俺じゃ世界を救えない (ロジの裏)
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役立たずの生き方
第一話 男の日常


 月明かりと街灯に照らされた道を、体中が泥にまみれた金髪の男が歩いている。いや、男というには中性的な顔をしており、細く小さな体も相まって、その容姿は少年のようであったのだが。

 男の足取りは重く、遅く、あらゆる動作から疲れが滲み出ていた。時折吐き出される小さなため息は、その体から溢れ出た疲れそのものにすら思えた。

 家々には明かりが灯り、まるで街は夜だということを忘れたかのように明るいのに対し、男の様子はそんな明るさとは真逆に位置するものであった。

 そんな暗い雰囲気を纏った男は小さな体を重たそうに引きずりながら、やがて冒険者ギルドの前にたどり着いた。

 

 男はギルドの立て付けの悪い木製の扉をわざわざ両手で開ける。疲れているのもあるのだろうが、その細い腕は見た目通り力がないようで、重たそうな様子で扉を開けていた。

 開け閉めの度にギシギシと軋んで耳障りな音を鳴らす扉の音は、ギルド内の喧騒の前に掻き消された。

 

 ギルドの中は依頼を終えて帰ってきた冒険者たちで賑わっていた。ギルドが運営している酒場では従業員たちが忙しなく酒と食事を運び、酔った冒険者たちは、今日の自身の武勇伝を上機嫌に語っている。

 

 ほとんどの者は喧騒に掻き消された扉の音に気がつかなかったが、その音に気づいた何人かは、入ってきた男の存在を認識した。

 そしてそのうちの一人である、扉の近くの席に一人で座っている、背中まで伸びる青い髪と黄金に輝く瞳が特徴的な少女が、どこか嬉しそうに男に声をかけた。

 

「先輩!」

 

 だが男は気がつかなかったのか、受付の方へと歩いて行く。声が聞こえなかったのかと思い、今度はさっきよりも大きめの声で、少女は再び男へと呼びかけた。

 

「せーんーぱーい!」

 

 しかしそれでも聞こえなかったのか、男は歩みを止めない。すると何を思ったのか少女は俯き、先ほどの声とは正反対の小さな声で呟いた。

 

「チビ」

「おい」

 

 それまでの疲れ果てた様子はなんだったのかというくらい機敏に少女の言葉に反応した男は、少女の方に振り向くと、気だるそうにしながら、受付から少女の方へと歩く向きを変えた。

 予想通りの男の反応に満足した少女は、何食わぬ顔で男に言う。

 

「なんだ、ちゃんと聞こえてるんじゃないですか〜。無視するなんてひどいじゃないですか、先輩」

「お前なぁ、仮にも先輩と思ってる人間に対してチビはないだろうチビは。いや、チビであることは事実なんだけどさぁ……」

 

 そう言いながら男は勝手に自分の言葉で自分の傷をえぐり、そして勝手に落ち込んでいた。

 慣れてはいるが、身長のことになると面倒くささを発揮する男に、呆れたように少女は言う。

 

「最初にチビって言ったのは私ですけど、自分で言って改めて落ち込まないでくださいよ……」

 

 そうして若干テンションを低くした男は、少女のところまで行くと、面倒くさそうに言った。

 

「で、なんか用かよアニス。見てわかると思うが、疲れてるから早いとこ依頼書渡して、帰って体を洗いたいんだが」

「も〜。せっかくこんなに可愛い後輩が声をかけてあげたんだから、ちょっとくらい……」

 

 構ってくれてもいいじゃないですか。そう言葉を続けようとして、少女ーーアニスは気づいた。

 

「って、先輩くっさ!なんですかこの匂い!今日は一体なんの仕事をしてきたんですか!?」

「ドブさらい」

「……早く帰って体を洗ってください」

「おう、じゃあな」

 

 そう言うと、男はアニスに背を向けて再び受付へと歩いていった。

 

 今度こそなんの邪魔もされずに受付に来た男は、腰まで伸ばした茶色の髪と、透き通った青い瞳を持つ美しい受付嬢に、完遂した依頼書を渡した。

 

「ティアさん、これお願いします」

「はい。かしこまりました」

 

 受付嬢ーーティアは、男から受け取った依頼書の内容を確認すると、達成確認中と書かれてある棚にしまい、男に事務的な態度で言った。

 

「依頼の達成が確認できましたら、報酬をお渡しいたします。この依頼内容でしたら、明日にはお渡しできるかと」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 そう言ってから軽く頭下げて帰ろうとした男に対し、ティアはそれまでの事務的な態度を崩し、美しい微笑みを浮かべて言った。

 

「今日もお疲れ様でした、キャロルさん。今日はゆっくりと体を休めてくださいね。明日もまたよろしくお願いします」

 

 男ーーキャロルは、そう言って微笑むティアを見て思った。

 

「世界一可愛い……」

「え?」

「いえ、なんでもありません。それでは失礼します」

 

 思わず心の声を漏らしてしまったことに焦り、早足でギルドから出たキャロルは気がつかなかった。先ほどの様子とはうってかわって暗い顔で自分を見つめるアニスと、そんなアニスを見て、こちらも先ほどの微笑みとはまるで違う、ニタリと不気味な笑みを浮かべるティアに。

 

 

 

 ギルドから出た後、キャロルは思わず漏れた言葉がティアに聞かれたかどうか気が気でなかったが、次第に落ち着くと、疲れた足取りで街の外れにある自身の住処に向かって歩きはじめた。

 

 しばらく歩き、街の中心部から離れていくと、街灯や家々の明かりは次第になくなり、やがて月さえ雲に覆われる。

 街の様子は一転し、暗い夜道を歩くキャロルだが、彼の様子もまた、ギルドを出る前とは一転していた。

 キャロルは先ほどのティアの微笑を思い浮かべていた。

 

 ーーさっきのティアさん、可愛いかったなぁ……。

 

 その美しい姿を思い返し、思わずにやけてしまう。

 その様子は、先ほどまでの疲れなどまるで感じさせないものであった。

 

「何一人で気持ちの悪い笑みを浮かべているんだ?」

「!?」

 

 気を緩めてだらしない笑みを浮かべていると、突如背後から女性の声が聞こえてきた。

 夜の暗い中、突然の出来事に思わず飛び上がりそうになるが、その声が聞き覚えのあるものだと気づくと、安心から思わず小さく吐息を漏らした。

 

「脅かさないでくださいよ、シャルナさん……。危うく心臓が口から飛び出るところでしたよ」

 

 そう軽口を言いながら振り返ると、そこにはいつのまにか、銀の長髪を後ろで纏め、薄暗い夜の中でもその存在感をまるで失わない紫の瞳をもった女性が立っていた。気配は一切感じなかった。

 

「シャルナさん、か。もう師匠とは呼んでくれないんだな……。あぁ、子離れを感じる親の気持ちというのは、きっとこういうものなんだろうな……、なんとも寂しいというか、もの悲しいというか。そういった感情に今にも押しつぶされてしまいそうだよ、私は」

 

 銀髪の女性ーーシャルナは、明らかに冗談を言っているとわかるような、おどけた様子でキャロルにそう返した。その態度になんとなくムカついたキャロルは、脅かされた仕返しも兼ねて言ってやった。

 

「今日は普通の格好なんですね。夜のお仕事は今日はお休みですか?」

「ひどく誤解を招きそうなことを言うんじゃ無い」

 

 シャルナに言葉を浴びせ、満足な反応を得られたキャロルはどこか楽しげであった。そんな弟子の姿を見て、シャルナは若干の呆れを含んだため息を吐き出して言った。

 

「お前も昔は純粋でいい子だったのに、どうしてこんな子に育ってしまったんだ……」

「いや、こんな子になった原因、結構な割合であんたが占めてるよ……」

 

 キャロルもシャルナと同様に呆れを含んだ声でそう返す。

 しかしその後、うってかわって真面目な様子になったキャロルは、その表情を引き締めてから言った。

 

「シャルナさんが、こんな時間に俺に用があるっていうことは……、何かあったんですか?」

 

 何かの部分を強調しながら警戒の色を滲ませるキャロルを見て、シャルナは可愛いものを見るような、慈しみすら感じるような微笑みを浮かべる。

 

「安心しろ、今日はそういうのじゃない。本当にたまたまさ。たまたま、お前のことを見かけたから声をかけた。ただそれだけのことだよ」

 

 そう言ってシャルナはキャロルに近づき、その小さな体を抱きしめた。身長差のせいで、キャロルの頭がシャルナの大きな胸に埋まる。

 あまりに突然の出来事に、キャロルが困惑した表情を浮かべていると、シャルナはその顔から笑みを消し、一転して不安そうな表情で、消え入りそうな声で言った。

 

「なぁ、キャロル。大丈夫か?元気か?体を壊していないか?つらいことはないか?」

 

 シャルナはそう言いながら、抱きしめる力を強くする。腕の中のものが壊れないように優しく、けれど決して離れないよう、強く、強く抱きしめる。

 キャロルは、自分を抱きしめているシャルナの体が、かすかに震えているのを感じとっていた。

 

「なぁキャロル。私は不安なんだよ。お前のことが、とてつもなく不安で、怖いんだ……」

「私は常にお前のそばにいられない。今日会えたのだって、本当にたまたまなんだ。次はいつ会えるかわからない」

「こんな世界だ。誰がいつ死んだっておかしくない。お前ならなおさらだ。もし今日私がお前と別れて、その後、会う機会が永遠に失われてしまったら……。もしかしたら、これが私たちの最期の時間になってしまうんじゃないかって……」

「そう思うと、たまらなく恐ろしいんだよ……」

 

 キャロルは抱きしめられながら、シャルナの言葉を黙って最後まで聞いていた。そうして言葉を聞き終えると、優しく、言い聞かせるように言葉を発した。

 

「師匠」

 

 その一言で、シャルナの体がビクンと震える。キャロルはシャルナを落ち着かせるように優しく背中を撫でながら、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉続けた。

 

「師匠。僕は、大丈夫です。元気です。体のどこも壊れてません。つらいことなど、何もありません」

 

 嘘だった。毎日無理をして働いて体はボロボロだったし、今日だって疲れ果てて倒れそうになりながらここまで歩いてきた。つらいことなど山ほどある。とてもではないが大丈夫と言えるような状態ではない。

 しかしキャロルはそんな自分を、たった今殺した。今この場に立っているのは、健康で、毎日元気に働き、つらいことなどとは無縁の男。それがキャロル=リズウィークなのだと、そう自分に言い聞かせた。

 

「本当に……、大丈夫なんだな?」

 

 しばらくして体の震えが収まり、幾分か落ち着いた様子となったシャルナが、確認するようにキャロルの目を見て言う。

 

「はい、大丈夫です」

 

 キャロルもシャルナの目を見て即答する。

 そうしてしばらく見つめあった後、シャルナはようやく安心したように体の力を抜いた。

 

「そうか……。なら、いい」

 

 なんとか彼女を安心させられたことにホッとして、キャロルも体から力を抜く。

 その後、おもむろにシャルナは口を開いた。少し恥ずかしそうなその姿が、キャロルの目には新鮮に映っていた。

 

「情けない姿を見せてしまったな……」

「いえ、俺の方こそすいません。俺が不甲斐ないばっかりに、不安にさせちゃって……」

「まったくだ。お前は昔からずっとそうだ」

 

 どこか懐かしむような目で、シャルナはキャロルを見つめる。

 

「もう、昔の頃とは違いますよ。俺も成長してますからね」

「違うものか。お前はまだこんなにも小さいじゃないか」

 

 そう言ってシャルナは、キャロルの頭を撫でる。百五十センチに届くかどうかという身長しかないキャロルは、シャルナにとってとても撫でやすかった。

 

「身長のことはいいじゃないですか……」

 

 少し拗ねたように顔を背けるキャロルを、シャルナは微笑んで見つめていた。

 明らかに子供扱いを受けているのが分かり、だんだんと恥ずかしさが増してきたキャロルはシャルナに反撃を開始した。

 

