神様代行始めました ~癒しと成長の奇跡で世界を救え!~ (ズック)
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1. 通りすがりの神様代行さ

思いつきの見切り発車。
よろしければ評価、感想をお願いいたします。


 

目の前には真っ赤な世界に佇む少女。その手には赤黒いペンキのような液体を滴らせたナイフをもっている。周りには恐怖の表情を浮かべて絶命した男たちが転がっており、みんな首から真っ赤な液体を垂れ流して地面を汚している。

 ああ、どうしてこうなったのだろうかと嘆いてみても、その言葉は誰に聞かれるでもなく空へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

*******************

 

 

 

 

 

 

 

 ――神。

 

 ――それはあらゆる生命を生み出した上位者。

 

 ――それはあらゆる生命の祝福者。

 

 ――それはあらゆる生命の行く先を見守る者。

 

 ――神を称えよ。神を崇めよ。神を畏れよ。

 

 ――神は天に、地に、人の隣におわすもの。

 

 ――祈りなさい。神はそれに応えるでしょう。

 

 ――信じなさい。神はすべてを愛するでしょう。

 

 

「まあそんな神様は過労で倒れちゃったんだけどねっ☆」

 

 

 目の前でにこやかに笑う少女。花が咲くように笑う、なんて言葉が似合う笑顔だとは思うけれども言っていることはさっぱり笑えない。というかここはどこで、この美少女は誰だろうか。ついでにいえば自分の姿もあやふやである。俺は誰だ。

 

「私の名前はグロウス。生命とその成長を象徴とする神よ。そしてここは私の部屋! ちょっと汚いけどあんまり気にしちゃダメよ!」

 

 見回してみるとなるほど確かに。今まで気付かなかったがペットボトルらしきものや酒瓶らしきものが転がっていたりする。しかし神のプライベートルームがこんなにだらしないことでよいのだろうか。

 

「さてここに神様が倒れてしまって停滞した世界があるわ。あなたにやってもらいたいのはこの世界を歩きまわって神の力を土地に戻すこと。そして倒れた神に代わって私の名前を広めることよ!」

「それは宗教戦争待ったなしでは……?」

「そこはこう、あなたの知恵と発想と勇気でどうにかして!」

 

 さらっと無茶を言いなさるなこの女神は。今の心境はさながら「なにか面白いことやってよ」と言われた気分である。現実はもっとひどかった。

 

「といわけで、はいっ」

 

 女神が掛け声とともに手を翻すと今まで不明瞭だった自分の体が実体を持ち始めた。それどころかなにか強い力が体の内側からあふれ出てくるような感覚さえある。

 

「私の力の一部を分け与えたから癒しや成長に関することはたいてい出来るわよ」

「たいていのこと……?」

「そりゃもうあなたが考え付くことのだいたい? あっ、死者の蘇生はさすがに無理よ?」

 

 まあ、さすがにそんな力を貰っても持て余すだけである。というか俺がやることは決定事項なのか。

 いまから断ってやろうか。そんな事を思うが口にはしなかった。

 

「これからあなたが行く世界では亜人、獣人と呼ばれるあなたとは姿形が似ているけどどこか違う知的生命体や他にも色々いるわ。その子たちは人とは違う価値観を持っていることもあるし、友好的とも限らない」

「つまり?」

「そこをなんとか乗り越えて私の布教とついでに世界を歩き回ってね! 大丈夫! 死ななければ嫌でも生き残れるわ! なんなら死んだら私が生き返らせるから!」

「ああ……、捕まったら一生拷問とかされるタイプの能力……」

「……頑張ってね!」

 

 目を逸らすんじゃあない。こっちを向け。

 

「はい、じゃあとりあえず人がいそうなところへレッツゴー!」

 

 女神がいつのまにか天井から垂れさがっているロープを握りしめていて、それを勢いよく引っ張った。

 ガコン、と床から音が聞こえたと思った瞬間にはもう俺の体は浮遊感に包まれて、真っ暗闇へと落ちていった。

 

 

 

*******************

 

 

 

 意識が戻ったときには街の中で佇んでいた。目の前には石造りの建物と、往来を行く人々。次いで街の喧騒が耳から入ってくるのを認識し、最後にしっかりと大地を踏みしめている感覚を覚えた。

 あまりの唐突さについていけずボケっとしていると、果物のようなものを乗せた籠を抱えた女性がこちらを怪訝な眼で見ながら目の前を通り過ぎていく。

 

(あーあー、マイクテスマイクテス。大丈夫? 聞こえる?)

(その声は女神……様?)

(うんうん、ちゃんと聞こえてるわね。様をつけるのをためらった理由は聞かないでおいてあげましょう。私ったら寛大ね、褒め称えて1時間に1回お祈りしなさいよ?)

(それで、俺はどうすればいいんですか)

(えーっと右前方にある路地に入って道なりに進んで。なんか弱々しいのがいるっぽいからそいつを助けちゃいましょう)

 

 女神の言うとおりに路地へと入り進んでいく。

 街の印象としては思ってた以上に綺麗である、ということ。もちろん建物の影になって薄暗かったり多少のゴミやホコリっぽさ、浮浪者の姿はちらほらあるが、逆にいえばそれくらいである。

 こういう路地裏ではそこらで血で血を洗うストリートファイトをしていたり、物盗りがわんさか現れるようなものだと思っていたのだが杞憂だったようだ。

 

「うわ本当にいた……」

(女神レーダーに狂いはなかったようね!)

 

 鼻高々に得意げな表情をしている女神の顔がありありと頭に浮かぶが、たぶん褒めると際限なくつけ上がるタイプだと思うので虫を払うように手を振って頭の中から追い出す。

 半信半疑だったのだが女神が示した場所にははたして、本当に人がいた。ボロ布で体と頭を隠すようにしているが布が小さいせいで隠し切れていない。

 目の前でしゃがみこみ顔を覗き込んで、ようやくボロ布の主が瞳をこちらに向けた。

 薄汚れてくすんだ黒髪。何も見ていないうつろな赤い瞳。あらぬ方向に曲がった腕。整っていたであろう、青黒く腫れた顔付き。……気が滅入る。

 

「……?」

「あー、通りすがりの神様代行さ」

 

 適当に挨拶をし、パッと見ても服代わりのボロ布から見えている折れ曲がった左腕をどうにかしたい。

 とりあえずこの腕を治してみよう。えいや、と自分でも気の抜けたと感じる掛け声とともに手をかざす。すると手から淡い白い光が放たれて少女の体に吸い込まれ、みるみるうちに折れ曲がった腕がゴキリメキリと音を立てて元に戻っていく。普通にグロい。が、しっかりと治るのを確認する。

 

(本当に治った……)

(え、半信半疑だったの!?)

 

 だってそりゃあまあ。力があるような感覚はあるけれどもどうしたらいいかわからなかったし。

 さて次は顔である。腫れあがって痛々しい顔など見てても楽しくないので早急に治してしまおう。と、気付く。最初は胡散臭い人間を見るような、それでいて無関心みたいな視線をこっちに向けているのだと思っていたが、これは――。

 

「眼、見えないのか」

「……」

 

 少女が小さく頷いた。じゃあ眼も治してしまおう。ゆっくり、優しく撫でるように少女の頬に手を当てて先程のように治れと念じる。

 

「温かい……? 明るい……?」

「お、治ったか。あと悪そうなところはないかね」

 

 先天性の病気か、顔の怪我の影響かは分からないが、失明も治せるようだ。さすが女神のお墨付きの癒しの力。医者いらずどころか医者殺しである。

 少女は光の戻った眼でキョロキョロとあたりを見回し、最後にこちらを見つめて首を傾げる。

 

「神様?」

「いいや、さっきも言ったけど神様代行。生命と成長の女神グロウスをよろしくな」

「……聞いたことがない、です。女神様はアシオン様しか知らないです」

 

(知名度0だとしたらやっぱこれ侵略なのでは?)

(細かいことを気にしてると禿げるわよ)

 

 絶対に細かいことではないんだけれども、たとえやっていることが宗教侵略であろうと今の自分にはこの女神に従う他ないので追及はやめておこう。見限られて能力を強制返還されて「じゃあバイバイ」などということになったらどうしようもない。

 

「さて、そんな知られてないグロウス様の名前を広げるために君の力を借りたいんだ。一緒に来てくれないかな」

「……グロウス様は知らないけれど、あなたの傍に居られるのであれば、こんな私でよければどこへだって付いて行きます」

「……んんん?」

 

 なんということでしょう。少女の声も表情も熱っぽく、こちらを見る目はまるで長い時を経て再開した恋人に向けるそれのようだ。気のせいだよね?

 いや、そうか。俺は直接神様本人を見ているから信じられるけど、そうでもなくただ奇跡を受けただけなら奇跡を行使した目の前の男が信仰の対象になるか。

 ……もう俺が神様でよくない?

 

(よくないっ!!!!!!)

(冗談です)

 

 現状ほかに選択肢がないから神様代行をしているのであってそれ以上にめんどくさそうな神様なんてなれるとしてもなりたくはない。

 

「えっと、私の名前はルーナです。その、よろしければ神様のお名前を……」

「だから神様じゃないって……。うん? 名前? 俺の?」

 

 はて、名前。ネーム。物や個人を特定するための言葉。自身にもあるはずのそれがうんうんと唸って悩んでみても一向に思い出せない。

 それどころかいたであろう家族の名前はもちろん顔すら思い出せない。根幹となる自身のことを思い出すことができないあなたはそれに恐怖を感じ、正気度チェックです。などと変なことは思い出せるのだが。

 

(神様ー。俺の名前知ってる?)

(え、知らないけど?)

 

 そうかそうか。思い出せないし、知ってる人もいないとなればどうしようもないな。

 

「うん、じゃあグロウス様から取ってロウで」

「はい、ロウ様」

(え、いや私の名前から取るのはちょっと……。ああー、まあいいかぁ)

 

 様付けで呼ばれるのは少し気恥ずかしいが、相手が美少女だから役得である。女神が何か言っていたが上手く聞き取れなかったし、そのあとなにも言ってこないのでどうでもいいことなのだろう。

 はてさて、それでこれからどうしたものかと悩んでいると、どこからか複数の足音が聞こえてくる。

 

「おん? 昨日さんざん殴ったと思ったんだが、足らなかったか?」

 

 路地の奥からぬっと大柄な男が歩いてくる。その後ろには6人。服や装飾品が他より良さ気な一番前にいる男がリーダーだろう。

 しかし今この男は殴ったと言ったか。つまりルーナの怪我はこいつらのせいか。

 胸にもやっとしたものが湧き上がるがチンピラリーダーがこちらにナイフを突き付けるのを見て立ち止ってしまった。

 7人相手だ。逃げるしかない、が。ルーナは傷を治したばかりでどこまで走れるかはわからないし、相手も黙って逃がしてくれるような雰囲気ではない。

 

「ロウ様。復讐ってどう思います? 悪いことだと思いますか?」

 

 最悪を想像している横からルーナの声が聞こえる。

 それは今しなければいけない質問だろうか。とはいえ聞かれたからには自分なりに答えよう。

 

「善悪は関係ないかな。当人が納得できるかどうかじゃない? それよりどうやって逃げるかルーナも……」

「なるほど。では――」

「なにをくっちゃべってんのか知らねえが逃がすとでもおぐぇっ」

 

 ぐるりと。今の今までこちらを威圧していたリーダーらしき男の頭が逆さに折れ曲がった。男が前に倒れると、いつの間に移動したのかさっきまで隣にいたはずのルーナが現れる。

 ルーナが男の手からこぼれ落ちたナイフを悠々と拾い上げるのを誰も動けず見ているだけだ。

 

「ええ、私自身の納得のために。皆殺しです」

「お、あ、あ、アニキィイイイイいぎっ!?」

「うるさいですよ」

 

 少し離れた位置にいたヒョロヒョロの男が叫び声をあげ、瞬きした直後にはその首にナイフを突き立てられて絶命していた。

 残りの5人も似たようなもので仲間がやられるのを見て声をあげ恐怖し、まるでワープするかのように瞬間移動するルーナによって首にナイフを突き立てられて殺されていった。

 

「ロウ様、ごめんなさいお待たせしました」

 

 血溜まりに佇むルーナが身に纏うボロ布には返り血の一滴すらついていない。

 というかこれだけの力があるなら出会った時のようにボロボロになることはないんじゃないか。

 

(ふふふ、あなたの疑問にお答えしてあげましょう! あなたが使える2つ目の力、成長の奇跡!)

(成長?)

(対象の才能、能力を潜在的なものも含めて呼び起こし、引き上げる奇跡よ。その子はきっと暗殺者の才能みたいなものがあったんでしょうね)

 

 さっき怪我を治したときに成長の奇跡を一緒にルーナへ使ってしまっていたのだろう。それがたまたまルーナが持っていた才能を呼び起こし、ルーナを本職も真っ青な暗殺者へと仕立てあげてしまった、と。

 

(なんというか、字面だけ見るとド外道の所業そのものでは?)

(細かいことは気にしないのよ! 結果的にあなたもその子も救われてるんだから)

 

 女神の言うことも一理ある。なにせルーナが何かしらの戦う才能を持っていなければ今そこで倒れているのは俺たちだっただろう。

 目の前で不安げな顔をしている、自分の肩ほどまでしかない少女の頭を撫でてみる。手を差し出したあたりでルーナの体がビクリと震えたが、少し頭を撫でればこの通り。ふんわり笑顔に早変わりである。

 

「……すっきりした?」 

「はい。あ……」

「ん?」

 

 ルーナの頭を撫でていたらフード代わりになっていたボロ布が外れて頭髪が見えるようになり、そこにあるはずのない耳を発見した。いわゆる獣耳、というやつだ。何の動物だかわからないが可愛らしいのでよしとしよう。

 ルーナは慌ててボロ布を頭にかぶりこちらの様子を窺うように見つめてくる。

 

「……犬? 猫?」

「狐、だそうです。でも黒い狐なんて普通じゃないって」

 

 あまり良い思い出がないのだろう。ルーナは見るからに気落ちしてしまっている。

 先程よりも少し強めに乱暴に頭を撫でまわす。どのくらいの時間そうしていたかわからないが、手を離したときには少なくとも表面上は笑ってくれた。

 

「とりあえずここから逃げるか」

 

 行く当てなんてないけれど、とりあえずこのむせかえるほどの血の臭いから逃げ出したい。

 ルーナと一緒に路地から逃げようと走り出すが、ふと、あの男たちを埋葬しないとまずいかと思い足を止めて死体を振り返って見る。

 

「どうしました?」

「……いや、なんでもない」

 

 結局、胸の前で小さく十字を切るだけでそこからは立ち止りもせずに走った。

 

 




――チンピラのナイフ
 チンピラが持っていた刃渡り20センチメートルほどのナイフ。こまめに手入れしていたのかよく切れる。


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2. え、俺の所為?

2020/01/29 ルーナの口調を修正
2020/07/06 加筆修正


 

 

「さーて、どうするかねえ」

「どうしましょうか」

 

 大通りにでてきた。

 ルーナと逃げてきたのはいいが先の展望は一切ない。というか金がない。泊る所どころか食事ができないのは死ぬしかない。

 金を稼ぐとなると働くということになるのだがしかし。

 

「住所不定で身元も怪しい2人組みを雇うところなんぞないだろ……」

「そう、ですね。この街は余所の人には冷たいですし、私のような獣人、亜人も歓迎されてない、です」

 

 街で働いて路銀を稼ぐのは無理ということがわかった。絶望しかない。

 しかしどうすれば金を稼げる。往年のゲームのように魔物でも倒せばいいのだろうか。いや、そもそもだ。

 

「魔物っているのか?」

「……はい。でも、この近くだとダンジョンに潜るくらいしないとたぶんいない、と思います。魔物を倒してダンジョンを攻略できれば、お金持ちになれるって聞いたことがあります」

 

 どうやら魔物自体はいるらしい。魔物が金になるかどうかは分からないが、少なくともダンジョンには金になるものがあるようだ。

 しかしダンジョンか。なんとなくゲームのようでワクワクもするがそれと同時に恐ろしくもある。なにせここは現実でローグライクゲームのように気絶したらダンジョンの外へ放り投げてくれるわけではないだろう。

 

(私はダンジョン行きは賛成なのよね)

(それはまた何故)

(この世界のダンジョンは世界の核に近い所なの。ダンジョンの一番奥にあるコアに触ればそれだけで広い範囲に私の力を与えることができるわ)

(なるほど? そういえば神様の力が世界からなくなると何か悪いことがあるんですかね?)

(そりゃもう大問題よ! 土地は死んでいくし魔物はわんさか現れるし最終的には世界そのものが死んでしまうもの)

 

 世界が死ぬ、というのは世界の崩壊ということだろうか。思っていたよりも大事だったようだ。

 となるとできればダンジョン攻略に乗り出したいところではある。

 

「ルーナはこのあたりにダンジョンがあるか知ってる?」

「ええと、はい。町の近くにひとつあるみたいで、そこそこ大きめのものだとか……」

「ええ……? 初心者用みたいな所は?」

「もしかしたらあるのかもしれませんが……、ごめんなさい。私は聞いたことがない、です……」

 

 どう考えても「その後彼らの行方を知る者は誰もいなかった」となるやつである。

 とはいえ金がなければ始まらないのも事実であるし、ダンジョン奥のコアとやらにも用がある。しかしそもそもダンジョンを攻略するための事前準備すらできないという有様だ。

 思わぬ壁に唸っていると控えめに服の|裾(すそ)を引っ張られた。

 

「あの、街を出る前にしたいことがあって」

「うん? どうぞどうぞ。なんでも言ってくれ」

「その、個人的にお世話になった人たちへのお礼を……」

 

 世話になった、というと孤児院とか教会だろうか。しかしルーナがそういったグループに所属しているとも思えない。あの男──ルーナが殺してしまったリーダーらしき男──は「昨日殴った」と言っていたのだ。それを今日まで放置されていたということは身寄りもないということじゃないかと思うのだが。

 少しの間頭をひねっていたが、ふと思い当たるものがあった。

 

「……あ、あー、なるほど。ついていこうか?」

「えぇっと、その、ちょっと恥ずかしいので一人で行かせてください……」

「うん、じゃあこのあたりで待ってるから行ってきな」

 

 ルーナは何度かこちらを振り返るので手を振ってみる。それを見てかどうかはわからないが、やがて覚悟を決めたかのように走りだした。

 

(ルーナが言ってたのって|お礼参り(・・・・)なんだろうなあ)

(十中八九そうでしょうね。どうするの?)

 

 どうすると言われても、という感じである。ルーナは見られたくないから一人で行ったのだろうし、なによりこっちの勘違いの可能性もある。

 しかしこの街はなんというか活気というものがあまりない感じがする。露天で果物や芋っぽいものを並べているお兄さんもそれを一瞥もせずフラフラ歩いているおじさんも元気がないというか。

 金もないのでそれらを横目に見ながらフラフラ歩き周り日陰になっているところに腰を下ろしてちょっとぼーっとしてみたり。

 

(……なにしてるの?)

(いや、暇だなと思って)

(暇ならあの狐の娘を追うくらいしなさいよ!)

 

 頭の中で女神が机をバンバンドンドン叩いている。うるせえ。

 しかし女神の言うことに一理ある、が、もう結構な時間が経っているので今から向かうとすれ違いになる可能性もあるので動くに動けないのだ。こんなことになるならこっそり付いていけばよかった。

 というわけでよほどのことがない限りはルーナに言ったとおりにこのあたりをうろついて待っているつもりである。

 

(よほどのことって例えばどんなこと?)

(例えば……ルーナが走っていった方で爆発とか──)

 

 そんなことを話していると突然の轟音が体を震わせる。驚いて空を見上げてみれば立ち並ぶ民家の向こうから黒い煙が立ち上るのが見えた。

 

(フラグ立てるの上手ね。さすがの私もちょっと読めなかったわ)

(いやいやいやいや。え、俺の所為?)

 

 あまりにも現実感がない。自分が考えたことが現実になる能力があるというほうがまだ理解できる。もちろんそんな能力などないのだが。……ないよな?

 とりあえず周りの人たちと同じように野次馬しに行こうではないか。万が一ルーナが巻き込まれていたら治療の出番があるかもしれないし。

 

 

*********************

 

 

 爆発があったらしい現場に着くと、倒壊してなおも燃え続ける大きな屋敷とそれを遠巻きに囲む野次馬たちがいた。

 

「あそこの屋敷の人って……よね」

「きっと恨みを持った誰かが火を……」

 

 野次馬たちがヒソヒソと喋っているのが途切れ途切れに耳に入る。詳しくは分からないが恨みを持たれるということはあくどいことでもしていたのだろう。たぶん。

 消火活動をしている人たちもいるが、そのうちの何人かが何もない所から水を出している。魔法だろうか。俺も使えるようになったりは……。

 

(ならないわよ)

(ダメですかそうですか)

 

 魔法を使えるようにはならないらしい。貰った力でどうにかしろという無慈悲な宣告である。貰えるだけましではあるが、やはり自分の力で強大な敵を打ち倒すというのはロマンがあると思う。そのロマンはたった今無残にも潰えた。

 さて、ルーナはこのあたりにいるだろうか。爆発に巻き込まれたりしていないだろうか。まさかとは思うが屋敷の中にいたりしないだろうか。

 キョロキョロとあたりを見回しているとボロ布をフード代わりに目深に被った人物を見つけた。野次馬たちよりも屋敷から離れたところからじっと燃える屋敷を見つめている。というかたぶんあれがルーナだろう。ボロ布を頭の方に寄せているせいで黒い尻尾と生足が丸見えである。眼福。

 声をかけようと近づくとフードがこちらを向いた。顔を確認。うむ、ちゃんとルーナだった。間違えていたら恥ずかしい思いをしていたところだ。

 

「ロウ様。待っていてくださいって……」

「あー、待っているつもりだったんだけどな。この騒ぎに巻き込まれてないかと心配だったんだ。怪我はしてないか?」

「はい、近くにいたからびっくりしましたけど、大丈夫です。それよりも、これ……」

 

 なにやら小さな袋の口をこちらに広げて見せてくれる。どれどれと覗いてみると硬貨や宝石がほんの少しだが入っている。

 

「お世話をしてくれてた人たちから貰いました」

 

 これはどう反応するべきだろうか。お礼参りという予想が外れて本当にただ世話になった人にこれらを貰ったのか。それとも今目の前で燃えている屋敷から火事場泥棒でもしてきたのか。

 結局、何も思いつかずにフードの上からワシワシと頭を強めに撫でて終わりにする。

 

「よし、それを仕舞おうか。あの屋敷は関係ないんだろ?」

「――はい」

 

 うん。俺には何もわからない。ルーナ本人がこの金品とあの屋敷は関係がないと言うのだ。俺が信じないで誰が信じるというのだ。

 で、あれば今自分がやることはこの惨状をどうするかである。

 

(さあ怪我人がいれば治して布教よ! キリキリ働きなさい!)

