未確認生物から女の子を守った結果―― (対魔忍佐々木小次郎)
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第一話

 リノリウムに似た感触の通路を駆ける。

 きゅ、きゅっと独特な音が白い壁面に反射し、荒い呼吸音と混じった。

 

「はっ……! はっ……! 早くっ……!!」

「待って、うまく動けな……っ!」

 

 手を引く彼女の足取りは拙く歩き始めの赤ん坊のよう。

 無理やり背負えば、お湯を被ったような高熱が背中を焼く。

 僅かに上がった速度。はち切れそうになる心臓と肺。

 苦しいと悲鳴をあげる身体を無視して、背中の彼女を絶対に落とすまいと腕に力を込めた。

 速く、もっと速く走らなければ──。

 

「追え、絶対に逃がすな!!!」

 

 怒号が背中に突き刺さり複数の足音が打ち鳴らされる。

 心臓がぎゅうっと縮こまると同時、視界に入った細道へ飛び込んだ。

 

 もう追ってきた、まずいまずいまずい! 

 頭の裏側でガンガンと警鐘が盛大に鳴り響く。

 追いつかれるとどうなるか正確に認識しているが故に、もしもを考えると脚が竦んで動けなくなってしまいそうで。

 

「私を……はっ、ぁ、置いて……行って……」

「だから……! そんな事出来るわけないだろ……!?」

 

 彼女の弱々しげな声が、そんな弱音を吹き飛ばす。

 気合いを入れろ。根性を見せろ! 

 お前が諦めれば彼女は死ぬぞ!! 

 

 前に踏み出し続ける脚。酷使し過ぎたせいか引き攣り始めたような気がする筋肉。

 状況を打破するために高速で回転する頭の裏側で、全く別のことを考えた。

 

 ああ、そういえば、どうしてこうなったんだっけ──。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 星の綺麗な夜だった。

 少し冷えた風が肌を撫で、さわさわと草木が身を震わせる。水たまりに映る空はさざめき、散りばめられた星々が唄う。

 

「よっこらしょっと」

 

 簡易椅子に腰をおろしてテキパキと組み立てるのは天体望遠鏡。

 始めは拙くて教えてくれた人に笑われたそれも、今ではだいぶ様になっているのではなかろうか。

 昨日までの雨もカラッと上がり雲ひとつない絶好の観測日和。

 今のご時世、人口的な明かりのない場所はほぼないが、少ない場所ならいくつかある。

 そのうちのひとつ、ウチの近くの裏山に登って星を見るのが趣味のひとつだ。

 

 バイト代を貯めて買った天体望遠鏡を覗き込みながらくりくりと倍率をいじってやれば、ぼやけ滲んでいた星々がその美しさを取り戻す。

 満天の星空を見上げるのもいいけれど、こうやってひとつひとつじっくり見ていくのも趣がある。

 いつもならそうやって星を観測していたが、この日は少し違った。

 

「……んぁ、なんだあれ」

 

 一瞬夜空のキャンパスに瞬いた赤い光。

 気になってそこに焦点を当ててみる。

 何もない。そこには普段と変わらぬ光景が広がっていて──違和感。

 

「ん?」

 

 いつも見えていた星が見えない。

 何故だろう、と疑問に思って、何か大きなもので遮られているからだとすぐに気がつく。

 人工衛星ではない。もっと大きなもの……それか、もっと近いもの。

 はっと顔を上げれば、それは既に肉眼で視認できる程に接近していた。

 

 Q.何故か。この状況を説明せよ。

 

 A.隕石か何かがこっちに墜ちてきてるからです。

 

「うおおおおおおッ!!!?」

 

 それを理解した瞬間、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり宝物の天体望遠鏡を放り捨てて駆け出した。

 

 目測直径1.5メートル。

 時速はわからないけど多分凄く速い。

 

 地表に限りなく近いた状態で1.5メートルだ。直径10メートルの隕石が衝突すれば半径数キロに渡ってクレーターが出来るというのだから、単純にその十分の一と考えても間違いなく巻き込まれる位置関係。

 空中で摩擦熱により爆発しても、地表に衝突しても命の保証はない。

 

「やばいやばいやばいッ!!」

 

 草を踏みつけ、木の根を飛び越え、転げ落ちるように山を下る。

 文字通り命懸けの疾駆。間違いなく人生で一番速く走った。走ったんだが、根本的な速度差はどうしようもなく。

 

 空から飛来したナニカが木々をなぎ倒しながら頭上を通過し裏山に墜落した。

 

「づ──────っ!!」

 

 間近でダイナマイトが爆発したかのような衝撃。遅れて落雷が100発まとめて落ちたかと錯覚するほどの轟音が辺り一帯をビリビリと震わせる。

 木々を根っこから吹き飛ばす破壊の様を薄眼に確認──直後、爆風にあおられて身体が浮き上がった。

 

 身体の中身がひっくり返るような浮遊感。

 ぎゅっと瞑っていた瞼を持ち上げれば、眼下には円形にくり抜かれたような裏山の一部とその中心にある球状のナニカ。

 

 あれ、あの大きさの隕石にしては被害が小さすぎるな……と現実逃避染みた思考が頭をよぎった瞬間、存在を思い出したように重力が身体を引っ張った。

 強烈な嘔吐感に気持ち悪いと思う暇もなく、グシャリ、と耳障りな音を立て潰れる身体。

 一度小さくバウンドしてゴロゴロとクレーターの淵まで転がり、そのままなだらかな斜面を転げ落ちた。

 

 人間にはある一定量の痛みをシャットアウトする機能があるという。

 それは失神だったり、脳が麻痺して痛覚を伝えられなかったり。

 なら、意識はあるけど痛みは感じない自分は後者なのかな、と驚くほど呑気に考えた。

 もしかしたら、幽体離脱というやつだったのかもしれない。

 兎も角、俺は自分の身体がどうしようもなく終わってしまっている事を事実として正確に認識していた。

 

 呆気なかったなあ、と思う。

 死神は気まぐれで、ある日突然目の前に現れる。

()()()()()()()()()()()、本当に死ぬとなると思うこともある。

 

 ──生きたい。

 

 もっと生きたい。

 美味しいものを食べたい。心地よいものに触れたい。綺麗なものだって見たいし、良いにおいも嗅ぎたい。

 漫画の続きもきになるし、友だちとの約束だってある。来月公開の映画も楽しみだし、もっと遊びたかった。

 勉強して、卒業して、就職して働いて、心から大切に思える人と出会っていつかは……結婚もして。

 愛する人に添い遂げて沢山の子どもや孫に囲まれて死ぬ……そんな未来だって想像した。

 やっと手に入れた人並みの人生を、もっともっと、生きたかった。

 

 ──ただ、どうせ死ぬのなら。

 誰かのためにこの命を使って、誰かの笑顔を守って。このために生きてたんだって胸を張れる、そんな死に方をしたかった。

 

 ああ、でも。最期の最期にそんな事を思うのは。

 俺は、本当は──。

 

「────────!」

 

 ……? 

 声、だろうか。

 とても綺麗な音が聞こえた気がした。

 なんだろう、と首を向けようとしてピクリとも動かない首に内心舌打ちをする。

 

「────────!」

 

 草木のざわめきや虫の鳴き声とは明らかに違う音。

 ただ、聞き取れない。何かの目的を持った音の配列だとは思うが記憶の隅にも引っかからない。

 

「────────!」

 

 ああ、くそう、見たい。

 この美しい音色を奏でるのがなんなのか、どうしても知りたい。

 そんな俺の願いが通じたのか、ほんの僅か、ゆっくりと首の筋肉が収縮する。

 そして、微かに視界の端でそれを捉えた。

 

「……ぁ」

 

 こぽり、と血の混じった肉声。

 感嘆と漏れ出た声は囁きよりもなお小さく、もしかしたら気のせいかもしれない。

 でも。

 俺がこの時見た光景はきっと現実だ。

 

 星の光を吸い込んだような淡い金の髪に突き出た二本のツノ。

 剥き出しの肘から先を覆うように細やかな鱗のようなモノが光沢を放ち、臀部からは太めの尻尾がふりふりと揺れる。

 こちらを覗き込む縦に裂けた瞳が戸惑いに震えた気がした。

 月光を纏う全身に儚さを感じた。

 

「────」

 

 その姿に心を奪われた。

 生まれて初めて、こんなにも美しいものを見たとさえ思った。

 

 暗澹とする視界。

 意識が断線し世界に魂が虚ろう。

 

「────────!」

 

 最期にまた聞こえた美しい音色に、ああ、やっぱりと納得して。

 この日この時この場所で、俺はその生涯を終えた──

 

 

 

 

 ──はずだったのだけれど。

 

『ねえ、今日はこれにしない? 牛肉コロッケ』

「無理。予算オーバー」

『なによ、ケチ! いいじゃない、最近はパスタばっかりだったんだし!』

「ほう……? パスタばっかりになったのは何故かお忘れで?」

『うっ。わ、悪かったわよ……ってあれは謝ったじゃない! アンタも楽しんでたんだからおあいこよっ』

「ぐっ。それを言われると弱い」

 

 言いつつ、ミンチ200グラムを買い物カゴの中に入れる。

 最近のパスタ生活のかいあって、実のところ余裕はあったりするのだ。

 歓声を上げる彼女に現金だなあと内心で嘆息しつつ、まあどうせ食べるのは俺だしと苦笑い。

 

『むっ。ちょっと今私の事ちょろいって思ったでしょ』

「思ってねーよ。素直で可愛いなあって思ったよ」

『どーだか。隠し事は出来ないんだから素直に白状なさい』

「あ、今ちょっと嬉しいって思った?」

『思ってないッ! 適当言わないでくれる!?』

「隠し事は出来ないんだから素直になれば?」

『こ、こいつぅー!?』

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼女を半分無視しつつ、会計を済ませてお店を出る。

 眩しさに手を翳せば、元気に紫外線を撒き散らす太陽が今日も容赦なく輝いていた。

 

 ──一年前のあの日、星がよく見える夜の裏山で確かに俺は死んだ。

 突如飛来した隕石のようなナニカ。

 それの衝突による衝撃によって俺の身体は破壊され、一生を終えた筈だった。

 

 だけど、俺はこうして今日も生きている。

 

『あっ。ねえねえ、あのかき氷って前に言ってたやつでしょ? 食べたいっ!』

「あー、だいぶ暑くなってきたからそろそろ食べたくなってくるな」

『そうそう! 去年は食べられなかったしね!』

「でも諦めて。牛肉コロッケを買ってしまったので本当に予算超過です」

『ちぇー、仕方ないか……』

「……かき氷機は持ってるから、もう少ししたら作るか。今度シロップを買いに行こう」

『本当!? やったー! ありがとう!!』

 

 つくづく俺は彼女に甘いなあ、と風にはためく三文字の暖簾を恨めしく見つめた。

 来月も彼女の興味関心を満たすためにお金が消えそうだが、彼女の楽しそうな様子を感じているだけで幸せだと思うあたり、俺もだいぶ毒されているのかもしれない。

 

「ねえ、ママ。あれ……」

「しっ! 見ちゃいけませんっ」

 

 ヒソヒソとした話し声。

 何となく気になってくるりと振り向けば、小学生ぐらいの子どもとその母親らしき人がバツの悪そうに早足に離れていく。

 手を振る子どもに手を振り返して、そのまま指で小さく頰を書いた。

 

「……もしかして声に出てた?」

『出てたわよ。いい加減慣れなさいよ』

 

 彼女に尋ねれば、はんっ、と鼻で笑わんばかりの返事。

 ああ、わかる、これは呆れている感情だ。間違いない。

 

「そうは言っても、この感覚には慣れそうにないな……」

『私からしたらどうして出来ないのか分からないんだけどね』

「そりゃあ、お前の力なんだもの。俺からすれば魚に肺呼吸しろって言ってるようなもんだ」

『言い過ぎ。別に絶対にできない事ってわけじゃないでしょう』

「それぐらい難しいってニュアンスだよ」

 

 太陽を背に再び歩き出す。

 会話は直ぐに取り止めのない話題へ移り、緩やかな時間に身を委ねる昼下がり。

 

 ──前に伸びる影はひとつだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 少しだけ昔の話をしようと思う。

 昔といってもほんの一年前だが、記憶に鮮烈に焼きついた一年前のお話。

 

『目が覚めましたか』

 

 意識を取り戻した俺が最初に感じたのはそんな声……いや、文字だった。

 頭に直接文字を刻み込まれる様な違和感。

 妙な気持ち悪さにお腹のあたりを押さえて、生きている事に驚いた。

 

『聞こえていないはずはないでしょう。返事をしなさい』

「うわあ!?」

 

 意識を圧迫する様な……声に例えるなら、耳元で大きな声を出された感じ。

 突然耳元で声を出されたら普通は驚くし、似たような感覚なのだから当然俺も驚いた。

 

「えっ!? なにっ!? だれ!? ここどこ!? あっ俺の部屋か! なんで!? 何で生きてるの!?」

『落ち着きなさい。いいですか、今から説明するので落ち着いて……』

「気持ち悪ぅ! おえっ、何これ凄く気持ち悪い!!」

『私が気持ち悪いみたいに言うのはやめなさい』

 

 頭に刻み込まれる文字にどこかねめつけるような感情が乗る。

 俺はそれに気がつく余裕はなくて、兎に角お腹の奥から込み上げる気持ち悪さと状況が分からない困惑で精一杯だった。

 だって、裏山で死んだと思ったら生きてて、いつの間にか自分の家にいるんだぜ? しかも、頭の中に誰かがいる。

 気が狂ったのかと思った。これで取り乱さない方がおかしい。

 

『落 ち 着 き な さ い』

 

 うっ。

 このままでは拉致があかないと判断したのか、今までで一番の圧迫感が頭を襲う。

 思わずこみ上げた吐き気に口を片手で覆った。

 

 感情を強制的に一方向に収束される。

 そのおかげかだいぶ冷静になったけれど、代わりに強烈な嘔吐感。

 耐えきれず横隔膜が震えるも、胃の中に何もないのか食道が縮むだけだった。

 

『……先程よりは冷静になったようですね』

「気持ち悪い……」

『時期に慣れます。……貴方にしても、体調をおしてでも知りたい事は多いのでは?』

 

 頭にガツンと文字を刻まれ強制的に理解させられるようなこの感覚は耐え難いが、確かに俺には知りたい事が多すぎた。

 だから、俺は頭の中の誰かの話を聞くことを選んだ。

 

『……では、貴方の身に何が起こったのかを説明します』

 

 ──まずは謝罪を。

 その言葉で口火を切った頭の中の誰かの話は、普通なら到底信じられないようなものだった。

 

 俺と頭の中の誰か──彼女に起こった事を一言で纏めるのなら、不幸な事故という表現がぴったり当てはまる。

 

 地球近辺でエンジントラブルを起こした彼女の小型船は狙い澄ましたように小惑星と衝突。

 そのまま制御不能状態に陥ったまま大気圏に突入し、ほぼ墜落に近い着地をした場所にたまたま俺がいた。

 これがあの夜の全貌。

 俺が隕石だと思ったのは彼女の小型船で、彼女は宇宙人だったのだ。

 

 ……いや、信じられないのは分かる。

 多分俺もいきなりこんな話をされたらノータイムで作り話認定をすると思う。

 でも、紛れもなくそれは真実であり現実だった。

 

 では、宇宙人である彼女はなぜ地球に来たのか。

 

『私はこの星を調査するために来ました』

 

 彼女の星では異星間交流が盛んだという。

 そして、新たに知的生命体が確認された地球の文明レベルや、友好関係になれるかどうかを調べるために派遣されてきたのが彼女。

 また、その際に彼女には絶対に破ってはいけない規則があった。

 

 ──その星の知的生命体を殺してはならない。

 

 もともと友好関係を結ぶためなのだから、当たり前といえば当たり前。

 ただ、不幸が重なり彼女は地球に降り立つ際に俺という地球の知的生命体を殺めてしまった。

 派手な着地をしてしまったためにそう遠くないうちに人が集まるのは必至。

 小型船を移動させなければならないが死体も残れば大きな騒ぎになり、焦った彼女はあるひとつの方法を思いつく。

 

『正確に言えば貴方は死んだのではなく瀕死状態。とは言え、何もしなければ数秒のうちに死んでしまう……。なので、私と融合する事により貴方の命を繋ぎました』

 

 彼女の星の種族は身体を変異させる事ができるという。

 例えば手足を刃物に変えたり。例えば背中から翼を生やしたり。

 その能力の応用で、壊れてしまった俺の身体を彼女の身体でまかなっている。

 一心同体。俺と彼女の状況を簡単に言えばこんなところだろうか。

 

 壊れてしまった俺の身体は彼女が再生してくれるらしい。

 ただ、多種族の組織の再生は難しいらしく、彼女の母星の医療設備があれば簡単にできるが彼女の独力では年単位の時間が必要とのこと。

 それまでは融合し続けなければならない。

 

『貴方からすれば私は疫病神のようなものでしょう。ですが、私は貴方の助力がなければ任務を果たせない。……どうか、協力してほしい』

 

 頭に刻まれる文字とは別に、躊躇いのような感情を感じ取る。

 ついさっきも感じた。これは彼女の感情だろうか。

 融合の影響……もしかしたら、お互いの感情が伝わっているのかもしれない。

 

「分かった。俺でよければ協力する」

 

 特に悩むこともなかった。

 気負いなく答えた俺が信じられなかったのか、困惑に似た感情が伝わってくる。

 

『……本当にいいのですか? 私は貴方を殺して……それに、人間でもないし、得体の知れないものに勝手に身体を』

「まあ、そうだな。話の通りなら貴女が来なければ俺は瀕死にならなかったし、宇宙人にも会わなかったし、こうして奇妙な事になってなっかたのかもしれない」

 

 何事もなく裏山で天体観測をして、何事もなく家に帰って、何事もなく明日を迎える。

 きっと、そんな日常が続いてだろう。

 

 でも、それはたらればの話だ。

 

 もしかしたらあの日裏山を降りる途中で転落して死んだかもしれない。

 もしかしたら帰路の途中で通り魔に殺されるかもしれない。

 もしかしたら寝てそのまま目が覚めないかもしれない。

 

 人は突然死んでしまうもので、それは大抵悲劇的とか、ドラマティックとか、そんな物語のような事もなくてあっさりと死んでいく。

 ──あの時のように。

 

 たまたま今日が死ぬ日だっただけで、別に彼女が来たから死んだわけではないのだと俺は思う。

 なら、たまたま彼女のトラブルが死因だったおかげでこうして生きている俺はきっと最高にツキがあったのだろう。

 まあ、なんというか。要するに、だ。

 

「死ぬしかなかった俺を貴女が助けてくれた。だから、俺は貴女にその恩返しをしたい。……それじゃダメか?」

 

 それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そりゃあ、彼女が人間を皆殺しにしてやるだとか、地球を破壊するために来たー、とかなら全力で拒否するけど、友好関係を築きましょうって事なら拒絶する理由もない。

 死んでいた筈の俺を助けてくれた文字通り命の恩人……命の恩宇宙人だ。なら彼女のために俺は俺のの時間を使おう。

 

『……ありがとう。これからよろしくお願いします』

 

 戸惑いを含んだ感情を感じたが、こうして俺と彼女の奇妙な同居生活が始まった。

 

 

 

 

「……ところでさ」

『なんですか?』

「なんで言葉分かんの?」

『ああ、それはですね、貴方の頭の中からこの世界に必要な知識を拝借したからですよ』

「え゛っ。そ、それって俺の記憶が無くなってたり……?」

『あくまでコピーに過ぎないのでその心配はありません。現に貴方は言語を用いて会話ができているでしょう?』

「確かに……。ち、因みに覗いたのは言語知識だけ?」

『いえ、選り分けには時間がかかるのでまるっと全部。……この星の知的生命体は皆んなああいう趣向を好むのですか?』

「……金輪際頭を勝手に覗くの禁止!」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 買い物から家に戻って、食料品を冷蔵庫に突っ込む。

 冷えた麦茶をコップに注いで一息に喉へ流し込んだ。

 

「ふぅ、荷物持って歩くと流石に暑い」

『かき氷!?』

「食べねーから。シロップないし。氷齧る気か?」

『……あんこはあったわよね? あの棚の奥の方に』

「貴様……っ! 何故それを……!?」

『ふふーん! 私に隠し事が出来るとは思わない事ねっ!』

 

 あれは食パン用に楽しみに取っておいてんだ、絶対いやだからな。

 期待の感情がビシビシと伝わってくるのを無視してテレビを付ける。真面目な顔をしたアナウンサーが取り留めのないニュースを読み上げていた。

 

『ねえねえ、そろそろいい?』

「ん、ああ。夕方になったらご飯作るから変われよ?」

『やった!』

 

 椅子に腰掛けて目を瞑る。

 イメージは睡眠に近い。

 意識を内側に向けて潜っていくと、途中でパチン、と切り替わるような感覚。

 そして、再び目を開ければ。

 

「ふぅ。よーし! 今日中に読破してやるわ!」

『くれぐれもこの前みたいに時間忘れるなよ……?』

「分かってる分かってるぅ! 〜〜♪」

 

 上機嫌にハミングしながら『俺』が向かったのは大きな本棚。

 統一性は全くなく、エッセイから小説までなんでもござれ。その中の漫画が固まっているエリアから迷う事なく数冊の単行本を抜き出した。

 

「続きが気になってたのよね〜」

『あれ、この前買ったやつは?』

「もう読んだわよ? これは同じ作者の過去作! いいストーリー描くのよねえ……」

『ちょっと待て、いつの間に読んだ? 俺の記憶にそれは……ああ!? なんか頭の中に知識があるぅ! ぐあああ、ネタバレがああああ!!?』

「ある人は言ったわ。ネタバレを避けるためには外国語を勉強してでもリアタイを追いかけるしかないと。積み本したのがアンタの敗因よ! ……というかアンタの身体なんだからアンタが読んでるのと一緒よ一緒」

『絶対ちげえ! だってこれ昨日の晩御飯なんだったかなって思い出す感じ!!』

「うるさいわね……集中させてよ」

 

 唇を尖らせる『俺』の五感から意識を逸らして、枯葉が水面に浮かぶように身を委ねる。

 そうすれば、眠っているようで、でも意識はあるという不思議な感覚が俺を包み込む。

 五感を共有しないのならこの状態が一番楽なので、彼女と交代したときは専らこうする事が多い。

 

 俺と彼女は身体を動かす主体を切り替える事ができる。

 詰まる所、今俺の身体を動かしているのは彼女なのだ。

 この意識の切り替えはお互いの合意がなくてはならない……ということもなく、強制的に切り替えることもできる。最初の方に何度か彼女にやられた。

 しかし、逆に俺の方からは成功した試しがない。彼女曰く出来ないことはないらしいが……恐らくはこれも元々彼女の力なので、俺には上手く扱えないという事なのだろう。

 

 にしてもくそう、楽しみにしてたのに回避不能のネタバレとか鬼畜すぎるだろ。いや彼女も楽しみにしてたから後回しにしたのが悪いっちゃ悪いが……。

 引きずっても仕方ない。取り敢えず交代したら読むと決めて、やれることも無いので眠るように……されど、意識の片隅で過去を振り返った。

 一年前……彼女と出会ってから、本当に色々な事があった。

 

 彼女が裏山に隠した小型船の修理をしたり、彼女が地球の食べ物に並々ならぬ関心を持ったり、漫画にハマった彼女のキャラが変わったり。

 ……いやほんと。どこか高貴さを感じさせた振る舞いはもう見る影もなく、今の彼女は漫画から得た知識をフル活用した女性ロールというやつを全力で楽しんでいる。

 たまに違うロールをしたりもするが、なんでツンデレ風味に落ち着いたのかは顔から火が出そうになるので思い出したく無い。

 

 いろんな彼女を感じた。だから、彼女が俺に嘘をついていることも分かっている。

 始めて出会ったあの夜に告げられた、地球と友好関係を結びに来たという彼女の言葉……あれは多分、俺を協力させるための方便だったのだろう。

 彼女は知らないが、俺は寝ている間に彼女が強制的に切り替えて色々と調べていた事を知っている。調べていたのは……言ってしまえば、軍事関係の事が殆どだった。

 ノータッチ、という訳にもいかないのは分かる。だが、二ヶ月もそれのみを深く、より詳しく調べようとするのは流石におかしい。

 小型船の通信設備の修理を何よりも優先していたのもその疑惑に拍車をかけた。

 俺と図書館で調べたりネットで得たほんの些細な地球についての調査結果と、彼女が詳細に調べ上げた地球の軍事力。

 その報告を必要以上に焦る理由は? 

 そもそも、文明レベルの調査をしてその後友好関係を結ぶというのもおかしな話だ。

 本当に友好関係を結びたいのなら彼女ひとりを調査に向かわせるのではなく、国王なりなんなりの委任を受けた公的な使節団が赴くべきなのだから。

 なのにこれではまるで……敵国の内情を探るスパイのようではないか? 

 

 何となく、彼女の星が人類にとって好意的な方針を取っていないことは推測できる。

 なら、人間である俺は彼女に協力するべきではないし、実際あの夜にもしそういった背景があるのならたとえ死んだとしても拒絶した。

 

 でも、俺は彼女を拒んだ事は一度もない。

 ……理由はいくつかある。

 

 ある日を境に直っていないのに通信設備の修理をあまりしなくなった事。

 最初に感じていた心理的な壁がなくなって、心の距離が近づき過ぎた事。

 

 そしてなにより。

 俺は、彼女と過ごす時間を掛け替えのないモノだと思うようになっていたから。

 

 俺たちは互いの感情を手に取るように知る事が出来る。

 嬉しいのも、悲しいのも、楽しいのも、怒っているのも。

 彼女の喜怒哀楽はとても素直で、何を嬉しいと思い、悲しいと思い、楽しいと感じ、怒りを抱くのか、全部知っている。

 その俺が断言しよう。

 彼女は心優しい宇宙人だ。

 

 ……まあ、何というか。

 言ってしまえば、楽しいのだ。

 彼女と過ごす日々はどうしようもなく楽しくて、俺はそれに幸せを感じていた。

 パスタ生活になったり、秘蔵のあんこの場所がバレてたり、漫画のネタバレを食らったりしても。

 彼女と言い合って、取り留めのない話をして、たまにちょっと喧嘩もしたりするけど、すぐに仲直りして。

 そんな日々を愛おしいと、そう思ってしまったのだ。

 

 最も近くて、最も遠い。心は触れ合えるのにその姿を見ることさえできない。

 でも、それでいいと。

 分離するのにはまだ時間がかかると申し訳なさそうに彼女が言ったときも、俺はむしろ嬉しかったぐらいなのだ。

 浅ましい気持ちで、女々しいとは思うけれど、彼女とまだ一緒に居られるのだと喜んだ。

 命を救ってくれたという返しきれない恩もあることだし。

 

 それに。

 

「ひっく、う、うぅ……ずびっ」

 

 漫画を読んで、登場人物たちに感情移入をして、涙を流す。

 人の喜びや悲しみに共感して、自分のことのように喜んで悲しむことのできる彼女が残酷な事を考えているとはどうしても思えなかった。思いたくなかった。

 

 騙されたのならもう騙されたでいい。

 ただ、それならあの日俺の命を助ける必要もなかった筈で。

 それで今日までの彼女が全部嘘だったって事なら、もう仕方ない。

 そう思ってしまったから。

 

 先行きに少しばかりの不安はあれど、これからも……少なくとも、今日明日、来週、来月、来年と彼女と過ごしていける事実に胸が弾む。

 

「……っ!」

 

 物語が佳境に入ったのか、彼女から興奮が伝わってくる。

 ここは時間の感覚が曖昧でよく分からないが、視覚を共有した際の光量から多分もう夕方。

 まあ、もう少しだけ待とうか、なんて思いながら俺は小さく笑った……ようなイメージ。

 今は意識だけの存在だから、そんな感覚。

 

 明日は何をしようか。

 一年前では考えられなかった事に思考を飛ばして、そんな自分がどこか可笑しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変わらぬ明日がまた来ると、俺は無邪気にも信じていた。

 幻想に過ぎないと身を以て知っていたはずなのに、そう信じたかったのだ。

 あの日、俺の人生が狂ったように。

 あの日、彼女と出会ったように。

 運命ともいうべき大きな節目、人生の転換点。

 それはいつだって心構えをする時間すら与えず突然起こるモノ。

 つまり、たまたまそれが今日だった。それだけの話。

 

【緊急速報ですッ!!!】

 

 付けっ放しだったテレビからアナウンサーの荒げた声。

 漫画に夢中な彼女の代わりに耳をそばだてれば。

 

【首都より500メートル先の上空ッ! 沿岸部に謎の……あれは、巨大な……船……でしょうか、巨大な舟が現れましたッ!!!】

 

 巨大船? 

 空を泳ぐ船は確かに圧巻だが、緊急速報にはならない。

 それはありふれた光景だからだ。

 他国が戦争でも仕掛けに来たか? と俺が思ったその時。

 

【あ、あああっ!!! す、スカイツリーが……、歴史重要文化財のスカイツリーが謎の船による攻撃で倒壊ッ! 倒壊してしまいましたッ!?】

 

 特大の驚愕が鯨波のように俺を飲み込む。

 単行本が手から零れ落ちたのかトッ、と乾いた音。

 

「なん、……で……あり得ないッ!! 早すぎる……!!」

 

 目を見開いた『俺』がわなわなと震え、次の瞬間家を飛び出した。

 

「あり得ない……! なんで、まだ一年よ……!?」

『おい! 待て、落ち着けっ!』

 

 流れ込んでくる今まで感じたことのない大きな焦りとぐちゃぐちゃに混ざった感情。

 明らかに普通の精神状態じゃない。

 ひとまず彼女を落ち着かせる事が最優先だと判断した俺が必死に呼びかけるも、気付かないのか脇目も振らず夕焼けに染まる道を駆ける。

 くそ、一体全体何がどうなっているのかは分からないがこうなりゃ強硬手段しかないっ。

 

『落 ち 着 け !!!』

「うっ……!」

 

 強く響かせるように呼びかければ、『俺』が頭に手を抑えて呻く。

 

『……落ち着けってのは無理かもしれないけど、せめて話してくれ。俺とお前は一心同体、二人でひとり……そうだろう?』

「ごめんっ……、でも、時間がないっ!!」

『感じてる。変わってくれ、俺が走る。その間に話してくれればいいから……もう数時間経つ。だいぶきついだろ?』

「……っ、ありがとう、任せた」

 

 存在ごと引っ張り上げられるような感覚。

 パチン、と切り替わる手応えのようなものを感じ、同時に体力の消耗を覚え肺が痛んだ。

 

「……はっ、どこに行けばいい!?」

『小型船までお願いっ!』

「よしきた! 裏山だな!?」

 

 彼女が裏山に隠した小型船まで全力で走って十分と言ったところか。

 今も頭を掻き毟りたくなるような衝動を感じる。こんなにも余裕のない彼女は初めてかもしれない。

 

「それでっ! あの巨大船はなんだ!? どうしてお前はそんなに焦ってる!!」

『……っ、それは……』

 

 彼女の心が躊躇いに揺れる。いや、これは……恐怖? 

 逡巡は刹那、意を決し、曝け出すような悲痛さを伴った。

 

『あれは、私の星の……軍艦。それも、最高戦力の一角をなす二対の大型母艦のひとつッ!』

「はあ!? ちょっと待て、それってまさか……!?」

 

 その言葉が何を意味するのか。

 地球規模で考えれば、他国の軍艦がいきなり首都近辺に出現し、警告無しの砲撃を本土に撃ち込んだ。

 明確な宣戦布告。戦争の引き金。

 それが、宇宙規模で起こったってのか!? 

 

『あのクラスの軍艦が来てるって事はどう少なく見積もっても国力の過半数以上が動員されてるツ! ……地球と戦争する気よッ!!』

「スケールがでか過ぎる! どうなるんだそれ!? 俺たちは勝てるのか!?」

『多分、無理。一度宇宙に押し返すまでは出来ても……私たちと人間じゃ持久力が違い過ぎるの!! それに、地球は星規模の連携が出来ない……っ! すぐにこの星が戦場になる! だから、早く止めないと……!!』

「戦争する気満々なんだろ!? もう撃ち込んでんだぞ!? 止められるのか!!?」

『……ひとつだけ、手はあるわ。可能性は低いけど……でも、このままだと地球が、アンタの生きてる星が侵略されちゃう!!』

 

 眼前に裏山を捉えた。

 そのまま山道を……ええい! 近道だ! 

 強行突破。舗装されていない獣道に突っ込む。

 

『……訊かないの?』

「何をだ!?」

 

 不安に揺蕩う感情。

 鬱蒼と生い茂る木々を手で掻き分けながら声を張り上げる。

 

『なんで……私の星の軍艦が地球に来たのか。私が呼んだんじゃないか……とか。私が……アンタを騙してたんじゃないのか、とか』

 

 それは断罪というに消極的で、非難というには自罰的だった。

 彼女の心が悲鳴を上げて、耳元に囁くように自らの罪を告白しようとしているようだった。

 

 ……訊かないのかだって? はん、んなの決まってらあ! 

 

「訊かねえ! 興味ねえ!!」

『っ! どうしてっ!? だって、私は……!!』

「関係ねえよ!! 今! お前の心が痛いって叫んでんだよ!! 過去に何があろうが! この状況の原因がなんだろうが! 今、お前は苦しいって哭いている!! それで十分だ!!!」

 

 疑った事もあった。嘘をついてると確信もある。

 でも、それでも。

 俺は、彼女の心の清らかさを知っている。

 今、彼女は本気でこの戦争を止めたいと懸命な事を感じている。

 なら、最初にどんな思惑があったかなんて関係ない。

 ともに過ごした俺の心が叫ぶのだ。

 腹の奥底に……ハートに伝わるこの想いだけで彼女を信じられると。

 

「止める方法があるんだろう!? お前ならこの戦争を止められるんだろう!?」

『……っ、ある、けど……でも、頭が真っ白になって飛び出しちゃったけど、アンタも危険に……』

「このまま戦争したらどの道だよッ! それに……さっきも言っただろ? 俺とお前は一心同体だ。融合してるうちは地獄まで付いてきてもらうし、付いていくからな」

『……っ、なにそれ……、バッカじゃないの……っ』

「知らなかったのか?」

『知ってたわよ……っ、バカ。……ありがとう』

 

 返答の代わりに心からの信頼を。

 腕で顔を覆いながら走り続けた先、視界が広がるほんの少し開けた場所がある。

 

 あの夜に彼女が選んだ小型船の隠し場所。

 何度も修理に赴いたのだ。どうすればいいかもわかる。

 視界が開けた瞬間俺は叫んだ。

 

「ステルス解除っ!!」

 

 ジ、ジジジッ、と波に攫われるような電子音とともに空間がぐにゃりと歪む。

 姿を現したのは光学迷彩により隠されていた鉛色の球形に金の紋章が描かれた……彼女の小型船。

 

「……あれ、こっからどうすんの!? てか動いたっけ!?」

『星間飛行は無理だけど首都の軍艦までならギリギリッ!』

 

 その言葉に突き動かされるようにハッチを開けて乗り込む。

 人ひとりが乗っただけで少し窮屈に感じるほどのスペースに、中には多種多様なスイッチやモニターが所狭しと並んでいる。

 ……どれだっけハッチ閉めて飛ぶ操作する奴は!! 多すぎて分かんねえ! 

 

『そことあれとそれとこれっ!!』

「いや分かんねえよ!!」

 

 記憶を頼りに適当にいじった場所がそれだったのか、ハッチが閉まりゴゥン、と重い音が振動を運ぶ。

 いよぉし! 当たった! 結果オーライ!! 

 

 キィィィッ、と金属が高速で振動するような音を立て身体に僅かなGがかかる。

 慌てて体を固定した瞬間、ふわりと浮き上がった小型船は勢いよく空へ飛び出した。

 急激にかかるGに耐えレバー握る。体制制御。ずしりと重いそれを思いっきり力を込めて引く。

 

「首都の母艦でいいんだよな!?」

『ステルス! ステルス忘れてるッ!!』

「ステル……どれだ!?」

『奥の青いの! 右から二番目!』

 

 腕を伸ばして押し込んだ瞬間、船内に乱反射する漣のような電子音。

 中からでは分からないが、恐らくこれで外からは見えないようになったのだろう。

 機動が安定する。首都まで数十分といったところか。

 半ば以上勢いで飛び出してきてしまったため、その間に彼女とこれからの事を話し合おうとしたその時。

 

「うわ!? 今度は何だ!?」

 

 けたたましいアラート。

 焦燥感を煽るように船内が赤く点滅する。

 

『ッ! 前!!』

 

 眼前に設置されたレーダーパネル。

 そこに点滅する光点があった。

 出発の時にはなかったそれに俺の脳が嫌な予測を弾き出す。

 

「……ゲームだとこういう時ってだいたい敵性反応とかだけどさ。これ、セーブポイントだったりする?」

『何言ってんの!? そんなわけじゃないじゃん!? 早く逃げて!!!』

「ステルスどうしたんだよちくしょう!!」

 

 悪態をつきながらもレバーに力を込め、方向を変え──。

 

「──逃げるってどこに?」

 

 方向を変えようとして、呻くように唇から息を吐き出した。

 笑えてくる。どこに逃げろというのだ。

 

 ──俺の目の前には、目測で直径200メートルはあろうかという巨大な円盤が空に鎮座していた。

 

 しかも、ざっと見で五十は下らない数の砲門が此方に狙いを定めてるときたもんだ。

 これ普通に俺の国の空戦空母ぐらいないか? テレビで見る事しかなかったが実物を見ると圧巻の迫力がある。

 

『あの船は……って! 何やってんの!? あれ、あれ! チャージしてる!! 撃ってくるッ!!!』

 

 あまりの光景に現実逃避していた思考が叩き戻される。

 視界が砲門の先端に収斂されていく光を捉えた。

 五十の砲門、その全てに。

 

「まじかああああああああ!?」

『まじよおおおおおおおお!?』

 

 後ろ──無理! 右も左も当たる! 退路がねえ! 

 くそ、でも動かなきゃ蜂の巣だ! 

 

 目的を持った操作ではない。

 とにかく動かないと死ぬ。その一心で全力でレバーを倒した。

 それは、鋭角に下へと小型船切り込ませ、瞬間そのすれすれの空間を光弾が抉り取っていく。

 船体上部を掠ったのかエラーの文字が連続で表示された。

 

「ぐ、おおおお!! 重い……ッ!!」

『……く、やむを得ないわ……私が操縦するッ!!』

「大丈夫なのか!?」

『そんなこと言ってる場合じゃないでしょッ!』

 

 同時、身体の中に意識が吸い込まれ、切り替わる。

 

「もうステルス切れてるから私の船だって分かってるはずなのに……! 目にモノ見せてやる!」

『いけるのかコレ? 無理するなよ!?』

 

 高度を落とし続ける小型船を狙い定め第二射が放たれる。

 確かめるようにレバーを握ったり開いたりを繰り返していた『俺』は一度強く握りしめ──不敵に笑う。

 

「誰に言ってんの? 私のドラテク舐めないでよねッ!!」

 

 退路がない? それなら前に進めばいい。

 そう言わんばかりの急上昇。

 視界を埋め尽くす嵐のような弾幕に自ら突撃する。

 

『ちょおおおお!?』

 

 内心で絶叫する俺の悲鳴。打ち鳴らされるアラートをBGMに弾幕に突っ込んだ小型船は冗談のような鋭いターンの連続で掻い潜っていく。

 五感を共有してどう動かしているか分かるのに何故そう動くのか全くわからない。

 掠った。抉れた。警告表示が氾濫する。修理不完全なエンジンに深刻なダメージ。回転。旋回。

 

 デタラメな機体制御が火を噴く砲塔の悉くをすり抜ける。

 しかし、このまま前に進んだところで──! 