「それをいうなら、シャルナさんだって変わってませんよ。今も昔も心配性だ。いや、むしろひどくなってる。俺ももう二十歳ですし、いい加減心配されるようなことは無くなりましたよ」

「お前ももう二十になったのか……。時間が経つのは早いものだな……」

「なんか年寄り臭いですよ、今の言葉」

「む、心外だな。私はまだ二十五だぞ。ぜんぜん余裕でまだまだお姉さんで通用するはずだ」

 

 先程までの重たい空気が消え失せ、互いに軽口を叩き合う。その雰囲気のギャップで、少しおかしくなって二人とも思わず笑ってしまう。

 

「まぁ、安心したよキャロル。久しぶりにお前の顔を見ることができてよかった」

「俺も、シャルナさんに会えて嬉しかったですよ」

 

 キャロルがそう言うと、シャルナはふわりと笑った。

 そしてゆっくりと、それでいて力強くキャロルの顔を両手で挟んで自分と目を合わせさせてから、キャロルに刻みつけるようにして言う。

 

「また、会おうな」

「はい、また会いましょう」

「約束だ」

「約束です」

 

 そうしてシャルナはキャロルの顔から手を離し、一歩離れてから言った。

 

「今日のお前、なんか臭かった。具体的に言うと、ドブ臭かった。帰ったらしっかり体を洗うんだぞ?」

「せっかくいい感じだったのに」

 

 雰囲気をぶち壊しにされ、ジト目になるキャロルを見てクスクスとシャルナは笑う。

 いつのまにやら雲から顔を覗かせた月明かりに照らされるその姿がやけに様になっていて、綺麗だとキャロルは思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。

 

「今度こそ本当にお別れだ。またな、キャロル」

「えぇ。それじゃあまた」

 

 そう言ってシャルナに背を向け、再び家へと歩き始めたキャロルはふと思った。

 

 ーー久しぶりに会ったって、五日前に会ったばかりじゃないか。

 

 

 

 シャルナは歩きながら、抱きしめたキャロルの感触を思い出していた。

 

 小さく弱々しいその体は既にボロボロだった。虚勢を張って、必死に私を安心させようとするその姿を見て、思わず泣きそうになった。抱きしめたその体からこの手を離すのに、一体どれだけ苦労したことか。

 本当は離れたくなかった。ずっと一緒にいたかった。彼が望むなら、私は自分の全てを差し出すことになんの躊躇もありはしないというのに。

 

 だが彼はそれを望まなかった。彼は強いから。

 

 シャルナの姿が、すっかり明かりが消えた街の暗闇の中に、溶けるようにして消えていった。



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第二話 予想外の訪問者

 あるところに村があった。どこにでもありそうな、どちらかといえば少し小さな村。

 

 村では農夫たちが額に浮かぶ汗を拭いながら、長年の農作業によりゴツゴツになった手で鍬を持ち、畑を耕していた。

 村の子供たちは、この世界には不幸なことなど何もありはしないのだと感じさせるような、無邪気な笑みを浮かべて遊んでいる。

 周りの大人はそんな子供たちを暖かな目で見守っていた。

 

 この世界のどこにでもあるありふれた光景。ありふれた幸せが、そこに広がっていた。

 

 

 

 小さな村の中で、一人の少年が立ち尽くしている。

 

 農夫が毎日汗水流して耕していた畑は見る影もなく荒れ果てており、無邪気に遊んでいた子供たちは腹を切り裂かれ、苦悶の表情を浮かべて生き絶えていた。

 武器をとった大人達の抵抗も、何の意味もなさずに皆等しくそれに斬り殺された。

 

 魔物はたった一体だった。背丈が二メートルほどの黒い人型の魔物は両手にある巨大な爪で、この村に生きるものすべてをを切り裂いていった。

 魔物はその顔の部分に、白い仮面のようなものを付けているのが印象的だった。

 

 生き残ったのは、立ち尽くす少年ただ一人だけ。

 少年は足元に、殺された人間の血で汚れた剣が落ちているのに気がついた。

 魔物は少年に背を向けて村を去っていく。

 少年は落ちている剣に手をーー伸ばせなかった。

 

 

 

 小さな村が、一体の魔物に滅ぼされた。

 

 この世界のどこにでもあるありふれた光景。ありふれた不幸が、そこに広がっていた。

 

 

 

 キャロルは汗ばんだ体に不快感を覚えながら、ゆっくりと目を覚ました。

 

 ーーまた俺は、剣を握れなかったな。

 

 最近見なくなってきたこの夢を久しぶりに見たのは、近頃魔物が活発になり、ここセントリンク周辺の村落の被害が増えているということを聞いたせいだろうか。

 

 まだ外は薄暗く、起きるには些か早いかと思ったが、汗ばんだ体が気持ち悪い。着替えるために起き上がろうとしてーー起き上がれなかった。

 予想外の事態にキャロルが何事かとまだ寝ぼけた頭で考えていると、自分の体が何か柔らかいものに包まれていることに気がついた。

 

 なんだこれは。

 

 昨日は熱く寝苦しかったため毛布は被っていなかった。じゃあ俺を包み込んでいるこの柔らかいものは一体なんなのだと、視線を横に向けると……、気持ちよさそうに寝息を立てる長い金髪の少女が、自分の体を抱き枕にして眠っているのが見えた。

 

 思考が数秒の間完全に停止する。だがその後ハッと我に返ってなんとか思考を取り戻し、一瞬でショートしかけた自身の思考回路をなんとか駆使して現状の把握に努めてーー結局現状を把握できなかったため、現実逃避のため再び眠りにつこうとして、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 

 などといって本当に眠れるはずもなく、とりあえずキャロルは少女の拘束から逃れようと体を動かしてーー逃れられなかった。この女、めちゃくちゃ馬鹿力であった。

 

 この少女を一度起こした方がいいと感じたキャロルは、少女の体を揺さぶって少女を起こそうとする。だがそれでも少女は軽く唸るだけで起きる気配がまるでなかった。

 

「ぐぇっ!?」

 

 それどころか、抵抗を感じて少女はますます強くキャロルを抱きしめた。思わずキャロルは潰れたカエルのような声を上げる。

 

 抱きしめられ、二つの大きな膨らみに顔が埋まる。キャロルは羞恥に顔を赤らめるーーわけではなかった。キャロルの意識は普通に落ちかけていた。息ができなかった。羞恥でなく、血液が溜まって顔が赤くなっていた。普通に命の危機だった。

 

 そんなこんなでキャロルは、図らずとも最初に抱いた目的である眠りに再びついたのであった。

 

 もっとも、苦しみに悶えるその表情はとてもではないが、安らかであるといえるものではなかったが。

 

 

 

 キャロルは眼が覚めると、こちらの顔をその赤い瞳で覗き込んでいる金髪の少女と目があった。

 

「キャロル、おはよう」

 

 少女のその言葉はどこか気だるげというか、意識ここにあらずというか、そういった印象を相手に与えるものであった。

 

 そんな少女を見て軽くため息をついたキャロルは起き上がり、あぐらをかいてから言った。

 

「まぁ、色々と言いたいことはあるが……。おはよう、ロニア」

 

 キャロルがそういうと少女ーーロニアはまるで天使のような微笑みを浮かべた。先程キャロルに悪魔のような所業を成した者と同一人物とはとても思えない。

 

「言いたい、ことって?」

「心当たりがあるだろう」

「ないよ?」

 

 即答だった。思わず座っていながらずっこけるという器用なことをしそうになったキャロルを、ロニアは不思議そうに見つめていた。キャロルは今度は大きなため息をついてからロニアに言った。

 

「ロニアお前、なんでここにいんの?」

「ご飯、食べにきた」

 

 ここでキャロルとロニアの関係を簡単に説明するとしよう。

 

 キャロルは以前、ロニアと一緒にギルドの依頼をこなしたことがあった。その際に、殺した魔物の肉を直火で焼いてそのまま食べるロニアに対して戦慄を覚えたのである。

 

 というのも、そもそも魔物の肉なんてものは普通は臭くて食べられたものではないし、ましてやそれを血抜きもせずに食すということは、魔物の血液から瘴気を体内に摂取することと同義であるからだ。

 

 どんなに飢えた冒険者でも、そんな自殺行為に及ぶような真似はしない。そんなことをすれば、たちまち体が魔物化し、正気を失い魔人へと変わり果ててしまうからだ。

 

 それを知っていたキャロルはすぐにロニアに肉を吐き出させようとした。しかし、ロニアは平気だといって肉を吐き出そうとはしなかった。どうしたらいいかわからずしばらくあたふたしていたキャロルであったが、一向に魔物化の兆候が現れないロニアを見て、本当に平気であるのだということを理解した。

 

 ロニアになぜ魔物化しなかったのか理由を聞くと、膨大な魔力容量のおかげで、瘴気を摂取しても平気とのことらしかった。一体どれほどの魔力容量があればそんな芸当が可能なのか。キャロルにはさっぱり理解できなかった。

 

 しかし、魔物の肉を食べても平気であるということが分かっても、それを見ている方は気が気でない。

 

 依頼を受けた際、キャロルはこの仕事が長丁場になるということをわかっていた。それ故に簡単な調理器具と、ある程度の食料を持参していた。

 

 そして、魔物の肉の代わりにロニアに料理を食べさせたところ、懐かれてしまったのである。

 

 料理を瞬く間に食い尽くし、鍋を空にしたロニアのことをキャロルはよく覚えていた。

 

 これが、猫とかの小動物であればまだ可愛げがあったのだろう。だが実際には、それは猫なんて可愛らしいものでは断じてなく、ギルドの誇る最大戦力の一つにして、最高段位である十段に位置する人物であるとなれば話は変わってくる。

 

 まぁ、この時点でロニアはまだ冒険者として駆け出しであったため、キャロルは目の前にいる、まだ食い足りなさそうにしている少女が将来的にそんなことになるだなどとは夢にも思っていなかったのだが。

 

 今はのほほんとしているロニアであるが、一度彼女が魔物を狩る姿を見たら、口が裂けても可愛らしいなどという感想を抱く者はいなくなるだろう。無表情で魔物を屠り、血の海を作り出していくその姿はキャロルにとって今でも軽くトラウマになっている光景だった。

 

 彼女の前ではすべての魔物が等しく狩られる側になる。それが、魔物を殺すことに全てを捧げるセンスレイヴ家の最高傑作、ロニア=センスレイヴという少女であった。

 

 簡単にまとめると、キャロルは人類が誇る最強生物の餌付けに成功したのである。

 

「そうか、ご飯を食べに来たのか。そうかそうか」

「そうそう」

 

 納得したようにうんうんと頷くキャロル。なるほど、来た理由はわかった。だが不可解なことはまだある。キャロルはロニアに聞いた。

 

「……ところで、何時頃来たの?」

「夜の一時くらい」

「寝てるわ!」

 

 あまりに常識外れな行動に思わず大きな声を出すキャロル。しかし叫んでからふと重要なことに気がついたキャロルは、恐る恐るロニアに尋ねた。

 

「なぁ、ロニア。この家、ちゃんと鍵をかけてあったはずなんだけど、どうやって入った……?」

 

 この家は格安で購入した、家というのもおこがましいようなボロ家だが、それでも鍵くらいはまだ正常に働いていたはずであった。嫌な予感しかしなかったが、キャロルは聞かずにはいられなかった。

 

 そんなキャロルの不安をよそに、ロニアはどこか得意げに答える。

 

「素手で壊せたから、大丈夫」

「何一つとして大丈夫じゃねぇよ」

 

 まったく嬉しくもなんともない予感を見事に的中させたキャロルは、思わず頭に手を当て天を仰いだ。

 

「キャロル、頭痛いの?大丈夫?」

 