(あっはい)

 

 どうやら決定事項らしいので素直に従うことにする。ルーナには助手という|体(てい)で隣にいてもらおうかと思ったが本人があまりノリ気ではなさそうなので少し離れたところで待っててもらうことにした。

 

「あ、ちょうどよく怪我人発見。えーと火傷と打撲かな? はい治しますねー」

「は? いやあんた一体何を……。すげえ、もう治っちまった……」

「はい終了。女神グロウス様をよろしく」

 

 次だ。

 

「お姉さんも怪我してますね。少し見せていただけませんか」

「え、はい。あの、神官の方ですか?」

「神官……? 違いますただの通りすがりの女神グロウスの信者です。はい、治りましたよ」

「わ、すごい。こんなに綺麗に……。ありがとうございます!」

「女神グロウスの名前だけでも憶えて帰ってくださいね」

(名前だけじゃなくて信者しなさい!)

 

 次。

 

「足引きずってますけど、怪我ですか?」

「あ? 昔の傷だよ。もう走れねえだろうって医者も神官も匙を投げやがった」

「なるほど、まあたぶん治せるだろう。ほい」

「何をバカな……。治ったな……」

「よし、癒しの女神グロウスをよろしくお願いします」

「あっおい、待て! ……チッ、どうしたもんかね」

 

 

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 やっと終わった……。とりあえずもう怪我人はいないだろう。

 屋敷の関係者らしき火傷を負った人たちもいたが、その多くは女性で皆一様にフードを被った子供――背の低さから子供だと思ったらしい――に助けられたと言っていた。もしかしなくてもルーナのような気がするんだけれども本人は屋敷とは無関係と言っているので違うだろう。そういうことにしておく。

 

(……あっ、お礼としてちょっとずつ金貰っとけばよかったのか)

 

 今更ながらに気付いたが後の祭り。今からやっぱりお金くださいなどとは口が裂けても言えるはずもない。

 仕方ない、お金はルーナのものを少し使わせてもらって軽く準備をしよう。それでダンジョンの入り口付近を探索、大丈夫そうならそのまま探索続行。ダメそうなら他の町へ移るなりなにか案を考えるか。

 



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3. ここがそのダンジョンらしき場所なのだが

 

 

「で、ここがそのダンジョンらしき場所なのだが」

「はい」

 

 街道を道なりに歩き、途中で森の中へ入ってようやくそれらしき洞窟を見つけた。

 しかし結構な時間を歩いていたため日が暮れて、森の薄暗さも相まって夜のような暗さである。

 神様から力を借りているからか、歩き通しではあったが疲れはほぼない。しかしルーナもいるので焚火でもして体を休めてから改めてダンジョンへと潜った方が良いかと考えていたのだが――。

 

「やっぱりダメかね?」

「何度聞かれても変わらねえよ。ダメだっつってんだろうが。帰れ帰れ」

 

 ダンジョンを目前にして守衛から門前払いの宣告である。

 というのもダンジョンは小さいものは街、規模の大きいものとなれば国が管理するものらしく、許可を貰った人、つまりはギルドのようなものに加入して税金なんかを払っている人たちしか入れないようになっていた。

 考えてみれば当たり前のことでどうして思いつかなかったのかという感じなのだが、危険があるとはいえ金の生る木のようなものを為政者が放置するわけがないんだよなあ、ということである。

 

「どうするよルーナ。……ルーナ?」

「……ロウ様、お下がりください」

 

 今まで静かにしていたルーナがピクリと耳を立てダンジョンへ向きナイフを構えた。直後、ダンジョンの入り口から何かが飛び出してきた。

 

「そこで止まって!」

「助けてくれ! ひとりヤバイのがいるんだ!」

 

 ルーナの言葉に反応したのか、飛び出してきた男の切羽詰まった叫び声が聞こえる。

 薄暗くて分からなかったがどうやら男が3人、女が1人。全員傷だらけでボロボロになっている。

 近寄って簡単に傷の確認をする。4人とも結構な傷を負っているが男2人に肩を支えられている男の様子がまずそうだ。着ている鎧は半壊し、左肩から胸にかけて真っ赤に染まっている。男はぐったりとしていて傍目からはもう死んでいるようにも見えるが、生きていたとしてもこのままでは失血死だろう。

 

「ロウ様、どうしますか?」

「俺はこの人治しておくから他の人の傷の具合を確認してくれるかな。ひどいのがあれば呼んでくれ」

「はい」

「よし、そっちの兄ちゃん見せてくれ」

「あんたが……? いや、なんだっていい頼む!」

 

 男の傷は何といえばいいのか。大きな手で肩を掴まれてそのまま握りつぶされたような惨状だ。大変グロテスクでできれば直視したくない。とりあえず治れ治れと傷に手を当てると、潰れた肩がボコボコと盛り上がっていく。隣で心配そうに見ていた女の人が小さく悲鳴上げてあるが、気持ちはよくわかる。この早回しで治っていくのを見るのは2回目だが非常に気持ち悪い。

 肩の傷ついでに他のそれほど大きくもない傷を治す。息も安定してるし、とりあえず死ぬことはないだろう。

 

「すごい……、あっという間に……! でも高位神官の方では……、ないですよね?」

 

(む、高位神官とやらならこのくらい出来るのか?)

(知らないけど出来るにしたって極一部じゃないかしら。なんたってこっちは神の奇跡だから地力が違うわ)

 

 仕組みが分かっていないものに関してあまり根掘り葉掘り聞かれても困るので、質問をしてきた女性に何も答えず曖昧に笑って傷の手当てを始める。

 どうやらそれで勝手に納得してくれたらしく、それ以上の追求はなかった。ありがたいことだ。

 

「それで、どうしたんだ?」

「見たこともねえ化け物が現れて、そいつがドグとメルを……! たぶんあの若いのも……」

「落ちつけ、それじゃわからん。まず化け物ってのはなんなんだ」

「あ、ああ。ボロ布を纏った死神みたいな奴だったんだ。背中に棺桶みたいな箱を背負ってて……。そいつが突然現れてドグの頭を握りつぶしたんだ……っ! 次に魔法を使おうとしたメルが殴られて体が弾けた……。こいつは捕まれたところが肩だったから死ななかったが……、あんたに治してもらわなきゃそのまま死んでただろう。改めて礼を言う。ありがとう……!」

 

 見たこともない化け物が突然現れて仲間2人を殺した、と。そりゃ冷静じゃいられないわ。これでも十分落ちついてる方だろう。

 

「若いのってのは?」

「若いの……、昨日パーティに入れたやつが自分から囮になってくれて、そいつのおかげでなんとか俺たちは戻ってこれたんだ。仲間の治療をしてもらってこんなことを頼むのは図々しいかもしれないが、あいつを助けてやってくれ!」

「……ルーナ」

「私としては関わらないことをお勧めしますが……、おそらくなんとでもなりますのでお好きなようにしてください」

「うん、じゃあ最短で行こう」

「了解しました」

 

 うーん、頼もしい。自分より小さな少女に頼るのもなんだかなあとは思わなくもないが、それはそれこれはこれ。なんせ自分には戦う力などないのだから出来る人に頼らざるを得ないのだ。

 とはいえ少しばかり心苦しいのは確かなので無事に戻れたらルーナになにか報いなければならないだろう。考えておこう。

 

「このランタン借りていくぜ」

「ああ! 頼む!」

「おい、待て!?」

「人命救助が第一! ちょっと行ってくる!」

 

 走りだそうとした直後に、ひょい、と足が地面から離れた。何をどうやっているのかわからないがどうやらルーナが俺を小脇に抱えているらしい。

 

「急ぎますので抱えて行きますね」

「え? おああああああああぁぁぁぁぁぁ……」

 

 一瞬で守衛の制止も景色すらも置き去りにして飛び込むように洞窟へと入った。はたしてこの速度と急激なカーブに俺の体は耐えられるだろうか。

 

 

 

*******************

 

 

 

「ぜああああああっ!」

 

 どれほど奥へと進んだだろうか。最早息も絶え絶えで気持ち悪いを通り越していっそ殺せと思うようになった頃、ようやく迷路のような曲がりくねった通路から大きく開けた部屋に出た。

 その奥から男の声と鈍い金属音が響き渡る。おそらくあの男が救助対象だろう。

 男と相対しているのは異形の存在。聞いていた通り、ボロ布を纏って棺桶のような箱を背負っている。腕や足は木の枝のような細さであるが、その身長は対峙している男の倍近く。およそ3メートルくらいあるだろう。

 死神は細い腕を振り回して男に襲いかかっているのだが、非力そうな見た目とは真逆に防御した男を大きくたたらを踏ませるほどの力が込められているらしい。

 死神は体勢を崩した男へと真上から腕を叩きつけようとしている。助けに入るならもうこのタイミングしかない。 

 

「ルーナ、頼む!」

 

 声に反応したのか、死神がこちらに視線を向ける。その一瞬の隙。音もなく死神の背後を取ったルーナは振り上げた腕を斬り飛ばし、次いで枯れ木のような首を刈り取った。惚れ惚れするほどの暗殺術である。あんな娘に誰が育てたというのだ。俺か?

 いやそんなことはどうでもいい。今はあの男の怪我を確かめるべきだろう。

 

「大丈夫か!?」

「救助……? っ、こっちへ走れ!」

「ロウ様!」

「……え?」

 

 ルーナの呼ぶ声が遠くに聞こえる。胸に圧迫感。赤く濡れた何かが胸から突き出ている。うまく息が出来ない。喉の奥から込み上げてくるものを小さく吐き出した。頭に圧迫感。ああつまりこれは──

 ──グシャリ。

 

(あら、死んじゃうなんて情けないわね)

 

 最後に女神の声が聞こえた気がした。

 

 



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4. 祝うようなものじゃない

2020/07/06 加筆修正


 

 ふと、目が覚めると既視感のある部屋で立っていた。

 後ろからパチパチと小さく拍手の音が聞こえ、振り向くと女神(グロウス)が椅子に腰掛けている。

 

「はい、記念すべき初死亡です。おめでとー」

「……祝うようなものじゃない」

 

 吸い込まれるような真っ黒な長い髪を垂らして女神は少女のように笑う。

 はて、髪の色はこんな感じだっただろうか。そんな疑問が浮かんだが、せっかくまた対面できたことだし気になったことでも聞いてみるとしよう。

 

「質問ひとつめ。言葉がわかるのは神様のおかげでいいんですかね?」

「ええ、そうよ。言葉が通じないって右往左往されても困るもの。それくらいはするわよ」

 

 まあこれは思ったとおりの答えだ。もしかしたらみんなが自分と同じ言葉を喋っているのではないかと思ったけれども、言葉の音と口の形が一致しないことが多かったので予想はしていた。

 

「質問ふたつめ。あの死神みたいなやつの正体を知っているかどうか」

「あれに関してはなんとも言えないのよね。たぶん世界の神がいなくなったことで現れるバグみたいなやつよ」

 

 これは微妙な答えである。根拠などないけれどなんとなく嘘は言ってないと思う。でも本当のことも言ってないような気がする。保留。

 

「質問みっつめ。俺の頭、っていうか、感情の起伏をいじってないか?」

「あら、正解」

 

 なんとも意外といった表情で、事も無げに肯定した。

 

「ま、それにだってもちろん理由はあるわよ。こーんな殺し殺されなんて日常茶飯事の世界に送り出すのにいちいち死体を見るのはダメだとかやってられないでしょ?」

「ああ、うん。それは確かにそうなんだろうけど」

 

 善意でやってくれているのだろうが、なんともしがたい自分が自分でないような不安感が拭えない。保留。

 

「あ、そうだ。私ちょっと仕事が入っちゃったから付きっきりは無理だからね。死んじゃってここに来たときに私がいなかったらこのボタン押して呼んでね」

 

 グロウスが取りだしたのはファミリーレストランにあるような呼び出しボタンである。試しに押してみる。ピンポン、と小気味良い電子音が部屋に鳴り響いた。

 なんとも気の抜けた雰囲気になってしまったが一番聞きたいことをまだ聞いていない。

 

「じゃあ、最後の質問」

 

「俺は、誰だ?」

「――さあ? 知らないわ」

 

 そう言って少女のような女神は笑った。

 

 

*******************

 

 

「……生きてる」

 

 視界に映ったのは病室の天井などではなくむき出しの岩肌である。

 体を起してペタペタと体を触ってみると、服の胸の部分だけぽっかりと穴が空いている。不思議と痛みもないが、夢ではなかったようだ。

 

「ロウ様!」

「ルーナ。悪かったな」

「いえ、そんな! 私が守らなければいけなかったのに……!」

「ああもう、涙で顔がひどいことになってるから、ほれ笑って笑って」

 

 すぐ傍に来ていたルーナの頬をつまんで軽く揉んでやる。しばらくするとぷくりと頬を膨らませて抵抗してきたので指の腹で頬を押す。わはは、変な顔だ。

 結局あの後どうなったのだろうか。あの男は無事だろうか。ルーナに聞いてみるとしよう。

 

「そういえばあの兄さんは?」

「はい、彼ならすぐそこに」

「ようやく思い出してくれましたか」

 

 後ろから声が聞こえたので首だけ振り返ってみると、金髪のイケメンが壁に背を預けて座っていた。男は上半身は裸でぐるぐると巻かれた包帯はところどころ血で真っ赤に染まっている。

 うん、ルーナ。先に言ってほしかったよ。

 ルーナとのやり取りを他人に見られていたことが少し、いやだいぶ恥ずかしい。耳が熱く感じるが気のせいということにしておこう。決して羞恥で耳まで赤くなってるとかではない。

 

「あー……。とりあえずその傷を治そう」

「いえ、まずはお礼を。この度は助けていただきありがとうございます」

 

 そう言って壁に背を預けていた男はこちらに向き直り座ったまま頭を下げた。

 助けたとは言うが何から何まですべてルーナのおかげなのでどうにも居心地が悪い。俺がやったことなど人間ジェットコースターをくらって胸を貫かれたくらいだ。

 ……潰れたトマトみたいにされたような気がする頭のことは気にしないでおこう。

 感謝の言葉を聞きながら男に近寄って包帯に血が滲んでいる場所に手を当てる。男の体温が少し高いように思えるのでもしかしたら面倒な病気ももらっているかもしれない。治れ治れと念じるごとに手のひらから淡い光が放たれて男の体に染み込んでいく。

 

「どういたしまして。その感謝の気持ちの|一欠片(ひとかけら)でいいからうちの女神グロウスに送ってやってくれ」

「女神グロウス……、ですか。聞いたことがありませんね」

「新興宗教さ。たぶん俺とルーナしか信者はいない」

「私はどちらかというとロウ様を信仰しています」

「ちゃんとうちの神様を信仰してくれたほうが嬉しいからな?」

 

 ルーナに任せておくといつの間にか本当に俺が神になっていそうで怖い。この世界の既存宗教と戦争が起こるより先に俺と女神グロウスの間で戦いが始まるぞ。神vs人とかまず間違いなく負け戦である。

 そうして、男の治療をしながら事の顛末を聞いてみる。

 どうやら俺を殺した化け物はすぐさまダンジョンの奥へと姿を消したらしい。男にも理由はわからないらしく、気味悪がっている。

 どんな意図があるのかはわからないが、厄介なことだ。

 

「よし、治ったかな。体を動かしてみて痛みや違和感はあるか?」

「……ありませんね。素晴らしい力です」

 

 男は軽く体を伸ばし確かめてから包帯を外して手拭(てぬぐ)いで体についた血を拭きはじめた。

 男の体は思っていたよりも筋肉がついていてガッチリとした印象を受ける。線の細いイケメンではなく、筋肉の鎧の上にイケメンの顔がのっかっている。

 

「では、改めて。アルベルトです。よろしくお願いします」

「俺はロウ。こっちの女の子はルーナだ」

「よろしくお願いします」

 

 アルベルトから差し出された手を握る。硬く、大きな手が火傷しそうなほどに熱を持っている。

 え、ちゃんと治療できてるよな?

 なにかの病だったり毒だったりしたら困るので確認しておこう。

 

「そんなに熱があって大丈夫なのか? 体がだるかったりしないか?」

「家族にも心配されたことがありますが、どうも幼少の頃から熱を溜めこむ体質らしくて。これが私の普通の状態なので問題ありませんよ」

 

 体質か。そういうことなら大丈夫だろう。

 なにかあれば俺が治せばいいだけだしな。

 

「で、だ。ここからどうするかって話だが」

「地上を目指すのではないのですか?」

 

 普通に考えればもちろんアルベルトの言うとおり脱出が一番なのだろうが、一番奥へと行く理由がある。

 

「実はな……」

 

*******************

 

「なるほど、事情はわかりました。地上を目指しましょう」

 

 あっはい。

 ダンジョンコアを目的としていることや押し通って入ってきたことなどを伝えると真面目な顔で言い切られた。

 

「このまま潜って行ったらたとえ目的を果たして戻ってもただのお尋ね者ですから」

「ああ、それよかちゃんとした手続きしてまた来た方がいいって話か」

「そういうことです。手続きであれば私も多少の口添えが出来ます」

 

 そりゃそうか。ダンジョンに潜るのが今回だけ、一回限りならこのまま最深部まで向かっていいのだろうが、出来るだけ多くのダンジョンに潜るつもりでいるなら後に問題が残るような方法はよろしくない。どうしてそんなことも考え付かなかったのか。だいぶ頭が回っていない。

 

「それに個人的な理由ですが、早めに遺品を仲間の元へ持ち帰って|弔(とむら)ってやりたいのです」

「ああ……、なるほど」

 

 仲間が2人も死んでるんだよな。せめて遺品くらいはあの4人に渡さないと死んでしまった人たちも浮かばれないだろう。 

 

「よし、じゃあ遺品を回収して地上に戻ろう。ルーナもそれでいいかな?」

「はい。もちろんです」

「ありがとうございます」

 

 そうして戻るための準備を始める。といっても俺とルーナはほとんど荷物を持っていないのでアルベルトが鎧を着たり、荷物の確認などをしただけだ。

 

「では、行きましょう」

 

 アルベルトの言葉に頷きを返し、|仄(ほの)かに光る通路へと進む。

 モンスターがでたら俺は何もできないが、治療ならできる。せめて足手まといにはならないようにしよう。

 



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5. どうしてこうなった

 

 ポチョンと小さく水の音が聞こえた。どこから音がしたのかと確かめようと見回してみるが水が垂れている所など見当たらない。

 ひとつ溜め息を吐いて現実逃避をやめる。目の前には鉄格子。何度見ても変わることのない現実である。

 

「どうしてこうなった」

「どうして……ですかね……」

 

 事態は1時間ほど前にさかのぼる。

 

 

*******************

 

 

 アルベルトの仲間の遺品回収とダンジョンからの脱出は道中モンスターに襲われることもあったが、2人のおかげで無事に地上まで戻ることが出来た。真夜中だというのにアルベルトの仲間も守衛さんたちも、ダンジョンの入り口周りに火を焚いて待っていてくれたらしい。

 アルベルトは先に出てきた4人と合流し互いの無事を喜びあっていた。遺品を見せたときには涙を流していたが、彼らはきっとそれを乗り越えて前を向いて歩き出すのだろうと根拠もなく思った。

 

「本当にありがとう……!」

「どういたしまして。癒しの女神グロウスをよろしくな」

 

 リーダーらしき男に両手を握られ涙ながらにお礼を言われるのはなんとも気恥ずかしいものである。

 

「ロウ、守衛たちへ説明しますのでこちらへ」

「わかった、今行く」

 

 さて、ここから言い訳タイムである。頑張って屁理屈こねて自由を勝ち取るのだ。

 

「あ、えーっと」

「来たか」

 

 さてなんと言おうかと悩んでいると守衛の人が俺の手首にロープを巻いて拘束した。手際が鮮やかで反応できなかった。きつすぎず緩すぎず絶妙な加減の縛り方である。こやつプロだな?

