陶器の鎧のパラディン (片遊佐 牽太)
しおりを挟む

プロローグ
陶器の鎧のパラディンの世界


 目蓋を射抜くような強い日差しが、土の地面に容赦なく降り注いでいた。

 

 人々が集うこの街の闘技場の中心には、陽の光と観客の熱気を受け止めきれずに、思わず顔を顰めている男性の姿がある。

 その男性がまるで自らを鼓舞するかのように声を張り上げて、一人の人物を紹介すると、それに応えるかのごとく場内を埋め尽くした観客が、一斉に歓喜の声を上げた。

 

 そして——東側の通路から、紹介された一人の()()が、馬に乗って姿を現す。

 

 よく磨き抜かれた金属鎧(プレートメイル)が、虹でも作り出しそうな程に、陽光を鮮やかに跳ね返していた。

 鎧を構成するそれぞれの金属板は、赤い刺繍と金属のリベットで美しく纏められている。

 そして、前掛けにあたる部分には、金糸で何らかの紋章が描かれていた。

 

 紹介された騎士は、観客の声援に応えるように、馬で闘技場内を練り歩くと、馬から下りずに闘技場の中心で立ち止まる。

 

 騎士を紹介した男性——審判(ジャッジ)は、なかなか馬から下りない騎士に向けて、意味ありげな視線を送った。

 だが、騎士はそれを無視しているのか、一向に馬を下りる気配がない。

 仕方なく審判(ジャッジ)は、そのまま()()()()()の人物の紹介に移った。

 

「では続いて。

 驚くなかれ! 西から挑むのは——」

 

 そんな言葉で切り出された人物の紹介を聞いて、闘技場内が一気にざわざわと色めき立った。

 一部からは歓声も上がったが、正直誰もがどう反応して良いのかを、戸惑っているようである。

 

 すると、コツコツという(ひづめ)の音とともに、ゆっくりとその人物が西から姿を現した。

 

「——!?」

 

 最初は誰もが、その人物の姿を、しっかりと認識できなかったに違いない。

 それ程までにその人物の姿は、陽光を全身に浴びて()()()に輝いていたのだ。

 

 そして、その人物は存分に光を反射したまま、呆気にとられる観客を背にして、闘技場の中心へと進んで行く。

 そこには自分を誇示するような、無駄な行動は一切存在しない。

 淡々と馬を進めてゆく、自信に満ちた一人の()()()の姿があったのである。

 

「お、女騎士だ!!」

 

「それに、何だあの鎧!?

 本気であんな鎧で戦うつもりかよ!?」

 

 それらの声は、必ずしも女性である彼女を支持するものばかりではない。

 単に自分たちの想像外の人物が現れたことで、物珍しさを話題にしている反応が多いように思われた。

 だが、闘技場の中心に到達した彼女が、ひらりと馬から下りた瞬間、観客たちはようやく我に返ったのか、一気に期待感を込めた大きな歓声を上げる。

 

「——では双方、剣を抜いて前へ」

 

 対戦する二人が乗ってきた馬が場外へと下げられ、闘技場の中心に審判(ジャッジ)が立った。

 言葉を聞いた男性騎士は、長めの前髪を一度掻き上げてから、すらりと煌めく長剣を引き抜く。

 その彼の左手には、美しく磨かれた大型の凧型盾(カイトシールド)がある。

 

 対する女騎士は、剣を抜く前に、ふと闘技場内をぐるりと見渡した。

 そして、決意を込めると、相手と同じように鞘から剣を一気に引き抜く。

 

「準備はいいですね?

 あらかじめ理解していると思いますが、この戦いには守るべき規則(ルール)があります。

 剣と盾以外での攻撃は禁止ですし、魔法道具(マジックアイテム)を使うと反則負けです。

 更に命乞いをした相手に、追い打ちを掛けると、重大な罰を受けることになります。

 それを、理解したらそれぞれ正々堂々と、勝負することを誓いなさい」

 

 審判(ジャッジ)の説明を受けた二人は、それぞれ声を重ねるようにして誓いを立て始めた。

 

「この剣にかけて、騎士の身に恥じぬ戦いを誓う」

 

「この戦いが神聖であることを誓おう。

 ——そして神よ、我が剣に祝福を。不幸にも私に刃を向ける女性を許し給え」

 

 男性騎士は既に勝つつもりなのか、対戦相手の女騎士に対する祈りまでをも含めて、誓いの言葉を宣言した。

 そして、二人が誓いを立てたことを確認した審判(ジャッジ)は、少し後方へ後ずさりながら、開始の声を上げる。

 

「では、始め!!」

 

 その声が上がった瞬間——。

 

 白く輝く鎧をまとった女騎士は、自らを奮い立たせるように、一気に前へと躍り出た。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

セシルとセシリア
1


 百年を超える昔。

 王都より北東の(うっ)(そう)とした森林が広がる場所に、どこからともなく現れた開拓者が小さな集落を作った。

 一説によるとその開拓者は、別の世界から渡来した人物で、異能を駆使して森を切り拓いたのだという。

 

 開拓者はその力を駆使して、家を建て、水路を引いて、いくらかの人が住める場所を作った。

 そうして築かれた集落の近くには、『迷宮』と呼ばれる大規模な遺跡があったと伝えられている。

 その迷宮の中には、危険な魔物と共に、幾ばくかの価値のある『財宝』が眠っていた。

 

 開拓者自身が、財宝を目当てとしていたのか、もしくは開拓した場所に偶然遺跡があったのか、それは残念ながら定かではない。

 どちらにせよ、集落が作られて間もなく、財宝を目当てとした『冒険者』と呼ばれる者たちが、集落に集うようになったのは確かだ。

 

 冒険者たちは集落を本拠地にして、店で武器や防具を整え、手に入れた財宝を商店で売り捌いた。

 すると、小規模だったはずの集落は、見る見るうちに『街』へと発展を遂げた。

 

 道が整備され、商人たちが街道を行き交う——。

 

 だが、そんな活気とは裏腹に、街の治安は徐々に悪化し始めた。

 結果、住民たちは自らの生活と財産を守るために、それまで続いた自治を放棄する決断をするのである。

 

 一転して王国の庇護下に収まった街の中心には、大きな宮殿が建ち、そこへ『領主』という肩書きで、王都から貴族が移り住んだ。

 そして、領主である貴族は『騎士団』を形成し、街の周囲を城壁で覆って、治安の維持に努めたのである。

 

 ——貴族による統治。

 そして、貴族が作り出した街を守るための騎士団。

 その庇護下で、多くの冒険者と商人たちが、活発に行き来する。

 

 

 それから優に百年を超える長い月日が経ち——。

 

 

 街は、王都にも匹敵する程の規模にまで、発展を遂げていた。

 街には今も数多くの冒険者が滞在し、その営みを守るための騎士団が存在する。

 

 そんな街を舞台にして、日々繰り広げられる人々の成功と失敗の体験は、いくつもの逸話や冒険譚となって、人々の間で語り継がれていた。

 

 

 そして、今から語るのは、そんな街で生まれた一つの勇気と情愛の物語である——。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「——わたしが、騎士にですか?」

 

 それがまるで意外なことであるかのように、彼——いや、()()は問い直した。

 少し緩みかけた姿勢を調(ととの)え直すと、その動作に合わせて、束ねたはずの金色の髪が、ふわりと頬を撫でる。

 

「そうだ。残念ながら今すぐにという訳ではないが。

 実際の叙任は春になるだろう。

 ——何か不満があるのか?」

 

 不満など無かろう——そんな意図を込めた言葉が、目の前の男性から投げかけられる。

 髪や髭に白い物は混じり始めているが、目前に腰掛けるアルバート騎士団長の眼光は鋭い。

 

「いいえ」

 

 もちろん、不満などあろう筈もなかった。

 むしろ、跳び上がらんとするほどの朗報である。

 恐らく彼女の帰りを待つ家の者たちは、この知らせに、歓喜の涙を流すに違いない。

 

 何しろ彼女の家は、()()()()()()()()()なのだから。

 

「では、殿下には私から回答差し上げておく。

 叙任までに用意せねばならぬものは、ミラン騎士長に訊いておくと良い。

 金は掛かるかもしれぬが、騎士団の面子(めんつ)というものもある。

 叙任式で、みすぼらしい恰好だけは絶対せぬように」

 

「承知しました」

 

 いつものように質問したいことが、喉元まで出掛かった。

 だが、この場で求められているのは殊勝(しゅしょう)な受け答えだと感じて、素直な言葉だけをアルバートに返す。

 

 彼女が騎士見習いとして、この騎士団に配属されたばかりの頃は、どんな話に対してもアルバートを質問攻めにしていたものだ。

 そのせいで、ただでさえ深い彼の眉間の(しわ)は、より深くなってしまったのかもしれない。

 

 彼女はアルバートの話の終わりを悟ると、改めて大げさに敬礼し直した。

 その行為が気になったのか、アルバートの白髪の交じった眉が、ピクリと動く。

 だが、それを気に留めることもなく、彼女は軽やかにくるりと転回すると、アルバートの前から颯爽(さっそう)と退出していった。

 

 この後はミラン騎士長のところに顔を出さねばならない。

 ミラン騎士長は彼女にとって、相性の面で苦手な相手だった。

 きっと騎士になることを嫉妬されて、嫌みの一つや二つも浴びせかけられてしまうだろう——。

 

 そんな予想を立てて、彼女は思わず(ほころ)んだ顔を(しか)めてしまう。

 だが、嬉しい知らせを受けて、嫌なことばかり考えるのも、もったいないと思い直した。

 

 何しろ騎士になれるというのだ。

 これまで何年もそれを思いながら、叶わなかった大きな夢。

 自分はもう騎士になることはない——そう諦め掛けていたところでの、思いもよらない朗報。

 

 宮殿の廊下を歩いていると、徐々に喜びが込み上げて、背中に羽根でも生えてきたように感じる。

 アルバートの言葉通りに叙任が春に行われるのであれば、それはきっと毎年定期で行われている『春の叙任式』を示しているのだろう。

 春の叙任式は、この街で行われる最も華やかなイベントの一つである。

 そこには街の騎士や貴族だけでなく、この国の王族たちも列席するのだ。

 その華やかでありながら厳かとも言える場で、自分が甲斐甲斐(かいがい)しく騎士に叙任される——。

 そう考えると嬉しさと共に、身震いのようなものが襲いかかってきた。

 

 ——いいや、身震いなどしている場合ではない。何しろ自分は騎士になるのだから!

 

 彼女は思わず満面の笑みを浮かべると、その喜びをひた隠すように、俯きがちに足を進めて行くのだった。

 

 

 

 

 

 セシル・アロイスは騎士見習いである。

 そして、セシリア・アロイスというのも、()()の名前である。

 

 彼女は下級貴族のアロイス騎士家に生まれた、唯一の子供だった。

 ただ、男児のなかったこの家にとって、彼女は女性であることを求められなかった。

 

 無論、どこかで結婚はせねばならない。子供がなければ、アロイス騎士家は(つい)えてしまう。

 それを考えた彼女の父は、彼女に対して二つの名前を送った。

 

 ひとつは『セシル』という、騎士家の跡取りであるための、()()としての名前。

 もうひとつは『セシリア』という、騎士家の跡取りを産むための、()()としての名前。

 

 だが、この世界に生を受けて以来、彼女はずっとセシルのままだった。

 これまでセシリアでいたことは——いや、()()()()ことは、過去に一度もない。

 

 

 セシルは到達した扉の前で立ち止まると、一度冷静に深呼吸をした。

 俯くと束ねたはずの金髪が流れていって、彼女の白く整った横顔を少しだけ撫でる。

 

 平常心——そんな言葉を心に思い浮かべながら、セシルは目の前の扉を四度続けてノックした。

 そして、続けて声をかけてみると、部屋の中から反応が返ってくる。

 

「セシルです」

 

「——チッ」

 

 扉の外まで聞こえてくるなんて、どんな大きな舌打ちなのだろう!

 セシルはふと、そんな余計なことを考えると、気を取り直して扉をゆっくりと開けた。

 

 部屋の中には確かに、半身(はんみ)のままこちらを振り返ったミラン騎士長がいる。

 それほど広い部屋ではないものの、騎士長には宮殿の中に個室が与えられているのだ。

 

 彼は気障(きざ)ったらしくウェーブの掛かった前髪を払うと、さも恨めしそうにセシルを(にら)んできた。

 色気づいた髪型はしているが、顔にはいくつもの皺が目立っているのがわかる。

 気取って若作りをしているものの、ミランは決して歳若い訳ではない。

 

 彼は再び聞こえるほどの舌打ちを挟むと、面倒臭そうに口を開いた。

 

「チッ——。

 一体、何の用だ!?」

 

「アルバート騎士団長から騎士叙任に必要なものを、ミラン騎士長にご教授いただくよう指示されましたので、こちらへ伺いました」

 

 他の言い方もあったのかもしれないが、思わず遠回しに「騎士団長の命令でなければ、お前のところになど来ない」と言ってしまったようにも思う。

 ただ、その深い意味まで、彼に伝わったかどうかはわからない。

 

 ミランはまた舌打ちをすると、本当に面倒臭そうに机に置いてある書類を指さした。

 

「そこに一通り書いてある。書類を持ったらさっさと出て行け!

 何しろ私は、お前と違って忙しいのだから」

 

「承知しました。

 お心遣い、ありがとうございます」

 

 訊けと言われたので口頭で聞くものだと思っていたのだが、これは想像以上に用意が良い。

 ひょっとして、会話もしたくない程に嫌われているのだろうか——?

 好かれていないことは理解していたものの、セシルは少しだけ、そんなことが気になった。

 

 気を取り直して、彼女が示された書類を目視してみると、そこには確かに叙任に向けて準備するものが書き連ねられている。

 ただ、記された内容が本当に間違いないかは、他の誰かにも確認せねばなるまい。

 何しろ嫌われている相手に提示された内容を鵜呑みするほど、セシルはお人好しではないのだ。

 用心深い彼女は何となくそう考えながら、目の前の書類を静かに手に取った。

 

 ——これ以上の用はない。用がないのであれば、さっさと部屋から退出するのが良い。

 彼女はそう思って、背中を向けたままのミランに敬礼すると、速やかに部屋の扉に手を掛けた。

 そして、セシルはそこで振り返ると、ミランに向かってこう言った。

 

「では、騎士長の()()(はかど)ることを、陰ながら祈っております」

 

 それは、少々皮肉を込めて言った言葉だ。

 実はセシルはミランが『待機』の指示を受けているのを知っている。

 前回の遠征でミスのあったミランは、しばらく謹慎を命じられて、仕方なくこの部屋にいたのだ。

 

「余計なことを言うな! さっさと行け!!」

 

 想像通りの返答が戻って来たのを聞いて、セシルは首を(すく)めながら、そそくさと部屋を出た。

 

 

 それからセシルは騎士団の他の騎士を捕まえると、ミランから渡された書類に間違いがないかを確認した。

 ところが予想に反して騎士たちによると、書類の内容に不備は見つからないらしい。

 

 確かに、間違った内容を記せば、ミランは嫌っているセシルに赤っ恥を掻かせることが出来るだろう。

 だが、そうしてしまえば、騎士団の面子は丸つぶれになってしまう。

 それに、そのようなことが起これば、書類が残っている以上、ミランへの責任追及は避けられないはずだ。

 ならば、間違った内容を記すのは、決してミランの得にはならない。

 

 ——警戒しすぎたか。

 

 相手から嫌われていると言っても、ミランは同じ騎士団の騎士である。

 セシルは自分の考えを少々反省するように、首を(ひね)りながら、そう思い直すのだった。

 

 

 

 

 

 叙任の事実が伝えられたセシルの家は、上を下への大騒ぎとなった。

 何しろ、待ちに待った正騎士の誕生なのだ。

 一昨年に正騎士だったセシルの父が亡くなって以来、この家で働く全員が「そのうちアロイス騎士家は無くなってしまう」ことを覚悟していたに違いない。

 

 そして、今日伝えられたのは、その真逆をいく()()だった。

 

「これで、安心して冥土(めいど)に旅立てます——」

 

「リーヤ、喜んでくれるのはいいけれど、あなたがいなくなるのは困るから」

 

 涙ぐんでいるメイド長の言葉に、思わずセシルは苦笑する。

 もういい歳になって身体は丸みを帯びてきているが、セシルを小さい頃から厳しく(しつ)けてくれた彼女のことだ。喜びもひとしおといったところなのだろう。

 

「ですが春の叙任式となると、それほど時間に余裕がある訳ではありませんね。

 馬や鎧は必要として、他に何を準備すべきなのでしょうか?」

 

「一応、指示は受けたわ」

 

 セシルはそう言ってリーヤに、ミランから受け取った書類を渡す。

 

「——なるほど、少々手間と費用が掛かりますが、殆どは準備できるものだと思います。

 ただ、馬はいますし、鎧や盾もあるにはありますが——家にあるものでは、さすがに駄目ですよね?」

 

 リーヤが自信なく尋ねた内容に、セシルは即座に首を横に振った。

 

「あれじゃあ、駄目だわ。

 今日アルバート騎士団長にも、みすぼらしい恰好は絶対駄目だと念を押されたもの。

 痩せた馬にブカブカの鎧なんか着ていったら、それこそ末代までの恥になる」

 

「ですよね——。だとしたら困りました。

 恐らく馬はどうにかなると思います。最悪叙任式の間だけ借りれば良いだけですからね。

 ——問題は鎧の方です」

 

 この国の騎士の叙任には、手作りの金属鎧(プレートメイル)が必要とされていた。

 とはいえ、セシルの父は正騎士であったから、家に金属鎧(プレートメイル)はあるといえばある。

 

 だが、それは父が若い頃から着続けていた年代物の鎧だ。明らかに古風な見た目のものであったし、何しろ寸法が全く合わない。

 

「——高いのよね?」

 

「詳しくはありませんが、お値段は正に上から下まであると聞きます。

 騎士団には金属鎧(プレートメイル)に詳しい方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 一度お尋ねになられてはいかがでしょう?」

 

 リーヤからの提案に、セシルは素直に頷く。

 

「そうするわ。

 でも問題は、騎士見習いの()に、みんなが素直に教えてくれるかどうかだけど」

 

 これまでセシルは自分を積極的に、女だと思ったことはなかった。

 それに、騎士団では女性だからと特別扱いされたこともなかった。

 更に言うとこの国の歴史を(さかのぼ)れば、建国以来、女性騎士というものは多くはないが何人も存在している。

 

 だが、女が自分と肩を並べたり、自分の上の立場に立つという事実を前にしてしまえば、どう反応するのだろうか?

 全員がこれまでと何ら態度を変えずに、セシルに接してくれるだろうか——?

 

 セシルはここへ至るまでにも、自分が女性であることで、周囲からの()()を体感してきたつもりだった。

 だが、これから味わう向かい風は、これまで以上のものになるのかもしれない。

 

 すると、リーヤはそんな考えを巡らせたセシルを慰めるかのように、包み込むような優しい笑顔で、小さく「きっと、大丈夫ですよ」と呟いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 翌朝、セシルは宮殿に出仕すると、いつも通り、騎士見習いが支度するための控え室へ足を向けた。

 控え室の扉を開くと、そこには既に数人の騎士見習いたちがいる。

 彼らは入ってきたセシルに気づくやいなや、如実(にょじつ)に視線を逸らすような仕草を見せた。

 どうやら騎士叙任の情報は、昨日のうちに騎士見習いたちにも広まったようである。

 これまでも余所余所しいと感じていた彼らの態度は、これから輪を掛けて他人行儀なものへと変わっていくことだろう。

 

 セシルは早々に自分の支度を調えてしまうと、身だしなみに問題がないかを念のため、もう一度確認した。

 無論、宮殿の中では鎧兜は必要ない。

 騎士団から支給された細身の男性のように見える仕立ての良い真っ白な服が、セシルにとっての制服なのである。

 

 彼女は自分の(えり)とズボンの裾が調っているのを確認すると、宮殿の奥へと続く廊下をスタスタと歩いて行った。

 それは、足早ではあるものの、まるで寝静まった子供を起こさぬような静かで優雅な足取りだ。

 

 彼女がそうして足を進めていくと、廊下の両側に、美しい中庭が広がり始める。

 細かく手入れされた花々の鮮やかな情景は、誰もが一目見れば、その美しさに視線を奪われることだろう。

 だがそんな美しい情景も、セシルにとっては見慣れた日常の風景に過ぎない。

 

 彼女は宮殿奥にある一つの扉に到達すると、その扉をゆっくりと叩いた。

 

「殿下、おはようございます。

 セシルです」

 

「――入れ」

 

 少しの間があってから聞こえた返事を確認して、セシルは扉を静かに開いて、部屋の中へと入っていく。

 すると彼女の前には、広い机で朝食を取る一人の男性の姿があった。

 

「おはようございます、殿下」

 

「おはよう、セシル」

 

 彼女は一つ敬礼すると、給仕の邪魔をせぬよう、机から離れた場所に控えた。

 

 ――エリオット第十三王子。またの名を、エリオット騎士公という。

 緑がかった髪に、引き締まった身体。

 見た目は朗らかで、若々しく感じる。

 だが、実際の年齢は三十半ばを超えて、青年と呼ぶには難しい時期に差し掛かっている人物だ。

 

 本来王族であるはずの彼は、その正直すぎる性格が仇になって、王宮の政争からは爪弾きにされていた。

 結果、エリオットは王都から離れたこの街の宮殿に居を構えている。

 

 ただ、一人の騎士として優れた能力を持つ彼は、現在この街の騎士団にあって、上級騎士(パラディン)の中でも特別な『騎士公』と呼ばれる地位にあった。

 目下、このエリオット騎士公の身の回りの世話をするのが、騎士見習いであるセシルの役割だ。

 

「ん――アルバートと――昨日話した――と思うが」

 

 食事が終わってから話せば良いのだが、エリオットは口をもごつかせたまま、セシルに声を掛ける。

 

「はい。急なことで、驚きました」

 

 エリオットが言っているのは、騎士叙任の話だ。

 セシルは至極率直に、自分の感想を伝えた。

 

「私が推挙(すいきょ)した。

 君はもう、二十一になるのだったか」

 

「はい。来月には二十二歳になります」

 

騎士見習い(エスクワイア)としては、ベテラン過ぎるぐらいにベテランだよ。

 何しろ私は騎士家の跡取りが、二十歳を超えて騎士見習いをしている例を知らない。

 そう考えれば君が正騎士になるのは、遅すぎるぐらいの話だろう」

 

「ありがとうございます」

 

 自身が女性であることがその理由だと思い当たりながらも、セシルはエリオットの言葉に、素直に感謝の気持ちを返した。

 

「それと――」

 

 エリオットはそう言葉を続けると、フォークを置き、グラスに注がれた水に口を付ける。

 

「――実はな、結婚することになったのだ」

 

「おめでとうございます」

 

 セシルは祝福の言葉を、詰まることなく述べた。

 そして今回の件には()()()()()()()があったのかと気づいた。

 確かにそんな切っ掛けがなければ、今更騎士叙任の話など来るはずがないのだ。

 

「ありがとう。君に祝福して貰えるのは、素直に嬉しいと感じるよ。

 ――できれば結婚した後も、私を支えてくれると良かったのだが」

 

 エリオットはそこまでを口にした後、少し興奮するかのように早口で(まく)し立てた。

 

()()も君がちゃんとした騎士見習いであることを、最初は理解してくれていたのだ。

 だが、私が君のことを詳しく伝えた後になってから、どうしても私の側には置いておけないと言い出した。

 どんなに君が()()()()()ではないと言っても、理解を示そうとしないのだ」

 

「ご事情、理解しました。

 ご推挙いただき、ありがとうございます」

 

 ()()()()()――その表現が、言わば浮気相手や情婦を意味していることぐらいは、セシルにも分かる。

 ともすればこの話題は、セシルにとって侮辱とも言える内容だ。

 

 だが残念なことに、このエリオットという主人は、セシルの感情に対してあまり敏感な方ではない。

 もっとも、セシルはこの鈍感とも言える主人に、既に()()のような諦めた感覚を持ってしまっているのだが。

 

「やはり君は美しいだけでなく、とても頭が良いのだな。

 だが、彼女は君の頭が良いだけに、私の近くには置けないのだと言う。

 では頭が良くなければ、側に置いて良いとでも言うのか?

 自分の伴侶の近くには、利口な人間は必要ないと言うのだろうか?

 まったく、女性というのはよくわからないことを主張するものだ。

 ――いや、君も女性だったな。これはとんだ失言だった」

 

「いいえ、お気になさらず。

 お気持ちお察し致します」

 

 話を聞くに、エリオットの結婚相手は、恐らく利口な人物なのだろう。

 仮に王族であるエリオットに浮気相手がいたとしても、それが即座に彼や王家の立場を危うくすることはないと思われる。

 だが、その浮気相手が、人並み以上に頭の回る女性だったらどうなるのだろうか――?

 下手をすればエリオットが操られてしまったり、正妻である自分の地位が危うくなると考えるのではないか。

 そう思えば、結婚相手の側に、自分以外の利口な女性がいるなどというのは、悪夢以外の何ものでもないのだ。

 

 無論、エリオットとセシルはそういう男女の関係にはないし、感情的(プラトニック)にも異性の情を抱くような仲でもない。

 ただ、ひょっとしたらセシルを宮殿に送り込んだ彼女の父親は、セシルがエリオットの()()()()になることを期待していたのかもしれないが――。

 

 だが、こと()()という面で言うならば、このエリオットという王子は朴訥(ぼくとつ)すぎるぐらいに純情だった。

 何しろセシルが知るだけでも、女性からのお誘い(アプローチ)を気づかずに放置した例は、数度という回数では済まない。

 その純粋さたるや――まさにセシルと良い勝負なのだ。

 

「セシル、それもあって、私は今日この後外出しなければならない」

 

「わかりました。すぐに出立の準備を致します」

 

 着替えや持ち物といった、エリオットの本当の意味での身の回りの世話というのは、基本的に彼の回りに配されたメイドたちが行う。

 それとは別にセシルが行うべき身の回りの世話というのは、外出に際して馬車を手配したり、外出の届け出を宮殿に出すことなどを意味していた。

 

「ああ、頼む。

 それで申し訳ないのだが――」

 

 言いにくそうにエリオットが頭を掻くのを見て、セシルは彼が飲み込んだ言葉を察知した。

 

「わかりました。

 ――今日は、私は連れて行けないということですね?」

 

「本当に済まないな。

 話した通り、君を連れて行ってしまっては、色々と話が(こじ)れてしまうのでね。

 準備だけしてくれたら、今日は休みにしてくれていい。

 どちらにせよ、君は騎士叙任に向けて、色々と用意せねばならないことがあるはずだ」

 

「はい。それでは、ありがたく休養を取らせていただきます」

 

 自分がエリオットの結婚相手から情婦のように疑われていることには、正直不満に思う気持ちがある。

 だが、こういう時は無理な主張をせず、素直に引き下がっておいた方が良いのだ。

 それが、セシルが何年も騎士見習いをして、学んだことの一つだった。

 主人である騎士に対して不満を漏らしたり、楯突いたり、考えを変えさせようとしてはいけない。

 そうしたことは、決して自身の評価には、繋がることはないのだから。

 

 セシルは一度部屋を退出すると、エリオットの外出に必要な手続きを()った。

 こうした手配は慣れている。特に多くの手間と時間を要することもない。

 果たして用件を終えたセシルが部屋に戻ると、エリオットはようやく朝食を終えたような状態だった。

 セシルはこれから彼が着替えるのを待ち、出立を見送らなければならない。

 

 ところが部屋の片隅で待機する彼女に向けて、着替え中のエリオットが思わぬ声を掛けた。

 

「セシル、今日の外出に見送りはいらない」

 

「――承知しました」

 

 セシルは静かに答えると一つ敬礼をして、エリオットの居室から静かに退出していく。

 

 ――最初に話を聞いた時、正直ここまでとは思わなかったのだ。

 だが、これは完全にエリオットからの()()()()が始まっている。

 エリオットが積極的にセシルの見送りを拒否するとは思えないから、恐らくこれは結婚相手から言い含められていることなのだろう。

 

 元々セシルは、騎士叙任へ向けての道は、決して平坦なものではないと(おぼろ)()に予想していた。

 だが、その向かい風はエリオットの結婚という事実を併せ持つことで、激しさを増すのかもしれない。

 

 セシルは部屋の外で目を閉じると、この後を(うれ)いて、深い溜息と共に肩を落とすのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

「う~ん、()()()()()じゃあ、ダメなんだよねぇ?」

 

 空色の髪の青年が、呟くように問い掛けた。

 

 どこか中性的な印象のある青年は、むむむ――と唸りながら、窓際にあまり背の高くない身体を寄せる。

 彼はさも困ったと言うように、自身の口元に拳を添えた。

 

「わたしがダメだと言ってる訳じゃないわ。

 ただ、アルバート騎士団長が言う『みすぼらしい恰好』というのに、()()()が含まれているのであれば、やっぱりダメなんじゃない?」

 

「だよねぇ」

 

 セシルの言葉に相づちを打つと、再び空色の髪の青年は唸りながら首を(かし)げる。

 

 この日、騎士見習いセシルの姿は、ヨシュアという青年騎士と共にあった。

 宮殿の中にいくつか設けられている喫茶室(カフェ)の一つで、彼と立ち話をしている。

 

 ヨシュアは昨年まではセシルと同じ、騎士見習いの地位にあった青年だ。

 中性的な見た目と小柄な身体が相まって、彼も騎士叙任が遅れた口だった。

 それでもヨシュアはセシルに比べると、年齢的には二歳年下である。

 それもあってセシルとヨシュアの関係は、騎士見習いの時から姉と弟のようなところがあった。

 

「アロイスが契約していた鎧師は廃業したんだっけ?」

 

「廃業したわ。跡継ぎが私だと判った途端、自分の仕事は無くなったと思ったんでしょうね」

 

 セシルがそう吐き捨てるように答えると、ヨシュアは思わず首を(すく)める。

 

 セシルの実家であるアロイス騎士家が契約していた鎧師というのは、祖父の代から付き合いのあった無口で無骨な人物だった。

 父は比較的その鎧師と仲良くしていたように思うが、セシルは小さい頃から悪戯(いたずら)()(とが)めるような、彼の厳しい視線が苦手だった。

 なので、ろくに会話を交わしたこともなければ、進んで鎧師の仕事場へ足を向けようと思ったこともない。

 

 結局、そういう気持ちが見透かされていたのかもしれないが、鎧師は一昨年にセシルの父が亡くなったのに合わせて、さっさと廃業してしまっていた。

 表向きは手を痛めて、もう(かな)(づち)が振るえなくなったというのがその理由ではあったのだが。

 

「そこに、後継者はいなかったのかい?」

 

「いたという話は聞いてないし、弟子のような人物も居たようには見えなかったわ」

 

「う~ん、それもちょっと無責任な話だ」

 

 いわゆる既製品の防具を売る『防具屋』と、『鎧師』は違う。

 防具屋というのは大量に生産される、安価な既製サイズの防具を扱う店である。

 布や革の製品から、金属鎧(プレートメイル)に至るまでを幅広く扱っていて、鎧だけでなく盾や兜など――それこそ防具であれば、何だって揃えることができる。

 そうした店に出入りする客というのは、主に冒険者という存在だった。

 

 冒険者とは、日頃迷宮などの遺跡を探索して、魔物を退治して報酬を得たり、財宝を探し当てる職業を言う。

 そして、セシルたちの住まうこの街は、数多くの冒険者たちが集うことで有名な街だった。

 ゆえに既製品を売る防具屋で良いのであれば、紹介されるまでもなく、何カ所も見つけることができる。

 

 一方の『鎧師』というのは、オーダーメイドの鎧を作る特別な職人を指す言葉である。

 手作りの金属鎧(プレートメイル)は、下手をすれば年単位、少なくとも数ヶ月の製作手間を要する。

 だから、腕の良い鎧師は、金のある貴族によって囲い込まれ、その貴族家と専属契約を結ぶのだ。

 従って「鎧師を紹介してくれ」と言いだしても、多くの場合相手を困らせてしまう結果になる。

 

 セシルが相談したヨシュアも同様で、彼の家が抱える鎧師は、例に漏れず彼の家と専属契約を結んでいた。

 鎧師は専属契約を交わすことで、単に鎧を製作するだけでなく、鎧の修理や手入れなども引き受けてくれるのだという。

 こうした制度になっていることもあって、腕が良く、専属契約を交わしていない鎧師というのは、その存在自体が希有(けう)だとも言えた。

 そのため通常は鎧師が弟子を取り、その弟子を後継者にしたり紹介することで、貴族は腕のいい鎧師の存在を知る。

 

「紹介できる鎧師がいるかどうか、ウチの鎧師にも一度訊いてみるよ」

 

「ありがとう。助かるわ。

 ところで金属鎧(プレートメイル)の製作って、いくらぐらい掛かるものかわかる?」

 

「それはまさにピンキリというやつじゃないかなぁ」

 

 ヨシュアはそう言うと、机に置いたカップに口を付けた。

 

「ヨシュアは叙任式の時、随分と良い金属鎧(プレートメイル)を着けていた気がするわ。

 でも、予算は青天井という訳でもなかったでしょ?」

 

「そりゃそうだよ!」

 

 セシルの言葉にヨシュアは紅茶を吹きそうになりながら、勢い込んで答えた。

 セシルが叙任式の時に見たヨシュアの金属鎧(プレートメイル)は、所々に青い装飾の入った見事な見栄えの鎧だった。

 その装飾の色が彼の空色の髪と揃っていて、よく似合っていた覚えがある。

 

三大貴族家(トライアンフ)なら別だけど、ボクら騎士家が湯水のようにお金を使う訳にはいかないでしょ。

 どうもボクは甘ちゃんに見えるのか、親に凄いお金を使わせたように言われるんだよね――」

 

 若干悩み事を吐露するかのように、ヨシュアは小さく呟いた。

 

 トライアンフというのは、この街一帯を治める地位の高い三つの貴族家のことを意味している。

 この街周辺の地域は、名目上は三大貴族家(トライアンフ)筆頭である『メイヴェル家』の領地とされていた。

 そして、この街にはメイヴェル家を補佐する形で、更に二つの有力な貴族家が存在している。

 ただ補佐と言いつつも二つの貴族家は、領主の地位を狙っている――というのが(もっぱ)らの噂だ。

 真偽はもちろん不明だが、微妙な力関係の中で、三つの貴族家による統治が成り立っている。

 

 ヨシュアは再びカップを手に取ると、紅茶の残りを(あお)ってから口を開いた。

 

「ただ鎧師に作ってもらう以上は、金貨五百枚は覚悟しないといけないだろうなあ」

 

「ブッ――ご、()()()!?」

 

 今度はセシルが吹き出す番だった。

 実は金貨五百枚という金額は、セシルの年間の給料を上回っている。

 有力貴族であればポンと出せる金額かもしれないが、アロイス騎士家の懐事情では、そう簡単に出てくるような金額ではない。

 

「ちょ、ちょっとその値段は――すぐには払えるとは言えないわ」

 

「既製品は、やっぱりダメだよね?」

 

「最悪それも、選択肢に入れる必要がありそうね」

 

 アルバート騎士団長の言ったことに反しているようには思うが、非常に残念なことに、無い袖ばかりは振ることができない。

 

「そう言えばお父上の鎧はどうなったんだい?」

 

 ヨシュアがふと思いついたように訊くと、セシルはそれを訊かれたくなかったといった様子で、眉を(ひそ)めながら答えた。

 

「あれは――ダメだわ。

 古すぎるし、何しろ寸法が合わないんだもの」

 

「場合によっては鎧を仕立て直すということも、出来ると聞いたことがあるけど」

 

「鎧を一度分解して、繋ぎ直すってこと?

 そんなことしたら、強度が落ちるんじゃないかしら。

 それに見た目も――」

 

 セシルの懸念はもっともだったが、ヨシュアはわからないとばかりに首を捻る。

 

「う~ん、どうだろう。

 そういう話を聞いただけだからね。ボクもそっちが専門ではないし」

 

「この手の話って、誰に相談すれば良いと思う?」

 

「そうだな――。

 でも、腕の良い鎧師の情報なんかは、みんな秘密にしたがるんだよね。

 ボクの思いつく中でこの手の話に詳しいのは、ミラン騎士長ぐらいかな? という気はするけど」

 

「げっ――。

 い、いや、なるほど。ミラン騎士長ね」

 

 セシルは思わず声にしてしまった言葉を、口を押さえて誤魔化そうとした。

 しかし、生理的に受け付けない名前を聞くと、言葉以上に表情に出てしまう。

 

「セシル、君がミラン騎士長を苦手なのは分かるけど、騎士長とは上手くやらないとマズイよ」

 

 ヨシュアはセシルの過剰な反応を見て、少し(とが)めるように苦言を呈した。

 

「わかってる。わかってるわ。

 でも――」

 

 どうしても、ミランを苦手とする感情は抑えられそうにない。

 

 セシルがそれだけミランを苦手としているのには、実はしっかりとした理由があった。

 そして、ミランがセシルを嫌っているのにも、理由が存在する。

 

 ――数年前に(さかのぼ)ることになるが、セシルがエリオット騎士公の元で、騎士見習いとなることが決まった時のことだ。

 その時、宮殿で見かけたセシルを、ミランが一方的に()()()()したのだ。

 そして、その日以来ミランは、セシルに対して猛烈にアプローチを仕掛けてきた。

 

 だが、騎士家を存続するために騎士見習いであることを求められていたセシルは、言い寄るミランに肘鉄砲を喰らわせてしまった。

 無論、女性として見た時に、ミランにまったく魅力を感じられなかったというのも、彼を拒絶した大きな理由ではある。

 ただ非常に具合が悪いのは、何故かその話が騎士団内に()()()()()()()ことだ。

 

 以来、プライドを傷つけられてしまったミランは、セシルに憎しみをもって対応するようになる――。

 

「セシル、ボクは今日家に戻ったら、紹介できる鎧師がいないかをウチの鎧師に尋ねてみる。

 君は嫌かもしれないけれど、一度ミラン騎士長にもお伺いを立てておいた方がいい。

 もちろん、結局は君自身のことだから、ボクが強制できるわけではないけれど」

 

 セシルはヨシュアの言葉を聞き遂げると、少し反省したような態度で呟いた。

 

「ごめんなさい、ヨシュア。相談に乗ってくれてありがとう。

 ――そうね、自分の感情を盾にとって、何もしないのは騎士とは言えないものね。

 一度、ミラン騎士長に相談してみることにするわ。

 それにいつまでも嫌っていては、これからの任務に差し障りがありそうだから」

 

 その言葉を聞いたヨシュアは、静かにニッコリと微笑むのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 翌朝、セシルは宮殿に出仕すると、いつも通りに騎士見習いの控え室に入った。

 控え室には相変わらず、何とも言えない重苦しい空気が漂っている。

 彼女は無言のまま支度を調えてしまうと、早々に控え室を出ることにした。

 

 昨日、エリオット騎士公がそのまま外泊してしまったため、今日もセシルは休養日の設定になっている。

 にもかかわらず、宮殿に出てきたのは、昨日の相談結果をヨシュアから聞くためだ。

 

 果たしてセシルが昨日のカフェに足を運ぶと、そこには既に空色の髪の青年が(たたず)んでいた。

 彼は窓際にもたれ掛けて、目を細めながら、差し込む朝の陽射しを楽しんでいるように見える。

 

「おはよう、()()()()()()

 ――随分とお早いのね」

 

 セシルが(おど)けるように声を掛けると、ヨシュアが彼女の方へと振り返る。

 

「おはよう、セシル。

 でも、ヨシュア()()ってのは、やめないかい?」

 

「あら、騎士さまに向かって、敬称を付けない訳にはいかないでしょう?」

 

「君ももうすぐ騎士になるだろうに。

 そうやって、いつまでもボクをからかうんだから――」

 

 そう言うとヨシュアは、不満げにやれやれといった仕草を見せて呆れた。

 セシルは思わず苦笑すると、至極軽い調子で昨日の話を切り出す。

 

「昨日、鎧師を当たってくれると言っていた件だけど――」

 

 その言葉を聞いたヨシュアは、急に柔和に綻んでいた表情を引き締めた。

 何となくその変化が、これから耳にしなければならない答えを表しているような気がする。

 そう考えたセシルは、事前に十分な心構えをした。

 

「正直に言うよ?

 君にはつらい内容かもしれないけど、現実を知った方が良いと思うから。

 ――結果から言うと、紹介できそうな鎧師は()()

 実績は無くても、腕の良い鎧師を見つけるところまではいけたんだ。

 でも、親とウチの鎧師から、誰に紹介するのかと尋ねられて――」

 

 ヨシュアはそこで言葉を切ると、しっかりとセシルの目を見つめた。

 彼が『つらい内容』と枕詞を付けたお陰で、セシルはその先の話を容易に想像することができる。

 そして、聞き慣れた理由をまた聞くことになるのか――と、彼女は正直うんざりとした。

 

「君の名前を出したところ、()()の鎧を作ってくれという話だったら、鎧師の紹介は許さないと言うんだ。

 一応、男性も女性も関係ない、女騎士にも立派な人はいると主張したんだけど」

 

 ヨシュアはそこから先は、少し顔を伏せながら話す。

 

「今度は女性ならではの――その、何て言うの? 立体的な曲線?が作れる鎧師は、いないって言うんだよ。

 型から作る冒険者向けの既製品ならまだしも、手作りの鎧でそれを作り慣れた鎧師はいないとね。

 そんなボクが判断できない理由を盾にされてしまうと、さすがにそれ以上は何とも言えなくなってしまった。

 だから本当に申し訳ないけど、この件については力になれそうにない」

 

 彼が放った言葉は、セシルにとって想像のど真ん中に位置する内容だった。

 逆にここまで予想通りだと、清々しくて後腐れがない。

 

「いいえ、訊いてくれただけでも助かったわ。

 ありがとう、ヨシュア」

 

 セシルが発した素直な言葉に、ヨシュアは微妙に頬を染めた。

 彼は俯きがちになって頭を掻くと、「助けにならなくて御免」と小さく呟く。

 こういう仕草はいつまで経っても、弟分であることを感じさせて、心の中に愛らしさのようなものが浮かんでくる。

 

「それで――ミラン騎士長のところには行ったのかい?」

 

「まだ話してないわ」

 

 セシルはそう言うと、直後に自分の発言を否定するように首を振った。

 

「いいえ、一応昨日思い切って、訪ねて行きはしたのよ。

 でもね、騎士長は()()だった。

 謹慎中のはずなのに不在って、大丈夫なのかしらね」

 

「あらら、そうなんだ――」

 

「それと、廃業したアロイスの鎧師を追って、そこから紹介を受けられないかも確認してみたわ。

 でもアロイスの鎧師だった人は、去年の始めに他界してたらしいの。

 こっそり弟子を取ってたりしなかったのか、調べはしたんだけどダメだった」

 

 ヨシュアはセシルの言葉を聞くと、腕を組みながら首を捻る。

 

「う~ん、本当に困ったね――」

 

「だから今日は非番だったけど、ここへ来てアルバート騎士団長に(すが)ってみることにしたのよ」

 

「セシル、一応訊くけどエリオット殿下には――」

 

 その言葉を聞いた瞬間、セシルは首を横に振って表情を(かげ)らせた。

 

「それは、事情があって出来ないわ。

 殿下に頼るのは、本当に最後の手段にしたいの」

 

 ヨシュアが言いかけた提案を、セシルは即座に拒絶する。

 

 セシルが仕えるエリオットは、十三番目とはいえ王子であり、王族の身分である。

 従ってこの手のことに関しては、強い調整力を持っていると思われた。

 

 だが、セシルはこの件に関して、エリオットに助力を仰ぐのを強く躊躇(ちゅうちょ)している。

 それは、準備すらエリオットに依存していては、エリオットが居なければ何も出来ない女と(そし)られるのではないかと考えたからだ。

 

 それに今回の騎士叙任は、元々エリオットが推挙して実現したものだった。

 加えてエリオットが準備まで手伝ってしまっては、エリオットとセシルの間に()()()()()があるとの憶測を生みかねない。

 昨日、彼に聞かされた結婚相手の話を加味すれば、セシルがこれ以上エリオットに擦り寄るような行為は(はばか)られる。

 

 セシルはヨシュアに(いとま)を告げると、アルバート騎士団長の居室に向かうことにした。

 昨日の内にアルバートに相談があると申し入れ、面会の時間を設定してもらっていたのだ。

 

 セシルがアルバートの部屋の扉をノックしてみると、すぐに入室を促す声が中から聞こえた。

 彼女が扉を開けてみると、そこには窓際の植木鉢に水をやるアルバートの姿がある。

 

「セシルか。おはよう」

 

「おはようございます、アルバート騎士団長」

 

 セシルは朝の挨拶を交わすと、部屋の中央へと進んだ。

 だが、アルバートは植木鉢に向かったままで、植物の手入れを続けている。

 その眼は優しげに、まるで(おさな)()でもあやしているかのように穏やかだった。

 

「――よく意外だと言われるのだが、私は元々植物を育てるのが好きでね。

 こうして植木鉢に水をやっていると、何となく自分の心にも潤いが差すように思えるのだ」

 

「はい」

 

「騎士になりたいと望む者は多い。

 だが、何年も見習いを続けた上で、実際騎士になれるのはごく一部だけだ。

 そしてその騎士も戦いとなれば、一瞬で命を散らせてしまうことがある。

 ――知っているか? 命を落とす騎士の半数近くが、初めての戦闘で帰らぬ者となることを」

 

 時にアルバートは、こうして騎士に対して教訓を話すことがある。

 だが、セシルは騎士見習いに対して、アルバートがこうした話をするのを見たことがない。

 その意味でもアルバートは、セシルを既にひとりの騎士として扱っているのかもしれなかった。

 

 セシルは身の引き締まるような思いを抱きながらも、アルバートの言葉を心に留めていく。

 

「育てるには手が掛かり、時間が掛かり、滅びるのは一瞬に過ぎぬ。

 人も植物もその視点で言えば、大差がないように思う。

 だが、それであっても私は、こうして水を与えて長い時間を掛けて、()()()のが(たま)らなく好きなのだよ。

 だから君にも立派な騎士になってもらいたいと思っている。

 ()()など関係のない、自立した立派な騎士に――」

 

「ありがとうございます」

 

 セシルは、これまでの自身の振るまいが、何度もアルバートを困らせていたという実感があった。

 にもかかわらず、彼の言葉には、セシルに対する慈愛のような感情が含まれている。

 それだけに彼女は、今から自分がしようとしていた相談内容に、若干のためらいを感じてしまった。

 

「――?

 どうした、用があるのだろう。話を聞こうか」

 

 言葉に躊躇して、ただ無言で(たたず)んでいると、それを不審に思ったアルバートが声を掛けてきた。

 

 先ほどの話は聞けて嬉しかった反面、相談しようと思っていた出鼻をくじかれてしまった感もある。

 何しろ()()()()騎士になれと言われたのだ。

 ところが、これから自分が相談を持ち掛けるのは、自立という言葉からはほど遠い内容だった。

 

 セシルは俯いたままじっとして、しばらく葛藤(かっとう)を続ける。

 だが、心に踏ん切りを付けると、サッと顔を上げて、心の中にある言葉を吐き出した。

 

「アルバート騎士団長。

 実は、騎士叙任の準備のことでご相談があるのです――」

 

 アルバートはその言葉を耳にすると、見る見るうちに眉間に深い皺を寄せた。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 辺りは既に夜の(とばり)が下りる時間になっていた。

 暗くなった夜道を一人ポツリと歩いていると、何となく自分が人生の敗北者であるかのように思えてくる。

 

 セシルは普段、こんな遅い時間になるまで街中をうろつくことはない。

 多少帰りが遅くなったとしても、基本的には陽が落ちるまでに自宅に戻る生活をしていた。

 

 ――だが、今日は違う。

 

 結局アルバートに思い切って相談を持ちかけた結果、彼は眉間に皺を寄せながらも、三人もの鎧師を紹介してくれたのだ。

 そしてセシルはつい先ほどまで、その三人を訪ね歩いていたのだが――。

 

 頭が落ち込み、丸まった背中が、そこでの()()を物語っていた。

 

 一人目は女性用の鎧を、作る技術がないと言って断った。

 二人目は予定が立て込んでいて、引き受ける余裕がないことを理由に断った。

 そして、三人目に至っては――女性用の鎧を()()()()()()と目の前で断言されたのだ。

 

 仕方なく他の騎士から聞いた鎧師にも、手当たり次第当たってはみた。

 だが、それも理由の違いはあれど、達した結論は同じだった。

 貴重な非番の日を費やして得られた収穫は、セシルの鎧を()()()()()()()()()()()という悲しい事実でしかない。

 一日這いずり回った疲労が、身体にのし掛かってくるようで、憔悴(しょうすい)しきったセシルは深く溜息をついた。

 

「――ふぅ」

 

 その溜息に呼応するかのように、ぐぅ――とお腹の音が鳴る。

 

「お腹、空いたわ――」

 

 よくよく考えれば、朝から何も口にしていなかった。

 そうして一度空腹を意識してしまうと、途端に我慢が利かなくなってくる。

 セシルは時折、騎士見習いの仲間と共に、街中へ昼食を食べに出ることがあった。

 だが、それでもこの街中で、()()を食べたことはない。

 

 ――と、セシルの前方から喧噪と共に、食欲をそそる香りが流れてきた。

 すると、香りに引き寄せられるように、彼女の足は無意識に、ふらふらとその店がある方向へ向かっていく。

 

 セシルがこっそり店の中を覗き見ると、どうやらそこは冒険者を相手にした酒場のようだった。

 ごった返している訳でもないが、それぞれの客の声が大きい分だけ、随分と賑やかそうな雰囲気である。

 

「いらっしゃい!」

 

「あっ――。

 い、いや、その――」

 

 中を窺うだけにしようと思っていたのに、目ざとく自分の存在を酒場の主人に発見されてしまった。

 こうなると空腹を抱えた身としては、席に着かざるを得ない。

 セシルが()()ずとカウンター席の隅っこに腰掛けると、その様子を観察していた酒場の主人が声を掛けてきた。

 

「おや、その恰好――。

 騎士さまかい?」

 

「いいえ、わたしはまだ見習いよ」

 

 正直に答える必要はなかったのかもしれない。

 だが、嘘をつくような気も回らなかった。

 

「そうかい。

 ゆっくり楽しんでいってくれ」

 

 酒場の主人はニヤリと笑いながら言い放つと、一度下がり掛けて、ふとその場で振り返った。

 

「歓迎するよ、騎士見習いどの。

 ()()()()()へようこそ」

 

 セシルは聞き心地の良いその店名に、思わず酒場の主人と顔を見合わせるのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇跡の酒場
5


 冒険者が集う酒場と聞くと、それこそあまり清潔なイメージはない。

 しかし実際に目にすると、ちゃんと掃除が行き届き、古いながらも何とか小綺麗な印象がある。

 木造の建物には所々に補修されたような跡があるが、かといって(さび)れたような雰囲気は感じられなかった。

 

「お腹の減り具合はどうだい?」

 

 酒場の主人が戻ってきて、セシルに人懐っこそうな笑顔を見せながら声を掛けた。

 髭があるからだろうか? 主人は四十代ぐらいの年齢に見える。

 だが、上背があり体格もよく、決して(たる)んだ体つきはしていない。

 元冒険者か何かに違いない――何となく、そんなような印象を抱く。

 

「朝から何も食べてないから――」

 

 彼女が正直にそう言うと、主人はガハハと満足そうに奥歯まで見せて笑った。

 

「そうか、そうか。

 それなら本日のおすすめメニューがある」

 

 酒場の主人はそう言うと、親指を立てて任せておけという仕草をした。

 そして彼はそのままカウンター奥へと下がって、調理場らしき場所で食材を次々に並べていく。

 

 主人自ら調理するのだろうか?

 セシルは興味深くその手際を見つめた。

 

 途端にザクッ、ザクッと野菜を切る音がし始めた。

 その小気味よい音を聞くと、それだけで口の中に唾液が溢れてくるような感覚がある。

 主人は続いてあらかじめ()かしてあった芋を取り出すと、皮を綺麗に剥いて、一口大に切り揃えた。

 

 セシルが我慢できなくなったのはその後に、主人が豚肉の塊を取り出したからだ。

 肉が傷まないように軽く(あぶ)ってあるようだが、空腹過ぎる身には目に毒以外の何者でもない。

 

 セシルが自宅や宮殿で食事をとる時は、ここまで詳細に調理過程を見ることはなかった。

 その興味も相まって、もはや彼女の視線は、完成に向かう料理から離れなくなっている。

 

 さすがにそれに気づいたのか、酒場の主人がふとセシルの方を振り返った。

 あまりに物欲しそうな表情に見えたのか、酒場の主人は彼女の顔を見て苦笑する。

 セシルは恥ずかしくなって赤面すると、何とか自身の視線を宙に泳がせた。

 

 そして、赤くなった頬を隠すように肘を突いて待っていると、じゅうじゅうと肉が焼ける音と共に、何とも食欲をそそる香りが漂い始めた。

 さっき、店の外に流れ出していた香りはこれだ――そう思い当たりながらも、何とか意識しないように、別の方向へと視線を向ける。

 

 セシルはこれまで自分の食い意地を意識したことはなかった。

 だが、いつまでもこの危険な匂いを嗅ぎ続けていると、どうにも我慢ができなくなってしまいそうだ。

 彼女ができるだけ料理に視線を向けないようにしていると、酒場の主人がセシルの前に来て、フォークとナイフを配膳してくれた。

 

「随分と我慢させちまったかな。でも、味には自信があるんだ。

 ――さあ、どうぞ」

 

 あさっての方向を見ていた彼女の前に、肉と香辛料の香りを放つ皿が運ばれてくる。

 セシルが頑張って宙に浮かせていた視線は、その強烈な香気に簡単に絡め取られてしまった。

 見ればこんがりと焼かれた豚肉の塊の上に、カットして炒められたブロッコリーとジャガイモが乗っている。

 至極シンプルな料理には見えたが、漂う香辛料とガーリックの匂いが空腹には堪らない。

 食欲をそそるそれらの香りに、彼女の胃袋は活発に活動を始めた。

 

 セシルはフォークとナイフを手に取ると、肉を切り分け、早速それを口元へと運ぶ。

 そして肉を口に含んだ瞬間、溢れる肉汁に合わせて、香辛料の香りがツンと鼻腔を抜けていった。

 

「――!!」

 

 セシルはその鮮烈な刺激に、一瞬全ての動きを止める。

 そして次の瞬間、酒場の主人も驚くような速度で、目の前の料理を平らげ始めるのだった――。

 

 

 

 

 カランという乾いた音をさせて、セシルは木皿の上に手にしたフォークを置く。

 目の前の料理は既にない。全て彼女の()()()()に収まった。

 

 セシルは一口水を含むと、満足したように大きく息を吐いた。

 そして皿の上に視線を留めながら、考え事をするかのように無言で(たたず)む。

 

「お口に合わなかったかい?」

 

 酒場の主人に掛けられた言葉を聞いて、セシルは慌てて首を横に振った。

 

「いいえ、美味しかったわ。これ以上ないぐらいに――」

 

 だが、その賛美の言葉とは対照的に、彼女の表情はまったく冴えない。

 先ほどまでこれ以上なく幸せだったのに、ふと現実に戻ると、思わず涙が(こぼ)れそうになってしまうのだ。

 

「何か悩み事があるんだな」

 

 表情を読み取った主人が、呟くようにセシルに声を掛けた。

 

「悩んで解決することなら、大したことじゃないわ」

 

 食事の代金を手渡しながらも、セシルは可愛げのない言葉を吐き出す。

 

 食べている間は、何も考えずに済んだのだ。

 だが、食べ終わってからは自分の置かれた状況に、否が応でも気づかされる。

 

 ――何しろ、何も解決していない。

 セシルの鎧を作ってくれる人は、どこにも見つかっていないのだから。

 

「どうだい?

 試しに抱えていることを、ちょっとおれに話してみないか?」

 

「あら、話してどうなるというのかしら」

 

「そいつぁ、残念ながらわからんさ。

 でもな、酒場という場所は、そういうのを吐き出すためにあるんだよ。

 それに――」

 

 そこまで言った酒場の主人は、ガハハと声を立てて笑う。

 

「何てったってここは、()()()()()なんだからな」

 

 セシルは正直、馬鹿げた話だと思った。

 店の名前に『奇跡』が付いているからといって、本当に奇跡のような出来事が引き起こせるとでも思っているのだろうか?

 

 だが、(たわむ)れついでに、話を聞いてもらっても良いのかもしれない。

 いいや、聞き手など関係ない。

 単に自分の心を楽にするために、弱音を言葉にして吐き出してしまいたい――。

 

 セシルはしばらく考え込むと、俯きがちに小さく言葉を呟いた。

 

「――鎧師を探しているのよ」

 

「ほう?」

 

 ポツリと吐き出した言葉に、酒場の主人は小さな興味を示す。

 

「有り難いことに、騎士にしてもらえることになったの。

 でも、騎士叙任には金属鎧(プレートメイル)がいる。

 それも既製品じゃなく、手作りの金属鎧(プレートメイル)が」

 

「その辺で買える鎧じゃあ駄目だってことか。

 何とも貴族さまってのは、難しい生き物だねぇ」

 

「そうよ。難しいのよ」

 

 侮辱されるような言い回しが気にはなったが、セシルとて貴族の滑稽(こっけい)なこだわりだと思っている。

 

「わたしは見た目を優先した鎧は好きじゃないけれど、叙任式に見窄らしい恰好は出来ないの。

 でもね、もう何人も鎧師には当たったけど、みんな理由をつけて断ってくる。

 ――いいえ、言うことは多少違っていたけれど、恐らく本当の理由は一緒。

 みんな女の鎧なんか、作りたくないのよ。

 鎧師には鎧師特有の変な自尊心みたいなものがあるんだわ」

 

「そうか。

 確かに冒険者はまだしも、女騎士は珍しいものな」

 

「わかったでしょう?