 

『どうすんだ!? ぶつかるぞ!!』

「ぶつけるのよ!!」

『はあ!!?』

 

 信じられない言葉を聞いた。

 しかし、冗談ではないと示すようにさらに加速。

 ぐんぐんと楕円形の巨大船へ迫る。

 

『嘘だろ!? 特攻じゃねえか!!?』

「見てッ! ハッチが開きかけてる! 戦闘船を出す気ね。あそこに突っ込むわよッ!! 小惑星の衝突に耐えたこの船を信じなさいッ!!!」

『あれかッ! ……いや閉じてってねえか!? 無茶苦茶だッ!?』

「いっけえええええぇッ!!!!」

 

 響き渡る『俺』の咆哮。

 夕暮れの空に鏤む光弾の星屑を夜天を駆ける彗星のように引き裂いた小型船が巨大船のハッチの隙間に滑り込む。

 

「きゃああああっ!?」

『うおおおおおっ!?』

 

 轟音を立てて削れる船体。

 洗濯機に入れて掻き回されたようにしっちゃかめっちゃかに揺れる船内。

 鳴り止まぬアラートにもう船内が赤く染まって見えた。

 端まで行って壁か何かに衝突したのか一際大きな衝撃が『俺』を襲い、ようやく止まる。

 

「ごっほ、ごほっ!! ……ほ、ほら、上手くいったでしょ」

『……この惨状を見てそう言えるのは凄いと思うわ。もう飛べないだろコレ』

 

 何処かが焼き切れているのか船内の一部から火花の華が咲く。

 ハッチを開けようとして──開かなかったので、えいやっ! と五回ほど蹴って無理やりこじ開けた。

 蹴って開いちゃうのか……予想よりだいぶ損傷が激しいのかもしれない。

 

 そこは鈍色の大広間だった。

 小型船から出た『俺』が見たのは、ズラリと並ぶ30はあろうかという戦闘船。

 

「ぐ……無茶苦茶してくれる……!! おい!! 武器を取れ!!!」

「ああ……! くそっ、姫様を思い出しちまって胸糞悪くなるぜ……!! どれだけ俺たちの誇りを汚すんだ人間は!!!」

 

 そして、姿形を初めて見る二人の宇宙人。

 二本の腕に二本の脚。頭からつま先までの部位を判別できるほどにベースは人間と共通している。

 頭にはそれぞれ形の違うツノが鎮座しており、見える肌には鱗のようなモノがあったりなかったり。

 手には鋭い爪が見て取れ、骨格からして違いそうなほどゴツゴツと鋭角な形状をしておりとんでもない握力がありそうだった。

 その岩すら砕きそうな手に握られているのは……ん? 腕そのものが剣になってないかあれ? 

 

「貴様、人間だな!? 王家の船に乗っていた……!! 貴様が姫様を……っ!!!」

「やめろ、言葉は通じねえだろぉよ……殺してやる」

 

 明らかな敵意。

 巨大船からの逃走が不可能だった故の突撃。だが、結果として現在戦争をおっ始めようとしている宇宙人の懐に自ら飛び込んだ。

 どうなるかなど火を見るよりも明らか。

 

『……早速囲まれちゃってんじゃねえか! 逃げないと……え? 王家って──』

 

 声が詰まる。予想だにしない言葉。

 王家? 姫? それはどういう──。

 

「──誰にその鋼を向けている」

 

 一歩。

 前に進み出た『俺』から自分の声帯から作り出したとは思えない程の力を持った高い声が響く。

 同時にまるで身体が作り変わるような感覚が全身を侵す。

 ミシリ、と空間が軋みをあげた気がした。

 気持ち悪い。でも、一度何処かでこれを経験したような……。

 

「なっ……!? そ、そのお姿は……!?」

「バカな……!? 夢でも見てるのか……!? それは……王家の力……っ!!」

 

 宇宙人たちの相貌が驚愕に染まる。

 ワナワナと身体は震え、信じられないモノを目の当たりにしたと言った様子だ。

 どういうことだ? 俺が出来るのはあくまで五感の共有なので、客観的に自分を見下ろしたり出来るわけではない。

 何故目の前の宇宙人は『俺』を見て狼狽えているのか……その疑問は数秒と経たず氷解した。

 

「この顔を忘れたのですか。私は惑星ドラグ現星王の娘にして次期王女。もう一度言いましょう。──誰にその鋼を向けている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が言った戦争を止める策。

 端的に言ってしまえば、それは王権の発動だった。

 次期王女……姫としての彼女の権力をフル活用して、また彼女の父親でもある星王に退くように掛け合う。

 戦争とはその全てに何らかの政治的背景が絡んでいると言っても過言ではない。しかも、もう引き金は引いてしまっている以上それでじゃあ撤退するね、となるとは思えなかったのだが、彼女の星は地球で言うところの絶対王政をさらに強くした政治形態らしく、星王の鶴の一声さえあれば必ず撤退するそうだ。

 

(それにお父様は私にめちゃくちゃ甘い)

『見切り発車じゃねえか』

(仕方ないでしょ!? それしか思いつかなかったんだもん!)

『いやさあ……カッコつけて飛び出した目的がパパへのお願いってさあ……』

(うるさい! 必死だったの!!)

 

 感情を読み取る限りでは自分でも自覚はあるようだ。

 ……にしても姫様、か。

 一瞬で言語を習得したり、地球の文化の飲み込みがやけに早かったり……初めて話したときに感じた印象だったり。

 随所に能力の高さというか、教養の高さを感じはした。

 もしかしたら、とは思っていたがまさか本当に……。

 まあ、だからといって俺と彼女の関係が変わるわけでもない。

 俺は俺で、彼女は彼女だ。

 

 それでも、じゃあ何で一国……いや、一星の姫である彼女が地球にひとりで来たのかという疑問が残る。やんごとない身分なら護衛とかが付くもんじゃないのか? 

 

「到着しました。此方になります、姫様」

「ん、ありがとう」

「……あの、姫様。疑うわけではないのですが、その喋り方は……?」

「気にしない気にしない。私は私よ!」

「は、はあ……?」

 

 宇宙人A(失礼だが名前を知らないので内心こう呼称する)に案内されたのは医療室。

 俺たちが飛び込んだ場所から結構近い場所にあった。

 

 あの後、彼女が姫であることを知った宇宙人たちの態度の変わりようは凄かった。

 よくぞご無事でした、とか姫様が生きていらしたなんて……と感涙に咽び泣いたりとか、何故人間と融合を……! と喜んだり怒ったりの百面相。

 発艦場にある通信設備は突入の際にぶっ壊してしまった(最後にぶつかったの壁じゃなくてそれだった。というか壁と挟んで押し潰してた)ので、直接この船の司令室に行って彼女の父親に通信を繋いでもらう事にした。だが、宇宙人たちの話を聞いていた彼女がまず先に医療室に行きたいと言ったので宇宙人Aに医療室に案内してもらい、宇宙人Bは司令室に報告をしに行くこととなった。

 

 別に、怪我をしたとかではない。

 確かに突入は荒っぽかったが、『俺』は無傷だ。

 何故ここに来たか……目的はひとつ。

 

 二人でひとりだった俺と彼女が元の状態に……ひとりとひとりに戻る。

 分離をするときが来たのだ。

 

「んー旧型の方かあ……」

「申し訳ありません、なにぶん新型はまだ数が少なく……」

「ん、まあこれでも十分だし問題ないか。操作の方お願いね」

「はっ! お任せください。……して、融合している人間の方は如何致しましょう。殺しますか?」

「殺さないでね!? 怪我させたら怒るよ!?」

「し、しかし……! 多種族と融合して再生しているという事は姫様のお身体が……!」

「いいから! とにかく危害を加えない事! これは命令ですっ!」

 

 ビシッと指を指して宣言した彼女はそのまま広い部屋をずんずんと歩いて中央まで行き、なにやらパネルを操作して人間三人は余裕で入れそうなカプセルの上部を車のトランクを持ち上げるように開く。

 

『なあ、お前の種族物騒じゃね?』

(好戦的な性格をしている事は否定しないわ。……それにほら、私って星民に愛されてるから)

 

 カプセルの中は温かくも冷たくもない不思議な感触だった。

 宇宙人Aが操作をしたのか、持ち上がっていた上部が閉まり密閉される。

 

『お父さんに頼んで上手くいくと思うか?』

(分からない……でも、やってみる価値はある。その為の手札もあるわ……大丈夫! 私がなんとかする!)

 

 側面から僅かに粘着性のある液体が注がれていく。

 息が出来なくなるのでは、と焦ったが彼女は平然としているので大丈夫なのだろう。

 

『レースゲームが得意なのはさんざん見せられたけど、まさか本物の船の操縦もあんなうまかったなんてな』

(言ったでしょう。私のドラテクは宇宙一だって)

『ああ、知ってる。神懸かりだった。俺も自信あったんだけど、流石に敵わないや』

 

 膝が液体に浸かる。

 ……違う。こんな話をしたいわけじゃない。

 いや、違う、話したい、話したいけど、今は違うんだ。もっと、もっと他にあるだろう? 

 

『お前って姫様だったんだな』

(そうよ。ふふん、驚いたでしょう)

『ああ、驚いた。全然そんな感じなかったし。おてんば娘って感じで』

(ちょっとそれどういう意味よ)

 

 腰が浸かる。

 何やってんだ俺。

 他に話さなきゃいけないこと、訊きたい事が……言いたい事があるだろう。

 なんで、なんでその言葉が出ないんだ。

 

『なあ……』

(ん。なに?)

 

 胸まで液体が満ちてきた。

 顔が浸かったときにどうなるか分からない。

 今、今しかないんだ。

 もしかしたら、彼女と話せる最後の時間かもしれないんだ。

 俺はただの地球のどこにでもいる人間のひとりで、彼女はひとつの星のお姫様。

 俺のために彼女を縛り付けるなんて事は出来ない。分離は絶対にしなければならない。

 いつかこの時がくるのは分かってた。いろんな要因が重なって想定外に早まったけど、いつか来ることは分かってたんだ。

 だから……だから、最後に、これだけは……! 

 

『ありがとう。あの日、お前に出会えて……俺は幸せだった』

 

 ──きっと、彼女は気付いていないだろうけど。

 命を助けてもらって事もあるけど、それだけじゃなくて。

 俺は、彼女に救われていたのだ。

 彼女と過ごす日々は……本当に、俺にとって……掛け替えのないものだった。

 だから、その感謝を。本音を言えば、ずっと一緒にいたい。いたいけど、それは無理だから。だから、例えここでお別れになったとしても。

 俺は──君と過ごした宝物の一年を一生忘れない。

 

(……何それ。バッカじゃないの)

 

 カプセル内に液体が満ち、頭の先まで浸かる。

 急速に遠のいていく意識。

 息が出来るのかどうかも分からない。

 

(私だって……アンタと……)

 

 気を失う寸前、泣きたくなるような優しい心を感じた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……姫様」

「……私が望んだ事です。言葉はいりません。……ですが、ありがとう。その気持ちを私は嬉しく思います」

「……お召し物を。この様なものしかありませんが……」

「構いません。……昔から変わらず助かります、リグ」

 

 治療は数分で終わった。

 宇宙人A──リグがカプセルを開けば、そこには気を失っている人間の男と……リグの記憶より一回りも二回りも小さくなった姫の姿。

 

 ──これは、決して医療装置などではない。

 いや、その言い方には語弊がある。正確には、人間が使う場合には医療装置足り得ない。

 詰まる所、これは惑星ドラグに棲まう彼等の種族特性の再生能力と変質能力を爆発的に高めるためのもの。

 

 ──当然、人間には効果がない。

 

 壊れた男の身体。命を繋ぎ止めるために融合し、男の身体を再生すると姫は説明したが、あれは正確には少し違う。

 

 己の身体を人間の肉体に変質させ切り渡していたのだ。

 

 例えばの話。

 彼等の再生能力を水の入ったコップに例えよう。

 コップが再生限界で水が再生能力とする。

 怪我などをして中身の水が減れば、水を注ぎ足せばまた元の容量にまで戻る。

 何度水が減っても、注ぎ足せばまた戻るのだ。

 

 逆に……水の入ったコップの容量自体を減らしていくのが姫の行った事。

 当然、新たに水を注いでも今まで入っていた量の水は入らない。

 なぜなら、もうその大きさのコップではないのだから。

 

 人間に再生能力はない。

 男を生かすにはそうするしかなかった。

 結果、己の身体の約半分を男に渡した姫は、それに見合うだけのサイズへと己を定義し直した。それだけの話だ。

 

「ところで、私が死んでいるような口ぶりでしたが一体どういうことですか? 確かに連絡は取らなかったとはいえ、王位継承の儀式は本来五年の期間を置くもの……はっきり言って異常自体です」

「はっ! それは……姫様がこうして生きておられますので私も正直混乱しているのですが……」

「構いません。話してください」

「はっ! では……まず姫様が地球に旅立った後──」

 

「なに、説明をする必要はないさ」

 

 ──重い声だった。

 リグの説明を遮るようにして発せられたそれは医療室の入り口……距離にして約20メートル。

 そこに、黒い軍服を着た男が立っている。

 

「艦長っ!?」

 

 貴方は? そう聞こうとした姫をリグの驚愕が遮る。

 

「どうしてここに……ああ、シドムから話を聞いたのですね? ではもうお耳に入れたとは思いますが、実は姫様が……!」

「リグ、待ちなさい」

 

 艦長と呼んだ男に歩み寄ろうとしたリグの指を姫が掴む。

 怪訝な顔で姫を見たリグはもう一度艦長へ視線を戻し、目を見開いた。

 

「艦長……? その……血は……?」

「ああ、これかい?」

 

 指で服をつまみ見せつける様に伸ばしてみせた男は、本当に愉快だと、心からおかしくてたまらないとでも言うように……克明に顔を歪ませた。

 

「エンジン事故で死んだはずの姫の生存を嬉しそうに報告してきた奴がいてね……じゃあ殺さないとなって言うと血相変えて襲ってきたもんだから殺しちゃったよ」

「……え、……は? ……え?」

「おや? 伝わらなかったかな。この血はね、僕に歯向かったバカを殺した時についた返り血さ。僕が怪我したわけじゃないから安心したまえ」

 

 状況が飲み込めなかった。

 刹那、追いついた思考が現実を認識し頭に血を回す。

 

「貴様ァッ!!」

 

 長年の盟友を殺されたと知ったリグが一瞬で臨界点を超える。

 姫の手を振り払い、右腕を瞬時に刀身へと変質させたリグが艦長に急迫。

 種族特有の膂力を用いて繰り出される岩をも切り裂く一閃が閃く──前に。

 

「悲しいね、また部下が減ってしまう」

 

 脚を鎌へと変質させた艦長の蹴りがリグより遥かに速い。

 旋風すら巻き起こす蹴りが豪速で放たれ──。

 

「──ヒュウ、さすが姫様」

「──見ない顔ですね。この規模の艦船の艦長を私が知らないはずがないのですが」

 

 リグを一瞬で追い越し、前に出た姫の刃へと変質した淡い金の髪が艦長の蹴りを受け止めている。

 周囲に散った衝撃がビリビリと空間を震わせた。

 

「色々と貴方には聞きたいことがあります。──素直に喋るか痛い思いをして喋るか。選ばせてあげましょう」

「強がるね。人間に大部分を渡したその身体……能力を使うのすらキツいんだろう? 抵抗しなければ楽に殺してあげますよ、姫様」

「試してみますか? ──リグ! 下がりなさいッ!!」

 

 それが開戦の合図だった。

 鳴り響く轟音の連続。瞬きの間に打ち込まれる蹴りの連打。その数、十。それを唸る淡い金の髪が全てを叩き落とす。

 攻勢を緩めない。大小様々な髪の刃が、それぞれの軌跡を描いて獲物目掛けて驀進する。そのあまりの数になりふり構わず身を翻した艦長の眼前に、地中を突き進んだ髪の槍が串刺しにせんと撃ち出した。

 

「くそっ!! 厄介なモノだな……! 王家の力というやつは……ッ!!」

 

 迫り来る槍を紙一重で回避。

 ドガガガッ! と破砕音を撒き散らして突き出すそれを尻目に艦長が姫へと接近しようとした時。

 

 ミシリ、と空間が哭いた。

 

 世界が軋む。圧倒的な重圧を秘めた『力』の行使。

 どろりと気味の悪い悪寒に突き動かされた艦長が直感的に視線を向けたのは──医療室の入り口、その扉。

 

 一対の閉会式の自動ドア……その周囲2メートル。重量にして占めて250キロ。

 

 それが、抉り取られるようにして空中に浮いている。

 

 断線したコードが火花を散らし、雑に削られた断面の中でパーツが擦りあい、呻きあい、ギチギチと音を鳴らす。

 

「知らないようなので教えてあげましょう。王家の歴史の中で──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 驚く暇すら与えない。

 艦長の戦慄を打ち砕く質量の暴力が空気を殺す圧力をもって襲いかかる。

 

「──なにッ!?」

 

 回避──できない。身体が動かない。

 淡い金の髪がいつの間にか艦長の手脚へ絡みつきその動きを封じていた。

 

「……っのクソ女アアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 意思があるように動く大質量が叩きつけられる。

 轟音とともに爆ぜる広間。

 振動が空間を伝播し衝撃が視界を揺るがす。

 

「……っ、がはっ! はっ……、はぁ……! はぁ……っ!」

 

 断末魔を飲み込んだ力の鳴動が収まるのを待たずに、姫は膝から崩れ落ちた。

 

「ぐっ、あ……っ、はぁ……っ!」

「ひ、姫様っ!?」

 

 ギリギリだった。

 強かった。髪を自由自在に動かすのも、扉を抉り取るのも……能力を使わされた。

 艦長の言う通り、男に身体の大部分を渡してしまった姫は自身の力を……王家の力を使用するだけで身体にとんでもない負担がかかる。

 全力解放など以ての外。その強すぎる力に身体が耐えられないのだ。

 無理を通してでも早期決着に踏み切らなければ、確実に自滅してやられていた。

 血を吐く姫の身を案じたリグが駆け寄るが、姫はそれを手で制した。

 

「何かがおかしい。直ぐにここを離れてお父様がいるであろう母艦へ向かいます」

 

 言い様のない違和感。

 十中八九自分の死が仕組まれていて……それを元に全てが始まっている気がした。

 

 ちらりと未だカプセルの中で眠る男を見た姫は一瞬悩み、連れていくことにした。

 ここに置いていけば確実に命はない。

 ならば、まだ自分とともにいる方が安全かもしれない。

 

 そう結論を出して、姫がくるりと振り向き男の方へ向かおうとした時。

 

「姫様ッ!!」

「──えっ」

 

 ドンッ、と強く突き飛ばされる。

 決死を相貌に刻んだリグを見て──その真横に、脚を振り上げた艦長が、視界に──。

 

 肉を断ち切る水っぽい音。

 遅れて、血の噴水が血霧を撒く。

 

 尻餅をついた。

 ボロボロの身体はそれだけで激痛を訴えるが、姫の意識はそこにはない。

 ただ、目の前でうつ伏せに倒れ血の水たまりを作るリグだけを見ていた。

 

「はあ……、はあ……、やってくれたな……!! よくも……!!」

「あ……、うそ……でしょ……? リグ……?」

「殺したの見えなかったかあ!?」

「ギぅっ!」

 

 満身創痍。全身を赤く染め上げた艦長が姫の頭を踏みつける。

 抵抗に動いた髪は震えながら持ち上がり、地に落ちた。

 

「クソ……! 大臣の野郎騙しやがったな……! 確実に死んでる、万が一生きててもその辺の子どもレベルに力が落ちてるんじゃなかったのかよ……!!」

 

 艦長の身体は崩れかけている。ダメージに再生が追いついていないのだ。

 あと一発。あと一発、今すぐ与えられれば倒せる。

 だが、その一発があまりにも遠い。身体が悲鳴を上げている。

 

「流石に死ぬかと思ったぞクソが……! 殺してやる……!! そこのゴミ兵のように……お前も! あの人間もだっ!!」

「……ぐ、姫……さま……っ」

「ああ!? まだ死んでなかったのかぁ!? ほらよぉ!!」

「ガハッ!!」

「やめなさいっ!! それが……っ自分の部下にする行いですか……!!」

 

 艦長が投げつけたナイフが姫を救おうと動いたリグの身体を深々と抉る。

 悲痛に叫ぶ姫の頭を黙らせるためより強く踏みつけた艦長の顔が狂気に歪む。

 

「知らねえよ……! 僕の部下だ! 僕がどうしようが自由だろうがよお!? 心配しなくしてもお前も! あの人間も仲良く殺してやるよ!」

「やめなさい……! 私以外を殺める必要はないはずです!!」

「殺すなら私だけってかあ!? 嫌だね! 僕は優しいからみんな殺してやるよ! まずはお前からだあ!!」

 

 振り上げられる艦長の脚。

 大釜へと変質したそれは数秒もなく姫の命を狩る死神の鎌。

 

 瞳に致死を映した姫は──心の中で懺悔した。

 ごめんなさいと。

 シドムに。リグに。命を懸けるほどに大切に想ってくれてありがとう、ごめんなさいと。民の命を守る姫のはずなのにごめんなさい、と。

 そして、男に。

 自分のせいでごめんなさいと。

 自分が地球に来たばっかりにごめんなさいと。貴方を殺してしまったばっかりにこんな事に付き合わせてしまってごめんなさいと。

 そして、ありがとうと。

 自分にとっても、貴方は──。

 

 瞼を閉じた姫の眦から涙がひとしずく零れ落ちる。

 そして、次の瞬間──。

 

 ──鋭い金属音が鳴り響く。

 

「何だとッ!?」

 

 驚愕と動揺に濡れる艦長の声。

 同時に、姫は心が焼けるほどの感情を感じた。

 これは、知っている。だって、これは一年もの間ずっとそばに感じていた……。

 

「──っ」

 

 涙に滲む視界。瞬き。

 雫が頰を伝い、僅かに明瞭になる視界。

 

「俺の大切な人を泣かすなよクソ野郎」

 

 そこには、いつも見ていたようで、初めて見る男の子の背中があった。



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第二話

 目を覚ます。

 目を覚ますってことは、覚める目があるってことだ。

 目、あるいは意識。覚めるのなら夢かもしれない。あるいは熱か。

 

 夢。あたたかい夢を見ていた。

 降ってわいた大きな問題を、勇気と希望の詰まった冒険で乗り越えて、誰もが笑顔になれる結末をつかみ取る。

 子供の寝物語にちょうどいい、そんなおとぎ話。

 

 それが現実のものじゃないと思い知ったのはいつだったか。

 誰かの悲鳴と自分の荒い吐息に、ハッピーエンドの旋律はかき乱される。人々が生きるのは夢の世界ではなく、現実なのだ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()

 

 目を覚ます。

 目を覚ますってことは、何かを終わらせるってことだ。

 意識を引き戻す。夢を中断する。それがどんなに幸せな夢であっても。

 

 思わず笑ってしまう──そんなとこまで、()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めて最初に、俺は()()()()()()()()()()()()()()

 反射的に伸ばした右手。視界に入ったモノが何なのかを理解するまでもなかった。

 

 ()()()()()()()

 

 謝罪と、後悔と、絶望と、悲哀と、そういうのを何もかもまぜこぜにして煮詰めたような。

 俺が世界で一番見たくない代物。

 伸ばした右手は本来、涙を拭うためのモノだった。

 

 刹那があった。女の子が横たわっているという事実を認識した。

 次の刹那があった。彼女の頭を大きな足が踏みつけていることを理解した。

 その次の刹那があった。泣いている少女めがけて刃が振りかぶられていることを確認した。

 

 感情が沸騰する。雑念だけが揮発して、拭いがたい激情が身体のあちこちに流れていく。

 例えば右手。伸ばした右手が、肘関節から指先まで熱を持つ。

 

 許せない。許せない。誰かが泣いていて、その涙に手が届かないなんてこと、あってたまるか。

 何も出来ず膝を抱えて洟を垂らして泣きじゃくる少年の背中が見えた。

 それを引き裂くようにして。

 

 伸長し、高質化したブレード(みぎうで)が、鎌を弾く。

 

 狼狽する男の声。

 少女が微かに顔を上げた。

 俺は寝かされていたカプセルから飛び出すと、両者の間に割って入った。

 背中越しに感じる息づかい、生きている証拠の熱、そして存在そのもの。

 何よりも愛おしいそれを、今は正面から見れないのが残念で仕方ない。

 

 だからこの苛立ちは、眼前の下手人にぶつけるしかないのだ。

 

 

「──俺の大切な人を泣かすなよクソ野郎」

 

 

 

 

 

 

 

「きさ、ま……何の猿まねだ、それは。何故我々と同じ力を行使している……ッ!」

「知らん。なんか出来た」

「答えろォッ!」

 

 俺は真剣に答えたつもりだったが、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 少女が逃げてと叫んだ。俺はそれを聞きながら、腰をすっと落とした。

 大鎌が振るわれる。

 実のところ、鎌というのは本来農作用の道具だ。おそらくこいつらの星にも、農作業の概念があるのだろう。

 人類にとって、武具としての鎌の性能は極めて低い。刃を当てるのが難しすぎる上、()()()()()()()()()()()()()

 魚の切り身を包丁で切ろうとすれば分かるが、引き切るというのは恐ろしいほど上手くいかない。大抵は力に任せて押して切った方が早いほどだ。

 だから余裕ぶっこいてたんだが──

 

「うおおぁっ!?」

 

 咄嗟に横へ転がり退く。

 首があった箇所を死の紅い線が横切っていった。

 俺の見間違いじゃなければ──()()()()()()。アブねえ! 今動かなかったらすぱっといってたぞ!

 

「硬くする、だけじゃないのか……!」

 

 素早く起き上がる。

 瞬時に部屋を見渡した。眼前の宇宙人──三人目だし宇宙人Cでいいか、そいつと、少女と、俺。あとは死体が一つ。

 壁に表示されたモニターは、カプセルから投影されていた。俺の修繕作業を表示していたらしい。

 

 人体図と、紅く表示された箇所──数えるのも馬鹿らしい。言われなくても分かる、あれは本来俺が欠損していた箇所だ。人間として失ってはいけない箇所をいくつも失っている。

 なるほどつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()

 右腕を見た。未だ人間の手ではなく、鋼の刃と化しているそれ。

 イメージしたら変わる。どこまで変えられるのか──単純な変質だけでは足りない。もっと、もっと自分を異物に変えてみせろ。

 じゃなきゃ、救えない。

 

「シィィ──!」

 

 宇宙人Cが鋭い吐息と共に再度鎌を振りかざす。人間で言うハイキック。違うところは斬撃性能抜群なとこ。

 だがその時にはもう、装填は終わっている。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 肉ごと表皮が裂け、骨が本来あるはずの空間をむき出しにする。

 しかしそこに白いカルシウム構成体はなく、黒光りする銃口がいっぱいに敷き詰められていた。

 ぎょっと顔色を変える宇宙人C。だがもう攻撃動作は止められない。

 

 

「レーザーまでたどり着けて無くて悪いが──実弾銃も痛いだろ?」

 

 

 一度変質させたモノをさらに変質させる、というとこまではいかないが。

 組み合わせれば問題ない。筋繊維で銃口を編み込み、骨を弾頭に、神経を炸裂火薬に。

 轟音が重なると同時、反動に俺の身体が吹っ飛ばされる。背中から壁にぶつかり、酸素が絞り出された。

 

「う、ぇっ」

 

 痛みが集中力を切らす。両膝がかぱりと開いている──気持ち悪い。気持ち悪いな何だこれ!

 頭を振って、意識を研ぎ澄ます。イメージすればブレードが逆再生みたいに柔らかくなり肌色を取り戻して、元の腕に戻った。服の袖だけは消えたままだ。さらに両膝の()が自動で閉まり、一応、元の人間の両足になる。

 壁に手を突き、頭を振りながら立ち上がる。

 

「……ッ! 今のうちに、逃げて……!」

 

 叫びに顔を上げた。未だ起き上がれていない少女。

 そして銃撃が直撃して、俺とは真反対に吹っ飛んで壁にめりこんでいる宇宙人C──待て、待て、あの至近距離で銃撃を受けてなんで身体がそのままなんだよッ!?

 

「この、塵芥の分際でェッ……!」

「弱ってるから効いただけよ! 先端兵器ならともかく、なんで実弾なんて選んだわけ!?」

 

 イメージしやすかったからだよ馬鹿野郎……!

 宇宙人Cは背中を壁に埋めながらも、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。

 もう一回攻撃を──と考えたとき、此方に近づく足音が聞こえた。

 

「……! ああくそっ!」

「え!? ちょ、ちょっとッ!?」

 

 少女の傍まで駆け寄ると、その両手を引いて無理矢理立たせる。

 

「走るぞ! なんか安全っぽい部屋あったらそこまで案内よろしく!」

「だ、だからァッ、逃げなさいって──」

「逃がさん、逃がさないぞお前らァッ──」

 

 的外れな心配の声と、死ぬほど不本意な呪詛の声。

 どちらも無視して、俺は彼女の手を引いて部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ!」

 

 途中で彼女を背負い、廊下を疾走し続けること──どれぐらいだ、体感時間がバグってて分からん。

 とにかく彼女が叫んだ扉の前で急ブレーキをかけた。

 ドア傍のタッチパネルに少女が手を伸ばすと、ぷしゅーと音を立てて白い扉が左右へ分かれる。

 慌てて中に飛び込めば、すぐさまドアは閉じた。

 

「…………ッ」

 

 息を殺して、その時を待つ。

 心臓の音がうるさい。背負ったままの少女も口をつぐんでいる。

 

 俺たちを追ってきた足音が近づき、迫り、ゼロ距離になって──

 ──そのまま、ドアの前を通過していった。

 

「…………」

「…………」

 

 十秒ほど耳を澄ませる。戻ってくる気配はない。

 

「ッハッッハ、ハァ…………」

 

 弛緩のあまり、膝から崩れ落ちた。その時ついでに少女が顔から床に落ちてべしゃりと音が響いたが、俺は聞かなかったことにした。

 

「イタタ……もうちょっと丁寧に下ろしなさいよ……」

「あー……悪かった」

 

 もぞもぞと座り込む姿勢に移った彼女の隣で、俺は脱力の余り、床に横になって全身をうんと伸ばした。

 

「リラックスしてるとこ悪いけど……何で、逃げなかったのよ」

「逃げられるわけないだろ。ここ、空中。おれ、人間。とべない。おちる。オワリ」

 

 自然の摂理だろ? と問えば、御姫様はどうやら言い返せなかったらしく、ピッとそっぽを向いてしまった。

 その間、部屋を見渡す。物置にでも突っ込んだのかと思いきや、意外なほどに整理された──というか物のない部屋だった。

 壁の一面がほとんどガラス張りになっていて、空を眺めることが出来る。ガラスっていうか、俺の知らない素材なんだろうけど。

 その窓に面する形で、長机状の機材が壁の隅から隅まで並んでいた。典型的な管制室──映画とかでよく出てくるな、こういうの。

 寝転んだまましげしげと観察していると、背後から姫様が声をかけてきた。

 

「……なら、ここからどうするの」

「どうするって、もうここまで首を突っ込んだんだ。なんとかするしかないだろ──というか、なんでお姫様なのに狙われてんの? つーかロリ属性とか持ってたっけ?」

 

 俺が問うと、彼女は逡巡するような溜めをみせてから、滔々と語り始めた。

 身体の半分を俺に移植したこと。だから力が出ないこと。最初に迎えてくれた宇宙人たちは自分の生存をちゃんと喜んでいたこと。船長──宇宙人Cはそうではなかったこと。部下を殺して、さらに姫様と俺まで手にかけようとしたこと。

 

「……おい、それって」

「したいんでしょうね、本来はする理由のない戦争を」

 

 嫌な話だ。本当に、嫌な話だ。

 つまり惑星二つを巻き込んだ、とんでもない大法螺吹き野郎がいやがる。

 

「お前んトコの人たちからすれば、これは()()()()ってことか」

「そ。くだらない虚偽にまみれた報復ね」

「事実を知ってる俺たちからすれば、それはな」

 

 ただ、虚偽であったり、大義でない理由であったり、というのは戦争においてつきものだ。

 

「お前も知ってるだろ。この地球で起きた、過去最悪の()()()()()。まずは一発の弾丸、次は一人の元画家志望、()()()()()()()()()()()()()()。それで何千人も死んだ……」

「今回は、そんなことにはさせないわ」

 

 宣言は力強かった。

 そうだ。俺たちで、この現状を打破しなければならない。

 俺たちの手で、このくだらない茶番を終わらせなければならない。

 冷たい静謐の中で、俺たちは視線を交わし、頷いた。

 

 …………ん? 静謐?

 

「……ちょっと待て、攻撃がやんだな」

「当然よ。私がどこかにいるって、分かったんだから……私を始末するのが先。他は全部後回しに決まってるわ」

 

 ぐえぇ、と情けない声が漏れた。

 他のことにかかりっきりでいてくれたら良かったんだが。

 

「じゃあさ、俺たちが見つからずに一生かくれんぼし続けたらどうよ」

「一生未確認の飛行船が浮いてるけど、どう思う?」

「観光名所になると思う」

「同意できるのが悔しいわね……」

 

 姫様はぐぬぬとうなり、それから気を取り直すように咳払いした。 

 

「……状況を整理するわよ。私は体力が回復すれば、ある程度は戦えると思う。でも継続しての戦闘は無理ね」

「俺は多少戦える──けど、根本的に、この力への理解度が低すぎるな。だってあり得ないし」

 

 質量保存の法則なんてクソ食らえ、みたいな能力だ。

 右手と両膝を見て、彼女はそれから悲しそうに俺の顔へ目を向けた。 

 

「なんでそれが……いえ、理由は分かってるのよ。だけど……」

「……お前の肉体を移植されたから、だよな?」

 

 大体の予想はつく。

 俺が告げると、彼女は静かに頷いた。

 

「……ごめんなさい。もう、既に、人間とは呼べない身体になってしまったわ」

「……まあ、いいさ」

 

 軽く受け流そうとして、自分でも声が震えていたな、と思った。

 ごまかすように笑みを浮かべるが、うまく表情を作れない。もしかして頬の筋繊維も俺の物じゃないのだろうか──そこまで考えて、頭を振った。

 

「別にいい。今は便利な力だからな」

「……そうね。でも、銃を咄嗟に作ったのはすごいわね。アレどうやったの?」

 

 空気を切り替えようと、二人して話題を逸らす。

 問いに対して、俺は両膝をパンパンと叩いた。

 

「こう、骨とか筋肉とかを削って射出した」

「えぇ……? うわあ……」

「うわあって何だようわあって! 必死だったんだからしょーがないだろ!?」

「あのねえ……そこまでする必要があったの?」

「あった。お前が泣いてただろ。心臓を弾丸にしても良かったぐらいだ」

 

 俺が断言すると、少女は言葉に詰まった。

 言葉に詰まったというか、絶句していて、それからそろそろと横を向いた。耳まで紅くなっていた。

 ……いや、俺、何言ってんだろう。自覚した途端急激に頬が熱くなった。良かった、ちゃんと人間の頬っぽいことになってる。そうじゃねえんだけど! そうじゃねえんだけどさ!