 

「よし、連れて行け」

「はい?」

 

 ロープを引っ張られて歩きだす。向かう先は守衛の詰め所だ。詰め所へ入り奥へと進むと簡単な作りの牢屋がある。牢の中へと入れられて扉を閉められる。ルーナは牢の外にいるが守衛はあまり気にしていないようだった。

 ガシャリと牢のカギを閉められてそのまま守衛は出て行ってしまった。

 

「……はい?」

 

 

*******************

 

 

 そんなこんなで牢の中で過ごす羽目になってしまったのである。

 

「これは不当拘束では? 弁護士を呼んでくれ」

「残念ながら無理やりダンジョンへ入った時点で有罪なんですよ」

 

 いつの間にか来ていたアルベルトにもっともなことを言われた。いや、しかしそれをどうにかするために我々は屁理屈をこねくり回す予定だったのではないのか。

 

「これから事情説明と色々な手続きをしてきますのでそれまでお待ちください」

「ああそういうこと。じゃあ気長に待ってるわ」

「私がロウ様のお世話をしますから少しくらい遅くなってもいいですよ」

「訂正、できるだけ早く頼む」

「……? なんでもお世話しますよ?」

 

 だからだよ。年下の少女に一から十までお世話になりたくないという小さなプライドである。

 アルベルトが苦笑いを浮かべながら詰め所へ行くのを見送って、鉄格子越しにルーナと二人きりになってしまった。

 

「……あの人、強かったですね」

「アルベルトか? そうだな。あんな化け物を相手に囮になるっていう考えができるってのも含めてな」

 

 ダンジョンから脱出する道中でも、大勢のモンスターの注意を引き付けつつ攻撃をして、モンスターの攻撃を盾や鎧で受け止める。まるで物語に出てくる騎士のようだった。もしや俺はお姫様的な立ち位置なのではないだろうか。配管工のおっさんよりも美少女に助けてもらいたい。

 

「私も、あの人みたいに強かったらあの時ロウ様を守れたかも知れません」

「……まあ、生きてるし」

「でも普通なら死んでます」

「普通じゃないから大丈夫だったろ?」

「でもそれはっ!」

「いいんだよ、ルーナ」

 

 鉄格子の隙間から手を出して泣く寸前の少女の涙を拭い、頭を撫でてやる。

 

「確かに普通なら死んでただろう。でも俺は今こうして生きているし、なにか後遺症があるわけでもない。お前が気にすることなんてないんだ」

「……はい。でも私、もっと強くなります。ロウ様にもっと頼って貰えるように。もうロウ様が傷つかなくて済むように」

「いやあ、死なないってことがわかったんだから前に出して囮として使いつぶせばいいんじゃねえかなあ」

「……そういうことを言うロウ様は、嫌いです」

 

 待った。その言葉は思っていた以上に心にダメージが来る。

 自分で考えた案だが、俺への被害を考えなければいい案だとは思う。ただし俺は逃げ出すだろうが。死なないのか生き返るのかは知らんが痛いものは痛いのだ。なによりあの体から何か大事なものが流れ出ていくような感覚はあまり何度も経験したいものじゃない。

 

「私、ロウ様のことが知りたいです」

「……俺?」

 

 そういえばまともな自己紹介をしていなかったし、俺もルーナのことはほとんど何も知らない。アルベルトが戻ってくるまでは暇なんだしちょうどいいかもしれないな。

 

「よし、じゃあ交互に質問して答えていこうか」

「はい!」

 

 よしよし。なんとなく重い雰囲気もなくなった。あとはこのまま何事もなく交流を深めながらアルベルトを待つだけだ。

 

「じゃあ、ロウ様の好きな従者のタイプは……」

「もうちょっと普通の話題からにしようか?」

 

 



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6. 一か八かの賭けは好きか?

「おはようございます、ロウ、ルーナ。お待たせしました。……なんだかやつれていますね」

「ああ、ちょっとな……」

 

 アルベルトが戻ってきたのは昼前であった。結局、ルーナと2人で眠くなるまで話をしていたのだが、自分が思っていた以上に自分のことがわからないということがわかってしまった。

 娯楽や常識などは思い出すことが出来るのだが、自分のことや家族、友人のこととなるとまるで靄がかかったかのように曖昧であやふやなことしか頭に浮かばない。

 兄がいたような気もするし、兄ではなく姉と妹がいたような気もするし、そもそもひとりっこだったような気もするし、犬を飼っていたような気もするし、ペットは飼えない場所に住んでいたような気もする。

 ずきりと痛む頭に治れ治れと念じながらアルベルトからの報告を聞く。

 

「これからダンジョンへ潜ります」

「――はい?」

 

 

*******************

 

 

「ぬんっ」

 

 気合いと共に振り抜かれた剣がムカデをそのまま大きくしたような魔物の胴体を両断する。

 百足の魔物はギィッ、と耳障りな声を上げて地面へと落ちた。ひっくり返った状態でワサワサと脚が動くのはやはり気持ち悪い。

 そんなことを重いながら魔物を見ていると、アルベルトは半分になった魔物に剣を突き立てて捻って抉る。魔物の体から流れ出る緑色の体液が地面を染めて、そのあと体も血液も小さな光の球となって立ち上り泡のように消えていった。

 

「今の魔物は胴体を切断してもそれくらいなら気にせずそれぞれ動きだします。こうやって塵になるまで油断しないようにしてください」

「なるほど。……それぞれ?」

「はい、ちゃんと気がつきましたね」

 

 アルベルトが俺の右後ろを指さしている。振り返ってみるとルーナが百足の魔物の残り半分にナイフを突き刺して倒していた。

 ルーナはボロ布を被った格好からアルベルトの仲間の女性からもらった普通の服に着替えていて、生足が見れなくなって少し残念だ。

 

「終わりましたね。魔石を回収して進みましょう」

「はいよ。しかしただの石に見えるようなものが金になるとはな」

 

 光の泡となって消えていった魔物がいた場所に、手のひらサイズの青い石のようなものが残っている。これが魔石らしい。ひとつ拾って眺めてみるがただの綺麗な石である。

 しかし見た目はただの石なのだが、実際には魔力を大なり小なり内包しているらしく、それがランタンのような明かりや燃料、はたまた水を浄化するなどの便利グッズに加工されるらしい。また、そのまま金銭としても扱うところも多いようで、この百足の魔物くらいの魔石ならば3つか4つほど持っていけば安宿に一週間程度は泊まれるらしい。全てアルベルトから聞いた情報である。

 

「それにしてもここの調査を任されるとは思いませんでした。ロウ様を連れて逃げる準備はしていたのですが」

「調査を任されるというか鉱山のカナリアというかって感じだけどな。あと逃亡は最終手段にしておこうな」

「カナリア……? 鳴いている内は安全である、という意味ですかね」

「たしかそんな感じ。それにしてもアルベルトは一緒に来てよかったのか?」

「ええ、彼らは少し休業するようです。良くしてくれたあの方たちには申し訳ありませんが私にも目的がありますので」

 

 アルベルトは雑談しながらもゆっくりと周囲を見回しながら先頭を歩く。後ろではルーナが耳を立てて魔物の気配を探っている。そしてその2人に挟まれる何もできない俺である。

 なんとも申し訳ない気持ちがわいてくるが、それこそ何もしないのが一番貢献できるという事実である。

 

「でもなんか心苦しくはある」

「そこは適材適所というものですよ、ロウ。少なくともあなたがいるだけで我々は安心して戦えます」

「ううむ、そういうもんか……」

「はい、ロウ様は守られていてください。もう二度とあんな目に合わせたりなんてしません!」

「よし、ルーナはもうちょっと肩の力を抜こうか」

 

 アルベルトは適度にリラックスしている感じがするがこっちの娘は気負いすぎである。早めにケアしないとそのうち自分の命を投げ出して俺を守りかねん。

 ――別に死んでも大丈夫だというのに。

 

「さて、ここで休憩ついでに私とルーナの連携の確認をしておきましょう。……ロウ?」

「えっ、ああなんでもない。大丈夫だ」

「ロウ様、気分が悪かったり、なにかあればすぐに知らせてください。なんでもします!」

「ありがとう。本当に大丈夫だ」

 

 体調や気分が悪くなったりはしていない。ただ俺は、自分が何を考えていたのかわからなかった。

 

 

*******************

 

 

 アルベルトとルーナに守られながらどんどんと奥へと進んだが、あの人型の魔物にも会わずに、ある時から魔物の姿もあまり見なくなってきて、遂には一切会わなくなった。

 途中からアルベルトもルーナも口数が減り重苦しい空気に包まれているような感じさえしてくる。

 そうしてゆっくりと進んでいくと、これまでの通路とは違う大広間のような場所へ出た。石畳が敷いてあり、石柱が立ち並ぶ。なんというかゲームだったらボスが出てきそうな部屋という印象である。

 しかしその雰囲気に反して部屋にはなにもおらず、一番奥に扉のようなものが見えるだけだ。広間の中央あたりでなにかが光ったように見えたが、もう一度見ても光りそうなものも怪しいものもない。

 

「なにもない、のか?」

「……」

 

 俺の問いに応えるものはなかった。アルベルトもルーナも臨戦態勢で警戒している。一歩、また一歩とゆっくりと奥に見える扉へと進む。

 この重苦しい空気に耐え切れず口を開く。

 

「こういう場所って強敵が出てくるみたいなイメージがあるけど何もないもんだな」

「強敵、ですか。あの魔物は確かに強かったですが」

「そういえばアレが現れたときってなんかいつもと違うとかあった?」

「……そう、ですね。ほかに魔物がいないと言いますか、生き物の気配がまるでなかったですね」

「えぇと、それはつまり、今のような?」

「そういうことっ、です!」

 

 アルベルトが急激に反転し剣を振り上げた。振り抜かれるかと思ったそれは、硬い音を鳴り散らしてアルベルトの体ごとボールのように弾き飛ばされた。

 

「ロウ様ごめんなさい!」

「ぐえっ」

 

 首に強い衝撃と息苦しさ。それとほぼ同時に重い風切り音が目の前を通過する。そのまま何度かガクガクと揺さぶられて、最後には地面へと放り投げられた。

 

「すみません、油断したつもりはなかったのですがこのざまです」

 

 目の前に右腕がおかしな方向へ曲がったアルベルトが倒れていた。どうやらルーナは逃げる先もちゃんとアルベルトの近くに来れるようにしてくれていたようだ。

 アルベルトの右腕に手を当てて治す。横目でちらりと見てみるとルーナがいつの間にか現れた枯れ木のような人型の化け物――あの時に見た魔物と同じ姿をしている――と対峙して戦っていた。

 いや、あの時見た個体よりも更に大きい気がする。あのとき見たものがだいたい3メートルだとしたら今回のは4メートルくらいありそうだ。そして、明確に違う点。一つ目で鬼のような2本の角が額から生えている。

 

「一つ目の巨人……?」

「……なるほど。言われてみれば確かに特徴的な顔ですね」

 

 この違いが何を示しているのかはわからないが、同じものだと思わないほうがいいということだろう。

 ルーナが上手く距離をとって合流できた。傷はないが肩で息をしている。体力の回復ができるかはわからないがやらないよりましだとルーナにも治癒を施す。

 

「では少し予定が狂いましたが手筈通りに行きましょう」

「ロウ様、行ってきます」

「……気をつけてな」

 

 事前に話し合って考えた策とも言えないもの。まずアルベルトが魔物の攻撃を受け止める。

 

「ぐっ、重い……!」

 

 あの魔物は武器を持っておらずただ腕を振るうだけだ。それだけで人を殺すには十分だとも言えるが、だがそれを耐えることができていたアルベルトなら今回も何度かは大丈夫なはずだ。

 そうして魔物の動きが止まったところを――。

 

「……っ!? 斬れないっ!?」

 

 背後からルーナが首を落とす作戦だったのだが、まるで金属にぶつけたかのように硬い音を立ててルーナのナイフが弾かれた。

 アルベルトを助けたときに倒した魔物は特に問題なくやれていたはずなのに、なんで――?

 いや、それどころじゃない。ルーナも困惑して体が固まってしまっている。

 

「ルーナ逃げろ!」

 

 振り向いた魔物が右手を上げて宙に浮いてしまっているルーナ目掛けて叩きつける。が、間一髪のところで手に持っていたナイフを振り下ろされた腕に当てて回避していた。

 アルベルトが背中に向けて斬りかかるが、振り返った魔物が盾のように掲げた腕に阻まれる。その間にルーナを回収して石柱の影へと隠れる。

 あの魔物の腕を完全に避けることができなかったようで左足が折れている。少し当たっただけでもこんな風になるならまともに当たったら……。

 想像してしまった嫌なイメージを振り払ってルーナの怪我を治す。柱の影から覗いてみるとアルベルトがこちらへ吹き飛ばされてきた。鎧が所々砕けているが本人に怪我はない。

 魔物がドスン、と重い音を立てながら一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。

 

「おいおいおい、死ぬわこれ」

「諦めるのが早すぎます」

 

 とは言ってもだ。頼りにしていた首斬り一撃必殺作戦も無理だったし、アルベルトの力押しも駄目そうだし、あとはどうすればいいんだ。というかなんであいつこんなに強くっていうか硬くなってるのか。まるでこっちの作戦をメタるみたいな特性を持ちやがってクソが!

 いかん、少し落ち着こう。現状で倒せる可能性がありそうなのは持久戦、アルベルトとルーナに相手が倒れるまでひたすら攻撃してもらうくらいか。ただしこっちは当たりどころが悪ければ即死する理不尽ゲーであるが。

 あとは……。

 

「……へい、アルベルト。一か八かの賭けは好きか?」

「ええ、嫌いじゃありませんよ」

「よしじゃあ俺らの運が良いことを祈っておいてくれ!」

 

 アルベルトの背中に手を当てて成長しろと念じる。

 俺の手から溢れた光がアルベルトの体へと吸い込まれていく。これでどうだ……!?

 

「なるほど、これが……」

 

 アルベルトがぽつりと呟いた。後半聞き取れなかったがどうでもいい。何か逆転の目になるような才能を開花させられたのか。

 

「我が剣は太陽の如く」

 

 アルベルトが持つ剣から炎が立ち上り、その炎を剣身が飲み込んで白い輝きを増していく。しかし隣にいる俺には一切熱が感じられない。幻かなにかだろうか。

 不安になっているとアルベルトが剣を肩に担いで魔物に向かって弾丸のように一直線に飛び出した。

 横から振り抜かれる腕をアルベルトはものともせずに更に上体を沈めて搔い潜る。

 

「燃え尽きるがいい!」

 

 そして、飛び上がりまっすぐに振り下ろされた輝く剣が防御しようとした魔物の腕を切り落とし、肩から股へと真っ二つに切り裂いて、瞬きの後魔物の体を炎が包んだ。

 




――アルベルトの剣
 あの魔物の攻撃にも耐えることができる頑丈な剣。
なにやら炎を出していたが……?


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7. なにかが起きたような気はするけど

 炎が消えて魔物の体が多量の光の泡となったあと、残ったのは握り拳よりも一回りも大きな魔石だけだった。

 熱によって空気が揺らめき、アルベルトの姿がぼんやりとしている。手に持った剣から炎が上がり、その姿はまるで炎の化身のように見えた。

 アルベルトは炎を振り払うように剣を払い、鞘へとしまう。そして魔石を拾い声をかけてきた。

 

「ロウ、やりましたよ」

「えっ、あっ、おう」

 

 いかんいかん、呆けていた。

 アルベルトが拾った魔石を受け取って鞄にしまい、改めて魔物の死体があった場所に目を向ける。

 どんな力の作用があったのかは全く分からないが、すり鉢状に抉れ、熱によって石畳の一部が溶けだしている。

 

「すごい力だな」

「これほどとは思いませんでした。流石は太陽の剣。名に恥じない名剣です」

「……うん?」

「……なにか?」

 

 話が噛み合っていない。

 

「あの炎はあなたの力じゃないんですか?」

 

 ルーナが聞きたいことを言ってくれた。しかしその言葉にアルベルトは笑い、否定する。

 

「ははは、まさか。この剣は知人から譲り受けた物なのです。『お前が一人前になったらこの剣もそれに応えてくれるだろう』と」

「へぇ……」

 

 強制的な成長でも一人前判定出るとかずいぶん緩い縛りである。それに助けられたのは事実なので文句など一切ないが、なんとなく思うところはある。もっとこう修行とか命の危機だとかのイベントが前提のものではなかろうか。いや命の危機はあったわ。

 

「なあ、アルベルト……」

「ロウ様! 扉が開きました!」

「さあ、奥へ行きましょう」

 

 こんな形で成長してしまって本当に良かったのか?

 そう聞いてみたかったが遮られてしまった。いつもと変わらないように見えるし、なによりやってしまった本人が聞くのは怒らせるだけだろうか。

 奥の扉をくぐり通路を抜けると小部屋に突き当たった。照明のようなものはないが部屋の奥にある物体が淡い光を放って部屋を照らしている。

 

「これが……ダンジョンコア?」

「大きな魔石みたいですね」

 

 ルーナが言うとおり、見た目は大きくて丸くて光るってだけの魔石だ。壁に埋め込まれているのでその大きさの全貌はわからないがたぶん俺が抱えても腕が回りきらないだろう。

 で、だ。

 

(神様います? これどうすればいいんですか?)

 

 何をどうすればいいのかさっぱりわからないのでとりあえず女神に丸投げである。

 

(いるわよ。まずそれに手を当てなさい。……そう、はいじゃあそのままね)

 

 女神の言う通りに石に手を触れて待つ。すると体の中から何かがゆっくりと腹、胸、肩、腕、手から石へと伝っていく。

 ゆっくりと注がれていく何かが石へと溜まって、限界を迎える。ゴウ、と強い風が一瞬だけ吹いて、そして何事もなかったかのように収まった。

 

「……なにかが起きたような気はするけど」

「なにか強い力が溢れたような感じがしました」

「そうですね、ロウが手を当てた場所から、なんというか清らかな力が広がったような気がします」

 

 何かが起こったのはわかるが具体的に何が起きたのかがさっぱりわからない。

 

(あなたたちが見てわかる変化っていうのはあんまりないからなんとも言えないのよね。あの魔物が出なくなるくらい?)

「あの枯れ木の化け物みたいな魔物は出なくなるらしい」

「なるほど、それなら一安心です」

 

 ダンジョンも制覇して、あの化け物もいなくなり、今回は大成功と言っていいだろう。あとは悠々と帰って寝るだけだな。ちょっと良いものが食べられたりすればなお良い。

 

「それで、俺たちはどうやって帰るんだ? ここまで来るのに結構気疲れというか、疲れてるからパッと帰れたら嬉しいなー、なんて」

「……」

 

 アルベルトは静かに首を横に振った。

 いつだって現実はこんなもんである。

 

 

*******************

 

 

 暗闇に少女が立っている。少女はその黒く艶やかな髪を乱して肩を震わせていた。

「ふふ」

 

 少女にあるのは悲しみではない。逆だ。どうしようもない喜び少女の頭を染め上げている。

 

「ふふ、ふふふ、あーっはっはっは!」

「うるせえ、こっちは忙しいんだ。少しは黙ってろっての。あと電気をつけろ」

「あーっ!?」

 

 そしてそれを他人に見つかり、少女は羞恥に悶えることになった。

 

 

 

 少女(グロウス)ではない、美しい女が机に向かい山のように積まれた書類に1枚1枚取ってペンを走らせている。なおその間、グロウスは1枚の書類を見てニヤニヤとしているだけである。

 女はグロウスの小さく漏れ出ている笑い声に少しだけイライラしてきたので、手元にあった消しゴムを指で弾き、耳障りな笑い方をしている少女の額に見事に命中させた。

 

「ったく、いつまで笑ってるんだ」

「もう! これが笑わずにいられるかって感じなんだから! うちのがダンジョン攻略したのよ!?」

「それ聞くのは13回目だよ……」

「これでゆくゆくは私のもの……!」

「聞いちゃいねえし」

 

 耳にタコが出来るほど聞いたと感じるほどに、目の前の少女神()()()は繰り返し繰り返し喜び、それを伝えてくる。

 

(そう簡単にいけば誰も苦労しないんだがなあ)

 

 まだ最初の一歩を歩き出しただけ。なによりこれからが大変だというのに。

 とはいえ喜ばしいことではあるのは確かだ。今この時くらいは浸らせておいてやろうと、そっとしておくことに決めた。

 

「でも信仰があんまり集まってないのよね。なんでかしら」

 

 ふと、グロウス自身が気になっていたことを口に出した。答えを求めるようなものではなく、ただ口に出ていたというものだが、女は心当たりがあったので素直にそれに答えた。

 

「そりゃああれだろ。よくわからん見たこともねえ神よりも、実際に救ってくれた神の代行の方が実感があるだろ?」

 

 そういうことである。

 名前を聞いたこともない、姿を見たこともない。そんな実在しているかわからない神様を信仰するくらいなら、目の前にいる自分を助けてくれた人に感謝と祈りを捧げる。人間なんてそんなものだ。それを痛いくらいよく知っている。

 

「……あれに取られてるってことじゃない!」

「嫌なら自分でどうにか考えるんだな」

 

 飼い犬に手を噛まれる、とは少し違うかもしれない。なにせ犬の方は噛んだことすらわかっていない。

 そうして考え事をしながらパラパラと書類を確認していると、書類のひとつにこの短期間で恒例となった文字を見つけた。

 

「ああ、また増えたな」

「はぁー!? また増えたの!? 何人目よ! 私が最初に目を付けてたのよ!?」

「他からすりゃそんなもん関係ないだろ」

「ぐぬぬぬぬ……! 出来るだけ早く終わらせないと取られる……!」

「お前のじゃないけどな」

「もう私のみたいなもんよ!」

 

 ガキ大将かと思うくらいに言っていることが無茶苦茶である。とはいえ狙っているものを横から取られるのは女にとっても不味いし、なによりも面白くない。 

 