 わたしは鎧を作ってくれる鎧師が見つからなくて困っていたところよ。

 でも、鎧師に用があるは貴族だけでしょうから、冒険者ばかりの酒場(ここ)で話しても仕方ない」

 

 酒場の主人はセシルの言った言葉を聞き遂げると、考えるような素振りで眉を(ひそ)めて言った。

 

「ところでそれは、鎧師じゃないと駄目なのかい?」

 

「――どういうこと?」

 

 セシルは酒場の主人が放った言葉を聞いて、思わず目を細める。

 

 鎧師を求めて、今日も一日彷徨(さまよ)い歩いたのだ。

 その自分に対して主人の問い掛けは、ある種の衝撃を与えていた。

 

「いや、鎧師じゃないと手作りの鎧は作れないのかと思ってな。

 もし鎧師かどうかは別にして、しっかりとした手作りの金属鎧(プレートメイル)を手に入れるだけで良いのなら、おれは少しだけそれに心当たりがある」

 

「それ、本当に!?」

 

 鎧師じゃないと作れないと、勝手に思い込んでいたのだ。

 まるで、セシルは自分の目の前に(まばゆ)い光が差したように思った。

 彼女は主人の顔を見つめると、目でその先の話を促す。

 

「あんたの言う条件を、そっくり満たせるのかどうかはわからないが――。

 だが、ヤツはおれの知る限り、()()()()()の鎧を作る」

 

 セシルはその言葉を聞き遂げて、思わず立ち上がりながら身を乗り出すのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6

 随分と幸せそうな表情のエリオット騎士公が宮殿に戻ってきたのは、さらに翌日の昼に差し掛かろうという時間だった。

 一方、セシルは出仕してから、エリオットの帰りを待ち続けていた。

 だが、その間も、終始そわそわとした態度をとり続けて全く落ち着きがない。

 少々気が強いとはいえ、普段から冷静な彼女が、そうした余裕の無い仕草を他人に見せることは珍しい。

 それもあってメイドたちは、「それほどまでにエリオット様の帰りが待ち遠しいのか」と、完全に誤解をした噂を囁き合った。

 

 だが、実際の彼女は、昨日酒場の主人に教えられた人物のところに、早く行きたくて仕方なかったのだ。

 無論、ゆっくり訪問したところで、相手が逃げる訳でもないことは理解できている。

 ただ、心の中にのしかかる重石(おもし)を、一刻も早く取り除いてしまいたくて仕方がない――そんな思いが、彼女に必要以上の焦燥感を抱かせていた。

 

「お帰りなさいませ、殿下」

 

「――ああ」

 

 戻ってきたエリオットに声を掛けると、彼はセシルを一瞥(いちべつ)するだけで、普段のようにちゃんとした挨拶を返してくることもなかった。

 たったそれだけのことではあるのだが、何となく彼の心が、自分から距離のある位置に移ってしまったように感じる。

 

 恐らくエリオットは丸々二日間を掛けて、結婚相手とその家から、存分な歓待を受けたに違いない。

 存分な()()()()は昔から存在する調(ちょう)(りゃく)手法――相手に心変わりさせるための手段の一つではあるのだが、それが地味に効果的であることが、今更実感できた。

 

 セシルはエリオットが昼食をとる時間になると、メイドたちがそれを準備するのを確かめてから、少し外出させてもらうことにした。

 普段であれば、使いでもないのに、昼間に宮殿を抜け出すようなことはしない。

 だが、今のようにエリオットの関心事が他の場所にあるような状態であれば、それが問題になることもないだろう。

 

 実際セシルが外出を申し出ると、エリオットは行き先も聞かずにそれを了承した。

 見れば、エリオットの表情は、どこか別世界を彷徨っているようでもある。

 

 ――こういう手法には、弱い人だとは思っていたけれど。

 

 セシルはそう思いながらも、あまりにわかりやすい彼の変化に、心の中で苦笑した。

 

 

 

 

 午後、セシルが訪ねたのは、この街の六番街と呼ばれる場所である。

 そこは冒険者向けの職人街になっており、いくつもの武器屋や防具屋が軒を連ねていた。

 

 ふと、この辺りに鎧師が店を出していないかしらと思いはしたが、たとえ鎧師を見つけたところで、飛び込みで仕事を受けてもらえるとは思えない。

 それに、途中で何人もの冒険者とすれ違ったが、少し視線を集めているような気もする。

 特段治安の悪い場所には思えないが、そもそもセシルのような身なりの女性が一人で彷徨(うろつ)くような場所ではないのかもしれない。

 であれば、酒場で紹介を受けた相手に(いち)()の望みを持って、早々にそこを訪ねて用を済ませた方が良さそうだ。

 

「――ここ、かしら?」

 

 セシルが昨日酒場の主人から受け取った走り書きを確かめると、確かに記された住所は、今立っている場所を指し示していると思われた。

 見れば目の前にあるのは、随分と古い石造りの建物だ。

 昨晩は同じように『奇跡の酒場』からも古さを感じたのだが、目の前の建物からは、酒場のような清潔感があまり漂ってこない。

 どちらかというと、埃を被ってうらぶれた――正に()()()()()()()()という表現が、一番比喩(ひゆ)するに正しいようにも思う。

 

 セシルは取りあえずその店の扉をノックすると、反応が返ってくるのを待った。

 だが、いくら待っていても、何かが反応するような気配がない。

 セシルはそれから何度も扉を叩いたが、一向に誰かが現れるような兆しはなかった。

 

「まさか――留守?」

 

 誰に確かめる訳でもなくそう呟くと、彼女はふと扉のノブに手を掛けた。

 すると、ガチャリという小気味の良い音がして、扉が簡単に開いてしまう。

 セシルはそれが悪いことだとは思いながらも、そのまま扉を抜けて、店の中に足を踏み入れていった。

 

 中に入ると前室らしき小さな部屋があった。

 どうやら、その奥が作業場になっているようだ。

 セシルは前室を抜け、作業場に繋がる扉をそっと静かに開いてみる。

 途端に小さな恐怖と共に、変な好奇心のようなものが、心の中に生まれてきたのがわかった。

 

 普段の彼女であれば、勝手に他人の家に忍び入るような真似は絶対にしない。

 だが、その時の彼女は、まるで魔法によって魅了されたように――吸い寄せられるように、部屋の中へと身を滑らせていった。

 

 作業場に入ると、彼女が今まで見たことのないような、雑然とした空間が広がっていた。

 古くさい店の風貌からすると、意外に広い部屋だ。

 作業場特有の油や金属の匂いを感じながら、彼女は部屋の中をぐるりと見渡した。

 

 ふと右側の壁面に注目すると、そこには驚くほどの数の工具が、壁に引っ掛けられている。

 それをそれぞれ詳しく見たところで、どのように使われるものなのかは、まったく想像もつかなかった。

 次に左側の棚に視線を移すと、棚の上にいくつかの見本と思われるいくつかの防具に加えて、皿や壺といった生活に使うような品物が並んでいるのがわかった。

 

 そして――セシルはそこに飾られていた一つの防具に、思わず視線を奪われてしまう。

 それは、普段騎士団で目にするものよりも若干小ぶりな、真っ白な籠手(ガントレット)だった。

 

 おおよそ男性向けとは思えない、小型の籠手(ガントレット)

 だが、セシルの視線を惹きつけた理由は、その大きさではない。

 白い籠手(ガントレット)に施された見事な金色の装飾――複雑だが華美な印象はなく、まるで貴婦人が身に着けるために作られたような、優雅な花をモチーフにした装飾だ。

 

 ふと、セシルが再び作業場を見渡すと、そこにはやはり誰もいないように思われた。

 それを確認した彼女はゆっくりと、真っ白な籠手(ガントレット)へ近づいて行く――。

 

 そして、まさにその籠手(ガントレット)に手を伸ばそうとした瞬間、カツン!という金属を叩く音が、部屋の中に響いた。

 慌ててセシルは、伸ばしかけた手をビクリと引っ込める。

 直後、コンコンコンという木槌のようなものを、小刻みに叩く音が聞こえた。

 

「――誰だ?

 こそ泥にしては、随分と大胆なようだが」

 

 急に声を掛けられて、セシルは(ひる)んだように(あと)退(ずさ)った。

 その低い声は、部屋の中にある作業台の向こう側から聞こえてきたものである。

 大きな作業台に隠れてしまって、それまでその人物の存在に気づかなかったのだ。

 

 セシルが慎重に足を踏み出して、作業台の向こう側へ回り込んでみると、そこには(かが)んだ姿勢で作業を続ける一人の男性の姿があった。

 

「あっ――あの――」

 

 家に忍び込むという、後ろめたい気持ちがあったからかもしれない。

 堂々と掛けようとした声は、上手く口元から出てはくれなかった。

 代わりにセシルは、目の前の人物に向けて、(せわ)しなく視線を動かす。

 

 ――真っ黒な髪。そして、浅黒く日焼けした肌。

 作業着から覗く手足は、がっしりと引き締まった筋肉に覆われているようである。

 目元は精悍に釣り上がり、口元と(あご)には()(しょう)(ひげ)があった。

 年齢は恐らく、三十歳ぐらいだろうか?

 少なくともセシルよりは、年上の人物であることは間違いない。

 

 セシルがそうして、掛ける声を失っていると、男性はそのまま作業を再開し始めた。

 再び木槌を振るう小刻みな音が、周囲に定期的なリズムを響かせている。

 

 どうやら、男性は勝手に入ってきたセシルを、それ以上気に留めるつもりがないようだ。

 お陰でセシルは、彼の真剣な横顔を眺めながら、そのまましばらく作業姿に見入ってしまう。

 

 木槌を振るう腕が筋張っていて、彼の力強さを際立たせていた。

 だが、その力強さと対照的に、男性が手元で行っているのは、いわゆる(ちょう)(きん)と呼ばれる金属に細やかな装飾を施す作業である。

 しばらく眺めていると、見る見るうちに、金属の表面に美しい紋様が刻まれていった。

 その流麗な曲線は、無骨で埃っぽい作業場のイメージから、随分とかけ離れているように思う。

 そして、セシルは初めて見る職人の技に、得も言われぬ興奮のようなものを覚えた。

 

「――()()()()()のご主人から、紹介されてここへ来たの」

 

 セシルは一つ深呼吸をしてから、金属と格闘し続ける男性に、思い切って声を掛けた。

 

「ほう」

 

 応答はしたものの、その名前は特別な感慨を与えなかったようだ。

 だが、彼はどうやら作業を止めて、セシルと話をすることを選択したらしい。

 木槌を近くに置くと、無精髭の男性はスクッとその場に立ち上がった。

 上背はセシルよりも一回り大きくて、想像よりも存在感のある姿に、セシルは思わず仰け反りそうになってしまう。

 

「それで、何の用だ?」

 

「――ところで、そこにある籠手(ガントレット)はあなたが造った()()?」

 

 セシルはそう言って、先ほどの小型の籠手(ガントレット)を指さしながら尋ねた。

 すると、黒髪の青年は『もの』という言葉を置き換えるように、それを肯定した。

 

「ああ。俺の()()だが」

 

 その言葉を聞いて、セシルはここに来た目的を素直に告げた。

 

「実は、あなたに金属鎧(プレートメイル)を作って欲しいのよ。

 今度、騎士にしてもらえることになったの。それで騎士叙任には、()()()金属鎧(プレートメイル)が必要だから――。

 でも、誰も女性用の金属鎧(プレートメイル)を作ってくれなくて、当てが無くて困っていたの。

 そしたら酒場のご主人が、ここに行くといいと」

 

「なるほどな」

 

「ごめんなさい、あなたの名前を教えて貰ってもいいかしら?」

 

「なんだ、騎士家のご令嬢は、相手の名前も訊かずにここまで来たのか。

 これは呆れた」

 

 男性はやれやれという表情になると、セシルに向けて無遠慮に首を(すく)めた。

 彼女はそれを目撃して、多少ムッとした態度になる。

 

「だって、行ってみれば判ると言って、教えてくれなかったんだもの。

 わたしはアロイス騎士家のセシル。あなたの名前は?」

 

 率直にそう尋ねると、男性は苦笑しながら答えた。

 

「俺は、カイと呼んでくれればいい」

 

「カイ――?

 家の名前はないの? 偽名か何かなのかしら」

 

 セシルはあまり聞き慣れない名前を聞いて、率直にそう問い返した。

 だが、目の前の男性は、その質問に再び呆れた表情を作る。

 

「あのな――。

 初対面早々、相手に()()()()()と訊く失礼な女がどこにいる」

 

 思わず「ここにいる」と言いそうになってしまったが、確かにカイの言うとおり失礼な発言だった。

 そもそもセシルは鎧の製作を頼みに来たはずで、相手を怒らせたい訳ではない。

 

「ごめんなさい。

 わたし、比較的思ったことを言っちゃう性格なのよね」

 

「今のでそれは十分にわかったさ。

 ――それで、作るのは金属鎧(プレートメイル)()()でいいのかい?」

 

 カイの発言にセシルは、動作を止めて、彼をじっと見つめた。

 

 無論、セシルは相手を見つめるだけで、力量を推し量れるような能力を持ち合わせていない。

 だが、確かにあの白い籠手(ガントレット)の出来映えを考えると、鎧以外にも様々なものを、作り出せそうな技量が窺い知れた。

 

 そうして、しばらく視線を彼の顔に留めていると、ふとカイの方も、自分の顔をじっと見つめていることに気づく。

 セシルはあまり自分を女性だと意識したことはないし、女性としての目で、男性を品定めすることは殆どない。

 だが、カイは精悍な顔つきで、男性としてなかなか魅力的な外見をしているように思えた。

 もし、彼のような男性が宮殿内にいたのなら、きっと多くのメイドたちは放ってはおかないだろう――。

 

 脱線してしまった思考を揺り戻すように、セシルはカイの発言の意味を、改めて確かめた。

 

「今の発言は、金属鎧(プレートメイル)以外も作れるって意味よね?」

 

「もちろん、モノにもよるが」

 

「――いいわ。

 作れるというのなら、盾も作って欲しい」

 

「兜はいらないんだな?」

 

「必要ないわ。

 確かに頭を守るのは重要だけど、兜は視界が狭まるから好きじゃないの。

 何しろ相手の攻撃を認知できなければ、避けることすらできないもの」

 

「なるほどな。

 しかしだからと言って、頭を全く守らないというのも割り切り過ぎだろう。

 転倒した時に頭を打てば、それだけで致命傷になってしまう可能性もある」

 

「――解決策は?」

 

「ある」

 

 自信を持った答えが、即答で返ってくる。

 受け答えの態度は良くないようにも思うが、セシルは目の前の男性の気っぷの良さに少し好感を抱き始めていた。

 

 何しろ今まで、何をしようとしても障害ばかりだったのだ。

 その過去を意識すると、彼と会話しているだけで、目の前が急に明るく開けていくような感覚を覚える。

 

「じゃあ、早速だけど製作に掛かる期間と金額を教えて」

 

「待った。

 その前に、確かめておかなければならないことがある。

 それによっても期間や金額が変わる」

 

「何かしら?」

 

 期間や費用以外の重要なことが思いつかず、セシルは思わず首を傾げた。

 

()()()()()()()はあるか?」

 

「――――。

 ――えっ?」

 

 カイが放った想像もしなかった質問に、セシルはその場で立ち尽くすのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7

 カッ――と小気味の良い音が、路地の中で響く。

 セシルが道端に落ちた石ころを、思いっきり蹴り飛ばしたのだ。

 石は路地を転げていくと、近くの建物の壁に当たって止まった。

 

「何なのよ、あいつ!」

 

 思わず口に出して悪態を()いてしまう。

 カイと名乗った黒髪の男性は、防具の寄せ集めから別の防具を作る『解体(ジャンク)屋』だったのだ。

 百歩譲って言い方を改めても、防具の修理屋というのが適切なところだろう。

 

 元々専門の鎧師でないことは判っていた。

 ただ、鍛冶師あたりではないかと予想していたのだ。

 だが、散々期待を膨らませたセシルに提示されたのは、何か元になる鎧を入手して、それを解体して新しいものに()()()()()という話だった。

 

 寄せ集めの材料で作った鎧を、叙任式に着ていけばどうなるだろうか?

 確かにあの場で見た小型の白い籠手(ガントレット)は、見事な出来映えだったとは思う。

 ただ、それもどこからどこまでを、彼が手掛けて作ったのかは分からない。

 ひょっとしたら元から美しかった部品を、貼り合わせて仕上げただけかもしれないのだ。

 

 セシルはそう考えた瞬間、ここで鎧を作る相談をするのが、意義のある時間だと思えなくなってしまった。

 自分からお願いに来ておいて拒絶するようではあるが、セシルはできるだけ穏便な言葉を選んで、カイの店から離れようとした。

 だが、その去り際にカイが放った一言が、彼女の感情を逆撫でしたのだ。

 

 『あんたも結局、()()()で選ぶんだな』――。

 

 それは彼女にとって、一番言われたくない言葉だった。

 セシルは自分の装備を外観を優先して選ぶ嗜好(しこう)を持っていない。

 もちろん不格好なのは願い下げだが、華美なものよりも実用的なものを選ぶ。

 

 なのに、見た目が重要な叙任式用の鎧であることを、カイに意識させてから拒絶してしまったことで、彼はセシルが断った理由を完全に誤解してしまっていた。

 無論、カイに鎧の製作を依頼しない以上、今後彼とは会うことはないのかもしれない。

 だとすれば今日起こってしまったことは、たまたま出会った男性が、ちょっと自分のことを誤解してしまったというだけのことである。

 

 ところが、セシルは自分が想像していた以上に、強く落胆を抱く自分の心に気がついた。

 恐らく彼に対する好感や期待感が、必要以上に高まっていた反動なのだろう。

 

 

 ――いいや、違う。

 

 

 『元になる鎧や盾はあるか』――?

 

 無言で歩いていると、カイが放った質問が再び頭の中を駆け巡った。

 

 ――そうだ。

 彼女が必要以上に不機嫌になってしまったのは、言われたくない言葉を浴びせかけられたからだけではない。

 セシルが心のざわつきを押さえられなくなったのは、その質問を受けて真っ先に思い浮かんだのが、あの()()()()()()()金属鎧(プレートメイル)だったからだ。

 

 確かにあれは、古くさい上に寸法も合わない代物だった。

 だが、今となってはかけがえのない、父の忘れ形見なのである。

 

 何か利用できるものを――と問われた時、セシルは真っ先にあの鎧を思い浮かべてしまった自分を、心から恥じた。

 いくら意見の合わなかった父親だったとはいえ、あまりにも薄情すぎる()()()()に、一番落胆を抱いていたのだ。

 

 

 

 

 午後ずっと不機嫌だったセシルが自宅に戻ると、メイド長のリーヤが、珍しく彼女の帰りを屋敷の前で待ち構えていた。

 

「お帰りなさいませ、()()()()様」

 

「ただいま、リーヤ。

 ――どうかしたの?」

 

 珍しく女性としての名前を呼ばれたセシルは、何事があったのかとリーヤに尋ねる。

 するとリーヤは片目を閉じながら咳払いして、至極真面目な調子で事の次第を伝えた。

 

「いえね、実は殿方から言づてを預かっておりまして」

 

「と、殿方――!?」

 

 聞き慣れない言葉を聞いたせいか、不機嫌だった気分がどこかに吹き飛んでしまう。

 

「いらっしゃったのは使いの方でしたが、何やら仰るには、お嬢様のお力になれるのでは、と」

 

 その言葉を聞いて、セシルの頭の中では様々な考えがぐるぐると回った。

 

 お力になれるというのは、金属鎧(プレートメイル)絡みのことだろうか?

 ひょっとしてセシルが困っているのを、どこぞの貴族の御曹司が知って、見るに見かねて手を差し伸べてくれるという話かもしれない。

 いいや、ひょっとしたら今日会ったカイが、「俺が悪かった。ぜひ君の鎧を作らせて欲しい」などと、慌てて申し入れに来たのだろうか?

 

「そ、それで――誰からの言づてだったの?」

 

 セシルは待ちきれないと言った様子で、どもりながらもその人物の正体を尋ねる。

 

()()()()()()さま、と仰っていましたよ。

 騎士長さまからお声が掛かるなんて、とても光栄なことですよね、セシリア様!」

 

「――――。

 ――ミラン」

 

 その名前を聞いて、セシルはリーヤの前で、へなへなとくずおれた。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「――はぁぁ」

 

 朝の美しい中庭に相応しくない、陰気な声が漏れ聞こえた。

 押さえようとしても、どうにも溜息が出てしまうのを止められないのだ。

 今日は朝目覚めた時から、ずっとそんな調子だった。

 

 昨日、リーヤからミランの名前を聞いて以来、セシルは自室で塞ぎ込んでしまった。

 眠れない夜を過ごしたことで、目の下にはくっきりと青黒い(くま)ができてしまっている。

 ただ思い悩んだとしても、上官にあたるミランの呼び掛けを無視してしまう訳にはいかなかった。

 

 セシルはミランの部屋の前で立ち止まると、いつかと同じように一度深呼吸をした。

 そうして息を止めたまま、扉をコンコンと静かに叩く。

 すると間髪入れずに部屋の中から応答があった。

 

「入りたまえ」

 

 覚悟を決めてセシルが部屋に入ると、妙に()め付けるような視線のミランが真正面に立っている。

 彼は顔に薄ら笑いを浮かべていて、普段の数倍にも増して、不気味な様相に見えた。

 

「昨日、使いの方経由で、お声掛けいただいたと聞きました」

 

 セシルが素直にそう切り出すと、ミランはさも楽しそうに笑いながら言った。

 

「アハハ。そうだ、声を掛けた。

 ――よく来たね、()()()()

 

 その名で呼び掛けられた瞬間、セシルは得も言われぬ、悪寒のようなものを感じてしまった。

 

「聞いたよ。

 騎士叙任の準備があまり上手くいってないんだって?」

 

 ミランはそう言い放つと、備え付けのソファに腰を下ろしてニヤニヤとセシルを見上げた。

 

 ――聞いたというのは、誰から何を聞いたのだろう?

 彼女の準備の状況を知るのは、アルバート騎士団長かヨシュアぐらいのものである。

 だが、ヨシュアがミランにそれを話すとは思えないし、厳格なアルバート騎士団長はもっと可能性が薄い。

 そう考えた瞬間、セシルの中に一つの可能性が立ち上がった。

 確かに金属鎧(プレートメイル)の準備が上手くいかず、セシルが困っていたのは事実である。

 だが、それにしてもミランが声を掛けてきたタイミングは、あまりにも良いタイミングではないか?

 

 いいや、タイミングが()()()()むしろ、声を掛けられた意味を(じゃ)(すい)してしまう。

 

「問題はありません。準備は順調に調っています」

 

 無駄とは思いながらも、セシルはそう抗弁してみせた。

 

「おや、そうかい?

 でも、キミは、昨日も宮殿を抜け出して鎧師を探しに行っていただろう」

 

 何故、そんなことを知っているのだろうか!?

 セシルは唇から出掛かった言葉を、必死に口の中で留めた。

 

 ――いいや、そうではない。

 仮にセシルの直感が正しいとするならば、今までのことは全て()()()()()()()に違いないのだ。

 つまり、彼が事前にこの街の鎧師たちに手を回して、セシルの鎧を()()()()()ように手を回していた可能性が高い――。

 

 それに加えて、ミランは人を使って、セシルの動向をずっと監視していたのだろう。

 だから彼はセシルの細かい行動を、いちいち見ていたように把握しているのだ。

 

「――監視していたのですか」

 

 セシルは俯きがちに、そう小さく呟いた。

 心の中だけに留め置こうと思っていたのだが、(こら)えきれずに声となって、(こぼ)れ出てしまったのだ。

 

「ハァ? 監視? 人聞きの悪い!

 騎士見習いの動向を、騎士長が把握しているのは当然だろう!

 それとも何か? キミは私には言えない、何か悪いことでもしようとしていたのか!?」

 

「いいえ、そんなことはありません」

 

 過剰に反応するミランを見て、セシルは苦々しげにそう呟いた。

 恐らくここで、何を抗弁しても無駄だろう。

 ミランがセシルを呼びつけた以上、何か明確な意図があるはずだ。

 セシルはそれをまず、確かめるのが先決だと考えた。

 

「それで、騎士叙任の準備は順調に行きそうなのか、問題があるのかどちらなんだい?」

 

「――金属鎧(プレートメイル)の――準備の目処(めど)が、立っていません」

 

 弱みを見せたくない相手なのだが、悔しさを紛れさせながら、セシルは絞り出すように呟いた。

 するとミランが立ち上がって、まるで楽しい事実を聞いたようにケタケタと笑い始める。

 

「アハハ、そうか。いや、そうじゃないかと思ってたんだ!

 今日はその件で、私が()()()()の力になれるんじゃないかと思ってね」

 

 ミランは意識してその名を呼んでいるのだと思うが、女性としての名前を呼ばれるだけでも、生理的な嫌悪感が拭いきれそうにない。

 

「ありがとうございます」

 

 抵抗が無駄であることを理解するセシルは、心にない言葉を何とか吐き出した。

 

「実はキミのために素晴らしい金属鎧(プレートメイル)を作れる職人を、私は用意することができる」

 

 一瞬、声を上げて反応しそうになったが、この後にどんな罠が待っているのかわからない。

 即座に飛びつきたくなるのを抑えながら、セシルはミランの続く話を待った。

 

「それに、春の叙任式には、新たに叙任された騎士同士が戦う模擬試合(デュエル)が行われることはキミも知っているだろう?

 毎度数組の試合しか行われないが、今回キミはその出場者に()()()()

 

「――!!」

 

 セシルは思わず目を剥く。

 確かに叙任式では毎年、新たに騎士になった者たちが対戦する模擬試合(デュエル)と呼ばれる模擬戦が催されている。

 だが、観戦する王族たちの時間の都合もあって、毎回披露されるのはほんの二、三組の試合だけだった。

 故に出場するのは、基本的に三大貴族家(トライアンフ)のような身分の高い貴族家の者だけであって、それだけにセシルは今までその存在を殆ど意識していなかったのだ。

 

「アルバート騎士団長にも訊いてみるといい。

 キミは模擬試合(デュエル)の出場者に選ばれる」

 

 騎士団長の名前を出してきたということは、ミランは何か出場者に関する確実な情報を掴んでいるに違いない。

 とはいえ、疑いを投げ掛ける台詞が、喉元から出そうになった。

 だが、セシルはそれをグッと飲み込んで、この場では自重することに成功した。

 

 訊いてしまえば、きっとミランの思う壺だ。

 これ以上はミランと対話せず、アルバートやエリオットに尋ねた方が良い。

 

 ただ、模擬試合(デュエル)金属鎧(プレートメイル)を纏い、剣と剣で闘う御前試合のはずだった。

 セシルはもちろん剣を扱ったことはあるが、槍の方を得意としていて、正直剣の扱いには自信がない。

 本当に自分が模擬試合(デュエル)に出るというのなら、剣を使った戦いも誰かに学ばなければならないだろう。

 

金属鎧(プレートメイル)の件だが、必要なのであれば、私は今からキミに合った最適なものを作らせることができる。

 それにキミが希望するのなら、模擬試合(デュエル)に必要な剣を学ぶこともできるし、何ならそれらの費用も気にしなくていい」

 

「費用も――?」

 

 心底、胡散(うさん)(くさ)い話だと思った。こういう話には絶対に裏がある。

 そう思った直後、ミランはその予想に違わない言葉をセシルに投げ掛けた。

 

「ただ、一つだけ条件がある」

 

 そう言いながらミランは、セシルの全身を撫で回すように見つめる。

 別に触れられた訳でもないのだが、何となく全身に、蛇が這い回るような悪寒を覚えた。

 

「当然ながら()()鎧師は、我がギャレット家と専属契約を交わしている。

 それは、剣を教える剣術師範とてそうだ。

 だから彼らはアロイスの家名を持つキミに、剣を教える訳にも鎧を作るわけもいかない。

 ――わかるだろう? キミはひょっとしたら考えもしなかったかもしれないが、()()()()()()()もあるということだよ。

 つまり、この機にキミがギャレット家の()()になるというのであれば、キミの悩み事は一気に解決する」

 

 セシルはミランの話を聞き遂げて、一瞬、目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。

 

 ――こんな馬鹿げた求愛があるのかと思った。

 一方でセシルは、ミランが自分のことを、これっぽっちも諦めていないという事実に唯々(ただただ)戦慄(せんりつ)した。

 結果的に酷い振り方をしたことで、ミランは自分を恨み、嫌っていると勝手に思い込んでいたのだ。

 いいや、恨まれているのは事実だろうし、嫌われているのも事実かもしれない。

 だが、彼はそれでもなお、セシルを自分のものにしたいと思っている。

 

 それがいくら屈折して不純な、(くら)い情念であったとしても。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8

 セシルは陽の落ちた夜道を、宛もなく彷徨(さまよ)う自分に気がついた。

 どこか何かで、気分を紛らわせたかったというのに近い。

 とにかく、今の自分が置かれた状況を、考えなくて済む場所に逃げ出したかった。

 

 アルバート騎士団長から騎士叙任の話を聞かされた時、セシルには、ようやく夢に到達できるという喜びがあった。

 元々騎士を目指し始めた切っ掛けは、自分の意思ではなく、亡くなった父からの強い希望だったのかもしれない。

 それに、騎士に叙任して貰えることになった理由は、自分の力が認められたからでもなく、エリオットの結婚が起点としてあった。

 

 だが、それでもセシルは、騎士になりたいと思っていた。

 騎士になって、幼い頃から自分を支えてくれたリーヤたちが、安定して生活できる基盤が欲しかった。

 

 ところが今は、その夢の前に横たわる障害に、為す術もなく翻弄(ほんろう)されるばかりである。

 それは、まるで固い鱗に覆われ、攻撃を受け付けない巨大な(ドラゴン)のように――彼女の力が及びそうもない遥かに強大な存在に思われた。

 

「いらっしゃい」

 

 ここへ向かおうと意識していた訳ではない。

 だが自然にセシルの足は、()()の名のついた酒場へ向かっていた。

 

 冴えないセシルの表情に気づいたのか、酒場の主人は、それ以上声を掛けようとはしない。

 彼女がフラフラとカウンターの隅に陣取ると、気を利かせた主人が何も言わずに果実酒(ワイン)を運んでくれた。

 ただ、普段あまりお酒を飲まないこともあって、僅かな量で顔が真っ赤になってしまう。

 

 ――()()()()を用意するだけの話なのに、どれもこれも上手くいかないことばかりだった。

 それも、鎧師たちはみんな揃って、女性の鎧など作りたくないというのだ。

 もちろんミランが工作して、鎧師たちにそう言わせていた可能性は高い。

 でも、実際女性用の鎧を作りたがっていないというのも事実だろう。

 

 彼女は考えれば考えるほど、自分が女性であることが、全ての災厄(さいやく)の原因だと思い込み始めていた。

 

 ――何故、わたしは、女なんかに生まれて来たのだろう?

 

 セシルが深い溜息を吐いたのに合わせて、酒場の主人が果実酒(ワイン)のお代わりを()いだ。

 

「お役には立てなかったようだな」

 

 酒場の主人が、耳当たりの良い静かな声色でセシルに声を掛ける。

 彼の発言が指しているのは、セシルにカイを紹介したことだ。

 

「残念ながらね」

 

 そう言ってセシルは注がれた果実酒(ワイン)に、ほんの少しだけ紅い唇をつけた。

 

「紹介してくれたことには感謝しているわ。

 でも鎧師じゃないとしても、鍛冶師あたりかと思い込んでいたのよ。

 彼も鎧は作れると言っていたけれど、叙任式にそれを着ていく()()がなくて。

 だってあの人は鎧師じゃなくて――解体(ジャンク)屋さんのようだから」

 

 去り際に気にくわない言葉を掛けられたのを思い出して、セシルは若干カイの職業を、揶揄(やゆ)するような言い方をした。

 酒場の主人はそれを聞くと、苦笑しながら視線を泳がせる。

 それは何となくここにいる()()()()に、気を遣ったような仕草に見えた。

 

解体(ジャンク)屋で悪かった」

 

 その声を聞いて、セシルは慌てて声のした方向を振り返った。

 すると、そこにはテーブルで食事をする、()()()()()が腰掛けていたのだ。

 カイはセシルを直視せず、睨みつけるように視線だけで彼女を見ていた。

 その仕草は彼の鋭い目つきのせいで、随分と不機嫌な表情を醸し出しているように思える。

 

 セシルは少しお酒が入っていることもあって、全く物怖じせずに自分の意見を主張した。

 

「間違ったことは、言ってないわ」

 

 すると、カイはまるで失笑するような笑みを浮かべた。

 

「確かに間違っていない。

 でも、どうやら俺が()()()()()も間違ってはなさそうだ」

 

 セシルはその発言が聞き流せなかったのか、椅子に腰掛けたままカイの方へと向き直る。

 

「それは、あなたがわたしを『見た目だけで選ぶ』女だと、侮辱したことを指してるのね?」

 

「違うか?」

 

 売り言葉に買い言葉を浴びせられて、セシルは思わず大きい声を出しそうになった。

 お酒のせいで普段より、感情的になっているのは間違いない。

 だが、ここは()(せい)の酒場で、多くの人の目がある場所なのだ。

 それにどこかでミランの部下が、今でも自分を見張っているに違いない。

 それを考えれば(こと)(さら)に、トラブルを大きくする行動は避けるべきだった。

 

 セシルは何とか深呼吸をして、冷静さを取り戻すことに成功した。

 そして、背の高いカウンターの席から見下ろすように、カイへ向けて静かに言葉を返す。

 

「見た目だけで選ぶ訳じゃないわ。

 でも、叙任式に着る以上、見た目も重要なのよ」

 

 返事の声が比較的冷静だったことで、カイも高ぶった感情を少し収めたように見受けられた。

 彼は一口麦酒(ビール)(あお)ると、セシルのことではなく叙任式に関する話を語り始める。

 

「過去に叙任式を何度か見学したことがある。

 だが、そこにあるのは見世物の鎧に、見世物の試合だ。

 叙任式で『見せる鎧』と、『戦うための鎧』が別個に用意してあるというなら、まだいいだろう。

 しかし、俺が知る限り、そんな使い分けをしている騎士は見たことがない。

 驚くほど実用性に欠けた装備で、騎士たちはそのまま実戦に出て行ってしまう。

 きっと、騎士になって、初めての戦いにおける死亡率が高いというのはそれが理由の一つだ」

 

 最初、セシルは叙任式を(おとし)めるような発言を、(とが)める気持ちで一杯だった。

 だが、彼が指摘した点は、常々セシルも考えていたことだ。

 

 以前、とある貴族家の貴公子が、カイの言うように飾り立てた金属鎧(プレートメイル)で叙任式に出たことがある。

 それは、羽根だの突起だのが付いた、異様に()()()()()の目立つド派手な鎧だった。

 その彼は初めての戦いにおいて、ゴブリンの集団に追い詰められて死亡した。

 ゴブリンたちから逃走する過程で、木にその突起を引っ掛けてしまい、動けなくなってしまったのだ。

 

 また別の貴族は、宝石をいくつも埋め込んだ煌びやかな金属鎧(プレートメイル)を作った。

 そして、その貴族は初めての戦場に、到達することなく帰らぬ者となった。

 彼は戦場に(おもむ)く途中で、盗賊たちの餌食になってしまったのだ。

 盗賊からすれば目立ちすぎて、襲ってくださいと言っているようにしか思えなかったことだろう。

 

「人間相手なら身代金要求を期待して、怪我をさせずに生け捕りにしてくれることもあるだろう。

 だが、魔物相手の戦いは、手加減など存在し得ない。

 騎士たちはいつも人間と戦うことばかり想像しているが、実際の遠征で騎士が戦う敵は、圧倒的に魔物であることが多いんだ。敵がむしろ人間であることの方が、(まれ)だとすら言っていい。

 たとえば、君はどの程度ゴブリンの脅威を知っているか判らないが、騎士が侮るゴブリンも、集団になると十分な脅威になり得る。

 本当に見栄えを優先した装備をして、そうした戦いに生き残ることができるというのか?

 ――いや、貴族さまは前線で戦わなくても、庶民に戦わせて後ろで観戦していればよいのかもしれないが」

 

 セシルの実家であるアロイスは貴族である。

 ただし、アロイスは騎士家という、貴族としてはあまり高くない地位にあった。

 それもあってセシルが騎士になるのなら、前線で戦わずに温々(ぬくぬく)と過ごすなどということはあり得ない。

 セシルはカイの発言を、実家に対する侮辱と受け取って、高ぶる感情を抑えきれなくなった。

 

「馬鹿にしないで!!

 わたしもちゃんと()を手にとって、敵と戦ったことがあるわ。

 それともあなたは、騎士見習いがろくに前線で戦いもしないなんて思っているの!?」

 

 セシルは騎士見習いとしては、かなり年齢が高い域にある。

 そのため、騎士の遠征に随行した経験も、かなりの回数に及んでいた。

 街を守り、街道を確保するために、魔物と戦った経験は一度や二度のことではない。

 そのどれもがゴブリンや小鬼(オーク)といった蛮族の(たぐ)いが相手だったが、味方に死者が出た戦いにおいても、ちゃんと生き抜いた経験があるのだ。

 

「剣の扱いに慣れているとは、とても思えないが」

 

 いつの間にかカイが立ち上がり、セシルの側まで近づいて来ていた。

 彼がセシルの何を見てそう判断したのか判らないが、確かにその発言は真実を言い当てている。

 先ほどセシルが「剣を手に取って何度も敵と戦った」と言ったのは、騎士であれば剣で戦うものという、彼女なりの見栄を含んだ発言だったのだ。

 実際に彼女が戦いで手にしていたのは、使い慣れた()であって、剣で交戦した経験は実は一度もない。

 

 その恥ずかしさのようなものも相まって、セシルはむきになってカイに反論した。

 

「あなたに侮られる覚えはないわ。

 少なくともわたしは街の解体(ジャンク)屋さんより、上手く戦える自信があるのだから」

 

 するとカイはその発言を聞いて、ニヤニヤと笑い出した。

 

「ほほう、騎士見習いさんは、随分と自信家と見える。

 ()()()()()()()()()()相手の実力を計ることができるらしい。

 じゃあ、一度是非とも、俺に稽古をつけてもらえないか?」

 

 稽古をつけてくれという言葉と裏腹に、カイは完全にセシルを侮った表情だ。

 

 ――この街では、私闘は禁じられている。

 だからカイは稽古という言葉を使いはしているが、恐らく稽古の形をとって腕試しをしようというのだろう。

 だとしても鎧を手に入れるための忙しい時間に、何故この男と腕試しなどしなければならないのか――?

 

 そう考えたセシルは、カイの申し出を即座に断ろうとした。

 なのに、彼の表情を見ていた彼女の口から思わず飛び出た答えは、それとは真逆をいく言葉だった。

 

「いいわ」

 

 その返答を聞いて、カイは再びニヤリと笑みを浮かべる。

 

「じゃあ明日の早朝、五番街奥にある稽古場で待っている」

 

 彼はそう言うとカウンターに食事代を置いて、サッと身を翻して酒場を出て行ってしまった。

 

 

 セシルはカイが居なくなったのを確認してから、ふとカウンターの向こうに(たたず)む酒場の主人の表情を見た。

 彼にも今の一部始終は、しっかりと聞こえていたことだろう。

 すると酒場の主人は、まさにやれやれという表情で、セシルに語りかけてきた。

 

「あんた、本気かい?

 ヤツは稽古とは言ったけど、恐らく腕試しに勝負しようってことだぞ」

 

「そうね。そうかもしれないわ」

 

 セシルはそう言うと、目の前の果実酒(ワイン)を一口、口に含んだ。

 

 自棄(やけ)になったとは思わない。

 確かに何とかして、あの黒髪の男性の口を封じたかったというのも事実だ。

 でも、どこかであの日見た小型の白い籠手(ガントレット)――その姿形(すがたかたち)が頭の中に引っ掛かってしまって、忘れられずにいたのも事実ではあった。

 

「あいつ、普段はあんな風に喧嘩腰になることはないんだが――。

 だが、本当に手合わせするつもりなら、あいつを解体(ジャンク)屋だからといって甘く見ない方がいい」

 

「どうして?」

 

 すると主人はセシルにだけ聞こえるように、小声で驚くべきことを言った。

 

「カイはああ見えて、()()()なんだよ。

 剣の扱いは元騎士なりに、手慣れているはずなんだ」

 

 セシルはその言葉に目を見開きながら、頭に浮かんできたことを深く考え込むのであった。

 

 

 

 




間違えて6/11に2話投稿してしまいました…。毎日更新とお伝えしていましたが、明日のみ更新をお休みします。ご了承ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9

6/11に間違えて2話投稿してしまい、昨日1日穴をあけてしまいました。申し訳ありません…。


 翌朝、陽が昇り始めて間もないような時刻に、セシルは指定された稽古場へと到着した。

 五番街にあるこの稽古場は、主にこの街の冒険者たちが利用するために設けられた施設である。

 それも今はかなりの早朝ということもあって、誰の人影も視界には入ってこない。

 

 セシルは手早く着替えを済ませてしまうと、一番使い慣れた革鎧にその身を包んだ。

 無論、宮殿に勤めているときには装備する機会のないものである。

 とはいえ着慣れた装備だけに、腕を通してみると身体全体が引き締まる思いがする。

 

 真剣は稽古場への持ち込みが禁じられている。なので右手には稽古用の木剣を持った。

 ただ、じっとしたままだと、朝の肌寒さに身体が冷えてしまいそうになってくる。

 セシルが思わず二度三度、木剣を素振りし始めた時、それから間もなくしてカイが稽古場に姿を現した。

 

「ちゃんと来たようだな」

 

 カイはそう言って、不敵に小さく笑った。

 彼も既に防具を身につけて、右手にはセシルと同じ稽古用の木剣を握っている。

 ところが、カイが身につけている防具は、金属の胸当てのようなものだけだった。

 一応、肩当てと革の籠手(ガントレット)も装着しているようだが、それらを併せても、セシルの革鎧に比べれば防御できる面積が圧倒的に少ない。

 

「それはこっちの台詞だわ。

 それに、てっきり昨日の話を聞いて、実用性のある金属鎧(プレートメイル)とやらを着込んでくるのかと思っていたけれど」

 

 その指摘を予想していたのか、黒髪の男性は一頻(ひとしき)り苦笑する。

 日焼けした肌と対照的な、白い健康そうな歯がチラリと覗いた。

 

「いや、金属鎧(プレートメイル)を付けてこなかったのは、その必要がないと思ったからさ。

 何しろ攻撃が当たらないなら、大仰な防具など、着る必要もないだろう?」

 

 相変わらず(あお)るような台詞に、セシルは木剣を構えて不機嫌な表情になった。

 

「あら、随分と自信があるのね。

 じゃあ、それが実力に裏打ちされたものなのか、早速確かめてあげるわ!!」

 

 そうセシルが叫んだ直後、彼女はカイに向かって一気に踏み込んでいく!

 少々(ずる)い戦い方かもしれないが、不意を打って仕掛けていったのだ。

 満足に構えをとってすらいないカイは、それを絶対に防げないように思えた。

 

 ところが、セシルの予想を上回って、相手の動きは素早い。

 直後、カンッという木と木がぶつかる小気味よい音が、早朝の稽古場に()(だま)する。

 

「驚いた。

 思っていたよりもずっといい踏み込みだった。

 剣の振りがいい加減じゃなかったら、やられていたかもしれない」

 

 カイは右手に持つ木剣で、セシルの打ち込みを完全に防いでいた。

 セシルは容赦なく両手持ちした木剣を、目一杯の力で押し込んでいく。

 だが、一方のカイは、組み合った木剣を右手一本で押しとどめていた。

 その力の入り様を象徴するように、彼の右肩の筋肉が大きく盛り上がっている。

 

 そもそもある程度の膂力(りょりょく)の差は、存在すると思っていたのだ。

 だが、これはセシルが想定していた以上の腕力差があるように感じる――。

 

 しばらく無言の鍔迫(つばぜ)り合いが続いたが、タイミングを計ると、セシルは飛び退(すさ)るようにその場から離れた。

 そして、そのままカイから距離を取ると、木剣を構えて彼の動きを注視する。

 

「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」

 

「真剣に戦おうとしているだけでしょ」

 

 セシルが厳しい表情を変えずにそう答えると、カイが左手を挙げて口を開いた。

 

「わかった。それはいい。

 だが、その前に一つ訊いておきたいことがある」

 

 セシルは彼の発言にも構えを解かず、油断なくカイの動きを観察した。

 こうして話し掛けられて隙を見せたところへ、急に不意打ちを喰らう可能性があるからだ。

 

「何かしら? 命乞い?」

 

 セシルの言葉を聞いたカイは、呆れたような表情を見せた。

 

「どの文脈を辿れば、いきなり俺が命乞いをするって言うんだよ。

 ――いや、まあいい。

 俺が訊きたいのは、あんたは()()()()()()()()()()()、ということさ」

 

「狙われて――?」

 

 セシルはその言葉に眉を(ひそ)める。

 自分が何か後ろめたい過去を持っていれば、他人に狙われるような――そういう可能性もあるのだろう。

 だが、彼女には残念ながら、そうした覚えが全くない。

 

「自覚はないのか。

 ここへ来る前に、あんたを尾行していたやつを追い払ったんだが」

 

「あっ――」

 

 セシルは『尾行』という言葉を聞いて、ようやく気が付いた。

 自分には恐らく、ミランが放った監視が付いている。

 これまで考えないようにしていたこともあって、四六時中見張られているという自覚が薄かったのだ。

 だが、カイが遭遇したというのであれば、それはおそらくミランの手の者だろう。

 

「――あ、ありがとう」

 

 思わずセシルは素直にそう口にした。

 監視を追い払ってくれたこともそうだが、下手に殺したりせず追い払ったということで、それが問題化することもないだろう。

 

「どういたしまして。

 ――って、こんな流れのまま、勝負するってことでいいんだな?」

 

 セシルの素直な感謝の台詞を聞いて、カイは若干拍子抜けしたように尋ねた。

 

「それとこれとは別よ」

 

 セシルが木剣を構え直して言うと、カイは再び呆れたような表情を作る。

 

「感謝した直後に殴り掛かろうっていうんだから――。

 セシルと言ったか。あんた、相当変わってるな」

 

「一応、褒め言葉だと、受け取っておくわ」

 

 そう言ってセシルは、ニヤリと破顔した。

 すると、カイは本当に楽しそうに口元を(ほころ)ばせる。

 

「やっぱり、いい性格をしてる。

 まあ、それ自体は決して悪いことじゃないが。

 ――ところで提案があるんだが、折角こうして勝負する訳だし、何かを()()()ことにしないか?」

 

 彼が言い出した提案に、セシルは考えるような素振りを見せた。

 すぐに、何か裏があるのかもしれないという思いが、心の片隅を()ぎる。

 だが、彼女はカイを見つめながら、あっさりとその申し出を了承した。

 

「いいわよ。どうせわたしが勝つでしょうから。

 ――じゃあ、取りあえずわたしが勝ったら、失礼な物言いへの謝罪と金属鎧(プレートメイル)を要求するわ」

 

 セシルが言い放った言葉を聞いて、カイはそれが意外だったというように表情を変化させる。

 

金属鎧(プレートメイル)

 俺が用意する金属鎧(プレートメイル)は、いらないんじゃなかったのか」

 

「馬鹿言わないで。

 あなたが作る金属鎧(プレートメイル)じゃなくて、あなたが()()()()()()()、別のところから手造りの金属鎧(プレートメイル)を用意してくるの」

 

「何だよそれ、滅茶苦茶じゃないか――」

 

 あまりにも自分勝手すぎる要求に、カイはさすがに絶句する。

 

「それで、あなたは何を要求するのかしら?」

 

 そう問い掛けたセシルは、内心何を求められるのかと落ち着かなくなった。

 そもそもこんな賭けなど乗らなければいいのに、何故かそういう考えには至らない。

 それはまるで、何か悪いものに魅了されてしまって、意思を曲げられてしまっているかのように。

 

「そうだな。

 じゃあ、俺の言うことを、何でも()()()()()()っていうのはどうだ」

 

 その言葉を聞いて、セシルの鼓動は急にその速度を増した。

 カイの鋭い視線を感じて、彼女はどこか身体の中がぞわりと沸き立つような感覚を覚える。

 だがそれは、決してミランに見られた時のような、好色で不快感を伴うものではない。

 

 当然、やめるのなら今だ、という警鐘が頭の中に鳴り響いた。

 なのに、セシルはまるで何かに取り憑かれたかのように、意地を張ってその申し出を了承してしまった。

 

「いいわ。どうせあなたは勝てないもの」

 

 セシルが呟くようにそう言うと、カイはそれを聞いてニヤリと白い歯を見せた。

 

「よし。俺もそんなに裕福な訳じゃないんでね。

 悪いが負けてやる訳にはいかない」

 

 その言葉を聞いた直後――セシルはひとつ気合いの籠もった声を上げて、黒髪の男性に向けて鋭く木剣を振るった。

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 こういう結果を予測していなかったと言えば、それはきっと嘘になるだろう。

 元騎士と、現役の騎士見習い――。

 その言葉だけで捉えれば、勝負はどちらに転ぶのか、わからないはずだった。

 だが、セシルはこの戦いに臨む前から、「きっと勝てないだろう」という思いを、心のどこかで抱いていたように思う。

 

 無論いつも護身用に、剣は携えていた。

 これまでに剣を使った稽古も、何度もしたことがある。

 しかしながら、それはとても実戦で通用するようなものではない。

 なのに彼女はこの稽古場に現れて、引き寄せられるかのようにカイに勝負を挑んだ。

 

「筋は良い。動きも素早い。

 ――だが、決定的に剣の扱いがなってない。

 恐らく、ちゃんとした指導を受けていないからだ」

 

 膝を折ったセシルに向けて、木剣を構えたままのカイが言った。

 既に、セシルの手には木剣はない。

 ほんの数合渡り合っただけで、無残にも遠くへ弾かれてしまったのだ。

 

「あなたの勝ちね」

 

 セシルは剣を突きつけられながら、カイを睨むように仰ぎ見て、勝負の結果を口にした。

 

「結果を素直に受け入れる程度には冷静なのか」

 

「お陰様でね。

 ――さあ、あなたがわたしに望むことは何かしら?」

 

 若干自暴自棄な発言を聞いて、カイはセシルを見ながら苦笑し始める。

 

「勢いだけで言った言葉さ。騎士家のご令嬢に、失礼なことも出来ないしね。

 今は何を望むのか、まったく頭の中にない。

 次に会うときまでに考えておくことにするよ」

 

 カイはそう言うと、構えを解いて木剣で自分の肩をポンポンと叩いた。

 そして彼はそれ以上何も言わず、くるりと反転すると、稽古場を後にしようと歩き出す。

 

 その瞬間、セシルがカイの背に向かって、鋭く声を掛けた。

 

「待って。賭けに負けた約束は守るわ。

 でもそれとは別に、わたしの()()を聞いて」

 

「――頼み?」

 

 負けておいて何を頼む気なのかと、カイは振り返って、セシルの発言を(いぶか)しがる。

 

「わたしに()()()()()

 

 セシルは最初から用意していたかのように、その言葉を力強く言い放った。

 

「わたしは叙任式の模擬試合(デュエル)に出場しなければならないの。

 模擬試合(デュエル)は剣を用いた戦い。

 でも、私はこれまで実戦で、殆ど剣を扱った経験がない。

 ひょっとしたらあなたは、その模擬試合(デュエル)を見世物と言うのかもしれないわ。

 けれど、わたしにとってそれは、とても大切な戦い。

 だからわたしにその試合を、ちゃんと戦い抜くための剣を教えて」

 

「あんたまさか、この機会を作るためにわざと勝負を――」

 

 セシルはそれには答えを返さなかった。

 

 セシルの剣の腕は、そもそもカイには及ばない。

 それは今の戦いで、証明された通りだ。

 

 だが腕が劣るからといって、セシルがこの勝負を避けて、カイに「剣を教えて欲しい」と頼めば、どうなっただろうか――?

 カイは恐らくそんな()れ言に、取り合うことすらしなかっただろう。

 

 だから、敢えてセシルは、勝てない勝負を『勇気』をもって挑んだ。

 そして、自身の負けを受け容れながら、「剣を教えて欲しい」と頼み込んだのだ。

 その自尊心を捨てた行為のお蔭で、カイはセシルの申し出を即座に断ることができなかった。

 

「あんた、そうまでして本気で模擬試合(デュエル)に勝ちたいのか」

 

「そうよ」

 

 カイの質問に、セシルは即答で言葉を返した。

 ともすれば自分の身を犠牲にして、それでも騎士としての名誉を得たいという話なのだ。

 何が彼女をそれほどまでに駆り立てるのか、カイには即座に理解が及ばなかったようだった。

 だが、目の前に(ひざまず)くセシルの想いが、半端なものでないことは伝わったのかもしれない。

 

「――仮に剣を教えると言っても、俺は剣士でもないし、ましてや騎士でもない」

 

「知っているわ。

 でも、あなたは、()()()なのでしょう?」

 

 セシルがそう言うと、カイは苦々しくチッと舌打ちをした。

 

「酒場の親父だな」

 

 その言葉を聞いて、セシルは肯定するでもなく、小さく微笑んだ。

 カイは彼女の顔を見つめながら、観念したように肩をすくめる。

 

「――わかった。

 君は思ったよりも、外堀を埋めるのが上手な策略家のようだ。

 どの程度力になれるかわからないが、俺ができることであれば協力しよう」

 

 カイはそう口にすると、跪きながら自分を注目し続けるセシルに向けて、静かに片手を差し伸べるのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

解体屋と騎士見習い
10


 セシルが剣を教わるようになって、数週間が経過した。

 彼女がカイと手合わせするのは、決まって毎朝セシルが宮殿に出仕する前の時間だ。

 その長さは時間にして、一時間にも満たない。

 だが、基礎力のある彼女に対して、カイは長時間の鍛錬を避けるように伝えた。

 

「時間が問題なんじゃない。

 それに、(こん)を詰めて怪我をしてしまってはどうにもならない。

 体力は必要だが、君は無理に腕力を付けるよりも素早さを活かした方がいい。

 身のこなしで体重を活かせれば、腕力など付けなくても、十分に重い一撃が放てる」

 

 彼はそう言いはするものの、セシルにはそのたった一時間がきつい。

 実際にカイと対峙すると、僅か数分の間に、ゴッソリと体力を持って行かれてしまうのだ。

 

 この日も汗で張り付く金髪を振り乱して、彼女はカイの攻撃を剣で受け止めた。

 

「敵の力強い攻撃を、まともに受け止めようとするな。

 受け止めれば体力を失うし、相手がすぐに次の攻撃に移ってしまう。

 相手の隙を作りやすいのは、受け止めるのではなく()()()()ことだ」

 

 セシルはカイに言われた通り、攻撃の受け流しに挑戦する。

 だが、相手の打ち込みに対して、絶妙の角度で剣を出さなければならない。

 下手な角度で剣を差し出してしまえば、むしろ剣を弾き飛ばされてしまう結果に終わる。

 それでもセシルは何度も受け流しに挑戦して、いくらかはカイの攻撃を受け流すことができるようになってきた。

 ところが隙を見せたカイに反撃すると、それらの攻撃はどれも簡単に防がれてしまう。

 

「筋はいい。鋭く威力のある攻撃だ。だが、狙いが素直で単調すぎる。

 何しろ君の視線を追っていれば、次にどこを狙おうとしているのかが、わかってしまうからな。

 相手を自分に置き換えろ。自分が受け止めにくいと思う場所に攻撃を仕掛けるんだ」

 

 毎日がこの調子で、セシルは随分と、体力と技術が身についたように思う。

 

 一方でカイの方は、努めてセシルの身体に、打撃を当てないよう気遣っているようだった。

 何しろ彼女は騎士見習いとはいえ、宮殿に出入りする女性だ。目に付くような場所に、青痣を作る訳にはいかない。

 だが、それでもセシルの身体には、何カ所か痛みが走るような場所がある。

 

 そうして修練がひと月を超えると、カイは盾を持ち出して、その扱いをセシルに教え始めた。

 

「盾を使うときは、まず対戦する相手をよく観察する必要がある。

 敵の腕力が強そうな時は、無理に盾で防ごうとしない方がいい。

 そういう時は剣で攻撃を受け流して、むしろ盾を攻撃に使うんだ」

 

 そういうとカイは盾を構えてみて、いくつかの動きをセシルにして見せた。

 

「カイ、当然の話だけど、盾を持てば両手で剣は持てないわ。

 相手の腕力が強い時は、片手では攻撃を受け流す難易度も高くなる。

 その分、剣を弾き飛ばされてしまう確率も、結果的に上がってしまうと思うの。

 それでも敢えて盾を持つ理由が、わたしにはわからない」

 

 セシルの素直な問い掛けに、カイはニヤリと表情を崩す。

 

「いや、まったく、君は頭がいい。

 セシルの言う通り、騎士と騎士の戦いにおいて、おおよそ盾が必要になることなど殆どないんだ。

 だが、見た目重視の風潮のせいで、相手の騎士は結構な確率で()()()()()()()

 だから、盾を持つことによる()()()()()を、実際に盾を使って覚えて欲しいんだ」

 

「わかったわ」

 

 ひと月教えを受けたこともあって、セシルは随分と従順な生徒になっていた。

 最初のうちはカイが言ったことを、「何故?」「どうして?」と疑問ばかりで返していたのだ。

 

「それと、もう一つ意図していることがある」

 

 カイはそう言うと、木製の盾をセシルに差し出した。

 

「人間相手と魔物相手では、戦い方が根本的に違うということだ。

 規則(ルール)で魔法具の使用が禁止されている模擬試合(デュエル)ならまだいいが、魔物との戦いはそういう訳にはいかないからな。

 剣や槍の攻撃は受け流せばいい。でも、飛んでくる魔法や弓矢は盾がなければ防げない。

 だから、叙任式に盾を持ち出す必要は必ずしもないが、()()()はちゃんと盾を持つ必要がある」

 

「その後――?」

 

「騎士になって終わりなのか?

 騎士として生きていくなら、その後を戦い抜く(すべ)も必要だ」

 

 カイの言葉を聞き遂げて、セシルはこれ以上ないほどに真剣な眼差しになる。

 

「ええ、もちろんよ」

 

 セシルは力強くそう答えると、差し出された盾をカイの手から受け取った。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 昼下がりに自室で紅茶を(たしな)んでいたエリオット騎士公は、ふと思い出したように緑色の髪を掻き上げながら、セシルに声を掛けた。

 部屋の隅に控えていた彼女は、エリオットの声に応じて一歩前に進み出る。

 

「そう言えば、セシル。

 ふと騎士団で()になっていることを思い出したのだが」

 

「どのような噂でしょうか?」

 

「何でも、君が市井(しせい)の男性に、毎朝会いに行っているという噂だ。

 特別な関係にある男性なのかね?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、セシルの頬は一気に熱を帯びた。

 できるだけ平静を装いながらも、あまり大きくない声でその問いに答えを返す。

 

「――いいえ」

 

 セシルの言葉を聞いて、エリオットは朗らかに笑みを浮かべた。

 

「そうか。――いいや、男性と会うことが悪いとは思わない。

 何しろ君に異性の影がある方が、私も要らぬ誤解を受けずに済むからね。

 ただ、それが君の特別な人でないのなら、()()()()()には気を付けた方が良い」

 

 一瞬、セシルはその「良からぬ噂」というのが、どんな噂なのかを訊いてみたくなった。

 だが、そんなことを追求しても、自分が不快な思いをして評価を下げるだけなのは判っている。

 とはいえ彼女はカイの顔を思い浮かべながら、彼と会っているという事実を、無粋な想像で(けが)されたことに口を挟みたくなった。

 それで何となくエリオットに、本当のことを喋ってしまう。

 

「剣を教わっているのです」

 

「――剣を?」

 

 エリオットはその話に、僅かに眉を(ひそ)めた。

 

「はい、実は叙任式の模擬試合(デュエル)に出る可能性が高いと伺いましたので、それで剣を」

 

 セシルがそこまで話をした瞬間、エリオットの表情がかつてない程に厳しいものへと変化した。

 

「――君が模擬試合(デュエル)に出るというのを、誰から聞いたんだね?」

 

 それは明らかに普段とは違う、低い、恐ろしい声色だった。

 セシルは反射的に拙いと感じて、その後の返答に詰まってしまう。

 だが、ここで嘘を()く訳にはいかない。

 嘘を吐けばきっと、もっと悪いことが起こるに違いないのだから――。

 

「ミラン騎士長です」

 

 この機に彼を(おとしい)れようとした訳ではなかった。

 事実、セシルに模擬試合(デュエル)のことを教えたのはミランだったからだ。

 だが彼の名前を出したことが、この後どう作用するのかは判らない。

 

「ミラン?

