甲鉄城のカバネリ 鬼 (孤独ボッチ)
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第一話

 気晴らしにしていた作品が気晴らしにならなくなって
 きたので、思わず現実逃避してしまいました。
 後悔はしていない。


           0

 

 一人の男が駿城の中で寝ていた。

 その男は目立っていた。何故なら、ここは客車であるにも拘らず武士の出で立ち

だったからだ。漆黒の何やら不気味な光沢の鎧を着込んだままだ。しかも、男の

武器が目を引いた。蒸気筒が主兵装である今の時代に戦国時代の武将のような装備

だったからだ。青龍偃月刀と言ってもいい程の薙刀と腰には刀。鉈のような刃物も

下げている。銃は持っているが、蒸気を使用しない火薬銃である。ただし、使える

のか怪しいような大口径の鉄砲を抱えている。

 車内の者達は、関わらないように遠巻きにして関わらないようにしていた。

 

『廃駅を通過します。おのおの、衝撃に備えて下さい』

 

 伝声管を通して少女の声が車内に響く。

 車内がサッと緊張と恐怖に彩られる。

「また駅が潰れたのか…」

「顕金駅まで補給なしか…。大丈夫なのか?」

 思わずと車内の人々から声が漏れる。

 早谷駅で停車予定であったが、一つ前の駅で主要な人物にだけ廃駅の情報が齎さ

れ、客車にいる人間には伝わらなかったのだ。

 だが、ズカズカと荒々しい足音で一斉に皆が黙り込む。

 入ってきたのは武士だ。

「おい!浪人!!」

 武士が大声を上げて車内を見回す。

 浪人とは主家が無くなるか、カバネに潰されたかして、それでも生き延びた者

の事を指す。当然、士官先を探す事になるのだが、このご時世では召し抱える家は

皆無と言っていい。余程、有能ならば兎も角。大抵は傭兵のような事をして生計を

立てるものばかりだ。一部、思い切りのいい者は、武士を辞めて、別の職に就くが。

 大声に件の男が目を覚ます。

「なんだ?」

 起きた男は、中肉中背で顔には幼さが残っていた。どうやら少年といっていい

年の頃のようだ。

「仕事をくれてやる!カバネを撃退しろ!」

 浪人の少年はニヤリと嗤った。

「撃退か?撃滅じゃなく?」

 武士の顔が真っ赤に染まる。馬鹿にされた事を察したようだ。

「粋がるなよ、若造が!!」

 武士が振り上げた蒸気筒に、乗客が怯える。

 だが、それが振り下ろされる事はなかった。

 いつの間にか立ち上がっていた少年によって止められていたからだ。

「ぐっ…」

 蒸気筒を掴まれてビクともしない。

 武士がどんなに力を入れても動く気配すらない。

「まあ落ち着けよ、おっさん。報酬はキチンと貰うぜ?」

 そう言うと少年は蒸気筒を放し、サッと武士の脇を抜けた。

「屑が!」

 少年の背後で武士が吐き捨てるように言ったが、少年は振り向かなかった。

(お前等は俸禄を貰っているだろうが、俺にはないんだよ。報酬を貰って何が悪い)

 内心で少年は毒を吐いた。言っても綺麗事で返されるだけだと分かっていたからだ。

 この日ノ本が大変な時に、報酬を意地汚く要求するのは眉を顰められる。

 

 兜を被り、先頭車両に向かっていた少年の足が止まる。

 後から忌々し気に付いて来ていた武士が声を上げる。

「どうした!!早く行かんか!!」

 少年は応える事なく、指を天井に向けた。

「何だ?」

「この上にはカバネがいないって事だ。音も気配もしないだろ?」

「何?」

 だから何だと言わんばかりに、武士が少年を睨み付ける。

 次の瞬間、少年が信じられない行動に出た。

 車両の扉を開け放ったのだ。

「何をする!!」

 武士が止める間もなく、扉から少年が天井へと腕の力だけで上がって行ってしまった。

 あれだけ武器と鎧まで着込んでいるのに、苦にする様子もない。

 武士は慌てて扉を閉め、安堵の息を吐いた後、上を見上げて吐き捨てた。

「狂人めが!!」

 

 

           1

 

 少年が、駿城の天井にのんびりとした風で立ち上がる。

 それを見て前後にいたカバネが一斉に目を向けて、走り出す。 

 カバネ。

 死して化け物となった者達。噛まれる或いは爪で裂かれても、呪いを受けてカバネと

なる。危険極まる怪物。日ノ本は今、その脅威で危機にあった。

 尤も、少年はこれが呪い等でない事を知っていたが。

 走って来るカバネを無表情に見て、少年は素早く()()()火薬銃を構えた。

 走り来るカバネに驚異的な速度で弾が連射される。

 頭を撃ち抜かれ、頭部を失ったカバネが駿城から転がり落ちる。

 仲間がやられても足を止めずに向かって来るカバネには、心臓を撃ち抜く。

 本来ならカバネの心臓は弱点であると同時に、強固な金属皮膜で守られ鉛弾では倒せ

ない筈だったが、至近距離で大口径の炸薬を増やした弾の前には、意味がなかったよう

だ。青白い燐光を放ち、カバネが倒れていく。

 二十匹を倒した時点で銃を背に回す。

 次は青龍偃月刀のような薙刀を取り出し、気合と共に踏み込み、一閃する。

 信じられない事に、この一撃も纏めて三匹ものカバネを両断し、駿城から落ちていった。

 その刀身は不吉なまでに漆黒だった。

「おおっら!!」

 不安定どころではない駿城の天井で、ブレる事もなく動き続ける。

 恐れる事もなく、踏み込み斬り捨てていった。

 一振りする毎にカバネが冗談みたいに倒されていく。

 粗方、片付いたところで先頭車両へと走り出す。

 武士が小さい窓(狭間)から蒸気筒を撃っているのが見える。

 カバネは窓に気を取られて、こちらに気付くのが遅れた。

「六根清浄!!」

 少年は声と共に、薙刀を装甲に沿って振り抜いた。

 横に取り付いていたカバネが血飛沫を上げて落ちていく。

 逆側から上がってきたカバネが素早く跳び掛かってくるが、少年は籠手で守られた手で

殴り飛ばした。身体はそう大柄でもないのに、とんでもない膂力である。

 天井に薙刀を突き刺すと、刀を抜いた。

 これも漆黒の刃である。

 態勢低く刀が銀光を残して素早く振るわれる。

 次々と血飛沫が上がり、燐光を放ちカバネが狩られていく。

「ううーりゃ!!」

 最後に背後から向かってきたカバネの心臓を串刺しにする。

 心臓は燐光を放ち、カバネは力なく動きを止めた。

 最早、カバネの姿は周囲に認められなかった。

 だが、少年は最後に仕留めたカバネにしゃがみ込んだ。

「寝起きで派手にやり過ぎたな。()()()()()()()()

 他は全て斬り捨てると同時に落としてしまった。

 少年は小刀を取り出すと、心臓被膜を剥がし始めた。

 それを確認に来る勇者は、幸いな事にこの駿城には存在していなかった。

 少年は不満そうに心臓被膜を革袋に納めて、扉にしがみ付き、入れろと叫んだ。

 その頃には廃駅を通過寸前であった。

 

 

           2

 

 やけに五月蠅い音で無名は目を覚ました。

「何?うるさい…」

「今、廃駅を通過している。寝ている事は難しいだろうが、身体を休めておけ」

 無名の付き添いである修験者の四文が、静かな声でそう言った。

 その言葉を裏付けるように蛮声が遠くから聞こえてくる。

「カバネ?」

「ああ。だが、勝っているようだ。手出しする必要はない」

 無名の感覚は、カバネが次々と物凄いスピードで倒されている事を告げていた。

「カバネリ?」

「いや。当然違う。狩方衆以外でこれ程強いとは珍しい」

「ふぅん」

 無名は、この時天井にいる人物に興味を持った。

(私の盾として使えるかな?)

 薄く微笑み無名は目を閉じた。

 音は暫くすると聞こえなくなった。

 

 

           3

 

 扉から入ると、一斉に蒸気筒を向けられた。

「大した歓迎だな。凱旋を祝うなら筒は上に向けろよ」

 面白くなさそうに少年は、武士の一団に言い放った。

「その場で服を脱げ!!」

「ああ。はいはい」

 鎧が重い音を立てて外れて落ちる。

 かなりの部分が金属製のようだ。

 信じられないものを見る眼で武士が少年を見る。

 パッパと鎧下まで脱いで、褌のみになった。

「褌も取るか?」

「その場で背を向けろ!!」

 少年の冗談にも反応せずに、武士の一人が声を荒げる。

「はいはい」

 冗談を無視され半眼になった少年はそう言って、グルリとゆっくり体を見せ付ける

ように回った。

 納得したようで、武士が筒先を下ろす。

「ご苦労だった。帰っていいぞ」

「報酬は?」

 武士の一人が忌々しそうに舌打ちする。

「降りる時に払ってやるわ!!」

「毎度」

 少年はサッサと鎧を身に付けると、武士のいる車両を後にした。

「屑が!!」

 武士の言葉が虚しく車内に響いた。

 

 

           4

 

 それ以降はカバネに襲われる事もなく、極めて順調に進んだ。

 顕金駅に到着すると、すぐさま検閲箱と呼ばれる検査室が横付けされた。

 カバネに噛まれても、すぐに発症してカバネにならない者もいるのだ。

 だからこそ、男も女も素っ裸にされて丁寧に検査される。

 そこで傷の一つも見付かろうものなら…。

「カバネだ!!傷があるぞ!!」

 武士が大声を上げて、仲間に警告を発した。

 男の悲鳴が響く。

 少年はうんざりした様子で溜息を吐いた。

(全く、本当にカバネなんだろうな?田舎だと平気でその場で殺すからな)

 実際、少年が見ても明らかにカバネじゃないであろう傷でも、田舎では過剰な反応

で殺されるところを数多く見てきた。

 すぐに銃声が響き、肩が付くのではないかと思いきや、何時まで経っても音沙汰が

ない。駅が一つ潰れた所為で、乗り換えがタイトになっている。今夜には別の駿城に

乗り換えないといけなかった。傭兵で戦をやる駅に行く積もりなのだ。それには、

この駅で保存食や水を買い込んでおきたかった。時間があれば女も買いたかった。

(早くしてくれよ)

 しびれを切らして制止する武士を押し退けて、外を覗くと一人の蒸気鍛冶が男を

庇って立っていた。

「疑いのある者でも、三日は牢に入れて様子を見る!お前等が決めた事だろう!」

 まだ若く、少年と年の頃は同じくらいだろう。

(やり方は兎も角、度胸はある奴だな)

 少年は久しぶりに愉快な気分になった。

 既に廃れた正論を振り翳すとは、真面な神経ではない。

 だから、気紛れを起こした。

 武士が蒸気鍛冶の言葉に激昂して、殴ろうとしたまさにその時に、ガンガンと金属

を叩く音が鳴り、武士の動きが止まった。

 少年が駿城の装甲を叩いたのだ。

 武士が蒸気鍛冶とカバネの疑惑がある男に注意をしつつ、慎重に音の発生源である

少年を睨み付ける。

「後が支えてるんだよ。サッサとしてくれないか」

 武士が忌々し気に舌打ちする。

 蒸気鍛冶は怨敵と出会ったような顔をした。

 一斉に敵意を向けられても少年に動じる事はない。

「余所者は黙っていろ!!」

 武士の一喝にも無反応。

「仕事サボってりゃ、口の一つも出したくなるだろ?」

「何ぃ!!」

 武士が今度は少年に蒸気筒を向ける。

「サッサと撃ち殺せっていうのか!?」

 蒸気鍛冶まで声を上げる。

(ガラでもない事するもんじゃないな)

 早速、少年は気紛れを起こした事に後悔しだした。

「そうじゃねぇよ。()()()()()()()()()何時まで構ってるんだって言ってんだ」

 投げ槍に少年は言った。

 一瞬の静寂。

「貴様に何が分かる!!」

 少年は乗り掛かった舟で引き返す訳にもいかず、件の傷を指差した。

「傷を見ろ。スッパリと切れているだろう。噛み痕じゃないのは分かるな?カバネの

爪で傷付けられたられたら、そんなスッパリ切れない。カバネの爪で傷付けられた

なら、傷口はもっとガタガタになっている」

 面倒そうに発せられた言葉は意外にも理路整然としていた。

「得物を持っているカバネもいる!」

 負けずに言い返してくる武士に、呆れた視線を向ける少年。

 カバネで怖いのは、噛まれる事、爪で裂かれる事だ。

 流石に持つ得物で感染はしない。不潔な刃であるので病気は怖いが。

「その得物を持っているカバネは、どう得物を使っている?」

 溜息交じりに少年が質問を返す。

 咄嗟に言い返そうとした武士だが、どもってしまう。

「答えは、膂力に任せて叩き付けるだ。鉈等、例外はあるが基本日ノ本の刃は引いて

斬る。カバネは知能が低いから刃物を鈍器として使う。刃物を叩き付けたなら、傷は

こうはならないだろ?」

 カバネにも例外的に剣術を使う者もいるが、少年が駿城に乗っている間、そんな特殊

な個体に遭遇しなかった。少年が乗る前だったら、もうカバネになっている。故に、

少年は特殊な例を話題に出さなかった。

「っ!」

 武士達は一言も言い返せず、脂汗を流している。

 面子を潰される予感に、焦っているのだ。

「おそらくだが、任侠気取りの奴に匕首か何かで斬られたんじゃねぇのか?傷が浅い

ところを見ると、腕の力だけでド素人が振ったんだろう」

「そうだ!!いきなり斬り付けてきやがったんだよぉ!!」

 ここで初めて蒸気鍛冶に庇われていた男が声を上げた。

 武士達の顔色が悪い。流石に周りの視線が厳しいものになっている事に気付いた

のだ。

 ここで大きな溜息が聞こえてきた。

 少年が振り返ると、そこには豪華な着物を着込んだ男が供と娘を連れて立っていた。

 随分と風変りな一団だった。娘と供の者以外にけん玉を持った子供に修験者が当然

のように豪華な着物の男の横に立っている。

「その男を牢へ放り込め」

 豪華な着物の男が苦い声で命じた。

「四方川家当主・四方川 堅将である。この先、この駅の中で上手くやっていきたい

ならば、余計な差し出口はせぬことだ」

 堅将は吐き捨てるように言い放ち、少年に背を向けた。

「ご心配なく、乗り換えが済めばいなくなりますよ」

 少年は恐れる様子もなく、堅将の背に声を掛けた。

 それに堅将は応えなかった。

 傷の男は武士に連れて行かれたが、抵抗もせずに連れて行かれた。

 蒸気鍛冶の方は上役だろうか、年嵩の男に襟を掴まれて連れ出されて行った。

 少年の方は大人しく検閲箱に戻ろうとした時。

「ねぇ!アンタ!面白いね」

 けん玉少女だった。一緒に行かなかったようだ。修験者は渋い顔だ。

「そりゃ、どうも」

 軽く返事して戻ろうとしたが、けん玉少女が再び口を開く。

「アンタ、名前は?」

「想馬だ」

 けん玉少女は不思議そうな顔をする。

「苗字は?」

「家が取り潰されたからない。ただの想馬だ」

「そうなんだ!私は無名!()()()()()()!」

(誰が上手い事言えと?思いっ切り偽名だろう)

 想馬はそう思ったが、そこに触れなかった。

 この先、関わり合いにならないと思ったからだ。

 

 だが、この出会いが長い縁になるとは相馬も予想していなかった。

 

 想馬、無名、そして蒸気鍛冶・生駒。

 三人は出会った。

 

 

 

 

 

 

 




 メイン投稿の合間に細々と書いていきます。
 気晴らしに。
 そろそろ男のオリ主も書いてみよう、ついで 
 に三人称にも!なんて甘い考えで書いてしま
 いました。後悔はしていない。


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第二話

 二話、長いです。
 では、お願いします。


          1

 

 検閲を終えて、想馬は速やかに保存食等の買い物を済ませていく。

 保存食は外国から入ってきたパンである。

 途轍もなく硬いパンで保存食に使われる。それを大量買いしていく。

 米など一部の人間の口にしか入らない今、麦・稗・粟が主食となっていた。

 市の人間は、想馬を何事かという目で見ていた。

 それもその筈、想馬の荷は行商人よりも大きい背負子に荷を満載にしていたからだ。

 武器が括りつけられている事から、浪人である事は察していたが、大量の荷を背負った

浪人など聞いた事がなかった。彼等は基本その日暮らしの者達だからだ。

 士官を目指しながらも、内心では諦めて刹那的に生きている。

 それが浪人の一般の印象だった。

 その印象と堅実に先を見据えて動く想馬は、市の人間には奇異に映った。

 一番補充したいのは、想馬にとっては弾薬だったが、想馬の持つ火薬銃は特別製で

ある。

 普通の駅の鉄砲鍛冶では弾丸すら加工出来ない。

 だからこそ、想馬は銃を使うのは一つの戦場で二十発と決めていた。

 足りなくなれば、この銃を造った変態鍛冶屋のところに行かねばならない。

(あと二回戦えば弾が無くなるな。心臓被膜も思ったより回収出来てない)

 本来なら、女を買うところだが、余計なことに首を突っ込んだ為に、その気が失せて

しまった。

 あとは水の補給と、服や薬などの品を見て回る。

 粗方、買い物は済んだ。

 空は既に茜色に変わっていた。

 夕飯を食べようと想馬は、飲み屋街に足を向けようとした時である。

「アンタ…」

 突然、想馬に声が掛けられた。随分と遠慮した声であったが、間違いなく想馬に向けた

言葉だと、耳の良い彼は分かっていた。その声にも聞いた覚えがあった。

 振り返ると、そこには昼間あった蒸気鍛冶が立っていた。

「こんな時間に何やってんだ?まだ仕事あんだろ?」

 蒸気鍛冶は、想馬の物言いにムッとした顔をしたが、すぐに引っ込めた。

「仕事なら、暫く来るなって言われた。問題ない」

「いや、問題大ありだろ」

 どうやらムッとしたのは、想馬の物言いの方ではなく、上司の対応に不満があった

ようである。

 想馬の方も思わず、毒気を抜かれて素で返してしまった。

 当然ながら、仕事をしなければ給金など払われない。

 暫くがどの程度の期間か知らないが、裕福な蒸気鍛冶などいる訳もない。

 それまで今までの貯蓄で食べていかねばならない。

 貯蓄などあればだが。普通に死活問題である。

「別にいいさ。優先するべき事があるし、丁度よかったんだ」

 どうもこの蒸気鍛冶は本気で言っているらしい。

 想馬は呆れ返ってしまった。

(どこぞのボンボンって訳でもなさそうだが。危機感ねぇ奴だな)

「…それで、アンタを見掛けたから、謝って置こうと思ったんだ。済まない。

 俺じゃ、あの男を助けられなかった」

 蒸気鍛冶は、そう言って頭を下げた。

「いや、こっちこそいいさ。気紛れ起こしただけだしな。普段はお前さんの見立て通り、

アレに口出しなんてしないからな」 

 武士が恐怖に駆られて、領民を殺すなど別に珍しくもない。日常の一部とさえ言える。

 久しぶりに身体を張って正論言う馬鹿を見て、気紛れを起こしただけの想馬は、手を

振って気にする必要はないと告げる。

「そうだとしても、初めてだったからな。アレを止めた奴なんて。礼の代わりに奢るよ」

(だから、お前、これから金に困るんだろうが…)

 想馬は、そんな事を頭の片隅に思ったが、困るのはこの蒸気鍛冶で想馬ではない。

 奢ってくれるというなら、奢って貰おうと想馬は思考を切り替えた。

「ああ、自己紹介がまだだったよな?俺は生駒だ。見ての通りの蒸気鍛冶をやってる。

 アンタは?」

 想馬としては、検閲の時に名を名乗ったのだから必要ないと思ったが、どうも本気で

訊いているらしい様子に、聞こえていなかったんだろうと納得する事にした。

「想馬だ。見た通りの浪人者だ」

 買って食うと高くつくと言って、生駒は自分の家に案内すると先頭に立って歩き出

した。

(まあ、タダで食わせて貰えるんだから、文句は言えないが…どうせなら女の家が

いいんだがな)

 例え、色事なしでも目の保養ぐらいはしたかった想馬である。

 想馬は溜息をそっと吐くと、生駒の後を付いていった。

 

 

          2

 

 生駒の家は駅の中でも外れの方にあった。まさにあばら家といった感じだ。

 到着した頃には、日もすっかり落ちていた。

(こりゃ、時間早めに出ないといい場所の確保は難しいな)

 想馬は内心で何度目かの溜息を吐いた。

 後に付いて家に入ると、家は雑然としていた。

 工具やら部品やらが散乱しており、書付なども散らばっている。

「家でも仕事しているのか?」

 それならば、妙な余裕も納得がいくと想馬は思った。

 蒸気鍛冶の中には、勝手に個人で持っている蒸気機関の修理を請け負っている者もいる

と聞いた事があった。個人と言っても店などをやっている連中だが。

 生駒もそういう輩の一人と当たりを付けたのだが、すぐさま否定の言葉が返ってきた。

「いや。これは俺が独自にやっている開発だ」

(こいつ、馬鹿だな)

 誰しも自分の面倒で精一杯だというのに、事もあろうに生駒は趣味に走っている

らしい。

 ここまで度の外れた馬鹿は、想馬は見た事がなかった。

 生駒は、椅子の上の紙束を無造作に退かすと座るように勧めた。

 暫く待つと食事が出て来た。

 麦粥だった。

 野菜屑が入っているだけ豪勢と言えるだろう。

 想馬は黙って受け取り、仏に感謝を捧げる。

 そんな想馬を生駒は驚いた様子で見ていた。

「なんだ?」

「いや、意外だなって思ってさ。信心深いんだな」

 想馬は、ああっと言われた事を理解した。

「いや、ただの習慣だ。神も仏も信じちゃいないさ。このご時世だぞ」

 小さい頃から叩き込まれていたから、今も自然に出る行為であって、そこに尊敬も

何もない。

「そうなのか?」

 生駒もそれ以上は踏み込んで訊いてくる事はなかった。

 それから二人は、無言で粥を啜った。

 

「ああ!そうだ!アンタ、カバネと戦った事があるんだよな?遠くから蒸気筒を撃つ

だけじゃないよな!?」

 粥を食べ終えた想馬に、生駒が突然声を上げる。

「そりゃな。蒸気筒自体持ってねぇしな。戦ってるぜ。カバネと戦って金を稼いでいる

からな」

「だったら、これを見てくれ!」

 生駒は興奮して工具のようなものを抱えて戻ってきた。

 いや、蒸気鍛冶が使う工具そのものに見える。打ち機を改造したものだろう。

「俺が造った貫き筒だ!」

 生駒は夢中で説明を始めた。

 噴流弾の説明まで聞いたところで、想馬は生駒手作りの武器の特性を把握した。

「つまりは、これで距離のある敵は撃てないって事だな?」

「ある程度近付かないと威力が落ちるだろ!」

 想馬は溜息を押し殺して、生駒の生き生きした顔を見た。

「で?感想だったな。正直に言った方がいいか?それともやんわりと言った方がいいか?」

 いつもなら正直にずけずけと言う想馬だが、ただ飯を食わせて貰ったので選択肢を

提示した。

「正直な感想に決まってるだろ!」

 生駒が怒った声で言い切った。

「じゃあ言うが、この噴流弾?とかいうのは使えそうだ。蒸気筒を距離を置いてパカスカ

撃つよりはマシだろう。だが、この貫き筒か?これは止めとけ」

「なんでだよ!!」

 生駒が食って掛かってくるのを、落ち着けと想馬は宥めた。

 生駒にしてみれば、長年の研究成果を否定されたのだから、冷静になれないのも

無理はなかった。ましてや、何より自分がカバネと戦う為の開発であった。

 そこには譲れない思いがあった生駒は、冷静に聞く事は出来ない相談だった。

 想馬は、怒る生駒に向けて徐に小刀を素早く抜くと、生駒に突き付けた。

 生駒には突然、刃物が眼前に現れたように感じた。

 それ程に速く、何気ない動きだったのだ。

 生駒が驚きの声を上げて後ろに倒れ込む。

「何するんだ!!」

 生駒が怒りの声を上げる。

「これが理由だ」

 反対に想馬の声は冷静そのものだった。

「意味が分からない!!」

「これは接近戦。徒手格闘可能な間合いまで踏み込まないといけないもんだ。普段動き回ってんのをみれば、把握し辛いかもしれないが、走り込んできて首筋に飛び付いて

くる時は、このくらいの速さで噛み付いてくるぞ?お前さん、この攻撃をどうにか捌いて

心臓にそれを突き付けて撃てるのか?格闘の、組打ちの経験だってないだろう、お前。

それでどうやって傷を負わずに戦う?」

 カバネとの戦いは、まず傷を負ってはならない。

 想馬ですら、頑丈な鋼鉄製の鎧甲冑で身体を守って戦っているのだ。

 あの身体能力は戦い慣れた武士でも、容易ではないのだ。素人の出る幕ではない。

「そ、それは…」

 感情論や武士の精神論ならば、生駒は反発しただろう。しかし、彼も本気でカバネを

倒さんとする者だ。尤もな意見には反論出来なかったのだ。

「悪い事は言わん。噴流弾の開発に力を入れて、武士にでも売り込め」

 生駒の性格では無理かもしれないという思いはあったが、想馬はそこまでは口に

しなかった。

 これは生駒が自分で決断しなければならない問題で、想馬が本来口出しする問題

ではない。

 感想の一つとしてお節介を焼いたが、これ以上は余計だろう。

 

 

          3

 

 気まずくなったが丁度いい時間になり、そろそろ駿城の乗り場に行かなければならない

時刻だった。

 乗り換え予定の扶桑城は、整備も兼ねて二日程停車するので焦る必要はないが、場所

取りは重要な事で、早く確保出来るならすべきなのである。

 家主に断り、想馬は素早く甲冑を取り出した。

 駿城に乗る時は、何が起きても良いように、甲冑を予め身に着ける習慣なのだ。

 何とも言えない空気がどんよりと漂う中、平然と想馬は甲冑を着終える。

 この程度で居辛くなるような繊細さなど、想馬は遠の昔になくしている。

 準備が終わり、生駒の家を辞して歩き出した。

 生駒も礼儀として見送ってくれた。

(あの大馬鹿振りじゃ、生き辛いだろうにな)

 想馬は心の中で、そう独り言ちた。

 想馬は一度も振り返る事なく市場まで戻り、駿城の乗り場へと急いだ。

 想馬は、不機嫌に真っ暗やみとなった空を一瞥して鼻を鳴らした。

 あちらこちらで灯りが灯っている。

 想馬は、夜が嫌いだ。

 夜はカバネの時間だからだ。何も連中が夜だけしか動けない訳ではない。カバネは夜目

が利くのが、その理由だ。連中は昼と大差ない動きを夜でも熟す。夜目ばかりはカバネに遠く及ばない。

 それでも想馬は問題なく戦えるが、感覚の一つが塞がれるだけでも、不利になるのは

違いない。

 故に夜は嫌だった。

 そして、嫌いになる理由が更に増える事態が起こった。

 

 もうじき乗り場という所まで来た時には、駿城の汽笛が聞こえて来ていた。

 想馬は自然と早足で先を急ぐ。

 だが、辺りの様子が変である事に想馬は気付いた。

 矢鱈と騒がしいのだ。

 乗り換える扶桑城の到着時刻だという事を差し引いても騒がしい。

 そして、とんでもない事が起こった。

 扶桑城が駅に突っ込んで来たのだ。

 速度を上げ過ぎた駿城は、線路を跳び上がり町へと突っ込んで行った。

 丁度、想馬が歩いていた付近に先頭車両が突き刺さる。

 轟音と共に火の手があちこちから上がる。

 そして、這い出して来るカバネ。

 駅が破られたのだ。最悪な形で。 

 これだけの大穴が開けば、カバネは難なく侵入してくる。

 もう跳ね橋は降りないのだ。

 向こうから好きなだけ集まって来るだろう。

 最早、防戦は不可能な領域に達している。初っ端から。

 中に入り込まれてしまうと、駅は脆い。いや、人の心が脆いのだ。

 カバネに侵入された時点で、武士の戦意は著しく低下する。及び腰になってしまう。

 つまりは、この駅はもう終わりという事だ。

「厄日だ」

 思わず想馬はそう呟いてしまった。

 唯一の救いは、駿城に乗るのに甲冑をもう身に着けていた事だろう。

 あとは兜を被り、武器を構えるのみ。

 といえども、自ら炎の中に飛び込んだような結果に、想馬は項垂れたくなった。

「全く、金にならないってのに」

 まずは荷を素早く下ろす。流石に戦うのに荷を満載にした背負子は邪魔だった。

 素早く兜の緒を締め、火薬銃をいつでも使えるようにした。

 遅れて、住民達が悲鳴を上げて逃げ惑う。

(意外と、そういうのがカバネを刺激するんだがな)

 眉根を寄せて、想馬はそんな事を考えながら火薬銃を構えた。

 旧式の火縄銃のような大きさだが、殆どが鋼鉄製のゴツイ火薬銃である。

 整備は小さい部品が多く、弾は特殊で蒸気筒の弾は利用出来ない。

 その分、弾倉といわれる弾を入れる箱を取り付ければ、装弾の手間が減る。

 そして何より強力な威力を誇っている。変態鍛冶師の自信作である。

 カバネが人々の悲鳴に刺激され、一斉に住民達を追い始める。

 途端に轟音と共にカバネの胸に大穴が空いている。

 何匹かが前のめりに倒れ込む。

 住民が驚きの声を上げて、立ち止まる。

 想馬は一つ舌打ちして叫ぶ。

「立ち止まるな!!城まで急げ!!ホラ!!サッサと行け!!」

 今更、立ち止まられても迷惑でしかなかった。

 仲間がやられて、他のカバネが目標を想馬に変えて向かって来る。

 想馬は動じる事無く、狙い、引き金を絞っていく。

 その度にカバネが倒れていった。

 こんな非常時でも、きっちり想馬は弾を二十発。

 幸い、ここらのカバネは片付けられたのか、接近する気配はない。

 今のうちにと、想馬は迷わず荷を背負い直し、走り出した。

號途(ごうと)の所には、すぐにでも行く必要が出そうだな…)

 號途とは、想馬の装備一式を作り上げた変態鍛冶職人である。

 普通なら、専門分野が決まっているのだが、號途は鎧から銃、乗り物まで造る変人

である。おまけに蒸気鍛冶としての仕事まで出来る男だった。

 今のところ、想馬の装備は號途の腕なしには成り立たない。

(號途の奴。特定の駅にでも住んでりゃ、定期的に通う事も出来るのによ)

 ギリギリまで想馬が號途の所に行かない訳は、途轍もなく不便な場所に號途が工房を

構えているからだった。駿城が行く駅に住んでいないのだ。駅じゃ材料が思うさま手に

入らないというのが、號途の言い分だったが、客としては不便どころか命懸けである。

 行くには駅を出て、カバネに何時襲われるともしれない平地を徒歩で移動する

必要があった。

 因みに、材料とは()()()()()()()である。

(愚痴ったところで仕様がないがな)

 想馬は思考を不毛なものから切り替える。

 ないものねだりしても始まらないのである。

 

 想馬は走りながら、生駒の事が頭を過ぎった。

(あいつは生き延びただろうか。あの工具モドキ・貫き筒を持って外に出たか)

 出たとすると、生駒は死んでいるだろうと想馬は思った。

 あの男が大人しく言う事を訊いて、生き延びている姿が想像出来なかった。

 想馬は生駒の事を頭から追い出すと、第二次防衛線である領主の城をただ目指し

走った。

 途中回り込んで来たと思われるカバネを、薙刀で叩き斬りつつの道行きだった。

 

 その頃、まさに生駒が想馬の予想を超える事をやらかしていた事は知る由もなかった。

 

 

          4

 

 想馬の所為という訳ではないだろうが、城は避難してきた領民で一杯になっていた。

 想馬もちゃっかりと座る場所を確保して、座り込む。

 座り込んで暫くすると、戸が新たに開いて、顕金駅に着いた時に出会った少女が入って

きた。

 期せずしてお互いに目が合ってしまった。

「「あっ」」

 思わず両者から間の抜けた声が漏れた。

「アンタ。無事だったんだ」

 確か無名とかいう偽名を名乗った少女が、感心したように言った。

「まあな。そっちは連れはどうした?」

 確か彼女の横には修験者がいた筈だ。だが、姿がない。

「死んだよ。立派にね」

 彼女の眼には悲しみはあまり感じられなかった。

 ただ、あの修験者の誇りを伝えた印象だった。

 想馬にしてみれば命あっての物種だが、馬鹿にする気は起きなかった。

 本来なら祈ってやるべきなんだろうが、想馬は信仰を失っている。

 祈る相手はいなかった。

 形ばかりの祈りはこの場合、死んだ修験者に失礼になるだろう。

「そうか」

 ただ、それだけ言った。

 少しだけ、沈黙が流れた。

「あっ!そうだ!いいところで会った!一緒に来てよ!」

 気を取り直したように無名が声を上げる。

 どこにと問い質す前に腕を掴まれ、立たされると、無名は想馬を引き摺るように

連行していった。

 

「覗かないでよ」

 無名は想馬の腕を放すと、そう言って部屋の戸を開ける。

 城の一室を与えられている段階で、相当な立場の人間である。

「心配するな。ガキの裸に興味はない」

「……」

 無名は目を尖らせると、素早く無言で想馬の脛を蹴り飛ばした。

 予想外の衝撃に呻き声が漏れた。ご丁寧に内部に衝撃を伝える技を用いていた。

 無名は顔を顰める想馬を一瞥すると、戸を乱暴に閉めた。 

 想馬は無名の消えた部屋の戸に視線をやると、無名の着替えを待った。

(あいつ、何者だ?)

 蹴られた脚をプラプラさせながら考え込む。

 想馬とて、振り払うのは簡単だったが、無名に対する疑問から黙って付いてきていた。

 それは腕力であり、技量だった。

 無名は、歳の頃は十二・三といったところだろう。それにしては技量も腕力も破格

過ぎた。

 身のこなしから只者じゃなさそうだと思っていたが、腕の細さと腕力が釣り合って

いない。

 想馬は、京の方面に行った際に聞いた噂が頭を過ぎっていた。

 金剛郭には、理性のあるカバネがいるという噂。

 眉に唾して聞いていたが、少女を見ているとその噂が頭をちらついて離れない。

「お待たせ」

 出て来た無名は、戦装束を身に纏っていた。

 その姿は、さながら忍者のようである。少し色合いが派手過ぎだが。

 蒸気筒の短銃二挺を腰に下げていた。

「これからアンタには、私の盾になって貰う。その代わり甲鉄城までアンタを連れて

行って上げる。どう?」

 交換条件は兎も角、一つの言葉が気になった想馬は眉を寄せて問う。

「盾だと?」

「そう。盾。私、事情があって長く戦えないんだ。だからアンタが私の盾になって負担

を減らす。その代わりに私はアンタの銃になって上げる。その銃、あんまり弾ないんで

しょ?」

「っ!?何故知っている」

 見れば想馬の銃が特殊なのは分かるだろう。

 弾だってハッタリの推論かもしれない。 

 しかし、無名の言葉には確信があった。

「アンタが強いのは知ってる。でも、アンタが化物染みた体力の持ち主でも、あれだけ

のカバネを相手に飛び道具の制限有りで戦うのは厳しいんじゃない?損はないと思う

けど?」

 想馬の質問には答えず、無名は得意げに提案してくる。

 話の内容は兎も角、その様は年相応で毒気を抜かれて困る。

 だが、訊かない訳にはいかない。

「もう一度訊くぞ?何故知っている」

 無名は得意げになっていたのに水を差され、機嫌が悪くなった。

「…兄様がその銃を正式に採用しようとしたけど、都合が付かなくて断念したの!」

 不機嫌になっても答えてくれる辺り、実は素直な性格なんだろう。

 そんな事を思いつつ、想馬は無名の言葉を頭の中で吟味する。

(正式採用しようとしたって事は、軍で装備を統一しようとしたって事か。つまり、

そういう立場な訳だ。その兄様とやらは。しかし、號途の野郎。そんな事、一言も

言ってなかったぞ)

 変態鍛冶師が、立場のある人間相手に商売をやっていたとは、驚き以外はない。

 普通なら別の鍛冶師を疑うところだが、これはかの変態鍛冶師意外に造れるとは

思えない物だからだ。

(確かに量産は無理とか言ってたからな。そりゃ、採用出来ないわな)

 理由には取り敢えずの納得はした。

 そして、無名の正体についても大凡の見当は付いた。

「成程な。提案を呑もうじゃないか。今回だけな」

「まあ、条件は今後検討するって事で。行きましょう」

 無名は言うだけ言って、サッサと歩いて行ってしまった。

 想馬は、溜息を吐いて後を追った。

 だが、突然無名が振り向く。

「あと、私は年頃の女の子なの!アンタだって私と五つも歳が離れてないでしょ!?

 失礼な事は今後言わないように」

 無名は、目を尖られて鋭い口調で釘を刺してきた。

「へいへい。仰せのままに」

「よろしい!」

 一転笑顔になって無名は、再び歩き出した。

 

(全く。コロコロ表情の変わる奴だな)

 内心で苦笑いしながら、想馬も後を追って歩き出した。

 どこへ行くのか訊くのを忘れて。

 

 

          5

 

 無名と想馬が向かった先は、丁度揉め事の最中であった。

「お前等、若造では話にならん!我等で勝手やらせて貰う!」

 何やら顔役の男と姫、それに若い武士が言い合いをしていた。

「ねえ!そのお喋り、まだ続くの?夜が明けちゃうよ」

 無名が無神経に言い争いをしている連中に厳しい言葉を投げる。

 一斉に言葉の主に視線が集中する。

「その前に防衛線が破られるだろ」

「あっ、そうか」

 そして、想馬が更に火に油を注ぐ発言をする。

 無名も無邪気に同意して、場の空気が最悪になっても二人は気にしていない。

「で?何揉めてんだ?」

「ちょっと!」

 時間を節約しようとした無名は、聞く態勢になった想馬に非難の声を上げる。 

「すぐに済むさ」

「余所者が口を挿むな!」

 顔役が想馬を一喝するが、想馬は一瞥もせずに菖蒲を見ている。

 無視されて、顔を真っ赤にして顔役の男が怒り、ガタイのいい男に目配せする。

「引っ込んでろ」

 想馬の腕を掴もうとガタイのいい男が手を伸ばすが、その前に想馬が相手の手首を

掴んだ。

 するとガタイのいい男が悲鳴を上げた。手首がミシミシと音を立てて締められる。

 想馬は相手の手首を持ち上げると、勢いよく振り下ろすと巨体が一回転して地面に

叩き付けられた。

「何ぃ!?」

「へぇ」

 顔役の男と無名が同時に声を漏らした。

 ガタイのいい男は倒れたまま手首の痛みと、背中の痛みで呻いていた。

「お父様から合図が来ないのです。甲鉄城の確保が済んだら合図がある筈なのです。

それがないうちに動く事は出来ないんですけど、皆さんはそれでは間に合わないと」

 四方川家の姫である菖蒲が、想馬の言葉に早口で説明をした。

 これ以上の揉め事を起こさないように配慮したのもあるが、菖蒲にしてみれば、浪人

とはいえ武士であった想馬なら自分の考えに同意してくれると考えていた。なんとか

勝手に動こうとしている人々を説得してくれるのではと期待したのである。

 無名は半眼になって呆れ返っていた。

 想馬も、まさかそこまで仕様もない理由だとは思っていなかった。

(てっきりカバネが邪魔で進めないとかだと思ったんだがな…)

 想馬は内心で溜息を吐いた。

「そりゃ、サッサと動いた方がいい。寧ろ、合図がくるのが怖い」

「どういう事ですか!?」

「カバネだって合図くらい出来る。仲間が十分に集まったところで合図をしたとした

ら、どうなる?」

 その時は、城壁のない場所でカバネに今以上に囲まれ食われる事となる。

 それを想像し、尚且つそれが差し示す事に菖蒲の顔が真っ青になる。

「そんな…。お父様が亡くなったと言うのですか!」

「それも想定すべきだ。アンタだって武家の娘だ。覚悟はしてただろう」

 鋭い視線に菖蒲は何も言えなくなってしまった。

「勝手な事を!!」

 若い武士が声を荒げるが、想馬は冷ややかな視線を向けた。

「臣下だってんなら、お前も決断を促すべきだったろうが。ここには姫さんしか決断

する権限がある人間はいないんだ。決断が出来ないなら勝手されても仕様がない」

 菖蒲が俯いて黙っている。

「で?アンタの判断は?」

 菖蒲が顔を上げる。

「来栖。貴方はどう思いますか?」

「…御屋形様の安否は不明ですが、このまま留まられるのは…危険かと」

 菖蒲の問いに若い武士・来栖が言い辛そうに言った。

 来栖とて、あまりに時間を消費するようなら、それとなく告げる積もりだった。

 それを先に余所者の浪人風情に言われ、眉が寄る。

「分かりました。では、まずはこの包囲を破らないと…」

「ああ、それ私達でやるよ」

 菖蒲が漸く覚悟を決めて方針を宣言しようとしたが、時間が惜しいとばかりに無名

が言葉を遮る。

 菖蒲は折角の決意を遮られて、口の中でもごもごと何事か言ったが、来栖以外は無視

した。来栖が隣で頻りに声を掛けているが、菖蒲の方は意気消沈していた。

 話は終わりとばかりに無名は声を上げる。

「肝心の駿城を動かせる人はいる!?」

 すると人をかき分けて少女が一人、姿を現した。

「ここにいるよ。見習いだけどね」

「線路の上を走るだけなんだから、イケるでしょ?」

「不測の事態が起きなきゃね」

「じゃあ、道は私達で開くから付いて来て」

 そう言うと、アッサリと無名は背を向けて走り出した。 

 仕様がないので想馬も後を追ったが、驚く事に無名は階段を駆け下りると壁に向かって

跳び上がった。壁を軽々と越えて城壁の外へと着地する。

「全く、こっちはそんな軽業出来ないぞ」

 想馬は地味に城壁の階段を駆け上がり、躊躇なく飛び降りる。

 一見無防備に見える無名にカバネが目標を変えて、ゆっくりと包囲するように接近して

いく。そこへ想馬は飛び降りたのだ。

 城壁を上っていたカバネの顔面に想馬の足が突き刺さる。

 そのカバネを足場にして、別のカバネを足場にして降りていく。

 足場にされたカバネは、地面にいたカバネを巻き込んで倒れ込む。

 そして、更にその上に想馬が着地した。

 踏み付けられたカバネは、怒って想馬を跳ね除け襲おうとしたが、突き立てられた薙刀

に止めを刺され、周りにいたカバネは薙刀の一閃で真っ二つに叩き斬られた。

 無名は後で惨事が起こっていても無視して、短銃を準備している。

 二人に向かってカバネが殺到する。

 その瞬間に黒い疾風が幾重にも走る。

 想馬が薙刀を振るったのだ。

 疾風が走る度にカバネが二・三体切断されて、吹き飛んでいく。

 無名の髪が風圧で揺れ、返り血が飛び散ったりしているが、動じた様子はない。

 二人の周りにはカバネの死骸が撒き散らされた。

「俺の銃になるとか言ってたが、鉄砲玉になるって意味だったのか?」

「私が盾にって見込んだ奴だもん。この程度は付いて来れるって思ってたからに決まって

るでしょ?」

「そりゃ、どうも」

 想馬は顔を顰めて言った。

 無名が不敵に笑うと短銃二挺を構える。

「それじゃ、百秒目標で…六根清浄!!」

 無名が正面から来たカバネの首を、短銃に仕込んだ刃で切断した。

 切断された首は地面に転がり、首から血が吹き上がる前に無名が横に蹴り倒した。

 静寂が訪れる。

 カバネも人間も目の前の出来事に圧倒されて、一時的に動けなくなっていた。

 理性のないカバネが真っ先に動き出す。

 本能は危機を告げていても、カバネは怒りに駆られて走り出す。

 二人は引き付けるようにカバネを連れて走り去っていく。

 ここで人間が我に返った。

「来栖!武士を先行させて民の進路の安全を確保して下さい!」

 声を上げようとした顔役は、驚いて菖蒲の顔を凝視した。

 先程まで優柔不断な態度をしていた姫とは、思えない。

 来栖でさえ、少し目を見開いて驚きを見せた。

 だが、驚いてもいられない。

 来栖は矢継ぎ早に指示を出すと、城門を開けさせた。

 蒸気筒を構えた武士が先行して進む。

 その後を領民達が荷物を抱えて付いていく。

 その横を騎馬武者が護衛する態勢で、二人の後を慎重に迅速に追った。

 

 これは後に分かる事だが、菖蒲はこの時ヤケクソ気味だった。

 

 

          6

 

 住居が密集する地域は、想馬にとって戦い辛い場所だ。

 身を隠す場所が無数にあり、カバネの力ならかなり強引な攻め方も出来るからだ。

 だが、それは解決していた。今は。

 想馬は目の前のカバネを身体全体を使って薙刀を振るい、斬り裂いていく。

 無名は軽業師のような身のこなしで、住居の上から路地に出てくるカバネを倒して

いく。

 住居の密集地域だけあって道はあまり広くないが、想馬はお構いなしに薙刀を振るう。

 場合によっては住居の壁ごとカバネを叩き斬ってしまう。

 無名も上へ下へと移動しつつ、武士からは有り得ないくらいに接近して短銃を発砲して

いる。カバネから攻撃をひらひらと躱しながら。

 二人が攻撃する度に青白い燐光が散り、カバネが倒されていく。

 後から付いて来ている武士達には、大凡信じ難い光景だった。

「これで終わり!」

 無名がカバネの心臓を撃ち抜く。

 想馬は無言で最後のカバネの首を刎ねた。

「うん。これで粗方片付いたね」

 そう言いながら無名は短銃を覗き込んでいる。

「うん。九十五秒。いいね」

 確か無名は戦闘開始前に百秒目標と言っていたが、キチンと計っていたようだ。

(長い時間戦えないとも言ってたな。どういう事なんだかな)

 想馬は無邪気に喜んでいる無名を、目を細めて観察していた。

 二人は早足で甲鉄城のある格納庫まで急いだ。

 

 周辺の安全を確認した後、すぐに領民を引き連れた武士達が遣って来た。

 到着した人達は、意外にもキチンと武士に護られていた。

 それを想馬と無名は少し驚きつつ迎えた。 

「ところでさ。なんで菖蒲さん相手に時間を浪費した訳?」

 後から付いてきた人々が揉めつつも格納庫に入って行く中、無名が眠そうだが非難する

ように言った。

「もしかして、ああいうのが好み?」

 無名がこれだから男は、とばかりに想馬を見る。

「確かに身体つきは好みだが、俺はもうちょっとしっかりした女が好みだ」

「よくそうハッキリ言うよね。アンタ」

 武士など意地を張る生き物であると知っている無名である。

 武士とは、軟弱な会話はなるべく避ける傾向にあったが、この男は矢鱈と隠さず言う。

 いい事ではないが。

「理由は簡単だ。彼女にはこれから決断して貰わないといけないんだ。迷ってばかり、

指示待ちばかりでは、この先困るからだ。今からでも考えて決断するという覚悟が必要

だと思ったまでだ」

 指揮官がキチンと指示できなければ部下は混乱するし、最悪の結果を容易に招く。

 だからこそ、想馬はあそこで彼女が決断する事に拘ったのだ。

 放って置くと無名が強引に事態を動かしてしまいかねなかったので、多少の浪費も

仕方ない。

「すぐには変わらないでしょ。根子の部分なんだからさ」

 無名の素っ気ない反応に、想馬も頷いた。

「だろうな。千里の道も一歩よりって言うだろ?」

「気が長いね、アンタ」

 

 

          7

 

「客車は格納庫です!全員乗るまでは出発しませんから落ち着いて下さい!」

 菖蒲が声を上げるが、案の定誰も聞いていない。

(分かってます。分かってますとも。私に期待などしていないのは。なら失敗して

もいいという事。やるべきと思う事を端からやっていきましょう)

 菖蒲は、内心でヤケクソから開き直りに転じていた。

 不味ければ、来栖達武士が止めてくれるという信頼もあったからこそだが。

 そして、いつの間にやら検問が出来上がっていた。

 当然それに伴い揉め事も起きていた。

 何時カバネに襲われか分からない状況で、服など脱いでいられない。

 その検問の一つで引っ掛かる男が二人。

「そこで服を脱げ!」

 赤いマントを羽織った男は、舌打ちして脱ごうとするが、連れの男に止められる。

「止めろ!その身体じゃ、信じて貰えない!」

「説明する」

「無理だって!」

 男二人が愚図っていると、検問の男達も苛ついてくる。

 声を荒げようとしたその時、呻き声のような悍ましい声が響く。

 二匹のカバネが接近してきていたのだ。

 検問の男達も領民もカバネの姿を見ただけで震えあがってしまい、一斉に逃げ出す。

 だが、一人赤いマントを羽織った男・生駒だけは貫き筒を構えた。

「おい!生駒!」

「ここで俺がカバネを倒して見せれば、皆、俺を認めざるを得ない!」

 だが、生駒の決意は二人によって台無しになった。

 槍が一匹に突き刺さり倒れる。

 それに跳び掛かる影が一つ。アッという間に弾丸がカバネの心臓被膜を破壊する。

 もう一匹が仲間が倒れた方に向き直った瞬間に、首が高々と舞い上がった。

「アンタ等は…」

 生駒はカバネを倒した二人を見て、声を上げる。

「おう!生駒も無事…なのか?」

「あ!想馬の前に庇ってた変わり者の蒸気鍛冶の人!」

 

 こうして三人は再び再会したのである。

 

 

 

 

 

 

  

 

 




 無名が十二歳?アニメだとそうは見えないな。
 言ってはいけない事か。

 次回はこれ以上に間隔が開くと思われます。
 気長にお待ち頂ければと思います。





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第三話

 凄まじいまでの時間が経過しましたが、まだ
 折れていません。

 それではお願いします。


           1

 

 三人は再会を果たした。

 だが、ただ一人想馬だけは怪訝な顔になった。

 それはそうだ。想馬は一番最後に生駒に会った時とイメージが違っていたからだ。

 そして、無名は首を傾げる。

「あれ?でも、なんか雰囲気が違ってない?」

 無名が小動物の如く、顔を近付けてジロジロ見ると、突然に目を見開いて驚き、

生駒の臭いを嗅ぎ出した。

 流石にその行動には、想馬は引いた。思わず無名から距離を取る。

 それを見て無名がムッとした後に、自分の行為がどう見えるか察したのか、顔を

真っ赤にした。

「違うわよ!これには理由があるの!!」

 遣られた方は、置いてきぼりを食った形で、どう反応していいか微妙な顔付だった。

 残りの一人、小太りの青年も呆れ顔である。

 無名にしてみれば、臭いフェチのような扱いをされては堪らないので、必死なのだが

逆効果になっている。

 平手と脚で想馬を軽くではあっても殴る蹴るし始めた無名に、流石に想馬も揶揄い

過ぎたかと反省した。というか、させられた。

「分かった…。それで?どういう習性だったんだ」

「……」

 無名が無言で想馬の脛を蹴り付けた。

 動物扱いはお気に召さないらしい。当然ではあるが。

 痛みに顔を顰めた想馬と不機嫌な顔の無名が、無言で睨み合う。

「そこのお前等!検閲だ!噛み痕が無いか調べる!」

 四人が奇しくも同時に声の方を見る。

 そこにいたのは菖蒲の傍に張り付いていた来栖という若侍だった。

 流石に一触即発な空気くらいでは、来栖は眉一つ動かさなかった。

 来栖の視線は、二人の中で一番怪しい人物に向けられていた。

 生駒である。

 何しろ生駒の格好は、赤マント擬きのボロ布を羽織っただけの上半身半裸状態だった

のだから仕方がないだろう。

 視線の意味は生駒自身が一番分かっていた。

 怪しさに関してではない。相手が自分に好意的ではない事に関してだ。

 生駒は格好に気を遣ったりしない蒸気鍛冶である。

「そこのお前からだ。そのボロ布を取れ」

 馬上で蒸気筒を構えたまま、来栖は命じる。

 生駒は舌打ち一つして、ボロ布に手を掛けるが、連れの男が慌てて止める。

「どうした。見せられないのか?」

 来栖は今にも蒸気筒の引き金を引きそうな勢いだ。

 すぐにでも殺し合いが始まりそうな殺伐とした空気の中で、無名の声が割って入る。

「そいつはカバネじゃないよ」

「何故、そんな事が分かる!?」

「そりゃ、分かるよ。アンタ達よりカバネとの戦闘経験があるし、よく知ってるから。

カバネはね、潜伏期だろうがなんだろうが、()()()()()

「っ!!」

 来栖はあまりの言い分に激昂しそうになったが、辛うじて抑えた。

 これではまるで武士達が敵に関して無知で、戦ってもいないような言い草である。

 だが、一方で想馬や無名の二人が出した戦果を越えた事等ない事も、来栖は自覚して

いた。そして、自分達はカバネの臭い等、気にした事はなかった。

 来栖にも武士としての意地はある。だが、アレだけの戦果を目にして何か言える程、

恥知らずでもなかった。だからこそ、追及を緩めてしまった。

 言った当人の無名は、だから違うって言ったでしょ?と言わんばかりに想馬を見て

いた。

 だが、想馬の方もカバネとの接近戦は嫌という程やっている。

 臭いという理由は分からないでもなかったが、納得するする事が出来ずにジッと無名

を見詰めていた。

 

 結果的に生駒は、ここで撃たれるのは避けられたのである。

 

 

           2

 

 生駒の連れであり、親友である逞生はといえば、生駒への追及が有耶無耶になって

ホッとしていた。

 今の生駒の身体は、ハッキリ言って身体を見られれば問答無用で殺されていただろう。

 その生駒は貫き筒を使用する為に、後部車両にいた方がいいとそっちに向かっていた。

 逞生は、つい先程の出来事ではあるが、生駒の背を見詰めながら親友を見付けた時の

事を思い出していた。

 

 あのカバネの疑いを掛けられた男を庇った事で、生駒は見事親方から暫くの間、仕事

に来なくていいと言い渡されていた。

 クビにならなかっただけマシだろう。

(あの馬鹿!もう少し考えて動けってんだよ!)

 生駒は頭はいいのに、世渡りが致命的に下手くそだった。

 逞生にとっては、そういうところが好ましくもあるし、苛立たしくもあった。

 夜になり仕事が一段落して、思わず愚痴を言ってしまう。

 周りには、自分の愚痴にイチイチ悪意を持って反応する輩が居なかったからだ。

「馬鹿なんだよ!生駒は!すぐに熱くなって後先考えずに突っ走りやがってよ!」

 周りは比較的生駒に理解のある面々だった為に、逞生の愚痴に毎度の事とばかりに

苦笑いして聞いている。

「でも、私には無理だな。武士の人に何か言うのなんて」

 薬缶を持って、お湯をみんなに注いで回っている少女が感心したように言う。

 逞生の数少ない女友達である鰍である。

 その言葉に逞生の顔が苛立ちに歪む。

「それが普通なんだよ!なんでもかんでも正論吐けばいいってもんでもないだろうが!」

 鰍が荒ぶる逞生を宥めるように、逞生の茶碗にお湯を注ぐ。

 逞生が生駒の事を心配して言っているのが分かっているので、鰍としては微笑ましい。

 これからの生駒の懐を思えば笑えないが。

 逞生が慌ててお湯を注ぐのを辞めさせる。

 愚痴に夢中で危うく溢れさせるところだったからだ。

 

 そこからすぐに異変は起きた。

 突如鈴鳴りの鐘がなったのだ。

 鈴鳴りの鐘は、駅の住人が一番聞きたくない鐘の音であり、恐怖の対象だ。

 それはカバネの侵入を告げる鐘だからだ。

 蒸気鍛冶達に緊張が走る。というよりまだ実感が湧かずに恐慌状態になっていないだけ

なのだが、それでもまだ冷静さを残しているだけ、一般居住区よりマシと言えた。

「どうなっちゃうのかな…」

 鰍の不安そうな声に、逞生はハッとある事に気付く。

「生駒の奴は!?」

 逞生の大声に鰍が驚き、薬缶を取り落とす。

「大丈夫じゃない?生駒君、家に居るんでしょ?きっと避難しているんじゃない?」

「アイツがそんな奴なら、今も一緒に居るに決まってるだろ!?」

「ああ…」

 鰍は不安も忘れて、そんな微妙な感想を思わず漏らしてしまった。

 逞生には目に見えるようだ。

 生駒が貫き筒を持って、カバネに突撃していく姿が。

「クッソ!」

 逞生は悪態をつくと、カバネが現れた時の装備(足軽と同じ装備だが)を急いで装着

すると、鰍の制止も振り切り走り出す。

 武器は箒。何故かといえば、不浄を清める意味がある。

 だが、逞生には分かっていた。こんなもの意味はないと。

 それでも持って行ったのは、逞生が自身に大丈夫だと暗示をかける為だ。

 そこまでして行くのは、なんだかんだ言って、逞生もお人好しなのだ。

 馬鹿な親友を見捨てられない程度には。

 

 一方、その馬鹿はと言えば、想馬の言葉のお陰で貫き筒を抱えて迷っていた。

 皮肉な事に実戦で使える程、威力が上がらなかった訳は、昼間の間に分かった。

 あのまま親方から暫く来るなと言われ、帰る途中で改良して出来た空間の分、炸薬を

増やしていないと思い出したのだ。つまり、想馬と会うまでに貫き筒は完成していたの

である。

 自信作を否定され、しかもそれが説得力のある言葉であった為、いつもの積極性が

鈍っていたのである。

 いくら生駒が無謀であろうと、勝算のない状態で突撃する程、愚かではなかった。

 だが、外から悲鳴が上がる。

 生駒の家にまで肉を食い破る嫌な音が聞こえた。

(すぐ近くに来ている!!どうする!?このまま何もせずに、逃げるのか!?また!!)

 強く握り締めた拳が掌の石の存在を思い出させる。

 それは生駒が見捨てた妹の形見だった。

 あの日を忘れない為に、常に掌に付けていたものだ。

(そうだ!!俺の命はカバネを狩る為にある!!貫き筒は使えるんだ!!走り出さな

きゃ、俺でも殺せる筈だ!!)

 戸の隙間から外を伺う。

 カバネが一匹、口を血で濡らして彷徨っている。

 生駒に気付くのも時間の問題だろう。

(なら、誘い込むだけだ。ここなら狭いし、問題ない)

 戸を少し開き、腕を持っていた刃物で少し斬る。

 血が流れ、床に血が滴る。

 これだけ近ければ、これくらいの量でもカバネは血の匂いを嗅ぎ付けるのだ。

 カバネが生駒が観察しているのにも気付かずに、立ち止まると生駒の家の方へゆっくり

と向かって来る。

(よし!)

 生駒は蒸気の圧力を上げて、貫き筒を構える。

 カバネが戸を開けた瞬間こそが勝負だ。

 不意討ちで至近距離からカバネの心臓被膜を破壊するのだ。

 生駒の全身から汗が噴き出す。

 時間がやけに遅く感じられる。

(早く来い!俺がお前等を殺してやるぞ!!)

 集中している事によって時間の流れが遅く感じているのかと思っていた生駒だが、

いくらなんでも遅いような気がしてきた。

 生駒の頭の中で疑念が浮かぶ。

(おびき寄せるのに失敗したのか?)

 思わず、生駒は少し貫き筒の筒先を下ろしてしまった。

 その時である。

 天井が派手に破られた。

「っ!?」

 辛うじてカバネの持っている鉈を躱せたのは、幸運以外の何物でもない。

 体勢を崩さなかったのは僥倖。

 カバネの膂力で振り回される鉈を辛うじて躱す。

(あの浪人…想馬の攻撃に比べれば大した事ないぜ!!)

 そして、更なる幸運が生駒に味方したのだ。

 予め鋭い攻撃がどういうものか知れたお陰で、カバネの攻撃が雑で遅く感じたので

ある。

 だが、回避を続けるうちに生駒の背が家の壁に付いた。

 生駒の顔に焦りが浮かぶ。

 壁まで追いやった事でカバネは、生駒に鉈を大振りした。

 鉈は生駒ではなく、壁を大きく突き破った。

 生駒は不注意で壁に背を付けた訳ではなかったのだ。

 鉈が壁を破ると同時に、生駒は左手でカバネの顔を背けさせて、片手で貫き筒を胸に

押し付ける。

 だが、そこから後、一歩のところで生駒は計算違いをやった。

 それはカバネの力が常人を大きく上回る事を失念していたのである。

 なまじ攻撃を躱せてしまったが故に。

 左手はアッサリとカバネに押し返され、生駒の首筋にカバネの牙が迫る。

 だが生駒は押し返された左腕を盾に、貫き筒の引き金を引いた。

 青白い燐光が光り、血が反対側の壁に肉片と共に叩き付けられる。

 カバネは仰向けに倒れ、生駒はズルズルと壁に背を預けたまま座り込んだ。

 生駒は呆然とカバネを見詰める。

 だが、すぐに感情がカバネを倒した事実を理解し、生駒の口から咆哮が上がる。

「やったぞ!!やってやった!!俺が倒した!!俺の貫き筒が!!」

 だが、狂喜は長くは続かなかった。

 アドレナリンが出ていて、気付かなかった痛みが戻ってきたのだ。

 生駒は左腕を見ると、今度は恐怖で染まった。

 盾に使った左腕に大きな噛み痕が残され、腕がカバネのウイルスに侵されていたのだ。

 思わず口から悲鳴が漏れる。

 生駒の非凡なところは、まさにこの時に発揮された。

 恐怖に支配されずに、自身が助かる方法をすぐに実践しようとしたのである。

 親友である逞生と共に調べ上げた方法を。

 成功するかは確信がない。だが、迷っていれば生駒自身がカバネとなってしまう。

 生駒はすぐに焼けた鉄で傷口を焼き潰し、これ以上ウイルスが広がらないように、左の

肩を柔らかい金属で締め上げ、打ち機で固定する。

(こんなところで終われるか!!)

 自身の首に革のベルトを巻いてセットし、両足を固定すると機会の起動させた。

 凄い勢いでベルトが巻き上がり、生駒の首を締め上げる。

 下手をすれば首の骨が折れるのではとすら思うが、生駒にそれを気に掛けている余裕は

ない。生駒は縋るように妹の形見を見る。

 妹に背を向け逃げていく自身の姿が、生駒には見えた。

 走馬灯。

(俺は…あの頃の俺じゃないんだ!!俺は、もう、逃げない!!)