(ま、最後に勝つのは私だがな)

 

 様々な思惑が、ゆっくりと絡まって行くことになる。

 




――アルベルトの剣 改め 太陽の剣
 アルベルトが知人から譲り受けた剣。
一人前になればこの剣の力を引き出して炎を操ることができる。らしい。


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8. で、この先どうしようか

 地上へ戻ると一言で言っても簡単な道のりではなかった。女神が言ったように確かにあの化け物はいなかった。しかしその代わりなのか、行きでは見なかった本来このダンジョンに生息している魔物たちが群れを成して立て続けに襲いかかってきたのである。

 四方八方から飛びかかってくる魔物たち。逃げ惑う俺。切り払うルーナ。炎で薙ぎ払う無双状態のアルベルト。酸欠になる俺。

 2人のおかげでかすり傷ひとつないが主にアルベルトのせいで死にかかった。川の向こうで女神(グロウス)がこっちへ来るなとジェスチャーしていた気がする。

 

「えー、ではちょっと時間が空いたけれども無事にダンジョンの攻略を終えたということで、乾杯!」

「「かんぱーい!」」

 

 そんなこんなで脱出できた俺たちは衛兵に事情を説明、アルベルトが保証人になってくれて無事犯罪者の汚名を(そそ)ぐことができ、近くの村まで移動して宿に併設された食堂でささやかに宴会を開いているというわけである。

 グイ、と木の杯を傾けて中身を一息で飲み干す。

 アルベルトはワインだが俺とルーナはブドウジュースである。未成年の飲酒、ダメ、絶対。まあこの国ではそんな法律もないらしいし、なにより自分が未成年だかも記憶が怪しいのだがなんとなく心情的な問題である。

 

「で、この先どうしようか」

「私はロウ様となら例え地の果てでも一緒に行きます!」

「愛が重い」

 

 とはいえなんとなくこの言葉は予想していたのでそこまで動揺はない。ただちょっと頬が緩んでいるかもしれない。

 

「アルベルトはどうするんだ」

「せっかくですから私もご一緒させてください。私の目的も世界を見て回ることですしね」

「ありがとう。これからもよろしく頼む」

 

 意外ではあったが素直に嬉しいことである。旅の道連れは多い方がいい。

 

「じゃあどこに行くか、だが……。まずどこに行けば何があるのかも知らないんだよな」

「では大雑把に。東は平原や森が続きますね。亜人や獣人が多く住んでいるという話です」

 

 アルベルトがなにやら紙のようなものを荷物から取り出してテーブルへと広げる。よくよく見ると街や山のような絵が描かれている。地図だ。かなり大雑把であるが。

 アルベルトは広げた簡易地図の中央からやや右にずれた一点を指差してそこがおおよその現在地だと言う。そこからさらに指を右に滑らせて平原や森があると言う。

 

「亜人、獣人ねえ。ルーナの故郷があったりするのかね」

「私は故郷どころか父や母の顔も思い出せませんからちょっとわかりません……」

「いや、なんかすまん」

「あっ、気にしないでください! 私はロウ様に出会えたことの方が嬉しいです!」

 

 気をつかわせてしまった。しかし、そうか。親を探すとか全然考えてなかった。そりゃ樹の股から生えてきたとかいきなりそこに現れたとかでもない限りはいるよなあ。……それが生きているかどうかは別の話ではあるが。

 

「とりあえず話を続けますね」

「よろしく頼む」

「西は山々が連なる土地です。正直あまりお勧めしません。南は海……があるそうですが見たことはないのでなんとも。北は山を越えると年中雪が降る土地になっています。こっちの国へは一度だけ行ったことがありますが……、まあ快適なものではなかったとだけ。景色は素晴らしかったです」

 

 アルベルトはひとつひとつ手書きの地図を指差しながら説明をしてくれる。西側が割と書き込まれているのに対して南や東がスカスカなのは行ったことがないからだろう。

 

「西がお勧めできない理由は?」

「単純にここから向かうとすると非常に金がかかる飛竜艇か、足で山を越えるかですから。あとは個人的な理由ですが、故郷なので後回しにしたいです」

 

 飛竜艇か……。つまりドラゴンかワイバーンみたいなものを飼い慣らしているのだろうか。少し見てみたい気持ちはあるがアルベルトは後回しにしたいと言っているし資金を貯めてから乗りに行けばいいだろう。

 そうなると西以外のどこかだが……。

 

「ルーナ、東と南どっちがいい?」

「えぇっと、海、ですか。ロウ様、どんなものなんですか?」

「どんな……? 塩水で満たされたどこまでも続く湖みたいな?」

「??」

 

 いかん、説明が下手くそすぎてルーナが混乱している。

 アルベルトに笑われつつ、四苦八苦しながらなんとかルーナに納得してもらえる説明ができた。

 

「じゃあその海を見てみたいです」

「決まりですね」

 

 海か。今はどのくらいの季節で海に着くまでどれ程時間がかかるだろうか。できれば夏に着いてくれ。他意はない。水着とか期待していない。本当である。

 ほかに聞くことあるだろうかと頭を捻ってみると、そういえばアルベルト自身について何も知らないなと気付く。

 

「アルベルトの故郷の話とか、アルベルト自身のことについて聞いても大丈夫か?」

「構いませんよ。とはいえ特に面白いことなどないと思いますがね」

 

 行ったことのない土地の話なんてのは悲惨な話以外なら大体何を聞いたって面白いし、純粋に興味がある。

 

「故郷は西って言ってたな」

「はい。西の霊峰を越えた先にある国ですね。少し軍事色の強い国ですが、気候も安定していますし普通に暮らす分には良い所ですよ」

「へえ……。宗教には寛容だったりする?」

「ええ、結構な数の宗教家たちがいますよ。というのも多種族国家だからでしょう。大昔には宗教を統一しようと試みたらしいのですが、やはり元々持っていた宗教観などは捨てることは難しかったようで小規模な宗教戦争が勃発、それを先々代の王が力で収め、争いの火種になるくらいならばと多様な宗教の存在を認めて、それぞれ不可侵とするということで一応の決着をつけたようです」

「えぇ……?」

 

 これもしかしなくてもやべー国では?

 これから毎日異教徒焼こうぜ、とかやってそうで怖い。

 

「ああ、今は国の中で宗教戦争を仕掛けようものなら軍が動いて粛清することになっていますので、あっても悪口を言い合うくらいで済んでいますよ」

「うーん、この力技」

 

 とはいえ有効な手だったのだろう。でなければそんな国とっくに滅んでるわ。

 

「……そういえばアルベルトはそのお高い飛竜艇とやらで来たのか? 実は金持ちさん?」

「まあそこそこの貴族の三男坊ですね」

「きぞくさまでいらっしゃいましたか……」

 

 やっべえ。育ちが良いんだろうなとは思っていたけれどもそこまでとは思ってなかった。

 斬首で済めばいいほうだろうかと、今までの発言や態度を振り返る。

 

「ああ、言葉遣いなどは気にする必要はありませんよ。ここにいるのはただのアルベルトです。実際、父親からは目的が果たせるまで帰ってくるなと言われてます」

「放逐じゃん」

「それに、ロウやルーナのことは友人だと思っていますから」

「いい奴すぎて逆に怖い」

「ロウ様、こういうことを言って寄ってくる奴はだいたい悪い人間です。ここで斬っておきましょう」

「ははは、テーブルの下でナイフを構えるのはやめなさいレディ」

 

 和やかでいいことである。

 2人が和気あいあいとしてる間に運ばれてきた料理に目を向けて、目に留まった丸っこいものを口に入れる。モチモチとしていてうまい。たぶん芋を練って丸めたようなものだと思う。

 とりあえず運ばれてきた食事を一口ずつ食べてみたがどうやら自分の口には合ったようでどれも美味しく食べることが出来た。なにせこっちに来てからここまで食事と呼べるようなものはダンジョン前留置所で出されたガチガチのパンと具なしのスープくらいである。今ならおおよそなんだって美味しく食べられるだろう。

 ……テーブルの隅に追いやった芋虫の丸焼きはちょっと勘弁してもらいたい。これだけは手をつけられなかった。姿形が完全に残っているのはちょっとどうかと思う。

 

「ええ、まあ、ついていく理由としてはロウの不死身の秘密は気になっていますが、教えてもらえるようなものでもないでしょう?」

 

 そういえばアルベルトの目の前でがっつり死んでるんだった。

 とはいえ不死身の理由なんてたぶん神様代行だからとかそのあたりなので、あの女神に気に入られでもすればなれるんじゃなかろうか。

 

「うちの神様信仰してればいつかはなれるんじゃねえかな……」

「……なるほどなるほど」

 

 答えを聞いて納得したのかしていないのか、アルベルトは頷きながら俺がテーブルの隅に追いやった一口大の芋虫の丸焼きを口に放り込んでワインを飲んでいる。もしかしてこいつ酔っ払ってるんじゃなかろうか。というか美味しいんだろうかあの芋虫。

 フォークでひとつ掬ってみる。……いやいやいやいや、無理だわ。

 口をつけずに皿へと戻すと、ふと、アルベルトと目が合った。

 

「……案外美味しいですよ?」

「そうか、いや、すまん。俺には無理だ……!」

 

 

 

 

 食事もほぼ終わりちびちびとコップを傾けながら雑談をしていると、ルーナがぱたりとテーブルに突っ伏してそのまま寝息をたて始めた。

 

「お疲れのようですね」

「俺が言うのもなんだが無理させたからなあ」

 

 出会ってからずっと切った張ったを続けていたからこうして一息吐いたことで気が抜けたんだろうか。食事も終わったことだし部屋まで運ぼう。

 起こさないようにゆっくりとルーナを抱き抱える。肉付きも少ない華奢(きゃしゃ)な体を改めて認識して罪悪感を覚える。

 

「ごめんな」

「駄目ですよ、ロウ。そこで必要なのは謝罪ではなく感謝です」

「そうだな……。ルーナ、ありがとう。アルベルトも」

「いえいえ」

 

 腕の中でルーナがもぞりと身じろぎをするので落とさないようにしっかりと支える。……狸寝入りだったら恥ずかしいからやめてほしい。面と言わないといけないことは分かっているが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 幸いなことにそのまま寝息を立てているので聞かれてはいないだろう。

 

「私はもう少しだけここにいますから、先に休んでください」

「ああ、わかった」

 

 アルベルトはまだ芋虫の丸焼きと格闘している。

 ふと、思いついたので言ってみよう。

 

「おやすみ、アル」

「! ええ、良い夢を」

 

 アルベルト――いや、アルは驚いたのか少しだけ目を見開いて、その後いつもの柔らかい表情で応えてくれた。

 なんとなくだが、今日は良い夢が見れそうである。

 



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9. 無茶を言いなさるな

 

 木の箱が馬に引かれガタガタと揺れながら道を行く。

 薄暗い箱の中からひょいと外をのぞいてみれば青空と緑に覆われた山々が連なっているのが遠目に見え、空を見上げてみれば1羽の鳥が旋回している。両隣にはルーナトアルが座り、奥に2人ほど別の客が同じように馬車に揺られている。

 馬車に乗ってかれこれ3日ほど。休憩しながらとはいえそろそろ俺の尻の肉がもげそうなくらいには辛いが、これを回避するにはこの木の箱から出て歩かなければならない。延々と歩くのは肉体的に疲れることはないだろうが精神的に参ってしまいそうである。

 ついでに言えば俺が歩いたら一緒に乗っている2人も馬車を降りかねないので現状維持だ。みんなで歩いてしまったら高くはないとはいえ払ったお金がもったいない。

 

「あの話はどこまで信用できますかね」

「さてねえ」

 

 隣に座っていたルーナが話しかけてきた。

 村から南へと下る途中に最初の町の近くを通ることが分かり、あの騒ぎの後どうなったのか気になって少し寄ってみたのだが、そこでなにやら忠告を受けたのだ。

 

 

*******************

 

 

 町に入った第一印象として、以前よりも少しだけ活気が戻っているように思えた。ガヤガヤと少し騒々しい、しかし不快な感じはしない賑わいがある。

 こういうときは人に聞くのが一番手っ取り早いだろうと近くでおしゃべりをしているおばさんたちにアルをけしかける。

 

「失礼マダム。なにやら賑わっているようですがなにか良いことでもあったのでしょうか」

「あら、かっこいいお兄さんだねえ。あのねえ、領主様が代わってずいぶん景気が良くなったんだよ」

「領主が……、ですか?」

「そう! 前の領主はおっかない男の人なんかを雇って好き放題してたんだけど、この前そこの屋敷が火事になってねえ。その時に前の人達はみんな死んじゃったみたいなんだよ。それで今はなんとかっていう傭兵の人達が代わりにやってくれてるんだけど、それがまた良い人たちでねえ。ちゃんと意見を聞いてくれるし、力仕事を手伝ってくれるわで大助かりなのよ!」

 

 屋敷が火事という言葉に思わずルーナの方を見てしまった。しかしこの狐耳少女は素知らぬ顔で大変ですねと(うそぶ)いている。

 

「まあその傭兵さんたちはただの代理だからちゃんとした領主様が来たら交代しなきゃいけないんだろうけど、出来ればこのまま本当に領主様になって欲しいくらいだよ」

 

 前の領主がそれだけひどかったのか、それとも今のその傭兵とやらがそれだけ素晴らしいのか。どちらにせよ良い方向へと転がったようだ。

 

「そっちのお兄さん」

 

 アルと話していたおばさんがこちらの顔を覗き込んで声をかけてきた。

 一瞬、体が強張って身構えるが、おばさんは柔らかく笑って深く腰を折った。

 

「ああ、やっぱりあの時の。うちの旦那の怪我を治してくれてありがとう」

「顔の怖いお兄さんやおじさんがあんたのことを探していたから気を付けてね」

「ええと、はい。ご親切にどうも……」

 

 お礼とともに、ほかのおばさんからなにやら不穏な言葉で忠告された。

 というか顔の怖いお兄さんってなんだ。人をやっちゃってそうな感じなのだろうか。いやだがしかし顔で人を判断するのはよくない。もしかしたら雨の日に捨てられた子猫に傘を差し出す不良みたいな人間かもしれないのだ。つまりは会ってみないとわからないので今気にすることではない。問題の先送りとも言う。

 

「ではマダム。我々はこのあたりで失礼します」

「あらぁ、残念。でも引き止めちゃ悪いしね」

「どこへ行くのか知らないけれど体に気をつけるんだよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 

*******************

 

 

 そうして乗り合いの馬車へと飛び乗ってガタゴトと揺られているというわけだ。尻が痛いのは道が整備もされておらず、また馬車に振動を抑えるような機構がないためだろう。

 ……はて、ふと思ったがこれだけ広い道、しかも海の町へと繋がるような道が整備されていないというのもおかしな話のような気がするがどうなのだろうか。

 もしかすると想像しているよりももっとずっと小さな寂れた漁村のような所なのかもしれない。

 

(あー、あー、テステス。聞こえるかしら?)

(なんだか久しぶりな気がする)

 

 突然頭の中に声が響いてきた。女神グロウスだ。

 

(こうして話しかけているのは他でもない。ダンジョンの攻略、よくやったわ。本当ならたくさん褒めてあげたいのだけれど――)

 

 けれど?

 

(どうやらそうもいかないのよ。私以外の神々が代行者をその世界に送り込もうとしてるみたいなの)

 

 はてさて、それは良いことなのではなかろうか。なにせこの世界は(女神の言うことを信じるならば)滅亡の危機に瀕していて、それを神の代行者が世界を歩いたりダンジョンを攻略することで神の力を土地に戻して世界を救おうという話ではなかったか。

 そもそも俺一人で世界中を歩くなど土台無理な話であるし、数が多ければそれだけ早く世界を救えるのではないかと思うのだが。

 

(……世界っていうのはね、許容量が決まってるのよ)

(はい?)

(よくあるあれよ。世界は箱で中身に水が入ってて、あんたたち代行者は石とか岩とかで)

(たくさん入れれば当然のように中身が溢れるし、最悪は世界という箱ごと壊れる、と。理解した)

 

 楽ができるかと思ったがそう上手い話はないものだ。

 

(今は私たちがなんとか弾いてるから影響はないけど、もし、万が一にも代行者を見つけたら有無を言わさず殺して)

(無茶を言いなさるな)

(殺してと言ったけど正確には死にはしないから安心しなさい。そっちの世界での入れ物が壊れてこっちに戻ってくるだけだから)

(……例えば、ルーナやアルのように代行者から力を与えられている人がいたら、どうすればいい)

(代行者が死ねばその従属たちの能力もなくなるわよ。そのあとは好きにしなさい)

 

 殺したほうが後腐れはないわよ、と付け足して女神の気配は消えていった。

 ……俺にできるだろうか。実行するのはルーナかアルだろうが、それをやってくれと頼むことを俺は納得して行えるだろうか。

 たぶん、無理だ。いくら精神を弄られているとはいえ、話を聞いただけでもこれだけ忌避感があるのだから、実際に目の前でそんな状況になったときに冷静判断を下せる自信はない。

 

「おおい、着いたぞぉ」

 

 御者の大きな声に思考を中断された。

 どうやら海の近くまで来ていたらしい。潮の匂いがかすかに感じられた。ルーナとアルはもう外へと出て体を伸ばしている。

 仕方ない、他の代行者に関しては直面したら考えようじゃないか。ただの問題の先送りだが、今考えてもおそらく良い答えなど出ないだろう。

 それならば今は目の前に立ちふさがる問題をどうにかするのが先決だろう。

 

「ルーナ、アル。どっちでもいいから助けてくれ。立てない……っ!」

 

 結局2人に脇を抱えられて馬車から降りることに成功。なんとも情けないことである。

 



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10. むなしい……

ポケモンとFF14にハマってました。申し訳ありません。


 

 青い空。白い砂浜。打ち寄せる波。照りつける太陽。寂れた漁村。いつもの格好の俺たち。

 海である。

 

「むなしい……」

 

 砂浜に座り込み水平線にちらほらと浮かぶ小舟をじっと見つめているが、波の音と遠くから人の声が聞こえるくらいでただただむなしい。

 

「まさか海水浴の習慣がないとはな……」

「海にも魔物がいると言われれば当然ですね」

 

 隣に座ったアルが頷きながら応えた。

 そう、海水浴というものがないのだ。つまり水着もない。なんのための海だよ。干上がれ。

 馬車の御者からこの話を聞いたときには「こんな場所に用はない、俺は帰らせてもらう!」などと息巻いていたがその乗って来た馬車はメンテナンスと商談である程度滞在するらしく、それならばと他の馬車を探してみても他に馬車など滅多に来ないと教えられ。仕方ないので観光のつもりで村を回ってみてもなにがあるわけでもなく。いや、衝撃的なものはあった、というかいたのだが……。

 そんなこんなで浅瀬でちゃぷちゃぷと水遊びをしている少し薄着になったルーナを見るくらいしかやることがなかった。可愛い。

 

長閑(のどか)ですねえ」

「……まあ旅の途中で1日か2日くらい寄るだけならいいかもしれないがなあ」

「ロウの故郷はもっと都会でしたか?」

「そうだなあ……」

 

 ここは暮らすには少し退屈だろう。あまりにもなにもない。だけれども地元のように一月に一回の頻度でドンパチしてくれとは言わないが――。

 ズキリ、と頭が痛んだ。どうにも昔のことを思い出そうとすると頭痛がおきる。

 

「暇してんのか?」

 

 突然の声に振り向く。魚がこちらを見下ろしていた。

 ――いや、違う。魚に人の手足が生えた生物がいた。竿を3本と籠を持っている。

 

「竿なら貸せるぞ?」

「なるほど、釣りですか。ロウ、どうでしょうか」

「……そうだな、ルーナ呼んでくるよ」

 

 そう言って立ち上がり、少し離れたところで振り返り、声をかけてきた人物を観察してみる。

 魚である。ついでに言えば恐らくサンマである。それ以外に言いようがない見た目をしている。魚のような顔つきをしているとか、魚の特徴を残した人型などではなく、魚丸々一尾に取って付けたような手足で二足歩行しているのである。

 まるで子供の落書きのような姿で、これをデザインしたやつはもっとバランスとか考えなかったのかと問い詰めたい。

 

「……なんというかアンバランスですよね、色々と」

 

 ルーナが呟く言葉に頷く。

 アルは物怖じしないというか、村であの姿を初めて見たときも特別な反応もなくそういうものとして受け入れていた。

 

「失礼、名乗るのを忘れていました。こちらはロウとルーナ、私がアルです」

「名前か。んじゃあツリザオとでも呼んでくれ」

「ツリザオ……ですか?」

「そ。これだ」

 

 歩きながら手に持っていた木製の竿を少し掲げて言う。

 

「名前ってのが必要になるのはこうしてニンゲンどもと話すような時だけなんさ。だから必要になったら身近にあるもんの名前を借りるんだ」

「ほう」

「不便じゃない、んですよね」

「そうだなあ。ずっとこうしてきたからなあ」

 

 名前が要らないというのはどういう生活をしていればそうなるんだろうか。興味は尽きないが岩場に到着した。ツリザオは適当な石をどけ、その下に隠れていた虫を捕まえて器用に針へと付けていく。

 

「ところで、ツリザオさんのような魚人……? も魚を食べるんですね」

「そらそうさ。海にいる魚だって自分より小さい魚食ってるんだから」

 

 虫のついた竿をこちらに手渡した後、ツリザオが海に糸を垂らしひょいと竿を上げると糸の先に魚が吊られてその体をピチピチと揺らしている。早い。

 そうしてしばらく釣りをしているとツリザオさんが沖の方を見ていることに気がついた。何かあるのかと視線を移すと小舟が一隻ぽつんと海に漂っている。

 

「誰かが大きく手を振っていますね。流されてしまったのでしょうか」

「ルーナはそこまで見えるのか。舟と、なにかが動いてるのまではわかるけどそれも割とぎりぎりなんだが」

「ふむ、私の眼でも恐らく2人乗っている、くらいまでですね。どんな人が乗っているとかはわかりますか?」

「……ツリザオさんのような人ではないです。普通の人」

「ああ、可哀想になあ」

 

 ツリザオさんが小さく呟いた。流されてしまって可哀想にということだろうか。それにしてはなんというか……。

 どうしたものかと悩んでいると小舟を中心に海面がゆっくりと盛り上がっていく。

 

「なんだ、ありゃ……。あの舟、巻き込まれるんじゃないか?」

「気にせんでいい。ありゃ海神様だ」

「いや、気にしなくてもいいって言ったって……」

 

 あのままだと転覆して、魔物がいる海に投げ出されてしまうだろう。生きたまま食われるのを見ていろとでもいうのか。

 

「ルーナ、アル! 小舟でもなんでも借りて助けにーー」

「いえ、行きます!」

 

 アルの声がするや否や、大きな水音が聞こえた。まさか飛び込んだのかと思ったら海の上を大きな水飛沫(みずしぶき)をあげながら跳ぶように走っている。

 ありがたいのだが、なんというかあいつは何でもありな気がしてきた。

 

「ああいや、呆けている場合じゃない」

「んだ。俺は村へ戻るぞ。こっちへ来る波を止めなきゃなんねえ」

 

 ツリザオは手早く魚が入った籠と竿を片付けて小走りで村へと引き返していく。

 ルーナと2人でツリザオの後を追うが、ふとルーナが足を止めたので立ち止まって呼びかける。

 

「ルーナ?」

「ロウ様、あれ……」

 

 ルーナが指差す方、沖の小舟があったあたりを見ると海面の盛り上がりはすでに臨界を超えて、山ほどもある巨体がその姿を現していた。

 

 



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11. 鯨……?