 ああ、なるほど。あいつか――」

 

 エリオットは思い出すようにその名前を反復すると、少し俯くようにして不適に微笑んだ。

 ただ口元に笑みを浮かべているだけなのだが、セシルにはそれが末恐ろしいことのように映る。

 

「よし、セシル、今日はもう下がっていい。

 それと、その男性と会うなとは言わないし、剣を習うなとも言わない。

 ただ、良からぬ噂が立たないようには心掛けてくれると助かる。

 何しろ君の評判は、私自身にも影響するのだから」

 

「申し訳ございません。

 男女として会っている訳ではないのを、どうかご理解ください」

 

 セシルはそう言って部屋を退出すると、俯いてほっと息を吐き出した。

 

 

 途中、エリオットの雰囲気が変わった時には、それこそ寿命が縮むような思いをした。

 ただ一方で、セシルの中には、エリオットに対する落胆した気持ちがある。

 

 結局のところ、エリオットは自分の評判しか気にしていないのだ。

 セシルのことを本当に気遣ってくれる人物など、誰一人として見つかりはしない――。

 

 彼女は寂しげに自嘲気味に微笑むと、そのまま俯きながら、宮殿を後にしていった。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 翌朝、いつも通りに五番街奥の稽古場に行くと、カイは先に到着して待っていたようだった。

 彼は稽古用の装備を手入れしながら、セシルに向けて歓迎の笑みを浮かべる。

 一方、セシルの表情は曇天(どんてん)のように沈み込んだままだった。

 

「どうした?」

 

 さすがにカイが心配して、セシルに機嫌を問う言葉を掛けてくる。

 

「カイ、あなたと会っているのが、騎士団で噂になっているらしいのよ。

 エリオット殿下にも、毎朝男性に会っているのかと訊かれたわ。

 それ自体は本当のことだけど、後ろ指を指されるのが我慢ならなくて――」

 

 彼女の言葉を聞いて、カイは笑みを消して静かに呟いた。

 

「そうか。

 だとすれば、もう剣の稽古は、これきりにしておくか」

 

 あまりにもあっさりと打ち切りを提示されて、慌ててセシルはカイの言葉を否定する。

 

「そういうことを言っているんじゃないわ。

 実際、もう会うなとは言われていないもの」

 

「だが、騎士団の中での悪い評判は、なかなか拭い去ることができない」

 

 何か過去に経験でもあるのか、カイは妙に実感の籠もった口調でそう言った。

 

「だとしても問題はないわ。

 わたしは既に評判を気にするような状態にないもの。

 ただ――」

 

 セシルはそこで言葉を切ると、再び表情を翳らせて言った。

 

模擬試合(デュエル)の話題になったときに、エリオット殿下が凄い厳しい表情を見せたのよ。

 しかもその直後に、『模擬試合(デュエル)に出ることを誰から聞いたのか?』って。

 わたしが最初に聞いたのは、ミラン騎士長からだったから、それを隠さずに答えたけど――。

 何となく、わたしが模擬試合(デュエル)に出ることを、殿下も内緒にしておきたかったんじゃないかと思ったわ」

 

 カイはその話を聞いて、一頻り何かを考えたようだった。

 そして思い当たることがあったのか、ニヤニヤと笑みを浮かべて小さく呟く。

 

「なぁるほど、そういうことだったのか。

 やっぱり模擬試合(デュエル)など、見世物に過ぎないんだな」

 

「どういうこと?」

 

 セシルはカイが吐き捨てた言葉の真意が見えずに、その意図を改めて問い掛けた。

 

「悪いが俺は身分の高い貴族家でもない君が、模擬試合(デュエル)に出場するというのが、最初からしっくりきていなかったんだ。

 君が女性で目立つと言っても、それだけを理由に他の貴族を押し退けて、模擬試合(デュエル)に選ぶとは思えないからね。

 だけど、これで理由がハッキリした」

 

 カイはそう言うと、自分の考えが不快だというように、眉を(ひそ)めながら口を開く。

 

「要するに、君に期待されているのは、模擬試合(デュエル)()()()()()()ということなのさ。

 だから敢えて模擬試合(デュエル)に出場することを伏せて、準備をさせないようにしていたんだ。

 つまり、君を騎士に取り立てた上で、みんなの前で()()()にしようとしていたってことだよ。

 まったく悪趣味で反吐(へど)が出るとは、正にこういうことだ」

 

「なっ――。

 なんですって――!?」

 

 セシルはカイが言った衝撃的な話に、込み上げた息をぐっと飲み込むのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11

 定例で開かれている騎士団の会合が、行われたある日のこと。

 セシルはその会合が終わった直後に、アルバート騎士団長に呼び止められた。

 

「セシル、この後に少し時間が欲しい」

 

「わかりました。お部屋にお伺い致します」

 

 騎士団の会合は、毎月の始めに、宮殿内で行われている。

 会合では騎士団にとって重要な情報が、騎士や騎士見習いたちに共有されることになっていた。

 そして、今日の会合で伝えられたのは、騎士遠征のための壮行会が、今月末に催されるという話だ。

 その壮行会には、この街の貴族だけでなく、王族も出席するらしい。

 

 セシルがアルバートの居室を伺うと、彼は部屋の中から「入れ」という端的な言葉を返した。

 彼女が一言断って扉を開けると、そこにはいつかと同じように、植木鉢に水をやるアルバートの姿がある。

 

「よく来た。

 話というのは他でもない、先ほど会合で伝えた壮行会に関する話題だ」

 

 アルバートは半身(はんみ)のままで話し始めると、水をやり終えてから、ソファの方へと移動する。

 

「遠征を前に、今月末に催される壮行会の件ですね」

 

「そうだ。

 端的に伝えると、君もその壮行会に出て貰いたい」

 

 まさかそういう話であることを予測していなかったセシルは、一瞬返答に詰まった。

 だが、彼女は直後に了承の答えを返す。

 疑問を(てい)したり拒否したところで、得るものがなかったからだ。

 

「はい、承知しました。

 ――ですが、わたしの記憶が正しければ、通常壮行会は騎士のみの参加で、騎士見習いは参列できなかったように思うのですが」

 

 春の叙任式はまだ先だ。

 式を経ない以上、セシルは騎士見習いのままである。

 

「それについては、エリオット殿下から直接指示が出ていてね。

 あまり例のないことにはなるが、君を騎士見習いのまま壮行会に出せと言ってきた。

 どうもご自身の結婚の前に、相手方の家族に君の(めん)(とお)しをしておきたいらしい。

 もっとも、相手方の家族といっても、出席するのはご結婚のお相手とその弟君だけではあるのだが」

 

 それが少々苦々しいことであるかように、アルバートは眉間に皺を寄せながら、吐き捨てるように呟いた。

 何しろエリオットは騎士団のエリートである上級騎士(パラディン)の中において、騎士公という贈り名こそあるものの、実際は騎士団の客分であってアルバートの上官という訳ではない。

 逆にエリオット側にしても、騎士団長であるアルバートの指示を必ず聞かなければならない立場にはなかった。

 ただ、その関係とは別に、エリオットには第十三王子という身分がある。

 よって、国と王族への忠誠を求められる騎士としては、エリオットの指示を無視してしまう訳にはいかなかったのだ。

 

「アルバート騎士団長。質問があります。

 壮行会に出よということは、わたしも次の遠征に参加するのでしょうか?」

 

 そもそも壮行会の意味合いは、遠征に(おもむ)く騎士を見送るというものである。

 アルバートはセシルの問い掛けに、静かにゆっくりと頷いて肯定した。

 

「恐らく、そういうことだろう。

 次の遠征はそれほど大規模という訳ではないが、準備が必要なこともあって、実際の出発は四ヶ月後になる」

 

「四ヶ月後――。

 だとすると、叙任式の翌月ですね」

 

「そういうことだ。

 殿下としても、結局騎士になって遠征に行くのなら、壮行会に出れば良いと考えておられるのだろう。

 ――ただし、それに当たって、一つだけ厄介なことがある」

 

「厄介なこと?」

 

 セシルが目を細め、その単語の意味を問い直すと、アルバートは再び眉間に深い皺を寄せた。

 

「通常、壮行会には()()()()()()()()という部分だよ。

 つまり、壮行会には必ず金属鎧(プレートメイル)(まと)って出なければならない」

 

「――!!」

 

 その説明を受けて、セシルは改めて自分が抱えている課題を再認識した。

 しかも、叙任式にすら間に合うかどうか判らないのに、それよりも早く鎧が必要だというのだ。

 

「叙任式は三ヶ月後だが、君はそれに合わせて準備をしていたのではないかね?

 今月の壮行会の時期に、君は金属鎧(プレートメイル)を前倒しで準備できるか?

 当然のことながら、革鎧で出るようなことは認められぬ」

 

「それは――困りました」

 

 アルバートの言葉を受け止めながらも、セシルは素直に困惑を表現した。

 三ヶ月後ですら怪しいのに、今月中になど用意できる訳がない。

 

「準備ができぬなら、既製品でも仕方ないとは思うが」

 

「ですが、それでは――」

 

「嘲笑の種になるかもしれぬな。

 だが最悪、それでも仕方ないと諦めねばならない」

 

 笑いものになるのも勘弁して欲しいが、何より壮行会向けの既製品と叙任式向けの金属鎧(プレートメイル)で、二重にお金が掛かってしまう。

 しかも既製品を買うにしても、その辺の安物では駄目に違いない。

 一方でいくら高級な既製品を用意しても、今度は叙任式に既製品は認められないと言われてしまいそうだ。

 

「わかりました。何とかします――」

 

 セシルはひとまず(かす)れそうな声でそう答えはしたものの、その重い課題を解決できる糸口を見つけられずにいた。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 その日、慌てて帰宅したセシルは、金髪が乱れてしまうのもそのままに、メイド長のリーヤを大きな声で呼び出した。

 

「リーヤ、急いで。

 ()()()()()を出して!」

 

 父親の鎧など見るのも嫌だと言っていたセシルが、急にその鎧を引っ張り出せというのだ。

 リーヤはさすがに何があったのかと、訝しげな表情を見せた。

 

「――かしこまりました。少々お待ちください。

 ただ、用意はいたしますが、そのままの状態ではきっと使うことは出来ませんよ」

 

「当然よ。

 埃を被ったままでしょうし、もう一度手入れしないと()()()とも思わないわ」

 

 リーヤはセシルが父親の金属鎧(プレートメイル)を引っ張り出すだけではなく、「着たい」と表現したことに心底驚いた。

 元々父親の鎧を見たくもないと、片付けてしまうよう指示したのはセシルだったからだ。

 

 しばらくセシルが待っていると、メイドたちが大きな箱をゆっくりと運んで来た。

 リーヤたちがその箱を(はた)きで払うと、部屋の中に濛々(もうもう)と埃が立ち上がる。

 

 ――僅か二年しか経っていないはずなのに。

 

 セシルはそう思いながらも、顔を背けて咳払いをした。

 そしてメイドたちが慎重に箱を開くと、中から見覚えのある鎧が現れる。

 

 ――古ぼけた金属鎧(プレートメイル)

 

 造形は実直で装飾が少なく、決して華美なものだと表現することはできない。

 何より見た目の印象が、まったく今風ではなく、どう見ても無骨で実用性に富んだものに見える。

 いくつかの場所に錆が浮いているようだが、それは表面を磨いてしまえば、どうにかなるだろう。

 ただ、変色してしまっている部分は、差し替える部材が手に入るかどうか――。

 

(よろい)(した)は新しいものを探されますか?」

 

 リーヤが投げかけた質問に、セシルは首を横に振った。

 鎧下というのは鎧の内側に着る、厚手の繋ぎのような専用の服のことだ。

 

「いいえ、それでは間に合わないわ。

 今月末に催される壮行会に、これを着て出なければならないの」

 

 リーヤはそれには心底驚いたのか、「まあ!」という大きな声を上げている。

 

「リーヤ、お願い。鎧を出来るだけ綺麗な状態にして。

 ただ、手入れをする上で、街の鎧師は当てにできないと思うの」

 

「わかりました。

 鎧下は今あるものを私が仕立て直すことにしましょう。

 鎧を磨き直すのは、恐らく冒険者相手の防具屋でも引き受けてくれるはずです」

 

 リーヤはセシルが言った「鎧師は当てにできない」ことの理由を、敢えて問い掛けようとはしなかった。

 それは、彼女が長年セシルと接してきた経験からくる()()というものなのだ。

 だからこそ、セシルは彼女のことを一番信用している。

 

 

 自室に戻って息をついたセシルの脳裏には、父の鎧を()()()()()に預けるという考えが浮かび上がってきた。

 だが、ふと思いついたその考えも、可能性を吟味(ぎんみ)した後に跡形もなく消える。

 

 何しろ時間が殆どないというのが、一番厄介な問題だった。

 あの鎧をカイの手に委ねて作り替えるにしても、今からでは到底壮行会に間に合わせることはできない。

 だから、セシルは帰宅する途中で考えて、結局あの鎧をそのままの形で引っ張り出すことにしたのだ。

 

 

 自分の中で封印したはずの父の鎧を――『勇気』をもって、纏うことを決断したのだ。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「何だって? 壮行会に?」

 

 早朝、五番街奥の稽古場で、カイは訝しげにセシルに問い直した。

 

「ええ、急遽出なければならなくなったのよ」

 

 セシルが答えた言葉に、彼は改めて指摘を加える。

 

「しかし壮行会は、騎士見習いは参列が――」

 

「そう。本来はできないはずだわ。

 だけどエリオット殿下の指示で、()()()()ということになったのよ。

 鎧は仕方がないから、父の鎧を着ていくの」

 

 カイは鎧の話を聞いて、少し厳しい表情へと変わった。

 セシルが最初から父親の鎧を頼るつもりであったなら、彼女はわざわざ叙任式へ向けて、新しい金属鎧(プレートメイル)など作ろうとはしなかっただろう。

 だが、カイはセシルが、新しい金属鎧(プレートメイル)を求めて駆けずり回っていたことを知っている。

 

「――セシル、必要がないなら構わないが、もし手直しを要するなら遠慮なく言ってくれ」

 

 わざと自分に頼ろうとしていないことも考慮して、彼は控えめにそう申し出た。

 

「ありがとう。

 でも今からできることと言えば、鎧の表面を磨くことぐらいだわ。

 残念ながら、いくらあなたが()()()()()さんでも、一週間ほどで新しい鎧に組み上げるのは無理でしょう?」

 

 セシルがそう返事を寄越(よこ)すと、カイは思わず首を(すく)めた。

 

「確かに俺もたった一週間では、到底不可能だとは思うが――。

 おい、それにしても凄い解体(ジャンク)屋ってのは、どう考えても褒め言葉じゃないぞ」

 

「アハハ」

 

 そうカイに抗議されると、セシルは悪戯っぽく楽しそうに笑った。

 

 カイはその表情を見て、鎧を巡るセシルの気持ちが、沈み込んでいないことに安心したようだった。

 それは今の苦境を、敢えて深く考えないようにしているだけなのかもしれない。

 だが、たとえそうであっても、明るく笑えてさえいれば、きっと良い結果を導くことができるだろうと――。

 

 

 その後、カイはいつも通りに、セシルに剣を教えることに専念した。

 いつも通りに振る舞うことが、彼女の精神をより安定させると考えたからだ。

 

 ところが身体が温まる頃合いになって、急にセシルの方が大きな声を上げた。

 

「そうか――。

 そうよ、わかったわ!」

 

「何だ? わかったって、何がわかったんだ?」

 

 彼女の言葉の意味が理解できずに、カイは剣を構えたままで問い掛ける。

 すると、対戦途中であるにもかかわらず、セシルは剣を下ろしながら一方的に話し始めた。

 

模擬試合(デュエル)の時のわたしの対戦相手がわかったのよ!

 昨日、どさくさに紛れてアルバート騎士団長に探りを入れたら、『誰もが模擬試合(デュエル)の相手を事前に知りたがるものだ』なんて言って、本当に遠回しにしか教えてくれなかったの。

 でもね、騎士団長の言葉を色々思い起こしてみたら、今になってその答えがわかった」

 

「ほう」

 

「誰だったと思う?

 わたしの相手は、エリオット殿下の、()()()()()()だったのよ。

 エリオット殿下は壮行会で結婚相手とその()に、わたしの面通しをするつもりらしいって、アルバート騎士団長が言っていたのを思い出したわ。

 でも、よく考えたら何でわざわざ弟が?と思ったのだけれど、それにはこういう意味があったのね。

 だから殿下はわたしには、模擬試合(デュエル)のことを言いたくなかったし、勝たせたくもなかったのよ」

 

 セシルはカイにそう伝えてから、心の中で密かに自分の発言内容を訂正した。

 

 実際セシルを勝たせたくなかったのは、エリオットではなく、彼の結婚相手に違いない。

 いいや、ひょっとしたら、エリオットの結婚相手は弟の勝利だけでなく、セシルの()()()()()も希望したのかもしれない――。

 

 どちらにせよ他人の感情に疎いエリオットが、こんな策を(ろう)するとは考えづらかった。

 

「知らなければ良かったのかもしれないけど、知ってしまうと何だか微妙な気分になるわ」

 

「そりゃまた、どうしてだい?」

 

 率直に理由を訊いたカイの顔を、セシルは溜息交じりに呆れ顔で眺めた。

 

「どうしてって――。

 わたしはエリオット殿下付きの騎士見習いなのよ?

 わたしが勝つと殿下が困るなら、勝っちゃったらどうしようとか、多少は気を遣うじゃない」

 

 セシルの言い分を聞いたカイは、心底呆れた表情に変わった。

 

()()()()()()程度なのか。

 ――やっぱり君は、図太い神経をしているな」

 

「もう、そういうところばっかり揚げ足をとって!」

 

 そうして、セシルが膨れた表情を見せた瞬間、カイが一気に彼女ににじり寄った。

 

「――!!」

 

 カイの突然の攻撃に驚いたセシルは、何とか突進を剣で防ごうとした。

 だが、彼女は完全に不意を突かれていて、カイの身体の勢いを止めることができない。

 たちまち二人の木剣が激しくぶつかると、重量と体勢で劣るセシルが、後方へと弾き飛ばされた。

 セシルが仰向けに尻餅をついて倒れると、即座にカイが上から覆い被さってくる。

 彼女は慌てて逃れようとしたが、既に首元には木剣が突きつけられていた。

 

「対戦中なのを忘れていただろう?

 お喋りに夢中になると、取り返しのつかない隙ができるぞ」

 

 カイの顔が息が掛かるような距離にあるのを知って、セシルの頬は急激に赤らんだ。

 彼女はその赤い顔を見られないようにと、顔を明後日の方向へと背ける。

 

「――わかってるわよ。ちょっと油断しただけでしょ。

 でもね、模擬試合(デュエル)を真剣に戦うべきかどうか、わたしが悩んでるのは本当なんだから」

 

 カイはセシルの言葉を聞くと、身体を退()けて片手を差し伸べた。

 セシルは不意を打ったカイを恨めしそうに見ながらも、手を取ってその場から立ち上がる。

 

 そして、セシルが身体についた土埃を払っていると、カイが彼女に向けて口を開いた。

 

「君はもう騎士団での評判は、気にしないと言っていたじゃないか。

 だとしたらそんな程度の悩みは、一瞬で答えが出るはずだろう。

 相手は()(そく)な手段を使ってまで、君の大切な叙任式を台無しにしようとしているんだぞ」

 

 ふとセシルが顔を上げると、カイが妙に悪戯っぽい表情で、ニヤニヤと笑っていた。

 彼は浅黒く日焼けした拳を振り上げると、声に力を込めながらセシルへ言い放つ。

 

「そんな相手に気を遣う必要があるか?

 俺は何のために剣を教えたんだ。

 君は見世物じゃない戦いをするんだろう?

 相手が誰であろうと関係ない。

 そんなヤツは――思いっきり()()()()()ばいい」

 

 セシルはカイの言葉を聞いて、一瞬唖然としてしまった。

 そして次の瞬間、思わず「アハハ」と、白い歯を見せながら大きな笑い声を上げる。

 その自身の笑い声が、胸につかえていたはずものを、綺麗に打ち消していくように思えた。

 

「そうね――。

 いいえ、あなたの言うとおりだわ!

 わたし色々なことを考えすぎたのよ!」

 

 そうしてセシルは模擬試合(デュエル)の対戦相手を、容赦なく()()()()()ことに決めたのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12

 壮行会の当日、セシルは普段よりも随分と早く目を覚まして支度を始めた。

 彼女はリーヤの補佐を受けながらも、父の金属鎧(プレートメイル)を身に纏っていく。

 

 本当はもっと早く、身体に合わせてみたかったのだ。

 だが、磨くだけでよかったはずの金属鎧(プレートメイル)の仕上がりは、ギリギリの時期まで掛かってしまった。

 

 一方、リーヤが仕立ててくれた鎧下は、彼女の体型にしっかりと合わせられている。

 ただその上から金属鎧(プレートメイル)を着てみると、どうしても鎧の上半身がグラグラと揺れ動いた。

 実際に着てみて初めてわかることだが、体型に合っているところと合っていないところが明確に存在する。

 特に腰回りは壊滅的で、引き締まった体型のセシルとは、全く腰回りの太さが合っていなかった。

 仕方なく彼女は幾重にも腹に()()()を巻いて、何とか違和感を少しでも解消しようと試みる。

 

 一方で大丈夫だと思っていた胸回りの方も、意外なことに寸法が合わなかった。

 高さや幅は十分な余裕があるのだが、それに比べて身体の()()()が随分と窮屈に感じるのだ。

 

「最近、胸が大きくなったのではありませんか?」

 

 リーヤに素直に指摘されると、セシルは恥ずかしげに顔を真っ赤にした。

 誰にも言っていなかったことなのだが、最近下着が合わなくて、窮屈で仕方なかったのだ。

 この年齢になって成長もないだろうと、高を(くく)っていたのだが。

 

「な、何を言い出すのよ。そんなの大して変わってないはずよ。

 確かに最近ちょっと太ったかなと、思ったことはあるけれど――」

 

 リーヤはセシルに金属鎧(プレートメイル)と鎧下を脱がせると、鎧下を再び縫製しなおして胸元と腰回りを調整した。

 そしてセシルが再び金属鎧(プレートメイル)を纏い直すと、先ほどとは違って随分と鎧が安定している。

 

「リーヤ、凄いわ!

 鎧下を直すだけでこんなに違うなんて、まるで魔法みたい」

 

「フフフ。

 得意の裁縫仕事が、役立つときが来て良かったです」

 

 何とか身に纏った金属鎧(プレートメイル)を確かめてみると、やはりどうしても上半身が不恰好には見えた。

 それでも鎧の表面が磨かれたことで、以前よりは随分と見られる外観になったのだ。

 だが、この姿はどう見ても、鎧に()()()()()()という表現しか思い浮かばない――。

 

「――ちょっと、お嬢様には大き過ぎるようですね」

 

 横から様子を見ていたリーヤが、小さくポツリと感想を呟いた。

 

「そうは言っても今更仕方ないわ。

 馬に乗ってしまえば、まだましでしょう」

 

 セシルはそう言って鎧を纏ったまま、自宅の玄関へと歩いて行く。

 

 ――重い。

 単なる重量はもちろんのこと、()()()()が鎧に重みを加えているように感じた。

 果たしてこれで今日一日を、堪えきれるのだろうか?

 身体に掛かる想像以上の負担に、全身が悲鳴を上げている。

 それに、このあまりに無様な恰好は、きっと多くの侮蔑(ぶべつ)や失笑を浴びせ掛けられることだろう。

 

 ――だが、そうであっても構わない。

 勇気をもって、この鎧を纏うと決めたのだから。

 

 セシルはそう心に強い決意を抱くと、リーヤに助けられながら、借り物の馬に(また)がるのだった。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 壮行会の会場となるのは、宮殿前にある石畳の広場である。

 広場の中心には建国王の石像があり、その石像を取り囲むように、円形の道路が広がっていた。

 そして、騎士たちは宮殿向かいの道から、騎乗したままこの広場へと入っていく。

 宮殿の正面部分(ファサード)にある一段高いテラスからは、この広場が一望できる設計になっていた。

 王族たちはそのテラスに陣取って、広場を練り歩く騎士へと手を振るのである。

 手を振るだけとはいえ、直接王族と顔を合わせることもあって、壮行会に参列できるのは、正式に叙任を受けた騎士だけとされていた。

 騎士見習いの身分にあるものは、一般人と同じように、円形の道路の外側から壮行会の様子を見守ることしか許されていない。

 

 セシルがその日、集合場所に到達すると、そこには既に数名の騎士たちが集まっていた。

 よく見ればその中には、煌びやかな金属鎧(プレートメイル)を纏った騎士団長アルバートの姿がある。

 セシルも随分と朝早く出てきたつもりだったが、アルバートはそれにも増して、早くから準備していたようだ。

 

 彼女がアルバートに近づいていくと、アルバートもセシルがやって来たことに気づいたようだった。

 そして、彼はセシルの姿を一瞥(いちべつ)すると、その恰好を見て、眉間に深い皺を寄せる。

 だが、途中で彼女が纏う鎧が、亡き父親の金属鎧(プレートメイル)であることに気がついたのだろう。

 アルバートは極力、それ以上表情を変えずに、セシルに向かってその事実を確認した。

 

「おはよう、セシル。

 ――それは、お父上の鎧か」

 

「おはようございます、アルバート騎士団長。

 はい。仰る通り、父の形見の金属鎧(プレートメイル)です」

 

「なるほど。

 いささか古風なものではあるが――。

 それを敢えて選んで纏ったと理解してよいのだな?」

 

「はい」

 

 セシルは迷うことなく、アルバートに微笑んでみせた。

 

 彼の問い掛けの真意は、「他の鎧でなく、敢えて父の鎧を選んだ」という意味だろう。

 対してセシルの肯定の返事には、それとは別の(がん)(ちく)があった。

 

 何しろ鎧を選ぼうにも、選べる金属鎧(プレートメイル)父の鎧(これ)しかなかったのだ。

 だが、セシルはそれであっても、父の鎧を纏うことを()()()と思っている。

 何故なら彼女が採りうる選択肢の中には、『壮行会を辞退する』というものがあったのだから。

 

 無論、その選択肢は、エリオットの顔を潰すことになってしまう。

 下手をすれば、それによって、騎士叙任の話自体も潰してしまうことになるのかもしれない。

 だが、一方でそれは全く取り得ない選択肢という訳でもなかった。

 自分やアロイス家の名誉を優先すれば、十分に取り得る選択肢ではあったのだ。

 故にセシルはアルバートへの肯定の返事に「壮行会を辞退せず、たとえ笑いものになろうとも、出席することを選んだ」という意味を込めた。

 

 

 しばらくセシルたちが集合場所で待機していると、続々と騎士団の騎士たちが集合し始めた。

 騎士たちはそれぞれ自慢の金属鎧(プレートメイル)に身を包み、姿勢正しく隊列を作っていく。

 そして彼らは一様に、セシルの姿に気づくと、ギョッとした表情を見せた。

 中には遠慮なく彼女を指さして、クスクスと笑いながら私語を挟むものまでいる。

 当然セシルの方も、自分が笑いの種になっていることを十分に認識していた。

 だが、それを一切気にかけることもなく、涼しげに(たたず)んでいる。

 

「セシル!」

 

 不意に騎士の隊列の中から声を掛けられて、セシルはその声の方向を振り返った。

 

「あら、ヨシュアじゃない」

 

 青い装飾の入った金属鎧(プレートメイル)を纏ったヨシュアは、馬を巧みに操って、セシルの横に並び掛ける。

 

「セシル、おはよう。壮行会に出られるんだったよね。

 ――って鎧は、それで大丈夫なのかい?」

 

 ヨシュアはセシルの鎧姿を見て、掛けようとした言葉を思わず言い淀んでしまったようだ。

 彼はセシルの騎乗姿をもう一度見回してから、小さく苦笑いして彼女に語り掛けた。

 

「結局鎧師は見つからなかった、ってことだよね」

 

 セシルはヨシュアに微笑み掛けると、特に悪びれることなく、それを肯定した。

 

「フフ、そうね。

 そうだけど、たとえ見つかっていたとしても、今日はこの鎧を着たと思うわ」

 

「そうか、それはお父上の鎧なのか――。

 ただ、そうだとしても、その姿は貴族や王族たちが何というか」

 

「いいのよ、それぐらい。

 別に何と言われようと、わたしは構わないわ」

 

「う~ん、いいのかなぁ――」

 

 ヨシュアは頭を掻くような仕草をすると、セシルから徐々に離れて隊列に戻っていく。

 するとそれから間もなくして、アルバートが全体に号令を掛けた。

 

「よし、では出発する。

 今日の壮行会は、騎士団の権威と格調を見せる重要な機会である。

 決して粗相(そそう)のないよう、堂々とした立ち振る舞いをせよ」

 

 その号令を切っ掛けに、騎士たちは隊列を作り、ゆっくりと広場へ向けて進んでゆく。

 

 集まった騎士は一〇〇人を超えるほどの人数だった。

 ただ、大規模遠征になると五〇〇人を超えることもあるというから、今回の遠征は、そこまでの規模ではないと言えるのかもしれない。

 

 広場が近くなると、壮行会の開始に合わせて、宮殿の方から音楽が流れてきた。

 広場の周囲には既に多くの一般人が詰めかけていて、騎士たちが現れるのを、今か今かと待ちわびている。

 

 そして、その期待が高まった場所へ、先頭のアルバートが姿を現すと、彼の姿を見つけた観客から一気に大きな歓声が上がった。

 

「ねえ、ヨシュア。

 ミラン騎士長の姿がないわ」

 

 セシルは隊列の後方から、前の様子を窺ってみて、その中にミランの姿がないことに気づいた。

 

「騎士長は今日の壮行会は欠席だと聞いているよ。

 ただ遠征の時には謹慎が解けているだろうから、随行はされると思うけどね。

 ――さあ、もうお喋りはなしだ。もうすぐ出番が来るよ」

 

 ヨシュアはセシルに片目を閉じて合図すると、隊列に戻って真っ直ぐ広場へと入っていく。

 小柄な青年騎士の姿を見た幾人かの女性から、黄色い歓声が上がったようだった。

 ああ見えてヨシュアは、一部のご婦人方に人気があるらしいのだ。

 

 ヨシュアが広場に出てすぐ後に、セシルの順番が回ってきた。

 彼女は意を決して表情を消しながら、広場の方向へと馬を進めてゆく。

 

 そして、彼女が広場に姿を現した瞬間――。

 歓声の音量が、二段階ほど()()()ような気がした。

 

 セシルが無言で周囲を見渡すと、数多くの非難や侮蔑を込めた視線が、自分を射貫いてくるように感じる。

 だが、彼女はそれをものともせず、円形に形作られた道路を堂々と進んで行った。

 それから間もなくすると、宮殿のテラスに居並んだ王族の姿が、視界の中へと入ってくる。

 

 姿の見えた王族たちは、盛んに何かを談笑しているようだった。

 その内容は定かではないが、明らかにセシルを指し示して嘲笑している者もいる。

 

 ところが彼女はそうした者を見かけると、むしろ王族たちに対して、手を振り微笑みを返して見せた。

 恐らく今日この場にいる王族たちは、誰一人としてセシルの名前を知ってはいないだろう。

 だが、『不格好な鎧の堂々とした女騎士』の姿は、きっとその()(ぶた)に焼き付いてしまうに違いない。

 

 そして、セシルが父の鎧を着た一番の目的は、どちらかというと()()にあった。

 

「――そこの騎士、止まりなさい」

 

 セシルは王族の中から立ち上がった声が、即座に自分に向けて放たれたものであることに気づいた。

 セシルは一人隊列から抜け出すと、宮殿の方へと馬の頭を向ける。

 彼女がテラスを見上げて一つ敬礼すると、そこにはエリオット騎士公と、見知らぬドレスを着た女性、そして女性の後ろに控えるように一人の見知らぬ青年の姿があった。

 どうやら状況から考えるに、セシルに声を掛けたのは、エリオットの隣にいる派手な女性のようである。

 

「あなたが、セシルとかいう騎士見習いね?」

 

「はい」

 

 そう声を掛けられたセシルは、目の前の女性がエリオットの結婚相手であることを悟った。

 見れば妙に肌が白くて、真っ赤な口紅が目立つ、気の強そうな美女である。

 その瞳は意思が強そうな光を湛えて、まさにセシルを見下しているように思えた。

 だとすれば、その後ろに控えている青年は、恐らくセシルの模擬試合(デュエル)の対戦相手となる弟君とやらに違いない。

 その青年はニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべていて、あまり好感が抱けなさそうな表情をセシルに晒し続けていた。

 

「殿下付きの騎士見習いが、その姿はさすがに見窄(みすぼ)らしいのではなくって?」

 

 エリオットの結婚相手が放つ声色には、明らかな侮蔑の色が含まれている。

 

 明確な言葉になっていなくても分かるのだ。

 まさに今から嘲笑して(わらって)やろうという魂胆が、見え隠れしている――。

 

 セシルがエリオットの方を窺ってみると、彼はこのやり取りにあまり関与したくないのか、素知らぬ表情で視線を背けてしまった。

 

「申し訳ございません。

 ですがこれは、わたしの父の()()()()なのです。

 ――わたしは幼少より父に導かれて、この街の騎士になりたいと望みました。

 ところが先年、父は病で亡くなってしまい、わたしは騎士になった姿を見せることができませんでした。

 ですから、わたしは父に敬意を表して、どうしてもこの形見の鎧を着て、晴れ舞台に立ちたかったのです」

 

 それはどちらかというと、嘘に近い発言だった。

 何しろセシルは長い間、父の鎧を目にすることすらも避けてきたのだから。

 

 だがこの時の彼女は、自信を持ってその言葉を伝えていた。

 

「――わかりました。

 形見ということに免じて、今日()()は特別にその姿を許しましょう」

 

 エリオットの隣にいる女性は、セシルを冷たく見下ろしながら言葉を続けた。

 その表情を窺ってみると――明らかに苦々しげに、(ゆが)んだものになっている。

 

「ですが形見に(すが)るのは、これを最後にすると誓いなさい。

 次はその鎧もその姿も、認めることはありませんから」

 

「承知しました。父の形見の鎧に掛けて、これを最後にすると誓います。

 今日、ご理解いただけたことを、心より感謝いたします」

 

 セシルはそう元気よく告げると、嫌悪の籠もった視線を浴びながら、再び騎士たちの隊列へと戻って行った。

 

 

 ――全てセシルの()()()()だった。

 きっと、こうなると思っていたのだ。

 

 恐らく今日、セシルがどんな鎧を着て行ったとしても、あの女性には「見窄らしい恰好だ」と酷く(なじ)られていたに違いない。

 何しろあの女性にとっては、高級な既製品も、改造鎧もどれも価値のないものだからだ。

 とにかく彼女はセシルがどんなものを用意したところで、「見窄らしい」と、蔑むことを決めていたのだ。

 それに、そもそも今回の壮行会への招待は、セシルの金属鎧(プレートメイル)の準備が間に合わないということを把握した上でのものだった。

 つまりセシルがこの壮行会へ招待された真の目的は、セシルを公衆の面前で、悪し様に()()()()()()にあったのだ。

 

 だから、セシルは考えた。

 

 ――残念ながら公衆の面前で、ある程度、嘲笑されてしまうこと自体は避けられはすまい。

 だが、そうだとしても最低限の誇りを維持して、お(とが)めを受けない方法はある――。

 

 それが不格好で寸法の合わない父の鎧を纏って、壮行会に出るという選択だった。

 そして、彼女は(こと)(さら)「形見の鎧である」ことを強調し、それが身体に合わないことを隠さずに壮行会に出たのだ。

 

 結果、事情を知らない人は、その見た目の無様さを笑いの種にしたことだろう。

 だが、彼女が纏った鎧が父親の形見であり、父親への敬意からそれを纏っていることを知った人たちは、彼女の姿を笑うことが()()()()()()()()()()()

 

 そもそも騎士の世界というのは、王族に忠誠を捧げ、親族を(とうと)ぶものである。

 彼女が自分の父に敬意を払い、形見の鎧を着けてきたのであれば、その心意気を決して(わら)ったり、咎めることなどできはしない。

 もし、仮にそれを(なじ)るなら、それは騎士の理念に反する行為なのである。

 

 

 セシルは様々な思いを抱きながら、真っ直ぐに前だけを見つめて、残りの広場を進んで行った。

 その姿は一見不恰好ではあったが――彼女自身の心意気を表すように、実に落ち着いたものだった。

 

 最初、セシルの恰好をあげつらった街の人々も、あまりに堂々とした姿を見て、笑ったり(ののし)ったりすることを、すっかり忘れてしまったようである。

 あとは、ただセシルの姿を、無言で見送るだけになってしまっていた。

 

 そして、そうして彼女の姿を見送る街の人々の中に、薄らと微笑みを浮かべる()()()()()がいたことに、セシルは最後まで気づくことがなかったのである――。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13

 早朝の稽古場に、澄んだ掛け声が響いた。

 セシルがこうして剣を教わるのは、今日で何日目になるだろうか?

 彼女にとって、この毎朝の鍛錬は、もはや日常の一部となりつつある。

 

 剣を教わり始めた頃は、セシルはカイから一〇本に一本も取ることができなかった。

 どのような攻撃を仕掛けても防がれて、打ち返される攻撃で剣を弾き飛ばされてしまうのだ。

 だが、それも最近になってからというもの、調子が良ければ一〇本に二本程度は取れるようになってきた。

 それに、近頃はカイがめっきりセシルを注意したり、細かい指示を与えることが少なくなっている。

 そうして彼女は、自分の上達を実感しながら、日々の鍛錬に一層のめり込むようになっていた。

 

「よし、今日はここまでにしよう」

 

 ずっと無言で身体を動かすばかりだったカイが、セシルに静かに鍛錬の終了を告げる。

 剣を習い始めた頃は、僅かな時間であっても体力が尽きてしまっていた。

 いつも彼の終了の言葉が出る頃には、本当にへとへとの状態になっていたのだ。

 だが、それも近頃は、朝の鍛錬の時間だけでは徐々に物足りなさを感じるようになっている。

 セシルはもっと鍛錬に打ち込みたい、もっと長い時間、カイから戦う術を学びたいと次第に思うようになっていた。

 

 ただ、セシルにはそれ以上に、気になっていることがあった。

 先日、壮行会が終わってからというものの、カイはセシルに壮行会のことを何も尋ねようとしないのだ。

 何となくその話題で彼との会話に花が咲くと期待していたセシルは、それがどうしても不満で気にくわない。

 そして、妙に意地になってしまったこともあって、結局セシルの方からも壮行会のことをカイに切り出す機会を逸してしまっていた。

 結果、二人の間では今に至るまで、壮行会がどうだったのかという会話は殆ど交わされていなかった。

 

 ただ、そうして意地を張っている間にも、叙任式までの時間は刻一刻と近づいてきている。

 

 この日の朝、避け続けていた現実を直視するかのように、セシルは鍛錬が終わってから立ち去ろうとするカイに声を掛けた。

 

「カイ、今日の夜だけど、ちょっと時間をもらえないかしら」

 

「夜?

 店を終えてからであれば、別に構いはしないが」

 

「じゃあ、今晩、陽が落ちたら()()()()()()に来て。

 折り入って相談したいことがあるのよ」

 

「――それは夜までもったいぶらないと、話せないようなことなのか?」

 

 今ここで話せとでも言うように、カイはセシルの顔を見ながら率直な言葉を言い放つ。

 

「あのねぇ――。

 話すのに準備が必要なんじゃないかとか、そういうことを想像したりはしないのかしら?

 あなたのそういう無神経なところって、ホントに直した方がいいわよ」

 

「それこそ余計なお世話だよ。

 ――わかった。何の話か知らないが、ひとまず陽が落ちたら、君の自宅を訪ねることにする」

 

 セシルは呆れた顔をしながらも、内心拒絶されなかったことに、ホッと安堵の息を吐くのだった。

 

 

 

 

 その日の夕刻が近づいたあたりから、セシルは普段にも増して、そわそわと落ち着かない仕草を見せ始めた。

 その結果、珍しく宮殿でもミスをしてしまって、叱責(しっせき)の言葉を受けてしまう。

 自身の失敗に溜息をついた彼女は、気分転換も兼ねてカフェに顔を出した。

 するとそこには、窓際の席に腰掛けている空色の髪の青年がいる。

 

「あら、ヨシュア()()じゃない」

 

「やあ、こんにちは。セシル()()

 ――おや、何か悩み事でもあるのかい?」

 

 互いにおかしな牽制をした後に、ヨシュアは微妙に冴えない表情のセシルを見て問い掛けた。

 だが、セシルは首を横に振ると、何でもないという風に両手を開くような仕草を見せた。

 

「ちょっと注意散漫で、失敗しただけなのよ」

 

「そうか、その程度ならいいけど。

 ――そういや散漫と言えば、近頃セシルが宮殿の外で()()と会っているという噂を聞いたんだけど。

 叙任式も近づいてるのに、大丈夫かい?」

 

 思わぬタイミングにヨシュアからその話が出たことで、セシルは一瞬脱力するような反応を見せた。

 だが、それも気にしないでというように、首をすぼめて否定の言葉を伝える。

 

「単に剣を習っているだけなのよ。

 騎士団の人は、すぐそういうのを悪い噂にするんだから」

 

 するとヨシュアは苦笑しながら、珍しく忠告の言葉を吐いた。

 

「でも悪い噂が立つようなら、やっぱりセシルもその人に会うのを、控えておいた方がいいんじゃないかな?

 何しろ今は騎士叙任を控えた重要な時期な訳だし」

 

 彼からすれば、それは何気なく伝えた言葉だったのかもしれない。

 だが、セシルはそれを聞いて、如実に不快感を表明した。

 

「ヨシュアもみんなと同じことを言うのね」

 

「一応、ボクは君を心配しているつもりなんだけどね」

 

 セシルは目を(つむ)って首を横に振ると、ヨシュアに自分の非礼を詫びて謝罪の言葉を口にした。

 

「いいえ――ヨシュア、ごめんなさい。忠告はありがたく受け取っておくわ。

 でもね、剣を習っているというのは事実なのよ。

 それをダメだと言われたら、それはそれで困ってしまうわ」

 

「――セシル、ボクでも良ければ、剣を教えることぐらいはできるけど」

 

「ありがとう。

 でも、今は気持ちだけ受け取っておく」

 

 セシルはそう言い放つと、微笑みながらヨシュアに手を振って、そのままカフェから出て行ってしまった。

 結局彼女はカフェに顔を出しただけで、休憩することもなくエリオットの部屋へと戻って行ったのだ。

 それだけに彼女は、残された空色の髪の青年が見せた()()()()()に気づくことができなかった。

 

 それは、彼の涼やかな髪色に似つかわしくない――少し(かげ)りをもった表情のように思われた。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 その日の夜、カイがアロイスの家に姿を見せたのは、陽が沈んでから随分と時間が経ってからだった。

 ずっと落ち着かない気分で待ち構えていたセシルは、あまりに遅すぎるカイの訪問に、容赦なく不満の表情を見せる。

 

「すまない。仕事が立て込んでいて、すっかり遅くなってしまった」

 

「もう――。

 まあ、いいわ。人の目も気になるから、取りあえず中へ」

 

 セシルはカイを自宅に招き入れると、彼を応接室へと(いざな)った。

 どうやらカイは、いつもとは違うセシルの女性らしさが際立つ恰好に、視線を奪われているようである。

 セシルはカイを応接に座らせると、一旦部屋から出て、そこで深く一息、ホッとしたように息を吐き出した。

 

「まあ、お嬢様が殿方を家に招かれるなんて――」

 

 コッソリと様子を窺っていたリーヤが、驚きと喜びに満ちた声を上げる。

 

「リーヤ、お願い。そういうのはやめて。

 今日は()()()()()()で来てもらった訳ではないのよ」

 

 できるだけ変な意識をしないでいたのに、リーヤがからかう言葉はいつも通りだ。

 お陰で平常心を装っていたはずなのに、セシルの顔は微妙に赤らんでしまった。

 

「わかっていますよ。

 では、()()はお部屋に運び込めばよろしいのですね?」

 

「お願い」

 

 セシルがそう頼むと、リーヤは何かの準備をするために、一旦その場を離れていった。

 そして、セシルは再び応接室に戻ると、ソファに腰掛けたままのカイに向けて語り始める。

 

「今日、カイにわざわざ来てもらったのは、壮行会の話をしたかったからよ」

 

「そうか。伝えはしなかったが、実は遠巻きに様子を拝見させてもらったよ。

 恰好はさておき態度としては、上級騎士(パラディン)とも見紛うような堂々としたものだったと思う。

 騎士の風格というのは見た目じゃない、心意気の問題だと改めて感じさせられたよ」

 

 素直に賞賛されたセシルは、再び恥ずかしそうに頬を染めた。

 

「見ていたのね――。

 でも、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ。

 でもね、あれは一度きりのお芝居でしかない。

 どうやらエリオット殿下の結婚相手は、わたしの存在がどうしても気に入らないらしいの。

 だから、わたしを(さげす)むために、わざわざあんな場を用意したんだわ。

 それに対してわたしは、自分の尊厳を守るために、ああいう選択をするしかなかったの」

 

「それで、わざわざ形見の鎧を選んだのか」

 

 そこで初めてあの鎧が意味することに気づいたのか、カイは得心するように何度も頷いた。

 

「他の鎧を着て行ったら馬鹿にされるだけでは済まなくて、何故そんな鎧を着てきたのかと、罰まで与えられていたかもしれない。

 でも、いかに不恰好なものであったとしても、父親を尊ぶものに罰なんて与えようがないわ。

 だって、それは騎士の理念を考えれば、あり得ないことなんですもの。

 

 ――本当は、わたしはあの鎧を、二度と目にしたくないと思ってた。

 でも一方で、あれは父の忘れ形見でもある。

 そして、壮行会のあの日に、わたしの尊厳を守ってくれた大切な鎧でもあるわ」

 

「なるほど。

 ――いや、今更だが、君の意図が深く理解できた。

 それに、思いついたとしても、実行するのは簡単じゃない。

 改めて君の勇気に、感服したと言ってもいい」

 

 少々自分のことを褒めすぎなのではないかと思ったが、今は何より彼の評価が嬉しかった。

 セシルはその喜びを実感しながらも、染めた頬を隠すように、くるりと横を向く。

 

「あ、ありがとう――。

 でもね、わたしは小さい頃からあの鎧が()()だったのよ。

 何故なら父は、いつもあの鎧を着て、長い期間出かけてしまうんですもの。

 一度遠征に出てしまったら、何ヶ月も帰ってこないなんてことも、ざらにあった。

 父親が恋しい時期もあったのに、わたしは()()()にいつも、父をどこかへと連れ去られてしまっていたのよ」

 

 カイは言葉の続きを待つように、セシルを見たまま無言で佇んでいる。

 セシルはカイと視線を合わせると、彼の目を見つめたまま、再び静かに話し始めた。

 

「二年前――。

 結局、あの鎧は、父をわたしの手の届かないところに連れて行ってしまった。

 父は病気を押して遠征に参加した。

 でもその先で、父はあの鎧を着たまま、帰らぬ人になってしまった。

 わたしは父に導かれるままに騎士に憧れたし、騎士見習いにもなったわ。

 でも、あの鎧だけはどうしても、好きになることはできなかった。

 だから、その鎧を自分で纏うというのには、それなりに勇気と決心が必要だった。

 そしてあの時、わたしは自分の中で、もう一つの()()をして父の鎧を着ることを決めたの」

 

「もう一つ――?」

 

 カイの視線が説明を求めていた。

 セシルは彼に正対すると、心を決めて、自身の考えを淀みなく語る。

 

「わたしがどんなに()()であろうとしても、周りはわたしを色眼鏡で見ているの。

 わたしがどんなに目立たない努力をしても、みんなわたしをすぐに見つけちゃうのよ。

 

 女だからいつまでも騎士になれない。

 女だから剣を教えてもらえない。

 女だから金属鎧(プレートメイル)を、作ってもらえない――。

 

 今回の騎士叙任の話は、そうやって差別され続けたはずのわたしが、初めて掴んだ絶好の機会だわ。

 もちろん、切っ掛けはエリオット殿下の結婚だったから、それはわたしの実力ではないのかもしれない。

 

 でもね、わたしは思ったのよ。

 わたしはこの好機を掴んで、()()()()()()()()()()と。

 きっとそこに至るまでは、想像もできないような障害があるに違いないわ。

 だって、今までもそうだったんですもの。もはや、何が嫌がらせだったか、わからないぐらいの経験をしてきたから」

 

 そう言ってセシルは小さく微笑むと、再びソファに腰掛けたカイをしっかりと見つめた。

 その瞳には決意に似た、淡い光のようなものが宿っているようにも感じる。

 

「元々、どうしても騎士になりたかったのは、この家に奉仕してくれる人たちに報いるためだった。

 騎士になれば、この家の生活を、ぐっと楽にすることができるから。

 ――でもね、女のわたしが()()()騎士になろうとすると、騎士団や宮殿の人たちが、力一杯阻止しようとするの。

 

 だから、わたしは決心した。

 わたしが女であることは、残念ながら今から変えることはできない。

 だから、むしろわたしは、女性であることを活かして『特別な騎士』になろうって。

 

 わたし、これまで努めて普通でありたいと願っていたわ。

 女性であることも隠して、他の騎士見習いと同じように見てもらおうって思ってた。

 

 でもね、恐らくそんなものには何の価値もない。

 だってわたしは女性である時点で、他の男性騎士たちとは違うわ。

 だって、わたしはセシル・アロイスであると同時に、()()()()・アロイスでもあるんですもの。

 

 だから、わたしは普通の騎士を目指さない。

 普通じゃない騎士になって、多くの人を見返したい。

 自分たちが蔑んでいた相手が、本当は特別な存在だったんだって、見せつけてやりたいの。

 

 そのためには、わたしは十分な注目を集める必要がある。

 だからそのために、()()()()()()()()をするの」

 

 セシルがそこで一旦言葉を切ると、リーヤたちが部屋に大きな箱のようなものを運び込んできた。

 そしてその箱が開けられると、中から()()父親の鎧が現れる。

 

「叙任式まであと三ヶ月を切ったわ。

 時間は掛かったけど、わたしは考え抜いた末、決心した。

 

 わたしは、この鎧を――あなたに()()()()

 

 この鎧を使って、わたしのために特別な鎧を作って欲しいの。

 できることは何だってするわ。

 カイ、お願い。

 これを使って、わたしのために、『最高の鎧』を作って」

 

 その言葉が発せられた後、部屋の中の空気がしばらくしんと静まり返った。

 セシルもカイも言葉を発せず、ただお互いを強く見つめ合うだけになる。

 

「――本当に、俺に(ゆだ)ねていいんだな?」

 

 絞り出すようなカイの声を聞いて、セシルは優しく微笑んだ。

 

「ええ。あなたの手で、この鎧を生まれ変わらせて欲しい。

 この鎧をなくしてしまうんじゃない。この鎧から新しく、わたしの鎧を()()()()()欲しいのよ。

 カイ、あなたならきっとそれが、できるのだろうと思ったから」

 

 セシルの言葉を聞き遂げたカイは、自身の表情を隠すように少し俯いた。

 それは震える身体を、抑えるような仕草でもある。

 

 そして、彼はその場で立ち上がると、ゆっくりと品定めするように形見の鎧の側に立った。

 彼は形見の鎧をしばらく観察すると、セシルの方へと向き直って、力強く宣言する。

 

「わかった。引き受けよう。

 俺が()()()()、君のために――()()()()()の鎧を作ってやる」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

解体屋の鎧
14


 セシルがカイに形見の鎧を委ねてから数日後。

 カイは朝の修練が終わった後に、翌日は訓練場へ行かずに、直接自分の店へ来るようセシルに伝えた。

 

 翌朝、彼女がいつも訓練場へ行く時間よりも早い時間にカイの店を訪れてみると、カイは既に何かの作業をしていたのか、作業着の姿で出てきた。

 ふと店の中を窺い見ると、既に父の形見の鎧は綺麗にバラバラに解体されている。

 無論、そうなる運命だと理解はしていたが、ここまで容赦がないと、その事実に唖然としてしまう。

 

「も、もう解体しちゃったのね――」

 

「まあな。だが今は、部品の結合を外しただけに過ぎない。

 本当の意味での解体はここからだ」

 

 まさか鎧の金属を溶かして作り直しはしないだろうが、セシルは「本当の意味での解体」というのが、どういうものなのか気になった。

 とはいえ、それよりも気がかりだったのは、この日、自分が彼の仕事場まで呼び出された理由だ。

 

「ところで、わたしがここに呼び出された理由は何かしら?」

 

 セシルがそう尋ねてみると、カイは答えを寄越さずに、彼女を店の中へと(いざな)う。

 そのまま作業場の比較的整理された空間に案内されると、そこでカイは何やら手帳のようなものを取り出した。

 

採寸(さいすん)をしたいんだ」

 

「あら、型を取ったりする訳じゃないのね」

 

 あまりセシルにも深い知識はないが、何となく聞きかじった鎧の作り方を思い起こしてみる。

 

「身体の型を取って作る部分もあるにはあるが、基本はどの部分も採寸して作る。

 もちろん全身鎧の作り方としては、身体のあらゆる部分の型をとって作る方法もある。

 だが、それには時間も費用も掛かるし、別の理由もあって、今回は敢えてそのやり方は採用しない。

 何しろ型を取る方法は、本人専用のものを作る上で有用ではあるんだが、体型に密着しすぎて長時間着るのに適さないんだ。

 じっとしている時だけ身に着けるのならいいが、騎士の遠征では戦いで激しく動く時もあれば、それこそ眠る時にも、鎧を着続けなければならないことがある。

 それに成人女性の身体は、一日の中でも()()()()()()ぐらいの体重の増減がある。

 つまり美味しいものを沢山食べればお腹が重くなってしまうように、一日の中でも体型が変化するということだ。

 その分の()()を作っておかないと、鎧を着続けること自体が困難になってしまう」

 

「――パーセント?」

 

 セシルはカイの説明を聞いて、聞き慣れない単語を問い直した。

 

「すまん、こちらの話だ。聞き流してくれていい。

 どちらにせよ今回の鎧は、君のお父さんの鎧を元にして作らなければならない。

 型を取ったところで、その通りに合わせて作れる訳でもないからね」

 

 何となく話をはぐらかされてしまったようにも感じるが、どうやら採寸が必要だという事実に変化はなさそうだ。

 ただ、セシルは言われるままに作業場の中心に立ったが、この場に針子(はりこ)が現れる気配もなく、カイとセシル以外には誰もいない。

 どうするつもりなのかとセシルが様子を窺っていると、カイはどこからともなく太めの紐のようなものを引っ張り出してきた。

 見ると、紐には幾つもの長さを示すような印と数字が書いてある。

 

「カイ、まさかあなたが採寸するの?」

 

 カイは質問には答えずに、無言で紐をセシルのふくらはぎや腕に回して、寸法を測り始めた。

 

「両腕を上げてくれ」

 

 そう言われて、流れのままにセシルは両腕をゆっくりと持ち上げた。

 だが、カイが至近距離に近づき、自分の胸元に紐を回そうとするのを感じて、思わず両腕を(すぼ)めてしまう。

 するとセシルの肘がカイの頭にぶつかって、彼は思わず顔を(しか)めた。

 

「痛え!

 ちょっ、おい! 急に腕を下げるなよ!!」

 

 作業を阻害されたカイが抗議の声を上げるが、セシルはそんな彼を鋭く睨み付ける。

 

「カイ、あなた今、変なところ触ろうとしたでしょ!?」

 

「――あのなぁ、鎧を作れと言ったのは、君の方じゃなかったか?

 採寸できなければ鎧など、作りようがないじゃないか。

 それに俺の記憶が確かであれば、君は鎧を作るために()()()()()と宣言した」

 

「そ、それはそうだけど――。

 でも、それとどこを触ってもいいというのは別の話だわ!」

 

 セシルは自身の過去の発言に狼狽(うろた)えながらも、何とか自分を正当化しようとした。

 ところがカイは呆れたような表情をすると、やれやれといった口調で、彼女に対して呟いた。

 

「心配しなくていい。

 俺は『最高の鎧を作る』以外のことには、興味がないから」

 

「なっ――何ですって――!?」

 

 興味がないと断言されて、セシルはムカムカと腹を立て始めた。

 興味があると明言されても、それはそれで対応に困るだろうが、面と向かって()()()()()とは、これは一体どういうことだろう!

 そもそも女性に興味を持たない趣味の持ち主なのか、もしくは男性として、セシルを魅力的に感じないということなのか。

 前者だとすれば、それはそれでセシルとしても困るような気がしないでもないが、後者なのだとしたら、女性として黙っている訳にはいかない。

 セシルは普段、女っぽさを押し出した服装をすることこそ少ないが、金色の髪はいつも綺麗に手入れしているし、体型も引き締まって、それなりの魅力があることを自負しているのだ。

 何しろ、これまでミラン騎士長を始め、男性に言い寄られた回数は、数度ではきかない。

 

「君は鎧を作るのに協力する。もしくは協力しない。

 ――さて、どちらだ?」

 

「わ、わかったわよ――」

 

 カイにそう選択を迫られ、セシルは膨れ面のまま渋々両腕を持ち上げた。

 彼は何でもないことのように、紐を脇の下に通して、胸元の採寸を始める。

 微妙にカイの指先が、セシルの胸元に触れた。

 すると、その部分が熱を持ったように、じわりと熱くなるのが判った。

 

 見るとカイはブツブツと数値を呟きながら、手元の手帳に寸法を記載するばかりである。

 無理にこちらを意識しないようにしているのかもしれないが、少なくとも何か別の行動を起こすような気配は感じられなかった。

 

 ――興味ぐらい、(いだ)けばいいのに。

 

 セシルは粛々と作業を進めるカイを見て、心の中で少し不謹慎な感想を呟くのだった。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 翌日からは夕刻に時間を変えて、剣の鍛錬を行う時間が復活した。

 何やらカイの鎧作りの関係で、今後朝には時間が取れなくなってしまうらしい。

 ところが時間を変更してからの初日、約束の時間になっても、セシルが一向に姿を見せなかった。

 

 結局、息を切らせたセシルが稽古場に姿を現したのは、陽が暮れる時間になってからだ。

 

「おい、随分と遅い登場じゃないか」

 

「ハァ――ハァッ――。

 ごめんなさい。これでも急いで、随分と走ったのよ。

 それこそ――魔法でも使えれば、遅れずに来られたのかもしれないけれど」

 

 セシルは冗談めかしてそう言うと、深呼吸しながら息を整えた。

 

 ――昔、とある開拓者が森を切り拓いて、この街を作ったという言い伝えがある。

 そして、その開拓者は今や失われてしまった『魔法』を駆使して、集落を発展させたというのが、この街に残る伝説だった。

 

 だが、それから長い年月が過ぎたことで、人々の中から魔法の力は、殆ど失われてしまっている。

 今や触媒も無しに魔法を行使できるのは、それこそ(ダーク)妖精(エルフ)のような魔物だけである。

 今日において人間が使える魔法というのは、付与術(エンチャント)と呼ばれる事前に宝石などに力を付与しておく魔法だけに過ぎなかった。

 

「――わかった。今更、今日遅れたことを責めるつもりはない。

 だが、俺も鎧を作るために時間が惜しいんだ。

 だから今後待つのは、三十分だけにする。

 お互いに約束の時間から三十分以上遅れる時は、その日の鍛錬はないものとして、解散することにしよう」

 

 冗談があまり通じなかったのか、カイは至極無表情なままで、息の整わないセシルに言った。

 

「――わかったわ。

 でも、本当に今日は特別だったの!

 エリオット殿下も、もうすぐわたしを()き使えなくなると思って、帰り際に無理難題を押しつけてくるんだから!

 明日からは絶対に、遅れないようにする」

 

 セシルの誓いの言葉を聞いて、カイが静かに微笑んだ。

 だが、もはや辺りは陽が傾き、空に闇が落ち掛かってきている。

 さすがに今の時間からでは、剣で対戦するのは現実的ではないだろう。

 

「さあ、今日はもう陽が落ちてしまう。

 折角ここまで来てくれたが、今日はお開きだ。

 帰りは俺が、自宅まで送っていこう」

 

 カイがそう言ってセシルを促すと、彼女は目を閉じながら仕方なさそうに頷いた。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 カイがセシルの鎧を手掛け始めて、一ヶ月ほどが過ぎた。

 叙任式までに残された期間は、あと一ヶ月半あまりということになる。

 ところがカイはこの時期になっても、どのような鎧を作り上げようとしているのかを、セシルに詳しく教えようとしない。

 

 最初の一、二週間の間は、セシルも素直に待つだけの毎日を送っていた。

 だが、それが一ヶ月ともなると、鎧の完成への心配が膨らんで、不安な気持ちが抑えられなくなってくる。

 

「ねぇ、カイ。

 鎧のことなんだけど――」

 

「またその話か。

 何度も任せておけと言ったはずだろう?

