サキサキのバレンタインは色々まちがっている。 (なごみムナカタ)
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序章 聖ウァレンティヌスが殉教した日
1話 冬に、下駄箱を開けると何かが起こる。


2021. 9. 4 加筆、書式修正。
2020.11.29 台本形式その他修正。
2020. 9.14 サンマルクカフェでの出来事に矛盾が生じていたので修正。
2019.12.23 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

 総武高校入試と面接が終わり、あたしも大志もようやく一息つける。

 

 入試前まで塾や自習室、図書館へと熱心に通い、家でも分からないところをあたしに訊いて努力してきた。そんな弟を応援したくて、勉強に集中しやすいよういつも以上に下の子の面倒を見て大志の手を煩わせないよう気遣った。

 

 合格発表はまだだけど、きっと受かっている。

 ……はずだ。絶対はないから断言できないけど。精一杯やっていたことは姉のあたしが知っている。

 

 面接が終わった日の夜、頭を撫でてやったら照れくさいのか軽く手を払われた。

 あれ、ちょっとショックなんだけど……。

 思春期だからしょうがないか……。

 

 大志がそうなって寂寥の感はあれ、まだ幼い妹もいるし、あたしのコンプレックスは終わらない。

 さっきまで京華に絵本を読み聞かせながら寝かしつけたところだ。

 

 

 そういえば夕飯の買い物帰り、サンマルクカフェに立ち寄って京華と一緒に休んでいるところ、偶然にも比企谷に出逢った。ガラス越しに京華と目が合ったみたい。

 

 あたしは最初気づかなかった。気づいた後は平静を保つのが大変だったけど。

 というか、どうしていいか分からずしばらく二人とも固まっていたといった方が正しい。

 

 バレンタイン合同イベントに京華を連れて行った時に会ったばかりなのにまた会うなんて、ちょっと因縁めいたものを感じる。

 

 あたしは人付き合いが苦手で家族以外に親しい人間もいないから、偶々よく絡む比企谷とこうして出逢えたことで、そんなありもしない幻想を抱いてしまっているのかもしれない。

 

「さてっと」

 

 明日はバレンタイン。

 毎年、父と大志の分をそれなりに気合を入れて手作りしている。

 去年までバレンタインとは別に京華の食べる分も作っていたが今年はなしにようかな。京華も人にあげる年齢になったし、早いもんだね。

 

 京華が作ったチョコと一緒に自分のも比企谷に渡したけど、本音を言うと……あたしのを食べてもらいたい。

 大志達の分と一緒に比企谷の分も作ることは簡単だし。

 

 

 スカラシップの件とか京華の相手をしてもらってるお礼もあるけど、本当にそれだけなんだろうか。

 

 ……最近、気がつくと比企谷を目で追っていることが増えた気がする。

 いままでそんなこと考えたこともないから自分で戸惑ってるのが分かる……。

 

「姉ちゃん風呂あがった、よ……っと」

「…………」

 

 トリュフチョコ――京華にも作れるようにとイベントで習ったもの。一緒に作ったことを思い出しながら作業を進める。

 

 原料となるチョコを細かく切り終えると、沸騰させた生クリームを注く。ゴムベラで丁寧にかき混ぜて溶くとだいぶそれらしくなってきた。溶かした無塩バターを加えてさらによく混ぜる。

 イベントでは、けーちゃんが荒っぽくかき混ぜたせいで顔にまでチョコが跳ねていたのがどうしようもなく可愛くて……。あの笑顔を思い出すとつられてあたしの表情筋も緩んだ。

 洋酒と、さらにハチミツを加えてよくかき混ぜる。

 

 ――うん、こんなもんかな。

 

 イベントで作ったトリュフチョコと同じ生チョコを作り、あとは冷蔵庫で冷やして型を抜くだけ。

 京華と一緒に作っていた時にはなかった不思議な胸の高鳴りを感じていた。

 

 

 ……ん、誰か居たような気がするけど?

 振り向いても誰もいない。気のせいだったかな。

 

 そういえば、どうやって渡そうか。

 教室で渡すなんてあり得ないし、放課後も奉仕部であの二人がいるし。

 朝早く下駄箱に入れとくか、直接渡すなら昼休みがいいか。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

 冷蔵庫で冷え固まったチョコを食べ易い形にカッティングする。

 完成したそれを見て、今度はあたしが固まってしまう。

 

「…………」

 

 ……テンション上がり過ぎて形を、はは、ハートにしちゃったのは、ちょっとまずいかも……。

 キャラに似合わないことしてる自覚は十分にあるけど、バレンタインだし……たまには……いい、か……。

 

「……うん、包装も綺麗にできた」

 

 できれば直接渡したい気もするけど、あいつのことをどう思ってるのかまだよく分かんないし、お礼の意味合いが大きいから下駄箱に入れることにしよう……。

 多分、それなら一番最初に受け取ってもらえるだろう。

 

「……………………ふふ」

 

 明日のことを思い浮かべると、自然と笑みが零れていた。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

~2月14日~

バレンタイン当日

 

 

 ――まさか寝坊するなんて。

 

 決して遅刻するほど遅いわけじゃない。

 けど、誰にも見られずチョコを下駄箱に仕込んでおくには厳しい時間帯だった。

 急いで自転車を駐輪場に停めて、何食わぬ顔で下駄箱へ向かう。

 

 人が途切れてくれればチョコを仕込むのなんて一瞬で終わる。

 あたしは周囲を警戒し、ひと気がないことを確認して比企谷の下駄箱を開けた。

 

(……よし!)

 

 意を決して、比企谷の下駄箱を開けて自分のチョコを押し込む。

 つっかえるような感触が手に伝わり、なにが当たっているか中を確認すると……

 

「‼」

 

 ほんの一瞬確認して、チョコを入れる前にすぐ閉めてしまう。

 

「…………」

 

 ……いまの……見間違えじゃない……よね……?

 

「おう、川崎」

「⁉ ひ、ひきがにゃ!」

 

 いま一番会いたくなかった人物が背後から忍び寄ってきた。あまりの衝撃に声が裏返るばかりか、ひきがにゃって……

 盛大に噛み倒し、これで動揺するなという方が無理な邂逅にも、あいつは冷静そのものだった。

 

「お、おす……どした?」

「お、おお、おはよ! べ、別に、ただちょっとびっくりしただけだから!」

「分かる分かる。お前もぼっちだから突然話しかけられるとキョドる人なんだろ。俺にはよく分かってるぞ」

「そ、そんなわけないでしょ! でも気配消して近づいてくるのはやめな! 誰だってびっくりするから!」

「むぅ……ついに俺のステルス機能はオートで発動するようになってしまったのか」

 

 普段と変わらないくだらぬ物言いがありがたい。偶にとんでもなく空気を読まない言動をする男が、あたしを気遣ってくれたのかと思うと自然に顔が綻ぶ。

 

「またバカなこと言ってないでさっさと教室行くよ」

 

 誤魔化すように先を促すと、比企谷は戸惑い顔でこちらを見やる。

 

「いやな、そうしたいのは山々なんだが、そこに佇んでると俺の上履き出せないんですよね……」

「! ご、ごめ、先行く!」

 

 逃げるようにその場を離れたあたしは、走ったこととは別の要因で動悸が激しかった。

 

(ハァ……ハァ……比企谷の下駄箱に……チョコらしき袋が入ってた……)

 

 すぐ閉めた為、差出人までは調べようがなく、疑問が頭を駆け巡っていた。

 

「…………」

 

 もしかしたら、あれがあたしのチョコだって勘違いされたかも……。

 いや、勘違いどころかチョコを作って持ってきた上、下駄箱に入れようとしたのは事実だから誤解ではない。けど、そのチョコに関しては間違いなく誤解である。

 

 そんな一抹の不安を抱きながら速歩で教室へと向かった。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 川崎が教室へ向かい、やっと俺も上履きに履き替えられる。そう思って下駄箱を開けると……

 

「‼」

 

 目的の物を出さずに下駄箱を閉めてしまう。

 軽く深呼吸してからもう一度開くと……

 

 先程と同じくばんっと、条件反射のように閉めてしまった。

 

(……幻じゃない……これが噂に聞く『バレンタインに下駄箱を開けたらチョコレートが!』というシチュエーションか! 材木座のラノベくらい出来の悪い二次元の話じゃなかったのか……)

 

 俺は誰にも見られないよう光の速さで上履きへ履き替えチョコの袋を鞄に入れた。

 そのままトイレの個室に入り、袋の中を探る。

 

(まだだ……まだこれがチョコと決まったわけではない……罰ゲームや悪戯の可能性が高い……中学の頃の黒歴史を忘れるな比企谷八幡!)

 

 小町以外に貰った人生初めてのチョコを男子トイレの個室で開封するという失礼な所業。

 くれた女子が知ったら通報されても甘んじて受けるくらいの案件で、むしろこれが悪戯であってほしいまである。

 期待と不安の入り混じった複雑な感情で丁寧に包みを開くと。

 

 チ ョ コ で し た ♪

 

 悪戯じゃない、だと……?

 さすがに人生初のチョコをトイレの個室で食べるまではしないから、毒が入っているかまでは確認できないが。

 

 次に疑問なのは差出人だ。

 直前に俺の下駄箱の前にいたのは川崎だが、まさかあんな人のいる時間帯にわざわざチョコなんて入れないだろう。

 ってか、あいつがバレンタインという一見乙女っぽくもその実、製菓業界の陰謀で仕掛けられた大人の事情渦巻くイベントに興味があるとは到底思えない。

 いや、海浜総合との合同イベントには参加してたけど、それは川崎の興味が『バレンタイン』ではなく『京華()』主体であったからに他ならない。

 

(ん? 箱じゃなくて袋の方にメッセージカードが入ってるぞ……)

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――

 お詫びにしては遅くなっちゃったけど受け取ってね

 

                      愚腐腐腐

 ―――――――――――――――――――――――――

 

 

 なるほど、これだけなら大部分の奴は特定できないわ。誰かに見られても気づかれることがないとはグッジョブ! そして教室にいてもいなくても気づかれることがない俺ジョブ専業主夫志望!

 ……嘘です。やっぱ愚腐腐腐じゃバレバレだわ。

 

 詫びチョコ……つまり義理チョコ。

 しかし、チョコ貰えない歴=年齢な俺にとってそんなことはもはや問題ではない。

 ありがとう腐った人、そして『はやはち』は諦めてください!

 

 教室に入ると海老名さんがこちらを一瞥した。

 俺だと分かると周りの奴らに気づかれないよう軽く手を振り口パクで挨拶してくれた。

 こちらも挨拶を返したかったが手を振るのは目立つので目線と軽い会釈でチョコのお礼をした。ちょっと顔が赤くなっている自覚がある。

 

(……なんか別の視線も感じるんですが気のせいですかね)

 

 視線の出処を感知すると、家族以外で今日初めて挨拶をかわした川なんとかさんの姿を確認した。

 挨拶する時ちゃんと名前を言ったが一度はこれをしないと何故かしっくりこない。本人を前に口にすると機嫌が悪けりゃワンパンもらうからやらんけど。

 

(うわー、なんか睨んでるなぁ……さっきの下駄箱でのやり取りで機嫌損ねちゃったか……いや、さっきので俺が悪いことは一つもないはず……自信を持て八幡。悪くなくても土下座することを厭わない鉄の精神が俺には備わっている。って謝っちゃうのかよ)

 

 その精神性はガンジーすら裸足で逃げ出す。非暴力でも不服従でもない無抵抗土下座主義である。

 

(とりあえず寝た振りで索敵を怠らず授業に備えるか……)

 

 

「ヒッキー、やっはろー」

 

 机に突っ伏していると、空気が読めるくせに何故かよく地雷を踏むアホの子が挨拶してきた。

 

「……おう」

「い、いやー、今日は何て言うのか、寒いねえ」

 

 ご近所付き合いどころか、たまたま信号待ちしているところで目が合ってしまった見知らぬ人に振るレベルの話題だぞそれ。クラスメイトであり部活メイトだとは思えないソーシャルディスタンスっぷりである。 

 

「当たり障りなさすぎるというか、内容ぺらっぺらでどうでもいい話題だなそれ。無理に会話しないでほっといてくれた方が嬉しいんだが……」

「朝から酷いし!」

「いや、俺は朝も昼も夜も、なんだったら寝ててもこうだから、今だけ酷いというのは過小評価だ。俺の酷さを控え目に評価してくれてありがとよ。由比ヶ浜は優しいやつだな」

「なんか感謝されてる⁉ ってか朝からこんないっぱい喋るのって、ヒッキーいつもより機嫌よくない? なんか良いことあったの?」

「! ……それは戸塚に会えるからに決まってるだろう」

「彩ちゃんに会えるなんていつもじゃん」

 

 なんで今日に限ってツッコミが的確なんだよ。

 なんとか誤魔化そうと平静を装い、いつものようにそれらしく屁理屈を捏ねて煙に巻く。

 

「何言ってるんだ由比ヶ浜。戸塚に会うたびに戸塚ポイントが貯まっていき、いずれは結婚できるかもしれないだろ。そういった意味では回数を重ねるごとに会えることが嬉しくなっていくのが自然じゃねーの?」

「うわっ! ヒッキーキモい! いつも通りじゃん!」

 

 『キモい』と『いつも通り』が同義になってしまうあたり俺に対しての由比ヶ浜の評価が窺えるが、戸塚に同じこと思われてたら正真正銘ヒッキーになって小町に養われて生涯を終えるまである。

 

「八幡、由比ヶ浜さん、おはよー」

「おお、戸塚、おはよう。結婚しよう」

 

 相変わらず目映いほどの輝きを放つ天使が降臨した。うん、今日も良い日である。良い日すぎて秒でプロポーズしてしまった。いかんいかん、引かれたらこの笑顔が見れなくなるし、自重しなければ。

 

「彩ちゃん、やっはろー! ……ホントにいつも通りだよねヒッキー」

「あはは、八幡は面白いね、何か良いことあったのかな?」

「こうして戸塚に会えたじゃないか。これ以上にいいことなんてあるわけないだろう」

「真顔だし……まあ、確かに普通に会えるってすごく良いことだとは思うけど」

「なんだ、由比ヶ浜なのに分かってるじゃないか。実はお前、由比ヶ浜じゃないんだな、そうだろ」

「あたしが真面目だと偽物みたいな言い方やめるし!」

 

 いつになく会話で賑わっていた俺達の元に、更なる賑わいが届けられた。

 

「はろはろ~、結衣~。ヒキタニくんも戸塚くんもはろはろ~」

「あ、姫菜やっはろー」

「やあ、おはよう海老名さん」

「⁉ うっす……」

 