 

「と、とにかく! もうやらない方が良いわよそんなの! 私が譲った肉体を消費してるってことじゃない! とんでもない無駄遣いなんだから!」

「あー……補填とかってできねえのかな」

 

 実際普段より足が軽いなとは思っていた。

 これやっぱ物理的に軽くなってんだな。よく走れたわ。

 

「補填……再生能力を十全に使えるなら、ある程度の欠損なら自力で修復可能ね。私たちの星、好戦的だから、ほら……」

「ああ……環境に合わせてそういう風に進化してきたのね」

 

 お姫様は頷いた。

 俺は苦笑して、ふと立ち上がる。廊下に足音がないのを確認してから、反対側の壁に歩み寄った。

 

「補填……なんかこう、取り込めねえかなあ」

「え?」

「いや、モノは試しじゃん」

 

 言うや否や、俺は右手をハンマー状に変えると、壁に思いっきりぶつけた。蜘蛛の巣のようにヒビが広がり、壁面がパラパラと床に落ちた。

 

「ちょッ……何してんの?」

「……人体実験的な」

「は?」

 

 床に落ちた壁の破片を両手ですくい上げる。感じたことのないさわり心地だ。金属の一種なのだろうか。あるいは樹脂かもしれない。

 だけど──今の俺にとって、これはポテチだ。コンソメ味かな。見た目的には木工用ボンド味だけど──例えが最悪だった。サワークリームをたっぷりつけたコンソメ味だ。

 

「サワークリーム……サワークリーム……サワークリーム……」

「ちょ、ちょっとまさか」

「サワークリームッッ!!」

 

 両手から一気に、壁の破片を口の中に流し込む。

 ばりぼりばりぼりばりぼり。

 

「うぇぇぇ……」

「あったりまえでしょ!?」

 

 床を這いずるようにして近づいてきた姫様が、俺の背中をドンドンと叩いた。

 

「ほら、ぺってしなさい! ぺっ!」

「ちょっ、まっ、たたかないで」

 

 身体の内側に衝撃が通って、思わずごっくんと一気に飲み下してしまった。

 

「ごぼっ」

 

 吐き気がすごい! 両手で口を覆い、うずくまる。食堂をせり上がってくるのを感じる。異物感がすごい。

 呻き声を上げながらしばし耐え、壁の欠片がゆっくり下へ降りていくのを待って……途中で、不意に、気分が悪くなくなった。

 

「……うん?」

「……へ?」

 

 顔を上げる。あっけにとられる姫様の顔が目に入る。

 俺はそれから、自分の身体をゆっくり触った。おなかを撫でて、そのまま足へと手を伸ばす。両膝が熱を持っているのが分かる。

 ──欠落していた部分を、別の何かが、ゆっくりと補填している。

 

「……成功したっぽい」

「な、ァッ──!?」

 

 姫様は素っ頓狂な声を上げて、俺の両膝に飛びついた。

 

「嘘、嘘、嘘──自分の身体でないものを書き換えたの!? 王族にも出来ないわよそんなの!? セーヴァリウスの賢者ですら起こせなかった奇跡……! なんで出来るのよ!?」

「し、知らん知らん知らん! こう……お前の宇宙人パワーと俺の地球人パワーがイイ感じに合体して……みたいな?」

「みたいな? じゃ済まないわよこんなのッ!?」

 

 どうでも良いけどこの姿勢すごくやばい。座り込む俺の両膝に彼女は顔を近づけてぶつぶつ何か呟いていて、俺はまたを開いた状態で。

 そわそわと落ち着きなく部屋を見渡していると、やっと彼女は俺の下半身から離れてくれた。

 顎に指を当てて、ふむと真剣な表情で息を漏らす。考察に必死なようだ。

 

「こんなタイミングでエロいこと考えてんじゃないわよ」

「バレてるゥ!」

 

 死なせてくれ……

 そのまま三角座りに移行してしくしく泣いていると、姫様は嘆息してから、俺に両手を差し出した。

 

「……?」

「だっこ」

「現実逃避はやめろ」

「現実と戦うためよ。まだ自力じゃ立ち上がれないの、管制機器まで運んでちょうだい」

「あぁ……」

 

 確かにこいつ、姿格好は幼女そのものだし、立てないなら椅子にも座れないわな。

 仕方なく抱き上げてやる。生命の熱を感じて、安堵の息が漏れる。

 そのままオペレーター用であろう椅子に乗せてやると、彼女は難しそうな表情で機械を弄り始めた。

 傍で見守りながら、管制用という機械を見渡す。ボタンだけでなくランプや何かしらの数値を表示するインジゲーターも並んでいる。

 どれ一つとして光は灯していないが、電源が落ちているのだろうか。

 

「ここは通信ルームなの。敵からの電信を受信したり、味方同士で連絡を取り合ったりするための場所ね」

「ほーん……待て。なんで誰もいねえんだ」

 

 待て。待て──おかしいだろ。

 

「おい、あり得るのか」

「本当ならあり得ないわ」

 

 通信ルームには誰もいない。

 もちろん多種多様なチャンネルを介して、地球からメッセージは送られているだろう。最初から殲滅目的ならそれを遮断するのはおかしいことじゃない。

 だが味方との通信すらしていない、これはおかしい。

 つまり──

 

「情報の隠蔽ね。この船、今この瞬間に限っては、空飛ぶ牢獄ってことよ……だからここを選んだの」

「だよなあ……」

 

 しばし弄った後、姫様は諦めたように背もたれに身体を預けた。

 

「駄目ね。マザールームから機能を落とされてるわ」

「マザールーム?」

「船を動かす心臓炉を管理したり、砲撃手たちに指示を出したり……ここを外部のための管制室って呼ぶなら、そこはこの船のための管制室よ。恐らく艦長の手下で占められてるんでしょうけど」

「そこに行けば、母星と連絡が取れるんだよな」

「敵がわんさかいなければ、ハッピーエンドね」

 

 二人して肩をすくめた。姫様は外見のせいで、一周回ってサマになっていた。

 となると、取れる手は限られる。

 

「二人、最初は仲間がいたんだよな。他は?」

「いるかもしれない。でも誰が手下なのかは分からないわ」

「街頭アンケートを取ってみたらどうだ?」

「ナイスアイディアね。脳味噌も壁で補填したの?」

 

 これは却下か。

 

「船の外への脱出は?」

「発着口までたどり着けたら……でも脱出できたところで、この船を掌握されている以上、戦争を止められないわ」

「……地球の方からメッセージを出すんだ。お前の映像と一緒に」

「ホログラムに惑わされるな、姫様の誇りを踏みにじるような真似、決して看過するな──こんなところかしら」

「感動的なスピーチだな。士気も爆上がり間違いなし。艦長様に進言してみないか?」

「昇進は約束されたようなものね」

 

 実際、結論は一つしか無かった。

 そこに至るのがあまりにも、あまりにも嫌で──二人して不毛なジョークを飛ばし合っていた。

 

「……マザールーム」

「そうなるわね……」

 

 先ほど現実的でないと斬り捨てた案が、最も現実的なのだ。

 俺は管制機器に腰を預けて、顔を手で覆う。

 

「他……他には何もないんですかお姫様……」

「……この船をなんとかするしかないのよ。船から母星に連絡を飛ばすか、あるいは……船を叩き落としちゃうか。そうすれば別働隊も来るはず……」

「あーそっちがいい! 俺そっちの方がいいなあ! なんか自爆ボタンとかない!?」

「あるわよ」

 

 時が止まった。

 俺はブリキのようにぎこちない動きで、姫様に顔を向ける。

 

「……艦長室にあるわよ。機密保持のための自爆ボタンが」

「……その、艦長室っていうのは」

「マザールームとは別よ」

 

 見えた。

 見えてきたじゃん。一筋の光明。

 

「あとは、かくれんぼを継続って言うのもアリね。さっきも言ったけど、これはあくまで艦隊の指揮を執る大型母艦。場合によっては他の船団がやってくるかもしれない。そこまで耐えしのいで、船を飛び出してそっちに移るのもいいわ。まあ、後詰めの部隊があの男の手中に墜ちていなければいいんだけど」

「一気に選択肢が増えてきたな……」

 

 マザールームへの突撃。

 艦長室への突撃。

 他の船を待って、そこに突撃。

 突撃しかねえ。選択肢、根本的には増えてねえわこれ。

 

「……だけど、少なくとも、何もしないわけにはいかないな」

「ええ。王族の血を継ぐ者として、このような行いを許すわけにはいきません」

 

 意図せずだろうか。

 彼女は口調も表情も、『お姫様』のそれだった。

 

 その顔を見て思い出す。

 俺にもかつては、守るべきプライドがあったこと。今こうして、あの時みたいに、現実いっぱいで絶望盛りだくさんの冒険活劇に挑んでいること。

 思わず笑い出しそうになる。

 ああなるほど。俺はこのために()()()()()のかもしれないな。

 

「よし──俺も覚悟を決める」

 

 両頬を張って、俺は姫様に向き直った。

 

「残念なことに、一人だけだが──君の騎士がここにいる。俺は君の騎士として戦う。君の剣になって、君の盾になって、君のために戦おう」

「…………ッ!?」

 

 決意表明をすると、彼女はあっけにとられたような顔で俺を見た。

 それからゆるゆると、首筋から額のてっぺんまで朱が上っていって──がばりと、管制機器に顔を伏せた。

 

「ふい、うち……ッ! 反則……!」

「……は?」

 

 肩をわなわなと震わせて、お姫様は必死に自分の顔を隠していた。

 何やってんだこいつ──俺も何言ってんだろう。恥ずかしいことを言ってから自覚するの、本当にやめたいな……

 俺は管制機器に腰を預けて、手を顔を覆った。

 もう本当に変なテンションで物を言うのはやめよう──そう誓った、

 刹那。

 

【EMERGENCY】

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ!?」

 

 二人して飛び退く。外を映し出していた窓が変質し、画面となって文字を写している。

 いや──読めない。読めないはずの文字だが、意味合いが分かるんだ。言葉だって理解していた。

 疑問が一瞬だけ浮上して、すぐに打ち消す。だって見るからにこっちのほうがやばい。

 

「これ、は」

「始まったのよ……!」

 

 何が、と問う前に、姫様は拳を握り、歯を食いしばって唸った。

 

「地球からの反撃……()()()()()()()()()……!」

「────ッ!」

 

 驚愕と困惑が混ざり合う瞬間。

 船が爆音とともに、大きく揺れた。



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第三話

 地球からの反撃。

 戦争の開幕を告げる号砲。

 当然といえば当然の反応だ。地球側にとってこれは迎撃、つまりは正当防衛なのだから。

 

 ……けれど。

 けれどそれは、まともな戦いが成立する相手であればの話だ。

 

「無茶だ……!」

「ええ……正直、この船一隻が相手でも相当厳しいわ」

 

 これまで見てきたレーザーに再生カプセル、何よりこんな宇宙船を開発するほどの技術力は、明らかに地球のそれをぶっちぎっている。

 そもそも、生身の相手にすら実弾がほとんど通じなかったのだ。戦争用の大型母艦ともなれば、並大抵の攻撃ではビクともしないだろう。

 

「でも、今の私達にとっては好都合よ。そっちに意識が向いてくれれば、少しは動きやすくなるかもしれない」

「そうだな……」

 

 本当に被害を食い止めたいのなら、この状況を利用すべきなのだ。

 わかっている。だから、せめて無駄にだけはしちゃいけない。

 

「じゃあ早いとこ方針を固めるぞ。どの案が一番現実的だと思う?」

「……艦長室、かしら」

「具体的には」

「私が最低限戦えるようになるまで回復したら、この部屋の通気口から艦長室の近くに抜けて奇襲を仕掛けるの。マザールームに比べれば敵の数は少ないはずだし、勝算は一番高いと思う」

 

 聞いた限り、俺にもその方策は妥当に思えた。

 

「よし、じゃあそれでいこう」

「即決ね。別案があるなら遠慮なく言いなさいよ?」

「俺はこの船のこと、ほとんど知らないしな。それにお前はこれが一番だと思ったんだろ? なら信じるさ」

「〜〜〜っ、本っっ当にアンタはもう……!」

 

 またも顔を赤らめる姫様……え、いやいや今のはセーフだろ。セーフだよな? 

 やべ、意識したら何か急に恥ずかしくなってきた。

 

「……そ、それにしても!」

「お、おう!」

 

 たっぷり数十秒間いたたまれない空気に浸った頃、ようやく姫様が切り出した。

 露骨な転換だが、俺に乗る以外の選択肢はない。

 

「さっきの揺れ、随分激しかったわね。この船の外装は衝撃吸収性の特殊素材だから、実弾兵器なんてほとんど効かないはずなのに」

「────あ?」

 

 それを聞いて。

 頭の中で、猛烈に違和感が膨れ上がった。

 

「……待て。待て、待てよ」

 

 そうだ、どうして気づかなかったんだ。

 そもそも、こんな大袈裟なアラートが出たこと自体おかしいだろうが。

 攻撃が効かないのなら、敵として成立しないのなら、わざわざ警告を発する必要なんてないんだから。

 

 ならばそれは。つまり地球側の攻撃は、この船にとって脅威たり得るということに────

 

 

『あー、あー。聞こえているかな? こちら地球防衛軍総本部、エヴァルド=ロザン大佐だ』

 

 

 あらゆる前提条件を覆す一手。

 それは唐突に、思いもよらないところから飛び出してきた。

 

「地球軍からの、通信……⁉︎」

 

 驚きよりも困惑が先行した。

 この部屋の通信機能の一切は、マザールームからの干渉によって閉じられているはず。

 現に味方の船や母星との通信は切られたままだ。この状況で、わざわざ地球軍からの通信だけを受け取る意味がわからない。

 

 ──まさか、地球側がマザールームに干渉してこじ開けたのか? 

 現代科学からすればオーパーツにも等しいはずの、この船のセキュリティを突破して? 

 

『侵略者たる宇宙人諸兄、第五八二二四番惑星ドラグの民へ告ぐ。この通信が届いているなら、速やかに武装を解除の上降伏されたし』

「な……っ」

 

 それは定型文というより、まるで本当に勝利を確信しているかのような口ぶりだった。

 どうして、これほどまでに余裕があるのか。

 どうして、既に敵の正体を知っているのか。

 考えれば考えるほど、そこかしこに疑問点が湧いて出る。

 

「受け入れられるはずないわ……だってどう考えたって、戦力差は圧倒的なのに……!」

 

 そう、普通に考えれば勝ち目なんてないはずなのだ。

 しかしロザン大佐とやらの声明は、そんな姫様の呟きに異を唱えた。

 

()()()()()()()()()()()。その軍艦が百になろうが二百になろうが、結果は揺るがないと断言しておこう』

 

 ……あり得るのか、そんなことが。

 あっていいのか、そんな展開が。

 

 この軍人が、もしただの馬鹿でないのなら。

 この宣言が、もし単なる虚勢でないのなら。

 惑星ドラグの軍勢をものともしないだけの力がこの星にあると、本当にそう言うのなら。

 

「まずい……」

「え?」

 

 声が震えるのを抑えられなかった。

 何やら思案中だったのか俯いていた姫様が、俺の呻きに疑問符を乗せる。

 

 その答えは、俺じゃなくスピーカーの向こうから返ってきた。

 

『とは言ったところで、まあ現時点で信じるのは難しいだろうよ。──だから端的に証拠を見せてやる』

 

 やっぱりだ。最悪の予想が的中した。

 この船は──今すぐにでも墜とされる‼︎

 

「急いで脱出するぞ! この戦争が本物の弔い合戦になっちまう前に‼︎」

「ちょ、待って──きゃっ⁉︎」

 

 小さな身体を少しばかり強引に抱え上げる。

 通信ルームを出ようとモニターに背を向け、駆けだそうとしたその瞬間。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……………は?」

 

 

 踏み出しかけていた足が、虚空を彷徨って不恰好な円を描いた。

 舞い上がる髪と全身を打つ冷風が、理解を拒む脳へと俺達の置かれた状況を克明に伝えてしまう。

 

 帰り道には、姫様ご自慢のドラテクは役立たなさそうだった。

 

「はァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎」

「きゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎」

 

 ひたすら絶叫を響かせる。

 そうでもしないと、恐怖と突風で凍えてしまいそうだった。

 

(あの馬鹿でかい大砲は⁉︎)

 

 下を向くことへの拒絶反応を抑え込んで、ちらりと問題のブツに意識を傾ける。

 大型戦車のそれをざっと百倍に拡大したような、現実味のないスケール感。

 底冷えするような鈍光を放つ材質は鉛か鋼か、見ただけで判別はつきそうにない。

 倒壊したスカイツリー──()()()()()()()()()()()()、成り代わるようにして漆黒の砲身が星空を覗いていた。

 

「何だよあれ⁉︎」

「知らないわよ! あんなの、調べたデータにはなかった……!」

 

 不幸中の幸いとでも言うべきか。今のところ、中から何かが飛び出してくる気配はない。

 船艦へと狙いを定めたまま、微動だにせず沈黙している。

 

 だったら、そっちのことは今はいい。まずは着陸のことだけ考えろ。

 

「こうなったら飛ぶしかないわ! 翼を作るの!」

 

 そういやそうだ。

 身体を変形させられるなら、そのくらいできても不思議じゃない。

 彼女の回復はまだ不十分。だったらここは、俺がどうにかするしかない。

 

 何かこう、力強そうな鳥。鷹か鷲あたりの翼をイメージして背中を変形──ダメだ全っ然速度落ちねえ! 

 

「適当にやったって無理よ! 今から流体力学の勉強なんてしてられないから、とりあえず私の言う通りにやって!」

 

 ごもっともとしか言いようがない。

 素直に指示に従うべく、頼む、と叫び返そうとしたところで。

 

《────、 》

 

 頭の中で、何かが疼くような感覚があった。

 ()()()()()。いや、()()()()()というべきか。最適解を、理想形を、この身体は覚えている──

 

 突き上げる浮遊感で我に返ると、目を丸くした姫様がこっちを見上げていた。

 

「アンタ、それ……」

 

 呟きは風音にかき消されたが、内容は何となく察しがつく。

 俺だって驚いている。身体が勝手に変形したことにも、その途端に落下速度が一気に緩まったことにも。

 

「どういうこと……? もしかして、ううん、ほぼ間違いなく──」

「考え込むのは後だ! そろそろ地面に着くぞ!」

 

 そもそもが上空五百メートルという、飛び降り自殺には十分すぎてもスカイダイビングには物足りない高度だ。

 当然ながら地面が迫るのも早い。翼を作れたのも割とギリギリのタイミングだった。

 

 姫様を抱える腕に力を込め、極力速度を落としながら着陸態勢に入る。

 膝をクッションにして衝撃を殺しつつ着地。若干脚は痺れたが()()()()()()()()()、この程度で済んだなら御の字だろう。

 

「ここは裏山……だよな」

 

 辺りを見渡せば、最初に俺達が飛び立った位置からそう離れてはいないようだった。

 ひとまず、生きて帰ってこれた。

 周囲にゴトゴトと降り注ぐ通信機器を余所に、ふわふわとした安堵感のようなものにほんの一時浸ろうとして──

 

「いやいやいや通信機器⁉︎」

 

 一瞬でそんな場合じゃないと思い直した。

 

 あの部屋の機材全てが、こうして落ちてきているということは。

 あの船の通信手段が失われたってことじゃないのか? 

 

「それは大丈夫。通信ルームに何かあった時のために、非常用の回線が備えつけてあるはずだから」

「あ、そうなのか」

 

 それなら一応、母星へ直接連絡を取る手も潰れてはいないのか。

 今からあの牢獄に逆戻りなんて考えたくないし、そもそも移動手段がないが、選択肢として残っているというのは重要だ。

 

「……それで、結局何がどうなったんだ?」

「私だってわからないわよ……地球軍が何かしたってことくらいしか」

 

 姫様にもわからないとなるとお手上げだ。

 スカイツリー跡地を見遣れば、今も漆黒の巨塔が聳え立つさまが伺える。

 戦争とか身体のこととか事件は色々起きてるのに、一番の混乱の元がこの星の謎技術ってどういうことだよ。

 

『──とまあ、ざっとこんなものだ』

「っ、まだ繋がってるのか……!」

 

 不意に、近くに転がっていた機材の破片からさっきの軍人の声が流れ出した。

 ややノイズ混じりだが十分聞き取れる。これだけバラバラになっても機能が生きている辺り、流石は宇宙テクノロジーというべきか。

 

『理解は及んだか? 対策は立てられたか? できたのなら称賛を送ろう。そうでないなら、君達の実力はその程度ということだ』

 

 通信越しでも、その声からは確かな自信が感じ取れた。

 正直、まだ信じがたい思いはある。けれどさっきの謎攻撃を間近で体感した以上、一概に否定もしきれない。

 

『では改めて勧告しよう。降伏する気は』

 

 轟音。

 続く台詞を遮ったのは、火薬なんぞの音じゃなく。

 五十の熱線が空気を灼き潰しながら、そこら中へ無秩序に降り注ぐ音だった。

 

「ちょ──」

「やば──」

 

 当然のように、俺達の元にもそれらは殺到する。

 咄嗟に彼女に覆い被さり、少しでも死線から逃れるために身を伏せて。

 

『──どうやらないようだ』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……嘘、でしょ」

 

 呆然とした様子の姫様の口から、ぽろりとそんな言葉が零れた。

 結果的に助かったとはいえ、自星の先端兵器がこうも容易く防がれてしまっては無理もない。

 

『何をした……』

 

 スピーカーから、これまでの軍人とは別の声が聞こえてくる。

 この声は……宇宙人C、船長の奴か? 

 

『何百年も出遅れた猿の分際で……! 何十世代も前の骨董品風情が‼︎ お前ら一体何をしたァァァあああああああああああああああ‼︎』

 

 随分と激昂しているようで、ただでさえノイズ混じりの中に時折ハウリングまで加わってくる。

 けど正直、こいつの気持ちもわからないでもない。何がどうしてこんな状況になっているのか、俺だってまるで理解が及ばないのだ。

 

『必要は発明の母、という諺がこの星にはある』

 

 対するロザン大佐は冷静そのもの。

 この時点で、半ば格付けは済んでいた。

 

『一度目は原始的な暴力だった。二度目は狂人の妄念だった。そして三度目は技術の裏切りが悲劇の引き金となった』

 

 放たれた一発の弾丸は平和の象徴の喉元を食い破った。

 元漫画家志望の女は現実をパステルカラーに染め上げた。

 ネジ一本分の機械の誤作動は既知を未知へと巻き戻した。

 

 ()()()()()()()()

 死者数千人という小規模な戦争でありながら、遍く世界を震撼させた三つの地獄。

 

『我々とて学ぶのさ。暴力には団結を、狂気には幻想を以て絶望に終止符を打ったように。──さて、それでは科学への対抗策とは一体何か?』

 

 教え諭すような口調だった。

 ロザン大佐は、地球軍は、この場において明らかに上位者だった。

 

『簡単だ。科学を超えるのは、いつだって次世代の科学だよ』

 

 だからこの星の技術は進歩したのだ、と。

 さも当然といった調子で、意味不明な理屈が飛び出した。

 

『ふざけるな‼︎ たった十年で僕達を追い越したとでも言うつもりか⁉︎ そんな都合の良い進化があってたまるか‼︎』

 

 喚き立てられたその指摘は、至極真っ当なものだ。

 

 最悪の戦争の三番目、通称『ミッドナイト・サン戦争』が勃発したのは僅か十年前のこと。

 それから必要に迫られて技術が進歩したというのなら、数百年分もの開きをこの十年でひっくり返したということになる。

 普通に考えるなら不可能もいいところだ。

 

『そもそもこっちは惑星レベルの戦争を繰り返して発展してきたんだぞ、その理屈なら差が埋まることなんてあり得ねえだろうがよ‼︎ あァ⁉︎』

『惑星レベル?』

 

 唐突に。

 飄々としていたロザン大佐の声音から、あらゆる色が消えた。

 

『どうやら君達は、かの惨劇の恐ろしさを何も理解していないらしい』

『……何の話を』

『スケールの違いだよ』

 

 気圧されて勢いを失った問いに淡々と返すさまは、どこか余裕を失っているようでもあり。

 それ以上に、怖気を震うほどの寒々しさを感じさせた。

 

『死者が数千人なのに最悪なのではない。数千人に抑えられたから()()()()()()()()のだ』

 

 遥か上空の宇宙船から、息を呑む音が伝わってくるようだった。

 いや、それとも音源は俺の喉だったのか。あるいは姫様だったのかもしれない。

 

 科学技術の異常な発展といい、その根底にあるらしき地獄の更なる闇といい。

 この地球は、一体どれほどの秘密を抱えているっていうんだ? 

 

『……敵を相手に随分と話し込んでしまったな。私の悪い癖だ』

 

 もはや極寒の息吹のような抑揚のなさで、幕引きの宣告は為された。

 話を切り上げようとしている。それはつまり、対話の段階を通り過ぎたということだ。

 

『待て──何を、何をする気だ⁉︎』

『決まっている。投降しない敵など、撃滅する以外の選択肢はないだろう?』

 

 正論、ではある。

 あるけれど。

 その冷淡さは、()()()()()()を彷彿とさせるほどに果てしなく恐ろしくて。

 

 この時ばかりは、元凶のはずの宇宙人達を心の底から憐れんだ。

 

『では、さらばだ』

 

 カシュッ、と。

 いっそ気の抜けるような軽い音が耳に伝わる。

 それがあの化物じみた巨砲から発された音だと気づくまでに、数秒の時を要した。

 

『……な、んだ? 何だ、これは──』

 

 ()()()()()

 コーヒーに落とした角砂糖が溶けるように、微生物が生ゴミを分解するように、被弾したであろう箇所を基点にみるみる船体が崩れ去っていく。

 

 困惑と焦燥がスピーカー越しに空気を震わせ──そして途切れた。

 

「────」

 

 誰も、声を発さない。

 俺も、姫様も、通信機の向こう側も。

 

 本当にあっさりと。

 絶対的な脅威のはずだった大型母艦は、ものの数秒で粉微塵に解体された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「状況を整理しよう」

 

 沈黙を破ったのは俺からだった。

 しばしの間、二人して夜空を見上げながら呆けていたが、いつまでもこうしてはいられない。

 考えるべきことはまだまだ無数にあるのだ。

 

「母艦を落とすって目的自体は、結果的に達成された」

「……そう、ね」

 

 彼女としては複雑な心境だろう。

 あの船には知り合いもいただろうし、そうでなくとも自分の星の臣民だ。

 たとえ裏切り者であっても、それは変わりないのだから。

 

「ただ懸念も増えた。()()()()()()()()()()()()()()()って可能性が出てきたことだ」

「正直、その可能性だけは考えなくていいと思ってたんだけどね……」

 

 姫様は頭痛を堪えるように額に手を当てた。

 俺も頭を抱えたいところだが、眉間を揉んでも現状まで解れてくれる訳じゃない。

 

「差し当たり、取れる方針は二つあるわ」

 

 ピンと立てられた二本の指のうち、一本がすぐに畳まれる。

 

「一つ、通信設備を修理する。ここに散らばってるパーツをかき集めれば、元通りとはいかなくても母星との通信くらいはできるはずよ」

「おっ、いいんじゃないか」

「問題は動力源。電力換算なら大体七百万キロワット必要ね」

「いや無理だろ」

 

 発電所にでも突っ込めってのか。

 そんなことしたら俺達がテロリストだわ。

 

「二つ、後詰めの部隊が来るまで待機。地球側の戦力が予想外に整ってるから、下手に動いて目をつけられるよりいいかもしれない」

「まあ確かにな」

「問題はこっちから能動的な干渉ができなくなること。それに、下手をすれば──」

「増援があっさり蹴散らされて終わりって可能性もある、か」

 

 そうなったら、地球は助かっても姫様が救われない。

 それじゃあダメだ。彼女に笑ってほしいからこそ、俺は今ここにいるのだから。

 

 なら考えろ。

 今必要なことは、できることは、避けるべきことは何だ。

 勝利条件を洗い出せ。チェックポイントを明確にしろ。絶対に選択を間違えるな。

 

 ──そんな思考を、再び断ち切るかのように。

 

 

『さて』

 

 

 それは仕切り直しの合図。

 数分間の沈黙を破って、再びロザン大佐がスピーカー越しに口を開いた。

 

 ……一体、誰に対して? 

 本来の通信相手は、ついさっき消し飛んだばかりだというのに。

 

()()()()()()()()?』

「ッ⁉︎」

 

 ──まさか。

 まさか、まさかまさかまさか。

 

『届いていないならいないで構わないのだがね。聞いていて無視するのなら、それもまあいいだろう』

 

 その声からは既に、凍てつくような寒々しさは消えている。

 だというのに、背筋の震えは増す一方だった。

 

『だが僅かばかりの期待を込めて、一応勧告だけはしておこうか。──君達には、約一年間に及ぶスパイ活動の容疑がかかっている』

「ぁ──」

 

 隣で零れた小さな悲鳴が、木々の狭間に溶けて消えた。

 

 気づかれていた。

 姫様のことなんてとっくに知られていて、その上で泳がされていたのだ。

 それも最初から。母艦が現れてからなんて話じゃない、彼女が地球にやってきたその時からだ……! 

 

 頬を伝う冷や汗が、容赦なく体温を奪い取っていく。

 こいつが、地球軍が、次の俺達の敵なのか? 

 

『すぐにそちらに迎えを出そう。抵抗せず、大人しく同行されたし』

 

 さっきまでの饒舌さが嘘のように、事務的な通達のみを残したっきり通信は切れてしまった。

 

「……大人しく同行されたし、か」

 

 まあ無理な話だ。

 捕まったら碌なことになるとは思えないし、姫様に何かあったら本当に全面戦争が起こりかねない。

 

「とにかくここを離れよう。秘密基地ってほど大層なもんじゃないけど、そこそこ身を隠せる場所ならいくつか知ってる」

「……………」

「……姫様?」

「……………、さい」

 

 あまりにもか細い声だった。

 だからしっかりとは聞き取れなくて、それでも尋ね返す気にはなれなかった。

 聞きたくなかった。見たくなかった。こんな震えた声なんて、今にもその場に崩れ落ちそうな姫様なんて。

 

 それなのに。

 悲痛な顔で、二筋の雫を伝わせながら、彼女はその先を続けてしまう。

 

「ごめん、なさい……」

 

 やめろ。

 

「あの軍人、君()って……! 貴方も完全にターゲットに含まれてる……!」

 

 やめてくれよ。

 

「私が、私の、私のせいで……」

 

 頼むから、そんな顔をしないでくれ。

 お前の泣き顔を見たくないから、俺は今ここにいるのに。

 

「貴方の居場所が、帰る場所がなくなっちゃう……!」

 

 なあ、おい。

 今、彼女を泣かせているのは誰だ? 

 ──俺じゃねえかよ。

 

 

「──いいんだ」

「え……?」

 

 ふざけんじゃねえぞ。

 騎士なんて名乗っておいてこのザマかよ。

 テメェは覚悟を決めたんだろうが。

 

 

「君の隣にいられれば、俺はそれでいい」

 

 

 だったら初めから、このくらい言ってみせろ。

 ()()()と同じ思いを繰り返すのは、もうごめんだ。

 

「……ほんとに?」

「ああ」

「許して、くれるの?」

「許すも許さないもねえよ」

「まだ……一緒に、いてくれるの?」

「ええい、だからそうだっつってんだろ! 立場とか戦争とか知ったことか! 俺が一緒にいたいんだよ‼︎ 今、お前と‼︎」

 

 ひとしきり怒鳴り散らして、ようやく落ち着いたところで。

 しゃがみ込んで目線を合わせ、小さな肩に手を添える。

 

「だからさ……いつもみたいに笑ってくれよ。それだけで、俺は何度でも立ち上がれるから」

「ぁ──ぅ、あぁぁぁっ……!」

 

 膝を折り、こっちに寄りかかってくる彼女の目元は、むしろさっきまでよりも濡れていた。

 だから笑ってくれっつってんのに。

 ……でも、まあ。こういう涙なら、たまにはいいのかも──

 

 

「取り込み中のところ、失礼」

 

 

 余韻なんて、一瞬で吹っ飛んだ。

 

「……………冗談だろ」

 

 聞き覚えのある声だった。

 知り合いかと言われると頷けないが、因縁のある相手だった。

 つい数分前まで、通信機越しに相対していた男だった。

 

「無論、冗談などではないとも。すぐに出迎えると言っただろう?」

「だからって、わざわざ本部(ニューヨーク)から出張ってくるかよ……!」

 

 国連直下の()()()()()()()()()()、地球防衛軍。

 その総本部とは、すなわち地球最強の精鋭が集う場所に他ならない。

 そんなエヴァルド=ロザン大佐が、完全装備の一個中隊を引き連れて立っていた。



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第四話

「……随分と御大層なお出迎えで」

 

「いや何、VIP(厄災)を迎えるにはこれでも足らない位だ」

 

 地球防衛軍。

 

 姿勢良く、規律良く。

 だけど感じる確かな威圧感に震える。

 

 完全装備。

 大佐を除いて目に見える全員が銃を俺達に向けている。

 

 銃口から放たれる威圧感から守るように姫様の前へと身体を出してみればなおさら。

 

 同行勧告?

 んな優しいもんじゃねぇ、こいつらは――。

 

「ふむ、分かっているようだ。そう、我々は君達を殺してでも連れて行く」

 

「っ!?」

 

 後ろで身体を震わせている気配。

 すまねぇ……俺はそれからも守りてぇのに、頼りなくて悪い。

 

 強制連行、生死は問わないってか?

 

 がりっと言う音が頭に響く、知らない間にちょっと強く奥歯を噛み締めすぎた。

 

「無論先程言った言葉に嘘はない、大人しく同行してもらいたいという言葉にはね」

 

「はっ! その割には、殺気しか感じねぇけど?」

 

 強がりだってわかってる。

 でも仕方ねぇだろ? あんだけ強気な姫様がこんだけ震えてる。

 

 それはきっと向けられているあの銃口のせい。

 

 大佐から、周りの兵たちから感じる殺気はもちろん。

 何より禍々しく、あまりにも危険な何かを向けられているってわかる。

 

 ……この場を、どうすればきり抜けられる?

 どうすれば姫様を守ることが出来る?

 

「獅子は全力で兎を狩る。兎が鹿であろうと何であろうと、全力で。それは何故かわかるかね?」

 

「さて、生憎動物の気持ちはわからねぇもんで」

 

 んなもん家族のためにしくじられねぇからに決まってる。

 手を抜いて失敗してしまえば誰が家族に肉を持ち帰るんだ。

 

「ご名答、ご明察。そう、我々とて同じだ。人を、家族を守るために全力を尽くす」

 

「そうかい、そりゃ立派なこった」

 

 逃さない。

 そういうことだろう、わかってる。

 

 故に決めろ(・・・・・)今すぐ決めろ(・・・・・・)と言っているんだ。

 

 抵抗するか、否か。

 生きるか、死ぬか。

 

「そうだね、ならばこうしようじゃないか」

 

「……あん?」

 

 それでもこうして何かを委ねようとしてくる理由は何か。

 それはきっと俺が動かないから。

 

 抵抗も、屈服も選んでいないから手を出せない。状況的に、罪状的にカードが揃っていても確証を欲しているから。

 

 無抵抗の存在を力でねじ伏せてはいけないから手を出さない。

 

 要するにそういうこと。

 だがこいつの顔は不気味な笑みを浮かべていて。

 

 早く抵抗しろ、そうすればねじ伏せられる。

 そんな大義名分を欲しているんだ。

 

「君は人間……いや、元人間なのかも知れないが。もしも君がここで彼女を差し出せば……連行は変わらないが君の命は保証しよう」

 

「はっ?」

 

 何いってんのこいつ。

 いやいや、わかってる、わかってる。

 それって要するに。

 

「モルモットが欲しいだけだろ……!」

 

「どうかな? もしかすると人間に戻れるかも知れないぞ?」

 

 はん、そんな望んでもねぇことに誰が……。

 

「その話は、本当?」

 

「っ! 姫様!?」

 

 いやがった……っ!

 っておいおい! 何に反応してるんだよ!

 何覚悟決めそうな顔してんだよ!

 

「私は嘘が嫌いだ。命は保証する、ただ戻れるかは可能性しかない」

 

「それでも……ほんの一握りでも可能性が……ある?」

 

 やめろ、やめてくれよ……!

 そうじゃねぇ、そうじゃねぇだろ姫様!

 

 俺は、お前の騎士だ。

 姫が騎士のために命を投げ出そうとしてどうすんだよっ!

 

 てめぇも大きく頷いてんじゃねぇ!

 残念だと思うならそんな事言ってんじゃねぇよ!

 

 てめぇが獅子だと、狩人だというのなら、らしく全力で俺達を狩りに来いよ!

 

「ねぇ……」

 

「あぁ、そうだな……わかったよ」

 

 いいさ。

 

 諦めたよ(・・・・)

 

 安心してくれ姫様。

 そう、その頷きは正しい。

 

 ほっとしておいてくれ、大丈夫だそのままで――

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

「っ!?」

 

 ――俺は、人間であることを諦めたから。

 

「抵抗の意思を確認っ!! 射殺許可っ!!」

 

「待ってっ! 待ちなさいよっ!!」

 

「うるせぇっ!!」

 

 変わっていく。

 俺の足が、腕が、身体が変わっていく。

 

 なるほど、そうだな。

 俺は確かに兎だった。

 命の行方を他者に左右される獲物、まさにその通りだった。

 

「っ!? 消滅弾(イレイズ・バレット)効果ありません!!」

 

「見ればわかる……クク、そうか。そうでなくてはな」

 

 兎で駄目なら獅子となれ。

 ヒトで駄目なら真に騎士となれ。

 ただ守りたいものを守れるモノとなれ。

 変化しろ、進化しろ、望む自分に為り至れ。

 

 ──俺の身体よ何よりもただただ騎士となれ。

 

 そうすりゃ、ほら。

 笑えるだろ? さっきまであんなに驚異として感じていたアレにさえ。

 

 抗える。

 

「でりゃああああ!!」

 

 地面を変化させた左腕――大槌でぶち殴る。

 そうすればまるで爆発したかように地面が弾けた。

 

「ぐ、むっ!」

 

「逃げるぞ姫様っ!!」

 

「待って、待ってよ!! アンタ――もがっ!?」

 

 あーあーうるせぇうるせぇ。

 姫は騎士に黙って守られてろい。

 

 つま先に出来た(・・・)爪で窪んだ地面を掴み、跳躍力へ。

 空気抵抗を限りなく受けないように、身体を鋭く。されど、右腕に抱えた姫様を守れるように。

 

 身体に響く衝撃はきっとあの玩具から放たれたモンだろう、カンカンとうるさい。

 

 自分の耳へと響く音は明らかに人体に流れる音色じゃない。

 

 だけど、構わない。

 

「お前を守るためならっ! 俺は何にだってなってやるっ!!」

 

「――!!」

 

 抱えた手を、腕を離さない。離すつもりもない。

 

 騎士。

 

 それも極めて独善的な。

 

 それで良い、だから良い。

 

 こんな身体になっても伝わってくる温もりを、失うよりよっぽど良い。

 

 

 

「アンタねぇっ!!」

 

「あーはいはい、わかったわかった。見つかるとやべぇからちょっと静かにしてろっての」

 

 木々に身を隠しながら目指すは秘密基地。

 

 裏山を囲うように地球防衛軍(あいつら)は展開していた。

 飛んで逃げるかと翼を生やしてみたけど、流石に飛ぶという行為を理解していない俺には無理だった。

 今の俺なら一人二人を突破するのは簡単かも知れないが、姫様がいる以上難しいし、展開された数は一人二人じゃない。

 

 要するに二択。

 

 あいつらが自主的に居なくなるか、俺がこの手で消すか。

 

 不思議な気分だ、多分ちょっと前までの俺なら人を殺すって発想に何かしら思うはず。

 だけど今、まったく躊躇を感じない。そんな思考に拒否感を覚えない。

 

 こんな身体になった代償だろうか。

 どうも、殺()という行為をなんとも思わない。

 

 あるのはただ一つ。

 

 姫様を守りたいって思いだけ。

 

 それを遂行するためになら、きっと俺は何でもするだろう。

 

「っ~~! もう! 後でちゃんと聞きなさいよっ!?」

 

「あぁ、喜んで」

 

 はは、そうそう。

 あんたはそんな顔のほうがよく似合う。

 さっきまでの顔よりずっと、ずっと。

 

「……で? 何処に行くの? この山からは出られないみたいだけど」

 

「言わなかったっけ? 秘密基地(シェルター)だよ」

 

 正確には対厄災避難施設。

 地球防衛軍が人類の牙だとするなら、シェルターは人類の盾。

 一度入ってしまえば内側から開けない限り外からは絶対に開けられない様になってる。

 

 だから良く近所の悪ガキがそこに立てこもって親を泣かせるなんて光景があるんだけど、まぁそれはいい。

 

「なるほどね。一旦態勢を整えるわけね……だけど、あいつらだって馬鹿じゃないでしょ? 当然入られないようにされてるんじゃないの?」

 

「だろうな、だから強行突破する」

 

「……」

 

 ……あれ? 驚かないの? むしろなんでそんな悲しそうな顔してるの?

 

「……ごめんなさい」

 

「何に対してかわかんねぇよ」

 

 あぁ、本当に。

 わからないさ、わからないってことにしてくれよ。

 

「~っ……わかったわ! なら行きましょう!」

 

 おう。

 そうだよ、話ならそこで出来る。

 

 喜ぶでも怒るでも、悲しむでもなんでも。

 まずは姫様の無事を確保してから、いくらでも出来るさ。

 

 そのために、俺はこうなったんだから。

 

 

 

 シェルター。

 一見普通の山小屋に見えるそれ。

 中に入れば地下へと続く階段があって、その先に目的の場所がある。

 

 だけど。

 

「やっぱり……居るわね」

 

「あぁ、予想通りってな」

 

 目視で確認できるのは八人。

 ステルスで姿を消しているのを入れたら十人、か。

 

 遠視鏡へと変形させた左目、感知センサーへと変形させた右目で確認できるのはそれだけ。

 

 これが少ないのか、多いのかそれはわからない。

 だけど、あの場を抜けてからそう時間は経っていない。

 隠れながらとは言え真っ直ぐにここへと向かってきた俺達より早くここに来るのは、それこそ瞬間移動でも出来ないと無理だろう。

 強行突破で山から離れる可能性だって考えなきゃいけないあいつらだ、今ここにいるやつらが全員だと考えておく。

 

 まぁ、増援やらなんやらが来た時はその時、ぶち殺せばいいだけだから。

 

「で、行くの?」

 

「当然だろ。もちろん、俺一人で」

 

 一瞬反論しそうになる姫様だけど、まだ完全に力が戻っていないのはわかる(・・・)

 自分のことだ、当然姫様だってわかってるだろう、だから唇を噛み締めてるんだ。

 

 とはいえ。

 

「よっ……と」

 

「ちょっ!? 何をっ!?」

 

 右腕を剣に変形させた左腕で切り落とす。

 

 そしてその右腕を変形させて、光化学迷彩(ステルス・クローク)へと。

 

「大事にすっぽり被っとけよ? 俺のお手製なんだから……腕だけに」

 

「ば、ばかっ! 洒落になってないわよ!」

 

 あーはいはい、静かに静かに。

 

 また生やすことはしない(・・・)。なんとなくひっつけたら元通りになる気はするし、そんな事しなくても生やせるけど。

 それだけは俺の独善的価値観(・・・・・・)により絶対にしない。

 

「ひゃんっ!? ってちょ!? やめ、やめ……にゃ、そこは……きゃん!?」

 

「おーおーなるほどなるほど」

 

 被ってもらったクローク。

 それをもにゅもにゅと動かすことが出来た、なんかとっても柔らかい感触がしたのは気の所為だろ、ごちそうさまです。

 

「いい加減にしなさいっ!」

 

「へぶっ!?」

 

 痛ぇ……なんだよ姫様の拳はあの玩具以上ってか? ……やるじゃない。

 

 と言うか何やってんだ俺は、うるさくしちゃ駄目だろ……うん、大丈夫か?