 誰のせいでこうなったと思っているのだ。そう大声で言ってやりたい気分だったが、そんなことをしても何の解決にもならないのでキャロルはその言葉をなんとか飲み込んだ。

 

「あぁ、大丈夫だ……。でも、一ついいか?ロニア。普通、訪問した家の鍵が閉まっていたら、帰るもんだと俺は思うんだよ。お前どう思う?」

 

 至極真っ当なことを言うキャロルに対して、神妙な面持ちでロニアは答えた。

 

「……難しい問題」

「何も難しくねぇよ」

 

 ロニアのその回答に対して驚異的ともいえる速度でツッコミを入れたキャロルは、本日何度目かわからない大きなため息をついた。

 

 ゴーガンのじいさん、ドアの修理とかしてくれるかなぁ……。と破壊された家の扉のことを気にするキャロルであったが、聞きたいことがまだあったために一度そのことは思考の隅へと追いやった。

 

「で、次だが」

「まだあるの?」

「ふてぶてしいなお前」

 

 ロニアと話すとどうにもペースを乱される。そう感じざるをえないキャロルであった。

 

「とりあえず、夜中に家の鍵を破壊して侵入したのはいい」

 

 まったくもって、とりあえずで置いておいていい問題ではなかったのだが、ロニアのペースに巻き込まれ、キャロルの思考回路はすでにショートしていた。

 

「なんでお前、俺の布団で寝てたの?」

「ん、眠たかったから」

「そっか……」

 

 ならば仕方がないな。とキャロルは考えることをやめ、ロニアに対する問答を諦めた。疲れたのである。

 

「ねぇキャロル、ご飯作って?」

 

 ロニアに完全敗北を喫したキャロルには、もはや抵抗する力などかけらも残されてはいなかった。しかし、時間的にちょうどいつも朝食を作りはじめる時間帯であったためよしとした。

 

「はいはい。今作るから、少し待ってなさい」

「はい、は一回だよ?」

「追い出されてぇかてめぇ」

 

 そんなやりとりをしつつ、キャロルは朝食作りに取り掛かるのであった。

 

 

 

 あり合わせの食材で適当に作った簡単な朝食となったが、それでも味には自信があった。キャロルが誇れる数少ないものの一つが料理であった。

 

「ロニア、できたぞ」

「ん、わかった」

 

 そうしてキャロルが寝ていた部分に寝そべって顔を埋めていたロニアは起き上がり、トコトコと朝食が並ぶ机まで来て座った。ロニアが自身の寝ていたところに顔を埋めていたことに対して、もはやキャロルは何も言わなかった。

 

「「いただきます」」

 

 命をいただく以上は食物に対する感謝を忘れてはならない、という、自分たちが暮らすラージア大陸より遠く東にある島国ヤマトのこの風習を、キャロルは気に入っていた。ロニアはその言葉の意味をわかってはいなかったが、キャロルに倣い言っていた。

 

 そうして瞬く間に朝食を食べ終わり、ロニアは言った。

 

「おいしかった」

「そりゃよかった」

「次はもっと、量を多くしてほしい」

「ほざけ」

 

 

 

 食事を終えたロニアは、こなさなければならない依頼があるらしく早々にキャロルの家を出た。

 

「キャロル、またね」

「あぁ、またいつでも来い」

「うん。また同じ時間にくる」

「やっぱりいつでもは来るな」

 

 苦笑いするキャロルを見て、いたずらが成功した子供のようにクスクスと笑うロニアは、朝日に照らされてとても美しかった。

 

 家の前でロニアを見送った後、キャロルはふぅ、と一息ついてから、自身も仕事の準備に取り掛かりはじめた。

 

 

 

 ギルドについたキャロルは、街の外れにある自身の住居から、街の中央にあるギルドまで歩き、すでに若干疲れていた。というか、昨日のドブさらいによる肉体労働の疲れが全然抜けていなかった。

 

 その原因は、朝早くからロニアの相手をしたことであることは明らかだったが、キャロルは朝のロニアとのやりとりを思い出しても、どこか困ったような、優しげな表情浮かべるだけだった。

 

 ギルドの木製の扉が心なしか、いつもより少し重たいと感じながら、キャロルは両手で扉を開いた。

 

 ギィィ、と耳障りな音がギルド内に響く。

 

 ギルド内にいた冒険者達は、聞き慣れたその音を耳にし、皆無意識に扉の方を見やる。そうしてからキャロルの存在に気がつくと、ほとんどの冒険者はその目付きをどこか蔑むような、汚いものを見るようなものへと変化させ、キャロルを見つめる。そして誰もが口々にこう言いはじめる。

 

 見ろ、今日も役立たずが来たぞ、と。

 

 キャロルはもはや癖になりつつあるため息を小さく吐き出すと、近くにある椅子に腰かけた。

 

 役立たず。無能。そんな言葉が、キャロルのことを言い表す代名詞だった。

 

 

 

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、ロニアはスキップでもし始めそうな勢いで、上機嫌で自宅へと向かっていた。いや、正確には自宅の武器庫へと、その足を進めていた。

 

 今日のロニアの仕事は、ここセントリンク周囲に出没している三体の大型の魔物を討伐することだった。

 

 魔物というのは、本来であれば三人から五人程度からなるパーティーを組んで討伐に臨むものだ。それも大型ともなれば、腕利きの冒険者が十人いてもまだ足りない。それを一人で三体も討伐するなど正気の沙汰ではない。しかしそんな正気の沙汰ではない依頼が、ギルドが正式にロニアによこしたものであった。

 

 だがロニアはそんな依頼の内容に対しても、退屈しのぎにはなるか、という程度の認識しかしていなかった。

 

 ロニアは自宅の豪邸に着くと、使用人に武器庫を開けるように指示した。

 

 武器庫の中には、ありとあらゆる武器が存在していた。剣、槍、斧、弓ーー。数多く並ぶ武器のそのどれもが一級品のものであるということは、誰の目から見ても疑いようがなかった。

 

 そんな中、ロニアが選んだ武器は一振りの剣だった。武器庫の奥の方に雑に置かれていた、黒を基調に所々赤紫色の線が入った、禍々しいという印象を受けるそれ。

 

「んー……。今日は、久しぶりにコルちゃんと遊ぼう」

 

 ロニアがコルちゃんとそう呼んだ剣ーー魔剣コルドスは、センスレイヴ家が代々、当代の最強だと認められた者へと継承させてきた、魔を食らう剣。魔物を殺すためだけに生み出された剣だった。

 

 しかしそんな魔剣も、ロニアにとっては遊び道具程度の認識しかされておらず、センスレイヴ家が代々受け継いできた家宝も、今では武器庫の奥に雑に放置されているという有様であった。

 

 もしも剣に感情があったならば、怒りのあまりその刀身をカタカタと震わせていたことであろう。

 

 そんな魔剣を携えて上機嫌に武器庫を出て行くロニアの頭の中は、キャロルのことでいっぱいだった。

 

 ーーさっさと終わらせて、キャロルに会いに行こう。私たちは二人で一人。キャロルは私がいないとダメだもんね?

 

 そんなことを考えるロニアにとって、討伐対象の三体の魔物が自分に殺されることは、既に確定事項であった。

 

 それから半日と経たずして、哀れな三体の魔物はロニアによって屠られた。



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第三話 男の過ち

 役立たず、無能。冒険者達のそんな言葉を聞きながらも、キャロルは特に反応することもなく、ただ椅子に座っていた。

 

 時計を確認すると、まだ依頼が掲示板に貼り出されるまで少し時間があった。

 

 普段は上級冒険者であるアニスやシャルナが側にいるせいで、キャロルに手を出せない冒険者達だが、今日はなぜか彼女達が周りにいないのを確認すると、あからさまにキャロルに聞こえるように声を出して嗤っていた。

 

 キャロルは嘲笑を隠しもせずこちらに向ける冒険者達を見て、早く時間になってくれと思わずにはいられなかった。が、そう思った矢先、依頼書の束を抱えたティアが、事務所から出てきた。それからティアは掲示板の前まで行き、冒険者達に言った。

 

「冒険者の皆さん、おはようございます。これから本日の依頼書を貼り出します」

 

 それまでキャロルに蔑んだ目を向けていた冒険者達、特に男性の冒険者達は、ティアの存在に気がつくと、その目の色をキャロルに向けていたものとは真逆のそれに変えて、ティアを見た。

 

「ティアさん!待ってました〜!」

「あいも変わらず、今日も美しい……」

「結婚してくれねぇかなぁ……」

 

 女性冒険者達は、そんな鼻の下を伸ばす男性冒険者達を呆れたような、冷めた目で見つめていた。

 

 しかし依頼書が貼り出されはじめると、軽口を叩いていた冒険者達も再び目の色を変え、我先にと掲示板に殺到する。その目は紛れもなく、己の獲物を絶対に逃がすまいとする狩人のそれであった。そうして貼り出されていく依頼書の内容を確認し、仲間達と相談している。

 

 依頼書は早い者勝ちであるため、冒険者達は既にキャロルにかまけている余裕などなかった。まだギルドの中だというのに、そこにはまぎれもなく一つの戦場が広がっていた。

 

 キャロルはそんな白熱する冒険者達を見て、思わず再び時計を見た。やはりまだ依頼を貼り出す時間には少しばかり早い。ティアさんはそこら辺のところはしっかりしてるのに、珍しいなとキャロルは思った。

 

 ティアは依頼書を我先にと奪い合う冒険者達を見ながら、いつもと変わらない、どこか貼り付けたような美しい微笑みを浮かべていた。

 

 欲しかった依頼書を手にできた者は、ホクホクとした表情で受付で依頼の受注手続きを行なっている。反面、望んだ依頼書を手にできなかった者は、渋々といった感じで余り物の依頼書を手に受付に並ぶ。

 

 いくらか時間が経ち、掲示板から冒険者達が去った後に残されている依頼書はわずかだった。しかもその依頼書のどれもが、下級冒険者でもやりたがらないような安い報酬の、雑用まがいの依頼ばかりであった。

 

 しかしキャロルは掲示板がそんな状態になってからようやく椅子から立ち上がり、依頼書の内容を確認しはじめた。そうしてしばらく依頼書を眺め、ようやく一枚の依頼書を手にとって受付に並ぼうとしたときだった。

 

「おいおい役立たず君、今日は一体何の依頼を受けるんだ?気になるからちょっと見せてくれよ」

 

 中級冒険者と思われる男が突然キャロルの手から依頼書を奪い取り、内容に目を通す。そうして依頼の内容を確認すると、思わず吹き出して周囲の冒険者達に依頼書を見せつけた。

 

「おい見ろよ!この依頼、報酬がたった銅貨3枚だってよぉ〜。依頼内容は……?ック、フフ……、ドブさらいって!お前、こんな依頼、一段の冒険者だって受けねぇよ!依頼者は……、ックフ、スラム街の貧乏人じゃねぇかよ!ハハハ!万年下級冒険者の役立たずにはお似合いの仕事だなぁ!」

 

 それを聞いた冒険者達はゲラゲラと汚い声でキャロルを嗤った。しかしスラム街という言葉に反応した何人かは、逆にその冒険者をどこか嫌悪感の滲んだ目で睨みつけていた。

 

「まぁ、俺達が魔物と戦っている間、ドブさらい、頑張ってくれよなぁ〜」

 

 そう言って冒険者はキャロルの足元に依頼書を放ると、笑いながら仲間達と共にギルドを出ていった。

 

 キャロルは足元の依頼書を拾い、埃を払うと何事もなかったかのように受付へと歩いていく。ティアは、そんなキャロルを無表情で見つめていた。

 

「ティアさん、この依頼を受注したいんですけど」

「はい、かしこまりました。依頼内容を確認いたします。……はい、ではここに、署名をお願いします」

 

 そうしてキャロルはいつもの手続きを終え、ティアに軽く頭を下げてからギルドを出ようとした。そんなキャロルにティアは、一瞬どこか考えるようにしてから声をかけた。

 