 何事もなく話しかけてきた腐女子。

 俺の動揺を誘ってるのか、見て楽しもうとしているのか。

 いつからあなたは雪ノ下さんばりに心が黒くなったんですかね? 腐ってはいても黒くはないと思っていたんですけど。

 

「いや~、朝から『とつはち』に興味津々で寄らせてもらったよ!」

「そう思うならこのアホの子をお持ち帰りしていただければ妄想も捗るんでお願いします」

「アホの子って誰だし!?」

「自覚あんじゃねえかよ」

「まあまあ、そんなことよりも……ね。今日は何の日か気づいてる?」

「‼」「⁉」

「ああ、うん、知ってるよ。なんか教室中がそわそわしてるし」

 

 なんのつもりなのか。戸部の告白を未然に防いでほしいと依頼にくるほど(男女の)色恋に興味がないはず。

 怪訝に思い、あえてバレンタインの文言を出さずに皮肉っぽい表現をしてみる。

 

「合同イベントの時に試食と称して餌付けされたんでお腹いっぱいですよ……」

「へー、それは心配だねぇ。もし、仮に今日チョコでも貰ったらちゃんと食べられるのかなぁ?」

「‼」「‼」

 

 こうも直截に言ってくるのはあまりにも予想外で、海老名さんの意図が読めない。

 

「ああ、八幡はモテそうだしね」

「なな、何を言ってるんだ戸塚、俺には小町という心に決めた妹がいるんだ。それ以外にチョコなど貰えるはずがないだろう。むしろ小町以外のチョコは欲しくないまでないこともないまである」

「あはは、どっちなのよw しかも色々と、っていうか全てがツッコミどころ満載だったんだけど。ヒキタニくん面白すぎ」

 

 ええ、小町以外から既に貰ってますよ。

 知っていていたぶってくるあたり性根まで腐ってるのでは疑惑が湧いてくる。

 

「あ、あはは……ヒッキーがシスコンなのは分かってたけどそれ以外のチョコも拒否するのは微妙というか、なんというか……」

「でも、戸塚からなら欲しいかもしれない。これもまた俺の偽らざる本心だ」

「えぇ……あ、そうだ板チョコならあるよ。朝練の後に食べようかなって思ってたんだけど、まだ食べてないし、よかったらあげるよ、八幡」

「と、と、とおおつうかあああ!」

「とつはちキタアアアアアアアア!」

「二人とも落ち着いて! みんなが見てるし!」

「八幡は大袈裟だなあ、友チョコというより、ただお菓子を分けただけなんだから」

「そんなことはないぞ! これで二つ目のチョコなんだ! ……はっ」

 

 戸塚チョコが嬉しすぎたから完全なる失言だった。

 案の定、食いついてきたのが由比ヶ浜だ。

 

「え……ヒッキーもしかしてもう誰かにチョコもらってる……の?」

 

 落ち着け比企谷八幡。ただチョコを貰っただけだろう。貰ったからといってこいつから罵声を浴びせられることも問い質されることもないはずだ。俺と由比ヶ浜はただの部活仲間だ。

 そこまで現状を整理し脳をフル回転させて導き出された答えは『下駄箱のチョコの話は絶対にしない方がいい』というものだった。あれ、現状に全くそぐわない答えなんだが、俺の本能がそうしろと訴えている。

 

「いや、小町だ。今日家を出る前に小町がくれたんだ。それ以外に俺が貰えるわけないだろ。俺を誰だと思っている? 俺だぞ?」

 

 一体誰に言い訳しているのか。だが、その嘘を信じてくれた由比ヶ浜はなぜかホッとした様子を見せる。

 そして、それと反比例するように腐人の表情が曇った。不意にその顔を耳元まで近づけて……

 

「(……ちょっと傷付いたけど、まあしょうがないよね。人に言えないし)」

「っ!」

「(……義理だけど……ちょっと義理じゃないの……なんてね)」

 

 そう、どこかで見た(・・)ようなことを囁いて海老名さんは離れた。

 

「それじゃ、ま、ヒキタニくんのご要望にお応えして邪魔者は退散しますか。さぁ、結衣、優美子達のとこ行こ」

「あ、わ、姫菜、押さないでよー、ヒッキーも彩ちゃんもまたね」

 

 海老名さんの協力(?)もあり下駄箱のことを隠し通せたものの、言い残した言葉に興味を引かれた。

 

『義理だけど、ちょっと義理じゃないの』

 

 真っ当に受け止めれば本命かそれに準ずるレベルのチョコという意味だろう。

 あるいは、往年の名作ゲームでヒロインがはにかみながら語りかけてくる言葉にかけたのか。それだとしたらなんで知ってんの?

 

「あ、はろはろ~、サキサキ」

「サキサキいうな。……うん、おはよ」

 

 由比ヶ浜を押しながら川崎に挨拶する海老名さんからは、あの修学旅行の時の仄暗さなど微塵も感じられない。案外、川崎とは本当に相性がいいのかもしれない。

 そんな根拠のない、妄評にも似た考えを浮かべながら再び寝た振りをしてSHRが始まるのを待った。

 

 

 

つづく



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2話 冬なのに、昼休みは木陰で過ごす。

2021. 9. 4 加筆、書式修正。
2020.11.29 台本形式その他修正。
2019.12.23 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
2019. 5.23 八幡の発言を→城廻先輩 八幡の心情を→めぐり先輩 に変更。
2019. 3.12 城廻先輩→めぐり先輩 に八幡の呼び方を変更。
2019. 2.11 加筆修正。


《 Side Saki 》

 

 

 窓の外を見つめながら、由比ヶ浜達と接する比企谷の様子を窺う。特に大きな変化もないように思えた。下駄箱のチョコのことも誤魔化してやり過ごしたみたいだ。

 勘違いはされてないみたい。さっきのチョコに差出人のメモくらい入れてあるだろうしね。

 

「…………‼」

 

(……そういえば、あたしのチョコ差出人書いてないじゃん⁉ 寝坊といい、どんだけテンパってんの……下駄箱に入れれなくてむしろよかったかも)

 

 安堵と同時に渡す方法を模索するも、上手いやり方とは言い難いシミュレーションばかりが浮かぶ。

 昼休みの辺りでどこかに呼び出して渡すとしても比企谷から話しかけてくるがわけないし、あたしの方から話しかけるのも躊躇われる。

 両方ぼっちだからどちらがアクションを起こしても目立つし、今日はバレンタイン。比企谷が意識しなくても女のあたしから話しかけたらそれだけで周りから勘繰られるかもしれない。

 自意識過剰が頭を過るも、すぐに打ち消された。こんな日に女のあたしが意識しないとか無理に決まってる。

 

 あいつはいつも昼休み教室にはいなかったはず。追いかけて一緒にお昼食べながら渡す……、それなら無難か。これでいこう。

 

 

                 ×  ×  ×

 

 

~昼休み~

 

 

 いつものようにチャイムがなると素早く、しかし音もなく隠密に教室を出る比企谷。この気配の無さじゃ今朝下駄箱で気づけなかったのも無理はないね。

 

(おっと、いけない。見失っちゃう。鞄ごとチョコと弁当もって追っかけないと)

 

 あたしは十メートル以上も離れながら目立たないよう注意深く比企谷を尾行する。購買でパンを買う時が一番危うく、人混みに紛れて見失うところだった。

 

 この先に座れるベンチとかあったっけ。駐輪場の方角だと思うんだけど。

 記憶の糸を手繰っていると、目的地に着いたようで比企谷は座り込みジュースを置いてパンの袋を開ける。ベンチなどなく、階段の段差を利用して座るぼっちの姿があった。

 そこは駐輪場のすぐ傍でテニスコートがよく見える。ここからだと丸見えなので近くの木陰に回り込んで様子を見ることにした。

 

 問題はどうやって声をかけるか。

 

 

 

 『あれ? あんたこんなとこで食べてんの? あたしはたまたま通りかかってさ』

 

 ……弁当とチョコ持って?

 

 

 『あれ? あんたこんなとこで食べてんの? あたしはジャン負けしてジュース買いにきたとこ』

 

 ……あたしジュース買いに行く友達いないんだけど。

 

 

 『あれ? あんたこんなとこで食べてたんだ? ちょうどいいから一緒に食べない?』

 

 ……正攻法だけど、いろいろ不自然過ぎなんだよね……チョコ持ってきてるし……

 

 

 ってか、そもそも冬なのにわざわざ外で食べるとか、あいつバカなの? 風邪引いちゃうでしょ!

 様々なシミュレーションを経てどう話しかけようか悩んでいると、比企谷に近付く人影があった。

 

 

「あれ~? 比企谷くんだ~」

「……うす」

「こんにちは~」

 

 親しげに比企谷に話しかける女生徒。

 あれは確か、前の生徒会長だったっけ? そうだったはず。正直うろ覚えだった。

 ただでさえ家のこととバイトと予備校で忙しいので学校行事はまだしも、生徒会となると完全に自分とは関係のない話なので覚えようともしなかった。自分が一年の時の生徒会長などなおさらだ。

 

 体育祭の時、衣装作りの手伝いで実行委員会議に参加したから見た記憶がある。

 確か……そう、思い出した。城廻先輩だ。相模が実行委員長だったけど、あの人が会議の進行補佐をしてたはずだ。

 

 

 お下げの似合う可愛さと年上の持つ綺麗さを兼ね備えていた。

 

 あたしにあんな愛嬌はない。

 あんな癒しの雰囲気は作れない。

 

 そう思わせる笑顔をあの人は持っていた。

 

 完全に話しかけるタイミングを逸してしまったあたしは木陰に隠れ続けて様子を窺う。早く行ってくれないかな、寒いし。

 出来れば一緒に弁当を食べながら頃合いをみてチョコを渡そうと思っていたけど、見ていると城廻先輩が比企谷の傍に座り出してしまい、その目論見は完全に潰えてしまう。

 

(しょうがない……見つからないようにここで様子を窺いながら弁当食べちゃうか……城廻先輩がいなくなったらチョコ渡せるし……)

 

「城廻先輩、もう自由登校ですよね? 今日は何でいるんですか?」

「うわー、比企谷くんその訊き方なんかひどい。私がいるの変みたいに聞こえるよ?」

「そこまでは言いませんけど、俺だったら自由登校にわざわざ学校へなんて絶対来ませんからね」

「うーん、私は総武高校好きだからそうは思わないんだけど、それに今日は特別な日でもあったからね」

「?」

 

 城廻先輩は大きい袋の中から何かを取り出した。

 

「んーと……これ」

「え?」

「ハッピーバレンタイン! 比企谷くん」

 

 そう言って綺麗にラッピングされた箱を比企谷に差し出す。

 

「えっ? えっ? なにこれ? 城廻先輩、これって一体……?」

「やだなー、今言ったじゃない。バレンタイン!」

「あ、そうか。罰ゲームですよね。なんだ、城廻先輩には似合いませんよ、そういう悪戯」

「えーと……どうすれば信じてもらえるのかな?」

「あ、そうだ。これ見て」

 

 城廻先輩はチョコを出した袋の中を見せる。遠目からでは全てを把握出来ないが、視認できる範囲には同じようにラッピングされた箱がいくつかあった。

 

「今日はバレンタインだから皆にもチョコを渡したくて登校したんだよ。もう卒業だしクラスメイト以外の人にもチョコ配ろうとしてこうして持ち歩いてたんだ。ね? 別に悪戯とかじゃないでしょ?」

「は、はぁ、疑ってすいません、その……ありがとうございます」

「ちょうどいいからわたしもここでお弁当食べよっと。お邪魔するね比企谷くん」

「……あ、そうですか。それじゃ」

「えっ⁉ ちょっと⁉ なんで移動しようとしてるの⁉」

「いや、だって俺がいたら食べにくいでしょ? 中学の頃に料理の味を一段階落とすスパイスだって言われてますからね」

「なにそのお手洗いとかで食事するみたいな特殊環境! そんなことないよ、比企谷くんと一緒に食べたいんだから!」

「いえ、俺は食べたくないので食べるなら他で食べてください。そうすれば俺が移動する必要もなくなるんですけどね」

「……比企谷くん、わたしのこと嫌い?」

「俺は一人で食べるのが好きなんですよ。城廻先輩は関係ありません」

「…………」

「…………」

「……くちっ!」

「ほら、寒いんだから早く教室行って食べればいいじゃないですか」

「……え? ……あ」

「…………」

「…………」

「……なんですか?」

「ううん、何でもない」

「とにかく先輩が何処かに行ってくれないと……って何してるんですか?」

 

 今まで以上に比企谷に近付いて隣に腰を下ろす城廻先輩。

 

「寒いから風除けになってもらうね」

「ええ……? 城廻先輩が一色みたいなこと言い出すなんてショックなんですけど……」

「ええ……? 一色さんも同じこと言ったの……?」

「風除けだからどこかに行くの禁止ね」

「それと、はいこれ。水筒、わたし一人じゃ飲みきれないし比企谷くんも飲むの手伝ってね」

「……はあ……それじゃ、しょうがないですね。ご一緒しますか」

 

 この距離からでも渡されたのがチョコだと分かる。あたしが用意してるんだから、他に貰えても不思議じゃないとは思っていた。

 けど、これは明らかに予想外。

 

 妹から貰えるだろうな。

 奉仕部の二人から貰えるだろうな。

 新しい生徒会長から貰えるだろうな。

 そこまでは想定していたが、まさか元生徒会長の先輩から貰えるなんて。それに今朝下駄箱に入っていたアレも。

 

(妹はあり得ないとして、あの三人も下駄箱に入れて渡す手段はとらないだろうね。つまり想定した人数以外から既に二個目のチョコということ……。

 ……なにがぼっちなんだか)

 

「…………」

 

(……なんか……真冬に木陰から覗き見しながら弁当食うあたしってなんなのさ……)

 

 自身の行動に呆れていると、ぶるりと身震いしてしまう。

 

(……こんな寒い思いしてまで……あたしも水筒持ってくればよかった)

 

 結局、弁当を食べ終えしばらく様子を窺っていたが、城廻先輩は弁当を食べ終わってもずっと比企谷の隣に居続け、そのまま一緒に何処かへ向かった。見た感じ、ちょっと嫌がる比企谷についていく城廻先輩、という構図だ。

 でも比企谷は本気で拒否はしない。何だかんだ言ってもあいつは優しい奴だから。

 

 もしかしたらまだ渡すチャンスがあるかと思い、二人を尾行すると図書館に入って行った。

 真冬の外で昼を食べていたのだ。いくら温かい飲み物があっても身体は冷え切ってしまう。教室に戻らず暖をとれて、なおかつぼっちが好む静かな空間。まあ必然だね。あたしもそうする。やっぱりこいつとは波長があうのかもしれない。

