ポケットモンスター -Hello My Dream- (PrimeBlue)
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1. サントアンヌ2せいごうのたたかい! ▼

みんなの物語を観る。

ルギア爆誕懐かしいなぁ。久しぶりに観るか!

やっぱフルーラ可愛いなぁ。彼女がヒロインのSS探すか!

全然ないやんけ!

せや! 自分で書いたろ!

ミュウツーの逆襲もリメイクされるし、ついでにあの子も出したろ!

というノリで書き始めました。ルギア爆誕本編終了まで下書きは出来てる状態です。
ちなみに、主人公の外見イメージはBWのエリートトレーナー。




 夜の帳が下りる中、声を潜めたような静かな風が見渡す限りの草原を撫でていく。

 草むらの中で眠っているであろう者達を起こさないように。

 

 だが、今宵においてはその気遣いは無用なものであった。

 生い茂る草むらの間を吹き抜けた先──丘を越えた向こうで、星々の輝く空に似つかわしくないほどの明かりが辺り一帯を照らし出していたからだ。

 

 その光のもと、ドーム型の建物の中からは人々の喧騒が遠くからでもはっきりと響いて聞こえてくる。

 怒り、呆れ、焦り、嫌悪、嘆き、そして恐れ……あらゆる負の感情が入り乱れて醸し出される歪んだ色。

 夜の太陽とも見紛うようなほど明るい光は、皮肉にもその色によって氷のような無情な冷たさを運んでいた。

 

 そんな光景を、丘の上からいくつもの小さな瞳が覗く。

 この星の不思議な不思議な生き物、ポケットモンスター。縮めてポケモン。

 

 彼らはただ静かに、その光を見下ろしていた。

 

 

 

『ええ……カロスリーグ・デルニエ大会。決勝戦の試合開始時間はとうに過ぎておりますが、対戦相手であるナオト選手は一向に姿を現す気配がありません……あっ! 試合放棄と見なしたのでしょうか。今、審判がタクト選手の元へ不戦勝を告げに近づこうと────』

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 船から生じる引き波の音が耳を擽り、潮の香りを乗せた風が髪をなびかせる。

 

 視界一杯に広がるのは、見渡す限りの大海原と真っ青な空。

 少年、ナオトの憂鬱な気分を嘲笑うかのような天気晴朗ぶりであった。賑やかな喧騒が僅かに届く中、それに溜息を一つ混ぜる。

 

「ミャウ!」

 

 デッキの手すりに肘をかけて夕方でもないのに黄昏る彼の背中に、無邪気で拙い声がかけられた。言葉というより鳴き声のようなその声に反応して、ゆっくりと振り返る。目線を下に向ければ、ナオトと似た青い髪に純白のワンピースを着た幼い少女が眉尻を下げて彼を見上げていた。

 少女は後ろで組んでいた手を前に出し、ナオトの腕を片方の手で掴んで引っ張る。

 

「おい、どうした? お腹が空いたんなら、適当に取ってきてもいいんだぞ。クルーズ料金に含まれてるんだから」

「ミャウ、ミャ!」

 

 そんなナオトの適当な返事に、少女はブンブンとかぶりを振って癖のついた長い髪を揺らす。暗に食いしん坊と言われたと思ったのか、頬を少しだけ膨らませて今度は両手でぐいぐいとナオトの腕を引っ張った。

 

「っとと、分かった分かった。ついてこいって言いたいんだろ? そんなに引っ張るなって」

「ミャ!」

 

 少女に腕を引かれて、ナオトはデッキを後にして船内へと入っていく。

 

 ナオトと少女が乗る船──サントアンヌ二世号には、大勢の乗客が乗船している。それは何もクルーズ船だからというだけではないだろう。なんせこの船は、大海原を股にかけて世界一周する船なのだから。

 

 旅客定員数は六百を優に超える富裕層向けの豪華客船であるが、ナオト達の周りにいる乗客達からはそういった裕福な出で立ちの者はあまり見かけない。

 もちろん、それには理由がある。前に退役直前で売却予定だった先代のサントアンヌ号がカントー地方クチバシティの沖で沈没した影響で、後継であるこの二世号の集客率は格段に落ちてしまっていた。毎年満員御礼であったこの世界一周クルーズ。ここで閑古鳥が鳴いてはお先真っ暗なため、なんとか集客率を上げようとしたクルーズ会社が今年に限り大幅な値下げをしたのだ。

 

 必然的にチケットも争奪戦となったわけだが、それについてはナオトは不戦勝。世話になっていた人物からそのチケットを渡されたのである。カントー地方に一度行ってみたかったんでしょ? と。

 カロス地方のヒヨクシティから出港して、ガラル、オーレ、イッシュ、そしてカントーなどを寄港地とするこのクルーズは、事前に申請すれば途中下船が許可される。せっかく渡されたチケットを無下にするわけにもいかなかったので、ナオトは気晴らしを兼ねてカントー地方目指して乗船したのである。何となく乗っちゃいけないような気はしたが。

 

 ナオトと同じような考えで乗船した者も多いのだろう。先程から人間ではない生き物──ポケモンを連れた者達とすれ違っている。コマドリポケモンのヤヤコマを肩に乗せた者。桃色の被毛と眉間に皺を寄せた顔つきが際立つようせいポケモンのブルーを抱いて歩く者。少し目線を巡らせるだけでも様々なポケモンが視界に入った。

 発見されているものだけでも七百種類は超えていると言われている。この船に乗船しているポケモンだけで、ひょっとしたら百種類を超えているのではないだろうか。

 

 そんなポケモンを連れた者達のことを、人はポケモントレーナーと呼ぶ。彼らはポケモンを友達として、家族として、そしてパートナーとして傍に置いている。

 中には、そのポケモンと共に大きな夢へと向けて歩んでいる者もいるはずだ。ポケモンを育てることを生きがいにしたブリーダー。ポケモンに騎乗して速さを競うレーサー。トライポカロンという大会でポケモンとのパートナーシップを魅せるパフォーマーや、ポケモンの魅力を競うコンテストで優勝を目指すコーディネイター。

 

 そして、ポケモンバトルに励む者。各地方のジムを巡って、ポケモンリーグという名の地区大会出場を目指す者。そこで優勝し、その先のはるか雲の上であるチャンピオンを志す者もいるだろう。もしかしたら、トレーナーの頂点として君臨するポケモンマスターを夢見る者もいるかもしれない。

 ナオトも、以前はそんな夢見るトレーナーの一人であった。

 

 さて、大勢の乗客達の間を縫って、吹き抜けになっているショッピングモールに入ったナオト達。船の上であるということを忘れてしまいそうなほどの空間──大型客船故に揺れもさほど気にならない──が視界のはるか先まで一直線に伸びていた。

 少女はナオトの手を引いたまま、モールの一角……柱の陰に隠れてあまり目立たないような場所に足を向ける。そこには周りの豪華絢爛さに相応しくない地味な見た目の屋台と水槽が置かれていた。

 

「ミャウッ」

「これは……」

 

 その水槽には、赤い鱗が目立つさかなポケモン──コイキングが入っていた。何も考えていないようなぼけっとした表情のまま狭い水槽の中を浮かんでいる。

 水槽に両手を当てて、憐憫の眼差しでコイキングを見つめる少女。

 

 コイキングは、図鑑公認の最も弱くて情けないと言われているポケモンだ。通常、ポケモンにはタイプというものがある。例えば、ほのおタイプのポケモンはそのタイプの技を得意としているのは周知の事実であろう。

 そして、目の前のコイキングはみずタイプのポケモン。しかし、みずタイプの技を全く何一つとして覚えないのだ。それがコイキングが最も弱いと言われる所以である。

 一説にはハイドロポンプというみずタイプの技の中でも高い威力を誇る技を覚えたコイキングもいるというが、実際にそんなコイキングを連れたトレーナーをナオトは見たことがない。

 

「やあやあ、坊ちゃん!」

 

 少し席を外していた屋台の店主、これまた豪華客船にそぐわない白いねじりはちまきをした無精髭の目立つ親父がナオトと少女を認めて早速接客とばかりに声をかけてきた。

 

「見てよこのポケモン! 鯉の中の鯉、鯉の王様! コイキングだよ! 坊っちゃん、知ってるかい? このコイキングは黄金を運んでくれるんだぜ! コイツは一回に千個のタマゴを産むんだが、その産まれた千匹のコイキングがまたタマゴを産むとどうなると思う!? コラッタ算だよラッタ算! ピカチュウ算でもサンド算でもいいや! とにかく、一匹一万で売れるコイツがそんな大量のタマゴを産んでくれたらあっという間に大儲けできるって寸法さ!」

 

 身振り手振りを混ぜながら、一気に商売文句を捲し立ててくる店主。ナオトは呆れた表情を出さずにはいられなかった。

 一体どこの世界ならコイキングが一匹一万円で売れるというのだろうか? どこかの地方にあるホップタウンという町ではコイキングのはねる力を競う大会が開催されているらしいが、そのリーグに優勝したコイキングなら一万円どころかそれ以上の価値はあるかもしれない。だが、そもそもポケモンの売買は世界的に禁止されているはずだ。

 

 思わず店主から目を離して、少女の方を見やるナオト。彼女は眉尻を下げて、懇願するような目でナオトを見上げている。

 ナオトはしょうがないなとばかりに小さく笑みを浮かべると、店主に向き直って口を開く。

 

「そんなに大儲けできるなんて、すごいですね」

「そうだろそうだろ! どうだい!? 普通なら一万円のところ、坊っちゃんにだけは特別に産卵セットと育成セットに英才教育セット、さらに純金製のモンスターボールをつけて三万円で譲ったげるよ!」

 

 いらない物を添えて値上げさせるとは大した親父である。ポケモンを収納しておけるモンスターボールも純金製というが、ただのメッキだろう。こんなのに騙される者がいるのならぜひ見てみたいものだ。

 しかし、そんな馬鹿でもある程度時間が経てばさすがに騙されたと気づくはず。恐らく、バレない内に次の寄港地であるイッシュ地方のホドモエシティでトンズラするつもりなのだろう。

 

「純金って、普通のモンスターボールより重くて使い難そうですけど……」

「いやいや、そんなことはないよ! 中は空洞だからね! 良かったら実際に持ってみてごらんよ!」

 

 そう言って、店主は黄金色に輝くモンスターボールを差し出してきた。よく見てみなくても安っぽい。ナオトはそれを受け取ると、「へえ」と呟いて触り始める。

 

「今がチャンスだよ坊っちゃん! この機会を逃したら──」

「ところでおじさんさぁ……ポケモンの売買が禁止されてるってこと知ってる?」

 

 被せるようにしてナオトが告げてきた言葉を受けて、店主の売り文句がピタリと止まる。

 

「これがバレたら大変だろうね。ポケモン取扱免許も剥奪されるだろうし。船のスタッフに話せば、次の寄港地のホドモエシティで──」

「じょ、冗談だよ坊っちゃん! このコイキングは坊っちゃんにタダで譲ろうと思ってたんだ! タダなら、売買にならないだろう? そ、それじゃあおじさんは急用を思い出したから!」

 

 ナオトが言い終わらない内に店主は目にも止まらぬ速さで屋台を畳み、煙を巻き上げならあっという間に人混みの中へと逃げていってしまった。逃げ足の速さを鍛える暇があったら全うな商売をして欲しいものである。

 後に残されたのは、コイキングの入った水槽だけ。ナオトは少女と顔を見合わせて、お互いに笑みを交わした。

 

「じゃあ、コイキングを海へ返しに行こうか。アイ」

「ミャウ!」

 

 

 

 

 そうして、再びデッキへと出たナオト達。早速金メッキを剥がしたモンスターボールからコイキングを出すため、それを宙に向けて放り投げた。

 通常なら白い光と共に中のポケモンが姿を現すのだが、今回は通常とは違う青い光がコイキングの姿を形作った。この青い光は、ポケモンとモンスターボールとの繋がりを断って逃したことの証なのだ。

 

 出てきたコイキングはデッキの上でビチビチと元気良く跳ねている。先程と変わらないぼうっとした顔をしているが、心なしか嬉しそうにしているのが感じられた。ナオトはそんなコイキングを優しく抱え上げると、デッキの柵越しに眼下の海へと放す。小さな水柱を上げて海に落ちたコイキングは少しして海上に顔を出し、過ぎ去っていく船の上のナオト達を見上げた。

 

「じゃあな、コイキング! これからはあんな悪いヤツに釣り上げられないよう気をつけるんだぞ!」

「ミャアミャア~!」

 

 手すりに肘をかけながらコイキングに手を振るナオト。隣にいる少女──アイも手すりの隙間に足を引っ掛け、身を乗り出しながら手を振って別れの挨拶をした。

 

「……さて、小腹も空いてきたし、ちょっと軽食を取れるところでも探すか」

「ミャ!」

 

 手すりから降りて嬉しそうに微笑むアイ。なんだかんだ、彼女はナオトと比べれば食いしん坊なのは間違いない。ミルクとケーキが好きな相棒のために、ナオトは手頃なカフェを探そうと海に背を向けてポケットから船内図を取り出そうとする。

 そんなナオトの背中に突然ドンッと衝撃が走り、前のめりになってしまう。誰かがぶつかってきたのかと振り返ってみると、そこには先程放したばかりのコイキングが海水を辺りに撒き散らしながらビチビチと跳ねていた。大型客船故に海からデッキまではかなりの高さがあるはずだが、跳ねて戻ってきたとしたら相当の力を持っていることになる。

 

「おいおい、なんで戻ってきたんだ。自由になれたんだぞ?」

 

 ナオトはコイキングに駆け寄ってそう声をかけるが、彼はただ跳ねるだけで何も答えない。テレパシーでも使えないとポケモンは人の言葉を話せないので当然ではあるが。

 

「ミャウミャ、ミャ」

 

 どうしたものかと困り顔で頭を掻くナオトの服の裾をアイがくいくいと引っ張った。アイの方を見やると、彼女はじっとナオトを見上げる。なぜだか分からないが、不思議と彼女の言いたいことは言葉にせずともなんとなく分かってしまう。

 

「……僕について行きたいって、そう言ってるのか?」

 

 ナオトの言葉にアイはにっこりと笑って頷く。コイキングも肯定するように一際高く跳ね上がる。

 正直に言って、ナオト自身はあまり気乗りしなかった。それは何も相手がコイキングだからというわけではない。が、逃しておいてここで放っておくのも無責任が過ぎるだろう。

 

「はぁ、分かったよ。あまり良い主人にはなれないと思うけど、これからよろしくな。コイキング」

 

 ナオトは先程解放したばかりのモンスターボールを持ってコイキングに触れる。するとボールが独りでに開き、コイキングは赤い光に包まれてその中へと入っていった。その場に屈んだナオトがコイキングの入ったボールを拾うと、アイがそのボールを指先でツンと突いてよろしくねと笑いかける。

 

「まあ、素晴らしいわ!」

 

 ふいに、ナオトの耳にそんな興奮気味の黄色い声が届く。

 声のした方を振り向くと、アイよりもまとまった青い長髪に赤いヘアバンドをつけた少女が目を輝かせてナオト達の方を見ていた。素材の良さそうな服装に手に持ったレースの扇子を見るに、富裕層の者であることは間違いない。

 後ろに控えているのは人間に似た身体をしているかいりきポケモンのワンリキー、ゴーリキー、カイリキーだ。少女と筋肉ムキムキマッチョマンが並んでいる光景は何ともシュールである。

 

「私、ポケモンをゲットするところを初めてみたの! ゲットするにはバトルをしなきゃならないって聞いたことがあるけど、あれは嘘だったのね!」

「いや、基本はそうだから別に嘘ってわけじゃないと思うけど……えっと、君は?」

「あっ、ごめんなさい。私、アヅミというの。後ろにいるカイリキー達は私のボディガードよ。それでこの子が……あら? スイートハニーコダックちゃん! どこなの? スイートハニーコダックちゃん!」

 

 自己紹介していたアヅミというお嬢様は、急にキョロキョロと辺りを見回し始める。

 

「スイートハニーって何だよ……」

「ミャミャ?」

「ん? ……ああ。えっと、アヅミって言ったっけ。君のコダックって、ひょっとしてアイツのこと?」 

 

 アイが指差した方向にナオトが視線をやると、赤いスカーフを首に巻いたあひるポケモンのコダックがよたよたと歩き去ろうとしていた。アヅミも遅れてその方向を見て、慌ててコダックの元へと駆け寄る。

 

「あっ! もう、ダメじゃないスイートハニーコダックちゃん! 勝手にどこかへ行っちゃ!」

「コダ~……」

 

 アヅミに抱きかかえられるコダック。このまま無視して立ち去るわけにもいかないので、ナオトはコダックを抱えている彼女の元へ歩み寄った。

 

「ゲットしたことがないって言ってたけど、そのコダックやカイリキー達は?」

「ああ、この子達はお父様やお母様から贈られたポケモンなの。いつも傍にいて欲しくて出しっ放しだから、モンスターボールもほとんど触ったことがないわ」

「……なるほどね」

 

 ナオトは改めてアヅミのコダックを見やる。その身体はふっくらとしていて健康そのもの。黄色い被毛は毛並みが綺麗で毎日ブラッシングしてあげてるのがひと目で分かった。スイートハニーと呼ばれているだけあって、大切にされているのだろう。

 しかし、そんなコダックが浮かべているのはどこか不満の色を混ぜた困った表情。アイが近づいて「ミャア?」と声をかけると、コダックは「コッパァ~……」と何か訴えるように鳴いた。

 

「あのさ、そのコダック。過保護なのもいいけど、もうちょっと自由にさせてもいいんじゃないか?」

「あら、ダメよそんなの! スイートハニーコダックちゃんったら少し目を離すとすぐどこかに行っちゃうんだから! 自由にさせて怪我でもしちゃったら大変だわ!」

「それはそうだけどさ……」

 

 これはだいぶ拗らせているようだ。ナオトの予想だと、このコダックは家で大人しくているより外で思いっきり遊ぶのが好きな──いわゆるわんぱくな性格をしていると思われる。壊れ物のように扱うのはかえって関係を悪くするだけだろう。しかし、ナオトはアヅミの勢いに押されてそれを上手く説明できないでいる。

 

「──ちょっと、いいかしら?」

 

 そこへ、ふいに誰かが声をかけてきた。今日はやけに他人から話しかけられる日だ。億劫に思いながらもナオトが声のした方を振り向くと、そこには長い金髪の少女が腕を組んで射抜くような目で彼を睨みつけていた。ナオトよりも一つか二つ年上だろうか。深紫色の服を着て、前髪をヘアピンで留めている。

 

「君、間違ってなければカロスリーグ・デルニエ大会に出てたナオト君よね?」

「いや、人違い──」

「誤魔化したって無駄。顔写真が載ってる出場者リストだって持ってるんだから」

 

 ナオトは咄嗟に他人の振りをしようとしたが、問答無用で説き伏せられてしまう。だったら聞くなと文句を言いたくなるが、無論口にはしない。

 

「私はアヤカ。私もデルニエ大会に出場してたんだけど、覚えてる?」

「……えっと」

「覚えてないわよね。無理もないわ。私はあのダークライ使いに当たってベスト8止まりだったし、君とは対戦せず仕舞いだったから。知ってる? 結局あの大会、ダークライ使いが優勝を辞退したから異例の優勝者なしになったのよ」

「……へえ」

 

 ナオトは心底どうでも良さげに返す。それに対して、アヤカはおもむろに懐からモンスターボールを取り出した。小さい状態のそれをボタンを押すことで手のひら大のサイズにし、ナオトへ突きつけるようにして向ける。

 

「君に、ポケモンバトルを申し込むわ」

「ええ?」「ミャッ!?」

 

 急にバトルを申し込んできたアヤカにナオトは素っ頓狂な声を出し、アイは眉を釣り上げた。その声を聞きつけてか、周りの乗客達が好奇の視線をナオト達に向け始める。

 

「何驚いてるの? 君もトレーナーなら、目が合えばバトルするってことが常識なのは知ってるでしょ? 丁度このデッキにはバトルフィールドがあるわけだしね」

「まあ! バトルだなんて、せっかくのクルーズなのだから喧嘩はしちゃダメよ!」

「ポケモンバトルは喧嘩じゃないわ。さあ、私の挑戦を受ける? それとも怖気づいて逃げるのかしら? ()()()みたいに」

 

 ボールを突きつけたまま、ナオトを挑発するかのように問いかけるアヤカ。()()()という言葉にナオトは眉を顰める。

 

「ミャウ!」

 

 その時、アイが声を上げナオトを庇うように両手を広げて前に出た。アイの身体が不思議な色合いで発光し始め、アヤカやアヅミ、周りの野次馬達も目を見開く。

 光が収まると、そこには青い髪の少女ではなく子狐のような見た目をした生き物がいた。被毛は濃灰色をしているが、ふっくらとした首周りと尻尾は黒い。青く染まったたてがみや眉が一際目立っていた。

 

「おい、あれってもしかしてゾロアか? 珍しいな」

「珍しいどころじゃないぞ。ありゃ色違いだ!」

 

 姿の変わったアイを見て、野次馬達が一気に色めき立つ。

 わるぎつねポケモン、ゾロア。イリュージョンという特性を持ったポケモンで、人や他のポケモンに化けることができるのだ。通常のゾロアのたてがみや眉は赤い色をしているのだが、アイは突然変異か何かで異なる色をしている。加えて、身体の大きさも平均と比べて小さめだ。

 

「へえ。あの可愛らしい女の子、大会に出てたゾロアが化けた姿だったのね」

「ミャ!」

 

 アイは耳を畳み、尻尾を立ててアヤカを威嚇している。ナオトはそんなアイの頭を撫でて「大丈夫だから」と落ち着かせた。それを受けて、心配げにナオトを見上げながらも下がるアイ。

 

「……分かった。受けるよ。それであんたが満足するなら」

「そうこなくちゃ。満足するかどうかは、君次第だけどね」

 

 

 

 

 ナオト達はデッキに用意されたバトルフィールドに移動した。

 バトルが始まると聞いて、野次馬の数も先ほどよりも幾分か増えている。クルーズ船上で行われるイベントの一つとでも思われているのだろうか? アヅミもコダックが観戦したいとせがんだためか、近くにあるベンチに心配げな顔をしたまま腰を下ろしている。

 

「では、僭越ながら私が審判をやらせてもらおう」

 

 野次馬の中に混ざっていたジェントルマンがそう申し出てきた。別に審判はいなくてもいいが、やってくれると言うならやってもらおう。

 トレーナーポジションに立ち、お互いに向かい合うナオトとアヤカ。

 

「出てきなさい! アブソル!」

 

 アヤカが手に持っていたボールをフィールドに向けて放り投げた。光と共に現れたのは、白い毛並みに黒い角と尻尾を持ったわざわいポケモンのアブソル。

 このポケモンと出会うと、災いや不幸をもたらすと言われている。もちろん、実際はその通りではない。あくタイプということも相まってそんな噂が流れているのだろうが、同じあくタイプのゾロアと同様図鑑の説明や分類には人間の偏見が含まれているのがさほどだ。

 ……とは言っても、今のナオトにとっては間違いでもないのかもしれない。

 

「……頼む。ゲンガー!」

 

 対して、左腕を振りかぶってナオトが繰り出したのはシャドーポケモンのゲンガー。紫色の身体をした、そこにいるだけで周囲の温度を低くするというゴーストタイプのポケモンだ。しかし、出てきたゲンガーを見て野次馬達が疑問の声を漏らす。それは対戦相手のアヤカも同様であった。

 

「ふうん。さすがに()()()()()()は出さないのね。クルーズが大惨事になったら私も困るし、まあいいわ」

「…………」

「そのゲンガーも大会で大活躍だったわよね。でも、あくタイプのアブソルにゴーストタイプのゲンガーを出すなんて、どういう了見かしら? 相性が不利でも勝てるっていう余裕の表れ?」

 

 そう。ポケモンのタイプには相性があり、ゴーストタイプのポケモンはあくタイプの技に弱いのだ。当然、あくタイプのポケモンであるアブソルはそれらの技を得意としている。またその逆も然りで、ゴーストタイプの技はあくタイプのポケモンに対して効果はいまひとつ。舐めていると言われても仕方がなかった。

 

「違う。ゲンガーは僕が生まれた頃から一緒にいる、連れているポケモンの中で一番の古株なんだ」

「ふうん、相性よりも付き合いの長さを優先したってことね。それじゃあ負けても文句は言わせないわよ。アブソル! サイコカッター!」

「シャァッ!」

 

 アヤカが片腕を振り下ろして技を指示する。指示を受けたアブソルが自身の角を大きく振り回し、紫色に発光する斬撃をゲンガーに向けて飛ばす。先手必勝とばかりに放たれたそれの速度は目を見張るものがあった。

 

「避けろ、ゲンガー!」

「ゲンッ!」

「連続でサイコカッターよ!」

 

 ゲンガーは迫る斬撃を鮮やかに側転して回避。続いて繰り出されるサイコカッターも最小限の動きで避けてみせた。速度は速いが、その動きは一直線。軌道を予測すれば避けるのは容易い。

 

「やるわね。ならこれはどう? アブソル! あくのはどう!」

 

 間髪入れず、次の技をアブソルに指示するアヤカ。あくエネルギーを纏ったオーラがアブソルから放出され、ゲンガーに襲いかかる。今度は攻撃範囲が広く軌道もいびつだ。これでは先程のように避けるのは難しい。しかも、ポケモンのタイプと技のタイプが一致していれば、その威力は通常以上となる。

 

「ゲンガー! 10まんボルトだ!」

「ゲン、ガァッ!」

 

 ナオトの指示を受け、ゲンガーの全身から電撃を放たれる。ほどばしる電撃がアブソルのあくのはどうを相殺した。それによって、煙が勢い良く巻き上がって視界が塞がれてしまう。電気の焦げた匂いと潮の香りが混ざり、野次馬達の鼻を刺す。

 

「今よアブソル! シャドークロー!」

 

 煙の中を割って出たアブソルがゲンガーの死角から襲いかかった。不意を突かれたゲンガーの身体をアブソルの鋭い爪が抉る。が、大振りのその攻撃はアブソルに決定的な隙を生み出す。

 

「ッ! ゲンガー、きあいパ──」

 

 絶好のチャンスであった。ゴーストタイプ技のシャドークローはゲンガーにとって弱点。だが、幸いにも急所には当たっていない。当たっていたとしても、鍛え上げたナオトのゲンガーなら耐えてくれただろう。反撃しようと思えばできたのだ。しかし、ナオトは反撃の指示を出せなかった。

 

「……あくのはどう!」

「シャゥッ!」

 

 アヤカがとどめの一撃をアブソルに指示した。間近で放たれたあくエネルギーがゲンガーを包み、上空へと吹き飛ばす。宙に飛んだゲンガーはナオトの目の前に落ち、仰向けに倒れてぐるぐると渦巻いた目を晒した。

 

「ゲンガー、戦闘不能! よって勝者、アヤカ!」

 

 審判を申し出たジェントルマンがゲンガーに戦闘不能を言い渡し、その手を勝者であるアヤカに向けて掲げる。

 

「やっぱアブソルの勝ちか」

「当然だろ。それにあのゲンガー、相性が悪いとはいえ最初から防戦一方だったじゃないか。はっきり言ってバトルに向いてないよ」

 

 野次馬達は予想通りの結果を前に各々好き勝手に悪態を吐く。

 そんな中でアヤカは勝利に喜ばず、黙ったままアブソルをモンスターボールに戻した。そんな彼女にジェントルマンが歩み寄る。

 

「君のアブソル。実に素晴らしかった。どうかね? 私のラッタと交換するというのは──」

 

 何やらほざいているジェントルマンを無視して、アヤカはゲンガーを労っているナオトの元に近づいていく。

 

「お疲れ様、ゲンガー。ごめんな」

「ミャウ……」

「ゲンゲン……」

 

 倒れたゲンガーを抱えて、モンスターボールに戻してやるナオト。申し訳なさそうにしている彼と心配そうに覗き込んでいたアイに、ゲンガーはモンスターボールの赤い光に包まれながらも気にするなとばかりに身体を横に振ってくれた。

 そんな彼らの前にアヤカが立つ。それに気づいたナオトが立ち上がろうとした、その時だった。

 

 ──パンッ

 

 乾いた音がバトルフィールドに響き渡り、ナオトの視界が揺さぶられる。アヤカが彼の頬を叩いたのだ。

 

「……何、今のバトルは? いえ、今のはバトルなんて呼べるものじゃないわ」

 

 眉をひそめたアヤカがナオトをこれまで以上に睨みつける。その刺すような視線からは、怒りと嫉妬、そして悔しさの色が感じ取れた。

 

「あの10まんボルト。私の記憶ではもっと威力があったはず。やろうと思えば、アブソルのあくのはどうを打ち消してそのまま攻撃することもできたわよね」

「…………」

 

 ナオトは叩かれた頬に手をやりながら、視線を反らして答えない。そんな彼に構わずアヤカは続ける。

 

「それに君、終始受け身の体勢で全く攻撃に出なかった。大会の時とまるで真逆だわ……私のポケモンなんて、戦う価値もないってこと?」

「……そういうわけじゃ」

「じゃあ、やっぱり怖いのね。他人のポケモンを傷つけるのが」

「──っ!」

 

 アヤカの言葉に、ナオトは無意識に反応して肩をピクリと震わせる。

 

「確かに、準決勝のあのバトルはひどかったわ。でもあれは──」

「ミャウ! ミャウウ!」

 

 続けて文句を並べようとするアヤカを、横から再び少女の姿に化けたアイが割って入って止めた。それによって興がそがれてしまったアヤカは一つ深呼吸をし、己の中の憤りを鎮ませる。

 

「……私、君に期待してたのよ。もしかしたら、あのダークライ使いを倒してくれるんじゃないかって。それぐらいあの時の君はすごかったもの……でも、期待した私が馬鹿だったみたいね」

 

 そう言い残すと、アヤカは踵を返してデッキを後にしていった。集まっていた野次馬も興味を失くしたかのように散り散りになってバトルフィールドから離れていく。その中で一人、コダックを抱いたアヅミがカイリキー達を連れ立ってナオトに歩み寄った。

 

「だ、大丈夫?」

「……ああ。みっともないとこ見せたな」

「そんなこと……でも、やっぱりバトルって怖くて危ないのね。スイートハニーコダックちゃんには絶対にさせられないわ!」

「コダッ!?」

 

 違う。本当のポケモンバトルはこんなものじゃない。もっとワクワクして、胸が熱くなって、心から楽しいと感じられるものなのだ。だが、今のナオトがそれを彼女に教えることはできないだろう。

 

「……きっといつか、君にバトルが楽しいって教えてくれる人と出会えるさ」

「?」

 

 ナオトの言葉に首を傾げるアヅミ。なぜだか、ナオトにはそう思えてならなかった。

 

 

 




下書き4000文字だったのが肉付けしたら5倍に膨れ上がったという話。
仕方ないので分割しました。そのせいでフルーラのフの字も出ないことに。次回、分割した残りは明日投稿します。

■コイキング売りの親父
無印編第15話「サントアンヌごうのたたかい!」でロケット団のコジロウにコイキングを三万円で売りつけた詐欺師。
後のシリーズでも度々顔を出しており、コイキング以外も売っていたりする。
なお、今後登場する予定はない。

■ジェントルマン
同じく無印編第15話に登場。
サトシのバタフリーとバトルしたが、形勢不利と判断した途端強引に引き分けにしてバトルを中断させた調子のいい男。かなりの交換好きのようで、バタフリーのことを気に入ってラッタと交換しようと申し出る。
なお、今後登場する予定はない。

■アヅミ
AG編第140話「コダックの憂鬱!」のゲストキャラ。
カントー地方に屋敷を持つ大金持ちの令嬢。カイリキーを初めとしたかいりきポケモンを引き連れている。コダックのことを溺愛しており、呼びかける際は常にスイートハニーとつけるのを忘れない。
なお、今後登場する予定はない。

■アヤカ
XY編「最強メガシンカ~Act I~」で登場したエリートトレーナー。
「破壊の繭とディアンシー」ではオープニングでサトシとバトルしており、そのバトルでは勝利したが後に本編のカロスリーグ準々決勝で敗北している。
この作品の時系列ではまだメガシンカに必要なアイテムを持っておらず。
なお、今後登場する予定はない。

■タクト
DP編シンオウリーグ・スズラン大会の準決勝でサトシに勝利したダークライ使い。またの名を伝説厨。
なお、今後登場する予定は……あるかも。



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2. サントアンヌ2せいごうのひげき! ▼

 あのバトルから数日が経過した。船は寄港地であるイッシュ地方のホドモエシティに到着したが、ナオトはあれから出不精になってしまって港に着こうが自分の部屋から出ず仕舞いである。

 

「ゲンゲン~」

「ああ、ありがとうゲンガー」

「ミャウ!」

 

 可愛らしい柄のエプロンを着たゲンガーが焼き立てのチーズケーキを運んできてくれた。部屋にこもってやっていることと言えば、今のようにスイーツ作り好きなゲンガーが作ってくれたケーキを食べたりしながらテレビをぼうっと眺めているだけ。

 ちなみに、見ているのはポケモンポリス24時という番組。怪傑ア☆ギルダーという覆面ライダーが事件現場にしゃしゃり出てジュンサーを困らせているのは見てて恥ずかしくなったが、アイが熱心に見ていたのでチャンネルは変えれなかった。ナオトのせいで外に出れないのだから当然である。

 

 ところで、アヤカはホドモエシティで途中下船したが、去り際彼女はナオトの部屋を訪れて言葉を残していった。イッシュ地方や他の地方を回ってバトルの技を磨き、またポケモンリーグに出場すると。

 どうしてそんなことをわざわざ伝えに来たのかとナオトが聞くと、アヤカは気まずげに先日のことを謝ってきた。彼女もあの時はカッとなっていて、後から公衆の面前で少し言い過ぎたと思い始めたのだという。全面的に悪いのはナオトなのだから、別に気にすることはないのだが。

 

「もし君が立ち直ることができたら、どこかのポケモンリーグでまた会えるかもしれないわね。その時は今度こそ私を満足させてちょうだい」

 

 そう言い残して、アヤカはサントアンヌ二世号を後にしていった。

 

 

 次の日にはホドモエシティから出港し、船は次の寄港地があるカントー地方のクチバシティへ向けて再び海を渡り始めた。ナオトはアヤカが部屋を訪れたことで多少は外出するようにはなったが、やはり一日の大半は部屋で過ごすのが常となっている。

 とは言っても、これは何もナオトだけというわけではないだろう。事実、他の乗客の中にも寄港地に着くまでは部屋にこもる者が徐々に増えてきている。いくら船が大きいとはいえ、さすがに出発してから二週間以上も経てば多少の飽きが来てもおかしくはない。もちろんクルーズ会社側も船上イベントやショーを毎日用意してはいるが、それらが合わない人間には効果は今ひとつだ。

 

 それはアヅミも同様であったのか、彼女は度々ナオトとアイを自分のスイートルームに招待してくれた。退屈しのぎなのだろうが、アイがアヅミのコダックと楽しそうに遊んでいるのでナオトにとってはありがたかった。

 ちなみに、アイは少女の姿のままだ。彼女は普段から人間の姿でいることが多い。色違いのゾロアということで無駄に目立って良からぬ輩に狙われるというのもあるが、彼女自身がその姿でいることを気に入っているようだからだ。

 

「ナオトさんもカントーが目的地だったのね! 私はカントー出身なのよ! カロスへは飛行機で旅行しに行ったんだけど、帰りはこのクルーズを利用することにしたの。あ、そうだわ! カントーに着いたらぜひウチの屋敷へ遊びに来てちょうだい! スイートハニーコダックちゃんも喜ぶわ!」

「……まあ、機会があれば」

 

 ナオトが口を開く間もなくアヅミはペチャクチャペチャクチャと話し続ける。

 無論その後も長い時間世間話に付き合わされたわけだが、聞かされる話はほとんどスイートハニーコダックちゃんの話ばかりだったのは言うまでもない。

 

 

 ──そうして、窓から見える変わらない景色を眺め続けるだけの退屈な日々を過ごしながら、あっという間に一週間と少しの日数が経過した。

 

 

 

 

「順調に進めば明日にはクチバシティに着くはずだったんだろうけど……」

「ミャウ……」

 

 ナオトとアイは部屋の窓から覗く景色を見て、不安げに声を漏らす。

 次の瞬間、空に光が走って窓を白く照らした。「ミャッ!?」と驚いたアイがナオトの腕にしがみついて顔を埋める中、遅れて雷鳴が轟く。

 

 時刻は太陽が沈んで間もない夜。

 窓越しに見える景色はいつもの月明かりを映した穏やかな海ではなく、荒れ狂うような波と降り注ぐ大雨。

 カントー地方を目指していたサントアンヌ二世号は、それまでの順調な航海が嘘であったかのような突然の大嵐に直面していた。

 

「このまま部屋にこもってるのはまずいな。とりあえず、外に出よう」

「ミャ」

 

 ナオト達は部屋を出ると、船内の様子を伺うためひとまず大広間の方へと向かうことにする。 

 

「おいっ! 大丈夫なのかこの船は!?」

 

 大広間へ急ぐ中、ナオトの耳にそんな怒鳴り声が届く。廊下から顔を出してみると、ロビーに人集りが出来ていた。

 

「さっきからすごい揺れだぞ! あちこち軋んでるし、今にも沈みそうじゃないか!」

「そうよ! きっと、先代のサントアンヌ号みたいに──」

「お、落ち着いてくださいお客様! この二世号は、先代と違って絶対に沈んだりしません! ご安心を!」

 

 その時、凄まじい衝撃音と共に船体全体が激しく振動する。先程までの高波や風による横揺れと違って、明らかに何かが船底にぶつかったような縦揺れであった。

 

「な、何だ? 今の揺れ」

「まさか、岩礁に乗り上げたんじゃ……」

「嘘! だってここ海のど真ん中よ!?」

「でも、カントー地方近海には岩礁地帯がいくつかあるって……」

 

 そう呟かれた言葉に、その場に集まった者達全員の顔が青褪める。先程までの騒ぎが嘘だったかのように辺りは静まり返り、船を叩く波と雨の音が無情に鼓膜を打つ。

 

「ご心配なくー! この船は、絶対に沈みませぇーん!」

 

 その声に反応して、乗客達が廊下の先──出入り口から覗くプロムナードデッキを見やる。そこには、いつの間にか下ろした救命艇に乗って船から脱出しようとしている船長の姿があった。

 

「嘘だろおい!」

「だからサントアンヌなんて不吉な名前の船に乗りたくないって言ったのよ!」

「俺達も早く救命艇に乗って脱出するぞ!」

 

 一斉に騒ぎ出した乗客たちが廊下から飛び出し、プロムナードデッキの上のダビットから救命艇を次々に下ろしていく。その中にはクルーズのスタッフ達も混じっていた。肝心の船長が先に逃げてしまったのだから、形振り構う必要もなくなったということだろう。まるでアリアドスのように群がる彼らは我先にと下ろした救命艇の中へと乗り込み始める。

 

「僕達も早く乗らないと……アイ、元の姿に戻って。僕から離れるなよ」

「ミャウ!」

 

 ゾロアの姿に戻ったアイを肩に乗せて、駆け出すナオト。他の乗客達に続いて、人の波に埋もれそうになりながらもプロムナードデッキに出ようと急ぐ。しかし、他のトレーナーと比べてあまり鍛えているとは言えないナオトは怒涛の勢いに押されて波の外──出入り口とは違う人の少ない方向へと弾き出されてしまう。

 

「──ッ! くっそ! 冗談じゃないぞ!」

 

 悪態を吐きながら、ナオトは反対側のデッキへ向かおうかと視線を巡らせる。その視線の先で、カイリキー達を連れて辺りをキョロキョロと見回している少女を見つけた。アヅミだ。

 

「あ、ナオトさん!」

「アヅミか! 良かった。君も早く救命艇に……」

 

 アヅミを救命艇に誘導しようとするナオトだったが、当の彼女はそれに従わず焦った顔で忙しなく辺りを見回している。

 

「何してるんだ! 早く脱出しないと──」

「コダックちゃんが! 私のスイートハニーコダックちゃんがいないの!」

 

 泣き叫ぶように訴えたアヅミの言葉に、ナオトは「何だってっ!?」と口を開く。

 寝ていたアヅミが騒ぎに気づいて目を覚ますと、既にそこにはコダックの姿はなかったらしい。恐らく、彼女が寝ている隙を狙って船内を探検しに行ったのだろう。どうしてこんな最悪のタイミングでそれを決行してしまったのか。ナオトは舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、目尻に涙を溜めてパニックを起こしかけているアヅミを見やる。

 

「一体どこにいっちゃったの! スイートハニーコダックちゃん!」

「アヅミ」

「どうしよう! どうしよう! このままじゃ……」

「アヅミッ!!」

 

 この船に乗ってから一度も上げたことがないような大きな怒鳴り声を上げて、無理矢理アヅミのパニックを抑えつけるナオト。彼女はビクリと肩を震わせて目を見開いた。

 

「……アヅミ。僕がコダックを探してくる。君は先に救命艇に乗っててくれ」

「で、でも……!」

「いいから! 必ずコダックを見つけて戻ってくる! 行くぞアイ!」

「ミャ!」

「あっ! ナオトさん!」

 

 アヅミの静止を聞かず、ナオトはアイと共にプロムナードデッキに背を向けて駆け出し始めた。乗客達という名の波の流れに逆らいながら。

 ロビーを抜けて誰もいなくなった大広間に入って辺りをざっと見渡すが、コダックらしき姿は発見できず。それを確認したナオトは大広間から出て、レストランなどのお店があるモールに入る。アイと共に手分けしてモール内を走りながらあちこり覗いて回るが、やはり見つからない。

 

(どこかの店にでも入り込んでつまみ食いしてるかと思ったけど、違ったか……!)

 

 このまま虱潰しに探していたらとてもじゃないが間に合わない。焦燥感に駆られる中、ナオトは眉間に皺を寄せて必死に頭を回転させる。

 あのコダックは、主人であるアヅミの過保護な考え方に嫌気が差している節があったのは確かだ。だが、だからと言ってアヅミのことを嫌っているというわけではないだろう。本当に嫌っていたら、彼女のことを傷つけてでも逃げ出そうとするはずである。

 

 ならば、部屋から抜け出したコダックがこんな状況で向かう先は──

 

 そこまで考えると、ナオトは踵を返して走り出した。アイがその後を追い、肩に飛び乗る。

 入り込んだのは、ナオトの部屋もある居住区。徐々に船が傾いていく中、ナオトは縋る思いでエレベーターに乗り込む。幸いにも、エレベーターは動いてくれた。焦りで手元が狂いそうになりながらもパネルを操作し、上へと向かう。向かう先は、最上階だ。

 

 最上階に着いて扉が開くと同時に飛び出すナオト。レッドカーペットが敷かれたきらびやかな内装の廊下を踏み荒らしながら一直線に目的の部屋へと向かう。ここまで長く全速力で走り続けるのは何時振りだろうか? 部屋の前に辿り着いたナオトは、両手を膝につけてゼエゼエと肩で息をしながら呼吸を整える。

 そして、祈る思いで扉を開けた。

 

「やっぱりここだったか……!」

「ミャウ!」

 

 ナオトの予想通り、赤いスカーフを巻いたコダックはそこにいた。部屋の中──彼の主人であるアヅミのスイートルームに。

 不安そうにキョロキョロと部屋の中を歩き回って、入れ違いになって出ていった主人を探している。ナオトはそんな彼の元へ急いで駆け寄った。

 

「コッパァ?」

「ミャウ! ミャウミャ!」

「コダック、もう大丈夫だ! お前の主人の所へ連れてってやるからな!」

 

 説明もほどほどにナオトは掻っ攫うようにしてコダックを脇に抱え、急いで来た道を戻ろうとする。

 しかし、その途中で廊下の明かりがふっと消えた。船の底に空いた穴から海水が入り込んだ影響で、電気系統がやられたのだ。すぐさまエレベーターのパネルを押すが、当然無反応。扉はその口を閉じたまま開く様子を見せない。

 

「くそっ! こんな時に!」

 

 まだ非常階段で降りるという手があるが、この二十階以上の高さがある居住区を悠長に階段で降りていたら恐らく間に合わないだろう。

 そう考えて視線を巡らせたナオトの視界が、一瞬白く染まる。稲光が窓を通して暗くなった廊下を照らしたのだ。薄まる光の中、その窓を見つめるナオトの耳に雷鳴が轟く。

 

「……アイ、コダック。しっかり捕まってろよ」

「コダ?」

 

 何するつもり? と言いたげなコダックを無視して、深呼吸をして目を閉じる。アイはナオトが何をしようとしているのか察したのか、返事の代わりにぎゅっと彼の肩にしがみついた。

 そして、意を決したようにナオトは目を開ける。怖気づいてなんかいられない。足に力を入れ、一気に駆け出す。

 

「──おおおおぉぉッ!!」

「コパアアァァーッ!!?」

 

 慣れない雄叫びを上げながら一気に駆け出し、目の前の窓に飛び込んだ。

 パリンッと割れて飛び散った窓ガラスが頬に切り傷をつける中、ナオトは嵐の中に放り出される。そんな彼の視界を再び稲光が遮り、雨が容赦なく身体を濡らす。そのまま重力に従って真っ逆さまに落ちるナオトの目線の先に傾いた甲板が近づいていく。

 

「アイ! じんつうりきだ!」

「ミャッ!」

 

 落ちながら出されたナオトの指示にアイが応える。アイが念じると同時に、青白い光がナオト達を包んだ。エスパータイプの技であるじんつうりきの力によって落下速度が徐々に低下していく。しかし、嵐に煽られて精度に乱れが生じたためか減速が足りない。このままではかなりの速度を保ったまま甲板に激突してしまう。

 

「ク、クワッ!」

 

 状況を察したコダックがその目を光らせ、ねんりきを発動する。アイのじんつうりきにコダックのねんりきが加わったことで、落下速度は見る間に減速していく。そして間一髪、甲板スレスレの所で落下を止めることに成功した。ナオトはアイとコダックに技を解除させて、着地する。

 

「よくやったアイ! それにコダックも、ナイスアシストだ!」

「ミャウ!」「コッパァ」

 

 一息吐いている時間はない。ナオトは急いで二匹を連れて救命艇がある場所へ走る。

 最短ルートを通ってアヅミと別れた場所に近いプロムナードデッキに移動すると、丁度彼女がクルーズのスタッフに引っ張られて無理やり救命艇に乗せられようとしていたところだった。どうやら、あれが最後の救命艇のようだ。カイリキー達の姿が見えないが、恐らくモンスターボールに戻したのだろう。

 

「さあ、早く乗って!」

「待って! まだスイートハニーコダックちゃんが! それにナオトさんも!」

「もう待ってる時間はない! 諦めるんだ!」

「ちょっと、それは困るな!」

 

 ナオトは急いでアヅミの元へと駆け寄る。コダックを抱えたナオトがやってくるのを見たアヅミは破顔して彼を迎えた。

 

「ナオトさん!」

「ほら、もう離すなよ」

 

 そう言って、ナオトはコダックを彼女の手に渡す。アヅミは愛しのコダックが自分の腕に中にいることに感極まったのか、大粒の涙を流しながら彼を溢れる感情のままに抱きしめた。コダックは苦しそうに困った顔を浮かべながらもされるがままになっている。

 

「間に合ったようで良かった。さあ、感動の再会は後回しにして、早く乗って!」

「あっ!」

 

 スタッフに引っ張られて、アヅミはコダックを抱きかかえたまま救命艇の中に入れられる。ナオトもそれに続こうと救命艇の入り口に足をかける。

 

 

 ──その時、船が鈍い音を立てて大きく傾いた。

 

 

「うわっ!」「ミャア!?」

 

 船が急激に傾いた影響で、ナオトは足を踏み外す。すぐにも降ろそうとしていた救命艇は安全装置が解除されており、そこに衝撃が加わったことでダビットから海上へ降下してしまう。

 もはや海面に対して垂直に近い状態になったデッキの上を転がり落ちていくナオト。アイにじんつうりきを指示する余裕もない。ぐるぐると回る視界の中で必死に掴める場所を手探りで探すが、それは悪手であった。伸ばしていた左腕が転落防止の柵に強くぶつかり、そのまま海へと投げ出されてしまう。

 

「ああっ! ナオトさん! 早く助けないと!」

「おいバカ! 何やってんだ!」

 

 海に落ちたナオトを助けようとアヅミが救命艇のハッチを開けようとするが、周りの者達がそれを許さない。今ハッチを開けてしまえば海水が流れ込んで自分達が危険に晒されてしまう。

 

「でも、ナオトさんが! お願い! 誰かナオトさんを助けて!」

 

 アヅミが必死に訴えるが、誰もが黙りこくるばかり。沈痛な面持ちで少女の訴えを拒否するしかなかった。そんな居た堪れない空気の中、救命艇に備え付けられた無線から船長の声が届く。

 

 

『えー、皆さん。点呼を行います。ここにいない人は返事をしてください! …………うん。全員無事。良かった良かった』

 

 

 頭がどうかしているのではないかとしか思えないその言葉は、当然ナオトの耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 船外のアトラクションに使われていた物だろうか、荒波に浮かんでいた木材の破片に必死にしがみつくナオト。落ちた際に打ちつけた左腕から走る激痛が意識を削ぎつつある中、息も絶え絶えになりながらも覆い被さる雨と波に耐える。

 幸い、一緒に落ちたアイとは離れ離れにならずに済んだ。ナオトがしがみついている木材に乗ったまま、じんつうりきを使ってナオトを浮かばせようとしているが、足場が悪く荒波が襲ってくる状況では集中が乱れて上手くいかない。

 

「……アイ。僕のことはいいから、モンスターボールに戻れ。そうすれば、少なくともお前は助かる」

「ミャッ!? ミャウ! ミャウ!」

 

 ナオトの言葉に、アイはイヤだと首をブンブンと横に振るわせる。雨とも涙とも分からない水が散らばった。

 痛みでまともに動かせない左腕を木材の上に乗せて、右腕でベルトのホルダーからモンスターボールを取り出す。それを持ち上げ、アイに向けた。

 

「ミャア!」

「悪い、アイ」

 

 止めようとするアイの身体を、ボールの中心から放たれた赤い光が貫く。その光に包まれて、アイは悲しげな顔を残したままボールに収納された。

 

「……ああ、くそ」

 

 ナオトは下半身を海に沈めたまま力無く木材の上に倒れ伏す。薄れゆく意識の中で、ここ最近の出来事が走馬灯のように頭に思い浮かぶ。

 カロスリーグでの事件を境に何事に対しても無気力になり、ここ一年ずっと怠惰な生活を送り続けていた。自殺願望というほどでもないが、このままこんな生活が続くなら生きていてもしょうがないのではないかと考えたこともなかったわけではない。

 

 そんな自分が、何を今さらと嘲笑われるかもしれない。

 でも、それでも、ポケモン達はこんな不甲斐ない自分を健気に支えようとしてくれている。その中には、問題を抱えたまま解決できていないポケモンもいるのだ。

 そうだ。まだ自分にはやるべきことが残っている。

 

 だから──

 

 

「…………僕はまだ、死ぬわけには……」

 

 

 その言葉を最後に、ナオトの意識は深い闇の底に沈んでいった────

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 場面は移って、ここはカントー地方の南──オレンジ諸島の果てにあるアーシア島。

 嵐の影響でオレンジ諸島近海は荒れに荒れていたが、それも昨日までの話。今朝からは雲一つない青空。嵐の分を取り返さんと言わんばかりにカンカン照りの晴天だ。

 

「──ん~! いい天気!」

 

 島の住人である少女が気分良く穏やかな潮風を受けながら伸びをしている。彼女は昨日の嵐で憂鬱な気分になっていた気持ちを晴らすために浜辺へ散歩に出ていた。

 嵐が過ぎた後は何か良いことが待っている。そんな話があったかどうかは定かではないが、沸き立つ気持ちに押されるようにして少女は砂浜に足跡をつけていく。そこへ、丘の上から少女の姉らしき人物が声をかけてきた。

 

「フルーラ! 朝ご飯できたわよ!」

「はいはーい」

 

 フルーラと呼ばれた少女は片手をひらひらさせて呼びかけに答えた。

 

「はいは一回で結構! あんた、ご飯食べ終わったら笛の練習があるの忘れてないでしょうね? もうすぐお祭りなんだから」

「練習なんて必要ないわよ。私もうお姉さんより上手だって言われてるんだから。それにもうすぐたって、まだ一ヶ月以上もあるじゃない」

「まだじゃなくて、もう一ヶ月と少ししかないの! いいから、早く戻ってご飯食べちゃいなさい!」

「はーい」

 

 唇を窄めて文句を返す少女に、姉は口答えは許さないという態度で叱りつける。少女は「せっかく何か良いことがありそうな予感がしてたのに……」とぶつくさ文句を言いながら浜辺を出て丘を登ろうとした。

 

「……あれ?」

 

 その途中で、岩の影に見慣れない物があるのが目に入る。気になった少女は何気なしにその場所を覗いてみた。

 

 

 ──そこには彼女と同い年ぐらいの青い髪をした少年がうつ伏せに倒れていた。

 

 

 弾かれたように少年の元に駆け寄る少女。一瞬ドザえもんかと思ったが、口に耳を近づけて息があることを確認。そのことに安堵した少女は、島育ち故の応急処置の知識からひとまず気道を確保するために少年の身体を横向きに寝かせようとする。

 

 その時、改めて少年の顔を間近で見た少女は目を見開いた。

 

 顔は整っているが、特別優れているというわけでもない。それでも、少女の視線は少年に釘付けとなっていた。まるで吸い寄せられるように。無意識に、固く目を閉じた少年の頬に触れようとする。

 

「……っ!」

 

 しかし、触れようとした寸前で少女は我に返る。慌てて立ち上がり、急いで姉を呼びに走り出した。

 

「──お、お姉さん! ちょっと来て!」

 

 

 




■怪傑ア☆ギルダー
BW編第57話「快傑ア☆ギルダーVSフリージ男!!」のゲストキャラ。
パートナーのアギルダーと共にホドモエシティの平和を守るために日夜戦う戦士。
なお、今後登場する予定はない。

■フルーラ
「ルギア爆誕」のゲストヒロインにして今作のヒロイン。
アーシア島の巫女で、流れ着いたサトシに対して出会い頭に歓迎のキスをする。
サバサバした性格をしているが、責任感は人並み以上に強い。




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3. アーシアとう! フルーラとのであい ▼

「……っ」

 

 ナオトの意識に光が戻る。

 

 刺すように降り注ぐ冷淡な雨と覆い被さる波、そしてそれらを運んでくる吹きすさぶ風が再び彼を襲うことはない。まるで幻であったかのように、カーテンの隙間から覗く太陽の光が彼の顔を優しく照らしていた。

 少しだけ開けられた窓を通って、そよ風がナオトの髪を撫でる。その風に乗って鼻をくすぐるのは、潮と柑橘類の甘い香り。それに釣られるようにして、ナオトは上半身を起こす。

 

 無意識に利き腕である左腕を使おうとして走った痛みに、思わず顔を歪めた。海に投げされた時に強打した左腕は、ギプスで固定されている。

 

(……誰かが助けてくれたってこと、か? それにしても、よくあんな状況から助かったな……)

 

 ナオトが寝かされていた部屋は、可愛らしい小物や暖色系の家具が並んだ──いわゆる女の子の部屋であった。

 嗅ぎ慣れない独特な香りに不安と動揺に襲われる中、ナオトはベルトのホルダーに取りつけたモンスターボールがなくなっていることに気づく。

 それと同時に、部屋のドアがガチャリと音を立てて開いて少女が入ってきた。

 

「あっ、あんたもう起きて大丈──」

「ボール! 僕のモンスターボール知らないか!?」

 

 起き上がったナオトは安否を気にする彼女の肩を乱暴に掴み、自分のモンスターボールの所在を問い詰める。

 少女は「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ!」とナオトの手を振り払い、傍にある机の上を指差す。そこには、特徴的な赤と白の色をしたモンスターボールが五つ転がっていた。

 

「……モンスターボールならそこ。寝かせるのに邪魔だったから外したの」

「五つ……ちゃんと全部ある」

 

 ナオトは自分が連れているポケモンが入ったモンスターボールが一つとして欠けていないことに安堵する。

 トレーナーが一度に連れて良いポケモンの数は六匹まで。ナオトがカロス地方から連れて来たのは四匹。それに船で仲間になったコイキングを加えて、合計五匹だ。

 

「痛っ……」

 

 ボールの一つを掴もうとしたナオトは、またギプスで固定された左腕を使おうとして痛みに身を震わせる。

 

「あんまり動かさない方がいいわよ。骨折はしてないけど、打撲してるから数日はそのままでいるようにってお医者様に言われてるんだから」

 

 少女の言葉に「……分かった」と返すナオトは、彼女の方にチラリと目線を向けた。すると、その少女の足元でチョロチョロと動く濃灰色の子狐の姿が目に入る。

 

「アイ! 良かった。お前も無事だったんだな!」

「……ミャ」

 

 顔を明るくさせたナオトが声をかけるが、一方のアイは少女の足に隠れたままナオトの元へ来ようとしない。尻尾をパタパタと振り、いかにも怒ってますと言いたげな態度を取っていた。

 

「……どうしたんだ? アイ」

「この子、あんたの看病してる最中にボールから勝手に出てきたのよ。あんたが寝てる間はずっと心配そうにしてたんだけど……ほら、ご主人様が呼んでるわよ」

 

 少女が片足をどかしてそう促すが、アイはそっぽを向いてその場を動こうとしない。

 恐らく、海に投げ出された時に無理矢理ボールに戻したのを怒っているのだろう。ナオトは困ったように頭を掻き、とりあえず少女に助けてくれたことについて礼を言うことにした。

 

「えっと……その、君が助けてくれたんだよな?」

「ええそうよ。ホント大変だったんだから、感謝しなさいよね」

「ああ、ありがとう。僕はナオト。乗ってた船が嵐に巻き込まれて、海に投げ出されたんだ」

「だと思った。ニュースでクルーズ船が沈没したって、今その話題で持ち切りだもの。よくここまで流れ着いたわね。あ、私フルーラ」

 

 お互いに自己紹介が済んだところで、ナオトはフルーラにここはどこなのかと聞いてみた。

 

 ここはカントー地方の南、オレンジ諸島の果てにあるアーシア島という島らしい。

 オレンジ諸島と言えば、本来ならカントーから飛行船か定期船に乗ってしか行けないリゾート地だ。まさかそんなところまで流れてきたとは夢にも思わず、現実味のなさに軽く呆けてしまう。

 

 加えて、ナオトはアーシア島という名前を聞いて、どこか既視感のような感覚を覚えていた。

 オレンジ諸島のことは耳にしたことがあるが、その中の島々について聞いたことはない。それでも、なぜだかそんな奇妙な気分に染められて眉を潜めずにはいられなかった。

 

「ねえ、あんたポケモントレーナーなのよね?」

「……え? あ、ああ。まあ、一応は」

 

 フルーラが声をかけてきて、思わず考え込みそうになっていたところを中断して慌てて顔を上げるナオト。

 

「一応って何よ。でも、そっか。トレーナーなんだ」

 

 ナオトの返答を聞いたフルーラは何やら一人でうんうん頷いてる。ナオトはそんな彼女を見て訝しげに首を傾げた。

 

「な、何だよ」

「ううん、別に。それより、もう起きれそう? 良かったら島を案内したげるけど」

「……そうだな。足は特に問題ないし、頼むよ。アイも行くか?」

 

 フルーラの提案に乗ったナオトは、未だ彼女の足に隠れているアイに声をかける。

 アイは少し迷っている様子を見せたが、しょうがないなとばかりに「ミャ」と鳴いて頷く。けれでも、まだ怒ってますと主張したいのかその頬は膨らんだままであった。

 

 

 

 

 サングラスをかけたフルーラに連れられて、アーシア島を周ることになったナオトとアイ。

 島には石造りの家が建ち並んでおり、高台にあるフルーラの家からは青く澄み切った大海原が見渡せる。大嵐があったことが嘘のような快晴ぶりだ。

 

 島のあちらこちらに生えている木には柑橘系の果物がなっているので、潮風に乗ってほのかに漂う甘い香りがナオトの気分を落ち着かせてくれた。

 一方で、アイは相も変わらずナオトとは距離を取ってフルーラの横を歩いている。

 

「ま、案内するたって何にもないんだけどね。ここ。そういえば、乗ってたクルーズ船って世界一周するヤツよね? どっから乗ってきたの?」

「カロス地方からだけど」

「カロス! 知ってる! すっごいオシャレなトコでしょ? ブティックが沢山あるって雑誌に書いてあったわ! じゃあ、あんたカロス出身なんだ?」

「ああ…まあ、うん」

「いいなぁ。ここってまともなお店ないから、新しい服が欲しいと思ったらいちいちマンダリン島まで行かないといけないのよね」

 

 本当は出身はイッシュで幼少の頃にカロスに移ったのだが、上手く説明できる自信がないのであえて否定しないナオト。アヅミもそうだったが、こんな感じでペチャクチャ話し続けられると勢いに負けてどうにも気後れしてしまう。

 

 先を進む彼女から目線を外して辺りを見回すと、道の隅に鳥を象ったような柱状の彫刻がいくつか並んでいるのが目に入る。

 何だろうと思って近付こうとしたところで、その彫刻の陰から仮面を被った民族衣装の人物が顔を出した。

 

「は? え?」

 

 ナオトが困惑している間に同じような衣装を纏った者達がそこかしこから姿を現し、周りを囲って道を塞ぐ。目を白黒させるナオトの横で、フルーラが溜息を吐いた。

 

「ちょっとお姉さん、止めてよ。ビックリしてるじゃない」

 

 お姉さん? とナオトが思っていると、民族衣装の集団の内の一人が前に出てきて仮面を外す。陽の元に晒されたその顔は、フルーラと瓜二つというわけではないがどことなく似ている印象を受けた。

 

「ちょうどみんなでお祭りの衣装を着て集まってたところだったから、ついね。目が覚めたみたいで良かったわ……でもフルーラ、怪我してる子を連れ回すなんて何考えてるのよ」

「脅かそうしてたお姉さん達が言えた義理じゃないでしょうに。あ、この人、姉のヨーデル。不本意ながら私が妹やってあげてるの」

「はいはい。姉をやってあげてるヨーデルです。よろしくね」

 

 そう挨拶するヨーデルにナオトはぎこちなく助けてくれた礼を言いながらぺこりと返す。

 その中で、ヨーデルが外して手に持っている仮面に目が行ってしまう。それは先ほどナオトが見た彫刻と同じく鳥を象って作られたものであった。その鳥の形に見覚えがあったナオトは思わず口を開く。

 

「あの、その仮面って……もしかしてファイヤーを模したものですか?」

 

 ファイヤー。伝説と謳われるかえんポケモンだ。その姿はまさに炎を纏った鳥で、その炎の明るさは夜空さえ明るくするほどだと言う。カントーやホウエンなどの一部の地方のポケモンリーグではこのファイヤーの炎を聖火として用いており、開会式では聖火リレーを行うのが伝統となっているらしい。

 同列に扱われている鳥ポケモンとしてサンダー、フリーザーの二鳥が存在し、伝説の鳥ポケモンと言えばその三鳥のことを指すのが世界一般の常識である。

 

「まあ、よく分かったわね!」

 

 見事言い当てたナオトに驚いたヨーデルは、その仮面や着ている衣装について説明し始めた。

 

 

 

 

 このアーシア島には、古くから伝わる伝承があるらしい。

 

 

『火の神、雷の神、氷の神に触れるべからず。

 

 されば天地怒り、世界は破滅へ向かう。

 

 海の神、破滅を救わんと現れん。されど世界の破滅防ぐ事ならず。

 

 優れたる操り人現われ、神々の怒り鎮めんかぎり……』

 

 

 この伝承にある神々こそ、ヨーデル達が持つ仮面の元であるファイヤー達なのである。操り人とは、つまりポケモントレーナーのことだ。

 島の人達は言い伝えにあやかって年に一度お祭りを開き、その一環としてその日に島を訪れた操り人に巫女が試練を言い渡すのだという。自らが言い伝え通りの優れた操り人であることを証明させるために。ヨーデル達はそのお祭りの予行練習をしていたようだ。

 

「──で、去年までお姉さんが操り人を導く巫女をしてたんだけどね。代替わりして今年から私がその役を任させることになったってわけ」

「へえ」

 

 ヨーデル達と別れた後、サングラスを外してそう説明するフルーラ。話を聞きながら、巫女ってガラじゃないなと頭の中で考えていたナオトの頬をフルーラが抓る。

 

「いででっ!」

「あんた今似合ってないとか考えてたでしょ?」

 

 どうやら、顔で考えていることがバレてしまったらしい。そこまで表情が出るタイプだと自分では思っていなかったナオトは、眉を潜めながら抓られた頬を擦る。

 確かに失礼なことを考えてたのは事実だが、会って間もない相手に対して頬を抓るなんてことができる彼女も大概ではなかろうか。

 

「まあ、私もガラじゃないって思ってるんだけどね。お小遣いもらえなかったら意地でも断ってたわ」

(なら抓るなよ)

「あっ今、なら抓るなって思ったでしょ。あんたよく顔に出るわねぇ」

 

 またも言い当てられたナオトは、コイツ嫌いだと思いながらもそれを顔に出さないよう意識し、疑問に思っていたことを口にして話題を変える。

 

「で、そのお祭りの日にトレーナー……ええっと、操り人が来なかったらどうするんだ?」

「その時は島にいるトレーナーの誰かが立候補して試練に挑戦するの。ここからもポケモン連れて旅に出た人が何人かいるんだけど、さほどが途中でリタイヤして戻ってきてるのよね」

 

 話を聞きながら、ナオトは「ふうん」と相づちを打つ。

 

 確かに、ポケモントレーナーとして故郷を旅立って大成する者はほんの一握りだ。ほとんどの者が最初の一年で自分には向いていないと自覚して故郷にとんぼ返りするのである。

 リーグ出場のためのジムバッジを集め切れない。グランドフェスティバルに参加するためのリボンが集まらない。例を上げればキリがないだろうが、大抵の理由はそんなものだろう。

 

 そのトレーナーが挑戦する試練と言うのもそこまで難しいことではないようで、沖にある火の島、氷の島、雷の島に納められた三つの宝を取ってきて、本島の裏にある祭壇に納めるというものらしい。

 が、簡単であるとは言っても、島のトレーナーから選ぶ際はみんな面倒くさがって中々立候補者が出ないことがほとんどで、最終的にはジャンケンで決めるのがお決まりになっているのだとか。

 

「みんなお祭りの雰囲気を楽しみたいだけなのよ。儀式自体は半分風化してるようなもんだし。真剣に取り組んでるのなんて大人達だけ」

 

 そこまで話したフルーラは足を止めて振り返り、ナオトに目線を送る。

 

「ま、今年の操り人決めは苦労しなさそうだけどね」

 

 その言葉に首を傾げるナオト。一拍置いて、フルーラの言葉の意味を理解したナオトは慌てて口を開いた。

 

「おい、まさか僕をその操り人にするつもりなのか!?」

「だって、あんたポケモントレーナーでしょ?」

「いやでも……利き腕怪我してるし」

「お祭りならまだ一ヶ月くらい先の話だし、その頃には治ってるわよ」

「ぼ、僕は一ヶ月もこの島に滞在するつもりはないぞ!?」

 

 断固として操り人になろうとしないナオトに、フルーラは意地悪げな顔を向ける。

 

「誰が浜辺に流れ着いたあんたを助けてお医者様を呼んであげたのかしらね~?」

「うっ……」

 

 言葉を詰まらせるナオト。そう言われると断り辛いが、ナオトはどうしてもその操り人というものになろうという気はしなかった。大層な役割というわけではないが、それでもトレーナーとして問題がある自分に務まるとは思えなかったのだ。

 

 そうこうしている内に、二人はフルーラの家の前に戻ってきていた。フルーラが玄関の扉を開けかけたところでナオトが口を開く。

 

「……助けてくれたことは感謝してるけど、それとこれとは話が──あれ?」

「? どうしたのよ」

 

 とにかく自分は操り人になるつもりはないと言いかけたところで、ナオトはアイがいなくなっていることに気づく。

 

「アイがいない。さっきまでいたよな?」

「いたと思うけど……先に家の中に入ったんじゃない?」

 

 その言葉を聞くや否や、ナオトはドアノブを握っているフルーラの腕の下を潜り抜けて急いで家の中へと飛び込んでいった。「ちょ、ちょっと!」とフルーラも慌ててその後を追う。

 

 家の中をひっくり返す勢いで探してみたが、アイの姿は見当たらない。

 フルーラの衣服が入ったタンスまで開けようとしてぶん殴られたナオトは、再び外へ出て先ほどフルーラに案内された道を隈なく探しに行こうと急ぐ。そんな彼にフルーラは待ったをかける。

 

「村の人達に頼んで一緒に探してもらいましょうよ。そうした方がいいわ」

「でも、アイツが怒ってるの知ってて目を離した僕が悪いんだ。だから──」

 

「フルーラ! ちょうど良かった! ちょっと来てくれんか!」

 

 そこへ、港の方から奇抜な髪型をした老人が慌ただしくやってきて突然声をかけてきた。

 

「お爺ちゃん! あ、この人は島の長老さん。どうしたの? そんなに慌てて」

「大変なんじゃ。小さい女の子がワシの船に乗って海に出てしまったんじゃよ!」

「女の子? 島の子じゃなくて?」

「あ、ああ。島では見かけん子じゃったが……」

 

 そう返す長老に対して、フルーラはついに耄碌したかというような目を向ける。

 

「夢でも見たんじゃない? ここ最近で外から来た人って、ここにいるコイツ以外いないわよ」

「いや、ワシは確かに見たんじゃ! うっかりキーを挿したままにしたのを思い出して戻ってみたら、女の子がワシの船に乗り込んで火の島の方へッ──!?」

 

 暗にボケ老人と言われたためか、興奮した長老は捲し立てるように言葉を並べようとした。が、途中で目を見開き、時間が停止したかのように口を開けたままピタリとその動きを止めてしまう。

 

「どしたの? お爺ちゃん」

「…………ぎ、ぎっくり腰じゃ」

「え、ええ。言わんこっちゃない。しっかりしなさいよ、もう」

 

 そのまま崩れ落ちそうになる長老を危なっかしく支えてあげるフルーラ。そんな二人の横で話を聞いていたナオトが、前のめりになる勢いで割って入ってくる。

 

「あ、あの! その女の子って、青い髪をしてませんでしたか!?」

「いたた……あ、青い髪? ああ、確かにそんな色の髪をしとったと思うが──」

 

 長老の返答を最後まで聞かず、ナオトは家から見える港の方へ向けて駆け出し始めた。フルーラもその後を追うため、支えていた長老を放り出して走り出す。

 

「あいたっ!? フ、フルーラ! 年寄りは大切にせえといつも──ってイタタタ……だ、誰かタスケテ」

 

 悲しいかな。長老の助けを呼ぶ声は誰の耳にも届かない。

 一方でナオトに追いついたフルーラは、彼の横に並んで口を開いた。

 

「ちょっと! どういうことなの!?」

「さっき長老が言ってた子……その子がアイだ!」

「はあ? だって、アイちゃんってあの黒くて小さいポケモンでしょ?」

「アイツには他のポケモンや人に化ける能力があるんだよ! 多分、船の上で遊んでる内に誤ってエンジンがかかったんじゃないかと思うけど……」

 

 走りながら話している内に、二人は港に辿り着く。そこまで来て、ナオトはしまったと足を止めた。アイを追いかけようにも肝心の船がない。あったとしても、ナオトに船が操縦できるはずもなかった。

 船着き場に並んでいるモーターボートを前にナオトが逡巡していると、フルーラに右腕を引っ張られる。

 

「ほら、何ぼうっとしてるの。早く行くわよ」

「え? で、でも船が……」

 

 ナオトが何か言おうとする前に、フルーラは彼を強引に引っ張って並んでいるモーターボートの内の一つに乗り込む。戸惑っているナオトを横に置いて、首から下げた鍵を使って船のエンジンを始動させた。

 

「おい! 勝手に乗ってもいいのか!?」

「バカね。キー持ってるんだから私の船に決まってるでしょ。まあ、ホントはお姉さんのだけど。安心して。免許は持ってるから」

 

 その言葉を聞いて、同い年ぐらいであろうフルーラが船舶免許を持っているという事実に驚くナオト。考えてみれば、島育ちなのだから持っていても不思議ではない。ナオトだって取ろうと思えば車の運転免許も取れるのだ。

 

「で、でも、どうして」

「あんたを助けたのは私。なら、それで出来たトラブルは私のせいでもあるわ。まあ、あんたが頼りなさそうだってのが一番の理由だけどね」

「た、頼りなさそうって……否定できないけどさ」

 

 項垂れるナオトを無視して、フルーラは振り返る。

 

「それで、行くんでしょ? 火の島に」

 

 得意げな顔を向けてそう言うフルーラ。

 相変わらず気に食わないところはあるが、ナオトは目の前の少女を嫌いだと思っていたことを心の中で撤回し、その言葉に力強く頷いて答えるのだった。

 




次回は土曜に上げる予定です。

■ヨーデル
フルーラの姉。
オレンジ諸島で一番面積の広いマンダリン島にある分教所で勉強していたらしい。恐らくは十歳頃まで。フルーラも同じ分教所に通っていたと思われる。

■長老
アーシア島の長老。ルギア爆誕本編ではサトシに操り人になってくれと頼んだ。
この作品ではヨーデルとフルーラ、二人の姉妹の親代わりをしていたという設定。彼女らに親らしき存在が一切見えないため。






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4. ひのしまのファイヤー ▼

 火の島は小規模ではあるがその名に相応しい火山島だ。

 地下のマグマ溜まりから吹き出した蒸気が堆積して出来た岩山でできている。

 

「──なあ、あの船って……」

「ええ。お爺ちゃんの船だわ。ホントにここまで乗ってきたのね」

 

 島に到着したナオトとフルーラは、岩浜へ派手に乗り上げている無人の船を見つけた。船を降りて駆け寄ってみるが、アイの姿はどこにも見当たらない。

 

「もしかしたら、山を登っていったのかも。こっちよ」

 

 フルーラが岩山の方を指差す。そこには岩を人工的に削って作られた階段があった。階段を登った先にある頂上には、お祭りの日に選ばれたトレーナーが取ってくる宝の一つが納められた祭壇があるらしい。

 話を聞いたナオトはすぐさま階段を登っていき、フルーラもその後ろをついていく。

 

 階段を登って頂上に着いたナオト達。大きく開いた火口崖の下からは蒸気が漏れており、視界はあまりよろしくない。

 その崖の手前には岩で作られた祭壇が鎮座していた。祭壇の正面で、青い髪の少女が何かしている。どうやら、祭壇に収められている宝珠を眺めているようだ。

 

「アイ!」

「? ミャウ! ……ミャ」

 

 駆け寄ってナオトが声をかける。振り返ったアイはナオトを見るや否や満面の笑みを浮かべるが、すぐにそれを引っ込めて顔を横に背けてしまう。

 

「お前、まだ怒ってるのか?」

「ミャ」

 

 ムキになっているアイに、困ったとばかりにナオトは頭を掻く。やがて意を決すると彼女の前に歩み寄り、膝を折って彼女の目線の高さに合わせた。

 

「……本当にごめん。これからは無理矢理ボールに閉じ込めようなんてことは絶対しないよ」

「……ミャア?」

 

 ホントに? と言いたげな顔でチラリと目を向けるアイに、「約束する」と頷いて返すナオト。

 

「──ミャウ!」

 

 ようやく許してくれたのか、アイは光と共に元のゾロアの姿に戻り、ナオトの胸に飛びついた。ナオトはほっと安堵の溜息を吐きながらも、アイの頭を撫でてやる。

 一方で成り行きを微笑ましそうに見ていたフルーラはアイの姿が変わったのを見て驚きの表情を隠せないでいた。

 

「わぁ……ホントに化けてたんだ。私ポケモンのことは海で見かけるヤツぐらいしか知らないから、ビックリしちゃった」

「まだまだこんなの序の口だよ。もっと不思議な力を持ったポケモンが世の中には沢山いるんだ。そうだな……例えば、永遠の命を持っているって言われてるポケモンに時を渡る力を持ったポケモン。それから──」

「あ、うん。分かったから。それより、アイちゃんも見つかったんだから、とりあえず本島に戻りましょうよ」

「え? ああ、そうだな」

 

 思わず漏らした言葉に反応して唐突にポケモンのことを語り出したナオトに、長くなりそうだと察したフルーラは一旦その口を閉じさせて戻ることを催促する。

 あまり人と会話するのが好きそうじゃないくせに、ポケモンの話となると一人で盛り上がって止まらないタイプの人間らしい。腕に抱かれているアイも呆れた表情を漏らしている。

 

 頷いたナオトにやれやれと肩をすくめて、フルーラは来た道を戻ろうと足を動かす。

 

 

 ──その時、突如島を揺れが襲った。

 

 

「きゃっ!」

「な、何だ!?」「ミャ、ミャウ?」

 

 ナオトとフルーラは突然のことに少しふらつきながらも、何が起こったのかと辺りを見回す。

 火口の先、蒸気の向こう側に大きな影が浮かび上がっている。その影が蒸気を突き破り、身に纏いながらその姿を晒した。

 

 

 空さえも赤くしてしまいそうなほど激しく燃え上がる翼。

 その翼を翻し蒸気を割って現れたのは、伝説の鳥ポケモン──ファイヤー。

 

 

「あれは……ファイヤー!」

「え、嘘っ! あれがファイヤーなの?」

「お前、巫女のくせに見たことないのかよ!?」

「あるわけないでしょ! 言い伝えだってほとんど作り話だと思ってたんだから!」

 

 その荘厳たる姿に圧倒され、視線を外さないままその場を動けないでいるナオトとフルーラ。動いているのは口だけだ。

 

「ギヤーオ!」

 

 ファイヤーは祭壇の上に降り立つと、その鳴き声を島中に響かせた。

 そして、ナオト達を鋭い眼光で睨みつける。

 

「っ! 危ない!」

「え? ちょ──」

 

 目前のファイヤーが首を僅かに動かし、そのクチバシの隙間から炎が漏れ出たところを見たナオトは、咄嗟に傍らにいたフルーラを無事な右手で押し倒す。

 直後、頭上をファイヤーのかえんほうしゃ──燃え盛る炎が通り過ぎた。

 

「な、何で攻撃してきたの!?」

 

 ナオトの下敷きになっていた状態から上半身を起こしたフルーラが、信じられないとばかりに目を丸くして炎を吐いたファイヤーを見やる。

 痛む左腕を庇いながら、ナオトも地面に右手を突いて身を起こす。

 

「分からない……でも確かなのは、アイツが僕達のことを敵と見なしてるってことだ」

「そんな……」

「ミャウ! ミャ!」

「どうしたアイ……って、うわッ!」

 

 アイの鳴き声に振り向いたナオトは、自分の左腕を支えているギプスに火が燃え移っているのにようやく気づく。

 ナオトは慌ててギプスを叩いて火を消そうとするが、なかなか消えないし叩く度に怪我した左腕に鈍痛が走る。これじゃ埒が明かない! と、ギプスを解いて地面に放り捨てた。

 

「くそっ……お前、こんな危ないこと儀式でさせるつもりだったのか!?」

「あんたホントバカね! さっき初めて見たって言ったでしょう! あんたがあのファイヤーに喧嘩売るようなことしたんじゃないの!?」

「んなわけあるか! にらみつける暇もなかったぞ!」

 

 そんなやり取りをしている内に、ファイヤーは「ギヤーーッ!」と鳴き声を轟かせて飛び立つ。そのまま真っすぐ飛んで、再びナオト達目掛けて炎を放ってきた。

 

「っ! アイ! ナイトバーストだ!」

「ミャウッ!」

 

 迫る炎を迎え撃つべく、ナオトはアイに指示を出した。飛び出したアイのその身体から、光をも飲み込みそうな暗闇を纏った衝撃波──ナイトバーストが放たれる。

 アイのナイトバーストがファイヤーのかえんほうしゃとぶつかり合う。あくエネルギーとほのおエネルギーの激しい衝突によって、その残滓が辺りに散らばっていく。

 

「……ミャ、ウァッ!」

「アイ!」

 

 数秒の拮抗の末、アイのナイトバーストがファイヤーのかえんほうしゃの威力に押し負けてしまう。

 ナイトバーストを打ち消して迫るかえんほうしゃ。反動で転がっていくアイを拾って肩に乗せたナオトは、フルーラの手を取って炎から逃げる。凄まじい勢いの炎が島の外にまで広がっていった。

 

「ギヤーオ!!」

「容赦なしかよ! アイ、じんつうりき!」

「ミャアァ!」

 

 続けざまにかえんほうしゃをお見舞いしてくるファイヤー。対して、肩に乗せたままのアイに今度はじんつうりきを指示するナオト。

 アイのじんつうりきでファイヤーのかえんほうしゃの軌道をずらし、岩壁にぶつけさせる。それによって崩れ落ちた岩つぶてがファイヤーに降り注いだ。

 

「ギヤヤーーッ!?」

 

 擬似的ないわタイプの攻撃を受けたファイヤーは、ひこうタイプのポケモン故の弱点ダメージに甲高い悲鳴を上げて怯む。

 

「よしっ、今のうちに逃げるぞ!」

「ええ!」

 

 頷いたフルーラと共に、ナオトは階段の方へ駆け出そうとする。

 しかし、それを見たファイヤーが岩つぶてによるダメージを受けながらも翼を広げて猛然と突っ込んできた。この動作は、つばさでうつ攻撃だ!

 

「ミャ──ゥッ!」

 

 いち早く気づいたアイが何とかしようと飛び出すが、つばさでうつ攻撃の直撃を受けてあえなく弾き飛ばされてしまう。

 

「アイ!? くそっ!」

 

 勢いを止めず迫るファイヤーを避けるため、ナオトとフルーラはそれぞれ違う方向に飛び退く。

 それによってファイヤーの攻撃から逃れることはできたが、まずいことにフルーラが飛び退いた先は足場の悪い火口穴のすぐ傍であった。

 

「──わっ、ととっ……え、あれ? 嘘っ!」

 

 足を踏み外しそうになって慌ててバランスを取っていたフルーラ。その時、足を着けていた地面が突然崩落し、バランスを大きく崩した彼女は火口穴に背中から落ちそうになる。

 

「フルーラ!」

 

 地面を蹴って急いで駆けつけたナオトが右手を伸ばすも、空振る。フルーラの足元の地面がさらに崩れ、彼女の身体は宙に投げ出されてしまう。

 

「い、いやァッ!!」

 

 浮遊感に続いて急激に落下していく身体。迫る死の恐怖にフルーラは思わず目を閉じる。

 

 

 

 ────パシッ

 

 

 

「…………あ、れ?」

 

 しかし、その落下は速度が乗る前にすんでのところで止まった。

 火口に落ちてしまうかと思われたが、フルーラを追いかけて穴に身を投げたナオトが間一髪で彼女の手を掴むことに成功したのだ。

 

「……うっ、ぐっ」

「あ、あんた! 絶対離さないでよ! 離したら──」

 

 そこまで言って上を見上げたフルーラは、思わず言葉を失う。

 ナオトは右手で穴の縁を掴み、二人の体重を支えていた。つまり、フルーラの手を掴んでいるのは左手。その腕は打撲で痛々しい痣ができている。ナオトは左腕を襲う激痛に耐えながらフルーラの手を握りしめていたのだ。

 

 それに気づいたフルーラは、神妙な顔つきになって再び口を開く。

 

「……ねえ。このままじゃ、二人共落ちちゃうわ。私のことはいいから、あんただけでも──」

「バカか、お前っ! そんなこと、言ってる暇があったら、何とかして助かる方法、考えろ!」

 

 フルーラが諭そうとするも、ナオトは歯を食いしばって決して手を放そうとしない。それどころか、バカ呼ばわりされたお返しとばかりに強情な言葉を返してきた。

 

「あんた……」

 

 あれだけ頼りなさげだった少年の必死なその姿に、心が震えるフルーラ。

 

「ミャ、ミャウ……」

 

 アイがふらつきながらも少女の姿に化け、ナオトを引っ張り上げようとするが、力が足りない。ファイヤーのつばさでうつをまともに受けたことによるダメージで、じんつうりきも上手く使えないようだ。

 

 その様子を、ファイヤーは空で翼をはためかせながらじっと見つめている。

 

 

「ぐっ……チ、チクショ──」

 

 やがて、二人の体重を支えていたナオトの右手が限界を迎える。

 汗でズルリと穴の縁から手が滑り、そして──

 

 

 

「うわああぁぁッ!!」「きゃああぁーーッ!!」

 

 

 

 ナオトとフルーラは火口に向けて、真っ逆さまに落ちる。

 

「────ッ!!」

 

 アイの声にならない悲鳴が辺りに響き、遠のいていく。

 

 濃い蒸気で視界が真っ白に染められ、目も開けていられないような凄まじい熱気に二人はきつく目を閉じた。

 火口に落ちたらどうなるのか? マグマに溶かされて一瞬で死ぬのか? それとも淵に落ちて死ぬのか? 這い上がれないまま死んでしまうのか?

 

 迫る死に気が遠くなる中、それでもナオトはフルーラの手を放そうとはせず、フルーラも自分の手が強く握り続けられていることを感じていた。

 

 

「────え?」

 

 

 しかし、突如身を包む熱気が一瞬にして消え去った。

 身体を風が通り過ぎていき、火照った肌が急激に冷やされていく。

 

 ゆっくりと瞼を開けると、目の前には燃え盛る炎。

 慌てて離れようとしたところで、それがちっとも熱くないことを感じ取る。二人を支えているのは、黄色い羽毛に包まれた身体。

 

 ファイヤーだ。

 先程までナオト達を襲っていたファイヤーが、火口に落ちる二人を自らの身体で助け上げたのだ。

 

「た、助かったの? 私達」

「……みたい、だな」

 

 ひとまず命の危機から脱したことが分かり、一息吐いて緊張を解く二人。

 

「……というか、襲っておいて助けるってどういう風の吹き回しなわけ?」

「僕達を試してた……とか?」

「何よソレ。意味分かんない。そういうのはお祭りの日にして欲しいわ」

「いや、お祭りの日でも勘弁して欲しいんだけど……」

 

 文句を言うフルーラに言葉を返しながら、ファイヤーの背中を撫でるナオト。

 そこでフルーラは未だナオトに握られたままであった自分の右手に気づく。

 

「ねえ、手」

「え? あ、悪い」

 

 指摘すると、無意識に握ったままにしていたのであろうナオトは慌てて左手を放した。気恥ずかしく感じたのか、そっぽを向かせたその顔が少し赤くなっているのを見て、少し満更でもない気分になるフルーラ。

 そして、火の島を旋回していたファイヤーは翼をはためかせて安全な場所に二人を降ろした。

 

「ミャウ!」

 

 駆けつけたアイがナオトに飛びつく。

 ファイヤーは「ギヤーオ!」とひと鳴きすると、再び炎揺らめく翼を広げて飛び立ち、そのまま蒸気の中に姿を消してしまった。

 

 地面に足が着いたことで一気に疲れが襲ってきた二人は、また何か起こる前に早く本島に帰ろうと階段を下りて船を停めた場所へ戻る。

 

「ああーーっ!?」

 

 しかし、自分達が乗ってきた船を見てフルーラが悲鳴を上げた。

 なんと見事なまでに丸焦げになっていたのだ。まるで食べ残しの焼き魚である。

 恐らく先のファイヤーのかえんほうしゃがここまで届いてしまったのだろう。黒い煙を上げている船はもちろん動かせそうもない。

 

「お姉さんにどう言い訳しよう……」

 

 その場に崩れ落ち、そう嘆くフルーラ。ナオトはそんな彼女に対して申し訳なく思い、居心地の悪さを誤魔化すように頬をポリポリと掻く。

 

「その……ごめん。僕のせいで」

「ホントよ。責任取ってもらうからね」

「ああ。でも、とりあえずさ……どうやって帰る?」

 

 ナオトのその言葉に、フルーラは無言でアイが乗ってきた長老の船に顔を向けるのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 無事、本島に戻ってきたナオトとアイとフルーラ。

 港には長老から話を聞いたのか、なかなか戻ってこない二人を心配して数人の村人が集まっている。その中には長老とフルーラの姉であるヨーデルもいた。

 長老はさすがにまだギックリ腰が治っていないのだろう。周りの人に支えてもらってかろうじて立っている。

 

「うわ……あんた、先に降りなさいよ」

「あ、ああ」

 

 気まずそうに船を降りる二人と一匹。言われた通りアイを肩に乗せたナオトが先に降り、続いて降りたフルーラはナオトの背中に隠れる。

 

「良かった! 二人共全然帰ってこないから、心配してたのよ!」

「す、すみません……」

「いや、無事で良かったわい」

 

 歩み寄ってきたヨーデルと長老は二人の無事を喜ぶが、長老の船で戻ってきた二人に首を傾げる。

 

「? フルーラ。私の船はどうしたの?」

 

 そう尋ねるヨーデル。フルーラはそんな姉と目を合わせようとせず、しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。

 

「えっと……ちょっと色々あって……その」

「その?」

「……お、おしゃかになっちゃいました」

「はあ、なるほど。おしゃか……おしゃか……おしゃ……か…………はあっ!?」

 

 妹が何を言っているのかすぐに飲み込めなかったのか、ヨーデルは首を傾げて同じ言葉を反覆する。そして、ようやく理解したのか思わず仰天の声を上げた。

 ナオトの背中に隠れているフルーラがビクッと肩を震わせる。

 

「ちょっとフルーラ! 船がおしゃかってどういうことなの!?」

「ま、まあまあお姉さん。可愛い妹が無事だったんだから良しとしましょうよ」

「良くありません! 何があったのかキッチリ説明してもらいますからね!」

 

 鋭く指を突きつけて厳しい声を響かせるヨーデルに、フルーラは「え~、ちょっとくらい休ませてよ!」と文句を返す。

 もちろん、姉妹の言い争いの間に挟まれているナオトは終始げんなりとした顔を隠せないでいるのであった。

 

 

 

 

 怒るヨーデルを落ち着かせ、島の集会所でナオト達から事の顛末を聞いた長老を含む大人達。

 ナオトはヨーデルにギプスを巻き直してもらいながら、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「……今回のことは全部僕のせいです。本当にすみません」

「ミャウミャア! ミャウ……」

 

 傍にいるアイが自分が悪いと首をブンブンと横に振る。ナオトはそんな彼女の頭を撫でてなだめさせた。

 確かにアイが長老の船に乗り込まなければ事は起きなかっただろうが、彼女はナオトのポケモン。ならば、トレーナーであるナオトに責任があるのは疑うべくもない。

 

「いや、あんただけのせいじゃない。キーを挿したままにしとったワシにも責任はある」

 

 多少なりとも自分に非があると考えた長老がそう言ってナオトを庇う。

 

「でも……」

「なあに、船が必要なら村の連中から借りることだってできる。こういう孤島の村では村人達が助け合っていくものなんじゃよ。むしろ、命が助かっただけ儲けものじゃ。なあヨーデル」

「はい。だから、気にすることないのよ。ナオト君」

 

 ヨーデルに諭され、ナオトは未だ罪悪感に苛まれながらもぎこちなく頷いて返した。

 そこへ、横でジュースを飲みながら話を聞いていたフルーラがストローから唇を離して口を開く。

 

「それにしても、ファイヤーってホントに島に住んでたのね」

「当たり前じゃ! もちろんサンダーもフリーザーもそれぞれの島に住んでおる。全く、滅多に姿を現さないからといって作り話などと戯言を抜かす若者が増えてきて嘆かわしいわい」

 

 長老がはあ、と深い溜息を吐く。

 

「……しかし、まさかファイヤーに襲われたとは。どうしましょう、長老」

「う~ん、困ったことになったのう」

 

 大人達の内の一人が口にした言葉に、長老が顔を曇らせる。

 もしお祭り当日の儀式でまた同じようなことが起これば、いくら辺境の小さな島での出来事とはいえ間違いなく問題になるだろう。

 

「今年は操り人の儀式は取り止めるべきでしょうか……」

「ええ! そんなぁ」

「あら、珍しいわねフルーラ。あなただったら諸手を上げて喜びそうなのに」

「えっ、あ、いや……お、お小遣いもらえなくなったら困るし……」

 

 あれだけ巫女の仕事を面倒臭そうにしていたフルーラは、儀式取り止めの話を聞いてなぜか正反対の反応を示した。

 ナオトはそれに首を傾げながらも、大人達の話に口を挟む。

 

「あの、ファイヤーのことなんですけど……」

「うん?」

「多分ですけど、本気で襲ってきたわけじゃないと思うんです。島に来たトレーナーを試してただけで、本当にヤバくなったら助けてくれるかと。僕らもそうでしたし」

 

 ナオトの話を聞いた長老と大人達は少し不安を残しつつも安堵の声を上げる。

 

「そうか……なら大丈夫、ですかね?」

「うむ。むしろ試練らしくなって良いじゃないか。いつも肩透かしを食らったような顔で帰ってくる操り人を見なくて済みそうじゃしの」

「儀式を行わなかったら、それこそ神々の怒りを買うことになるかもしれませんしね」

 

 先ほどまでの懸念はどこへやら、態度を一変させて話を弾ませる大人達。まあ、大昔から続いているお祭りの儀式だ。できれば取り止めになどしたくはないのだろう。

 自分が言えた義理じゃないが、そんな楽観的でいいのか? と思うナオト。実際、ナオトの考えはあくまで推測でしかないのだから。

 

 どうしてあのファイヤーはナオト達を襲ってきたのか。その理由が分かる時は果たして来るのだろうか?

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 それから、ナオトは左腕の怪我が治るまでの一週間をアーシア島のフルーラの家で過ごした。 

 怪我が完治した翌日の今日、アーシア島を出る。ヨーデルの厚意で昼食を食べてから発つ予定だ。

 

 何だかんだ言って少し名残惜しく感じるようになっていたナオトは、お昼までの時間をアイと島を周って費やすことにした。

 自然豊かな草花の生い茂る道を、風に道案内されるようにして足を進めていく。

 

「そういえば、アイ。お前なんで船に乗り込んだりなんかしたんだ? 普段ならそんなイタズラしないだろ」

「ミャウ……ミャウミャ、ミャウ」

 

 歩きながらナオトが思い出したかのようにそう尋ねてみると、少女の姿のアイは困ったような顔をしながらしどろもどろといった様子で答える。

 

「呼ばれたような気がした? 何だそれ。ファイヤーは別にエスパータイプじゃないからテレパシーなんて送ってこれないと思うけどな……」

 

 そんな答えの見えてこない話をしながら気の向くままに歩いていると、何時しか周りは見覚えのない風景に変わっていた。知らない間に一度も足を向けたことがない道に入ってしまっていたらしい。

 ふと視線を巡らせてみれば、すぐ近くの山肌に人工的に作られたであろう洞窟が目に入った。この洞窟はどこに繋がっているのか、なんとなく興味を唆られるナオト。

 

「……でも、勝手に入るのはまずいよな。問題起こしたばっかだし」

 

 懸念を言葉にすることで、ナオトは珍しく沸き上がったトレーナーとしての冒険心を抑えつける。そのまま、踵を返して村の方へと戻ろうとした。

 

「──────」

「え?」

 

 しかし、そんな彼の耳にどこからか歌うような声が届く。本当に微かだったが、確かに聞こえたのだ。

 

「……洞窟の向こうから、か?」

 

 振り返って再び洞窟の入り口を見やるナオト。

 

「──ミャウ!」

「あ、アイ! 待てったら!」

 

 何かを感じ取ったのか、アイが突然走り出して洞窟の奥へと入っていってしまった。

 心の中で頭を抱えつつもその後を追いかけるナオト。幸い洞窟はそこまで長くはなく、ものの数秒で出口の明かりが見えてくる。ナオトはその光に飛び込んだ。

 

「……う、わ」

 

 思わず、言葉を失うナオト。

 一本道のその洞窟を抜けた先に見えたのは、視界一杯に広がる海であった。

 高台にあるフルーラの家から見下ろせる海とはまた違う、水平線に浮かんだ神々の住まう三島を一望できる、まさに絶景と言わざるを得ない光景が目の前に広がっている。

 

 しばしその光景に見惚れていたナオトであったが、ふと我に返って辺りを見回そうとしたその時、再び例の歌声が耳を優しく掠める。

 思わず振り向いた先、洞窟の出口から見て右の方──山肌に沿った崖道の向こうに岬が伸びていた。その岬の先端には、古びた祭壇のような物が鎮座している。

 

 歌声はその祭壇の方から聞こえてくる。

 透き通るようなその声に惹かれて祭壇の元まで近寄ってみると、祭壇を囲う柱の傍にアイがいるのを見つける。どうやら、柱の陰の向こうにいる誰かのことを見ているようだ。

 ナオトはアイの隣に立ち、そっとその場所を覗いてみた。

 

(……フルーラ?)

 

 そこには、石段に座って歌を口ずさむフルーラがいた。

 目を閉じて、心地良い風に身を委ねながら。

 

「────ふぅ……」

 

 丁度歌い終えたのか、フルーラは一息吐くと軽く伸びをし始める。

 

「ミャ?」

「──え? きゃあっ!」

 

 いつの間にかフルーラの傍に寄っていたアイ。それに気づいた彼女はビックリして飛び上がるも、「な、何だアイちゃんか。ビックリした」と胸を撫で下ろす。

 しかし、アイを挟んだ向こう側にナオトもいることに気づき、その目を物言いたげに細めた。

 

「ちょっと、いるならいるって言いなさいよ」

「いや、さっき来たばかりだし。じゃ、邪魔しちゃ悪いかと思ったんだよ」

 

 何だか妙に気恥ずかしくなってぶっきらぼうに答えてしまうナオト。

 

「ふぅん。で?」

「で? って何だよ」

「聴いてたんでしょ? 感想は?」

「…………まあ、悪くはなかった、と思うけど」

「何よ。素直じゃないわね」

 

 それでも、フルーラはナオトの精一杯な褒め言葉に唇を尖らせる。

 

「さっきの歌、恥ずかしいから誰にも言わないでよ」

「別にいいけどさ……もしかして、自分で作った歌なのか?」

「……お、お祭りの時に笛で演奏する曲を私なりにアレンジしてみたっていうか……ああっ! もういいでしょ別に!」

 

 当てずっぽうで言ってみたら本当にそうだったらしい。ナオトに言い当てられて、恥ずかしいのを誤魔化すように両手を振り回すフルーラ。

 その手を避けながら、ナオトは気になったことを問いかける。

 

「笛って?」

「ああ、これのことよ」

 

 そう言って、フルーラは肩から下げたポシェットから話に出た笛であろう物を取り出す。

 貝殻を加工して作られたその笛の歌口にそっと唇を添え、先程の歌と同じメロディを奏で始める。

 

 まるで海の底から響いているかのように深い、それでいて優しく澄み切った音色。

 

 傍で聴いているアイはその音色の心地良さに目を閉じて身を委ねている。

 その隣で、ナオトは心ここにあらずといった表情のまま惚けていた。その視線の先は、笛を吹くフルーラ。瞳を閉じて優雅に演奏するフルーラの姿は、普段の彼女からは想像できないほど神秘的に見えたのだ。

 

「……なあに? ひょっとして、見惚れちゃった?」

 

 ぼうっとしているナオトを、いつの間にか演奏を終えたフルーラが意地の悪い目つきを向けてからかう。

 

「ばっ……そ、そんなわけないだろ!」

 

 ほんのり赤くなっていた顔を慌てて振って答えるナオト。

 

「ミャウ!」

「上手だった? ありがとうアイちゃん」

 

 演奏に感激したのか、飛びついてきたアイをフルーラは笑顔を浮かべて抱き留める。

 

「島の人達以外がこの笛の演奏聴けるのはお祭りの日ぐらいなんだから、儲け物と思いなさい」

 

 アイを降ろして笛を鞄に仕舞いながらそう言うフルーラに、「はいはい」と返しながらナオトは祭壇に目を向ける。

 

「……もしかして、これがそのお祭りの日に三つの宝を納める祭壇なのか?」

「そうよ。あんたには難しいかもね~」

「だから、僕は操り人にはならないって。今日でこの島を発つんだし」

 

 そう返しつつ、ナオトは祭壇の上にある石碑に刻まれた古代の物であろう文字を見上げて読む。

 これが以前聞いた『世界が破滅に向かう時、海の神現れ優れたる操り人と共に神々の怒り鎮めん』という言い伝えの文章なのだろう。

 

「ねえ、それよりそろそろお昼の時間じゃない? 私先に戻ってるわよ」

「──え? あ、ああ。行くぞ、アイ」

「ミャウ」

 

 フルーラに言われ、ナオトは少し後ろ髪引かれる気持ちになりながらも村へ戻る彼女の後を追うのであった。

 

 

 

 

 荷物を持ったナオトはフルーラの家を出て港を目指す。

 モンスターボールと財布以外の旅の荷物はさほど船が沈んだ際に紛失してしまっていた。幾らかの必需品はヨーデルの厚意で頂くことになったが、足りない物は途中どこかで買い揃える必要がある。

 予定としては、本土から定期船が出ているデコポン島に向かって、そこの町でついでに買い物していく予定だ。

 

「それじゃあ、気をつけてね」

「達者でな」

「はい。色々とお世話になって、ありがとうございました。それじゃあ」

「ミャアミャア」

 

 ヨーデルと長老に見送られ用意してもらった船に乗るナオトとアイ。

 しかし、操縦士を見たナオトはアイ共々驚きの声を上げる。

 

「……は? え、何でお前がここにいるんだよ」

「ミャア!」

 

 なんとその人物は、つい先ほどから見当たらなくなっていたフルーラであった。

 かけていたサングラスを外して、目を丸くしているナオトにジト目を向けるフルーラ。

 

「何よ。私だと文句あるわけ?」

「いやだってお前……お祭りの準備とかあるんだろ?」

「お祭りは一ヶ月も先の話よ。それで、あんたデコポン島に行くつもりなんだっけ?」

「あ、ああ」

「じゃ、予定変更してダイダイ島に行きましょ。あそこの造船所で手頃な中古の船がないか見てこいって、お姉さんにお使い頼まれてるの」

 

 急な予定変更にナオトは混乱しそうになりながらも口を挟む。

 

「い、いや。僕は定期船に乗らないと」

「ダイダイ島にだって本土行きの飛行船が出てるから大丈夫よ」

「そ、そうか……」

 

 そこまで言われたら、ナオトも文句は言えない。それに、彼女ともう少しだけ一緒にいれることをほんのちょっぴりだが嬉しく思う自分がいることを不本意ながら自覚していた。

 

「ミャウ!」

 

 元のゾロアの姿に戻ったアイが嬉しそうにフルーラの肩に飛び乗る。

 

「ふふっ、よろしくね。アイちゃん。さ、出発するわよナオト!」

 

 船のエンジンが唸りを上げ、大海原に引き波と軌跡を作り始める。

 

 とにもかくにも、ナオトはフルーラと共にアーシア島から船出することになったのであった。

 ひとまずダイダイ島までという話だが、果たしてその先はどうなるのだろうか?

 

 続くったら、続く──!

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ところでヨーデル。あの船、もしかしなくともワシの船じゃないか?」

「ええ、そうですよ」

「な、なんで勝手にワシの船を使わせとるんじゃ! あの船がないと日課の釣りに行けな──」

「助け合うって仰ったのは長老様ですよね?」

 

 にっこりと笑顔で答えるヨーデルを見て、長老はガクリと項垂れるのであった。

 

 




次回は つよくて かたい いしの おとこ が登場!

■ファイヤー
ご存知真・唯一神。鳴き声が他の二鳥と同じく「ギヤーオ!」なので、バリエーションが考えづらくて困る。
なんで襲ってきたのかはルギア爆誕編の最後辺りにならないと分からないが、かなりしょうもない理由。

■フルーラ
後半で歌っていた歌は彼女のイメージソングである「はてしない世界」。
元々この歌をルギア爆誕のエンディングで使う予定だったらしい。実際に映画で使われたのは違う歌だったので脚本の首藤氏が苦言を呈していた。
でも作者は「toi et moi」もわりと好き。





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5. タケシとうじょう! しのびよるロケットだん! ▼

 どこまでも広がる青い海。さんさんと輝く太陽。

 

 オレンジ諸島のマンダリン島。

 そのプライベートビーチで、白い砂浜にパラソルとビーチベッドを敷いて、優雅にリゾートを満喫している水着の女性が傍らに置いたジュースのストローに口をつけた。

 

 辺りに騒がしい子供や店の喧騒はない。心地よい海風と波の音だけが女性の耳を撫でる。 

 まさに絶好のバカンス日和と言わんばかりの光景がそこにあった。

 

「──お客様。お電話でございます」

 

 しかし、そんな状況に水を差す輩が現れる。利用しているホテルのスタッフだ。

 女性はつけていたサングラスを外すと、煩わしそうにしながらも差し出された受話器を手に取る。

 

「ちょっと、絶賛満喫中の私の時間を浪費させようなんて一体どこのどなたかしら?」

『ほう。どうやら存分にバカンスを楽しめているようだな?』

「──ッ!? サ、サカキ様! し、失礼いたしました!」

 

 電話の相手が自分の上司、しかもボスであることが分かり、態度を改める女性。相手が目の前にいないにも関わらずビーチベッドに沈めていた身体を跳ね上げて姿勢を正す。

 

『……実は、オレンジ諸島での活動を担当していたヤマトとコサブロウという団員がヘマをしてしまってな』

「はぁ……」

『釈放させるにも時間がかかりそうだ。しかし、まだ奴らに任せていた仕事は残っている。そこで、ちょうどオレンジ諸島へバカンスに行っているお前に白羽の矢が立ったというわけだ』

 

 相手がボスであると分かった時点で嫌な予感はしていたが、まさかの自分とは関係ないことで休暇返上するはめに。

 何が悲しくて休暇中に仕事をしなければならないのか。当然女性は何とかしようと打開策を申し出る。

 

「で、でも私はご存知の通り休暇中で……他にも任せられるような団員の一人や二人いらっしゃるでしょう?」

『確かに、オレンジ諸島にはまだもう一つのチームが滞在している。だが……奴らにははっきり言って欠片も期待できそうにない。こちらはこちらで奴の探索で新たな人材を派遣できる余裕もなくてな。つまり、お前しかいないのだよ』

「うっ……で、ですが」

 

 それでも渋る女性だが、自分の所属している団のボスにそこまで言われるとさすがに断り切れない。

 

『仕事の内容は追って秘書のマトリから連絡させる。もちろん、休暇返上分の報酬は出す。何、ナンバーズのお前ならとるに足らない仕事だ。良い報告を期待しているぞ』

 

 プツリと一方的に電話が切られる。

 受話器を握ったまま顔を俯かせ、わなわなと震え始める女性。

 

 傍に控えるスタッフが恐る恐る声をかけようとしたその時、女性がガバリと勢い良く立ち上がって受話器を乱暴に砂浜へと叩きつけた。

 

「──ちっくしょうがッ! このクソッタレ!!」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「さ、着いたわよ! 早く起きなさいってば」

「……分かった。分かったから揺らすなって」

 

 数刻過ぎて、ナオト達は無事ダイダイ島の港に到着した。

 桟橋に船を係留し、隅でぐったりしているナオトを引っ張り上げるフルーラ。元のゾロアの姿をしたアイが心配そうに眺めている中、危なっかしい足運びで船から降りて地に足をつく。

 

「ミャウミャア?」

「ああ、大丈夫……でも、もうちょっと丁寧な運転を期待してたんだけどな」

「あれぐらいの揺れでダウンしちゃうなんてだらしないわねぇ。ちんたら走らせてたら日が暮れちゃうじゃない。ほら、しゃきっとする!」

 

 フルーラに肩を押され、ナオトはまだ揺れているような感覚に頭を悩ませながらもフラフラと歩き始める。火の島へ船で向かった時は平気だったのだが、恐らくそれはアイのことで頭が一杯だったからかもしれない。

 

 

 ナオト達が降りた島──ダイダイ島は島の縁に沿うようにして町が作られていた。

 海岸線に沿って伸びる道を自転車で走り抜けば、さぞかし気持ちが良いことだろう。

 

 一方で町の方はその立地のためか高い建物はほとんどなく、特別発展しているというわけでもない。オレンジ諸島で一番大きいマンダリン島のビッグシティに比べたら天と地の差があるのは確かだ。

 しかし、その代わり町からほんの少し離れるだけで豊かな大自然に迎えられる。まさに丁度良い形で、ポケモン達と人間がのびのびと暮らせる環境が整っているのだ。

 少し先を歩くアイも、新しい町を前に興奮気味にはしゃいでいる。

 

「で、ナオト。あんたこれからどうするんだっけ?」

 

 ふいに、ナオトの後ろを歩いていたフルーラがそう声をかけてきた。

 そこまで船酔いするタイプではないナオトが酔うほど船をかっ飛ばしていた彼女。さっさと横を通り過ぎて先に行ってそうなものだが、ふらついているナオトが転んだりしないようなんだかんだ見ていてくれているのかもしれない。

 最も、そんな気遣いをしていたとしても今のナオトには伝わるはずもないが。

 

「とりあえず足りない必需品を買いに行こうと思ってるけど、その前に次の飛行船の便が何時に出るのか調べとかないと……」

 

 そう。ナオトは元々の目的地であるカントー地方の本土へ向かうためにこのダイダイ島を訪れたのだ。

 本来なら定期船が出ているデコポン島に向かうはずだったが、フルーラが自分の用事を優先して飛行場のあるこの島を選んだのである。

 

「あ、それなんだけど。先に謝っとくわ。ごめんね」

「……え? どういうことだ?」

「本土行きの飛行船ってね、朝と昼の便しかないの」

 

 その言葉に、ナオトはピタリと歩みを止める。そして、錆びた機械のようにギギギと首を振り向かせた。

 

「…………今って何時だっけ」

「お昼ご飯食べてから出たんだから、お昼過ぎに決まってるでしょ」

 

 なんて無慈悲。

 告げられた事実を前にして頃垂れそうになるのを抑え、ナオトがフルーラにガンを飛ばす。

 

「お、ま、え……最初から知ってただろ!?」

「何言ってんのよ。うっかり忘れちゃってただけだってば。誰かさんのせいでウチの船が塩焼きになっちゃったからね」

「ぐっ、そこでそれを出すか」

 

 ナオトは一つ深い溜息を吐き、頭に並べていた不平不満の文句を隅へ追いやった。

 

「……仕方ない。今日はポケモンセンターにでも泊まるか」

「あら、ウチに戻ってもいいのよ?」

「見送られたばかりで戻ってくるヤツがあるか! 後、船のことだけど……今すぐは無理でもいつかちゃんと弁償するつもりだからな」

「はいはい。期待しないで待ってるわ。アイちゃーん! そろそろ行くわよ!」

「ミャウ!」

 

 フルーラの呼びかけに応え、近くを歩き回っていたアイがタタタと走って戻ってくる。

 

「じゃあ、フレンドリィショップを探すか。そこなら旅の必需品は大抵揃うし」

「あ、その前に私の用事済ませてからね」

「いや、別行動で良くないか?」

「……大事な船だったのになぁ」

「…………分かった。分かったよ」

 

 よろしい、と笑顔で頷いて先を行くフルーラ。

 ガックリと肩を落としたナオトを見かねて、少女の姿に変化したアイが背中を押してあげるのだった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「……おい」

「何よ?」

「造船所に行くんじゃなかったのか?」

 

 辺りを見回せば、船の一隻も見当たらない商店街。規模は大きくないが、飛行場がある島なだけあって観光客向けの店が多い。

 もっとも、これらの店はどちらかと言えば旅行帰りの客を対象にしているのだろう。ダイダイ島自体は特に観光スポットがあるわけではないし、ここの港から船に乗り換えてマンダリン島へ向かう客がほとんどだからだ。

 ナオトが普段行かないような場所とあって、フルーラと手を繋いで歩いているアイは興味津々な様子だ。

 

「そんなこと一言も言ってないじゃない。中古の船なんか帰りにチラッと見ればいいんだから、まずはウィンドウショッピングよ」

「買わないんなら寄る意味ないと思うんだけど」

「あんたねぇ、そんなこと言ってたら女の子にモテないわよ。それに、どうせフレンドリィショップはこの商店街を抜けた先にあるんだから。さ、行きましょアイちゃん」

「ミャ!」

 

 別にモテたくなんかないし、と小声で文句を言うナオトを尻目にフルーラはアイと一緒に立ち並ぶ店を巡っていく。

 逸れるわけにもいかないので、彼女らの一歩後ろをついていくナオト。ただただ無言でついていくその様は傍から見たら親カモネギについていく子カモネギのような醜態であった。

 

 

 しばらく店を回って、一行は宝飾品店のショーウィンドウに並べられた綺羅びやかな品々を絶賛物色中。アイが楽しそうにしているので、なんだかんだナオトもそれほど退屈しないで済んでいるようだ。

 

「この真珠のブレスレット、綺麗ね」

「……それ、シェルダーから取ったヤツじゃないか。多分」

「え、シェルダーって確か貝みたいな見た目したポケモンよね? へー、アレも真珠作るんだ」

 

 フルーラの反応を見て気を良くしたのが、ナオトがさらに続ける。

 

「ああ。シェルダーだけじゃないぞ。パールルっていうポケモンが作る真珠はもっと高価なんだ。一生に一度しか作らないからな。なんで真珠ができるかっていうと──」

「あ、うん。もういいわ。あんた、ホントポケモンのこととなると止まらないわね。ほら、アイちゃん。綺麗な真珠──って、あれ」

 

 フルーラがアイがいる方を振り向くと、そこに彼女の姿はなかった。慌てて周囲に目を向けると、ほんの少し離れた場所で何かをじっと見つめているアイを見つける。

 

「アイ。どうしたんだ?」

「ミャウ」

 

 歩み寄ったナオトがそう声をかけると、アイが指を差す。

 差された方向を見ると、向かいの店の正面にある生垣──その傍に、藍色に染まったカブのような見た目をした生き物がいた。不安そうな顔でキョロキョロと辺りを見回している。

 

「あれは……ナゾノクサか?」

 

 ざっそうポケモンのナゾノクサ。昼間は地面に隠れて、夜に根っこである足を使ってあちこち動き回る夜行性のポケモンだ。

 月の光を浴びて育つというそのポケモンが、こんな真っ昼間に太陽の光を浴びているなんて珍しい。一体なぜだろうと眺めていたナオトは、そのナゾノクサのある部分に注目する。

 

「何、どうしたの?」

「ナゾノクサがいるんだけど……通常の個体と何だか草の形が違うんだ」

 

 ほら、とナオトはポケットから取り出した妙に次世代的なポケモン図鑑をフルーラに見せる。

 確かに図鑑のスクリーンに映るナゾノクサとは明らかな違いがある。目線の先にいるナゾノクサは頭から生えている草に深い切れ込みが入っていたのだ。

 

「ふ~ん。珍しいんならゲットしちゃえばいいんじゃない?」

「いや、ナゾノクサは夜行性のポケモンなんだ。この時間に、しかも町中をうろついているってことは誰かのポケモンである可能性が高いと思う」

「え? そうなの? それにしても、ゲットされてるポケモンかどうか簡単に見分ける方法とかってないのね」

「ないんだなこれが。よく知らずにゲットしちゃいそうになるトレーナーがいるから、図鑑で判別できるようにして欲しいもんだけど……まあとりあえず、保護してジュンサーさんに引き渡しとこうか」

「ミャウ!」

 

 ナオトの言葉を受けたアイがナゾノクサに駆け寄り、その丸い身体を抱え上げる。何かを訴えたそうな表情をしているが、とりあえず逃げ出そうとはしないようである。

 やはり人間慣れしているのだろう。アイは化けているだけで人間ではなくポケモンだが。

 

 とにかく、こういう迷子ポケモンのことはジュンサーさんに任せるのが一番だ。自力で探そうとして相手のトレーナーと行き違いになっても困る。

 ちなみに、ジュンサーさんというのは各地の治安維持を担当しているポケモンポリスに所属する警官の中でも代表的な存在、いわゆる顔だ。ポケモンポリスと言えばジュンサーさんというのが世間一般的な認識である。カントー地方でもそれは変わらないだろう。

 

「それじゃ、交番を探しま──」

「あ、そこの君達。ちょっといいかな?」

 

 そこへ、二人に声をかける者が現れる。

 逆立った髪に浅黒い肌をした糸目の青年で、買い出しでもしていたのか食料などが入った紙袋を両手一杯に抱えている。

 

「俺はタケシ。そのナゾノクサに見覚えがあって……ちょっと見せてもらえるかな?」

 

 タケシと名乗る彼は、このナゾノクサに心当たりがあるらしい。

 頷いたアイが抱えているナゾノクサを掲げて見せると、タケシの顔を見たナゾノクサが心なしか安心したような顔を浮かべた。

 

「うん。やっぱり、コイツはウチの研究所で暮らしてるナゾノクサだ。かなり内気なヤツなのに、なんだってこんなところまで……」

「研究所?」

「ウチキド博士の研究所さ。この島で、オレンジ諸島に生息するポケモンの生態について研究してるんだ。俺はその人の助手として働いてるんだよ」

 

 どうやら、このナゾノクサはウチキド博士という人の元で飼育されているポケモンのようだ。

 研究所の裏には豊かな自然が広がっており、そこでポケモン達がのびのびと暮らしているらしい。彼らの生態を知るには、自然のままに生活できる環境が必要なのだ。

 

「研究って……」

「ん? どうしたんだ?」

「いや、もしかして、ナゾノクサの草の形が違うのと関係してるのかなって」

 

 ナオトが少々人見知り気味な態度でそう口にすると、当たりだったのかタケシは驚いたように眉を上げた。

 

「その通りだよ! 君はもしかしてオレンジ諸島の子じゃないのか?」

「まあ、出身はイッシュだけど」

「やっぱりそうか。オレンジ諸島のポケモンは通常の個体と違って体色や模様が違ったり、このナゾノクサみたいに身体の一部分が違う形になっていたりするんだよ。環境によるポケモンの違い、それを調べるのがウチキド博士の研究テーマなんだ!」

 

 熱く語るタケシ。彼がそのウチキド博士のことを深く尊敬しているのは傍から見ても明らかだ。しかし、何だかそれだけではないような雰囲気を漂わせているのは気のせいだろうか。

 

「しかし、困ったな。俺はこの通り両手が塞がってるし……すまないけど、良かったらナゾノクサを研究所に連れ帰るのを手伝ってくれないか?」

「僕は別にいいけど」

 

 と言って、ナオトはフルーラの方に目線を送る。

 

「……私も構わないわよ。どうせ後は中古の船見るだけだしね」

 

 二人が承諾すると、タケシはほっとしたように顔を綻ばせた。

 フルーラは何か言いたげな目でナオトを見ているが。

 

「ありがとう。ウチキド博士の研究所は町外れの方にあるんだ。ついてきてくれ」

 

 食材が詰まった紙袋を両手に抱えたまま、タケシはしっかりとした足取りで先導し始める。その背中からは、結構な旅慣れをしている風格を感じさせた。

 

 

 ウチキド博士の研究所に向かう道中にタケシに自己紹介を済ませたナオト達。

 しかし、その後で居心地悪げにナオトは眉をひそめた。横を歩いていたフルーラが物申したげな目を彼に向け続けているからだ。

 いい加減我慢できなくなったナオトがフルーラの方を振り向き、口を開く。

 

「おい、さっきから何だよ」

「……あんた、出身はカロスって言ってたじゃない。なのにさっきイッシュ出身って答えてた」

 

 フルーラの返した言葉に、ナオトは「ああ……」と困ったように頭を掻いて呟く。そういえば、彼女には言い直すのが煩わしくてカロス出身だと言っていたのだった。

 

「ちょっと説明が面倒だっただけさ。確かにイッシュ地方出身だけど、小さい頃にカロス地方に移ったんだよ。アイともイッシュにいた頃に出会ったんだ」

「ふ~ん。親の仕事の都合とか?」

「……似たようなもんかな。親がどっかに行ったから施設に預けられてたんだけど、そこの生活が嫌でポケモン取扱免許が許される前に抜け出して旅に出たんだよ。で、色々あって行き着いた先がカロスだったんだ」

 

 予想外の生い立ちと無謀な旅立ちの経緯にフルーラは目を丸くする。さすがに悪く感じたのか、彼女はバツが悪そうな顔をして謝る。

 

「えっと、なんかごめん」

「別にいいよ。それに、親が子供置いてどっか行くなんてわりとよくあるらしいし。お前だって両親いないんだろ?」

「まあね。私の場合は物心ついた頃からどっちもいなかったから、お爺ちゃんが親代わりをしてくれてたんだけど」

 

 ナオトが言うように、この世の中では親が子を置いてどこかへ行くというのはざらにある。その理由はポケモントレーナーを極めるためなど色々あるが、大抵は自分勝手なものがほとんどだ。

 根本的な原因は十歳という低く定められた成人年齢にあるのかもしれない。若気の至りで早々に結婚して子供を作り、その後思い出したかのように失った青春を取り戻さんと躍起になる大人が多いのだ。

 

「着いたぞ。ここがウチキド研究所だ」

 

 そんな面白くもない話をしている内に、一行はいつの間にか目的地である研究所に着いていた。海沿いの崖道を進んだ先にある、ヤシの木の緑に囲まれた大きな白い建物だ。

 タケシと共にガラス扉を潜って研究所に入るが、人の気配が感じられない。首を傾げたタケシが荷物を一旦床に置き、呼びかける。

 

「ウチキド博士ぇー! タケシですぅ! ただいま帰りましたぁー! ミナミさん、ツナミさん、コナミさーん!」

 

 ──が、虚しく響き渡るだけ。

 ウチキド博士を呼ぶ時だけなぜか媚びるような声色だったのはなぜだろうか。

 

「おかしいなぁ。今日はどこかに外出する予定はなかったはずだけど……ナゾノクサがいないのに気づいて、入れ違いになったのかもしれないな」

「でも、もしかしたら裏庭の方にいるんじゃない? 研究所の裏にポケモンが暮らす森があるって言ってたわよね」

「そうだな。ちょっと覗いてみよう」

 

 タケシの案内で、研究所の奥の方へ進むナオト達。

 コツ、コツ、コツと、薄暗い無人の廊下に靴音が鳴り響く。

 

「さっき呼んでたミナミとかツナミって人は?」

「ああ。俺と同じで、ウチキド博士の助手をしている三つ子の女の子達だよ。ナゾノクサを探しに出たとしても、一人くらいは留守番してるはずだと思うんだけど──」

「ナ、ナゾッ!」

「ミャ!?」

 

 そんな話をしながら廊下を歩いていると、アイに抱えられていたナゾノクサが彼女の腕を抜け出し、小さな足をパタパタと動かして研究所の奥、裏庭とは違う方向に走っていってしまった。その後をアイが追いかける。

