけることは出来なかったけど。それでも一緒に本を読んだり。

 

「おかあさん。いっしょに歌おう?」

「でも、その、恥ずかしいわ……」

「わたしも、がんばって歌うから、ね!」

 

 恥ずかしかったけれどせがむ『フェイト』に頼まれて、一緒に歌を歌ったり。

 

「おかあさん、あのね……」

「だいすき!」

 

 いつの間にか、『フェイト』と一緒に過ごしているうちに、私は居心地の良さを覚えていくようになっていった。

 

「ええ、私も――」

「『フェイト』のことが、大好きよ」

「早く元気になって」

「母さんと一緒に、遊びましょうね」

 

 私はベッドに座っている『フェイト』を抱きしめながら、その日が来ることを待ち望んだ。

 いつか、新しい娘として生まれた、『フェイト』と一緒に。眠りから目を覚ました『アリシア』と共に、幸せな日々を過ごせると信じて。

 

 なのに……

 

「はぁ……はぁ……」

「『フェイト』……?」

「うっ……!」

「『フェイト』!!」

 

 神様は、運命は残酷で。私から再び娘を奪おうとする。

 

 定期的に投与している薬のおかげで免疫系は完璧に補助されているのに。『フェイト』は苦しんでいた。今は強力な鎮痛剤と薬で、彼女の痛みと苦しみを和らげているけれど……きっと『フェイト』はもう、長くない。

 

 それは分かりきっていたことだった。遺伝子の欠陥を持って生まれてしまった『フェイト』は寿命が短い。本来、人としてあるべきテロメアがあまりにも短いのだ。だから、神様は、こんなにも早く『フェイト』を連れて行こうとしている。

 

 生まれてからたった数か月しか生きていない命なのに。あまりにも短く、その生涯を終えようとしている。

 

「嫌よ……」

「『フェイト』。私をひとりにしないで頂戴っ……!」

「私は、もう何も失いたくないのよ……!!」

 

 だから、そんな運命に反逆して、我儘をいっている私がいた。

 

「おかあさん……」

「泣かないで……?」

「笑っていて……?」

 

 そして、こんな時でも娘は、『フェイト』は私に優しくしてくれる。娘の傍で泣きじゃくりながら、見っとも無く縋り付いて、泣いている私の頭を撫でて、慰めてくれる。それがあまりにも辛くて、悲しくて。私は、こんな筈じゃなかった運命を嘆いてばかりいた。

 

 そんな私に、『フェイト』は言う。

 

「おかあさん……」

「なぁに……『フェイト』」

 

 それは娘が私に残してくれた最後の祝福。

 

「こんど、生まれてくる……妹の、なまえ……」

「■■■■■が……いいと、思うんだ……」

 

 それは、『フェイト』の為に一生懸命考えていた名前のひとつ。

 

 一緒に彼女の新しい名前を考えて、生まれてくる妹の事も話して、できるなら皆の名前を付けてあげようって……

 

 私と、一緒に……嬉しそうに考えてくれた、なまえの、ひとつ……

 

「わたしと、おかあ、さんと……」

「おねえちゃんの……なまえから、もらった……」

「『幸福』を、いみする……なまえだから……」

 

「これからも……おかあさん、と……いっしょに……」

「しあわせに……いきれますように、って……」

 

 『フェイト』の息がか細くなっていく。呼吸もだんだんと弱くなっていって。まるで、安心して、今にも眠ろうとしているかのように。安らかな表情で、瞼が落ちていく。ぼんやりした瞳は、私のことも、目の前にある殺風景な部屋の景色も映さなくなっていく。

 

 それに私は小さく取り乱すように。嫌よ……嫌よって……否定することしかできなくて。冷たくなっていく娘の手を握ってあげることしかできなくて。

 

「だい、すき……」

「ありが、と、う……」

 

 そのありがとうは、いったい何に対するありがとうだったんだろうか。今でも私には分からない。

 ただ、『フェイト』がもう、目を覚まさないことは確かで……

 

「『フェイト』……?」

「ねぇ……返事をしてちょうだい……」

「おねがいだから……わたしを、おいていかないで……」

 

 私は眠ってしまった娘を抱いて、泣きじゃくる事しか出来なくて。

 

「『フェイト』……『フェイト』っ……!!」

「あああああぁぁぁぁぁ・・・・・・・・!!」

 

 その日は一晩中、娘の傍で泣き続けた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 それから、私はどうしたのか覚えていない。

 『フェイト』を『アリシア』と同じように処置して、培養槽の中で眠らせて。

 私はそれからもプロジェクトFの研究を続けた。

 

 皮肉にもあの子の治療データと、延命させるための研究データが鍵となって、それからのプロジェクトFは順調に進んだ。身体能力や免疫系を劇的に改善した素体は、新しい『アリシア』や『フェイト』の身体としては十分すぎる完成度。今も保護液の中で眠る『アリシア』と瓜二つだった。

 

 『フェイト』とは違う。金色に輝く長い髪に、健康的な肌の色。そして、瞼の奥の瞳はきっと紅色なんだろう。

 

 そう、愚かにも私はプロジェクトFの研究を続けていた。

 

 失った時間はまた、取り戻せばいいと。また娘の遺伝子を使って同じことを繰り返そうとしている。

 

 この心と身体を蝕む喪失感を埋めるために………

 

 だって、母さんは、もう、ひとりじゃ生きられないから……

 

「ようやく完成した……」

「あとは寿命の問題さえ解決できればいい……」

 

 生まれてくる予定の2番目から11番目のクローンの娘たち。『アリシア』と『フェイト』の妹たち。

 

 彼女たちを目覚めさせる前に、テロメアの問題を解決する必要がある。でも、健康状態は問題なかったから、延命処置を施して眠ってもらっていた。目覚めさせるにしても、場の環境を整える必要があるし。何よりも研究に奔走している間は、きっと娘たちの為に時間を作ってあげられないだろうから。

 

「せめて、この子達だけでも……」

 

 そして12番目と13番目は、それぞれ『アシリア』と『フェイト』の記憶を転写された子供たちだった。私の持てる知識と今ある技術の全てを結集して生み出されたプロジェクトFの完成系。短かったテロメアの問題も生まれる前に解決することができた。

 

 おそらく、この子達は無事に目を覚ます。そうして目覚めたとき、彼女たちは私をなんて呼んでくれるんだろう?

 

 ママ? それともお母さん?

 

 それは分からないけれど、私は娘たちが目覚めてくれる日が楽しみで仕方がなかった。

 

 今度こそ、やり直せるのだから。もう一度全てを。あの日の過ちを正して、幸せな日々を送ることができる。

 

 命をひとつ生み出すたびに、完成に近づいていくプロジェクトF。その度に私の心は擦り切れていったけれど。

 

 それでも、こうして在りし日の娘を、娘たちを取り戻すことができた。それだけでも満足かもしれないわね……

 

「はやく会いたい……ごふっ!?」

 

 咳き込んで、口元を抑えた手を拭う。手にべっとりと付いた赤黒い色。それから口の中に広がる血の味。

 

 最近、意識が朦朧とするようになった。自身の健康を省みずに、なりふり構わず研究を続けてきたから……

 

 きっと、娘たちの命を勝手に弄んだ私への罰なのだろう。神様は、娘たちの代わりに今度は私のことを連れて行こうとしている。そして生まれてくる娘たちに会わせないようにするつもりなのだ。あの日、『アリシア』と『フェイト』を私から奪ったように……

 

 それでも……それでも、この子たちだけは……

 

「使い魔が……必要、だわ……」

「この子達を、護って育んでくれるような優しい子を……」

「身体を維持する魔力は……魔導炉から、引っ張ってくればいい……」

 

 私は、どうなってもいい……

 

 だから、お願いだから……

 

 この子たちだけでも、幸せな未来を……

 

 夢を見る。それは私が待ち望んでいた望郷の夢。たくさんの娘たちに囲まれながら、家族みんなで幸せに暮らしている夢。最初、娘たちはベッドの上で寝ていたけれど、みんなで一緒に元気になって。それから自分の名前を考えて。一人一人が新しい名前を憶えて。そうして『アリシア』と『フェイト』と一緒に姉妹たちが楽しく遊んでいるような夢。

 

 それを私は遠くで見守ったりしながら、時には一緒に料理をしたり、お洗濯をしたりして。優しい日々を一緒に過ごしていく。そんな、夢。

 

 そして、それを振り払う。倒れそうになった身体を支える。

 

「まだ、まだよ……」

「まだ、倒れてなんかやらないわ……」

「私は見届ける。私が仕出かしてしまった過ちを正すために……」

「せめて、娘たちが元気になってくれるまでは……」

 

 『アリシア』。『フェイト』。待っていて。

 

 母さん。幸せな日々をちゃんと取り戻して見せるわ。今度こそ娘たちを幸せにして見せる。

 

 だから、もしも会えるのなら。

 

 もう一度、会えたなら。

 

 あの日のように、母さんに笑いかけてちょうだい。

 

 お願いよ……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 『リニス』を封印魔法で眠らせたフェイトたちは、クロノと別れて行動していたアスカに合流するため、海鳴市の公園のひとつを訪れていた。

 

「フェイト……」

「うん、違う世界の『母さん』だ……」

 

 フェイトが駆け付けたとき。公園のベンチで寝かされている闇の欠片の『プレシア』は、今にも消えそうなほど弱っているようだった。別にアスカやクロノと戦闘をしたわけではない。アスカ達が駆け付けた時には既に、『プレシア』は"そういう状態だったのだ"

 

 本物の『アリシア』のクローンを生み出し、『フェイト』を目覚めさせ。そして、心の寂しさを、欠落を埋めるために娘のクローンを生み出し続けた哀れな母親……

 

 失ってしまった過去の時間を取り戻そうと、手を伸ばして、伸ばし続け。そうして倒れる寸前までいった時の『プレシア』だったのだ。アスカ達が出会った時も、隔離結界で封鎖された住宅地を歩いていて。コンクリートの塀に手を付きながら、何度も喀血して彷徨っている状況。

 

 そんな状態を見ていられず、早めに封印を施そうとしたクロノとアスカに、プレシアは何度も言うのだ。

 

 ……娘に会いたいと。せがむ様に何度も何度も。

 

「プレシア。あんた………っ」

 

 だから、かつてレヴィ(『アリシア』)を家族として引き取っていたアスカが、そんな『プレシア』を無下にすることもできなくて。だけど、本物の娘であるレヴィと、義姉の関係だったアスカは、今は喧嘩別れに近い状態で。今すぐ会わせてあげることも難しくて。

 

 せめて、彼女(プレシア)の呟く『フェイト』だけでも会わせてあげたい。だから、クロノにお願いして、アスカに処遇を任せてもらうことになった。

 

 それが、フェイトを呼んだ事の経緯だった。

 

 今は『プレシア』が消えないように、意識を保っていられるように。アスカが傍に居て、手を握りながら語り聞かせている。義姉として一緒に過ごしてきた。『アリシア』との思い出を。

 

「それでね。『アリシア』は泳げもしないくせに、海に来てすぐに『やだ、やだ~~! すぐに遊びに行きたい! 海に飛び込みたい!』ってはしゃいでて」

「ふふ……そう、あの子はそれほど元気に……」

「ええ、そうよ。それで、日焼け止めも塗って準備万端。いざ、海に飛び込むって時に、砂浜の熱さにやられてね。『やっぱりむりむり! こんなの無理だ~~』って涙目になったのよ」

 

 アスカが、駆け付けたフェイトとアルフに目配せする。

 

 フェイトは頷いて、寝かされている『プレシア』に静かに近寄った。そして手を放したアスカの代わりに、『プレシア』の手をバリアジャケットの手袋越しに、優しく握りしめた。

 

「母さん……?」

「あなたは、誰かしら?何番目の……」

「フェイトだよ。フェイト・テスタロッサ」

「……母さんの、娘です」

「『フェイト』……?」

 

 アルフは二人の邪魔をしないように、それをアスカと共に見守っている。何があってもフェイトの傍に駆け寄れるように。

 

 フェイトの心中は複雑だろう。

 

 目の前に"プレシア"がいる。

 

 だけど、その"プレシア"は本当のお母さんじゃなくて。別の世界の『プレシア』で。

 

 そして、過去の記憶から再生された闇の欠片なのだ。

 

 いつまでもこうしている訳にはいかない。古い記憶の、悲しい夢を見てしまっている存在だから。終わらせてあげないといけない。フェイト自身の手で。それが出来なければ、アスカの手で。

 

 彼女の悲しい夢を終わらせてあげないと。じゃないと、いつまでも娘に会えないまま。彼女は病に蝕まれた体で、彷徨いつづけてしまう。

 

 これは、そうしたお別れをする前の、最後の親子の会話。

 

 フェイトにとっては二度目の別れ。

 

 それでも、嬉しい。そして、そんなフェイトに『プレシア』は優しく接してくれる。

 

「そう、あなたは『フェイト』、なのね……」

「だけど、私の知っている『フェイト』じゃないわ……」

「私の『フェイト』は、髪が白くて、雪のようだったから……」

「こんな風に、綺麗な金色じゃあ、なかったの…………」

「……そう、なんだ……」

 

 かつてレヴィが言ったように、『プレシア』はフェイトを正しく認識できているのか怪しい。

 

 だけど、その声がとても優しくて。フェイトの胸を打つ。あまり感じたことのない慈しみと親愛の情を向けられて。フェイトの心が、優しさでかき乱される。

 

 か細い声で、ひとこと、ひとこと絞り出すように。『プレシア』は言葉を紡ぐのだ。フェイトの長い金色のひと房に触れながら。

 

 本当は娘と同じ髪の色と、健康的な身体を持って生まれるはずだった(『フェイト』)を想いながら。

 

「ぐすっ……かあ、さん……っ……っ……」

 

 『母』が愛おしそうに、丁寧に髪を梳いてくれる。それだけで、フェイトの母さんにされているみたいで、とても嬉しくて。思わず涙が溢れてきそうになって。でも、この人を、これ以上悲しませたくないから、涙を我慢するのに。フェイトの心は泣き出しそうになって、涙を堪えてくれない。

 

 この人はフェイトのお母さんとは違う。向こうの世界の『アリシア』のお母さん。

 

 フェイトの本当のお母さんは、眠るアリシアと共に虚数の底に落ちてしまって、今はもういない。なのに、優しい手で撫でてもらえるだけで、こんなにも嬉しい。頭では分かっているのに、どうしてこんなにも嬉しくて。

 

 どうして……こんなにも……

 

 悲しくて……切ないんだろう。

 

「どうしたの、『フェイト』……? 泣いて、いるのかしら……?」

「なにか、悲しいことでも、あった……?」

「あのっ……違くて……これは違うんです……」

「うれしくて……そう、嬉し涙なんです……っ!!」

「そう……?」

「――はい!」

 

 それはきっと、『プレシア』がこんなにも優しいからだ。こんな形でも、もう会えないと思っていた『プレシア』が目の前にいて。こうしてフェイトに触れてくれているから。拒絶したりなんてしないから。だから、それが嬉しい。

 

 『アリシア』に申し訳ない気持ちもある。けれど、今は自分を見てほしい。

 

 たとえ、誰かの代わりだとしても。

 

 あの日、プレシアと最後の言葉を交わした日。それでも、自分はフェイト・テスタロッサで、あなたの娘です。と、そう告げた日。

 

 あの日の決意に嘘はないけれど。

 

 それでも、こうして甘えてしまうのは、やっぱりフェイトにとって"プレシア"という存在がとても大きいから。たとえ世界が違っても、フェイトの大切なお母さんだから。

 

 もう会えない。お母さんだから。

 

「あのね。『フェイト』……」

「聞いてちょうだい……」

「うん、母さん」

「聞いてるよ」

 

 娘に語り聞かせるように、声を掛けるプレシアに、フェイトは静かに頷いた。

 

 フェイトの頬に添えられたプレシアの手は、思ったよりも大きくて。だけど、今にも消えてしまいそうなほど冷たかった。

 

 だから、その手を温めるように、フェイトはプレシアの手にそっと手を重ねる。その手に触れる。

 

「『フェイト』。あなたは私の娘と、同じ名前をしているわ……」

「そう……わたしの、本当の娘。ちゃんとした名前を考える前の、仮の名前だったけれど。確かに娘として私の傍にいてくれた子……」

 

「だけど、私の技術が未熟だったせいで、あの子には辛い思いをさせた。何度も苦しんで、それでも笑っていてくれて。私の為に絵を書いたりしてくれて。元気になったら姉妹みんなで、母さんと一緒にアルトセイムの草原を歩きたいって……」

 

「そんな風にっ、ごほっ、ごほっ……」

「母さん!!」

 

 闇の欠片の『プレシア』が咳き込んで、口元を手で押さえた。その手には赤黒い血がべっとりと付いていて、フェイトと別れる前のプレシアと同じで。

 

 だから、フェイトが慌てて背中を抱き起して、楽な姿勢にしてあげて。それから背中を摩るのだけど、『プレシア』は一向に良くなる気配がない。

 

 すがるようにアスカに視線を向けるフェイトだが、アスカも悲しそうに首を振るだけ……

 

 つまり、闇の欠片の『プレシア』を救う手立てはない。治癒魔法で延命させることもできなくて。このままでも人知れず消えていくかもしれない存在で。

 

 フェイトは、目尻に涙を浮かべながら、悲しそうな表情で俯くしかなかった。

 

(っ……なんで……どうして……)

(母さんは、こんなに苦しまなくちゃならないの……?)

 

 こんな弱々しい『プレシア』をフェイトは見たことがない。

 

 アリシアから貰った記憶の中だって、プレシアはいつも笑ってくれている優しいお母さんだったから。疲れた顔を見せることはあっても、泣いたり、悲しんだりすることなんてなかった。

 

 たとえそれが、アリシアを失った頃の……フェイトと一緒に過ごしていた頃のプレシアだったとしても。こんな風に泣いている姿なんて一度も見たことがなかった。

 

 そして、そんな『プレシア』の望みを叶えてあげることも、苦しみも和らげてあげることも、フェイトには出来ないのだ。それが、悔しくて、悔しくて、フェイトは下唇を噛みしめながら俯いてしまう。

 

 胸が痛い。悲しい。

 

(違う……こんな事がしたいんじゃない……)

(私が、悲しむ『母さん』を励ましてあげないと……)

 

 だけど、それでも『プレシア』の為に、心配かけないようにと。フェイトは顔をあげて、健気に微笑むのだ。

 

「母さん。わたし、大丈夫だから」

「ほら、こんな風に生まれ変わって。元気になったの」

「だから……」

 

 そうして微笑んで、泣きながら悲しい嘘を付いた。

 

「ふふっ……嘘が、下手ね……」

「フェイト」

 

 プレシアの優しげな呟き。

 

 その言葉だけは、今ここにいるフェイトに向けられているような気がした。

 

 いつだって失くしてばかりの人生だった。仕事が忙しくて、愛する夫と別れることになった時も。娘を失った時も。取り戻そうとした娘たちが、手のひらから零れ落ちてしまった時も。

 

 そんな後悔の言葉が聞こえてきそうなほど、今の『プレシア』は儚げで。静かに涙を零しながら、フェイトに微笑みかけた。

 

 たとえ、世界が違ったとしても……娘を愛する気持ちだけは本物だから……

 

 だって、フェイトの『お母さん』だから。その事だけは、信じてほしいと。

 

 フェイトを真っ直ぐ見つめてくれる。優しげな瞳から。そんな想いが伝わってくるかのようだった。

 

「いいのよ……」

「娘たちは、私を恨んでいるかしら……?」

「っ……わたしは!!」

「母さんのこと……恨んでない」

 

 それに応える(フェイト)の気持ちも本物で。

 

 今だけは、二人の心が通じ合っている気がした。

 

 だけど……

 

「でも……私は……貴女たちに……酷いことを、たくさん、してきたわ……娘を取り戻すために、何度もクローンを作って、失敗した……そうよ。失敗した。失敗したのよ……私は、また……」

 

「なんども……同じ過ちを、繰り返す……」

 

「綺麗で暖かなものはみんな過去にあるからって……何度でも、同じ過ちを繰り返す……」

 

「私は……私は……」

 

 だけど……『プレシア』の心を蝕む後悔だけが、消えてくれない。

 

 悲しむフェイトと同じように。それ以上に涙を流して慟哭し続ける『プレシア』は……

 

 きっと、愛する自分の娘に赦されるまで、自分の過ちを後悔しつづけて。慟哭し続けて。それでも、娘に会いたいと切望し続けるのだ。だから……

 

 フェイトは、それを見て決心する。いつまでも自分の我儘で、『母親』の苦しむ時間を増やしてはいけないと。悲しみに暮れる『プレシア』を、『娘』のことで嘆かせてはいけないのだと。

 

「『母さん』……」

「もう充分、泣いたり、悲しんだりしたよね……?」

「だから、これ以上は、もう辛いだけだから……」

「……お休みしよう?」

 

 せめて、大好きな、愛する家族のもとで。

 

 安らかに眠っていてほしいから。

 

 フェイトは優しげな手つきで、『母親』を横たえると。立ち上がって、瞬時にバルディッシュを展開した。両手で抱えたそれを強く握りしめると、目を閉じて集中する。

 

 少しでも、この胸の悲しみを振り払えるように。

 

「バルディッシュ……」

『YesSir』

 

 主に応えるバルディッシュの声とともに、変形したデバイスから光が溢れていく。フェイトを中心にして金色の円形魔方陣が広がっていく。

 

「っ……アルカス・クルタス・エイギアス――!!」

「疾風なりし天神、今、導きの、もと……」

「『母さん』を……」

 

 唱える呪文は強く悲しみに満ちてしまっていて。だけど、優しい声で告げなきゃいけなくて。『アルフ』や『リニス』の時と同じように、こんな筈じゃなかった過去と出会って、向き合って。

 

 それでも会えたのが嬉しくて。

 

 だけど、別れるときは、いつだって突然で。どうしようもなくて。

 

 なのに……なのに……

 

「っ――ああああっ……!!」

 

 どんなに悲しくても、『母さん』と……『プレシア』と、安心して別れ(導きか)なきゃいけないのに。

 

「ああっ……『かあさん』……」

 

 膝から力が抜ける。ゆっくりと女の子座りになって、俯いてしまう。『プレシア』を悲しませないように嗚咽を堪えているのに。涙も、しゃっくりも止まってくれない。

 

 どうして、親しい人との別れは……こんなにも辛いんだろう。

 

(いやだ……いやだ……)

(『アルフ』も……『リニス』も……)

(『母さん』とだって……)

(せっかく会えたのに、なんで……)

(どうして、別れなきゃいけないの……?)