 

 暖をとり始めた二人、いや主に城廻先輩の方が比企谷から離れる素振りを見せない。

 

(これは昼休みもダメそう……)

 

 お礼なら、他人に見られようが構わないはずなのに。何故、頑なに人目を気にしていたのか、自分でもよく分からぬまま予鈴が鳴った。

 その間、城廻先輩は比企谷の傍で癒し効果が高そうな笑顔を見せ続けていた。

 

 

 

つづく



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3話 思いがけず、部室から聞こえるその名前。

2020.11.29 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


~LHR終了~

 

 

 だんだん渡すチャンスが無くなってきた。比企谷はこれから奉仕部だろうし、今日はあたしも予備校で遅くまでは残れない。

 結局、部室に行く前につかまえて渡すしかない。

 

 昼休みの時のように比企谷の後を追う。違うのは別に見つかっても構わないという心積もりであるため、必要以上に距離はとらなくてもいいこと。

 そうして、徐々に距離が詰まっていく。

 もう呼びかければ届く、そんな距離――――

 

 言わなきゃ……声かけなきゃ……それから……

 

「ヒッキー、一緒に行こ!」

 

「……おう」

 

沙希(……間に合わなかった)

 

 でも、確かに先に声をかけられてしまったが、別に由比ヶ浜がいても比企谷だけ呼び出して渡せばいいわけだし、どうして間に合わないなんて思ってしまったのか。

 こういうことにはつくづく意気地がない。そう自己分析をしつつ、結果声をかけられないまま、二人は部室に到着してしまった。これでますます呼び出しづらくなってしまう。

 

 あたしは、部室のドアの前でノックしようと構え右手を出すも届かない、を繰り返していた。なかなか踏ん切りがつかず、もしかしたら比企谷が飲み物でも買いに教室から出てくることを期待して五分くらい離れて待っていたりもした。

 

 

《 Side Hachiman 》

 

~奉仕部~

 

 

「……うす」

 

「……こんにちは、二人とも」

 

「やっはろ~」

 

 由比ヶ浜と俺がいつもの椅子に座ると、いつものように雪ノ下からの挨拶にのせたディスリケーションが……こない。ちゃんと最初の挨拶で俺を認識してる。

 いつもなら『こんにちは、由比ヶ浜さん。後ろにいるのは誰だったかしら? ノックもせずに部外者が入ってくるのは失礼だと思うのだけれど』くらいのジャブが飛んでくるはず。それどころか妙に落ち着きがない。

 

「…………」

「……うー、えーっと……」

 

「…………」

 

 並んで座る二人はお互いを見合わせ言い淀んでる。目配せしてるし何か企みでもあるのか?

 うんうん、この空気知ってるぞ。俺が知らないところで通じ合ってるこの感じ。

 文化祭の時もそうだったな。

 由比ヶ浜に後夜祭に行かないかと誘われたが、雪ノ下と共闘し、これでもかというくらいデメリットを列挙して家に帰ってみれば小町は夕飯を作っておらず、無理矢理外出させられた挙句、皆と出遭い打ち上げにいくことになった。

 それら全ては由比ヶ浜が裏で糸を引いており、俺の与り知らぬところで約束された後夜祭(エクスカリバー)が振り下ろされた。……後夜祭って剣みたいな形状なの?

 

「……その……比企谷くん……」

「……ヒッキー」

 

 一人の世界に浸っていると二人が示し合わせたように俺を呼び現実に引き戻された。

 

「……受け取って貰えるかしら?」

「……ヒッキー、あのね、これ……」

 

「‼ お、お前ら……まさか、ばつゲ……いや、何でもない。俺に?」

 

(あぶねえ、危うくいつもの自虐で返すところだったが、これを罰ゲームとして受け止めるほど空気が読めなくはない)

 

「そう言ってるでしょ。いいから受け取りなさい」

「……命令形になってんだけど?」

 

「ヒッキーが素直に受け取らないのがいけないんだよ!」

「あ、お、おう……」

 

 二人から差し出されたチョコを何故か左右の手片方ずつで同時に受け取った。それを見た二人は、どちらともなく笑い出した。

 あれ? 俺って何かを受け取るだけでボケになる存在ですか?

 

「あー、ヒッキーおっかしいー」

「そうね。まさに両手に花。なんというか、その受け取り方はあなたらしいかもしれないわ」

 

(無意識に受け取っただけなんだが、確かにわざわざ二つ一遍に受け取るのは変なのかもしれない。だが、片方ずつ受け取るのもなぜか躊躇われた……なんだろう……?)

 

「……それで?」

「……え?」

 

「中を開けて見てくれないのかしら?」

「そうだよヒッキー、食べて感想くれなきゃ!」

 

「いや、でもほら、今は部活中ですし……」

「いつも本読んで喋ってるだけだし!」

「お前は携帯をいじってるけどな」

 

「紅茶を飲んだりクッキーを食べたりもしているでしょう。チョコを開封して食べるのも大差ないわ」

 

「いや部長様自ら部の活動に対していう言葉じゃないだろそれ。まあ開けるくらいなら……」

 

 促されるままにまずは雪ノ下のチョコを開封する。

 絞り器で作られたバラの形を模したチョコ。見た感じ製作難易度が低そうなチョコで雪ノ下にしてはどうしてこれを選んだのか軽く疑問が湧いたが、難易度と味はさほど関係ないだろう。要は手際と味の調整能力だ。

 

「これ、手作りなのか?」

「ええ、本来は紅茶を入れるのだけれど、あなたの好きなマックスコーヒーを入れてみたわ。名付けるならマッカンショコラとでも呼べるかしらね」

 

「おお、すげえな雪ノ下。マッ缶を入れるとは分かってらっしゃる」

「わたしの得意な紅茶を使ったチョコだからこれを選んでみたのだけれど、あなたは紅茶よりマックスコーヒーが好みのようだし、し、しかたがないから、た、食べる人に合わせてあげたのよ。感謝しなさい……」

 

 雪ノ下の顔がそこはかとなく赤くなっているように見えたが、それよりも今度は由比ヶ浜のチョコを開けてやらなければならない。

 

 由比ヶ浜のチョコはトリュフチョコ? のようだ。以前、バレンタインイベントで川崎がけーちゃん用の子供向けチョコはないか相談にきたがその時、勧めたのがこのチョコだった。

 形は綺麗な球体とは言い難く、所々ささくれ立ったり金平糖の表面のような一部突起が見られた。

 

(……と、いうことは……)

 

「……由比ヶ浜……大事なことなので訊いておきたい」

「? な、なあに?」

 

「これは……お前が独力で作ったものなのか……?」

「そーだよ、手作りなn「すまん、まだ死にたくない」酷いし‼」

 

「安心しなさい、昨日二人でわたしのと由比ヶ浜さんの分を一緒に作ったの。イベントの時と同じで危険なことはなにもないわ」

「ゆきのん⁉」

 

「そうか、虚言や嘘が嫌いな雪ノ下の言葉をこれほど頼もしく思えたことは今までなかったぞ」

「ゆきのんを信頼してるふうに言ってるけど、それ以上にあたしを信じてないみたいに言ってる⁉」

 

「人の信頼とは簡単には勝ち取れないんだ。俺に友達が出来たといってもお前は信じないだろう。これ以上に説得力のある例はないと思うが……」

「うぅ……それを言われちゃうと……」

 

「理解が早くて助かる」

 

 平塚先生が結婚したと言っても信じない、という例えもありだったが口に出したらとんでもない脅迫材料を差し出してしまうので絶対に言わないが。

 

「比企谷くん、いま他にも例えが思い浮かんだのではないかしら? 誰とは言わないけどあなたが苦手とする人を揶揄した気がするわ」

「何でそうやって人の心を読むんですかね?」

 

「何故かしらね、サトラレ谷君」

「ええ……俺の心ってダダ洩れなの……?」

 

「そ、それよりも、ヒッキー早くチョコ食べてよ、あたしのだって大丈夫だし」

「い、いや、これは家に帰ってゆっくり堪能するわ。感想は明日でいいだろ?」

 

「ええー? すぐに感想聞きたいよぉ……」

 

「お前らもせっかく作ったチョコが一瞬でなくなるより、時間をかけて味わってもらえるほうがいいだろ?」

「そうとばかりは言えないわ。鮮度もあるし、むしろなるべく早く食べてもらった方がいいかもしれないわね」

「そうだよ、ヒッキー! 早く食べないと味が落ちちゃうよ!」

 

「時間経過による味の劣化よりも完成度の問題のが大きいだろう、特に由比ヶ浜のは……」

 

「だから食べて確認するし‼」

 

「比企谷くん?」

 

「…………」

 

 どっちからか先に食べると優劣をつけるみたいな気がして心臓に悪い。せっかく貰えたチョコを落ち着いて食べさせてくれ……

 

「……なるほど、そういうことね」

 

「?」

 

「やはり八幡といったところかしら」

 

 

教室外・扉前

 

「おや、川崎じゃないか。部室の前でなにをしているんだね?」

「あ、平塚先生、べべ、別になにも!」

 

「何か依頼でもあるように見えたがね」

「きょ、今日はこの後予備校あるんで失礼します!」

 

「あ、川崎! 走るほど急ぐくらい時間がないならなぜ奉仕部に来たのだ……ん?」

 

 

 

「ゆ、ゆきのん⁉ なんで急に……その……名前で……」

 

(こいつ……まさか……)

 

「……ふう、やはり小町さんの貶し言葉だからわたしにはうまく使いこなせないものね」

「ほえ?」

 

(やっぱりか)

 

「この男は、わたしたちのチョコをどちらから食べるのがいいかも決められないヘタレ谷君だということよ」

「ええー! ヒッキーそんなこと気にしてたの⁉」

 

「……悪いかよ? っていうかどこまでサトラレてんの俺……」

「あ、で、でも、ゆきのんはなんでヒッキーを名前で呼んだの?」

「それは前に小町が俺の名前、つまり『八幡』をディスワードとして使用したのが、雪ノ下の琴線に触れたからだ」

 

「あの時の小町さんの罵倒は斬新だったわ……でもわたしが使うにはあまりにも使用難度が高すぎるわね。さっきのも使い方自体がおかしかったし」

「そうだな。バカ、ボケナスなどの枕詞がない限り、八幡は悪口たりえない。用法を完全に誤った例だったな」

 

「そうね……普通に比企谷くんを名前で呼ぶという恥ずべきこと……あなたではないけれど黒歴史を刻んでしまったのかもしれないわ」

「俺の名前はその発声そのものが黒歴史に値するのかよ? 小町のディスり用語よりも遥かに格式高いパワーワードになってるじゃねえか」

 

「邪魔するぞ」

 

 相変わらず突然扉を開けて入室するのは平塚先生だ。雪ノ下はもはや諦念を込めながら窘める。

 

「先生……ノックを」

「すまんすまん」

 

「お? しっかりと青春しているようだな。安心したよ」

 

「こ、これはその……」

「え、えと、」

 

「なーに、チョコを持ってきたからと言って咎めるほど野暮ではないつもりだ。それにわたしからも君たちに渡したい物があってな、ほら」

 

「は? ……これは何ですか?」

「ヒッキー見て分かんないの? チョコに決まってるじゃん!」

「腐った目では視力もままならないということなのね」

「いやだって、教師が生徒に金品を授与するとか、賄賂じゃん。成績とかで不正が行われたりしたらどうするの?」

 

「教師が生徒のご機嫌とって成績にどう影響するというのだ、バカモノが。とまあ、比企谷の冗談に真面目に返してしまうわたしもアレだが、素直に受け取りたまえ。普段の奉仕部に対する労いの意味も込めているからな」

 

「あ、どうも」

「先生ありがとう!」

「ありがとうございます」

 

「比企谷にとって小町くん以外の初めてのチョコになるかと思ったのだが、そうなれなくて残念だよ」

 

「……っ」

「……⁉」

 

「…………」

 

 本当はその『初めて』ってやつが今朝の下駄箱で失われているんですけどね。あえてここでは言わんけど。

 

「……あ! やっべ、今日予備校じゃねえか! 完全に忘れてた、一旦家帰って準備しなきゃ! 雪ノ下、由比ヶ浜、チョコサンキューな、そういうわけで帰るわ! 先生もチョコありがとうございます!」

 

「あ、そ、そう、さようなら」

「ヒッキー、またねー」

「ああ、気をつけて帰れよ」

 

「……ところで、今日も依頼はないのかね?」

 

「はい、至って平和です」

 

「バレンタインイベント手伝ったばっかりですからね」

 

「そうか……(川崎のやつ本当に依頼じゃなかったのか……ふむ、そうかそうか、そういうことだったか)」

 

「ひ、平塚先生、どうなさったのですか? 相好が緩んでらっしゃいますけど……?」

「ん? いやー、別になんでもないさ。青春しているなーと思ってね」

「わ、わたしたちは……その……」

「えっ、と……」

 

「いや、君たちだけに限ったことではないさ」

 

「?」

 

 

 

コンコン シツレイシマース

 

「こんにちはー」

 

 

 

つづく



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4話 またしても、今度はその目で見てしまう。

2020.11.29 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

 もう一度ドアの前まで来てノックをしようと試みていると、中の会話が漏れ聞こえてきた。ドアも壁も意外と薄いね、総武高校の校舎って。

 

『やはり八幡といったところかしら』

 

「‼」

 

(い、いまの雪ノ下の声だよね? は、八幡って……二人はいつからそんな……)

 

 一瞬、眩暈がして数歩後退りしたところに誰かから声がかけられた。

 

「おや、川崎じゃないか。部室の前でなにをしているんだね?」

「あ、平塚先生、べべ、別になにも!」

 

「何か依頼でもあるように見えたがね」

「きょ、今日はこの後予備校あるんで失礼します!」

 

 どうしてかは自分でも分からない。でも今ここに居たくないことだけは分かる。

 あたしは逃げ出すようにその場から走り去った。

 

 

―図書館―

 

 

 予備校までの時間、勉強するつもりで来たが全然頭に入ってこない。少し問題を解いては手を止め、奉仕部から漏れ聞こえた内容を惟る。

 

(まさか雪ノ下が……同じ部活で親しいのは分かるけど、比企谷ってああいうのが好みなのかな……)

 

 雪ノ下雪乃――奉仕部の活動であたしの深夜アルバイトを比企谷達と共に辞めるよう説得しに来た時からの知り合い。

 親身に、と言えば聞こえはいいが正直、その時のあたしにとっては余計なお世話だった。

 事実、雪ノ下があたしに対して出来たことは何一つなかった。あたしのことを、家族のことを第一に考え、一切しこりの残らない理想的な解決が出来たのは比企谷だった。

 

 前に予備校でその時のお礼を言ったが『依頼だったから』『俺はなにもしていない、スカラシップはお前の実力だ』などと返されまともに受け取ってはくれなかった。

 依頼でしたからといって感謝される資格がないっていうの?