 

「ごめんごめん、ちょっとした場を和ませるジョークだよ」

 

「……スプラッタで変態的なジョークは遠慮したいわ……」

 

 いいじゃん、安心してくれたみたいじゃん?

 だったら大成功ですよ、ドッキリじゃないけど。

 

 それにそれ。

 俺の元腕だけあって頑丈なんだぜ?

 

 まぁ、とりあえず。

 

「んじゃ、行ってくる。ちゃんとソレ大事にしてくれよ? 後で返してもらうんだから」

 

「……うん」

 

 うっし、覚悟完了っと。

 同時に身体を槍に変える、えらく大きい上に足が生えてるから多分傍から見たらすっごく気持ち悪いんだろうけど気にしない。

 

 足先の爪を鋭く、頑丈に、伸ばす。

 地面を踏みしめる。

 そして。

 

「っ!?」

 

「はい、一人目っと」

 

 思い切り踏み切れば、一人投槍の完成だ。

 風を切り裂き、腹を貫いて。出来上がったのは焼き鳥もびっくり人間の串刺し。

 頭から滴る血の塊は気にならない、生暖かさを感じる暇もない。焼いて美味しそうとも思わない。

 

「き、きさっ――」

 

 遅いねぇ、遅すぎる。

 着地した勢いのまま首を振れば、刃となった穂先が刺さっていた腹を裂いて、もう一人の首を跳ねた。

 スローカメラに変えた瞳は世界をより鮮明に映した。

 

 駄目だろ? 軍人だろ?

 まずは報告、異常を知らせなきゃ。ほうれんそうって知ってるかい?

 

「ヤツだっ! ヤツが――」

 

「ま、させないけど」

 

 槍から戻って、髪の毛を抜き投げる。

 そうすりゃその途中で鋭い針となって兵士の喉を貫いた。

 

「ぎっ!?」

 

「あぐっ!?」

 

 ついでにめんどくさそうなステルス君にもぽぽいのぽいっとね。

 

 うんうん、これで無線持ちは全滅かな?

 いやぁ、便利だねこれ。

 

「この、厄災がぁっ!!」

 

 おっといい音するねぇ。

 ていうかもうあの玩具()使わないの? そんな時代錯誤も甚だしい剣なんて使ってどうしちゃったのさ。

 まぁどっちも同じ。

 

 ただの玩具に変わりはない。

 

「でもまぁ姫様になんかあったら嫌だし……」

 

「な、なっ! ひぎっ!?」

 

 はいっ! 腕、スポーンっ!

 剣を持ってた腕を引き抜いて、そのまま剣をゲットだぜ!

 そしてー?

 

「や、やめろ……やめ、やめ」

 

「何で?」

 

 なぁにを言ってるのかねこの人は。

 遠慮なく俺の首目掛けて剣振って来ておいて命乞いとは情けない。

 

「お、れ……俺には、か、家族が……今年五歳になった、娘が……」

 

「ふぅん」

 

 家族、家族かー……そりゃ大変だ。

 嫁さんに娘。うんうん、大事だもんな、大事にしてやれよ?

 俺だって大事にしたいモンだからな。

 

「そっか、なら仕方ないな。死ね」

 

「えっ……」

 

 そうだよなぁ!? 大事だよなぁ!?

 俺にとって姫様が大事なように! 大事なもんは誰だってあるよなぁ!?

 それを奪おうとしてるってことはさぁ! てめぇも奪われて仕方ねぇよなぁ!?

 

 間抜け、間抜けすぎるぜ!?

 

「や、やめ、あ、あ……あああああああああああ!?」

 

 はぁいこの剣はどんな剣かなー?

 おや? とても良いですねーナイスですねー切れ味抜群ですねー。

 

 あらあらまぁまぁ。

 奥様? こんなに切れ味が良くて、切ったところから一瞬で身体が消滅するこの剣! 今ならたったのプライスレス!

 

「なぁんてな!? はは! ははは! はハはハハはははハハハハ!!

 

 そうだ。

 そうだそうだ。

 

 そうだそうだそうだそうだ!!

 

 てめぇらの命なんざ姫様に比べりゃタダも同然っ!!

 惨めに、無価値に!!

 

 この(厄災)の前で――

 

「死にさらせぇ!!」

 

 

 ……――そうして。

 

 

 どれ位時間が経ったか。

 どれ位何かを殺したか。

 

「……お疲れ様」

 

「……」

 

 止めてくれたのはやっぱり俺の大事な人。

 背中から感じる温もりで、ようやく落ち着くことが出来た。

 

 見渡せば、赤くないところの方が少ない。

 

「あぁ……これ、俺がやったんだ」

 

 熱病に浮かされていた。

 そんな風に思う。

 

 それでもこの光景に対して悲しいとか、後悔とかそういう気持ちは持てなくて。

 何も感じないという自分に対してだけ、悲しいと少し思った。

 

「……行きましょ?」

 

「うん」

 

 二兎追う者は一兎も得ず。

 金の斧と銀の斧は同時に手に入らない。

 

 何かを得ることで、何かを失うなら。

 きっと俺は――

 

「私は、あなたが何に変わっても、あなたを大切に想ってるから」

 

「……うん、俺も、お前のことが大事だ」

 

 ――ありがとう。

 

 いつの間にか振ってきていた雨。

 きっと周りに広がる赤も、これで流れ落ちていくんだろう。

 そうしてなかったことになっていく。

 

 なら俺もまた……。

 

「えいっ! ……もうっ! やっぱりアンタちょっと背が高いわ!」

 

「うるせぇな、お前が縮んだんだよ」

 

 頭の上に広げようとしてくれたクローク。

 彼女が右端、俺が左端を持って二人で掲げる。

 

 うん、そうだ。

 たとえ俺の何かが消えるのだとしても、彼女がいれば、きっと大丈夫。

 

 きっと大切な何かだけは持ち続けられる。

 

 だから。

 

「これが……」

 

「そう、シェルター」

 

 小屋の階段を降りた先。

 無骨な丸い金属で作られた扉がある。

 

 懐かしい。

 

 俺も良くここで遊んだもんだ。

 だからよく知っている、ここがどれ位安全か、とても良く知っている(・・・・・・・・・・)

 

「さ、どうぞ? お姫様」

 

「……んっ、苦しゅうないわ」

 

 気取って。

 騎士らしく、キザっぽく。

 

 そうすりゃ全力で笑ってくれて。

 

 その笑顔が見れたことで俺は十分で。

 

「ほら、アンタも早く入りなさい?」

 

「なぁ……ソレ、ちゃんと大切にしてくれよな?」

 

「えっ?」

 

 その手は離さない。

 これで俺はずっと彼女を守り続けられる。

 

「まっ――!?」

 

 それで良い。

 俺は彼女が大事だから、絶対に離したくないから。

 

 扉を閉めた。

 

「……ふー……」

 

 そう、俺は知ってるんだ。

 

 ここが一度閉まれば、中からも外からも三日間絶対に開かないことを。

 

「三日かー……」

 

 今頃この扉を開けようと必死になってるかな?

 ごめんな? 許してとは言わねぇよ。

 まぁ安心してくれ、中にはまっずい保存食で悪いけど年単位で食う分には困らねぇし、風呂だってあるから。

 

「まずはどうすっかなぁ……」

 

 守りたい。

 それしか考えていなかった。

 

 これからどうしたら良いかなんて考えてなかったや。

 

「でもまぁ……行くか」

 

 扉を背に歩く。

 安全の保証を示すかのように、扉の向こうから音は聞こえない。

 

「行ってくるよ」

 

 だからこの言葉も届かない。

 

 それでいい。

 

 騎士の心は彼女へ右腕と共に。

 

 そして残った俺は。

 

「厄災として」

 

 さぁ、まずは何から始めようか。

 

 もうあんなことは繰り返さない(・・・・・・)、俺はもう後悔しない(・・・・・)

 

 あぁ、そうだな、確かにこれは戦争だ。

 

 あんまりにも勝利条件が不透明で、敗北条件だけが明確な。

 

 一人ぼっちの大戦争。



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第五話

 失くしたはずの右腕に、不思議なくらい柔らかい暖かさと、一滴の冷たさを感じた。

 そのことに気付いて、彼女の顔を思い浮かべる。

 笑い声が聞こえてきそうなくらい楽しげな表情、言葉を発さなくても伝わるくらい怒気を滲ませた怒った表情、そして、涙を流す、哀しげな表情。

 そのどれもが美しくて、愛おしくて、けどやっぱり笑った顔が一番だなと思った。

 だから、これはそれを守るための戦い。

 あの日、あの時、戦うことすら出来なかった俺に、ただ守られることしか出来なかった俺に、やっと赦された、護る為の戦い。

 俺は厄災で、舞台はこの山で、相手は自分の星の正義の味方と、彼女の星の、大軍勢。

 あぁ、何だか本当に、役者が違うだけで、あの日とそっくりだな、とそう思った。

 あの時あいつは、どんな気持ちでここに立ったんだろうか。

 忘れようとも忘れられないあの戦争を思い出す、あいつの横顔がチラリと脳裏をよぎった。

 いやに奇抜な格好で、機械的なメガネを光らせていやみったらしく笑う、我が親友。

 俺が厄災になったって聞いたらきっと度肝を抜かすだろうな、それから馬鹿かと怒って、そうして理由を聞いて、お前らしいな、と笑うんだろう。

 それなら仕方ないな、と俺の肩を叩くのだろう。

 だから、悔いはない、あるのは決意と覚悟。

 あいつに貰ったこの人生で、彼女に掬われたこの命で、全部終わらせる。

 今度こそ後悔だけはしない、そして彼女にも後悔させない。

 四日目には笑顔で彼女を迎えに行くんだ、何もかも、余計なものは消し去って、幸せな未来だけを勝ち取ってみせる。

 

「さぁいくぜ」

 

 そう独り言ちて、空を見上げた。

 いっそ清々しいくらい晴れ渡った青空には、黒煙を上げる船が一隻、そしてこちらへと空を翔けて向かってくる、数多の地球の戦艦。

 どれもがきっと、想像もつかないようなとんでもない武装を積んでいるんだろう、けど、関係ない。

 山を駆け上ってくる沢山の足音が聞こえてくる、けどそれも関係ない。

 物質を消し飛ばす武装だろうが、銃すら効かない身体だろうが、どれもこれも尽く、平等に──

 

「消し飛ばしてやる」

 

 ドンッ、と力強く地を踏み込んだ。

 流石の俺も、この身ひとつだけであれら総てを殺せるとは思っていない、けれども考えだけはあった。

 あの船の中、飛ばして失くした足の中身を補填した時に、彼女が漏らした言葉。

 "自分の身体でないものを書き換えたの!?"彼女はそう言って、驚いたのだ。

 そう、書き換え。

 俺には難しい原理や仕組みは分からなかったけれども、彼女の放った言葉と、己の感じた経験があれば推測くらいは出来る。

 つまるところ俺は、別の物質を自分そのものに上書いた。

 補填として、己のものに書き換えた。

 何度も繰り返すようだが、全く別のものとして存在している物質を、自分そのものに変えきってから、補填した。

 そう、大事なのはこのプロセスだ。

 ()()()()()()()吸収、一度己そのものにしてから、足りない部分に組み込んだ。

 このことに加え俺は、彼女らドラグの星の民の特性である、自分の身体をある程度の質量を無視して自由自在に変化させる能力を手に入れている。

 であれば、()()()()()()も、出来るんじゃないのかよ───!?

 瞬間、ボコリと地面が盛り上がる。

 イメージだ、イメージ、俺の身体は今、人の身体なんかじゃない。

 もっと歪で巨大な、化物だ。

 不格好でもなんでもいい、ただ、俺の眼前に映り込むこのだだっ広い土地と接続して、俺そのものに書き換える。

 人である俺に変えるんじゃない、そのままの状態で、俺そのものに上書きしてやれば良い───!!

 地面は盛り上がる、まるで胎動するように、無機質的な地面や葉といったそれら何もかもを、己の肉体に書き換えていく。

 足先だった場所から、肉が広がり骨子は伸びて、血流が流れ始める。

 分かる、解る、理解る!

 これは俺の肉体だ、ついさっきまでただの山だったこれは、既に確実に俺の一部となった。

 身体が熱くなる、強大で強力な血のうねりを感じる、徐々に徐々に、己の身体が広がっていく。

 足りない場所を敢えて補わない、ただただ自分に書き換えこの姿で固定する。

 直後、あらゆる感覚情報が脳みそをぶっ刺すように流れ込んできた。

 流れるそよ風、走り回る動物、そして、馬鹿みたいに揃った足並みで向かってくる敵の軍勢。

 

「人様の身体の上をチョロチョロチョロチョロと……」

 

 うざってぇな、近寄るなよ。

 そう呟いてから、意識を研ぎ澄ます。

 腕なのか、足なのか、腹なのか、はたまた内臓なのか。

 これがどれに分類されるのかは良く分からないけれども確実に俺の一部であるそれを、思いのままに()()()()()

 時には刃へ、時には銃へ、時には拷問器具へ、ありとあらゆる()()へ己の身体を書き換える。

 動かしたことなんて無いけれども、動かし方は何となくわかっていた、ちょっとばかしぎこちないが、問題ない。

 この程度、殺すだけなら問題にすら成り得ない。

 すべてを同時に振り下ろす、目には見えなくても、奴らが踏んでいるのは俺の肌だ。

 逃げることすらさせない、抵抗の暇すら与えない。

 疾く、無慈悲に、完璧に、何もかもを、殺し尽くす。

 大きく広がった肌のあちこちで血の沼が作り上げられる、肉片がごろりと転がって、それをただ汚いなぁと思った直後、光の雨が降り注いだ。

 

「ぐ、おぉぉぉあぁぁぁぁあ!?」

 

 あらゆるものを消し飛ばす光が肌に穴を空け、焼き付くような痛みが全神経を駆け巡る。

 視界がチカチカと明滅して、意識がとびかけた。

 そりゃそうだ、肉体に穴を空けられたら当然痛い。

 

「くそったれがぁぁあ!」

 

 反射的に身体を作り変える。

 穴の空いた箇所を起点に、大量の砲門が大きく口を開け、間髪入れずに撃ち放った。

 爆音が次々と鳴り響き、血肉の弾丸はまるで地から落ちる雨のように、空へと降り注いだ。

 何もかもを弾幕で覆い尽くして、しかしそれらが当たるほんの直前ですべてかき消えた。

 嘘だろ──そう思うと同時に、ドラグの船から落ちた光線、そして兵士が振るっていた剣を思い出す。

 そうか、そうだったな、生半可な攻撃じゃ届く前に消されちまう。

 その上こっちの的はでかくて相手の数が多い。

 対人相手なら相当便利だったが、あまりにも不利だ、やめとくべきだったか。

 唇を噛んで思考を回す、あれを一気に叩き潰せて、その上で頑丈かつ機動力がある力、そんな都合のいいものが───あ。

 ある、いや、正確にはそれを創り出す方法が、俺にはある。

 スケールがでかすぎて考えが遅れた。

 そうだよ、さっき俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 複雑に考えることはない、同じことだ、ただ切り離す量が多いだけ。

 ぶちぶちと、己の足底だった部分から先を切り離して、それから変えてやる。

 何もかもを受け付けないあのシェルターのように頑丈に、されど俺の思考と同調する力。

 精巧にイメージさえ出来てやれば後は記憶に従って、それをなぞるだけだ。

 俺は研究者だとかが読んでいるような論文だったり、学んでいることだったりは良く知らないが、どう組み立てれば()()が出来上がるかは知っている。

 あいつの後ろでずっと見ていた、時には手伝った、あいつの薀蓄を死ぬほど聞いた。

 あれは小さいものだったけれど、同じ比率でただでかく作ってやれば、それで良いだろう!

 切り離された大地は盛り上がる、抉れた傷は周りを取り込み再生して、山を半分、シェルターから後ろを残すように形を組み上げていく。

 生い茂っていた木や草は盾に、剣に、銃に、鎧に成り代わり、肉の山は鋼の身体へと姿を変える。

 

「科学力と技術力でのバトルなら、やっぱりこれは必須だろ、なぁ?」

 

 そう言って俺は、如何にも金属で出来たような、人の姿を象った、()()()()()()を組み上げた。

 それの肩に乗って悠々と、敵を見る。

 多少不格好なのは許してくれや、そう言って、銃を見立てるように左手の人差し指と親指を立てて、前へと向ける。

 それについてくるように、ロボットの左腕が持ち上げられた。

 ロボットの掌がバカリと開く、凝縮された、血肉、骨だったものが変質したエネルギーが渦巻き今か今かとその輝きを増していく。

 

「ばきゅん」

 

 あまりにも軽く言葉を飛ばすと同時、赤黒い極光は解き放たれた。

 目が眩むくらいの明るさと、恐怖を抱くような悍ましい光を放ちながら空を駆け抜け、そして当たる寸前で()()()にぶち当たった。

 透明な空間が激しく歪んで、衝撃音が鳴り響く、が、関係ない。

 

「ぶち抜け」

 

 言葉と同時、障壁は硝子のように砕け散り、眼前に広がっていた多数の戦艦は一瞬にして消え去った。

 多少威力が高すぎるかな、とは思ったがこれは星に住む多くの人との戦いだ、これでも足りないくらいだろう。

 蟻みたいにぞろぞろと、奥から溢れてくるようにやってきた戦艦がその証拠だ。

 少しの不安が頭を過る、それを無理矢理握りつぶす。

 姫をシェルターに入れてからずっと感じられる優しい暖かみをそっと抱き寄せて、

 

「俺は厄災だぜ、止められるものなら止めてみな」

 

 と言って、ニヒルに笑った。

 

 

 ───それから、どれだけ経っただろうか。

 いや、現実逃避は止そう、まだあれから、一日も経っていない。

 時間にして言えば12時間も経っていなかった、太陽は沈んだが、月光が俺を照らし出す。

 戦った、闘った、戰った。

 あらゆる手段を用いた、あらゆる武器を用いて、あらゆる発想を用いて、何もかもを叩き殺した。

 斬り、穿ち、裂き、貫き、潰し、しかしそれでもまだ足りない。

 折角作り上げたロボットも、もう完全に朽ち果てている。

 性能だけで見ればそれこそ地球の科学力にだって負けていないと確信できたが、それでも数の差ってのは大きかった。

 大量に叩き潰せたのは良かったが、それでも反動のダメージでこのザマである、便利な能力ではあるが、万能ではない。

 ちょっと調子に乗りすぎた、素直にそう思ったがそれでも折れるわけにはいかなかった。

 彼女があそこから出る前に、俺は彼女にとっての平和を、掴み取らなければならないのだ。

 だから、だから────

 

「ここで俺が終わる訳には、いかねぇんだよ!!」

 

 同時、地を踏み蹴った。

 跳躍、ではなく飛翔。

 丸く輝く月を背に、スラスターを生やして血液を燃料に空を舞う。

 毎度ながら不格好ではあるが、翼を生やして飛ぶってのが上手く出来ないんだから仕方が無いし、そもそも翼をはためかすってのが非効率的だ。

 的は大きくならないし、それに何よりこれなら速く、上手く動ける、だから、戦闘機にだって、追いつける。

 飛び交う戦闘機の羽を掴んで叩き割る、同時に変換、吸収。

 中の人ごと呑み込んで、そのまま己に変えていく。

 流石に半日も戦い続ければいくら俺でも学習する。

 まず喰わなくても吸収は出来る、コツさえつかめれば、触れるだけで変換できた。

 そして何より、一人ぼっちでの戦い方。

 馬鹿みたいに大きくなれば良い訳では無いのだ、アホみたいに派手になれば良い訳ではないのだ。

 この能力は幅広い力があるけれども、真価はそこには無い。

 というか今更俺が複雑なことしたってそれを使いこなせる訳ないのだ、だから、ただただ純粋に己に書き換えて吸収し尽くす。

 吸収がイコールで欠損箇所の補填にはならない、折角自分の身体を作り変える力があるんだから、動かし慣れた身体の見た目は変えず、ただ中身を凝縮させて肉体そのものの格を上へと引き上げる。

 己をもっと高みへ持っていかなければならない、そも、相手はまだ全力ではないのだから、尚のことだ。

 だってそうだろう、あれだけ大口叩いておきながら、俺は()()()()()()()()()()()

 厄災ってのはただ強大な力とか、そういった目に見えた暴力的な脅威のことを指すのではない。

 かつてのあの日、十年前に起こったあの戦争のように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、人は厄災というのだ。

 であれば、《対世界的厄災撃滅機関》と銘を打つ彼らがまだ全力ではないことは自明の理だった。

 まぁ、彼らの装備と良く似たものを俺はずっと前、それこそ十年前から()()()()()から、そう思うだけかもしれないが。

 それでも、この考えは決して間違いなんかじゃないだろう、その確信がある。

 あれだけ大見得張って進化を遂げたとあの偉そうな大佐様が言ったのだ、底はまだまだ尽きてなんか無いだろう。

 あの世界から、科学力を手に入れたのであれば、まだまだ色んなものが出てきてもおかしくないはずなのだ。

 だからこれはまだ、前哨戦。

 あちらもこちらも、互いの限界を図っている。

 今のうちにもっと溜め込まなければならない、限界まで、いや、限界を超えても尚、どこまでも。

 彼女を護るために、何もかもを奪い、糧とする。

 大きく吠え声を上げながらもう一機、穿ち落として全てを喰らう。

 パイロットの首を手折って投げ捨てる。

 ドチャリと落ちた音を聞きながら、戦闘機の羽の先から少しずつ、呑み込むように取り入れていれば、不意に声がした。

 機械的な音声が、コックピットの無線機から響くように聞こえてくる。

 

『あーあー、聞こえているかね、厄災候補君』

 

「また、あんたか。もう話すことは、ないと思うが」

 

『そう連れないことは言わないものだ、それにこれは、君への温情なのだから』

 

「温情……? 何を今更」

 

 そう吐き捨て無線機を壊そうとすれば、焦ったような声が響いた。

 まぁ待て、話しだけでも聞くべきだ、と彼は言い、仕方なく無線機を拾い上げる。

 

『これは所謂降伏勧告というやつだ、我々は既にドラグの戦艦長とは話をつけた、これからは我々二つの星が君等を狙う。逃げ場はもう、無いのだよ』

 

「そんなものは最初からいらねぇよ、お前らが消えれば、それで良い」

 

「───あぁ! 君ならそう言うと思っていた、だから今のはただの前置きだ、ここからが本題だ、まだコックピットは生きているかい?」

 

「あぁ、まだ残ってる」

 

 そう応えた瞬間、大きく開いたコックピットの機材から、ホログラムが虚空へ投射された。

 そこに映っているのは───シェルターに一人でいるはずの、大切な人。

 その彼女が今、あいつらに捕まって銃を突きつけられていた。

 頭が赤熱する、それに追随するように何故、どうして、といった感情が渦巻き犇めき合って、思わず動きを止めた。

 

『驚いてくれたかい? そう、君が開かないと信じ切っていいただろうシェルターは、開かせてもらったよ。我々の技術力を持ってすれば、当然のことだ』

 

 無線機から零れてくる音が耳を素通りしていく。

 吐き気すら催すような感情の中、冷静になれ、という己の意志だけで全てを抑えつける。

 過去を悔いても仕方がない、今俺にできるのは、これからどうするか、だ。

 今、彼女はどこだ? どうすれば、助けられる?

 それだけを思考に張り巡らせる。

 

『必死に救助しようとなっているのかな、でも無駄だ。君がこの場で抵抗を止めると宣言し、拘束を受け入れなければ、彼女は直ちに射殺する』

 

 くそ、くそ、くそ、どうすれば良い、どうすれば。

 俺が降伏しても、きっと彼女は殺される、抵抗しても、殺される。

 手詰まりだ、畜生、畜生、畜生!

 冷静になりきれない頭の中で怒りと悔いと哀しみだけが連鎖して渦巻いていく。

 完全に打てる手が無くなったことを認めたくなくて奥歯を噛み締めた。

 

『判断の時だ、十秒くれてやろう、確り考えろ』

 

 そう言ってやつは一秒一秒、余裕たっぷりに唱え始めた。

 無慈悲に数字は減っていく、未だにどちらを選ぶべきかは分からない。

 どうすれば、どうすれば正解なんだ、この二つの選択肢がどちらも正解じゃないのは解っているのに、これ以外の選択肢が見当たらない。

 ぐちゃぐちゃに思考が固まって、ついには停止した、思考は全く進まなくて、判断が下せない。

 

『3,2,1───』

 

 終わりだ、ここで、終わり。

 カウントは終わり、その瞬間彼女も死ぬのだろう。

 失敗した、失敗した、失敗した。

 俺のせいだ、俺のせいで────その瞬間、ふと、暖かい感触が右手に触れた。

 そっと何かに抱き寄せられて、人の身体特有の優しく柔らかい感覚が腕を包み込む。

 これ、は、彼女の──?

 弾けたようにホログラムを見る、そこに映る彼女の姿はぐったりとしていて、手には何も持っていない。

 バチリと頭の中で何かが弾けた、同時に、何時だったか聞いた、()()()の言葉を思い出す。

 

 《この時代、この世界のレベルは低いね。冷静に分析しても、僕の知りうる技術を全て提供して、どれだけ上手く行っても僕の時代と世界の水準まで上がるには後ざっと一千年は必要なんじゃないのかな》

 

 そうだ、あいつは確かにそう言ったのだ。

 もしこの言葉だけなら、不安でたまらなかったが、今俺の右手はまだ彼女の元にあって、あのホログラムには映っていない。

 つまりはそういうことなのだ。

 彼女は無事で、当然シェルターは開いていない。

 あっちの世界でも天才扱いだったと自称してたあいつのお墨付きもあるんだ、であれば、やはり3日は絶対に開けられない。

 あの日あの時、少しの間だけ交わりあった、果てしないほど遠い世界のシェルターが、開くはずがない。

 たかだか十年、あの世界から技術を、科学を手に入れたであろうあいつらの手は、まだ届くはずが無いんだ───!

 

『0だ、覚悟は決まったか?』

 

「覚悟を決めるのはそっちだろ詐欺(ペテン)野郎」

 

『何を──?』

 

「生憎俺のお姫様にはちょっと重めのお守りを持たせていてな、理解るんだよ」

 

『それこそハッタリだろう、良いのか? 我々は、殺すぞ?』

 

「やってみろよ、お前らの頑張ってきたその科学力で、技術力で、この世界に唯一の、遙か先の世界のシェルター、開いてみせろ」

 

『────待て、待て待て待て待て待て!! 何故だ、何故貴様がそのことを知っている!? あのシェルターだけが、この世界のものではないと、何故!?』

 

「分かるさ。あの日、真夜中に朝日が昇ったあの時、帰っていったあいつ──厄災と、ずっと一緒にいたの俺だ。お前らの進歩がどれだけ目覚ましくても分かるさ、お前らがあそこまで辿り着いているかどうか、なんて、それくらいはな」

 

『なっ───はぁ? ミッドナイト・サンの、厄災、だと。貴様、それは、一体、どういう──』

 

「どういうも何も、言葉通りだよ。知らなかったか? 厄災には一人だけ、この世界に相棒がいたんだ」

 

『それは、それは知っている! だが厄災と共にいた人間は、あの時我々が殺したはず───!』

 

「残念、それは不正解。正解は、死にかけた所を最低限の治療だけ施されてあのシェルターにぶち込まれた、だ。終わった後、シェルターのあるあの山の中腹でぶっ倒れてたガキが俺だよ」

 

『そん、な、馬鹿な──』

 

「あの時は拾って助けてくれて有難うな、おかげで今、ここに立っていられる」

 

『───────』

 

「じゃあな、もう良いだろ、次に会うのは、お前が死ぬ時だ」

 

 そう言って、無線機を叩き壊した。

 そしてそれを自らに書き換え血肉へ変える。

 何だか語りすぎたな、とそう思った。

 今まで話すことが無かったせいで、思いの外ペラペラと話してしまった。

 お陰で勢いよくかつての記憶が思い返されていく。

 それを振り払うように空を見上げれば、雲海の隙間から輝く星が顔を覗かせていて、いっそう記憶は駆り立てられた。

 

「そういや望遠鏡の使い方も、あいつに教えてもらったんだったっけか」

 

 口に出せば、より記憶は鮮明になってきて、少しくらいなら良いか、と記憶に身を委ねた。

 そう、あいつの第一声は確か─────

 

 

 

 



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第六話

『──やあ、初めましてご先祖様の同胞さん。僕は……◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎・◾︎◾︎◾︎。気軽にアルって呼んでくれてもいいよ』

 

「……あ?」

 

 掘り返した記憶が掠れるような感覚。

 鮮明に焼き付いていたはずの確かな思い出が思い出せない。

 

 ────殺せ。

 

 あり得ない。

 どれだけ大きな出来事だったと思ってるんだ。それこそ、それまでの人生で培った価値観を土台ごとひっくり返されるレベルだ。

 忘れようとして忘れられる事ではないし、何より俺は忘れようと思った事なんて一度もない。

 

 ────殺せ。

 

 だから、ちょっと疲れちゃって、上手く思い出せなかっただけ。

 アイツの事を俺をしっかり覚えている。

 やけに前衛的なファッションも、嫌味ったらしい口調も……うん、覚えてる。あの口の端を吊り上げた自信に満ち溢れた笑みも思い出せる。

 

 ────殺せ。

 

 そうだ、最初は……そう、裏山だ。

 親と喧嘩して家出した俺は裏山に登って星を見ていた。

 そうしたらいきなりアイツが現れて……よし、思い出せる。

 白衣をはためかせて、鋭利な巨大な刃物で切断されたような部屋っぽいものを背景にアイツは笑ったんだ。

 

 ────殺せ。

 

 それからどうしたんだっけ……そうだ、それから俺はアイツと行動するようになったんだ。

 いや、アイツは部屋っぽいの……研究室って言ってたか、そこに篭りっきりだったから俺が日々訪ねてたが正しいけど。

 ロボットの薀蓄を聞いたり、コーヒーにしかめっ面をしたり、やけに実践的なレースゲームで対戦したりして……待て。

 待て、待て待て待て。

 そんなどうでもいい事よりもっと大切な何かがあっただろう? 

 

 ────殺せ、殺せ。

 

 アイツは此処とは違う世界から来た、自称天才の憎ったらしいやつで。

 最後俺はアイツに命を助けられて……。

 

「……おい、冗談じゃねえぞ」

 

 思わず漏れた呟きは震え、肌寒い風に乗って空へ溶ける。

 思い出してしまった……いや、思い出せない事を思い出してしまった恐怖が凍えるような冷たさを持って指先を浸す。

 

 分かる。

 アイツが何を言ったのか、何を話したのか、何をして過ごしたのか。

 瞼の裏にだって思い描ける。なのに、分からない。

 

 俺は死にかけたはずなのに、何故死にかけたのかという具体的な事実が何ひとつ分からない。

 

 ────殺せ、殺せ! 

 

 あまりにも、不自然だった。

 戦争が起こった。結果、自分は死にかけた。

 そこまでは分かる。戦争の原因から終戦の要因まで。分かるが、その間の事が全く思い出せない。

 確かに経験した筈だ。だって、俺はずっとアイツのそばにいた筈なんだから。

 

 恐ろしいのは、今に至るまでそれをおかしいと一度も思わなかった事だ。

 明らかな記憶の欠落。いっそ不自然なまでのエピソードの欠如。

 なのに、今の今まで、それが自然だと俺は本気で思い込んでいた。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 

 

「ああっ! くそっ、鬱陶しい!!」

 

 ゴンッ、と肉と骨がぶつかり衝撃が脳を揺らす。

 拳と額から骨が剥き出しになりどぷりと血が流れるも、逆再生をするように直ぐに元の姿を取り戻した。

 文字通り頭が割れるような痛みを伝える神経が思考をクリアにしてくれる。

 

 ……酷く、なってきていた。

 眩暈がする。吐き気がする。──見えるもの全てを、壊したくなる。

 この腹の奥底からマグマのように湧き上がる戦闘欲求は母艦で分離をした時からずっと感じていた。

 顕著になったのは宇宙人Cと一戦交えたとき。

 抑えきれなくなったのはシェルター前に配置された軍人たちと相対したとき。

 

 あのとき、どす黒く重いナニカが俺を塗りつぶした。

 

 ────殺せ。

 

 自分が自分で無くなるような恐怖。

 疑いようもなく精神の暴走状態だった。

 自我と呼べるようなものを辛うじて保てていたのは彼女の存在が大きい。

 

 なら、彼女のいない今は? 

 俺は、戻って来れるのか? 

 

 形だけの疑問だ。答えは直ぐにでていた。

 恐らく戻って来られない。もう一度暴走すれば、今度こそ俺は行くところまで行く。

 本物の厄災になってしまう。

 

 ────殺せ、殺せ。

 

 本当の目的を思い出せ。

 求めるものはなんだ? それは彼女の安全に他ならない。

 なら、殺しはマズイ。

 今後の身の振り方なんか考える余裕はなかったが、真に安全を考えるのならこれからを念頭において行動する必要がある。

 このまま地球にいるにしても、彼女と一緒にドラグとやらに行くにしても、どちらにせよ殺せば殺すほどその選択肢が遠のいていくのは自明の理だ。同族を殺されたという嫌悪感は当たり前のように大きい。

 永遠に戦い続ける事は出来ない。何処かで終わらせなければいけない。

 このまま宇宙船を掻っ払って二人で宇宙へ逃げるという手もない事はないが、それはあまりにも先がなかった。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 

 

 うるせえ!!! 

 くそ、思考が乱される。ちょっとぐらい静かにしやがれ! 

 力を使う度に頻度が増え欲求がデカくなってきてやがる。抑え込むのも楽じゃねえんだぞ。

 ああ、それで、そうだ、今後だ。

 兎に角、戦争を止めない事には始まらない。

 ああ、そうだ、そうだった。戦争を止めるために、俺はここまで来たんだった。

 

 そこまで思考が至ったとき、耳が痛くなる高音を撒き散らしながら高速で接近する飛行船の艦隊を目端で捉えた。

 地球側の船でざっと6隻か。相変わらず戦力を小出しにしてくる意味はわからんが都合がいい事には変わりない。

 

 ────殺せ、殺せ! 殺して殺して殺し尽くせ! 

 

 学習しない馬鹿どもだ。

 俺に何隻沈められたかも数えられないらしい。

 ちょろちょろされるのも面倒だ。それに、あいつらは俺と彼女を殺して、吐き気を催す人体実験とやらをする腹づもり。

 ああ、なんて酷いやつらだ。奴らには人の心ってもんがない。

 

 ────殺せ! 殺し尽くせ! 全てを壊せ! 潰せ! 破壊しろ!! 