 君は俺に委ねると言った割には、俺をちっとも信用しようとしないのだな」

 

「そんなこと、ないけど――」

 

 これまでも何度となく、同じような会話を繰り返してきた。

 とはいえ、セシルは一度強引に、彼の店に押しかけて様子を覗おうとしたことがある。

 だが、その時は敢えなくカイに門前払いを喰らってしまった。

 どうやら作業工程をセシルに見せたくないようだが、その秘密主義も行きすぎると、不安と不満の行き場がどこにも無くなってくる。

 

 

 その日、今日こそはしっかり文句を言ってやろうと、セシルは強い決意を持って朝を迎えた。

 

 でも、面と向かって文句を言えば、カイを怒らせてしまうかもしれない。

 彼を怒らせれば、鎧を作るのを、やめると言い出してしまうかもしれない――。

 

 そんな後ろ向きな考えが、朝からセシルの脳裏をぐるぐると駆け巡った。

 だが、最終的には心にある不満を、真正面からぶつけようと決断した。

 

 ただ、いざそうなると、夕方を迎えるまでの時間、セシルはそわそわとして心が落ち着かない。

 何とかその日を失敗なく乗り切ったセシルは、夕刻足早になりながらも稽古場に到達した。

 

 ところが――。

 

「今日に限って遅れて来るなんて、絶対許せないわ――!!」

 

 カイはこれまで約束の時間に、一度たりとも遅れたことがない。

 なのに、彼は今日に限って、時間になっても一向に姿を見せる気配がないのだ。

 不満をぶつける気勢を削がれてしまって、逆にセシルの気持ちにはイライラが募っていく。

 

 ところがそれが十分経ち、二十分経ち――。

 

 そして、カイが現れないまま三十分が近くなると、セシルは不満よりも大きな不安を高まらせることになってしまった。

 彼は店を自営しているので、遅れる要素は少ないはずだ。

 なのに、この日に限って姿を見せないとは、どういうことなのだろうか?

 以前、約束の時間から三十分以上遅れるようであれば、お互いを待たずに解散するという約束を交わしたことがセシルの頭を過ぎった。

 たまたま都合が悪くなっただけなのか、それとも何か不測の事態でも起こったのだろうか?

 いいや、ひょっとしたら、何かの事故に巻き込まれてしまって、来たくても来れない状況にあるのかもしれない――。

 単に今日会えないかもしれないというだけのことが、彼女の心にどんどんと重くのし掛かっていく。

 

 そうして約束の時間から三十分を超えた頃に、ふと遠くから稽古場に近づく人影が見えた。

 慌ててセシルがその人物を確認すると、それは果たして待ちわびていたカイの姿のようだ。

 ただ、普段とは違って、彼の服装は作業着のままだった。

 

「カイ!! 遅いじゃない!

 あなたに何かあったんじゃないかと、随分と心配したわ!」

 

 セシルが咄嗟に口にした言葉は、丸っきり恋人を待っていたかのような台詞(セリフ)だった。

 彼女は咄嗟に自分が口にした言葉に気づいて、思わず恥ずかしさに頬を染める。

 

「すまん、どうしても手が離せなかった。

 今日はもう待っていないんじゃないかと思ったが」

 

 その言葉に、思わず「待っているに決まっている」と言いかけて、セシルは慌てて口を(つぐ)んだ。

 

 そう言えば今日はカイに、伝えなければならないことがあったはずだ。

 なのに、彼を見て安心してしまったセシルの心には、なかなか用意していたはずの言葉が浮かんでは来ない。

 

 セシルは再び心を落ち着かせると、何か会話の切っ掛けを探そうと試みた。

 ところが彼女の目論見は、その後カイが放った言葉によって吹き飛んでしまう。

 

「――どういうこと!?」

 

 思わず訊き返す語気が強くなってしまった。

 それもカイが急に「明日から剣の稽古が出来なくなる」と言い出したからだ。

 

「実は鎧を作るにあたって、足りていない素材があってな。

 それを用意するのに数日ほど、()()()()()()()ことになった」

 

 セシルはカイの言葉を聞いて、意外だというような表情を見せた。

 

「素材?

 それにしても、この街で手に入らない素材なんて、存在したのね」

 

 セシルたちが住むこの街は、規模が大きく、物流でも大きな役割を担う街だ。

 逆に言えばこの街で入手できない品物は、どこの街へ行っても流通していないとまで言われている。

 

「俺もここでなら全ての素材が、問題なく入手できると思い込んでいた。

 だからこの状況は、少々見込み違いだったところはある。

 ただ、どうも最近になって、南方からの物流が途絶えてしまっているという話を聞いた。

 どうも噂では、南の街道が一部封鎖されていて物が届かないのだとか」

 

「南の街道が――?」

 

 セシルはその話に、怪訝(けげん)な表情を作った。

 本来街や街道を守護するのは、騎士団の役割のはずである。

 だが、末席とはいえ騎士団に在籍するセシルのもとには、南の街道が封鎖されているなどという情報は入ってはいなかった。

 

「さすがに南の街道の様子を見に行くほど暇なわけでもないが、一方で素材がいつ手に入るのか、わからないままというのも困る。

 なので少し手間にはなってしまうが、()()()素材を採集しに行くことにした」

 

「自分で――?

 待って。それって危険なことなんじゃないの!?」

 

 何の素材を求めているのかわからないが、セシルは本能的にカイが何か危険なことをしようとしているのではないかと思った。

 だが、カイは心配ないと余裕のある表情を見せる。

 

「なあに、大した危険はないさ。

 何しろ何度も行ったことのある道のりだ。

 それに結構値が張る素材だったから、自分で取りに行った方が金銭的にも助かる」

 

「じゃ、じゃあ、わたしも一緒に取りに行くというのは?」

 

 セシルが思わず口走った短絡的な提案に、カイは呆れた表情を見せて、それを完全に否定した。

 

「セシル、君は騎士叙任を前にして、騎士見習いの職を放棄するつもりなのか?

 それに俺がゴブリンや小鬼(オーク)たちに、簡単にやられてしまうとでも?」

 

「――そう――だけど。

 それは判っているけれど――」

 

 考えなしに理不尽なことを言って、彼を困らせている――。

 それを理解して、セシルの声は次第に小さくなった。

 

「恐らく最低三、四日は不在にするだろう。

 だが、それはそれでちょうどいい機会かもしれない。

 しばらく他の騎士でも相手にして、教えを請うといいよ」

 

「ちょ、ちょっと待って。

 そんな――わたし、困るわ」

 

 カイの急な提案にセシルは戸惑った。

 そもそも、そんな申し出を受けてくれそうな騎士に心当たりが無いから、カイを頼って剣を習っていたのだ。

 

「君の腕前ならもう心配ない。

 元々筋はいいと思っていたが、この数ヶ月で驚くほど強くなった。

 もはや戦いについて俺が教えられることは、殆どないと言ってもいい。

 ただ、模擬試合(デュエル)は人間相手の戦いだ。

 だから、それに備えて場数を踏むようにした方がいい」

 

「カイ――でも――」

 

 何か無理に突き放されているような気がして、セシルは隠すことなく不安を表情に表した。

 するとカイは右手を軽くセシルの頬に添えるようにして、優しげな視線で彼女にこう伝える。

 

「そんな顔をするなよ。別に今生(こんじょう)のお別れをしようと言ってる訳じゃないんだ。

 それに、俺には君の鎧を完成させるという重大な責務があるからな。

 鎧がないまま叙任式が近づいてきて、不安になってしまう気持ちも分かる。

 だが、ほんの数日の話だ。

 俺を信用して、理解して欲しい」

 

 そう押し切られてしまったセシルは、軽く頬に触れる指先を感じながら、目を閉じて小さく「わかったわ」と呟いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15

「――どうしたのかね?

 最近は少し元気がないように見えるが」

 

 騎士団長のアルバートは気になって、ふと見かけたセシルに声を掛けた。

 

 カイがこの街から離れてからというもの、セシルの気分は塞ぎがちになっている。

 無論彼女は一人でも、剣の鍛錬を欠かさなかったし、騎士見習いの勤めも問題なくこなしていた。

 

 だが、問題はカイがこの街を出てから、既に()()()()()が過ぎてしまっていることだ。

 セシルはカイが戻らないことで、鎧が完成しないのではないかという不安よりも、彼の身ばかりを案じている自分の心に気づいていた。

 そして、それが何を意味しているのか、わからないほどに色恋に(うと)い訳でもない――。

 

 アルバートはそんなセシルの様子を気に掛けて、彼女を自室に招き入れた。

 相変わらず植木鉢に水をやるアルバートの姿を見ると、何となくセシルの心も洗われていくような気がしないでもない。

 

「セシル、実はあまり良くない知らせがある」

 

 セシルはアルバートの言葉にビクリと大きく反応した。

 まさか――という思いを抱いたが、よく考えればアルバートがカイの動向を知るはずがない。

 果たしてその後にアルバートが語ったのは、カイのことではなく叙任式のことだった。

 

「近頃、メイヴェル公爵閣下の体調が優れないという話を聞いている。

 叙任式が近づいてきているが、医師は閣下が叙任式へ出席されるのを、避けるように進言しているらしい」

 

 この街一帯を支配しているのは、三大貴族家(トライアンフ)筆頭のメイヴェル家である。

 そしてメイヴェル公爵という人物は、そのメイヴェル家の当主――つまり、この街の領主であり、この街の騎士団員にとっての主君に当たる人物だった。

 従って通常であればセシルは、メイヴェル公爵から騎士叙任を受けて、メイヴェル家に対して忠誠を誓うことになるはずである。

 

「では、閣下が快復されるまで、叙任式が延期になるということですか?」

 

 アルバートはセシルの低くなった声色の問い掛けに、静かに首を横に振った。

 

「いいや、今のところ延期にはならぬと聞いている。

 叙任式を延期してしまうと、その後の遠征の予定にまで、影響が出てしまうからな。

 助けを待つ住人たちのことを考えれば、遠征はどう考えても延期することはできない。

 ただ、一方でメイヴェル公爵閣下自身が、叙任を行うのは無理だという結論になるだろう。

 それで、代役と言っては何だが、どうやら春の叙任式は娘のオヴェリアさまが執り行うことになるらしい」

 

「オヴェリアさまが――?」

 

 思わずセシルはその名前を繰り返した。

 

 オヴェリアというのはメイヴェル公爵の()()である。

 長女と言っても歳は若く、まだ二十歳にもならない年齢のはずだ。

 ただ、オヴェリアには五歳ほど年上の兄がおり、公爵の後継者はその兄の方である。

 だがオヴェリアの兄は王国の人質として、王都住まいを強いられているため、この街には長い間戻って来ていない。

 

「良かった――。

 叙任式自体が取りやめになるという訳ではないのですね?」

 

「今のところは、というところだ。

 公爵閣下の体調次第では、今後、取りやめになってしまう可能性もない訳ではない」

 

「悪い知らせには慣れています。

 今は開かれる可能性があるということだけで十分です」

 

 アルバートはセシルの言葉を聞くと、彼女を不憫(ふびん)に感じたのか、眉間に深い皺を寄せた。

 

「セシル、ところでオヴェリアさまを、お見掛けしたことはあるか?」

 

「いいえ」

 

 セシルはメイヴェル公爵と話したこともなかったが、それでも公爵の姿は何度か目にしたことがあった。

 だが、娘のオヴェリアとなると、会話した経験どころか、姿を目撃したことすらない。

 

「私もオヴェリアさまのお姿は、数度しかお見掛けしたことがない。

 見目は愛らしい方だが、公爵閣下が仰るにはオヴェリアさまは意思がお強く、破天荒でよく気まぐれを起こされるのだとか。

 セシルも叙任前に変に目を付けられることのないよう、気をつけておいた方が良いやもしれぬ」

 

 主君の娘に対する言葉として、アルバートにしては歯に衣着せぬ物言いだと思ったが、セシルは彼の言葉の意味を理解して、思わず心の中で溜息をついてしまった。

 

 どうやら叙任式が近づいてくるにつれて、また大きな難題が降りかかってきそうな気配である――。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 早朝――。

 五番街奥にある稽古場に、木剣同士がぶつかる音が響いた。

 その朝の光景自体は、これまでにも幾度となく繰り返されてきたものである。

 しかも、片方の剣を握る人物が、()()()()()()であることも同じだ。

 ただ、彼女が相対(あいたい)している相手が、これまでの人物とは違う。

 

 セシルは揺れる金髪も(いと)わずに、鍔迫(つばぜ)り合いから、思い切って木剣を斬り上げた。

 すると彼女と対峙する男性は、下から迫る攻撃を(さば)くことができない。

 セシルの放った斬撃は、男性の持った木剣の()を引っ掛けて、一気に空へと跳ね上げた。

 

「くっ――!」

 

 手首に掛かる強い加重を感じて、男性は思わず苦痛の声を漏らす。

 そして次の瞬間、男性の剣は、遠くの方へと弾き飛ばされて乾いた落下音を立てた。

 直後セシルが突き出した木剣が、彼の喉元に迫る。

 

「ま、参った!

 いや、驚いたよ。いつの間にこんなに腕を上げたんだい?」

 

 男性は喉元に突きつけられた木剣を見ながら、素直に彼女の腕前を賞賛した。

 

「一応、毎日わたしなりに努力はしたのよ」

 

 彼女はそう男性に向けて呟くと、自分が弾き飛ばした木剣を拾い上げる。

 

 セシルが目の前の男性――ヨシュアに剣の鍛錬に付き合ってもらうのは、これが通算二度目のことだった。

 一度目は文字通り、カイが不在になってすぐに――それはカイが出立した翌日のことだった――彼に声を掛けて、その日の夕方に時間を取ってもらったのだ。

 

 その時、ヨシュアは懇切丁寧に、自分が持つ技術を教えてくれたと思う。

 ただ、問題があったとすれば、生徒であるはずのセシルが、彼の教示をあまり()()()()()()()()ということだろう。

 何しろ事前にカイから多くを学んでいたセシルには、どうしてもヨシュアの教える技法が実戦的でないように思えたのだ。

 それに加えて良くなかったのは、どうやらセシルの剣の腕前が、既にヨシュアを上回ってしまっていると思われたことである。

 

 結果、セシルはその日以来、ヨシュアに鍛錬の相手を頼みづらくなってしまった。

 いくら気の知れたヨシュアであっても、騎士見習いが剣の腕前で()()()()()()のは、彼の自尊心に差し障ると思ったからだ。

 

 だが、カイがなかなか()()()()()()ことで、結局セシルはもう一度ヨシュアに鍛錬の相手を頼むことになってしまった。

 

「ボクで良ければいつでも付き合うよ。

 何だったら毎日だっていいけど、どうする?」

 

 セシルは無邪気なヨシュアの提案に感謝を表したものの、()()という申し出には、上手く返事ができずにいた。

 

 

 

 

 その日の夕刻、セシルは宮殿勤めを終えてから、カイの店に立ち寄った。

 彼女はカイが居なくなって三日が経過した日から、毎日こうして店に立ち寄っている。

 ただ、そうして様子を窺ったところで、セシルを出迎えてくれるのは店に貼られた張り紙一枚だけだった。

 その張り紙には勢いよく、『しばらく不在にて休業』という文字が書き殴ってある。

 

「今日も、戻っていないのね」

 

 彼女はその事実を確かめると、俯きながら深く溜息をついた。

 

 既にカイが街を出てから、()()()近くの月日が経とうとしている。

 もはや彼がどうなってしまったのか、単純に心配するという領域を超えてしまっていた。

 セシルがじっと店の前に立ち尽くしていると、何となく目の中に熱いものが込み上げて来そうな気配がある。

 

 セシルはこれまで自分を湿っぽい女だと思ったことはないし、自分が精神的に弱いと思ったこともなかった。

 何しろ彼女は様々な逆境に立ち向かってきたし、自分の思い通りにならないことにも堪え続けてきたのである。

 

 ところがそんなセシルであっても、どうも彼絡みの話には、感情が強く差し挟まってしまうらしい。

 それもカイが街を出て行ってしまって、自分の側から居なくなるまでは、これほど明確に気づかなかったことだ。

 

 だが、いざ彼の姿が消えると、セシルは自分の心の中にあった大切な要素が、ぽっかりと抜け落ちたことに気がついてしまった。

 自分でも驚くぐらい、彼に依存していたことを気づかされてしまったのだ。

 

 セシルはグッと息を飲み込むと、見上げるように(まばた)きをしながら、自身の感情を何とか制御しようとした。

 そして扉の小さな硝子(ガラス)を見つめると、ぼんやりと映った自分の顔を確かめてみる。

 

 ――よし、泣いてはいない。これなら大丈夫。

 

 そう彼女が確認して、カイの店を離れようとした瞬間――。

 彼女は不意に背中越しで掛けられた声に、心臓が飛び出る程に驚いた。

 

「――おや、セシルじゃないか。

 こんなところでどうしたんだ?」

 

 セシルはその声の主に気づくと、まさに驚愕の表情を作って、自身の後背を振り返る。

 

 すると、そこには赤銅色に日焼けした――鋭い目つきを持つ、()()()()()が立っていたのだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16

「おい、そんなに怒るなよ」

 

 いくら優しい声を掛けられたとしても、セシルの怒りは簡単に収まりそうになかった。

 

 ――いいや、簡単になど許すものか。

 

 彼女はそう思い直すと、完全にそっぽを向いてしまう。

 

 セシルは店の前で、ずっと会えなかったはずのカイと思わぬ()()を果たした。

 彼女は振り返って彼の顔を見た瞬間、思わずそのまま胸の中へ飛び込んで行きそうになってしまった。

 すんでの所で自重したものの、そこまでは彼に再び出会えた嬉しさで、心が一杯だったように思う。

 

 ところがその後カイと話したところ、実は彼が()()()()()、この街に戻って来ていたことがわかった。

 彼は街を出てから十日ほど掛けて素材を収集した後に、店とは別の場所にある()()に戻って、ずっと鎧作りの作業をしていたのである。

 彼が自宅に引き籠もって店に顔を出さなかった理由は、セシルの鎧を作るにあたって、余計な雑音を遮断するためなのだという。

 店にいるとどうしても、他の客が来てしまうのだ。彼としては余計な仕事を引き受けずに、セシルの鎧作りだけに集中したかったということらしい。

 一応、そのこと自体は理屈が通っているし、セシルにとっても自分の鎧に集中してくれることは、ありがたい話で間違いなかった。

 

 だが、それにしても無事に帰ってきたことを、セシルに伝えもしないというのは呆れた話ではないか。

 

「連絡ぐらい、くれてもいいじゃないの」

 

 セシルは()ねるような発言を、恥ずかしげもなく吐き出した。

 まるで小娘のような台詞だと、自分でも思う。

 だが今はそんな恨み言でも、とにかく彼にぶつけたくて仕方がない。

 

「すまん、それについては確かに俺が悪かった。

 ただ、自宅を訪問するのは気が引けたんで、ちょくちょく奇跡の酒場には顔を出していたんだ」

 

「――酒場に?」

 

 それは、正直盲点だった。

 セシルはカイが店に戻ってくるものだと思い込んでいて、しばらく奇跡の酒場に顔を出していなかったのだ。

 

「ああ、残念ながらすれ違いで会えなかったけどね。

 ただ、一方で今日君に会えたのは、いい機会ではあった」

 

「どういうこと?」

 

「肝心の鎧の完成には、まだ少し時間が掛かる。

 ただ、鎧の下に着る服の方がほぼ仕上がってきたところなんだ。

 それを一度君に着てもらって、着心地を確認してほしいと思っていた」

 

 セシルは色々なことを誤魔化されているのではないかと思ったが、釈然としない表情をしながらも、彼の申し出を了承した。

 

 

 

 

 それからセシルはカイに導かれるままに、彼の自宅へと移動することになった。

 カイの自宅は店からは少し離れた別の場所にある。

 見れば隣家からは距離のある、ポツンと立った小さな家だった。

 建物はかなり古いようだが、いくらか手を入れてあるのか、朽ちたような印象はない。

 

「散らかってはいるが、遠慮なく入ってくれ」

 

 セシルは彼の言葉が導くままに、彼の家の中へ足を踏み入れた。

 何しろ彼がずっと秘密にし続けてきた、鎧の一端がこの家の中で見られるのである。

 その好奇心が大きく育って、セシルはすぐにでも、それを目にしたいと思っていた。

 

 ――と、玄関から部屋に入る直前になって、セシルはその場でピタリと足を止める。

 

「あなた、まさかわたしを自宅に連れ込んで、()()()()をするつもりじゃないでしょうね?」

 

 まだ彼への怒りが(くすぶ)っているのか、セシルはカイを睨みながら言う。

 

「あのなぁ――。

 君は俺を信用して、大切な鎧を委ねたんじゃなかったのか?」

 

「――フン」

 

 セシルの心の中には次々と、彼にぶつけたいことが浮かんでは消えた。

 だが、実際には不満げな表情を見せただけで、そのまま無言でカイの自室へと入って行く。

 

 喧嘩をしたかった訳ではない。

 本当はずっと――会いたいと、思っていたのだ。

 

 

 中に入ってみると、思っていたよりもずっと、カイの自宅は広いように感じた。

 二つ、三つほど部屋もあるようで、セシルが入ったのは、その中の一番大きな部屋のようだ。

 彼女が部屋をぐるりと見渡してみると、部屋の中には最低限の家具しか置かれてはいなかった。

 家自体も至極単純な作りで、取り立てて目につくようなものは何もない。

 強いて挙げればその中で唯一目立つのは、部屋の片隅に置かれたいくつかの人型(トルソー)ぐらいである。

 

「これだ」

 

 カイはそのうちの一つを指さすと、人型(トルソー)を引っ張り出しきて、掛かっていた服を見せた。

 

 それは――()()()な色が印象的な、一着の薄い鎧下だった。

 

「――綺麗な色ね」

 

 セシルがその鎧下を観察して、率直な感想を述べる。

 するとカイはそれが嬉しかったのか、笑みを浮かべながら、色の由来を蕩々(とうとう)と話し始めた。

 

「気に入ってくれたなら嬉しい。

 君に似合う色だと思って、昼顔(エボルブルス)の青色を採用したんだ」

 

「でも、随分と薄っぺらい鎧下じゃない?

 こんな薄い鎧下、初めて見たわ」

 

 こんなので身体を守れるのだろうか、という素直な疑問を込めながらセシルが言う。

 

「そうだ。敢えて今回はこの厚みにしてある。

 ちゃんと理由もあるんだが、それについては鎧が出来上がってから説明したい。

 取りあえず今日はまずこいつの着心地を確かめて欲しいんだ」

 

「ここで着るの?」

 

 セシルはカイの目を気にして、思わず懸念の言葉を吐き出した。

 

「ああ、狭いけど隣の部屋を使ってくれていいよ。

 着方は今から教えるから、一通り覚えて欲しい。

 ただ、それを着るときは一旦()()()()()脱がなければならない」

 

 別室で着替えるから良いとはいうものの、下着も脱ぐということには、随分と心理的な抵抗感があった。

 そんなセシルには気も留めずに、カイは一通りの説明を終えると、早く行けとばかりに隣室を指し示す。

 仕方なくセシルはそれに従って、隣の部屋へと移った。

 

 それからしばらくすると、隣室の扉が怖ず怖ずと控えめに開く。

 

「――これで、いいのかしら」

 

 そう言いながらも、鎧下姿を見せるのに抵抗があるのか、セシルは扉の陰から頭だけを覗かせている。

 カイが何度か促すと、ようやくセシルは部屋に入って、全身を彼の目の前に晒した。

 

 新しく作られた鎧下は、幅も着丈も彼女の身体に合っていて、まさにピッタリと言って良いほどの出来映えだ。

 どうも生地に伸縮性があるのか、身体にピッタリと密着している割に、動きが阻害されそうな雰囲気がない。

 ただ、鎧下というには随分と厚みが薄いせいで、彼女の身体の線がクッキリと露出してしまっていた。

 だから、セシルは鎧下姿をカイに見せることに、抵抗を感じていたのだ。

 脇や肘、膝といった関節部分の内側は、蒸れるのを防ぐように違う生地が使われている。

 薄手の生地の割には保温性も高いようで、セシルはまったく肌寒さを感じることがなかった。

 

 ただ、着てみて少々不思議な構造だと思ったのが、何故か胸元に菱形の()()()()()()()ことである。

 セシルはその穴を手で覆い隠しながら隣室から出てきたのだが、その手を退けようものなら、穴から胸の谷間が覗いてしまう。

 

「着心地はどうだい?」

 

「――いいわ。

 キツいところもないし、かといって緩すぎるところもないみたい。

 この間、父の鎧の鎧下を着た時もそうだったけれど、鎧下っていうのはもっと分厚くて、ゴワゴワしたものだと思い込んでいたわ。

 この鎧下はそれこそ、着ているのを忘れるぐらい」

 

「そうか、それなら良かった。

 実はそれを目指して、作ったものだから」

 

 カイはそう言いながら本当に満足そうに笑った。

 珍しく無邪気な表情を作ったカイの姿を見て、何となくセシルもそれに釣られて微笑みを浮かべる。

 

「鎧を着る時に最も重要なのは、実は鎧下なんだ。

 鎧下の完成度が鎧の着心地全体を、決めしまうと断言しても過言じゃない。

 着心地の悪い鎧というのは、単純に不快なだけでなく、着ている者の能力自体も下げてしまう。

 それに遠征ではほぼ一日を、鎧と鎧下を着たまま行動することになるからね。

 暑い寒いも重要な要素だが、着たまま戦えて、着たまま眠ることができるというのが一番の理想型なんだ」

 

 カイはセシルに説明し始めたが、当のセシルはこの姿を晒し続けることに抵抗があった。

 

「でも、さすがにこの鎧下だけじゃ恥ずかしいわ。

 いつまでこうしていればいいの?」

 

 セシルがそう尋ねると、ふとカイと視線が合った。

 

 ――別に裸を見られている訳ではない。単に身体の線が出ているというだけだ。

 

 だが、カイの視線を浴びて、セシルは人知れず心の底が熱くなってしまう。

 無論、彼の視線を拒否して、隣室に逃げてしまうこともできたはずだった。

 なのに――それは見るものを石に変える蛇女(メデューサ)に魅入られたかのように――身動きが取れないセシルは、彼の視線を受け止めて、心の中を(さら)け出すような羞恥心に(さいな)まれ続けた。

 

「着替えてくれていいよ。

 もう鎧の完成形は、頭に思い描くことができたから」

 

 カイのその言葉を切っ掛けに、セシルはそそくさと隣室へと引き下がる。

 そしてセシルが元の服に着替えて部屋に戻ると、カイはセシルの様子を気に留めることもなく、机に向かって鎧作りの作業を続けていた。

 セシルは集中するカイの背中を見つめながらも、どこか心の中に不満のようなものが湧き上がってくるのを感じる。

 

 何しろ今までの自分から考えれば、着替えるためとはいえ男性の家で裸になることなど、想像することもできなかったのだ。

 なのに今、自分の目の前にいる男性は、ひたすら鎧作りにばかりに目を向けている。

 セシルに興味を抱こうともしないし、無理に彼女を求めてくるような気配すらない。

 

 彼は、自宅で若い女性が、裸になるのが気にならないのだろうか?

 ひょっとしたら自分は彼にとって、()()()()()()とは思われていないのではないか――?

 

「――わたし、帰るわ」

 

 セシルはそうカイに告げると、足早にカイの家を立ち去ろうとした。

 するとカイは背中を見せたセシルを振り返りながら、彼女に追い(すが)るように言い放つ。

 

「セシル、今日はありがとう。

 明日の夕方は、稽古場に行くよ」

 

 セシルはその言葉を聞き遂げると、無言のまま振り返ることなく、カイの家を飛び出した。

 

 

 この居たたまれない気持ちは、何だろう――?

 

 所在が不明だった彼に、再び会うことができたのだ。

 下手をすれば、もう会えないのかもしれないと思っていたのに、彼の無事な姿をちゃんと確認できた。

 そして、彼がずっと秘密にしていた『鎧』の一端を知ることができた。

 それは鎧下一枚ではあったが、その仕上がりが良いことも、彼女の不安を払拭してくれるはずだった。

 

 なのに――嬉しくなければいけないはずなのに、心がすっきりと晴れないのは何故なのだろう?

 

 セシルは一つ深呼吸すると、すぐにその理由に心の中で行き当たる。

 

 もはや自分はカイに、()()()()()()()()()を求め始めているのだ。

 そしてカイが自分の気持ちを満たしてくれないことに、不安や不満を抱いている――。

 

 セシルは随分と自分の感情が、自分勝手なものだと呆れた。

 そして自分の独りよがりな気持ちを、情けなくも思った。

 すると、彼に会えない長い間、堪えていたはずの感情は、あっさりとその堤防を決壊させてしまう。

 

 彼女は足早に帰路につきながらも、目から溢れる悔しさを、抑えることができなかったのだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17

 鎧下の出来映えを確かめた翌日から、二人は五番街奥の稽古場で剣の修練を再開した。

 セシルはもはや自分の感情を、偽ることができないものだと自覚している。

 だが、彼女自身その感情を、どう扱えばよいのか理解していなかった。

 

 何しろセシルは男女の恋愛事に、全くと言ってよいほど疎かったのだ。

 想いを正直にぶつける勇気はないし、かといって、カイと一定の距離を取りたいとも思えない。

 

 ただ、そんな複雑な感情も、剣を交えている間だけは何も考えずに済むようだった。

 だから、彼女はただひたすらに、剣の鍛錬に打ち込み続けたのだ。

 

 ところが、セシルは自身の感情とは別に、その日以来気がかりに思うことがあった。

 それは剣を交えるカイの動きが、あまり良くないように感じられたことだ。

 

 そして、その印象は、日を追うごとに顕著になってきている。

 

「きっと、君が上達しているんだろう」

 

 違和感を遠回しに伝えても、カイはそう言って取り合おうとはしなかった。

 確かに以前は(さば)くことのできなかった攻撃は、かなりの確率で防げるようになったと思う。

 十本に三本と言っていた対戦成績に到っては、この数日は互角以上に戦えていると言ってよい状態だった。

 

 だが、セシルが気になっていたのは、それを差し引いたとしてもカイの動きが悪いということだ。

 

「――カイ、どこか怪我したとか、悪いってことはないのよね?」

 

 心配する口調のセシルの言葉を、カイは笑い飛ばしながら否定する。

 

「大丈夫。どこも悪いところはない。

 ただ、強いて言うとすれば、かなりの()()()ではあるな」

 

「寝不足――?」

 

 セシルはそれを聞いて少しだけ安心した。

 だが、彼に寝不足を強いている原因に思い当たって、再び心配が募り始める。

 カイはセシルの金属鎧(プレートメイル)を作るために、何日も夜なべしているに違いなかったのだ。

 

「ひょっとして、この夕方の時間はあなたの負担になっている?」

 

「いいや、ずっと家の中に閉じこもりっぱなしというのもな。

 少しはこうして外に出た方がいいし、一日中鎧に向き合うよりも、君に会っていた方が気も晴れる」

 

「――それだったらいいけど」

 

 そう答えながらセシルは、微妙に頬が上気するのを止めることができなかった。

 彼がどういう意図で、自分と会うことを前向きに表現したのかは判らない。

 だが、たったそれだけのことであっても、今のセシルにはその言葉が嬉しかった。

 

 

 ところがそれから数日経つと、より一層カイの動きは緩慢になっていった。

 力が出ていない訳でもなく、身体が動いていないという訳でもない。

 ただ集中力が感じられない上に、身体の切れが決定的に悪かった。

 

 そしてセシルはとうとうその日、カイに対して初めて()()()をした。

 これまでカイと戦う時は、いつも全力を出し切っていたのだ。

 ところが、その日のカイは顔色も良くなく、明らかに注意が散漫だった。

 

 セシルが七、八割ほどの力でぶつかって行くと、力なくカイが押し込まれるのがわかる。

 ただ、セシルの手加減に気づいたのか、カイは一瞬不快な表情を見せた。

 セシルはそれを見て自分の行為が、彼の自尊心を傷つけたのではないかと心配する。

 そして、それを払拭しようと、目一杯の攻撃を仕掛けた瞬間――。

 

 避けるだろうと思っていた一撃は、見事にカイの側頭部を捉えた。

 

「ぐっ――」

 

「!? カ、カイ!」

 

 その場で膝を折ってくずおれたカイを見て、慌ててセシルが駆け寄っていく。

 彼の頭部を守っているのは、細い(はち)(がね)のような不十分な防具でしかない。

 そこに打撃を受けてしまったカイは、完全に気を失って倒れ込んでしまった。

 

「だっ、大丈夫!?

 カイ! 目を開けて!!」

 

 陽が傾いた夕刻の稽古場に、セシルが彼の名を呼ぶ声が何度も木霊する。

 

 一方、セシルに抱きかかえられたカイは、彼女の声に応える気配を見せなかった。

 

 

 

 

 それからカイが目を覚ましたのは、優に一時間以上の時間が経過してからだ。

 彼が薄らと目を開けた頃には、周囲は既に薄暗さに包まれている。

 

「――カイ?」

 

 セシルはカイの頭をしっかりと抱えたまま、手で無精髭が生える頬を(さす)っていた。

 そして、彼女はカイが目覚めたことに気づくと、彼に小さく声を掛ける。

 

「良かった。目が覚めた?」

 

「セシル――」

 

 カイが呟くように彼女を呼ぶと、セシルは即座に謝罪の言葉を口にした。

 

「ごめんなさい。避けると思って加減を考えていなかったのよ。

 倒れた時、本当に焦ったわ」

 

「君の腕がそれだけ、上達したってことさ」

 

 そう言いながらカイはゆっくりと、腕を突き立てて上体を起こしていった。

 どうやらセシルはカイが眠っている間、ずっと膝の上に、彼の頭を抱えて介抱していたようだ。

 

「痛みはない?」

 

「大事はないよ。少し気を失ったついでに眠りこけていたようだ。

 今は逆に睡眠が取れて、むしろ意識がハッキリしているよ。

 頭にはちょっと()()()()ができてしまったようだが――。

 大丈夫、ふらつくような症状もない」

 

 少し側頭部の出っ張りを気にしながら、カイが伝えた言葉にセシルが思わず微笑んだ。

 

「実は相当焦りはしたんだけど、寝息を立て始めたのを見て、ちょっとだけ安心したの。

 お陰であなたの可愛い寝顔を、存分に堪能させてもらったわ」

 

 そう言いながらセシルはフフフと、悪戯っぽく笑った。

 カイはやれやれといった風体で、その場にゆっくりと立ち上がる。

 

「すまん、随分と長い時間、介抱させたようだな。

 今日は練習不足だったかもしれないが、もう暗くなっているし、ここまでにしておこうか」

 

「そうね――。

 ええ、そうしましょう」

 

 セシルは意外なほどあっさりと、カイの言った言葉に同調した。

 

 普段、二人が稽古場から帰る時は、それぞれ別の帰路をとっている。

 だが、その日は既に夜が深くなっていたこともあって、カイはセシルを自宅まで送っていくことにした。

 

 すると、その道のりの途中で、セシルが何かを振り切ったようにカイに言う。

 

「――ねえ、カイ。お腹が空いちゃったわ。

 良かったら街で一緒に食べて帰らない?」

 

 これまで二人は毎日のように同じ時間を過ごしていた。

 だが、それは全て剣の鍛錬や鎧作りのためであって、それ以外の目的で二人が同じ時間を過ごしたことはない。

 

「俺は別に構わないが。

 ――だが、また悪い噂になるんじゃないのか?」

 

「それこそ今更な話ね」

 

 そう言ってセシルは笑うと、まるで誰かに見せつけるように、カイの腕を取って歩き始めた。

 

 

 

 

 その日以来、セシルとカイは、毎日のように夕食を共にするようになった。

 場所は決まって二人が出会う切っ掛けとなった『奇跡の酒場』である。

 

 酒場の主人は二人が食事を楽しむ時、気を利かせて、あまり出しゃばるようなことがなかった。

 だが、二人が声を掛けると、酒場の主人も加わって三人の会話が楽しく弾む。

 

 もちろん、こんなことが日頃から続いていけば、セシルの行動が噂にならない訳がない。

 誰が流しているのかは判らなかったが、セシルの噂話は、瞬く間に騎士団中に広がった。

 無論、そうなってしまえば、その話は自然にエリオットやアルバートの知るところになる。

 

 

 エリオットは壮行会が終わってからというものの、セシルに話し掛ける機会を無理に減らしているように思われた。

 それには恐らく、結婚相手への配慮があったに違いない。

 ところが、そうして関与を薄めようとしていても、どうやらこの噂話ばかりは気になるようだった。

 

 そして、叙任式も近くなった頃に、エリオットは急にその話を切り出した。

 

「セシル、そう言えば君のことで小耳に挟んだのだが」

 

「はい、殿下。

 どのようなお話でしょうか?」

 

 大体エリオットがこういう話の切り出し方をするときは、(ろく)でもない下世話な話であることが多い。

 

「いや、他愛もない話で正直どうかとは思うのだが――。

 やはり少し気になってな。

 先日、セシルが夜の稽古場で、男性をずっと抱き締めていたという噂話を聞いたのだ」

 

「なっ――」

 

 本当に、誰がこういう噂を吹聴(ふいちょう)しているのだろうか――!?

 

 恐らくセシルが長時間カイを介抱していたのを、誰かが目撃したに違いない。

 それ以外に彼女には、思い当たるような行動はなかったし、そんな事実がある訳がないのだ。

 

 しかし、それにしてもカイの頭を抱きかかえていただけの話が、どうして『抱き締めていた』に変わってしまうのだろうか――!?

 

「剣の稽古で攻撃を当ててしまって、気を失った相手を介抱していたのです」

 

 セシルは努めて冷静な声色になるように、エリオットの言葉をやんわりと否定した。

 

「そうなのか。

 しかし、その男性と毎晩、夜を過ごしているといった噂もあるのだが」

 

「よ、夜を――?」

 

 思わずセシルはその言葉を聞いて、妙にいかがわしいことを想像してしまった。

 だが、よくよく考えれば毎晩夕食を共にするのも、夜を過ごしていると表現できなくはない。

 まるで言葉遊びのように思ったが、何となくこういうことで、あらぬ誤解というものが広まってしまうのではないかとも思った。

 

「何をご想像されているか判りませんが、最近その男性と夕食を共にしているのは事実です」

 

 セシルは下手に事実まで否定するのは、良くない結果を引き起こすと考えた。

 どうせいつかはエリオットにも、知られる時が来ると思っていたのだ。

 

「そうか。それならいいんだ。

 それで君はその男性と、お付き合いしているということだね?」

 

「いいえ。

 今のところはわたしの()()()()な片想いに過ぎません」

 

 エリオットはセシルが告げた言葉を聞くと、それがさも意外だったというように表情を変えた。

 彼女はそんなエリオットを見つめながら、開き直るように静かに口を開く。

 

「――わたしが恋をしてはいけませんか?」

 

「いいや、とんでもない。

 ただ君の口から、色恋に関する言葉が出てくることを想像していなかった。

 その、何というか――。

 君も女性なのだな、と思って」

 

 出てきた言葉は全く、失礼千万な内容だった。

 エリオットは今までセシルのことを、木石か何かだと思っていたのだろうか?

 

 だが、このエリオットという人は他人の感情に疎く、悪気なくそういうことを口にしてしまう人なのだ。

 しかも彼はセシルが、()()()()()を目指そうとしていることを知らない。

 更に言えば、彼女が女性であることを、隠さなくなった理由も理解していなかった。

 

「そうですね。

 騎士には男性も女性もありませんから、それが意外に思われるのも、無理のないことなのかもしれません」

 

 セシルは様々な思いを飲み込むと、エリオットが言った言葉に素直に頷いた。

 すると、エリオットは今の答えで満足したのか、セシルに笑みを向けながら話題を切り替える。

 

「――そう言えばそろそろ、叙任式が近づいているね。

 どのような鎧を用意しているのかは聞いていないが、君の晴れ姿に期待しているよ」

 

「はい。皆様の記憶に留めていただけるような姿を、お見せしたいと思っています」

 

 セシルはそう言って、まだ見ぬ金属鎧(プレートメイル)を想像しながらも、エリオットに自信の籠もった満面の笑みを見せつけるのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18

 叙任式が行われる日まで、一週間を切った。

 

 カイは鎧下をセシルに披露した日から、彼女に鎧の話をしていない。

 セシルも達観してしまった訳でもないだろうが、ことさら進捗を確かめようとはしなかった。

 

 そして、叙任式まであと数日となったこの日、とうとうカイから鎧に関する話が切り出された。

 

「セシル、長らく待たせてしまった。

 明日は剣の方はお休みにして、俺の自宅に来てもらいたい」

 

「――!?

 それって――!!」

 

 次に来るべきカイの言葉を予想して、セシルの表情が花が咲いたように、パッと明るくなる。

 

「ああ、鎧が()()()()

 早速、君に見て貰いたいんだ」

 

 セシルはその言葉を聞いて、跳び上がらんばかりに喜んだ。

 

 

 

 翌日、セシルは(はや)る気持ちを抑えながら、カイの自宅を訪問した。

 昨日の夜もそわそわするばかりで、実はあまり良く眠れなかったのだ。

 

「よく来たな。中に入ってくれ。

 もうお披露目の準備は出来ているから」

 

 セシルが待ちきれないようにカイの自宅へ入っていくと、以前よりも部屋の中が綺麗に整頓されていた。

 鎧だけを集中して見せるために、余計なものは片付けてあるようだ。

 

 そして、期待感を膨らませたセシルが、部屋の中心に視線を向けた瞬間。

 

 

 ――目の前に現れたものの美しさに、彼女は一気に心を奪われたのだ。

 

 

「こ、これが――」

 

 目にしたものを言葉にするのも難しいように、セシルは端的に小さな感嘆を()らした。

 この気持ちを直ぐさま表現したいはずなのに、口からは上手く言葉が出てこない。

 

「ああ、そうだ。

 セシル、これが君のために作った鎧だよ」

 

 カイの言葉を受けて、セシルはゆるゆると、鎧に(にじ)り寄って行く。

 そして、触れれば壊れてしまいそうな(はかな)い花でも愛でるように――振るえる両手をゆっくりと、鎧の方へと伸ばしていった。

 

「す、凄いわ――!! 見たこともない形!

 これが――これが、あの金属鎧(プレートメイル)だというの!?」

 

 セシルの大きな驚きも、至極もっともなことだった。

 彼女が思い描く金属鎧(プレートメイル)というのは、銀色の金属板が全身を覆う無骨なものだったからだ。

 それをいかに装飾するか――それが金属鎧(プレートメイル)に許された、見た目を洗練できる部分の全てだと思い込んでいたのである。

 

 だが今、彼女が目にしている()()()()()()金属鎧(プレートメイル)は、そうした外観の概念が、そもそも異なっていた。

 無論、目の前に飾られた美しい鎧は、父の形見の金属鎧(プレートメイル)を元にして作られているはずである。

 ところがセシルには、あの古くさい金属鎧(プレートメイル)のどこを活かせば、目の前の鎧へと生まれ変わるのか――それを説明されても、きっと理解できそうにない。

 

 ――今、セシルの目の前にある鎧には、まるで純白の花とでも言うような、白いドレスを模したような上品な(おもむき)があった。

 

 全身は白い光沢のある素材で覆われていて、その上に銀色に輝く金属板が、胸元と腰回りを覆っている。

 金属板には白い素材と調和するような、美しい花を模した装飾が細やかに施されていた。

 そこには無骨に全身を覆い隠すような、よくある金属鎧(プレートメイル)の印象は皆無だ。

 何より白い素材がこの鎧全体を、真っ白なドレスのように見せている。

 

 セシルは最初、それを白い布か何かだと思っていた。

 だが、近づいて見てみると、どうやら布とは全く違う素材のようである。

 

「驚いたわ。

 まるで、お姫様みたいよ!」

 

 カイはセシルが上げた声を聞いて、思わず唇の端を上げて苦笑した。

 

「君が希望したように、()()()()()()()を最大限に押し出したつもりだ。

 俺の記憶が正しければ、これこそが君が望んだものだろう?

 無論、今更違うと主張されても、取り返しはつかない訳なのだが」

 

「違わないわ!!

 ――でも、ビックリするぐらい綺麗なのは気に入ったけど、鎧にしては随分と露出している部分が多いということはないの?

 それに金属板で守られている部分が、胸と腰回りだけのように思うけれど」

 

 セシルが容赦なく指摘していくと、それを待ち構えていたように、カイが得意気に答えた。

 

「もちろん、すべて考えてあるさ。

 何しろ()()()()()の鎧は、必要ないんだろう?

 この鎧は、俺が知るどの金属鎧(プレートメイル)よりも()()()()()を持っている。

 どういう構造でそうなっているのかは、これから一つ一つ説明していこう。

 だが、その前に――」

 

 カイはそこまで言うと、セシルに向き直って貴族に対する(かしこ)まった礼をとった。

 

「さあ、こいつをぜひ一度、君に着てみて欲しいんだ」

 

 

 

 

 セシルは隣室で昼顔(エボルブルス)の青色を模した鎧下姿になると、そろりと扉を開いて、カイのいる部屋へと戻っていく。

 やはり、菱形に開いてしまっている胸元は、手で押さえてしまっていた。

 胸元の膨らみが覗く程度ではあるのだが、どうしても堂々とは見せる勇気がない。

 

 セシルは部屋の中央に進んで行くと、カイが作ってくれた鎧をゆっくりと観察した。

 カイはどうやらセシルが着替えている間に、()()()()()()を取り外してしまったようである。

 今、目の前の人型(トルソー)に飾られているのは、金属板の内側にある白いドレスのような部分だけだった。

 

「この白い生地は――?

 布ではないのね」

 

 セシルはそのドレスのような白い生地に、手を触れながら尋ねた。

 触れてみると明らかに布ではなく、何かの革であることがはっきりと分かる。

 ただつやつやとした光沢があるせいで、遠目に見れば白絹のように見えないこともない。

 

「そいつは(ホワイト)リザードの革で作ってあるんだ」

 

(ホワイト)リザード!」

 

 思わずセシルはその名前を、同じように繰り返した。

 

 (ホワイト)リザードというのは、(アッシュ)リザードという魔物の変種で、圧倒的に数が少ない稀少種のことである。

 そのため革の入手難易度が高く、高級素材として取引されているものだ。

 だが、通常(ホワイト)リザードの革は、貴族が使用する家具などに使われることはあるものの、好んで衣服や防具に使われるようなことはない。

 セシルは一度だけどこだかの貴族が、外套(マント)の素材として使っているのを見たことがあるが、それ以外で(ホワイト)リザードの革を、衣服に使っている例を見たことがなかった。

 

「破れにくく水を弾き、火や魔法に強くて、光沢があるぶん汚れにくい。

 ただ薄くて軟弱であるために、服であればまだしも、防具に使うと防御力を高く保てない。

 しかも稀少なせいで、異様に入手しづらいしな。

 実はこの街を出て行ったのは、そいつを集めようとしたからなんだ。

 随分と集めるのに時間が掛かった分、十分な量を確保することができたよ。

 それで、元々腰回りにだけ使う予定だったのを、全身に使うことに変更したんだ。

 だが、(ホワイト)リザードの革だけでは、鎧として十分な装甲にならない。

 そこで今回、革の()()に防御板を縫い付けて、板金外套(コートオブプレート)の構造を採った」

 

「コートオブ――?」

 

 聞き慣れない単語を聞いて、セシルはその言葉を問い直す。

 

「コートオブプレート。

 生地の裏側に防御板を仕込むことで、外側からは見えない装甲にしてあるということだ。

 この鎧は金属板の部分が少ないように見えるが、実際はこの白いドレスのような部分も、全て()になっている」

 

 その話を聞いて、セシルの表情が輝いた。

 触って確かめてみると、カイの言うとおり、スカートのように見える部分も硬い装甲になっているようだ。

 彼女が裏側を(めく)って防御板を見てみると、何枚もの白板が綺麗に並んでいるのが分かった。

 

 カイは板金外套(コートオブプレート)人型(トルソー)から取り外すと、腕を通せるように開いて、セシルの前に持ち上げる。

 導かれるままにドレスのような板金外套(コートオブプレート)を身に纏うと、果たして父の鎧とは比べものにならない()()に驚いた。

 

「これ、裏側に縫い付けてある板は、金属じゃないのね?」

 

 セシルはある種の確信を持って、カイにそう問い掛ける。

 実際纏うと、身体に感じる重量が、明らかに金属板の重みよりも軽いのだ。

 

 すると、カイは聞いたこともない素材の名前を口にした。

 

「それは『無機焼結体(セラミックス)』だ」

 

「せらみっくす――?」

 

「残念ながら一言で説明するのは難しい。

 そうだな――『()()』とでも、言った方がわかりやすいか」

 

「陶器――?」

 

 今更ながら思い起こしてみると、確かに彼の作業場には、金属の防具だけでなく、陶磁器のようなものも見本として置かれていたように思う。

 だとするとカイは金属の加工だけでなく、陶芸も生業(なりわい)にしているのだろうか――?

 

 そんなことを考えながら、セシルが防御版を指で小突いてみると、確かに金属とは違う乾いた音が返ってきた。

 

「陶器って、すぐに割れてしまいそうな印象があるけれど。

 これは、割れたりはしないのかしら?」

 

「ああ、こいつは滅多なことでは割れないし、軽くて電撃系の魔法も通さない。

 陽射しを浴びても鉄ほどは熱くならないから、それだけ暑さや寒さにも強いと言える。

 そして木や樹脂じゃない分、火炎系の魔法を浴びても、燃え上がることがない。

 それに、わざわざ表面を火に強い(ホワイト)リザードの革にしたのは、見た目だけの理由じゃないんだ。

 何しろ防御板が燃えなくても、表面が燃えてしまったら意味がないからな。

 無論、(ホワイト)リザードも陶器の板も、完全に弱点がなくて万能という訳じゃない。

 だが、これ以上に硬くて丈夫な鎧を着ているやつは、恐らく()()()()()()()()()

 

 セシルはカイの自信に溢れる言葉を聞いて、思わず唾をゴクリと飲み込んだ。

 

 普段であれば素朴な疑問として、「()()()()そんなことが言えるの?」と口にしていただろう。

 だが、彼の自信に満ちた発言は、不思議な力でそれを真実だと思い込ませることに成功した。

 そして、セシルはそれがきっと、本当なのだろうとも思った。

 

「ところで、あの金属鎧(プレートメイル)はどう活用したのかしら?」

 

 セシルが尋ねた金属鎧(プレートメイル)とは、父の形見の鎧のことだ。

 するとカイは金属板で作られた、鎧の胸当てと腰当てを持ち出してきて、セシルに見せた。

 

「――!!

 これって――」

 

「そうだ。こうやって使ってある」

 

 カイがそう言いながらセシルに示したのは、先ほど取り外した胸当ての()()だった。

 最初、白い板金外套(コートオブプレート)に取り付けられていた胸当てを見た時には、まったく気づかなかったのだ。

 だが、取り外された胸当ての裏側には、確かに見覚えのある装飾が見えている。

 

 それは、父の金属鎧(プレートメイル)の装飾と全く同じものだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19

「あの鎧は古いものではあったが、元々良い素材を使った品質の高い実用的なものだった。

 ただ、外側に施された装飾の造形は古風で、細かな傷も多い。

 とはいえ内側は綺麗で、ほぼ作られた時の品質を保てていた。

 だから、一度鎧を叩いて伸ばしてから、表と裏が逆になるように加工したんだ」

 

 セシルがその胸当てを装着すると、胸当ては板金外套(コートオブプレート)と組み合うように、しっかりと収まった。

 装飾が内側に隠れるので気になることはないが、何となく父の金属鎧(プレートメイル)を纏ったような気分になる。

 

「どちらにせよ、君の体型に合わせた加工が必要だった。

 女性らしい()()とやらも作る必要があったしね。

 それに板金外套(コートオブプレート)がある分、実際の装甲はそれほど厚くする必要がない。

 結果、上手くあの金属鎧(プレートメイル)を活用できたんじゃないかと思う」

 

 カイはそう言って、胸当てを装着したセシルの首元や背中を、逐一確認しているようだった。

 

「胸当てと板金外套(コートオブプレート)の間には、わざと指一本程度の隙間が空くようにしてある。

 鎧の装飾や曲線と、この隙間があることで、攻撃を受けたときの衝撃を直接身体に伝えないようにしているんだ」

 

「こんな僅かな隙間で?」

 

「そうだ。僅かな隙間だが、この隙間があるとないとでは、身体が受ける衝撃が全く違う。

 斬り傷や刺し傷であれば、板金外套(コートオブプレート)だけでも十分に防げるんだ。

 だが、打撃による衝撃は、板金外套(コートオブプレート)の構造では防ぐことができない。

 頭や手足を除くと、戦いの中で最も被害を受けやすいのは鎖骨や肋骨の周辺だ。

 それに致命傷になりやすいのは、骨盤への被害だったりする。

 だから胸と腰だけは、金属板を用いて衝撃を抑える装備が必要なんだ」

 

 セシルはカイが差し出した腰当てを受け取ると、彼の説明を受けてそれを装着した。

 

「次はこれだ。籠手(ガントレット)脛当て(グリーブ)

 これもあの鎧から作ってある」

 

「これも――」

 

 セシルはカイが差し出した籠手(ガントレット)脛当て(グリーブ)の内側を見てみたが、確かに胸当てと同じように父の金属鎧(プレートメイル)を活用して作られているようだった。

 ただ、素材が同じだけで胸当てとは大きく造形が違う。

 

 細やかに作られた籠手(ガントレット)を見ていると、セシルは初めてカイに会った時に見た、白い小型の籠手(ガントレット)を思い出した。

 だが今、彼女が手にしている籠手(ガントレット)は、あの籠手(ガントレット)よりも、更に美しい仕上がりに見える。

 

 果たして籠手(ガントレット)脛当て(グリーブ)を装着してみると、そのどちらもが手足をしっかりと包み込むようにして、セシルの身体にピタリと組み合わさった。

 合わせて作られている訳だから当然なのかもしれないが、セシルは改めてカイの加工の技術力に感心してしまう。

 

籠手(ガントレット)の指の外側を守る部分は、通常右手は二枚、左手は一枚の金属板で作る。

 これは右手は剣を握るために指を曲げる必要があり、左手は盾を持つだけで曲げることがないからだ。

 だが今回は理由があって、右手も左手も指が曲げやすいよう、()()の金属板から作っている」

 

「それは両手で剣を握る必要があるから?

 そう言えば、盾が見当たらないようだけど――」

 

「もちろん、盾も用意してあるさ。

 それから頭の防具も用意してある。

 少し待っていてくれ」

 

 カイはセシルにそう言うと、隣室に下がって何かをごそごそと準備し始めた。

 その間にセシルは、部屋に備え付けられた姿見で全身を確認してみる。

 

 ――金属の胸当てや腰当てがなければ、白い板金外套(コートオブプレート)結婚用(ウェディング)ドレスにでも見紛うような美しさがある。

 だが、銀に輝く胸当てと腰当て、それに籠手(ガントレット)脛当て(グリーブ)があることで、全体としてはしっかりとした騎士の金属鎧(プレートメイル)に見えていた。

 ただ、それは()()()()騎士の金属鎧(プレートメイル)とは、あまりに印象が違う。

 それを改めて認識すると、セシルは思わず武者震いを感じてしまった。

 

「セシル、これを持ってくれ」

 

「これは――?」

 

 カイが隣室から持ち出したのは、細長い逆三角形の物体だった。

 セシルはその物体を受け取ると、ぐるぐると回転させて眺め回す。

 するとカイが苦笑しながら、その正体を明かした。

 

「アハハ。

 それは、剣の()なんだ」

 

「鞘?

 ――にしては随分と、厚みも幅も大きめなのね。

 それに少し短いみたい?」

 

 カイは逆三角形の鞘をセシルから受け取ると、部屋に立て掛けてあった剣をスルリと鞘に収めた。

 

「通常はこうして剣を収めて鞘として使う。

 少し短い分、収められるのはミドルソードまでだ。

 それと、こいつの裏側に引っかける場所があるから、そこを腰当てのフックに引っかけてくれ」

 

 セシルはそう言われて、剣の刺さった鞘を、腰当てのフックに引っかけてみた。

 

「普段はそうして吊せばいい。

 セシル、右手で剣を抜くときに、鞘の()()に左手を通してくれないか」

 

「――?」

 

 セシルはカイに言われるままに、右手で剣を抜き、鞘の裏側を左手で持った。

 鞘の裏側には持ち手とベルトが付いていて、そこに手と腕を通せる仕掛けになっている。

 

「鞘の裏側に持ち手があると思うが、それをグッと強く()()()()()

 

 セシルは再びカイに言われた通り、持ち手を力強く握りしめた。

 指先を守る金属板が三枚になっているお陰で、持ち手を力一杯、強く握りしめることができる。

 

 すると、ガチッという音がして、幅広の鞘が更に左右に広がるように展開された。

 それほど大きなものという訳ではないが、広がった鞘の見た目は――完全に凧型盾(カイトシールド)だ。

 

「これって――!?」

 

「ああ、鞘から盾に()()()()仕組みになっている。

 大型の盾に比べると心許ないかもしれないが、それでも矢や魔法を防ぐには十分な防具だ。

 それに広げずに畳んでおけば、左腕に装着したまま、両手で剣を持って戦うこともできるしな」

 

 セシルは思わぬ装備の出現に、妙にゾクゾクとした気分を味わった。

 変形するというのがどの程度有効なのかはわからないが、変に子供心のようなものを(くすぐ)られる。

 

「それと、最後にこれを付けてくれ」

 

 そう言ってカイが差し出したのは、大振りの青いリボンの付いた髪飾りのようなものだった。

 それは、おおよそ金属鎧(プレートメイル)には似つかわしくない、街の女性が身につけるような小洒落たものに見える。

 

「これはただの飾りという訳ではなくて、いざという時に君の頭部を守るものなんだ。

 もちろん強い攻撃を受け止められる訳じゃないが、髪飾りの骨組みをセラミックスで補強してある。 その分、落下物や衝突物があった時に、頭部への被害を軽減できる」

 

 セシルは纏めていた金髪を一度解いてしまうと、再び結い直して受け取った髪飾りを頭に付けてみた。

 そして、全ての装備をまとった姿を、改めて姿見で確認する。

 

 ――映った()()の姿は、白と銀を基調にした鎧姿を清楚にまとめ上げていた。

 所々にある青色の強調(アクセント)が、全体を美しく調和させているようにも思う。

 

 セシルはしばらく自分の姿を呆然と見つめると、姿見から視線を外さずにカイに対して言った。

 

「カイ――この鎧、わたし気に入ったわ。

 いいえ、気に入ったなんて詰まらない言葉では、言い表せないぐらい!

 わたし、今まで()()()()()という言葉を、ぼんやりと使っていたように思うのよ。

 でも、この鎧を実際着てみたことで、自分が求めていたものがハッキリと認識できた気がする」

 

 セシルはそう感嘆しながらも、内心浮かんできた疑問を、カイに投げ掛けてみたくて仕方がなかった。

 

 なぜ一流の鎧師でもない彼が、聞いたこともない素材を使って、このような美しい鎧を作り上げることができるのか――?