 

 フェイトの瞳から涙が雫となって零れ落ちる。それは、安らかに眠っている『プレシア』の頬に落ちて。その冷たい感触に、『プレシア』はそっと目を開けて。俯きながら泣いている娘の顔を優しく見つめた。

 

 そうして彼女は、優しく手を伸ばして。

 

 昔の、アリシアから貰った記憶と同じように。優しい母親の表情をしながら、フェイトの頬にそっと、触れた。

 

「フェイト……」

「ありがとう」

 

 そうして、その手で雫を拭って、優しく、優しく、髪を撫でてくれる。

 

 だから、だから、もう一度。

 

 今度こそ。

 

 フェイトはもう一度立ち上がる。

 

(ごめんね……『母さん』)

(ありがとう)

(もう、迷わない)

 

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

「疾風なりし天神、今、導きのもと――」

 

 そうして紡がれる優しい呪文(さよなら)に従って。

 

「どうか、悪い夢をみている『母さん』の、悲しい夢を……」

「もう、終わらせてあげて」

 

 『プレシア』は、それを優しく見守りながら。

 

 フェイトの頬を撫でながら、娘を慈しむ母親の表情をしながら。

 

 彼女は優しい金の閃光に包まれていった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

……お願いが、あるの……

 

もしも、私の娘に……

 

今も生きている娘に会えたなら、本当のなまえを伝えて……

 

それから、最後に……

 

仕事ばかりの、悪い母さんだったけれど……

 

――いつまでも、愛してる――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そうして光が収まったとき。足元に広がる金色の円形魔法陣(ミッドチルダ式魔法陣)も、安らかに横たわる闇の欠片のプレシアも消えていて。

 

 ただ、フェイトの頬を優しく撫でてくれた感触だけが、確かに残っていて。けれど、フェイトの大好きな『お母さん』は、優しい『母親』は何処にもいなくて。

 

「『母さん』……」

「ぐすっ……『母さん』……!!」

 

 そのことを理解したフェイトは自分の身体を支えていられなくなって、膝から崩れ落ちてしまう。近くで見守っていたアルフが、「フェイト!」と叫びながら駆け寄ってきてくれて。辛い思いをしながら、大好きな『母』を眠らせてあげた少女を、優しく抱きしめた。

 

「アルフ……! 『母さん』が……『母さん』が……」

「よしよし、頑張ったね……」

「わたし、何にも……」

「ううん、フェイトは頑張った。悪い夢を見てた『プレシア』を、ちゃんと送ってあげたんだ。立派だよ、偉いよ」

 

 再び大好きな母親の温もりを失ってしまったことが苦しくて。胸の奥はこんなにも空虚で、空っぽで。だけど、最後に伝えられた言葉は確かにあって、想いはちゃんと受け継がれて。それから、こうして抱きしめてくれるアルフの温もりも優しさも温かくて。

 

「……っ、あああぁぁぁ、ああああぁぁ!!」

「フェイト、頑張ったね。よく、がんばったよ……ぐすっ……ひぐっ……」

 

 だから、フェイトはアルフにしがみ付いて、その衣服を強く握りしめながら、泣き叫んだ。胸の内の悲しみも、苦しみも全部吐き出してしまうように。使い魔として、心の奥底でフェイトと繋がっている。気持ちを共有しているアルフも、フェイトを想って一緒に泣いた。

 

 だから、それを見ていたアスカが、静かに二人を抱きしめて。

 

「今だけは泣きなさい。アンタ達の為にも」

「『プレシア』の為にも」

「アタシが胸を貸してあげるから」

 

 そうして静かになってしまった公園で、三人で泣き続けた。

 

 その胸の悲しみが無くなるまで、いつまでも。いつまでも。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 管理局によって結界で封鎖された。海鳴市の上空でひとりの少女がゆっくりと空を飛んでいた。この世界のなのはを思わせる出で立ち。だけど、髪型は少女の兄のほうにそっくりで。

 

 白い防護服は、通っている私立聖祥の制服を思わせた。魔力光も桜色の優しい輝きをしている。

 

「この魔力の感じ、『アリシア』でしょうか?」

「うぅ、頭が痛い……」

 

「でも、大丈夫です」

「この胸の内にある焼け付くような憎しみなんかに」

「わたしは負けない」

 

「わたしの魔法は、きっと誰かを救えるって信じてますから」

「それにしても、ここは何処でしょうか? わたしはいつの間に迷子に?」

「『ユーノ』さんも、『アリシア』も、迷子になってないといいのですけど……」

 

 自分自身がかつての記憶から再現された闇の欠片だと知らない少女は、懐かしい気配に誘われて空をゆく。

 

 一方、なのはの家から商店街を通って、大きな海鳴駅の反対側にある海鳴大学病院で。

 

「…………『お母さん』?」

 

 病院の屋上で、入り口の上の給水塔に背中を預けて、虚ろな瞳をしながら空を見つめていた少女が顔をあげる。

 

 その黒衣の防護服は、フェイトのものにとてもよく似ていて。髪の色も水色で毛先が黒く。胸に抱きしめながら抱えているデバイスも、かつての愛機にそっくりだった。

 

 少女には自分がどうしてここにいるのかも分からない。ただ、そこにかつての因縁と、激しい憎悪を抱いた記憶と、どうしようもない悲しみがあったことだけは覚えていて。

 

 彼女は帰る場所も分からず。帰る場所を失ってしまったから。行く充てもなく留まっているに過ぎない。

 

 バニングスのお屋敷への帰り道も、かつて住んでいた時の庭園が崩壊してしまったことも、もう覚えていない。

 

 そして。

 

「あたま、痛い……このきおく、シュテるん?」

 

 彼女もまた、救われぬ誰かの心……

 

 闇の欠片の記憶だった……




無印劇場版のBGM
プレシアとフェイトの別れのシーン。
『本当の気持ち』を流すとイメージに近い。

そして見送った後の涙のシーンはAsの『青空を願って』

さよなら、『母さん』


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幕間 アスカとフェイト

「落ち着いた?」

「うん、ありがとう」

 

 泣いているフェイトとアルフの二人を抱きしめていたアスカが、ゆっくりと手を放す。すると、泣き止んだ二人は涙を拭いながら小さく微笑んだ。

 

 それからアスカは、連戦続きで戦っているフェイト達を休ませるために、公園のベンチに座らせる。結界内部では微弱な闇のかけらと局員たちが戦いを繰り広げているようだが、少しだけ休憩しても罰は当たらないだろう。

 

 心を落ち着かせる時間も必要だ。

 

 アースラで管制しているエイミィに通信を入れて、少しだけ現状待機する旨を伝えたアスカは、そうしてベンチに座り込んだ。真ん中にフェイト。その左右をアルフとアスカが囲む感じで、フェイトとしてはちょっと恥ずかしい。

 

 この別世界の優しい友人とはあまり話したことがなくて、他者と触れ合う経験も少ないフェイトだから。何を話せばいいのか分からない。

 

 肌にぴったりと合うような衣服の騎士甲冑を纏っているアスカは、その闇夜を思わせる黒い色と相まって雰囲気が暗く見えがちなのに。太陽みたいに明るい金髪が、その印象を覆している。顔だけ見ていると、フェイトの知っているビデオメールのアリサにそっくりさんだから。

 

「『アリサ』。その、ありがとう……」

「『アリサ』はやっぱり優しいねえ。まだ、フェイトと同じくらいなのにしっかりしててさ」

 

 だから、慣れないことも相まって。つい『アリサ』の名前を呼んでしまう。それはアルフも同じようで、二人ともマテリアルとしてではなく、生前の『アリサ』の名前を呼んでいた。

 

 だから、アスカは苦笑する。

 

「アスカよ。アスカ・フランメフォーゲル。今は昔とは違うんだから」

「あっ……ごめんなさい」

 

 そして、やんわりと否定しながら、今の自分はアスカ・フランメフォーゲルなのだと告げる。すると、フェイトもアルフもしょんぼりして、二人そろって謝ってくれて。そんな素直なところが、ちょっと可愛いと思うアスカである。顔には出さないけれど。

 

 これで、向こうの世界の『アリシア』だったら、元気いっぱいに飛びついてくるに違いない。感極まると、すぐ抱き着いてくるんだから。そういうところはフェイトと義妹はちょっと違うなと、思ったりするアスカである。

 

「ねぇ、アスカ」

「なぁに、フェイト?」

「その、レヴィとアスカって義理の姉妹だったんだよね」

「二人はどんな感じだったのかなって、気になって」

「ん~~~、そうね」

 

 両手を胸の前で握りしめながら、思わずという感じで問いかけてくるフェイトに、アスカは上品な仕草を垣間見せながら、空を見上げた。

 

 それは在りし日の記憶に思いを馳せるような表情で。

 

 本当の家族を思いやるような、優しい瞳をしていたから。フェイトはちょっとだけ羨ましく思う。

 

 まだ、フェイトは天涯孤独の身で。保護責任者のリンディ達とも少しだけ距離があったから。

 

「そうね、よく稽古を抜け出して、外で遊んでるような子だったわ」

「へぇえええ~~」

「目を離すと木登りはするし、メイド達を困らせてかくれんぼもしてたこともあった」

「それから、雨の日に外ではしゃいで、服を泥だらけにしたときは何事かと思ったわね……」

「ええと、泥だらけにしたんだ?」

「そう、泥だらけよ……おかげで、汚しても構わないような庶民向けの服もそろえたわ。マナーに厳しいメイド長も苦労してたっけ」

 

 だから、遠い目をして呟いたアスカの言葉に、フェイトは驚いてしまう。えっ、『アリサ』の家ってお嬢様みたいな上流階級の人だよね。そこに引き取られて泥んこ遊び? ちょっと想像できないよって感じである。自分だったら、引き取られた家で大人しくしてるだろうなぁとも。

 

 仕方がないことではあった。フェイトはまだ、暗い感じのレヴィしか知らなくて。ありのままの明るい『アリシア』の姿と結びつかないのだろう。

 

 昔を思い出したのか遠い目をするアスカ。その闇色の瞳に、その時の苦労が滲んでいるような気がした。

 

 ついでに、その時のメイド長の苦労も思い出して、アスカは内心でちょっと泣いた。当時のメイド長だった人は、生前のアスカにも厳しい人ではあったが、『アリシア』だった時のレヴィの境遇を聞いて、自分の事のように泣いてくれた人だった。お嬢様らしくない『アリシア』に眉をひそめる他のメイドや執事がいるなかでも、分け隔てなく『アリサ』の義妹として接してくれた方でもある。

 

 マナーや作法に厳しく、何度も『アリシア』を注意して。ガミガミおばさんと陰で恐れられてたのを思い出す。だけど、バニングス邸の広大な庭で迷子になってしまって、『アリシア』が小さな『アルフ』と一緒に泣いていた時は、真っ先に駆けつけてくれて。『アリシア』お嬢様大丈夫ですか。お怪我はありませんかと、心配しながら。『アルフ』を腕に抱いた『アリシア』を抱きかかえて、お屋敷まで連れ帰ってくれた優しい人だった。

 

 そうして厳しくしながらも、自分の子供のように可愛がっていたようだから。きっとアスカ達と一緒に行方不明になったと聞いたら。自分のことのように泣いているだろう。もしかしたら、心労で倒れているかもしれない。そう思うとやるせないアスカだった。

 

 アスカは目の前の事にしっかりと向き合って、あまり向こうの事を考えないようにしている。偶に『バニングス』の家のことや、向こうの世界の事が心配になるけれど。顔には出さないようにしていた。もう、帰れるかも分からない故郷に対する望郷の念が強くなって、寂しくなるから。

 

 だから、思い出すときは、こうした昔話をするときだけだ。

 

「まあ、今思えば遊びたい盛りだったのよ。あの子は、生まれたばかりの子供とそう変わらない見た目でも。心は幼い子供だったから。なんでも興味を示す年頃だったんでしょうね」

「だから、もっと遊んであげれば良かったなんて思うこともあるわ」

「アスカ……」

「そんな顔しないの。あんた達は笑ってるほうがずっと素敵なんだから」

 

 そう言いながら、アスカ達マテリアルの事を思って泣きそうな顔をするフェイトを、アスカは優しく撫でた。

 

 金糸の髪を梳いてくれる指の感覚が少しだけくすぐったい。見た目は夜の闇を映し出したかのように冷たく感じさせるマテリアル達だが、アスカに限ってはそうでないように思える。

 

 暖かい日差しが降り注ぐ晴れの日みたいに、アスカは勝気で快活で。そして、何よりも優しかった。

 

 そう、たとえ広大な闇に包まれていたとしても、その中で光り輝く太陽のように。

 

 その手から感じられる体温が、とても温かい。まるで、夜の闇も、凍てついた氷の寒さすらも溶かしてしまいそうで。その優しさに、しばらくフェイトは目を細めて、居心地よさそうに身を委ねていた。

 

 人から優しくされるのは、フェイトはあまり慣れていないけど。こんなにも心地いいんだって、分かるから。

 

「フェイトとレヴィは姉妹みたいなもんなんでしょ」

「なら、アタシにとっても、フェイトは妹みたいなものよ」

「ええと、その、妹?」

「嫌だった?」

「こっちのアリサとは、友達だから」

「そういえば、そうだったわね」

 

 それからも、フェイトとアスカはしばらく話をした。相手のこと。自分のこと。友達のこと。

 

「こっちのアタシとはあまり会ってないんだっけ?」

「うん、なのはと一緒にビデオメールでやり取りしてて。それで、アリサとは友達なんだ。まだ直接は会ってないけど」

「そっか。でも、こっちのわたしもアンタのこと放っておかないと思うわ」

「自分で言うのも何だけど、意外と面倒見がいいから」

「ふふ、そうだね」

 

「引き取ってくれた人は優しいの?」

「うん、クロノもリンディさんも何かと気にかけてくれて。母さんのことで、たくさんの人に迷惑を掛けたわたしの裁判の事も、すごく助けてくれた」

「ふ~ん。まあ、事情聴取に来てくれたあの人なら信頼できるかもね。シュテルの事も世話になったし」

 

 別世界の微かな違い。向こうの世界に居るはずのない人のことも話した。

 

 そして、アスカは会話の中でフェイトに助言する。或いは、向こうの世界でそうしていたかったアスカの願望なのかもしれなかった。

 

「フェイト。もしも頼れる人がいなかったら、なのはを頼りなさい。きっと力になってくれる」

「なのはを?」

「困っている人がいたら、絶対に放っておけない性格だもの。それが家族や友達なら、殊更(ことさら)放っておけない」

「そうだね。そうして、何度も何度も手を伸ばしてくれた。友達になりたいんだって」

「だからだと思う。母さんと別れることになって……それでも手を伸ばせたのは」

 

「頑固なのよ。こうと決めたら梃子でも譲らない。一途というか、信念を貫き通すというか。だから、危なっかしくて見てらんない」

「『なのは』もそうだったもの……『アリシア』や『はやて』のことであんなに無茶をして」

「『なのは』も……」

「でも、だからこそ頼りがいがあるのも事実なのよ」

「出来れば支えてあげてほしいとも、思うけどね」

「うん」

 

「まあ、こうして力を手に入れた今は、できるだけアタシが付いていく。せっかく『シグナム』がくれた大切な力だもの」

「アスカは後悔してないの? マテリアルのみんなと袂を分かったこと」

「そうね……少し寂しい気もするわ。でも、間違っていることをちゃんと間違っているって伝えないと、取り返しのつかないことになる」

 

「怒りとか、憎しみに囚われた子を見ているとね。自分のことのように苦しくなるのよ。それが大切な人なら尚更」

「シュテルがそうだったもの。あの子、お父さんとお姉さんのことでずっと悩んでて。アタシとナハトはそれを間近でずっと見てたから」

 

「だから、あの子たちが過去の憎しみに囚われているようなら、そこから助け出したい。苦しんでいるのなら力になってあげたい」

「それを全部乗り越えたらハッピーエンドよ。童話のように、囚われのお姫様は救い出されて、素敵な王子様と結ばれる。なら、それでいいじゃない」

「少なくとも、アタシはそうしたい」

「そっか――」

 

 少し違う未来を歩んでいる別の世界の自分たち。だけど、その本質はあまり変わらなくて。

 

 けれど、決定的に違っていて。悲劇という未来を歩んでしまって。

 

 その悲しい未来に翻弄されてしまった『自分』と。そうでない、この世界の自分がいて。

 

 だから、フェイトは今なら分かる気がした。

 

 なのはの、悲しい目をしている人に、手を差し伸べたいと思う。その気持ちが。

 

 アスカはフェイトの話も、親身になって聞いてくれて。世界は違っても、友達だって。妹だって優しくしてくれた人だから。

 

 だから、力になってあげたい。

 

 レヴィのことも。

 

 まだ、闇に囚われたまま迷子になっているマテリアル達のことも。

 

「アリサ。わたし、がんばるよ」

「なのははいつだって手を差し伸べてくれたから。友達になりたいって」

「だから、今度はわたしが手を差し伸べたいんだ」

「今度は、わたしが助ける番だから」

 

「そう、でも、あんまり無茶しちゃダメなんだから」

「アリサも」

「お互いにね」

 

 そうして微笑みあいながら、二人は握手した。

 

 話をするのは楽しい。こうして何気ない会話をするのでさえ、フェイトにとっては新鮮で。

 

 そして、アスカにとっては当たり前のことだった。

 

 かつてはレヴィやナハト。それからシュテルにディアーチェを加えて。そうして過ごしていた何気ない日々があった。大切な日常があった。それを優しく見守っている守護騎士たちがいた。

 

 その大切な日々をちゃんと取り戻すのだから。

 

 優しくて、大切な日常を。

 

「…………」

 

 その時、アスカが顔を上げた。浮かべていた明るい笑顔を一転させて、何かを感じ取るように空を見上げた。

 

 結界に封鎖されて、淀んだように感じる空。その先で、ひときわ強い気配が一つ生まれた。アスカにしか分からない微妙な気配。魔力的な強さではなくて、闇の書に由来する同族の気配だ。アスカと同種か、それに近い。マテリアル?