「……キャロルさん、昨日受けられた依頼の達成が確認できておりますので、よろしければ報酬をお渡しいたしますが、いかがなさいますか?」

 

 そういえばそうだった。疲れですっかりそのことを忘れていたキャロルは、踵を返して再びティアの元へと向かう。しかし朝から報酬の受け渡しを、それもティアさんから言いだしてくるのは珍しいなとキャロルは思った。

 

 ティアがというより、そもそも朝から報酬の受け渡しを行うこと自体が珍しいことだった。

 

 朝は基本的に依頼の受注手続きで受付が混み合うし、そんなときに一人一人に報酬の受け渡しをしていたらひどく時間がかかってしまう。

 

 そのため冒険者の方から言い出さない限り、基本的には冒険者がまばらに帰ってくる夕方あたりに声をかけるのが普通だった。

 

 冒険者側も、ただでさえ混み合う朝にさらに時間を取られるのは嫌であったし、朝から余計な荷物を増やしたくないという思いもあった。故に、普段は朝に報酬の受け渡しはしないのだ。

 

 だが今は、ギルド内にキャロル以外の冒険者は誰もいなかった。

 

 依頼書が誰もやらないような余り物だけになるまで待っていたせいか結構な時間が経ち、他の冒険者達は皆既にギルドを出ていたのだ。また、他のギルド職員達は、朝のピークを終えて事務所の中へと戻っていた。つまり今、キャロルはティアと二人きりだった。

 

 だから自分に声をかけたのかとキャロルは納得したが、先ほどのティアの声が、どこか抑えきれないものを無理矢理抑えたような、そんな声だったのが気になった。

 

 まあそれは他の者が聞いたなら、いつもと変わらぬだろうと言う程度の、違和感に過ぎぬものではあったのだが。

 

「すいませんティアさん。ありがとうございます」

「いえ、お気になさらず。……はい、こちらが報酬の銅貨5枚です。確認をお願いします」

 

 そうしてティアから銅貨5枚を受け取ったキャロルは、それを財布に入れてポーチにしまった。

 

 ティアに再び軽く頭を下げ、今度こそギルドを出ようとするキャロルを、ティアはまたしても引き止めた。今度のティアの声音は、先ほどのように気のせいではなく、誰が聞いても心からの喜色が滲んだものであるとわかるものだった。

 

「待って、キャロル君」

 

 キャロル君。ティアは普段受付嬢として働いているときには呼ばないその呼び方で、キャロルに言った。

 

 そういえば、最近ティアさんとの時間を作れていなかったな。キャロルはそう思いながら振り返ると、小走りでわざわざ近づいてきたティアに、正面から抱きしめられた。

 

「ん〜……。久しぶりにキャロル君と二人っきりになれたね……」

 

 ティアはキャロルのふわふわの、ところどころ跳ねた毛に顔を埋め、深呼吸を繰り返している。

 

 普段は休日が重なった時に会ってはいるのだが、最近は忙しくてなかなかその時間がとれていなかった。そんなときは、こうしてたまたま二人きりになったときに、ティアは我慢できずに思いを発散するのであった。

 

 そうしてしばらく顔を埋めていたティアだったが、ゆっくりと顔を上げたティアの表情を見上げたキャロルは、思わずヒィッと声をあげそうになった。ティアが、喜色満面からうってかわって無表情になっていたからである。

 

「……いつもの匂いじゃない。とても……、えぇ、とても嫌な匂いがするわ、キャロル」

 

 ティアがキャロルを呼び捨てにするときは、決まって不機嫌な時と、説教をする時であった。キャロルはなぜティアが不機嫌なのかがわからず、その原因を探ろうとティアの言葉を必死に言葉を反芻する。

 

 嫌な匂い?たしかに昨日はドブさらいをして汚れたが、念入りに体を洗ったから匂いはもうしないはずだ。……多分。いやしかしこういうのは本人は平気と思っていても、周りの人間からしたら臭ったりするものなのだろうか。そうキャロルが自身の体臭に不安を抱きはじめたあたりで、ティアはその無表情をキャロルに向けて言った。

 

「キャロル君、今朝、誰かと会った?」

 

 少し落ち着いたのか、呼び方がキャロル君に戻っているのを確認してホッとするキャロル。

 

「あ、はい。今朝はロニアと一緒にいましたよ」

「そう、あの子と一緒に……。なぜ、朝からあの子と一緒に居たのかしら」

「あ、それがですね、聞いてくださいよティアさん!」

 

 キャロルは結局なぜティアの機嫌が悪いのかわからなかったが、少しでも機嫌が良くなるようにとティアに今朝のロニアとの出来事を伝えた。

 

 話しているうちにだんだんとキャロルを抱きしめる力が強くなる。ギシギシと体が軋む音が聞こえた。おかしいな、俺の体はギルドの扉のようにまだここまで軋むほどガタはきていないはずなのだが。しかしそのうちそんなことも考えられないくらい力が強くなって、キャロルは痛みで自分が何を話しているのかもよくわからなくなっていた。

 

「……あのガキ」

 

 そんなキャロルは、ティアが深淵から湧き出したような悍ましい怒りのこもった声音でそう言ったことにはもちろん気がつかなかった。

 

「ティアざ……、ぐる、じ……」

 

 キャロルが本格的にやばいと感じ始めた頃、不意にティアはキャロルを抱きしめる腕から力を抜いた。ティアに天啓が舞い降りたのだ。メスガキにマーキングをされたのならば、自分で上書きしてやればいい。そう閃いたティアの体は思わず弛緩したのであった。

 

「ぐぅっ!?」

 

 キャロルは助かったと思い、安堵から体から力を抜いた次の瞬間、ギュ〜っと万力のような力でティアに抱きしめられる。不意打ちのそれに、キャロルは本日二度目の潰れたカエルのような声をあげた。

 

 キャロルの顔がティアの大きな胸に埋まり、むせ返るような濃厚なティアの甘い香りに包まれて、キャロルの頭はフラフラとしていた。もっとも、フラフラとしている原因の第一位は、ティアが今にもキャロルの体をへし折る勢いで抱きしめていることであったのだが。

 

 最近何かと抱きしめられているが、大概碌な目に合わないとキャロルは思わざるを得なかった。

 

 ティアはしばらくそうしてキャロルに自身の匂いを刻みつけたあと、グッタリとしたキャロルの体から力を抜いて、再びキャロルの髪に顔を埋めて深呼吸した。

 

 キャロルは若干朦朧としながらも、自身の匂いを嗅ぎ終わったティアの顔を見上げる。ティアはもう無表情ではなく、むしろどこか満足げな、何かを成し遂げた者のような清々しい顔をしていた。キャロルはそれを見て、なぜかはわからないがティアの機嫌が良くなったことを理解し、ホッとしてティアに体を預けた。

 

「……もう、ティアさん、一体どうしたんですか?」

「……いえ、何でもない。何でもないのよ、えぇ、本当に」

 

 そう言うティアを、キャロルは上目遣いで不思議そうに見つめていた。ゼェゼェと息を荒くし、頬を上気させたキャロルを見て、どこか蠱惑的なその様子にティアは愛が爆発して再び思い切り抱きしめたくなる衝動に駆られたが、流石にキャロルの身がもたないと思い、断腸の思いでその衝動を抑えつけた。もっともキャロルのそれは、ティアを誘惑しようとしたのではなく、単に肉体の疲労からくるものであったのだが。

 

 それに、そろそろ自分も仕事に戻らなければならない。ティアはそう思い、 名残惜しいが、いつもキャロルと別れるときにする儀式を行うことにした。ティアは優しげな、それでいてどこか喜色の混ざった声音で言う。

 

「キャロル君、私を抱きしめて?」

 

 その言葉を聞いて、キャロルはこの時間が終わることを理解した。キャロルはそっとティアの背中に手を回しーー傷のある部分に手を当てると、ギュッと力を入れて抱きしめた。意趣返しで全力で力を込めたが、プルプルと震えるキャロルを見て、ティアは少しくすぐったそうに笑うだけだった。

 

 それからティアは、ひとつひとつ刻みつけるようにキャロルに言った。

 

「私をこんな風にしたんだから、私の元から離れるなんて、絶対に、許さないからね?」

 

 その言葉が、キャロルに呪いのように纏わりつく。いや、実際にそれは呪いだった。しかしキャロルは決して逃れられないそれを、自身の両手を広げ、すべてを受け入れていた。キャロルはティアの目を見つめて微笑む。

 

「……はい、ティアさん。僕は、永遠に、あなたと共にあります」

 

 キャロルはティアをーー自身のせいで栄光の未来を奪われた女性を見つめながら、同じく刻みつけるようにそう言った。

 

 それを聞いたティアは歓喜に満ち溢れ、愛おしそうにキャロルを抱きしめる腕にギュッと力を込める。今度のそれは優しく、それでいて燃え上がらんばかりの熱をキャロルに感じさせていたが、ティアのその体温を感じてもなお、どこか冷めたように冷静な自分がいることをキャロルは理解していた。

 

 しばらく抱き合い、やがて満足したティアは、それでも名残惜しそうにゆっくりとキャロルから離れる。しかし離れると、途端にいつもの事務的な、誰にでも向ける美しい微笑を浮かべてキャロルに言った。

 

「それでは、私は仕事に戻ります。キャロルさん、本日もご依頼の方、よろしくお願いします」

「はい、一生懸命務めさせていただきます」

 

 そう言うと、二人は背を向けて歩きだした。

 

 二つの歪な歯車が、綺麗に噛み合い今日も回っている。

 

 

 

 キャロルは仕事に行く前に、木造の、随分と古びた印象を受ける店へと立ち寄った。

 

「いらっしゃ……、なんだてめぇか……」

「普通に傷つくからやめてくんない?その反応」

 

 客がキャロルだと気づき、さもがっかりそうに肩を落としたのは、白髪混じりの橙色の髪を後ろで短くまとめ、髪の色と同じ橙色の長い髭を携えた小柄な男性だった。もう200歳をとうに超えた高齢であるにもかかわらず、その肉体は衰えるどころか活き活きとしている。

 

 ゴーガン=マイトスミス。キャロルはこのドワーフの鍛冶職人に用があって来たのだ。

 

「なんだ、お前もう投げナイフ全部使っちまったのか」

「違う違う。今日の要件は武器とか防具とか、そういうのとは関係がないことなんだ」

 

 ゴーガンは首をかしげる。武器と防具、そして魔道具以外でこの店で扱っているものはない。ゴーガンにはキャロルの要件がわからなかった。

 

 そんなゴーガンを見て、キャロルは目を逸らし、声を段々すぼめながら言った。

 

「あー、その……。ドアの修理とかって、やってくれたりとかしない……?」

「ドアの修理だぁ……?」

 

 キャロルの要件を聞いて、ゴーガンが思わず聞き返したのも無理はなかった。ゴーガンはひとつ短いため息をつき、そして呆れた声で言った。

 

「お前、ここが何の店だか知ってるか?」

「武器防具屋兼鍛冶屋だろう?」

「おうそうだ。よくわかってるじゃねぇか。……なんでそこにドアの修理を頼みにくんだよ……」

「そういうの出来そうな知り合い、ゴーガンのじいさんくらいしか俺いないし……」

 

 どこか落ち込むように言うキャロルを見て、ゴーガンは大きなため息をついて、しかしどこか仕方がないといった様子で言った。

 

「……今日、お前の家の近くに寄る用事があるから、ついでに見といてやるよ……」

「マジでか!?助かるよ!ありがとうじいさん!」

「まぁ、お前はお得意さんだし、色々世話になってるしな……。それにしても、お前の家は確かにボロかったが、とうとう扉まで壊れちまったか……」

「いや、壊されたんだよ」

「は?」

 

 扉が壊されたと聞いて、ゴーガンは思わず目を丸くした。

 