 

 その疑問が喉元まで出掛かったが、この場で口にすることが、どうしても(はばか)られた。

 普通に考えれば、ただの解体(ジャンク)屋には成し得ないようなことが、目の前で次々と起こっている。

 ただ、それを追求してしまったら、カイとの関係が壊れてしまうような気がする――。

 

 セシルは何となくその危うさを気取って、彼に率直な質問を投げ掛けることを避けた。

 一方、カイはセシルの言葉を聞いて、満足そうな笑みを浮かべている。

 

「気に入ってくれたなら、俺も頑張った甲斐があったと言うものだ」

 

 セシルはカイを姿見越しに見ながら、彼の表情に合わせてニッコリと微笑んだ。

 

「ところでカイ、ひとつだけ質問したいことがあるわ。

 どうしてこの鎧は、胸の部分に()()()()()()のかしら?

 身を守ることを考えたら、ここが開いている理由がわからないんだけど」

 

 セシルは、さすがに板金外套(コートオブプレート)を着た後は、胸元を隠そうとするのを諦めていた。

 だが、結局胸当てをつけた状態でも、胸の谷間が覗いてしまうような構造になっている。

 

 するとカイはその質問を聞いて、口元を抑えながら苦笑した。

 

「アハハ!

 ――すまん。体温調節用の構造と言いたいところだが、正直言ってそいつには意味はないんだ。

 強いて言えば、君の女性としての魅力を存分に引き出して、主張(アピール)するためのものかな。

 つまり――簡単に言い換えれば、周りの人の『()()()()』という話だよ」

 

「ふうん、なるほどねぇ――」

 

 セシルはカイを睨みつけたが、当のカイは苦笑するばかりで堪えていない。

 

「もちろん、閉じることはできるようにしてあるから、遠征に出る時は閉じて行けばいい。

 ただ叙任式においては、開けておいた方がいいと思うんだ。

 当然、君が好色な目に晒されるというのは、俺だっていい気はしないさ。

 だが、それがあるだけで貴族どもの印象は、きっと良くなるはずだから」

 

「――わかったわ」

 

 それにしてもカイは、どういう意味で「いい気はしない」と言ったのだろうか?

 彼なりにセシルを女性として意識していて、独占欲のようなものを感じてくれているのだろうか?

 

 だが、それを確かめる勇気は、今のセシルにはなかった。

 

「今回、君のために作った鎧は、これで全て揃った形になる。

 ただ、叙任式に向けての準備は、これで全部が整った訳じゃない」

 

「まだ、何かあるの?」

 

「君の家には、支度を手伝えるメイドはいるかい?」

 

「メイド?

 いるわ。でもメイドが何か関係があるの?」

 

 セシルがリーヤを思い浮かべながら答えると、カイは何か考えがあるのか、ニヤリと笑った。

 

「実は、()()()()()()()()

 叙任式の前に一度、そのメイドと会っておきたい」

 

「リーヤと?

 ――いいけど、それはどうして?」

 

 するとカイはその理由を、セシルに向けて得意げに明言した。

 

「そのメイドが、叙任式当日の――()()()()()()をすることになるからだ」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

叙任式と模擬試合
20


 心の闇を払うような清々しい朝の光が、セシルの全身を包み込むように容赦なく降り注いだ。

 叙任式が行われるこの日、幸いなことに天気は快晴に恵まれたようだ。

 

「おはようございます、お嬢様。

 今日はとうとう叙任式の日ですね」

 

 リーヤが明るく声を掛けると、起き抜けのセシルはニッコリと微笑んだ。

 

「おはよう、リーヤ。

 ええ、今日はアロイス家にとっても、大きな意味のある待ちに待った日だわ。

 でも、わたしは実際に叙任されるその瞬間まで、やっぱり安心はできないと思っているの」

 

 これまで様々な障害を体験してきたセシルは、最後まで気が抜けないと自戒の念を口にする。

 

 セシルはカイと出会い、壮行会を切り抜けてからは、彼女自身が予想していたよりもずっと安易にここまで辿り着けたと感じていたのだ。

 だが、まだ肝心の叙任式を無事に乗り越えたという訳ではない。

 それを考えると、この後何が起こるのだろうかと、緊張と不安で身震いがしてしまう。

 

「お嬢様は本当に心配性ですね――。

 あのように美しい鎧も用意できたのですし、私は今からお嬢様の晴れ姿が楽しみでなりません」

 

「リーヤ、ありがとう。そう言ってくれると、気が晴れるし少し楽になるわ。

 ――今日はリーヤも宮殿まで、一緒に来てくれるのよね?」

 

 セシルがそう尋ねると、リーヤは本当に幸せそうに満面の笑みを浮かべてみせた。

 

 叙任式には若干名ではあるが、宮殿に支度を手伝う人員を入れることが許されている。

 何しろ叙任の際に着る金属鎧(プレートメイル)は、一人で装着するのが容易ではない。

 そのためセシルは、支度役としてリーヤとカイの二人を指名していたのだ。

 

「はい。カイ様からお嬢様のご支度を、手伝うように申し伝えられております」

 

「頼りにしているわ。

 いいえ、これまでリーヤに頼りっぱなしだったけど、これからはもう少し生活も楽になるはずだから」

 

 リーヤはセシルの言葉を聞いて、再び優しく微笑んだ。

 

 この街一帯の領主は、三大貴族家(トライアンフ)筆頭のメイヴェル家である。

 そして正式な騎士になると、そのメイヴェル家から給金が出るようになるのだ。

 

 これまで騎士見習いだったセシルには、領主からの給金は出ていなかった。

 今まで彼女に支払われていた給料は、彼女を騎士見習いとして雇っていたエリオットから出ていたものである。

 

 無論、騎士見習いの給料は、正式な騎士に支払われる給金よりもずっと少ない。

 これまで生活するのにギリギリのやりくりが必要だったアロイスの家は、セシルが騎士になることで、生活にゆとりが生まれることになるだろう。

 

「そろそろカイ様も、こちらにいらっしゃる時間でしょうか?」

 

 リーヤの言葉を聞いて、セシルはニッコリと微笑んだ。

 

「そうね。

 そう言えば、今日は宮殿に入るから、カイも()()()()()をしてくるって言ってたわ。

 実はそれがどんな格好なのか、ちょっと楽しみなのよ」

 

 ――と、丁度その時、玄関の扉をコンコンと叩く音が聞こえた。

 その音を聞いた二人が思わずお互いの顔を見合わせる。

 

「噂をすれば――ですね」

 

 そして、リーヤとセシルが揃って客人を出迎えると――。

 そこには明らかに気まずそうな顔をした、()()()()()()に身を包んだ黒髪の男性がいたのだ。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 叙任式は、街の中心にある宮殿の中で()り行われる。

 宮殿の中央には広い謁見(えっけん)の間があり、そこに王族と貴族が居並んで、叙任の儀式を執り行うのだ。

 ただし、今回は残念ながら、領主のメイヴェル公爵が体調不良で欠席となる。

 ゆえに叙任式自体は、公爵の娘であるオヴェリアを中心にして行われることになっていた。

 

 謁見の間ではそのオヴェリアを中央に据えて、王都から派遣された王族と、この街を拠点にする貴族が左右に分かれて連座している。

 そのうちの貴族の列に目を向けると、三大貴族家(トライアンフ)を最前列にして、中級、下級の貴族たちが後列にずらりと並んでいた。

 そうして判りやすい順列が付けられているものの、謁見の間に並ぶどの人物もが、上等で煌びやかな衣装を纏っている。

 彼らは順にオヴェリアの前に(ひざまず)く騎士見習いを眺めながら、そこで生まれた新たな騎士を一斉にコソコソと論評するのだ。

 

「――では次。

 アネスト家の三男である、クラウスどの」

 

 密かに様子を窺っていると、隣の支度部屋から一人の騎士見習いが出て行ったのがわかる。

 どうやらクラウスと呼ばれた騎士見習いは、かなり豪勢な金属鎧(プレートメイル)を仕立ててきたようだ。

 彼が一歩足を踏み出すたびにガチャガチャという、重くて派手な音が鳴り響いている。

 

 謁見の間の近くには、一〇を超える小部屋が並んでいた。

 本来は、謁見の間を訪れる貴族たちの従者を待たせるための部屋なのだが、今日はその一つ一つの小部屋が、叙任を受ける者たちの支度部屋になっている。

 叙任を受ける騎士見習いたちは、その支度部屋で自慢の金属鎧(プレートメイル)を身に纏って、自分の名前が呼ばれるのを、今か今かと待つことになるのだ。

 

「お嬢様の晴れ舞台に、こうしてご一緒できることが幸せでなりません」

 

 割り当てられた支度部屋で、鎧を装着するセシルを見ながら、リーヤが感慨深そうに言った。

 

「リーヤ、まだ感動するには早いわ。

 何しろあなたにお願いする()()は、まだこれからなんだから」

 

 セシルはそう言って、少し緊張気味のリーヤに向けて笑いかけた。

 ただその笑顔にも、少々ぎごちなさのようなものがある。

 当然ながらセシルの方も、これ以上ないほどに緊張しているのだ。

 それに対して普段通りなのは、粛々と準備を進めているカイぐらいのものであった。

 

「――プッ」

 

「おい。何がおかしい」

 

「ごめんなさい。

 でも、だって――アハハ!」

 

 セシルは支度を手伝うカイの姿を見て思わず、口元を押さえながら笑い声を上げた。

 カイはクスクスと笑うセシルを横目で睨みながら、不本意そうに顔を(しか)める。

 

 今朝、セシルの自宅を訪れたカイは、事前の宣言通り()()()()()をして現れた。

 ところがその服装というのが、七分丈のスーツに蝶ネクタイという何とも言えない恰好だったのだ。

 確かにいつもの無精髭を剃ったことで、全体的に小綺麗な印象は受ける。

 だが、それらはあまりにも、これまでの彼の姿とかけ離れ過ぎて違和感があるのだ。

 そのせいで、セシルはカイの姿を見るたびに、笑いが止まらなくて仕方がない。

 

「チッ、失礼なやつめ」

 

 カイは舌打ちをしながらも、セシルの身支度を続ける。

 セシルは一頻(ひとしき)り笑ったお陰で、自身の緊張が(ほぐ)れていくのを感じた。

 カイがセシルの緊張を解すために、わざわざこの格好をしてきた――というのは、さすがに深読みをしすぎだろうか。

 

「よし、これで装着するものは全て揃った」

 

 カイがそう言うと、彼はセシルの前からゆっくりと退(しりぞ)いた。

 セシルの目の前には大きな姿見があり、鎧を纏った全身を俯瞰することができる。

 

 果たして姿見に映り込んだのは、まるでドレスを纏ったかのような、華やかな女性騎士の姿だった。

 

 そして、カイが後ろへ下がったのと入れ替わりに、今度はリーヤが進み出る。

 彼女は薄く透き通るような布地を、セシルの肩から掛けてくれた。

 

「リーヤ、これは?」

 

「これは薄絹のヴェールを外套のように仕立て直したものです」

 

 そう言いながら、リーヤが薄いヴェールをセシルの肩に纏わせる。

 すると一層セシルの鎧姿は、結婚用(ウェディング)ドレスを彷彿とさせるものに変わった。

 セシルは一瞬頭を()ぎった『結婚』という言葉に、思わず頬を赤く染めてしまう。

 

「――では、リーヤ。

 あとは君に託す」

 

「はい」

 

 リーヤはカイの言葉を受けて、ニッコリと笑みを浮かべながら頷いた。

 

 そしてここから先こそが、リーヤにとっての()()になるのである――。

 

 

 

 

 謁見の間に居並ぶ王族たちから、徐々に退屈を表す呟きが漏れ始めていた。

 既にこれまで一〇人を超える騎士見習いが、オヴェリアから騎士叙任を受けている。

 

 無論、叙任式が始まった当初は、王族たちも次々に現れる騎士見習いに興味を示していたのだ。

 彼らは騎士見習いが身に纏った金属鎧(プレートメイル)を見て、あれやこれやと熱心に品評を加えていた。

 

 ところが叙任式がかなりの時間に及ぶに従って、彼らの集中力は如実に切れ始めた。

 しかも後半現れた騎士見習いの金属鎧(プレートメイル)は、どれも王族たちを満足させるようなものではなかった。

 それもあって彼らの退屈度は、程なく頂点を迎え始める。

 

「――あと何人ほどかな?」

 

 王族の一人はそう言って、憚らずに欠伸(あくび)をしてしまった。

 貴族の婦人たちに至っても、叙任式とは関係のない世間話を始めている。

 

 ところがそんな時に響いた呼び声が、退屈しきった彼らの心に、ほんの小さな興味を芽生えさせた。

 

「次はアロイス騎士家の――()()である、セシリア――失礼、セシルどの」

 

 辿々(たどたど)しい呼び声を聞いた王族貴族たちは、少し考えた後に、その言葉の意味を理解した。

 

 何しろここまで叙任を受けた騎士見習いは全員()()だったのである。

 いいや、そもそもここ数年の記憶を辿っても、女性が騎士叙任されたという話は聞いたことがない――。

 

 そうした理解の中で発せられた()()という単語は、たったその一言だけで、王族と貴族たちを強く惹きつけた。

 退屈さを隠さなかった貴婦人たちも、途端に姿勢を正して、広間の入口をじっと見つめている。

 

 

 

 ――コツ、コツという硬い靴音が、静寂に包まれた謁見の間に、(いや)に大きく響き始めた。

 通常、騎士見習いがこの場に現れる時は、ガシャガシャと金属鎧(プレートメイル)が擦れる音が聞こえてくる。

 だが、そうした耳障りな音は、誰の耳にも届いてはこない。

 代わりに次第に大きくなる靴音だけが、その場にいる全員の期待感を大きく膨らませていった。

 

 そして次の瞬間。

 彼らの視線を一身に浴びながら、彼女はその姿を現したのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21

「――!?」

 

 セシルの歩みに合わせるように、束ねられた金の髪が揺れていた。

 そして、その背をゆるりと追うように、薄絹のヴェールが美しく広がる。

 

 その瞬間に謁見の間を包んだ空気を言葉で表すとすれば、それは『()()』という言葉が最も適していただろう。

 

 それほどまでに王族と貴族は、現れた騎士見習いの姿に、驚きを隠すことができなかった。

 彼らは発するべき言葉を忘れてしまったかのように、謁見の間を進むセシルの姿を、ただ呆然と目で追うことしか出来ない。

 居並ぶ全ての王族と貴族たちは、その刹那の間に、彼女の美しさと(あで)やかさに心を奪われた。

 

 彼女の全身を覆っているのは、まるでドレスのような光沢のある白い煌めきである。

 そして、銀に輝く金属板が、女性ならではの美しい曲線を描いていた。

 しかも、その胸元はふくよかな膨らみを見せつけるように、大胆にも開いているのである。

 それが、否が応でも、彼女が女性であることを意識させるようだった。

 頭には青白い髪飾りがあって、整えられた彼女の美しい金色の髪を、一層引き立てているように思える。

 そして、それら全てが貴族や王族たちの中にある『金属鎧(プレートメイル)を纏った騎士』という、概念から離れたものであった。

 

 ――だが、それに留まらない。

 

 極めつけだったのは――セシルが()()()()()()()ことだろう。

 

 セシルは支度部屋で鎧を纏った後に、リーヤの手によって美しく化粧を施されていたのである。

 そして、その化粧に合わせて、両の耳には金色の耳飾り(イヤリング)を付けていた。

 更に滑らかな桃色に光る口紅が、彼女の白銀の姿と相まって美しさと可憐さを引き立てている。

 

 無論、化粧をした騎士などというものは過去に存在した記録がない。

 セシルの姿に言葉を失っていた貴族たちも、次第にその意味を認識して、様々な反応に色めき立った。

 

「騎士が化粧など――!?」

 

「それに、あの鎧の白い生地は何だ? 完全な金属鎧(プレートメイル)では無いではないか。

 あのような姿で、叙任を受けようというのか!!」

 

 次第に批判的な言葉が、周囲から怒号のように飛び交い始める。

 

 だが、セシルはそれらの言葉に全く動じない。

 むしろ自信を深めたように、微笑を(たた)えながら、真っ直ぐに謁見の間を進んで行く。

 

 彼女は正面にいるオヴェリアの前まで到達すると、そこで初めて領主の娘と対面した。

 セシルの目に映ったオヴェリアの第一印象は、真っ赤な長髪が特徴の可憐な少女というものだった。

 ただ、歳は十代後半だと思われるのに、その表情には支配する者ならではの、自信のようなものが満ち溢れている。

 そして、明らかに意思の強そうな瞳が、彼女が生まれながらにして領主の娘として育てられたことを物語っていた。

 

 セシルはオヴェリアの真正面に立つと、数瞬の間、彼女と視線を交差させる。

 直後、セシルは膝を折ると、オヴェリアの前で(しと)やかに(こうべ)を垂れた。

 

「お待ちください!

 このような者を、本当に騎士に叙任するおつもりですか!?」

 

 貴族の列から一人の女性が立ち上がって、オヴェリアに制止の言葉を放つ。

 

 セシルは跪き、頭を下げたままで、その女性の方向に視線を向けた。

 見ると果たしてその女性は、エリオットの結婚相手のようである。

 だが、壮行会の時とは違って、その隣にはエリオットの姿がない。

 エリオットは王族だから、彼女とは分かれて、王族側の列に参列しているのだろう。

 

 セシルは女性の声には反応せずに、無言のままでその場の状況を見守った。

 すると女性が更に発言を加えようとしたところで、オヴェリアが制止の手を上げる。

 

「席に付きなさい」

 

「し、しかし――」

 

 女性は何らか反論しようとしたものの、オヴェリアの有無を言わさぬ視線を受けて、仕方なく腰を下ろしたようだった。

 そしてセシルがふと顔を上げると、彼女とオヴェリアの視線が複雑に絡み合う。

 セシルにはその一瞬の出来事が、酷く長い時間のように感じられた。

 

 恐らくこの後、オヴェリアから発せられる一言によって、セシルの運命は思いも依らない方向へと変えられてしまうことだろう――。

 

 だが、セシルは覚悟を決めてしまうと、再びオヴェリアに深く頭を下げた。

 

「――その鎧、金属だけという訳じゃ無いわね。

 一体、何でできているのかしら?」

 

 セシルはオヴェリアの質問を受けて、正直に答えを返す。

 

()()です」

 

「陶器?

 ――随分と珍しいもので作ったのね」

 

 オヴェリアはそう言いながら、感心するように目をしばたかせた。

 

「オヴェリア様、陶器の鎧などもっての外です!

 まともな金属鎧(プレートメイル)を纏わぬ者を、叙任する訳には――」

 

 今度はエリオットの結婚相手だけでなく、他の貴族からも、がやがやといくつもの抗議の声が上がる。

 

 ところがその中から、ざわめく貴族たちの()(せん)を制する言葉が響いた。

 

「恐れながら。

 騎士憲章第十四条二項に、騎士叙任の要件が記されておりますが、その記載は『金属を用いた鎧を必須とする』というものであって、決して『金属()()を用いた鎧を必須とする』というものではございません」

 

 ともすれば、これまでの慣習を否定しかねない発言を行ったのは、叙任式に列席していた騎士団長のアルバートだった。

 騎士団長という立場があるとはいえ、今の発言はアルバートにとっても勇気が必要な発言だったに違いない。

 セシルは彼の力強い後押しに対して、心から感謝の念を抱いた。

 

「あら、そうなのね」

 

「しかし、オヴェリア様――!」

 

 またも上がりかける抗弁の言葉に、今度はオヴェリア自身が不快感を示す。

 

「控えなさい。

 これ以上、神聖な叙任式を妨げるものには退場を命じます」

 

 オヴェリアが最後通牒を行ったことで、異論を唱えようとした貴族たちは完全に、石のように沈黙してしまった。

 そして、言葉を発するものが居なくなったのを確認して、オヴェリアはニヤニヤとセシルの姿を眺め始める。

 今度はその威圧的な視線を受けて、セシルの方が硬直する番だった。

 

「――ふうん、いいじゃないの。

 見たこともない美しい鎧だし、とても似合っていると思うわ」

 

 所詮、オヴェリアの見た目は、十代の少女に過ぎない。

 なのに、その視線には、有無を言わさぬ程の迫力が備わっていた。

 セシルは見たものを石化させてしまう大蜥蜴(バジリスク)に見つめられてしまったかのように――ほんの僅かな身動きすら、とることができなくなってしまった。

 

「セシル――。

 いいえ、()()()()・アロイス」

 

「――!!」

 

 思わぬ時に女性としての名を呼ばれたことで、セシルの身体に電撃のような衝撃が走った。

 

「セシリア、あなたは女性でしょう?

 それとも、そんな綺麗な姿で男性だとでも言うのかしら?」

 

 少し(おど)けるような口調になりながら、オヴェリアはセシルに問い掛ける。

 セシルはその質問に如何ほどの猶予も空けることなく、明確な言葉で回答した。

 

「わたしは、女性です」

 

 すると、セシルの言葉を聞いたオヴェリアは、二段階ほど声を大きくして強い口調で話し始めた。

 その声は謁見の間の隅々にまで、大きく響き渡る。

 

「であれば、あなたは女性でありながら騎士になり、騎士でありながら女性であり続けるというのですね?

 ならば今日を機会に、セシルという名前を()()()()()

 あなたは、()()()()・アロイス。

 今後あなたがセシルと名乗ることは許しませんし、あなたをセシルと呼ぶことも許しません」

 

「――承知しました」

 

 オヴェリアが放った言葉は、セシル――いや、セシリアの心を、根底から激しく揺さぶった。

 

 その言葉は中途半端でありつづけてきたセシリアを、完全に『女性』の方へと追い落としてしまったのである。

 だが、覚悟を迫るその言葉には、女性ならではの騎士を目指すセシリアを、オヴェリアが認めたという意味が含まれていた。

 

 オヴェリアは従順なセシリアに微笑むと、頭を下ろした彼女に向けて、決定的な言葉を放った。

 

「では、セシリア・アロイス。

 この街をあずかるメイヴェル家の名代として、あなたに騎士の位を授けましょう」

 

 オヴェリアは女官から一本の剣を受け取ると、その剣をセシリアの肩に当てて宣言する。

 

「セシリア・アロイス。あなたに騎士の位を授けます。

 私はその代償として、あなたの忠誠を求めます。

 もし、それをあなたが受け容れるというのであれば、この剣にかけて()()()()()

 ――さあ、セシリア・アロイス!!」

 

 通常、静かに宣言されるはずの領主の言葉は、後半に至るに従って、妙に力のこもった声色で伝えられることになった。

 その声にはオヴェリアの有無を言わさぬ迫力が、内包されているようでもある。

 

「セシリア・アロイスは騎士となり、この剣にかけて()()()()()()()()忠誠を誓います。

 ――この身を剣とし、全てを貴女(あなた)に」

 

 その言葉を聞いて、オヴェリアは思わずニヤリと笑った。

 

 通常であればセシリアは、領家である()()()()()()に忠誠を誓うべきなのである。

 ところがこの時、彼女は意識して、それを「()()()()()()()()」と置き換えて誓った。

 それを一瞬指摘しようとした者もいたが、オヴェリアの不興(ふきょう)を買うことを恐れて、何も言い出せない。

 女性が騎士叙任されるというだけでなく、何もかもが異例ずくめの叙任であるに違いなかった。

 

 オヴェリアは剣を受け取ったセシリアを見ると、再び真剣な表情で彼女に向かって命じる。

 

「セシリア・アロイス。

 あなたはこれで正式に騎士になったわ。

 でもね、私は見た目だけ美しくて、派手な騎士など必要とはしていないの。

 だからセシリア、あなたにはこの後の模擬試合(デュエル)に出場することを()()()()

 そこで、その『陶器の鎧』と、あなたの実力を私にちゃんと見せて頂戴」

 

 セシリアは模擬試合(デュエル)への出場が、元々予定されていたことであることを知っていた。

 だが、オヴェリアが伝えた言葉には、彼女なりの配慮が含まれているように思える。

 そもそもセシリアの実力を見たいと思っているのは、恐らくオヴェリア以外の王族と貴族たちなのだ。

 そして、その彼らの中には、セシリアが無様に負ける様を期待している人物までいる。

 

「拝命しました。

 オヴェリアさまにご満足いただけるよう、微力を尽くさせていただきます」

 

 セシリアはそれらの思いを胸に秘め、オヴェリアから受けた()()()()()に、微笑みながら了承の言葉を返すのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22

 銀色に輝く二つの影が、激突して土埃を上げた。

 途端に金属同士が(こす)れるような不快な音色が上がり、直後に一本の剣がくるくると中空を舞う。

 行き場を失った剣は陽光を乱雑に反射しながら、その輝きを周囲に存分に撒き散らした。

 そして、それが地面に到達した瞬間――人々が一斉に歓声を上げる。

 

 ここは、宮殿に程近い場所に建てられた、この街の()()()である。

 叙任式の後に行われる模擬試合(デュエル)を目当てにして、闘技場には数多くの観客が詰めかけていた。

 模擬試合(デュエル)は叙任にまつわる神聖な儀式であると同時に、この街に住む人たちの重要な娯楽なのである。

 人々はここでお披露目される新しい騎士たちの初陣を、容赦のない歓声と興奮の渦でもて(はや)すのだ。

 

 既に闘技場の観客席の最前列には、多くの王族や貴族が陣取っていた。

 ただ、それ以外の観客席の大部分を埋め尽くすのは、王族や貴族以外でこの街を拠点とする者――それは、主にこの街に出入りする冒険者と呼ばれる者たち――である。

 セシリアも過去に何度か模擬試合(デュエル)を観戦したことがあったが、観戦するといつも、闘技場から沸き立つ熱量に圧倒されたものだ。

 

 だが、今日の彼女は観客としてこの場にいるのではない。

 彼らに熱狂を与える側の立場として――この闘技場に立つ。

 

「勝者、ロイーズ家の四男、シモンどの!!」

 

 審判(ジャッジ)の宣言を受けて、シモンと呼ばれた若い騎士が、(たくま)しい右腕を振り上げた。

 すると、その勝利を称えるようにして、場内の歓声が一際大きくなる。

 

 模擬試合(デュエル)はこの街で行われる儀式の中でも、特に派手な儀式の一つである。

 ただ、実際に行われる対戦は僅か二、三組程度に過ぎない。

 いつもは高い身分にある貴族の御曹司や縁者から数名が選出されて、文字通り煌びやかな金属鎧(プレートメイル)に身を包み、華麗に戦うことになるのだ。

 

 先ほど勝ち名乗りを上げたシモンという騎士も、三大貴族家(トライアンフ)の一角を成すロイーズ家の四男だった。

 そうした中で身分の高くない騎士家出身であるセシリアが、他家を押し退けて出場するのは、異例中の異例と言える。

 

 ただ彼女には()()()()()という、他の騎士との明確な差異があった。

 それだけに彼女は、貴族の御曹司たちと同じく――いや、むしろそれ以上に目立つ。

 

「では、次が本日最後の対戦です。

 東よりハーブランド家の次男、カールどのの入場です!」

 

 そう紹介された一人の騎士が、東側の通路から馬に乗って姿を現した。

 

 よく磨き抜かれた金属鎧(プレートメイル)が、虹でも作り出しそうな程に、陽の光を鮮やかに跳ね返している。

 それぞれの金属板を繋ぐ部分は、赤い刺繍と金属のリベットで美しく纏められていた。

 そして、前掛けにあたる部分には、金糸によってハーブランド家の紋章が描かれている。

 

 ちなみにハーブランド家というのは、三大貴族家(トライアンフ)の一角である。

 この街の三大貴族家(トライアンフ)は、領主であるメイヴェル家、先ほど四男が勝利を収めたロイーズ家、そしてこのハーブランド家を合わせた三家を示す言葉なのだ。

 しかも、このハーブランド家の次男坊こそが、壮行会に居合わせた人物――つまり、エリオットの()()()()()()なのである。

 

 カールという名のハーブランド家の次男坊は、観客の声援に応えるように、馬で闘技場内を練り歩いた。

 特にその行動に意味があるわけでなく、全て彼の自己顕示欲を満たすための行動に過ぎない。

 

 カールは得意気に一通りの声援を受けると、馬から下りずに闘技場の中心で立ち止まった。

 模擬試合(デュエル)は馬に乗ったまま戦うことはなく、下馬騎士(マン・アット・アームズ)という徒歩で剣と盾を持った形で対戦する。

 それは馬がいない分、本当の実力を測れるというのが理由だった。

 

 また、戦いは模擬であるため、手持ちの剣は刃が潰してある。

 見た目は煌びやかに作ってあるので、儀礼用の剣を使って戦うというのに等しい。

 

 ちなみに模擬試合(デュエル)では三大貴族家(トライアンフ)同士がぶつかることのないよう、対戦相手が事前に調()()されていた。

 何しろ模擬とはいえ、非常に数多くの観客が目にする対戦なのだ。

 貴族としての面子が掛かる戦いである以上、下手な対戦を組んでしまうと、貴族同士の争いに発展しかねない――。

 

 審判(ジャッジ)はなかなか馬から下りないカールの方に、意味ありげな視線を送った。

 だが、彼はそれを無視しているのか、一向に馬を下りる気配がない。

 仕方なく審判(ジャッジ)は、そのまま対戦相手の紹介に移った。

 

「コホン、では続いて西から。

 驚くなかれ!

 ハーブランド家のカールどのに挑むのは、アロイス騎士家の()()セシリア!!」

 

「えっ?

 ――長女?」

 

「女だって!?」

 

 その紹介を聞いて、闘技場内が一気にざわざわと色めき立った。

 一部からは歓声も上がったが、正直誰もがどう反応して良いのかを戸惑っているようである。

 すると、観客席の最前列にいた一人のメイドが、呆れながら呟いた。

 

「あらまあ、同じ新人騎士のはずなのに、既に()()()扱いなんですね」

 

 リーヤの隣にいたカイは、その言葉を聞いて思わず苦笑する。

 

「なあに、今だけさ。

 すぐにそれが間違いだったと、みんな気づく。

 ――さあ、セシリアが出てくるぞ」

 

 カイに(なだ)められたリーヤは、頷きながら西の通路に注目した。

 すると、コツコツという(ひづめ)の音とともに、ゆっくりと彼女がその姿を現す。

 

「――!?」

 

 最初は誰もがセシリアの姿を、しっかりと認識できなかったに違いない。

 それ程までに彼女の姿は、陽光を全身に浴びて真っ白に輝いていたのだ。

 

 セシリアは存分に光を反射して、呆気にとられる観客を背に、闘技場の中心へと進んで行く。

 そこには自分を誇示するような、無駄な行動は一切存在しない。

 淡々と馬を進めてゆく、自信に満ちた一人の女騎士の姿があった。

 

 そして闘技場の中心に到達した彼女が、ひらりと馬から下りる。

 すると、観客たちはようやく我に返ったのか、一気に大きな歓声を上げた。

 

「ホ、ホントに女騎士だ!!」

 

「何だあの鎧、革か布じゃないのか?

 本気であんな鎧で戦うつもりかよ!?」

 

 それらの声は、必ずしも彼女を支持するものばかりではない。

 単に自分たちの想像外の人物が現れたことで、物珍しさを話題にしている反応が多かった。

 

「では双方、剣を抜いて前へ」

 

 対戦する二人が乗ってきた馬が場外へと下げられ、闘技場の中心に審判(ジャッジ)が立つ。

 言葉を聞いたセシリアの対戦相手――ハーブランド家の次男坊であるカールは、長い前髪を一度掻き上げてから、すらりと煌めく長剣を引き抜いた。

 その彼の左手には、美しく磨かれた大型の凧型盾(カイトシールド)がある。

 

 対するセシリアは、剣を抜く前に、ふと闘技場内を見渡した。

 すると、観客席の最前列に陣取っていたエリオットと視線が重なってしまう。

 エリオットはセシリアを睨んでこそいないものの、その視線には普段とは違う、異常な鋭さがあるように思えた。

 そして、その瞳は彼女に対して、何かを訴えかけているようでもある――。

 

 セシリアはこの模擬試合(デュエル)に至るまでに、エリオットから何らかの重圧(プレッシャー)を受けるようなことはなかった。

 だが、今の視線は明らかに、この対戦への()()を求めている。

 

 セシリアはゴクリと唾を飲み込むと、無言でその視線を何とか振り切った。

 彼女はこの戦いのために準備を行い、勝つつもりで闘技場に立っていたはずだった。

 だが、セシリアはエリオットの視線を浴びたことで、自身の決意に迷いが生じ始めたことを自覚する。

 焦燥感が心の中を駆け回り、急激に育った不安で喉がカラカラに(かわ)いた。

 

 セシリアが迷ってエリオットと反対側の観客席に視線を向けると、そこには二つの見知った顔があった。

 ――カイとリーヤだ。

 

「カイ――」

 

 セシリアは口の中で彼の名を呟きながら、不安げな視線をカイの方へと向ける。

 すると、彼は口を盛んに動かして、セシリアに何かを伝えようとする素振りを見せた。

 どうやら、口の動きだけで、何かを伝えようとしているようである。

 

 そして、彼が伝えようとした言葉を、セシリアが認識した瞬間――。

 

 彼女は一気に不安を振り切って、鞘から剣を引き抜いた。

 

「何だ?

 あの細いのが盾だっていうのか?」

 

 セシリアは変形する鞘を()()()に、そのまま左腕に引っ掛けている。

 そのため観客からは、随分と細い盾を装着しているように見えていた。

 

 この状態でセシリアが戦う利点は一つ。

 両手で剣を持って、戦えるということだ。

 

「準備はいいですね?

 あらかじめ理解していると思いますが、模擬試合(デュエル)には守るべき規則(ルール)があります。

 剣と盾以外での攻撃は禁止ですし、魔法道具(マジックアイテム)を使うと反則負けです。

 更に命乞いをした相手に、追い打ちを掛けると、重大な罰を受けることになります。

 では、理解したらそれぞれ正々堂々と、勝負することを誓いなさい」

 

 審判(ジャッジ)の説明を受けた二人は、それぞれ声を重ねるようにして誓いを立て始めた。

 

「我が名はセシリア・アロイス。

 この剣にかけて、騎士の身に恥じぬ戦いを誓う」

 

「我が名はカール・エリナス・ハーブランド。

 この名において、戦いが神聖であることを誓おう。

 ――そして神よ、この剣に祝福を。不幸にも私に刃を向ける女性を許し給え」

 

 カールが付け加えた神への言葉は、ここでは特に必要のない無駄な言葉である。

 厚かましいことに既に勝つつもりなのか、そこにはセシリアに対する祈りまでもが含まれていた。

 

 二人が誓いを立てたことを確認した審判(ジャッジ)は、少し後方へ後ずさりながら、開始の声を上げる。

 

「では、始め!!」

 

 その声が上がった瞬間、セシリアは自分を奮い立たせるように一気に前へと躍り出た。

 そして、その心の中で、一つの言葉を強く思い描く。

 

 それは先ほどカイが、伝えて来た言葉。

 

 たった一言、()()()()()――という言葉だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23

 前に出てくるセシリアを待ち構えて、カールが長剣を振りかぶった。

 膂力(りょりょく)に相当自信があるのか、かなり大振りの一撃である。

 それをまともに受け止めようものなら、セシリアは体勢を崩してしまうだろう。

 だが、彼女はそれを事前に見越して、絶妙の角度で剣を突き出した。

 

 彼女の頭の中には「受け止めるのではなく()()()()」という、カイの言葉が反芻(はんすう)している。

 言葉通りカールの剣は、セシリアの剣の上を滑るようにして、背の方へと抜けていった。

 

「ぬおっ――!?」

 

 さすがに大振りの一撃を外したカールは、前のめりに体勢を崩しかける。

 そして、その隙を見逃すようなセシリアではなかった。

 

 彼女はすれ違いそうになるカールに対して、鋭く横になぎ払う一撃を放つ。

 するとその一撃は驚くほどあっさりと、カールの右脇腹をしっかりと捉えた。

 

 ガチッ!という金属がぶつかる不快な音が響いて、セシリアの剣がカールの美しい金属鎧(プレートメイル)に傷を作る。

 剣には刃が付いていないため、相手を切り裂くような攻撃はできない。

 だが、衝撃は刃のある剣と同じように身体へと伝わっていく。

 

 セシリアの攻撃をまともに喰らったカールは、前のめりになりながら、無様に地面にひっくり返った。

 それを見た観客たちは、一気に笑い声と歓声を上げる。

 カールは自分の不恰好な姿に気づくと、慌ててその場で何とか立ち上がろうと()()いた。

 だがその動きを、立派な金属鎧(プレートメイル)と大型の凧型盾(カイトシールド)が阻んでしまっている。

 

 セシリアは追撃を仕掛けることもなく、カールがその場に立ち上がるのを待った。

 

「くっ、貴様――!!」

 

 カールは怒りを見せたが、今のやり取りで警戒したのか、いきなり襲いかかろうとはしない。

 セシリアはそれを見て、前に踏み込んでいくと、わざとカールの盾を叩くように剣を繰り出した。

 果たして剣は盾で受け止められたが、カールは反射的に剣を振りかぶって反撃を試みる。

 ところが警戒心が解けなかったためか、その攻撃には全く腰が入っていない。

 セシリアは即座に剣を引くと、今度は敢えてカールの剣を叩きに行った。

 

 直後、カンッ!という乾いた音がして、両者の剣は真っ正面からガッチリと噛み合う。

 だが力のないカールの攻撃に比べて、セシリアの剣勢は両手で剣を握った鋭いものである。

 結果、カールの長剣は力負けして、大きく後ろへと弾かれた。

 すると次の瞬間、セシリアは、鞘の()()()を左手でギュッと握りしめる。

 

「盾が変形した!?」

 

 驚く観客たちの声を背景に、彼女は展開した盾を突き出して、一気にカール目掛けて体当たりした。

 剣を弾かれて体重が後方に流れていたカールにとっては、それは堪らない一撃である。

 彼はその衝撃に耐えきれずに、今度は無様に真後ろにひっくり返った。

 

 ――今、セシリアの頭の中には、カイが教えた「盾を持つ()()()()()」という言葉がある。

 

 彼女は盾で攻撃を防いだ直後の反撃は、むしろ劣位を作るということをカイから学んでいた。

 盾で受けた攻撃は、通常盾で押し返すべきなのである。

 それをせずに慌てて反撃しようとすると、決定的な隙を作ってしまう。

 

「つ、強いぞ、あの女騎士――!!」

 

 恐らくセシリアのことを、誰もが侮っていたことだろう。

 観客たちは目の前で繰り広げられる予想外の光景に、自分たちの認識が間違っていたことを理解させられたのだ。

 

「まだ、戦いますか?」

 

 地面に転がったカールを見下ろしながら、セシリアが冷静に囁いた。

 

「ふ、ふざけやがって――っ!!」

 

 カールは目を血走らせながら、ガチャガチャと派手な音を立てて立ち上がる。

 そして今度は煩わしそうに、持っていた凧型盾(カイトシールド)を投げ捨てた。

 重装備に大型の盾を持てば、動きが制限されることに今更気づいたのである。

 

 カールは両手で長剣を持つと、セシリアを狙って滅茶苦茶に振るい始めた。

 右へ左へ、上へ下へ――。

 腕力を頼みに、剣を縦横無尽に振るっている。

 

 セシリアはそれを注意深く見極めると、下がりながら軽やかに(かわ)し、一つ一つ受け流していった。

 

 何しろ彼女の鎧は軽い。

 そのため素早く、通常の金属鎧(プレートメイル)より疲労度もずっと少なかった。

 

 カールの攻撃が一〇合、二〇合と続くと、次第に彼の動きが鈍くなっていく。

 どんなに鍛錬した騎士であったとしても、全力の一撃を放ち続ければ急激に疲労が蓄積していくものだ。

 見る見るうちにカールの動きは、緩慢なものになっていった。

 

 彼は息も絶え絶えになり始め、セシリアはそれを見て鋭く剣を振りかぶる。

 彼女は盾を展開したことで、今は右手だけで剣を握っている。

 対するカールは盾を捨てたことで、長剣を両手で握っていた。

 にもかかわらず、蓄積した疲労は、カールの腕からセシリアの攻撃を防ぐ力を奪ってしまっている――。

 

 次の瞬間、カールの剣は、脆くも彼の手から大きく弾かれてしまっていた。

 彼の長剣はくるくると宙を舞い、カランという音を立てて地面に転がる。

 

 直後、対戦を見守っていた観客たちが、一斉に歓声を上げて沸いた。

 セシリアが完全に丸腰になったカールに剣を突きつけると、カールは疲労感からか、その場でガックリと膝を折る。

 一瞬、エリオットの厳しい表情が視界を掠めたが、セシリアはそれを気にせず審判(ジャッジ)の方へと振り返った。

 

「勝負あり!

 勝者は、アロイス家の長女セシリア!!」

 

 審判(ジャッジ)が高らかに宣言すると、場内がもう一段沸き返った。

 その言葉を聞いて初めて、セシリアも自分の表情を緩める。

 即座にカイとリーヤを振り返ると、彼らも朗らかにセシリアの勝利を称えてくれているようだった。

 

 だが――エリオットが気になる。

 

 ところが、エリオットを探してみると、果たして元いた場所に彼の姿がない。

 一瞬、セシリアはエリオットが怒って、闘技場を早々に退出したのだと思った。

 

 だが、その()()()()は、直後に目を向けた相手を見たことで(もろ)くも吹き飛んでしまう。

 

 エリオットが()()()()()()()にいて、何かを彼女に囁いているのが見えたのだ。

 彼が具体的に何を吹き込んだのかはわからない。

 囁かれたオヴェリアの方も、エリオットに向き直ることすらせず、真っ直ぐにセシリアを見つめたままだった。

 ただ、その光景はセシリアの心を、一気に不安へと沸き立たせる。

 

 エリオットが話を終えると、オヴェリアがゆっくりと、観客席の前へと進み出た。

 彼女は観客に静まるように指示を出すと、場内が落ち着いたのを確認してから、セシリアを見てニッコリと微笑んだ。

 

「待ちなさい。

 この試合では、セシリアの本当の実力はわからないわ」

 

 彼女が言い出した思わぬ内容に、場内の人々が再びざわつき始める。

 そして、オヴェリアが続けた次の一言を聞いて、セシリアは思わず呆然となったのだ。

 

()()()()、セシリアと対戦させなさい。

 対戦相手は騎士団の中から選ぶことにするわ」

 

 思わぬ延長戦の提案に、観客たちは大きな歓声を上げた。

 オヴェリアはその反応を見て、満足そうに笑みを浮かべる。

 

「いいわね。

 じゃあ、対戦相手の立候補を募るわよ。

 騎士団の中でセシリアとの対戦を希望する者はいないかしら――?」

 

 オヴェリアが尋ねると、先ほどまで一緒に騒いでいたはずの騎士たちがピタリと静まり返ってしまった。

 無理もない。新人の、それも女騎士と戦おうと言うのだ。

 万が一、勝てなかったとしたら、とんでもない不名誉を呼び込んでしまうことになる。

 

 セシリアが前列に立つアルバート騎士団長に視線を向けると、彼はこのやり方が気にくわないのか、眉間に皺を寄せて厳しい表情をしていた。

 

 そして誰も立候補がない様子に、観客たちが徐々に不満を表明し始めた時――。

 騎士団の中から、一人の男性が手を挙げて大きな声を張り上げた。

 

「オヴェリア様!

 私に――私に、名誉挽回の機会をお与えください!!」

 

 セシリアは名乗り出た男性を見て、目眩(めまい)がするような衝撃を受けた。

 あろうことか、その男性は騎士長の()()()だったのだ。

 彼がここにいるということは、叙任式の前に謹慎が解けたということだろうか。

 

 ミランはひっくり返りそうな程強引に、周りの騎士たちを押し退けた。

 そして無理矢理身を乗り出して、何度も挙手をしながらオヴェリアへと近づいて行く。

 

 ただ、オヴェリアはミランの顔を知らない。

 彼女は近くの者に立候補者が何者であるかを尋ねると、彼が今まで謹慎の身であったことを把握したようだった。

 

「いいでしょう。

 確かに、名誉挽回の機会としては良いのかもしれないわ。

 それに騎士長クラスであれば、十分にその実力を計れるでしょうから」

 

 ミランはそのオヴェリアの言葉を聞いて、(いびつ)なほどに満面の笑みを浮かべた。

 だが、セシリアを(しん)(かん)させたのは、オヴェリアが放ったその次の言葉である。

 

「あなたはミランと言いましたか。

 折角だから勝てば褒美を与えます。望むものを申しなさい」

 

 するとミランは喜び勇んで、胸に手を当てながら妙に張り切った声色で答えた。

 

「ありがとうございます!

 ではお言葉に甘えて、勝利した場合、私の名誉の回復と――」

 

 瞬間、ミランの両目がセシリアの方を向いた。

 彼女はその視線に、得も言われぬ生理的な嫌悪を覚える。

 

「彼女を――セシリアを、()()()()としてお与えください」

 

 セシリアはそれを聞いて、思わず顔を強ばらせた。

 そもそも彼女はミランが何を言おうと、無表情を決め込もうとしていたのだ。

 だが、あまりに歪んだ望みを聞いて、心穏やかではいられない。

 

「セシリアを――?

 ふうん、あなた何か、彼女と(いわ)くがあるのかしら?

 ――まあ、いいわ。

 あなたに勝てない程度の実力なら、それまでということでしょう。好きにしなさい」

 

 無表情を装っていたセシリアは、その言葉を聞いて如実に不快感を表した。

 

 ここまで順調に来ていた分、()()が出たような気もする。

 だが今更、オヴェリアに対して、異論を唱えたところでどうしようもない。

 

 彼女にはもはや、目の前のミランに勝つ以外の選択肢がなかったのである――。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24

 支度のための時間が終わると、ミランが闘技場に再び姿を見せた。

 彼が纏う鎧は、銀色に輝く美しい金属鎧(プレートメイル)である。

 ただ、鎧の構造はあまり大仰なものではなく、身体に合わせて細身に纏められた動きやすそうなものに見えていた。

 一見、外見を意識する彼らしくない鎧に思えるかもしれないが、よく見ると、そこかしこに流線形の文様と装飾が施されているのがわかる。

 そして、その文様が鎧全体を何とも言えない上品な雰囲気に仕立て上げていた。

 ミランはそれに加えて左手に、大きめの方形盾(ヒーターシールド)を持っている。

 その磨かれた銀色の金属板は、上品な鎧の雰囲気とも合っているように思えた。

 

 対するセシリアは、カイが作った白い無機焼結体(セラミックス)の鎧である。

 白地に青い装飾の入った鞘は、今は開かず腰に吊していた。

 

 闘技場の観客席にいたカイは、ミランが闘技場の中央まで到達したのを確認すると、手招きをして、セシリアを近くまで呼び戻した。

 指示があるのなら先に伝えておけば良かったように思うが、カイの様子を見てみると、わざとこのタイミングを選んで呼び戻したらしい。

 セシリアは対戦直前だけに若干の躊躇を見せたが、結局カイの指示通りに、彼とリーヤの側まで戻った。

 そして、彼女は改めてミランがいる方向を見つめると、その体勢のままで、カイの話に聞き耳を立てる。

 

「いいか、セシリア。

 そこで動かずに、俺の話をよく聞いてくれ」

 

 セシリアはその声を聞いて、一瞬視線をカイの方へと向けた。

 なぜならその声が、自分が想像していたよりも、近い距離から聞こえたからだ。

 

 見ると、カイの日焼けした顔は、まるで口づけされそうな程に迫っていた。

 それは、大勢の観客の声の中で、指示を伝えるためには仕方のないことだったのかもしれない。

 

 だが、それでも、セシリアは一瞬ドキリとした。

 とはいえ、出来るだけ平静を装って、ミランの方へと視線を戻す。

 

 恐らくその様子を遠くから窺っていたのだろう。ミランの表情は、明らかに険しいものへと変貌(へんぼう)していった。

 彼の感情が単に憎しみを表しているのか、嫉妬を表しているのかは、ここからではわからない。

 とにかく彼の何らかの強い情念が、セシリアを捉えて放さないことだけは確かなようだ。

 

「セシリア、ヤツを()()()()()()()

 追い込まれた者は、必ず思わぬことをしでかす。

 見たところ、ヤツは君に随分とご執心なようだな。

 だからこの戦いも、君が優勢になった時が、実は一番危ない。

 何か思わぬことを仕掛けられたとしても、決定的な隙に繋がらないよう十分気をつけておくんだ」

 

 セシリアはカイの言葉を頭に叩き込むと、静かに彼の方へ向き直って一つ頷いた。

 

 セシリアは目の前にいるミランが、普段稽古の相手をしてくれているカイよりも手強い存在だとはとても思えなかった。

 だが今、彼が警告してくれたように、ミランは何を考えているのかわからない不気味さを持っている。

 

「では、双方前へ」

 

 審判(ジャッジ)が掛けた声に合わせて、セシリアとミランが中央に進み出た。

 足音が殆どしないセシリアと比べると、ミランの金属鎧(プレートメイル)は歩く度に、キィキィと不快な金属音を立てている。

 

「双方、剣を抜きなさい。

 それぞれ、正々堂々と勝負することを誓うように」

 

 審判(ジャッジ)の言葉を聞いた二人は、それぞれ異なる言葉で騎士の誓いを立てた。

 

「我が名はセシリア・アロイス。

 この剣にかけて、正々堂々と戦うことを誓う!」

 

「我が名はミラン・ギャレット。

 この剣にかけ、我が身に恥じぬ戦いを誓おう。我に名誉を!!」

 

 二人の誓いを聞いた審判(ジャッジ)が、後方へ下がりつつ開始の声を上げる。

 

「では、始め!!」

 

 その言葉と共に、一斉に観客たちが声を上げた。

 セシリアとミランは声援に押されて、お互いが前方へ一気に踏み出してゆく。

 そしてもう一歩で剣が届くという距離になって、ミランがニヤリと不敵に笑った。

 

「ククク――。

 セシリア、手加減はしないぞ」

 

「無駄口を!!」

 

 セシリアはそう叫ぶと、振りかぶって先制の攻撃を仕掛けた。

 それは、ある程度、受け払われることを想定した左からの一撃だ。

 果たしてミランはそれを簡単に払うと、鋭い剣勢の反撃を加えてくる。

 セシリアがその攻撃をひらりと(かわ)すと、観客たちの声が一段と高くなった。

 

「躱したぞ!!」

 

 先ほど対戦を見たとはいえ、誰もがセシリアの実力を計り(あぐ)ねている。

 それもあって、闘技場に詰めかけた観客の大部分は、立場上劣勢なセシリアに声援を送っていた。

 

 セシリアがミランの攻撃を受け流すと、その度に観客たちはいちいち大きな歓声を上げる。

 すると一〇合もやり合わぬうちに、ミランの攻撃が大振りなものに変化し始めた。

 

 見れば彼の眼は赤く充血して、表情には余裕が伴っていないように思われる。

 額からは動く度に、大粒の汗が(したた)り落ちていた。

 

「チッ――!!」

 

 ミランは攻撃が一向に当たらないのに苛立っているのか、いちいち舌打ちを挟みながら剣を振るい続けている。

 対するセシリアは受け流すばかりで、決して無理な反撃を仕掛けようとはしていない。

 

 そしてそのやり取りが更に一〇合ほど続いた時、セシリアはミランの攻撃を、一旦ガッシリと剣で受け止めた。

 直後、彼女は力一杯押し返して、ミランが剣を持つ()に鋭く襲い掛かる!

 

「そこッ!!」

 

「クッ――!!」

 

 これまで大した反撃を受けてこなかったミランは、完全に不意を突かれてしまった。

 彼は不自然な体勢のまま防御を試みたが、方形盾(ヒーターシールド)の防御が間に合わない。

 次の瞬間、カンッ!という乾いた音が響いて、セシリアの剣がミランの籠手(ガントレット)をとらえた。

 

「――今のはいいわ。

 動きが鋭い」

 

 観戦席から二人の戦いを見守るオヴェリアが小さく呟く。

 

 一見、ミランが装着する籠手(ガントレット)には大した被害がないように見えた。

 だが、手首に打撲を負ったミランは、如実に攻撃速度を落としていく。

 

「あとは女性ゆえの非力さを、どうやって補うかね」

 

 オヴェリアは静かにそう呟くと、ニヤリと唇を吊り上げながら不敵に微笑んだ。

 

 打撃を受けてしまったミランの表情は、より一層焦りが見えるものへと変化を遂げた。

 彼は痛みで攻撃の精度が落ちているのか、ある程度剣を大雑把に振り回している。

 セシリアは注意深くミランの動きを見極めると、剣勢に巻き込まれないよう、隙が生まれるのを待った。

 

 ――そして、それはセシリアが隙を突いて、前に出ようとした瞬間の出来事だった。

 

 ミランが間合いを詰めてきたセシリアに向かって、一気に左手の()を振りかぶる。

 これまでいい加減に振り回されていた剣の動きは、実はミランがセシリアを誘い込もうと、仕掛けた()()だったのだ。

 

「クッ――!!」

 

 今度は罠にかかったセシリアの方が、窮屈な姿勢で身を守る番だった。

 彼女は慌てて盾を展開すると、襲いかかってくる方形盾(ヒーターシールド)の衝撃に備える。

 

 果たしてセシリアはミランの盾の一撃(シールドバッシュ)を、何とか防ぎきることに成功した。

 だが、盾を開き、両手で剣を持てなくなったセシリアは、そこからミランの剣勢に力負けするようになる。

 

「どうした! 逃げ回ることしかできないのか!?」

 

 ミランは騎士長というだけあって、充実した体力を持っていた。

 変わらず剣の振りは大雑把だったが、セシリアはジリジリと、闘技場の端の方へと追い込まれてゆく。

 

 だが、彼女は後退しながらも、冷静に反撃の機会を窺い続けていた。

 

 そしてセシリアは一瞬の隙を突くと、再びミランが剣を持つ手に向けて襲いかかる!

 その突進は身の危険を顧みないような、ある種思い切った攻撃に思えた。

 

「ぐあっ!!」

 

 セシリアが巧みに操る剣は、剣と盾の隙間を縫うように彼の手首を叩く。

 二度に亘って同じ場所を叩かれたミランは、痛みに耐えきれずに剣を取り落としてしまった。

 

「剣を落としたぞ!!」

 

 それを見届けた観客たちが、思わず大きな声を張り上げる。

 

 誰の目にもセシリアが、決定的なチャンスを得たように思えたのだ。

 とはいえミランは腐っても、騎士長に選ばれる実力を持つ騎士である。

 彼は地面に剣を捨て置いたままで、再び盾を勢いよくセシリアに叩きつけようとした。

 

 そして、その盾の一撃(シールドバッシュ)は、至近距離にいたセシリアの盾を綺麗に弾き飛ばす。

 ミランはそれに手応えがあったのか、宙を舞った盾を見て、一瞬ニヤリと表情を崩した。

 

「――ハァァァァッッ!!」

 

 直後、周囲に響いた声を聞いて、ミランの表情が凍り付いた。

 無論、ミランがセシリアの盾に気を取られた時間など、極々僅かな時間にしか過ぎない。

 

 だが、それはセシリアが()()()剣を構え、間合いを詰めるには十分な時間だった。

 ミランはその瞬間に、自分が陽動を仕掛けたのと同じように、彼女が()()()()()のも、時間稼ぎの陽動だったことを理解した。

 

「ば、馬鹿な――!?」

 

 セシリアが放った渾身の一撃は、ミランの脇腹を一直線に方形盾(ヒーターシールド)ごと真横から殴りつけた。

 それによって彼の磨かれた盾には、大きな凹みができてしまう。

 そして、ミランは剣で横殴りされた衝撃に、耐えることができなかった。

 

「グアアァァァァッッ!!」

 

 彼は方形盾(ヒーターシールド)を取り落とすと、堪らず真後ろに尻餅をついてしまう。

 

 これでミランは完全に丸腰になってしまった。

 明確に勝機を悟ったセシリアは、さらに前へと躍り出る。

 彼女は両手で剣を握ったまま、ミランの喉元に剣を突きつけようと、一気に突進した。

 

「セシリアッ!!」

 

 その時、観客席から響いた声に、彼女はハッと我に返った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25

 ――振り返らずとも彼女にはわかる。

 これは戦う前に忠告をくれた、カイの声だ。

 そして、彼女の頭には――鮮烈に()()()()()(よみがえ)る。

 

 直後、慌てて防御姿勢をとった彼女の視界に、得意げなミランと彼の手元で()()()()()()()()が映った。

 

「なっ――!?」

 

 闘技場にいた誰もがその目を疑ったに違いない。

 突如現れた目映いばかりの赤い光は、発生と共にセシリアの腹部に一気に襲いかかった。

 次の瞬間、彼女の身体に熱波と衝撃が訪れる。

 

「お嬢様ッ!?」

 

 半分悲鳴に近いような叫び声を、試合を見守っていたリーヤが放った。

 

 瞬間、セシリアの身体は、爆裂音と共に大きく後方へと吹き飛ばされている。

 直前まで決定的有利に立っていたはずのセシリアは、その直後、仰向けになって地面に転がった。

 

「な、何だ今のは――?」

 

「ま、魔法!? 魔法道具(マジックアイテム)を使ったんだ!」

 

「魔法? 失格っ、失格だっ――!!」

 

 闘技場の観客たちが、一気に色めき立った。

 

 セシリアの身体を打った光は、ミランが隠し持っていた炎の魔法道具(マジックアイテム)が放ったものだったのである。

 審判(ジャッジ)は想定していなかったことが目の前で起こって、対応を迷っておろおろと落ち着かない動きを見せた。

 

 模擬試合(デュエル)は伝統的に、魔法道具(マジックアイテム)の使用が禁止されている。

 その規定(ルール)に照らし合わすなら、ミランは反則で失格のはずだった。

 

 だが問題は、この特殊な戦いを、模擬試合(デュエル)規則(ルール)で裁いて良いものかどうか――。

 

 すると観客席の前列にいたオヴェリアが、その場に立ち上がって審判(ジャッジ)に指示を与えた。

 

「ダメよ! そのまま続けなさい!!」

 

 だが当のセシリアは、腹部に魔法の直撃を喰らって、倒れてしまっている。

 彼女は仰向けの状態のままで、その場からピクリとも動く気配がなかった。

 

「お、お嬢様は――!?」

 

 焦るリーヤを(なだ)めるように、カイが彼女の肩に手を置く。

 リーヤがカイを振り返ると、彼は無言のまま横たわるセシリアを眺めていた。

 

「大丈夫。

 魔法に特別強い訳ではないが、あれぐらいの衝撃であれば、あの鎧はビクともしない」

 

 その自信を持ったカイの言葉に促されて、リーヤは倒れたままのセシリアを見た。

 

 ――と、視線の先のセシリアの両腕が、ピクリと微かに動いたのが判る。

 

「まさか、あの直撃を受けて、まだ戦えるというのか?」

 

 ゆっくりと起き上がったセシリアを見て、観客たちがさすがにザワザワと声を上げ始めた。

 

 セシリアは魔法を喰らった瞬間、自分の身に一体何が起こったのかを把握できなかった。

 とにかく途轍もない力で吹き飛ばされて、地面に叩きつけられてしまったのだ。

 

 ただ幸い、熱も衝撃も、無機焼結体(セラミックス)はおろか(ホワイト)リザードの革を突き破っていない。

 それに特殊な髪飾りのお陰で、後頭部も打たずに済んでいた。

 

「む、無傷だというのか――」

 

 ミランはその事実を確認して、緩んでいた口元を歪ませる。

 

 果たしてセシリアの腹部には、目立つような傷どころか、焦げ目のようなものすら付いていなかった。

 鎧は燃え上がることもなければ、魔法の衝撃で傷一つついていなかったのである。

 

 そして、セシリアは剣を構えると、目の前のミランに向けて襲いかかった。

 

 制止の声は審判(ジャッジ)から掛かっていない。

 無論、目の前の()からも、命乞いをされていなかった。

 だとすればまだ、対戦は続いている。

 

 ならば、目の前の敵を倒すしかない――!!

