遠き日のパラノイア (鳥ッピイ)
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1話 再会

さて…どこに行こうか?



→面談室





「やあ、久しぶり。」

 

まるで、僕のことを嘲笑ったような声だった。そして、悠久の先の再会であることを全く感じさせないような軽い調子の挨拶だった。

 

 

ぼくが彼と再会したのは、教育実習先の学校の面談室だった。 あまり長い間使われていないのか、壁際にはダンボールが乱雑に積み上げられ、棚には何年も前の年月が記載されたファイルが所狭しと並べられている。校舎の南側にひっそりと設置されたこの面談室は沈む夕陽を直に受けて、部屋一体をより一層赤く染め上げていた。-緩く三日月に細められた、濁った水溜まりのような瞳と目が合う。その男はそのくたびれたスーツ以外当時と変わらぬ姿で赤い窓を背に佇んでいた。

 

動揺した僕が錆びたパイプ椅子にあたった衝撃で、埃が一斉に舞う。 彼 --菰田の歪んだ笑みが、景色に溶けて一瞬滲んだような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同輩…?」

 

「ええ、そうです。菰田っていう、倫理担当の教育実習生がいるでしょう?あいつ、僕と同じ高校の同級生だったんです。」

 

「へえ。」

 

眉をひそめながらとなえは煙草に火をつけると慣れ親しんだ動作で気だるげに煙を吸い込んだ。 対して人見は右手にこそ煙草を手にしているが左手には何も手にしていない。恐らく、本人は煙草に火をつけているつもりなのだろうととなえはぼんやりと思った。

 

「…、…。」

 

「…となえさん?」

 

「ああ、なんでもないよ。ただあんたが過去の話をするのは珍しいなー、と。」

 

「普通、聞かれでもしなければ過去の話なんて話さないでしょう。」

 

「…そうだねぇ。」

 

まだ半分以上残っている煙草を灰皿に押し付けて潰すと、胸元から常時していたペンを取り出した。ボード

を取り出して自身の膝に立て掛ける。

「…忙しいのなら去りましょうか?」

 

「いんや、わたしもちょっとした野暮用が残ってるだけだよ、それよりも、さ。」

 

となえがずいと身を乗り出しと人見は仰け反った。彼女は からかうような…ニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 

「高校の同級生と教育実習先の学校で再会するなんてとんでもない奇跡じゃないのさ。それで?その『菰田』って子はどういう子で、どういう関係なんだい?」

 

「どういう子って…菰田はまず男ですし、同級生というか…ただの『友人』ですよ。」

 

「男ォ!? んで友人!?」

 

「そ、そうです。というか、確かに偶然にしては珍しいことでしょうけど…となえさんも高島瀬美奈…先生と高校の同級生なんでしょう?」

 

「え?、ああ…はは。そういえばそうだったな。」

 

「それに、他の教育実習生。把握してなかったんですか?」

 

「はは、まあ不真面目なもんでねぇ。」

 

となえは苦笑すると、まるで戸惑いを誤魔化すように手にしていた湯飲みに口をつける。保健医という特殊な立場では、ほかの教師と違って教育実習生と関わる機会が少ないのだろうと人見は予想した。

 

「しっかりしてくださいよ。」

 

人見は苦笑すると、ふと何も無い己の手首を見つめた。

 

「ああ、いけない。もうこんな時間だ。」

 

-日誌を書きに行かなければ。 と、おもむろに立ち上がった人見をとなえは目線で見送る。

 

「それではとなえさん。さようなら。」

 

「…ええ、さようなら。」

 

 

鈍い音を立てて閉まった扉を、となえはただ見つめ続けていた。

 

「…『コモダクン』、ね。」

 

 

 

 

 

 

僕はしんとした廊下を歩きながら思案に耽っていた。 もう少しで日が沈む遅い時間帯のせいか、校舎に生徒の姿は見当たらない。『歩く』という、当たり前のなんでもない動作が、鋭く響く己の足音で意識させられるような気がする。…『菰田』のことを思い出すのは随分と…、久しい

。大学受験に失敗を機に僕は挫折やらなんやらで今まで…、いや、今もだが随分と忙しい日々を送っていた。過去を思い出して懐かしむ余裕は、無かった。

 

『菰田』という友人を思い出す。

 

菰田と僕は友人だったはずだ。友人だと皆に思われていた。そして、僕と菰田は血の繋がりどころか双子であると思われるほど顔や背格好がよく似ていた。 (そういえば、菰田は相も変わらず黒縁眼鏡を掛けていた。) 僕と菰田もその事実を肯定せざるを得ないほど僕達は何故かそっくりだった。そのことをよくからかわれていたな、とかつての記憶は脳に縷縷でありながらも根のように引きずり出されて現れていく。