「あそこら辺に住んでるの、お前みたいな貧乏人ばっかだろう?物取りが入るとは思えんが……」

「いや、それがさぁ聞いてくれよ……」

 

 キャロルはゴーガンに、我が家の扉が壊れた経緯を説明した。

 

「あぁー……、あの嬢ちゃんならまぁ、やりそうだわなぁ……」

 

 ゴーガンは頭の中に、なにを考えているのかわからない金髪の少女を思い浮かべた。

 

「ってかお前、家に何人も女を連れ込みすぎだろう」

「しょうがねぇだろ、呼んでもいないのに勝手に来るんだから」

 

 そう、休日になると知り合いの女性の誰かが。場合によっては複数人が、必ずと言っていいほどやって来るのだ。しかもなぜか仲が異常に悪いから、間に入って仲裁する俺は大いに心臓に負担をかけることになる。なんで普段は仲のいいティアさんとシャルナさんがあんなに険悪になるのか、さっぱりわからない。

 

「そんなんじゃ、騎士の嬢ちゃんにどやされるんじゃねぇのか?」

「あー……。そういえば、明日はジルが来る日だっけか……」

 

 ゴーガンのその言葉を聞いて、キャロルはおせっかい焼きの、騎士となってから武勇伝の留まることを知らぬ、幼馴染の女性を思い浮かべる。

 

 今はマシになった方だが、昔キャロルがシャルナの家に住んでいた頃は本当にひどかった。押しかけて来るたびにシャルナと険悪な雰囲気になって、気苦労が絶えなかったことをこの胃がよく覚えている。

 

 まぁマシになったといっても、それは単にキャロルが一人暮らしを始め、ジルとシャルナが常に鉢合わせることがなくなったというだけであったが。今でも家で別の女性とかち合う度に、両者とも敵対モードになるので根本的には何も解決していなかった。

 

 しかもキャロルの知り合いの女性達は、たとえ相手が騎士団の大隊長を務める人物だろうが決して引かない猛者しかいないのである。その胆力を少しでいいから分けてもらいたかった。いや、というよりもいい加減仲良くしてもらいたかった。

 

 そんなこんなでその後、ゴーガンと軽い世間話を終えたキャロルは、そろそろ仕事に行くかと店を出ようとしたところで、そういえばとふと気になったことをゴーガンに尋ねた。

 

「ところで俺の家の近くに寄るって、あんなところになんの用事があるんだ?」

「あぁ、なんでも、家の屋根が壊れて雨漏りしてるらしくてな……。ちょっと見てくれないかって頼まれたんだ」

「俺とほぼ要件一緒じゃねぇか」

 

 そんなやりとりを終え、キャロルは気のいいドワーフの店を後にし、今日の依頼の現場へと向かった。

 

 

 

 ティアは事務所で経理の仕事をしていた。そんなティアに、隣に座り書類の整理をしていた、地味な印象を受ける同僚の女性が話しかける。

 

「ティア〜。疲れた〜……」

「まだはじまったばかりでしょう?仕事は沢山あるんだから、頑張りなさいな」

「うへぇ〜……」

 

 そんな同僚のどうでもいい世間話に付き合いつつ、適当に相槌を打っていたティアであったが、次の言葉を聞くと、一瞬であるがピタリと作業の手を止めた。

 

「最近魔物の動きが妙に活発になってるし、怖いよね〜……。あ、そうそう、ティア聞いた?例の魔物、最近また目撃されたらしいよ?しかもこの近くで」

 

 例の魔物。その言葉が、嫌にティアの耳に残った。

 

「ーー英雄伝説に出てくる、仮面の魔神にそっくりな魔物が」



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第四話 幼馴染

 小鳥のさえずりと窓から入る陽光で、キャロルはゆっくりと目を覚ました。昨日のロニアとの出来事が頭をよぎり、寝ぼけた目で隣を見やる。しかし当然ながら、今日は誰も眠ってなどいなかった。

 

 今日は久しぶりの休日でまだ寝ていたかったが、寝起きで喉が渇いていた。仕方なく、水を飲むために布団から起き上がるが、昨日の肉体労働による疲れがまだ残っており、ひどく倦怠感を覚えた。

 

 寝起きで力の入らない体を引きずってキッチンへ行き、蛇口をひねる。が、しかし。蛇口からはポタポタと雫が零れ落ちるだけであった。どうやら、外の貯水槽が空になったらしい。最近ドブさらいの依頼を多くこなし、体を洗うために水を使いすぎのが原因だろう。

 

 キャロルは大きくため息をついた。せっかくの休日なのに、朝からまた肉体労働が待っていると理解したからだ。

 

 外に行くため玄関で靴を履き、扉を開ける。ロニアによって壊された扉はすっかり元の機能を取り戻し、ゴーガンがしっかりと仕事をしてくれたのだと分かった。

 

 あの気前のいいドワーフはタダで直してくれたが、やはり何かしらの礼をしなければならないだろう。そう思いながら木製のバケツを持ち、街を二つの意味で大きく隔てている大河へと向かう。家に井戸でもあればよかったのだが、そこまでの贅沢は望めまい。

 

 人間が統治するバリス王国の王都セントリンクは、街を流れる大河から街中に水路が引かれており、基本的にわざわざ大河まで水を汲みに行く必要はない。

 

 しかしキャロルの住む場所は街の外れも外れ。街を魔物から守るために作られた城壁のすぐそばにあるため、あいにく水が引かれておらず、大河まで汲みに行かねばならなかった。まぁ幸い、キャロルの住居は大河のすぐそばにあるため、水汲みの負担は少なく済んだのだが。

 

 もっとも、この街で貯水槽なんてものを利用しなければならないのは、術式が刻まれた家を持たぬ貧乏人だけであるのだが。いや、貧乏人だけというのは間違いか。一人だけ、例外が存在する。魔力を持たず、術式を起動させられない者が、この街にいた。

 

 キャロルには、魔力が無かった。いや、正確にいえば、魔力を保持できないというのが正しいか。

 

 ここで魔力について説明する。まぁ説明するといっても、まだ人類もこの力の正体を完全に解明できていない上、詳しく説明するとなると膨大な情報量になってしまうため、あくまで簡単にではあるのだが。

 

 魔力とは簡単にいえば、あらゆる生物、物質、さらには大気にまで含まれる生命の力の源である。

 

 この力を利用して人間が魔術を使えるようになったのは、このラージア大陸の長い歴史の中でも約数万年前というごく最近のことだ。人間が魔術を使えるようになってからは、それまでの常識の多くが覆った。

 

 苦労して火を起こさずとも、魔術で火を顕現させればよい。わざわざ水を汲みに行かずとも、魔術で水を湧かせばよい。火球や風の刃を顕現させれば、魔物でさえ殺すことができる。巨人族などの強大な他種族による支配から脱することができたのも、魔術の存在があったことが大きな要因だろう。

 

 人の限界を超越した力。それが魔術なのである。

 

 そんな便利な魔術だが、当然誰でも使えるというわけではなかった。

 

 魔術とは、発動するために術式を魔力で構築する必要があり、どのような術式を組めばどういう魔術が発動するのか、という知識が必要なのである。火を起こすには火の術式を。水を湧かすには水の術式を構築せねばならないのだ。

 

 故に昔は魔術を使えたのは、貴族や王族などの高度な教育を受けられる者か、魔術師しかいなかったのである。

 

 そんな事情があり、昔魔力は魔術を使えない人々にとって、何の役にも立たないものという認識であった。

 

 しかしその認識を覆したのが、ラージア大陸に古くから伝わる英雄伝説に登場し、かつて魔神から世界を救ったといわれる七人の英雄が一人、メルドーガである。

 

 このドワーフの英雄が物体に術式を定着させるという革命的な技術を生み出し、それにより魔術を使えない人間でも、物体に刻まれた術式に魔力を注ぎ込むだけで魔術を発動させられるようになったのである。

 

 術式が刻まれた物体は魔道具と名付けられ、その中でも剣や槍などに術式が刻まれたものは、魔剣や魔槍と呼ばれるようになった。

 

 この技術はドワーフ達を中心にして大陸中に広まっていき、今では魔道具は人々の生活になくてはならない必需品にまでなった。

 

 魔道具が生まれてから、人々の生活は大きく変わった。わざわざ川に水を汲みに行かずとも、水の術式が刻まれた魔道具に魔力を込めれば水が湧く。苦労して火を起こさずとも、火の術式が刻まれた魔道具に魔力を込めれば火を起こせる。暗い夜も、光の術式が刻まれたランプや街頭のおかげで明るく照らせるようになった。

 

 現在では魔術の知識が普及し、小さな火を起こす程度の下級魔術くらいは誰でも使えるようになった。しかし下級魔術といえど、術式を組むのには集中を要するし、時間もかかる。故に魔術の知識が普及した現在でも、お手軽な魔道具は人々の生活の必需品というのは変わらなかった。

 

 そんな誰でも扱えることが最大の利点である魔道具だが、魔力を持たないキャロルはそれを扱うことができなかった。魔道具が誰でも扱えるというのは、誰もが魔力を多かれ少なかれ持っているという前提があるからに他ならないからだ。キャロルのような、魔力を持たざる者という例外など、想定しているはずもないのだ。魔力を使いすぎて枯渇したとかならば話は変わるのだが、キャロルの場合、そんなものとはわけが違う。

 

 キャロルのように、魔力を保持できないというのは例外中の例外なのだ。なぜなら魔力とは、あらゆる生物、草花でさえ有するものである。その魔力容量に差はあれど、魔力を持たぬなど普通はありえないのだ。

 

 では、なぜキャロルにそんなありえないことが起こっているのか。それは、キャロルの魔力の器にヒビが入っており、そこから魔力が漏れ出しているからだ。

 

 魔力の器。魔力について語る上で、これの説明をしないわけにはいかないだろう。

 

 魔力の器とは簡単に言えば、生物が魔力を蓄えるための容器である。これは目に見えず、実際に体内に器官として存在するわけでもないため、そういう概念があると考えてほしい。これについては現在も研究されているが、まだはっきりとしたことは分かっていないのが現状だ。

 

 生物が保持できる魔力の限界量ーー魔力容量は、この魔力の器の大きさに比例して大きくなり、より多くの魔力を保持できるようになる。

 

 また、魔力の器の大きさは生まれた時点で決まり、魔力容量を後から増やす、つまり魔力の器を後天的に大きくすることは基本的にはできない。また、この大きさは種族によって、両親の魔力の器の大きさによって、などの条件でも決まる。

 

 魔力は食物や空気中の魔力を体内に取り込んだり、魔力の器自体もその大きさに応じて魔力を生成する役割を持っているため、魔力はどんどん器に溜まっていく。たとえ魔力が枯渇したとしても、一日程度で完全に回復する。また、魔法薬を使えば急速に魔力を回復することも可能だ。

 

 そうして魔力の器が満タンになれば、魔力の器から魔力が溢れ出して体外に魔力が排出される。故に、魔力容量を超える魔力は保持することはできないのである。

 

 他にも山ほど説明することはあるのだが、ひとまずはこの程度で留めておく。要は何が言いたいのかというと、魔力とはこの魔力の器のおかげで蓄えることができる、ということだ。

 

 本題に入ろう。キャロルが魔力を持てない理由。それは先ほども述べたが、キャロルの魔力の器にヒビが入っており、そこから魔力が漏れ出し、魔力を保持できないからである。

 

 魔力の器にヒビが入るなど、滅多に起こることではない。しかし極々稀に、そういう子が生まれるのだ。生まれつき、魔力の器にヒビが入って生まれる子が。それが、たまたまキャロルだった。ただそれだけの話である。特に理由はない。強いて言うなら、とてつもなく不運であったとしか言いようがないだろう。

 

 随分と長くなってしまったが、要はキャロルは生まれつき魔力を保持できない体質なのである。

 