 

 ……あれ、さっきまで何を考えてたんだっけ。

 何か大事な事だったような……まあ、いいか。取り敢えずアレをなんとかしないとな。

 うん、大切なのは彼女が生きてることだ。あいつらはそれを脅かすんだから。

 人道に反した事を平気で行える化け物の心を持った人間どもは、人間の皮を被った化け物の相手が相応しい。

 なら、せめて俺がサクッと迅速に──。

 

「ぶっ殺してやらねえとなあ」

 

 口が三日月を描く。

 温かな何かが引き止めるように腕を引いた──気のせいだ。だって、腕ないんだし。

 ぐっと撓んだ身体が力を溜め、直後、俺は空へと身を投げ出した。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 渦中の裏山近辺から約5キロほど離れた河川敷に敷かれた簡易テント。

 その中で束になった資料を見つめる男──ロザン大佐の元へ、部下のひとりが駆け寄った。

 

「大佐! 報告します。新たに出撃した自立戦闘型飛行船6隻、沈められました!」

「対象の様子は?」

「はっ! どうやら執拗にコックピットに相当する部分を破壊しているようです。……しかし、自立式の戦闘船にわざわざ精緻なダミー人形を入れる意味が分からなかったのですがこれは一体……?」

「なに、結果の分かりきっている消耗戦に悪戯に被害を出すこともない、それだけだよ。……しかし、ふむ。だいぶ前に人間と人形の見分けはつかなくなっていたようだが……漸く直接狙いに来たか。まあ、よく持った、と賞賛するべきかな」

「それは、どういう……?」

 

 疑問符を浮かべる部下を無視して立ち上がったロザン大佐はツカツカと無線機に歩み寄り、一言、二言支持を飛ばす。

 切れた無線から手を離したロザン大佐が浮かべていたのは凶悪な笑み。

 まるで、積年の願いが成就するかのような想いと力が込められた相貌だった。

 

「予想外はあった……が、概ね想定通り。次のフェイズに行こうじゃないか。この星の言い方に倣うなら厄災になる……いや、厄災になってもらう、そのためにね」

 

 瀉きれない雪辱があった。

 眩暈がする程の忿怒があった。

 九死に一生を得た幸運があった。

 そして、どろりと渦巻く怨恨を晴らす事の出来る機会が──運命があった。

 

 全てを必死に掴んできた。

 今、ここに至るまでひとつずつ積み上げてきたのだ。

 あの日、己に刻み一度は諦めかけた怒りの刃を漸く振るう事ができる。

 

「首を洗って待っていろ、カスタル・ドラグ……! 玉座で踏ん反り返っていられるのも今のうちだ。全てのパーツを手中に収め、お前に届きうる刃を手に入れ──私はお前の首を取りに行くぞ」

 

 宣言は日ノ本から遠く離れたアメリカに出現した超大型戦闘母艦に居るであろう現ドラグ王へ。

 地球全体で同時多発的に起きたドラグの侵略行為……否、報復攻撃。

 己の研究成果の結晶である消滅弾に対応し出している事実には怒りのあまり反吐が出そうになるが、今となってはそれも些事に過ぎない。

 約十年前の時空間の接触。そして、約一年前突如として地球に現れたドラグの王族。

 砂漠でひと粒の砂を見つけるような奇跡が立て続けに起こった。しかも、その王族の力は歴史上類を見ない程に埒外のモノだった。

 歓喜にむせ震えたのを覚えている。

 さらに、その王族が人間と融合して自由に力を使えなくなり、そしてその人間が王族の力の片鱗を見せている事もいっそ出来過ぎなほどに都合が良かった。

 

 あの力なら、かの王を殺すに足りうるから。

 

 誓いは此処に。

 復讐の刃は磨かれた。

 

 後は──鞘に収め我が物とするだけだ。

 

「大佐、準備が整ったようです」

「早いな。流石、優秀だ」

 

 投げかけられた声にロザン大佐が振り向けば、開かれたテントの入り口から複数の大型車が見えた。

 自身の指示通りのモノが用意されているのを見て取ったロザン大佐の口元が歪む。

 

「では、行こうか。持ち場につけ。チェックメイトだ」

 

 号令に応じる一糸乱れぬ声が響く。

 慌しく、されど迅速に各々がやるべき役割を果たすべく動いてるのを見届け、ロザン大佐は車に乗り込む。

 

「しかし、大佐。やはり私は危険だと思うのですが」

 

 自身と同じ車に乗り隣に控えた部下の忠言に、ロザン大佐は肩を竦め首を振った。

 

「問題ない。もう彼には碌な思考能力すら残っていないだろう。身体は既に変質したが、その精神は年若い青年のものだ。アレは人間が抑えようとして抑えられるものじゃない、時期に決壊し暴走する。──なら、その前に。人類として、我々が首輪を付けてやらないとなあ。彼がこれ以上罪を重ねる前にね」

 

 ロザン大佐が見つめるのは激しい戦闘により半分以上削られた裏山の一部。

 既に周辺の住民の避難は住んでいるが、裏山周囲にもかなりの被害が出ている。

 頼もしい事だ。その力が強大であればあるほど望ましい。

 軍帽で表情を隠すように俯く。その顔は酷薄に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っていた。

 灰色の雲が空に蓋をし、土砂崩れが起こったかのように半壊した裏山を微雨が濡らす。

 

 巨人に踏み荒らされたような破壊痕の中心で空を見上げる男がひとり。

 バチバチと火花を散らす戦闘船だったものを背後に、ただ空を見ていた。

 雨粒が眼球を叩く事も気にする素振りはない。本来丸い瞳があるはずのそこは、亀裂が入るように縦に裂けている。

 降り注ぐ雨が水滴となり腕を伝う。その終着点は明らかに人の手とは一線を画す、鳥の足を太くし鋼の筋肉で覆ったような手。

 

 人間に近しい姿形。しかし、人間ではない──獣が、冷たい雨を浴びながら灰色の空を見上げていた。

 

「やあ、数時間ぶりだね。まだ意識はあるかね?」

「────────あ?」

 

 そんな男に投げかけられる声があった。

 ぐるりと首だけで振り返むくと、そこには軍帽の鐔に手を置くロザン大佐と、仰々しいまでの大きな盾のようなような物を武装した数十名の軍人。

 

「まだ返答ができたか。いやはや、頑張るね。よっぽど彼女が大事と見える」

 

 肩をすくめるロザン大佐。

 その声音には確かな驚きと僅かな感嘆が含まれていた。

 ただ、それも直ぐに消え失せる。

 己の目的のためロザン大佐が作戦開始の号令を発しようとした──その瞬間だった。

 

「──る、があっ!!!」

「防げぇぇええっ!!!」

 

 同時だった。

 男が砲声と共に右腕を大薙に振るい、大盾を武装した軍人たちが前に踏み出す。

 途中で細かい網目のように分解された右腕が人外の膂力により散弾銃のように撃ち出される。

 仮にも肉体がぶつかっているとは到底信じられない轟音を轟かせ着弾。

 咄嗟の反応により盾で防いだ軍人たちが交通事故に等しい衝撃により吹き飛ばされる。

 

 その刹那、軍人のひとりが男の首に叩きつけた──銀色のナニカ。

 

「ぐっ、怯むなあ!! 前に進め! この場に釘付けにしろ! ──起動ッ!!!」

 

 ロザン大佐の咆哮が俄かに騒然となった空間を貫く。

 蹴り足で地面を爆ぜさせた男が砲弾のように突っ込み、大盾部隊と正面衝突。嵐のような暴力が軍人たちを蹂躙する。

 

「お前らがいるせいで!! ぐ、あああ、あ、殺ずッ!!!!」

 

 譫言のように叫ぶ男からは既に理性と呼べるようなものを感じ取る事はできない。

 しかし、理性があろうとなかろうと振るわれる力は弩級の一言。

 瞬時に再生した右腕がブレードへと変質。質量保存の法則に中指を突き立てるようにブレードが縦横無尽に伸縮し、盾とかち合い火花を咲かせる。

 岩すら切り裂くブレードに傷ひとつ付かない大楯に焦れたのか、人外の脚部から生まれる地鳴りのような震脚が踏み足を起点に大地を四角いブロックのように切り取り、浮かび上がったそれを蹴り飛ばす。

 しかし、豪速で飛来した土塊は盾に触れた瞬間周囲にその密度を散らすように胡散した。

 その直後。

 

「──う、ああああ、うああああああああああああ!!!!」

 

 鼓膜を貫く絶叫。

 高圧電流が流れるような雷鳴が迸り……否、事実として空を紫電が走っている。

 開かれた大型車の荷台から姿を現した照射機械より暴れまわる男の頭上を到達点に空中を駆け抜けた十の紫電は、男を捉える籠のようにも見えた。

 そこから、枝分かれした無数の雷が男に降り注ぐ。

 

「あああ、ああああ!! やめろ! 俺の中に、ぐぅ、あ、入って、来るなあ!!!」

 

 首に取り付けられた銀色の輪のようなものが自動展開、万力のように挟み込む。

 片手で頭を抑えた男の悲痛な叫びは軍人たちの攻撃によるダメージのせいではない。

 男を襲うのは心という絶対のパーソナルスペースに異物が強制的に割り込むような恐怖だ。宙を流れる紫電が男を苦しませていた。

 

「ああ、違う、俺は、うあああ、ぐ、違う、違う!!!!!!」

「存外粘るなッ! 出力を上げろ!! 最悪壊れても構わん!!!」

 

 溺れる人間が空気を求めてもがくように。

 何かに縋るように振り乱した右腕はしかし、会敵の一撃と同じように破壊をまき散らすのみ。

 

 雷撃に身体を焼かれているように見えて、その実肉体的なダメージはほとんどない。正確には、今の男は多少の電撃ではびくともしないのだ。

 しかし、身を切る苦痛を滲ませた雄たけびは霧雨の隙間に響き渡る。

 

「大佐!! 想定より抵抗が激しくッ!! このままでは!?」

「見ればわかる! 消滅弾を撃て! 瀬戸際で足掻いているだけだ、些細なきっかけでたやすく傾く!!!」

 

 焦りを含ませた部下に怒声を返すロザン大佐。

 その号令を忠実に遂行する軍人たちから数十発もの消滅弾が放たれる。

 万物を削り消しとばす絶死の銃弾は、数時間前の焼き直しのように男の体表に弾かれた。

 だが、全く効果がないわけではない。

 着弾した箇所が僅かに抉れ──次の瞬間再生される。

 

 自我保持に割かれていた意識が再生能力の行使により膨れ上がった血の叫びに飲み込まれる。

 

 次々と撃ち込まれる消滅弾に綻ぶ身体を瞬時に再生し続ける男の喉が血の叫びを絞り出す。

 破壊の化身と化していた動きは止まり、両腕で頭を抑え膝をついている。

 

 明らかな変調。

 それを成したロザン大佐たち地球防衛軍が行った一連の行動は実にシンプルだ。

 

 首輪を付ける。先のロザン大佐の発言に嘘偽りは一切ない。

 全てはこの時のために一手ずつ積み重ねてきた布石。

 男に力を使わせ続け自我を摩耗させ、血に溶け込んだ殺戮衝動に飲み込まれる間際の間隙をつき洗脳、自身の手駒とする。

 取り付けられた首輪、照射され続けるシンクロトロン放射。それらは男の意識を上書きし乗っとるためのもの。

 

 全てはその先にある悲願のための手段だ。

 

「はは、ははは! いいぞ、漸くだ……! 憎悪を抱きしめ空を仰ぐしかった私が竜を落とす、その時がッ!!」

「あ、ああああああああッ!!!」

 

 両腕を広げ喝采をあげるロザン大佐の眼前。

 既に自我は吹き飛び、苦痛の咆哮を叫び続けるだけの獣に成り下がった男が最後の抵抗とばかりに右腕に変質能力の兆しが現出する。

 それを迎え撃つように構えたロザン大佐の右腕が──歪む。

 

「最後の悪あがきといったところか。無駄な事をッ!」

 

 身を切るような慟哭を放ちながら、男はロザン大佐に向けて飛びかかった。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 時は数時間ほど遡る。

 男によってひとりシェルターに入れられた姫──が、当然そのまま大人しく黙っていられる訳がなかった。

 

「ざっけんじゃないわよ!!」

 

 王族の力──権能の行使。

 個人によって仔細は異なるが、初代ドラグ王の血を継ぐモノは彼等の技術を持ってしても理解不能・原因不明の特殊な能力が発現する事がある。

 彼女に発現したソレはブラックボックスとでも言うべき未知の塊。

 歴代に同じ能力を持った王族はおらず、されどその出力は並ぶもの無し。

 敢えて名前を付けるとすれば正体不明──ドラグで最も威力の高い攻撃手段は先端兵器ではなく、一部の王族の権能、さらに細分化すれば彼女の一撃に他ならない。

 

 空間が軋みをあげ、巨大な槍の穂先へと変質した淡い金の髪の先端に絶大な破壊のエネルギーが刹那の間に収束。

 宇宙全てを探しても五指に入るであろう濃縮された破壊の力が解放の唸りをあげる。

 

 しかし、それは彼女が万全であればの話だ。

 

「嘘……でしょ……!? ごほッ、がはっ! ……ぐっ、うぅ!!」

 

 鼓膜を劈く轟音。しかし、派手な衝撃と反比例するように扉に付いたのは雨垂れが石を穿ったような小さな穴のみ。

 血塊が喉をせり上がり、吐き出す。白い床に赤い血が小さな水溜りを作るが、膝は屈せず。

 嘔吐感すら込み上げる痛みで不協和音を奏でる身体は無視した。

 

 死地である。絶死の戦場である。

 そんな場所に、大切な従者をひとりで行かせる主がどこにいる! 

 

 前に突き出した右腕で空間ごと握り潰すように力を込めていく。

 呼応して現出した権能が扉を潰し抉り取ろうとするが、ミシリという音が虚しく鳴るだけだった。

 

「────────ぁ」

 

 ぷつん、と。

 シャボン玉が消えるように吹き荒れていた力が胡散する。

 代わりに、とさりと子どもが倒れるような音と小さな少女の呻き声、粘着質な液体の落下音が空間を満たした。

 パサリと覆い被さる、衝撃によって宙に舞い上がっていた自身の騎士の贈り物。

 

 目や鼻から血が流れ、喉奥からせり上がり続ける血塊が内臓を損傷してしまっている事を示す。

 即座に身体が再生を始めるが、それすらも今の彼女には負担にしかならない。

 損傷箇所が再生し、その再生能力の使用により損傷しまた再生する。

 地獄のような苦しみだ。延々と身体を焼かれ続けているに等しい。

 幸いなのは……もしくは、不幸にも。辛うじて身体が壊れるより再生するスピードの方が早い。

 耐え続けていれば、いつか動けるようになるから。

 だから、彼女は再生を辞めない。

 

「……ぅ、あぅ、……ぐ、うぅ」

 

 床に這い蹲り己の血に沈む。

 権能行使の反動により指一本と動かせず苦悶の声だけが情けなく絞り出され続ける。

 しかし、その瞳は死んでいない。

 

 彼女が選んだのは待つ事だった。

 

 三日待つ訳では断じてない。

 体力が完全に回復するのを待ち……今の自分に許された最強の一撃を持ってあの扉を吹き飛ばす。

 大型母艦で艦長相手に行使したときや先ほども、本来の十分の一以下の力しか出せていない。

 何処まで出力を上げられるかは未知数。本当に破壊できるかも分からない。

 

 それでも、ただ時を待つ。

 現時点で破壊出来ない以上それしかできなかった。それしかできない自分が情けなくて、無意識に固く結んだ唇が切れた。

 

「何やってんのよ……」

 

 それは、誰に向けられた言葉か。

 急変する事態に思考が止まり、ただ守られていた自分に対してか。

 そんな彼女を守るのだと……ひとりで行ってしまった、行かせてしまった彼に対してか。

 やっとの思いで身体を起こし、壁に背を預けるように座った彼女は己の膝に顔を埋めた。頭から被ったクロークが追随するように垂れ、引き寄せるようにぎゅっと握る。

 

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。

 小さな身体が力なく震えた。声を押し殺して啜り泣くように。

 涙が溢れたのは身体が痛かったからではない。

 身体は痛い。今にも頭を掻き毟りたくなるような責め苦だ。でも、それ以上に……心が痛かった。

 

 彼女はずっと、誰かの悲鳴を感じている。

 泣きたくて、叫び出したくて、狂ってしまいそうで。でも、それを全部全部抱えて、走っているような痛酷さ。

 長い時を融合していた影響か、はたまた別の要因があるのか。彼女は分離をした今でも彼の心を側で感じている。

 

 お前を守ると言われた。

 笑っていて欲しいと言われた。

 お前の事が一番大事だと、そう言われた。

 

 自分は騎士だと。守るべき彼女が無事でいてくれさえするなら、何があっても大丈夫。耐えられるからと、そう伝えるように。

 彼女に降りかかる辛く、苦しく、悲しい事は全部自分が引き受けるから。安心して欲しいと、その微笑みが言っているようだった。

 

「……ふざけんな」

 

 ──大丈夫なわけがない。

 耐えられるわけがない。安心できるはずもない。

 

 だって、彼の心はこんなにも哭いているのだ。

 助けてくれと、痛いのだと、苦しいのだと、今にも張り裂けてしまいそうだと叫んでいる。

 

 彼は普通の、善良な人間でしかない。

 自分たちのように戦いに明け暮れていたわけでも、血で血を洗い殺意が立罩めるような命を奪い合う戦場で生きているわけでもない。

 誰よりも、何よりも彼の近くにいた彼女だからこそ断言できる。

 彼は、何処にでもいるような善性を持ったひとりの青年でしかないのだ。

 

 人を傷つけて何も思わない訳がない。

 人を殺して何も感じない訳がない。

 斬られ、撃たれ、絶えず殺意を叩きつけられて、平気なわけがない。

 

 想像するまでもなく。考える必要すらなく。

 それはきっと、自分を死に至らしめた宇宙人に恩返しがしたいと言えて。今の状況の引き金で罪悪感と贖罪で動く宇宙人と当たり前のように行動できて。自分の身体をどうしようもなく変質させてしまった宇宙人に気にするなと笑えて……そんな彼にとって不幸を呼び込む存在でしかない宇宙人と一緒にいたいと心の底から言えるような優しい彼には、己の首を絞めるように苦しい事だ。

 

 それだけではない。

 殆ど確信に近い予想。此処までの状況が物語っている。

 今の彼はどういう訳か、与えられた肉体の力が暴走して肉体が急速に変質し続けている状態だ。このまま放置するとほぼ間違いなく……第二の彼女となる。

 彼女の肉体はそれに耐えられたとしても、その器である彼は大き過ぎる力を御しきれずに自滅する。

 空気を入れすぎた風船が破裂してしまうように。

 自家用車にF1カーのエンジンを積むようなものだ。過度な出力に擦り切れ自壊は避けられない。

 血に溶け込んだ怨嗟に飲み込まれた彼は、命ある限り全てを破壊する獣へと成り下がるだろう。

 

 変質が終わったとき、果たして彼は以前の彼と呼べるような存在だろうか。

 

 だから、やらなければならない事がある。

 他の誰でもない彼女が、やらなければならない。言わなければならない。

 

 そのときをじっと待つ。

 静謐な空間で存在感を放つ、竜の顎門を正面から象った金色の紋章が施されている扉を睨みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけの時が経っただろうか。

 動き出しそうになる身体を必死に抑え続けた。

 魂を擂り潰すような男の悲鳴に荒れ狂う感情を閉じ込めるように己を律し続けた。

 

 そうして、気を抜けば意識が遠のく程の衝動に寄り添い続け……遂に、時は満ちた。

 

「……」

 

 体力の完全回復。

 腹の奥底に噴火寸前のマグマのような情動を溜め込んだ一匹の竜が解き放たれる。

 

 感触を確かめるように一度拳を作り、開く。

 全盛期には程遠いが、それでも分離以降最大の力が全身に漲っている。

 

「──ここに私を入れたアイツの気持ちも、分かるわ」

 

 静かに。

 日常で親しい人と話すような気軽さで。

 滔々と紡がれた言葉は何処までも自然で、だからこそ何よりも不自然だった。

 

「守りたい。そう、言葉にしてくれたもの。何の因果か、嘘をついてるかどうかも分かるわけだし。宝物を大事にしまうように。子どもを危険な場所から遠ざけるように。此処が安全だって確信があるのならそうするのも分かる」

 

 彼女の言葉に反応するものはいない。

 それを気にかける素ぶりもなく淡々と独り言を口にする。

 静謐な空間に反響する言霊。

 それはまるで、嵐の前の静けさのような不気味さを併せ持つ。

 

 もし、仮に彼女をよく知るものが今の彼女を見れば、口を揃えてこう評するだろう。

 

 ──ああ、ブチ切れてるな、と。

 

「でもね。──ただ守られるだけの存在にはなれない。決してッ!! 大切な人をひとりで死地に行かせはしない!!!」

 

 砲声は踏み込みとともに。

 溜め込まれた感情が決壊を迎え爆発する。

 

「アンタが私を大切に想ってくれるように! 守りたいと思うように!! 私だってアンタを守りたいって思うのよッ!!!」

 

 星々の光を束ねたような金の髪、それを突き破るようにツノが突き出す。

 人間の幼い少女のような見た目だった姿形が変わっていく。スケールはそのままに本来の姿へと変質していく。

 見開かれた瞳は縦に裂け、振りかぶった拳を覆うように鱗のようなものが纏う。

 

 現出した力の濁流に空間が、世界が悲鳴をあげ、濃密な力の波動が席巻する。

 

「だから──私のッ!! 邪魔を、するなあッ!!!!!」

 

 身を焦がす後悔と痛念、胸を裂く心の叫び。

 刻まれた王家の紋章。されど今のドラグの技術を持ってしても作れない、姫の知識を持ってしても正体がわからない技術力。

 目の前の扉、このシェルターは恐らく未来のドラグの王族の物だ。

 それが何で地球にあるかはわからない。分からないが、これが今、どうしようもなく目障りだ。

 

 だから、だから!!! 

 ぶち壊す。あらゆる壁を粉砕して先へ進む。

 泣き叫ぶほど苦しく痛いのに、カッコつけて笑った男の元へ行くために。

 

 あらゆる感情の詰まった心の雄叫びをあげた彼女の放った拳が扉に接触。

 爆発したかのような衝撃。

 海すら割りかねない規模の威力がたった一枚の扉にぶつけられる。

 音だけで生物を殺すほどの激音が駆け巡り、散らすように拡散させられた衝撃に空間が絶叫する。

 だが、壊れない。

 地球の技術より遥か先を歩むドラグの姫ですら正体の掴めないシェルターは、文字通り宇宙最強に数えられる一撃すら耐えきって見せた。

 

「──それが、どうしたああああッ!!!!!」

 

 一撃で壊れないのなら二撃目を打ち込めばいい。

 呼びおこせ、沸き起これ、現出せよ! 

 この身に流れる血に発現した力は絶対破壊の最強の矛。

 あらゆるものを粉砕しあらゆるものから守る無敵の劔。

 感情に呼応した血が無意識のストッパーを振り切り力を喚起する。

 

 例えこの身が潰えようと。

 更に力の出力が落ちようと。

 直ぐにでも男の元へ行かなければ何かが手遅れになる確信があった。

 心が痛い。涙が溢れる。それほど、男は苦しんでいる。

 

 今、行かなければいけないのだ。

 自分が、言ってあげなければならないのだ。

 こんな所で足踏みをしている暇はない。

 だからいい加減──。

 

「ぶっ飛びなさいッ!!!」

 

 握りしめた対の拳を叩き込む。

 拳から放出される命すら燃やした力の波動。

 その数、僅か一発。

 されど十分な一撃。

 ビシリと扉に亀裂が走り、刹那、破砕音が轟き吹き飛んだ。

 

 間髪入れず外へと飛び出し大地を踏みしめる。

 

「──っ!!」

 

 酷い光景だ。

 木々は吹き飛び、大地は荒れ果て、高度が削れ見下ろしていた家々がぐっと近づいている。

 つまり、それほどの戦闘があったことに他ならない。

 

 唇を噛んだ彼女は心の導くままに駆ける。

 口から血は溢れ、破裂した血管が腹を食い破り血を滲ませる。

 充血した瞳は視界を霞ませ頭を貫くような頭痛が苛む。

 

 幸いなことに軍人はいない。これで、走る事に集中できる。集中しなければ、まともに走れなかった。

 

 そうして懸命に懸けた先で、見つけた。

 人間の見た目から大きくかけ離れた──ドラグの民のような外見の男を。

 

「──やっと、見つけ、っ!?」

 

 男がロザン大佐に向けて驀進するべく一歩を踏み出した瞬間、彼女はロザン大佐の右腕から禍々しい力の波動を感じ取る。

 

 あれはまずい。

 あの上空に照射されている電流のようなものよりも、他のなによりもあれは悍ましい。

 

 声を上げようとして、奥歯を噛み締めた。

 完全に理性を失っている暴走状態だ。それに、声をあげたってもう間に合わない。

 

 判断は刹那。

 行動は一瞬。

 

 権能の行使。

 全力で走りながら振り払った右腕と連動するように大地が隆起し二人を遮断する。

 

「これはッ!?」

 

 突如現れた大地の壁に男が突撃した振動が周囲を震わし、驚愕を浮かべるロザン大佐。

 此処に集まっていたのか、群がってくる軍人たちを金の髪が吹き飛ばす。

 

「あ、あああああああ!! もうっ!!!」

 

 力の連続行使に身体が絶叫を上げ……無理やり意識の外から追い出した。

 

「目を──」

 

 激突した衝撃に硬直する男に向けて拳を象った金の髪を突き出す。

 並行するように権能の奔流を解放する。

 

「──覚ましなさいッ!!!」

 

 全力の一発。

 男に金の髪の拳が炸裂する。

 

 同時、二人を覆うように土のドームが形成されその姿を外界から遮断。

 数人の軍人が間髪入れず消滅弾を放つが、表面に触れた刹那に弾が吹き飛ばされる。

 

「無駄だ、あの力でコーティングされている……アレが切れない限り手出しはできない」

 

 意味のない行為だと苦々しげに吐き捨てたロザン大佐。その視線の先にある土のドームの中では、暴れまわる男を彼女が必死に抑えていた。

 

「あああああああああっ!!!」

「う、ううううっ! うああああああああっ!!!」

 

 無秩序に。体の奥底から湧き上がる衝動のまま暴れようとする男の身体に淡い金の髪が絡みつき動きを封じている。

 

「──ごめん! 私の弱さがアンタに決断をさせた!! 私の迷いがアンタに覚悟をさせた!!!」

 

 想定外の状況に翻弄された。

 罪悪感に押し潰されて、気にするなと笑える強さに甘えた。

 

 大切な事を伝えられなかった。

 

「辛いだろうけど! 苦しいだろうけど!! 私はアンタに残酷な事を言わなきゃいけない!! 他の誰でもない、私だけはアンタに言い続けなきゃいけない!!!」

 

 縛り付けていた髪が千切られる。

 動き出しを抑えるように飛びかかり馬乗りになり、身体ごと押さえつけるように金の髪が二人を包み込んで行く。

 

 言わなければならなかった事。

 男に勝手に肉体を渡した自分だからこそ、言ってあげなければいけなかった事。

 それは。

 

「──アンタは人間よ!! 私たちじゃない、ましてや化け物なんかでもない!!! 甘いものが好きで、お人好しで、優しい普通の人間ッ!!」

 

 瞳と瞳が交わる。

 方や、理性を失った獣の瞳。

 方や、縦に裂けた人外の瞳。

 鼻と鼻が触れ合う距離で、必死に呼びかける。伝える。想いが、心が届くように。

 

 例え誰に化け物と呼ばれようと。同じ人間にそう呼ばれなくなったとしても。

 自分だけは、貴方が人として自分にくれた優しさを、暖かさを叫び続ける。

 

「だから、私のようにならなくてもいいッ!! アンタはアンタで、私じゃない!!! 思い出して……!! アンタは地球の何処にでもいる人間のひとりで、そして、宇宙にひとりしかいない、私の騎士なんでしょう!?」

 

 だから、飲み込まれるなと。

 戦いに明け暮れ──いつしか呪われた王族の血の怨嗟になんか負けるなと。

 

「人を殺してしまった事、忘れろって言っても無理でしょう!? アンタはそれを一生悔やむ!! 仕方がなかったって、私たちのようには割り切れないっ!! でもね、今は頭の隅に蹴っ飛ばしなさい!! 自分をしっかり持ちなさい! アンタは誰!? 何のために、アンタは今ここにいるの!?」

 

 限界をとうの昔に超えた身体が崩れるような感覚。

 何処か遠いところで、取り返しのつかない何かが断ち切れた音がした気がした。

 それでも、死力を振り絞る。

 

 逃げるなと。向き合えと。

 ──私の知ってる貴方なら、きっと乗り越えられるからと。

 

「──だから、内に引きこもって蹲ってないで──立ちなさいっ!! 立て、立ち上がりなさい!!! 私の騎士ッ!!!」

 

 そうして。

 宇宙で一番彼に優しい涙を零し、宇宙で一番彼に厳しい声で彼女は怒鳴りつけた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 ────殺せ! 殺せ! 眼に映るもの全てを破壊しろ!!! 

 

 ────お前は人を殺した化け物だろう? その姿を見てまだ人間だと言い張るつもりか? 

 

 頭に直接響くような声と、胸の奥底から湧き上がる声。

 常に聞こえるその二つがぐちゃぐちゃに混ざって、気が狂いそうで。

 そこに、突然俺を真っ白に塗り潰そうとしてくるナニカも加わって、俺を責め立てる。

 

 違う。俺は彼女を守るためにいるんだ。暴れたくて暴れて、殺したくて殺したわけじゃない。

 

 ──じゃあ、何で殺したんだ? 

 

 それは、殺さないと彼女を守れないからだ。

 人が危険な害獣を殺すように。危ないものは排除するのが普通だろう? 

 

 ──へえ。じゃあ、お前は殺人を楽しんでないと言うのか。

 

 当たり前だ。今は化け物でも、俺は人間として生きてきたんだ。殺人を忌避する道徳観はある。だから、向こうが襲ってくるから仕方なく──

 

 ──でも、お前は執拗に人を狙ったな? 

 

 ──────ー。

 時が止まったような気がした。

 いや、もう外のことはほとんどわからない。内面にだけ顕在化した意識だけの状態。

 ただ、それは致命的な一言だった。

 

 ──殺さないやり方もあったはずだ。行動不能に出来るだけの力がお前にはあったはずだ。よしんば殺すにしても、わざわざコックピットに乗り込んで直接手を下さなくても、例えば機体を破壊してやるだけで目的は達せられたはずだ。

 

 違う、違う! 

 余裕なんてなかった、そんな力なんてなかった!!! 

 俺は本当に精一杯で、彼女を守らなきゃってそれしか考えられなくて、だから、俺は──! 

 

 ──認めろよ。お前は必要のない殺人をわざわざ行った。良かったじゃないか。……お前は名実ともに化け物だ。

 

 その声は剥き出しの心に爪を突き立てるような悪辣さを持って、事実という刃を突き立てていく。

 反論はできなかった。

 だって、それは、紛れもなく俺が行った真実なのだから。

 

 そう思ってしまった瞬間、ピシリ、と何かに亀裂が入った気がした。

 

 ──まあ、いいじゃないか。結局のところ、お前の一番は彼女だ。だったらそれ以外どうなっても知った事じゃないだろう? 

 

 ……そう、だ。

 彼女が大事だ。

 俺は、彼女を守りたいんだ。泣いて欲しくないんだ。だから、俺は……。

 

 ──なら、邪魔なものがあるよな? 彼女に害をなすものがあるよな? 例えば……我が物顔で地球の空にのさばる宇宙船、とかな? 

 

 ……確かに、あれは邪魔だ。

 そうだよ、そもそもあいつらが来なけりゃこんな事になってなかったんだ。

 少なくとも、俺と彼女は融合したまんま、穏やかに過ごせたはずなんだ。

 そんな未来を、あいつらがぶち壊した。

 

 ──憎いよな? 許せないよな? 人の幸せな未来をぶっ壊したんだ……殺されても文句は言えないよな? 

 

 その通りだ。

 許せない。憎い。彼女を泣かせる奴らが。俺から幸せを奪った奴らが憎い。

 ──だから、殺したい。俺は、間違ってなんかなかった。

 

 怒りか、悲しみか。罪悪感か……恐怖か。

 涙が流れた気がした。

 止めどなく、溢れるように。

 何を起因にした激情か分からない。それでも、自分の中で結論が出た瞬間、涙が流れた気がしたのだ。

 

 ピシリ、と。何かに刻まれた亀裂が大きくなる。

 

 ──殺せ! 殺せ!!! 

 

 答えが出てしまえば、もう迷うことはない。

 ずっと耳元で叫んでいるこの怨嗟の声に身を任せて仕舞えばそれでいいのだから。

 ああ、反発しているときは黒い酸素を吸い込んでいるような息苦しさだったのに、受け入れると決めてこんなにも気が楽になる。

 

 なんだ、これなら。

 最初からこうしていればよかっ──。

 

『──目を覚ましなさいッ!!!』

 

 ──声が、聞こえた。

 不意に響いた愛おしい声が、容赦なく、躊躇いもなく、ひび割れた俺を殴り、ぶちのめす。

 

 その声は力強く俺を揺さぶってくる。

 

 逃げるなと。向き合えと。

 目を背けるなと。

 

 やめてくれと叫びたかった。

 痛いのだ。苦しいのだ。キツイのだ。悲しいのだ。いっぱいいっぱいの心は今にも張り裂けそうだ。

 逃げてしまいたかった。目を逸らしてしまいたかった。

 頭に響く声に従っていれば楽なんだ。これに身を任せれば、気がついた時には全てが終わっている。

 だから、俺はそう決めて──。

 

『立ち上がりなさいッ!!! 私の騎士ッ!!!』

 

 なのに、その声は。

 楽な方へ流れようとする竦んだ俺の心を、許してはくれなかった。

 断固たる拒絶の意思が込められた声が響き渡る。

 その声は、常に頭を侵していた声を吹き払ってくれるようだった。

 

 淀んでいた世界が晴れ渡る。

 明瞭になった視界の端で、さあ、早く来いとでもいうように誰かが手を指し伸ばしている気がした。

 そこに行こうとして無意識に踏み出した脚が止まる。

 

 あの手の先に行くということは、現実と向き合うという事だ。

 俺のやった事、これからやるかもしれない事、その全てを背負っていくという事だ。

 

『──早く行けよ、相棒』

 

 どん、と躊躇った俺の背中を強く押す誰かの手。

 たたらを踏むように前に踏み出して、慌てて振り返ったそこには誰もいなかった。

 

 一度小さく嘆息して、笑った。

 ひとつだけ、昔の事を思い出した。

 そう言えば、俺は誰かから身体を貰うのは彼女で二回目だった。

 今でもなんで記憶がないのか分からないけれど。アイツは天才だったのだから、きっとこれにも何か意味があったのだろう。都合よく記憶を消して、なおかつそれに違和感を覚えさせないなんて芸当ができるのはアイツぐらいだ。

 

 拳を握る。

 アイツから貰った力には随分と助けられた。彼女は驚いていて、アイツはなんて事の無いように使ってたのは不思議だけど。

 

 彼女を守る。

 そうだ。それが目的だ。

 でも、それだけじゃ無い。

 俺が本当に守りたかったのは彼女の笑顔だ。

 それが、俺の存在理由。

 

 その為にはやらなければならない。

 この身体に流れる血の怨嗟に打ち勝ち、彼女が心を痛める全ての悲劇を打ち崩し、最高のハッピーエンドを。

 声にならない想いを掲げ、俺は差し出される手の方へ踏み出し──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──遅いのよ。デートに遅刻は厳禁よ」

「──悪い、ちょっと寝てた」

 

 目が醒めると、そこは暗闇だった。

 ぼんやりと闇に相反する彼女の淡い金の髪が自分に巻き付けられている。

 安心したように彼女が身動いだ気配。次の瞬間、拘束感が消え失せ力の抜けた彼女が俺の胸にのしかかるように倒れこむ。

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

「はは……ちょっと無理し過ぎたかも……」

 

 抱きとめるために彼女の背に回した手にねっとりと吸い付く生暖かい液体の感触。

 鼻をつく鉄の匂い。

 

 何故あのシェルター……アイツの研究室から出れたのかは分からない。

 でも、彼女が相当の無茶をしたであろう事は分かった。

 それだけの無茶をしてでも、破壊衝動に呑まれかけた俺を救いに来てくれたのだと分かった。

 

 情けなさに身体が震え、彼女を抱きとめる腕に力が篭る。

 

「……私、さ。やっぱり、戦争……して欲しくないなあ」

 

 意識が朦朧としているのか、力なく覆い被さる彼女はゆっくりと口を開く。

 

「……漫画の続きも気になるし……地球の食べ物、まだまだ食べてないものいっぱいあるし……まだ、かき氷……食べさせてもらってないもの……」

 

 そして、最後の力を振り絞るように俺の首元へ手が伸びる。

 金属の割れるような音が響き、俺の首元へ回っていた機械の輪がへし折られ外された。

 

「それに……星民のみんなが死ぬのは嫌だし……もちろん、地球人もよ……ふふ、おかしな話よね……私だって、この星を侵略する為に来たのに……」

「……何もおかしくないさ。考え方が変わるなんて、よくある事だ」

「そうかしら……そうだと、いいなあ」

 

 木漏れ日のように微笑んだ彼女。

 そして緩慢な動きで右手が俺の頰へ持ち上がり、触れる。

 高熱を出したように熱いその手から、何かが流れ込んでくる。

 

「忘れないで。私たちの力は……変化じゃなくて、変質。何かに化けるのではなく……変わるのよ。姿を変えるんじゃない……在り方を変じさせるの」

 

 玉のような汗が噴き出す身体。もう限界が近いのだろう、パタリと頰に触れていた手が落ちる。

 

「……私たちの血は、呪われてるわ。だけど、アンタなら……大丈夫。自分を、しっかり持って……」

「ああ。もう、大丈夫だ。……ありがとう。俺は、もう揺るがない」

「ふふ……そっか、安心……したわ……ごめん、私、こんな時だっていうのに、もう……眠くて……」

 

「──安心してくれ」

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女を抱きしめる。

 無限に湧き上がる彼女への想いを燃料に。心が。魂が燃える。

 俺という人間の一番強い芯とも呼ぶべき部分が輝きを発し脈動を始めた。

 

 人の身から外れ、意識を飲み込まれて取り返しのつかない事をした。

 それでもなお。それらを背負い彼女が笑える未来を掴むのだと。

 身体の奥底で炎が吹き上がる。

 

「ふざけた陰謀を全部ぶち壊して、この馬鹿げた戦争を止める。期待していいぜ。──お前の騎士が最高の未来を掴み寄せるから」

「昨日から、カッコつけすぎよ……ばーか。……暫くは動けないから、ちゃんと……守ってよね。私の騎士様」

「ああ。全部終わったら、かき氷を食べに行こう。美味しいところ、知ってるんだ」

 

 黒一色の空間に日差しが差し込む。

 音を立てて崩れていく土塊。

 いつのまにか雨は止んでいた。

 

「……ようやく出てきたか。随分と手を焼かせて──」

「──なあ」

 

 彼女を大切に抱えるように立ち上がった俺の背に投げかけられる言葉。

 今日だけでもう随分と聞いた男の声。ロザン大佐の落ち着いた声音。

 それを遮るように声を発した。

 

 ずっと、引っかかっていたことがある。

 大型母艦に突っ込んだときに宇宙人Bは確かに言った。

 激昂する宇宙人Aにむけて、確かにこう言ったのだ。

 

 どうせ言葉は通じない、と。

 

 彼女が地球の言語を扱えるのは俺の頭から記憶を覗いたからだ。

 俺が彼女たちの言語を直感で理解できるのは彼女と融合していた副作用みたいなものだろう。

 では、何故。

 

「──お前、なんであの時宇宙人Cが言ってた事が分かったんだ?」

「──────」

 

 虚を疲れたように瞠目するロザン大佐にいよいよおれは確信を深めた。

 よくよく考えれば不自然な点も多い。

 そもそも、地球側がとんでも技術を使用しているのがおかしいのだ。

 千年だ。アイツは、人類が追いつくには千年の時間が必要だと言った。

 たまたまその現物を手に入れたから出来ました、なんて単純な話ではない。

 それを扱うためにはそれを理解する理論がいる。

 その理論の構築、発見、理解に千年の時が必要だとアイツは言ったのだ。

 千年前の人類に電子機器を渡したところで、そもそも電気と磁力の区別すらないのだから活用するのは土台無理ということに近い。

 つまり。

 地球防衛軍の軍事力とは十年前に手に入れた技術ではなく──。

 

「お前、人間じゃないだろ。どこか別の星──それこそ、技術が発達した星から来た宇宙人だ」

「────だったら、どうするというのだね?」

「地球側にもなんかめんどくせえ事情……いや私怨かもしんねえけど。ぶち壊さなきゃいけない障害が増えただけだ」

 

 彼女をそっと地面に寝かせる。

 地面を変質させてクッションに変えておいたので寝心地はそう悪いものでもないだろう。

 

「……これ、返すわよ」

「……俺としては、お前に持ってて欲しいんだけど」

「剣のない……騎士なんて、かっこ悪いじゃない……」

「……仰せのままに、お姫様」

 

 しゅるり、と。

 彼女の身体に巻かれていたクロークが解け、俺へ渡される。

 もともと俺の左腕だったそれは、所々彼女の血で赤く染まっていた。

 

「……一応、最後に聞いておくが。私と来る気は?」

「この国の諺をひとつ教えてやるよ。二度あることは三度ある──しつこいんだよクソ野郎。2度とその面見せるな」

 

 三度の問いに切り返した直後、ロザン大佐が片手を上げたのを合図に武装した軍人が躍りかかる。

 

 数にして五。

 俺は迎え撃つように一歩を踏み出した。

 

 変化ではなく、変質。

 姿を変えるのではなく、在り方を変じさせる。

 彼女の言葉が脳内を駆け巡り、俺はひとつの答えを出していた。

 

「まず、ひとつッ!」

 

 突出して飛び出してきた軍人の剣を装甲で覆われた右腕で受け止める。

 次の瞬間、瞠目した軍人を駒のように回った俺の回し蹴りが吹き飛ばす。

 

「二つッ!」

 

 巨躯を誇る肉体から繰り出される豪腕が迫る。

 振り下ろされる打撃が胴を打つ。

 だが、そこにあるのは人間の身体ではなくそれを覆う銀の鎧だ。

 弾かれ後ずさった巨軀の男を飛び蹴りで吹き飛ばした。

 

 変わる、変じさせる。

 体の中を。外を。

 戦える自分になるために。彼女を守れる自分であるために。

 

「三つッ! 四つッ!」

 

 二人同時に斬りかかってきた剣を右腕と再生した左腕で受け止めた。

 手を離したクロークがひらりと宙を舞う。

 身体をを覆うように変質した装甲は生半可な刃を通さない。

 消しとばされるなら──消し飛ばされない鎧に変じさせればいい。追いつかない分は再生で誤魔化す。

 そのまま腕を掴み二人まとめて投げ飛ばした。

 

「五つッ!」

 

 後方に控えたいた軍人に飛び膝蹴りが突き刺さる。

 最後に顔を覆うように鎧が変質。全身を覆うアーマーと化した。

 しかし凄まじい筋力だ。軍人が反応できないとか相当だぞ。

 

「撃てぇッ!!!」

 

 着地した隙をつくように空気を叩く轟音を置き去りにした砲弾が迫る。

 瞬きの間に彼我の距離を喰い殺すそれを、一閃。

 真一文字に振られた剣。元はクロークだった銀の剣が砲弾を一刀両断にした。

 

「──中々愉快な姿だ。ここは特撮の現場ではないのだが」

「言ってろよ。この姿は俺の誓いだ。彼女を守れる俺であるために、俺は俺の在り方を定義した」

 

 後方で二つの爆発による爆風に曝される中、ロザン大佐の皮肉が耳朶を打つ。

 うるせえ、ほっとけ。

 

 人の身で、人ではない力を扱う。

 詰まる所、答えは最初から出ていた。

 

「俺が彼女の騎士であるために。ドラグのお姫様を守る、人間の騎士さ」

 

 変質した鎧は約束の砦。握られた剣は誓いの刃だ。

 

「吐いてもらうぜ、ロザン大佐。どうにもお前が鍵を握ってそうだ」

 

 剣を突きつけ、宣誓する。

 口元を忌々しげに吊り上げたロザン大佐と俺が正面衝突──する、直前だった。

 

「──ばかっ、なに、やってるの……はやく、逃げないと……!」

 

 相当キツイのだろう、息も絶え絶え、といった様子で立ち上がった彼女が悲鳴のような声を上げる。

 弾かれたように振り向いた俺の目に飛び込んだてきたのは、考えるのもバカらしくなるほどの巨大な船だった。

 

「あれ、なんかデジャヴ」

「あれは……不味いっ!! 総員退避!!! 急げ!!!」

 

 一目散に撤退を始めるロザン大佐達とは逆方向に彼女をお姫様抱っこして走る。

 多分近づいてきてるんだろうけどデカすぎてよく分からん。

 

「あれなに?」

「最初に、スカイツリーを……へし折った……」

「……それって星の最高戦力の一角を成すとか言ってたやつじゃ……」

 

 さあっと血の気が引くのが分かった。

 あの軍艦に一体どれほどの先端兵器が詰め込まれているのか。

 

「違う……問題は、そこじゃない……」

 

 だが、どうやら俺の想像は的外れらしい。

 その意味を問おうとした時、高さ20メートルはあろうかという津波がいきなり目の前に現れた。

 

 比喩ではない。

 正真正銘、本物の。

 膨大な砂で形成された津波が、街を破壊しながら唸りを上げて迫ってきていた。

 

「なにこれええええええ!?」

 

 絶叫が口からまろび出る。

 冗談ではない。あんなの巻き込まれるとひとたまりもないぞ!? てか既に逃げ場がねえんだけど!? 