 

「あ、アイ! 待てったら! ナゾノクサの奴、一体どこに行くつもりなんだ?」

「この先は地下室があるはずだけど……もしかしたら、そこに博士達がいるのかもしれない!」

「早く追いかけましょうよ!」

 

 ナオト達も慌ててアイの後を続くため、駆け出す。

 

 トコトコ先を走っていくナゾノクサ。

 足の短さ故、そこまで走る速度は速くない。あっという間に距離が縮まっていく。

 

 後もうちょっとで追いつくと思われたその時、ナゾノクサの足は宙を泳いだ。前から道を塞ぐようにして現れた白衣を着た女性によって、抱え上げられたのである。

 

「あっ! すみません。えっと、貴方は……?」 

 

 そこへ追いついたナオト達。一歩前に出たタケシが怪訝そうにナゾノクサを抱え上げた女性の素性を尋ねた。

 どうやら、彼女はこの研究所の者ではないらしい。金髪の巻き毛に、背はタケシと同じくらい。俯き加減だった顔がゆっくりと上げられ、顔が露わになる。切れ長の目をしているが、顔立ちには少しばかりまだ幼い印象が見受けられた。

 

「ああ、ビックリさせちゃったわね。ゴメンナサイ。私はドミノ。国立ポケモン研究所から派遣されたの」

 

 ドミノと名乗った女性は、腕に抱いたナゾノクサを優しい手つきで撫でる。

 しかし、ナゾノクサはドミノに抱かれているのを嫌がり、助けを求めるような目をアイに向けようとしている。それに気づいたドミノは小さく舌打ちをし、ナゾノクサの顔を隠すようにして抱え直した。 

 

「ウチキド博士と助手の方々はこのナゾノクサを探しに出かけていってしまって、私は留守番を頼まれたのよ。多分、もうしばらくしたら戻ってくると思うけど」

「そうでしたか! 自分はタケシといいます! ぜひ、自分と一緒にドミノ倒しを──」

 

 急に舞い上がったような声で自己紹介をし始めたタケシであったが、途中で頭をブンブンと横に振ってそれを中断した。「……いかんいかん、俺には心に決めた人がいるんだ」と何やら呟き、仕切り直すように咳払いをする。

 

「……ゴホンッ! そ、それじゃあ、談話室の方でウチキド博士を待ちましょうか! ナオト達にもお礼がしたいし、構わないよな?」

「あ、ああ」

 

 ナオトはタケシのヘンテコな挙動に首を傾げながらも、彼の提案に頷く。

 一方でフルーラは訝しげに眉を潜め、ドミノの方を睨むようにして見つめているのであった。

 

 




一話分の下書きを本文に書き上げるといつも大体二万文字近くになってしまうので、この作品での二話は一話を分割したものと思っていただければ幸いです。

■ヤマト・コサンジ
ムサシとコジロウのパチもん。初登場は無印編第57話「そだてやのひみつ!」。
DP編を最後に全く顔を見なくなったので悲しい。

■サカキ
世界征服を目論む犯罪組織ロケット団のボス。
各地で悪事を働いているが、部下達のことはそれなりに大切に扱っており、コサ何とかの名前をちゃんと覚えている。
ムサシのアーボやコジロウのドガースは彼がお歳暮とお中元に贈ったポケモン。単にいらないポケモンを寄越しただけかもしれないが。
ちなみに、マザコンである。

■マトリ
サカキの秘書を務める女性。
DP編の最後で登場したキャラクターなので、それ以前の話では一切登場していない。

■タケシ
ご存知ニビジムのジムリーダーにして世界一のポケモンブリーダーを目指すナイスガイ。
母親のミズホは家出、父親のムノーは究極のポケモントレーナーを目指して旅立っていたため、一人で九人の弟妹の世話をしていた。
サトシやピカチュウを除けば、多分アニポケで一番愛されているであろうキャラ。作者も好き。





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6. バトル! ロケットだんのドミノ! ▼

 タケシに促されて、研究所の談話室でウチキド博士達が戻ってくるのを待つことになったナオト達。タケシに淹れてもらったお茶を飲んで一息吐く。

 

「ところで、フルーラはどこからオレンジ諸島にやってきたんだ?」

「違うわ。私はオレンジ諸島のアーシア島出身。よそから来たのはナオトだけ」

「えっと、出身はイッシュって言ったけど住んでるのはカロス地方で、そこから出航した船で来たんだ」

「なんだ、そうだったのか。しかし、カロス地方か……随分遠くから来たんだな」

 

 頭の中で地図を広げているのか、ナオト達とは向かいのソファに座ったタケシは寝ているのか起きているのか分からない顔のまま感慨深そうに腕を組んで頷いている。

 まさか乗っていたクルーズ船が沈没して流れ着いた先がアーシア島だったなんて言えるわけもない。いくら経験豊富そうなタケシでもそんな経験はないだろうし、変に気を使われても困る。

 

「カロス地方! すごいわ。ねえナオト君、良かったら貴方の連れているポケモンを見せてくれない?」

 

 話を聞いていたドミノがナゾノクサを抱いたままニッコリとした笑顔でそうお願いしてきた。

 

「え……でも僕、カロス地方にしか生息してないようなポケモンは連れて来てなくて」

「構わないわ。遠い別の地方で育ったというだけでも十分有益なデータが取れるもの。ね? お願い」

「ナオト、俺からも頼めないか? 俺個人としても、ナオトがどんなポケモンを連れているのか知りたいしな」

 

 前屈みになり、小首を傾げて強請るドミノ。そんな彼女に加わって、タケシも協力を頼んでくる。ナオトは悩んだが、ここまで頼まれるとさすがに断り辛い。

 

「……ちょっとナオト。別に断ったっていいのよ?」

 

 隣に座っているフルーラがそう耳打ちする。

 断っても断っても操り人の儀式に誘おうとしたお前が言うか! と心の中でツッコミを入れるナオト。そんな彼女の言うことに逆らってやりたいという考えが沸き上がってくる。

 

「……見せるだけなら構わないけど」

 

 皮肉にも止めようとしたフルーラの言葉が踏ん切りとなり、ナオトはベルトのホルダーから手持ちのモンスターボール──五つある内の四つを取り出す。残った一つはアイの分だ。

 

「じゃあ、まず──」

「あ、待って!」

 

 まずゲンガーをボールから出そうとしたところで、それには及ばないとドミノがテーブルに置かれたモンスターボールをごっそり引ったくり、いつの間にか用意していたカゴに入れる。

 

「データを取得するだけならボールから出す必要はないわ」

「いや、でも」

「そんなに心配なら、一緒についてきて。国立ポケモン研究所からデータを取得する装置を持ち込んでるの」

 

 ポケモンセンターでポケモンの傷を癒やしてくれるジョーイさん相手ならともかく、知り合って間もない相手に自分のモンスターボールを預けるのだ。不安を覚えてもしょうがない。

 ドミノの提案に従って、ナオト達はソファから腰を上げて彼女の後についていくことにした。ナゾノクサはカゴを持った彼女の小脇に抱えられたままだ。

 

 そんな彼女を、フルーラは終始じっと睨みつけている。見かねたナオトが横から小さく声をかけた。

 

「おい、さっきからどうしたんだよ」

「……だって、あのドミノって女。怪しくない?」

「怪しいって……何が?」

「なんかキャラ作ってる感じで気に食わないっていうか……とにかく、女の勘が怪しいって言ってるの。タケシ君、あなたも気をつけ──」

 

 フルーラが少し前を歩くタケシにも注意を促そうとする。

 が──

 

「ああ……ドミノさん。うなじがセクシーで素敵だぁ」

 

 先導するドミノの後ろで盛大に鼻の下を伸ばしていた。年上の女性に弱いのか、普段の頼りがいのありそうな雰囲気が嘘のようである。

 フルーラは呆れたような目で口を閉じた。気をつけるのが馬鹿らしくなってしまったようだ。

 

 そうしてドミノに案内され、研究所の奥にある一室に辿り着くナオト達。

 

「あれ? ドミノさん。この部屋は確か使ってない倉庫のはずですけど……」

「ええ。ちょっとここのスペースを使わせてもらってるの。申し訳ないけど、両手が塞がってるからドアを開けてもらえるかしら?」

「分かりました」

 

 ドミノに頼まれ、タケシが扉を開ける。ナオト達が開いた扉を潜って先に中へと入るが、パッと見回してもドミノが言っていたような装置はどこにもない。

 

「ド、ドミノさん。仰っていた装置らしき物が見当たりませんが──」

 

 

 ──ガチャッ

 

 

 ナオト達の背中越しにそんな音が鳴り響いた。

 振り向くと、開けたはずの扉が閉まっている。急いでフルーラが扉に駆け寄って開けようするが、叶わない。向こう側から鍵がかけられてしまったようだ。

 最悪なことに、この扉は内側からは鍵を開けられない構造になっている。加えて、窓もない。

 

「ちょっと! あなた何よ! 一体どういうつもり!?」

 

 ドンドンと乱暴に叩きながら、扉の向こうにいるドミノに向けて怒鳴るフルーラ。

 

「──フフ。あなた何よと聞かれたら、普通は絶対答えない。でも、せっかくだから冥土の土産に教えてあげるわ」

 

 扉越しにドミノの声が聞こえてくる。バサリと、着ていた白衣を脱ぎ捨てたであろう音が鳴り響いた。

 

「私はドミノ。ロケット団のAクラスナンバーズ009。人は私を『黒いチューリップ』と呼ぶ!」

 

 声高に宣言するドミノ。何かポーズでも取ってそうな雰囲気だが、生憎扉越しなので届くのは声だけ。扉の前にいるフルーラも後ろにいるナオト達の方を振り返って「何言ってんのあいつ」とでも言いたげな顔をしている。

 しかし、タケシだけはドミノの言葉に反応していた。

 

「ロケット団だって!?」

「ボスの命令でウチキド研究所の珍しいポケモン達を根こそぎ奪いに来たの。本当はバカンスでオレンジ諸島に来てたんだけど、本来任されてたヤマトとコサ……何だっけ? とにかく末端の団員が逮捕されちゃったから、よりによってナンバーズのこの私に仕事が回されちゃったのよね。全くいい迷惑だわ」

 

 タケシも扉に駆け寄り、扉を力任せに叩く。

 

「ウチキド博士とミナミさん達はどうしたんだ!?」

「貴方達と同じように地下室に閉じ込めてるわ。まあ、運が良ければ誰かが助けてくれるかもしれないけど、こんな町外れの研究所に誰かが来るなんてそうそうないでしょうねぇ」

「あんた……こんなことしてただじゃ済まさないんだから!」

 

 ドミノの嘲るような高笑いが響き渡る中、その笑い声に負けじとフルーラが声を張り上げる。

 

「あらそう。楽しみにしてるわ。無事にそこから出られたらの話だけど。それじゃ、私は先にお暇させてもらうから。ボウヤ、ポケモンありがとね。バッハハーイ」

「ナ、ナゾー」

 

 遠ざかっていくドミノの靴音と助けを求めるナゾノクサの声。

 

「こらっ! 待ちなさいったら!」

「駄目だ。この扉はそれなりに頑丈だから力任せにやっても破れそうにない。俺のイシツブテがいれば……」

 

 扉を叩き続けるフルーラだが、やはりビクともしない。

 その横で悔しそうに歯軋りするタケシ。どうやら、彼は手持ちのポケモンが入ったモンスターボールを先ほどの談話室に置いていってしまったようだ。

 

「二人共、危ないから扉から離れてくれ」

 

 そんな二人の後ろからナオトが声をかける。

 振り向いたフルーラは、ナオトの前に立って身構えているアイの姿を見て合点が行ったように頷いた。

 

「そっか! まだアイちゃんがいたわね!」

「? ど、どういうことだ?」

 

 アイがポケモンであることを知らないタケシは言われた通りにしつつも、どういうことなのか分からず戸惑いの顔を見せている。

 

「こういうことさ。アイ! ナイトバーストだ!」

「ミャウ!」

 

 ナオトのかけ声を合図にアイの身体が光を発し、その姿がゾロアのそれへと変わる。その光景を見て驚くタケシをよそに、アイはナイトバーストを扉目掛けて放つ。

 衝撃波を受けた扉はくの字に凹み、枠から外れて勢い良く廊下の彼方へと吹き飛んでいった。それを見届ける間もなく、ナオトとアイはドミノを追うべく開いた出口から飛び出していく。

 

「ア、アイちゃんはポケモンだったのか……!?」

「そういうこと。ほら、ぼさっとしてないでタケシ君は地下室の方へ行って! 私はナオトを追うから!」

「あ、ああ! 分かった!」

 

 アイについての説明は後回し。タケシはウチキド博士達を助けに行くべく地下室へ。フルーラは先に向かったナオト達を追うべく駆け出した。

 

 

 

 

 もぬけの殻となっている研究所から急いで出たナオトとアイ。

 そこには大量のモンスターボールが入った箱が置かれていた。傍らには小型ロケットエンジンを背負ったドミノがいる。ナゾノクサの姿が見えないが、恐らくボールに入れられてしまったのだろう。

 

「!? ジャリボウヤ……貴方、どうやって抜け出したの!?」

 

 驚くドミノの視界に、ゾロアの姿のアイが映る。察したドミノは、「なるほど、まだそんな珍しそうなポケモンを隠し持っていたのね」と呟いてニヤリと口端を歪めた。

 

「モンスターボールは返してもらうぞ。僕のだけじゃない。ここの研究所の奴もだ!」

「生意気なボウヤだこと。返して欲しかったら、力尽くで奪いに来なさいな」

「言われなくともそうさせてもらうさ。アイ!」

「ミャッ!」

 

 ナオトの指示でアイが前に出て臨戦体勢に入る。

 しかし、対するドミノはポケモンを出そうとしない。どういうつもりだと首を傾げるナオト。その様が滑稽に見えたのか、ドミノは堪えきれないとばかりに噴き出した。

 

「プッ、アッハハハハ!」

「な、何がおかしいんだ!?」

「ククッ……この私が律儀にポケモンバトルなんてお遊びで相手してあげると思って? 教えてあげるわ。力尽くっていうのはね……こういうことよ!」

 

 言葉を切ると同時に、ドミノは右手に持った黒いチューリップを振るう。すると、そのチューリップから青白いエネルギー弾が放たれた。

 

「ミャアゥッ!」

「アイ!」

 

 エネルギー弾が直撃して吹き飛ばされてしまうアイ。

 ナオトは倒れたアイの元へ慌てて駆け寄った。一発当たっただけなのに、アイの身体は既に傷だらけ。凄まじい威力だ。

 

「このチューリップはね、ただの綺麗なお花じゃないの。ロケット団の科学力を結集して作られた、ポケモンのエネルギーを蓄えて放つことができる兵器なのよ。一発分だけでも、何十匹ものポケモンのエネルギーが込められてるんだから」

 

 アイを抱え上げてゆっくりと立ち上がり、怒りを露わにするナオト。

 

「……ポケモン達から無理矢理奪ったエネルギーを利用してるってことか?」

「そういうこと。さ、大人しくそのポケモンも渡しなさい。そうすれば、痛い思いをしなくて済むわよ。ポケモンでそのダメージ……人間が受けたらどうなっちゃうかしらね?」

 

 ドミノの言葉にナオトは首を縦に降らず、アイを庇うようにして彼女を睨みつける。そんな彼を見て、ドミノは心底気に食わなさそうに鼻で笑う。

 

「バカなボウヤ。お望み通りにしてあげるわ」

 

 ドミノが黒いチューリップを振り上げる。

 そして、青い光を放ち始めるその花を一気に振り下ろそうとした。

 

 

「──ロコン! かえんほうしゃだ!」

 

 

 その時、ナオトの後方から炎が放射された。その炎がドミノの持っているチューリップを焼き払う。ウチキド博士達を助け出したタケシが駆けつけて、彼のロコンがかえんほうしゃを放ったのだ。

 手に持っていたチューリップが燃え尽き、「チッ」と舌打ちをするドミノ。 

 

「タケシ!」

「ナオト! 遅くなってすまない!」

 

 ナオトの隣に並んだタケシ。その後ろには彼に助け出されたウチキド博士らしき紫色の髪の女性がいる。彼女は相対するドミノに言葉を投げかけた。

 

「貴方、こんなことは止めて今すぐポケモン達を返しなさい!」

「そうだ! ドミノさん! 貴方にそんな危険な花は似合わない。だから──」

 

 瞬間、タケシの視界が青白い光で染まる。衝撃波がすぐ横を通り過ぎたかと思えば、ロコンの「コォンッ!」という悲鳴が彼の耳に響く。

 再び放たれたエネルギー弾がタケシのロコンを襲ったのだ。

 

「ロコン!?」

 

 吹き飛んでいくロコン。慌てて駆け寄るタケシをドミノが嘲笑った。その右手には、破壊したはずの黒いチューリップが傷一つない新品同様の状態で再び握られている。

 

「残念でした。チューリップはもう一本持ってるの。それに悪いけど、糸目の男って趣味じゃないのよね」

「そ、そんな……こんなに男前なのに、糸目の何がいけないっていうんだ!」

 

 ロコンを抱えながらショックを受けてその場に膝を突くタケシ。が、しっかり言い返している辺りそこまで傷ついてるわけでもないようだが。

 

「少し邪魔が入ったけど、ちょうどいいわ。その炎を吐いたポケモンも頂いて──」

「ニドクイン、れいとうビームだ!」

「ッ!?」

 

 仕切り直そうとしたドミノを横から冷気を纏った光線が襲う。ふいを付かれたものの、間一髪ドミノは軽い身のこなしでそれを躱した。着地と同時に、光線が飛んできた方向を見やる。

 そこにいたのはハンサムな出で立ちをした男性。先程のれいとうビームは傍らにいるドリルポケモンのニドクインが放ったもののだっだようだ。全身を覆う針のような鱗を逆立たせてドミノを睨みつけている。

 

「悪いけど、これ以上悪事を働くようならこのサザンクロス東の星、ネーブルジムのジムリーダーがお相手しよう!」

 

 ジムリーダーを名乗ったその男性の姿を見て、ウチキド博士が驚喜の表情を浮かべて「ダン君!」と歓声を上げる。その瞳はまるで恋する乙女のように輝いていた。

 

「……ダ、ダンって?」

「ウチキド博士の恋人さんです」「会うのは久しぶりですねぇ」「一緒にいる時はいつもべったりなんですよ~」

 

 助手を務めるようになってから初めて会う男性と今まで見たこともないウチキド博士の表情に首を傾げていたタケシの疑問に、遅れてやってきた眼鏡の三つ子が答える。

 

「こ、恋人だってえぇぇーーーー!!?」

 

 こうかはばつぐん。

 ウチキド博士のことを狙っていたというか、むしろ彼女が狙いで助手になったのであろう。ガーンッという音と共に、ロコンを抱えたままタケシは衝撃のあまり石となって砕けてしまった。

 

「タ、タケシ……」

 

 そんな彼になんと言っていいのか分からず、ただただ可哀想なものを見る目を向けるナオト。

 

「出てこい! ストライク! マルマイン!」

 

 ウチキド博士の恋人らしいダンと呼ばれた男性は、続けて二匹のポケモンを繰り出す。それを見たドミノは思わぬ助っ人の登場に小さく舌打ちを漏らした。

 ロケット団のエリートである彼女は兵器の扱いもさることながら、その身体能力はずば抜けている。しかし、そんな彼女でもジムリーダーのポケモンを同時に複数相手するのは難しい。

 

「形勢不利ね……仕方ない。引き際を見極めてこそホントのエリート。ひとまず研究所のポケモンは奪ったのだし、ここは撤退を──」

 

 そう口にしながら、ドミノはダンを見据えながら傍に置いたモンスターボールを詰めた箱に手を伸ばそうとする。

 しかし、その手は空を切った。「は?」と思わず箱を置いた場所を振り向くと、そこにあるはずの箱は影も形もない。

 

「残念だったわね! ポケモン達は返してもらったわよ! ざまあみなさい!」

 

 先程から身を隠していたフルーラが姿を晒してドミノを罵る。その両手にはモンスターボールの詰まった箱が抱えられていた。彼女の注意がダンに向いている間に、隙を見て奪い返していたのだ。

 

「くっ! このジャリガール……! 覚えてなさいよ!」

 

 この状況で取り返すのは難しいと判断したのかドミノは捨てセリフを吐き、背負ったロケットエンジンを作動させて宙に飛び立つ。

 飛行機雲の軌跡を残しながら、あっという間にダイダイ島から離脱していく。

 

 危機が去ったことで張り詰めていた緊張が解けたナオトは、溜息と共に胸を撫で下ろすのであった。

 

 

 

 

 無事、研究所のポケモンを取り戻すことができたナオト達。

 研究所近くのポケモンセンターでアイやロコンの傷を癒やしてもらい終えた一行は、先ほどの談話室に集まっていた。

 

「ありがとう。ナオト君、フルーラちゃん。おかげでポケモン達を無事に取り戻すことができたわ」

「ナゾ~」

 

 ウチキド博士は湯呑を手にしながらナオト達にお礼を言う。町で見つけたナゾノクサも、頭の草を揺らして笑顔で感謝の気持ちを伝えている。

 

「いや、僕は何もできなかったし……」

「ミャウ……」

「何言ってんの。あんたやアイちゃんが時間を稼いでくれたからダンさんが間に合ったんでしょ? もっと自信持ちなさいよ」

 

 隣に座るフルーラがそう言ってナオトの背中を叩くが、彼は眉を下げて頭を掻くばかり。少女の姿のアイも気まずそうな顔をしている。

 

「それにしても、別の者に化ける能力を持ったポケモンだなんてすごいです!」

「資料で知ってはいても、実際に見るとホントに不思議ですねぇ」

「でも、どうして女の子の姿なんですか?」

 

 興味深そうにアイを見ていた三つ子の一人が、ふいにそんな疑問をナオトに投げかけた。

 

「それは、なぜだか知らないけどアイ自身がその姿を気に入ってて……多分、どこかの街で見かけた子供にでも化けてるんだと思うんだけど」

「というか前から思ってたんだけど、どうしてニックネームがアイなの? なんか、あんたがつけたにしては可愛らしすぎるっていうか……」

「ああ、それもアイが自分でそう呼ぶように言ったんだよ。文字を指さしてさ」

 

 続けて疑問を口にしたフルーラはナオトの答えに「ふ~ん」と少し納得いってない様子でお茶に口をつけ、ソファに身体を沈めた。

 もちろん、それはナオトも同じだ。ポケモンのアイに人間の文字が理解できるかと言われれば首を横に振るしかない。偶然その文字を指さして、たまたまその言葉が気に入ったと判断すべきだろう。

 

「それで、ダンさんってウチキド博士の恋人って聞いたんですけど……」

 

 傍らで色を失っているタケシを見たフルーラがウチキド博士にダンのことを聞く。聞かれて思い出したのか、博士は自分の隣に座っているダンの方を振り向いた。

 

「そうよダン君! 来るなら来るって連絡してくれればいいのに!」

「ごめんごめん。ウーちゃんを驚かせようと思ってさ。まさかあんなことになっているとは思わなかったけど、無事で良かったよ」

「もう、ダン君ったら」

 

 何だかいい感じの空気を醸し出している。ピンク色の空間が目の前に広がっているような錯覚を覚えるほどだ。それを見たタケシはさらに掠れて消えていく。

 

「ウチキド博士とダンさん。美男美女でお似合いって感じね。私もダンさんみたいにハンサムな人と出会いたいなぁ」

 

 と、聞こえるように呟くフルーラに、どうせ僕はハンサムじゃないよと心の中で文句を返すナオト。話題を変えるため、ナオトはダンに向けて質問を口にする。

 

「あの、確かさっきジムリーダーって名乗ってたと思うんですけど……」

「ああ、そうだよ。僕はサザンクロス東の星、オレンジ諸島に四人いるジムリーダーの内の一人さ」

 

 ここ、オレンジ諸島ではオレンジリーグと呼ばれるポケモンリーグが存在するらしい。

 四つのジムでサザンクロスの称号を持つジムリーダーとの戦いを制覇すると、ヘッドリーダーというサザンクロスのリーダーに挑戦する資格を得ることができるという。

 本土のリーグと比べたら小規模ではあるが、このリーグに挑戦するために結構な数のトレーナーが各地から集まってくるようだ。

 

「そうだわ。ナオトくんもオレンジリーグに挑戦するなら、ぜひ頼みたいことがあるのよ。ついてきて」

「え? いや、僕は──」

 

 オレンジリーグに挑戦するつもりはないナオトが訂正しようとするが、ウチキド博士は聞こえていないのか扉を開けて談話室を出ていってしまう。

 仕方なくフルーラ達と共に彼女の後をついていくと、着いた先の部屋でナオトは普通のモンスターボールとは違った意匠のボールを手渡された。

 

「そのボール、GSボールっていうんだけどね。どうやっても開けることはできないのよ。中に何が入っているか分からない謎のボールってわけ」

「はあ……でも、ウチキド博士に開けられないなら僕にもどうしようもないと思うんですけど」

「ああ、違うの。このボールはね、本当なら本土のマサラタウンにいるオーキド博士に届けなきゃならないのよ。でもね……」

 

 ウチキド博士は困ったように頬に手を添えて事情を説明する。

 

 本来なら数日前に研究所を訪れたオーキド博士の使いであるサトシというポケモントレーナーに渡すはずだったこのGSボールだが、手違いて本物そっくりの偽物を渡してしまったのだという。

 以前、どこで情報を手に入れたのかGSボールを自分のコレクションに加えたいから譲って欲しいという輩が出てきたため、念の為そっくりな偽物を作った経緯があるらしく、それがいつの間にか本物と入れ変わってしまっていたのだ。

 

「サトシ君もオレンジリーグに挑戦するために島を渡っているはずよ。だからナオト君もジム巡りがてら、彼を追いかけてこのボールを渡して欲しいの」

 

 そう頼むウチキド博士だが、ナオトはオレンジリーグに挑戦するつもりなんてはなからない。申し訳ないが断わろうと、ナオトは口を開く。

 

「すみません。僕は──」

「分かりました! そのサトシって子にちゃんと届けますね!」

 

 しかし、横から出てきたフルーラが強引に依頼を承諾してしまう。「ありがとう! 助かるわ!」と喜ぶウチキド博士を尻目にナオトはフルーラの腕を掴んで乱暴に引っ張り、小声で耳打ちする。

 

「おい、一体どういうつもりだよ!」

「私、オレンジ諸島に住んでるのに今までこの島とマンダリン島ぐらいしか行ったことなかったのよね。一度他の島も周ってみたいなぁって思ってたの」

「お前の島巡りの口実のために僕にリーグへ挑戦しろって言うのか!?」

 

 文句を言うナオトにフルーラはジト目を向ける。そして、ゆっくりと唇を動かして「ふ・ね」と言葉短かに訴えた。「ぐッ」と、顔を歪めるナオト。それを出されると断り辛い。助けを求めるようにアイの方を見るが、彼女はしょうがないよとばかりに曖昧な笑顔を返した。

 こうなったら仕方がない。別に急いで本土に行く必要はないし、やれるだけやってフルーラを満足させるしかないだろう。

 

「そうか。ナオト君はオレンジリーグに挑戦するつもりなんだね。なら、いずれネーブル島にある僕のジムに挑戦することになる。こうしちゃいられない。早く戻って準備しておかないと」

 

 話を聞いていたダンが、そう言ってテキパキと帰り支度を始める。

 

「ええ! ダン君、来たばかりなのにもう帰っちゃうの?」

「ナオト君の他にも、そのサトシって子が挑戦しに来るみたいだしね。また会いに来るから、ポケモン達の研究、頑張ってね。ウーちゃん」

「もう、ダン君のいけずぅ」

 

 またしてもピンクの空気を作り始める二人。タケシの姿は見えない。既に塵となって消えてしまっていた。

 そんな彼らに呆れた顔を向けていたナオトは、ふとフルーラの方を振り向く。

 

「ジム巡りはともかくとしてさ、お前アーシア島に戻らなくて大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。お祭りの日までに戻ればいいわけだし。まあ、一応電話で連絡はするつもりだけどね」

 

 フルーラのことだからヨーデルが文句を言っても強引に承諾させるのであろう。ナオトは心の中でヨーデルに謝る。

 ……謝るべき人物はもう一人いるのだが、その人物のことが思い浮かぶことはついぞなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

『RINGRINGRING♪ オヨビダヨ! オヨビダヨ! デテオクレ!』

「はいはい。今出るってば」

 

 電話の呼び出し音を聞きつけ、足早に歩み寄ったヨーデルが受話器を手に取る。それと同時に、モニターに電話の相手であるフルーラの姿が映った。

 

『あ、もしもしお姉さん?』

「フルーラじゃない。良さそうな船、見つかった?」

 

 電話越しに、ヨーデルはお使いの成果を尋ねる。

 

『え? ああ、うん。まあね。それよりお姉さん、私ナオトと一緒に島巡りに出ることにしたから』

「はあ、なるほど。島巡り……島巡り……島……巡り…………はあっ!?」

 

 お使いに行かせたはずの彼女からの唐突な旅立ち宣言にヨーデルは思わず頓狂な声が上げる。鼓膜を刺激されたフルーラが思わず受話器から耳を離す。

 

『ちょっ! 急に大声上げないでよ! ……えっと、ナオトがオレンジリーグに挑戦することになって、私もそれについていくことにしたの。というか、私がいないと船を運転する人がいないしね』

「何言ってるの貴方! お祭りはどうするのよ!?」

『それまでには戻ってくるから。それじゃ、お爺ちゃんにもよろしくね』

 

 妙に嬉しそうな顔で用件だけを伝えたフルーラは、用は済んだとばかりにさっさと通話を切ってしまった。

 

「あっ、ちょっとフルーラ!? もうっ、ホントに自分勝手な子なんだから!」

 

 受話器を叩きつけるようにして置くヨーデル。まるで姉というより母親である。

 音を聞きつけたのか、ちょうど家に来ていた長老がそんな彼女に声をかけた。

 

「おお、ヨーデル。フルーラから電話かの? じゃあこれから帰るところか。また明日から自分の船で海釣りに行けるのが楽しみじゃわい」

「……当分無理みたいですよ」

「えっ」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ウチキド博士の研究所に泊まったナオト達は、翌日準備を終えてオレンジリーグに挑戦するためのバッジを集めるためにジム巡りへと発つことになった。

 

「気をつけてね。また昨日のロケット団が良からぬことを企んでいるかもしれないから」

「「「また遊びに来てくださいね~」」」

「お世話になりましたー。ほら、あんたもちゃんと挨拶しなさいよ」

「ミャウミャ~」

 

 ウチキド博士達から見送られ、研究所を後にするナオト達。

 これからジム巡りをしなければならないからか、ナオト一人だけ憂鬱そうな顔をしている。そんな彼を叱咤するようにしてフルーラが背中を叩いた。

 

「おーーいッ!」

 

 道中のポケモンセンターの横を通り過ぎて港へ向かおうとしたところで、ナオト達の背中に声がかかった。

 振り向けば、研究所に続く道から大きなリュックを背負った浅黒い肌の青年が走ってくるのが見える。言うまでもない。タケシだ。

 

「タケシ?」「ミャウ!」

「どうしたのよ? そんなに慌てて」

 

 追いついたタケシは膝に手を当て、息を整えつつ口を開く。

 

「はあ、はあ……お、俺もジム巡りの旅に、付き合わせて欲しいんだ」

 

 話を聞くと、彼は元々ウチキド博士が言っていたサトシという少年と旅をしていたらしく、ナオト達のジム巡りの旅についていって彼を追いかけるつもりなのだという。

 

「ウチキド博士の助手の仕事はどうするのよ?」

 

 フルーラがそう聞くと、タケシは急にガクリと膝を落として地面に両手を突いた。

 

「聞かないでくれ……」

 

 全身からネガティブな負のオーラが滲み出ている。どうやら、完全に失恋による傷心と悲しみに打ちひしがれてしまっているようだ。

 

「ちょっと、そんな簡単に諦めちゃうの?」

「あの仲睦まじさを見せつけられたら……」

 

 回復する様子のないタケシに、フルーラは駄目だこりゃと肩をすくめる。

 

「ナオト、ほっといて行きましょ」

「え、ええ?」

 

 ナオトの手を引っ張って先を行くフルーラ。アイも心配そうにタケシを見ていたが、置いていかれるわけにもいかないのですぐにナオト達の後を追い始める。

 

「……あ、ま、待ってくれえぇ~!」

 

 置いていかれていることに気づいたタケシは、慌ててリュックサックを背負い直してナオト達を追いかけ始めるのだった。

 

 不本意ではあるが、オレンジリーグ出場のためにジム巡りをすることとなったナオト。

 まず目指すは最初のジムがあるナツカン島。頼れる兄貴分? であるタケシが旅の仲間に加わり、果たしてどうなることやら。

 

 続くったら、続く──!

 

 

 




サブタイトルに「バトル!~」とあるが、別にバトルらしいバトルをするわけじゃない。

■ドミノ
「ミュウツーの逆襲」の後日談に当たる年末特番「ミュウツー! 我ハココニ在リ」に登場したロケット団のエリート団員。
Aクラスナンバーズ009と自称してるが、彼女以外のナンバーズが出たことはないはず。多分。いたら教えてください。
当初はヤマトとコサンジを出す予定だったが、彼らは第86話の「きえたポケモンのなぞ!」でサトシ達の活躍によって逮捕されてるし、彼女の方が知らない人が多そうと思ったので採用。

■ウチキド博士
ダイダイ島でオレンジ諸島に生息するポケモンの研究をしているナイスバディの女性。しかし、生活能力が全くない。
タケシが惚れ込んで助手になるが、サトシがオレンジ諸島での旅を終えてマサラタウンに帰宅するとなぜか助手を辞めていた。理由を聞くと「聞かないでくれ……」と言って塞ぎ込む。
その理由付けとして、この作品ではネーブルジムのダンが彼女の恋人であるという設定にしている。

■ミナミ・ツナミ・コナミ
ウチキド博士の助手として働く眼鏡をかけた三つ子。
博士と同様に生活能力がなく、家事はタケシに頼り切りであった。

■ダン
サザンクロス東の星、ネーブルジムのジムリーダーであるハンサムな男性。
手持ちポケモンはニドクイン、ストライク、マルマイン、ゴーリキー、イシツブテ。
この作品ではウチキド博士の恋人という設定。ジムリーダーなので後々また登場する予定。

■GSボール
アニメ本編で伏線回収されず、モンスターボール職人のガンテツに手渡されて以降一切登場していない。今になってもなお正体不明である。
スタッフも正体まで考えていなかったらしい。

■電話の呼び出し音
地味に好き。





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7. たいけつ! ポケモンセンター! ▼

 フルーラの操縦する船に乗って、オレンジリーグに挑戦するためのジム巡りを始めたナオト達。

 先ずは、最初のジムがあるナツカン島を目指して海原を緩やかな速度で進んでいた。

 

「そういえばナオト、あんたみずタイプのポケモンは持ってるの? いないと駄目なんでしょ?」

 

 ハンドルに手を添えながらフルーラは船縁に寄りかかっているナオトに聞く。

 ジム巡りをするに当たって、みずタイプのポケモンは必須なのだという。特に初めに向かうことになるナツカン島のジムでは、みずポケモンに限定したバトルをすることになるらしい。

 

「そうなのか?」

「昨日ダンさんが帰り際に教えてくれたのよ」

「ダ、ダンさん……ウチキド博士……ガクッ」

 

 ダンの名前を聞いたタケシはトラウマを刺激されてか、その場に膝を折って突っ伏してしまう。

 どうやら、彼の心の傷は深いらしい。が、フルーラは気にした様子もなくナオトの方を見ている。

 

「みずポケモンならいるさ」

「ホント? じゃあ見せてよ」

「見せてって……そこにいるじゃないか」

 

 と、答えて海の方を顎で差すナオト。傍の手すりに登っている少女の姿のアイはもちろんみずタイプのポケモンではない。首を傾げたフルーラはエンジンをアイドリング状態にさせ、操縦席から身を乗り出して船の側を覗く。

 

 フルーラは目を疑った。

 そこには、赤い鱗をしたアホ面の魚が狂ったように海の上を跳ね続けていたのだ。そう、コイキングである。

 

「……え、あんた、もしかしてソレのこと言ってるの?」

「当たり前だろ? 他に誰がいるんだよ」

 

 まさか、船で海を進んでいる間ずっと海の上を跳ねてついてきていたのか。

 思い返してみれば、アーシア島で左腕の怪我が治るまでの間、ナオトはアイと一緒に浜辺でこのコイキングと何やらしていた気がする。

 が、その時のフルーラはナオトが野生のポケモンと暇つぶしに戯れているだけだと思い込んでいた。よもや彼のポケモンだったとは考えもしなかったのだ。

 

「でも、コイキングなら私だって知ってるわよ。確か一番弱いポケモンだって言われてるんでしょ?」

 

 ポケモン初心者のフルーラが数少ない知識を口にすると、ナオトは眉をひそめて彼女の方を振り返った。

 

「おい、コイキングを馬鹿にするなよ。確かに図鑑にはそう書いてあるけど、コイツだって頑張って鍛えれば強くなれるんだ」

 

 ナオトの反論を受けて、フルーラはホントなの? と確認するような目をタケシに向けた。いつの間にか復活していたタケシは、腕を組んでナオトの言葉を肯定するように頷く。

 

「そうだな。俺はカスミと違ってみずタイプのポケモンにそこまで詳しいわけじゃないが、コイキングは育てればギャラドスという強力なポケモンに進化するんだ。ただ、きょうあくポケモンと名がつくほど気性が荒くて、手懐けるのは容易じゃないぞ」

「カスミって?」

「ああ。サトシと一緒に旅をしている女の子だよ。みずタイプ専門のジムの子なんだ」

 

 ギャラドスの怖さは身を持って知ったからな……と、続けて呟くタケシ。

 だが、ナオトはタケシの言葉に首を横に振った。

 

「そうだけど、僕はコイツをギャラドスに進化させるつもりはないよ。させるに越したことはないけど、コイツならこのままでも十分戦えるさ。な? コイキング」

 

 ナオトがそう声をかけると、コイキングは返事をするかのように一際高く海の上を飛び跳ねた。アイもナオトの隣で「ミャウミャ」と静かに声援を送っている。

 

 そんな彼らを見て、フルーラとタケシは本当に大丈夫か? と肩を竦めるのであった。

 

 

 

 

 最初のジムがあるナツカン島の途中にある島、ボンタン島。

 自分達の旅道具を買うためにその島に立ち寄ることになったナオト達。

 

 手近な物はダイダイ島のフレンドリィショップでもある程度揃えられるが、どうせ買うならボンタン島の方が良いとウチキド博士が言ってたのだ。

 ボンタン島はオレンジリーグに挑戦するポケモントレーナーが調整のために訪れる島で、観光客向けの店が並んでいるダイダイ島と違ってトレーナー向けの旅道具やその他の物資などが揃えやすいのだという。実際、この島を歩き回っているとトレーナーらしき人達を大勢見かけた。

 つい数日前までは野生ポケモンの森という一般の観光客に加えてトレーナーもターゲットにしたテーマパークが開催されていたらしく、そのせいで多少の混雑があったようだが、旅道具を揃えたいだけのナオト達としては既に終了していてくれて助かった。

 

「確かに品揃えは良かったな。ウチキド博士の言ってた通りだよ」

「ああ、そうだな……ウチキド博士……うっ、ぐすっ」

「はいはい、タケシ君。こんな道端で座り込まないでちょうだいね」

 

 物資を揃え終え、改めてナツカン島目指して出発するために港へと続く道を戻るナオト達。

 彼らから見て左脇の方には、柵を隔てて自然豊かな森が鬱蒼と茂っている。そんな道を通り過ぎようとした、その時であった。

 

「……あれ?」

「おい、どうした?」

「ほら、あそこ見てよ」

 

 何かを見つけたフルーラが森の方を指差した。見ると、茂みの一部がガサガサと動いて葉っぱを散らしている。

 何だろうと思っていると、草むらから黒い影が飛び出してきた。それは薄暗い森の日陰から出て、艷やかな茶色い被毛を陽のもとに晒す。

 

「あれは……イーブイだな」

「イーブイ?」

 

 ああ、と頷いてナオトがポケットから例の次世代的デザインの図鑑を取り出す。図鑑は目の前のイーブイを自動でスキャンした。

 

『イーブイ。しんかポケモン。進化の時姿と能力が変わることで、厳しい環境に対応する。使う石によって、様々なタイプに進化する唯一のポケモンである』

「石って?」

「特定のポケモンを進化させる不思議な石さ。コイキングみたいに鍛えれば進化するポケモンもいれば、イーブイみたいにそれらの石を使って進化するポケモンもいるんだよ」

「へえ……それにしても、結構可愛いじゃない」

 

 説明を聞きながら、フルーラは芝生の上で毛繕いをしているイーブイを興味深そうに眺めている。それを微笑ましそうに見ていたタケシが口を開く。

 

「フルーラ。せっかくだし、ゲットしてみたらどうだ?」

「ええ? わ、私が?」

「これから旅をするに当たって、一匹もポケモンを連れていないというのは少し不用心だからな」

 

 そうタケシはアドバイスする。フルーラは自分にポケモンをゲットする機会が来るなんて夢に思っていなかったようで、彼女にしては珍しく不安そうな顔でナオトの方を見た。

 当のナオトは好きにしろとばかりに頷いてみせる。それを見たフルーラは再びイーブイの方へと目線を向けた。

 

「……そうね。やってみるわ」

 

 そして、ナオトに向けて無言で手を差し出す。

 

「……何だよ?」

「モンスターボール。ちょうだい」

 

 フレンドリィショップで何個か買ってたでしょ? と手の平を上に向けて早く出せと急かすフルーラ。

 そんな彼女にジト目を向けつつ、まあ一個くらいならいいかと溜息を吐くナオト。渋々ショルダーバッグからボールを取り出してフルーラに手渡した。

 

「ありがと。それっ!」

「「あっ」」「ミャッ」

 

 モンスターボールを受け取ったフルーラは、受け取ったその手でそのままボールをイーブイ目がけて放り投げてしまった。ナオトとタケシ、それにアイの呆気に取られた声が重なる。 

 さすがと言うべきか、ナオトと違って運動神経の良いフルーラが投げたボールは寸分違わずイーブイの頭上に落ちた。

 

「ブイッ!」

 

 が、命中する前に振るわれた尻尾で弾き返されてしまう。

 

「あれ?」

「いでっ!」「ミャア!?」

 

 とんぼ返りしてきたボールはものの見事にナオトの顔面に命中した。そこから跳ね返ったボールを不思議そうな顔でキャッチするフルーラ。仰向けに倒れたナオトを心配するのはアイだけである。

 

「なんで? ボールを当てればゲットできるんじゃないの?」

「ゲットするには、まずバトルして相手にトレーナーとしての力を認めさせなきゃならないんだ」

 

 タケシの説明を受けて、フルーラは「ええ?」と話が違うとばかりに眉を潜める。

 

「バトルって、私がポケモン一匹も連れてないの知ってるでしょ? どうすればいいのよ」

「アイちゃんに手伝ってもらうのはどうだ? いいだろ? ナオト」

 

 赤くなった顔面を痛そうに押さえるナオトに提案するタケシ。人の顔面にボールがぶつかる光景を見慣れているのだろうか? 少しは心配してくれと思いつつも、ナオトは身体についた土を叩き落としつつ起き上がる。

 

「……アイがいいなら僕は構わないけど」

「ミャウ!」

 

 アイは元気な鳴き声で答え、少女の姿からゾロアの姿に戻った。そして駆け出し、イーブイに対峙する。

 

「よ~し、お願い! アイちゃん!」

「ミャ!」

「………………」

「………………ミャウ?」

 

 そう指を差して発破をかけるフルーラだったが、その後何も指示を出す様子がない。アイは困ったような顔で彼女の方を振り返った。

 

「? どうしたのアイちゃん」

「バカ。技を指示しないとバトルにならないだろ」

「バトルしたことない私がポケモンの技なんて知ってるわけないじゃない!」

 

 ごもっともである。ナオトもフルーラが技のことを把握してないことは分かっていたが、なんとなく意地悪してやりたい気分だったのだ。

 

「アイちゃんは確かナイトバーストを覚えていたはずだよな?」

「そうだけど……まずはひっかく辺りで様子を見るのがいいと思う」

「オッケー! アイちゃん、ひっかく攻撃!」

「ミャウ!」

 

 フルーラに指示されて、アイはイーブイに飛びかかり右前足の爪で引っ掻こうとする。

 

「……ブイッ!」

 

 が、相手のイーブイはボールを投げられたせいかすごぶるやる気だ。アイのひっかくをジャンプして避け、お返しとばかりに助走をつけてたいあたりを仕掛けてきた。

 

「イーブイのたいあたりだ。こうそくいどうで避けてみろ」

「こうそくいどう!」

 

 ナオトのアドバイス通りに指示するフルーラ。

 アイは内なるエスパーエネルギーを解放し、光となって瞬時にイーブイの背後へと移動する。そのあまりの速度に元いた場所にはアイの分身が残っていた。

 イーブイはそれが分身だと気づかず、そのまま一直線に向かってたいあたりをぶつける。

 

「ブッ!?」

 

 実体のない分身をすり抜けたことによってイーブイは大きくバランスを崩し、地面に身体をぶつけてひっくり返ってしまう。

 

「ナオト! アイちゃんの覚えている技で一番強いのは?」

「それは……さっきタケシも言ってた、ナイトバーストだけど」

「? アイちゃん! ナイトバーストで決めちゃって!」

 

 どうにも覇気を感じさせないナオトの返事の仕方に首を傾げつつも、フルーラはアイにナイトバーストを放つよう指示する。

 

「ミャアッ!」

「イブゥーッ!?」

 

 指示を受け、ナイトバーストを放つアイ。先程のひっかくのように避けることができないイーブイは、ナイトバーストの衝撃波をまともに受けて地面を跳ねる。

 

「よーし、今度こそ!」

 

 倒れたイーブイ目がけてモンスターボールを投げるフルーラ。

 ボールが命中したイーブイは赤い光に包まれてボールの中に収まる。地面に落ちたボールはしばらく揺れた後、ポンッという音と共に動かなくなった。

 

「……これで、ゲットできたの?」

 

 不安そうに振り向いて尋ねるフルーラに、ナオトとタケシはこくりと頷いて応える。

 それを見たフルーラはパッと顔を明るくさせ、芝生に落ちているボールの元へ走り寄った。両手で拾い上げ、初めてポケモンをゲットしたことへの興奮に胸を一杯にさせる。

 成り行きではあったが、初めて自分のポケモンをゲットして喜ばない人間はこの世界にはいない。

 

「どうよナオト! 初めてにしては上出来なんじゃない?」

「アイのおかげだろ? 礼くらい言えよ」

「それもそっか。アイちゃん、ありがとね!」

「ミャウ!」

 

 フルーラはボールを両手で握ったまま腰を下ろしてお礼を言い、アイはそれに笑顔で応える。

 

「おめでとう。早速ボールから出してみたらどうだ?」

「そうね! 出てきて、イーブイ!」

 

 タケシに勧められて、フルーラはボールを頭上へ放り投げる。

 白い光と共にイーブイがボールの中から現れ、芝生に降り立つ。イーブイはキョロキョロと辺りを見回し、次いでフルーラの方を見た。

 

「~ッ! 自分のポケモンって思うと一段と可愛く見えるわね!」

 

 興奮冷めやらないフルーラはイーブイのもとへ駆け寄ってその小さな身体を抱き上げようと腕を伸ばす。

 

「イブイッ!」

「え?」

 

 が、イーブイはスルリとフルーラの腕から逃げてしまった。そのまま飛び跳ね、フルーラと少しばかり距離を取る。どうやら、あまり懐いていないようだ。

 

「何で? ゲットしたら懐いてくれるんじゃないの?」

「大抵は言うことを聞いてくれるようになるけど、必ずしもそうとは限らないんだ。特にこのイーブイは気が強そうだし、他人から借りたポケモンでゲットされたことに納得してないのかもしれないな」

「……しょうがないじゃない。初めてなんだから」

「心配ないさ。一緒に過ごしていく内にきっと懐いてくれるだろう」

 

 タケシの説明を聞いて納得していない様子のフルーラを尻目に、ナオトはイーブイに近づいてその毛皮を撫でる。

 

「痛い思いさせて悪かったな。でもお前、なかなかやるじゃないか」

「ミャウ!」

「……ブイ」

 

 アイも再び少女の姿になり、褒めるように笑顔で鳴き声を上げた。それに対し、満更でもない顔で返すイーブイ。そんなイーブイを見て、フルーラは「何よ。私がゲットしたのに」と唇を尖らせる。

 

「それにしても、ナオトは随分イーブイの扱いに慣れてるんだな」

「まあ、僕もイーブイというか、その進化系をゲットしてるから──」

「た、助けてくれぇーッ!」

 

 そんな話をしていると、町の方からトレーナーと思しき人が何かから逃げるように走ってきた。それに続くように数人のトレーナーが煙を巻き上げる勢いで駆けてくる。

 ただ事ではなさそうな様子に、通り過ぎようとするトレーナーの内の一人にタケシが声をかけた。

 

「すみません! 一体何があったんですか?」

「ポケモンセンターが襲われてるんだ! なんかよく分からない武器を持った女が手当たり次第に他人のモンスタ―ボールを奪い始めて、大騒ぎになってるんだよ!」

 

 口早に説明した男性は「アンタらも早く逃げた方がいいぞ!」と言い残して港の方へと駆けていく。

 

「……ポケモンセンターが襲われてる?」

「よく分からない武器って……まさか」

 

 ナオト達は顔を見合わせ、頭に昨日の出来事を思い浮かばせる。金髪の女性が手に持った黒いチューリップ。その花から放たれる青い光が脳裏を染めた。

 

「……だとしたら、大変だ」

「ジョーイさんとポケモン達を助けないと! 急いでポケモンセンターに向かおう!」

「ええ! 戻って、イーブイ!」

 

 イーブイをモンスターボールに戻し、ナオト達は港へ向かっていた足を振り向かせ急いでポケモンセンターの方へと駆け出した。

 

 

 

 

 辿り着いたポケモンセンターからは建物のあちらこちらから煙が立ち込めていた。

 辺りを見回すと、何人かのトレーナーと思しき人が倒れているのが見える。その中で、ポケモンセンターの入り口付近に倒れている水色の制服を着た女性を見たタケシが悲鳴のような声を上げた。

 

「ジュンサーさん! 大丈夫ですか!?」

 

 慌てて駆け寄ったタケシが女性──ポケモンポリスのジュンサーの上体を支え起こす。ジュンサーは傷だらけの状態で気絶しており、タケシの声かけに呻くような声を返した。

 彼女や他のトレーナー達のことはタケシに任せ、ナオトとフルーラはポケモンセンターの中へと入る。

 

 ポケモンセンターの中では、あちらこちらに傷ついたポケモンが何匹も倒れていた。その内の一匹を庇うように抱えたジョーイと、犯人と思しき人物が相対している。

 その人物はナオト達の予想通り、先日ウチキド博士の研究所を襲ったドミノであった。右手に持った黒いチューリップの花弁をジョーイに向けている。

 

「止めろ! ドミノ!」

「ミャウッ!」

 

 ナオトとアイが啖呵を切る。すると、ドミノはジョーイにチューリップを向けたままナオト達の方へ目線と不敵な笑みを寄越した。

 

「あら、昨日のジャリ共じゃない。また会ったわね」

「ちょっとあんた! ウチキド博士の研究所に続いて今度はポケモンセンター? いい加減にしなさいよ!」

「威勢がいいこと。でもこれは貴方達ジャリ共のせいなのよ? 貴方達が研究所で大人しくポケモンを渡していれば、こうしてポケモンセンターを襲う必要もなかったんだから」

 

 自分勝手な言い分を飛ばすドミノ。どこかヤケになっているような節が見えるが、ようするにウチキド研究所での失敗で上からの信用を失ってしまったのだろう。名誉挽回のために形振り構わない形でポケモンを奪いに来たのだ。

 

「お願い、もうこれ以上ポケモン達を苦しめるのは止めて! 貴方にだってパートナーとして連れてるポケモンがいるでしょう!?」

 

 ジョーイが必死にそう訴えかけるが、ドミノは心底不快そうに鼻で笑って返した。

 

「パートナーですって? 冗談じゃないわ。私はね、ポケモンなんて大嫌いなのよ! ……ああでも、お金儲けの道具としてはこれ以上ないほど大好きだけれどね」

「そんな……ポケモンを道具だなんて。ひどすぎるわ!」

「何がひどいのよ。さっき外に吹っ飛ばしたトレーナー達だって同じじゃない。散々自分達のポケモンを見せ合って自慢してたわよ。僕は珍しいポケモンを持ってるだ持ってないだの。言葉の端々からポケモンを物扱いしてるのがよおく分かるわ。あんた達だって心のどこかで無意識にそう思ってるはずよ」

 

 もはや憎悪が混じっていると言ってもいいドミノの容赦のない文句に、ジョーイは言葉を失う。横で話を聞いていたフルーラも思わずハッとなった。

 確かにトレーナー達は自分の連れているポケモンを手持ちと表現したり、聞きようによってはポケモンのことを道具として見ているかのような節がある。だが、所詮はただの言葉遣いの問題に過ぎない。本気でそう思っている者はいないはずだ。

 だが、ジョーイは自信を持ってそう返せなかった。現にこのポケモンセンターでは捨てられたポケモンを何匹も保護しているからである。そう、捨てられたのだ。トレーナーの勝手な都合で、まるで物のように。

 

「──少なくとも」

 

 ふいに、ナオトが一歩前に出て口を開いた。

 

「少なくとも、僕はポケモン達のことをそんな風に思っていない。連れてるポケモンは、みんな僕の家族だ」

「ミャウ!」

 

 アイもナオトに続く形で飛び出し、イリュージョンを解いてゾロアの姿でドミノを威嚇する。

 ドミノはイリュージョンが解かれたその姿を見て、研究所で倉庫に閉じ込めた際どうやって脱出したかを察する。

 

「……へえ。人に化ける能力だなんて、とっても素晴らしいじゃない。ポケモンセンターにいる有象無象よりもよっぽどお金になりそうだわ」

 

 品定めするような目つきでアイを見ると、おもむろに足元に転がっている幾つかのモンスターボールの内の一つを拾い上げた。

 

「今日はせっかくだから、トレーナーの貴方に合わせてポケモンで勝負してあげる。道具の使い方っていうのを教えてあげるわ。さあ、出てきなさい!」

 

 モンスターボールを放り投げるドミノ。空中で開き、白い光と共に現れたのはお星様の形を思わせる小さな桃色の身体をしたポケモン。

 

「あれはほしがたポケモンのピィだな」

「あ、タケシ君。あのポケモンって強いの?」

 

 ジュンサー達の応急処置を済ませたのか、駆けつけてきたタケシにフルーラが問いかける。

 

「いや、能力的にはそこまで高くないはずだけど、フェアリータイプというのがまずいな。フェアリータイプはあくタイプに有利なんだ。ナオト!」

「分かってる。でも、交代はさせない。タケシ達はジョーイさんを頼む」

 

 タケシの呼びかけにナオトは応えるも、不利な状況を打開できるポケモンの交代をしない。

 相手はドミノだが、あのピィはロケット団のポケモンというわけではない。外で倒れているトレーナーが連れていたポケモンか、ポケモンセンターに預けられているポケモンだろう。故に、なるべくなら傷つけずに対処したいのだ。

 

「ピィ?」

 

 ボールから出されたピィはパチパチと目を瞬かせ、困惑した様子でいた辺りを見回している。

 

「ちっ、弱そうな奴。まあいいわ。ちょっとそこのピンク、私の言うことを聞きなさい。さもないと、その可愛らしい身体に傷がつくことになるわよ」

「ピ? ピィピィ!」

 

 ドミノが悪態を吐きながらも脅しにかかるが、ピィはよく分かっていない様子でなぜかはしゃいでいる。他人のポケモンは簡単に言うことを聞いてくれることはないはずだが、このピィはどうやらそうでもないらしい。

 嬉しそうにはしゃいでるピィに片眉を上げながらも、ドミノは懐から取り出した板状の機械を操作してピィの情報を調べ始める。

 

「……よく分からないけど、とりあえずこの技でいいわ。シャドーボールを撃ちなさい!」

「ピィ!」

 

 ドミノの指示にピィは嬉しそうに応え、その短い両手を前に出してシャドーボールを放った。

 

「躱せ!」

「ミャウ!」

 

 迫る黒い影の塊に対し、ジャンプして避けてみせるアイ。リーグ出場経験のあるナオト達にとって、この程度の攻撃は止まって見えるようなものだ。

 

「次はこれよ。すてみタックル!」

「ピピピィ!」

 

 矢継ぎ早に命令されたピィは着地しようとしているアイに向かって突進していく。

 

「アイ! こうそくいどう!」

「ミャッ!」

 

 ギリギリのところを狙ってアイにこうそくいどうを指示するナオト。空中で瞬間的な速度を出し、ピィの突進を回避する。勢い余ったピィはそのままアイが元いた位置を通り過ぎ、転んでコロコロと転がっていく。とにかく攻撃を避け続け、体力を減らしてバテさせるのだ。

 

「ピピィ!」

「ミャッ、ミャ!」

 

 そうしてナオトの指示通りピィの攻撃を避け続けるアイ。だが、予想外にも相手のピィの体力は高く、なかなか疲れた様子を見せないどころか楽しそうに笑顔で攻撃を繰り返している。

 

「……ああ、もう面倒だわ」

 

 一向に展開の変わらない状況に業を煮やしたドミノがチューリップをアイに向け、その茎頂からエネルギー弾を放った。

 

「ミャアッ!?」

「アイ!」

 

 不意を突かれてしまったアイにエネルギー弾が直撃し、数回床を跳ねて倒れてしまう。

 

「おい、ポケモンで勝負するんじゃなかったのか!?」

「そうよ! 卑怯だわ!」

「あらどうも。卑怯はロケット団にとって褒め言葉だわ。エネルギーの残りが心許ないからこれ以上あまり使いたくなかったんだけど、存外つまらなかったものだから。さあ、とどめのソーラービームよ」

 

 タケシとフルーラが糾弾するが、どこ吹く風と聞き流すドミノ。

 ピィは命令を受け、倒れているアイにソーラービームを放とうと両手を空へ向けて伸ばし太陽の光を集め始める。

 

「アイッ!」

 

 ナオトが駆け出す。それと同時にピィのソーラービームが発射された。

 アイを庇うためにナオトはビームの射線上に出るが、発射の反動が大きすぎたためにピィは体勢を崩してしまう。それによって軌道のズレたソーラービームはポケモンセンターの天井を破壊し、吹き抜けに架かっていた橋もろとも崩れ落ちる。

 

 瓦礫がナオト達目がけて降り注ぎ、衝撃音と激しい揺れが襲う。舞い上がった煙がポケモンセンターを覆い尽くした──

 

 

 

 

「……ごほっ、ごほっ」

 

 塵埃と煙が舞う中、フルーラは足元が覚束ない状況で咳き込みながら立ち上がる。口と鼻を塞ぎながら辺りを見回してその酷い惨状に眉を潜める。瓦礫で埋め尽くされ、もはや元のポケモンセンターの面影は見る影もなくなっていた。

 ドミノにやられたトレーナー達は彼女の手によって外に放り出されていたから大丈夫だろう。だが、ナオトとアイ、タケシ、それにジョーイさんが無事かどうかは分からない。

 

「ナオト! アイちゃん! タケシ君!」

 

 不安な気持ちを乗せてフルーラは周りに呼びかける。だが、返事はない。

 そこへ、瓦礫が崩れる音。フルーラは弾かれたように音のした方を振り返った。

 

「……ドミノ!」

「はあい、ジャリガール。あのボーイフレンドじゃなくて残念だったわね」

「ナオトは別にそんなんじゃないわよ!」

 

 フルーラとドミノがいる場所はポケモンセンターの入り口に面してはいないが、壁が大きく崩れて外に出られる形になっていた。

 

「それにしても、ソーラービームだったかしら? まさかこんなに威力がある技だったとはね。思わぬ収穫だったわ」

「ピィ!」

 

 足元で相変わらず楽しそうにしているピィにチラリと視線をやりつつ、ドミノは先ほどフルーラがしたように辺りを見回す。

 

「……この様子じゃ、あのレアポケモンも含めて無事じゃなさそうね。残念だけど、適当にボールを回収してさっさと退散させてもらおうかしらね」

 

 そう言って、ドミノはフルーラなど眼中にないかのように外へと出ようとする。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 慌ててフルーラがそれを止める。ドミノはうざったそうに彼女の方を振り返った。

 

「何よ。ひょっとして、貴方もポケモン勝負したいわけ? あら、ごめんなさい。確か貴方ポケモン持ってなかったわよね」

「……お生憎様。あれから私だってポケモンゲットしたんだから」

「へえ? 見せてごらんなさいな」

 

 ここまできたら後には引けない。フルーラはポシェットからモンスターボールを取り出した。

 

「……お願い、イーブイ!」

 

 縋るような声と共に投げられたボールが開き、中から飛び出した光がついさっきゲットしたばかりのイーブイの形を作り出す。

 

「ブイッ」

 

 光が収まり、現れたイーブイが地面に降り立つ。イーブイを見て、鼻で笑うドミノ。

 

「ハンッ。どんなポケモンかと思えば、愛玩用がいいとこそうなポケモンじゃない」

「うるさいわね! そのピィだって似たようなもんじゃない!?」

「この子は見た目に反して強力な技が使えるようだし、このチューリップの代わりとしては十分に役立ってくれてるわ。それで、そんな何の役にも立たなそうなヤツに何ができるのかしら?」

 

 ドミノの言う通り、あのピィは疲れ知らずの上覚えている技の威力も存外高い。さすがのフルーラも不安の色を乗せた表情でボールから出したイーブイを見た。

 

「……そんなの、やってみなくちゃ分かんないでしょ!」

 

 ナオトのようにピィを傷つけずにどうにかしようなんて真似を試みる余裕はない。フルーラは右手でピィを指差す。そして、技を指示した。

 

「イーブイ! たいあたりよ!」

「……イブァ」

 

 が、イーブイが動く気配はない。それどころかそっぽを向き、器用に前足で口を覆って欠伸をした。

 

「な、何してるのイーブイ! たいあたりだってば! お願いだから言うこと聞いてちょうだいよ!」

「ブイ」

 

 必死に声をかけるフルーラと一向に動こうとせず毛繕いをし始めるイーブイ。そんな彼女らを見て、ドミノはくつくつと込み上げた笑いを抑えながら口を開く。

 

「くくっ……悪いけど、貴方達の漫才に付き合ってるほど暇じゃないの。ピィ、シャドーボール」

「ピィ!」

 

 ドミノの命令を受けて、笑顔のまま両手から黒い塊を放つピィ。その攻撃は呑気に座り込んでいるイーブイに炸裂した。

 

「ブッ!?」

「ああ!」

 

 シャドーボールをまともに受けて吹っ飛んでしまうイーブイ。フルーラが慌てて駆け寄る。

 

「あっはっはっ! ざまあみなさい! 昨日のお返しよ!」

「ピィ! ピィ!」

 

 ドミノが嘲笑う。そんな彼女の周りを褒めて褒めてとばかりにピィがはしゃぎ回っている。

 その馬鹿にした様子に腹が立ったのか、イーブイは立ち上がってドミノ達を睨みつけた。

 

「……イブ」

「イーブイ、やる気になってくれたのね。よーし、今度こそたいあた──」

「ブイッ!」

「あ、ちょっと!」

 

 イーブイはフルーラの指示を待たず、ピィに向かってとっしんする。

 

「すてみタックルで返り打ちにしなさい」

「ピ! ピピピピィ!」

「ブゥッ!!」

 

 しかし、ピィのすてみタックルの一撃によってとっしん攻撃は中断され、イーブイの身体は再び宙を舞った。

 

「イーブイ!」

「……ブ、イ」

 

 イーブイは傷ついた身体のままゆっくりと起き上がり、はしゃいでいるピィ越しにドミノを睨む。その瞳を見て、ドミノは不快そうに片眉をピクリと上げた。

 

「……生意気な目ね。いいわ。特別にこっちでトドメを刺してあげる。恨むんなら不出来なトレーナーを恨むことね」

 

 ドミノが右手に持った黒いチューリップを振り上げる。

 

「ッ!」

 

 フルーラは咄嗟にイーブイを抱え、ドミノに背中を向ける形で庇った。

 そして、エネルギー弾を放つべくチューリップが振り下ろされる。

 

 

「──させるか!」

「なっ」

 

 

 しかし、チューリップからエネルギー弾が放たれることはなかった。ドミノの背後から飛びかかったナオトがチューリップを奪い取ったのだ。

 取り返そうとするドミノの前に傷ついたままの身体のアイが立ち塞がる。

 

「ミャア……!」

「ちっ、やってくれるじゃない。でもそんなボロボロの状態で何ができるっていうのかしら? さっさと退かせちゃいなさい」

「ピィ!」

 

 アイがドミノ達を抑えている間にナオトはチューリップを床に叩きつけて壊し、座り込んでいるフルーラの元へ駆け寄った。そして、彼女が抱えているイーブイの容態を診る。

 

「イーブイは……よし。まだ大丈夫そうだな」

「ちょ、ちょっとナオト。どうするつもりなのよ」

「決まってるだろ。ダメージを受けたアイじゃあ時間稼ぎが精一杯だ。イーブイになんとかしてもらうしかない」

 

 ナオトの言葉に、とんでもないとばかりに首を横に降るフルーラ。

 

「無茶よ! ゲットしたばかりの子なのに、あんな強い技を覚えてるポケモンに勝てるわけないじゃない! ……そうだわ。あんたが他のポケモンを出せば──」

「それでいいのか?」

 

 咄嗟の提案に対して真剣な表情を返すナオトに、フルーラはハッと息を呑む。

 

「このままやられっ放しで、本当にいいのか? 見ろよ。イーブイはまだやる気だぞ」

 

 見れば、イーブイは未だドミノ達を戦う意思を宿した目で睨みつけている。

 

「でも……」

「トレーナーが自分のポケモンを信じなくてどうするんだ。そのイーブイをゲットしたのは、お前なんだぞ!」

 

 どこか辛そうな表情のまま紡いだその言葉は、彼自身にも言い聞かせているように聞こえる。しかし、ナオトの言葉はしっかりとフルーラの心にも響いた。元々気が強い彼女の心の琴線に触れたのだ。

 そうだ。アイの力を借りたとはいえ、イーブイは自分がゲットしたポケモン。人から奪ったポケモンなんかに負けてはいけない。いや、負けるはずがない。

 

「……イーブイ、やれるわよね?」

「ブイ」

 

 フルーラがイーブイに目を向けると、イーブイはふらつきながらも頷いてアイに攻撃を仕掛けているピィを見据える。その目から感じるのは、自分に似た気の強さ。

 そんなイーブイに頷き返し、フルーラはイーブイを床に下ろして立ち上がる。

 

「ミャッ!?」

 

 その時、ちょうどアイがピィのすてみタックルを受けてナオト達の元に吹き飛ばされた。

 

「さあ、ソーラービームで今度こそジャリ共にとどめを刺してやりなさい」

「ピィ!」

 

 ピィが先ほどやったように、両手を空に掲げて太陽の光を集め始める。

 

「イーブイ! スピードスター!」

「イ、ブッ!」

 

 させるものかとフルーラはイーブイにスピードスターを指示した。覚えている技はナオトから教わったのだ。イーブイが放出した幾つもの星型の光線が技の準備で隙だらけのピィにぶち当たる。

 

「ピ、ピィ……!」

「今よ! とっしん!」

「ブッ! ブイブイブイ、ブイッ!」

 

 間髪入れずとっしんを指示するフルーラ。スピードスターを受けて怯んでいるピィに、イーブイのとっしん攻撃がクリーンヒットする!

 先程のスピードスターといい通常より威力があるところからして、このイーブイの特性は自分と同じタイプのわざの威力を倍増させる"てきおうりょく"で間違いないだろう。ナオトはニヤリと口元を歪ませた。

 

「ピィ~……」

 

 イーブイのとっしんを受けて吹っ飛んだピィ。ぐるぐる目を回してその場に倒れてしまう。

 

「ちょっと! なんでやられるのよ! たった二発受けただけじゃない!」

「お前が考えなしにすてみタックルを連発させたからだ。とっしんもそうだけど、あの技は自分自身にも幾らかダメージが返ってくるんだよ」

 

 ナオトがそう言うと、ドミノは舌打ちをすると共に懐から小さな玉を取り出した。

 

「……この次はこうはいかないわよ!」

 

 取り出した玉を放り投げて煙幕を張るドミノ。

 煙幕が晴れると、そこに残されていたのは倒れたままのピィ。ドミノの姿は影も形もなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 騒ぎが収まり、町の人達総出でポケモンセンターの瓦礫を撤去することとなった。もちろん、ナオト達も撤去を手伝っている。

 ちなみに、タケシとジョーイさんも無事であった。タケシが連れているポケモンであるイワークとイシツブテは撤去作業に大きく貢献してくれている。

 

「助かるわ、タケシ君。イワークもイシツブテも、ありがとう」

「とんでもない、ジョーイさん! 自分達にお任せください!」

「グオオ」「ラッシャイ!」

 

 てきぱきと働くタケシ。多分、ウチキド博士の元で働いていた時もあんな感じだったのだろう。どうやら彼はウチキド博士だけではなく、美人に弱くて惚れっぽい性格をしているらしい。

 そんなタケシを尻目に、フルーラはイーブイに声をかける。

 

「イーブイ。さっきはありがとね」

「イブッ」

「あっ、もう……」

 

 しかし、素っ気ない態度でそっぽを向くイーブイ。

 先ほどのバトルで一応言うことは聞いてくれたが、まだまだ懐いてくれたわけではなさそうだ。それでも、ポケモン初心者であるフルーラは以前よりもポケモンのことがもっと知りたいと思うようになっていた。

 

 そんなフルーラを見て、ナオトは小さく笑みを浮かべる。

 

「ミャウ」

「ん? どうし──ああ、そうか」

 

 ナオトの裾を少女の姿のアイが引っ張った。それによってあることを思い出し、ナオトは傍らにいるジョーイの方を向く。

 

「あの、ジョーイさん」

「何かしら? ナオト君」

「あのピィのことなんですけど……どうして主人でもないドミノの言うことをあんなに嬉しそうに聞いてたんでしょうか」

 

 ナオトの質問に、ジョーイは眉尻を下げて顔を曇らせた。

 

「……あのピィは、このポケモンセンターに預けられたポケモンなの。でも、治療が終わってもトレーナーの子は迎えに来なくて……今も音信不通のままなのよ」

「それって……」

「たまにいるのよ。預けたまま引き取りに来ないトレーナーが……」

 

 つまり、捨てられたということである。怪我したままどことも分からない場所に捨てるよりはマシだろうが、それでも捨てたことには変わりない。ナオトは胸の内に憤りを感じた。

 ピィは元々陽気な性格をしていて、どんな人の指示でも嬉しそうに聞くのだという。もしかしたら、元のトレーナーと過ごしていた頃を思い出していたのかもしれない。

 

 

 

 

 その次の日。

 瓦礫の撤去は未だ終わっていないが、それは後から駆けつけた専門の業者に任せてナオト達はナツカンジムのあるナツカン島を目指して出発するのであった。

 

 それを見送り終えたジョーイさんは、ポケモンセンターで預かっているモンスターボールがちゃんと全てあるかどうかの再確認を行っていた。

 

「あ、あら?」

 

 しかし、ピィのモンスターボールだけが見当たらない。それどころか、ピィの姿も見当たらなくなっていたのであった。

 

 

 




引越しのため投稿が遅れました。
下書きから本文に書き上げるだけなんですけどね。それでも余裕がないとやっぱり捗らない。

ちなみに、この作品は無印時代のアニポケを意識して書いています。
そう。なのでバトルがおざなりでも問題ない……問題ないのだ。

■ナオトのコイキング
実はホップタウンのはねる高さを競うリーグで好成績を収めたコイキング。
ホップタウンから離れ、流れに流れてコイキング売りの親父に釣られた。
人から買ったりもらえたりするコイキングの個体値が高いのはお約束。

■フルーラのイーブイ
気が強く、クールな性格をしている。
「ポケットモンスター Let's Go! イーブイ」絶賛発売中!





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8. オレンジリーグ! ナツカンジム! ▼

 ナツカン島を目指して船を進めるナオト達一行。

 

 ナオトは相も変わらずコイキングの特訓をさせていた。彼とアイが投げたモンスターボールをじたばたで弾き返すという訓練を延々と続けている。本気でコイキングでジムに挑戦する気のようだ。

 

(まさか、わざと負けて旅を早く終わらせようとしてるんじゃないでしょうね……)

 

 船の運転をしながらフルーラはそう勘ぐるが、ふと先日のボンタン島のポケモンセンターでナオトが言っていたことを思い出す。

 

『トレーナーが自分のポケモンを信じないでどうするんだ。そのイーブイをゲットしたのは、お前なんだぞ!』

 

 ナオトはきっと、本気であのコイキングが活躍してくれると信じているのだろう。

 フルーラも彼の言葉を受け、実際にドミノを撃退することができた。ならば、今度はナオトがそれを実践する番だ。多少不安はあるが、フルーラは彼と彼の信じるコイキングを期待してみることにした。

 

「コイキングも張り切っているようだし、本当にジム戦に勝つかもしれないな」

 

 コーヒーを淹れていたタケシが船内から出てきて、期待の込もった声でそう呟く。

 

「ねえ、タケシ君が追いかけてるサトシって子もオレンジリーグに挑戦してるってことは、もうナツカンジムでジム戦もしたってことよね?」

「多分な。サトシはまだまだ未熟なところはあるけど、バトルに対する情熱は人一倍あるんだ。俺のジムでも、こてんぱんにやられても諦めずに挑戦してきたからな」

「そういえばタケシ君ってジムリーダーだったのよね。ウチキド博士が言ってたわ」

「ああ……ウ、ウチキド博士……」

 

 禁句ワードを耳にしてがくりとデッキに膝を突くタケシ。そろそろいい加減にして欲しいものである。フルーラは呆れた表情のまま視線を船の進行方向へ戻した。

 ちなみに、サトシはでんきタイプのピカチュウでタケシのイワークに勝利したらしい。なんでもスプリンクラーが誤作動してイワークが水浸しになってしまったのが敗因なのだとか。それは反則ではなかろうか? まあ、サトシ本人が無効試合としたようなので特に問題はないのだろうが。

 

 

 

 

 それから少しして、船は無事ナツカン島の港に到着した。

 ここナツカン島はダイダイ島やボンタン島よりもヤシの木が多く生い茂っており、最も南国気分を味わえると評判の場所らしい。それに何より、オレンジリーグに挑戦するためのジムが存在する。

 

 ひとまず、ナオト達はポケモンセンターでジムの場所を尋ねることにした。

 

「あの、すみま──」

「初めまして! 自分はタケシといいます! いやあ、ボンタン島のジョーイさんもそうでしたが、貴方はまた一段とお美しい!」

「は、はぁ……?」

「はいはい、タケシ君。邪魔だから退いててちょうだいね。ホント見境ないんだから」

 

 案の定ポケモンセンターに着いて早々ジョーイの手を握って口説きトークをかまし始めるタケシをフルーラが引きずっていく。

 

「ええっと……それで、ご用件は?」

「す、すみません。ジムのある場所を教えて欲しいんですけど……」

「ああ。貴方オレンジリーグに挑戦するのね。ナツカンジムなら、このポケモンセンターを出て左手の方を道なりに進んでいけば見えてくるはずよ」

「分かりました。ありがとうございます。それじゃあ行くか」

「あ、ちょっと待ってよ」

 

 早速ジムへ向かおうとするナオトにフルーラが待ったをかける。

 

「なんだよ」

「もうすぐお昼の時間だし、ランチを済ませてからにしない? ここのココナッツミルク、美味しいって評判なんだから」

 

 フルーラの提案にナオトは不満げな顔を返した。

 

「それこそ後でいいだろ。僕は早くジムに行きたいんだ」

「何よ。嫌がってたくせに早くジムに行きたいだなんて、どういう風の吹き回し? まさか、あんたやっぱり……」

 

 先ほどの懸念を口にしようとするフルーラ。しかし、彼女の言葉を聞いていたナオトは急にハッとした表情をしたかと思えば、複雑そうに眉をひそめた。

 

「……別に、面倒事をさっさと済ませたいだけだよ」

 

 そうぶっきらぼうに返すナオト。傍らにいるアイが気遣わしげな顔で彼のことを見上げている。

 確かにナオトはバトルを避けている傾向がある。だが、決してバトルが嫌いというわけではないのだ。事実、彼はジムに挑戦することを無意識の内に楽しみにしていた。

 

「まあまあ。ジムはそこまで遠くないみたいだし、腹ごしらえしてからでもいいんじゃないか?」

「タケシ達だけで行きなよ。僕は先にジムへ行く。行くぞアイ」

「ミャ、ミャウ」

 

 そう言って、ナオトはポケモンセンターを出ようとする。

 

『次は天気予報です。カントー地方はオレンジ諸島を含めて昼過ぎから雨が降る見込みとなっており──』

 

 が、途中ポケモンセンターに備え付けられているテレビの天気予報を聞いて、ピタリとその足を止めた。

 そして、くるりと方向転換してフルーラ達の元へ戻ってくる。

 

「何、どうしたの?」

「いや、その……やっぱりランチを済ませてから行くよ」

 

 どういうわけか一変して態度を変えたナオトに、フルーラとタケシは顔を見合わせて首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 ランチを済ませ、ナオト達は昼過ぎになってからナツカンジムへと足を向けた。

 

「それにしても、ジョーイさんってホントにみんな同じ顔なのね。ビックリしちゃった」

「みんな親戚だからな。ジュンサーさんもそうらしいけど」

「おいおいどこが同じ顔なんだ。全員美しいのは当然だが、それぞれその人にしかない特徴と魅力があってだな……」

「うん、聞いてないから」

 

 そんな話をしながら海沿いに浜辺を歩き続けていると、ジムの建物が見えてきたところでアイが道端にヤシの実が落ちているのを見つけた。

 

「ミャウ!」

 

 先程のランチでココナッツミルクのチーズケーキを食べたせいか、アイは嬉しそうに駆け寄って落ちているヤシの実を両手で拾おうとする。

 その時、ナオトはそのヤシの実に紐が括り付けられていることに気づく。

 

「アイ! ちょっと待っ──」

「拾っちゃダメだ!」

 

 咄嗟に拾うのを止めようとするナオト。同時にどこからか少年の声が聞こえてきた。

 

「ミャ?」

 

 が、時既に遅し。

 ヤシの実を拾ったアイの頭上から大量の水が落ちてくる。バシャアッという音と共にアイの身体が水浸しとなってしまう。実を拾うとヤシの木に仕掛けられたバケツが紐に引っ張られて中の水が落ちてくる仕掛けになっていたのだ。

 

「アイちゃん!」

「大丈夫か!?」

「ミャウ……」

 

 慌てて駆け寄るナオト達。アイは困ったなぁと言いたげな顔で笑う。

 

「待ってろ。今タオルを出してやるからな」

 

 タケシがリュックからタオルを取り出す中、ジムの方からばつが悪そうにしているツンツン頭の少年が近寄ってきた。

 

「わ、悪い。それ仕掛けたの、オレなんだ」

「何だと?」

「ミャウミャ」

 

 眉間にシワを寄せて少年に詰め寄ろうとするナオトをアイが手を引っ張って止める。首を振る彼女を見て、ナオトは怒りを吐き出すように一呼吸置いた。

 

「ちょっとあんた、何でこんなイタズラ仕掛けたのよ」

「ジ、ジムに挑戦するトレーナーを試すためにいつも仕掛けてんだよ。まあ、こんなトラップに引っ掛かるようじゃ──」

「引っ掛かったら、何よ?」

「……いや、その」

 

「こらっ、センタ! アンタまた掃除をサボってしょうもないイタズラ仕掛けたのね!?」

 

 すると、再びジムの方から声が聞こえてくる。今度は少年を叱る女性の声だ。振り返ると、そこには結い上げた茶髪に黒のキャミソールを着た女性がいた。

 センタと呼ばれた少年は駆け寄ってきたその女性にゴツンと拳骨をもらう。

 

「いってえぇー!!」

「しかも今度は明らかにジム挑戦者じゃない子が被害に遭ってるじゃない! ごめんね、びしょ濡れにしちゃって。何かお詫びしないと──」

 

 女性は、申し訳なさそうにタオルで身体を拭いているアイに謝る。そんな彼女の手をタケシが横から素早く握った。

 

「とんでもございません! そのお気持ちだけでも十分です! ああ、強気な瞳の中になんて深い慈しみを感じさせる方なんだろう。まるで目の前に広がる青く澄み切った大海原のようだ。ぜひ、自分も貴方という海に溺れた──」

「ウチキド博士」

「ぐッッはっ」

 

 暴走するタケシにフルーラが禁句ワードを炸裂。タケシは胸を抑えてその場に倒れた。こういう時には便利である。

 倒れたタケシをアイが「ミャ、ミャア?」と心配しているが、優しい彼女も近い内に気にしなくなるだろう。

 

「え、えっと、それで貴方達は?」

「僕はミアレシティのナオト。ナツカンジムに挑戦しに来ました」

 

 ナオトの挑戦の申し出を受けて、女性は得心が行ったように頷いた。

 

「なるほど。その挑戦、サザンクロス西の星であるこのアツミが受けてたつわ!」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ジムに案内されるナオト達。

 バトルフィールドと思われる広い屋内スペースに連れられると、アツミによる説明が行われる。

 

「このナツカンジムでは単なるポケモンバトルによる勝負を行わないの。スキルバトル──お互いのポケモンの技を競うことで勝敗を決するのよ」

「技を、競う? ……そうか、いつものバトルをするわけじゃないんだ」

 

 説明を聞いたナオトはどこか安堵したように息を漏らした。

 

「競うのはみずタイプの技よ。センタ!」

「オッケー、姉ちゃん!」

 

 アツミがセンタに指示すると、コントローラーのような装置が操作されてバトルフィールドの床が展開。開いたその下からプールが出現する。続いて壁の一部が動き出し、中から空き缶が並べられたステージが現れた。

 

「勝負は三回戦。一回戦目はこのステージに並べられた空き缶をプール上から技を使ってどちらが多く撃ち倒すことができるかを競うんだ」

「そういうこと。さあ、貴方はどんなみずポケモンで勝負するの?」

 

 アツミに尋ねられ、ナオトはホルダーから一つのモンスターボールを取り出す。

 

「僕はコイツで勝負します」

 

 モンスターボールを宙へ向けて放り投げる。ポンッという音と共にボールが開き、光が中に入っていたポケモンの姿を形作った。

 カロス地方から来たと聞いてどんなポケモンで来るかと期待に満ちた顔でいるアツミであったが、ボールから現れたポケモンを見て目を見開く。

 

「コココッココッ!」

 

 もちろん、出てきたのは宣言通りコイキングだ。

 床を跳ね続けるコイキングを見て、アツミとセンタは呆然としている。知っていたフルーラとタケシでさえ気まずい表情だ。真剣な顔をしているのはナオトとアイだけ。

 

「……いや、お前ふざけてんのか!? コイキングなんかで姉ちゃんに勝てるわけないじゃん!」

 

 舐められていると思ったのか、正気に戻ったセンタが怒鳴り上げた。アツミもさすがにコイキングでは……とでも言いたげな困った顔をしている。

 

「ほ、他にみずタイプのポケモンは持ってないの?」

「みずタイプはコイキングしか連れてません」

 

 真剣にコイキングで勝負しようとしているナオト。センタと違って自分が馬鹿にされているわけではないと察したアツミは怒らない。

 しかし、それでもコイキングはコイキングだ。図鑑公認の最弱のポケモンである。

 

「でも、やっぱりこれじゃ勝負にならなそうだから、悪いけど他のみずポケモンをゲットしてから改めて──」

「クシュンッ」

 

 と勝負を断ろうとするが、それを遮るようにタケシから借りたタオルで濡れた髪を拭いているアイがクシャミをした。

 イリュージョンで少女の姿のままのためか、ポケモンであることを知らないアツミは余計にバツが悪くなる。

 

「……ゴホン。こちらとしても挑戦を断りたくはないんだけど、まず前提条件としてみずタイプの技が使えないとお話にならないのよ」

 

 最初の勝負は先ほども説明された通り、ステージに並べられた空き缶を狙った射撃対決だ。大体はお互いみずでっぽうを使って競うのだが、コイキングはそのみずでっぽうが使えない。

 だから無理なのよと断ろうとするが、ナオトはそれに首を振って答えた。

 

「それくらいだったら、コイキングにもできますよ」

「はあ?」

「とにかく、やってみれば分かります」

 

 妙に自信たっぷりなナオト。そこまで言われるとアツミも断りようがない。諦めたように一つ溜息を吐く。

 

「……どうなっても知らないわよ」

 

 

 

 

 かくして、ナツカンジム・ジムバトルの一回戦目が開始される。

 

「私のポケモンはこの子よ。出てきなさい! シードラ!」

 

 アツミがモンスターボールをプールに向けて放り投げる。ボールから現れたのはドラゴンポケモンのシードラだ。タツノオトシゴのような姿をしており、いつも眉をひそめたような顔をしている。

 

「ド、ドラ?」

 

 自分の対戦相手であるナオトのコイキングを見て、シードラはその眉をひそめた顔を崩し「マジかよ」という表情になる。やはりと言っていいのか、コイキングを相手にしたことはこれまで一度もなかったようだ。

 

「合図と同時に試合開始だけど、今更できないなんてのはナシよ?」

 

 と、アツミ。挑発的なその言葉にナオトは口端を上げた。

 フルーラとタケシ、そしてアイが不安そうな表情で見守る中、ナオトのコイキングとアツミのシードラがプールにスタンバイする。

 

 

「スタート!!」

 

 

 センタの試合開始の合図と共に、ナオトがコイキングに指示を出す。

 

「コイキング、じたばただ!」

「ココッ」

 

 指示を受けて、コイキングが猛烈な勢いでプールに浮かんだままじたばたし始める。

 しかし、我武者羅にじたばたしているわけではない。上手くヒレを使ってプールの水を弾いているのだ。

 

 もちろん、弾かれた水は通常のみずでっぽうと同等とは言えない。が、ステージに並べられた空き缶を吹き飛ばす程度の威力は十分に持っていた。

 コイキングが弾いた水は正確に空き缶を吹き飛ばす。それどころか、胸ビレだけでなく尾ビレまで使って器用にも同時に複数の空き缶を薙ぎ倒すことに成功している。

 

「う、嘘……」

 

 唖然とするアツミ。

 じたばたで水を弾くだけならまだしも、まさかこうも正確に空き缶を倒すとは。

 

「どうしたんですか? もう勝負は始まってますよ」

「姉ちゃん!」

「ッ! シードラ、みずでっぼう!」

 

 センタの声で我に返ったアツミは慌ててシードラにみずでっぽうを指示する。

 シードラも正確無比かつ連続でみずでっぽうを放って次々と空き缶を倒していくが、対するコイキングも尋常じゃない速度でじたばたして空き缶を薙ぎ倒していく。

 

 

 カンッ!

 

 

 そして、最後の空き缶が倒される。

 その空き缶を倒したのはコイキングであった。シードラも動揺していたのか、最後の最後でみずでっぽうを吹き出す方向を誤ったのだ。

 

「よおし! よくやったぞ、コイキング!」

「ココココッ」

 

 空き缶を倒した数は僅差でコイキングの勝ち。コイキングは嬉しそうにナオトの元に飛び跳ねていく。

 

「す、すごいわね。ナオトのコイキング……」

「ああ。あんな力強いコイキングは俺も初めて見るよ」

「ミャウ!」

 

 試合を見守っていたフルーラ達は未だに信じられないといった顔でいる。アイが嬉しそうに鳴き声を上げるのを聞いて、ナオトは手を振って応えた。

 

「ま、待て! この試合は無効だ!」

 

 しかし、そこでセンタが抗議の声を上げた。

 

「ちょっと、何で無効なのよ!」

「みずでっぽうを使ってないからに決まってるじゃないか!」

「止めなさいセンタ!」

 

 フルーラとセンタが言い争いを始めそうになるが、アツミがそれを制する。

 

「で、でも姉ちゃん……」

「別に使う技をみずでっぼうに限定してはいないでしょ。この勝負は彼の勝ちよ」

 

 そう。あくまでみずでっぽうが一番適しているというだけで、プール上から空き缶を倒せるならどんな技を使ってもいいのだ。

 ここで勝負がつかなければ今度は動く標的を相手に同じようなことをして勝敗を決めることになっていたのだが、今回は完全にコイキングの勝利。なので、このまま次の競技へ移行することとなった。

 

 

 次の競技はなみのり対決だ。

 浜辺からスタートし、沖合に浮かぶ旗で折り返し地点として早く戻ってきた方が勝ちとなる。

 

「この勝負で君が勝てば、2対0。三回戦目をせずに君の勝利が確定するわ……えっと、本当にコイキングでいいのね?」

「もちろんです」

 

 なみのり対決ですらナオトはコイキングで行くつもりのようだ。もちろん、コイキングはなみのりを覚えない。まあ魚なので泳げるのは当たり前だが。

 それでも、ナオトのコイキングは油断できない。事実、先の射撃対決でアツミは負けてしまったのだ。緩やかな水の流れにも流されてしまうと言われるコイキングだが、彼のコイキングにそれは当てはまりそうもない。

 

「私はこの子で行くわ。出番よ! カメックス!」

 

 アツミが空へとボールを投げる。太陽の逆光の中、現れた巨体が大きな振動と共に砂浜に降り立った。

 

「カメェ」

 

 こうらポケモン、カメックス。

 カントー地方出身のトレーナーの多くが最初にもらうこととなるポケモンの内の一体、ゼニガメの最終進化系だ。大きな甲羅の両肩部分からは砲台がその砲口を覗かせている。

 対して、ビチビチと砂浜を跳ね続けるコイキング。カメックスはコイキングを二度見し、自分の主人の方を振り返った。真剣な目でアツミが頷くのを見て、侮れない相手だと認識し、鋭い目つきでコイキングを睨みつける。

 

 先ほどアツミが説明した通り、この勝負でナオトが勝てばバッジを獲得できる。しかし、アツミが勝てば1対1となってさらに次の競技で勝負することになってしまう。そうなるとコイキングが三連続で出張ることになり、疲労も相まってとても勝負にはならないだろう。このなみのり対決で勝敗が決すると言ってもいい。

 

(この勝負、負けるわけにはいかないわ)

 

 浜辺で跳ね続けるコイキングを見てアツミは改めて意気込む。

 コイキングに負けたとあっては末代までの恥。いつにも増して気合を入れた。

 

「ねえ、ナオト。あんた大丈夫? 顔色悪いけど」

「……え? いや、大丈夫さ」

 

 何やら顔を青褪めさせているナオトを見かねて、フルーラが声をかける。ナオトは何でもないとばかりに首を振って答えた。心配そうに見上げるアイを、彼は心配するなと優しく撫でた。

 あれだけ啖呵を切ったのだ。勝つ自信がないというわけではないだろう。口には出さないが、何か別の不安があるのかもしれない。

 

(泳げないとか? まさかね)

「フルーラ。とにかく俺達はナオトを信じよう。あれだけすごいコイキングなんだからな」

「……ええ、そうね」

 

 不安が残る中、なみのり対決が開始される。

 アツミはカメックスに乗り、ナオトはコイキングと紐で繋がった円形型のボードに乗り込む。水の都として有名なアルトマーレという場所ではこのナオトのような形で水上レースを行うらしい。彼が今乗っているボードは、アツミがアルトマーレへ旅行した時に買ったお土産を借りたものだ。

 

 

「それじゃあ、レディー……ゴー!」

 

 

 センタが持つスターターピストルの発砲によって、ナオトとアツミの両者が激しい水飛沫と共に一斉にスタートする。

 

「ココココココッ!」

 

 ナオトのコイキングはコイキングとは思えないほどのスピードで猛然と泳いでいる。こんなに速く泳ぐコイキングはどこを探してもお目にかかれないだろう。シンオウ地方にある進化前のポケモンを愛するサークル『Bボタン同盟』には最強のコイキングがいるらしいが、それに勝るとも劣らない。

 

「悪いけど、お先に失礼するわよ!」「カメェ!」

「ッ!」

 

 しかし、やはりカメックスのなみのりのスピードには追いつけない。あっという間に距離を空けられてしまう。

 これでは勝つなんて到底無理だ。勝負にもならない。

 

「勝負あったな。やっぱりコイキングなんかじゃ、姉ちゃんには勝てな──」

「うるさいわね! 勝負は最後まで分かんないでしょ! 黙ってなさいよ!」

「は、はい」

 

 ふんぞり返るセンタをフルーラが文句をぶつけて黙らせる。両の拳を握ってなみのり対決を観戦するフルーラは何時にも増して興奮している様子だ。運転においてどこかの美人三姉妹の長女と同じくスピード狂である彼女は、こういったレース競技を見るとつい熱くなってしまうのだろう。もちろん、理由はそれでけではないのだろうが。

 

 そうこうしている内に、ナオトとアツミはフルーラ達のいる浜辺から遠く離れた沖にまで到達する。

 

「コイキング、はねろ!」

「コッ!」

 

 ナオトの指示を受けて、コイキングが勢いに乗ったまま機敏な動きで跳ね始める。波に乗る度に大きく跳ねて普通に泳ぐよりもさらにスピードを速めた。しかし、跳ねる都合上、どうしてもボードが激しく揺れてしまう。ナオトは振り落とされそうになりながらも必死にバランスを取る。

 

「やるわね……でも、それがコイキングの限界よ!」

 

 それでもカメックスの速度には追いつけない。

 アツミとカメックスは既に折返し地点を回ってしまった。それに遅れる形で、ナオトとコイキングが折返し地点を回る。

 まさかコイキングでここまでやれるとは思わなかったが、これならば自分の勝ちは確実。アツミは自分達を追いかけるナオトとコイキング達の姿が徐々に見えなくなっていくのを確認して、口元を緩ませる。

 

 

 

 

 ゴールとなる浜辺で勝負の結末を待つフルーラ達。

 ポケモンやバトルに対してそこまで関心がなかったフルーラ。しかし、つい先日初めてのポケモンをゲットし、そして今こんなにも熱くなっている。

 

「あ! おい、フルーラ!」

 

 いても立ってもいられなくなった彼女は波打ち際まで駆け出し、海に向かって大声で叫んだ。

 

「ちょっとナオト! 負けたら承知しないんだから! あんたがコイキングのこと信じてるなら、絶対勝ちなさい!」

 

 その時、フルーラの頬に冷たい何かが降ってきた。それは頬を伝って地面にポタリと落ちる。

 つられて空を見上げるフルーラ。いつの間にか太陽は隠れ、空はどんよりとした曇天に覆われていた。それに気づくと同時に海風が吹き荒れ始める。

 

「……雨?」

 

 

 

 

(言われなくても分かってるさ……!)

 

 フルーラの声を聞いたナオトは全身に襲いかかる激しい波飛沫で耐えつつ、真っ直ぐ前方を見据える。

 そして、彼の頭上に天から雨が降り注ぎ始める。それに気づいたナオトの目が見開かれた。

 

「この時を待ってたんだ! 行け! コイキングッ!!」

「ココッ!」

 

 ナオトがコイキングに発破をかける。瞬間、コイキングは弾丸と化して海を割った。

 

「う、嘘っ!?」

「いきなりスピードが上がりやがったぞ!?」

 

 ゴールからレースの進行を見ていたフルーラ達が驚きの声を上げる。ナオトのコイキングの移動スピードが急激に跳ね上がったのだ。どんどん速度が上がっていき、ついにはアツミのカメックスの泳ぐ速度に並ぶ。急に横に現れたナオトとコイキングを見て、アツミは驚愕に目を見張った。

 

「そうか!」

「ど、どうしたの? タケシ君」

 

 唐突にタケシが声を上げ、フルーラとセンタが振り返る。タケシはナオトのコイキングの速度が急に倍増した理由に気づいたのだ。

 

「コイキングの特性は"すいすい"。雨が降っている時、二倍の素早さで行動することができるようになる特性だ。ナオトは昼間見た天気予報でこの時間帯に雨が降ることを知って、それを利用したんだよ!」

 

 あの不自然な挙動はそういうことだったのである。

 ちゃんと考えてたんだ。雨に濡れながらも、フルーラは凄まじい勢いで一直線に自分達のいる浜辺に向かってくるコイキングとナオトから目が離せなかった。

 

「まさかそんな隠し玉があったなんてね……でも、勝負は私の勝ちよ! カメックス!」

「カメッ!」

 

 不敵に笑うアツミ。カメックスにラストスパートの発破をかけ、さらにスピードを上げていく。

 

「ああ! せっかく並んだのに!」

「姉ちゃん、行けえぇーッ!」

 

 フルーラが焦りの混じった声を上げ、センタが叫ぶ。 

 ポケモンリーグ協会非公認とはいえ、伊達にジムリーダーはやっていない。アツミのカメックスの底力に舌を舐めるナオト。

 

「……いや、勝つのは僕だ。コイキング!」

「コッ!」

 

 ナオトもコイキングにラストスパートをかけさせる。

 だが、既にアツミはゴール目前だ。一体どうするのか? 

 

 フルーラ達が固唾を飲んで見守る中、ナオトの足元の海面が膨れ上がり大波に乗った形になる。

 それを見計らっていたナオトが、叫ぶ。

 

「コイキング! とびはねろッ!!」

 

 ナオトの指示を受けたコイキングが、大波を割る勢いで大きく飛び跳ねる。

 アツミ、そしてフルーラ達は目を見開く。コイキングは信じられないほど高く飛び上がった。それはまるで、山を越える龍のように。

 天高く宙を舞うナオトとコイキングは、さらに吹き荒れる海風に後押しされて猛烈な勢いでアツミとカメックスを追い上げる。

 

「ッ! ここまで来て負けるわけにはいかないわ!」

 

 アツミもゴールを見据え直す。少しでも風の抵抗をなくそうとカメックスの上で身を屈めた。

 そして、ついにゴールの浮き旗が目前に迫る。

 

 勝った! そう確信したアツミは思わず屈めた身体を浮かす。

 カメックスの鼻先がゴールに入る──その瞬間。

 

「──えっ」

 

 アツミとカメックスの真横をジェット機が通ったかのような凄まじい風が通り過ぎた。ゴールしようとした瞬間、ナオトとコイキングもほぼ同時のタイミングでゴールに飛び込んだのだ。

 コイキングは飛び込んだ勢いを止めることができず、浜辺とジムの間に反り立つ崖目掛け弾丸となって飛んでいく。

 

「ミャッ!」

 

 アイが慌ててじんつうりきでナオトとコイキングが崖に衝突するのを間一髪のところで防いだ。これがどこかの町出身の人間なら衝突しても痛いで済むだろうが、ナオトは存外ひ弱なので最悪死にかねない。

 

「た、助かった……ありがとう、アイ。それに、よく頑張ったな。コイキング」

「ミャウミャ」

「コココッ!」

 

 地面に降ろされたナオトとコイキング。あれだけ激しいレースをしたにも関わらず、コイキングは未だ元気良く跳ね続けている。対して、ナオトは顔面蒼白で今にも死にそうだ。

 

「ナオト!」

「大丈夫か!?」

「ああ、何とか……それより、勝負の結果は?」

 

 フルーラとタケシが慌てて駆け寄る。タケシが倒れているナオトに肩を貸すが、ナオトは自分のことよりも勝敗が気になるらしい。

 

「そ、それが……ほとんど同時にゴールしたから分かんなくて」

 

 センタは申し訳なさそうにそう返す。正直言って、例えほぼ同時でなくともあんなスピードでは目視で判断できるわけがない。しかし、残念ながらハイスピードカメラなんて代物はこのジムには置いていないのだ。

 

「それじゃあ、この勝負は引きわ──」

「いえ、君の勝ちよ。ナオト君」

 

 そこへ、カメックスから降りたアツミがやってきてそう答えた。センタは驚いて彼女の方を振り返る。

 

「ね、姉ちゃん!」

「いいのよセンタ。ゴール目前で私の真横を通り過ぎたあの暴風。あれを間近で感じたら、負けを認めざるを得ないわ。それに例えカメックスが先にゴールしていたとしても、コイキングでここまでの接戦を繰り広げたという時点で十分にバッジを受け取る資格はあるもの」

 

 いつの間にか、あれだけ荒れ乱れていた雨風はパタリと止んでいた。まるでナオトとコイキングを勝たせるためだけにやってきたかのような雨雲であった。

 アツミが足元の覚束ないナオトの元に歩み寄り、右手を差し出す。その手の平には、ジムでのバトルに勝利した証であるバッジ。

 

「これは……貝殻?」

「そう。オレンジリーグのバッジは貝殻で出来てるの。ナツカンジムのバッジは、桜貝で出来たサクラバッジよ。さ、受け取って」

 

 ナオトは震える手でバッジを受け取る。桜色の貝殻が、雲から再び姿を現した太陽の光を反射して煌めいた。

 

「ココッ!」「ミャウ!」

「うわっ!? おいこら止めろって!」

「ハハハ、やったな。ナオト!」

 

 そんなナオトの胸に、アイとコイキングが喜び勇んで飛び込む。既に意識が朦朧としていたナオトは飛び込まれた衝撃でそのまま地面へ仰向けに倒れてしまう。それでも、彼は嬉しそうにコイキングとアイに笑いかけている。そんな彼にタケシが手を貸して起こす。

 

 その様子を微笑ましそうに見守るフルーラ。その隣でアツミが口を開く。

 

「まさかコイキングに負けちゃうなんて……並のトレーナーじゃこうはいかないわよ。彼は本当にポケモンが好きなのね」

「そりゃもう。おかげで私にも移っちゃいましたから」

 

 フルーラは晴れ晴れとした笑顔で、そう答えるのであった。

 

 オレンジリーグの一つ目のバッジを手に入れたナオト。

 果たして、次のジムではどんなバトルが待ち受けているのか? 続くったら、続く!

 

 

 




クラウド上にデータを保存してスマホからでも執筆できるメモ帳アプリが便利。
おかげで通勤電車の中でも執筆できる。
しかし、一方で引越しの片づけは一向に終わらないのであった。

■アツミ
オレンジリーグ・ナツカンジムのジムリーダー。
序盤に出したアヅミと名前が似てるのでややこしい。ちなみに、スキルバトルは作者の造語。

■センタ
アツミの弟。よくいるサトシを馬鹿にする役の子供。

■Bボタン同盟
DP編第21話「最強のコイキングと最も美しいヒンバス!」に出てきた進化前のポケモンをこよなく愛するサークル。
このサークルのコイキングはヒカリのポッチャマに勝ち、サトシのピカチュウと引き分けた。

■どこかの美人三姉妹の長女
ハナダ美人三姉妹の長女、サクラのこと。
サイドストーリーで車のハンドルを握ると性格が変わるという設定が追加されている。

■どこかの町出身の人間
もちろん、公式公認のスーパーマサラ人のこと。





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9. クリスタルのイワーク ① ▼

 船に乗ってナツカン島を出立するナオト達をジムのある浜辺から見送るアツミとセンタ。

 

 あれからナオトは一時間ほどで体調を回復させた。少々心配ではあったが、ちゃんと回復するところは腐ってもトレーナーというところだろうか。

 今の時間から島を出れば日が落ちるまでには次の島に着けるということで、そのまま出発したのだった。

 

 水平線に沈んでいく船を見つめながら、アツミが呟く。

 

「私もコイキング育ててみようかしら……」

「ね、姉ちゃん!?」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ナツカン島から発ってオレンジ諸島随一の商業都市であるキンカン島で一泊。次の日にその先にあるポンカン島に辿り着いたナオト達。

 このポンカン島はガラス工芸品で有名な島だ。島の住人のほとんどはガラス工芸家の職人で、目に入る建物は揃って工房を兼用している。そのため、職人達が作る作品目当てに観光客が後を絶たないのだという。

 ナオト達は水などの物資を補給するために上陸したのだが、せっかくなので観光がてら買い物をすることにした。

 

「へえ。話には聞いてたけど、ホントにガラス工芸店ばっかりなのね」

「それにここまでガラス細工が並んでいると壮観だな」

「ミャア!」

 

 様々なガラス作品の並ぶ大通りを興味深そうに見て回るフルーラとタケシ、そして少女の姿のアイ。

 しかし──

 

「……でも、何か変よね」

「そうだな。なんか慌ただしいというか、落ち着きがないというか……」

 

 彼女ら以外の町を訪れている人達は皆ガラス作品には目もくれず、手当たり次第に店の人達から何やら聞き込みをしている様子だった。店側も軒並み困り果てており、中には怒鳴って追い返している店もある。

 異様な光景に戸惑いを隠せないフルーラ達。

 

「興味なさそうと言えば、私達の中にも一人いるわよね」

「ミャウ……」

 

 フルーラは目を細めて後ろを振り返る。アイが困り顔で笑った。

 そう、ナオトだ。彼はフルーラ達の後を付いていきながら、どうでもよさげな顔で並んでいる品々を見流している。ポケモン以外のことにはトコトン興味がないヤツである。

 

「ナオト。ポケモンを象った作品もあるみたいだぞ」

「ポケモンが見たいなら本物を見ればいいじゃないか」

「あんた風情の欠片もないわね。ガラスで出来てるからすごいんじゃない。職人技ってヤツよ」

「職人技、ねぇ」

 

 欠伸を噛み殺すナオトに溜息を吐いてお手上げのフルーラ。

 

「じゃあナオト。クリスタルのイワークには興味があるんじゃないか?」

「クリスタルのイワーク?」

「ああ。ガイドブックに書かれてたんだ」

 

 なんでも、このポンカン島にはクリスタルのイワークが生息しているという噂があるらしい。

 イワークはいわへびポケモンという名の通り、その身体は岩でできている。だが、そのクリスタルのイワークは岩ではなく水晶の身体を持った個体なのだという。

 

「へぇ、そんなイワークがいるのか……」

 

 さすがに興味を持ったのか、仏頂面だったナオトも目を輝かせ始める。

 

「でもホントにいるのかしら。岩がクリスタルになるなんて信じられないし」

「元々クリスタルの身体で生まれたのかもしれないたろ。なあ、せっかくだしそのイワークを探してみないか?」

「そうこなくちゃな。よし、まずは情報収集からだ!」

「ミャ!」

 

 急に元気になったナオトの提案により、一行はクリスタルのイワーク探しをすることになった。

 岩タイプ専門のジムリーダーをしていたタケシもナオトに負けないくらい興味があるらしく、気合いの入れ様はむしろ彼の方が大きい。

 

 

「ダメッ!!」

 

 

 だが、そんなナオト達に向けて静止の声がかかる。声のした方を振り向くと、桃色の髪をした少女が焦ったような目でナオト達を見ていた。

 

「えっと……君は?」

 

 タケシが首を傾げて尋ねると、少女は慌てて弁解し始める。

 

「ク、クリスタルのイワークなんているわけないわ! 探したって見つかりっこないんだから!」

「……そうなの?」

「そ、そう! だから絶対探さないでね! 絶対よ!」

 

 そう言い残して、少女はそそくさと路地の方へ走り去ってしまった。

 

「何だったのかしら? あの子。あれじゃホントにクリスタルのイワークがいるって言ってるようなもんよね」

「分からないが……何か事情があるのかもしれないな」

 

 首を傾げるフルーラとタケシ。

 その隣に立つナオトは、ただ黙って少女が走り去っていた後を見続けるのだった。

 

 

 

 

 先程の少女にああ言われたものの、真に受けて帰るわけにもいかない。ナオト達は町でクリスタルのイワークについて調べることにした。

 

 調べてみて分かったことだが、どうもナオト達以外の観光客の然程は噂を聞きつけてクリスタルのイワークをゲットしようと島を訪れたトレーナーばかりであったようなのだ。

 

 確かに、クリスタルのイワークなんて珍しい個体がいると知ったらゲットしたいと思うのが普通だ。だが、ナオト達は別にゲットしたいと思って探しているわけではない。一目見ればそれで十分なのである。

 他のトレーナーはあまりクリスタルのイワークの情報を得られていない様子。ナオト達もさらなる情報を求めて町中を歩き回った。

 

 その中で、一軒のお店が目に留まる。

 やたらガラの悪いトレーナーがその店の店主と思われる人の胸倉を掴んで無理やり話を聞き出そうとしていた。

 

「痛い目見たくなかったら、さっさと例の情報を教えな。テメェが情報を持ってることは知ってんだよ」

「……ぐっ」

「おいっ、何してるんだ! 乱暴はよせ!」

 

 さすがに目に余ると感じたタケシが駆け寄って止めに入る。フルーラとナオトも慌てて後を追いかけた。

 

「あ? テメェらもクリスタルのイワークをゲットしたくてこの島に来たんだろ? この店の店主はそのイワークがいる場所を知ってるんだぜ」

「だからって、そんな乱暴に聞き出していいわけ? さっさと離しなさいよ」

 

 男の言葉にフルーラが噛みつく。その後ろからナオトとアイもファイヤーの如く男をにらみつける。

 

「……ちっ」

 

 居心地が悪くなったのか防御力が低くなったのか、男は店主を放り出すと舌打ちを残してその場を去っていった。

 

「ゴホッゴホッ……あ、ありがとう。助かったよ」

 

 店主が咳き込みながらもナオト達に感謝する。

 

「いえ……それより、大丈夫ですか?」

「ああ。平気だよ。おーいマサミ! もう出てきていいぞ!」

 

 心配するタケシに笑って答え、店の奥に向かって声をかける店主。その声を聞いてか、店の奥から恐る恐るといった様子で少女が出てきた。

 

「君は、さっきの!?」

 

 ナオト達は少女を見て驚く。

 マサミと呼ばれたその少女は、先程ナオト達にクリスタルのイワークなんていないと言って走り去っていった、あの桃色の髪の少女だったのだ。

 

 

 

 

「さあどうぞ。自由に見ていってよ」

 

 マサミの兄、店の店主であるイサオに店の奥へ案内されるナオト達。助けてくれたお礼に工房を見せてもらえることになったのだ。

 

「おお、これは……」

「綺麗……」

「ミャア~……」

 

 その中で、机の上に飾られているイワークを象ったガラス作品を目にして感嘆の声を上げるタケシとフルーラ、そしてアイ。

 

「このイワークは、僕の祖父が作った作品なんだ。僕もこの作品と同じくらい──いや、この作品を超える物を作ることを目標に励んでいるところなんだよ」

「へぇ……」

 

 ガラス作品に興味を示さなかったナオトでさえ、その精巧さに目を奪われていた。まるで今にも動き出しそうだ。クリスタルのイワークが実在するとしたら、丁度こんな感じなのだろう。

 そこで、はたと気づく。

 

「って、ひょっとしてクリスタルのイワークはこのガラス作品のことだったってオチなんじゃ……」

「ははは! 違うよ。クリスタルのイワークはちゃんと実在するさ」

 

 ナオトの懸念を笑いながら否定したイサオ。

 クリスタルのイワークは実在する。その言葉にナオト達はもちろん、彼の妹であるマサミも驚きの表情で兄を見た。

 

「お、お兄ちゃん!」

「大丈夫だよマサミ。この人達は町にうろうろしてる連中とは違うみたいだ」

 

 話を聞いてみると、なんとイサオとマサミはほんのつい最近クリスタルのイワークと実際に会ったのだという。

 ところが、それを境にどこからかクリスタルのイワークを見たという噂が町中どころか島の外にまで広がっていった。もちろん、以前からクリスタルのイワークの噂は存在していたが、イサオがそのイワークに会ってからというものそれが急激に広がっていったのである。

 おかげで、オレンジ諸島の外から噂を聞きつけたトレーナーやハンター達がポンカン島へ集まってくるようになってしまったのだ。

 

「私、あのイワークを守りたいの!」

「マサミ。いい加減にしなさい」

「お兄ちゃんはイワークがゲットされちゃってもいいの!?」

「……僕らも、最初はクリスタルのイワークをゲットしようとしていたじゃないか。その必要がなくなったからゲットしなかっただけだ」

 

 マサミはクリスタルのイワークがゲットされることを防ぎたいみたいだが、対するイサオはそれに消極的だ。

 

「ゲットしようとしてた?」

「ああ。スランプに陥っててね。クリスタルのイワークをゲットすれば、インスピレーションが湧くと思ったんだ」

 

 そして、念願叶って出会うことができた。しかし、イワークを目前にしてゲットすることを止めたのだ。バトルの最中に目的のインスピレーションを得ることができたから。

 結局ゲットすることはなかったが、そういう経緯もあって他人があのイワークをゲットすることを止める権利は自分にはないと思っているようである。マサミのこともあって情報を渡すことはしていないようだが。

 

 しかし、マサミは兄の考えに首を横に振った。

 

「ダメだよ! あの人達、みんなお金儲けのためにイワークをゲットしようとしてるんだよ!」

「何だって……!?」

 

 なんでも、マサミは島に集まった者達がイワークをゲットしたら儲けた金は山分けしようという話を偶然聞いてしまったらしい。

 

「ゲットされたらきっとひどい目に合っちゃう!」

 

 マサミは必死に兄に訴える。彼女はクリスタルのイワークのことをとても大事に思っているようだ。一度イワークと出会ったことによって、あの神秘的な存在を守らなければならないという意識を持つようになったのかもしれない。

 

「……ミャウ」

「アイ?」

 

 話を聞いていたアイがナオトの服の裾を引っ張った。アイの意思を感じ取るナオト。

 

「……二人とも。僕──」

「クリスタルのイワークを助けたいって言いたいんでしょ? あんた一人じゃ心配だし、仕方ないから私も手伝ったげるわ」

 

 遮るようにして答えたフルーラの言葉に、ナオトはポカンと口を開ける。

 

「もちろん、俺も協力するぞ」

 

 タケシも頷いてくれた。元より、彼なら一人でもイワークを助けるために奮闘するだろう。フルーラは一言余計だが。

 それでも、二人が協力してくれることをナオトはとても嬉しく感じた。

 

「お姉ちゃん達、イワークを助けてくれるの!?」

「ええ。私達に任せなさい」

 

 顔を輝かせるマサミにフルーラがウィンクして答える。

 

「でも……助けると言っても、どうやって?」

 

 イサオの言葉に、腕を組んで考えるナオトとタケシ。

 

「……噂が島の外にまで広がってるんじゃ、今島にいるハンターをどうにかしてもイタチごっこだ。イワークに別の場所へ移住してもらうよう説得するしかない」

「ああ。それしかないだろうな」

 

 ナオトの提案にタケシも賛同する。

 

「説得するって、そんなことできるの?」

「俺達はポケモンの言葉を理解できないけど、ポケモンは人間の言葉をある程度理解してくれるんだ」

「そもそも、理解してなかったら技の指示なんかできないだろ?」

「あ、それもそうね」

 

 二人の説明を聞いて、フルーラは納得したように頷く。

 

「…………」

 

 そんな会話を、店の外から盗み聞きしている者がいたのだが、ナオト達がそれに気づくことはなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 マサミとイサオに頼んで、クリスタルのイワークと出会った場所に案内してもらうことになった。

 

 件のイワークとは、ポンタン島の離れ小島で出会ったのだという。離れ小島と言っても、大潮の時に潮が引けば道ができるのでその間だけポンタン島と地続きになるらしい。

 だが、今日は大潮の時期ではないため、一行はフルーラの操縦する船に乗ってその離れ小島に向かった。

 

 浜辺に船をビーチングさせて、小島に生い茂る森の中へ入る。森を進んでいくと、その先には崖の裂け目にできた洞窟があった。

 

「この洞窟の中でクリスタルのイワークを見つけたんだ。中は一本道のはずだから、迷うことはないよ」

「でも、都合良く同じ場所にいてくれるかしら?」

「それは入ってみなきゃ分からないさ」

「お姉ちゃん達、早く行こう!」

 

 迷っていても仕方がない。ナオト達はマサミに促されるまま、意を決して洞窟に入った。

 

 懐中電灯を持ったイサオとタケシを先頭に洞窟を進んでいく。響き渡るのは自分達の足音。そして、ポタポタと水滴の落ちる音。それらを聞きながら奥へ奥へと歩いていく。

 すると、視線の先で微かに明かりが漏れているのが見えてきた。自然と足早になった一行がその場所を通り抜け、目が一瞬眩む。

 

 視界が戻ると、そこは開けた空間であった。天井に空いた隙間から太陽の光が注いでいる。そして、目の前にはその光を反射して幻想的に青く煌めく地底湖が広がっていた。

 

「……綺麗」

「ああ。まさに秘境ってヤツだな」

「ミャウ……」

 

 壁や地面には天然の水晶が群生している。天井の隙間から差す日差しの光が地底湖の底に届いて乱反射を起こし、それらがさらに水晶を神秘的に煌めかせているのだ。

 

「こんな景色が見られるなんて、やっぱり旅に出てみるものね」

「でも、クリスタルのイワークの姿は見当たらないな」

「……あんたね、もうちょっと感動とかそういうのないわけ?」

「何言ってるんだ。僕達がここに来た目的はイワークを助けるためじゃないか」

「それはそうだけど……はぁ」

 

 相変わらずポケモンのこととなると情緒もへったくれもないナオトにフルーラは溜息を吐く。

 

「すまない。確かに僕らはここでクリスタルのイワークと出会ったんだけど……もしかしたら、湖の底に潜っているのかも」

 

 そう言ってイサオは湖を覗いてみる。が、透明度はあるものの底までは見えない。

 

「ちょっと待ってください! 湖の底に? イワークは水に弱いはずじゃ……」

 

 イサオの言葉に信じられないとばかりに声を上げるタケシ。

 イワークはじめんといわ、二つのタイプを合わせ持つポケモンだ。故に、弱点となる水を極度に恐れている。いわタイプのエキスパートでイワークをパートナーとしているタケシがその疑問を浮かべるのは至極当然のことだろう。

 

「クリスタルのイワークは通常のイワークとタイプが異なるみたいなんだ。みずタイプの技が通じなかったんだよ」

「なるほど……そういうことなら、俺に任せてください! 出てこい、ズバット!」

 

 そこで、タケシがモンスターボールを投げてズバットを繰り出した。

 こうもりポケモンのズバット。主に洞窟の中に生息しているこのポケモンは両目が退化している。その代わり、口から放つ超音波で周りの状況を把握するのだ。

 

「ズバット! 湖の中をちょうおんぱで調べるんだ!」

「──!」

 

 タケシの指示を受けたズバットは人間には聞こえない鳴き声を上げて答えた。そして、湖へ向けてちょうおんぱを放ち始める。

 

「……それにしても、タイプの異なるイワークか。いわゆるリージョンフォームってヤツだな」

「リージョンフォーム?」

「ポケモンが自分の住んでいる環境に適応した姿のことをそう呼ぶんだ」

 

 そんな話をナオトとフルーラがしていると、ズバットがちょうおんぱを止めてタケシの元へ戻ってきた。

 

「──!」

「ミャ、ミャウミャ」

 

 何か伝えようとしているので、アイが応対する。ズバットの話を聞いたアイが手頃な棒を拾って地面に絵を描いてみせた。

 

「ありがとう。ズバット、アイ。これは……湖の底に横穴があるみたいだな」

「じゃあ、イワークはその穴を使ってこの湖を出入りしてるってわけね」

 

 穴はどこかに繋がっているのだろうが、潜ってみるにしてもどのくらいの長さがあるのか分からない。

 

「よくやった、ズバット。なあナオト。コイキングに見てきてもらうのはどうだ?」

「コイキングに? それは……ちょっと難しいかもしれない」

 

 ズバットをモンスターボールに戻したタケシの提案に、ナオトは難色を示した。

 コイキングは他の魚型ポケモンと比べても視力が悪い。加えて、光の届かない穴の中では期待する成果は得られないだろう。

 

「じゃあ、私が一緒に潜るわ。それならいいでしょ?」

 

 ナオトがそれを説明すると、話を聞いていたフルーラが唐突に服を脱ぎ出し始めた。タケシやアイ達が驚く中、当然ナオトも顔を真っ赤にして慌てて顔を背ける。

 

「ちょっ、待て! お前何いきなり脱ぎ出してるんだよ!?」

「馬鹿ねあんた。ちゃんと見なさいよ」

「はあ!? 見ろって…………あれ?」

 

 恐る恐るチラリと目線を向けたナオトは目をパチクリとさせる。

 そこには、チューブトップ型のビキニを着たフルーラが立っていた。彼女は服の下に水着を着ていたのだ。

 

「顔真っ赤にしちゃって。あんた意外と可愛いトコあるじゃない」

「う、うるさいな! いきなり脱ぎ出したりなんかするからだろ!」

「まあまあ。それでフルーラ、どうするつもりなんだ?」

「懐中電灯持った私がコイキングの目になるのよ。任せといて、泳ぎには自信あるから。たまにお小遣い目当てで海女さんの手伝いとかもしてるし」

 

 そう自信たっぷりに言ってテキパキと準備体操を始めるフルーラ。ナオトは妙な緊張と気恥ずかしさから水着姿の彼女を直視できないでいる。

 

「……お、おい。本当に大丈夫なのか?」

「余計な心配してる暇あったら、さっさとボールからコイキング出しなさいよ。ほら早く」

「わ、分かったよ」

 

 催促されて渋々ナオトはモンスターボールを投げてコイキングを出す。光と共に湖に現れたコイキングは元気よく跳ねて洞窟内に水音を響かせた。

 

「よろしくね、コイキング。ナオト、あんたこれ持っててちょうだい」

「は? うわっ!?」

 

 フルーラはおもむろに脱いだ服をナオトへ放り投げて寄越す。そして、常備していた小型酸素ボンベを取り出して咥えると湖に飛び込んだ。

 ナオトが服を受け取ってあたふたと慌てる間に、彼女はコイキングと共にあっという間に湖の底へと消えていく。

 

「お姉ちゃん、大丈夫かな……」

「一応僕もパルシェンを連れてるから、出して追いかけさせた方が……」

「いえ、ナオトのコイキングは強いですから。心配いりませんよ」

 

 周りがフルーラのことを心配する中、ようやく落ち着いたナオトは腫れ物でも扱うかのように投げて寄越された服を摘まんだ。女の子特有のほのかに香る甘い匂いが鼻を擽る。

 

「……アイ、悪いけど持っててくれるか?」

「ミャア……」

 

 アイは困ったなぁという顔でフルーラの服を受け取るのであった。

 

 

 

 

 一方、水中のフルーラはズバットの言っていた穴を見つけ、コイキングと共にその中へ潜り込んだ。

 

 穴は直径六メートルほど。穴自体はずっと奥まで続いているが、数十メートル泳いでみると所々に大きな横穴が空いているのが目立ってくるようになる。

 フルーラはその横穴へ順に懐中電灯を向けて照らしてみたりしながら奥へと進んだ。

 

 ふと、フルーラと同じ方向を見ていたコイキングが気配を感じて背後を振り返る。

 

「コッ!?」

(どうしたの? コイキング)

 

 途端、焦ったように水中でじたばたし始めたコイキングに首を傾げ、背後を振り返るフルーラ。

 

(──!!)