 

『菰田』という友人を思い出す。

僕は対人関係が苦手だったから、

友達が少なかった。僕は友達が沢山できるほど魅力的ではなかった。 菰田は僕の数少ない友人だった。

 

『菰田』という友人を思い出す。

彼には家族がいなかった。 彼は児童養護施設に預けられていて、18…高校卒業と共に施設を出なければならなかった。 大学進学は無理だろうと話していた。中古のサイズの合わない学生服を着ていた。黒縁の大きな眼鏡をかけていた。

 

『菰田』という友人を思い出す。

 

彼は僕とよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪夢の内容っていうのは人に話した方が良いってよく言うぜ」

 

「…どこ調べだ?それは。」

 

「俺の脳内検索」

 

…何をほざいているんだ。この男は

 

「まぁ〜まぁ!渋い顔すんなよ!。悪夢を見るってことは何か悩み事があるんだろう?話してみなよ。」

 

 

まあ、実際お前の悩み事を俺に話したところでたかがしれているがな。

 

菰田は冷笑した。 レンズの奥で、あらん限りの軽蔑と侮蔑を含んだ瞳が僕を見た。 …そのように、見えた。

 

「俺だって同じ実習生なわけだし、お前の悩みを共感することは出来れど解決はできないだろう?。」

 

「ああ…そういうこと…。」

 

「で、悩みはなんだ。」

 

「最近…、日誌に、日誌に書くことが思いつかないんだ。 毎日が同じというか…。」

 

僕はこの時、何故か直感的にこの男に…、巣鴨睦月を、『天使』の存在を知られてはいけないと強く思った。菰田に知られてしまえば、全て暴かれてしまいそうな気がする。神秘が全て焼け爛れてしまいそうな気がする。 天使の羽根を、この男はきっと引きちぎって地に落とすに違いないと思う。

 

「なんだそんなことか」

 

心配して損した、と呆れた顔で菰田は口をとがらせる

 

「どうせ書くことなんか決まってるんだから、毎日同じでいいんだよ。俺はてっきり高島瀬美奈が嫌なんだとばかり…。」

 

「…それもあるけれど…。」

 

「俺の実習担当もあの女なんだよね…昔っからああいうタイプの女の人はどうも苦手で。」

 

「え。」

 

「だから職員室にいるの嫌でこの面談室にいるんだよ。ここ、結構落ち着くだろ?埃っぽいけどね。」

 

この男の担当も高島瀬美奈だったのか…。

 

「お前…自分の実習担当にそんな適当な日誌出てたのか…。 評価がどうなっても僕は知らないぞ。」

 

何故だろう。僕があの冷たい視線に晒されている中、菰田は逃げてこの面談室でいたと思うと無性に腹がたってくる。

 

「いつも変に真面目だよなあ、お前。別に評価なんて俺はどうでもいね。とりあえずこのインターンを早く終わらせたいのさ。…それはお前も同じだろう。」

 

「それは…そうだけど。」

 

「死ぬわけでもあるまいし、いいじゃないか。なるようになれば」

 

 

僕はこいつのこういう脳天気なところが嫌いだった。そして、こいつのこの言葉には妙な説得力と…重みを感じた。

 

夕陽は、相も変わらず菰田を赤く染め上げている…。 赤く…赤く…




菰田…名前の由来はパノラマ島綺譚より。さよならを教えてもっとハーメルンで増えても良くない???


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2話 死人に口なし

僕が面談室のドアを開けると、相も変わらず夕日を背に向けながら菰田は寂れたパイプ椅子に頭を乗せ、足は用意された白いテーブルの上に行儀悪く組まている。

眩しかったのであろうか、夕日に反射してタイトルこそみえないもののアイマスク代わりといわんばかりに薄い文庫本が開きながら乗せられている。 .......寝ているのだろうか?

 

「.......」

 

僕が入室したことを立て付けの悪い面談室のドアの音で目を覚まし気づいても良さそうなものだが.......。 そういえば昔、施設では小さい子供が多くかなりうるさいから、どんな所でも昼寝はできると言っていたような気がする。1人の子供に一部屋与えられることが出来るほど、施設には余裕が無い、とも。いくら成人して施設を出たと言えど、1度子供の騒音に慣れ親しんでしまえば鈍いドアの音では気が付かなかったのだろう。

 

僕と菰田はこうやって、毎日放課後に再開したこの使われていない面談室で会うことが日課になっていた。口に出して約束したわけではない。ただ、夕暮れのこの時間にこの場所で会うことが一種の習慣という暗黙になっていた。

 