 警官や消防士ら人助けが職務の人間には助けられて当然と思えというのか?

 そもそもただの部活にそれほど強い義務などない。そんな部活動であいつはあたしを助けてくれた。それは誇れることだし、お礼もちゃんと受け止めてほしかった。

 それにスカラシップがとれたのがあたしの能力だったとしても、そういった制度を認知していない人間にとってはそんなの関係ない。知らなければその制度をつかえないのだから。

 

 だから、解決してくれたのは紛れもなく比企谷の力あってこそだ。

 

(……やっぱりその頃くらいから気になってて、文化祭の時のあの言葉で一気に意識しだしたんだろうね……)

 

『愛してるぜ! 川崎!』

 

 信じられないのは、あれが合いの手を入れるような、冗談にも似た一言だって分かってるのになかなか動悸がおさまらない事実。

 

(……でも)

 

(あいつは雪ノ下を……)

 

(…………)

 

 流れるように美しく長い黒髪に女性らしい華奢な細身、整った顔立ちの大人びた美少女で学力テストでは常に学年一位をキープする才色兼備を地で行く娘。

 

(確か料理でも何でも大抵のことはできるっていう本物の天才みたい……確かにあたしなんかが勝っているのは髪の毛の長さと…………胸くらい?)

 

(あたしに出来ることなんて雪ノ下だって出来る。そう考えると鬱屈してしまう)

 

 

(……それに、由比ヶ浜結衣)

 

 同じ奉仕部で比企谷流に言うならトップカーストの一人。

 誰にでも好かれる人懐っこい性格と笑顔、正直あれには分が悪い。多分、あたしと真逆……不器用でぶっきらぼう、人を寄せ付けない可愛げのないあたしとは。

 二年になって始めの頃はちょっと周りを気にしすぎてビクビクしていた印象もあったけど、今ではそれもなくなり益々魅力的になったように見える。

 

(スタイルもいいし、ここでのアドバンテージはあまり稼げないんだよね)

 

 暗澹とした気持ちの中、手元のチョコに目をやる。昨夜一生懸命作った記憶が、その時の気持ちと一緒にフラッシュバックする。

 

(……そうだよ……この子(チョコ)を作った気持ちは本物……今更遠慮なんてしたらこの子に申し訳ない)

 

 ずっと考えてる内に予備校の時間が近づいてきた。どうせ今のままじゃ勉強に身が入らないし、ちょっと早いが移動しよう、そう思い片付けて駐輪場へ向かう。

 しかし、今日中にチョコを渡す機会が家に直接行く以外、ほぼ閉ざされたのは完全に予想外だった。どうでもいいことを気にし過ぎて本懐を遂げ損なってしまう。

 

(あ、予備校といえば……比企谷、同じ講義かな……だとしたら帰りとかに渡せるかも)

 

 新たに思い浮かんだ機会に自然と足取りが軽くなる。その足であたしは駐輪場へ到着した。

 

 

《 Side Hachiman 》

 

―駐輪場―

 

 

 今日のチョコラッシュに浮足立って予備校を忘れるとは迂闊だった。人生初のインパクトが正常な思考能力を失わせる。

 だが、気付いたのが早かったので急ぐ必要もなくちょうどいいくらいだ。校内で自転車に乗るわけにはいかないので、自転車を押して校門を目指す。

 

「せんぱ~い」

 

(…………)

 

「せ~んぱ~い」

 

 振り向くな。まだどの先輩なのか明示されていない。ここで振り向いて違ったら『え、なに? 振り向いて自分が呼ばれたと思ったんですか? 自意識過剰でちょっと気持ち悪いからレーシック手術で目の濁りをとってから出直してきてください。ごめんなさい』とか言われそうだから振り向かない!

 あれ? レーシックってそんな効能あったっけ? あるならやりたいな。おいくら万円?

 

「せーん、ぱーい‼」

 

「ぐお⁉」

 

 一色が後ろから背中に抱き着いてきた。想像以上に勢いが強かったのと、後ろからだったのでその勢いの程度が測れなかった為、押していた自転車ごと倒れてしまった。

 俺の身体をクッションにしたようで一色は大丈夫そうだが、ペダルとかハンドルの突起が刺さったらどうするんだ。

 

「どーして無視するんですかー?」

 

「いてえって! 自転車倒れただろうが! せんぱいせんぱいってお前一年だしそこら中に先輩いるだろ。間違って振り向いて俺のことじゃなかったらとんだピエロだわ。お前は俺の黒歴史製造マシーンかよ! 雑用製造マシーンでもあったわ! いや、むしろ『多目的比企谷運用負担製造マシーン』だな!」

 

「ついでに『身体を張って後輩を守る先輩製造マシーン』も付け加えてくださいね」

 

「なんでそんな悪びれもせずに追加できるの? 皮肉と皮肉の上にもう一つ乗せるとかどれだけサービス精神旺盛なのよ! 痛風になっちゃうよ? 肉だけに」

 

「冬の季節を暖かく感じさせてくださる先輩のジョークって素敵ですよね。二酸化炭素の排出もないので温暖化の心配もないから地球にも優しいです」

 

「あれ? それあれだよね? 相対的に暖かいって意味だよね? 冬よりも寒い俺のジョークってディスってるよね? 地球規模で話してくるとか、この惑星レベルに寒いって貶してるよね?」

 

「もー、つまらないことは気にしないで。それといつまで倒れてるんですか。他の人達の邪魔ですよ?」

 

 そう言いつつ既に立ち上がっている一色は手を差し延べてきた。

 

「お前が押し倒したんだろうが……」

 

 せっかく差し延べられた手だが、スルーして立ち上がり埃を払って自転車を起こす。それが不満だったのかあざとく頬を膨らます一色。

 確かに差し出した手が取って貰えないのは握手を拒まれるのと同じくらい屈辱的かもしれないが、こんな校門前の目立つところで後輩女子に引っ張り上げられたりしたらそりゃもう噂になりますよ。特に相手は目が腐ってますし?

 っていうかここまでのやりとりが目立ち過ぎてて手遅れな気がしないでもない。

 

「で、一体何の用だ? 言っとくが今日は予備校だから冗談抜きで予定は空いてないぞ」

 

「やだなー、先輩。そんなに警戒しないでくださいよ。とりあえずここじゃ目立つから歩きましょっか?」

 

「……既に手遅れなんだよなー……」

 

 まだ時間に余裕もあるし、とりあえず一色の言う通り、自転車を押しながら一緒に下校する。

 俺達二人を追う視線には気付かなかった。

 

「先輩は今日何の日かご存知ですか?」

「……まあな(ああ、やっぱりそれだよな)」

 

「……先輩はぁ……いくつくらい貰ったんですか……?」

 

 ⁉

 なにこれ、なんて表情で訊いてくんだよ、あざといくせにドキッとしちまったじゃねえか。

 

「……あー、はいはい、あざといあざとい」

「ちゃんと答えてください~」

 

「バッカお前、俺だぞ? 小町からの一個に決まってる」

「先輩、嘘が下手ですね。それにわたしさっきまで奉仕部に行ってて確認済みですから」

 

「それじゃなんで訊くんだよ? ただ俺が恥ずかしいだけじゃねえか」

「どうせ正直に答えないだろうと思って試しに訊いてみただけです。正解でしたね、捻デレ先輩」

 

「え、その捻デレ先輩って誰のこと?」

「はぁ……もういいです。それより、先輩甘いもの好きですよね?」

 

「実はマッ缶以外の甘いものは……」

「はいダウトー! ってかバレンタインイベントとかその前に相談に行った時にも話してますよね、甘いの好きだって? どうしてそう意味のない嘘つくんですか」

 

「嘘って分かる質問なら最初からすんなよな……まあ、話が進まんから本題から入ったらどうだ?」

「ぶー 情緒がないじゃないですか、いきなり本題とか。仕事でも挨拶からワンクッション世間話してそれから本題ですよ」

 

「残念だったな。俺は専業主婦志望だから仕事の進め方テンプレなんぞ無視するぞ」

「まあ、そもそもこの会話って仕事じゃないですしね~。仕事だったらちょっと悲しいじゃないですか~」

 

(え、なにそれ? 勘違いしちゃうじゃん。プロぼっちだからしないけど)

 

「で? ホントはチョコいくつ貰ったんですか?」

 

 やり過ごしたと思っていたがやっぱり許してくれないようで追及はまだ続く。

 

「……じゃあ当ててみろよ」

「おっ? 先輩らしくない返しですね。いいですよ~。じゃあ当たったら何か奢ってもらえるってことでいいんですね?」

 

「今の会話の中のどこに奢る要素があったんだよ、お前あれか? 俺と違って目じゃなくて耳が腐ってるんじゃないのか? もしくは脳」

「可愛い後輩に向かって減らず口が過剰ですよ。奢りがご飯から、ご飯プラス映画にランクアップされました」

 

「ええ……? まるでお前そのものが法じゃんかよ、それ」

「とにかくクイズスタートです。ノーヒントはさすがにつらいので、いくつか質問しますから」

 

「はぁ……勝手にしてくれ」

「ではですね、チョコはいくつ貰いましたか?」

 

「あれ? それ答えじゃね? 自白させて奢らすとかそれもう恐喝か強盗が成立するよね?」

「冗談ですよ」

 

「そもそもノーヒントでも俺なんだし小町からの一個と奉仕部行ってカンニングしてる分あわせりゃ十分な確率で正解できんじゃね?」

「そうとも限らないんですよね~、実際今日が来るまで先輩は妹さんの一個っていうのが解答だったはずですけど、わたしが確認しただけで奉仕部から三つもらってますよね?」

 

「…………」

 

「そこは別に答えていいじゃないですか~」

「……ああ、確かに奉仕部の二人と先生から貰ったな」

 

「妹さんからも貰って四つですよね?」

 

「…………ああ、そうだな」

「……んん? いまちょっと考えましたよね? 理系が苦手って言っても1+3がすぐにでないわけないですよねえ?」

 

 うおっ! 一色鋭い! 小町からは貰えるはずだけどまだもらってないからカウントするかどうかの一瞬の葛藤を勘付かれた。

 

「むむ……もしかして、妹さんからまだ貰ってないんじゃ……それで加算してもいいか迷ったのでは……ってことは最低でも三つ……」

 

「…………」

 

 女の勘こええ! これ、当てちまうんじゃねえか?

 いや、今日は俺の人生確変が起こってのチョコラッシュだ。どんなに高名な占い師であろうと言い当てることは不可能。

 ただ小町とこのクイズをしたら当てられそうなくらい俺達は通じ合ってると心の中で言っておこう。口にするとシスコンすぎて通報されるからな。

 

「…………」

「…………」

 

「……先輩、ちゃんと答え合わせはしてくれるんですよね? 口頭でいくつって言われても虚偽の可能性ありますし。それとちゃんとしたバレンタインチョコのみでカウントしてくださいよ? 普通のチョコとか数に入れるのダメですからね?」

「そうだな、前提条件を設けないとフェアじゃないよな。奢るかどうか賭かってるし。わかった、答え合わせの時に持ってるチョコを見せてやる」

 

 戸塚チョコはダメか……戸塚……戸塚よ……

 

「よーし、言質はとりましたよ! では雪ノ下先輩と結衣先輩と平塚先生で三個は確定として、他がいくつなのかが問題ですね~」

 

 口元に人差し指を当てて考えてる姿はなんてA・ZA・TO・I‼

 

「……せぇんぱぃ」

「な、ななな、なに抱きついてんだよ⁉」

 

「……ちょっとだけ……このままでいさせてください……」ドキドキ

 

 ななな、なんだ⁉ なんですか⁉ 告白か⁉ 告白なのか⁉ 告白だよね⁉

 でもはちまんは騙されない! 何故なら俺はプロぼっちだから‼ こんな局面はいくつも潜り抜けてきた本物のボッチ!

 俺は過去の黒歴史に支えられ、訓練を積んだ真のぼっち! だから騙されない! 後輩のあざとさのない素の表情などに……ってそれ騙してないじゃん、ホンモノじゃん‼

 

「目立ちすぎだから、せめて脇道に逃げ込ませろ」ドキドキ

「……はい」ドキドキ

 

「…………」ドキドキ

「…………」ドキドキ

 

「…………」ドキ…

「…………」ドキ…

 

「…………」

「…………」

 

「…………おい、いい加減そろそろ」

 

「……下駄箱」

「なに?」ピクッ

 

「……教室」

「?」

 

「……中休み」

「……おい、一体……?」

 

「……昼休み」

「……」ピク

 

「…………」スッ

 

 ようやく一色がホールドした腕を外すとちょっと顔が赤くなっている。いや、おそらく俺の方が真っ赤だろう。それにしてもなんだったんだ?

 いつもと違う雰囲気。冷静でない俺のせいでそう感じるのかもしれない。

 一色は俯き右手を自分の顎に当てて、何かを考えているのか、そして何か呟こうとしていた。

 

「……五個……かなぁ……?」

 

「…………」ドキッ!

 

 なにこれ、マジで俺サトラレなんですか? それとも身体密着させたら記憶読まれるとか一色ってパク〇ダだったんですかね?

 ……ん? 身体を密着させて……あ、こいつ!