 

 アスカはゆっくりと立ち上がって臨戦態勢を整えていく。その魔力の高まりが、彼女のリンカーコアが活性化していることを教えてくれる。フェイトも、視線を困惑させながら、訝しげな表情をする。

 

 下ろしていたバルディッシュを構えて、周囲を少しだけ警戒する。アルフも同様に。

 

「アスカ?」

「ナハト? ううん、闇の欠片かしら」

「ナハトって『すずか』だよね。なら、わたしも――」

 

 アスカがそう言うのならば、そうなのだろう。そして、彼女は戦うつもりだ。闇の欠片が襲ってくるのなら、対話するにしろ自分の身は護らないといけないから。

 

 だから、フェイトも助けようとした。私も手伝うと、そんな言葉が出かかった。それを手で制したのはアスカだ。

 

 まるで、自分に全部任せて欲しいと。そう言わんばかりの態度だった。

 

「アタシはそろそろ行くわ。ちょうどナハトと二人っきりで話したいこともあったし。たとえ、闇の欠片だとしてもね」

「でも……」

 

 それでもフェイトは退こうとしなかった。迷いながらもアスカの力になろうとする。

 

 だから、それを論すようにアスカは言葉をつづけた。

 

「ナハトって、アタシも知らないような悲しい秘密をいくつも抱えててさ」

「そういう意味ではシュテルにずっと近い子だったのよ。二人だけで分かち合える秘密。いわゆる裏の世界の事情のこととか。悩みってやつを抱えてた」

「アタシはそういうの全然知らないの。あえて、知らないようにしてたから」

「知らないふりをして、馬鹿みたいに明るく振る舞って、そうして前を向くことを二人とも望んでたから」

 

 その呟きには一抹の寂しさが込められているような気がした。古い武術の家の子だったシュテル。夜の一族と呼ばれる古い血族の純血種だったナハト。この中でアスカだけが、あまり裏に関わっていない光の世界の住人で。

 

 だからこそ、シュテルも、ナハトも、かつてのアスカをとても眩しい目で見ていたのだろう。一種の平和な日常に対する憧れ。アスカと接しているうちは嫌なことや辛いことを忘れられるし。ナハトも自分のことを"普通の人間"だと思えるようになったのだから。

 

 けれども、深くは知らない。だからこそ知りたい。

 

 それがきっとシュテルやナハトを根本的な部分で苦しめている原因なのだろうから。

 

 フェイトが誰かの力になりたいと、一歩を踏み出そうとしているように。アスカも"向こうの世界の友達"として力になりたいと。そう思っている。

 

 だから、アスカはフェイトに向きなおって力強く笑うのだ。その肩に両手を置いて、フェイトに言い聞かせるように。

 

「アタシはそろそろいくわ。だから、レヴィのことお願いね」

「きっと、あの子はアンタを待ってる。そんな気がするから」

 

「それから、フェイトはもう少し休んでなきゃダメよ」

「これ、姉としての命令」

 

 そして、そう言われてしまっては強く出れないフェイトである。元より、この休憩時間は精神的に疲労しているフェイトを休ませるためのもの。なら、心身共に余裕のあるアスカが、新たに発生した闇の欠片と思われる存在がいる場所に赴くのは当然の帰結だった。

 

「そういうの、ずるいと思います」

「こういう時に、お姉ちゃん特権を使おうとするのが?」

「人を思いやって、強引に休ませようとするところがです」

 

 かつての『リニス』や『プレシア』がそうだったように、闇の欠片は時に人には聞かれたくない心情を話すこともある。

 

 アスカはナハトがあまり人に聞かせたくない想いを抱えている事を知っている。そういう意味でも、フェイトに留まっていて欲しいのだろう。フェイトに聞かせられないような話を聞くために。

 

 たとえ、それが憎悪に満ちた。悲しみや苦しみなどの負の感情を含めた想いだとしても。

 

 無理に付いていくことも出来るだろうが、きっとアスカはそれを望まない。

 

 こうなると、フェイトに出来ることはアスカの無事を祈ることだけ。両肩に置かれたアスカの手を握り返して、その手をフェイトの両手で包んで伝える。アスカのことを案じる想いと言葉を口にして。

 

「だから、アスカ。気を付けてね?」

「何かあったら、すぐに駆けつけるから」

「もちろん。アタシは死なないわ」

「この躯体(からだ)はそういう風にできてる。だから、心配しないで」

「もう、そういうことじゃないんだよ?」

「分かってる。分かってる」

 

 フェイトの黒い防護服の手袋越しとはいえ、伝わる体温は生きている人のそれだ。人の温もりに触れていると、ふとした事で思い出すあの日の氷の冷たさが忘れられるような気がして。だから、アスカは安心したように笑った。

 

 この違う世界の、物静かな義妹で友達のような少女の、その綺麗な金糸の髪を梳いて。頭を撫でる。さながら可愛い妹を慈しむ本当の姉のように。隣で羨ましがる様子を、ちょっと隠せなくて。尻尾がどこか期待するように揺れていたアルフも、同じように撫でて。

 

 それからアスカは少しだけ二人から離れた。

 

 紅い炎が迸って、アスカの動きを阻害しない程度の武具が両手に装着される。

 

 その姿こそベルカの騎士甲冑のような防護服を身に纏った姿だ。完全武装。指先まで装甲で覆わないのは、刀型アームドデバイスである『紅火丸』を扱いやすくするため。硬い金属のような武具を纏えば、握りしめた時に繊細な力加減ができなくなる。

 

 シグナムのレヴァンティンのような剛剣を使って、力技で叩き斬ることができない以上。アスカの剣技には引き切るなどの技術が要求される。その分、軽量さでは勝るので、取り回しが良くて。アスカのような子供でも剣を扱える利点があるのだが。本人がそこを意識することはあまりない。

 

 かつての烈火の将の力を技術で補おうとする。それが、アスカの基本的な戦闘スタイルだ。他のマテリアルと比べると戦闘能力では一段劣ってしまうし。防御重視のナハトとは相性が悪い。

 

 それでも出来ること。出来ないこと。それらを理解して、その上で、自分の能力の全てを使って道を切り開くのみ。

 

 それがアスカにできる唯一のことだから。

 

「それじゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい。アスカ」

 

 見た目はチャイナ服のようにも見える黒い防護服。その背中のスリットから広げた紅い炎の翼を、一瞬ではためかせて。アスカは結界で淀んでいる空を瞬時に飛翔する。

 

 なのはのフライヤーフィンからこぼれる桜色の羽と同じように、アスカの紅い翼から散らばる不死鳥の羽のようなものが魔力残滓となって消えていく。そうして見送るフェイトの前で、空の彼方に消えて。アスカはあっという間に見えなくなっていった。

 

「アスカ、仲直りできるといいね」

「そうだね。フェイト」

「うん」

 

 静かな雰囲気が漂う公園のベンチで、隣に座っているアルフの手を握りながら。フェイトは頷いた。

 

 家族のように思っている人との別れを三回も繰り返して、フェイトの心は大きく揺さぶられていたのかもしれない。口では大丈夫と言っても、『プレシア』や『リニス』のことで泣いたばかりだ。幼い『アルフ』との別れも、心が痛くなるくらい苦しくて悲しかった。

 

 だから、アスカと話ができて少しだけ落ち着いた。

 

 別の世界での明るい暮らし。レヴィが過ごした半年と少しの日常。一緒に学校に行って、何気ない日々に笑い合っていて。夏の海の思い出や、秋の運動会のことまで色々と聞けて。それからクリスマスの日もどれだけ楽しみにしていたのかも。

 

 そのことを少しだけ聞けて。少しだけレヴィの想いに近づいた気がした。

 

(前にレヴィと会ったときは、ちょっとだけ仲良くなれた)

(わたしの知らない生き別れの姉妹がいたのかもって期待して。明るいレヴィになんだか嬉しくなって)

(だけど、わたしと違って、レヴィは母さんから貰った本当のなまえがなかったから。ずっと『アリシア』のままだったから喧嘩になっちゃって。そのまま斬られた)

 

(二度目のときは、闇の書の主である、はやてって子を誘拐するためにマテリアルが動いていて。わたしは管理局の一員として動いたとき)

(あの時は差し伸べた手を取ってもらえなくて、私が管理局の人間だから信じてもらえなくて。そのまま魔法の撃ち合いになってしまったけれど……)

(もしも、わたしが局員じゃなくて。なのはみたいに現地の魔法少女だったら、レヴィはこの手を取ってくれたのかな?)

 

 思わず小さなため息を吐いてしまうフェイト。アルフが心配そうに大丈夫かいと声を掛けてくれる。それに大丈夫と応えながら、フェイトとずっと一緒にいてくれるという契約を守って、傍にいてくれる彼女に心配を掛けてしまう自分が情けない。

 

 それに、レヴィのところの『アルフ』はもういないのだ。“ずっと一緒にいる”という約束も、管理局に引き裂かれて。レヴィは『アルフ』に会うことももう出来なくて。そう思うと、フェイトも自分のことのように悲しくなって、泣きそうになる。

 

 名前を持っているフェイト。本当の名前を持っていないレヴィ。母と別れて優しい人に与えられる生活を送っているフェイト。同じように母と別れて、大好きな人たちの傍にいたけれど、それを奪われてしまったレヴィ。こうして見ると、何から何まで正反対で。レヴィよりずっと恵まれている自分なんかが、本当に手を差し伸べていいのかなって迷ったりもする。

 

 そんな複雑な気持ち。

 

(はぁ……わたしってダメな子だ)

(アスカにはああ言ったけど。本当にわたしなんかが誰かを助けられるのかな)

 

 それは奇しくも、かつての『なのは』が抱いていたのと同じような気持ち。同じような悩みで。

 

「……『アリシア』?」

「えっ……なの、は?」

 

 だからこそ、その出会いはフェイトの迷いを晴らすきっかけになる。

 

 いつの間にかそこに現れた少女は、マテリアルとなって闇色の防護服を纏ったシュテルとは違う存在。

 

 かつて、なのはと同じように誰かを助けるために、魔法の力を手にした少女。

 

 私立聖祥の制服にとてもよく似た白い防護服を身に纏う。あの頃の『不破なのは』その人だったのだから。

 

 



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act4 たとえ世界が違っても『なのは』は優しいんだ

「なのは……?」

 

 フェイトはバルディッシュを抱きしめるようにして、握りしめたまま。困惑したような表情を浮かべる。それは困っているというよりも、驚きを隠せないというような表現が正しくて。事実、フェイトは『なのは』を見つめたまま動けなかった。

 

 白い魔導衣も、胸元の赤いリボンも確かになのはのもので。そのまま、なのはと『なのは』が並んだら。そっくりな双子だといわれても気付かないだろう。彼女が『なのは』であると見分けられたのも、髪がなのはよりも暗めで。ふたつのおさげと、髪を結っている白いリボンが無かったからだ。

 

 どちらかと言うと、お母さんよりも、お父さんに似ているのかもしれない。ビデオメールで紹介された、なのはの家族を思い出して、フェイトはそう思った。

 

「『アリシア』……?」

 

 そして、『なのは』も驚いたようにフェイトを見つめたまま動かない。

 

 アルフはフェイトの隣で警戒したままだが、彼女も驚きを隠せない様子。記憶が確かなら、『なのは』は高町家で保護されているのではなかっただろうか。

 

 フェイトとアルフは知らない事だったが、彼女は自分と似たような気配が消えたり現れたりしているのを肌で感じ取って。空を飛んで探索を続けるのは拙いと思い、途中で徒歩に切り替えたのだった。

 

 彼女の中では学校が終わってジュエルシードを探索する途中。それで、懐かしい気配に誘われて来てみれば、フェイトがそこに居たという訳であった。何故なら、彼女は闇の欠片である。当時の『なのは』の記憶が再現されたに過ぎない。

 

 だから、隣にいる橙色の尻尾と獣耳を生やした女性も誰か分からなかった。どこかで見た事があるような気がする。けれど、頭の中が、霞に掛かったように思い出せない。

 

 いろんな記憶や出来事が混ざり合ったような感覚。時系列ごとに記憶を並べ替えられない。正しく認識できるのは、つい最近の出来事だけ。過去の事はぼんやりしていて、未来の事ははっきりと思い出せない様子。

 

「ッ………」

 

 思わず酷い頭痛がして、頭を手で抑える『なのは』。それでも顔をしかめる程度に我慢して、痛みを表情(かお)に出そうとしないのは、きっと目の前にいる『アリシア』に心配かけたくないから。

 

 彼女の認識だと、フェイトは『アリシア』なのだから。

 

「あの、だいじょうぶ?」

 

 けれど、フェイトは苦しそうな『なのは』を放っておけなくて、思わず駆け寄ろうとする。

 

 相手が闇の欠片だったとしても構わない。それくらいフェイトにとってなのはという存在は大切で。それが、『なのは』だったとしても変わらない気持ちだった。

 

「大丈夫です。ちょっと頭が痛くなっただけですから」

 

 けれど、『なのは』は手でフェイトを制すると、心配かけないように微笑んだ。フェイトも見たことないような『なのは』の微笑み。それは明るく笑うなのはと違って、儚げで消えてしまいそうな。だけど、とても心優しい笑顔で。

 

 ちょっと、なのはよりも大人びたように感じられる。

 

 そんな感想を抱いてしまうフェイトだった。

 

 それから、『なのは』は心配そうな表情でフェイトを見た。思わず何かしただろうかと迷うフェイトに、『なのは』は彼女の認識が決定的に違うのだという言葉を、もう一度口にする。

 

「『アリシア』。ダメじゃないですか」

「えっと……?」

「リンカーコアの魔力が回復しきってないので、安静にしていなさいと『ユーノ』さんに言われたでしょう?」

「『アリシア』のお母さんを早く助けたい気持ちも分かります。でも、心配かけるような事もしてはダメです」

「ジュエルシード集めはしばらく私に任せて、『アリシア』は私の家でゆっくり休んでいて下さい。あと、それから……」

『フェイト。フェイト』

『うん、分かってる』

 

 一瞬、浮かべた心配そうな様子を、冷静さで隠して説明を続ける『なのは』。その様子に何か気が付いたのか、アルフが念話で呼びかけてきて。フェイトも、それに気が付いた様子で、アルフに念話で返事をした。

 

 そして、フェイトは意を決した様子で、『なのは』に話しかける。彼女の精神(こころ)を揺さぶってしまうかもしれないと、ちょっとだけ身体を強張らせながら。思わず生唾をごくりと飲み込んだ。

 

「あの、その、『なのは』さん……じゃなくて、『なのは』」

「父に話は通してありますし、出かけるときはおやつの果物も用意して……はい?」

「そのね? わたし、『アリシア』じゃなくて」

「????」

「その、よく似た別人で……フェイト・テスタロッサって言います」

「はい…………? べつ、じん?」

「はい……」

 

 目をぱちくりさせながら、驚いたように固まる『なのは』。気まずそうに俯くフェイト。

 

「「…………」」

 

 沈黙が場を支配する。そして――

 

「ふぇえええぇぇぇええ!?」

 

 本当に、ものすごーく驚いた様子の『なのは』の叫び声があたりに響き渡って。そんなところは、なのはにそっくりだなぁって思うフェイトなのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「んっ、失礼。取り乱しました」

「ううん、こっちこそごめんね。驚かせるようなこと言っちゃって」

 

 『アリシア』だと思っていた女の子は、実は違う人だった。

 

 その衝撃の事実に『なのは』の顔は羞恥で染まり、瞳を潤ませて。思わず、なのはみたいな喋り方で、「双子のようによく似ていたとはいえ、別の方と間違えるなんて。とっても申し訳ありませんでした~~~!!」と勢いよく頭を下げるものだから。フェイトとしても苦笑するしかなかった。

 

 思わず飼育員が馬を制止させる時のように、フェイトはどうどうってしてしまって。それでも、『なのは』はデバイスを握りしめながら。もう片方の手で自分を抱きしめて「ううぅ~~~」って俯くものだから。彼女を落ち着かせるために、ベンチに座らせることにしたのだ。

 

 この時なのはと違って、『なのは』は右利きなんだと気付いたりもした。

 

 それで、『なのは』の両腕に手を添えて、「落ち着いて。そう、深呼吸。深呼吸」と言い聞かせて。その間にフェイトも深呼吸して、自分の心を落ち着かせて、今に至るという訳だった。

 

 フェイトはアスカとそうしていたように、今度は『なのは』と一緒に座っている。ただし、違うのはアルフが立ったまま、フェイトをフォローできる位置で警戒しているということだろう。

 

 相手が親しい存在だとしても、警戒しすぎるくらいがちょうどいいと、フェイトの代わりに油断しないようにしているらしい。『なのは』もそれを感じているのか、アルフをチラ見しながら、ベンチに座るフェイトと距離を取るように端の方に座っている。

 

 精神的に不安定になりやすい闇の欠片を思えば、それが正しいやり方なのだろうが、フェイトとしてはちょっと不満だ。

 

 アルフの思いやりは嬉しい。でも、なのはと同じような存在である少女と、距離を置きたくない。だから、フェイトは自分のほうから、『なのは』に詰め寄っていく。

 

「あの、フェイト?」

 

 そうしたまま、有無を言わさず『なのは』の手を握って。困惑の表情を浮かべている『なのは』のことをまっすぐ見つめて。フェイトは口を開く。

 

「落ち着いてよく聞いて欲しいんだ」

「『なのは』のこと。今起きていること」

「はい、ええと。その、なんでしょうか……?」

 

 だけど、これを言うのは本当に辛いことだ。

 

 普通の人は自分自身を本物だと思っているだろう。少なくとも疑問に思ったことはない筈だ。

 

 でも、フェイトはアリシアのクローンとして生まれてきて。娘の代わりとして生まれてきて。実の母親であるプレシアに拒絶された過去がある。

 

 フェイトはアリシアとしてではなく、フェイト自身として過ごしてきた。そう育てられた。その上で、本人はアリシアのクローンなのだと知ることもなく。いつか、お母さんが自分を見てくれると信じて、ずっと母の為に戦い続けてきた。

 

 けれど、他ならぬプレシアの口から、アリシアのクローンなのだと。紛い物のお人形なのだと告げられた時。フェイトは自分の足元が崩れ去るほどの衝撃を受けた。ショックで足元が覚束なくなって、息をするのも苦しくて。気が付けばなのはに支えられながら、立つことすらも出来なくなっていた。

 

 それと同じように、告げなきゃいけない。

 

 自分自身が『なのは』であると信じている少女に、誰かの記憶から生じている過去の記憶の残滓なのだと。闇の欠片なんだと。貴女はホンモノではないのだと。

 

 それが堪らなく辛い。

 

 だって、『なのは』は『なのは』だって疑っていない。こうして誰かを助けるために、なのはと同じようにJS事件を解決しようとしている。『ユーノ』という友達と、『アリシア』という少女を助けるために、こうして奮闘している。

 

 例えば、闇の欠片の『なのは』が悪い記憶に苦しめられていたり、怒りや悲しみの心に囚われて襲ってくるようなら。それを止める為に戦うこともできただろう。だけど、こんな風に自分を自分だと疑ってないのに、いきなり封印したりするのも気が引ける。

 

 何よりも、フェイトが知らない『なのは』なのだ。別世界の、それもシュテルに生まれ変わる前の存在で。記憶を失ったりもしていない。

 

 『アリシア』とフェイトの関係を薄々察しているのか、ときどき笑うところもあって。それが余計に心に来る。きっと、『なのは』の中では、フェイトも『アリシア』と同じように助ける存在で。困っているなら手を差し伸べようとしてくれているのだろう。

 

 それが分かるから、フェイトの心も揺れる。

 

 彼女は悲しみに瞳を揺らしていた頃のシュテルじゃない。儚く微笑んで、魔法の可能性を信じていた頃の『なのは』だ。

 

 そして、別世界の存在であってもフェイトにとって『なのは』は友達で、大切な人だから。

 

 それでも、闇の欠片なんだよって、『なのは』の正体を告げなきゃいけなくて。

 

 フェイトの瞳は迷いに揺れたまま、絞り出すように声を震わせた。もしかしたら、『なのは』の手を握ったのも、自分の心を落ち着かせる為なのかもしれなかった。

 

「あのね……」

「今の『なのは』は、悪い夢を見ている状態なの……」

「頭が痛くなったりするのもそのせいで、わたしは皆を悪い夢から醒ましてあげないといけなくて」

「だから、わたしは」

「わたしは……『なのは』を……」

 

 なのに、どうしようもなく涙が溢れて止まらない。

 

 フェイトの心が悲しみに泣き叫んでいる。

 

 『アルフ』、『リニス』、『プレシア』。

 

 別世界の記憶から生まれた闇の欠片とはいえ、親しい人との別れはどうしてこんなにも辛いんだろう。

 