 

 

 既に丸腰状態のミランは、セシリアの攻撃を躱す術がなかった。

 魔法道具(マジックアイテム)も連続では使えないのか、新たな魔法を繰り出してくる気配がない。

 

 果たしてセシリアが力一杯振り抜いた剣は――。

 

 見事にミランの腹部をなぎ払い、ミランはその衝撃によって、身体をくの字に折りながらバタリと倒れた。

 

「――しょ、勝負あり!

 勝者、アロイス家の長女セシリア!!」

 

 一瞬、気後れした審判(ジャッジ)が、慌ててセシリアの勝利を宣言する。

 直後割れんばかりの歓声が、闘技場を包んだ。

 

 勝利の宣言を聞いたセシリアは、真っ先にカイとリーヤの姿を探し出す。

 見れば歓声に囲まれたリーヤが、涙を流しながら喜んでいるのがわかった。

 それを戸惑いながら慰めるカイの様子に、思わずセシリアの頬が綻ぶ。

 

「気に入ったわ!!」

 

 オヴェリアは観客席から身を乗り出すと、セシリアを見つめながら大きな声を張り上げた。

 そして近くに控えていた騎士団長のアルバートを捕まえながら言う。

 

「アルバート!

 セシリアは私が()()()()ことに決めたわ。

 文句はないわね?」

 

 アルバートはその言葉を聞くと、途端に困惑した表情になった。

 見れば眉間に深い皺が寄って、発する言葉を選んでいるように見える。

 

「オヴェリアさま直属と仰いますと、その者は正騎士でなく、更に上位の上級騎士(パラディン)である必要がありますが」

 

「じゃあ、セシリアを上級騎士(パラディン)に任命するわ。

 騎士長に勝てるのだから、文句はないでしょ」

 

「恐れながら騎士憲章において、上級騎士(パラディン)に任命されるには、少なくとも遠征経験が必要とされています。

 セシリアは騎士に叙任されたばかりで、騎士としての遠征経験がございません。

 ――無論、来月には騎士として、遠征に参加いたしますが」

 

 微妙にオヴェリアとアルバートの間で、無言の視線が交差した。

 その間に何の駆け引きがあったのかはわからない。

 

 だが、少し冷静になったオヴェリアは、声色を落としつつ答える。

 

「――まあ、それぐらいは待ってあげないこともないわ。

 遠征に出たことのない騎士というのも、覚えは良くないでしょうしね。

 でも、来月の遠征が終わったら、セシリアは()()()()()()にする。

 それだったら異論はないわね?」

 

「承知いたしました」

 

 完全に本人を置いてけぼりにして、セシリアの処遇が決まっていく。

 

 

 

「――しかし、本当にあんな強い女騎士がいるなんてな。

 女騎士の活躍なんて、お(とぎ)(ばなし)の中だけだと思っていたよ」

 

 声援を送っていた観客の一人が、セシリアを見てポツリと呟きを洩らした。

 すると、それに追従するように、別の観客が反応を返す。

 

「確かに俺も今更『建国の聖乙女伝説』とやらを、思い出しちまった」

 

 この国には建国期に、通称聖乙女と呼ばれた()()()が活躍した伝説が残っている。

 無論、それは人々にとって、ただのお伽噺に過ぎない。

 

 だがこの国で暮らす人々は、誰もがその物語を聞いて育った経験を持つ。

 そして、その物語の中で、聖乙女が纏っていたとされる鎧が、女性らしさを強調した()()()だったのだ。

 

 もちろん、彼らは聖乙女の姿を実際に見たことはないし、その鎧も物語の中の文字でしか語られない。

 だが今、彼らの(まぶた)には、子供の頃に脳裏に描いた聖乙女の姿が甦っている。

 

 そんな彼らが思い浮かべたお伽噺の主人公は――目の前のセシリアに、よく似ていたのだ。

 

 

 

 

「カイ、本当にごめんなさい。

 わたし、あなたが作ってくれた鎧を傷つけてしまったわ――」

 

 戦いが終わって自宅に戻ったセシリアは、カイに向けて申し訳なさそうに呟いた。

 

 鎧には目立った故障はないものの、二度戦ったことで細かな傷が無数についている。

 特に戦いの中で弾き飛ばされてしまった盾は、多少修理が必要なほどに傷んだ状態になっていた。

 

「何を言う。

 どちらの対戦も、見事な戦いだったよ。

 それに鎧は傷ついてこそ、初めて価値があるものだ。

 汚れたり壊れたというのなら、修理すればいい。

 だが人間は、壊れたからといって()()()()()ということでは済まないからな」

 

 セシリアには、朗らかな笑みを浮かべるカイの表情が、何ともありがたかった。

 だが、彼女はこの鎧を仕上げるために、カイが何日も夜なべしていたことを知っている。

 

「でも――」

 

 沈んだ表情のままのセシリアに向かって、カイは再び口を開いた。

 

「この鎧の役割は()()()()ということだ。

 そして、その鎧を作って直すのが()()()()だろう?

 であれば何の問題もない。

 君は君にしかできない役割を果たし、この鎧も思っていた通り、役割を果たしてくれた。

 だとすれば次に役割を果たすのは、俺の番だよ」

 

 セシリアはその言葉に頷くと、両目を閉じたまま柔らかく微笑んだ。

 そして彼女はカイに向けて――ありがとう――と、小さく呟く。

 

 こうして、何もかもが異例ずくめだった叙任式は、二人の笑顔と共に幕を閉じたのである――。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嫉妬と約束
26


「セシリア様。

 今、よろしいでしょうか?」

 

 ここは宮殿に詰める騎士たちの執務室。

 机に向かって雑務をこなすセシリアは、かけられた声に気づいて顔を上げた。

 

「ええ、大丈夫よ」

 

 彼女はそう言って、金色の髪を掻き上げながら静かに微笑みを返す。

 すると声をかけたメイドが執務室に入ってきて、ゆっくりとセシリアの前へと進み出た。

 

「セシリア様、アルバート騎士団長がお呼びです。

 ご自身で遠征の計画を、セシリア様にご説明されるそうで」

 

 それを聞いたセシリアは、首を傾げ、若干意外そうな表情を作る。

 

「あら、騎士団長自らですか?

 それは光栄なことですね。

 すぐにお部屋に向かうとお伝えください」

 

 正直、騎士団長自らという部分に、何か別の意図を感じなくもなかった。

 だが、セシリアはその懸念を表に出すことなく、メイドに向かって快く了解の言葉を返す。

 

 通常、この街の騎士団に所属する騎士は、一日の殆どの時間を領内の巡回に費やす。

 騎士は、見習いや兵士を引き連れながら、巡回によってこの街の治安維持に努めているのだ。

 

 ただ、基本的に騎士というものは、単独行動を推奨されていない。

 なので巡回中の異変は逐一記録して、持ち帰ることが推奨されていた。

 

 例えば、巡回する集落の近くに、ゴブリンや小鬼(オーク)が出現したとしよう。

 だが、騎士はその場でいきなり、ゴブリンたちに斬りかかるようなことはしない。

 

 原則として、騎士は騎士団の判断を仰いでから、行動することが求められている。

 住民たちもそれを理解した上で、さまざまな相談事を『騎士様』に持ち帰ってもらうのだ。

 

 そして後日、住民の訴えは、騎士団の判断を経てから対応されることになる。

 結果、ゴブリンや小鬼(オーク)を退治するために、数人の騎士たちが現れることもあるし、「自力で対処せよ」という、つれない返事だけが返ってくることもある。

 

 一方、宮殿を守るのも騎士たちの重要な役割である。

 従って巡回に出ない騎士は、原則宮殿で待機することになっていた。

 騎士はその警戒の合間に、雑務をこなしながら、交代で宮殿や要人の警護にあたるのだ。

 

 

 セシリアがアルバート騎士団長の部屋を訪れてみると、珍しく彼は書類仕事をしていた。

 どうも彼はいつ訪れてみても、植木鉢に水をやっているような印象がある。

 何となくセシリアはそんなことを思い浮かべながら、頭の中で想像した情景にクスリと笑みを漏らした。

 

「よく来た、セシリア。

 早速だが、この資料に次の遠征に関することが纏められている。

 今更言うまでもないことだが、事前に必ず目を通しておくように」

 

「ありがとうございます。

 拝読します」

 

 セシリアがアルバートから資料を受け取ると、彼は続けて話し始める。

 どうやら資料を渡すのが、主たる目的ではなかったらしい。

 しかも、あまり楽しくない話が続くのか、彼の眉間の皺が少し深くなったように思えた。

 

「今日ここへ来てもらったのは他でもない。

 遠征までに君に話しておきたいことがあったからだ。

 ――昨年一年間で、()()()

 君はこれが何の件数だか、わかるかね?」

 

「いいえ」

 

 セシリアが素直にそう答えると、アルバートは一つ息を吐き出してから、低い声で話を続けた。

 

「この国の騎士団が、昨年一年間に引き起こした()()()の件数だよ」

 

「――――」

 

 セシリアはアルバートが伝えてきた事実に、どう反応して良いか判らなかった。

 

 この国には、王都を含む主要な都市それぞれに、独立した騎士団が置かれている。

 よってアルバートが言った十六件の事件全てが、この街の騎士団が引き起こしたものということではないだろう。

 

 だが、一年間で十六件――。

 これを多いと思うか少ないと思うかは、意見が分かれそうだ。

 

「大変恥ずかしいことではあるが、外側にだけ騎士が戦うべき敵がいる訳ではない。

 場合によっては騎士団の中で、思わぬ事件に巻き込まれてしまうことがある。

 つまり、十六件の内の殆どは、騎士同士のいざこざによる暴力事件なのだ。

 だが、その事件の中には、いくつかの()()()()()も存在する」

 

 アルバートはそこまで話すと席を立って、セシリアに背を見せながら後ろ手を組んだ。

 

「あろう事か騎士が住民や仲間を手に掛けたり、危害を加えてしまう事例が存在するということだよ。

 昨年は二件の殺人と、三件の婦女暴行事件があった。

 これは当然ながら、大変恥ずべきことだ」

 

 セシリアはアルバートの話す内容に、次第に表情を曇らせる。

 

「なぜ、私が敢えて騎士団の恥部を晒すのかを理解してもらいたい。

 君は先日の叙任式で、晴れて正式に騎士叙任された。

 それは君がこれ以降は、()()()()()()()()()ということを意味している。

 ――ひょっとしたら君は、何を当たり前のことをと思ったやもしれぬ。

 だが、私が言いたいのは、君はもはやエリオット殿下付きの騎士見習いではなく、一人の()()()()()()なのだということだ」

 

「独立した騎士――」

 

 セシリアが口の中で繰り返した言葉を聞いて、アルバートは振り返りながら静かに頷いた。

 

「君は今まで騎士見習いの身分で、何度か遠征に随行したことがあるはずだ。

 だが、そこで君自身に危害が及ぶようなことは、なかったと記憶している」

 

「それは、わたしがエリオット殿下付きの騎士見習いだったことで、暗黙の内にわたし自身が()()()()()()、と仰っているのですね?」

 

 セシリアが彼の真意を確かめるように尋ねると、アルバートはそれを肯定する。

 

「そうだ。

 そして、その庇護(ひご)はもう()()()()

 エリオット殿下は、もはや君を助けようとはすまい。

 君は自分の力で、自分の身を守らねばならないということだ」

 

 セシリアはアルバートが口にした言葉を、心に留め置こうと思った。

 

 敵に勝てばよいという話ではない。

 自分自身を守れなければ、騎士としてやっていくことはできないのである。

 

「ご忠告、ありがとうございました」

 

「もちろん、何も起こらないことに越したことはない。

 それに私も自分の騎士団で、()()()()()を簡単に見過ごすつもりはない。

 だが私が四六時中、君を見守っているという訳にもいかぬ。

 だからこれは要らぬことと思いながら、敢えて口にするのだが――」

 

 アルバートはそこまで言うと、少々言いづらそうな面持ちで、続きの言葉を吐き出した。

 

「君がもし懇意(こんい)にしている人物がいるのなら、()()()()がないようにはしておいて欲しい」

 

「――――」

 

「無論、我々は今回の遠征で、死地に赴こうとしている訳ではない。

 だが、遠征先に危険があるのは間違いない。

 そうでなければわざわざ騎士団が遠征する必要などないのだから。

 であれば、常に最悪の事態を想定しておくべきだ。

 それに、以前も言ったと思うが、初めての遠征で帰らぬ者となる新人騎士は多い」

 

「ご配慮いただき、感謝いたします」

 

 セシリアはあまり表情を変化させないまま、平坦な声色で感謝の言葉を述べた。

 その口調はどちらかというと、この話題を早く切り上げたいという意思を感じさせる。

 

 すると、アルバートはその空気を読んだのか、それ以上はこの話題を続けようとしなかった。

 

 何しろ彼女には確かに懇意にしている男性がいて、思い残しならぬ、一方通行のように思われる感情を抱いている。

 セシリアはそれについて詳しくここで話したいと思わなかったし、話したところでそれが解決するとも思っていなかった。

 ただ、彼女は自分が抱く想いが、『遠征』という外的な要因によって、無理に背中を押され始めたのをひしひしと感じる――。

 

「それと、あまり聞きたい話ではないかもしれぬが、一応君の耳に入れておく」

 

 そう予告されたことで、セシリアは心の中で身構えた。

 大体、アルバートに呼び出された時は、ひとつふたつは悪い話が付いてくる。

 

「君と先日対戦した騎士長の()()()のことだ」

 

 その名前を聞いてセシリアの表情は、一気に不快感溢れるものへと変わった。

 

「慎重に協議された結果、あの戦いは正式な模擬試合(デュエル)として扱われぬことが決まった。

 模擬試合(デュエル)の延長で実施されたものではあるが、新人騎士でないものが模擬試合(デュエル)に出場したという記録を残す訳にはいかぬ。

 つまり、模擬試合(デュエル)の中では禁じ手とされている魔法道具(マジックアイテム)を使ったミランは、あの戦いが模擬試合(デュエル)でない以上、()()()()()()()――ということだ」

 

「すぐに復帰されるということですね」

 

 罰が与えられないとはいえ、彼の名誉回復はならなかった。

 そして更にセシリアに負けたことで、彼の名声は地に落ちている。

 だが、騎士団に復帰してくるというのなら、また顔を合わせる機会が生まれることだろう。

 それを理解したセシリアは、心の中で大きな溜息を吐いた。

 

「そうだ。実はそのまま騎士長として復帰する以上、君の上官になる可能性もあった。

 だが、さすがにそれは許さぬとオヴェリア様から直接注文が付いたのだ」

 

 その言葉を聞いたセシリアは、年下の赤毛の少女に心から感謝したい気持ちになった。

 

 自分がオヴェリアの直属の騎士になるのは、遠征が終わってからである。

 だが、次に顔を合わせた時には礼を言わねばなるまい。

 

「ただ、ミランは次の遠征には随行する。

 つまり、遠征で君とは違う持ち場に就くということだ」

 

「お気遣いいただき、ありがとうございます」

 

「私はオヴェリア様の指示に従ったに過ぎぬ。

 本当はミランを遠征に連れて行かなければよいだけだが、それはそれで許さぬと他方面から指示が出ていてな――。

 それでなくても今回の遠征は、ハーブランド家からの注文が多くて、現場がかなり振り回されているのだ。

 ミランを最終的にお咎めなしに持ち込んだのも、ハーブランド家からの意向が強いと言われているからな」

 

「――ハーブランド家が?」

 

 セシリアはその名前を聞いて、一瞬怪訝(けげん)な表情をとった。

 

 ハーブランドは模擬試合(デュエル)でセシリアと対戦した、カールという次男坊の実家である。

 そして、この街を実質支配する三大貴族家(トライアンフ)の一角を成す大貴族だ。

 ひょっとしたら、自分がカールを叩きのめしたことが、何か良くない作用をしているのだろうか――?

 

 だが、その詳細には触れたくないのか、アルバートは話題を切り替えた。

 

「とにかく、初めての遠征は気をつけるに越したことはない。

 ゴブリンとて十分危険であることを、頭に置きながら行動できねば()()()()

 

「肝に銘じます」

 

 セシリアはそう答えながら騎士長のミランが、謹慎に到った原因を思い起こしていた。

 彼が処罰を受けた原因は、まさにそのゴブリンを侮ったことにあったからだ。

 

 彼が率いた騎士の一隊は、ゴブリンを侮り、最終的にゴブリンの反撃を受けた。

 しかもミランは判断を誤って、街に逃げ帰るように退却してしまったのだ。

 結果、ゴブリンの大群は街になだれ込んでしまって、戦線は街中を混乱させて広がってしまった。

 幸い近くにいた冒険者たちが対抗して事なきを得たが、街には決して無視できない被害が出てしまった。

 そして、その責任を追及されたことで、ミランはしばらく謹慎処分にされたのだ。

 

 だが、本来であれば、彼は騎士長の任も解任されて(しか)るべきである。

 それが謹慎のみという形で済んだのは、彼が中堅貴族のギャレット家の跡取りで、三大貴族家(トライアンフ)であるハーブランド家の()()()()だからという理由が大きい。

 だから今回の模擬試合(デュエル)の後始末についても、ハーブランド家が彼を(かば)ったのかもしれない――。

 

 セシリアはアルバートの居室から退出しながら、ふと、それとは別の事件を頭に思い浮かべた。

 それは彼女が騎士見習いになった頃に起こった、この国の騎士は誰もが知る騎士団の失敗に関する逸話である。

 その逸話は、事件の中心となった村の名前をとって()()()()()()()などと呼ばれていた。

 

 そして、その事件も騎士団が引き起こした、ゴブリンの大群に関する失敗だったのである――。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27

 夜、セシリアは、いつものようにカイを伴って、奇跡の酒場で夕食を共にしていた。

 彼女はカイとの会話の中で、アルバートから「ゴブリンを侮るな」と忠告を受けたことを話の種にする。

 無論、その前にアルバートから「思い残しがないように」と言われたことは、心の中に伏せておいた。

 さすがにその話題に触れてしまうほど、彼女に勇気は備わっていない。

 

 談笑しながら食事を終えたセシリアは、食後の果実酒(ワイン)に口を付けた。

 

「――それで、ゴブリン絡みの話を聞いたせいで、ルサリアの悲劇なんて話を思い出しちゃったのよ」

 

 彼女はお酒の力もあるのか、いつもより饒舌(じょうぜつ)にその話題を切り出した。

 

「ルサリアか。

 あれは、悲劇というよりも()()の類いだとは思うけどな――。

 良かったら君が、その話をどう伝え聞いているのかを教えてくれないか?」

 

 カイがそうセシリアに頼むと、彼女は静かに頷きを返す。

 そして、セシリアは自分の知るその逸話を、ゆっくりと語り始めた。

 

 

 ――セシリアが語ったルサリアの悲劇とは、こんな話である。

 

 ある街の騎士団が遠征を行っていた。

 すると、騎士たちが向かった先で、住民から一つの情報が持ち込まれる。

 それは辺境のルサリア村の近くにゴブリンの巣があるという情報だった。

 

 騎士たちは相談の上で、五人ほどの部隊を組み、その村に赴いて巣の様子を見に行くことにした。

 すると、その部隊は村へと向かう街道途中で、数体のゴブリンに遭遇する。

 

 部隊の中の最も若い騎士が、

 

「ゴブリンはこちらに気づいていません。

 このままやり過ごして、村への到着を急ぐべきでしょう」

 

 と言った。

 それに反対した中堅の騎士は、

 

 「ゴブリンを見つけた以上、騎士として見逃すべきではないだろう」

 

 と主張した。

 結果、その部隊を率いていた騎士隊長は、ゴブリンたちを退治すべきと判断したのだ。

 

 街道近くにいたゴブリンは五匹。

 だが、それを追う騎士たちは全員、金属鎧(プレートメイル)を身につけている。

 

 そのせいで鎧が擦れ合う音が響いて、騎士たちはゴブリンに気づかれてしまった。

 結果、騎士たちは三匹のゴブリンを討ち取ったものの、残りの二匹を討ち洩らしてしまう。

 

 すると、部隊の最も若い騎士は、

 

 「取り逃がした二匹を、今すぐ追うべきです」

 

 と主張した。

 彼は巣に戻ったゴブリンが、加勢を呼んで反撃に来る可能性が高いことを知っていたのだ。

 

 だが、騎士隊長はこれ以上の寄り道はできないから、二匹を追わずに村への道を急ぐべきだと判断した。

 結果、取り逃がした二匹のゴブリンは、無事に巣へと辿り着いてしまう。

 

 そして、ゴブリンたちは仲間を集めて、そこから最も近い人間の集落をいきなり襲った。

 突然の襲撃を受けた集落の人々は、凄惨な皆殺しに遭って、その集落は崩壊。

 そんなことをつゆ知らぬ騎士たちは、翌日ゴブリン退治をするための計画を、ルサリア村で相談していた。

 

 ところがその夜、ゴブリンの大群が、ルサリア村を襲撃する。

 寝静まったところを夜討ちされたルサリアの村は、まさに阿鼻叫喚の地獄と化した。

 しかも、その騒ぎに気づいた別の巣のゴブリンたちが、村への襲撃に加勢してしまう。

 結果、五人いた騎士たちの部隊は、ゴブリンの群れに圧倒されて全員が殺されてしまった。

 守る人のいなくなったルサリアは崩壊してしまい、村は(おびただ)しい死傷者で溢れかえったという――。

 

 この事件は、均衡状態にあったゴブリンと住民との関係を、騎士たちが掻き乱して崩壊する切っ掛けを作ってしまったという話だ。

 仕留め損なったゴブリンは仲間を呼ぶ上に、誰かを殺すまで止まらない。

 冒険者であれば誰もが知るような基礎知識を、騎士たちが知らなかったのが原因である。

 つまり、ルサリアの悲劇というのは、ゴブリンを侮った騎士が取り返しの付かない失敗を引き起こしたという戒めの逸話なのである――。

 

 そこまでをセシリアが語ると、カイがその話の終わりに口を開いた。

 

「なるほど。

 そういう内容と結末で、この街の騎士団では語り継がれているのか」

 

「どういうこと?」

 

 セシリアはカイが放った言葉に、訝しげな表情を見せて問い掛ける。

 

「実はルサリアの悲劇には、もう少し()()があるってことさ」

 

「続きですって?

 それは、聞いたことがないわ」

 

「ひょっとしたら、続きという言い方は、適切ではないのかもしれない。

 むしろ()()と言った方がいいのだろうな。

 何しろ実際は、ルサリアの村は全滅しなかったし、五人の騎士の中にも生き残った者がいる」

 

「なっ――!?

 本当なの? それ」

 

 村の被害は元より、騎士の失敗まで誇張されているというのは(にわか)には信じがたい。

 ところがカイは頷いて肯定すると、セシリアの知らないルサリアの悲劇の()()を語り始めた。

 

 彼が言うにはルサリア村は、半壊したものの村人の大多数が生き残ったのだという。

 これはゴブリンの来襲を感知した()()()()()()が、早々に戦線を離脱して、近くの騎士隊に援助を頼んだからだ。

 結果、救援に現れた部隊の活躍で、村は何とか全滅せずに持ち堪えた。

 

 だが、最初にルサリアに向かった五人の騎士たちは、助けを呼びに行った最も若い騎士を除いて、全員が死亡した。

 逆に言えば、最も若い騎士だけは、ルサリアの悲劇で()()()()()というのである。

 

 ただ、その後、彼が戦場を離脱して、援軍を頼みに行った行為が問題になった。

 

「それを、戦線の放棄とみるか、村を守るための適切な判断とみるかで意見が分かれたんだ」

 

 カイがそう言うと、セシリアがそんな馬鹿な話はないというように口を挟んでくる。

 

「ちょっと待って。その騎士が救援を呼ばなかったら、村は完全に崩壊してたじゃないの」

 

「普通に考えればそういうことになる。

 だが、普通に考えたくない奴らも沢山いた、という訳だ」

 

「普通に考えたくない――?

 誰なのそれは?」

 

 セシリアが問い掛けると、カイは果実酒(ワイン)(あお)ってから話し始めた。

 

「この事件は、騎士団にとっての汚点になる。

 それは誰もがわかっていたことだ。

 だが問題は、()()()()()この事件が起きたのか――ということだ」

 

 それだけでは十分に理解できなかったのか、セシリアがカイの目をじっと見つめている。

 

「この事件で死んだ騎士は、誰もが有力貴族の出身だった。

 彼らは死んだ自分の息子たちを、この事件の主犯にはできなかったんだ。

 死んだ我が子に、罪を着せることができなかった。

 だから、貴族たちは汚名を回避するために、最も若い騎士がゴブリンを刺激したのが事件の発端であると()()()したのさ。

 そして、戦場を早々に離脱したその若い騎士を、蛮族誘引と戦線放棄の罪で、街からも騎士団からも追放した」

 

「なっ――何てこと!?

 そんな酷い話が――」

 

「ある。いや、()()()()()()

 君も知っているだろう?

 今からたった、七年ほど前の話だ」

 

 カイが断言したことで、何とも言えない沈黙が二人を包み込む。

 

 セシリアは知らなかったとはいえ、あまりに理不尽な話に、どこかモヤモヤとした気分を抱え込んでしまった。

 だが、考え事をしていたセシリアの頭の中に、ふと素朴な一つの疑問が湧き上がる。

 

「それにしても、カイはこの事件のこと、随分と詳しいのね?」

 

 彼はセシリアの言葉を聞くと、ニヤリと表情を崩した。

 どうも彼の顔を見ていると、その質問が来るのを待ち受けていたようだ。

 そして、カイは干し肉を摘まみながら、何でもないことのように言う。

 

「そりゃあ、詳しいに決まっているだろう。

 何しろ、この話に登場する最も若い騎士というのは、()のことなんだからな」

 

「――なっ――何ですって!?」

 

 セシリアはあまりの驚きに、それ以降の言葉をうまく繋げることができなかった。

 

「もう六、七年も前の話だ。

 今更、特別な感情も湧き上がっては来ない」

 

 カイは気にせずそう言って、手にした果実酒(ワイン)を勢いよく一口で呷った。

 隣の席に腰掛けたセシリアは、カイの横顔を眺めながらも、掛けるべき適切な言葉を見つけることができない。

 

 確かにこの『奇跡の酒場』の主人は、カイを元騎士だと言っていた。

 ただ、セシリアはそれを積極的に、真実かどうかを確かめようとしたことがない。

 それは彼の過去を詮索することが、二人の関係にどのような作用をもたらすのか、想像できなかったからだ。

 だが、セシリアは事情を聞かされて初めて、彼の元騎士という肩書きが、実は重い過去を背負うものであったことを知る。

 

「今の俺がルサリアの件について、語れることはそう多くない。

 恐らく語れることでもっとも有用だと思えるのは、そこで得たいくつかの教訓だけだと思う。

 まず一つ言えるのは、自分がどんなに慎重であっても、共に戦う騎士たちが同じ慎重さを持つとは限らないということだ。

 もっと言ってしまえば、同じ目的を持つはずの仲間に、足を引っ張られてしまうことすらある。

 特に隊を率いる上官の善し悪しは重要だ。

 上官の出来不出来が、隊の全員の運命を左右してしまうことも多い」

 

 最終的に貴族たちに責任を(なす)り付けられ、街からも騎士団からも追放されるに至った彼の心中は察するに余りある。

 だが、「特別な感情はない」と断言していた通り、カイの発する言葉は至って淡々としているように思えた。

 

 カイはどうやって、自らの身に起きた悲劇を心の中で受け止めたのだろうか?

 追放されてしまった彼はなぜ、この街に辿り着くことになったのか?

 彼はどういう経緯で元騎士から、解体(ジャンク)屋になるに至ったのか?

 

 そして、彼はなぜあれほど、見事な出来映えの鎧を作ることができるのか――?

 

 

 セシリアは疑問が次々に湧き上がる頭を抱えて、グラスを傾けながら、カウンターに肘を突いた。

 そして、淡々と話し続けるカイに向けて、少し思わせぶりに頭を(かし)げる。

 

「ねぇ、カイ。

 わたしもっと、あなたの話が聞きたいわ」

 

 カイは視線だけセシリアの方に向けると、それを何でもないことのように返答した。

 

「話を?

 別に構いはしないが。

 ただ、俺の過去に大して面白い話がある訳でもないと思う」

 

 その答えを聞き遂げると、セシリアは小さくフフフと悪戯っぽく笑って、彼の身体に(にじ)り寄った。

 どうやらお酒の力が、彼女を少し大胆に変えているのかもしれない。

 

「いいのよ、それでも。

 わたしはもっと、あなたのことを深く知りたいだけだから」

 

 それが今のセシリアにとって、彼との距離を詰めるための精一杯の言葉ではあった。

 ただ、カイは耳に届いたその声色に、セシリアの感情の高まりを感じ取ったようだ。

 それに、彼がセシリアの方を振り返ってみると、彼女の上気した顔が徐々に近づきつつある。

 

 ――これはきっと、お酒のせいに違いない。

 

 セシリアもカイも二人共が、心の中で同じ理由(いいわけ)を考えた。

 だが、少しずつ距離を詰めるセシリアを見て、カイは照れるようにしながら別の方向へと視線を外す。

 

「どうしたんだ、今日は随分――」

 

 カイはそこまで言ったものの、続く言葉を吐き出さずに飲み込んだ。

 

 一体、その後に続く言葉は、何だったのだろうか?

 普通に「積極的だ」という言葉だったかもしれないし、ひょっとしたら「魅力的だ」などという嬉しい言葉だったのかもしれない。

 

 とにかくカイは言葉を飲み込んでしまって、その真意を知ることはできなかった。

 

 そうして、少し見つめ合うようにしている二人の間には、静かな沈黙の時間が流れていく。

 すると、カイが再び視線を外して、席を立ちながらセシリアに向かって微笑んだ。

 

「――今日はもう遅い。

 少し酔っているようだし、俺が家まで送って行こう」

 

 さすがに衆人の目のある場所では、口づけする訳にも、抱擁する訳にもいかない。

 セシリアはそれを頭で理解した上で、少し俯きながら口を開いた。

 

「ごめんなさい。確かに酔ったのかもしれないわ。

 迷惑を掛けてしまったかもしれないわね」

 

 セシリアは自分の想いが、彼にとって不必要な重荷になっているのかもしれないと思った。

 先ほどの言葉は、それも示唆した謝罪だったのだが、カイはそこまでの理解をせず、単に彼女を家まで送らなければならないことへの謝罪と受け取ったようだ。

 

「いいや、気にすることはないさ。

 君を守る鎧を作る以上、君自身を守るのも当然だからな」

 

 セシリアは、カイが発した「君自身を守る」という言葉が嬉しかった。

 だがその歓喜の反面で、少し消沈した想いも抱いてしまう。

 

 何しろカイはどこまで行っても、セシリアに鎧越しでしか接してくれていないのだ。

 もちろん彼は自分のことを、大切にし、気に掛けてくれているような気がする。

 自分に大して少なからず好感を抱いてくれているような――そんな、朧気(おぼろげ)な実感もあったのだ。

 

 だが、自分と彼との間には、あの陶器で出来た鎧が存在している。

 結果、彼の想いは、まずは鎧に向かっていて、()()()()自分に向いているように思われた。

 

 例えばカイは、鎧のことがなかったとしても、セシリアが誘えば夕食を共にしてくれるのだろうか?

 

 セシリアはそれでもカイが自分に応えてくれるという、絶対的な自信を持つことはできなかった。

 そして彼女はその時、浮かんできた自分の感情に思わず苦笑してしまう。

 

 まさか()()()()にまで、嫉妬することになるとは思いもしなかったのだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28

 遠征の出発まで、一週間を切った。

 模擬試合(デュエル)での二戦以来、セシリアの鎧は修理と調整のためにカイに預けられたままになっている。

 そして彼との約束通りであれば、そろそろ修理と調整が終わっている頃であった。

 

 果たしてセシリアがカイの店を訪ねてみると、そこには汚れた作業着姿のカイがいた。

 ふと見ると、玄関扉の表側には、『関係者以外お断り』という殴り書きが貼り付けてある。

 それを見たセシリアは、口に手を当てクスリと笑いながら店の中へと入っていった。

 

 店の作業場の中心には、見慣れた無機焼結体(セラミックス)の鎧が置かれている。

 それは完成直後の状態と同じように、真っ白で輝くように淡い光を放っていた。

 細かな傷や汚れなども、綺麗に拭われ修復されているようだ。

 

 セシリアは、その出来映えに感心すると、鎧の状態を実際に手にとって確かめようとした。

 するとカイはセシリアの動きを遮るかのように、彼女と鎧の間に割って入ってくる。

 

「――?

 どうしたの? まだ触っちゃいけなかった?」

 

 セシリアはその行動を不審に思って、素朴な表情でカイに質問した。

 すると彼は随分と真剣な眼差しで、セシリアの顔を眺め見る。

 

「覚えているか、セシリア。

 俺は前に君と対戦して勝ったことがある。

 そしてその時に、君は俺に約束したはずだ。

 ひとつ、俺の言うことを()()()()()、と」

 

 カイが急に引き合いに出したのは、セシリアが剣を教えて欲しいと頼んだ時のことだった。

 

 確かにあの時セシリアは対戦に負けて、カイの言うことを一つ()()()()()と約束したように思う。

 だが、セシリアはその時のことを、今になって持ち出されるとは思いもしなかったのだ。

 

「――覚えているわ」

 

 そう素直に肯定しながらも、セシリアはカイが何を言い出すのかと警戒心を抱いてしまう。

 彼はセシリアの言葉を聞くと、一つ頷いた後に、静かに願いごとを語り始めた。

 

「じゃあ今から、俺の願いというやつを伝える。

 それは、俺がこれから君に説明することを、できる限り他の誰にも言わないで欲しいということだ。

 つまり今から君に説明することは、全て()()()()()()()()ということになる。

 それを守ると、まず誓ってくれないだろうか」

 

 セシリアはカイの願いごとを聞いて、正直拍子抜けした思いを抱いてしまった。

 何しろ彼女はひょっとしたら、()()()()()()()()のではないかと想像していたからだ。

 

 もし、そうだとしたら、自分はどう答えるのだろうか――?

 そんな嬉しいような困ってしまうような、よく判らない妄想に比べて、カイが願ったことは、ほんの細やかな願い事のように思えた。

 

 だが、よくよく考えてみると、今からカイが何を説明しようとしているのかが気に掛かる。

 それに『カイと自分だけの秘密』という言葉が、妙にセシリアの胸を高鳴らせた。

 

「いいわ」

 

 セシリアが比較的容易に答えると、カイは改めてその約束の重さを再確認しようとする。

 

「剣に誓って?」

 

「――剣に誓って」

 

 まるでそれが合い言葉であるように、騎士の誓いが交わされる。

 カイはセシリアの言葉を聞いて安心したのか、ようやく本題の話を切り出し始めた。

 

「俺はこれから君に見せるものを、他の誰にも()()()()()()()()

 それをなぜ秘密にしていたのかを、まず理解して欲しいんだ」

 

 それを聞くとセシリアは改めて、カイにとって自分の存在が特別であることを認識する。

 それはセシリアが望んでいたことでもあるし、彼女にとって喜ばしいことでもあった。

 だが、一方で彼が、今から何をしようとするのか不安になり始める。

 

 カイはセシリアに一旦背を向けると、作業場の窓を全て閉め切った。

 そして一枚の白い板を取り出すと、それをセシリアの目の前で意味ありげに見せつける。

 どうやらカイが手に持つ白い板は、彼が以前無機焼結体(セラミックス)と呼んでいた補強板のようだ。

 

「この無機焼結体(セラミックス)は、その辺の物質よりも遥かに硬いという性質がある。

 だから斬り裂く攻撃や、ある程度の衝撃には、金属よりも遥かに高い防御力をもつ。

 それは恐らく、君も模擬試合(デュエル)で実感したことだろう。

 ――ところが、こいつにも弱点があるんだ。

 それがこれだ。よく見てくれ」

 

 カイはそう言うと、金属の台座のような(かな)(どこ)に、手に持った無機焼結体(セラミックス)の板を置いた。

 そして、次の瞬間。

 彼はその板を、先の尖ったハンマーで思いっきり打ち叩く――!!

 

 するとカシャンという乾いた音と共に、板は(もろ)くも割れ散ってしまった。

 

「割れた――!?」

 

「そうだ、割れた。

 こいつは途轍もなく硬い物質なんだが、残念なことに()()がない。

 そこに極端に大きな力が掛かると、脆さが立ってあっさり割れてしまうんだ。

 割れると鉄のように叩いて直したり、傷を埋めて修復するようなことはできない。

 そうなると、この板ごと取り替えるしか修理の方法がないんだ」

 

 カイはそこまで言うと、何かに思い当たったように、俯きながらブツブツと呟く。

 

「――そう、鎧の一部など、取り替えれば済む話だ。

 割れてしまった無機焼結体(セラミックス)の板は、単に新しいものに取り替えればいい。

 だが、人間の身体はそういう訳にはいかない。

 例えばこの板が割れてしまった後に、同じ箇所に攻撃を受けてしまえば、その一撃が致命傷になってしまう」

 

 カイはそう言って、補強板の弱点を語ると、顔を上げてセシリアの両目を見た。

 セシリアはどう反応して良いのか分からず、無言のまま彼の視線を受け止める。

 

 どうやらここからが本題なのか、カイは一つ深呼吸してから再び語り始めた。

 

「もう一つ、こいつには弱点がある。

 それは、物理的な攻撃に強いとしても、魔法に対する抵抗力が()()()()()ということだ。

 例えば模擬試合(デュエル)のような魔法道具(マジックアイテム)を使わない戦いなら、そんな弱点は問題にはならないだろう。

 君も戦いの中で実感した通り、こいつの防御力の高さは半端じゃない。

 だから、ちょっとした魔法程度であれば、突き通って身体に被害を受けることもない。

 でも遠征に出る君が戦う相手は、おそらく人間でなく蛮族や魔物になるんだ。

 そこにはゴブリンや小鬼(オーク)だけでなく、腕力や魔法に()けた強敵がいるだろう。

 例えば、この鎧で巨人(トロル)が振るう棍棒の一撃が防げると思うか?

 例えば、この鎧で黒妖精(ダークエルフ)の放つ魔法が防げるだろうか――?」

 

 そう問い掛けられたセシリアは、割れた白い小板を見つめながら、微かに頭を横に振った。

 期待通りの答えを得たカイは、一つ頷いてから断言する。

 

「そう、君が想像した通り、答えは『否』だ。

 つまり、この陶器の鎧は、君がこれから迎える戦いへの備えが()()()()()()ということになる」

 

 セシリアはカイから思わぬ話を聞いて、どう反応すれば良いのか全くわからなくなった。

 

 これまで目の前にある美しく素晴らしい性能の鎧に、十分に満足していたのだ。

 だが、彼が鎧に求めている品質は、もっと高い水準にあるらしい。

 それは、セシリアからすれば、予想もしなかったことだった。

 

 ただ、類推するに恐らく、完成度を高めるための手段というのが、カイが「秘密にして欲しい」と言っていたことなのだろう。

 

 果たして彼は厳重に鍵の掛かった棚から、もう一枚、無機焼結体(セラミックス)の白板を取り出した。

 だが、どうも見てみると、先ほどの白板よりも若干色が黄色み掛かって見える。

 

 カイはそれを金床に置くと、先ほどと同じように先の尖ったハンマーを構えた。

 だが、カイは何も言わず、その姿勢から動こうとしない。

 セシリアも無言のままで、彼の動きをじっと待ち続けた。

 

 そして――次の瞬間。

 

 カイは金床にある黄色み掛かった板に狙いを定めると、先ほどよりも力強くハンマーを叩き付ける!!

 

「――!?

 なっ――こ、これは!!」

 

 途端、バチッ!っという衝撃音と共に、周囲に鋭い光線のようなものが走った。

 セシリアは目の前で起こった光景に、思わず一瞬目を反らしてしまいそうになる。

 

 小さな無機焼結体(セラミックス)板を目掛けて打ち付けられたハンマーは、板に接触する()()で、見えない透明の膜のようなものにぶつかったのだ。

 直後、鋭い火花のような光が放たれて、カイが持つハンマーがグッと押し返されたように見えた。

 

「こ、これはまさか――魔法道具(マジックアイテム)の光!?」

 

 セシリアは驚きつつも、光の()()と思われる単語を口走った。

 カイはその言葉を聞いて、期待した答えを得たように、ニヤリと笑う。

 

「そうだ。

 模擬試合(デュエル)で一度見ていたからか、すぐに正体は分かったようだな」

 

「――でも、待って。

 確か魔法は、特定の宝石でなければ付与が――」

 

 人間が魔法を使うためには、使いたい魔法を触媒に予め付与しておく必要がある。

 その上で、魔法を付与した触媒を使用することで、初めて魔法を放つことができるのだ。

 

 つまり、魔法の行使には()()と呼ばれるものが不可欠なのである。

 触媒は、純度が高く安定した物質でなければならないため、いくつかの種類の宝石が好まれて使用されていた。

 この世界で何の触媒も無しに魔法を行使できるのは、魔法の扱いに長けた(ダーク)妖精(エルフ)のような魔物だけである。

 

 だが、セシリアの見間違いでなければ、先ほど宝石でもないただの陶器の白板が、魔法の光を放ったように見えた。

 だとすれば、この白板は、宝石と同じように魔法の触媒になり得るというのだろうか――?

 

「秘密にして欲しいと言ったのは、まさにこれのことだ。

 通常魔法は、導電性の高い金属には付与できないし、純度の低い石などにも付与することはできない。

 ところがこの陶器の白板は、見た目こそ無骨だが、魔法に対してほぼ宝石と同じ性質を持っている。

 つまり――君の『陶器の鎧』には、通常の金属鎧(プレートメイル)では不可能な()()()()()()()()ということだ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29

「鎧に――魔法が付与できる――?」

 

 呆然とそう言ったセシリアの目の前に、カイは魔法を付与した白板を手に取って差し出した。

 受け取って見ると、外観だけでは、それが特別なものであることを見抜くのは難しそうだ。

 

「魔法を付与したことで、この鎧の弱点はなくなったと言っても過言じゃない。

 だが実際、戦闘でこの鎧を目にすれば、誰もがこいつが特殊な加工をされていることに気づく可能性が高い。

 そうなれば、こいつの価値がわかる人間は、誰が作った、どうやって作ったと、しつこく尋ねてくることだろう。

 だから、君に黙っていて欲しい。

 俺がこうして作ったということを」

 

「分かったわ。

 ――でも、それなら、わたしにも教えなければ良かったんじゃないの?」

 

「俺もそれは考えた。

 だから、実際ここまでの魔法の付与は、君に何も言わず黙って進めていたんだ。

 だが、先ほど君が見た通り、この鎧が特殊であることは、恐らくすぐに分かってしまう。

 ならば君にもちゃんと説明した上で、それを黙っていて欲しいと頼んだ方が良いと考えたんだ。

 もちろん、君を信用していなければ、こんな手段を採らない訳だが」

 

「――ありがとう、意図は理解したわ。

 安心して。必ず秘密は守るから」

 

 基本的に騎士は鎧師の話題に関して、口を(つぐ)む傾向がある。

 それを考えれば鎧について秘密主義を貫いたとしても、何ら問題はないと思われた。

 

 ただひとつ、課題があるとすれば、主君のオヴェリアから質問された時である。

 そればかりは上手くセシリアが、話をはぐらかすしかないだろう――。

 

 信頼に対する礼を述べたセシリアに対して、カイは再び真剣な表情で言葉を重ねた。

 

「それに、もっと言ってしまえば、この鎧に魔法など付与しなければバレる心配などない訳だ。

 つまり、君の身の危険に対して無責任であるならば、そういう手段だって取り得るという話だ。

 だが、俺は敢えて、鎧に魔法を付与するという選択をした。

 ――この意味がわかるか?

 俺が秘密にしたいことよりも、君の身の安全を優先したということだ」

 

「カイ――」

 

 そう告げてカイは、セシリアの目をじっと見詰めた。

 

 セシリアはカイが強調した言葉を、ただただ嬉しく思う。

 思わず心の底が熱くなって、自分の体温が上昇したのを感じた。

 何しろ、ここで彼からそんな言葉を聞けるとは思いもしていなかったのだ。

 

 カイはセシリアが喜びを隠さず、幸せそうな笑みを浮かべているのを、そのまま見つめていた。

 そして応えるように満面の笑みを浮かべると、不意に彼女に向けて手を差し伸べる。

 

「――――。

 ――???」

 

 手を繋ぐものだと思って、セシリアがカイの手を取ろうとすると、彼はセシリアの手を避けながらもう一度手を差し出した。

 セシリアがその仕草を理解できずにいると、カイは日焼けした顔からニヤリと白い歯を見せる。

 

「ただし!

 こいつには一つだけ問題がある。

 いいや、正確に言うと問題が()()()!!」

 

「問題?」

 

「それは、かなり()()()()()()ということだ。

 いいや、もう掛けてしまった!

 無論、正式な騎士になったわけだから、その辺はまったく心配していないが」

 

「――ぐっ――」

 

 カイが言い出した言葉を聞いて、セシリアは項垂(うなだ)れるように渋々頷くしかなかった。

 

「カイ、それで鎧はこのまま、持ち帰ってしまってもいいのかしら?」

 

 セシリアは少し気を取り直して、目の前の鎧を指さしながら尋ねる。

 

「いや、実はほとんど作業は終わっているんだが、いくつか肝心の魔法の付与が済んでいなくてな。

 遠征の直前に申し訳ないが、あと数日は預からせて欲しいんだ。

 それと、最後の魔法を付与する上で、君に強化のための()()について協力してもらいたい」

 

「触媒? その白い板が触媒になるのではなくって?

 そこだけ宝石じゃないといけないとか言われても、もうそんな大金は、絞っても出てこないわよ?」

 

 するとカイはハハハと笑いながら、首を横に振ってセシリアに言った。

 

「いや、お金はいらないさ。

 ただ、必要なものを用意するために、君にちょっとやって欲しいことがある」

 

「やって欲しいこと?

 何をすればいいのかしら?」

 

 すると、カイはそれが何でもないことのように、さらりと告げた。

 

「君の()()()が欲しいんだ」

 

「お小水?

 おしょ――。

 ――――。

 は、はあああああああぁぁぁっ!?」

 

 セシリアは自身の耳を疑った。

 今、カイの口から()()()()()()()()が出てこなかっただろうか!?

 予想もしなかったことを依頼されて、セシリアは目を剥きながら焦る。

 

「なななな何バカなこと言ってんのよっ!?」

 

「ダメか」

 

「そんなものダメに決まってるでしょ!!

 だいたい何に使うつもりなのよ!?」

 

 すると、カイはまじまじとセシリアの顔を見ながら言った。

 

「この鎧の最後の仕上げに、どうしても必要なんだ。

 それも君の身を守るために」

 

「――み、身を守る――」

 

 セシリアはカイの真剣な眼差しを受けながら、どうしても承服しかねるというような挙動不審な態度を見せる。

 するとカイはやれやれといった仕草で、セシリアに対して妥協案を提示した。

 

「仕方ないな。

 では、効果は落ちてしまうかもしれないが、嫌だというなら()()()使って――」

 

 セシリアはカイが口走った言葉を、大慌てで遮る。

 

「ちょっちょっ、ちょっと待った!!

 今の話は何?

 ()()()()()使()()って、あなたの何を使うつもりなのよ!?

 冗談じゃないわ!!」

 

「大丈夫だ。

 シミになったりはしないし、臭いも残らない。

 あぁ、ホントに綺麗なもんだ」

 

 的の外れたカイの補足に、思わずセシリアは大声で叫んだ。

 

「そそそそういう問題じゃないのよッ!!

 ――はぁ、はぁ」

 

 勢い込んで拳を振り上げて反論し続けたためか、セシリアは思わず息切れしてしまう。

 彼女が呼吸を調えてカイを恨めしげに睨みつけると、彼は至極真剣な表情でその視線を受け止めた。

 しばらく色々な角度からジッと見つめてみたが、どうみても彼の表情にはふざけた調子は見当たらない。

 

「――――。

 ――ほ、本当に、それが必要なのよね?」

 

 セシリアの顔は羞恥心で、すっかり真っ赤になってしまっている。

 仕方なくできるだけ冷静にセシリアがそう尋ねると、カイは即座に断言した。

 

「必要だ。

 それも()()()()()が」

 

 その言葉に、セシリアの頭の中は、身体中の血液が逆流したように高ぶった。

 

「もう、一体何なのよこれ!!

 何の冗談なのよッ!?

 こんなことが騎士団でバレたら大変なことになるじゃない!

 オシッコ(アーマー)とか名付けられたら、わたし絶対、このまま生きていけないわ!!」

 

 拳を振って荒ぶるセシリアを余所(よそ)に、カイはガサゴソと何かを探し始めている。

 

「じゃあ、これを」

 

 セシリアはカイが目の前に差し出した()(びん)を見て、思わず天を仰いでしまった。

 見るとその瓶の形が、何とも淫猥なものに見えてしまう。

 

 本当に今からそんなことをするのだろうか。

 しかも彼の目の前で?

 いやいや、そもそもなぜカイは、()()なんかを準備よく持っている!?

 

「ああああぁぁぁっ! ウソでしょッ!!

 神様ぁッ――!!」

 

 こうして追い込まれたセシリアは、カイが望む()()に応じざるを得なくなってしまった。

 

 結局のところ、彼が言う()()()()()などということを、約束するまでもなかったのである。

 何しろセシリアは、こんな手法で自分の鎧が強化されていることを、()()()()()()()()と、勝手に心の中で誓ったのだから――。

 

 

 そして、そんな出来事のあった日から数日。

 

 ――セシリアの鎧は、()()した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30

 遠征の出立を控えたセシリアは、鎧を引き取るためにカイの店を訪れた。

 セシリアが招かれて店の中に入ると、作業場の様子はいつも通りで変化がないように思える。

 そして、広い部屋の中心には、数日前と同じように白い鎧が置かれていた。

 

 セシリアは鎧に近づくと、実際に手に取ることなく、よくよく鎧の外観を観察してみた。

 だが見た目だけでは、何がこの鎧に起こったのかは分からない。

 

 ただ、先日この場で聞いた彼の説明を思い起こすならば、このセシリアの鎧には、劇的な変化が加わっているはずだ。

 

「見た目では分からないだろう」

 

 穴が空くほどに、鎧を観察しているセシリアに向けて、カイが得意げに口を開いた。

 

「でも、触れれば明らかな違いがすぐにわかる。

 ――さあ、手に取ってくれ」

 

 彼に促されるように、セシリアはそっと自分のために作られた鎧に手を掛けた。

 そして、それから数瞬も経たぬうちに、感じた()()()()()に驚嘆の声を上げる。

 

「――!!

 カイ、ちょっとこれ!?」

 

 セシリアはそう言いながら、両手で()()()鎧を持ち上げた。

 元々素早い彼女のために作られた陶器の鎧は、彼女の動きを阻害しないほどに軽く作られてはいる。

 

 だが――、

 

「軽いわ!

 見た目から想像が付かない程に、恐ろしいと言っていいぐらいに軽い!!」

 

 すると、その理由をカイが即座に説明し始めた。

 

「陶器の板に、()()()の魔法を付与したんだ。

 誰だって重い金属鎧(プレートメイル)を軽くしたがっているだろうが、残念ながら金属板には魔法が付与できない。

 だから軽量化の魔法は、普段は役に立たない魔法の代名詞にもなっているが、この鎧にとっては全く別だと言っていい。

 これほど地味で、これほど効果的なものは他に無いだろう」

 

「この重さなら変な話、普通の服と同じように、ずっと着続けられるかもしれないわ」

 

「一応、最悪の場合、そうなることを想定して付与したものだ。

 何しろ君は騎士見習いを連れていない。

 少し休むからといって、鎧を付け外ししようとしても、簡単にできはしないだろう」

 

 カイの指摘を理解して、セシリアは思わず沈黙した。

 

 確かに彼の言うとおり、彼女にはまだ自分を補佐してくれる騎士見習いが存在しない。

 そうなれば遠征先で起こる様々なことは、基本的に自分一人だけでこなさなければならないのだ。

 

 彼女が騎士見習いだった時は、一人で簡単に付け外しできる革鎧を身につけていた。

 それに何か不自由があれば、騎士見習いの仲間が手伝ってくれたのだ。

 だが、仲間だった彼らの助けは、今回は期待することができない。

 

 今までの遠征とは違う――アルバート騎士団長もそう言っていたはずだ。

 それを考えると今更ながら、アルバートが言っていた()()がセシリアの心に重くのし掛かる。

 

「付与したのは軽量化だけじゃない。

 取りあえずこの鎧の機能を順に説明しよう」

 

 カイはそう言って鎧を手に取ると、(ホワイト)リザードの革を(めく)って無機焼結体(セラミックス)の板を露出させた。

 

「この間も言った通り、魔法は導電性の高い金属には付与できないし、純度の低い物質や軟弱な素材にも定着しづらい。

 だから、この鎧に付与された魔法は、基本的に全て陶器の白板の部分に集中している。

 まず、主に胴体に仕込んであるのは、物理攻撃と魔法攻撃を弾くためのものだ。

 腕にはそれらの防御機能に加えて、筋力強化の機能を追加してある。

 同じように脚に追加してあるのは、走力強化の魔法だ。

 だが、この走力強化というやつは、疲労や足にかかる負担を軽減することができない。

 つまり走力は増すが、その反面全力を出し過ぎてしまうと、疲労感や脚への負担を高めてしまうということだ。

 そこにだけは必ず注意しておいて欲しい。

 次に、無機焼結体(セラミックス)で補強した髪飾りには、精神障害を弾く魔法を掛けておいた。

 実はこいつの付与が、すこぶる高くついてな――まあ、その話は後回しでいいだろう。

 盾には裏側にいくつか陶器の白板を貼り付けて、防御力を高める魔法や、衝撃や痛みを吸収する効果を付けてある。

 軽量化は剣の束にも仕込んでおいたが、軽くなった分、無理に振り回してしまうと剣自体を破壊しかねない。

 何でも程々が重要ではあるから、扱いには慣れていって欲しい」

 

 セシリアはカイの話す説明を、目を輝かせるようにしながら真剣に聞き続けた。

 だが、そうして強化された鎧が、()()()()()()()()()()()()ということを考えると、羞恥心で一杯になる。

 

 あの事実は誰にも知られる訳にはいかない。

 いいや、墓場まで持っていかなくては――!!

 

「カイ、それであなたの言っていた()()()()()というのはどれのことなのかしら?」

 

 セシリアはカイの説明を聞きながら、彼が『肝心の魔法』と表現したものが、どの機能ことなのかが気になり始めていた。

 確かにここまで説明された能力は、どれもが価値が高いものに間違いない。

 しかしそれらが不可欠かというと、最悪なかったとしても補えるものばかりだ。

 

 すると、カイはセシリアに向き直って、一層真剣な表情を作った。

 続いて、彼は低く落ち着いた声を部屋の中に響かせる。

 

「ここからはしっかり俺の説明を聞いて、それを必ず覚えて欲しい。

 今まで説明した軽量化や腕力強化といったものは、君が何かをしなくても常に性能が発揮されるものばかりだった。

 それらは余計な操作を必要としない反面、発揮される性能は()()()()()()に過ぎない」

 

「――(ささ)やか?

 あなたは、これが細やかな効果だというの?」

 

 セシリアは少し反論するように、カイに面と向かって問い掛ける。

 軽量化ひとつとっても、セシリアにはこれが『細やか』だとは、とても思えない。

 

「そうだ。

 この後に説明するものに比べれば、これは細やかなものに過ぎない」

 

 断言された言葉にセシリアは完全に沈黙した。

 カイはそれを見ながら、右手で剣を掴み取る。

 

「一つ目はこの君の()に装着してある。

 君の前にどうしても倒さなければならない強敵が現れた時――」

 

 カイはそこで言葉を止めると、自らの言葉を否定するかのように首を横に振った。

 

「いいや、そもそも生死を分かつような敵とは戦うべきじゃないんだ。

 逃げないことが美学と考える騎士もいるが、俺は決してそう思わない。

 死ねば守るべき者も、果たすべき義務も、全て放棄することになってしまう。

 君が本当の騎士でありたいと思うなら、勝てない相手からは勇気を持って()()()

 ――そして、今から伝えるのは、()()()()倒さなければならない敵に遭遇した時の話だ」

 

 セシリアは考えの及ばない状況を想像して、小さく息を飲みながら続くカイの言葉を待った。

 

「一撃必殺と言えば聞こえはいいが、残念ながらこの魔法に即効性はない。

 ただ、この剣の(つば)に仕込んだ陶器の小札を押し込めば――次なる剣の一撃は、必殺の『超猛毒(ベノム)』を与える攻撃になる」

 

超猛毒(ベノム)――」

 

 セシリアにとって、その単語は初めて聞く言葉だった。

 

 そもそも騎士は自らの武器に、毒を塗布することが許されていない。

 騎士の精神に反するという理由と、単純に事故を防ぐための規則ではあるが、魔法による毒の付与は禁止されていただろうか――?

 

 セシリアはそれをすぐに、思い出すことができなかった。

 

「こいつは不死者(アンデッド)と魔法生物以外であれば、どんな相手であろうと効く。

 言うまでもないが、人間だってこいつを喰らえば死は(まぬか)れない。

 だから使いどころは間違わないでくれ」

 

 セシリアは説明を聞いて、口にする言葉を失った。

 少し自分の心の中に恐怖が生まれたのを感じる。

 使わなくて済むのであれば、これは使わずに封印しておくべきだろう。

 

「二つ目は『右の首元』にある陶器の小札を押し込むことで発動する。

 こいつが発動すれば、しばらくの間、君の全ての能力は()()()()()()

 

「――能力が数倍に?」

 

「効果時間は恐らく二、三分程度というところだ。

 効果が切れそうになると、身体が重くなるからその予兆を知ることができる。

 だが、こいつには大きな副作用があるんだ。

 効果が切れてしまうと、装備の重量が数十倍に膨れてしまうという作用が」

 

「重量が――?」

 

「そうだ。

 いわばこの陶器の鎧や、鎧下が途轍もなく()()()()

 そうなれば君の筋力では、きっと身動きが取れなくなってしまうことだろう。

 その副作用が続いてしまう時間の長さは、効果時間中に活動した量に比例する。

 つまり君が頑張れば頑張るほど、動けなくなる時間が長くなるということだ」

 

「近くに自分を守ってくれる仲間がいなければ、使いどころが難しい魔法ね――」

 

「そうだ。

 非常に難しい。

 しかもこれが必要な時には、既に仲間の支援を期待できない状況になっている可能性が高い」

 

「カイ、あなたはこれを、どういう状況で使うことを想定しているの?」

 

 セシリアはカイに向けて、率直な質問を投げ掛けた。

 ところがカイは少し目を瞑ると、その質問を無視して説明を続けてゆく。

 

「次が最後の一つだ。

 君がどうしようもない危機に陥ってしまった時――」

 

 カイは左の籠手(ガントレット)を持ち上げて、そこに()められた小さな宝石を指し示した。

 それは先ほどまでの二つの陶器の板とは違い、一目で宝石とわかる緑色の煌めきを放っている。

 

「この『左手首』に埋め込まれた宝石を押し込んで欲しい。

 ただ、こいつを使うのは、君が本当の意味で追い込まれた時だけだ。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()と判断した時に、使うようにして欲しい。

 逆にそれ以外の状況では、使わないと約束して欲しいんだ」

 

「――わかったわ」

 

 セシリアはカイの目を見ながら素直にそう答えた。

 それは彼の口調からしても重い約束のように思えたが、一方でセシリアからすれば、そう答えるしかないのも事実だった。

 

「カイ、それにしても、こんな魔法をどこで――」

 

「この魔法は、俺が信頼する人物に付与してもらったものだ。

 大丈夫。信頼できる相手だから、心配するようなことは起こらない。

 無論、お金は掛かったけどな」

 

 セシリアは苦笑するカイを見ながら、何となく自分の心に湧き上がった疑問を、はぐらかされたように思った。

 

 本当に訊きたかったのは、魔法をどこで付与したのかということではない。

 こんな鎧を作り上げることができるカイが()()()()()、という疑問だった。

 

 だが、セシリアは、その疑問を努めて追求しないようにしてきた。

 それを深く追求すれば、彼は自分の側から去ってしまうのではないか――?