 朦朧とした意識が強靭な意思によって繋ぎ止めれる。

 首から上を目指そうとしていたウイルスは、時間切れとばかりに首から下に撤退すると

同時に、君の悪い色に変わっていた肌の色も若干不健康な色合いだが、正常に戻った。

 それを確認し、生駒は機械の停止させた。

 ベルトが緩み、生駒の身体は床に投げ出される。

 痛みを感じるより、空気を吸い込む事の方が重要だ。

 激しく咳き込みながら、必死に空気を肺に送り込む。

 ようやく落ち着いた頃、慌てて自身の身体を確認する。

 身体の怪我すら、嘘のように消えてなくなっている。

 だが、明らかにカバネではない。カバネ特有の死体そのものといった肌や、牙や

ぼんやりと光る眼もない。心臓被膜の不気味な脈動と共に光る心臓も現れていなかった。

「カバネにならなかったーーーーー!!!」

 生駒は歓喜のあまり大きな声で叫んだ。

 自分は成し遂げたのだと、生駒は思った。

 

「生駒!!無事か!?」

 自分の成果を噛み締めていると、そんな声と共に逞生が生駒の家に突入して来た。

 そしてまず床に転がるカバネを見て、大きく後退る。

「逞生!やったぞ!!」

「うおっ!?」

 カバネに目がいっていた逞生の視界に、生駒が突然入り込んだ為、逞生は思わず奇声を

上げてしまった。

「な、何!?」

「だから、やったんだよ!貫き筒が完成したんだよ!!カバネの心臓被膜を突き破ったぞ!!」

「じゃ、じゃあ、このカバネは…」

「そうだ!!俺が倒した!!」

 ジワリジワリと生駒の言葉が逞生の頭に浸透していく。

「「うぉおおおおおおお!!」」

 逞生にしても共にカバネの研究をして、武器の開発にも尽力してきた。

 それだけに、この危機的状況での成功に二人は沸いた。

「じゃあ、お前は無事に…」

「いや、噛まれた」

「は?」

「噛まれた」

 逞生の脳が今の言葉の理解を拒絶している。

 だが生駒は、逞生の様子に気付いた様子もない。

「心配ない。ウイルスは脳に入れなかったからさ。それも俺達が調べた通りだったんだよ!!

 これからは噛まれた人だって救える!!やったんだよ!!俺達は!!」

 歓喜に沸いている生駒には、気付けなかった。

 逞生が信じ難いといった表情で、恐れを抱いているのを。

 しかし、生駒にそれに気付けと言うには酷かもしれない。

 逞生は、すぐに別の問題に強引に頭を切り替えてしまったのだから。

(そうだ。生駒は正気っぽいし、カバネっぽくないし、様子見でいいだろ。それより早く

合流しないと置いてかれちまう)

 カバネが襲ってきているのに、他人を待つ奴はいない。

 どんな地位に居る人間だろうが、平然と置いて行かれたのである。

 逞生は現実からめを逸らしたが、別の現実を見詰めたのだ。

 

 そして、今に至るのである。

 逞生は生駒の背を見ながら、一番の懸念である駿城に置いて行かれる危険性が消えた

事で、目を逸らした別の懸念を感じ出していた。

(こいつは…本当に俺の知っている生駒なのか?)

 

 

           3

 

 想馬と無名も漸く駿城に乗り込む事が出来た。

 駿城を護る為の態勢が整ったのだ。

 無名は夜の子供のように眠そうにしている。

 それを想馬が何気なく観察していた。

 普段の無名なら、その視線に気付いただろうが、無名は全身が気怠く集中力を欠いて

いた。

 程なくして、駿城が動き出した。

 想馬達は先頭車両へと向かって歩いていた。

 速度は一向に上がる気配はない。

 いきなり凄いスピードで走り出したりしないと分かっていても、もっとスピードが

出ないのかと言いたくなる。 

 先頭車両に着くと、赤い鎧を着込んだ巨漢に出くわした。

 来栖と一緒に居た武士だ。

「ちゃんと動いたみたいだね」

 無名が眠そうな声で巨漢に声を掛ける。

「ああ。まだ危機は脱していないがな」

 この武士は、どうやら想馬や無名になんら含むところがないようで、声に負の感情は

見当たらない。

「脱してないなら、無理矢理突き抜けるまでさ」

 想馬は、そう言って不敵に笑って見せた。

「それは頼もしいな」

 普通は嫌味に聞こえる言葉も彼が言うと、本当にそう思っているように聞こえて、

想馬は少し笑ってしまった。

「まあ、お前達が本当に強いのは分かっている。頼らせて貰うさ」

 想馬は笑って頷いた。

(武士の中にも偶にこういう奴がいるんだよな。こういう奴ばかりなら、もっといいん

だがな)

 想馬は、既に舟を漕ぎそうになっている無名の背を押して、歩かせながらそう思った。

 運転席まで進むと、菖蒲がいた。

「お二人共、助かりました」

「アンタも、よくあそこから統制して避難させたな」

「もう、やるしかなかったので…」

 菖蒲が苦い顔で無理矢理笑みを浮かべた。

 おまけに顔が引き攣っている。

 だが、ここに非情な鬼が存在した。

「でも、戦は下手だね。もっと頑張らないと死んじゃうよ?」

 無名である。

「そんな…」

 無理矢理にでも、気を張って自分を保っていた菖蒲が、一気に沈んでしまう。

(容赦ねぇな、こいつ)

 想馬は、叩くだけでなく時に褒めてやらなければ、人は伸びないと実感として知って

いる為、無名の言葉に溜息を吐いた。

 その言葉は無名の今までの修練から出た言葉だと分かってはいても、人付き合いの

下手さに呆れてしまった。

 取り敢えずこれ以上、空気が悪くならないうちに想馬は無名の背を押した。

 無名は眠そうにトロンとした眼ではあったが、想馬を睨み付けた。

 だが、抵抗したり手や足を出す余裕はないらしく、なすがままだった。

 造りの頑丈な個所を見付けて、無名を座らせた。

「お前、取り敢えず休んどけ」

「うん…」

 反発する事なく無名は素直に頷いた。

 想馬としては、約束は護って貰ったので、このくらいの気遣いはしてもよかった。

 無名は座り込むと羽織っていた時羽織の中に頭を突っ込んで、すぐに寝息を立て

始めた。

 本人の申告通り、長時間戦う事が出来ないようだ。

 あれだけ非常識な力が、そう都合よく使いたい放題とはいかないだろう。

(確かに、あれくらい戦ったくらいで、これじゃ護る奴がいる訳だな。それに装備も

戦い方も普通じゃない。おそらくこいつが所属しているのは…)

 想馬は頭の中でそんな事を考えていた。

 だが、その考え事は中断される事になる。

「おい、お前達。想馬と無名といったな。警護が足りない。お前達は後部車両の警護に

回って貰う」

 あからさまな命令口調で来栖が言ってきたからだ。

「こいつはもう戦えない。見れば分かるだろ。そして、俺はこいつに雇われてる。ここ

までやったんだ。後はそっちで頑張ってくれや」

 あの赤鎧の武士の後とあって、かなり苛立った想馬はぞんざいに言い放った。

「何!?」

「来栖。ここまで戦い抜いた方々です。お疲れでしょう。確かに今度は私達でどうにか

しなければならないでしょう」

 激高しかけた来栖を沈んでいた菖蒲が止める。

 来栖にしても、成果を口にされると反論は難しかった。

「居眠りとは、いい気なものだな!」

 捨て台詞を吐いて来栖は背を向ける。

 想馬は一瞬、身の程を教えてやろうと思ったが、それは中断される事となった。

 駿城に衝撃が立て続けに襲ったのだ。

 よろけた菖蒲を来栖が咄嗟に支える。

「な、何!?」

 菖蒲が狼狽えた声を思わず出してしまった。

「不味いな。前にもあった事だが、おそらくはカバネが身を捨てて体当たりしてるんだ」

「ええ!?」

 菖蒲が驚愕の声を上げる。

 来栖も目を見開いて驚いていた。

 想馬はカバネと肉薄して戦うが故に、カバネの攻撃を嫌という程知っていた。

「早く止めないと、駿城といえども破られるぞ。…仕方ねぇ。俺も出る。誰か、こいつの

傍に付いててやってくれ」

 想馬は、そう言い捨てて薙刀を掴んで走り出した。

 風のように走り去る想馬の背を、菖蒲達は真っ青な顔で見送るしかなかった。

 

 夜明けはまだ遠い。

 

 

           4

 

 迷いなく後部車両に向かって駿城の中を進んでいく生駒の背を追っていた逞生だが、

奇しくも目を逸らした問題に目を向けた時に、それは起きた。

 駿城が衝突音と共に揺れ出したのだ。その拍子にパイプの一つが破損し外れ、漏れた

蒸気で勢いよく人に向かって倒れ込んだ。

 そこにいたのは、逞生の女友達である鰍だった。

 逞生にとってはあってはならない偶然に、顔が真っ青になる。

 鰍は子供達を庇っていた。逞生の位置からは助けられない。逞生は惨事を覚悟した。

 だが、それは生駒によってアッサリとパイプは止められたのだ。

「カバネか。厄介な事するな」

 生駒は、それだけ言うとパイプを元に戻した。

 生駒があまりにもアッサリと戻したものだから、逞生は人が犇めいた通路を通る時に

手を付いてしまった。

 あまりの熱さに逞生は情けない声を上げて、手を放す。

 とても熱くて持てるものではない。()()()()

 逞生は呆然と生駒の背を見た。

 それに更なる疑問が頭を過ぎる。

(なんでカバネがやってるって分かったんだ?)

 確かに外はカバネが犇めいている。予想は簡単だろう。

 だが、あまりに断定した口調ではなかったか。

 先程まで考えてしまった疑念が、ハッキリと逞生の中で成長していた。

 だが、逞生の口から決定的な言葉が出る事はなかった。

 駿城が衝撃で揺れると共に、扉が歪んで隙間からカバネが入ってこようとしていた

のだ。

 人々から悲鳴が上がる。

 逞生も、疑念どころではなくなってしまった。

 生駒が雄叫びを上げて突っ込んでいく。

 その姿は、不謹慎なくらいに嬉々として見えた。

 カバネが丁度扉をこじ開けたところで、生駒がガラ空きになった胸に貫き筒を押し込む

と、引き金を引いた。

 燐光と共に血飛沫が飛び散る。

 扉がその拍子にかなり開いてしまったが、生駒は嬉々として振り返った。

「見たか!これさえあれば、人はカバネと戦える!!」

 振り返った生駒が見たものは、生駒の想像とは掛け離れたものだった。

 そこには生駒が期待した希望ではなく、恐怖が刻まれていたからだ。

 逞生が震える指で生駒の胸を指す。

「生駒…お前、やっぱり…」

 逞生の顔には恐怖だけではなく悲しみも混じっていた。

 生駒は訳が分からず、逞生が指差した自分の胸を見た。

 マントのようなボロ布が開けて胸が露出していた。

 問題は、そこにはカバネの証たる心臓被膜が輝いていた事だった。

「え?な、なんで!?…いや、ち、違うんだ、これは…」

 生駒は自分でも支離滅裂だと分かってはいたが、止める事は出来なかった。

 突然、前方の車両の扉が開く。

 出て来たは、薙刀を持った想馬だった。

「おい!武士!そ、そいつはカバネだ!!」

 車両に居た誰かが叫ぶ。

 想馬は眉を顰めて生駒を見た。

「ち、違う!俺は大丈夫なんだ!」

 想馬の眼にも、生駒の心臓被膜の輝きが想馬にも視認出来てしまった。

 想馬の顔が苦虫を嚙み潰したように歪む。

「生駒、お前…」

 確かに生駒は正気を保っているようではある。

 無名と会う前の想馬であったなら、問答無用で殺しただろうが、想馬は躊躇した。

 無名のカバネではないという断言があったからだ。

 彼女の身元を推測していた想馬は、根拠のない戯言とは思えなかったのである。

 だが、背後から近付いて来た侍が先に動いてしまった。

 想馬を押し退けて蒸気筒を構えたのだ。

「貴様。やはり人ではなかったか」

 生駒が声を上げるより先に、来栖は引き金に指を掛けた。

「待て!」

 想馬は咄嗟に声を上げたが、来栖は問答無用に引き金を引いてしまった。

 弾丸は生駒の心臓に命中し、生駒は自ら開けた扉から外に弾き出されてしまった。

「ふん!呆れたものだな。カバネ相手に躊躇するとは」

 来栖は想馬を冷ややかに見て、吐き捨てて去って行った。

 想馬は鼻を鳴らして歩き始めた。チラリと生駒の消えた扉を見やって。

「生駒…」

 逞生は下を向いたまま、拳を握り締めていた。

 

 鰍は、そんな逞生に掛ける言葉が見付からなかった。

 

 

           5

 

 想馬が一仕事終えた後、武士はかなり減っていた。

(まあ、全員が乗れる訳でもないしな。それにあんな豆鉄砲に頼ってたんじゃ、

死ぬのも仕方ないだろう)

 想馬は特に死んだ武士に同情はしない。

 もっと戦い方があった筈なのに、恐れに駆られて蒸気筒を撃つだけしかしない

なら、同情の余地はない。

 一般居住区の住人ならばいい。だが、武士ならば勝つ為に全力を尽くす必要がある。

 

 例によって血塗れで戻ると、住人達が恐怖の眼で想馬を見たが、想馬の方は慣れた

もので、無視して運転席のある先頭車両に戻った。

 戻った事を伝えようとしたまさにその時、またしても緊迫した声が耳朶を打つ。

「前方にカバネです!!」

 急いで先に戻っていた来栖が物見用のハッチを開けて、外を確認する。

 菖蒲も気になったのか、後に続いて登って行った。

 想馬は慣れていても感情は別物で、次から次へと湧いて出るカバネにウンザリとした。

 無名を確認すると、相変わらずの姿勢で眠っていた。

 菖蒲は約束を守ったようで、無名の傍には菖蒲の傍に付いていた女官が一人いた。

(こいつは暫く期待出来ないな)

 想馬は無名を見て、そう判断を下した。

 便宜上、雇われたとしたからには、想馬は無名を護る義務がある。

「お父様!!」

 想馬の上から菖蒲の悲痛な叫びが聞こえた。

「違います!あれは、カバネです!」

 暫し、二人共無言だった。

 想馬は再度、外に出て戦う覚悟をした。

 前方にまでカバネに回り込まれている以上、かなりのカバネが血に惹かれて集まって

いる。簡単に駅脱出とはいかない事は、容易に想像出来た。

 その時、菖蒲が何か言ったようだった。耳を澄ませてみる。

「…そ…どを…あげ…な…」

 菖蒲の声がボソボソと聞こえる。

「菖蒲様!?」

 来栖の驚いた声が降って来る。

 

「速度を上げなさい!!」

 

 今度はハッキリと菖蒲は命じた。

 菖蒲の性格を知る面々は驚愕の顔で、菖蒲を見た。

 だが、只一人不謹慎にも笑うものがいた。想馬である。

 降りて来た菖蒲は、涙を流していた。それでも毅然とした態度を保っていた。

 この姫は無理をしている。そう、分かったからこそ皆は指示に従った。

 姫の勇気と決意を台無しにしない為にも。

(涙は減点だが、上出来だ。姫様)

 只一人、想馬だけは菖蒲の成長を喜んだ。

 あそこで来栖が代わりに声を上げていたら、弱々しいだけの姫の印象が定着して

しまう。

 ここは、毅然と命令を下すべき場面なのである。菖蒲はそれをやった。

 姫の成長はこの先、危険な局面を減らす事にも繋がる。

 この甲鉄城にとって有益な事だったのである。

 

 だが、すんなりと脱出とはいかないもので、外の防壁の跳ね橋を下ろす段階で問題が

発生した。

 本来なら駿城からの連結棒を接続する事によって、防壁を開ける事が可能なのだが、

何かの故障か作動しなかったのだ。

「こうなったら、外部のレバーで手動で下ろすしかないですね」

 運転席に座る見習いの少女が、冷静にとんでもない事を要求してくる。

 つまり、それはカバネで溢れ返っている外へ出て行く事を意味している。

 行ったら戻って来る事は出来ない。人としては。

 来栖は無言で踵を返した。

 赤鎧の巨漢が慌てて来栖の肩を掴んで止める。

「来栖!どこへ行く!」

「決まっている。跳ね橋を上げる」

「死ぬぞ!!」

「俺達は侍だ!!命を捨てるべき時に捨てねばならないだろう!!」

 赤鎧の巨漢は言葉を詰まらせる。正論だったからだ。

「吉備土、後を頼む」

 赤鎧の巨漢・吉備土がそれでも何か言おうとした時、動いた者がいた。

「見ろ!!カバネが!?」

 全員が狭く小さい窓や、物見用のハッチの中に開けられた小さい隙間などから外

を見る。

 そこには幾度もカバネに噛み付かれながらも、全身を続ける生駒の姿があった。

 これには見た全員が呆気にとられた。

 一部の人間を除いては。

「生駒…」

 その姿は逞生の眼にもハッキリと映った。

 

 生駒は落ちた後、動く気力がなかった。

 自分は失敗したのだという失意から、生駒は身動きが取れなくなっていた。

 絶望が体を蝕んでいた。

 正気を失い、人に襲い掛かるかもしれないという恐怖も上乗せされている。

 だが、カバネの接近を感じて跳ね起きた。

 先程まで動けないと思っていたのにだ。

 生駒の口から忍び笑いが漏れる。

(俺はまだ死にたくないと思っているのか!未練たらしく!なんて人間なんだ、俺は!

 いいだろうさ。成果の一つも出してやる!見てろ!俺の姿を!そして、誰でもいい!

 俺に続いてくれ!)

 生駒は、襲い来るカバネを噛まれながらも撃退していく。

 噛まれても平気である生駒ならではの戦法。

 それはカバネの攻撃に構わない事だ。

 防御しようと思うから体勢が崩れる。だからこそ、防御を捨てたのだ。

 そして、生駒に最後といえる機会が訪れた。

 駿城が止まっていたのである。

 蒸気鍛冶である生駒には原因が容易に推測出来た。

(跳ね橋を下ろさずに停車している?そうか、大方何かが挟まったか壊れたで、連結棒

が使えなくなってるな。助けてやるよ!俺がな)

 生駒は当然外部から操作するレバーの事も知っていた。

 レバーのところまで生駒は迷わずに進んでいく。

(よく見てろ!俺が、俺がお前等を救ってやる。お前等が足掻くのを地獄から嗤って

見ていてやる!そらみた事かってな!!)

 あともう一歩というところで生駒はレバーに近付けずにいた。

 カバネがそれをやられると餌が取り上げられると分かっているように、生駒を邪魔して

いるのだ。

 

 駿城の内部でも黙って見ているだけではなかった。

 生駒の援護をすべく動いた男が居た。

 想馬である。

「俺は行くぞ。邪魔だから供は要らない」

 来栖が鼻で嗤う。

「カバネの共食いを、わざわざ見物に行くというのか」

 次の瞬間、来栖の胸倉を想馬が掴んでいた。

「確かに、あいつは噛まれたんだろうさ。だが、今は確実に人間だ。見捨てた俺達を

助ける為に傷付きながら進んでる。それを見て、お前は何も感じないのか?」

 来栖の表情に何某かの変化はなかった。

 自分は間違っていないと信じる者の顔だった。

 こういう手合いには、何を言っても無駄だろう。

 想馬は早々に見切りをつけて手を離した。

 来栖は無言で着衣の乱れを正す。

 想馬は、それを見届ける事なく走り出した。

 

(もう少しなのに!!)

 生駒が内心で悔しがる。

 あと一歩で跳ね橋を操作出来る。

 なのにカバネに阻まれ進めない。

「うぅおぉぉぉーーー!!」

 邪魔なカバネの心臓被膜を破壊しても、次が圧し掛かって来る。

 だが、不意に身体が軽くなった。

 生駒は原因を探るべく、周囲に目を遣った。

「っ!?」

 そこには想馬がいたのだ。

 漆黒の薙刀を小枝のように振り回して暴れていた。

 気合と共に薙刀が一閃される度に、カバネが二三匹千切れ飛んでいく。

 がら空きになった胴をカバネがカバネが襲い掛かるが、驚異的な膂力を持つ想馬は

薙刀を片手で振り回していた為に、片手が空いていた。視界の外からの攻撃であった

にも拘らず、想馬は難なく裏拳をカバネの顔に叩き込んだ。カバネは成す術もなく

吹き飛ばされた。

 まるで背後にも眼があるかのようだった。

 人間の戦いとは信じ難い。

 真後ろから近付いて来たカバネが、背後からの首筋に噛み付いて血を啜ろうとしたが、

想馬は咄嗟に上体を倒すように躱す。カバネの両腕は空を切り、代わりに顎に蹴りを

食らう事になった。

 生駒は、重要な仕事も忘れて呆然と見物してしまった。

「生駒!!さっさとやれ!!」

 生駒は、その言葉で我に返った。

「お、応!!」

 かなりの数のカバネが想馬へと流れる。

 想馬の方が強いのだから仕様がない事だ。

 生駒はそのお陰で余裕が出来たものの、いつ邪魔されるかも分からない状況だった為、

生駒はそのまま倒れ込むようにレバーを倒した。

 防壁の門が開き、跳ね橋が降りていく。

(終わったな…)

 生駒の中に残ったのは、そんな言葉だった。

 直前まであんなに自分の生き様を見せ付けてやると思っていたのに、今は悲しみと

虚しさしかない。

 駿城が速度を上げて生駒の横を通過していく。

 生駒の眼からは自然と涙が流れ出した。

 みっともない事だ思ったが、止まらなかった。

 だが、突然襟首を掴まれて引き摺られる。

「っ!?」

 なんとか顔を動かして自分を引き摺る者の正体を見る。

 想馬が自分の襟首を掴んで走っていたのだ。

「お、おい!止めろ!俺は…カバネなんだ!」

「お前!いつからそんなに諦めがよくなった!無名の奴が言っていた。お前はカバネじゃ

ないってな!俺はそれに賭ける!借りを返さないままなのは気が引ける質でね!」

「馬鹿な事言うな!」

 カバネが後から迫って来る。

 追い掛けてきているのだ。

 想馬は舌打ちすると、薙刀を背後に向けて斜めに強引に振る。

 相変わらずの膂力のお陰で、何体かは転がり脱落するも、相当な量の数が追い掛けて

来ていた。

「キリがねえ!お前も走れ!」

「この体勢から、どうやって走れっていうんだ!」

 馬鹿二人の会話は、銃弾により打ち切られた。

 想馬は来栖が撃ったかと思ったが、射手は無名だった。

 背後のカバネが眼球を撃ち抜かれ、後続を巻き込んで脱落する。

 無名は武士から借りたのか、大型の蒸気筒を構えていた。

 いつの間にか動けるようになっていたようである。

「おデブ!」

「俺には逞生って名があるんだよ!!」

 そして牽引用のワイヤーの近くにいるのは逞生だった。

 逞生は素早くワイヤーフックを想馬に投げて寄こす。

 想馬はそれを掴むと、生駒に括り付けた。

「お前等、正気か!?カバネを招き入れる気か!!」

 武士が物陰から文句を言っている。来栖達の姿はない。

 カバネが大挙して走る場所が怖いのか、文句を言いつつも武士は逞生のところに

来ない。

「そのカバネに助けられたんだろうが!!それにあそこにいるのは、俺の友達だ!!」

 無名は、ひたすらにカバネを狙撃していく。

 その腕前は、まさに達人の域だ。

 カバネの身体で一番脆い眼球を、車両の屋根から正確に狙撃しているのだから。

 逞生がワイヤーを巻き上げると、生駒は強引に引き摺られ引き上げられた。

 生駒という錘がなくなった想馬は、そのまま甲冑を着ているとは信じ難い動きで駿城に

飛び乗った。

 それを見届け、無名が大量の自決袋を投げ込むと、それの一つを正確に撃ち抜いた。

 火薬は見事に引火して大爆発を起こす。

 追い掛けるカバネは爆風と火に巻かれ、想馬達を追うどころではなくなった。

「逞生!俺はカバネなんだ!下ろせ!」

「今更そりゃ、出来ないな」

 生駒の文句に、逞生はにべもなくそう言った。

 想馬も無名と一緒に後部車両に入って来た。

「危ねえな!危うく吹っ飛ばされるところだったぞ!」

「アンタの膂力なら平気でしょ?」

「ふざけんな!」

 無名と想馬は先程の爆破の件で言い争っていた。

 

 だが、空気を読まない男がいた。

 生駒の前に自決袋が放り投げられる。

 投げた者は来栖だった。

「使え。まだ人の心が残っているなら」

 来栖の言葉に自分でも思っていた事なのに、生駒は反射的に怒りを覚えた。

 思わず睨み付けてしまうが、来栖は顔色一つ変えなかった。

「そいつはカバネじゃないよ。人間でもないけど」

 想馬との言い争いを一時棚上げにして、無名が生駒の前に立って言った。

「何を言っている!?」

 来栖は銃を構えたまま、問い質す。

 無名は溜息を吐くと、徐に上着の一枚を脱いで背中を見せた。

 全員が息を呑んだ。

 そこにはカバネ特有の心臓被膜が輝いていたからだ。

「私達はカバネリ。人とカバネの狭間にある者」

 

 全員が呆然とする中、想馬だけは冷静に成り行きを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 原作とは生駒の腕の噛み痕が逆になりました。
 ま、大した事ではないでしょう。

 メイン投稿とサブ投稿、そして本作は気晴らし
 投稿となっている為、随分と時間が経ってしま
 いましたが、これからも書いて行く積もりです。
 
 書く時間がなかなか取れないので、もっと時間
 が掛かる可能性大です。

 めげずに付き合って頂ければ幸いです。





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第四話

 随分、時間が掛かってしまいました。
 書く時間が取れていない所為です。
 言い訳です。はい。
 
 では、お願いします。





        1

 

「カバネリだと?」

 想馬を除く全員が無名の背に光る心臓被膜を凝視していた。

「お前が…俺と、同じ?」

 生駒の呆然とした声が静かな車内に響く。

 たが、只一人逸早く我に返った者が居た。

「結局は人間ではないという事だろう!」

 来栖が蒸気筒を構え直す。

 無名は上着を羽織り直すと、来栖に向き直った。

 そして不敵な笑みを浮かべ、何か言おうとした時である。

「止めといた方がいいぞ」

 想馬が来栖の蒸気筒を横から取り上げたのだ。

 見た目に反した凄まじい力に、来栖は碌に抵抗も出来ずに蒸気筒を取り上げられた。

 来栖はそれでもすぐに刀に手を掛けたが、既に想馬の手が柄頭を押さえていた。

 どう力を入れようと刀は抜けず、来栖は物凄い形相で想馬を睨み付けた。

「どういう積もりだ」

 来栖が静かだが殺気の籠った声で、想馬を問い質した。

「おいおい。俺はこう見えてもアンタ等の為を想って言ってやったんだぜ?」

 想馬はウンザリとした顔で、殺気に反応すらせずに言った。

「なんだと?」

「だから、こいつに手を出したらヤバいって教えてやってるんだよ、俺は」

「貴様等は確かに赫々たる戦果を挙げた。だが、それで俺が負けるなどと思うなよ」

 想馬は思わずため息を漏らした。

「そういう問題じゃないんだよ。問題はこいつの所属だ」

 無名以外の全員が事情が呑み込めずに戸惑っていた。

「ハッキリというぞ?こいつは狩方衆だぞ」

 来栖もその言葉に目を見開いた。

 狩方衆とは、幕府が組織した中で唯一カバネに対して常勝している戦闘集団である。

 幕府の切札であり、長は現将軍の子息である。

 勘当されているが、現将軍の子息であった影響は無視出来るものではない。

 それに不思議な事に勘当されていても、彼は将軍の姓である白鳥を名乗る事を許されて

いるのだ。

 故に傍から見れば、狩方衆総長・白鳥美馬はどういう位置付けなのか分からず、不気味

な存在なのである。

 噂では、幕府内には彼を信奉する者は少なくないとも聞く。表立って支持は表明して

いないが、どこに潜んでいるか分かったものではないのも厄介である。

 狩方衆は一人一人が凄腕の戦闘者であり、白鳥美馬の元に鉄の結束で結ばれていると、

有名でもある。

 その狩方衆の一員に手を出したら、どんな報復があるか分かったものではない。

 それに優秀な人材は、今の世では余計に貴重なのだ。

 おいそれと代わりは見付かるものでもないし、任務に耐える実力を得るまで、鍛える

のも容易ではない。恐ろしく金と時間を掛けて育てているのだ。

 それを勝手に殺せば、狩方衆以外にも金で支援している連中が怒る。

 それ程の集団なのだ。

「だろ?」

 想馬は確認する口調で無名に訊く。

 無名は面白そうに想馬を見ていた。

「へぇ。なんでそう思ったの?」

 素直に認めない無名に、想馬は顔を顰めた。

「京で奇妙な噂を聞いた。理性を持ったままカバネになった連中が狩方衆にいるってな」

 無名は片眉を器用に上げて見せた。

「お前は、この戦いで圧倒的な実力を示した。だが、それは有り得ない身体能力も証明

した格好になった。餓鬼があんな高く跳躍出来るか?短筒に仕込んだ刃でカバネの首を

刎ねるなんて真似が出来るか?あれで首を一刀で落とすのは力がいるぜ?普通の餓鬼に

は出来ない。だが、普通じゃなきゃどうだ?カバネの力を得たなら可能だ」

 カバネは、子供であっても大人と遜色ない力を発揮する。

 それが無名のような歳の頃で、戦い方を仕込まれていれば、もっと恐ろしい存在に

なるだろう。

「それにお前は俺が持っている銃にも詳しかった。それに正式採用を検討してたって

言ったな?そんな事、凝り固まった今の武士の誰がやる?狩方衆ぐらいしか、そんな

もん検討しやしないさ。噂じゃ、狩方衆は他にない武器や装備を使っているって話だし

な」

 今の武士の戦は効き目の薄い蒸気筒で止まっている。

 そこから工夫して戦う気配はない。

 幕府の中でも、そんな色々な装備を試し採用しているのは、狩方衆だけしかいない

のだ。

 無名はニヤッと笑って否定も肯定もしなかった。

 どうやら今は言う気がないと、想馬はそう感じた。

 だが、想馬にとってそれで十分だった。

「という訳だ。肯定しなかったが、否定する材料もないって事だろ?」

 かなり強引な意見だが、若いながらも菖蒲の傍で仕える立場を維持する為に、駆け

引きもそれなりにやってきた来栖としては、信憑性はなくはないと頭の片隅で判断して

いた。

 だが、このまま銃を下ろす事も容易に出来ない。

 民が見ている前で日和見をすれば、舐められる事にもなりかねない。

 自分にも他人にも厳しいからこそ、信頼もされると来栖は考えていた。

 誰も迂闊に手を出せず、膠着状態になってしまったが、調停者は意外なところから

現れた。

「お止めなさい。来栖」

 凛とした声が来栖を止めた。

 菖蒲である。

 武士や顕金駅の人々が思わず振り返る。

「菖蒲様…」

「無名さんは、私達が撤退する道を開いてくれた功労者の御一人。それを責めるなど

失礼でしょう」

「しかし…カバネと同乗など出来ません」

 来栖のハッキリとした反論に、意外な人間が賛成した。

「俺も同感です」

 生駒である。

「今は理性を保っているけど、いつどうなるか分からない。やっぱり降りるべきだと

思う」

 生駒はそう言うと、扉に向かって歩き始めた。

 だが、それより素早く動く者があった。

 無名が生駒の腕を掴むと、生駒が無名の手を振り解こうとした力を利用して投げ

飛ばした。派手に地面に叩き付けられて生駒は呻き声を上げた。

「菖蒲さん。功労者って認めてくれるんならさ。このまま乗せてってよ。これ、金剛

郭に行くんでしょ?」

 生駒が余計な事を言わないうちに、無名はサッサと話を進める事にした。

「ええ…、運行表によると」

「だったら丁度いいや!私等が怖いっていうなら、後部車両から出ないからさ!」

 菖蒲は困り顔で黙り込んだ。

 流石に菖蒲もすぐに変われる訳ではない。

 反発が多い中、まだ皆納得していない状態で、自身の考えを押し通す事は難しかった。

「乗せてった方が面倒がなくていいぞ。こいつを本格的に敵に回すよりな」

 想馬が見かねて助け船を出すが、来栖は表情を険しくした。

「余所者が口を挿むな!」

 矛を収める機を窺っていた来栖ではあるが、想馬にアッサリと抑え込まれてしまった

事で、咄嗟に声を上げてしまった。若いが故に傷付けられた誇りを勘定から外すのは

難しいのだ。

「金剛郭には俺も何度か行った事があるよ。あそこの遊郭には元領主の姫がゴロゴロ

いるぜ?何故か分かるか?自分が治める駅を見捨てて逃げた奴に幕府が寛容を示す事

はないからさ。なんの伝手で自分達が安泰だと思っているか知らんが、こいつと戦え

ば犠牲者は、かなりの数になるだろうな。家臣も少ない。当主もいない。そんな姫に

手を貸すお人好しがいるかな?」

 来栖の顔が引き攣った。

 現在は金剛郭の要人達も、自分達の保身に苦労しているくらいなのだ。

 家臣団が残っていれば、有用な人材を取引材料とする事も出来る可能性はある。

 だが、来栖達が死んでしまえば、特筆すべき人材はいないのだ。

 来栖自身それをよく承知していた。

「だったら、疎まれていようが幕府で発言力がある奴に貸しを作るのも悪くないん

じゃないのか?」

 来栖は蒸気筒を乱暴に奪い返した。

 想馬も抵抗せずに手を離した。

 蒸気筒が、来栖の悔しさの八つ当たりを受けて軋んだ音を立てていたのは、ご愛嬌

だろう。

「ま、断れても強引に乗るんだけどね」

 武士達が、発言した無名に一斉に睨み付けたのは言うまでもない。

 想馬は無名の言葉に天を仰いだ。

(折角、収まりそうだったのに煽るなよ)

 無名の空気の読めなさに、想馬は溜息を吐いた。

 

 この先の前途多難さに、想馬は頭痛を覚えた。

 

 

         2 

 

 生駒が目を覚ましたのは、日が昇り切った頃だった。

 生駒は呻き声を上げながらも上体を起こした。

「もう傷、治っているでしょ?身体はカバネだからね」

 生駒の目に無名の姿が映る。

 無名は、こっちを見る事なくけん玉を器用に操りながら、書物を読んでいた。

 生駒は無名の言われた事を確認するべく身体を確認すると、確かにあれだけボロボロ

だった身体は傷一つなかった。

 だが、生駒にとって一番気になる点は別だった。

「なんで想馬まで、ここにいるんだ?」

 そう、何故か正真正銘人間である筈の想馬も一緒だったのだ。

 想馬は壁に背を預け目を閉じていたが、生駒の言葉に片眼を開けた。

「カバネを庇うような奴は、こっちにいろとさ」

 素っ気ない声で想馬は答えた。

「成程」

 生駒も言葉短く納得の返事を返した。

 まあ、想馬の言葉は庇ったと取る者がいるだろう事は、容易に想像が付いたからだ。

 生駒は思考を切り替える。

「お前は金剛郭に行くって言ったな」

 今度は無名に気になった質問をする。

「まあね。兄様との約束でさ。言えないけど大切な用なんだよ」

 無名は顔を上げる事なく答えた。

「何、興味あんの?」

 無名が漸く顔を上げてそう言った。

「あそこはカバネ研究の最先端だ。カバネリなんてまだ信じられないが、あそこなら何か

状況を打開出来る成果があるかもしれない」

「降りるんじゃなかったけ?」

 生駒の今後の指針に、無名が冷水を浴びせる。

「信じられないが、このボイラー車に三日籠って、理性が残っているなら人の理性が消え

ないっていう一つの根拠にはなる。それに自分が何になったか確かめてからでも遅くない。

殺されるにしても、降りるにしてもな」

 三日というのは、何も適当な日数を言っている訳ではない。

 ウイルスの潜伏期であっても、三日もあれば感染していればカバネとなる期間なのだ。

 確かに、三日間理性を保てれば、理性を失わない根拠くらいにはなりそうだった。

 生駒は意識が途切れている間に、いつもの調子を取り戻したようだ。

「アンタ、面白い考え方するよね!うん!特別にアンタを盾二号にして上げよう!」

「は!?なんだ盾って!?」

「契約は終わってんだろうが。それに、その言葉からすると俺は盾一号になんのか?」

 想馬は顔を顰めて文句を言ったが、無名は笑顔で黙殺した。

「私さ、全力で戦うと暫くすると眠っちゃうんだ!だから生きてる盾は重要なんだ!それ

にアンタは、想馬と違ってカバネに噛まれても平気だし!」

 語外に盾として最適!という声が聞こえそうな無名の声に、流石の生駒も腹が立った。

 女を殴る趣味はないが、思わず掴みかかってしまった。

 だが、掴みかかった生駒の腕をスッと躱し、無名は生駒の顔面を殴った。

 殴られた方は鼻を打たれ、痛みに悶絶して倒れた。

「それじゃ、始めようか?」

 鼻を押さえて生駒が声を上げる。

 あまりの仕打ちに、怒りさえ忘れてしまっていた。

 皮肉だが、痛みで正気に戻ったとも言う。

「な、何を!?」

「稽古に決まってるじゃん。今のままのド素人丸出しの動きじゃ、盾に使えないで

しょ?」

 生駒の疑問に、無名が何を当たり前の事をと言わんばかりの声で言った。

「ホラ!サッサと立つ!」

 無名は容赦なく倒れている生駒に蹴りを入れる。

 生駒は慌てて立ち上がる。

「ちょっと待て!」

 生駒の必死の制止にも耳を貸さずに、無名は容赦ない攻撃を繰り出す。 

 その度に生駒は床を転がる羽目になった。

「想馬も止めてくれ!」

 生駒は無名に何か言っても無駄と見切り、想馬に助けを求めたが、想馬は半眼で生駒を

見て言った。

「人の忠告無視して、人間辞めたんだろ?こうなったら、稽古するしかないってのは、

正論じゃないのか?」

 返ってきた無情な言葉に、生駒は絶句した。

 ついでに隙だらけだった為、またも無名に殴り倒された。

 

「だからさ!そこはくるっと回ってチョンチョンパだって何度も言ってんでしょ!?

カバネリの癖に覚え悪いな!」

 私刑の様相を呈してきた生駒の稽古は、混沌へと突入していた。

 最初はボコボコにするだけだった無名だが、次第に言葉で説明するようになった。

 だが、問題は無名は天才肌なのか説明が絶望的なまでに下手だった。

 トット、パやら擬音が説明の全てであった。

 素人の生駒には横暴としか言えない説明であった。

 あまりの説明に想馬すら頭痛を感じる。

 床に転がりながら、生駒が恨めし気に無名を睨む。

「説明が下手過ぎる!なんだチョンチョンパって!?」

「それ以外にどう表現しろって言うのよ!?」

 逆ギレもいいところの無名に生駒はゲンナリとしていた。

 まるでそれこそが真理と言わんばかりにの物言いに、生駒も言葉を失う。

「しっかりしてよね!枷紐取ってない私にも力負けじゃ、どうしようもないよ?」

 顔を顰めて一瞬黙り込んだ生駒だが、すぐに訊くべき質問が浮かび口を開く。

「その頸のやつ、なんなんだ?」

「アンタの頸に付いてるのと同じだよ、多分。私の場合、枷紐取れば全力で戦える

けど、すぐに疲れちゃうんだよ」

 確かに生駒の頸には、ウイルスの進行を押さえる為の首輪のような物を付けていた。

 だが、生駒の場合外すなど想像出来ない。

 ウイルスが脳に到達される可能性がある以上、そんな事をする気が起きない。

 のんびりとした物言いをしていた無名は、突然表情を変えた。

「カバネ!」

 無名は、立ち上がると出ないという約束をした筈の後部車両から出て行った。

想馬は、無名の後ろ姿を見ながら、これでまた揉める事になるなと先が思い

やられる思いだった。

 

 仕方なしに想馬は、生駒と共に無名を追って行った。

 

 

         3

 

 生駒の私刑が実行されていたまさにその時、先頭車両でも問題が発生していた。

「困りますな!カバネを乗せるなど!正気とは思えませんぞ!!」

 顔役の男が先頭車両で部下を引き連れて、菖蒲に抗議していたのだ。

 部下達が賛同して騒ぎ出す。

「カバネではありません。カバネリです」

 菖蒲は、精一杯虚勢を張って平静に答えた。

「人ではないのは間違いないのでしょう!?いつこちらに襲い掛かってくるか!!」

 顔役の男が吐き捨てるように言った。

 菖蒲の顔が歪む。

「貴方達は彼等に助けて貰った筈。恩があるのではないのですか!?それを忘れ

て、そんな事を言い出すとは!恥ずかしくないのですか!?」

 内心で菖蒲は、しまったと思った。

 あまりの勝手な言い分に怒りで、つい口からついて出てしまったのだ。

「今は安全を確保する方が優先ですぞ!!そんな事もお分かりにならないか!?」

 あまりこの手の話に経験のない菖蒲ですら、拗れる事が容易に想像出来た。

 自分の経験のなさに、菖蒲は今まで何もしてこなかった事を後悔した。

 そして、新たな集団が姿を現した。

 老人達である。

 老人達は入ってくるなり入り口に座り込むと、これまた厄介な事を要求し出した。

「甲鉄城を止めろというのですか?」

 菖蒲の呆然とした声が虚しく響く。

「死んだ家族を弔いたい。これ以上、離れたら祈りが届かなくなる!」

 今は出来るだけ飲み込まれた駅から、離れて置きたいところだ。

 だが、言い分は理解出来る。 

 少し考え込んだ菖蒲に、更なる厄介事が襲い掛かった。

 

「菖蒲様!カバネが!!」

 

 菖蒲は思わず天を仰いだ。

 

 

         4

 

 無名は扉を開けると疾走する。

 想馬、生駒の順で後を追う。

 想馬は放って置きたいところだが、それで自分も面倒に巻き込まれるのは、ほぼ

決まっているので、一人ボイラー車で大人しくしている訳にはいかなかった。

 生駒は先に走る想馬に追い付く事が出来ずに後ろを走っていた。

 流石に鍛えた侍相手に、運動不足の蒸気鍛冶では分が悪い。

 しかし、想馬の脚を以ってしても、無名を止める事は出来なかった。

 速さは無名の方が上のようである。

 想馬が追い付いた頃には、問題を起こしていた。

 人に刀を向けている無名を発見したのだ。

 どうも妊婦と男二人が揉めていたところに、更に無名が乱入した形のようだ。

 場は恐怖で凍り付いていた。

 想馬は頭痛を堪えて、無言で無名の頭に拳骨を落とした。

「痛った!?何すんのよ!?」

 無名が猛然と振り返り想馬に食って掛かる。

「それはこっちのセリフだ。後部車両から出ないんじゃなかったのか。絶対面倒に

なるぞ、これ」

 無名はムッとして、想馬を睨む。

「だって!カバネが…」

「なんの騒ぎだ!!」

 無名の言葉は、厄介な人間の言葉に遮られた。来栖である。

「面倒になっただろ?」

 想馬はウンザリと来栖を見た。

 来栖の方は素早く蒸気筒を構える。いつでも撃てる構えだ。

「何がカバネリだ。血でも漁りに来たか!」

 来栖の声は冷たい殺気を含んでいた。

「待ってくれ!無名はすぐにボイラー車に戻らせるし、これ以上、面倒は起こさない!

 だから…」

「信じられるか!」

 来栖は生駒の言葉を一蹴する。

「無名さん!想馬さん!これはどういう事ですか!?」

 息を切らせて、急いできた菖蒲が刀を持つ無名を見てから、想馬を問い質した。

 説明してくれそうな相手を見事に選んだ結果だが、無名は少し気に入らない顔を

した。

「突然、コイツが走り出したんだよ。だから追いかけた」

 想馬が、事情を碌に把握していない事に失望のため息を吐く。

(俺は、コイツの保護者じゃないんだよ)

 想馬は内心で毒づいた。

「無名さん。出ないと約束して頂いた筈です。何事ですか?」

 菖蒲が意を決して無名を問い質した。

「言っても分かんないよ」

 来栖を冷ややかに見たまま、無名は吐き捨てた。

 そこに想馬の拳骨が再び無名の頭上に落とされた。

 あまりに凄い音だった為、場が静まり返った。

「ちょっと!!さっきから…」

 無名の言葉は途中で途切れた。

 想馬が拳から掌に変えて、無名の頭をぐしゃぐしゃに撫でたからだ。

「確かに言っても分かって貰えんかもな。でも、そもそも言葉にしないと分からない

んだよ。俺達も聞いときたい」

 意外に真剣な口調で想馬が言った。少し前までの自分なら出ない言葉だと、内心で

想馬は自嘲した。無名は、諦めてしまうには、まだ幼い。

 無名は恨めしい顔で想馬を見詰め、暫くして漸く口を開いた。

「カバネが分かるんだよ。カバネリには。半分カバネだからね」

 渋々といった感じではあるが、無名は答えた。

「生駒は分かるのか?」

「いや…」

 想馬の疑問に、生駒は言い辛そうに答えた。

 そこんとこどうなんだ?と言わんばかりに無名を見ると、無名も察した。

「生駒は成り立てだから、慣れてないんだと思うよ。私も最初、分かんなかったし」

 無名はそっぽを向いて、投げ槍に答えた。

「ふん!疑わしいものだな!」

 来栖が構えを解かないまま、吐き捨てた。

 無名は、だから言ったでしょ?とばかりに想馬をチラッと見た。

「いや、俺は信じるぞ」

「え?」

 無名は一瞬、年相応の表情になった。

「お前の言葉に嘘は感じなかったからな」

「そ、そうなんだ?」

 え?ホントに?と無名の顔にデカデカ書いてあるようで、想馬は笑ってしまった。

 そもそも何の後ろ盾もない傭兵が、嘘に敏感でなくてはいいように使われるだけ

だからだ。疑り深く、慎重には当然で、嘘を見抜く目も必要な技術なのである。

「な、何よ!!」

 無名は馬鹿にされたと思って、想馬の脛をゲシゲシと蹴り付ける。

 一気に殺気立った場が白けた。

(それに実際、あの状況じゃ、検閲だって機能してたか疑わしい。感染者が紛れて

いたっておかしくはない状況だ)

 口にこそ出さなかったが、想馬はそう考えてもいた。

 そして、心当たりがあろうが名乗り出る馬鹿はいない。

 更に、言ったところで状況は悪化するだけだ。

(後で姫さんにでも、こそっと言っておいた方がいいだろうな)

 そう考えていると、突然、何かを打ち鳴らす音が響いて、皆が一斉に振り返った。

 そこには、バケツとスパナを持った異国人が立っていた。

「不味いぞ、キャプテン。キュウスイタンクが破れてる。次の駅までとても持たない」

 

 どうも無名の件は、本格的に話し合う事は難しいようである。

 

 

         5

 

 無名達を再びボイラー車に押し込み、菖蒲達は先頭車両に戻っていた。 

 菖蒲は、別れ際に想馬が無名の意見を信じる根拠を告げられ、頭痛を感じていた。

 明らかに彼女の処理能力を超える事で、信じていいやら分からない。

 菖蒲とて無名がなんの理由もなく、約束を破ったなどと考えてはいないが、それで

他の面々をどう納得させるべきかが思い浮かばない。

 加えて、顔役の男にも無名達が勝手にボイラー車から出た事がバレて、そら、

見た事かと騒ぎ出されて難儀した。

 菖蒲には、もう自分で歯止めを掛けられるか自信がない。

(取り敢えず、今は優先すべき事がありますね…)

 菖蒲は、頭を切り替えて、目の前の問題に目を向ける。

「給水タンクの修理は、どのくらい掛かりそうですか?」

 これもまた難題だった。

 甲鉄城は蒸気で動いている。必然、水がなくなれば動く事は出来ない。

 動けない駿城など少しばかり頑丈な列車である。

 早々に修理する必要があった。

 菖蒲の質問に、異国人の蒸気鍛冶は顎に手を当てて考える。

「…メイビー、朝までにはドウニカ」

 それを聞いて、その場の人間の顔が強張る。

 それだけ長時間停車しなければならないとなると、カバネに発見される可能性は

高まる。

 無理して走れば、駅に到着出来ずに修理不能でカバネの餌食となる。

「分かりました。それでは、一時停車して修理しましょう。その間に葬儀も行い

ます」

 菖蒲は、これしかないとはいえ判断を下した。

「老人達の願いを聞き届けるのですか?」

 来栖は、自身で判断をしている菖蒲に少し驚いたのだが、実際に出た言葉は、

それだった。

「私が祈りたいのは勿論ですが、ここで少しでも不満を解消しておきたいのです」

 前までの菖蒲であれば、純粋に領主である堅将の為と言っただろう。

 だが、苦境が菖蒲を成長させていた。

「承知しました」

 来栖は内心複雑な思いで頭を下げた。

 菖蒲の成長に、自身があまり関係していないのが、少し悔しくもあったからだ。

 

 

         6

 

 甲鉄城は修理の為、停車して修理が開始された。

 それと同時に葬儀も遺体なしで、行われていた。

 修理の進捗が芳しくなかったのもあるが、あまりに犠牲者が多く葬儀は夜に

なっても終わらなかった。そして、修理状況が芳しくない理由は、蒸気鍛冶達も

一緒になって祈っている為、作業が進まなかったのである。こればかりは、武士

が強く言っても、どうしようもなかったのだ。

 辺りは暗闇に包まれ、目立つと承知していても暗くては修理も葬儀も出来ない

為、火がともされた。

 武士達は緊張した面持ちで蒸気筒を手に警戒に当たっていた。

 だが、闇に紛れて不穏な動きをする者達がいた。

 武士の目は外部に向いている為、見落としたのである。

 幸か不幸かそれを目撃していたものがいた。

 

 想馬から聞かされた話により、周囲をそれとなく見ていた菖蒲である。

 

 

         7

 

 ボイラー車の中では、生駒が燃え上がる火の光と舞い上がる火の粉を見詰め

ていた。

「祈らないの?」

 無名は、読書の手を止めて生駒に尋ねた。

 何をやっているかぐらいはボイラー車からでも確認出来た。

 ずっと読経が響ているのだから。

「もう祈る必要がある家族なんていない」

 生駒は悲しみを含んだ声で静かに告げた。

 家族への祈りなど遠の昔に済ませているのだ。

「なんだ。私と同じか。って、珍しくもないか。こんなご時世だし」

 無名は、素っ気なくそう言った。

 生駒もそれに何か言おうとは思わなかった。自分の境遇が珍しくもない事は、

自覚していたからだ。

「ところでさ。手に何か仕込んでるの?当たると痛いんだけど?」

 無名は読んでいる書物に頭を乗せて言った。

「ああ…。河原の石だよ。妹と行った時に二つ見付けて、俺は二つともやるって

言ったんだけどさ。妹が二人で一つづつ持ってお守りにしようってさ。形見に

なんて、するつもりじゃなかったんだ」

 生駒はゆっくりと自分の過去を語りだした。 

「五年前だ。俺達が住んでた駅がカバネに破られた。皆、我先に逃げ出したよ。

 当然、俺達も逃げたけど、その途中で妹がカバネに捕まった。その時、馬鹿

な兄貴はどうしたと思う?逃げたんだよ。助けを呼んでくるって言い訳して。

 誰も助けてくれなかったよ。他人に助けなんて求めても無駄だって、諦めら

れなかったんだ。戻った時には、妹は変わり果てていた」

 生駒は、その時の後悔が過ったのか、意志を握りしめた。

「あの時、恐れをねじ伏せて戦うべきだった。あの時の自分は卑怯だった。

 あの時の自分を何度憎んでも、もう妹は返らないんだ!」

 無名と想馬は、生駒の不器用な生き方の理由を知った。

 無名は、生駒の過去に顔を伏せた。

「恐怖をねじ伏せて戦った先に、何があったんだよ?」

 想馬は、過去を聞いてなお、厳しい言葉を投げかけた。

 無名が伏せた顔を上げて、想馬に視線を送る。

 生駒がキッと想馬を睨んだ。

「恐怖っていうのはな。ねじ伏せるもんでも、克服するもんでもない。上手く

付き合っていくもんなんだよ。戦うって選択自体、餓鬼が選んでいい選択じゃ

ない」

「弱い奴が死んで、強い奴が生き残った。それだけの話じゃない」

 生駒は二人の表情を見て、口に出そうとした言葉を噤んだ。

 殆どの武士がカバネと碌に戦えない中で、この二人が、カバネと戦っている

のは、何か譲れないものがあるのだ。自分と同じかそれ以上の何かが。

 それを察して、生駒は言葉が続けられなかった。

 それから、車内に沈黙が降りた。

 

 気まずい沈黙ではなかった。

 だが、ポツリと無名が沈黙を破った。

「お腹空いたね」

 生駒としては、まだ気が張っているのか空腹感はない。

 強いて言うなら、喉が渇いている。

「そういや、お前等の食事は運ばれてないな。俺のもだけどな」

 想馬も同調して言った。

「お前等が出ると問題が大きいだろ。俺が取ってきてやるから、大人しく待って

ろよ」

 想馬は、そう言うと立ち上がった。

「ねぇ。食事って何を取ってくるつもり?」

 無名が半眼で想馬を見る。

「そんなに献立が選べる状況だとでも思ったか?」

 腐る物など載せられやしないので、想馬が呆れた声を出した。

「そうじゃなくて」

「じゃあなんだ」

「私達の食事って、血なんだけど」

 

「「は?」」

 

 男二人が無様に絶句する様に、逆に無名が呆れた視線を向けた。

 

 

         8

 

 想馬は、取り敢えず食事を取ってくるついでに、無名達の食事の件を伝えて

こないといけない事実に、想馬は陰鬱な気分になった。

 考えてみれば、当然の話だった。

 身体はカバネだというなら、食事が人間と同じという事はあるまい。

 想馬は、それでも再び出口に向かって歩き出した。

「どうするの?」

 無名が、それでも歩き出す想馬に声を掛けた。

「話すしかないだろう。お姫さんにでも伝えて…。最悪、俺が血を提供するし

かないだろうな。がぶ飲みするわけじゃあるまいな」

「また菖蒲さん?…実は好みとか?」

「答えは変わらんよ」

 無名はジト目で、話題を変えた。明らかに信じていない。

「空腹を誤魔化すくらいなら少量でいいけど、安定させるならそれなりの量

がいるよ」

「やっぱり、話しとく必要あるだろ…それ」

 どう考えても、想馬が血をやれば済むという話で収まらない事実に、頭痛

を感じる。

(姫さんも、そんな話持ち込まれても対処は出来ないかもれないが…)

 駿城内に感染者がいる可能性を伝えても、未だ何か手を打った様子がない

のも気掛かりだ。

 人間、劇的な変化をするのは難しいと理解していても、想馬にとって伝え

られて、影響力のある人物は、あの姫のみなのだ。

 

 ボイラー車の扉を開けると、想馬はピタリと動きを止めた。

「なんか用か?」

 護摩の火で濃くなった闇の部分に目をやったまま、想馬は静かに話し掛けた。

 すると、闇の中から武装した住民が五・六人現れた。

「カバネの味方をするなら、手前も死ね!!」

「カバネと一緒に乗れるか!!」

 住民達が口々に声を上げる。

「成程。話は分かった。だか、無闇に…」

 想馬が言い終えるより早く、後ろから素早く影が飛び出した。無名である。

 無名は着地と同時に、臨戦態勢で苦無を構えていた。

(なんで、まず実力行使なんだよ…)

 想馬は天を仰いだ。

 想馬とて、説得出来るなら話し合いで解決するくらいの柔軟性は持ち合わせ

ているが、この少女にはないらしい。

「無名!止めろ!」

 慌てて出てきた生駒が叫ぶが、無名が止める気配はない。

「仕掛けてきたのは、こっちでしょ。何、甘い事言ってんの?」

 無名の威圧で大の男が、たじろいでいる。

 無名は子供とはいえ、戦場を経験した者である。

 戦いと無縁だった男が束になっても、どうにもならない。

「何をやっているのです!」

 一触即発の事態に、凛とした声が耳朶を打つ。

 暗闇が明かりに照らされる。

 そこには、武士を何人か連れた菖蒲がいた。

「彼等には、手出し無用と言った筈です。ここは私が預かります」

 菖蒲はハッキリと宣言した。

 男達も武士に蒸気筒を向けられて、なお粋がる気概はないようだ。

 無名は、途端に白けた顔になって苦無を仕舞い、こちらに背を向けて歩き

出した。

 想馬は生駒とアイコンタクトを取り、想馬が無名の後を追う事になった。

 生駒が追ったのでは、騒ぎを大きくしてしまう。生駒もカバネリなのだ

から。

 

 想馬は、騒ぎを止められる自信などなかったが、無関係を装う事も出来な

かった。想馬は、どこかこの少女を放っておく事が出来なかった。

 

 

         9

 

 そして案の定、無名が住人達に向かって進んでいくと、恐れの声と同時

に道が出来る。誰も無名を制止出来なかったのだ。

 どんどん食事を作っている女達の方へ、真っすぐ向かっていく。

(なんだ。普通の飯も食えるのか?)

 想馬は、フッとそんな事を思ったが、結果は大間違いだった。

 最初は、鰍がおんぶしていた赤子を笑わせたりしていた無名だが、本性

はすぐに露呈する事になった。

 赤子をあやす姿を見た鰍が、無名に思い切って何をしに来たのか訊いた

のだ。

「食事をしたくって!」

「じゃあ…」

 比較的物怖じしない鰍が、食事を取りに行こうとして、続く言葉で動き

が止まった。

「いや、そっちじゃなくて。私には血を頂戴」

 空気が凍り付いた。周りから騒めきが消える。

 無名を引き摺って戻らなかった自分を、想馬は呪った。

「赤くて、斬ると、ぴゅーってなるやつだよ」

 これ以上なく伝わっているにも関わらず、追い打ちを掛ける無名。

 想馬は手で顔を覆った。

 

 だが、想馬の厄災はこれに止まらなかった。

 悲鳴が上がったのだ。

 想馬は、ウンザリと悲鳴の上がった方を見遣ると、そこには女が立って

いた。

 半ばカバネと化した女が。

「あの女…確か」

 無名が飛び出して刀を向けた集団にいた妊婦だ。

 武士が既に蒸気筒を向けているが、射撃はまだしていない。

「志乃さん?」

 鰍の呆然とした声が耳に入る。

 想馬が、疾風の如く駆け出す無名を止められたのは僥倖だった。

「知り人か?」

 想馬が平坦な声で問い掛ける。

 鰍が戸惑いつつも頷く。

「ちょっと!早く殺さないと!」

「いや、今回は俺が殺る。ちょっと特殊なんだ、ああいうのは」

 暴れつつ鋭い声を出す無名を、想馬は引き留めた。

 無名は想馬の言葉に怪訝な顔をした。

「ちょっと待って!あの人は!」

 歩き出した想馬を鰍が制止したが、想馬は止まらなかったし、振り返ら

なかった。

「もう助からない。分かるだろうが。それともお前、生駒みたいにカバネ

の研究でもしてて、助ける方法でも知ってんのかい?」

「それは…」

「だったら、速やかに殺してやるのが情けってもんだろうが。恨んでくれ

て構わんぜ?それも仕事みたいなもんだ」

 想馬は、まごついている武士の横を通り過ぎて女の前に立つ。

 女の目には、まだ理性の欠片が残されているように見える。

「アンタの気持ちは分かる…とは言わねぇ。だが、手遅れなんだよ」

 女の目から涙が一筋流れる。

「済まねぇ」

 呟く様に想馬は言うと、素早く腰に下げた刀の鯉口を切った。

 次の瞬間、女の首が天高く舞い上がり、遅れて血が噴水のように吹き上

がった。

 素早い抜刀と共に首を刎ねたのである。

 周りから悲鳴が上がる。

 それでも想馬は臨戦態勢のままだ。

 女の腹が蠢く。

 次の瞬間、腹から何かが飛び出してきた。

 想馬は、それを予期していたかのように飛び出た紅い何かに、刀を突き

立てた。

 燐光が周囲を一瞬照らす。

 想馬が刺したものの正体が、漸く余人にも分かる。

 

 赤子だったのだ。女の腹にいた。

 

 それが異形の姿で刀に刺さっていた。

 周りが静まり返る。正体を知ったが故に。

 想馬は脚甲の付いた足で、刀から赤子を引き抜いて落とした。

 それを見て、人々が恐怖に慄いた。

「鬼だ…」

 誰かが呟く声が、静寂の中やけに大きく響いた。

「まだ赤子だったのに!」

 呟きに触発されて、周りが次々と非難の声を上げる。

 そこにいる全員が想馬を非難した。

 鰍は、涙を流していて言葉はなかった。

 想馬は、住民達の非難に何も言い返さなかった。

 

 そんな想馬の背を無名は無言で見詰めていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 海門決戦が発売されましたね。
 配信で観た身には、カットされている部分が非常に残念
 でした。
 それとタイムリーに投稿出来なかったのが残念ですが、
 生駒と無名の声優さんがご結婚なされたとか。
 目出度い話題ですね。こんな事あるんだ。
 最近、風当たりが厳しい二次制作者に祝われても、嬉し
 くないかな。

 次回、いつになるか不明ですが、少しづつでも書いて
 いますので、お付き合い頂ければ幸いです。




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第五話

 寒暖の差が激しいですよね。
 それではお願い致します。

 


          1

 

 想馬がまさに非難されている時、生駒もまた試されていた。

 蒸気筒などなんのそので、去って行った想馬達を見送る事になった住人達は、

悔し気に想馬達の背を睨み、菖蒲達に視線を戻した。

 そのまま捕らえられるのかと、住人達が警戒の視線を菖蒲達に向けている。

 だが、当の菖蒲は視線を生駒に向けた。

「生駒といいましたね?」

 菖蒲が生駒に向かって歩き出す。

 護衛についていた武士達が、慌てたように後を追うが、菖蒲が片手で制して

武士達を押し留める。

「ええ。そうですけど」

 菖蒲の意図が分からず、警戒しつつ答える。

 そんな生駒の心情に気付いているのかいないのか、菖蒲は遂に生駒の目の前

まで来た。

「貴方は、()()()()()()()()()()()?」

「え?」

 意外な問いに、生駒は呆けた顔になった。

「貴方は降りると言っていました」

 生駒は、その言葉で納得した。

 ちっとも降りる気配がないのを、不思議に思ったのだろうと判断したのだ。

「金剛郭へ行きたいからです。あそこはカバネ研究の最先端です。こんな状態

をなんとかする成果が出ているかもしれない」

 武士を含めた住民達が、胡散臭そうに生駒を見た。

 菖蒲は、それをチラッと見て確認した。

「カバネの研究に興味があるのですか?」

「自分でも研究してますから…」

 生駒は、なんだか場違いな質問に感じられて、怪訝な顔で菖蒲を見た。

「何故、研究しているのですか?」

「…カバネを倒す為に決まってるでしょう。それに迷信で殺される人を見たく

ないんですよ」

 生駒は、このことに関して適当な事を答える事が出来なかった。

 あまりにも、生駒の生き方に関わる質問で、気分が悪くなった。

「それで、自身がカバネになってしまったと?」

「違う!!」

 菖蒲の皮肉すら感じさせる言葉に、生駒が激昂する。

「ならば、試しましょう」

 激昂する生駒を無視して、菖蒲は徐に短刀を鞘から抜いて腰だめに構え、

走った。生駒に向かって。

 ぶつかるように身体ごと生駒に襲い掛かる。

 生駒は、咄嗟に短刀の刃を掴んだが、やはり武術の心得もない蒸気鍛冶で

ある。胸部に少し突き刺さってしまった。

 刃を掴んだ為に、それ以上は刺さらない。

「なんの積もりだ!!」

 生駒と菖蒲の視線がぶつかる。

「どうしたのです!?女の力如き振り払って噛めばいいでしょう!!」

 生駒の怒りには、目もくれず菖蒲は挑発するように首筋を見せる。

「そんな事はしない!!」

「何故ですか!?我慢が出来ないでしょう!!血を啜りたくて!!」

「俺は誓った!!見捨ててしまった妹に!!今度こそ逃げないと!!今度こそ

自分が誇れる自分になると!!倒すべきはカバネだ!!俺の命はその為にある

んだ!!!だから!!そんな事はしない!!」

 不意に刃を押し込もうとしていた力が消える。

 菖蒲が離れると同時に、生駒も掴んでいた刃を離していた。

 菖蒲の表情には、自己嫌悪がありありと浮かんでいたからだ。

「もういいでしょう」

 菖蒲の言葉に武士や住民達が、気まずそうに視線を逸らした。

 カバネで家族を亡くす事など、ありふれている。だが、慣れてなどいない。

 生駒にも家族がいたという当たり前の事実を、この場にいる人間が思い出

したのだ。同じ怒りを持っていると理解したのである。

 そして、菖蒲は生駒に住民達が納得するような答えを、命懸けの場で言わせ

るのが目的だったのだ。

 住民達が一人また一人と去って行く。

 遂に武士達と菖蒲のみが、その場に残った。

「済みません。彼等を納得させる必要があったのです」

 菖蒲が済まなそうに頭を下げる。

 生駒にしても菖蒲を見掛けた事くらいはあるが、目の前の人物と印象が重な

らない。

(俺も、ちゃんと武士の姫だからって見てなかったって事か…)

 生駒は内心で反省する。

「手当しましょう」

 そう言って、菖蒲は生駒を甲鉄城の中へ連れて入った。

 

 気遣いに満ちた言葉を掛けられながら、治療して貰うのはなんというか気恥

ずかしい。生駒は挙動不審な有様だった。

 治療が終わり、立ち上がる。

 そんな時、急に生駒の心臓が大きく脈打つ。

 甘い感情からきたのではないのは、明らかだった。

 何故なら、正気を失いそうな程の飢餓感が襲ったからだ。

『私達の食事って、血なんだけど』

 無名の言葉が、飛びそうな理性をなんとか抑える事が出来た。

 それも長く持たない。

「ど、どうしたのですか!?」

 突然、喉を押さえて蹲った生駒に菖蒲が駆け寄る。

 消えゆく理性にしがみついていたが、菖蒲がすぐそこにいる。

 思わず視線が菖蒲に向く。

(ウマソウダ…)

 若い女の血の匂いに、喉が鳴る。

「っ!?」

 自らの思考に寒気がして、菖蒲を突き飛ばすと、隣の車両へと急ぐ。

(ヒトノイナイトコロヘ)

 立ち上がろうとしたところで、生駒の理性が飛んだ。

 

 突き飛ばされた菖蒲は、何が起きたのか分からず困惑する。

 突き飛ばした後、生駒の動きがこれまた突然止まった。

「生駒?」

 菖蒲の声に、生駒がゆっくりと振り返る。

 生駒の視線に菖蒲は肌が粟立つのが分かった。

 咄嗟に立ち上がろうとしたが、その前に押し倒された。

「い、生駒!」

 声が届いている様子はない。

 生駒が口を開く。

(か、噛まれる!?)