「フェイト……?」

「あの……これは、ちがくてっ………」

「ぐすっ……ごめん……」

「ごめん、なさい……」

 

 どうしても涙を流してしまうフェイトに、事情の分からない『なのは』は困惑するばかりだ。自分が何かしたのだろうかと思うも、心当たりなんて思い当たらない。ただ、『アリシア』とよく似たフェイトが泣いているのが放っておけなくて。

 

「どうか泣かないで下さい」

「何か事情があるのなら、私が力になりますから」

「だから、ね?」

「いい子ですから」

 

 『なのは』はフェイトを抱きしめた。その肌の温もりは生きている人のそれで。とても彼女が過去の記憶から再生された存在だなんて思えなかった。

 

 『なのは』は優しく、優しくフェイトの背中を擦ってくれて。それから、瞳から零れ落ちる涙を拭ってくれて。

 

 それが何よりも辛くて、余計にフェイトは泣いてしまって。

 

 それでも『なのは』は、ずっとフェイトに優しくしてくれて。

 

「ごめんよ、フェイト」

「後はあたしが代わるからさ。フェイトは休んでいておくれよ」

「アルフ……ごめんね……」

 

「『なのは』、あのさ……」

「事情は向こうで説明するから、ちょっとついてきておくれよ」

 

 だから、どうしても涙が止まらい、フェイトに代わって、オオカミの耳と尻尾を消沈させたアルフが代わりに説明するのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 

 フェイトは『なのは』の闇の欠片を消す決心もつかないまま、ベンチの上で目を閉じて座っていた。そうして、顔の前で祈るように手を組んでいる。

 

 静かな祈りの時間の中で、フェイトは徐々に自分の心を落ち着かせていく。

 

 きっとずっと一緒にいることは出来ない。放っておけば『なのは』の闇の欠片も時間とともに消滅するだろう。あるいは心残りや未練を解消する為に、ずっとさまよい続けるのかも知れない。そうして、迷子のままフェイトじゃない他の誰かに封じられるのかもしれない。

 

 それを思えばフェイトが終わらせてあげるほうが、まだ良い方なのかもしれない。

 

 公園の砂を踏むような音が聞こえてくる。この歩き方は―――

 

 ゆっくりと目を開けると、そこに闇の欠片の『なのは』の姿があった。その顔は相変わらず慈愛に満ちていて、フェイトを思いやる優しさに溢れている。この子は、自分が偽物だと聞かされても取り乱さないような不屈の心の持ち主だったらしい。

 

 だからやっぱり、なのは(『なのは』)はすごいなって思うんだ。迷い続けてばかりのフェイトより、ずっと強いって。

 

 そう思うから。

 

「フェイト」

「アルフさんから話を聞かせていただきました」

 

「今の私は、過去の記憶から再生された夢を見ているような状態で」

「私自身が、その夢から生まれた残滓のようなものなのだと」

 

 そう言いながら、『なのは』は優しく微笑んだ。どこか苦笑するような笑み。こっちのなのはだったら、しょうがないなぁフェイトちゃんはって、思わせるようなそんな表情をしていた。心配しすぎだよとも。

 

「『なのは』、でも……」

「それに言い方は違えど、いつか夢は醒めるもの。そうでしょう?」

 

「あっ……」

「そう、だね……」

「そうだよね……」

 

 フェイトは『なのは』の言葉を聞いて、うつむいた。

 

 ずっと一緒にはいられない。

 

 自分(『なのは』)はただの記憶の欠片で、現象だから。

 

 いつか消えていく。

 

 その『なのは』の物言いは、自分が何者かを理解したうえで、その結末が意味することも理解しているのだと。フェイトにそう思わせるには充分で。

 

 だから、フェイトがバルディッシュのシーリングモードを起動すれば、すぐにでも彼女はその結末を受け入れるのだろうと思う。穏やかに目を閉じたまま、フェイトに心配かけないように笑って、そうして光に包まれて。『アリシア』の親しい人たちと同じように消えていく。

 

 でも、もう少しだけ。

 

 もう少しだけ、この優しい『なのは』と話していたい。

 

 出会いが違えば、きっとフェイトとも友達になれたはずだから。それこそ『アリシア』と同じように。

 

「フェイト――」

「『なのは』……」

 

 そんな、フェイトの手を取って、フェイトの視線に合わせるように屈んだ『なのは』と目が合った。

 

「それに、私にとって、この夢は全然悪い夢ではないのです」

「えっ……?」

「降り続ける止まない雨もなくて、幼い頃の、あの惨劇も見ることはない」

「それら過去の記憶が、悪夢となって再現されるよりは……よほどいい夢です」

「少なくとも、こうしてフェイトに会えたのですから」

「『レイジングハート』が喋らないのは、ちょっと寂しいですけどね」

 

 『なのは』の言葉の意味をフェイトは知らない。小さい頃に誘拐されて、その恐怖心から無意識に不破としての本能で、相手を殺めてしまった過去を持つなど。それこそ、事情を知っているのは、『アリサ』と『すずか』。それからマテリアルたちの過去を垣間見ているディアーチェくらいのものだろう。

 

 ディアーチェが『はやて』だった時に、少しだけ病室で語られた『なのは』の過去。

 

 あの日から、『なのは』は雨の日を恐れるようになった。そして、この『なのは』はあの日のクリスマスの惨劇を、まだ知らなかった。

 

 大切な人を奪われて、復讐心に駆られる父と姉の心を完全に理解してしまった。憎悪に満ちた『なのは』ではない。だからこそ、まだ笑っていられる。

 

 今でも、その胸に魔法という言葉を信じているから。この力で誰かを救えるって信じているから。だから、その手の魔法も、レイジングハートを模した疑似デバイスも握りしめていられる。

 

 だから。

 

「フェイト」

「迷った時は心のうちを吐きだして、想いをぶつけ合えばいいですよ」

「少なくとも心はすっきりするはずですから」

 

 だから、もしも目の前で困っている人がいるのなら。

 

「それに、私の魔法は困っている誰かを助けて、笑顔にしてあげられるんだって証明したいんです」

「だから、救ってみせます」

「フェイトの迷いも、その心も」

 

 いつだって、『なのは』は手を差し伸べるのだから。

 

「フェイト。私と魔法の力を競ってはくれないでしょうか?」

 

 そうして、フェイトを励ました『なのは』は、少しだけ離れると、フェイトに向けて杖を構えるのだった。

 



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act5 『星』と金の閃光と

「えっと、なのは?」

「それはどういう……?」

 

 杖を構えて、一戦交えようとする意志を見せる『なのは』に、フェイトは困惑を隠せない。

 

 思わず座っているベンチから立ち上がって、バルディッシュを身構えるも。『なのは』のように杖の切っ先を向けるような真似はしなかった。

 

 そんなフェイトに『なのは』は小さく微笑んで言うのだ。「つまり、一緒に魔法の模擬戦をしませんか?」と。これは、そういうお誘いなのだと。そうして、疑似デバイスであるレイジングハートをバトンのように素早く回して見せる姿は、なるほど様になっている。

 

「ふふっ、懐かしいですね。『アリシア』と仲良くなったばかりの頃は、不破流の動きを交えた杖捌きをせがまれて。こうしてよくかっこいいポーズを。まあ、戯れのようなものでしたが」

 

 『なのは』のどこか昔を懐かしむような呟き。

 

 そうして一瞬で金色のフレームが輝く杖の先端をU字状に変化させて。展開した別のフレーム部分から桜色の翼を広げて見せた。同時にバリアジャケットを展開して白くなっている靴の踵にも、桜色の翼を広げる。

 

 両足にそれぞれ一対ある天使のような翼は、ひとたび羽ばたけば『なのは』を一瞬で空の世界へと誘うだろう。

 

「フェイト、どうか私と戦ってくれませんか?」

「どうせ消えてしまう夢なら、せめて夢の中だけでも証明したいのです」

 

「私の魔法は誰かを救える力なのだと」

「赤く染まって穢れている。こんな両手でも誰かを救えるのだと」

 

 それに対して、ようやくフェイトも覚悟を決める。

 

 結末はきっと同じ。闇の欠片の『なのは』が、夢の終わりの最後に決闘を望むというのであれば。

 

 フェイトはそれに応えてあげたい。なのはとフェイトが魔法を通して、何度も何度も想いをぶつけ合って、その心を分かち合ったように。

 

 フェイトも『なのは』と想いを分かち合いたい。

 

「バルディッシュ」

『Yes, sir』

 

 フェイトの声にバルディッシュが応える。

 

 黒い戦斧の先端が変形して、フレームを展開すると。フェイトの魔力で形成された光の刃(ハーケン)が姿を現した。

 

 それはレヴィとの戦いで破損したバルディッシュを修理して、マテリアル達に対抗するためにパワーアップさせた。フェイトの新たなる力。

 

 いつか、どこかの世界では守護騎士との戦いで損傷し、復活させたバルディッシュ・アサルト。だが、この世界では投降した守護騎士たちのアームドデバイスも参考にして、よりフレームの強度を高めているという違いがある。

 

 それはさておき。

 

 フェイトの飛行魔法は、『なのは』のように。空を飛ぶためのアクセルフィンを必要としない。

 

 だけど、それが無くとも恐ろしく高速で、油断すれば狩られると。かつての『アリシア』との遭遇戦で、『なのは』は身を以って知っている。

 

 対照的に、フェイトは『なのは』との戦いを経験したことはない。けれど、この世界のなのはと同じように、『なのは』も射撃戦が得意で、あっという間に強くなるような魔法の才能があると思っている。

 

 なにせ、たったの数週間でフェイトと並び立つほどの魔導師にまで成長して、見事フェイトを打ち破って見せたのだから。

 

 そして、バインドによる拘束から砲撃魔法による一撃は、なのはみたいな魔導師の必勝パターンだ。ただでさえ、フェイトの防護服は装甲が薄い。一撃が致命打になりかねない。

 

 だから、回避を最優先。

 

 お互いに身構えて、お互いに相手の動きを警戒する。

 

「言っておきますけど、負けるつもりはありませんよ?」

「わたし、意外と負けず嫌いですので」

 

 『なのは』が不敵に微笑んだ。

 

「私も――」

「私も負けないよ」

「ちゃんと、全力で」

「『なのは』の想いに応えてみせるから」

 

 フェイトも小さく微笑んだ。

 

 そうして二人は杖を構え、同時に距離を取る。

 

 始まった瞬間、相手の懐に跳びこんで、デバイスをぶつけ合ってもいいが。『なのは』もフェイトも空戦魔導師なのだ。決着は空の上で付けたいという思いがあった。何よりも『なのは』の方が、不破流による近接格闘を望んでいない。

 

 今は古武術を交えた泥臭い殺し合いよりも、魔法による競い合いを望む想いがとても強い。

 

 だから、両者はゆっくりと深く息を吸い込んで、気合を入れると。互いに強く地面を踏み込んで、空の上へと急速に飛翔する。

 

「くっ……」

 

 さすがはフェイトと言うべきか。『なのは』よりも幼い頃から魔法の修業をしている彼女は、空を飛ぶ能力も一級品だ。あっという間に加速して、『なのは』の頭上を取ってしまった。

 

 『なのは』も足元に桜色に輝く翼を羽ばたかせて、一瞬で加速する。

 

 しかし、フェイトのスピードはそれすらも凌駕していく。放っておけば、あっという間に距離を取られそうなくらい速い。疾風迅雷とは、まさに彼女のためにあるような言葉だろう。

 

 だから、激しく動き回る空戦で翻弄されては敵わぬと、『なのは』も手を伸ばす。模擬戦の推移は、互いに急上昇からドッグファイトの様相を呈していくと予測。牽制の為にも相手の機動を妨害する必要があると判断した。

 

 杖を握っていない左手を振るって、空を飛んでいる自身の周囲に桜色の弾丸(スフィア)を展開。四発もあれば牽制には充分。

 

「シューター!!」

 

 なのはと同じ色の魔力光を持ち、同じような魔法を使う『なのは』の思念誘導弾(ディバインシューター)だ。それは彼女の叫び声に呼応して、フェイトを追い詰める誘導弾となる。

 

「ハーケン!!」

『Haken Form』

 

 それを横目でチラリと確認したフェイトは、バルディッシュの鎌のような光刃を展開。光の刃を飛ばして、追いかけてくる誘導弾(シューター)を、四つとも一瞬で迎撃した。

 

 それから直下に追いかけてくる『なのは』に向き直って、足元に金色の魔方陣で編まれたフローターフィールドを展開。それを蹴って急加速からの急降下。上昇を続ける『なのは』をすれ違いざまに斬って、一撃を入れんと急速接近する。

 

 フェイトの得意な一撃離脱戦法だ。

 

 『なのは』も疑似デバイスのレイジングハートを構えて、迎撃を選択。フェイトを見据えたまま、しっかりと狙いを定める。足元に広がる桜色の円形魔法陣と、構えた杖の先端がU字状に変形して、桜色の光があっという間に収束していく。

 

 なのは(『なのは』)の得意な砲撃魔法が来る。

 

「ディバイン――」

「いえ……」

「ブラストファイアーーー!!」

「っ!!」

 

 一瞬、『なのは』の姿が、シュテルにダブって見えた。

 

 けれど、フェイトは迫りくる砲撃を最低限の動きで避けながら、さらに急降下。バリアジャケットの黒いマントの裾が、桜色の砲撃の余波に巻き込まれて千切れ飛んだが、気にしない。

 

「ハーケンスラッシュ!!」

 

 勢いのまま黒い戦斧の大鎌を振り下ろす。『なのは』に迫る三日月のように歪曲した光の大鎌。光の刃ですれ違いざまに斬られれば、『なのは』の分厚いバリアジャケットであろうとも、無事では済まない。

 

「はっ!!」

 

 だから、『なのは』は両手で構えた杖の柄にシールドまで展開して、フェイトの一撃を受け止める。

 

 両者の力が拮抗して鍔迫り合いになる形。

 

 信じられないことに『なのは』は、フェイトの急降下による速度を乗せた一撃を受け止めきって見せた。フェイトの瞳が一瞬だけ驚愕に見開かれる。受け止められると思ってなかった驚きと、なのはなら咄嗟にアクセルフィンの急加速で離脱していただろうという思い込みがあったが故に。

 

 一撃を防いだカラクリは、咄嗟に打撃されるポイントをずらさせた不破流古武術の捌きの応用にあるのだが。フェイトはそんな事、知る由もない。

 

『Plasma Lancer』

「はあっ!!」

 

 けれど、交差と鍔迫り合いは一瞬。

 

 自分から身を引いて、相手の体勢を崩したフェイトは、手のひらから生成した魔力弾を叩き付けると再び急速離脱。

 

「くうっ……」

 

 崩れかけた姿勢を踏ん張って支えながら、『なのは』も一撃離脱の攻撃を辛うじてシールドで防いだ。

 

 フェイトが再び急加速。そこからUターンするように反転して『なのは』に向かってくる。フェイトの足元から空に曳かれていく金色の航跡が綺麗な飛行機雲のように見える。それくらい魔力を使用して全力飛行をしている証拠だ。

 

 恐らく普通の人間には耐えられない加速度や肉体への負荷を、フィールド系の防護魔法で軽減しているんだろう。

 

 加速したフェイトの動きは、目で追うのも難しそうだ。

 

 『なのは』は自分が魔法の才能に優れているわけではないと思っているし。現時点で不破流にその才能を振り切って、魔法に覚醒したばかりの頃の『なのは』では、フェイトに追いつけそうもない。だから……

 

「はあああぁぁぁっ!!」

 

 向かってくる瞬間、懐に飛び込むだけだ。 

 

「―――っ!!」

 

 フェイトは『なのは』が距離を取って射撃戦に移行すると思っていた。けれど、彼女はフェイトに向かって飛翔。一瞬の加速でフェイトの懐に飛び込んでくる。恐らくフラッシュムーブの魔法。なのはがよく、緊急回避に使ったり、相手と距離を取るのに使用するそれを、『なのは』は相手の懐に飛び込む手段変えてきた。

 

 だけど、フェイトも目にも留まらぬ高速機動が得意な魔導師だ。だから、反射神経と相手の動きを見る目に優れている。奇襲を仕掛けてきた『なのは』をちゃんと見つめて、咄嗟に、冷静に対処してバルディッシュの大鎌を振るう。

 

 お互いの杖と戦斧がかち合い。そして。

 

「っ……あ、くっ――!?」

「取った!!」

 

 フェイトはあっという間にバルディッシュを絡めとられそうになる。けれど、自分の武器となるデバイス。己の相棒を決して手放すまいと力を込めて抵抗する。

 

「抵抗するっ!? ならばっ!!」

(このままじゃっ、振り回される!?)

 

 『なのは』の叫び。フェイトの焦る思考。一瞬の内に行われる攻防。

 

 不思議な動きだ。鍔迫り合いから、相手の武器をからめ取るように杖を動かして。それでもフェイトの手から得物が離れないと見るや、杖同士を絡ませたまま身体ごと空中で回転して、バルディッシュごとフェイトをぶん回した。傍から見れば衝突した瞬間、錐もみ回転したようにも見えただろう。

 

 そうして回転する勢いのまま、空中でフェイトを投げ飛ばして。体勢を立て直したときには――

 

「あっ!?」

 

 フェイトの目の前にディバインシューターが高速で迫ってきているのが見えた。なのはとの決闘の時のように、瞬時に頭だけ動かして避けるわけにもいかなくて。咄嗟にシールドを張って防ぐ。その間に、視界の片隅で桜色に煌めく燐光が見えた。

 

(いけない……)

「ディバイン」

 

 砲撃準備を終えた『なのは』の姿が見えた。

 

(やられる……)

「バスター」

 

 回避が間に合わない……!!

 

 避けられないなら防ぐしかない!

 

「バルディッシュ!!」

『Yes, sir』

「シールド全開っ!!!!」

 

 フェイトの叫び。

 

 片手でシールドを張るのではなく、両手でバルディッシュを掲げて、全力でシールドを展開。『なのは』の砲撃を防ぐ形を取る。その恰好は奇しくも、フェイトの斬撃を受け止めた時の『なのは』のようでもあった。それと同時にディバインバスターの輝きが、フェイトを飲み込もうと直撃する。

 

「くっ……」

 

 桜色の奔流の中で、フェイトは歯を食いしばって耐え続けた。

 

 相変わらず恐ろしい威力だ。『なのは』の砲撃も、こっちのなのはに劣らないかもしれない。

 

 着弾の余波だけで、フェイトのマントが完全に千切れ飛んだ。

 

「カートリッジ、ロード……」

『Load cartridge』

「くううっ、あああぁぁぁぁ!!」

 

 フェイトの声にバルデイッシュが応えた。戦斧と柄の付け根に接続されたリボルバーから撃鉄が振り下ろされ、魔力が充填。同時にデバイスを通してカートリッジから術者に魔力が供給されたことで、溜まった熱をバルディッシュは排熱する。

 

 そして、フェイトの眼前で展開される金色の幾学模様が施された円形魔方陣は、より強く輝きを増してフェイトとバルデイッシュを護ろうとする。だけど、フェイトを呑み込まんと照射され続ける桜色の砲撃が止まる事もなくて、それくらい『なのは』の砲撃が本気であることを示していた。

 

(耐える……耐えてみせる……)

(まだ、救えてない人たちがいる……救いたい人たちがいる……)

 

「だから、ここで墜ちる訳にはいかないから!!」

 

「バルディッシュ」

『Yes, sir』

「はあああぁぁぁぁーーーー!!」

 

 フェイトは叫んだ。裂ぱくの気合いとともに、シールドに注がれる魔力もいっそう高まっていく。

 

(くっ、まだ耐えるのですか……)

(風のように迅いフェイトを捉えるのは至難の業……)

(故に、ここで決着を付けたかったのですが……)

 

 一方で『なのは』の魔力も限界が近い。

 

 元々消えゆく運命(さだめ)だった闇の欠片だ。

 

 誰かの記憶が再生されただけの想いの残滓。その身に宿る魔力も、オリジナルと比べれば少なく、魔法の能力(チカラ)だって劣っている。

 

 けれど、それでも『なのは』は諦めたくないと、頑張るのだ。

 

 気が逸るのは全力で自分の想いとぶつかり合ってくれるフェイトに対する嬉しさか。それとも不破家の娘として、曲がりなりにも武人として育てられてきた端くれだと思っているからか。苦しい攻防の最中で、『なのは』は少しだけ微笑んだ。

 

「私は負けない!! フェイトっ!!」

「はあああぁぁぁぁっーーーーっ!!!!」

 

 そうして、『なのは』もフェイトの気持ちに負けないように叫んだ。

 

 ここで負けたら『アリシア』の願いも叶えられない。事故が起きたのは自分の責任だって、ずっと悔やんでいる『ユーノ』さんの想いにも応えられない。そんな気がするから。

 

 だから。

 

 こんな自分でも誰かを助けられる。街の人に迷惑かけるジュエルシードモンスターとだって戦える。魔法の力は使い方次第で、誰かを助けられるんだって。復讐の為に殺す事しかできない不破流とは違うんだって証明できると思うから。

 

 フェイトに、フェイトちゃんに負けたくないって。『なのは』はそう思うから。

 

 だからっ!!