 

 そこには、懐中電灯の光を反射して青く煌めく巨大な塊が蛇の如く蠢いていた。

 

 




オレンジ諸島編といえばクリスタルのイワークを思い出す人も多いのではないでしょうか?

……いや、それ以前にオレンジ諸島編を観たことがある人が果たしてハーメルンに何人くらいいるのだろうか?

■イサオ
ポンカン島で工房を営んでいるガラス職人。
パルシェンとリザードを連れており、リザードの炎を使ってガラス細工を作っている。
サトシ達の協力でクリスタルのイワークと出会うことができ、スランプを脱した。

■マサミ
イサオの妹。
なんだかみんなの物語のラルゴみたいになってしまった。髪の色も同じ桃色だし。






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10. クリスタルのイワーク ② ▼

「……もうそろそろ十分は経つな」

 

 タケシが腕時計を見て眉をひそめる。そろそろ戻ってきてもいい頃合いだが、フルーラとコイキングは浮かび上がってこない。

 

「……」

「ミャウ……」

「どうしよう。お姉ちゃん戻ってこないよ」

「……誰か潜って様子を見てきた方がいいんじゃ……僕がパルシェンと一緒に──」

 

 そう話していた矢先、湖に泡がブクブクと浮かび上がったかと思えば、その場所からフルーラが勢い良く顔を出した。

 しかし、様子がおかしい。フルーラは湖に飛び込んだ時とは打って変わって余裕のない表情で岸へと急いでいる。

 

「おい! 何があったんだ!?」

「コイキングが……コイキングが、私を庇って!」

「何!?」

 

 岸に手をかけて状況を説明しようとするフルーラ。とにかく、ナオトはそんな彼女に手を伸ばして引っ張り上げようとした。

 ──その時である。

 

「ナオト!」

 

 タケシの声に反応したナオトがフルーラの手を掴んだまま湖の方へ視線を向けた。視線の先、湖の中心がまるで山のように膨れ上がったのだ。

 そして、激しい水飛沫と共に山が流れ割れ、正体を晒す。

 

「クリスタルの、イワーク……!」

 

 無骨な岩の身体ではない。水に溶け込むかのようや透き通った水晶の身体をしたイワークだ。噂に違わないその姿に、ナオトとタケシは目を奪われる。

 しかし、ナオトの目はクリスタルのイワークが現れると同時に湖からコイキングが吹き飛ばされていくのをしっかりと捉えていた。岸へと吹き飛ばされたコイキングは勢い良く地面に叩きつかれ、数度跳ねて力なく横たわる。そこへ、イワークが尻尾を振りかざす。

 

「っ! コイキング、戻れ!」

 

 ナオトが飛び出し、駆け寄ってコイキングに向けてモンスターボールを向ける。中心から赤い光が放たれ、その光に包まれたコイキングはボールへと収納された。が、空振ったイワークの尻尾が猛烈な勢いでナオトのすぐ傍を掠める。

 

「うわあッ!」

「ナオト!」「ミャウ!」

 

 振るわれた尻尾の風圧が襲い、ナオトは壁に叩きつけられてしまう。気絶してしまったナオトの元へフルーラ達が駆け寄る。

 

「イワーク! 俺達は敵じゃない! 話を聞いてくれ!」

「グオオオッ」

 

 タケシが声を張って語りかけるも、クリスタルのイワークはどういうわけか我武者羅に暴れて聞く耳を持たないでいる。十メートル近い巨大な体躯のイワークが動く度に水飛沫が散ってタケシ達に降り注ぐ。

 

「おかしい。クリスタルのイワークはこんな獰猛じゃなかったはずだ」

「フルーラ、一体何があったんだ?」

「わ、分かんないわ。何もしてないのよ。出会い頭に突然暴れ始めて……」

 

 動揺の混じった声で話すフルーラ。そんな彼女の手には湖の中を調べるために持っていた懐中電灯。

 それを見て、タケシは察する。恐らく、クリスタルのイワークは突然明かりを向けられて驚き、いわゆるこんらん状態となってしまったのだ。

 イワークはズバットと同じで普段から暗い場所で生活しているが、視力は退化していない。そんな生き物に対して急に強い明かりを向ければ、こうなってしまうのは当然のことだろう。イワークをパートナーとしているタケシは、そのことに気づかなかった自分を心の中で叱咤した。

 

 

「──ホネブーメラン!」

 

 

 その時、横からクリスタルのイワークを攻撃する者が現れる。投げられた骨はイワークの横っ面に命中し、行きと帰りの二撃でその巨躯を大きく仰け反らせた。

 

「お、お前ッ! どうしてここに!?」

 

 クリスタルのイワークを攻撃したのは、イサオの店で乱暴な態度を取っていたあの男であった。

 その傍らには、男の連れなのか帽子を目深に被った女の姿もある。

 

「よう。やっぱりイワークの居場所を知ってたんじゃねえか。ひでぇなぁ。小僧共には教えて俺には教えないなんてよ。しょうがないから後をつけさせてもらったのさ」

 

 どうやら、イサオがイワークのことを知っていると確信していた男はナオト達との会話を盗み聞きし、この離れ小島に向かう彼らの後を尾行していたようだ。

 

「ガラガラ。かえんほうしゃだ」

「ガラッ!」

 

 男は先ほどホネブーメランを投げたほねずきポケモン、ガラガラに命令する。ガラガラは頭に被った頭蓋骨の口元から燃え盛る炎を勢い良く吐き出した。

 

「グアオオオッ!」

 

 吐き出された炎が水晶の身体を赤く染め上げ、イワークが苦しそうに悶える。どうやら、このイワークはほのおタイプの技に弱いようだ。通常のイワークとは正反対である。

 

「やめてっ! クリスタルのイワークに手を出さないで!」

「よせ! マサミ!」

 

 イサオが止めるのも聞かず前に出たマサミは、クリスタルのイワークを庇うように両手を広げて男に食ってかかった。

 

「うるせぇな、ガキ。トレーナーがポケモンをゲットして何が悪いんだ」

「わたし知ってるんだから! あなた達、イワークをお金儲けに使うつもりなんでしょ!?」

「ゲットしたポケモンをどうしようがトレーナーの勝手じゃねえか。そのクリスタルのイワークを自分のコレクションに加えたいっていう奴がいるんだよ。たんまり報奨金を用意してるって話だぜ。これを逃す手はないだろ?」

 

 男の言い分を聞いたタケシは握った拳を震わせ、明確に怒りを露わにする。

 

「そんな理由でポケモンをゲットしようだなんて……お前ら人間じゃねぇ!!」

 

 その妙な気迫に男は一瞬たじろぐ。が、すぐに気を取り直して再びガラガラに命令を出した。

 

「な、なんとでも言え。ガラガラ、もう一度かえんほうしゃだ!」

「ガララッ!」

「させないぞ! 出てこい、イワーク!」

 

 ガラガラの攻撃に対して、タケシがモンスターボールを投げて自分のイワークを出す。ガラガラのかえんほうしゃはイワークの岩の身体が壁となって打ち消された。当然、イワーク自身にもほとんどダメージはいっていない。こうかはいまひとつだ。

 

「くそ……おい、何ボサッとしてんだ! テメェもあの小僧のイワークを攻撃しろ!」

 

 男は苛立ちを混じえながら傍らの控えている女にもそう促した。女は黙ってモンスターボールからピィを繰り出す。

 

「シャドーボールよ」

「ピィ!」

「イワーク! 弾き返せ!」

「グオオッ!」

 

 放たれたシャドーボールを、タケシの指示を受けたイワークが尻尾を使って強烈な勢いで弾き返す。

 

「ガラッ!?」

 

 弾き返されたシャドーボールは見事ガラガラに命中した。吹き飛ばされ、地面を転がるガラガラ。

 

「おいっ! 何やってんだ!」

「あら、貴方のポケモンがどんくさいからでしょう?」

 

 謝る素振りも見せない女。男はこの女と組んだことを後悔しているのか、忌々しげに舌打ちを零す。

 

「……チッ、ガラガラ! さっさと起きろ! けたぐりだ!」

「ガ、ガラッ!」

「イワーク! いわおとしで近づかせるな!」

 

 慌てて起き上がって駆け出すガラガラ。迎え撃つタケシのイワークが周辺の地面や壁を砕いていわおとし攻撃を行うが、身軽で小さいガラガラはそれを避け切り、あっという間にイワークへと肉薄する。そして、掬い上げるようにして得物のホネを振るいイワークを殴りつけた。圧倒的な体格差にも関わらずイワークの巨体が大きく浮き上がり、引っ繰り返って地面を揺らす。

 

「グ、グオオッ」

「イ、イワーク!」

 

 けたぐりは相手が重いほど威力が上がるかくとうタイプの技だ。加えて、かくとうタイプの技はいわタイプのイワークにこうかばつぐん。倒れたイワークの元へタケシが慌てて駆け寄った。

 

「アイちゃん、ナオトをお願い。こうなったら……出てきて、イーブイ!」

「僕も協力するよ! パルシェン!」

 

 フルーラがモンスターボールからイーブイを出し、イサオも加勢するべくパルシェンを繰り出した。地面に降り立ったイーブイは相変わらず素っ気ない態度だ。

 

「ブイ」

「お願いイーブイ! クリスタルのイワークを助けるのよ! スピードスター!」

「……ブッ!」

 

 とりあえず言うことは聞いてくれるみたいだ。イーブイがスピードスターを放ち、星型の光線が男のガラガラに向かって飛んでいく。

 

「ガラガラ! なげつけろ!」

「ガ、ラッ!」

 

 迎え撃たんと男がガラガラになげつけるを命令する。ガラガラの投げたふといホネがイーブイのスピードスターを打ち消した。

 

「パルシェン! まもるだ!」

「パルッ!」

 

 スピードスターを貫通してそのままイーブイにホネが直撃するといったところで、イサオのパルシェンが間に入りまもるでイーブイを助ける。まもるによるバリアで弾かれたホネはガラガラの手元へと戻っていった。

 

「あ、危な──」

「ピィ、ソーラービーム」

 

 助かったと思った矢先、横合いから光が襲う。ピィによるソーラービームの追撃がイーブイ達を襲い、パルシェンのまもるのバリアを破った。くさタイプ技のソーラービームはみずタイプのパルシェンに大ダメージを与える。パルシェンは倒れ、巻き添えを食らったイーブイもやられてしまう。

 

「イーブイ!」

「パルシェン!」

 

 それぞれのポケモンに駆け寄るフルーラとイサオ。雑魚は片づけたとばかりに男は獲物へと目を向け、モンスターボール片手に傷ついたクリスタルのイワークの元に近づいていく。

 

「よし、さっさとクリスタルのイワークをゲットしておさらばするか」

 

 モンスターボールを掲げ、イワークに向けて投げようと構える。

 

 

「そうね。それじゃあ、サヨナラ」

 

 

 しかし、男がそのボールを投げることはなかった。突如として背後から光が襲ったのだ。女の連れているピィが男に向けてソーラービームを撃ったのである。

 

「あ? ぐわああぁぁーーッッ!!」

「ガラアアァァーーッ!!?」

 

 男はガラガラ諸共吹き飛ばされ、洞窟の天井に空いた裂け目から放り出された。

 

「……さてと、邪魔者は消えたことだし、ゲットさせてもらうわよ。クリスタルのイワーク」

 

 女──ドミノが帽子を上げて正体を現す。クリスタルのイワークの噂を聞きつけたドミノはナオト達の話を盗み聞きし、彼らを退けるために男を利用したのだ。

 このイワークをゲットしてボスに献上すれば、汚名返上は確実。返り咲くどころか、以前よりも高い地位に上り詰められるかもしれない。無意識に口端を歪めるドミノはモンスターボールを取り出して構え、投げた。

 

「ダメッ!!」

 

 マサミが叫ぶが、無情にもボールはドミノの手を離れ放物線を描いてクリスタルのイワークへと向かっていく。

 

 

 

 そして、ボールがヒットし、クリスタルのイワークが光に包まれる。

 

 

 

「──は?」

 

 しかし、命中したのはドミノの投げたモンスターボールではなかった。一瞬早く、別の方向から飛んできたモンスターボールがクリスタルのイワークを捕らえたのだ。

 光に包まれてボールに収まったイワーク。そのまま地面に落ちたボールは数秒ほど震え、ポンッという音と共にその動きを止めた。

 

「……悪いな。クリスタルのイワークを渡すわけにはいかないんだ」

 

 ボールを投げたのは意識を取り戻したナオトであった。ナオトはボールを拾ってアイに渡す。

 千載一遇のチャンスをふいにされてしまったドミノはその整った顔を歪めた。

 

「ジャリボウヤ……横取りなんてマナー違反じゃないのかしら?」

「お前にマナーをどうこう言われる筋合いはない」

 

 ナオトはドミノが連れているピィをちらりと見やる。何が面白いのか、ドミノの周りを楽しそうにはしゃいでいる。

 

「そのピィ……まさかボンタン島のポケモンセンターにいた?」

「勘違いしないでちょうだい。コイツが勝手についてきたのよ。戦力にならなかったらとっくの昔に放り出してるわ」

「ピィ!」

 

 嬉しそうに纏わりつくピィを足で退かすドミノ。

 今までの素振りからして、どうやら彼女はポケモンの扱いにそこまで慣れていないらしい。恐らく、いつもあのチューリップの兵器で任務をこなしていたからだろう。しかし、今それは手元にない。ボンタン島でナオトが奪った物が最後だったのだ。

 

「前回は不覚を取ったけれど、今回はそうはいかないわよ」

「望むところだ。アイ、ボールを守っててくれよ」

「ミャウ!」

「よし。ゲンガー! 行ってくれ!」

 

 ナオトはアイを控えさせ、ドミノのピィにボールから出したゲンガーで迎え討つ。

 

「ゲンガァ!」

「ピィ、ソーラービーム!」

「ピィイ!」

 

 さっさと勝負を終わらせるつもりか、ドミノは再びピィにソーラービームを命令した。ソーラービームは太陽光によるチャージが必要だが、ピィはその時間を待たずソーラービームを発射させる。どうやら、先ほどの会話中にチャージを済ませていたようだ。

 

「ゲンガー! 受け止めろ!」

「ゲェンッ!」

 

 ナオトの指示通り一直線に向かってきたソーラービームを両手で受け止めるゲンガー。

 

「だ、大丈夫なの!? ナオト!」

 

 隅でイーブイを労っていたフルーラが彼らの無茶な行動に焦りの声を上げる。

 しかし、彼女の心配は杞憂であった。数メートルほど押されたものの、ソーラービームはゲンガーの手に押し潰されて消失したのだ。

 

「ゲンガーのタイプはゴーストとどく。どくタイプのポケモンにくさタイプ技はさほど通用しないんだ」

「……あらそう、ご丁寧にどうも。だったら次はこれよ。シャドーボール!」

「ピピィ!」

 

 煽るようなナオトの説明にドミノは眉をひそめ、続けてシャドーボールを命令した。

 

「こっちもシャドーボールだ!」

「ゲン、ガッ!」

 

 ナオトもゲンガーのシャドーボールで対抗する。

 お互いのシャドーボールが衝突して爆発、土煙を巻き起こす。

 

「ピィ、すてみタックルで突っ込みなさい!」

「ピピピ!」

 

 間髪入れず命令を受け、土煙を破ってピィがすてみタックルでゲンガーに突撃する。ピィの身体がゲンガーにぶつかった瞬間、決まったとドミノは唇を歪めた。

 

「なっ!?」

 

 しかし、ピィはそのままゲンガーの身体をすり抜け、その向こう側の地面へ顔面が削れる勢いで突っ込み、ひっくり返ってしまう。

 

「ゴーストタイプにノーマルタイプの技は効かない。人が育てたポケモンを奪ってばかりいるからそんなことも知らないままなんだ。ゲンガー! ヘドロ──いや、シャドーボールだ!」

「ゲンッ!」

 

 反撃とばかりにナオトはゲンガーに攻撃を指示した。フェアリータイプのピィに対してこうかばつぐんのヘドロばくだんを指示しようとしたが、ピィを気遣ってだろうか途中で考え直し先程と同様のシャドーボールに切り替える。

 

「ちょっと、ひっくり返ってないで起きるのよ!」

「ピ、ピィ~」

 

 ピィは倒れた体勢からじたばたしている内に横へ転がり、運良くゲンガーのシャドーボールを間一髪のところで避けることができた。

 

「っ……そうだわ。ピィ、シャドーボールよ!」

「ピィ!」

 

 そこで何か思いついたのか、ドミノは起き上がったピィに再びシャドーボールを命令する。

 

「避けろ、ゲンガー!」

 

 放たれたシャドーボールを、ナオトの指示を受けて最低限の動きで避けるゲンガー。それを見て、ドミノはやっぱりと口端を上げた。

 

「ソーラービームの時と違ってシャドーボールは対処する。つまりそれは、ゲンガーにとってシャドーボールは弱点となる技ってことね?」

「……確かにそうだ。でも、当たらなければそんなの関係ない」

「フフ……悪役にはねぇ、こういう戦法があるの。ピィ、あのジャリに向かってシャドーボールよ!」

「ピッ!」

 

 悪どい笑みを浮かべて、再びピィにシャドーボールを命令するドミノ。

 目標はゲンガーではなく、少し離れた場所でバトルを見ていたマサミであった。マサミは自分に迫ってくる黒い塊を呆然と見つめている。

 

「マサミ!」

 

 イサオが慌てて駆け出そうとするが、とても間に合わない。

 

「ゲンッ!」

「ゲ、ゲンガー!」

 

 咄嗟に一番近くにいたゲンガーが間に滑り込み、マサミを庇う形でピィのシャドーボールを受ける。

 

「ゲ、ゲンッ……!」

 

 こうかはばつぐんだ! だが、ゲンガーは後ろにいるマサミを巻き込むまいと傷を負いながらもその場に踏み止まった。

 

「ミャウ!」

「ゲンッ、ゲンゲン!」

 

 クリスタルのイワークの入ったモンスターボールとフルーラの服を持ったアイが慌てて駆け寄ろうとするが、ゲンガーはそれを手で制する。

 

「アハハッ! これで避けることができなくなったわね!」

「あんた、ホント最低!」

「妹を狙うなんて……こうなったら二対一が卑怯だなんて言わせないぞ! 行け、リザード!」

 

 妹が狙われたことでいきり立ったイサオがもう一匹のポケモンが入ったモンスターボールを投げようとする──が。

 

「させないわよ。ピィ、シャドーボール!」

「ピィー!」

「ッ! ゲンガー!」

 

 状況が不利になる前にドミノがシャドーボールを命令した。

 さすがに弱点タイプのわざを二発まともに食らってしまえばひとたまりもない。ナオトはゲンガーを助けようと地面を蹴って駆け出す。

 

 

「──ピッ!?」

 

 

 シャドーボールが放たれると思われたその瞬間、大きな岩の塊がピィを吹き飛ばした。

 

「すまない! 待たせた!」

「タケシ!」「タケシ君!」

 

 ピィを吹き飛ばしたのはタケシのイワークだった。

 タケシは厳しい顔つき──目はいつも通りの糸目だが──でドミノを見据える。

 

「この糸目が……なんでまだ動けるのよ!?」

「俺のイワークの頑丈さを甘く見てもらっちゃ困るな! イワーク、たいあたりだ!」

「グオオオ!」

 

 その体躯の巨大さにそぐわない素早さでピィに迫るイワーク。イワークが地面の中を掘り進むスピードは時速80キロ。初めてその動きを見たトレーナーがド肝を抜くのは言うまでもない。

 

「ピ、ピィ! 避けなさい!」

「ピピィ!」

 

 ピィは慌てて起き上がってコロコロと転がるようにしてイワークのたいあたりを避ける。だが、その体勢はあまりにも隙だらけであった。

 

「ッ、そこだ! ゲンガー! 10まんボルト!」

「ゲンゲラ、ゲンッ!」

 

 その隙を見逃さず、ナオトの指示によってゲンガーが放った10まんボルトが放たれる。イワークのたいあたりを避けることに専念していたピィはそれに反応することができず、まともに電撃を浴びてしまう。

 

「ピィイイーーッ!」

「ピィ!? クッ……戻りなさい!」

 

 フラフラと目を渦巻かせて倒れるピィ。戦闘不能に陥ったピィを、ドミノは舌打ちと共にモンスターボールに戻した。

 

「あの男を排除するタイミングを間違えたわね……でも、タイプ相性ね。覚えたわ。次は必ずそのイワーク諸共ポケモンを頂いていくから覚悟しなさい!」

 

 戦力を失ったドミノは煙幕を張り、洞窟から離脱する。

 追いかけてジュンサーに突き出すこともできるが、それよりもクリスタルのイワークが心配だ。ナオト達は煙が晴れるまでその場を動かず待つことにした。

 

 

 

 

「ゴホッ、ゴホッ……もう大丈夫だ。出てこい、クリスタルのイワーク」

 

 ようやく煙が晴れ、ナオトはクリスタルのイワークをモンスターボールから出す。

 光と共にボールから出てきたイワークは、激しいバトルの跡が残る洞窟内を見渡している。どうやら、思ったよりもダメージはなさそうだ。光を当てられたことによるこんらん状態も解けて落ち着きを取り戻している。

 

「クリスタルのイワーク!  この島はお前を狙って沢山の人間が集まってきてる! この場所は危険なんだ! だから、別の安全な所へ移住してほしい!」

「ミャウ! ミャウミャ! ミャウ!」

 

 改めて、この島から離れるよう説得するナオト。イリュージョンを解いたアイも必死にイワークに事情を伝えている。

 

「…………」

 

 しかし、イワークは湖を去る様子を見せない。それどころか、何か話をしたそうにアイに目線をやった。

 

「ミャ?」

 

 首を傾げたアイが近づき、イワークの口元に耳を立てる。

 そして、話を聞いたアイは頷き、なぜか嬉しそうにナオトの元に駆け戻ってきた。

 

「アイ。イワークはなんて言ったんだ?」

「ミャウ! ミャウミャウ!」

「……え? 僕と一緒に行きたい、だって!?」

 

 どうやら、イワークはナオトにゲットされた以上彼のポケモンとして共に行きたいと言っているらしい。

 

「本当に、そうなのか?」

 

 信じられないとばかりに確認するナオトに、イワークはその大きな頭をゆっくりと動かして頷いた。

 

「ずっとこの島に暮らしていたから、どうせ離れるなら外の世界を見て回りたい。そんなところだろうな」

 

 クリスタルのイワークの心情を察して、タケシが感慨深そうに頷く。

 このイワークは元々島を離れたいという気持ちがあったのだ。しかし、ずっと住み続けてきた場所を離れるということはそれなりの決断力と切っ掛けがいる。タケシも大勢の弟妹達を養うために、ずっと故郷のニビシティを離れられないでいた。だから、イワークの気持ちが良く分かるのだろう。

 

「僕からも頼むよ。君達なら、安心してクリスタルのイワークを任せられる」

「お兄ちゃん、お願い! イワークを連れてってあげて!」

 

 イサオとマサミがそう懇願する。

 

「……分かった。よろしくな、イワーク」

「グオオッ」

 

 ナオトはクリスタルのイワークの申し出を受け入れ、モンスターボールへと戻した。

 

「良かったじゃない、ナオト!」

「……そうだな」

 

 自分のことのように嬉しそうにするフルーラ。こう言ってはなんだが、相当珍しいポケモンをゲットできたことは間違いない。どんなトレーナーだって諸手を挙げて大喜びするだろう。

 だが、ナオトはあまり嬉しそうにしていない。加えて、未だ服を着替えておらず水着姿のままの自分にも目が行っていなかった。そのことに若干の不満を覚えたフルーラはそんな彼にズイッと近づく。

 

「何よ。もっと嬉しそうにしなさいってば」

「ちょっ、お前はさっさと服を着ろバカ!」

 

 肌と肌が触れ合いそうになる寸前で慌てて飛び退くナオト。その様子を見てフルーラは気分良さげにクスクス笑った。

 だから気づかなかったのだろう。からかうのに夢中で。ナオトの表情が不安の色を滲ませていたことに。傍らにいるアイが気遣わしげに彼を見ていることにも。

 

(……ナオト?)

 

 ナオトの表情が優れないことに気づいたのは、アイを除けばタケシだけであった。

 

 




前回急にお気に入りの数が増えてビックリ。
とりあえず、みんなAmazonプライムでアニポケ全話見よう!
ポリゴンは見れないけどね!

■クリスタルのイワーク
リージョンフォームがない時代に登場したイワークの亜種。
タイプは特に明言されているわけではないが、この作品ではこおり・じめんタイプという設定。マンムーと同じ。
特性はちょすい。なのでみずタイプの攻撃は効かない。
通常のイワークよりぼうぎょの種族値が低いが、その代わりすばやさが高め。

■ガラの悪い男
ただのやられ役。
アニメに出てきた悪役モブの誰かから拾ってくれば良かったかも。






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11. ピンクのポケモンじま ① ▼

 無事にクリスタルのイワークを助け──もといゲットしてポンカン島を出立したナオト達。

 一行は次のジムがある島を目指して大海原の上を進んでいた。

 

「いわタイプのポケモン全般に言えることだけど、イワークは定期的に身体を磨いてやらなきゃならないんだ。放っとくと、どうしても荒れが目立つようになるからな。多分、クリスタルのイワークも同じだろう」

「なるほど。分かった」

 

 フルーラが船を操縦する中、ナオトはタケシからイワークのことについて色々と教わっていた。

 ゲットしたクリスタルのイワークを育てるにあたって、いわタイプ──特にイワークの専門家とも言えるニビジムの元ジムリーダーに相談するのは理にかなっている。最も、あまり人付き合いが得意と言えないナオトが相談したそうにしながらも中々話を切り出せないでいたので、それを察したタケシが自分から話題を出してくれたのだが。

 

 ただ、クリスタルのイワークはいわタイプのポケモンではない。調べてみると、こおり・じめんタイプのポケモンであった。他にこおり・じめんタイプと言えば、今発見されている中ではいのぶたポケモンであるウリムーとその進化系のみ。希少種であると同時に、タイプ的にも貴重な存在ということだ。

 ちなみに、みずタイプの攻撃が効かなかったのは特性が"ちょすい"だったからだ。ちょすいはみずタイプの攻撃を無効にすると同時に傷を癒やすことができるのである。

 

「タイプが違うから、十分なアドバイスができなくてすまないな」

「いや、そんなことないよ。磨く時はどうしたらいいんだ?」

「柔らかい砂を研磨剤にしてブラシで磨くんだ。丁寧にやってやれば、その分イワークも喜んでくれるんだよ」

 

 それでも、さすがはイワークの専門家に加えて世界一のブリーダーを目指す男。ポケモンのことには詳しいナオトにも勉強になる知識を持っている。真剣にタケシの話を聞きながらメモを取るナオト。熱心にイワークのことを教わっている彼を見て、傍の手すりの上に座っている少女の姿のアイは嬉しそうに微笑んでいる。

 

 一方、フルーラはそんなナオト達の会話を船のハンドルに顎を乗せながらつまらなそうに聞いていた。

 その手には青く煌めく石。それを手の平で弄んで手持ち無沙汰な気持ちを誤魔化している。

 

 石の名はみずのいし。

 ポンタン島のマサミが、クリスタルのイワークを助けてくれたお礼にとくれた物だ。ナオトが言うには、この石を使えばイーブイはみずタイプのポケモンに進化するらしいが……

 

「ねぇイーブイ。あんたこれ使ってみ──」

「ブッ」

 

 傍らで毛繕いをしていたイーブイに聞いてみるも、即答でそっぽを向かれてしまった。

 

「ちょっとくらい考えてもいいじゃない! はぁ……もういいわ、あんたボールに戻ってなさい」

 

 溜息を吐いてイーブイをモンスターボールに戻す。イーブイのマイペースな性格からして進化を拒否することはある程度予想してはいたが、それでもポケモン初心者であるフルーラが進化に期待を抱いてしまうのは致し方ない。

 

「……あっ」

 

 そこで、フルーラは船の前方に何かを見つけて声を漏らす。その声に反応して振り返るナオトとタケシ。

 

「どうした?」

「見て。島が見えてきたわ」

 

 フルーラに促されて、指を差された方向を見やるナオト達。確かに水平線から島が浮かび上がってきているのが確認できた。

 

「そういえば、そろそろお昼時だな。せっかくだし、あの島でランチにしようか」

「賛成! もうお腹ペコペコだもの。ナオトとアイちゃんもいいわよね?」

「ああ。別に構わないよ」「ミャウ!」

 

 タケシの提案にフルーラ達は頷き、一行はその島に船首を向けるのであった。

 

 

 

 

「……これは」

 

 船の上から海を見下ろして眉を八の字にさせるタケシ。ナオトとアイも困ったように顔を曇らせている。

 島へ向けて船を進めたはいいものの、途中障害にぶち当たって行き詰まってしまった。幾つもの激しい渦巻きが島を囲んでいたのだ。これ以上近づけば、渦に巻き込まれて船諸共海に引きずり込まれてしまうだろう。

 

「……残念だけど、あの島でランチは諦めるしかなさそうだな」

「まあ、仕方ないよ」「ミャウ……」

「何言ってんのよ、あんた達」

 

 島で落ち着いてのランチは諦めるかという話になってきたところに、フルーラの何をバカなと言ったような口振り。ナオト達は思わず顔を見合わせて操縦席を振り返った。

 

「何って……見れば分かるだろ? こんな渦が囲ってる中を船が通れるわけ──」

「アーシア島の子なら、これくらいの渦なんてことないわ。さ、行くわよ。しっかり掴まってて!」

 

 そう言うや否やフルーラはアクセルを全開にして船の速度を上げた。ナオト達が慌てて手すりに掴まる中、船体は渦と渦の間の僅かな隙間に滑り込んでいく。

 一見上手く通り抜けられそうに見えた。だがしかし、やはり猛烈な渦の流れに船のハンドルが取られ、引きずり込まれそうになってしまう。

 

「おい! やばいぞ!」

「フルーラ、諦めよう! 船を戻すんだ!」

 

 傾いた船体の上で必死に手すりに掴まりながらそう訴えるナオトとタケシ。アイはナオトの足にしがみついている。

 

「冗談。ここまで来たら後戻りなんてできないわ」

 

 阿鼻叫喚の中、フルーラは不敵な顔で唇を舐める。そして、おもむろに操縦席の下に備え付けられた取っ手を引っ張った。

 すると、なんとギミックが作動して帆が開いたではないか。このモーターボートは帆船にもなることができる仕掛けになっていたのだ。

 

「は……?」

「ミャ~……」

 

 ナオト達が呆然としているのを横目に、フルーラは帆を操作する取っ手を器用に扱い、海から島の方へ吹く海風を利用して見事に船を渦から脱出させた。

 そのまま流れるような動作で浜辺に船をビーチングさせ、用済みとなった帆を仕舞う。

 

「……ふぅ。ま、ざっとこんなもんね」

 

 取っ手を離し、手の平を合わせてパンパンと叩くフルーラ。

 

「このバカ! 失敗してたらどうするんだよ!」

 

 案の定、顔面蒼白のナオトが文句を捲し立て始めた。しかし、若干腰が抜けて手すりを支えにしている状態なので迫力はない。

 

「失敗しなかったんだからいいじゃないの」

「そういう問題じゃないだろ! 大体ランチなんて船の上でもできるんだから、無理にこの島に来なくたって良かったじゃないか!」

「この程度の渦は時期によってはアーシア島にだって出来るわ! 渦越えができなきゃ船の運転はしちゃいけないことになってるくらいなんだから!」

「だからって──」

「まあまあ、二人共」「ミャウミャウ」

 

 本格的な喧嘩に発展する前にタケシとアイが間に入って仲裁する。二人はまだ文句ありげだが、とりあえずは落ち着いてくれたようだ。

 とにもかくにも、一行は渦囲む島に上陸することに成功したのだった。

 

「……で、上陸したはいいものの」

「うん。これは見事な断崖絶壁だな」

 

 ところが、この島は浜辺のすぐ目の前がタケシの言う通り反り立つ絶壁となっていた。ギリギリまで下がって仰ぎ見れば、自然豊かな緑が僅かに顔を覗かせているのが見て取れる。

 

「あの上で海を眺めながらランチできれば、最高だろうな」

「そうね。どこかに登れそうなところがあればいいんだけど……」

「ミャウ、ミャウミャ」

「うん? ……おい、あれ」

 

 フルーラ達が蔦でも降りてないか辺りを見回していると、ナオトがアイが指し示した先を見て彼女らに声をかけた。そちらの方向へ目をやると、そこにはフルーラ達の船とは別の船が停泊していたのである。砂浜には足跡が残っており、それが続く先の崖には縄梯子。島に自分達以外の者がいる証拠だ。

 

 その縄梯子を使って崖を登り、ナオト達は島の内部に入り込む。縄梯子を登った先の崖の上は、自然豊かな平原と森が広がっていた。遠くには山も見え、あちこちの木々にはピンク色の木の実が沢山生っている。

 振り返れば、見渡す限りの海。崖の上から眺めるそれはまさに絶景で、海風と共に香る潮の匂いが気持ちを落ち着かせてくれた。

 

「できれば、さっきの船の持ち主と会っておきたいけど……とりあえずはランチにするか」

「ええ! ……って、そういえばランチって言っても私達お弁当なんて買ってないわよ」

 

 そう。ポンカン島で買ったのは水と果物ぐらい。島と島の間隔がそこまで離れていなかったおかげで、今の今までナオト達はまともな食事をする際はポケモンセンターやレストランなどで済ませていたのだ。

 

「大丈夫。必要な食材は俺が買っておいたから」

 

 どこに仕舞っていたのか、タケシはおもむろに取り出したピクニックテーブルを組み立て、鼻歌を歌いながら食事の準備をし始めた。「ミャウ!」と鳴いてアイもそれを手伝う。

 

「そっか。タケシくんって料理できるのよね。ウチキド博士が言ってたわ」

「ぐふっ!? ウ、ウチキド博士……」

「あああっ、ごめんごめん! ほら、料理に集中して忘れましょ!」

 

 不用意な発言でダメージを受けたタケシを慌ててフルーラは励ます。

 弱々しく頷いたタケシの目からは大粒の涙が流れている。剥いているのは玉葱ではなくジャガイモだが。

 

 その時、ナオトのベルトホルダーに取りつけられたモンスターボールの内の一つが勝手にポンと開き、中からゲンガーが出てきた。

 

「ゲンゲラ!」

「えっと、タケシ。ゲンガーも何か作りたいって言ってるみたいなんだけど……」

「そ、そういえば、ナオトのゲンガーは、スイーツ作りが好きなんだよな。じゃあ、デザートを頼むよ。道具は、ぐすっ、俺のを好きに使っていいから」

「ゲン!」

 

 タケシの了承を得て、ゲンガーは嬉しそうに愛用のエプロンを着てテキパキと準備を始めた。

 オーブンや冷蔵庫もない場所でどうやってスイーツを作るのだろうかと思うだろうが、大体はポケモンの技で代用できるのである。

 

「し、しばらくかかるだろうから、出来上がるまで、て、適当にくつろいでてくれ……ズズッ」

「分かった」

「う、うん。ごめんね? ホントに」

 

 言われた通り、フルーラはタケシが用意したピクニックテーブルの椅子に座る。頬杖を突いてふと横を見れば、隣でナオトが布巾を使ってGSボールの手入れを始めていた。

 

(そういえば、サトシって子に渡すように言われてるんだっけ)

 

 フルーラは完全にGSボールの存在を忘れていた。致し方ない。妙に影の薄いボールだから。

 

「ねえ、ナオト」

「何」

「私、みずのいしをもらったはいいけど、イーブイの進化系のことよく知らないじゃない? そもそもポケモンの知識もあんまりないままだし。だから色々教えてよ」

 

 そう顔を近づけて強請るフルーラに、ナオトは少し顔を赤らめて腰を引く。条件反射的にポンカン島での水着姿を思い出してしまったのだ。フルーラはフルーラでまさか未だにナオトが水着のことを意識してるとは思っておらず、その態度に気づかないでいる。

 

「……ぼ、僕より、タケシに教えてもらった方がいいよ」

「タケシ君は料理中じゃないの」

 

 ごもっとも。溜息を吐いたナオトは、「それじゃあ」とポケットから何かを取り出してフルーラに手渡した。以前も目にした、カロス地方のポケモン図鑑だ。受け取ったその図鑑をフルーラはしげしげと眺める。

 

「前から思ってたけど、この図鑑って妙に次世代的よね。画面とか透けてるじゃない」

「気のせいだろ。とにかく、それ見れば最低限の知識は得られるから」

 

 そう言って、自分の作業に戻るナオト。GSボールを仕舞って、今度はコイキングとクリスタルのイワークが入ったモンスターボールを手入れし始めた。

 放り出されたフルーラは整った眉を上げていかにも不満げ。しかし、図鑑自体にも一応興味はあったので、とりあえずは楽しそうにお尻を揺らしながらスイーツを作っているゲンガーをスキャンしてみる。

 

『ゲンガー。シャドーポケモン。ゴースの最終進化系。突然寒気がするのは、ゲンガーが周りの熱を奪っているから』

「別にナオトのゲンガーは近くにいても寒気なんかしないけど」

「ゲンガー自身が寒気を出さないようにコントロールできるんだよ」

 

 ふ~んと相槌を打つフルーラ。

 なんだかんだ補足してくれる彼に少し気を良くしつつ、今度はタケシを手伝っているアイに図鑑を向けてスキャンしてみる。

 

『データなし。この世界には、まだ知られざるポケモンがいる』

「え?」

 

 しかし、どういうわけかゾロアの情報ではなくエラー的なメッセージが出てしまった。もう一度試みるも、やはり結果は同じ。

 

「ナオト、この図鑑壊れてるわよ。クルーズ船から放り出された時に海水被っちゃったせいじゃない?」

「壊れてなんかないさ。その図鑑はインド象が踏んでも大丈夫なほど耐久性バツグンだし、水に浸かっても壊れないんだぞ」

「インド象って何よ。でもほら、アイちゃんをスキャンしてもデータなしって出るわよ」

 

 ナオトはフルーラの話を聞いて、「ああ」と合点が行ったように頷く。

 

「なんでか知らないけど、アイだけは正常にスキャンできないんだよな。色違いなのが関係してるのかも」

「じゃあ、クリスタルのイワークもデータなしって出るのかしら?」

「いや、普通にイワークのデータが出たよ」

「……やっぱ壊れてんじゃない?」

 

 しつこく言っても、頑なに「壊れてない」と認めようとしないナオトに、フルーラは溜息を吐く。

 そこでナオトが作業の手を止めて顔を上げ、タケシの方を見た。相変わらず半ベソをかいているのをアイに慰められている。

 

「なんでタケシ君の方見てるのよ」

「……いや、料理ができる人がいると頼りになるなと思って」

「あら、ウチに泊まってた時私も作ってあげたじゃない」

「あのな、果物切るだけじゃ料理って言えないだろ」

 

 そう返すと、いい加減フルーラがすぐ隣を座っている状況に我慢できなくなったナオトは手入れしていたモンスターボールをテーブルに置き、腰を上げた。

 

「ちょっと、どこ行くの?」

「タケシを手伝うんだよ。アイ達が手伝ってるのに僕だけ何もしないのもどうかと思うし」

 

 そのままナオトはタケシの元へ行き、彼を手伝いながらようやく解放されたとばかりにイワークの話をし始める。

 

(……何よ、もう)

 

 暗に避けられて膨れっ面のフルーラ。テーブルにだらりと脱力したように突っ伏す。

 頰を擦りつけたままふと振り向けば、平原の先に鬱蒼と広がる森が目に入った。いかにもポケモンが住んでいそうな場所だ。

 

 そうだわ、と閃く。自力でポケモンをゲットしてきて、ナオトのヤツを見返してやろう。きっと驚くに違いない。

 思い立ったらすぐ行動のフルーラはポシェットを肩にかけ、ナオト達を置いて一人で森の方へと走っていってしまったのだった。

 

 

 

「…………あれ? ナオト、フルーラはどこに行ったんだ?」

「え? いや、知らないけど」

「ミャウミャー!」

 

 フルーラが森の中に入ってから少しして、彼女がいなくなっていることにようやく気付いたナオト達。

 

「話に入り込めなくて、退屈させてしまったのかもしれないな……」

 

 タケシが申し訳なさそうにしている横で、アイが元のゾロアの姿に戻って辺りの匂いを嗅ぎ始める。

 

「……ミャッ、ミャウ!」

「アイ、こっちか? ……あのバカ、一人で森の中に入ったのか」

 

 アイの指し示した方角を見やり、その先に生い茂る森を認めて頭を抱えるナオト。

 タケシもそれを確認すると、ふむと顎に手を添えて少しばかり考え、口を開く。

 

「ナオト、フルーラを追いかけに行ってくれ」

「え、僕が?」

「ああ。お前じゃなきゃ駄目だ。俺達はその間にランチの準備を済ませておくから」

「ミャウ!」「ゲンガァ!」

 

 と、ナオトに言い渡してスープを煮込んでいる鍋に向かうタケシ。なぜかアイとゲンガーも笑顔でいってらっしゃいと手を振っている。行かなかったら強引にでも放り出されそうだ。

 

「……ったく、分かったよ」

 

 ナオトはしょうがないとばかりに自分のバッグを拾い上げ、フルーラを追いかけるために森へと入っていった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 一方、視界を遮る草木を掻き分けて森の中を進むフルーラ。

 

 奥へ入っていく内に、森はどんどん深くなっていった。陽の光も少ししか差し込んでこない。普通の女の子というか子供であれば怖気づいて引き返すかするところだが、気の強いフルーラは物怖じしない。ズンズン森の奥へと進んでいく。

 

 ──ガサッ

 

「っ! 早速来たわね」

 

 草むらの動く音がフルーラの耳に届く。

 音のした方を振り向き、フルーラはポシェットから小さい状態のモンスターボールを取り出して身構えた。もちろん、ナオトから拝借した物ではなく自分で買った物だ。

 

「ナゾッ」

「あ、あれ?」

 

 草むらから出てきたのは、ナゾノクサであった。既にダイダイ島で出会ったことがあるポケモンだ。

 だが、それにも関わらずフルーラは驚いた。そのナゾノクサは記憶にある藍色ではなく、ピンク色の身体をしていたからだ。

 

「えっと……そうだ!」

 

 念のため、フルーラはナオトから借りたままのポケモン図鑑をポケットから取り出して確認してみる。やはり、図鑑に映し出されたナゾノクサの身体の色は藍色をしている。

 

「これって、もしかして色違いってこと?」

 

 無意識の内に高揚するフルーラ。何はともあれ、珍しいポケモンには違いない。ゲットすればナオトだって絶対に驚くはず。

 早速ゲットしなくては。ゲットするには……そう、まずバトルだ!

 

「出てきて! イーブイ!」

 

 宙に投げられたモンスターボールから開き、薄暗い森の中を光が照らす。それが収まると共に、柔らかい土の上にイーブイが降り立った。

 

「イーブイ、たいあたりよ!」

「……ブァ~」

「こらッ! 欠伸してんじゃないの! た・い・あ・た・り!」

 

 大声で指示を飛ばすフルーラにイーブイはやれやれとばかりに首を振って駆け出す。ナゾノクサはオロオロしていて避ける様子はない。

 

「ブイッ!」

「ナッゾォ!?」

 

 イーブイのたいあたりを受けたナゾノクサはボヨンボヨンと跳ねて地面を転がっていく。

 

「いいわよイーブイ! お願い、モンスターボール!」

 

 モタモタして逃げられてたら困る。フルーラは間髪入れず目をグルグル巻きにさせているナゾノクサに向けてモンスターボールを投げようとする。

 ──が。

 

「えッ!?」

 

 横から飛んできた黒いチューリップがフルーラの握っているボールを掠め取ったのだ。

 

「な、何!?」

「な、何!? と聞かれたら──」

 

 フルーラの漏らした言葉を繰り返す声がどこかから聞こえてくる。なんだか無駄に仰々しいBGMが流れてきそうな雰囲気と共に、目線の先の木の陰から何者かが現れた。

 

「普通は絶対答えない。それがホントのロケット団。でも──」

「またあんたね! ドミノ!」

 

 口上を遮られて思わずズッコケてしまうドミノ。

 

「ちょっと! 台詞を中断させるんじゃないわよジャリガール!」

「何よ、あんたそんなキャラじゃなかったでしょうが」

「うっさいわね! 貴方達ジャリ共に散々邪魔されてこっちはエリートから下っ端に格下げされたんだから! 無理やりテンション上げて行かないとやってられないのよ!」

「そ、そう。大変なのねあんたも……」

 

「ナ、ナゾ~」

 

 そんな話を呑気にしている間に、ナゾノクサは意識を取り戻して草むらの奥へ逃げていってしまった。

 

「ブイッ!」

「え? あ、そうだった! ピンクのナゾノクサ!」

 

 イーブイの鳴き声でようやくナゾノクサのことを思い出したフルーラが慌てて辺りを見回すが、時既に遅し。

 

「ナゾノクサなら、とっくの昔に逃げてったわよ」

「ええ!?」

 

 告げられた事実にフルーラがガーンッと落胆の顔を隠せず、右手に握ったモンスターボールを取り落とす。

 

「……もう、あんたが邪魔するからよ!」

「あら、人のせいにしないで欲しいわね。貴方がトレーナーとして未熟だっただけでしょう?」

「そっちだってポケモン初心者のくせに!」

 

 言い返すフルーラであるが、対するドミノは不敵な笑みを漏らし、自慢げな目を彼女に向けた。

 

「ウフフ、貴方みたいなマセジャリと違って、私はもうこの島で新たなポケモンをゲットしたのよ。それも、色違いのヤツをね」

「嘘っ!?」

「本当よ。今証拠を見せてあげるわ。出てきなさい!」

 

 ドミノが懐から取り出したモンスターボールを放り投げる。木々の隙間から覗く陽の光を僅かに反射しながら開かれるボール。

 中から出てきたのは、ピンク色の身体をした──まるでコイキングのようにボケッとした表情のポケモンであった。地面に降り立っても、口は半開きのまま。ピクリとも動こうとしない。

 

「見なさい! 全く素晴らしいわね、この島は。ピンク色をした珍しいポケモンがわんさかいるんだもの。このまま島中のポケモンをゲットしてサカキ様に献上すれば、またエリートに返り咲くこと間違いなしだわ!」

 

 心底愉快そうに笑い声を響かせるドミノ。

 

「……何か、どっかで見たことある気がするポケモンね。アーシア島に似たのがいたような……」

 

 フルーラはそう呟きながら、冷静に図鑑で確認する。

 

『ヤドン。まぬけポケモン。いつもぼ~っとしていて、何を考えているのか分からない。尻尾で餌を取るのが得意』

 

 表示されたのは、目の前のヤドンと同じピンク色の身体をしたポケモン。色々と察したフルーラは思わず吹き出した。

 

「ぷっ、あは、あはは!」

「な、何がおかしいのよジャリガール!」

「あ、あんたね。そのポケモンは元からピンク色なのよ? しかも……ま、まぬけポケモンですって。ひどいけど、あんたにお似合いじゃない! あははは!」

 

 お腹を抱えて大笑いするフルーラ。

 ドミノが持っていたポケモンを調べる端末は覚えている技の情報を表示する機能しかなかったのだ。

 

「っ! ……この、ヤドン! みずでっぽうよ!」

 

 癪に障ったドミノは眉を吊り上げ、ヤドンにみずでっぽうを命令する。

 

 

「………………ヤド?」

 

 

 ──しかし、ヤドンはぼ~っとしたまま間抜け面を晒すだけ。数秒経ってからようやく首を傾げたのみで、技を放つ様子は一向にない。

 

「~~っ!」「イブフフッ」

「ちょっと! みずでっぽうって言ってんでしょ!」

 

 手で口を塞いで笑うフルーラ。イーブイさえ笑いを堪えられないでいる。

 ドミノはもう一度みずでっぽうを命じたが、ヤドンは何を考えているのかよく分からない顔でやはり宙をぼけ~っと見続けている。

 

「この……さっさと攻撃しろっつってんだろうがッ!!」

 

 堪忍袋の尾が切れたドミノがヤドンの尻尾をドスッと思いっきり踏みつけた。

 

「……ヤッ」

 

 数秒遅れて、ついにヤドンが口からみずでっぽうを吐き出す。吐き出されたみずでっぽうは明後日の方向、草むらの方へと飛んでいく。

 

 

「…………グルルル」

 

 

 何やってんだかとフルーラが笑いを堪えていると、草むらの奥から唸るような低い鳴き声が聞こえてきた。

 その声の主は、草むらをガサガサと掻き分けてその体高1メートルほどの巨体が姿を現す。鼻先に鋭い角。岩のようにゴツゴツとした身体。

 

「あ、あれは……」

『サイホーン。とげとげポケモン。とにかく頑丈で攻撃力、防御力共に優れている』

 

 フルーラが図鑑で現れたポケモンを確認する。だが、図鑑の画像とはやはり色が違う。このサイホーンもピンク色の身体をしていた。

 

 ズサーッ、ズサーッ

 

 唸り声を上げながら前足で地面を引っ掻くサイホーン。いかにも怒っていますと言わんばかりにその顔を歪めている。

 よく見れば、背中の辺りがぐっしょりと濡れている。恐らく、先程のヤドンのみずでっぽうが当たってしまったのだろう。

 

「これは……」「ブ、ブイ」

「やな予感……」

 

 この後の展開を予想して、後ずさるフルーラとドミノ。

 

 

「グルルオォォーー!!」

「ひゃああぁーーー!!」

 

 

 案の定、熱り立ったサイホーンがフルーラ達に向かってとっしんを仕掛けてきた。

 脱兎の如く逃げ出すドミノ。フルーラは慌ててイーブイを抱え、少し遅れる形でドミノと同じ方向に逃げ始める。その間に、ドミノのヤドンはサイホーンにふっ飛ばされて星になった。

 

「ちょっとドミノ! あんたあっちに逃げなさいってば!」

「ジャリガールこそあっち行けってのよ!」

 

 並んで走るフルーラとドミノ。そんな不毛な争いを繰り広げている内に、サイホーンはドスドスと地面を揺らして砂を巻き上げながら二人の背後へどんどん迫ってくる。

 

「あいつ、どこまで奥に……って、やっと見つけた」

 

 そこへ、二人が走っている方向の先にある横の草むらから、フルーラを探しに来たナオトが現れた。状況を分かっていないナオトは仲良く並んで走っているフルーラとドミノを見て、驚きと困惑の混じった目を彼女達に向ける。

 

「おい、お前らいつの間に仲良くなったんだ?」

「「んなわけないでしょうがッ!!」」

 

 呑気に聞くナオトへ同時にツッコむ二人。やっぱり仲良いじゃないかとナオトはジト目を返した。

 

「サイホーンに追っかけられてるのよ!」

「サイホーン?」

 

 必死の形相のフルーラの肩越しに向こうを見やるナオト。ピンク色のサイホーンが迫ってきているのを見て、感嘆の声を上げる。

 

「色違いのサイホーンか! でも、発見されてるヤツよりも少し色が薄い気が……」

「もう、このポケモンオタク! 悠長に観察してんじゃないの! イーブイ、あんたは私の肩に乗って!」

「ブッ」

 

 ナオトの首根っこを引っ掴み、イーブイを肩に乗せて再び走り出すフルーラ。ドミノはとうの昔に彼女らを通り過ぎて先に逃げてしまっている。

 そうしてサイホーンとの追いかけっこを続けていると、視線の先に吊り橋が架かった谷が見えてきた。木製の吊り橋で、遠目から見ても経年劣化が激しい。

 

「さすがにあの橋を渡っては来れないでしょ! ナオト!」

「分かってる!」

 

 フルーラとナオトは迫りくるサイホーンから逃れるため、橋を渡り始める。縄が軋んで、恐怖心を煽る嫌な音が彼女らの耳に届く。

 が、劣化した見た目とは裏腹にしっかりした作りをしているようで、体重の軽いフルーラ達が乗って崩落する様子はない。これなら大丈夫そうだと、二人の顔に余裕の色が浮かぶ。

 

 しかし、橋を途中まで渡ったところで気付く。橋の向こう側に、先に逃げていったドミノが立っていたのだ。

 

「ハァイ♪」

 

 ドミノはニッコリと笑顔を浮かべてナオト達に手を振っている。フルーラ達の目線はそちらではなく、もう一方の手に注がれる。

 その手に握られているの、ナイフ。その刃先が、この橋の命綱とも言えるロープに当てられていた。

 

「あいつ……!」

「ナオト! 戻りましょう!」

 

 慌てて二人は回れ右して来た道を戻り始める。

 

「残念。もう遅いわ」

 

 しかし、無情にもナイフの一振りでロープは切られ、片方の支えを失った橋が一瞬にして立っていられないほど大きく傾き始める。

 

 必死に残ったもう片方のロープにしがみつく二人。ドミノがそのロープも切ろうとする様子はない。必死な様子を見て楽しんでいるようだ。

 ロープにぶら下がった状態で恐る恐る下を見下ろせば、谷底に結構な勢いで川が流れているのが見えた。

 

「……まずいな」

「でも、下が川で助かったわ」

 

 が、ナオトは駄目だと言わんばかりに首を横に振る。フルーラはロープにしがみつきながら首を傾げた。

 

「どうして? この高さなら落ちても大丈夫だってば」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「じゃあ何よ?」

 

 聞かれて、ナオトは視線を泳がせる。そして、もう隠せないとばかりに諦めの溜息を吐いて、答えた。

 

 

 

「…………僕、泳げないんだ」

 

 

 

 衝撃の事実に、フルーラは開いた口が塞がらない。

 

「え? え? ど、どういうことよ!? あんた、ナツカンジムで海上レースしてたじゃない!」

「ジム戦でそんなことするなんて知らなかったし、あそこまで来てやめるわけにもいかないだろ!?」

「そうだけど……あんたよくそれで無事にアーシア島まで流れ着いたわね!?」

「それについては全くもって同意見だよ!」

 

 フルーラがもっともなツッコミを入れ、ナオトがヤケクソ気味に返す。

 ロープにぶら下がりながら足をバタバタさせて口喧嘩をしている様はなんとも滑稽であった。フルーラの肩に乗っているイーブイはもはや考えることをやめた顔をしている。

 

「グルォォッ!」

「「あっ」」

 

 そこへ、追いついたサイホーンが勢い余ってもう片方のロープが繋げられている柱をその角で倒してしまう。

 当然、支えを失ったロープは柱ごと谷底に落下していく。ロープにしがみついていたナオト達ごと。

 

「うわああぁぁ!」「ナ、ナオト!」

 

 落ちながらナオトに手を伸ばそうとするフルーラ。しかし、その手が彼の手を握ることは叶わず、ドボンッ! と水柱を上げて川に落ちてしまう。

 

「あっはっは! ザマァみなさい!」

 

 ナオト達が川を流されていく様子を見て高笑いするドミノ。

 

「さぁてと……邪魔者はいなくなったし、この島のポケモンを根こそぎ頂いていこうかしらね」

 

 そう意気込んで橋を失った谷から背を向けようとする。

 

 

「────ャァァアア~~~……ドッ」

「ごッ!!?」

 

 

 ──が、そんなドミノの後頭部に先程サイホーンにふっ飛ばされたヤドンが落下、直撃した。

 バランスを崩したドミノはそのままふらりと前のめりになり、足を踏み外す。

 

「なぁんで! こうなんのよおおぉぉ…………」

 

 ナオトとフルーラに続く形で、ドミノもまた谷底に流れる川へと落ちる。

 それは、エリートから失脚した彼女の行く末を体現させるようであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 昼食の支度をしながら、ナオト達の帰りを待っているタケシとアイ達。

 

「二人共、遅いな。どこまで行ったんだろうか」

「ミャウ……」「ゲン……」

 

 スープとデザートも出来上がって何時でもランチが食べられる状態だが、肝心のナオト達は一向に帰ってくる様子がない。アイ達も心配そうな顔つきで森の方を眺めている。

 肝心のナオトはコイキングとクリスタルのイワークが入ったモンスターボールをテーブルに置いたままにしているのだ。一応他にも後二匹ポケモンを連れているはずだが、それでも心配なことには変わりない。

 

「……よし。俺達もちょっと探しに行ってみるか」

「ミャ!」「ゲンガァ!」

 

 二人を探しに、タケシが椅子から腰を上げようとする。

 

 ──ブロロロロッ!

 

 その時、タケシの耳に車のエンジン音が届く。

 島の奥、ナオトがフルーラを追いかけていった森とは違う方向から、猛烈な勢いでジープが走ってくるのが見える。それは急ブレーキの甲高い音を立てながら華麗にドリフトを決め、土煙を巻き上げながらタケシ達の前で急停止した。

 運転していた人物が車から降りてくる。水色の制服を着た人物──ポケモンポリスのジュンサーだった。

 

「おおおッ! ジュンサーさん! こんなところでお会いできるなんて、何たる幸運! いや、これは運命に違いない! どうでしょう、この青く澄み切った海を見渡しながら自分と優雅にランチなど……」

「ミャア! ミャウミャ!」

 

 ジュンサーと分かった途端に歓喜の声を上げたタケシは、彼女の手を取って気取った口調でランチに誘った。アイがそんなタケシの服の裾を引っ張って、そんなことしてる場合じゃないでしょ! と怒っている。

 

 ──ガチャッ

 「え?」

 

 が、次の瞬間、彼女の手を握っていたタケシの両手に手錠が掛けられた。

 

「貴方を、立ち入り禁止区域への不法侵入の罪で逮捕します!」

「……えええええええぇぇぇーーーッ!!?」

 

 

 




次のジムへ向かうのに大体二つの島での話を書く形になっています。

後編は明日投稿する予定です。
本当は来週投稿するつもりだったんですけど、まあお盆スペシャルということで。

■タケシ
イワークの身体を定期的に磨く話については
無印編第193話の「タケシたおれる! あぶないキャンプ!!」から。
サトシ達が風邪を引いて倒れたタケシの代わりにイワーク達の世話をしようとしてかなり苦労する。タケシのありがたさとすごさが分かる回なのでオススメ。

■ナオトのゲンガー
ゴーストの頃からナオトの親代わりをしていた。
エプロン着てお尻をフリフリしながら料理しているゲンガーを想像してみて。
超かわいい。

■アイ(ゾロア)
どういうわけかポケモン図鑑でスキャンできない。
あくタイプにも関わらずエスパータイプの技が得意なのも謎に拍車をかけている。

■ピンクのサイホーン
なぜかピンク色の体をしているサイホーン。
というか、この島のポケモンはみんなピンク色をしている。
どうしてピンク色なのかは次の話で。

■ドミノ
ボス直々の指名による任務を失敗し、以降目立った成果も挙げられなかったのでエリートから下っ端に降格させられた。
汚名返上に必死になるあまりテンションがどこかの三人組のようなギャグ調になりつつある。アイツラも初登場時はクールな感じだったしね。
下っ端になったことで兵器が提供されなくなったので、今回の話で投げた黒いチューリップはマジックで黒く塗っただけのただのチューリップ。





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12. ピンクのポケモンじま ② ▼

 足がつかない。視界は気泡に覆われて真っ白。口を開けば、大量の水が我先にと流れ込んでくる。

 力なく浮かぶ手が、叩き起こさんとばかりに力強く掴まれた。

 

「──ったくもう! ホントに世話が焼けるんだから!」

 

 フルーラは溺れているナオトの手を引っ張り、自分の方へと引き寄せた。意識のないナオトをそのまま抱え、何とか流れに飲まれないように体勢を整える。

 

「イーブイ! しっかり掴まって! 離しちゃダメよ!」

「……ブッ!」

 

 フルーラの肩にしがみついているイーブイが鳴き声を返す。何とか這い上がれそうな岸がないか探すが、右も左も見えるのはそびえ立つ崖。

 舌打ちをしたくなるのを抑えながら前方に目を向けると、まずいことにすぐ先は滝になっていた。

 

 逃れる術もなく、二人は宙に放り出される。

 30メートルほどの高さから滝壺に叩きつけられたが、幸い大事には至らなかった。しかし、衝撃でフルーラはナオトの身体を手放してしまった。

 

(しまっ──)

 

 慌てて水面に顔を出すフルーラ。川の流れは先ほどまでとは打って変わって緩やかになっている。

 

「イーブイ! あんたはここで待ってて!」

「ブ、ブイッ」

 

 肩にかけたポシェットごとイーブイを放る。ナオトを助けるため、フルーラは大きく息を吸って再び水の中に潜った。

 くぐもった滝の落ちる音に包まれる中必死に辺りを見回すが、滝壺のすぐ傍とあって気泡が多く視界は最悪。それでも目を凝らして周囲を探る。そして下を見下ろすと、滝壺深くまで落ちかけているナオトを見つけた。

 

(……ナオト!)

 

 フルーラはすぐさま両足の裏で水を蹴り、水圧を物ともせずに10メートルの深さを底へ底へと潜っていく。気泡の隙間に見えるナオトから一瞬たりとも目を離さず。

 そして底に辿り着き、素早く彼の身体を抱えて浮上しようとする。

 

(──!?)

 

 だが、浮上できない。

 水面へ向けて水を蹴っても蹴っても、まるで上から押しつけられているかのように底へと戻されてしまうのだ。

 

 フルーラはナオトを助けたい一心で、滝壺の危険さを失念してしまっていた。

 滝壺は落下してきた水の流れと川底から水面へと向かう流れが繋がって、いわば対流のような構造になっているのである。その流れに捕まってしまったら最後、水面に上がることは叶わない。

 

(冗談じゃないわ! まだ海に還るには早すぎるんだから!)

 

 生き物は死を迎えると、全ての生命の源である海へと還る。小さい頃に長老から言い聞かされた話を、フルーラは泡を払うように頭を振って消し去る。

 なんとか浮上すべく、底に押し戻された状態から流れの外側へと逃れようと必死に泳ぐ。が、ナオトという人間一人を抱えている状況では思うようにいかない。

 

 もし彼を手放せば、恐らくは助かるだろう。

 それでも、フルーラは決して彼を抱える手を放さなかった。

 

 島育ちのフルーラは当然泳ぎが得意で、その技術たるや大人顔負け。アーシア島では一番長く水の中に潜っていられる。

 だが、そんな彼女でも限界はある。

 

(……や、ば)

 

 だんだんと、そして急激に苦しくなっていく。まるで、這い寄ってきた死が足を掴んだかのように。

 ついに限界を迎え、開いた口からごぽりと泡が零れる。

 

 それでもフルーラは最後の力を振り絞り、はるか上へ向けて手を伸ばす。

 水面に差す陽の光が目に入る。その輝きは、決して届かないということを彼女に突きつけているようであった。

 

 

 意識が、遠のいていく──

 

 

 

「──シャワッ!」

 

 

 

 刹那、水中を照らす陽光を遮るようにして黒い影がフルーラの目の前に飛び込んできた。

 何だと瞬きする間に水に溶け込むかのようにして姿を消す影。かと思えば、フルーラとナオトの身体はまるで下から押し上げられるようにしてあっという間に水面へと浮上していった。

 

「──はぁっ! ゲホッ、ゲホッ」

 

 なんとか水面へ浮上し終え、滝壺から離れるフルーラ。咳き込みながらも、空気を求めて必死に呼吸する。

 さすがのフルーラも危機一髪の状況から逃れたばかりでは泳ぐ気力もなく、気を失っているナオトを抱えながらしばし緩やかな川の流れに身を任せた。そんな彼女の元へ、水面に生じた波が意思を持っているかのように近づいてくる。思わず身構えるが、波の動きは目の前でピタリと止まった。そして、水面が膨れ上がる。

 

「……え?」

 

 そこからゆっくりと顔を出したのは、ヒレのような形の耳に水色の鱗で覆われたポケモンであった。

 どこからどう見てもフルーラの知らないポケモンだ。しかし、どういうわけか彼女はそのポケモンに既視感を覚えた。知らないのに、けれど知っているような不思議な感覚。

 

「あんた、もしかして……イーブイ?」

 

 水色のポケモンは、返事をする代わりにピシャリとヒレのついた尻尾で水面を叩いた。その様は、まるで人魚を彷彿とさせた。

 そう。目の前のポケモンは紛れもなくフルーラのイーブイ。ポシェットに入っていたみずのいしを使って、進化したのだ。

 

 進化したイーブイを認識したのか、フルーラのポケットに入ったままになっているポケモン図鑑の解説が再生──ナオトの言う通り、耐水性はバツグンのようだ──される。

 

『シャワーズ。あわはきポケモン。イーブイの進化系。体の細胞の作りが水の分子に似ているので、水に溶けることができる』

「そっか。私達を助けるために……ありがとう、シャワーズ」

 

 先程の黒い影はこのシャワーズだったのだ。水に溶けた状態で、フルーラ達を上へと押し上げたのである。

 感極まったフルーラは、未だ意識を失ったままのナオトを抱えながらもう片方の手でシャワーズを抱き寄せた。シャワーズは若干うっとおしそうにしながらも受け入れてくれている。どうやら、性格は進化する前とあまり変わらないようだ。

 

「……?」

 

 その時、空から粉のような物が降り注ぎ、水の光に反射して煌めいた。

 顔を上げてみると、蝶の姿をしたポケモンが二匹。片方はピンク色の身体をしており、もう片方は藍色の身体に黄色いスカーフを首に巻いている。

 

 二匹はフルーラ達を案ずるように見下ろすと、鱗粉を纏った羽を羽ばたかせて川下の方へと飛んでいった。

 何気なくそれを目で追っていたフルーラは、その先が岩山を貫流した洞窟となっているのに気づく。その中には、水に浸っていない岩岸があった。

 

「あそこで休めそうだわ。シャワーズ、ナオトを運ぶの手伝ってくれる?」

「シャア」

 

 フルーラはシャワーズは協力して死に体のナオトを泳いで運んだ。

 岩岸に上がって、安堵の溜息を吐く。洞内は鍾乳洞になっており、奥行きの広い空間が広がっていた。陽が当たらないおかげでひんやりとしており、死に目に会って激しくなっていた動悸を落ち着かせてくれる。

 

 ナオトの方は未だ意識を失ったままだが、幸い水は飲んでいないらしくしっかりと呼吸している。人工呼吸の必要はなさそうだ。さすが腐ってもトレーナーといったところか。ほんの少し残念なようなほっとしたような気持ちを抱きながら、一応横向きにして寝かせておく。

 

「……うっ」

 

 しばしぼうっと天井から垂れ下がる鍾乳石などを眺めていると、寝かせていたナオトが意識を取り戻した。

 

「ナオト、大丈夫?」

「ああ、なんとか……ここは?」

「洞窟の中。川の流れに削られて出来たんでしょうね」

 

 ナオトはまだ意識がはっきりしていないのか、少しばかり目の前を流れる川をぼうっと眺めた。そして、泳げない自分がどうして助かったかを察してバツが悪そうに首に手を添える。

 

「……悪い、僕のこと助けてくれたんだよな?」

「まあ、そうだけど。でも助かったのはこの子のおかげよ」

「この子?」

 

 言われてフルーラの視線を辿ると、そこにはシャワーズがいた。水に足をつけたまま、毛繕いならぬ鱗繕いをしている。その仕草を見て、ナオトはフルーラのイーブイを思い浮かべた。

 

「ひょっとして、イーブイか?」

「ええ。みずのいしで進化して、滝壺から私達を助けてくれたの」

「そうか……ありがとう、シャワーズ」

 

 お礼を言うと、シャワーズはフルーラにしたように尻尾を振って答えた。それを見て、くすりと笑みを浮かべるナオト。

 

「──よい、しょ」

 

 そろそろ意識もはっきりとしてきたところで、隣に座っているフルーラがおもむろにびしょ濡れの服を脱ぎ出した。ナオトは慌ててそっぽを向いて彼女を視線から外す。

 

「ちょっ!? お前また──」 

「違うわよ。このままだと風邪引いちゃうから、脱いで乾かすの。ほら、あんたも脱ぎなさい」

「脱げって……お前は水着着てるからいいだろうけ──ハ、ハクシュッ!」

 

 手を伸ばしてくるフルーラに抵抗しようとしていたところで、くしゃみをしてしまうナオト。身体はブルブルと小刻みに震えている。洞窟の中は思ったよりも冷え込むのだ。

 

「言わんこっちゃない。全部じゃなくてもいいから、上だけでも脱ぎなさいよ。ほらっ」

「分かっ、分かったって。自分で脱ぐから!」

 

 渋々上着を脱ぎ始めるナオト。洞窟の外であれば陽の下に晒されてすぐに乾くだろうが、生憎崖に囲まれていてそれができるスペースはないのだ。

 しかし、下が水着だからといってこうも羞恥心が無いのもいかがなものだろうか。島育ちの人間とは皆こうなのか? ナオトは気恥ずかしさに耐えながらも文句を乗せた視線を向けようとしたが、フルーラの水着姿が視界に入るとすぐにまた目を反らした。シャワーズが呆れた目をしているように見えるのは気のせいだろう。

 

「湿気のせいで全然乾きそうにないわね。火を焚きたいところだけど、燃やせそうな物も道具もないし……」

「そ、それなら大丈夫さ」

 

 適当な岩に濡れた衣服を広げていたフルーラの零した言葉に対して、ナオトはベルトのホルダーからモンスターボールを一つ手に取る。そして、手に握ったまま開いた。

 

「──ブスタァ!」

 

 中から光と共に出てきたのは、赤い被毛をしたポケモンであった。長い耳と首の周りを覆う襟巻きのような黄色い毛が特徴的である。

 ナオトの連れているポケモンの中でもまだ顔合わせしていないポケモンだ。早速、ポケモン図鑑を出して確認するフルーラ。

 

『ブースター。ほのおポケモン。イーブイの進化系。吸い込んだ息は体内の炎袋で千七百度にまで熱せられて炎になる』

「この子もイーブイの進化系なんだ!」

「ああ。ブースター、悪いけど暖を取らせてもらってもいいか?」

「ブゥ」

 

 ブースターは仕方ねえなとばかりに鼻を鳴らすと、ふかふかの襟巻きを広げた。すると、その身体に熱が帯び始める。

 

「わあ、あったかい。シャワーズもこっち来なさいよ」

「馬鹿。シャワーズはみずタイプだから必要ないって」

「あ、そっか」

 

 ブースターから放出される熱で濡れた身体を乾かしながら、フルーラは自分の新しい体の具合を確かめるように川を泳いでいるシャワーズを見つめる。

 

「……ホント、ビックリよね。進化したら姿形も変わっちゃうなんて。性格も変わっちゃうことがあるんでしょ?」

「ああ。だから、進化させたくないトレーナーやしたくないっていうポケモンもいるんだよ」

「シャワーズも元々は進化したくないみたいだったわ。悪いことしちゃったかしら……」

「でも、自分自身で決めて進化したんだろ? それも僕らを助けるために。だったら、後ろめたさを持ったまま接するのはシャワーズに失礼だ」

 

 ナオトの言葉に、フルーラは頷いて答えた。

 そこで会話が途切れて、沈黙が訪れる。川の流れる音だけが、洞窟内で反響してナオト達の耳を打つ。

 

「……そ、そうだ。シャワーズの特性とか覚える技とか教えるよ。図鑑の情報はあくまで簡易的なものだから」

「あ、うん」

 

 頭を掻いていたナオトが気まずさに耐えかねてか、そう言ってシャワーズの解説をし始めた。

 

「タケシからいわタイプのポケモンが身体を定期的に磨かなきゃいけないって教わったけど、みずタイプのポケモンも同じ感じで身体が乾燥しないように気をつけなきゃならないんだ。だから──」

 

 気まずさを誤魔化すためか、いつにも増して解説に力が入るナオト。次第に、フルーラの水着のことも忘れて目の前のシャワーズのことを語るのに夢中になっていく。

 

 そんな彼を微笑ましげに眺めているフルーラ。旅を始めた当初はポケモンのことにそこまで興味がなかったので彼の解説は聞き流しがちであったが、今は違う。ポケモンの話をしているナオトは普段よりも活き活きとしていて、フルーラはそんな彼を見ているのがなんとなく好きになっていた。

 しかし、これだけポケモンのことが好きなのに、彼はポケモンバトルをする時なぜかいつも苦しげな表情をしている。フルーラはそれが少し気がかりになっていた。ナツカンジムでのスキルバトルではそんな節は見られなかったのもフルーラが首を傾げる要因の一つである。

 

「おい、ちゃんと聞いてるのか?」

「ええ、聞いてるわ。でもちょっと早口過ぎるがらもっと落ち着いて話してくれると嬉しいわね」

 

 自分では早く話している自覚がないのか、「……そんなに早口だったか?」と首を傾げるナオト。

 

「そういえばなんだけど、洞窟に入る前に蝶みたいな姿をしたポケモンを見たの」

「それは多分バタフリーだな。カントー地方で蝶と言えば、そのポケモンしかいないよ」

 

 ナオトの答えに、フルーラは「ふ~ん」と呟いて図鑑を確認する。

 

『バタフリー。ちょうちょポケモン。トランセルから一週間で進化する。雨の日でも飛ぶことのできる羽を持っている』

 

 図鑑の画面に映った藍色のポケモンは、まさしくフルーラの見たポケモンであった。

 だが、フルーラが見た二匹のバタフリーの内の一匹は体色が違っていた。恐らくピンク色の方がこの島出身で、もう片方は別の所から来たのだろう。黄色いスカーフを首に巻いていたのが気になるが。

 

 

 ──ゴゴゴッ

 

 

 その時、洞窟の奥から何やら音と小さな振動が伝わってきた。

 

「な、何かしら」

「分からない。行ってみよう」

 

 気になった二人は既に乾いていた服を着直し、ブースターとシャワーズを連れて懐中電灯を手に洞窟の奥へと入っていく。

 

 洞窟の奥は、川が流れていく穴とそうでない穴に別れていた。穴は緩やかな上り坂になっている。

 その穴を進んで川の流れる音が聞こえなくなってきたところで、奥の方から誰かが走ってくる音が耳に届く。懐中電灯を向けると、そこには背の高い男性の姿。

 

「──ッ」

 

 何かから逃げるように走っていた男性は懐中電灯の明かりに照らされて足を止める。

 

「誰?」

「あの、一体何が──」

 

「──グオオオオッ!!」

 

 何があったのか聞こうとしたが、その必要はなかった。

 その男性の背後、横合いの壁を崩してイワークが顔を出したのだ。心なしか、身体を構成する岩の色が桃色がかっている。

 

「──!」

「────!!」

 

 イワークが出てきた穴から、さらにズバットやその進化形のゴルバットが複数飛び出してきた。例によって、その体色は軒並みピンク色。どれも興奮していて、話が通じるような状態じゃない。

 

「ッ! ブースター! かえんほうしゃだ!」

「シャワーズ! みずでっぽう!」

「ブスタァ!」「シャワッ!」

 

 ブースターのかえんほうしゃが宙を飛び交うズバット達を追い払い、シャワーズのみずでっぽうがイワークの鼻先を掠める。

 

「グオオッ!」

「「──! ──!」」

 

 イワークとズバット達はブースター達の攻撃に怯み、出てきたばかりの穴へと逃げ帰っていった。

 ひとまず何とかなったところで、男性の方に向き直る二人。男性はゆっくりと口を開く。

 

「助けてくれて感謝する。私はジラルダン。コレクターだ」

「コレクター?」

「そう。私はコレクター。世界中のありとあらゆる貴重な存在を集めている」

 

 ジラルダンと名乗ったその男性は、紳士然とした物腰でナオト達に礼をした。先程まで追われていたにも関わらず、その顔は冷静なままだ。

 この先に用があったのだが、先程のイワークとズバット達に襲われ、明かりになる物も落としてしまい困っていたのだという。

 

「君達もこの先に用があるのか?」

「用があるというか……」

「私達、橋から落ちて川を流れてきたんです。だから帰り道を探したくて」

「ならば、このまま進んで外に出るしかあるまい。迷惑ついでに、私も同行願えないだろうか?」

 

 ジラルダンの申し出に、ナオト達は顔を見合わせる。

 断る理由はないが、フルーラはなんとなくジラルダンに対して言葉にできない不審感を抱いていた。穏やかな態度の裏に、何か言い知れぬ狂気を感じ取ったのだ。表情からして、ナオトも同じ印象を受けたらしい。

 

「えっと、私達は──」

「分かりました。一緒に行きましょう」

「重ねて感謝する。用が済んだら、お礼に私のコレクションを見せてあげよう」

 

 フルーラが何とかして断ろうとした時、横からナオトがそれを遮った。ジラルダンが笑みを浮かべる中、フルーラは眉をひそめてナオトを見る。

 そして、懐中電灯を持ったナオトが先導する形で再び洞窟の奥へと進み始めた。

 

「ちょっとナオト。どういうつもり?」

 

 ナオトの横に並び、ジラルダンに聞こえないよう声を潜めて文句を言うフルーラ。

 

「……ポケモンは何の理由も無しに人間を襲ったりなんかしない。もちろん、その人間がトレーナーでポケモンを連れていたのなら別だけど、それは本能で襲うのであって、狙うのは飽くまでトレーナーが連れてるポケモンなんだ」

 

 つまり、ジラルダンには何かしらポケモンに襲われる理由があったということだ。

 

「明かりにビックリしたとかじゃなくて? ほら、クリスタルのイワークの時みたいに」

「もちろんその可能性もある。パッと見は悪さをしているようには見えないしな。でも、用とやらが済むまでは様子を見たいんだ」

 

 先程まで自分達がポケモンに襲われていたというのに、それでもポケモンのために行動するナオト。

 しょうがないなと思いつつも、フルーラはいつもより頼りがいのある雰囲気を見せるナオトの言うことに従うことにした。

 

「──いでッ!」

 

 が、その後すぐにナオトは地面に足を滑らせて盛大に転んでしまう。ブースターとシャワーズがやれやれと首を振る中、フルーラは「ホント、かっこつかないんだから」と溜息を吐いてそんな彼に手を貸すのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ジュンサーに連れられ──もとい連行されて、島の中心にある管理事務所に辿り着いたタケシとアイ達。

 その道中、周りに生息しているポケモンが皆ピンク色をしていることに驚きの声を上げていた。

 

「それで、この島なんだけどね──」

 

 事務所で腰を落ち着けたところで、ジュンサーがこの島について説明しようとする。

 が、その時。

 

「ミャッ!?」

「どうした? アイちゃん」

 

 突然アイが驚いたように短い悲鳴を上げた。

 タケシが彼女の見ている方に目線をやると、そこにはゲンガー。しかし、様子がおかしい。

 

「ええッ!?」

「ゲン?」

 

 なんと、ゲンガーの身体の一部がピンク色に染まっていたのだ。その手には、ピンク色の果実が握られている。

 

「ああ。その子、ピンカンの実を食べちゃったのね」

「ピンカンの実?」

「この島はピンカン島っていってね、この島にだけ群生しているピンカンの実を食べると色素が沈着しちゃうのよ。島のポケモンはみんなその実を食べて生活しているから……」

「なるほど。それでピンク色のポケモンばかりだったんですね」

 

 ピンカンの実を代々食べ続けてきたことで、何時しか生まれながら体色がピンク色のポケモンが育つようになったのだという。

 そんな珍しいポケモン達の存在が知られれば密猟者(ポケモンハンター)の格好の餌食になってしまうため、この島は世界的遺産とあると同時に保護区に指定されて一般人立ち入り禁止となっているのだ。

 

「基本的に生息しているポケモンは島の外へ出さないようにしているんだけどね、空を飛ぶポケモンの一部は例外になっているの。特にここで育ったメスのバタフリーは産卵の時期が近づくと番を求めて島の外へ旅立って、またこの島に戻ってきて卵を産んでいくのよ」

 

 ジュンサーの説明が続く。だが、後半の話をタケシは聞いていなかった。この島が保護区で一般人立ち入り禁止という話を聞いて、ナオト達のことを思い出したのだ。ジュンサーさんに見惚れていてすっかり忘れていた。

 青い顔をしているタケシを見て、ジュンサーが「どうしたの?」と尋ねる。

 

「実は……」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 しばらく足音を響かせながら洞窟の中を歩いていると、目線の先で光が漏れているのが見えてきた。

 出口と分かると、光に向かって自然と早足になるナオト達。ジラルダンはゆっくりとした足取りでその後に続いた。

 

 洞窟を出て、少しばかり眩んだ目を擦る。

 光に慣れてきたナオト達の前には、樹高8メートル程もある神秘的な大樹がまるで迎えるようにしてそこにそびえていた。

 

「立派な樹……」

「ああ……」

 

 その樹は幹が複雑に絡み合っており、さらに地面から露出した気根が幹に絡みついている。見ただけで歴史の深さと樹齢の長さを感じさせるほどの荘厳たる出で立ちであった。

 そんな木の肌に、幾つものピンク色の物体が貼り付いていることに気づく。

 

「あれは……色は違うけど、トランセルだ!」

「トランセルって、さっき言ってたバタフリーの進化前よね?」

 

 フルーラがポケモン図鑑を取り出して確認してみる。

 

『トランセル。さなぎポケモン。キャタピーの進化系。全身を硬い殻で覆っている。この種類は、今まで発見されたポケモンの中で最も進化のスピードが早い』

 

 さなぎポケモンのトランセルはいもむしポケモンのキャタピーが進化した姿で、本来は緑色の身体をしている。このトランセルは恐らくは、進化前のキャタピーの時からピンク色だったのだろう。

 

「でも、こんな沢山木に貼り付いて一体何してるのかしら?」

「きっと進化が近いんだよ」

 

 野生のキャタピーは時期が来ると目の前の光景のように集団で一つの木に貼り付き、自身の吐いた糸を纏ってトランセルになる。そのままじっと動かずに時が経つのを待ち、最終的にはちょうちょポケモンのバタフリーに進化するのだ。

 

「ふむ。どうやら、間に合ったようだな。これこそ私の探していた物だ」

 

 そこへ、追いついたジラルダンがナオト達の後ろに立った。ピンク色のトランセルが集まった大木を見て、感嘆の声を上げている。

 通常のトランセルならまだしも、ピンク色のトランセルがバタフリーに進化するために一つの木に集っている光景は、恐らく世界中探してもこの島でしか見られないだろう。

 

「……あの、カメラとか持ってないんですか?」

「なぜかね?」

「だって、せっかくこんなトコまで来たんですから、写真ぐらい──」

「あっ!」

 

 フルーラが純粋に疑問に思ったことをジラルダンに話していると、ふいにナオトが声を上げた。

 見ると、木に貼り付いている一部のトランセルの身体にヒビが入り、そこから光が漏れ出している。丁度バタフリーに進化するところなのだ。イーブイが進化する瞬間を見逃したフルーラは、初めて目の前で見る進化に思わず釘付けになった。

 

「──え?」

 

 しかしその時、突如どこからともなく現れた輪の形をした機械がトランセル達の貼り付いた木を取り囲んだ。

 それらから青白い電撃のような物が飛び出し、木ごと丸々トランセル達を包み込む。それと同時に、トランセルの進化はピタリと止まってしまった。

 

「な、何なのコレ!?」

 

 自然の神秘から一転して不可思議な人工的物体の出現に、フルーラが動揺して叫ぶ。

 驚いていない人間は、ただ一人。

 

「……危ないところだった。進化されては、求めていたコレクションをみすみす取り逃すことになってしまう。この時期を逃すと、また一年先延ばしになるのだよ……だが、進化する直前の姿というのもそれはそれで価値が高まるか」

 

 ジラルダンが、誰に向けるでもなくそう呟いた。

 

「どういうことだ!?」

「トランセルが進化のために集ったこの光景をそのままオブジェとし、私のコレクションに加えるのだよ」

 

 掴み掛かる勢いで問うナオトに何をそんなに怒っているのかというような態度でジラルダンが答える。

 あの輪のような機械から発する電磁波にはポケモンの身動きを封じることに加え、進化を抑制する特殊な波が含まれているらしい。

 

「君たちのおかげで、私のコレクションがまた一つ増えた。感謝する」

 

 と、まるで自分が悪いことをしているなどとは露程も思っていない顔で言うジラルダン。

 

「ふざけるな! ポケモンを何だと思ってるんだ! 行くぞ、ブースター!」

「ブゥスッ!」

 

 怒りをぶつけ、輪に拘束されているトランセル達の元へブースターと共に駆け出すナオト。一切表情を変えないこの男に何を言っても無駄だろうと判断したのだ。

 

「かえんほうしゃ!」

「ブスタァ!」

「私達も! シャワーズ、みずでっぽう!」

「シャワ!」

 

 ブースターとシャワーズの技が機械に向けて放たれる。しかし、それから迸る電磁波の壁に防がれてしまった。

 

「無駄なことはやめたまえ。この檻は伝説のポケモンでさえ無力化する程強固に設計させたものだ。並のポケモンの攻撃など、徒労に終わるだけだぞ」

「そんなの、やってみなきゃ分からない! ブースター、フレアドライブだ!」

「ブウゥゥゥ……ブ、ブスタァ!」

 

 炎を纏ったブースターが猛烈な勢いで機械に突撃する。凄まじい熱波と衝撃が周囲に伝わる。

 しかし、ジラルダンの言う檻から放たれる電磁波を破ることは出来ない。勢いを失ったブースターは弾かれてしまった。

 

「ブースター! くそっ、クリスタルのイワーク達も連れてきてれば……」

 

 無意識の内に呟かれたナオトの言葉に反応して、ジラルダンが目を見開く。

 

「君は……クリスタルのイワークをゲットしたのかね?」

「……だったら、何だ?」

 

 暗に肯定を返したナオトに、ジラルダンの鉄面皮が歓喜の色に染まる。

 

「素晴らしい……どうだろう? 君のクリスタルのイワークを私に譲ってはくれないか?」

「は?」

「譲ってくれるのであれば、このトランセル達は諦めよう。こちらはまたの機会があるが、クリスタルのイワークはそうもいかないのでね」

 

 そう申し出るジラルダン。貴重さにおいて、他に同じような個体がいるかも分からないクリスタルのイワークの方が断然勝っていることだろう。

 

「……まさか、クリスタルのイワークに報奨金をかけてハンター達を集めたのはお前か?」

「その通りだ。ああ、もちろんその金も君に渡そう。どうかね? 悪い話ではないと思うが」

 

 ジラルダンが期待の目線を寄越すが、もちろんナオトがその提案に首を縦に振ることはない。無視を決め込む。

 しかし、このままではトランセル達を助けることはできない。一番威力のあるブースターのフレアドライブは自分にもダメージが返ってくるため、何度も撃つことはできない。

 

 どうにかできないか。そう必死に考えるナオトの目に、まだオレンジ諸島に来て以来一度もベルトから手に取っていない最後のモンスターボールが映る。

 震える手でそのモンスターボールを手に取ろうとするが、まるで何かを恐れているかのようにそれができないでいる。

 

「くそっ……」

 

 何もできない自分の不甲斐なさに歯軋りをして、目を伏せてしまう。

 

 

「「──フリイィッ!」」

 

 

 その時、闘志を奮わせるような鳴き声が響いた。

 顔を上げて見ると、黄色いスカーフを巻いたバタフリーとピンク色のバタフリーがトランセル達を助けようと機械へ向けて必死にたいあたりを仕掛けていた。反動で傷付きながら、何度も何度も。

 

「ッ! シャワーズもたいあたりよ!」

「シャ!」

 

 それに続く形で、フルーラもシャワーズに指示を飛ばす。

 無論効果はないが、弾き返されたシャワーズはバタフリー達と同じように負けじとたいあたりを繰り返した。

 

「ナオト! 何勝手に諦めてんのよ! 私のシャワーズはまだ諦めてない! あのバタフリー達も!」

 

 フルーラの叱りつける声がナオトの耳に届く。

 

「あんたのブースターだってそうよ! だったら……トレーナーの私達が諦めるわけにいかないじゃない! シャワーズ! 今度はオーロラビームよ!」

「シャワアァッ!」

 

 そう叱咤して、次いでオーロラビームをシャワーズに指示するフルーラ。超低温の虹色の光線が放たれるが、やはり電磁波に遮られてトランセル達を捕える檻にダメージを与えられない。

 

(オーロラビーム……そうだ!)

 

 フルーラとシャワーズの行動を見ていたナオトが、何かを思いついたのかハッとした表情をする。

 

「ブースター、かえんほうしゃだ! 関節部分を集中的に狙え!」

「ブゥ!」

 

 すかさずブースターに指示を飛ばすナオト。ブースターの口から放射された炎が機械の関節部分を焼く。その箇所は電磁波による防御が他と比べて薄いようだ。それでも機械自体が強固に出来ているので壊れることはない。だが、一箇所に集中させたおかげか炎が当てられた部分は見て分かるほどに赤く熱せられた。

 

「フルーラ! 同じ所をシャワーズのオーロラビームで狙ってくれ!」

「……ッ、分かったわ! シャワーズ!」

「シャア!」

 

 ナオトの指示を受けて、フルーラがシャワーズにオーロラビームを放たせる。ブースターと同じ箇所に寸分違わず直撃。かえんほうしゃで熱せられた関節部分を急激な速度で冷やす。

 

「よし! ブースター、もう一度……今度は最大パワーでフレアドライブだ!」

「ブゥッ! ブゥス、タアアァーー!!」

 

 機械が十分に冷やされたことを確認したナオトがブースターにフレアドライブで突撃させる。

 先ほどよりも凄まじい炎がブースターの身体に纏う。地面の草むらに焦げ跡を残しながら、一つの火の玉と化したブースターの全力が込められた突進がトランセル達を拘束する機械──薄く凍りついた関節部分を彗星の如く穿った。

 急激な温度差によって脆くなった機械の関節はその衝撃によって見事に砕け、トランセル達を覆っていた青白い電磁波は打ち消された。

 

「やったわ! ナオト!」

「ああ!」

 

 声を上げて喜ぶナオトとフルーラ。

 それと同時に、解放されたトランセル達の進化が再開される。ヒビの入った身体が割れ、中から光と共に羽の生えた進化体──バタフリーが現れた。進化前と同じく、ピンク色の姿だ。

 

「フリ~」

「フリ、フリィ~」

 

 進化を遂げた何匹ものバタフリー達。そんな彼らを迎えた黄色のスカーフを巻いたバタフリーとその相方が先導する形で空を飛び回り始める。

 羽を羽ばたかせる度に舞う鱗粉が、太陽の光を受けて昼間の空に星を作る。

 

「わあ……」

 

 その神秘的な光景に、バタフリー達を救った喜びや興奮も忘れて見惚れる二人。

 彼らはひとしきり飛び回り終えると、島の外を目指して天高く舞い始めた。黄色のスカーフを巻いたバタフリーが一度だけナオト達の方を振り向き、感謝するように小さくお辞儀する。

 

 そして、煌めく軌跡を残しながら大勢のピンク色のバタフリー達と共に島を飛び去っていった。

 

「…………ッ、そうだ。ジラルダン!」

 

 しばらくフルーラとそれを見送っていたナオトは、はたと気づいて後ろを振り返る。しかし、そこにいるはずのジラルダンはいつの間にかその姿をくらましていたのだった。

 

「──おーい! ナオトー! フルーラ!」

 

 そこへ、どこかからタケシの声が二人の耳に届く。

 声のした方を振り向くと、丘の向こうからアイが手を振りながら走ってくるのが見えた。その後ろにはタケシとジュンサーの乗るジープが停まっている。

 

「ミャウ!」

「アイ! あ、いてっ!」

 

 アイはイリュージョンを解いて本来の姿に戻り、嬉しそうにナオトの胸に飛び込んだ。それを受けて、踏ん張りが効かずに仰向けに倒れるナオト。

 

「……っもう。ほら、大丈夫?」

 

 フルーラはそんな彼に笑みを浮かべ、やれやれと助け起こすのであった。

 

 

 

 

 ──そんな彼らの様子を影で見ていた者が一人。ずぶ濡れのままの身体からポタリと雫が落ちた。

 

「……あのジラルダンとかいう奴。確かロケット団に資金提供してる資産家だったはず。あの機械はウチの特務工作部に開発させた物ってわけね」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 どことも分からない施設の廊下。所々作りかけのような部分が見え隠れしている。

 空色を覗かせる窓の側を、ジラルダンが靴音を響かせながら歩いていた。形の良い顎に手を添えて、何やらブツブツと呟いている。

 

「熱対策はおろか、耐久性も十分とは言えない。これでは彼らをコレクションに加えることなど到底不可能だ。改良を依頼しなければ……」

 

 

 




オタク君の話をちゃんと聞いてくれるフルーラ。
クラスの陰キャ男子を勘違いさせそう。

■温度差を利用した破壊
無印編第171話『ブラッキー! やみよのたたかい!!』でサトシもやってた手法。
色々とツッコミはなしの方向で。

■ジラルダン
コレクターを名乗る紳士然とした男。
世界中の貴重な物を集めており、ポンカン島のクリスタルのイワークに報奨金をかけた張本人。
オレンジ諸島に来た本来の目的は別にあるようだが……?

■フルーラのシャワーズ
フルーラのイーブイが彼女らを助けるためにみずのいしで進化した。
相変わらず気が強くてぶっきらぼうだが、なんだかんだ面倒見が良い。

■ナオトのブースター
ナオトがカロス地方でゲットした。
勝ち気で自信過剰な性格をしており、シャワーズとはタイプ的にも性格的にも相性が悪い。

■二匹のバタフリー
ナオト達に加勢してくれたつがいと思われるバタフリー。
黄色いスカーフを巻いたバタフリーは元々誰かのポケモンだった可能性がある。
きっと、そのトレーナーは良いトレーナーだったのだろう。ナオトもいつか会える時が来るのかもしれない。

■ロケット団の特務工作部
アニポケ番外編『ライコウ雷の伝説』に登場したバショウ・ブソンなどが所属している。
なお、彼らが登場する予定はない。





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13. ちょうせん! ネーブルジム! ① ▼

 その後、ピンカン島でジュンサーにこってり絞られたナオトとフルーラ。

 

 ジラルダンのことを伝えたところ、どうも報奨金をかけて密猟行為を扇動している輩がいることは既にポケモンポリス側も把握していたらしい。

 それがナオト達が会ったジラルダンという自称コレクターで間違いないだろうと判断したジュンサーは、本部に連絡して彼について調べてくれることになった(ちなみにドミノについてだが、ナオト達は彼女のことをすっかり忘れていた)。

 

 さて、ジュンサーに見送られて海を進むナオト達は、船の上でピンカン島での出来事を改めてタケシやアイに話していた。

 

「それにしてもポケモンをコレクションにしようだなんて、ひどい奴がいるもんだな。人間じゃない」

「ちょっと言い過ぎな気が……」「ミャウ……」

 

 憤るタケシの言葉に苦笑いするフルーラ。その傍らで、少女の姿のアイが悲しげな表情を浮かべる。

 むしろ、人間だからこそあのような所業ができるのかもしれない。ポケモンが人間をコレクションしようなどと考えはしないのだから。

 

「でも、ナオト達のおかげでなんとかなったんだよな?」

「ブースターと進化したシャワーズが頑張ってくれたおかげだよ。後、バタフリー達も」

「バタフリー?」

「ええ。ピンクの子と、普通の色をした子。そういえば、普通の色をした子は黄色いスカーフを首に巻いてたわね」

 

 "黄色いスカーフ"と聞いて、タケシがハッとした表情になる。

 

「元々誰かのポケモンだったのかもしれないな」

「そうかもね。って、どうしたの? タケシ君」

「え? ああ! いや、なんでもないさ」

 

 少し様子が変わったタケシにフルーラが首を傾げて尋ねたが、タケシはそうかぶりを振って答えた。そしてナオト達から視線を外し、果てしなく広がる海を眺め始める。

 

「……そうか。元気でやってるんだな」

 

 笑みと共に小さく呟かれたその言葉は、さざ波の音に掻き消されてナオト達の耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 さて、それからしばらくして、今ナオト達がいるのはネーブル島。ナオトがオレンジリーグに挑戦していると聞いて、ジュンサーがこの島にジムがあることを教えてくれたのだ。

 ネーブル島は島の中心に雲を突き抜けるほど高い急な円錐形の岩山が聳えており、標高の高い場所は雪による白化粧で飾られているのが見て取れた。

 

 砂浜に船をビーチングさせて辺りを見回すが、ジムらしき建物は見当たらない。何軒か石造りの家が建っているが、空き家のようで人っ子一人見受けられず。一見して寂れた印象しか持てない島であった。

 

「本当にこの島にジムがあるの?」

「ジュンサーさんが言ってたんだから、あるに決まってるだろう!」

「でも、どこにも見当たらないじゃない」

「……ないなら、ここに俺がジムを作る! ジュンサーさんのために!」

 

 ジュンサーを嘘吐きにしたくないタケシが奮起する。そんな彼に白い目を向けるフルーラ。

 一方で、ナオトは彼女らから離れてアイと共に空き家を覗いて回っていた。

 

「本当に誰もいないな……」

「ミャウ」

 

「──やあ、ナオト君!」

 

 そこへ、横から突然爽やかな声がかかる。驚いてナオトが振り向くと、そこにはダイダイ島で会ったダンが片手を挙げて立っていた。

 

「ダ、ダンさん!」「ミャア!」

「待ってたよ。順調にジム巡りが進んでいるようで何よりだ」

 

 朗らかに笑うダン。その笑い声を聞きつけて、フルーラとタケシが駆け寄ってくる。が、タケシはダンの姿を目に入れた瞬間に固まってしまう。

 

「ダンさん! って、そういえばネーブルジムのジムリーダーは確かダンさんだったわね」

「その通り。うん? タケシ君はどうしたんだい?」

「あ……ええと、気にしないであげてください」

 

 トラウマを刺激されてか、背中を向けて砂浜にのの字を書くタケシ。微かに嗚咽の混じった声が聞こえるが、どうしようもないので放っておくしかないだろう。

 

「あの、本当にここにジムがあるんですか? 見渡す限り無人の家みたいですけど」

「ははは! 大丈夫だよ、ナオト君。ちゃんとジムはあるから。さあ! フーちゃんもタケシ君も僕についてきて!」

 

 そう言って、ダンはリュックサックを背負い直して島の奥へと歩き始める。「フ、フーちゃんって……」と、慣れない呼び名に苦笑いしながらもフルーラはその後についていく。ナオトは相変わらず自分とは大違いの明快闊達なダンに圧倒されながらも彼女の横に並んだ。

 

「ミャウミャ! ミャウ!」

「……うう、わ、分かった。行くから、押さないでくれ」

「ミャア……」

 

 塞ぎ込んでいるタケシの背中をアイが押してあげる。それでも覚束ない足取りをしている彼に、さすがのアイも溜息を吐くのであった。

 

 

 

 

 ジムがあるという場所までダンの案内で向かうナオト達。

 山の方へ向かっているので、てっきり麓にジムがあるのかと思っていたナオト。しかし、土壁に囲われた鉄製の門を開けた先にはロープウェイ乗り場。その奥には登山道の入り口しかなかった。

 

「そこにある看板を読んでごらん」

 

 首を傾げていると、ダンがそう言って看板を指差した。

 

「ええっと、『挑戦者諸君、ネーブルジムにようこそ。このジムではまず、挑戦者諸君に山登りをしてもらう』……って、はあ!?」

 

 言われた通り読んでみて、ナオトはその予想外の内容に素っ頓狂な声を上げた。続く文章を読んでみると、山を登る際はポケモンの力を借りずに登らなければならないのだという。ルールを破ると、その時点で失格になってしまうらしい。

 

 ただでさえトレーナーらしからぬ運動神経の鈍さを持つナオトは愕然とする。

 すぐ先には整地された山道が見えるが、それも途中で途切れている。頂上を目指すには、切り立った岸壁をよじ登る形になるだろう。カロス地方のとあるジムでは挑戦者にボルダリングを行わせるらしいが、生憎ナオトはそのジムには挑戦せず他のジムでバッジを獲得していた。

 

「私達付き添いも登らないといけないの?」

「いや、付き添いの人はロープウェイを使ってくれて構わないよ」

 

 見れば、ダンの言う通り山道入り口の傍にロープウェイ乗り場があった。無人の島にポツンとあるロープウェイ。ちゃんと動くのだろうか? フルーラは不安の色を乗せてタケシと顔を見合わせた。二人の不安を察したのか、ダンが心配ないとばかりに笑った。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと整備はしてあるから」

「ダンさんはどうするんですか?」

「万が一のことを考えて、ナオト君を先導する形で同行するよ」

 

 ダンの話を聞いて、フルーラはナオトの方を振り返る。彼は青い顔をして目線の先にあるはるか雲の上まで伸びた険しい岩山を見上げている。

 

「ねえナオト、あんた大丈夫? 私も一緒に登ったげよっか?」

 

 後ろ手を組み、下から覗き込む形でからかうようにそう持ちかけるフルーラ。

 

「ひ、一人で大丈夫だって。これ、預かっててくれ」

 

 そんな彼女にナオトは意固地な態度で肩にかけていたバッグを押しつけた。ダンが背負っているようなリュックサックなどならまだしも、ショルダーバッグでは登山の邪魔になってしまうからだ。ご丁寧にベルトのモンスターボールも全部取り外してバッグに入れている。

 

「アイ。お前もロープウェイに乗るんだ」

「ミャウミャウ! ミャア!」

 

 ナオトの言葉にイヤイヤと首を横に振るアイ。イリュージョンを解いて元のゾロアの姿に戻り、ナオトの肩に飛びついた。一緒に行くと言いたいらしい。モンスターボールに入れたりなんてしたら、約束を破ったと一生口を利いてくれなくなりそうだ。ナオトは「ったく、しょうがないな」と溜息を吐いた。

 

「じゃあナオト。先に頂上で待ってるわね」

「ナオト、気をつけるんだぞ」

「ああ。分かってるよ」

 

 フルーラとタケシがロープウェイに乗り込んだことを確認した後、ナオトは覚悟を決めるように一つ深呼吸する。

 

「それじゃあ行こうか。ナオト君」

「……はい」「ミャウ」

 

 先導するダンに続き、ナオトとアイは山道を登り始めた。

 これ自体は特に問題はない。急な坂道ではあるが整地されているし、この程度であればカロス地方を旅している間に何度も経験してきた。

 

 だが、問題はこの後だ。

 十数分ほどかけて坂道を登り終えたナオトは、目の前に聳え立つ岩壁を見上げた。当然頂上は雲に隠れて見えない。下手をしなくても落ちれば死ぬが、命綱らしき物も見当たらず。いわゆる、フリー・ソロというスタイルで登るのだろう。

 

「ナオト君はロッククライミングの経験はあるかい?」

「いえ……」

「それじゃあ、僕の登り方を参考にするといい。よく見てるんだよ」

 

 ダンはにこりと笑ってみせると、軽い身のこなしで飄々と岩壁を登り始めた。ここのジムリーダーというだけあって、今まで何度もこの山を登ってきたのだろう。慣れた様子でどんどん上へ登り、あっという間にその姿が小さくなっていく。

 

「すご……」「ミャア……」

「さあ! ナオト君も登っておいで!」

 

 上から声を掛けられ、ナオトは目を閉じてもう一度深呼吸する。

 そして、危なかっしい手つきで岩の出っ張りに手を掛け始めるのだった──

 

 

 

 

 

 

 山をよじ登り始めて数十分。

 ナオトはなんとか山肌を登り続けているが、当然その様子は素人丸出しでスムーズとは言えないものであった。

 

 気晴らしのつもりで乗ったクルーズ船が嵐に襲われ、助かったと思いきやなぜかオレンジリーグに挑戦することになり、そしてどういうわけかロッククライミングをしている。ここ最近の自分の道程は波乱万丈過ぎではなかろうか? ナオトは頭が痛くなるのを我慢しながら岩の出っ張りに手を伸ばす。 

 ポケモントレーナーならロッククライミングの経験くらいあって当たり前のように思われるかもしれないが、別にそんなことはないのであしからず。というか、こんなことが日常となっているポケモントレーナーがいたら会ってみたいものである。

 

 標高が高くになるにつれて、吹き付ける風の強さが増していく。南国にいるのが嘘のように冷たい。それに身体を震わせつつも、足を滑らせないよう慎重に時間をかけて上へ上へと登る。

 

「ミャウ?」

 

 少し上の足場へ先に登ったゾロアの姿のアイが心配そうにナオトを見下ろす。

 まだ半分といったところだが、ナオトの息は荒い。元々ない体力は既に底を尽きかけているようだ。

 

「はあ……はあ……だ、大丈夫さ」

 

 アイに笑って答え、ナオトは手近な岩の出っ張りに手を掛ける。しかし、強風に煽られてその手が滑りバランスを崩してしまう。

 

「う、あッ!?」「ミャア!」

 

 慌てて別の出っ張りに手を掛けて何とか事なきを得るナオト。ホッと安堵の溜息を吐く。

 

「大丈夫かーい!?」

「は、はい!」

 

 上から声を掛けてきたダンに答えるが、ナオトが無理をしているのは一目瞭然であった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「ホントに大丈夫なのかしら……」

 

 山肌をよじ登るナオトをロープウェイの窓から見ているフルーラ。

 覚束ないロッククライミングを続けるナオトに忙しない様子でブツブツ文句を言っている。

 

「何かあってもダンさんが助けてくれるんだから、心配ないさ。いい加減座って落ち着いたらどうだ?」

 

 さすがのタケシも呆れた顔でフルーラのことを見ている。

 

「……タケシ君。これお願い」

「は? えっ!?」

 

 しかし、フルーラはそんなタケシの言葉が耳に入っていないのか、ナオトのバッグをタケシに投げると突然ロープウェイの扉を開け放った。山の斜面に沿って登る風がロープウェイの中に入り込み、フルーラとタケシの髪を激しくなびかせる。

 

「何するつもりなんだフルーラ!? お、おい!」

 

 慌てるタケシを無視して、なんとフルーラはそのままロープウェイを飛び降りてしまった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ようやく三分のニほどまで登り切ったナオト。

 

「ミャウ! ミャウミャ!」

 

 上からアイがミャウミャウと励ますように声をかけてくる。彼女がいる場所は足場の広い出っ張りになっていた。ここまで登ったら休憩しようと言っているのだろう。ナオトも後少しで休憩できると分かると表情が明るくなる。

 

 そのせいだろう。

 緊張の糸が解れてしまったナオトは、盛大に足を踏み外してしまった。それによって、手で掴んでいた出っ張りも滑り放してしまう。

 

「しまっ──」

「ミャッ!?」

 

 アイが悲鳴を上げる。ナオトははるか下の地上へ向かって落ちていく──

 

 

 ──ことはなかった。

 

 

「……え?」

 

 滑り落ちる彼の手を、いつの間にか近くにいたフルーラの華奢な手が掴んだのだ。二人分の体重を支えるため、ナオトの手を掴んでいない方の腕を出っ張りに引っ掛けるようにして回している。

 

「お前、なんで!?」

「~~ッ、いいから! 早くどっか掴みなさいよ!」

「あ、ああ!」

 

 必死な顔でそう訴えるフルーラを見て、ナオトは慌てて手近な出っ張りを掴む。

 そうして彼女の手を借りて、何とかアイのいる足場まで辿り着いたのであった。ナオトはその場に尻もちを突いて大きく息を吐く。

 

「はあ……はあ……ッ」

「ミャウ」

「……だ、駄目だアイ!」

 

 冷たい風に身体を震わせる彼の腕にアイが飛び込みその毛皮で温めようとしてくれるが、ナオトはそんな彼女を手で抑えた。

 

「ちょっと! 温めようとしてくれただけでしょ?」

「だって、ポケモンの力を借りたら失格になるじゃないか」

「別に技を使うわけじゃないし、それくらいならダンさんだって許してくれるわよ。きっと」

「……でも」

 

 フルーラはそう言うが、ナオトは言葉を濁して上を見上げる。先を登っているであろうダンを気にしているのだろう。

 

「はあ、しょうがないわね」

 

 そんな彼を見たフルーラは小さく溜息を吐くと、首にかけていた水筒を手に取った。中のお茶を蓋に注ぎ、「はい」と差し出す。

 

「こんな寒いトコに来るとは思わなかったから、あったかくはないけど」

「あ、ああ。悪い」

 

 少し戸惑いながらも受け取るナオト。アイに少し飲ませてから口に運ぶ。言った通りお茶はぬるかったが、若干身体は温まったし乾いた喉を潤すには十分であった。

 

「ナオト。毎回思うんだけど、あんたそんな運動神経と体力で良く今まで旅してこれたわね」

「それについては何も言えないよ……」

 

 フルーラの言葉にナオトは頭が痛くなる。

 分かってはいたが、今まで多くの場面でポケモンの力に頼ってきたことを改めて自覚させられた。ナオト自身、身体を鍛えようとはしているものの、元々身体が弱い方なのか結局上手く行かず仕舞いとなっているのだ。感謝の気持ちも込めて、ナオトはアイの頭を撫でる。アイは目を細めて彼の手に頭を押しつけた。

 

 どうも話を聞くと、フルーラはロープウェイから飛び降りてきたらしい。それができること自体驚きだが、だとしても無茶をするものである。

 しかし、どうしてそんな無茶までしてここまで来てくれたのだろうか?

 

「あ、あのさ……お前なんで──」

「フルーラ」

 

 理由を聞こうとするナオトを遮るようにして、フルーラが突然自分の名前を口にした。

 首を傾げるナオトに、彼女は次いで口を開く。

 

「お前じゃなくて、フルーラ。ナオトって全然私の名前呼ばないじゃない。タケシ君のことは普通に呼んでるのに……」

「そ、そうだっけ?」

「そうよ。覚えているだけでも……二回くらいかしら? 一緒に旅してるんだから、名前ぐらいちゃんと呼びなさいよ」

 

 なんでそんな細かく覚えているんだ。頭を抱えるナオト。別に呼び方なんてどうでもいいだろうに。

 

「ミャウ!」

「ほら、アイちゃんだってちゃんと名前で呼べって言ってるわ」

「え、ホントか?」

「ミャ!」

 

 そうだそうだとばかりに頷くアイ。ナオトは困ったように頬を掻いた。

 

「さ、試しに一回呼んでみて」

「ええ……」

 

 胡座をかいた足の間に両腕を置き、目線を反らして顔を赤らめる。

 

「何もじもじしてんのよ。ほら早く!」

「わ、分かったよ」

 

 急かされ、なぜか背筋をピンとさせてコイキングのように口をパクパクさせる。

 名前を呼ぶだけだ。なのに、どうしてこうも緊張してしまうのか。ナオトはよく分からない自身の心情に心の中で首を傾げつつ、意を決して顔を上げた。

 

「……フ」

「フ?」

「……フ、フルー……ラ」

 

 たどたどしいことこの上ないが、それでもフルーラは「……ま、及第点ね」と呟いて答えた。顔を反らしているのは笑いそうになっているのを隠すためだろうか?

 とりあえず満足したのか、さてと膝とお尻についた土埃を叩いて立ち上がるフルーラ。

 

「もう十分休憩したわね。後もうひと踏ん張り、頑張りましょ」

「ああ」

 

 そうして再び岩肌を登り始めるフルーラの後を追うナオト。

 出っ張りに手をやりながら考える。この登山をさせる意味が自分一人の力で困難を乗り切ることにあるのなら、彼女の力を借りることで失格扱いになってしまうのではないかと。

 

 

 

 

 数十分後、ナオト達はどうにか切り立った岩壁を登り切った。

 フルーラに手を貸してもらって這い上がったナオトは、燃え尽きたようにごろんと転がって仰向けになる。

 

「お疲れ、ナオト君。よく頑張ったね」

 

 そんなナオトをダンが登る前と同じ爽やかな笑顔で出迎えた。さすがというべきか、全く疲れた様子がない。

 

「あ、はい……」

 

 上半身を起こすが、気まずけに俯き加減で対応するナオト。フルーラと一緒に登ってきたことから、彼女の手を借りたことは一目瞭然だ。

 しかし、ナオトの表情を見て察したのか、ダンはフッと笑うと優しい手つきで彼の肩に手を置いた。

 

「大丈夫だよ。失格にはしないから」

 

 ダンの言葉に、ナオトは信じられないとばかりに目を見開いて顔を上げた。

 

「確かにできることなら独力で登り切って欲しくはあったけど、人の手を借りちゃいけないとはルールに書いてなかったからね」

「良かったじゃない、ナオト!」「ミャウ!」

「あ、ああ」

 

 ホッと心の中で胸を撫で下ろすナオト。

 嫌々始めたジム巡りの旅。挑戦に失敗すれば旅もそこで終わりになってくれるかもしれないのに。フルーラの手を借りて起き上がったナオトがそれに気づくことはなかった。いや、例え気づいていたとしても、今の彼ならきっと気づかないフリをするだろう。

 

「さあ、頂上まで後もう少しだ。頑張ろう!」

 

 しかし、まだ山登りは終わりではない。頂上までここからしばらく坂を登り続けなければならないのだ。そこにロープウェイの終着点と山小屋があるらしい。

 岩壁をよじ登り切ればすぐ頂上かと思っていたのでげんなりとした顔をするナオト。

 

「ミャ!」

「ほら、しっかりしなさいナオト! ダンさんに置いてかれるわよ!」

「わ、分かってるって」

 

 フルーラとアイに背中を押され、ナオトは溜息を吐きながら歩き出す。

 しかし、その足取りはどことなく軽快なものであった。

 

 

 

 

 急な傾斜を登っていく内に、いつの間にか目に映る風景は見渡す限り銀世界となっていた。辺りの地面は白く染め上げられ、頭上に広がる曇り空からはしんしんと雪が降り注いでいる。

 

「……ッ」

 

 ナオトの傍を歩いていたフルーラが寒そうに両腕を抱く。ナオトは長袖を着ているが、彼女はキャミソール。そして寒さとはさほど無縁の島育ちだ。恐らくクライミング中も自分以上に寒かったに違いない。

 

「ほら、寒いならこれ着ろよ」

 

 ナオトは着ていたオレンジ色のベストを脱ぐとフルーラに投げ渡した。肌は隠せないが、ないよりはマシだろう。フルーラは目をパチクリさせながらナオトと受けとったベストを見比べている。

 

「いいの?」

「ぼ、僕は長袖だし、カロス地方を旅してた時は年中雪景色の街に滞在してたこともあるからな。多少は寒さに慣れてるんだよ」

 

 ぶっきらぼうに答えるナオト。フルーラは「ふ~ん」と言いつつ、ニヤニヤした視線を彼へ向けた。

 

「……何だよ?」

「べっつに~」

 

 ジト目を返すナオトに、満更でもない様子で笑みを浮かべてナオトのベストを羽織るフルーラ。

 

「ミャア」

 

 何となく居心地が悪くなったナオトの足に、二人のやり取りを見てかアイが自分も構えとばかりに身体を擦りつけてくる。

 ナオトは気恥ずかしさを誤魔化すように彼女を抱き上げて歩を早めた。

 

「あ、ちょっと! 待ちなさいよ!」

 

 文句をぶつけながらフルーラはその後を追う。

 そんな様子を、ダンが少し先から微笑ましげに眺めていた。

 

 

 




ちょっとラブコメさせすぎだろうか? いやでもそれがメインだし。
砂糖が供給過多になってたら申し訳ない。次回でネーブルジムは決着がつきます。

■ネーブルジムの山登り
普通に死ぬ。
なお、アニメではポケモンの手を借りずという文章に加えて"独力で"とちゃんと看板に書いてあるので、本来ならフルーラに助けてもらった時点で失格扱いになると思われる。

■カロス地方のボルダリングをさせるジム
ショウヨウジムのこと。
アニポケではゲームに出てきたジムの他に複数のジムが存在する設定となっているので、ナオトは自分の運動神経のなさを顧みてそのジムへの挑戦を避けた。






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14. ちょうせん! ネーブルジム! ② ▼

「お疲れ、みんな! 待ちくたびれたぞ!」

「ゲンゲン~!」

「タケシ、それにゲンガーも!」

 

 雪も止み、やっとの思いで頂上に辿り着くと、ナオト達の到着を待っていたタケシが出迎えてくれた。傍にはエプロンを着たナオトのゲンガーもいる。

 

「寒かったろう? シチューを作っておいたから、みんなで食べてあったまろう。ダ、ダンさんもご一緒にどうですか?」

「ありがとう、タケシ君! お言葉に甘えてご馳走になるよ」

 

 タケシは寒い中登山してきたナオト達を気遣ってか、山小屋でシチューを作って待っていてくれたのだ。接し辛いであろうダンにも勧める辺り、タケシ自身もトラウマを克服しようと頑張っているようである。

 

「それじゃあ、ジム戦は食事を終えてからにしようか」

「分かりました」

 

 山小屋に入り、暖を取りながらシチューを頂くナオト達。

 タケシのシチューは絶品で、冷えた身体を心地よく温めてくれた。

 

「いやあ、本当に美味しいよ! これだけ料理が上手いと、タケシ君は女性にモテモテだろうね!」

「は、はは。いや、ははは……」

 

 手放しで褒めるダンに、対するタケシは苦笑い。

 

「ダンさんに褒められても素直に喜べないわよね~。あむっ」

 

 小声でツッコミながら、フルーラはゲンガーの作ったデザートのアップルパイを口に含む。

 

「~ッ! 美味しい! ゲンガーってホントにスイーツ作るのが上手よね!」

「ゲンゲン♪」

 

 その美味しさにほっぺに手を当てて舌鼓を打つフルーラ。ピンカン島でもそうだったが、ゲンガーの料理の腕も相当なものだ。スイーツしか作れないらしいが、それでも大したものである。

 ナオトも小さい頃からゲンガーが作ってくれるスイーツをアイと一緒に味わってきた。だからこそ、フルーラが美味しそうに食べているのを見てナオトは自分のことのように嬉しい気持ちになるのであった。

 

 

 

 

 いい感じに身体が温まってきたところで、ネーブルジムでの試合が開始される。

 ネーブルジムでは、ナツカンジム同様三回の勝負を行うらしい。その内、二回勝利することでバッジを獲得できるのだ。

 

「一戦目は、そこから吹き出る間欠泉をどちらが先に凍らせることができるかを競うんだ」

「つまり、こおりタイプの技で勝負するってことですね」

「その通り。僕はこの子で勝負するよ。出番だ、ニドクイン!」

「ニドォ!」

 

 投げられたモンスターボールから水色の鱗をした1メートル弱のポケモンが現れ、雪原に降り立った。

 額の角が特徴的なドリルポケモンのニドクイン。ダイダイ島で窮地を救ってくれたポケモンだ。

 

「僕はコイツで行きます。出てこい、イワーク!」

「グオオッ」

 

 対する挑戦者のナオトが選んだのは、イワーク。いや、ただのイワークではない。

 ボールから現れたその輝く巨躯を見て、ダンは驚きの声を上げた。

 

「これはもしかして、噂に聞くクリスタルのイワークかい!? 驚いたな……まさか君がゲットしていたとは」

「まあ、ゲットしたくてしたわけじゃないんですけどね……」

 

 苦笑いしながらナオトは目の前のクリスタルのイワークを見上げる。今のナオトの手持ちでこおりタイプ技を使えるのはこのポケモンだけ。こおり・じめんタイプであるクリスタルのイワークはれいとうビームが使えるのである。

 

「それじゃあ、自分が審判をしましょう」

「うん。頼むよ、タケシ君」

 

 ポケモンが決まったところで、お互いが配置につく。審判はタケシが務める。元ジムリーダーなので公正な判断を下してくれるだろう。

 それぞれの間欠泉から熱湯が同時に吹き出た瞬間が、スタートだ。

 

 ナオトのイワーク、ダンのニドクインがいつでもれいとうビームを放てる体勢を取る。

 凍えるような寒風が肌を刺す中、誰も言葉を発さずに間欠泉から沸き立つ湯気を見つめ続ける。そのまま、十秒、また十秒と時が過ぎていった。

 

「ミャ」

 

 その時、アイの耳がピクリと動いた。

 瞬間、二つの間欠泉から熱湯が勢い良く吹き出る!

 

「「れいとうビームだ!」」

 

 ほぼ同時にれいとうビームの指示を出すナオトとダン。

 イワークとニドクインの口から凄まじい冷気を纏った光線が放出され、熱湯にぶち当たった!

 

 放たれた冷気は吹き出た熱湯を着々と冷やしていく。しかし、ニドクインのれいとうビームの方が冷却力が強いのか、ダンの方の熱湯が徐々に凍りつき始める。

 対して、ナオトの方の熱湯は全く凍り始める様子を見せない。

 

「ちょっとナオト! このままじゃ負けちゃうわよ!」

「…………」

 

 それを見たフルーラが慌てて急かすように叫ぶ。それでも、ナオトは焦りの顔を見せない。

 

「ニドオォォ」

「いいぞ、ニドクイン! その調子だ!」

 

 ダンのニドクインは熱湯をどんどん凍結させていく。既に熱湯の半分以上が凍りつき、もはやこの勝負はダンの勝ちかと思われた。

 

「──イワーク! そのままアイアンテール!」

 

 刹那、ナオトがイワークにれいとうビームを維持したままアイアンテールをするよう指示した。

 何のつもりかとナオト以外の誰もが思う中、イワークがビームを放ちながら熱湯に近づき、その尻尾を湯に叩きつけた。

 すると、驚くことに熱湯が一瞬にして完全に凍結したのだ!