 恐怖が菖蒲を支配しようと騒ぐ。

 必死に生駒を押し退けようとするが、ビクともしない。

 生駒の顔が近付いてくる。

 菖蒲は固く目を閉じて、歯を食いしばる。

 だが、鈍い音がして生駒は噛む事なく、菖蒲の上に倒れ込んだ。

 次の瞬間、生駒の身体が菖蒲の上から消える。

 生駒を持ち上げて、何者かが床に放り捨てたのだ。

 それをやったのは…。

「菖蒲様!!」

 来栖だった。

 

 この事は、来栖の口から知れ渡る事となった。

 

 

          2

 

 幸か不幸か、あれからすぐにカバネの大群が山から駆け下りて来た為に、大

騒ぎになった。どさくさに紛れて生駒の件を誤魔化せればよかったが、そうは

問屋が卸さない。

 落ち着いた頃に当然蒸し返される事となった。

 菖蒲は、撃ち殺されそうになっていた生駒をどうにか様子見してからと、

押し留める事に成功したが、やった事が結果的に台無しになってしまった事に

落ち込んでいた。

 思わず溜息が漏れる。

「噛み痕はありません」

 菖蒲は、巫女に身体中を調べて貰い、自身に対する疑いは晴らしている最中

だった。

 生駒の意識は戻らなかった為、そのままボイラー車に放り込まれていた。

 あのまま理性が戻らないなら、殺さないといけないだろう。

 丁度、同じ頃に想馬と無名も騒ぎを起こしており、全くもって最悪が重なった

形になった。

 その事で想馬達もボイラー車に閉じ込められる事になった。

 今思えば、生駒は必死に菖蒲を襲わないように、自ら閉じ籠ろうとしていた。

 それを結果的に菖蒲は邪魔した形になった事に、申し訳なく思った。

 

 だが、菖蒲の最悪はこれで終わらない。

 

 主だった人間の前で、巫女にカバネでない証明をして貰った後の事である。

 生駒の件を知った顔役の男は、勝ち誇った顔で菖蒲で菖蒲を非難した。

「やはり箱入りの姫君には、この人数を率いるのは荷が重かったようですな?」

 今回ばかりは、住民達の大半が顔役の男に同意しており、弁明は聞いてもらえ

そうにない。武士達も表向き何も言っていないが、ボイラー車の方を胡乱な目で

見ている事からも、菖蒲の判断がしこりを残したのは容易に分かった。

 成長したとはいえ、この状況を打開する手立ては菖蒲には思い付かなかった。

「ご安心下さい。別に無理矢理降ろす事は致しませんよ。姫君はまだお若いので

すからな。年長者として、お手本を見せるのも務めというもの」

 顔役の男の言葉に、来栖だけは苦言を呈したが、いつもの勢いはない。

 自分が、生駒の危険性を広めた事は間違いとは思わないが、その所為で菖蒲が

窮地に立たされてしまったからだ。自分の発言が原因とあっては、勢いも鈍るだ

ろう。

 顔役の男は、実質的に住民の纏め役のような事をしている為、皆一目を置いて

いる。ここで菖蒲が抵抗したところで、住民達の悪感情を助長する事になるだろ

う。

 

 菖蒲は、結局非難の声に負けて、甲鉄城の重要な鍵である親鍵を渡す事に

なった。

 

 

          3

 

 その頃、ボイラー車に押し込められた想馬達は、不機嫌に黙り込んでいた。

 生駒だけは眠りこけていた所為だが、想馬と無名に関しては、お互いに不満が

あって、不機嫌だった訳ではない。

 想馬がカバネを殺した直後、その血に反応したのか山からカバネの大群が下り

てきたのだが、その戦闘に二人の参加が許されなかったのだ。

 吉備土が、少し済まなそうに断ってきたのである。

「生駒が姫を襲った。そこのお嬢さんは同類だろう?後から噛まれる心配はした

くないんだ。事情は、よく分からないが、妊婦を斬ったアンタも参加させる訳に

いかない」

 そう言って、鍵まで掛けて去って行ったのだ。

 確かに、想馬達が武士達に追い立てられるように、ボイラー車に戻った時には、

既に生駒は倒れていたが、そんな事情があったとは驚かされた。

(これは無名の言動も伝わるな)

「多分、お腹空いたんだろうね、コイツ」

 想馬が考え事をしていると、無名が不意に呟くように言った。

「腹が減ると女を襲うのか?そりゃ、難儀だな」

「飢餓状態だとカバネの本能が出るんだって。目の前にいたのが想馬でも襲うよ」

 意外にも無名は怒らずに、皮肉を言って受け流した。

「そりゃ、難儀だな」

 男に首筋を噛まれるなど、想馬にとっては遠慮したい話だ。

「そのうち目を覚ますだろうけど、食事は至急必要だね」

 無名は、言い終えるとチラッと想馬を見た。

 語外に、自分自身も必要としていると無名が器用に告げる。

 想馬は溜息を吐いた。

 現在、食事を提供出来るのは、想馬ただ一人なのだ。

 猛獣二匹と同じ檻の中だと思うと、自然と溜息も出るというものだ。

 そして、最後の猛獣が呻き声を上げて、起き上がった。

「あっ、目が覚めた?変態さん」

 無名がネズミを甚振る猫のような顔で、生駒を見た。

「え?変態?なんだ?」

 生駒は、どうやら記憶が飛んでいるようだが、暴走からいつもの状態に戻って

いるようだった。

 無名は詰まらなそうに鼻を鳴らしたが、想馬はホッとした。

 取り敢えず、話は通じる状態のようだからだ。

 事情を説明してやろうと、想馬が口を開きかけた時、外が騒がしくなった。

「…だ!痛ってぇな!」

 生駒にとって聞き覚えのある声だった。

 そして、乱暴に扉が開かれると、一人の太った男が放り込まれた。

「カバネの味方をする奴は出てけ!!」

「そのカバネリのお陰で今生きてんだろ!!」

 放り込まれたのは生駒の親友たる逞生だった。

 それからも、鰍が押し込まれ、続いて目付きの鋭い少年が入ってきた。

「なんで俺まで!!」

 目付きの鋭い少年は、吐き捨てるようにそれだけ言ったが、勿論聞く耳は持た

れなかった。

 そして、乱暴に扉は閉められた。

 

 起き上がった逞生に生駒が声を上げる。

「逞生!どうして!?」

 逞生が顔を顰めて、事情を説明してくれた。

 その内容は、非常に宜しくない内容だった。

「そうか。姫さんが実権を取り上げられたか…」

 曲がりなりにも伝手がなくなり、想馬が渋面になる。

「それにしても、無名!この子に謝っとけよ!」

「どうしてよ!?」

 想馬は鰍を指して言ったが、無名は不満気だ。

 鰍が何故、ここに送られたかと言えば、無名と親し気に話していたという誤解

からだったのだ。完全にとばっちりもいいところである。

 無名にしても完全に偶然なのだから、不満なのも当然だが。

 当の鰍は、どういう顔をしていいのか分からないといった感じで、黙っていた。

 目付きの鋭い少年は、逞生と同じ服装である事から蒸気鍛冶なのだろう。

 先程から、こちらを警戒しているのか、少し離れたところにいて黙っている。

「それにしても菖蒲様を襲うとは、やるじゃねぇか」

 逞生がニヤリと生駒を揶揄う。

「違う!その時の俺は正気じゃなかったんだ!」

「それ、もっと誤解を生むと思うぞ」

 生駒がムキになって言い返した言葉に、想馬が鰍をチラッと見てツッコミを

入れた。鰍は引き攣った顔で、ササっと生駒から距離を取っていた。

「まあ、兄弟!お前も男だという事だな!これを渡しとくぞ」

 逞生が揶揄いつつも、背負った大荷物から貫き筒を取り出して、生駒に渡した。

「言いなりになる気もない。だろ?」

「…ああ」

 生駒は、逞生の言葉にしっかりと頷いて、貫き筒を受け取った。

 逞生は、人間に対する荷物の検査の甘さを利用して、貫き筒を持ち込んでくれ

たのだ。他の住民達に非難されると承知で。

 生駒は、その気持ちが嬉しかった。

 

 そんな時、甲鉄城が坂を上り出したのが分かった。

 想馬が小さな覗き窓から外を見ると、甲鉄城が山に入っていくところだった。

「山越えする気か…」

「別におかしくはねぇだろ。山越えする方が金剛郭へは近道なんだしよ」

 想馬の不満気な声に、目付きの鋭い少年が初めて口を開いた。

「結果的にそうだといいがね」

 想馬の言葉に、その場にいる想馬以外の全員が不思議そうな顔をした。

「どういう事だ?」

 生駒が真っ先に訊いてきた。

「お前等、蝗害って知ってるか?」

「蝗が全部作物食べちゃうやつですよね…?」

 鰍が恐る恐るといった感じで、想馬の問いに答えた。

「そうだ。災害なんかで生存圏が狭まると、蝗は生き残る為に狂暴化して、能力も

向上するそうだ。カバネも普段いる場所は山や森、廃駅とかに潜んでる。そんな所

が、多くある訳じゃない。平原にうろついているカバネなんて、あんまり見ないだ

ろ?だからカバネも住処の確保は大変なのさ。そんな環境だから、特殊な力に目覚

める個体も出てくる。そいつらの住処に自分から突っ込んで行くんだぜ?しかも、

山は駿城に乗り移る事が可能な地形や大木がある。戦闘が厄介だぞ」

 カバネも又蝗同様に生存圏が狭まると生き残る為に、狂暴化し新たな能力を得る

に至る事は、想馬は経験として知っていた。勿論、山や森、廃駅で戦闘経験もある。

 しかも厄介な事に駿城に乗り移るだけではなく、そうした場所は奇襲にも適して

いるので思いもしない場所から攻撃を受けたりもする。

 そうした特殊な能力に目覚めた個体は、血の匂いに釣られなければ住処を出て

こないが、自分たちの住処に入ってきたなら遭遇の可能性は跳ね上がる。

 これは積極的にカバネと戦っていないと、不意を打たれて総崩する事もある。

 積極的とは程遠い者達が、知らないのは当然だろう。

 だが、知らないからこそ、甲鉄城は困難な道を選んでしまった。 

 無名と想馬を除く面子が、顔を真っ青に染めた。

 

 そんな時に、人が外で動き回る気配がした。

 不穏な音に全員が嫌な予感を感じた。

 

 

          4

 

 扉に付いた覗き窓から見たのは、男達が親鍵を使って車両の連結器を外そうと

しているところだった。

「ふざけんな!!人が乗ってんだぞ!!」

 目付きの鋭い少年が、怒声を上げる。

「黙れ!!カバネの味方をする奴は敵だ!!」

「俺が何時味方したよ!?」

 喚く目付きの鋭い少年を見て、想馬はなんとなくこの少年が追い出された理由

を察した。

 生駒とは違った意味で、誤解され易い物言いをする事で煙たがられたのだろう。

 皆が覗き窓から喚くのを事情が判明してすぐに離れた想馬は、どうするかを既

に考え始めていた。

(こりゃ、()()()()()()()()()()

 常人では決してしない決断を、想馬はすぐに下していた。

 こうなっては喚いても彼等が止める事はないと知っていたからだ。

 だからこそ、想馬は早々に見るのを止めたのである。

「止めろぉぉぉ!!」

 生駒の声が響く。

 その声を神が聞き届けたか、それとも妖の類が聞き届けたか分からないが、届

いた。連結器が外される事がなかったのである。

 

 甲鉄城がトンネルに入った途端、カバネが上から降ってきたからだ。

 

 

          5

 

 大体のカバネは甲鉄城の速さに着地出来ずに落とされたが、数体のカバネが乗り

移る事に成功していた。

「カ、カバネ!!」

 連結器を外そうとしていた面々の前にカバネが立つ。

 その恐怖に耐えられずに悲鳴を上げる。

 それに反応したように、カバネは腰の刀を流れるような動作で鞘から抜いて、

斬り付けた。

 そのカバネは元は武士のようだった。

 もう片方の手で脇差というより、小太刀といった感じの刀を器用に抜いて、連結

器を外そうとしていた男の首を刎ね、ゆっくりと他のカバネと一緒に侵入してくる。

 そのカバネは二刀流だったのだ。

「な、なんだ!?あいつ…」

 生駒は、剣術を使うと素人目にも分かるカバネを凝視しつつ、呻くように言った。

 無名が目を細め、嘗てない程真剣な声で答えた。

「ワザトリだ」

「え?」

「長い間に戦い方を覚えてる。想馬のさっきの話でいうと特殊な能力って感じ。

 手強いよ」

 そうこうするうちに、後方車両にいた女性がカバネに斬られ、血を啜られていた。

 生駒は過去のトラウマでも刺激されたのか、思わず一歩後に下がってしまった。

「退いて!!」

 無名は扉にいる生駒を含めた面々を強制的に押し退けると、短筒を覗き窓から射

撃した。だが、距離と威力の関係で効かないばかりか、回避もされてしまった。

 カバネ達は、次の車両に退避するように行ってしまった。

 そこから大勢の人間の悲鳴が聞こえてくる。

「チッ!これじゃ駄目か!」

 無名は悔し気に舌打ちして吐き捨てた。

 生駒は、震える手を握り締める。

(恐れるな!こんな時に震えて何も出来ないんじゃ、何も変わらないだろ!!)

 手の震えは、多少治まった。

「アレを…ワザトリを俺達で倒す!!」

 生駒は決意を籠めて無名に宣言するように言った。

「…限界近いから、活動時間はあんまりないかもよ?」

「それでもやるしかないだろ!!」

「まあ、それしかないのは確かだね」

 無名もこの状況を放置は流石に出来ないようで、生駒の意見に頷いた。

「限界の件は、どうにかいけそうだがな」

「「っ!?」」

 ここで今まで黙っていた想馬の言葉に、カバネリ二人が驚いて振り返った。

「丁度よく、俺以外にも血を提供出来る奴等が入ってきた。不幸中の幸いだな」

 想馬はニヤリと逞生達を見遣った。

 見られた方は若干怯んだのは、言うまでもない。

 

「さて、追い出されても人を救いたい奴は、是非協力してくれ」

 想馬は、そう笑って言った。

 

 

          6

 

 一方、菖蒲から権限を奪い取った顔役の男・阿幸地の顔色は死人の様だった。

 元々は当主である堅将から直接頭領の地位を授かった男で、無能ではないのだが、

如何せんこの状況は初めて体験する事だった。

 車内に状況を伝える声が引っ切り無しに届くが、それがどれも絶望的なものばか

りだった。これがカバネの侵入を許してしまった駿城の脆さだった。

(何故、こんな事になった!?)

 どうしてこうもアッサリと侵入を許す事になったのか、阿幸地には分からな

かった。まさか、自分の部下の暴走の結果だとは、この時の彼は知らなかったので

ある。

「親鍵以外で車両を切り離す術はないのか!?」

 阿幸地は苦渋の決断を下す。

 今の彼には、これ位しか解決策を思い付かない。

 武士が撃退出来ない以上、それ以外の何もないと判断したのである。

「助けないんですか!?」

 見習いとはいえ現在、甲鉄城を動かしている少女・侑那が非難の声を上げる。

 今まで寡黙だった少女が非難の声を上げたのには、阿幸地も驚いて思わず声を

荒げてしまった。

「犠牲を小さくする決断も必要だ!!他にどうしろというのだ!!」

 侑那の軽蔑の眼差しを見てしまい、頭に血が上る。

 だが、突然立ち上がった人物により、阿幸地は我に返った。

「私と共に来れる者は続いて下さい」

 今まで大人しくしていた菖蒲だった。

「菖蒲様。お供致します」

 傍に控えていた来栖はすぐさま菖蒲の言葉に従い立ち上がった。

 護衛として傍にいた他の武士達も慌てて賛同し、武器を握り直した。

 菖蒲は蒸気弓を取り出すと歩き出す。

「武器を持って戦える者は、協力して下さい!」

 先頭を切って歩き、武士を引き連れて後部車両に向かう姫の姿に、恐怖に

固まっていた者達も動き出す。

「戦えない者は前の車両へ急げ!!」

 吉備土が大声で住民を誘導する。

「盾、前へ!!」

 来栖が武士達に指示を飛ばす。

 盾と共に柵替わりに金属製の箱が積み上げられる。

 手の空いた者は、蒸気筒の残弾を確認し、蒸気の圧力を確認する。

 無事な住民達を、盾と柵替わりのバリケードの内側に避難が完了する。

「ギリギリまで引き付けろ!!」

 武士達が脂汗なのか冷汗なのか汗を流す。

 誰かが息を呑む。

 カバネの先頭集団が奇声を上げて、突っ込んでくる。

「撃て!!」

 十分に引き付けた上で、一斉に射撃を開始する。

 菖蒲も蒸気弓で矢を放つ。

 だが、次々とカバネが押し寄せて、キリがない状況に少しづつカバネに

勝利の天秤が傾きつつあった。

 その様子を蒸気筒を撃ちつつ、考え込んでいた吉備土が遂に来栖に自分の

考えを告げた。

「来栖。刀を取ってこい。カバネリやあの傭兵の戦い振りを見たろう。接近

戦は有効だ。剣術を得意とするお前なら出来る!」

 来栖は吉備土の言葉に驚きこそしたが、意外にもすぐに頷いて、走り出し

た。来栖とて武人である。あの戦いを漫然と見ていた訳ではない。ただ、

素直に認める事が出来なかっただけだ。必死に抑えていた剣術への思いが、

実は正しく、押さえ付ける必要などなかったのだと。最も信頼する友であり、

武人である吉備土の言葉で踏ん切りが付いたのだ。

 

「撃て!!近付けるな!!」

 吉備土は力強く声を張り上げ、味方を鼓舞した。

 

 

          7

 

「痛ってぇ」

 目付きの鋭い少年・巣刈が、血を流した腕を恨めし気に睨んでいた。

 鰍は、少し顔色が悪いが落ち着いている。

 逞生はといえば、取り出した紙に何かを書き付けていた。

 おそらくは、痛みを誤魔化す為にやっている事だろう。

 想馬を含めて、結局は全員が血を提供したのである。

 半ば脅されたとも言えるが。

 想馬の言いようでは、血を提供しないと全滅するか、腹が減ったカバネリ

に襲われるかの二択になる、と言ったようなものだった。

 勿論、無名も生駒もいい顔はしなかったが、提供してくれる以上、文句も

言えなかったのである。

 嫌がった巣刈も、最後には渋々承知した程に説得力があったのだから。

「それでどうする?」

 想馬は、生駒にこれからのどういう手を打つか訊いた。

 駿城は、蒸気鍛冶の領分である。

 外に出る方法までは、想馬も知らなかった為に、生駒に任せたのだ。

「整備用ハッチから表に出る。天井のカバネを片付けて、車内に入ってカバ

ネを撃退しながら進む」

 無名もそれで文句はないようで、口を出さなかった。

「だが、入るところを考えないと、今の状況だと撃たれるぞ」

「っ!」

 想馬の指摘に、生駒は言葉を詰まらせる。

「それでもやるしかないだろう!」

「まあ、アンタならそう言うか…」

 生駒の覚悟はあるものの詰めの甘い部分に、無名は乾いた笑みを浮かべた。

 無名も気付いていなさそうだったのは、誰も指摘しなかった。

 賢明な判断を既にこの面子は習得していた。

 想馬も甲冑を着込んで、準備を済ませた。

 既に戦闘準備を終えていたカバネリ二人は、想馬の準備が整ったのを確認

し、行動を開始する。

 生駒と逞生が整備用ハッチを蒸気鍛冶の技術で、手早く取り外した。

 流石に本職だけあって、作業が流れるように速かった。

 そして、生駒が身を乗り出した瞬間、目の前にトンネルが迫ってきて、

慌てて頭を下げる。屈めば通れるだろうが、戦闘は無理だ。

 生駒は思わず舌打ちする。

「トンネルを抜けたら行くぞ!」

「止めといた方がいいな」

 生駒を止めたのは、意外な事に巣刈だった。

「放って置けるか!」

 気色ばんだ生駒に巣刈は面倒そうに顔を顰めた。

「そうじゃねぇよ。ここら辺りはトンネルが多い。出たり入ったりが続くぜ。

 首を飛ばしたいなら、好きにすりゃいいがな」

 巣刈は、意外な事に駿城に常時乗り込んでいる蒸気鍛冶だ。

 無茶な路線だろうと進む駿城にも、乗り込んで整備や修理を熟した経験を

持った蒸気鍛冶だったのだ。それ故に、日ノ本の無事な路線は大抵は通った。

 それの全てを巣刈は記憶しているのである。

「駅にずっといる蒸気鍛冶と違って、慣れてるし覚えてるんだよ」

 生駒にしてみても、そこまで言われると反論はし辛い。

「トンネルのところ、淀瀬洞って書いてあったね」

 生駒を文字通り盾にする気で後にいた無名が、口を挿む。

「はぁ!?この速度でトンネルの名前が見えたのかよ!?」

 通常なら目視など難しい。

 それが分かっているからこそ、逞生は驚いたのである。

 だが、巣刈の方は思案顔だった。

「…それなら、運がよかったかもな」

「どういう事だ!?」

 生駒は急かす様に、巣刈に訊いた。

 

「それじゃあ、このトンネルを抜けたら、天井のカバネを片付けて、車両に

飛び込めばいいんだな!?」

 カバネリ二人と想馬は、既に整備用ハッチを出て頭を庇ったまま外にいた。

 トンネルを抜けたら、すぐに走る為だ。

「ああ!これを抜けたらイケるぞ!」

 巣刈が答えると同時に、トンネルを抜けて光に包まれる。

「行くぞ!!」

 生駒の号令で一斉に駆け出そうとした時、鰍が顔を出して叫んだ。

「お侍さん!まだ、私の中で答えは出てないけど、皆を助けて上げて下さい!」

「応!」

 想馬は、それだけ答えた。

(なかなかしっかりしたお嬢さんじゃないか)

 想馬は内心でそんな事を考えていた。

「それと無名ちゃん!酷い事、言われたかもしれないけど!皆をお願い!」

「え!?私!?」

 まさか自分にまで声を掛けられるとは思っていなかった無名が驚く。

 鰍にしてみれば、化物と思っていた子が人と変わらない心を持っていると、

短い間に分かり、どう接していいか分からなくなっていた。

 生駒も鰍が知る生駒だった。

 カバネリは確かに人ではないのかもしれないが、人の心は持ち続けていると

知り、罪悪感が芽生えたのだ。だからこそ、何か言わなければと思ったのだ。

「任せて!」

 走り出す機は少し遅れたが、無名と想馬、生駒も気持ちが少し軽くなった。

 生駒は、自分でも信じられないくらいに、速く走れている事に驚いていた。

(これもカバネの力なんだろうな)

 生駒は冷静に自分の力を分析していた。

 これなら多少の遅れも取り返せると、生駒は意気込んだ。

 天井に張り付いていたカバネが、ゆっくりと振り返り三人を見る。

 悍ましい声を上げて、三人に向けて走ってくる。

 生駒は雄叫びを上げて、爪を振り上げて攻撃してくるカバネの一撃を躱し、

カバネの横をすり抜けて膝裏を足で踏み付けると、貫き筒で背中を押さえ付け

て引き金を引いた。

 恐るべき貫通力で、背骨ごと心臓をぶち抜いてカバネを倒した。

「遅い。無名よりも。これなら!」

 初めてカバネと対決した時と比べれば、比較にならないくらいに動きがよく

なっていると、生駒は実感していた。

「「生駒!」」

 簡単にカバネを倒せた所為で、油断していた生駒に叱責が混じった声が掛かる。

 生駒が顔を上げると同時に、黒い物体が顔のすぐ近くを高速で通過した。

 血や脳漿が生駒の顔に飛び散った。

 逆側ではカバネが倒れ込む。

 生駒の目の前には、いつの間にか想馬が薙刀を手に立っていた。

 そして、後には無名が短筒を構えた状態で立っている。

「ボウっとしない!!」

「戦場で呆けるんじゃない!!」

 二人から同時に叱責され、生駒は思わず怯んでしまった。

「わ、悪い…」

「ホラ!次来るよ!!」

「お、応!!」

 生駒と無名が走っていく。

 すぐさま無名が飛び上がり、軽業師のように空中で一回転して襲い掛かるカバネ

の背後を取って着地すると、短筒に仕込まれた刃を突き刺すと、カバネは燐光を

発して倒れる。

 生駒も貫き筒をカバネの攻撃を躱して懐に入り込んで、引き金を引く。

 心臓をぶち破り、カバネが吹き飛ぶように倒れる。

 想馬も、まだ車内ではないので遠慮なく薙刀を振り回す。

 黒い凶悪な刃が颶風を纏ったかのようにカバネに襲い掛かる。

 心臓をやられずとも、斬られた衝撃で駿城から叩き落されていった。

 二人の後を追おうと足を速めようとした時、強烈な殺気が下から発せられ、想馬

は反射的に飛び退いた。

 直後、鎗が天井から飛び出した。

 そのまま二人を追っていたら串刺しになっていただろう。

 立て続けに鎗が突き込まれる。

 それを高速で走る駿城の上とは思えない程、軽やかな歩法で躱すと攻撃が止んだ。

「想馬!」

 生駒が声を上げる。

 生憎と想馬に応える余裕はなくなった。

 扉が蹴破られ、鎧武者が赤く光る眼を想馬に向けたのだ。

(チッ!一匹じゃなかったのか!これだから山は!)

 内心で想馬は文句を言った。

 カバネとは信じられない程、鎧武者は軽やかに天井に飛び上がり着地し、鎗を

構えた。その姿は、明らかに只者ではない。元はさぞ高名な武士だったのだろう。

 それが生前の技術を取り戻し、現れている。控え目に言って強敵だ。

「先に行ってろ」

「生駒!」

 生駒は想馬の言葉に何か言う前に、無名に突き飛ばされていた。

 転がった生駒は素早く立ち上がったが、無名は脚を何かに取られ、倒れていた。

「無名!」

 無名は駿城から落とされる前に、脚に絡まった黒い糸状の何かを短筒の刃で切断

すると、無表情に立ち上がった。

「生駒。アンタ、最低でも足止めくらいはしてよね。私はアレを殺してから行く」

 無名がアレと表するものを生駒の目も捉えた。

 崖に黒い人型が張り付いており、しかも、それが駿城と変わらない速度で走って

いたのだ。()()()()()

「なんだ!?アレは!?」

「生駒!走れ!二刀流は一人でなんとかしてくれ!」

 最初に目撃したワザトリを生駒一人でどうにかする。

 控え目に言って、厳しい要求だ。

 しかし、これらを相手にするよりは勝算はある。

 生駒も冷静にそう判断していた。

「死ぬなよ!」

 

 生駒は二人に背を向け、走り出した。

 甲鉄城で激戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




 次回、戦闘回となります。
 今回で決着付けられませんでした。
 
 また、かなり時間が開くと思いますが、付き合って
 頂ければ幸いです。



 


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第六話

 戦闘が大部分を占める為、難産でした。
 それではお願いします。





          1

 

 生駒が走り去るのを、想馬と無名は見送る余裕は勿論ない。

 今まで相手してきたカバネとは、比べものにならない敵を前によそ見する余裕

はないのだ。

 想馬は、鎗を持ったカバネに薙刀を構える。

 それを待っていたかのように、鎗のカバネは神速の踏み込みで鎗を扱く。

 想馬は薙刀でその一撃を打ち落とし、こちらも踏み込む。

 下段から斬り上げるように薙刀を振るおうとして、咄嗟に身を捻る。

 打ち落とした筈の鎗は、既に引き戻されており、想馬が一撃をお返しする前に

突きを放って見せたのだ。

 立て続けに放たれる突きに、薙刀を振るう隙が見出せず、ジワジワと後退を

余儀なくされる。何しろ、カバネとなって身体能力が上がり、尚且つそれを扱う

技術を遺憾なく発揮しているのだから当然と言えた。

 寧ろ、一撃目を薙刀で打ち落として、攻撃を阻んだ想馬の技量を、褒めるべき

だろう。

 一見、追い詰められているように見える想馬の顔に焦りはない。

 冷静に鎗のカバネを観察していた。

 一向に攻撃が当たらない事に、鎗のカバネの方も埒が明かないと思ったのか、

神速の突きを放った直後、動きが変わった。

 付き込んだ鎗を引き戻さずに、振り上げたのだ。

 そして、そのまま想馬の頭目掛けて打ち下ろした。

 戦国時代では鎗は、突くというより殴り殺す武器だったと、想馬は聞いた事が

あった。だからこそ、その一撃は、意外でもなんでもなく紙一重で躱す事が出来

た。更に鎗の動きは、薙ぎ払いが加わり激しさを増す。

(躱せない訳じゃないが、技の切れ目がない。反撃の隙は待ってもこなさそうだ

な。ならば、強引にでも作らないとな)

 ジッと耐えていた甲斐もあって、鎗の速度に目が慣れてきていた。

 集中力を最大限に引き上げる。

 突如、爆発音が響く。

 無名の戦闘音だと思われるが、想馬は原因など気にならない。

 寧ろ、爆発音に背を押されるように、想馬が動く。

 突きで想馬が左と避けると、鎗カバネは器用に突き出した鎗を振り上げ薙ぎ

払いの態勢に入る。

(ここだな)

 鋭い踏み込みで、一気に鎗カバネの懐に飛び込む。

 長刀を手放し、刀を抜こうとしたが、離そうとした手を咄嗟に止める。

 恐るべき反応速度で、鎗のカバネが後退したのだ。

 既に鎗も引き戻されている。

 先程の繰り返しが起きるかもしれない状況であるにも拘わらず、想馬はニヤリ

と不敵な笑みを浮かべる。

 そう、もう目は慣れたのだ。

 それに離れてくれたお陰で、薙刀の間合いになった。

 咄嗟に握り直した手に力を籠めて、薙刀を操る。

 想馬の並外れた膂力と握力があって、出来る力技である。

 鎗が突き出される瞬間に、薙刀が相手の鎗を持つ手に襲い掛かる。

「っグゥ!」

 相手も然る者で、このままでは鎗を使う手を潰されると判断して、突きの速度

を緩めて受けたのだ。

 古い時代の鎗は、全体が鋼鉄製である。

 刃がぶつかった瞬間に火花が散るが、斬れる事はない。

 だが、それは攻撃も防御も遣り難い悪手といえる。

 しかも、想馬の膂力で、鎗のカバネの身体が浮き上がる程の衝撃であった。

「疾ぃっ!!」

 そのまま振り抜き、相手の態勢を崩す。

 想馬も、人間とは思えない程の身体能力の持ち主である。

 同じく総金属製の薙刀を、まるで小枝でも振り回すように扱う。

 相手に態勢を立て直す隙を与えない為に、今度は想馬が息もつかせず攻め立て

る。相手も人間ではないとはいえ、崩れた態勢では防戦を強いられる。

 それでも鎗のカバネは、巧みに攻撃を受け、受け流し、徐々に態勢を立て直し

始めていた。

 そして、遂に薙刀を弾き返し、その隙に完全に態勢を戻そうとした。

 だが、想馬は弾かれた勢いを殺さずに、器用に薙刀を止め、石突を突き込んだ。

 自分を殺すには、刃を用いなければならない。

 鎗のカバネは、それを確信していたのか、反応が一瞬遅れる。

 石突が膝を突き砕く。

 肉が裂け、骨が割れる嫌な音と手応えが想馬の手に伝わる。

「ガァアア!!」

 突きを受けた衝撃で、鎗のカバネがグラリと傾く。

 その所為で、反撃に転じようとした鎗の一撃が逸れる。

 薙刀を素早く引き戻し、止めを刺そうとした想馬だったが、信じられない事に

鎗のカバネは片膝を砕かれたにも拘わらず、逆に座るように砕かれた方の脚を地

に投げ出し、座る事で態勢を安定させたのだ。片足だけで踏ん張るより、いっそ

座ってしまった方がいいと本能で察したのだ。

 普通なら座ってしまえば、上手く長い鎗を使える訳がない。

 だが、そこは人外。

 腕力だけで恐るべき威力がある。

 全てのカバネに言える事だが、この程度で戦意を失ったりしないのだ。

 ほぼ鎗のカバネの攻撃が突き一辺倒になる。

 速度が落ちたとはいえ、恐るべき一撃が想馬の薙刀を逸らす。

 腰の捻りと、鎗を扱く滑らかさは健在だった。

 想馬の方にも油断など、あろう筈もない。

 一切手を緩める事なく薙刀を振るう。

 鎗のカバネも突きのみで応戦する。

 その有様は、まるで刃と鈍器が荒れ狂う嵐のようなもので、他者が割り込もう

ものならば、一撃で千切れるか、薙刀の柄で身体が叩き割られる事になるだろう。

 両者譲らずに、武器を振るう。

 持久戦となれば、カバネが有利となる。

 傷とて時間が経てば癒えてしまう。

 それでも、想馬に動揺や焦りは一切ない。

 今、この瞬間に出来る事に集中しているのだ。

 最善を尽くす事のみに、神経を集中させ、他の余計な事を考えないのだ。

 そうこうするうちに、薙刀が突きで火花を散らしながら逸れたが、遂にカバネ

の鎧を削った。

「ッグガ!!」

 鎗のカバネが、()()()()()()()()()()()

 鎗の突きのみとはいえ、カバネが人として培った技量の全てを注ぎ込んだ突き

である。まだ若い想馬に、本来ならば破られる程、易いものではないのだ。

 嘗ての人だった体の記憶が、鎗のカバネに驚愕という人のような反応を引き

出したのかもしれない。

「疾っ!!」

 想馬が裂帛の気合と共に薙刀を振るう。

 今度は耳障りな金属音と共に鎗が弾かれた。

「ッ!!」

 座ってしまった事により、長い鎗の取り回しの自由がない事が災いして、薙刀

を受ける手はなかった。想馬の薙刀がカバネの右肘を断ち割る。

 鎗と薙刀。

 武器は違えど、同じ長柄の武器である。通じるものはあった。

 想馬は、冷静に相手を観察しつつ、カバネの技すら盗んで見せたのだ。

 まして、片足を失い動きの鈍くなった鎗は、想馬に扱い方を詳しく解説して

くれているようなものだった。

 振り下ろした勢いのまま、斜めに救い上げるように、器用に薙刀を振り上げる

と、これまたどこかで見たような動きで薙刀が首を薙ぎ払う。

 その動きは、鎗のカバネが乗り移ったかのようだった。

 カバネの手から鎗が落ちる。

 残心。

 薙刀を構えたまま、動きを止める。

 そして、カバネが完全に死んだ事を確信し、薙刀を下した。

 

「さて、生駒は無事に辿り着いたのか?まあ、まずは無名からか…」

 想馬は、無名の方の戦況を確認する為、辺りを確認した。

 

 

 

          2

 

 一方、無名は生駒が走って行った後、崖を走る蜘蛛のようなカバネの相手を

していた。

 今まで見た事のない攻撃手段だったが、無名は若くとも才のある武芸者で

ある。一々動揺したりはしない。頭の芯は冷静さを保っていた。

 常に甲鉄城と並走している為、無名はまず足を止める事を考えた。

(生駒じゃ、荷が重い相手だしね。好きに動き回らせる訳にはいかない)

 後を一瞬振り返り、想馬の様子を見れば、鎗の猛攻に曝されていたが、想馬

の顔に焦りはないのが、見て取れた。最初から想馬の心配はしていなかったが、

一応確認と自分に言い聞かせるように、一瞬だけ確認した。

 本来なら、無名にとって兄と慕う相手と一握りの人以外、どうでもいいと

考えた筈だ。一瞬とはいえ、確認する事自体が異例だと自分自身でも気付いて

いなかった。

 一瞬視線を逸らした隙に糸のようなものを伸ばしてきたが、無名はそちらを

見もせずに、首を僅かに動かすだけで躱して見せた。

 そして、前を向いた頃には不敵な笑みが浮かんでいた。

「お返しだよ!」

 自決用の火薬が詰まった袋を、そのカバネ目掛けて正確に投げると、短筒の

引き金を引く。狙いを過たずに自決袋を弾丸が撃ち抜く。

 爆発が起こる。

 一つでは爆風も僅かだが、蜘蛛カバネの脚が鈍る。

 無名は僅かな爆風など気にする事なく、片腕で目を庇っただけで走り続ける。

 相手との距離を詰めた無名は、両手に構えた短筒を連射する。

 爆風で動きが鈍っているカバネは、無名の弾丸を躱す事が出来なかった。

 正確に四肢を撃ち抜かれ、崖を掴む力が緩み、蜘蛛カバネが転げ落ちる。

 恐るべきは、その爆風の影響があってなお、正確無比な射撃を行える無名で

あろう。

 転げ落ちた蜘蛛カバネは、ただ転がり落ちただけではない。

 転がりつつも素早く崖を蹴ると、甲鉄城に見事に着地して見せた。

 当然ながら四肢を撃ち抜かれた程度では、蜘蛛カバネの動きに陰りは見られ

なかったが、無名は気にした様子もなく、相変わらず不敵な笑みを浮かべて、

蜘蛛カバネと対峙した。

 蜘蛛カバネが、威嚇するように唸り声を上げる。

 無名は短筒に仕込んだ刃を伸ばす。

 無名の眼は、カバネと同じように爛々輝く。

 全身の筋肉とバネを爆発させるように、甲鉄城の屋根を蹴って走る。

 その様は、まるで肉食獣のようであった。

 蜘蛛カバネの方は、牽制で口から黒い糸を放つ。

 無名は、黒い糸を速度を緩める事なく、軽々と避ける。

 続けざまに口だけでなく掌からも糸を放つが、一度攻撃手段が分かってしま

えば、無名にとって脅威でもなんでもない。

 蜘蛛カバネも後退しつつ、攻撃を続けるが、一向に当たる気配はない。

 カバネとしての身体能力も持ち合わせている無名にとって、後退しつつ攻撃

している相手に追い付くなど造作もない。

 至近距離まで接近された事で、蜘蛛カバネも地を這うのを止めて、素早く

立ち上がると、拳を握って構えた。

 無名が短筒の刃を懐に滑り込むように振るう。

 だが、蜘蛛カバネは後にスッと滑るように後退すると同時に、拳を繰り出す。

 刃と拳がぶつかり、双方が弾かれる。

 刃の腹を、蜘蛛カバネは狙って拳を繰り出したのだ。

 それに無名も抵抗する事なく、刃を引いた。

 下手をすれば刃が折れただろうからだ。

 だが、蜘蛛カバネは刃を弾いただけでなく、続けてもう片方の拳も間髪入れ

ずに繰り出していた。

 刃を弾かれた勢いに逆らわず、寧ろそれを利用して無名はクルリと姿勢を

下げつつ回り、回避と同時に遠心力を加えてもう片方の手に持つ短筒の刃を

振るう。それも蜘蛛カバネは、顔を若干傾けるだけで躱したが、突然生じた

衝撃に引っ繰り返る事になった。

 最初に弾かれた短筒で、蜘蛛カバネを至近距離から撃ったのだ。

「チッ!心臓狙ったんだけどなぁ」

 無名は舌打ちして、さして残念そうに聞こえない声で言う。

 蜘蛛カバネも普通のカバネではない。

 撃たれるのは避けられないと悟った瞬間に、咄嗟に心臓から射線をズラした

のだ。蜘蛛カバネも後転するように回り、素早く立ち上がると姿勢を低くする。

 無名も自分の持つ短筒では、威力が不足しているのは承知している。

 故に、接近して撃たなければならない。

 それを悟られたかもしれないのに、無名に焦りはない。

 蜘蛛カバネは、吠えるように低い姿勢から独特の跳ね上げるような動きで、

拳を次々と繰り出す。

 それを無名は避け、受け流し、逸らす。

 そして、それは突然起きた。

 拳の更に下から何かが飛んできて、無名の短筒を一丁弾き飛ばしたのだ。

「っ!?」

 無名には、それがなんなのかハッキリと分かった。

 黒い糸である。

 蜘蛛カバネは、手と口だけでなく、足からも放つ事が出来る事を隠していた

のだ。姿勢を低くしていたのも、足を隠していたからだったのだ。

 無名に決定的な隙が出来る。

 素早く蜘蛛カバネは、無名に飛びつき首筋に噛み付こうとした。

「なんてね!」

 独特の歩法で無名の姿が、霞むように消失した。

 蜘蛛カバネには、そう見えただろう。

 無名は、蜘蛛カバネの横に回り込むように動き、鋭く脚を一閃する。

 飛びつこうとしていた所為で、蜘蛛カバネは碌に抵抗する事も出来ずに、

一回転して屋根に叩き付けられる。

 流石に大人しくはなく、蜘蛛カバネは直後に呻き声を上げながらも、拳を

振るおうとしたが、無名に空いた手だけで流された挙句、膝で腕を押さえら

れてしまった。

「これで、終わり!!」

 短筒の刃を蜘蛛カバネの腕の斜め下から、突き上げると同時に引き金を引く。

 銃声が二発轟き、心臓被膜が燐光を放ち、破壊された。

 正確に肋骨の隙間に刃を滑り込ませ、固定してから銃口を押し付けるよう

に撃ったのだ。刺すだけでも倒せたかもしれないが、念を入れて二発撃ち

込んだのだ。

 

 無名は、肺に溜まった空気を吐き出すように息を吐き、視線を感じて振り

返ると想馬と目があった。

 

 

          3

 

 一方、生駒は天井のカバネを粗方片付けて、甲鉄城の屋根を疾走していた。

 嘗てない程の感覚のお陰なのか、自分の足元で惨劇が起こっている事が

分かった。既に生きた人間は、自分の足元には存在しない事も把握していた。

 本来なら、すぐに下へ降りてカバネを始末したい。

 だが、生駒にはやらねばならない事がある。

 まだ救える人達を助ける。

 それが生駒に課せられた使命といっていい。

 甲鉄城の屋根に残っているカバネが、生駒に気付き一斉に向かってくる。

 カバネが当初より明らかに増えている。

 原因は明らかだ。

 甲鉄城の血の匂いに誘われるように、次々と山に潜伏しているカバネが

無謀な方法で飛び付いているのだ。

 まだ、山を抜ける事は出来ない。

 一刻も早く、今いるカバネを片付けなければ大変な事になるだろう。

(想馬の言った通りだ。飛び移れる地形が多過ぎる。せめて崖を抜けない

とこれからも増えていくぞ)

 先頭のカバネの心臓被膜を破壊し、押し退ける。

 もう一匹を相手する間に、左右から次々とカバネが生駒に噛み付いて

くる。

 生駒は雄叫びと共に、正面のカバネを無名に教わった足払いで転ばせて、

貫き筒を心臓に押し当て、引き金を引く。

 次々とカバネが生駒の上に飛び乗って群がるが、生駒は無理矢理腕を

動かし、貫き筒の引き金を引きていく。

 心臓を破壊するのではなく、カバネを引き剥がすのが目的だ。

 カバネもここまで至近距離で、出鱈目に撃ち込まれれば、堪らない。

 生駒は拘束が緩んだ隙に、上に乗っているカバネを押し退け立ち上がる。

 丁度仰向けに倒れたカバネを始末し、倒れているカバネを屋根から蹴り

落とす。集中力が高まった生駒には、一斉に掛かってこられなければ、

対処は可能になっていた。

(いける!!)

 今や無名が教えてくれた歩法は、生駒の中に完全な形であった。

 想馬や無名のように流れるような洗練さは存在しないが、武骨だが確実

にカバネを始末していった。

 グズグズしていると、次のトンネルに入ってしまう為、生駒は全力で

走る。

 生駒の感覚は、もうすぐ最前線で戦っている車両に辿り着く事を囁いて

いた。そして、他とは違うカバネがゆっくりと最前線に向かっている事も

分かっている。

(この分なら、奴が来るまでに中へ飛び込める!!)

 生駒は甲鉄城の側面にある扉に、飛び降りる。

 開閉レバーを僅かな工具で、外していく。

 あのワザトリが近付いてくるのが分かる。

 焦りが募るが、生駒は自分を落ち着かせる為に、一つ深呼吸する。

 

 だが、その隙にワザトリが何故か加速した。

 

 

          4

 

 想馬と無名が、それぞれの戦いを繰り広げていた頃、甲鉄城ではカバネの

攻勢を防ぐ為に弾幕を張って抵抗していた。

 いくら威力の低い蒸気筒であっても、引き付けて近距離から撃てば、カバ

ネの進攻を止める程度の事は出来る。

 吉備土は、来栖の代わりに武士達の指揮を代行していた。

 実際に入り込んだカバネの数よりも、後からカバネと化した者が後から後

から湧いてくる。

 菖蒲も蒸気弓を使い、矢を放っていたが、矢の数は弾丸以上に少ない。

 すぐに菖蒲は事態を見守るだけになってしまった。

(せめてここからは離れない。最後まで見届けなければ)

 最早、何も出来なくとも彼女は、その覚悟を持って、その場に居続けた。

 しかし、ずっと撃ち続けていれば、連携も微妙に乱れてくる。

 吉備土は上手く指揮して、味方を鼓舞しているが、カバネは基本首を取る

か、心臓を破壊しなければ死なない。必然的に、連携の微妙な乱れだけで

許容出来る以上の接近を許してしまうのである。

 そして、遂にカバネが盾にへばり付いてしまった。

 不幸な事に、盾を持っていたのは他より若い武士と呼ぶにも幼さが残る

少年であった。

「平助!」

 菖蒲が声を上げるが、平助の腕力ではカバネに対抗する事など出来る筈も

なく、無情にも盾事引っ張り出されてしまった。平助が勢いのまま前に放り

出される。そこへカバネが我先に食らい付こうと群がった。

 誰もが悲惨な結果を想像した。

 だが、鋭い太刀筋がそれを打ち砕いた。

 その太刀を振るった主は、来栖だった。

 いつの間に守備隊の前に出たのか、分かった者は吉備土くらいだっただ

ろう。他の者達には、来栖が突然に現れれたように感じた。来栖は、この

時代に置いて、数少ない剣術を得意とする武士だったのだ。それも達人と

呼べる程の腕前であった。

 来栖は素早く群がるカバネの頸を落として見せたのだ。来栖とて武芸者

である。漫然と想馬や無名の戦いを見ていた訳ではない。そこから学んで

いたのである。相手が上手く平助を食らおうと、首を下に向けていたとい

う事も、上手く言った要因であるが。

「来栖!」

「来栖さん!」

 菖蒲と平助が声を上げる。

「菖蒲様。お下がり下さい。平助。サッサと立って下がれ」

「は、はい!」

 平助は、転がるように下がる。それを無様と笑う事は誰にも出来ないだ

ろう。九死に一生を得た直後なのだから。吉備土は素早く手を貸して、平

助を助け起こして下がらせる。

 それを合図にしたように、隣の車両からカバネが次々と現れる。

 来栖は刀の柄を握り締めて、正眼に構える。

 カバネが人の血を求めて、来栖に殺到する。

 刀が鋭い音を立てて舞う。流石に首を一撃で落とす事は容易ではない。

 心臓被膜の頑丈さは、来栖自身もよく知っている。故に移動手段を奪う

のが有効な手段である。それには、かなり上手く立ち回らねばならない。

 来栖は、カバネの動きを読み、次々と脚と首を斬り飛ばしていく。内心

で時代遅れと嘲笑していた一部の武士も、息を呑む活躍振りだった。

 今まで、本人も使う局面があるのかと自問自答しつつも、磨き続けた技

が今、輝きを放っている。来栖は顔には出さないが、高揚していた。それ

が更に技を研ぎ澄ます結果になっていた。

 血飛沫すら浴びる事なく、刀を振るい続ける。手が空けば、倒れて味方

の方に這いずって行こうとするカバネの首を刎ねる。それを繰り返した。

 そうしているうちに、動いているカバネは居なくなった。床は血と臓物、

それに生首が転がる地獄と化していたが、来栖の顔は誇らし気だった。

 後続のカバネが姿を見せない為、来栖は刀の血を払い、菖蒲達の方へ

振り返ろうとして、止まった。

 それに反応出来たのは、今までにない戦いに高揚し、意識まで研ぎ澄ま

されていたお陰であった。

 物凄い速さで車両に飛び込んでくる者があったのだ。

 来栖は咄嗟に刀を振るう。

 それは咄嗟の動きだったが、結果的に正解だった。偶然とはいえ、振り

下ろされた刀を受け止める事が出来たのだから。

 物凄い速さで突進からの上段からの一撃。

 辛うじて刀で受け止める形になったが、一撃の重さに押され、後退して

しまうった。

「なんだ!?コイツは!?」

 思わず来栖が声を上げてしまう。

 上段からの単純な一撃などではない。このカバネは、剣術を理解してい

る者の動きをしていたのである。僅か一撃ではあるが、達人の域に達して

いる来栖には、それが分かったのだ。来栖達にとって、カバネとは理性の

ない怪物であった。今までに、こんなカバネを駅に引き籠っていたが故に

見た事がなかったのである。

 来栖は、カバネ相手に鍔迫り合いをする愚を犯す事なく、刀身を滑らせ

るように、相手の刀を逃がすと同時に、自らも逆方向に逃れる。

 カバネは体勢を崩す事なく、脇差というか小太刀のような刀を片手で

抜き、二刀を構えた。構えからも只者ではないのが、来栖には見て取れた。

「二刀流だと!?」

 吉備土の驚愕の声が響く。

 カバネの膂力を持ってすれば、片手とはいえ、恐ろしい一撃となる。

 来栖は、集中力を高めるように息を吸い、吐く。

 カバネ・ワザトリが奇声と共に怒涛の勢いで攻めてきた。

 来栖は、冷静に左右から繰り出される攻撃を捌いて、隙を造り出すと、

負けじと攻めるが、左右どちらかの刀で受けられるか、弾かれてしまう。

 こと剣術に関して、来栖がここまで勝負を決められないのは、菖蒲も

見た事がなかった。

「カバネが…剣術を使うのですか!?」

 素人である菖蒲ですら分かる見事な剣捌きに、菖蒲の顔は血の気が引く

思いだった。

 来栖は、長引く勝負に徐々に焦りを感じ出していた。それは当然、体力

の問題である。カバネは疲れ知らずであるが、人間である来栖は違う。長

引けば、ドンドン動きが鈍り、劣勢になるのは目に見えている。来栖は、

一気に勝負を決める積もりで、相手の刀を掻い潜ると、鋭く深く踏み込み、

刀を振るった。

 狙いは小太刀。

 小太刀であれば、来栖の剣術流派の技で巻き落とし、返す刀でもう片方

の腕を落とせる。カバネ相手に、この技を使うのは初めてであるが、来栖

はこれに賭ける決断をした。

 だが、これが間違いだった。

 来栖の刀が折れたのである。

「っ!?」

 来栖が信じられずに目を見開く。

 ある意味当然の展開だった。どんなに上手く扱ったとしても、刀で人が

斬れる人数は限られる。ここまで刀が持っただけ僥倖と思うべきだろう。

 ワザトリが、この隙を見逃す筈もなく、巻き上げた体勢でがら空きに

なった胴に小太刀を突き刺した。

 刺された来栖が呻き声を上げる。

「援護する!!来栖に当てるなよ!!」

 吉備土が、声を張り上げ蒸気筒をワザトリに向けて発砲する。弾丸は、

ワザトリの額を掠めて飛んでいった。その事でワザトリの注意が吉備土に

向いた瞬間、一拍遅れる形で他の武士が蒸気筒を射撃する。ワザトリは、

鬱陶しくなったのか、来栖を床に捨てると隣の車両の扉まで飛び退く。

 その隙に、今度は平助が来栖に飛び付くようにして、吉備土達の下へ

引き摺っていった。それを横目で確認した吉備土は、声を張り上げる。

「一斉に放て!!」

 ワザトリは、銃弾の嵐にも動じる事なく、刀で弾き、或いは躱しながら

接近を試みる。それを見て、吉備土の額に冷汗が流れる。

(あと少し接近されれば、格闘戦を挑むしかなくなるぞ!!)

 吉備土達は、刀など持ち歩いていないし、そもそも所持も今時していな

い。そうなると、必然的に格闘戦をするしかなくなる。カバネ相手にだ。

 吉備土は、菖蒲に布で止血されている来栖をチラッと確認すると、覚悟

を決める。

(来栖が、ここまでやったんだ。俺達も相応の覚悟を見せなければな)

 体格に恵まれた吉備土でも、勝つのは厳しい戦いになるだろう。だが、

ここで諦める選択肢はない。吉備土は、いつでも蒸気筒を投げ捨てて、飛

び掛かる積もりでいた。

 しかし、その覚悟は、今回は不要になった。

 

 隣の車両から一体のカバネが、血を撒き散らしながら飛んできたからだ。

 

 

          5

 

 扉の向こうをワザトリが通過したのが、分かった。

(クッソ!)

 生駒が内心で吐き捨てると、作業の速度を上げる。

 漸く扉を外し、内側に扉を倒すと、丁度一匹口から血を滴らせたカバネ

が出てきた。一匹だけだったのは、来栖の活躍で車内のカバネが減った

からだった。不幸だったのは、カバネだろう。今の生駒にとって、一匹程

度のカバネなど物の数ではない。

 生駒は素早く後続がいない事を確認すると、その一匹に突撃する。カバ

ネの方も新たな餌に飛び掛かったが、あっという間に躱されて、足払いを

食らい、宙を舞う羽目になった。無防備な状態のカバネが、やけにゆっく

りと生駒には見えていた。ワザトリが誰かと戦い、退けたのを一瞬で確認

した。

(これが…カバネの能力か!)

 今は生駒自身の意志を持って、その能力を使う事が出来る。

 ワザトリが、武士と思われる連中に突っ込んで行くのが分かる。

 生駒は、とる行動を決める。

 宙に舞っているカバネに、蒸気筒を叩き付けるように押し付けて、引

き金を引く。勢いのままカバネが隣車両に吹き飛んでいった。生駒は、

それを追うように隣車両に飛び込む。

「そのワザトリは、俺が倒す!!」

 生駒が飛び込むと同時に叫ぶ。

 その大声にワザトリの動きが止まる。

 かなり接近されていた武士達は、これが好機と至近距離から撃とうと

するが、ワザトリが刀を一閃させた事で頓挫した。

「射撃、待ちなさい!」

 菖蒲が慌てて銃撃を止める。このままでは生駒まで撃ってしまう。

 このまま戦えば、こちらに攻め込まれ、甚大な被害を被っていたのは、

間違いない。それならば、生駒に任せてみて、その隙にこちらの体制を

立て直した方がいいと、菖蒲は判断したのである。

 その菖蒲の判断に、武士達は信じられないとばかりに凝視したが、気

にする余裕は菖蒲にはなかった。

 生駒が貫き筒を構え、ワザトリと相対する。ワザトリは二刀を構えて

奇声と共に斬り込んだ。鋭く威力のありそうな一撃だが、生駒の目は、

その攻撃を捉えていた。

(見える!無名の動きを思い出せ!)

 両の手から繰り出されるワザトリの斬撃を、ぎこちなさが残るものの

生駒は躱しながら、貫き筒を叩き込む隙を探る。そして、生駒にとって

僥倖が訪れる。

 

『そこはくるっと回ってチョンチョンパだって言ってんでしょ!?』

 

 無名にそう言われた時の自分の動きと類似した動きを、ワザトリがし

たのだ。勿論、あちらは武芸を磨いた元・武士であり、動きは生駒の

ものと比べるべくもない。だが、生駒の身体は教えられた事を忠実に

再現した。説明は意味不明でも動き自体は、見て覚えていたのだ。カバ

ネとしての身体が。

 ワザトリの視界から一瞬、生駒が消えた。

 ワザトリが驚いたように声を漏らす。

「動きが大き過ぎだな」

「グゥ!?」

 ワザトリが声の方に振り向いた時には、既に勝負が着いていたと

言っていい。

「全然なってないぜ!!」

 ワザトリが振り向いた瞬間、生駒の裏拳が頬に決まり、ワザトリの

身体が傾く、態勢を崩されてはもうどう仕様もない。身体が傾き踏ん

張った脚に生駒の脚が掛けられ、上半身に生駒の片腕が押し当てられ、

更に態勢が崩れた事により、ワザトリは床に叩き付けられた。ワザトリ

も、倒れた態勢から刀を腕力だけで振るおうとしたが、それより速く

生駒の貫き筒がワザトリの心臓を捉える。間髪入れずに引き金が引かれ

て、ワザトリの心臓は貫かれた。燐光を発して、ワザトリが動かなく

なる。

(終わった。…勝った…)

 そう思った時、生駒に正常な時間が戻った。その反動か、生駒は、

あまりものを考える気になれなかったが、無理矢理考える。

(戦う為には、あの感覚を自在に使えるようになる必要があるんだな)

 生駒は、ボンヤリとして精彩を欠いていたが、そんな事を考えていた。

()()()勝利です!!勝鬨を!!」

 菖蒲が逸早く我に返り、声を上げた。この機に、さり気なく生駒達

カバネリを自分達の仲間として扱ったのだ。あまりの事態に思考が追い

付いていない武士達は、その事に気付かなかった。

「六根清浄!!」

 逸早く、その思惑に気付き、乗ったのは吉備土だった。吉備土は武士

として、カバネリが戦力として使えるなら使うべきと、合理的に判断し

たのだ。危険を冒して人を助けに来たというのも、判断の理由ではある

が。

 六根清浄が勝鬨やカバネとの戦闘時に使われるのは、カバネが祟りの

結果、呪いを受ける事でなるとされ、五感や意識を清めれば防げると考

えたからである。生駒にしてみれば、失笑ものだが、それが未だに罷り

通っていたのである。

 吉備土が勝鬨を真っ先に上げた事で、他の武士達が釣られたように声

を張り上げる。来栖は、ある意味気絶していてよかったのかもしれない。

彼ならば、信用出来ないと異議を唱えていただろう。

「「「六根清浄!!六根清浄!!」」」

 それは伝染し、車両で生き残っている全ての人間が声を上げた。

 

 生駒は、それを驚いて見ていた。

 

 

          6

 

 想馬と無名がカバネ化した住民達を殺し終えた時には、生駒がワザト

リを倒して、勝鬨が上がっていた。二人が生駒達がいる車両に入ると、

生駒は疲労からか、座り込んでいた。

「おい。大丈夫か?」

 想馬が、勝鬨で盛り上がっている武士達を無視して、生駒に声を掛け

る。想馬の背から無名も顔を出していた。

「ああ。勝った!」

 疲労が濃いようだが、目立つ傷はない。どうやら無傷でワザトリを倒

す事に成功したようだと、二人にも分かった。

「あれくらいの相手に勝って貰わないと、盾として使えないよ」

 無名に褒める積もりはないようだ。それに無名は、眉を顰めて生駒を

観察していた。

「な、なんだよ?」

 無名の視線に居心地が悪くなったのか、生駒が顔を顰めて訊いた。

「アンタさ。立てる?」

「は?」

 無名の突然の問いに、生駒はポカンとした顔になった。

「立てるに…」

 生駒の顔色が変わる。脚が言う事を聞かなかったのだ。傍から見たら、

座ったまま小刻みに移動しているようで、滑稽な姿だった。当人からす

れば、大真面目なのだ。

(そういえば…()()()()()()()()()()()?)