 

「私は負ける訳にはいかないんです」

「『ユーノ』さんの為にも、『アリシア』の為にも」

「だから、これが私の、全力全開!!」

「心して受け止めてください!!!」

 

「ディバインバスターーー!!!」

「フルパワーーーーっ!!!!」

 

 渾身の想いを一撃に込めた『なのは』の叫び。

 

「もう、私は迷いたくない!!」

「悲しいことも、辛いこともちゃんと受け入れてっ!」

「前に進むんだっ!!」

 

「こんな自分でも一緒にいたいよって、受け入れてくれたなのは達と」

「こんな筈じゃなかった悲しい未来を歩んでしまった別世界の自分たちと(マテリアルのみんなと)

「一緒にっ、前に進みたいからっ!!」

 

 それに応えるようにフェイト叫ぶフェイトの想い。

 

 二人の気持ちが魔法を通してぶつかり合う。

 

 そして。

 

 相手を思いやるフェイトの叫び声が。

 

 なのはよりも冷静で、落ち着いた声なのに。誰よりも熱い想いを秘めているような『なのは』の叫び声が。

 

 重なり合って、響き渡った。

 

 金色のシールドは、フェイトの強い想いに応じるように、その輝きと強度が増して、より強く。

 

 負けじと叫ぶ『なのは』の桜色の魔力の奔流も、より強く激しく。輝きを増していく。

 

(ここからだ……)

(ここからが、きっと本番)

(お互いの勝負の、決め所)

 

 その中でフェイトは冷静に考える。

 

 これで、決着が付けばそれでいい。全ての魔力を出し切るような砲撃魔法だ。『なのは』の余力もそんなに残ってないだろう。

 

 けれど、『なのは』という女の子の本質が、この世界のなのはと同じなら、きっと……

 

 彼女は最後まで、諦めずに懐に飛び込んでくるっ!!

 

「でやああああっ!!」

「粉砕っ!!」

 

 こんな風に。

 

「はぁ……はぁ……」

「すううぅ……」

「はあっ!!」

 

 フェイトは砲撃を耐え凌いで、ボロボロになったバリアジャケットを修復する余裕もなく。ただ、荒くなっていた呼吸だけを整えて、『なのは』の打撃に対応していく。

 

 『なのは』は強い。なのはのように魔法の才能がある訳でも、彼女よりも戦闘能力に優れているという訳でもない。ただ、どこか戦いなれている。それでいてクロスレンジではフェイトにも劣らない。

 

「はあっ! ふんっ! せいっ!」

「くうっ……!!」

 

 今もこうして砲撃が終わった直後に、態勢の整っていないフェイトに接近戦を挑んでくる。かつて父に教えられた武術の教えに従って、確かな理のもとに打ち込んでくる打撃は重くて鋭い。

 

 受けた衝撃を緩和するバリアジャケットの機能を貫通するために、『なのは』の杖には魔力が付与されている。まともに受ければ、装甲の薄いフェイトはひとたまりも無いだろう。だから、フェイトも辛うじてそれを往なしていく。杖の打撃を戦斧で往なし、返す刃でバルディッシュの反対側の柄を振るって、『なのは』を弾き飛ばす。

 

 吹き飛ばされながら、片手を向けてくる『なのは』。手のひらから展開される桜色のミッドチルダ式魔法陣。同じようにフェイトも金色の魔法陣を展開。バリアジャケットの黒いグローブに覆われた手のひらを『なのは』に向ける。

 

「これでフィニッシュです。ディバインバスターっ!!」

「まだ、終わらないっ!! プラズマスマッシャーっ!!」

 

 もうすぐ日が落ちそうな夕暮れ。茜色の空に響き渡る砲撃の着弾音。ぶつかり合った魔力の爆発で、目暗ましのような煙幕が発生して、互いに姿が見えなくなる。果たして吹き飛ばされたのは……

 

「うっ……」

 

 『なのは』の方だった。

 

 杖による打撃の合戦。『なのは』はハーケンセイバーの刃を躱しきれず、白いバリアジャケットに一筋の斬撃の跡が付いている。それに加えて先ほどの砲撃で、防護服はちょっとボロボロだ。片方の袖が全部破れてしまったし、胸の前に結んだ赤いリボンも弾けて消えている。

 

 純粋に撃ち負けた。

 

 『なのは』が攻撃し続けるのは、自分が押されていることを悟らせないためだったのだが……ちょっとジリ貧かもしれない。勝負の差を分けているのは純粋にフェイトの魔法が、自分よりも優れているからなのか。それとも自分の知らない機構がバルディッシュに付いているせいなのか。

 

(いえ、デバイスは悪くありませんね……)

(ただ単に私が弱いだけ……)

(フェイトは、やっぱりすごいです)

 

 吹き飛ばされて、朦朧とする意識の中で。ゆっくりと動く時間の中でそんなことを思う。けれど、身体はちゃんと動いてくれる。無意識に自分の背後にフローターフィールドを展開して。それを壁にしながら受け身を取る。『なのは』は杖を構えなおす。

 

 まだ、戦える。フェイトはどう動く?

 

 思考する。意識を研ぎ澄ませる。

 

 自分ならここで追撃を選ぶ。そして高速機動戦を好むフェイトなら同じ考えに至るだろうと考える。

 

 『なのは』は頭の中で戦闘パターンをイメージする。けれど、飛行魔法で高速離脱しても、ドッグファイトの果てに、後ろからプラズマランサーの乱射で機動を牽制されて、撃ち落とされる気がした。迫りくる金色の弾幕は、映画で見た戦闘機の機銃掃射のよう。『なのは』の飛行も精彩を欠いているようだから。

 

 なら、空という空間を駆け回る機動戦は圧倒的に不利。広い空間の中で、設置型のバインド合戦を仕掛けても、たぶん捕まるのが落ちだ。そのどれもが、フェイトには何となく通じないような気がした。

 

 むろん、ただの勘ではあるのだけれど。

 

 時間が何倍にも遅くなって動いているような気さえする。呼吸は荒い。心臓の音が煩い。

 

 フェイトが追撃してこない。まるで、時間が止まってしまったみたいに。世界の動きがゆっくりと感じる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 そんなゆっくりとした時間の中で、肩で息をする『なのは』は、少し辛そうだった。

 

 でも……

 

(きっと、これでいいのですよね……)

 

 良かったと、『なのは』は思う。

 

 フェイトと想いをぶつけ合って、負けたくないと思っていた。或いはぶつかりあって、フェイトの悩みを解決できればと思った。こんな自分でも誰かを救えるのだと確かめたかった。けれど、それと同じくらい『なのは』は誰かに自分を止めて欲しかったんだと思うから。

 

 自分でも抑えきれない、心の何処で溢れ出る憎悪。それに身を任せて暴走すれば、きっと誰彼構わず、見境なく傷つけるような悪鬼羅刹に堕ち果てていた。

 

 だから、これでいいのだ。

 

 心の底から溢れ出る憎悪とともに、誰かを憎むようにならなくて良かったと。

 

 『なのは』は自分が、父や姉と同じように誰かを憎むような事なんて信じたくなかったから。

 

 あの優しいフェイトの事だ。こんな形で模擬戦を挑まず、自分を消してくれなんて頼んだら。きっと悲しんだり、後悔するに決まっている。

 

 だから、自分が果てしない誰かの憎悪に囚われてしまう前に。自分の見ている夢が、良い夢である内に終わらせたい。

 

 それが、『なのは』のもうひとつの嘘偽りない想い。

 

 だから、こうして模擬戦を挑んで、挑戦の果てに自分は消えるのだ。勝つにせよ負けるにせよ。全力を出して、心の底から悔いなく消えていく。

 

 夢の終わりはそれがいい。きっと、それでいい。

 

 もう、魔力の残りが少ない。そして、それが尽きればたぶん、自分は消えてしまうだろう。そんな予感がする。

 

 だから、最後に『なのは』はありったけの思いを込めて、フェイトに杖をぶつけることにした。

 

 そうして負けて最後にいうのだ。フェイトの魔法は凄いですねって。

 

 白黒の世界に急速に色が戻り、ゆっくりと元の時間が動き出していく。

 

『Blitz rush』

「はあああぁぁぁぁっ!!」

 

 煙幕を乗り越えて、愚直にまっすぐにフェイトが突っ込んでくる。

 

 フェイトはバルディッシュを振り上げて、『なのは』に飛び掛かっていく。だから、『なのは』も杖を身構えてそれを受け止めるように構えた。

 

 形成された光刃を飛ばす魔法(ハーケンセイバーで牽制する選択肢)だってあっただろうに、それをしないのは『なのは』を消してしまわないように配慮しているからか。それとも、『なのは』をあまり傷つけたくないというフェイトの優しさ故か。

 

 こっちはもう、シューターで牽制する余裕もない。

 

 それでも。それでも……!!

 

 『アリシア』の為にも 『ユーノ』さんの為にも。

 

 他ならぬ自分の為にも、最後の意地だけは通してみせる!!!!

 

 それが曲がりなりにも不破の武人としての、魔導師としての、『なのは』の譲れない最後の一線だからっ!!

 

 そうして、『なのは』は並々ならぬ闘志をもう一度燃え上がらせて。

 

 杖と戦斧が交差する。

 

 バルディッシュ・アサルトとレイジングハートの柄がぶつかり合う。そうして鍔迫り合いになり、デバイスに力を込めた腕が震えるほどに、お互いの力は拮抗し、そして。

 

 ゆっくりとかち上げられていく自分のデバイス。その隙を縫って、フェイトが素早く己の戦斧を、なのはの喉元に突き付けた。そうして『なのは』は戦いの果てに、目の前に得物を突き付けられて。その先では、フェイトの紅い瞳がまっすぐに自分を見据えていて。

 

「これで、わたしの勝ちです」

 

 フェイトの静かな勝利宣言。戦いの終わり。決着だ。

 

「わたしの……負けですね」

 

 だから、『なのは』も素直に負けを認めた。

 

 その表情(かお)に、満足したような微笑みを浮かべながら。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 並行世界の『なのは』と、この世界のフェイト。

 

 片や『なのは』にとっては、『アリシア』の違う可能性として生まれてきた女の子。片やフェイトにとっては、闇の欠片として再生された優しかった頃の『なのは』の記憶を持つ少女。

 

 二人はボロボロのバリアジャケット姿をしたまま、空の上で手をつなぐ。

 

 そうして互いに見詰め合って、とても良い勝負だったと称えあった。

 

「やっぱり、世界は違っても、『なのは』は強いんだね」

「フェイトも……今回は私の負けのようですから」

 

 『なのは』が言外に次は負けませんとでもいうように微笑んだ。それで、フェイトは思わず苦笑してしまう。こっちの『なのは』もフェイトの知るなのはと同じくらい、負けず嫌いなんだなぁって感慨深くなる。

 

 勝敗を分けたのは、絶対に負けられないという意識の差なんだろうか?

 

 心の何処かで消えたいと思っている『なのは』と、迷っても、それでも前に進みたいというフェイトの意地のぶつかり合い。もしも、『なのは』がシュテルのように万全で、理のマテリアルとしての能力をフルに発揮していたら。きっと負けていたのはフェイトの方だったかもしれない。

 

 フェイトと『なのは』で手を繋いで、お互いに並んで飛行しながら、ゆっくりとアルフの待つ公園へと降り立った。二人とも防護服がボロボロで見るも無残な姿になっている。それくらい激しい攻防のやり取りをしたという証だった。後で、バリアジャケットの再構成をしなければならないだろう。

 

 そうして、そこまで考えて。

 

 振り返った、フェイトは息を呑んでしまった。

 

「『なのは』……?」

 

 だって、目の前で『なのは』が消えかけていたから。

 

 これからどうしようか、なんて後ろを振り向けば。目の前で『なのは』が消えようとしていたから。

 

 闇の欠片が消えゆく時の、独特の崩壊音が響き始めている。『なのは』はそれを不思議そうな表情をしながら、自分の手のひらを見つめていた。

 

 末端から徐々に光の粒子となって消えて行ってる自分の姿。でも、不思議と痛みも苦しみも感じなくて。どこか安らいだような気持ちになっている気がする。だから、『なのは』はその結末を受け入れていた。

 

 フェイトとぶつかり合って、魔法で意地を通して。その果てに負けた。

 

 その結果、誰も恨むことなく満足して消えていける。

 

 それは何よりも清々しい気分だったから。

 

「『なのは』!!」

 

 けれど、フェイトにとってはそうではない。

 

 闇の欠片が過去の記憶として再生されるこの現象。事件が動き出してから、何度も見てきてしまった。親しい人との別れ。

 

 だから、思わず泣きそうになってしまうのも、仕方ないのかもしれない。

 

 たとえ、世界が違っても『なのは』が大切な"ともだち"である事に変わりなかったから。フェイトにとって初めての、なまえをよんでくれた大切な友達だから。

 

 だから慌てて駆け寄って、その肩を掴んで。けれど、どうすればいいのか分からなくて。泣きそうな顔になりながら、『なのは』が消えていなくならないよう、優しく抱きしめてあげることしかできなくて。

 

「ごめん、ごめんね……」

 

 結局、謝ることしかできなくて。

 

 闇の欠片とはいえ親友と同じ存在で、少し違う。そんな、『なのは』を消してしまう事への罪悪感が、フェイトの胸を締め付ける。

 

 いっそのこと、ずっと一緒に居られれば良いと思うほどに。

 

「――フェイト」

 

 だから、そんなフェイトを安心させるように、『なのは』は穏やかな表情を浮かべて、フェイトを抱きし返して。

 

 そのなまえをよんだ。

 

「だいじょうぶです」

「こうして、消えていくわたしですが、怖いことなど何もありませんから」

「むしろ、フェイトのような優れた魔導師と、純粋に魔法の腕を競い合えたのです」

「夢の終わりとしては、なかなか良い終わり方だと思いませんか」

 

 『なのは』とフェイト。

 

 出会い方が違えば、きっと友達になれたであろう二人。

 

 だけど。

 

 フェイトの前で『なのは』の身体が消えていく。

 

 彼女はあるべき場所に還ろうとしている。

 

 他の闇の欠片と同じように崩壊が始まれば、『なのは』はあっという間に空の彼方に消えていってしまうだろう。それが、闇の欠片として記憶を再生された者たちの、夢の終わりの結末だから。

 

 だから、『なのは』はフェイトの肩に手を置いて、ゆっくりと抱きしめていた身体を離した。

 

 それから、薄れゆく意識の中で、フェイトに向かって微笑んだ。

 

 『アリシア』によく似た女の子に、少しでも笑っていて欲しいから。

 

 消えゆく『なのは』を、自分の事のように想って泣いてくれる。その優しさが、空っぽになっていた心に()みるから。

 

「フェイト――」

「『なのは』……」

 

 もう一度、なまえを呼び合う。目の前でフェイトが泣いている。薄れゆく意識の中、遠くで見守っているアルフのすすり泣く声が聞こえる。

 

 まったく、二人そろって泣き虫で。そんな所は『アリシア』と変わらないなぁって、思わず『なのは』は苦笑してしまう。

 

(………っ)

 

 視界が暗転する。一瞬だけぶれる景色。何とか意識を繋ぎ止めて、もう一度フェイトを見つめる。『なのは』には、もう自分がどこまで消えて行ってるのか分からないけれど。それでも、違う世界の親友のことを最後まで見守っていた、い……

 

 自分の意識が消えそうになりながらも、『なのは』は何とか顔をあげて、フェイトを見つめる。

 

 フェイトも、涙を拭って、もう一度『なのは』を見つめ返した。

 

 そうして、『なのは』は半透明に薄れてしまった身体で手を伸ばして。フェイトもそれに応えて。

 

 そっと、お互いの両手を包み込む。

 

 ふと、最後に思い浮かぶのは、ずっと疑問に思っていたこと。

 

 『なのは』がずっと迷っていた魔法の力のこと。

 

 もう、不破として取り繕う余裕もないけれど……

 

 最後に、聞いておきたい。

 

「フェイト、ちゃん」

「あの、ね……わたしの魔法は、ちゃんと誰かを、救えたでしょうか?」

 

 『なのは』はずっと迷っていた。迷い続けていた。

 

 母が亡くなって、父と姉がひたすら復讐の道に奔走する中で教えられた。己の身を守るための不破の武術。

 

 その力は仕方なかったとはいえ、襲い来る相手を殺めてしまって。その手を血で赤く染めてしまった『なのは』の心をずっと蝕んでいた。忌むべき殺しの術として、ずっと彼女を悩ませてきた。

 

 そんな中で出会った魔法との出会い。助けを求める『ユーノ』や『アリシア』の力になりたいと手にした。誰かを救うための新しい力。自分を支えてくれるレイジングハートとの出会い。

 

 『なのは』にとっては、まだ『ユーノ』や『アリシア』を助け始めたばかりの頃で。自分が誰かの役に立っているのだと、全然思えなくて。

 

 だから、別の世界とはいえ、未来に生きているこの少女に聞いておきたいと思ったのだ。

 

 自分の魔法は本当に誰かを救えたのかって。

 

 だから。

 

 それにフェイトは、ゆっくりと頷いて、自分ができる限りの精一杯の笑顔を浮かべて答えた。

 

 その瞳に涙が浮かんでいたけれど。見る人が見れば、花が咲くようなと例えそうな。そんな優しい笑顔で。

 

「うん、救えたよ」

「『なのは』の魔法は、わたしの時と同じように、『アリシア』のことを助けてくれて」

「それから、わたしのことも助けてくれた。こうして、ぶつかり合って。あの時と同じように悩みを解決して貰っちゃった」

「『なのは』の魔法は、やっぱりすごいね」

 

 そして、何よりも、夢が終わろうとしている『なのは』を安心させてあげたかったから。

 

「良かった―――」

 

 そのフェイトの言葉に、『なのは』は感嘆の声をもらして。この世界のなのはと同じような微笑みを浮かべる。

 

 生きてきた過程も、境遇も何もかも違うのに、その表情だけはなのはと(おんな)じで。

 

 だから、フェイトもつい微笑んでしまった。

 

 いつも元気いっぱいだった『アリシア』とは違う。花が咲くような儚げなフェイトの微笑み。

 

 それを見て、『なのは』は安心したように笑って。

 

――ありがとう。フェイトちゃん。

 

――どうか、悲しみに、負けないで……

 

――『アリシア』はきっと、あなたを待ってると思うから……

 

 そうして、一際大きな崩壊音とともに、その構成していた躯体(からだ)を空に散らせて。彼女の夢は終わりを告げた。

 

 最後に、フェイトを励ますような、そんな想いを残して。

 

「フェイト……」

 

 二人を見守っていたアルフが、心配そうにフェイトに声を掛けてくれる。

 

 それに小さく頷きながら、フェイトは自分の手を見つめなおした。

 

 握りしめた手のひらに、『なのは』の温もりが、まだ残っているような気がした。

 

「ありがとう。『なのは』」

 

 呟く言葉は、夢が終わって眠りについた向こうの世界の親友へ向ける感謝の気持ち。

 

 その心にしっかりと励ましの言葉を受け止めて。フェイトは前を向いた。

 

 もう、迷わない。これからはきっと。

 

 そんな想いを胸に秘めながら。

 

 そっと、気遣ってくれるアルフを優しく抱きしめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェイトっ!!」

 

 叫んだアルフに思いっきり投げ飛ばされた。

 

「えっ?」

 

 瞬間。

 

「あ、あああああっ!!」

「っ………」

「アルフ!!」

 

 空から落ちてきた黒衣の影に、アルフもフェイトも吹き飛ばされ。特に爆心地の近くにいたアルフは、フェイトを庇う形でまともに攻撃を食らってしまったらしい。吹き飛ばされた先で、地面を勢いよく転がってそのまま動かなくなった。

 

 どうやら気絶してしまっようだが、叫んだフェイトはそれどころではなかった。

 

 周囲を覆ってしまうほどの砂塵の中で、紫電が爆ぜるような音がする。濃密に膨れ上がっていく圧倒的な"力"。その魔力。そして、その存在感。

 

 重く圧し掛かるような重圧は、体中を刺すような殺気となってフェイトを覆っているかのようだ。

 

「よくも……よくも……」

 

 そうして、体中に水色の紫電を纏わせながら、ゆっくりと近づいてくる存在。

 

「よくも、『なのは』をっ……」

 

 その躯体(からだ)を怒りで震わせながら、涙を流してフェイトを睨み付ける。許せない。許せない。許せないっ!!