 

「そ、そこまで! 勝者、ナオト!」

「ええ!?」

 

 訳も分からない内に勝負が決まって困惑を隠せないフルーラ。無理もない。負けるかと思われたところを一瞬で巻き返したのだから。

 

「まいったよ。わざとイワークのれいとうビームの出力を抑えていたんだね?」

「はい。正直上手く行くか不安でしたけど、イワークが器用で良かったです。よくやったな、イワーク」

「グオオ」

 

 何やら訳知り顔で意思疎通できているダンとナオト。フルーラは慌てて隣にいるタケシの方を振り返った。

 

「え、何がどういうことなの? タケシ君分かる?」

「ああ。液体が固体になるには切っ掛けとなるエネルギーが必要になるんだ。でも、ゆっくり冷却されていくとそのエネルギーが得られずに温度がマイナスになっても凍結しないままになることがある。これを過冷却といって、その状態の液体に刺激を加えると今みたいに急速に結晶化するんだよ」

「??? と、とりあえず勝ったってことは分かったわ」

 

 思わぬ方法で見事に逆転されたダン。

 この勝利は、クリスタルのイワークが長く生きた中で培ってきた匠の技のおかげだろう。

 

 

 さて、次の勝負はこの出来上がった氷塊を削ってソリの形に加工すること。先に加工し終えた方が勝ちとなる。

 

「加工にはポケモンを三匹選んで作業に取り組んでもらう。僕はニドクインに加えて、この二匹だ。出ておいで、ゴーリキー! ストライク!」

「リキィ!」「ストライッ!」

 

 投げられた二つのモンスターボールから筋肉隆々のポケモンと両腕に鎌を携えた緑色のポケモンが姿を現す。

 前者はクルーズ船でアズミが連れていたかいりきポケモンのゴーリキー。後者はかまきりポケモンのストライクだ。ゴーリキーの怪力とストライクのあの鎌はソリの加工に打ってつけである。

 

「僕はこの三匹だ。アイ! それに……出てこい! コイキング、ブースター!」

「ミャア!」「ココッ」「ブスタァ!」

 

 対するナオトはクリスタルのイワークを戻してアイを呼び、さらに手持ちのモンスターボールからブースターとコイキングを繰り出した。

 

「ブ、ブースターは分かるけど、コイキングは大丈夫なの?」

「……正直、分からない。でも他にいないんだよ」

 

 フルーラの心配する声に、ナオトも不安の混じった表情で返す。

 イワークは巨体過ぎるし覚えている技は加工に向いていない。ゲンガーもシャドーボールやきあいパンチが使えるが、どちらも氷塊を派手に破壊しかねない。特にきあいパンチはスピード勝負には不向きだ。

 

「ナオト。そういえばもう一匹は? 私まだ見たことないわよね?」

「え? あ、いや、アイツは……」

 

 ナオトのベルトのホルダーに取りつけられたモンスターボール。その内の一つは、彼がオレンジ諸島に来てから一度もその蓋を開けていない。気になったフルーラが聞いてみたが、彼は答え辛そうに口を濁した。

 

「ナオト君。そろそろ始めようか」

「あ、はい!」

 

 そこへダンが声をかけ、ナオトはこれ幸いとばかりに話を中断してしまう。フルーラはそんな彼の態度に首を傾げながらも、審判のタケシの隣に戻っていった。

 

 

「それじゃあ、よーい……スタート!」

 

 

 タケシの合図と共に勝負がスタートする。

 

「ブースター、かえんほうしゃ! アイはみだれひっかき! コイキングはたいあたりだ!」

「ブァ!」「ミャ!」「コココッ!」

 

 ナオトは三匹のポケモンにそれぞれ指示を出した。

 粗彫りする部分はブースターのかえんほうしゃで溶かしていき、細かい部分はアイがみだれひっかきで削っていく。そして、コイキングがたいあたりで形を整えるといった手順だ。

 

「コッ!?」

 

 だが、加工し始めてすぐにアクシデントが起きてしまった。たいあたりをぶつけようとしたコイキングが氷に貼り付いてしまったのだ。さすがのコイキングもいつものボケ面から焦った顔に変わり、ビチビチと身体を動かして必死に氷から剥がれようとしている。

 

「ミャ、ミャア!」

 

 アイが慌ててコイキングを引き剥がそうとするが、鱗ごと剥がれそうで上手くいかない。ブースターの炎で張り付いた所の氷を溶かそうにもコイキングごと焼きかねない。かと言って、周りから溶かしていくとなると時間がかかってしまう。

 

「ブースター! 時間は気にするな。コイキングを焼かないように気をつけて氷を溶かすんだ!」

「ブッ!」

 

 しかし、ナオトはコイキングが無理やり引き剥がそうとせず、ブースターの炎で時間をかけて氷を溶かすことにした。

 

「ナオト……」

 

 この状況ではフルーラも文句は言えない。勝負を捨てたことになるが、コイキングのことを考えないような手段を得らればトレーナー失格だ。

 

「そこまで! この勝負、ダンさんの勝ちだ!」

「ストライクッ!」「ゴーリキィ!」「ニドォ!」

「よおし! よくやったぞ、みんな!」

 

 そうこうしている内に、ダンのポケモン達はソリを作り終えてしまった。

 

「これに勝てばバッジゲットだったけど……しょうがないわよね。みんなお疲れ様」

「ミャウ」「ブゥ」

「コ……」

「そんな顔するなよコイキング。お前のせいじゃないさ」

 

 ようやく氷から剥がれることができたコイキングはいつもボケッとさせた顔を申し訳無さそうに歪めていたが、ナオトは首を横に振って励ました。

 別のポケモンを選べば良かったとは言わない。ブースターの炎で表面を溶かしてからたいあたりさせれば、張りつくようなことはなかったはずだ。敗因はトレーナーの指示ミスにある。

 

 遅れてナオト達もソリを作り終え、次で最後の勝負となった。

 最後の勝負は出来上がったソリに乗って、苦労して登ってきたこの山を滑り降りるというものだ。なお、その間相手を妨害するような行為は禁止。降りる方向は登る時は反対となる山の裏側で、そちらの麓は海岸となっている。

 

「この山を滑り降りるのか……」

 

 ナオトはゴクリと生唾を飲み込む。ソリということである程度予想はできたが、実際やれと言われると尻込みしてしまう。

 この急斜面、相当なスピードが出るのは確実。それに加えて、ナツカンジムでの水上レースは障害物などなかったがこちらはそうではない。あちらこちらに岩などが転がっている。一瞬の判断を誤ればドカンとぶつかって終わりだ。

 

「最後の勝負は、二回戦目と同じく三匹のポケモンと一緒にソリに乗るんだ。僕が選んだのはストライク、それにマルマインとイシツブテだ」

「ストラッ!」「マルッ!」「ラッシャイ!」

「よし。アイ、ゲンガー、ブースター。頼んだぞ!」

「ミャア!」「ゲンガァ!」「ブゥス!」

 

 山を登り始める時と同じように青い顔をしているナオトを見て、フルーラがからかい半分の気持ちで駆け寄る。

 

「ねぇ、私も一緒に乗ったげよっか?」

「……いや、大丈夫。絶対勝つから、麓で待っててくれ。フルーラ」

 

 そう返して、ナオトはアイ達と一緒にソリへ乗り込む。思わぬ返事に不覚にもドキッとしたフルーラは少しばかり赤面してしまう。

 

「な、何よ。ナオトのくせに……」

「ナオトも男だからな。女の子の世話になってばかりは嫌なんだろう。さあ、俺達はロープウェイで先に麓に降りていよう」

 

 唇を尖らせるフルーラ。そんな彼女の肩に手を置いて、タケシがロープウェイ乗り場へと促した。

 フルーラは渋々頷いて返す。次いで、肩に置かれたタケシの手を払った。

 

「タケシ君。それセクハラ」

「ええ……」

 

 

 

 

 ──3、2、1、GO!!

 

 スタートの合図となるシグナルランプが点灯し、二つのソリが同時に雪の降り積もった傾斜を下り始めた。

 その様子を、ロープウェイに乗ったフルーラとタケシが上から眺めている。

 

「ホントに勝てるのかしら。ナオト……」

 

 不安げに呟くフルーラ。それを聞いたタケシは冷静にこの勝負を分析する。

 

「下り坂を滑走する場合、総重量の大きい方がスピードが出やすい。急なターンが必要ならまだしも、コースの前半は障害物を避けるための進路変更を除けばほぼ一直線。その点から考えると、ナオトは圧倒的に不利だろうな」

 

 そう。ダンの選んだポケモンとナオトの選んだポケモンとでは、明らかに重量に差があるのだ。

 ストライク、マルマイン、イシツブテの平均体重から換算すると、ダン側のポケモンの総重量は約142キロほど。対してナオト側、アイ、ゲンガー、ブースターの総重量は約78キロだ。ほぼ半分に近い差である。

 もっと重いポケモンを選べば良かったかと言えばそうだが、イワークのような巨大なポケモンをソリに乗せることはできない。体重がアイ以下のコイキングは論外だし、ナオトには他に選択肢がなかったのだ。

 

「そんなっ……」

「だが、ナオトもそれは分かっているはずだ。何か打開策を考えていると信じよう」

 

 そう言って、タケシはフルーラと同じようにロープウェイの窓から山を滑り下りる二つのソリを見守るのであった。

 

 

 

 

 タケシの予測通り、スタートしてからナオトのソリは上手い具合にスピードが乗らず、どんどんダンに距離を離されていっていた。

 少し振り返ってそれを確認したダンは、有利な状況を申し訳なく思いつつも自分の勝利を推定する。

 

(だが、勝負は最後まで分からない)

 

 そう、前回の挑戦者であるサトシは同じ状況であっても勝利してみせた。

 今回の挑戦者もそうならば、果たしてどんな方法で逆転してみせるのか? ダンは無意識の内にそれに期待していた。

 

 

「……そろそろ始めるか。ブースター!」

「ブスタァ!」

 

 胸にアイを抱いたナオトは遠ざかっていくダン達のソリを見て、後ろに控えているブースターに合図した。

 合図を受けて、ブースターがナオトの背を飛び越えてソリの先端に立つ。そして、前方の積雪へ向けて火力を控えたかえんほうしゃを放った。すると、徐々にナオト達の乗るソリの滑走速度が増していったのである。

 

「あれは……雪の表面をシャーベット状に溶かしてソリと雪の摩擦を減らしているのか!」

 

 その様子を見たダンは、すぐにナオトのしたことを理解した。やはり策を考えていたなと感心の笑みを浮かべる。ダンとてジムリーダー。ナオトをひと目見た時から頼りなさげであるがただのトレーナーではないと思っていた。

 だが、確かに速度は上がったがダンのソリには未だ追いつけていない。このままではダンの勝利は変わらぬままであろう。

 

(さあ、次はどんな手で来るんだ? ナオト君!) 

「ストライク! 右だ!」

「ストライッ!」

 

 期待した目線を送りながら、ダンは前方に迫った障害物──雪に覆われた岩を避けるためにストライクへ指示を出し、その鎌を使って右へと進路変更させる。

 

「このまま突っ込むぞ!」

「ミャウ!「ゲン!」「ブスタァ!」

 

 だが、それを追うナオトはあろうことか進路変更の指示を出さず、そのまま障害物目掛けて突っ込もうとしているはないか!

 自分の肩越しにそれを見て「危ない!」と思ったダンであったが、ナオトの顔に焦りの色はない。

 

「ゲンガー! シャドーボール!」

「ガァ!」

 

 ナオトは目前に迫る障害物へ向けてシャドーボールを放つようゲンガーに指示した。

 予め準備していたのか、ゲンガーは予備動作もなしにその両手から黒い影の塊を飛ばす。障害物を木っ端微塵に粉砕した。

 ナオト達のソリは巻き上がった雪煙を突き抜け、障害物を壊して出来た段差を利用して宙に飛び出し滑空する。そして、着地。ここで見事にダン達の乗るソリに並ぶことに成功した。

 

「まさか、強行突破して来るとはね!」

「この重量差で追いつくには、 これくらいの多少の無茶は必要ですから!」

 

 ダンの言葉にナオトは額に汗を垂らしながら返す。

 今のは自分のポケモンの実力を信じてこそできる技だ。やはり彼は素人のトレーナーではない。それを再確認して、ダンは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 ダンはこれまでになく勝負を楽しんでいた。なぜなら、このソリ勝負でここまでポケモンの技を巧みに扱って不利な状況を覆すトレーナーは今までにいなかったからだ。使ったとしても、精々が進路変更のためだけ。ナオトの作戦はまさにこの勝負において最も奇天烈かつ理想的なスタイルであった。

 

 ならばと、ダンも目つきを真剣な物へと変える。

 丁度コースは雪が途絶え、むき出しの岩が進路の邪魔をする荒れた傾斜へと移った。ここからは急なカーブを要するくねり道が続く。加えて荒れ地のため、先ほどとは打って変わってソリの振動が大きくなる。上手く制御できないせいか、横を走るナオトは顎を引いて必死にソリから放り出されないようにしている。

 

 片や、ダンはこの荒れ地による揺れも慣れた様子。そして、今まで進路変更しか指示していなかったストライクに初めて技を指示した。

 

「ストライク! しんくうはだ!」

「ストラァアイッ!」

 

 指示を受けたストライクは背後を振り返った。そして、両手の鎌を大きく振り上げ、クロスさせる形で勢いよく振り下ろす。それによって生じた真空の波の反動がダン達の乗るソリを後押しし、速度を上昇させた。

 

「マルマイン、シグナルビーム! イシツブテは方向転換だ!」

「マァル!」「ラッシャッ!」

 

 さらに進路を妨害する岩の障害物をマルマインのシグナルビームで破壊し、カーブではストライクに変わってイシツブテが拳を使ってソリの方向を曲げる。

 再びダンに距離を空けられてしまうナオト。ここまで、ダンはあえてポケモンの技を使わずにいたのだ。

 

「ッ! ゲンガーはそのままシャドーボールで障害物を対処! アイはじんつうりきでカーブに対応! ブースターは後ろにかえんほうしゃだ!」

「ゲンゲラッ!」「ミャウ!」「ブスァ!」

 

 ダンが本気を出してきたことに対して焦らず、舌を噛みそうになりながらもポケモン達に指示を出すナオト。アイのじんつうりきでソリの方向を変えてカーブを曲がり、そして今度はブースターに後方へ向けてかえんほうしゃを放たせる。

 ブースターのかえんほうしゃは、彼自身の火炎袋から喉を通って吐き出される。それがノズルの役割を果たし、ナオト達のソリはロケットエンジンのような推力を得た。それによって、空けられた距離が徐々に縮んでいく。

 

(さすがだ! ナオト君!)

 

 ダンは負けじと喰らいついてくるナオトにジムリーダーとして──いや、トレーナーとしての心の高ぶりを感じていた。そして、無意識の内に背後に目線を送る頻度が多くなる。

 

 故に、前方の確認が疎かになってしまっていた。

 

 目線を前に戻した時には、既に目の前にまで障害物が迫っていたのだ。マルマインのシグナルビームは間に合わない。咄嗟にイシツブテに指示を出して曲がろうとするが、曲がり切れず衝突。宙に投げ出されてしまう。

 

「うわあぁッ!」

 

 ジムリーダーとなってから初めてここまで勝負に熱くなれたことに舞い上がって、あるまじき失敗をしてしまった。

 一緒に乗っていたポケモン達と挑戦者であるナオトに申し訳ないと心の中で謝り、これから身体を襲うであろう衝撃に身構える。

 

 

「アイ! じんつうりきだ!」

「ミャウ!」

 

 

 ──しかし、それは来なかった。

 ナオトがアイにじんつうりきを指示して、ダンとポケモン達を助けたのだ。

 

 黄色い光に包まれたダン達は、ゆっくりと地面に下ろされる。そこへ、ソリを止めたナオトが駆け寄ってくる。

 

「大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫。ありがとう」

 

 尻もちを突いた状態のまま、ナオトに礼を言うダン。しかし、その表情は暗い。爽やかさに陰りが差していた。

 こうなってしまってはもう勝負は決まったものだ。外部からの妨害ならまだしも、自らのミスでソリから放り出されてしまったのだから。

 

「すまない、ナオト君。こんな形で終わらせてしまって……この勝負は君の──」

「……いや、ダンさん。最後までやりましょう」

「え?」

 

 ところが、ナオトはそんなダンに試合の続行を申し出た。驚くダンにナオトは右手を差し出しながら続ける。

 

「最初の登山で、僕もフルーラに助けてもらいましたから。これでお相子です」

 

 その言葉にダンは一瞬呆けてしまうが、フッといつもの爽やかな笑みを返し、差し出されたナオトの手を握り返したのだった。

 

 

 そして、再度ソリに乗ってスタンバイするナオトとダン。

 雲に隠れた太陽が顔を出したその時を合図に、一斉にスタートする。

 

「「──GO!」」

 

 ダンも今度はよそ見をするなんて真似はしない。もはやレースは佳境。視線の下り坂の先にゴールゲートが見えてきている。

 

「ストライク! フルパワーでしんくうはだ!」

「ストラアァイッ!!」

 

 指示を受け、ストライクが全力を込めたしんくうはを繰り出す。大きな風切り音と共に振り下ろされる鎌。突風もかくやという凄まじい風の衝撃波が岩つぶてを巻き込みながら放たれた。

 ゴール目指してこれまでにない加速を見せるダンのソリ。ラストスパートを仕掛けたのだ。

 

「ブースター! こっちもかえんほうしゃの出力を上げるぞ! フルパワーだ!」

「ブゥス、タアアァァーー!!」

 

 ナオトもブースターのかえんほうしゃのを最大出力まで上げて猛然とダンの後を追いかける。

 それによってこれ以上距離を離されることはなくなったが、このままでは追い抜くことはできない。

 

 

 

 

 

 一方、ゴールのある麓の海岸でナオト達が来るのを今か今かと待つフルーラとタケシ。

 

「あっ! 来た!」

 

 丘の向こうからソリの姿が見えてきたところで、フルーラがパッと顔を明るくさせてゴールの傍まで駆け寄る。

 しかし、見えてきたそのソリに乗っているのがダンであることが分かると、途端にその顔を歪ませた。

 

「ちょっと! ナオトは何してるのよ!?」

 

 ダンの後から来るであろうナオトの乗るソリが見えないか、ぴょこぴょこ動き回りながら精一杯背伸びして丘の向こうを凝視している。

 

「ッ! ナオトだ!」

「え!?」

 

 タケシの声に反応するフルーラ。振り返ってみると、彼はちゃっかり持っていた双眼鏡で丘の向こうを見ていた。

 

「タケシ君、あんたそんな糸目で見えるわけないでしょ! 貸しなさい!」

「糸目でも見えるぞ! 見えるに決まってるだろ!? いだっ!」

 

 フルーラはタケシから双眼鏡を強引に奪い取り、レンズを覗く。確かにナオトの乗るソリを確認することできた。

 双方かなりのスピードが出ているが、ナオトのソリとダンのソリとの間には結構な距離が空いている。この距離を縮めるのは今のままでは難しいだろう。それに、ゴールは目前だ。

 

「この勝負、もらった!」

 

 ダンが自身の勝利を確信した、その時であった。

 

 

「ブースター! フレア、ドライブッ!!」

「ブゥアアァーーッ!!」

 

 

 ナオトが大声でブースターにフレアドライブの指示を出した。何をトチ狂ったのか、技の発動によって自分達の乗るソリごとブースターの炎に包まれる。

 しかし、フレアドライブによる急激な加速が加わり、焼き切れん勢いでナオト達のソリは溶けながらも凄まじい速度で猛突し始めた!

 

「なんだって!?」

 

 空いた口が塞がらないダン。

 すぐ真横を肌を焼きかねん高熱の塊が通り過ぎていく。そのまま、あっという間にナオトのソリはダンのソリを追い抜いていった。

 

「ゴ、ゴールッ!」

 

 そして、ついにナオト達はゴールした。彼らを迎え入れたゴールゲートはフレアドライブの余波を受けて倒れ、文字通り黒焦げになって煙を上げているナオト達の上に覆い被さる。当然、氷で出来たソリは蒸発して跡形もなくなっていた。

 

「ナ、ナオト!」

「大丈夫か!?」

「……ケホッ。あ、ああ、なんとか」

「ミャ、ミャア……」「ゲン……」

 

 フルーラとタケシが慌てて駆け寄り、口から黒煙を吐き出して目を回しているナオトとアイ、ゲンガーを助け起こす。ピンピンしているのはブースターただ一匹である。

 

「ははは……みんな、よく頑張ったな。ありがとう」

「ミャウ!」「ゲンガァ!」「ブゥスッ」

 

 勝利を喜び合うナオトとアイ達。

 遅れて、ダンがゲートの倒れたゴールに辿り着いた。

 

「全く、無茶するなぁ。でも、まさかあんな方法で加速させるなんて思わなかったよ」

 

 少し苦笑いをしつつも、ナオトを称賛するダン。

 普通なら叱るべきところなのだろうが、勝負に勝ったことで喜んでいるナオトとポケモン達を見てお互いに信頼し合っての結果なのだと理解すると、水を差すようなことはできなかった。

 

「お疲れ様、みんな。ほら、じっとしてろ」

「ミャア」「ゲンゲラ」

 

 タケシがアイとゲンガーについた煤を払う横で、ナオトはフルーラの肩を借りてフラフラと起き上がる。ナツカンジムでもそうであったが、試合の度にボロボロになってはいないだろうか? 

 ダンはそんなナオトに歩み寄り、バッジを差し出す。

 

「これほど楽しい試合は初めてだったよ。ありがとう、ナオト君。これがネーブルジムで勝利した証、白波貝で出来たシラナミバッジだ。受け取って欲しい」

「は、はい」

 

 震える手でバッジを受け取る。白い扇貝に埋め込まれた緑色の石が勝利を祝うかのようにキラリと光った。

 

「や、やっ、た……」

「あ! ちょ、ちょっと、ナオト!?」

 

 それを受け取って安心したのか、ふっと目を閉じたナオトの身体から力が抜けていく。急なことで重さに耐え切れなくなったフルーラはナオトを抱えたまま女の子座りの形で尻もちを突いてしまった。自然と膝枕するような形になってしまう二人。

 

「もうっ! でも……ホントに、お疲れ様」

 

 静かな寝息を立て始めたナオトの青い髪を、フルーラは優しい手つきで撫でるのであった。

 




ソリでのレース。アニポケではただ「右だ!」「左だ!」的なことしかしてなかったので、もっとポケモンの技を巧みに使ってレースして欲しかった。
今回の内容はその願望を反映させた形になります。

■タケシのシチュー
タケシを見てるとシチューが食べたくなる。
というか、タケシのシチューが食べたい。食べたくない?

■ナオトのゲンガー
親代わりとしてナオトの世話をしている内に、スイーツ作りが上手になった。
いつかパティシエになってみたいという密かな願望を抱いている。

■ナオトのクリスタルのイワーク
覚えている技はれいとうビーム、ロックブラスト、アイアンテール、あなをほる。
なお、この作品でポケモンに覚えさせている技は見栄え重視で戦略など一切考えていない。

■過冷却
作者は文系なのでツッコミはなしの方向で!






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15. アシレみずくさをさがせ! ▼



今回の話は、無印編第17話『きょだいポケモンのしま!?』をイメージした内容となっております。見たことがない人向けに説明すると、ポケモン達の言葉が字幕翻訳されている回です。

なので、途中からポケモン達が何を言っているのか分かる形で台詞を書いております。人間の言葉を喋っているわけではないのであしからず。



 ダンに別れを告げ、次のジムがある島へ向けて再び海を渡るナオト達。

 その途中、無人島を見つけたので休憩がてらその島に上陸することにした。

 

「あれ? う~ん、おかしいなぁ……」

 

 島に上陸した後、例によってタケシがランチにとサンドイッチを作っていたのだが、どうも様子がおかしい。困り顔で船室の中を漁っている。

 見かねたナオトが狭い入り口から船室を覗いて声をかけた。

 

「どうしたんだ? タケシ」

「いや、用意しておいた材料が見当たらないんだ。確かここに何個か置いといたはずなんだが……」

 

 そこへ、話し声を聞きつけたフルーラもやってくる。ナオトの肩に自分の肩を当てて押し退け、同じように船室を覗いた。

 

「なあに、探し物?」

「ああ。前に寄った島で買っておいたモモンの実がどこにもないんだ」

「モモンの実? それなら私が全部食べちゃったけど」

「ええぇっ!?」

 

 特に悪びれもせず白状するフルーラ。船を操縦している間、小腹が空いた時に片手間で食べられるので丁度良かったのだという。

 ショックを受けたタケシはガクリと膝を落とす。

 

「ジャムにしてサンドイッチに塗ったり、ポケモンフーズの材料にもするつもりだったのに……これじゃあランチが作れない」

「ジャムがなくても私は別にいいわよ? ねえナオト」

「いやお前……」

「駄目だ! サンドイッチにはモモンの実のジャムが一番合うんだ! それにポケモンフーズも調合途中で、後モモンの実を加えるだけで完成するところなんだよ!」

 

 勢い良く立ち上がって捲し立てるタケシ。

 

「でも、モモンの実はもうないし……」

「そうよ。ないものはしょうがないわ」

「フルーラ。お前ちょっとくらいは反省しろよ」

「してるってば。でもどうしようもないでしょ?」

 

「──ミャア!」

 

 さてどうしようかと話しているところに、船の外から遊びに出ていたアイが戻ってきた。

 いつもの青い髪の少女に化けているアイは白いワンピースをたくし上げて袋代わりにし、そこに幾つかの青色の木の実を入れている。どうやら、森の入り口付近で生っていたらしい。

 

「アイ、木の実を拾ってきたのか?」

「ミャ!」

「これはオレンの実だな。硬いけど、ポケモンの傷を癒やす効果がある木の実なんだ。まあ、モモンの実と違って人間が食べるには少し味が変わってるんだが……っ、そうだ!」

「ど、どうしたの? タケシ君」

 

 急に大声を上げたタケシにフルーラがビクリと肩を震わせる。本当にテンションの落差が激しい男だ。

 

「木の実が生っている場所の周辺には、別の種類の実が生っていることが多いんだよ! 探せば、モモンの実も見つかるかもしれない!」

「ええっ、今から探すのぉ?」

「もちろん! さあ行くぞ!」

 

 善は急げと船室を出ていくタケシ。先ほどとは一転してうきうきとした足取りで森の中へ入っていく。その行動の早さに呆気に取られるナオト達。

 

「お腹ぺこぺこなのにぃ……」

「フルーラ。お前のせいなんだから、ちゃんと手伝えよ」

「ミャウ」

「分かってるわよ、もう」

 

 フラフラとした足取りのフルーラを連れて、ナオトとアイはタケシの後を追いかけるのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 モモンの実を探して森の中を手分けして散策する一行。

 意気揚々と出てきたものの、先程のオレンの実の他にも辛いことで有名なクラボの実などは見かけたが、肝心のモモンの実はパッと探しても見当たらなかった。

 

「さすがにそう都合良くあるわけないか……」

「タケシく~ん。もう諦めましょう。モモンの実がなくたってタケシ君の料理は美味しいわよ」

「いや! 絶対にあるはずだ! もっとよく探してみてくれ!」

 

 もはやナオトとフルーラが諦めかけている中、こだわりの強いタケシはあちこち動き回ってしぶとく辺りを見回し続ける。

 

「ミャウ!」

 

 その時、アイが鳴き声を上げて草むらの奥へと走り出した。

 背の高い草むらの奥、周りの木に隠れる形になっていたモモンの実が生っている木を見つけたのだ。

 

「あったのか!?」

 

 パッと顔を明るくさせたタケシがアイを追いかける。腰辺りほどにまで伸びた草むらを掻き分けてアイの鳴き声を頼りに進んでいく。

 

 ──フニュッ

 「ん?」

 

 しかし、途中で何か柔らかい物を踏みつけたことに気づいて足を止めた。

 足元を見ると、そこには丸く膨らんだ捕虫袋のような黄色い何かが。

 

「ウゥ……」

「ウ、ウツドン!?」

 

 その何かの正体は、ハエとりポケモンのウツドンであった。どうやら草むらの中で昼寝していたらしい。

 

「ご、ごめんな! 気づかなかったんだ!」

「ウツゥゥゥ……」

 

 慌てて足をどけて謝るタケシだが、足跡を顔に付けられたウツドンはご立腹の様子。その大きい口を窄め、黄色い身体を膨らませる。これは、ウツドンの攻撃の予兆だ。

 

「タケシ?」

「どうしたの? 見つかったんでしょ?」

「二人共、逃げ──」

 

 まずいと思っている中、後から続いてきたナオトとフルーラも近寄ってくる。タケシは彼らに逃げるよう言おうとしたが、時すでに遅し。

 

「ウツドオォォーーンッ!!」

「「「わああぁぁーーっっ!!?」」」

 

 三人はウツドンの口から勢いよく吐き出しされた黄色い粉──しびれごなを全身に浴びてしまった。

 

「ッ! ミャウミャア?」

 

 ナオト達の悲鳴を聞いて、何事かと来た道を戻ってくるアイ。草むらを掻き分けた先で、ナオトとフルーラとタケシが倒れていた。

 

「ミャア!」

 

 慌てて三人に駆け寄るアイ。森の奥へ逃げていくウツドンを視界の端に収めながら、アイはナオトの傍に座り込んでミャウミャと鳴きながら彼を揺する。

 

「う……あ…ア、イ……ウツ、ドンの、しび、れ、ごな、が……」

 

 口を開けず、上手く喋れない様子のまひ状態のナオト。しかし、何があったかのかはかろうじてアイに伝わった。

 

 とにかく、三人を休ませないといけない。しかし、自分の力では三人を運ぶのは難しいだろう。

 アイはナオトのベルトに取り付けられたモンスターボールを見ると、クリスタルのイワークが入ったボールを手に取って草むらの外に投げた。

 

「グオゥ」

「ミャア。ミャミャウ!」

「グオオオッ」

 

 ボールから出てきたイワークに三人を運んでもらう。ゴゴゴッと地面を揺らしながら、森の外へと向けて移動。

 そうして元の場所へ戻ってきたアイとイワークは船の船室の中にあるソファに彼らを寝かせた。とは言っても、小さなソファなのでギュウギュウ詰めだ。ナオトとフルーラはこれでもかとくっついた状態で、一番体の大きいタケシはほとんどソファからはみ出している。

 

「ミャウ……」

 

 しかし、寝かせたはいいもののどうすればいいか分からないアイ。三人はまともにしびれごなを吸ってしまった影響で高熱を出している。まひなおしなんて都合良く持ち合わせてはいない。

 とりあえず濡らしたタオルをそれぞれの額に乗せていると、タケシが弱々しく口を開いた。

 

「ア、アイちゃ……ア、アシレ……み、みず、くさを、さが……」

 

 イマイチ聞き取り辛いが根気良く聞いてみると、どうやらアシレ水草という草を煎じて飲むと症状を治めることができるらしい。水場に群生しているはずだから、探せば見つかるかもしれないと。

 

「ミャ!」

 

 アイは頷くと、ナオトのバッグを借りてアシレ水草を探すための準備を始める。

 いざ出発といったところで、ナオトが苦しそうに呻き、額に乗せた濡れタオルが床に滑り落ちた。それを拾い、調理用のボウルに入れた水に浸けて再びナオトの額に乗せてあげる。

 そんなアイにフルーラが弱々しく声をかけた。

 

「ご、めん、ね……わ、たしが、た、べちゃ……た、か、ら……」

 

 普段の彼女から想像もつかないような声で謝る彼女。自分がモモンの実を食べたせいでこんなことになったと責任を感じているのだろう。

 そんなことないよと、アイは首を横に振って彼女の濡れタオルも取り替えてあげた。

 

 

 ナオトのバッグを肩にかけて船の外に出るアイ。

 その両手に抱えた幾つものモンスターボールを、砂浜の上で一気に放り投げた。

 

「ゲン!」「ブゥス!」「ココッ!」「シャワァ」「グオオッ」「ラッシャイ!」「──!」「コーン!」

 

 ナオトのゲンガー、ブースター、コイキング。フルーラのシャワーズ。そして、タケシのイワーク、イシツブテ、ズバット、ロコンだ。そこに既に出していたナオトのクリスタルのイワークが加わる。

 なかなかの大所帯である。この中からアシレ水草を探すためのメンバーの選出をするのだ。

 

『う~ん……』

 

 三人の看病は家事が得意なゲンガーに任せるとして。クリスタルのイワークもその器用さで氷が作れるので、看病のために残ってもらわないといけないだろう。シャワーズもオーロラビームが使えるが、クリスタルのイワークのように上手く氷を作るようなことはできない。

 

『ど、どうも……自分、イワークと申します』

『? なんじゃお主、くねくねしおって』

 

 タケシのイワークはクリスタルのイワークにホの字のようなのか、岩の顔を赤らめて辿々しく言葉をかけている。が、悲しいかなクリスタルのイワークは彼を全く相手にしていない。言い忘れていたが、クリスタルのイワークはメスだ。

 

『ヘイラッシャイ! 何を握りやしょう!?』

『──! ──!』

 

 イシツブテはなぜか寿司屋の真似事をしている。ズバットは言葉を話さずに超音波で会話しようとしてくるのでうるさい。

 

『……窮鳥入懐。救世済民。我、主人救わん』

 

 コイキングはビチビチ跳ねながらも小難しい言葉を話している。全く何も考えていないような顔をしているが、その実彼はこの中で一番頭がいいのだ。

 

『おい、離れな。俺に触るとヤケドするぜ』

『は? 何あんた、そんなぬるさで調子乗ってるわけ?』

『あ? んだとコラ?』

 

 ブースターが隣で鱗繕いをしているシャワーズに自惚れた口調で話すが、シャワーズは主人であるフルーラに似た強気な態度でブースターをおちょくっている。いや、多分フルーラより口が悪い。

 

 結局アシレ水草を探しに行くメンバーは、アイ、ブースター、シャワーズ、コイキング、イシツブテに決まった。大きいポケモンは移動がしにくい。だから、タケシのイワークは留守番だ。火を扱える者が一匹はいた方がいいのでロコンも待機してもらおう。ズバットはうるさい。

 

『い、一緒に留守番ですね……よ、よろしくお願いします』

『アイ。こやつ気持ち悪いから、ボールに戻しておくれ』

『う、うん。ごめんね』

『え? ちょ! まっ──』

 

 タケシのイワークはクリスタルのイワークと一緒に留守番できて嬉しそうにしていたが、もじもじ身体を揺らしてうっとおしいらしいのでボールへ戻しておいた。ついでにズバットも戻しておく。

 

『気ぃつけてな。ナオ坊達はワシらに任せとき』

『いってらっしゃい。頑張ってね』

『うん。よろしくね。いってきます』

 

 ゲンガーとロコンに見送られて、アイは森を見据える。

 さあ、準備も整った。いざ出発だ!

 

『ナオ君。必ずアシレ水草を見つけてくるからね!』

 

 船の方を一度振り返って意気込んだアイは、ブースター達を連れ立って森の中へと入っていくのであった。

 

 

 

 

 森は奥へと進んで行けば行くほど木々が鬱蒼と茂っていく。

 それまではチラホラと生っていた木の実もあまり見かけなくなってきた。アシレ水草が群生していそうな水場を探そうにも、川や湖がどこにあるか分からない。

 

『……くそっ、何も聞こえやしねぇ』

『あんた、ちっとも役に立たないわね。その長い耳は飾りなの?』

 

 ブースターがその長い耳をピクピク動かして水の音を探るが、見つからない様子だ。

 そんな彼をシャワーズは鼻で笑い、皮肉る。

 

『んだと? てめぇこそヒレみたいな耳しやがって。それでちゃんと音が聞こえてんのか?』『ラッシャイ!』

『もう、ケンカはダメだよ!』『ラッシャイ!』

『当然よ。見てなさい』

 

 睨みを効かせて文句を返すブースター。アイが仲裁するが、気にせずシャワーズは瞼を閉じて集中し始める。

 自然とラッシャイラッシャイとうるさかったイシツブテは口を閉じ、ビチビチ跳ねていたコイキングもピタリと動きを止めた。

 辺りからは、風によって木々が囁かせる葉音しか聞こえなくなる。

 

 

 ──ポチャンッ

 

 

 シャワーズの聴覚に雫の滴る音が響いた。それと同時に、彼女のヒレ耳がピクリと動く。

 

『あったわ。こっちよ』

 

 どうやら、水場を見つけたらしい。先導するシャワーズをアイ達が慌てて追いかける。

 

『……いつか絶対泣かしてやる』

 

 ブースターは苦虫を噛み潰したような顔でそれに続いた。

 

 

 

 

 しばらくシャワーズの後に続いて陽の光も差さない森の中を歩くアイ達。

 途中から道を外れて草むらを掻き分けながら進むことになり、ブースターが呟く愚痴を聞き流しながら一行は水場を求めて歩み続けていた。

 

『おいおい、ホントにこっちで合ってるのかぁ? 草ばっかで水場なんてどこにもねえじゃねえかよぉ』

『…………』

 

 当のシャワーズは気にした様子もなく黙って先へと進んでいる。

 

『あっ、少し空けた場所に出たね』

 

 一体いつまで続くのあろうかと思うほど掻き分けた草がようやく途切れた。鬱蒼と茂った木々もなくなり、太陽の日差しがアイ達を照らす。若干の息苦しさから解放された彼女達は、少しばかりの休憩とばかりに大きく深呼吸をする。

 

 ──ガサガサッ

 

 その時、向かい側の草むらが揺れ始めた。野生のポケモンかと身構えるアイ達。

 

「──ピィッ!」

 

 転び出てきたのはピンク色の身体をした小さなポケモン。ほしがたポケモンのピィだ。

 

「ピィ? ピピィ!」

 

 ピィはアイ達を認めると、笑顔を浮かべてピョコピョコ近寄ってきた。覚えのあるこの懐っこい性格。どうやら、この子は今まで二度矛を交えてきたドミノが連れているピィのようだ。いや、ドミノについていっている、が正しいだろうか。

 

『こんにちは~』

『こ、こんにちは……』

 

 挨拶するピィに戸惑いながらも挨拶を返すアイ。

 

『ねえねえ、いっしょにあそぼ? あそぼ?』

 

 敵対していたことを忘れているのか、ニコニコと笑いながらそう誘うピィ。

 もしかすると、今までのバトルも彼女自身は遊びのつもりだったのかもしれない。

 

『ごめんね。わたし達は今とっても大事な探し物をしているから、一緒に遊べないの。ねえ、あなたはどうしてこんなところにいるの?』

『ええ? えっとね、う~んとね、う~んと……』

 

 自分でも忘れてしまったのか、ピィは口元に指を当てて頭を捻っている。

 

『え~~っと……あ、そうだ! ドミノちゃんがゴビョーキになっちゃったから、オクスリをさがしにきたんだった!』

 

 アイ達が困った顔を見合わせていると、ようやく思い出したのかピィは嬉しそうに声を上げた。

 

『ビョーキ?』

『うん! あのね、おなかぺこぺこでたべものをさがしてたらね、きいろいポケモンをふんずけちゃったんだ。それでね、おこながたくさんバーッ! てでてね。ドミノちゃんうごかなくなっちゃったの』 

 

 たどたどしい舌っ足らずな説明だが、つまり食糧難に陥ったドミノが食べ物を探そうとして足元にいたポケモンを踏み、しびれごなを浴びてしまったらしい。ナオト達とほぼ同じである。

 

『わたし達もナオ君達の痺れを治すためにアシレ水草を探してるんだよ』

『ア、シ、レ? それがあればドミノちゃんもなおるの?』

『うん。治るよ』

『じゃあ、ピィもいっしょにさがすー!』

『いいよ。一緒に探そう!』

 

 わーい、と笑顔で飛び込んでくるピィ。アイはその小さな体を優しく抱きとめる。

 しかし、シャワーズとブースターが待ったをかけた。

 

『ちょっと、なんで私達がドミノを助ける真似なんかしなきゃならないのよ?』

『助ける義理なんかねえしな。ほっといて行こうぜ』

『あら、珍しく意見が合うじゃない?』

『……フンッ』

 

 シャワーズ達の言い分は正しい。だが、さすがに放っておいてドミノを野垂れ死にさせてしまうのも気が咎める。

 それに──

 

『それに、生きてればいつかあの人とも仲良くなれる日が来るかもしれないから……』

 

 哀愁の漂う目で答えるアイに、シャワーズ達は戸惑うように顔を見合わせる。

 

『抑強扶弱。我ら、彼女、保護すべき』

『ラッシャイ! 鯉の王様はその子をポケモンセンターに連れ帰るべきだって言いたいみたいですぜ!』

 

 そこへ、コイキングがビチッと一跳ねして助け舟をくれ、イシツブテが要約してくれた。

 そうだ。ピィは元々ボンタン島のポケモンセンターにいたポケモンなのだ。このまま自分達が保護して連れ帰るのが道理であろう。

 

『……まあ、保護するって形なら別に構わないけど』

 

 納得した様子のシャワーズであったが、その澄ました顔をずいっとアイが抱いているピィに近づけた。

 

『そもそもあんた、なんであのドミノと一緒にいるの? アイツは悪い人間で、あんたは利用されてんのよ?』

『……?』

 

 シャワーズの言葉をよく理解できていないのか、ピィは頭をコテッと傾けている。

 

 

 ──ガサッ!

 

 

 刹那、ピィやアイ達が出てきた草むらとは別の場所か何者かが草を掻き分けて近づいてくる音が聞こえてきた。

 

「カイィ……」

 

 草むらから出てきたのは茶色い甲殻に二対の長い角を持った生物、くわがたポケモンのカイロスであった。

 ハサミを思わせる内側に曲がった角、その表面に生えている鋭いトゲが鈍く光っている。

 

『ッ!!』

 

 カイロス達の睨みつけるような目つきを見て焦るアイ達であったが、カイロスはそんな彼女達の横をドスドスと素通りしていく。陽のよく当たる場所に生えている木によじ登り、樹皮から滴る液を舐め始めたのである。

 

『び、びっくりしたぁ。樹液を吸いに来ただけだったんだ』

 

 確かに目の前の木はゴツゴツとした肉厚な樹皮をしており、嗅いでみれば濃厚な蜜の香りが鼻をくすぐった。

 そうこうしている内にまた辺りから複数の足音が聞こえ、茂みから何匹ものカイロスが木に集まってきていた。恐らく、この木はこの島に住むカイロス達の食事場の一つなのだろう。

 

『……とりあえず、襲ってくることはなさそうね』

『ああ。さっさと水場に向かおうぜ。ホントにあれば、だけどな』

『うるさいわね。そんなに水が拝みたいなら、今ここであんたにみずでっぽうぶっかけてもいいのよ?』

『上等じゃねえか。やってみろよ』

『もう! ケンカは止めて早く行こう!』

 

 アイは火花を散らすシャワーズとブースターの間に割って入り、そのまま水場を目指して再び出発しようとした。

 

『おいしそ~! ピィもなめた~い!』

『あっ! ダメだよ、ピィ!』

 

 しかし、カイロス達が美味しそうに蜜を舐めているのを見て、涎を垂らしたピィが飛び出して木に駆け寄っていってしまった。慌ててアイが連れ戻そうとするが、その手をすり抜けてあっという間に木をよじ登っていく。

 

『ねえねえ、ピィにもちょうだい!』

 

 カイロス達の傍まで登り、自分にもとねだるピィ。彼らはそんなピィをギロリと睨みつける。

 

『……ジャマだ、どけっ!』

『わっ!?』

 

 しかし、カイロス達は自分らの食事場を荒らしに来たと思ったのか、角を振り回して木からピィを弾き飛ばしてしまった。

 

『ピィッ!』

 

 ぽーんと宙を舞うピィをアイが両手でキャッチする。

 ほっとするのもつかの間、蜜を舐めるのを止めたカイロス達が続々とに地面へと降り立ってきた。アイ達を食事場を荒らす敵だと判断したのか、その表情は険しい。

 

『オレ達の食事場から出ていけぇ!』

 

 先頭に立っていたカイロスが駆け出し、頭を突き出してアイをその手に抱えているピィごと挟み込もうとする。

 

『てやんでい!』

 

 が、間一髪イシツブテが間に入ってその岩の拳でカイロスの角を弾いた。

 

『やろうってんなら相手になるぜ!』

 

 ブースターがその身に熱気を漂わせる。そんな彼の頭を隣にいたシャワーズが尻尾でピシャリと叩いた。

 

『いてっ、何すんだ!?』

『おバカ。こんな森の中でほのおタイプの技なんて使ったら大惨事になるでしょ』

『と、とにかく逃げよう!』

『三十六計!』

 

 一行はいきり立つカイロス達に背を向け、相変わらず何を言っているの分からないコイキングが先導する形で走り出した。この中で一番速く動けるのはコイキングなのだ。最も弱いポケモンとはよく言ったものである。

 

 しばらく森の中を我武者羅に草むらを掻き分けて逃げ続けるアイ達であったが、この森はカイロス達のテリトリー。当然、地理を細かく知っている分相手の方に分がある。

 そして次に視界が開けた時、目の前には反り立った崖が行く手を阻んでいた。

 

『あっ!?』

『しまった、上手いこと行き止まりに誘導されちまったのか!』

 

 慌てて引き返そうとするが、追いついたカイロス達によってそれも叶わず。既に彼らによって包囲されている状況であった。

 

『くらえっ!』

『『わあっ!!』』『ッ!』

 

 カイロス達の吐いた糸によって、アイ達は身動きを封じられてしまう。

 間一髪、コイキングだけはその場から飛び跳ねて難を逃れた。

 

『コイキング! 時間を稼いで!』

『承知!』

 

 コイキングが周りに生えている木を利用して跳ね回りカイロス達を翻弄。その間になんとか糸を剥がそうとアイ達は懸命に試行錯誤する、が──

 

『~っ! ダメ。全然取れない!』

『おい、俺の炎で──』

『ちょっと! あんた私達ごと燃やす気!?』

『てやんでい!』

 

 カイロスの吐いた糸は非常に粘着質でとてもではないが簡単に剥がせるものではなかった。それどころか、もがけばもがくほど身体に絡みついてしまう。

 

『あはは! なんかネチャネチャしてたのしいね!』

 

 そんな最中、ピィは場違いにも笑顔。無意識でやっているのか、楽しそうにその小さな指を振っている。

 

『そこだ!』

『ッ!』

 

 コイキングも奮闘していたが、相手の数が数なので徐々に追い詰められてしまう。

 そして、ついに隙を突かれて角の一撃を受けたコイキングはアイ達の元へ吹き飛ばされる。それによって身体に糸が貼り付き、頼みの綱のコイキングも身動きが取れなくなってしまった。

 

 トドメを刺すべく、カイロス達が猛然と迫る。

 

『……ナオ君!』

 

 万事休すかと思われたその時、ピィの指を振る動きが止まった。

 それと同時にその指から眩い光が放たれ、辺りを包み込む。あまりの眩しさにその場にいる全員が目を閉じた。

 

 

 

 

 

 眩さを感じなくなったアイは、恐る恐る瞼を開ける。

 彼女の視界を埋め尽くしていたのは大勢のカイロス達ではなく、吸い込まれそうなほど青く澄み切った雲一つない空であった。

 妙な浮遊感を感じて首を横に向けてみると、見えたのは太陽の光を受けて煌めく海。地平線まで広がるそれに目を奪われていると、急に視界がスクロールし始める。

 

『……え? え?』

 

 否、自分達が落下しているのだ。

 

『お、おい! 何で俺達いつの間にか宙を飛んでんだ!?』

『この唐変木! 飛んでるじゃなくて落ちてんのよ!』

『てやんでい!」

 

 強烈な風圧を受けて、いつの間にか宙に飛ばされていたことに気づいたアイ達。

 そうこうする内に迫る地上。目下にあるのは湖であったが、さすがにこの高さから落ちたらただでは済まない。

 

『──ッ!!』

 

 アイは慌ててじんつうりきを使った。

 アイのじんつうりきによって落下速度が徐々に緩められる。身体が水面に叩きつけられそうになるその時、間一髪といったところで落下を止めることに成功した。

 

『はぁ。よかっ……あっ!』

『『わああッ!!』』

 

 ほっと一息つくのも束の間、気が緩んでしまったせいかアイのじんつうりきが切れてしまう。

 一行はドボーンッと大きな水柱を立てて着水するのであった。

 

 

『くっそ……ひどい目に合ったぜ』

『水に浸かったくらいで、だらしないわね』

『うるせぇ、テメェはみずタイプだからそんなこと言えんだよ』

 

 湖から這い上がり、ようやく緊張の糸が切れて各々身体を休め始める。

 

『でも、どうしてだか分からないけど助かって良かったね。目的の水場にも着けたし』

『つめたくてきもちーね!』

『旭日昇天』

 

 人間の姿のままのアイは水を吸った白いワンピースを絞り、ピィは湖の浅瀬で水遊び。

 みずタイプのシャワーズとコイキングはむしろ水に落ちる前より快調な様子だ。

 

『ぶえっくしゅ!』

『ラ……ラッ……シャ、イ……』

 

 反面、水が弱点なブースターとイシツブテ。ブースターはまだマシだが、イシツブテはもはやほぼ死にかけである。

 

『見て! これって、アシレ水草なんじゃないかな?』

『そうね。間違いないわ』

 

 都合の良いことに、目的のアシレ水草はこの湖の底に生えていた。となると、後は二匹の回復を待って水草を持ち帰るだけだ。

 水草を回収し終えたアイ達はブースターが絞り出した火種で火を焚き、身体の乾きを待つ。

 

『はい。この草でドミノさんのビョーキも治るよ』

『わあい! ありがとう!』

 

 集めたアシレ水草をピィに分けてあげると、彼女は喜んでそれを受け取った。

 

『煎じて飲ませないといけないんだけど……分かる?』

『???』

 

 案の定頭を傾げたので、持ってきた水筒に煎じた物を淹れて『これを飲ませてあげてね』と言って渡してあげることにする。水筒を受け取って嬉しそうにしているピィ。

 そういえば、彼女はカイロス達に追い詰められた際、同じような笑顔で指を振っていた。ポケモンの技には、"ゆびをふる"という何が起こるか分からない技がある。もしかしたら、それによって偶然テレポートが発動し、ここへ移動したのかもしれない。

 自分達はピィのおかげで助かったのだ。アイは水筒を抱えてはしゃいでいる彼女の隣に座った。

 

『ねえ、ピィ』

『ん~?』

『ピィはドミノさんのこと、好きなの?』

『うん! すきー!』

 

 ピィは屈託のない笑顔で答える。

 

『でも、ドミノさんはロケット団っていうポケモンをさらう悪い人達の仲間なんだよ?』

『?? ロケット、だん?』

 

 やっぱりよく分かってない様子で呆けた顔を返す。しかし、それでもアイの話を聞いて何やら『ん~っ』と考え込み始めた。

 しばらくして、その小粒ほどの大きさの口を開く。

 

『ピィね。まえまでトレーナーさんといろんなところであそんでまわってたのに、いつのまにかひとりぼっちになってたんだ』

 

 そう。確かピィはポケモンセンターに預けられたまま、元のトレーナーに置いていかれる形で捨てられてしまったのである。

 

『でもね、ドミノちゃんがいっしょにあそんでくれて、とってもたのしかったんだ! だから、ドミノちゃんについてくことにしたの!』

 

 多分、ポケモンセンターでのバトルのことを言っているのだろう。別に遊んでいたわけではないのだが、ピィにとっては違ったようだ。

 

『酷いこととか、されたりしないの?』

『なんどもおいかえされたりしたよ。でもね、ピィね。ドミノちゃんのそばにいてあげたいの』

 

 ナオト達のせいで任務に失敗し続け、エリートの席から外されたドミノ。そんな彼女は、ピィが言うには時々寂しそうな顔を見せるのだという。

 ピィは彼女の事情を知りはしない。悪い人達というのもよく分からない。ただ、一人ぼっちの寂しさを知ってるピィはそんな彼女を一人にさせたくないのだ。

 

『……そっか』

 

 たどたどしくも一生懸命話すピィに、アイは静かに笑みを浮かべるのであった。 

 そこへ、水浴びを終えたシャワーズが水を滴らせながらやってくる。

 

『ふぅ……そうだ。せっかくの機会だからアイに聞きたいことがあるんだけど』

『うん、何? シャワーズ』

『あんたの主人のことよ』

 

 アイの主人──つまり、ナオトのことだ。

 彼はポケモンとの相性が人より良いのか、一緒にいて不思議と居心地が良い。だがその反面、どうにも人付き合いが苦手らしい。まあ、それはネーブルジムでの経験によってか以前よりはマシにはなってきてはいる。

 

 だがシャワーズが一番気になっているのは、彼がポケモンバトルを避けている節があることだ。バトルを嫌っているというより、相手のポケモンを傷つけたくないという気持ちがありありと感じ取れた。現に、やむをえずバトルする際には極力攻撃は指示せず、相手のスタミナ切れを狙っている。

 

『なんかイライラするのよね。はっきりしないっていうか。カロス地方を旅してた頃からあんな感じ──』

『そんなことないよ!』

 

 アイが遮るようにしてシャワーズの言葉に返す。思わず声が大きくなってしまったことにハッとなって、俯いた。

 

『……ちょっと、事情があるの』

 

 そう言って黙ったままでいるアイ。

 シャワーズはその事情とやらを知っているであろうブースターにも目線を送るが、彼はそっぽを向いてアイと同じく答えないという意思表示を示した。ならばと、今度は自分と同じく知らない側であるコイキングを見やる。

 

『あんたも気になるでしょう? 他でもない自分の主人のことよ?』

『……ッ』

 

 此度のトラブルは自分の修行不足とばかりに音を置き去りにする速度で跳ねまくっていたコイキング。シャワーズの問いかけにピタリとその動きを止めた。

 

『……刮目相待。我、主人、待つ』

 

 それだけ言って、コイキングは再び跳ね始めた。ナオトが自分から話してくれるのを待つ、ということらしい。

 シャワーズはやれやれと首を振って嘆息する。

 

『はぁ……分かったわ。それじゃあ、そこの水にかかると無能になる子達も幾らか回復したことだし、そろそろ帰りましょうか』

『あ? 誰が無能だ?』『てやんでい!』

 

 彼女のその言葉に、皆頷いて立ち上がる。

 ブースターはシャワーズに食って掛かるが、それを右前足で押し退けるシャワーズ。

 

『でも問題は……どうやって帰るかよね』

 

 そう。アイの予想が正しければ、この湖へはピィのゆびをふるで発動したテレポートでやってきた。つまり、帰り道が分からないのである。

 こういう時に空を飛べるポケモンがいれば助かるのだが、生憎そういったポケモンは連れていない。コイキングが全力で飛び跳ねてはるか上空まで昇ってみるが、ダメ。コイキングは視力が悪い。こんなことなら、タケシのズバットを連れてくれば良かった。

 

 どうしようと悩んでいると、辺りからガサガサと草むらを掻き分ける音が聞こえてくる。

 

『……』

『ッ! カ、カイロス!』

 

 目を向けてみると、現れたのは先ほどアイ達を襲ったカイロス達。それも、湖を背に囲まれる形で。

 なぜここにいることが分かったのか? 気にはなるが、詮索している余裕はないと身構えるアイ達。

 

『…………』

 

 しかし、どうにも様子がおかしい。カイロス達はアイ達を襲おうとせず、ただじっと湖の方を見つめているだけであった。

 首を傾げていると、草むらから新たにカイロスが二匹現れた。その内の一匹は体調が悪いのかグッタリとしており、もう一匹のカイロスに肩を貸してもらっている。見るに、このカイロスもナオト達と同様何かしらのポケモンからしびれごなを浴びせられてしまったようだ。恐らくここで暮らしているカイロス達はアシレ水草のことを知っていて、それでこの湖へ来たのだろう。

 

『大変! ピィ、ちょっとこれ分けてくれる?』

『うん、いいよ!』

 

 アイはピィに渡した水筒からアシレ水草を煎じた物をコップに入れ、差し出した。弱った仲間を抱えているカイロスは戸惑ったようにアイとコップを見比べている。

 

『さ、飲んで。元気になるよ』

 

 そんなカイロスにアイが微笑みかけると、彼は頷いてコップを受け取り、仲間に飲ませてあげた。

 効果はすぐに出て、弱っていたカイロスは自分で立てるほどに回復した。さすがにまだ動きは鈍いが、それでもカイロス達は仲間が助かったことに喜び勇む。あの特徴的な鋭い眼をにこやかに細め、アイ達に感謝している。

 

 険悪な空気はどこへやら、先ほどまで追われていたのが嘘のような朗らかな雰囲気が辺りを包む。

 それを優しく見守るように、湖は太陽の光を浴びて一層キラキラと輝くのであった。

 

 

 

 

『案内ありがとう! カイロス!』

『バイバ~イ!』

 

 それから、アイ達はカイロス達の助けを得てナオト達の元へ無事帰ることができた。

 手を振って別れを告げ、カイロス達は笑顔で手を振り返してまた森の中へと去っていく。

 

 ところで、ドミノがいる場所はアイ達の帰る方向とは別方向だったので、ピィとは途中で別れてしまった。

 

『おい、ドミノのトコに帰して良かったのかよ?』

『そうよ。保護するんじゃなかったの?』

 

 ブースターやシャワーズは難色を示していたが、アイはそれに首を横に振って答えた。

 

『きっと、大丈夫だよ』

 

 そして、アシレ水草の煎じ物を飲んだナオト達は瞬く間に元気になり、苦労したかいあってすっかり元通りだ。

 

「ありがとう、アイ。それにみんな」

「シャワーズもありがとう。ホントにごめんね」

「イシツブテ、ロコン。面倒かけたな。あれ、イワークとズバットは……え? ボールから出てないの?」

 

 各々自分のポケモンを労うナオト達。

 みんな疲れた顔をしているが、それでも主人に褒められて嬉しそうにしている。もっとも、シャワーズは相変わらずの態度で、そんな彼女にからかわれたくないのかブースターも仏頂面のままだが。

 

「さあ、遅くなったけど改めてランチにしようか! ……って、そうか。モモンの実は結局──」

「ミャウ!」

 

 困り顔のタケシに、アイは笑顔でナオトのバッグからある物を出して見せる。

 それは、帰り際にちゃんと取ってきたモモンの実。

 

 モモンの実の甘い風味の加わったサンドイッチとポケモンフーズを堪能した一行は、次のジムへ向けて再び船を進め始めた。

 

 この先もまだまだ波乱の予感がするが、果たしてどうなることやら。

 続くったら、続く!

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「……ぎっ、あ……ぐ……」

 

 同じ頃、木陰から未だに苦しげに喘ぐ声が一つ。

 

「く……くそっ、た……れ……この……わた、しが……なん、で……こ、んな……」

 

 言うまでもない。ロケット団の元Aクラスナンバーズ009、ドミノ。

 誰が呼んでたのかも定かではない黒いチューリップである。今は萎びて枯れかけのチューリップだが。

 

 少し前まで巨大組織のエリートとしての身分を利用して休暇を楽しんでいたとは思えないほどの無様なその姿。あの頃は太陽が自分を輝かせているようであったが、今は上からあざ笑っているように見える。それが憎くて、悔しくて、必死に動かない身体で這いずり、心許ない木々の下にかろうじて隠れていた。

 

 僅かに動く青く染まった唇から、恨みがましい呪詛が呟かれる。

 狙いのレアポケモンを持っているジャリボウヤ達は今どうしてるだろうか? 美味いサンドイッチなんかでも食べて南国の旅を満喫しているのであろうか? こっちはその日食べる物にも困って、今日などは朝から何も食べていないのに。

 

 だが、それも直に空腹と身体の痺れと熱によって言葉少なになっていく。

 紡がれるのは、まさに風前の灯火とも言えるような掠れた声だけ。

 

「…………だ……れ、か……」

 

 その声は、誰にも届くことはない。

 

 

 

「ピィ!」

 

 

 

 ──いや、届かずとも、手は差し伸べられた。とても、とても小さな手だ。

 

「あ、ん……た……ピ……ィ?」

 

 いつの間にか死に体の自分を置いてどこかへ消えたと思ったら、ようやく戻ってきたのか。この蹴飛ばされても楽しげな顔をしてついてくる変わり者。てっきりそのまま別のトレーナーでも探しているものかと思っていた。

 ピィは抱えていた水筒のコップを危なかっしい手つきで取り外し、その中へ水筒の中身を注ぐ。そして、生ぬるくて青臭いそれをドミノの口に押しつけた。

 

「ピピピィ!」

「ちょ、んぐ……おえっ」

 

 流れ込んでくる何かも分からない液体。思わず吐き出そうとするも、身体が麻痺しているので叶わず。

 喉を通っていくこれは何だ? この頭からっぽなピィのことだから、きっとそこらの水溜りを掬ってきたものとかに違いない。そう思うと急激に吐き気を催してきたドミノは、文句を言うべくガバリと立ち上がった。

 

「ちょっとあんた! 一体何を飲ませ──あら?」

 

 そう。立ち上がることができたのだ。あれだけ動かなかった身体や焼けるような高熱もどこへやら。すっかり元通りである。

 

「は? どうして、治って……まさか、あんた」

「ピィ!」

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいるピィ。その手から持っていた水筒が零れ落ち、地面を転がってドミノの足に当たった。それを拾い上げ、しげしげと眺める。ピィにこんな物を持たせた覚えはもちろんない。

 

「これは……もしかしてジャリボウヤの?」

 

 はっきりと記憶してはいないが、ポンカン島で彼らを尾行していた際、ナオトがこれと同じ水筒を持っていた覚えがドミノにはあった。

 もしこの水筒がそうであるならば、敵であるはずの自分を助けたということである。

 

(バカな奴ら、お情けのつもりかしら? ……随分とお人好しだこと)

 

 しばらくぼんやりと考え込んだ後、次いでピィを見やる。彼女は褒めて褒めてというような期待に満ちた顔でドミノのことを見上げていた。

 

「……はん。私はあんたのご主人様なわけだからね。そのあんたが主人のために働くのは当然のことでしょうが」

 

 冷たい口調でそう言って、ピィに背を向けるドミノ。

 

「…………でも、一応、礼は言っとくわ」

「ピ?」

 

 小さく呟かれた言葉が聞こえなかったのか、首を傾げるピィ。それに構わず、ドミノは誤魔化すように乱暴な足取りで森の方へと歩き出した。

 

「さあ! こちとら朝から飲まず食わず。いや、飲みはしたわね。とにかく、さっさと食料確保してあのジャリボウヤ達を追いかけるわよ!」

「ピィ!」

 

 

 




アニポケ新シリーズ……期待と同じくらい不安もありますね。
何にせよ、楽しみです。
次回は元々用意してたのを色々あって一から書き直し中なので遅れるかもしれません。

■無印編第17話『きょだいポケモンのしま!?』
この回でのサトシのヒトカゲの台詞

「だいじょうぶです」
「どこでしょう?」
「みちをおしえてください」
「いませんねぇ」
「たたかいますか!?」

こんな丁寧な話し方するヒトカゲが、まさかあんな問題児に進化するなんて一体誰が予想できるだろうか。
フシギダネの「おれたち、すてられたんだ」という台詞も好き。

■オレンの実
見た目は青色のオレンジだが、色々な味が混ざっていて人間が食べるには適さない。
しかし、サトシは美味しそうに食べた。

■タケシのイワーク
タケシと違って奥手。しかし、報われなさは似たもの同士。

■ナオトのクリスタルのイワーク
実はメス。長生きしているため古めかしい話し方をする。

※※※

この作品とは関係ないですが、以前チラシの裏で執筆していた『名探偵コナン✕ペルソナ5』は『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』の発売と同時にお気に入り登録者以外閲覧できないようにしようと考えております。
未完ですが、既プレイで気になる方は今のうちにどうぞ。未プレイの方はご遠慮ください。




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16. さよならバイバイ!? ドミノとピィ ① ▼

「とうちゃーく!」

「すごいな。デパートもあるし、オレンジ諸島のタマムシシティってところか」

「ミャウ!」

 

 オレンジ諸島最大の面積を誇るマンダリン島。ナオト達が今いるのはその島一番の大都市、ビッグシティである。

 大都市ということもあってオレンジ諸島では見慣れないビルも数多く建ち並んでおり、今まで訪れたどの町よりも発展しているのが一目で見て取れる。店には本土から最新流行の品々が入荷されるので、今時な女の子であるフルーラにはなくてはならない街だ。

 

 何でもつい最近まで地下道に潜む謎の怪物による被害が多発していたらしいが、街の活気を見る辺りそれも解決したらしい。その騒動の元凶と発覚した市長が選挙で落選したりと、色々あったようではあるが。

 

「オレンジ諸島にあるとは思えないぐらい立派な街だな。さすがにミアレシティには劣るけど」

「何それ、自慢?」

「いや、別にそんなつもりじゃ……」

 

 次のジムがあるというユズ島を目指す一行は、そこまでの連絡船に乗るためにこの街に立ち寄った。

 もちろん、最初はフルーラの船で直接ユズ島に向かおうとしたのだ。しかし、何せ本来の持ち主同様年季の入っている船だ。エンジンの調子が目に見えて悪くなってきたので、修理に出すがてら街に繰り出そうということになったのである。

 

「俺は適当に街を回って、足りなくなってきてる物資を調達しておくよ」

「そ。じゃあ終わったらポケモンセンターで落ち合いましょ。ほら、行くわよナオト」

 

 タケシの言葉に頷くと、フルーラはナオトの手を取って歩き出し始めた。

 柔らかい感触にドキリとするナオトだが、すぐに我に返って慌てて踏み止まる。

 

「ま、待てって!」

「何よ?」

「いや、僕は特に足りない物もないからポケモンセンターで休もうと思ってたんだけど」

「せっかく来たのにそんなのもったいないわよ。私が色々案内したげるから黙ってついてきなさい!」

「ちょっ、アイ! 止め──おい、引っ張るなバカ!」

 

 抵抗むなしく、力勝負で負けて引きずられていくナオト。

 小さくなっていくその情けない姿を、アイは苦笑いしながら片手を振って見送った。

 

「アイちゃんはナオト達と一緒に行かないのか?」

「ミャウミャ」

「そうか。良い子だな、アイちゃんは」

 

 偉い偉いとタケシに頭を撫でられて嬉しそうに微笑むアイ。空気が読める出来た子だ。

 

「サトシとカスミも今頃どこかでナオト達みたいに……いや、あの二人に限ってそれは有り得ないか」

「ミャ?」

「ああ、なんでもないよ。それじゃあまずはフレンドリィショップにでも行ってみよう」

「ミャウ!」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ビルという名のコンクリートの木々が建ち並ぶビッグシティ。

 その一角にあるこじんまりとした公園で、ホームレスのような風貌の女が自動販売機の下を這うようにして漁っていた。

 

「ねぇママ。あの人なんであんなにボロボロなのぉ?」

「シッ! 見ちゃいけません!」

 

 その姿を見た子供が母親の手を引っ張って女を指差すが、母親は娘に汚いモノを見せまいと抱き寄せて腕に隠す。

 そんな親子を女がギロリと睨みつけた。「ヒッ!?」と悲鳴を上げた母親が慌てて子供を連れて公園から去っていく。それを見送ると、女は自動販売機の下から拾ったお金でミックスオレを買い、出てきた缶を引っ掴んで勢い良く飲み始めた。

 

「ングッ、ングッ、プハーッ! ……あーくそ、なんか文句あるのかってんだよチクショーめ」

 

 女──ドミノは去っていた親子への文句をブツブツと呟きながらジュースの入った缶を握りしめる。

 誰も人がいないのを確認してから自動販売機の下を漁っていたが、やはり人の出入りが多い公園は悪手であった。

 

 なぜ彼女がこのビッグシティにいるのか、それはもちろんナオト達を追いかけてきたからだ。

 船で移動しているナオト達を、時には他人の船を盗んで乗り捨てたり、時には燃料を盗んで元々持っていた小型ロケットエンジンで空を飛んたり、時には海を泳いで島から島へと渡って追いかけ続けたのである。

 こんな缶ジュースもろくに買えない状態でそこまでして追いかけるなんて、ある意味健気と言わざるを得ない。

 

 閑話休題。

 溜まりに溜まった疲れを癒やすため、ドミノは残りのジュースを呷ろうと缶を傾けようとした。

 

「…………」

 

 が、ピタリとその手を止めてしばし考え込む。

 缶を持ち上げていた腕を下ろし、もう片方の手で懐からモンスターボールを取り出して放り投げた。

 

「ピィ!」

 

 光と共にボールから出てくるピィ。

 地面に降り立ってキョロキョロと辺りを見回しているその好奇心の塊に、ドミノは手に持った缶ジュースをスッと差し出す。

 

「ピ?」

「……ほら、あんたも喉乾いてんでしょ。あげるわよ」

 

 いらないんなら私が全部飲むけど。不本意だと言いたげに目線を反らしながら、そう加えるドミノ。

 差し出された缶とドミノを見比べていたピィであったが、「ピィ!」と嬉しそうに鳴くとその小さな手で缶ジュースを受け取ってチビチビと飲み始めた。

 

「はぁ……いい? 飲んだ分はしっかり働いてもらうからね」

「ピグッ、ピグッ」

 

 聞いているのか聞いていないのか、ピィは美味しそうにジュースを飲み続けている。

 我ながら甘くなったものである。ドミノは溜息を吐くと、傍にあったベンチに腰を下ろしてピィが飲み終わるのを待った。

 

 

 

「──え、もしかして、ピィちゃん?」

 

 

 

 ふいに、そんな声がドミノの耳に届く。

 声のした方を振り向いてみると、そこにはスーツケースを片手に可愛らしい服を着た女性が信じられないといった目でピィのことをじっと見つめていた。その目は、やがて確信に変わる。

 

「やっぱり、ヒメのピィちゃんだわ! ピィちゃん!」

「ピィ?」

 

 感極まったように駆け寄ってきた自分のことをヒメと呼ぶ女性はそのままドミノの横を通り過ぎ、ピィを抱きしめた。

 その拍子にピィの手からジュースの缶が零れ落ち、カランと乾いた音を立てて地面を転がっていく。

 

「ああ、嘘みたい! こんなところで再会できるなんて! ヒメのこと覚えてる?」

「ピ? ピィピィ!」

 

 腕に抱かれているピィは女性の顔を見ると、覚えがあるのか満面の笑みを浮かべてはしゃぎだす。

 それを見たドミノは理解した。ピィはダイダイ島のポケモンセンターから勝手についてきたポケモン。つまり、この女性はピィの元々のトレーナーであるということだ。

 

「まあ、だいぶ汚れているわね。早くホテルに戻ってキレイキレイしましょうね」

「ちょっと! 待ちなさ──」

 

 ピィが連れて行かれる。そう思った途端、ドミノは無意識の内に静止の声を出す。

 しかし、女性は今の今までドミノの存在に気づいてなかったのか、彼女の方を見てギョッと顔を強張らせた。

 

「な、何アナタ、汚らしい!」

「ピィ!」

「見ちゃダメよ、ピィちゃん!」

 

 無邪気にドミノの方へ手を伸ばすピィ。女性は咄嗟にその腕でドミノからピィを隠した。先ほどの親子のように。

 

「はぁ? 誰が汚らしいですって? 大体そのピィは──」

「お金なら恵んであげるから、これ以上ヒメ達に近づかないでちょうだい! さ、行きましょ。ピィちゃん」

 

 チャリンチャリンと硬貨が数枚投げ渡される。普段なら秒で飛びつくその音だが、今のドミノにはとても煩わしく感じられた。

 地面に落ちた硬貨に視線がいっている内に、女性はピィを連れて公園を出て行ってしまう。

 

「…………」

 

 黙って地面に落ちている硬貨を見下ろすドミノ。

 これだけあれば、安めのランチを食べることぐらいはできるだろう。

 

「……ふんっ」

 

 ドミノは乱暴にその硬貨を拾って懐に仕舞い、女性とピィが去っていった方向から背を向けた。

 悲しんでなどいない。勝手についてきて、勝手にはしゃいで、勝手に楽しんで、勝手に帰っていっただけのことである。

 

 今まで散々迷惑をかけられてきたのだ。厄介払いができて、それに金も手に入ったらならむしろ喜ぶべきだろう。

 あんなチビがいなくても自分の身一つでジャリ達のポケモンを奪ってみせる。エリートだった頃はずっとそうしてきたのだ。

 

 そのまま歩き出そうとして、踏み出そうとした右足のつま先にコツンと何かが当たった。

 見ると、目に入ったのはピィが落とした缶ジュース。まだ残っていたのか、飲み口から少しばかり中身が流れ出ている。

 

「……ッ!」

 

 ドミノは湧き上がってきた衝動のままに缶を引っ掴むと、思いっきりそれを投げ捨てた。綺麗な放物線を描いて飛んで行った缶は、公園の池に落ちて小さな水飛沫を上げる。

 それを見届けることなく、ドミノは逃げるようにして足早に公園を去っていった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「…………」

「♪」

 

 向かい合った席に座るナオトとフルーラ。

 上機嫌な様子のフルーラだが、一方でナオトは身を隠すように縮こまってジト目で彼女の方を睨みつけている。

 

 二人の間のテーブルに置かれているのは、一本のジュース。

 それだけなら特に差し障りはない。問題なのはそれに刺さっているストロー。飲み口が絡み合うようにして二股に分かれているのだ。

 

 そう。俗に言うペアストローである。

 

「ちょっとナオト、何してんの。早く飲みなさいよ」

「お前なぁ!」

 

 ガタッと机に手を突いて席を立とうとするナオト。

 しかし、周りから注目されていることに気づいて咳払いと共に座り直す。

 

「……フルーラ。お前なぁ、こんな恥ずかしいの飲めるわけないだろ。何でこんなの頼んだんだよ」

「何言ってんのよ。カップルで注文したら半額なんだから、飲まないと損じゃない」

 

 散々デパートの中の色んな店を連れ回され、そろそろ小腹が空いてきた辺りでこのカフェの前を通りがかったのだ。

 目ざとくカップルに対してのキャンペーンが実施されていることに気づいたフルーラが嫌がるナオトの首根っこを引っ張って今に至るというわけである。

 

「僕とお前はそういう関係じゃないだろうが」

「じゃ、今だけそういう関係ってことにしとく? それなら文句ないでしょ」

「は? え、今だけって……え?」

 

 予想外の返しにナオトは思わず顔を赤くし、戸惑いに口が回らなくなる。

 

「ん? 今だけじゃ嫌?」

「なっ!? そ、そんなわけないだろっ! ……ったく、からかうのもいい加減にしろよ」

 

 腕を組み、そっぽを向いて不貞腐れるナオトを見て、くすくすと笑うフルーラ。

 本当にからかいがいのある男である。とは言っても、フルーラからしたら全部が全部冗談だったわけでもなかったわけだが、完全にからかわれたと思っているナオトがそれに気づくことはない。

 

 そんなナオトが顔を反らした先には、お互いの主人の隣に座ったブースターとシャワーズが憮然とした表情でポフレが積まれた皿を眺めていた。

 

「ブゥ……」「…………」

「もう、シャワーズもブースターもポフレ食べないの? せっかく頼んだのに」

「カップル扱いにされたからだろ? そこを気にしてるんだよ」

 

 このカフェは人間のみならずポケモン相手のキャンペーンも行っていたのだ。カップルのポケモンを連れているお客にはポフレも割引すると。

 ちなみに、ポフレとはポケモン向けのお菓子のことだ。人間が食べても美味しい、カロス地方ではポピュラーな品である。このカフェではトレーナー向けに他にもポロックやポフィンなど色々な地方で有名なお菓子を揃えているらしい。

 

「というか、なんでこの二匹なんだ? コイツラどっちかって言えば仲悪いと思うぞ」

「そう? 結構お似合いだと思うんだけど」

「ブスタァッ!」「シャワッ!」

 

 フルーラの言葉に対して同時に文句を投げかける二匹。そんな彼らをフルーラはストローに口をつけながらチラリと見やる。

 

「ほら。息ピッタリじゃない」

「いや、怒ってるんだけど」

「照れ隠しよ照れ隠し。ホント、ブースターってどっかの誰かさんにそっくりよね」

 

 シャワーズの気の強さも誰かさんにそっくりだよ。

 渋々桃色のスイートポフレを食べようとしたブースターの前足を自分のだとばかりにピシャリと尻尾で叩くシャワーズを見て、ナオトはそう心の中で溜息を吐いた。

 

 

 

 そんなこんなで軽食を食べ終えた二人。

 カフェを出て、ブースターとシャワーズを連れたまま隣のビルに繋がる連絡橋を渡っていた。ナオトの手には食べ切れなかったポフレが入った袋が握られている。

 

「で、次はどこ行くんだ?」

「あれ? そろそろポケモンセンターに行かないかって言う頃かと思ってたんだけど」

「お前の顔見てたらまだまだ連れ歩く気満々なの分かるって」

 

 ナオトの言葉に、フルーラは思わず足を止めてその瞼をパチクリとさせる。

 目を反らしている彼を見て、口元を緩ませた。

 

「……ふ~ん。ま、あんたの顔に出る癖が移っちゃったのかもね」

「僕のせいかよ」

「別にそんなこと言ってないでしょ。それじゃあ次は──」

 

『本日もビッグデパートにお越しいただき、誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に、大変ラッキーで耳寄りなお知らせがございます』

 

 その時、フルーラの話を遮るようにしてアナウンスが流れ始めた。どこかで聞いたことのあるような声だ。

 

『三階、服飾品売り場にてゲリラタイムセールを開催いたします。驚くなかれ、なんと店頭に並んでいる商品が端から端まで軒並み99%オフ!』

「えっ!?」

 

 耳を疑うようなアナウンスに驚きの声を上げるフルーラ。対してナオトはその割引率を胡散臭げに思いつつも、服飾品売り場というワードを聞いて顔をげんなりとさせている。

 ここまででいくつもの服飾品店に連れ回され、流行りの服や水着の試着姿を見せつけらてきたナオト。さすがに下着売り場まで連れて行かれそうになった時は死ぬ気で拒否したが……とにかく、ファッションに目がない彼女も当然このセールに飛びつくのだろうと思ったのだ。

 

「なんか怪しいけど、お前どうせ行く──」

「ナオト! 逃げるわよ!」

「え?」

 

 しかし、予想外の言葉を口にするフルーラ。

 傍にいるシャワーズを連れて急いでこの場を離れようとしている彼女に、ナオトは首を傾げる。それはブースターも同じだ。

 

「おい、何そんなに慌ててるんだ?」「ブゥ?」

「何ぼうっとしてんの! タイムセールは警報みたいなものよ! 早くしないと──ッ! 来たッ!」

 

 何が? と疑問を口にする前に、ナオトは自分の足元がぐらぐらと揺れていることに気づいた。

 地震かと呑気に思っている中、フルーラが青い顔で凝視している方向に目をやる。

 

「……な、なんだ!?」

 

 連絡橋の向こう側の方から、大量の何かが視界を埋め尽くさんばかりの煙を巻き上げながらこちらに迫ってきている。

 それは──主婦という名の鬼の大群であった。

 

「「わああぁーーっ!!?」」

「ブァーッ!?」「シャ、シャワッ!?」

 

 サイホーンなんて目じゃないくらいの怒涛の勢いで連絡橋を渡っていく主婦達。恐らく、先のアナウンスを聞いて我先にとやってきたのだろう。

 逃げる間もなく、ナオト達は彼女らの波にさらわれる。慌ててフルーラはナオトの腕を掴もうとしたが、視界一杯の脂肪の塊にもみくちゃにされてあっという間に引き離されてしまった。

 

「──ゲホッ! ゲホッ! ナ、ナオト! 大丈夫!?」

 

 ようやく主婦達が通り過ぎて視界が晴れる。辺りを見回してナオトの安否を確かめるフルーラ。

 

「あ、あれ? ナオト?」

「シャワ?」

 

 しかし、そこにはシャワーズと踏み荒らされた観葉植物だけ。ナオトとブースターの姿はどこにもなかった。

 

 

 




前回遅れそうと書きましたが、前編は間に合いました。
良い具合にバランス良く分割できなかったせいで、普段より短めな感じになっています。

元々はヤンベラの町(無印編第102話『ニドランのこいものがたり』の舞台)でカップルコンテストが開かれて、それにナオト達とドミノが参加するという話を書いていました。
タケシが偶然居合わせた母親のミズホに誘われて無理やり参加させられるとか、ハナダ美人三姉妹登場させたりとか色々やってたんですが、いかんせんぐだぐだになってしまったので全く別の話に書き直した次第です。

■地下道に潜む謎の怪物
無印編第104話『ちかどうのかいぶつ!?』の話。
もちろん解決したのはサトシ達。

■サトシとカスミ
首藤氏曰く、二人のフラグらしき描写はカスミの存在を目立たせるためのブラフだったらしい。
というか、カスミはサイドストーリーでケンジとなぜかいい感じになっている。
しかし、そのケンジはSM編でオーキド研究所を訪れたにも関わらず影も形もなくなっていたのだった。きっとお使いに行ってたんだよ。きっと。





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17. さよならバイバイ!? ドミノとピィ ② ▼

「──おい! 待て!」

 

 息を切らせながら必死に駆けるナオト。

 主婦達の波に襲われる中、彼は傍にいたブースターが何者かに連れ去られていくのを目撃していた。まさかポケモン泥棒が群れに紛れていたのかと、主婦達から離れていくその下手人を慌てて追いかけたのである。

 

 30キロあるブースターを抱えているせいか下手人の走る速度は思ったより遅く、何とか見失わずに追跡できた。

 やがて逃げ切れないと判断したのか、その人物は人目のつかない非常口前の通路で足を止める。

 

「はぁ、はぁ……もう逃げるなよ。観念しろ、ドミノ」

 

 下手人の正体はロケット団のドミノであった。主婦に紛れるためか主婦然とした服装をしている。ドミノは舌打ちをしてナオトの方を振り向いた。

 

「さっきのアナウンス。あれもお前の仕業だな?」

「……はっ、その通りよ。でもね、観念しろと言われてもしないのがホントのロケット団。するのはそっちの方よジャリボウヤ」

 

 腕に抱えた獲物にチューリップを突きつける。

 

「貴方の大事なアイちゃんはもう私の手の中。さあ、この子を傷つけられたくなかったら大人しく──」

「あのさ、台詞の途中で悪いんだけど……ソイツ、アイじゃないんだが」

「は?」

 

 ドミノは抱えた獲物を改めて見て、「あっ」と声を漏らす。

 ブースターの姿はシルエットこそある程度ゾロアに似ているものの、大きさと毛色は全くもって異なっていた。疲労と空腹のせいか明らかに別のポケモンを見間違えてしまったのだ。

 

「や、やってくれたわねジャリボウヤ! この私を化かすなんて!」

「お前が勝手に勘違いしただけじゃないか……ブースター」

「ブゥッ」

 

 ナオトの呼びかけに答え、ブースターは体内に炎を溜め始め自分の体温を急激に上げていく。その最大温度たるや九百度以上。

 当然、ドミノが変装のために着ている主婦服はあっという間に嫌な匂いを出して焦げ始める。

 

「あっつ! 熱ッっ!」

 

 ドミノは慌ててブースターを手放し、焦げて煙を上げる服を脱ぎ捨ててその下に着ていたボロボロの団員制服を晒した。

 

「はぁ! はぁ! こ、このっ、せっかくリボ払いで買った服が! 女の服を燃やそうとするなんてあんた最低ね!」

「いや、そこまでするつもりはなかったんだけど……」

 

 鼻息荒く罵声を浴びせるドミノ。

 乱れた息を整えると、手に持ったチューリップを引き伸ばして棒状の武器に変形させた。

 

「ッ! まさかお前、またあの武器を!?」

「残念。一般業者に依頼したからエネルギー弾は出ないのよ。でも、貴方如き相手するにはこれで十分! さあ、覚悟なさい!」

 

 足を踏み出し、棒状にしたチューリップ──もちろんリボ払いで注文した──を大上段に振り上げる。

 ナオトも身構え、ブースターにいつでも攻撃できるよう目で合図する。

 

 

 ──ぐ~……

 

 

 しかし、そこに場違いな腹の虫の音。

 ここにはいるのはナオトとブースターとドミノのみ。ナオト達は先ほど軽食を食べたばかりで腹が空いているわけもなく、つまるところ音の出どころは……

 

「~~ッ!!」

 

 顔をクラボの実のように真っ赤にさせる固まるドミノ。ナオトとブースターはそんな彼女に呆れた目を寄越した。

 

「あのさ、事を起こす前に自分の腹ごしらえくらい済ませとけよ」

「うっさいわねッ! 金さえあればとっくの昔にそうしてるっつーの!」

「……お前、お金ないのか? 元エリートのくせに?」

「……ちょ、貯金はしない主義なのよ」

 

 目を反らし、引きつった顔で答える彼女を見て、ナオトは溜息を吐く。走る速度が遅かったのも、空腹が重なっていたからだろう。そう考えながら、手に持っていたポフレ入りの袋を差し出した。

 ドミノは一歩引いて目を見開き、突然目の前に差し出された袋とナオトを見比べている。

 

「……な、何よこれは」

「ポフレ。元々ポケモン用だけど、人間が食べても美味いお菓子だよ。どうせ余り物だし食べてもいいぞ」

「は? 冗談。敵から恵んでもらうほど落ちぶれちゃいないわ。大体、このドミノ様がポケモンの餌なんて──」

 

 ──ぐぎゅるるるぅぅ……

 

 再び腹鳴りの音が鳴り響く。今度はさらに大きくて長い。

 羞恥に歯を食いしばるドミノの目尻からは、涙から見え隠れしていた。

 

「……ぅ、ぐっ」

「…………じゃあ、こうしよう。僕はここにポフレを捨てる」

 

 言いながら、ポフレの入った袋を床に置く。底がへしゃげて口が開き、上から覗くカラフルなお菓子にドミノは思わず唾を飲み込む。

 

「これでもう誰のものでもない。誰が拾おうと自由ってこと。後は勝手にしてくれ」

 

 そう加えて、ナオトは少し離れた場所にあるベンチに座った。ここなら、角度的に飾られている観葉植物などが邪魔になって彼からはドミノの姿が見えない。いいのかよ? とばかりに不満そうな顔で見上げているブースターの頭を撫でてやる。

 ドミノはプライドを秤にかけているのか、袋を見つめたままその場から動かない。

 

「……ッ!!」 

 

 しかし、ふいに漂ってきたポフレの甘い香りを嗅ぎ、それによって湧き上がった衝動を抑えきれず弾かれたように座り込んで袋を掴みポフレを貪り始めた。

 袋が擦れる音と咀嚼音が聞こえる中、ナオトは頬杖を突きながらフルーラを探しに行こうかと考える。だが、あちらも探しているだろうことを考えると行き違いになりかねないので、もう少しこの場で待つことにした。

 

 しばらくして、何事もなかったような顔でドミノがベンチに座っているナオトの傍に歩み寄ってくる。

 

「……ふ、ふん。なんかゴミが落ちてたからゴミ箱に捨てておいてあげたわ」

「そ、そうか」

 

 口元にポフレの欠片がついてるのは言わないでいた方がいいんだろうなと、心の中で乾いた笑いを浮かべるナオト。

 そこで、はたと気づいて口を開く。

 

「おい、お前が腹ペコってことは、ピィもそうってことだろ? ちゃんとアイツにも──」

「いないわよ」

 

 妙に冷たい声で遮られ、ナオトは眉間にシワを寄せて腰を浮かせる。

 

「いないって……お前まさか!」

「勘違いしないでちょうだい。元々のトレーナーが偶然この街にいたから、その女についていっただけよ」

「元々の、トレーナー?」

「ええ。ホント、アイツには色々と迷惑をかけられてきたからいなくなってくれて清々するわ」

 

 両の手の平を上に向けてそう答えるドミノ。

 だが、ナオトにはその言葉が本心から出ているものとは思えない。現に彼女の口調はどこかわざとらしく、言葉の端々から無理をしていることが感じ取れた。

 

 アシレ水草を採ってきてくれたアイが言うには、あの時ドミノも別の場所でしびれごなにやられていたはずなのだ。

 今ここにドミノがいるということは、ピィがアイから受けとったアシレ水草の煎じ物でちゃんと彼女を助けたということ。

 

 いくらあのピィでも、酷い目に合わされ続けたらそのトレーナーから離れるはずである。

 しかし、ピィはドミノを助けた。それはドミノがピィのトレーナーとして上手くやっていた証拠であり、彼女達の間には確かに絆のようなものができていたのだ。

 

「……お前、確かポケモンのこと嫌いだって言ってたよな」

「ええ。大っ嫌いよ」

「それって、何か理由でもあるのか?」

 

 ナオトがそう質問するが、ドミノは腕を組んだまま答えない。

 買い物客の賑わう声が遠くから聞こえる中、ふいにアナウンスが流れ始める。

 

『本日もビッグデパートにお越しいただき、誠にありがとうございます。ご来店中のお客様にお知らせがございます。先ほどの放送はイタズラによるもので、本日服飾品売り場でタイムセールを開催する予定はございません。繰り返しお伝えいたします──』

 

 アナウンスが流れ終わったところで、ドミノは観念したように目を閉じて一つ溜息を吐いた。

 

「……私の両親はね、死んだのよ。幻のポケモンとやらのせいでね」

「えっ」

 

 目を見開いて驚くナオト。

 幻のポケモンとは、極めて個体数が少なく目撃例も数えるほどしかないポケモンのことだ。通常のトレーナーは元より、ロケット団のようなポケモンの売買を生業としている組織なら喉から手が出るほど欲しい存在だろう。

 

「その、二人共ロケット団だったのか?」

「ええ。ミヤモトとかいう幹部と一緒に、そのポケモンが目撃されたとある地方の山脈へ捜索に向かったけど……十八年経った今でも、行方は分からないままよ」

 

 十八年。それだけの年数が経っているということは、彼女の言う通り既にこの世にはいないと判断せざるをえない。

 

「でもそれは、ポケモンのせいじゃ──」

「分かってるわよ。でもね、じゃあ残った私は誰を恨めばいいわけ? 問題の幹部も行方知れず。当時のボスはお正月のお餅を喉に詰まらせてお亡くなり……だったら、後はそもそもの発端のポケモンしかいないじゃない」

 

 ドミノは憎しみを表現するようにその形の良い唇を噛む。

 

「……ピィのこともか?」

「は?」

「ピィのことも、嫌いだったのかって聞いてるんだよ」

「…………」

 

 ナオトの問いに、ドミノは答えない。

 

 

「…………ククッ、アハハハ!」

 

 

 沈黙を続けていたドミノが突然、心底おかしいとばかりに笑い声を上げ始めた。ひとしきり笑い終え、怪訝そうに片眉を上げているナオトに目を向ける。

 

「馬鹿ね。今の話は冗談よ冗談。まんまと信じ込んちゃって、純真なボウヤだこと」

「……冗談、か」

「そう、冗談。私はただポケモンが嫌いなだけ。理由なんてないわ」

 

 ドミノはそう言うが、ナオトには今の話が真っ赤な嘘だとはとても思えなかった。

 

 しかし、どういう気まぐれかは知らないが敵であるナオトに話してくれたこと自体、普段からすれば信じられないことなのだ。

 ピィについての質問ははぐらかせる形になってしまったが、彼女の言う通りこの話はなかったことにした方がいいのかもしれない。

 

 そう考えたところで、ナオトははたと気づく。

 

 あのピィは確か、ボンタン島のポケモンセンターに預けられたまま主人であるトレーナーが迎えに来なかったという境遇のポケモンだ。

 ならば、その主人であると名乗る女がビッグシティにいてボンタン島へ迎えに行かないのはおかしくはないだろうか?

 

「あのさ、ドミ──」

「ジャリボウヤ。この場は色々と興が削がれたから見逃してあげるわ。次こそはあの色違いのゾロアを頂いてくから、そのつもりでいなさい!」

「あ、おいっ!」

 

 ナオトが思い浮かんだ懸念を口にする前に、ドミノはさっさと通路の窓を開けてそこから飛び降りて行ってしまった。

 ここは三階だが、ポフレを食べて空腹を満たしたからか、綺麗に着地したドミノはあっという間に姿をくらます。やはり身体能力だけは目を見張るものがある。身体能力だけは。

 

「……くそっ、どうしようか」

「ブゥ……」

 

 話を聞かないで去っていってしまったドミノに悪態を吐きつつも、ナオトはピィのことが心配で頭を抱え始める。

 そんな彼をブースターが気遣わしげに見上げているが、それに気づく余裕もなくなっていた。

 

「あっ! いたぁ! ナオト!」

 

 そこへ、ナオトを呼ぶ声が聞こえてくる。

 振り返ると、シャワーズを連れたフルーラが通路の向こうから駆け寄ってくるのが見えた。体力のある彼女が少し息を切らしているところを見ると、あちこち探し回ってくれていたようである。

 

「もうっ、探したんだから! 一体こんなトコで何してたのよ?」

「いや、ちょっと……悪い。話したいことがあるから、一旦ポケモンセンターに戻りたいんだ。いいよな?」

「え? まあ、別に構わないけど……」

 

 フルーラの了承を得たナオトは彼女を連れてデパートを後にし、タケシ達と合流するためポケモンセンターに向かう。

 ピィのことを考えていたせいか、フルーラが少しばかり不満そうな顔をしていたことに気づくことはなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「え、あのピィの元の主人が見つかったのか?」

「ああ」

 

 タケシの言葉に、ナオトは頷いて返す。

 ここはビッグシティのポケモンセンター、その施設前にある噴水広場だ。

 

 ナオトはフルーラ、そして合流したタケシとアイに先ほどのドミノのことを話した。ピィを連れて行った女性に感じた違和感についても。 

 

「確かに、ナオトの言う通りピィを迎えに行ってないのは不自然だな」

「ミャウ……」

「そうね。丁度ピィを迎えに行くところだったとしても、わざわざビッグシティに寄る理由がないもの。ボンタン島行きの船が出てないんだし」

 

 ビッグシティは大都市ではあるがその見た目に反して交通の便はあまり良くないのだ。

 港は本土からデコポン島を経由してやってくる商船で埋め尽くされており、連絡船はダイダイ島やユズ島などの周辺の島までしか出ていない。

 また、ビッグシティのあるマンダリン島は広大な土地を有するが、その土地のほとんどを占める大平原は年中雷雨が目立ち、飛行場を建設するにも適さない。じしゃくポケモンのコイルに落雷のエネルギーを集めさせ、それを各町に提供して生計を立てている者もいるぐらいだ。

 

「それでナオト。お前はどうしたいんだ?」

「……そのピィの主人だっていう人に会って確かめたい、かな。一応」

 

 タケシの問いにナオトがそう答えると、フルーラがジト目を彼に向けた。

 

「な、なんだよ?」

「別に。ただ、私のこと放ってドミノと一緒にいたんだなって」

 

 責めるように言う彼女に、ナオトは慌てて弁解し始める。

 

「いや、だからそれはブースターが連れ去られたから……」

「何弁解してるのよ。別にあんたが誰といようが私には関係ないんだから、気にしなくたっていいじゃない。そういう(・・・・)関係じゃないわけだしね」

 

 つーんとした態度でそっぽを向くフルーラに、ナオトは困ったように頭を掻く。助けを求めるようにアイの方を見たが、何やってんのとばかりに足をはたかれてしまった。

 

「……ん? おいナオト。あれって……」

「え?」

 

 ふいに噴水の方を指差したタケシ。ナオトが振り向いてみると、噴水の傍にあるベンチに女性が座っていた。

 その女性は和気あいあいとした様子で数人の男性に囲まれており、華奢なその腕にはピンク色の小さなポケモンが抱かれている。

 

「あれは……ピィだ!」

 

 女性の腕に抱かれたまま楽しそうにはしゃいでいる。

 少しばかり近づいてみて、ナオトはそのピィがドミノが連れていたピィであると確信した。そんな彼の耳に、女性と男性達の話し声が聞こえてくる。

 

「良かったねヒメコちゃん! ピィと再会できて!」

「ずっと会いたがってたもんね!」

「フフ、ありがとー! みんなお祝いしてくれてヒメ嬉しい!」

 

 傍からは単に別れていたポケモンと再会できたことを皆で祝っているようにしか見えないが、ナオトはどことなく薄っぺらいというかハリボテのような印象を受けた。それはフルーラも同じだったようで、彼女も不愉快そうに眉をひそめている。

 そんな彼らを余所にヒメコとやらを囲う男性達は話を続ける。

 

「でもさ、この前まで連れてたブルーはどうしたの?」

「ああ、あの子? 最初は可愛かったんだけどねぇ。餌は食べ散らかすし物はよく壊すし、大変だったから外に放したの。そしたら勝手にどこか行っちゃったわ」

 

 聞こえてきたヒメコの言葉に、ナオトは思わず「は?」と声を漏らす。

 

「そっかー。まあ、勝手に逃げちゃったのはしょうがないよね。ヒメコちゃんは悪くないよ」

「ヒメコちゃんの言うこと聞かないポケモンが悪いんだもんな」

「だよね~! ピィちゃんはあのブルーよりかは言うこと聞いてくれるもの。何より珍しくて希少価値高いし、一緒に連れ歩くなら断然この子だわ」

「ピィ!」

 

 ピィがよく分かってなさそうに笑う中、一切の悪気のない会話が続く。

 

「元々ボンタン島のポケモンセンターに預けたままにしてたんだっけ?」

「そうそう。なんか飽きちゃってね。預けたまま忘れてたから、ジョーイさんに怒られるって思うと迎えに行こうにも行けなかったのよねぇ」

 

 もう我慢ならない。

 ナオトは胸の内の激しい衝動を抑えきれず、耳障りな会話を続ける輩達を糾弾するために一歩を踏み出す。そんな彼の後をアイが追い、フルーラとタケシも続いた。

 

「おい」

 

 ナオトが声をかけると、ヒメコとその周りの男達が一斉に彼の方を振り返る。

 

「あ? 何お前?」

「話の邪魔すんじゃねぇよ」

 

 意中の子にかっこいい所を見せたいのか、男達は肩で風を切るような仕草でナオトにガンを飛ばしてきた。

 

「うっさいわね。私達はそこの女に用があるだけなんだから、あんた達は引っ込んでなさいよ」

 

 ナオトの隣に立ったフルーラがしっしっと男達に向かって手の甲を向けて払う。

 彼らは予想外にも可愛い子から文句を返されたことにおっかなびっくりとしながらも、気を取り直すようにして前に出る。

 

「この、ガキのくせに──」

「みんないいわ。それで、ヒメに何か用があるんでしょう?」

 

 そこへ、ヒメコがピィを抱いたまま男達の後ろから割って入ってきた。渋々といった様子で彼らが道を開ける中、タケシが口を開く。

 

「君、そのピィがどうやってボンタン島のポケモンセンターからこの街まで来たと思ってるんだい?」

「あら、ヒメ達の話を盗み聞きしてたの? 趣味が悪い人達ね」

「……ッ!」「ミャッ!」

 

 開き直ったような態度に思わずナオトが飛び出そうとするが、その腕をアイが掴んで止める。タケシも彼の肩を掴んで首を横に振った。

 

「いいから質問に答えなさいよ」

「う~ん、そうね……ああ。そういえばピィを見つけた時、傍に小汚い格好した女がいたわ。アイツがポケモンセンターから盗んできたんじゃないかしら? きっとそうよ。どこかに売り飛ばされる前に取り返せて良かったわぁ」

 

 彼女の言っていることはあながち間違ってはいない。事実、ドミノはポケモンを奪うためにボンタン島のポケモンセンターを襲った。

 だがそれはナオト達の奮闘によって未遂に終わり、ピィは逃亡したドミノに自分の意思でついて行ったのである。

 

「確かにアイツは悪人だけど、それでもピィとは上手くやってたんだ。自分のポケモンをアクセサリーか何かと勘違いしてるお前と違ってな」

「はあ? この子何言ってるの?」

 

 ナオトの言葉に失笑を交えて首を傾げるヒメコ。

 

「おい。これ以上ヒメコちゃんにヒデェこと言うつもりなら、俺らが黙ってないぞ」

 

 脅し文句を口にしつつ、男達はそれぞれモンスターボールを手に取る。

 しかし、そんな彼らを見てナオトはおかしそうに小さく笑う。

 

「何笑ってんだ!?」

「いや、威勢のいいこと言うわりにポケモンに頼るのかと思ってさ」

 

 ナオトのその言葉は、ネーブルジムでの経験を経たからこそ言える言葉であった。

 

「ッ! コイツ、生意気言ってんじゃねえぞ!」

 

 自分より年下でひ弱そうな奴に馬鹿にされたことが癇に障ったのか、一番前に立っていた男がナオトの胸倉を乱暴に掴み、拳を振り上げる。

 

「「ナオト!」」「ミャウッ!」

 

 フルーラとタケシ、それにアイが止めようとしたが、周りの男に遮られてしまう。

 

 男の拳が、ナオトの顔面に迫る。

 

 

「──邪魔よ」

 

 

 瞬間、ナオトを殴ろうとしていた男は横から現れた何者かによって押し退けられ、地面に強かに打ちつけられた。

 

「……ド、ドミノ?」

 

 男を押し退けたのは、相変わらずのボロボロな団員服を着たドミノであった。

 彼女は目を丸くしているナオトにチラリと目をやると、小さく鼻を鳴らしてヒメコの方を振り向く。

 

「ア、アナタ、あの時の! まさか、ピィちゃんを奪い返しに来たわけ!?」

 

 現れたドミノをヒメコが警戒の眼差しで睨む。

 胸に抱いたピィが嬉しそうにドミノへ向けて短い手を伸ばしているのに気づき、慌ててその手をはたく。それを見たドミノは僅かに眉をひそめた。

 

「あれっぽっちのお金じゃ足りないって言いたいわけね……いいわ。いくら欲しいの?」

 

 ドミノがお金目的でやってきたと思っているヒメコは、ならばとお金での交渉に出る。

 

「お金……?」

 

 思い出したかのように懐から公園で投げ渡された硬貨を取り出すドミノ。

 ふんっと鼻を鳴らし、おもむろにそれを握りしめてヒメコの顔面目掛けて放り投げた。

 

「イタッ!」

「ヒメコちゃん! 大丈夫かい!?」

「テメェ、何だいきなり!」

 

 男達の非難を受けるドミノ。その表情は帽子のつばに隠れて伺えない。

 しかし、ふいに肩を揺らし、くつくつと喉を鳴らし始めた。

 

 

「……何だかんだと聞かれたらッ!」

 

 

 バッと顔を上げ、声高に宣言する。

 

「普通は絶対答えない! それがホントのロケット団! でも今日は久々にお腹が膨れて気分が良いから教えてあげる!」

 

 硬貨を投げた手とは別の手に持った端末のボタンをポチっと押す。それと同時に、どこかからジェット音がナオト達の耳に届く。

 

「ロケット団Aクラスナンバーズ009、ドミノ! 人は私を『黒いチューリップ』と呼ぶ!」

 

 台詞を言い終えると同時に、ドミノの背後に空から大きな鉄の塊が勢い良く降り立った。広場の石畳みが破壊され、砂埃が盛大に巻き上がる。

 派手な登場の仕方をしたそれは、二足歩行型のロボットであった。

 

「ロ、ロケット団!?」

「何だよ! これは!?」

「ひ、ひえぇぇ!」

 

 ヒメコと取り巻きの男達は突然現れたロボットに圧倒されて腰を抜かしている。

 一方で、そのロボットを呆然と見上げているナオト。そんな彼に対してドミノは得意げな顔を向けた。

 

「ふふんっ、どうジャリボウヤ? 工作部にあったお古を改修して取り寄せたのよ! リボ払いで!」

「いや、それより。お前まだAクラスとか名乗ってるのか? エリートから外されたんだろ?」

「うっさいわ! どうせ返り咲くんだからいいじゃないの! 目の前のデカブツ無視してそんなトコツッコんでんじゃないわよ!」

 

 漫才のような言葉を交わすナオトとドミノ。

 そんな二人を、少し離れた場所からフルーラが複雑そうな表情で見つめている。

 

「っち、余裕ぶっこいてるのも今の内よ。さあ、頂くもの頂いていきましょうか!」

 

 調子が狂いそうになる前にドミノが再び端末を操作する。電波を受信したロボットの両腕から、伸縮性のアームが顔を出した。

 

「ミャアッ!?」「ピィ?」

 

 その二本のアームはナオトの傍にいたアイ、それにヒメコが抱いていたピィを掴んで攫っていく。

 

「アイ!?」

「ああっ! ピィちゃん!」

「アハハッ! ロケット団のやり方はやっぱりこうでなくちゃねぇ! ピィもついでに頂いていくわ! あくまでついでに!」

「ミャ、ミャウ……!」「ピピィ!」

 

 アイは捕まったことによるショックで、少女の姿から元のゾロアの姿に戻ってしまっている。必死にアームから逃れようと爪を伸ばすが、万力のような力に押さえつけられて身動きが取れない。

 そんな中、ピィは相変わらず楽しそうにはしゃいでいる。

 

「っくそ! ……そうだ、ゲンガーの10まんボルトなら!」

「駄目だナオト! それじゃあアイちゃん達も巻き込まれてしまう! それに、恐らくだがあのメカにでんきタイプの技は効かない!」

 

 タケシの言葉に、ドミノは驚いたように目を見開いた。

 

「へえ、よく知ってるじゃない。何でか知らないけど、ウチにはメカの電気対策についてのレポートが沢山届いているらしいのよね。おかげでちっとやそっとの電気じゃビクともしないスペックってわけ。残念だったわねジャリボウヤ」

「くっ! だったら他のポケモンで……フルーラ、シャワーズを頼む!」

「え、ええ!」

 

 ブースターの入ったモンスターボールを取り出しながら、ナオトはフルーラに協力を求める。ピンカン島でピンク色のトランセル達を助けた時と同じ方法で攻撃しようと考えたのだ。

 

「はっ、わざわざ留まって貴方達の相手をするほど、このドミノ様は馬鹿じゃないのよ。さっさと退散させてもらうわ!」

 

 言うが否や、ドミノはロボットのコクピットに飛び乗り、アイとピィを機体内に収納する。そして、バーニアを噴かせて地上から浮かび上がり始めた。

 

「「うわぁっ!?」」「きゃあっ!」

 

 噴射による衝撃波に襲われ、身動きを封じられるナオト達。石畳みが剥がれて吹き飛ぶ中、ドミノとアイ達を乗せたロボットは遥か上空へと飛んでいってしまう。

 

「アイーーッ!!」 

 

 

 

 

 

 ビッグシティの上空を飛行機雲を作りながら颯爽と飛ぶ機体。

 そのコクピットからはドミノの高笑いが飛行音の下で響いていた。

 

「アッハッハッハッ! ようやくだわ! ようやくろくに食事もできないような惨めな生活からオサラバできるんだわ!」

「ミャウミャ、ミャウ!」

 

 ケースの中に閉じ込められたアイが鳴きながら何か訴えているが、上機嫌に笑うドミノの耳には届かない。傍ではピィが好奇心の赴くままにコクピットの中を歩き回っている。

 そんなピィの姿が目に入ったのか、ドミノは高笑いを止めて柔らかな笑みを浮かべた。が、すぐに眉をひそめて鼻を鳴らし、不遜な態度に変わる。

 

「ふんっ、あの女が言うにはあんたもわりと珍しいポケモンらしいし? そうと分かったら手放すわけにもいかないものね……いい? あくまでレアだから連れてきただけなんだから!」

「ピィ!」

 

 まるで自分に言い聞かせるようにしてそう話すドミノ。

 彼女の話を聞いているのかいないのか、ピィは楽しそうに笑顔を浮かべている。そして、ぴょんと跳ねて操縦席に座るドミノの膝の上に飛び乗った。

 

「ッ! ……」

「ピピィ!」

 

 膝の上に無邪気にはしゃぐピィ。

 ドミノはその姿を見て居た堪れなくない気持ちになる。自分が浮かべたこともないような純粋すぎるその笑顔が眩しすぎて、切なくて、顔を伏せてしまう。

 

「…………でも、あんたがどうしてもあの女の所に帰りたいって言うんだったら…………だったら……」

 

 消え入るような声で呟くドミノ。

 しかし、そんな彼女を余所にピィは目の前の操作パネルに興味津々な様子。

 視界一杯に並ぶスイッチ。ピィの視線はその中で一番目を引く誤操作防止の保護カバーに包まれた赤いスイッチに注がれる。

 

「ピィ!」

「いだっ! ゴラァッ、いい加減大人しくしろっての!」

 

 ドミノの膝から操作パネルの上に飛び乗るピィ。その際、顎に頭をぶつけられたドミノは恨めしげにピィを睨む。

 

「ピピピ!」

「一体何がそんなに気にな……あら、それ、何のスイッチだったかしら? 何か重要なものだった気がするけど。ええっと、マニュアルマニュアル……あった」

 

 ゴソゴソと小物入れの中を漁ってマニュアルを取り出すドミノ。

 その間に、ピィは好奇心に従ってスイッチの保護カバーを開き、押してくださいとばかりに光沢煌めくスイッチに吸い寄せられるようにして近づいていく。

 それを見ていたアイは湧き上がる嫌な予感を前に慌てて尻尾を丸め身を伏せた。

 

「何々……赤いスイッチは追い詰められた時などのために用意されたもので、押すと雷管が火花を発して破裂し、爆薬に点火されます。端的に言うと、自爆スイッチ……って、ちょっと!? 何でそんな余計な装置を──」

 

「ピィ♪」 ──ポチッ

 

 

 

 

 

「待て、ドミノー!」「アイちゃーんッ!」

 

 ポケモンセンターのある広場を離れ、遥か上空を飛ぶロボットを必死に追いかけるナオト達。

 だが、追いつくのはまず不可能であった。例え飛行できるポケモンであろうとも、ピジョットやカイリューなどのマッハの速度で飛べるポケモンでないと難しいだろう。

 

「……くそっ! 絶対助けてやるからな! 待ってろア──」

 

 もはや点にしか見えない飛行体を見据えながら走るナオト。

 

 刹那、見据えた先の点が一瞬眩く光る。

 それが何かと考える間もなく──

 

 

 

 爆発した。

 

 

 

「……は?」

 

 遅れて衝撃波がナオト達の髪を揺らす。

 次いでドオオォォォーーーンッッ!! という爆発音が耳に届いた。

 

 呆然と花火を見上げる中、視力の良いフルーラが何かに気づいて声を上げる。

 

「ナオト! あれ見て!」

 

 彼女が指差した先をナオトは目を凝らしながら見る。

 見えたのは、一直線に地面へ向かって落ちてくる黒とピンクの点──アイとピィだ。

 

「アイッ!」

 

 それを認識すると同時に、地を蹴って駆けだす。

 足が空回りしそうになりながらも、懸命に。

 

「……? ミャ、ミャウ!」

 

 空中で意識を取り戻して状況を把握したアイは、慌てて近くで空中遊泳を楽しんでいるピィを前足で手繰り寄せる。

 そして、じんつうりきを使って落下速度を緩めようとした。が、発動が遅かったためか、着地点との距離に対して減速度が小さすぎる。

 

「……ッ!」

 

 眼前に迫る地上に、固く瞼を閉じるアイ。

 

 しかし、衝撃は来なかった。

 身体を包むのは硬い地面の感触ではなく、細くて頼りない、けれど優しい腕。

 

「いっつつ……アイ、怪我はないか?」

 

 間一髪のところで滑り込んだナオトが、アイ達をキャッチしたのだ。

 

「ミャウ!」「ピィ?」

 

 嬉しそうにナオトに抱き着くアイ。

 アイの前足から放されたピィは何かを探しているのかキョロキョロと辺りを見回している。

 

「ナオト! 大丈夫か!?」

「ああ。アイもピィも無事だよ」

「もうっ、アイちゃん達が無事なのは分かってるわよ。あんたの心配してんの!」

 

 追いついたタケシとフルーラ。

 フルーラは身を顧みず滑り込んでボロボロな状態のナオトを助け起こす。

 

「ピィちゃん! 無事で帰ってきて良かったわぁ。また同じの探してゲットしてもらうなんて大変だもの」

 

 遅れて、男達を連れてやってきたヒメコがピィを抱き上げる。

 その言い様にナオト達は彼女を睨むが、どこ吹く風といった様子だ。

 

「また汚れちゃって……さ、早くホテルに戻って──」

「ピィ!」

「あっ!」

 

 そのまま立ち去ろうとするヒメコであったが、ピィはその腕からスルッと抜け出てトコトコとどこかへ行こうとする。

 慌てたヒメコが再び手を伸ばすが、まるで嫌がるようにその手を避けるピィ。取り巻きの男達もヒメコを手伝おうとするが、その間にタケシが割って入った。

 

「お、おい! どけよお前!」

「悪いが、ピィが嫌がっている以上それはできないな」

 

 振り返って離れていくピィを見送るタケシ。

 彼女は小さな足を一生懸命に動かし、遠くの方に見える森──爆発した機体の破片が落ちていった場所へと向かっていった。

 

「ああっ! ピィちゃんが!」

 

 タケシを突き飛ばし、どんどん小さくなっていくピィを追いかけようとするヒメコ。

 

 

「──そこの女性、止まりなさい!」 

 

 

 そこへ、今度はポケモンポリスのジュンサーが乗った白のバイクが猛スピードで彼女を追い抜き、道を塞いだ。バイクのサイドカーには、厳つい顔のポケモンを抱いたジョーイも乗っている。

 

「な、何ですか? ジュンサーさんが私に何の用……」

「貴方、このポケモンに見覚えがあるでしょう?」

 

 バイクから降りたジュンサーがジョーイの抱いているポケモンを指し示す。そのポケモンは、ようせいポケモンのブルーであった。

 ブルーを見た瞬間、ヒメコの後ろに控えていた男達がこれはまずいと顔を歪め、皆一様に抜き足差し足でその場から離れていく。

 

「し……知りません。そんなポケモン」

「嘘をついても無駄よ。貴方、この子をウチのポケモンセンターに預けたことがあるでしょう?」

 

 ジョーイの言葉に、目を見開くヒメコ。その目は、どうしてそれを知っているのかと語っていた。

 

「貴方は旅行者だから知らないでしょうけどね。ビッグシティではつい最近新しいポケモン保護法が施行されたのよ」

 

 保護法が施行された要因、それは市長が起こした問題にある。

 ビッグシティで起きていた地下道の怪物騒ぎ。その怪物の正体は、市長が幼い頃に"進化しないから"という身勝手な理由で捨てたフシギダネだったのだ。

 

 当然市長は選挙で落選し、新市長の働きかけによって正当な理由なしにポケモンを手放すことは禁止するという法律が施行された。

 その関係で、ポケモンとトレーナーの情報を結びつけて照会できるシステムが導入されたのだ。一度でもビッグシティのポケモンセンターにポケモンを預けると、自動的に情報が登録されるのである。

 

「そんな……だって、その子は勝手に出ていったのよ!?」

「ポケモンの管理もトレーナーの仕事の一つ。そういうことだから、貴方には署まで同行してもらいます。さっきの花火騒ぎについても聞かせてもらうわよ!」

「い、嫌よ! 私何も悪いことなんかしてないわ! 花火とか知らないし! みんな……あれ? ちょっと! みんな何でいないの!?」

 

 都合の良い取り巻きは肝心な時に雲隠れ。

 ヒメコは散々言い訳を並べていたが、抵抗むなしくジュンサーによって連行されていく。

 

 ジョーイがそれを見送る中、ナオト達はピィの去っていった方向を見つめ続けた。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 黒煙と煤に包まれた森の一角。

 辺り一面そこかしこに焼けて黒ずんだ破片が散らばっている。

 

 森に住んでいたポケモン達がおっかなびっくりといった様子で影から惨状を伺う中、一際破片が積もり重なっている場所から乾いた音が鳴り響いた。

 それを切っ掛けにして、破片の山が上の方から雪崩のように崩れていく。驚き、弾かれるようにしてその場から逃げ去っていくポケモン達。

 

 遅れて、崩れて空いた隙間から人間の手がゾンビの如く這い出てきた。

 

「…………」

 

 そこから、ヌッと上半身だけを出すドミノ。口の中に入った小さな破片を気怠げに吐き出す。その姿は全身煤汚れだらけで、もはや見る影もなくなっていた。

 

「……自爆装置は、いらないでしょーがッ!!」

 

 両腕を振り上げ、工作部への怒りを破片の山にぶつける。

 けれども金属音が空しく耳を打つだけで発散には至らず。やり場のない怒りを燻ぶらせたままだらりと腕を垂れた。

 

「ピィッ!」

 

 そこへ聞こえてくる聞き慣れた鳴き声。ドミノは目を見開いてその声がした方を振り向き、現れたピィを見て言葉を失った。

 

「ピィ♪」

 

 ドミノを見つけて嬉しそうに駆け寄ってくるピィ。その途中、破片に足を取られてコロコロとドミノのもとへ転がっていく。

 

「あんた、わざわざ戻ってきたわけ……?」

「ピ!」

 

 転んでドミノと同じように顔を煤だらけにしたピィがにこやかに頷いた。

 そんな彼女を見て、呆気にとられていたドミノはフッと柔らかな笑みを浮かべる。

 

「……ホントに、馬鹿な子ね」

 

 それは、ドミノが今までしたことのないような笑みであった。

 

 

 

「──デリデリー!」

 

 

 

 が、そこに空気を読まない不届き者が空から一匹。

 雪降る空が似合いそうな赤と白の被毛をした鳥、はこびやポケモンのデリバードがドミノとピィの前に降り立った。

 

「デリバード? 確かよく団員の借金を取り立ててるっていう……ちょ、ちょっと!? まだリボの支払い期日には早い──って、は?」

 

 借金の返済請求かと慌てふためくドミノの鼻先に、一通の手紙が差し出される。

 訝しげに手紙とデリバートを見比べる破片の山に埋まったままのドミノ。

 

「ピィ!」

 

 横からピィがその手紙を受け取り、中身を出してドミノの前に広げてみせた。

 

「え~っと……ッ! これって、ボスからの!?」

 

 差出人を見てドミノはガバリと下半身を山から出し、正座の状態でピィが広げている手紙を読み始める。

 

「何々……お前に名誉挽回のチャンスを与える。これは重大な任務だ。ビシャスと協力して、伝説のポケモンを捕獲せよ。詳細は指定の場所に配置した端末で……」

 

 内容に集中し始めたのか、読みながらどんどん無言になっていくドミノ。 

 

「…………ビシャスって、あの工作部から最高幹部になった成り上がり? 一体どんなポケモンを捕獲するって言うのかしら……」

「ピィ?」

 

 小さく呟くドミノを見ながら、ピィはただ可愛らしく首を傾げるのであった。

 

 




ロケット団と言えばメカなので一度は出しとくべきかなと。
空から落ちてくるポケモンをトレーナーが受け止めるとかアニポケだと日常茶飯事ですよね。

次回は三つ目のジムの話となります。
が、それはともかくサトシ。リーグ優勝おめでとう!

■ドミノ
もはや原作とは別人と化している。彼女の借金の残高は恐らく一向に減らない。
ちゃんと悪役をしている姿を見たい方はAmazonプライムで「ミュウツー! 我ハココニ在リ」を観よう!

■ミヤモト
ラジオドラマ「ミュウツーの誕生」で登場したロケット団員。
十八年前にミュウの鳴き声を初めて録音し、捜索のため二人の団員と共に目撃例のあった山岳地帯へと派遣される。が、今になってもなお行方知れずのままである。
ムサシという名前の娘がいるようだが……?