 水飛沫と共に巨体が海を破る。

 

「鯨……?」

 

 本物なんぞこの目で見たことはないがたぶんそうだろう。

 それにしたって大きすぎる。ここが海のど真ん中ならともかく陸地に近いこの場所でどこにそんな体を隠せる場所があったんだ。

 

(うーわ、また懐かしいものが出てきたわね)

(懐かしい?)

(あれは神じゃなくてダンジョンよ。昔に流行った生体型のね。とっくに全部廃棄されたと思ってたけど……。ま、あの娘は情が湧いたとかそんなところでしょ)

 

 突然の解説についていけない。

 あの娘って誰だよ。いやそんなことはどうでもいい。問題は、だ。

 

(その生体型ダンジョンとやらがなにをしてるってんだ)

(さあ……? 私はあのタイプ作ったことないし……。とりあえず攻略してみればわかるわよ!)

 

 使えない女神である。

 それはさておき、なんだか大きな波が迫ってきているような気がする。というかこれ津波か。

 

「ははは、やっべえ。走れルーナ!」

 

 走れ、なんて言っても開けた平地で山には程遠いしいったいどこへ行けばいいのか。

 

「ロウ様失礼します」

 

 これは死んだかなと諦めモードになっていたら強く体が引っ張られ、景色が流れていく。いつぞやぶりにルーナに抱えられて運ばれているのだろう。今回は急に曲がるなどがないので比較的冷静でいられる。

 急停止。体の中身が引っ張られる感覚。気持ち悪い。

 ……どうやら漁村の真ん中まで来たようだ。魚人たちがみんな杖のようなものを持ってなにやら集まっている。

 そういえば波を止めるとかなんとか言っていたが、何か手立てがあるのだろうか。

 固唾を飲んで見守っていると一人の魚人――ナマズだと思う――が手に持った杖を3度地面に突き立てる。それに続いて他の魚人たちも杖を同じように突き立て音を鳴らす。

 

「のちにとにみ らといちみら とにつなもちすにかちもちい」

 

 ナマズの魚人が大声で呪文のようなものを唱え、両手を空へ掲げる。

 つられて空を見るとそれほど高くない所にうっすらと何か影のようなものが浮いているのが見えた。

 人のようだが、古代の人が纏うような服や手に持った杖、肌すら青白く透き通っていてまるで幽霊のようだ。

 幽霊のようなものが杖を海へと突き出すと光の壁が浜にずらりと並び、迫り来る津波を受け止めた。

 ビリビリと壁が、地面が、空気が震えている。

 魚人たちは繰り返し呪文を唱え、空に浮いた人影は服をはためかせながら杖を握る手に力を込める。

 やがて振動も収まり、壁の向こうには一部を除き穏やかな海が戻った。

 

「……止まった、か?」

「そう……ですね」

 

 見れば魚人たちもなんとなく雰囲気が緩んでいる。一先ずの危機は去ったということだろうか。

 

「って、そうだ。アルは!?」

「こちらです」

 

 体のところどころに海藻をひっかけ、水を(したた)らせたアルがいた。ぱっと見、怪我もなさそうである。コイツ頑丈すぎやしないか。

 

「無事だったか!」

「ええ、運が良かったのか波に飲まれず流されてきました。壁に激突するあたりは死ぬかと思いましたが……。それよりこちらの2人の治療を頼めますか」

 

 男が2人。ルーナが言っていたように普通の人間だ。1人は脚、もう1人は肩と脇腹から血を流している。とはいえせいぜい抉れてる程度でそこまでひどいものではない。この程度ならすぐにでも治せる。 

 いつも通りに傷に手を近づけて念じていると、手元に青い影が落ちた。見上げてみると青白い影が佇んでいる。腰まで届く長い髪、口元を覆う長い髭、鋭い眼光。身の丈は大きくそれに見合う岩のような体躯(たいく)を大きな一枚布で包んでいる。杖だと思っていたものは三叉の槍で、柄尻(つかじり)で足元を叩いている。

 なんとなくのイメージだが、海の神様ってこういう感じかな、という姿である。

 その海神様(仮)は空いた手でたっぷりとした顎鬚(あごひげ)を弄りながら俺の手元を熱心に見つめている。怖い。というかこの状況を誰も気にしてないのかと周りを見るが、ルーナもアルも不思議そうな顔でこちらを見ているだけである。

 見えているのは俺だけ…?

 混乱しつつ治療を終えると魚人の集団から1人、近づいてくる影があった。ツリザオだ。

 

「……助けたのか」

「礼ならアルに言ってくれ」

「そうか、ありがとうよ」

 

 まるで助けたことが悪いかのような雰囲気だったが、意外にも素直にアルに向かって頭を下げた。よくわからない。

 他人の気持ちなんてものは深入りしないとわからないし、それを追うくらいなら何が起こったのかを聞くべきだろうと問いかける。

 

「なんなんだあれは」

「海神様か、もしくはその遣いか。だいたい半年前から月に一度か二度、海に出た船を一飲みにして津波を起こして帰っていくんだ」

 

 ひょいと見上げてみると海神様(仮)が首を横に振っている。グロウスが言っていた通り、どうやら違うらしいが今ここで俺がそんなことを言っても村人たちに袋叩きにされそうである。

 

「俺たちか、どこかのバカか。海の怒りを買ったんだ、なんて言っていたんだが、ただで死ぬわけにもいかんしな」

「しかしどうする……?」

「どうするもこうするもねえ。俺らにゃどうすることもできねえじゃねえか」

「だがいつもはすぐに帰っていくのに今日はあんなところで留まっている。なにかできることがあるんじゃあねえか?」

 

 魚人たちが集まり口々にあーでもないこうでもないと言葉を重ねている。

 沖を見ると確かに山のような黒い巨体が海に浮かんでじっとしている。

 

「……ロウ様はどう思います?」

「さてね、怒り狂ってるっていうならもっと暴れまわると思うがどうだか」

 

 『◯◯はちからをためている!』みたいな状態かもしれないのであんまり楽観視できない。誰かが言ったように今ここで何かしら干渉してみるべきだろう。

 となれば――。

 

「……仕方ねえ、行くか」

 

 それしか選択肢はないのである。

 




次回からダンジョン探索できたらいいなあ


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12. どうして仲良くできないのかね

難産


 

 

「これが、ダンジョン……?」

「生き物の腹の中とは思えないですね」

 

 まず、明るい。蛍光灯でもついているのかというほどにしっかりと明かりがある。

 そして足元や壁が肉壁のピンク色一色、というわけでもなく割としっかりとした石造りの場所が多い。それが入り口(鯨の口から入ってきたのだが)付近だからなのか、それともなにか別の理由があるのかはわからないが、進んでみれば何かわかるかもしれない。

 

(もしもし神様?)

 

 さて、電波が悪いのかただの留守なのか、あの女神から返事がない。役に立つのか立たないのか微妙な神様であるが、いつもはいる話し相手がいないというのはなんとなく気分が落ちるものである。

 

「お腹の中だから真っ暗かと思っていたんですが……」

「アレだよ、雷光蛍。いや、少し違うか?」

 

 女が指さす先にふわふわと浮かぶ発光物体がいた。蛍と言っていたが空中をゆっくりと上下に動くだけでどうにも虫らしくない。

 

「あっ、こいつイカだ」

 

 少し近寄って見てみると、真ん丸の体に10本の短い足が付いている。ふわふわと宙に浮かぶそれを捕まえようと手を伸ばし──。

 

「バカ、近寄るな!」

「え? お”あ”っ!?」

 

 ジッ、と一瞬音が鳴ったかと思たら全身に針を刺されたかのような痛みで体が強張り、視界が傾いていく。

 倒れるなー、と他人事のような気持ちで待っているとぽよん、と未知の柔らかな感覚が後頭部を包んだ。

 

「雷光蛍は外敵から身を守るために全身から電撃を放つ。今のやつも似たようなもんなんだろう。ひとつ賢くなったな」

 

 後ろから支えられているようで耳元でハスキーボイスが聞こえる。

 

「申し訳ない……」

 

 痛みは瞬間的なものでもう治まっている。声をかけて体に力を入れて自力で立つ。

 支えてくれた人に向き直り、謝罪をする。

 目線は少しだけ上に──だいたい175センチメートルくらいか──小麦色の肌に赤銅(しゃくどう)色の髪を乱雑にまとめ、片手剣と棍棒を腰に下げている。そしてなにより目を引くのは露出度だ。胸股尻しか隠れてない。間違いなく痴女である。

 女の名はディリス。馬車で一緒に来ていた客のひとりだったようで、俺たちのことを自分の同業者──彼女は傭兵らしい──かと思い観察していたらしい。

 

「ま、料金分は働いてやるよ」

 

 そう言って快活に笑い、こちらの頭をぐしゃぐしゃと撫でて先を歩きだした。男勝り、というよりは竹を割ったような性格と言えばいいだろうか。

 先行く彼女を見ながらルーナが小声で聞いてくる。

 

「……ロウ様はああいうのが好きですか?」

「いや、まあ、嫌いじゃないが四六時中あの格好のままってのはな。アルは?」

「女性の胸は大きければ大きいほど良いと思いますがそれはそれとして苦手なタイプの女性ですね」

「聞こえてんぞてめぇら」

 

 好きでこんな格好をしているわけじゃないとは本人の談。育ての父親に信仰させられた神の加護のせいだと言う。その神を信仰する者は命を惜しまず、恐れず、そして常に戦場にいるつもりで日々を過ごす。つまりは生粋の戦闘集団のような人たちらしい。

 まあその結果が常時半裸の男女というのだから宗教というのは面倒だなあと実感する。

 アルはどうやらディリスが信仰する神様に心当たりがあるようで、しかし苦虫を潰したかのような表情で口を開いた。 

 

「……東の闘神、フィアトル」

「そっちは西の戦神だろ? 騎士様よぉ」

 

 アルとディリスの間でなんとなくピリピリとした雰囲気を感じる。

 聞けばどうにも2人の信仰している神様同士があまり仲が良くないようで、それぞれの信徒たちも物事に対する考え方の違いから同じように敵視しているらしい。

 

「……私の国では闘神を信仰する者は蛮族として扱われます」

「うわお」

「んで、アタシらの中じゃ戦神なんてのを信仰するのは腑抜けた腰抜け(チキン)だなんて言ってるんだよ」

「どうして仲良くできないのかね……」

 

 攻めを重視する闘神と守りを重視する戦神のスタンスの違いから始まったものだそうだが、なんともまあ面倒な話である。

 そんな中に首を突っ込もうとしているうちの神様も面倒なことこの上ないのだが、なるようにしかならないので考えるだけ無駄である。

 

 

*******************

 

 

 ゆっくりとダンジョンを進んでいく。

 どれほど進んだだろうか。壁や床は石造りの場所と肉のような場所の比率が逆転してほぼ肉壁のような状態だ。

 

「ロウ様、あちらを」

 

 ルーナが指さした先を見ると白い何かが落ちている。ゆっくりと近寄ってみてようやくそれが何かわかった。人骨だ。

 魚人と人と混ざっているが頭の数からして9人分。多いと考えるべきか、思ったよりも少ないと思うべきか。

 

「今までに飲み込まれたやつらの遺体か」

 

 アルとディリスが近寄って残っていた服や物を確認している。

 俺とルーナは邪魔にならないよう周囲の確認である。

 

「おかしい……。()()()()()

「そうだな。綺麗に服や骨だけ残ってやがる。ってことはだ」

 

 頭上からクラゲの奇襲を女が一息で斬り払う。

 

「掃除屋がいるってわけだ!」

 

 クラゲ型の魔物は真っ二つに切られ絶命する。しかし肉の壁に擬態していたクラゲ型の魔物たちが一斉に飛び掛かってきた。

 切られたクラゲから飛び散った体液が滴り落ちて肉の床がジュウと煙を上げて溶けていく。

 これはつまりさっきの骨の人たちはこいつらに溶かされてしまったのか。

 喉の奥からこみ上げてくるものがあるが飲み下す。吐いている場合じゃないんだ。

 

「ロウ、身を低くして頭上に注意を! ルーナはあまり近づきすぎないように! 取り込まれる可能性があります! ディリス! 剣よりまず棍棒を使って叩き落してください!」

「あいよ!」

 

 アルは剣の腹と鞘を使ってクラゲを叩き落してから突き刺して処理している。それを見てディリスも同じように棍棒で落とし、片手剣を突き立てる。

 アルとディリスは戦闘になればしっかり連携が取れるようだ。自分の命に関わるから当たり前と言えばそうだが、それでも安心した。

 戦闘組は大丈夫そうだから言われたとおりに身を低くして頭上の警戒をしておこう。ついでに周りを見て他の魔物が来ていないか確認をする。

 四つん這いであたりを見回していると手に何か固いものがぶつかった。頭蓋骨だ。

 反射的に放り投げようとしてしまったが、ふと、小高く積まれた骨の山が目に入った。

 

「なんで骨がまとまって落ちていた……?」

 

 1か所に集まるような……。集められた? 何に?

 あのクラゲの魔物ではないだろう。あれはただ捕食するだけのものだと思う。まとめるような知能があるようには見えない。

 見落としがないかと視線を巡らせていると、クラゲの処理をしている2人の足元から音もなく触手が伸びていた。

 

「アル! 下だ!」

「っ!?」

 

 触手がアルとディリスの体に巻き付こうとした瞬間にぶつりと根元から断ち切られた。

 

「助かりました!」

 

 異変に気付いたルーナが一瞬で助けに入り、アルとディリスが拘束から抜け出した。そしてわずかに残っていたクラゲ型の魔物を振り払いこちらに合流する。

 

「後でいい。……来る」

 

 ずるりずるりと肉の床から触手の持ち主が姿を現す。肉の床と同じピンク色の縦長の体に吸盤のついた触手が10本。4メートルほどの巨体が目の前にそびえ立つ。

 

「イカ……!? ええっとクラーケン!」

 

 確かイカの化け物はだいたいそんな名前だったような。

 いやそんなことよりもだ。

 

「道を塞がれましたね」

「見事に塞いでいるな」

 

 クラーケンがダンジョンの奥へ続く道を通せんぼしているのだ。迂回路はおそらくなく、倒そうにもあの巨体である。いや、巨体というだけならこの前の最深部の化け物もそうなのだが。

 

「とりあえず叩き斬ればなんとかなるでしょう」

「アルのそういう割と脳筋なところ嫌いじゃない」

「えっじゃあ私も! 私もとりあえず斬ってきます!」

「ルーナはそのままが可愛いと思う」

「ダンジョンの中でする会話じゃねえ……」

 

 ディリスの言うことはもっともである。だが──。

 

「では……」

 

 一瞬にしてアルの姿が掻き消えて、クラーケンの触椀を斬り飛ばす。ただの踏み込み、ただの跳躍でさえうちの騎士様が行えば瞬間移動のような動きである。やる時はしっかりやれるのだ。

 クラーケンは残った触手を鞭のように振り回すが、アルはそれを剣で打ち払い、時には小さな足捌きだけで本体へと近づいていく。

 そして一瞬、クラーケンの触手による攻撃が一瞬だけ途切れた隙を見逃さずに全力で踏み込み、突進して、クラーケンの巨体へと剣を突き刺し諸共に奥へとすっ飛んでいく。

 

「燃えろ」

 

 目と目の間に突き刺した剣から炎が上がり、瞬く間にクラーケンを炎が包み込んだ。

 海産物が焼ける良い匂いがする。

 

「お疲れ様、アル」

「これくらい当然です」

「ふぅん、こりゃあたしはいらなかったな」

「いえ、我々は割と世間知らずというか、物を知りませんのでありがたく思っていますよ」

「嫌味ったらしい野郎だな」

「……?」

「素で言ってるのか。余計に質が悪いな」

 

 あー、戦うことに関して自信を持ってる傭兵が「お前の力なんぞ当てにしていない」と言われたようなものか。いや、もちろんアルのあれはたぶん本心なのでそんなことは思っていないのだろうが、あとでフォローしておこう。

 クラーケンが焼けた跡に自分の拳よりも一回り大きい深い青色をした魔石が転がっている。宝石だと言われたら信じてしまいそうな見事なものである。

 魔石を拾い上げて鞄に入れたところでルーナがキョロキョロとあたりを見回していることに気が付いた。

 

「ルーナ? どうしたんだ?」

「はっきりとはわからないのですが、まだ何かいます」

 

 ルーナがそう答えるや否や、アルが即座に剣を床に突き刺して炎を四方八方へと(ほとばし)らせる。

 ──沈黙。

 ルーナもたまにはミスすることがあるんだなあなどと思っていると、ずるり、と肉の床から俺たちを囲むように6体のクラーケンが一斉に姿を現した。

 

「え」

 

 視界に影が差した。クラーケンたちが持ち上げた触手が雷光蛍イカの灯りを遮ったためだ。

 そして当然の帰結として、振り上げた触手は振り下ろされる訳で。

 体を突き飛ばされたような、引きずられるような、とにかく必死に脚を動かす。

 

「おわああ!」

「そら足を止めるな、走れ走れ!」

「なんとなく冒険してる感がありますね」

「ええ、ロウと一緒にいると退屈はしなさそうです」

「お前ら余裕だな!?」

 

 愉快な逃走劇の始まりである。

 



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13. 命を大事に

 

 走る。右の通路へ。走る。今度は真っすぐ、ただし雷光蛍イカに近づかないように。走る。振り返って左の通路へ。来た道から触手がわんさかと這い寄ってきているのが見えた。

 後ろは見ずに、ただひたすらに進む。そうして別れ道へと辿り着くとどこからともなく男の声が聞こえるのだ。

 

(右だ)

「次は右!」

 

 3つに別れたうちの右の道へと迷わず走る。

 すわ幻聴かと最初は思っていたのだが、声はどうやらダンジョンの奥へと導いてくれているようで、魔物にも鉢合わせしないし、どんどんと奥へと進んでいる、気がする。

 この調子でこのまま最奥までたどり着ければ楽なんだが、などと思っていると雷光蛍イカが通路いっぱいに群れているところに遭遇してしまった。

 

「下を潜り抜けろ!」

「失礼」

 

ディリスの叫びと同時に体に浮遊感。そして急激な加速。放り投げられたと気付くまでにはもう地面を転がり雷光蛍イカの壁を抜けたところだった。

 

「ロウ様に対して雑すぎる」

「普段ならやりませんがここなら大丈夫でしょう」

 

 ルーナがアルに文句を言いながら滑るように(くぐ)り抜けてきた。

 確かに下は肉の床だから大丈夫だったが、それにしてももう少しやりようがあるんじゃないかと思う。

 ディリスが投げた手斧が円を描きながら飛び、先頭を走るクラーケンの胴体に突き刺さる。それを確認もせずに雷光蛍イカをスライディングをするように潜り抜け、懐から取り出した何かを雷光蛍イカに向かって放り投げた。

 

「伏せろ!」

 

 ディリスが俺たちを押し倒すように抱えながら地面に伏せる。

 雷が、落ちた。

 

「……なんとかなったな」

 

 ディリスが体を上げて振り向いた。クラーケンたちは全身から煙を動かない。雷光蛍イカもいなくなっている。

 

「なにをしたんだ?」

「ん? 雷光蛍の話だが、群れてると電気を増幅させる習性っていうか性質がある。あのイカ共も同じだろうと思ってかんしゃく玉投げ込んで一斉に電気を放出させて焼いた。

 同じ場所に生息しているから電撃に耐性があるかもしれないと思って斧をぶっ刺したが……、いらなかったな」

 

 なるほど。確かに斧が刺さったクラーケンはほかよりも焦げている。その代わり斧の柄も炭化してしまい、これでは使い物にならないだろう。

 

「ルーナだったか。ちとこれをアタシの背中に塗ってくれ」

「なにを……。ああ、なるほど。ロウ様出番です」

 

 俺の出番、となると怪我か。それそれとディリスの背中を見ると焼け(ただ)れていた。

 

「あ……、俺たちをかばった時に……?」

「気にすんな。これくらいは料金分に含まれてる。ていうかお前が塗るのか? さすがにアタシも必要もないのに男にベタベタと触られるのは嫌なんだが」

「ん、いや、手を当てるだけだ」

「なるほどこれが本当の手当てというものですね」

「……」

「アル……」

「失礼しました。どうぞ、続けてください」

 

 ディリスのむき出しの背中に手を当てる。よく見れば細かい傷も残っている。まとめて治してしまおう。

 淡い光がディリスの体を包んで、それで終わり。古傷もなくなった綺麗な肌になっていた。

 

「よし、これでどうだ?」

「どうだ……っても」

 

 ディリスが体を動かしている。おそらく痛みもなく、不思議に思っているだろう。

 

「すごいな。本当に完治するのか」

「すごいだろう、そうだろう。俺じゃなくグロウス様をよろしくな」

 

 ここぞとばかりに宣伝をしておく。通信が繋がらないあの神様は今はどうしているだろうか。

 

 

     *****

 

「ずっと通信がつながらないんだけど! 何もしてないのに壊れたわ!」

「その言葉を言うやつは大抵なにかしらやってる」

 

     *****

 

 

 クラーケンたちを倒した後、そのまま道なりに進んでいたら壁に突き当たってしまった。

 

「んん?」

「行き止まり、ですね」

 

 壁を触ってみてもちょっとぬるっとしているだけで変な所はない。あの声も特に何も言ってこない。クラーケンに追われているときは魔物に出会うこともなくありがたかったが、もしかして従ったのは間違いだったのだろうか。

 振り返り、引き返そうかと口を開いた直後に視界が下がった。違う、物理的に落ちている。

 

「ロウ様!」

 

 頭上からルーナの声が聞こえる。首を上げて見れば閉じつつある穴からルーナがこちらに飛び込んできていた。

 

「ロウ!」

「命を大事に!」

 

 もう随分小さくなってしまった穴に向かって叫ぶ。俺がいなくてもアルならなんとかするだろうが、無茶はやめてほしいところだ。

 そうして穴が閉じ、暗闇の中でルーナに抱き留められる。こちらもルーナの腰と肩に手を回し、しっかりと引き寄せた。

 これ結構な高さから落ちているのではなかろうか。たとえ肉の床に落ちても死ぬのでは?