 

「フェイトォォォォォ!!!!」

 

 そうして激昂するレヴィは、もうひとつの戦斧であるバルニフィカスを死神の大鎌のように展開し、あらん限りの力でフェイトに向けて振り下ろした。

 



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act6 怒れる雷神の襲撃者

「うっ、ううっ……!」

 

 病院の屋上で、入り口の上の給水塔に背中を預けていた少女は、心を取り戻し始めていた。

 

「『なのは』……ひっ、ぐっ……『なのは』が、消えっ……、消えちゃっ、た………」

 

 何も思い出すことが出来なくて、心に湧き上がる筈の感情も虚ろのまま。結界によって封鎖された空を見上げるだけだった少女は。自分と同じような存在として記憶を再生されていた『なのは』の消失を感じ取って、悲しみに暮れていた。

 

「なんで……どうして、みんな……」

「どうして、ボクを置いていくの……?」

 

 思い出す。ここが何処なのか思い出す。この場所が、病院の屋上でかつて何があったのか。『アリシア』は思い出す。本当の家族のように慕っていた義姉が失われた時のことを。ずっとそばにいる契約(やくそく)を果たせずに、愛する使い魔の家族が失われた時の事を思い出す。病院の屋上で友達になれた守護騎士の存在が奪われた時の事を思い出す。思い出す。思い出す。思い出す。

 

 思い出せ。

 

「あっ……」

 

 瞬間。

 

 フェイトのものによく似た黒衣の防護服は完全にレヴィの格好へと変貌する。『アリシア』の頃の姿から変質しかけて、毛先が黒い水色の髪に染まっていた容姿は、瞳が紫色(ししょく)の輝きに変貌することで、完全にレヴィの姿へと変わり果てていく。

 

「――――っ」

 

 沸き上がるのは強い怒りと、果てしない憎悪だ。白い歯をむき出しにして噛みしめるくらいの強い怒り。握りしめたこぶしは、思わず血が滲んでしまいそうなくらい力が込められていて。目に付くもの全てを壊してしまいたくなるような衝動がレヴィの躯体(からだ)を蝕んでいく。

 

 闇の欠片の『なのは』を喪失してしまったという感覚が、『アリシア』の闇の欠片でしかなかった彼女を、『レヴィ』の闇の欠片に変貌させた。そして、この世界のアルフと出会ったことで、封じられていた過去の記憶を思い出し。精神が自失状態にあったレヴィの躯体と気持ちがリンクしてしまう。

 

 その心にあるのは溢れ出る憎悪。

 

 マテリアルとしてのレヴィは、今闇の書の中で夢を見ている状態だった。かつての優しい夢を見て。幼い『アルフ』と、優しい『リニス』に見守られながらアルトセイムの草原を駆け回っている。そんな夢を見ている。

 

 そうして、『なのは』と出会って、無邪気におじさんと呼び慕う『士郎』や何かと助けてくれる優しい『ユーノ』と戯れる夢を見ている。引き取られたバニングスのお屋敷で、大好きな『アリサ』に怒られながら、日々を楽しく穏やかに過ごす夢を見ている。

 

 けれど彼女は、アスカを除く、マテリアルの誰もが内に秘めていた憎悪の感情を呼び覚ましてしまう。あの時の病院の記憶。親しい人を目の前で失うという心の傷。耐え難い喪失感。それが切っ掛けとなって、あの時の光景がフラッシュバックしていく。

 

 そうしてレヴィは、闇の欠片の『レヴィ』を通す形で、世界を見渡した。周りの景色は見覚えのある大学病院で、自身が何もかもを失った最期の場所。大切な人が悲しむきっかけになった忌々しい思い出の地。

 

 思い出す。

 

 思い出せ。

 

 嗚呼、少しずつ心が管理局という存在に対する憎しみにで溢れていくようだと。

 

 そう思う。

 

 心が怒りと悲しみでどうにかなりそうで。その身は激情という名の憤怒の炎で揺らいでいるかのよう。

 

 だから、あらん限りの声で叫んだ。

 

「許さない……」

「お前ら絶対に許さないっ……ボクの大切な人たちを奪うお前らを絶対に……っ」

「返してよ……『アリサ』を返してよ……『アリサ』は、あんなに『アリサ』のパパとママに愛されてて、皆から慕われてたんだ……」

「『なのは』はようやくおじさんと仲直りできるかもしれないって、嬉しそうに笑ってて……帰ったらちゃんとただいまっていうんだって……あんなに嬉しそうに笑っていたのに……なのに………」

 

 周囲に紫電を撒き散らすほどの怒り。その心を締め付けるような深い悲しみ。レヴィの紫紺の瞳から涙があふれ出す。

 

 皆で笑い合って、クリスマスの日に病院にお見舞いに行ったときの記憶がよみがえる。『アリサ』に内緒で『アルフ』を連れてきてしまって怒られた記憶。家族のことで嬉しい事があって、すごく久しぶりに心の底から笑っていた『なのは』のことを思い出す。

 

 それらを、自分のことのように喜んだ記憶がよみがえる。

 

 何度も自分を叱る『アリサ』だけど、それでも最後にはしょうがないわねって許してくれて。いっぱい優しくしてくれた大切な義姉の笑顔。

 

 『はやて』も『ヴィータ』も初めてのクリスマスにはしゃいでいて。レヴィもそれが嬉しくて一緒に笑っていて。それを『すずか』や『シグナム』が優しく見守ってくれていた。幸せだった。そんなあの頃の風景が、頭の中で過ぎ去っていく。

 

 そうして次にやってくるのは、極寒のように感じる寒さの記憶。人の息遣いすら凍てつかせた静寂の記憶。立て続けに起こる大切な人を失った喪失感。『アリシア』だった頃に感じた、レヴィ自身の強い怒りと、深い悲しみの記憶。

 

 闇の書の闇の声が聞こえる。深い闇の底から、怒れ、怒れ、怒れ、と怨嗟のような声が聞こえる。聞き覚えのある親友の。だけど、その優しさが失われた憎悪に満ちた声がする。殺してやる、殺してやる、殺してやるという憎悪に満ちた悲しい声が聞こえてくる。

 

 負の感情に満ちたどす黒い声に当てられて、夢を見ているレヴィの心もどす黒く染まっていく。強い怒りが精神(こころ)を支配していく。そうして心が、何もかもを壊したくなる衝動に満ち溢れて。絶望に打ちひしがれていた自身の躯体(カラダ)を突き動かす衝動に変わっていく。

 

 これこそがレヴィ自身が抱き続けている果てしない怒り。何もかも奪われたあの頃のままに、時間が止まってしまっているかのようで。彼女の果てしない憎しみは、自身の躯体すらも焼き焦がしてしまうほどの強い感情を伴っている。

 

 そうして、叫ぶ。叫ぶ。

 

「ボクとバルニフィカスが全部、全部ぶっこわしてやる!! あの幸せの日々を奪った奴らも、こんな世界も何もかも壊してやるっ」

 

 気配がする。忌々しい管理局の人間の魔力を感じる。

 

 また、性懲りもなくボクたちを追ってきたらしいと、激昂する傍らでレヴィの頭が冷静に考える。ならば、この怒りをぶつける為にも片っ端から襲撃する。そうして敵を打ち倒して、大切なほかのマテリアルを守るための糧にすればいい。

 

 何よりも、さっきまで『なのは』がいた場所に、あの忌々しい存在がいる。自分と同じくせに本当のなまえを持っていて。何よりも大っ嫌いな管理局に協力している悪いヤツ。アイツが自分と同じ存在で、血を分けた姉妹であるということが何よりも許せない。

 

 何よりも、何よりも、『なのは』を奪ったことが。はじめての大切な友達を■された事が許せなくて。

 

 だから、だから……

 

「――――っ!!!!」

 

 声にならない叫び声をあげながら、耐え難い心の痛みに泣き叫びながら。病院の屋上から青い雷光のごとく飛び出したレヴィは、そのまま憎いフェイトに向けて、全てを破砕するバルニフィカスのギガクラッシャーを振り下ろし。凄まじい勢いのまま大地に陥没させて砕いたのだった。

 

 もはや、あの使い魔が大きくなっているアルフなのか、それとも自分の大好きだった『アルフ』なのかも、判別が付かないくらい怒り狂っていたから。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 フェイトは急ごしらえの加速で、倒れたまま地面を蹴る。慌てて飛び退いた場所が、大気を焼き焦がすような放電音と共に切り裂かれた。フェイトの斬撃魔法(ハーケン)と同じ、レヴィの斬撃魔法(スライサー)だった。ただし、破壊力は桁違いで、公園の地面が抉れていた。焼き焦がして、熱量で融かして、融解させたような痕だった。

 

 咄嗟に避けられたのは運が良かったのと、怒り狂うレヴィの狙いが甘かったからだ。

 

 バルニフィカスのカートリッジから空薬莢が排出される音がする。レヴィはそれを忌々しそうに振り回して、スピードローダーで素早くカートリッジを装填すると、再び回転式弾倉をデバイスに装着。荒々しいリボルバーの回転音と共に、バルニフィカスから白い蒸気を排出させて、自身の魔力ごと排熱させた。

 

 怒りのあまりデバイスに魔力を込めすぎたらしい。バルニフィカスすらもレヴィの"力"に悲鳴を上げているかのようだ。

 

「くっ、レヴィ……?」 

 

 倒れ伏していたフェイトは、レヴィの名前を呼びながらも、慌てて立ち上がる。吹き飛ばされたときに右足を挫いたのか、少しだけ痛みに顔をしかめる。けれど、それも無視して簡単な治癒魔法でごまかした。

 

 今ここで立ち上がらないと、尋常ではない殺気のレヴィに殺されてしまうような気がしたから。

 

「っ…………!!」

 

 レヴィはフェイトの呼びかけに応えない。聞きたくない。知りたくもない。

 

 ただ怒りのままに、感情のままに、バルニフィカスから青色の光刃を伸ばして、早足にフェイトに迫っていく。

 

 一足飛びにフェイトの懐まで飛び込んでこないのは、怒りのあまり冷静じゃないないからか。

 

「『なのは』……っ! 『なのは』……っ! 『なのは』……っ!」

 

 ただ、悲痛な声で何度も『なのは』の名前を呼びながら、フェイトを追い詰めようとするだけ。涙を流して、顔を怒りの形相に歪めたまま。その瞳に暗く淀んだ負の感情を、憎しみを宿してフェイトだけを見据えている。

 

 水色の魔力光が深い悲しみの青に染まって、レヴィすらも傷つける紫電を撒き散らす。歩くたびに、青色の放電現象が起こり、大気を焼き焦がし。側にある硬い砂の地面を、公園の木を、遊具を雷で焼いていく。

 

 もとは闇の欠片でしかない、その躯体(からだ)。それは、力のマテリアルであるレヴィの出力に耐えられない事を意味している。彼女は存在しているだけで、己の構成している要素をあるべき場所に還してしまう。

 

「レヴィ……」

 

 また一つ、躯体の欠片が焼け焦げて散った。

 

 それが見ていられなくて、フェイトも声を掛けるが、レヴィは意にも介さない。聞きたくない。

 

「レヴィ、落ち着いて」

「うるさいっ!! ボクは……」

「お前を……っ!!」

 

 そうして、怒りの感情を吐き出すように叫んで、大きく息を吸い込んだレヴィは両手でバルニフィカスを構えた。そこから伸びる青色の光刃は、すべてを切り裂くスライサーだ。ぶった切る瞬間に、ありったけの出力を流し込んで破壊力を増大させる事もできるそれは、食らったらひとたまりもない。

 

 レヴィの気持ちも痛いほどに分かるのだ。

 

 もしも、逆の立場だったら? 大好きななのはに何かあったら? 目の前で大切な親友が、誰かに傷つけられるような事があったら?

 

 きっとフェイトも冷静じゃいられない。

 

 だから。

 

 だから、その怒りも、悲しみも。

 

 私が全部受け止めるから。

 

 フェイトはそう、心の中で静かに決意して。

 

「バルディッシュ。いける?」

『Yes, sir』

「カートリッジロードっ!」

『Load Cartridge』

 

 声とともにバルディッシュのカートリッジをロードする。

 

 回転式弾倉から魔力を込めた弾丸に撃鉄が振り下ろされ、デバイスを急速に変形させる。

 

『Zamber form』

『Mode saber』

 

 そうして文字通りの剣として、バルディッシュは主と同じ黄色い魔力光の刃を展開させた。

 

 見た目はバルニフィカスのスライサーと同じ、片刃の刀剣のような形態。強大な力を持つマテリアルに対抗するために、守護騎士の協力も受けて完成させた、もうひとつの刃。バルディッシュ・アサルトの新たな力。

 

 今の消耗した状態でフルドライブのザンバーは危険だ。高速機動しながらすれ違いざまに斬ったり、刀身を極大まで伸ばして遠距離から相手をぶった斬る事が出来ない以上。片手でも、両手でも扱えるセイバーのほうが都合がいい。

 

 何よりも、フェイトが相手を倒すことよりも、止めることを望んでいるから。

 

 寡黙な相棒である黒い戦斧は、それに応え続けるだけ。

 

 そして、それがレヴィの闇の欠片には癪に障る。

 

 もう、自分の手元には、あの時のように最後まで付き従ってくれた『バルディッシュ』はいなかったから。

 

「フェイトォォォォっ!!!!」

「レヴィっ!!!!」

 

 そうして二人は激突する。片や痛む足を気にせず走り、片や崩壊していく自身の躯体を気にもしないまま。

 

 相手を見据え、ぐるぐると円を描くように動きながら距離を詰め、そうして様子を見て、隙を見出した瞬間に飛び込んだ。先に飛び出したのは怒りのままに躯体(からだ)を突き動かすレヴィで、フェイトは咄嗟に後ろに下がって、その斬撃をセイバーで受け止める。

 

 切り結ぶ二つの刃から放電現象が巻き起こり、二人を傷つける。高い耐電性能を持つフェイトのバリアジャケットでも感じる鋭い痛み。他の人が相手だったら、どうなるか。

 

 何よりも今、この瞬間にも同じ痛みを感じているレヴィを止めてあげないと、彼女は己の力を制御できずに自壊してしまう。それだけは何としても避けたい。

 

 まだ、会って話したいことがたくさんあるから。

 

――お前たち時空管理局が許せないっ!!

 

――幸せだったのに、あんなに楽しそうに笑っていたのに、なのにっ!!

 

――何もかもみんなっ、お前たちが奪うからっ!!

 

 刃を切り結ぶたびに、声が聞こえる。

 まるで、心と心がつながってしまったみたいに。

 レヴィの感情と心の声が、フェイトの中に聞こえてくる。

 

 その苛烈なまでの怒りは、何もかも焼き尽くしてしまいそうなほど凄まじく。受け止めるフェイトの心まで怒りに呑まれてしまいそうになる。

 

 ここに来て、レヴィの怒りは『なのは』を■された怒りだけじゃなく、あの時の光景とともに時空管理局に対する怒りまで増大させていく。フェイトが時空管理局に属しているということも許せない。自分と同じような存在が、憎むべき敵のいる場所と同じところにいて。何よりも、大切な『なのは』を傷つけた事が許せない。

 

「……っ、レヴィ……」

 

 そして、思わずこっちが泣きそうになるくらい深い悲しみは、フェイトの胸の奥を締め付けるのに充分すぎる。

 

――『なのは』……ごめんね…………

 

 泣きそうなレヴィの声が聞こえた。

 

 そうして思い浮かぶのは『アリシア』の記憶。それが、フェイトに流れ込んでくる。

 

 あの時、病院の屋上で怒りに狂えるまま暴走して、『アリサ』と『ヴィータ』の仇を討とうと、あらん限りの"力を"振るった『アリシア』。

 

 力及ばず吹き飛ばされて。その身に余る膨大な魔力を、癒着していた無数のリンカーコアから引き出した代償で、身体が動かなくなって。感じていた寒さも、激しい心の痛みも、焼けつくような体の痛みも徐々に消えて行って。

 

 最後に感じたのは無力感にも等しい後悔。

 

――『アリシア』、死なないで……置いて行かないでくださいっ……

 

――ひとりに、しないで………

 

 だって、あの時。『なのは』は泣いていたんだから。

 

「そこを退()け!! そして大人しくボクに斬られろ!!」

光翼斬(こうよくざん)!!」

 

 はっとして顔を上げる。回転する光の刃が迫ってくる。同じ体格の子供とは思えないような力で吹き飛ばされていたフェイトは、咄嗟に迫りくる青い刃を躱した。

 

 直後、レヴィの攻撃が空気を焼き切るような音を残して、凄まじい勢いで公園の地面を抉って行った。とんでもない熱量に砂地がガラス化して固まってしまうほどだ。

 

「これで消えていなくなれっ!!」

極光斬(きょっこうざん)!!」

 

 そこからレヴィは勢いよく跳躍して、上空からフェイトを両断するがごとき勢いでバルニフィカスを振りぬいた。極大化する青い光の刃は、受ければ消滅必至の必殺剣。

 

「くっ、バルディッシュ」

『Yes, sir』

 

 回避したばかりで、痛む足も思うように動かないフェイトは、眼前に複数のシールドを重ねて展開することで時間を稼ごうとする。そのシールドの数は5枚ほど。フェイトの黄色い魔力で編みこまれた円形魔方陣は、迫りくる青色の極大剣から主を護る為に機能した。

 

 1枚、2枚、3枚といとも簡単に砕けていく魔法の盾。なのはのディバインバスターにだって、もうちょっと耐えるくらいにはフェイトの防御魔法は強靭だ。つまり、それをいとも容易く砕け散らせていくレヴィの出力が凄まじいだけである。

 

 ユーノの全力の防御でやっと防ぎきれるレベルかもしれない。

 

 ばきりと音を立てて、四枚目の防御魔方陣が砕け散った。

 

 残るは最後の一枚。それが砕けたら、フェイトは目の前で光り輝く青白い大剣に飲み込まれるだろう。そしたら、どうなるのかフェイトには分からない。きっと力を振るっているレヴィでさえも。

 

(こんなところで負けるわけにはいかないっ)

(『なのは』と約束したんだっ!)