■デリバード
無印編第233話『ロケットだんとデリバード!』で登場したロケット団所属のデリバード。
主に団員スカウトやポケモンの支給をしたりするのが役目。よくムコニャの借金取り立ても行っている。
初登場した話での内容によると、ロケット団は毎月の会費を支払う必要があるどころか本部にお中元とお歳暮も送らなければならない組織らしい。

■ヒメコ
オリキャラ。いわゆるオタサーの姫。
当初は適当なゲストキャラを見繕おうとしたが、性格の悪い女モブキャラってあまりいないことに気づいた。優藤聖代さんは性格悪いけど自分のポケモンは大事にしてそうだし。
でも今無印みたいなノリの話が作られるとしたら、こういうキャラは出てきそう。

■ナオト
ヒメコの取り巻きの男と殴り合いの喧嘩になったら確実にボロ負けする。





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18. ユズジム! タイプバトル! ① ▼


ここからちょっと雲行きが怪しくなってきます。



 オレンジリーグへ挑戦するため、島を巡っていたナオト達一行はマンダリン島からの連絡船に乗ってユズ島に近づいていた。

 ユズ島はオレンジ諸島最大のマンダリン島に隣接している小島で、三つ目のバッジが手に入るユズジムが運営されているらしい。

 

「見えたわ! あれがユズ島ね!」

「ミャウ!」

「ああ、でも……」

 

 目線の先に見えてきた島を見て、ナオトが不安げな声を漏らす。

 島の正面には、幾つもの高い岩山が突き出ていた。岩の間は流れが激しく、船の進行を阻まんと渦潮ができている。

 フルーラの操縦にかかればそれらを避けるのは造作もなさそうであるが、生憎今船を動かしているのは彼女ではない。

 

「これ、通るの無理じゃないか?」

「いや、ナオト。船着き場は別の場所にあるみたいだぞ。ほら」

 

 タケシに言われて見ると、岩山を迂回した先の峠の向こうに桟橋がチラリと顔を覗かせていた。連絡船はそこへ向かって進み、無事にユズ島に到着する。

 

「……あっ!」

 

 それを桟橋から眺めていた赤みがかった茶髪の少女。あしかポケモンのパウワウを連れている。

 船を降りようとしているナオト達のもとへ、その少女が駆け寄ってきた。

 

「お姉ちゃん達、ジムに挑戦しに来たの?」

「ええそうよ。挑戦するのはこっちの頼りなさげなヤツだけどね」

「おい」

 

 ナオトのことを顎で差すフルーラ。それに従ってナオトを見た少女は、フルーラの言う通り見た目強そうなトレーナーに見えなかったのかちょっと期待外れといったような顔になる。

 

「おーい! マリー!」

 

 そこへ、港の入り口の方から声が聞こえてくる。少女と同じ髪色の青年が、数人の男を連れてやってきた。

 

「マリー! ダメじゃないか、一人で港に出たら。ほんの少し前に渦潮に飲まれて大変な目にあったのを忘れたのか?」

「お兄ちゃん、でもパウワウも一緒だよ?」

「パウワウが一緒にいて溺れたんだろ?」

 

 どうやら、この二人は兄妹のようだ。

 叱りつけられたマリーは、渋々「はーい」と答える。

 

「よっと……」

「お嬢さん、手を貸しますよ」

「あら、ありがとう」

 

 青年は船を降りようとしているフルーラに手を差し伸べる。彼女は素直に青年の手を借りて桟橋に降り立った。

 

「初めまして、僕はジギー。サザンクロス南の星、ユズジムのジムリーダーです」

「へえ、あなたがジムリーダーなんだ。私フルーラ。よろしくね」

 

 ジギーと名乗った青年はフルーラの手を握ったままそう自己紹介する。それを見たナオトは少し不機嫌そうに眉を上げた。レディファーストということだろうか。続いて船を降りたナオト達のことは眼中に入っていないようだ。

 

「私マリー! お兄さん達は?」

「ああ。俺はタケシ。で、こっちはナオトにアイちゃんだ」

「……」「ミャ!」

 

 タケシが気を利かしてナオトとアイのことも紹介してくれる。

 幸い、マリーは変な返事の仕方をしたアイに意識が向いていてナオトの態度には気づいてないようだ。

 

「えっと、ジムに挑戦するのはナオトさんなんだよね?」

「そうだけど」

「お兄ちゃんはとっても強いから多分勝つのは無理だと思うけど、頑張ってね」

 

 そう無邪気に笑って背を向け、兄のもとへと走っていくマリー。

 悪気がないのは分かるが、それを気にしないでいられるほど大人じゃないナオトは口を引きつらせている。

 

「ナオト。今までのジムだって何とかなったんだ。自信を持てよ」

「ミャウ!」

「……ああ」

 

 そんなナオトを見かねたタケシとアイは彼を懸命に励ます。

 そこへ、マリーに促されてジムリーダーのジギーがナオトのもとへやってきた。

 

「さて、今回は君が挑戦者ということだが……ユズジムに挑戦するのであれば、まず技テストを受けてもらおう」

「技テスト?」

「そのテストに合格すらできないのであれば、ジムに挑戦する権利は得られないと思いたまえ」

 

 またネーブルジムのような山登りのようなことをするのだろうか? 不安げに首を傾げるナオト。

 いや、技テストというからにはポケモンの技をテストするのであろう。どちらかと言うとナツカンジムの形に近いのかもしれない。

 

「それじゃあ、テストコースのある場所まで案内しよう。フルーラさん、こちらです」

「ええ」

 

 紳士的な態度でフルーラに向けて言い、歩き始めるジギー。自分の時と全く真逆の態度のジギーに、ナオトは思わず片眉を上げるのであった。

 

 

 

 

 

 島にうっそうと茂るジャングルの中へと案内されたナオト達。

 人工的に整備された道を通って空けた場所に出た彼らを、緩やかに流れる川が出迎えた。川には木製の桟橋が設けられており、モーターボートが一台係留されている。

 

「このボートに乗って川を進み、途中飛び出してくるターゲットにポケモンの技を命中させ続けることができれば、技テストは合格だ」

「なるほど。分かった」

 

 ネーブルジムでの登山に比べれば簡単なテストだ。ナオトは余裕の態度で答え、桟橋を渡ってボートに乗り込んだ。

 

「ナオト。あんた落ちないように気をつけなさいよ。泳げないんだから」

「うるさいな。言われなくても分かってるよ」

 

 フルーラの言葉に余計なこと言うなとむくれるナオト。そんな彼を見てフルーラはなぜか愉快そうな顔でほくそ笑んでいる。

 彼女があえてナオトを焚きつけようとしていることを察したタケシは、困ったように眉を下げて溜息を吐いた。

 

 アイを含めたナオト達四人、それにジギーと妹のマリーがボートに乗り終えると、ジギーの連れていた弟子の一人が赤い旗を手に持つ。続けて、ジギーがボートのエンジンをかけた。

 

「技テスト、よーいスタート!」

 

 赤い旗が振られると同時に、波飛沫を立てながら結構なスピードで川を進み始めるボート。

 

「うわっ、とと……!」

「ミャミャッ」

 

 ターゲットを迎え討つために一人だけ立って身構えていたナオトであったが、初っ端からの急な加速でバランスを崩しそうになる。慌てて足元にいたアイが支えてあげた。

 

「そんなへっぴり腰じゃ、結果はお察しといったところかな?」

 

 ジギーの煽りを受けてナオトがムッとする中、前方の水面からターゲットが飛び出してきた。ナオトはすぐさまベルトからモンスターボールを取って投げる。

 

「頼む、ゲンガー! シャドーボールだ!」

「ゲンガァ!」

 

 ボールから出てきたゲンガーは空中に飛び出しながらシャドーボールを放ち、正確にターゲットを撃ち抜いてみせた。

 

「ゲンゲラゲーンッ!」

 

 そのまま浮遊してナオト達のボートと並走するゲンガー。そうして矢継ぎ早に四方から飛び出してくる幾つものターゲットを危なげなく狙い撃っていく。

 

「すごーい!」

「やっぱりナオトのポケモンはよく育てられてるな」

「どっちかって言うと、ナオトがゲンガーに育てられたって感じだと思うけど……」

 

 感嘆の声を上げるマリーとタケシ。

 一方で、ゲンガーがナオトの育て親代わりだったということを聞いているフルーラは苦笑いを零している。

 

「なかなかやるようだが──」

 

 ジギーのその言葉を皮切りに、川の底からこれまでにない数のターゲットが一斉に顔を出す。

 それらは簡易的な骨組みによってアーチ状に並べられており、さらに奥の方には同じような物がトンネルの如く幾つも続いていた。

 

「この数のターゲットを漏れなく全て撃ち抜くことができるかな?」

「……問題ないさ。ブースター!」

 

 ナオトはジギーの癪に障る態度に眉間を険しくしながらも、迫るターゲットの群れに対して今度はブースターを繰り出す。

 

「ブースター、ほのおのうずだ!」

「ブスタァッ!」

 

 指示を受けてほのおのうずを放つブースター。

 ブースターの放った炎は龍のようにとぐろを巻き、まるでナオトの苛立ちを乗せたかのような過剰な火力を持って並べられたターゲットの数々を軒並み蒸発させていく。

 

「熱ッ……」

 

 炎の熱気に当てられて、思わず目を閉じるマリー。そんな彼女の手に風に乗って飛んできた火の粉が零れ落ちる。

 

「あっ!?」

 

 その手でボートの縁を握っていたマリーは突然の痛みに思わず立ち上がり、それによってバランスを崩して川へと投げ出されてしまった。 

 川に落ちたマリーは突然のことでパニックに陥ったのか、バシャバシャと水を立てて溺れている様子だ。

 

「マリーッ!」

「私に任せて!」

 

 ジギーが声を上げ、慌ててボートを止めようとする。

 それを待たず、フルーラがボールを投げてシャワーズを出した。次いで服を脱いだフルーラはシャワーズに続く形で自分も川へと飛び込む。

 

「……お、お姉ちゃ──」

「大丈夫よ、落ち着いて! シャワーズ!」

「シャワッ」

 

 先行したシャワーズが溺れているマリーを下から押し上げ、続いてフルーラがマリーを抱き寄せてその背中を擦ってあげる。

 そのおかげでマリーのパニックは徐々に収まり、何とか事なきを得ることができた。

 

「大丈夫か!?」「ミャウ!」

「ええ。大丈夫よタケシくん、アイちゃん」

「ありがとう、フルーラさん。ひとまず、一旦岸にボートをつけましょう」

 

「…………」

 

 ジギー達が話を進める中、ナオトは顔を青くして呆然とその様子を見ていた。

 

 

 

 フルーラとマリーを乗せ終え、一行は近場の岸に移動してボートから降りる。

 シャワーズをボールに戻すフルーラ。その横でジギーはその場に膝を突き、ずぶ濡れの妹の肩に手を置く。

 

「マリー。怪我はないか?」

「大丈夫だよお兄ちゃん。フルーラお姉ちゃんが助けてくれたから」

 

 心配ないとばかりに笑う妹を見て、ジギーは安堵の溜息を漏らす。

 そして立ち上がると、後ろで所在なさげにしているナオトの方を振り返って睨みつけた。

 

「ターゲットを壊すだけなら、何もあそこまで威力を出さなくても良かったはずだろう?」

「……いや、意識してそうしたわけじゃ」

「なら尚更だ。確かに君のポケモンの技は大したものだが、制御できないようであれば話は別さ。おかげで大事な妹が危ない目に──」

「お兄ちゃん!」

 

 ジギーは言葉を続けようとしたが、マリーに窘められ口を閉じる。

 

「……まあ、技テストは合格ということにしておいてやろう。この前のトレーナーが連れていたリザードンと違って、一応言うことは聞くみたいだからね」

 

 そう吐き捨てるように言うジギー。

 今までで最も嬉しくない合格の言葉だ。ナオトは顔を反らし、苦虫を噛み潰したような顔で俯いている。傍らにいるブースターの機嫌が目に見えて悪くなるが、ゲンガーがそれを制した。

 

「それで、次は何をするんだ?」

 

 ナオトに代わって、タケシがジギーにそう尋ねる。

 

「次はバッジをかけたタイプバトルを行う」

「タイプバトル?」

「お互い同じタイプを含むポケモン同士でバトルをするんだ。つまり、相性ではなくそのポケモンの技や作戦で勝敗を決するということさ」

 

 バトルと聞いて、表情がさらに悪くなるナオト。

 ナツカンジムでの技を競うスキルバトルと違って、こちらは間違いなく通常のポケモンバトルを行うのだ。

 

「バトルは明日、一対一の三回戦で執り行う。さあ、使うタイプを選びたまえ」

 

 ジギーがそう聞くが、ナオトは黙ったまま答えない。

 

「ちょっと、ナオト大丈夫?」

「ミャウ……」

 

 フルーラが問いかけ、隣にいるアイも心配げに彼を見上げている。

 

「……まあ、今夜までに決めておいてくれれば構わないさ」

 

 見かねたジギーはそう告げ、ナオトから視線を外してフルーラの手を取った。

 

「フルーラさん。良ければ、これからご一緒にランチなどいかがですか?」

「は?」

「お姉ちゃん! 一緒に食べよう!」

 

 急な誘いに思わず呆気に取られるフルーラ。腕に縋ってきたマリーにもお願いされて困った顔を浮かべている。フルーラはチラリとナオトの方に目線を送るが、彼は俯いたままて何も言わない。

 

「……まあ、ランチくらいなら」

「良かった! それじゃあ、こちらへどうぞ」

 

 結局、フルーラはジギーとマリーについていってしまった。

 本当はナオトの傍にいてあげたいと思っていたが、ビッグシティで放置された件もあって彼に対して素直に接することができなかったのだ。

 

 そのまま、河原にボートと一緒に置いていかれるナオト達。ゲンガーはナオトを心配そうに眺め、ブースターは悔しそうな顔で立ち去っていったジギーを睨んでいる。

 

「……ナオト。俺達もランチにしようか」

「ミャウ!」

 

 励ますようにそう誘うタケシ。

 アイも微妙な空気を吹き飛ばそうと、ナオトの腕を取って笑顔を寄越している。

 

「ああ……ごめん、二人共」

「何で謝ってるんだ? さあ、行こう」

「ミャ!」

 

 努めて明るく振る舞うタケシとアイ。

 ナオトはそんな二人の気遣いに申し訳なく思いつつも、その表情は暗いままであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 島の施設、そこの休憩室でタケシの作ったランチを食べるナオト。

 いつもなら舌鼓を打っているところだが、今日は味もよく分かっていない様子で黙々と料理を口に運んでいた。

 

「ナオト、顔色がずっと悪いが……大丈夫か?」

「……え? ああ、大丈夫だよ」

 

 心配げに尋ねるタケシ。

 それに対して、ナオトはぎこちなく笑って答えた。

 

「それじゃあ聞くが、明日のタイプバトルに出すポケモンはもう決まったのか?」

「いや、まだ……」

 

 今ナオトが連れているポケモンはあくタイプのゾロア、ゴースト・どくタイプのゲンガー、みずタイプのコイキング、こおり・じめんタイプのクリスタルのイワーク、そしてほのおタイプのブースター。

 全部で五匹。この中からポケモンを三匹選ばなければならない。そして、その選んだポケモンと同じタイプの相手とバトルをすることになるのだ。

 

 相性が良くもなく悪くもない。そういった場合、ジギーの言う通りいつも以上に覚えている技とその使い方が勝負のカギとなる。加えて、選ぶタイプも重要となるだろう。

 

「お邪魔しまーす!」

 

 そこへ、ナオト達のいる休憩室にマリーが入ってくる。

 

「アイちゃん! 一緒に遊ぼう!」

「ミャ?」

 

 どうやら彼女はアイのことを同年代の人間の子だと思っているらしい。この島にはマリー以外の女の子がいないし、同年代の子が来るのは本当に久しぶりなのだという。

 

「ね? アイちゃん!」

「ミャ、ミャウ」

 

 アイの手を取って引っ張るマリー。アイは戸惑ったようにナオトの方を見ている。

 

「僕のことはいいから、行ってこい。えっと……君も、さっきはごめんな」

「ううん、事故だもん。しょうがないよ! ほら、ナオトさんもああ言ってるし、行こう!」

「……ミャウ!」

 

 そのまま、アイはマリーに引っ張られていった。アイの正体がポケモンだということは一緒に遊んでいる内に分かるだろう。

 

「タケシ。悪いけど明日のバトルのことを考えたいから、一人にしてもらってもいいか?」

「分かった。それじゃあ俺はランチの後片付けをしてくるよ」

「ああ。ありがとう」

 

 快諾して台所へ向かうタケシを見送る。

 緊張を解くように深呼吸したナオトはソファにドサリと身を沈め、思考に集中するのであった。

 

 

 

 外へと遊びに出たマリーとアイ。ちなみに、パウワウも一緒だ。

 マリーはいくら話しかけても「ミャウ」としか言わないアイに首を傾げていた。

 

「ねえ、どうして普通に喋らないの? それじゃあポケモンみたいだよ?」

「ミャア……」

 

 アイは困ったように笑うと、ゆっくりと瞼を閉じた。

 すると、光と共にその姿が少女から元のゾロアの姿に変化する。

 

「えっ、えっ?」「パウ?」

「ミャウ!」

 

 目をパチクリとさせるマリーとパウワウ。

 一鳴きして今度はマリーの姿に変わってみせるアイ。それはまるで、イリュージョンで化けているというより、身体そのものを変身させているようであった。

 目の前に自分が現れて仰天したマリーは「えぇーーっ!?」と驚きの声を上げる。

 

「すごーい! 色んな姿に変われるんだね!」

「ミャ!」

 

 アイが他の姿に化けることができるポケモンだと知ったマリーは、ますます彼女のことを気に入ったようだ。

 

「ねえ! わたしの秘密の遊び場を教えてあげる!」

「ミャミャ?」「パウワウ」

 

 再び青い髪の少女の姿に戻ったアイ。秘密の遊び場と聞いて首を傾げている彼女の手を引いて、マリーはパウワウと共に島岸の方へと駆けていった。

 

 

 連れていかれた先は、岸壁に囲まれた小さな入り江。

 その奥の段差のある岩の上には洞窟があった。この洞窟がマリーの秘密の遊び場なのだという。

 

 早速中に入るアイ達。暑い日差しが遮られ汗ばんだ身体をひんやりとした冷気が包む。

 

「ミャア……」

「おーい! 遊びに来たよー!」「パウワ~」

 

 アイが涼んでいる横で、マリーとパウワウが洞窟の奥の方に向かってそう呼びかける。

 何をしてるのかと思っていると、奥からズバットが数匹飛んできた。

 

「ここに来た時はいつもこのズバット達と一緒に遊んでるんだ!」

「ミャウミャ」

 

 どうやら、マリーの友達みたいだ。大勢のズバット達に迎えられて、マリーとパウワウは楽しそうにしている。

 

 しかし、こんな海岸沿いの洞窟で遊んでいて大丈夫なのだろうか? 潮が満ちたら危ないのでは? ふいに浮かんだ懸念にアイは顔を曇らせる。

 それに気づいたのか、マリーが「大丈夫だよ」と答える。

 

「今日満潮になるのは陽が落ちた頃だし、ここは段差があるおかげで満潮になっても海水が入ってこないの。あっ、こら! くすぐったいよ!」

 

 人馴れしているズバットがマリーにじゃれつく。

 ここにナオトがいたらお前そんな技覚えないだろとツッコミを入れているところだろう。

 

「ミャウ……」

 

 アイは明日のバトルのことについて悩んでいるであろうナオトのことを心配し、洞窟の外に顔を向けるのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 そして、時刻は夕方。

 ランチの後、ジギーに連れ回されていたフルーラは彼と別れて施設の廊下を歩いていた。

 

「あら、タケシくん」

「ん? ああ、フルーラか」

 

 その道中、フルーラは両腕一杯に食材を抱えたタケシと出会った。

 

「どうしたの? その食材」

「このジムではジギーさんのお弟子さん達が料理を担当しているらしいんだが、今夜はここに世話になるわけだしな。夕飯は俺が担当することになったんだ」

「ふ~ん」

 

 自分で聞いておきながら、何か別のことを気にしているのか話のさほどを聞き流すフルーラ。

 そんな彼女の様子にタケシは小さく笑みを浮かべる。

 

「ナオトだったら、休憩室にいるはずだぞ」

「え? そ、そう。ありがと」

 

 特に聞いたわけでもないのにそう教えてくれるタケシ。

 少し面食らいつつも素直にお礼を言うと、タケシは頷いて台所の方へと向かっていった。

 

「……タケシ君って年上相手じゃなければモテそうなのにね」

 

 そう呟きながらフルーラは廊下を歩き、目的地である休憩室に着く。

 

「ナオト?」

 

 扉を開けて、ナオトを呼ぶフルーラ。しかし、返事はない。

 部屋を見渡してみると、ナオトはソファの肘掛けを枕にして眠っていた。

 

 しめしめとフルーラは寝ているナオトの傍に近寄って、寝顔を盗み見る。

 ポケモン達以外にはさほど素っ気ない態度のナオト。そんな彼の無防備な姿を前に、フルーラは言い知れない心地良い気分になる。

 

「……んっ」

 

 何かイタズラでも仕掛けてみようかと思っていると、物音に反応したのかナオトが小さく呻き声を上げた。身動ぎして、瞼を開ける。

 

「………………うぁっ!?」

 

 ナオトは寝ぼけた意識のまま自分を見下ろしているフルーラをぼうっと見上げていたかと思えば、突然声を上げてソファから転げ落ちてしまった。

 

「くっふふ、だ、大丈夫?」

「っつ……それが人を心配する態度かよ」

 

 その様を見て、お腹を抱えて笑うフルーラ。

 打った腰をさすりながら、ナオトはソファに座り直す。

 

「ふふ。だって、あんな綺麗に転がって笑わない方がおかしいわよ」

 

 ひとしきり笑い終えて一息吐いたフルーラはそのまま自然な流れでナオトの隣に座る。ビッグシティで覚えた嫉妬の燻りは笑いと共に綺麗さっぱり消えてなくなっていた。

 

「……それで、何か用か?」

 

 不貞腐れた顔で視線を逸らしたまま聞くナオト。

 

「用がないと来ちゃダメ? 私も疲れたから休憩に来ただけよ。ジギーさんに散々連れ回されちゃったから」

「それは、随分楽しんできたようで」

「……ううん。そうでもなかったわよ?」

 

 皮肉を言うナオトに、フルーラは前を向いたままそう答える。

 ナオトは「え?」と思わず彼女の方を振り向いた。

 

「なんか派手な音楽流してポケモン達と一緒にダンス踊ってたんだけど、私ああいう騒がしいの苦手なのよね」

「そ、そうなのか」

 

 ナオトはフルーラの言葉が意外だったのか、目を丸くしている。てっきりそういうのが好きなのだろうと思っていたからだ。

 フルーラはそんなナオトの方へ顔を向け、下から覗き込むようにしたり顔の笑みを寄越す。

 

「安心した?」

「は? な、何がだよ」

 

 慌てて顔を逸らしてそう返すナオト。その態度を見て、フルーラはまたクスリと笑った。

 

 どうにも最近フルーラと話していると彼女のペースに乗せられてしまいがちだ。それを改めて自覚して、ナオトはますます不貞腐れる。

 さすがにイジメすぎたかと、フルーラは話題を変更することにした。

 

「ねえ、明日のバトルの方は大丈夫なの?」

 

 聞かれたナオトは不機嫌顔から一転、真面目な顔に変わる。

 

「……一応、バトルに出す三匹のポケモンは選び終えた」

「そうなんだ。あ、そうそう。私、ジギーさんのダンスルームで彼のポケモンを見てきたのよ。なんかここにいるポケモンはみんなダンスを教わってるんだって。参考になると思うから、どんなポケモンがいたか教えたげるわ」

 

 そう言って、フルーラはナオトから借りっぱなしの図鑑をポケットから取り出そうとする。

 

「いや、いいよ」

 

 しかし、それはナオトに止められてしまった。

 

「え、どうして?」

「初見のジムに挑戦するにあたって、相手のポケモンを探るのは褒められたことじゃないからな。相手がどんなポケモンで迎え撃ってくるか、それを予想するのもジムバトルの醍醐味なんだよ」

 

 ナオトの言葉に「ふ~ん」と呟きながら、フルーラは首を傾げる。バトルに忌避感を持っている節があったナオトが、話してみれば意外とそうでもない様子であったからだ。

 

 そこへ、ガチャッと休憩室の扉が開く音が二人の耳に届く。

 

「ふん。一応、トレーナーとしての心構えは持ち合わせているようだね」

「ジギーさん!」

 

 休憩室に入ってきたのはジギーであった。

 ナオトの話し声が聞こえていたらしく、歩み寄りながら相変わらずのキザな調子で話す。

 

「それで、明日のバトルはどのタイプのポケモンで挑むのか決まったかい?」

 

 その問いかけに、ナオトは頷いて答えた。

 

「ああ。どくタイプ、こおりタイプ、あくタイプで行くよ」

「なるほど。分かった。ところで、フルーラさん。マリーを見かけませんでしたか?」

 

 返答に頷き返すジギー。が、ナオトの選出は大して気にしていなかったのか、すぐにフルーラの方を向いて話題を変えた。

 

「? いいえ、見てないけど」

「……妹さんなら、ウチのアイと一緒に外へ遊びに行ったよ」

 

 フルーラに向けられた質問に、少々顔を顰めながらもそう教えるナオト。

 

「そうか。いや、今日は夕方頃から低気圧の影響で嵐が来ると予報されていてね。外へ遊びに行くなら、それまでに帰るよう言いつけておいたんだが……」

 

 その言葉を聞いてナオトとフルーラは顔を見合わせる。

 時刻は既に夕方過ぎ。窓を覗くと、確かに空は暗く曇りがかって今にも雨が降り出しそうであった。

 

 

 

 

 

 一方のアイとマリー。

 ズバット達やパウワウと遊んでいた二人は、洞窟の中ということもあってすっかり時間のことを忘れていた。だが、陽が落ちかけて視界が薄暗くなってくるとさすがにもう遅い時間だということに気がついてくる。

 

「そろそろ帰ろっか?」

「ミャウ」「パウ」

 

 マリーがアイにそう促し、ズバット達にバイバイする。パウワウを連れて、洞窟の外へと出ようとした──その時。

 

「「────!」」

「「──!」」

「な、何!?」

 

 急にズバット達が一斉にガヤガヤと騒ぎ始めた。

 

「キャッ!」「ミャッ!?」

 

 一体どうしたんだろうと思っていると、足元が急に冷たくなって二人は短い悲鳴を上げる。

 洞窟の中に海水が入ってきたのだ。

 

 マリーが言っていたように、通常この洞窟は満潮になっても海水は入ってこない。しかし、低気圧の影響で高潮になっているとなると話は別であった。

 

「は、早く出なきゃ!」

「ミャウッ!」「パウ!」

 

 慌てて洞窟を出ようとする二人。

 しかし、入り口から襲いかかる波が彼女らの足をさらってしまう。水ポケモンであるパウワウでさえこの波には押し戻されてしまっていた。これでは、洞窟から出ることは叶わない。

 

「アイちゃん、こっち! パウワウも!」

「ミャ、ミャウ!」

 

 洞窟の中の段差を登り、とにかく海水から逃れようとするアイ達。

 

 一体どうすればいいのか。

 南の島に似つかわしくない寒さに震える中、アイはこの場にいないナオト達のことを思い浮かべた。

 

 

 

 

 

「遅い……遅すぎる」

 

 陽が落ちても帰ってこないマリーを心配するジギー。

 ナオトとフルーラ、そしてタケシとジギーの弟子達も含めて、島にいる全員が施設のロビーに集まっていた。

 

「……僕、探してくるよ」

 

 同じくアイを心配していたナオトが彼女を探しに出ようとロビーのドアを開ける。

 しかし、開けた直後に大雨と強い風がナオトを襲った。予想以上に天気が悪くなっていたのだ。構わずナオトはその中を突っ切ろうとする。

 

「無茶だナオト!」

「彼の言う通りだ! 戻りたまえ!」

 

 間髪入れずタケシとジギーがナオトを引き戻し、ドアを閉める。

 ナオトは二人の腕を振り払い、ジギーを睨む。

 

「なんで止めるんだ! あんた、妹さんがどうなってもいいのかよ!?」

「そんなわけないだろう!!」

 

 これまでにないくらいの大声で返してきたジギーに、ナオトは目を見開く。

 見ると、彼は血が滲むほどにその拳を固く握りしめていた。

 

「……僕だって今すぐにでもマリーを探しに行きたいさ。だが、こんな大荒れの中を闇雲に探し回っていたら、ミイラ取りがミイラになってしまうだけだ!」

 

 大切な者を助けたい。その気持ちはジギーも同じであった。

 そんな彼からそう言われてしまうと、ナオトも言葉を詰まらせてしまう。

 

『────』

「え?」

 

 そんな緊迫した空気の中、ふいにフルーラが声を漏らした。

 

「何、これ? 何か聞こえる……」

「フルーラ? どうしたんだ?」

 

 様子のおかしいフルーラにタケシが声をかけるが、聞こえていない様子。

 

 

『──たすけ────ナオ──く──』

 

 

 フルーラの頭の中で、かすかに声が響く。まるで直接頭に語りかけてくるように。

 頭の中で反響するその声と同時に、小さな入り江と洞窟の風景が脳裏に映る。

 

「──ッ! ジギーさん! この島に洞窟ってある!?」

「ど、洞窟? フルーラさん、急にどうしてそんな……」

「いいから! 小さな入り江にある洞窟に心当たりはない!?」

 

 血相を変えたように尋ねるフルーラに、戸惑いながらも手を口に添えて考え始めるジギー。

 

「……洞窟があったかどうかは分からないですが、確かここから西の海岸沿いに入り江があったと思います。島に移住した頃に散策して見つけた場所なんですが、マリーには危ないからあそこへは近づかないようにと──」

「そこよ! そこにアイちゃん達がいるわ! ナオト、一緒に来て!」

「え? お、おい!」

 

 ジギーの答えを聞くや否や、フルーラは周りが制止する間もなくナオトの手を引っ張って嵐の中へと飛び出していった。

 

「ナオト! フルーラ!」

「フルーラさん!」

 

 タケシやジギー達は、訳も分からず確信を持って走るフルーラの後を追う。

 

 

 

 

 

 同じ頃、アイとマリーは打ちつける波と凍えるような寒さに身を震わせていた。

 

「うっ……ぐすっ……お兄ちゃん……!」

「ミャ、ミャウ……」

 

 既にお腹の辺りまで海水に浸かっており、このままでは低体温症の危険がある。

 そんな彼女達を無情にも再び流れ込んできた波が襲う。洞窟という狭い空間に流れ込んでくるために勢いが強く、その度に二人は息も絶え絶えな状態になってしまう。パウワウを挟んで、必死に離れまいとお互いの手を握り合った。

 

 あっという間に肩まで潮位が上がる。水に浸かっていないのは頭だけとなった。

 

「あ……ああっ! お兄ちゃっ、お兄ちゃあぁーん!!」

 

 マリーは大泣きして兄に助けを求めているが、聞こえるはずもない。水ポケモンといえどまだ幼いらしいパウワウも、恐怖に震えてマリーに抱かれるままになっている。

 何とかしなければと、必死に考えるアイ。

 

「……ミャ!?」

 

 しかし、無駄だと言わんばかりに洞窟を埋め尽くすほどの大きな波がアイ達に襲いかかった。

 それはアクアジェットなど生易しい、もはやハイドロカノンと言ってもいい勢いの鉄砲水。

 

「ミャウッ!」

 

 自分達を喰らわんと迫りくる水の塊に向けて、アイは空いている方の手を前に突き出してじんつうりきを放つ。あくタイプにも関わらずエスパー技を得意としているアイのじんつうりきは波の勢いを押し止める。

 が、それも僅かな時間だけ。冷たい海水がアイの体力を根こそぎ奪っていたために、本来の力の半分も出せていないのだ。

 

「ミャ、アッ!?」

 

 抵抗虚しくさらなる波の追撃を受け、アイのじんつうりきが破られた。そして、分厚い水の壁が彼女らに覆い被さる。

 身体の自由を奪われ、勢いのまま流されるアイ達。視界もなく前後左右の区別もつかないほどもみくちゃにされる中、アイは自分がマリーの手をしっかりと握っていることを確かめた。

 

 

「────ッ!」

 

 

 無我夢中で自分の中の力を解き放つアイ。

 瞬間、彼女らを眩い光が包み込んだ────

 

 

 

 

 

 ナオト達は豪雨でずぶ濡れになりながらも、島の西側──切り立った海岸に辿り着いた。

 そこは、先ほどジギーが言った入り江を見下ろせる場所であった。だが、満潮に高潮が重なって入り江は既に影も形もなくなっている。

 

「アイちゃーん! マリーちゃーん!」

 

 フルーラが大声でアイとマリーのことを呼ぶ。しかし、返事はない。

 

「フルーラさん、本当にここにマリー達がいるんですか?」

「いるわ! ……何でか分かんないけど、そんな気がするのよ」

「……僕も、ここに来て分かった。なんとなくだけど、確かにここにアイ達がいる」

 

 半信半疑のジギーに対して、ナオトはフルーラの言葉を信じているようだ。

 しかし、仮にいたとしても、この状況ではもはや手遅れである。それは目の前の光景を見て皆が察していることであり、ジギーの弟子達の間では沈痛な空気が漂っていた。

 

「……!? ナオト、フルーラ! あれを見ろ!」

 

 周りを見渡していたタケシがふいに何かを見つけ、声を上げる。

 彼の差した方向に目をやると、この嵐の中をズバットが数匹飛んでいるのが見えた。気になったナオト達は彼らが飛んでいる場所──岬の方へと走っていく。

 

「アイ!」「アイちゃん!」

「マリー!」

 

 そこには、アイとマリーがパウワウを下敷きにうつ伏せになって倒れていた。

 慌ててナオトがアイを、ジギーがマリーを助け起こす。

 

「んっ……お、お兄、ちゃん?」

「……パウ?」

「ああ、マリー! パウワウも! 無事で本当に良かった!」

 

 先にマリーとパウワウが目を覚まし、感極まったジギーが彼女を抱きしめた。

 マリーはなぜ洞窟にいた自分がこんな場所で倒れていたのか分からず、困惑した表情を見せている。

 

「アイ! 大丈夫か!?」

「アイちゃん! しっかり!」

「二人共、無闇に揺らしたら駄目だ!」

 

 一方、目を覚まさないアイをナオトとフルーラが懸命に声をかけてその幼い体を揺する。そんな彼らをタケシが冷静に制した。

 

「…………ミャ、ウ?」

「アイ!」

 

 そして、ようやくアイが目を覚ます。

 ナオトが呼びかけると、アイは弱々しいながらも笑顔を見せるのであった。

 

 

 




次回、ジムバトルになります。

■ジギー
ユズジムのジムリーダー。少年の弟子を数人抱えている。
アニメ本編では溺れている妹を助けてくれたカスミに惚れ、積極的にアプローチを仕掛けていた。
気に入った女性には紳士的だが、男に対しては人を食ったような態度が目立つ。
なお、声は某サイヤ人の王子。西の高校生探偵でも可。

■マリー
ジギーの妹。
アニメ本編と今回の話で合計三回溺れている。正直ごめん。

■アイ
エスパー系の技が得意なことに加え、テレパシーのような能力も持っている。
映画でもゾロアがテレパシーを使っていたのでそれ自体は不思議ではないかもしれないが……?

■フルーラ
なぜかナオトよりも先にアイのテレパシーを受信した。
エスパー波を受信しやすい体質なのか、それとも……?





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19. ユズジム! タイプバトル! ② ▼

 翌日の朝。

 嵐も過ぎた晴天の下、ナオトはジギーとのバトルに向かうため宿泊室で身支度を整えていた。

 アイはそれをベッドに座ってぶらぶらと足を振りながら待っている。

 

「アイ。本当に大丈夫なのか?」

「ミャ!」

 

 昨日大変な目に合ってまだ疲れが残っているであろう彼女を気遣うナオト。

 アイはそんな彼を心配させまいと笑顔で頷いた。

 

 これから行うタイプバトルでナオトが選んだタイプはどく、こおり、あく。

 その内のあくタイプはゾロア──すなわちアイをバトルに出すつもりであった。しかし、昨日あんなことがあったのでナオトはバトルに出すタイプを変えようとしていたのだ。

 だが、アイが自分は大丈夫だと言って聞かないので、結局変えず仕舞いとなったのである。

 

「……分かった。でも、無理はするなよ?」

「ミャウ!」

 

 ナオトはアイを心配しながらも、これで無理に休ませようとすればアーシア島の時のように機嫌を悪くさせてしまうと危惧し、大人しく彼女の言うことを鵜呑みにして試合に臨むことにした。

 

 それに続くアイの足取りが少しフラついているのにも気づかず。

 

 

 

「あ、ナオト。準備できたの?」

「ああ」

「よし。それじゃあ行くか」

 

 既にロビーで待っていたフルーラとタケシと落ち合い、バトル場へと向かう。

 ユズジムのバトル場は例の海上から高く突き出た岩山、その中で一番大きい山を整備する形で作られている。

 

 そこへ向かうために架けられた橋の前で、マリーとジギーが弟子達を伴って待ち構えていた。

 施設の方からやってくるナオト達を認めたジギーは、挑戦者であるナオトに顔を向ける。

 

「昨晩は色々あって君にも迷惑をかけたが、だからと言って勝負は勝負。手加減するようなことはないと思いたまえ」

 

 無論、ナオトもそれは承知している。「もちろん」と頷いて答えた。次いで、ジギーはフルーラの方を振り向く。

 

「フルーラさん達はマリー達と一緒に、気球から観戦していてください」

「分かったわ……ナオト、あんた大丈夫なの?」

「……え? な、何が? アイなら大丈夫だって言ってるぞ」

 

 フルーラが顔色の悪いナオトの顔を覗き込んでそう尋ねるが、彼は分かっているのかいないのか、見当外れな返事をした。もちろん、アイのことも心配なのは確かだが。

 

「……ううん、大丈夫ならいいわ。頑張ってね」

 

 ここまで来て今更だと思ったのか、フルーラは若干しこりを残したような顔で近くにある気球発着場へと向かっていった。

 

「ナオト、あまり無理はするなよ」

「あ、ああ」

 

 タケシも心配するような眼差しを向けてナオトにそう言葉を送り、フルーラの後に続いていく。

 

「……な、何だよ二人して」

「ミャウ」

「何ぼうっと突っ立っているんだ。早く来たまえ」

 

 ジギーに促され、慌ててナオトとアイは橋を渡ってバトル場へと臨んだ。

 

 

 

 海を背にバトル場のトレーナーポジションに立ったジギー。

 対面に立つナオトを見据え、口を開いた。

 

「さあ、名乗りを上げたまえ!」

「……ミアレシティのナオト! ユズジムのジムリーダーに試合を申し込む!」

「ふっ、覇気のない声だ……ユズジム・ジムリーダー、サザンクラス南の星、ジギー! 受けて立とう!」

 

 お互い名乗りを上げ終え、ジギーはモンスターボールを手に取る。

 

「まずはどく系ポケモンで勝負だ! モルフォン、頼むぞ!」

「モルフォーッ!」

 

 投げられたボールから光と共に現れたのは、どくがポケモンのモルフォン。

 羽についた鱗粉を散らしながら、嵐の後の雲一つない空をバックにその姿をナオトの前に晒す。

 

「僕はコイツだ。行け! ゲンガー!」

「ゲンガァ!」

 

 対するナオトは、ゲンガーを戦線に立たせた。

 ゲンガーはどくタイプだけでなくゴーストタイプも持ち合わせた複合タイプのポケモン。ジギーのモルフォンも同じく、どく・むしといった複合タイプだ。

 

「ゴーストタイプではなく、あえてどくタイプを選択したところからして、君が考えなしなトレーナーでないことは分かっていたよ。ゴーストタイプを選んだトレーナーに対して、ウチのジムでは君と同じゲンガーを出すことになっているからね」

 

 ナオトのタイプ選択について言及するジギー。

 ここ、カントー地方に生息しているゴーストタイプのポケモンの種類は非常に少ない。ゴース、そしてその進化系であるゴーストとゲンガー、その三匹だけだ。ナオトがあえてゴーストタイプではなくどくタイプを宣言した理由はこれにある。

 

 ジギーが別の地方に生息しているゴーストタイプのポケモンを育てているとは考えにくい以上、高確率で同じポケモンと相対することになってしまう。事実、ゴーストタイプを選んでいればそうなっていた。

 ゴーストタイプは同じゴーストタイプの技を弱点としている。同タイプの技は威力が増すという特性上、一瞬の判断ミスが致命的になりかねないのだ。

 

 だが、ゲンガーとその進化前のポケモン以外でどく・ゴーストタイプのポケモンは未だ発見されていない。つまり、それら以外のどくタイプのポケモンであれば、例えゴーストタイプのわざを覚えていたとしてもその威力は脅威ではないということだ。

 

「しかし、そういった選択を取るトレーナーへの対策がこのモルフォンだ。モルフォン、サイケこうせん!」

 

 先手を打つジギー。

 モルフォンは鳴き声を上げ、不思議な色合いの光線を放った。

 

「避けろ、ゲンガー!」

「ゲンッ!」

 

 空中から放たれた光線を、ゲンガーはナオトの指示に従ってジャンプして避ける。

 しかし、ジャンプして避けたのがまずかった。

 

「しねんのずつき!」

「フオォン!」「ゲッ!?」

 

 滞空しているゲンガーへ向けて、モルフォンのしねんのずつきが襲う。正面からまともに受けたゲンガーは、地面に勢い良く叩きつけられてしまった。

 

「ゲンガー! くそっ……!」

 

 ゲンガーを心配しつつも、ナオトは思わず心の中で舌打ちをする。

 サイケこうせん、しねんのづつき。どちらもどくタイプの弱点であるエスパータイプの技である。やはりあのモルフォン、タイプバトル用に鍛えられているだけあって同じどくタイプに対して優位に立てる技構成をしているようだ。

 それでも、エスパータイプのポケモンが放つ物よりも威力は低いはず。

 

「しっかりしろ! ゲンガー! ……ゲンガー?」

 

 ナオトは倒れているゲンガーに起き上がるよう発破をかけた。

 ところが、しねんのずつきを喰らったゲンガーは倒れたままビクビクと手足を震わせている。

 

 まさか、とナオトは顔を歪ませる。

 しねんのずつきをぶつけられた相手は、当たりどころによっては身体が怯んで動けなくなってしまうことがあるのだ。

 

「勝利の女神は僕に微笑んでいるようだな。モルフォン! ねんりき!」

「フォオオ……!」

 

 好機と見たジギーは、モルフォンにねんりきを指示する。

 動けないゲンガーは何の抵抗もできずに宙へと浮かび上げられ、不可視の力で拘束されてしまう。

 

「ゲッ……ゲン……!」

「行け! サイケこうせん!」

「モルフオォー!」

 

 身体の怯みに加え、ねんりきによる相乗ダメージを受けて苦悶の表情を浮かべるゲンガー。

 そこへ、再びモルフォンがサイケこうせんを、今度はありったけのエスパーエネルギーをチャージして放つ。

 

「ゲンガー!」

 

 万事休すといった状況に、ナオトの焦る声が響く。

 モルフォンのサイケこうせんがゲンガーに直撃する、その瞬間──

 

「ゲンゲラッ」

 

 間一髪で身体の怯みが解けたゲンガーはねんりきによる拘束を振り解き、迫る光線を避けることに成功した。

 

「危なかった……いいぞ! ゲンガー!」

「ふん、少々チャージに時間をかけすぎたか……」

 

 回転しながら地面に着地したゲンガー。

 ダメージは受けているが、まだイケそうだ。ナオトは口端を上げ、モルフォンを見上げる。

 

「今度はこっちの番だ。ゲンガー! ヘドロばくだん!」

「ゲン、ガァー!」

 

 ナオトはゲンガーに指示し、上空にいるモルフォン目掛けてヘドロばくだんを撃ち上げさせる。

 

「そんな攻撃が当たるか! モルフォン!」

「フォンッ!」

 

 しかし、モルフォンは器用に羽を動かし、軽やかに余裕を持ってそれを避けてみせた。例え当たったとしても、どくタイプ技のヘドロばくだんはモルフォンに対して脅威とはならない。

 

「今だ! 10まんボルト!」

「ゲラッ!」

 

 だが、ゲンガーの攻撃はここからだ。

 ナオトは間髪入れず続いて10まんボルトをゲンガーに放たせる。

 

「ただの連続攻撃で当たると思ったら大間違いだぞ!」

 

 無駄だとばかりにゲンガーから放たれた電撃を回避するモルフォン。

 

(……よしっ)

 

 だが、ナオトの狙いはモルフォンではなかった。

 

 ゲンガーの放った10まんボルトはモルフォンの横を通り過ぎ、上空に打ち上げられたヘドロばくだんに命中する。

 すると、ヘドロは電撃を浴びたことによって空中で爆発四散した。

 

「フォッ!?」

「何だと!?」

 

 予想外の攻撃。モルフォンは頭上から降り注ぐヘドロを大量に浴びてしまう。

 大したダメージにはなっていないが、顔や羽にかかったヘドロによってモルフォンはまともに飛ぶことができなくなってしまっている。

 

「くっ、モルフォン! ヘドロを振り払え!」

「させるか! ゲンガー、もう一度10まんボルトだ!」

「ゲンゲラ、ゲーンッ!」

 

 急いでヘドロを振り払おうとしているモルフォンに、ゲンガーの追い打ちの10まんボルトが炸裂する。

 

「フォフォーーッ!!」

「モ、モルフォン!」

 

 ヘドロを被っていることによって、モルフォンの身体は通常より電気を通しやすくなっていた。そこへまともに10まんボルトを浴びたため、モルフォンは大ダメージを受けてノックダウンしてしまう。

 

 

 

 

「ああっ! お兄ちゃんのモルフォン、負けちゃった……」

「ふふ、ナオトったらあんなにバトル嫌がってたくせに、結構やれるじゃない。ね、タケシ君! ……タケシ君?」

 

 残念がるマリーの横でフルーラがナオトの勝利を喜ぶ。そして、同じように喜んでるであろうタケシの方を振り返ったが、彼は難しい表情でナオトのことを見つめていた。

 

「ちょっと、タケシ君ったら!」

「……ん? あ、ああ、そうだな。このまま何事もなく試合が進んでくれればいいんだが」

「? 何言ってんのよ。ナオトならきっと勝つわ。負けたりなんかしたら私が承知しないんだから」

 

 そう言って、再びバトル場を見下ろすフルーラ。

 試合に熱中している彼女とは裏腹に、タケシはどうしてだか胸に浮かぶ不安を気にせずにはいられなかった。

 

 

 

 

「くっ……戻れ、モルフォン!」

 

 地面に落ちたモルフォンをボールに戻すジギー。

 

「なかなかやるじゃないか。だが、次はこうはいかないぞ。こおり系ポケモン……行け! ルージュラ!」

 

 余裕の態度を崩さないジギーが次に出したのは、ひとがたポケモンのルージュラ。その分類通り、金色の長髪にガングロな肌をした人型のポケモンだ。

 いわゆるギャルを思わせるようなその風貌を見て、ナオトは無意識の内に気球から自分達のことを見下ろしているフルーラにチラリと目線を送って考える。

 

(あいつもどこかしらで選択を違えていたら、あんな感じになってたんだろうか……)

 

 ナオトがそんなことを考えているとは露知らず、当の本人は何よ? とばかりに首を傾げている。

 

 何はともあれ、二本目はこおりタイプ同士のバトルだ。ナオトはゲンガーをボールに戻し、ベルトのホルダーから別のボールを掴み取る。

 

「頼むぞ、イワーク!」

「イワークだと……?」

 

 ナオトの発言を聞いて、眉をひそめるジギー。

 しかし、ボールから出てきたイワークの透き通った輝きを見れば、その表情も驚きに変わった。

 

「このイワークは……噂に聞くクリスタルの?」

 

 さすがのジギーもその神秘的な姿に見入り、感嘆の声を上げている。だが、すぐに気を取り直してナオトの方を見据え直した。

 

「なるほど。随分と珍しいポケモンをゲットしたようだが……僕のルージュラも負けてはいない。何しろ、この子はとっておきだからね」

 

 対抗するように言うジギーのその言葉に、ナオトは訝しげに首を傾げる。

 ルージュラも確かに珍しい類に入るポケモンだが、とっておきというのはそういう意味でなのだろうか?

 

「今度は君に先行を譲ろう。さあ、かかってきたまえ」

「……それじゃあ、遠慮なく」

 

 眉を潜めつつも、ナオトはジギーの言葉に甘えることにする。

 この勝負に勝てば三試合目をせずにバッジを獲得できるのだ。バトルを開始してから落ち着く様子のない胸の鼓動を早く抑えたいがため、ナオトはそう心の中で意気込む。

 

「イワーク! ロックブラスト!」

「グオオッ!」

 

 ロックブラスト。いわタイプのこのわざであれば、こおり・エスパータイプのルージュラの弱点を突くことができる。

 クリスタルのイワークが何か不思議な力を利用して岩石を宙に生成し、それに頭を叩きつけて弾丸の如く弾き飛ばす。

 目にも留まらぬ速さで飛ぶ岩石。棒立ちのルージュラに直撃するのは、火を見るより明らかに思えた。

 

「ジュラッ♪」

 

 しかし、ルージュラは迫る岩石をさらりと避けてしまった。それを見たナオトは思わず口を開く。

 

「ふっ……ミュージックスタート!」

 

 ジギーが前髪を手で払ってそう声を上げ、右手の指を鳴らす。

 すると、気球に乗って観戦していたジギーの弟子が機材を操作し、バトル場に音楽を流し始めた。

 

「ジュラ~♪ ジュラ~♪」

「え、ええ……?」

 

 その音楽に合わせて、身体をくねらせ始めるルージュラ。

 

「くっ……イワーク! 連続でロックブラストだ!」

 

 一体何の真似だ? と思いつつも、ナオトはロックブラストの連射を指示する。

 

「グオオーッ!」

 

 イワークは一気に岩石を複数生成すると、続け様にルージュラ目掛けて発射させた。

 機関銃さながらの勢いで風を切る岩石の嵐が踊るルージュラを襲う。

 

「ジュッララ~♪」

 

 が、ルージュラはそれらをまるでステップを踏むかのようにしてテンポ良く軽やかに避けてみせた。

 彼女の艷やかな長い金髪が華麗に靡く様を見て、ナオトはコンテストバトルでもしているかのような気分になる。

 

「このジムのポケモンは音楽とダンスを嗜むことで、ポケモン本来の能力をグレードアップさせているんだ。特にこのルージュラはジム一番の踊り手でね。その程度の攻撃を避けることは造作もない」

「は、はあ?」

 

 ナオトはどういう理屈だと困惑に眉をしかめる。

 確かにミルタンクに音楽鑑賞を嗜ませるとミルクの出が良くなるという話を聞いたことはあるが、実際にそういったことをバトルに活かしてくるトレーナーを相手にするのはナオトにとって初めてのことであった。

 

「……なら、当たるようにするまでだ。イワーク! アイアンテールで薙ぎ払え!」

 

 やっかいな動きをするルージュラに対して、今度はアイアンテールを指示するナオト。

 指示を受けたイワークは体勢を低くし、バトル場全体を薙ぎ払うようにしてそのクリスタルの尻尾を振るった。こうすれば先ほどのロックブラストの時のようなステップを踏む形での避け方はできない。

 

「ジュラッ♪」

 

 ナオトの想定通り、ルージュラはイワークのアイアンテールを空中へジャンプすることによって避けた。

 一戦目のゲンガーと同じ。跳躍中に攻撃を避けることは困難。

 

「そこだ! れいとうビーム!」

「グオオーーッ!」

 

 その隙を突いて、れいとうビームをイワークの口から放たせる。

 本当はロックブラストをぶつけたいところだが、それでは間に合わない。れいとうビームが当たっても効果はいまひとつだが、ある程度動きを封じることができれば十分だ。

 

「ジュ、ラ♪」

「なっ!?」

 

 だが、ルージュラは空中で身を翻して両手を突き出し、眼前にひかりのかべを作ることでれいとうビームを防いだ。

 ひかりのかべは、れいとうビームのような特殊攻撃の威力を削ぐ技だ。

 

 しかも、ルージュラの行動はれいとうビームを防いで終わりではなかった。

 そのひかりのかべを展開したまま、ルージュラはれいとうビームを押し潰す形でクリスタルのイワーク目掛けて急降下する。

 

「ッ! イワーク、れいとうビームを止めろ!」

 

 ナオトが慌ててそう叫ぶが、遅い。

 

「ジュラ~♪ ……ンチュッ」

 

 そのままルージュラはイワークの頭に貼り付くと、その額にねっとりとあくまのキッスをお見舞いした。

 

「グ、オ!? ッ──」

 

 イワークはその透き通った青い巨体を震わせ、気を失うようにして地面に倒れ込んでしまう。あくまのキッスの効果でねむり状態になってしまったのだ。

 

「イワーク!」

 

 必死に声をかけるナオト。しかし、その声は深い眠りに入ったイワークには届かない。

 倒れているイワークの元へ、ゆっくりと近づいていくルージュラ。そして、ジギーが静かにトドメの指示を出す。

 

「ルージュラ。めざましビンタ」

「ジュラ♪」

 

 指示を受けたルージュラはイワークの顔に連続で思いっきりビンタをかます。その一発一発は強力で、ビンタを喰らう度にイワークの巨大な身体が大きく揺さぶられる。

 

「ジュラ♪ ジュラジュラジュラジュラ……ジュラーー!!」

 

 アップテンポになっていく音楽に合わせてビンタは激しさを増し、フィニッシュと共に顎からの掌底で打ち上げられたイワークは見事にノックダウンされてしまった。

 

 

 

 

「やった! さっすがお兄ちゃん!」

 

 気球からルージュラがクリスタルのイワークを倒す瞬間を見て、飛び上がって喜ぶマリー。

 

「あんな大きいイワークをビンタで倒しちゃうなんて……」

「めざましビンタは眠っている相手に対して使うと倍の威力を発揮するんだ。それに、かくとうタイプの技はこおりタイプにこうかばつぐんだからな……」

 

 驚くフルーラに解説を加えるタケシ。

 これで一対一。次の勝負でどちらかの勝利が確定する。

 

「頑張って、ナオト……」

 

 そう呟くようにナオトを応援するフルーラ。その横で、タケシは真剣な顔でじっと眼下のナオトを見つめ続けた。

 

 

 

 

「……ありがとう。戻って休んでくれ、イワーク」

 

 倒れたクリスタルのイワークに向けてモンスターボールを向け、赤い光を当てて戻すナオト。

 ジギーのルージュラが予想以上に強かったのはもちろんだが、ナオトがもっと上手い作戦を考えればどうにかなったはずなのも確かだ。

 

 どんなバトルでも負けた時の原因はトレーナーにある。

 一方的に負ける結果とさせてしまったイワークに対して、ナオトは申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

「……くっ」

 

 唇を噛むナオト。そんな彼に向けて、ジギーが口を開いた。

 

「次で勝負が決まる……君には言ってなかったが、僕はこの勝負に勝ったらフルーラさんにこの島に残ってもらおうと思っている」

「……は?」

 

 寝耳に水な話に、ナオトは一拍遅れて声を漏らす。

 全く理解が追いついていない様子の彼に構わず、ジギーは続ける。

 

「聞くところによると、君は元々オレンジ諸島を回るのを嫌がっていたんだろう? なら、代わりに僕がその役を引き受けようじゃないか。ちょうどマリーも連れて旅行したいと思っていたところだからね」

「な、何を急に勝手な──」

「もちろん、この話は既にフルーラさんにしている。考えておく、と返事をくれたよ」

「えっ……」

 

 ナオトは目を見開き、頭上の気球を見上げる。

 が、タイミング悪く気球は彼の視点からフルーラの姿が見えない位置に浮かんでいた。

 

「さあ、試合を始めよう。最後はあく系ポケモンの勝負……行け、ブラッキー!」

 

 ジギーが新たに取り出したモンスターボールが放り投げられ、光と共にブラッキーが姿を現す。げっこうポケモンのブラッキー。イーブイの進化系の一つだ。

 

 先ほどの話が頭を過ぎるが、とにかくこちらもポケモンを出さなければ。

 ナオトは頭を振り、後ろに控えているアイの方を振り返る。

 

「アイ! たの──」

 

 しかし、振り返った先にいたアイの様子がおかしいことに気づく。

 

「ミャ、ウ……」

 

 返事はするもその声は弱々しく、足取りはフラフラと覚束ない。

 そして、ナオトの元まで歩み寄ろうとしたところで、フラリと倒れ込んでしまった。

 

「アイッ!?」

 

 ナオトは咄嗟に膝を突いて倒れた彼女を抱き止める。

 アイの息は荒く、その顔は火照ったように赤みが差している。額に手を当ててみると、火傷しそうなほど熱かった。

 

(……昨日の嵐で、風邪を引いてしまったのか!?)

 

 こんな状態でバトルに出すわけにはいかない。

 どうして気づかなかったんだ! と、ナオトは自分を責める。無意識にバトルのことを気にしすぎて、アイのことをおざなりにしてしまっていた。

 

「どうした? 早く君のポケモンを出したまえ」

 

 いつまで経ってもポケモンを出さないナオトに、ジギーが催促する。

 彼の位置からはナオトが邪魔でアイの様子が見えないようだ。

 

「……ミャ、ミャウッ」

「駄目だアイ! その身体じゃ無理だ!」

 

 その声を聞いてか、アイはバトルに出ようと無理に身体を起こそうとする。

 ナオトはそれを止め、ショルダーバックからタオルと水筒を出した。水で濡らしたタオルをアイの額に当て、バックを枕に横たわせる。

 

「……ごめん、すぐに終わらせるから」

「ミャ、ア……」

 

 立ち上がり、トレーナーポジションに戻るナオト。

 

 あくタイプのポケモンはもう一匹いる。

 今まで、ある理由でボールから一切出さなかったポケモンだ。

 

 本当ならバトルなんて中断して、早くアイをベッドに寝かせて看病してやらなければならない。

 だが、先ほどジギーの話を聞かされたナオトは、どうしてもバトルに勝たなければならないという思いに駆られていた。

 

 気球から様子のおかしいナオトを不安そうに見つめているフルーラをチラリと見上げる。

 最初はジギーの言う通り嫌々だったが、いつの間にか彼女との旅が楽しくなっていたのだ。こんなところで彼女との旅が終わりになるなんて、今のナオトには受け入れられない。

 

 だから────

 

 

(──だから、勝ちたい!)

 

 

 バトルを避けるようになってから勝ち負けなど気にしなくなっていたナオトは、ほぼ一年ぶりとなるその感情に突き動かされるまま、その開かずのモンスターボールを投げた。

 

 

 

 一年もの間閉じられ続けていたボールが開き、中から光が漏れ出す。

 

 光は瞬く間に膨れ上がり、異様に巨大な塊となっていく。

 

 

 

「なっ……!?」

「「──えっ!?」」

 

 現れたその姿を見て、ジギー、そして気球に乗っているフルーラ達も驚きの声を上げる。

 

 

「────……」

 

 

 ナオトが投げたボールから出てきたのは、よろいポケモン──バンギラスであった。

 

 背中に幾本もの棘が生えたその風貌に強靭な肉体、そして山を崩してしまうほどの凄まじい力を持つと言われるそのポケモンは、まさに怪獣という呼び名が相応しい。

 

 無論、それだけなら何も驚くことはない。バンギラスの進化前であるヨーギラスは特に珍しいポケモンではなく、扱いは難しいがある程度の実力を持ったトレーナーなら従えることは十分可能である。

 だが、ナオトのバンギラスは、通常のバンギラスよりも一回り、いやそれ以上──少なく見積もってニ倍以上の巨大な体躯をしていたのだ。

 

「…………」

 

 砂煙と共に静かに佇んでいたバンギラスは、自身の巨大な影に覆われて後ずさるブラッキーをその鋭い目で見下ろす。

 

 

「…………ギラアアァーーッ!!」

 

 

 そして、突如エンジンが掛かったように動き出した。

 その巨躯からは想像できないほどの俊敏さで、ナオトの指示も待たずに豪脚を振るってブラッキーを蹴り飛ばしたのだ。

 

「ブ、ラッ」

「ブラッキー!」

 

 勢い良く吹き飛び、地面を跳ねるブラッキー。

 

「──アァッ!!」

 

 間髪入れずバンギラスは腕を振り上げ、地面からストーンエッジを繰り出す。

 突き出た岩石の槍が、倒れたブラッキーの身体を下から抉り上げた。

 

「ラッ……!」

 

 急所に当たってしまったのか、ブラッキーは受け身も取れず再び地面に叩きつけられ、そのままピクリとも動かずぐったりとしている。

 

 バンギラスの勝利だ。

 時間にして三十秒にも満たない勝負であった。

 

「なっ……こんな……」

 

 その一方的な展開に、ジギーも思わず呆然としている。

 

 

「────ッ!!」

 

 

 だが、勝負が決したにも関わらずバンギラスは止まらなかった。

 横たわっているブラッキーを空き缶を潰すかの如く足で踏みつけ始めたのだ。 

 地面が陥没する勢いで、何度も、何度も。

 

「……っ……っ」

 

 もはや戦う力が残っていないブラッキーは声にも鳴らない悲鳴を上げる。

 

「止めろ! 止めてくれ!」

 

 ジギーが叫ぶが、バンギラスはブラッキーを踏みつけるのを止めない。

 

「──ギラアァァ……」

 

 次いで足を退けたかと思うと、今度はその体に光を纏わせ始める。

 ギガインパクトだ。絶大な威力を発揮するその技をこのバンギラスが放てば、ブラッキーどころかこのバトル場自体が崩壊しかねない。

 

 

「ナオト! 早くバンギラスをモンスターボールに戻すんだ!」

 

 

 気球からタケシがナオトに向けて叫ぶ。

 それを受けて、今の今まで呆然と凄惨な光景を眺めていたナオトはハッと我に返った。

 

「も、戻れ! バンギラス!」

 

 ボールをバンギラスに向けて構える。ギガインパクトが今まさに発動しようとする直前、モンスターボールから放たれた赤い光がバンギラスを捉えた。

 その巨躯の動きがピタリと止まり、赤く染まったそのシルエットがボールの中へと引き戻されていく。

 

「──ッ、ブラッキー!」

 

 バンギラスがボールに収まり終わると同時に、ジギーが一目散にブラッキーに駆け寄る。

 上空を飛んでいた気球も速やかに着陸し、マリーと弟子達が一目散に彼の元へ駆けつけた。

 

 その様子を生気のない目で眺めるナオト。

 目の前の惨状を作り出した存在が入ったボール。それを握った腕は力無く地面に向けて垂らされている。後ろでナオトのことを必死に呼ぶアイの声も耳に入らない。

 

 結局、ナオトは駆け寄ってきたフルーラとタケシに声を掛けられるまで、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 




次回過去編になります。
バトル内容については色々ツッコミどころあるかもしれませんが、初代アニポケクオリティということでご勘弁を。

ところで、アニポケ新シリーズはW主人公になるみたいですね。
それはいいですけど、ヒロインポジションとタケシポジションはどうなるんでしょう?

■ナオトのバンギラス
今までボールの蓋が閉じたままだった六体目のポケモン。
通常の個体よりも二倍以上の大きさを誇る。たまにアニメに出る巨大ポケモンをゲットしたらどうなるかを体現させた存在。
イメージモデルは「ポケットモンスター金・銀 ゴールデン・ボーイズ」の黒いバンギラス。しかし、あれはチート過ぎるのであくまでイメージのみ。





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20. カロスリーグ・デルニエたいかい ① ▼

 人々とポケモン達の賑わいが、町のどこへ足を向けても耳に届く。

 

 ここはカロス地方のデルニエタウン。

 デルニエ通りに流れる川沿いに作られた、それほど大きくはない町だ。

 

 必然的に、普段この町で日常を過ごしている者達は、川のせせらぎやそこに住むポケモン達の鳴き声に耳を傾けて過ごすような、穏やかな生活を繰り返している。

 しかし、ここ数日に限ってはその日常の記憶もどこへやら。町は一転して川の音が聞こえないほどの活気に包まれていた。

 

 それもそのはず。

 この町では今、ポケモンリーグが開催されているのだ。

 

 あちらこちらに出店や小規模のイベントが催されている中、町のメインストリートの向こうに見えるスタジアムは、太陽の光を受けてどの建物よりも輝いて目に映る。

 そして、空はこの賑わいを歓迎するかのように雲一つない紺碧の色に染まっていた。

 

 その色を見上げながら、スゥッと深呼吸。

 

「……やっぱ、この空気好きだなぁ」

 

 ピンクのショルダーバッグを肩に下げた一人の女性が懐かしむように鼻を鳴らす。

 白地にピンクのモンスターボールが描かれた帽子に、ふんわりとした焦茶色のポニーテール。青いホットパンツを履いて、すらりと伸びたその長い脚を惜しげもなく晒している。

 

「さーてとっ、あの子はしっかりやってるかな?」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 場面は変わって、此度の主役となるスタジアムの会場。

 所狭しと埋め尽くされた席から、大勢の観客達が食い入るように一点を見つめていた。

 真円状に並んだ観客席に囲まれた、バトルフィールドに。

 

 そこでは、今まさにポケモンバトルが繰り広げられていた。

 

「ゴロンダ! アームハンマーだ!」

「ゴロオォッ!」

 

 こわもてポケモン、ゴロンダが雄たけびを上げながら大きな体躯に似合わぬ速度で猛然と駆ける。鉄の如き剛腕が白く輝き、目前に立つ相手に向かって風を切って振るわれる。

 

 決まったと誰もが確信した。

 が──

 

『おーっと! ポリゴンZのみがわりが発動したぁ! 』

「何ぃっ!?」

 

 実況の声が会場に響く。攻撃がヒットする直前、標的である対戦相手──ポリゴンZの身体にノイズが走り、その姿が一瞬にして消え去ったのだ。

 アームハンマーは空を切り、ゴロンダはそのまま前のめりになって大きく体勢を崩してしまう。

 

「──今だポリゴン! トライアタック!」

「ポリイィー!」

 

 宙に浮いていた本物のポリゴンZの鼻先から三色のエネルギー弾が放たれ、無防備なゴロンダの頭上へと一斉に降り注ぐ。眩い光が激しく点滅し、選手や観客達の視覚を刺激する。

 

「ゴッ、ロ……!」

「ゴ、ゴロンダッ!」

 

 全てのエネルギー弾をその身に受けたゴロンダは、ゆっくりとうつ伏せに倒れてバトルフィールドの土に顔を埋めた。ドシンッと地面が揺れ、土煙が舞い上がる。

 

「ゴロンダ、戦闘不能! ポリゴンZの勝ち! よって勝者、ナオト選手!」

『ナオト選手、やりました! 一回戦からこの準々決勝まで、一体もポケモンをダウンさせずの勝利です!』

 

 ワッと会場中から喝采が起こる。

 ナオトは傍にいたゾロアの姿のアイと共にバトルポジションを離れ、狂ったような動きで飛び込んできたポリゴンZを抱き留めた。

 

「よくやったな、ポリゴン!」

「ミャウ!」

「ポリポリポリポリ」

 

 

 

 

 

 歓声の雨を受けながらバトルフィールドを後にしたナオト。

 青い髪の少女に化けたアイを連れて、明日に続く試合の準備をしに行くためにスタジアムの選手専用通路を歩いていた。

 

 次はとうとう準決勝。

 そこからは、三対三のバトルではなく六体六のフルバトルとなるのだ。

 

「特に意識してたわけじゃないけど、ここまで交代はしても一体もやられずに勝ち上がってきたから、なんか変に期待されちゃってるみたいだな」

「ミャウミャ」

「……まあ、あのダークライ使いに比べれば大したことはないんだろうけど」

 

『──さあ、お待たせしました! 前人未踏の快進撃を続けているタクト選手の入場です! そして、対するはアローラ地方からやってきたイリマ選手──』

 

 通路に設置されたスピーカーから聞こえてくる実況に耳を傾けながら、呟く。

 どうやら、今日最後となる試合が始まったようである。ナオトが口にした、ダークライ使いの準々決勝戦だ。

 

 あんこくポケモン、ダークライ。幻と呼ばれるポケモンの内の一匹で、極めて強力な力を持った存在である。

 そのトレーナーであるタクトという選手は、一回戦からここまでそのダークライ一体で勝ち進んできた。間違いなくこのデルニエ大会で一番の注目株であり、そして最も警戒すべき相手だ。

 トーナメント表の配置から、ナオトが準決勝で彼と当たることはない。もしバトルすることになるとすれば、それは決勝戦である。

 

 自分に勝てるだろうか? そう考えるナオトの顔に懸念の色が浮かぶ。

 無意識の内に驕っていたのか、まだ準決勝戦を終えてもいないというのにナオトの頭の中はダークライ使いとのバトルのことで一杯になっていた。

 

「こらっ! せっかく勝ったってのに、なーに不安そうな顔してんの?」

 

 突然横から声をかけられ、ナオトはビクリと肩を揺らす。それは彼とアイにとっては少し懐かしい、聞き慣れた声であった。

 まさか、と振り向いた先に、帽子を被ったふんわりポニーテールの女性が立っていた。ナオトよりも頭一つ分背の高いその女性は、イタズラっ子のようなしたり顔を浮かべている。

 

「ト、トウコさん?」

「はい、トウコです。えへへ~、ナオ君ひっさしぶりぃ! アイちゃんも、元気してた?」

「ミャア!」

 

 片手を挙げてニッコリと挨拶するトウコという名の女性。パッと顔を明るくさせたアイが駆け寄ると、トウコは膝を折って飛び込んできた彼女を抱き留めた。

 

「ととっ、バトルの後だってのに元気一杯だねぇ。よぉしよし」

「トウコさん」

「お? ナオ君もハグして欲しい? いいよいいよ~、さあ来い!」

「ここ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど」

 

 素っ気ないナオトの返事に、両手を広げたまま「ズコォッ!」とずっこけるトウコ。

 

「ちょっと~、一年ぶりの再会なのにその塩対応はお姉さん泣いちゃうぞ?」

「いや、だって実際立ち入り禁止だし」

「大丈夫大丈夫。なんたってアタシ、イッシュのチャンピオンリーグマスターなんだから。タマランゼ会長やここのチャンピオンのカルネさんとも顔見知りだし、もち顔パスよ」

「元、だろ? 自分で返上したんじゃないか」

「細かいことは気にしない気にしない。ねー、アイちゃん」

「ミャ、ミャウ……」

 

 ナッハッハッハ、と豪快に笑うトウコ。

 そんな彼女に、ナオトは相変わらずだなと呆れながらも釣られて笑みを浮かべた。

 

 彼女──トウコは、ナオトが幼い頃にイッシュ地方の故郷から飛び出した先で行き倒れかけていたところを助けてくれた恩人で、そこからカロス地方に居を構えるまでずっと世話になっていた人である。

 そして、イッシュ地方の元チャンピオンリーグマスター。四天王を退け、チャンピオンのアデクを下して史上最年少で新チャンピオンに就任した経歴を持つ凄腕のトレーナーだ。

 とは言ってもチャンピオンだった期間は短く、まだピチピチの十代だからもっと世界を見て回りたい! と駄々をこねてチャンピオンの座をアデクに返上したのである。

 

 ナオトにとっては姉のような存在であると同時に師匠的存在でもあるが、トウコから直接何かを教わったことはあまりない。トウコ自身人に教えるのが苦手なのもあって、一緒に旅をしていく中でナオトが勝手に彼女からバトルのイロハを学んだのだ。

 

「それにしても明日はいよいよ準決勝か。それもここまで一体もポケモンをダウンさせずにでしょ? びっくりしちゃったよアタシ、あんなに小ちゃかったナオ君が立派にバトルしててさ」

「……いい加減子供扱いは止めて欲しいんだけど」

「ごめんごめん。とにかく、お姉さんは鼻が高いです。この調子で優勝まで頑張りなよ!」

 

 トウコはそう言いながら、ナオトの横に並んでその肩を抱く。白いインナーに包まれた確かな膨らみがナオトの二の腕に当たる。

 

「ちょっ、くっつくなって!」

「もー! ナオ君ったら相変わらずだなぁ。このくらいで恥ずかしがってたら彼女が出来た時大変だぞ?」

「そんなの作る予定もないし、いらないっての!」

 

 強引に離れようとするナオトを、「うりうりっ」とさらに抱き寄せるトウコ。

 いつものやり取りなのか、傍で眺めているアイは懐かしそうにしながらもちょっぴり頬を膨らませている。

 

「それで、今日はもう試合はないわけでしょ? 今から夕ご飯?」

「まあ、そのつもりだけど」

「じゃあ再会と準決勝進出を祝って一緒に食べましょー! 適当なお店でたっくさんテイクアウトしてさ!」

 

 トウコが溢れんばかりの笑顔を向ける。

 その待ってましたと言わんばかりの顔を見て、ナオトは察した。

 

「……まさか、それ目当てで来たんじゃないだろうな? 出場選手は飲み食いタダって特典を利用してバカ食いするつもりなんだろ」

「あ、バレた? いいじゃんいいじゃん! 世話になったお姉さんへの恩返しだと思ってさぁ! お願い!」

 

 そう言ってナオトから離れ、両手を合わせて懇願するトウコ。

 ナオトはジト目を向けていたが、やがて「はぁ」と溜息を吐いた。

 

「……まあどうせタダだし、分かったよ」

「よっしゃ! じゃあ早速美味そうなの片っ端からもらってこよっか! ほら、アイちゃん。いこいこ!」

「ミャウ!」

「あっ、おい! 待てって! 僕がいないとお金取られるだろ!」

 

 善は急げとアイの手を取って駆け出すトウコを、ナオトは慌てて追いかけるのであった。

 

 一人の青年が陰から覗いていたことも知らずに。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「んー! 美味い! これが全部タダって思うとさらに美味く感じちゃうんだなぁ!」

 

 出場選手に充てがわれた自由スペース。そこにテーブルを置いたナオト達は。大量に並べた料理に舌鼓を打っていた。

 もっとも、手を動かしているのはトウコだけで、ナオトとアイは既にげんなりとした様子で椅子に座り込んでいる。もはや食べ物を見るだけで吐き気を催しそうだ。

 

 そんなトウコはポテトを口に咥えながら、ナオトの傍で身体を休めているポケモン達に視線を送る。

 ブースター、ポリゴンZ、リオル、バンギラス。ゲンガーの姿が見えないが、彼は今食後のデザートを作るために施設の厨房を借りて調理中だ。

 

「一年の間に随分顔触れが増えたねぇ。アタシと初めて会った時はアイちゃんとゲンガーだけだったのに」

「当たり前だろ。一応リーグ出場目指して旅してたトレーナーなんだから」

「ま、そうだね。でもナオ君ったらモンスターボール投げるのも下手っぴだったからさぁ。何回アタシのお尻にぶつけたと思ってんの?」

「ぐっ! それを言うなよ……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で項垂れるナオト。

 運動神経の鈍い彼は当然のことながらボールを投げるのも苦手だった。それもあって、ゲットして連れているポケモンはこの六匹だけ。余所に預けているポケモンはいない。

 

 そういえば、とナオトは自分のポケモン達を一匹一匹見やる。 

 改めて思い返すと、みんな通常の方法──つまり、ボールを投げてゲットしたのではないことに気づく。

 

 ブースターはトレーナーに捨てられて一匹で彷徨っていたところを助ける形で。

 元のトレーナーがブースターに進化させた後でやっぱりサンダースに進化させたかったと駄々をこね始め、それに文句を返したら「じゃあお前なんかいらない」と放り出されたのである。

 人間への信用を失っていたことに加え、負けん気の強い性格が災いして最初の頃は苦労したが、今ではバトルの切り込み隊長を務めてくれている。

 

 ポリゴンZはナオトの使っていたパソコンにいつの間にか侵入していた。

 アイが彼から聞いた話によると、アキハバラ博士という人のもとで無理な実験の対象にされ続けていたところをネット回線を介して逃げてきたのだという。

 性格なのか過去に何かあったのか分からないが、何かある度に『ボクノセイダ、ボクノセイダ』と自分を責める傾向にある子らしい。

 

 リオルはシャラシティで出会ったシャラジムのジムリーダー・コルニから譲られたポケモンだ。

 元々リオルを二匹連れていたコルニ。パートナーとしている一匹はルカリオに進化したものの、片割れである彼が一向に進化する兆しを見せないのを悩みの種にしていた。彼は寡黙で人見知りな性格をしており、明朗活発なコルニは上手くコミュニケーションできずにいたのだ。

 そこへジムに挑戦しに来たナオトにリオルが進化する気がないんじゃないかと指摘され、家系の都合に加えて個人的にも進化に拘っている自分とよりもナオトと一緒にいた方がいいだろうと判断して託してくれたのである。

 

 そして最後に──バンギラス。

 

「しっかし、そのバンギラスはホント規格外の大きさだねえ。色違いのアイちゃんと同じで突然変異か何かなのかな?」

「さあ、分からないけど……」

 

 ナオトは唯一規格外の巨大さを誇るその山を見上げる。バンギラスは周りの邪魔にならないよう、その大きな体躯をできるだけ縮こませてスペースの隅に背を預けていた。

 彼はまだ生まれてもいないタマゴの頃にポケモンハンターに攫われてしまったのだが、トラックで崖道を移動している最中に事故で荷台から転げ出てしまったのだ。意図せずして逃げることができたわけだがそのまま崖を転がり落ちてしまい、このままでは割れてしまうというところを偶然鉢合わせたナオトがアイやゲンガー達と協力して助けたのである。

 

 通常のタマゴより数倍大きなタマゴからして予想はついていたが、生まれたヨーギラスは通常固体よりも巨大。幼体にしてゲンガーとほぼ同じ大きさであった。

 親がどこにいるか分からない以上一緒に連れて行くしかないと判断したナオトであったが、その手間のかかりようは大きさに比例した。やんちゃなヨーギラスをポケモン達総出で世話をしたのは今となっては良い思い出である。特にアイはタマゴから生まれたヨーギラスにいたく感動し、率先して世話を買って出ていた。

 

 そういうこともあって、さらに巨大なバンギラスに進化した今でもみんなにとっては子供のような存在なのだ。もっとも、進化してからは大人しさの方が目立つようになったので手間はあまりかからなくなったが。

 

「あら、トウコちゃん?」

 

 ナオトがそれぞれのポケモンとの出会いを思い浮かべていると、横から声がかかった。

 

 振り返った先にいたのは、華やかな白い衣装を纏った女性。

 そこに立っているだけで、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように思わせるような出で立ちをしていた。

 

「む、ぐっ。カルネさん! お久しぶりでーす!」

 

 トウコが口に詰まっていた物を飲み込み、その女性に片手を挙げて挨拶する。

  

「お久しぶりじゃないわよ、もう。来るなら来るって連絡くれればいいのに」

「すみませーん。ナオ君を驚かせたかったもので」

「……まあ、アナタの神出鬼没は今に始まったことじゃないわよね。アデクさんもそうだったけど」

 

 そう溜息混じりに零すと、カルネはトウコからナオトに視線を移す。

 

「こんばんは、ナオト君。準決勝進出おめでとう」

「あ、ど、どうも……」

 

 それだけ言葉を交わすと、ナオトがあまり人付き合いになれていないことを察したカルネは再びトウコの方に顔を向けて再び気安い会話を始めた。

 彼女ら二人の間に挟まれる形になったナオトは、気まずげにしながらもチラリとカルネを盗み見る。

 

(カルネさん……カロス地方のチャンピオンリーグマスターか)

 

 確か、このデルニエ大会の開会式でも演説していた。本来ならポケモンリーグの総本部であるカントー地方のタマランゼ会長が登壇するはずなのだが、彼自身高齢なためカロスやイッシュといった遠方でのリーグは彼女のようにチャンピオンがその役を担っている。

 また、彼女は女優も兼業しており、その有名さたるやカロス地方に住んでいる者なら知らない者はいないほどなのだという。

 

 以前メールで聞いた話によると、トウコはこのカルネと非公式ではあるがバトルをして勝利したことがあるらしい。相手はメガシンカという進化を超えた進化を扱うため相応に苦戦したようだが、それでも勝ってしまうところさすがである。

 バトルでは普段のおちゃらけた態度から一転して殺気丸出しになるトウコ。ナオトは未だに彼女に勝てる気が一片たりともしないでいた。

 

「ところで、貴方に紹介してもらったメイちゃんなんだけど……」

「あっ、そうそう! どうでしたあの子?」

「どうでしたも何も素晴らしかったわ! まだまだ演技に拙さはあるけど、彼女の言うメイっぱいの元気さと根気強さで十分カバーできてるもの。紹介してくれて本当にありがとう!」

 

 ナオトを挟んだまま彼の知らない話をし続ける二人。

 居心地の悪さに拍車がかかり、席を外そうかと考え始めるナオト。

 

「ゲンゲーン♪」

 

 そこへ、デザートのガトーショコラを作り終えたゲンガーがやってきた。

 

「おっ! 待ってました! ナオ君のゲンガーが作ったスイーツ久しぶりだなぁ!」

「え? そのゲンガー、スイーツが作れるの?」

「そうなんですよー。これが美味しくって! じゃ、いただきまーす!」

「ゲン♪」

 

 早速フォークを握って切り分けたショコラを口に運ぶトウコ。

 アンタ何でも美味しそうに食べるじゃないかと心の中でツッコミを入れるナオトは、ふとカルネの方を見やる。

 

 じ~っと、ゲンガーの作ったガトーショコラを見つめている。

 美味しそうに頬を膨らましているトウコへ向けて羨ましそうにチラチラと視線を寄越していた。

 

 そんな彼女を見たナオトはいつか読んだ雑誌の内容を思い出す。

 その雑誌によると、彼女は無類のスイーツ好きでよくお忍びで専門店を巡っていたりするらしい。

 

「……あの、良かったらどうぞ」

「え!? で、でも、他のポケモン達も食べるんでしょ? 私が食べちゃったらナオト君の分がなくなっちゃうんじゃないかしら?」

「いや、僕はもうお腹一杯なんで」

 

 遠慮しないてください、とナオト。

 カルネはもじもじと迷っているような素振りを見せつつも、目の前のスイーツの誘惑には勝てなかったのか、申し訳無さそうな顔で使われていないフォークを手に取った。

 

「あ、ありがとう。それじゃあ頂くわねっ」

 

 ショコラを一切れ小皿に取り、小さく分けてから口に入れる。大口を開けて一気に平らげたトウコとは天と地の差がある上品な食べ方だ。当のトウコは全く気にした様子もないが。

 

「ね? 美味しいでしょ?」

「んっ。ええ、そうね! とても美味しいわ」

 

 トウコに聞かれて笑顔で答えるカルネ。

 しかし、その笑顔は少しばかりぎこちない。確かに美味しかったのであろうが、彼女が通う専門店に比べたらやはり差があったのかもしれない。自分から物欲しそうにしていた手前、顔には出さないようにしているようだが。

 

「……あ、そうだ。メイちゃんをテスト撮影したビデオがあるんだけど、良かったら私の部屋に見に来ない?」

「ホント!? 見る見る! ナオ君も来ない? ほら、イッシュにいた頃ポケウッドで会った女優志望のメイちゃん! 覚えてるでしょ?」

 

 もちろん覚えているが、生憎ナオトは彼女ら二人に挟まれてカルネの部屋に行くほどの度胸は持ち合わせていなかった。ようするにヘタレである。

 

「……僕は遠慮しとくよ」

「そう? じゃ、アタシちょっと行ってくるね!」

 

 トウコは椅子から立ち上がり、食後の運動とばかりに軽快な足取りでカルネの後についていく。

 

「それじゃあナオト君。明日の準決勝、頑張ってね」

「あ、はい」

 

 そう言い残して、自由スペースを出て行くカルネとトウコ。

 

 二人を見送ったナオトは今まで息を止めていたのかというほど深い溜息を吐き出した。

 傍らに座るアイはそんな彼をジト目で見上げている。もうちょっと人付き合いに慣れなさいと言いたいのだろう。

 

「何だよその目は。お前の分のショコラ食べるぞ?」

「ミャッ!」

 

 ナオトの文句にすかさず自分の分のショコラを小皿に取って遠ざけるアイ。スイーツが別腹なのは彼女も変わらないようだ。

 それに苦笑しながら、ナオトはゲンガーに他のポケモン達に残りのショコラをあげるよう伝えようとする。

 

 

「──やあ、ちょっといいかな?」

 

 

 そこへ、ナオトに声をかける者が現れた。

 トウコと違って交友関係の狭いナオト。このリーグ会場で彼女以外自分に声をかけてくる者に心当たりがない彼は訝しげに声のした方を振り向く。

 

 振り向いた先にいたのは少し年上の男性。やはりナオトの知る人物ではない。

 いや、少し違う。知りはしないが、どこか見覚えがある顔ではあった。

 

「俺はソウマ。明日の準決勝で君とバトルするトレーナーだよ」

「準決勝? あ……」

 

 道理で見覚えがあるはずである。トーナメント表や出場選手プロフィールで何度も目に入れていたのだから。このまま夕飯を食べ終えたら彼について調べようとも思っていたのだ。

 

「一応挨拶しておこうと思ってさ。明日はよろしく頼むよ」

「あ、ああ。こちらこそ」

 

 差し出された右手を、ナオトは慌てて立ち上がって握る。ソウマと名乗ったその男の左手首には七色に光る石が嵌められた腕輪が着けられていた。

 

「俺、イッシュ地方から来たんだ。君は?」

「えっと……今はカロスに住んでるけど、僕も以前はイッシュにいたんだ」

「そうなのかい? 偶然だなぁ」

 

 同じイッシュ地方から来たトレーナーと分かったからか、ソウマの顔に笑みが浮かぶ。

 一方で、ナオトの彼に対する第一印象も悪くないものであった。知り合いならまだしも、そうでない対戦相手のもとへわざわざ挨拶しに来たのは彼が初めてだったからだ。

 

「……そういえば、その子は君の妹?」

「え?」

 

 ソウマの視線を辿ると、その先にはきょとんとした顔をしているアイ。

 少女の姿に化けている時のアイの髪色はナオトと同じ青。そのせいか、二人は兄妹と勘違いされることが多いのだ。

 

「まあ、うん。そうだけど」

 

 本当はゾロアなのだが、いちいち説明するのが面倒なので勘違いしている相手には勘違いさせたままにしておくことが常になっている。

 ちなみにだが、この対応の仕方をする度にアイはムッとした顔を浮かべる。出会った当初は少女の姿でも大してナオトと身長が変わらなかったので、妹扱いされるのが気に食わないのかもしれない。だったら大人の姿にでも化ければいいのにと思わないでもないが。

 

「へえ、俺にもスワマっていう弟がいるんだ。その子と同じで可愛いヤツでさ。まあ、兄貴同士仲良くやろうよ」

「……そ、そうだな」

 

 妙に馴れ馴れしく踏み込んでくるソウマに、ナオトはおずおずと不慣れながらも返事を返す。アイにあんな目で見られた以上、彼なりに頑張って上手くコミュニケーションしようとしているのだ。

 

「──ゲンゲン!」

「ん? ど、どうしたゲンガー」

 

 ナオトが自分からも何か話題を出さなければと考えあぐねていた矢先、ゲンガーが声をかけてきた。

 少しホッとしながらも振り返ると、彼はナオトのバッグから手の平大の端末を取り出して見せている。その端末はリーグ出場者向けに連絡用として配られたもので、それが通知を知らせるために振動していたのだ。

 

「ちょ、ちょっとごめん」

 

 ソウマに断りを入れて彼に背を向けたナオトは、ゲンガーのもとに駆け寄って端末を受け取る。アイもショコラを乗せた小皿を持ったまま、ナオトの後に続く。

 端末を見てみると、誰かから非通知の着信が届いてた。訝しげに思いつつも、とりあえず出てみようとナオトが端末を操作する。しかし、その途中でそれはプツリと切れてしまった。

 

「どうしたんだい?」

「いや、なんか非通知電話が来てたんだけど、切れちゃって……」

「ふ~ん、君に負けた相手がイタズラ電話でも仕掛けようとしたんじゃないかな?」

 

 ソウマの言葉に、ナオトはかもしれないと眉をしかめる。

 一回戦で当たった相手は粗暴な性格をした男で、年下のナオトのことを事あるごとに貶していた。もちろんストレート勝ちで返り討ちにしてやったが、その男が腹いせに仕掛けてきたという可能性はあるだろう。が、それにしては仕掛けるのが遅すぎる気がしないでもない。

 

「……おっと、それじゃあ俺はそろそろ部屋に戻らないといけないから。せっかくゲンガーが作ったデザートの邪魔をして悪かったね」

「え? い、いや。そんなことは……えっと、明日は悔いのないバトルをしような」

 

 立ち去りかけていたソウマは、ナオトの言葉にピタリと足を止める。

 

「……ああ。お互いにね」

 

 そう小さく返して、ソウマはスペースを出ていった。

 彼を見送ったナオトは自分で言った手前、明日のバトルのための準備をしなければと意気込み始める。

 

「さあ、早くデザート食べて僕達も部屋に戻ろう」

「ミャウ!」「ゲンゲラ♪」

 

 ナオトの言葉に頷いたアイが手元に持っていたショコラを口に含む。

 そして、ゲンガーがテーブルの上のショコラを小皿に切り分けてブースター、ポリゴンZ、リオル、バンギラスに配った。

 

「ブスタッ」

「ポリィ♪」

「ギラ……」

 

 美味しそうにショコラを食べるブースターとポリゴンZ、そしてバンギラス。バンギラスはその大きさ故少し物足りなさそうにしている。

 

「ゲンゲン」

「ギラ?」

 

 そんなバンギラスにゲンガーが自分の分を差し出すと、彼はいいの? とばかりに目を丸くする。おずおずと大きな手でそれを受け取るが、すぐには食べずチラチラとゲンガーとショコラを見比べるバンギラス。

 

「……ギラ」

 

 すると、バンギラスはおもむろに手に持ったショコラを半分に分け始めた。大きな爪を器用に使って切り、片方をゲンガーに渡す。半分こしようと言っているのだろう。

 

「ゲン? ……ゲンガァ♪」

「ギラァ」

 

 ゲンガーは嬉しそうにそれを受け取り、バンギラスと一緒に美味しそうにショコラを食べ始める。

 

「…………」

 

 しかしその横でリオルだけはなぜかショコラに手をつけず、しきりにソウマが立ち去っていった方向を気にしていた。

 

「? どうした、リオル。食べないのか?」

「……ルル」

「ポリッ!」

「ルッ!?」

 

 難しい顔をしているリオルの口に、ポリゴンZが無理やりショコラをぶち込んだ。喉に直接押しつけられ、そのままショコラをゴクリと飲み込んでしまうリオル。

 

「ポリポリ~♪」

「…………ッ」

 

 ニコニコ笑っているポリゴンZは世話を焼いた気でいるのだろう。

 だが、一方のリオルはどこか自棄になった表情を浮かべて、ただ静かに呆然とその場に立ち尽くしている。

 

 ナオトとアイは、そんなリオルに首を傾げるしかなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 日付は変わって、翌日の朝。

 昨晩、ナオトは遅くまで部屋に用意されたコンピューターで対戦相手であるソウマのポケモンや彼の戦法を見て戦略を練っていた。そのせいか、陽が昇っても起きる気配が全くない。

 だが、準決勝の試合は昼前。多少朝寝坊しても十分間に合う。さして問題ないはずであった。

 

 そう。問題なかったはずなのだ。

 

「ミャウッ! ミャウミャッ!」

 

 静かな寝息を立てるナオトを、アイが切羽詰まったような鳴き声を上げて揺すり起こす。

 彼女が起こしてくれることはいつものことだが、優しい彼女がこんなに乱暴に揺さぶることはない。ナオトは呻き声を漏らしながら瞼を開けた。

 

「う、ん……どうしたんだ? アイ」

「ミャウ!」

 

 ナオトが起きるや否や、アイはその手を両手で掴んでバルコニーへと彼を引っ張る。

 

「お、おい! 一体何──え?」

 

 アイに引っ張られるままバルコニーに出るナオト。

 寝ぼけ眼に陽の光が眩しく、ナオトの視界は一瞬遮られる。幾度かの瞬きの後、再び戻った彼の視界に映ったのは信じられない光景であった。

 

 

 ポケモン達が、苦しそうにもがきながらバルコニーに倒れていたのだ。

 ブースター。ポリゴンZ。リオル。バンギラス。皆一様に熱に浮かされるようにして床に這いつくばっている。

 

 

「ブースター! ポリゴン! リオル! バンギラス! どうしたんだ!?」

 

 まさしく死屍累々といった状況にナオトの眠気は一気に覚め、慌てて彼らに駆け寄る。

 一匹一匹様態を確認するが、ポケモンドクターでもないナオトの付け焼き刃の知識では症状や原因を掴むことはできない。

 

「ミャウ……」「ゲン……」

「アイ。それにゲンガーも。お前達は大丈夫なんだな?」

 

 ナオトの言葉に二匹は頷いて返す。

 アイが言うには、モンスターボールから出したら既にこの状態だったのだという。ナオトよりも少し早く起きることができた彼女は、ブースター達にもお日様の光を当ててあげようと考えたのだ。

 

 ところが、出してみればゲンガー以外この有様。

 その時のアイの心情を思うと、ナオトは唇を噛まずにはいられなかった。しかし、今一番苦しんでいるのはブースター達だ。

 

「ポリ……ポリ……」

「ミャウミャ」

 

 ポリゴンZが弱々しく何事か呟くと、アイが首を横に振って答えた。またいつものように『ボクノセイダ』と自分を責めていたのだろう。

 その隣で、リオルが顔を歪めている。その顔からは熱による苦しさとはまた違う、ポリゴンZと同じような後悔の色が見て取れた。

 

「ブゥ……」

「ギ、ラ……ッ」

 

 ブースターもバンギラスも今まで見たことないほど苦しんでいる。

 とにかく、早く何とかしないと……! そう考えるナオトだが、初めての状況に頭の中がパニックになって正常な判断ができないでいる。

 

「ナオく~ん、おはよ~。いやぁ、お姉さん久々にまともなベッドで寝たから寝坊しちゃって。ふわぁ……」 

「ミャウ!」

 

 そこへ、場違いな明るい声。

 ノックを省いて遠慮の欠片もなく部屋に入ってきた寝癖だらけのトウコ。そんな彼女を、アイがナオトの時と同じように引っ張ってくる。

 

「おっとと? どしたのアイちゃん──って、これは……」

 

 目の前の惨状を見て、さしものトウコも言葉を失う。

 

「トウコさんッ。朝起きたらこんな状況になってて──」

「何してんの!! 早くボールに戻してポケモンセンターに連れていきなさい! 急いでッ!」

 

 普段のトウコからは想像もつかないような鋭い叱責に、ナオトはハッとしてすぐさまベランダに転がっていたボールを拾い上げる。

 瀕死状態のブースター達に赤い光を当ててボールに戻し、脇目も振らず急いでポケモンセンターへと向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 スタジアム近くにあるポケモンセンターに駆け込んだナオト達。

 一体何事かといった表情で迎えたジョーイは、すぐに状況を把握してブースター達の治療を始めてくれた。

 

 治療が始まって二時間後。

 落ち着かない様子で待っていたナオトのもとに、処置を終えたジョーイが戻ってくる。

 

「ジョーイさん! ブースター達は……」

「とりあえず、なんとか危険な状態から脱することはできたわ」

 

 ジョーイから容態を聞いたナオトはホッと息を吐きかけるも、自責の念がそれを許さない。

 パニックを起こさずにいれば……いや、昨晩夜更かしなどしていなければ、もっと早くポケモンセンターに連れてくることができたのだ。

 

「でも、まだ油断はできない状態よ。とても強い毒に侵されてたんだから」

「毒ッ!?」

「ええ。もう少し遅かったら取り返しのつかないことになってたかもしれないわ」

 

 頷いて答えるジョーイ。思いもかけない症状に、ナオトは動揺を隠せない。

 

「それにしても、どうして……ナオト君、心当たりはある?」

「あるわけないじゃないですか! 毒なんて、そんな……」

 

 ジョーイの問いかけにナオトは狼狽して声を上げる。本当に心当たりがないのだから。

 

「それで、ジョーイさん。回復までどのくらいかかりそうなんですか?」

「……みんなよく鍛えられているから、回復のスピードは速いわ。それでも、少なくとも一日は様子を見ないと駄目ね」

 

 トウコが尋ねると、ジョーイはそう答えた。

 今日の準決勝戦の開始は一時間後。とてもじゃないが、試合には間に合いそうもない。

 

「そっか……ナオ君、どうするの?」

 

 トウコが何時になく真剣な眼差しでナオトに問いかける。棄権するか否か、そう尋ねているのだろう。

 他に預けているポケモンはいないし、それ以前に個々の試合は予め登録申請したポケモンしかバトルに出せない。

 

 準決勝戦からは六対六のフルバトル。

 しかし、まともにバトルできるのはアイとゲンガーだけ。

 決勝戦は明日の正午なので、この準決勝戦に勝ちさえすればどうにかなるかもしれない。だが、ナオトの気持ちは決まっていた。

 

「…………どうするって、そんなの決まってるだろ。こんな状態で試合なんか、できるわけ──」

 

 

 ──ドガンッッ!!

 

 

 その時、地響きを鳴らすほどの大きな音がナオトの言葉を遮った。同時にポケモンセンターの全体が大きく振動する。その地響きと振動は不規則なリズムで続いた。

 

「な、何かしら?」

「ナオ君! あれ!」

 

 トウコに言われ、彼女が指差す先──ポケモンセンターの中庭が覗く全面窓を見やるナオト。

 

「バ、バンギラスッ!?」

 

 そこにはいたのは、ナオトのバンギラス。

 バンギラスはその大きな身体を引きずるようにしてこちらに向かってきていた。その背中越しには派手に壊された壁。傍には必死な様子で引き留めようとしているプクリンの姿が見える。

 

 まるで山が動いているような光景。しかし、このままでは窓を割って入ってきかねない。慌てて中庭に出るナオト達。

 

「バンギラス、何やってるんだお前! 安静にしてなきゃ駄目じゃないか!」

「ミャア!」「ゲンゲンッ!」

「……ギ、ラ」

 

 駆けつけたナオトとアイ、ゲンガーが叱りつけるも、バンギラスは強い意思を持った目で反論するように彼らを見返した。

 

「バン、ギラス? どうしたんだ?」

「……この子、自分が他の三匹の分まで戦うって言ってるんじゃない?」

 

 少し後ろで同じようにバンギラスを見上げていたトウコが、そう呟く。

 ナオトは驚いて彼女を振り返り、次いでアイに顔を向ける。彼女は頷いて肯定を返した。

 

「駄目です! まだ毒が抜けきってないんですよ! それに、バイタルが基準値でないポケモンをバトルに出すことは……って、え!?」

 

 手元の端末を確認していたジョーイが仰天の声を漏らす。

 

「バイタルが基準値まで回復してる……まだ毒状態のはずなのに、なんて生命力なの」

 

 信じられないとばかりに開いた口を手で塞ぐジョーイ。

 何時になく奮い立っているバンギラスを呆然と見上げているナオトに、トウコが言葉を投げかける。

 

「バンギラスは、諦めたくないんだよ。みんなで頑張って勝ち進んだのに、こんなことで終わりにしたくないって……だから無理をしてまで君のもとに来た。ブースター達の無念を背負ってね」

 

 ナオト達に育てられてここまで成長してきたバンギラスだからこそ、彼らを思う気持ちは強い。それ故の不屈の意思であった。

 

「ナオ君。決めるのは君だよ」

 

 トウコの言葉が耳を通して頭に響く。

 不安の色が入り混じっていたナオトの目に光が戻った。

 

 バンギラスのトレーナーは自分だ。

 なら、彼だけに背負わせるわけにはいかない……!

 

 




過去編は早く終わらせたいので、後編は明日投稿します。

アニポケの新キャラでサクラギ博士とコハルというキャラが発表されましたね。
でも、コハルって名前の子はベストウィッシュにもいたような……まあいいか。同じ世界線とも限らないですし。

■トウコ
ポケットモンスターBWの女主人公がモデル。
ナオトの師匠的存在で、イッシュ地方の元チャンピオンリーグマスター。
ナオトの外見がBWのエリートトレーナーなので、ショタ化したナツキ君(観覧車イベントのアレ)とトウコが並んでいる姿を想像していただければと思います。
ベストウィッシュに出演して欲しかった。

■メイ
ポケットモンスターBW2の女主人公がモデル。
イッシュ地方のポケウッドで活躍する新米女優。
ベストウィッシュに出演して欲しかった。

■カルネ
カロス地方のチャンピオンリーグマスター。
短期間ではあるが同じくチャンピオンであったトウコとは顔馴染み。
トウコとカルネが絡んでる話なんて見たことないから正直どうかと思ったが、シロナとか他のチャンピオンは他のSSでよく見るのにカルネさんはあまり見ないので、まあいいかなと。

■ナオトのポリゴンZ
ネタ枠。
アニメに出れないなら、せめてSSには出してあげたかった。

■ナオトのリオル
ジムリーダー・コルニから譲渡されたポケモン。
ナオトがオレンジ諸島に連れて行かなかったポケモンを書くにあたって、適当なポケモンだと一切記憶に残りそうになかったのでゲーム原作イベント(コルニから進化系のルカリオをもらえる)を元にした。

■イリマ
アローラ地方出身のトレーナー。プリンスと呼ばれ、ファンが大勢いる。
アニメではカロスリーグに出場したことがあるらしいので、今作では準々決勝でダークライ使いに負けたという設定に。

■アキハバラ博士
無印編第38話「でんのうせんしポリゴン」に登場した科学者。アニポケではポケモン転送システムの開発者はマサキではなく彼になっている。
転送システムの障害を修復するため、自ら作り出したポリゴン初号機と共にサトシ達を電脳世界へと送り込んだ。
この第38話は世間を騒がせたポケモンショックで有名な回で、現在でも欠番扱いとなっている。当然ながらAmazonプライムビデオでも見れない。




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21. カロスリーグ・デルニエたいかい ② ▼

 場所は変わって、スタジアム会場。

 今日最初となる準決勝試合。その開始時間が刻一刻と迫る中、席を埋め尽くした観客達が固唾を飲んでバトルフィールドを見据えている。

 二対のバトルポジションの内、一方にはそこに立っているべき人物がいない。

 

『試合開始の時刻まで後ニ分を切りました。ソウマ選手は既にスタンバイが完了しておりますが、対戦相手となるナオト選手は未だ──あっ!』

 

 実況の声に誘われて、観客達の視線が動く。

 空いていたバトルポジションに、息を切らしたナオトが駆け込んできたのだ。

 

『来ました! ナオト選手です! 開始時刻ギリギリでやって来ました!』

 

 ナオトは多少ふらつきながらもバトルポジションに足を運ぶ。その様子を、対面に立つソウマがひどく驚いた様子で見ていた。

 

「はあ……はあ……遅れて、ごめん」

「あ、ああ。何かトラブルがあったんだろうけど、とにかく間に合って良かったよ」

 

 謝罪するナオトに、ソウマは気にしてないとばかりに笑みを返す。その笑みはどこかぎこちない形をしていたが、乱れた息を整えているナオトはそれに気づかない。

 

「ナオト選手。準備はいいですか?」

「っ……はい。大丈夫です」

「それでは、両者一体目のポケモンをお願いします」

 

 審判に問いかけられたナオトは膝に突いてた手を退け、頷いて答える。

 次いで促された通り、両者は先発のポケモンが入ったモンスターボールを手に取った。

 

「……頼むぞ!」

 

 小さく呟き、ナオトがボールを投げる。

 

「──ルルッ!」

 

 光と共に中から現れたのは、ポケモンセンターで治療中のはずのリオルであった。

 

「……リオルだって? まさか……ちっ、行け! シャンデラ!」

 

 何事か呟いたソウマが繰り出したのは、いざないポケモンのシャンデラ。シャンデリアを模したような無機物的な身体をした、ゴースト・ほのおタイプのポケモンだ。

 

 

「……それでは、試合開始!」

 

 

 両者が先発のポケモンを出したことを確認した審判が、両の手を上げて開始の宣言をした。

 

「先手必勝だ! スピードで撹乱しながら突っ込め!」

「ルッ!」

 

 ナオトの指示でリオルが地を蹴り、その小柄な身体を生かして矢のような速さで駆ける。フィールドの岩肌を利用して、浮遊しているシャンデラの周りを飛び交った。

 

「舐めないで欲しいな。そのくらいのスピードなら余裕で対応できる! シャンデラ! サイコキネシスだ!」

「シャン……!」

 

 シャンデラがそのつぶらな瞳を研ぎ澄ませ、エスパーエネルギーを自身の身体に集中させる。

 そして、頃合いを見計らって飛び込んできたリオルを返り討ちにせんとそのエネルギーを解き放った。

 

「──ッ!」

 

 真正面からサイコキネシスを受けたリオル。

 エスパ―タイプの技はかくとうタイプのリオルにはこうかばつぐんだ。それに今のはソウマから見て会心の一撃。急所に当たっていてもおかしくないはず。

 

 ──だが。

 

「な、何っ!?」

 

 当のリオルはサイコキネシスを受けても涼しい顔で微動だにしていなかった。そのままシャンデラの頭に張り付いて、寡黙な彼には似つかわしくないニマリとした笑みを浮かべている。

 

「今だアイ(・・)! ナイトバースト!」

「ミャアアッ!」

 

 その張り付いた状態で、ゼロ距離からのナイトバーストが炸裂する!

 

「デ、デラ、ララーッ!!」

 

 シャンデラは身体を振るって引き剥がそうとするがリオルはそれを許さない。

 やがて、シャンデラの糸が切れたように降下していき、乾いた音を立てて地面に落ちた。

 

「ミャッ」

 

 シャンデラから離れたリオルの姿が光に包まれる。青い被毛は灰色に染まり、二本足から四本足に変わる。瞬く間にその姿はゾロアのそれへ。

 そう、先ほどまでのリオルはアイがイリュージョンで化けていたものだったのだ。

 

「シャンデラ、戦闘不能! リオル──いや、ゾロアの勝ち!」

「よし! いいぞアイ!」

「ミャウ!」

 

 審判の勝利判定を受けてナオトがアイを労い、振り向いた彼女が笑みを返す。

 

「くそっ、すっかり忘れていた。ここに来てイリュージョンを使ってきたか」

 

 シャンデラをボールに戻したソウマは小さく悪態を吐く。昨晩での態度が嘘のように眉を歪めていた。

 あくタイプにエスパータイプの技は効かない。ナオトはここぞという時のため、これまでの試合でアイのイリュージョンをあえて使わずにいたのだ。

 

「……次はこいつだ。ガチゴラス!」

 

 再び投げられるボールと、フィールドに放たれる光。

 ナオトとアイはそれから目を逸らさず、鋭い眼差しで真っ直ぐに立ち向かう。

 

「……よし。このまま行くぞ! アイ!」

「ミャア!」

 

 その背を、この場にいないブースター達が押してくれた気がした。

 

 

 

 

 

「ゲ……ロッ」

「ガマゲロゲ、戦闘不能! ゲンガーの勝ち!」

 

 試合は進行し、ソウマの四匹目のポケモンに審判から敗北判定が言い渡される。

 ソウマはこれ見よがしに大きく舌打ちをし、頭にコブができた青いカエルのようなポケモン──ガマゲロゲをボールに戻した。

 

「ゲンガー! 大丈夫か!?」「ミャウ!」

「ゲンゲラッ!」

 

 ナオトの心配する声に、ゲンガーは手を振って笑みと共に答える。

 しかし、その身体はボロボロ。無理をしているのは誰が見ても明らかであった。

 

『ナオト選手、またしても勝利! しかし、ゲンガーは既に限界が近いようです!』

 

 アイはシャンデラの次に出されたガチゴラスを続けて倒すことができたが、三匹目のジバコイルで惜しくもダウンしてしまった。今はナオトの足元で身体を休めながらも一緒にゲンガーを応援している。

 そして、そのジバコイルは交代したゲンガーが倒し、次いで繰り出されたガマゲロゲもこうして何とか退けることができたのである。

 

「……くそ、くそっ! おかしいだろっ! なんでたかが二匹のポケモンに四匹もやられちまうんだよ……!」

 

 ソウマは地面を踏みつけ、憎々しげにそう小さく吐き捨てながらナオト達を睨みつけた。

 

(何だ……? 昨日は猫を被ってたのか?)

 

 視線を感じたナオトは昨日とはまるで顔つきの違うソウマを見て首を傾げる。

 

「……だが、この勝負は俺の勝ちだ。そう決まってるんだからな」

 

 そう呟いて口角を上げ、ソウマは次のポケモンを出すべくモンスターボールを取り出して投げた。

 

「やれ! クチート!」

「チィ!」

 

 出てきたのはあざむきポケモン、クチート。

 頭に生えた大きな顎は角が変形したもので、背を向ける形でゲンガーにその顎の牙を向けている。そして、その首に七色に光る石が嵌った首輪。

 

「クチートか……」

「ナオト選手。ポケモンの交代は?」

「しません。このままゲンガーで行きます」

 

 クチートははがね・フェアリータイプ。ブースターがいればほのおタイプの技で弱点を突くことができるが、肝心の彼は今ここにいない。

 連続三戦目だが、このままゲンガーに頑張ってもらうしかない。

 

『ナオト選手! このままゲンガーを続投させるようです! これまでの試合では交代を頻繁に行っていた彼ですが、今回はどういうわけか一度も交代をしていません! 何か作戦があるのでしょうか!?』

 

 何も知らない実況の声を煩わしく思いながらも、ナオトはゲンガーに指示を出す。

 

「ゲンガー。長引いたらお前が持たない。速攻で決めるぞ」

「ゲンッ」

「よし。シャドーボールだ!」

「ゲラアァ!!」

 

 ナオトの指示を受けて、ゲンガーが両手から生み出した黒い塊を回転を加えるようにして放った。疲弊している者が放ったとは思えないほどのスピードで、シャドーボールがクチート目掛けて飛んでいく。

 

「クチート、避け──」

 

 ソウマが避けるよう指示を出そうとした瞬間、一直線に飛んできたゲンガーのシャドーボールが急に落ちた(・・・)。フォークボールだ。

 

「何ぃ!?」

「クチッ!?」

 

 シャドーボールはクチートの目の前で地面に衝突し、視界を塞ぐほどの土埃を舞い上がらせる。土が目に入ってしまったのか、クチートはきつく瞼を閉じて手で擦り始めた。

 

「行け! きあいパンチ!」

「ゲン、ガアァーッ!」

 

 怯んでいるクチートの隙を狙い、パワーを集中させた拳を携えたゲンガーが土埃を突き破って飛び出す。その光り輝く拳が、クチートに振るわれる。

 

 ──その瞬間、ソウマがニヤリと口端を歪めた。

 

「クチート! ふいうちだ!」

「ク、チィッ!」

「ゲッ!?」

 

 クチートに攻撃を仕掛けていたゲンガーを横から黒い何かが襲いかかった。

 それはクチートの頭から生えた顎。それが伸びて牙を向き、死角から攻撃してきたのだ。

 吹き飛ばされ、地面を数度跳ねて突っ伏すゲンガー。

 

「ゲンガー! しっかりしろ!」「ミャア!」

「ゲ、ン……」

 

 ナオトとアイの呼びかけに応え、ゲンガーは震える身体に鞭打ち、起き上がる。

 

「ゲンッ、ガ──」

 

 ──が、立ち上がれたのはごく僅かの間。

 ナオトに笑みを返そうとして振り向いたゲンガーであったが、既に限界を迎えていた彼の膝はガクッと折れ、再びうつ伏せに倒れてしまった。

 

「ゲ、ゲンガー!」

「ゲンガー、戦闘不能! クチートの勝ち!」

 

 大きく沸く観客達。

 これまでの試合で一匹もポケモンをダウンさせなかったナオトが、二匹も落とされてしまったのだ。加えて、観客達はなぜか頑なに交代をしようとしない彼に首を傾げ、不審感を募らせる。

 自然と、応援の声はソウマの方へと集中していった。

 

「……ありがとう、ゲンガー。ゆっくり休んでくれ」

 

 ゲンガーをボールに戻し、労いの言葉をかけるナオト。

 そして、次のポケモンを出すべくベルトに残された最後のモンスターボールを手に取る。

 

 ……しかし、ナオトは躊躇いの表情を浮かべてボールを握ったまま投げることができない。

 中に入っているポケモン──バンギラスは、未だ毒が抜けきっていない状態なのだ。

 

「ナオト選手、思考時間は一分までです。早く次のポケモンを」

「は、はいっ」

 

 審判に促され、ナオトは覚悟を決めるように目を閉じて深呼吸する。

 不安そうなアイの視線を感じながら、再びボールを握り直す。

 

「……頼んだぞ! バンギラス!」

 

 背中を押すようにして、ボールをフィールド目掛けて放り投げた。

 ポンッという音と共にボールが開き、光が放出される。その光は瞬く間に膨れ上がり、見上げるほど大きな巨影へと変化していく。

 その巨影はバトルフィールドへ地面を踏み抜かんばかりの勢いで降り立ち、会場全体を揺らした。

 

『出ました! これまでの試合でも猛威を奮ったナオト選手のエースポケモン、バンギラスです! その規格外の大きさも相まって、まさに怪物級のポテンシャルを誇るポケモンだ!』

 

 実況の熱が籠もった声が観客達の耳を打つ。

 この大会においてバンギラスの初の顔出しとなったのは二回戦目。その試合は彼だけでストレート勝ちしてみせたのだ。そのこともあって、注目度は要注意対象であるタクトのダークライにも並ぶ。

 

「ギ、ラ……ッ!」

 

 だが、バンギラスは地面に降り立ってすぐその場に片膝を突いてしまった。

 

「バンギラス!」「ミャウミャ!」

 

 ナオトとアイの悲痛な叫びがバトルフィールドに響く。

 膝を突いているバンギラスの顔は青褪め、大きくて分かりにくいがその身体は今にも倒れそうなほどフラフラと揺らいでいる。

 

『おおっとっ! ど、どういうことでしょうか!? ナオト選手のバンギラス、何やら体調が悪そうだぞ!』

 

 動揺の混じった実況の声。

 そして、バンギラスの状態を見て騒然とし始める観客達。

 

「おいおい。あのバンギラス、何もしてないのにもうぶっ倒れそうじゃん」

「あんな状態でバトルに出すなんて……」

「何考えてんだあのトレーナーは?」

 

 事情を知らない観客達は思い思いの言葉を呟き、侮蔑と憤りの込めた視線をナオトへ向ける。

 ポケモンセンターの治療設備から抜け出して一時間、モンスターボールの中でバンギラスの体力は穴の空いた桶から水が抜け出るようにして徐々に減り続けていたのだ。

 

「ナオト選手、こんな状態ではバトルになりません! 他のポケモンを出してください!」

「いや、他のポケモンは……」

 

 審判の命令にナオトは何とか弁解しようと口を開くが……

 

 

「──審判さん、無駄ですよ。どうせ他のポケモンも同じ状態でしょうから」

 

 

 その時、横から嘲笑の混じった声がナオトの耳を貫いた

 向かい側のバトルポジションに立つソウマが、これ以上ないくらいの薄ら笑いを浮かべてナオトの方を見ていたのだ。

 

「どういうことですか? ソウマ選手」

「言葉通りですよ。そうだろ? ナオト君」

 

 同意を求められ、眉をひそめながらも答えるナオト。

 

「そう、だけど。どうしてそれを…………ッ!」

 

 ナオトの中で一つの疑惑が思い浮かぶ。

 

 毒に侵された原因。可能性があるとしたら、それは昨夜食べたポケモンフーズとゲンガーの作ったガトーショコラ。しかし、ポケモンフーズはナオトが自分なりに頑張ってブレンドした物。そして、ゲンガーが毒を入れるなんてことはありえない。

 

 でも、あの時。

 不審な非通知の電話があって背を向けたあの時、もしかしたら──

 

「簡単さ。ここまでのバトルで君には交代すれば有利になるはずの場面がいくつもあった」

 

 ガチゴラスとジバコイルの時はリオルを、ガマゲロゲの時はゲンガーよりポリゴンZの方が。そして、クチートにはブースターを出せばバトルを有利に進めることができたはず。

 

「なのに、君は一切交代をしなかった……いや、できなかったんだ。もしブースター達もそのバンギラスと同じ状態なら、交代なんてできるわけないからね」

「……ッ!」

 

 ソウマはそう断言する。

 それは推測によるものか、それとも初めから知っていたのか、疑惑は確信には至らない。

 

「ナオト選手、そうなのですか?」

「…………はい」

 

 ソウマの言うことが事実であるため、審判の問いかけにナオトは首を縦に振らざるを得ない。

 

「そうですか……ナオト選手、残念ですがこの試合は──」

「ギラァッ!」

 

 ナオトに敗北を言い渡そうとした審判であったが、その言葉はバンギラスの鳴き声に遮られた。

 

 首を振り向かせ、バンギラスがナオトに目を寄越す。その目から、自分はやれるという懸命な思いがひしひしと伝わってくる。

 そんな目を向けられたら、このまま終わりになんてできない。

 

「……審判さん、僕のバンギラスは伊達じゃありません。お願いします! バトルを続けさせてください!」

「ミャウッ! ミャウミャ!」

「…………」

 

 ナオトとアイ、バンギラスの強い意思を受けて、審判は迷うような素振りを見せる。

 しばし迷い、やがて小さな溜息と共にこくりと頷いた。

 

「……分かりました。しかし、これ以上は駄目だと判断した場合はすぐに試合を終了させますからね」

「ッ! ありがとうございます!」

 

 ナオトは破顔して審判に頭を下げ、再び頷いた審判は指定の立ち位置へと戻っていく。一方で、向かいに立つソウマはチッと小さく舌打ちをした。

 

 毒状態のバンギラスは長く持たないだろう。先ほどのゲンガーと同じく、速攻で決めなくてはならない。相手のクチートのふいうちは厄介ではあるが、バンギラスならば耐えてくれはずだ。

 そう考えたナオトはバンギラスに声かけしようと口を開きかけた。しかし、その前にソウマの気怠げな声が耳に届く。

 

「はぁ……ま、死に体のバンギラスを倒すなんて訳ないからいいけどさ。でも、一体どんな管理してたらそんな状態になるんだか。何か悪い物でも食べさせたんじゃないの? 例えば──」

 

 

「──ガトーショコラとか、さ」

 

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、ナオトの目が見開かれる。

 口にしたソウマの顔はこれでもかと嫌味たらしく、そして愉快そうに歪んでいた。

 

 やはり毒を仕込んだのは彼だったのだ。

 恐らく、あの非通知の電話も。

 

 ナオトの脳裏に苦しそうに床に這いつくばるブースター達の姿が映る。

 視界が怒りで赤く染まり、身体中の産毛が逆立つ。胸の動悸がうるさいほどに耳を打ち、観客達の歓声を遠くへ追いやった。 

 

 沸騰するように湧き上がったその感情はその身に留まらず、強い繋がりを持った者達に伝達していく。

 

 

 

 ソウマは溜息を吐きながらも、向かい側に立つバンギラスとその背から覗くナオトを見やった。

 

(どうせ負けは確定してるのにしつこい奴だな……)

 

 ゲンガーのガトーショコラに遅効性の毒を仕込んだ後、ソウマは誰がショコラを食べたかを確認していなかった。

 これまでの試合で出ていたゾロアの姿が見当たらなかったのは気掛かりではあったが、カルネとの会話を盗み聞きしていた彼はポケモン達全員が食べるだろうと踏んでいたのだ。

 

 そうなれば、残るのはどくタイプ故に毒が効かないゲンガーだけ。ソウマはそれでナオトが試合を棄権すると予想していた。

 だから、試合の場に彼が現れ、さらにはリオルを出してきた時は目を剥いた。

 

 が、蓋を開けてみれば正体はあの時いなかったゾロア。

 そのゾロアとゲンガーに手持ちが四匹もやられてしまったことは想定外であったが、ここに来てようやく巻き返すことができる。

 

「それでは……試合再開!」

「楽にさせてやるよ! クチート、メガシンカ!」

 

 位置についた審判によって再開が宣言されると同時に、ソウマが左手首に着けた腕輪に手をかざす。すると、その腕輪の石とクチートの首輪の石が共鳴するように七色に光り始めた。

 

「クゥチィィーーッ!!」

 

 光に包まれたクチートの身体が変化していく。頭から生えた顎は二股に分かれ、その装いは一気に華やかとなる。

 

『おおっと! ソウマ選手、ここでクチートをメガシンカさせましたぁ!』

 

 メガシンカ。チャンピオンマスターのカルネも使う進化を超えた進化。

 ソウマとて汚い手を使いはするがバッジを集めて準決勝まで勝ち進んだ男。曲がりなりにもメガシンカを会得するだけの実力は有していた。

 

「行け、クチート! きあいパンチだ!」

「クチィ!」

 

 命令されたメガクチートが地面を蹴って飛び出す。メガシンカによるブーストが加わったそのスピードは圧倒的で、一気にバンギラスへと肉薄していった。

 

 が、しかし──

 

「チッ!?」

 

 懐に飛び込んできたメガクチートの身体を、バンギラスの大きな手が鷲掴みにしたのだ。

 

「なっ!?」

「ク、クチィ……ッ」

 

 メガクチートは必死で脱出すべくもがこうとするが、握りつぶされんばかりの凄まじい握力によって全く身動きが取れない。

 

「……バンギラス、ストーンエッジ」

 

 ナオトの指示を受けてバンギラスが無言のままエネルギーを地面に流し、自分の目の前に岩の槍を出現させる。

 

「──ッ!」

 

 そして、握りしめたままのメガクチートをその突き出た岩目掛けて叩きつけた!

 

「グッ──!?」

 

 規格外の腕力で背中から岩の槍に叩きつけれ、くの字に曲がるメガクチート。

 命中率100%のストーンエッジ。メガシンカによるブーストを物ともしないその急所への衝撃に、一瞬にして意識を削ぎ取られる。

 

「メガトンパンチ……!」

 

 続けて出される指示。

 バンギラスはぐたりと力なく五体を垂らしているメガクチートを持ち上げて放り投げ、宙を舞う無防備な標的にメガトンパンチを一撃ッ!

 吹き飛ばされたメガクチートは弾丸となってソウマの横を通り過ぎ、会場の壁に勢い良くめり込んだ。

 

「クチートッ!!」

 

 ソウマの声などもはや聞こえはしない。

 メガシンカが解けて完全に沈黙したクチート。もはやボロ切れにしか見えないそれは、壁から剥がれてうつ伏せに倒れた。

 

「ク、クチート、戦闘不能! バンギラスの勝ち!」

『こ、これは……なんという』

 

 審判の動揺の混じった勝利宣言と、言葉を失う実況。

 無理もない。メガシンカした相手を、今にも倒れそうなほど弱っている状態にも関わらずほぼ一瞬の内に沈めたのだ。観客達も歓声よりもどよめきの声の方が大きい。

 

「そ、そんな……くっ! ま、まだだ! 行け、ヒヒダルマ!」

「ダルゥ!」

 

 クチートをボールに戻すことも忘れて、ソウマは最後のポケモンであるヒヒダルマを繰り出す。

 えんじょうポケモン、ヒヒダルマはその名の通り達磨のような身体をしている。体内の炎袋を加熱させることでダンプカーを破壊するほどのパワーを生み出す事ができるポケモンだ。

 

「ヒヒダルマ! きあいだまだ!」

「ダ、ルッ!」

 

 先ほどの反省を活かし、今度は近づかず遠距離からの攻撃を選んだソウマ。

 ヒヒダルマは両手を構え、ボール大のエネルギー弾をバンギラス目掛けて放った。

 

「バンギラス!」

「──ッ!!」

 

 しかし、バンギラスはその巨体に似合わぬ俊敏な動きで回転し、飛んできたきあいだまを尻尾で弾き返した。

 

「ヒ、イイッ!?」

 

 トンボ返りしてきたきあいだまが顔面に直撃し、もんどり打つヒヒダルマ。

 

「ストーンエッジ!」

「ラアァッ!」

 

 体勢を崩しているヒヒダルマを狙って、間髪入れずストーンエッジを指示するナオト。

 バンギラスが抉るようにして片腕を振り上げると、ヒヒダルマの真下の地面から岩の槍が突き出た。

 

「ヒ、ガッ──!」

 

 槍に打ち上げられるヒヒダルマ。それを追って見上げる審判と観客達。

 そこには、信じられない光景があった。

 

 宙を飛ぶヒヒダルマの上に、いつの間にかバンギラスがいたのだ。

 太陽を覆い隠すその巨大な影に覆われながら、ヒヒダルマは目を見開く。

 

 彼が放ったストーンエッジはヒヒダルマに向けたものだけではなかった。自分の足元にももう一つ生成し、突き出てきた槍の勢いを利用して飛び上がったのである。

 

 

「終わりだ! ギガインパクトォッ!!」

 

 

 怒りを吐き出すようなナオトの叫びが、木霊する。

 

「ギラアアアァァーーッ!!」

 

 バンギラスの身体から膨大なパワーが溢れ出し、それが光となってその身を包む。

 巨大なエネルギーの塊となった彼は、そのまま重力に従って眼下のヒヒダルマを押し潰さんとする!