 

「近いみたいですね……五個か六個かな……どっちだろう……?」

 

「……お前それはずるいぞ、人間ポリグラフはなしだわ」

「あれ? 気づいちゃいました? 先輩なかなかドキドキがおさまらないから必要以上に抱きつき続けちゃいましたよー。あれ~? 勘違いしちゃいましたか?」

「するか、あざとビッチめ!」

 

「(別に勘違いしちゃってもいいのに)」

 

「あ? なんだよ?」

「べつにー。でも、最後の五個、六個の時に『いろはすポリグラフホールド』しなかったんですからフェアじゃないですかね?」

 

「どこをどう解釈すればフェアなんて言葉がでてくんだよ! それとなんだよ『いろはすポリグラフホールド』って。遠い昔に流行って2世まで続いた超人マンガの必殺技かよ」

 

「訳の分からないことを言って気を引こうとしても、わたしが生まれる前からやってたマンガのことなんてやっぱり分かりませんから、もっと女子高校生が分かるマンガで口説いてください。ごめんなさい」ペコッ

 

「口説いてねえから。お前から何とかホールドとか言い出したんだろうが……」

 

 訳の分からんいつも通りの振り芸が終わるが、クイズの方はまだ続いていてニアピンまできてる。

 最後の二択勝負! 確率は50% でもこういう運試しの賭けに弱いのが俺で、逆に強そうなのが一色なんだよなぁ……

 

「決めました。先輩が貰ったチョコの数は六個です! どうですか?」

「よし、んじゃ答え合わせといこう」

 

 俺は鞄を開き、未だ人目に晒されていないチョコを含めた五個を得意気に白日の下へと晒した。

 

「おおー、先輩すごいですね、五個も貰ってるじゃないですかー、ぼっちとかうそっぱちじゃないですかー」

 

 何故かお怒り気味になる一色だが、それはそうか。一色はクイズを外したのだ。これで飯+映画を奢るペナルティは一色に課せられた。

 ん? あれ? これ奢ってもらうにしても休みの日とか使って外出なくちゃいけなくね? 当てても外れてもどっちも俺の負けじゃん。

 

「ふっふっふ……せーんぱい、わたしが当てたら奢ってもらうとは言いましたが、わたしが外れても奢るとは言ってません!」

 

「それ、前に卓球勝負で言ったこととほぼ同じでしょ。ずるくない?」

 

「じゃあ、もう一度言いますね、ちょっとずるいくらいの方が女の子らしいじゃないですか!」

 

「アァー、ソーダネ」

 

「なんですか先輩、その棒読みな返事は⁉」

 

「ああ、いやね、そのずるさのお陰で奢ってもらうために休日潰さないで済んで助かったなって思ったのよ。本当に女の子ってずるい、やった、バンザイ、みたいな?」

 

「うわぁ……先輩の考えそうなことですよね。……でも」

 

「ん?」

 

 言いながら一色は鞄を探り出した。

 

「せーんぱい、はいこれ、ハッピーバレンタインです!」

 

 一色は鞄から紙袋を取り出して俺に差し出してきた。

 え? これって? チョコレート⁉

 

「葉山先輩が受け取ってくれないのでー、特別に先輩にあげますね♪」

 

「あ、ぉ、おう……ありがとな……」

 

「これで六個ですね、わたしの勝ちです♪」

 

「え? あ! おい、そりゃ卑怯だろ!」

 

「答え合わせの段で追加するとか、もう後出しじゃんけんだろそれ!」

 

「えー? でもー、先輩が受け取らなかったら五個のままでしたから、もうこれは先輩の意思で六個にしたと言っても過言ではありませんよねー?♪」

 

「いや、過言だよ、ほら、ここで受け取らないとかの選択肢ないでしょ、さすがに。選択じゃなく畢竟だからね? それにお前、五個って言ってたらチョコくれないでそのまま当たったことにできるし、やっぱりお前の匙加減だろうが」

 

「往生際が悪いですよ先輩。こうなったら大人しくホワイトデーの時にでも奢ってくださいね」

 

「いやもうね、ちょっとずるいくらいがとか言ってたけど、極悪だわ、ビッチだわ、いろはだわ」

 

「⁉ ふぇ? ちょ、先輩! いま何て言ったんですか⁉」

 

「ああ? ビッチってディスったんだよ」

 

「そ、そうじゃなくて、最後の方です!」

 

「いいか、一色。枕詞にディス用語を置いておくと漏れなく最後の言葉もディスりワードになる。これ、小町の法則ね。テストに出るから覚えとくように。極悪・ビッチ・一色、の三段活用ね」

 

「キー! 最後が違うじゃないですかー! もおいいです‼」

 

 こんなに嬉しくないチョコは初めてかもしれなかった。

 いや、嬉しいよ? 嬉しいんだけどね?

 勝手に怒って立ち去ろうとする一色。途中で振り向いて何かを呟くが、俺にはよく聞き取れない声音だった。

 

「(……たとえ五個って言ってたとしても、チョコあげないわけないじゃないですか……)」

 

 やがて一色の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめ続ける。

 

 なんですかね、フリーペーパーの時もそうだったが、律儀すぎませんか俺。もはや八幡じゃなくてハチだよ。忠犬だよ。まあ、あの時もそうだけど、あいつかなり離れてから確認するみたいに振り返るからな。最後まで見送ってやらないと後味が悪いじゃん。デート10点だったけどさ。それこそ0点になっちゃうからね……

 

 

 

つづく



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5話 やはり、比企谷八幡にはとどかない。

2020.11.29 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

(はぁ……やっといなくなったか……もう、なんなのあれ……付き合ってるわけ? 今日、一番堪えたわ……)

 

 予備校に向かう途中、校門で比企谷を見つけたまではよかったが、声をかけようとする間もなく後輩に捕まってしまう。

 確か、クリスマスイベントの時に仕切っていた一年生の新生徒会長、一色、だったかな。バレンタインイベントの時にも世話になったし名前は覚えてる。

 その一色は比企谷に体当たりするなり一緒に下校すると、突然抱き付いて路地裏に隠れだしたり、もう普通に彼女みたいな異常行動が目立った。

 比企谷は妹を可愛がっているせいか、年下の女の子の扱いが上手い。何だかんだでワガママを許してしまうし、妹限定かもしれないが実は気遣いができる。年下相手にはそれが勝手に漏れ出ているのかもしれない。

 

 京華は天使だけど、それでも比企谷にとっては他人の子なのに、ものすごく構ってくれる。面倒見の良さと頼り甲斐のお陰で目の腐り具合なんて気にならない年下殺しっぷりは将来の京華が心配になるほどだ。

 

(ほんっと疲れた……これから予備校なのにこの寒い中、長時間イチャイチャコント見せつけられて……あたしの疲労を誰か癒してよ……)

 

 精神的疲労困憊になったけど、今なら比企谷に接触できる。なんだかんだで渡せるタイミングに巡り合えてラッキーだったのかもしれない。

 

「比企谷」

「うおう⁉ 川崎か、脅かすなよ。今朝のお返しかよ」

 

「いや、別に脅かしてないから。あんたも今から予備校? 同じ講義だっけ?」

「あ、そうだった、一色があんまりにも長々と喋ってたせいで時間なくなってんじゃねーか、間に合うかこれ……?」

 

 そういって比企谷は自転車に跨り、急いで家に戻ろうとするが無情にも目の前の信号は赤に点灯する。

 

「ついてねえな、おい……こりゃ無理かも……」

「……ねえ、比企谷、あんたもしかして教材とか予備校の準備してないわけ?」

「はぁー、不覚にもその通りだ。なんせ予備校あるの忘れて一度は奉仕部行っちまったからな」

「それで家まで取りに行って予備校に戻る気? 今からじゃ絶対無理でしょ」

「だよなぁ……」

 

「…………ねえ」

「なんだ?」

 

「……その……よかったら講義中、隣座って教材見せて……やろう、か?」

「は? いいのかよ?」

 

「い、いいって、それくらい。そうしないともう講義間に合わないよ」

「あー、いや、すまん川崎。マジで助かるわ」

 

「う、うん、じゃ行こっか……」

「お、おう」

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Hachiman 》

 

~予備校・講義終了~

 

 

 講義が終わり、俺と川崎は帰路を共にしている。

 

 講義中はちょっとだけ周りの視線が痛かった。なんせ、ぼっちの比企谷八幡といつも一人の川崎沙希の豪華共演ですよ? そりゃ視聴率が……集まるわけないですね。ただ冗談はともかく、俺は存在を認識されてないが川崎は違った。

 

 もともと顔立ちが整っており、スタイル抜群で目立つ存在だ。そんな彼女に興味を持つ者(特に男)は多いだろうが、コミュ障でぶっきらぼうな上、そういった輩に興味がないのか全く取り合おうともしない。

 

 川崎と仲良くしたいと思う男は相当数いるはずなのだが難攻不落過ぎて親しい男の影など見たことがない。そんな彼女の隣に座ることが出来る幸運な男(アルティメットレア)がよりにもよって比企谷八幡だと今日の講義で皆に知られてしまったのだ。

 

 レアキャラには違いないがあくまで外で見かけることがレアとかいう意味で、こういうことにおいてのレアではない。

 実際、俺だって奉仕部活動でスカラシップのことを教えていなければ、予備校を辞めるまで話す機会すらなく関係は変わらないままだっただろう。

 

 そんなことを思い浮かべながら辺りを見渡すと暗くなりかけていた。お互い自転車だしあまり送る意味はなさそうだが、それでも途中まで川崎と一緒に帰ることになったのだ。

 正確には、川崎から頑なに帰ろうと誘われたのだ。今日の講義で教材を見せてもらった手前、強く断ることが出来ず現在に至る。

 会話はないが、特に気まずさは感じない。その辺は雪ノ下に通ずるものがある。もっともあいつの場合、その気になれば息継ぎが必要になるんじゃないかというくらい長文の俺ディスりを間髪入れずに垂れ流し続けることもできるが。

 あのモードになると、たまに思ったよりダメージを受けることがあるからなるべくならご遠慮したい。まあ、楽しいと思える面もあるがな。

 

「…………」

 

「…………」

 

 川崎はずっと俯き加減で隣を歩いている。時間はそこまで遅くないが、彼女が夕飯を作るのであれば急ぐべきだろう。二人で自転車を押しながら帰ることはない。なのにそうしているということは、何か話したかったからではないのかと察するのは当然であった。

 

「……なあ……今日、お前が夕飯作んの?」

「え? あ、そうだ……けど、それがなに?」

 

「予備校あったし帰りちょい遅くなったから、それならわざわざ自転車押して歩かないで乗って帰ればって思っただけだ。これから作るんだろ? 時間なくなっちまうぞ」

「あ、……うん、そう……だ、ね……」

 

 普段の彼女をよく知るわけではないが、それでも歯切れの悪い返事だというのは分かる。どもるでもなく、ぶっきらぼうでもなく、ただ言いにくかった、そんな返答。俺の指摘は正論であったはずだ。なにか地雷でも踏んだのだろうか?

 

「なんだ? らしくないな。お前いつも嫌なことはハッキリ断ったりするタイプじゃなかったか?」

 

 そこまで言ってから前の正論とこの指摘についての意味を考える。言ってしまってから考えるなど我ながら浅慮だったと後悔した。

 いつもなら口より先に思考が働く。どっかの語尾と頭に『べーっ』とカチューシャつけてる奴やお団子つきビッチ風ギャルみたいに思ったことを即口に出すタイプとは違うと自覚していたはずなのに。

 

 夕飯をこれから作るのなら早く帰らないといけない。自転車を押すのは早く帰りたくない。完全に相反する。なのにこうしているってことは遅くなってでもしたいことがあるはず。

 最初に思った通り、多分何かを話したり相談したりしたかったんだろう。そこまでは確定しているが、こうも話してくれないとどうにもならん。ぼっちには話しやすくするよう促す話術がない。

 

「い、いつもとか、別にいつもしゃべってるわけじゃないでしょ」

「そりゃ、お互いぼっちだし、全体的な時間で見ればいつもじゃないが、たまに話す時間を全てかき集めた中のいつもって意味でだよ。そもそも俺の今までの人生の会話時間は小町に七割、戸塚に一割、奉仕部と平塚先生に一割くらいで残り一割がその他大勢といえる」

 

「色々ツッコミたいとこあるけど、あんたの両親の分どこいってるわけ? あんた妹好き過ぎでしょ」

「(お、ちょっと笑ったか?)うちは両親が小町に愛情を注ぎ過ぎて余りの分しかもらえないので会話はない」

 

「家庭でもぼっち気取ってるとか悲しくならないの……?」

「小町がいればぼっちじゃねーし、それでいいからな。まあ、親に変に干渉されないからむしろ心地良いまである」

 

「(……あたしはその他か)」

 

 何か呟いていたようだが聞き取れず、言葉を続けた。

 

「お前だって似たようなもんじゃねえのか? 俺が思うにお前の場合、両親が三割、大志が三割、けーちゃんに四割で残りの誤差分がその他だろ、違うか?」

「待って、ちょっと待って! 今度こそツッコミたい。対外的な会話時間が一割ないとか、それあたしがあんた以上にぼっちって言ってない?」

「あれー? 喜ぶかと思ったのにな。だってお前家族大好きじゃん」

「そ、そりゃあ、家族は大事だし好きなのは当たり前でしょ。でもさすがに両親三割とかはないよ、いつも忙しいし。京華に四割は……うん……まあ、当たってるかも……」

「否定しねえのかよ。ってか、こんなん冗談で言ってるんだし真面目に考えるなよ。なんだったら俺のその他だって一割なわけないだろ」

「え? じゃあ、あんたの対外的会話って本当は何割なわけ?」

「ほぼゼロだ。限りなくゼロに近い」

「…………」

 

「なんだよ?」

「……こうしてしゃべってるのにゼロなんだ?」

「……あ、いや……」

 

 あれ……なんかおかしくね?

 こんなの本当は、とか言ったって正確に分かるもんじゃないし冗談のままでしょ?

 川崎さん真面目に受け止めてますけど……なんかさっきまでの沈黙と違って空気重いし、どうすればいいんだ……?

 

「……新しい生徒会長とも結構しゃべってるみたいだけど」

「あれはしゃべってるというよりこき使われてるだけだ。あれをコミュニケーションとして捉えるならば、社畜の皆様はコミュニケーションの鬼と言える」

「また茶化して……あんた少しは真面目に話できないわけ?」

 

 こえー、眼力つよ! 今って真面目に話す時だっけ? 俺はTPOに応じたネタ提供をしているつもりですけど?

 いや、ぼっちにネタ提供とかできるわけがなかった。つまりTPOにそぐわない内容だったのだ。八幡反省。

 

「……んなこといっても会話何割とか計りようがないだろ? こんな話題な時点で全てが冗談だよ」

「……そう」

 

 また沈黙……なんとか会話を探そうとするもコミュ力不足で脳が空転する。

 普段の読書が全く役に立たないとは、コミュニケーションとはなんて難しい学問なのだろうか。

 

「じゃあ、比企谷の家族以外の会話比率ってどうなってんのか教えて」

 

(え? ホント何言ってんの、この人⁉)

 

「……まあ、教えてやってもいいが、人に訊くからには先にそっちから話すのが礼儀だろ?」

「ん……まあ、そうかも。んじゃ、教えてあげてもいいよ」

「え? いつの間に上から目線?」

「あんただって上から目線発言じゃん」

「そういえばそうだな。否定はせん」

 

「……あたしは家族以外では、その他が一割」

 

(あれ、その他から発表? ベスト10方式みたいな感じか?)

 

「……比企谷が九割」

 

「……は?」

 

 ものすごく間抜けな声が漏れてしまい、歩も止まる。川崎は前を向いて俯いたまま歩いている。

 

(……俺が……九割?)