 そう考えた彼女は、これまでその問いに()()()()()()のである。

 

 だが、セシリアは緑色に煌めく宝石を見つめながら、心に抱えた疑問をそのままにはしておけないと感じ始めていた。

 

「――これまで訊いちゃいけないんだと思って、敢えて訊くのを避けてきたわ。

 でも、それも限界。

 カイ、あなたは一体、()()なの――?」

 

 だが、どうやらカイは、その質問が出てくるのを(あらかじ)め予測していたようだった。

 彼は至極淡々とした表情のままで、彼女にとって一番()()()()()答えを吐き出した。

 

「俺は、単なる解体(ジャンク)屋だ」

 

「そうね。

 この街には沢山いるはずの、ただの解体(ジャンク)屋さん――。

 でも、ルサリアの悲劇に関わった元騎士であり、見たことも聞いたこともない技術で、美しい鎧を作り出す職人でもある。

 そんな人が、他にもいると思って?」

 

 セシリアの率直な追求に、カイは言葉を返そうとしない。

 

「わたしにはあなたのことを、教えてくれないのね?」

 

 何も言わずに視線を外すカイを見て、セシリアは悔しさを滲ませ、唇をギュッと噛み締めた。

 

「わかったわ、カイ。

 今、それを無理に教えて欲しいとは言わない。

 でもね、知っての通り、わたしはとっても()()()()()()

 だから無理だと思われた騎士にもなれたというぐらいに――。

 お願い。今じゃなくてもいい。

 でも、わたしが遠征から戻ってきたら、あなたのことを教えて」

 

「――――」

 

 答えを返そうとしないカイの両腕を、セシリアは小脇に抱えるようにして、強引に正面に立つ。

 

「ダメよ。カイ、こっちを向いて。

 わたしが遠征から戻ったら、必ずあなたのことを教えてくれるって約束して。

 わたしはその約束をしてくれなかったら、この遠征には行かないわ」

 

「セシリア――」

 

「卑怯な、脅迫じみた発言だとは理解してる。

 でもわたしだって、本当に真剣なのよ――」

 

 セシリアの声は、最後の方は掠れて涙声のようになってしまった。

 

 どこからこんな風に、彼を追い詰める勇気が湧いてくるのかわからない。

 ひょっとしたら遠征に出なければならないという状況に追い込まれて、自棄(やけ)になっているだけかもしれなかった。

 

 ただ、セシリアは今を逃せば、彼との関係がこのまま消えてなくなってしまうという恐怖に(さいな)まれていた。

 何しろカイは、セシリアに自身の秘密を教え、そして彼女を守るための『とっておきの鎧』を用意してくれたのだ。

 

 だが、セシリアが遠征から戻った時、そこにカイの姿はあるのだろうか?

 彼が秘密を打ち明けたのは、この後、彼女の前から()()()()()()()()()()()からなのではないか――?

 

 

 

 ――それからどれだけの時間が経っただろうか。

 

 見つめ合う二人の沈黙を破ったのは、カイの方だった。

 彼は自分を見つめるセシリアの想いに観念したように、小さく笑みを浮かべながら、降参の言葉を呟く。

 

「やれやれ、俺の負けのようだ。

 ――わかった。君が戻ったら俺のことを話すと()()()()()

 

 セシリアはカイの口から出た台詞を聞いて、見る見るうちに溢れ出すもので左右の(まなこ)を一杯にした。

 彼女はそれが流れ落ちてしまうのを防ぐように、天井を見上げながら必死に堪えようとする。

 だが、その努力は無駄に終わって、決壊した涙の川が、頬から床へと流れ落ちてしまった。

 

 そして次の瞬間、セシリアは堪えきれずに、声を上げながらカイにしがみつく。

 肩を震わせ止まらない嗚咽の中で、彼女はまるで自分に言い聞かせるように、一つの言葉を呟いた。

 

 その美しい唇から(つむ)ぎ出されたのは、掠れるほどに小さな、

 

()()()

 

 ――という、一つの言葉だった。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 街を覆った朝もやが、次第に晴れ始めるのがわかった。

 少し肌寒さが残る時間に、馬の吐き出す小さな(いなな)きが嫌に大きく響く。

 陽が差してきているとはいえ、この早朝に街を歩く人影は少ない。

 そして、そんな霧の晴れない街中を、一つの馬蹄(ばてい)の音が通り過ぎていった。

 

「――カイ、この先が集合場所よ。

 見送りはここまででいいわ」

 

 セシリアは馬を引いてくれたカイにそう告げると、彼に向かって柔和な笑顔で一つ会釈(えしゃく)した。

 その優雅な動作に合わせるように、彼女の美しい金髪がさらさらと流れる。

 

「そうか。

 では、くれぐれも気をつけて」

 

 自分を気遣う言葉を聞いて、セシリアは再び嬉しそうな笑みを浮かべた。

 彼女はそのまま馬を進めていくと、カイから少しだけ離れた場所で、一旦足を止めて振り返る。

 

「ねえ、カイ、あなたは知ってる?

 この街の名前の由来。

 ――この街は大昔、別の世界からやって来た人が、作り上げたという伝説があるの。

 そして、その人は自分が愛した人の名前を、この街に付けたんですって」

 

 彼女はそこまで言うと、再びカイの方へと馬を寄せていった。

 そして、彼に向けて手を差し伸べ――それに応じてくれた手の平を、優しくそっと握る。

 

「この街を作ったという人が、本当に別の世界からやってきたのかどうかは判らないわ。

 それに、今のこの街の姿は、きっとその時に作られた街とは、随分と違うのでしょうね。

 

 でもね、そうして色々なことが分からなくなって、変わってしまったのだとしても――。

 それでもこの街の名前は語り継がれていて、わたしたちはこの街の名前を()()()()()

 形は変わってしまっても、人の想いはそうやって、この街に変わらず詰まっているのよ。

 

 わたし、そんな人の想いが詰まった、この街が好き。

 どこから来たのかも判らない――あなたと出会えた、この街が本当に好きなの。

 だから、わたしは必ず戻ってくるわ。この大好きな街に。

 

 ねえ、お願い。カイ、約束して。

 この街で必ずわたしの帰りを待っていると」

 

 カイはその言葉に小さく微笑むと、セシリアの手を握り締めたまま口を開いた。

 

「わかった。約束する。

 君の帰りを待っている」

 

 セシリアは彼の言葉を聞くと、朗らかに安堵の表情を浮かべた。

 

 そして次の瞬間、二人の間で繋がれた手が、するりと無情にも離れてゆく。

 セシリアはそのまま背中を見せると、カイを振り返ることもなく街道を進んで行った。

 

 一方のカイは、通りの真ん中に立ち尽くして、ゆっくりと霞むセシリアの背を見つめている。

 

 必ず再び会うことになる――。

 

 そんな思いを確信するように、カイはいつまでもセシリアの後ろ姿を見送り続けていた。

 

 

 そうして美しい陶器の鎧を纏った騎影は、馬蹄の音を響かせながら、この街の外へと消えていったのである――。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陶器の鎧のパラディン
31


 目前を覆う鬱蒼(うっそう)とした森が、迫り来る不安を駆り立てているように思えた。

 陽が昇った後も、霧が十分に晴れることはない。

 そこかしこに生まれる陰影が、何か得体の知れない魔物を生み出してしまいそうでならなかった。

 

「――チッ、つまんねー。

 ゴブリンでも現れねぇかなあ」

 

 少し離れた場所から、不謹慎な悪態(あくたい)()く声が聞こえてくる。

 セシリアはふと視線だけを動かすと、その声がした方向をチラリと窺った。

 するとそこには退屈そうに、地面に転がる石を蹴飛ばす若い騎士見習いの姿がある。

 彼女はその振る舞いに眉を(ひそ)めると、無言で森へと視線を戻した。

 

 今ほどセシリアの視界に入ったのは、今年二〇歳になる騎士見習いである。

 名前をラリー・レオフリックといい、上流貴族の出身だった。

 ラリーは騎士見習いではあるものの、彼の実家はこの分隊に所属する()()のメンバーの中で、最も高い階級を持っている。

 だが、その四男であるラリーは、騎士としての資質を十分に持っているかどうか、怪しい人物であった。

 

 何しろラリーはこうして持ち場に就いていても、悪態ばかり吐いて、真面目に任務を果たそうとしない。

 セシリアが初めて顔を合わせた時も、見下した視線で、年長で位も高い彼女に挨拶一つ返そうとしなかった。

 

「ラリー、セシリア、こちらへ戻って来てくれ。

 どうやらヘルマンたちが帰って来たようだ」

 

 後方の離れた場所から声を掛けられて、セシリアは野太い声の持ち主を振り返った。

 それはこの分隊のリーダーである、騎士長のグレンという男の声だ。

 

 歳は四〇前後で口髭を生やしており、中流貴族の出身である。

 落ち着いた雰囲気はあるものの、上昇志向が強くて、あまり部下の進言には耳を貸さない。

 

 ただ、ラリーはこのグレン付きの騎士見習いで、グレンが強面なこともあってか、ラリーはグレンの言うことだけはそれなりに聞く。

 通常身分の低い騎士に、身分の高い騎士見習いが付くことはないが、ラリーの実家が彼の扱いに困って、敢えて中流貴族の下につけた――というのが、もっぱらの噂だ。

 

「やっと戻ってきたのか!

 もう、つまらねー見張りなんか懲り懲りだ!!」

 

 ラリーの吐き捨てた言葉を聞いて、グレンの後方に控えたローブを着た男性が笑みを浮かべた。

 

 彼は治癒術士(ヒーラー)のハンスといって、この分隊で唯一の魔法使いである。

 魔法使いと言っても、騎士団から支給された治癒魔法が付与された触媒を扱う、いわば衛生兵のような役割だ。

 短髪で目が細くて、身体は大きいものの、表情からして臆病な性格だと思われた。

 そのせいか、普段は作り笑いばかり見せて、殆ど喋ろうとしない。

 恐らく歳は三〇歳ぐらいで、見た目だけだと(いじ)められっ子が、そのまま大人になってしまったような風貌に見える。

 

 とはいえ、彼が扱う治癒魔法の触媒は、この分隊の騎士たちにとってはかけがえのないものだった。

 何しろ怪我人が出てしまったら、治療魔法の触媒を扱えるのは、彼一人しかいない。

 

 セシリアがラリーと共に、グレンたちのいる方へと向かうと、直後に遠くからガチャガチャと鎧の擦れ合う音が聞こえてきた。

 どうやら騎士長のグレンが言った通り、偵察に出ていた()()が戻ってきたようである――。

 

 

 あの日、カイと別れたセシリアは、遠征軍と共に東方国境へと向かった。

 遠征軍は東方国境全域に展開し、そこでいくつもの分隊に分かれて、治安維持活動を行うのである。

 具体的には一〇名以下に分けられた分隊が、周辺に蔓延(はびこ)った蛮族や盗賊の掃討を行うのだ。

 

 セシリアが所属する騎士長グレンの分隊も、そうした国境周辺の蛮族を掃討するための部隊の一つだった。

 そして、そのグレンたちは、遠征軍の本隊からしばらく離れて、問題を抱える集落の一つへ向かう道の途上である。

 

 彼らは集落へ続く街道の半ばまで来ると、集落には入らずに仮の拠点を作った。

 というのも、彼らが向かおうとしている集落周辺で、複数のゴブリンが目撃されたという情報があったからだ。

 そこで彼らは三名の騎士を先に偵察に出して、集落周辺の状況を探っていたのである。

 

 セシリアが仮の拠点に戻ってくると、間もなく偵察に出ていた三人の騎士たちが、同じように戻って来た。

 集落への道は馬が使えないこともあって、偵察は徒歩で(おこな)っている。

 彼らは拠点に到着すると、深い疲労度を見せるように、一斉にふぅと大きな息を吐き出した。

 

「ふぅ――隊長、戻りましたぜ」

 

「ご苦労だったな、ヘルマン」

 

 隊長のグレンに声を掛けられた騎士は、唇の端を曲げてニヤリと笑った。

 直後、彼の視線がセシリアの方へ向いたのがわかる。

 セシリアはその視線に、如実に表情を堅くした。

 

 このヘルマンという騎士は初対面の時に、()()()()様な視線を投げ掛けてきた男だ。

 せせら笑いが板に付いた三〇歳ぐらいの騎士で、どう見ても好色そうな雰囲気を醸し出している。

 隊長のグレンの命令には忠実なように見えるが、色々な意味で注意が必要な相手だった。

 

「やっぱりゴブリンの()がありましたよ、隊長。

 それも集落からかなり近いので、確実に掃討する必要がありそうです」

 

 少し興奮した様子で、ヘルマンと共に偵察に出ていた騎士見習いが言った。

 こちらはクラトスという名前の、ヘルマン付きの腰巾着のような男である。

 お調子者で、いつもヘルマンの周りをウロウロと取り巻いて歩いていた。

 この男もセシリアの存在が気になるのか、チラチラと彼女を覗き見ていることがある。

 

「セシリア、こっちに異常はなかったかい?」

 

「ええ、大丈夫だったわ」

 

 セシリアはそう答えると、最後に質問した騎士に向かって、朗らかな笑みを浮かべた。

 

 彼がここにいることはセシリアにとって、心安まる出来事である。

 というのも、分隊最後の七人目の騎士は――彼女が良く知る空色の髪の青年、ヨシュアだったからだ。

 

 騎士長のグレンは全員が集まったのを確認すると、改めて偵察に出ていた三人に尋ねた。

 

「街道経由でゴブリンの巣を攻略した場合、ヤツらに気づかれる可能性はどれくらいある?」

 

「気づかれずに近づくのは無理でしょうね」

 

 むしろ気づかれない訳がないとでも言うように、グレンの問いにヘルマンが即答する。

 グレンはヘルマンの顔を不快そうに見ると、すぐに別の選択肢を提示した。

 

「だとすると我々は一度集落に入ってから、巣の退治に向かう必要があるということだ。

 早速私が集落の代表に事情を話し、集落経由でゴブリン退治に向かう許可を貰うことにしよう。

 では、この拠点を引き払い次第、集落の方へと移動する。

 私が集落で交渉している間は、全員集落に入らずに門の外で待機しておくように」

 

 騎士長であるグレンの判断は早く、指示は的確なものに思えた。

 

 だが、そのグレンの振るまいも、いざ戦いになればどうなるだろうか?

 危機が迫った状況においても、即座に適切な判断が下せるのだろうか――?

 

 セシリアはカイが語ったルサリアの悲劇を思い返しながら、その疑問を浮かべずにはいられなかった。

 

 

 セシリアたちは指示通りに仮の拠点を撤収すると、グレンを先頭にして、集落へと向かった。

 街道を歩く間は近くに潜むゴブリンを刺激しないよう、声を出さずに息を潜めて進む。

 周囲にはカチャカチャという、騎士たちの金属鎧(プレートメイル)が擦れ合う音だけが、妙に大きく響いていた。

 

 果たして無事に集落へと辿り着くと、そこで騎士たちは一様に、ホッと溜息を吐く。

 騎士長のグレンは全員が揃っているのを確認すると、事前の指示通りに、彼一人だけが集落の門を(くぐ)って中へと入って行った。

 残りセシリアたち六人は、集落の外で待機している。

 

「――おい、ゴブリンたちが降りて来たぞ」

 

 それはセシリアたちが待機し始めてから、ものの数分が経過したばかりのことだった。

 

 ヘルマンが指さした先には、山手から街道に降りてくるゴブリンたちの姿がある。

 その数はかなり多いようで、二〇匹強というところだろうか。

 しかも完全に街道にまで降りてきたこともあって、集落前に陣取った騎士たちの姿が丸見えになってしまっている。

 

「どうします?

 このままじゃあ、遅かれ早かれ気づかれて――」

 

 騎士見習いのクラトスが、ゴブリンの様子を見ながら、臆病な声を上げた。

 だが彼が言う通り、街道に降りたゴブリンたちは、間もなく騎士の存在に気づいてしまうだろう。

 

 いや、単に気づかれて戦闘になる程度で済めばまだいい。

 何しろこの集落の近くには、ゴブリンの巣が存在するのだ。

 もし仮に、その巣から大量の仲間を呼ばれでもしたら、騎士たちはもちろん、集落もきっとただでは済まないことだろう。

 

「ゴブリンはまだ、こちらに気づいていないわ。

 今のうちに急いで集落に入るべきよ」

 

 セシリアの主張に対して、即座にヘルマンが反対意見を唱えた。

 

「我々はグレン隊長から、集落の外(ここ)で待機するよう命令されているんだぞ。

 許可が下りる前に集落に入れば、命令違反として後々問題を生じる」

 

「でも、それでは気づかれてしまうわ!

 気づかれれば結果的に、この集落にゴブリンを引き寄せてしまうことになるのよ。

 どう考えても、その方が深刻な事態になる」

 

 すると、セシリアの言葉を聞いていた騎士見習いのラリーが口を差し挟んだ。

 

「女騎士様はゴブリンが怖いのか?

 ゴブリンなんざ、倒しちまえばいいじゃないか」

 

 あからさまな挑発の言葉を聞いて、セシリアはキッとラリーを(にら)む。

 ラリーはむしろその反応を楽しんでいるかのように、ニヤニヤと侮った笑みを浮かべた。

 

「それこそ、そんな命令は受けていないぞ。

 勝手に戦闘を始めるなんて言語道断だ」

 

 ヘルマンがラリーをそうして叱り飛ばすと、ラリーは顔を紅潮させて吐き捨てた。

 

「何だぁ? 腰抜けの集団かよ!」

 

「何だと!?

 貴様、もう一度言ってみろ!!」

 

 上級貴族出身とはいえ、騎士見習いの聞き捨てならない台詞に、ヘルマンが眉を吊り上げて怒りの表情を浮かべる。

 

「よせ、声が大きい。

 二人ともやめるんだ」

 

 仲間割れの雰囲気を感じたヨシュアが、慌てて二人の間に割って入った。

 だが、それでも興奮したラリーの挑発は止まらない。

 

「何度でも言ってやるさ!

 あんたは()()()()って言ってるんだよ!

 あんたの剣と鎧は飾りか?

 ゴブリンごときが怖いなら、()()()()と一緒に尻尾を巻いて逃げればいいんだよ!!」

 

「貴様っ――!?」

 

「!?

 拙い、気づかれたかもしれない――!!」

 

 ヨシュアの声を聞いて、一旦停戦したヘルマンとラリーは、慌ててゴブリンの方向を振り返った。

 高い声の応酬が続いたことで、ゴブリンたちがこちらに視線を向けているのが分かる。

 どう見てもそれはゴブリンたちに、自分たちの存在を認知されてしまった状況だった。

 

「チッ、もう倒すしかないだろッ!!」

 

 そう言い捨てるとラリーは、いち早くゴブリンたちの方向へと駆け出して行く。

 そしてゴブリンに向けて雄叫びを上げると、腰に吊した剣をギラリと抜き去った。

 

「あいつ――!!

 クソッ! 仕方ない、全員で掃討するぞ!!」

 

 ヘルマンの挙げた声に、クラトスとヨシュアが相次いで(ばつ)(けん)する。

 

「セシリアはハンスを守って!」

 

「わかったわ」

 

 ヨシュアからの指示を聞いたセシリアは、治癒術士(ヒーラー)のハンスを守りながら、ゴブリンのいる方へと駆け出した。

 

 見れば先行したラリーは、既にゴブリンとの戦闘に入っている。

 彼は文字通り剣を無尽に振るって、何匹かのゴブリンを葬り去ったようだ。

 そして最後尾のヨシュアがゴブリンの群れに到達する時には、ゴブリンたちの数は半数近くにまで減少している。

 

「フン、この程度の相手にビビってたのかよ!?」

 

 興奮したラリーが得意気に、ゴブリンを斬り倒しながら叫んだ。

 

「侮らないで!

 侮った時ほど危険があるのよ」

 

 セシリアはハンスに襲い掛かろうとしたゴブリンを、一刀で斬り倒しながら警告を発した。

 

「ケッ、新人騎士の癖に知ったようなことを言いやがる」

 

 セシリアはその言葉を聞いて、思わずラリーを睨み付けた。

 睨む彼女の頭の中には、カイが語った言葉が思い浮かぶ。

 

 ――共に戦う騎士たちが、同じ慎重さを持つとは限らない。

 

 確かに、彼の言う通りだと思った。

 そしてそれを事前に認識していた筈なのに、無力な自分はその状況に対して、何の対処も出来そうにない――。

 

「ラリー、ゴブリンを侮らない方がいい。

 そこに見えるだけならまだしも、増援が来れば奴らを掃討するのは簡単じゃない」

 

「――チッ」

 

 珍しくヨシュアが低い声で告げた言葉を聞いて、ラリーは不満そうに舌打ちをした。

 

 ゴブリンの数はもはや残り数匹になっている。

 このまま全てのゴブリンを掃討出来れば、危惧すべき状況を何とか脱することが出来るだろう。

 騎士たちも小さな擦り傷や引っ掻き傷を負ったものはいるが、重傷を負ったものはいないようだった。

 それであればハンスの治癒魔法で、十分に治療することができる。

 

 ただ、ゴブリンの数が多かっただけに、重い鎧を着た騎士たちには、疲労の色が見え始めていた。

 変わらず俊敏な動きを見せているのは、ハンスを守っていたセシリアぐらいのものである。

 

 そして、ラリーが不穏な声を上げたのは、何とかこのまま全員無事にゴブリンを倒すことができれば――と、セシリアが密かに安堵した瞬間のことだった。

 

「――見ろ!

 あんなところにまだいやがる!!」

 

 ラリーが街道の外側の茂みに、数匹のゴブリンが隠れているのに気づいたのだ。

 

「!!

 ラリー、ダメだ! そいつは追うな!!」

 

 だが、ラリーはヨシュアの制止を振り切って、見つけた群れに向かって駆け出した。

 

「ヨシュア、あれは――!!」

 

「セシリア!

 マズいよ、あれは別の群れのゴブリンだ。

 あれに手を出したら、恐らく()()()()()()を引っ張り出すことになってしまう」

 

 その言葉を聞いて、セシリアは思わず絶句した。

 

 疲労が蓄積した騎士たちは、再びゴブリンの群れを丸々掃討することが出来るのだろうか?

 身軽な鎧でハンスを守っていた、セシリアはまだいい。

 だが、息が上がりつつあるヘルマンやクラトス、そして気負ったラリーはどうなのか。

 

 見れば、ラリーは見つけたゴブリンに追い縋って、斬りかかっている所だった。

 彼は一匹、二匹とゴブリンを斬り倒したが、三匹目を取り逃がしてしまう。

 直後、逃げ出したゴブリンを守るように、茂みから一〇匹以上のゴブリンがラリーに襲い掛かった。

 

「ヘルマン! クラトス!!

 大変だ、ラリーが――」

 

 ヨシュアに呼ばれたヘルマンは、振り返って、起こっている事態に愕然(がくぜん)とした。

 

「なっ――あの馬鹿!

 何てことしやがるんだ!!」

 

 怒りの声を上げながら、残ったゴブリンを叩き斬る。

 

「ハァハァ――ヘルマン様!

 アイツ、ど、どうするんです!?」

 

 クラトスが息切れしながら言った言葉に、ヘルマンが即座に怒りの言葉を返す。

 

「どうするって、助けるしかないだろッ!!

 隊長がいない間に死人なんか出せるか!」

 

 しかし最初の群れのゴブリンも、全てを掃討し終わった訳ではない。

 それらも取り逃がしてしまえば、何が引き起こってしまうか判らなくなってしまう。

 

 セシリアは状況を見た上で、冷静な声色でヘルマンに言った。

 

「わたしがラリーを助ける。

 ヘルマンは残りのゴブリンをお願い。クラトスはハンスを守って」

 

「セシリア、ボクも行くよ」

 

 ヨシュアの申し出に、セシリアが頷いて微笑む。

 

「判った。セシリア、頼む。

 ――だが、絶対に無茶はするな」

 

 ヘルマンの端的な言葉に、セシリアは小さく頷いた。

 そして即座に身を(ひるがえ)すと、ゴブリンの群れを目標に、一気に駆け出していく。

 

「――はあ、はあ。

 クソッ! 来るなッ!!」

 

 全力で駆け寄ると、ラリーは息を切らせて叫びながら、ゴブリンの群れと渡り合っていた。

 だが次々に襲い掛かってくるゴブリンの攻撃は、上手く防ぎきれていない。

 金属鎧(プレートメイル)を着た部分はさすがに無事なようだが、数えるのも難しいぐらいに身体中に傷を負っているようだった。

 

「ラリー、下がって!」

 

 セシリアが声を上げながら、ゴブリンを一刀で斬り倒す。

 直後セシリアは、ゴブリンを二匹、三匹と次々に斬り倒した。

 

 ラリーは相当に疲労しているのか、セシリアの言葉に何も反論せずに下がっていく。

 その彼に追い縋るゴブリンを、今度はヨシュアが斬り倒した。

 

「セシリア、数が増えてる。

 これはとてもじゃないけど倒しきれない」

 

「わかってるわ。

 でもこの状態のまま、集落に群れを連れて、逃げ込む訳にはいかないのよ。

 わたしがここは支えるから、ヨシュアはラリーと一緒に集落へ!」

 

「セシリア――無理はしないで」

 

「フフ、もちろんよ!」

 

 そう言ってセシリアは不敵に笑うと、集落の方へ後退するヨシュアとラリーを見送った。

 

 一匹、二匹、三匹――。

 既に数えるのが馬鹿らしい程に、ゴブリンたちはセシリアの周りに輪を作って集まっている。

 

 それぞれは人間の子供ほどの背丈しかなく、決して手強いような相手ではない。

 だが、その手には危険な武器を持ち、侮れない力で攻撃を仕掛けてくる。

 

 彼女は騎士になる前にも、ゴブリンや小鬼(オーク)と交戦した経験があった。

 だが、ここまで多くのゴブリンに取り囲まれた経験はない。

 

 一般にゴブリンは単体では弱く、集団になると危険を孕むと言われている。

 であれば、これほどの集団との戦いには、どれ程の危険を伴うのか――?

 

「大丈夫よ、セシリア。

 落ち着いて。きっと――やれる」

 

 セシリアは自分に言い聞かせるように、小さく声に出して呟いた。

 彼女は左手をギュッと握り締めると、盾を変形させて展開する。

 ここから先はゴブリンを倒すよりも、自分の身を守って、無事に後退することを優先すべきだからだ。

 

 そして――次の瞬間。

 

 セシリアは、一陣の()とも言える素早い動きを見せた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32

 セシリアは即座に真正面のゴブリンに斬りかかると、そいつを一閃で真っ二つにした。

 斬り払われたゴブリンは、襲いかかるどころか悲鳴を上げる暇さえない。

 即座に敵までの距離を詰めた動きは、おおよそ鎧をつけた騎士とは思えない速度だ。

 そして、振り抜かれた剣勢も、女性の膂力(りょりょく)からは想像のつかないものだった。

 

 気のせいかセシリアの脚を覆う脛当て(グリーブ)と、腕を覆う籠手(ガントレット)の辺りから、仄かな魔法の光が立ち上っているのが分かる。

 ゴブリンたちはまるで、その光の残像に誘引されるかのように、一気にセシリアに向かって躍りかかっていった。

 

「ギイィィィッ!!」

 

 甲高い奇声を上げたゴブリンの棍棒を、セシリアは左手の盾で防ぐ。

 すると魔法の火花が飛び散って、バチッという破裂音がした。

 直後、棍棒を振るったはずのゴブリンは、火花の衝撃で真後ろにひっくり返った。

 どうやら盾で受け止めた衝撃が、そのままゴブリンに跳ね返されたようである。

 ひっくり返ったゴブリンは、泡を吹いて気絶してしまっていた。

 

 セシリアはその場から数歩後退すると、今度は剣を真横になぎ払った。

 その一撃は一匹のゴブリンの棍棒を切り裂き、もう一匹の腕を斬り落とす。

 傷を負ったゴブリンは、その場にバッタリと倒れて、苦しげにのたうち回った。

 

 本来であればここで確実に、ゴブリンにとどめを刺していく。

 だが、これは撤退戦であって、とどめを求めて自分の身を危うくする訳にはいかない。

 セシリアは敵の攻撃を受け止めながら反撃して、少しずつ集落の方へと下がって行った。

 

 そして自らの身が街道に達した瞬間、セシリアはくるりと後ろを向いて一気に駆け出していく。

 どうやら彼女が殿(しんがり)で戦っている間に、ヨシュアとラリーは集落に到達できたようである。

 

 セシリアがそのまま全力で街道を駆け抜けると、ゴブリンたちは全くその速度に追いつけずに、あっという間に引き離されてしまった。

 そして、見る見るうちに集落が近づき、開かれた門が視界の中に入ってくる。

 

「――セシリア!

 早く!!」

 

 先行したヨシュアが、門のところで待ってくれているのが判った。

 だが、彼は声を掛けた直後に、驚愕とも言える表情を見せる。

 何しろヨシュアは鎧を纏った騎士が、これほどまでに速く走るのを見たことがない。

 しかもセシリアの鎧は、見間違いでなければ(ほの)かに魔法のものと思える光を放っていた。

 

「ゴブリンたちが来るわ!!

 すぐに門を閉めて!」

 

 その声を聞いたヘルマンとクラトスが、慌てて門戸の支えを外す。

 すると、セシリアが集落に駆け込んだ直後、大きな音を立てて集落の門が閉ざされた。

 それから間もなくして数十の――いや、百近くかもしれない――ゴブリンが閉じた門に群がるかのように集落を取り囲む。

 ゴブリンたちは手に持った棍棒で門を盛んに叩き、仲間を殺した騎士(てき)に追い縋ろうと、集落への侵入を試みた。

 集落は門が激しく叩かれる音によって、ある種異様な騒音に包まれている。

 

 だが、ゴブリンたちの力では、この集落の門や壁は破壊出来そうになかった。

 時間と共に騒音が聞こえなくなると、ゴブリンの数が少しずつ減っていくのがわかった。

 

 ただ、ゴブリンたちは完全にいなくなってしまったという訳ではない。

 門の上から覗いてみると、集落の近くに数匹のゴブリンが(まば)らに残っているのが見える。

 

 ――この疎らに残ったゴブリンこそが、危険な存在なのだ。

 仮にこの残ったゴブリンを退治しようと手を出してしまえば、即座に連鎖して、先ほどの百近い集団を再び呼び寄せてしまう。

 そう考えると今の状態のままでは、この集落から外に出るのは難しいように思われた。

 

 

 

 

 

「何とも、えらいことをしてくれましたな」

 

「――申し訳ない。

 本当に返す言葉がない」

 

 騎士長のグレンは白髪の男性に向かって、目を瞑りながらゆっくりと頭を下げた。

 

 身分で言えば中流貴族であるグレンが、平民相手に頭を下げるというのはおかしなことである。

 だが、今回のことは明らかに、騎士側に非のあることだった。

 刺激しなくてもいいゴブリンを刺激してしまい、集落に誘引してしまったのだ。

 その責を感じてセシリアたちは、グレンの動きに合わせるように、その男性に向かって静かに(こうべ)を垂れた。

 ところが発端になったラリーだけは、頭を下げずに明後日の方向を向いてしまっている。

 白髪の男性は頭を下げないラリーを見つめながら、騎士たちに苦言を呈するように口を開いた。

 

「私たちは確かにゴブリンの出現に困っていました。

 ですが、できるだけ奴らを刺激しないように暮らしていたのです。

 それをまあ、何ともあっさりと、こちらへ引き寄せてしまったものだ」

 

「元々我らはこの近くのゴブリンの巣を掃討する予定でした。

 こちらの集落にご迷惑をお掛けしたことは確かですが、明日にもやつらを全て退治してみせます」

 

「本当にそれができるのなら、特に文句はないのですが――」

 

 明らかに白髪の男性は、グレンの言うことを信用していない表情だった。

 だがそれは彼だけではない。彼の後ろに控えていた数人の住民も、明らかに不審そうな視線を騎士たちに投げ掛けていた。

 

「――何だ?

 俺たちが信用できないって言うのか?」

 

 その視線に反応したヘルマンが、鋭く威嚇の言葉を放つ。

 住民たちはそれを聞いてたじろいだが、グレンが手を上げてヘルマンを制止した。

 

「やめろ、ヘルマン。

 元はといえば我々が招いてしまったことだ。

 ――済まないが今晩はここで夜を明かし、ゴブリンの動きが落ち着く早朝に巣を掃討することにしたい」

 

「分かりました。

 ですが生憎(あいにく)、空き家がありませんでな。

 野営で良ければというところですが」

 

「問題ない。

 それで、夜間の見張りは――」

 

「見張りは集落(ここ)の人間でやりましょう。

 元々騎士団に、ゴブリン退治を依頼したのは我々なのですから」

 

 グレンは白髪の男性に礼を述べると、そそくさと野営をする場所へと向かっていった。

 残りの騎士たちも厳しい表情のまま、グレンの後を無言で追う。

 

 ――セシリアは騎士見習いであった時も、十分に騎士の現実を見ていたはずだった。

 ただ、ゴブリンの退治を望んだ集落に着けば、自分たちを多少は歓迎してもらえると思い込んでいたのだ。

 

 ところが住民が騎士を見る視線に、歓迎の雰囲気はなかった。

 無論、自分たちの失態のせいで、集落に危機が訪れているのだから仕方がない。

 ただ一方でそれは、単に騎士の地位にあるからといって、盲信的に歓迎される訳ではないことを意味している。

 騎士が騎士としてあるべき振る舞いをせねば、いつだって住民は簡単に名ばかりの騎士を見捨ててしまうことだろう――。

 

 

 騎士たちは野営の準備を整えると、それぞれのテントに分かれた。

 設営されたテントは四つだったが、セシリアは女性ということで、一人で一つのテントを占有することが許された。

 幸いグレンの部隊は、セシリアを入れて七人という奇数だ。

 なので彼女がそういう扱いになっても、それが不自然だという訳でもない。

 無論全員が男性であれば、テントを一人で占有するのは隊長のグレンということになっていただろう。

 その点で言えばグレンの中にも、女性への気遣いのようなものが存在しているとも言える。

 

 騎士たちは休む前に一旦集合すると、翌朝の戦術について綿密な打ち合わせを行った。

 ゴブリンの巣の位置、準備すべきもの、攻めるときの隊列。

 そして、今日のようなことを繰り返さないための注意事項――。

 

 本来であればこの夜も、警戒を解くような状態ではない。

 ゴブリンたちは刺激しなければ動かないとはいうものの、いつどんな切っ掛けで集落を襲うかわからないからだ。

 だが、集落の住民が見張りに立ってくれることで、騎士たちは警戒を解いて、休息をとることができる。

 それもあってヘルマンたちは、金属鎧(プレートメイル)を脱いで、既に骨休めの様相になっていた。

 

「じゃあ、セシリア。

 寝坊しないようにね」

 

「フフ、それはヨシュアもよ」

 

 打ち合わせを終えたセシリアたちは、軽い談笑を交えながらそれぞれのテントに戻る。

 セシリアは一人あてがわれたテントの中に入ると、鎧を脱がずに、そのままの姿で横になった。

 

 無論、鎧を脱いだ方が、身体は休まるに違いなかった。

 だが、彼女はこの鎧を脱ぐことに抵抗を感じている。

 それは不意に迫るかもしれない危機に備えておくという意味だけではない。

 

 セシリアはこの鎧に、できるだけ()()()()()()()()()のだ。

 

 彼の手で作られたこの鎧を纏い続けることで、忍び寄る不安や災厄から、自分を守れるような気がしていた。

 そして、この鎧を纏ったままでいることが、まるで彼の腕の中に抱き締められているかのように――そんな温かい想いを感じることができたのだ。

 

 セシリアはそんなことを頭に浮かべながら――。

 その身に陶器の鎧を纏ったままで、襲い掛かる微睡(まどろみ)みの中に静かに落ちていった。

 

 

 

 

 

 深い暗闇の中から、急激に身体を(すく)い上げられたような気がした。

 ハッと目を覚ましたセシリアが最初に知覚したのは、左手首を何かにトントンと叩かれるような感覚である。

 即座に左腕を確認してみると、そこには何ら異常のようなものは感じられなかった。

 だが、仄かに籠手(ガントレット)に仕込まれた宝石が、魔法の光を帯びているような気がする。

 

 ――と、セシリアはそこまで確認した瞬間、近くに何者かがいるような気配を感じとった。

 

「なっ、誰!?」

 

 セシリアが慌てて上体を起こすと、確かに暗いテントの入り口に人影のようなものがある。

 彼女は即座に枕元に置いた剣を掴むと、油断なく身構えてその人物を確かめようとした。

 

「――まさか、ヘルマン!?」

 

「あっ――あぁ。

 ――チッ、気づいちまったか」

 

 そこには、ばつの悪そうなヘルマンの姿があった。

 どうやら、彼女に何らかの()()が近づいて来たことを、左手首の触媒が震えて知らせてくれていたらしい。

 見ればヘルマンは非常にラフな恰好で、しかもズボンのベルトを外しているように見えた。

 その恰好が何を目的に、彼がこの場に現れたのかを物語っているように思う。

 まさかとは思っていたが、ヘルマンが考えていたことを思うと吐き気がするように(おぞ)ましい。

 

 セシリアはその場で剣を抜く構えを見せると、ヘルマンを容赦なく(にら)みつけた。

 とにかく一秒でも早く、ヘルマンをこの場から追い出さなければならない。

 セシリアはテントの外を指さすと、決して声を荒らげぬように注意して呟いた。

 

「このまま黙って出て行きなさい。

 でなければ大きな声を出すわ」

 

「チッ、大きな声とか、お前は街娘かよ。

 ――わかった。大人しく出ていくよ」

 

 ヘルマンはそう吐き捨てると、脱ぎかけたズボンを引き上げながらセシリアに背を向けた。

 

 セシリアはヘルマンの後ろ姿を見ながら、この光景を誰にも目撃されないことを祈った。

 騎士団の誰かにこの場を見られれば、それこそおかしな誤解を受けてしまう。

 

 だが、そんな時に運悪く、外へ出たヘルマンと遭遇した人物がいる。

 

「あれ――?

 そこにいるのは、ヘルマン?」

 

 少し高めの声色を聞いて、セシリアはドキリとした。

 そして即座にしまったという思いで、頭の中が一杯になる。

 

 その声は紛う事なき、ヨシュアのものだったのだ。

 

「ん? 何だ、ヨシュアか」

 

「こんな夜中にどうしたの?

 ――って、ちょっと待って。

 ヘルマン、そこはセシリアのテントじゃないの――?

 いいや、ちょっと待てよ!!

 お前ッ、セシリアのテントで何をしていた!?」

 

 これまで聞いたことのないようなヨシュアの声に、セシリアは心底驚いた。

 そして、彼女は転びそうになりながらも、慌ててテントの外へと飛び出す。

 するとそこにはヘルマンの胸ぐらに掴みかかったヨシュアの姿があった。

 

「ヨシュア、やめて!

 大丈夫、何もされてない。何もなかったわ!」

 

 ヨシュアは鎧姿のセシリアに気づいて、ヘルマンを掴む力を緩めたようだ。

 

「セ、セシリア!

 でも――!」

 

「ヨシュア、調子に乗るなよ」

 

 ヘルマンはそう言うと、胸ぐらを掴んでいたヨシュアを軽々と投げ飛ばしてしまう。

 

「うわっ!?」

 

「ヘルマン――!!」

 

 投げ飛ばされたヨシュアは、地面で(したた)かに背中を打った。

 だが、彼はその場で身体を一回転させると、即座に起き上がって身構える。

 その彼の表情は、普段の温厚なものとは似ても似つかないものだ。

 今にも再び飛び掛かりそうなヨシュアを見て、セシリアは冷静に言葉を選ぶ。

 

「ヨシュア、やめて。ここは抑えて。

 今は作戦行動中なのよ」

 

 セシリアに諭されたヨシュアは、少し狼狽(うろた)えるような仕草を見せた。

 

 彼女としては当然、ヨシュアに妙な誤解をされたくはない。

 だが、ここで騒ぎを大きくしてしまっては、早朝にゴブリンの巣を掃討するどころではなくなってしまう。

 その結果、もっとも割を喰ってしまうのは、他でもないここで暮らす住民たちなのだ。

 

「何だ? 何があった?」

 

 さすがに声と物音を聞いて、グレンやクラトスがテントから出てきた。

 セシリアは彼らの姿を認めると、事態の収束を図る。

 

「いいえ、何でもないわ。

 ちょっと入るテントを間違えられて、ビックリしただけなのよ」

 

 その言葉を聞いたヘルマンは、首を(すぼ)めてせせら笑った。

 一方ヘルマンを睨んだままのヨシュアは、厳しい表情を崩していない。

 だが、ヨシュアはヘルマンが自分のテントに戻るのを見届けると、あっさりとその場で背を見せた。

 

「――明日の巣の掃討には()()()()、行けると思っていいんだな?」

 

 一連のやりとりを不審そうに見ていたグレンが、彼女に問い掛ける。

 セシリアは様々な意味を含蓄したその言葉に、一度目を伏せてから、ゆっくりと頷くしかなかった。

 

 

 

 彼女は自分のテントに戻ると、一つ大きな溜息を吐き出す。

 改めて自身に及ぼうとしていた危機を認識すると、その悍ましさに身震いしてきた。

 

 彼女は過去に参加した遠征においても、何度か身の危険を感じたことがある。

 だが、今回ほど決定的な恐怖は、初めてのことだ。

 

 結局その夜、セシリアは打ち震える自分の身体を抱き留めるように――。

 その身を包んだ鎧に(すが)りながら、眠れぬ夜が過ぎ去るのを待つことしかできなかったのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33

 セシリアは朝に至るまで、殆ど睡眠を取ることができなかった。

 ただ、ヘルマンが忍び込んで来るまでの時間は、多少の睡眠が取れていたように思う。

 彼女は十分休んだと自分の身体に言い聞かせながら、雑念を捨てて粛々と出発の支度を調えた。

 

 周囲はいまだ夜明けの余韻が残っている。

 騎士たちは薄暗さが残る門の前に、全員が欠けることなく集合した。

 無論、そこにはヨシュアとヘルマンの姿も存在している。

 ただし二人は距離的に、随分と離れた場所に立っていたが――。

 とはいえ、セシリアは心の中で安堵(あんど)の息を吐いた。

 

 集落の外を見渡してみると、近くにゴブリンの姿は見当たらない。

 どうやら(まば)らに残っていたゴブリンも、夜の間に巣の方へと戻っていったようだ。

 

 ゴブリンは昼に活動をしない訳ではないが、基本夜行性で、狭くて暗い場所を好むらしい。

 なので彼らは朝方の時間になると、一斉に洞窟のような巣へと戻っていく。

 そしてそこで身を寄せ合いながら、しばらくの睡眠を取るのだ。

 よって、ゴブリンの巣を掃討するのであれば、ゴブリンたちの活動が静まる早朝の時間が適している。

 

「よし、行こう」

 

 騎士たちが揃ったのを確認したグレンが、低い声で号令をかけた。

 

 全員が門から外へ出ると、まったく無言のままでゴブリンの巣へと向かっていく。

 これは余計な声や物音が、ゴブリンたちを起こしてしまう可能性があるからだ。

 

 だが、セシリアはこの無言の行軍が、今は有り難いと思った。

 何しろ昨晩の出来事を思い起こせば、何を話せば良いのかわからなかったからだ。

 

 しばらくすると騎士たちは、ゴブリンの巣から少し離れた場所で一度脚を止めた。

 そこで一旦仮の拠点を作ると、戦闘に必要のない荷物を置いていく。

 

 その拠点から先は、抜剣した状態でゴブリンの巣を目指していくのだ。

 ゴブリンの巣があるのは、山手の斜面のぽっかりと口を開いた洞窟のような場所だった。

 その穴だけが妙に真っ暗な闇を湛えているようで、底知れぬ空間へと続いているようにも思える。

 

 果たして騎士たちはゴブリンに気づかれることなく、無事に巣へと到達した。

 周囲には金属鎧(プレートメイル)が擦れ合って起こる、カチャカチャとした音だけが響いている。

 騎士たちは沈黙を守ったまま配置について、それぞれが視線を交わし合った。

 そして事前の打ち合わせ通り、ヘルマンとクラトスを先頭にして隊列を組み直す。

 

「よし。

 ヘルマン、やってくれ」

 

「了解」

 

 そこだけは隊長のグレンとヘルマンが、沈黙を破って言葉を交わした。

 

 ヘルマンはクラトスから何やら四角い物体を受け取ると、右手に持った剣を鞘に収める。

 そして、彼はその物体から伸びている()()()()()()()()()を、力一杯引っこ抜いた。

 するとその四角い物体は、見る見るうちに赤い色に染まり始める。

 

「さあ、くたばれッ!

 ゴブリンども!!」

 

 ヘルマンは目を剥いて叫ぶと、真っ赤に輝いた四角い物体を巣の中へと放り込む――!!

 直後、ゴブリンの巣から閃光が(ほとばし)り、数瞬遅れて凄まじい爆音と震動が辺りを包みこんだ。

 

「くっ――!!」

 

 セシリアは十分身構えていたが、突然の衝撃に声を上げて蹌踉(よろ)めいてしまった。

 今、ヘルマンがゴブリンの巣に投げ込んだのは、火魔法の効果を生み出す触媒を包んだ魔法道具(マジックアイテム)だ。

 ゴブリンの巣を掃討するために騎士団から支給された、いわば爆雷のような特別な道具だった。

 

「ギイィィィアアアァァァッ!!」

 

「来るぞ!

 一匹たりとも討ち漏らすな!!」

 

 無数に上がるゴブリンの悲鳴に掻き消されないように、グレンの大声が降り注ぐ。

 ゴブリンの巣からは濛々(もうもう)と火と煙が上がり、そこから傷ついたゴブリンたちが次々に()い出して来た。

 しかし、傷ついたゴブリンは巣から出た瞬間に、ラリーとクラトスによってその命を絶たれていく。

 

「セシリア、外にもゴブリンがいるかもしれない。

 一応、巣の外も警戒しておいて」

 

「わかったわ」

 

 治癒術士(ヒーラー)のハンスを守っているセシリアに、身構えたままのヨシュアが声をかけた。

 

 恐らくゴブリンたちは一匹残らず、巣の中で身を寄せ合っていたはずである。

 だが、それが確実だと言えない以上、周囲への警戒は常に解かない方が良い。

 

「よし、火が収まったら中へ突入する!

 一気に一匹残らず片付けてしまうぞ」

 

 グレンが魔法の炎の収まりを見越して、這い出るゴブリンに(とど)めを差しながら指示を出した。

 だが、その指示を聞いた騎士見習いのラリーは、それとわかる大きさで不満の声を漏らす。

 

「まさか、こんなひでぇ臭いの巣の中に入れっていうのかよ」

 

「ラリー、だったらお前は付いてこなくていい。巣の外で警戒していろ。

 ヘルマンとクラトスは先頭だ。

 ヨシュアはハンスを守って、巣の外で待機。

 セシリアはラリーの代わりに私と一緒に来い」

 

「了解」

 

 セシリアは指示に頷くと、グレンの方へと進み出た。

 先頭のヘルマンは一瞬セシリアを見たが、何も言わずに背中を見せてゴブリンの巣の中へと入っていく。

 

「クッ――これは――」

 

 予想はしていたものの、足を踏み入れた巣の中は、まさに地獄絵図といった光景だった。

 折り重なって倒れるゴブリンの死骸が、至る所に転がっている。

 周囲には()えた臭いと焼かれた肉の臭いが、むせ返るほどに充満していた。

 その臭気がセシリアの不快感を、極限まで高めていく。

 

「クラトス、右に生き残ってるのがいるぞ」

 

 後ろから飛んだグレンの指示に従って、クラトスがいまだ(うごめ)くゴブリンに止めを刺した。

 それを後方から目撃したセシリアは、無言のまま眉を(ひそ)める。

 

 これは、決して戦いなどではない。

 一歩的な虐殺に過ぎない――。

 

 ゴブリンは放置すれば、人間に危害を加える危険な存在である。

 だが、彼らは小さな子供に至るまで、掃討されるのが当然な存在なのだろうか――?

 

 セシリアはそう思いながらも、ゴブリンの巣の奥へと更に進んでいった。

 自分の行いが正しいと思い込まなければ、精神(こころ)のバランスを崩してしまいかねない。

 

 

 無事にゴブリンの巣を掃討した騎士たちは、一旦仮の拠点へと帰還した。

 そこで少しの休憩を取った後で、報告のために集落へ戻るのだ。

 

 ゴブリンの巣の掃討という作戦だけを考えれば、騎士たちの行動は、この上なく上手くいったと言って良かった。

 巣の中でヘルマンとクラトスがいくらか掠り傷を負ったようだが、それもハンスの治癒魔法によって、十分に治療が可能なものだ。

 

「昨日はどうなるものかと心配したが、結果は大成功と言っていい」

 

 隊長のグレンは騎士たちの働きを(ねぎら)うように、水を口に含みながら笑い声を上げた。

 セシリアはその声を聞いて釣られるように薄く笑みを浮かべる。

 騎士たちは誰もが作戦を達成したという、高揚感を持ちながら談笑していた。

 

 確かに昨日のラリーの行動を見ていれば、この後の成功を全く予想できなかったのだ。

 だが、今日のラリーは随分と大人しかった上に、そもそも活躍の場があまり与えられていなかった。

 無論それは本人にとって、不本意なことだったに違いない。

 しかし、結果的に巣の掃討は成功し、あとは報告を行うだけとなっている。

 

 ――そうして騎士たちがふと、警戒を解きかけた時。

 

 周囲の()()に気づいたヨシュアが、表情を変えながら声を上げた。

 

「ちょっと待って。

 ――おかしい。

 何かの()()のようなものが聞こえる」

 

「足音?」

 

 ヨシュアの言葉にその場にいた全員が、(いぶか)しげな表情をとる。

 そして、静かに聞き耳を立てながら、ヨシュアが気づいた()が何なのかを確かめようとした。

 

「――こっちに向かって来ている?

 こいつぁ、冗談じゃ済まされないぞ」

 

 音の正体に気づいたヘルマンが、顔を引き()らせながら呟いた。

 

「足音を隠そうともしていないわ。

 それに、いくつもの()が聞こえた」

 

 セシリアも緊張の面持ちで、足音の規模を何とか把握しようと努めている。

 すると、足音の正体に気づいたグレンが、敵を断定するように叫び声を上げた。

 

「間違いない。剣を抜け!

 ――こいつは小鬼(オーク)の集団だッ!!」

 

 そして、彼の声を起点にして、全員が一斉にその場に立ち上がる。

 戦いを終えて、休息を取るはずだった騎士たちは、一気に戦闘態勢へと移行した。

 

「拠点は放棄してしまえ。

 ハンスも一緒に全員で出るぞ」

 

 グレンの指示に早速ヘルマンとクラトスが抜剣する。

 ところがそれにセシリアが水を差した。

 

「待って! 足音の数は多いわ。

 正確な敵の規模も確かめずに、打って出ようというの!?」

 

 騎士たちはゴブリンに勝った高揚感の中で、戦うという判断を下そうとしている。

 身体には確実に疲労感があり、ゴブリンとの戦いよりも状態は劣っていた。

 

「敵は小鬼(オーク)だ!

 確かにゴブリンよりは手強いが、戦って勝てない相手じゃない。

 それにゴブリンのように無尽蔵に湧いてきて、戦況が悪化することもないだろう。

 先制して向かって来る集団を叩けば、確実に危機は脱せるはずだ」

 

「逃げ足自慢の女騎士様は、後ろからついてくれば良いんじゃないか?」

 

 グレンの返答に合わせて、ラリーがセシリアを侮蔑した言葉を吐き出した。

 セシリアはそれを聞くと、キッと表情を固くした。

 だが、怒りで我を忘れてはならない。

 

 セシリアはスラリと剣を引き抜くと、その刀身をじっと見つめながら、今の状況を的確に判断しようとした。

 

「――いいえ、やっぱり何かおかしいわ。

 だって、ここには()()()()()()()()()()のよ?

 小鬼(オーク)はゴブリンの天敵。

 小鬼(オーク)がいるところに、ゴブリンが巣を作るはずがない。

 なのに、ここへ襲い掛かってくるのが、小鬼(オーク)の集団だなんて!」

 

 だが、既に騎士たちは、セシリアの忠告を冷静に受け止められるだけの余裕を持ち合わせていなかった。

 グレンはセシリアを振り返ると、それ以上の議論を打ち切る一言を投げかける。

 

「いくらおかしいと言っても敵は小鬼(オーク)だ!

 小言はいい。とにかく、目の前の敵を斬り倒せ!!」

 

 セシリアはもはやこの戦闘が避けられないことを悟って、思わず舌打ちをした。

 仕方なく剣を構えると、敵の姿を見極めようと周囲を注意深く見渡す。

 

 ――と、ふと彼女の視界の片隅を、何者かが横切って行ったのに気づいた。

 

「何?

 今のは――人影?」

 

 それは、セシリアの見間違いかもしれなかった。

 だが彼女が一瞬目にした影は、明らかに小鬼(オーク)とは違う、()()()姿()だったように思える。

 

 ――この時、セシリアは判断に迷った。

 その人影を追ってしまえば、小鬼(オーク)との戦いからの敵前逃亡と捉えられてもおかしくない。

 無論、厳格な騎士団において敵前逃亡は、死に値する重罪である。

 

 それにセシリアが小鬼(オーク)との戦いから離れれば、数で劣る騎士たちが更に不利に陥ってしまう。

 既に小鬼(オーク)の集団はハッキリと姿を見せ始め、先頭を進んでいたヘルマンやクラトスは戦闘を始めていた。

 周囲には騎士たちの声と、無数の小鬼(オーク)たちの叫び声が響いている。

 

 そして、次の瞬間。

 セシリアは、目撃した人影を追うように、一気に走り出した。

 彼女にはどうしても、その影が、この小鬼(オーク)の襲撃に関わっているように思えてならなかったのである。

 

「――ハァ――ハァ」

 

 鎧姿のセシリアは、荒い息を吐き出しながら、戦場を迂回するように駆け抜けた。

 その彼女の意思に呼応するように、左右の脛当て(グリーブ)が淡い魔法の光を放ち始める。

 すると、セシリアはぐんぐんと加速して、次第に目当ての人影に追いついていった。

 

「――!!

 まさか――」

 

 セシリアはその後ろ姿を確認して、走りながら思わず驚きの声を上げた。

 もはや見間違いを疑う状況でもない。

 

 その後ろ姿は確実に、彼女の()()()()にあったのだ。

 

「――チッ、追いつかれたか」

 

 もはや逃げ切るのが無理だと悟って、前を走る人影が速度を緩めて立ち止まった。

 そして、手に持っていた()()を、慌てて遠くの茂みへと投げ捨てたように見える。

 

 こちらを振り向いた人影は、銀色に輝く細身の金属鎧(プレートメイル)を纏っていた。

 そして、その顔を窺えば、前髪に()()()()()()()()が掛かっているのがわかる。

 

 それは、もはやその顔を目にしたくないと思っていた、騎士長のミランだったのである。

 

 セシリアは目の前に現れた人物を確かめて、一瞬愕然とした表情を作った。

 だが、それでも何とか平静を装って、息を整え、ミランに問い掛ける。

 

「今、何を投げ捨てたの?

 それに、あなたの持ち場はここではないはず。

 あなたは一体ここで、何をしているというのッ!?」

 

 するとミランは睨めつくような視線を投げかけながら、クククと小さい笑い声を漏らした。

 

「キミを追っていた――と言いたいところだが、残念なことに実情はちょっと違う。

 所詮、キミたちは全体の駒の一つでしかないということを、ちゃんと理解すべきなのだよ」

 

「駒――?」

 

「おっと、お喋りが過ぎたかな。

 早くここから離れねば、私も巻き込まれてしまいかねない。

 何しろここへ来るまでも、随分と危険があったのだ」

 

「どこへ行くというの?」

 

「どこへも行かないさ!

 これからキミたちのお手並みを、陰ながら拝見させてもらうことにするよ。

 ――ところで、剣を抜いたままのようだが、まさか私に襲いかかるつもりではないだろうね?」

 

 セシリアは剣をギュッと握り締めたまま、思わず唇を噛む。

 

 ミランがこの小鬼(オーク)の襲撃に、何らかの関与を行っていたのは間違いないように思う。

 だが、今はそれを証明するための証拠が存在しなかった。

 

 確かに彼が持ち場を離れていることは、重罪ではある。

 ただ、だからといってセシリアが、彼を勝手に処断して良い訳ではない。

 

 しかもミランとセシリアの間には、感情的な関係が存在していることが公知になってしまっている。

 それを考えればこの場において、一方的にミランを攻撃するのは避けるべきだった。

 

 そんな思いもあって、互いを睨みつけたまま、二人の間に沈黙の時間が過ぎ去っていく。

 

 ――そして、次の瞬間。

 

 セシリアは、ミランとは()()()()へ向けて、一気に走り出した。

 

「チッ――!!」

 

 その意図に気づいたミランが、舌打ちをしながら同じ方向へ向けて動く。

 セシリアが向かっていたのは、ミランが()()()()()()()()茂みの方角だったのだ。

 

「邪魔よ!!」

 

 セシリアは剣を振るうと、近づいてきたミランを一気に振り払う。

 ミランはその斬撃をギリギリで避けたが、もはやセシリアに追いつかないことを知って、くるりと方向を転換した。

 

 彼女は逃げるミランを捨て置いて、目的の場所まで一気に駆け寄っていく。

 そして、その場に到達すると、何かが草花を押し倒すように地面に横たわっているのに気づいた。

 それは、手に持つ()()()のような形状で、魔法のものと思われる朧気(おぼろげ)な青い光が灯っている。

 

「――!!

 こ、これは――まさか、『釣り餌(アンカー)』!?」

 

 こんなものをどこから――という思いが、セシリアの心の中に広がった。

 

 彼女は騎士見習い時代に、そのランプのような魔法道具(マジックアイテム)を目にしたことがあった。

 それは騎士公エリオットと共に遠征に出た時のこと。

 彼が集落の付近で巨人(トロル)と戦闘せざるを得なかった時に、巨人(トロル)を集落から引き離して()()するために、釣り餌(アンカー)と呼ばれる魔法道具(マジックアイテム)を使ったのである。

 

 結果、エリオットは巨人(トロル)を集落から引き離すことに成功したが、巨人(トロル)以外の魔物も同時に引き寄せることになった。

 剛勇を誇るエリオットだからその場を切り抜けられたものの、常人であれば生き残るのも難しい状況だったに違いない。

 しかも、セシリアの記憶が確かであれば、普段の戦いでは傷一つ負わないエリオットが、その戦闘でいくつも傷を負っていた。

 

 ――それ程までに危険な代物。

 無数の魔物を呼び寄せる魔法道具(マジックアイテム)、『釣り餌(アンカー)』。

 

 なのに、それが今、セシリアの足下に無造作に()()()()()

 

 釣り餌(アンカー)は危険な魔法道具(マジックアイテム)であるが故に、騎士長であるミランといえども、簡単には外に持ち出せないはずのものだ。

 それが意味するところを考えながらも、セシリアは足で釣り餌(アンカー)の青い光を踏み壊す。

 すると、カシャンという小気味よい破壊音がして、魔法の光はぼんやりと消えていった。

 

「――お、おい!!