 生駒の記憶は、ワザトリを倒した辺りからあやふやなもので、愕然と

なった。

「ああ。力の使い過ぎだね。自分以外のものが、ゆっくりに見えたで

しょ?」

「っ!!」

「やっぱりね。訓練不足だと、そうやって使い過ぎて自滅するんだよ」

「どういう事だ?」

 無名の言葉に、生駒が引き攣った顔で聞き返した。あの感覚を自在に

引き出す事で、強くなると思っていた生駒は少なからず衝撃を受けてい

た。

「カバネと違って、私達カバネリは脳は人間だからね。カバネの力を全

開にしたら、そりゃ負担掛かるでしょ。…って嫌な医者が言ってたよ」

 無名は自身でも理解していないようで、最後にボソッと受け売りであ

る事を告げた。

「兎に角!上手く使えるようにならないと、動けなくなったり、私の場

合だと呪いが回って眠っちゃうよ。戦場でそんな事になったら、死ぬし

かないからね」

 自分でも理解していないのに知った風に話すのには、ムッとした生駒

だったが、確かに実体験で動けなくなっていれば、間違いのない事実で

あるのは分かる。言ってみれば、極限の集中を常時発動しているような

状態であるから、脳に負担が掛かるのも頷ける。生駒は折角掴んだと思

えたものが、ハズレである事にガッカリした。

「まあ、近道はないってこった。これから頑張ればいいさ」

 想馬は気軽にそう言ったが、生駒の口からは重い溜息が漏れただけ

だった。

 

 そんな生駒を見て、無名は忍び笑いを漏らした。

 

 

          7

 

 戦闘が終了し、戦場掃除も粗方終了した後、今後の話し合いとなった。

「なっ!?カバネを使うと仰るのですか!?」

 阿幸地は、今回の失態から菖蒲に親鍵と指揮権限を奪い返されていた。

 阿幸地自身も、そこに弁明の余地はないと認めはしたが、菖蒲のカバ

ネリを戦力として使うという決定には、菖蒲の正気を疑った。

「我々は、二度に亘って彼等に助けられました。これでまだ疑うと?」

 菖蒲の毅然とした態度に、阿幸地は言葉に詰まった。結果的に自分の

失態を、カバネリと傭兵に尻拭いさせたのだから、反論はし辛い。

「しかし!コイツ等は血を欲するのでしょう!?大丈夫なのですか!?」

 来栖が今度は噛み付くように訴えた。

「そんな大量には要らないよ。それに一人から全部必要量確保する必要

もないし、器か何かに入れてくれればいいんだよ。噛み付いたりしない

よ」

 無名は来栖の言葉にムッとしたが、想馬の落ち着けと言いたそうな視

線に渋々そう答えた。

「血さえ与えていれば、理性が保たれるんだな?」

 想馬が皆が最も心配する点を確認する。

「うん。そう」

 無名は素っ気なくそう答えた。実は確実とは断言出来ないが、ここは

そう答えておくべきと察した無名は肯定した。このくらいの腹芸は無名

でも可能なのだ。

「そうか。なら使うべきだな。俺は菖蒲様意見に賛同する」

 真っ先に吉備土が賛同を表明した事に、来栖は目を剥いた。来栖は、

吉備土の真意を確認しようと、吉備土を睨み付けるが、平然とした視線

が返ってくるのみである。

(吉備土は、認めたという事か…)

 吉備土は情に厚いところが目立つが、冷静な判断も出来る男である。

 それ故に、来栖も信頼している。そんな男が認めた事に、来栖も静観

して、自分の目で確かめる必要を感じた。

「お二人には、私が血を提供します」

 賛同者が出た事で、すかさず菖蒲が畳み込む。

「お一人でですか!?」

 来栖が思わず声を上げる。無名は大量には要らないと言ったが、どの

程度の量か明言していない。心配するのは当然と言える。

「俺も協力する!男じゃダメって事はないよな?」

 逞生が手を上げて、協力を名乗り出た。そこから鰍、巣刈、侑那が手

を上げて次々と協力を申し出る。

「分かりました。そこまで仰るなら、止めません」

 生駒達を認める流れが出来上がってしまっては、これ以上の抵抗は無

意味と悟り、阿幸地は溜息交じりに言った。

「俺も賛同したからな。協力する」

 吉備土が笑みを浮かべて、来栖の方を見ながら言った。

「認めた訳ではないぞ。おかしな素振りを見せたら叩き斬る」

 来栖が苦い顔で手を上げて、協力をする旨を表す。仕える姫がやると

言っているのに、来栖がやらないという訳にもいかない。少しでも菖蒲

の負担が減るようにしないといけないのだ。

 

 それから暫くして甲鉄城は、暗い山を越えた。

 

 

 

 

 

 




 生駒はカバネリの力を上手く使えないので、無名と違い自在に
 適宜使用は出来ず、開放しっぱなしになっていました。
 
 平助が生き残りました。

 次回も時間が掛かると思われますが、お付き合い頂ければ幸い
 です。


 


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第七話

 随分時間が掛かってしまいました。
 まだ折れていません。
 それではお願いします。


 


          1

 

 あの時、親父殿は囮となる積もりだったのだろうか?

 それとも恐れに駆られて逃げ出したのだろうか?

 

 まだ幼さが残る想馬は、燃え盛る炎の中、無様に森へと走る父の背を見送っ

ていた。

 答えは一生出ない。

 何故なら、当人は既にこの世にいないのだから。

 

 想馬は茹だるような暑さで起きた。

(餓鬼の頃の夢なんて久しぶりに見たな。生駒の所為だな)

 小さな窓から太陽の光まで差し込んでいた。

 後部車両のボイラー車は暑いのだ。窓も開かない。

 生駒が外した整備用ハッチは、流石に応急処置とはいえ塞がれていた。

 そこからカバネが入ってくるかもしれないのだから当然だが。

 想馬が辺りを見回すと、このボイラー車を根城に使っている化物二人の姿は

既になかった。

「勤勉な事だ」

 勿論、勤勉なのは生駒一人で、もう一人はブラブラしているのが目に見えて

いるが。

 あれからここに押し込まれた逞生や鰍達は一般車両に移れたが、念の為に三

人はそのままボイラー車を使う事になっていた。

 正直、想馬は一般車両に居たかったが、叶わなかった。

 やはり、女を斬った事が響いているようで住民の目が厳しいのだ。

 それでも出入りは自由になっているのが救いではある。

 夜は兎も角、昼にこの部屋は厳しい。

 

 嫌な夢を振り払うように想馬もこの車両から避難する事を決意した。

 

 

          2

 

 想馬は腰に刀だけ差して歩き出した。

 ボイラー室に比べれば他の車両は天国だ。

 もうすぐ一般車両に入るというところで、派手な銃声が響いた。

 銃声が止んだところで、慎重に扉を開けて中を窺うと蒸気筒の試し撃ちをし

ていた。

 怪しい巻き毛の異人と生駒でやっていた事が実を結んだのだろう。

 素早く中に入り込むと、生駒の説明は終わっているようだった。

 的をチラリと見ると鋼鉄製の分厚い鉄板を貫通していた。

 貫き筒を元に研究された噴流弾が完成した証拠である。

「確か、刀にも何か細工したと言ってなかったか?」

 吉備土が生駒に尋ねる。

 問われた生駒は、生き生きと箱から刀を取り出した。

「これです!カバネの心臓被膜を刀身に貼り付けてみたんです」

 刀はカバネの心臓被膜特有の不吉な黒に染められ、ところどころに紅い血管

のような筋があり禍々しい見た目になっていた。

「これでそう簡単には折れない筈です」

 生駒は自信満々に宣言した。

「だが、刀自体は定期的に手入れした方がいいぞ、それだと」

 想馬は、注意が生駒に向いている間に接近しそれだけ忠告してやる。

 全員が一斉に想馬の方に振り返った。

「外側が丈夫でも、中は普通の刀だろ?亀裂が中で入ってたら事だぞ?」

「確かに…」

 生駒が成程とばかりに深く頷いて、自分の思考に没入してしまった。

「起きたんだな!」

 自分の中に閉じこもってしまった親友に代わり、逞生が想馬に声を掛ける。

「暑過ぎてな。それでここにいない問題児はどこだ?」

「ああ!無名ちゃんか。餓鬼共と遊んでるよ。中々馴染んでるぜ?」

 想馬の問いに、逞生が苦笑いと皮肉とが混然一体となった不思議な笑みを浮

かべて言った。

 

 想馬は、吉備土を除く武士からの視線を気にする事もなく、手をヒラヒラ

振って車両を後にした。

 

 

          3

 

 想馬が武士達から視線の集中砲火を浴びた後、車両を幾つか通り過ぎると問

題児を発見した。問題児らしく、既に問題を起こしていた。

 男二人をボコボコに叩きのめしていたのだ。

「どういう状況だ?」

 想馬は、つい数日前まで同じボイラー車にいた鰍が近くにいた為状況を尋ね

た。

 鰍は、困ったようなそれでいて微笑ましいような顔で話してくれた。

 状況を纏めると、どうもあの男二人が無名達が遊んでいる近くで、喧嘩を始

めて挙句に刃物まで持ち出し暴れたようだった。

「まあ、無名ちゃんが怒ったのって、勝負邪魔されたからだと思うけどね」

 甲鉄城にいる子供の一人である小太郎が広げられた盤を指して言った。

 総じて恐れと嫌悪の目で見られる想馬だが、一部の子供は鰍の影響か想馬を

恐れなかった。

 小太郎に言われ、盤を見ると将棋の駒の山が崩れていた。

 どうやらやまくずしでもやっていたようだ。

 男共が出した振動で駒が崩れたのだろう。

「ああ、鋭い考察だ」

 想馬は頭痛を堪えつつ小太郎を褒めた。

 小太郎は満更でもなさそうに笑った。

 そんな事をやっている内に、無名の気が済んだらしく男共を殴打する音が止

んだ。

「子供が怖がるでしょ!?二度とやらない事!!」

「お前もだ」

 腰に手を当てて宣言する無名の頭に想馬は拳骨を落とした。

 いくら頑丈なカバネリとはいえ、想馬の膂力で落とされる拳は効くようで頭

を押さえて、無名が蹲る。

「何すんのよ!?」

「お前の実力なら、もっと穏当に追っ払えるだろうが。加減しろ加減」

 無名が不満そうに唸り声を上げる。まるで動物である。

 余計な揉め事を量産する行動を直してやらねば、巡り巡って想馬に被害がく

るのが目に見えている為、機を見て矯正中なのであるが成果は芳しくない。

「これに懲りたら、自分の行動には気を付けるこった」

 想馬はチンピラ風の男二人に向かって言うと、二人の男は仲良く揃って逃げ

出した。

 それと入れ替わるように、菖蒲が顔を出す。

 逃げて行く二人の男をチラッと見遣って、想馬達を見た。

「揉め事と聞いて来たのですが、もう治めて頂いたみたいですね。助かります」

 菖蒲が、ご苦労様ですと言わんばかりの視線を想馬に向ける。

 無名は少し面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 それを見て菖蒲が内心で苦笑いする。

「無名さん、ありがとうございます。無名さんは甲鉄城の用心棒ですね!」

 不機嫌になった無名の機嫌を直す為というのもあるが、菖蒲の偽らざる思い

でもあった。

 そのハッキリとした物言いに無名も毒気を抜かれるだけでなく、照れて顔が

赤くなった。

「な、何言ってんの?そんなんじゃないよ!」

(確かにそんなんじゃないな)

 想馬は雰囲気を壊さない為に内心のみでぼやいた。

 無名は、それでも不穏な気配を察したように素早く想馬を睨み付けるが、想

馬は素知らぬ振りをする。

 それを見た菖蒲は、噴き出すというには上品に忍び笑いをした。

 想馬と無名がムッと菖蒲を睨むと、咳払いして誤魔化した。

 本人も誤魔化し切れていないと感じたのか、何かを言おうとしたが必要な

かった。

 

 甲鉄城が急制動で停止したからだ。

 

 

          4

 

 順調に金剛郭までの道程を進んでいるかのように見えた甲鉄城は、またして

も困難な状況に陥っていた。

 急制動の後、慌てて先頭車両へ移動した菖蒲は状況の確認を行った。

 食料などを補給する為に立ち寄った駅が、警笛を返さないのである。

 警笛は、無事に都市機能を維持している基準となるものである。

 無視はこのご時世ではあり有り得ない。

「八代駅が落ちたのか!?」

 武士の一人が冷汗を浮かべて思わず声を荒げる。

 その声に応えた訳ではないだろうが、薄っすらと狼煙が上がったのである。

 だが、その事に安堵はない。明らかに異常であるからだ。

(想馬さんも言っていた。単純な合図くらいならカバネでも使う個体がいると。

でも…)

 菖蒲は前に想馬から言われた事をキチンと覚えていた。

 だが、無事な人間もいる可能性は否定出来ない。

「慎重に駅の中に入ります」

 菖蒲は決断を下した。

 

 結論から言えば、生き残りはいた。

 だが、補給などとてもではないが受けられる状況ではなかった。

 寧ろ、こちらが支援しなければならない状況である。

 そして、更なる問題が発生していた。

「駅を通過するのに必要な線路が、竪坑櫓で塞がれて通れない状況です」

 吉備土は苦々しく駅の見取り図を指差し説明する。

 どういう状況かは不明であるが、竪坑櫓が倒れて線路を塞いでいるのである。

「物凄い力で曲げられたような跡がありますが、それをやったカバネは今のと

ころ見当たりません」

「いっそ、迂回するっていうのはどうですか?」

 武士の一人が意見を出すが、菖蒲は静かに首を振った。

「迂回すれば十日は掛かります。食料の備蓄が持ちません」

「本来ならば、ここで補給を受ける予定でしたからね」

 菖蒲の言葉を補足するように吉備土が言った。

 

 どうにか櫓を撤去したいところだった。

 

 

          5

 

 菖蒲達が今後の方針を話し合っている頃、八代駅の生き残り達を甲鉄城に収

容する事も並行して行われていた。

「おい!八代駅の生き残りだ!食料をやってくれ!」

 武士が厨の担当の女達に声を掛けて、八代駅の生き残りを中に入れた。

 恐怖と疲労でボロボロになった男二人が先頭で入ってくる。

 後ろに並ぶ者達も似たり寄ったりの有様だった。

 厨の担当の女が、痛ましそうに食料を差し出して声を掛ける。

「カバネにやられたのかい?」

「ああ…。三日前だ…。壁が乗り越えられたんだ。黒煙が押し寄せてきた。皆

飲まれちまった…地獄だったよ」

 話した男は途中で涙が止まらなくなり、話が出来なくなった。

 周りの人間も補足する事なく、俯いている。

 甲鉄城にいる子供の一人である小夜が無名にしがみ付く。

「なんだよ!怖がりだな」

 無名は、仕様がないなと言わんばかりに小夜に優しい瞳を向ける。

 子供達の纏め役のような役割を果たしている一之進は、小太郎に声を掛けて

いる。

 だが、ただ一人想馬だけは、黙り込んでいた。

 無名は、その様子を怪訝そうに見て首を傾げた。

 八代駅の人々が、食料を受け取ると列を離れて空いた車両に移っていく。

 突然に周りの足音とは違う音が一際響いた。

 無名はハッとその発生源を確認すると、片目が傷付き片足が義足の壮年の男

がいた。

(榎久!なんでこんなところに!?)

 そこにいたのは元同僚である男がいた。

 榎久は無名が自分に気付いた事を確認すると、傍にいた甲鉄城の女に厠はな

いか尋ねて、食料の列から外れる。

 無名も小夜を撫でると、さり気なく榎久を追って行った。

 想馬は、考え事の最中であったにも関わらず、無名が動いたのを見逃さな

かった。

 露骨に視線で追う事はなかったが、どこに向かうか目の端で確認していた。

 

 そして、想馬も周りに気付かれないように無名達の後を追った。

 

 

          6

 

 無名が榎久を追って甲鉄城の外へ出ると榎久が座り込んでいた。

 だが、その佇まいは現役の時と変わりはなく鋭いものだった。

「久しいな、無名」

「そうだね。アンタは暫く見なかったけど」

 現役の時は恐るべき剣の使い手で、熱烈な白鳥美馬の信奉者だった男だ。

 自分と同じカバネリを使えなくなれば殺す役割も担っていた為、無名はこの

男を好かない。

 無名の脳裏に助けを求める仲間の姿が浮かぶが、それを振り払う。

「傍に居らずとも若様のお役に立つ事は出来る」

 榎久はそう言うと義足となった脚を撫でた。

 無名はそれを冷ややか見ていた。

「それで?なんか用?」

「二十日前だ。幕府の連中が武器を発注した。カバネ用じゃない。人間を殺す

武器だ。若様にこの事を伝えろ。有事の際はこの榎久、いつでも馳せ参じます

ともな」

 無名はあまりの不愉快な言葉に反吐が出る思いだった。

(こいつ。まだ戦場に未練があるの?)

 戦場で片目と片足を失った榎久は、役職を変えざるを得なかった。

「そんな事しても、兄様はアンタを現場に戻さないと思うけどね」

 無名はそう言い捨てて背を向けた途端、榎久が動いた。

 義足で、しかも座っていたとは思えない速度で仕込み杖を抜き打ちして見せ

たのだ。

 それでもアッサリと無名は取り出した苦無で、振り向きもせずに仕込み杖を

止めた。

「なんの積もり?」

 無名は殺気を籠めて言った。

「返事がなかったぞ?分かったら返事をしろ」

 相変わらずの態度だった。現役の時と。

 だからこそ、無名は苛立った。

「いくらアンタが兄様の耳でも、ふざけた真似すると殺すよ?」

 そう、今やこの男は各地に散らばる間者から情報を受け取り、自らも情報を

収集する役割を持った()なのだ。

 その男が鼻で嗤った。

「殺すだと?殺されかけているのはどっちだ?」

 無名は自分の背後に目を向けると、そこには空いた手に短筒を構えた榎久の

姿が見えた。

 無名は目を細めただけで無言だった。

 

「そうだな。殺されかけてんのはどっちだって話だ」

 

 その声に無名と榎久が弾かれたように声の方を向いた。

「想馬!」

「なんだ、貴様は」

 想馬は、甲鉄城の屋根で大型の銃を構えた状態でいたのだ。いつでも狙撃可

能だった。

 榎久にしても無名にしても互いに気を取られていたとはいえ、こんな近くに

武器を持って潜まれていたのに気付かなかったのだ。二人は密かに冷汗を流し

た。

「おかしな動きはしない事だな。うっかり撃っちまうかもしれないぞ?」

「想馬。なんでここに?」

 無名は想馬を問い質す。

「俺がお前さんの出自に関心があるのは知ってるだろうが。お陰様で確認出来

た」

 耳など抱えているのは権力者側だ。

 榎久は舌打ちして銃を仕舞い、仕込み杖を納めた。

「使命を果たす事だな。使えなくなった者にあの方は甘くはないぞ?貴様も例

外ではない」

 榎久はそう言い捨てて甲鉄城の中に戻った。

 榎久の言葉に無名の脳裏で切り捨てられた仲間達がチラつく。

(私は違う!私は切り捨てられたりしない!)

 無名は歯を食いしばって、握り締めた苦無を更に締め上げた。

 想馬に一言も言わずに無名も甲鉄城に戻って行った。

「ありゃ、今は何言っても届かないな」

 想馬は言おうとした言葉を掛ける事が出来なかった。

 

 なんにしても想馬は自分に出来る事をやるしかないのだ。

 

 

 

          7

 

 無名と想馬が別れた頃、生駒は八代駅からの脱出計画を武士達に話していた。

「これを見て下さい」

 生駒はそう言うと八代駅の見取り図を広げて指差す。

 この場には菖蒲に来栖達武士数人が顔を揃えていた。

「この場所に窯場があります。ここのボイラーに火を入れる事が出来れば蒸気

クレーンを動かす事が出来ます。そうすれば…」

「成程!クレーンで櫓を撤去する訳だな!」

 武士の一人が感心したように声を上げるのを、生駒は笑顔で頷いた。

「だが、斥候からの報告じゃ、その窯場こそカバネの巣になってるんだろうが」

 別の武士がすかさず問題点を上げる。

 だが、そこも生駒は考えがあった。

 意気揚々と口を開こうとした時、生駒の背後で人の気配がして後を見ると丁

度無名が姿を現した。

「無名?どこ行ってたんだ?丁度作戦を説明してたところなんだ!最初から聞

くか?」

「いいよ。続けて」

 いつになく素っ気ない態度で無名は言った。

 何やらいつもと様子が違うと、生駒は思ったが自分の作戦を説明する事を優

先し、気を取り直して説明を再開する。

「その通りですが、見取り図を見て下さい。遠回りになりますが蒸気クレーン

から迂回していけば足場は狭いからカバネも一体ずつしか襲ってこれません!

無名や想馬もいるし問題ありませんよ!」

「うん。いいんじゃないか?」

 黙って聞いていた吉備土が菖蒲を見ながら賛成した。

 菖蒲の方は、来栖から反対意見が出ないのを確認すると頷いた。

「それでは、その作戦で…」

「何、弱腰になってんの?」

 良い流れできた話を、空気も読まずにぶち壊しにする冷ややかな声が遮った。

 無名である。

「無名?」

 生駒は怪訝な顔で無名を見遣った。

 武士達をはじめ菖蒲も流石に不快なものを感じた様子だった。

「足場の狭いところ?馬鹿じゃないの?こっちの動きも制限されるでしょうが。

自由に動き回れないでカバネの相手なんてしたら、あっという間に組み付かれ

るよ。正面から殲滅に決まってるでしょ」

 いつになく棘のある言い分に生駒もムッとする。

「殲滅!?通路の広い正面を選べば多方向から襲われるんだぞ!?あっという

間にやられるだろう!今までと数が違うんだぞ!」

「ふぅ。これだから素人は…」

「何ぃ!?」

 無名の侮蔑的発言に武士の一人が激昂するが、無名の後から更に想馬がやっ

てきた事で会話が途切れた。

「盛り上がってるな」

 想馬はチラッと無名を見て言ったが、無名の方は想馬を無視した。

「想馬からも何か言ってやってくれよ!コイツが!!」

「悪いがどうなってるのか説明してくれ。話はそれからだ」

 来栖は舌打ちする。

「次から次へと遅参して勝手な事を」

 来栖は吐き捨てるようにそれだけ言った。

「そりゃ、悪かったな。こっちも思い当たる節があったんでな。情報収集して

たんだ」

 生駒は嘗てない程に深刻な顔をした想馬に内心首を傾げたが、話がこのまま

では進まないので経緯を説明した。

「成程ね」

 想馬は全て聞き終えてそれだけ言った。

「想馬はどう思うんだ?」

 生駒は苛立った声で想馬を問い質すように言った。

「どっちも却下したいな」

「「えっ!?」」

 奇しくも生駒と無名の声が重なる。

「どういう事ですか?」

 菖蒲も思わず声を上げる。

「お姫さん。火薬はどれだけ使用して問題ない?」

「火薬ですか?金剛郭までの道程を考えればあまり余裕はありませんが…」

「まあ、そうだよな」

 菖蒲の表情と答えに想馬は天を仰いだ。

 それ程使用出来ない事が容易に理解出来たからだ。

 想馬の案は爆薬を何箇所かに設置し起爆させて、櫓の破壊と同時に櫓を爆風

で撤去しようという案だった。残った破片程度は駿城なら問題なく通行出来る。

 そして、素早く駅を通過する。それが想馬の考えだった。

 だが、資金の問題で食料や医療品、生活必需品を買うのさえ厳しい状況で、

大量の火薬を追加で買うのは無理な相談だ。

 まして、噴流弾が開発されて、これまで以上に火薬の使用量は増えるのだ。

 ここで大盤振る舞いを許すのは、菖蒲の立場では難しい。

「なんなの一体?」

 無名が冷ややか声で想馬を睨み付けて言った。

「八代駅の生き残りから詳細を訊いた。結論から言えば、ここに巣食ったカバ

ネに勝つのは無理だ」

 全員が驚愕の表情で想馬を凝視した。

「ちょ、ちょっと!何言ってんの!?」

 無名が意外な発言に己の焦燥も忘れて上擦った声で言った。

「黒煙。八代駅の連中はそう表現したが、俺は勝手に鵺って言ってる。狩方衆

がなんと呼称してるか知らないがな」

「鵺?あの伝説の怪物か?頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎って奴か?」

 吉備土が困惑した声で問う。

「見ようによって形が変わるあやふやなものって意味でな。ある奴は黒い巨人、

ある奴は虫みたいだって言った奴もいたっけ」

「結局、どんなカバネなんだ?」

 生駒が堪り兼ねたように声を上げる。

「俺も一度だけ遭遇した事がある。逃げられたのが奇跡って状態だったがな。

そいつは言わば群体だ。一体のカバネが他の多数のカバネを寄せ集めて固めて

一個の巨大なカバネに変化するんだよ。命知らずの連中が俺を除いて討ち死に

した。何も出来ずにな」

「融合群体!?」

 無名もここで正体に気付いた。

「無名さんもご存じなんですか!?」

「まあね。なかなか見ない奴だよ。…だとすると、どの程度の大きさかにもよ

るけど、今の装備じゃ勝てないね」

 菖蒲の問いに無名は苦い顔で答えた。

 生駒も武士達も衝撃を受けていた。

 あれだけカバネとの戦いに自信を見せていた二人が、揃って勝てないなどと

言う相手がいるとは。

「大きさは、そこまで大きくないだろうが駅の防壁が乗り越えられたんだ。そ

れなりの大きさだろうよ。一番の武器は甲鉄城に付いている砲だが、ここのカ

バネには豆鉄砲みたいなもんだろう」

「そんな…」

「で?どうするんだ?」

 菖蒲が青褪めるなか、生駒が逸早く立ち直り二人に意見を求める。

「生駒の案で大筋はいくしかないだろうな」

「結局は戦わないと駄目って事よね?」

 無名はすぐに想馬の思考に付いてくる。

「あんまりここのカバネを刺激したくない。火薬が大量に使えない以上、ク

レーンで櫓を撤去するしかない」

 火薬を浪費すれば、先がなくなる。取れる手段が乏しくなってしまう。

「ただ、行くのは生駒と俺、無名のみでやる」

「それこそ無茶だろ!?逞生や巣刈に応援を頼む気だったくらいなんだ!」

 あまりに無茶な話に生駒が声を上げる。

「ああ、無茶だな。だが、無茶を通すしかない。窯場のボイラーは俺と無名で

やる。薬草を濃縮したものを使って人の匂いを消す。そうすれば隠密行動が可

能だ。出来るだけカバネを刺激せずにボイラーまで行く。俺もボイラーに火を

入れるくらいは出来るからな。生駒は蒸気クレーンに交戦を避けて潜め。火が

入ってクレーンの準備が出来たら、すぐに作業開始だ。甲鉄城は櫓が上がった

ら、そのまま走り抜けろ」

「ちょっと待って下さい!想馬さん達はどうするのですか!?」

 想馬の計画に菖蒲が驚いて問う。

「生駒はクレーンで櫓を撤去したら、甲鉄城に飛び移れ。俺達は火を入れたら、

作業時間内に跳ね橋まで走る。()()()()()()()()()()()、襲われる危険は減る

から心配するな。ただし、俺達が失敗したら迷わず後退して駅を出ろ」

 想馬の言葉に聞いている面々が驚愕する。

 失敗した場合は、自分達を見捨てろと言っているのだ。

「駅を出たら、もう迂回するしかなくなる。食料が持たないぞ!?それでどう

しろと!?」

 武士の一人が声を荒げる。

「勝てない戦いをするよりマシだろ?十日くらいなら水も食料もギリギリまで

切り詰めろ。そうすれば餓死はしない。結構、人間しぶといからな。当然、運

動も控えろよ?」

「そんな!?」

 菖蒲の表情は青白いを通り越して紙のように白い。

「それくらい深刻な状況なんだよ」

「それに失敗する前提で騒がないでくれない?成功させればいいんでしょ」

 無名は険しい顔で想馬や顔色の悪い武士達に吐き捨てるように言った。

 

 そして、無名は話は終わったとばかりに背を見せて去って行った。

 

 

          8

 

 無名が去った事で軍議は終了したような感じになり、自然と解散していった。

 想馬もサッサと無名の後に出ていったが、呼び止められて足を止めた。

「想馬!」

 生駒である。

「どうした?」

 想馬は生駒に振り返りながら答えた。

 生駒が言い辛そうに切り出した。

「無名の様子がおかしい。か?」

「ああ。何苛ついてるんだ、あいつ」

 流石に生駒も無名がおかしいと気付いたようだ。

「どうも、同僚から言われた事に焦りを感じたみたいだぞ?」

「っ!?ここに狩方衆が!?」

 正確に言えば元なのだが、想馬はそこまで説明しなかった。

「なら!なんで放っておくんだ!?」

 無名の戦力が頼りのこの状況で、放置するような想馬の態度に生駒は声を荒

げる。

「俺とお前、あの問題児と付き合いは長いって訳じゃない。その俺達があれこ

れ言ったとして、無名が素直に聞き入れると思うか?」

「それは…」

「それならあいつが暴走する事を視野に入れて動くしかないだろう。心配する

な。俺が手助けするさ」

「分かった…」

 生駒は他に何も言う事が出来なかった。

 無名とは知り合って間もない。

 無名もカバネリである以上、生駒には分からない事情もあるだろう。

 それでも生駒には何も言ってやれない自分自身が情けなかった。

 失敗すれば見捨てられるという今回の戦いは、厳しいものになると益々実感

させられた。

 

 二人はそれから無言で作戦準備に取り掛かった。

 

 

          9

 

 一方、一人サッサと飛び出した無名は今回の戦闘に必要なものを調達しよう

としていた。

 ただ黙って険しい顔で歩く無名に誰もが道を譲った。

 だが、険しい表情で歩いていた当の本人が足を止めた。

 八代駅の生き残りであろう男の子が犬の亡骸を前に泣いていた。

 無名にしてみれば、疑問しか湧かない。

 何故、犬相手に涙を流しているのか、と。

「何泣いてんの?」

 少し前までの無名なら大した感慨もなく素通りしただろう。

 しかし、甲鉄城での経験が泣いている子供を無視出来なかった。

「太郎が死んじゃったんだ…。もう一緒にいられないんだ…」

 男の子が泣きながら、それだけ言った。

 泣いている子供は男の子で、少女が一人付き添っている。

 その周りには鰍と甲鉄城の女衆の数人が見守っていた。

「そっか…」

 無名は男の子の傍にしゃがみ込んだ。

「こいつは幸せ者だね。こんなに死んだのを惜しんで貰えるんだもの」

 無名の眼は本当に羨ましそうで悲しそうだった。

 それに気付いたのは、この場では鰍ただ一人だった。

 ここで何か鰍が声を掛けていればよかったのかもしれない。

 だが、鰍の口からは何も言葉が出なかった。

 あまりにも無名が悲しそうだったから。

「これでよかったんだよ。犬は連れて行けないんだからさ。要らないって捨て

られるよりは、ここで死んじゃった方がいい」

 そして、致命的な失言を無名はしてしまった。

 男の子が無名の言葉に盛大に泣き出す。

 周りの女衆も流石に不快感を示した。

 そして、最も反応したのが、付き添っていた少女だった。

「アンタ!!なんて酷い事言うんだよ!!よくそんな事言えるな!!」

「え?」

 無名は訳が分からず反応出来なかった。

 無名にしてみればおかしな事を言った積もりはなかったからだ。

「太郎は家族同然だったんだ!!私達は見捨てたりしない!!」

「っ!」

 無名の脳裏に助けを求める仲間の姿が幻視される。

 

『助けて!無名!』

 そして、心臓に突き付けられる銃口から弾丸が吐き出される。

 

 悲痛な声と銃声が頭蓋に木霊する。

 大声を上げたくなるのを歯を食いしばって耐える。

「口ではなんとでも言えるよ。飼い犬は主人に捨てられないように頑張るしか

ないんだよ。使えなくなったらそれまで。飼い犬なんてそんなもんでしょ」

 無名はそれだけ吐き捨てるように言うと背を向けた。

「アンタなんて大っ嫌いだ!!」

「なんだい、ありゃ。所詮は化物だね。人の心ってもんがないよ」

 敵意と侮蔑の言葉が無名の背を打った。

 鰍には、無名の血を吐くように言った言葉に痛ましさを感じていた。

 鰍は無意識に無名の背に手を伸ばしたが、その前に扉が乱暴に閉ざされ、鰍

の手は無名に届かなかった。

「無名ちゃん…」

 鰍はただそこに立ち尽くすだけだった。

 

 扉を乱暴に閉めた無名は、より一層険しい顔で目的の場所へ急ぐ。

 

『太郎は家族同然だったんだ!!私達は見捨てたりしない!!』

 

『アンタなんて大っ嫌いだ!!』

 

『なんだい、ありゃ。所詮は化物だね。人の心ってもんがないよ』

 

『助けて!無名!』

 

 明らかに無名は傷付いていた。

 前までなら化物だのと言われても鼻で嗤ってやれた。

 兄以外の誰の評価も気にならなかった。

 なのに、今は無名の胸は痛かった。

(黙れ!黙れ!黙れ!私は捨てられない!…っ!?)

 そこまで考えて足が止まる。

『飼い犬なんてそんなもんでしょ』

 自分の言葉を思い出して愕然としたのだ。

 それは自分が飼い犬だと自身で言ったのと同じだったからだ。

(違う!私は兄様の刃だ!犬なんかじゃない!!)

 目から涙が零れそうになったが堪えた。

 涙を流してしまったら今までの自分を貶めるような気がしたからだ。

(いつからこんなに弱くなったのよ!!)

 あの程度の罵倒で涙が出そうになっている自分が酷く情けなかった。

 想馬や生駒と出会い、甲鉄城の人間に認められて居心地がよくなっていた。

 だからこそ、榎久の奇襲を察知出来ずに想馬に助けられるという恥を曝した。

(鈍ったなら、研ぎ直せばいい。私は刃なんだから!)

 乱暴に目を腕で擦ると、無名は再び歩き出した。

 

 厳しい戦いが幕を開ける。

 

 

          10

 

 生駒達の作戦が準備に入った頃、逞生と巣刈は甲鉄城の外に出ていた。

 勿論、作戦の概要くらいは二人の耳に入っていたが、二人はそれを無視した

格好である。

 八代駅の線路は駅の上に走っているので、足を踏み外せば真っ逆さまに落下

する。

 駿城が走るのだから結構な幅だが、それでも恐ろしい。

 そんな場所を逞生は巣刈に呼び出され連れて行かれていた。

「おい!外には出るなって言われてるだろ!?」

 逞生が小声で怒鳴るという器用な真似をして、巣刈に文句をつける。

「ああ、知ってる。あの三人に命預けろって言うんだろ?冗談じゃないね。俺

は保険くらいは欲しい質なんだ」

「それと外に出るのと、どう繋がるんだよ!」

 その言葉に応えるように巣刈が足を止めると、線路の下を指差した。

 逞生は、恐る恐る下を見て驚いた。

 駿城が落ちていたのだ。文字通りに。

 だが、それが重要ではない。

「あれは…48式(ヨンパチしき)!?」

 駿城の方は酷い壊れようだが、奇跡的に強力な砲は無傷に等しい状態でそこ

にあった。

「武士連中が斥候に出たろ?その時に見付けたらしい。偶には連中もいい仕事

するぜ」

 砲を見て巣刈がニヤリと笑う。

「ここのカバネにゃ、甲鉄城の砲は効かないって話だが、あれならイケるん

じゃないか?」

「そりゃ…」

 取り付けられなくはない。だが、作戦の邪魔になる可能性はないのか。

 逞生は、親友が行う作戦を心配した。

「何、ここらにカバネはいないって話だ。こそっと引き上げて取り付ければ

いい。三人じゃどうせ時間掛かるだろ?その間、暇してんならやってもいい

んじゃないか?」

 一理ある意見に逞生は考え込んだ。

 

 巣刈は、それを黙って見ていた。

 

 

 

 

 

 




 想馬の過去は次か七夕にでも明かされる予定です。
 今回はさわりだけです。

 次回も大分時間が掛かるかと思いますが、気長に
 お付き合い頂ければ幸いです。




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第八話

 時間が相変わらず経っていますが、完成しました。
 それではお願いします。


 


          1

 

 想馬達三人はそれぞれ戦闘準備を整えて、既にいつでも出れる態勢になっ

ていた。

 流石に三人共、緊張の色は隠せないようで軽口は出ない。

「それじゃ、二人共並べ」 

 想馬は緑色の濃い液体の瓶に噴霧器を取り付けて、二人に向き直った。

「それが例の薬草か?」

 生駒が興味深そうに瓶を覗き込む。

 残念ながら材料は推し量れない。

「なんか…もう臭いんだけど」

 無名が顔をくしゃくしゃにして言った。

「そういうもんじゃなけりゃ意味がないからな。いくぞ?」

 想馬は容赦なく二人にそれを全身に振り掛けた。

 すると、二人が悶絶して倒れた。倒れて激しくむせていた。

 想馬はそれでも二人の全身に満遍なく薬草を振り掛けていった。

「おいおい。流石に大袈裟じゃないか?」

 逞生が鼻をつまみながらも、呆れた顔で言った。

「バッカじゃないの!?私達は鼻が利くのよ!!これじゃ、鼻が使い物に

ならないわよ!!」

「これは…キツイ」

 無名は文句を涙目で叫び、生駒は珍しく言葉が出てこないようだった。

 想馬は、そんな言葉に取り合う事なく自分に薬草を振り掛けていた。

「これ、本当に効くの!?」

「ああ。今みたいな大声を上げなきゃな」

「……」

 素っ気ない想馬の返事に無名が険しい顔で黙り込む。

 想馬は、そんな無名を見て溜息を吐くと不承不承に口を開いた。

「カバネは血の臭いに反応する。なら、その臭いを消せばいい。単純だろ?

誰が好き好んで悪臭のする食い物口にするよ?食欲を減退させる役割もあ

るんだよ」

「「……」」

 カバネリ二人は、なんとも言えない表情で沈黙した。

 確かに効果を認めざるを得ないと思ったのだろう。

 満遍なく三人共薬草を振り掛け終えて、想馬が口を開く。

「それじゃ、準備はいいな?経路を確認していくぞ?」

「アンタはそれでいいの?」

 想馬はいつもの鎧姿ではなかったし薙刀や銃も持っておらず、刀は背中

に背負い込み腰には鉈のような小太刀が下がっているだけだった。

 それを見て無名は訊いたのだ。

 訊かれた想馬は当たり前と言わんばかりに頷いた。

「今回は戦うのが仕事じゃない。櫓の撤去が第一だ。流石に鎧を着込んで

音を抑えるのは難しいからな」

 淡々とした想馬の答えに無名は、素っ気なく頷いた。

 本人がいいなら、どうでもいいといった感じだった。

 生駒は、そんな無名を見て心配そうに見ただけで何も言わなかった。

 無名もそれに気付いていたが、何も言わずに無視した。

 想馬はそんな二人に何も言う事なく、地図を広げる。

「これは八代駅の連中から聞いた経路だ。窯場の中からいくぞ?」

 想馬は指で経路を指差し、経路をなぞるように動かしながら説明した。

 窯場のパイプは今も大して破壊される事なく存在しているならば、パイ

プの上を人が這って移動する事は可能という事だった。生き残りで窯場の

整備を担当していた人間が生き残っていてくれたお陰で、ボイラーまで比

較的安全に行く事が出来そうである。

「俺と無名は、この経路で侵入する。あとは生駒は説明する事は特にない

が、一応念の為だ。窯場まで経路は途中まで同じだ。一緒に走り、ここで

別れる」

 想馬は言いながら、分岐点でクレーンの方へ指を走らせた。

「いいか。近くにカバネが来たからって慌てるなよ?その薬草は風呂に入

ろうが、二日は臭いが取れない。ボイラーに火が入るまで辛抱しろよ」

 二日は、この臭いと付き合わねばならないと知り生駒と無名は顔を顰め

た。

「よし。確認は済んだな。行くぞ」

 

 三人は甲鉄城を出て走り出した。 

 

 

 

          2

 

 最初の分岐点で生駒が分かれる。

「頼んだぞ。二人共」

 小さな声で生駒はそれだけ言うとクレーンに向かって走り出した。

 想馬は黙って頷いたが、無名は相変わらず無視を貫いていた。

 生駒は心配ではあったが、彼自身にもやるべき事がある以上無名の心配

ばかりはしていられない。

 生駒は無名の背から視線を引き剥がすように外すと、慎重に音を立てな

いように気を付けながら、手摺りより下に屈み歩を進める。要は人と思わ

れなければいいと言う想馬の言葉通り、あからさまに怪しいにも拘わらず、

気にもされなかった。

 カバネは知能が著しく低い。悪臭のする正常な人間の動きをしていない

者には反応しないのだ。想馬は経験からそれを知っており、生駒にそれを

伝えたのだ。

 数匹カバネがクレーンの周りをうろついていたが、生駒は上手い事それ

でクレーンに侵入する事に成功した。

 

 生駒と別れた二人もまた窯場が近付いた為に這うように移動していた。

 窯場の周りは巣になっているだけあって、かなりの数のカバネがいたが

特に気にされる事もなかった。

「本当にこんなので気付かないもんなんだ…」

 無名は呆れたように小声で呟いた。

「こっからが問題なんだ。気を抜くなよ」

「分かってるよ」

 ゆっくりとした動作でうろつくカバネをすり抜けてパイプに取り付くと、

器用に登り、先頭の想馬が素早くパイプの点検口の蓋を開けて身体を滑り

込ませる。

 無名もそれに続いて入り込む。

(刀でパイプを擦ったりしないようにしないといけねぇな)

 想馬の体格でも、下手をすれば刀を擦って耳障りな音を出し兼ねない広

さだった。

 ここで変な音を立てれば、折角臭いを隠してもカバネが気にして寄って

きてしまうのだ。特に話し声、悲鳴、怒号などは襲われる要因として一番

である。不審な物音もカバネが餌がいると考えて寄ってくる。

 パイプの下にはカバネが大量に立ち尽くしていた。

(やっぱり統率されてるね)

 無名はそんなカバネを見て内心でそう呟いた。

 普通なら、カバネは餌を探してうろつき回る。だが、このカバネは一切

そんな行動を取らない。無名は統率の具合と生駒が向かったクレーンの周

りにいるカバネから、融合群体の大きさを推し量ろうとしていた。

(巣にしてるカバネは丸ごと支配下って感じだね。少なくとも単身で倒す

のは無理かな。なら、櫓をサッサと撤去する。金剛郭に速く帰って兄様に

会うんだ)

 無名は決意を新たに想馬の後を音を立てずに追った。

 

 ボイラーに辿り着いたが、案の定と言おうか二匹程カバネがうろついて

いた。

 どうやら入口からボイラーに続く経路にカバネを配置しているらしく、

ボイラー付近にはカバネが見当たらなかったのだが、流石に中には多少配

置していたようである。

 パイプの上から想馬と無名が視線を交わす。

 想馬が後を向いた一匹を指差した。

 無名は頷き、眼下にいるカバネに目を遣る。

 無名は、単筒に取り付けてある刃をゆっくりと伸ばした。

 想馬が指を三本上げて無名に見せる。

 一本ずつ下ろしていく。

 全て下した瞬間、二人は動いた。

 一刀で二人は同時に騒がれる前にカバネの首を刎ねた。

 首の転がる音がするが、それは割り切る。

 素早く想馬が動き、ボイラーに火を入れていく。

 ここの融合群体の核となっているカバネが、この場にいるカバネを統率

しているならば、これに気付かれたかもしれない。

 急ぐ必要があった。場合によっては、このまま想馬は囮になる積もりで

いた。

 最後に想馬は目立つレバーを小太刀で切断した。

「いいの?」

 近くに気配がもうないとはいえ、油断はせずに無名が小声で言った。

「何かの拍子ってもんがあるからな」

 想馬は短く答えた。

 カバネの腕が当たってレバーが動いたなどとなれば、この行動は無意味

になる。

 それならば引っ掛からないようにして置けばいい。

「さて、お仕事は終了だ。合流地点まで慎重に…」

「待って!」

 想馬の言葉を遮り、無名が制止の声を上げる。

「どうした?」

「カバネが移動してる」

「何!?」

 

 生駒が見付かったのか、それとも甲鉄城か。

 二人は互いに視線を交わし、ボイラー室の扉を開け放った。

 

 

 

          3

 

 三人が作戦を開始した頃、蒸気鍛冶達は武士達に警護を依頼していた。

「駿城から大砲を引き上げる、ですか」

 菖蒲が呟くように言った。

「だが、作戦中だろうしな。こっちでカバネを刺激したとなれば、洒落に

ならんぞ」

 吉備土が悩ましそうに反対を表明する。

 吉備土も有用性は認めるところだが、何より一番危険な任に着いている

者の足を引っ張るのはどうにも頷けなかった。

「48式は、この先も使えますよ。この先アレが手に入る機会はないで

しょ?」

 巣刈は、詐欺師のように滑らかに語るのを、逞生は半ば呆れて見ていた。

(コイツ、必要ならこういう態度も取れるのか。)

 内心で逞生は、ぼやいた。

「この辺にはカバネはいないんだ。少しくらい作業しても大丈夫でしょ?」

 渋い顔をする武士達に巣刈は、勢い込んで利点を次々と上げていった。

 上手い言い回しで流れを引き寄せていく。

「アレが有れば彼奴等の援護だって出来る。時間はそんなに掛からない!」

 語外に彼奴等だけにやらせて情けなくないのか、と言わんばかりであっ

た。

 武士達は正確にその意味を感じ取ってムッとしていた。

「折角、生駒が戦う武器を開発したんじゃないか!それとも怖いとか?」

 最後の仕上げとばかりに巣刈は、武士達を挑発するように言った。

「貴様!」

 激昂した武士を来栖が止める。

「どうでしょう?菖蒲様」

 来栖は菖蒲に判断を委ねた。

 この場での決定権は菖蒲にあるからだ。

 それに来栖にしても何も出来ずに残るなど、怪我をしているとはいえ情

けないという思いがあった。

 巣刈は、そこを突いたのだ。

 やらない理由はない事を刷り込み、最後に挑発と共に誇りを刺激する。

 やり口は単純だが、効果はあるのだ。

 そして、判断を委ねられた菖蒲も武士の娘であった。

「慎重にやってみましょう。何も出来ずに待つだけなど確かに情けないで

すからね」

 菖蒲は少しだけ笑顔を浮かべて答えた。

 内心で巣刈は、ニヤリと笑った。

 それを察して逞生が内心で顔を顰めた。

(こいつ、上手く立ち回りやがるな。注意しとかないと駄目か)

 今回は乗せられてしまったが、注意が必要だと逞生は自省した。

 

 回収作業は怪しい外国人蒸気鍛冶、その名も鈴木が中心となって行われ

る事になった。

 まずは武士達が外に出て、周囲の安全を確認する。

 緊張の表情で武士達が新式蒸気筒を手に飛び出していく。

 通用すると分かっていても、今までがやられっぱなしだった事を考えれ

ば仕様がないだろう。

 しかも、今回は斥候でも防衛戦でもなく護衛である。護衛は防衛線と似

て非なるものである。防衛線は逃げるまで時間を稼ぐか、カバネを撃退す

る事を指している。護衛は言わずもがな護衛対象を護り切ってこそである。

 自分の命を捨てるだけでは足りないのだ。

 武士達が周囲の安全を確認すると、腕を甲鉄城に向けて振った。

 その合図で蒸気鍛冶達が機材を持って、次々と外に飛び出していく。

 全員が冷汗を流しているのは、当然の話だろう。

 鈴木が声を上げない為に取り決めたハンドサインで、指示を効率よく出

している為に段取り良く蒸気鍛冶達が下に落下した駿城に降り立っていく。

 一緒に降りていた武士達も蒸気筒を構えて油断なく辺りを見回していく。

 だが、これだけ気を付けていても不測の事態は起きる。

 一陣の風が緊張で熱くなった身体を冷やしていったのだ。

 全員が心地よい風に助けられたような気になり、作業効率が目に見えて

よくなっていった。

 だが、これがよくなかった。

 緊張による発汗。それも大人数での人の活動は臭いを風で運び、ゆっく

りとカバネ達にその存在を知らしめた。

 

 今まで警備するように動いていたカバネの動きが止まる。

 そして、風上の方へ視線を遣ると、最初はゆっくりとだんだんと速度を

上げて走り出した。それに釣られるように次々とカバネが走り出したのだ。

 

 その頃、作業は48式を駿城から取り外し、引き上げ作業に入っていた。

 鈴木が指揮する優秀な蒸気鍛冶は素早く引き上げるところまで作業を進

めたが、それは中断される事になる。

「カバネが来たぞ!!敵襲!敵襲ーーー!!」

 周囲を警戒していた武士が、緊迫した声を上げ警告を発する。

「皆さん!急いで甲鉄城へ!!」

 菖蒲が蒸気鍛冶達を非難を促す。

 その声に我に返ったように蒸気鍛冶達が慌てて甲鉄城へと駆け込んでい

く。

「陣形を組め!」

 吉備土の号令で武士達が迫り来るカバネに対して道を塞ぐように並び、

蒸気筒を構える。

「まだ撃つなよ!ギリギリまで引き付けるぞ!」

 生駒が改良した事によりカバネにも有効な武器になったとはいえ、有効

射程内に入るまで耐えない事には、仕留め損なう可能性もある。

 

「撃って!!」

 

 吉備土の号令で一斉に射撃が開始され、カバネが倒れていく。

「通じる!通じるぞ!」

 今までは吹き飛ばせれば幸運だったものが、一発でカバネを屠る事が出

来る。

 その事実に武士達は今までの鬱憤を晴らすかのように撃った。

(避難は!?)

 吉備土は残弾を気にしながら、背後を窺うが48式は線路に引き上げられ、

運ばれていく最中だった。

「何やってる!?早く中に入れ!!」

 吉備土が叫ぶが、48式を捨てて逃げる気配はない。

 巣刈と数人の蒸気鍛冶である。

 その中には逞生も冷汗塗れでいた。

(くっそ!ここまできて捨てたら色々と意味がなくなるじゃねえか!)

 逞生は内心で自分の判断と巣刈を呪ったが、ここまでくればなんとして

も意味がある行動だった事にしないと申し訳なさ過ぎる。迷惑は承知して

いたが、止められなかったのだ。それは48式を運ぶ蒸気鍛冶に共通する思

いだった。

 因みに鈴木は、サッサと甲鉄城へ走っていた。

 

 雲霞の如く押し寄せてくるカバネに残弾は乏しくなっていく。

 吉備土達の顔は徐々に強張っていった。

 

 

 

          4

 

 その頃、生駒といえばボイラーに火が入ったのを確認し、櫓の撤去作業

を開始していた。

 流石にそんな派手な行動に出ればカバネも気付く。

 クレーンの窓を突き破り、カバネが飛び掛かってくるのを生駒は貫き筒

で撃退するか、腕を盾として淡々と作業していた。表面上は。

(早く、早く!でも、焦るな!)

 呪文のように内心でこれを繰り返し作業に没頭する。

 クレーンの位置から甲鉄城は見えないが、何かあった事だけは分かる。

 自分に襲い掛かるカバネ以外は、甲鉄城の方向へ走っているのだから。

 生駒はクレーンを器用に操ると櫓を遂に線路から撤去し、ついでとばか

りに櫓を走るカバネの上に落としてやった。 

 もうバレているのだから自重する必要もない。

 戦う以外の道はもうないのだ。

 少しでも甲鉄城へ行かせない為に生駒は、更にクレーンで掴めそうなも

のを探し、適当な鉄骨を見付けてフックに引っ掛けると持ち上げる。

 そして、それを落とす。

 カバネの動きが止まり、生駒がいるクレーンに視線が集中する。

(いいぞ!こっちだ!こっちを向け!俺が相手になってやるぞ!)

 生駒は戦意を漲らせ、カバネを睨み付けた。

 腕に噛り付いているカバネを貫き筒で吹き飛ばし、破られた窓から飛び

降りると、自らの武器を構えた。

「さあ!相手になってやるぞ!こい!!」

 生駒は無謀と知りつつも、咆哮を上げるように叫んだ。

 

 カバネがその声に応えるように生駒に殺到した。

 

 

          5

 

 想馬と無名が窯場から出た時には、もう滅茶苦茶だった。

 線路からは櫓は撤去されていたが、昼間でも分かるくらいに銃の煙が立

ち昇っていた。

 おそらく生駒も戦闘を開始しているだろう事は、容易に想像出来た。

「何やってんだか…」

 無名は軽蔑の視線を甲鉄城の砲へ向けている。

 想馬も今度ばかりは窘めなかった。

 それはまさに相馬の言いたい事でもあったからだ。

「まさかこうなるとはな。逃げ切れるかね…」

 想馬は冷汗が背に伝うのを感じながら、あくまで飄々と言った。

「いつ動くか分からないよ。急いだ方がいいんじゃない?」

「正論だな」

 想馬は覚悟を決めると走り出した。

 無名もすぐに想馬を追い越して駆け抜けていく。

 カバネが反転してこちらに向かってくるのを、二人だけで迎撃する。

 無名が素早さを駆使してカバネを翻弄し、短筒で至近距離で弾丸を叩き

込む。

 カバネの注意が無名に向いた隙に、相馬は背負った刀を抜き放ちカバネ

の首に刃を叩き付けると勢いよく首が跳ね飛ばされた。

 核となっているカバネが優秀なのか、その段階でカバネが二手に分かれ

て攻撃を仕掛けるが、そんな小賢しい手段が通じる二人ではなかった。

 鎧を身に着けていない想馬は、苦戦するかのように思われたが、そうで

はなかった。鎧がない分、俊敏にカバネの攻撃を掻い潜り、カバネの首を

刎ね飛ばしていく。

 無名も多少の連携如きで倒される腕前ではなく、いつもの軽業師のよう

な身の熟しからは想像出来ない程、最小限の動きでカバネの心臓を貫き、

撃ち抜いていく。いつも以上に研ぎ澄まされていた。

 その場のカバネが、いなくなるのにそれ程の時間は掛からなかった。

 二人が背中合わせに立っている周りは、カバネの屍で覆われていた。

「鎧がないと厳しいかと思ったけど、やるね」

「馬鹿にしてくれるな。道具は道具だ。使う奴の腕次第だろう」

 無名は、その返事にニヤリとしそうになって、慌てて笑みを引っ込めた。

(駄目だ!私は刃なんだから!)

 想馬を頼もしいと感じてしまった自分を戒める。

「行くよ。まさか本当に徒歩で金剛郭に行くなんて洒落にならない」

 そう言うと無名は想馬の返事も聞かずに走り出した。

 

 想馬もその背に視線を向けると、何も言わずに後を追った。

 

 

 

 

          6

 

 巣刈にしてみれば、これは自分の都合などではなかった筈だった。

 だが、結果としてこんな事態を招いてしまった。

 他の蒸気鍛冶からは非難の視線が向けられる。

 今は非常時だから言葉が出てこないだけで、落ち着いたら拳や蹴りと共

に罵倒の嵐だろう。

 だが、巣刈に謝る気はなかった。

 これは必要だと今でも確信を持って言えるからだ。

 

 巣刈の父はやはり駿城に乗っていた。運転士として。

 自分も父のようになりたいと望んでいた。

『今度帰ったら、親方にお前の事を頼んでやる!だからいい子で待って

ろ!』

 運転士になりたいと言った巣刈に、父は別れ際にそう約束した。

 男同士の約束だった。それは守られなければならないものだった。

 だが、父はカバネに呑まれて駿城と共に他の駅を巻き込み、死んだ。

 正確には、その駅でカバネとして今も彷徨っているのかもしれない。

 巣刈に悲しむ余裕は存在しなかった。

 周囲の態度は一変し、巣刈に冷ややかになった。

 生きるのが難しくなった。

 だが、周りを見回してみれば自分の不幸はありふれたものであると気付

いた。

 当然の事だった。駿城で働いていた家族は近くにいたのだから。

 自分の同類は大勢いたのだ。

 自分を見て、他人を見比べる事が出来た。どうすればいいのかを。

 そんな事があって、巣刈は委縮するのではなく世間というものがどうい

うものかを学んだ。

 つまり他人は自分の都合など知った事ではないのだ。

 なら、気を遣う必要がどこにある?

 駅の中では職になど就けなかった。

 だからこそ、考える時間は山のようにあった。

 どうしてこうなったのか、巣刈は考え続けた。

 結果、巣刈は駿城が初めて造られてから、殆ど変化していない事が分

かった。

 これこそが問題だったのだ。

 それ以来、巣刈は父と同じ運転士ではなく蒸気鍛冶を目指した。

 駿城は頑丈なだけでは駄目だ。カバネを撃退出来る武器、砲が必要だ。

 それは働けば働く程に強く感じるようになった。

 だから、48式を見た時、なんとしても取り付けたかったのだ。

 この先の為に。

 

 なんとか48式を搬入すると、甲鉄城がゆっくりと動き出した。

 武士達は既に残弾を撃ち尽くし、腰の刀を抜いて追い払っていた。

 数人の武士が倒れたところにカバネに殺到され、血を吸われていた。

 それでも戦いになっていた。

 武士の目に恐怖はあれど、戦意は辛うじて失っていなかった。

 武士達が遭遇する初めての修羅場であった。

「撤退!」

 来栖が身を乗り出して、吉備土達に命じる。

「殿は引き受ける!徐々に下がれ!」

 吉備土達数人の武士が更に前に出て、カバネを斬り倒す。

 吉備土の膂力は強化された刀で心臓被膜を叩き割るように切り裂いた。

 他の殿も上手く首を刎ねる事に注力していた。

 カバネの数は若干であるが、少なくなっている。

 生駒や想馬、無名の奮闘故である。

 

 だが、これはまだ前哨戦に過ぎない。

 

 

 

          7

 

 想馬と無名は、敵を掃討しつつ甲鉄城へ走り続けていた。

 当初の予定であれば、遠の昔に脱出していて然るべきであった。

「無名!一人で先行し過ぎた!甲鉄城の周りには、カバネが大挙して押し

掛けているんだぞ!」

 先行し過ぎれば、最悪各個撃破される危険がある。

「だったらアンタが急げばいいでしょ。鎧ないから軽いんでしょ?」

 想馬は内心舌打ちして、無名の背を追った。

 想馬も人としては規格外と言えるが、流石にカバネの身軽な無名と速さ

で勝負は出来ない。

 どうにか離されないようにするのが、精一杯な有様だった。

 

 一方、生駒はと言えば満身創痍もいいところであった。

 何分、想馬のような武も無名のように上手く自分の身体を使いこなせる

訳ではないのだから仕様がない。

 それでもカバネリの頑丈さと傷の治りの早さで襲い来るカバネを退け、

今は甲鉄城に向けて走り出していた。

 無名と比べても、想馬と比べてすら遅い走りだったが。

「遅いよ」

「っ!?」

 走る生駒に突然声が掛かる。

 無名である。

 撤去作業とカバネの阻止をしていた所為で、想馬達に追い付かれたのだ。

 苛立ち交じりの声を受けて生駒もムッとするが、実際想馬にも追い抜か

れてしまうのでは、生駒も何も言えない。

 カバネリである彼にはおかしな表現だが、死ぬ気で走ってどうにか想馬

に付いていっているだけである。

 戦う余力が残っているかどうか怪しい。

 甲鉄城が撤退している姿が見えてきたところで、カバネリ二人が急停止

した。

「どうした?」

 多少息を乱しているが、まだ余裕を残している想馬が二人を怪訝そうに

見た。

 無名の顔は緊張で強張っていた。

 生駒の顔にも恐怖の感情が浮かんでいた。

 それを見て、想馬は察する。

 

 最悪の事態が起こった事を。

 

 

 

          8

 

 撤退を開始した吉備土達にも、それは感じられた。

 空気が変わった事を否が応でも分からされる。

 自分の足元から。

「早く甲鉄城の中へ急げ!!」

 吉備土達は弾かれたように声の方を見る。

 想馬達だった。

(こっちの応援に来てくれたのか…)

 吉備土は申し訳ない気持ちになった。

 結果的に危険な仕事を遣らせたにも関わらずに、こっちで足を引っ張っ

た形である。

 蒸気筒が今使用出来なかった事に感謝しなければならない。

 今のこの状況では反射的に発砲していたかもしれない。

「甲鉄城を格納庫へ入れて扉を閉めろ!!急げ!!」

 想馬はあらん限りの声で叫ぶ。少しでも犠牲を少なくする為に。

 足元で何かが蠢いている。黒い何かが。

 それが徐々に形となり、動物の手のようになり、線路を支える柱と掴む。

 腕が持ち上がり、身体が姿を現した。

「かなりデカいな…」

 想馬も流石に冷汗を流す。

「計画がハマらなかった以上、グチャグチャ言っても始まらないでしょ!」

「それは、そうだけど…。あんなのどうやって倒すんだ!?」

 無名の一見強気な言葉も緊張で声が固い。

 生駒も流石にどうすべきか判断が出来ない状態だった。

 無名は短筒を手にしていても攻撃に移れない。

 下手に攻撃しても効かないし、今速度を上げて昇って来られたら、この

三人は逃げられない。

「取り敢えず、注意を逸らすぞ」

「正気?」

「ここに残ったのは、なんの為だ?ここで見学する為じゃないだろう」

 想馬は、それだけ言うと懐から自決袋を複数取り出した。

「無名も持ってるな?あるだけ落とせ」

「持ってきてるけど、核まで道を開く事も難しそうだよ?」

「誰が倒すって言った。注意を逸らすって言ったんだ」

 そして、冷徹とも言える冷静さで融合群体が完全に形になるのを待つ。

 形になってからは速かった。

 物凄い速さで昇ってくる。

 その巨体からくる迫力と恐怖で三人は、冷汗が噴き出る。

「今だ」

 想馬の合図で無名も自分の持ち出した自決袋を落とす。

「撃て」

 無名が山の戦いで用いた戦法である。

 それだけで無名は意図を汲み取った。

 今は想馬は銃を持っていないのだから、無名が撃つしかないないのだが。

 弾丸は見事に自決袋の一つに着弾し、次々と誘爆していく。 

 爆発で張り付いていたカバネが剥がれ、下へと落ちていく。

 それでも少し目減りしたくらいで、速度を落とさず昇ってくる。

「よし。二人は甲鉄城へ走れ」

「えっ!?」

「でも!」

 想馬の言葉に二人共戸惑う。

「急げ!!」

 次の瞬間、予想もしていない行動に想馬は出た。

 飛び降りたのである。

 融合群体の顔に。

「想馬!!」

 無名が声を上げる。

 だが、それに想馬が反応する事はない。

 飛び降りてきた餌に、融合群体が反応する。

 死の口が大きく開かれる。

 だが、その前に想馬が懐から一つ残していた自決袋を取り出し投げる。

 開ききっていない唇部分に近距離で、衝撃と紐が抜かれた事で爆発する

と爆風でほんの少し口の開きが鈍り、想馬も爆風でほんの僅か着地点が

ズレる。

 そして、見事に下顎部分に刀を突き刺し止まると、素早く上体を起こし

て立ち上がると、すかさず飛び上がり融合群体の頭に限界まで振りかぶっ

た刀を振り下ろす。

「疾ぃぃぃぃーーー!!」

 気合一閃融合群体の頭が断ち割れる。

 だが、そんな事で融合群体が怯む筈もなく怒りの咆哮を上げる。

 固まっていたカバネが一部制御を離れて想馬に殺到する。

 普通ならばそこで呑まれて死ぬところだが、想馬は普通ではなかった。

 恐るべき第六感と反射神経でカバネの爪や顎から逃れ、それ以外の部分

を蹴り付けて加速しつつカバネを斬り裂いていく。

 更に融合群体の腕が想馬に向けて振るわれるが、これも常人離れした脚

力でカバネを蹴り付けて難を逃れる。

 制御を離れているカバネは融合群体の手で潰される。

「「……」」

 それを見ている二人は声も出なかった。

 四方八方から攻撃がくるのだ。

 ほんの刹那判断を違えれば、跡形もなく死ぬ。

 そんな戦いの中、想馬は壮絶な笑みを浮かべていた。

 返り血と肉片の中を。

 

 その光景は、想馬が生命を全て燃料に燃えているように幻視された。

 何しろ、狩方衆が最高の装備で出陣して相手取る融合群体に、たった一

人で戦っているのだ。しかも、足場は悉くカバネである。そこを苦にもせ

ずに戦うなど尋常ではない。

 無名は、その様を見て心が騒めいた。

(このままでいいの?)