 

「ヒヒダルマ! ダルマモードだ!」

「ダ、ダルゥッ!」

 

 咄嗟にヒヒダルマに命令するソウマ。

 ヒヒダルマはピンチになると自分の身を守るためにフォルムチェンジすることができる。ダルマモードとなった彼は、通常時から一転して防御に特化した身体となるのだ。

 

 

「────ッ!!」

 

 

 が、無意味。

 ただでさえ強力な威力を誇るギガインパクト。ダルマモードとなったヒヒダルマの防御を持ってしても、重力による落下の勢いを加えたその攻撃の凄まじさを防ぐことは叶わなかった。

 

 彗星となったバンギラスは、ヒヒダルマごとバトルフィールドへと墜落する。

 バトルフィールド全体が崩れんばかりの衝撃が広がり、視界を埋め尽くさんばかりの土煙が舞い上がった。

 

「……………………」

 

 しんっ……と静まり返る会場。

 観客達は皆、目の前で繰り広げられた壮絶な光景に茫然自失となっているのだ。

 

 彼らが固唾を飲んで見守る中、土煙がゆっくりと晴れていく。

 そこには、静かに佇む巨大な影──バンギラスと、力なく横たわるヒヒダルマの姿があった。

 

 

「……ヒ、ヒヒダルマ、戦闘不能! バンギラスの勝ち! よって勝者、ナオト選手!」

 

 

 審判によってナオトの勝利が告げられる。

 

『こ、これは驚きです! ナオト選手、絶不調のバンギラスでソウマ選手の残りポケモンを一掃してしまいました!』

 

 実況の声に我に返った観客達は顔を見合わせ、疎らに歓声を上げ始めた。

 当然ながら、その声には戸惑いと恐れが混じっている。バトルというより蹂躙といった方が良いような光景を見せつけられたのだから。

 

「そ、そんな……嘘だろ?」

 

 圧倒的有利な状況で大敗北を喫したソウマは、胡乱げな目で呆然と目の前の惨状を見つめている。

 一方で、深呼吸をして心を落ち着かせるナオト。未だ胸の内で燻っている怒りを、ソウマに勝利したことでひとまず抑えることができたのだ。

 

「ミャア……」

 

 やりすぎたのではないかと不安げな顔で見上げるアイ。元々バトルがあまり好きでなかった彼女がそう感じるのも仕方ない。

 しかし、今回に関しては相手の因果応報。ナオトは相手のポケモン達には悪いと思ったが、ソウマに対しては同じ気持ちは微塵も感じていなった。

 

 とにもかくにも、これで終わったのだ。

 決勝戦は明日の晩。それまでにはブースター達も回復するであろう。

 

「……よし。戻れ、バンギラ──」

 

 ナオトは安堵の思いと共にモンスターボールを手に取り、バンギラスに向けようとする。

 

 

 

「ギラア゛ア゛アァァーーーッッ!!!」

 

 

 

 その時、バンギラスが雄叫びを上げた。

 

「バ、バンギラス……?」

 

 何事かと思っている内に、バンギラスはナオトの指示もなく行動を起こす。

 目の前で意識を失って倒れているヒヒダルマを、その強靭な脚で踏みつけ始めたのだ。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

「なっ、お、おい! やめろッ!!」

 

 ソウマの声が響くが、聞く耳を持たない。

 踏みつける度に地面が激しく揺れる。ヒヒダルマの身体は、もはや土に埋もれて見えなくなてしまっていた。

 

「──ラァッ!!」

 

 その土ごと、ヒヒダルマを蹴り上げるバンギラス。

 ボロ雑巾のような姿に変わり果てたヒヒダルマの身体が掘り起こされ、地面を転がっていく。

 

「…………ッ!」

 

 それをさらに追撃せんと、バンギラスの身体が光に包まれ始める。

 ギガインパクト。あの攻撃を再びヒヒダルマにぶつけようとしているのだ。

 しかし、虫の息状態のヒヒダルマにそんなことをしたら確実に死んでしまう。

 

「いけない! ナオト選手! バンギラスを止めてください!」

「ミャウッ!」

 

 審判が叫ぶが、突然暴れ始めたバンギラスを見て茫然自失となっているナオトの耳には届かない。アイも必死に声をかけて服を引っ張るが、反応せず。

 

 地鳴りと共に、光が強まっていく──

 

 

 

「──ナオトッ! 早くバンギラスをボールに戻しなさい!!」

 

 

 

 トウコの声が、一際大きく響き渡る。

 その声にハッと我に返ったナオトは、すぐさまモンスターボールをバンギラスに向け直す。

 

「も、戻れ! バンギラス!」

 

 ボールから赤い光が放たれ、今まさにギガインパクトが発動しようとしていたバンギラスの身を包む。その巨躯はあっという間に小さくなり、ボールに収まった。

 

「……なっ、あ……」

 

 口を開け、その場に尻もちを突くソウマ。その脚は子鹿のように震えている。

 観客席からは恐れのあまり泣き出してしまう子供まで出始めている。会場はまさに阿鼻叫喚の絵面と化していた。

 

「早く救護班を!」

「は、はい!」

 

 控えていたスタッフにそう要請する審判。

 すぐに救護班がプクリンを連れて駆けつけ、クチートとヒヒダルマの救護を開始する。

 

「…………」

 

 観客席から身を乗り出していたトウコは、周りの騒ぎ声を聞き流しながらその様子をしばし見つめる。次いで、ナオトの方にチラリと目を向けた。

 彼はボールを持った手を力なく下げたまま、呆然と立ち尽くしている。

 

 その姿は、いつもの頼りなくて不器用な姿よりも、もっとずっと──小さく見えた。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 時は過ぎて、あの凄惨な事件からしばらくの時が流れた。

 

 カロス地方の代表的都市、ミアレシティのカフェ・ソレイユ。

 そこのテラス席に座るトウコ。彼女はミルクティーに口をつけながら、何やら落ち着きない様子でキョロキョロと辺りを見回していた。

 

「──トウコちゃん」

 

 そんな彼女へ、声をかける者が一人。

 

「ッ、カルネさん! も~、遅いですよぉ」

「ごめんなさい。撮影が思ったより長引いちゃって」

 

 その声の主──カルネはそう苦笑混じりに謝りながらサングラスを外し、トウコの向かいの席に座る。

 

「はぁ……アタシこんなオシャレなお店入ったことないから妙に緊張しちゃって。待ち合わせならハンバーガー屋とかにしてくれれば良かったのに」

「トウコちゃん。ジャンクフードばかり食べてたら健康に悪いわよ? それに、せっかくそんな綺麗なスタイルしてるのに」

「アタシは食べても太らないし頑丈だから問題ないのです! カルネさんこそ隠れて甘いモノ食べてるくせにぃ!」

「そ、それは……問題ないわ。たまに食べてるだけですもの」

 

 そんな他愛ない会話を交わす二人。その二人のもとへ、店内から女性の給仕が歩み寄る。

 

「カルネ様、いらっしゃいませ」

「こんにちは。私にも彼女と同じモノを頂戴」

「新作のスイーツがございますが、そちらはいかがなさいますか?」

「…………そ、そうね。せっかくだし、頂こうかしら。彼女にもお願いね」

「かしこまりました」

 

 カルネと顔馴染みなのか、給仕は笑みを浮かべながら店内へと戻っていく。

 

「……たまにしか食べないんじゃなかったんですかねぇ?」

「きょ、今日がそのたまの日なの! 貴方の分も頼んであげたんだからいいでしょう!」

「えへへ~、ゴチになりまーす」

 

 意地悪げに笑うトウコ。

 カルネは「コホンッ」と一つ咳払いして話題を変える。

 

「……それで、ナオト君は無事に旅立ったの?」

「うん。まあ、渋々ですけど。あ、クルーズ船のチケット、ありがとうございます」

「いいのよ。私には利用する時間がないし、無用の長物だもの」

 

 話を続けながら、先に届いたミルクティーに口をつけるカルネ。

 

 あの事件の後、ナオトはリーグ責任者側から問題を起こしたバンギラスを出場させない代わりに決勝戦進出を認められた。しかし、結局彼は決勝戦の舞台に姿を現さなかったのだ。

 また、彼に大怪我を負わされたソウマのポケモンについてだが、クチートはなんとか回復することができたようである。一方でヒヒダルマの方はダメージが大きく、回復できても二度とバトルすることはできないだろうと診断されたらしい。

 

「けれど、貴方がどうにかすることはできなかったの? 一応弟子なんでしょう?」

「アタシじゃ無理ですよ。人に何か教えるのって得意じゃないですし、それにナオ君は別に弟子ってわけじゃないですから」

 

 本人から事情を聞いているトウコは、試合当日にバンギラスが暴れたのはナオトの怒りが伝播したせいだと推測している。恐らく、ナオトもそのことには気づいているだろう。しかし、バンギラスはそれ以降も暴走を続けた。既にナオトの怒りは収まっているはずなのにだ。

 カップからテーブルに置き、まるで自身の力不足を悔やむように乾いた笑いを零すトウコ。

 

「……なんとなくですけど、あのバンギラスをどうにかするにはナオ君の全力を受け止めてくれる相手が必要なんだと思うんです。アタシやカルネさん以外で」

 

 ナオトはバトルでトウコに勝ったことがない。そして、トウコはあのバンギラス相手でも勝てる自信を持っているし、ナオトもそれを感じ取っている。

 故に彼は最初から負けるという気持ちを無意識の内に持ってしまい、本当の意味で自身の全力をぶつけることができないのだ。

 

「なるほどね……あのバンギラスを受け止めてくれる相手、か」

 

 カルネとてチャンピオンリーグマスター。あのバンギラスに負けるつもりはないし、ナオトもチャンピオンに勝てると思うほど自惚れていないだろう。

 しかし、難しい話だ。その相手はナオトが少なくとも勝てると思えるような相手でないといけないのだから。あのバンギラスを相手するのは、ナオトよりも実力が上でないと厳しいというのに。それでもなお戦ってくれる、強くて固い意志の相手が果たしているのだろうか?

 

「うん。でも、それだけじゃ駄目。ただでさえバトルを避けるようになっちゃったから、バトルする理由もないと」

「バトルする理由?」

「そ。カルネさん、何かない?」

 

 トウコの問いかけに、カルネは「う~ん……」とミルクティーをマドラーでかき混ぜながら考える。

 

「ガールフレンドとかできたら、バトルする理由が生まれるんじゃないかしら?」

「ええっ!? あのナオ君にガールフレンドができるかどうかは置いといて、それでバトルしようと思うのかなぁ」

「分からないわよ? ああいうシャイで奥手な子に限って、いざという時は大切な子のために人一倍頑張るんだから。ま、恋愛に興味がないトウコちゃんには難しいか」

「ムッ……いいんですゥ! アタシはバトルが恋人ですから!」

 

 憤慨しながら残りのミルクティーを呷るトウコ。

 そこへ、給仕が頼んだスイーツを持ってやってきた。

 

「お待たせいたしました。ごゆっくり」

「ありがとう。それじゃ、頂きましょうか」

「はーい」

 

 小振りのスプーンを上品に扱い、美味しそうにスイーツを口に含むカルネ。こういう時だけ彼女は子供のような表情を見せる。

 そんな彼女にこっそり笑みを浮かべながら、トウコは今まさに海を渡っているだろうナオトのことを思い浮かべながら空を見上げた。

 

(……ナオ君、頑張ってね)

 

 




次回からようやくルギア爆誕編に入ります。

■ソウマ
ナオトがカロスリーグ・デルニエ大会の準決勝でバトルした相手。
勝利こそ正義の信条を持ち、バトルに勝つためならどんな汚い手でも使う。
イッシュ地方出身で、スワマという弟がいる。

■スワマ(前編で言及)
BW編第77話「炎のメモリー! ポカブVSエンブオー!!」で登場したキャラ。
サトシのポカブの元々のトレーナーで、バトルの才能がないからという身勝手な理由で捨てた。無印のヒトカゲのオマージュと思われるが、非道さではスワマの方が勝る。
今作では兄がいる設定。

■ナオト
ソウマとのバトルがトラウマとなり、他人のポケモンを傷つける行為に対して恐れを抱くようになった。
アニメのポケモンバトルを見てると、これうっかりやりすぎることとかないのかな、とよく思うんですよね。サトシのリザードンだって改心回で氷漬けにされて瀕死になりましたし。あれサトシ達が必死に介抱しなかったら最悪死んでましたよね?
この世界のトレーナーはそういうとこをあまり気にするキャラがいないので、あえて今作の主人公にはそれを反映させた次第です。




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22. ふたたびのアーシアとう! ナオトVSサトシ! ▼

 ナオトとジギーのバトルが行われた日の夜、ユズジムは何とも言い難い重苦しい空気に包まれていた。

 

 それも仕方がない。皆、午前中の凄惨なバトルの光景が忘れられないでいるのだ。ほんの数十秒の出来事であったが、それ故か記憶に鮮明に焼き付いて離れないでいた。

 

 ナオトのバンギラスによって重症を負わされたブラッキーは、すぐにマンダリン島のポケモンセンターへ搬送したことで何とか大事には至らずに済んだらしい。

 兄のポケモンが死んでしまうと泣き続けていたマリーはそれを聞いて安堵のあまりまた泣き始め、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。

 

 そして、当事者であるナオトは宿泊室でアイの看病をしていた。

 ただの風邪であれば、わざわざポケモンセンターへ連れて行くよりもこうして療養させた方がいい。タケシが持っていた漢方薬のおかげか、熱も大分引いた。この分なら、明日の朝には回復するだろう。

 

「ミャア……」

 

 ベッドに横になったままのアイは、自身が病気であったにも関わらず心配げな顔をナオトに向けている。自分がバトルに出られなかったから、と責任を感じているのかもしれない。

 

「……お前のせいじゃないよ」

 

 そう言って、アイの頭を撫でるナオト。彼女はこそばゆそうに目を細めた。

 ナオトはアイを撫でながら、もう片方の手で握っているバンギラスの入ったモンスターボールに目を向ける。

 

「僕の方こそ、ごめんな」

 

 こうしてアイの看病に徹しているのは、もちろん彼女を心配してのことである。

 だが同時に、ナオトは他に誰もいない宿泊室に籠もることができるというこの状況を、起こしてしまった事から背を向けるために利用してしまっているのだ。

 

 

 

「…………」

 

 一方、宿泊室の外の廊下では、長椅子に座ったフルーラとタケシが浮かない顔で部屋の扉を眺めていた。

 

「……ねえ、タケシ君。どうしてナオトのバンギラスは突然あんなに暴れ出したの?」

 

 ふいに、フルーラがタケシにそう尋ねる。

 

「……俺にも分からない」

 

 タケシは首を横に振って答えた。

 無理もない。何も事情を聞かされていないのだから。

 

「ポケモンが言うことを聞かないことは、わりとよくあることだ。その理由は、例えば性格……フルーラのシャワーズだって、あの性格だからゲットしたばかりの頃は言うことを聞かなかっただろう?」

「え、ええ」

「他にも……一番代表的なのは、やっぱりトレーナーの実力不足だな。俺が一緒に旅をしていたサトシのヒトカゲも、元は大人しかったのに進化してから一転して粗暴になってしまってな。力も強くなって、まだ未熟なサトシの言うことを聞かなくなったんだ」

 

 天井を見上げ、旅を思い返すタケシ。

 カントーリーグ・セキエイ大会に出場したサトシは、その進化したリザードンが試合中に居眠りをし始めたせいで敗退。ベスト16という結果に終わってしまった。

 あの時の俯いて帽子に隠れたサトシの顔は、悔しさと、そして怒りに満ちていた。リザードンに対してではなく、自分の未熟さに対しての怒りだ。

 

「じゃあそのどちらか、もしかしたら両方が原因?」

「いや……」

 

 フルーラの言葉にそう返すタケシだが、そこから言葉は続かない。

 

 タケシとしては、ナオトは人付き合いに慣れてない節はあれど、トレーナーとして実力不足だとは思えなかった。

 元ジムリーダーから見てもバトルの才能はあると思うし、指示も冷静で結構な場数を踏んでいることが分かる。アイやゲンガーといったポケモン達からも信頼されていて、彼自身もポケモン達を家族のように思っているのがこれ以上無いほど感じ取れた。

 

 だから、分からない。どうして彼のバンギラスはあんな暴走をしてしまったのか。

 

「……はぁ」

 

 タケシが黙っているので、フルーラは手に顎を乗せて溜息を吐いた。

 そんな彼女の耳に、廊下の先から足音が届く。

 

 

 

 アイが再び寝息を立て始めた頃、宿泊室のドアを誰かがノックした。

 

「……はい」

「ジギーだ。入ってもいいかな?」

「え? あ、ああ」

 

 ナオトが気後れしながらも返事をすると、返ってきた返事の主に思わず立ち上がる。

 

「失礼する」

 

 部屋に入ってきたジギーは、アイが寝ているのを見て音を立てないよう静かにドアを閉めた。

 

「……あの、今朝のバトルのこ──」

「少しばかり遅れてしまったが、君に渡す物がある」

 

 あの凄惨なバトルのことについて謝ろうとするナオトであったが、それはジギーによって遮られた。

 彼は懐から取り出した何かをナオトに差し出す。それは、ユズジムのジムリーダーに勝利した証──リンボウガイで出来たリンボウバッジだった。

 

「トラブルはあったとはいえ、負けは負けだからね」

「は? えっ……う、受け取れないですよ」

 

 あんなトレーナー失格な事件を起こして、バッジを受け取るなんて恥知らずなことはとてもじゃないができない。

 ナオトがそう言って首を横に振ると、ジギーは自重気味に笑みを浮かべて答えた。

 

「今回の件については、僕にも非がないとは言えない」

「……え?」

「僕はあの時、君に本気を出させたくてわざと煽り文句を投げかけた。君に代わってフルーラさんとオレンジ諸島を回るという、アレだ。アレさえなければ、君は相棒が熱を出して倒れた時点で冷静に試合の中止を申し出ていたはずだ」

 

 昨日、技テストを終えて一緒にランチを食べていたフルーラがジギーに話したのだ。ナオトがあまりバトルに積極的ではないということを。その話を聞いたジギーは、その理由が技の制御ができていないことに関係しているのではと考えた。

 チャレンジャーの本気を引き出させるのもジムリーダーの仕事の内。故にジギーはわざとナオトを煽った。ナオトがフルーラのことを少なからず意識していることを察していた彼は、それを出しに使ったというわけだ。まさかあんな惨事に発展するとは思いもしなかったが。

 

「それに君の相棒が熱を出したのは、ウチのマリーが天気が崩れることを忘れてあんな場所に連れ出したせいだ。だから、このバッジは詫びの気持ちでもあると思ってくれ」

 

 そう言って、リンボウバッジを差し出すジギー。

 ナオトは断れそうにないと諦め、渋々ながらもそれを受け取る。

 

「ブラッキーのことは心配するな。僕のポケモンはそこまでヤワじゃないからね」

 

 と、ジギーは部屋を出る間際にそう言い残していった。

 

 

 

「あっ、ジギーさん。その……どうでした?」

 

 ジギーが宿泊室から出てきたのを見て、フルーラが声をかけた。

 

「何とも。バッジは受け取ってもらえましたが、やはり精神的ショックが大きいようです……ああ、彼の相棒の方は熱が下がったみたいで顔色は良くなってましたよ」

「そうですか……」

 

 ナオト達の様子を聞いたフルーラはジギーに軽く頭を下げ、続けて宿泊室に入ろうとする。

 

「あっ、フルーラさん。ご実家の方からお電話が来てますよ」

「え、実家って……お姉さんから?」

 

 が、ドアノブに手をかけたところでやってきたジギーの弟子がそう伝えてきた。

 何で自分がユズ島にいると知っているのか、首を傾げるフルーラ。ナオトのことを気にしつつも、仕方なく弟子の後に続いて電話のある場所へと向かっていった

 

 残されたジギーとタケシ。

 宿泊室の方に目線をやりながら、ジギーの方が先に口を開いた。

 

「彼は、色々と問題を抱えているトレーナーのようだね」

「……ああ」

 

 タケシは頷いて答える。

 ナオトはバトルに積極的じゃないことに加え、極力相手のポケモンに余計なダメージを与えないようにと苦心していた。恐らく、過去にも同じようなことが起きて、それがトラウマになってしまったのだろう。

 

「弟子達から君が元ジムリーダーと聞いたよ。彼の問題の解決を手助けできるとしたら、それは他ならぬ先輩トレーナーである僕達しかいない……少なくとも、新米トレーナーであるフルーラさんでは無理だ」

 

 僕は地雷を踏む形になってしまったけどね。そう付け加えて、肩を竦めるジギー。

 

「もし彼があのバンギラスの手綱を引けていたとしたら、正直勝てる気がしないよ。僕もジムリーダーとして、まだまだだな」

「……一つ聞きたいんだが、君はフルーラに気があったんじゃなかったのか?」

 

 タケシの質問に、ジギーは自嘲気味に笑って首を横に振った。

 

「素敵な女性だとは思うけど、まるでこちらに無関心だったからね。それに、つい最近別の女性にフラれたばかりだから、しばらくロマンスは休業中なのさ」

「そ、そうか……」

 

 相変わらずのキザっぷりに、自分のことは棚に上げて引き気味のタケシなのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ジギーから受け取ったリンボウバッジを手に眺めるナオト。

 そのバッジは、今までのバッジと違って輝いて見えない。むしろくすんでいるように思えた。例え今いるのが太陽の下だったとしても、きっと変わりはないだろう。

 

 バッジをポケットに入れ、ナオトは小さく溜息を吐く。

 そこへ、ガチャッと誰かが宿泊室に入ってくる音。振り返ると、そこにはフルーラが彼女にしては珍しく控えめな様子でドアノブを握っていた。彼女と目が合うと、なぜだか気まずい沈黙が流れる。

 

「…………えっと、大丈夫?」

「……まあ、何とか」

 

 それだけ言葉を交わして、また沈黙が挟まれる。

 

 フルーラは自分がジム巡りを勧めた手前、ナオトのやつれた様子にある種の責任を感じていた。

 ナオトはナオトで、ジギーの言葉で改めてフルーラを意識するようになった中で、あろうことかあんな無様を晒してしまい後ろめたい気持ちになっている。

 

「「あのっ」」

 

 今度は同時に口を開く。

 お互いあ゛っというような表情になり、気まずさから顔を背ける。

 

「……先に言えよ」

「そっちが先でいいわよ」

「いいから、言えって」

 

 意固地になって話そうとしないナオト。フルーラは諦めて先に話し始めた。

 

「……あのね、アーシア島のお祭りの話、覚えてる?」

「ああ。覚えてるけど……」

「そのお祭り、実は明日なのよ」

「ええッ!?」

 

 椅子から立ち上がって驚くナオト。まだまだ先の話だと思っていたからだ。

 

「さっきお姉さんが電話で教えてくれたのよ。いつの間にか結構時間が経ってたみたい」

 

 ちなみになぜヨーデルがナオト達の居場所を知っていたかというと、船のGPSを頼りにビッグシティのポケモンセンターに電話し、ジョーイを経由して突き止めたとのことであった。

 そういえば、そろそろビッグシティで預けた船の修理も終わっていることだろう。

 

「だからジム巡りは一旦中断して、明日はアーシア島に戻らなきゃなんだけど……ナオトはそれで大丈夫?」

「まあ、アイも明日には完全に回復するだろうし、僕は別に構わないけど……」

 

 ナオトはそう返し、続けてポツリと呟く。

 

「……ジム巡り、続けるのか」

 

 その呟きを拾ったフルーラが「何言ってんのよっ!」と彼に言葉を投げかける。

 

「さっき廊下ですれ違った時にジギーさんから聞いたけど、バッジもらえたんでしょ? それなのに、ここで止めたらもったいないじゃない! せっかくここまで頑張ってきたんだから!」

「もったいないとか、そういう話じゃないんだよ。今回は大事には至らなかったけど、また同じようなことが起きたら……」

「バンギラスを出さなきゃいいじゃない! これまでだってそうしてきたんでしょ?」

「それは、そうだけど……」

 

 ナオトは俯き、罪悪感に顔を歪めながらも続けた。

 

「……バンギラスとは、タマゴの時から一緒なんだ。アイや他のポケモン達と一緒に一生懸命育ててきて……だから、モンスターボールの中に閉じ込めていつまでも問題を先送りにしたままにするのは、嫌なんだよ」

 

 辛そうに話すナオトにフルーラは眉を下げる。しかし、ここで優しくしても彼のためにならないと、あえて発破をかけるように声を強めた。

 

「だったら、尚更ジム巡りして問題を解決する切っかけを見つけなきゃ! ほら、元気出しなさいってば。あんたがそんなんじゃお祭りの主役が務まらないでしょ!」

「……は?」

 

 フルーラのその言葉に、俯かせていた顔を上げるナオト。

 主役というのは、その日に訪れた操り人──トレーナーを試練に挑戦させるという、例のお祭りの催しのことであろう。もし操り人が訪れなければ、島にいるトレーナーから選ぶのだとか。

 そういえば、フルーラは毎年選ぶのが大変だからなどと理由をつけてナオトに操り人になれとしつこく迫っていた。

 

「それは断ったじゃないか! 僕なんかよりもっとマシなトレーナーが他にも──」

「フ・ネ」

 

 反論するも、彼女のその一言だけでナオトはぐっと言葉を詰まらせてしまう。それを見てフルーラはクスッと笑い、スッと歩み寄ってナオトの隣の椅子に座った。

 

「……トレーナーとしての自分にあまり自信がないってことは、なんとなく分かってるわ。それでもね、私にとってトレーナーって言ったら、ナオトしかいないから」

 

 そう言って、フルーラはポシェットからシャワーズの入ったモンスターボールを取り出し、思い出を振り返るように優しく撫でる。

 その柔らかな横顔にナオトが無意識の内に見惚れていると、ふいにフルーラが振り向いてそんな彼の目をじっと見つめ返した。

 

「だから、船のこととか、操り人選びが面倒臭いとかそんなの関係ない。私はただ、ナオトに操り人になって欲しいの」

 

 真剣な目で、気持ちを真っ直ぐに伝えてくるフルーラ。

 ナオトの胸がドキリと高鳴る。思わず仰け反るようにして彼女から顔を逸らした。

 

「……どうしてもって言うなら、考えてもいいけどさ」

「ホント!? じゃ、約束ね!」

 

 不承不承という様子でナオトがそう呟くと、フルーラは言質を取ったとばかりに笑顔でナオトの手を取って無理矢理指切りを交わす。

 

「……ミャ」

 

 その傍で、寝息を立てながらチラッと目を開けるアイ。彼女は二人の会話を寝たフリをしながら聞き、静かにほくそ笑むのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 翌日の早朝、ユズ島を出発することとなったナオト達。

 アイは熱が完全に下がってすっかり元気になっていた。

 

「アイちゃん、ごめんね。大変な目に合わせちゃって……」

「ミャウミャ」

「許してくれるの……? じゃあ、また絶対遊びに来てね!」

 

 涙混じりにマリーがアイにお別れの言葉を交わし、再会を約束する。

 

 一方で、彼女はアイの隣に立つナオトには余所余所しい態度が目立っていた。それはジギーの弟子達も同じで、中にはあからまさに睨みつけている者まで見受けられた。ナオトがバッジを手に入れたことに納得していないのだろう。

 そういう扱いを受けて当然と思っているナオトは甘んじてそれらの視線を受けていた。

 

 

 

「さてと、これからマンダリン島で船を受け取ってアーシア島に向かうわけだけど、タケシ君はどうする?」

 

 定期船でマンダリン島に戻る途中、フルーラがタケシに向かってそう口を切った。

 

「どうって?」

「だってサトシって子を追いかけてるんでしょ? アーシア島に寄ってたら追いつかなくなるかもしれないじゃない」

「う〜ん、そうだな……」

「ミャウ……」

 

 アイはタケシと別れるのが寂しいのか、不安そうな顔をしている。

 

 もしここでタケシと別れるのなら、ウチキド博士から預かったGSボールはタケシに渡しておいた方がいいかもしれない。あれはそのサトシに渡さなければならない品なのだから。

 話を聞きながらそう考えたナオトは、バッグからGSボールを取り出そうとする。

 

「タケシ。もしマンダリン島で別れるなら──」

「いや、俺も一緒にアーシア島に行くよ」

 

 しかし、その前にタケシが口を開いた。

 

「そのお祭りにも興味があるしな」

「ミャア!」

「そ、そうか」

 

 アイが手を合わせて喜び、ナオトは内心でホッとする。

 旅に一人欲しいと言っても大げさでないほど頼りになる彼とここで別れたくはなかったし、正直フルーラに加えて姉のヨーデルもいる環境に連れの男がいてくれるのは精神的に助かるのだ。

 

「ふ〜ん。タケシ君、お祭りとか好きなの?」

「もちろん! お祭りと言えば、浴衣のお姉さん! これを見逃す理由はない!」

「……まあそんなことだろうと思ってたわ」 

 

 相変わらずのタケシに呆れた目を向けたフルーラは、放っとこうとばかりに眼前に近づいてきたマンダリン島の港へと視線を移す。

 その一方でタケシはおちゃらけた態度をスッと戻し、フルーラの隣で同じく港の方に視線をやっているナオトを真剣な目で見やるのだった。

 

 

 

 そうして、無事修理した船を受け取ったナオト達。

 今から真っ直ぐアーシア島へ向かえば、昼過ぎ頃には到着できるだろう。

 

 しかし、船の上で簡単な昼食を済ませながらアーシア島目指して船を進めていると、何時しか陽が陰り雲行きも怪しくなってきていた。

 

「……何かヤな空気。みんな一応どこかに掴まってて」

「え、どういうことだ?」

「一荒れ来るってこと!」

 

 言うが否や、突如として強風が吹き荒れ始めた。波が飛沫を上げて盛り上がり、船を大きく傾かせる。

 

「ミャアッ!」

「アイ!」

 

 バランスを崩して船から放り出されそうになったアイを抱え、船の梯子にしがみつくナオト。視界の端で、大量のコイキングが荒波に流されているのが見えた。

 

「フルーラ! 一旦マンダリン島に戻った方がいいんじゃないか!?」

 

 手すりにしがみついているタケシが海の荒れ様を見てそう叫ぶ。

 

「いいえ! むしろそっちの方が危ないわ! だって──」

 

 フルーラの言葉によって、タケシの危惧は杞憂であると分かる。

 なぜなら、ナオト達を襲う荒波はまるで船をアーシア島へ押し運ぶかのように流れていたのだ。

 

 まるで、何かが彼らを呼んでいるかのように。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 しばらくして、一行の船は何とか無事にアーシア島へ辿り着く。その頃には荒海もそれまでの勢いが嘘であったかのように鳴りを潜めていた。

 

「ほらね。ちゃんと着いたでしょ?」

「正直何時転覆するか気が気じゃなかったが……ナオト、大丈夫か?」

「……ちょっとだけ、休憩させてくれ」

 

 港の桟橋に船を停める一行。

 ナオトは激しい揺れの影響で船酔いしてしまっていた。アイが座り込んだその背中を擦ってあげている。

 そんな彼に苦笑を零したタケシは、次いで空を仰ぎ見る。嵐が治まったとはいえ、空の様子は以前として芳しくない。

 

「……この分じゃ、お祭りは中止なんじゃないか?」

「う~ん、多分大丈夫よ。今の所雨も降ってないし、あれくらいの波だったら船を出すのも訳ないしね」

 

 二人が会話する横で、ナオトは遠くの景色を見て酔いを覚まそうと腰を上げて村の方を見やった。

 時折風が髪を揺らす中しばらくそうして眺めていると、港から村へと続く階段の方を見て小首を傾げる。祭りの飾りつけがされている家々の先に何やら人集りが見えると同時に、ガヤガヤと騒がしい声が微かに聞こえてきたのだ。

 

「フルーラ。何か村の方が騒がしいみたいだけど」

「え? 変ね。まだ出店もお神輿も始まってない時間のはずなのに……とりあえず行ってみましょう」

 

 そう促して船を降りた彼女に続いて、ナオト達は村の方へと向かっていった。

 

 村に入ると、以前にも見た民族衣装に鳥を模した仮面を被った村人達が二人の少年と一人の少女を歓迎するように囲っていた。

 その内の赤い帽子を被った少年とサイドテールの少女を見て、タケシが驚きと歓喜の混じった声を上げる。

 

「サトシ! カスミ!」

「えっ、タケシ!?」「ピカチュ!」

 

 二人と、少年の肩に乗っている黄色い鼠のようなポケモンがビックリした顔を返す。どうやら、タケシが以前一緒に旅していたというサトシとカスミは彼らだったらしい。もう一人の赤いパンダナを額に着けた背の高い少年は新しい旅の仲間だろうか?

 自然と人集りが別れて道が開き、サトシ達がナオト達の方へと駆け寄ってくる。

 

「どうしてあんたがここにいるのよ? ウチキド博士はどうしたの?」

「ウッ!! き、聞かないでくれ……」

 

 胸を抑えて蹲るタケシを見て、色々と察した顔をするサトシとカスミ。彼らにとってもいつものことのようだ。

 

「あの、どうも初めまして、僕はポケモンウォッチャーのケンジ。オーキド博士に会いたくて、サトシ達の旅について行ってるんだ」

 

 赤いパンダナを着けた少年がタケシに向かってそう名乗り出る。サトシ達からタケシのことを聞いていたのであろう。

 

「よ、よろしく。ああ、そうだ。こっちはナオトとフルーラ。二人の旅について行きながらサトシ達を追いかけてたんだ」

 

 タケシが紹介と説明をする中、フルーラは何気なしに隣に立つナオトに問いかける。

 

「ねえナオト。あのサトシって子の肩に乗ってるポケモンは?」

「……え? ああ、あれはピカチュウだよ」

 

 ナオトの表情はどこか暗い。フルーラの問いに答えながらも、視線はサトシとピカチュウの方へと向けられている。

 タケシから彼が未熟ではあるものの良いトレーナーであることは聞かされている。事実、あの一人と一匹は一目見ただけで深い絆で結ばれていることが伺えた。

 その関係を羨んでいるのか、彼らを見つめるナオトの目に濁った色が浮かぶ。アイがそんなナオトを気にして彼の服の裾を握るが、反応はない。 

 

「フルーラ!」

「あ、お姉さん」

 

 そこへ、ヨーデルが人混みを掻き分けてフルーラの元へ駆け寄ってくる。

 

「おかえり。思ったより早かったわね」

「ええ、海が荒れたおかげで島まで流される形になっちゃったから」

「まあ、早く帰って来れたに越したことはないわ。あ、サトシ君。この子、私の妹のフルーラ。こんなナリだけど、お祭りの主役の巫女さんを担当してるの」

 

 ヨーデルはフルーラの後ろに回って彼女の両肩に手を置き、サトシ達の前に押し出してそう紹介した。

 

「フルーラ。この子達はケンジ君とカスミちゃん。そしてこの子が──」

「知ってる。ポケモントレーナーのサトシ君、でしょ? タケシ君から聞いてるもの」

 

 フルーラが顎でしゃくってタケシを指す。すると、タケシは素早い動きでヨーデルの手を取り、キザな笑みを浮かべてキラリと歯を光らせた。

 

「初めまして、ヨーデルさん。自分はタケシと申します。荒波に揉まれながら流れ着いたこの地で、貴方という美女に出会えたのはまさしく運命。此度のお祭りでは、ぜひ自分と一緒に──」

「ハイハイ、ちょっと黙ってましょうね」

 

 ヨーデルに向けて歯の浮くような台詞を並べるタケシ。そんな彼の耳をカスミが慣れた様子で引っ張って黙らせた。

 

「ま、まあ。美女だなんてそんな……」

「お姉さん……」

 

 満更でもなさそうに少し顔を赤らめているヨーデルをフルーラはジト目で見る。

 実は彼女、絶賛恋人募集中。十歳で結婚できるこの世の中、行き遅れていると言われる年齢も幾分か低いのである。

 

「おお、フルーラ。帰ったのか」

「お爺ちゃん、ただいま」

「ワシの船は壊したりしとらんだろうな?」

「え? ああ、うん。まあね。壊してたらここにいないわよ」

「うむ。それもそうか」

 

 ヨーデルに続いて人集りの中から出てきた長老。ヨーデルから船を修理に出したことを聞いてないらしい。フルーラは目を逸らしながらそう答えた。

 

「そうじゃ、フルーラ。今年の操り人なんじゃが、丁度この島を訪れてくれたこのサトシ君に頼もうと思ってな」

 

 長老が腕を伸ばして手の先をサトシに向ける。彼は気恥ずかしげに頬を掻きながら「えっと、どうも」とフルーラに挨拶した。

 

「ええっ!? ちょっと待ってよ! トレーナーならナオトがいるじゃない!」

 

 思わず声を上げ、後ろにいるナオトを指差すフルーラ。

 一斉に周りの視線がナオトに集中し、彼はビクリと肩を揺らして居心地悪げに目を泳がせた。その中でケンジだけはナオトの顔を見て何か思い当たる節があったのか、訝しげに首を傾げている。

 

「しかし、ナオト君は操り人になるのを嫌がっとったじゃないか。のう?」

「え、ええ。まあ……」

 

 顔を向けて問いかけてきた長老に、ナオトは曖昧な返事を返す。

 

「でもっ!」

「まあまあ。抑えた抑えた」

 

 なおも食ってかかるフルーラを、横から出てきた緑色の髪の女性が抑えた。

 この人はみっちゃんというヨーデルの友人で、サトシ達をここまで運んだ船の船長らしい。どことなくドミノと声が似ているのは気のせいだろう。

 

「それじゃあさ、トレーナーはトレーナーらしくポケモンバトルで決める、なんてどう?」

「いいわよ!」

「は? ちょ、待っ──」

 

 みっちゃんの出した提案を上等だとばかりに受け入れるフルーラ。

 本人そっちのけの展開にナオトは文句を口にしようとするが、周りの人達も思いがけない余興に面白そうだと騒ぎ始めている。

 

「何かよく分かんないけど、バトルなら受けて立つぜ!」

「ピッカ!」

 

 サトシもサトシで乗り気だ。こうなってはもう止められそうにない。

 結局、ナオトは操り人の座を賭けてサトシとポケモンバトルをするはめになるのだった。

 

 

 

 

 

 バトルを行うため、一行は広場へと足を運ぶ。

 広場には話を聞きつけた島民が大勢集まってきていた。

 

「ナオト、絶対勝ちなさいよ!」

「あ、ああ……」

 

 フルーラが発破をかけるようにナオトへ声をかけるが、それに対する彼の返事は覇気が薄い。事情は知っているが、引くに引けない状況にフルーラは励ます他なかった。

 

「しっかりしなさいよ。バンギラス以外の子なら、オレンジ諸島に来てから何度もバトルしてきてるでしょ?」

「……分かってる。アイ、お前はここで待っててくれ」

「ミャウ」

 

 顔色が優れないまま頷き、ナオトはフルーラの傍にアイを残してトレーナーポジションへと歩いていく。

 

「ちょっと、大丈夫なの? あのナオトって子。何か心ここにあらずって感じじゃない」

「チョキプリィッ」

 

 不安そうにナオトを見送るフルーラに、カスミが歩み寄ってそう話しかけた。その腕には割れたタマゴを履いたトゲトゲ頭のポケモンが抱かれている。

 

「あら……あなた、カスミだっけ? サトシ君の妹さん?」

「誰が妹よ!」

「じゃあガールフレンド?」

「誰がサトシなんかと!」

 

 フルーラの興味本位の問いかけにカスミは眉をひそめて憤慨する。なかなかどうして素直じゃない娘である。

 

「どっちにしても、こんなトコまであんな野暮ったそうな子と一緒に来るなんて……あなた正直、良い趣味ね」

 

 遠慮のない言葉を口にしてナオトの方に視線を戻すフルーラを、何だコイツは! と言いたげな目で睨むカスミ。

 

(……まあ、私も人のこと言えないんだろうけど)

 

 カスミのにらみつけるを涼しい顔で受け流しながら、フルーラは心の中でそう独りごちた。

 

「よし、審判は僕が務めるよ」

 

 ケンジが手を挙げて名乗り出る。

 そして、ナオトの向かい側で意気揚々とした様子のサトシが自分のトレーナーポジションにつく。

 

「オレはマサラタウンのサトシ! お前は……ええっと」

「……ミアレシティのナオトだ」

「よし、ナオト! 事情は知らないけど、バトルするからには正々堂々全力で行かせてもらうぜ!」

 

 言い切ると、サトシは帽子のつばを指で掴んで後ろ被りにする。そして、右手にモンスターボールを握った。

 

「リザードン! キミにきめた!」

 

 力強く放り投げられたボール。白い光を放って開かれたそれから、巨体が現れる。

 大きな翼にオレンジ色の肌。長い尻尾の先には炎の灯火──かえんポケモン、リザードンだ。

 

「グオオオッ!」

 

 リザードンは登場すると共に咆哮を上げ、自らをアピールするかのように空へ向けて口から炎を吐き出した。

 

「頼むぜ、リザードン!」

「グオゥ」

 

 というサトシの言葉に、リザードンは喉を鳴らして答える。

 その様子を見て、タケシが感嘆の声を漏らす。

 

「サトシ、リザードンが言うことを聞くようになったのか!?」

「へへっ、まあね。今では正真正銘、オレのエースさ!」

 

 人差し指で鼻の下を擦り、得意げに返すサトシ。

 

「もしかして、あれがタケシ君が言ってたポケモン? ……言うこと、聞くようになったんだ」

 

 サトシのリザードンを見たフルーラが、そう小さく零す。

 ピカチュウと同じで、リザードンとの間にも厚い信頼の繋がりが結ばれていることがよく分かる。

 

「……行ってくれ、ブースター!」

「ブゥ!」

 

 対するナオトは左手に握りしめたモンスターボールを投げ、ブースターを繰り出す。

 それを見て、タケシはなぜ? と言いたげに眉を曇らせた。ほのおタイプに加えてひこうタイプも合わせ持つリザードン相手であれば、ノーマルタイプとかくとうタイプのわざを無効化し、さらに10まんボルトを覚えているゴーストタイプのゲンガーを出した方がどう考えても有利だからだ。

 

「……フンッ」

 

 同じほのおタイプのポケモン相手だからか、リザードンは鼻息を立てて威嚇するようにブースターを睨みつけている。

 ブースターはそんなリザードンの視線を無視して一度ナオトの方を振り向くと、彼の目を見て何か察したのかやれやれと言わんばかりにかぶりを振った。

 

「それじゃあ……バトル開始!」

 

 両名が自分のポケモンを出したところで、ケンジがバトルの開始を宣言する。

 

「リザードン、かえんほうしゃだ!」

「スゥゥ……グァオオッ!」

 

 先手必勝とばかりに指示を飛ばすサトシ。リザードンは息を大きく吸い込みながら首をもたげ、一気に突き出すと同時に口から業火を吐き出した。

 

「こっちもかえんほうしゃだ!」

「ブゥアァ!」

 

 ナオトの指示を受け、リザードンとは倍の体格差があるブースターもその小さな口を開いて炎を放つ。

 リザードンとブースターの炎が衝突し、激しい火の粉を散らす。炎の大きさはリザードンの方が上。ブースターの炎は徐々に押されていく。

 

「そのままとっしんしろ! リザードン!」

 

 かえんほうしゃを続けた状態で繰り出されるサトシの指示。

 それを受けたリザードンは炎を吐き出しながらも翼を羽ばたかせて飛び上がり、低空飛行で前方目がけて突進する。飛行による勢いを乗せてブースターの炎を押し消し、自分の吐き出す炎を纏いながらその巨体をブースターにぶつけた。

 

「ブッ!?」

 

 ブースターはその威力と自身の体重の軽さ故に大きく吹き飛ばされてしまう。

 

「──ッ!」

 

 それでも、ブースターは空中で体勢を持ち直し着地した。傷を負っているブースターを見て、ナオトは顔を歪めながらも次の指示を出す。

 

「ブースター、でんこうせっか!」

「ブゥ!」

 

 一鳴きして答え、俊足の走りでリザードンに迫るブースター。

 飛び出した小さな身体がリザードンの腹にめり込む。続けて反動で後方に跳ね上がる際に後ろ足で彼の顎を蹴り上げた。リザードンは蹴り上げられた衝撃で一歩後ずさる。

 

「怯むなリザードン! メガトンパンチだ!」

「グ、オオッ!」」

 

 踏み止まったリザードンがパワーを込めたパンチを振りかぶった。

 それを飛び退いて避けるブースター。リザードンの拳が地響きと共に地面に埋まる。

 

「かえんほうしゃ!」

 

 ナオトはそこにすかさず指示を出す。ブースターは大きく息を吸いこみ、一拍置いて炎を吐き出した。

 

「躱せ! リザードン!」

 

 しかし、リザードンはサトシの指示で空へと飛び上がり、余裕を持ってブースターの炎を躱した。そのままリザードンは翼を広げて宙を飛行する。

 

「ブースター、続けてかえんほうしゃだ!」

「ブアッ!」

 

 空を飛ぶリザードンへ向けてさらにかえんほうしゃを指示するナオト。ブースターは空へ向けて続け様に炎を撃ち上げるが、リザードンは翼をはためかせて華麗にそれを躱し続ける。

 

「リザードン! ちきゅうなげだ!」

「グオオッ!」

 

 サトシがちきゅうなげを指示すると、リザードンは旋回してブースター目掛けて降下し始めた。迎え撃つためにブースターも炎を放射するが、リザードンは降下しながら身体を回転させ、それによって生まれた風圧で炎を紙一重で避けていく。

 

「ッ、ブッ!」

 

 とうとうブースターを捉えたリザードン。自分の半分ほどの大きさしかないブースターの身体を両手で抱え上げ、再び空へと急上昇する。

 リザードンはブースターを抱えたまま空中を地球の形を描くように旋回し始め、徐々に速度を上げていく。そして、遠心力を極限まで加えた状態で急降下し、そのままブースターを地面へと叩きつけた!

 

「ブ、ゥッ」

 

 ちきゅうなげが決まった。

 何の抵抗もせずにいたブースターはそのダメージによってノックダウンしてしまう。

 

「ブースター、戦闘不能! リザードンの勝ち!」

 

 ケンジによってブースターの戦闘不能判定がなされ、サトシの勝利が宣言された。

 

「やったぜ! リザードン!」

「……グルル」

「あれ? どうしたんだ、リザードン?」「ピカ?」

 

 喜び勇んでリザードンを褒めるサトシであったが、肝心のリザードンはどこか腑に落ちないような顔で唸っている。

 

「あ〜ら、残念。勝負はサトシの勝ちみたいね」

「…………」

「な、何よ。黙りこくっちゃって……ふんっ」

 

 観客達が歓声を挙げて拍手する中、カスミはだんまりを決め込むフルーラを訝しげに思いつつもサトシに駆け寄っていった。

 

「悪い、ブースター」

 

 ナオトは倒れているブースターに駆け寄って助け起こす。ブースターは仕方ねえなとばかりに溜息を吐いた。

 

「いやあ、すごかったなぁ!」

「あのリザードンかっこいい!」

 

 バトルの感想を話す観客達。迫力のある戦いぶりを見せたサトシとリザードンを褒め称えている。

 

「でも、確かナオト君だったかしら? フルーラちゃんと一緒に旅してた子。もうちょっと頑張って欲しかったわね」

「まあ、あの体格差じゃ勝ち目ないだろうし、しょうがないんじゃねぇの?」

 

 一方で、ナオトとブースターは最初から勝負は決まってたとばかりの言われ様。

 

「残念だけど、今年の操り人はサトシ君に決まりみたいね」

 

 フルーラの肩に手を置いてそう言うヨーデルであったが、当のフルーラは姉の言葉が耳に入っていないのか、先ほどと変わらぬ影の差した表情で口を噤んでいる。

 

「ミャウ……」

 

 そんなフルーラと、ブースターを労りながらボールに戻すナオト。彼らを見比べていたアイは二人の間から不穏な空気を感じ取る。

 

「…………」

 

 そして、それはアイの傍に立つタケシも同様であった。

 




ようやくサトシ達とエンカウントできました。
まあ、この後の展開のせいであまり絡まないんですけどね。
次回はギスギスした雰囲気になります。

■サトシ
ご存知スーパーマサラ人にして永遠の十歳児。
無印時代なので勝てば調子に乗るし、負ければ目の前が真っ暗になる。
今のサトシを否定するわけじゃないが、作者はこの頃のサトシの方が人間味があって真の意味で子供っぽいから好き。

■カスミ
ご存知世界の美少女にしてハナダ美人三姉妹の出涸らし。
水ポケモンマスターを夢見ているが、実はギャラドスだけは苦手。その理由は幼い頃に食べられそうになったから。
SM編で再登場した際に出たギャラドスも元は言うことを聞かず暴れ回っていた。
このギャラドスとカスミの話はサイドストーリーで見れるので、興味ある方はAmazonプライムでぜひ(現在は見れなくなっている模様 2019/11/17)。
余談だが、『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』でこの設定がちゃんと反映されているのを見て劇場で一人うんうん頷いていた。

■ケンジ
オーキド博士に憧れるポケモンウォッチャー。
オレンジ諸島でサトシ達と出会い、サトシがオーキド博士の知り合いであると聞いて彼らの旅について行く。
元々海外展開のために離脱させられたタケシの代打として用意されたキャラ。しかし、海外でもタケシが人気だと分かり、オレンジ諸島編終了と同時にレギュラーから外されてしまう。
その後の彼の活躍はサイドストーリーで見れるので、興味ある方はAmazonプライムでぜひ(現在は見れなくなっている模様 2019/11/17)。

■みっちゃん
サトシ達が乗ってる船の船長。ヨーデルの幼馴染。
本名が分からない。みっちゃんという愛称は声優の三石琴乃さんから来ていると思われる。
ドミノと同じ声優さんなので彼女が化けている設定にしようかとも考えたが、展開が上手く思い浮かばなかった。

■フルーラ
「あなた正直、良い趣味ね」
この台詞は外せない。




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23. アーシアとうのおまつり ▼



今回、主人公に感情移入している読者(いるのかどうか分かりませんが)にとって胸糞なシーンがあるので、あらかじめご注意ください。



 ナオトとサトシのバトルが終わって、一行は祭りの準備の手伝いもそこそこに今夜の宿となる場所で祭りが始まる夜まで休むこととなった。

 

 当然だが、このアーシア島には宿屋がない。祭りのことを聞きつけてアーシア島を訪れる人もいるにはいるが、それだけを当てに宿をやっていくには無理があるからだ。なので、外部から島にやってきた者は長老かそれ以外の誰かの家を民宿代わりにして泊まらせてもらうのが習わしとなっている。

 そういうわけで、サトシ達は長老の家に、ナオトとタケシはフルーラの家に泊まるという流れになったのであった。

 

「タケシ君はサトシ君達と一緒でなくて良かったの?」

 

 まだ祭りの準備が残っているヨーデル達を置いてそれぞれの宿へ向かう途中、フルーラがタケシに向かって尋ねる。せっかく再会したのだから積もる話もあるだろうし、長老の家(あっち)に泊まった方が良いのではということだろう。

 

「一応ダイダイ島からここまで二人と一緒に旅してきたわけだからな。ここで別れるのも間が悪いような気がしたんだ」

「そんなこと言って、どうせウチのお姉さんが目当てなんでしょ?」

 

 そう毒吐くフルーラに、タケシは「ハハ……」と困ったように頬を掻く

 そんなタケシの様子を見てナオトは小首を傾げた。いつもだったら顔を赤くして誤魔化そうとするか、あんな美人のお姉さんと一つ屋根の下になれる絶好の機会を見逃すなんて男が廃る! とでも言いそうなのに。

 

 そんな彼らをよそに、ナオトの隣を歩くアイは不安な気持ちで胸を一杯にしていた。

 ナオトはサトシに負けたことを悔しがるどころか、どこか晴れやかというか安心したような面持ちをしている。一方でフルーラはそれが気に食わないのか、バトルが終わって以降一言もナオトと口を聞いていなかった。

 

 家に着いてリビングに荷物を置く。

 約一ヶ月ぶりの家だがフルーラは初めての旅から帰ってきた感傷に浸るわけでもなく、無言でタケシに目配せした。

 察して、タケシは少し心配そうな顔をしつつも口を開く。

 

「……小腹が空いてきたし、何か作ろうか?」

「ありがと。そっちが台所だから、好きに使って」

「分かった。アイちゃんも手伝ってくれないか?」

「ミャ? ミャ、ミャウ」

 

 タケシに頼まれたアイは少し戸惑いつつも頷き、タケシと共に席を外す。

 ……そして、二人だけになったところでフルーラがナオトに向かって声をかけた。

 

「ねえナオト」

「何だよ」

「さっきのバトル……何でわざと手を抜いたりなんかしたの?」

 

 その言葉に面食らいながらも、ナオトは顔を背けて返す。

 

「別に、手を抜いたりなんかしてない」

「ちゃんとこっち見て答えなさいよ」

 

 フルーラが咎める。彼が人と目を合わせないようにするのは、気恥ずかしい時か何かを誤魔化している時だ。

 

「私にだって分かるわよ。あのリザードンっていうポケモン相手だったら、ブースターじゃなくてゲンガーを出した方がいいってことぐらい」

「えっ」

 

 驚いて思わずフルーラの方へと顔を向けるナオト。タケシならいざ知らず、ポケモン初心者である彼女がそのことに気づいていたことが意外だったからだ。

 ナオトが考えていることを察したフルーラは、「あんたから借りたポケモン図鑑で勉強したのよ」と呟いて答える。

 

「それに、あんたのブースターだってもっと強いはずでしょ。ピンカン島でトランセル達を助けた時とか、ネーブルジムでダンさんと勝負した時も、それにユズジムの技テストだって……あのリザードンよりもすごい炎出してたじゃない!」

 

 フルーラの叫ぶような訴えに、ナオトは黙ったまま再び視線を逸らして何も答えない。

 

「……そんなに、嫌なの? 操り人になるの」

 

 俯き、消え入りそうな小さな声でフルーラがそう尋ねる。

 

「そういうわけじゃ……というか、なんでそんなに僕を操り人にしたがるんだよ。お前もお祭りの巫女なんて面倒臭いって言ってたじゃないか」

「だってっ……!」

 

 顔を上げて声を上げるフルーラ。しかし、その先の言葉を紡ぐことはなかった。

 

 

 ──二人の間に、沈黙が挟まれる。

 

 

「……もういい」

 

 ふいにフルーラがナオトに背を向け、玄関に足を向けた。ドアノブに手をかけて開けると、曇り空から覗く黄昏色が彼女を照らす。

 

「……約束したのに」

 

 フルーラはそう言葉を残して家を出て行ってしまった。

 

 自分が約束を破ったことに今更気づいたナオトは罪悪感に苛まれ、ソファにドサッと座り込み俯き加減で額に手をやった。

 だが、その約束だって「考える」と言っただけ。別に操り人になるなんて一言も言っていない。そう思いはしつつも、ナオトの心から後ろめたさが消えることはなかった。

 

 ナオトは自分よりもサトシが操り人になるべきだと思ったのだ。タケシ曰くサトシはまだ未熟ということだが、それはナオトとて同じこと。むしろ元々言うことを聞かなかったらしいリザードンを御せるようになっただけ、ナオトよりもまともなトレーナーと言える。

 その感情はある種の強迫観念のような物で、ナオトはまるで世界がサトシにスポットライトを当てているようにも感じていた。

 

「ミャア……」

「……ナオト」

 

 そこへ、心配そうな顔をしたアイが台所からリビングに入ってきた。その後ろには眉を下げたタケシ。話し声が台所まで聞こえていたのだろう。恐らく、彼はこうなることを予想してフルーラの家に泊まることを選んだのだ。

 

 しかし、今のナオトにはそんな彼らの気遣いも煩わしく思えた。

 タケシ達に目を向ける気力もなく、ナオトはソファで横になる。本人にそのつもりはないのだろうが、それは不貞寝以外の何物でもなかった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 しばらくして陽が落ち、薄暗くなったアーシア島を提灯の優しい明かりが照らし始めた。

 

「ミャウッ、ミャウミャア」

「うっ、ん……」

 

 アイに起こされたナオトの耳に、太鼓の音が届く。遠くから聞こえるそれに、ナオトは祭りの高揚感よりも虚しさを感じた。

 

「ナオト。祭りが始まったみたいだし、行ってみないか?」

 

 そんな彼に、タケシがそう言って誘う。せっかくお祭りのためにわざわざ戻ってきたのだから、このまま家に籠もっているわけにもいかないだろう、と。

 

「……でも」

「ミャッ!」

「痛っ、分かった。分かったよ」

 

 気乗りしないナオトであったが、しゃんとしなさいとアイに引っ張られ、渋々出かけることにした。元より、あんな喧嘩別れした手前フルーラの家にずっと籠もるというのにも抵抗があったのだ。

 

 

 

 お祭りは盛況のようで、島民達は出店を見たり民族衣装を着込んだ人達の踊りを鑑賞したりなどして思い思いに楽しんでいた。

 アイとナオトが並んで歩き、タケシもその後に続く形で祭りを回っていると、ふいに人混みの流れが急に止まる。何だと思って人々の頭越しに確認してみると、ギャラドスを象ったお神輿を大勢の人が支えて行進しているのが見えた。

 

「ミャ! ミャ! ミャウ……」

「ほら、肩車してやるから」

「ミャア♪」

 

 人集りでお神輿が見えなくてぴょんぴょんしているアイを肩に担ぐナオト。仲睦まじい兄妹にしか見えない二人を微笑ましく見るタケシ。

 

「あのギャラドスの龍体は最後に島の池に沈められるそうだ。雨乞いを兼ねていて、雷の神であるサンダーを祀るための催しらしい」

「へえ……」

 

 通り過ぎたお神輿の後を通り抜けて一行は広場に向かう。そこでは、中心に焚いた炎を囲んで大勢の人が踊りを楽しんでいた。

 この炎は炎の神であるファイヤーの炎を模している。踊りはそのファイヤーを祀るためのもので、悪疫払いも兼ねているらしい。

 

 また、広場から離れた場所では氷の彫像が並べられていた。一際大きく作られている鳥型の彫像だ。

 これらは例によって氷の神であるフリーザーを祀るためのもので、順調な気候と豊作を祈願してのものなのだとか。それとは別に、もっぱらファイヤーの火祭りを楽しんできた島民達の避暑地となっている。

 

 ちなみに、これらの解説は全てタケシの口から話されたものだ。

 

「なあタケシ、お前なんでそんなにここのお祭りに詳しいんだ? 来るのは初めてなんだろ?」

「ミャウ」

「それはな……」

 

 ナオトがそう尋ねると、タケシはポケットから一枚の紙を差し出した。首を傾げながらもナオトはそれを受け取る。その紙には、女の子特有の丸文字が並んでいた。

 

「……これって」

「ああ。多分、フルーラが書いたものだ。冷蔵庫に貼られたままになってたんだよ」

 

 目を通してみると、アーシア島のお祭りのことについて事細かく書かれていた。

 

「よっぽど、楽しみにしてたんだろうな」

「…………」

 

 恐らく、旅を始める前に書いたものだろう。

 彼女は他の若者の例に漏れず、お祭りにはあまり関心がなかったはず。それなのにこうして事前に色々と調べ物をしていたのだ。まるで、誰かに教えるために。

 

「……別に、僕には関係な──」

「あっ、いたいた。タケシ!」「ピカチュ!」

 

 顔を歪ませて思い悩んでいたナオトが口を開きかけた所へ、サトシ達が偶然通りがかって声をかけてきた。

 

「今から集会所で夕食だって。何か催しもあるみたいよ」

「ヨーデルさんからタケシ達も呼んでくるよう言われたんだ」

「そうか。分かった」

 

 多分、操り人に関わる催しだろう。

 それを察したナオトはすかさず無言で離脱しようとしたが、タケシにガシリと肩を掴まれてしまう。

 

「フルーラと喧嘩しっ放しってわけにもいかないだろう?」

「……あ、ああ」

 

 そう諭されるが、ナオトの表情からは不安の色が消えることは終ぞなかった。

 

 

 

「ねえ、その子……アイちゃんだっけ? ナオト君の妹さんなの?」

 

 集会所へ向かう途中、カスミがアイの方を見ながらナオトにそう尋ねてきた。

 今まで何度も聞かれてきた質問。見たところ、サトシとケンジも同様のことを考えているようだ。

 

「いや、違うよ」

「ミャウ!」

 

 ナオトが首を横に振って答えると、アイは笑って少女の姿から元のゾロアの姿に戻って彼の肩に登る。

 

「「「ええっ!?」」」「ピッカァ!?」

 

 目を剥いて驚くサトシ達一行。

 カントー地方にはゾロアが生息していないから、知らないのも無理はない。

 

「ど、どうなってるの?」

「アイちゃんはゾロアというポケモンで、色んなものに化けることができる特性を持ってるんだ」

「へえ! 観察させてもらいます!」

 

 ポケモンウォッチャーのケンジが興奮気味にスケッチブックに筆を走らせ始める。

 

「へえ、ゾロアか」

 

 そう呟いて、サトシはポケモン図鑑を取り出しアイを調べようとする。

 しかし──

 

『データなし。この世界には、まだ知られざるポケモンがいる』

「あれ、なんでだ?」「ピカ?」

「バージョンアップさせてないからじゃないか? サトシの図鑑にはゾロアの情報がインプットされてないんだよ」

 

 首を傾げるサトシに、ケンジが自分の考えを伝える。

 別にそういうわけではないのだが、大して問題になるわけでもないのでナオトはあえて説明しないでおいた。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 そうこうする内に、一行は集会所に辿り着く。

 そこではヨーデルに加えてサトシ達の船の船長、そして長老や一部の島民達が石造りの丸テーブルを囲んで各々夕食を楽しんでいた。

 

「あ、いらっしゃい。待ってたわ。とりあえず適当に座って夕食を楽しんで」

「はい!」

「……どうも」

 

 元気の良い返事を返すサトシに対して、ナオトは覇気のない声。アイとタケシは困ったように眉を下げる。

 とりあえず夕食を楽しもうということで、一行はサトシ達とナオト達に別れてそれぞれテーブルに座った。

 

 ────♪

 

「……あれ?」

 

 しばらくテーブルの上の食事に手をつけていると、ふいにどこからか笛の音が聞こえてくる。それと同時に壇上の明かりが灯され、島外の人間であるサトシ達とナオト達が何事かとその明かりに注目する。

 すると、花冠と巫女衣装を纏った女の子が笛の音と共に舞台脇から現れた。

 

「……フルーラ?」

 

 スパンコールを散りばめたベールをふわりと揺らし、いつかナオトが聞いた笛を奏でながら壇上を舞い踊るフルーラ。

 普段の彼女から想像もつかない、イメージと真逆と言ってもいいその神秘的な出で立ちにテーブルに座る観客達は思わず息を呑んだ。

 

 それはナオトも例外ではない。

 笛の歌口に当てられたフルーラの下唇にはリップが塗られており、より一層女性的な魅力を醸し出している。そんな彼女に一番目を奪われていたのがナオトであるということは、近しい者からしたら疑う余地もなかった。

 

 

 ──パチパチパチパチ……

 

 

 そして、演奏を終えたフルーラに拍手が贈られる。

 その拍手の中、フルーラはサトシの元へ向かうために壇上から降りた。それは位置的に、ナオトの目の前を通る形となる。

 

 しかし、フルーラはナオト達が座るテーブルを一瞥もせず走り抜けていった。

 ナオトの視界を、スパンコールの煌めくベールが風に乗ってふわりと通り過ぎていく。

 

「天地怒り、世界が破滅に向かう時! 海の神現れ、優れたる操り人と共に神々の怒り沈めん!」

 

 サトシの前で大きく身振り手振りを使って島に伝わる伝承を謳うフルーラ。そして跪き、上目遣いで乞うように彼に接する。

 

「……サトシ様。あなたが本当に優れた操り人なら、私達にその証拠を見せてください!」

 

 言葉を紡ぎ、フルーラはサトシの腕を取る。心なしか、サトシもそんな彼女に見惚れている様子であった。

 

「……サトシが女の子に見惚れるなんて、ポケモンゼミのセイヨさん以来だな」

 

 タケシがぼそりとそう呟く。ナオトは自分の胸がチクリと痛むのを感じた。

 

「でも、証拠たってどうしたら……」

「難しいこっちゃないわ。沖にある三つの島にある宝を取ってきて、本島の裏にある祭壇に納めるの」

 

 サトシは巫女の演技をスパッと止めたフルーラから操り人の試練となる儀式についての説明を受ける。すると、ポケモントレーナーとしての冒険心と好奇心に火が点いたのか、彼はおもむろに椅子から立ち上がった。

 

「オッケー! 今すぐ出発しよう!」

「ちょっと、そんな急ぐことないわ。お祭りは明日までなんだから、明日の朝だって構わないのよ?」

「今日出来ることは今日やっておく! 善は急げさ! それがオレの……いや、ボクの主義なんだ!」

 

 フルーラを意識してか、はたまた操り人という役目を意識しているのか、話し方を改めるサトシ。その言葉を聞いたカスミは「よく言うわ」と機嫌悪げに果物を口に放り込んだ。

 

「ようし気に入った! 私が船を出したげる! まずは火の島ね!」

 

 気合十分、意気揚々なサトシが気に入ったのか、彼をアーシア島まで運んだ船の船長がそう申し出る。

 

「ありがとう! 船長さん!」

「気が早いんだから。それじゃ、勇気ある操り人様に巫女から激励のプレゼントをあげるわ」

「え? プレゼントって──」

 

 サトシの言葉が途切れる。

 なんと、フルーラが彼の頬にキスをしたのだ。

 

「な、なっ……!」

「ミャアア……!」

 

 それを見たカスミが目を見開いて眉を釣り上げ、アイは顔を赤くして両手で自分の目を覆う。

 

「…………ッ」

 

 ナオトはもはやテーブルに視線を落として、サトシ達の方を見もしない。すぐにでもこの場から立ち去りたい衝動に駆られていた。

 

「……ええっと、あっ、そうだ! ナオトも一緒に行かないか?」

 

 キスされた気恥ずかしさを紛らわそうとしているのか、サトシが急にそんなことを言い出した。「えっ」とフルーラとナオトが同時に声を漏らす。

 

「だって、別に操り人が二人いたって構わないだろ。な? 行こうぜ!」

 

 そんな全く悪意のないサトシの言葉に、ナオトは思わずフルーラに目線を送る。彼女はそれに気づくが、スッと目を逸らしてしまった。

 

「……僕はいい」

「ええ、何でだよ?」

 

 フルーラの態度に一切のやる気も湧き上がらないナオトはサトシの提案を断った。

 それでもなおサトシは食い下がろうとするが──

 

「ピッカ!」

「あっ、おいピカチュウ!」

 

 相棒のピカチュウがテーブルに置いてあった彼の帽子を咥えて集会所を飛び出していった。どういうわけか急かすような様子を見せるピカチュウを、サトシは慌てて追いかけていく。

 船長も彼の後に続いていったところを見ると、恐らくあのまま火の島へと向かうのだろう。

 

「行こう、アイ」

 

 それを見届けたナオトは、そう言って席を立ち集会所を出て行こうとする。

 

「ナオト、どこに行くんだ?」

「やることもないし、もう寝るよ」

 

 タケシが投げた問いに、それだけ伝えて振り返りもせずに立ち去っていっていく。先ほど昼寝という名の不貞寝をして起きたばかりの奴が言う台詞ではない。単にこの場から早く離れたいだけだろう。

 

「……ミャ、ミャウ」

 

 アイはフルーラを気にして振り返りつつも、ナオトを追いかけて走り去っていった。

 

「……フルーラ。あんたちょっとナオト君に冷たすぎるんじゃない?」

 

 ナオトが去っていった後、成り行きを見守っていたヨーデルが口を開き、フルーラのナオトに対する態度を咎めた。

 

「家で世話してた時はあんなにグイグイ行ってたくせに。ジム巡りの旅だってあんたが無理に提案したんでしょう?」

「……お姉さんには関係ないでしょ」

 

 仏頂面でそう返すフルーラ。

 すると、二人の会話を聞いたカスミが「ふ〜ん、そういうこと」と口にした。それを聞きつけたフルーラが彼女をジロリと睨む。

 

「何よ?」

「あんたね、いくら彼の気を引きたいからって、サトシを()()()()()()にするのはやめてくれない?」

 

 フルーラは「あ、当てポ?」と頭の上に疑問符を浮かべた。

 どこか聞き覚えがある気がした彼女は、ナオトから借りたままのポケモン図鑑をポシェットから取り出して調べ始める。

 

『ポニータ。ひのうまポケモン。美しいたてがみは燃え盛る炎である』

 

 ポニータが馬のポケモンであることを知ると、フルーラは「ああ、なるほど」と呟いて頷く。

 

「気にしないで。ほっぺにキスなんて(あんなの)挨拶みたいなもんだし。私、お祭りの日に島を訪れたトレーナーにはいつもああしてるのよ」

「わ、わたしは別に気にしてなんかないわよ!」

 

 怒鳴り返すカスミだが、視線はフルーラの持つポケモン図鑑に向けられている。怒りよりも先に、その妙に次世代的なデザインのそれが気になっているようだ。

 

「な、何よそれ。ポケモン図鑑? サトシのとは随分違うみたいだけど」

「ええ。カロス地方にいるプラターヌ博士って人からもらったんだって……ナオトが」

 

 そう返したフルーラは手に持っているポケモン図鑑がナオトの物であることを思い出して、胸が苦しくなるような感傷に浸ってしまう。

 黙り込んでしまった彼女を見て、さすがに罰が悪そうな顔をするカスミ。

 

「カロス地方?」

 

 その時、フルーラの話を横で聞いていたケンジがカロス地方という単語に反応した。そして、額に指を当てて何やら思い出そうとしているような仕草を見せる。

 

「う~ん、やっぱりどこかで…………あーーッ!!」

「ひゃっ!? い、いきなり大声出さないでよ!」

 

 カスミが文句をぶつけるが、ケンジは彼女を含めた驚いている周りの者達を尻目にものすごい勢いで自分のリュックを漁り始める。

 

「あった! ほら、コレ見て!」

「何なのよ一体……」

 

 ケンジがリュックから取り出して広げた雑誌を、カスミは呆れた声を出しながらも目を通す。フルーラとタケシも横から覗き見た。

 

「……えっ」

 

 フルーラが無意識の内に声を漏らす。

 開かれたそのページには、なんとナオトの顔写真が載っていたのだ。

 

「どこかで見たことがあると思ってたんだけど、カロス地方って聞いて思い出したよ。彼、カロスリーグ・デルニエ大会で準優勝したトレーナーだったんだ!」

「準優勝!?」

 

 興奮気味にそう話すケンジと、その好成績に驚くカスミ。

 

「貸してっ!」

 

 フルーラはその雑誌を横から掻っ攫い、食い入るようにして開かれたページに目を通す。

 

「……この雑誌って、各地で開かれたポケモンリーグの情報をまとめた奴だよな?」

「うん。僕はポケモンウォッチャーだからね。もちろんポケモンリーグの情報も集めてるってわけさ」

「準優勝なんて、セキエイ大会ベスト16のサトシがなんで勝てたのよ」

 

 横でタケシ達の会話が交わされるが、雑誌の内容を読むフルーラの耳にはそれらがフィルターがかかったように小さく聞こえた。

 

 雑誌には、ナオトが準決勝を制したものの大会のクライマックスを飾る決勝戦に姿を現さず、辞退扱いとなったことが書かれていた。

 決勝戦の相手であったタクトというトレーナーも、不戦勝で優勝カップを受け取るわけにはいかないと言って会場を立ち去ってしまったので、デルニエ大会は過去開催されたリーグでも例を見ない優勝者なしの大会となってしまったのだという。

 

 ナオトが決勝戦に姿を現さなかった原因は、十中八九準決勝で起こった事件にあるだろうと推測する文章が書かれている。

 バンギラスが、相手ポケモンを瀕死の重傷に追いやってしまったのだ。

 

 関係者によると、準決勝戦を前にして彼が出場登録させていたポケモンのほとんどが突然体調不良を訴えたのだという。正常なのはゾロア……つまりアイとゲンガーだけであった。そこにバンギラスがそのタフさで体調不良を抱えたまま出場することを強行したのだが、それでも実質アイとゲンガーのニ匹のみでバトルするようなものであった。

 結局ナオトは何か理由があったのかそのような状態でも準決勝戦に臨み、相手ポケモン六匹の内の四匹を倒すことに成功する。

 

 だが、五匹目でその事件は起こった。

 アイとゲンガーが倒れ、ナオトがやむをえず満身創痍のバンギラスを繰り出したその時、不調のはずのバンギラスが鬼のような勢いで相手ポケモンを完膚無きまでにノックダウンさせたのだ。

 

 続く六匹目、最後のポケモンもあっという間に蹂躙してしまうバンギラス。審判によってナオトの勝利が告げられた。

 しかし、バンギラスは止まらなかった。倒れている相手のポケモンに対して攻撃を止めなかったのだ。

 審判の声で正気に戻ったナオトがボールに戻したことにより間一髪の所で相手のポケモンは命拾いしたが、ナオトはそれがトラウマとなって決勝戦を辞退したのだろう。

 

 当初あんな惨状を引き起こしたナオトへのバッシングはひどいものであった。

 しかし、リーグが終わって数日後、チャンピオンリーグマスターのカルネとその友人が進ませた調査によって、相手トレーナーのソウマがナオトのポケモンの食事に遅効性の毒物を仕込んでいたことが発覚したのだ。リーグでの一連の対戦相手にも似たような手を使っており、そこから尻尾を掴むことができたのである。

 ソウマはその後、全リーグの出場権を永久剥奪されたらしい。

 

 だが、一度不名誉な晒しを大々的に受ければ、後でそういった事情があったことが判明しても人はそれを感知し辛い。ポケモンを暴走させて相手を半殺しにしてしまった事実に変わりはないのだから。それ故に、今でもナオトをポケモントレーナー失格と罵る者が後を絶たないという。

 

「………………」

 

 一気にその内容を読んだフルーラ。

 ナオトがポケモンを家族のように思っていることはよく知っている。そんな彼が家族に毒なんて仕込まれたらその怒りはどれほどのものか、フルーラには想像に難くなかった。

 ケンジから同じ内容を聞いたカスミとタケシも、言葉を失っている。

 

 

「──あら、雨?」

 

 

 その時、片手を広げたヨーデルが空を見上げてそう呟いた。見ると、確かにポツポツと雨が降り注ぎ始めている。

 

 それはあっという間に豪雨となった。

 今朝とは比べ物にならないほどの嵐が吹き荒れ、集会所の松明を消していく。海は豹変したように牙を立て始め、渦潮を前にしても突き進むフルーラでさえ出港を躊躇してしまうほどの荒れ様だ。

 

「どうなってるの……こんな嵐、初めてだわ」

 

 吹き荒れる嵐を前にして、フルーラが呟く。

 今、火の島へ向かっているであろうサトシ達はこの嵐の海の真っ只中にいる。難しくないと言って説明したが、これでは難しいどころか命を落としかねない。

 しかも送り出したのは自分だ。加えて、フルーラはこの嵐がただの嵐でないことを何となく感じ取っていた。

 

「お姉さん、私行ってくる!」

 

 突き動かされるような衝動に駆られ、フルーラは集会所を飛び出す。サトシ達を助けに行くべく、港の方へ向けて駆け出し始める。

 

「馬鹿! あんた、こんな嵐の中に船を出したりなんかしたら死んじゃうわよ!」

「そうじゃ! しかもワシの船じゃぞ!」

「お爺ちゃんは黙ってて!」

「はい!」

 

 そんな漫才を挟みながら、ヨーデルがフルーラを引き止めた。

 

「大丈夫だってば! 私みっちゃんより船の操縦上手いし! それにこのまま誰も助けに行かないなんてわけにもいかないでしょ!?」

 

 自信満々に返すフルーラ。

 事実、船の操縦に関してアーシア島でフルーラの右に出る者はいない。それだけにヨーデルも言葉を詰まらせてしまった。

 

「……分かったわ。行ってきなさい、フルーラ」

「ヨーデル!」

「この子は言い出したら聞く子じゃないわ。お爺ちゃんだってよく知ってるでしょう?」

「た、確かにそうじゃが……そ、それならナオト君に一緒に来てくれるよう頼んでみたらどうじゃ? ポケモントレーナーの彼なら、いざという時に頼りになるだろうて!」

 

 少しでもフルーラの助けになればとそう提案する長老。しかし、当のフルーラが「……駄目よ」と首を横に振る。

 

「あいつ、運動神経ないくせに無茶ばっかりするから……それに、これ以上私の勝手で傷つけたくないの」

 

 そう言って、フルーラは再び港に向かって駆け出していった。

 

「フルーラ!」

「あ、あたしが一緒に行きます!」

 

 カスミがフルーラの後を追いかけて走り出す。何だかんだ言って、彼女もサトシのことが心配なのだろう。それに続こうとしたケンジが一度立ち止まってタケシの方を振り返った。

 

「タケシは?」

「……いや、俺はちょっとやることがあるから残る。サトシのこと、頼んだぞ」

「うん、分かった!」

 

 ケンジはタケシの返事に頷いて答え、急いでカスミとフルーラの後を追いかけていく。

 

「…………」

 

 それを見届けたタケシは、彼女らとは別の方向──ナオトが歩き去っていった先を見据えるのであった。

 

 




恋愛物って喧嘩やすれ違いがあってこそ盛り上がると思うんですよね。
次回は明日投稿します。

■お祭り
悪疫払いとか豊作祈願とか、色んな地方のお祭りを元にそれっぽくしてみた。

■フルーラ
サトシの頬にキス。彼女がヒロインのSSでそれをさせるのは悪手と批判されるかもしれないが、これも彼女というキャラクターを描く上で外せない要素。
フルーラといえばそのシーンと笛を吹いている姿を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。

■ナオト
完全に拗らせちゃった子。サトシという眩しすぎる存在に当てられてさらに塞ぎ込んでしまう。
サトシと同じようなタイプの主人公だと「じゃあ別にサトシでよくね?」となるので、あえて彼とは真逆の設定にしている。
人見知りでバトルを避ける、帽子は被らない、利き腕は左。共通点はポケモンが好きというところだけ。
フルーラの魅力を遺憾なく伝えるには、こういう頼りないタイプが丁度良い。




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24. ジラルダン、ふたたび ▼



今回、原作の展開とあまり変わりがありません。
ご容赦ください。



 火の島を目指し、叩きつけるような激しい雨と荒波を掻き分けるようにして船を突き進めるフルーラ。その船には彼女を追いかけてきたカスミとケンジも同乗していた。

 

「でも、正直見直したわ」

「何が?」

 

 ひどい揺れにも構わず、ふいにカスミが口を開いてフルーラにそう告げた。フルーラは彼女の方を振り向いて首を傾げる。

 

「ナオト君を連れていかなかったことよ。弱い男の子を守ってあげるのがホントの女の子だものね」

「あら、気が合うじゃない」

「ちょっ、前! 前!」

 

 その横で、あたふたと慌てるケンジ。見ると、前方から船を覆い潰すほどの高さの波が迫ってきていた。

 

「任せて!」

 

 波を前にして、フルーラはポシェットからモンスターボールを取り出して投げた。宙でボールが開き、光が夜闇と降り注ぐ雨を照らす。

 

「シャワッ」

「嘘っ! シャワーズ!?」

 

 中から出てきたシャワーズを見て、カスミが驚きを含んだ歓声を上げる。

 

「シャワーズ! ハイドロポンプよ!」

「シャワアァ!」

 

 ハイドロポンプを指示されたシャワーズは、その小さな口から想像できないほどの大量の水を迫る大波に向けて怒涛の勢いで放出する。みずでっぽうの比ではないそれは見事に大波を撃ち抜き、二股に割いてみせた。フルーラ達の船はその間を難なく通り抜けていく。

 

「いいなぁ、シャワーズ……」

 

 船頭に着地したシャワーズを見ながら、羨ましそうに呟くカスミ。

 

「そう? この子誰に似たのかってくらい性格きついわよ。ゲットしたばかりの頃なんてちっとも言うこと聞いてくれなかったんだから」

「上等! わたし、みずタイプのポケモンを極めるのが夢なんだもの!」

 

 カスミは拳を握ってそう豪語する。彼女のフルーラに対しての一方的な悪感情はいつの間にか雨に流されていた。

 対するフルーラも散々ガンを飛ばしてきていたカスミが話してみれば意外と気が合うことが分かって、思わず笑みを浮かべている。

 

「ふ~ん。それならまずはナオトのコイキングに勝てなきゃね」

「え? コ、コイキング?」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 少し時は戻って、一方のナオト。

 彼は集会所を離れた後、村を適当にあちこち歩き回っていた。タケシには寝ると言ったものの、フルーラと喧嘩している状態で彼女の家に厄介になるなんて厚かましい真似は気が引けたからだ。

 

「あ、アイツ、例のバトルで負けた奴だ」

「オレンジリーグに挑戦してるって聞いたから、もっとできるかと思ってたんだけどな」

「ちょっと、よしなさいってば」

 

 そうして村を歩いている間、ナオトに注がれるのは住民達の蔑んだ目。普段なら少し気になる程度で済んでいただろうが、集会所での出来事のせいかナオトは無性にその視線から逃げたい気分に追い立てられていた。

 

 結果、彼は自然と足を向けたのは村外れの人気のない所。以前にも訪れた、例の古びた祭壇がある岬と続く洞窟だ。

 

「……はぁ」

 

 嘆息し、洞窟の入り口の壁に背を預けてドサリと腰を下ろす。

 

「ミャア」

 

 その隣に立ったアイが、ナオトの頭をよしよしと撫でた。励ましているつもりであろうそれを振り払うわけにもいかないし、する気力もないのでナオトはされるがままだ。

 ナオトの頭を撫で終えたアイはそのままぺたんと地面に座り、どこからか拾ってきた木の棒で土弄りをし始める。

 

「……アイ、ごめんな。ゲンガーを出すから、一緒にお祭りを楽しんできていいぞ」

「ミャウミャ」

 

 退屈なのだろうと思ったナオトはそう言って謝り、ゲンガーの入ったモンスターボールを手に取ったが、アイは首を横に振って笑顔を返した。お神輿や氷像を見て回ってもう十分楽しんだと言いたいのだろう。

 自分のことを気遣ってくれていることを嬉しく思いつつも、トレーナーとして不甲斐なさすぎる有様に申し訳なさを感じてしまうナオト。

 

 そこでふと、ナオトはあることを忘れていたことに気づき、バッグに手を入れる。中から取り出したのは、ウチキド博士から受け取ったGSボール。サトシに渡すよう頼まれたのだが、すっかり忘れてしまっていた。

 

 まあ、明日にでも渡せばいいだろう。

 そう呑気に考えるナオトの頭上に、間もなく暗雲が立ち込め始める──

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 何とか荒波を越えて火の島にまでやってきたフルーラ達。

 あれほど激しく降り注いでいた雨はいつの間にか止んでしまっていたが、未だ風は吹き荒れている。

 

「「わぁっ!?」」

 

 島に着いたことで少し気が緩んでしまったせいか、フルーラ達の船は波に攫われて船ごと高い岩山に乗り上げてしまった。

 そのすぐ近くの岩浜には、同じような形でみっちゃんの船が座礁しているのが見える。フルーラ達の悲鳴を耳にして、みっちゃんが船から顔を出した。

 

「貴方達、助けに来てくれたの!?」

「そうだけど、逆に助けが必要かも……」

「ああ~……みたいね」

 

 岩山の上にポツンと残されたフルーラ達の船。もう一度高波が来てくれでもしないと降りるのは難しいだろう。

 

「あの、サトシはどこにいるんですか?」

「彼なら島の頂上に向かったけど……」

「ええっ、嘘!」

 

 フルーラは信じられないとばかりに口を開く。

 こんな状況でまだ操り人の儀式を続けようとしているのか。頼んだのは彼女自身だが、やる方もやる方である。

 

「うわっ!?」

 

 その時、フルーラ達の船が強風に煽られて独りでに前へと動き始めた。船底がゴリゴリと嫌な音を立て、そのまま岩山からずり落ちようとする。

 

「わ、わわ、落ちるッ!」

 

 だがそこはフルーラ。冷静に操縦席の下にある取っ手を引っ張り上げる。そうして、以前ピンクのポケモン達がいた島でやったように帆を展開させた。

 広げられた帆が風を受け止め、眼下の岩浜に落下しそうだった船はぐわりと宙へ舞い上がる。フルーラは器用に取っ手を扱って帆を操作し、安全な速度で見事に頂上へと続く階段の上に着地してみせた。

 

「すごい……」

「で、でもっ」

 

 カスミが慌てた声を漏らす。

 無事に着地した船だったが、再び帆が強風に押され階段を削りながら上へと登り始めたのだ。

 

「ちょうどいいわ。このまま頂上まで行っちゃいましょう! サトシ君もいるわけだしね!」

「あ、あんたも大概ね……」

 

 そうして船は風の向くままに階段を滑走し、一気に宝が納められた祭壇がある頂上付近まで登りつめる。

 しかし、その視線の先でフルーラ達に背を向けた状態のまま何やら高らかに口上を述べている男女とポケモンらしき姿が目に入る。

 

「銀河を駆けるロケット団の二人には!」

「ホワイトホール、白い明日が──「ちょっと! そこどいてッ!」

「「えっ? ひゃあああぁぁーーッ!?」」

 

 間一髪で迫るフルーラ達の船を避けた二人組とポケモン。

 彼らが空けた道を通り、一行は石造りの門を潜って頂上に辿り着く。以前フルーラがナオトと一緒に足を踏み入れた場所だ。祭壇の前にはみっちゃんの言った通り、サトシとピカチュウがいた。

 

「「サトシッ!」」

「カスミ、ケンジ! それにフルーラさんも!」「ピッカ!」

 

 サトシの無事を喜ぶ一行であったが、サトシの手に握られている宝の珠を見たフルーラは呆れた顔で声を上げる。

 

「あのねぇ! 送り出した私が言うのもなんだけど、こんな天気の中でここまで来るなんて、あんたどういう神経してるわけ?」

「えっ? いや、でも、ピカチュウがさ……」

 

 ピカチュウに目を寄越し、困ったように頭に手をやるサトシ。

 カスミもフルーラに同意するように頷いた。

 

「ホントよ。こいつに付き合ってるあたしの苦労が分かるでしょう?」

「ええ、もちろん。カスミはサトシ君のことが好きなんでしょ? ようするに」

「ち、違うわよっ!」

 

「──ちょっと、アタシ達を轢き殺しかけておきながら何くっちゃべってんのよ」

「そうだそうだ!」

 

 そんな会話を繰り広げていると、横から女性と男性の声が割って入ってきた。

 見ると、先ほど轢きかけたばけねこポケモンのニャースを連れた謎の二人組があちこち汚れた状態でフルーラ達を睨みつけていた。着ている服はどことなくドミノの服に似ている。

 

「大体、アンタ達みたいなジャリ共が男女交際スキだキライだで揉めるなんて十年早いのよ!」

 

 二人組の片割れ、赤い長髪の女がそう悪態を吐く。

 

「あら、私達もう独り立ちできて結婚も出来る年齢なんだから、むしろ十年経ったら遅いくらいだと思うんだけど。というかあんた達誰よ?」

「こいつら、ロケット団のムサシとコジロウ! まあ簡単に言うと、サトシのピカチュウのストーカーね」

「へえ、私達もロケット団のドミノって女にストーカーされてたのよ。ホント、ロケット団ってロクなことしないのね」

 

 フルーラは話題に出しながらドミノのことを思い浮かべる。

 ビッグシティでロボットごと自爆して以来顔を見ていないが、今頃どこで何をしているのだろうか?

 

「失礼なガキ共だニャ。むしろニャー達はロケット団としてロクなことしかしてないのニャ」

「その通り。ロケット団の鏡とは、まさに俺達のことを言う」

 

 二人の会話を聞いたニャースが心外だとばかりに口を器用に動かして喋る。コジロウがうんうんと頷きながらそれに同意した。

 

(うん? 今あのポケモン喋らなかった?)

 

 フルーラがそう首を傾げた──その時だった。

 空に浮かぶ暗雲に、突如電撃が走ったのだ。

 

「な、何!?」

 

 見上げると、そこにはピカチュウの比ではない電撃をその身に纏った、まさに雷を体現したような怪鳥が空を舞っていた。

 

「あ、あれって、もしかしてサンダー……?」

 

 三鳥の内の一体であるファイアーと接触したことがあるフルーラは、その姿と纏っている神気を感じ取ってそう推察する。その特徴的な鋭い翼は羽ばたく度に煌めき、バチバチと身に宿した膨大な電気エネルギーを空気中に放電させている。

 しかし、雷の島にいるはずのサンダーがどうしてファイヤーの縄張りであるこの火の島に? 

 

「ギョーオ!」

 

 サンダーが祭壇の真上に舞い降りると、島全体が彼の膨大な電気エネルギーを受けてぼんやりと青く輝き始める。

 

「ピカ、チュゥゥーッ!」

 

 そんな中、ピカチュウが微弱な電撃をサンダーに向けて飛ばし始めた。

 

「ピカチュウ、何やってるんだ!?」

「そうか、きっと会話しようとしてるんだよ! でんきタイプのポケモンは電気で言葉を交わすことができるんだ!」

 

 ケンジがそう解説すると、サンダーからピカチュウに対して電気ショックを返してきた。微弱ではあるが、勢いの強いそれにピカチュウは弾き飛ばされてしまう。

 

「ッ、ピカ!」

「ピカチュウ!」

 

 転がってきたピカチュウを受け止めるサトシ。彼らの元へ、ニャースが会話の内容を聞くべく駆け寄った。

 

「ピカチュウ、サンダーは何て言ってたニャ?」

「ピカ、ピカピカ、ピカチュウ」

「ふむふむ……『この島の主はもういない。我々の主人も姿を現さない以上、私は私の好きにさせてもらう。この島はもう私の島だ』と言ってる?」

 

 ニャースがピカチュウから会話の内容を聞いて通訳しながら首を傾げる。

 

「我々の主人?」

「サンダーやファイヤー達に主人がいるってこと? そんな……」

 

 サトシ達やフルーラがそんな疑問を浮かべる中、サンダーがふいに上空を睨んだ。

 

「ギョォーッ!」

 

 そして、雲へ向けて放電する。

 その電撃に吸い寄せられるようにして現れたのは、島を覆い隠せるほどの巨大な飛行船。城のような形をしたそれは、所々鉄骨が丸出しで建設途中を伺わせるような出で立ちをしている。

 

「ナニナニ、何なのよアレは!?」

 

 ムサシが慌てふためく中、その飛行船の下部から四角形の形をした機械が幾つも飛び出してくる。

 

「あれって、まさか……!」

 

 それに似た物を見た覚えがあるフルーラが思わず声を漏らす。

 

「ギョア―!」

 

 近づいてきた機械を迎え撃たんとサンダーが飛び立つ。だが、機械は二手に分かれ、その片割れがフルーラ達の元に向かって来た。

 

「「「わああぁぁーっ!?」」」

 

 フルーラ達を囲った機械から電磁波がほどばしり、船ごと拘束されてしまう。その中にはロケット団の連中も含まれていた。

 そのまま宙を舞い、一行は飛行船へと連れ去られてしまうのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 雨が降ってきたために洞窟から出られなくなったナオトとアイは、止むのを待っている間にいつの間にか眠ってしまっていた。

 そんな彼の肩を、誰かが揺り動かす。

 

「──ナオト……ナオト、起きろ!」

「うっ……タ、タケシ?」

 

 ナオトが目を覚ますと、寝ぼけ眼の視界に映ったのはずぶ濡れの身体をしたタケシであった。今の今まで、ナオトのことを探していたらしい。

 目を擦ったナオトはタケシの姿を再度見て首を傾げる。彼の肩や頭には見慣れぬ白い粉のような物が積もっていたのだ。

 

「……は? な、何だこれ!?」

「ミャ……? ミャウッ!?」

 

 ナオトと続けて起きたアイはタケシ越しに洞窟の外を見て、眠気が吹き飛ばされるほど驚く。降っているのは雨ではなく、南国に似合わぬ雪であったのだ。

 

「雨はしばらくして止んだんだが、今度は雪が降り始めてな……」

 

 タケシが肩に積もった雪を払いながら話す。

 明らかに異常気象である。一体何が起こっているのだろうか?

 しばし呆然としていたナオトであったが、ハッと我に返る。

 

「……そ、そうだ。タケシ、フルーラは?」

「こんな天気の中サトシを送り出してしまったから、責任を感じてカスミ達と一緒に火の島へ向かったよ」

「そんなっ……大丈夫なのか?」

「フルーラの操縦の腕はナオトもよく知ってるだろう? ヨーデルさんも長老さんの家に避難してるみたいだから、俺達もひとまずそっちに向かおう」

「あ、ああ……」

 

 そう言って、タケシは洞窟を出て長老の家へと向かい始める。

 ナオトもアイを連れて彼の後に続くが、その顔は終始落ち着きがなく心ここにあらずといった様子であった。

 

 

 

 長老の家に着くと、長老とヨーデル、それに他に避難してきた島民達がテレビに釘付けになっていた。

 

『この深層海流、異常の中心はオレンジ諸島・アーシア島辺りと思われます。さらに原因は不明ですが、世界中のポケモン達がアーシア島を目指して移動し始めているようです』

「ヨーデルさん」

「タケシ君! 良かった、ナオト君見つかったのね」

 

 ナオト達はそのままヨーデルに並んでテレビに目を向ける。

 この報道はヘリコプター内から中継されているようだ。そのヘリコプターにはポケモン研究の世界的権威として有名なオーキド博士、それにウチキド博士が同席していた。

 リポーターがオーキド博士にマイクを向け、この異常気象についての解説を求める。

 

『アーシア島近辺には三つの島が存在し、そこにはそれぞれ火、雷、氷の神が住まうという言い伝えがある。話に出た深層海流はその神々の力によって作り出されたものなんじゃ。この海流は全ての生命の故郷である同時に、この星の気象と自然の調和を司る場所でもあるというわけじゃな』

『はあ。つまり、どういうことですか?』

『その神々のパワーバランスが何らかの原因で崩れた、ということです。ポケモン達は、自然界の滅亡を予感して集まってきているのだと思います。この星に住む生き物として何かしないではいられないという、その本能に従って』

 

 このままでは、世界は滅亡の道を辿ってしまう。オーキド博士とウチキド博士はそう語った。

 

「そんな……フルーラ」

 

 ヨーデルがこの大変な状況の真っ只中にいる妹のことを心配して、顔を曇らせる。

 

「……ッ」

 

 ナオトも同様にフルーラを案じて顔を歪ませる。早く助けに向かわなければ。しかし、自分が行って何かできるのかという思考がその行動を思い留まらせる。

 そんな彼の肩を、タケシが掴んで振り向かせた。

 

「ナオト、フルーラ達を助けに行こう」

「ミャウッ」

 

 アイもナオトの服の袖を掴んで、タケシと同様に訴えている。

 

「……でも、僕が行ったってしょうがないだろ。むしろ、こんな体たらくじゃ逆に迷惑かけるだけだ」

 

 しかし、ナオトはそうかぶりを振って答えた。

 その言葉に眉を潜めるタケシ。彼は窓を見て雪が止んでいるのを確認すると、おもむろにナオトの腕を乱暴に掴んで引っ張り始める。

 

「……ちょっと一緒に来い」

「ちょっ、な、何だよタケシ!」

 

 ナオトは突然のことに戸惑いながらも、逆らってはいけない空気を感じて大人しく従う。アイもあたふたとその後を追うのであった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 謎の機械によって飛行船の中へと連れて行かれたフルーラ達とロケット団は、船から降ろされて鳥籠型の檻に閉じ込められてしまっていた。

 

「ギヤーオ!」

「ギョォーッ!」

「サンダー……それに、ファイヤーまでいる!」

 

 両隣には機械の輪で拘束された状態のままのサンダーとファイヤーがいた。

 ファイヤーは以前ナオトとフルーラを襲った、あのファイヤーだろう。火の島にいなかったのは、サンダー同様捕まっていたからだったのだ。

 

「これは……」

 

 サトシ達がその二体に注目している中、フルーラは目の前にあるショーケースの中の石版を檻越しに見て目を見開く。その石版には、アーシア島の岬にある石碑と同じ内容が書かれていたのである。

 

 その時、中央に聳えていた柱が突然下へと下がり始めた。

 降下するその柱の上には、人一人が座ることができる玉座が備え付けられている。そこに座っている人物を見て、フルーラが声を上げた。

 

「やっぱり……あんただったのね!」

「招待状もなしに誰がやってきたかと思えば、いつか出会った娘ではないか」

 

 その人物──ジラルダンは、以前会った時と同じ紳士的な笑みを浮かべたまま、招かれざる客を歓迎する。口振りからして、フルーラ達は彼の意図せずして巻き込まれてしまったようだ。

 

「ジラルダン! あんた、よりにもよってファイヤー達を狙ってたなんて!」

「知ってるの?」

「前にピンカン島でピンク色のトランセル達を同じような方法で捕まえようとしてたの。自分のコレクションに加えるとか何とか言って。その時はナオトと一緒に止めたんだけど……」

 

 それを聞いたジラルダンは檻に閉じ込められている者達を順に見比べ始め、「彼は一緒ではないのかね?」とフルーラに尋ねた。彼、とはナオトのことだろう。

 

「ナオトならいないわよ」

「そうか……彼とはぜひ改めて交渉したかったのだがね」

 

 本当に残念そうに呟くジラルダン。

 そこへ、隅にある扉が開いて一組の男女がフルーラ達のいるコレクションルームに入ってきた。二人共胸にRのマークが書かれた服を着ているが、男の方はなぜか仮面を被っている。

 

「アイツら、もしかしてロケット団?」

「なんですって!? ちょっと、そこどきなさいよ!」

 

 彼らを見たケンジの呟きを聞いてムサシがサトシ達を押し退けようとする中、仮面の男がジラルダンに向かって口を開いた。

 

「どうやら、サンダーの方も無事に捕獲できたようですね」

「ああ、見ての通りだよ。やはり、キャプチャーリングの耐久性を改良するよう頼んだ私に間違いはなかったようだね」

 

 皮肉るような態度のジラルダンに、仮面の男は「フンッ」と小さく鼻を鳴らす。

 その男の影に隠れる形でいた女の顔を見たフルーラは、あっ! と声を上げた。金髪の巻毛に切れ長の目。間違いない、ドミノだ。

 

「ドミノ! あんた、ジラルダンとグルだったのね!」

 

 フルーラの糾弾に対して、ドミノはそっぽを向いて知らん顔を決めている。

 

「ほお……元Aクラスナンバーズのお前が、まさかあんな子供と知り合いとはな」

「はんっ、知らないわよ。あんなガキ!」

 

 仮面の男の嫌味な言葉に、ドミノはそう乱暴に返す。

 そして、今度はムサシとコジロウが男を見て声を上げた。 

 

「あっあっ、貴方様は! ロケット団最高幹部の……」

「仮面のビシャス様!?」

「ニャ―達、巻き込まれて掴まってしまったんですニャ! 早く出してくださいニャ~!」

 

 ロケット団はそう助けを求めるが、ビシャスと呼ばれた男は仮面の上からでも分かるぐらいに眉をひそめた。

 

「誰だ? コイツらは」

「さあ。どうせ下っ端の下っ端でしょう」

 

 ゴミを見るような目で彼らを一瞥する二人。

 

「そんなことより、残るはフリーザーだけだ。そっちはどうなっている?」

 

 ビシャスの問いに対して、ドミノが腕に抱えていた端末を操作して答える。

 

「フリーザーは氷の島から移動を始めたみたいね」

「では、私は捕獲作業に戻らせてもらおう。君達は引き続きキャプチャーシステムの調整を続けたまえ」

 

 ジラルダンはそう言って玉座に座り直し、柱を上昇させて天井の上へと移動していった。

 

「……そいつらが妙な真似をしないよう監視しておけ」

 

 ビシャスはドミノにそう言いつけ、コレクションルームを出ていく。

 それを見届けたドミノは檻に近づいて檻越しにフルーラを煽り始めた。

 

「いい気味ね、ジャリガール。貴方みたいなピーピーうるさいガキはその鳥籠の中がお似合いよ」

「なんでロケット団があんな奴と協力してるんだ!」

「そうよ! ポケモンをコレクションにしようだなんて、捕まえるなら正々堂々とバトルしてゲットしなさいよ!」

 

 サトシとカスミが文句をぶつけるが、ドミノは「ハッ!」とせせら笑う。

 

「ロケット団の辞書に正々堂々なんて言葉があると思って? あのジラルダンっていう紳士気取りはスポンサーよ。伝説のポケモンを自分のコレクションに加えるために、ロケット団に投資してあのキャプチャーシステムと捕獲用のリングを開発させたってわけ」

 

 どこか他人事な態度でそう話すドミノ。フルーラはそんな彼女を檻の柵を握って睨みつける。

 

「ドミノ、あんた自分達が何をやってるのか分かってるの? このままじゃ、世界が大変なことになるのよ!」

「ど、どういうこと?」

 

 突然話のスケールが上がったことに戸惑うカスミ。フルーラは先ほど見た石版を牢越しに指差した。

 

「火の神、雷の神、氷の神に触れるべからず。されば天地怒り、世界は破滅に向かう……アーシア島に伝わる言い伝えは本当だったのよ!」

 

 事実、飛行船の窓から覗く空は吹雪が舞っていた。こうしてファイヤー達が捕らえられたことで世界は異常な状態に陥っているのだ。

 

「分かったら早く檻から出して! あんただって世界を破滅させたいわけじゃないでしょ!?」

「そ、そうだ! 世界がなくなったら、悪いこともできなくなるぞ!」

「世界の破滅を防ぐため、世界の平和を守るため、愛と真実の悪を貫くのがロケット団でしょうが!」

 

 フルーラに加えて、コジロウとムサシも説得に加わる。

 

「そのことについてはアイツ……ビシャスも把握済みよ。私は何も聞かされちゃいないけど、何かしらの対策ぐらいは用意してるんじゃない? 仮にも特務工作部から幹部にまで成り上がってきたヤツですもの」

 

 そう返すドミノ。ムサシ達によるとビシャスはロケット団の最高幹部らしいが、ドミノからは彼に対する敬意は全くと言っていいほど感じられなかった。

 

「そんなの信じられるか!」

「そうだ! ロケット団の作るメカなんていっつも欠陥品じゃないか!」

「あらまー、はっきりと言ってくれっちゃって」

「俺達だって頑張って作ってるんだぞぉ……」

「常に予算不足にゃからどこかしらに欠陥があるのは仕方ないのニャ……」

 

 ケンジとサトシの言い分に、人知れず嘆くロケット団。

 

「ドミノ……っ!」

 

 フルーラが懇願するようにドミノを見つめる。

 その視線から目を逸らしていたドミノはふいに檻の中に目を通し始め、目当ての人物がいないことを確認する。

 

「……そんなことより貴方、いつものジャリボウヤが見当たらないみたいだけど……まさか、喧嘩でもしたのかしら?」

 

 口端を歪めてそう尋ねるドミノ。

 図星を突かれたフルーラは思わず目を伏せてしまう。それを見たドミノは上機嫌になり、檻越しにフルーラの目の前まで近づいた。

 

「あら、やっぱりそうなの? ということは、あのジャリボウヤは島に置いてけぼりってわけ。ふ~ん。へ~、そう。じゃあせっかくだし、ゾロアのついでに私が頂いちゃっても構わないわよね」

「は、はぁ? ダメに決まって──」

 

 フルーラは思わず檻から身を乗り出そうとする。そんな彼女の襟元にドミノがスッと鍵を忍ばせた。

 

「えっ」

 

 フルーラは動揺しながらもその鍵とドミノを見比べる。彼女は愉快そうに笑みを浮かべていた。

 

「冗談よ冗談……さてと、貴方達の監視なんて退屈すぎてやってらんないから、私は私で好きにさせてもらうわ。それじゃごきげんよう、バッハハーイ」

 

 そう言って、ドミノは扉の向こうへと去っていってしまった。

 

「あっ、待ちなさいよ!」

「檻を開けてけ!」

 

 周りが騒ぐ中、その場にしゃがみこむフルーラ。

 ドミノから渡された鍵を襟元から取り出し、柵の隙間から腕を突き出して手探りで檻の下に手をやる。丁度いいところに鍵穴があるのを見つけたので、そこに鍵を挿し込んで回してみた。

 

「「うわぁっ!?」」

 

 ガチャッという音と共に檻の底が開き、フルーラ達は床に落ちる。檻から脱出することができたのだ。

 なお、フルーラ以外の者達にとっては突然底が抜けたようなものなので、当然身構えることもできず各々尻もちを突くなど痛みに悶絶している。

 彼らを尻目にフルーラはすぐさまモンスターボールを投げ、シャワーズを出す。

 

「シャワーズ! ハイドロポンプよ!」

「シャワァッ!」

 

 そして、ファイヤーを閉じ込める機械──キャプチャーリングに向けてハイドロポンプを放たせる。次いで、サトシの方へと振り返った。

 

「何してるのサトシ君! 早くファイヤー達を助けなきゃ!」

「あ、ああ! 頼む、リザードン! フシギダネ!」

「グオオッ!」「ダネッ!」「ピッカ!」

 

 サトシがリザードンとフシギダネを繰り出し、ピカチュウと合わせてそれぞれの得意とする攻撃を放った。

 

「コジロウ、アタシ達もやるわよ! アーボック!」

「おうっ! マタドガス!」

 

 それを見たムサシとコジロウも、サンダーを解放しようとアーボックとマタドガスを出し、どくばりとたいあたりでキャプチャーリングを攻撃する。

 

「え~っと、ハイドロポンプに10まんボルト……H2とOに分かれるから……」

「ちょっとケンジ、さっきからうるさいわよ」

 

 ピカチュウ達が攻撃している様を見て、何やらブツブツ呟いているケンジ。

 

「そこにかえんほうしゃと来れば……うああっ! みんな伏せろ!」

 

 そんな彼が急にそう叫んだ。

 

 ──瞬間、爆発。

 吹き飛ばされるフルーラ達。ロケット団も巻き添えを食らってルームの隅まで飛んでいった。

 

「な、何が起こったんだ?」

「水素爆発だよ! 水が電気分解されてできた水素にリザードンの炎が引火したんだ!」

「でも、これだけの爆発ならあの機械も壊せたんじゃ……」

 

 カスミが期待の混じった声を漏らす。

 彼らが見守る中、舞い上がった煙がゆっくりと晴れていく。

 

「そ、そんな……」

 

 しかし、煙が晴れた先には依然としてリングに閉じ込められているファイヤーの姿があった。

 あれだけの爆発を受けてもビクともしていないようである。

 

「っ、もしかしたら……」

 

 フルーラの頭の中で先ほどのジラルダンの言葉が思い出される。

 

『やはり、キャプチャーリングの耐久性を改良するよう頼んだ私に間違いはなかったようだね』

 

 確か、そう言っていた。

 つまりフルーラ達がピンカン島であのリングを壊すことに成功したことによって、より強固に改良されてしまったのだ。

 

 これではファイヤー達を助けられない。

 フルーラはその事実に打ち伏せられて、床に尻もちを突いた体勢のまま起き上がることができない。

 

(もし……もし、ナオトがここにいたら)

 

 あの規格外のバンギラスであればファイヤー達を助けられるかもしれない。そのような考えが頭を過ぎった瞬間、フルーラはぶんぶんと首を横に振った。

 そんなことをすれば、またナオトが辛い思いをするだけ。彼をそんな目に合わせたくなくて本島に残してきたんじゃなかったのか。

 

 フルーラはおもむろに立ち上がると、リングに捕らわれたファイヤーの元へと駆け出す。そして、あろうことか電磁波の走るそのリングを素手で掴んでこじ開けようとし始めたのだ。

 

「……ッ!」

 

 電磁波によって皮膚が焼かれる音と今まで感じたこともない激痛にフルーラの顔が歪む。

 

「フルーラさん!」

「ちょっと、あんた何やってるのよ!?」

 

 サトシが声を上げ、カスミが騒ぐ。

 しかし、フルーラは彼らの声が聞こえていないのか、振り返りもせずリングを握って引っ張り続ける。

 

 ユズジムであんなことになってしまったのも私が旅に誘ったせい。

 嫌だって言ってたのに無理矢理操り人にしようとしたのも私。

 喧嘩して突き放したのも、私だ。

 

 ナオトを頼っちゃいけない。頼る資格なんかない。

 

「だから、私が何とかしなきゃ……ダメなのよ!」

 

 フルーラがそう叫んだ、その時であった。

 彼女の身体が、突然ぼんやりと青く光り始めたのだ。

 

「えっ……!?」

 

 その光は煙のように瞬く間に広がり始め、ファイヤーはおろかサンダーを拘束していたリングをも包み込む。

 サトシ達がその光景に目を奪われていると、光に包まれたリングからほどばしっていた電磁波が途切れる。そして、リングはカランカランという乾いた音を立てて床に落下した。

 

「ど、どういうこと……?」

 

 何が起こったのか分からず呆然とするフルーラとサトシ達。

 

「ギヤーーオッ!」

「ギヨーーッ!」

 

 解放されたファイヤー達が咆哮を上げる。

 サンダーがその身体が電気を迸らせ、強力なかみなりをファイヤーに向けて放った。

 

「ギャッ!」

 

 ふいを突かれたファイヤーは、それによって飛行船の壁ごと外へと吹き飛ばされてしまった。

 サンダーは翼を広げ飛び立ち、その後を追う。

 

「何事だッ!?」

 

 ルームの扉がバンッと開き、ビシャスが慌ただしげに入り込んできた。

 キャプチャーリングが壊されファイヤーとサンダーが逃亡しているのを見た彼は眉を潜めて舌打ちする。そして、遅れて呑気に入ってきたドミノを振り返った。

 

「見張りのはずのお前は持ち場を離れて何をやっていた?」

 

 そう追求するビシャスに、ドミノは心底どうでも良さげに笑う。

 

「申し訳ございません。ちょっとお花を摘みに行ってたもので。まさか、ビシャス様ご自慢のキャプチャーリングがあんなジャリ共にどうにかされてしまうだなんて、全く、これっぽっちも、思いもしませんでしたから」

 

 ドミノの嫌味たっぷりなその言葉にビシャスは顔を歪ませる。今頃ジラルダンも状況を把握して焦っているところだろう。

 が、その瞬間飛行船がガクンッと傾き始めた。外に飛び出たファイヤーとサンダーが飛行船のプロペラを破壊したせいで、航行不能になってしまったのだ。

 

 飛行船は黒煙を上げて目的地であった氷の島を通り過ぎる。

 そして、その先にある雷の島へと墜落していった──

 

 




もうお察しかと思いますが、ルギア爆誕本編の内容は然程原作と変わりありません。少なくともラスト間際までは。サトシの活躍を邪魔するようなことはしたくないので。
じゃあナオトは蚊帳の外のままで終わるのかと言うと、そういうわけではないのでご安心を。彼は彼でルギア爆誕的なことをします。

■カスミ「弱い男の子を守ってあげるのがホントの女の子」
無印編第9話『ポケモンひっしょうマニュアル』でカスミが発言した言葉。実にカスミらしい台詞。
別の話では「料理は男の仕事」とも口にしている。

■ニャース
原作の映画だとピカチュウとサンダーの電気による会話を直接通訳している。
いや、お前でんきタイプちゃうやろ。なんで電気会話が理解できるねん。

■ジラルダン
原作同様、これ以降ほとんど出番はない。
実は『我はコレクター』というキャラソンが存在する。

■ビシャス
『セレビィ 時を超えた遭遇』に登場したロケット団最高幹部の一人。このSSでは元特務工作部という設定。
元々は『ライコウ雷の伝説』のブショウとバソンを出す予定だったが、あまり登場人物を増やすと台詞回しや扱いに困るので彼一人に変更した。
捕まえたポケモンを凶悪に変貌させるダークボールを開発、所持している。




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25. ナオトVSタケシ! ▼

 タケシに連れて行かれたその場所は、昼にナオトがサトシとバトルした広場であった。

 

「こんな所に連れてきて、一体何をするつもりなんだ?」

 

 そう文句を投げかけるナオト。アイも彼の隣で不安そうにしている。

 トレーナーポジションに積もった雪を足で除けたタケシは、おもむろに懐からモンスターボールを取り出し、ナオトに向けた。

 

「ナオト、俺とポケモンバトルしろ」

「えっ……はあ?」

 

 予想外のその申し出に、ナオトは思わず呆けた声を出してしまう。

 

「こんな時に、どうしてタケシとポケモンバトルしなきゃならないんだよ?」

「こんな時だからだ。今回だけは、俺はジムリーダーとしてお前とバトルする。だから、お前もジム戦をするつもりでかかってこい」

 

 当然の疑問を返すナオトだが、タケシはそう一方的に返すだけ。

 

「さあ、トレーナーポジションに立て」

「……わ、分かったよ」

 

 タケシの有無を言わせないという佇まいに押され、ナオトは不承不承といった態度でアイと一緒に彼の向かい側のポジションに立つ。

 

「使用ポケモンは一体。お互いの手持ちの中で一番強いポケモンで勝負だ」

 

 タケシが伝えてきたルールに、ナオトは眉をしかめる。

 ナオトの手持ちの中で一番強いポケモンとは言えば──アイツしかいない。正気を疑うような視線を向けると、タケシはしたり顔で返した。

 

「そうだ、ナオト。バンギラスで来い」

「な、何馬鹿なこと言ってるんだ!?」

 

 目を見開いて怒鳴るナオト。いくら元ジムリーダーで実力が確かなタケシであっても、あのバンギラス相手では自殺行為もいいところだ。

 

「タケシだってユズジムの惨状を見てただろ! なのにどうして……自分のポケモンが大事じゃないのか!?」

「……大事さ。俺はポケモンを大事に思う気持ちなら、サトシにだって負けないつもりだ。そしてナオト、お前にもな」

 

 その言葉と、瞼を開けていないのに伝わってくる真剣な眼差しにナオトは口を噤む。

 

「大事に思ってるからこそ、俺は俺のポケモンがお前のバンギラスに負けないと信じている……それともナオト、お前は俺のポケモンがそんなに弱いと思っているのか? だったら、自惚れるのもいい加減にしろよ」

「何だと……っ!」

 

 タケシらしくもない挑発するような言い草に、ナオトは朽ちかけていたプライドを刺激されて無意識に拳を握りしめる。

 

「違うって言うのか? そうやって真剣にバトルを申し込む相手をいつも見下してきたんだろう?」

 

 タケシの責めるような言葉が続く。

 ナオトはわなわなと手を震わせながら、ベルトに取り付けられたモンスターボールを手にする。バンギラスの入ったボールを。

 

「ミャアッ」

 

 モンスターボールに触れるナオトの左手を、アイが咄嗟に両手で覆い塞ぐ。首を横に振って、ダメだよと言う顔で彼を見上げた。

 動きの止まったナオトを見てタケシはわざとらしく溜息を吐き、最後の追い打ちをかける。

 

「……そんな小さな女の子に庇われているようじゃ、フルーラがサトシの方に目移りするのも当然だな」

 

 ────ッ!!

 

 今最も聞きたくない言葉を投げかけられ、ナオトの頭の中でプツンと何かの糸が切れる。

 ナオトはアイの手を振り払い、モンスターボールを掴んだ。

 

「ミャウ、ミャミャア!」

 

 アイの声も耳に入れず、ボール片手にタケシを睨む。

 

「どうなったって、知らないからな……!」

 

 そう呟き、ナオトはボールを振りかぶって投げた。

 

 月も見えない曇天の夜の下、ボールから漏れ出した光が広場を眩く照らし出す。

 それは瞬く間に何倍もの大きな光の塊となり、ナオトとタケシの間に巨体──バンギラスがその姿を現わした。

 まさに怪獣という表現が相応しい出で立ちのそれは、閉じていた瞼をゆっくりと開き眼前のタケシを静かに見下ろす。それは嵐の前の静けさというものをそのまま体現しているようであった。

 

「さすがの威圧感だな……だが、それでこそだ」

 

 タケシは巨影を前にしてもそう言って笑い、懐からモンスターボールを取り出した。

 

「こっちも、俺の最初のポケモンにして最強の相棒で行かせてもらう。出てこい、イワーク!」

 

 タケシが放り投げたボールが宙で開き、光を放ってバンギラスを照らす。

 その光はバンギラスの時と同様に大きな姿を形作り、屈強な岩の巨蛇が顕現する。

 

「グオオオッ!」

 

 いわへびポケモン、イワーク。体長8.8メートル。

 尻尾の先がとぐろを巻いている状態だが、それでもナオトのバンギラスの背丈とほぼ同じ大きさであった。その事実が、彼も怪獣と呼ぶに相応しい存在であることを主張している。

 自然界のバランスが崩壊し世界に危機が迫っているという切迫した状況の中、どうしてこんな小島で二体の怪獣が争うことになったのか。いや、そういう状況だからこそなのもしれない。

 

 生憎、審判を担当する者がいない。

 唯一アイだけがこの勝負を見届けられる位置にいるが、両手を胸の前で合わせて不安そうにしている彼女にそれを任せられないだろう。

 

 何が起ころうと止められる者はいない、審判なしの真剣勝負だ。

 

 ナオトとタケシ、双方の間に重く鋭い静寂が訪れる。

 これまでにないほどの緊張感が荒波の音さえも聞こえなくさせていた。

 

 

「ギラアアァァーーッ!!」

 

 

 そして、その静寂が前触れもなく突如破られる。

 その下手人は、無論ナオトのバンギラス。破壊の化身は目の前の岩の塊を敵対者と認識し、主の指示を待たずしてその牙を剥いたのだ。

 

 地鳴りを起こしながらイワークに肉薄するバンギラス。風圧など物ともせず迫りながら右手を振り被って力を溜め、メガトンパンチをお見舞いした。

 イワークに対してノーマルタイプのわざは悪手でしかないが、このバンギラスにおいてはその身に余るデタラメなパワーが相性の差を覆してくれるはず。

 

「イワーク!」

「グオオッ!」

 

 だが、その豪腕は空を切った。

 イワークはその蛇型の身体をくねらせ、さらにバンギラスのパンチの風圧をも利用して紙一重で避けてみせたのだ。

 クリスタルのイワークに対しては不器用な接し方をしていたが、身のこなしは器用ということか。微笑ましく思えてくるほど主人に似ている。

 

「ラアァッ!!」

 

 バンギラスは構わず連続でメガトンパンチを振るう。

 しかし、それらは全てイワークの器用な身のこなしによって避けられてしまう。

 

「──ァァ!」

 

 当たらない攻撃に苛立ちが募ったのか、バンギラスは余計な力の込もった大振りのパンチを繰り出す。例によってそれも躱され、勢いを殺し切れずバランスを崩す。

 

「イワーク、しめつけ攻撃だ!」

 

 すかさずタケシの指示が響く。

 指示を受けたイワークは空振った体勢のままのバンギラスに自身の身体を巻き付け、力を込めてギチギチと締め上げ始めた。

 しかし、イワークの力は見た目ほどには強くない。バンギラスと比べてその差は歴然だ。

 

「バンギラス!」

 

 ナオトの声を皮切りに、バンギラスが気を張り始める。

 身体にパワーが溜め込まれ、熱を帯びて膨張。その状態でバンギラスは無理矢理身体を動かし、己を締めつけるイワークを押し退け始めた。

 

「グ、オオオ……ッ」

 

 自身の力以上の力で押され、堪らずイワークはバンギラスに巻きつけていた自身の身体を解いてしまう。

 間髪入れず、バンギラスは今度こそその岩で出来た顔の横っ面にメガトンパンチをお見舞いする。岩そのもののそれは当然硬い手応えを返した。

 

「──ラァッッ!」

 

 よろめくイワークの顎に、二撃目。バンギラスがもう片方の腕でメガトンパンチのアッパーを食らわす。

 三撃、四撃目と続けてパンチが繰り出され、それらを全てまともに受けてしまったイワークは地面に敷かれたレンガを崩しながら派手に転倒してしまう。

 

「イワークッ!」

 

 倒れたイワークを前にして、バンギラスが身構える。膨大なパワーが溢れ出し、オーラのような気の流れがその身を包み始めた。

 それを纏ったまま、バンギラスはイワークに突撃する。ギガインパクトだ。

 

 気の流れの先端──パワーの集中点が光り輝き、まるで大型弩砲から放たれた矢の如き一撃がイワークを貫いた。

 

 巻き上がった土煙によってバンギラスとイワークの姿が隠れる。

 再び訪れた静寂を前に我に返ったナオトは、後悔と焦燥感に駆られながら視界を覆う煙が晴れるのを待った。

 

 程なくして、煙が晴れる。

 その先には、地面に倒れたイワークとそれを見下ろすバンギラスの姿があった。

 

 勝負は決した。

 だが、バンギラスは力無く横たわるイワークにさらなる追撃を与えんと足を持ち上げ始める。ブラッキーの時のように、散々踏みつけて死体蹴りするつもりなのだ。

 

「ッ、バンギラス! 戻──」

 

 それを見たナオトは慌ててモンスターボールを取り出し、バンギラスを戻そうとする。

 

 

「イワーク! あなをほれ!」

 

 

 タケシの声によって、バンギラスを戻そうとしていたナオトの手が止まる。

 

 今まさにバンギラスに踏みつけられようとしていたイワークが閉じていた硬い瞼を開き、タケシの指示通り穴を掘って潜り始めた。

 そのスピードたるやまさに早業。バンギラスの踏みつけは空を切ってしまう。

 イワークの地面を掘り進む速度は時速80キロと言われているが、今のは動き出しからしてかなりの速度であった。タケシのイワークがよく育てられている証拠だ。

 

「あれだけの攻撃を受けてまだ動けるなんて……」

 

 ナオトが思わずそう零す。

 メガトンパンチ、ギガインパクト。どちらもノーマルタイプのわざで、イワークに対してはこうかはいまひとつ。だとしても、あれだけの攻撃を受ければどんなポケモンでもやられておかしくない。

 

「ナオト、俺のイワークの頑丈さを甘く見てもらったら困るな」

 

 ナオトの零した言葉を拾ったタケシが笑みを浮かべて口を開く。

 その口上は、以前クリスタルのイワークを助けるためにドミノ達と戦った際に言っていたものだっただろうか。まさかそれを自分に向けて言われるとは思ってもいなかったナオトは呆然としてしまう。

 

「行け! イワーク!」

 

 タケシの合図を切っかけに、地盤が振動してバンギラスの足元が急激に盛り上がる。

 そして、地面から勢い良く飛び出したイワーク。バンギラスは真下から強烈な頭突きをかまされた。

 

「ギッ……!」

 

 タイプ一致でこうかばつぐんの攻撃を受けたバンギラスはバランスを崩し、敷かれたレンガを撒き散らしながら横転してしまう。

 バンギラスは体格的に一度倒れてしまうと起き上がるのに一手間かかる。そんな大きなチャンスを見逃すはずもなく──

 

「すなじごくだ!」

「何ッ!?」

 

 予想外のコンボにナオトが驚愕する。

 イワークが尻尾を地面に打ちつけると、土壌にパワーが伝わり目標であるバンギラスが倒れている場所の地盤が脆くなる。事前に穴を掘っていたこともあって、発動のスピードは通常よりも早い。

 

「ギ、ラ……!」

 

 流砂へと変化した地面にバンギラスは仰向けのまま流される。自身の体重の重さもあって、もはやイワークのすなじごくから逃れるすべはない。

 

「万事休すだな、ナオト。お前のバンギラスはもはやアリ地獄にハマッたアリアドスも同然だ。どうする? 降参するか?」

「…………ッ」

 

 タケシの言葉に、ナオトは歯ぎしりをする。

 まだだ。自分のバンギラスはこんなものじゃない。何か打開策があるはずだと、必死に考える。

 

 ──そして、閃く。

 

「バンギラス! 自分にストーンエッジだ!」

「何だとっ!?」

 

 ナオトの意図が分からず、疑問と驚きを声に出すタケシ。

 指示を受けたバンギラスは突起した背中からパワーを放出させ、地面の中にストーンエッジとなる岩を形成する。続けて、それを自らの背中へ打ち付けるようにして突き出した。

 

 自分のストーンエッジによる一撃を背中から受けたバンギラスはその衝撃で宙に飛び上がり、イワークのすなじごくの拘束から脱出することに成功する。

 それと同時に、獲物を失ったすなじごくは元の地面へと戻っていった。

 

 その図体と重さを感じさせないような身のこなしでイワークの向かい側に着地したバンギラス。

 あなをほるとすなじごくのコンボを受けて、さらにストーンエッジで自らダメージを受けたにも関わらず、全く応えた気配を感じさせない。

 

「なるほど、まさかそんな手であの状況から脱出するとは……伊達にポケモンリーグで準優勝したわけじゃないようだな」

「え?」

 

 ナオトが声を漏らす。どうしてそのことを知ってるんだ、と。

 それを察したタケシが続ける。

 

「ケンジが各地のリーグ情報をまとめた雑誌を持っていたんだ。それを読んで知った」

「そうか……でも、タケシもさすがだな。バンギラスとここまで渡り合えたジムリーダーはタケシが初めてだ」

「まだまだこんなものじゃないさ」

 

 そう言葉を交わして、自然と笑みを浮かべる二人。

 バトルを始めた時の険悪な空気はいつの間にかどこかへと消えてしまっていた。

 

「さあ、試合を続行しよう。イワーク! いわおとしだ!」

「グオオォッ!」

 

 タケシのかけ声でイワークが周りの地面から大小の岩を形成し、尻尾でバンギラス目がけて連続で打ち飛ばす。

 

「岩に構うな! 砂嵐を起こせ!」

 

 対するナオトはあろうことか、迫る岩に構うなとバンギラスに言い渡す。そして、砂嵐を起こすよう指示した。

 

 身体中にぶつかる岩の弾丸を物ともせず、イワークを見据えながら静かに佇むバンギラス。その足元を中心に砂嵐が巻き起こり始める。

 これは技によって発生したものではない。バンギラスの特性、すなおこしによるものだ。その規模と勢いはお互いが見えなくなるほどのものであった。

 砂嵐のつぶてはいわ・じめんタイプのイワークの身体を傷つけはしないが、それでも視界を奪わられてどこから攻撃が来るか分からない状態には変わりない。

 

「くっ……イワーク! もう一度穴に潜るんだ!」

 

 堪らず、タケシはあなをほるでイワークを地面の中に避難させた。

 

 ────……

 

 やがて、砂嵐が止み始める。

 視界を覆っていた砂色の幕が開け、バンギラスが再び夜闇の元に姿を現す。

 

(……一体何が目的で砂嵐を起こした?)