(神様仏様グロウス様! 俺はともかくルーナを助けてください!)

 目を瞑り、神頼みである。

 落下していたのはどれほどだったのか。それは突然終わりを迎えた。

 ……水!?

 全身に衝撃を受けて目を開けると、透き通った世界に泡が立ち上っていくのが見えた。

 ルーナが離れていないことを確認し、急いで水面へと向かう。

 

「……はぁっ! 辛っ! 海水かこれ!」

「けほっ……。海水ってこんな味なんですね……」

 

 よし、ルーナも無事だったか。

 周囲を見渡し、浜のような場所を見つけてそちらへと泳ぐ。先ほどまでの暗闇と打って変わって、まるで外にいるかのような明るさだがどういうことだろうか。浜辺に上がり、呼吸を整えているうちに自分のいる場所の異質さに気付く。

 まるで外にいるかのような、ではない。本当に外にいる。

 上を見れば青空と太陽が燦々(さんさん)と自己主張しているし、砂浜に寄せては返す波の音や、風も吹いている。立っている場所は小さな島──学校の体育館くらいの広さだろうか──のようになっていて、ところどころに崩れた石の柱や石畳などがある。

 

「……夢でも見てるのか?」

「夢ならよかったのですけれど」

 

 ルーナがナイフを構えた。見ると島の中央に黒い(もや)が集まってゆっくりと形を作っていく。

 枯れ木のような手足に骸骨の面。背には棺桶を背負い、吸盤がついた触手が髪のように頭部から生えている。そして、右手にはどこかで見た三叉槍を持っている。

 ──あれは、海神の……?

 俺が呆然としている間にルーナは突如現れた化け物の懐に入り、ナイフを突き立てていた。しかし化け物はそれを気にも留めず、腕を払いルーナを引きはがした。

 

「もうっ! コイツも硬くて刃が通らないです!」

「げ。アルはいねえし、どうすりゃいいんだ」

 

 ええと、最初のやつはルーナが首をはねて、2回目はアルが炎の剣で倒して……。コイツにはなんか弱点とかそういうのはないのか?

 この化け物についてわかっていることなんて、とてつもない怪力で、剣を通さないほど硬い皮膚を持っていて、それぞれの個体で違う特徴があり、首を切られたり炎で消滅させれば死ぬっていうくらいだ。ダメだ、さっぱり役に立たない。

 

「とりあえずあいつから離れよう」

 

 少しは時間を稼げるはず、と口にしようとしたがルーナが俺の腰のあたりを抱えてタックルするように横に引きずり倒した。

 いったい何を、と思う暇もなく、轟音と衝撃が間近からあたりに広がりなすすべもなく転がされる。

 

「ロウ様、無事ですか!?」

「ああ、大丈夫だけど……、なにが起きたんだ?」

「……跳躍、です」

 

 跳んで、着地した。ただそれだけだとルーナは言う。それだけで爆発したかような衝撃を起こせる化け物が相手とは。

 背中に汗が流れて気持ちが悪い。

 どうすれば勝てる?

 

「……仕掛けます。ロウ様だけでも逃げてください」

「あっ、おい!」

 

 言うや否や、ルーナは眼にも止まらぬ速さで化け物に飛び掛かっていった。

 逃げろと言われても周りは海のようになっていて対岸なんてものはどこにも見えないのだけれども。それにルーナを置いて逃げるわけにもいかない。

 

(神様、グロウス様!)

 

 ……反応なし!

 ええい、どうして必要な時にいないんだ。

 使えない女神は頭から追い出し、何かないものかと周りを見渡すが、砂浜と崩れた石柱くらいしか見当たらない──?

 そういえばあの石の柱はなんの残骸なんだろうか。

 こんなときだが疑問が湧いてきた。ルーナと化け物が戦っているのを背に島の中央部、つまりはあの化け物が出現した石畳や石柱が残っているところへと向かう。

 自分よりも小さな女の子が命を懸けて戦っているんだ。ここで動かなくちゃ、男じゃない。

 

 

*******************

 

 

 ──よかった、ひとまず遠ざかってくれた。なら、まずは私が生き残らないと。

 

 ルーナは諦めていない。ルーナが諦めるのは自分を救ってくれた男が完全に死んだときだけだと、そう決めている。

 ルーナは狐耳を立てて、彼女の主人が離れる足音を聞き、改めて目の前の長躯(ちょうく)の化け物に向き直る。

 触手が重いのか、上体をゆらゆらと不安定そうに揺らしながら少しずつルーナに向かってきている。

 ゆっくり、ゆっくりと動いていたそれが一瞬だけ動きを止めたことをルーナは知覚し、全身の毛が逆立つような感覚と共にその身を横に跳ね、砂の上を転がって化け物との距離を開けた。

 

 ……大丈夫、見える。避けるだけなら問題はない。

 

 化け物は右手に持った三叉槍を前に突き出して動きを止めている。だが、ルーナはそれを見ても近寄りもせず、また離れることもしなかった。離れれば化け物は自分の主人を狙うだろうという確信があった。

 であれば、だ。

 ルーナは化け物の槍が届かないギリギリに立ち、化け物の歩みに合わせてゆっくりと後退(あとずさ)る。

 そうして、ルーアは自分の足が濡れたことを知覚した。

 海だ。

 ルーナの意識がほんの一欠けら、足元に向いた。化け物の右腕が枯れ木のような見た目とは裏腹にしなやかに、鋭く動く。

 ルーナは高速で迫る槍を半身になりながら逆手で抜いたナイフを横から当てて軌道を逸らす。が、伸びたゴムが縮まるように化け物の腕が瞬時に引き戻されて連続で突き出される。

 ルーナはそれを紙一重で逸らし、避けていくが、一瞬にして10を超える剣戟を交え、ルーナは右手に持ったナイフの感覚がわからなくなっていた。

 化け物はそれを見て何を思ったのか、腕だけで突き出していた槍をルーナの胴目掛けて薙ぎ払った。

 

 あっ。

 

 ルーナは海へと吹き飛ばされて大きな水飛沫(みずしぶき)を上げて沈んでいった。

 

 

 




ディリスの斧
 クラーケンに投げて刺した斧。強烈な電撃を受けて柄のほうが壊れてしまった。
なお本人的には別に特別でもなんでもないそこらで買ったものなので新しく買いなおすだけのようだ。


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14. あれを止める方法は?

 

 少しだけ時間を(さかのぼ)る。

 

 **********

 

「なにか……、なにかないのか」

 

 積み重なったがれきを押しのけて、あるかどうかもわからないこの状況を打開できるものを探す。

 なんだっていい。あの化け物を倒せる武器が転がっているだとか、ちょうどよくアルとディリスが来てくれるだとか、突然俺の力が覚醒するとか、なんでもいいのだ。

 ルーナを死なせたくない。それだけだ。

 そうして指先に何か、石とは違うものが当たった。

 

『聞こえるか』

「うわっ!?」

 

 突然頭の中に声が響いた。落ち着いた、老年の男を思わせる声だ。

 ゆっくりと石の柱のがれきをどかすとそこには青い、海のような色をした宝玉があった。

 

「この声……」

『手短に話す。お前たちが対峙しているあの生物に関してだ。

 あれは正確には生物ではない。神が動けなくなったときに少しの間世界を正常に回すための、神が作り出した歯車だ。

 始めはあれらも正常に動いていた。だが、いつからか周りの魔物を取り込み人を襲うようになり、ついには私まで取り込んで……』

 

 宝玉を手に取るとなんか語りだした。手短にって全然手短じゃないじゃねえか。そういうのは後で聞いてやるから今はこの状況をどうにかする方法だ。

 

「あれを止める方法は?」

『仮面をはぎ取れ。恐らくあれがバグの原因だ』

 

 有能。そうと分かれば早速ルーナに伝えなくては──。

 と、重たい水の音が思考を真っ白に染めた。

 

「ルーナ!?」

 

 音がした方向へ顔を向けると化け物が腕を横に振りぬいた形で止まっていた。が、俺の声に反応したのか、それはさび付いたブリキ人形のようにゆっくりと首を回しこちらに視線を向けてきた。

 ぞわりと足先から頭のてっぺんまで悪寒が這い回る。

 

「やべっ……!」

 

 最初はゆっくり、少しずつ早く、最終的には疾走というべきか。枯れ木のような足からは想像もできないほど速くこちらに一直線に向かってくる。

 仮面を剥ぎ取るにはあの化け物の懐へ飛び込まないといけない。が、俺にそんなことができるだろうか。

 化け物の足であと5歩。瞬きの間に詰め寄られて串刺しになるだろう。

 化け物が槍を振りかぶる。そこで黒い影が俺と化け物の間に割り込んできた。

 

「させない……っ!」

 

 ルーナだ。高速で突き出された槍に蹴りを合わせて横へと弾く。

 反動で吹き飛ばされるルーナをなんとか抱きかかえるが、衝撃に負けて地面を転がってしまった。

 

「ごめんなさいっ……!」

 

 そう言って謝るルーナは全身ずぶ濡れで、動きもどこか精彩が欠けているような気がする。折れたナイフを持つ右手が小刻みに震えている。

 怪我をしていると判断してルーナの体に手を当てて癒しの力を発動させる。ルーナの体の内側から小さく音が聞こえる。折れた骨が無理やり治っている音だろうか。

 

「仮面をはがせばアイツは止まる、らしい。行けるか?」

「はい」

「よし、俺も近づくからいざとなったら囮にしろ。死にはせんからな」

「嫌です」

「……オーケーわかった。でも俺もルーナが怪我するのは嫌だから気を付けるようにしてくれ」

「はいっ!」

 

 言って、ルーナは走った。真っすぐにではなく少しだけ右に弧を描くような形で化け物に迫る。

 ルーナのナイフと化け物の槍が交差し、甲高(かんだか)い音を立てて跳ね回る。

 正直それ以上のことは速すぎて見えないので自分も行動に移す。ルーナとは逆に左から回って化け物の背後をつこう。

 何度目の交差だったのか。化け物の突きをルーナは回転しながら腕の外へと(かわ)し、そのまま化け物の横っ面へ逆手に持った折れたナイフを突き立てた。

 

「やっ……てないな! ルーナ逃げろ!」

 

 叫びつつ、走る。

 これまでただ垂れ下がっていた頭の触手が動き出し、ルーナの左足の先から胴まで絡み付く。

 

「っ、この!」

 

 ルーナが触手をナイフで切りつけるが切断できず、絡みついた触手はゆっくりと体に食い込んでいく。

 俺が飛び込んでも同じように捕まるか、最悪適当に腕を振り回されただけでそのまま死ぬ。俺が死んだところでどうということもないがルーナはそうもいかない。

 手をこまねいていると、前触れもなく小さな影がいくつも降り注ぎ、白煙が化け物を包んだ。

 

「■■■■■■■■!!!!」

 

 空から白煙の中心地に何かが降ってきた。白煙が土煙に変わり、それを突き破る影がある。

 大剣を持ったディリスと、それに抱えられているルーナだ。だが、ルーナの左足が半ばからなくなり、代わりに鮮血がこぼれて地面を真っ赤に濡らしていく。

 

「悪い、ぶった切った」

「全身粉々に砕けるまで締め上げられるよりかはマシです」

 

 ルーナは絡みついた触手を引きはがして放り投げながら答える。淡々としているが、顔を歪めているのがわかった。

 ディリスがルーナの左足の先を布できつく縛ろうとしているので止める。

 

「あ? ああ、お前が治療できるんだったな」

「ロウ様、ごめんなさい……」

「謝らないでくれ。俺は何もできなかったんだから、むしろこっちが謝らなきゃならないんだ」

 

 左足は欠損しているので気合を入れて全力で治す。欠損くらいなんぼのもんじゃいこっちは神の力使わせてもらってるんだ足の1本や2本くらい生やしてみせるわ。

 

「よし、それじゃアタシはあの野郎を仕留めて……、いや、いらねえか?」

 

 轟音が土煙を吹き飛ばす。

 化け物が地面に跡をつけながら後退し、ついには海へと吹き飛ばされた。

 アルが片手剣を振りぬいた形で息をついている。

 

「アタシも力には自信があるほうなんだが、あいつ本当にゴリラだよな」

 

 ディリスはルーナを回収するときに化け物に全力で蹴りを入れてみたがビクともしなかったらしい。それを軽々と吹き飛ばせるアルは確かにディリスからゴリラ扱いもやむなしというものだ。

 

「ロウ! ルーナ! 無事ですか!?」

「俺をかばったりでルーナがだいぶやられた。アルたちは怪我はないか?」

「問題ありません。道中は出てきてもあのイカくらいでしたから。ディリス、私の剣を」

「ほらよ。……おい、アタシの剣が短くなってるんだが?」

 

 ああ、ディリスが持っていたのがアルの剣だったのか。そしてアルが持っている片手剣はディリスが言うように半分ほどになっている。

 

「折れました。心配せずとも斧の分も合わせて報酬に足しておきます」

「いや……、まあいいか」

「?」

 

 ディリスは固定化がどうのと小さく呟きながら受け取った折れた剣を眺めている。よくわからないが、なんとなく呆れたような表情だった。

 

「で、どうすんだ?」

「ああ、あいつの仮面をはがしてほしいんだ。たぶんそれで終わる、はず」

「おいおいおい。そんな"たぶん"だとか"はず"だとかに命を懸けろってのか?」

「……そうだ。もちろん、ディリスに強要なんてしない。もしも嫌なら──」

「いや、面白え。乗るぜ」

 

 ディリスは、笑った。

 犬歯をむき出しにして、獰猛に、気炎を上げて笑っている。クッソ怖い。

 

「ここんところつまらねえ仕事ばかりだったからな。たまには死線くぐらねえと(なまく)らになっちまう」

 

 やっぱり思考が蛮族だよこの人!

 ん? いや、待て。俺の提案に乗ってきてるんだから俺の思考がまず蛮族寄りなのでは……?

 ……気にしないことにしよう。

 現実から眼をそらしたところで、地鳴りとともに大きな水柱が上がった。

 

「……は?」

「回避!」

 

 そびえ立った水柱がうねり、曲がり、生き物のように動き落ちてきた。

 そしていつものようにアルにぶん投げられる俺である。っていうかルーナは!?

 

「大丈夫です。()()()()()」 

 

 隣に立っているルーナを見ると確かに失われていた左足が綺麗に生えて白い肌が見えている。

 自分でやっておいてなんだけど無くなったものを生やすとかすごいことしてる気がする。いや、そもそもルーナに初めて会った時に失った視力を戻してたし、こんなもんなのか?

 

「ほれ立て! んで走れ!」

 

 海に水柱が次々と立ち昇る。まじか。ただでさえ狭くて何もない島なのに更地になった後に沈むぞ。

 ディリスが俺の腕をとって立ち上がるが、地面を踏みしめた瞬間に膝から崩れ落ちた。

 ……えっ?

 

「おいバカ遊んでる暇はねえぞ!?」

「待って待って遊んでないまじで一切足に力が入らんしなんなら足叩いても感覚が薄いしなにこれぇ!?」

「ロウ様失礼します!」

 

 ルーナに抱きかかえられて降り注ぐ水の柱から逃げ回る。いや足を動かしているのはルーナだけれども。ディリスもちゃんと避けているようだ。アルはー、水柱に正面切って炎を纏った剣で打ち返してる。……あいつ本当に人間か?

 

「で、この状況どうすればいいんだろうな」

「ロウ様、舌を噛みますよ」

 

 俺は完全にお荷物だしルーナもアルもディリスも海から出てこない相手にはどうしようもないだろうし、詰んだか?

 と、俺の懐から何かが転がり落ちたのを慌ててキャッチする。海色の宝玉だ。完全に忘れてたわ。

 

『忘れていたか。まあ、いい。私を海に投げろ。どうにかしてやる』

 

 間髪入れずに宝玉を全力で海へと投げ捨てる。どうにかするってんならどうしかしてくれるだろう。

 腕だけで投げたせいで随分と浅瀬に落ちてしまったが、はたして、宝玉が落ちた場所から力の波のようなものが放たれた。

 降り注ぐ水柱が、崩れていく。

 崩れた水柱の1つからあの化け物が体勢を崩して落ちてくる。

 

「ルーナ、アル、ディリス! やっちまえ!」

 

 アルが落下中の化け物の触手をすべて断ち切り、背中に大剣をぶち当てて叩き落す。

 ディリスがうつぶせに落ちてもがいている化け物に飛び乗り踏みつける。地震のような揺れが起こり、化け物が地面にめり込む。

 そして、俺を地面に置いたルーナが……、目の前から一瞬で消えて化け物を通り過ぎた。右手には化け物が着けていた鳥の顔のような仮面を持っている。なにをどうしたのか一切見えなかった。

 化け物は──、止まっていた。

 

 



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15. この鯨はちょっとおバカさんなんだな?