 

 あくまでも家族を除けばという前提条件なので、九割という数字から感じられるほど会話が多いわけではない。それは分かる。が、それと同時に家族以外で親しい人物が俺だけだということも意味している。

 

 確かに、川崎の交友関係は狭い。というか俺の知ってる限りではあるが、無いといってもいいかもしれない。最近では海老名さんと話すところくらいは見かけるが、それも向こうから話しかけれ返事をするという、俺で例えるなら由比ヶ浜から一方的に話しかけられ相槌をうつ程度のもの。もっとひどく例えると材木座をあしらうのと同じだろう。

 

「……それって」

 

 なに? お前、俺のこと好きなの? と続けそうになってしまうが何とか言葉を飲み込んだ。

 

 徐々に離れて行く川崎。横断歩道の手前ギリギリまで進むと、足を止めた俺とは少しだけ距離が空いていた。川崎は振り向いて俺にこう告げた。

 

「……冗談に決まってるじゃん」

 

 悪戯っ子のような笑顔をこちらに向けてそう言い放った。

 

「! 冗談かよ、俺が訓練されたぼっちじゃなきゃ、確実に勘違いして告白して振られるまであるぞ」

「⁉ あんたまたそういうこと……こんな会話なんて全て冗談って言ったのはあんたでしょ」

 

 俺は川崎に追いついて横断歩道を渡ろうとする。前を行く川崎は鞄から何かを取り出そうと足を止めた。

 歩行者用信号が青なので川崎は油断していたのだろう。

 横断歩道で立ち止まった彼女に向かって車が突っ込んできた。

 それに気づいたのは川崎ではなく――――俺だった。

 

「川崎‼」

 

「……これ……え⁉」

 

ビュ フォン! ガシャーン! グシャッ!

 

 

《 Side Saki 》

 

~一分前~

 

 

『比企谷が九割』

 

 

 そう発したあたしはどんな顔をしてただろう。比企谷からも呆けた声が漏れた。

 言ってからしまったと思った。

 こんなのもう告白だ。

 実際、家以外では学校と予備校とスーパーくらいしか外にでないし、その二ヶ所に比企谷が絡んでいる。

 しかも、あたしはぼっちで積極的に他人と話さない。まともにしゃべるのは比企谷だけ。下手をすると『少なく見積もっても比企谷が九割』かもしれない。

 

「……それって」

 

(え、どうしよう……こんな道端で告白? 無理無理無理‼)

 

「……冗談に決まってるじゃん」

 

(! あ、告白までしなくても、今がチョコ渡す絶好のタイミングだったんじゃ……?)

 

「! 冗談かよ、俺が訓練されたぼっちじゃなきゃ、確実に勘違いして告白して振られるまであるぞ」

「⁉ あんたまたそういうこと……こんな会話なんて全て冗談って言ったのはあんたでしょ」

 

 なに言ってんのあたし‼

 どう見ても今のタイミングでチョコ渡すべきだったでしょ!

 でも比企谷がそう思ってくれてるなら、今からでも……。

 周りを気にせず急いで鞄からチョコを取り出そうとした。

 

「川崎‼」

 

「……これ……え?」

 

ビュ フォン! ガシャーン! グシャッ!

 

 

 あたしは衝撃と共に歩道まで飛ばされ仰向けで倒れた。

 自転車の倒れる音が二つ、車が高速で傍を通り過ぎる音と何かを轢く音。

 

 ……そして

 

 あたしに覆いかぶさる大きな影。

 

「大丈夫か? 川崎」

「ひ、比企谷……」

 

「あっぶねえな、信号赤なのに無視してったぞあの車」

 

 そう、歩行者用信号は青になったばかり。だから、あたしもつい横断歩道で立ち止まってチョコを取り出そうとしてしまったんだ。

 ……そういえばチョコは⁉

 

「あ! ……その……」

「あ? なんだ、川崎」

 

「その……どいて……くれる?」

「! ああ、すまん! 通報とかするなよ! 迷子の子供を助けようとしただけで通報されるくらい誤解されやすい体質、もとい目なんだから」

「し、しないよ、そんなこと!」

 

 比企谷がどいてくれて、あたしはすぐに身を起こしてチョコの行方を探す。そしてそれはすぐに見つかった。

 

グシャッ ガッ グシャッ

 

 

 その光景を目の当たりにして、あたしは倒れそうになった。

 

「あ、大丈夫か?」

 

 比企谷はふらついたあたしを支えてくれた。前の車の死角となって反応できないのか、ラッピングされたチョコをよけれずいくつもの車が次々と轍をつけていく。比企谷の自転車が横断歩道の向こう側で倒れている。あたしを助けるために放置したものだが、それが今のあたしの目に映ることはなかった。

 

 歩行者用信号が青になった。あたしが独歩できると確認すると、比企谷は支えを解き、対岸の自転車を拾いに行った。

 あたしは道路に転がり何度も轢かれた少し前までチョコだった物を拾い胸の前で抱きかかえた。それはいくつものタイヤの跡で無残に装飾された変わり果てた姿。

 

 情けないことに……視界が歪んだ。こんな公共の場所で涙を浮かべているのだ。

 自転車を拾ってこちら側へ戻ってくる比企谷。スタンドを立ててあたしの自転車も同じように止めた。あたしはまだ涙を止められずにいた。

 

 みっともない、みっともない、みっともない……でも身体がいうことを利いてくれない。決して溢れ出るというほどではないが、それでも涙が止まってくれない……くやしい……あたしはこんなに弱い人間だったのか……?

 

「…………」

「……あ」

 

「…………」

 

 比企谷は、あたしの頭を優しく撫でてくれた。

 

「…………」

「……その……元気出せよ……チョコがお前の身代わりになってくれたんだから貰うはずだった奴もそっちのが嬉しいんじゃねえの?」

 

「……うん」

 

 比企谷はそんなふうに考えてくれてるんだ……

 

 

 

つづく



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6話 いろいろあって、川崎家に招くことにした。

2020.11.30 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


 人に頭を撫でられたのはどれくらい昔のことだろう。

 大志が生まれてお姉ちゃんになって、以来ずっと年上としての役割をこなしてきたあたしは、親にすら撫でられた記憶があまりない。

 それが今は、クラスで唯一興味を抱いた男子――比企谷にされているのだ。

 

「…………」

 

「……その……落ち着いた……か?」

「……ん」

 

 比企谷はあたしの頭から手を離した。名残惜しむ顔を見られたくないので俯いたままだが、比企谷はどんな顔をしていたのか興味深かった。もう暗くなっているので顔色が分かりづらいが、照れて赤くなっていたかもしれない。

 

「……ありがと」

 

 それが何に対してのお礼だったか判然としなかったが、第一声はそれであるべきだ。

 

「別に何もしてねーよ。それより怪我とかないか?」

「ん……それは大丈夫。あんたのお陰……」

 

 落ち着いてから、また二人で自転車を押しながら歩いた。そろそろ帰って夕飯の準備をしないと大志達がおなかを空かせているだろう。

 

「……あー、ところで、一緒に帰るって誘われて今に至るがなんだったんだ? なにか話でもあったんじゃないのか?」

 

 比企谷から水を向けてきた。コミュ力がないなりに気遣ってくれるその心は嬉しかった。しかし、今となっては相談というか目的は終ぞ達成されることはないであろう。

 

「あ、ああ……実は、このチョコをね……上手いこと渡す手段がないか相談したかったんだ……」

 

 ある意味、嘘ではないのだがこうなっては渡すこともできないし、いまさら比企谷にあげるつもりだったなど伝える気はなくなっていた。

 

「そ、そうか……でも俺なんかに訊かれても上手い解決方法は出てこないと思うぞ。なんせ俺はバレンタインというイベントに最も縁遠い男だしな」

 

 頭を掻きながら否定するが、今日に至ってはあんたがそれを言うのは適切じゃないってあたしは知っているよ。まあ、下手に言うと今日ずっと見ていたことがバレるから言わないけどね。

 

「ところで誰に渡すつもりなんだ?」

「…………」

 

 当然、そう訊かれるとは想定していたが、黙秘でも問題ないだろう。好きな人を教えるようなものだし。でもこれを言わないなら本気で相談してないと言ってるようなもんだけどね。

 

「あ、そうだな。プライベートな質問だよな。でもこっちも興味本位で訊いたわけじゃねえからな。相手が分からないと渡し方の想像も作戦も立てられなくてな。すまん」

「……いいって。元々脈なしみたいなもんだし」

 

 若干、騙してはぐらかしているところがあるので、比企谷に謝らせてしまうのには罪悪感があった。

 

「え? 川崎が脈なしってどんな男だよ……お前からチョコ渡されたら誰でも喜ぶだろ」

「! そ、そそ、そんなことないでしょ! だって、あたしだよ⁉」

「いやだって……顔立ち整ってるし、スタイルいいし、兄弟の面倒見良くて、料理うまくて裁縫得意とか、あれ? 隙がねえじゃん。逆にどこに欠点があるのか知りたいまである」

「…………」

 

(バカ、バカ! そんな風に思ってたの⁉ やば、これはちょっと見せられない顔になってる!)

 

「…………」

「…………」

 

 しばらく無言で歩いていたが、ちょっと勇気を出してみようかと思い、意を決して声を掛ける。

 

「ひ、ひきぎゃにゃ!」

「うお! お、落ち着け川崎」

 

「…………」

 

 思い切り噛んで挫けそうになるが、ここで逃げるわけにはいかない。

 

「ひ、比企谷! あの、その……さっきはありがとう。お礼ってのには足りないかもしれないけど、その……うちで夕飯食べていってくれない……かな?」

「え? 川崎の家でか?」

「……だめ?」

「え、いや、ダメってことはねーけど、小町が家で一人になっちまうし……」

「じゃ、じゃあ、妹も一緒に来てよ!」

「今日はまたぐいぐい来るな。もう飯作ってるかもしれないから電話してはみる。期待はするな」

 

 

プルルルル プルルル ガチャ

 

 

『はいはーい、小町だよー?』

「おう、予備校終わったんだけど、もう飯出来てる?」

『下拵えは終わってるよ。ハンバーグ作ったからお兄ちゃんが帰ってから焼くけど、なんで?』

「川崎から今日一緒に夕飯食べないかって誘われてて。小町も一緒に川崎んちで」

『え? え? なにそれ? お兄ちゃん、沙希さんになにかしたの?』

「まあ、したといえばしたが、別に悪いことはしてないからお兄ちゃんを信じろよ。小町さえよければ伺おうかと思ってるんだが、どうだ?」

『ああ、小町も大賛成だよー! あ、沙希さんに替わってくれる?』

「川崎、小町が話したいってよ、ほれ」

 

「うん……もしもし」

『沙希さーん! お久しぶりですー!』

「ついこの間街で会ったばかりじゃないのさ、それにしても相変わらず元気だね」

『そーでしたねー、京華ちゃんも元気ですか?』

「ああ、おかげさまで。妹ちゃんにもまた会いたがってるから、今日うちに来れないかな?」

『是非是非ー、お兄ちゃんと伺っちゃいますよー。ああ、それと小町って呼んでください』

「ん、ああ、また今度ね」

『がーん、小町のおねだりが効かないなんて……』

「おねだりってなんなのよ……」

『いいじゃないですかー、こ・ま・ちって呼ぶだけですよ? い・も・う・と・ちゃ・ん、とかよりも3.5文字も短縮できちゃいますよ⁉』

「長さに困ってないからいい。それより――」

 

 正直、名前呼びの方が楽なのだが大志みたいに呼んだ時のことを想像すると、頭が別の意味に捉えてしまう。

 比企谷が大志に『お兄さん』と呼ばれたくないのに近いかもしれない。小町と呼び捨てたら何だか……いや、これ以上余計なことは考えない。

 

「うちの場所は知ってたね? 分からなかったら電話してきな。これから比企谷に番号教えとくから」

『おお! お兄ちゃん喜ぶと思いますよー。あとさっきお兄ちゃんにも言ったんですけど、今日の夕飯大体作っちゃってあるんで、沙希さんがよろしいならですけど、それも持ってっちゃって皆で食べるのはいいですかね?』

「へー、あんたの手料理かい。大志も京華も喜ぶよ。もちろんあたしもね」

『わっかりましたー! 小町も沙希さんの手料理楽しみにしてます! で、沙希さんとお兄ちゃんはどうするんです? このままそちらの家に行っちゃう感じですか?』

「いや、あたしはちょっとだけ買い物してから帰るけど、あんた達は着替えたり持ってくる料理を準備したりとかあるだろうし、比企谷は先にそっちに帰すよ。準備できたら一緒に来てくれればいいから」

『了解でーす! お兄ちゃんに替わってもらえますか?』

 

「替わったぞ」

『お兄ちゃんやったじゃん、沙希さんの番号ゲットできちゃうよ! なんでこうなったのか帰ってきたら聞かせてね! ポイント高いよ、お兄ちゃん!』

「少しはテンションを抑えなさい。分かったから、もう切るぞ?」ピッ

 

「……というわけで川崎、今日は厄介になる」

「うん、歓迎するよ」

 

 

~スーパー~

 

 

 家に材料はあるが二人をもてなす為、少しでも豪華にと緊急で買い物に来た。本当は比企谷と一緒に……との願望はあったが、買い物からそのまま家で食事まで制服姿だと気が休まらないだろうと思い、先に帰して準備を促したのだ。

 正直、渡そうとしたチョコが車に轢かれ続けるのを見るのはつらかった。辛くてつらくて、いつ以来か覚えていないくらいに久しい涙なんてものを人前で流してしまったほどだ。

 でも、それ以上の喜びもあった。

 比企谷があたしを庇ってくれた。両方怪我もなくて、泣いてるあたしを撫でてくれて……

 普通に考えたらあり得ない出来事の連続で頭が追いついていかない。そのままの勢いで夕飯に誘っちゃったけど、冷静になってくるとかなり大胆に申し出たもんだ。

 一、二品くらい増やす為の材料をカゴに入れ手早く会計を済ませようとした。するとレジ横にバレンタイン用のチョコが陳列されているのが目につく。

 

 今日はバレンタインデーだし、スーパーの戦略なのは分かり切ってるんだけど……

 分かっていても手がのびてしまう。あたしのチョコはこんなだし、いま材料買ってもまた作る時間もない。手作りよりグレードが落ちるけど渡せないよりマシ。

 いや、マシじゃないよ。手作りダメになっちゃったから代わりに急遽スーパーで買ってきたやつあげるなんてテキトー感すごいでしょ。

 それ以前に、比企谷はこの轢かれたチョコが自分に向けられた物だって思ってないんだから……

 あんなに頑張ってハート形にまでした本気のチョコだったのに……

 それ渡せないでここで買ったチョコ渡して義理って勘違い?

 なにそれ、どんだけ神様に恨まれてんの?