 

 攻撃を物ともせずにいたところからして、いわおとしを中断させるためだけに起こしたわけではないだろう。

 タケシは警戒を怠らず、イワークを地面に潜らせたまま様子見を選択する。そんな彼に対して、ナオトは不敵な笑みを浮かべた。

 

「コイツ相手に時間を与えるのは失敗だったな……バンギラス! 地面に向けてメガトンパンチだ!」

「──ラアアァァッ!!」

 

 バンギラスの雄叫びが轟き、大振りのメガトンパンチが広場の地面を穿つ。音を追い抜く勢いのそれは、一瞬遅れて轟音と衝撃波を発生させる。バトル開始時とは比べ物にならない威力が擬似的な地震を引き起こした。

 凄まじい地盤の振動に巻き込まれ、地面に潜っていたイワークが飛び上がるようにして地表に引きずり出される。

 

「しっかりしろ、イワークッ! ……どういうことだ。最初の時と威力が桁違い──まさかッ!?」

「ああ、タケシの考えている通りだよ」

 

 焦るタケシが察すると同時に、ナオトがネタばらしをする。

 

 バンギラスの攻撃力が増大した原因……それは、りゅうのまいという技によるものだ。

 りゅうのまいは自身の攻撃力と素早さを高める効果があるが、その最中は隙だらけになってしまう。

 

 そう。バンギラスは砂嵐が巻き起こっている間にりゅうのまいを発動していたのだ。

 

 砂のベールを纏った巨影が赤いオーラに包まれ、更なるパワーをその身に宿す。舞というには程遠いが、このバンギラスにそんなモノは無用。どうせその姿を拝むことができるのは唯一、トレーナーであるナオトのみなのだから。

 

「バンギラス! ストーンエッジ!」

「ギ、ラアァッ!」

 

 ナオトの指示を背中に受けて、バンギラスが片腕を地面を抉るようにして振り上げる。呼応するようにして地面から岩で形成された槍が隆起し、波のような動きでイワークへと迫る。

 そして、標的であるイワークの身体を突き立てた。

 

「グ、オッ!?」

 

 イワークの巨体が宙に浮き上がり、それを見上げるタケシに影を落とす。

 さらに、そのイワークを打ち上げたストーンエッジを踏み台にしてバンギラスも飛び上がる。その身体に膨大なパワーを形にしたオーラを纏って。

 

 

「行け、バンギラス! ギガ、インパクトオオォォーーッ!」

 

 

 光の一撃がイワークの横っ面をぶち抜き、流星の如く地面に叩きつける。

 凄まじい衝撃波が広場を中心に広がった。

 

 

 

 ──パラパラと、土埃と雪が舞う。

 

 激しい戦闘音が鳴り響いていた状況から打って変わって、再び広場に静寂が訪れる。広場は局地地震でも起きたかのような、もはや目も当てられないひどい惨状となっていた。

 

 そして、そこには完膚なきまでに打ちのめされ、地面に埋まった状態で倒れ伏すイワークの姿があった。

 

「イワーク!」

 

 イワークに駆け寄り、その傷だらけの岩の身体を労るタケシ。

 そんな彼に顔を青くさせたナオトが声をかける。

 

「タ、タケシ、イワークは……」

「大丈夫だ……やっぱり、お前のバンギラスはすごいな。ナオト」

 

 イワークを労りながら、タケシは先程までとは違う優しい笑みを浮かべてナオトにそう言葉を投げかけた。

 

 ハッとするナオト。

 無我夢中で今の今まで気づいていなかったが、先ほどのバトル……バンギラスはいつの間にかナオトの言うことをしっかり聞くようになっていた。

 それに、バンギラスは戦闘不能のイワークに攻撃を加えようとしない。ただ静かに、目の前の岩の勇者を見下ろしている。

 

「……ミャア?」

 

 アイがそんなバンギラスの足元に駆け寄り、見上げる。

 バンギラスはゆっくりと首を動かしてアイに視線をやり、身を屈めて片手を伸ばした。

 

「ミャウッ!」

 

 アイはその手に縋り付き、嬉しそうに頬擦りする。とても懐かしそうに。

 

「バンギラス、お前……」

「ナオト、バンギラスはな……寂しかったんだ」

「寂し、かった?」

 

 ナオトはそう聞き返しながら、イワークの傷を見ているタケシを見た。

 

「ポケモンバトルは、言わばポケモンとのコミュニケーションだ。バトルを通して、ポケモンはトレーナーとの一体感を得ることが出来る……だから、カロス地方のポケモンリーグで卑怯な真似をした相手にお前が怒った時、その感情はバンギラスにも伝わった。そのせいで、相手を仕留めるまで戦いを止めることができなかったんだ」

 

 ナオトの方を振り向いて、続けるタケシ。

 

「そして、お前は怒りに我を忘れたことを後悔した。その惨状を作ったバンギラスを無意識の内に恐れるようになったんだ。モンスターボールに閉じ込められたままでも、バンギラスにはその感情が伝わっていたんだろう」

 

 だから、リーグが終わっても……そして、ユズジムの時も暴れた。

 親愛するトレーナーから恐怖の目で見られていれば、寂しくて感情を爆発させてしまうのも当然だ。

 

 タケシの話を聞いたナオトは顔を俯かせ、アイの隣に立つと彼女と同じようにバンギラスの大きな手に触れる。

 

「バンギラス……ごめんな」

「ギラァ……」

 

 視線を交わすナオトとバンギラス。

 そこから感じ取れる感情に、負の色は一切ない。

 

「でも、それも終わりだ。本気でぶつかれる相手とのポケモンバトルを通して、バンギラスは再びナオトとの一体感を得ることができた。恐怖も怒りもない、純粋にバトルを楽しむお前とな」

「……ああ」

 

 タケシの言葉に、ナオトは頷く。

 

「──グ、オオオ……」

 

 その時、倒れていたイワークが身体に積み重なっていたレンガの破片を零しながらむくりと起き上がった。

 一度ギガインパクトを食らい、さらにりゅうのまいで威力が増した二発目まで受けて、まだ起き上がることができるとは。頑丈にも程がある。

 

「イワーク、無理は──」

 

 タケシが起き上がろうするイワークを押し止めようとしたその時、彼の身体が白く輝き始めた。

 

「これはっ……!?」

 

 ナオト達は驚きのあまり口を開ける。イワークが進化を始めたのだ。

 

 頭の突起がなくなり、代わりに身体の方に突起が増えていく。

 シルエットが変化し終わると同時に、光が収まった。

 

「ガアアァッ」

 

 イワークの進化した姿──てつへびポケモン、ハガネールだ。

 イワークから一転して顎が出っ張った厳つい面構えになっているが、目はイワークの時と同じ優しい目のまま。

 

 ハガネールは一度タケシを見やると、さらに大きくなった鉄の身体で振り返り再びバンギラスと相対する。それを見たタケシは合点がいったように頷いた。

 

「イワーク……いや、ハガネール。まだやれるんだな?」

「ガアァネ」

 

 ハガネールもその言葉に頷いて答える。

 しかし、進化したとはいえハガネールはバトルのダメージでボロボロの状態のままだ。それでも、未だ余裕を見せるバンギラスに一矢報いたいということだろうか。

 

「ナオト、構わないか?」

「ああ、もちろんさ」

 

 タケシがバトルポジションに戻り、ナオトもアイを連れてバンギラスから離れる。

 

「よし、行くぞ! ハガネール!」

「ガネエエッ!」

 

 気合を入れ直すようにタケシがそう叫び、服を脱いで上半身裸になる。両腕を胸の前でクロスさせ、相対するナオトを見据えた。

 そんなタケシに苦笑いを浮かべつつ、ナオトは先手を取る。

 

「……勝負だタケシ! バンギラス、メガトンパンチで一気に決めろ!」

「ギラアァッ!」

 

 まだりゅうのまいの効果は残っている。高まったスピードと攻撃力で畳みかけようとナオトは指示を出した。

 バンギラスはそれを受け、その巨躯からは想像もつかないような電光石火の速度で地響きと共にハガネールに迫る。そして、拳を振りかぶった。

 

「躱せ! ハガネール!」

「ガアァッ」

 

 対するハガネールは進化して体重が増えたにも関わらず、バンギラスの拳打をするりとした身のこなしで躱した。

 元々器用なことに加えイワークの頃から素早さを重視して鍛えられていたので、鋼の身体になっても同じことが可能なのだ。

 

 だが、既に戦闘不能になっていてもおかしくないダメージを受けている状態ではそれも長くは続かない。

 勢いに乗って連続で繰り出されるバンギラスのメガトンパンチを避け続けていたが、徐々に追い詰められ身体に擦り傷が増えていく。

 

「ラァァ!」

「──ッ!?」

「今だ! ギガインパクトォッ!!」

 

 そして、バンギラスの返す拳によってハガネールの体勢が崩れ、決定的な隙が出来る。それを見逃さず、ナオトの指示でバンギラスは三度目の正直のギガインパクトを放つ。

 

「来たなっ! ハガネール、ボディパージだ!」

 

 それを待っていたと言わんばかりにタケシの声が響く。

 

 ハガネールの鉄の身体が光り出す。そこへバンギラスのギガインパクトによる攻撃が襲いかかる。

 直撃する──と思われたその時、信じられないことが起こった。今までとは比べ物にならない速度でハガネールが動き出したのだ。

 

「何ッ!?」

 

 ボディパージ。自身の身体の無駄な部分を削り落として体重を落とし、素早さを格段に上げる技だ。

 瞬速と化したハガネールはそのまま迫るバンギラスの身体を掻い潜り、ギガインパクトを見事に避けて背後に回り込んだ。ギガインパクトの反動で、バンギラスは身動きが取れない。

 

「ハガネール! 残った全パワーを絞り出せ! アイアンテールッ!!」

「ガアアァッ!!」

 

 タケシに後押しされるようにして、ハガネールの尻尾が輝き出す。残された全てのパワーを込めた渾身のアイアンテールがバンギラスに迫る。

 

「踏ん張れバンギラス! メガトンパンチだ!」

「──ッ!」

 

 ナオトの声に答えるべく、力を振り絞るバンギラス。無理矢理身体を動かして振り返り、アイアンテールが振るうハガネールに向けて拳を振り上げた。

 

 バンギラスのメガトンパンチがハガネールの横っ面を殴り、ハガネールのアイアンテールがバンギラスの肩に雷槌の如く直撃!

 重い響きと共に強烈な衝撃波が砂埃を巻き上げながら広がった。

 

 

「──────―」

 

 

 両者、攻撃した体勢のまま。

 まるで時が止まったかのようにお互いピクリとも動かない。

 

「……ッ!」

「バ、バンギラス!」

 

 それが永遠に続くかと思えたその時、バンギラスが体勢を崩し地面に片膝を突いた。

 

「────ガ、ネッ」

 

 しかし、そのすぐ後にハガネールも全身から力が抜けたかのようにガクリと崩れ、地面を揺らして横倒れになる。

 

「ハガネール!」

 

 タケシが駆け寄る。ハガネールの目はグルグルと渦を巻いていた。

 どうやら、今度こそパワーを使い切ってしまったようだ。それでも、あの状態からバンギラスに膝を突かせることができたというのだから十分驚異的である。

 

「……よく頑張ったな。お前は俺の誇りだ」

 

 そう労いの言葉をかけ、タケシはハガネールをモンスターボールに戻した。

 

「俺達の完敗だ、ナオト。無理矢理バトルさせて悪かったな」

「いや、僕の方こそゴメン。それと……ありがとう。おかげで、目が覚めた気がするよ」

「お前がしっかりしていれば、バンギラスは二度と暴れることはないさ」

 

 もしナオトが最初から精神的に立ち直っている状態であれば、今回のようにイワークがハガネールに進化したとしても一方的に押し負けていただろう。

 

「……ところで、さっき言った雑誌なんだが、実はフルーラも読んだんだよ」

 

 唐突なタケシの発言にナオトは首を傾げる。

 

「サトシを助けに火の島へ向かおうとした時、フルーラは長老様からお前を連れて行くように言われていた。でも、断ったんだ。どうしてだと思う?」

 

 それがフルーラがリーグについて書かれた雑誌を読んだことと何の関係があるのかと思いつつ、ナオトは「そりゃあ、あんな喧嘩した後だし……」と呟いて返す。

 タケシは首を横に振った。

 

「お前をこれ以上傷つけたくないから……そう言ったんだ」

 

 雑誌を読んで、ナオトの過去に何があったか、どれだけ辛い気持ちでいたか知ったフルーラは、ここで彼をポケモントレーナーとして頼ったらまた傷つけてしまうと思ったのだろう。

 

「……ッ」

 

 ナオトは不甲斐ない自分を恥じ、閉じた口の中で奥歯を噛み締めた。

 自分のことを気遣ってその選択をした彼女は、今まさに危険な状況の真っ只中にいる。

 

 

 ────―

 

 

 その時だった。鳴き声のような音が島に響き渡ったのだ。

 それは、フルーラの吹く笛の音にどことなく似ていた。

 

「ん、あれは?」

 

 タケシがナオトの肩越しに見えた何かに反応する。

 ナオトが振り返ると、自分達のいる広場から東──海面から突き上がった渦潮がアーシア島に向かっているのが見えた。

 その渦潮の上にはなぜか船が乗っており、やがてナオト達の位置からは山に隠れて見えなくなってしまう。

 

 あの渦潮、まるで船を運んでいるようであった。

 向かった先は、アーシア島の裏側……確か例の宝を納める祭壇がある岬のはずだ。

 

「タケシ……」

「……ああ、行ってこい。ヨーデルさん達のことは任せておけ」

 

 ナオトが目で自分の意思を伝えると、タケシはそれに頷いて答えた。

 頷いて返したナオトはバンギラスをモンスターボールに戻し、岬へと続く洞窟に足を向ける。

 

「行くぞ、アイ!」

「ミャウ!」

 

 力強く答えたアイと共に、岬へ向けて駆け出すのだった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ファイヤー達の攻撃によって航行不能となった飛行船は黒煙を上げながら空を流れ、雷の島に不時着した。

 フルーラ達はファイヤー達の開けた穴を通って辛くも脱出することに成功したが、上空ではファイヤーとサンダー、そして氷の島から出てきたフリーザーが争いを始めている。 

 それを尻目に、一面雪景色と化した雷の島へ転がるようにして降り立った一行とロケット団の三人組。

 

「わっ、わっ! 飛行船が!?」

「早く! 逃げるのよ!」

 

 不時着した飛行船が傾き始め、彼女らを押し潰さんと迫り始めた。自身らを覆う影から離れようと必死に走り、何とか押し潰されることから逃れる。

 

「「うわああっ!?」」

 

 しかし、衝撃からは逃れられず全員その場に倒れ込んでしまう。

 それと同時に、飛行船のプロペラの一部が雷の島の祭壇を破壊した。祭壇に収められていた宝珠が衝撃で吹き飛び、丁度倒れていたサトシの元へと転がってくる。

 

「これは……」

「ギヨーーッ!!」

 

 宝珠を手に取ったサトシに反応してか、他の二鳥と争っていたサンダーが相手を変えて襲いかかってきた。

 

「サトシ君、こっち!」

「ピカピ!」

「あ、ああ!」

 

 フルーラ達に促されて起き上がったサトシは再び走り出し、飛行船に空いた穴から島の湖に零れ落ちた長老の船に乗り込む。

 

「ギヤーオッ!!」

「キョー!!」

 

 そこへ、サンダーを追いかけてきたファイヤーのかえんほうしゃ、フリーザーのれいとうビームが船の傍を掠め、湖を囲う山肌を崩す。天然のダムが崩壊したことにより、湖の水は滝となって島の外へと勢い良く流れ出した。

 

 

「「わああぁぁぁっ!!」」

 

 

 フルーラ達の乗る船もその流れに巻き込まれ、滝から飛び出て空中へと放り出されてしまう。

 

 落下先の海は氷漬けになっている。このまま叩き落とされたらひとたまりもない。

 だが、フルーラ達は船にしがみつくので精一杯だ。

 

 ──その時、突然眼下の氷漬けとなった海面から巨大な渦潮が突き出した。

 それはまるで意思を持っているかのように動き、落下する船を拾い上げて助けたのである。

 

「な、何? これ……」

 

 渦潮はそのまま移動し、フルーラ達をアーシア島の裏側──祭壇のある岬へと運んだ。

 一行は船を捨てて渦潮から岬に降り立つ。

 

「ギヤーオ!!」「ギヨォーッ!」「キョー!!」

 

 しかし、一息吐く間もなく追ってきた三鳥の攻撃が襲う。

 

 そこへ間に割って入った渦潮が壁となり、攻撃からフルーラ達を庇った。

 渦潮が割れて、中にいた存在が姿を現す。

 

 銀景色を思わせる白い羽毛。

 翼竜のようなその身体は三鳥より二回り以上も大きい。

 鋭い目元が相対する三鳥を睨み、牽制するようにして翼を広げている。

 

 

「──海の神、ルギア」

 

 

 いつの間にか祭壇の傍に姿を現していたおうじゃポケモンのヤドキングがそう呟いた。

 ロケット団のニャースのようにポケモンが喋ったのだが、ルギアの存在に目を奪われそれを気にする余裕はない。

 海の神が、世界の危機を前にその姿を現したのだ。

 

「この声……」

 

 フルーラは目の前のルギアの鳴き声が、自分の吹く笛の音に似ていることに気付く。

 

「──!」

「ギヤーッ!」「ォー!」「キョオ―!」

 

 ルギアはフルーラ達の目の前で三鳥と激しい攻防を繰り広げるが、いかに神と呼ばれる存在であろうとも多勢に無勢。

 渦潮での攻撃やまもるによる防御で何とか渡り合っているが、傍から見ても徐々に追い詰められていっているのが分かった。

 

 海の神、破滅を救わんと現れん。されど世界の破滅防ぐ事ならず。

 

「────!!」

 

 ルギアのバリアが三鳥の攻撃を凌ぎ切れず限界を迎える。そして、サンダーのかみなりをまともに受けてしまった。

 それによって出来た隙を見逃さず、ファイヤーのかえんほうしゃとフリーザーのれいとうビームが立て続けに襲う。

 

 負傷してしまったルギアはそのまま氷を割って海に落下。

 そのまま、再び浮かび上がることはなかった。

 

「そんな……」

 

 それを見届けていたフルーラ達は、アーシア島の周り──氷漬けとなった海の上に大勢のポケモンが集まっているのに気付く。

 恐らく世界の危機を直感的に感じ取り、世界中から集結してきたのだろう。何もできないかもしれないが、何もせずにはいられない。その強い思いに押されて。

 

「優れたる操り人現われ、神々の怒り鎮めん限り」

 

 ヤドキングがそう呟く。彼は傍らにいるサトシを目で示した。

 優れた操り人──ポケモントレーナーが世界を救う。そう言いたいのだろう。今この状況でそれに当てはまるのは、二つの宝珠を集めたサトシ以外にいない。

 

「サトシが、あのファイヤー達を鎮めるってこと……?」

「ええっ? オ、オレが!?」

 

 しかし、さすがのサトシも三鳥の暴れ狂う光景を前に躊躇してしまう。

 ポケモンマスターを目指してはいるが、世界を救うなんて柄じゃないと。彼の顔はそう語っていた。

 

「……ごめんなさい。こんな大変なことに巻き込んじゃって」

 

 フルーラがそう言ってサトシに謝る。

 もしこれが運動神経の鈍いナオトだったら、間違いなくどこかで取り返しのつかないことになるだろう。

 

「巻き込まれたつもりはないけど……でも、どうすりゃいいんだ」

「心配ないわ。私が行ってくるから」

「「ええっ!?」」

 

 予想外のフルーラの言葉にサトシ達が驚きの声を上げる。

 

「私も一応成り立てとはいえトレーナーだもの。優れてるとかどうかなんて関係ないわ。サトシ君をこれ以上危険な目に合わせるわけにもいかないし」

「いや、優れたる操り人でないと駄目」

 

 横からヤドキングがそう割って入ってくる。

 フルーラはそんなヤドキングを睨みつけ、おもむろにポシェットからモンスターボールを取り出して投げつけた。

 

「え」

 

 赤い光に包まれてボールに閉じ込められるヤドキング。

 ヤドキングはボールの中でしばらく身動ぎしていたが、やがてポンッと言う音を鳴らして大人しくなった。

 

「ほら! ちゃんとゲットできた!」

「「「いやいやいや」」」

 

 フルーラの言葉に一連の流れを呆然と眺めていたサトシ達がとんでもないと片手を振る。

 結局のところ、誰が行くにせよ危険なことには変わりないのだ。

 

「せめて、あのルギアがいれば……」

 

 と、ケンジが呟く。

 その時、フルーラは自分の持つ笛の演奏が神々に捧げるものだということを思い出した。

 あのルギアの鳴き声に似た音を奏でる笛。

 

 もしかしたら、と肩に下げていたポシェットからおもむろにその笛を取り出す。

 そして、舞台で演奏した曲を吹き始めた──

 

 

 

 

 

 一方、祭壇のある岬を目指して急ぎ走るナオトとアイ。

 アイはナオトに置いていかれないよう、元のゾロアの姿に戻っている。

 

 岬に繋がる洞窟を進み、やがて目の前に出口が見えてくる。

 後もう少し……! そう思っているナオトの耳に聞き覚えのある音が届き、思わず足を止めた。

 

 フルーラの笛の音だ。

 

 それに気付いたナオトは、再び洞窟の土を蹴って駆け出し出口を抜けた。

 洞窟を出たナオトの視線の先に、祭壇を挟んでフルーラとサトシ達の姿が見える。無事なフルーラの姿を見て、ナオトは安堵の溜息を吐いた。

 

 今更出てきても遅いかもしれない。

 それ以前に、ナオトは自分が場違いであるというようなことまで無意識に感じていた。

 

 だが、ここまで来て立ち止まるわけにはいかない。

 それに何よりフルーラに会いたかった。世界の存亡がかかった大変な状況だが、だからこそ会って謝りたかった。例え愛想を尽かされていたとしても。

 

「ミャウ!」

「ああ、急ごう!」

 

 アイに急かされ、意を決して岬に向かおうとするナオト。

 

「──うわっ!?」

 

 しかし、雪の積もった地面に足を取られ転んでしまう。

 

「ミャ、ミャウミャ?」

「……大丈夫。あぁ、くそっ」

 

 真っ白な地面に綺麗な人型を作ってしまったナオトは、自分の運動神経の鈍さを嘆きながらも冷たい感触から離れるために手を突いて上半身を起こす。

 そんな彼の目の前に、バッグから黄色いモンスターボールが転がり出た。ウチキド博士からサトシに渡すよう言われて預けられた、GSボールだ。

 ナオトはバッグに戻そうとGSボールを拾い上げようとする。

 

 ──その時だった。GSボールが眩く光り始めたのだ。

 

「なっ!?」「ミャア!?」

 

 突然のことに身構えるナオトとアイ。

 ウチキド博士がどうやっても開かなかったというその開かずのボールが、どういうわけか独りでに開き始める。

 溢れんばかりの光と共に中から現れたのは、アイと同じくらいの小さなポケモン。妖精を思わせるその姿を見て、ナオトは目を見開いた。

 

 

「……セ、セレビィ?」

 

 

 図鑑で見たことのあるそのポケモンの名を呟く。

 

「ビィッ」

 

 セレビィは宙に浮かび上がって呆然としているナオトとアイを見下ろすと、待ちくたびれたとばかりに薄く笑みを浮かべた。そして、ウバユリを思わせるその細い両手を合わせる。

 すると、その両手の間からボールから出た時とは違う不思議な光が漏れ出した。光はそのまま広がっていき、気付けば周りの空間も歪み始める。

 

「まさか、これは……ま、待ってくれ!」

 

 ナオトは慌ててセレビィを止めようとする。

 何が起こっているのか分からず「ミャ、ミャ?」と動揺しているアイ。

 

 このポケモンの分類は、ときわたりポケモン。

 つまり、今まさにセレビィは"時渡り"をしようとしているのだ。

 

 セレビィをひっ捕まえるナオトだが、抵抗むなしく目を潰さんばかりの光がナオトとアイを覆い尽くす。

 

(フ、フルーラ……!)

 

 意識の薄れ始めるナオトの耳から、フルーラの奏でる笛の音が遠ざかっていった──

 

 




ここでまさかのタイムスリップという暴挙。
完全に悪手ですけど、サトシの活躍を邪魔せず、かつ同等の活躍をナオトにさせるにはこれしか思い浮かばなかった。

■タケシ
サトシがニビジムに挑戦した際、ジムリーダーのタケシは厳格な態度で彼を迎えた。
ピカチュウやピジョンで挑むサトシに対しての台詞は「やめておけ」「愚かな」などと彼らしくない。
まだ設定がしっかり作られていなかったからなのだろうが、ジムリーダーとしてトレーナーと真剣に向き合う時だけあんな感じになると考えたらギャップがあってかっこいい。

■「ポケモンバトルはポケモンとのコミュニケーション」
これはAG編第140話『コダックの憂鬱!』でタケシが発した台詞。
何を隠そう、序盤で登場したスイートハニーコダックちゃんのアヅミがゲストキャラとして出た回。
妙に印象に残っている台詞なので、アヅミを登場させたのはそのせいもある。

■GSボール
アニメ本編で放置されたままなので伏線を回収してあげたかった。

■セレビィ
いやまあ、GSボールといったらコイツしかいないし。

■ヤドキング
浜ちゃん。




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26. えらばれしあやつりびと ① ▼



ルギア爆誕を観てると、そもそもオタカラって何だ? 何で集めて笛を吹いたらファイヤー達の怒りが収まるんだ? とかそういう疑問点が浮かんでくるので、それらもできるだけ解消できたらなと思っています。



「ミャウ! ミャウミャ!」

「うっ……こ、ここは?」

 

 意識を失っていたナオトがアイに揺り動かされて目を覚ますと、そこは元いた場所と変わらない洞窟の出口であった。

 

 ひとまず身体を起こしたナオトは、周りを見渡してみる。

 異常気象によって一面銀世界と化していた光景は影もない。むしろ、本来よりも緑が生い茂っている気がする。海も氷漬けになっていない。

 ただ、波はマンダリン島からアーシア島に戻ってきた時を思わせるような荒れ様だ。空も薄暗い曇天模様である。

 

 岬の方を見るとフルーラの姿はない。それどころか宝珠を収める祭壇さえなかった。

 そこまで来て、ナオトは自分がセレビィの時渡りに巻き込まれたことを思い出した。

 

(ということは……ここは未来? それとも過去か?)

「ミャウ」

 

 そう考えているナオトのズボンの袖を、ゾロアの姿のアイが不安そうに引っ張った。

 彼女は何が起こったか未だに分かっていないのだ。ナオトは片膝を突き、アイに自分達の置かれた状況を話した。

 

「……アイ。多分僕らはセレビィの能力で時渡り──つまり、タイムスリップしたんだと思う」

「ミャアッ!?」

 

 説明を受けたアイは信じられないとばかりに驚く。

 まだ状況を受け入れ切れてなく、不安そうな目でこれからどうするの? と尋ねるアイ。

 

「どうする……どうする、かな」

 

 意気消沈した力のない声色で呟いて俯くナオト。

 

 世界を救うなんて大それたことに挑もうとしていたわけではない。ただひたすら、フルーラを助けたい一心で彼女の元へ向かったのだ。

 その矢先にまさかの時渡りである。もはや出鼻を挫かれたどころかもぎ潰されたようなもの。どうしてこうなってしまったのか。

 

 そこまで考えたナオトは、ふと顔を上げて再び辺りを見回した。

 そもそもの原因であるセレビィの姿が見えない。元の時代に戻る唯一の方法は、もう一度セレビィに時渡りしてもらう他ないだろう。

 

「アイ。とにかく、セレビィを探そう。きっとこの島のどこかにいるはずだ」

「ミャウッ」

 

 思い立ったナオトはアイと共に再び洞窟へと入る。

 できるだけ急がなければならない。同じ時代に時渡りして来ているのは確実だろうが、もしも自分達を置いてまた時渡りしてしまったら今度こそ本当に帰るすべがなくなってしまうのだから。

 

 来た道を帰る形──時代は違うが──で洞窟を抜けると、元の時代ではある程度整備されていた道は雑草が生い茂った獣道と化していた。

 ナオトは自分の身長ほどにまで伸びた雑草にげんなりする。仕方がないとアイを頭の上に乗せて進む方向を教えてもらいつつ、草を掻き分けて先へと進んだ。

 

 しばらく道なき道を歩き続け、草むらから脱することが出来たナオトとアイ。野生のポケモンが飛び出してくるといったこともなかった。

 休んでいる暇はないと村があるであろう場所に走るナオト達。だが、そんな彼らを迎えたのは想像もしていないような光景であった。

 

「な、何だアレ……?」

「ミャウ?」

 

 まず、村は綺麗さっぱり影も形もなくなっていた。

 もちろん、それだけならまだアーシア島に村が出来る前の時代なのだと想像はできる。それだけではなかったのだ。

 

 ナオト達を出迎えたのは、三角の形に並べられた三つの大きなタマゴ。

 そして、仮面を被った人間の集団であった。

 

 元の時代では広場に当たる場所で、ヨーデルや長老達が着ていた民族衣装によく似た服を纏ったその集団が三つのタマゴを囲んで奇妙な舞を踊っている。

 そのタマゴを神か何かと崇め祀っているのか、舞を踊る彼らからは原始的かつ荘厳な雰囲気を感じ取れた。

 

 しかも、少し離れた場所では笛を吹いている女性達までいる。曲はめちゃくちゃだが、その音色からフルーラが吹いていた笛と同じものであることが分かった。

 未来か過去か、どちらの時代に飛ばされたのかとナオトは考えていたが、この様子から察するに過去と見て間違いないだろう。

 

「何かの……儀式、か?」

 

 ナオトはしばし岩陰からその儀式めいた光景を眺めていた。

 ふと、そんな彼の視界に三つのタマゴを背にして跪いている少女が映る。遠目からその少女の顔を見たナオトは、自分の目を疑った。

 

「……フルーラ?」

 

 思わず呟くナオト。

 その少女は、フルーラに瓜二つであったのだ。それはもう本人としか思えないほどに。

 両腕を背中に回した少女は悲しげに瞼を閉じたまま、ただ静かに俯いている。首には包帯が巻かれていた。

 

「──」

 

 ナオトが少女のことに気付いた丁度その時、その少女の隣に立っていた仮面の男がおもむろに片手を挙げた。

 それが合図だったのか、タマゴを中心に踊り回っていた仮面の集団がピタリとその動きを止め、全員がその男と少女の方に注目し始める。

 

 男は周りを一瞥して頷くと少女の髪を乱暴に引っ掴み、跪いた体勢のまま少女をタマゴの方に振り向かせた。

 それによって少女の背中がナオトのいる位置から見えるようになる。

 

「──ッ!」

 

 ナオトは目を見開いた。

 背中に回されていた彼女の両腕は荒縄で縛られていたのだ。

 

「……それではこれより、この者の命を神に捧げる」

 

 ナオト達を含む大勢の人間が注目する中、仮面の男がそう口にして腰に下げた鉛色に光る刃物に手をかけた。

 それを、ゆっくりと振り被る。

 

 ナオトの胸の鼓動が、心臓が口から飛び出そうになるほど高鳴る。

 このまま振り下ろされれば、少女は──

 

 

「──アイ、ナイトバースト!」

「ミャアァッ!!」

 

 

 今まさに刃物が振り下ろされようとしたその瞬間、ナオトはアイにナイトバーストを指示すると同時に駆け出した。

 

「ッ!?」

 

 アイのナイトバーストが刃物を振り下ろそうとしていた仮面の男を吹き飛ばす。

 突然のことに周りの集団が驚く中、中心に入り込んだナオトは少女の元へ走り寄った。

 

「こっちだ!」

「……?」

 

 縄を切っている暇はない。縛られたままの少女の二の腕を掴んで立たせると、何が起こったのか分からないという顔をしている彼女に一緒に逃げるよう促す。

 自分を助けてくれようとしていると理解したのか思いの外躊躇する様子を見せない彼女を引っ張り、ナオトは手近な草むらへと逃げ込んだ。

 

「ま、待てえ!」

「ミャウッ!」

 

 アイは追いかけようとする仮面の集団をナイトバーストで牽制しつつ、二人の後を追う。

 

 

 

 

 

 無我夢中で草を掻き分けながら走るナオト達。

 岬に続く洞窟は行き止まりとなってしまうので、そちらとは逆方向へと向かったつもりだが、視界一杯が緑で覆われているのでもはや島のどの辺りにいるのかも分からない状況だ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 そうこうする内に、ナオト達は大小の岩が疎らに並んだ場所に出た。

 その中で一番大きな岩の陰に隠れ、ひとまず一息吐いて乱れた呼吸を整える。と言っても、息切れしているのはナオトだけだが。

 

「……よし、ちょっとじっとしててくれ」

 

 少し落ち着いたナオトはバッグから折りたたみナイフを取り出し、少女の腕を縛る縄を切ってあげようとする。

 

「あ、あれ?」

 

 しかし、上手く切れない。

 苦戦しているナオトを見かねて、アイが自分の爪で縄を切ってしまった。

 

「ミャウ」

「あ、ありがとう……」

 

 礼を言いつつも、情けなさにガクリと項垂れるナオト。

 

「…………」

「な、何?」

 

 少女はなぜか口を開かず、じっとナオトのことを見ている。聞いても、無言で返されてしまった。

 本当にフルーラそっくりだが、こんな村も出来ていない時代に彼女がいるはずもない。

 

「……えっと、僕はナオト。こっちは相棒のゾロアで、名前はアイ」

「…………」

「その、さっきのあれは一体どういう状況だったのか教えて欲しいんだけど……」

「…………」

 

 質問を投げかけるも、やはり返答はない。

 

 じっと見られて気まずくなったナオトは何とはなしに周囲を見渡す。辺りは膝下ほどにまで伸びた雑草が緑の絨毯を作っていた。

 ふと、目の前に並ぶ岩々が目に入る。ナオトはその並びに見覚えがあった。大きさは今自分達が背にしている岩よりも一回り小さい。

 

(そうか。ここは村の集会所だ!)

 

 ここを中心に建物を建て、岩々を削ってテーブルなどを作ったのだろう。

 ということは、今背を預けている一際大きな岩は……位置的に考えて、フルーラが舞を踊って神に捧げる笛を吹いたあの舞台ということになる。

 頭の中で無意識に現代での光景と比較し、謎の集団に追われているということも忘れて歴史の流れを感じ取るナオト。この分だと、数百年単位で過去に時渡りしてしまったのかもしれない。

 

 そんなナオトの肩を少女がちょんちょんと突いた。

 振り向くと、そこには意を決したような表情の少女。彼女はおもむろにナオトの腕を握った。

 疑問符を浮かべるナオトの頭の中に、声が響く。

 

『力を、貸してください』

 

 これは、テレパシー?

 超能力が使える人間はわりといる方だ。エスパータイプ専門のジムのジムリーダーは特にその傾向がある。だから、多少驚きはせよそれ自体は特に不思議でもない。なぜテレパシーで話すのかはひとまず置いておこう。

 

「力を貸してって……一体どういうことなんだ?」

『……あのタマゴを、取り返したいのです』

 

 タマゴというと、あの仮面の集団が祀っていた三つの大きなタマゴのことだろう。

 

『あのタマゴには、火の神と雷の神、そして氷の神が宿っているのです』

「えっ!?」

 

 少女はそのままテレパシーで続ける。

 そのタマゴは寿命を迎えつつあった先代の神々が、次代に生まれ変わるために産み出したタマゴなのだという。

 だが、この島へと移住してきたあの人間達が火の島、雷の島、氷の島に安置されていたタマゴを見つけてしまい、それらを神と崇めて持ち去ってしまったのである。

 

 神々は自分にあてがわれた島を縄張りとし、そこから流す様々なエネルギーによって自然界のバランスを保っている。

 今は先代の神々が残った命と引き換えに各々の島にエネルギーを宿し、そのおかげでバランスは保たれている状態だ。しかし、タマゴが孵ると同時にそれもなくなってしまうのだという。

 

 このままタマゴが同じ場所で孵ってしまったら、大変なことになる。

 生まれ変わった神々──ファイヤー、サンダー、フリーザーは自分達の役割を忘れてこのアーシア島の縄張りを主張し、争いを始めるだろう。そうなれば自然界のバランスは崩れ、世界は破滅に向かってしまう。

 

 少女はナオトの腕から手を離し、今度は彼の手を両手で握る。

 

『貴方は優れたる操り人。どうか、世界のためにその力をお貸しください』

 

 そうナオトに懇願する少女。

 二人を横で見ていたアイは思わず目を丸くした。まるで、あの舞台での演劇を思わせる光景であったからだ。

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 ナオトとしては、早くセレビィを見つけて元の時代に戻りたい。

 自分は未来から時渡りしてやってきた者なのだ。つまり、自分の存在がこの時代で世界が破滅しないということを証明している。下手に歴史に関わってしまうと、それこそ大変なことになってしまうかもしれない。

 

 しかし、本当に断ってしまっていいのか?

 もしかしたら、自分が時渡りしてくることは歴史に織り込み済みで、タマゴを取り返すことでこの時代での世界の破滅を防ぐことになるのかもしれない。

 だが結局、それも推測にすぎない。それ以前にナオトは自分がそんな大それたことができる人物だとは思えなかった。

 

 悩むナオトは、ふとアイの方を振り返る。

 ゾロアの姿の彼女はナオトと目が合うと、ただ力強く頷いて返した。

 

「…………」

 

 アイの意思を感じ取り、瞼を閉じるナオト。

 一つ深呼吸して、再び瞼を開き少女と目を合わせる。そして、告げた。

 

「……分かった。タマゴを取り返すのを手伝うよ」

 

 断るなんて今さらだ。

 彼女を助けた時点で、既に歴史に関わってしまっているのだから。

 

 正直に言うと、フルーラの顔で必死に頼まれては断り辛いというのもあった。もちろん、彼女と違って丁寧な話し方をしているので別人であることは嫌でも分かってしまうが。

 とにかく、手を出してしまったのなら責任を取って最後まで付き合うべきだ。サトシを助けに行ったフルーラのように。

 

「──!」

 

 返事を聞いた少女はパッと顔を明るくさせ、ナオトに抱きついた。

 

「え、ちょっ!?」

「ミャ! ミャウミャ!」

 

 顔を赤くして慌てるナオトだが、そんなことしてる場合じゃないでしょ! とばかりに頬を膨らませたアイに引き離される。

 

 ──ガサガサッ

 

 その時、近くの草むらが動いて人間達が仮面を被った顔を覗かせた。追手だ。

 

『こっちです!』

 

 少女がそう言ってナオトを引っ張る。

 この時代のアーシア島の地理については彼女の方が詳しいだろう。ナオトとアイは彼女の先導に従って気付かれないように静かにその場から移動した。

 

 

 

 

 

 迂回して再び広場に戻ってきたナオト達。

 目的のタマゴの近くには、少女を処刑しようとした族長と思われる仮面の男と何やら縄が巻かれた玉を二人で抱えている付き人。そして、ナオト達の潜伏する草むらの近くには見張りと思われる槍を持った男達が辺りを見回していた。

 どうやら、ほとんどはナオト達の捜索に駆り出されているようだ。小島とはいえ、アーシア島全体を探すにはそれくらいの人数が必要ということだろう。

 

 長々と作戦を考えたり準備をしている時間はない。出たとこ勝負だ。

 

「……アイ。この子のことを頼んだぞ」

「ミャウッ」

 

 少女のことをアイに任せ、ナオトは草むらからモンスターボールを放り投げる。

 

「ん?」

「何だ?」

 

 どこからともなく飛んできた小さな玉に気付く見張り。

 それが開いて光を放ち、巨大な結晶の塊──クリスタルのイワークの姿を形作った。

 

「グオオオッ」

「「う、うわああっ!?」」

 

 見張り達は突如現れた結晶の巨体に恐れおののく。

 我武者羅に槍で迎え撃つが、イワークの硬い身体には傷一つ付けることはできない。

 

(よしっ、今の内だ!)

 

 イワークが見張りの気を逸らしている隙にナオトは草むらを移動し、迂回する形でタマゴの横側へと躍り出た。

 

「なっ!? き、貴様は先の──」

「行け! ゲンガー!」

 

 タマゴの傍にいた族長と付き人達がそれに気づいて驚く中、再びモンスターボールを取り出して投げ、ゲンガーを繰り出すナオト。

 

「悪いけど、タマゴは返してもらうぞ」

「ゲンゲラッ!」

 

 ナオトがそう言うと、二人の付き人がナオトと族長の間に割って入った。

 そして、二人で抱えていた玉を地面に置き、巻かれていた縄を解く。縄が解かれた玉は横一文字に分かれ、煙が溢れ出した。

 

「ヤ……ド」

 

 その煙と共に中から現れたのは、おうじゃポケモンのヤドキング。

 ヤドキングはヤドンの最終進化系だ。ヤドンと同じで普段はぼけた顔をしているが、このヤドキングは困った様子で族長とタマゴを見比べている。

 ポケモン故に、世界の異変とこのタマゴが関係していることを感じ取っているのだろう。

 

「行け! 神をお守りするのだ!」

「ッ! ヤ、ドォ」

 

 族長の命令にビクリと反応したヤドキングは、困り顔のままサイコキネシスをゲンガーに向けて放った。

 ゆっくりとしたその動作は普段のバトルに比べたら欠伸が出そうなものであった。あのヤドキングには悪いが、ここは一気に決めて力の差を見せつけた方がいいだろう。

 

「ゲンガー! シャドーボールだ!」

「ゲン、ガァ!」

 

 放たれたゲンガーのシャドーボールはヤドキングの放ったサイコキネシスの波を打ち消し、そのまま地面に衝突して土煙が舞い上がる。

 土煙によって視界を奪われるヤドキングと族長達。

 

「な、何をしている! 早く攻撃しろ!」

「ヤ、ヤド……」

 

 族長は構わずそう怒鳴るが、ヤドキングはあたふたして対応できていない。

 

「──ゲンッ!」

 

 そこへ、土煙を割って出てきたゲンガーが10万ボルトを纏わせたパンチをヤドキングに炸裂させる。

 

「ヤドオォッ!?」

 

 擬似的なかみなりパンチを受けたヤドキングはこうかばつぐんの一撃を受け、ノックダウンした。

 

「なっ、何だと……ッ」

 

 たった一撃で自分達のポケモンが倒されてしまい、ほぞを噛む族長。

 

「ゲンゲラ、ゲーン!」

「「きゃあぁっ!」」

 

 二人の付き人はゲンガーのこわいかおによる威嚇に悲鳴を上げ、腰を抜かす。久々にゴーストポケモンらしいことをしてゲンガーは満足げに笑った。

 

「これ以上抵抗しないなら何もしない。そのタマゴを元の場所に戻さないと、大変なことになるんだ!」

「黙れ、小童め! 我らの神を奪おうなどと、天罰が下るぞ!」

 

 ナオトが嗜めようとするも、族長は聞く耳を持たない。 

 何を言っても無駄と分かったナオトは溜息を吐き、族長の横を通り過ぎてタマゴに近付く。

 

 広場から見える浜辺には木造船が何隻か停泊している。あの船を使ってアーシア島にタマゴを運んできたのだろう。

 この三つの大きなタマゴを自分達だけで運ぶには、バンギラスの力を借りる他ない。そう考えたナオトはベルトからバンギラスの入ったモンスターボールを取り出そうとする。

 

「──ミャアッ!?」

 

 その時、アイの悲鳴がナオトの耳に届いた。

 弾かれたようにナオトが振り向いた先には、見張りの男に腕を掴まれて身動きが取れない少女。

 そして、ガタガタと暴れる玉を複数人が抑えて縄で縛ろうとしていた。その玉は族長の付き人達が持っていた玉と同じ物。

 

『探索に出ていた者達が戻ってきて、アイさんはあの玉の中に……!』

 

 ナオトの頭の中に少女のテレパシーが届く。

 どうやら、あの玉はこの時代におけるモンスターボールのようなものなのだろう。

 

「おおっ! でかしたぞ!」

 

 族長が少女を捕まえた者達を褒め称えた。

 ここからの流れは聞かなくとも分かる。このままタマゴをどうにかしようとすれば、少女の命が危険に晒されるだろう。

 

「さあ、この神に仇なす不届き者も捕らえるのだ!」

 

 形成逆転とばかりに族長は男達にナオトを捕らえるよう命じた。ナオトは「くそっ……」と悪態を吐きながら、大人しく従うしかないと抵抗を諦める。

 族長の命令を受けた男達がナオトを羽交い締めにしようと近づく。

 

「ぞ、族長様!」

 

 しかし、その途中で族長の付き人の一人がタマゴを見て声を上げた。

 その声に釣られて一同がタマゴの方を振り向くと、三つあるタマゴの内の一つがゴソゴソと身動ぎし始めていた。

 

 タマゴが孵りそうなのだ……!

 

 そう確信すると同時に、ピシッと殻が割れ始める。

 それに連動するようにして、他の二つのタマゴにも亀裂が走る。

 

『──ダメッ!』

 

 少女の叫びがその場にいる全員の頭の中に響く。

 だが、無情にもタマゴのヒビ割れは止まらず、亀裂の隙間から目も眩む光が漏れてナオト達の視界を奪う。

 

 そして、光が止んだかと思えば視界は薄暗いまま。

 それもそのはずであった。タマゴから孵り、太陽を背にして生まれ変わった神々の影がナオト達を覆っていたのだから。

 

 

「ギヤーオッ!」「ギヨーー!」「キョオーー!」

 

 

 三柱の神の産声が世界中に届かんばかりに轟き渡る。

 

 かえんポケモン、ファイヤー。

 でんげきポケモン、サンダー。

 れいとうポケモン、フリーザー。

 

 新たな身体と精神を宿した三鳥はお互いの存在を認識すると、産まれたばかりだというのに敵意丸出しの視線を交わし始めた。特にファイヤーの睨みは他の二鳥より凄味を感じさせる。

 

 まさに一触即発。

 近づけば切り傷でも負いかねないような緊迫した空気が辺りを包んだ。

 

 

「「「────ッ!」」」

 

 

 刹那、三鳥の攻撃がお互いに向けて同時に放たれた。

 ファイヤーのかえんほうしゃ、サンダーのかみなり、フリーザーのれいとうビームが衝突し合い、爆発が引き起こされる。

 

「「うわああっ!?」」

 

 ナオト達はその衝撃波を受けて吹き飛ばされてしまった。

 巻き上がった土煙が晴れない内に、三鳥は自身らの翼を羽ばたかせ曇天の空へと舞い上がってしまった。荒れ狂う海の上で、神々は動物的本能に従いアーシア島の主の座を巡って争いを繰り広げ始める。

 

「お、おお……我らの神が誕生されたぞ」

 

 戦いの様を見上げて、そう呑気に呟く族長。

 そこへ三鳥の攻撃の余波が彼らを襲い、棒立ちしていた人間達を吹き飛ばす。

 

「「わああッ!!」」

「か、神は我々を守ってくれるんじゃなかったのか!?」

 

 族長からタマゴから産まれるのは自分達を守護する神だと伝えられていたらしい彼らは、話が違うとばかりに一斉に逃げ出す。

 

「か、神よ! なぜ我らを──」

「ぞ、族長様! 早くお逃げくださいっ!」

 

 族長は地面に這いつくばりながらも空を舞う三鳥に手を伸ばすが、付き人達に引っ張られる形でその場を離れていった。

 

「ひ、ひいぃッ!」

「──っ」

 

 少女の腕を掴んでいた男も、すぐ近くをサンダーのかみなりが掠めていったことに怖気づき、少女を乱暴に突き飛ばして島の奥へと逃げていってしまう。

 

「ギヤォォーーッ!!」

 

 少女の元へ、ファイヤーのかえんほうしゃの流れ弾が飛んでいく。倒れた体勢のままの少女はそれを避けることが叶わず、ただ自身へと迫る炎を見つめることしかできない。

 

「ッ、フルーラ!」

 

 ナオトが駆け出し、少女を抱えて飛び退く。

 すぐ背後を炎が掠めていったが、間一髪の所で助けることができた。

 

「はぁ、はぁ……だ、大丈夫か?」

 

 ナオトの言葉に、少女は呆然としながらもこくりと頷いた。

 

「アイ!」

 

 声をかけると、少し離れた場所に放置された玉がゴロゴロとナオト達の元へ転がり出す。

 縛りかけだった縄が解け、玉が二つに分かれて中からアイが顔を出した。窮屈だったのか、「ミャフ……」と安堵の溜息を漏らすアイ。

 

 そんなアイを見て緊張が少し和らいだナオトは、少女を抱えて膝を突いた状態のまま上空を飛び交う三色の暴れ鳥達を睨みつけるように見上げた。

 彼らの暴走に呼応するようにして、海の荒れ模様もさらに酷くなっていく。

 

「早く何とかしないと……」

『……もう、手遅れです』

 

 ナオトの呟きに、彼の腕に抱かれた少女は力無く返した。

 

『争いを始めた神々を止めることは……不可能です』

 

 何もかも諦めたようにがくりと項垂れる少女。

 二人の間に沈黙が訪れ、少女の言葉を肯定するように三鳥の鳴き声が響き渡る。

 吹き荒れる風と波飛沫の音が、焦燥感を煽るように彼らの耳を打つ。

 

 しかし、ナオトは少女から手を離すと、空を見上げたままゆっくりと立ち上がった。

 

「……僕がゲットする」

『え?』

 

 ナオトを見上げて、思わず聞き返す少女。彼は少女の方を振り返らずに答えた。

 

「僕がファイヤー達をゲットして争いを鎮める」

『ゲット……? 手懐ける、ということですか? そんな無茶です!』

 

 慌てて少女が首を振る。

 確かにあの三鳥は伝説と謳われるポケモン。しかもその中でも神と称されるような特別な存在となれば、ゲットするなんて無理だと考えるのが普通だ。

 

「伝説だろうが神だろうが、ポケモンはポケモン。なら、ゲットできない道理はない。例え困難だとしても、必ずゲットしてみせる。それが……ポケモントレーナーだ!」

 

 少女の方を振り返ったナオトはそう自信を持って答えた。

 

「だよな? アイ」

「ミャウ!」

 

 アイも笑顔で鳴いて答える。そんな一人と一匹をポカンと見つめる少女。

 その頭上で、ファイヤー達がアーシア島の裏の方へ戦いの場を移動していく。それを確認したナオトはクリスタルのイワークとゲンガーをモンスターボールに戻す。

 

「急いで追おう!」

 

 少女の手を取って、アイと共に駆け出した。

 

 

 

 ファイヤー達を追って走るナオト達は森の先にある洞窟を抜けて、岬へと辿り着く。ナオトが時渡りして目を覚ました、あの岬だ。

 

「ギヤーオ!」「ギョー!」「ョォオーー!」

 

 彼ら三鳥達はお互いを攻撃し合う内にアーシア島を離れ、沖にある三つの島の丁度中間にあたる海の上を飛び交っている。天候はさらに崩れ、大雨がナオト達の肌を叩いていた。

 

『やっぱり無理です。だって、一体どうやってあそこまで……』

 

 水平線の上空で争う三鳥を見据えながら少女が呟く。

 彼女の言うことは尤もだ。ナオトは何か方法はないかと顔に垂れてきた水滴を拭いながら辺りを見回してみる。

 そんな彼の目に縄で岩礁に括り付けられた小船が映った。恐らく、あの族長達が使っていた船の一つだろう。

 

 その船を認めたナオトの頭の中で電球が光る。「よしっ」と呟く彼を見上げて、アイが小首を傾げた。

 

「ピカッとひらめいた! って奴さ」

 

 そんな彼女にナオトはそう得意げに返した。

 

 




ということで、過去に来ました。
次回は明日投稿します。

■フルーラと瓜二つの少女
口を利かず、テレパシーで会話をする。
果たして、その正体は……?

■ファイヤー・サンダー・フリーザー
神々でも寿命はある。
死の間際、次代の神々として生まれ変わるためにタマゴを創り出す。

■族長のヤドキング
後の浜ちゃん。すっごい長生き。

■「ピカッとひらめいた!」
ちょっと言わせてみたかった。
今更だけど実写映画の名探偵ピカチュウ良かったなぁ。この台詞は出てこなかったけど。
初期のサトシだと閃いた時「ピカチュウっと!」って言ってましたけど、いつの間にか言わなくなってた。




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27. えらばれしあやつりびと ② ▼

 前方からの風圧がナオト達を襲う。

 それに乗って、激しい波飛沫と雨が容赦なく身体に降りかかった。

 

 今、ナオト達は船に乗って三鳥達の元へ向かっている。

 しかし、誰一人オールとなる物を使っていない。

 

 それもそのはず。

 この船の推進力を生み出しているのは……コイキングなのだから。

 

「コココココッ!」

 

 コイキングは船の船首とロープで繋がっており、得意のはねるで飛ぶようにして海を進んでいる。

 

『ほ、本当に大丈夫なんですか?』

 

 ナオトの後ろで、船から振り落とされないように船縁に縋っている少女。

 彼女には岬で待ってるよう勧めたのだが、『わ、私も行きます!』と言って無理やり船に乗り込んできたのだ。

 

「自分から乗ってきておいて何言ってるんだよ。前に似たような形でだけど、コイキングの力を借りて水上レースをしたことがあるんだ。安定性はともかく、速度はカメックスにだって負けないよ」

『あ、安定性が一番重要だと思うんですけど……』

 

 眉尻を下げて呟く少女。

 そんな会話をナオトに抱えられたまま聞いていたアイは、自分の主人が泳げないことは黙ってた方がいいんだろうなぁと心の中で苦笑いした。

 

「急げ、コイキング! お前の力ならもっと速く跳ねられるはずだ! 頑張れ!」

「ココッ!」

 

 ナオトの応援を受けて、コイキングはさらにスピードを上げる。

 

『きゃっ!』

 

 それによってバランスを崩した少女は前に座るナオトの背中に慌ててしがみつく。

 

「大丈夫か?」

『……は、はいっ』

 

 肩越しに聞くナオトに、落ち着かない様子で答える少女。

 自分が選んだ操り人。その背中の感触に少しばかり胸の高鳴りを覚える。

 あまり鍛えられてない頼りなさげな背中だが、不思議と少女にはそんな風には思えなかった。

 

 そんな少女の頭の中に、ふとある疑問が浮かぶ。

 ファイヤーの炎から助けてくれた際にナオトが口にした名前──確か、フルーラだったか。

 

『あの、先程口にしていた、フルーラというのは一体……』

 

 そう尋ねる少女に、ナオトは言い辛そうにしながらも答える。

 

「えっと……フルーラは僕の旅仲間のことで、姿も声も君に瓜二つなんだ。だからさっき思わず叫んじゃって」

『そう、なんですか……』

 

 呟く少女。少しばかりの沈黙を挟んで、今度はナオトが口を開く。

 

「そうだ。こんな状況だから聞くのを忘れてたけど、君の名前は──」

「ギヤアアーッ!!」

 

 言いかけたところで、サンダーの攻撃を受けたファイヤーが黒煙を上げながら落下してきた。

 落下の途中で体勢を整え直したファイヤーは一旦距離を取ろうと考えたのか、海上スレスレを飛びながら他の二鳥から遠ざかる。その方角の先には、ナオト達の乗る小舟が海上を進んでいる。

 

「頼む、ブースター!」

「ブゥッ!」

 

 こちらに向かってくるファイヤーを見てチャンスだ考えたナオトは、モンスターボールを投げてブースターを出した。

 

『待ってください! 同じほのおタイプの子ではファイヤーに勝ち目は──』

「大丈夫、タイプバトルなら経験済みさ。ブースター! ほのおのうずだ!」

「ブアアァーッ!!」

 

 ブースターのほのおのうずで向かってくるファイヤーを迎撃する。

 サンダーとフリーザー以外は眼中になかったファイヤーは、思わぬところからの攻撃に目を見開いた。

 

「ギヤーオッ!」

 

 攻撃を受けたことでファイヤーはナオト達を敵と見なしたのか、身に付き纏うほのおのうずを歯牙にもかけず低空飛行を続け、彼らの乗る小舟を鋭く睨みつけてその口からかえんほうしゃを放ってきた。

 

「コイキング! 飛び跳ねろ!」

 

 ナオトは一直線に向かってくるその炎に対して、コイキングにそう指示した。

 コイキングが高く飛び跳ねたことでロープで繋がった小舟も宙を浮き、そのまま炎の上を飛んでファイヤーに肉薄する。

 

「ブースター、でんこうせっかだ!」

「ブスタァ!」

 

 ナオトの指示を受けて一鳴きしたブースターが、コイキングによる加速を乗せて猛烈な勢いでファイヤーにでんこうせっかによる攻撃をお見舞いする。

 

「ギ、ヤアァッ!」

 

 でんこうせっかを背中に受けたファイヤーは身を震わせてブースターを振り払う。

 続けて、迫るナオト達の小舟を避けるために翼をはためかせて飛び退いた。

 

「ブゥスッ」

 

 ブースターはファイヤーに振り払われると同時に跳躍し、タイミング良く小舟に着地。ファイヤーは旋回する形で再びナオト達の乗る小舟に迫ってくる。

 今の攻撃で油断ならない相手と認識したファイヤーは、一気に勝負を付けようとその身に高熱の炎を宿らせた。オーバーヒートだ。使った後はパワーの出力が落ちてしまうが、その分威力は強力。不毛な縄張り争いをするだけあって、後先のことは考えていないらしい。

 

「アイ!」

「ミャッ」

 

 ナオトはアイを肩に乗せ、少女と立ち位置を変える。

 

「君はコイキングに指示を!」

『え? む、無理ですよ!』

「頼む! 君の方がテレパシーで時間差なく指示を伝えられるはずなんだ! 後ろから追ってくるファイヤーを迎え撃つために舟を旋回させてくれ!」

『は、はいっ!』

 

 突然舵取りを任された少女はあたふたとしながらもナオトの指示をコイキングに伝え、小舟を旋回させる。

 しかし、このままだとオーバーヒート状態のファイヤーと正面衝突だ。

 

『ど、どうするんですか?』

「どうするもこうもない。このままファイヤー目掛けて突っ切る!」

『ええっ!?』

 

 当然、少女は何を馬鹿なと慌て始める。

 こちらも速度を出している以上、ファイヤーのオーバーヒートと衝突すれば木っ端微塵どころの話ではない。

 心配する彼女に、ファイヤーを見据えていたナオトは振り返って言葉を投げかける。

 

「大丈夫。僕を信じてくれ!」

『…………』

 

 少女がそれに呆けた顔で返している間に、ファイヤーと彼らの乗る小舟は後数秒で衝突するという所まで迫る。

 

「ブースター! もう一度でんこうせっかだ!」

「ブッ!」

 

 ファイヤーの方を見据え直し、再びブースターにでんこうせっかを指示するナオト。

 オーバーヒートに対して、でんこうせっか。とてもではないが、勝てるとは思えない。威力の差に天と地の差があるのは歴然だ。

 

『……ッ』

 

 少女はコイキングに進路を変えてファイヤーを避けるように指示しかけたが、先程のナオトの言葉がそれを思い留まらせる。

 ファイヤーと正面衝突すると思われたその時、ブースターが小舟の船首からでんこうせっかの勢いを乗せて上へと跳び上がった。それに反応する形で、ファイヤーも攻撃の矛先をブースターへと切り替える。

 小舟はファイヤーの進路から外れた。ナオトは野生のポケモンがトレーナーのポケモンに敵意を燃やす傾向があることを利用したのである。

 

 だが、それは自分達が助かるためにブースターを囮にしたようなものだ。トレーナーとして、非道な選択をしたということになる。

 それでも、少女は自分の選んだ操り人を信じることにした。ナオトはそんなことをする人間ではないと。

 

「ギヤァァァーッ!!」

 

 そのまま、無情にもブースターはファイヤーのオーバーヒートを正面からまともに受けてしまった。小舟が引っ繰り返りかねないほどの衝撃が伝わり、炎に包まれたブースターが落下するのが見える。

 

『コイキング!』

 

 少女は再び旋回してブースターを拾うため、コイキングに指示を出した。

 ファイヤーのオーバーヒートを受けて、無事で済むはずがない。力無く落下するブースター。コイキングが引っ張る小舟は彼を拾うのにはとても間に合いそうにない。

 

 

「──ブゥッ!」

 

 

 ところが、ブースターは海に落ちる直前で閉じていた瞼をカッと開き、空中ででんこうせっかすることによってナオト達の小舟へ戻ってきた。

 満身創痍と思われたその身体は傷一つなくピンピンしている。それどころか、身に纏う炎が攻撃を受ける前よりも強いパワーを感じさせた。降り注ぐ雨がその身に落ちる前に蒸発している。

 

 ──特性、もらいび。

 ほのおタイプのわざを一切受けつけず、さらに受けた炎を自身の力とするのだ。

 

 ブースターを回収した小舟は、そのままさらに加速して背中を向けているファイヤーに迫る。

 

「決めるぞ、ブースター! フレア……ドライブッ!」

「ブアアアァァーー!!」

 

 ナオトの声を合図にブースターの身に纏っていた炎が膨れ上がり、ファイヤーに勝るとも劣らない熱を発し始める。そして、一つの火の塊となってファイヤーを強襲した。

 

「ギヤアァ、ォッ!!?」

 

 倒したものと思っていたブースターからの渾身のフレアドライブを背後から受けたファイヤーは白目を剥き、きりもみ回転しながら宙を飛ぶ。意識を失い、海へと落下し始めた。

 

「行け! モンスターボール!」

 

 間髪入れずナオトがモンスターボールを投げ、墜落するファイヤーに命中させた。

 ファイヤーを赤い光が包み込み、ボールの中に収納する。ナオトはブースターと一緒に小舟に落ちてきたそのボールをキャッチした。ボールはナオトの手の中でしばらく身動ぎしていたが、やがてポンという音と共にその動きを止める。

 

「……ファイヤー、ゲットだ!」

「ミャウ!」

 

 ナオトはファイヤーの入ったモンスターボールを握ったまま、もう片方の拳で小さくガッツポーズした。肩に乗っているアイも笑顔を浮かべている。

 

 本当にファイヤーを──神をゲットしてしまった。

 少女はその瞬間を目の当たりにしても信じられずしばらく呆然としていたが、ハッとしてかぶりを振る。そして、ブースターを労って彼をボールに戻すナオトを見やる。

 彼なら本当に神々を……世界を救うことができるかもしれない。

 

「──うわっ!?」

 

 その時、ガコッと船が大きく揺れた。何かに乗り上げる形で船が傾く。

 氷だ。ナオト達のいる場所から先の海が、辺り一面氷で覆われていた。

 

「キョーーォオッ!!」

 

 見上げると、いつの間にか雨は上がっている。その空をフリーザーのみがその鳴き声を轟かせ、星のない曇天に氷晶を散らばせていた。

 サンダーは……視界の隅で氷漬けの姿を晒している。二鳥の争いはフリーザーが勝利を飾ったのだ。雨が降っている内はサンダーが有利だったのだろうが、それが止んでしまって形勢逆転されてしまったのであろう。 

 もはやこの海さえも自分の物だと主張したいのか、フリーザーはれいとうビームでどんどん氷の大地を広げていっている。

 

 先ずはあのフリーザーを何とかしないといけないだろう。あのままでは外界に飛び出していってしまいかねない。だが、この氷の大地を歩いてフリーザーに近づくには時間がかかりすぎる。

 

『どうしましょう……』

「…………」

 

 困り果てた様子の少女と、その横で腕を組んで考えるナオト。

 今手持ちで空を飛べるポケモンはゲットしたばかりのファイヤーのみ。ダメージを負った状態のファイヤーに乗って移動なんてできるわけがない。

 ゲンガーも一応宙に浮くことはできるが、鳥ポケモンほど自由に飛べるわけではない。コイキングに小舟を引っ張ってもらおうにも、この氷の大地では身体がくっついて跳ねることができない。それにそもそも、小舟はさきほど氷にぶつかったせいで中破してしまっている。

 

「ミャウ」

 

 そんなナオトのズボンの裾をアイが引っ張り、その小さな前足で何かを指し示した。

 見ると、サンダーとフリーザーの戦いの激しさを象徴するような氷柱が白い大地から何本も聳えている。サンダーによるかみなりで水柱が立ち、そこにフリーザーのれいとうビームが当たっててあのような形になってしまったのだろう。

 

「……そうか。でかしたぞ、アイ!」

「ミャッ」

 

 アイの言いたいことが分かったナオトは頷き、彼女の頭を撫でて褒める。

 

『あ、あの、どういうことですか?』

 

 首を傾げる少女に、ナオトは笑みで答えた。

 

「乗り物がないなら、作ればいいのさ」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 白銀の大地を小さな影と大きな影が白煙を巻き上げながら走り抜ける。

 小さな方は氷柱を削って作ったソリに乗ったナオト達。

 そして、大きな方はソリをロープで引っ張っているクリスタルのイワークだ。

 

『即興でこんなソリを作ることができるなんて、すごいです!』

「前に作ったことがあるんだよ」

 

 興奮気味の少女にナオトが前方を見据えながら答える。

 彼自身もネーブルジムでの経験がこんなところで活かされるとは思っていなかった。

 

 ソリは猛スピードで空を舞うフリーザー目指して滑走していく。イワークはその巨大な体躯とは裏腹に地中を掘り進む速度は時速八十キロにも及ぶ。地中でその速度なのだから、地上ではさらに速いスピードで移動できるのだ。

 

「キョオオーッ!」

 

 自分のもとへ近づいてくる者達に気づいたフリーザー。ナオト達のソリを認識すると同時に、吹雪の音のような鳴き声を上げてれいとうビームを放ってきた。

 

「イワーク! こっちもれいとうビームだ!」

「グオオォーッ!」

 

 それに対して、ナオトもイワークのれいとうビームで対抗。

 ありとあらゆる物を一瞬にして凍結させる青白い光線が衝突した。衝突点の水分が凍りつき、氷の塊となって落下する。

 

「しめた! イワーク、あの氷の塊に向かってアイアンテール!」

「グオオッ」

 

 ナオトの指示を受け、落下してきた氷塊にアイアンテールを打ちつけるイワーク。

 弾かれた氷塊は一直線にフリーザーへと向かって飛んでいった。

 

「キョーォ!」

 

 だが、フリーザーは紙一重でそれを避けてしまった。

 ナオトは小さく舌打ちした。この海が凍って出来た大地の上では、フリーザーにこうかばつぐんのダメージを与えられるロックブラストは使えない。あれは大地のエネルギーを利用して岩を生成し撃ち出す技だからだ。

 

「──ッ!」

 

 氷塊による攻撃を見てか、フリーザーは翼をはためかせて後退し始めた。それと同時に、こおりのつぶてを放つ。ナオト達を直接狙わず、ソリの前方に向けて。

 こおりのつぶてによって氷の大地に穴が空き、立ち昇った水柱に向けてれいとうビームが放たれる。一瞬にして氷柱が作り上げられた。

 

 このまま進めば氷柱にぶつかってしまう。海と同じで、氷の地面では止まることも難しい。

 

「イワーク! 避けろっ!」

「グ、オッッ!!」

 

 ナオトは急いでイワークに進路変更を言い渡した。ギリギリの所で氷柱を避けることに成功する。

 

「──なっ!?」

 

 が、避けた先にもフリーザーによって氷柱が生成されていた。

 このフリーザー、ファイヤーと違って頭が回るようだ。後退しながら次々と障害物を作っていくフリーザーにナオトは無意識の内に眉をひそめる。

 氷柱はどれも巨大で、ブースターでも一瞬で溶かすにはフレアドライブを使わざるを得ないだろう。しかし、フレアドライブは連発できないしそれ以前にブースターは先のファイヤーとのバトルで体力が不足している。

 

『私が柱にぶつからないようイワークに指示を出します! あなたはフリーザーだけに集中してください!』

 

 そう少女が声を上げた。先程のファイヤーの時と同じやり方だ。

 ナオトは頷き、滑走するソリの上からアイを肩に乗せたままイワークの頭の上に移動する。

 この状態ではイワークに攻撃させることはできない。ナオトはモンスターボールを投げ、ゲンガーを繰り出した。

 

「ゲンッ」

「ゲンガー! シャドーボールだ!」

「ゲン、ガァー!」

 

 指示を受けたゲンガーは、フリーザーに向けてシャドーボールを撃ち出す。しかし、高速で移動しながらに加え遠距離のため命中させるのは困難。余裕を持って避けられてしまう。

 続けてシャドーボールを連発するが、フリーザーは舞うようにしてそれらを躱していく。まるで嘲笑うかのように。

 

(あっちも頭を使ってきてるなら、こっちも頭を使わなきゃダメだ!)

 

 そう考えたナオトは、少女に向けて指示を出す。

 

「フリーザーに一番近い氷柱に突っ込んでくれ!」

『ッ、分かりました!』

 

 ナオトの指示はファイヤーの時と同じく自殺行為のようにしか思えないが、少女はナオトを信じて頷いて返し、テレパシーでイワークの移動方向を適切なルートへと誘導させる。

 そして、目標の氷柱が視線の先に迫ってきた。

 

「ゲンガー、連続でシャドーボール! アイもナイトバーストだ!」

「ゲンゲラッ!」「ミャウ!」

 

 ゲンガーによって機関銃の如く撃ち出されたシャドーボールが氷柱の根本を削っていく。最後にアイのナイトバーストが氷柱の中腹に放たれ、空に向けて聳え立っていたそれを傾かせた。

 

「行くぞっ! イワーク!」

「グオオッッ!」

 

 傾きかけている氷柱にイワークと共にソリごと乗り上げて頂上目指して突き進む。

 そうして氷柱の頂上まで昇りつめたナオト達は、そのまま勢いに乗って宙に飛び出した。

 

「──!?」

 

 宙を飛んだ先には、フリーザー。

 近づけないようにするために作った柱を利用して逆に肉薄してきたナオト達に目を見開いている。

 

「ゲンガー!」

「ゲンッ!」

「キョオオォーーッ!!?」

 

 そんなフリーザーの顔に、ナオトの指示を受けてソリから飛び出したゲンガーが纏わりつく。

 フリーザーは狂ったように暴れ出し、口かられいとうビームを吐こうとするがゲンガーにくちばしを抑えられてそれが叶わない。

 

 イワークと共にソリごと落下していくナオト達。

 その最中、ナオトがフリーザーに纏わりつくゲンガーを見上げながら叫んだ。

 

「行け、ゲンガー! 最大パワーで10まんボルトだ!!」

「ゲン、ガアアアアーーーッッ!!!」

 

 ゼロ距離からの10まんボルトがフリーザーを襲う。でんきタイプではないが、特殊攻撃の能力を極限まで鍛えたゲンガーの全力10まんボルトの威力は伊達じゃない。

 

「ギョオ゛オ゛ォォォーーー!!」

 

 さらに、ゲンガーは体力の限界まで電撃を放出し続ける。

 確実に追い詰めるために。フリーザーの断末魔を極寒の銀世界に響き渡らせる!

 

「キョ、オ────」

 

 そして、ぐたりと力無く首を垂れたフリーザーは黒煙を上げて氷の大地に降下していく。それを確認したナオトは心の中で安堵の溜息と吐いた。

 だが、降下しているのはナオト達も同じだ。ゲットは後回しにして、ナオトは一旦イワークをモンスターボールに戻す。

 

「よし。アイ、じんつうりきだ!」

「ミャッ!」

 

 アイは鳴き声と共にじんつうりきを発動。

 ナオト達を青白い光が包み込み、落下速度が徐々に緩んでいく。

 

 彼らが冷たい地面に足を着けたそのすぐ後に、少し離れた場所でフリーザーが墜落して雪煙を巻き上げた。その煙の中からゲンガーはふよふよと飛んでくるのが見える。

 

「ゲンガー! よくやったな!」

「ミャウ!」

「ゲラァ……」

 

 自分の元へと飛んできたゲンガーをナオトとアイが労る。

 が、さすがの彼も疲労の色が濃い。すぐに休むよう伝えてモンスターボールに戻した。

 

『やりましたね!』

「ああ。なんとかな……」

 

 駆け寄ってきた少女にナオトは疲労困憊といった様子で返す。

 ファイヤーの時は雨が降っていた。それによって若干だが相手が弱っていたために余裕を持ってゲットできたが、今回はそうもいかず相応に苦戦してしまった。

 

「ミャウミャ!」

「分かってるって」

 

 急かすようなアイの声が耳を打つ。早くフリーザーをゲットしようと言っているのだろう。

 ナオトは頷いてバッグからモンスターボールを取り出した。

 

 ──その時であった。

 ナオト達を一瞬で身が凍りつくような強烈な寒波が襲ってきたのだ。

 

『きゃあっ!?』

「ッ!?」

 

 寒波の襲ってくる方向を振り向くと、そこには満身創痍ながらもこちらに向けて翼を広げるフリーザーの姿があった。

 これは……フリーザーのぜったいれいどが発動する前兆だ!

 

「まずい!」

 

 ナオトは一か八か天高くモンスターボールを投擲すると、間髪入れず再びクリスタルのイワークを繰り出した。

 

「二人共、僕の傍に来てくれ!」

 

 そして、アイと少女にそう叫ぶようにして指示する。

 

 

「キョオオオオーーッ!!!」

 

 

 その瞬間、フリーザーの鳴き声がナオト達の耳を貫く。

 生きとし生ける者全てを静止させる死の冷気、ぜったいれいどが発動した。

 

 

 

 

 

 無音。

 

 風も、海も、空も。

 

 全てが時を止めたかのような光景が広がり渡っていた。

 

 ──その静寂を、氷を砕く音が破る。

 

「グオオオッ!」

 

 氷の大地に穴が開き、その下の海からイワークが顔を出した。

 続けて、そのイワークの口から吐き出される形でナオト達が姿を現す。イワークのあなをほるで氷を割って海の中に潜り、フリーザーのぜったいれいどから逃れたのだ。

 

「……うっ……あ…っ」

 

 しかし、ナオトの身体は青白く冷め寒さに凍えてガタガタと震えていた。唇は紫色に染まっている。イワークの口の中にいたとはいえ、ぜったいれいどが収まるまで極寒の海に浸かっていたのだ。凍死寸前の状態になって当然だろう。

 

 イワークが氷の地面の上にナオトを寝かす。

 そんな彼の元へアイと、なぜか凍えた様子のない少女が慌てて駆け寄った。

 

「ミャウミャ!」

『ナオトさん!』

 

 彼女らの心配する声に、ナオトは震えた声で「フ、フリーザーは……?」と聞く。

 少女がフリーザーのいた場所を振り向くが、どこにも姿はない。代わりに、モンスターボールがポツンと一つ転がっていた。

 ぜったいれいどが発動する直線にナオトが空中高く投げたモンスターボール。あれが時間差で降下し、フリーザーに当たってゲットすることができたのだ。

 

『大丈夫です! ちゃんとゲットできてます!』

 

 ボールを拾ってきた少女は、ナオトの傍に座り直すと彼の手にボールを握らせてその手を自分の両手で包んだ。

 これで後はサンダーだけだ。サンダーは既にフリーザーに氷漬けにされているのでゲットは簡単だろう。だが、ナオトは身動きが取れないほど凍えて弱り切っている。

 

「ミャア」

 

 アイはナオトにくっついて毛皮で彼を暖める。そうしていると、ナオトのベルトに取り付けられたモンスターボールが次々に光り出した。

 

「ゲンガァ」

「ブゥ」

「ココッ」

 

 ゲンガー、ブースター、コイキングがボールから出てきて、アイと同じようにナオトにくっついて主人の身体を暖め始めたのだ。イワークも風が当たらないようナオト達を囲むようにしてとぐろを巻いてくれている。

 バンギラスが出てこないのは、あのイワークをゆうに超える体重だと氷の地面を割りかねないからだろう。ボールの中にいながらも身動ぎして心配してくれているのが分かる。

 

「み、みんな……あ、ありが、とう……」

 

 ナオトは辛そうにしながらも、無理に笑ってポケモン達に感謝した。

 ブースターはともかく、ゲンガーはその性質上逆に寒くなりそうだし、コイキングもヌルヌルして体温も暖かいとは言い難い。それでも、自分を助けようとしてくれるその気持ちがナオトの心を暖めてくれていた。

 

 そんなトレーナー冥利に尽きるような光景を、少女は微笑ましげ……いや、少し羨ましげに見つめている。

 

 

 

 「──ギョオオオォォーーーッッ!!」

 

 

 

 ところが、そんな和やかな空気に水を差すような鳴き声が静止した世界に響き渡った。

 

 弾かれたようにナオト達が振り向く。振り向いた先には、サンダーがその大きな鋭い翼を広げていた。氷漬けの状態から解放されてしまったのだ。

 

「ギヨーオッ!」

 

 サンダーはナオト達の存在を認識すると一鳴きし、翼をはためかせてナオト達のいる方角へ一直線に飛び出す。

 早く何とかしないと、サンダーの攻撃で一網打尽にされてしまう。しかし、肝心のナオトは動くことができない。

 

「ミャアッ!」

 

 ナオトから離れたアイがサンダーを迎え撃とうとする。

 しかし、それを遮るようにして少女が先に前へ出た。少女は振り返り、ナオト達を見下ろして告げる。

 

『ここは、私に任せてください』

 

 そう言って、少女は迫るサンダーを決意を秘めた目で見据える。

 すると、少女の身体から光が放たれ始めた。アイが、ゲンガー達が、ナオトが、目を見開いて光に包まれる少女に見入る。

 

 光の形が変化していく。人間から、そうでない姿に。

 その姿を見たナオトが、無意識の内に呟く。

 

 

「──ルギ、ア?」

 

 

 水かきのような形をした大きな翼をはためかせ、白銀の羽を舞い散る。海の神と称される伝説のポケモンが、ナオト達の目の前に現れたのだ。

 だが、その身体はナオトの知識にあるルギアよりも小さく、腹部と目元は通常の個体のような青色ではなく赤色に染まっていた。

 

 ルギアは声もなく飛び立つと、向かってくるサンダーに竜のオーラを纏って迎え撃つ。ドラゴンダイブだ。

 突然新たに現れた敵にサンダーは一瞬目を見開くが、敵は倒すのみとばかりにかみなりで応戦する。

 

「…………」

 

 サンダーと攻防を繰り返しながら空を飛び交うルギアを見ながら、ナオトは考えを巡らせる。

 あの少女の正体はルギアだった。テレパシーで会話していたのはそのためだったのだ。ナオトと一緒に極寒の海に落ちて平気だったのも納得である。

 

 海の神、破滅を救わんと現れん。

 つまり、彼女はこの時代の海の神ということなのだろう。

 

 しかし、ルギアの戦い方はどこかぎこちない。どんどんサンダーに追い詰められていっているのが目に見えて分かった。

 

「────!」

 

 このままではやられてしまう。そう思った矢先、ルギアのまもるによるバリアをサンダーのかみなりが貫いた。

 ルギアはかみなりに押される形で氷の大地を滑り、ナオト達の近くまで流れてきた。すかさず追い打ちをかけようとサンダーが迫ってくる。

 

「イワーク! れいとうビームだ!」

「グオオオッ!」

 

 幾分か回復したナオトはサンダーに対してイワークのれいとうビームで牽制する。そして、ふらつく足取りでアイと共に倒れているルギアの元まで駆け寄った。

 

「だ、大丈夫か!?」「ミャウ!」

『っ……すみま、せん』

 

 ルギアは申し訳なさそうに謝って話し始める。

 

『私は、あのサンダー達と違って生まれたてというわけではありません。でも、本来ならもっと力を持って生まれるはずが、突然変異か何かで通常よりも小さくて弱い個体として生まれてしまったんです……』

 

 加えて、先の仮面の集団からタマゴを守ろうとした際、槍で喉を傷つけられてしまった。そのせいで得意技であるエアロブラストも使えなくなり、鳴き声を出すこともできなくなってしまっていたのだという。

 つまるところ、彼女はバトルにおいて神としての実力を発揮できない状態なのである。人間の姿で仮面の集団に捕まっていたのも、人間に姿を変えて彼らを説得しようとしたからだった。

 

『私は海の神として生まれたのに……何の役にも立てない。ごめんなさい』

 

 ルギアは自分の不甲斐なさにその瞳から涙を流している。

 ナオトはそんな彼女をじっと見つめた。その後ろでは、イワークに加えてゲンガー、ブースターがそれぞれの技でサンダーを迎撃している。それを掻い潜って近づいてきた時はコイキングがたいあたりして近づけさせない。

 だが、皆これまでの戦いでかなり消耗している。長くは持たないだろう。

 

「……ルギア」

 

 ルギアの涙を拭ったナオトは、優しい口調で話し始める。

 

「不甲斐ないのは僕も同じだ。ポケモン達が頑張ってくれるから、僕は今ここにいることができる。みんながいなかったら、僕なんてとっくの昔に海の底さ」

 

 話を聞きながら、ルギアは俯かせていた顔を上げた。

 

「僕は別に、世界を救いたくてここにいるわけじゃないんだ。そんな大それたことをできるような強い人間じゃないからね」

 

 そう語るナオトに、そんなことはないと目で訴えるルギア。

 ナオトは首を横に振って答える。

 

「僕がここにいるのは、ある人を助けるためさ。その子にはいつも手を引っ張ってもらっていたのに、喧嘩別れする形で別れてしまった。でも、世界が破滅してしまったらもう会うこともできなくなる。手を握ることもできなくなる。だから今、僕はここにいるんだ」

 

 ナオトはその誰かを頭の中に思い浮かべているのか、静かに目を閉じている。

 そして、目を開くと同時に再び口を開く。

 

「ルギア。僕に力を貸してくれ。君が必要なんだ」

『……でも、私にそんな力は』

「君は世界のためなんて重い責任を抱えてるから、それに押し潰されそうになってるんだ。こう考えてみてくれ。世界のためじゃなくて、僕のためにって」

『貴方の、ために……?』

 

 ルギアの呟きに、ナオトは頷く。

 

「そうだルギア。僕のために、君の力を貸して欲しい」

 

 そう言って、手を差し出すナオト。

 ルギアはそんな彼をじっと見つめた。ナオトの言葉が頭の中で反響する。

 

 世界のためではなく、目の前の──自らが選んだ操り人のために。

 

 この人の力になりたい。

 ただ純粋に、ルギアはそう思った。

 

 そう思うと、なんだか元気が湧いてくるような気がしてくる。ルギアは翼に力を入れ、ゆっくりと起き上がる。

 ナオトとルギアは頷き合うと、上空を飛ぶサンダーを見据えた。

 

「グ、オオォッ!」

「ゲン、ガァ……!」

「ブッ!」

「ココ、コッ」

 

 時間を稼いでくれていたイワーク達が、サンダーのかみなりによってついに倒れてしまう。

 ナオトは彼らをモンスターボールに戻し、心の中で感謝した。

 

「……行くぞ、アイ。ルギア!」

「ミャウッ!」

『はい!』

 

 ルギアは腰を低くして応え、ナオトとアイをその背に乗せて飛び立った。

 

「ギョォォオッ!!」

 

 再び向かってきたルギアに、サンダーは鳴き声を響かせてほうでんを放つ。

 

「ルギア、まもるだ!」

『────ッ!』

 

 それに対して、ナオトの指示でルギアのまもるによるバリアが展開される。

 サンダーのほうでんは全周囲に電撃が放出されるために避けることは難しい。だが、その攻撃範囲故に連発はできない。

 

「ドラゴンダイブ!」

「ギ、オォッ!」

 

 ほうでんを凌ぎ切ったところで、すれ違いざまにサンダーへドラゴンダイブをお見舞いする。その攻撃を避けようともせずにまともに受けるサンダー。

 

「……っ、ルギア! もう一度ドラゴンダイブだ!」

 

 それに訝しみながらも、ナオトは続け様にドラゴンダイブを指示する。

 一撃、二撃とすれ違う度に連続で行われる攻撃に、サンダーの身体へのダメージが蓄積されていく。

 

『いけそうです! 次で決めましょう!』

「……ああ!」

 

 持てる限りのパワーを携え、サンダーに向けて光を伴ったルギアが特攻する。

 

 

「──ギヨッ!」

 

 

 刹那、サンダーの目が大きく見開かれた。

 それと同時に、サンダーのくちばしから凄まじい電気エネルギーが塊となって現れる。

 

「しまった!」

 

 ナオトが叫ぶ。あれはでんじほうだ。それも普通のでんじほうよりも収束されるエネルギーの量が段違い。じゅうでんによってパワーが倍増している。

 サンダーが避けもせずに甘んじて攻撃を受けていたのは、このためだったのだ。

 

「ルギア、まもるだ!」

『は、はい!』

 

 指示に従い、ルギアは急停止してバリアを張る。

 

 

「ギヨオオオオォォーーッッ!!」

 

 

 数瞬遅れて、サンダーのでんじほうが撃ち出されバリアに直撃する。

 

「う、あああっ!!?」

 

 その威力に、バリア越しであるにも関わらずナオト達の身体が激しく揺らされる。

 ただでさえでんきタイプわざでも最高威力の技であるというのに、それにじゅうでんによるブーストが加えられているのだ。もはや一撃必殺技と化しているといっても過言ではない。

 

 凄まじい威力を受けて、ルギアのバリアがミシミシと軋み始める。亀裂が走り、電撃の光が激しく明滅してナオト達の目を眩ませた。

 このままでは、でんじほうに撃ち抜かれてしまう! 必死に考えを巡らせるナオト。

 

 しかし、無慈悲にもバリアの亀裂は大きくなる。

 ついにでんじほうがバリアを破り抜き、光がナオト達を包み込む。

 

 ──その時だった。

 ナオトの肩に乗っていたアイが、迫るでんじほうに向けて飛び出したのは。

 

 

「ミャァウウゥーーーッ!!」

 

 

 アイの小さな身体から、ルギアのそれを上回る強力なバリアが張られた。

 それによって、サンダーのでんじほうは完全に相殺される。

 

 アイが覚えさせてもいないまもるを、それもあそこまで強力な効果で発揮させたことにナオトは逡巡するが、今はそれについて考えている暇はない。

 

「今だ、ルギア!」

 

 ナオトの掛け声にルギアが頷き、翼を広げてサンダー目掛けて肉薄する。残った力を全て振り絞って。光をその身に宿し、一つのエネルギーの塊となる。

 

 

「最大パワーで、ゴッドバードだ! いっけええぇぇッ!!」

 

 

 迫るルギアにサンダーは苦し紛れにでんきショックを放つが、間に合わない。

 

 三柱の神。

 その最後の一柱の叫びが、光と共に世界へ響き渡った──

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ファイヤー、サンダー、フリーザー。

 世界の均衡を保つ神々をゲットし終えたナオト達は、アーシア島の岬へと凱旋していた。

 

 だが、これで全てが終わったわけではない。

 未だ空は曇天に染まり、海は激しく波打ち続けているのだ。

 

「ギヤーオッ!」「ギヨオオ!」「キョーーオ!」

 

 ゲットした三鳥は今、モンスターボールから出して横一列に整列させている。

 彼らはボールから出されると同時に睨みを交わし、そのくちばしで鍔迫り合いを始めようとしたのだ。

 

「おい、お前たち。いい加減にしろ」

「「「…………」」」

 

 一応主となったナオトに嗜まれて矛は納めてくれたが、お互いそっぽを向いて顔を合わせようとしない。

 何とも困った神々である。さすがに喧嘩っ早すぎではなかろうか。

 

『何とか争いを止めることはできましたが……本当の意味で三鳥の怒りを鎮めないと、世界のバランスは崩れたままです』

 

 再び人間の姿に変化したルギアが、困ったようにそう口を開く。

 

「どうすればいいんだ?」

『本来なら私の歌声で猛る心を慰め落ち着かせることができるんです。でも、人間達に喉をやられてしまって……今はそれができません』

「テレパシーじゃ、駄目なのか?」

 

 ナオトがそう聞くも、首を横に振られる。

 テレパシーはあくまで相手の脳にイメージを寄越すだけ。ちゃんと音として伝えないと効果はないらしい。

 

「──あ、あの……」

 

 そこへ、騒ぎの発端である仮面の集団が恐る恐るといった様子でナオト達のいる岬の方へやってきた。

 先頭に立っていた族長が、被っているその仮面を外す。その顔は、現代のアーシア島の長老によく似ていた。

 

「貴方様のおかげで、我々の命は助かりました。なんとお詫びを申し上げたら良いか……」

 

 彼らは自分達のしでかしたことを理解し、尻拭いをしてくれたナオト達に謝罪しに来たようだ。

 

「詫びとか、そんなことはどうでもいい。まだ全部終わったわけじゃないんだ」

「な、なんと……我々にできることがあれば何でもおっしゃってください!」

「そう言われてもな……」

 

 ナオトは困ったように頭を掻く。

 そんな彼の目に集団の後ろの方に控えている女性達が映る。その首には笛がぶら下がっていた。フルーラの持っていた笛と同じものだ。

 その笛を見たナオトの頭に、電流が走る。

 

「ちょっと、その笛を貸してくれ!」

「え? は、はいっ」

 

 女性は慌ててその笛をナオトに手渡した。

 

「ルギア! これを……」

『?』

 

 受け取ったナオトはその笛をルギアに渡そうとする。

 差し出された笛にルギアは小首を傾げた。

 

「これで、鳴き声が再現できるんじゃないかと思うんだけど」

 

 この笛は海の貝殻を使って作った物だ。ルギアと同じ海に生きた存在が出す音であれば、効果があるかもしれない。

 それに、フルーラはこの笛を神々に捧げる笛だと言っていた。

 

『でも、私は人間の笛を吹いたことなんて……』

「いいから、試してくれないか?」

 

 呟くルギアに、ナオトは無理矢理笛を手渡す。

 困惑するルギアであったが、不思議とその笛は彼女の両手にしっくりと馴染むのであった。

 

 ルギアは無意識の内に、笛の歌口に唇を当てる。

 

 

 ────―♪

 

 

 深い海の底から響き渡るような、それでいて透き通った笛の音がファイヤー達の耳に届く。

 

「「「…………」」」

 

 眉間に皺を寄せていた三柱の神はその顔を緩ませ、瞼を閉じてその音色に聴き入っている。

 ナオトはその演奏に耳を傾けながら、目を瞬かせた。笛を吹くルギアの姿が、あの舞台で演奏したフルーラの姿と重なって見えたのだ。

 

 そして、演奏が終わる。

 神々を慰める音色が耳を通して胸の内に渦巻いていた燻りを浄化し、傷付いた身体を癒やす。三柱の表情は穏やかな物に変わっていた。

 いつしか空は青く晴れ渡り、地平線まで広がっていた氷の大地は溶け切っている。あれだけ激しく波打っていた海もそのお鳴りを潜め、優しい波の音を響かせていた。

 

「お、おおお……なんとっ!」

「奇跡だ! 奇跡が起きたぞ!」

 

 族長達はその光景に感激し、喜び騒ぐ。とにかく、これでもう大丈夫だろう。

 

「お前達、これからは沖にある三つの島を縄張りにして平穏に暮らしてくれよ」

「ギヤォ……」「ギヨッ」「ョオオ……」

 

 ナオトの言葉に三鳥はお互いに目を向けると、まあ縄張りを破らない内は大人しくしてやるよと言いたげな顔で鼻を鳴らす。

 そして翼をはためかせ、自分達にあてがわれた島へと飛び立っていった。

 

「本当に大丈夫か? あいつらは……」

 

 呆れたように呟きながら、ナオトは残された彼らのモンスターボールを回収しようとする。

 しかし手に取ろうとした瞬間、ボールが光を放ち始めた。

 

「な、何だ!?」「ミャウ!?」

 

 驚くナオトとアイ。光は徐々に収束していき、収まる。

 ボールは元の赤と白の色をした物から、ガラス玉のような見た目に変化していた。それは、操り人の儀式で集めるオタカラ──宝珠そのものであった。

 

「これは一体……?」

『恐らく、神々のエネルギーを受けた影響だと思います』

「……なるほどな。そういうことだったのか」

 

 ルギアの推測を聞いたナオトは、宝珠に変化したモンスターボールをこのままこの時代に残しておくことに決めた。

 もしかしたら、これが代々受け継がれて現代の儀式に使われているのかもしれないのだから。

 

「────いてっ」

 

 ナオトが感慨深い気持ちに浸っていると、彼の頭をポンと叩く者が現れる。

 見上げると、そこにはセレビィが笑みを浮かべてナオトを見下ろしていた。

 

「ビィ♪」

 

 セレビィは遊ぶようにナオトの周りを飛び回ると、傍にいたアイと顔を合わせる。

 

「ミャ?」

「ビィッ! レビレビィ!」

「ミャウ!」

 

 セレビィと何やら話したアイは嬉しそうに声を上げてナオトの方を見る。「帰れるのか?」と聞くと、アイはこくりと頷いた。

 

『帰って、しまわれるのですか……?』

「あ、ああ……」

 

 会話を聞いていたルギアが尋ね、頷いて答えるナオト。

 そして、おずおずと自分の正体を話し始めた。

 

「……あのさ、実は僕、セレビィの力で別の時代から──」

『はい、分かってました。貴方が未来から来た方だということは』

「え?」

 

 ナオトの言葉をルギアがその必要はないと遮る。

 あのモンスターボールを見て、未来の時代から来たことは何となく察していたと。

 

『……ナオトさん。どうか、この時代に残ってはくれませんか? 私……貴方に、傍に居て欲しいんです』

 

 ルギアは頬を赤くさせ、両の手を胸の前で握って言葉を紡ぐ。

 ナオトはそれに面食らうも、首を横に振った。

 

「……ごめん。まだ、元の時代でやることが残ってるんだ」

『それは、先ほど言っていた方を助けるためですか? 喧嘩別れしたという……』

 

 彼女の質問に、ナオトは目で肯定して返す。

 目を伏せたルギアは『……私、その方が羨ましいです』と呟く。

 

『あ、あのっ!』

 

 すると、ルギアは唐突に顔を上げてナオトに詰め寄った。

 

『もし……もし、私がその方のように貴方の手を引っ張れるような、そんな強い心を持てる存在になれたら……また、会ってくれますか?』

「え?」

 

 その言葉にポカンとしていたナオトだったが、「……ああ。もちろん」と微笑み、頷いて返した。ルギアもまた、それに笑顔で返す。

 

「それじゃあ……」

 

 別れを告げるナオト。アイを肩に乗せ、セレビィに目で合図する。

 頷いたセレビィの両手に、光が集まる。ナオトとアイはその光に包まれていく。

 

『ナオトさん!』

 

 思わず、ルギアは彼らに駆け寄ろうとした。しかし、眩い光がそれを遮る。

 ルギアの視界を覆っていた光が収まると、そこには誰もいなくなっていた。

 ただ、三つの宝珠が転がっているだけ。

 

 

「ん? これは……」

 

 その後ろで、仮面の集団の一人が見慣れない黄色いボールが落ちているのを見つける。

 GSと書かれているが、この時代の人間にその文字を読むことはできないのであった──

 

 




現代へとんぼ帰りします。

■先代ルギア
色違いでサイズもやや小さい。
性別はメス。映画本編のルギアも脚本の首藤氏によると元々メスとして考えていたらしい。(海の神=海=生命を生み出す=母といった感じで)
ファイヤー達のタマゴを奪った人間達を説得するため、人間の姿に化けていた。
なぜかその姿はフルーラに瓜二つである。

■ファイヤー・サンダー・フリーザー
ものすごく喧嘩っ早い。
書く上でイメ―ジしたのはSDガンダム外伝・騎士ガンダム物語のアルガス騎士団。
あの三人がアムロに怒られてしょぼんとしてるシーン、ホント好き。
知らない方はすみません。

■オタカラの珠
「実はモンスターボールだったんだよ!」
ΩΩΩ< な、なんだってー!!

■セレビィ
役目を終えたので、ナオトと共に現代へ戻って自由となった。
過去に残されたGSボールは流れ流れて現代へ。そして、その時代に時渡りしてきたセレビィが中に入り、ウチキド博士の手に渡る。
元々過去の時代で生まれた個体で、その時代での世界の危機を救うために未来から優れたる操り人を選び連れてきた。

■アイ
覚えていないはずの技まで使える。
なお、ルギア爆誕編で正体が語られる予定はない。




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28. ダークルギア爆誕 ① ▼

 時代は戻って、現代。

 フルーラの笛の音を耳にしたルギアはその癒やしの音色によって活力を取り戻し、海の奥底から水柱を立てて再びサトシ達の前に姿を現した。

 

『礼を言おう。私を慰める笛の音に』

 

 テレパシーで感謝の言葉を伝えるルギア。

 しかし、ルギアを復活させることはできたが、ファイヤー達は未だ海の真っ只中で不毛な争いを続けている。

 

 ルギアは続けた。

 三鳥の怒りを鎮めるには、火の島、雷の島、氷の島にある三つの宝珠を岬の祭壇に納めた状態で笛を奏でなければならない。笛の音色が宝珠に込められた神のエネルギーを通して、海上で争う三鳥達の耳に届くだろう、と。

 今祭壇に納められているのは、サトシが集めた火の島の宝珠と雷の島の宝珠の二つ。後一つ、氷の島の宝珠が必要だ。

 

『その宝珠を集め三鳥の怒りを鎮めるのは、優れたる操り人──人間でなければならない』

 

 そして、ルギアはその人物を目で示した。

 他の誰でもない。二つの宝珠を集めたサトシを。

 

 正義感が強く無鉄砲なサトシであったとしても、三鳥達の飛び交う戦場を通って氷の島に向かうのは躊躇せざるを得ない。

 しかし、彼のポケモン達がその背中を押した。

 

 結果的にサトシは頷いて答えた。

 世界のために。世界を救ってやろうじゃないかと。

 

 かくして、ロケット団の力も借りて、サトシは見事氷の島の宝珠をゲットした。

 これで世界は助かる。ルギアの大きな背に乗って、アーシア島に凱旋するサトシとピカチュウ。

 

 その時であった。

 雷の島に不時着したジラルダンの飛行船から、例のキャプチャーリングが飛び出してきたのだ。

 

 神秘を土足で踏み抜くような機械仕掛けのそれは、複数に分かれてルギアを全身を拘束する。

 放たれる電磁波がルギアの抵抗を妨害し、徐々に狭まる輪が肉体に食い込んだ。

 

「────ッ!!」

 

 しかし、ルギアの必死の抵抗によってキャプチャーリングは破損。青白い稲妻を放電しながら煙を上げて海へと堕ちていく。

 ルギアはお返しとばかりにこの騒動の発端に対しての怒りを込めたエアロブラストを飛行船へ向けて放った。空間が歪むほどの力がルギアを中心にして放たれ、神の力を宿した真空波がジラルダンの飛行船を貫く。ルギアを追っていたファイヤー達はその余波を食らい、墜落。

 

 それを見届けて、ルギアはサトシとピカチュウを乗せたまま再びアーシア島へ向けて翼をはためかせた。

 

 

 

 

 

 ルギアのエアロブラストによって崩壊した飛行船。

 城と見紛うほどであったそれはもはや見る影もなく、煙と共にその無残な姿を晒している。

 立ち込める塵煙の中、積み重なった瓦礫の隙間からジラルダンが塵で汚れた顔を出す。頭や肩に降り積もった瓦礫屑を、彼にしては珍しく少し乱暴な手付きで振り落とした。

 

「……これでは、計画の続行は不可能だな。やはりもっと信頼できる技術者を採用するべきだったか」

 

 遠くを見るような目でそう呟くジラルダンの耳に、瓦礫の崩れる音が届く。音がした方を振り向くと、煙の向こうからビシャスがゆっくりと姿を現した。

 

「おや、君か。どうやら、君のキャプチャーシステムは私の希望に適うものではなかっ──」

 

 ジラルダンが額に手を添えて物憂げに言葉を連ねようとしたが、それはビシャスの鍛えられた腕で放たれた左ストレートによって中断させられる。

 右頬を殴り飛ばされ、ジラルダンは一発で昏倒してしまった。

 

「お前はもう用済みだ」

 

 倒れ伏すジラルダンを見下ろしながら、ビシャスはニヤリと歯を剥き出して邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 サトシとピカチュウを乗せたルギアが悠然と羽ばたきながらアーシア島に戻ってくるのを見て、フルーラとカスミ達は彼らを迎えるために岬の崖縁へと足を運ばせた。

 

「おーい! カスミ! ケンジ! フルーラさーん!」

「ピーカァ!」

 

 ルギアの背中で手を振るサトシとピカチュウ。

 後は祭壇に最後の宝珠を収めて笛を奏でるだけだ。サトシというポケモントレーナーによって世界は破滅の危機から救われる。本当に伝承通りの光景がそこに再現されていた。

 

 カスミ達が手を振り返しているのを見て、これで簡単で命がけな儀式は終わったのだと心の中で胸を撫で下ろすサトシ。

 それは彼の相棒も同じなようであった。ピカチュウと目が合い、安堵の笑みが自然とこぼれる。

 

 ──刹那、どこからともなく飛来してきた黒いモンスターボールがルギアに当たった。

 

「ギャーアアスッ!!」

「ル、ルギア!?」

 

 ルギアの悲鳴が響く。

 彼は黒い光に包まれ、その黒いモンスターボールに捕らえられてしまう。

 

「うわあああっ!!」

 

 足場を失ったサトシとピカチュウは宙に放り出され、極寒の海へと落ちていった。

 

 紫電を帯電させたボールは、そのまま独りでに飛んできた方向へと舞い戻っていく。

 その先には、そこには見慣れない軍艦色の飛行艇が空に浮かんでいた。ジラルダンの城のような飛行船と比べればはるかに小さいが、それよりも近代的なフォルムをしている。

 

 その飛行艇のコクピット辺りから、一人の仮面を被った男が艇外にその姿を晒していた。

 ビシャスだ。

 

「アイツは……ビシャス!」

「どうしてアイツが……それに、ルギアをゲットしちゃうなんて!」

 

 目を見開いて声を上げるケンジとカスミ。

 

「あんた、なんてことするのよ! せっかく何もかも元通りになるはずだったのに……!」

 

 フルーラが怒りの込もった声をぶつけるが、ビシャスはどこ吹く風と見向きもしない。

 

 そして、飛行艇の射出口から先ほどルギアを捕らえた物と同じ黒いモンスタ―ボールが撃ち出された。合計で三つだ。

 それらはルギアのエアロブラストの余波を受けて散り散りに倒れていったファイヤー、サンダー、フリーザーの元へあっという間に飛んでいく。

 

「ギヤーオッ!」「ギョオオー!」「キョーーッッ!」

 

 傷ついた状態のままファイヤー達はボールに向かって攻撃を放つが、対象が小さい上に軌道が読めない動きをするせいで全く狙いが定まらない。

 そして、あれだけ激しい攻防を繰り広げた三鳥はいとも簡単にボールに捕らえられてしまった。

 

 神々の捕獲を終えたボールが飛行艇の元へ悠々と戻ってくる。

 

「ファイヤー達まで……」

「ちょっと! アンタ自分が何してるのか分かってるの!? 何が目的でこんな……!」

 

 カスミが信じられないとばかりに呟き、フルーラが叫ぶ。

 ビシャスは卑劣な笑みを浮かべて答えた。

 

「決まっている。この世界を征服するためだ……無論、ロケット団の野望を叶えるためではない。これは私自身の野望なのだ。そして、それは既に達成した。この神々を思い通りにできるということは、世界の存亡はもはや私の手にあるようなものなのだからな」

 

 ジラルダンとはまた違うが、他にもそんな馬鹿げたことを考えられる輩がいたことにフルーラは眉を顰める。

 

「あんたなんかにファイヤー達を思い通りにできるわけないわ! 早く解放しなさいよ!」

「……ああ、言われるまでもない。すぐに放してやるとも」

 

 そんな彼女の叫びに、ビシャスはニヤリと笑って返した。

 

「さあ、出てきなさい!」

 

 ビシャスの掛け声に反応して、宙に浮いたままだったファイヤー達を捕らえたモンスターボールが開く。捕獲した時と同様の黒い光が漏れ出し、神々の姿を形作っていった。

 

「「……えっ!?」」

 

 しかし、現れたその姿を見たフルーラ達は目を見開く。

 三鳥共が元の体色よりも黒ずんだ色に染まっていたのだ。そして、その瞳は赤く輝いている。とてもじゃないが元のポケモンと同じ存在だとは思えなかった。

 

「これはダークボール。このボールで捕獲されたポケモンは邪悪に染まり、その力を最大限に引き上げることができるのだ」

 

 その黒いモンスターボール──ダークボールを手にして、ビシャスが自身の成果物を昂然とした態度でそう説明する。

 

「ジラルダンが提供した資産を使って、密かに開発を進めていたのだよ。あのキャプチャーシステムとリングは、このボールのプロトタイプに過ぎない」

 

 ビシャスの話を聞いたフルーラがファイヤー達に向けて声を張り上げる。

 

「ファイヤー、サンダー、フリーザー! お願い! 正気に戻って!」

「「「…………」」」

 

 しかし、三鳥はまるで彼女の声が聞こえていないかのように何の反応も示さない。

 曇天の空は一層黒く染まり、波打つ海の牙はその鋭さを増していく。

 

「サンダー。あの耳障りなハエ共を黙らせなさい」

「ギヨオオーッ!」

 

 ビシャスの命令によって、サンダーのかみなりがフルーラ達に向けて放たれる。

 強力な稲妻は若干狙いが外れ、祭壇の一部を破壊しながらフルーラ達の間を抜けて岬の傍の切り立った岩場に直撃した。崩れ落ちた岩の破片が頭上からフルーラやカスミ達に襲いかかる。

 

「……力の制御に若干の乱れがある。少し調整が必要なようだな」

 

 サンダーが狙いを外したことに舌打ちをしたビシャス。

 できれば落ち着いた場所に移動して作業したいが、時間をかけてしまえば本当に世界が滅んでしまう。完全に制御さえできれば、その問題もなくなるはず。

 そう考えたビシャスはこの場で調整を開始するため、機材を操作してコクピットへと戻っていった。

 

 一方、岩の瓦礫から脱したフルーラ達。

 ビシャスが飛行艇の中に戻ったことを認めたカスミがフルーラに顔を向ける。

 

「フルーラ、わたし達サトシを助けに行くわ! あなたはここで待ってて! ケンジ、行くわよ!」

「うん!」

 

 そう言葉を投げかけて、カスミはケンジと共に海に落ちたサトシとピカチュウを助けに向かった。

 

「一体、どうしたら……」

 

 飛行艇の傍を飛び回っているファイヤー達を見据えて、フルーラが呟く。

 

 ──ドボンッ!