 故にキャロルは魔道具を扱えないため、今の時代にキッチンや浴槽に術式が刻まれていない、街外れにある古い家に住まざるをえなかったのである。まぁ、その分格安で手に入ったのではあるが。

 

 そんなわけで、魔力を持たないキャロルはこの世界でとてつもなく大きなハンデを背負って生きているのであった。

 

 そんな説明をしている間に、キャロルが川に着いたようだ。説明はこのくらいにして、場面を彼に移すとしよう。

 

 キャロルは川の水を飲み、顔を洗う。冷たい水を浴びて意識が覚醒し、朝日を浴びて爽やかな気分だった。本当は貯水槽に水を入れて濾過処理をしてから飲み水として利用するのだが、冒険者として外の川で喉を潤すなど日常茶飯事であるため、キャロルは構わずに飲んでいた。

 

 普段はこんな朝早くから水を汲みに来ることなどなく、なんだが新鮮な気分だった。せっかくの休日なのだからのんびりとしたかったキャロルは、川に降りるために作られた石造りの階段に腰を下ろす。

 

 そうして少しの間、川で魚が跳ねる水音を聞き、気持ちの良い風を浴びる。ほぅと小さく漏れる吐息は、珍しく疲労によるものではなかった。たまにはこういうのも悪くはないなと思いながらも休憩を終えて立ち上がると、バケツ一杯分の水を汲み、階段を上がり家まで歩く。

 

 さほど距離があるわけではないが、ただでさえ力のないキャロルにとって、たったバケツ一杯の水を運ぶのも大変な作業であった。

 

 えっこらと両手でバケツを運び、ようやく家が見えてきた。朝の一仕事を終え、充実感とともに気持ちよく一日が始まる。まだ位置の低い太陽の光を浴びて目が眩むが、そんな出来事でさえ気持ちよく感じる、そんな朝。

 

 キャロルは気がついた。眩しくてよく見えなかったが、家の扉の前に誰かが立っている。誰だろうと目を凝らすと、随分と長身な女性が、どんどんと扉を叩いていた。なにかを叫んでいる。何を言っているのだろうと、キャロルは耳をすませた。

 

「キャロル!大丈夫!?何かあったの!?待ってて、すぐにこの扉ぶち破って助けに行くから!」

 

 待て。待て待て待て。やめろ。何をしようとしているのだあの幼馴染は。

 

 せっかく運んだバケツを思わず落とし、水を地面にぶちまける。だがそんな些事にかまけている余裕などない。キャロルが手を伸ばし、待て、と叫ぼうとした次の瞬間。

 

「オラァ!」

 

 その勇ましい声と同時に木製の扉は幼馴染によって蹴破られ、バキバキと音を立てて砕け散った。あれはもう明らかに、修理とかでどうにかなるレベルではない。

 

 キャロルは伸ばした手をへなへなと力なく下ろし、下を向いてフラフラと幽鬼のように家へと歩く。足元には水が広がり、歩くたびにピチャピチャと音を立てた。

 

 その音を聞き、何事かと下手人は振り返る。茶色のショートヘアーが靡き、煌めくエメラルドグリーンの大きな瞳でこちらを見つめる。そうしてキャロルの存在に気がつくと警戒を解き、花が咲くような満面の笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる。

 

「キャロル!よかったぁ〜、何度呼んでも返事がないから、何かあったのかと思って心配したよ〜……」

 

 そんな幼馴染を尻目に、見るも無残な姿になった扉を見やる。ゴーガンのじいさん、またなんとかしてくれるかな。そんなことを考えるキャロルだったが、なんやかんや文句を言いつつも、あの気のいいドワーフはきっと直してくれるに違いない。そんな希望的観測を抱きながら、こちらまで来た幼馴染を見上げる。

 

「キャロル、おはよう!」

「……おはよう、ジル」

「もう、どこに行ってたの?心配したんだから」

 

 そんなことを言う幼馴染に、小さくため息を漏らし、疲れた声音で言う。

 

「とりあえず、片付け手伝え」

 

 こうしてキャロルの一日は、最悪なスタートを切ったのだった。

 

 

 

 ひとまず扉の残骸を軽く片付け、キャロルは扉を破壊した大罪人を寝室兼居間に招いていた。

 

「ーーもう、悪かったわよ。でも、いつもの時間にいなかったキャロルにだって責任はあるのよ?」

「いや、まぁ確かに俺にも落ち度はあるけどさぁ……。でもさすがに扉を蹴破るのはやりすぎだろ……」

 

 キャロルは特に悪びれる様子もなくこちらを見下ろす幼馴染ーージル=エクスレートを見上げる。昔は同じくらいの背丈だったのに、どうしてこんなに差がついてしまったのか。頼むから10センチくらい分けてもらえないだろうかといつも思う。

 

「もう、弁償するからいいじゃない。それに、本気で心配したんだから」

 

 実際ジルの行動はキャロルを本気で心配してことであり、キャロルもそのことはわかっていたためあまり強くは言えなかった。

 

 それでもせめてもの仕返しとばかりにキャロルはジト目でジルをじーっと見つめる。不機嫌アピールである。身長差のせいで見上げなければならないのが辛かった。

 

 しかしそんなキャロルの姿も、ジルから見れば小動物がこちらを見上げているのと同じようなものであり、キャロルには申し訳ないが愛くるしさを感じずにはいられなかった。

 

 ジルはキャロルの姿を見てからかうように、ニヤニヤしながら言う。

 

「何?誘ってんの?」

「いや、なんでそうなる」

「あーもう、相変わらずかわいいなぁ〜……」

「おま、ちょ、やめっ……」

 

 後ろからキャロルを抱え、うりうりと弄るジル。40センチ近い身長差では抵抗など無意味であることを、キャロルは長い付き合いでよく知っていた。しかもたちの悪いことに、ジルは薄着であった。どことは言わないが、柔らかな感触がとてもよく伝わった。

 

 まぁとはいえ、長い付き合いの幼馴染に欲情を抱くキャロルではなかったし、最近は抱きしめられるという行為がトラウマになりつつあるので余計にその思いは強かったが。

 

 しかしそれでも同じ年齢の女性、それも幼馴染にこんな子供扱いをされるのはあまりに恥ずかしい。そう思い、キャロルはなんとか拘束から脱しようともがいて抵抗する。

 

「ジル、いい加減離せって」

「もー、恥ずかしがらないでもいいじゃん。長い付き合いなんだし」

 

 そんなことを言いつつも、ジルはキャロルを解放する。やけに聞き分けがいいなと思った次の瞬間。ジルはえいっとキャロルを布団に押し倒した。尻餅をついたキャロルに、四つん這いになったジルがジリジリと詰め寄る。

 

「何を……」

「最近会えなくって寂しかったのよ?いいじゃない、久しぶりなんだから」

 

 久しぶりだからという理由が、どんな行為も正当化できる免罪符になると勘違いしていないだろうか。よだれを垂らしそうな勢いでグフフとだらしない笑みを浮かべるその顔と、いやらしい手の動きがやけに様になっているのが腹ただしかった。

 

 ジルから離れようとキャロルが後ろに下がるのに合わせ、ジルもゆっくりと詰め寄る。明らかにキャロルで遊んでいる。そして、とうとう壁際まで追い詰められてしまった。

 

 体格差もあいまって、威圧感がすごい。きっと猫に追い詰められた鼠というのはこんな気持ちなのだろうなと、思わず鼠に感情移入できてしまうほどだ。

 

 そんなジルに対してどこか原始的な、本能的な恐怖を感じたキャロルは、図らずして最悪の悪手を打ってしまった。

 

「ジ、ジル。本当に、シャレになってないよ……」

「ッ!」

 

 キャロルは小さな体を更に縮こまらせ、若干涙目になりながら言う。その、相手の嗜虐心を否応無く刺激するキャロルの姿を見たジルは息を呑み、大きく目を見開いた。

 

「……可愛い」

 

 そう一言呟くと、ジルから先ほどまでのどこかふざけた様子は消え失せ、ハァハァと呼吸を荒くし、妖艶な眼差しでキャロルを見つめる。

 

 そのジルの様子を見て、キャロルに悪寒が走る。キャロルは経験で知っていた。こうなった女はやばい。脳裏をよぎるのは、酔っ払って理性を失ったシャルナだ。あの時はかろうじてなんとかなったが、今回はどうなるか。自分では天地がひっくり返ってもジルには勝てない。万事休すか。

 

 これから自分に訪れる未来を想像してキャロルは思わず目をつぶり、ジルの手がキャロルに触れようとしたときだった。何かがジルめがけて勢いよく飛んでくる。

 

「グハァッ!」

「……え?」

 

 それはジルの横腹に深々と突き刺さり、その大きな体を吹き飛ばした。ジルは吹き飛ばされた勢いで床を転がり壁に激突する。戦闘に関しては超一流のジルも、このあまりに突然の出来事には対応できなかったようだ。そしてそれはキャロルも同じで、思わず間抜けな声を漏らしていた。

 

 キャロルは何が起こったのだと、飛んできたものを見やる。そして飛んできた者はゆっくりと立ち上がると、キャロルを見つめる。そして、二人の目があった。

 

「キャロル、おはよう」

 

 ジルを飛び蹴りで吹っ飛ばした者ーーロニアは、いつもと変わらぬ感情の起伏がまるで感じられない声でそう言うと、ペタペタと素足でこちらに歩み寄る。

 

「キャロル、大丈夫だった?」

「え?あ、あぁ。大丈夫だよ。ありがとう、ロニア」

 

 どうやら自分を助けるための行動だったらしい。それにしてももう少し他にやり方があったと思うが、助けてくれたことには変わりないため素直に礼を言った。

 

「朝ごはん、食べにきた」

「そっか……」

「あと、今日は一日お休みだから、ずっと一緒にいられるよ」

 

 天使の如き美しい微笑みを浮かべながらロニアは言う。まるで先ほどの出来事など何もなかったかのような態度だが、視線を横にずらせば、そこには横腹を抑えて呻くジルが倒れている。そうしてジルがよろめきながら立ち上がった。

 

「おい……。何しやがんだ、てめぇ……!」

 

 キャロルに向けていたものとは真逆の、ゾッとするような低い声でジルは言う。その目はギラギラと輝き、明確な敵意をロニアへと向けていた。

 

 まぁ、ジルがこうなるのも仕方がないと思う。なにせジルからすれば、いきなり飛び蹴りを食らった挙句に無視を極め込まれたのだ。怒り心頭になるのは当然だろう。そしてロニアもロニアで、ジルの殺気に反応して戦闘モードに入っている。その赤い瞳はジルをじっと見据えて動かない。あれは魔物を狩るときの、じっと獲物の動きを観察するときの目だ。

 

 このままではまずい。この組み合わせはまずい。なぜよりによってこの二人なんだ。そう思わずにはいられない。大抵はどんな組み合わせだろうが、口論や睨み合い程度で済む。仮に殴り合いになりかけても、胃のダメージと引き換えにして止められる。

 

 しかし、この組み合わせだけはまずい。ジルもロニアも、猛者ばかりの自身の知人の中でもさらに戦闘面に関しては抜きん出ている。その上キレたら自分が何を言おうが聞きはしない。そんな二人の喧嘩が始まれば、このボロ家が家でなく、瓦礫の山に変わり果てるのは目に見えている。

 

 キャロルは無理だと思いつつも、慌てて止めに入る。

 

「ま、待てって二人とも!落ち着けって……」

「キャロルは黙ってて」

「キャロル、今忙しい。後にして?」

 

 これはダメだ。二人とももう完全にスイッチが入ってしまっている。こうなってしまえばもうどうしようもない。

 

 二人は構えてじっと見つめあっている。うってかわって、空間は静寂に包まれていた。時さえも止まったかのような静寂の中、不意に、小鳥が木から飛び立つ音が聞こえた。ーー瞬間、二人は同時に飛びかかった。

 