 

「……最初に、あの不思議な弾を撃たれた時……私たちには、効果が波及しなかったわよね。……多分、同じように艦長たちも生きてる。生きて、情報を持ち帰った。……つまり、あれは援軍なのよ……それも、王族の乗ってる、ね」

「簡潔に言えば!?」

「身ひとつで国ひとつ、簡単に潰せちゃう……宇宙人が乗ってる船が、攻めてきた」

「バカじゃねえの!? バッカじゃねえの!? お前王族なんだろ!? なんとかなんねえの!?」

「…………………………」

「このタイミングで限界来ちゃうぅっ!?」

 

 全力で走りながら、絶対に離さまいと力を込めて。

 次の瞬間、俺は視界の端に見えたシェルター……相棒の研究室に飛び込んだ。



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第七話

「ぬおおおおおお!?」

 

 駆け込んだはいいけどさ! やべぇって!? 階段足踏み外した!?

 

「いででででででで!?」

 

 姫様をしっかり抱えながら転がり落ちてみれば。

 

「なんで扉がねぇんだよぉ!?」

 

 え、まじでなんで無いの!? もしかして姫様扉開けたんじゃなくてさ!

 

「こぉんの……おバカ姫!!」

 

「うる、さいわ……バカ騎士……むにゃ……」

 

 あぁ、俺はこんな寝顔を守りたいと……ちげぇ!! ほっこりしてる場合じゃねぇってば!!

 てか変なところで未来越えしちゃってもう!! 俺のためってわかってるから嬉しいけどさ! でへへ!

 

 あーもうっ! 複雑すぎるっ!!

 

「ちぃっ!!」

 

 案の定、あの砂波だ、地面が揺れるってか揺れてる中にいるみたいでその砂は当然ここにも迫ってくるわけで。

 

「わりぃ!! 後で謝る!!」

 

 姫様を放り投げて中へ。

 扉があったであろう場所で、足を鉄杭へと変質。

 

 腰から上を扉……いや、壁に変えた。

 

「来るなら、来やがれっ!!」

 

 地鳴りが近づいてくる。

 流石に後ろの景色は見えない、というか見れても見たくない。

 ただ出来ることは来るだろう耐えなければならない衝撃に備えるだけ。

 

 杭へと変えた足に目一杯力を込めて、どんどん近づいてくる音へと覚悟を決めた時。

 

「ぐぅっ!?」

 

 足がより深くめり込んだ。壁へと変えた身体が軋んだ。

 当然のように口から血液が吹き出たし、目の前で火花が散った。

 でも自分の口から人間と同じ血が出たことに何処か安堵もした。

 

 確かに打撃斬撃に対して強くなった、弾くことが出来る程度には。

 だが衝撃自体は感じるもんで。

 意識を手放さないように必死で繋ぐ。

 

「ぐ……ぐぐぐ……!」

 

 はっきり言って奇跡だろう、一番最初の衝撃に耐えられたのは。

 よく折れなかった、壊れなかった決壊しなかった。

 

 自分で自分を褒めるのなんてなんだか負けた気もするから、姫様が目を覚ましたら存分に褒め称えてもらう所存。

 

 そんな活力足り得る先に想いを馳せながら、衝撃に耐え続けていれば代わりに強くなっていくのは重さ。

 背後に積み重なっていく圧力。

 

 意識は、はっきりしている。

 全くもって嬉しくないが、点滅していたそれは今ではしっかり繋ぎ止め、背にのしかかってくる重さをはっきり教えてくれる。

 

 筋力を耐久力を手に入れたわけじゃない。

 あらゆる力を発揮しやすいモノへと変わる力が手に入っただけ。

 

 要するに、やっぱり今の状況は奇跡そのものとしか言いようがない。

 

 姫様は、まだ目を覚まさない。

 

「はは……目覚めが悪いのは……朝チュンシチュなら最高なんだけどなぁ……」

 

 まぁいいだろう、本懐である。

 守りたい人が目の前にいるならいくらでも耐えてみせるさ。

 

 

 

「ごめんなさいっ!!」

 

 ジト目で見てみれば頭を下げているお姫様。

 

 あの後、正確な時間はわからないけどまぁそれなりに長い時間。

 ようやく目を覚ました姫様の手を借りて壁を生成した。

 

 いやまぁ怒ってるわけじゃないんだよ、ほんとだよ?

 ただこういうポーズをしとけば可愛い姿を見せてくれるもんだから……いや、性格歪んでるな、俺。

 

「いやいや、怒ってないよ姫様。むしろ……ありがとうな?」

 

「ふぇっ?」

 

 正直、こうしてもう一度会えるとは思っていなかった。

 かっこつけて出ていったわりに情けない姿を晒したって自覚はあるんだ。

 頭に響く声へと負けて、自分を失いそうになって。

 

 それでもこうして、俺が俺として姫様に再会できたことに対して、感謝しか沸き起こる感情はない。

 

「そ、そうよっ! 感謝しなさいよね! わ、私のおかげで――」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 感謝と言ったな、あれは嘘かもしれない。

 そうだったのならこんなことはしないだろうから。

 

「ちょっ!? えっ!? そにょっ!?」

 

「……ありがとう、な」

 

 腕の中に在る感触は紛れもなく姫様。

 俺の、大事な人。

 

「……あの、ね?」

 

「うん」

 

「私も、ありがとう、ね」

 

 背中に回される腕。

 さっき砂を受け止めてまだ痛むそこを、優しく包むかのように。

 

 あぁ、ありがとう、大事に想ってくれて。

 

 新しく芽生えた想いもまた感謝。

 

 きっと、色んな道違いをした。

 だけど結局、俺達の行き着くところはお互いのここなんだろう。

 

 とは言え。

 

「……もうちょっと、大きければなぁ」

 

「……はい?」

 

 あぁ、うん。

 確かに気持ちがいい、それは間違いない。

 

 土っぽい埃っぽいとは言えど、姫様の匂いは安心できるし最高だ。

 

 だが、しかし。

 

「これじゃあ、なぁ……?」

 

「……」

 

 俺の視線を追うように、姫様の視線は自分の身体一部へと……。

 

「やっぱり殺すわ」

 

「ごめんなさいっ!!」

 

 いやいやいや! どうせ自由自在じゃん!? だったらちょっとサービスしてくれてもいいじゃん! 俺、頑張ったよ!?

 

 あぁ!? そんな目で見ないで!? だったらそうだ! 俺がおっきくしてあげる!!

 

「はぁ……まぁいいわ」

 

「えっ!? 揉んで良いの!?」

 

「あ?」

 

「ごめんなさい!」

 

 はい、落ち着きます。

 ちょっと色々昂ぶっていただけなんです、許してください。

 

「とりあえず……ここ、さっきのシェルターよね? ここに逃げ込んだのは良いけど……どうするの?」

 

「……正直、安全だからって駆け込んだだけだ。今から考える」

 

 そうだな、いい加減落ち着いて考えよう。

 

 俺達は生き埋め状態になった。

 あの砂波だ、多分この裏山一帯は砂に埋れたと見ていいだろう。

 

 およそ、二十メートル。

 そしてあの勢いだ、ここと同じか以下の高さにあった家屋なんかもおんなじ状態だろうな。

 

 そして。

 

「あの艦に乗ってたヤツら……姫様ならなんとか出来るか?」

 

「……正直、半々ね。私はともかく、すでにドラグに対する人的被害が出たことは把握しているでしょう。私の声が届いたとしても、何もせずに、はいさようならは難しいと思うわ」

 

 だよなぁ……それに人類側の事情とやらもきな臭い。

 多分、あの大佐は俺を欲していたと思う。

 それは何のためか、考えは及ばないがろくでもないことに使われるのは間違いないだろう。

 

 要するに。

 

「戦争は避けられない、か」

 

「……」

 

 姫様の表情に影が差す。

 気持ちは、理解できる。

 姫様はどちらにも被害が出ないことを望んでいた。

 ならこの結果は意に沿っていない。

 

「ならそうだな、とりあえず外の状況を把握しなきゃならねぇな」

 

「出来るの?」

 

「一応、壊れてなければ、な」

 

 

 

 本棚の奥にある隠し部屋はロマン。

 変なところで共感した覚えは懐かしい。

 

 一冊抜き取って所定の場所へ。

 そうすれば出てくる眼球認証装置と暗証番号入力装置。

 アイツと俺だけが認められる認証と、知っている暗号

 

「……なんでそんなの知ってるのよ」

 

「あれ?」

 

「うん? 何よ?」

 

「……いや、まぁ、色々な。俺はよく知ってるんだよ、ここのコト」

 

 俺の記憶、知識をコピーしたとか言ってなかったっけ?

 なんて一瞬思ったけど、知らないならその方が良いのかも知れない。

 

 訝しげな視線だけど、気にしない。

 てか人の性癖知ったのに、なんでこっちは知らないんだよ……。

 いやまぁそれもそうなのかもな。

 俺自身、はっきりと思い出したのはついさっき……なんだし。

 

 ともあれ。

 

「H、O、P、E……っと」

 

 希望。

 アイツはいつだって最後にこの言葉で締めた。

 

 たとえば文書。

 たとえば会話。

 たとえば、パスワード。

 

 なんでこうしたのかは最後まで教えてくれなかった。

 ただ、口にすれば望みは叶う、叶えるために動くことが出来ると言っていた。

 だからアイツはここに、この今に希望を求めてやってきたんだと言うことだけは、なんとなくわかる。

 

 スライドしていく本棚。

 その先に見える扉はシェルターの入り口と同質のモノ。

 

「何……これ……!?」

 

「さぁ、な」

 

 扉が音もなく開いて中にあるのは高度すぎる機械。それらがひしめき合うこの部屋だけがまるで違う文明を築いているかのよう。

 それも当たり前だ、この部屋だけは、この部屋だけがあの時のまま。俺達のイマよりも先のイマを刻んでいる。

 

 俺にとっては懐かしく、姫様にとっては未来すぎるこの機械達。

 

 驚きのままふらふらと部屋に入っていく姫様。

 そっと機械に触れては手を離し、未知を知ろうと探っている。

 

「姫様、まずは先にやることやろう」

 

「え、えぇ……」

 

 我に返ってくれたみたいで何より。

 

 さて、と。

 

「……わかる、の?」

 

「あぁ、よくこれで遊んだんだよ。マインスイーパーって知ってるか?」

 

 まぁほんとにそれで遊んだわけじゃねぇけどさ。

 とりあえず起動完了してみれば部屋中のモニタが点灯する。

 

「っ!?」

 

 驚いてる姫様を尻目に、キーボードへ手を走らせてカメラ映像を確認、モニタに描写。

 

「……やっぱ無理か」

 

「外の映像を出そうとしたの?」

 

「あぁ。自立型超小型カメラが山小屋周囲にあるんだけど……ダメだな、全部潰れてる」

 

 たとえば草木に、たとえば小さな虫に。

 そうして設置されたカメラは全て使用不可能、自己修復機能も試してみるが、反応もなく。

 これじゃ周りの状況は把握しようがない。

 

 他に集音装置だなんだを確認するが、どれも応答なし。

 

 不幸中の幸いとでも言うべきか、このシェルターを維持する機能だけが生きている。

 酸素生成、収集装置だとか、食べ物を保存する機能だとか、そういうのだけ。

 

 シェルタードアの強制開放については……言わずともがな、扉自体が無いし、土砂で埋まっている。

 

「二択、だな」

 

「二択?」

 

「あぁ。どうにかしてここから脱出する手段を探す、作るか……ここで誰かに、何かに見つかるまでじっとしているか」

 

 そう言ってみれば姫様は目を丸くして驚く。

 

 まぁそれもそうだろう。

 これで俺達が外の状況を確認するためには、自らが外に出るしか手段がなくなったわけだ。

 だが、外に待ち受けているものが危険であることは確かなわけで。

 

 だから、ここで何かを待つという選択肢。

 

「俺は、あなたさえ守れたらそれで良い。わざわざ戦争大勃発中だろう表に出て、あなたを危険に晒したいとは思っていない」

 

 少し語弊はある。

 姫様が望むなら、それに相対する覚悟はある。

 相対した上で守り抜くという覚悟もある。

 

 だけど、それでも危険に晒すという行為に対しては、躊躇がある。

 

 何かに見つけ出されて、それが姫様に対して害を及ぼすのならば、立ち向かうことも出来る。

 

 でも、まぁ。

 

「愚問ね」

 

 あぁ、そうだな。思ったとおりだよ。

 

「ここで大人しくしていれば、あなたとかき氷は食べられるのかしら?」

 

 そういうあなただから、大事なんだ。

 

「んなもんいくらでもここで作ってやれるけど?」

 

「……バカね、街であなたと一緒に食べたいって言ってんのよ」

 

 知ってるよ。

 

 だから止める。

 このわけがわからないままに始まった戦争を止めると言っているのだ、俺と過ごすために。

 

「恥ずかしいやつ」

 

「アンタ程じゃないわ」

 

 笑い合う。

 お互いバカなことを言ったと、当たり前すぎることだと笑った。

 

「転送プログラムがある」

 

「転送って……まさか生身の身体を何処かに飛ばすことが出来るの!?」

 

 アイツは……アルは。

 いつだって不意にここから飛び立った、淡い光を纏い、同化して。

 そして笑って帰ってきた、失敗したよと困ったように苦笑いを浮かべながら。

 

 今思えば、あれは自分の身体を粒子へと変質させて、その粒子を指定の位置へ飛ばしていたんだろう。

 ご先祖様の同胞、ならばアルもまた俺や姫様に連なるもので、そんな能力を持っていたはずだ。

 

「身体の粒子化は……まぁなんとなくわかる。出来ると思う、後はこのコンピューターで座標を指定するだけのはずだ。姫様が粒子化出来なくても、外に出た俺がここを掘り返せばいいし」

 

「出来ると思うって……ううん、まぁ良いわ。私も多分大丈夫、不思議と出来ると思うから」

 

 いやはや揃ってなんてあやふやな。

 でもまぁ仕方ない、出来そうな気がするから。

 

「じゃあそういうことで……ってこれは?」

 

「あぁ、それ回覧パスワード設定されたファイル。俺もパス知らないから何が入ってるのかわかんねぇんだけど……」

 

「ふぅん……」

 

「気になるならなんか適当に打ち込んでみるか?」

 

 そう言って席を譲ってみればいそいそと座る姫様。

 転送プログラムの検索に時間もかかるだろうし、大丈夫か。

 

 だけどなんでそれだけパス設定されてるんだろ? 俺にも教えないでさ。

 

 まぁどうせアルのことだ、俺の理解できない高尚なご趣味画像でも――。

 

「あ、開けた」

 

「はい!?」

 

 開けたって……え? いやまじで? はい!?

 

「どどど、どうやって!? なんて入力したんだ!?」

 

「し、知らないわよ! なんとなく私の名前を入れたら開いたのよ!」

 

 姫様の名前ぇ!? いやそういや姫様なんて名前だっけかこら!

 いやそういやご先祖様って――

 

『○月○日、どうやら僕は成功したらしい』

 

「は?」

 

「……え?」

 

 流れてくる、音声。

 かつてよく聞いた、アルの声が流れてきた。

 

 

『想像以上に文明は遅れていた。それは一旦破壊の必要があるくらいに。このままでは必要とされる四つ目の戦争が戦争にならないとわかるくらいに。

 為す術もなく崩壊するだろう、絶滅するだろう。それは僕が……いや、僕達の死を意味する。

 だから僕が三つ目の厄災とならなければならないなんて、皮肉も良いところだなんて思う』

 

『教科書に乗った言葉通り、最悪を乗り越えた先に希望は生まれる。それはまさにそうだとわかった。

 この時代は、まず最大ではなく最悪に直面しなければならない。

 暴力、妄執、そして次に直面すべきは技術の裏切り。それこそが必要だった』

 

『予定通り僕は僕に出会った。

 悲しいとは思った、だけど僕ならきっと乗り越えると確信していた。

 ご先祖様となるべき人は間違いなく僕だったから』

 

『そうして技術の提供が始まった。

 最悪を受け入れる、そして乗り越える準備が始まった。

 全て、予定通り、計画通り』

 

『恨んでくれても良い。むしろ、恨まれるために僕はこのメッセージを遺している』

 

『そして姫様。

 どうか僕とこの厄災を乗り越えて欲しい。最後の最後まで信じて欲しい。その先に、幸せは、希望はあるのだから』

 

『最後に、僕。

 君は最後に選択を迫られる。出来る限りのお膳立てはしたつもりだけど、最後に選ぶのは君だ。

 未確認生物から女の子を守った結果は、君の意志によって定められる。

 何度も言うけど、どういう結果になろうと、僕は出来る限りをしたつもりだ。だから君の選択に何もケチはつけるつもりはない。

 たとえ、世界が滅び、未来が無くなったとしても、ね。それが君の希望であることを、僕は祈っているよ』

 

 

「なん、だよこれ……」

 

 流れる音はノイズだけになる。

 そのノイズも前触れなくぷつりと切れて、データ再生の終了をわかりやすく伝えてくれた。

 

「ねぇ? もしかして、あなたは――」

 

 姫様が口を開いた時。

 

「っ!?」

 

 まばゆい光。

 これは……!

 

「転送プログラム! くっそ、姫様話は後だ!」

 

「――っ……わかったわ!」

 

 なんで急に自動実行された!? そんなの指定した覚えはないぞ!?

 

 だけどその疑問は――

 

 

 

「何だよ……ここ?」

 

「……ここ、は?」

 

 包まれた光。

 それが無くなり、姫様と一緒に眺めた景色は。

 

「さ、ばく……?」

 

 あたり一面に広がる砂。

 姫様が零した言葉通り、そうとしか思えない光景だった。



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第八話

 ここは一体どこなのか。

 姫様が口にしかけた言葉の続きは何だったのか。

 そんな疑問に答えを出す暇もなく、眼前に広がる世界は存分にその猛威を振るう。

 

「ッ──あァああああっっ‼︎」

「えっ⁉︎」

 

 気づけたのは、反応できたのは、本当に紙一重だった。

 咄嗟に全身をバネへと変え、がむしゃらに跳躍する。

 半ばかち上げるようにして姫様を掻っ攫い、そのまま数十メートルも吹っ飛んだところで重力に負けて地面に突っ込んでいく。

 

「けほっけほっ、ちょっといきなり何を──」

「まだ来るぞ!」

 

 困惑している姫様に説明するだけの余裕もない。

 地面と同化し、恐ろしい速度で再び迫る()()との間に壁を創り出す。

 ぶつかって止まる──なんて期待は儚く砕け散り、馬鹿でかい図体に見合わない機動力であっさりと避けられてしまったが。

 

「ぐ、あ……っ!」

 

 迫り来る魔手を避けきれず、左脚を僅かに掠める。

 その勢いに反して、撫でつけられるような()()()とした感触。過ぎ去った後に傷はなく、奇妙な脱力感だけが仄かに疼いている。

 

「大丈夫⁉︎」

「ああ……今のところは」

 

 とりあえず、動くのに支障があるほどじゃない。何度も食らうとヤバそうだ、と直感が叫んではいるが。

 

「────―!」

 

 可聴域を外れた叫びが木霊するのを、異形と化した全身が感じ取った。

 今度は上から。三百メートル以上の高さから鉛直落下してくるソイツの勢いは、重力任せにしちゃ速すぎる。

 

「くっそ、追いつけねえ……!」

 

 影を捉えるのがやっとで、迎撃もひらりと躱されちまう。

 真上からの突撃を横っ跳びに避けたのはいいが、敵は地面に着弾することなくすれすれで直角に軌道を曲げる。

 巻き起こった突風すら追い風にして、初撃よりも次撃よりもなお速く。

 

 今度こそ、どうしようもなく直撃コースだった。

 

「が────、ぁ」

 

 なけなしの防壁はあっさりとぶち抜かれ。

 奇妙な感触が再び身体中を駆け巡り。

 脱力感とともに意識が遠のいていき。

 

 

 ぞくり、と。

 目の前の敵を一瞬忘れるほどの寒気に襲われ、一気に現実へと引き戻された。

 

 

 ヤバい。

 何が何だかわからないが、この感覚はヤバい。

 怖ろしくて、悍ましくて、けれどそんなことよりも。

 

 ()()()()()()()()

 今や厄災と化したこの俺の、いずれ行き着く果てとでも言うかのような。

 

「まさか、今の──」

「……何か知ってるのか、姫様?」

 

 心当たりがありそうな様子の姫様に尋ねるが、答えより先に風切り音が迫る。

 どうやら敵さんは待ってくれないらしい。

 

「────―!」

 

 鳥の鳴き声、というよりは蝙蝠の超音波か。

 誰にも聞こえない咆哮を響かせながら、またも巨影が迫り来る。

 ヤツの狙いは、恐らく俺。現状ロリである姫様を狙ってるにしちゃ、攻撃の軌道が高すぎる。

 防御は不可、回避は至難、カウンターなんて以ての外だ。

 

 ならどうするか。

 攻撃は既に迫っている。猶予は瞬き一回分だけ。

 ふと頭に浮かんだ、策とも呼べない思いつきがあるにはあるが──ええい、迷ってる暇もねえ! 

 

「──ままよッ!」

 

 両手を突き出し、十指を基点に網を張る。

 薄く、細く。

 広く、長く。

 無数の格子を編み上げ束ね、俺達の周囲に球状に展開する。

 これだけの機動力がある以上、前方だけに壁を置いても意味がない。

 視界を保ちつつ、全方位をムラなくカバーする必要がある。

 

 突撃してくる敵影を待ち構え、一瞬の機を見極めすかさず絡め取る──! 

 

「囲めっ!」

 

 攻撃の性質は不明。速度は圧倒的。ただの壁なんてすり抜けてくるかもしれないし、普通にぶち破られる可能性だってある。

 

 だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 集中、集中、集中──突進の勢いも敵の肉体も全部まとめて、この一瞬で吸収し尽くす! 

 

「────―⁉︎」

「おォォォおおおおおおおおッ‼︎」

 

 声なき絶叫に負けじと叫び返す。

 慣性を完全に殺しきった。

 全身をくまなく包み込んだ。

 それでもなお、檻の中でソイツはもがき続けていた。

 嘶き、啄み、盛大に暴れ狂って、鉤爪らしきものが飛び出しかけ────そこで力尽きたのか、とうとう動きを止めて沈んでいった。

 

「はぁ……はぁ……何とか、間に合ったか……」

 

 山を喰った経験が活きたな。

 あの時に慣れきってなけりゃ、こんな高速吸収なんてできなかっただろう。

 

「何、だったの……?」

「わからねえ……少なくとも、こっちに敵意を向けてたのは間違いねえけど」

 

 目的とか以前に、ヤツの容姿すら確認する暇がなかったくらいだ。

 随分と大きかったのと、飛行能力があったことくらいしかわからなかったが……現代にあんな生物はまずいない。

 

「ともあれ、ここが私達のいた地球じゃないのはほぼ確定ってことね」

「そうなるよな……」

 

 あの転送プログラムは、元々アルが現代の地球に来るために使ったもの。

 どことも知れない時代の、どことも知れない惑星から。

 

 まあ、うん。

 つまりはそういうことなんだろう。

 

「とにかく情報が足りなさすぎる」

 

 ここはどこで(where)今はいつで(when)ここには何があって(what)どうしてここに飛ばされて(why)俺達はどうすればいいのか(how)

 わかっているのは一つだけ、誰がこうしたか(who)

 

「アルの奴め、せめてもうちょい説明してけっつの……」

「言ってても仕方ないわ。とにかく動かなきゃどうにもならないんだから」

 

 そりゃそうなんだけどさ。

 わかってたって、文句の一つくらい言いたくなるってもんだろ。

 

「見渡す限り何もない、よな」

「砂しかないわね……」

 

 一面に広がる砂漠は奇妙なほどに真っ平らで、方角という概念を忘れてしまいそうになる。

 これじゃあどっちに進めばいいのかもわかりゃしない。

 

「とりあえず動くか」

「そうね。ここにいても仕方ないもの」

 

 まっさらな地平をただ二人、しばしあてもなく彷徨っていく。

 

「……ねえ、さっきの話だけど」

 

 ふと、姫様の声音が少しだけ低くなった。

『さっきの』というのは、ここへ飛ばされる前に言いかけていたアレだろう。

 だから、続く言葉にはおおよそ察しがついていた。

 

「あのアルって人────()()()()()()()()()()()()?」

 

 ある種の確信を持って投げかけられたその問いに、俺は曖昧に頷いた。

 

「たぶん、そうだな」

「やっぱり──」

「部分的にそうだな」

「部分的に⁉︎」

 

 いや、ただの勘なんだけどさ。

 単純に俺の成長した姿、って訳じゃない気がするんだよな。

 

「『ご先祖様の同胞』って言葉も気になるしさ」

 

 そもそも本当に同一人物なら、ある程度は容姿が似通ってて然るべきだ。

 元純日本人の俺と、欧米風の顔立ちのアルの外見は似ても似つかない。

 

 アルは俺の親友で、第三の厄災で、俺の同胞の子孫。そして俺自身。

 俺はアルの親友で、第四の厄災で、アルの先祖の同胞。そしてアル自身。

 

 さっぱり意味がわからん。

 何か手がかりはないもんか──そういや、アルには地球の言葉が通じてたな。

 アイツが天才だからこっちの言語を扱えた、なんて身も蓋もない考え方もできるが、他の理由があるとすれば……元々が地球人だったのなら筋が通る。

 地球人、つまりは俺の同胞だ。……いや、確か同胞ってのは姫様達のことだから、この説は見当違いか? 

 

 

「……………、待てよ」

 

 

 そこまで考えが及んだところで。

 小さな、しかし決して無視できない引っかかりに、今更ながら思い至った。

 

「なあ、姫様」

「どうしたの?」

 

『同胞』。その言葉の意味合いが、ここにきて大きく塗り替わる。

 さっきまでは安直に、姫様を始めとしたドラグの民のことを指すんだと思っていた。

 だが改めて考えてみると、それとはまた別の答えが浮かび上がってくる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「────え?」

 

 立場的にとか、精神的にとかの問題じゃない。

 そもそもの種族として、俺は地球人とドラグ人の混ざり物だ。

 確か姫様も言っていたはずだ。自分の身体でないものを書き換えるなんて、ドラグの民の誰にもできないことだって。

 

「……待って。まさか、それじゃあ」

「そういうことだろ。俺の同胞っていうんなら、そいつはつまり」

 

 

 俺の言葉を遮ったのは、またしても飛来した怪鳥の音なき咆哮。

 そしてそれを撃ち抜いた、軽く乾いた()()()()()だった。

 

 

「その通り」

 

 たったそれだけの振動に、世界を闇に包み込むような圧迫感を伴って。

 命の輝きを真っ黒に染め上げて消し潰すような、破滅的な音だった。

 撃ち落とされた怪鳥は、悲鳴すら上げる間もなく即死したらしい。

 

「君の同胞というならば、それは同じ混ざり物の他にはあり得ない」

 

 覚えがあった。

 常に余裕を滲ませ、己の優位を示威するようなその声に。

 無造作に構えた右手から放たれる、闇を煮詰めて凝縮したようなその気配に。

 姫様と二人、ゆっくりと歩み寄るソイツを呆然と見遣っているこの状況に。

 

「……あの時の悪寒、やっぱりあなただったのね」

 

 少し前にも、こんなことがあった気がする。

 あのときは確か、通信機越しからいきなり目の前に現れたんだったか。

 

「ロザン大佐……!」

 

 姫様の叫びが、砂の中へと埋もれて溶ける。

 

 案の定、と言うべきだろうか。

 あり得ない、と吠えるべきなのか。

 蜃気楼でゆらゆらと踊る視線の先に、その男は悠然と佇んでいた。

 

「久しい、というほどでもないのか。()()()()()()()()()()()()()……君達にその実感はないだろう」

 

 ……何だ、殺気がない? 

 いや、それ以前にどうやってここに来たんだ? 

 

 転送プログラムはアルの研究室からしか使えない。

 入口は完全に崩落していたし、扉を開けるにはパスワードが必要だ。

 よしんばそれをクリアしたにしても、部下の一人も連れてないってのはどういう訳だ? 

 

「何だ、説明の一つも受けていないのかね? 君達がその状態でここにいるということは、まず間違いなく過去の地球から跳んできたのだろうに」

 

 訝しげな俺達の様子に気づいたのか、同じく怪訝な表情を見せるロザン大佐。

 

「……いいや、さっぱりだ。俺達はここがどこで、今がいつなのかさえわかってないからな」

「……そうか、ふむ。敢えて伝えなかったのか、そうでないのか判断に迷うところだが」

 

 まあいい、と簡単に切り捨て、ロザン大佐は決定的な真実をあっさりと明かした。

 

「ここは地球だよ。君が厄災として目覚めた日から七百年が経過し、無惨にも死の星と成り果てた我らが母星だ」

「────っ⁉︎」

 

 絶句したのは、姫様だけだった。

 俺だって予想できていた訳じゃなかったが、不思議と驚きよりも納得が先行していたのだ。

 アルの件といい、今回といい、普通ならあり得ないほどにすんなりと事態を受け入れている自分がいる。

 まるで、俺に刻み込まれた何かが『それは正しい』と肯定しているかのように。

 

「『我らが』? アンタ、宇宙人じゃなかったのか?」

「エヴァルド=ロザンという人間は紛れもなく地球人だ。しかし、『私』について問われたならばこう答えよう」

 

 そんな謎の余裕も、次の台詞で残らず吹っ飛んだが。

 

「それは君こそが誰よりも知っている、と」

「──────」

 

 思考が明滅する。

 俺が誰よりも知っている人種なんて、そんなのは決まりきっていた。

 さっき感じた、怖気が走るような激烈な気配。

 あれが、あの匂いが、この男から放たれていたとするのなら。

 

「アンタが、『同胞』……⁉︎」

「いかにも。この私が、君にとって世界で唯一の同類だ」

 

 地球の守護者として、俺達の前に立ちはだかってきたロザン大佐。

 その正体は俺と同じように、宇宙人と融合した地球人だった訳だ。

 

「待って……待って! ああもう、頭の整理が追いつかない! 地球は滅んでるわ、()()は出てくるわ……!」

「前例とはなるほど、言い得て妙だ。もっとも私の場合は、宇宙人というより精神寄生体とでも呼ぶべき輩だったがね」

 

 精神寄生体って、もう字面からして嫌な響きだな。何かこう、乗っ取られそうな感じで。

 そう考えると、俺と融合したのが姫様でほんと良かったよな……

 

「第三五三八六番惑星ヴィルエーラ。そこに巣食う生命体は宿主を喰い殺して苗床にする性質を有し、それゆえ他の星によって生物兵器として運用されてきた」

 

 予想より数段酷かった! 

 え、そんなもんに寄生されて何で平然としてんのこいつ? 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 …………………

 …………………は? 

 

「はぁ⁉︎」

 

 第一の……って、そんなとこまで一緒なのかよ⁉︎

 

「いや、そもそもあれは、一発の銃弾から始まったはずじゃ……!」

「そうだとも。かの平和の象徴が開いた、戦争の根絶を訴える講演会──その会場の全員に精神寄生体が憑き、唯一その支配に抗えた私が一発で片をつけた」

「────!」

 

 右手を銃の形に構え、あの『闇』を纏わせるロザン大佐。

 それは確かに、戦争の開幕を告げるのに十分な禍々しさを放っていた。

 

「一般には、第一の厄災とはその後の戦争のことを指すが。あれはむしろ、厄災を食い止めた結果勃発してしまった二次災害だ」

「マジ、かよ」

 

 常識がひっくり返った気分だった。

 だが問題なのは、こんな話が前菜代わりにポンと飛び出してきたということ。

 つまり、メインディッシュはまた別にあるということだ。

 

「さて」

 

 いつかのように、そう前置いて。

 いつものように、ロザン大佐は本題を切り出した。

 

「君達は、この地球をどう思う?」

「どう、って……」

 

 七百年経って荒れ果てたとか言ってたか。

 辺り一面砂漠だし、生物もあの怪鳥しか見かけてないし……時の流れって残酷だな、とか? 

 

「おかしい、わよね」

「姫様?」

「だって単純に、たった七百年でここまで文明は滅びない。仮に人間が絶滅したとして、自然も建物も何一つ残らず風化するなんてあり得ないもの」

 

 姫様の指摘に、我が意を得たりと頷いてみせるロザン大佐。

 

「そういうことだ。天災は世界を滅ぼせど、そこにある生命を一つ一つ潰して回ることなどない。ならば必然、この滅びは人災によるものに他ならない」

「これが、人災……」

 

 仮に、この光景が人の悪意にしか成し得ないとして。

 それを作ろうとしたところで、一体誰にそんなことができるっていうんだ? 

 

「ここは、間に合わなかった世界線」

 

 俺の疑問を、見透かしているのかいないのか。

 その語り口は、微塵も揺らぎを見せることはない。

 

「この未来を回避するために、地球人は進化しなければならなかった。時の流れに任せるだけでは到底届かない、突然変異のような数段飛ばしの成長が必要だった」

 

 遠くを眺めるようにして語っていたロザン大佐は、そこで俺達の方へと視線を移した。

 

「宇宙人と呼ばれる知的生命体が、世界にどれだけ存在していたかは知っているかね?」

「……いや」

「答えは八七兆三三六四億と五十万。それらが住まう惑星の総数はおよそ三千万にも及んでいた」

 

 地球と似たような、そうでなくとも最低限生命が生きていける環境を持つ星が三千万。

 宇宙って広いなー、なんて呑気な感想とは裏腹に、加速度的に膨れ上がっていく嫌な予感。

 

「そうした全ての星々が、突如として地球という資源の奪い合いを始めた」

 

 何故ならば、と。

 勿体をつけるような口ぶりからは、そこはかとなく絶望の香りがした。

 

「君達の時代から三年もすれば、この宇宙から生命の存在し得る環境は消滅するからだ。そう──ただ一つ、地球という星を除いては」

 

 ここまで歩いてきた、およそ生きるには相応しくない砂で覆われた世界は。

 七百年もの熾烈な生存競争の末に、何もかも毟り尽くされて枯れ果てた緑の星の姿だった。

 

「……資源(リソース)の奪い合い」

 

 姫様がポツリと呟き、それを拾ったロザン大佐が肯定する。

 

「先程の鳥のような生物を見ただろう? あれがこの生存競争の覇者だ。高い肉体スペックと敵を一瞬で廃人にする神経毒、何より数の暴力で他の生命を駆逐せしめた」

 

 あれ神経毒だったのかよ⁉︎

 姫様に当たらなくて良かったというか、それに耐えてる俺どうなってんだというか。

 

「もっとも、ヤツら自身も獲物を失ったことで数を減らしてきているがね。今は共喰いでどうにか種を存続させているようだ」

 

 なるほど。

 そんなところに俺達みたいな格好の餌が現れれば、そりゃ襲ってもくるか。

 

「って、そんなことはいい。俺がまず聞きたいのは、そんな死の星にどうしてアンタがいるのかってことだ」

「うん? 私は単に死ななかっただけだが。この身体は特に食事も必要としないのでね」

 

 灼熱の炎天下、背筋に冷たいものが過ぎった。

 

「──じゃあ、七百年間ずっと生きてたってのか?」

 

 共に過ごす相手もなく。

 日々を彩る娯楽もなく。

 姿が変わることもなく、何かを生み出すこともなく。

 

「それが厄災というものだ。恐らく君も、漫然と生きるだけならば千年は可能だろうさ」

 

 その光景は、俺も辿り得る未来なのだと。

 世界でただ一人の同胞は言い放った。

 

「そうでなくては、そのくらいの脅威でなくては、人類の踏み台になど使えないのだから」

「踏み台……」

「そう、踏み台だ。幾千の屍を越え、幾億の命を先へと繋ぐための」

 

 熱気が緩み、徐々に日が落ちていく。

 不規則に揺らめいていた蜃気楼も、いつの間にか見えなくなっていた。

 

「第一の厄災は、地球にとって紛れもなく偶発的なものだった。しかし地球防衛軍は、それを乗り越えた私が莫大な力を得たことに着目したのだ」

 

 夕焼けの逆光に阻まれ、ロザン大佐の表情は窺えない。

 

「すなわち厄災という名の試練を人為的に課し、それを乗り越えることで人類が飛躍的に成長できるよう仕向けたのだよ」

「それ、は」

 

 それは、つまり。

 それじゃあ、まるで。

 

「生贄のようだ、と思ったか?」

「っ!」

「その通りだとも。世界を救うという大義がなければ、こんなものは地獄という呼称すら生温い外法に過ぎない」

 

 思えば最初から、ロザン大佐は三つの厄災に過剰な反応を見せていた。

 

()()()()()()()()()()

 

 それを心底憎み、忌み嫌う姿が本心からのものなら。

 この男の本音が、ようやく垣間見えた気がした。

 

「そして三番目は──いや、それは君の方が詳しいか。ここともまた異なる、さらなる絶望の未来からの来訪者については」

 

 ああ、つまり。

 アルは、最初から生贄になるために過去(いま)へとやってきて。

 それ以外の道を探し続けたけれど、とうとう見つけられなくて。

 最後には受け入れて、アイツを糧に人類は一段進化して──()()()()()()()()()()

 

 世界を救うには、三つの厄災じゃ足りなかった。

 四つ目の厄災が必要だった。

 

「だから、俺を手に入れようとしたのか」

「半分は成り行きだったがね。保険をかけたとも言う」

「保険?」

 

 そして、それでもなお。

 

「当時の私の見込みでは、四つでもまだ足りなかった」

「なっ……!」

「故に、()()()()()()()()もう一つは必要だと考えていた。君が思いのほか早く『成った』ことで、少々順序がズレ込んでしまったが」

 

 ふと、唐突に理解した。

 この世界では、俺が人類に倒されることがなかったんじゃないだろうか。

 その結果、人類の進化が間に合わずに淘汰されてしまった未来がこれなのだと。

 

 ロザン大佐がここにいるのがその証拠だ。

 ピースが揃ってさえいれば、この男は躊躇いなく命を投げ捨てていた。

 ピースが揃わなかったから、この男は七百年も俺達を待ち続けていた。

 

「……アンタ、本当に地球を守るために動いてたんだな」

「私情が混じっていなかった訳でもないがね。特にカスタル・ドラグ──君の父親に対しては」

 

 途中で姫様の方に視線を遣り、忌々しげに一つの名前を吐き捨てるロザン大佐。

 

「お父様……?」

「私に宿る精神寄生体についての話を覚えているかね?」

 

 そう問われ、先程の会話を思い返す。

 えっと、何だっけか。

 その後の話のインパクトがでかすぎて、微妙に頭から飛んじまってるな。

 

「確か、宿主を苗床にする……」

「その性質から、生物兵器として運用されてたって話よね」

 

 そうそう、そんなこと言ってた気がする……って、おい。

 

「兵器とは、すなわち戦争に用いられるものだ」

 

 姫様の母星ドラグは、戦争によって力を増していった侵略国家。

 なら、その生物兵器とやらを使う機会も──

 

「第一の厄災を持ち込んだのが、ドラグの民だっていうのか……?」

 

 それが、ロザン大佐の憎悪の理由。

 

「まあそれ以上に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それについては、今語るべきことでもあるまい」

 

 世界を救うという本音の内側に、さらに抱えたもう一つの本音。

 

「でも、どうしてそんなことを? 生物兵器をバラ撒いて、それ以上は何もしないで撤退したってのか?」

「……たぶん、私が生まれたからだわ」

 

 疑問に答えたのは姫様だった。

 第一の厄災が起きたのは、確か十八年前のこと。

 ドラグ王は姫様を溺愛してるっていうし、あり得ない話じゃないのか。

 

「そして十七年の時を置いて、ドラグは再び地球への侵攻を開始した」

 

 その前段階として送り込まれてきたのが姫様で、俺と事故って今に至ると。

 

「ドラグの姫君、君を見つけた時は歓喜に震えたものだ。地球人と融合していたのも僥倖だった。私という前例から言っても、異星の生命どうしの融合体は互いの能力を高め合う傾向にある」

 

 前に適当に言ってた、宇宙人パワーと地球人パワーが合体して云々ってガチだったのかよ……

 

「七百年の間に憎悪はもはや風化したが、厄災としての『機能』は未だこの身に残っている」

 

 冷酷に。

 冷徹に。

 けれど、誰よりも真摯に男は言い放った。

 

 

「ようこそ第四の厄災(しんいり)。君もまた、世界のための生贄に成り果てた」

 

 

 世界に隠された真実を知って。

 未来に訪れる絶望を見て。

 ロザン大佐の覚悟を聞いて。

 それでも、ただ受け入れる訳にはいかなかった。

 

 なぜなら、俺は姫様だけの騎士だからだ。

 

「何か、ないのか? 破滅を食い止める方法は」

「ある」

「あるのかよ⁉︎」

 

 ないと言われれば徹底抗戦もやむなしと思っていただけに、まさかの肯定に拍子抜けしてしまう。

 

「何せ七百年だ。考える時間だけはいくらでもあった」

 

 俯いて瞑目する彼は、間に合わなかったことを悔いているのか。

 それとも、希望を託せることに安堵しているのか。

 夕陽は落ちきり、その顔からは何も読み取れない。

 

「結局のところ、地球を勝たせる方策では限界があるのだよ。戦争の大元、地球の外の問題を解決しなければ犠牲は減らせない」

 

 地球以外の環境が全滅するってあれか。

 それをどうにかしない限り、血みどろの戦争は避けられないと。

 

「てか、そもそも環境の死滅って何が原因なんだ? これを倒せば終わり、みたいなわかりやすい目標はあるのか?」

「あるにはあるが、人の手で解決できる問題ではない。現に八七兆もの知的生命体の全てが、この根本的な問題には匙を投げた」

 

 語られるそれは、誰にも覆しようのない運命。

 

「宇宙が収縮しているのだよ。内側に引き寄せられた星、外側に取り残された星、その全てが環境の激変に耐えられず滅亡した」

 

 根本的にスケールが違う。

 (そら)に抗える人間が、(そら)を支えられる人間が、(そら)に立ち向かえる人間がいる訳がない。

 

「だがしかし。それを止められるとすれば、可能性が一縷でもあるとすれば、天災に匹敵する人災をおいて他にない」

 

 だが逆に、スケールの差を補えるとしたならどうだ? 