 

 そんな彼女の耳に、何かが岬の傍の海に落下した音が水飛沫と共に届いた。音と水柱の高さからして、落ちたのはおおよそ人間大の何かであろう。

 先程の崩落による岩片が遅れて海に落ちたのだろうか? 気になったフルーラは岬の端に顔を出し崖下を覗いてみる。

 

 崖下を覗いたフルーラの目に信じられないモノが映り、思わず目を擦った。

 そこには、ナオトがいたのだ。海に沈んだり浮かんだりを繰り返しながら、バシャバシャともがいて……いや、溺れている。

 傍にはアイもいるが、元のゾロアの姿ではとてもじゃないがナオトを岸へ運べそうにない。

 

「ナ、ナオト!」

 

 フルーラは慌てて手近な足場から岩岸へと下り、海に飛び込んだ。

 氷点下の海の水が身体を急激に冷やしていくのを歯牙にもかけず、沈みかけているナオトを抱えて岸へと泳ぎ運ぶ。

 

「ゲホッゲホッ……悪い、助かった」

 

 咽ながらも、礼を言うナオト。なぜ海の上に転移させたのか、姿を見せないセレビィに心の中で恨み言を寄越す。

 そんなナオトを余所に、フルーラは彼の肩を乱暴に掴んで無理やり顔を起こさせて怒鳴り声をぶつけた。

 

「……あんた! なんで来たのよっ!?」

 

 お互いの鼻がくっつきそうなほど近い距離でそんな怒鳴り声をぶつけられ、ナオトは目を丸くする。

 

「今さら来たって遅いわよ! あんたなんか来たって、もうどうにもならないんだから! いつもみたいに嫌だって言って、逃げてればいいじゃない! それなのにっ……」

 

 吐き出すようにして怒鳴るフルーラの目尻に溜まった涙が、一筋零れ落ちる。

 

「なんで、なんで来たのよ……」

 

 フルーラはナオトの肩から力無く撫でるようにして手を外すと、ナオトの胸に縋るようにして泣いている顔を隠した。

 傍らにいるアイが「ミャウ……」と心配そうな声を上げる。今まで見たこともないぐらい弱々しい彼女に動揺しながらも、ナオトはフルーラが落ち着くのを待ってから尋ねた。

 

「その、一体何があったんだ?」

「……あいつが、ピンカン島で会ったジラルダンが、ルギアを──」

 

 嗚咽を交えながら、フルーラはこれまでの経緯と現状をナオトに説明する。

 

「ルギアって……目元は赤かったか?」

「目元? 確か、青かったと思うけど……」

 

 フルーラはナオトが何でそんなことを聞くのか分からないと言った顔をしながらも、首を横に振ってそう答えた。

 どうやら、ナオトが会ったあのルギアではないようだ。かなりの年月が経っているようだし、代替わりしていてもおかしくないだろう。

 

「──あれ? フルーラ! どこ行ったの!?」

 

 その時、カスミの声が崖の上から聞こえてきた。

 ひとまず崖を登ることにするナオト達。ナオトよりフルーラの方が登るのが早いのは言うまでもない。

 

 先に登り終えたフルーラが崖縁から顔を出すと、カスミとケンジが辺りを見回して、姿を消したフルーラのことを探していた。

 すぐ傍にはサトシとピカチュウもいる。無事にカスミ達によって助けられたようだ。祭壇には二つの宝珠の他に、彼が手に入れてきた氷の島の宝珠が納められている。

 

「フルーラ! あなた、なんでそんなトコに──」

 

 崖縁から這い上がってきたフルーラを見たカスミがそう言葉を投げかけようとして止める。

 フルーラの後からアイがぴょんぴょんと崖を登ってきて、続けてここにいないはずのナオトがその少し疲弊した顔を覗かせたからだ。

 

「え、なんでナオト君がここに?」

「僕のことなんかより、早くファイヤー達を何とかしないと!」

 

 カスミが驚いて尋ねるも、ナオトはそう返してすぐさまアイに指示を出す。

 

「アイ! ナイトバーストだ!」

「ミャアアッ!!」

 

 ナオトの指示を受けて、アイがナイトバーストをビシャスの飛行艇に向けて放つ。だが、衝撃波が飛行艇に当たる直前でバリアに阻まれてしまった。

 攻撃を感知したビシャスが再びコクピット内から艇外に姿を現す。

 

「──うん? また新しい顔がいるな……まあいい。ガキが一人増えたところでどうにかなるわけでもあるまい」

 

 そう呟いて、クツクツと喉を鳴らすビシャス。

 

「お前達は無意味と分かっていてもしつこく邪魔をしかねんからな。ダークボールの調整テストをするには丁度いい。行け! ファイヤー、サンダー、フリーザー! あのガキ共を始末しろ!」

 

 ビシャスの命令を受けたファイヤー達は鳴き声を上げ、一斉にナオト達を強襲し始める。

 

「ピィカチュウゥゥーッ!!」

 

 サトシのピカチュウが10まんボルトを放つが、サンダーの10まんボルトがそれを易々と弾いてしまう。

 迫るファイヤー達に、サトシが、カスミが、ケンジが、声にならない悲鳴を上げる。

 フルーラはどうすればいいのか分からず、その場を動くことができない。

 

「……え?」

 

 そんなフルーラの髪が後ろからの風に押されてふわりと揺れる。咄嗟に横を振り向いたフルーラの視界をナオトが横切っていく。

 フルーラの横を通り過ぎたナオトは、何を考えているのか祭壇に納められた宝珠を取り出したのだ。右手に一つ。そして、左手に二つ。

 

「ナ、ナオト? 何してるのよ!?」

 

 フルーラが疑問と焦りの色を混ぜた声を上げる。

 しかし、それに答えている暇はない。そのまま祭壇を降りたナオトは駆け出し、サトシ達の傍に立つ。

 

 もしかすると、彼らは自分がゲットしたファイヤー達ではないかもしれない。

 ルギアと同じく、代替わりしていてもおかしくはないのだ。あの時代から何年経っているのか、寿命が何年なのかもはっきりしていないのだから。

 だが、ナオトにはなぜだか確信があった。彼らは自分がゲットしたあのファイヤー達だと。手に馴染む宝珠の感触と、そこから流れるエネルギーがそれを教えてくれる。

 

 ならば、あの三馬鹿を正気に戻らせる方法はこれしかない。

 ナオトは両手に持った三つのボールを迫るファイヤー達に向けて掲げた。

 

 

「──戻れ! ファイヤー、サンダー、フリーザー!」

 

 

 宝珠からそれぞれの色の光が放たれる。

 その光がファイヤー達を包み込み、光と一体化するようにして宝珠の中に収められた。

 

「「ええっ!?」」

 

 フルーラとサトシ達が口をあんぐりとさせて驚愕の声を上げる。

 ビシャスさえも大口を開けて驚き、仮面の上からでも分かるほど動揺しているのが分かった。

 

「ちょ、ちょっとナオト! どういうことなの!?」

「この宝珠は元々モンスターボールだったんだよ」

 

 慌てて駆け寄って問い詰めるフルーラに、ナオトは落ち着いた様子で答えた。

 宝珠に蓄積されているであろう神のエネルギーがビシャスのダークボールの支配を打ち破ってくれるかは賭けだったが、何とかなったようだ。

 

「え、それモンスターボールだったの!?」

「な、なんでアンタがそんなこと知ってるのよ?」

 

 驚くサトシの横でフルーラが続けて問うが、ナオトは曖昧な笑みを返すだけで答えない。

 

 そして、その三つの宝珠を放り投げた。

 宙を舞った宝珠が再び光を放ち、神々の姿を形作る。その姿は、先程邪悪なエネルギーに染められたものではなくなっていた。

 

「ギヤーオ!」「ギヨオオッ!」「キョーーオ!!」

 

 元の自分を取り戻したファイヤー達が鳴き声を上げ、ナオトの元に集まる。

 彼らは、随分待たせてくれたじゃないかと言いたげな顔でナオトを睨みつけた。

 

「悪かったよ。長い間ほったらかしにして」

 

 思えば、アイを追いかけて初めて火の島を訪れた際、ファイヤーが襲ってきたのは八つ当たりのようなものだったのかもしれない。

 

「馬鹿なっ……私のダークボールの支配を破っただと……!?」

 

 予想だにしない事態を前にビシャスがギリギリと歯を噛んでいる。

 

「……ならば、また捕獲すればいいだけのこと。そうだ……私にはまだ、コイツがいる」

 

 そう呟き、ビシャスは手元の端末を操作した。

 

 

「出でよ! 邪悪なる(ダーク)ルギア!!」

 

 

 飛行艇の射出口からダークボールが発射される。宙を飛んだそのボールが開いて黒い光が放たれた。

 それは周りの光を吸い込むかのようにして大きく膨れ上がっていく。

 

 やがて、光は海の神の肉体を形成された。

 しかしその姿は、元のそれとは正反対の姿であった。

 

 白銀の羽毛は見る影もなく、闇に堕ちたかのような黒紫色に。足の爪や頭部は凶悪さを体現するように鋭利。

 そして、その意思を感じさせない鋭い瞳は赤色に鈍く輝き、肉体は元の身体よりも二回り以上大きくなっていた。

 

「そんなっ……ルギア……!」

 

 サトシが変わり果てたルギアを見て、その顔を絶望に染める。

 

「ガキ共を始末するのだ。ダークブラスト!」

「────!!」

 

 ビシャスの命令を受けたルギアの口から紫電がほどばしり、闇の波動が放たれた。それはアーシア島の岬を直撃する。

 

「「うわあああっ!!?」」

 

 岬は破壊され、祭壇は木っ端微塵。

 ナオト達はファイヤー達に運ばれて岬から離れることで間一髪難を逃れることができた。ファイヤーにナオトとフルーラ。サンダーにサトシとピカチュウ。フリーザーにカスミとケンジが乗っている状態だ。

 しかし、このままではアーシア島の被害が大きくなってしまう。

 

「ファイヤー! サンダー達も! 一旦雷の島に向かってくれ!」

「ギヤオオ!」

 

 ファイヤー達はナオトの指示に従い、ルギアを誘い出すようにして雷の島へと移動し始める。

 

「────ア゛ア゛ア゛ッ!!」

 

 ルギアはそれを追おうとしていたが、その途中でその動きを止めて狂ったように暴れ始めた。

 どうやら、先のファイヤー達と同じく無理矢理引き上げられた力を上手く制御できていないようだ。

 

「ちっ……パワーは予想以上だが、ファイヤー達と同じパラメータでは制御し切れんな」

 

 ビシャスはルギアの圧倒的パワーに歓喜しつつも、調整のためにコクピットへ降りてコンピュータのキーを叩き始める。

 

「あれが、ルギア? ……まるで別物じゃないか」

 

 禍々しいエネルギーを発するルギア。

 雷の島に降りたナオトは見据えた先から放たれるそれを肌で感じ取り、その力の強大さを前にして思わず足が竦んでしまう。

 三鳥の力を合わせても、対抗できるかどうか……

 

「っう……ルギア!」

「サトシ!」「ピカピッ」

「無茶しちゃダメよ!」

 

 サトシは今すぐにルギアの元へ向かいたいという顔をしているが、疲弊した身体がそれを許してくれない。それでも無理に向かおうとするので、カスミとケンジが必死に止めている。

 

「……ナオト」

 

 フルーラがルギアを見据えながらナオトのことを呼んだ。

 ナオトがフルーラの方を見ると、彼女も振り向く。その目からは真剣な眼差しを感じ取れた。

 

「……私を、ルギアの所まで連れていって」

「えっ!?」

 

 その言葉に、ナオトは目を見開いた。

 

「あのルギアはファイヤー達みたいに宝珠に戻せない。なら、可能性があるとしたら私の笛しかない。そうでしょ?」

「あ、ああ」

 

 確かに対の宝珠がないルギアを正気に戻らせる可能性があるとしたら、それしかないだろう。

 ナオトはファイヤー達に目を向けた。彼らの怒りは未だ収まってはいないようだが、ナオトという本来の主が現れたことで一応言うことは聞いてくれている。

 

「……私、ナオトがどれだけ辛い気持ちでバトルしてたか知りもしないで、オレンジリーグに出ろとか操り人になってとか、勝手なことばっかり言ってた……謝って済むことじゃないってことは、分かってるわ」

 

 伏し目がちに紡がれるその言葉は、後悔と自責の念に駆られるているせいか驚くほど力がない。その目尻からは涙が少し滲み出ている。

 

「それなのにこんなお願いして、私ってホント無責任よね……」

 

 そこまで言って、フルーラはハッと顔を上げた。

 

「っ、そうよ。ナオトまで行く必要はないわ。ファイヤー達に私を運んでくれるようナオトが頼んでくれれば──」

「いや、僕も行く」

 

 ナオトはフルーラから目を離してファイヤー達の元へと歩み寄り、彼女の言葉を遮るようにしてただ一言そう告げた。フルーラは目を丸くして、「え……?」と漏らす。

 

「だから、僕も行くって言ってるんだ。お前一人だけ危険な場所に行かせるなんて、できるわけないだろ。それじゃあ何のためにここまで来たのか分からなくなるじゃないか」

 

 背中を向けたまま、そう続けるナオト。

 

「何のためにって、それって……」

 

 フルーラは彼の言葉を頭の中で反芻し、それが意味することを理解して目を瞬かせる。

 

「……わ、私のために来てくれたの? 世界が大変だから仕方なく、とかじゃなくて?」

 

 フルーラが尋ねると、ナオトは背中を向けているのにも関わらず視線をずらした。気恥ずかしいのを誤魔化すようにファイヤーの首元を撫で始める。

 そんな彼の態度が、肯定であることを言外に示していた。

 

 ──そっか。私のために、来てくれたんだ。

 

 こんな喧嘩別れしてしまった自分のために、彼は来てくれた。

 それを知ったフルーラの頬は桃色に染まっていく。自分でも信じられないほど舞い上がっているのか、その胸はうるさいほどに高鳴っている。

 嬉しくて、嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。

 

「ナオト! オレも連れていってくれ!」

 

 そこへ、会話を聞いていたサトシが割って入ってそう頼み込んできた。

 

「ファイヤー達に乗って、ルギアの所まで行くんだろ!?」

「無茶だサトシ!」

「そうよ! あんたもうボロボロなのよ!?」

 

 ケンジがそんなサトシを止め、カスミもそれに加わる。

 

「大丈夫さ! それに、あんな苦しそうなルギアを放って待ってるなんて、オレは絶対に嫌だ!」

 

 サトシは引き止めるケンジ達の手を振りほどき、頑として譲ろうとしない。

 

「……分かった。サトシ、君はサンダーに乗ってくれ」

 

 止めても無駄だと分かったナオトは、サトシに雷の島の宝珠を差し出した。

 ナオトの言葉にサトシは「分かった!」と宝珠を受け取って力強く頷き、ピカチュウと共にサンダーに駆け寄る。

 

「カスミと……ケンジだっけ? 二人はフリーザーに乗ってくれ。サトシのサポートを頼む」

 

 次いで、ナオトはそう言ってカスミに氷の島の宝珠を手渡す。

 彼女は自分も行くのか? と動揺している様子であったが、すぐに意を決したように頷いた。

 

「……そうね。あの無鉄砲には、この未来のみずポケモンマスターのわたしがついててあげなきゃ!」

「フリーザーはこおりタイプのポケモンだけど……」

「世界の美少女はそんな細かいこと気にしないの! ほら行くわよ!」

 

 カスミがツッコミを零すケンジを引っ張って、フリーザーの元へ走っていく。

 それを見届けたナオトはファイヤーの方を向き直ると、その背には既にアイを肩に乗せたフルーラが乗り込んでいた。そして、彼女はナオトに向かって手を差し出す。

 

「行くわよ! ナオト!」

「……ああ!」

 

 力強く頷き、フルーラの差し出した手を握り返すナオト。

 そのまま引っ張り上げられ、ナオトが前に出る形でファイヤーの背に乗り、フルーラは彼の背中にしがみつく。ファイヤーの燃え盛る翼の炎は以前乗った時と同じで全く熱さを感じなかった。

 

「頼んだぞ! ファイヤー、サンダー、フリーザー!」

「ギヤーオ!」「ギヨオー!」「キョーオ!」

 

 三鳥が鳴き声を上げ、ナオト達が乗ったファイヤーが地を蹴って飛翔する。

 それに続いてサンダー、フリーザーが後を追うように翼をはためかせて飛び立った。

 

 ファイヤー達の三色の翼が空を駆ける。

 真正面からの猛烈な風圧を浴びながらも、ナオトは視線の向こうでもがくように荒れ狂うルギアを見据えた。

 

 そんな中で彼の背中にしがみついているフルーラは、その背中に既視感を覚えていた。以前にもこうしてナオトの背に身を預けていたことがあるような、そんな不思議な感覚。

 それは朧げで不明瞭なもの。けれども、目の前のどことなく頼りない、後ろから押してあげたくなるような彼の背中が愛おしくてしょうがない。それだけは確かだった。

 

 ルギアの姿がだんだん近づいてくる。

 その時、宙でもがいていたルギアの身体に紫電が走り、身震いと共にその長い首を垂らして空中で静止した。どうやら、ビシャスによる制御の調整が完了してしまったらしい。

 

『さあ、ルギア! 返り討ちにしてやりなさい!』

 

 ビシャスの命令を受け、ルギアはゆっくりと首を起こして迫るファイヤー達を見据える。赤い瞳が鈍く輝く。まるで命をかけてかかってこいとばかりに。

 そして、その口から吐き出すようにしてダークブラストを放った。

 

 一直線に自分達目掛けて放たれた闇の波動を、ファイヤー達はそれぞれ散開する形で回避。

 しかし、ルギアは波動を放った状態のまま首を動かし、鞭で薙ぎ払うようにして軌道をずらしてきた。

 

「ファイヤー!」

「ギヤャッ!」

 

 その軌道上にいたナオト達が乗るファイヤーは翼を畳み、身を回転させることで何とか難を逃れる。

 

「ルギア! 正気に戻ってくれ!」「ピカ! ピカチュウ!」

「──ア゛ア゛ッッ!」

 

 軌道から外れていたサトシ達が乗るサンダーがそのままルギアに近づいて必死に声をかけようとするが、続けて放たれたダークブラストがそれを遮る。

 さらにバリアを展開させたまま飛行突進してきたために、サトシ達は大きく弾かれてしまった。

 

「うわああっ!!」

「フリーザー、れいとうビーム!」

 

 ルギアがサトシ達に追撃しようとするところへ、カスミがフリーザーのれいとうビームで妨害。

 

「ファイヤー! ぼうふうだ!」

「────ッ!!」

 

 さらにナオトがファイヤーのぼうふうで強風を巻き起こしルギアの動きを封じようとするが、苦もなく脱出されてしまう。さすがに一ヶ月以上続く嵐を生み出す力を持つというだけはある。

 

 だが、ぼうふうから逃れる過程でルギアとの間に距離ができた。

 ナオトはファイヤーに指示して体勢を整えているサトシ達に近づく。

 

「サトシ! あのルギアに説得は無理だ! 全員で同時に攻撃を仕掛けて何とか動きを封じよう!」

「ピカピ、ピカチュッ!」

「っ……分かった!」

 

 サトシは少し思い悩んでいたが、ピカチュウにも諭されて頷く。

 

「でも、ホントにどうにかなるのかな?」

「わたし達の声も届かないのに、フルーラの笛の音がルギアの耳に届くのかしら……」

 

 ケンジがカスミは攻撃に同意するが、それとは別に懸念の声を漏らした。

 確かにその通りだ。ナオトの心に一抹の不安が過ぎり、その眉をひそめる。

 

 そんな彼の背中を、フルーラが手の平でトンと押した。

 

「何不安そうな顔してんのよ。ここまで来たら、できるかどうかなんて悩んでる暇ないわ。私達はやれることをやるしかない。でしょ?」

「……ああ。そうだな」

 

 さっきまでのしおらしい感じは鳴りを潜め、いつもの勝ち気な彼女が戻ってきた。

 やっぱりフルーラはこうでなくちゃらしくないな、とナオトはほくそ笑んで頷き返す。

 

「──ギャアァーースッッ!!」

 

 そこにルギアのダークブラストが再び襲う。

 距離があったおかげで余裕を持ってそれを避けたナオト達は、サトシとピカチュウが乗るサンダーを先頭に狂えるルギアを救うべく大空を駆けた。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 飛行艇のコクピット内でナオト達とルギアの戦局を観戦していたビシャス。

 込み上げる笑いを抑え切れず、喉の奥をくつくつと鳴らしてその口端を歪ませていた。

 

 ダークボールによって内なるパワーを最大限に引き上げられた海の神。それが自分の意のままとなっているのだ。いかに伝説の三鳥といえど、敵うわけがない。

 少々邪魔は入ったが、自身の野望が手を伸ばせばすぐに掴めるほどに近づいている中で笑うなという方が無理というものである。

 

 

「────!」

 

 

 その時、ビシャスの隙だらけの背中に向けて黒いチューリップが物音もなく投擲された。

 鋭利に尖った茎の先端がその背中に刺さる──直前で弾かれてしまう。

 

「ニュラァ……」

 

 奇襲を妨害したのはかぎづめポケモンのニューラだった。

 その長い鉤爪と素早さを持って、すんでのところでチューリップを弾いてみせたのだ。

 近くには、真っ赤な甲殻に両手の目玉模様のついた鋏が目立つはさみポケモンのハッサムも控えている。

 

「何者だ!?」

 

 一瞬の攻防による物音で気づいたビシャスは振り返り、声を上げる。

 搭乗員はポケモンを除けばビシャスしかいないにも関わらず無駄に広いコクピット。その出入り口付近の物陰からゆっくりと何者かが姿を現した。

 暗がりになっていて人相が分からなかったその人物が靴音を鳴らして数歩前に出る。それによって、窓から差さる光がその正体を晒した。

 

「……なぜお前がここにいる? ドミノ」

 

 ビシャスの問いに姿を現したドミノは、片腕を腰に当てたまま小馬鹿にするような態度で返す。

 

「なぜって、潜入はロケット団の十八番でしょう? 貴方がこの飛行艇で崩壊するジラルダンの船からさっさと逃げようとしてるのを見たから、お邪魔させてもらったわ……あら、ゴメンナサイ。元特務工作部の貴方には潜入経験なんてないわよね」

 

 ドミノの煽りを無視して、ビシャスは続ける。

 

「お前……ロケット団を裏切るつもりか? あの三鳥を従えれば、世界は我らロケット団の思うがままになるんだぞ?」

「アンタ馬鹿なの? 私は最初からこの飛行艇に潜り込んでたのよ? アンタがボスを裏切って自分の野望のためにあの鳥ポケモン達を使おうとしているってことはとっくの昔に把握済みなんだけど。そのコンピュータであの暴れん坊を制御できるってこともね」

 

 ドミノはビシャスの言葉を鼻で笑うと、彼の眉間に皺が寄る。

 突いた瞬間に爆発してしまうそうな空気をコクピット内に立ち込めた。

 

「馬鹿はどっちだ。お前は今の自分の立場を理解していないのか? ポケモンを従えていないお前が、私のニューラとハッサムを相手にどう立ち向かうつもりだ?」

「ニュラッ!」「ハッサム!」

 

 ビシャスの前に立ちはだかるようにしてニューラとハッサムが並ぶ。

 ニューラは自慢の爪を舌で舐め、ハッサムは両手の鋏を振り上げ、威嚇するように鳴らしている。

 

「ポケモンならいるわよ。とっておきのが、ね!」

 

 ドミノは懐からモンスターボールを取り出して投げた。

 

「ピィ!」

 

 光と共にボールからにこやかな笑顔で現れたピィを見て、ビシャスは仮面越しでも分かるほど拍子抜けしたよう顔をした。そして、一拍遅れて笑いが込み上げる。

 

「ハッハッハ! そんな赤ん坊のようなポケモン一匹で何ができるというんだ? ハッサム! 一捻りで黙らせてやりなさい!」

「ッサム!」

 

 ビシャスの命令を受けてハッサムが飛び出し、ピィにシザークロスをお見舞いしようとする。

 

「──ッ!!」

 

 だが、ドミノがそこに割って入った。チューリップの茎を引き伸ばし、長い棒状にして振り下ろされたハッサムの鋏を真正面から受け止める。そのままハッサムを押し飛ばした。

 

「誰がピィだけで戦うって言ったのよ。身一つでポケモンを捕獲してきた、ロケット団009『黒いチューリップ』を舐めんなよォッ!!」

 




来週、後編とエピローグを投稿してルギア爆誕編終了。
そこで一旦完結となります。

■ファイヤー
ということで、序盤でナオト達を襲った理由は「何百年も放置しやがって! この野郎ッ!」という八つ当たりによるものでした。

■ビシャス
度々ダーク化させたポケモンの調整を行っているが、これはぶっちゃけナオト達に時間を与えるための作者の都合。

■ダークルギア
元ネタは『ポケモンXD 闇の旋風ダーク・ルギア』。
ビシャスにダークボールと来れば、もうルギアをこれにするしかないだろう。
第一話でサントアンヌ二世号の寄港地にオーレ地方が含まれていたのはコイツの存在を匂わせるため。




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29. ダークルギア爆誕 ② ▼



ちなみにこの『ダークルギア爆誕』だけ今までと違いサブタイトルに漢字が含まれていますが、ミスではありません。
無印アニポケに倣って平仮名に統一していましたが、爆誕を平仮名にすると違和感があったので意図してそうしています。



 ナオト達はダークブラストの猛襲を掻い潜り、ルギアに接近しようと試みていた。

 

 しかし、れいとうビームやかみなりなどで攻撃してもまもるによるバリアを張られ、隙を見て近付こうとすれば同じくバリアで弾かれ、弾かれた先で追撃のダークブラストに襲われる。

 通常、まもるという技は連続で発動し続けると失敗する確率が高くなるはずなのだが、ダークボールによって極限までパワーを高められたルギアにその様子は一切見受けられなかった。

 

「サトシ! ダークブラストを放った後、少しだけど隙が出来る! そこを狙おう!」

「分かった! オレに任せてくれ!」

 

 ならばとナオトがそう提案し、サトシが囮役を買って出てサンダーと共に突っ込む。

 

「────ァア゛!!」

 

 作戦は目論見通りに進み、飛び回るサンダーに向けてルギアがダークブラストを放つ。

 その隙を狙って背後に回り込むナオト。

 

「ファイヤー! かえんほうしゃだ!」

「ギヤァァオッ!」

 

 ファイヤーのかえんほうしゃがルギアを襲う。

 しかし、ファイヤーの炎は標的に届く直前でまたしてもバリアに弾かれてしまった。このルギアは攻撃と同時に防御も可能というデタラメな能力を持っていたのだ。

 

 通常まもるは発動するのに多大な集中力を必要とするため、他の技を同時に使うことができない。

 しかし、ダークルギアにはそれが適用されなかった。

 

「くそっ! なんてデタラメな奴だ!」

「ッ、ナオト!」

 

 背中にしがみついているフルーラの声が耳元で響く。

 ナオト達が乗るファイヤー目掛けて、ルギアの尻尾がしなりながら迫っていた。

 ファイヤーはかえんほうしゃを放った体勢から抜けることができない。

 

「ミャアアッ!!」

 

 間一髪、アイのじんつうりきで無理矢理移動することで何とか回避することに成功した。

 

 ──その時だった。

 フルーラが肩に下げているポシェットから、笛が零れ落ちてしまったのだ。

 

 笛はそのまま海に落ちてポチャンと水音を立てて沈んでいく。

 フルーラもナオトも、ルギアからの攻撃に気を取られてそれに気づかない。

 

「二人共、大丈夫!?」

「フリーザー! れいとうビーム!」

 

 駆けつけたフリーザーに乗っているケンジが声を投げかけ、カスミが攻撃を指示してルギアの注意を逸らす。

 

「ああ! フルーラは!?」

 

 ナオトが振り向いて後ろにいるフルーラに声をかける。

 

「大丈夫に決まってるでしょ! それより、どうするの? このままじゃルギアを助ける前にみんなやられちゃうわ!」

 

 ナオトは彼女の言葉に「分かってる!」と答え、再びルギアを見据えた。

 

「……こうなったら一か八か、アイツの力を借りるしかない」

「アイツ?」

 

 その呟きにフルーラが首を傾げて尋ねるが、ナオトは答えない。

 ファイヤーに指示を出し、サトシやカスミ達に攻撃を仕掛けているルギアへと一直線に向かう。

 

「フルーラ、場所を交代してくれ。きっとルギアが迎撃してくるだろうから、ファイヤーへの指示を頼む」

 

 その最中、ナオトはそうフルーラに頼み込んだ。

 彼の目を見たフルーラは理由を聞かずに頷き、「分かったわ」と答えてナオトと位置を変わる。

 

「タイミングを見計らってギリギリで避けてくれ!」

「ええ!」

 

 ナオトはフルーラの後ろに移動し、膝立ちの体勢を維持。

 見据えた先で、ナオト達が再び何か仕掛けようとしていることを察したサトシ達が懸命にルギアへ攻撃を加えているのが見える。

 しかし、いい加減飛び回るハエに我慢の限界が来たのか、ルギアはぼうふうでニ鳥を吹き飛ばしてしまった。

 

「──ギヤアァァス!!」

「「わああっ!?」」

 

 ファイヤーが使ったものとは桁違いの威力だ。

 乱れ狂う風に煽られて制御が聞かなくなったサンダーとフリーザーは嵐に飛ばされる草葉の如く方々へと散ってしまう。

 

「ッ! ァァア゛!」

 

 次いで、別方向から僅か数秒の所まで接近しているファイヤーに気づいたルギア。

 すぐさま体勢を切り替え、ダークブラストで迎撃してくる。

 

「ナオト!」「ピカッ!」

 

 微かにサトシとピカチュウの声が聞こえた気がした。

 だが、ナオト達は避けない。闇の波動が眼前に迫り、視界を覆い尽くす。

 

 

「────今よ!」

 

 

 飲まれると思われたその瞬間、フルーラがファイヤーに指示を出して回避。

 皮一枚、スレスレの所で躱すことに成功した。

 そのまま滑るようにしてダークブラストをやり過ごし、一気にルギアへと肉薄する。

 

「そこだ!」

 

 ナオトが左手に準備していたモンスターボールを宙に放り投げた。

 

「ギラアアァッ!!」

 

 中から光と共に現れたのは、バンギラス。

 目前のルギアと比較しても見劣りしない巨大さだ。

 その姿を見て、フルーラは目を見開いた。ナオトは二度とバンギラスを出さないと思っていたのだから。

 

「バリアごと貫け、バンギラス! 最大パワーで、ギガインパクトだァッ!!」

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「おらああっ!!」

「サムッ!」

 

 上段から棒状のチューリップを振り下ろすドミノ。ハッサムはその攻撃を鋏を盾にすることで防いだ。

 

「ニャラアアーッ!!」

 

 ハッサムと鍔迫り合いの火花を散らせるドミノに、横からニューラのメタルクローが襲う。

 ドミノはそれを訓練生時代に鍛え上げた跳躍力を持って回避してみせた。

 コクピットの天井スレスレを通って着地するドミノ。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 しかし、その息は荒い。額には汗が滲んでいた。

 

「ハッサァ!」

「ッ! ピィ、シャドーボール!」

「ピィィ!」

 

 そんな彼女にハッサムが羽を羽ばたかせて肉薄するが、ドミノの指示でシャドーボールを放ったピィに邪魔をされる。

 

 ビシャスに啖呵を切って挑んだドミノであったが、存外彼のポケモン達に苦戦していた。

 彼のハッサムとニューラはどちらも例のダークボールでパワーを強化されている。しかも、この二匹は付き合いが長いのか連携も上手く出来ていた。ビシャスの指示がなくとも、お互い目線のやり取りだけで行動に移っているのだ。

 

「ピィ♪ ピィ♪」

 

 対して、ドミノのピィはこの状況をバトルと認識しているのかいないのか、いつも通り楽しそうに観戦していた。

 当然、指示がないとわざを使ってくれない。意識すれば援護射撃を頼めるが、実質ドミノ一人で戦っているようなものだった。

 

「どうだ? このまま私の部下として従うのであれば、命だけは助けてやるぞ」

 

 コンピュータを守るようにして立っていたビシャスは、自分が優勢であることから余裕の態度でそうドミノに提案する。

 

「お断りよ。例えアンタがロケット団を裏切ってなかったとしてもね」

 

 しかし、考える素振りも見せずそれを突っぱねるドミノ。

 彼女はハッサムとニューラ越しにビシャスを睨みつけながら続ける。

 

「私はねぇ、あんな雑用でナンバーズに復帰したいだなんて、はなっから思ってなかったのよ。むしろこっちから願い下げだわ!」

「そうか、残念だ」

 

 ビシャスはわざとらしく方を両手の平を上に向けて肩をすくめた。

 

「では、時間が惜しいのでね。そろそろ終わりにさせてもらおう。ハッサム、かげぶんしん!」

「ハッサム!」

 

 ハッサムがドミノとピィを囲むようにして自らの分身を作り出す。

 

「ッ!?」

 

 ドミノは必死に目を走らせて本物を見分けようとするが、さすがの彼女でもそれは困難。

 こうなれば、相手が攻撃を仕掛けてきた瞬間に即座に反応できるように構えておくのがベストだ。

 

 ──だが、その考えはミステイクであった。

 

「ニュゥゥ、ラッ!!」

 

 ハッサムのかげぶんしんによる囲いを飛び越えて、ニューラが躍り出てきたのだ。

 分身にだけ集中していたドミノは無意識の内にニューラのことを失念していた。

 

「チッ!」

 

 舌打ちをし、慌ててチューリップをニューラに向けようとした。

 

 ──その時、ドミノの視界をピンク色の何かが覆った。

 ピィだ。ピィがドミノの肩を飛び越え、彼女を庇うようにして前に出たのだ。

 

「ピィ!?」

 

 咄嗟にドミノはチューリップを放り出し、その小さな星型の身体に両手を伸ばした。

 そしてしっかりと抱きかかえ、そのまま迫るニューラのメタルクローから庇うべく背中を向ける。

 

 人間が受けたらひとたまりもない、鋼鉄の爪がドミノの華奢な背中を抉った。

 

 殺った。その光景を見ていたビシャス達はそう確信した。

 ただ一匹を除いて。

 

「ニュ、ラ?」

 

 当の爪を振るったニューラだけが、手応えのなさにその顔を困惑の色を浮かばせていた。

 

「? 何で……」

 

 それはドミノも同じであった。背中を激痛が襲うかと思えば、軽い痛みが走っただけだったのだから。

 思わず自身の身体を見てみると、薄ぼんやりとした光に包み込まれている。

 

 彼女の知らないことではあるが、このピィの特性はフレンドガード。

 効果は味方の受けるダメージを軽減するというもの。

 

「ピィ♪」

 

 胸に抱いているピィは、自身を見上げて相も変わらず無邪気に笑っていた。

 それに釣られて、ドミノの口元にも笑みが浮かぶ。なぜかは分からないままが、ピィが自分を助けてくれたのだと絆の繋がりから悟ったのだ。

 

「……このおチビちゃん。アンタってホント最高ッ!」

 

 そう声を張り上げたドミノはピィを放り出し、すぐさまチューリップを拾い上げる。

 そのまま、振り向きざまにニューラへフルスイングした。

 

「ニュア゛ア゛ッ!!?」

「ハ、サッ!?」

 

 遠心力の加わった渾身の一撃はニューラの身体をくの字に曲げ、弾丸の如く吹き飛ばす。

 上手いことに、それは軌道上にいたハッサムを巻き添えにしてコクピットの壁に叩きつけられた。

 

「ピピィー!」

 

 ドミノの見事なプレーに諸手を上げて歓喜の声を上げるピィ。その小さな両手の指が興奮のままに左右へと振られる。

 それに気づかぬまま、ドミノは跳び上がった。

 

「なっ!?」

 

 自分のポケモン達がやられて驚愕しているビシャスの頭を踏みつけ、くるりと一回転してコンピュータの前に降り立つ。

 

「よ、よせ!!」

 

 ビシャスの叫びにも耳を傾けず、ドミノは目の前のコンピュータ目掛けてチューリップを大上段に振り被る。

 そして、思いっきり振り下ろした!

 

 ──その瞬間。

 

 

「ピィ♪」

 

 

 ピィの左右に振られた指が止まる。

 その指を中心にして、コクピット全体を白く染めるほどの眩い光が放たれた────

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「ギヤアアア゛ア゛ーーォ゛ッッ!!」

 

 激しい拮抗の末、バンギラスのギガインパクトが見事ルギアのバリアを貫いた。

 そして、ルギアはギガインパクトの直撃を背中から受ける。

 

「ギ、ラ゛ァッ!?」

 

 同時に痛み分けとばかりにゼロ距離から放たれたルギアのダークブラストがバンギラスの身体を焼いた。

 双方はお互いの最高威力のわざを受けたダメージで満身創痍となり、意識を失くして真っ逆さまに落下していく。

 

「戻れ! バンギラス!」

 

 ナオトはファイヤーに乗ったままモンスターボールを掲げ、バンギラスを手元に戻す。

 ルギアはそのまま水柱を上げて海に墜落し、その白銀の身体を海上に浮かばせた。奇しくも、そこはアーシア島の裏──あの祭壇のある岬の傍であった。戦っている内に、いつの間にかここまで戻ってきてしまっていたのだ。

 

「ナオト! バンギラス、言うこと聞いてくれるようになったのね!」

「ああ。タケシの協力のおかげだよ」

「そっか……ホントに、良かった」

 

 自分のことのように嬉しがるフルーラ。

 ナオトはファイヤーに指示を出し、サトシ達と共に倒れたルギアの元へと向かう。

 

 もはや原型を留めていない岬に戻ってきたナオト達。

 それぞれ三鳥の背中から地面に降りようとゆっくり降下していく。

 

「────ッ!!」

 

 だがその時、沈黙していたルギアが突然覚醒。

 水飛沫を上げてその場で暴れ始めたのだ。

 

「「うわああ!?」」

 

 荒ぶるルギアの翼がファイヤー達の身体を掠め、ナオト達は岬の上に放り出された。

 

「ッ、ルギア!」

 

 すぐに起き上がったサトシが崖縁に駆け寄り、悲痛な声を響かせる。

 ルギアは既に身動きができないほどのダメージを受けているはず。恐らく、ダークボールの束縛によって満身創痍状態でも無理矢理身体を動かされているのだろう。

 

「サトシ! フシギダネのねむりごなで眠らせれば……」

「そ、そうか! フシギダネ、ねむりごなだ!」

「ダネフシッ」

 

 ケンジの提案にサトシがベルトからモンスターボールを取り出し、フシギダネを出す。サトシの指示を受けて、フシギダネは背中の蕾からねむりごなを振りまいた。

 

「──ァ゛ァ゛ッ!」

 

 しかし、ねむりごなは暴れるルギアには効果を発揮しなかった。

 ルギアが纏う神気の前に、ねむりごな程度のわざが通用するはずもなかったのだ。

 

「そんな……」

 

 何かルギアを大人しくさせる方法を考えなければ。こんな状態で暴れ続ければ、本当に死んでしまう。

 一体どうすればいい? ナオトは顔に焦りを滲ませながら必死に考える。

 

 そんな彼の耳に遠くから爆発音が届いた。

 距離があったためか、幾分か勢いが弱まった爆風にナオトとフルーラの髪が煽られる。

 

「な、何だ?」

 

 ナオトは音のした方を見る。

 目線の先には、炎に巻かれながら煙を上げて海へと墜落する飛行艇。

 

「あれって、ビシャスの飛行艇……よね?」

 

 フルーラが唖然とした表情で呟く。

 理由は分からないが、ビシャスの飛行艇が突然爆発した。

 呑気に自分達とルギアの攻防を観戦している内に、誤って自爆スイッチでも押してしまったのだろうか?

 

「ミャウッ!」

「どうした? アイ」

 

 アイの声にナオトが振り向く。彼女はルギアの方を前足で差していた。

 見ると、ルギアの身体全体を紫電が走っていた。

 

「──ャ、ア゛ア゛!!」

 

 彼は真っ赤な目を見開いて叫び、激しく痙攣している。

 やがて、その紫電が止むと糸が切れたかのようにピタリとその動きを止め、ゆっくりと再び海上へその身体を沈めた。

 まるでビシャスのダークボールによる束縛から解放されたように。何だか分からないが、今がチャンスだ。

 

「フルーラさん! 早く笛を!」

「ええ!」

 

 サトシの焦りの混じった声に頷き、フルーラは笛を取り出そうとポシェットの中を探る。しかし、その手は空を切った。

 

「あ、あれ?」 

 

 ポシェットを肩から外し、逆さにして上下に振ってみるフルーラ。

 

「どうした? フルーラ」

「……な、ない! 笛がないわ! ナオト知らない!?」

 

 慌てた様子で縋るようにナオトに聞くフルーラに、彼は「いや、知らないけど……アイはどうだ?」と振るが、彼女も首を横に振った。

 

「ひょっとして、戦いの最中に落としちゃったんじゃ……」

「ええっ!? そんなっ」

 

 様子を見ていたケンジがそう呟く。

 カスミがショックのあまり声を上げた。

 

「……ッ」

 

 自分のミスで最後の希望も潰えてしまった。

 その事実を前にフルーラは俯き、その顔は絶望に青褪めていく。

 

 そんな最悪な空気の中で、ナオトはついさっきまでいた時代──古代のアーシア島でのことを思い出していた。

 あの時もルギアが笛を吹いて三鳥の怒りを鎮めていたのは確かである。しかし、ルギアによると本来は彼女自身の歌声で怒りを鎮めるという話ではなかっただろうか?

 彼女が喉をやられて声を出せなくなっていたから、代わりとしてあの笛を使ったのだ。

 

 ナオトの脳裏に、歌を歌うフルーラの姿が映る。

 アーシア島を旅立つ前にこの岬で歌っていた、あの歌だ。

 

「……フルーラ、笛なんかなくたって大丈夫だ」

 

 ナオトのその言葉に、フルーラは俯かせていた顔を上げた。

 

「な、何言ってんのあんた。こんな時に適当なこと言わないでよ!」

 

 そんなフルーラの涙混じりの言葉に対して、ナオトは首を横に振る。

 

「逆に聞くけどさ、何で笛の音じゃないと駄目なんだ?」

「それは……分かんないけど」

 

 フルーラは言い淀む。

 伝承ではこの笛は神々に捧げる笛だと記されているし、ルギアも笛の音が必要と言っていたのだ。

 もしかすると、今代の海の神にも正確なことは伝わってないのかもしれない。

 

「……笛じゃなくてもいいって言うなら、何ならいいのよ?」

 

 そう返すフルーラに、ナオトは確かな自信を持って答えた。

 

「お前の歌だよ」

「は、はあ?」

 

 思ってもみなかった答えに、フルーラは思わず間抜けな声を出してしまう。

 

「う、歌って……あの歌のこと? 無理に決まってるじゃない!」

 

 顔を赤くさせて反対するフルーラ。

 笛で奏でる曲は昔から神々に捧げる曲と言い伝えられていた由緒正しいものだが、あの歌はフルーラ自身がその曲に歌詞を作ってアレンジしたものだ。

 そんな素人が作った歌で神々をなだめるなどできるわけがない。そう考えてしまっても仕方がなかった。

 

 狼狽するフルーラの肩に手を置いて、ナオトは諭すように続ける。

 

「肝心の笛はもうないんだ。なら、ダメ元でもやってみるしかないだろ?」

「でも……」

 

 それでもフルーラは思い惑う。

 操り人になるという約束を破った手前、ここで自分を信じてくれとナオトには言えないし、言う資格もない。

 だけど、どうせ世界が終わるというなら──

 

「……頼む。聴きたいんだ。フルーラの歌を」

 

 それはひどく無責任な頼みにも聞こえるかもしれない。

 だが、少し気恥ずかしそうにしながらも真剣な眼差しを向けるナオトを見て、フルーラはドキリと胸を高鳴らせた。

 

 その眼差しから、ただ歌が聴きたいからこんなことを言っているわけじゃないことは分かる。

 フルーラには見当も付かないが、ナオトには自分の歌が笛と同じように神々をなだめ癒やす力があると確信めいたものがあるようだ。

 

「ミャウ!」

 

 アイも、フルーラのスカートの裾を引っ張って催促している。

 

「よく分かんないけど……フルーラさん! オレからもお願いします!」

 

 話を聞いていたサトシがそう頼み込む。

 

「お願いよ。フルーラ!」

「僕も、少しでも可能性があるなら……」

 

 カスミとケンジ。

 一縷の希望に縋るようにして、それぞれがフルーラに懇願する。

 

 戸惑うようにしてナオトの方を振り返るフルーラ。

 ナオトはフルーラと目を合わせ、ゆっくりと頷いてみせた。

 

「──ッ」

 

 フルーラは少しばかり逡巡しながらも、ナオトに背を押されるなんてらしくないと心の中で自分を叱咤し、両手で頬を叩いた。

 こうなればヤケだと、頭を切り替える。

 

「……どうなっても知らないからね」

 

 呟き、祭壇の中心へと歩み寄る。

 そこでもう一度ナオトの方を振り返って、ちゃんと聴いてなさいよねと目で伝えた。

 

 意を決した表情で半壊した祭壇に顔を向けるフルーラ。

 胸の前で祈るように両手を握り、目を閉じて不安な気持ちを吐き出すように深呼吸する。

 そして、ゆっくりとその口を開いた。

 

 

 ────♪

 

 

 歌声が響き渡る。

 静かだが芯のある声の音色が、アーシア島の岬を中心に。

 

 サトシ達は普段の彼女からは想像できないその優しい声色に目を丸くしていたが、次第にその歌声に聞き入り身を委ね始める。

 

 すると、ナオトとサトシ、そしてカスミが持っている宝珠が急に輝き出した。

 赤、黄、青。三原色の光が祭壇全体を照らす。

 ナオト達は頷き合い、辛うじて残っている祭壇に三つの宝珠を納める。すると、それぞれの光が共鳴し合い蛍色の光が漏れ出す。

 

 祭壇の隙間からそれと同じ色の水が溢れ出し、足場の溝を通って海へと流れていく。

 それは海上に浮かんでいたルギアを包み込むとその傷を見る見る内に癒やしていった。

 

「ギヤ―オ!」「ギヨオー!」「キョーオ!」

 

 宝珠を通してフルーラの歌声はアーシア島の周りを飛んでいた神々の耳にも届く。

 その優しく心地よい歌声に三鳥の闘争心は癒やされ、解放感に歓喜の鳴き声を響かせた。

 

 その光景を見て、フルーラは歌いながら思わずナオトと目を合わせる。

 ほらな、とばかりに小さく笑みを返すナオトに、フルーラも目を細めて顔を綻ばせた。

 

 気づけば、海を覆っていた氷は解け、空は青く晴れ渡り、太陽を覗かせていた。

 まるでこのはてしない世界が本来の姿を取り戻すように。

 三鳥は翼を広げて飛び立ち、その歌声に合わせて踊るように空を舞う。

 

 そして、意識を取り戻したルギアが穏やかになった海から翼を羽ばたかせ、ナオト達の前に降り立った。

 その羽毛は元の白銀色に戻っている。ダークボールの支配から脱することができたのだろう。

 

「良かった、ルギア!」

「ピッピカチュウ!」

 

 彼の無事な姿を見上げて、安堵の声を漏らすサトシとピカチュウ。

 

『ありがとう。君に助けられるのは、これで二度目だ』

 

 ルギアに礼を言われ、フルーラは歌い続けながらも気恥ずかしそうにする。

 

 ナオトは今代のルギアを見て、やはり自分の出会ったルギアはもういないのかとその瞳に若干の憂いを滲ませた。

 そんな彼の視界に、空を飛ぶルギアと歌うフルーラの背中が映る。

 

 フルーラの歌声で何とかなるという確信があったのは事実だ。しかし、それが何を根拠にしたものなのかははっきりしていなかった。

 その歌声で見事に三鳥の怒りを鎮めることができたフルーラ。そして、そんな彼女と瓜二つの姿に化けていた先代のルギア。

 まどろむような意識の中で、彼女達の姿が重なる。

 

 

 ──もし……もし、私がその方のように貴方の手を引っ張れるような、そんな強い心を持てる存在になれたら……また、会ってくれますか?

 

 

「……そっか。随分待たせちゃってたんだな」

 

 一つの答えを導き出したナオトは、悟った笑みを浮かべる。

 

 ルギアは事件解決の最大の功労者であるサトシの前で身体を低くし、自分に乗るよう促した。

 彼が取り戻したこの海と空を、彼自身の目で見渡させるために。

 サトシはそれに頷いて答え、次いでナオトの方を振り向いた。

 

「一緒に行こうぜ。ナオト!」

「え? い、いや、僕は……」

 

 もちろんナオトは激しく手を左右に振って遠慮する。

 サトシほど立派な意思を持ってこの場に臨んだわけではないからだ。

 

「ギャーオ!」

 

 そんな浮足立っているナオトの隣にいつの間にかファイヤーが降り立っていた。すぐ傍にはサンダーとフリーザーもいる。

 ファイヤーがナオトに自分に乗るよう姿勢を低くして促した。そんな彼を押し退けて、いやオレに乗れよとサンダーが前に出る。いやいや私に乗れよとフリーザーがさらに他の二鳥を押し出した。

 

「ギヤヤー!」「ギョ―!」「キョオー!」

 

 三馬鹿はお互いを押し退け合い続けている。このままエスカレートしたらまた喧嘩をし始めそうだ。

 

「おいおい……」

 

 戸惑うナオトの手を、歌を歌い終えたフルーラが引っ張る。

 

「ほら、何してんのナオト。この子達の喧嘩なんか早く止めて乗りなさいよ!」

「ミャウ!」

 

 笑顔を向ける彼女。肩に乗っているアイも笑っている。

 そこまでされたら乗らないわけにもいかない。ナオトは困ったように頭を掻くと、「いい加減にしろ!」と三鳥を叱った。

 彼らが大人しくなったのを確認すると、アイと共に一番乗り慣れているファイヤーの背中に腰を降ろす。

 

「ギヤーオッ!」

 

 自分の勝ちだと言わんばかりに炎の翼を広げて一鳴きするファイヤー。他の二鳥からチッと舌打ちするような音が聞こえた気がするが、気のせいだろう。

 そして、フルーラが続けてファイヤーの背中──ナオトの後ろに乗り込む。

 

「え? お前も乗るのか?」

「何よ。私がいちゃ邪魔?」

 

 振り返って聞くナオトにフルーラが唇を尖らせて返す。

 その彼女の顔が思ったよりすぐ近くにあったのでナオトは慌てて顔を正面に戻し、「べ、別にそんなこと言ってないだろ」と口にする。

 

 ファイヤーがナオトとアイ、フルーラを乗せたまま翼をはためかせ、地上から飛び立って空へと舞い上がる。サンダーとフリーザーもその後に続いていった。

 遅れてサトシとピカチュウを乗せたルギアがゆっくりと羽ばたいて風に乗り、ファイヤー達を追い越していく。

 

 紺碧の空を彩るようにして神々が飛翔する。

 そよぐ心地良い風がナオトの髪を撫でた。

 

 視線を下に向ければ、ファイヤーの背中越しにアーシア島に集まってきていたポケモン達が神々を称えるようにして海を泳いでいる。

 泳げないポケモンはみずポケモンの背中に乗って、皆それぞれ喜び勇しむ。それはまるで、無邪気な彼らがナオト達の真似をしているようにも見えた。

 その様子を見て、ナオトは本当に世界は危機から脱して元の姿を取り戻したのだと改めて身に染みて実感した。

 

「──えっ」

 

 ナオトが地上を見渡しながら感慨深い気分に浸っていると、ふいに後ろから華奢な腕が回された。フルーラがナオトの背中にしなだれかかるようにして抱きついてきたのだ。

 顔を真っ赤にさせて動揺するナオトと幸せそうなフルーラを見て、肩に乗ったアイがくすくすと微笑む。

 

 神々による空の演舞が続く。

 気づけば日は傾きかけ、空は緋色に染まりつつあった──

 

 

 

 

 

 海に浮かぶ飛行艇の瓦礫の上で、傷だらけのビシャスがぐたりと仰向けに倒れている。

 ヒビ割れた仮面越しに頭上を飛び交う神々を見つめ、これまでの彼からは想像できないほど弱々しく項垂れている。

 

「あ、ありえない……私のダークボールは完璧なはず。どうしてあんな女に、あんなガキ共にぃ……」

 

 ──ビィッ

 

 呪詛のように呟くビシャスの視界の隅を、黄緑色の小さなポケモンが横切った。

 反射的に飛び起きた彼が辺りを見回すが、既にそこには何もいない。

 

「……そうか。その手があったか」

 

 そのポケモンの正体に気づいたビシャスが、一転して再びその口端を醜く歪ませる。

 

「ククッ、せいぜい束の間の平和を味わうがいい。まだ私の計画は終わっていない。そう、時渡りの力さえあれば……!」

 

 




結構あっさりというか駆け足気味になってしまいましたが、なんとかダークルギアをどうにかすることができました。
突っ込み所が多々あると思いますけど、こういうのは勢いが大事。
明日、エピローグを投稿します。

■フルーラ
過去の世界でナオトが出会った先代ルギア。それが時を越えて人間に転生したのが彼女。
と言っても、記憶はほとんど受け継がれていないのでほぼ別の存在と言ってもいい。
正直かなり悩んだが、他の案で良い感じの展開に持ち込めそうになかったのでこうなった。

■フルーラの歌
序盤で歌っていた歌と同じ、元々ルギア爆誕のEDのために用意されていた『はてしない世界』。
良い歌なので、聞いたことない人はぜひ聞いてみて。

■ビシャス
ここから『時を超えた遭遇』に繋がる。
このSSではロケット団の任務とは関係なく独断でセレビィをつけ狙う。
なお、ナオトがそれに関わる予定はないので『時を超えた遭遇』のエピソードを書く予定はない。



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30. Hello My Dream ▼

 小さな島で催された小さなお祭り。

 それが世界全体を巻き込む事態にまで発展するなんて誰が想像できただろうか。

 一生に一度拝めるかも分からない神々の戦いの真っ只中にいた島民達。彼らの心には未だ少しばかりの不安が燻っていた。

 

 そんな中、二人の人物が島の広場で再び顔を合わせている。

 島の皆々の不安な心を打ち消すべく──そして、お祭りを締めくくるべく。

 

「使用ポケモンは一体! 二人共、準備はいいかい?」

「ああ」

「バッチリさ!」

 

 大勢の島民達が彼らを囲うように集まっている。

 頃合いを見計らって投げかけられたケンジの言葉に、相対する二人──ナオトとサトシが頷いて答えた。

 

「ナオト! 思いっきり頼むぜ!」

「もちろん、そのつもりだ」

 

 言葉を交わし、向かいに立つサトシから目線を外すナオト。その先にはタケシとカスミに並んで立っているフルーラの姿。

 ナオトと目が合うとフルーラは少しばかり気恥ずかしそうにして視線を逸らし、すぐにまた元に戻して今度は眉をちょいと上げたまま口パクしてみせた。

 それだけでナオトは彼女が言わんとしていることを理解し、口パクして返してみせて再びサトシの方を見据え直す。

 

「よし、ピカチュウ! キミに決めた!」

「ピカッ!」

 

 サトシのピカチュウがよし来たとばかりに鳴き声を返して前に出る。前足を地につけ、稲妻型の尻尾を立てて臨戦態勢に入った。

 

「アイ、頼む!」

「ミャウ!」

 

 傍らにいたアイが飛び出す。少女の姿から色違いのゾロアの姿へと戻り、そのもふりとした尻尾を立ててピカチュウと相対する。お互いの相棒同士でのバトルだ。

 再びこの二人がこうしてバトルすることになった理由は、ナオトがサトシにもう一度バトルしてくれと頼み込んだからである。

 

 

「それじゃあ……バトル、開始!」

 

 

 ケンジが両腕を挙げ、開始の宣言を広場に響かせた。

 それと同時にサトシが前方に指を突き出し、ピカチュウに指示を出す。

 

「ピカチュウ! でんこうせっかだ!」

「ピッカ!」

 

 リザードンの時と同じくピカチュウが先手必勝の攻撃を与えるべく地を蹴って飛び出し、勇猛果敢に風を切りながらアイ目がけて突っ込んでいく。

 

「こうそくいどう!」

「ミャア!」

 

 一直線に迫ってくるピカチュウに対して、ナオトはアイにこうそくいどうを指示。

 アイはピカチュウとぶつかる寸前に音を残す勢いで身体一つ分飛び上がり、でんこうせっかを避ける。さらに自分の下を通り過ぎるピカチュウの背中に前足を乗せ、そのまま踏みつけて反動で宙へと飛び上がった。

 

「ピ、ィッ!」

「踏ん張れピカチュウ! かみなりだ!」

「ピ、カァ……チュウウーッ!」

 

 サトシの声に地面を擦り滑っていたピカチュウは足に力を入れて体勢を立て直し、空中を飛ぶアイに向けてかみなりを放つ。

 

「アイ! じんつうりき!」

「ミャアアッ!」

 

 無防備なアイに向けてナオトが指示を飛ばす。

 宙返りして頭を下に向けた状態のアイがピカチュウを見据え、エスパー波を周囲へと放出。それは先のタケシとのバトルで剥がれ飛んで散らばったままのレンガ群を浮かび上がらせ、自分と迫りほどばしる電撃との間に割って入らせる。

 それによってレンガが壁となり、ピカチュウの電撃を受け止めた。

 

「あぁ!?」

「ピカッ!?」

「──ミャ!」

 

 さらにアイはそのレンガ群をピカチュウに向けて飛ばす。

 レンガの雨がピカチュウの身体に幾つもぶつかり、ダメージを与える。

 

「ピ、カァッ……!」

「ピカチュウ!」

 

 予想外の攻撃を受けたピカチュウはふらふらと足元が覚束ない様子であったが、すぐに頭を振ってまだやれるとばかりに地面に降り立ったアイへ鋭い目線を飛ばした。

 

「大丈夫か!? ピカチュウ!」

「ピッカチュウ!」

「よし、もう一度かみなりだ!」

「チュウウウーッッ!!」

 

 サトシの指示を受け、ピカチュウが再度かみなりを放つ。

 ナオトは再びじんつうりきをアイに指示してレンガを壁にしようとするが──

 

「何っ!?」

「ミャア!?」

 

 ピカチュウがかみなりを放った先はアイではなく自分達が立つ地面であった。

 強力な電撃が地響きを起こし、放射状に地面を這って辺りに散らばったレンガを粉微塵にしていく。

 

「これでもう同じ手は使えないぜ! ピカチュウ、でんこうせっか!」

「ピッ!」

 

 続けて、呆然としているアイ目がけてピカチュウがでんこうせっかをお見舞いする。

 

「ミャッ!」

「アイ!」

 

 でんこうせっかのタックルを顔面で受け、コロコロと後方へと転がっていくアイ。

 が、すぐに踏ん張ってぴょんと飛び上がり体勢を立て直した。

 

「……なるほど。タケシの言う通りよく育てられてるんだな、そのピカチュウ」

「ああ! なんてたって、オレの一番の友だちだからな!」

「ピカッチュウ!」

 

 ナオトの言葉に、サトシとピカチュウが得意満面な様子で返す。

 先ほどのかみなりは並みのピカチュウにはできない芸当だ。それに、具体的な指示を受けずにピカチュウはそれをやってみせた。

 

 よく育てられているに加え、信頼関係もこの上なく高い。ポケモンバトルはポケモンとのコミュニケーション……そう、彼らはまさに一心同体なのだ。

 

「でも……それは僕らも同じだ。そうだろ? アイ」

「ミャウ!」

 

 アイがナオトの問いかけに笑顔で答えた。

 それに頷き返し、ナオトはピカチュウに目線を戻す。

 

「行くぞ、アイ! こうそくいどう!」

「ミャアッ!」

 

 ナオトの指示と共にアイが凄まじい速度で飛び出し、後ろ足で蹴り上げた砂埃を残してその場から掻き消える。

 

「ピカァ!?」

 

 驚きの声を上げるピカチュウ。

 彼の周りを、アイが分身を残す勢いで円を描くように走り回っているのである。

 こうそくいどうはエスパータイプの技。あくタイプにも関わらずエスパー技を得意としているアイがそのパワーを活かせば、擬似的なかげぶんしんを再現することも可能ということだ。

 

「みだれひっかき!」

「ミャ!」

 

 さらに指示を受けたアイはそのかげぶんしんを維持しながら数秒刻みにピカチュウへ向けて飛び出し、通り過ぎざまにその爪で引っ掻いていく。

 横から! 背後から! 正面から! こうそくいどうによる勢いを乗せたアイのみだれひっかきがピカチュウに炸裂する。

 

「ピ、カァ……ッ!」

「ピカチュウ、10まんボルトだ! 吹き飛ばせ!」

「ピカ、チュウウゥーー!!」

 

 ピカチュウがその身体から10まんボルトをほどばしらせ、自身を囲むアイの分身を一体一体電撃で打ち消していく。

 しかし──

 

「い、いない!?」

 

 全ての分身を打ち消しても、本物のアイの姿はどこにもなかった。

 

「ミャアアーッ!」

 

 そこへ、ピカチュウの頭上からアイの鳴き声が響く。

 彼女はピカチュウが反撃してくる頃合いを見て、前もって宙へと退避していたのだ。

 落下の勢いを乗せて、ピカチュウにみだれひっかきの最後の一発を与える。

 

「チャアアッッ!」

「ああっ、ピカチュウ!」

 

 吹き飛び、ニ、三度地面を跳ねてうつ伏せに倒れるピカチュウ。

 何とか起き上がろうとするが、度重なるダメージが重なって上手くいかないでいる。

 

「頑張れピカチュウ! 負けるな!」

「ピ、カァア……ッ!」

 

 サトシの呼びかけに答え、ピカチュウが力を振り絞って立ち上がった。

 それを見て、ナオトは小さく笑みを浮かべる。

 

「そうこなくちゃな。来い、サトシ!」

「ああ、行くぜナオト! ピカチュウ、残ったパワーを全部出し切れ!」

「ピィカアアァァーー!」

 

 ピカチュウが雄叫びを上げると同時に、その小さな体にかみなりが落ちる。

 ほどばしる電撃は身体全体に流れ渡り、彼自身のパワーが形になったかの如く帯電した。

 

「あれは……ボルテッカーか?」

 

 ナオトは電撃を帯びたピカチュウの姿を見て、そう推測した。

 ボルテッカーはピチューとその進化系であるピカチュウとライチュウしか覚えない技だ。自分にもダメージが返ってくる捨て身の攻撃だが、その分威力はでんじほうに勝るとも劣らない。

 

 今までの様子からして、サトシのピカチュウはボルテッカーを覚えていなかったのは明白だ。

 それなのに、この土壇場でそんな強力な技を覚えるとは。やはり彼が優れたる操り人であるということは間違いないのだろう。

 

「ピィカピカピカピカピカ……!」

 

 帯電状態を維持したまま地を蹴ったピカチュウは、一直線にアイに向かって肉薄する!

 

「こっちも全力で行くぞ、アイ! 最大パワーで、ナイトッバースト!!」

「ミャアアアッッ!!」

 

 アイのその小さな身体からは想像もつかないほどの膨大なエネルギーが溢れ出す。

 それを纏いながらこうそくいどうの勢いで駆け出し、猛然と迫るピカチュウに真正面から突っ込んでいく!

 

 

「ピカピカピカピカ──ピカピッカァ!!」

「ミャミャミャミャ──ミャミャアッ!!」

 

 

 黄色と黒色の小さな身体。

 それぞれが纏う光と闇のエネルギーが衝突し、爆発。

 

 先のかみなりで粉々となったレンガの欠片と砂埃が衝撃波に乗って吹き飛ぶ。

 爆風に煽られ、広場を囲っていた観客達は顔を背けて腕で庇った。

 

 ──そして、巻き起こった砂煙が晴れていく。

 晴れた先に見えたのは目を渦巻かせて地面に倒れているピカチュウの姿。

 そのすぐ傍にはアイが立っていた。ダメージはあるもののしっかりと地に足をつけている。

 

「チャア~……」

「ピカチュウ!」

 

 その姿を見たケンジが片腕を挙げ、ナオトの方を指し示した。

 

「ピカチュウ、戦闘不能! ゾロア──いや、アイちゃんの勝ち!」

「よし! よくやったぞ、アイ!」

「ミャウ!」

 

 勝利宣言がなされ、観客達が「ワーッ!」と一斉に沸き立つ。

 目の前で繰り広げられた凄まじいバトル。それに熱狂し興奮冷めやらずといった様子の彼らの心からは、先の騒動による不安はいつの間にか消え去っていた。

 

「……す、すごいな。あのナオトって奴のゾロア」

「あ、ああ」

「あら、あなた達期待外れだとか何とか言ってなかったっけ?」

「えっ!? いや、だってさ……」

 

 ナオトに対して陰口を叩いていた者達が思わず呟いた言葉を拾われ、唇を尖らせた。

 彼らはアーシア島からトレーナーとして旅に出たもののバッジを集め切ることができず、志半ばで戻ってきた者達なのである。

 少し離れた場所でその会話を聞いていたフルーラは人知れずほくそ笑んだ。

 

「サトシ。ピカチュウ、大丈夫か?」

「大丈夫さ。だろ? ピカチュウ」

「ピカチュ」

 

 ピカチュウを抱き上げたサトシに駆け寄って声をかけたナオト。彼の腕に抱かれたピカチュウは弱々しくはあるもののしっかりと笑って答えた。

 

「でもナオト、やっぱこの前のは手加減してたんだな」

「それは、その……ごめん」

 

 サトシの言葉にナオトは思わず詫びを口にする。サトシはあの時のリザードンの反応を見て、何となく察していたようだ。

 

「いいって。カスミから聞いたけど、事情があったんだろ?」

「それでも、ごめん……けどさ、サトシのピカチュウもすごいよ。あそこでボルテッカーを覚えるなんてさ」

「え? ボルテ、何?」

 

 サトシは何のことか分かってない様子で首を傾げる。

 

「最後の電撃を纏った攻撃だよ。もしかして、知らずに使ってたのか?」

「いや、無我夢中でさ。なあ、ピカチュウ」

「ピカァ?」

 

 ピカチュウもよく分からない内に放った技のようだ。

 恐らく、もう一度同じことをやれと言われてもできないだろう。少なくとも今のところは。

 

「そうか……それじゃあ、これをやるよ」

 

 そう言って、ナオトはバッグから一つの黄色に輝く小さな玉を取り出してサトシに手渡した。

 

「これは?」

「でんきだま。ピカチュウが身につけると潜在能力を引き出す助けをしてくれるんだ」

 

 元々カロス地方を旅していた時に偶然手に入れたものだが、ピカチュウを連れていないナオトには無用の長物である。

 

「でも、いいのか?」

「ああ、僕には必要ないから。その代わり、この先どこかでまた会うことがあったら、その時はもう一度バトルしよう」

「……分かった。約束だぜ、ナオト! 今度はオレが絶対勝つからな!」

「ピッカ!」「ミャウ!」

 

 サトシがズボンで汗を拭いた手を差し出し、ナオトがその手を握って握手を交わす。

 二人の優れたる操り人が、ライバルとなった瞬間であった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 太陽がさんさんと輝く晴天。

 春のような優しく暖かい気候の下、果実の甘い香りを乗せた風がまだ傷跡の残るアーシア島を癒やすように緑をそよがせている。

 

 サトシとのバトルを終えてニ日後、ナオトは慣れた足取りで草花の生い茂る村外れをふらついていた。

 柑橘類の甘い香りが風に運ばれる中、少し先で少女の姿に化けたアイが野生のバタフリーと戯れている。

 

「ミャ?」

 

 ふいに何かを見つけたのか、背中を向けて手を振り始めるアイ。

 視線を向けると、向こうから誰かが歩いてくるのが見える。タケシだ。

 

「ナオト、アイちゃん」

「タケシ、こんなところにいたのか。何してるんだ?」

「この辺りに傷によく効く薬草が生えてるってヨーデルさんから聞いてな。せっかくだから採りに来たんだよ」

 

 そう言って背中に背負った籠を見せるタケシ。

 ナオトは「へえ」と相槌を打ち、次いで思い浮かんだ疑問を口に出した。

 

「そういえば、良かったのか? サトシ達と一緒に行かなくて」

「ああ。これも何かの縁だし、オレンジ諸島はサトシとじゃなくてナオトと旅して回ろうと思ってな。ひょっとして、迷惑だったか?」

「いや、そんなことないよ」

 

 そう言うタケシに、とんでもないと首を振るナオト。

 タケシがいてくれると頼もしいし、色々と助かるので断る理由はもない。

 

 サトシ達はナオトとのバトルを終えたその日にアーシア島を出立している。オレンジリーグ出場を目指し四つ目のジムがあるリュウチン島へ向けて出発したのだ。

 正直なところ、ナオトはサトシとの再バトルの間もまだ疲労が残っていた。今日になってようやく全快できたのである。それに比べて、サトシの方は一晩休むだけで元通り回復。

 そんな彼にナオトは呆れと共に羨望の念を覚えた。マサラタウン出身の人間は皆総じてタフなのだろうか。

 

 でも、彼ならきっといつかリーグ優勝を目指せるぐらいのトレーナーになれるかもしれない。

 なぜだか分からないが、ナオトにはそう思えてならなかった。

 

「まあ心配するな。お邪魔虫にならないよう気は使うつもりだから」

「な、何のだよ?」

 

 顔を赤くして狼狽するナオトに、タケシは笑って返す。

 

「それで、そういうナオトこそどうしてここに?」

「そろそろ出発するつもりだから、タケシとフルーラを探してたんだよ。それで、フルーラを見なかったか?」

「いや。そういえば、今朝から見てないな」

「そうか……」

 

 タケシの返答に、眉を下げて呟くナオト。

 

「何か不安そうだが、気になることでもあるのか?」

「え? いや、その……」

 

 尋ねられたナオトは戸惑ったように頭を掻いて答え淀む。

 やがて、タケシの視線に耐えかねてぼそぼそと話し始めた。

 

「……もしかしたらさ、あいつ、旅は止めてこの島に──アーシア島に残るんじゃないかと思って」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、あんなことがあったわけだし……あいつアレで責任感は強い方だから、巫女の自分が島を離れるわけにはいかないとか言いそうじゃないか」

 

 ナオトの言い分を聞いて、タケシはなるほどと頷いた。

 確かにフルーラならそう決断しても不思議ではない。島の行事とはいえ、自分が頼んだのだから自分がサトシを助けに行くと言って荒海の中へ突っ込んでいくほどなのだ。

 

「そうかもしれないが……大丈夫だナオト。お前の気持ちを正直に伝えれば、フルーラだってきっと答えてくれるさ」

「き、気持ちって……いや、でもさ、もしそれでも断られたら──て、えっ……タ、タケシ?」

 

 ナオトがそこまで言うと、タケシの雰囲気が唐突に変わる。

 そんな彼にナオトが少し及び腰になっていると、タケシがそのがっしりとした手でナオトの両肩をわし掴んだ。

 

 

「ナオト! 男は当たって砕けろだ! しかも当たって砕けて、砕けて砕けて砕けて砕けて砕けて砕け散ってもなお! 当たって砕けろだ! それが本当の恋と言うものなんだ!!」

 

 

 そう一気にものすごい勢いでまくし立てたタケシ。

 彼は呆気に取られているナオトの肩から放した手を腰に当て、「ふんッ」と満足げに鼻を鳴らした。

 いつの間にか傍らに来ていたアイは「ミャ~……」と口に片手を当てて目を丸くしている。

 

「……な、何かよく分からないけど、分かったよ」

「ああ、しっかりやるんだぞ。オレは先に戻って準備しておくからな」

「あ、ああ」

 

 タケシは背中を押すようにして今度は優しくナオトの肩に手をやり、籠を背負い直して村の方へと戻っていった。

 

「……アイ、行くぞ。フルーラは多分あそこだ」

「ミャウ!」

 

 バタフリーにバイバイして、アイと共にアーシア島の裏側へと続く洞窟を潜る。その洞窟を抜けた先の道は未だ崖崩れによる土砂で半分埋もれた状態のままだ。

 土砂の少ない場所を通って、ナオトは祭壇のある岬を目指す。

 

 

 ────♪

 

 

 その途中で彼の耳に透き通るような歌声が届く。

 見ると、祭壇の先の崖縁で普段着のフルーラが草むらに腰を下ろして歌を口ずさんでいた。口ずさみながら、どこか物憂げな目ではてしなく広がる海を見つめている。

 

「フルーラ」

 

 ナオトが声をかけると、彼女は歌うのを止める。

 そして、驚いた様子もなくゆっくりと振り向いた。

 

「あら、ナオト。アンタよく私がここにいるって分かったわね」

「まあ、なんとなく……というか、前にアーシア島を出る時にもここにいたじゃないか」

「そういえばそうね」

 

 言葉を交わして、また海の方を見つめ始めるフルーラ。

 ナオトは様子のおかしい彼女に首を傾げつつも、その隣に腰を下ろした。

 アイは空気を読んだのか、少し離れたところに咲いている花を摘んで遊び始める。

 

 吹き過ぎる風が二人の髪を優しく撫で上げる。

 その心地良さに身を委ねそうになりながらも、ナオトは話の切っ掛けを作ろうと一人頭を捻った。しかし何も出ないまま、しばらくの沈黙を挟む。

 すると、フルーラの方が先に口を開いた。

 

「ねえ、ナオトはこれからどうするつもりなの?」

「え? そりゃ……一応ジム巡りの途中だし、サトシ達と同じようにリュウチン島を目指そうと思ってるけど」

 

 ナオトの返事に、フルーラは「そっか」と何だか他人事のような相槌を返す。

 オレンジリーグに出ろと言ったのは彼女だろうに。訝しむナオトを無視して、彼女は腰を上げてお尻についた草を叩いて払った。

 

「じゃあ、アンタとはここでお別れね」

「っ!」

 

 予想通りの言葉に口元を歪めるナオト。

 

「だって、あんなことがあったんだもの。ポケモンレンジャー……だったかしら? その人達が警備として派遣されるみたいだけど、それでも巫女の私がこの島に残ってなきゃダメだと思うのよね」

 

 フルーラはさも当然というようにそう続けた。

 その妙に冷たい態度に困惑しながらも、ナオトはフルーラを説得しようと言葉を絞り出す。

 

「お、お前が言い出したことなのに……」

「そうね。だから別にジム巡り止めてもいいのよ? ウチの船のことももう責任取れなんて言わないから」

 

 フルーラは取り付く暇もなく返す。

 

「ああ、船の方なら安心して。丁度今日の昼過ぎに定期船が来るから。でも、一ヶ月に一度しか来ないから乗り遅れたりしないよう気をつけなさいよ? ……それじゃ、私は先に戻るから」

 

 そっけない態度のまま話を切り、踵を返して元来た道を戻ろうとする。

 そんな彼女の手をナオトは思わず握って引き止めた。

 

「……何? 早く離してよ」

 

 睨むように細めた目を向けて言うフルーラ。

 たじろぐナオトであったが、それでも彼女の手をしっかりと握って放さない。

 

「……その、本当に島に残らないとダメなのか? ヨーデルさんだっているし、笛だって新しいのを用意すれば──」

「ダメよ。お姉さん音痴だし。笛の演奏もあまり上手じゃないのよ」

 

 実の姉に対してひどい言い様である。頑なに旅を続けるのを拒むフルーラ。

 ナオトは赤らめた顔のまま逡巡しつつも言葉を紡ごうと口を開く。

 

「……い」

「い?」

 

 聞き返され、思わず口を噤んでしまうナオト。フルーラはそんな彼から離れようとせず、じっと言葉を待っている。

 ナオトは地団駄を踏みたいような思いに駆られながらも、泳いでいた視線を無理矢理フルーラへと真っ直ぐに向け、意を決して再び口を開く。

 

「い、一緒にいて欲しいんだよ! ジム巡りだけじゃなくて、その後もずっと!」

 

 やけになったような声で、縋るように精一杯の気持ちを投げかけた。

 

「…………」

 

 フルーラはただナオトの顔をじっと見て何も返さない。

 再び風が草花と二人の髪をそよがせる中、離れた場所で花を集めていたアイが心配そうに見守っている。

 

「……そう」

 

 そう呟いて、フルーラはナオトの手を振り払った。

 払われたという事実を前に、眉尻を下げて顔を俯かせるナオト。

 

 そんな彼をよそに、立ち去ると思っていたフルーラはなぜか祭壇の柱の陰からリュックを拾い上げて戻ってきた。

 よく見ると、その口元は少しばかり緩んでいる。

 

「ほら、何してんの。早く行きましょうよ」

「は? え?」

 

 急に態度を変えてそう言うフルーラに、ナオトは目を白黒させる。

 

「一緒にいて欲しいんでしょ? しょうがないから付き合ったげるわ」

 

 フルーラはリュックを手に持ったまま、そのしたり顔の笑みをナオトに向けた。

 

「お前、最初から……!」

 

 まんまとしてやられたことに気づき、ナオトは物言いたげな目で睨む。

 フルーラはそんな彼に気を良くしたのか、「ほんの冗談だってば」と愉快そうに笑った。

 その様子に怒りのやり場を失うナオト。不貞腐れた顔を見せればまたからかわれるだろう。そう思って、顔を背けてフルーラに背中を向ける。

 

「ねえ。そういえば、ナオトにはまだ歓迎の挨拶してなかったわよね?」

 

 ひとしきり笑い終えたフルーラが、ふいにそう問いかけた。

 

「歓迎の挨拶?」

 

 首を傾げたナオトは思わずフルーラの方を振り向こうとする。

 そこへ、ナオトの不意を突くようにして彼の肩越しにフルーラが自身の顔を寄せた。

 

 

 ──二人の唇が、重なる。

 

 

 様子を見ていたアイが「ミャアッ!?」と赤面した顔を両手で覆う。

 

 フルーラはゆっくりと唇を離した。

 何が起こったのか分かっていなさそうに呆然としているナオトに、フルーラは頬を桃色に染めてほくそ笑む。

 

「……え、え?」

 

 数秒遅れてナオトの脳が先の出来事を認識し始めた。

 心臓が思い出したかのように激しく脈打ち始め、こんらん状態にかかったかのように思考が乱れる。

 

「それじゃ、私船の準備してくるから。荷物お願いね!」

 

 そんな絶賛こんらん中のナオトに笑顔でリュックを押しつけて駆け出すフルーラ。

 わざとかと言いたいぐらい中身の詰まったそれを突然押しつけられたナオトは、よろけてバランスを崩してしまう。

 

「おいこら、待て!」

 

 怒るナオトの静止の声を無視して、フルーラは舌をぺろりと出して返す。

 

「ほら、アイちゃん。行きましょ!」

「ミャウ!」

 

 アイの手を取って、洞窟へ向けて草むらの上を走り抜ける。

 

 彼らの旅は再び始まり、そして続いていく。

 不思議な不思議な生き物──ポケットモンスターのいる、このはてしない世界で。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 さざ波の音が耳を擽る。

 舟を漕ぎたくなるような海水の温もりと濡れた砂の感触が肌に染み込む。

 

 もうこのままこの心地よい気分に身を委ねて、ずっと眠っていたい。

 そんな怠惰な感情をまどろむ意識の中で覚える。

 

 ──ツンツンッ 

 

 しかし、それを邪魔するかのように誰かが頭をつついた。

 うっとおしそうに手で払うが、それでもしつこく頭をつつかれる。

 

「……あ゛ーー!! もうっ! 何よさっきから!?」

 

 つつく手を退ける勢いで上半身を起こすドミノ。

 暗闇の世界から一転、白い砂浜と透き通るような青い海が視界に映る。

 ビシャスの飛行艇が爆発して吹き飛ばされた彼女は、アーシア島周辺の小島に流れ着いていた。

 

「ピィ♪」

 

 頭を突いていたのはピィであった。

 ドミノが起きたことで、彼女はぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んでいる。

 

「アンタ、つつくなんて技覚えてないでしょうに……」

 

 溜息を吐きながらもその見慣れた笑顔を見て、苛立っていた気持ちを鎮ませるドミノ。

 

「はあ……これからどうしようかしら」

 

 結局、ジラルダンを利用してルギアを捕獲するという任務自体は失敗したのだ。

 とりあえずビシャスがロケット団を裏切ったことはボスに伝えるつもりだが……恐らく、エリートに返り咲くことはできないだろう。まあ、それは想定内だし覚悟はしていた。

 

「こうなったら意地でもあのジャリボウヤのゾロアを手に入れないとね……」

 

 そう意気込み、頭を切り替えて腰を上げようとする。

 しかし、その途中で妙な物が視界に入った。

 

 ──水死体だ。

 どこか見覚えのある服を着た壮年女性のドザえもん。

 うつ伏せで、パサパサになった紫色の長髪が砂浜の土に塗れて酷いことになっている。

 

 ゲッ、と顔をしかめるドミノ。

 無理もない。死体の傍で寝ていたということなのだから。

 一気に気分を悪くしたドミノは、さっさと船を見繕って島を出ようと立ち上がる。

 

 そんな彼女の足を、何かがガシッとわし掴んだ。

 

「ちょっと、ピィ。歩き辛いでしょうが」

 

 そう文句を言いながら、ドミノは足元を見やる。

 しかし、そこにいたのは星型のピンクボールではなかった。

 

 ──ドザえもんが、ドミノの足を掴んでいたのだ。

 

 

「ミュウ……どこなの……ミュウウゥゥ……」

 

 

 ドミノの悲鳴が、平穏な青空に木霊した────

 




ということで、「ポケットモンスター -Hello My Dream-」はここで一旦完結です。
続きのプロットはありますが下書きが出来ていないので、ちゃんと書き終えてからまた投稿再開できたらな、と思っています。モチベーションが保たれていれば。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

■アイ(ゾロア)
結局伏線回収されなかった子。
オレンジリーグ制覇までの話を書き終えたら、この子がメインの話(「ミュウツー! 我ハココニ在リ」がベースになるかも)を書けたらなと考えています。
ただそこまで放置というのもアレなので、ナオトとの出会いの話だけでも来週先行して投稿する予定。

■でんきだま
唐突に出てきたアイテム。元々サトシと再バトルさせる予定がなかったのでしょうがない。
ナオトがいることでサトシとピカチュウに何かしら変化を与えたかったので用意した。
効果はゲームと違ってあくまで潜在能力を引き出す補助をしてくれるだけで、ピカチュウがボルテッカーを完全に覚えたら用済みとなる。
これを持っていることによりサトシはジョウトリーグ・シロガネ大会において原作で負けたハヅキに勝利することができるが、謎の運命力(大人の都合)のせいでベスト4止まりとなる。

■タケシ「男は当たって砕けろだ!」
DP編第180話『サトシVSケンゴ!それぞれの船出』でタケシがケンゴに語った恋愛の極意。
彼が言うと言葉の重みがすごい。





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31. エピソード:アイ ① ▼



念の為初めにお伝えしますが、今までの話と比べて少しばかり表現が過激です。
ご了承ください。



『生き物は、身体が痛い時以外は涙を流さないって。悲しみで涙を流すのは、人間だけだって』

 

『ありがとう、あなたの涙……でも、泣かないで。あなたは生きてるの』

 

『生きているって、ね……きっと楽しいことなんだから』

 

 

 

 

 

 ──ここは、どこ? わたしは、だれ?

 

 前も、後ろも──左も右も、よく分からない。

 自分の手も、足も──どこを向いているのか、分からない。

 真っ暗闇の中をふわふわと浮かび、彷徨っている。

 

 この暗闇に来る前はどこにいただろうか?

 冷たい何かに包まれて、ただただその中を浮かんでいた気がする。

 今と、何も変わらない。

 

 ……ううん、違う。

 

 今と違って一人じゃなかった。

 わたしと同じみたいに生まれた子達が、ワン、ツー、スリー。

 でも、みんなツー。みんな同じ。

 

 けれども消えてしまった。

 消えては生まれて、生まれては消えて。

 そして最後には二度と生まれてこなくなった。

 

 でも、一人だけ。

 一人だけ残ってる。

 

 可愛くて、何でもよく知りたがって。

 わたしのために涙を流してくれた子。

 

 そう。その子の名前は────

 

 

 

 

 

 ──ヒュッ

 

 唐突に、本当に唐突に感覚が蘇った。

 暖かい何かに照らされ、目の前をまた別の何かが吹き過ぎていく。

 

 あれは、お日様? これは、風?

 今わたしが吸っているのは、空気?

 

 初めての感覚が沢山で戸惑いを隠せない。

 ずっと──そう、水の中にいて、直に呼吸をしたのだって初めてなのだから。

 

 暗闇から一転して開けた視界。

 上には青く澄み渡った空と白い雲。

 下には見渡す限りの豊かな森が緑の絨毯を広げていた。

 

 空を飛んでいるのだ。

 そのことに気づき、仰向けになって吹き過ぎる風に身を委ね始める。

 教えてもらったことを元に生み出した幻ではなく、本物の風だ。本物のお日様だ。

 

 なんて気持ちいいんだろう! なんて眩しくて暖かいんだろう!

 生きてるって、なんて素晴らしいんだろう!

 

 ──はたと気づく。

 なんで、わたしは生きているんだろう?

 

 消えていく意識の中、あの子に涙をもらってお別れをしたはず。

 なのにこうして生きている。その記憶を持ったまま。

 それも水の中ではなく、本当の外の世界にいるのだ。

 

 考えれば考えるほど、疑問は増えて尽きることはない。

 でも、あれこれ考えるくらいであれば、今はこの心地よさに浸っていたかった。

 

 しばらくそうしていると、ふいに喉の乾きを覚えた。

 これも初めての感覚だ。なにせ、今までずっと水の中で過ごしていたのだから。

 

 食事なんて一度も口にしたことはなく、いつもガラス越しに研究所の人達が食事をしているのを見ているだけ。

 たまにこっそりミルクとケーキを食べている甘い物好きの人もいただろうか?

 甘いってどんな感じなのか、ちっとも知らないけれど。

 

 ケーキのことを考えていたら、無性に喉の乾きが強まってきた。

 水が欲しい。水が飲みたい。

 

 カラカラに乾いた口と朦朧とする意識の中、視線の先に町が見えてくる。

 小さくも大きくもない、何の変哲もない町だ。

 その町の中心にある広場、そこにある大きな噴水に目を奪われた。

 

 一直線に町へと降りていき、ふよふよと噴水に近づいていく。

 思わず喉を鳴らし、がっつくようにして流れ落ちる水に口をつけた。

 

 ごくごくと飲み干し、その美味しさに舌鼓を打つ。

 水がこんなにも美味しいだなんて知らなかった。

 乾きが癒えていき、冷たいそれが身体中に染み渡っていく。

 

 そうして夢中で飲み続けている中、ふと水に映った『わたし』の姿が視界に入る。

 

 ──瞬間、目を見開いて思わず水から口を離した。

 

 目が大きくて手が短く、足は長い。頭には突起のような二つの耳。体長以上に長い尻尾。

 そして、水色に染まった小さな身体。

 

 

「ミュウ?」

 

 

 漏らした言葉は、そんな鳴き声に変わって口から出た。

 

「お、おい……あれ見ろよ」

「嘘、あれって……!」

 

 気づけば、辺りに人が沢山集まってきている。

 皆一様にして目を見開き、ざわめきの声を漏らしながら『わたし』に注目していた。

 

「間違いない……ミュウだ!」

「あの幻のポケモンの? でも、目撃情報だと色はピンクだって……」

「つまり、色違いってこと? 信じられない!」

 

 興奮した様子で何やら言葉を交わしている。

 戸惑いを隠せずに辺りを見回す『わたし』。

 

 ミュウ? どこかで聞いた名前だ。

 その名前は、()()()の名前によく似ていた。

 

 ──そこへ、赤と白に塗り分けられたボールが鋭い勢いで飛んでくる。

 

「ミュッ!?」

 

 飛んできたボールを『わたし』は反射的に避けた。

 

「ちっ、外した!」

「おい! 俺が先に見つけたんだぞ!」

「はあ? 私が一番に見つけたのよ!」

「知るか! 早いモン勝ちだ!」

 

 言い合いを始める人達。

 それを皮切りにして、次々にボールが『わたし』に向けて投げられ始めた。

 

「ミュ、ミュウッ」

 

 数え切れない数のボールが飛び込んでくる。

 本能的に危機を感じ、必死の思いでその中を掻い潜った。

 

「ナットレイ! はっぱカッター!」

 

 その声に反応して、振り向く。

 三本の棘がついた触手が生えた円盤のような形をした生き物。

 あれは──そう、ポケモンだ。

 

「ナットォ!」

 

 そのポケモンが身体を震わせて何かを飛ばしてきた。

 太陽の光を反射して光る鋭利な草の葉が、束となって目の前に迫ってくる。

 

「ミュ、ア゛ァッ!」

 

 はっぱカッターが身体の節々を裂き、幾つもの傷をつけていく。

 

 ──痛い! 痛い! 痛い!

 

 傷ついた場所が焼けるように熱い。

 初めての痛みの感覚に、目尻から涙が溢れる。

 痛い時に涙が流れるというのは本当だったんだ、なんて考えている余裕は全くなかった。

 

「よしっ、行け! モンスターボール!」

「させるか! ダゲキ!」

「ダゲッ!」

 

 投げられたボールを、人に似た姿をした青い肌のポケモンがその拳で弾き飛ばした。

 ボールを投げた男はポケモンに命令した者を睨みつけ、襟首を掴んで文句をぶつける。

 

「お前、何しやがんだ!」

「うるせぇ! ダゲキ、からてチョップだ!」

 

 人間の命令に従って、猛然と迫ってくるダゲキというポケモン。

 

「ミュ、ウッ!」

 

 痛む身体に耐えながら、すぐさま飛び上がって振り下ろされた拳を避けた。

 しかし、避けた先でも数え切れないほどのボールが飛び込んでくる。

 

「アタシのよ! アタシのッ!」

「どけっつってんだろ! 邪魔だ!」

 

 周りの者を乱暴に押しやりながら、迫る人間達。

 皆目を血走らせ、その口元は一生に一度あるかないかという機会を前に笑みが零れている。

 その鬼気迫る勢いを前にして、怖くなった『わたし』は無我夢中でその場から逃げ出した。

 

「逃げたぞ!」

「ちょっと! 誰かトラックに轢かれたわよ!」

「知るか! ちゃんと前見てねえからだろ!」

「待て! ミュウ!」

 

 恐怖、なんて感情はとっくの昔に忘れてしまったと思っていた。

 最初に恐怖を感じたのは、辛うじて燃えていた命の灯火が初めて消えそうになった時。

 一番最初に生み出されて消えていった『わたし』から記憶だけ受け継いで、それを何度も何度も繰り返していく内に何時しか何も感じなくなっていた。

 

 四方八方から飛んでくるボールや攻撃を必死に避け、急いで町を離れていく。

 距離が開けたのに、背後からの怒声や罵声はまるですぐ近くにいるかのように聞こえる。

 それが恐ろしくて、怖くて。耳を塞いで、我武者羅に飛んで逃げた。

 

 山を越えて、森を越えて、また山を越えて。

 陽が沈んで、昇って、また沈んで。

 気がついたら、また別の町が目線の先に見えてきた。

 

 また襲われるかもしれない。怖い目に合うかもしれない。

 できることなら町を通り過ぎたかったが、お腹の虫がそれを許してくれなかった。

 喉の乾きに続いて、空腹を感じるのも初めてだったのだ。

 

「ミュウ……」

 

 そ~っと町に降り、どこかに食べ物がないか路地裏から大通りを覗く。

 キョロキョロと辺りを見回していると、思わず涎が垂れてきそうな芳しい匂いが鼻を擽った。

 匂いのする方向を見る。そこでは、何人かの人達が屋台に並んで何やら食べ物をもらっていた。

 

 あそこで食べ物がもらえるのだろうか?

 でも、このまま姿を晒したら、また同じ目に合ってしまう。

 

 そう考えていると、ふと視界の隅に灰色の毛並みをした小さなポケモンが目に入った。

 そのポケモンは傍にいる少年から何やら指示を受けると、宙に飛び上がって回転しその姿を金髪の女性へと変化させたのである。

 

「こら、ダメじゃないかゾロア! 化けるのはユリア姫じゃなくて海賊だってば!」

「ウゥ!」

 

 あのゾロアというポケモンは人間の姿に化けることができるようだ。

 不思議な光と共に変化していくその様を見た『わたし』は、自分にも同じようなことができないだろうかと考えた。

 

「ミュ?」

 

 すると、突然『わたし』の身体が白く輝き始めた。

 慌てふためく間もない内にその輝きは増していく。その最中、徐々に目線の高さが変わっていくことに気づいた。 

 やがて光が収まり、戸惑いながらも辺りを見回す。

 

「ミュ、ミュウ!?」

 

 路地裏の水溜りに映る『わたし』の姿を見て驚いた。

 そこには長い尻尾を持った水色のポケモンの姿ではなく、先ほどのゾロアというポケモンが化けた女性の姿があったのだ。

 しかし、所々汚れていて背丈は小さいし、髪の色は青い。未熟なせいか、完璧に変化はできていないようである。

 

 どうして姿が変えれたのかは分からないが、とにもかくにもこれで街中に出ても追いかけられる心配はないだろう。

 そう考えて路地裏から恐る恐る大通りに出てみた。大通りを歩いている人達は少し端の方で突っ立っている『わたし』を見て首を傾げながらも、目の前を通り過ぎていく。

 その様子を見て『わたし』は胸を撫で下ろし、安堵の溜息を吐いた。

 

 先ほどの屋台へと足を運び、列の最後尾に並ぶ。

 本当なら列を無視して今すぐにでも食べ物をもらいたかったが、なんとなく並ばないといけないと思ったのだ。

 そして列は徐々に進んでいき、ついに順番が回ってきた。

 

「お嬢ちゃん、ヤドンのしっぽの串焼き、何本欲しいんだい?」

「……」

 

 屋台の店員に聞かれ、とりあえず指を一本立てて答える。

 

「一本だけでいいのかい? それじゃ、お代は150円だよ」

「?」

 

 首を傾げる。お代と言われても何のことだか分からなかった。

 思い返してみれば、列に並んでいた人達は食べ物と引き換えに何かを渡していたような気がする。

 

「どうしたんだい、お嬢ちゃん。もしかしてお金持ってくるの忘れちゃった? それじゃあ、お母さんからお金もらってきたらまた来な」

 

 店員は優しくそう伝え、『わたし』の後ろに並んでいた人に注文を聞き始めた。

 

「……ミュウ」

 

 仕方無しに後ろ髪を引かれる思いで屋台から離れる。

 せめて良い匂いから逃れようと少し遠くにあるベンチに座るが、お腹の虫は鳴り止まない。

 少し気分が悪くなってきた。足を持ち上げ、体育座りの姿勢になって膝に顔を埋める。

 

 周りには沢山の人が行き交っていて、『わたし』は今彼らと同じ人間の姿になっている。

 なのに、どうして、こうも一人ぼっちの気分になってしまうのだろう。

 

 ……どうして、こんなに遠くに感じるのだろう。

 

「……?」

 

 ふいに美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。先ほどの屋台から出ていたものと同じ匂いだ。

 思わずガバリと膝から顔を上げる『わたし』。目の前には屋台の串焼きがあった。

 

「これ、やるよ」

 

 差し出される串焼き。

 持っているのは、『わたし』と同じで汚れの目立つ青い髪をした少年だ。傍らには少年よりも大きなずんぐりとした体型のポケモンが立っている。

 

「……ほら」

 

 少年は押しつけるようにしてその串焼きを『わたし』の手に持たせ、背中を向けた。

 

「ゲンゲン」

 

 早々に立ち去っていく少年。一緒にいたポケモンは『遠慮せんでええからね』と言い残して、少年を追いかけていってしまった。

 

「……ミュウ」

 

 戸惑いながらも、手渡された串焼きをしげしげと見やる。

 やがてその芳しい匂いに我慢できなくなり、勢い良くパクつく。

 

「ンミュ、ミュッ……ミュウ!」

 

 濃厚なタレとプリプリとした柔らかいお肉。甘いマイルドな味が舌を鳴らす。

 空腹も相まって食べる手が止まらず、あっという間に食べ切ってしまった。

 初めて口に入れた食べ物の美味しさに感動して、タレのついた口元に自然と笑みが浮かぶ。

 

 もっと沢山食べたい気持ちはあったが、それよりもまず先ほどの串焼きをくれた少年にお礼が言いたい。食べ終わった串を持ったままベンチから降り、辺りを走って探し回る。 

 しかし、彼はとうに立ち去った後。当然ながら見つけることはできなかった。

 

「ミュ……」

 

 走り疲れて、人通りの少ない小道で立ち止まる。

 もう町を出ていってしまったのだろうか? 元の姿に戻って空から探してみようかとも思ったが、先のこともあってそうするのは躊躇してしまう。

 

 

「──こんなトコロにいたのね」

 

 

 考えあぐねいていると、後ろからゾワッとするような冷たい声が耳に届いた。

 恐る恐る振り向く。そこには二人組の女性がいた。片方は金髪、もう片方は銀髪だ。

 サングラスのようなモノを着けて、『わたし』の方を見ている。

 

「ようやく見つけたわ……ミュウ」

「!?」

 

 呟かれたその言葉を聞いた瞬間、踵を返して一目散に駆け出す。

 

「逃さないわ、アリアドス!」

「エーフィ!」

 

 モンスターボールが投げられて白い光が陽の陰になっている小道を照らすが、振り返らずにそのまま曲がり角を走り抜けていく。

 角を曲がり終えた先で姿を変える。元のミュウの姿ではなく、例の人間に化けることができるゾロアの姿に。

 持っていた串を口に咥えて人混みの中に紛れ込む。記憶にあるゾロアとは違いたてがみや眉の色が青く染まってしまっているが、これで二人組の目を誤魔化せるはず。

 

「エーフィ! サイケこうせん!」

「フィッ!」

 

 二又に分かれた尾を持つ浅紫色のポケモン。上品な出で立ちのそれが一鳴きすると、額の赤い宝石から不思議な色合いの光線が発射された。

 

「ミュッ!?」

 

 飛んできた光線が人混みの間を縫って迫り、ゾロアに化けた『わたし』の小さな身体に的確に命中する。

 口に咥えていた串がどこかに飛んでいく。

 

「な、何!?」

「おいおい、こんな場所でポケモンバトルか?」

 

 突然飛び込んできた黒い塊、そして舞い上がる塵埃。

 人々が困惑に駆られて眉をひそめ、足を止めた。

 

「ちょっと、どきなさいっ!」

「邪魔よ!」

 

 二人組が人混みを突き飛ばす勢いで乱暴に押し退け、追いかけてくる。

 必死の思いで立ち上がり、走り出す。

 

 どうして……どうして!?

 何で姿を変えてるのに分かるの!?

 

「アリアドス! ナイトヘッド!」

「アリアァ!」

 

 繰り出される追手の技を転がるようにして避ける。

 わざと再び人混みのある場所を選び、人間の足藪に潜り込む。もみくちゃにされ、踏みつけられそうになりながらも無我夢中で走り続けた。

 

「!?」 

 

 しかし、同じように人混みを横から通り抜けようとしていた人の振るった足にお腹を蹴り上げられ、ぽーんと宙を天高く飛んで人混みの外へ出る。

 

「あら? 見失ったわ」

「何ぼおっとしてるのよ姉さん! まだ近くにいるはずよ、エーフィで痕跡を辿って!」

 

 幸か不幸か、それによって二人組は『わたし』の姿を見失った。

 今の内に遠くへ逃げなければ。

 

「……っ」

 

 せっかく食べた串焼きも吐いてしまった。

 じんじんと痛むお腹。閉じた瞳から涙が溢れ始める。

 

 痛みに耐えながら這いずるようにして立ち上がり、町の外に広がる森の中へと逃げ込むのだった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

 ──きゅるるるぅ……

 

「はぁ……」

 

 眉を下げ、げんなりとした顔でお腹を擦る。

 もちろんそれで腹の虫が鳴り止むはずもなく、再び空腹を訴えるべく森の中に喚き声を響かせた。

 

「ゲン、ゲンゲラ」

「ありがとうゲンガー……って、オレンの実か」

 

 ゲンガーが近くに木々に生っていた実を何個か採って来てくれた。

 それは青い色をしたオレンの実。色んな味が混在しており、人間が食すには適さないと言われているのだ。

 

「ゲン……」

「ああ、悪い。大丈夫だよ。せっかくゲンガーが採ってきてくれたんだもんな」

 

 申し訳なさそうにしているゲンガーに謝り、手近な岩に座ってオレンの実にかぶりついた。

 果汁が口内を満たし、様々な味が一気に広がっていく。

 辛くて、渋くて、甘くて、苦くて、酸っぱい。味覚情報過多になりながらも、我慢して無理矢理飲み込む。味はともかく、これで空腹と喉の乾きを一緒に解消できる。

 

 この少年、ナオト。未だ六歳。

 故郷のカノコタウンをゲンガーと一緒にさよならバイバイしてからここまで、ずっと野宿を繰り返してきていた。

 周りの大人の手伝いをして貯めたお小遣いもほぼ底を尽いている。美味しそうな匂いに釣られてなけなしのお金で買った串焼きも、偶然見かけた女の子にあげてしまった。自分と同じように汚れた身なりをしていて、何となく放っておけなかったのだ。

 

「ごめんな。お前と半分こするはずだったのに」

「ゲンガァ」

 

 ええことしたんやから気にせんでええよ、とゲンガーは笑ってそのずんぐりとした身体を横に振る。

 

 六歳という年齢は本当ならまだ旅に出てはいけない年齢だ。

 十歳にならなければポケモン取扱免許も許されず、特別な理由なくポケモンを連れたりモンスターボールを所持することはできない。

 野生のポケモンが飛び出してくるこの世界でポケモンを連れずに旅に出るのは自殺行為も良いところなのだ。

 幸い、ナオトにはゲンガーがいるが……それでもろくに計画も立てられない幼児の一人旅は無理と言われてもしょうがなかった。現にこうして困窮しているのだから。

 

 何時まで経ってもまともな職に就かずポケモンマスターを目指すと豪語する父親に愛想を尽かした母親が去り、その父親もゴースト──後にゲンガーに進化した──を残してトレーナー修行の旅に出てしまった。

 それから施設に預けられ、普通の学校に通いながら大人の手伝いをする日々。

 トレーナーズスクールに通っている近所の少年から事あるごとに学んだ知識をひけらかされ、「キミ知らないの? こんなの基本だろ」と言われ続ける毎日。

 

 ついに限界が来て十歳になる前に飛び出してしまったが、ナオトは後悔していなかった。

 ゲンガーと共に色んな所を旅して回って自力でポケモンの知識を学び、立派なトレーナーとなるのだ。

 ナオトにとっては、人間よりもポケモンの方が信頼できる存在なのだから。

 

 

 ──ドンッ……!

 

 

「……え?」

 

 そうしてゲンガーとオレンの実を食べていると、突然大きな音が響き渡った。

 森がざわめき始め、こばとポケモンのマメパト達が木の葉を散らしながら一斉に飛び立つ。

 

「行ってみよう、ゲンガー!」

「ゲンッ!」

 

 

 

 

 

 ──走る。

 自分の身長よりも高く伸びた草藪を掻き分け、切り傷を作りながら。

 ──走る。

 ボロボロで泥だらけの足を必死に動かして。

 

「今よ! アリアドス、いとをはく!」

「アァリッ!」

 

 後方から悪意と興奮の混じった声が響く。

 数瞬遅れて粘ついた糸が背中を襲った。

 

「ミュ!?」

 

 それによって四肢を拘束されてしまい、顔面から地面に突っ込んで跳ねる。

 懸命に起き上がろうとするが、足が動かせない。それどころか、首や鼻にも粘着質で固い糸が絡んで呼吸すらままならない状態であった。

 

「ようやく止まってくれたわ。もう全身汗だく。早くシャワー浴びたぁい」

「ちょっとザンナー姉さん。途中から歩いてたでしょ!?」

「だって、疲れたんだもの」

 

 二人組が何やら言い争いをしているが、耳に入らない。

 

 ──怖い、痛い、苦しい……!

 生きるって、生きているって……こんなにも辛いものなの?

 わたしは……あの子に嘘をついてしまったの?

 

「はぁ、もうしょうがないわね。さっさとゲットしちゃいましょう」

 

 二人組の内の一人、銀髪の女性が懐からモンスターボールを取り出した。

 振りかぶり、糸が絡んで動けない『わたし』目がけて投げようとする。

 

 

「──やめろっ!!」

 

 

 刹那、傍の草むらから少年が飛び出した。

 彼は絡んでいる糸を剥ぎ取り、倒れている『わたし』を抱き上げる。

 

「何、貴方? 邪魔しないでちょうだい!」

「まあ待ちないよリオン。ボウヤ、お姉さん達はトレーナーなの。ただポケモンをゲットしようとしてるだけで、ひどいことなんて何にもしちゃいな──」

「嫌がっているポケモンを無理矢理ゲットすることがひどくないなんて、そんなわけあるか! それにそもそも、二対一なんて卑怯だろ!」

 

 少年は庇うようにして抱えた『わたし』を腕で隠した。

 朦朧とする意識の中で、瞼を開けて見上げる。その少年は、串焼きをくれた青い髪の少年であった。

 

「……あら、残念。ちょっと可愛い子だから優しくしてあげようと思ったのに」

「ほらね姉さん。こういう子供は痛い目を見ないと分からないのよ。アリアドス!」

 

 リオンと呼ばれた銀髪の女性が後ろに控えていたポケモンを呼び、少年を指し示す。

 

「ナイトヘッ──」

「ゲンガー! ヘドロばくだんだ!」

 

 命令を口にしようとするが、それを遮るように少年が声を響かせた。

 同時に少年の影から例のずんぐりとした体型のポケモンがぬるりと姿を現す。

 

「ゲンゲラッ!」 

 

 そのポケモン──ゲンガーが放ったヘドロばくだんによって二人組とそのポケモン達は頭からヘドロを被る。

 

「きゃああっ!?」

「ヤダ、何これ汚なぁい!」

「エ、フィ」「リリッ!」

 

 ヘドロを取り除こうとしている彼女らを残し、少年は『わたし』を抱えたままゲンガーと共に森の奥へと駆け出した。

 

「ちょっと! 待ちなさい!」

 

 後ろから怒声が響くが、気にせず走る。

 ……いや、違う。『わたし』を抱える少年の腕は、これ以上ないほど震えている。

 怖いのだ。でも、それでも、その小さな身体と同じ小さな勇気を振り絞って『わたし』を助けようとしてくれている。

 

 少年にとってもこの森は慣れ親しんだものはないらしく、ただひたすらに二人組から離れるべく奥へと突き進む。

 途中、石に躓いて片方の靴が脱げてしまったが、拾っている暇はないと立ち止まらず。草木を掻き分けて、我武者羅に逃げ続けた。

 

「あっ!」

 

 しかし、その足は意志に反して止まってしまう。

 視界を覆うほどの草薮を抜けた先は断崖絶壁。その谷底には激しい勢いで川が流れていた。

 

「──サイケこうせん!」

 

 どうすべきかと逡巡する少年の耳に声が届くと同時に風を切る音が通り過ぎる。

 

「ゲェッ!?」

「ゲンガー!」

 

 背中から奇襲を受けたゲンガーが少年の元に転がっていく。

 倒れたゲンガーは起き上がろうとするが、できない。その目はグルグルと渦を巻いている。サイケこうせんを受けてこんらん状態になってしまったのだ。

 

「っ……戻れ、ゲンガー!」

 

 少年がモンスターボールを取り出してゲンガーに赤い光を当てる。その光に包まれて、彼はボールの中へと収納された。

 その間に、まだヘドロの残っている二人組が草木を掻き分ける音と共にその姿を現す。後ろにはエーフィとアリアドスが控えている。

 

「さあ、もう諦めなさい。大人しくそのポケモンを渡しさえすれば、このヘドロの分は許してあげなくもないわよ」

「ダメよリオン、それだけじゃ許せないわ。強情ボウヤにはお姉さんからキツ~いお仕置きをしてあげないと」

 

 二人組がじりじりと近づいてくる。

 わざと恐怖心を煽るかのように、ゆっくりと。

 

 少年は後ずさりするが、その足が崖に落ちかけて慌てて元の位置に戻す。

 首だけ後ろを向き、崖下を覗く。小石と砂が崖を垂直に落ちていき、遥か下の川に吸い込まれていくのが見えた。

 顔を青褪めさせ、ごくりと唾を飲み込む少年。

 しかし、それでも諦めの色を見せない鋭い目つきを二人組に向けた。

 

「……ちょっと、まさか」

「あっ!」

 

 少年のしようとしていることを察した二人組が駆け出す。

 

 ──その一瞬前に、少年は『わたし』を抱えたまま地を蹴って、飛んだ。

 そのまま重力に従って崖を落ちていき、ドボンッと小さな水柱を立てて川の流れに消えてしまうのだった。




ということで、一旦完結はしておりますが前話で説明した通り先行してナオトとアイの出会いを投稿しました。
後編は明日投稿します。

■ナオト
イッシュ地方のカノコタウン出身。
両親が身勝手な理由で蒸発し、保護施設に預けられていたが六歳で飛び出す。
剣盾で言うとビートみたいな生い立ち。
六歳という年齢はサトシが「ポケモンキャンプ行きたい!」とはしゃいでいる年なので、それを考えるとかなり無謀である。

■ザンナー・リオン
『水の都の護神 ラティアスとラティオス』に登場した怪盗姉妹。
映画劇中では世界一の怪盗と呼ばれているが、この話ではまだ駆け出しの頃。
ザンナーの散財癖のせいで活動資金不足のため、突然現れた噂のミュウをつけ狙う。

■ゾロアとそのトレーナー
BW編第38話『ゾロア・ザ・ムービー! ポケモンナイトの伝説!!』に登場したルークとゾロア。
彼がゾロアと出会ったのは回想を考慮するとそこまで幼い頃ではないので、時系列的にこの時点でゾロアと映画作りに励んでいるのはおかしいが、まあ気にしない。

■ナットレイ
覚えないはずのはっぱカッターを使っている。
これは作者のミスだが、アニポケは平気で覚えないはずの技を度々使うことがあるので、アニポケらしさを重視してそのままにしておきます。
感想で指摘してくれた方に感謝。




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32. エピソード:アイ ② ▼

「♪~♪~」

 

 気分良さげに紡がれる鼻歌が、穏やかな川のせせらぎに乗って響き渡る。

 川縁の大きな岩に腰を下ろして胡座をかき、手に持った釣り竿を握り直した。

 

「……さ~てと、今日こそは大物頼むよ~。もう三日連続でコイキングの塩焼きなんだから」

 

 期待のこめられた独り言を呟き、唇を舐めて白いインナーに隠れたお腹を擦る。

 三度の飯よりバトルが好きだが腹が減ってはバトルはできぬ、という矛盾した座右の銘を持つこの少女──トウコ。

 

 コイキングは骨と皮と鱗だけ、しかも鱗は硬くて食べられたものじゃないというのに虫歯知らずのがんじょうな歯でここまで食い繋いできた。

 川沿いに先へ進めばやがて町に着いて好物のジャンクフードを貪ることができる。が、結局途中で空腹に負け、今日も今日とてこうして釣りに励むのであった。

 

「! おっと」

 

 今か今かと獲物を待つ中、ふいに吹いた突風に煽られてボリュームのあるポニーテールが荒ぶる。被っていた白地の帽子が持っていかれそうになり、慌てて片手を頭に持っていって抑えた。

 

「……ん? おっ!」

 

 その時、もう片方の手で握っていた釣り竿から引っ張られる感触が伝わった。

 見れば浮かんでいたはずのウキが沈み、その水面下に覗く大きな影に釣り糸が引っ張られ竿がしなっている。

 

「よっしゃキタアアーッ!!」

 

 待ってましたとばかりに釣り竿を強く握り、でんこうせっかの勢いで立ち上がって急いでリールを巻く。

 

 重い。

 引っ張る力はそこまででもないが、今までかかった魚の中で一番重い。20キロ……いや、それ以上はあるだろうか?

 

「この手応え……もしかして幻の大物だったり!?」

 

 だが、力比べなら負けない自信がある。初めてもらったポケモンにして相棒のエンブオーとも相撲で良い勝負ができるのだ。

 この程度であれば余裕も余裕、朝飯前。いや、今は昼時なので昼飯前か。

 

 

「だああらっしゃああああーーーっっ!!」

 

 

 両足で踏ん張り、気合一声と共に渾身の力で引き上げる!

 大きな水飛沫と共に獲物が外気に晒され、水滴の軌跡を作りながら宙を舞った。

 

「……え?」

 

 釣り上げて地面に下ろした獲物の姿を見て、目を丸くするトウコ。

 大物も大物。それはまだ十にも満たないであろう少年だったのだ。

 その細い腕にはわるぎつねポケモンのゾロア──その中でも珍しい色違いが抱かれている。

 双方共やつれてボロボロな風体をしており、特に気絶しているゾロアの方は痛々しいほど傷だらけであった。

 

「う~ん。いくらアタシが釣り下手とはいえ、まさか人間を釣るとは思わなかったなぁ」

 

 困ったように帽子のツバを握って被り直し、釣り竿をその場に置いて今日のランチになりそうにもない少年の元へ駆け寄る。

 

「ゲホッゲホッ……」

「おーい、キミ大丈夫? どういうわけで川流れしてたのかはひとまず置いとくとして、とりあえずまずはそのゾロアを──」

「──ッ!」

 

 トウコが満身創痍のゾロアに応急手当てをするべく手を差し伸べようとしたその瞬間、咳き込んでいた少年がその手を叩き除けた。

 

「わ、渡さ、ないぞっ……!」

「あ、ちょっと!」

 

 何やら錯乱している様子の少年はそのままフラフラと立ち上がる。

 そして、川近くの森の奥へと逃げ去ってしまった。

 

「ったく、しょうがないなぁ」

 

 やれやれと頭に手をやるトウコ。

 傍に置いていたピンクのショルダーバックを拾い、急いで少年の後を追い始め──

 

「……あれ、どっち行ったっけ?」

 

 すぐに見失うのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 少年──ナオトは朦朧とする意識の中で精一杯狭い歩幅を広げて走り続ける。

 覚束ない足取りながらも、腕に抱いたゾロアだけは決して離さずに。

 

「う、あっ!?」

 

 今まで何度も転びそうになっていたところで、ついに地面から突き出た小石に足を取られて転んでしまう。

 倒れながらも身体を捻り、何とかゾロアが自分の下敷きにならないようにした。

 

「……っ、ぐ」

 

 転んだ体勢のまましばらく動けなくなるが、何とか地面に手を突いて起き上がろうとする。

 

「ッ!!」

 

 が、突如鋭い痛みが襲い、声にならない悲鳴を上げた。

 痛みの根源を見ると、映ったのは大きく擦り剥いた右膝。出血は少ないが、赤黒く腫れ上がっていて一目で打撲していることが分かった。

 

 それでも立ち上がるナオト。

 プルプルとシキジカのように震えながらも立つことはできたが、とても走れそうにもない。

 

「──こ……辺り……!」

「エー……して……」

 

 そこへ、草むらを掻き分ける音と共に何かを探すような話し声が耳に届く。

 ハッ! と顔を上げて唇を噛む。もうこれ以上は逃げられない。

 

 顔を水滴が垂れ落ちる中、うるさいほどに鳴り響く胸の音を抑えて辺りを見回し、手頃そうな木陰の穴を見つける。ポケモンの巣穴だろうが、その主は不在のようだ。

 痛む足を引きずってその穴に近づき、奥の木の葉が積もった場所にゾロアをそっと隠す。

 

「……ミュ、ウ」

「ごめん、ここに隠れててくれ。絶対出てきちゃ駄目だからな」

 

 丁度意識を取り戻して瞼を少し開けたゾロアにナオトは優しくそう言い渡した。

 何か言いたそうに口をパクパクとさせている彼女を置いて、すぐさま離れる。

 

「──あらあら、大丈夫? ずぶ濡れじゃない」

 

 ナオトはビクリと肩を震わせる。

 声のした方向を振り返ると、そこにはあの二人組の姿があった。

 

「それで? あのゾロアはどこへ隠したのかしら?」

「……いないよ。川に落ちた時に離しちゃって、それっきりだ」

 

 震えながらも、毅然とした態度で答える。

 対するリオンという名の銀髪の女性は眉をピクリと上げた。

 

「ふ~ん、そう…………アリアドス、サイコキネシス」

「アァリッ」

 

 傍に控えていたアリアドスが命令に従い、その身体を青く発光させて強い念力を放つ。

 

「!? う、ああああっ!」

 

 念力に身体を拘束され、宙に浮き上がるナオト。

 玩具のように身体を引っ張ったり振り回され、苦しさと痛みに悶える。

 

「ちょっとリオン。子供相手にやり過ぎじゃない?」

「うるさいわね。ザンナー姉さんがやらないんだから私がやってるんじゃない。ほら、さっさと吐きなさい。エーフィの鼻で近くにいることは分かってるんだから」

 

 ザンナーという名の金髪の姉に文句をぶつけ、アリアドスにサイコキネシスの出力をさらに強めさせるリオン。

 

「ぐ、う……い、言うもん、かっ!」

 

 

 

 

 

 ナオトが苦悶の声を上げる中、木陰の穴からその光景を覗き見る。

 

 助けなきゃ……助けなきゃっ!

 

 けれどそのためには、相手と同じく暴力が必要となる。

 それが痛みを伴うことは身を持って体験した。

 

 だから、怖い。

 自分が他の誰かに暴力を振るうことが。

 

 …………でもっ! 

 

 

 

 

 

「……ちっ、ホントに強情な子ね」

 

 何時まで経っても口を固く閉じたままのナオトに、怒りを通り越して呆れた顔を浮かべるリオン。

 もはや彼は意識を失う寸前だ。

 

「いい加減にしなさいよリオン。ボウヤ、よく聞きなさいな。あのゾロアは──」

「──アリッ!?」

 

 ザンナーが何事か話そうとしたその時、アリアドスが突如横から攻撃を受けて吹き飛んだ。

 それによってサイコキネシスが中断され、ナオトは地面にドサリと落ちて気を失う。

 

「……ュウッ……ュウッ」

 

 アリアドスを吹き飛ばした下手人、それは二人組の──ザンナーとリオンのターゲット。

 四肢は震え、荒い息遣いを零しながらも、ゾロアはナオトを守るように彼女らの前に立ち塞がる。

 

「やっと出てきてくれたわ。大人しくゲットされる気になった……わけじゃなさそうね」

 

 ザンナーがゾロアを見て溜息を吐く。

 恐怖で瞳孔が開いているが、それでもリオン達から視線を離さない。その目からは弱々しくもはっきりとした戦う意志が感じ取れた。

 

「ふんっ、無駄な足掻きってことが分からないのかしら? 姉さん」

「はいはい。エーフィ、スピードスター」

「エ、フィ!」

 

 命令を受けたエーフィ。一鳴きし、その額にある赤い宝石から星型の光線が発射される。

 

「ミュ、アアッッ!!」

 

 避ける術もなくそれをまともに受け、ゾロアは後ろ向きに転がっていく。

 倒れているナオトの身体にぶつかり、彼と並ぶ形で力尽きてしまう。

 

「これでやっと活動資金で頭を悩ますこともなくなるわね」

「ねえリオン。別にゲットしなくたっていいんじゃない? まつ毛とか一部分だけでも一生分は稼げると思うんだけど」

「誰のせいでお金に困ってると思ってるのよ? いつも姉さんが後先考えず贅沢三昧してるからでしょうが! それに私の目的は姉さんと違ってお金や宝石じゃなくて、もっと崇高な物なの!」

 

 日和る姉に普段の分も含んだ怒りを乗せて文句を吐き飛ばすリオン。

 そして乱暴な手つきでモンスターボールを取り出し、構えた。

 

「さあ、ゲットよ! モンスターボール!」

 

 投擲されるボール。目標はもちろん、倒れて動かないゾロア。

 ボールは綺麗な放物線を描き、そのまま寸分違わず目標へ向けて飛んでいく。

 そして──

 

 

 ────パシッ!

 

 

「……は?」

  

 そして、横から伸びた手にキャッチされた。

 

「──いけないなぁ、お姉さん方。人のポケモンをとったら泥棒って習わなかった?」

 

 ボールを止めたのは、ふんわりとしたポニーテールに青いホットパンツを履いた少女。

 帽子のツバを握って上げ、隠れていたその不敵な目をザンナー達に向けた。

 

「何貴方? 急に現れて」

「お生憎、そのポケモンは野生よ。むしろ私達はゲットの邪魔をされた方なのだけど」

「あ、そう……でも、退くわけにはいかないかな」

 

 少女──トウコはチラリと後ろで倒れているナオト少年とゾロアを見やる。

 意識を失っているというのに、少年の手は確かに傍らで横になっているゾロアを守るように添えられていた。

 

「…………」

 

 トウコがよそ見をしているその隙に、リオンが目配せして復帰したアリアドスを忍び寄らせる。

 

「……例え野生でも、ゲットされてなくっても、トレーナーとポケモンは絆を結べる」

 

 嬉しそうに小さく笑みを浮かべ、ザンナー達の方を振り向くトウコ。

 

「それを見せてくれたこの子達を放ってさよならバイバイなんて、ポケモントレーナーが廃るってね!」

 

 そう啖呵を切りながら手に持ったままのモンスターボールを縮小させ、今まさに糸を吐こうと上体を起こしていたアリアドスに投げつけた!

 

「ア゛ッ!?」

 

 少女が投げたとは思えないほど凄まじい球速で飛び込んできたボールがアリアドスの腹に命中。 

 モンスターボールは縮小されている状態ではポケモンをゲットできない。腹に当たってもボールの勢いは止まらず、アリアドスはそのままボールに押される形で吹き飛ぶ。

 そして、その先に生えていた木に打ちつけられた。

 

「アリアドス! ……やってくれるじゃない。姉さん!」

「分かってるわよ。エーフィ!」

「エフィ!」

 

 ザンナーの呼びかけられ、エーフィがそのしなやかな足を運んで前に出る。

 

「出番だよ! エンブオー!」

 

 対して、トウコは懐からモンスターボールを取り出して投げる。

 ボールが宙で開き、漏れ出した光と共に大きな体格をしたシルエットがその姿を現した。

 

「ブオーッ!」

 

 おおひぶたポケモン、エンブオー。

 たくわえられた燃え盛る顎髭は灼熱の如く。

 それに負けずとも劣らない逆立った眉毛は角の如く。

 鍛え上げられた肉体は通常の個体より二回り以上も巨大、その様たるや鬼の如く。

 

「森を燃やさないように、ほどほどにね」

 

 トウコの声かけに、エンブオーはこくりと頷いて返す。

 

「エーフィ! サイケこうせん!」

「アリアドス! しっかりなさい! サイコキネシスよ!」

「フィイ!!」「ア、アリィッ!」

 

 ザンナーとリオンがそれぞれのポケモンに攻撃を命令する。

 二匹が同時にエンブオー目がけて弱点となるエスパータイプの攻撃を放った。

 

「スゥ……」

 

 迫る攻撃に対して、避けようともせず鼻で大きく息を吸い込むエンブオー。

 

 

「──ブォ!!」

 

 

 刹那、炎と共に鼻息を吐く。

 それだけでサイケこうせんとサイコキネシスはその威力を失い、掻き消されてしまった。

 

「なっ!?」

「……うっそぉ」

 

 リオンが思わず目を見開いて叫び、ザンナーは唖然としている。

 

「今度はこっちから行くよ。エンブオー、フレアドライブ!」

「エェン、ブオオオーッ!!」

 

 指示を受け、その身に業火を纏ったエンブオー。

 とてつもないパワーを脚に集中させて陥没させる勢いで地面を蹴り、一瞬にしてアリアドスに猛突。

 正面からまともに受けたアリアドスは声を上げる間もなく火達磨になって吹き飛んだ。

 

「アリアドス! ちっ……」

 

 リオンが舌打ちと共にアリアドスをモンスターボールに戻す。

 

「ちょっとリオン、やばいんじゃないコレ?」

「でも、フレアドライブは強力な分自分にもダメージが返ってくる技よ。連発は──「フレアドライブッ!」

 

 まだどうにかできると姉に向かって口を動かすリオン。

 しかしその最中、来ると思っていなかった再びのフレアドライブがエーフィを襲った。

 

「エ゛ッ!?」

「いたぁいっ!」

 

 吹き飛んできたエーフィにぶつかり、仰向けに倒れるザンナー。

 それを横目にしながらリオンは信じられないとばかりにトウコとエンブオーを見た。

 

「ごめんねぇ。相手が誰であろうと全力で行くのがアタシのポリシーだから」

「どういうこと!? だって──」

「残念だけど、アタシのエンブオーは反動ダメージを克服してるの。体力が続く限りフレアドライブを連発できるってわけ。ね、エンブオー」

「ブォ」

 

 トウコとエンブオー。双方共全く同じ動きで腕を組み、得意げな顔をザンナー達に送る。

 

「は、はぁ? デタラメも大概に……」

「リオン!」

「……分かってるわよ姉さん!」

 

 ふざけるなと言いたくなるのは分かるが、この状況はまずい。

 焦るザンナーの声にリオンは悔しげに顔を歪めながらも小さな玉を取り出し、指と指の間に挟む。地面に向けて投げられたそれは破裂して視界を覆い隠す煙幕をあっという間に広げていった。

 

「ええ、もう終わり? まあいいや、じゃあね~」

 

 煙に隠れて逃げていくザンナーとリオン。

 追って捕まえようと思えばできるが、今は後ろで倒れている少年とゾロアが最優先だ。

 

 トウコは煙が晴れるのを待たずエンブオーに少年を背負わせ、自分はゾロアを抱き上げる。

 そして、急いでポケモンセンターがある町へと向かった。

 

 

 

◓ ◓ ◓ ◓ ◓ ◓

 

 

 

「……ッ!」

 

 飛び起きるようにしてナオトは目を覚ました。

 消毒液の匂いが起き抜けの鼻をつく。

 

 周囲を見渡すと、清潔感漂う綺麗に掃除された広い空間が広がっていた。ポケモンセンターのロビーだ。

 ナオトは背もたれのないベンチソファに寝かされていたようである。

 

「おっ、起きた。だいじょぶ?」

 

 すぐ傍から声をかけられ、ビクッとしながら振り向く。

 振り向いた先の隣にはナオトよりも年上の少女が座っていた。挙動不審なナオトが面白かったのか、笑みを浮かべて少しばかり胸を揺らしている。

 

「えっ……あ、そうだ! ポケモンは!? ぼくの傍にポケモンがいただろ!? 黒くて小さ──痛っ!」

 

 前のめりになってその少女から聞き出そうとしたところで、動かした足が痛みが訴えた。見ると、打撲した右膝に包帯が巻かれている。

 

「コラッ、怪我してるんだからまずは落ち着く。ほら、深呼吸」

 

 今すぐにでも自分が助けたポケモンがどうなったか知りたいナオトであったが、少女の有無を言わさないという態度にオドオドしながらも大人しく従う。

 深く息を吸って、時間をかけて吐く。何度か繰り返して、幾分か落ち着いてきた。

 

「アタシはポケモントレーナーのトウコ。キミの名前は?」

「…………ナオト」

「じゃ、ナオくんね。あのゾロアなら今治療中──って、噂をすれば」

 

 話している途中でトウコはふいに言葉を切った。

 早く答えてくれと眉をひそめるナオトに首をクイッと動かして視線の先を示す。

 示された先を見るナオト。そこにはヒヤリングポケモンのタブンネを連れたジョーイ。治療が完了したゾロアをストレッチャーに寝かせて、丁度こちらに向かってくる所であった。

 

「おまちどおさま! お預かりしたゾロアはすっかり元気になりましたよ!」

「タブンネ♪」

 

 元気になったのかそうでないのかどっちなのか。

 とにかく回復したのであろうゾロアはキョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回している。

 

「良かった! 僕はナオト。えっと、ゾロアっていうポケモンなのか? とにかく、元気になってくれてホントに嬉しいよ!」

「ッ!」

 

 ナオトはすぐさま興奮した様子で右足を引きずりながら歩み寄り、心底安心した顔で上からゾロアの頭に触れようとする。

 しかし、ゾロアはビクリとしてその小さな身体を強張らせた。よく見れば、ぶるぶると小刻みに震えている。

 怖いのだろう。いくら助けてくれたと言っても、ナオトは自分を襲った者達と同じ人間なのだから。

 

 ナオトはもう一度深呼吸し、ゆっくりと動いてゾロアの視線の高さに合わせた。

 そっと、今度は下から、お腹の辺りから触れて抱き寄せる。

 

「……安心しろ。もうキミを襲う奴らはいないよ。大丈夫」

 

 静かに語りかけるようにして言葉を紡ぐ。

 背中を優しく撫で、繰り返し「大丈夫」と言い聞かす。

 

「…………ュウ」

 

 ナオトの懸命な慰めにゾロアはようやく自分が助かったのだと分かり、彼の頼りない身体に身を擦り寄せた。

 

「ジョーイさん、飛び込みで頼んじゃってすみません」

「丁度手が空いていたところだったから、気にしないで。ただ……」

「ただ?」

「……ううん、なんでもないわ」

 

 横でトウコと会話していたジョーイは何か気になることでもあるのか、言葉を濁した。

 検査の際、ゾロアをスキャンしても正常にデータが取得できなかったのである。機械が故障したのかと思ったが、他のポケモンは正常にスキャンできたのだ。

 

 だが、そんなことは些細なこと。

 傷ついたポケモンを治療するのがポケモンセンターのジョーイの仕事だ。

 ポケモンの命を救い、こうして人との絆が結ばれるところを見れたのだから、それで十分である。

 

「ゲンゲン~♪」

「え、あれ? ゲンガー、お前何で……」

 

 そこへ、ロビーの奥の方からナオトのゲンガーが姿を現した。

 彼の短い両手には大皿と重ねた小皿。大皿には出来たてのケーキが乗っていた。イチゴではなくモモンの実が使われているショートケーキだ。

 

「ああ、その子。ついでに治療をお願いしたんだけど、すぐ回復したみたいでさ」

「調理場に飛び込んで勝手に作り始めたのよ」

「え? す、すみません。コイツこういうの作るのが好きで……」

「いいのよ。材料なら有り余ってるから」

 

 ゲンガーはケーキを机に置き、切り分けた一切れを小皿へ。

 そして、その小皿を困惑した様子でいるゾロアに差し出した。

 

「ゲンガァ!」

「……?」

「ああ、食べていいぞ。ゲンガーは自分の作ったものをご馳走するのが好きなんだ」

「そうなの? じゃあいっただきまーす!」

 

 横から出てきたトウコが大皿に乗ったケーキを切り分け、手掴みでワイルドにかぶりつく。

 それを見たナオトは若干引き気味になりながらも、遠慮するなよとゾロアに手で促す。

 

 初めて嗅いだ香り。

 記憶の中にあるケーキ。研究所の人がこっそり食べていたケーキだ。

 ゾロアはおずおずと言った様子でその小さな口を開け、ケーキを食べた。

 

「……!」

 

 口に入れた瞬間に甘い味が口内をとろけさす。濃厚なホイップ。モモンの実の爽やかな甘み。ほっぺが落ちてしまいそう。甘いって、こんな感じなんだ。

 最初に食べた串焼きとはまた別の美味しさ。ゾロアにとって──いや、『わたし』にとってはがっついて食べたくなるほどの……つまり、好みの味だった。

 

 生きているって、苦しいことなのかもしれない。辛いのかもしれない。

 でも、こんな美味しいモノが食べられて。今こうして()()()()()ことができて、良かったと思えたのは確かだ。

 

「あ、あれ? 何で泣いてるんだ? ゲンガー、お前何か変なモノ入れたんじゃないだろうな?」

「ゲン!? ゲンゲラ!」

 

 ケーキを咀嚼しながらポロリと涙を零した『わたし』に、ナオトとゲンガーがあたふたし始める。悲しくない、痛くもないのに流れた涙だ。

 

「ミュ……ミャア!」

 

 美味しいよと伝えるために鳴き声を出そうとして、咄嗟に誤魔化す。

 このナオトという少年なら、もしかしたら『わたし』の正体がミュウだと知っても何も変わらないかもしれない。

 でも、それでも。あの恐怖を思い出すと、正体を晒すことはできなかった。

 

「えあ、まもむう」

 

 ケーキを貪っているトウコが何やらもごもごと話している。

 

「……飲み込んでから話してもらえますか?」

「んっぐ。でさ、ナオくん。その子どうするの?」

「えっと、できれば同じゾロアの群れに返してあげたいけど……」

「それだとまた例の二人組みたいな連中に狙われちゃうかもなぁ。色違いだし」

 

 確かにそうだ。

 それに一匹で彷徨っていたところを襲われたということなら、色違いだから群れから仲間外れにされたという可能性もあるかもしれない。

 

「じゃあ、その……トウコ、さんが」

「う~ん。アタシは別にそれでもいいけど……」

 

 トウコはチラリとゾロアに視線を送る。

 その視線を受けて、思わずナオトに身を寄せるゾロア。

 

「……その子は、違うみたいだね」

「え?」

 

 言われて、ナオトはゾロアを見下ろし、ゾロアも彼を見上げる。

 そしてトウコが言っている意味を理解した。

 

「で、でも、僕じゃコイツを守れないし……」

「だったら、強くなればいいんだよ! この子を、いや、この子と一緒にさ!」

「トウコちゃん。未成年のポケモンの取り扱いは……」

「大丈夫ですって! 事情があるわけだし、そもそももうゲンガーを連れてるんですから!」

 

 トウコとジョーイが話す中、ナオトは俯いてトウコの言った言葉を頭の中で反芻させる。

 今のままじゃ、ゾロアどころかゲンガーも守れない。

 ポケモンと一緒にいたいなら、ポケモントレーナーになりたいなら、このままじゃ駄目だ。 

 だから、強くなりたい。ゾロアと──ポケモン達と一緒に。

 

 ゾロアもまた、トウコの言葉を聞いて考える。

 この少年と一緒にいたい。でも、弱いままでは先の二の舞になってしまう。 

 だから、強くなりたい。少年と──ナオトと一緒に。

 

「ゾロア……って、あれ?」

 

 ナオトがゾロアに自分の意志を伝えようと顔を上げると、彼女は何やら机に置いてあった冊子を広げてそこに書かれてある文字に目を通し始めていた。

 少ししてお目当てのモノを見つけたのか、嬉しそうにそれを手で示す。

 

 指しているのはたった一文字。発音は"アイ"。

 

「……アイ? もしかして、アイって呼んでほしいのか?」

 

 ナオトの問いかけに、ゾロアは頷いて答える。

 

「……分かった、アイ。僕と……僕と一緒に、来てくれるか?」

「ミャウ!」

 

 こうして、一人と一匹は出会った。

 それからナオト達はトウコの旅について行き、それから四年後に彼女と別れてカロス地方に居を構える。

 そして、カロスリーグに挑戦するために再び旅立つのだ。いつの間にか青い髪の少女に化けるようになったゾロアと一緒に。

 

 その旅で様々な出会いを繰り広げ、色々なことを経験していく。

 もちろん、それは良いこともあれば悪いことも、苦しいことも辛いこともある。

 いつもいつでもうまく行くなんて、保証はどこにもないのだから。

 

 でも、その旅で『わたし』が──アイが、生きていて楽しいと思えるようになったのは、間違いない。

 

 

 

 生きているって……やっぱり、楽しいことなんだよ。

 

 ね? ミュウツー。

 




重い。元が重い話なのでしょうがないけど。
それはともかくとして、連載再開はどれくらい先になるか分かりません。
もしかしたらモチベーションの関係で再開しないままということも十分有り得るので、そのつもりでお願いします。

■ゾロア(アイ)
正体は『ミュウツーの逆襲 完全版』及び『ミュウツーの誕生』で登場したフジ博士の娘、アイ。
フジ博士は交通事故で亡くなったアイの完璧なコピーを作るため、クローン技術の研究を重ねていた。ロケット団の要請でミュウツーを生み出そうとしていたのも元はアイのためであったが、何時しか彼女の存在を忘れ手段は目的に変わる。
研究が不完全なため、人間のコピーは四年しかその生命を保てない。アイのコピーであるアイツ―は幾度も生まれては死を迎えた。
このSSのアイはそうして犠牲となったコピー達の内、ミュウツーと接触した個体がミュウとして生まれ変わった存在である。

■ミュウ
このSSにおいてミュウは学者達が謳う全てのポケモンの遺伝子を持つという存在ではなく、どんな存在にもなれるポケモンである。
幼くして不幸な死を遂げた者は稀にミュウとして生まれ変わり、自由に世界を旅して回る。その旅の中で自分がなりたいと思った存在に改めて転生するのだ。
そのため、ミュウとして存在している期間は短く、個体数も少ない。時々ミュウのままでいることを望む個体もいるらしい。
通常ならミュウになった時点で生前の記憶を失うが、アイの場合は特殊な環境・状態であったためにバグのような現象を起こし、記憶を失わず色違いの個体となってしまった。

■トウコ
まだ十歳の頃。しかし、この時点でチャンピオンのアデクは既に下している。
チャンピオンリーグマスターの座を即返上し、放浪の旅をしていたところでナオトに出会った。
なお、トウコがアデクに勝利したためにチャンピオンの彼とバトルするという約束をしていたシューティーは早々に約束を反故にされた結果原作より性格が悪くなっている。
後、食べたコイキングの骨はもちろんキレイキレイにして川に流した。

■トウコのエンブオー
水を克服したサンドがいるのだから、反動ダメージを克服したポケモンがいても何らおかしくはない。




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