 ロニアとジルが、がっしりと両手を重ねて組んず解れつとしている。もっとも、互いに相手をぶちのめそうとして行われるそれに、興奮するものなどいやしなかったが。いや、フーフーと獣のように唸る二人は、ある意味では興奮しているのだろうが。

 

 ロニアも長身ではあるが、いかんせん相手が悪い。更に背の高いジルがロニアを押し倒して優勢に思えたが、ロニアもうまく体を入れ替えている。さすがは人類が誇る最強生物と言われるだけのことはある。

 

 そんな二人を見てキャロルが考えることなど、一つしかなかった。

 

 ーーそうだ、朝ごはん作らないと。水、汲みにいかないとな。

 

 いや、というよりも、何も考えなくなった、という方が正しいか。キャロルは考えることをやめてすっくと立ち上がると、フラフラと玄関まで歩いて靴を履きバケツを持つ。

 

 部屋から出た後、一層激しくドタバタと争う音が聞こえた。家が揺れ、パラパラと木屑が落ちてくる。しかし、もういいのだ。

 

 家を出ると、あいも変わらず眩い朝日がキャロルを照らした。

 

 あぁ、なんて気持ちの良い日差しなんだろう。そう、もういい。だって、今日はこんなにも天気がいいんだ。きっと良い一日になるに決まってる。

 

 キャロルはそう信じて疑わないような晴れ晴れとした表情で、バケツを持って川へと向かった。

 

 

 

 20分くらいしてある程度水を汲み終わったキャロルが部屋に戻ってくると、ジルとロニアは組み合うのをやめて再び距離を取り見つめ合う均衡状態となっていた。

 

 二人ともゼェゼェと息を切らしており、身体中ボロボロだった。この後に友情でも芽生えてくれればいいのだが、生憎と両者の瞳からは闘志が一欠片たりとも失われておらず、いつ再び戦いが始まるかわからぬ危険な状態であった。

 

 二人の様子を見ると、ジルは薄い服が所々破けて肌が露出し、ロニアも服が汚れ、サラサラだった髪が乱れてところどころ跳ねている。繰り広げられた激戦がどれほどのものだったかを物語っているようであった。

 

 そして、それ以上にボロボロになった、部屋。あらゆる家具がグチャグチャに床にぶちまけられ、変わり果てたその様はまるでハリケーンにでもあったのではないかと見まごう程だ。

 

 それを見てキャロルは、普段と変わらぬ平坦な声で二人に言った。

 

「朝食ができるまでに片付けが終わってなかったら、お前ら二人とも追い出すから」

 

 二人はそそくさと掃除を始めた。

 

 

 

 朝食を作り終えたキャロルが部屋の様子を見に行くと、見事に綺麗に……、なっていなかった。少しは片付いているが、まだまだ元どおりというには程遠い状態だ。二人はバツが悪そうに視線を下に向け、キャロルよりよほど大きな体を縮こまらせていた。

 

 それを見てキャロルが小さくため息をつくと、二人の体がビクンと震える。まるで花瓶を割った犬のようにしおらしくなっていた。

 

 出て行けと言われるんだろうか。

 

 その言葉を覚悟した二人だったが、耳に届いたキャロルの声は、予想外の優しさを含んだものだった。

 

「ごはんできたから、早く食べよう?お腹空いてるだろ?」

 

 二人にキャロルがかけた声は、母性すら感じさせるようなとても優しげなものであった。キャロルのその声を聞くと二人は顔を上げ、パァッと表情を明るくする。

 

 キャロルは元より、あれだけボロボロになった部屋が短時間で綺麗に片付くとは思っていなかった。初めから、二人とも反省しているようであれば許すつもりでいたのだった。

 

 それから部屋に朝食を運び、机を囲む。本日の朝食はパン、サラダ、コーンスープ、オムレツという簡単なものであったが、味付けや調理法にこだわるキャロルはこれらの料理を美味しく仕上げていた。

 

「「いただきます」」

 

 そう言うやいなや、二人はバクバクと食べはじめる。運動というにはあまりにアレだったが、朝から激しく体を動かして相当お腹を空かしているようだった。特にこの二人はよく食べるので、多めに作っておいてよかったとホッとするキャロル。

 

 そうしてどんどん皿の中身が無くなっていく。自分の作った料理をここまで食べてくれるのは、見ていて気持ちが良かった。しかし嬉しい気持ちになる反面、二人とも身分は貴族なのである。こんな貧相な食事よりももっと良いものを毎日食べているはずだ。自分の料理で満足できるのだろうかとも思ってしまう。

 

 しかし美味しそうに食べる二人を見ると、次第にそんな思いは薄れていった。それに、二人のがっつく様子は全然貴族には見えない。それがなんだか可笑しくて、思わず微笑んでしまう。

 

 やはり、今日はいい一日になりそうだ。そう思うキャロルだった。

 

「「ーーごちそうさまでした」」

 

 そうしてあっという間に食事を平らげた三人。まぁキャロルは小食であるため、平らげたのは主に二人であったのだが。

 

「相変わらず美味しかった〜」

「キャロル、美味しかった」

「それはよかった」

 

 そう言いながらもキャロルが食器を片付けようとすると、慌ててジルがそれを止める。

 

「あ、キャロル、私がやるからいいよ。キャロルはゆっくり休んでて?」

「ダメだ。部屋の片付けがまだ残ってるだろ?」

「うぅ……」

 

 キャロルにそう言われると、流石のジルもどうしようもなかった。普段は家に来るたびに、キャロルが別にいいというのにもかかわらず家事をするジルだが、今回ばかりは自分に非があるため渋々了承したのだった。

 

 そうしてキャロルが食器を洗い終わる頃には部屋もだいぶ綺麗になり、ようやく一息ついた三人は近況報告も兼ねた会話に花を咲かせていた。

 

「キャロル、私この前の遠征で、単騎で大型二体を同時に相手にして討ち取ったの。どう?すごくない?」

「いや、すごいなんてもんじゃねぇよ……。怪我はしなかったか?」

「もちろん無傷よ」

「そうか、良かった……。まぁでも、俺は生きて帰って来てくれるだけで十分だよ」

「心配しないでキャロル。私は絶対に死なないから」

「……そうか。なら、安心だ」

 

 えっへんと大きな胸を張るジル。もしも自分が大型の魔物二体を相手にしたら、倒すどころか生きて帰れるかどうかも怪しい。さすがはたった一人で魔物の群れを全滅させ、騎士になってからわずか五年足らずで大隊一つを任され、千人あまりの騎士を率いているだけのことはある。

 

 しかし願わくば、幼馴染にはそんな危険な仕事をして欲しくないと思ったが、それがどれだけ身勝手な願いか自覚して思わず自嘲する。10年前に目の前の幼馴染に泣きながら同じことを懇願されたのにもかかわらず、冒険者になったのはどこのどいつだ。

 

 それにジルは絶対に死なないと言ったが、人があまりに簡単に死ぬことを、俺はよく知っている。

 

 人は脆い。あまりにあっけなく死んでしまう。その気になれば、幼い子供にだって人は殺せるのだ。魔物にとってはもっと簡単だ。奴らはただその腕を振るうだけで、牙を突き立てるだけでいい。それだけで人は死ぬ。奴らと対峙する以上、命の保証などどこにもありはしない。

 

 もちろんそんなことはジルも理解しているだろう。だからジルの言葉は自分を気遣ってのものであり、幼馴染に気を遣わせてしまう己の不甲斐なさが情けなくて仕方がなかった。

 

 キャロルの心に暗い感情が渦巻くが、無理やりその感情を振り払う。気を取り直し、ロニアの近況を訪ねた。

 

「ロニアの方はどうだ?」

「私も昨日、大型三体倒した」

「すごいさらっと言ったけど、そんな依頼を平気でこなすのはお前くらいだからな?」

 

 自分はロニアの実力を知っているのでさほど驚きはないが、一日で大型を三体倒すなど本来なら正気の沙汰ではない。逆にいえばギルドはロニアに対し、そんな正気でない依頼を任せても平気であると、無事に生還できると信じているという信頼の証でもあった。

 

 二人の話を聞きながら、キャロルは思う。

 

 ーーあぁ、この二人はやはり、俺なんかとは違う。

 

 自分は小型の魔物を相手にするのでさえ精一杯だ。中型になれば逃げの一手。大型など、出会えば死を覚悟する。

 

 大型相手に一人で戦いを挑み、ましてや勝利するなど自分には不可能だ。弱気になっているとかではなく、事実として、自分の実力ではそれが無理だと理解している。

 

 ジルとロニアは間違いなく歴史に名を残す傑物だ。この二人の代わりが務まる人間など誰もいやしないだろう。いくらでも代わりのきく自分のような人間とは違うのだ。

 

 自分がどれだけ努力しても、彼女達には決して届かない。自分が百の努力で一を得るのを、彼女達は一の努力で百を得る。そんな他の追随を許さない圧倒的な才能を持ちながらも、二人はさらに血の滲むような努力をしている。無才な自分がそんな彼女達に追いつける道理などありはしない。

 

 自分が求め、焦がれ、血を吐くような努力をしてなお手に入らなかった力を持つ彼女達に、どうしようもなく憧れる。同時に、それに決して手が届かないことも知っている。

 

 家族を殺されたあの日以来、力を欲し、そのために努力してきた。しかし望んだ力を手に入れるには、自分には何もかもが足りなかった。

 

 生まれつき筋肉が付きにくい体質故に、鍛えても全く筋力がつかず、細く小さな体では満足に剣を振るうこともできなかった。

 

 めげずにジルに、自分でも扱える軽い木刀で稽古をつけてもらったりしたが、自分に剣の才能がないことを知っただけだった。

 

 魔物を殺せるような強力な魔術を覚えようにも、魔力を持たぬ自分では前提からして話にならなかった。

 

 これがキャロルに突きつけられた現実だった。他の誰より努力しても、他の誰よりも弱かった。どれだけ努力しようが望んだ力は手に入らなかった。手に入るはずがなかった。ただでさえ才能がない上に、小さな体と魔力を持てないという先天的な、努力ではどうしようもない部分でもキャロルは詰んでいたのだから。

 

 キャロルは努力では超えられない壁があることを、どうしようもないくらい理解していた。

 

 きっと神様がいるのだとすれば、自分のことが心底嫌いに違いない。そんな馬鹿なことを考え、何度自分の運命を呪ったことか。

 

 再び暗い感情が心を侵食していくのがわかった。しかし、表情には決して出さない。二人には無用な気遣いをされたくなかった。

 

 そうして二人の近況をある程度聞き終わり、ジルがキャロルに尋ねる。

 

「キャロルの方は最近どうなの?」

 

 キャロルは、心に抱いた暗い想いを一切感じさせない様子で話す。こんなことばかり、キャロルは得意だった。

 

「俺の方は特にいつもと変わりないよ。基本的には街の中でできる依頼をこなしてる。街から出たとしても、近くの森の採取依頼くらいかなぁ」

「そっか。でも最近は魔物の動きが活発になってるから気をつけてね?行動範囲も広くなって、街の近くにも現れてるみたいだし」

「あぁ、気をつけるよ。でも、俺なんかより二人の方がよっぽど危ない橋を渡ってるんだから、二人の方こそ気をつけろよ?」

「大丈夫よ。私強いから」

「ん。私も、こいつより強いから大丈夫」

「そうか。表に出ろ、白黒つけてやる」

「やめなさい」

 

 そんな会話をしていた時だった。すいません、と玄関から聞きなれない女性の声が聞こえてきた。どうやら来客らしい。

 

 本来キャロルの家は、玄関の扉についてるノッカーを叩いて来客を知らせる仕組みなのだが、今はあいにく扉が壊れているためそれを使うことができない。

 

「悪い、ちょっと行ってくる」

 

 相手に不便をかけたことを申し訳なく思いながら、席を立つキャロル。そしてそのまま玄関に向かおうとしたところで、ジルが小さく呟いた言葉を耳にした。

 