 ほんの一瞬、ほんの一歩だけ、同じステージに踏み込めるんじゃないか? 

 

 

「私と融合し、()()()()()()()()()、この『闇』を獲得したまえ」

 

 

 俺がしてきたように、自分の肉体の一部に変えるんじゃなく。

 姫様がしてくれたように、相手の性質を残したままに同一化する。

 

「そのために、七百年も待ってたのか」

 

 俺達がここに来るかどうかなんて、わかるはずもないのに。

 力を託したところで、俺が思惑通りに動くとも限らないのに。

 思惑通りに動いたとして、今立っているこの世界が救われる訳じゃないのに。

 世界が救われたとして、そこに自分の姿はないとわかっているのに。

 

「どのみち、この策は私一人では成し得ない。君を従わせるために割ける余力もない」

 

 だから。

 全ては、俺の意志一つにかかっている。

 

()()()()。私と君の特攻が成功すれば、それで世界は救われる」

 

 それは、最大多数の最大幸福のために世界へ生贄を捧げる未来。

 

()()()()()()。いずれかの勢力が他の勢力を一掃すれば、地球という限りある資源(リソース)を独占できる」

 

 それは、血で血を洗う戦乱の果てに束の間の平穏を見出す未来。

 

 それ以外の区分はない。

 全滅という最下層まで、真っ逆さまに落ちるだけ。

 

「守りたい一人の命のために世界を救うか、二人で生きる未来のために世界を見捨てるか」

 

 世界を救えば、姫様は助かるが俺は確実に死ぬ。

 世界を見捨てれば、あらゆる希望の潰えた宇宙にたった二人で放り出される。

 

「君が選べ」

 

 突如目の前に示された、究極の二者択一。

 その選択に、何一つとして迷いはなかった。



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第九話

 人生は何時だって誰のだって選択の連続だ。

 遠い昔、アルと出会った裏山に行ったのも、あの日それを思い出しながら星を見ようとしたことも、そうして姫様と出会ったことも、こうやって意地を貫き通して戦っていることも、辛さも苦しさも飲み込んで前に進もうとしていることも、何もかもが俺が選んだ結果とその他大勢の選んだ結果が絡み合って出来上がった結果で、そうやって世界というのは成り立っているのだと思う。

 だから言うなれば俺たちのような意思を持った生命体というのは選択する、ということに限ってはプロフェッショナルとも言えるような存在で、けれどもここまで大きく重い選択をするというのは初めてだった。

 『世界』か『自分と愛する人』か。

 正直実感が湧きづらい程に大きい選択肢に、冷水をかけられたような感覚が身体と心を襲う。

 ことの重大さが分かっているような分かっていないような感覚のまま、それでも思考だけは動いた。

 『世界』を取れば"自分"以外の総ては救われる。

 愛する人も、家族も、友人も、見知らぬ誰かも、何もかもを救うことが出来て、失われるはずだった平和な未来というのはその形を失うこと無く、各々がそれぞれの形で築き上げられていくだろう。

 その中に俺はいられないという些細な問題が発生するだけで、全体から見れば紛うことなきハッピーエンドだ。

 一方『己と愛する人』を取ればそれ以外の総て灰と化す。

 家族も友人も見知らぬ誰かも跡形も無く消え去って、残るのはきっと眼前に広がった"世界"と同じような光景なのだろう。

 そんな中でも二人で生きられるのであればそれはそれで、小さな幸せを感じられるのかもしれないが。

 それでもそれは駄目だろう、一般常識に当てはめるまでもない、そんな未来ではあまりにも救いが無い。

 そんな未来で歩む二人っきりの人生ではきっと後悔を引きずってしまう。

 だから迷うことはない、心に浮いてくる小さな感情を押し込めてゆっくりと息を吸い込む。

 アルと出会った、姫様と出会った、厄災へと成り得た、そうやって得た力を、破壊ではなく救いに使えるのであればそれはきっと、変わり果ててしまった今の自分にとってはこれ以上のない救いなのだ。

 ついでに見知らぬ八十七兆も救えてしまうのだ、もしかしたら歴史に名を残せるような英雄として扱われるかもしれない。

 この身に余るほどの光栄だ、夢にも思わなかったほどに興奮してしまうシチュエーションだろう。

 俺なら世界を、彼女を、何もかもを救えるのだ。

 だから、迷うな、迷うな、迷うな!!

 小刻みに震える手を握り込む、嫌にドクドクと跳ねる鼓動を無視して、そこでチラリと姫様を見た、見てしまった。

 一瞬の気の迷いとでも言うべきか、少なくとも心の弱さから一歩踏み出す前に確認してしまった。

 この大きすぎる選択を前にあろうことか安易にも周りに一瞬、ほんの少しの秒にもみたない刹那、誰かに助けを求めてしまったのだ。

 その一瞬だけ彼女の瞳と目が合った。

 不安気に、こちらの心中を探るように、大きく揺れるそれと目が合って、それだけで俺の作り上げた虚勢に罅が入る音がした。

 やばい、と思う。

 駄目だ、無視しろ、迷うな、踏み込め、決断しろ! そう思う頭に、身体が、心が追いつかない。

 早くしなければ迷いが増える一方なのが分かりきっていて、しかし感情が俺の身体を縛り付けて動かさない。

 心に楔を打った一抹程の、小さく、しかし途轍もないほど色濃い感情が頭を染め上げる。

 それは言葉にするのであれば『恐怖』だった。

 暫くご無沙汰で、けれども酷く馴染みのある感情。

 ここまで怒涛の如くインパクトの強すぎる事柄が起きすぎて麻痺していた神経が、極大とも言える選択肢を前に冷静になった頭と共に正気を取り戻している。

 故に"怖い"。

 選択というのは何処にでもありふれている極平凡な作業で、しかし何処までも残忍さを孕んでいるものだからだ。

 この荒れ果てた世界の上で、問いかけられた選択肢。

 たった二つしか無くて、どちらを取るのが正解なのかが分かりきっていて、それが怖くて仕方なくて選べない。

 つまり俺は()()()()()()のだ。

 いや、今更痛い、辛い、苦しい、そんなことで怖いんじゃない。

 そりゃ少しくらいは怖いがもう慣れた、慣れてしまった、その延長線上にある程度のものであればきっと俺はもう、それはそこまで怖くない。

 であればそれはもう、俺の足を止める理由には成りえない。

 だから、俺が怖いのはもっと別のことだった。

 死そのものではなく、死によって失うこと。

 それは家族との触れ合いだったり、友人との掛け合いだったり、ゲームをすることだったり、美味しいご飯を食べることだったり、そして何よりももう二度と彼女と、下らない話をしたり、触れ合ったり、笑い合ったりすることができなくなってしまうことが怖かった。

 ただそれだけのことが無性に怖くて、恐ろしくて、足を止めてしまう、決断を、鈍らせてしまう。

 それでも彼は待っている、ある種ちっぽけとも言えてしまう悩みと世界を天秤にかけている俺の判断を。

 厄災であり、同類であり、大きな決断を下した者として、世界の命運を俺に選ばせるものとして、そこで待っている。

 だからそれには応えなければならないのだと、頭のどこかで誰かが言った、けれども同時に何故俺がそんなことを、とも思う。

 そう思ってしまった自分を見つめて、あぁ、これはいけないな、と思った。

 弱気になった心が逃げ場を探してる、どうして、何で俺がこんなことを、と駄々をこねるガキのような言葉が頭にポンポン浮かんでくる。

 ずっと気を張り詰め続けていたせいだろう、一度そうなってしまえばそれを押し込めるには相当時間がかかりそうだったし、そもそも押し込める事自体が嫌になるほど大変だった。

 このまま総てを放棄して逃げ出したいと強くそう思う、そうする訳にはいかないことは分かってはいたが、しかし感情は揺れ動いていた。

 今ここで、彼女の手を取って逃げ出せてしまえば、あぁ、どれだけ楽なことだろうか。

 ロザン大佐は何も言わない、俺の感情の揺らぎはきっと目に見えるものであるにも関わらず、しかし彼は止めようともしなかった。 

 チラリともう一度、姫様を見た。

 彼女はやはり不安気に、俺を心配するようにその瞳を揺るがしている。

 逃げたい、どちらも選びたくない、その気持ちが時間を増せば増すほどに強くなり、もう無理だと総てを吐き出しその手を取ろうとした時ふと、あいつの言葉が脳裏をよぎっていった。

 『未確認生物から女の子を守った結果は、君の意思によって定められる』

 あいつ──アルは確かにそう言って、その上で何を選ぼうとも文句は言わないと、そう言った。

 ただ、それが俺の希望であることを願って、彼はそう、言葉を遺したのだ。

 伸ばした腕が、動きを止める。

 我武者羅に足に込められた力がスッと抜けていって、半端に浮いた手はポスリと彼女の頭に落ちた。

 「ふぇっ?」と間抜けな声を上げた彼女の頭を、なんとはなしにそのまま撫で付ける。

 滑らかな金糸の如し髪が指の間をすり抜けて、心地の良い感触が肌を通り抜けていく。

 上目遣いでこちらの様子を伺う彼女を視界に収め、あぁ、好きだな、とそう思った。

 何よりも愛おしい、できれば、幸福な道を歩んでいってほしい。

 特別意識した訳ではない、ただ自然とそう思って、それを自覚すると共になんだか呆れたように気が抜けた。

 同時に思い出す、彼女のためなら何だって出来ると、彼女の騎士になると謳った己の在り方を。

 であれば、もう迷うことはないだろう、迷う理由は無いだろう。

 恐怖は変わらず俺の心を埋め尽くしている、それで良いのか? という己の声が頭の中で反響していて、それをうるせぇなと振り払った。

 もう決めたのだ、ならば後は踏み込むだけだ。

 怖いのも苦しいのも痛いのも辛いのも何もかもまるごと背負って俺はこれを選ぼう。

 かき氷を一緒に食えないのは残念だが──それでも俺は、彼女には平和な世界で笑っていてほしいから。

 ざりっ、と一歩踏み込んで前に出る。

 

「悪い、待たせたな」

 

「気にすることじゃない、ほんの数分さ。それで、君はどちらを選ぶんだい?」

 

「それ、聞かなくても分かってるだろ」

 

「まぁね」

 

 そう言って彼の姿をゆっくりと視界に収める。

 ついさっき──とは言っても、この世界からしたら七百年も前ではあるのだが──会ったロザン大佐と比べて、随分と生気が薄いな、と思う。

 余力はもう無い、とロザン大佐は自分でそう言っていた。

 そこから導き出される答えはただひとつで、彼にはもう、俺に託す分の力しか残っていないという訳だ。

 姫様の時と同じように、意識が共存するかどうかも怪しいレベルだ。

 けれども彼は笑った。

 君ならそうするのだろう、と思っていたよと、小さく言って。

 

「なぁ、さっき一縷の望みって言ったよな、それ、具体的に言えばどのくらいの可能性なんだ?」

 

「そうだな、出来れば君には士気を上げてもらいたいから黙っていたかったが、しかし今更嘘を吐くのも不義理が過ぎるだろう。答えよう、飽くまでこれは私が立てる憶測だが──驚くなかれ、可能性は1%にも満たない」

 

「────っ」

 

 思いの外想像通りの言葉が飛んできて、それでも息を呑んだ。

 何せ相手はあの宇宙である、可能性としてみるのであれば、これくらいが妥当であろう。

 いくら厄災と言われようとも、しかし元は人間だ。

 そんなものなのだろう、だがそれを踏まえた上で、俺たち二人の全力で賭けに出る、そういうことだろう。

 そう思う俺を見て、何を思ったのか彼は口を開き、言葉を続けた。

 

「わかっていると思うが、我々厄災というのは常識外の力を持つ。だがそれでも宇宙という広大なものから見ればそれは些細なものだ。私は先程宇宙の収縮を天災だと言ったが、しかしこれは実のところ運命と言っても私は良いと思っている。全生命の終わりというこれ以上ないほどわかりやすい、運命という名の、終末」

 

「そんな事は、俺だってわかって──」

 

 口を挟もうとして、しかし最後まで聞け、と指を立てられる。

 

「だけれども、運命というものは、未来というものは変えられるのだと、誰かは言ったのだ。そしてその言葉を信じた者たちがいた、己が為でなく、誰かの為に先へと繋げようとした者たちがいた。厄災と呼ばれようとも、長い年月を積み重ね、たった一つの奇蹟を信じて、そうやって可能性は()()()()()()()()()()()()()()()。厄災たる我が同類、君が今その身に秘める可能性はポンッと偶然、降って湧いたものではない、それは多くの犠牲の上でどうにか生まれた微かな、しかしかけがえのない希望だ。良いか? よく聞け、これは我々二人だけの孤独な戦いではない、これまで積み重ねてきた同胞、そして犠牲者、それら総てと共に向かう最終決戦だ」

 

 だからと言ってそう気負うものでもないが──まぁ、何だ。

 この可能性には多大な時間と犠牲が混在している、だから──そう我々は二人だけで戦う訳ではないのだと、今のうちにそう伝えてみたかったというだけさ。

 恐らく、融合後は私の意識は霞み以下で、すぐに消えてしまうようなものだろうから、と。

 そう言って彼は俺へと手を差し出した。

 握手のように、その手を握ろうとして、ふと弱い力で裾を引っ張られた。

 不足のことで声を漏らしながらおっと、と下がって振り向けば案の定、そこには姫様がいた。

 

「止めることはあんまりオススメしないぜ、何せ俺には折れる気がない、時間の無駄だ」

  

 そう言えば彼女は俺を見て、ハァ、と深くため息を吐いた。

 それからグッと俺の目を見て、彼女は言う。

 

「それくらい、私だって見れば分かるわよ。どれだけ近くに、一緒にいたと思ってるの、アンタが無理をしてでも、それでも先に進むって目くらいもう知ってるわ」

 

 だから、私は貴方を止めはしない。

 だけど、だけれども──「戻ってきなさい、必ず、絶対、私のもとに」と彼女はそう言った。

 今にも溢れて零れ落ちそうな雫を湛え、それでもそれを零すこと無く、確りと俺を見据えて。

 ふぅ、と息を吐く。

 身体の芯に何か熱いものが通っていく感覚がして、それから目を閉じ、ゆっくりと開いて言った。

 

「任せとけ、俺は約束は守るタイプなんだ」

 

 彼女が笑う、儚げに、淋しげに、しかし期待を込めて。

 それに合わせて俺も笑った、不安を湛えながらも、しかし安心させるように。

 そうして俺はやっとの思いでロザン大佐の方へと顔を向けた。

 少しだけ離れた距離を詰める。

 

「話は済んだか?」

 

「あぁ、もう大丈夫だ」

 

「それなら良かった、では始めようか」

 

「……お前は、準備とか、覚悟とか、そういうの良いの?」

 

「フッ、それを私に聞くかね?」

 

「ん、それもそうだな、悪い」

 

「謝ることはないさ」

 

 そう言って彼はもう一度手を差し出した。

 それを今度こそ、ゆっくりと握りしめる。

 吸収と同じようだが、しかし融合とは全く別のものだ。

 相手と己を、融かして混じり合う。

 純粋な足し算ではないのだ、互いを互いでなくし、新たな個を生み出す行為……いや何かそう言うと気持ち悪いな。

 姫様ならまだしも俺とこいつって……うわぁ何だか無性に嫌になってきたぞ。

 世界を救うとか云々の前にシンプルにこいつと融合とか……いや深く考えるのは止そう、気が滅入るだけだ。

 今は世界と彼女のことだけ考えていればそれでいい。

 そう思うと同時、ズルリと何かが入ってくる感触が身体を駆け抜けた。

 吸収なら手慣れたものだが融合は、少なくとも俺がやるのは初めてだったし、以前は俺の知らない内に行われたことだったから新鮮さと、それから不快さを感じた。

 異物が入り込んできて、それを己に変換するのでなく、それと己を馴染ませる。

 酷く奇妙な感覚だった、これを姫様もやったのかと思うと思い切ったことをしたもんだな、と思う。

 感じていた不快さがどんどん増してくるのだ、まるで自分が自分でなくなっていくような感覚、確りと自我を保たないと今にも崩れて融かされそうなくらいだ。

 身体から力が抜けて膝をつきそうで、けれども無理やり力を入れて体勢を保つ。

 奥歯に力を込めて、グッと噛み締めていればふと、何かが頭を駆け抜けた。

 いや、何かではない。

 これはきっと、彼──ロザン大佐の、記憶だ。

 七百年経った今も彼の中では色褪せること無く息づいているのだろう。

 知らない──いや、彼と混じり合っているせいか、どこか知っているような感覚を覚える、二人の女性がメインで現れては消えていく。

 あぁ、きっとこれは彼の妻と、娘なのだろう。

 それを察して、しかしどちらも既に──俺の生きていた時代ですら亡くなっているのであろうことは想像に難くなかった。

 幼い少女──恐らく彼の娘が、徐々にその身を変えていくのだ。

 画家志望であったののだろう、その手に持つ筆で世界を変えていく。

 俺の持つ力とはまた別ベクトルの──しかし人智を超えたおかしさをもつそれは、現実を塗り替えて、塗り潰して、そして──それの最初の犠牲者が、その娘の母で、彼の妻だった。

 そこから狂人さを更に増していく彼女の姿を、そして少しずつ正気を取り戻していく姿を、そして、彼の手で結末を迎えられた姿を、目に焼き付ける。

 怒涛のごとく感情が渦巻いて、しかしそれでもそれに呑み込まれないように意識を保つ。

 これが彼の根幹なのだろう、だからこそ、俺はその総てを受け止めなければならない、これを背負わねばならない。

 それが俺の役目なのだから。

 

 どれだけそうしていたのだろうか。

 数分か、あるいは数時間か。

 感覚は軽く麻痺していて正確な時間がわからない。

 いつのまに閉じていた瞼をこじ開ける。

 入ってきた光が嫌に眩しくて、何度か瞬きした後にようやく光に慣れたところで、声がかかった。

 

「あら、やっと終わった?」

 

 姫様だ。

 なんとはなしに、至極暇そうに俺を見て彼女はそう言った。

 

「あ──あぁ、何か終わったみたいだけど……何か実感が無いな、こういうのって『ち、力が溢れてくる……!』とかなるもんだと思ってた」

 

「まぁそれは、意識によるんじゃないの? 彼は彼で、酷く強い力の持ち主だった、まさか何も変わらないってことないでしょ」

 

 そう言われて、ふむ、ともう一度目を閉じる。

 意識を集中させる為だ、ゆっくりと、己の中に潜り込むような感覚で意識を尖らせていけばふと、真っ白な何かがそこにいた

 クルリクルリとそれは回って俺に纏わりついてくる、何だこれは、と思うことはなかった。

 これはロザン大佐の──彼の言葉を借りるのであれば、"闇"だ。

 白い闇、それは一般的に想像される真っ黒なそれより、あからさまに優しそうで、しかしどす黒い。

 底がないと思わせられるほどの深さ、底の知れなさ、それが自分の中にいて、それに気付くと同時にそれは俺胸へとするりと入って消えた。

 パッと目を覚ます、同時に全身に違和感を覚えた。

 まるで──そう、先程冗談で言ったような、力が溢れてくるような、そんな感覚。

 そう言えば、元の吸収、変質能力も知らんが何か出来たようなものだった。

 これもそういうもので、その力に気付くか、または心の底から必要としなければ発露されないものなのだろう。

 相変わらず良くはわからないがまぁそういうものなのだと結論づけて姫様を見る。

 

「大丈夫そう?」

 

「あぁ、大丈夫そうだ」

 

「そう、じゃあ行きましょ」

 

 そう、彼女は言った。

 一瞬どこへ? と言いかけてすぐさまあぁ、元の時代だ、と思う。

 そりゃそうだ、ボケてんな、と失笑を漏らし、そうだな、と返してふと思う。

 ……どうやって?

 

「は? アンタ知ってるんじゃないの!?」

 

「いや知らないよ!? タイムスリップとか並行移動とかそんな自由にできてたまるか! そもそもここに俺たちが来た原因は──」

 

 秘密の部屋で勝手に転移装置が作動したせいだろ。

 そう言った直後に視界は光に包まれた。

 ちょうど、ここに来た時と同じ、青白く輝く極光──転移の光。

 彼女と目を合わせて、どちらともなく頷く。

 さぁ、ここからが勝負だ。

 そう思うと同時に、光は全てを覆い尽くした。



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第十話

 遙か昔。

 本当に遙か昔のことだ。

 

 光あれ。どっかの誰かがそう言ったらしい。

 すると光が出来た。

 らしい。俺はかつてお姫様にそう語った。

 

「あの時は嘘ついて悪かったよ。んなワケねー。光なんて元から在ったんだ」

「えっそうなの?」

「……いや、知らんけど」

「適当言い過ぎでしょ!?」

 

 どうやら俺の発言がお気に召さなかったらしく、お姫様は爪先で俺の膝をゲシゲシ蹴ってくる。

 未だロリモードは継続中。背丈的には膝ですらちょっと背伸びして攻撃を届かせて居るぐらいだ。

 

「……モニターが全部落ちてるな」

 

 戻ってきたのは見慣れた、裏山の、相棒が造ったシェルター内。

 だがかろうじて起動していたはずの機器類が一切沈黙している。まるで役割を全て終えた、と言わんばかりに。

 

「もう託したってことなんでしょうね。じゃあ後は……」

「いや、一つやり残したことがある。それだけやらせてくれ」

 

 言うや否や、俺はシェルターの出口へと歩き出した。

 慌てて姫様も追随してくる。何をするのかと問いたげな様子ではあるものの、止めはしない彼女が、今は救いだった。

 階段を一つ飛ばしに駆け上がり、ドアを押す。恐らく外側は砂に埋め尽くされているんだろう。びくともしない。

 

「邪魔」

 

 雑に腕を振るった。それだけで俺の眼前から扉も砂も消し飛び、真っ直ぐな道が出来た。

 隣で姫様が絶句している。

 

「……吸収、したわけじゃないのよね?」

「ん? ああ、そうだな。今の俺は()()()()()()()()()()……」

 

 物理的な説明が難しいが、端的に言えば『象が蟻を踏み潰した』ぐらいの現象だ。

 余りにも当然だし、じゃなんでお前はそんなに重いんだと象に聞いても分からん。

 

「母艦をいったん無力化する。お前は──防衛軍を探してくれないか」

「防衛軍? いえ……あの男ね」

 

 俺のやり残したことに思い至ったらしく、姫様は頷くとすぐに飛び出していった。

 シェルターから俺も遅れて歩き出る。ふと、背中を押されたように感じて、思わず振り向いた。だけどシェルターの入り口は真っ暗のままで、度重なる籠城の結果、見るも無惨に傷ついている。

 

「……ありがとな、アル」

 

 不思議な心持ちだった。日常がぶっ壊れて、あり得ないぐらい、めまぐるしく、色々なことが起きて。

 だけど最後の最後には、俺の心は凪いでいた。

 

 

『──僕は成功した。君と出会い、君につなげた。それでいい』

 

 

 あいつは無感動にこんなことを言うんだろう。

 なら、それでいい。

 土砂と瓦礫に左右を挟まれた山道で、空を見上げる。大空を埋め尽くす巨大な空中戦艦。

 艦隊ではない。ただ一隻だけで、空全体を覆ってしまっているのだ。

 底面に取り付けられた砲口がめまぐるしく動いては火を噴いている。火、という現象としてしか認識できない光。よく見れば高熱による発光ではなく、光そのものが放たれているのだと分かる。都市部に対して広範囲殲滅攻撃を放ち、それからは残った敵戦力を逐次撃ち落としているのだろう。

 

 ……悪いけど、今回はもう、あんたらの出番は終わりだ。

 

 右手を伸ばした。戦艦は俺を見てもいない。掌を向けて、それから握り潰すようにぐっと拳を握った。

 最初の異変は沈黙。砲火が止んだ。そう、沈黙──戦場においては最もあり得ない、沈黙。

 それから戦艦の各部で発光していた光体がかき消えていく。一切の動きを封じられ、さらには内部の乗組員らも凍結していく。

 物質の書き換えという権能の応用。全ての物理学的な働きは、分子が振動することで行われる──逆説。一切の分子運動を封じてやれば、何も出来なくなる。

 

「何を、した」

 

 振り向けばそこには、さっき別れたばかりの、だが久々に見る顔があった。

 未だ表情には憎悪が滾り、狂気の光を両眼に宿す、俺の唯一の同胞。

 

「久しぶりだな、同胞」

「……ッ!」

 

 ロザン大佐は背後で俺に銃口を向ける部隊を、右手を持ち上げて制止する。

 事実を知ればこの邂逅ですらもが驚愕だ。世界一有名な独裁者──まさかその父親が、こうして現代まで生きながらえ、さらにもう700年も生きるなんてな。

 

「なん、だ……何があった。貴様、本当に同一人物か?」

「あんたが探し求めてる存在からは少し外れたよ。だけど、俺は俺だ──あんたの唯一の同胞。異星人と地球人が、存在単位で混じり合った異物。()()()()()()()()()()()だよ……あんたと同じでな」

 

 俺は大佐達の右側でこちらの様子を伺っている姫様を見ながら言った。

 姫様は俺の言葉を聞き、深く頷いて──コンマ数秒挟んでからボン! と顔を真っ赤にした。

 

「な、な、な……ッ!?」

「えっあれ、えっ今更これで照れるのかよお前! バカやめろお前が照れるとなんか俺まで恥ずかしくなってきただろうが! ちょっ、ハズっ、大佐ゴメン今のやっぱなし!」

 

 俺たちのやりとりを見て、大佐の顔が微妙なものになる。

 一つ息をついてから、俺と彼は頭をリセット──即ち、先刻のやりとりを記憶から消去した。

 

「事情は分からんが……いい、実にいいぞ。出力が跳ね上がっているな。あの母艦を止めたのも君か。素晴らしい──素晴らしいッ! 理解したのなら話は早い! 来い、同胞ッ! 貴様を吸収すれば、私単独でもあの母艦を打ち落とせる……ッ!」

「させねえよバカ。俺は……あんたを止めに来たんだ」

 

 同時、両腕を変質させる。

 未だに出来ること、出来ないことを完璧に理解したわけじゃない。だから俺なりに、SF的な解釈をさせてもらう。

 物体の上書きとは即ち、原子段階にまで遡っての物質変換作用だ。存在そのもののありかたを、分子を再構築して書き換えるのではなく、根本的な性質の段階で変質させる。自分が自分じゃなくなるというのはそのままで、俺はただ骨を弾丸にしたり肉を翼にしたりしていたが──本当はもっと別のことが出来るんだ。

 書き換えではなく()()

 既知と既知を混ぜるのではなく未知を引き寄せる。知らないモノは再現できない、というのは大きな縛りだった。違うんだよ。知らなくても良いんだ。

 元よりこれは──誰も知らない未来へ手を伸ばすための力なんだから!

 

「抵抗は──」

「有意義だ! さあ来いよ大佐! 俺とあんた、一対一(タイマン)だ! 彼女を救う前に、世界を救う前に、俺はまずあんたの怨念を救わなきゃならねえッ!」

 

 変質完了。銀色の増設装甲──地球上には存在しない材質。変換に伴って発生した熱を、装甲各部がスライドして高温の煙として排熱する。

 ロザン大佐は軍服姿のまま、部隊に再度制止を命令してから、ゆっくりと俺の元まで歩いてきた。

 

「怨念、か。そうだな。私のこれは怨念だ」

 

 未だ空中母艦は凍結状態。星明かり一切を奪うシルエットの下で、俺と大佐の両眼が赤く発光し、幾何学的な文様を浮かべる。

 視線が結ばれた。それが開戦の合図だった。

 

「私は許さない。ドラグの民を、地球の民すらをも──何よりも私自身が許せない! だから──!」

 

 地面が炸裂した。神速の踏み込みから、ロザン大佐が刹那の間隙で眼前に迫る。

 振るわれた右腕を打ち払う。大佐はその場で回転しつつ腰元から拳銃をドロウ。至近距離、俺の腹部に銃口を突き付ける。

 マズルファイヤが闇を祓う。着弾音が響き、視界の片隅で姫様が口元を覆う。

 だが大佐は両眼をめいっぱいに見開き、面白いぐらいに驚愕していた。

 

「ああそうだッ! その憎悪を全部俺にぶつけろ! ()()()()()を焦す憎悪、全部吐き出せ……!」

 

 銃弾がからころと地面に落ちる。腹部を覆う銀色のプレート。大佐の弾丸すらも防ぐ堅牢さ。

 当然だ。何故なら俺は七百年後の大佐と融合を果たしているのだから。

 

「あんたの案に乗った。あんたに協力するって決めた。だけどな……」

「……ッ!?」

 

 七百年後の大佐は憑き物が落ちたような有り様だった。

 彼は理性的で、合理的で、世界を救うための選択肢をご丁寧に整理して提示してくれたが──

 

「やっぱ、今のあんたは気に入らねえッ!」

「……何、を。何を言っている、貴様……!?」

 

 七百年だ。七百年、耐えることが出来たんだ。それほど高潔な人だった。だけど憎悪が、今この時代の彼を狂わせている。

 数えるのも馬鹿らしい年月を経ても尚、彼は妻子の記憶をかろうじて保っていた。

 愛していた。愛していたんだ。愛していたんだろう、なぁ!?

 

「愛っていうモンはなあ、眩しくて、温かくて……! 人々が信じられるものだろうッ!? それを! 愛を憎悪の燃料にしてんじゃねえッ!」

 

 胴体から銀色がせり上がっていく。

 液体金属が滑らかに広がっていくように、装甲が全身を覆っていく。

 

「きみ、は──何を知った!? 何を、誰から聞いたッ!?」

「あんただよ! あんた自身からあんたのことを聞いた! だから次は──俺の話を聞けッ!!」

 

 顔を騎士甲冑が覆い、最後にアイラインが一筋の光を宿す。

 特撮ヒーローみたいか。丁度良いじゃねえか。ナイトモードって呼んでくれよな。

 全弾撃ち尽くした銃を掴み取り、ギチギチと音を鳴らしながらも顔の前まで持ち上げる。膂力が違う。大佐の抵抗は赤子に等しかった。

 

「何度も世界を救ってくれて、ありがとう! 感謝してる──本当に感謝してるッ! 今ここにある世界にとって、あんたは全ての命の恩人だ! 一度目も、二度目も、より大きな災厄になる前にあんたが止めた!」

「……ッ」

 

 何故それを知っている、といわんばかりに大佐は絶句して、それから視線を鋭いものに変えた。

 俺を蹴り飛ばし、拳銃を手放す。たった一挙動で大地が割れた。周囲で姫様が慌てて木を掴み、兵士らが転がっていく。

 

「だから許せねえッ! あんたが犠牲にしたものをあんたは背負って、それで何やってんだよ! 本当に背負ったって言い切れるのかよ!? 災厄で人間を進化させるだと!? ふざけんな本当にやりたかったことは何だよ!」

「分かったような賢しい口をきいて──!」

「分からねえから言ってんだよッ! 勝手に背負って、愛した人を言い訳に使ってんじゃねえッ!」

 

 砕ける大地の中で何度も大佐と俺は激突する。

 右腕を振るう。胴体にめり込み、彼の口から血が零れる。

 カウンターのパンチが顔面に飛んでくる。左手で受け止め、そのまま拳を握り潰す。

 根本的に、存在の段位が違う──勝負の体を成していない。当たり前だ。俺は、彼に勝ちに来たんじゃない。

 

「一度目! 二度目! 三度目! そして四度目! あんた本気でこんな馬鹿みてえな未来図に手を貸すつもりだったのか!?」

「それ以外の道など──!」

「七百年後のあんたは見つけたぞ! だけど今は見えてねえ! だってずっと目を塞いでるんだからな!」

 

 激突の余波で地面がさらに抉り飛ばされる。

 俺と大佐以外に手出しは出来ない状態。すり鉢状のクレーター中央で、俺と大佐が何度も何度も何度も何度も衝突を繰り返している。

 交錯してそのまま後ろに抜けて、俺は大佐に振り向いた。

 

「……ッ!?」

 

 その時、確かに見えた。彼の背後。女の人が、残酷に嗤って、両腕を回して彼の顔を覆っている。

 ……ああ、そうか。それが呪縛か。七百年という年月が風化させた、だけど今この瞬間は彼を縛っている呪いか。

 

「負けるかよ」

 

 身体がひどく熱い。銀色の鎧が溶けていく。俺の生身を露わにしながらも、全身全霊の威力が、右の拳に充填されていくのを感じる。

 そうだ──未来の大佐を取り込んだ。だからきっと、今の俺が、今の彼を許せないのは、当然だ。

 だって。

 だって!

 

「愛を諦めた男に、俺が負けるわけにはいかねえ──!」

 

 七百年後。

 彼が俺に託したのはきっと、そこだ。

 勿論他に選択肢なんてなかったけど……俺に余りにも迅速に事情を説き、そして最初から逡巡なく委ねてくれたのはここだ。

 俺はまだ諦めていないから。愛も平和も守り抜けると信じているから。

 

 そうだ。七百年後の大佐はただ物わかりが良かったんじゃない。あれは全部諦めてしまったからこその漂白で、自分には出来なかったことを俺に任せてくれたんだ。

 

「──それに比べて、情けない奴!」

「な、……ッ!?」

 

 突然の罵倒に大佐が目を丸くする。だけど許してくれ。マジで言わなきゃ気が済まねえ!

 

「諦観を子供に押しつける大人はな──」

 

 右の拳を強く、強く強く握り込む。

 足下を炸裂させ一気に加速。視認できる頃にはもう俺の右ストレートが大佐の頬にめり込んでいた。

 

「──特撮じゃあやられ役なんだよッ!!」

 

 遅れて、轟音。

 大気が砕ける音と共に、大佐の身体は宙を舞って、それから地面に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音が死んで、クレーターの周囲で振動と衝撃に耐えていた姫様がそっと顔を出す。

 大佐の部下達も同様で、俺と、横たわる大佐を見て、次の行動を取れず完全に固まっていた。

 

「……あんたの負けだ」

「────そうか。未来で、生き延びた私を吸収したのか」

 

 合点がいったらしく、彼は状態を起こして痛そうに頬をさすった。

 

「目が覚めるような威力があった……精神への干渉すら可能になったのか。随分と野蛮な目覚まし時計だな」

「地球にはないからな。無音の宇宙じゃこれぐらいが丁度いい」

 

 二人して空を見上げた。未だ凍結中の空中母艦。

 だが見据えたのはその先。真っ黒な宇宙。未だ広がり続け、そしてやがて縮退し始める、宇宙(そら)

 

「……娘は死んだ。私が、殺した」

「…………」

 

 そうするしかなかったと彼の記憶は叫んでいる。

 狂気に飲まれ、争いをばらまき、そして──史上最悪の独裁者は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私の因子を持つ子がどう育つのかは、研究材料だった。彼女は……まず研究所を根城にした。私が気づいたときにはもう、あそこは彼女の国だった」

「……物質の書き換えだけじゃなく、最初から精神への干渉が可能だったんだな」

「元より私の能力もそちら寄りだった。第一次世界大戦の中で、私が戦闘向きに組み替えたに過ぎない。そして娘は最初からそれを自分のものにしていた」

 

 滔々と、ロザン大佐は空を見上げたまま語る。

 

「彼女はある日、ある書類にサインをしてから、気まぐれに()()()()()()()()()()()()。そこで──気づいた。罪のない人々を虐殺するという書類に自分がサインして、それが実行されたことに気づいた」

「…………」

「私を呼び寄せるようにして、ある日警備が消えた。私は彼女の地下シェルターに行き、彼女を撃った。自殺ということになった」

「…………あんたはそれが許せなかったのか」

()()。問題はその先だ──材料は言ったぞ。もう君にも推測できるはずだ」

 

 何? 思わず眉根を寄せた。

 第二の厄災となった娘を誅殺した。それが、彼がドラグを憎む理由ではなかったのか。

 いや……待て。その後だと? ああ、そうだそのあとだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 同胞の、子孫。

 ──俺にとっての同胞とは、唯一無二の存在だ。

 ──そしてアルは語った。自分は、()()()()()()()だと。

 

「待て」

 

 全身を悪寒が駆け巡った。

 そんな馬鹿な。だが、しかし。いやだけどそんなの!