 

 

 化け物が止まってしばらく経ち、ようやく脚の感覚も戻って一安心していたところに海から大きな影が上がってきた。

 

「まずは、助けてくれたことに礼を言おう。ありがとう、そしてすまなかった」

 

 村で見た覚えがある、真っ白な髭を垂らすように伸ばした老人が腰を折り、頭を下げている。どうやら村の時とは違い、この姿は俺以外にも見えているらしく、しかしルーナやアル、ディリスは何のことやらという表情をしている。

 

「あんた、あ、いや、あなたが海の神様……なんですかね?」

「いかにもワシが海神オセアノーであるが、そうかしこまらずともよい。ここにいるのは罪なき者が殺されていくのをただ見ていることしかできなかった間抜けだ」

 

 そんなに卑下しなくても、と言ってみるがオセアノーは首を横に振るだけだった。どうやら何を言っても無駄そうだ。

 

「あなたが海神ということはわかりましたが、なにがどうなってこんなことに? この鯨はいったいなんなのですか?」

 

 アルが質問をする。俺はこの鯨がダンジョンだというのはグロウスから聞いたが、なぜこんなことになっているのか、ということに興味がある。

 アルの言葉を聞いたオセアノーは地面に胡坐(あぐら)をかいて座り込み、ぽつりぽつりと話し出した。

 

「こいつは生き物であり、同時にダンジョンでもある。普段は世界から供給される魔力を食っているのだが、それが途絶えたことで生物から魔力を得ようとしたのだろう。……結果はあまり(かんば)しくなかったようだがな」

「それは……」

 

 ふむ、つまりは腹が減ったけど普段食べてるものがないから代替品を、ということか。

 しかしちょっと疑問が湧いて出たのでこっそりとディリスに聞いてみる。

 

「なあ、人間が持つ魔力量ってだいたいどんなもんかわかるか?」

「あ? あー、クソ大雑把にお前とおチビちゃんが1。アタシが5。そこのゴリラが25。熟練の魔術師で50くらいか?」

 

 1て……。もうちょっとこう、夢を見させてくれても罰は当たらないと思うんだけどなあ。というかアルがすごいな。

 

「で、この鯨を賄うにはどのくらい必要なんだ」

「今の尺度であればだいたい1日に100万ほどだな」

「なるほどな? この鯨はちょっとおバカさんなんだな?」

 

 無理に決まってるじゃねえか。

 1日に熟練の魔術師2万人はこの世界の実情を知らない俺でも無理だとわかる。

 

「そうだ、無理だ。だからこそあの装置が動いていたのだが」

「装置?」

「お前たちが先ほど倒したあの化け物だよ」

「あれが……」

「あれはこの世界の主神が用意した緊急機構なのだ。大気に含まれる魔力を集め、増幅してこのダンジョンへ供給していた」

「しかし、暴走した」

「したのではない。悪意を持つ者によってさせられたのだ」

 

 オセアノーはルーナが手に持った鳥の骨のような仮面を指さしてそう言った。

 悪意を持つ者と聞いて一瞬、自分をここに送った女神を思い浮かべたがあの人、というかあの女神はそういうことを考えるのは不得意なタイプのような気がする。もっとこうノリと勢いで生きているタイプだろう。

 

「アシオン様さえ健在であればこのようなことはなかっただろうに……」

 

 オセアノーが言った言葉が頭のどこかに引っかかる。どこかで聞いたことがあるような、ないような。

 ……あ、そうだ。ルーナから聞いたことがある。たしかその時はグロウスの名前を出して──。

 

「ここの主神が倒れたってのは本当なんですか?」

「……そうだ。だが、誰から聞いた?」

 

 ジロリ、と睨みつけられた。そんなに見られても困るので勘弁してほしい。

 

「グロウスっていう女神に。俺をここに送り込んだ張本人、です」

「ふん。つまり、この世界のことは外に筒抜けということか。それにしては入ってきている数が少ない気もするが」

「どういうことですか?」

「他は知らぬがこの世界には女神は主神一柱だけだ。ならばその女神とやらはこの世界のものではない。十中八九侵略者だ」

 

 残りの一割は底抜けのバカなお人よしくらいだろう、とはオセアノーの談。

 

「まあいい。これを持っていけ」

「これは……?」

 

 オセアノーは懐から手のひらサイズの青い宝石のような球を取り出して手渡してきた。

 顔に近づけて中を覗いてみると、まるで波のようにゆらゆらと光が揺れている。

 

「ワシの力が込められている。多少なりとも水を生み出し、操ることができるだろう」

「おお、魔法の道具だ」

 

 いかにもファンタジーっぽいアイテムが出てきた。

 使い方を聞いてみると念じれば持ち主の魔力量やらなにやらを宝玉が読み取って水を出す、らしい。

 物は試しととりあえず使ってみることにする。

 宝玉を掲げ、なんでもいいので水よ出ろと念じると宝玉が一瞬だけ淡く輝き、球の上部から水柱が上がる。ただし、10センチ程度の小さなものである。やがて水柱は力尽きて地面の染みになった。

 

「……」

「ロウ様、私もやってみたいです」

 

 宝玉をルーナに渡す。

 ルーナがえい、と声をあげると1メートル程の水柱を作り出し、光に反射して虹が掛かった。きれいだなー。ちょっと目から汗が流れた気がする。

 ルーナは褒めてほしそうにこちらを見ているので頭を撫でてやる。こうしていると狐というよりまるで犬のようだ。

 

「で、だ。これに触れろ」

 

 オセアノーが差し出してきた宝玉──こっちの物は金属のような鈍い色をしている──に手を触れる。

 直後、体の中心から手を通して宝玉へと何かが流れ込むような感覚のあと、宝玉が光を放ち風が吹き荒れる。

 

「これでこのダンジョン制覇だ。ここら一体は安定するだろう」

 

 ああ、ダンジョンコアへのアクセスだったのか。前回はもうちょっと穏やかな感じだった気がするのだが、まあ場所も変われば勝手も違うだろう。

 しかし、いいのだろうか。

 

「侵略行為を後押しするような真似をして大丈夫なのか、とでも言いたげだな」

「……わかっててやるっていうことは、なにかあるんですね?」

「あるとも言えるし、ないとも言える。だが少なくとも今はこうしないければ世界がもたないのでな。応急処置だ」

 

 どうやら随分と切羽詰まっているらしい。それこそ侵略者の助けがいるほどに。

 しかし、神様というからには自分のところの信者なんかもいるだろうに、その人たちでは駄目なのだろうか、とそのまま聞いてみる。

 

「出来る出来ないで言えば出来るだろうさ。その前にこの世界は無くなっているだろうがな」

 

 時間がかかりすぎるということか。なぜだ。

 俺とそこらの人との違いなんてグロウスから力を貸してもらってるくらいだ。この世界の神様だってそれくらいできたっておかしくないだろうに。

 

「何らかの理由で力を与えることができない、ってことですか?」

「……信仰心だ。今の大多数の者はなにかしらの宗派に所属していればすこし便利な特典が付く、くらいにしか思っていない」

「基本的にはそのようなものですね。聖堂教会の者ならば熱心な信者もいると思いますが」

「ならばそこの者たちは大なり小なり信託を受けているだろう。それでもそこのよりよほど弱い力しか受け取れぬだろうがな」

 

 つまり世界を救う同志か。いい響きだ。実際のところは侵略者と防衛者だが。

 あっはっはっはっは、と空元気で笑ってみるがどうにも調子が出ない。

 俺が、というよりグロウスがこの世界を侵略したときどうなるだろうか。案外なにも変わらないかもしれない。よし気にするのやめた。とりあえず世界が無事になってから後のことを考えよう。もしかしたら俺以外の誰かが世界を救ってくれるかもしれないし。

 両手で頬を一度叩いて気合を入れなおす。

 

「……無垢とも違う、空虚とも言えぬ、確固たる芯も無さそうな普通の人間の()だな」

「いきなりボロクソに言わないでくれますかね」

 

 気合を入れなおしたところに冷や水をぶっかけられた思いである。なんなのだこの神様は。いや神様なのだからこれくらい普通なのだろうか。

 ちょっとムッとしているとオセアノーはこちらに手を伸ばし、その大きな手でぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられた。

 

「いいや、褒めているのだよ」

「……?」

「とはいえお前さんは物凄く流されやすそうな気がするからそういうときは周りに止めてもらうんだぞ? いや本当に。そういうタイプを結構な数見てきたワシが言うんだから間違いないわ」

 

 なぜだか物凄く心配されてしまった。

 

「いやまあそのあたりは頼れる仲間がいますから大丈夫でしょう」

「安心してくださいロウ様。地獄の果てまでお供いたします」

「ええ、遮るものはことごとく焼き払いましょうとも」

「このゴリラとチビで大丈夫か?」

 

 たぶん、と一言。その言葉がディリスの問いへの答えなのか、自分に言い聞かせるためのものなのかは考えないようにしておこう。

 

「さあ地上へ送ってやろう」

 

 オセアノーが指を鳴らすと俺の足元から全身をすっぽりと覆う水の膜のようなものが現れた。

 見れば、ルーナやアル、ディリスも同じように水の膜に包まれている。

 水の膜が宙に浮かび、ゆっくりと上昇してオセアノーが小さくなっていく。

 

「そなたらの旅路が良きものであることをここから祈ろうではないか」

 

 そんな言葉を最後に、俺の意識はぷつりと途切れた。

 

 



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16. いやまずお前が誰だよ

──声が 聞こえる

 

 小さい頃の記憶だ。

 今よりもずっと目線は低く、両手を両親に引かれて歩いている。

 燃えるような夕暮れ時に、買い物帰りに3人で歩いた記憶。

 

──声が 聞こえる

 

 場面が切り替わる。

 ()()()()()()()()()に、姉と、小さな犬。

 抜けるような青い空の下で、みんなで朗らかに笑っている。

 

──声が 聞こえる

 

 場面が切り替わる。

 また違う両親(ひと)の前で、叱られ、心配されている。

 

 場面が切り替わる。場面が切り替わる。場面が切り替わる。場面が切り替わる。場面が切り替わる。

 どれひとつとして同じ人物は出てこない。そのどれもが懐かしく、どれもが他人のアルバムを見ているような、矛盾した感覚。

 

 

──声が 聞こえる

 

「お前は、誰だ?」

 

──俺/僕/私は──

 

 

*******************

 

 

 ざあざあと音が聞こえる。それが浜に打ち寄せる波の音と気付けたのはいつかの記憶に海へ行ったことがあったからだろうか。

 ゆっくりと(まぶた)を開ける。

 どこかの家屋の中だろう。薄暗いが、なにか小さな灯りが壁と天井を照らしているのが見て取れた。頭と視線を動かして周りを見渡すと、薄暗い中でもテーブルとイスがあるくらいは見て取れた。たぶん誰かの住まいを貸してもらっているのだろう。窓らしき場所からうっすらと光が入ってきているのでおそらく昼間といえる時間帯だろう。

 ひとまず安全か、とゆっくりと鼻から息を吸って一拍。肺にたまった空気をすべて口から吐く。

 

「いやまずお前が誰だよ」

 

 そうして、口から出たのはそんな言葉だった。

 夢の中の出来事とは言え、人に名前を聞くときはまず自分から名乗れってんだこの野郎。

 

「あ、ロウ様」

 

 木が軋む音とともに光が室内を照らす。

 頭上から小さな声が聞こえた。この声はルーナだ。

 上半身を起こして声の主を探す。ルーナはちょうどこの家屋に入ってきたようで、手に持っていた皿のようなものをテーブルに置いて近寄ってきた。

 

「3日も眠っていたんですよ。このまま目を覚まさないのかと思いました……」

 

 3日もか。随分と寝過ごしてしまったようだ。

 

「寝る子は育つというからたぶん成長期なんだろう。ルーナもしっかり寝て大きくなるんだぞ」

「……大きいほうがいいですか?」

「そのままの君でいて」

 

 ふよん、というか、むにゅん、というか。ルーナが自分のふくらみに手を当てて考え始めたので慌てて止める。

 大きかろうが小さかろうがどちらも好きなので、大きすぎず小さすぎないルーナも好きである。

 それはさておき。

 

「アルとディリスは?」

「今は村のお手伝いの時間ですね。沖に出ているか、漁の道具のお手入れをしていると思います」

「馴染んでるなあ……」

 

 俺がこんな状態だから村の世話になるためにやってくれているだろう。足を向けて寝られないな。

 

「とりあえず村長さんにロウ様が起きたと報告してきます。お食事も持ってくるので待っていてください」

「ああ、うん、ありがとう。急がなくていいからな」

 

 ルーナはぱたぱたと駆け足で出て行った。

 ──さて。

 

 目を閉じて、一息。目を開けるとそこはもうさびれた家屋の中ではなく、いつか見た白い部屋の中だった。

 目の前には木製の机がひとつ。その上にはなにかの書類が散乱している。

 ──神造人形制作手順書……?

 書類に書かれた文字に少し興味が湧いたが、とりあえず紙はひとまとめにして机の端に置く。そうして見つけた小さなスイッチを押すと、なんとも間の抜けた音が鳴り響く。遅れて、どこからか騒がしい足音が近づいてくる。

 

「あーっ! あなた今まで何してたのよ!?」

 

 何もなかったはずの壁に扉が現れ、それを壊れそうな勢いで開けて女性が中に入ってきた。グロウスだ。

 真っ白な肌を黒いドレスに身を包んだ女神は矢継ぎ早に質問をしてくる。やれなんで呼びかけに答えなかったのか、だとか他の神の気配がするのはなぜかなどだ。

 

「とりあえずあの鯨……、ダンジョンに入ったところから話します」

 

 

 

「ふーん。ま、だいたいわかったわ。呼びかけが繋がらなかったのも、よそ様の家に勝手に入れないものね」

 

 ダンジョンであったことをほぼすべて話した。

 とりあえずそれで納得したらしく、先ほどまでの勢いは無くなっている。

 

「それで、その……」

「そうね。私とあなたは正しく侵略者よ。間違ってないわ。でも世界が滅びるよりかはよっぽどマシだと思わない?」

「それはそう思います」

 

 頷き、答える。

 

「この程度の世界の危機なんてのはここの主神がさっさと起きればそれで終わりだし、そんなところを助けてやるんだからちょっとくらい見逃せってのよ。なんなら今すぐにでも女神が起きて世界を私に譲渡してくれるのが一番いいわ。楽できるもの」

「無茶苦茶言いますね」

 

 ふむ、主神さえ目覚めればハッピーエンドなんだろうか。それをするためにどうすればいいのかは全くわからないが。

 頭の中でもらった情報を組み立てていくがまだまだパーツが足りていない。

 

「ま、海の神だったかしら? それのお墨付きってことなら多少無茶したって何も言われないでしょ。これを機にもっとダンジョンを攻略して、さっさと世界を救っちゃいましょう」

「わかりました。……それで、ですね」

 

 以前から言おうと思っていたことを、いい機会なので言ってみることにした。

 

「なに?」

「ご褒美ください」

 

 普通なら首を突っ込まなくてもいいところに関わって、それを全部やらされているのだからこれくらいわがままを言ってもいいと思う。

 

「……なにかほしいものでもあるの?」

「いや、思いつかないんですけれども」

「んー……、ちょっっっと待ってね」

 

 そうして女神は何もない空中に指で線を描いて小窓を作り出して、その中を乱雑にかき回し始めた。

 程なくして目的の物を見つけたのか、腕で(ぬぐ)ように小窓を消し、こちらに黒い輪っかを差し出してきた。

 

「はい、これ」

「腕輪……、ですかね?」

「そうよ。それを身に着けていれば、さっき言ってた海の神にもらった宝玉を普通に扱えるようになるはずよ」

 

 黒を基調として、白銀の線が2本、輪を断つように縦に入っている。

 ひとまず左腕にはめてみるかと手を通すと、ぶかぶかだった腕輪が手首のあたりで小さく締まり、ぴったりとしたサイズになった。

 魔法の道具を扱えるようになる魔法の道具、ということだろうか。なんとも迂遠なものであるが、ありがたくもらっておこう。

 

「それと、あなたの脚の不調。推測になるけれど、力の使い過ぎ……、というよりは出力オーバーってところかしら。そのくらいなら出来るような器だったと思うのだけれど……、なんででしょうね」

「なんとかなりませんかね」

「まずひとつは欠損を生やすだなんてそんな大奇跡を行わないこと。とはいえ奇跡なんてものは普通じゃ起こりえないから奇跡なんだし、それを使うなっていうのは布教的には本末転倒なわけで。っていうことで、頑張って使えるようになりなさい! たくさん使ってれば体の方が勝手に順応していくはずだから!」

「なんという力押しな思考……。ゴリラはこっちにもいたのか」

「……捻じり切るわよ」

「何を!?」

 

 捻じり切ると言ったグロウスの目が笑っていなかった。あれは本気だ。怖い。

 

 

「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」

「布教を忘れずにね!」

 

 

 

「この度は村をお救いいただきまことに──」

「あー、いえ、そんなに固くならずにお願いします。こちらとしても言い方は悪いですが成り行きというかついでと言いますか、あまり深く考えずに行ったことですから」

 

 神様空間から戻って左手首に腕輪があることを確認していると、間もなくルーナがアルとナマズの魚人を連れて帰ってきた。ディリスは今手伝っている仕事が中途半端なのでパスと言っていたそうだ。

 そうして開口一番、ナマズに人の手足が付いたナマモノが目の前で深々と頭を下げはじめた。鯨が起こした津波が来るときに一番前に立って呪文を唱えていた人、らしい。そしてこの人が村長としての役割を持っており、呼び名も村長でいいとのことだった。

 あんまりにも長々と頭を下げられたものだから、慌てて頭を上げるように促す。

 

「それでも、あなたがたの行動の結果として村が救われた。礼のひとつでもしなければ我らの気が済みません」

「ロウ、素直に受け取っておきましょう。あまり断るのも失礼になりますよ」

「……まあ、そうか」

 

 どうしたものかと困っていると、アルにもっともなことを言われてしまったので素直に礼を受け取ることにした。

 

「ではささやかではありますが、宴をご用意させていただきますのでどうぞご参加ください」

 

 

*******************

 

 

 大きな焚火を中心に、魚人と人が分け隔てなく酒を飲み、笑っている。宴会はまだまだ続きそうだ。アルとディリスがマグロのような魚人と飲み比べをしているのが見えた。

 その様子を少し離れたところでコップを傾けながら地べたに座って見ていると、横から声をかけられた。ルーナだ。

 

「ロウ様、どうしました?」

 

 ルーナは俺と同じようにコップだけ持って、左隣にちょこんと寄り添うように座った。

 問われて、口に出していいものだったかと、少し考える。幾分か思考がふわふわとしているが、なぜだろうか。酒は飲んでいないはずだ。これが場酔い、雰囲気酔いというものか。

 頭の中の自分が「ヨシ!」と言っているので、考えていたことを口に出す。

 

「感謝されるっていいもんだな、と思ってな」

 

 ルーナは何も言わず、ただじっとこちらの目を見つめてきている。

 見つめあうのはなんだか気恥ずかしいので手に持ったコップに視線を落とす。中身の果実水はまだ少しだけ残っている。

 

「どこか義務感というか、そういうものが引っかかってたんだ」

「でも今日あんな風に礼を言われて感謝されて、そういう義務感とか抜きにして世界を救うんだって、この先もああいう人たちの助けになれればいいなって。そう思えた」

 

「うん、まあ、だから」

 

「これからもよろしくお願いしますってことで」

「はい。どこまでもお供いたします」

 

 コップを掲げて、ルーナのものと軽くぶつけ合う。

 鈍い音は喧騒にかき消され、俺とルーナにしか聞こえなかった。

 




──黒い腕輪
 グロウスからもらった腕輪。魔法道具を使えるようになる。海の宝玉(仮称)で試してみたところ、ルーナと同じくらいの水柱を作ることができた。


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17. この世界にはまだたくさん俺の想像を越えたものがあるようだ

 

 漁村を出てから馬車に揺られて3日。そろそろ尻が馬車の床と一体化するのではないかと心配になってきたころ、御者のおじさんの声が聞こえた。

 

「着いたぞぉ!」

 

 馬車内から顔を出してみると大きな門とそこに繋がる長蛇の列が見えた。あれが今回の目的地。芸術と美食の港町『サクソーシャン』。この地方最大規模の大都市である。

 長く続く列はどうやらこの町に入るための門で関所のようなことをしており、それを抜けるための待ちということらしい。

 とはいえ町に入るのにそれほど時間はかからないだろう、というのが御者さんの談。個人や乗合馬車なら似顔絵が出回るような犯罪者がいないかをざっと確認するくらいということだ。これが商人たちであればご禁制品を持ち込んでいないかのチェックもあるから時間がかかるが、その確認はこの行列とは別の場所でやっているらしい。

 

「美食の都、か。あっちの漁村と違いすぎないか?」

「そうですか? こんなものでしょう」

 

 馬車で3日の場所なのに文明レベルに差がありすぎるような気がするが、どういうことだろうか。

 

 

 手続きは無事に済み、町の中に入るとメインの大通りであろう場所には屋台がズラリと並び、たくさんの人が往来している。その中には普通の人とは少し違う、いわゆる獣人や蜥蜴人(リザードマン)らしき人たちもいる。

 屋台からは威勢の良い声が飛び、それを聞いて客は屋台を覗き込む。縁日かなにかかと思うくらいの様相だ。

 

「ロウ様……」

「どうした……って、おわー!」

 

 背の低いルーナが人の波に飲まれそうになっていた。なんとか救助する。ここではぐれると見つけられそうにないので手を繋いで歩くことにした。少し恥ずかしそうにしている顔が可愛らしい。

 人混みに揉まれながらようやく広場に抜けるとまだまだ人は多いが、それでも休憩できそうな場所があった。

 噴水の(ふち)にルーナとアルと、3人で座って体を休める。

 

「この町はすごいな……」

「私の国でもここまでの人が集まるのは武術大会やパレードの時くらいですね」

「なんだお前ら、だらしねえな」

 

 俺はもう人混みを抜けるので疲れた。アルも俺ほどではないが少し(しお)れている。ルーナは俺とアルの後ろを歩かせたのでそこまでではないが、ディリスは先頭を歩いて人混みを掻き分けていたにも関わらずピンピンしていて、俺たちの飲み物を買ってくるくらいには余裕があった。

 ディリスから飲み物を受け取って一口。程よく冷えた甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。

 

「美味しいなこれ。何の果物なんだ?」

「あ? あれだよ。リンゴモドキ」

 

 ディリスが指さした屋台にリンゴが積まれている。いや、よく見るとそのリンゴの山が小さく揺れ動いているように見える。

 飲み物を口に含みながら目を凝らしてリンゴの山を観察する。

 

「ルーナ、あのリンゴ動いてるよな?」

「あー……」

「ほれ、コイツだよ」

 

 ディリスがポンと手渡してきたものを見る。そこには丸々と育った真っ赤なリンゴが何とも言えない表情でこちらを見つめていた。

 

「ぶふっ!」

「お、いい反応だ」

 

 口に含んでいたジュースを全部吹き出してしまった。それを見てディリスはケラケラと笑っている。手のひらにいたはずのリンゴモドキは生えている手足を使って俺の肩に移動して、まるで慰めるように俺の肩を叩いている。

 

「コイツは、モンスターじゃないのか?」

「モンスターとは体の半分以上が魔力で構成されている、死んだら魔石しか残らない生物のことを指します。コレは樹になって、果汁が絞れるので立派な植物ですよ」

「そうなのか……。なんというか、知能があるってわかると食いづらいな……」

「ああ、リンゴモドキに脳はありませんよ。その行動は本体、つまりはリンゴモドキの樹によって決められた行動です。より遠くへ移動して繁殖するために旅人へついていくんですよ」