別に、同じ教育実習生ならわざわざ面談室に行かなくとも職員室で顔を合わせられると思うが.......、菰田と僕はなんの偶然か昼間は全く休憩時間が重ならないらしい。

 

放課後は菰田は最低限の用事を職員室で済ませたあとははこの面談室で過ごしているのだろう。 ここ以外で彼が過ごしているのを見たことは無いし、それは高島瀬美奈を苦手とする僕にとっても有難いことだった。あの女の冷たい視線を浴びながらではせっさくの旧友との会話も台無しになってしまうだろう。

 

「こうも毎日同じことの繰り返しはいい加減飽きるというが.......、それはそれでいい事なのかも知れないな。」

 

「.......!?」

 

「『毎日同じことの繰り返し』最初は苦痛を感じるかもしれないが、それさえも普通は時期に慣れる。 同じことをするのなら何も考えなくていいし何も悩まなくていい」

 

「起きてたのかよ。」

 

「お前が大きな音を立てて入ってきたおかげでな」

 

 

ばさりと頭に乗せられた文庫本が地面に落ちたのにも関わらず、菰田は変わらず頭をパイプ椅子に預けた姿勢で、天井を見つめたまま呟くようにささやいた。 僕に対しての返答がなかったら、独り言かもしれないと勘違いしてしまうかもしれなかった。

 

 

毎日同じことの繰り返し。 終わることの無いインターン。 このままではいけないということは、何よりも僕自身が1番わかっている。誰よりも、分かっている。

.......ただ、今だけは『先』のことは考えたくはなかった。

 

「その本。」

 

「.......?」

 

菰田は目線だけで床に落ちた文庫本を暗に指した、拾いもしない。表紙の取られた裸の文庫本は夕日の光に鈍く照らされて、そのタイトルを読み取ることは出来なかった

 

「その本は.......短編集なわけだが、その中に俺個人が特に気に入っている話がある。主人公は10そこらの子供で.......、年末に帰ってくる東京に出稼ぎに行った父親を迎えに行くんだ。」

 

「ところが父親は出稼ぎ集団の中にはいなかった。 それどころか共に出稼ぎから行き戻った村人によれば父親は『自分には畑仕事の方が似合っている』と言って秋には村に戻って行ったと言う」

 

「さてここで問題だ。家には主人公とその弟、祖父に妊娠した妻が待っている。なのに父親はどこに行ったでしょう?」

 

.......菰田が藪から棒に、なぞなぞ紛いなことを始めた。(なぞなぞというよりかは、普通の問いかけだが)しかし、ここでのらない.......答えない、答えられないと言うのも癪に障る。僕は真剣にこの問の答えを考える気がした。

 

「途中で路銀が尽きた、もしくは.......出稼ぎに出たにも関わらず途中で辞めたって言うなら家族に合わす顔がなくてどこかを立ち往生している?」

 

「後者は半分当たりだな。」

 

.......妙に勿体ぶる男だな。

 

「正解は、灯台もと暗し、家のすぐ裏山で白骨死体になって発見されたんだ。 作中では直接描写されてないけど、父親は自殺した。」

 

「!?」

 

菰田の答えは僕の一瞬の苛立ちを吹き飛ばすには充分インパクトのあるものだった。

 

「白骨死体のすぐ側には花柄のシャツやら可愛らしいがま口財布やら、父親が家族に向けたお土産が残っていた。」

 

僕はその小説を読んでないからあまり大層な感想は言えないが父親は何故自殺したんだろう。.......怖気付いた? いや、 娘がわざわざ迎えに来る、そして父親自身はお土産を家族に残している。 多分だけど慎ましくてもきっと暖かな家庭だったんだろう。

 

「作中では主人公こそ父親の心境を推し量るシーンはあるが、父親の自殺の理由は一切わからない。もしかしたら作者ですら分かってないのかもしれない。」

 

己を待つ暖かな家庭を目の前にして自殺した父親の心境.......。 きっとそれは誰にもわからない。 僕にはわかるのは父親は怖気付いたのだ、きっと。 暖かな光は反転して、そのまま何かの重圧になった。

 

「俺はこの小説のね.......。無言に表された人間の矛盾が好きだよ。死んだ父親の心境は未来永劫誰にもわからないんだろうなって.......。」

 

 

それでも僕は.......父親は残された家族のことをほんの少しでも最後に考えなかったのだろうか?そう思ってしまう。

そうしたら、そうすれば.......自殺なんかしなくてもよかっただろうに。

この父親にはまだ意味がある。帰りを待つ家族がいる。

 

 

「それは.......生者の傲慢だよ、死人に口なしさ。 多分それは.......死んだ人間しか分かっちゃいけないことだ」

 

 

菰田は笑った。



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