 何だ、あれは!?」

 

 その時、釣り餌(アンカー)の破壊音に被さるように、セシリアの耳にヘルマンの尋常でない叫び声が聞こえてきた。

 彼女はハッと顔を上げると、その声がした方向へと振り返る。

 ミランが危険な釣り餌(アンカー)を使って、ここへ誘引して来たものが、自分たちの近くにまで迫っているに違いない。

 

 セシリアは暫く考えを巡らせると、ごくりと唾を飲み込んだ。

 そして、足下に散らばる釣り餌(アンカー)欠片(かけら)を、慎重に選んで摘まみ上げる。

 

 今、彼女の頭の中には、ルサリアの悲劇に巻き込まれたカイの言葉が甦っていた。

 彼はその話をした時に、セシリアに何と告げていただろうか?

 

『問題は誰の責任で、この事件が起きたのかということだ』

 

 そう、彼は断言していたように思う。

 それを思えば()()が本当に役立つかは判らない。

 だが、それは殆ど無意識の内に――彼女は釣り餌(アンカー)の破片を、鎧の内側へと忍ばせた。

 

 ――果たして、この先に待ち受けるものは、一体何なのだろうか?

 

 まだ見ぬ脅威を想像しながらも、セシリアは再び、その場から駆け出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34

 陶器の鎧はセシリアの意思を汲み取るように、仄かに発光して、彼女の身体を加速していく。

 普通の金属鎧(プレートメイル)であれば、これほどの距離を走り続けることなど、体力的に不可能だったに違いない。

 だが、セシリアの身体にあるのは、ほんの少しの疲労感だけだった。

 

 ――きっとこの鎧は、自分に何が起こっても、守ってくれるに違いない。

 

 増大する不安を押し返すかのように、心の中にそんな根拠のない希望が広がっていった。

 

「――!?

 なっ――こ、これは――!!」

 

 セシリアがようやくグレンたちの場所に到達した時、彼女は目前に立ち塞がるものを見て、思わず絶句してしまう。

 何しろ走っている最中には、()()姿()にまったく気づかなかったのだ。

 それは周囲を覆い尽くす木々と、目の前のものが溶け込んでいたからに違いない。

 

 今、セシリアの前に立ち塞がっていたのは、彼女がかつて見たことのない大型の魔物だった。

 

 途轍もなく、巨大な()()()()()――。

 

 そう形容するのが、最も適した表現のように思う。

 見れば何本もの長い枝が、その化け物の周りで鞭のようにしなって(うごめ)いていた。

 

「セシリア!!

 こいつは『大魔樹(エルダートレント)』って化け物だ。

 ()(かつ)に近づくとヤバイやつだよ!

 でも深い森にしか居ないはずなのに、何でこんなに浅いところで――!?」

 

 セシリアに気づいたヨシュアが、半身(はんみ)で振り返りながら、大きな声を上げた。

 

大魔樹(エルダートレント)――!?」

 

 この魔物をミランがここまで、引っ張ってきたというのだろうか?

 見れば大魔樹(エルダートレント)の太い幹には、老人の顔のような醜悪な文様があった。

 巨大な木のように見えてはいるが、その実体は木に擬態した危険な魔物なのだ。

 

 セシリアは顔のような文様を、大魔樹(エルダートレント)の正面だと考えた。

 そして、油断なく剣を構えると、ジリジリと後背へと回り込んでいく。

 

 ところが、その瞬間――。

 

「――!!

 クラトス!」

 

「なっ――うがぁっ!!」

 

 大魔樹(エルダートレント)の正面で警戒していたクラトスに、容赦ない速度でしなる枝が叩きつけられる。

 その動きはあまりにも速すぎて、枝の軌道を肉眼で捉えることが出来なかった。

 

 クラトスは攻撃を咄嗟に盾で防ごうとしたようだが、あまりの衝撃の強さに吹き飛ばされてしまう。

 それを好機と見たのか、尻餅をついたクラトスを狙って一匹の小鬼(オーク)が飛びかかった。

 だが、それを隊長のグレンが、即座に叩き斬る。

 

「ヨシュアとセシリアの二人は、残った小鬼(オーク)を掃討しろ!

 ラリーはハンスを守れ。

 それ以外は大魔樹(エルダートレント)を何とかする。

 全員、ヤツの正面には立つな!!」

 

「待って!

 今のを見たでしょう!?

 ろくな魔法もなしに勝てる相手じゃないわ。撤退すべきよ!!」

 

「臆すのか?

 なぜ一度も剣を交えずに、最初から逃げることができる!?」

 

 グレンの言葉を聞いたセシリアは、再び異論を唱えようとした。

 

 だが、どのような言葉を用いて、彼を説得するというのだろうか?

 彼女が論理的に逃げることを勧めたとしても、グレンはきっと聞く耳を持たないだろう。

 

「あいつと戦うというのなら――」

 

 そう言い掛けて、セシリアは思わず口を(つぐ)んでしまった。

 

 恐らくこの陶器の鎧に秘められた力を考えれば、自分は小鬼(オーク)よりも危険な大魔樹(エルダートレント)と対峙すべきなのである。

 しかし、その判断に至る理由を、グレンにどう説明するというのか。

 そもそもこの火急の状況において、騎士たちを理解させ、納得させられる言葉など、存在するのだろうか――?

 

 グレンたちは、そんな彼女の思考に気づくこともなく、どんどんと自らの足で大魔樹(エルダートレント)に近づいて行った。

 セシリアにはそれが途轍もなく、無謀な前進に思えた。

 そして、それを見た彼女の頭の中には、カイの放った言葉が浮かんでくる。

 

『隊を率いる上官の善し悪しは、全員の運命を左右してしまう』

 

「――今は自分にできることを、やるしかないわ!」

 

 セシリアは自分にそう言い聞かせると、大魔樹(エルダートレント)から離れて近くにいた小鬼(オーク)に追い縋った。

 

 醜悪な外見だけで言えば、小鬼(オーク)とゴブリンという種族は、大して差異がない。

 だが、小鬼(オーク)はしっかりとした武器と防具を身に着け、戦う意思を持った集団行動する蛮族である。

 その分、ゴブリンなどよりも数段階手強く、決して侮ることのできない存在なのだ。

 

 そんな敵の攻撃を、華麗に避けつつ、反撃を仕掛ける――。

 

 ただ、ゴブリンを相手にする時のように、一刀で仕留めるのはかなり難しい。

 そして、なまじっか生命力があるだけに、確実に(とど)めを刺さなければ、手痛い反撃を喰らってしまう。

 

 セシリアは一匹目の小鬼(オーク)に止めを刺すと、大魔樹(エルダートレント)の動きを警戒しながら、二匹目の小鬼(オーク)に襲い掛かっていった。

 その時――。

 

「お、おい、やめろ!

 こっちへ来るな!!」

 

 明らかに戦意に欠ける声を耳にして、セシリアはその声の方向に視線を向ける。

 すると、そこには迫り来る枝を必死に剣で払う騎士見習い――ラリーの姿があった。

 その後ろには怯えた表情の治癒術士(ヒーラー)ハンスの姿もある。

 

「ラリー!?

 ダメよ、戦意を見せて戦って!」

 

 だが残念なことに、セシリアの言葉も全く届いていないようである。

 ラリーは何とか攻撃を凌いでいたが、明らかに及び腰の姿勢だった。

 

 すると、ラリーは横からの一撃を喰らって、その場に転倒してしまう。

 直後、逆から振るわれた枝によって、ラリーの剣は弾かれてしまった。

 

「ひ、ひぃぃぃ――」

 

 ラリーは盾で自分の顔を覆ってしまうと、(うずくま)りながら枝の攻撃に耐えようとした。

 迫る枝が何度も彼の盾を叩き、カンカンという打撃音が大きく木霊する。

 

 その行動は、しばらくの間、彼自身を迫り来る脅威から守ったのかもしれなかった。

 だが一方で、その行為は、彼が背負った重要な()()を放棄していたのである。

 

「ひっ――!

 ぐ、ぐあああぁぁっ!!」

 

 上がった悲鳴の大きさに、思わず全員がそちらの方向へ振り返った。

 そこにはラリーに守られていたはずの、治癒術士(ヒーラー)ハンスの姿がある。

 だが、その彼は無残にも、何本もの太い枝によって胸を貫かれてしまっていた。

 

「ハンス!?」

 

 ヨシュアがすぐに駆けつけて、慌てて枝を断ち斬った。

 だが、ハンスはその場に倒れ込むと、口から大量に吐血する。

 彼はしっかりと防具を身に着けていたにも関わらず、その()()()()()胸を貫かれてしまっていたのだ。

 ヨシュアは倒れたハンスを抱きかかえたが、直後にグレンに向かって首を横に振った。

 その様子を見た騎士たちは、明らかに浮き足立ち始める。

 

「ハンスが!?

 ま、拙いぞ――!」

 

 ヘルマンが枝を断ち斬りながら、焦った声を漏らした。

 治癒魔法が使えるハンスは戦闘こそ出来ないが、強敵と渡り合うためには欠かせない存在である。

 なのに騎士たちは、()()()()()()()()()()()()という失態を犯してしまった。

 それを目の当たりにしたグレンたちは、明らかにこの戦闘が無謀であることを自覚させられる。

 

 ハンスを仕留めた大魔樹(エルダートレント)は、次の標的をヘルマンとクラトスに定めたようだった。

 彼らが狙われた理由は単純で、二人が最も大魔樹(エルダートレント)に近い位置にいたからだ。

 

「ヘ、ヘルマン様、どうします!?」

 

「チッ――!

 勝てる訳ねぇ!!」

 

 ヘルマンとクラトスはラリーなどと比べると、明らかに経験と技能のある騎士と騎士見習いだった。

 戦意は失いつつあるが、剣を鋭く振り、襲い掛かる枝を次々に斬り払う。

 

 だが、クラトスが後方から忍び寄った枝に、足を取られてしまった。

 直後、転倒した彼に向けて鋭い枝の攻撃が集中する。

 

「グアアァァァッッ!!

 痛てえぇ、し、死んじまう!!

 ヘ、ヘルマン様、助けてぇぇ!!」

 

 殴られ、砕かれ、刺し貫かれながら、クラトスは苦悶の悲鳴を上げ続けた。

 身体を守ってくれるはずの金属鎧(プレートメイル)も役に立っていない。

 名前を呼ばれたヘルマンが何とか助けようとするが、彼も自分を守るだけで精一杯の状況である。

 

 それからいくらかの時間が経ってしまうと、悲鳴を上げていたクラトスの声が、全く聞こえなくなってしまった。

 

「ク、クラトス!!

 こいつ、許さねぇぇぇ!!」

 

 ヘルマンが怒りの声を上げて、無理矢理大魔樹(エルダートレント)の包囲を突き抜けようとした。

 だが、その強行突破を、一本のうねった枝が完全に阻止してしまう。

 ヘルマンの後方から迫った枝が、彼の首に巻き付いたのである。

 ヘルマンは慌ててその枝を引き剥がそうとするが、枝は彼を重い金属鎧(プレートメイル)ごと空中へと持ち上げてしまった。

 

「うぐっ――ぐうぅぅ――」

 

 ヘルマンが(よだれ)と泡を吹きながら、苦悶の声を上げる。

 容赦なく締め上げる枝が、彼の呼吸を完全に(さえぎ)っていた。

 

「拙い、このままではヘルマンが――!!」

 

 グレンがヘルマンを救出しようと、吊り上げられたヘルマンの元へ向かう。

 だが、幾重にも張り巡らされた枝の障壁(バリケード)が行く手を阻んでいた。

 小鬼(オーク)を掃討するために離れていたヨシュアとセシリアは、どう考えてもヘルマンに手を差し伸べられる場所にいない。

 

 (あわ)れ、吊り上げられたヘルマンは、そのままガクリと力を失ってしまった。

 すると、大魔樹(エルダートレント)は用が済んだとばかりに彼の身体を乱暴に投げ捨てる。

 力を失ったヘルマンの身体は、中空を舞って、近くの木に激突した後に、ズルズルと地面へと落ちていった。

 

 セシリアはその状況を目撃して、敵と自分たちの()()()()が、明らかに違うことを再認識する。

 そして、この敵とはやはり、戦うべきでなかったと思った。

 

 直後、隊長のグレンが、明らかに恐怖で震えた声で号令を掛ける。

 

「ててて撤退だっ――!」

 

 だが、その言葉を聞いたセシリアは、反射的に反発の声を上げた。

 

「撤退!?

 撤退って、今更どこに逃げるというのッ!?」

 

「し、しかし――」

 

「見たでしょう!?

 もう、逃げられなんかしないわ。

 逃げるなら最初から相手にせずに、全力で逃げるべきだったのよ!

 むしろ今逃げ腰になれば、全員が化け物の餌食になってしまう。

 それに、あんな化け物を集落まで引っ張って行けると思って!?」

 

 グレンは彼女の非難の声に、ぎごちなく振り返った。

 だが、セシリアが目撃したその顔には、完全に余裕という言葉が失われている。

 

 彼女はその瞬間、騎士たちの秩序の崩壊を見た。

 

「ダメだ。

 セシリア、もう戦えない」

 

 セシリアは、ヨシュアの諭すような言葉が、真実だと思った。

 

 だが、それであれば、最初から戦うべきではなかったのだ。

 最初に小鬼(オーク)が現れた時に、もっと慎重に状況を把握すべきだった。

 ヘルマンとクラトス、それにハンスは、一体何のために死んだというのか。

 

『敵の強さを見極め、それが勝てない敵なのであれば、()()()()()()()()()()()()()

 

 セシリアの頭の中にはカイの言葉が、何度も何度も木霊していた。

 

「セシリア、行くよ!

 こっちだ!!」

 

 そのヨシュアの声を切っ掛けに、騎士たちはそれぞれ別々の方向へと走り出す。

 だが、ラリーは上手く走れずに、足が(もつ)れて転倒してしまったようだ。

 直後、彼のものと思われる絶叫が上がり始める。

 

「た、助けてくれえええぇぇぇ――!

 い、いやだぁぁぁ――!!」

 

 セシリアはその声の悲惨さに、走りながら耳を塞ぎたくなった。

 

「セシリア、小鬼(オーク)たちが!」

 

 逃れようとするセシリアとヨシュアの前を、小鬼(オーク)の集団が遮っている。

 この先には、騎士団長のアルバートが率いる本隊があるはずだった。

 ただそこへ至るには、まだまだ遠い距離がある。

 

「チッ、しつこいのよ!!」

 

 セシリアは悪態をつきながら、何とか小鬼(オーク)を仕留めていく。

 

 もし、ここにいるのがセシリア一人であれば、何とか包囲網を突破し、全速力で小鬼(オーク)を振り切ることができたのかもしれない。

 だが、側にいるヨシュアは、重い金属鎧(プレートメイル)を纏っていた。

 それを考慮すれば、彼はセシリアの動きに追従することはできないだろう。

 

 ヨシュアは見捨てられない――そう考えたセシリアは、彼と肩を並べて、とにかく群がる小鬼(オーク)を叩き斬った。

 そして、小鬼(オーク)を全滅させた瞬間――。

 

「――なっ!?」

 

 後方から飛来した()()()()のようなものを、セシリアとヨシュアは慌てて避けた。

 そして、飛んできたものが何であったのかを確かめて、思わず二人は戦慄(せんりつ)した。

 

 それは、もはや肉塊と化してしまった、かつて()()()()()()()()である。

 

 思わず足が(すく)んでしまった二人の方へ、どんどんと危険な枝が伸びてきた。

 そして、二人が転身してそれを迎え討とうとした瞬間、枝は二人を逸れ、別の方向へと向かっていく。

 

「な、何!?

 どうしたっていうの!?」

 

「セシリア、あれは!?」

 

「――こここ、こっちに来るな!!」

 

 その場に、いないはずの()()()()()が響く。

 そこにはセシリアとヨシュアの他に、彼女たちの戦いを()()()()()()()がいたのである。

 

「ヒッ――何でこっちに来るんだ!!

 私はもう釣り餌(アンカー)を持っていないんだぞ!?」

 

 叫びながら、焦った表情の()()()が剣を必死に振るっていた。

 だが、彼の抵抗など大魔樹(エルダートレント)にとっては、あってないようなものに過ぎない。

 

「ぬ――ぬぅああああぁぁぁ――!!」

 

 大魔樹(エルダートレント)はミランの身体を捕縛してしまうと、長い枝をぐるぐると身体に巻き付かせた。

 周囲にはボキボキと骨の折れる不快な音が響き、人の声とも思えぬ絶叫が途切れ途切れに上がる。

 

 その光景を目撃したセシリアは、思わず顔を背けてしまった。

 それほどまでに残酷に――直前まで()()()()()()()()は、枝によって引きちぎられ、肉塊と化していく。

 しかも、大魔樹(エルダートレント)執拗(しつよう)に、その肉塊を(もてあそ)んでいるように思えた。

 長い間、釣り餌(アンカー)を持っていた彼に、何か執着するものがあったのかもしれない。

 

 魔物とはかくも、残酷なものなのか――。

 

 そう感じたセシリアの背中を、冷たい汗が伝っていく。

 

「セシリア、今のうちに――」

 

 吐き気を催す光景に目を背けながら、ヨシュアが余裕のない表情で(ささや)いた。

 彼女はヨシュアの言葉に頷くと、可能な限りの速力でその場から走り出す。

 すると、セシリアの脛当て(グリーブ)が淡い魔法の光を放ち、彼女の走力を加速していった。

 セシリアはヨシュアを引き離さないよう気をつけていたが、すぐに二人の間には距離が開き始める。

 

「ヨシュア、急いで!」

 

「わかってるよ!

 わかってるけど、でも――」

 

 集落のある方向へは逃げることが出来ない。

 騎士団の本隊へ向かうには遠すぎる。

 

 では、どこへ向かおうというのか。

 どこへ行けば自分たちは、逃れられるというのか――?

 

 答えのない問いを繰り返しながら、二人はとにかく、どこでもない場所へ向かって全速力で走った。

 

 ――だが無情にも大魔樹(エルダートレント)の枝は、徐々に速度の落ちたヨシュアの足を絡め取ってしまう。

 

「ヨシュア!!」

 

 何本もの尖った枝が、疲労で弱ったヨシュアに向けて一気に襲いかかった。

 彼は手にした剣と盾で防ごうとしたが、盾で覆いきれない場所から、枝の侵入を許してしまう。

 

「うぐっ――。

 ぐあああぁぁぁぁ――!!」

 

 鎧の継ぎ目から侵入した枝が、無情にも彼の身体を蹂躙した。

 ヨシュアは剣を振るって抵抗するが、体力を失った身体は思うように動かない。

 

 セシリアは足を止めると、何とか枝を次々に斬り落として、ヨシュアの側へと駆けつけた。

 だが、全ての枝を斬り落とした時には、ヨシュアの身体の下に、大きな血溜まりが出来てしまっている。

 

「ヨ、ヨシュア――」

 

 セシリアは彼の様子を一目見て、それが助からない傷であることを悟った。

 ヨシュアの見事な赤い刺繍の鎧は、それよりも濃い彼自身の血液を吸って、(まだら)な模様に染め上げられてしまっている。

 ヨシュアは荒い息を吐き出すと、動くこともできずに、微かな言葉を絞り出した。

 

「セ、セシリア――ボクは、もう助からない」

 

「ヨシュア、そんな――!

 諦めてはいけないわ!!」

 

「いいや、それぐらい、わかるよ。

 だって、自分の身体なんだもの――」

 

 悟ったような弱々しい言葉を聞いて、セシリアは悲壮感溢れる表情になった。

 喉元まで「きっと助かる」という言葉が出掛かったのに、どこかに引っ掛かってしまって出てこない。

 治癒魔法が使える治癒術士(ヒーラー)のハンスも、大魔樹(エルダートレント)に殺されてしまっていた。

 それを考えればヨシュアが助かる可能性が、皆無であることは誰の目にも分かる。

 

「セ、セシリア――聞いて」

 

 セシリアが言葉を失っていると、ヨシュアが弱々しく笑みを浮かべながら語り出した。

 

「死ぬ前にボクは、君に謝っておかなければならないことがあるんだ」

 

「何? 何なの!?

 謝るなら、助かって元気になってからにして――!」

 

 こんなときに何を謝りたいというのだろうか?

 セシリアは、ヨシュアの言葉を拒絶するかのように、大きく(かぶり)を振った。

 

「フフ――相変わらず、無茶を言うね。

 でも、そんなところも大好きだった。

 ――セシリア、本当にゴメン。

 これまでに何度も、騎士団に君の悪い噂が流れたことがあったと思う。

 それに君は、なかなか鎧師を見つけることができなかっただろう――?

 実は噂を流して、裏で手を回していたのは、他でもない()()()()()――」

 

 セシリアはその告白に、思わず目を剥いた。

 彼女の脳裏に誰かに尾行されていたことや、鎧師が見つからずに途方に暮れた記憶が浮かぶ。

 

 その元凶は全て――ヨシュアだったのだ。

 

 ヨシュアは愕然とした表情のセシリアを見て、ほんの少しだけ弱々しい笑みを浮かべた。

 そして、彼の両目からは、謝罪の涙がはらはらと流れ落ちる。

 

「ほ、本当にゴメンね――。

 でもボクは――セシリアが、誰よりも好きだった。

 だから、協力すれば君を譲ってくれるという、ミラン騎士長の甘言に乗ってしまった。

 だって、だれの――ものにも、したく、なかった。

 う、うばわれたく――なかったんだ。だ、だから――」

 

 言葉を重ねるごとに、徐々にヨシュアの息づかいが荒くなった。

 まるで呼吸が上手くいかないように、言葉が途切れ途切れになり、ヨシュアの焦点が定まらなくなっていく。

 

「いいわ! 許すわ!!

 ヨシュア、だから早く、ここから――」

 

「ボ――ボクは、も、もう――。

 セシリア、はやく――はやく、にげ――て――」

 

 すると、その言葉を聞き遂げる前に、握った腕から急速に力が失われていった。

 

 騎士見習いの時から共に過ごしてきた仲間は、こうしてセシリアの目の前で、その輝きをあっさりと失ってしまったのである。

 あまりにも簡単に失われてしまう命の(はかな)さに、セシリアは一瞬、呆然となってしまった。

 

 ――だが、彼女を追い詰めるものは、その別れの時間を待とうとはしない。

 

 セシリアは一度強くヨシュアの手を握り締めると、彼の手をそっと、赤く染まった金属鎧(プレートメイル)の上に導いた。

 そして剣を握り直して、強い意思で彼の遺体に背を向ける。

 

 

 

 

 セシリアは走った。

 

 木を避け、枝を打ち、とにかく前へと駆けた。

 ヨシュアが作ってくれた時間を、決して無駄には出来ないと思った。

 

 彼女の陶器の鎧は仄かに発光し、走る速度をどんどんと速めていく。

 その美しい姿はまるで、森の中を駆け抜ける光の妖精のようだった。

 

 ――だが、結局逃げる宛のない彼女は、化け物に追いつかれてしまった。

 

 迫る魔物の醜悪で巨大な顔が、セシリアの姿を見て、ニヤリと笑ったように感じる。

 鞭のようにしなる枝が、周囲で蠢きながら、彼女の無力を嘲笑(あざわら)っているかのように思えた。

 

 セシリアは覚悟を決めて足を止めると、大魔樹(エルダートレント)と真正面から対峙する。

 そしてその時、セシリアの心の中に()の言葉が甦ってきた。

 

『君が本当の騎士なのであれば、勝てない相手からは勇気を持って()()()

 そして、今から伝えるのは、()()()()倒さなければならない敵に遭遇した時の話だ』

 

 ――そう、もはやここには逃げる場所など、ない。

 

 カイ、お願い。

 私を守って――。

 

 セシリアは心の中で彼の名を呼ぶと、祈りを捧げるように天を見上げながら、『右の首元』にある陶器の小札をグッと()()()()()

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35

 直後、身体を巡る血液が、一瞬で沸騰したような感覚を覚える。

 同時に周囲に流れる時間が、一気に遅くなったように思えた。

 

 セシリアのあらゆる能力は、鎧に隠された力によって、一気に数倍の高さにまで引き上げられていく。

 彼女は疲労が蓄積したはずの全身に、むしろ力が(みなぎ)るような感覚を覚えた。

 そして、これまで翻弄され続けていた枝の動きも、その小さな揺らめきまでもが、手に取るように把握できるようになる。

 

 セシリアは迫り来る枝を即座に斬り捨てると、続く一撃を屈みながら(かわ)した。

 迫る枝を次々にいなしながら、どんどんと大魔樹(エルダートレント)の醜悪な顔へと近づいていく。

 

 行ける――!!

 

 彼女の中でその思いが、一気に強くなった。

 ところが直後に、セシリアは視界の外からの一撃を、察知できずに背中に受けてしまう。

 思わず蹌踉(よろ)めいてしまったが、火花が飛び散り、殴りつけた枝の方が弾き飛ばされてしまった。

 どうやらその反発力によって、ダメージは相当軽減されたようである。

 セシリアは脚に力を込めて踏ん張ると、そのままの勢いで再び前へと進み始めた。

 

 カイが作った陶器の鎧が、この身を守ってくれている――。

 

 その思いを噛み締めながら、彼女は迫る枝を剣で叩き斬った。

 すると、右から来る枝が、彼女の上腕を掠めていった。

 直後、その枝は火花を受けて、地面にぼろぼろと落ちていく。

 続いて上から襲い掛かってきた枝が、青い髪飾りをギリギリに掠めていった。

 そのあまりの勢いに巻き込まれて、金色の髪が数本宙を舞う。

 次にセシリアは真っ直ぐ突き込まれてきた枝を、盾を使って防いだ。

 だが、あまりの枝の鋭さに、盾に大きな傷跡が残ったのがわかる。

 

 それでも彼女は止まらない。

 無謀とも言えるその突進を追うように、いくつもの枝が、彼女の背中を狙って大きく迂回してきた。

 セシリアは勇気を持って大魔樹(エルダートレント)の懐に潜り込むと、一気に右手の剣を大きく振り抜く。

 すると、カンッ!という甲高い音がして、剣が大魔樹(エルダートレント)の唇の辺りに命中したのがわかった。

 ところがセシリアが想像したよりも、大魔樹(エルダートレント)の幹はずっと堅い。

 片手で握った剣の威力では、表皮を削る程度にしか、傷をつけられていないようだった。

 

 セシリアはそのまま円を描くように走ると、今度はできるだけ大魔樹(エルダートレント)から距離を取ることを試みる。

 その背を穿(うが)とうとした枝が、放たれる火花に阻まれて、ぼろぼろと地面に崩れ落ちていった。

 セシリアは元の場所辺りに到達すると、再び大魔樹(エルダートレント)と正面から対峙した。

 

 ところがその時、ドクン――という極大の鼓動を感じて、セシリアは一瞬ハッとする。

 

 この能力には時間制限があるのだ。

 しかもその時間は、どれくらい続くか判らない。

 その時間を一秒たりとも無駄にしないためには、もはや自分に取り得る手段は()()()()()()

 

 セシリアは右手に持つ剣を掲げると、『剣の(つば)』にある陶器の小札をグッと力を込めて押し込んだ。

 すると、途端に触媒の小札から濃い紫色の煙が立ち上り、刀身をどす黒い色に染めていく。

 

 一撃必殺の、超猛毒(ベノム)の剣。

 その能力の恐ろしさを思って、セシリアの額からは汗が流れ落ちた。

 

 失敗は許されない。

 この能力が、何度も使えるとは思えなかったからだ。

 セシリアは覚悟を決めてしまうと、一気に大魔樹(エルダートレント)の顔へ向けて、真っ直ぐに駆け込んだ。

 

 一撃で決める。

 迫り来る攻撃を切り抜け、顔のある幹に超猛毒(ベノム)の一撃を叩き込む――!!

 

 それを確実にするために、彼女はあらゆる攻撃を、一切受け流さずに避けた。

 前に進むごとに繰り出される枝は、彼女の鎧をどんどんと削りとっていく。

 頬や腕、脚を掠めた枝は、無数の出血と切り傷を、彼女の身体に刻んでいった。

 

 それでもなお、セシリアは目を爛々(らんらん)と輝かせ、枝の動きを見極めて、ジリジリと太い幹へと近づいていく。

 苛烈な枝の攻撃を盾で払い、足下の攻撃は、飛び上がって避けた。

 

 すると、身を(よじ)ったところに、死角から迫った枝が、左手に持っていた盾を引っ掛けてしまう。

 枝はそのまま彼女の左手から、盾を弾き飛ばしてしまった。

 

 だが、セシリアは表情を変えない。

 彼女は剣を両手で持つと、一気に大魔樹(エルダートレント)に詰め寄った。

 

「ハァァァァッッ!!」

 

 気合いの叫び声と共に放った渾身の一撃が、大魔樹(エルダートレント)の固い顔をガチリと打ち抜く。

 すると乾いた音がして、非常に小さな傷が大魔樹(エルダートレント)の幹に刻まれたのがわかった。

 直後、その小さな傷口の中へ、真っ黒な瘴気のようなものが潜り込んでいく。

 

「入った!?」

 

 彼女は、それを確かめようと半身(はんみ)の体勢で振り返った。

 すると、大魔樹(エルダートレント)は一瞬ピタリと動きを止めた後に、地面を揺るがすような得も言われぬ絶叫を上げる。

 

「ヴヴォアアアアァァァ――!!」

 

 そのあまりの声量に、セシリアは思わず顔を(しか)めた。

 大魔樹(エルダートレント)は苦しみを隠さずに、あらゆる枝を盛んにくねらせて()()いている。

 セシリアは巻き込みを恐れて、改めて剣を構えると、その場から駆け出した。

 

 しかし、効果を確かめようと振り返った先ほどの一瞬が、彼女の体勢を防戦一方に追いやってしまう。

 セシリアは速度を上げられずに、剣を振りながらじりじりと後退していった。

 大魔樹(エルダートレント)は苦しみの元凶をもたらした彼女を、狂ったように追い始めている。

 

 即効性はない――そんなカイの言葉が頭を()ぎっていた。

 だが、さほど時間が経過しないうちに、いくつかの蠢く枝が、黒く変色して崩れ落ちていったのが分かった。

 

 効いている――その実感を持ちながら、セシリアは何とか攻撃を凌いだ。

 剣を両手で力一杯振り抜き、討ち漏らした枝は、(ほとばし)る火花が阻んでいる。

 

 だが、疲労の蓄積し始めた身体は、徐々にその重さを増し始めた。

 

 セシリアは足下を狙う攻撃を、その場で飛んで避けようとした。

 ところが飛んでから着地しようとした瞬間、バランスを崩して倒れそうになってしまった。

 大魔樹(エルダートレント)はその隙を見逃さずに、彼女の右足首に枝を絡みつかせる。

 

 足首は稼働する部分であるために、魔法が付与された陶器の板で守られていない場所だ。

 従って身を守るはずの火花が発動せず、セシリアはそのまま右足首を取られて転倒してしまった。

 即座に枝を斬り払おうとするが、今度はその右手首が、別の枝に絡め取られてしまう。

 

「ぐぅっ――」

 

 セシリアは歯を食いしばると、無理矢理膂力(りょりょく)で拘束から抜け出そうとした。

 

 今、彼女の身体能力は数倍に高められている。

 力を込めれば枝を引き千切ることすら、できると考えたのだ。

 

 ところが――。

 

「ま、まさか――」

 

 驚くほどの勢いで、全身に脱力するような感覚が襲い掛かる。

 

 ――いいや、これは違う。自分の力が落ちている()()ではない。

 身に纏った陶器の鎧が途轍もなく、()()()()()()()のだ。

 

 急激に増す鎧の重みのせいで、大魔樹(エルダートレント)は持ち上げようとしたセシリアの身体を地面に投げ捨てた。

 彼女は(したた)かに背中を打って、呼吸ができずに(あえ)ぎの息を吐き出す。

 

 すると仰向けに倒れたセシリアに対して、間髪容れずに複数の枝が襲いかかってきた。

 しかし、下手に触れれば火花を放つ彼女の陶器の鎧を、枝は上手く攻略することができない。

 

 ――だが、火花を放つ魔法の掛かっていない、金属板の部分は別だった。

 

 大魔樹(エルダートレント)は盛んに枝を動かすと、無理矢理、右の脛当て(グリーブ)を引き千切ってしまう。

 次に右手の籠手(ガントレット)が、剣ごと強引に引き剥がされた。

 そして直後、左手を守る籠手(ガントレット)がぐにゃりと、いびつな方向に(へしゃ)げてしまう。

 同時にボキッという嫌な音がして、左腕が折れたのが判った。

 

「うぐっ――うああぁぁ――!!」

 

 セシリアはその苦痛に、堪らず絶叫を上げる。

 だが声を上げたところで、蹂躙(じゅうりん)される自分の身体を見ていることしかできない。

 蠢く枝は、セシリアの胴体を貫こうと、盛んに胸元に集中して攻撃を仕掛けてきた。

 

 だが、セシリアの()()()は、彼女をよく守った。

 作られた曲線によって、多くの攻撃が受け流された。

 何度も何度も叩きつけられる固い枝の攻撃にも、(へこ)みを作りながら彼女を守り続けた。

 

 父に、守られている――。

 

 セシリアは攻撃に抗うことも出来ないまま、()()()()()()()の父の金属鎧(プレートメイル)を呆然と眺めていた。

 するとセシリアの頭の中に、父との思い出が走馬灯の様に流れていく。

 

 だが、その守りも、しばらくすると限界を迎えた。

 直後、ぼろぼろになった胸当てに、いくつかの枝が引っかかる。

 枝はそのまま強引に、胸当てを引き千切ってしまった。

 すると、所々に白い肌が見える、セシリアの胸元が無防備に(さら)け出される。

 途端、金属鎧(プレートメイル)の内側を覆っていた陶器の板が、まるで断末魔を上げるかのように、大きな魔法の火花を発生させた。

 大魔樹(エルダートレント)はその直撃をまともに受けて、再び大きな悲鳴を上げている。

 バラバラといくつもの枝が落ちて、急速に大魔樹(エルダートレント)の生命力が失われていくのがわかった。

 

 超猛毒(ベノム)は確実に効いている。

 恐らくもうしばらくすれば、大魔樹(エルダートレント)は絶命してしまうだろう。

 だが、そのためにはもう少しだけ、時間が必要そうだ。

 

 ――そう、無防備となったセシリアが、止めを刺されてしまう程度の時間が。

 

 セシリアの頭上で何本かの枝が絡み合うと、それが一本の太い杭のようになった。

 絡み合ってできた一本の太い枝は、セシリアの身体を貫こうと、真っ直ぐ彼女の頭上に振り上げられている。

 セシリアが見上げると(くら)い夜空の中に、月明かりを反射している鋭利な突端が見えた。

 

 次の一撃で――()()

 

 籠手(ガントレット)を引き剥がされたせいで、右手だけは素手に近く、鎧の重みを感じなかった。

 彼女が動く右手で折れた左腕に触れると、そこが激しく痛んだ。

 だが、そのまま手探りしてみると、手首の辺りに()()()()()があるのが判る。

 

 ――良かった。これは無事だった。

 

 今、まさに死の一歩手前で、これから止めを刺されようとしているにもかかわらず、何故かセシリアの唇には、笑みのようなものが浮かんでいた。

 この後、何が起こるのかは、全くわからない。

 カイはこれが何を引き起こすのかを、セシリアには教えなかった。

 だが、何が起こったとしても、彼女には受け容れる準備ができている。

 

 何しろこれは彼がセシリアのために、用意してくれた特別な鎧なのだから――。

 何が起こったとしても、セシリアはこの身を委ねる覚悟ができていた。

 

 そして、大魔樹(エルダートレント)がセシリアの胸を一突きしようとした瞬間――。

 

 彼女は、左手首にあった()()()()()()()()を、グッと押し込んだ。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 目覚めた時、視界に飛び込んできたのは、夜の暗闇に浮かぶ星々の光だった。

 即座に自分がどこか知らない場所で、仰向けに倒れていることを知覚する。

 ふと、どこか遠くでキーン、キーンという小さな音が、断続的に響いているような気がした。

 

 ――死を賭した戦い。そして、止めを刺されて死ぬはずだった自分。

 なのに、その直後に一変した風景。

 なぜ、あの絶体絶命の危機から、逃れることが出来たのだろうか――?

 

 自分の身に起こったことを、上手く知覚することが出来ない。

 まるで時が止まってしまったかのように、目の前の風景は静かで現実離れしているように思えた。

 

 しばらくの間、千々(ちぢ)に混乱した思いが、頭の中をぐるぐると駆け回り続ける。

 だが、既に戦闘の音は周囲になく、ただ静かで昏い夜の闇が、彼女の身体を包み込んでいた。

 

 セシリアは空を見上げながら、これまでに起こった出来事を一つ一つ思い返してみた。

 そのどれもが、まるで夢のような、非現実的な出来事だと思った。

 一方で、直前に起こった戦いが、夢であれば良かったのに、とも思った。

 

 無残に失われていく仲間たちの生命。

 握り返す力を失ったヨシュアの柔らかい手――。

 

 彼女は漫然とそれを思い起こしながらも、状況を把握するために立ち上がろうとした。

 だが、全く動けない。

 躍動していたはずの身体は、まるで鉛の塊になってしまったように、ピクリとも動かなかった。

 

 そうか、これが()()なのね――。

 

 そんなどこか他人事のような思いが、セシリアの頭の中に浮かんで消えた。

 全て()が語っていた通りのことだ。

 使えば使った分の反動を引き起こす。

 

 ふと、死闘を演じていた大魔樹(エルダートレント)が、どうなったのか気になった。

 だが、大魔樹(エルダートレント)は、超猛毒(ベノム)の一撃を受けて虫の息だったはずだ。

 きっと敵を見失って、呆然と息絶えてしまったことだろう。

 

 ――そう考えた時、身動きの取れない自分の周りに何者かの気配を感じた。

 恐らく夜の闇を掻き分けて、この身を狙う小鬼(オーク)か野獣のようなものが、近づいて来たに違いない。

 何とか視線だけを動かすと、予想に違わず小鬼(オーク)らしきものの姿が視界の隅を横切った。

 見れば手には危険な武器を持ち、まさにこの身を狙おうと数匹が集結しつつあるようである。

 

 ここで、死ぬのか――。

 

 どこかぼんやりとした意識の中で、何となく素直にそう思った。

 そして、迫り来る脅威を感じながらも、それも()()()()()()()()()と思った。

 

 そう、この()(ひつぎ)にできるのなら――それも幸福(しあわせ)なことかもしれないと、素直に思ったのだ。

 

 ただ、出来ることなら最後に一目だけでも、()に逢っておきたかった。

 彼に逢って、この胸にある想いを、しっかりと伝えておきたかった。

 彼の(たくま)しい腕に抱かれて、ただ心安らかに眠ってしまいたかったのだ。

 

 だが――それも、もう(かな)わない。

 

 

 そうして、その身に向かって振り上げられた武器を見て――、

 

 セシリアはただ静かに、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ
陶器の鎧のパラディン


 ――死というのは、どのような感覚を伴うものなのだろうか?

 

 とても静かなもの?

 痛みすら感じないもの?

 もしくは、ただひたすらに昏く、孤独で寂しいもの――?

 

 初めて経験する感覚を前にして、セシリアは様々な想像を巡らせながら、その時を待った。

 もはや、恐怖はない。

 かといって、開放感を感じている訳でもない。

 強いて言えば、ただひたすらに、この身に訪れる()()を、待ち続けているというだけの状態。

 ところが、その到来を待ち続けた彼女に、もたらされたものは――。

 

 ――闇夜を切り裂いた、蛮族たちの悲鳴だった。

 

「ギアアァァァァッッ!!」

 

 すぐ近くで上がった絶叫に、思わず閉じていた両目を大きく見開く。

 身体は相変わらず自由に動く気配は感じられない。

 

 だが、明らかにセシリアを狙っていた小鬼(オーク)たちの気配が、遠のいて行くのが分かった。

 周囲には剣戟の音が響き出して、蛮族たちの声が盛んに上がる。

 

 一体、何が起こったというのだろうか?

 その理由を推測して、セシリアの心臓の音は、早鐘のように高鳴った。

 具体的に誰かの姿が見えた訳でもない。

 何しろ、彼女を救えるはずの仲間は、一人残らず殺されてしまったのだ。

 だが、それでもなお、この場にいるセシリアを救える存在があるとすれば――。

 

 きっと、それができるのは、()()しかいない。

 

「ど、どうして――?」

 

 結局、唇から(つむ)ぎ出せたのは、疑問を投げ掛ける言葉でしかなかった。

 そして、セシリアはたったその一言だけしか、声にすることが出来ない。

 あとは、止めどなく溢れ出すものによって、全てが押し流されてしまっている。

 

 剣のぶつかる音が聞こえる中で、セシリアは仰向けのまま、星々の煌めきを見上げた。

 そして、まるで小娘のように、大きな嗚咽を漏らしながら(むせ)び泣いた。

 腕を動かすことすらできず、顔も覆うことも、流れ落ちるものを拭うこともできはしない。

 

 だが、しばらくすると、派手に響いていた剣戟の音も、それが嘘であったかのように止んでいく。

 そして訪れた沈黙の後に、セシリアのぐしゃぐしゃになった顔を、そっと覗き込む影があった。

 

「――セシリア、良かった!

 何とか間に合った。もう、大丈夫だ」

 

 聞きたかった低く優しい声色に、ただただ嬉しさが込み上げてくる。

 

 ()()だ――。

 

 セシリアは誰に(はばか)ることもなく、派手に声を上げて泣きながら、漫然とそう思った。

 そして、涙でボロボロになった顔を隠すために、すぐにでも目の前の(たくま)しい胸に飛び込んで行きたかった。

 

 だが、軽やかに森を駆けたはずの身体は、まるで石になってしまったかのように動かない。

 だから、せめて一目だけでも、()が見られれば良いと思った。

 

 ところが、肝心の彼の顔は――視界がぼやけてしまって、よく見えなかった。

 

 

 

 

「――実はな、心配でこっそり後を付けてきてしまった」

 

 照れくさそうに言ったその言葉を聞いて、セシリアは思わず唖然とした。

 さすがにすぐ側にまでは近づかなかったようだが、カイは遠巻きに、セシリアたちの遠征をずっと見守っていたらしい。

 セシリアは、カイの言葉を聞いて驚きはしたものの、同時に何だ、そうだったのねという安心した思いを(いだ)いた。

 

 だが、実際はそれだけで済ませられるようなことでもない。

 何しろ、あの危機に彼が都合良く現れたところで、どうにもならないはずだったからだ。

 

 彼が突然ここに現れたことと、あの宝石を押し込んだ瞬間、彼女の身体が()()()()したこととは、決定的に意味が違う。

 そして少なくとも、彼女が知る限り、空間を転移するような魔法の存在は、見たことも聞いたこともないものだった。

 だとすれば、その不思議な力の存在は、一つの理由に帰結する。

 

 ――思い返せば、ここに至るまでの彼にまつわる全てのことが、不思議で不自然な出来事ばかりだったのだ。

 

 セシリアが初めて立ち寄った奇跡の酒場で、黒髪の男性と出逢う切っ掛けを得たこと。

 その男性が見たことも聞いたこともない素材を使って、この美しい陶器の鎧を生み出したこと。

 彼が陶器の板に特別な魔法を付与して、セシリアに強敵を倒す力を与えたこと。

 

 そして、セシリアの絶体絶命の危機に、彼が助けに現れたこと――。

 

 

 思えば、そのどれもが普通では起こり得ない、奇跡のような出来事だったと言える。

 だが彼はそんな疑問を気にも留めずに、未だ動けぬセシリアを見ながらニッコリと微笑んだ。

 

「セシリア、よく頑張った。もう心配はいらない。

 一緒に帰ろう――あの街に」

 

 そう言ってカイは彼女に、そっと手を差し伸べる。

 そして、セシリアはまるでその手に縋るように――ようやく軽くなり始めた身体を起こそうと、ゆっくりと右手を差し出した。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 死地を切り抜けたセシリアを待っていたのは、アルバート騎士団長が率いる騎士団の本隊だった。

 

 カイは話がややこしくなることを危惧して、彼女が本隊に合流する前に、姿を消していった。

 セシリアはさすがに不安に陥ったが、ここは彼の「一緒に帰ろう」という言葉を信じる他ない。

 

 彼女は本隊と合流すると、そこで事情を話し、自分たちに起こったことを包み隠さず喋った。

 アルバートは、隊長のグレン以下全ての団員が死亡したという事実に、相当な衝撃を受けたようだった。

 

 だが、彼はすぐさま騎士たちに指示を伝えると、大魔樹(エルダートレント)との死闘の場を入念に調査する。

 結果、セシリアの報告通りの形で、全ての騎士とハンスの遺体が回収された。

 その遺体の中には、ミランのものも含まれていたらしい。

 

 ただ、彼女が踏み割ったと言っていた、釣り餌(アンカー)の残骸だけはどうしても見つからなかった。

 

 

 

 

 そして、負傷のため遠征軍から離脱し、街に戻った彼女を待ち構えていたのは、事情聴取という名の()()()()だった。

 その命令はカイとの再会や、彼女の快復を待ってくれるような類いのものではない。

 セシリアは仕方なく頭部に包帯を巻いて、左腕を釣った状態で、宮殿に出仕した。

 

 

 謁見の間に入った彼女を待ち構えていたのは、数多くの有力貴族たちだった。

 そして、貴族たちが彼女の前で繰り広げたのは、事情聴取という名目の()()である。

 

 だが、貴族という名の査問官たちは、勝手に持論を展開し続け、セシリアの言い分を(ろく)に聞こうとはしなかった。

 しかも、不思議なことに彼らの話は、一向に『釣り餌(アンカー)』の話には及ばない。

 そして、貴族たちの中心に腰掛けていた領主代行のオヴェリアは、彼らの勝手な持論に一切口を差し挟まず、何も言おうとしなかった。

 

 すると、次第に貴族たちは、セシリアとミランの痴情の(もつ)れが、グレン隊の崩壊を招いたという結論を導き出していく。

 つまり、セシリアにつれなくされたミランが、彼女に憎しみをもって大魔樹(エルダートレント)を誘引し、グレンたちはその巻き添えを喰って殺されてしまったという筋書きである。

 その話は詰まるところ、全ての遠因がセシリアにあると物語っていた。

 

「待ちなさい」

 

 まさに結論が固まり始めた時に、それまで沈黙を守っていたオヴェリアが口を開いた。

 彼女はさも詰まらない話を聞かされ続けたとでも言うように、赤毛をくるくると(いじ)りながら言った。

 

「その話が仮に真実だとしたら、ミランという男は、どうやってそんな危険な魔物を誘引したのかしら?

 最初から集落の近くに、そんなに危険な魔物が居たわけじゃないんでしょ?

 ――セシリア、あなたにはその理由と手段が判って?」

 

「はい。

 大魔樹(エルダートレント)は、魔法道具(マジックアイテム)の『釣り餌(アンカー)』によって、集落近くまで誘引されたと思われます」

 

 セシリアが挙げた一つの単語に、貴族たちは一斉に色めき立った。

 

 釣り餌(アンカー)は非常に危険な魔法道具(マジックアイテム)であるため、ミランのような地位にあるものが勝手に持ち出せるものではない。

 セシリアの証言は、いわば()()()()()()()()()()が、この件に関与しているという意味なのである。

 ゆえに都合の良い筋書きを作り上げていた貴族たちは、その発言を簡単に認めるわけにはいかなかった。

 

「君は発見された当時も、同様の主張をしていたと聞く。

 しかし、釣り餌(アンカー)のような危険な道具は、どこを探しても出てこなかったのだぞ!」

 

 有力貴族と思われる人物が、彼女の証言を取り潰すかのように叫んだ。

 途端に周りの貴族たちが、そうだそうだと同意する声を上げた。

 

 すると、オヴェリアは極めて冷静な声で、セシリアに再び問い掛ける。

 

「セシリア、あなたのいた部隊は、あなたを残して全滅しているわ。

 だからあなたの主張を、客観的に証明出来る者は誰もいない。

 そして、アルバートは貴方の言うことを信じて、戦闘のあった周囲を捜索したと聞いているわ。

 でも、釣り餌(アンカー)はおろか、それに類するものは何も見つけられなかった。

 その結果はあなたも知っての通りでしょう。

 ――では、あたなはそれが真実であることを、どうやって証明するというのかしら?」

 

 セシリアはオヴェリアの言葉を、ある意味自分を試すような挑戦的な発言だと思った。

 だが、一方でオヴェリアの瞳は、ある種の自信に満ち溢れているようでもある。

 それは、詰まるところオヴェリアは――セシリアを信じている――そう語っているに違いなかったのだ。

 

 セシリアはオヴェリアの方を見つめると、無言のままで、スッと右手を持ち上げた。

 

 その手には、何かの()()のようなものが握られているのが判る。

 それは、あの火急の状況の中で、セシリアが拾い、鎧の内側に隠し持っていた釣り餌(アンカー)()()だったのだ。

 

 オヴェリアは、セシリアが取り出したものを見て、急に顔色を変えた。

 そして、その場に立ち上がると、前に乗り出すようにして釣り餌(アンカー)の破片を確認する。

 次の瞬間、オヴェリアはその破片が意味するところを理解して、左側に連座していた()()()()()()()をキッと睨みつけた。

 その視線には憎しみと疑惑の色が存分に籠められている。

 

 ――そこから先は、もはやセシリアの存在など、放置されたと言っても過言ではなかった。

 なぜならオヴェリアが、ハーブランド家に対して苛烈なまでの追及を行ったからである。

 

 彼女がその行動に出た原因は、セシリアが手にした欠片に彫り込まれた()()にあった。

 というのも、セシリアが見せた釣り餌(アンカー)の欠片にある文様は、()()()()()()()()()()の一部だったのだ。

 

 それまで好き勝手に持論を展開していた貴族たちは、厳しく事情を追及するオヴェリアの姿に震え上がった。

 結果、ハーブランド家は危険物の管理責任を問われ、自ら降格と謹慎を口にせざるを得なくなった。

 

 ただ、問題はそれだけで終わった訳ではない。

 セシリアにとって重要なのは、部隊の全滅を招いたとされた『セシリアの名誉』がどうなるかである。

 

 ところがそれに関しても、オヴェリアがどさくさ紛れに「強敵を(たお)し脅威を取り除いたことを評価すべき」「そもそも下品な男に逆恨みされたのは、セシリアの罪ではなく下品な男の罪」「むしろそれを間接的に助長し幇助(ほうじょ)したハーブランド家こそ元凶である」と断言してしまった。

 それによって居並ぶ貴族たちは、何も言えなくなってしまい、結果セシリアの罪とやらは、有耶無耶(うやむや)になってしまったのである。

 

 そして、この出頭命令という名の査問会は、最終的に、

 

「このオヴェリア付きの上級騎士(パラディン)に弓引く者は、我がメイヴェル家に敵対するものである」

 

 こんな赤毛の少女の宣言と共に、終わりを告げたのである――。

 

 

 

 

 ――後日、オヴェリアはこの時のことを指して、セシリアにこう語ったという。

 

「貴族同士は協力関係にあるといいながら、隙あらば足を引っ張り合っているわ。

 特にこの街の三大貴族家(トライアンフ)の関係は、まったく油断がならない。

 今回の件はハーブランド家が裏で手を回して、メイヴェル家にコッソリ仕掛けてきた意地汚い罠。

 死んだ男が『駒の一つ』と言ったのも、きっとまだ企んでいることがあるということでしょうね。

 あなたは不快な男の劣情を利用されて、本当に災難だった。

 でも、セシリア。あなたのお陰で、今回は上手く仕返すことが出来たわ。

 ハーブランドもきっとこれに懲りて、しばらくは大人しくなるんじゃないかしら。

 ――でもね、これで判ったでしょう?

 気をつけなさい、貴族の世界は決して一筋縄ではいかないわ。

 ただ、だからこそ、本当に気を許せる仲間が必要だとも言えるのだけど」

 

 そう言ってオヴェリアは微笑みかけると、セシリアが運んだ紅茶を静かに(たしな)むのだった。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「ねえ、カイ。

 もう一度勝負しない?」

 

 その日、セシリアは現れるやいなや、笑顔を見せながらカイにそう言った。

 

 彼女は陶器の鎧の修復具合を確認するために、しばらくぶりにカイの仕事場へ顔を出したのである。

 それは傷も癒えて、なまり始めた身体を、再び鍛えて数日といった時期であった。

 

 目の前のカイは背中を見せたままで、ハンマーを打ち続ける作業に没頭しているように見える。

 だが、彼はセシリアの言葉に反応を示すと、作業を止めてハンマーを金床の上に置いた。

 

「よし、いいだろう。

 片付けをしたら、五番街の稽古場に向かう。

 先に準備していてくれ」

 

 

 あの後、査問を終えたセシリアを迎えたのは、カイとメイド長のリーヤだった。

 カイのいつも通りの姿を見たセシリアは、思わず彼に飛びつきそうになってしまう。

 いいや、隣にリーヤがいなかったとしたら、実際何も考えずに抱きついていたことだろう。

 

 だが、そこで自重してしまった彼女は、結局心の中にある想いをひけらかす機会を失ってしまった。

 それ以降は、まさにいつも通り――変化のない二人の関係が続いてしまっている。

 

 

 セシリアが支度を調え、五番街の稽古場で待っていると、カイがゆっくりと現れた。

 これも以前と変わらないが――だが、この(かん)に起こった出来事は、確実に二人の関係を変えている。

 

「折角の勝負だ。何か賭けるか」

 

 カイがにっこりと微笑みながら、セシリアに言った。

 

「そうね。

 カイ、あなたが勝ったら何を望むのかしら?」

 

「そうだな――。

 しかし、先にそれを明かしてしまうのも詰まらないだろう。

 折角だから、お互いが望むものを紙に書いてみないか」

 

 そう言ってカイはゴソゴソと、紙片のようなものを取り出す。

 セシリアは妙に用意がいいのね、と思いながらも、その紙を素直に受け取った。

 そして、二人は互いの望みを書き込むと、その中身を隠して紙を交換する。

 

「悪いが手加減はしない」

 

 カイの宣言に、セシリアは思わず不敵な笑みを浮かべた。

 

「フフ――それは私の台詞よ、カイ。

 ()()を賭けている以上、わたしは絶対に手加減しないわ」

 

「いいだろう。

 掛かってこい!!」

 

 その叫び声が上がって、二人の影が交差した直後――。

 

 あっさりと片側の木剣が、くるくると中空を舞う。

 そして、カランという乾いた音を立てて、木剣が二人から離れた場所に落ちた。

 

「――さすが上級騎士(パラディン)

 もう俺が、何かを教えるといった強さじゃないな」

 

 剣を弾かれたカイは、その場で両手を挙げて降参の言葉を口にした。

 だが、その言葉に反して彼の表情は、これまでにない程に柔和なものに思える。

 

「カイ、あなたは――。

 あなたは、()()()()()()()()()()()()のね?」

 

 想像していたよりも、自然に出た言葉だった。

 するとカイは笑みを浮かべ、その問いを肯定も否定もせずに語り始める。

 

「最初は俺を信用しない君を、驚かせてやろうというぐらいの気持ちだった」

 

 彼はそう言うと、ゆっくりと木剣を拾いながら、「遠征から戻って来たら、俺のことを話すと約束していた」と呟いた。

 

「――だが途中から、俺が鎧を作るべきかどうかを迷うようになった。

 何故なら俺が優れた鎧を作れば作るほど、君が遠征に出て、危険な敵と戦う可能性が高まってしまうからだ。

 君ともう逢えなくなってしまう可能性を考えたら、俺は鎧を作るべきではない――。

 君の名誉を考慮せずに、そう考えてしまった時期もあった」

 

 カイはそこまで語ると、セシリアが渡した紙を開いて見た。

 そこにはカイが守るべき、セシリアからの()()が書かれている。

 彼はそれを見て小さく微笑むと、更に言葉を続けていった。

 

「だが、俺が鎧を作らなければ、騎士であることに情熱を持つ君は、不十分な装いで遠征に出てしまうかもしれない。

 それに、いざ戦場に行ってしまえば、君を守れるのは側に居続けることのできない俺じゃない。

 遠征に出る君を守ることができるのは、唯一俺が作る鎧だけなんだ。

 ――そう考え直したら、俺が優れた鎧を作らなければ、むしろ君と再び逢う機会を失ってしまうことになりかねないと思った。

 だから、俺はあの『陶器の鎧』を作った。

 たとえ何が起こったとしても、君を失うことのないよう、()()()()()()を尽くして」

 

 そう言うと、彼には似合わない、少しはにかんだような表情を見せる。

 見ると気のせいか、僅かに日焼けした頬が、上気しているようにも思えた。

 

 そして、セシリアもカイに促されて、彼から受け取った紙を開く。

 彼女はそこに書かれた彼の()()を見届けると、驚きで両目を大きく見開いた。

 

「俺はもう、この世界の住人だ。

 そして、これからも()()()()()()()()()()()()()

 ただ一つ、強いて告げるとすれば――」

 

 カイはそう言うと両腕を開いて、少し照れくさそうに、セシリアに笑みを見せながら言った。

 

「君を守るために――。

 そして、君の側に居続けるために――別世界の技術すら利用して、ちょっとだけ(ずる)いことをした。

 ――俺は少なくとも、そう思っている」

 

「カイ――!!」

 

 その声は呼び声というよりも、どこか絶叫に近いもの。

 セシリアはその声を上げると同時に、飛びかかるようにカイの胸にギュッとしがみついた。

 そして力強い抱擁(ほうよう)の合間に、二人の手から()()()()が、はらりとこぼれ落ちていく。

 

 その紙にはそれぞれ、こう書かれていた。

 

『カイ』

『セシリア』

 

 ――と。

 

 二人の間で交わされる情熱的な口づけが、遠回りし続けた二人の隙間を急速に埋めていくようだった。

 そうして、訓練場で重なり合った影は、いつまでもいつまでも一つになって、離れようとはしなかったのである――。

 

 

 

 

 以降、セシリアとカイの二人は、周囲の目を(はばか)らぬ仲となった。

 何しろカイは、即日自宅を引き払って、アロイスの家に転がり込んでしまったのである。

 メイド長のリーヤは、あまりの急展開に、目を白黒させるばかりだった。

 だが、二人が強く惹かれ合っているのを知ると、突然号泣して二人を慌てさせた。

 

 その後、セシリアはオヴェリア付きの上級騎士(パラディン)として、目まぐるしい活躍を見せた。

 彼女はオヴェリアが抱える様々な難しい問題を、時には身分を隠しながら解決にあたるのだ。

 そして――後日、若い赤毛の領主に付き従う『陶器の鎧の上位騎士(パラディン)』の名は、近隣の街どころか、他国にまで知れ渡ることになる。

 

 カイはセシリアの家に移り住んだものの、解体(ジャンク)屋の仕事はそのまま続けていた。

 一時期、セシリアの元には、彼が作る陶器の鎧の秘密を訊き出そうとする人が殺到したのだという。

 

 だが、セシリアはアロイス家の()()となった彼のことを、決して他人に漏らすことはない。

 特にどのように鎧に()()()を施すかは、セシリアは他人に言う訳にはいかなかった――絶対に。

 

 それだけではない。

 二人は()()()に起こった出来事も、二人だけの秘密にしている。

 

 そう、二人だけの奇跡の物語を――。

 

 

 だが、人々は知っている。

 この街が数多くの、逸話と冒険譚を生み出すということを。

 

 セシリアは知っている。

 この街が多くの人々の想いを、引き継いできたということを。

 

 彼女たちに起こった奇跡の物語は、この街が生み出す一つの冒険譚に過ぎないのである。

 

 そして、きっとこの街は、また新たな物語を生み出すことだろう。

 そして、きっとこの街は、また新たな人々の想いを受け継いでいくことだろう――。

 

 セシリアは目前で微笑むカイと、彼が手掛ける『陶器の鎧』を見詰めながら、ふと朧気にそんな想いを抱くのだった。

 

 

 

 

 

【陶器の鎧のパラディン 了】





読了ありがとうございました。
よろしければ何らかリアクションをいただけると幸いです。

ではまた、次の創作でお会いしましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。