(レヴィの事を必ず助けるんだって)

 

 諦めたわけじゃないが、ちょっと分が悪い。残るカートリッジの全部を使用して、最後の一枚にありったけの魔力を込めていくけれど、それも徐々に押されていく。目の前で魔方陣が罅割れていく。受け止めた膨大な魔力に抗いきれずに、術者を守るための魔法の術式が意味を成さなくなっていく。

 

「フェイトっ!!」

 

 その時、勢いよく飛び込んできた誰かに抱きしめられる感触がした。暖かい温もり、柔らかい胸の感触。抱きしめてくれる腕の力強さ。

 

 寂しいときに、悲しいときに。いつだって、どんなときだって一緒にいてくれた大切な家族。

 

 フェイトの使い魔であるアルフが、フェイトを庇うように攻撃に割り込んで。同じように橙色の円形防御魔法陣を、目の前に展開した。

 

 そして。

 

「もう、やめとくれよ! 『アリシア』!!」

『もう、やめてっ!! 『アリシア』!!』

 

 レヴィの知らない大人の姿になっているアルフと、レヴィの知っている幼い『アルフ』の声と姿がダブって。

 

「――――っああああああああっ!!」

 

 レヴィは思わず、振り下ろしていた極光剣の軌道を逸らしたのだった。

 

 フェイトとアルフを奇襲した時とは比べ物にならないほどの威力に、広い公園全体の地面は砕け散って瓦礫と化し。その威力の余波に投げ出されたアルフは、同じく腕の中にいるフェイトを庇うようにして、砕けた地面との激突による衝撃に備え、そして。

 

 かつてのように自身の身すらも顧みなかった攻撃で、闇の欠片のレヴィは限界を迎え。その身に小さな崩壊音を響かせながら気を失ったように墜落した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 もういい……

 

 このまま、ボクは暗くて深い闇の底に還るんだろう。そこで、本当のボクとひとつになる。

 

 たとえ、この身が消えるのだとしても、きっとこの悲しい記憶や怒れる心は受け継がれてしまう。

 

 だって、ボクは夢を見ているんだから。終わらない夢を、覚めることのない悪夢を……

 

 『なのは』と出会って、『ユーノ』と出会って。

 『母さん』を失って。

 

 それから、優しい『バニングス』の家に引き取られて。

 そこで、『アルフ』と一緒に楽しく暮らすんだ。

 

 それから、ボク達はまた『はやて』に会うんだ。それで、楽しい夏の思い出を過ごして。

 また、今度ねって約束して……だけど、『はやて』が倒れちゃって……

 

 それから……それから……

 

 再び、それを……繰り返すんだ……

 

 ……………………

 

 あの日、待ち焦がれていたクリスマスの日がやってきて。ずっと楽しみにしてたのに…………

 

 なんで……

 

 どうして……

 

 

◇ ◇ ◇

 

「っ………」

 

 レヴィは痛む躯体(からだ)を抑えながら、ゆっくりと立ち上がると。呆けていた意識を覚ますように頭を振った。毛先が黒く染まった水色の二房の髪が、それに合わせて揺れるが気にしない。そもそもそんな感覚も、もう残っているのかも怪しかった。

 

 鈍痛を感じるが、果たしてそれが痛みなのかも分からなかった。何かの感覚としかわからない。ただ、ゆっくりと自身の躯体が消滅していっているのがわかる。躯体(からだ)に力が入らなくて、今にもふらふらで倒れそうだ。目に映る視界もぼやけていてはっきりとしない。

 

 それでも、それでも……っ!!

 

(『なのは』……フェイト……)

 

 ふらつく躯体(からだ)を抑えてゆっくりと歩き出す。ぼやけた視界の向こうに、黒衣の衣装と金色の髪が見えた。誰かに庇われるように抱きしめられて、倒れている。たぶん、それがフェイトだろう。倒れている誰かは見覚えがある気がするけれど、どうも記憶と一致しない気がする。

 

 けれど、それを判断する思考も、冷静さも、このレヴィには残っていない。

 

(フェイトッ……)

 

 それでも、それでもと痛む躯体(からだ)を動かし、右手に掴んでいるバルニフィカスを引きずるようにして、歩きながら。大切な人を奪われた憎しみを糧に、無理やり躯体を動かして、ゆっくりと歩き出す。

 

 そうして震える手で、その両手でバルニフィカスをつかんで。ゆっくりと持ち上げて。もう、青色の光の刃ですら展開できないそれを、それでも叩きつけてやるために。勢いよく戦斧の破砕部分を振り下ろすために持ち上げようとして。

 

 

 

 出来なかった。

 

 

 

 持ち上げようとした筈の腕が動かない。あと少しで、フェイトたちのところに辿り着ける筈なのに、足が震えて動かない。膝から力が抜けて、勢いよくバランスを崩して倒れそうになる。そのまま頭も庇えず、地面に倒れ伏すだろう。思わず目をつむる。

 

 誰かに抱きしめられた。

 

(……っ、……?)

 

 消えゆく躯体に触れてくれる優しい感触がした。

 

 膝から崩れ落ちるレヴィを抱きしめてくれた誰かがいる。レヴィをお腹のあたりで優しく抱き留めてくれて、それからゆっくりとレヴィを寝かせてくれた。けれど、もう視界も不明瞭だったから、それが誰なのかもわからない。

 

 それでも、と意識を繋ぎ止める。崩壊しかけた躯体で、力を振り絞って。

 

 もういちど前を見る。自分を抱きしめてくれた誰かを認識するために。

 

 黒い髪。厳つい表情。どこかで見た『なのは』のお父さんに、『おじさん』に似ているような気がした。でも、違う。この気配、この魔力の感じは……若草色を思わせる色と身を包み込む暖かい癒しの光。どこかで、感じたことがあるような……

 

 震える手で、目の前にいる誰かに向けて手を伸ばす。

 

 その人は、レヴィの手を優しく包んでくれた。だけど、躯体(からだ)の崩壊音が止まってくれない。小さな音を立てて、自分の躯体を構成する要素が崩れていくのがわかる。今、闇の欠片のレヴィが辛うじて動いていられるのも、誰かが回復魔法でそれを押し留めてくれているからだ。

 

 ほんとうに……だれなんだろう……

 

 なんだか……懐かしい……

 

――調子はどうかな? 医者の真似事しかできないから、回復魔法を掛けるので精一杯だけど。

 

――ごめんね。『アリシア』。

 

 そうだ。遠い昔に、こんな風に倒れていたところを、助けてもらって。『なのは』の家で、『なのは』と一緒に『アリシア』だったレヴィを一生懸命看病してくれた。とっても、優しい男の子がいたような……

 

 時の庭園で何かあった時に、いろいろと忘れてしまったから。その時の記憶が曖昧になっているような気がする。

 

 でも、大切な人。

 

 だって、悪いことをしてしまったレヴィをあんなにも優しくしてくれたんだから。

 

 『なのは』と、一緒に……

 

 だから、だから……

 

 震える声で、微かにしか聞こえないような小さな声で。

 

「『ユー、ノ?』」

 

 だれかの、なまえをよんだ。

 

 そしたら、レヴィを抱きしめてくれている誰かが僅かに驚いたような気がした。

 

『…………sir』

 

 それから、とっても懐かしい声。

 

 フェイトのバルディッシュと違って、どこか心配するような声。

 

 『リニス』がいなくなって、『アルフ』は幼い姿のまま長い眠りに就いていて、『母さん』はずっと病気のまま療養しなくちゃならなかったから。

 

 彼は、いつも『アリシア』のことを。独りぼっちになってしまった自分のことを心配してくれた。

 

 だけど……

 

 ごめんね。

 

 なんだか……

 

 とっても、眠いんだ……

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そうして、一際大きな崩壊音とともに、その構成していた躯体(からだ)を空に還して。闇の欠片のレヴィの夢は終わりを告げた。

 

 彼の腕の中で、記憶の中にある懐かしい友達の、大切なひとりの少女があるべき場所に還っていく。そこに存在しているという、触れ合える感触も。生きているんだという温もりも。子供の頃から、他の子供と比べてとても軽かった重みも、何もかもが感じなくなっていって。

 

 消えてしまった。

 

 残ったのは激戦の後とは思えないような静寂。

 

「……ごめんね。『アリシア』」

 

 小さく、泣きそうな声で呟いて男は立ち上がる。

 

 その右手には、かつて『アリシア』が相棒としていたもうひとつの閃光の刃が握られている。彼は、三角形の待機形態のそれを手の甲に収めると、慰めるようにひと撫でした。

 

 そして、その首には、かつての主に捨てられてしまった宝玉の姿もあった。主の最期を看取れず、傍にいることもできなかった。その後悔を胸に秘めながら、元の持ち主を支えるために存在していた。

 

 不屈の心は捨ててしまった。あるのは理不尽な運命に対する反逆の意志のみ。

 

 護る為に託された閃光の刃は消えて、理不尽な運命に対する復讐の刃となった。

 

 リベリオンハートとバルディッシュ・アベンジャー。それが今のかつての、愛機たちの名前だった。

 

『ISライアーズマスク』

 

 小さな呟きとともに、男が自分の顔に触れると。その姿はどこにでもいそうな一般局員の姿に変わってしまった。その声も、姿も、顔の造形さえも。続く呟きはシルバーカーテン。男の姿が周囲の認識から幻惑されて、はっきりと捉えられなくなった。

 

 彼はそのまま、倒れ伏していたアルフを人間とは思えないような膂力で背負い、主であるフェイトをその腕に抱き上げてどこかに運んでいく。

 

 風が吹いた後、そこには誰もなかった。

 



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幕間 アスカ、アースラの留置所にて

 ここで状況を少し整理しよう。

 

 故郷の世界を目指して、旅を続けていたマテリアルたちが、海鳴の町に辿り着いたのが11月15日ごろ。そこから二週間ほど様子を見て、行動を起こし、この世界の八神はやてを誘拐して、シュテルの記憶に細工を施したのが12月2日の夜になる。

 

 この戦闘で、ある事情からマテリアルとして活動できなくなったシュテルが完全に戦線を離脱。過去のトラウマを刺激され、心に大きな傷を負ったレヴィも精神的ダメージが大きすぎて紫天の書の中で眠りにつくことになる。

 

 一方で、アスカは管理局に投降。

 

 過去の戦闘で感じたクロノの言動や、この世界のフェイトやなのはとの出会いによって、ある程度は信頼できるかもしれない。もしかしたら復讐の道を歩むマテリアルたちを止めて、ディアーチェが抱える闇の書の闇の事もどうにか出来るかもしれないと期待を抱く。

 

 そうして事件の重要参考人として、アースラの留置所にいる間、アスカはずっと悩んでいた。

 

 管理局に対して、自分も思うところは確かにある。けれど、怒れるままに復讐を為し遂げてしまって、果たして本当にそれでいいのだろうか、と。

 

 ずっと傍で、家族の復讐のことに対して悩む『なのは』の姿を見つめ続けてきたからこそ、彼女は悩む。

 

 『なのは』はシュテルになった時でさえ、あまりそういう方針に肯定的ではなかった。管理局に対して信用できない、信頼できないという感情を抱いていたのは確かだが。マテリアルとして生まれ変わった友人たちにそういうことをして欲しくないと思っていたのが大きい。

 

 愛する者を奪われた深い悲しみと、行き場のない怒りから。果てしない憎悪を抱いてひたすら復讐の道を歩み続けた不破の家。

 

 もともと武道にあまり向いていない末の娘に、自衛のためにと不破流の一端を叩き込む厳しい父親。家族のことを顧みず、ひたすら復讐の道に専念する姉。優しかったのは、すずかの姉である忍と恋人関係にあった『恭也』くらいのもので、アリサもよくお世話になったことがある。時にはボディガードとして、帰り道を護衛してもらったこともあったから。

 

 だから、不破の家のこと。『なのは』の事を知って。

 

 当時、知り合ったばかりの『アリサ』が、大いに憤慨するのも無理はなかった。彼女はその事で、『不破士郎』に喧嘩腰で立ち向かった事がある。

 

 勿論、そのことを『なのは』は知らない。不破の家に無理を言ってお邪魔した先で、ちょっとおやつが足りないからと不破家から徒歩五分のコンビニであるNOWSONに買い出しに行かせたからだ。何となく事情を察した『恭也』がお手柔らかに頼むと言いながら、妹の荷物持ちとして一緒に離れてくれたのも助かった。

 

 結果は、梨の礫。柳に風だ。

 

 こんな事は間違ってる。もっと『なのは』に家族らしい事とかしてあげてほしい、父親として優しくしてあげてほしい、と。『アリサ』は『すずか』に背中を羽交い絞めにされながら、面と向かって『士郎』に叫んだのに。彼は何の反応もしなかった。

 

 ただ、自分よりも遥かに背丈が低い小娘を、面と向かって見下ろして恐ろしげな表情で睨んだだけ。今思えば、あれは彼なりの無表情で、何も感じないデフォルト状態だったんだなぁと分かるが。当時の『アリサ』はそんなことは知らなかった。無視されているのだと思って、烈火のごとく怒り狂い。普段のお嬢様然とした『アリサ』らしくもなく怒鳴り続けてしまった。

 

 そうしてタイムアップだ。『なのは』たちがおつかいから帰ってきて、不破家の現状は何も変わることもないまま。

 

 ただ、『士郎』に『アリサ』の頭をぽんと撫でられて終了である。その不器用な優しさをもっと『なのは』に向けてあげなさいよと、ぐぬぬぬってうなり続けていたが。結局、『アリサ』が何度言っても不破の家が変わることはなかった。彼にはそんなこと分かりきっていたからだ。自分たちが間違っていることなど。

 

 ただ、本当に大切なものを失ったとき。人は止まれはしないのだと。そんな事を感じさせるだけ。

 

 もしかすると、少しずつ心に響いていて、それが『アリシア』との出会いでさらに感化され。クリスマスの日に少しだけ変わる切っ掛けを作ったのかもしれないが、それも今となっては知る余地もないだろう。

 

 こうして、アスカとなって他のマテリアルたちと共に世界を超えてしまったのだから。

 

 今なら復讐に奔走する不破の気持ちも少しだけ理解できるかもしれない。けれど、それでも……

 

 アスカは思うのだ。何となくこのままではいけない。何か取り返しのつかないことが起こると、アスカの直感が告げている。

 

 本当にディアーチェは闇の書の闇を御しきって、失われた管制人格の力を取り戻し、すべてを終わらせることができるのだろうか?

 

 あの責任感と自責の念が強いであろう優しい娘は、すべてが終わったとして、本当に自分を赦すことができるのだろうか。心配になる。不安になってしまう。

 

 すべてが終わったら、ふとした事で消えてしまいそうで怖いのだ。今はマテリアルの事や、闇の書の事があるから。こんな筈じゃなかった未来を変えたいという想いがあるから、無理をする事が出来ている。けれど、それが無くなってしまったら?

 

 あの子は、自分の幸せのために生きていけるのだろうか。

 

(難しいものね……)

 

 アースラ艦内の留置所のベッドの上で、膝を抱えて蹲りながら、アスカは思う。

 

 たとえば、闇の書の力を使って管理局のすべてを滅ぼす勢いで復讐を遂げたとする。この世界にいるであろうギル・グレアムとリーゼ姉妹に対して、あの時の絶望をそのまま返して。はやての事も何とかして、元通りの生活を続けてみたりする。

 

 相手が救いのない外道だから、凄惨な方法でやり返して。その後に何もかもを忘れて新しい未来を生きる。果たして、自分たちにそれが出来るのだろうか?

 

 ギル・グレアムのやり方は今でも許せない。友達を巻き込んで全てを凍てつかせたのは、今でも怒りが沸いてくるほどだし、顔を見たら一発ぶん殴ってやりたい。病院の人たちの事を思うともっと腹が立つ。だけど、アスカにとってはその程度の事だ。それだけで済んでいる。

 

 殺してやりたいと思うほどではない。むしろ、そんな事を考えるくらいなら、自分たちがどうすれば幸せに生きられるのかとか。どんな事をすればあの子たちが喜んでくれるのかとか、そういう事を考えるほうがよっぽど建設的で、幸せになれる。

 

 ギル・グレアムの所業に対して思うところは確かにある。

 

 けれど、自分たちのその先に未来があるとはどうしても思えなかった。だから、管理局に投降した。

 

 アスカは自分たちが弱い存在だということを知っている。いくら強大な力を得たとしても、心は九歳の頃の子供のままだ。そんな子供に何ができるというんだろう? 『士郎』の心を変えて、『なのは』の境遇を変えられなかった自分に何ができるんだろう? 親に縋って、『なのは』のことをアスカの家で面倒みようと我儘言って、困らせただけの自分に何ができるというんだろう?

 

 聞けば闇の書が覚醒すれば、ひとつの世界を容易く滅ぼしてしまう大きな力を持つというではないか。そうして何度も何度も悲劇は繰り返されて、多くの国や主が、世界が滅んできたのだと、アスカはクロノから教えられていた。

 

 自分だけじゃ何も出来ないということをアスカは知っている。だから、もっと大きな力が必要だ。

 

 こんな筈じゃなかった未来を変えるには、もっと多くの人の協力を得る必要がある。五人だけで未来を変えようとしても、必ず何処かで行き詰る。現に管理局と対峙したことによって、思うように未来を進めることが出来ていない。向こうが邪魔してきたからと言えば、それまでだが。それでも、今の自分たちの力はその程度なのだ。

 

 バニングスのお屋敷だって、多くの人に支えられているからこそ。上手く回っているのだと、アスカは子供ながらに理解している。社交界を通して会社同士で支えあったり、繋がりを得ることもあった。そうして得た繋がりを通して、有力な情報を得たり。現地で立ち回るための下地や協力を取り付けていったのだ。

 

 アメリカで最大勢力を誇るバニングスが、月村を通して欧州で古くから存在するある一族の力を借り受けたように。

 

 第一、アスカは魔法のことは門外漢だ。『シグナム』の能力を継承して、知識と剣技を受け継いでこそいるが。逆に言えばそれだけで。かつての『ユーノ』みたいに詳しい知識を持っているわけじゃない。

 

 レイジングハートから教えを受けているらしいなのはの方が、いろいろと魔法の事に詳しいんじゃないだろうか。

 

「ふふ……バカみたいね……」

 

 そこまで考えて、アスカは苦笑するしかなかった。

 

 そっと手を挙げて、自分の顔の前で晒してみる。それを握ったり、開いたりして。

 

 どうしようもなく自分の手が震えてしまうことを理解して、アスカは自虐しながら笑うしかなかった。

 

 怖い……怖い……

 

 管理局は信用できない。信用するためには、近づいてその人となりを、組織の内情を知る必要がある。でも、もしも管理局が信頼に値する組織じゃなかったら? アスカを閉じ込めて内々的に事件を解決させて、すべてが終わってしまっていたら? それ以前にアスカ自身が封じられたり、■されたりして二度とマテリアルの皆と会えない可能性だってあるのに?

 

 "ほんとうにしんようできるの?"

 

 "いちど、■されたくせに、もういちどしんようできるというの? ほんとうにしんじられるの?"

 

 心の何処かで内なる声を聞いたような気がした。まるで、闇の底から囁くような、自分のこえ。

 

 それを頭を激しく振ることで、振り払う。震える手はもう一方の手で抑え込む。

 

 大丈夫。こっちの世界ではなのはが明るく過ごしていて、何よりも真っ直ぐだったあの子が信頼していた。バカみたいに一直線だったけど、あの子の人を見る目は確かだ。なら、アスカもなのはを通して管理局を信用してみたい。

 

 こっちの世界のアリシア……フェイトだって管理局にお世話になっているみたいだし。仕方がなかったとはいえ、一度は過ちを犯してしまった彼女が真っ当に生きられるようにいろいろと便宜を図ってくれたそうじゃないか。

 

 "ギル・グレアムは、『はやて』を援助しながら。いざという時に本性を顕わにして深い氷の奥底に封じ込めたのに?"