「この声……」

 

 この来客に心当たりがあるのだろうか。そう思ったが、ジルにその事を聞くよりもまずは来客の相手をすることを優先した。ロニアを部屋に残し、ついてきたジルと共に玄関に向かう。

 

 それにしても、知り合いの女性を除けば来客など珍しいことである。というのも、この家はただでさえ広い街の外れにある上、あまりに濃密だったせいで忘れていたが、まだ朝早い時間帯だ。一体誰なのだろうと思いながら、玄関に着いた。

 

 玄関に立っていたのは、長く鮮やかなピンク色の髪をサイドテールにし、吸い込まれるような深い青の瞳を持った、美しい女性だった。

 

 しかしキャロルの意識を奪ったのはその容姿ではなく、服装の方だった。その女性は、ジルの所属するバリス騎士団の隊服を着ていた。しかも白を基調にした隊服の胸あたりには、勲章のようなものがつけられている。あれはたしか、大隊の副隊長の者が身につけるものだったはずだ。

 

 あまりに予想外の来客にキャロルは目を瞬かせる。そんなキャロルに対し、その女性は申し訳なさそうにしながら言葉を発した。

 

「あ、扉がなかったもので、玄関まで勝手に入ってしまいました。申し訳ありません……」

「あぁ、いえ、お気になさらず。こちらの方こそ不便をおかけしてすいません……」

 

 そうして互いに頭を下げた後、女性は今度はジルへと言葉をかける。事務的な言葉遣いだったが、その声音には親しみが込められているのがわかった。

 

「隊長、おはようございます」

「リンデ、なんであんたがここに……」

「隊長に用があって来たんですよ」

 

 ジルにリンデと呼ばれた女性は、詳しく用件を説明する前にキャロルをまじまじと見つめ、恐る恐るといった感じで訪ねた。

 

「あの……、あなたが、キャロルさんでしょうか」

「あ、はい。そうですけど……」

 

 ジルに用があって来たのではないのか?なぜ彼女が自分の名を知っている。そう思い警戒するキャロルだったが、そんなキャロルを見たリンデは慌てて疑念を晴らそうと言葉を続けた。

 

「あ、名前を知っていたのは、隊長からよくお話を聞いていたからであって、別に警戒されなくとも大丈夫ですよ?」

「ジルから話を……」

「はい……。あ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。申し遅れました、私はバリス第七騎士団、第五大隊副隊長、リンデ=ストラベルと申します。そちらのジルさんの部下にあたりますね」

「あ、これはご丁寧にどうも……。俺は、キャロル=リズウィークです。職業は冒険者です」

「はい。よろしくおねがいします」

 

 大抵貴族というのはどこか平民を見下した態度をとる者が多いのだが、リンデの自分に対する対応はとても丁寧なものだった。騎士には平民出身の者もいるが、リンデの所作は明らかに上級階級の人間のそれだ。珍しいこともあるものだと思った。

 

 そうして挨拶まで終えたが、リンデは相変わらずキャロルをじっと見つめていた。

 

 自分の顔に何か付いているのだろうか。そう思い始めたあたりで、リンデは悩ましげな吐息を漏らした。こちらを見る瞳がユラユラと揺らぎ、体をモジモジと動かすリンデ。その様子は、ギルドでたまに女性の冒険者が自分に向けてくるものと酷似していた。

 

 リンデの瞳に何やら纏わり付くようなものを感じ、少し恐ろしくなり思わず視線を逸らしてしまう。その様子は恥ずかしがって顔を逸らしたようにも見えた。

 

「これはちょっと、卑怯ですね……」

「でしょ?いつもこうなの」

 

 ジルとリンデがそんな会話をしていたが、意味はよくわからなかった。

 

「で、本当に何しに来たのよアンタ」

「って、そうですよ、こんなことしてる場合じゃなかった……。隊長、休暇中に申し訳ないのですが、会議場まで来てもらいたいのです」

「……何?」

 

 リンデのその言葉を聞き、ジルの様子が一瞬でオフからオンに切り替わる。その目は既に、キャロルの幼馴染のジルではなく、バリス第七騎士団、第五大隊隊長、ジル=エクスレートのものであった。

 

「内容はここでは詳しく話せませんが、現在王都にいる大隊の副隊長以上の者に、召集命令がかけられています」

「……わかった」

 

 ジルは頷くと、キャロルの方へ向き直る。

 

「……キャロル、ごめん。今日はもう行かないといけないみたいだから、また今度ゆっくり過ごしましょ」

「あ、あぁ……。またな、ジル」

 

 ジルは苦虫を噛み潰したような表情をしてから、心底残念そうにキャロルにそう言った。いまいち事情がつかめないキャロルは戸惑いながらも別れの言葉を口にした。

 

 口惜しいが、ジルはそのまま家を出ようとした。が、このタイミングで部屋から出てきたロニアと目が合う。そしてトコトコ歩いてくると、キャロルの右腕と自身の両腕を絡め、ジルを心底バカにしたように、フッと鼻で笑った。

 

「ロニア、どうかしたのか?」

「なんでもない。早く、部屋に戻ろう?」

「こいつ……」

「隊長ほら、行きますよ」

 

 それを見たジルは額に青筋を浮かべて頬をヒクつかせるも、大きく一度深呼吸して、リンデと共に家を去った。

 

 

 

 ジルとリンデは大河沿いを歩きながら言葉を交わしていた。

 

「あの、隊長。あの女性って、ロニア=センスレイヴですよね?なぜあんな大物が……」

「私も詳しくは知らないんだけど、キャロルが昔仕事で面倒みたら懐かれたって言ってたわ。本当に腹立たしいったらないわ……」

 

 心底イライラしながらそう言うジル。その話に興味があったリンデだが、同時にこの話を続けるのはジルの機嫌を損ねるだろうと思い、話題を変える。

 

「それにしてもキャロルさんって、なんというか、とても綺麗な人でしたね……。最初見た時お人形さんかと思いましたよ」

 

 そう言いながら、リンデはキャロルの容姿を思い出す。中性的で整った顔立ち。抱きしめれば折れてしまいそうな、細く小さな体。サラサラの金の髪に、大きな青い瞳。その声も中性的であり、透き通った綺麗な声であった。

 

 リンデがそんなキャロルに抱いた第一印象は、儚げ。弱そう。お人形さん。という、おおよそ青年に対して抱く印象とは程遠いものばかりであった。

 

 ジルの話では、とても小さくて可愛い。小動物のようだ、とのことだったため、幼い少年のような容姿を想像していたのだが、実際見たキャロルの姿はそんなリンデの想像とは異なるものだった。

 

 まず、子供のように寸胴な体型ではなく、華奢なその体はとても細かった。また顔も小さいため、頭身や体のパーツバランス的には大人とそう変わらないように思えた。逆に言えば、体格的には子供にも劣るということなのだが。中性的で整った顔立ちも、子供らしさよりも、どちらかといえばむしろ大人びた印象を受けた。

 

 その中性的で美しい容姿と透き通るような白い肌も相まって、一種の芸術品のようだとすら感じてしまった。あのどこか儚げな雰囲気を醸し出す少年。いや、実際は青年なのだが、彼を見て庇護欲を掻き立てられない女性などいないだろうとリンデは思う。

 

「そうなのよね〜……。あの容姿だから、昔は大変だったのよ?昔キャロルが貧民街に仕事に行った時のことなんだけど、娼館に攫われたことがあってね?知り合い……、と一緒にその娼館を潰して助け出したことがあったくらい」

「その話、すごい気になるんですけど……」

 

 知り合いという単語を発したとき、一瞬目つきが怖くなったが、リンデは特にそれには言及はしなかった。触らぬ神に祟りなしである。

 

 しかし、確かにあの容姿ならば攫いたくなる気持ちも分からないでもない。それほどまでにキャロルの容姿は刺さるところには刺さるものだった。もし娼館でキャロルが働くとなれば、間違いなく一番人気になるに違いない。そんなことを考えるリンデに、ジルは一転して真面目な表情になって言う。

 

「なんで私のいる場所がわかったのかは、まぁいいわ。けど、副隊長のあんたがわざわざ来る意味って何?他にいくらでも使える人間はいたはずでしょう?」

 

 場所に関してはいえば、ジルは身長のせいでただでさえ目立つ上、役職上、その動向を知られていても不思議はなかったためよしとした。しかし、わざわざリンデが出向いた意味がわからなかった。

 

 大隊の副隊長というのは、政務などで結構忙しい。ジルにとっては休日に呼びつけられることなど別に珍しいことではないし、こんな雑用紛いのことは下の人間に任せればいいことなのだ。

 

 リンデが自分を呼びに来たことが意味すること。それはつまり、下の人間ではダメな理由があるということ。それだけ今回呼び出された理由が重大なことなのではないかと、ジルは思う。そして、その重大な事態に思い当たることが、ジルにはあった。

 

「……例の魔物の件か?」

「それもあるとは思いますが、本題は別にあります。まぁ、私もまだあまり詳しくは知らないのですが」

 

 例の魔物の件ではないとすると、アレだろうか。ジルは目つきを鋭くし、リンデの言葉を待つ。リンデはジルにだけ聞こえるように声を小さくして話す。

 

「今回の情報は、暗部が入手したものらしいのですが……」

 

 暗部。その言葉を聞くと、ジルは自分からキャロルを奪った、飄々とした銀髪の女性を思い出してしてしまい、反射的にギリッと歯を軋ませた。しかし、リンデの次の言葉を聞くと、そんな些細な感情など流されてしまった。

 

「自我を持つ魔人。ーー魔族が、魔界からこちら側へ侵入したとのことです」

 

 ジルは、リンデの言葉をゆっくり咀嚼し飲み込んだ。その言葉の内容が意味すること。それはつまり。

 

「竜人族が、やられたの?」

「いえ、そこまではわかりません。しかし、魔人が集団で動くことなどありえません。少なくとも、魔族が侵入したという情報は確かかと」

「……そう」

 

 リンデの言葉を聞いたジルの頭は、混乱するでも慌てるでもなく、ただただ冷静であった。なぜならジルにとっては魔族が攻めてこようが、魔物の群れが迫ろうが、関係がないことだからだ。ジルの思考は単純明快である。どんな脅威が迫ろうとも、関係がない。なぜならば。

 

 ーーどんな敵だろうが関係ない。キャロルの命を脅かすものは、なんであれ必ず殺す。

 

 ジルの答えは、10年前のあの日から何も変わらないのだから。

 

 

 

 大河に架かる大きな橋を渡ると、貴族たちの住む立派な邸宅が並び立ち、その奥には豪華な王宮がそびえ立っている。

 

 この街は、大河を隔てて平民と貧民が暮らす土地と、貴族と王族が住まう土地に分けられている。各国同士の貿易の中継地として、他種族と手を取り合い発展してきたバリス王国の王都そのものが、人間に対して差別的な構造をしているのはなんとも皮肉を感じずにはいられなかった。

 

 それから王宮近くにあるバリス騎士団の敷地に入ったジルは、自身の所属する第七騎士団の隊舎に着いた。他の隊舎と比べると、どこか古いというか、悪く言えばボロい印象を受ける建物。これは、第七騎士団が貴族ではなく、平民出身の者が多いことが原因だろう。

 

「リンデ、先に会議場に行っててちょうだい。私は着替えてから行くから」

「わかりました。では、失礼します」

 

 そうしてリンデと別れる。とりあえず、今のボロボロの服装のままでは色々と問題がある。大隊長として、千人近い人数を束ねる者として、こんな格好で他の隊の者に姿を晒すわけにはいかない。

 

 貴族として位の低い、男爵家であるエクスレート家の者が大隊長を務めているというだけで、周りの者は煩いのだ。体面くらいは貴族らしくあらねばならない。心底面倒くさいが、これも必要なことだ。ジルは正装に着替えるため、自身の部屋へ向かった。



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