 

「待て、あんた、何を……何をしたッ!? いや、いいやッ! ()()()()()()()()()()()!?」

「やった、だと? 馬鹿を言うな。気づけば事は済んでいた」

 

 考えるポジションを変えてみればすぐに分かる。

 貴重な個体である大佐と、第二の厄災と化したとはいえ、大佐以外では唯一の、同じ特異性を持つ個体。

 

「──掛け合わせたのか! だが!」

「ああそうだとも。この世界のどこかでは……私と娘の遺伝子から、連綿と実験が続けられているはずだ。今も、私と娘のDNAデータは厳重に保管されているだろう」

 

 つまり。

 つまり俺と出会ったアルは、未来の俺なんかじゃなくて。

 俺がアルだというのは、厄災になる定めを持つ同類だという意味で。

 アルの未来でも間に合わなかったのなら、第四の厄災である俺は進化を促しきれずにただ無為に死んだということで。

 

 ならば異星人と地球人が融合した個体の遺伝子データというのは、遙か未来においても系譜はただ一つで──!

 

「────ッ!!」

 

 点と点が繋がり、息をのんだ。

 大佐は……ふと頬を緩めて、胸元からシガレットケースを取り出した。

 

「報告した研究者は実に嬉しそうだった。人の形をした生命体が生まれるまでに三桁の失敗があったらしい。ついにやり遂げたという達成感が私にも伝わってきたよ」

 

 煙草を一本引き抜いて、それから胸ポケットを数度叩いて、諦めたように右手から炎を吐き出した。

 火力が強すぎて煙草の半分が消し炭になった。大佐は舌打ちして、まずそうに残り半分の煙草を吸い始めた。

 その、嫌そうな、不機嫌そうな、偏屈な表情──見覚えがあった。

 

「……第三の、厄災」

「ああ。ミッドナイト・サンの悪魔だな」

「アレは、あんたの遺伝子情報を引き継いだ、あんたの子孫だ」

 

 大佐が煙草を取り落とした。

 彼は無表情でじっと俺を見つめていた。

 それから堰を切ったように、彼は……涙を流し始めた。

 

「…………馬鹿な。全ての個体が今も管理されて……いや。未来か。未来から来た、と言っていたか。そうか……ふ、ふはっ、ハハハハハハ! そうか! あれは私の子孫だったのか! 血筋だろうなあ、厄災に身を捧げる決意が出来てしまい、計画し、実行する! なんとまあ……因果だな」

 

 笑っていた。

 涙を流しながらも、彼は狂ったように笑っていた。

 

「世界の存続に、あんたたちは全部投げ打った。その強さは認めるよ。だけど……全部諦めきった救世はさ、きっとその後の世界も、乾いたものにしかならない。例えば砂漠に埋め尽くされた星みたいにさ」

「ああ……そうだろうな」

 

 大佐はゆるゆると立ち上がり、俺に歩み寄った。

 

「……ッ!」

 

 姫様が飛び出そうとして、俺はそれを手で制する。

 もう大佐の瞳には狂気の光なんてなかった。

 

「融合したまえ。恐らく今から君がやろうとしていることは、分の悪い賭けなんだろう。私も取り込めば、可能性が少しは変わるはずだ」

「……1%にも満たないってさ」

「丁度いい。私で1%になるんじゃないか?」

「そう祈るよ」

 

 薄く笑ってから、彼は目を閉じた。

 

「……アルは。あんたの子孫は、俺を信じてくれた。俺が四度目になることを選択するのか、それとも別の道があるのか。どれを選んでも、希望になることを願ってくれた」

「希望か。安い言葉だな」

「アルが言った希望は、重かった。あいつはドラグの王族にもなっていた──未来では地球がドラグに滅ぼされて、残ったあんたたちのデータが、王族の血筋に取り込まれたんだろうさ」

「ドラグらしいやり方だ。反吐が出る」

「それを乗り越えてアルが言ったんだ。希望が必要だって。希望……あんたが真っ先に捨てた言葉だよ。でも今は、欲しくなってるだろ?」

「…………違いない」

 

 それが最後の言葉だった。

 大佐が差し出した手を、俺は握った。二度目の融合。自分が自分ではなくなるような感覚──が全然しない。

 アレ?

 

「あっ」

「むっ」

 

 そうか、と両者同時に思い至った。

 こいつって俺が取り込んだものと完全に同一個体なのだ。なら前回のような不快感はない。

 むしろ元からあったものを再度取り込む、分かりやすい工程。

 大層な決意をした直後なのに、なんかこう締まらねえ。バツが悪そうに俺たちは視線をさまよわせて、咳払いした。二度目のリセットである。

 

「……あんたの決意に感謝するよ」

 

 改めて告げると、彼は少し困ったような顔になった。

 

「君のためじゃない」

 

 俺は顔を上げた。大佐の首に腕を回す女がゆっくりと、彼の頬を撫でていた。

 呪縛と祝福は裏返し。先ほど感じた嫌な感じは、今はしなかった。

 

「かつて信じたもののためだ」

 

 同時、パッと大佐の身体が光の粒子になって飛び散った。

 しばらく俺の周囲を漂ったそれが、ゆっくりと体内に沈んでいく。

 工程を終えれば、辺りは静寂に包まれた。

 

「……もう無意味よ、やめなさい」

 

 銃口をさまよわせている兵士らに、姫様が警告を発する。

 兵士らは動きを止め、顔を見合わせると、そろそろと銃を地面に置いた。

 

「行きましょ」

「……ああ」

 

 頷いて、俺は姫様を連れ立って山道を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の山に登れば都市部が一望できた。

 裏山からではなく、実際に砂に飲み込まれた東京都心の真ん中。

 

「どうするの?」

「気分の問題だ。大仕事の前にはちょっと気晴らししたいだろ」

 

 右手を地面に向けて、それから天へと持ち上げる。

 変化は劇的だった──地上を埋め尽くす砂が舞い上がり、天空へと逆再生されていく。

 凍結中の母艦すら素通りして、津波とかしていた砂は残らず大気圏外へ昇っていった。

 

 あとには、目を白黒させている都民たちが残っている。

 

「壮観ね」

「そうだな」

 

 眼下には地球の民が揃っていた。

 勢揃いだった。

 だからふと、完全にバカなのは分かっているのだが、どうしようもないほどにいたずら心が湧き上がってきた。

 

「な、なあ……」

「ん? 何をソワソワしてんの?」

「俺、このタイミング逃したら一生後悔すると思うんだ。でもこのタイミングでそれやったら一生後悔すると思うんだ。どうしたらいいと思う?」

「…………何の話?」

「選択の話だ。人生は、いつだって選択の連続だろ。君が君であるためには沢山の意志決定が必要だったように、俺が俺であるために必要なターニングポイント。それが今ってことなんだけど」

「じゃあ、やれば?」

 

 こうなるともう止まらないという性質を知っているからか、姫様は嘆息混じりに俺の行動を肯定してくれる。

 さっきから瓦礫の王様みたいに居座っている俺たちをいい加減都民らも見つけて、スマホで写真を撮ったりしていた。こいつら元気だなオイ、一応全員俺が蘇生したんだぞ。なに命の恩人をSNSにアップロードしてんだ。

 

「あー、ごほん」

 

 咳払いしてから。

 声量を拡大して、うるさくはなく、都内全域に俺の声が降るように調整してから。

 

 

 

 「ワレワレハ ウチュウジンダ」

『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああっっ!?!?』

 

 

 

 絶対やんない方が良かったわ。

 

「何やってんのよこのおバカッ!」

「あべし!」

 

 姫様が俺の頬に拳をめり込ませる。普通に威力が高すぎて俺は瓦礫の山からゴロゴロと転がり落ちた。

 粉塵が舞い咳き込む。ああもう締まらねえッ!

 

「バカは死んでも治らないを地で行くんじゃないわよ! もういっぺん死んでみたら!?」

「た、多分治んねえ……」

「でしょうねえ!」

 

 土まみれになりながらも、這う這うの体でもう一度瓦礫をよじ登る。

 恐慌状態になってる都民らを一望して、再度声を張った。

 

「我々は──というか俺たちは宇宙人であり、地球人である! 地球の味方だ! 今を生きている命の味方だ!」

 

 ふっと、喧噪がやむ。

 逃げるのをやめて人々が俺を見ている。

 俺は隣の姫様にチラリと視線を向けた。

 

「俺は……どうしても守りたいものがある。そしてそれによって()()()()()()()()()()。だから、待っててくれ」

 

 最後の言葉は、人々に対してだったのか、それとも──自分では分からなかった。

 

「つーわけでちょっと宇宙救ってくる。以上!」

 

 宣言を切り上げると同時に、全身を銀色の装甲が覆う。

 姫様はちょいちょいと変身途中の俺を手招きした。

 うん? と顔を下げる。ちょうど頭のてっぺんと爪先まで銀色になった直後。

 

「帰ってきたら、直接してあげるから」

 

 ずいと姫様が顔を寄せた。それからまたすーっと顔を遠ざけた。

 数秒硬直。眼前で真っ赤になりながらも、俺をじっと見つめる姫様がいる。

 ちょっ──誰だよ今の感覚カットした奴! バカ! ホントバカ! 俺だわ俺バカ! すみませんもっかいお願いします!

 

「だから……いってらっしゃい」

「……次はベッドの中でしてくれよ」

「あんたホント最悪」

 

 彼女の赤く、紅く染まった頬を、一筋の滴が伝っていく。

 もう俺は彼女を励ますために笑顔を見せてやることも出来ない。仮面を被った以上、ただこうして、指でその涙を拭うことしか出来ない。

 

「大丈夫。俺と君はまた必ず、出会える。大丈夫だから」

「うん」

「宇宙なんてどうでもいいよ。ただ、君を救うために、いってくる」

「うん」

 

 

 

「──いってきます」

「──いってらっしゃい」

 

 

 

 同時、銀翼が顕現する。

 アルが残した未来の先進技術。それは単独での超長距離宇宙航空を可能にしていた。

 

 かつて、一番最初に、ドラグの母艦から逃げ出すときに再現したそれを、今度はデッドコピーではなく完全に再現する。未知すら生み出せるんだから、既知ができない理由はない。

 ナイトモード・アルカンゲロス、ってとこでどうかな。

 

 顔を真上に向けた。最後に姫様が膝から崩れ落ちるのが分かった。だけど振り向くわけにはいかなかった。最後の最後に心残りを作りたくなかった。

 翼が稼働し、俺の身体を跳ね上げる。滞空したままの母艦を貫通して、重力圏を飛び出し、あっという間に身体が宇宙に投げ出される。

 宇宙の中心。太陽系すら抜けて、どこにあるのかも分からないそこへと。

 

 長い長い旅が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……と思ったけど。

 

『あ、違う違う。方向はこっちだぞ』

『なんだ七百年の間にコアまで観測できるようになったのか』

『過去の私、君の時間軸からはざっと二百年後……つまり問題が顕在化した当初は、宇宙の核への攻撃が行われていたんだ。とはいえ全て無意味だったがね』

『だろうな。止められなかったのか』

『当時は他の方法もなかったのだよ』

 

『これが理論上、四度目の厄災が失敗に終わった後、私が独自に計画を立てていた第五の厄災だ。忌憚のない意見を聞きたい』

『むっ……候補者複数に因子を人為的に注入か。しかしその後の合体というのはナンセンスだな』

『第四の問題点は強度にあると考えてね。即ち、厄災の長期化が第五のテーマなのだ』

『着眼点は素晴らしいが、単純な長期化は進化ではなく停滞も招きかねないぞ。厄災の大前提はあくまで人類の勝利であるはずだ』

 

『やはり幼稚園の頃が最も愛らしかっただろう』

『馬鹿を言うな。SSを立ち上げた辺りが最も凜々しく、また可愛らしい』

『過去の私、ちょっとその感性はどうかと思うんだが……』

『なら妻は?』

『アカデミー時代──というのは違う。これは引っかけ問題だな。ハネムーンから帰ってきて新居の散らかりようを見て現実に引き戻された瞬間。100%だ』

『わかる』

 

 

 

「うるせぇぇぇ────────ッ!! 人の頭の中で何を好き勝手騒いでやがる! 六畳一間じゃねえんだぞ!」

 

 

 

 頭蓋骨の内側で同一人物二名による座談会が始まっていた。

 ていうかおかしいだろ融合したはずだろなんでこの人ら自我保ってんの?

 

『馬鹿を言うな。そもそも融合とは権能を譲り渡すのが主目的だ。十全に扱うためには、私という自我を一部切り離して保存し、君の存在内部でサブコンピュータのように稼働させる必要がある』

『私はそこに後から合流したのだが、七百年の間に多少意見の変容が起きていたらしくな。こうして語り合うために、存在を保存されているのだよ』

 

 理屈は分かった。だけどとにかくうるせえ。

 

『未来の私が居なければナビゲートできなかっただろう。数兆年はさまよう羽目になるぞ』

『ちなみに過去の私も演算に寄与している。君単独の宇宙航空が見るに堪えない有様なのでね』

「なんで場所ぶんどっておきながらそんなに偉そうに出来るの? マジでお前……いやお前ら頭おかしいんじゃねえの」

『ちなみに掌サイズの身体をホログラムとして投影することも出来るぞ』

「おっさんがサイバーエルフになろうとすんじゃねえ! シャットダウンするぞ!」

 

 一直線のコースを明示してくれるのはありがたいんだが緊張感がねえ。

 地球を飛び立って体感だとマジで十分ぐらいしか経ってないのに、太陽系からはもう外れているらしい。アルの遺産、余りにも強すぎる。

 

『ああ違うぞ。体感時間を私たちの方で適切に調整している』

『地球を出発してから98万と飛んで54年289日17時間8分だ』

 

 思考が止まった。

 思わず背後に振り向く。

 

『まだだ。まだ宇宙の縮退は顕在化していない。地球は今頃……ドラグの母艦が凍結されていなければ、植民地化されている。今はどうだろうな』

『予測では和平交渉が実際に結ばれて、外宇宙生命体とのコンタクトが一般化しつつある頃合いだ』

 

 つまり、もう、俺の知る人々は残らずいなくて。

 姫様は──

 

『だが至るのは破滅だ。我々が何もしなければな』

「……分かってるよ」

『着くぞ』

 

 顔を前に向けた。

 ずっと続いてきた暗黒の宇宙。眼前にはその黒をさらに凝縮させたような、『闇』があった。

 

「ビックバンの発生地点、か」

 

 頭の中で二人の大佐が頷く。絵面、最悪。

 俺は両腕を広げてその場に制止した。それから……()()()()()()

 音波が発生しているのは観測できない。ならば、きっとここでは俺の全く知らない方法で意思伝達が行われているはずだ。そこに周波数を合わせることが出来れば、対話が可能になる。

 

『まずは対話か。丁寧なことだ』

「うるせえよ。相手の存在がどういうものなのかを知らないと、どうにもできねえ」

 

 実際問題、何故縮退するのかは知りたいと思った。

 何せ今まではずっと拡大していたはずだ。宇宙は今も尚、際限なく広がり続けている。広がる速度は宇宙の中心を起点に、遠ざかれば遠ざかるほどに速くなり、理論上は光速すら超えるスピードを叩き出すらしい。

 

「広がって広がって広がって、だけど突然縮退し始める」

『……何かしらの意図を感じる、とでも』

「直感だけどな」

 

 振動ではなく思念も感知できるはずだが、空間は静寂に包まれている。

 眼前の闇もまた、回転や振動と言った運動を一切していない。いや、俺では観測できないのかもしれないが──

 

 その時だった。

 

 

 ──えっ、何きみ。

 

 

「…………ッ!?!?!!?」

 

 声が聞こえた──()()()()! 音波だ! 馬鹿かよあり得ねえ真空状態で本当に、俺が地球で聞いていた音と同じ音が響きやがったぞ!? どうなってる!?

 

『落ち着きたまえ。音波として観測できているが、()()()()()()()()()()()。恐らく、君がしようとしていたように……向こうがこちらに、周波数を合わせてきたのだ』

 

 未来の大佐が落ち着くように諭す。

 一度頭を振ってから、俺は深く頷いた。

 

「あ、あー……アナタに、会いに来たんです。その、これからさき、縮退を始めるとお聞きして……」

『……飛び込みの営業か?』

 

 お前マジ黙ってろよ。

 声の主はしばらくの沈黙を挟んでから、不意に口火を切った。

 

 ──凄いね。存在の位相が滅茶苦茶だ。時間軸もごちゃごちゃだし、何より色んなものがまぜこぜになってて、ぼくでも種族を絞りきれないや。えっと、どの星系から来たの? まあまあ、お茶でもどうぞ? とにかく座って。

「は?」

 

 途端、だった。

 歓迎の意思が分かりやすいようになのだろうか、俺の眼前に、湯飲みと小皿の置かれたちゃぶ台が出現した。

 もう既存の法則がなんも当てにならない。だって無重力地帯なのにちゃぶ台が()()()()()()し、湯飲みに至っては湯気すら上げている。めまいがしてきたわ。

 

「…………」

 ──えっと、君の思考から、君の元いた星系の歓迎を再現してみたつもりなんだけど。

『これは巧妙な挑発なんじゃないかね?』

『どうだろうな……茶菓子すらある。本気なんじゃないか』

 

 俺は嘆息っぽい行動をしてから、そのちゃぶ台にすっと近寄った。

 

「それで、えーと……」

 ──うん。縮退ね、そろそろ始めようかって思ってたけど……話が変わった。

「え?」

 

 湯飲みに伸ばしていた手がギシリと止まった。

 大佐達も絶句している。変わった、変わった? 今? 今!? 今の今で!?

 

「そ、それは?」

 ──ぼく、話せる人が欲しかったんだ。いっぱい広げたら、いつか来てくれるかなって。でもこんなに近くに元から居たなんて、失敗したなあ。

 

 俺は超例外なので多分試みとしては正しい。

 それにしても。

 

『友達が、欲しかったということか?』

 

 驚愕は俺も同様だ。まさか──まさか、そんな理由で宇宙が広がり続けていたなんて!

 

「てことは、その、拡大も縮退もする必要がなくなった……?」

 

 訪問しただけで問題が解決するとは思わなかった。

 決意がなんか無為になったような気がするが、ええい解決したならそれでいいんだよ!

 望外のスピード解決に俺がガッツポーズを取るか否か悩んでいると。

 

 

 

 ──うん。()()()()()()()()()()()()()。だから()()()()()()()()()()()

 

 

 

「────は?」

 

 ぽかんと、俺は馬鹿みたいに呆けることしか出来なかった。

 数秒遅れて頭蓋骨の内側に、最大音量で軽音が鳴り響く。

 

『始まった!? 馬鹿な! そんな……!?』

『縮退している……ッ! それも、未来で観測された縮退より遙かに速い! あと十数秒で宇宙が粒になるぞ!?』

「な、ま、まっ、待ってくれ何が何で……!?」

 

 周囲を見渡しても変化はない。だが確かに、数十万光年先から変化は行われている。俺でも観測できる本当に宇宙が縮んでる!

 めくれ上がるようにして、際限なく広がっていた宇宙が一転して存在を丸め始めた。置き去りにされた星が滅茶苦茶に揺さぶられているのが分かった。この広い広い宇宙が、突如として命に牙を剥いている。

 

「よせ! やめてくれ! なんでこんなこと……ッ!?」

 ──だって、ぼくはずっと欠けてた。ずっと足りなかった。だけどもう君と会えたから。だから。

 

 そこで声は一度、言葉を切って。

 

 ──()()()()()()()

 

 俺は思わず言葉を失った。

 宇宙は今も尚、際限なく広がり続けている。広がる速度は宇宙の中心を起点に、遠ざかれば遠ざかるほどに速くなり、理論上は光速すら超えるスピードを叩き出すらしい。

 ずっと友達を欲していたのだ。そして俺が現れた。

 

 根底で勘違いしていたんだ。

 宇宙は、広がる必要性なんて本当はなかった。話し相手が欲しくて広げていた。

 見つかったのなら──後は、元に戻すだけでいい。

 

「やめろ……」

 

 観測できる。数多の惑星が重力を狂わされ、住む者たちが天や地面に叩きつけられる。

 

「やめてくれ……」

 

 観測できる。地盤が割れ、星から大陸ごと飛び出すような惨事が次々と起きている。海がある星は空を津波が覆い、砂漠だけの星は奥底のマグマと砂漠が入れ替わって、町や都市が押し流されていく。

 

「もうやめろ、やめろッ! やめてくれ!」

 

 両腕を広げて叫んだ。だけど縮退が止まらない。

 地球がそれに巻き込まれるまであと数秒。

 

【──いってらっしゃい】

 

 させるか。馬鹿野郎させるかそんなことッ!

 

「大佐! "銃"を借りるぞ!」

『……ッ!? 何をするつもりだ!?』

 

 右手に大佐の銃を顕現させる。弾丸と銃身に、闇を纏わり付かせた禍々しいその拳銃。

 周波数を合わせてくれた。だがそれは見せかけであって、表面上は地上の音波であっても逆算すれば向こうの周波数をはじき出せる。

 適切な周波数を探りながらも思考を巡らせる。

 

『た、確かに周波数を合わせればよりクリアに意思疎通が出来るかもしれない、だがそこからだ! そこからどうやって止めるッ!?』

 

 決まってるだろ。撃ち込むんだよ。

 寂しいって、足りなくて補いたかったって。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。だったら。

 一秒を切り刻み、そこからさらに細分化した世界。無限に停滞する時間の中で、俺は弾倉に弾丸を装填していく。

 いつも、今でも、彼女の色んな顔が思い出せる。思えば本当に感情豊かな奴だった。

 

 

 ────あっ。ねえねえ、あのかき氷って前に言ってたやつでしょ? 食べたいっ!

 無邪気に笑う顔。装填。

 

 ────貴方の居場所が、帰る場所がなくなっちゃう……!

 誰かの痛みに寄り添って悲しむ顔。装填。

 

 ────だから、内に引きこもって蹲ってないで──立ちなさいっ!! 立て、立ち上がりなさい!!! 私の騎士ッ!!!

 決然と啖呵を切る凜々しい顔。装填。

 

 ────ちゃんと……守ってよね。私の騎士様。

 信頼した相手に見せる甘えた顔。装填。

 

 ────どれだけ近くに、一緒にいたと思ってるの、アンタが無理をしてでも、それでも先に進むって目くらいもう知ってるわ。

 呆れたような物わかりのいい顔。装填。

 

 ────いってらっしゃい。

 そして、俺を信じて、送り出してくれた顔。装填。

 

 

 思いは形を成す。

 想いは、弾丸を象る。

 弾倉に込めた六発の弾丸が溶け合い、単独の銃弾に融合する。

 

 右腕を振るった。直線上に『闇』があった。

 照準は定まっている。

 優しくトリガーを絞るだけでよかった。想いを打ち出す。飛翔した弾丸は真空を滑らかに切り裂き、狙い過たず、その中心部分へと吸い込まれて。

 

 

 ──ッッ……!?

 

 

 制止。宇宙にあるべき制止が取り戻された。

 縮退し続けていた宇宙がピタリと止まって、嘘みたいな静けさが訪れる。いや、元々ここは静かだったか。

 

 ──なに、したの。なんで、ぼく、こんな……!?

「それが愛だよ」

 

 一つ一つの表情が愛おしい。

 もう会えるかも分からないのに、こうして胸の奥底から無限に気力が湧き上がる。

 だから、俺はここにいる。

 

 ──嗚呼。ぼくは……これが、欲しかったんだ。

「そうだ。そして、お前が広げた宇宙を、愛が今もう覆っているんだ」

 

 宇宙はそれきり沈黙した。

 既に縮退は行われてしまった。多くの星系が、数多の惑星が、死の星と化している。

 

「取り返しのつかないことをした、って?」

 ──……ッ!

 

 図星だったのだろう。声にならない声が聞こえた。

 俺は銃をかき消すと、優しく語りかける。

 

「だったらさ……もう一度、やってみようぜ」

 ──……え?

「最初だったわけじゃん。宇宙を造って、運営するなんてさ。そりゃ致命的なミスが起きて当然だろ。色んな行き違いがあって当然だろ。でも、今のお前なら。愛を知ったお前ならきっと、ほんの少しだけ優しくて、ほんの少しだけいい世界を作れるはずだ。勿論、俺たちも手伝うから」

 ──いい、の?

 

 恐る恐るといった問いに、俺は笑みを浮かべる。

 

「大丈夫。そのために来たんだからさ、俺たち」

『厳密には違うはずだが』

「っせーな黙ってろボケ」

 

 違うけどさ。そりゃ違うけどさ、今は良いんだよ今はよォ!

 

 ──……最初から。ぼくが生まれたときから、もう一回?

 

 俺の提案を受けて、声が震えながらも、彼はそう尋ねた。

 頷いて、俺は『闇』に飛び込む。

 途端、爆発的な意識の拡大があった。言語が消し飛んだ。認識が切り替わった。

 

『…………なるほど。これが神の視点か』

 

 大佐達も同様の影響を受けているらしい。

 全能感があった。宇宙をやり直すことも自由自在だという確信があった。

 

『成程な。君に託したのは……正解だったよ』

「ああ。……ありがとう、大佐。あんたは地球の恩人だ」

 

 俺が感謝を告げると、大佐はふっと笑った。

 

『こちらこそ感謝している』

『君を信じたのは、我々にとっても得だった。今度こそ我々は……かつて信じたものを、もう一度信じることが出来そうだ』

 

 二人の大佐はそう宣言してから、ゆっくりと拡散していく。

 宇宙を運営するシステムに自分を溶かしたのだ。まもなく、俺もそうなる。

 

 ──巻き戻すけど。だけど君たちは、巻き戻しきったら、弾かれちゃうよ。元の場所に戻れるかも分からない。

「……大丈夫だよ」

 

 声が震えないよう気をつけたけど、少しうわずった。

 それから意識を集中させる。やり直しはもう一度、同じ宇宙を広げるため。

 

「お前こそ、大丈夫か?」

 ──うん。分かったから、ぼく。いつかきっと話せる人がまた現れる。それまでは……僕を埋め尽くす愛を、一つ一つ見ていこうかと思う。

「それはいいな。無限に時間が経つぜ」

 

 言葉を交わしながらも原子の配分を少し弄る。

 ほんの少しだけ、調整された世界。

 ほんの少しだけ、争いが少なくなるように調整された世界。

 

 多くは求めない。

 

 ──どうして? 今君は、僕と同化して……文字通りの全能を手に入れたんだよ?

 

 その問いに、俺は薄く笑って。

 

 

 

「だって俺さ──未確認生物から女の子を守りたいだけなんだわ」

 

 

 

 直後、数百億年前の歯車が、少し切り替わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遙か昔。

 本当に遙か昔のことだ。

 

 光あれ。どっかの誰かがそう言ったらしい。

 すると光が出来た。

 らしい。俺はかつて誰かににそう語った。

 

 あの時は嘘ついて悪かったと思う。んなワケねー。光なんて元から在ったんだ。

 光があって、光を信じたからこそ、神様は宇宙をつくった。

 理由は分からないが俺はそう確信している。

 

 

 

 ……ところで、俺は誰にその話をしたんだろうか。

 

 

 

「であるからして、この文章の訳は──」

 

 教室に響く先生の声と生徒らが板書を電子ノートに書き取る音。

 それらを聞き流しながら、俺は仮想実体として投影された歴史の教科書を欠伸混じりにめくっていた。

 

 地球という星は過去()()()()()()を経験している。

 歴史の教科書をめくればすぐに分かること。

 

 二つの戦争は凄惨で、多くの犠牲を生んで、地上を滅茶苦茶にした。

 だからこそ、その()()()()を誰もが覚えている。

 

 一度目は、切欠となった銃弾を受けた平和の象徴──その場に居合わせたある男のおかげで一命を取り留めたその人物が和平に奔走し、その結果として一度目の戦争は終わった。

 二度目は、たった一人の元画家志望──彼女が強く強く平和を訴えて、絵画を通して人間の善性を高らかに謳い上げて、その結果として二度目の戦争は終わった。

 

「頑張りすぎだろ、この人ら……」

「おい、指名されてるぞ」

 

 隣の席の男子にせっつかれ、俺は教科書を消す。

 よく考えれば今は異星語の授業であって歴史の教科書を見ていた俺はどう考えてもおかしい。電子黒板の前に立っている、ドラグ星より移住してきた先生は額に青筋を浮かべていた。

 

「あー……すみません。未確認生物から女の子を守る妄想をしてました」

 

 ドッと教室に笑いが起こる。

 だが先生の顔色は変わらない。

 

「そんなことを考えている暇があるのなら、せめて航行船操縦のイメージトレーニングでも……ッ、ああいや、それだけは成績良いんだったなお前……!」

「俺のドラテク舐めないでください。ていうかそれだけって──こう見えて俺はドラグ語検定一級ですけど!?」

 

 キャラやら発言やらのせいで馬鹿だと思われている節があるが、俺はかなりの優等生なのだ。

 将来の夢は外交官である。超でかい母艦とか乗ってみたいしな。

 

「まったく、不良優等生など洒落にもならんぞ」

「不良でも優等生ですってば」

「お前が本当に外交官になれたら、翌日にはスカイツリーが割れるな」

 

 ドッと教室に笑いが起こる。

 俺よりウケ取るのやめてくれませんかねえシィ先生はさあ!

 

 

 

 

 

 

 俺が通うのは宇宙航空の専門学校だ。

 かつては国家単位のプロジェクトだった惑星間航行も、民間企業が台頭し、エキスパートに許された専門職業として認知されている。

 要するに俺はエリートなのだ。うん。

 街を歩きながら流行のタピオカミルクティーをすする。道ばたで色んな星からやって来た人々が、それぞれの端末でタピタピしてる自分を撮っている。有名人ならインスタに12億ぐらいはいいねがつくだろう。

 

『ロザン平和賞にはドラグ星の前指導者、カスタル・ドラグ氏が選ばれ──』

 

 街頭の大型テレビが最新のニュースを映し出していた。

 思わず足を止める。

 

『また本日には地球を訪れる予定の、現国家代表──』

 

 ドラグ。俺が最も興味関心を抱いている星。

 かつては侵略戦争によって領土を増やし続けた歴史を持ちながらも、時の流れにつれて段々と平和主義になっていき、最初に地球を訪れた異星生命体。

 

「……ドラグのお姫様、か」

 

 テレビが映し出すのは今最もホットな政治家の姿である。

 星の光を吸い込んだような淡い金の髪に突き出た二本のツノ。

 剥き出しの肘から先を覆うように細やかな鱗のようなモノが光沢を放ち、臀部からは太めの尻尾がふりふりと揺れる。

 

 記憶が、巡る。

 俺はあのように美しいヒトを知っている、気がする。

 

「…………」

 

 ずっと世界と自分がずれているような感覚があった。

 初めて触った宇宙船を、自分でも驚くほどのスピードで操縦技術を習得した──元々知っていたものを思い出したかのような感覚さえした。

 ドラグ語も同様だった。未知を既知だと錯覚してしまうほどには、俺の言語習得は早く、一方で他の言語についてはてんでダメだった。

 

 何かドラグと因縁があるのかもしんねー。

 飲み終わったタピオカミルクティーの容器を、街路に置かれたゴミ箱に捨てる。

 

「失礼」

 

 同時、俺以外のヒトも、容器をゴミ箱にぽいと投げ入れた。

 

「失礼」

 

 ……てっきりタイミングがかぶったからだと思ったんだがそうじゃないのか。

 眼前に佇む、地球製と思しきワンピースを着込んだドラグの女性は、俺の顔を見ていた。

 

「あ、はい…………!?」

 

 感覚がスパークした。

 だってさっきまでテレビで見ていた顔だしなんでこんな有名人が一人で普通に歩いてんだよってなるしでもドラグの王家の血筋なら認識阻害ぐらい楽勝だって気づいたし確かに滅茶苦茶なことを可能に出来る力だったわマジでって思うしお姫様って本当はこんな大人びた顔だったんだって思ったしロリ顔ばっか印象に残ってるからマジで分かんねーよ。

 マジで。

 マジで…………そうか。

 

 ああ、そうか。本当にお姫様じゃねーか今。

 

「あぁ」

 

 何かこう、とてつもない感嘆の息が漏れた。人生で一番だった。

 記憶が、巡る。

 俺はこの美しいヒトを知っている。知っている。知っているのだ。

 

「あの」

()()()()()

 

 彼女は俺の眼前で微笑み、そう告げる。

 数秒、呼吸が止まった。ゆっくりと拳を開いた。息を吸った。

 

「……初めまして。地球にようこそ」

「……あら? 認識阻害が効いてないの? 一応今の私は、地球人に見えるはずよ」

「ああ、多分こう……いや、分かんないっす……」

 

 ほんとだ俺見えてるのおかしいな。

 だけどまあ、どうでもよくて。なんというか、舞い上がった分の落差が激しくて。

 愛のパワーだとか軽口を返す余裕もなくて。

 

「それで、何の用でしょうか」

「道を尋ねたいのよ」

 

 彼女は腕を組んで俺をじっと見つめて。

 淡い金色の髪を風になびかせて。

 

 

 

「かき氷屋さん、どこ? アンタが言ったのよ、行くって」

 

 

 

 呼吸が止まった。

 身体が全部硬直した。

 

「帰ってくるのも遅いし。こっちから来ないといけないし。挙げ句の果てには約束まで忘れてるわけ? ホンットありえないんですけど!」

 

 怒濤の勢いで文句を言ってくる彼女に。

 幼くて、俺の半分ぐらいしか背丈のないロリが重なって。

 

 ほんの少しだけ、歯車が切り替わる。

 ほんの少しだけ、歯車が切り替わって、そこから連鎖して変化が波及していく。

 ほんの少しだけ、何かが変われば、全てが変わることだってある。

 

 だけど──変わらないものだってあるのだと。

 眼前の彼女の存在が、雄弁に語っていた。

 

「はは……」

「……何泣いてんのよ」

「お前だって、泣いてるぞ」

 

 俺たちは街頭で互いにはらはらと涙をこぼしていた。

 ああそうだ。ずっと、ずっとずっと、ズレている気がした。

 そのズレは──存在の欠落。居るべきヒトが隣に居ない。それがいま、収まった。

 

 どちらからともなく。

 笑いながらも、微笑みを浮かべて。

 

 

 

「──ただいま、姫様」

「──おかえりなさい、私の騎士」

 

 

 

 俺たちは同時に飛び込んで、互いの存在を胸に感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、約束の直接キスは?」

「あんたなんかがめつくなってない?」

 

 泣き笑いしながら男女が抱き合うとかこれ以上なく衆目を集めてしまったので、一時退散して。

 俺たちは俺の住むアパート近くまでやって来て、屋台のかき氷屋さんに並びながら言葉を交わしていた。

 

「そ、そんなに欲しいなら……だ、だけど外はダメよ! 護衛巻くのにすごい手間かかったんだから!」

「へえ。王族の力も、平和主義になって劣化したりしたのか?」

「そーよ。今はもう前みたいには戦えないわね。せいぜいが裏山の形を変えるぐらいかしら」

「十分だよ……」

 

 いちご味のシロップとレモン味のシロップがかき氷を彩る。

 二人してそれを受け取ると、近くにあったベンチに腰掛けた。

 一口食べればシロップの甘みと氷の冷たさが絡み合いながら舌の上に広がっていく。

 

「くぅ~ッ! このために生きてきたって感じがするわね!」

「俺は?」

「なんかめんどくささが前回より跳ね上がってないかしらあんた……」

 

 その言葉に俺は鼻を鳴らした。

 

「別に変わってねーよ。前はほら、最後の方はお互いいっぱいいっぱいだったろ。だから変わったように感じるんだ」

「ふーん……まあ、世界は結構変わったと思うわよ」

 

 私がここにこうしているのが証拠でしょ、と彼女は胸を張る。

 ワオ、大人モードだとしっかりありますね。

 二つの膨らみをガン見していると、姫様が段々と頬を紅く染めて、そろそろと自分を抱きしめた。

 

「……その。キスの先、なんだけど」

「したいです」

「即答!?」

 

 なんならそのためなら地面に額をこすりつけるまである。

 曇りなき眼で請願する俺に対して、「こんな騎士嫌だ……」と姫様がぼやく。

 

「ていうかさ」

「何よ」

「世界」

 

 俺のぶつ切りが過ぎる言葉に、姫様は眉根を寄せた。

 

「世界が、何?」

「大きく変わったとは思うけど。本当に、根本で変わったのはすげえ小さなことだと思うよ」

 

 根底を問うていけば。

 結局は寂しがり屋で愛を知らなかった幼子が、愛を知ったというだけで。

 愛を諦めてしまった寂しい男が、もう一度愛に賭けられたというだけで。

 愛を諦めたくなかった男が、最後の最後まで愛を信じ抜いたというだけ。

 

「愛と平和の物語なんて、前も、今も、変わりないだろ」

「そうね」

 

 頷いた姫様の横顔に、今この瞬間も見とれている。

 一瞬一秒が愛おしいとさえ思える。

 

 彼女の存在そのものが──俺にとって希望(HOPE)だったんだと。

 

 心の底から、確信できた。

 少し恥ずかしい思考をしすぎて、俺は咳払いしてから口を開く。

 

「何も変わっていない。そりゃ星と星はつながった、だけど今も宇宙はずっと拡大し続けてる。まだ見ない友達を探して、あいつは今も旅を続けている」

 

 かき氷を膝において、俺は空を見上げた。

 (そら)(ソラ)宇宙(ソラ)

 世界の在り方は変わっていない。

 ただ、ある男が愛を信じ抜けるようになったり。

 ただ、その娘が正しい道を選べるようになったり。

 その小さな積み重ねが世界の中身を変えたのだろう。

 

「この世界は平和でさ。滅びは来なくてさ。誰もが笑顔でさ……愛し合う男女はベッドインする」

「最後、一般的な話よね?」

「……愛し合う男女がこれからベッドインする」

「布団でしょーがあんたん家ィ!」

 

 ベッドならいいのか……ベッド買うか。

 顔を真っ赤にしてギャーギャーとかみついてくる姫様に対して、俺は最高の愛しさを全部込めて、肩をそっと抱き寄せる。

 

「え?」

「六発の弾丸だった。だけど本当は七発目があるはずだった。俺はそれを知らなかったからさ、今から見るよ」

「ちょッ──」

 

 視界が愛で埋まった。

 なるほどこういう顔なんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 世界は変わらない。

 ほんの少しだけ優しくなっただけで、宇宙は今日も広がり続けていく。

 

 

 その微かな変化が、何によってもたらされたのかっていうと。

 

 

 ──まあ、未確認生物から女の子を守った結果、なんじゃねえの?

 

 

 




ご高覧ありがとうございます。
本作品はtwitter上にて「お互いの好きで殴り合おうぜ」という発言がもとに生まれたリレー小説です。

参加者は。

・とやる氏
代表作 「クソの役にも立たないチート能力もらって転生した」
一言メッセージ 「皆愛してる(はぁと」

・泥人形氏
代表作 「無限ルーパー」
一言メッセージ 「アニメ化の打診待ってます♡」

・ベリーナイスメル氏
代表作 「二週目提督がハードモード鎮守府に着任しました」
一言メッセージ 「まともな人間が私しかいなくて辛い♡」

・佐藤樹氏
代表作 「強キャラ東雲さん」
一言メッセージ 「コミカライズの打診待ってます♡」

・弥宵氏
代表作 「銀の星、胎動す」
一言メッセージ 「二次創作待ってます♡」

以上五名となります。
誰がどの話を担当したか当てられた人には豪華プレゼントが?

作者一同楽しめました。読者の方もそうであればと願います。
ここまでのご愛読、改めてありがとうございます。


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