 

 "私たちを虚数の底に落とした人間たち。何の罪もない人々を世界の為にというだけで封じた人間たち"

 

 "大を救うために小を切り捨ててしまうのは、組織の常"

 

 "そんな管理局が、本当に私たちを……"

 

「うるさい!!」

 

 思いっきり拳を振りぬいて、囁くような声を振り払うように裏拳で留置所の壁をぶっ叩いた。

 

 思わず手の甲に血が滲むが痛みはない。それどころか暖かい炎のような光とともに一瞬でアスカの傷が癒えた。それこそ瞬きする間のような一瞬のうちに。

 

 アスカは抑制のマテリアル。受け継いだ特性は無限再生。能力はまさに不死鳥の火と同じもの。

 

 アスカは紫天の書が、ユーリの永遠結晶(エグザミア)が存在する限り永遠にして不滅の存在。他のマテリアルも同じように時間をかければ躯体を復旧し、再生することが可能だが。アスカのそれは他のマテリアルの比ではない。

 

 文字通り、瞬時に再生してダメージを無かったことにできる。あの凍てつくような氷に負けないようにと授かったアスカを守るための聖なる炎。大切なアスカの能力(チカラ)。今度こそアスカが■んで終わらぬ様にと、『はやて』が授けてくれた力。

 

 その火が途絶えぬ限り、アスカは決して挫けはしない。

 

 第一、留置所に入れられたのだって、クロノという少年がきちんと説明してくれたではないか。

 

 既にマテリアルが、局員やアースラチームに危害を加えてしまった以上、こうして大人しくしていることが管理局に敵対する意思のない証明になる。それと、同時に同じようにアースラ艦内に捕えている守護騎士から、アスカを護るための処置にもなると。

 

 はやてを奪われた守護騎士の憤りは凄まじい。シグナム、シャマル、ザフィーラなどは比較的落ち着いているが年少のヴィータだけは、局員たちを噛み殺さんばかりの勢いだからだ。はやての身を誘拐したマテリアルの一人であるアスカに出会ったら、何が起きるか。

 

 守護騎士四人が結託してアースラを脱出する可能性もある。

 

 彼らはディアーチェと出会ったことで動揺して、気絶させられたが。彼女たちの正体について確信を持っているわけではない。アスカの尋問の内容も聞かされていないし、そもそも説得に応じて、事件解決の為に協力してくれるのかも、今のところ不明だ。

 

 はやてと出会ったことで、意思の無い人形のような存在から、人間らしい感情を取り戻したそうだが。それとこれとは話が別。

 

 闇の書の完成を目指していた節がある以上、ある意味ではアスカよりも危険な存在として、分散させたうえで厳重監視状態で拘束されている。

 

 そして、個別に尋問と聴取を行っているが、先述したように決してアスカと鉢合わせしないように配慮されていた。

 

 だから、アスカは今、ひとりだ。

 

 狭い室内はとても静かで、息をするのも忘れてしまいそうになる。

 

 そうして浮かび上がるのは不安と孤独と、あの時の恐怖心。

 

 だけど、■の恐怖にも、未来に迷う不安にも怯えはしない。

 

 だから、大丈夫。自分は大丈夫。

 

 心はいつだって繋がっている。

 

 マテリアルと離れて、ひとり孤独の中で不安になる自分を勇気づけて、アスカは思う。思考を続ける。

 

 どうすれば、より良い未来に辿り着けるのか。

 

 そうして考えに没頭するアスカを、叩き起こすような。

 

「『アーリサ』ちゃんっ! ちょっとお話しよ「うひゃあっ!!」はにゃあ!!?」

「アンタねっ、部屋に入るときはノックくらいしなさいよ!!」

「ごめんなさい~~~~!!!!」

 

 そんな、なのはの声が響いて、ついでにウガ~~~と怒るアスカの声も響き渡って。

 

『ふたりとも大丈夫かな?』

『さて、ね』

 

 双方の驚き声を聞いたフェイトが、心配そうにアルフを見上げて。アルフもやれやれと肩をすくめるのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 なのはは配膳台に載せられたトレーをひとつ手に取って、アスカの所まで持っていく。

 

 それを見てアスカも、お昼ご飯の時間かと、今更のことのように気が付いた。どうも留置所に一人でいると時間の感覚を忘れてしまう。呼び出しを受けて、なのはやフェイトのように見知った顔の人に監視付きで護送されて、そこで事情聴取。時間の都合が合えば、食堂でご飯を食べることも許されたが、そうでないときは留置所にこもりっきりだ。

 

 アスカは事件の首謀者の一人で重要参考人という扱いの手前、艦内を自由に歩くことは制限されている。今のところ大人しくしているが、万が一にも艦内で暴れられれば一般の局員には一溜まりもないだろう。

 

 まだ、お互いに出会って数日といったところ。早々信用しきるのは難しい。

 

 それに同じように重要参考人として捕えられている、この世界の守護騎士とも鉢合わせしないように配慮されているようだ。こっちは知り合いで親しげに話すこともある友人同士だが、この世界では守護騎士の大切なはやてと闇の書を奪った張本人の一人なのだから。

 

 出会いがしらに言い争いならまだしも、剣を抜いての争いにでも発展したらという恐れがあるのだろう。

 

 お互いの事情や誤解が解けるまでは、迂闊に会うのは避けた方がいいとクロノ執務官に丁寧に説明された。

 

 それに、こうして、なのはやフェイトが様子を見に来てくれたり、お世話を焼いたりしてくれるだけでもアスカにはありがたい。

 

 やっぱり、違う世界とはいっても、親友と同じ姿をしている存在。それでいて同じくらい親身に接してくれる友達に、アスカが安心感を抱いているのも事実だから。こういう配慮はとても助かる。

 

 レヴィあたりなら、きっと向こうの懐柔策。とか言い出してぷいって拗ねたりするだろうか、そう考えるとちょっと可笑しくなるアスカだった。

 

「どうしたの、『アリサ』ちゃん?」

「何でもないわ。大丈夫よ」

 

 きっと、あの子たちは裏切り者と叫ぶだろう。自分を糾弾するだろう。

 

 それはとても辛いことだけど、それでもいい。我慢できる。耐えられる。

 

 それよりも未来を失ってしまうことの方が怖い。もう一度、みんなで笑い合いたい。今度こそ本当のクリスマスとか、お正月を楽しめるようになりたい。まだまだしたい事、やりたい事がたくさんあるのだ。

 

 その為だったらどんなに罵られても、嫌われても耐えてみせる。いや、さすがに嫌われたくはないけれど。

 

 でも、マテリアルの誰かが信じられるようにならないと、きっとその世界は閉じてしまうと思うのだ。身内だけで完結してしまって、何もかもが信じられなくなる。そうなれば、あの頃のように無邪気に笑っていた時間が、思い出が戻らなくなってしまう。

 

 子供たちは、信じられる筈の大人たちに裏切られたせいで、世界に対して疑心暗鬼になっている。

 

 なら、まずは勇気を出して自分が最初の一歩になろうと思う。怖くても、震えても、勇気を出して手を伸ばす。

 

 そうして掴んだ先で、あの子たちに「ほら、大丈夫でしょ」って言ってあげて、安心させてあげたい。

 

 これはその為の、第一歩。

 

 だから、勇気を出せ。アスカ・フランメフォーゲル。

 

 大丈夫。この人たちは、この世界の管理局の人間は信じられる。

 

 大丈夫。大丈夫。

 

「だいじょうぶだよ、『アリサ』ちゃん」

「なのは……」

 

 そんな風に怯えているアスカを、気丈に振る舞うアスカを、なのはは優しく抱きしめた。

 

「わたしたち、『アリサ』ちゃんを傷つけたりなんかしないよ」

「いろいろ話を聞いて、たくさんたくさん、『アリサ』ちゃん達が傷つけられちゃった事も、ちゃんと教えてくれた」

「だからね。怖いなら、不安なら何度だって抱きしめるよ」

「もしも、『アリサ』ちゃんを傷つけようとする何かがいたら、全力で護ってみせるから」

「だから、心配しないで」

 

 アスカを優しく抱きしめながら、あやすように背中を撫でてくれながら。慰めるように言葉を紡ぐなのはの声を聞いて、その優しさを心に沁み渡らせながら。アスカは委ねるように目を瞑る。不安と恐怖と怯えで、強張っていた躯体(からだ)の力を抜いていく。

 

 でも、それがなんだか癪に障る。本当は逆の立場。自分が、今度こそなのはを、『なのは』たちを支える番。

 

 あの頃の、魔法の力も何もなくて。不破の事にも、『アリシア』のことにも、何にも出来なくて。悔しくて、傷ついた友達の事を思って夜な夜な泣いていた自分は、もういない。

 

 絶対にみんなの事を助けるんだからと、アスカは決意を新たにして。

 

「まったく、なのはのくせに生意気」

「にゃあ!!?」

 

 苦笑しながら、なのはのおでこに軽くデコピン一発。

 

 もう、ひどいよ。『アリサ』ちゃん。とおでこを抑えて涙目になる親友の頭をぽんぽんと撫でて、アスカは精一杯の笑顔を浮かべた。

 

――『アリサ』。大丈夫ですか?

 

――困っていることがあれば言ってください。

 

――わたしが全力で『アリサ』を護りますから。

 

――父や兄には劣るかもしれませんが、一応わたしも不破流を学ぶ末弟ですので。

 

――『アリサ』よりもずっと力持ちです。

 

 まったく、こうして大切な人の為に、自分の身を挺してでも誰かを護ろうとする姿は、本当に『なのは』にそっくりだ。

 

 頭では違うと分かっていても、ふとした時に重なる部分があって嫌になる。参ってしまう。

 

 そんな事されるとシュテルに会いたくなるし、甘えたくなるじゃないか。本当は自分がシュテルを支えるべきで、家の事とかいろんなことで傷ついたあの子を支えるのは、いつだってアスカの役目なのだ。そうして支えて、次にナハトの優しさで癒してあげて。

 

 そうして、ふとしたときに浮かべてくれるシュテルの微笑みは何よりも大切なものだったから。

 

 だからこそ護ってあげたいと思う。よりよい未来を共に歩みたいと思う。

 

 他のマテリアルにだって、アスカは同じ想いなのだから。

 

 無邪気にはしゃぐレヴィの笑顔が大好きで、義姉として義妹を放っておけなくて。ナハトの優しさにはいつも助けられてばかりで、理不尽に怒りそうになったところを何度も諌めてくれて。

 

 そんな自分たちを見て笑ってくれていたディアーチェの笑顔が、あの優しい『はやて』の笑顔を見るのが何よりも大切だった。護ってあげたかった。たとえ、闇の書の呪いによって足が蝕まれ、半身が麻痺していこうとも。気丈に振る舞って、決して弱みを見せなかったあの子に。もっと楽しい事やいろんなことを教えてあげたかった。

 

 だからこそ、失くしてしまったものを取り戻すために、アスカは戦う。

 

「ありがとね。なのは」

「はにゃっ!? えへへ~~、どういたしまして」

「でも、アタシの名前はアスカだから」

「あうっ、でも、『アリサ』ちゃんにしか見えな……」

「今のアタシは、何と言おうとアスカなのよ。第一、この世界のアタシや家族に迷惑が掛かんでしょうが」

「ううぅ、『アリサ』ちゃん……じゃなくて、アスカ、ちゃん?」

「よし」

 

 まったく、何度も自分のほんとうのなまえを呼んでくるなのはにも、困ったものだ。

 

 なのはにとって、アスカは違う世界の『アリサ』でしかなくて。ぶっちゃけてしまえば関係のない赤の他人であるはずなのに。過ごした年月も、思い出もアリサとは違う。何にもない別人だって冷静に考えれば分かるでしょうに。

 

 でも、こうして親身にしてくれることが何よりも嬉しかった。そして、もしも自分が違う世界のなのはに会ったとしても、アスカなら同じことをするだろうから。その事に対して強く言えなくて苦笑する。

 

 アスカの見た目は闇を凝縮したような瞳を除けば、アリサそのものだから。まあ、間違えるのも仕方ないといえば仕方ないのだけれど。太陽みたいな金色の髪も、母様からもらった大切なもので。可愛らしい容姿も何もかも、『アリサ』の自慢ひとつだから。

 

 『なのは』みたいに、性格が違っているわけでも。『アリシア』みたいに、明るく無邪気なわけでもない。『すずか』は分からないけれど、『はやて』は見た感じ変わらなかった。そして、こうしてアリサと言い間違えるということは、こっちの自分は性格も、似姿もほぼ一緒なんだろう。

 

 だから、間違えたり、間違えなかったりするのはしょうがない。

 

 アスカも人の事は言えないだろうし。

 

 アスカにとっては、明るくて優しいなのはや、ちょっと引っ込み思案なところもあるけど、小動物みたいに大人しくて可愛らしいフェイトのほうが違和感があったりする。特にフェイト。『アリシア』と同じ性格だったら、本当に手が付けられなくて放っておけない存在だっただろう。目を離すとすぐはしゃぐんだから。

 

 それが、あんなにも大人しそうで。大切にしていた母親からお仕置きという名の虐待を受けていたことなど、話を聞いたときは信じられなかったくらいだ。

 

 あんなにも病気のお母さんの為に、必死になって頑張っていた『アリシア』と同じように。フェイトも頑張っていたというのに。

 

 母を想い続けて行動したフェイトに対する仕打ちがそれなのかと。アスカがプレシアと出会っていたなら『士郎』と同じように詰問していた事だろう。

 

 実際に『アリシア』を義妹として引き取って、面倒を見ていた分。アリサよりも、アスカの方が『アリシア』やフェイトに対する想いが人一倍強いから。何かあったら、きっと放っておけなくなっていたと思う。

 

 まあ、この世界の自分も黙ってないだろうけど。

 

 そんな事を考えながら、アスカは悩むのをやめた。

 

 まずはご飯だ。

 

「さて、そろそろ食事にしましょうか」

「冷めないうちに食べないといけないし」

「なのはも、一緒に食べてくれる?」

 

「うん! そういうと思ってクロノ君にお願いして、自分の分も持ってきたの」

「あと、喫茶翠屋のシュークリーム」

「『アリサ』ちゃ、アスカちゃんも食べたことなかったでしょ?」

「美味しいから食べてみて」

「きっと素敵な笑顔になれると思うの」

 

 そうしてアスカは、なのはと隣り合って留置所のベッドに腰掛けながら食事を共にした。

 

 温かいパンとスープなんて落ち着いて食べたのはいつ以来だろう。野菜とお肉が軟らかく煮こまれていて、それを安心して食べることが出来たのはいつ以来だろう。

 

 この世界に来てから、あまりまともな食事をしてこなかったから。こうして温かい料理を食べると、涙が出そうになる。昔、当たり前に食べていたそれを、家族と『アリシア』と一緒に食べていた時の事を思い出してしまう。

 

 当たり前だったそれすらも、失ってしまったことが何よりも悲しくて。

 

 ちょっと泣きそうになってしまったのは秘密だ。

 

「あむっ、っ~~~~~~!!!!」

 

 そうして食後のデザートに食べたシュークリームが、ものすごく絶品で美味しくて。何よりも筆舌に尽くしがたくて。その包み込むような甘さに、上品な舌を持っているアスカですら唸ってしまう。

 

 なのははあまりの美味しさに悶絶するアスカを見て、自分の事のように嬉しそうだ。えへへ~~って笑っている。

 

 ああ、これは他のマテリアルの皆にも食べさせてあげたいなって思ってしまう。それと同時に、シュテルがこのシュークリームを気兼ねなく食べてくれればいいとも思う。

 

 あの子は、アスカが協力する見返りに高町家で療養中だ。

 

 こんなにも美味しいお母さんの味を、あの子は失ってしまったのだ。せめて、この世界では子供らしく母親と父親に甘えてほしいと思う。

 

 この世界の高町家ならそれができるだろう。なにせ、目の前にいるなのはの育ちの良さとか、性格の良さで人柄が伝わってくるし。何よりも行く当てがなくて迷子になっていたディアーチェたちを保護してくれたお人好しなんだから。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 それからも、時間の許す限り、なのはとアスカは話をした。

 

 この世界の事。家族の事。ジュエルシードの事。話せることを少しずつ、少しずつ話して、お互いのことを知っていく。

 

 さすがに、アスカも不破家のことをあまり詳しく話すつもりはなかった。あの父や姉の事を、心優しいこのなのはが知ったら、どう思うのか。その事が簡単に想像ついてしまうから。優しいなのはに傷ついて欲しくなくて。あまり言えないでいた。

 

 そういうのは、いつかシュテルの口から教えてもらうべきものだ。自分が言っても、シュテルの苦しみの十分の一も伝わらないだろう。ただ、同情心を煽るだけだ。

 

 だから、伝えたのは不破家と高町家の違いくらい。

 

 母親を亡くしたこと、傷心の父のもとで厳しく育てられたことぐらい。そして、それだけでも、なのはは自分のことのように悲しんで。特に母親が亡くなっていることには、ショックを受けたようで、アスカの腕の中で「おかーさん……」って泣いてしまった。

 

 やっぱり、話すべきじゃなかったかもしれない。けれど、この子は「教えてくれてありがとう、『アリサ』ちゃん」って自分で涙を拭って、心配かけないように健気に笑っていた。それを見てアスカは、この子は自分の力で何度も立ち上がれる強い心を持っているのだと、感心する。

 

 シュテルだったら、『なのは』だったらショックで一日は沈んだままになるだろう。少し一人にしてくださいとか言って、自分で抱え込んでしまうタイプだ。そうして放っておいたら、いつか壊れてしまいそうで。

 

 だから、厳しい父親の代わりにアスカやナハトが受け止めて、ちゃんと泣かせていた。

 

 抱きしめてあげると、よくすすり泣くような子だったから。

 

 そうしてあげないと、あの子はずっと我慢する子だったから。今もそうだから。

 

 

 

 でも、もしも、シュテルがなのはのように、強い心を取り戻したら、きっと。

 

 あの子はレヴィやディアーチェの為に。『アリシア』や『はやて』の為に、もう一度自分の意志で立ち上がるんだと思う。

 

 誰かを護るために頑張ろうとする姿も、困っている人を放っておけない姿も、『なのは』は同じだ。

 

 世界が違っても、本質は似た者同士。

 

 こうして、時々震えてしまうアスカの手を握ってくれるような、なのはの優しさだって、『なのは』は備えていた。

 

 人の心の機微に敏くて、静かに寄り添おうとする子だった。

 

 それを思えば自分の心の震えくらいどうってことないのに。

 

 アスカの中で、あの時の凍てつかされる記憶は、今だって消えてくれはしないのだ。

 

「『アリサ』ちゃん、大丈夫?」

「やっぱり、怖い?」

 

「そりゃね。そういうものだから。出来れば知ってほしくない感覚だわ」

「まったく、笑えるでしょう?」

「あの子たちを救う道を探るために、こうして管理局の所に降ったのに。今更になって手が震えてる」

「弱い自分が嫌になるわ……『シグナム』もきっと呆れているかしらね……」

 

 比較的、あの時の記憶の影響が薄いアスカでさえ、あの瞬間の出来事は強く脳裏に焼き付いている。

 

 何もかも寒くなって動かなくなる感覚も、何も感じなくなって痛みすらも感じることもなく、意識が急速に薄れてゆく光景は忘れがたいトラウマになってしまっている。

 

 心の底にある恐怖と、沸き立つような勇気の狭間で、揺れ動いているアスカ。

 

 マテリアルに刻まれた■の恐怖。何もかも奪われて、大切なものを失ってしまう恐れ。その時の苦しみと悲しみ。

 

 そういう、怖いという想いはどうしようもない。一日、二日でどうにかなるものじゃない。

 

「大丈夫だよ」

 

「クロノ君もリンディさんも協力してくれるって。情調酌量の余地があるし、何よりキミたちは闇の書の、ひいては別世界とはいえ管理局の被害者だ。だから、助けを求めているなら全力で助けるって言ってくれたの」

 

「だから、大丈夫なの」

「わたしと、みんなで絶対に助けるからね!!」

 

 そんな風に不安になるアスカを励ましてくれるのが、なのはだった。

 

 保護されたシュテルだけじゃなくて、アスカも同じように心の何処かで傷ついていることを察して、こうして様子を見に来てくれる。何度でも、何度でも、話を聞いてくれる。励ましてくれる。

 

 そうして、アスカとお話しして、その想いを受け止めて。

 

 不安なんて吹き飛ばしちゃうような力強くて、優しい笑顔で、アスカの両手を握りしめて。彼女が泣きそうなときには、優しく抱きしめてくれた。

 

 今も、こうしてアスカを抱きしめてくれる。

 

「それに、『アリサ』ちゃんは、こうして皆の為に立ち上がれる強い子だもん」

「いっぱい傷ついた分、震えちゃうのはしょうがないよ」

 

「わたしだって、ジュエルシード事件に初めて遭遇した時は、とっても怖かったし」

「誰かに傷つけられるたびに、痛くて怖くて、泣きそうになったけど」

「支えてくれる人がいたから、護りたい人たちがいたから、頑張れたの」

「ユーノくんや、レイジングハートのおかげだから」

「ねっ、レイジングハート」

『All right』

 

「そのあとに、クロノくんやリンディさんが来てくれて。何度もジュエルシードの事で何度もお世話になって」

「わたしの我儘を聞いてくれて、フェイトちゃんとも魔法を通して想いを分かち合うことが出来たの」

 

「だから、諦めたりしないで」

「もし、どうしようもなくなったりしたら、わたし達を頼ってくれていいから」

「絶対に助けるから」

 

「というか、こうして知ってしまった以上。見過ごしたりなんかできません」

「絶対に助けて見せます!!」

「あと、全部解決したらあらためて友達になってほしいの」

「わたしもシュテルちゃんの事とか、レヴィちゃんのこと、もっと知りたいもん」

 

「ふふっ、まったく。こっちのなのはは、呆れちゃうくらいのお人好しね」

「ふにゃあっ!!?」

 

 まったく、こんな風に献身的に励まされ続けると、悩んでいる自分が馬鹿らしくなると、アスカは思い直す。

 

 そうだ。自分は何の為に管理局に降った? この世界で迷子になってしまって、闇の書の運命に囚われ続けている皆を助けるためだ。

 

 こんな所でくよくよしていられない。

 

「ありがとう、なのは」

「うん、どういたしまして。『アリサ』ちゃん」

 

 最初の一歩は自分から。

 

 大人たちも、世界も、何もかもを信じられなくなって。

 

 マテリアルにとって本当に信頼できるのが自分たちだけだというのなら。

 

 まずは、アスカが信じてみようと思う。

 

 それが、最初に倒れてしまった自分の使命だと思うから。

 



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