 

 この世界にはまだたくさん俺の想像を越えたものがあるようだ。

 しかし、港町ということもあってか随分開放的というか、先の漁村ではなかった水着を着て、その上になにか羽織って歩く人たちがちらほらといる。

 たしか、海に魔物が出るから、という理由で海水浴の習慣がないと言っていたはずだが、ここは平気なのだろうか。

 そんなことを聞いてみると、アルが頭上を指さしたので見上げる。町の中心部と思われる場所にある、塔の一番上から波のように揺らめく光が町を覆っている。

 

「結界機という装置ですね。魔石を燃料に結界を作ります」

「へえ……。そんな便利なものがあるのか」

「全ての町や村に配備できればいいのですが、魔石を使う都合上どうしても維持費が高くなってしまうんですよね」

「痒いところに手が届かんな」

「とはいえ、ダンジョンの外にいる魔物は基本的に弱いものが多いですから、結界機を使えない農村でも自警団で事足りているらしいです」

「うん……? じゃあいったいなんのために?」

「ごく稀に、だが、ドラゴンみてえなモンスターが町や村を襲うんだよ。あとは戦争用だ」

 

 アルに代わりディリスが答える。

 どうにも苦々しい表情をしているが、ドラゴンか戦争に嫌な記憶でもあるのだろうか。

 

「この結界でドラゴンからも町を守れるのか?」

「無理だ。だが逃げるにしろ迎撃するにしろ時間は稼げる」

「できることなら人が住む全ての町や村に置くべきものなのですが、維持費もそうですが本体もなかなかの値段でして……。そううまくはいかない、というのが現状ですね」

「ま、アタシらが考えなきゃいけないことは今日の飯と宿の値段くらいだよ」

 

 金、金、金。仕方のないこととはいえ世知辛い話である。

 ふと見回すと、慌ただしく走っている人が多くいることに気付いた。

 

「……なんか騒がしくないか?」

「いま、魔物が出た、と聞こえました」

「魔物? こんな街中で? それに結界機があるじゃないか」

 

 だが実際に人々がなにかから逃げるように走っているのは確かだ。みんな海側からやってきているから魚の魔物でも出たのだろうか。

 他人事のように座ったままでいると、アルが突然剣を抜いて地面に突き刺し、炎を噴き上げた。

 炎はなにかを遮るように地面を這い横へ伸び、石畳の隙間から音もなく湧き立った水のようなものの突撃を受け止める。

 

「ふんっ」

 

 アルは地面から剣を引き抜き、無造作に横に振るう。半透明のなにかは剣から放たれた炎にあおられて地面へと引っ込んでいった。

 

「お、おお……。助かった」

「スライム、か? それにしちゃでかすぎる気もするが」

「……嫌な予感がしますね」

 

 アルが深刻な表情で呟く。

 町の人たちは転んだりで怪我をしている人がいるようだ。たまたま近くで転んだ少年の怪我を片手間に治す。

 

「ありがとうお兄ちゃん!」

「気を付けろよー!」

 

 手を振って走り去る少年を見届ける。また転びそうではあるが、まあその時はその時だ。

 

「じゃ、行くか」

「はい」

「もちろんです」

「仕方ねえなあ」

 

 俺の言葉にルーナが、アルが、ディリスが当然とばかりに返事をする。

 人助けの時間だ。

 

 

 




・リンゴモドキ
 植物の一種。リンゴの果実に手足が生えて目口がある。種を遠くへ運ぶために旅人と行動を共にするように樹本体から命令を受けている。
 劣悪な環境でも育ち栄養も豊富なため開拓などの際に重宝されている。が、味に関してはどれだけ手間と愛情をかけて育てたかによるので、放っておけば生ごみのような臭いと味になる。要注意。


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18. ……服だけ溶かすスライム?

 

 スライムは多くの冒険者にとって恐ろしい魔物だと伝えられてきた。剣も槍も拳もろくに効かず、獲物の顔に飛びつき窒息させて弱らせてから溶かしていく。もしくは衣服を食われて素っ裸で町へと帰還しなければならない。洞窟を探索するときなどはみな戦々恐々としていたものだ。

 しかし、多くの偉大なる研究者(クソやろうども)の手によってその評価は大きく変わった。

 小さく、単細胞で思考する脳もなく、振動や呼気を感知して飛び掛かるということがわかった。斬る、殴るなどはあまり効果がないが、それ以上に火や冷気に弱いということが周知された。

 対処さえわかれば可愛いものである。一家に一匹飼う時代が来てもおかしくない。

 しかし。もしもの話であるが。火や冷気に耐性がある、巨大なスライムが存在するとしたら。

 それはドラゴン以上の驚異になるのかもしれない。

 

 ──魔物研究者 モンストル・モンスレー著『スライムでも理解(わか)るスライムの生態』より抜粋

 

 

 

 でかい。

 駆け付けた先で見た光景の感想として真っ先に出たのがそれだった。近くにある3階建ての家屋と比べてもほぼ変わらない大きさだ。

 透き通った水色の体に10を超える人が囚われ、もがいている。周りには炎の魔法でスライムを攻撃している人たちがいるがあまり効果はなさそうで、攻撃に反応して体を伸ばして空から落ちるように人を吞み込んだ。潰されてないだけマシだと思おう。

 

「アル、救出! ルーナとディリスは俺と避難誘導!」

「はっ!」

 

 アルが剣から炎を出して巨大スライムへと斬りかかる。しかし、アルの炎でも巨大スライムは動じない。

 スライムはのしかかるようにアルに向かって倒れる。スライムが動くたびに石畳がその巨体の重さによってひび割れていく。

 アルがあまり強い炎を使わないのはスライムにつかまっている人たちを傷つけないようにするためだろう。

 

「ふんっ!」

 

 どうすればいいかと悩んでいると、アルは石畳を踏み砕き、その体を弾丸のように射出し、スライムの体をぶち抜いたのである。

 スライムに空いた風穴は映像を逆再生しているかのように塞がっていく。だが、そこにあったはずのもの──囚われた人──が数人減っている。

 

「ロウ! 任せます!」

 

 アルが粘液にまみれた人たちを地面に横たえている。どうやら体当たりをしたときに救出したようだ。

 ルーナとディリスに声をかけて要救助者を運び出す。

 助けたうちの一人、まずは女性の状態を確認する。全身が粘液で濡れており、服が溶けてボロボロになっているが肌は綺麗なものである。呼吸が少し荒いような気がするが、息を止めていたのならこれくらいは普通だろう。とりあえず何もしないのも気が引けるので念のため治療の力を使っておく。呼吸が正常に戻った。

 さて、気になるのは助けた他の人たちも服だけ溶けているということだ。

 

「……服だけ溶かすスライム?」

 

 まさかそんな。スケベな漫画でもあるまいし。

 

「スライムっつったら衣服喰いか死肉喰いだが、あれは衣服喰いの方だったってわけだな。まあ溺れなければ死なないだろうさ」

「すまん、ディリス。あとでその二つについて教えてくれると助かる」

 

 ディリスははいよ、と返事をして、どこからか持ってきた大きな布で女性の体に付着した粘液を拭ってからお姫様抱っこで行ってしまった。

 こうしている間にもアルは巨大スライムに突進を繰り返して救出している。

 

「ええい、愚図共め何をしている! さっさと怪我人を運べ! 動け動け!」

 

 スーツを着た偉そうなお兄さんがやってきて周りの人たちを動かしていく。地味にありがたい。

 それのおかげか遠巻きに治療の様子を見ていたおじさんが怪我人を運ぶ手伝いを申し出てくれた。

 

「診療所はあっちだ。わからねえんなら案内がてら一緒に行くぞ」

 

 髪をオールバックにした白髪と銀髪が混ざったようなおじさんが負傷者片手に声をかけてくれた。はて、どこかで見たことがあるような……。

 

「ありがとうございます。ルーナ、アルの方に加勢してくれるか?」

「いえ、もう私のすることはないでしょうからロウ様に付いて行きます」

 

 することがないとはなんぞや、と思ったが、アルの周りが陽炎のように揺らめいていたので救出は終わってあとは倒すだけなのだろう。

 アルがこっちを横目で見ていたのでグッと親指を立てて応援しておく。たぶんうまいことやってくれるだろう。

 スライムはアルに任せて俺は俺のできることを頑張ろう。

 

 

 診療所は地獄絵図の有様だった。

 負傷者のはずの人たちが老若男女関係なく興奮した様子で近くにいる人に襲い掛かっているのである。男女の見境なく、性的な意味で。まだ未遂しかいないが時間の問題だ。

 老人が若い狼男に覆いかぶさり息を荒げながら愛の告白めいたことをしているのはちょっと絵面がひどすぎる。

 ディリスは襲い掛かってきた男の顎を的確にぶん殴って昏倒させていた。その後ろには先ほど治療をした女性が怯えてうずくまっている。

 どうやらスライムから助け出された人たちがおかしくなっているようだ。もしかしたら興奮剤のようなものがスライムの粘液に含まれていたのかもしれない。つくづく薄い本に出てくるような生態をしたスライムだ。

 ディリスに守られている女性が正常なのは先ほどの治療で気付かぬうちにそれを解毒していたのだろう。そう考えると今の状態に説明がつく。

 

「ルーナ、とりあえずみんなを止めてくれ」

「はい。……ああいうのは腕の一本くらい落としても大丈夫ですよね?」

「そういう物騒なのはダメです」

 

 暴走した人たちをルーナが片っ端から締め落とし、それを追うように治療をしていった。揉み合ったりで多少の怪我人は出たが幸い(性的な)被害者が出ることもなく、一息つくことができた。

 邪魔にならないように、また暴れださないようにと全体が見える位置の壁際で休んでいると、診療所へ案内してくれたおじさんが水を持ってきてくれた。ありがたくいただくとしよう。

 

「相変わらず見事なもんだな」

「はい?」

「ロウ様、前の町で脚の古傷を治した人です」

 

 ……そんな人もいたような気がする。正直ほとんど覚えていない。

 改めて水を持ってきてくれた人を観察してみる。

 身長は俺よりも少し高く、180くらいだろう。ぶかぶかの服に身を包んでいてよくわからないが、大きく、威圧感のある体をしている。元は灰色だったであろう白髪混じりの短髪を後ろへ撫でつけてある。顎ひげも少し、これは無精ひげだろう。

 一番印象に残ったのは、目だ。切れ長の、獲物を狙う猛禽(もうきん)類のような鋭い目。

 こんな人を見ていたら忘れ無さそうなものだが、ここ最近の、特にダンジョン内での出来事が濃すぎて忘れていたようだ。

 

「まあいいさ。脚の礼を言ってなかったと思ってな。ウィルフリッドだ。よろしくな」

「それで、ディリスさんのところの人がそれだけのことで来たんですか?」

 

 ルーナの言葉で、ウィルフリッドの動きが固まる。

 

「……なんでわかったんだ?」

「あなたは自然体でしたがあっちにいるディリスがあなたの顔を見て少しだけ反応してたので」

「ガキにしちゃあ良い眼をしてやがる。あの馬鹿娘にゃ、なにも言ってなかったからな」

 

 娘、ってことはこの人がディリスを拾ったという人なのか。

 

「で、なんの用かってのは勧誘だよ。お前ら、うちの傭兵団に入らねえか?」

「えーと、なぜ?」

「お前さんはどこの神官でも匙を投げた俺の傷を治せる力。そっちの嬢ちゃんはその観察眼とさっきの身のこなし。うちのもんにならなくても、最低でも囲いこんでおきたい」

 

 コップから水を一口。

 良い考えでも浮かぶかと思ったがそんなことはなかったので直接聞いてしまおう。

 

「所属するメリットとデメリットは?」

「メリットは、まあ、そうだな。後ろ楯になってやれる。自慢じゃねえが規模だけは大きいからな。デメリットは……、戦争の参加だとか、まあ自由にはしてやれねえな」

「ですよね」

 

 あくまでも俺の目的は世界を旅してダンジョン攻略をしつつ、ついでにグロウスの名前を広めることなのでそれが一番困る。

 

「じゃあ適度なお付き合いという方向でお願いします」

「ま、仕方ねえか」

 

 ガタン、と大きな物音。音の発生源を見ると大剣を床に落としたアルが戦慄(わなな)いている。

 

「ロウ……。まさかあなたが男色家だったとは……!」

「ちょっと待とうか?」

「ロウ様は男性より女性に目線が行くことが多いので男の人が好きという訳ではないと思いますよ」

「ちょっと待って?」

「冗談はさておき」

「決して浅くない傷を負ったんだが?」

「アルベルトです。よろしく」

 

 ついには無視された。この野郎、明日の朝起きたときにリンゴモドキを目の前に置いておくから覚悟しておけよ。

 

「お前さん、どこかで……」

「?」

「……いや、なんでもねえ。ウィルフリッドだ。よろしくな」

 

 ウィルフリッドが何事か呟いていたが、頭を振ってアルと握手をする。

 そこに慌ただしくローブを着た男が息を切らせてやってきた。

 

「団長、報告です」

「……ま、そうだろうな。人を集めておけ」

 

 小声で報告を受けたウィルフリッドは手早く指示を出してこちらに向き直る。

 

「さて、俺たちはこれからお仕事なんでな。また後でよろしく頼むわ」

「ディリスはどうしますか」

「今回は別に必要ねえからあいつに任せる。あんたらと一緒にいるってなら、まあ、あんな女だがよろしく頼む。もしこっちに来るってんなら街の西門近くにある宿に来いと伝えてくれ」

 

 ウィルフリッドはそう言って、団員だろう人たちを引き連れて去っていった。

 

「どんな仕事をするのか興味あるな」

「見学しに行きますか?」

「まずディリスに相談してみるか」

 

 くう、と可愛らしい返事が来た。ルーナが顔を真っ赤にしてお腹を押さえている。

 

「メシ、食いに行くか」

 

 何をするにしてもまずは腹ごしらえだ。

 




評価等よろしくお願いいたします。


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19. 万が一ってこともあるしな

「そんな感じだったんだけど、実際、仕事ってどういうことをやるんだ?」

 

 パキッ。

 飯屋で一息つきながらウィルフリッドとの話をディリスに伝える。

 この町は港町ということもあってやはり新鮮な魚介が売りだということでエビやらカニやらを頼んでみた。

 

「アタシがいらない仕事だろ? 大方ご禁制品使ったバカの拠点探しとその家探(やさが)しだな」

 

 パキッ。

 俺の指の力では折るどころか曲がりもしなかったカニの脚を一息でへし折りながらディリスが言う。その隣ではアルがカニ解体マシーンと化している。

 ルーナは大鎧騎士海老(アーマードシュリンプ)などという大層な名前の綺麗に茹で上がったそれを瞬く間に解体してこちらに差し出してきている。とりあえず一口もらう。身は引き締まり硬めの触感で塩味がちょうど良い。

 ルーナに断ってからみんなで分けるようにテーブルの真中へ押しやる。

 

「ご禁制品?」

「今回の感じなら薬、強力な惚れ薬か媚薬ってところだろ。どっちも国で取り締まってるもんだからな。それをどっかのバカが捨てたかして(よど)みで下水に自然発生したスライムが食っちまったんだろうさ」

「ああ、だからスライムに吞まれてたみんなの様子がおかしく……。そういえばアルは特になんともなってなかったな」

「私が受けている加護は多少の毒なら無害化しますからね」

「多少……?」

 

 パキッ。

 横でディリスが首を捻っているが、アル本人がそう言うのであればそうなのだろう。正直、アルの自己評価はあんまり当てにできないと気付き始めたので、そういうものなのだと納得しておく。

 

「で、行くのか?」

「傭兵団に興味はあるけど家探しじゃあなあ」

 

 周りでウロチョロしてても邪魔なだけだろうし、見ててもたぶん絵面的に地味だろう。

 と、思考の外からアルが言葉を足してくる。

 

「ロウ、恐らくですが下水調査もありますよ」

「下水……ってスライムがまだいる、とかそういうことか?」

「ええ。あの巨大スライムですが核が見当たりませんでしたのでたぶん本体は地下にいます。あれは石畳の隙間から地上に体を出していたんでしょう。ここの町長(まちおさ)にそういう可能性があると伝えておいたので、恐らくウィルフリッド殿へ話は伝わっているでしょう」

 

 そういえば一番最初にスライムに襲われたときは石畳から湧き上がる様に出てきていた。

 

「そういうことなら行ってみよう。俺たちの手が必要になるとは思えんが、万が一ってこともあるしな」

 

 パキッ。

 

「ところでアル。そろそろ自分で食べていいと思うぞ」

「ああ、つい夢中になってしまいました」

 

 山盛りになったカニの身と殻でテーブルが埋まりそうである。

 

 

*******************

 

 

 ウィルフリッドに教えられた宿屋に到着。

 中に入るとなにやら唸っているウィルフリッドと、慌ただしく走り回る人たちがいた。

 扉が開く音に気付いたのかウィルフリッドが顔を上げる。

 

「よう、そんな連れだってどうした」

「うちの仕事が見たいんだとよ」

「仕事ぉ? おい、人手が欲しい奴はいるか?」

「そらネコの手も借りたいってとこですが……、シロウトに場を荒らされても邪魔なだけなんすわ」

 

 ウィルフリッドが走り回る男の一人を捕まえて聞く。だが、男の答えはあまり良いものではない。

 全くその通りだと思う。だがしかし、うちには秘密兵器がいる。

 

「そのあたり、ルーナなんとかならない?」

 

 ルーナは少し考えて、ポツリと喋りだす。

 

「上に9人。男性が5人、女性が4人。3人が獣人でそのうちの1人は鳥人、1人は猫の獣人、1人は蛇人(ナーガ)、ですかね」

 

 ウィルフリッドと男が呆然としている。

 

「……どうだ?」

「……合ってます。非番の連中です」

「あっ、お酒を飲み始めました」

「いやまあ非番なら構わねえけどよ」

「団長のところからくすねた20年ものだーって言ってます」

「……あとでぶん殴っておこう」

 

 ウィルフリッドの額に青筋が立つのを見た団員たちはそそくさと逃げ出した。

 団員の1人がルーナに尋ねる。

 

「……お嬢さん。いま、どれくらい聞こえるんだ?」

「ここから5軒先の親子の会話まで聞こえてますね」

「決まりだ団長。この娘ください」

「おう、10万で1日貸してやるよ」

「うちの子で勝手に商売を始めるのはおやめください」

 

 俺のでもないがな。

 

「おうディリス、そっちのお嬢ちゃんを頼めるか?」

「はあ……。ま、いいけどさ。おチビちゃん、着いてきな。親父、適当に武器と人を借りていくよ」

「ロウ様……」

 

 ルーナが見上げてくるが、意図がよくわからない。なのでとりえず頭を撫でてお茶を濁す。

 

「頼めるか?」

「はい!」

 

 ルーナは元気よく返事をしてディリスに付いて行った。

 なんだかわからんがとにかくよし。

 

「下水の話は聞いていますか?」

「聞いた。正直面倒くせえ。が、前金ももらっちまった」

 

 正確には押し付けられたんだが、とウィルフリッドは続けた。

 そんなに嫌なら断ってもいいのではないかと聞いてみたが、この依頼は町のトップからのものとなるので断りたくとも断れないということらしい。

 

「ま、兄ちゃんも心強いがあんたがいるなら無理ができるな」

「一応言っておくけれども死んだらそれまでだからな?」

「そりゃ当然だろ。ミッドライヒ」

「魔術師と斥候ですね。見繕(みつくろ)っておきます」

 

 痩せぎすの男が間断なく答え、ウィルフリッドはそれに手を上げて返した。

 テキパキと指示を出している姿を見ると本当に傭兵団のトップなんだなあと感心する。

 

「お前ら、スライムについてどれくらい知ってる?」

「さっきディリスに服を食うやつと死肉を食うやつがいるって聞いたくらいであんまり…」

「隙間などに潜んで音や振動に反応して飛び掛かる。熱や冷気に弱い。核が体のどこかにあり、それを失えば自壊する。これくらいでしょうか」

 

 隣からアルがスラスラと答えてくれた。が、その内容の何かが引っかかり首を捻る。

 

「それだけ知っていれば十分だ。だが今回のスライムは熱や冷気に耐性がある、マジックスライムだろう」

 

 そうだ。

 広場に着いたときに巨大なスライムに魔法使いらしき人たちが炎を浴びせていたがまるで効果が無さそうだったし、アルの炎も手加減した状態では似たようなものだった。

 

「コアとやらを壊すしかないのか?」

「私が突進してぶち抜くか、全力で焼くか、ですかね」

「お前さんの全力で火出されたら全員焼け死ぬから絶対にやるな。……マジックスライムの対処法はあるから心配しなくていい。問題は取り込まれた時の窒息死、ないし圧し潰されての即死だな」

「ああー……」

「衣服喰いってのは体にまとわりついてくるんだが、あれだけデカイと捕まったらそのまま窒息して死ぬ。そのあたりをケアしてほしいってわけだ。どうだ?」

 

 頷く。誰かが捕まったらアルが助けて俺が治療をすればいい。

 即死は頑張って避けてくれ。俺にだってできないことはある。

 

「よし。これが町長からもらった下水道のおおまかな地図だ。とりあえず逃げられるように地上に繋がる道だけは叩き込んでおけ。30分後に出発だ。なにか必要なものがあるならそこの男、ミッドライヒに言えばいい」

 

 そう言ってウィルフリッドは8人掛けのテーブルいっぱいに広がる紙を指さした。

 ……これを30分で覚えるのは無理では?

 

 



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