 すぐにも逃げる選択をすべき、無名の本能はそう告げていた。

 だが、無名の脳裏には今までたった数度の戦闘と、甲鉄城で色々と世話

を焼いてくれていた想馬の姿が消えなかった。

 思えば、無名にあれこれと構ってくれたのは、想馬と生駒であった。

 狩方衆の仲間達よりも。

 無名はそこに温かさと、心地よさを感じていたのだ。

 だが、無名は主のある刃だ。振るうべき主がいない以上、主の元へ帰るの

が第一である。そんな事は無名にも分かっていた。

 

『逃げるのは恥ではないよ。我々が恥ずべきは蛮勇だ』

 

 戦国の世と価値観が変わった武士の間で、背を向けるのは恥じであると

いう風潮が未だ存在している。

 カバネ相手であっても恐れずに戦うべきと。

 だからこそ、逃げてきた領主に金剛郭は厳しい判断を下す事が多い。

 そんな中、無名の主は堂々とその考えを否定した。

 それを聞いて、無名は主を当然の事としながらも誇らしかった。

 今、想馬に加勢するのは蛮勇に当たる。

 だが、身体が動いた。

 

 次の瞬間には無名は空中にいた。 

 

 

 

          9

 

「無名!?」

 生駒の声が後から聞こえる。

 無名は、今までの疲労が緩和していく奇妙な感覚を覚えた。

 それどころか、身体が羽みたいに軽くなっていく。

 空中で軽業師のように身体回転させ、回転軸をズラす事で空中で軌道を

変える。

 そして、丁度想馬を背後から急襲しようとしたカバネの上に着地した。

 着地と同時に足を振り上げ、踵でカバネの顔面を蹴り上げる。

 カバネが群体から離れ落下していく。

「おい!どうして来てるんだ!?」

 想馬が怒りの表情で無名を怒鳴る。

「決まってるでしょ!!楯が生駒だけじゃ不安だからよ!!」

 想馬はそれを聞いて呆れたように溜息を吐いた。

「今、命懸けで戦ってるって覚えてる!?」

 僅かな隙を突いて襲い来るカバネを無名が、想馬と位置を入れ替わりつ

つ短筒に仕込まれた刃で首刎ねる。

「どうやら死にたいらしいな!!」

「生憎とそんな積もりない!!」

 この憎まれ口を叩いている間も、二人は絶え間なく動き続けている。

 カバネリである無名は兎も角、想馬は人間離れしていると言っていい。

 だが、ここで融合群体の動きが変わった。

 何かを迎え入れるように停止したのだ。

 二人が疑問に思うより、答えの方がやってきた。

 追加のカバネが二体飛び乗ってきたのだ。

 周りのカバネは、その二体の道を開ける。

 その二体は無手ではあったが、他のカバネと雰囲気が異なった。

「ワザトリ…」

 無名が呟くように言った。

 二人の集中力が高まる。

 わざわざ他のカバネを遠ざけてまで迎え入れたのだ。

 普通のワザトリではあるまい。

 山で戦った鎧武者のようなカバネである事を本能的に二人は理解して

いた。

 二体がそれぞれ構える。

「やはり近接戦闘を得意とした奴か」

 想馬の言葉を合図にして二体が流れるように間合いを詰める。

 無駄がなく、カバネの身体能力で恐るべき素早さで懐に入り込んでくる。

 想馬は辛うじて受け流したが、続けざまに想馬を捕まえようとする。

(格闘主体じゃない。これは…柔術だ)

 腕など掴まれようものなら、投げ飛ばされてしまうだろう。

 想馬以上に苦戦を強いられているのが、無名である。

 こちらは完全に蹴り、拳を繰り出す格闘術である。

 辛うじて拳を避けると、狙い澄ました蹴りがくる。

 無名の利点である素早さを十全に発揮出来ない状態だと、身体の小さい

無名には蹴りを受けてしまうと吹っ飛ばされる。

 ギリギリのところで下へ落とされるような事にはなっていないが、畳み

込まれたら如何に頑丈なカバネリと言えども死が待っているだろう。

 それでも無名に焦りは生まれない。

 やけに静かな心持ちだった。

 冷静に最小限の動きで、決定打を回避している。

 追い詰められてもギリギリで躱し、逃れる。

「無名!想馬!」

 生駒の声が上から降ってくる。

 文字通り逃げるという選択肢がない男・生駒が同様に無謀にも飛び降り

たのである。

 落下物のように無名と戦うワザトリに落ちてきた。

 無論、カバネもボケっとそれを眺めていた訳ではないが、無名が不敵な

笑みを浮かべて膝に銃弾を着弾させる。

 ワザトリは驚きの声を上げて動きが鈍った為に、生駒を受け止める羽目

になった。

「生駒!アンタにしては上出来だよ!」

 無名が止めを刺そうとしたその時だった。

 融合群体が動いた。

「無名!生駒!避けろ!」

 想馬の切羽詰まった叫び声が響くが、反応が間に合わない。

 別に融合群体はワザトリに一騎打ちさせようと止まったのではないのだ。

 飛び回る蠅の如き想馬達の動きを止めるのが目的だったのだ。

「「っ!?」」

 咄嗟に衝撃に二人は備えようとしたが、それは別方向からの衝撃で無駄

になった。

 想馬が眼前のワザトリの足を斬り付け足止めを行い、その隙に二人に向

けて突進し体当たりしたのである。

 軽い無名は勿論、生駒も吹き飛んだ。

 線路に張り巡らせてある鉄骨の方向へ。

 二人は吹き飛ばされつつも鉄骨を掴み、落下と融合群体の手で挽肉にな

るのを回避した。

 だが、二人は目にした。

 人体が壊れる嫌な音と共に想馬が吹き飛ばされるのを。

「想馬!!」

 無名の声が虚しく響いた。

 想馬は、巨大な腕に弾き飛ばされて壁に張り付くように存在する家屋に

突っ込んで止まった。

 融合群体の顔が二人を捉えていた。

 あまりの出来事に、生駒が固まったまま呆然と想馬が吹き飛んだ場所を

見ている。

 無名は血が出る程唇を噛み締めて震えた。

 そして、鉄骨を伝って走る。

「どけぇぇぇーー!!」

 

 融合群体の腕が無名に向けて放たれた。

 

 

 

          10

 

 並外れて強靭な身体をしていても、所詮は人間である想馬は動けなかっ

た。意識を保っているだけでも怪物と言っていい。

 だが、それは死を待つだけの状態であった。

 想馬は自分の死を悟った。

(なんであんな事をしたのかね。)

 想馬は自問自答したが、苦笑いしか浮かばない。

 そんなのは決まっている。

 武士でなくなったのに、浪人としてカバネと戦い続けた。

 武士の意地などない。寧ろ馬鹿な連中とすら思っているのに。

 ようは自分が死ぬに相応しい戦場を探していただけの話だ。

 口では自分の命を大切にしているように言っても、武士としての価値観

を失くし、何もなくなってしまった自分には戦しか残らなかったのだから。

 嘲笑が浮かぶ。

(野垂れ死ぬと思っていたが、彼奴等みたいないい馬鹿を庇って死ねるな

ら上等な死に様だ。)

 

 景色が変わる。

 どこかの屋敷だ。

 見覚えがある。

 自分の家だった場所だ。

 

「龍丸!お前の母は亡くなったが、お前は俺が立派な武士に育て上げて見

せよう!」

 父が大きい。

(ああ。これは餓鬼の頃の俺だ。)

 

 想馬は自分が走馬灯を見ていると他人事のように悟った。

 

 

 

 

 

 




 次回は想馬の過去が明かされます。
 これから物語は折り返し地点に差し掛かります。
 これからも時間が掛かると思いますが、気長に
 お付き合い頂ければ幸いです。
 
 


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第九話

 長い時間が掛かりました。
 まだ、折れていません。
 折れそうではありますが…。
 それではお願いします。



 


          1

 

 幼い想馬が父・闘馬を見上げている。

 闘馬は、がっしりとした体格に実戦的な筋肉を持つ戦馬鹿だった。

 想馬は今更こんな事を思い出すとはと苦々しく思ったが、止める事も出来ない。

 場面は突然切り替わる。

 

 幼い子供と自分が向かい合っている。

 誰かはすぐに思い出した。

 駅を治めていた領主の嫡男だ。

 名を龍王丸といった。

 この人物は、想馬より二つ程年が上で、目通りしたのは想馬が七つの頃で向こうは九つだった。

 この嫡男が問題児で、困った我儘小僧だったのである。

 その悪戯は、素戔嗚尊の如くと言えば多少はどれ程周りが困ったか分かるだろう。

 重要な書類を遊びに使い汚損させるわ、猫の死骸を女に投げるなど、まさに最初に登場する素戔嗚尊のようであった。

 であるので、この嫡男の評判は頗る悪かった。

 そして、その想馬の幼名が龍丸である。

 当然の如く関係している。

 闘馬は、自分の主君の嫡男の名を真似たのである。

(コイツとは最後まで折り合いが悪かった。仕様がないが、俺の所為じゃないんだがな)

 武士達を束ねる立場であった父は、王は若様にお譲りし若様の忠実なる臣下となるよう名付けたと言って憚らなかった。

 だが、当人も含めて面白い訳もない。

 例え、どうしようもない馬鹿であったとしてもご世継ぎである。

 実のところは、闘馬は我儘放題のこの嫡男が嫌いだったのだと想馬は睨んでいた。

 自分の子供ならば、あの馬鹿程度どうとでもあしらえると根拠のない自信を持っていた節もあった。

 当の想馬からすれば迷惑以外の何物でもない。

 だが、父の教えはとんでもく厳しく過酷なものだった所為で、馬鹿息子の相手など迷惑であっても、父の思惑通りにあしらえなくなかったのである。

「貴様の父は愚か者だな。カバネと刀で戦うなどと言って憚らないそうだな?父が愚かであれば息子もまた愚かであろう。今ならまだ間に合おう。名を改めるが良かろう」

 これが出会って挨拶した直後の言葉である。

「恐れながら若様は龍王であられます。私などは龍と言っても蛇のような木っ端であります。それに元服すれば自然と名も改める事になりましょう」

 想馬は、子供ながら父の言い訳は使い、そちらは大層な名なのだから気にするなと言ったのだ。

 馬鹿息子はブルブルと真っ赤になって怒りに震えた。

 年下から平然と言い返され、領主の嫡男としての誇りだけが膨れ上がった子供は今にも脇差に手を掛けて抜きそうだった。

 本来ならば木刀も小さいものを持たされる年の筈の想馬は、この頃既に父から脇差を与えられ、それで鍛錬していたのである。

 武辺者である闘馬ならではの話だった。

 故に父が持つ刀なら恐れ戦いただろうが、子供の刃を見ても当時の想馬ですら警戒はしても恐れはなかった。

 同様に馬鹿息子も持っていた脇差に手を掛けていたが、一向に恐怖の表情を出さない想馬に内心で慌てたのか脇差を抜こうとして周りから止められていた。

 この件からも想馬の株は上がり、馬鹿息子は更に評判を落としたのだった。

 これも父である闘馬の狙い通りだったのかもしれない。

 だが、当然ながらこれは上手い手ではない。

 息子を使った嫌がらせは、弊害を多く生み出した。

 戦のやり方に関しての批判である。

 闘馬は、以前から恐怖を捨てカバネと呼ばれ出したあの不死者を刃をもって倒す事を主張していた。

 だが、ただでさえ銃の時代へと変わった世の中で、彼の主張は白眼視され、時代遅れと陰口を叩かれた。

 真っ先にその流れに乗り、闘馬を貶めたのが嫡男を擁する勢力だった。

 政治に強い影響力をもっていた嫡男を擁する勢力は、闘馬から発言力を完全に奪ってしまった。

 闘馬は、悔し気に震えていたが自業自得だと想馬は今にして思っていた。

 

 もう少し武辺者とはいえ上手くやっていれば、未来は少しは違うものになっただろう。

 

 

 

          2

 

 それから数年の時が流れた。

 だが、幸か不幸か闘馬に追い風となる出来事が起きた。

 天鳥美馬を総大将としたカバネの大規模討伐である。

 そこで天鳥美馬は、接近戦がカバネに有効である事を示したのだ。

「見たか!龍丸よ!私は正しかったのだ!流石は上様のご嫡男よ!有象無象の馬鹿共とは出来が違うわ!!」

 日々の鬱憤を晴らすかのように闘馬は、その知らせを受けて叫んだ。

 闘馬は、おそらくこの頃から美馬の一派に声を掛けられていたのだろう。

 馬鹿のような大声は、天下に響いていたようだ。

「お前も初陣を早く飾らぬとな!美馬様はお前と幾つも変わらぬ年だ!将来は、こんな片田舎ではなく美馬様のお役に立てるように励め!」

 言われた想馬としては、あまり愉快な気分ではなかった。

 この父の発言が、また自身の首を絞める結果にならなければいいと案じていた。

 

 そして、その懸念は的中する事となる。

 

 

 

          3

 

 その報は、素早く日ノ本を駆け巡った。

 悪い知らせ程、早く広がるもので、想馬の住む駅にも何倍もの速さで届いた。

 天鳥美馬がカバネ攻めに結果として失敗し、大敗したのである。

 それは幕府の兵站の意図した停滞の所為ではあるが、結果は結果として喧伝された。

 勿論、真実は伏せた形で。

「恥を知らぬのか!こんな事を民の誰が望むというのか!!」

 同じ信奉者から聞かされた事実に闘馬は怒りに震えた。

 美馬は辛うじて逃げ延びたようだが、犠牲となった兵は戦国の世や開国の時の戦以来の死傷者が出た。

 これにより、美馬は廃嫡され謹慎しているという。

「上様も上様だ!誰の口車に乗ったかは知らぬが、実の息子だぞ!?」

 この件から少し持ち直した評判が地に落ちる事になった。

 領主の嫡男を擁する勢力が、それ見た事かと敗戦を喧伝し闘馬の考えを否定したのである。

 流石に出た結果に関しては、他の武士達も嫡男側に理があると認め、闘馬を白い眼で見た。

 それでも闘馬は、自身の主張を変えなかった。

 息子に自分の戦い方を叩き込み続けた。

 想馬も父を信じて、厳しい鍛錬に耐えた。

 周りは、そんな無駄な鍛錬をやらされる想馬に内心だけで同情した。

 

 そんな或る日の事である。

 闘馬が珍しく早く家に帰ってきた。

 想馬は慌てて玄関へ向かい父を迎えた。

「父上。今日はどうされたのですか?」

 闘馬は珍しく上機嫌だった。

「龍丸よ!喜べ!元服の日取りが決まったぞ」

 段々と廃れてきた烏帽子親という制度だが、この田舎では厳然と生き残っていた。

 自分の烏帽子親になる人間などいないだろうと、当時の想馬は半ば諦めていた。

 それだけに驚いてしまった。

 確かに年の頃なら元服してもおかしくはない年だったのだ。

 その物好きは、家老だった。

 政争に敗れたにも拘らず、どうにか家老の地位だけは護っている人物である。

 その代わり家老という重職になりながら、ほぼ無視されていると言っていい有様だった。

 嘗ては切れ者として名を馳せていたが、今では完全に昼行燈と化していた。

 だからこそ、家老から無理に引き摺り下ろされなかったのだろう。

 だが、その影響力が完全に損なわれた訳ではない。

 曲がりなりにも家老なのだ。

 その家老が烏帽子親になるというのは、どういう事なのか?

 当時の想馬ですら不思議に思ったというのに、武辺者の父は気にならないらしかった。

 

 そして、元服の儀当日の事である。

 元服の儀はなんと家老の屋敷でやってくれるというので、親子は緊張に身を固くして屋敷を訪れた。

 部屋に通されると、すぐに衣装の着付けを開始する。

 あちらも忙しい身である。

 段取りは素早く的確に進んでいった。

 こうして、想馬は準備万端に支度を済ませていたが、こういう時に限って厠へ行きたくなってしまった。

 一々着付けし直すのも面倒ではあるが、万が一粗相をしたとなれば恥では済まない。

 想馬は溜息を一つ吐くと、素早く立ち上がり厠へと向かった。

 途中で家人を捕まえて厠の場所を訊こうとするが、これまたこういう時に限って人に出会わない。

 仕様がないので、それらしき場所に当たりを付けて歩き回る。

 そして、人の話し声を聞き付けた。

(人がいる。漸く厠へ行けそうだ…)

 安堵して、そちらに向かうが想馬の足が止まる。

 不穏な会話が漏れ聞こえてきたからだ。

 一人は家老、一人は立場は不明だが家臣か何かのようだ。

「永羽の駅が飲まれたそうだ」

「永羽が…」

 永羽とは想馬のいる駅の隣に位置する駅である。

「それで、あの愚か者の倅の烏帽子親を買って出られたのですか…」

「若様達も手が付けられぬわ。ああしたものは使い様だ。上手く煽てていざという時に使い捨てればよいというのに、追い詰め過ぎる」

 家老の苦々しい小さな声が想馬の耳に滑り込んでくる。

「存外早く役に立って貰う事になるやもしれぬ」

「次はここにやってくると?」

「連中の考えは分からぬ。考えなどないのやもしれぬ」

 想馬は、気配を消しつつ少しづつ焦らずにその場を離れた。

 これも武辺者の父の薫陶のなせる業である。

(それで引き受けてくれたのか…)

 やっぱり碌な理由ではなかった。

 だからといって、こちらから断る訳にもいかない。

 

 そしてこの日、龍丸から想馬となった。

 

 

 

          4

 

 元服し、想馬にも仕事が割り振られた。

 駅の防壁の上での警戒に組み込まれたのだ。

 本来であれば、下級武士の仕事であるが力関係で劣る想馬の家では、このような事も仕方のない事だった。

 それでもお勤めはお勤め。精一杯励んだ。

 周りから軽んじられようが。

 

 だが、そんな日々も長くは続かなかった。

 物資運搬の駿城がその凶報を持ってきた。

 厳重な身体検査と血塗れの駿城。

 想馬にとって既に見慣れた日常だったが、その日は違った。

「大変だぁ!!」

 検査も受けずに蒸気鍛冶の一人が、転がるように飛び出してきたのである。

「貴様!勝手に出るな!!」

「それどころじゃねぇんだよ!!カバネが来るぞ!!すげぇ数だ!!」

 瞬時に辺りが静まり返る。

「貴様等!!カバネを連れて来たと申すか!!」

 武士の一人が激昂し、声を荒げる。

 その声で呪縛が解けたように大混乱となった。

「静まれ!!静まれ!!」

 誰も耳を貸さない。

 想馬は、そんな武士達を冷ややかに一瞥すると、そっと抜け出し防壁の物見台へ登っていく。

「なんだ!?」

 そこに詰めていた武士が想馬を嫌そうに見遣ったが、無視して押し退ける。

「貴様!なんだと…」

 手で制し、想馬は続きを言わせなかった。

「来る」

「何が来ると…っ!?」

 赤黒い塊の様になったカバネの群れがゆっくりと駅に向かってくる姿が見えた。

「か、鐘を鳴らせ!!」

 慌てた武士が乱雑に鐘を鳴らす。

 この駅で初めて大規模なカバネの接近を知らせる鐘が鳴り響いた。

 まさに雲霞の如くカバネが押し寄せてきた。

 想馬は、それを見届けると父の元へと走った。

 

 危急を知らせた駿城は既に補給すら満足にせずに駅を出発して行った。

 その事にすら、駅に住む人間は気付かない程に混乱に陥っていた。

 

 

 

          5

 

 住民は大混乱に陥っていた。

 武士も声を張り上げているが、そんなものが耳に入る訳もない。

 想馬は、その混乱の波を搔き分けて我が家へと急ぐ。

「父上!」

 想馬が駆け込んだ頃には、闘馬は既に甲冑を身に纏い戦支度を終えていた。

「騒ぐでない。状況は既に聞き及んでおる。武士としての務めを果たす時がきた」

 闘馬の顔に恐れはない。

 それどころか未だかつてない程に生気に満ちた顔をしていた。

 漸く訪れた戦の時なのだから当然だろう。

「御家老にお話する。まずはそこからよ。あの御仁は話の分かる方だ。きっと力になってくれよう」

 想馬の脳裏には、あの時の家老の言葉が鮮明に思い浮かべられたが故に、唇を嚙んで言葉を押し留めた。

 家老は自分達を捨て駒程度にしか思っていない。

 戦力の確保は出来るのか、想馬には不安でならなかった。

 それでもやる事に違いがある訳でもない。

 想馬は自分にそう言い聞かせると、自身も戦支度を始めた。

 カバネにいつ襲われるともしれない状況故に、想馬の家には常に武器と甲冑がすぐに出せるようになっていた。

 そのお陰で想馬はすぐに支度を済ます事が出来た。

「参るぞ」

 闘馬は意気揚々と歩き出す。

 想馬はその背を無言で追った。

 

「うむ。危機的な状況であるし、御領主には私から話しておこう。戦力はこちらで抽出するがよいか?」

 家老の屋敷は既に人しかいない状況だった。

 荷はどこかに運び込んだ後のようだ。

(素早いな。どうやったのか…)

 想馬は内心で呆れた。

「武器は鎗か薙刀、刀も大量に用意し指定の場所に置いて頂きたい。勿論、集めた連中にも鎗などを持たせて下さい」

 家老は闘馬の戦の仕方を知っていたが、実際に言われると一筋冷汗を垂らした。

「それは…厳しい条件だな」

 辛うじて家老は、それだけ絞り出すように言った。

「この駅を守りたいと御家老がお思いになるのなら是が非でも叶えて頂きたい」

「…やってみよう」

 闘馬の圧力に押されるように、家老は頷いた。

 

 親子二人は、冷汗を垂らす家老を置いて屋敷を後にした。

 

 

 

          6

 

 集まった武士達は、如何にもはみ出し者といった風情だった。

 もうカバネとの戦は戦端が開かれているというのに、到着の遅い闘馬達に苛立ちを隠せない様子が見て取れた。

 そんな闘馬は平然と声を掛ける。

「ふむ。面構えだけはいいが、度胸と腕が伴うのかどうかだな」

 不機嫌さを隠そうともせずに闘馬を睨み付ける連中に、当の本人は全く気にした様子はない。

 殺気立った視線を平然と受け止めている。

「これよりカバネの殲滅に入る。本来であれば貴殿等の実力と胆力を見たいところではあるが、非常事態の為やむを得ない。このまま出陣する」

「本気で言ってるのか?この銃の時代に薙刀に槍に刀だ?それに付き合うなんて冗談ではない」

 闘馬の宣言に、集まった一人が決定的な一言を言う。

「ほう?冗談ではない?では、貴殿はどうするのか?蒸気筒でも担いで壁に張り付くのか?」

「決まっている」

「貴方の思想は知っているが、出来るとは思えない。現に同じような考えの餓鬼が失敗したばかりではないか」

 最初の一人が、斬り込んだところで次々と集まった武士達が本音を漏らし出す。

 だが、ここに鬼よりも悪辣な者が存在した。

「そうか?残念だが防壁などもう破られておるようだぞ?ほれ」

 闘馬は顎で武士達の背後を顎でしゃくってやると、武士達がギョッとして振り返ると、そこには地獄が広がっていた。

(自分の戦の仕方が間違っていないと証明する為、否応なしにやらせる為とはいえ同情するな)

 想馬は、ずっと闘馬と同じ方向を向いていた為、視界にずっと防壁で戦う武士達がやられていくのを見ていた。

 戦慣れしていないこの面々では、音だけでは気付かなかったのだ。

「それでよければ行かれるが良かろう。どれ程止められるか知らんがな。我等親子は武士として最後まで勇戦する覚悟」

 武士達が怪物でも見るような眼で闘馬達を見た。

 集まった武士達も流石に気付いたのだろう。

 自分達がわざと遅く到着した事に。

「どうする?各々方。ここで無駄に死ぬか?」

「…貴様はイカレだ!!」

「イカレ?大いに結構だ」

 狂気すら孕んだ闘馬の目に全員が黙り込んだ。

「まずはそこで見ているがいい。行くぞ?想馬よ」

「はい」

 想馬は短く返事をすると、闘馬と共に駆け出した。

 もう防壁を突破したカバネは散開し、餌である人間を求めて徘徊していた。

 今ならまだ数もそこまで多くない。

 見本を見せるのに丁度いい。

 二匹のカバネが突撃してくる親子に気付いて、駆け出す。

 双方共に速度は一切緩めない。

 想馬は、これが初陣である。

 速度を緩めそうになるのを抑え、震える手で薙刀の柄を握り締める。

 汗で滑らないように祈る。

 それはあまりにも短い時間だったが、途轍もなく永く感じられた。

 そして、衝突。

 闘馬が武辺者としての真価を発揮し、たったの一振りでカバネの首を天高く撥ね上げる。

 想馬も又カバネの腕の大振りを大きく避けると飛び上がり、そのまま薙刀を頸に向かって振り下ろす。

 闘馬のようにはいかなかったが、見事カバネの首を地面に叩き落とした。

 血が雨のように降り注ぐ。

 見守る武士達は声もなかった。

 まさか本当にやるとは思わなかったからだ。

「見たか!!各々方!!どんな生物であれ首を落とせば死ぬのだ!!」

 教示は、それだけではない。

「我々は上手くやったが、いきなり首を落とするのは厳しい。故に各々方には連携が必須である!!」

 今度は連携の見本を見せると闘馬は言っているのだ。

 次々と餌を求めてこちらにやってくるカバネの姿が、想馬にはハッキリと見て取れた。

 最早、防壁は突破され付近に住んでいた住民は、地獄を見ている筈だ。

(武士は、人を護る者じゃなかったのか?これは、正しいのか…)

 想馬は油断なく周囲を警戒していたが、父である闘馬の言葉に疑問を覚えたし、これを有効な方法として父に吹き込んだ白鳥美馬の一派に不信感を持った。

 こちらに気付き走ってくるカバネ三匹を確認し、闘馬と視線を交わす。

 親子ならではの以心伝心で、想馬が薙刀の間合いの広さを利用し、次々とカバネの脚を薙ぎ勢いを殺さずに石突部分で別のカバネの頭を打つ。

 頭を打たれたカバネがあまりの衝撃に転倒し、即座に闘馬に首を断ち斬られる。

 徹底して無力化する為に攻撃を繰り出す想馬と、徹底して止めを刺す闘馬。

 役割分担をハッキリと分かり易く示した。

 それも屠り、振り返れば武士達の親子を見る目は変わっていた。

 狙い通りではあるが、想馬の胸中は複雑だった。

「各々方!!これで分かったであろう!!これより打って出る!!」

「おお…」

 最初は小さい同意。

 そこから波のように広がり、大きくなっていく。

 その顔は、はみ出し者として倦んだところはなく侍の顔となっていた。

 

 そこから、家老に用意させた武器を持ち、カバネへと歩き始めた。

 

 

 

          7

 

 流石に、このやり方でカバネを倒せると分かったとはいえ、カバネ相手に接近戦を挑むのは初めての事だ。

 全員緊張の色が隠せない。

 それは想馬も未だにそうである。

 それでも、これ以上犠牲を出さない為にも、武士としての本分を全うする為にも退く訳にはいかない。

 それは他の武士達も宿った思いであった。

 だからこそ、誰も戦列を離れたりしなかった。

 そして、カバネの大群の先頭が見えてきた。

 バラバラに行動するカバネもあれば、纏まったまま行軍するカバネも存在していたのだ。

「カバネが…行軍している!?」

 武士の一人が、狼狽えた声を上げた。

「狼狽えるな!!やる事は変わらない!!各々方!!三人一組でカバネに当たれ!!数が多い故に後退しつつ敵をばらけさせる!!」

 闘馬が一喝され、狼狽えていた武士達も踏み止まる。

 カバネは、餌が目の前に現れた事で行軍を乱す者も現れた。

 まずは、この粗忽者を狩る。

「ふむ。完全に統率出来ている訳ではないようだ」

 逃げ惑う風を装って後退すれば、食い付いてきた。

 この行動で、どれ程統制が取れているか確認したのである。

「反転!!」

 全員が緊張で汗を振り乱しつつも反転し、カバネに逆に襲い掛かる。

 あちらには理性がない為、驚いて動きが鈍る事はなかったが、複雑な思考が可能な訳ではない。

 十匹程のカバネが餌に釣られて虎口に飛び込む。

 三対一とはいえ、人外の身体能力を持ったカバネである。

 慎重に間合いを取り、二人掛かりでカバネの動きを抑制し傷付けていく。

 一撃で倒す必要などない。

 多少、動きが鈍れば良いのだ。

「おおお!!死ね!!地獄へ帰れ!!」

「殺す殺す殺す!!」

 恐怖を紛らわせる為に、あちこちから声が上がる。

 声がカバネを引き寄せるなど、今の彼等に考える余裕はない。

 武士達は死に物狂いで戦いを挑む。

 数の利は人に勝利を齎した。

 想馬達親子と違って、綺麗に首を刎ねる事は出来ずかなりズタズタな有様ではあったが、全員がカバネを殺す事に成功した。

「やった…」

「おおおお!!」

 あちこちで歓喜の声が上がる。

「気を抜くな!!まだまだ敵はいるのだ!!各々方の声でカバネ共が引き寄せられておるわ!!武器構え!!」

 全員がハッと武器を構え、周囲を警戒するとカバネがゆっくりとこちらを包囲しつつあった。

「一点突破!!」

 闘馬は、そう叫ぶと先頭を切って走り出す。

 想馬もそれに続き突撃する。

 成功体験を少しとはいえ積んだ武士達も雄叫びと共に親子に続く。

 戦闘の親子の戦闘能力はずば抜けていた。

 包囲せんと動いたカバネを鎧袖一触で蹴散らしていく。

 止めを刺し損ねたカバネを確実に後から続く武士達が止めを刺していく。

 カバネを食い破り、最初の戦法に戻る。

 追いかけて来たカバネを振り返り様に斬り倒し、また走る。

 動きが鈍ってきたカバネに攻撃を集中させ撃破する。

 包囲を抜け、ただひたすらにカバネを斬る。

「クッソ!刃がもう駄目だ!!」

「こっちもだ!!大して斬り倒してないぞ!!」

 武器が固いカバネを斬った事により消耗が激しく、再び武士達が狼狽え出した。

「慌てるな!!ただの人を斬ったとて、すぐに駄目になるわ!!まして相手はカバネ!!当然想定内である!!」

 武士達がおお!と歓声を上げる。

「もう少し行ったところに武器が隠してある!!そこまで何がなんでも生き残れ!!」

 武士達が現金にも士気を取り戻し、走り出す。

 それを幾度か繰り返す。

 かなりの数のカバネを倒す事に成功した。

 意気揚々と次の場所へ移動した時である。

 闘馬が指定した場所に武器はあった。

 だが、今は蒸気筒の時代。

 手入れは殆どされておらず、酷い状態の物だった。

 考えてみれば、状態の良い物がそう多くある訳もなかったのだ。

「これは…」

 流石の闘馬も絶句してしまう程だった。

(考えてみれば予想されてしかるべきだった…)

 想馬は、そんな事を考えたがまだ甘いとすぐに知れた。

 遠くで汽笛が響いたからだ。

「あれは…」

「時雨の音じゃないのか?」

 時雨とは想馬の住む駅の駿城である。

 そして、それを証明するかのように時雨が建物の間から姿を現し、走っていくのが見えた。

「お、おい!!俺達がまだ戦ってるんだぞ!?」

「そんな事より来る!!」

 想馬は、素早く声を上げた。

 武士達は呆然と立ち尽くしていた。

 普通は、駅を捨てて逃げる際はそうと知らされる。

遅れたならば話は別となるが、武士は住民の避難が終了した段階で撤退が許される。

 だが、そんなものは想馬達に一切なされなかった。

(最初から…囮にして安全に逃げる気だったんだ!!)

 自分の愚かさに想馬は唇を噛み締めた。

 いざとなればと言っていたが、これこそがいざと言い時だったのだ。

 噛み締めた唇から血が滲む。

 この碌に手入れすらされていない武器を使うしかない。

 そんな時、何かが爆ぜた。

 武士達が呆然自失から引き戻される。

 その元を辿れば、時雨からであった。

「そこまでなされるのか!!」

 闘馬は時雨を睨み付ける。

 砲撃が想馬達に向けて放たれたのだ。

 餌の場所をわざわざカバネに教える為だ。

 勿論、時雨も狙われるだろうが、カバネの群れは想馬達が人気のない場所に誘導したお陰で近場に餌は想馬達しかいない。

 闘馬の戦法が仇となった形だ。

「畜生!!」

 口々に呪いの言葉を口にして武士達が心許ない武器を手に、餌を求めて飛び掛かってくるカバネを迎え撃つ。

 最早、カバネを全滅させるしか助かる道はないが、そんな事は絵物語に登場する英雄出ない限り無理な事だ。

 それを理解した武士達は、怒りに任せて武器を振るう。 

 すぐに武器は使い物にならなくなった。

 一人、また一人とカバネの餌と化し、自決袋で自決しカバネを減らす。

 誰一人として正気でいられる人間はいなかった。

 想馬は柄だけになった鎗でカバネの目から脳を掻き回す。 

 その横で想馬に襲い掛かるカバネに別の武士が、体当たりするように吹き飛ばす。

 その武士は既に武器を持っていなかった。

 滅茶苦茶に叫び、手に持った石でカバネを殴打する。 

 想馬も叫ぶ。

 砲弾の着弾で武士ごとカバネが吹き飛ぶ。

 砲弾が途切れた頃には、立っている武士は想馬を含めて何人も残っていなかった。

 だが、絶望はその後に訪れた。

 四方からカバネが現れたのだ。

 しかも、四方の先頭には明らかに普通のカバネとは異なるカバネが兵を率いるように先頭に立って、こちらに向かって来ていた。

 長刀を小枝の如く軽く振り、四方から現れたカバネは素早く駆けてくる。

 あっという間に武士が二人長刀の餌食となって血煙を上げて倒れる。

 そこに群がるカバネ。

 貪り食らうカバネに武士達の士気は完全に挫かれた。

 そうなってしまえば、もう抵抗する手段などない。

 ただの餌だった。

 想馬は、ひたすらに使えそうな物を拾い戦った。

 仲間の死体を背負い込み、背後からの攻撃の盾にした。

 闘馬に鍛えられた膂力がなければ出来ない芸当であった。

 活路を求めてただ腕を振るい、身体を動かした。

 何がどうなっているのか、カバネを殺せているのか、そんな事は全く分からなかった。

 ただ生きる為に動いた。

 そして、視界に父が映った。

 雄々しく戦っているだろう。

 なんの根拠もなく想馬はそう考えていた。

 だが、目に映った父は無様に手を振り回しカバネに齧られ、森へと遁走する姿だった。

 父が振り返る。

 目が合ったような気がしたが、気の所為かもしれない。

 その目には恐怖があったように見えた。

(まだ戦っている奴がいるのに、どこ行くんだ?)

 霞が掛かったような意識の中、想馬の脳裏にはそんな言葉が浮かんだが、当然口から出る事はなかった。

 逃げて行く父にカバネが追い掛けていく。

 そこに僅かながら包囲に隙が生じた。

 想馬は死体を投げ捨て、走った。

 他の武士達がどうなったのか、父はどうなったのか、そんな事はチラリとも頭に浮かばなかった。

 ただ、走った。

 どこをどう逃げたのか、記憶に残っていない。

 カバネの襲撃で壊れたと思しき壁の裂け目から、命辛々抜け出し倒れた。

(こんなところで寝られない…)

 想馬は這うように進んだ。

そして、線路まで辿り着いたところで倒れた。

 そこに丁度、どこかの駿城がやってきたのか振動が伝わってきた。

(こんなところで潰されて死ぬのか…)

 

 他人事のようにそんな事を考えて想馬の意識は途切れた。

 

 

 

          8

 

 次に目が覚めた時、想馬は身体が揺れている事に気付いた。

(なんだ?)

 身体はピクリとも動かない。

 身に着けていた甲冑が無くなっている。

 落ち武者狩りなど今の時代にいない。

 考えていると、何かが開く音がして強引に首だけを動かし、そちらを見た。

 どうやらここは、どこかの駿城のようだった。

 男が扉の小さい覗き窓から、こちらを見ていた。

「気付いたか。我々は幕府の先行部隊の者だ。貴様が死ななかったのは部隊を率いている方の温情だ。感謝する事だな。金剛郭までここでジッとしていろ」

 冷ややかに男は、そう言うと除き窓に付いた金属製の覆いを下した。

 冷たい金属音が部屋に響き渡った。

「何故、俺は拾われたんだ?…」

 碌な理由ではないだろうが、想馬はすぐにどうでもいい事かと思い、首から力を抜いた。

 どうやら酷い筋肉痛だったようで、数日でなんとか動けるまでになった。

 当然、その間食事は食べられなかった。

 だが、根性で這って水だけは飲んでいた。

 まるで飼い犬のような有様だと、想馬は自嘲した。

 

 ある程度動けるようになった頃、駿城は金剛郭に辿り着き、想馬は囚人のような扱いで外に出された。

 

 

 

          9

 

 フラフラしながら幾つかの門を通過して連行され、着いた先は昔に聞くお白州の場のような場所だった。

 そして、人の気配に顔をそちらに向けようとした想馬を連行してきた武士が頭を押さえ付ける。

 衣擦れの音がして誰かが座る気配がする。

「面を上げよ」

 頭を押さえ付けていた武士の力が緩み、想馬は顔を上げると厳しい表情の壮年の男が座っていた。

「田舎者には分からんだろうから、私の事は目付とでも思っておくがいい」

 壮年の男は冷ややかにそう告げた。

 想馬も大体の予想がついていた為に無反応だった。

「さて、貴様の主君であった者の証言によれば、貴様等親子は防壁の守りをカバネにワザと突破させたとあるが、何か反論はあるか?」

 サッサと逃げ延びて、ご丁寧に諸悪の根源のように自分達の事を言ったのであろうと容易に想像が付いた。

 質の悪い事に、それは真実である。

 想馬は神妙に認めた。

 否定は意味をなさないだろうからだ。

「ならば、これ以上詮議の必要もあるまい。沙汰を言い渡す。士分の剥奪を申し渡す。放り出せ」

 それだけ告げると、男はサッサと引っ込んでいった。

 想馬は連行した武士達に来た時と同じように両脇から持ち上げられ、住民居住区へと文字通り放り出された。

 土塗れで門を見ると、丁度門が閉まるところだった。

 そして、周囲の人間の目を見た。

 厄介な者を見るような視線。

 そこに尊敬はない。

 想馬も改めて住民の顔など今まで気にした事もなかった。

(武士とは…なんなんだ?)

 役にも立たない癖に未だに偉そうに他を見下す。

 自分勝手ではあったが、武士の本分を全うしようとした父。

 それでも最後は逃げ出した。無様に。 

 想馬は、改めて武士に疑問を持った。

 その場で上体を起こし、座ったままの想馬を誰かが蹴り付けた。

 大した痛みではない。

 想馬は、蹴った主を見た。

 それは、あの嫡男であった。名前も忘れてしまったが。

「貴様等の所為だぞ!!俺に仕える立場で俺達を破滅させるとは!!恩知らずが!!」

 一発では気が済まないのか、何度も蹴り付ける。

 嫡男の後には元の仲間や、想馬の住んでいた駅の住民がいた。

 白い眼で見る者、怒りを露にする者、様々だった。

(成程、自分達は出来る限りの事をしたが、俺達が台無しにしたとでも言ったか)

 思わず笑ってしまった。

 間違っていないが、正しくもない。

 何故、嫡男や同じ武士だった奴等がいるのか、答えは単純だ。

 幕府は耕作地が限られた現在、駅の維持が出来なかった領主や武士を絶対に許さない。

 おそらく改易にあったのだろう。

(そりゃ、恨むか)

「何がおかしい!!貴様等の所為で女達を売らなければならなかったのだぞ!!」

 嫡男が激昂する。 

 これからの生活の為に女を遊郭に売ったのだろう。

 その時、どこからか石が投げられた。

 それが想馬のこめかみに当たる。

 そちらを見ると子供が怒りと悲しみに満ちた目で石を投げた態勢のままいた。

 それに触発されたのか、大人達が声を上げて想馬を非難し、石を投げた。

(馬鹿馬鹿しい)

 大人しく石を受けていた想馬だが、不意に馬鹿馬鹿しくなった。

 確かにこうなったのは、想馬の父の所為もある。

 だが、逃げる為にそれを黙認した領主や家老にだって責任はある筈だ。

 そのお陰で無事に逃げ延びた筈の住民達も、想馬を非難する。

 義務が云々考えていた自分が馬鹿のようではないか。

 一緒に石を受ける羽目になった嫡男を、想馬は立ち上がり殴った。

 最早、気遣う必要などない。

 嫡男は、ただの長男になったのだから。

 碌に鍛えていない長男は、石を投げていた住民のところまで吹き飛んだ。

 投げられた石が止む。

 あまりにも長男が派手に吹き飛んだので、この暴力が今度は自分達に向けられると恐れたのだ。

(下らない)

 想馬は、黙って歩き出した。

 住民や元武士が慌てたように道を開ける。

 想馬は、堂々とその道を歩いていった。

(武士など下らん)

 

 丁度、想馬は武士ではなくなったのが、幸いのように感じた。

 

 

 

          10

 

 走馬灯が流れる中、想馬は他人事のようにそれを眺めた。

 この後、戦う事しか出来ない事を悟り、傭兵となるのだ。

 浪人という体で。

 武士しか刀や薙刀が持てないのは、建前と化していたから可能だった事だ。

 そして、號途と出会い。

 

 

 「想馬!!」

 

 

 どこかで、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回で融合群体との戦いは終わらせる積もりで頑張ります。
 我ながら、上手くいかなかったなと思いますが、今はこれが限界でした。
 もう少し上手く書く才能があれば、このモチベーション低下もどうにかなると思うんですけどね…。

 次回も長い時間が掛かるかと思いますが、懲りずに付き合って頂ければ幸いです。 



  


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第十話

 長い時間が掛かってしまいました。
 折れてはいません。
 それではお願い致します。


 


          1

 

「どけぇぇぇーー!!」

 想馬が吹き飛ばされたのを見た無名は、感情が荒れ狂った状態だった。

 怒りや悲しみが混ざり合ったなんとも言えない感情。

 無名の中であったかどうかも覚えていない感情だった。

 想馬によって線路を支える鉄骨へと逃げ延びたが、融合群体は依然として健在であり、ワザトリもどうなったか分からない。

 最早いないものと考えるのは不味いだろう。

 だが、慎重に動けば速度が鈍る。

 今は一刻も早く想馬の元へ行かなければならなかった。

 後ろから融合群体の巨大な手、前からは群体がバラ撒いたカバネが迫る。

 心は未知の感情で荒れていても、無名の培った戦闘技術は研ぎ澄まされていた。

 感情に振り回された力任せの攻撃も弱点にはなりえず、前方のカバネを次々と短筒の刃ですれ違いざまに首を半ばまで斬り裂いていく。

 勿論、カバネも無名に襲い掛かっている。

 にも拘らず、無名は流れるように攻撃を掻い潜入り、正確無比に首を斬り裂いた。

 その光景を同じく後ろから見て追っていた生駒は、足が止まりそうになるのを必死で堪えて走っていた。

 まるで無名が、カバネになったかのような不吉な紅い光を心臓が放っていたからだ。

(まるで…ワザトリじゃないか…)

 カバネ特有の尋常ではない力を人の技で振り回す恐ろしい存在。

 無名の本来の戦い方ではない。

 首を半ばまで断ち斬られたカバネは、衝撃で首が千切れていた。

 そして、肝心の群体の手が迫る。

 それを無名は後ろも振り返らすに、大きく跳び鉄骨を蹴り速度を落とす事なく走る。

 まるで背中に目でも付いているようだ。

 生駒は、群体の意識が無名に向いているから辛うじて巻き込まれていないだけだった。

 止まってもどうにかなるのかもしれない。

 それでも足を止めないのは、生駒としても男の意地があるからだろう。

「生駒!線路に上がって走りな!」

 生駒に返事をする余裕はなかったが、無名の言わんとするところは瞬時に理解した。

(囮になる気か!?)

 だが、それは勘違いだった。

 次の瞬間、無名は何もない虚空へ飛んだ。

 いくら無名がすばしっこくとも、空中では何も出来ない。

 絶好の機会に融合群体は巨体を空中へ躍らせた。

 巨体が蹴って跳んだ影響で線路が揺れる。

「無名!!」

 生駒の絶叫が響くなか、融合群体は無名を捉えていた。

 口が開かれ、巨大な群体となったカバネが口の中で蠢いている。

 無名が口に吸い込まれようとしたその時、無名が何かを腰から引き伸ばし線路に向けて投げる。

 それが鉄骨に絡まる。

 ワイヤーの先に分銅が付いた物だった。

 無名は、巻き付いたのを確認すると、身体をしならせるように振る。

 口が閉まる寸前、無名は歯の部分になっているカバネを蹴って、勢いを付けて鉄骨目掛けて跳ぶ。

 喰い損ねた群体は、無様に下へと落下していく。

 最後の足掻きに腕をバタつかせたが、無名を捉える事が出来ずに轟音を立ててカバネを撒き散らし落下した。

 無名は、線路に向けて登っていた生駒より大分下へ、器用に着地した。

 生駒ならば鉄骨に激突するか、行き過ぎてどこかに叩き付けられただろう。

「無名!」

「アンタ。線路走れって言わなかった?」

 生駒の歓喜の声は、無名の冷ややかな声に文字通りに冷や水を掛けれた格好になった。

「急ぐよ」

 無名は、ムッとする生駒を無視して再び走り出す。

 確かに、いつまでも融合群体がそのまま下にいるとは思えない。

 行動は早く起こすべきだ。

 それが分かるから、生駒は黙って後を追った。

 

 無名の背には紅い光は消えていた。

 

 

 

          2

 

 想馬が吹き飛ばされた場所まで、邪魔されずに到着した。

 想馬は、かなり木製の壁を突き破り停止していた。

 その有様は、一目で助からない事が医術に関しては門外漢の生駒にすら理解出来た。

 虫の息で生きているのが、異常なくらいだ。

「想馬!!」

 無名は、想馬の上体を抱き上げる。

 最早、無名達を認識していない。

 意識がないのだから当然だが。

 無名と生駒の顔が歪む。

 それから程なくして足音が複数聞こえてきた。

 無名は短筒を構え、生駒は貫き筒を構えた。

「撃つなよ!?吉備土だ!」

 大柄な武士が他の武士達を率いてやって来た。

 そして、想馬の姿を見て痛ましそうに眼を閉じた。

 無名は、苦悩していた。

 助ける方法は存在している。

 しかし、苦悩する贅沢な時間は、これ以上望めない。

 無名の感覚は、下で急速に融合群体が身体を構成し直しているのを感じていたからだ。

(私は、やるべき事がある)

 無名は、静かに想馬を地面に寝かせた。

(恨んでくれていいよ)

 振動が無名達のいる場所まで伝わってくる。

「なんだ!?」

「アレが上がってこようとしてるんだと思います…」

 吉備土の疑問に生駒が答えた。

 生駒も大分カバネリの感覚に慣れてきたようだ。

「…なら、撤退だ」

「じゃあ、想馬を!!」

 生駒は動こうとしない無名に見切りをつけて、想馬を担ぎ上げようとする。

「置いていけ。残念だが、助からない人間の為に撤退速度を遅らせる訳にはいかない。薄情なようだが、これも戦場の習いだ」

 吉備土も無念そうだが、キッパリと言い切った。

 想馬という戦力は、吉備土にとっても貴重な戦力だった。

 人間でありながら、カバネリの如く戦える男を置いて逃げるのは、吉備土にとっても耐え難い事だが、私情で仲間を危険に晒す訳にはいかない。

「助かるよ」

「「っ!?」」

 無名の突然の言葉に生駒と吉備土が息を呑む。

 この状態は、どう考えても助かるようには思えない。

(状況を認識するのを拒んでいるのか?)

 だが、無名の眼は冷静だった。

「何を言っている?」

 吉備土は、差し迫った危機を一瞬忘れて、無名を困惑した目で見た。

 だが、生駒はあっと声を上げた。

「分かるのか!?」

 思い当たったような反応の生駒に、吉備土が詰め寄る。

「お前…まさか…」

 生駒は、吉備土の事を気にする余裕すらなかった。

 自分の想像があまりに荒唐無稽だったからだ。

「生駒。想馬の頸を絞めて脳を守って」

「勝手にそんな!」

「おい!どういう事なんだ!?」

 二人のやり取りに、吉備土は堪り兼ねて声を荒げた。

 

「カバネリにする積もりか!?想馬を!」

 

 

 

          3

 

「何!?」

 生駒の衝撃の発言に、武士達が凍り付く。

「カバネに噛ませるのか!?わざと!?」

 武士達の顔が嫌悪に歪む。

「そんな事する必要ない。ぐちゃぐちゃ言ってないでやってよ」

 無名は生駒を睨み付ける。

 生駒は、自分をカバネリにした。

 だが、それは自分自身だったからだ。

 他人を実験台にする程、彼はまだ狂気に堕ちてはいなかった。

「早く!もうすぐアレが上がってくるよ!?そしたら、いよいよ打つ手が無くなる!」

「クソっ!」

 生駒にも、群体がカバネを再び集めて、ゆっくりと行動を開始した事が感じ取れていた。

 この場を早く離れろと本能が激しく訴えてくる。

 無名は、自分が想馬の頸を絞めるまで梃子でも動かない構えだ。

 心の中で、もう一度悪態を吐くと頸に手を掛けた。

「おい!正気なのか!?」

 吉備土が声を上げる。

「五月蠅い!黙ってて!」

 想馬の頸が絞まる。

 それを確認すると、無名は徐に着物の肩の部分を破った。

 そして、生駒は見た。

 無名の眼が紅く妖しく染まるのを。

 犬歯が肩を破り食い込む。

 その場の全員が息を呑む。

 無名が、恍惚とした表情で血を啜る。

 その光景は、まさに魔性の光景だった。

 子供と言ってもいい無名に艶を感じて思わず武士達が目を背ける。

 無名が顔を上げると、カバネのウイルスが物凄い速さで身体を巡るのが分かった。

 生駒は、頸から上にウイルスが行かないように力を適度に籠める。

 首以外がカバネのウイルスに侵され、紫に染まり紅い血管が浮かび上がる。

 その光景を生駒は、無心に観察した。

(俺もこんなだったのか…。不謹慎だが、後で記録しないとな)

 迫り来る群体の恐怖から逃れようとするように、生駒はそんな事を考えた。

 そのうちに折れ曲がった腕や、やられた内臓が脈動するように動き、急速に元の形に戻っていく。

 その様を武士達が、呆然と眺める。 

 止めるとかそういう心の余裕は武士達に存在していなかった。

 目の前の異常な事態に、ただただ立ち尽くすのみだった。

 想馬の身体が徐々に本来の人間の肌の色に戻っていく。

「もういいよ、生駒」

 無名の声で、生駒はハッと想馬の頸から手を離した。

 想馬の顔は苦悶に満ちていた。

 頸を絞められていたのだから当然だ。

「ゆっくり呼吸して…」

 無名が想馬の耳元で囁く。

 聞こえているかは分からないが、反応を示さない。

(失敗したのか?)