 

 省みると、さっき言い出せなかったのが致命的なミスだった。この後でいくら本当は比企谷にあげるチョコだって言おうと、代わりにこのチョコを受け取ってって言おうと、さっき助けて貰ったお礼の義理チョコに帰結してしまう。

 

(……あたしはバカだ……)

 

 ショックで混乱してたとはいえ、照れ隠しで言い淀んだら取り返しがつかないことになってしまった。

 もう比企谷に本命のチョコだって思ってもらえることはないかな……

 

(……しょうがないか……あたしのせいだし……)

(…………)

 

(…………)グスッ

 

 くっ……!

 いけない、一度決壊したからか涙腺が脆くなってる……

 こんなところで一人で泣くなんて、比企谷じゃないけど通報モノだよ。

 あたしは、なんとかこらえてチョコをカゴに入れた。

 

(…………)

(……どうせ義理に思われるなら……)

 

 カゴのチョコを陳列棚に戻して、生菓子のコーナーへと向かう。

 考え込んでたら思いの外、時間が経っていた。今日は予備校後でいつもより遅いってのに交通事故に遭いかけたり買い物を追加したりと追い打ちが重なっている。

 急がなければ。比企谷達のが先にうちへ着くとか洒落にもならない。

 

 デザートを選んで早足で家路へと着いた。

 

 

 

つづく



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7話 今再び、比企谷小町は兄に依頼する。

2020.11.30 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Hachiman 》

 

~比企谷家~

 

 

「たでーま」

「おかえり、お兄ちゃん! もう沙希さんちに行く準備できてるよー!」

「さすがに手際いいな。俺が着替えたらすぐ出るか」

 

 小町の頭を優しく撫でてやると、小町もそれに応えるようにはにかんだ。可愛い。

 

「そういえば~♪ お兄ちゃん今日はチョコ貰えたの?」キャッキャッ

 

 例年ならその残酷な質問は刃物となって俺の胸を抉るだろう。だが今年のお兄ちゃんは違うぞ小町!

 でもなるべくなら言いたくない、絶対茶化されるし。でも訊き出されるんだろうなあ、小町だもんなー。

 

「先に着替えてくるわ」

 

 小町の追及を躱して着替えるが、その最中にドアの向こうから質問攻めが行われた。

 

『ねえねえ? それでそれで~、ホントのところはどうなの~?』

「まあ、ぼちぼちってとこかな」

 

『そんな曖昧な答えで小町が許すと思っているのだとしたらお兄ちゃんは甘々だよ~、マッ缶くらい甘ったるいよ~』

「お兄ちゃんの沽券に関わることなので黙秘します」

 

『ぶー! お兄ちゃんポイント低いよ……じゃあさ、もう時間もないからお兄ちゃんがゲロっちゃう奥の手を早くも使っちゃうからね?』

「ゲロとかいうな。なんなのその言葉遣いは? 乱暴ですよ?」

 

『言わないとお兄ちゃんにあげるはずだったチョコを大志くんにあげちゃうから♪』ニパ!

 

「ごぉぉまぁぁぢぃぃぃぃ‼」ガチャッ!

 

「あはっ! お兄ちゃんキモーい! でもそんなお兄ちゃんポイント高いよ!」

「ほら見ろ、お兄ちゃん今日は六個もチョコ貰ってきたんだぞ!」

 

 もはや抵抗の意思を見せることなく晒されたチョコ達、色とりどりのラッピングに小町は目を輝かせた。

 

「わー、すごいすごい‼ いつからこんな自慢できるお兄ちゃんになっちゃったの? 小町も鼻が高いよ」

 

 小町は大喜びでチョコを一つ一つ手に取っている。

 

「これは……雪乃さんかな? こっちは結衣さん? あとの四つが分からないけど……」

「ああ、それは平塚先生からだ。そっちが新しい生徒会長からで、これが前の生徒会長からだな」

「ほーん……で、これが沙希さんからのやつっと」

「違うぞ?」

「ほえ?」

「それは、腐女子からの贈り物だ」

 

「は?」

 

「だから、腐女子からの……」

 

「は?」

 

 声ひくぅ! こわ‼

 

「こ、小町ちゃん? ホントに今日はどうしちゃったの?」

「なーんで今日手料理の夕飯を御馳走してくれる沙希さんからのチョコがないの? あ、そっか、これから行って御馳走の後に貰えるんだ! やだもー、小町ったら勘違い!」

「ああ、多分それもないぞ?」

 

「はぁ?」

 

 小町ちゃん、ホントどうしちゃったのよ⁉

 

「いやな、川崎のやつは本命を渡す相手がいるみたいで、あ、これ言っちゃってよかったのか……?」

 

「……どういうこと?」

 

「いや、だから……これは川崎のプライベー……」

 

「ど・う・い・う・こ・と・?」ニッコリ

 

 小町ちゃんの笑顔に惨敗し、予備校帰りの出来事を話すことになった。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「ははーん、そういうことだったんだー」

 

 小町は荷台に乗り俺の背中から腕を回している。説明が終わり聞き終えた小町はぶつぶつと呟く。

 

「……でも、それって変じゃない? お兄ちゃん」

「あ? 何がだよ?」

「沙希さんがチョコ渡したくてその相談するために予備校帰りに誘われたっていうのが」

「なんで? 別におかしかねーだろ。学校で渡せなかったからその方法を相談するってのは」

「だってさ、バレンタインって今日なんだよ? 相手が仮に同じ学校の人だとして、学校も終わって予備校帰りの時間でどうやって渡すの?」

「それは……」

 

 小町に言われたことを反芻する。川崎が車に轢かれそうになったインパクトのせいで相談のことなど深く考えていなかったからそんな単純なことに気付けなかった。

 

「こんな時間じゃ相談しても別に出来ることないよね? だってもう直接家に行って渡すかポストに入れるかくらいだもん。あとはメールかなんかで呼び出して渡すとかかな」

「そう……だな」

 

「こう言っちゃなんだけど、沙希さんもその、ぼっち、だよね? じゃあ多分、相手のメルアドも知らないだろうし、LINEもやってないだろうし、直接家に行くしか方法ないじゃん。相談できるほど選択肢がないっていうか……」

「……そうかもしれんな」

 

 じゃあ、本当は俺になんの相談をしたかったのか。疑問ばかりが募っていく。

 

「……やっぱり沙希さん、お兄ちゃんにチョコ渡したかったんじゃない?」

「どうしてそーなる?」

 

「……お兄ちゃんもホントは気づいてるんでしょ? だって沙希さん庇った時にチョコが鞄から放り出されたって言ってたけど、最初から鞄が開いてたわけじゃないんだよね? 轢かれそうになった時に沙希さんが鞄から出そうとしてたからそうなったんでしょ?」

「ああ、たしかに」

 

「だったらその時、お兄ちゃんに渡そうとしたんだよ。それなのに車が突っ込んできたからそんなことになって……」

「…………俺のせいか……俺が庇ったせいで」

 

「ちっがーう! そこじゃなーい! 第一お兄ちゃんが庇わなかったら沙希さん大怪我してたかもしれないんだから、そこは全然間違ってないの!」

「ああ、そうだよな、俺は間違ってないよな……川崎は無事だった……チョコは無残だったが……」

 

「つまり小町が言いたいのは、あんなタイミングでチョコを取り出したのはお兄ちゃんに渡そうとしたからで、それなのに車に轢かれて潰れたから渡せなくなってそんな嘘ついたってことだよ!」

「川崎が俺に? いや、でも……それは……」

 

「勘違いじゃないよ、お兄ちゃん。だって今日、小町以外からたくさんチョコ貰ってるじゃん。沙希さんもきっとお兄ちゃんに渡そうとしてたんだよ!」

「だからお兄ちゃんは今日、夕飯を御馳走になった後にそのチョコを貰ってあげれば相談は解決だよ、うん! 沙希さんの気持ちを察して渡せなくなったチョコを受け取るお兄ちゃんポイント高いよ!」

 

「……し、しかしだな小町……百歩譲ってそうだとしても、轢かれたチョコをくれって言われたら引くだろ。いや確かに少女漫画とかにはありそうだが……」

「……もう! ……しょうがないなあ。じゃあ、お兄ちゃんの為に小町がその理由になってあげる」

「え?」

「沙希さんが一生懸命作ったチョコをお兄ちゃんに受け取ってもらうよう依頼します」

 

「え、いや、それは……」

「きっと沙希さんも潰れちゃったチョコなんて渡せないから落ち込んでるだろうし、そこをお兄ちゃんの方から欲しいって言えば沙希さんも渡す理由が出来ると思うんだよね」

 

「待て待て、それは前提が俺に渡すつもりのチョコだったらってことだろうが。そうと決まったわけでもないのにその依頼は受けられんぞ」

「ええー? 絶対そうだって。小町が保証するもん」

 

「もし俺宛てじゃなかったらどうする? 自分のだと勘違いして実は他人にあげるはずの潰れたチョコを下さい。なんて、これはもう他の追随を許さぬくらいの黒歴史だよ? 負けることに慣れててもこれは許容できないぞ!」

 

「小町の言葉を信じないお兄ちゃんポイント低い……じゃあ、沙希さんがそのチョコ誰にあげるか探り出せれば受けてくれるの?」

「……そうだな、確かに誰に渡すつもりだったのかを知るために小町本人も動くというなら奉仕部の理念にも反してないかもしれん。小町がそれを訊き出せて、なおかつ、もし万が一、いや億が一にも有り得んが俺宛てだったら、その依頼引き受けてもいい」

 

「やった! お兄ちゃんポイント高い!」

「ただし、嘘はダメだぞ。本当に俺宛てだと確信できない場合もダメだ。言質をとってこい」

 

「ええー、ちょっと厳しくない?」

「……逆に考えろ。俺が普段絶対にしないであろう川崎にバレンタインチョコを要求するという未曾有の出来事を、言質がとれさえすればやると言ってるんだぞ。これがどういうことなのか小町に分からない訳ではないだろう」

 

「確かにお兄ちゃんから女の子にチョコくれって言うのって、休日に雪乃さんと結衣さん連れて出掛けるくらいあり得ないよね」

「あったり前だろ。さらに専業主夫を諦めて社畜になるまであるあり得なさだ」

 

「その発言をあり得ないに例えれちゃうあたり、お兄ちゃんが男としてあり得ないんだけどね。でもそんなお兄ちゃんを健気に応援してあげるのは小町的にポイント高い!」

「はいはい健気健気」

「テキトーだなー」

 

「そんなことより依頼を達成させたいなら、どうやって川崎から探り出すか作戦考えた方がいいんじゃねえの? 探り出せない方が俺としてはいいんだが。まああり得ないから達成は不可能なんだが」

「うん、まかせてよ! ちょうど材料も持ち込んでるから一緒にお料理しながら訊き出してみるよ。沙希さんと恋バナするの今から楽しみ!」

 

「川崎が恋バナ……想像つかん……」

「それ本人の前で言っちゃダメだからね。地味に深く傷つくと思うよ」

 

「そうなのか……まあ、でも確かに誰に渡すのかは知らんがチョコを用意してたのを見ると川崎も乙女してるってわけか」

「小町がきっと真相を暴いてくるから絶対に依頼実行してね」

 

「……万が一そうだったらな……」

 

 俺達は川崎の家に到着し、呼び鈴を鳴らした。

 

 

 

つづく



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8話 思いのほか、川崎沙希は傷心している。

2020.11.29 台本形式その他修正。
2019.12.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Komachi 》

 

~川崎家~

 

 

ピンポーン

 

 

「はーい」

 

「こんばんはー、あ、大志君、今日はお邪魔してごめんね」

「いらっしゃい、比企谷さんとお兄さん! 歓迎するっす!」

「おう、邪魔するぞ。あとお兄さんと呼ぶな」

 

 いつものやり取りをしてお邪魔する。沙希さんが出迎えないってことはまだ帰って来てないのか、もう料理の準備にはいってるのか。

 

「二人ともいらっしゃい。ちょうど着替え終わってこれから準備するところだよ。すまないけど大志と一緒に京華の相手をして待っててくれるとありがたいんだけど」

「はーちゃん、小町ー」

 

 京華ちゃんは小町に抱きついてきた。可愛いなあ、小町うかうかしてられないよ。

 

「あ、沙希さん、小町が準備したのもありますから、沙希さんさえよければ一緒に夕飯作ったりするのってできますかね?」

「え? あんたも一緒に? あたしはいいけど……比企谷?」

「あ? なんで俺に振るの? 小町はいつも俺のご飯作ってくれる天使だぞ。俺の中の料理が上手い女子ベスト3にランクインしてて、堂々の一位だ。心配いらん」

 

「うわっ! お兄ちゃんキモ! 同級生の前で平然とそういうこと言っちゃうのは小町的に微妙だよ?」

「うっせ。千葉のお兄ちゃんは妹が一番大切ってのが社会の常識なんだよ」

「いや、だからだって……この子の料理の腕は心配してないよ。あんたが妹をあたしにとられたとかゴネないかと心配になったから一応お伺いしたんだけど?」

 

「ああ、それは心配するな。俺はけーちゃんの相手をしてるからな。言ってみればこれは妹同士の期間限定交換トレードだ」

 

「うわぁ……」

「あんた……」

「お兄さん……」

 

「待て待て、全員で引くなよ。冗談に決まってるだろ。え? もしかして通報されちゃう?」

「はーちゃん、行こ行こ‼」

 

 お兄ちゃんは京華ちゃんに連れられて居間の方へと向かった。小町もコートを脱いでエプロンを着用、沙希さんについていき台所へ行き、手を洗う。

 

「じゃあ、早速始めちゃいましょう。何からやりますか?」

 

 川崎家で調理する以上、当然沙希さんがメインで小町はサブだ。いきなり他人の家の台所を好き勝手使えるほど図々しくはない。

 

「じゃあ、里芋の煮っころがしに使う野菜を切ってもらおうかね。まあ切り方はあんたに任せるよ。あ、里芋はあたしが切るから。こう見えても得意だし切り方で味の滲み具合が変わるからね」

 

 沙希さんはそう指示して手早く皮を剥いてザルに入れていく。すごい! 手早いしキレイ! 小町もお兄ちゃんのお世話で随分お料理してきたけど、敵う気がしないよ……

 

「…………」

「…………?」

 

「どうしたんですか? あんまり見られると小町、手切っちゃいそうですよ?」

「いや、やっぱり料理慣れてるなって思って」

 

「いやー、沙希さんほどでは……」

「そんなことないよ。あたしより二つも下なのに安心して見てられるし、なんだったらうかうかしてられないって感じるよ」

 

「褒め過ぎですよー、ありがとうございます」

 

 沙希さんに褒められるのはすごく嬉しい。それに、ぼっちでコミュ障とかきいてるけど、全然そんなことないじゃん。もしかして、小町のこと家族にカテゴライズされてるのかな? ああ、だとしたらこんなお義姉ちゃん欲しいかも!