 生駒は、自身の体験を照らし合わせて冷汗を掻く。

 生駒の場合は、死ぬような重症ではなかった。

 だが、想馬は瀕死の重傷である。

 やはり、カバネリとなるには条件がいるのではないかと思い始めた時、無名が思い切り想馬の胸を叩いた。

「想馬!!」

 心臓に向けて何度も拳を打ち付ける。

「おい!無名!よせ!」

 生駒が止めるのも聞かずに、無名は拳を打ち付け続けた。

 だが、その拳が不意に止められた。

「痛てぇんだよ…」

 想馬が軽く咳き込みながら無名の拳を掴んでいた。

 

 武士達が、驚きの声を上げた。

 

 

 

          4

 

 無名が掴まれた拳を振り解く。

「気分は?」

「最悪だ」

 無名の質問に対する答えは簡潔だった。

「自分の身に何が起こったか、分かるか?」

 生駒が今度は暗い顔で訊く。 

「分かるか」

 想馬は、身体が動くのを確認しつつ投げ槍に答えた。

「お前もカバネリになったんだよ。成功したみたいで良かったよ。本当の意味で良かったかは分からないけど」

 生駒は酷く複雑な顔でそう言った。

 想馬の顔に納得の色が浮かぶ。

 その顔は、すぐに不愉快なものに変わった。

「誰がそんな事頼んだ?」

「頼まれてないよ。必要だからしただけ」

 ジロリと睨まれた無名は、素っ気なく答えた。

 二人の視線がぶつかり合う。

 視線を逸らしたのは、無名が先だった。

「別に…恨んでくれてもいいよ。それでも!私は帰らなきゃいけないの!兄様の元へ…」

 想馬が、その言い分に溜息を吐いた。

(これじゃ、餓鬼を虐めているみたいだな)

 色々と言いたい事はある。

 だが、無名の表情は普段は見せない子供の表情だった。

「そうか。だが、言わせて貰うぞ」

 無名の表情が強張る。

 想馬は内心で苦笑いする。

 一流の武人のような技をもっている無名だが、その心は弱い。

 想馬は、その事に気付いていた。

 だからこそ、想馬は今この時に言うべきと思っていた事を口にする事にした。

 今なら負い目のある無名は、黙って聞くだろうと思ったからだ。

「自分の主は、自分自身にしとけ。全てを今の主に委ねるな。それでもそいつに力を貸したいなら、間違いを諫められる家臣になるこった。俺は御免だがな」

 無名は恨み言を言われると身構えていたので、若干拍子抜けしたのだろう。

 言い分は普段の無名なら反発しそうなものなのに、気が抜けていたのか言い返す事も出来ずに困った顔をしたまま黙り込んだ。

「手下と家臣は違うぞ。気を付けるこったな」

 黙り込んだ無名の頭を乱暴にワシワシと撫でると、無名の髪がぐちゃぐちゃになった。

「ちょっと!」

「戻るんだろ?甲鉄城」

 引き攣った表情で自分を見ている武士達に想馬はそう言って声を掛けると、サッサと歩き出した。

 今はまだ自分が人外になったという感覚はない。 

 だが、自分がどういう一撃を受けたのかは分かる。

 ハッキリ言って死は免れないものだった。

 五体満足で助かった理由など、カバネリになったくらいしか思い付かない。

「なら、走らないと駄目でしょ」

 言われた事を漸く受け止められたのか、無名が不機嫌に想馬の背を蹴り飛ばした。

 痛覚が麻痺したのかと思う程、痛みはない。

「急ぐか…」

 

 二人は、まだモタモタしている生駒や武士達を置いて走り出した。

 

 

 

          5

 

 甲鉄城へはカバネを数体片付けて到着した。

 融合群体の方へ引き寄せられている影響で、甲鉄城への攻撃が一先ず止んでいたからだ。

「で?どういう事な訳?」

 無名は冷たい眼差しで菖蒲を睨み付けた。

 菖蒲を護るように来栖が前に出るが、両者共に表情に苦いものが浮かんでいた。

 巣刈の口車に乗せられたとは言え、菖蒲達が結果的に足を引っ張ってしまったのは事実だからだ。

 菖蒲が意を決して、これまでの経緯を説明した。 

 言い分が分かるだけに無名も眉間に皺を寄せた。

「そのお陰で俺は人間じゃなくなったがな」

 想馬のその言葉に全員が黙り込んだ。

 一番の被害者は誰かと言えば、間違いなく想馬に他ならない。

「まあ、なんにしても責任の擦り合いなんてしてる暇もない。そうだよな?」

 想馬は、無名に目を向けてそう言った。

 無名も気配で融合群体が、もうすぐ動き出すのを感じて黙って頷いた。

「それじゃ、こっちは作戦を立てないと」

「策があるのですか?」

 無名の言葉に菖蒲が問う。

「倒し方は知ってるけど、まずそれまでの布石を打つ必要があるからね。生駒を連れてこないと」

 何か考えるのが苦手な無名は、生駒に押し付ける気だった。

「俺は武器だな」

「お持ちだったのでは?」

 カバネリとなってしまったのは報告されている菖蒲は、少し想馬の事が心配になった。

 記憶が混乱しているか、何か不具合が生じているのではと。

「ああ。人間じゃなくなった弊害か、武器に問題が発生してな」

 それだけ言うと、想馬と無名は出て行ってしまった。

 顔を見合わせる主従を置いて。

 

 そして、一方生駒も逞生に同じ説明をされていた。

「すまねぇ。俺もつい乗っちまった」

 バツが悪そうに逞生が誤った。

 だが、悪びれもない男が一人いた。

「俺は謝る積もりはないぜ。口先だけで謝って欲しいってんなら別だがな。俺はこの落とし前は仕事でつける」

 巣刈である。

 その眼には、揺るぎのない信念があった。

 生駒は、巣刈の中にそんなものが存在しているとは思ってもいなかった為、少し内心で驚いていた。

 巣刈とそんなに話をした事はないが、皮肉屋でどこか本気で仕事に取り組んでいない印象だったからだ。

「確かに48式なんて中々手に入らないからな…」

 蒸気鍛冶の端くれである生駒は、苦い顔で不承不承に認めた。

「そうだ。こんな逃げてる最中の駿城に、こんな砲を乗せ換える機会なんて二度とない。今しかないんだよ」

 巣刈は、周辺の冷たい視線をものともせずに作業に戻っていった。

 逞生は、巣刈の背を恨めしそうに見送っていた。

「俺達もやろう。あまり時間がない」

「分かったよ。俺も仕事で返すさ」

 生駒に軽く肩を叩かれ、逞生も眉間に皺を寄せたままだったが頷いた。

 迷惑を掛けられた生駒に言われては、逞生も文句は言えない。

 

 こうして、甲鉄城の砲は怪しい外国人蒸気鍛冶・鈴木の指揮で48式を異例の速さで取り付けられた。

 

 

 

          6

 

 想馬と無名は、戦闘準備をすべく生駒達が作業している砲台車両に向かっていた。

 そこで、無名に対して敵意を向ける視線が多い事に想馬は気付いた。

「お前、なんかやらかしたのか?」

「別に…思った事を言っただけ」

 無名が不機嫌に吐き捨てるのを見て、想馬は頭を抱えたくなった。

 またしても、この世間知らずはやってしまったと確信したからだ。

「おい、何やった?」

「別にいいでしょ」

「よけりゃ言わない。無駄に波風立てて良い事なんかないんだよ」

 想馬は自分の事を棚に上げて、無名を問い質す。

想馬は、自分に関してはどうでもいいと考えていたからこそ言える勝手な話であった。

 無名の年でも性格を矯正するには厳しいだろうが、まだ無名には間に合う可能性がある。

 キッチリと教えないといけないと想馬は考えていたのだ。

 本当に勝手な話ではあるのだが。

「すまないが、何があったか教えて貰っていいか?すぐそこまで敵が来てるから手短に頼む」

 どこまでも勝手な事を、その場に居る人間に告げる想馬。

「急いでるなら後でいいじゃない…」

 想馬は、無名の頭を無言で押さえ付けた。

 自然と無名が頭を下げているように見える。

 想馬は、ただ黙ってろ位の意味でしかなかったが、住民達は謝罪の積もりであると呆れていた。

 一人の年増が想馬の前に溜息交じりに立つと、無名の所業をそのまま手短に教えてくれた。

 想馬もまさか子供相手に、死んでよかったなどと言ったと聞いて、頭痛を感じた。

 無名も子供だが、言っていい事と悪い事がある。

「謝っとけ」

「なんでよ!?」

「お前だって、自分の主が死んでよかったなんて言われたら怒るだろう」

 反射的に反論しようとする無名を想馬が押し留める。

「落ち着け。犬と人間じゃ比べられないが大切な存在が死んでよかったなんて言われたら、怒る。それは理解出来るだろう。お前の価値観で慰めた積もりなのも分かるが、他人の価値観も認められるようになっとけ。将来、困るぞ」

 想馬が言うのだから間違いない。

 他人の価値観など知った事ではなく興味も示さない。

 それで苦労した事は数え切れない程ある。

 重みのある話である。

 無名は、不機嫌に黙り込む。

「無名」

 時間がないので急かす。

 余計な時間を取ったのは想馬だが、こういうのは時間を掛けると言い辛くなる。

 サッサと言う事を言ってしまった方がいいと思った。

 時間はないが、48式が取り付けられなければ動きようもない。

 もうすぐ敵が来るの事や時間がないのは事実だが、時間は多少あったのである。

「向かってくる奴は倒すよ。私は甲鉄城に乗せて貰ってる訳だからね。用心棒の代わりぐらいはしてあげるよ。…敵は討って上げる」

 無名は恨めしそうに想馬を睨みつつ、そう言い捨てるとサッサと歩き出した。

「もしかして…あれで謝った積もりかい?」

 想馬に何があったか教えた女は、呆れた声でそうボヤいた。

 二人の子供も唖然として無名の背を見送った。

「まあ、そういう事を教える連中がいなかったのさ。戦う事しか教えなかったんだろうよ」

 想馬の言葉に女達が黙り込む。

 あれだけの戦闘技術から、それは真実だと悟ったのだろう。

「別にだから許せとは言わない。アンタ等も知った上で怒ってくれ」

 想馬もそれだけ言うと無名の後を追って歩き出した。

 

 後には、重い沈黙に沈んだ人達が残された。

 

 

 

          7

 

 48式の取り付け現場は戦場のように慌ただしかった。

 文字通り命の懸かった仕事である。

 全員が話をする余地などない有様だった。

 そんな中、二人は平然と進んでいく。

 想馬と無名は、それぞれの用で言葉もなく別れた。

 想馬はといえば、怪しい金髪の巻き毛男の傍で止まった。

「忙しいとこ悪いな。ちょっと頼みがあるんだが」

 怪しい外国人蒸気鍛冶・鈴木である。

 普段は飄々としている鈴木も鋭い声は発して、矢継ぎ早に指示を出し自分も手を止めずに作業していた。

「スミマセンが、今はトテモ手が離せまセン!」

「ああ、知ってる。こっちも重要なんだ」

 鈴木のハッキリとした拒否にも、想馬は怯む事なく近付いた。

 鈴木は、想馬を一瞥すると溜息を吐いた。

「このまま、聞きマス」

「ありがとよ。甲鉄城の装甲板の一番外側の硬い部分を刀みたいに成形して貰えないか?俺の身長くらいの刀身にしてくれ」

 想馬の言葉に鈴木の手が思わず止まる。

「…何、言ってルか、理解出来まセン」

 非常時という事も忘れて、鈴木がポカンとした顔で言った。

 駿城の外側の装甲は最も頑丈な鉄で、それを想馬の身長程のものに成形したとしても人間はおろかカバネすら扱えないだろう。

 鈴木が呆けたのも無理からぬ事だった。

 それを承知している想馬は眉間に皺を寄せて、頭をガシガシと掻いていた。

「俺が人間じゃなくなったのは聞いてるか?実感はなかったんだが、武器を振ってみて分かった。今持っている刀も薙刀も軽過ぎるんだよ。まるで餓鬼の玩具でも振り回してる気分だ」

 想馬が自分の手を睨みつつ言った。

「どっちにしろ鵺相手じゃ、刀や薙刀なんて効きゃしない。急場を凌ぐには重要なんだ。アンタもまさか48式だけで進路を塞ぐ鵺を倒して進めるなんて考えちゃいないだろ?」

 それを言われると鈴木も反論出来ないが、あの怪物と正面から斬り合うのは48式で敵を倒すより正気の沙汰ではない話だ。

 鈴木はマジマジと想馬の顔を観察した。

 正気を疑ったのである。

 誰が聞いても鈴木の方を支持するだろう。

「正気デスか?」

 鈴木は、それだけ言うのに精一杯だった。

「忙しいのは承知だが、この戦いに使えりゃいい。適当に成形してくれ」

「カバネリ?にナルとおかしくナルンデスカ?」

「困った事に否定する要素がないな」

 想馬の感覚では、何故か問題ないと告げていた。

 自分でも信じられないが、その勘は自分が本来使っていた號途の鍛えた業物では駄目だと告げていた。

 想馬の跳ね上がった膂力に耐えられそうにないのだ。

 それ故に、直感に従い武器を用意する必要があったのだ。

 

一方、無名はといえば生駒を探していた。

 目的の人物は、すぐに見つかった。

 蒸気鍛冶と一緒に取り付け作業を手伝っていたのだ。

 元々の本職なのだから手伝いではないだろうが、最近の生駒は戦闘ばかりに参加していた所為か、無名には本職がどちらか分からなくなっていた。

「生駒!作戦話し合うってさ!」

「ちょっと待ってくれ!これを取り付けないと話にならない!」

 無名は、不服そうに眉を寄せてツカツカと作業中の生駒に近付いていくと、徐に生駒の首根っこを掴んだ。

 突然に首を掴まれて生駒は暴れたが、無名は意にも介さない。

「何するんだ!?」

 生駒の抗議を無視して、無名が傍で作業中だった逞生を睨む。

 睨まれた逞生の方は、思わず手を止めて怯んだ。

「おデブ。生駒一人いなくても、もう大丈夫だよね?」

「お、おお…」

 無名の圧力にアッサリと屈して、逞生はガクガクと頷いた。

「だってさ。いくよ。作戦会議」

 かくして生駒は、引き摺られて連れ出されたのだった。

勿論、生駒は文句を言っていたが当然のように無視された。

「おデブ…」

 地味に傷付いた逞生の呟きは誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

          8

 

 懸念事項を取り敢えずのところ、どうにかした二人は生駒と共に菖蒲達の下へと戻った。

 三人が入ると、すぐに武士達の不毛な議論が耳に飛び込んできた。

 菖蒲が真っ先に三人に気付き声を上げる。

「戻りましたか」

 菖蒲の言葉に武士達が一斉に三人を振り返って凝視する。

(人外のお仲間入りした事で、随分と人気者になったな)

 想馬は皮肉っぽく内心で思う。

 生駒の例があるとはいえ、カバネリに人為的になれるという事実は、武士達にとって福音とはなり得ない。

 しかし、我が身に起こり得る出来事として、武士達に受け止められていたのである。

 そんな視線を想馬と無名は、素知らぬ振りで歩みを進める。

 生駒は流石に居心地が悪そうだったが、立ち止まる訳にもいかず二人に続いた。

「それで、結局のところ融合群体とはどういう化物だ?」

 来栖が想馬と無名を睨み付けるように見て口を開く。

「それが倒す方法にも繋がるよ」

 無名は来栖の視線などお構いなしに答えた。

「融合群体は、核となるカバネに他のカバネが引き寄せられて一つの群体となって動く。つまり核となるカバネを倒せばいい」

「成程!それでは、今取り付けている48式で倒せばいいという事ですね!?」

 無名の言葉に菖蒲が反応するが、無名は首を横に振った。

「ただでさえ頑丈なカバネに何重にも守られてるんだよ?あれでも倒すところまではいかないよ」

「まっ、だよな」

 想馬は分かっていたとばかりに頷くのを、無名がチラリと一瞬視線を遣るがすぐに菖蒲に戻した。

「それに融合群体は周りをうろついてる。まずは進路を確保しないとどうにもならない」

 生駒が冷静に指摘する。

 生駒と無名の感覚では融合群体は、甲鉄城が立て籠もる場所の周りを窺うように徘徊している。

「でも、48式にも出来る事はある。あれの砲弾で張り付いてるカバネを引き剥がして、核となるカバネを直接討つ」

 無名が決意に満ちた声で断言する。

「直接…って誰が!」

 武士の一人が声を上げる。

「私だよ。他に出来る奴いないからね。あと、核から剝がされたカバネは普通のカバネだから、そっちでどうにかして」

 アッサリと無名は、そう言い切った。

 想馬でも出来るのかもしれないが、素早さと跳躍力という面においては無名に分がある。

 想馬も、それに異論は挟まなかった。

「危険な役割ですよ?」

 菖蒲が心配そうに眉を寄せつつ言った。

「ただでさえ勝算は低いんだからさ。少しは無理もしないとね」

 そう言って無名は武士達が使っている蒸気筒を手に取った。

 それには、勿論生駒が開発した噴榴弾が既に装填されていた。

「まあ、俺も前に出るさ。そっちは48式を打ち込む事だけを考えてろ」

 想馬の前に出るという発言に、無名を除く全員が正気を疑う顔で想馬を凝視した。

「…それは想馬が融合群体を引き付けるって事か?」

 生駒の問いに想馬は素っ気ない頷いた。

「まあ、そうだな」

 想馬は一番難しい役割をアッサリと買って出た。

 生駒は、想馬が自棄を起こしているのではと疑いの視線を向けるが、彼の表情に変化はなかった。

 表情は、いつも通りの想馬にしか見えない。

 だが、生駒には疑念が拭い切れなかった。

「勿論、武士や生駒にも甲鉄城を護りながら、散らばったカバネを片付けて貰うさ」

 噴流弾が開発されたとはいえ、大量のカバネを相手にするのである。

 容易な事ではない。

 武士達は戦意の高揚より、緊張を強く感じていた。

「分かった。だが、約束してくれ。必ず戻ってくれ。俺じゃ無名の相手は難しいからな」

「どういう意味よ!?私がアンタ等の面倒見てるんでしょうが!」

 生駒の決意に満ちた言葉を、無名が喚き台無しにする。

 

 後の細かい調整は、生駒に丸投げされる事となった。

 

 

 

          9

 

「急拵えデス。武器としてどれだけ使えるカ分かりマセンよ?」

 鈴木は、若い蒸気鍛冶に声を掛けると、注文の品を持ってこさせた。

 若い男が三人掛かりで持ってくる。

「刀鍛冶は専門外デス。装甲版を溶かして大剣の形に成形シタだけデス。出来が悪くても怒らないデ下サイ」

「この戦いを乗り切れればいいさ。忙しいのによくやってくれたな、礼を言うよ」

「ドウ致しましテ」

 想馬は礼を言って大剣を受け取る。

 強いて言えば、洋剣なのが気になるが文句は言うまい。

 想馬は、感触を確かめる為に大剣を振る。

 片手で軽々と金属の塊と言っていい大剣を持ち上げ振り回す姿に、その場にいる全員が硬直して眺めていた。

 腕力のある蒸気鍛冶が三人で持てるものを片手で振り回すのだから当然だろう。

 そして、想馬は何事もなかったかのように大剣を肩に担いて歩き出した。

「ドコ行くのデスか?」

 あまりにもアッサリと外に通じる扉に向かって歩き出した想馬に鈴木が問い掛ける。

「戦場だ」

 想馬は、あまりにもアッサリと答え人一人通れるだけ扉を開けて出て行った。

 取り残された蒸気鍛冶達は揃って呆然と立ち尽くしていた。

 

 後ろ手に扉を閉ざすと、想馬は気負う事なく歩き出した。

 すると、空が暗くなる。

 何か大きいものが想馬の頭上を通過したのだ。

 進路を塞ぐように融合群体が着地し、口に当たる部分を開き威嚇してくる。

 前回、見た群体より身体が一回り大きくなっていた。

「俺には分からんな」

 想馬の感想はそれだけだった。

 生駒もカバネの感知には少し時間を掛けたようだが、想馬にはよく分からない感覚でこれから先も分かる気がしない。

 一向に怯む様子もない想馬に融合群体が怒ったように吠えた。

 常人では気絶は免れないが、想馬の心は静かだった。

 恐怖が麻痺した訳ではない。

 冷静にこれに勝つのは難しい事も把握している。

 その為に自身がやるべき事も分かっている。

「さて、ちょっくら付き合ってくれや」

 その言葉を合図にしたように、融合群体が腕を振るう。

 想馬は、前へと踏み込み跳躍する。

 死神の鎌が自身の下を通過する。

 想馬が思い切り息を吸い込み、止める。

 大剣が唸りを上げて群体の頭に振り下ろされる。

 物凄い衝撃音と共に頭を形作るカバネが崩れる。

 大剣の通り道となったカバネは、あまりの重量に引き千切られたように身体をブチ撒ける。

 間髪入れずに地面に叩き付けられた大剣を引き戻し、跳躍すると群体の上に飛び乗る。

 想馬を掴もうとする腕を振り払い群体の背を走り抜け、駅の門へと走る。

 群体は怒りの咆哮を上げて方向転換すると、物凄い速さで想馬を追い掛ける。

 想馬の一撃で千切れずに残ったカバネが、甲鉄城の潜む格納庫へと歩みを進めるが、窓ガラスが割れると同時に銃弾の雨が降り注ぎ、カバネがバタバタと倒れる。

 更に扉が開き、二つの影が飛び出してきた。

「使わせて貰うぞ」

 来栖がそれだけ言うと刀を抜き放った。

 その刀身は赤黒いカバネの心臓被膜に覆われていた。

「死んでも文句は聞かないぞ」

「ぬかせ」

 生駒の冗談が全く混じっていない言葉に、来栖は吐き捨てるように応えた。

 来栖が迫り来るカバネを赤黒い刀身で一瞬にして斬り捨てる。

 血煙を上げてカバネが倒れたが、従来のように刀が折れる事なく陽光を反射し妖しく光った。

 生駒は、無名のシゴキの成果か雑魚のカバネに後れを取る事なく、貫き筒で心臓を破壊し、足技や腕でカバネの突進をいなしつつ、次々とカバネの心臓に貫き筒を押し付け破壊していく。

 想馬は、融合群体が追ってくるのを確認すると、線路を外れて空中へ飛び出した。

 怒りに真面な判断が出来ない群体は、想馬を追って空中へと巨体を投げ出す。

 想馬は、チラリと追ってくる軍隊を見遣って不敵に笑う。

 グングン地上が近付いてくるが、想馬は慌てる事なく地上の間に存在する煙突の縁に足を掛けて速度を落とす。

 それを工場の屋根、民家の屋根、軒先と同じことを繰り返し着地する。

 流石に落下速度を完全に殺す事は出来ずに、派手に着地する事になったが、それでも膝を突いて少し地面が抉れる程度で済んだのは驚異的な事だ。

 群体が想馬の上へと落下してくる。

 奇しくも想馬を追う事で、群体も想馬の真上へと着地出来たのだ。

 想馬は、間抜けにそれを眺めるだけではなく、素早く立ち上げると走って壁を蹴り、無名のように民家の屋根へと飛び移る。

 それに対応出来ずに群体は、落下する。

 もうもうと土煙が上がるが、呑気にそれを眺める余裕はない。

 想馬は再び人間とは思えない速度で屋根から屋根へと飛び移る。

 軍隊は衝撃でカバネを撒き散らしながら、想馬を追って行った。

 

そして、甲鉄城の準備は完了し、武士達が周囲のカバネを一掃するのを待っていた。

 車内は緊張で張り詰めた空気である。

 そして、遂に一掃が完了したという合図が届く。

「それでは、行きましょう」

 菖蒲が固い声だが、力強い声で告げた。

 侑那が淡々と甲鉄城を走らせる。

 最初はゆっくりと。

 武士達が格納庫の扉を完全に開放すると同時に徐々に速度を上げていく。

 完全に速度が上がらないうちに、武士達が次々と甲鉄城に飛び乗り中に素早く入っていく。

 最後に生駒と来栖が甲鉄城に飛び付いたところで、甲鉄城は速度を更に上げて走り出した。

 

 ここからが勝負だ。

 

 

 

 

          10

 

 想馬を追っていた群体がピタリと動きを止め、上を見上げる。

「どっち向いてる?」

 既に即席の刃は潰れ、あちらこちら凹みと歪みが出来た大剣を巨体に叩き付けた。

 肉が抉れるようにカバネが数体剥がれる。

 群体から悲鳴を上げるが、素早く方向転換し後ろ脚で想馬を蹴り付けようとする。

 想馬は転がるように回避し素早く立ち上がると、既に群体は走り出した甲鉄城へ走り出していた。

 想馬は舌打ちすると、大剣を担いで後を追う。

 甲鉄城の前で待ち伏せさせる訳にはいかないのだ。

向こうは物凄い速度で移動しているにも拘らず、想馬は最短距離で家々を腕力と脚力で飛び乗り走る。

 そして、工場地帯でアッサリと追い付いてしまった。

 屋根を走っていた想馬は、線路を支える鉄骨に向けて猛然と走っているの群体を見下ろし、真上に飛び降りた。

 ただの鉄棒に成り果てた大剣を前足を狙って振り下ろす。

 鉄が拉げる音と共にカバネが潰れて、そこから結合が緩んだカバネが勝手な方向へ歩き出す。

 前足の一本を失い群体が前のめりに倒れ、足が止まる。

「お急ぎのところ悪いが、もう少し付き合ってくれ」

 想馬の言葉が分かった訳ではないだろうが、群体が怒りの声を上げる。

 拉げた大剣を構え想馬は不敵に笑った。

 

 冷汗を滲ませ、甲鉄城の面々はその時を待っていた。

 無名は既に配置に就いている。

 線路の下から途轍もない音が、甲鉄城の中に居てさえ聞こえてくる。

「追い越した!!」

 菖蒲は、その報告を聞いて思わず安堵の溜息が出る。

 それを慌てて飲み込むと、気を引き締め直した。

 まだ、終わってはいない。

 

「砲塔を回せ!!」

 設置された48式の下では、蒸気鍛冶の逞生が冷汗で全身濡らしながら砲主席に座っていた。

 スコープ越しに後を確認する。

 まだ来ていない。

 だが、振動がすぐそこまで近付いているのは、カバネリではなくとも分かった。

 何度の眼に入ってこようとする汗を拭う。

「落ち着けよ。まだ本番じゃないぜ?」

 横にいた巣刈が淡々とした声で言った。

「もうすぐ出てくんだろ?本番みたいなもんだろ…」

 逞生は、汗で滑った手を素早く服に擦り付けた。

 その時、無名が上から顔を出した。

「おデブ。ギリギリまで引き付けてよ?」

「簡単に言うなよ!」

 無名の要求に、逞生が悲鳴染みた声を上げる。

 無名はといえば、逞生の悲痛な声を無視してサッサと顔を引っ込めてしまった。

「来るぞ!!」

 群体を監視していた武士が声を上げる。

 逞生はスコープ越しにカバネが大量に手を伸ばす不気味な塊に、想馬が鉄屑を突き刺している姿を見た。

 身体の大きさは、周囲のカバネの数を散らした所為か車庫から出た時より小さく感じた。

 想馬は大量のカバネが伸ばす腕を足で蹴り付けて、顔面を踏み潰していた。

(オイオイ…。マジか?)

 逞生は唖然として、その光景を見ていた。

 その間にも群体は、甲鉄城の後部車両に近付きつつあった。

 想馬もそれをジッとカバネをあしらいつつ機を窺っていた。

 想馬も甲鉄城に乗り込まなければならない。

 故に、この機に飛び移るのだ。

 群体が撒き散らすカバネが車両の上に降り立ち、砲塔へ向けて走り出した。

 何体かは、想馬が殴り線路下へ落としていたが、流石にかなりの数のカバネは甲鉄城へ取り付いてしまった。

「砲を護れ!!」

 吉備土の命に武士達が蒸気筒を構える。

 言われずとも引き付け、引き金を引く。

 武士達もそろそろカバネとの戦闘に慣れ始めていた。

 カバネを確実に始末していく。

 蒸気筒の噴流弾を再装填する間に、生駒と来栖が飛び出し、カバネを片付けていく。

 無名は、ジッと自分の出番を待っていた。

 そして、遂に群体が後部車両に取り付くと同時に、鉄屑と化した大剣を捨て想馬が走る。

 それを妨害しようと群体となったカバネが手を伸ばすが、カバネリと化した想馬は止められない。

 遂に想馬の足が取り付かれた後部車両の前の車両についた。

 後は脇目も振らず走るのみ。

 勿論、射線に入り込まないようになるべく端を行く。

 群体も遣られっ放しという訳ではない。

 後部車両を蹴飛ばすようにして、想馬に追い縋る。

「ひっ!」

 その光景を見た逞生が思わず砲の引き金を絞ってしまった。

 砲弾が発射されたものの、核を露出させるには至らず、カバネを更に撒き散らす結果となった。

「おデブ!早いよ!」

「しゃーねーだろうが!!」

 再び顔を出した無名に逞生が怒鳴る。

 スコープに目を押し当てるように覗き込む。

(やっちまった…)

 逞生は恐怖で動いてしまった指を力一杯伸ばした。

 間違えて押し込まないように。

 砲弾が再装填される間、逞生は深呼吸を繰り返す。

 もう失敗は許されない。

 外では親友が、同じ駿城に乗る仲間が必死に文字通り命を削って戦っている。

(よっしゃ!!来いよ!!)

 内心でのみ気合の籠った叫びを上げる。

 内心でさえ、震えているのはご愛敬だろう。

「まだ…まだだ」

「そうだ。まだ引き付けろ」

 逞生の呟きに巣刈が乗る。

 想馬が遂に生駒や来栖と擦れ違う。

「使え!ないよりマシだろう!!」

 吉備土が銃を下ろして、薙刀を投げる。

 それを受け取ると、想馬は踵を返して走り出す。

「やっぱり軽いな」

 想馬が生駒と来栖に並ぶ。

 それを待っていたかのように、二体のカバネが群体の身体を掻き分けて出て来た。

「あれは、あの時のワザトリ!」

 生駒は見覚えのある姿に声を上げた。

「わざわざ決着を付けようって訳か?実はカバネリだったってオチはないよな?」

 柔術と蹴りや拳を主体とした格闘術を使うカバネ二体から当然答えはない。

「足手纏いは引っ込んでいろ」

 来栖は生駒に冷たく言い放つ。

 一歩来栖が前に出た事で格闘術を使うカバネが来栖に襲い掛かる。

「じゃあ、俺はこっちだな。生駒、無名が集中出来るようにしてやってくれ」

「分かった…」

 想馬の言葉に生駒は不承不承に頷いた。

 ゆっくりと想馬と柔術を使うカバネは、無造作に近付いていく。

 お互いの間合いに入る直前に、ワザトリが加速した。

 組み付こうとしたのだ。

 だが、その動きは想馬に誘われたものだった。

 カバネリとなった想馬には、ワザトリの動きが前回より遅く感じられたが故に、対処は簡単だったのだ。

 相手が何が起こったか認識するより先に繰り出される筈だった技は、想馬が前に出ると見せかけて後方へ跳んだ事で不発に終わり、代わりに想馬の渾身の薙ぎ払いがワザトリの首を刎ね飛ばした。

 ワザトリが前のめりに血を噴き出しながら倒れた。

 

 一方来栖は、拳の激しい攻めに曝されていた。

 だが、来栖の顔に焦りの色はない。

 先に業を煮やしたのは、ワザトリの方だった。

 多少の攻撃などものともしないが故の過ちだった。

 勝負を決めようと大技を繰り出したのだ。

 拳の猛攻で気を逸らし、来栖が避けるであろう場所、来栖の頭があるであろう場所に後回し蹴りを放った。

 カバネの速度で繰り出されたそれは回避など出来る筈もなかった。

 その筈だった。

 必殺の一撃は空を切った。

「あの世で稽古をつけて貰う事だな」

 低い姿勢で蹴りを掻い潜り、刀を一閃する。

 首は見事に飛ばされ、ワザトリは蹴りの勢いそのままに後ろへ転がり落ちていった。

「狙いが分かり易過ぎる」

 来栖の眼は、ワザトリの狙いを捉えていたが故に回避するのが容易であり、逆手に取るのも容易だったのである。

 

 不甲斐ないカバネに怒ったのか、群体が速度を上げる。

「逞生!撃て!」

 蒸気鍛冶の一人が叫ぶ。

「まだだ」

 確実に成功させるには、もっと引き付けるべきだ。

 冷汗でグッショリと濡れた身体で、ジッとその時を待つ。

「ハリー!!」

 鈴木も思わず声を上げた。

 そして、群体が甲鉄城へ乗っかろうと飛び上がった瞬間。

「今だ!!」

 逞生は、引き金を引いた。

 砲弾は正確に群体の中心部に着弾し、カバネを撒き散らす。

 そこに青白い光が見えた。

「よくやったよ!おデブ!!」

 無名が、目を見開いて駆け出す。

 体力と活動時間を、この為に節約してきたのである。

 前衛三人と蒸気筒に護られ、邪魔される事なく無名は核となるカバネへ跳躍した。

 核となるカバネが威嚇するように声を上げる。

 その服装は、無名に見覚えのあるものだったが、今はその疑問を押し殺した。

「貰った!!」

 勢いのままに蒸気筒の銃身に取り付けた刃でカバネの心臓被膜を貫く。

 ダメ押しに噴榴弾を至近距離から数発撃ち込んだ。

 断末魔の叫び声を上げて、群体と化したカバネがバラバラに飛び散る。

 無名も一緒に吹き飛ばされる。

 身体を捻って態勢を立て直すと、運よく甲鉄城の屋根から外れた位置ではなかった。

 着地しようとしたが、その前に何かに抱き留められる。

「おう。ご苦労さん」

 想馬だった。

 犬でも撫でるようにグシャグシャと撫でられて、無名が暴れていた。

 だが、これで終わりとはいかなかった。

「速度が速すぎない?」

 無名の言葉で必死に戦っていた面々が漸くそれに気付いた。

 そして、そう距離のない場所に大きく右にカーブした場所が見えた。

「脱輪して落下するぞ!!」

 生駒の叫びは、そのまま菖蒲達の叫びでもあった。

 

「速度が上がり過ぎました。このままだと落下します」

 侑那の珍しい焦りに満ちた声に場が凍り付いた。

 逸早く正気に戻ったのは菖蒲だった。

 伝声管を掴む。

「皆さん、このままいけば落下します!!左に寄って下さい!!」

 この時、乗員全員が即座に従った。

 車内に入った想馬達も左による。

「押せぇ!!」

 中には意味もなく壁を押している者すらいた。

 生駒達、蒸気鍛冶は意味のない行いだと知っていたが、何も言わなかった。

 気持ちはよく分かったからだ。

 その必死さが、仏の加護でも得たのかギリギリでカーブを曲がり切り甲鉄城は地獄から脱出したのであった。

 

 

          11

 

 全員で無事を確かめ合い喜ぶ車内を尻目に、想馬は一人甲鉄城のデッキに上がった。

(死んでも構わないと思っていたのに、現金なもんだな)

 化物の仲間入りを果たしたのだ。

 本来なら自害でもすべきなのかもしれない。

 望んだ訳でもないのだから。

 しかし、想馬はそんな気持ちはちっとも湧いてこなかった。

 理由があったとはいえ、望まれたというのが大きな理由かもしれない。

(餓鬼でも女には違いないしな)

 皮肉っぽく笑う。

 自分の人生で必要とされた事は、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 想馬という個人をだ。

「だが、女を抱けなくなったのは痛いな」

 戦いが終わったら、女に癒される。

 それは重要な想馬の楽しみだった。

 流石に女とはいえ、子供である無名に手を出す程堕ちてはいない想馬は溜息を吐いた。

「何、助平な事言ってんの!」

 無名に突然背中を蹴られた。

「重要な事なんだよ」

「生駒も他の武士連中もそんな事してないんだから、そんな事しなくても大丈夫なんだよ!」

「なんだと!?衆道か!?」

 想馬は驚愕して叫んだ。

「誰がだ!!」

 来栖が声を上げる。

 どうやら様子を窺っていたのか、生駒や吉備土、菖蒲達が苦笑いでゾロゾロと上がって来た。

「お前は違うと分かってる。心配するな」

「どういう意味だ!!」

 来栖が突然の指摘に顔を真っ赤にして喚く。

「そりゃ、アンタがあ…」

「それ以上言うと斬るぞ!!」

 無名が呆れたように言い掛けた言葉を、素早く来栖が遮った。

 それから衆道疑惑で騒ぐ連中を眺めながら、想馬はこんな旅も悪くはないと思った。

 

『好きにするがいい』

 

 風に乗ってそんな声を聞いたような気がして想馬は、甲鉄城の進む先を眺めた。

 

 

 

 

 

 




 遂にベルセルク化してきました。
 想馬が乗った民家が壊れないかって?
 気にしないようにお願いします。
 きっと大丈夫なので。

 書く時間があまり取れない状況です。
 随分と投稿の間隔が伸びていますが、簡潔まで頑張ろうと思います。



 


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第十一話

 相変わらず長い時間が掛かってしまいました。
 それではお願いします。


 


          1

 

 虎口を逃れた甲鉄城は、次の駅へと直走っていた。

 食料を切り詰め、水を節約し、皆がぐったりとしていた。

 飢える訳ではないが、腹は満たされる訳ではない。

 水の補給も慎重を喫す必要があり、神経をすり減らしていた。

 そんな中、動き回る者達がいた。

 

「じゃあ、スコンスコンやってよ」

 無名が相変わらずの擬音で意味の分からない事を言った。

 生駒は慣れたもので、黙って頷いて手に持っている木刀を構えた。

 今、カバネリと武士の中では来栖のみ稽古をしていた。

 他の面子は、体力の消耗を避けてなるべく最低限の役目を除いては、住民も含めて動かないようにしていた。

 師匠である無名と、想馬、手を止めた来栖が見守る中、生駒は滑るように木製の人型へ間合いを詰めると木刀を振るった。

 流れるような太刀捌きで一撃、返す刀でもう一撃を打ち込んだ。

「それは…来栖の技?いつの間に…」

 稽古を見学していた吉備土が驚きの声を上げた。

 来栖は、目に見えて不機嫌になった。

「カバネリはね。真似が得意なんだよ!だから、こんな事も出来ちゃうんだ」

 笑顔で無名は言ったが、来栖は更に面白くないと感じたようで眉間の皺が増えていた。

 それを見て逞生が、意地の悪い笑顔を浮かべて来栖に言った。

「あれぇ?剣術で並ばれちゃいましたね!」

 その言葉に来栖の表情が消え、生駒の前まで歩み寄ると木刀を無言で構えた。

 生駒は反射的に構えたが、アッサリと木刀の切っ先を逸らされて鼻を打たれる事になった。

「調子に乗るな。剣術とはそれ程単純ではない」

「ま、確かに使えるのと使いこなすは別物だからな」

 来栖の言葉に想馬が頷いた。

 真似るだけで強くなれれば苦労はないのである。

「生駒!今の技も貰っちゃえよ!」

 逞生が大人げない来栖の態度に腹を立てて言った。

「アンタ、心が狭いね!」

 これに関しては無名も同様の意見のようだった。

 来栖がムキになって怒っているが、想馬はそれをいつまでも見る事なく自分の鍛錬に戻った。

 想馬の鍛錬は主にカバネリと化した自身の把握だった。

 これは最重要事項だった。

 そんな時、外を見ていた住民が声を上げた。

「駅だ!」

 体力の消耗をしないようにする為とはいえ、ジッとしているのは苛立ちが募る。

 だからこそ、無事に次の駅である倭文駅が見えた時には、甲鉄城に乗る殆どの人間が外を見て歓声を上げた。

 だが、それも徐々に萎んでいった。

 今度は無事な駅かが心配になってきたのだ。

「倭文駅だ…。今度こそ無事でいてくれよ…」

 逞生が、小声で祈るように言った。

 生駒も周りに気付かれないように、微かに頷いた。

 だが、はしゃいでいても気持ちは全員同じだった。口に出さないだけの事だった。

 汽笛が鳴らされると、全員が固唾を飲んで倭文駅が応えるのを待つ。

 なかなか応答が返ってこない。

(おいおい。駄目って事はないだろうな。流石にこれ以上はキツイぞ?)

 想馬は内心だけでそう呟いた。

 想馬一人ならば別にいい。野生動物を狩って野草を摘んで食べればいい。

 だが、甲鉄城の乗員全ての食を賄うのは厳しい。

 まして、カバネから身を護りながらだ。弾薬も限りがあるので無駄撃ちは厳禁というおまけまで付いている。

 住民の苛立ちも限界にきている。ここで補給は受けたいところだ。

 虎口を逃れたのに竜穴に入ってしまったなどという事態は、御免被りたい。

 全員が祈るように見守る中、倭文駅が遂に応えた。

 歓声が皆の口から上がった。

「漸くこれで一息吐けるな…」

 生駒はホッと胸を撫で下ろした。

 流石の無名もホッとした様子だった。

 中へ入ったとしても、別の問題があるが今は殆どの人間が気にしなかった。

 

 食料の補給が出来るかという問題を。

 

 

 

          2

 

 厄介事も起こらずに検疫を無事に済ませ、甲鉄城は倭文駅に入る事が出来た。

 この機に物資の補給を澄ませなければならない。

 菖蒲と来栖は、一足先に甲鉄城を降りて倭文の領主の意向を確認する。

 勿論、本人は駅の中央にある砦にいる為、使者からそれを確認した。

「八の日には出て行くように…ですか。あの、御領主様に直接ご挨拶したいのですが」

 菖蒲は、食料の補給をして貰う為、どうしても会って交渉する必要があった。

 交渉の材料ならばある。

 だが、それには向こうにも交渉の席に着いて貰わなければならない。

「何分お忙しい方ですからな」

 決定を伝えに来た使者は、白々しくそう言った。

 どこも食料は貴重だ。どこの馬の骨とも分からない輩にくれてやるなどとんでもないのである。

「カバネを倒す術を、この倭文では持っておられますか?我々は持っているのです。それは分かち合うものであると思いませんか?」

 使者の顔から表情が抜け落ちる。

(これは…考えていますね。我々から穏便に聞き出すか、それとも強引に聞き出すか)

 菖蒲には、これ以上上手く伝える事が出来なかった為、強引な手段に出られては困る。 

 だが、いざとなればこちらも抵抗しなければならない。噴榴弾の成果をタダでくれてやる訳にはいかないのだ。せめて食料くらいは出させたい。

「疑う訳ではありませぬが…」

 使者は、そう言いつつも声に疑念が漏れていた。

 今までは追い払うのがやっとの相手に勝つ手段があると、いきなり言われても信じるのは難しいだろう。

「来栖」

「お待ちを。少し失礼致します」

 来栖は菖蒲の意図を察して、静かに下がった。

 間もなく来栖は、大量の黒い革のような物を持って現れた。

「これが証拠になりましょう。ご検分を」

 来栖が持ってきたのは、カバネの心臓被膜である。

 これから武器に貼り付けるのに必要になるだろうと、回収出来るものはしていたものだった。

 思わぬ所で役に立つものである。

「こ、これは…もしやカバネの!?」

 使者の鉄面皮は、アッサリと剥がれ落ちた。

 それ程の衝撃だったのである。

 菖蒲は、ただ微笑んだ。

 来栖も相手からは見えないように薄く笑った。

 相手の態度に腹を立てていたからである。

「承知した。殿にはお伝え致そう。暫し待たれよ」

 使者は慌てて戻っていった。

 すぐに使者は戻り、一転して申し訳なさそうに家老が面会する旨を伝えてきた。

 急な幕府からの来客があり、領主は手が離せなくなったとの事だった。

「殿より、家老の山崎の言葉は倭文の領主の意志と思って頂いてよいとの事でした」

 どうにも演技には思われない様子に、菖蒲と来栖はそれならば致し方なしと納得した。

 幕府が直接、人を寄越す事は別段珍しい事ではないが、駿城は倭文のもの以外見当たらない事に疑問を感じた。

「幕府の方は駿城で来たのではないのですか?」

 菖蒲が尋ねたが、使者の返事は要領を得ないものであった。

 どうやら使者にも詳しい事情は知らされていないようだったので、これ以上尋ねるのは控えた。

 気になるならば、後で面会する家老に訊けばいい。

 後に、菖蒲達はもっと詳しく情報を得るべきだったと後悔する事になる。

 

 無茶な事だと分かってはいてもだ。

 

 

 

          3

 

 使者と面会した菖蒲達は、生駒達の元へと戻って来た。

 そこには、生駒達カバネリだけでなく甲鉄城で主要な面々が揃っていた。

「菖蒲様、如何でした?」

 阿幸地が真っ先に菖蒲に尋ねた。

 菖蒲は、使者と話した内容をそのまま全員に伝えた。

「では、その家老次第という訳ですか…」

 阿幸地は難しい顔で考え込む。

「まあ、噴榴弾が役に立って良かったですよ。アレを欲しがらない領主はいないでしょうしね」

 生駒が穏やかな表情で言った。

 自分達の成果を取引材料にされた人間とは思えない穏やかさだった。

 生駒でなかったら、嫌味と取られただろう。

 だが、生駒は本気で良かったと思っているのだ。

「何はともあれ、交渉の結果を待っている訳にはいかないでしょ?まずは買える物から手に入れないと。甲鉄城の補修部品は必須ですよ」

「そうだね。手分けする方が効率的かな。時間があんまりないし」

 巣刈の主張を侑那が支持する。

「でも、それだけじゃなくて服とか薬とかも欲しいよ!」

 鰍も慌てて主張すると、全員が頷いた。確かに、それも食料同様に補給しなければならないだろう。

「それにしても八の日に出てけってのはキツイな」

 逞生がぼやくように言った。

「えっ!八の日って事は…今日は七夕じゃない!」

 鰍が重大な事を思い出したかのように声を上げた。

 想馬と武士の反応は微妙なものだが、女子達短冊を飾りたいと騒いでいた。

 そんな中、侑那とは別に盛り上がっていない女子が一人いた。

「七夕って何?」

 無名である。

「七夕知らないのか?」

 生駒が若干驚いたように無名を見た。

 無名は不思議そうに首を傾げる。

「笹に短冊を飾って願い事するの!」

 鰍が大雑把に説明したが、当然無名にはそれになんの意味があるのか分からなかった。

 だが、好奇心が刺激されて無名が笑顔で言った。

「やってみたい!」

「お金がないしな…。必要な分だけでも足りるかどうか…」

 いつもとは違う幼さを見せる無名に生駒は言い難そうに言った。生駒にしても出来るなら叶えてやりたいが先立つものが甲鉄城にはないのだ。

「やりましょう。七夕」

「で?でも…」

 笑顔を浮かべてそう宣言する菖蒲に、生駒が驚きの声を上げる。

 まさか、七夕をやろうなどと言い出すとは思わなかったからだ。

 菖蒲にしても、ただの親切心という訳ではない。これも甲鉄城に乗る住民達の心を配慮したものだった。

 七夕を祝う事で少しでも住民達の心が慰められるなら、やる価値はある。

「心配しないで下さい。これを」

 菖蒲は、そう言うと小さい箱を取り出した。

 それは、見事な細工の小箱だった。一目で高価なものだと分かる。

「菖蒲様!それは!」

 来栖が思わず声を上げる。

 その小箱は、菖蒲の母の形見の品だったからだ。

 菖蒲の母は、菖蒲が幼い頃に病で亡くなっていた。その母が残したもので、今や故郷から持ち出せた唯一の品であった。

「よいのです。お願いできますか?」

 菖蒲が小箱を生駒に差し出す。

(お母様も、きっと分かって下さいます)

 菖蒲は、心中でそう呟いた。

 

 無邪気に喜ぶ無名や、七夕が祝えると知って喜ぶ人達を見て菖蒲は自分が間違っていないと確信した。

 

 

 

          4

 

 買い出し組もすぐに出発という訳にはいかない。

 まず済ませなければならない事があった。

 それは、洗濯と布団の天日干し。

 これはやれる時にやらなければならない。

 流石に駅の外で呑気に洗濯し布団を干すのは無謀過ぎる。

「でも、駅の中に川が流れてるのは羨ましいかな」

 鰍は、本当に羨ましそうに洗濯しながら言った。

 顕金駅は、井戸水を使用していた。だが、それ故に湯水の如く水を使うという事は出来なかった。

 カバネは今のところ潜水する個体は確認されていない為、倭文は川を封鎖していなかった。勿論、カバネが入って来ないように水面ギリギリまで防壁が這っている。

 故に、甲鉄城の人々が洗濯で水を大量消費しようと、倭文の住民は文句を言う事がない。

 そして、それが終われば水浴び。

「お風呂は時間が掛かるから無理だけど、水浴びだけでも有難いよ!」

 鰍は、女だけで固まって覗かれないようにして水浴びを順番に済ます。

 無名は、用心棒として男共を寄せ付けないように見張っている。

 それが終われば、子供達を洗ってやる。

 ここまでくれば、無名も用心棒を他の女性に任せて水浴びをする。

 順番に子供を洗っていたが、何気なく無名の方を見ると鰍は思わず息を呑んだ。

 無名の背には紅い痣のようなものが、無名の美しい肌を這っていた。

 無名は鰍の視線に気付くと素早く背を隠した。

 鰍は悪い事をしてしまったのだと悟ったが、最早覆水盆に返らずだ。

(いつも通りに接するしかないよね…)

 謝るより、そっちの方が無名は喜ぶと鰍は短い付き合いの中でも悟っていた。

「無名ちゃん!お洒落しよ!」

「え!?う、うん?」

 子供を洗い終えた鰍は、勢いよくそう言うと使えそうな着物を選び始めた。

 無名は、その勢いに気圧されたように頷いた。

 

 無名はそれから着せ替え人形のようにされるのだった。

 

 

 

          5

 

「偶には、着替えるのもいいね!」

 鰍に着せ替え人形にされた無名だが、やはり女子なのかお洒落は嫌いではないらしく、嬉しそうだった。

 その様子に想馬と生駒が微笑ましそうに見守る。

「アンタは半裸だもんね!」

 しかし、無名は微笑ましい気持ちに水を差してくる。

 生駒は一転してムッとした顔をした。

「好きでああいう格好してる訳じゃない!」

 生駒としては主張しておきたいところだ。

 顕金駅の時は、着替える暇がなく甲鉄城に乗った後も戦闘に向いた服を調達出来なかっただけの事だ。

 今着ている着物にしても、戦闘には向かない。

 生駒は内心、ここで良さそうな服を探すべきかと悩んだ。

「想馬も出て来たんだ?言っとくけど、女は買っちゃダメだよ」

 想馬の用事が気になった無名だが、途中で想馬の女を買う発言を思い出した為、釘を刺したのだ。

 心なしか声が尖っていたのは、想馬の被害妄想だったのか本人には分からず頷くだけに留めた。

 無名から注意は予め受けていた。

 想馬は、既にカバネリと化している。

 従って、女を抱く訳にはいかないのだ。

「流石に覚えてるよ」

 想馬は、素っ気なく答えた。

 カバネリになって、急激なのどの渇きが性欲の代わりになってしまったようで、あまり以前のように昂ったから女という気分ではなくなった。

 これは生駒と感覚が違うらしく、想馬個人が特殊なのか生駒が特殊なのか判別出来なかった。

「じゃあ、何しに行くの?」

 ジト目で無名が問い詰める。

「武器を調達するんだよ。出来ればだけどな」

 無名と生駒が不思議そうな顔で想馬を見た。

「アンタ、前の武器があるじゃない」

「カバネリになってから薙刀ですら軽いんだよ。武器ってのはある程度重みも必要なんだよ」

 無名の疑問に、想馬が眉間に皺を寄せて答えた。

 武器が軽過ぎると力が上手く乗せられず、結果的に武器を壊してしまうのだ。

 それを避ける為にも、自分にあった重量のしっかりとした武器が必要だった。

「じゃあ、俺達とも別行動だな」

 逞生はそう言うと、生駒を連れて去って行った。

 生駒達は、噴榴弾に使う金属を探す為である。

「私達も整備工場で補修部品を探しに行きますから」

 侑那が素っ気なく宣言すると、想馬の横を通過していった。

 侑那と巣刈は、甲鉄城の補修部品を集める為である。

「それじゃ、俺も行きますか」

 想馬は、全員とは別の方へ消えて行く。

 甲鉄城の奥方衆は、勇んで服や薬、食べ物を得る為にドンドン先へ歩いて行ってしまう。

 無名は取り残された形になり、どうすればいいか分からず立ち尽くすしかなかった。

 こういう時、どうすればいいかなど、彼女の兄は教えてくれなかったからだ。

 だが、ここで鰍が無名の手を引っ張った。

「無名ちゃん!用心棒で付いてきてくれない?女だけだと、どうしても舐めれるのよ」

 そう言って鰍はニッコリと笑い掛ける。

 無名は戸惑いながら鰍に連れられて行った。

 

 束の間の平和な一時である。

 

 

 

          6

 

 想馬は一人鍛冶屋がある地区へと歩いていた。

 勿論、目的は武器だ。

 生駒達が行くのは、鉄砲鍛冶を専門に扱う問屋の為、想馬はこちらに足を運んだのだ。

 都合よく見付かるとは思ってはいないが、探さずにはいられない。

 倭文の武士達が一応は遣って来るようで、何軒か存在していた。

 端から入っていく。

 やはり刀程度しか置いていない。

 今は蒸気筒が主流となっているので、鎗や薙刀すら埃を被って放置されている始末だ。

 だが、最後の鍛冶屋で駄目で元々訊いてみると、意外な返答が返ってきた。

「あるが、アンタじゃ扱いきれないよ」

 不愛想な男でこっちを見もしないで鍛冶屋は答えた。

 別に鍛冶仕事の最中という訳でもないのにだ。

「それじゃ、試させてくれ。それなら別にいいだろ?」

 不愛想な人間には慣れている想馬は、全く気にする事なく言った。

 不機嫌そうに漸く想馬を見て、面倒そうに立ち上がり奥へと歩いて行った。

 なかなか戻ってこない為、どうしたのかと思っていたが鍛冶屋が戻って来た時、疑問が解けた。

 三人で巨大な鉄塊を運んできたからだ。

 想馬が望むような武器であれば、当然一人で行って持ってくる事は出来ない。

「これは…斬馬刀か?」

 想馬は、運ばれてきた鉄塊を見て呟くように言った。

「ああ。どこの馬鹿が造ったのか知らんが扱える人間が居なくってな。流れ流れて俺の所へ押し付けられたって訳だ。邪魔で仕様がなねぇ」

 忌々しそうに斬馬刀を見て、鍛冶屋は吐き捨てるように言った。

 その斬馬刀は、武骨で文字通り馬を両断出来そうな刃渡りだった。ただし、鈍らなのは間違いないだろうが。

「で?扱えるってか?大の男が、しかも力に自信のある男が三人で持ち上げるガラクタを」

 語外に撤回するなら今のうちだと言わんばかりだった。

 想馬は、それには答えずに黙って斬馬刀の柄を握り締めて担ぐように持ち上げる。

 鍛冶屋が呆けたような顔で口をあんぐりと開けて、想馬を凝視する。

「ちょっと、試しに振らせて貰うぞ?」

「あ、ああ…」

 想馬はサッサと外へ向かって歩き出し、鍛冶屋はまるで化物でも見るような目で想馬の背を追った。

 

 元々試し斬り用の場所なのか、中庭には大型の藁人形が幾つか立っていた。

 想馬は、その一つの前に立つと、斬馬刀を上段に振り上げた。

 本来ならば、これだけの重量の武器は振り下ろせば著しく体力を消費する為、やらない事ではあるがカバネリとなった想馬には関係ない。

 神経を研ぎ澄まし、空気を身体中に循環させる。

 そして、振り下ろした。

 一瞬で藁人形が粉砕される。

 だが、斬馬刀は地面スレスレで止められていた。

 そのとんでもない膂力に鍛冶屋が息を呑む。

 想馬は、まじまじと斬馬刀を見て頷く。

「まあ、切れ味の悪さは予想通りだ。だが、頑丈さと重量は丁度いい」

 平然と想馬は、斬馬刀を評した。

 見守っていた連中からしてみれば、重量が丁度いいなど信じられないが、実際に使いこなしているのだから仕様がない。

「幾らだ?」

「あ、ああ…」

 鍛冶屋は、ぎこちない動作で値を告げた。

 予想より値段が安く、想馬としては得をした気分で鍛冶屋を後にした。

 

「ま、あとは生駒に心臓被膜でも張らせよう。これで號途の所まで持つだろう」

 巨大な剣を剝き出しで歩く想馬に、倭文の住民が恐れ戦いて道を譲るのも気にせず、想馬はそう呟いた。

 

 

 

          7

 

 一方、鰍に用心棒として連れ出された無名はといえば、呆然と奥方衆の後を付いていくのみとなっていた。

 

「もっと、丈夫な布ないの!?こんなペナペナじゃ、すっぐ駄目になっちゃうよ!!」

 

 八百屋に突撃して。

 

「ここ!!ここ傷んでるじゃない!?お願い!!負けて!!」

 

 豆の問屋では。

 

「これ全部買うから半額にして!!」

「こんな瘦せた豆で、こんな値付けるなんて何考えてんだい!?」

 鰍に引っ張られ、調子を戻した奥方衆も参戦し、値切りを行っていた。

 流石に、これだけの大勢の奥様方と鰍に包囲され、相手は白旗を上げていた。

 

「鰍も戦するんだね…」

 流石の無名も若干引いていた。

 

 

 そして、生駒と逞生は銃砲を扱う問屋に顔を出していた。

 生駒達の方は、順調だった。ここまでは。

 目ぼしいものはないか、辺りを見て回っていた生駒は主の隣にある箱に積まれている物に目が止まった。

「それは?」

「ああ、花火だよ。この倭文では七夕には花火を上げるんだ」

 生駒の問いに、快く主は答えた。

「それじゃ、割薬も分けて貰えますか?」

「いいけど、何に使うんだい?」

「それはですね。噴榴弾の燃焼剤に使えないかと思いまして」

「噴榴弾?」

「そうなんですよ!噴榴弾っていうのは…」

 生駒が生き生きと説明しようとした時、一人の武士が入って来た。

「筒の調子が悪い。夕方までに直せ。至急だ」

 武士が入って来るなり生駒を押し退けて、蒸気筒を主に突き出した。

「少々お待ちください。こちらの方の用事を…」

「こっちが優先だ。お前達を護る筒の調子が悪いんだぞ?こっちが先に決まっているだろうが!」

 問屋の主の言葉を遮って、武士が激昂する。

 生駒と逞生も勝手な態度に流石にムッとする。

「この人は今、俺達と話してるんだ。後にしろ」

 生駒が苛立ちの混じった声で言うと、武士は更に頭に血が上ったようで生駒を突き飛ばした。

 その拍子で武士の脚が積んであった箱に当たり、一番上の箱の中身が地面にぶちまけられ、螺子などの部品が散らばった。

「アンタ、なんて事を!」

 生駒が慌てて部品を拾い始める。

 部品一つでも、カバネが溢れる世界では貴重な物だ。なるべく、使える部品は使い回す必要がある。

「そんな物、放って置け!それより筒だ!」

 武士は高圧的に声を上げるが、それに珍しく逞生が怒りを露にした。

「おい!片付けろよ」

「何ぃ!?」

「散らかした物は片付けろって、お母さんに習わなかったのか!」

 逞生が言い終えると同時に、武士の顔面に頭突きを食らわせる。

 逞生の額が丁度武士の鼻を打ち、武士が悲鳴を上げて鼻を押さえる。

 鼻血が溢れて来たのを見て武士が、怒りのあまり刀に手を掛けた。

 そのまま斬り掛かるかと思われたが、その手は既に生駒が押さえていた。

 驚いて生駒を見るが、その瞬間に武士は宙を舞っていた。

「全然なってないぜ!!」

 生駒の容赦のない攻撃で武士は錐揉みしながら、問屋の外へと吹き飛んでいった。

 武士は恐怖の表情を浮かべて、慌てて立ち上がる。

「夕方には取りに来るからな!!」

 武士は、そう捨て台詞を残して逃げて行った。

「ハッ!ざまあねぇな!」

 逞生が冷汗が流れる顔で、かつ若干震える声で言った。

 だが、生駒は既にいつも通りだった。

「それで、噴榴弾っていうのはですね!」

 問屋の主は流石に引いた。

 あんな立ち回りをやった後に平然と説明を続行するのかと。

「すいません。聞いてやって下さい」

 逞生は申し訳なさそうに主に頼んだ。

 こうなったら、生駒は長いのである。

 

 

 そして、侑那と巣刈は甲鉄城の補修部品の調達をしていた。

 調達した補修部品を確認していると、坊主頭の少年が近付いてきた。

「お姉さんも駿城に乗ってるの?」

「ええ。まあね」

 少年の問いに、侑那はしゃがみ込み少年と同じ目線で返事をした。

 その顔は珍しく穏やかな表情だった。

「じゃあ、俺の父ちゃんと同じだ!俺の父ちゃんの乗ってるのは扶桑城って言うんだ!」

 侑那の脳裏に顕金駅での扶桑城の姿が過る。

「お姉さん知ってる?」

 自慢げに笑う少年を見て、侑那は胸が痛んだ。

「さあ、知らないな」

 だからこそ、誤魔化した。

 扶桑城から湧き出すように現れたカバネの群れの中に、少年の父親も確実にいただろう。

 無名と想馬に倒されたか、まだ顕金駅でカバネとして血肉を求めて彷徨っているのか分からないが、わざわざ少年に告げる必要はないと侑那は考えた。

「扶桑城なら、顕金駅に突っ込んで大破したぜ。カバネに乗り込まれて中の奴等も全員カバネになった。俺達は顕金駅から逃げて来たんだ。間違いねぇよ」

 だが、ここで無慈悲に戻った巣刈が容赦なく真実を告げてしまった。

 侑那は、険しい顔で巣刈を睨み付けた。

 睨み付けられた巣刈は、平然とした表情で侑那を一瞥もせず少年を見ていた。

 少年は、言われた意味がすぐに飲み込めず、ポカンとした顔をしていたが、みるみるうちに顔が真っ青になった。

「う、嘘だ!!」

「嘘じゃねぇよ」

 巣刈の無情な台詞に、少年は呆然と立ち尽くしている。

「巣刈!!」

「戻らない父親を待ち続ける方が、俺には残酷だと思いますけどね。俺は教えて欲しかった」

 侑那は言葉を詰まらせた。

 巣刈の言い分に一理あると認めたからだ。

 そして、巣刈が何故少年に真実を告げたのかを理解した。

 巣刈は少年に侑那と同様しゃがみ込んで視線を合わせる。

「いいか。ここからだぞ。受け入れて這ってでも前に進むんだ。それしかねぇんだ」

 巣刈の言葉には、重みがあった。おそらく彼もそうしてきたんだろう。

 そして、少年にもそれは伝わった。

 少年は涙を流しながら頷いた。力強く。

「よし」

 巣刈は優しい笑みで少年の頭を撫でた。

 

 侑那は、それを黙って見ていた。

 

 

 

          8

 

 それぞれの用事を済ませた甲鉄城一行は、待ち合わせ場所に集まった。

「こりゃ、沢山買えたな!」

 逞生が感嘆の声を上げ、鰍は若干得意気だった。

 荷車には、七夕の笹に物資が山と積まれていたから、誇っていいだろう。

 無名が想馬が背負っている武骨な鉄塊に目を留める。

「馬鹿みたいに大きいの買ったね!」

「幸運だったぜ」

「…皮肉なんだけどね」

 不敵に笑う想馬を、呆れて無名が苦笑いした。

「見て!立派な笹も確保したんだから!」

 鰍が笹を眺めて満面の笑みを浮かべている。

 釣られたように想馬以外の面々に笑みが浮かぶ。

「これに飾り付けするんだねぇ」

 笹をまじまじと眺めながら無名が言った。

 鰍が見本を見せるように、不格好な短冊を取り出すと笹に結び付ける。

「こうやって飾るんだよ!」

「っ!」

 無名の脳裏に鰍と同じように、こちらに振り返り笹に短冊を結び付けている姿が過った。

 呆然と立ち尽くす無名を気にする者は、浮かれていたお陰で誰も気にしていなかった。

 想馬を除いては。

 故に、無名と想馬が消えた事に気付かなかった。

 

 いつの間にか、血液の入った水筒が二つ消えている事にも。

 

 

 

          9

 

 その頃、菖蒲達は倭文の領主の館に来ていた。

 だが、家老の山崎は、未だ忙しいらしく姿を現さない。

 菖蒲は室内で待たされ、護衛として付いて来た吉備土と来栖は廊下で控えていた。

「随分と待たせるな」

「全く、今は人同士で足の引っ張り合いをしている場合ではなかろうに」

 吉備土が小声でぼやくと、来栖が苛立ちの混じった声で答えた。

 吉備土が来栖の答えに笑みを浮かべる。

「なんだ?」

「いや、生駒みたいな事を言うなと思ってな」

「止めろ」

 吉備土の言葉には成長をした同志を感慨深く感じるものがあり、来栖の気分が更に悪くなった。

「俺がいつ頃になるか、訊いてくる」

 来栖は、そう言うと障子に寄る。

 護衛対象である菖蒲に断りを入れなければ、来栖も勝手に訊きに行く訳にもいかないので、当然必要な行動だった。

「菖蒲様。失礼致します」

 来栖はそう言うと障子を開けた。普段の来栖ならば、菖蒲の返事を待っただろうが、不機嫌で気が立っていた所為でそれを怠ったのだ。

 障子を少し開けて、室内の菖蒲を見て来栖は固まった。

 菖蒲も固まっていた。顔を真っ赤にして。

 何も如何わしい事がある訳ではない。

 ただ単に、菖蒲が待ち草臥れて、つい出されていた茶菓子に手を付けてしまっていただけの事だ。

 庶民ならば問題ないが、菖蒲は姫である。

 客の立場で、先に飲み食いするのは褒められた事ではない。

 それでも誘惑に負けて食べてしまったのは、甘味が貴重であり、待たされた時間が長かったからである。

 菖蒲は、それを見られて恥じ入り、来栖はそんな菖蒲の顔が可愛かったから固まった。

 慌てて障子を閉めた来栖に、吉備土が怪訝な顔をする。

「なんでもない。もう暫く待とう」

「うん?ああ」

 何が起こったのかわからない吉備土は、首を捻るばかりであった。

 

 茶菓子を食べているところを見られたからという訳ではないが、菖蒲は自分から噴榴弾の実演を提案し、来栖達も頷いたのであった。

 それが功を奏した部分もあり、無事甲鉄城への物資の提供は承知して貰えたのだった。

 

 

 

          10

 

 更にその裏では、倭文の領主は幕府からの客の対応に出ていた。

 苦虫を嚙み潰したような顔で。

「将軍家五州廻り・小源太と申します」

 出で立ちは、商人のようだが顔からは一般人ではない雰囲気が滲み出ていた。

 ここに通される前までは、強面ではあるもののやり手の商人といった印象だったが、ガラリと雰囲気が変わっていた。

 領主を前にしているにも拘らず、ふてぶてしい態度で領主としての自分に対してもおざなりに礼をしたのみである。

 内心、不快に思っていても、表に出さぬように意志の力をかなり動員する羽目になった。

 そして、もう一人ひれ伏している人物に目を遣ると、小源太が紹介を始める。

「この者は解放者の耳をしていた…」

「榎久と申します」

 この前に無名達の前に姿を見せた榎久である。

 榎久は、小源太の説明を遮るように自分で名乗った。

「狩方衆が何故?」

 内心で冷汗を流しつつ、それをおくびにも出さず淡々と問う。

 小源太は、全てを見透かしたように領主に視線を固定したまま答えた。

「今は我等の配下です。解放者ですが、もうじきこの倭文に現れましょう」

「っ!?」

 領主も流石に感情を露にしてしまった。恐怖という感情を。

「止めろ!中央の争いに倭文を巻き込むな!」

「まるで他人事ですな。貴方は、あの件の関係者の一人であるという事をお忘れですか?」

 猫が鼠を甚振るような物言いだった。

 領主の顔に深い悔恨の情が浮かぶ。

 

 倭文領主に小源太達への協力を拒む術はなかった。

 

 

 

          11

 

 無名は、皆と一緒に戻る気になれず歩き続け、古ぼけた社で腰を下ろした。

 物憂げに賽銭箱の前に座っていると、ふらりと想馬が姿を現し、斬馬刀を立て掛けると自分も無名の横に座った。

「生駒達が探してるぞ」

 想馬は、それだけ言うと無言で水筒を差し出した。カバネリ用の食事で生駒の言うところの弁当である。

 生駒は、血とそのまま表現するのが嫌らしく、最初からそう言い続けていた。

「うん…。ありがとう」

 無名は、気の抜けた声で礼をいうと水筒を受け取り、少しだけ弁当を口に含んだ。

「頂きますと言わないと、生駒が頭から湯気出して怒るぞ」

「…頂きます」

 弁当を飲み込んで、取って付けたみたいに無名は言った。

 無名は、順調に人間の本来分かっていなければならない常識を、生駒に覚えさせられていた。

 その時の生駒は、普段の訓練での意趣返しという訳ではないだろうが、厳しい為に無名もそこは素直に言う事を聞くようになった。

「それで?どうした?」

 想馬は本題を切り出す。

「私、七夕やった事あったよ。忘れてたんだ」

「そうか」

 想馬は静かに無名が口を開くのを待った。

 暫く沈黙が流れるが、それは嫌なものではなかった。

 夕日に照らされて、穏やかな時が流れていく。

「お母さんがね。穂積、今日、天の川見えるよって言って短冊飾ってた。すっかり忘れてたよ」

 狩方衆の一員となる為の日々、一員となり兄の手足となり働いた日々、目まぐるしく遣り甲斐もあり、肉親との数少ない思い出も埋もれてしまっていた。

「穂積ってのは?」

「私の前の名前。お母さんから貰った名前。無名っていうのはね、兄様から貰った名前なんだよ」

 想馬は内心で盛大に眉を顰めた。

 天鳥美馬は、どんな積りでそんな名前を付けたのか。

 黙ったまま想馬がそんな事を考えていると、無名がポツリと呟く。

「どんな字なのかな…」

「多分、これだろう」

 想馬は、地面に穂積と漢字で書いて見せる。

 無名はしきりと感心して、自分の前の名前を眺めていた。

 その姿に想馬はやり切れなくなる。

 本来ならば、無名は護られる民の一人だった筈なのだ。カバネに噛まれていなければ。

 想馬は武士など遠に捨てたし、民を護る事にも関心などないが、子供に戦闘を強いる現状には思うところはまだ残っていた。

「これ、どんな意味があるの?」

 無名が訊いてきたので、想馬は答えてやった。

「稲穂が積まれている様だな」

 無名がそれを聞いて噴き出す。

「なんだ。私ってば、前はお米って名前だったんだ」

「悪くないだろ?食べるのに困らないようにって願いを籠めた名だ」

「うん。そうなんだろうね。でも、馬鹿だよ、お母さんは。お米なんて作れるところは限られてるのさ」

 無名は立ち上がり、少し歩いて行って止まる。

 その背は寂しそうだった。

「それにさ、私の今の食べ物は…」

 水筒に入れられた弁当を見る。

 カバネリになったからには、もう普通の食事は取れない。

 想馬も、そして生駒もそれは実感していた。

「実はさ、結構思うんだよね。朝起きて、私は本当に人の心があるのかなって。ある日突然この心は無くなっちゃうんじゃないかって」

 想馬は、カバネリになったばかりだ。無名の気持ちは本当の意味で理解は出来ないだろう。

 そう分かっていたので、黙って聞いていた。

「仲間がだんだん思い出も曖昧になって、どんどん変わっていって、それで他の仲間に処分されるのを私は見てた。私もいつか…そうなるんじゃないかって」

 想馬も自分がいつまでも無事でいられるなどと思っていなかったが、存外人の心は長持ちしないらしいと知って苦々しく思った。

 それならば、無名が思い出を一つ忘れたくらいで、ここまで動揺した理由が分かった。

 自分も処分される時が近付いていると恐れているのだ。

 思えば、八代駅での出来事もその恐怖が元となっていたのだ。

「そうなったら大変だね!私、カバネに一度も噛まれた事ないくらいに強いからさ!皆、噛まれちゃうね!」

 無名がそう言って、おどけて笑った。だが、その笑みに力はなかった。

「その前にどうにかすればいいさ」

「え?」

 想馬の言葉に、無名が驚いたように想馬の顔をまじまじと見た。

「どうにかって…」

「生駒はカバネの事を研究してる。幕府もだろ。幕府の連中は兎も角、生駒は信用出来るだろ。そっちに俺も協力してやる。だから、お前も協力しろ。俺も拾った命を無駄に捨てたくない」

 想馬は自分の命をあまり大事にしていない事は、無名も知っていた。

 その言葉は、無名を人間に戻す為の言葉だった。

 この男らしい、物言いだと無名は笑った。

「なんだ?笑うところじゃないぞ」

 想馬の不機嫌そうな顔に、無名は更に笑ってしまった。

「ごめんごめん。戻ろ」

 そう言うと無名は歩き出した。

「こんなところにいた!探したんだぞ!」

 丁度、生駒が駆け込んできた。

「俺達の生命線のご登場だ」

「そうだね!」

 無名は笑いながら、生駒の横を通り抜けて行った。

 生駒はなんの事か分からず、頭を捻っていた。

 想馬は、そんな二人を眺めていたが、内心では重要な情報を吟味していた。

「一度の噛まれた事がない…か」

 意思のあるカバネの噂は前から流れていた。

 それはカバネに噛まれて、生駒同様の最後の足掻きの結果だと思っていた。

 その足掻いた結果の方法で、志願者のみをカバネリにしているのだと。

 

 だが、それは思った以上にキナ臭い話のようだった。

 

 

 

 

 




 最後まで七夕の話を書けなかったです。
 次回に回します。
 結構次回は中途半端な終わりになりそうな予感、というかなるなと思います。
  
 次回も物凄く間隔が開くと思います。
 次回もお付き合い頂ければ幸いです。


 


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第十二話

 随分と長い時間が掛かりましたが、折れていません。
 では、お願いします。


 


          1

 

 倭文での物資補給を終えた夜、甲鉄城では七夕が行われた。

 笹を飾り、来栖が何故か短冊を作らされ、吉備土が嬉々として彦星と織姫を竹で器用に削って作り、子供達に喝采を浴びていた。

 吉備土はまんざらでもなさそうだが、来栖は仏頂面で文句を言っていた。

 短冊が全員にいき渡り、願い事を短冊に書き始めた。子供は楽しそうに、大人は切実な思いを持って書いた。武士達だけは微妙な表情でサラサラと書いていた。

 逞生は、真っ先に書き上げて神妙に頷いた。

 だが、それを見ていた人物が一人。無名である。

 無名は、悪戯心を発揮してコッソリと逞生背後に回り込み、短冊を取り上げた。

 逞生が気付いた時には、手から短冊が消えていた。あっと声を上げた時には無名にマジマジと短冊を見られていた。

「おい!勝手に見るなよ!」

 普段の無名ならば、揶揄って短冊を取り返そうとする逞生から逃げるが、無名はそうせずに黙って逞生に短冊を返した。

 それは笑えない願いだったからだ。

『長生きしたい』

 ただ一言そう書かれていた。

 流石の無名も揶揄う気にはなれなかった。

「そんな願いしかねぇよ。今はよ」

 いつもは元気な無名が笑顔を消した為、少しきまずくなり逞生はそれだけ言った。

 生駒は、そのやり取りだけで何が書かれているかを察した。

 そして、だからこそこの空気を払拭したかった。

「俺の願いは!カバネを打倒して、駅も畑も全て取り戻すだ!」

 生駒は願いを一気に書き上げると、大声で内容を宣言した。

 周りは暫し唖然とした空気が流れた。

 あまりにも大それた願いで、しかも願いが一つではなかった所為だ。

「そりゃ、欲張り過ぎだろ…」

 巣刈ですら呆れた声で言った。

「じゃあ、巣刈は生きてるだけで満足か?それだけじゃ、俺はとてもこの先やっていける気がしない!夢は持たないとな!大袈裟でも大それていてもいいじゃないか!」

 生駒の勢いに呑まれた訳ではないだろうが、納得の色が周囲に伝播していく。

 それを見て想馬は思った。

(やっぱりこの男は普通じゃないな…)

 内心苦笑いしつつ、見ていた。

「私も決めました!顕金駅を取り戻して領主になりますよ!」

 菖蒲も生駒に同調して、とんでもない事を言い出した。いくら時代が進んだとはいえ、女の領主を幕府が認めるとは思えない。だからこその願いなんだろうが。

 皆も口々に大きな願いを口にし出した。

「私は寺子屋の先生になりたい!」

 鰍の夢はそこまで大きくなかったが、皆の笑いを誘った。

「侑那さんは、どうなんです?」

「自分の駿城を手に入れる」

 巣刈の問いに侑那が珍しく笑みを浮かべて言い切った。

「いいっすね!俺も乗せて下さいよ!」

「ダメ」

 侑那は即座に拒否したものの、そこには笑みがあった。

「じゃあ、俺は商売を成功させて、美人の嫁さんを三人は貰う!」

 逞生が鼻息荒く宣言する。先程の神妙さは綺麗さっぱりなくなっていた。

「おいおい…三人って…」

 生駒は流石に親友の宣言に頭痛を感じた。武士や金持ちなら複数妻を娶る事もあるが、平民には想像も付かないものがある。大丈夫なのかと心配される。生駒としては、周りの妻帯者しか見本がいない。その全員が大体女房は怖いと言っていた。それが複数となれば、想像を絶する。

「夢はでっかく!だろ!?」

 生駒の心配に逞生はまるで気付いた様子がなかった。

 想馬はというと、無名の接近には気付いていたが放置していた。見られて困るような願いは書いていないからだ。

「ちょっと!生駒が願い事は大きいのって言ってたでしょ!?」

 想馬の短冊を見た無名は怒ったような声を上げるが、素知らぬ顔で通した。

「本来の願いは、これで正解なんだよ」

 想馬が短冊に書いた願いは、武芸上達だった。

 本来の七夕は技術の向上を願うのが普通で、それは女子が主であった。庶民は兎も角、武士は未だに七夕に願い事を書いていなかったのである。想馬は厳密には、もう武士ではないが。

「人に戻る方法を見付ける!とかさ!この場合、書くべきじゃないの!?あんな事、私に言ったんだからさ!!」

「生駒に協力するって言ったんだ。願うような話じゃないさ」

 無名は不満気に想馬を睨み付けていたが、想馬は無視した。

 そうするうちに周囲の視線が散っていくのを感じた。面白そうな話題ではないと思ってくれたのだろう。こういう時は、無闇に反応してはならない。想馬はそれを心得ていた。

 だが、生駒達に感化されたのか、心得ていない男は存在していた。

「来栖は何を願ったのですか?」

「い、いけません!願いは人に見せれば叶わぬといいますから!」

 この慌てぶりに、その場に居る全員が悟った。

 コイツは、ある意味で大きい願い事をしたなと。

 全員の生暖かい視線を受けて、珍しく動揺する来栖の様子を菖蒲を除いた者達が見守ったのである。

 その時に大きな音と共に、花火が打ち上がり、空に大輪の花を咲かせた。

「そういえば、倭文じゃ花火を上げるって言ってたな…」

 生駒の呟きは、連続して打ち上げられる花火に打ち消された。

 

 それから、暫し花火の美しさを甲鉄城の面々は堪能したのだった。

 

 

 

          2

 

 甲鉄城の面々が花火を楽しんでいる時、その輪から外れている男が二人いた。想馬と生駒である。

 生駒が想馬に花火を眺めながら話し掛けたのが切っ掛けだった。

「無名に人に戻してやるって約束したのか?」

 笑みを含んだ顔で生駒が揶揄うように言った。

 想馬は、素っ気なく言い返した。

「協力すると言ったんだ。他人事じゃないからな」

「そうか、協力してくれるのは有難い。俺と逞生だけじゃ手が足りないからな。無名は考えるのに向かないし」

 生駒は、そう言って苦笑いした。

 だが、想馬は笑わなかった。無名が言った言葉が頭に浮かんだからだ。

『私、カバネに一度も噛まれた事ないくらいに強いからさ!』

 無名はそう言っていた。

「どうかしたのか?」

 真剣な顔で黙り込んだ想馬に、生駒が怪訝な顔で尋ねた。

「いや、無名にも訊いた方がいいのかもしれん。真面に答えられるかは兎も角な」

「どういう事だ?」

「無名は言っていた。一度も噛まれた事がないと」

 それと同時に想馬は、他に知っている事や詳しい話も生駒にした。生駒には知って置いて貰いたかったからだ。これから生駒は、こういった事実に直面するであろうから。

 生駒の顔からも笑みが消えた。想馬の言葉に、ある可能性が思い浮かんだからだ。

 それでも確かめるように想馬に尋ねた。

「それはカバネリになってからって意味じゃないのか?」

「可能性は否定しないが、無名は言っていた仲間がどんどん記憶が薄れていって処分されていったってな。偶然カバネリがそんなに生まれるもんか?大体は自決するだろ」

 生駒は、今度こそ黙り込んだ。

 二人の脳裏に思い浮かんだ可能性。それは、幕府か狩方衆が人工的にカバネリを造り出しているというものだからだ。

 自らカバネリになる事を選んだ生駒だからこそ分かる。こんな事は偶然に起きる事はほぼない。

 

 生駒は、信じられないといった感じで黙って考え込んでいた。

 

 

 

          3

 

 七夕が終わり、盛り上がった所為か疲れてほぼ全員が、甲鉄城の中で雑魚寝していた。

 疲れていたお陰で、男女が雑魚寝していても間違いは起こらなかった。

 その中で、いち早く目覚めた生駒は、想馬と鰍に挟まれて寝ている無名を真剣な表情で見詰めていた。

(想馬の予想通りなら、天鳥美馬は無名から本当の名を取り上げて、役に立たなければ殺されても仕方ないって教えたのか?そうすると弱い人間は死ぬしかないっていうのか?もし、そうだというなら俺は確かめないといけない…)

 生駒にとって戦う理由は、妹のような弱い立場にいる人間を少しでも救う為でもあった。それを否定する人間が英雄たり得るのか。生駒にとっては確かめなければならない重要な事だった。

 生駒がなおも考え込んでいる途中で、それを断ち切るように外から歓声が響いた。歓声があまりに大きかった為に、甲鉄城で雑魚寝していた人々も目を覚ましてしまった。

「なんだ?」

 逞生が顔を顰めて、腹を掻きながらのっそりと身を起こした。

「見に行ってみよう」

 生駒が真っ先に立ち上がり外へ出た。それに釣られるように甲鉄城から人が飛び出して様子を見に行った。

 その先には、独特な威容を誇る駿城が入って来ていた。

 倭文の住民達は歓喜の声で駿城を護るように歩く一団を迎えていた。

「なんだ?あの連中?」

 逞生が訝し気に覗き込みながら言った。装備が明らかに、そこら辺にいる武士とは違っていたからだ。

「あれが狩方衆だよ。カバネを倒す事を目的に創られた独立部隊だ」

 吉備土が端的な答えに、逞生があれがそうかと呟くように言った。

 生駒は、この時に運命のようなものを感じていた。無名の主が問い質したい時に現れたのだから。

「兄様!」

 いつ起きたのか、無名が甲鉄城の面々をすり抜けて美馬へ向かって走り寄る。

 後ろから想馬も続いていたが、美馬を見た瞬間に足を止めた。

「無名!無事だったか!心配したぞ!」

「私は大丈夫」

「一人なのか?四文はどうした?」

 美馬の問いに、無名の顔が曇る。

「顕金駅がカバネに襲われて…でも、立派に死んだよ」

 美馬が痛ましげに目を閉じて祈りを捧げた。

「輪廻の果報があらんことを」

 無名もその間目を伏せていた。

 生駒は、それを険しい表情で見詰めていた。

(俺は…この男が本当に英雄か確かめなければならない)

 無名は、無邪気に甲鉄城へ身を寄せている事などを話していた。

 

 生駒は無言で拳を握り締めた。

 

 

 

          4

 

 無名が笑顔で美馬に自分達の事を話しているのを、想馬もまた無表情で眺めていた。

 ここで菖蒲が来栖を伴って動いた。美馬の前に進み出た。

「天鳥美馬様でいらっしゃいますね?勇名は兼ねがね窺っております。私は四方川の菖蒲と申します」

「四方川?確か老中の?」

「はい。牧野は叔父になります」

 想馬は、美馬の目が一瞬細めたのを見逃さなかった。

「兄様!甲鉄城も金剛郭へ行くんだよ!」

 美馬がほうっと呟く。

 想馬は、この段階でこの男に係わりたくなくなっていた。何を考えたのか分からないが、愉快なものではないだろうからだ。想馬は長い傭兵暮らしで、そんな顔をした連中を嫌という程見てきたから分かる。

「我々も金剛郭へ補給に戻る途中だったのです。丁度いい、無名を助けて頂いたお礼といってはなんですが、我々に護衛をさせて頂けませんか?」

 美馬は、穏やかな笑みを浮かべて菖蒲に申し出た。菖蒲にしてみても悪い取引ではない。最強の護衛に護られて金剛郭へと行けるのだから、道中の安全は保障されたようなものである。菖蒲の中では即決だったが、そこは礼儀もある。

「宜しいのですか?」

「勿論です。無名は我等狩方衆の切り札の一つです。それを救って貰った礼としては安いくらいです」

「それでは…お世話になります。お世継ぎ様に護衛して頂くなど、恐れ多い事ではありますが…」

「いえ、勘当された身ですので天鳥を名乗っていても関係はありませんよ。それでは、我が駿城へご案内致しましょう」

 菖蒲は、恐縮して歩き出すと、来栖も付いて歩き出す。

「しかし、無名さんのいう兄様がまさか美馬様だったとは思いませんでした」

 てっきり、狩方衆にいる誰か立場のある者だろうと思っていた。内心、将軍家の姫を監禁したのは不味かったと冷汗を流していた。

「いえ、無名とは血縁ではありません」

 菖蒲の不安を美馬が解消してくれた。菖蒲がやはり内心で、ホッとしたと同時に疑問が浮かぶ。では、何故無名は兄などと呼んでいるのだろうかと。

「私が兄様って呼びたいってお願いして、許して貰ってるだけ」

 菖蒲の内心の疑問が次の瞬間に解消される。

 美馬は勘当されたとはいえ将軍家の人間だ。血縁でもない子供に兄などという呼び方は普通は認められない。

(つまり、無名さんは、それだけ重要な存在という事なのかもしれませんね)

 心の中で菖蒲は、そう考えた。

 一行の足が止まり、菖蒲も慌てて思考を打ち切って止まる。誰かが前に立ったのだ。見ればそれは生駒だった。

「生駒?」

 菖蒲は、険しい表情の生駒に不安を掻き立てられる。

 だが、無名は気にしていないようで、無邪気に生駒を紹介した。

「兄様!こいつが私の盾の一枚!まだ、頼りないけど頭は良いよ!それで…」

 無名は、美馬を睨み付ける生駒を無視して、視線を周囲に向ける。そして、目的の人物を探し当てると大声で呼んだ。

「想馬!こっち来て!」

 想馬があからさまに嫌そうに顔を顰めたのを見て、菖蒲は更に不安になった。勘当されたとはいえ、美馬にあまり無礼を働いて欲しくない。折角のいい話が台無しになるくらいならばいいが、美馬の信奉者達を敵に回したくなかった。

 美馬に恩を売れと言ったのは想馬であるのに、今は不服そうな様子に菖蒲は顔を顰めそうになるのを堪えるのに苦労した。

 想馬は渋々とこちらに歩いて来た。

「こいつがもう一枚の盾!こっちは強いよ!」

 無名は笑顔で美馬へ紹介した。美馬も無名の高い評価に若干驚いた顔をした。こうも素直に無名が他人を強いと評するのは珍しい事だったからだ。

 値踏みするように想馬を観察すると、納得したように頷いた。

「成程。確かにできる御仁のようだ。狩方衆でも敵う者がどれ程いるか」

 美馬が目を細めて呟くように評価する。

 だが、菖蒲の傍にいた来栖は、それが評価しているようには聞こえず困惑した。

 生駒や想馬は、もっとハッキリと不穏なものを感じていた。

「生駒はね!自分で処置してカバネリになっちゃったんだよ!変な奴でしょ?」

「自分で」

 生駒は、自分の体の中まで見透かすような視線に嫌悪感を抱いた。それは先程の美馬の言葉が原因だと、生駒は客観的に悟ってもいた。故に問うた。確かめる為に。

「無名が助かって良かったと思うのは、切り札だからですか?そうでなかったら、どうでも良かったですか?」

「「生駒!」」

 奇しくも菖蒲と無名の声が重なる。

 だが、止めるのは遅過ぎた。歓迎している倭文の住民にも聞こえていたからだ。倭文の住民の間で、英雄に難癖をつける存在に不快感が広がっていく。

 それを美馬は感じ取った。

「その話は、駿城でしよう」

 菖蒲達に異論はなかった。

 

 これ以上、生駒が倭文の住民を敵に回す前に。

 

 

 

          5

 

 生駒達を引き連れた美馬が機関部に差し掛かった。

「止まって下さい」

 美馬が、手を上げて一行を制止する。

 機関部は、蒸気漏れでも起こしたのか、湿度と温度が高かった。

「どうした?」

「どうも蒸気が漏れているようで…」

 蒸気鍛冶が困り顔で各所を点検しながら答えた。

「戦続きだからな…。振動で緩んだのだろう。締め具はあるか?」

 美馬は、普通の武士ならば嫌がる蒸気鍛冶の仕事も躊躇なく手伝うと言った事に、菖蒲達は驚いた。

 そして、それは冗談ではなく、本当に準備を始めていた。

 それを見た蒸気鍛冶は、慌てて止める。

「いや!汚れますよ!我々にお任せを!」

「気にするな。カバネと戦っても汚れる。そんな事を気にしてどうする」

 そう言って、美馬は蒸気鍛冶に他の点検をしてくるよう命じて、自分は作業を開始する。

 生駒は、これを好機と捉えて進み出た。

「俺も手伝いましょうか?俺は蒸気鍛冶でもありますから、充填剤も持っています」

 美馬がジッと生駒を暫く見た後、微かな笑みを浮かべて頷いた。

「分かった。お願いしよう。滅火。菖蒲殿達をご案内してくれ」

「承知しました」

 一緒に歩いていたどこか無名と雰囲気の似た女性・滅火が淡々と引き受ける。似ているというのは、戦闘を熟す人間特有の気配が似ているという意味合いである。

 菖蒲達に付いて来ていた想馬は、生駒をチラリと見ただけで菖蒲達の後に続いた。一瞬、美馬と視線が合ったが何もお互いに言わず、すれ違った。

 

 後には、眼に決意を宿した生駒と美馬のみが残された。

 

 

          6

 

 一方、生駒達と別れた菖蒲達は、滅火に案内され美馬の駿城・克城の内部に入る入口で待たされていた。

 狩方衆の中枢というべき場所の為か、滅火は内部に一足先に入り話を通しに行ったのだ。勿論、菖蒲達にも事情は説明されている為、大人しく待っていた。

 そこへ菖蒲達の後から小柄な男が近付いてきた。小柄でも気配は鋭く只者ではない雰囲気を漂わせていた。それが菖蒲にも察せられたくらいである。狩方衆でも上位の隊員なのだろう。

 その男が菖蒲を見て、おどけた態度で言った。

「おや?こんな所に場違いなお姫様がいるな」

 揶揄う声に来栖が顔全体で不愉快であると表現していたが、それを見ても小柄な男に恐れ入った様子はなかった。

「まあ、まずは武器を預かろうか」

 逆に来栖を揶揄うように手を突き出した。

「そちらの主に招待を受けている。渡すいわれはない」

 来栖が険しい顔で拒否した。

 だが、ここで全く反応しなかった想馬が斬馬刀の柄を握り締めた。

 小柄な男が一瞬警戒するように目を細め、手を引っ込めた。

「どうした?武器を渡せって言ったのは、お前だろう?ちゃんと受け取れよ」

「そりゃ、俺の腕じゃ受け取れないな。応援を呼んでくるとしよう」

 小柄な男は、想馬を警戒していた。想馬もそれは感じ取っていた。想馬自身そのまま手を出していたら斬馬刀ごと駿城から突き落とす積もりだったのだから、警戒は当たっていた。

「俺は渡さんぞ」

 二人の遣り取りを無視するように、来栖が吐き捨てる。

「そうかい?すぐに必要なくなるのにな」

 わざとらしく菖蒲達に聞こえるように小柄な男が言った。

「どういう意味だ!?」

 来栖が声を荒げるが、小柄な男は碌に反応せずに想馬の横を通り過ぎようとした次の瞬間、小柄な男の手が素早く動き、背に納められた短刀が抜かれ一切の迷いなく振り抜かれた。

 来栖が菖蒲を庇い、短刀を避けるべく動いた。

 だが、想馬は反応を示さなかった。

 想馬の顔の真横を短刀が走り、刃が駿城の装甲で止まり甲高い音を立てる。

「なんの積もりだ!?」

 来栖が遂に刀の柄に手を掛ける。いつでも抜き打ち出来るような態勢である。

 小柄な男は、それでもなおふざけた態度を崩さず言った。

「落ち着けよ」

 小柄な男は、最早菖蒲達を見ていなかった。ただ想馬を観察していた。想馬は動揺もなく刃を一瞥すらしなかった。刃が自分を試すものであり、背後に這っていた毒虫を狙ったものだと分かっていたからだ。

 小柄な男が面白そうに笑うと、刃を引っ込めた。それと同時に毒虫が落ちた。

「仲良くしようぜ、仲良く」

 小柄な男は、短刀を鞘に納めると平然と来栖の横を通り過ぎた。だが、何を思ったのか突然立ち止まった。

「ああ、そうだ。アンタ名は?」

「人に名を訊く時は自分から名乗れって、教わらなかったか?」

「おっと!これは失敬。俺は瓜生だ。そっちは?」

「想馬」

「覚えとこう」

 小柄な男・瓜生は、今度こそ立ち去って行った。

 

 滅火が戻って来たのは、その直後だった。

 

 

 

          7

 

 菖蒲達の背を見送って生駒と美馬は作業を再開する。将軍の息子とは思えないくらいに美馬は整備に慣れていた。最初は、横で補佐しつつ話そうと思っていた生駒だが、すぐに別の場所を点検する方が効率的だと思い直した程だ。

 無言で作業していたが、生駒の方は話を切り出す切っ掛けを探っていた。だが、それは美馬によって解決した。

「生駒君、だったか。先程の答えだが」

 美馬の方から生駒に話し掛けてくれたのである。

 答えてくれる事が分かり、生駒は聞き逃すまいと手を止めずに美馬の声に集中する。

「君は綺麗事が聞きたい訳ではないだろうから、ハッキリと言う。私が無名を心配する時、あの子の腕前を考慮しない事はない。誤解を恐れずに言えば、君の言う通りだな」

 生駒は驚愕のあまり手を止めてしまった程だった。あまりに直截な答えだった。

「無名は!」

 生駒は思わず声を荒げた。想馬から無名の恐怖を聞いていたからだ。弱いと判断される恐怖、捨てられればどうなるかという恐怖、自分の心が無くなってしまう恐怖を無名は抱いて戦っていたのだ。

 それをこの男は理解しているのかと。

 だが、美馬は生駒の怒りを遮った。

「無名は強い。現にあの子は武器を捨てずに戦い続けている。私はあの子の強さを信じている」

「まだ子供ですよ!」

「なんの関係があるのかな?」

「なんですって!?」

「私が戦っているのは、カバネだけではないと思っている」

 生駒は突然の言葉に、美馬が何を言い出すのかと訝し気に思った。

「そういった価値観とも戦っている積もりだ」

「どういう意味ですか?」

「私は初期にカバネが広がった頃に初陣に出た。そこで大敗を喫した。決して前線で戦っていた勇士達の所為ではない。戦わない後ろにいるだけの連中に足を引っ張られたからだ。言われなければ統制も取れない民もそこには含まれる。非常時にどう動くかくらい確認すべきなのにしていない駅のなんと多い事か。君は顕金駅で見た筈だ。我先に逃げ出そうと、人を押し退ける者達を。最悪を想定し、備えるのもまた強さの一つだ」

 生駒は、何も言えなかった。助けを求めて拒絶された生駒には否定する事が出来なかった。それ故に生駒は自ら戦おうとしたのだ。

「考えてもみたまえ、蒸気筒は女子供にだって扱える武器だ。今や武士の中には昔ならば姫と言われた者が武器を取り武士として働いていたりするだろう。菖蒲殿も何かしらの技は持っているのじゃないか?女だとか、子供だとか、戦わない事の理由にはならない。戦わずとも銃後を護る事だって出来る。それをやろうとしないのは私から言わせれば怠慢に過ぎない」

 美馬の声は、熱く根底に怒りを含んでいるようだった。だが、肝心な事がまだ聞けていない。生駒は、取り敢えず美馬に喋らせて置く事にした。口を滑らせてくれれば都合がいい。

「君は弱さとは腕前の事を指していると思っていないか?私が無名を強いと思っているのは腕ではなく、心の方だよ。あの子は確かに子供だ。でも、戦う事を選んだ。だからこそあの子は生き延びた。君もだろう?」

 否定したかった。しかし、咄嗟に言葉が出なかった。無名の弱い部分を聞いたのに、即座に言い返せなかった自分に腹が立った。心を引き合いに出されては、生駒も無名は恐怖を抱えて戦い続ける強さがあると言わざるを得ない。

「まあ、腕を度外視する訳ではないけどね。我々が居る場所は常に危険な戦場だ。腕も立たなければ並び立てない。私と共に戦場に立つ者は例え蒸気鍛冶であっても戦友でなければならない。だから、この駿城に全く戦えない者は乗っていない。何があるか分からないからだ。座して死を待つのではなく、最後の最後まで生きる希望を捨てない。そういう者こそ価値がある。勇士と臆病者、どちらが価値があるか、考えるまでもない」

 美馬には確固たる信念がある。それは認めなければならないだろう。だが、最後の問いの答えによっては生駒は、この男と戦わなければならない。

「カバネと戦う為に必要なのは、逃げ隠れする事ではなく。恐れずに戦う事だ。そこに女子供であるとか老人であるとかは関係ない。この国難は、全ての人間が一丸とならねば乗り越える事は出来ないのだ。違うかな?」

 正論だった。無名の事を知らなければ共感し、この人物の下で戦う事を望んだかもしれない。だが、そうではない。故に生駒は最後の重要な問いをしようと口を開きかけた。

 だが、突然けたたましく警笛が鳴り響き、生駒の問いは発せられる事はなかった。

 

 カバネが攻めて来たのである。

 

 

 

          8

 

 警笛が鳴る少し前、防壁の上を護る武士達は戦慄していた。

 見た事もない数のカバネが倭文に押し寄せていたからだ。慌てて、警笛が鳴らされた。カバネの襲来を告げる方法は実は統一されている訳ではない。駅によって異なるところも当然の如くあったのだ。

 だが、防壁を護る武士達を戦慄させたのは、人の悪意だった。防壁の下には虫の息の馬と血を流した人の死体が転がっていたからだ。こんな事は人にしか出来ない。何者かが馬に死体を括り付け走らせ、カバネを呼び寄せたのだ。

 そして、領主は怒りに身を震わせていた。

「カバネを呼び寄せて倭文を襲わせるなど!!」

 領主の怒りなど、意にも介さず双眼鏡でカバネの集まり具合を確認していた。

「まあ落ち着いて下さい。カバネは狩方衆が片付けてくれますよ。それに乗じて…」

 領主は小源太を睨み付けたまま、己の行いを後悔した。過去の所業だけでなく、こんな男を倭文に入れた事を。

 これだけのカバネを片付けるなど、本当に可能なのか。領主には分からない。だが、もう賽は投げられたのだ。

 

 後は、どのような目が出るかを見届けるしか、領主には出来る事はなかった。

 

 

 

          9

 

 警笛を聞き付け外に出た生駒と美馬は、即座に事態を把握した。

「生駒君。君はどうする?」

「戦います」

 生駒は美馬の問いに即答する。

「では戦場で」

 美馬もそれだけ言うと即座にその場から姿を消した。生駒もそれを確認せずに走り出した。

 

 美馬が克城の指揮系統を司る先頭車両へと入って来たのを、無名を含む全員が確認する。

 全員の顔は既に戦人の顔となっているのを確認し、美馬は口を開いた。

「仕掛けてきたな。数は?」

「群れ七つ。薄く展開して倭文を半包囲している形です」

「ここなら融合群体の危険もない。すぐに片付く」

 美馬の問いに、参謀である沙梁が簡潔に状況を報告し、瓜生が不敵な笑みで勝てると断言した。外の武士達が聞けば、正気を疑っただろう。

「舐められたものだな。迫撃砲で足を止め、突撃する。総員、軽具足で出陣」

 美馬は即座に出陣を決意した。これが何かの仕掛けである事は、ここにいる全員が承知していたが、それでもなお瞬時に決断出来る美馬は間違いなく傑物であった。

 そして、美馬が腰の剣を引き抜く。その刀身は、想馬の持つ刀や薙刀同様の物だった。

 美馬が抜いた剣を天高く掲げるように振り上げる。それを合図にしたように、その場に居る隊長格の隊員も剣を抜き同様にした。

「百錬成鋼貫かせたまえ」

 刃が打ち鳴らされる。これが狩方衆の出陣の儀式のようになっていた。

 

 克城が跳ね橋を下ろさせ、勢いよく走り出す。戦場へと。

 

 

 

          10

 

 一方、甲鉄城の面々もまた戦闘準備に取り掛かっていた。

 逞生も蒸気筒を手に緊張した面持ちで戦場を見渡していた。

 生駒が貫き筒を手に走るのを見て、逞生が声を掛ける。

「気を付けろよ!」

「応!」

 生駒が力強く応えて、走る速度を上げて去って行く。

 想馬も黒い鎧を身に着け、背に斬馬刀を括り付けて悠然と生駒の背を追う。

(こんな事なら、生駒に無理させてでも斬馬刀に心臓被膜を張らせるんだったぜ)

 心中でボヤキながら、戦場へと向かって行った。

 菖蒲も弓を手にカバネの群れを見つつ、苦い声で言った。

「こうして出るしかないのですね…」

 それに応えた訳ではないだろうが、跳ね橋が突然下りて勢いよく黒い駿城が飛び出して行った。

「美馬の駿城!?」

 克城が出てすぐに跳ね橋は上げられ、退路はなくなる。それだけでも驚愕だが、あろう事か美馬は駿城の先頭に立っていたのだ。指揮官なのだから当然安全な所に居ると思い込んでいた者は、まさに信じられないものを見た思いだった。

 美馬が腰の剣を抜いたと同時に駿城が停止し、側面のハッチが音を立てて開いた。そこにいたのは、見た事のない武装をした狩方衆の姿だった。

「焼夷弾!放て!」

 美馬が剣を振ると同時に命ずると、狩方衆の脇にに置かれた武装から何かが飛び出し、迫り来るカバネに着弾すると爆発炎上した。

 それからは流れるような連携で狩方衆は、砲弾を装填し次々とカバネに砲弾を撃ち込んでいく。その度にカバネが吹き飛び炎上する。

 砲弾の雨が止むと、瓜生率いる突撃部隊が飛び出した。これまた武士達が見た事もない二輪の乗り物・蒸気バイクで飛び出し、撃ち漏らしたカバネの脚を接近しつつ撃ち抜き文字通り足を止めていく。

 美馬も克城から飛び出した馬に飛び乗ると、前線へとバイクの後を追い走り出した。襲い来るカバネを剣で斬り捨てながら、進む姿はまさに英雄といった風格があった。

 更に掃討部隊が蒸気筒を手にまだ動けないカバネの心臓被膜をすぐ傍まで寄って撃ち抜いて止めを刺していく。

 勿論、接近するからには、噛まれる危険は増す。掃討部隊の一人が足を噛まれたにも拘わらず、動揺一つせずにそのカバネに止めを刺すと仲間に頼むとだけ言うと、なんの躊躇もなく自決した。武士でさえ自決するのには相当の覚悟が要るのに躊躇も逡巡もない。自決が即座に実行される。仲間も頷くと振り向きもせずに、別のカバネに止めを刺していく。その姿に倭文の武士のみならず、甲鉄城の面々も驚きを通り越して寒気すら覚えた。覚悟が全く違うのだ。

 カバネの包囲がみるみるうちに破られ突破されていく。その光景を信じられない思いで、倭文の武士達は眺めていた。

「カバネと外で戦う…だと!?」

「強い…」

 倭文の武士達は、呆然とそんな言葉を呟くだけだった。

 それは甲鉄城の面々も同じようなものだったが、二人だけは違った。想馬と生駒である。二人は既に外に出てカバネを片付けて回っていた。

「そうだ。カバネを倒すなら接近しなければ駄目なんだ!」

 カバネを未知の兵器で蹂躙する姿に目がいきがちだが、狩方衆も接近しての心臓被膜の破壊を基本としているのが生駒には分かっていた。

 そして、想馬は別の感想を持っていた。

(チッ!號途の奴。美馬の奴にも武器を提供してやがったのか…。いつから武器商人になりやがった)

 あんな物を造るのは、日ノ本でもあの男しかない。號途自身、想馬が美馬に一方的に複雑な思いを持っている事を知らないのだから、非難は的外れではあると分かっていたが納得出来るものではない。

 不機嫌さを剣に籠めてカバネを引き裂いていく。心臓被膜を張らなくても斬馬刀は切れ味を犠牲にしているだけあって、頑丈だった。カバネを引き裂いても今のところ問題は生じていない。

 しかし、流石の想馬も克城から自分達を観察する者がある事には気付いていなかった。普段の想馬ならば気付いたかもしれないが、今は苛立ちで気が逸れていた。

「野良のカバネリだと?余程頭がおかしいとみえるわ」

 武士とは明らかに雰囲気の異なる男は、楽し気に想馬と生駒を観察していた。その眼は実験動物を見る眼であった。

 もし、生駒が聞いてたら掴み掛ったかもしれない。何故なら、この男こそが人工的に人をカバネリにして実験している正真正銘の狂人なのだから。

 一方、前線では戦況に変化が生じていた。

 三体のカバネが融合しかけた個体が現れたのだ。バイクに跨った狩方衆が果敢に銃撃するが、身体の強度は普通のカバネの比ではなくなっており、まだ十分に接近出来ていない状態では弾が弾かれる始末だった。

 融合カバネは片手に刃毀れした大刀、もう片方の手には、融合していないカバネの脚を掴んで引き摺っていた。融合カバネは、カバネを持った腕を振り上げ、銃撃した狩方衆に投擲する。カバネは冗談のように飛び、バイクに正確に向かってくる。

 狩方衆は、すぐにバイクを捨てて跳ぶと地面を転がる。カバネが命中したバイクが当たった衝撃で横倒しになり滑って、融合カバネに当たり爆発するも相手はビクともせずに悠然と歩いてくる。

 その姿にバイクを破壊された狩方衆は、忌々し気に舌打ちする。

 そこに小さな影が走り込んで来た。無名である。

「兄様!私が!」

 無名が真っ直ぐに融合カバネに走る。

 美馬は、瞬時にあれくらいならば問題ないと判断し応えた。

「頼む!滅火、手を貸してやれ」

 これで必勝とばかりに、美馬は次のカバネの元へ向かう。

 滅火の方は、すぐに無名に追い付き並走する。無名とは視線を交わす事もない。お互いにやるべき事は分かっている。今更確認する事などない。

 滅火が頸の金具を解除し面頬を装着する。滅火の眼が一瞬紅く光った。首輪のようになっている物は無名の物と同じ制御装置の役割を果たしていたのだ。つまりは、彼女もまたカバネリであった。

「カバネリがもう一人!?」

 逞生がそれを悟り、驚きの声を上げる。無名が居るのだから居ても可笑しくはないが、当たり前のように戦力に組み込んでいる狩方衆に改めて驚かされる。

 滅火は無名を隠すように前に出ると手に持っていた銃を投擲する。だが、融合カバネもそんな攻撃に当たる訳もなく大刀で弾き、接近してきた滅火に振り下ろす。滅火もそんな攻撃を掠らせる事もないばかりか、融合カバネに背を向けて手を組み足場をになった。無名もなんの躊躇もなく滅火の作った足場を蹴って跳び上がると、弾かれた銃を掴み取ると頭部と一体化しつつあるカバネの額を正確に撃ち抜いた。滅火も無名も最初から弾かれる事を織り込み済みで動いていたのだ。撃ち抜かれたカバネが引き剥がされ吹き飛ぶと同時に、大刀を滅火に再び振り下ろしたが背を向けたまま回避された。滅火は腰の剣を引き抜くと心臓被膜を刺し貫いた。無名も吹き飛んだカバネの心臓被膜を、落下の力を利用した一撃で貫き止めを刺した。

「おいおい、これが狩方衆かよ…」

 巣刈も流石に軽口を言う余裕もなく呆然と戦闘を見ているだけになっていた。

 あれだけの数のカバネが、甲鉄城の面々だけでなく倭文の武士すら殆ど何もしないまま事態が収束しようとしていた。

 だが、驚きもなく事態を見守っていた者がいた。小源太達である。

「始まるようです」

 双眼鏡を領主に渡して不敵に小源太は笑った。

 領主は、ひったくるように双眼鏡を受け取り戦場を観察した。

 覗き込んだ先には美馬が居り、背後から榎久が接近していた。 

 

 これで過去に決着が着くのか、領主には未だ確信がなかった。

 

 

 

          11

 

 カバネが粗方掃討された戦場で美馬は、背後に人の気配を薄っすらと感じていたが、振り向かなかった。知り人だったからだ。

「榎久か」

 榎久は仕込み杖を抜き構えつつ、口を開いた。

「貴方は御存知あるまい。数多の敵に命を狙われている事を。私はそうした者達に差し向けられました。貴方を隙を見て刺せと」

「老いとは恐ろしいものだな…」

「なんと?」

 榎久は美馬の言葉に思わず聞き返してしまった。榎久は、この機に狩方衆へと復帰出来るように美馬と交渉する積りだった。だから、美馬がどんな言葉を口にするかを想定し考えていた。そのどれとも違う言葉だった故に、思わず間の抜けた事を言ってしまった。

「隙を見て刺せと言われたのだろう?そして、お前はそれを呑んだ。嘗てのお前ならば、敵に話す余裕など与えなかっただろうに。今頃、私の首は地面に転がっていた筈だ」

「そ、それこそが私が裏切っていない証です。若様、今一度私に戦働きを!」

「不要だ」

 全くの取り付く島もない声音に榎久は怒りに震えた。

「それが!貴方の答えか!」

 怒りに任せて仕込み杖を馬上の美馬に振るったが、美馬の姿は既に馬上から消えていた。虚しく刃が空を切る。馬が怯える事なく走り去り、馬がいた場所からまるで美馬が湧き出したように榎久へと迫った。榎久は馬上の相手を斬り付けんと跳び上がっており、一撃を外した事で態勢がまだ整っていない為に、美馬に全く反応出来なかった。容赦のない蹴りが榎久の腹に突き刺さる。胃液を撒き散らしながら榎久が吹き飛んだ。美馬は素早く刃を榎久の頸に突き付けた。榎久は身動き出来ずに固まった。

「裏切っていないだと?よく言う。お前は俺を売ると決めていた筈だ。だからこそ刃を抜いた。一度裏切った者は何度でも裏切る。お前の教えだ」

 幼い美馬は、剣鬼・榎久から数多くの事を学んだ。あの大敗した戦の後は特に。それが今の美馬を形作った。だから、本人がそれを忘れようとも美馬は忘れないし、破りはしない。

「た、助けてくれ!」

 榎久から飛び出したのは、無様な命乞いだった。だから、榎久は気付かなかった。美馬が失望した顔をしていた事に。

「止めろ!」

 誰かが叫ぶ声がしたが、美馬に躊躇はなかった。迷わず喉を貫いた。せめてこれ以上無様を晒さないように。これが美馬なりの最後の情けだった。

 美馬は、領主がいる方を睨み付けた。

 これから後片付けをしなければならない。

 

 美馬は、昏い眼で倭文を睨み付けていた。

 

 

 

 

 

 




 キリのいいところまで書けたと思います。これから佳境に入っていきます。
 難しいですね。今回も難しかった。
 美馬の考えは、殆どは妄想です。アニメでは、殆ど語っていないので勝手に書きました。気に入らなければ御免なさい。

 次回はいつになるか分かりませんが、頑張って書きますのでお付き合い頂ければ幸いです。それでは。


 


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第十三話

 途轍もなく時間が掛かりました。時間は掛かると思いますが、最後まで頑張ります。では、よろしくお願いします。





          1

 

 美馬が倭文を見上げていた時、声が聞こえた。それは無様な程に震えた声だった。そして、その声の主も察しがついていた。

「何か言ったかな?生駒君」

 生駒である。美馬にとって、無名が気に入っている相手の一人であるから覚えているに過ぎない相手であった。だからという訳でもないが、振り返る事なく美馬は声を掛けた。

「何故、殺したんですか?助けてくれと言っていたのに!」

 ゆっくりと美馬は生駒へ向き直り、全く表情を変えなかった。

 詰め寄ろうとする生駒に、周囲の狩方衆が銃を向ける。

 それを見て、無名が思わず声を上げる。

「生駒!」

「止めて置け、ここは総長に任せろ」

 無名が慌てて走り寄ろうとするのを、瓜生が遮って止めた。無名は渋々と足を止めた。無名にとって認め難いが、瓜生は強い。無名とて容易な相手ではないのだ。

 それを美馬は横目で確認すると、生駒に向かって口を開いた。

「何故か。武士ではない君には判り辛いかもしれないが、これは慈悲だよ」

「慈悲!?」

「武士は裏切り者を決して許さない。そして奴は私を裏切った。だからだよ。一思いに殺したのは苦しませないようにだ。慈悲と言っていいと思うよ」

 全く悪びれる様子もなく淡々とそれを口する美馬に、生駒は目を見開いた。

「憐れっぽい声を出していたが、あそこで殺さなければ、私はいずれ殺されていただろう。殺さなければ恐れ入って改心するなどというのは物語の中だけだよ、生駒君。現実はいつも汚い」

 尚も言い募ろうとする生駒を押し留めたのは、後から大慌てで駆け付けて来た逞生である。

 逞生は、生駒の肩を乱暴に掴むと後ろにやった。当然、生駒はムッとして口を開こうとしたが、それも逞生の大きい手で塞がれた。

「いや~、仰る通りです!この馬鹿には、俺からよく言っときますんで、すいません失礼します…」

 まだ何か言おうとする生駒を引き摺るように離れようとするが、逞生の腕力では今の生駒は動かせなかった。

 逞生は内心で冷汗を掻く。怒りに燃える眼をしている生駒を親友として放置出来ない。相手はただの武士ではないのだ。

「私からもお詫び申し上げます」

 救い主は思わぬ所から現れた。菖蒲である。

 後ろにいる来栖は渋面でいつでも動けるように全身の力を適度に抜いていた。カバネが粗方片付いたとはいえ、まだ殺気立っている戦場に菖蒲を遣りたくはなかったが止める事が出来ず、来栖はやむを得ず付いて来ていたのだ。

 生駒が思わず、菖蒲を睨むように見るが、菖蒲は無視した。

「同じ人間が殺されるのを憐れと思ったのでしょう。どうぞ、寛大な処置をお願い出来ませんでしょうか。私からも言い聞かせますので」

 菖蒲と共に来栖も軽く頭を下げる。

 暫く、美馬は黙って菖蒲の頭を見ていたが、笑顔を浮かべて言った。

「分かりました。今回の事は水に流しましょう。武士ではない身には理解し難い世界でしょうからね。私もまだまだという事でしょう」

 笑顔で許す美馬を見つつ、菖蒲は少し違和感を感じた。どことは指摘する事は出来ない。だが、それを表に出さずに菖蒲は礼を述べた。

「どうです。無名を助けて下さった恩人でもありますし、金剛郭まで共に参りませんか。勿論、護衛はお任せ下さい」 

 そして、この申し出。素直に有難い。こんな良い話は、顕金駅を出てからそうないものだ。

 弱気な自分が受けろと叫ぶ。だが、こころのどこかでいいのか?という問いが浮かぶ。

「大変有難いお話です。ありがとうございます。美馬様」

 心のどこかからの問いを黙殺し、菖蒲は頭を下げた。甲鉄城に居る民を思えば、この選択が最良だろうと菖蒲は無理矢理に違和感を飲み込んだのだ。

 美馬は去り行く菖蒲達を一瞥し、馬の手綱を掴むとそのまま馬を引いて歩き出した。その後を狩方衆が続く。

 行く手には想馬がカバネの血で赤く染まった斬馬刀を手にこちらを見ていた。想馬を警戒し隊員の幾人かが美馬を護るような位置取りをしようとするのを、美馬は片手で止めた。そのまま歩き出し、ゆっくりと想馬と美馬はすれ違った。

 無名は、そんな光景に不穏なものを感じて身震いした。

 

 菖蒲が時間を稼いでくれている間に生駒と逞生は、美馬の前から十分に離れていた。

 まだ不満気な生駒の腕を乱暴に離すと、逞生は声を荒げた。

「馬鹿野郎!顕金駅に居た時と同じようにやるなよ!あそこの武士相手でも、可笑しな事言えばボコボコにされてただろうが!?狩方衆相手なら、どうなるか分かったもんじゃねぇよ!」

「それでも!俺は見極めなければならなかった」

「は?見極める?美馬様を?」

 逞生の言葉に生駒は無言で頷いた。

 逞生は、あまりな相棒の大物発言に眩暈がしてきた。

「何を見極めるのか知らないけどな。美馬様が言ってた事は正しいと思うぜ。世の中綺麗事じゃ済まねえだろ」

「それでも目指すのが英雄ってもんだろ」

 逞生は、勘弁してくれとばかりに首を振った。

「後で話がある」

 もう何も言う気力がなく、逞生はウンザリと頷いた。

 

 それがとんでもない話になるとは思わずに。

 

 

 

          2

 

 一方、その頃倭文領主と小源太達は、今回の顛末をしっかりと見届けていた。

 小源太達に慌てた様子はない。大方、逃げる準備はしているといったところだろう。

(逃げられないのは、私だな)

 倭文領主は内心で呟いた。実のところ双眼鏡で戦場を見ていたが、全てが片付いた後に美馬がこちらを見たのだ。その瞬間に悟った。この企みは恐らくは美馬側にバレていると。

 倭文領主は、自分自身が意外にも落ち着いている事に驚いていた。自らの罪を贖う時には、自分はもっと惨めに狼狽えるだろうと他人事のように感じていたからだ。

 実際にあるのは、遂にこの時が来たかという思いのみ。

 倭文領主は、サッサと逃げ支度を済ませた小源太達を醒めた目で見ていた。

「それでは、我々はこれにて」

 小源太は他人の駅で好き勝手やって置いて、何も責任を取らずに逃げる積りらしい。

「そうか」

 倭文領主の淡泊な返答に小源太は、初めて怪訝な顔をした。

 それに応えてやる義理は倭文領主にはない為、黙っていた。

 何もいわない倭文領主に、返答を諦めたようで背を向けた時、黒い影が欄干を飛び越えて現れた。この場所は戦場を見渡せるだけあってかなりの高さだが、それを縄も使わずに登ってきたようだ。

 小源太達は、素早く懐から匕首を取り出したが、それを使う間は与えられなかった。ある者は見た事もない短筒で額を撃ち抜かれ、ある者は素早く背後に回られた挙句に喉を斬り裂かれた。小源太自身は、戦闘の黒尽くめに伸縮する見た事もない鉄製の棒で頭を打たれ、頭蓋を割れて死んだ。

 影者相手に全く相手に何もさせない凄まじい技量だった。

 倭文領主は、それを他人事のように眺めていた。

「御同行願おう」

 黒尽くめの男・沙梁が鉄製の棒を仕舞いつつ淡々と倭文領主に告げた。

「いいだろう。だが、私だけでいいだろう」

 倭文領主が、一緒に戦場を眺めていた側近に目を遣りながら答えるのを沙梁が少し意外そうに眼を僅かに見開いたが、すぐにニヤリと嗤うと配下に目配せした。

 配下は無言で頷くと、側近に静かに近付いていく。側近は、慌てたように後退るが動くのが遅かった。

 次の瞬間には、側近は正面から刺殺されていた。呻き声のみを残して側近が崩れ落ちるように倒れた。

「そうだな。置いて行こう」

 倭文領主を嘲笑うように言った。

 倭文領主は、ただ拳を握り締めるだけだった。

 連行しようと配下が二人、倭文領主の腕を掴もうと動いたが、倭文領主はそれを振り払った。

「触るな。自分の脚で歩く。案内しろ」

「それでは案内するとしよう」

 倭文領主は、黙って沙梁の後について歩き出した。

(せめて最後ぐらいは、堂々とした態度でいたい。許せ)

 殺された側近に一瞬だけ視線を向けて、心の中のみで詫びた。

 

 自分に犯した罪のツケが今、支払われようとしている。

 

 

 

          3

 

 全ての戦の後始末が完了し、何事もなかったかのように甲鉄城は克城に連結され倭文駅を後にした。

 甲鉄城の中では、住民達が最強の武装集団に護衛して貰える事を歓迎し、住民の顔は総じて明るかった。

 ただ一人、巣刈だけは、そんな住民達を冷ややかに見詰めていた。

 

 そして、甲鉄城の中で浮かない顔をした数少ない人間の中に菖蒲がいた。

(これで、良かったのでしょうか)

 心の中は、その言葉が消えてくれない。自分の違和感を飲み込んだのは、正しかったのか。それをずっと自問自答し続けていた。前までの菖蒲であれば、その疑問を口にしていただろうが、成長した菖蒲は無闇に自分の心を口にしていい立場ではない事を理解していた。だが、まだ未熟である為に表情までは隠し切れていなかった。当然、来栖や吉備土は気付いていた。吉備土は来栖に目だけで問い質すように促すと、来栖は無言で頷いた。

「何か気になる事がおありですか?」

 菖蒲の顔が苦虫を嚙み潰したように歪む。顔に出ていた事を悟ったのだろう。

「すみません。特にどうという事ではないのですが、これで良かったのか…」

 来栖と吉備土はお互いに顔を見合わせる。

 狩方衆は来栖にとっていけ好かないが、最強の戦闘集団という評判に偽りはない事は認めていた。目の前で、あのような戦を見せられれば何を言っても妬みにしか聞こえない。それは吉備土も同様であった。

 生駒が噛み付いた事に関しても、武士である二人からすれば、どう見ても間違っているのは生駒の方だ。暗殺を企てるような男を助ける道理などない。

 それ故に、何故菖蒲が自分の判断について迷っているのか理解出来なかった。

「カバネに対する脅威は、ほぼなくなるのですから、良い事なのでは?」

「ええ。上手く言えないのですが…違和感があって…すみません。根拠はないのです。気にしないで下さい」

 吉備土の言葉に、菖蒲がどうにか自分の考えを述べようとしたが、上手くいかず口を噤んでしまった。

 菖蒲が自分でも分からない以上、来栖達にも違和感の正体は理解出来ず、二人は菖蒲にそれ以上声を掛ける事が出来なかった。

 どちらにしても、もう克城と連結されてしまった状態では何を言っても遅いのだ。

 

 そして、想馬・生駒・逞生の三人は、人目の付かない場所で話を始めるところだった。

 想馬が同席しているのは、生駒に意見を訊きたいと言われたからだが、想馬の方もあまり乗り気ではないようで憮然とした顔をしている。

 逞生は、そんな想馬をチラッと見ると男三人で黙り込んでいるのも気持ち悪いだろうと口火を切った。

「で?話っていうのは?」

 警戒感丸出しの逞生に、生駒はお構いなしに口を開いた。

「想馬が無名から聞いたんだ。アイツは無名から本当の名前を捨てさせて、役に立たなければ捨てられても仕様がないと教えていた」

 逞生は、想馬の顔を窺い反応を見る。特に想馬が訂正する積りがないようなのを確認して、先を促した。

「だから、無名は戦う力を重要視してる。それが前の苛立ちの原因だ」

「でもよ。戦えない奴を戦場から遠ざけるのは悪い事じゃないだろ?寧ろ、思い遣りってもんじゃないのかよ?」

 無名だって、戦う以外の生き方を選べると思っている逞生は、そう反論した。

「問題はそこだ。無名は一度も噛まれた事がないって言ったらしい」

 その意味に逞生も流石に気が付いた。だが、気持ちを落ち着ける為、少し間を開けてから再び反論をした。

「そりゃ、カバネリになってからって意味じゃないのか?」

「そういう感じじゃなかったから問題だって言ったのさ」

 逞生の反論に初めて想馬が口を開いた。

 逞生も黙り込む。

「無名は心までカバネになってしまう事を恐れてる。そうなる前に処分されたお仲間もいたらしいな」

「俺達は、奴がカバネリを人工的に生み出したんじゃないかと思ってる。だからこそ、知りたかったんだ。奴が英雄に相応しい男なのかを。それなら、救える道があれば話を聞いてくれる余地はあるからな」

 想馬の重々しい声と生駒の熱の篭った話を聞き、小さく逞生は唸って考え込んだ。

(だが、美馬は、あの男を殺す時…)

 榎久が殺される時の事を思い出し、思わず生駒は強く拳を握り締めた。

 逞生は、生駒の震える拳を見ながら思った。生駒が本気でカバネを倒す術を欲して研究していた事を知っている。そして、遂に自らカバネリとなった。その男が無名を救うと決めたのなら、達成出来るかもしれない。だが、それは生駒を知っている逞生だからこその考えだ。

 それ以上に逞生は、あまりの話の不味さに冷やせを浮かべた。もし、こんな話をうっかり甲鉄城の誰かに聞かれたら、どうなるか想像したくもない。今や甲鉄城の住民達は、美馬が護ってくれると聞いて大喜びして安心している。美馬の悪口どころじゃない話を聞かれれば叩き殺されかねない。

「続きは外で話そうぜ」

 

 逞生は小声で慎重に場所を変える提案をした。

 

 

 

          4

 

 その頃、無名は懐かしい夢を見ていた。

 自分が終わった時の事、新しい自分が始まった時の夢だ。

 

 駅の居住地区に火が回り始めていた。

 最早、駅を護る武士達は防衛を早々に諦めて逃げ始めていた。当然、戦う力のない住民も駿城に殺到していた。

 無名とその母も持てる物を持って逃げようとしていた。

 

 だが、強引に家の物を奪おうとした武士に母は斬られた。無名を庇って。

 恐怖で動けなくなっていた。

 武士は、目撃者を消そうと刀を振り上げた。その顔はカバネの如き化物に見えた。

 母と共に死ぬのだと無名は呆然と悟った。

 そんな時、救いの手は差し出された。些か乱暴な手段で。脇差が武士と無名の間を高速で飛来し、家の壁に突き刺さったのだ。

 視線は戸口の外へと向けられた。武士も無名も。そこには一人の男がカバネを斬り捨てるところだった。その男の眼は怒りに燃えていた。

「戦え!生き延びたいのなら!刃はそこにある!」

 男はそれだけ言うと次々と襲い来るカバネを斬り捨てていく。

「な、なんなんだ…貴様は…」

 武士はあまりの光景に呆然と立ち尽くしていた。

 無名は、その隙を見逃さずに壁に走り、脇差を引き抜いて武士へと突進した。

 武士もギョッとして反射的に刀を振り上げた。振り上げてしまった。

 無名は迷わずその懐に飛び込んだ。走った勢いと自分の体重を刃に掛けて武士の腹にぶつかるように突き刺した。手に嫌な感触が広がるのも構わずに、刃を必死に突き込む。武士は驚愕の顔で後ろへと倒れた。

 無名は血塗れの手と刃を呆然と見詰めた。

 

 どれ程そうしていたかは無名には今でも分からない。ほんの僅かな時間だったか、それなりに時間が経っていたのか。結果的に男の駿城に乗れたのだから、それ程長くはなかっただろう。

 無名の手に男が触れたと思ったら脇差を取られた。自分でもどうやって開くか忘れてしまったように動かなくなった掌を、男は難なく開いて脇差を取り返したのだ。

「おめでとう。君は戦う資格を得た。今から言う事は戦訓だ」

 男は燃えるような眼で無名を見据えて、子供に言う言葉とは思えない言葉で話した。

「誰も信じるな。誰にも心を許すな。信じるものは自らの力のみだ」

 何を言っているのかは無名には分からなかったが、これは重要な事なのだと幼いながらに察していた。

 無名はただ頷いた。

 ここで初めて男が微笑んだ。微かなものだったが、確かに微笑んだのだ。

「ここで資格の話だ。君に力を与えよう。その力を暫し私の役に立てろ。私は君を利用する。君は私を利用しろ。承知なら付いてこい。拒否なら自分でどうにかしろ」

 男は、それだけ言うと歩き始めた。

 幼い無名は、必死でその背を追い掛けた。

 男は、一瞬だけ振り返ると笑いながら言った。

「もう君…いや、お前に呼ばれるだけの名など不要だな。これからは無名と名乗るがいい」

 

 そう言った男こそが天鳥美馬だった。

 

 

 そこで無名の意識が現実へと引き戻された。

 

『自分の主は、自分自身にしとけ。全てを今の主に委ねるな。それでもそいつに力を貸したいなら、間違いを諫められる家臣になるこった。俺は御免だがな』

 

『誰も信じるな。誰にも心を許すな。信じるものは自らの力のみだ。君に力を与えよう。その力を暫し私の役に立てろ。私は君を利用する。君は私を利用しろ。』

 

 意識が覚醒した代わりに、浮かんだのは二人の男の言葉。

(そうか…だからか…)

 無名は、ぼんやりと自分が想馬が気に入っている理由を理解した気がした。

 それと美馬という男の事が前より分かった気がした。

 

 ここは、克城の処置室だ。

 背中の痣の広がりが大きく、克城の科学者であり医師でもある非重莊衛に診て貰っていたのだ。非重莊衛は、カバネリを人工的に造り出した生みの親でもある。

「ふむ。確かに痣は広がっているが、この程度ならば問題あるまい」

 相変わらずこの医者は不気味な笑みを浮かべて言った。

 実験動物。

 この医者が自分をそうとしか見ていない事は、無名も承知していた。だが、どうしようもない。

「怖いか?」

 一緒にた美馬が、無名にそう問い掛ける。

 答えは決まっている。

「平気だよ」

「そうか」

 美馬が微笑んだ。

 

 そう、まだ大丈夫というだけの事だと承知していても無名は微笑んだ。

 

 

 

          5

 

 美馬が無名に驚くような事を頼んできたのは、検査が終了した後だった。駿城の親鍵を預けるように説得してきてくれというのだ。

「どうして、そんな事を?」

 無名は自分の声に疑念が混じらないように細心の注意を払って言ったが、少し躊躇した事は伝わってしまっただろうと感じた。

 美馬はそれになんの反応も示さず、相変わらず穏やかな笑みを浮かべた。

「万が一の為さ。心配は要らない。我々が警護するのだから、甲鉄城に何かがある訳じゃないさ。知っての通り、我々には敵が多い。どこに敵が潜んでいるかも分からない。打てる手は多い方がいい。そうじゃないか?」

「そうだね。分かった。話してみるよ」

 今までの無名なら、ここで疑問など感じなかったに違いない。しかし、今は想馬や生駒達との交流で無名は成長を遂げていた。だからこそ、初めて美馬の言葉に疑問を感じた。美馬という男が前よりは理解出来たのも大きいだろう。

『誰も信じるな』

『自分の主は、自分自身にしとけ』

(分かってるよ)

 初めて無名が美馬と想馬の言葉を実践した瞬間だった。

 無名は、そんな内心を表に出さずに無名はどうにか美馬の頼みを受けた。

 美馬の前から去る時、背に視線を感じたが振り返らなかった。

(兄様は何を考えているんだろう…前の私なら、こんな事考えなかったな)

 心の中だけで、そう呟いた。

 無名は自分なりに考えを進めてみる。上手く出来るかは分からないし、生駒や想馬のように初めから正解を導けるとは思っていないが、それをする努力を始めたのだ。

 克城の戦力は日ノ本随一だ。甲鉄城の中にどれ程の敵がいようがものともしない練度の高い隊員に、迫撃砲を始めとした最新の武装。親鍵などなくとも問題などない筈だ。辛うじて警戒すべきなのは、想馬の銃くらいなものだ。

(想馬を警戒してる?でも、面識なんてある訳もないし…)

 内心首を捻りながら、甲鉄城へと向かって歩き続けた。

 勿論、自分を監視している目を理解した上でだ。

 

 無名の思考の研鑽は始まったばかりだ。

 

 

          6

 

 なんの問題もなく甲鉄城の菖蒲の所にまで辿り着いた無名は、神妙な顔で告げた。

「親鍵を兄様に預けてくれる?」

「馬鹿な事を言うな!」

 無名のあまりな発言に来栖が怒りの声を上げる。

 菖蒲は、来栖を押し留めると無名に優しく問い掛けた。

「何故です?」

「兄様には敵が多いから、万が一の為に打てる手を増やしたいんだって」

 アッサリと事情を話してくれる無名に、菖蒲は真剣な表情で考え込む。

 来栖は、そんな菖蒲を黙って見護っていた。

「残念ですが、お断り致しますとお伝えください」

「どうして?」

 今度は無名が尋ねる。

「この鍵は、私が持つべき責任だからです。美馬様にお伝えください。我々は刃が向かない限りは、我々も刃を抜かない。故にご安心くださいと」

「そっか。分かった、伝えとく」

 無名は今までの美馬の傾倒振りが嘘のようにアッサリと引き下がった。その事が逆に武士二人の警戒心を植え付けたが、無名にしてみればそれでも構わなかった。警戒すれば、危機にも備えられるだろう。何しろ、無名は狩方衆なのだから、警戒する方向は間違っていない。無名は心の中で苦笑いしつつも、寂しさを感じていた。自分は立場としては狩方衆に復帰した形であり、甲鉄城の一員ではもうない。その事が寂しかった。

 美馬に報告する内容を頭の中で反芻して無名は背を向けて去って行った。

 美馬には、失望されるかもしれない。いや、意外にニヤリと笑みを浮かべるかもしれない。やっと言った意味を理解したかと。無名の胸に痛みが走ったが、これは成長の痛みなのだろう。無名は、そう苦笑いした。

 無名は、最早美馬に恩義を感じ、只慕っていただけの子供ではないのだ。

 問題は、自分がどちらに立つか或いは立たないのか、自分の立ち位置が全く見えない事だった。

 しかし、それを見極めて戦わなければならない。

 

 無名は決意を胸に克城へと急いだ。

 

 

 

          7

 

 一方、密談をする為に甲鉄城のデッキに出た三人は、意外な事で話し合いが頓挫した。

 生駒がデッキに出た途端に、頭を抱えて膝を突いたからだ。

 想馬にしてみても、生駒程ではないにしろ理解した。生駒と同じものを。

「おい!どうしたんだよ!?いきなり!」

 事情が分からない逞生が、狼狽えた声で言った。

「カバネだ!」

「ああ…これは俺でも分かるな」

 二人のカバネリの言葉に、逞生は焦って周りを見回した。

「ど、どこから来るんだ!?」

 丁度外に出てしまった事に後悔するが、逞生の心配はある意味で外れた。

 生駒が痛みに手を震わせながらも、しっかりと指差した方向は克城の先頭車両だったからだ。

「え?…あれは克城じゃねえか…」

 何か良くない事が始まろうとしている。逞生は、カバネリじゃなくともそうと理解した。

「あんなに大量のカバネを駿城に乗せて何をする積もりなんだ!?」

「ろくでもない事だろうよ」

 生駒の言葉に、想馬は吐き捨てるように答えた。どう見ても真面な理由ではないだろう。ろくでもない事が始まったというのに、今まさに狩方衆に戻った無名を想馬は心配した。

 生駒の方は、すぐさま行動に出た。克城に向かって走り出したのである。

「おい!どうする積りなんだよ!?」

 逞生は、無謀にも厄介事の中心に向かって走り出した親友を追い掛けて自らも走り出した。

 

 想馬は、黙って克城を睨み付けていたが、少し遅れて二人を追い掛け出した。

 

 

 

          8

 

 倭文領主は、狩方衆に連行されて克城に入っていた。入る前にしっかりと倭文駅を目に焼き付けた。おそらくは二度と出られないであろうからだ。

 いずれは報いが下る。そんな思いがどこかにあった。自分が治める倭文駅を見る度に。

 自分があの日、保身に走らなければ駅に引き籠る日々を送らなくて済んだかもしれない。明日の食料を確保するのに不安を感じる事も少なかったのではないかと。

 それはカバネの被害がなかったかもしれないという事。少なくとも随分と損害は減らせただろう。そうすれば、外国から最新の蒸気技術を手にもっと領地は発展していたのではないのかと。

 外国の脅威など、カバネの害に比べればかわいいものだ。人間ではいられるのだから。

 そんな可能性を自分は、この手で潰してしまったのだ。

 そんな事を倭文領主は考え、心の中だけで領民や部下に詫びた。

 終着の地は克城の先頭車両の一番前の部分。操縦席よりも前にここまで広い場所があるのは珍しい。

 倭文領主は、大人しく言われるがまま柱に手錠で繋がれた。

 暫くすると、天鳥美馬が入って来て、人払いをした。

「ようやく会えた」

 ゆったりとした歩調で倭文領主の前まで来て止まった。

「用件はなんでしょうか」

「もう察しはついているのでは?」

「貴方の口から聞きたい」

 倭文領主の精一杯の虚勢に美馬は、鼻で嗤うと指を鳴らした。

 壁が折り畳まれて開いていく。どうやら薄い鉄板で隠していただけのようだ。

 だが、隠していたものが問題だった。

 思わず自分の口から情けない悲鳴が漏れた。失禁しなかったのは、我ながら奇跡であると倭文領主は思った。

 何故なら、本来は駿城に乗っていてはいけない者達だったからだ。

 

 カバネ。

 

 それも大量のカバネが網状の鉄格子の中で一杯に蠢いていたからだ。

「な、何故…」

「そう。その顔だ。そうでなくては。今更、武士を気取るな。貴様に訊きたい事は一つだ。十年前、兵糧を出し渋った挙句、我々をカバネの只中に置き去りにしたのは誰だ?」

 銃と一体化した刀というよりもサーベルといった剣が、倭文領主の喉元で止まる。

「当時、兵糧を出し渋った貴方ならば知っている筈だ。生きながらにカバネに食われるのは苦しいぞ?」

 喉元にあった剣はいつの間にか脚に向いており、素早く脚に突き刺さった。

 倭文領主は痛みに耐えきれず悲鳴を上げた。涙と涎、鼻水などが無様に流れる。更に冷汗まで加わって顔はグチャグチャだった。

 鉄格子内のカバネが血に反応して、奇声を上げて暴れる。

 情けない声が漏れるが、なんとか顔を上げて美馬を見る。

「彼等は腹を空かせている。カバネの仲間になる事すら難しいだろう。さて、もう一度訊こう。誰が命じた?」

「…上様だ。そちら…こそ察しはついていた…だろう」

 痛みで途切れ途切れになりながら倭文領主は、なんとか答えた。

「そうだな。だが、直接聞きたかった。本人にはこれから尋ねに行こう」

 スッキリしたような顔で美馬は、場違いな程に穏やかな笑みを浮かべると、引き金の安全装置を外すと躊躇なく引き金を引いた。倭文領主の頭がスイカのように割れて飛び散った。

 カバネが更に流れた血で興奮して暴れる。

「あと少しの我慢だ。腹一杯に食わせてやるさ。片付けておけ」

 そう美馬が口にすると待機していた狩方衆が数名入って来て、倭文領主の身体を引き摺り姿を消した。

「さて、そろそろ里帰りだ」

 

 美馬は凄惨に笑った。

 

 

          9

 

 生駒が、何も考えていないとしか思えない程の勢いで克城へと走った。

 生駒の剣幕に、武士から菖蒲に話が伝わるのに時間は掛からなかった。加えて、大の男二人が、生駒の後を追って走っていれば目立つのも仕方ない。

「美馬!話がある!出てこい!」

 生駒は、扉を叩きながら叫ぶ。

 菖蒲達が慌てて駆け付けて、近くにいた想馬の裾を掴んだ。

「どうしたんですか?」

 美馬の機嫌を悪戯に損ねる気がない菖蒲は、事情を知っていそうな人物に真っ先に問うた。

「克城に大量のカバネがいる」

「なっ!?それは、どういう!?」

「それを訊こうって話さ」

 想馬は、それだけ言うと生駒の方へ眼を戻した。

 菖蒲は迷った。その所為で生駒を止める機を逸する事になった。

 

 無名が出てきてしまったからだ。

 

 

 

          10

 

 無名は、甲鉄城の親鍵を回収出来なかった事を美馬に報告した。

 美馬は、薄い笑みを浮かべてただそうかと言っただけで、無名を責めはしなかった。何か言われるかもと思っていた無名は少し肩透かしを食らった思いだったが、わざわざ非難されたい訳でもない。サッサと退室する積もりだった。それが今までの無名の行動らしからなぬと気付かずに。

 だが、駆け込んできた狩方衆の隊員の報告で足を止めた。

「甲鉄城のカバネリの男が総長と話をさせろと喚いております」

「どちらの方だ?」

「眼鏡の方です」

 美馬は納得したように頷いた。薄い笑みは消えない。

 無名は内心生駒の直情的な行動に溜息を吐いた。

「兄様。私が話してくるよ」

「無名…。分かった。任せよう」

 美馬は無名の言葉に少し考えてから頷いた。

 無名は、これ以上生駒が騒ぎ出さないうちに速足で出て行った。

 その背を美馬はジッと見ていた。

 

 その頃、生駒は全く反応のない狩方衆にめげずに扉を叩き続けていた。

 その生駒の背に想馬が声を掛けた。

「おい!離れた方がいいぞ」

 訝し気に生駒が振り返ったが、想馬の忠告は遅かった。全く遠慮なく勢い良く扉が開いたからだ。生駒の身体に扉がぶつかった。不意に開いた為に全く身構える事が出来なかった生駒は、よろめいた。だが、そんな事を気にする事なく、扉から出て来た人物を睨み付けた。

「何やってんの?アンタ。五月蠅いよ」

 出てきた人物が無名であった為に、睨み付けた生駒は戸惑ったような表情にあっという間に変わった。

「無名。先頭車両にいる大量のカバネはなんだ!?何を…」

「あれ?実験に使うんだよ」

 無名は、生駒の言葉を遮って言った。

「いる事は確か…なのですか?」

 思わず菖蒲が口を挿んでしまう。あまりに衝撃的な話に思わず言葉が漏れてしまったのだ。

「生駒だって、カバネを調べたりしたでしょ?自分をカバネリにしちゃったくらいなんだから」

「それにしたって!」

「実験には大量に必要だって聞いた。もういい?」

 生駒は納得が出来ずに更に言い募ろうとしたが、ここで黙っていた想馬が口を開いた。

「それを信じているのか?」

 無名は無言で想馬を見詰めた。

「否定する理由がないから」

「そうか」

 想馬は素直に頷いて背を向けて歩き出した。完全に甲鉄城に帰る気でいる想馬に生駒が声を上げた。

「いいのか!?奴は!」

 美馬は榎久を殺す瞬間、笑っていた。美馬は決して英雄たり得る人物ではない。

「今はやれる事やるのがいいさ」

 想馬は振り返りもせずに、そう言った。想馬らしからなぬ消極的な態度に生駒は苛立ちを隠さずに想馬の後を追ったが、菖蒲には想馬の考えが分かる気がした。甲鉄城で大きく成長している一人として。

 無名は成長を遂げている。自分の力で。想馬や生駒を始めとした甲鉄城の面々との関わりも大きいだろうが、無名は自分の意志を強く持つようになっているのだ。嘗ての無名ならば美馬を盲目に信じる言葉を口にしただろう。だが、彼女が口にしたのは、否定する理由がないだった。語外に今はという言葉も含んでいただろう。だからこそ、想馬は無名に任せてみようと思ったのだと、菖蒲は理解していた。

(でも…大丈夫なのでしょうか…)

 成長途中であるからこそ、まだまだ失敗する事が身に染みている菖蒲は不安そうに無名が消えた克城の扉を見詰めた。

 現実はいつも汚い。美馬が生駒に言った言葉が菖蒲の中で不吉な響きを帯びて思い出された。

 そして、菖蒲も気付いていなかった。想馬が過去の出来事で美馬に言い知れぬ感情を抱いている事に。

 

 この事が、想像も出来ない事態を招く事をまだ甲鉄城の面々は知る由もない。

 

 

 

          11

 

 あの騒ぎの後、美馬は非重莊衛からある物についての報告を受けていた。

 非重は、青い液体の入った細長いガラスの容器を振って見せた。

「貴方様の思い付きを形にしました。早速実験出来たのは良いのですが…」

 ワザとらしく言葉を濁しているものの、口元は笑みで歪んでいた。

「今要らなくとも、そのうち必要になると思って造って貰ったが、存外早く効果を確認する事になりそうだ」

 美馬は非重から蒼い液体を受け取ると、注射器にガラス容器を填めると自らに注射した。怪しい男から手渡されたというのに躊躇する事が一切ない。ある一点に置いて美馬は、非重を信じていたからだ。自らの実験の成果を見届けたいという欲求には正直であり、それを成す為ならば裏切らない事を。

 本来ならば、これは無名より後のカバネリ用に開発させていた物だが、実用に耐えるか確かめる日はそう遠くない事を美馬は悟っていた。だからこそ、無名にも、この液体を検査の時に注射した。無名の意識がない時にだ。

「利用し利用される。まさにようやくあの時の言葉を実行するようになったか…」

 無名の様は美馬の意図とは真逆なものだったが、それ故に滅火とは違った意味で信頼出来るものだった。それだけに寂しいと感じる自分がいた。自分にそんな感傷が残っていたかと少し驚くが、それを顔や態度に現わす程迂闊ではない。

(優秀な駒から、多少利用し辛くなった原因を排除するとしよう。あっちの甘い男は後回しで構うまい)

 美馬は、僅かにあった感傷をアッサリと消し去ると歩き出した。

 

 次の行動は決まっているからだ。

 

 

 

 

 




 無名は原作と違い、美馬に過ちがあれば止める積もりでいます。でも、それだけじゃ終わりません。
 想馬が何を考えているかは、本当のところは次辺り…ですかね?
 生駒の台詞で美馬の教えについては、意訳が入っていますが、想馬は訂正しませんでした。彼は興奮していますし、そういう事もありますよ…。

 次回は、いつになるか分かりませんが、最後まで頑張る積りです。




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第十四話

 嘗てない程の長い時間が掛かりました。
 言い訳は趣味ではありませんが、書く時間が全く取れず四苦八苦しておりました。申し訳ありません。
 それでは宜しくお願いします。


 


          1

 

 克城に牽引される形で甲鉄城は、金剛郭へ至る最後の駅・磐戸駅へと到着した。

 そこで問題が発生した。美馬達克城は、磐戸駅への立ち入りが断られたのだ。残された甲鉄城も人員が全員下ろされ、厳しい検疫という名の取り調べが成される事となった。克城の人間が紛れ込んでいないかの確認だろうが、過剰といえる厳重さだった。

 想馬達はといえば、あれから無名と語る事はなかった。何度か生駒が突撃を敢行したが、相手にされずに追い返されてしまっていた。

 検疫で外に出されて順番を待つ鰍は、折角仲良くなれた無名とこんな形で別れる事に悲しんだが、子供達の手前なんでもないように装っていた。仲が良くなったのは、子供達も同じなのだから。

「ねえ。なんで降りるの?」

 顕金駅の子供達の一人である小太郎が、鰍を見上げて素朴な疑問を口した。

「お侍さんが、降りろって」

 苦笑い気味にそう答えるのがやっとであった。鰍自体どうしてこうも厳重に調べられるのか疑問だったので、上手く答えようがなかった。

 検疫と言っても天鳥美馬が先導してきた以上、まさかカバネに噛まれた人間が居る筈もない。狩方衆は幕府でも最強の武装集団なのだから。

 そんな気持ちが伝わってしまったのか、目が合った武士の眼が鋭く光った。鰍は視線を逸らすだけで精一杯だった。

 だが、そんな気持ちを抱いていたのは、鰍だけではなかった。甲鉄城の人々の大部分は、美馬と別れ別れになることに不安を露にしていた。

 そんな住民達と共に甲鉄城を降りた菖蒲は、磐戸駅の領主と面会することになっていた。これも四方川の家の僅かに残った恩恵と言えた。しかし、面会に関しては、いつもなら来栖と吉備土を連れて行くのだが、それは何故か認められなかった。磐戸駅側から男の同行者は認めないという通達があった為だ。これには来栖が怒ったが、今の甲鉄城の面々にはどうする事も出来ない話だった。そこで白羽の矢が立ったのが、侑那だった。本来ならば無名が一番いいのだが、彼女は今や狩方衆に戻っている為、連れて行けない。侍女では何かあった時に動けないし、下手をすれば菖蒲の足を引っ張りかねない。そこで力が強く、男社会である駿城で乗り組員としてやってきた侑那に頼む事となった。

 甲鉄城を降りる際に、克城のある方へ視線を向ける。

 菖蒲の中にあったのは、美馬とここで別れらるという正体の分からぬ安堵だった。

 菖蒲は、侑那と共に案内の武士が来るのを待っていたが、想馬や生駒達が集まって何やら話している姿を見て、侑那に一時離れることを告げると想馬達の元へ向かった。

 想馬達は、深刻な表情で顔を突き合わせていた。

 克城の先頭車両にカバネが大量に積まれていた件について、まだ伝えていない面々に話したのだ。

「一応、実験に使うカバネだって話なんだろ?どのくらいいるとか分かるのか?」

 巣刈が顔を顰めながら生駒に訊ねた。

「百体以上いる!実験するだけで常時そんなに必要な訳あるか!」

 生駒が吐き捨てるように言った。

 想馬は、先程から発言せずに甲鉄城の面々の遣り取りを眺めていた。そこには生駒のような苛立ちはなく、平静そのものだった。

「だとすりゃ、別れられて幸運ってもんだな…」

 そのやり取りを聞いた菖蒲は、兼ねてより疑問を感じていた事を想馬に訊いてみる事にした。

「私も…無名さんは、あの方の元に居るべきではないのではないかと思います。…あの、どうして想馬は、止めなかったのですか?」

 生駒が自分と同じ意見なのは分かる。しかし、想馬は無名が美馬の元に居る事に何もいわない。何かと助言したり常識を教えたりしていたのだから、無関心という事も嫌っているという訳でもない筈なのに、この件ではどうも彼は何も口にしない。その事がどうも腑に落ちない。

「あいつはあいつなりの考えで行動した。それにとやかく言わない。それだけだ」

 想馬は、それだけ答えた。本音を言えば、美馬に関しては過去の出来事が原因で客観的な目で見れないからというのもあった。

「美馬様と何かあるのですか?」

 思わず想馬は顔を顰めてしまった。

 菖蒲は、想馬の反応を見て自分の直感が正しい事を悟った。思えば、想馬と美馬は互いに話をしようとしなかった。生駒とは、あれ程話していたのにだ。

 想馬ならば、遠慮なく美馬に何か揉めるような事をいいそうだったのに、何も言わなかった。

 それにしては、お互いに意識しているような気がしていた。

 何気なく擦れ違う瞬間などにそれを感じた。警戒心と断言出来ない何かを。

「やはり何か関係が?貴方も狩方衆に関係している…という事はないですよね?」

 勿論、菖蒲も本気でそんな事を疑っている訳ではない。何しろ、美馬に近い位置にいた無名が彼を知らなかったのだから。想馬も菖蒲が探りを入れている事には気付いていたが、これに答えない訳にはいかない。想馬にしてみても、ここで妙な疑念を持たれるのも面白くない。

「そうじゃないな。こっちが一方的に知っているだけだ。あっちは俺の事なんぞ知らないだろうよ」 

「では、どういう?」

「俺の親父殿が美馬の信奉者でな。年の頃も近かったお陰で、何かと引き合いに出されてな。アイツに関しては、俺は客観的な判断は下せない」

 菖蒲の追及に、想馬が渋々といった感じで重い口を開き答えた。勿論、それが全てという訳ではないだろうが、答えてくれた事に取り敢えず満足するしかない。どこまで深く訊いて良い話なのか計り兼ねたからだ。

 想馬も浪人である以上、元々は武士であった事は頭では分かっていても、改めて聞くと菖蒲は不思議な気分になった。今の想馬は武士らしくないし、浪人にありがちな士官に貪欲という訳でもないからだろう。

「それに無名も、甲鉄城で学んだ事も多い筈だ。自分で判断するっていうなら、やらせてみるのもいいだろう」

 菖蒲も無名の成長自体は認めている。だが、完全にまだ子供である無名を、そんな風に突き放してしまっていいものか。

「もう一度言いますが、私は無名さんがあの方と共にいるのは良くないと思っています。」

「俺も同感です」

 菖蒲の言葉に生駒がすぐさま賛同した。だが、想馬としては、あの時の彼女が説得したくらいで美馬から離れるとは思えなかった。

(あの目は、親父殿と通じるものがあったしな…)

 それを思い出し、想馬は顔を顰めた。想馬も本気で無名を放置した訳ではない。少しの間とはいえ、共に戦った仲だ。手を貸すのだって吝かではない。

 無名は当初から美馬の目的をある程度は知っているようだった。それに関しては出会った頃は勿論、どんなに甲鉄城の人間と親しくなろうとも口しなかった。それは無名自身がそれに賛同している事を意味する。勿論、美馬が馬鹿正直に全て話していればだが。

 最後に会った無名は、それが本当に正しいのか見極める積もりでいると、想馬には感じられた。間違っていたその時の事も、彼女は覚悟している。

「菖蒲様。迎えが来ました」

 話が途中ではあったが、侑那に呼ばれ菖蒲は已む無く話を中断した。

「想馬、生駒。無名さんを…」

 菖蒲が後ろ髪を引かれつつも、迎えの武士と共に去って行った。

 想馬と目付きの鋭い武士と目が合ったが、すぐに武士は目を逸らして去って行った。

 

 それを想馬は怪訝な思いで見送っていた。

 

 

 

          2

 

 磐戸駅内への立ち入りが禁止された克城では、主要な面々が顔を揃えて話し合いの真っ最中だった。

「供は女のみですか。滅火や無名を連れて行けば事足りますな」

 淡々と沙梁が言うが、困った様子はなかった。それはそうだろう。彼女達二人は、文字通りの一騎当千のカバネリなのだから。寧ろ、一番厄介な二人の動向を許した形になる。

 美馬は、それにやはり黙って首肯する。だが、すぐに堪えきれなくなったのか、口元がほんの少しだけ歪ませた。

「補給の頼みに応じてくれただけでも有難いというのに、格別の配慮に感謝といったところだな」

「ここまで待った甲斐があるというべきか、こんな腑抜けがと怒るべきなのかね」

 美馬の皮肉っぽい物言いに、瓜生は呆れた声で応えた。

 瓜生は沙梁と違って当初から付き合いという訳ではないが、それなりの期間狩方衆としてカバネと転戦してきた。だが、ここまで警戒しなければならない相手をアッサリと招くとは気が緩み過ぎている。ずっと死んだふりをする事が有効な手だと分かっていても、瓜生が呆れるのも無理からぬ事だろう。

 滅火も無名もただ結論を待っているように、話だけ聞き口を挿まない。

 美馬は、これからの動きを入念に打ち合わせた。

 

「兄様。これでみんなが幸せに生きる事が出来る世になるんだよね?」

 今後の行動についての最終確認が終った後、無名は静かな口調で言った。

「ああ。今の停滞を起こしているのは幕府だ。そこを変えれば助かる命はあるさ」

 無名と美馬は暫しの間、見詰め合い互いに目を逸らさなかった。

 どれ程経ったか、先に視線を外したのは無名だった。特に何か言う事もなく無名は出て行った。

 その後ろ姿を滅火が見送る。その視線には複雑なものが含まれていた。

 無名の気配が完全に遠ざかったのを確認して、滅火が少し悲しみを帯びた目で美馬を見詰める。

「貴方は無名に嘘を言ったね」

「嘘を言った覚えはない。結果的には同じ事だからな」

「でも、あの子は成長している」

 明らかに以前の無名ならば、美馬に絶対の信頼を捧げていた。だが、今は見極めるような眼で美馬を見ていた。滅火は、それを素直に喜べなかった。美馬が手段を選ばない男だと知っていたからだ。

「そのようだ。だが、問題はないし、予定の変更もない」

 それを裏付けるような美馬の発言に、滅火はただ瞑目した。

「私の予定もという事ね?」

 これからの計画では、自分が先に実行し、無名が後だった。そうなったのは簡単な理由で、滅火に残された時間が無名より圧倒的に少ないからに他らない。

 無名が帰ってこなかった場合には、別の計画に移さねばならないところだったが、幸か不幸か無名は戻って来た。全ては予定通りだ。

「そうだ」

 冷徹に前だけを見詰める美馬の横顔を、滅火は心配そうに見詰めて結局は美馬同様に目を逸らすように前を見詰めた。

 

 狩方衆の宿願を叶える為の戦いが始まる。

 

 

 

          3

 

 美馬は、領主の要請に応じる形で供を滅火と無名にしていた。美馬は馬に乗り堂々と進み、滅火と無名は二人で馬に乗っていた。手綱は滅火が握り、無名は滅火の後に乗っていた。無論、無名も馬に乗ろうと思えば一人で乗れるが、子供である事を印象付ける為にそうしている。

 磐戸駅の警戒は厳重なものだった。相手が滅火や無名でなければ。武士達が三人を包囲するように武器を手に油断なく三人を監視していた。唯一評価出来る点は、蒸気筒を武器に選んでいない事くらいだ。カバネリにとっては、一瞬で間合いに入り込める距離である。蒸気筒では反撃の暇も与えずに殲滅出来る。尤もそれがなくてもカバネリ二人にとっては、なんの障害もありはしないのだが。

 無名は周囲を何気ない風を装って観察していた。

「程々になさい」

 滅火が囁くように後ろの無名に言った。無名は微かに頷いて視線を美馬の背に移した。

 美馬の方は、涼しい顔で悠然と進んでいた。

 その姿を遠くで見ていた人間が居た。

 逞生である。

 逞生が無名達の姿を目撃したのは偶然だった。何気なく磐戸駅の領主館を見たのだ。逞生も菖蒲達の首尾が気になっていたというのもあったのだろう。

「生駒!」

 逞生は、大慌てで生駒にこの事を報せに走った。

 

 逞生は何か嫌な予感を感じながら、生駒と想馬の元へと急いだ。

 

 

 

          4

 

 菖蒲と侑那は、目付きの鋭い武士・板垣の案内で磐戸駅・領主である前田との面会に臨んでいた。

 前田は、温和な性格が滲み出た顔付きの領主としては若い男だった。掛けた眼鏡が知的な印象を与えるが、領主としての威厳に欠けるように見えた。

 そんな男が笑みを湛えつつ、菖蒲達に口を開いた。

「いやぁ。済みませんね。女性のみでなどと無茶を言ってしまって。これも金剛郭からの指示なんだよ」

「いえ。お忙しい中、時間を割いて頂き感謝しております」

 前田の言葉に菖蒲は恐縮して見せる。前田の言葉にはなんの裏も感じない。

「当然の用心です」

 前田の傍に控えていた板垣が鋭い声で言った。本来であれば、主君の言葉を家臣が許可もなく口を開く事は許されない。特にこうした公式の場では。

 菖蒲は、余程前田は板垣を信頼しているのだろうと理解する事にした。

「分かっているよ」

 前田は苦笑いで板垣の言葉に応えた。

「実はね。美馬殿が補給の依頼をしてきていてね。上からのお達しで迂闊に磐戸駅に入れられないので、こうした条件になった訳なんだ。彼等の補給を受けない訳にもいかないからね。でもね…。そんなに彼等を警戒しなくても良いのではないかと僕は思うのだけどね。彼等は、幕府の命で何年も文句一つ言わずにカバネを倒し続けている。彼等に恨みがあるにせよ。そんなものを抱えて何年も大人しく従い続けるとは思えないよ。そろそろいいんじゃないかと思うけど」

「殿は、奴等と上様の確執をご存じないから、そのように思うのです。現に胡乱な輩も磐戸駅をうろついているようです」

 板垣が呈した苦言に、菖蒲は嫌な予感を覚えた。まさかという気持ちが抑えられずに口を開いた。

「失礼ですが、板垣殿。それは…」

「貴女様も話しておられたようですな。あの浪人者ですよ。アレは質の悪い信奉者の息子です。家が取り潰されて問題を起こした破落戸です。あまり関わり合いにならない事を勧めます」

 板垣は侮蔑も露にそう吐き捨てた。問題を起こした事まではきいていないが、想馬が美馬に従っているとは思えなかった。美馬を語る彼の顔に嘘はないように感じたからだ。

 侑那は、少し目を見開くだけの反応だったが、彼女にしてみればかなり驚いている。

 菖蒲は、内心で嫌な予感が的中した事に内心顔を顰めた。下手をすれば、想馬も磐戸駅でお別れとなるかもしれない。しかし、無名に続いて最大戦力ともいうべき想馬を欠く事は、菖蒲にとって避けたい事態だった。確かにこの先は、日ノ本で一番安全な金剛郭だ。だが、狩方衆がこのまま黙っているとも思えない。ここに来る前に聞いた不穏な話と合わせれば、想馬は甲鉄城に居て欲しい人材だった。想馬がカバネリになっており、一人で放り出せないというのもあるが。想馬ならばどうにかしそうだが、自分達を助ける為にカバネリになってしまった彼に不義理は武士の娘として出来る事ではなかった。

「そんな事まで把握なさっておられるのですか?」

「当然です。不穏分子ですからな」

 菖蒲の言葉に板垣は顔色一つ変えずに淡々と答えた。

 菖蒲は、これから彼等の口から出る言葉を予想する事が出来た。

「それで、申し訳ないのですが美馬殿の金剛郭入りも断る以上、件の人物の立ち入りも断らざるを得ないのです。それと四方川の家臣団も今回はお断りしなければなりません」

 前田は困り顔で、菖蒲の予想を遥かに上回る発言をサラリと言った。

 思わず、前田の顔をまじまじと見てしまい、慌てて目を畳へと移した。

「私も遣り過ぎだと感じているのですが…」

「仕方ありますまい。聞けば、四方川殿は狩方衆と接触していたというではありませんか」

 前田は気の毒そうな視線を菖蒲に向けるが、ここでも板垣が冷酷な発言をする。

 しかし、菖蒲は目の前が暗くなりそうなのを堪えて、疑問に感じた事を尋ねた。

「何故、それを?」

「幕府が駅領主を放置している訳もないでしょう」

 板垣が菖蒲の疑問に冷ややかに返答した。どうやってその情報を得たのか分からない。それが不気味だった。

「ご老中の牧野様の口添えもあるでしょうから、そう難しく考えないで下さい。金剛郭に入ってしまえば安全なのですから」

 前田が困り顔で、菖蒲を励ますような事を言ったが、それが救いだと菖蒲は感じなかった。

 そこまで警戒されているのであれば、菖蒲がどんなに言葉を重ねたところで覆せない。

 菖蒲は、ただ頭を下げて今の表情を見られないようにするしかなかった。

 菖蒲達の話が終わるのを待っていたかのように、背後の襖が開いた。

 

 菖蒲と侑那は驚いて現れた男を見るしかなかった。

 

 

 

          5

 

 現れたのは今しがた話していた件の人物・美馬だった。菖蒲達は更に後ろに無名が居るのを見て目を見開く。

 菖蒲は、信じられない思いで前田を見遣る。前田の方は苦笑いで明後日の方向を見た。

「いや…急いでいるということでね…」

 前田が誤魔化すように、それだけ言った。

「失礼しました。通されたもので、そのまま…」

 美馬は穏やかに微笑みながらそう言ったが、菖蒲には最早不気味にしか感じなかった。

 だが、次の瞬間にいつの間に近寄ったのか板垣が、蒸気筒を手にしっかりと美馬に狙いを付けていた。音もなく菖蒲達は板垣が動いた事すら気付かなかった。しかし、美馬に向いていた銃口の射線は滅火によって遮られた。こちらも菖蒲達からすれば、突然に湧いて出たようにしか見えなかった。美馬は自身が銃口を向けられたにも関わらず、穏やかに滅火の肩に手を置き下がらせた。滅火も一瞬美馬を窺うような視線を向けて素直に下がった。

「板垣…美馬殿は話に来られただけだぞ?金剛郭ならばいざ知らず」

 前田は困ったような声でだが、窘めるように家臣に声を上げる。

「話ならば、銃を向けられていても話せましょう。それとこの男はもう世継ぎではありません。殿など付けないでいただきたいですな」

 前田は家臣の言葉に言葉を詰まらせる。確かに重要な要所を護る領主と一組織の長とでは身分が違い過ぎる。前田の方が今や身分が高いのだ。前田は美馬に羨望に近い感情を持っている為、呼び方は美馬殿に落ち着いていたのだが、板垣はこれを機に改善を要求したのである。

 美馬も表情を変えずに、銃を向けられたまま話す事に同意した為、菖蒲達は退出しようとしたが何故か留め置かれて脇で話を聞く事となってしまった。

 美馬は座るように求められても平然と座った。滅火とも無名とも大きく離される形でだ。座ればどんな者であれ、対応が遅れる。同行者の二人との連携も離されては取り辛い。しかも、蒸気筒は板垣をはじめ、磐戸駅の武士達が立ったままの状態で狙いを付けたままだ。

 

 美馬の要求は補給であり、その量は慎ましいものだった。多少の交渉と前田が武勲の話を聞きたがった為に、なかなか菖蒲達は退席が叶わなかった。

 そんな中、無名は関心なく欠伸したりして辺りをキョロキョロ見回したりしていた。大人しく座って身動ぎ一つせずにいる滅火とは真逆である。そして、無名は急にもじもじし始めた。

「兄様!厠行きたい」

 挙句、そんな事を言った。

 それには、前田はあまりの無遠慮さに呆然とし、板垣を除く武士達は呆れた顔をした。

「早く!こんなとこで漏らしたら恥ずかしいでしょ!」

 あまりの言い様に美馬ですら、苦笑いを禁じえないようだった。

「頼めますか?」

 美馬が若干恥じ入りつつも、前田に断りを入れる。

 無名は慌ただしく退席していった。

 だが、菖蒲には無名の態度に違和感を覚えていた。確かに無名は子供であるし、生駒や想馬との交流を経て成長したとはいえ、まだまだ子供っぽさはぬけていないが、先程の行動はそれをワザと誇張したように感じたのだ。

 

 何かが動いたような予感に、菖蒲は顔を顰めた。

 

 

 

          6

 

 逞生の知らせで生駒と想馬は、無名が居るであろう場所まで駆けていた。生駒はすぐに走り出したが、想馬は生駒に引き摺られた形になっていた。物理的にである。

「おい。どうして俺まで行くんだ」

 ややウンザリとした声で想馬は呻くように言った。女に手を引かれて歩くなら許せるが、野郎に手を引っ張られながら歩くのは遠慮したい。

「無名を放置したのは、想馬だろう!アイツはまだ何をしでかすか分からないんだ!」

 キッと睨む生駒の手を振り解き、自分で走る方がマシである事を伝えてどうにか生駒を宥めて走る。

 想馬は走りつつも溜息を吐いた。

 

 そして、過剰な程に子供である事を強調した無名は、廊下を蒸気筒で武装した武士四人に囲まれた状態で歩いていた。

 過剰な演出は効果があったようで、警戒は多少緩んでいるのが無名には見て取れた。

(呆れたね。まあ、ここら辺でいいか)

 無名は、兼ねてよりの打ち合わせ通りに行動を開始した。

 まずは背後にいる二人の意識の隙間を突き、流れるような動きで後退する。無名を一瞬で見失った二人の武士は、一瞬ではあるが動きが止まってしまった。

 素早く首筋に一撃を加えて二人を昏倒し、更に遅れて背後を振り返った前方二人の武士に当て身を食らわせる。

「一応、殺さないで置いたんだから感謝してよね」

 無名は、それだけ言うと音もなく駆け出した。その姿はすぐに消え失せ、意識を刈り取られた武士達の発見は暫く時間を要した。

 稼いだ時間で跳ね橋へと向かうのに、無名の脚ならば時間は掛からない。最低限の人数を素早く音もなく倒し跳ね橋を上げるレバーまで辿り着いた。

 無名は、用心深く外を観て他に気付きそうな敵影がないかを確かめてから、懐から手鏡を取り出した。子供の持ち物でしかも武器ではない手鏡は没収されなかったのだ。手鏡を反射させて仲間に合図を送ると、レバーを勢いよく下ろす。無名の動きに気付いていなかった守備の武士達は突如跳ね橋が下りた事に驚愕し、今更ながらに跳ね橋のレバーがある場所へと走り出した。 

 

 合図を待っていた克城の沙梁は、合図を確認し時間通りである事を確認し淡々と指示を飛ばした。それを受けて、人の血肉を括り付けた蒸気バイクに跨った瓜生が部下と共に克城を飛び出して行った。大量のカバネと共に。

 

 一方、無名は次の行動を起こそうと移動しようとしていた。だが、それは乱入者によって止められる事となった。

「無名!」

 そこに飛び込んできた面々を見て、無名は年齢に見合わない溜息を吐いた。無名の予想通りの面々だったからだ。

 生駒と逞生、想馬である。

「こんな所で何やってるんだ!」

「何って、克城を入れるんだよ」

 生駒が険しい顔で問い詰めるような口調に、無名は淡々と目的を告げた。

 想馬は、眉間に皺を寄せて、重い溜息を吐いた。

「お前!自分が何やってるか、分かってるのか!?」

 生駒が激昂するように激しい口調で言う。逞生は事態の大きさに顔が真っ青である。ここまでやってしまえば、もう反逆である。日ノ本全てが敵に回ってしまう。

 それでも無名と想馬に表情の変化はない。

 想馬は、無名を押し退けるように外を見て、眉間の皺を更に深くした。

「美馬は幕府を倒す積もりか」

「そうだよ。生駒達も見たでしょ?閉じ籠っていても何も解決しないんだよ!これじゃ、戦いが終わらない!だから、今、戦わなきゃいけないんだよ!」

 想馬に押し退けられながら、無名は生駒に反論する。

「やり方は気に食わんがな」

「「え?」」

 想馬の呟くような言葉に、生駒と逞生が慌てて外を確認する。そこに広がっていたのは、蒸気バイクに血肉を仕込んでカバネを誘導する狩方衆・瓜生達の姿があった。

 あまりの出来事に生駒と逞生が愕然とその光景を見ていた。

「兵が少ないなりのやり方なんだろうがな。だが、あれは火を付けた牛だの豚じゃないぞ。お前、本当にこんなやり方でいいと思ってるのか?」

「……」

 無名も流石に黙り込んだ。無名もカバネがどんな悲劇を生むかは、嫌という程分かっていたからだ。

 それに自分は、こんなやり方をするとは聞かされていない。何かするだろうと思っていたが、まさか無名もここまでとは思っていなかった。

 しかし、現状では美馬こそが、この世の中を変える可能性があった。やり方はどうあれ。

 嘗ての無名ならば美馬に詰め寄り止めてくれるように頼んだだろう。だが、今の無名はそれを飲み込んだ。自分で考えた結論だった。今、血を流そうと変えなければならない。安心して皆が暮らせる時代を迎えさせなければならない。無名は強く拳を握り締める。皮膚が破けて血が出る程に。

「兄様は、やり方も拘りがあるみたいだったから…何かあるんだと思う」

 無名は、それだけ答えると開いた監視用の開いた窓から身を躍らせた。自ら決めた事とはいえ、想馬達の顔を真面に見る事が辛かったし、決意が鈍りそうで嫌だったからだ。あそこは自分には暖か過ぎる。

「無名!」

 生駒の声は虚しく響いただけだった。当の本人には届いたか確認出来なかった。

 想馬は、無言で背負っていた斬馬刀を手にすると、ゆっくりと歩き出した。

「お、おい!どこ行くんだよ!?」

 逞生が若干怯えを含んだ上擦った声で想馬を問い質す。

「お話は終わりだ。もう戦うしかないだろうが」

 

 想馬はそれだけ言うと振り返らずに歩き出した。

 

 

 

          7

 

 狩方衆が作り出した状況は、あっという間に前田達がいるところまで届いた。

 慌ただしく襖が開かれ、伝令が駆け込んでくる。

「申し上げます!カバネが磐戸駅内へ入り込みました!…」

 予想外の出来事に板垣達は、一瞬引き金から指の力を抜いてしまった。注意すべき人間への警戒も緩めてしまったのだ。

 その場に居た菖蒲は、偶然見てしまった。美馬が口が歪んだのを。

 伝令がまだ何か言おうとしたが、その暇は与えられなかった。美馬と滅火が動いたからだ。

 美馬の方は、正座していたにも関わらず、体重を感じさせない素早さで体を浮かせると自分に銃口を向けている板垣の蒸気筒を腕で撥ね上げる。板垣は銃を咄嗟に捨てて脇差に手を伸ばしたが、脇差は既に美馬の手で刃を抜かれていた。美馬は脇差を躊躇なく板垣の心臓へと突き刺した。板垣が苦悶の声を最後に全身から力が抜け崩れ落ちてた。それを前田は呆然と眺めているだけだったが、他の武士達は反応しようとしたが遅かった。既に動き出していた滅火により、瞬く間に脇差を奪われ殲滅されてしまった。あれだけの至近距離で発砲されたにも関わらず、滅火は掠り傷一つ負わずに平然としていた。伝令は漸く逃げようと動いたが、滅火の投げた脇差が頸に突き刺さり倒れ込んだ。

 美馬はそれを見届けると、ゆっくりと前田に歩み寄った。

「貴方に恨みはないのですがね。貴方の御父上には大変世話になった。地獄では再会出来そうにないので、今詫びて置こう。済まない」

 美馬は変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま、呆然と座るだけの前田の頭を掴んだ。

「や、やめ…」

「お止めなさい!」

 菖蒲が壁にある薙刀を手に美馬に刃を向けるが、美馬は一瞥しただけで漸く言葉を発した前田の頸に脇差を突き刺した。

 返り血が美馬の身体を紅く染める。

 美馬がゆっくりと残った菖蒲と侑那を見遣る。侑那は咄嗟に菖蒲を護るように前に出た。特に自分に何かが出来ると自惚れてはいない。こんな事をしても自分達は殺されるだろうと分かっていても、侑那は動いた。与えれた仕事を期待以上に熟す事で、男社会の駿城の世界で生き抜いてきた侑那の真面目さの現れだった。その侑那の経験が菖蒲を救った。次の瞬間には、菖蒲の肩に簪が突き刺さったからだ。

「侑那さん!」

 あまりの衝撃に侑那が倒れるのを、菖蒲は受け止める為に薙刀を手放さなければなかった。投擲した人間を確かめれば、それは滅火だった。カバネリの力で投げられれば、女性としては力のある侑那が倒れるのも納得がいく。

 菖蒲はせめてもの抵抗として二人を睨み付けた。

「丁度良かった。貴女達には、同行して頂こう。素直に従って頂ければ手当して差し上げてもいいですよ」

 それでもこの言葉に、侑那は自らが安堵した事を感じた。今更ながらに死の恐怖が襲ってきたからだ。それを恥じと責める事は出来ないだろう。

 菖蒲も侑那を放置して玉砕する訳にもいかない。完全に人質を取られたようなものだった。

 

 菖蒲も侑那の背越しに、青白い顔で美馬を睨むのが精一杯だった。

 

 

          8

 

 想馬にとって美馬とは、唾棄すべき過去の象徴だった。故に意識的に美馬とは関わらないようにしていた。実際に対峙した時、言葉は無くとも感じるものがあった。自分とこの男は相容れないと。おそらくは向こうも同じ気持ちだっただろうと察した。

 もう既に外はカバネで溢れていた。捨てた故郷の姿が脳裏を過り、想馬は顔を顰めた。それを振り切るように徐々に速度を上げて、遂には走り出していた。自分の装備が置いてある甲鉄城へと。

 

 一方その頃、甲鉄城では、訳も分からぬまま防衛線を強いられていた。駿城の親鍵を持つ菖蒲がいない為、甲鉄城を動かす事が出来ないからだ。

 車庫の扉を閉め、入り口を甲鉄城の武士達が蒸気筒を手に奮闘していた。まだ若い平助までも動員して防衛しても手が足りているとは言い難い状況に、全員が必死に冷静であろうと努力する事と全力を尽くす事以外出来なかった。生駒が開発した噴流弾がなければ、全員カバネの仲間入りを果たしていただろう。

 吉備土は目の前のカバネを排除し、次のカバネに狙いを定めた次の瞬間、カバネの心臓部が破裂するように背後から破壊された。

「生駒!」

 素早く生駒が吉備土に駆け寄る。後ろにいた逞生も蒸気筒を担いて後に続く。

 だが、生駒が口を開く前に、突風が起きた。吉備土と生駒が振り返ると想馬が斬馬刀を一振りしたところだった。カバネが五匹程上半身を引き千切られるように飛ばされた。その恐ろしい重量の鉄塊というべき剣を、まるで普通の刀でも使うように繊細な剣術で次々と突風と共にカバネを片付けていく。その姿に周辺の武士すらも呆然と動きを止めた。

 想馬の周りからカバネが一掃されると、想馬は悠然と甲鉄城に続く扉を開けて入って行った。装備の鎧や銃は、甲鉄城の中に置いてきていたのだ。想馬はただそれを回収しに来ただけなのだ。

「っ!菖蒲様は!?」

 生駒が我に返り吉備土に問うと、吉備土は苦い顔になった。

「まだお戻りにならない」

 それだけで状況を察した生駒は、貫き筒を握り直した。自分が救出に向かう積もりだからだ。

 だが、それは来栖によって阻まれた。来栖は馬に騎乗していた。

「俺が行く」

 短いが決意の籠った声で来栖は告げた。吉備土は一人では危険だと言おうとしたが、思いとどまった。幾ら言葉を重ねたところで来栖は一人で行くだろう。実際、これ以上人を割く事など出来る状況ではない。

「ここは任せる!」

 来栖は、ここの防衛がどれだけ厳しい事か承知していた。だからこそ、それだけ言うとすぐに馬首を返して走り去った。

 吉備土は、そんな来栖を少しの間見送ると、すぐに蒸気筒を構えて檄を飛ばす。彼と主の飼える場所を護る為に。

 

 一方、無名はと言えば駅の居住区を突っ切っていた。目的地は磐戸の大門。金剛郭へと続く唯一の入り口であり、彼の地を護る最後の要塞だ。克城とは、そこで合流する手筈になっていた。

 既にカバネとの戦闘が広範囲に広がり、居住区は炎に包まれていた。そんな中を無名は、襲い来るカバネを蹴散らしながら疾駆していた。

 だが、そんな無名の眼に女の子を連れた母の姿が映った。

(逃げ遅れたんだ)

 そんな親子の背にカバネが姿を現した。無名は反射的に動いた。偽善であると分かっていても見過ごす事が出来なかった。嘗ての自分の姿を思い出してしまったからだ。

 母親がカバネに気付き娘を庇おうとする。無名は全力で駆けて、跳び蹴りでカバネを吹き飛ばし、倒れたところを単筒で至近距離から心臓部を破壊する。

 無名は振り返り、親子に逃げるように言おうとした。だが、実際に声を上げる事は出来なかった。

 振り返った先には、腕に噛み痕をつけた女の子が怯えている姿だった。もう、カバネのウイルスが浸蝕を始めていた。母親は優しく宥めると自決袋を取り出す。もしかしたら、武士の家族なのかもしれない。母親は娘を後ろから抱きしめると、娘の胸に自決袋を押し当てた。

「大丈夫だよ。一緒だからね」

 次の瞬間、自決袋が炸裂し親子を貫く。

 無名は、顔を歪ませて単筒を握り締めた。これは自分が選んだ結果だ。

(御免、とは今は言わない。償いはきっとするから)

 無名は、走り出した。周りの光景を振り切るように。

 

 甲鉄城を一人離れた来栖は、カバネが増え続ける磐戸駅を馬で走っていた。必要以上に相手にして血を流させる訳にはいかない。仲間の血でさえカバネは反応するからだ。

 彼の時代遅れと揶揄され続けた刀術が、彼を今助けていた。

 領主の元は既に生きた人間は存在していなかった。遠目からでも分かる程に。普通に考えれば絶望するところだが、成長を遂げた菖蒲は無事であると彼は信じた。

(菖蒲様!)

 次の捜索地点は、磐戸駅の駿城が停車していると思われる車庫である。後退すべき地は磐戸駅には金剛郭しか存在しない為、磐戸の大門へ直接乗り入れる路線があった。磐戸の大門とは、金剛郭へ至る最後の砦であり最大の防衛施設である。他の駅の比ではない壁の厚さに強度を誇り、大口径の砲門を幾つも備え、それは確度もかなり自由に調整出来る最新式が採用されている。金剛郭自体も堅牢だが、磐戸の大門もまた金剛郭を護る城壁の一つと言えた。来栖は、領主である前田と共にそこに避難した可能性を考えて馬を走らせていた。自分達を排しての面会となれば、最悪菖蒲だけ連れて行くというのは有り得そうに思えた。だが、直接乗り入れるとはいえ、駿城がある格納庫まで行く必要がある。カバネにこれだけ侵入されているとあっては、簡単に辿り着けないだろう。来栖は磐戸駅の武士達の武装を見ている。旧来の蒸気筒しか装備していないし、刀術に優れた武士もそれ程いるように見えない。そんな連中に菖蒲を任せるという選択肢は、来栖にはなかった。もし、菖蒲だけでも確実に助かるというのであれば、殉じる覚悟が来栖にはある。だが、そう上手く事が運ぶとは信じられなかった。その根拠となるのが、狩方衆である。カバネを放ったのも奴等となれば、そのまま行かえるとは到底思えない。菖蒲は自分の助けを待っている、来栖はそう信じた。それはただの願望だった。

 

 だが、それが天に通じる時もあるのだ。

 

 

          9

 

 カバネの侵入を許したとはいえ、磐戸駅の武士達の戦いが終わる事を意味していない。例え、それが勝ち目の薄い死地であったとしてもだ。

 磐戸駅の武士達は、当然従来の蒸気筒を使用している為、カバネを一撃で倒す事は出来ない。しかも、カバネは時間を置くごとに増えていく。武士達が次々と倒れて、カバネの餌と化す地獄のような戦場だ。

 蒸気筒を生き残りで密集し射撃し牽制する。徐々に後退を余儀なくされている。あちこちに火の手が上がり、あっという間に火が燃え広がっている。このままでは、焼け死ぬか、カバネの仲間入りするか、餌となるしかない。

「御屋形様は、どこに行かれたのだ…」

 カバネをどうにか撒いて、住居の陰に身を隠し武士の一人が思わず呟いた。

 普段ならば口にしない領主への不信を口にしてしまう。

「まさか…」

 続く言葉は、容易に想像出来た。だが、それを口にする事は出来ない。領主への信頼からではなく、不吉な事を口にしたくないからだ。

 武士達の戦意は最早ないも同然だった。

 だが、そこに希望が齎される。

 駿城が燃え盛る居住区の真ん中で停車したのだ。誰しも、自分達を助ける為に停車したと考えた。

「助かった!」

「早く乗り込め!」

 武士達が口々に走り出す。その駿城が自分達の駿城ではないにも拘らず。そんな事を考える余裕すら彼等にはなかったのだ。

 駿城の下には梯子が掛けられていた。それは地獄に垂らされた蜘蛛の糸だ。武士達がはしごに殺到する。

 それを酷く冷たい眼で眺めていた男がいた。沙梁である。この駿城は克城だったのだ。沙梁は蒸気筒を構えた部隊に手で合図を送る。そして、躊躇なく発砲されたカバネではなく、助かりたい一心で集まった武士達へ向けて。沙梁が手に持った剣で梯子を無造作に切断した。それにより梯子にまるで団子のようにくっ付いた武士達が地面に落ちて行った。さながら切れた蜘蛛の糸のように地獄に真っ逆さまに落ちた。落下で上に居た武士程確実に落下の衝撃で死んだ。克城の下は武士達の血で染まり、カバネを呼び寄せた。

 そんな彼等の惨状を冷ややかに眺め沙梁は呟いた。

「我らが体験した地獄は、こんなものではなかったぞ。精々味わうといい。ほんの少しでもな」

 沙梁は、蒸気筒を持った隊員に手で合図し、共に克城へ引き上げていった。

 

 菖蒲と侑那は克城へと連行されていた。

 克城は既に美馬達を待っていた。合流の手筈は済んでいるという証左だった。狩方衆達が美馬を迎える。

「こんな事をして、どうなるというのです」

 菖蒲が険しい顔で美馬に強い口調で言った。

「言ったでしょう。補給しないといけない。燃料をね」

 美馬が微笑みを浮かべて言った。何も知らなければ美しい笑みだが、今はただ不気味なだけだった。

 沙梁が菖蒲と侑那に克城に乗るよう促すと、美馬は先に滅火を連れて克城に入っていってしまった。

「彼女の手当てをさせて」

「ならば、お早く行動頂きましょう」

 菖蒲は美馬の背を睨みつつ、沙梁に要求した。沙梁は、全く無感情に変わらず克城へ入るように促すだけだった。

 菖蒲は、侑那に肩を貸して克城へと入っていった。 

 

 来栖は克城へと入っていく菖蒲を発見していた。当初の予想とは違ったが、そんな事はどうでも良かった。例え、それが最悪の外れ方をしていたとしても。

(磐戸駅の武士達のなんと頼りない事だ!)

 狩方衆の方が武器も兵の練度も優れているとはいえ、磐戸駅の武士達がこうもあっさりと客である菖蒲を奪われた事に来栖を怒りを感じたが、同時に発見する事が出来た幸運に感謝した。菖蒲が無事であると確認出来たからだ。

 来栖は、更に馬に速度を上げさせた。

 

 菖蒲を救出する為に。

 

 

 

          10

 

 美馬は、克城の中で最後の仕上げをすべく準備を進めていた。滅火と共に。と言っても、やる事自体はそう複雑ではない。注射器に特殊な薬液を取り付けるだけだ。

 この薬液こそが美馬が用意した切り札だった。研究成果は、()()()ある程度実証されている。

「おいで、滅火」

 美馬が呼び掛けると、滅火は少し緊張した面持ちで近付いてきた。滅火にしては珍しい反応だが、これから自らに起こる事を知っていれば当然と言えた。それを承知していてなお、美馬は敢えて問うた。

「怯えているのか?」

「貴方が私に怯えているからよ」

 返ってきた返答は、美馬からすれば少し耳に痛い言葉だった。実際、自分は勇猛な質ではないと自覚があるが故に。だからこそ、生駒の傍にいた男は好かなかった。あれは自分とは真逆な男だと感じたからだ。だが、将軍家の跡取りとして育てられた美馬にありのままでいられる事は、許される事ではない。

「貴方は仮面を付けているだけ」

 滅火の言葉に頷いてやる訳にはいかない。例え、今生で最後の時だったとしてもだ。ずっと、そう生きてきた。今や仮面も美馬の一部だ。

「貴方はずっと怯えているわ」

「やると決めた事だ」

 それだけ言うと、滅火の上半身を片手で支え寝かせるようにして、注射器を滅火の心臓へと注射した。すると、刺した箇所から汚泥のような物体が滅火の全身を血管のように這っていく。滅火の身体が小刻みに痙攣する。その汚泥のようなものは動きを止めると、滅火の痙攣も止まった。汚泥は金属のように硬く、それなのにゴムのように柔らかく滅火を包み込んでいた。そして、滅火の眼が怪しく輝くと、まるで宙に浮くように美馬の腕を離れ真っ直ぐに立った。

「滅火。大門を壊せ」

 美馬は囁くように命じると、普段の滅火からは信じられない事に黙って歩み去っていった。美馬もそれを可笑しいとは感じていないのか、黙って去って行く滅火を見送った。

 

 一方、甲鉄城の武士達は、波のように押し寄せるカバネと未だに戦い続けていた。

 

 

 

 

 

          11

 

 残された甲鉄城の面々は終わらないカバネの襲撃を、どうにか凌いでいた。

 普通の人間が相手であれば恐怖して撤退するなり、攻撃の手が緩むものだが恐怖心というものが殆どないカバネは怯む事がない。侵入したカバネが未だに磐戸駅の人々を噛んでいるのでキリがない状態だった。大きな駅なだけにどれだけ増えるか分からない。

 そして、当然蒸気筒も無限に撃てる訳ではない。弾の補充の他にも蒸気故に必要なものがある。

「タンクの替えを持ってこい!」

 武士の一人が声を上げる。蒸気圧で発射する蒸気筒に必要なものだった。中から武士の声を受けて、子供がタンクを抱えて飛び出してくる。だが、車庫の屋根から人型の影が差した事に気付いていなかった。カバネである。屋根からカバネが飛ぶ。子供を狙って。子供が気付いた時には既に遅かった。タンクを頼んだ武士が隊列を離れようとするが、カバネの落下の方が速い。子供は上を見上げる事しか出来ない。だが、襲われる寸前で鉄の塊がカバネを直撃し、武士の隊列の前まで吹き飛ばした。鉄の塊は斬馬刀だった。久しぶりの完全武装の出で立ちで現れた想馬が子供を見下ろす。

「タンクは置いて戻れ、俺が渡しとく」

 想馬がそう言うと、子供はタンクを置いて足をもつれさせながらも戻っていった。想馬は無言で立ち上がった武士にタンクを押し付けると、車庫の入口まで戻ると中に向かって叫んだ。

「餓鬼にやらせるな!大人がいるだろうが!無駄飯食らうな!」

 それを言われると、残った大人は下を向いて気まずそうにしていた。武士達も敵を撃ちながら顔を顰めた。大人の中にもカバネが入ってきそうな場所の補強を行う者、いつでも甲鉄城を動かせるように動く者と働く者はいたが、恐怖で動けなくなっている者も多くいたのである。そうなれば動ける者が武士達を助けるしかない。それを買って出たのが先程の子供だったのである。武士達もそれに甘えた。大人が子供を護る。ある意味当然の事だ。だが、一様に立ち上がる素振りを見せない。

 想馬は、それの様を一瞥して去って行く。

「私がやります!」

 想馬の背に力強い言葉が掛かる。鰍だった。

「い、いや!俺がやる、やってやるよ!」

 若干自棄になっているような声ではあったが、一人の男が立ち上がり鰍を制した。少女までやると言われて、漸く男の見栄が機能したらしい。

 想馬は溜息を吐くと、生駒に声を掛けた。

「俺は討って出る。ここを頼む」

 彼の斬馬刀は、集団戦に向かない。下手をすれば味方を巻き込みかねない。そんな事をするくらいならば、離れてカバネを出来るだけ多く蹴散らした方が良い。

「分かった!」

 生駒は、去り行く想馬にしっかり返事を返した。

 

 磐戸駅の武士達もまた、最後まで抵抗している者達が居た。

 蒸気筒を撃ちつつ、後退を繰り返す。段々と追い詰められているのは理解していても敵の数が違い過ぎた。せめて住民達が少しでも生き残れるように囮になる。これ位しか出来る事がないのだ。これを自分達の最後の勤めと定めた。勿論、磐戸駅の駿城が動いている気配がない以上、助かる望みは薄い。だが、もしかしたら磐戸の大門まで辿り着く者がいるかもしれない。それを信じた。

「撃て!」

 残りが心許なくなった弾丸でカバネを牽制する。

 引こうとしたまさにその時、民家が崩落した。武士達が一斉に銃口を向ける。彼等とて無力という訳ではない。気配くらいは少しは読める。崩落した先に何か途轍もない存在がいると。すぐにでも引き金を引きたくなるのを堪えて、ジッと近付いてくるのを待つ。牽制するにしても接近を許し過ぎていた。冷汗が武士達の顔から流れ落ちる。

 出て来たのは、女だった。カバネならば性別など関係なく脅威だが、その女はカバネにしても動きが不可解だった。カバネの動きは、基本的に走っている時以外は、フラフラとした挙動を取っているが、この女は確固たる足取りで歩いていたのだ。だからこそ、発砲するのが遅れた。

 女の身体から汚泥のような物が伸びると、次々とカバネを捉えていくと、自身にカバネを巻き付けるように纏ったのだ。武士達は、その光景をただ茫然と見ていた。理解を超える光景だったからだ。普通は初めてだろう。融合群体が出来る様を見るなど。

 武士達が我に返る頃には、手遅れだった。周辺のカバネを纏い。巨人と化していた。

 武士達は悲鳴を上げて逃げようとしたが、アッサリと踏み潰された。

 その光景を望遠鏡で覗いていた非重莊衛は、口元に引き攣るような笑みを浮かべて笑っていた。

「人口の融合群体・鵺か。どこまでやれるのか、しかと見せて貰おうではないか。アレを制御出来るのかを含めてなぁ」

 

 燃える居住区を速度を落とす事なく走っていた無名は、異様な気配に思わず足を止めた。

 黒い巨人というべきものが突如として地面から生えるように現れたからだ。

 そして、無名はそれが誰なのか気付いた。気付いてしまった。

「滅火!?」

 眼を見開き、立ち尽くす。走らなければならない。だが、足が地面に縫い付けられたように動かない。

 八代駅で見た。融合群体の核の姿が頭を過ぎる。

 無名は、強引に足を動かした。滅火の元へと。

 この事は、自らの眼で確かめなければならない。

 

 一方、美馬は、克城で融合群体・鵺となった滅火を見ていた。

 そして、一言再度命じる。

「大門を破壊しろ、滅火」

 この時、美馬の眼が怪しく光ったのを見る者は存在しなかった。

 鵺と化した滅火は、その言葉に反応するように磐戸の大門へと向かってしっかりとした足取りで歩き始めた。武士や逃げ惑う人々、カバネを踏み潰しながら。

 当然、大門もただ漫然とそれを眺めていた訳ではない。素早く情報が金剛郭へと届けられ、迎撃態勢を取った。

 大砲の砲口が一斉に滅火に向けられ、躊躇なく発砲された。

 大砲が容赦なく滅火が纏ったカバネを焼き、砕く。滅火は悲鳴のような叫びを上げるが、その声は誰にも届いていない。その叫びに反応したのは汚泥のような融合群体たらしめるもの。纏ったカバネを別のカバネで補う。

 滅火もここで反撃に転じて、掴んだ建物などを投擲し始める。次々と大砲が次弾を装填する前に投げられ砲火が一時止んだのを確認し、滅火は走った。磐戸の大門を破壊する為に。

 だが、その疾走は、急に止まった。派手に転倒する事によって。

「どうした?滅火?」

 美馬は克城で初めての想定外の事態に怪訝な声を漏らした。だが、転倒した滅火には何が起きたのか分かった。カバネで出来た脚が途中から千切れていたからだ。

「八代駅じゃ、お陰様で人間辞める羽目になったが、今回はどれだけやれるかな?」

 滅火が造り出した瓦礫の上に一人の鎧武者が、斬馬刀と手に倒れた鵺を眺めていた。

 想馬である。

 状況を理解した美馬は、奥歯を噛み締めた。

 己の道を邪魔する真逆な男。理不尽なまでに憎しみが湧き上がる。

「その男を潰せ、滅火」

「悪いな。相手して貰うぜ?」

 想馬にとっては、雪辱戦となる相手だ。

 

 二人の男は、ここで初めて間接的に対峙した。

 

 

 

 

 

 




 想馬や無名、美馬の心情、どうしてそう決断したか。上手く書けた自身はありませんが、可能な限り書いた積もりです。
 次回、鵺との激闘となります。ベルセルク的な。
 正直、状況は改善していません。いつ投稿出来るか不明です。
 次回も宜しければお付き合い頂ければ幸いです。


 


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