 

「そっちも手料理持ってきてくれたって言ってたけど、どんなの作ったんだい?」

「今日はポテトサラダとハンバーグとひじきの煮物ですね。他にも作りましたけど、まあ持っていけそうなのがそれだったので。ハンバーグは生なので、後で成形しなおして食べる直前に焼かせてください。小さくして数増やすから火もすぐ通りますよ」

 

「ふーん」

「え? なんですか? 小町なにか変なこと言っちゃいました?」

 

「違うよ、感心してんの。食べる直前にハンバーグ焼く為に捏ねたやつ持ってくるとか、中学生なのにひじきの煮物とか栄養バランス考えて作ってるなとか。比企谷じゃないけど溺愛するのも分かるかも」

「うわ、小町の株急上昇じゃないですか。でもでも、小町も沙希さん見てたらますますお義姉ちゃんにしたくなっちゃいましたよ!」

 

「ば! また、あんたそんなこと言って……あたしと比企谷はそんなんじゃ……」

「あれー? 大志君と小町がくっつくって発想はないんですかー? それよりもお兄ちゃんと沙希さんがくっつく方が、沙希さん的には自然だなーとか思っちゃってますよね?」

 

「こ、この! 比企谷に似て減らず口が達者過ぎるよ!」

「まーでも、いまのところ大志君とくっつくってのはあり得ないですけどねー」

 

「あ、うん……うち狭いしあんたの声大きくて向こうに聞こえたらショック受けるかもしれないからやめてあげてね?」

「ああ……はい、ちょっと悪乗りしすぎちゃいましたね……」

 

「それにしても、面接日の時も思ったけど、あんた比企谷の妹とは思えないくらいいつもテンション高いね?」

「そうでもないですよ? まあ、あの時は入試から解放された直後だったからはっちゃけちゃいましたけど」

 

「確かに普段のあんたを知らないからあたしがどうこう言えることじゃないんだけど、それにしてもやけに浮かれてない? なにかあったの?」

「いやー、それがですねー、なんとあのお兄ちゃんが小町以外の人からチョコを貰ってきたんですよー」

 

「あ……そ、そう……比企谷にもくれる人いるんだ……」

 

 お、動揺してるぞ。畳みかけてみよっと。

 

「それでですね、沙希さんは誰かに渡したのかなーって気になっちゃいまして」

「あ、あたし?」

 

「ん?」

「あ」

 

 沙希さんの視線が一瞬泳き、その先に置かれたゴミ箱を見つけた。そこから轢かれたチョコの包みが顔を覗かせている。沙希さんの視線を追わなければ見つけられなかったくらい僅かに収まりきらなかったラッピング。

 

「あ……」

「……沙希さん、これ……」

 

「それは……その……」

 

 鍋の面倒を見ながらなんとかやり過ごそうとしているみたいだけど、ここまで言い淀んで誤魔化せるわけない。もっと軽い感じで流せばよかったのに、それが出来ないということはやっぱり本命チョコなんだ。

 

「沙希さん……今日あったことお兄ちゃんに聞きました」

「‼ そ、そう……あいつ話したんだ」

 

「だって小町が夕飯作り終わってるのに沙希さんとこでご飯を、しかも小町も一緒に連れてって食べるとか不自然ですからね。理由くらい訊きますよ」

「ごめん、なんか巻き込んだみたいになっちゃって……比企谷に庇ってもらって助かったよ。危うく大怪我してたかもしれなかったし。スカラシップのことといい、なんか比企谷には、あんたにもだけど助けられてばかりだね」

 

「沙希さんが無事でしたらそんなのはいいんですけど……沙希さん、このチョコって誰にあげるつもりだったんですか?」

「誰にって……」

 

「お兄ちゃんは鈍感だから、これが誰に宛てられた物なのか気づかなかったみたいですけど、このチョコが鞄から飛び出した理由ってその時、渡そうとしたからですよね?」

 

 『お兄ちゃんに』とは言ってないから、少しは認めやすいかなーと思うんだけど、沙希さん答えて!

 

「……あんなになっちゃったんだし、渡せないよ……」

 

 んー、まだ足りないかな? 言質とったってほどじゃないかな? ゴミいちゃんだからこれくらいじゃゴネるかも?

 

「じゃ、じゃあじゃあ、別のチョコを渡せばいいんですよ、料理が終わったらちょっと理由つけてお店で買ってくるとか」

「さっき買い物してた時にそれは考えたんだ。でも、そうするとあいつは新しく買ったチョコを、助けたお礼の義理チョコと勘違いして受け取っちゃうから……」

 

「ああ~、それはありそうですねえ、ゴミいちゃんだし」

 

 やった! これならもう大丈夫だよね!

 

「それにもういいんだよ……気付かれなくても……」

「そうですか……沙希さんがそこまで言うなら、小町も無理にとは言いませんから。だから、早く夕飯作ってあげましょう。みんなお腹空かせてますよ!」

 

「……うん、そうだね、ありがと」

 

「はい!」

 

 

 

つづく



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9話 それでも、比企谷八幡は気づかない。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

~夕飯~

 

 

「さぁ、出来たよ。遅くなってごめんねー」

 

 京華の相手をしていた比企谷と大志にテーブルの準備をしてもらい、料理を並べてもらった。あたしは京華を手洗いさせて残った二人にも同様に促した。

 

「さぁ、沙希さんの料理ずっと楽しみだったんですよねー、いただきましょう!」

 

『いただきまーす』

 

「わぁ、里芋味滲みてて美味しい……形も崩れてないし。里芋入れるタイミングって重要なんですね。小町たまに作るけど味ちゃんと滲みなくて上からお塩ふって誤魔化しちゃったこととかあるんですよー」

「小町ちゃん……そういうカミングアウトされるとお兄ちゃんどんな顔すればいいのか分からないのよ……?」

 

「ふふっ、あんたも慣れてくれば簡単にできるようになるよ。今日見た感じ、相当料理し慣れてるし、得意料理ならあたしより美味しいの作れるんじゃないかな?」

「いえいえー、沙希さんには全然及びませんから!」

 

「……なんか、すごく姉ちゃんと比企谷さん仲良くなってませんか? お兄さん」

「ああ、妹が取られるんじゃないかって危機感生まれてきたわ。あとお兄さん言うな」

 

「これ小町が作ったのー?」

「そうだよー、京華ちゃん食べさせてあげようか?」

 

「うん」

「はい、あーん」

「あーん」パクッ モグモグ

 

「……美味しー、さーちゃんとおんなじくらいおいしー」

「ホントにー? いやー、京華ちゃんお世辞が上手いんだからー」

 

「お世辞ぃ? ってなーに?」

「あ? えーっと……そう、優しい嘘っていうのかな……嘘ってなんか悪いことみたいだけど、いいものもあるんだよ」

 

「つまり、小町の料理よりさーちゃんの料理の方がおいしいけど、おなじくらいって言ったのをお世辞というんだよ」

「えー、けーかウソついてないもん」

 

「そうそう、あんたのハンバーグ美味しいよ。けーちゃん嘘なんか言ってないよね」

「俺としては小町のハンバーグの方が美味いと思うが川崎のを食べたことがないので正当なジャッジができないのが残念だ」

 

「どうせあんた食べても正当なジャッジできないでしょ、このシスコン」

「それも否定はできんがな」

 

「じゃあ、今度また姉ちゃんがハンバーグ作った時に一緒に夕飯食べてみればいいんじゃないっすかね?」

 

「はっ⁉」

「あ?」

 

「いいですねー。小町もまた沙希さんと一緒に料理できて楽しいですからー」

「あ、いやね、一緒に料理しちゃったら川崎のハンバーグじゃなくて川崎小町の合作ハンバーグになっちゃうわけでして、ジャッジしようがなくね?」

 

「もうジャッジなんてどうでもいいんだよ!」

「あれ? 本末転倒じゃんそれ……」

 

「いいの! またこうして皆で食卓囲めるんだからそこが重要でしょ?」

 

 その言葉にどんな反応を示すのか興味深かったあたしは、隠す素振りもなく比企谷を見つめてしまう。

 あいつは照れたような表情で頭を掻きながら答えた。

 

「……そうだな。なんつーか……こういうのも悪くないしな」

 

「――っ」

 

 その笑顔は普段見せる卑屈なものと違い、はにかみながら自然に出た柔らかいもの。

 ……その笑顔に、あたしの心臓が大きく震えた。

 

「また一緒にご飯するー」

「いいっすね、俺もまたご一緒したいっす」

 

「そ、そうか。じゃあ、ま、そういうことなんで、また折りをみて……飯食うか?」

「え? あ! その! あの…………うん」

 

 なんだか訳が分からないうちに次の食事の約束を取り付けたことになっていた。小町と大志の後押しがあったとはいえ、あの比企谷がこんなに素直に受け入れたのは新鮮で、なんだか戸惑う。

 

「…………お兄ちゃん、なんかいつもみたいにトゲトゲしてないよね。沙希さんちだからかな」

「ばっかお前……俺はいつもトゲトゲしてないだろ、存在がスカスカしてるだけで」

 

「だぁって、家で小町と二人でいる時と他の人と一緒にいる時だとずいぶん違うじゃん。今日はなんかうちに二人でいる時と変わらないっていうか……」

「小町がいれば俺はいつも変わらないからその憶測は間違ってるぞ」

 

「うわ、でたシスコン発言。そういうとこもうちにいる時と変わんないよね」

 

「はい、京華ちゃん、あーん」

 

「あーん……むぐ、んぐ……」

 

 小町は嬉しそうに京華に食べさせている。妹だけど比企谷の世話を焼いてあげてるせいか、お姉さんの立ち居振る舞いにも慣れているのかもしれない。本当にしっかりした娘だ。

 

「あー、はやく沙希さんのハンバーグも食べてみたいなー」

「そうだな、俺も早く川崎のハンバーグを食べてみたいわ」

 

「え?」

「そうすれば、小町のハンバーグが誰よりも美味しいと証明されるからな」フッ

 

「…………」

 

 そんなことだろうと思ったけどね……。

 

「うぁ……この……ゴミいちゃんのバカ! ボケナス! 八幡!」

「だから八幡は悪口じゃねーだろ。それ今日雪ノ下が真似してたからホントやめて」

 

「⁉」

 

「あらら~、じゃあ雪乃さんに八幡って呼ばれたの? その時のお兄ちゃんはどうだったの?」

「あいつ用法が分からねーから普通に名前呼んだだけみたいになって微妙な空気になったぞ。どうせやるならちゃんと使えるように小町が指導してディスリケーションを円滑に出来るようにしてやってくれ」

 

 そっか……部室で呼んでたのはそれだったんだ……そっか……

 あれ? こんなことで気分が軽くなるとか、あたしってどんだけ……?

 

 そんなふうに穏やかに時間が過ぎていき、いつもよりも温かい気持ちで夕飯を食べ終えることができた。

 それまでの時間とは裏腹に、これからの時間は少しだけ緊張する。

 食べ終わった食器をまとめて流しに置いてお湯に浸けておき、冷蔵庫からデザートを取り出す。

 

「はい、みんなデザート」

「わーい、ケーキだー」

「わー、ありがとうございますー」

 

「スーパーで買ったやつだけどね」

 

 ショートケーキ

 フルーツケーキ

 チーズケーキ

 モンブラン

 チョコレートケーキ

 

 時間が遅くてあまり選べる余地がなかったのでこのラインナップになってしまった。

 

「(あ、これは……)……大志君」チョンチョン

「(なるほど)……了解っす」ボソッ

 

「……何楽しそうにしゃべってるの、小町ちゃん? お兄ちゃん泣いちゃうよ?」

 

「けーちゃん、どれが食べたい?」

「けーかはね、うーんうーん……」

 

「…………」ドキドキッ

 

「けーか、これがいい」

 

(はぁ……よかった。京華はフルーツケーキを指差し、あたしはそれを京華の前に運んでセロハンを取る)

 

「じゃー、小町はショートケーキにしますね!」

「じゃあ、俺はモンブランで」

 

 この子達、もしかして察してくれたのかな……特に小町は普段から結構言ってくるし……

 

「じゃ、じゃあ、あたしチーズケーキにする、ね。比企谷も選んで」

「……いや選ぶ余地ないんだけどな……まあ、余り物とか俺らしいか……えと、ありがとな」

 

 比企谷はチョコレートケーキを選んでくれた。というか選ばざるをえない状況にしたんだけど。

 

『いただきます』

 

「おいしー!」

「うん、おいしいねー」

 

「…………」ジーッ

 

「? 比企谷、一口もつけてないけど、どうかした?」

 

 京華に半分以上食べ進めさせてる間、比企谷は一口も手をつけていなかった。というか、なんかこっち見てる……?

 

「……な、なによ? あたし見て……なんかあるわけ?」

「あ、いや、そうじゃなくてだな……わりぃ……気持ち悪かったか?」

 

「いや、そういうことじゃないけど……気になるじゃん……」

「ああ、ただお姉ちゃんしてるんだなって思っただけだ。深い意味はない」

 

「! そ、そそ、そう? べべ、別に、こんなの普通じゃん!」

「いや、落ち着け。ケーキこぼれてるぞ」

 

「あ、ああ、ごめんけーちゃん……」

「ううん、平気ー。はーちゃんチョコレートケーキ食べないのー?」キラキラ

 

 う……

 京華が目をキラキラさせてチョコケーキを見てる……これって……

 

「ん? ああ、けーちゃんも食べるか?」

 

「‼」

 

「ダ、ダメ‼」

「へ?」

「⁉」

 

「あ、けーちゃん、ごめん、でも……その、」

「おいおい、けーちゃんにあげちゃダメとか、実はこのケーキに毒を盛ったのがバレちゃったんじゃないのか?」

 

「ば! そ、そんなわけ……」

「え? いや……その……もちろん冗談だったんだけど……え、何この空気? やっちゃった感じ?」

 

「(……こんのゴミいちゃんが)」

 

 どうしよう……京華に大きい声あげちゃうなんて……おまけに比企谷の冗談に過剰反応して黙り込んじゃうし……

 

「あ……う……その……」

「ああ……えっと(こいつがけーちゃんに対してダメとかよっぽどだろ……何か意図が……そういえば……)」

 

「けーちゃん、わるい。これは俺の分だからあげられないんだよ」

 

「!」

 

「⁉」

 

 あの妹に甘々な比企谷が、京華にはっきり否定の言葉をかけた。

 意外過ぎる振舞いにあたしだけでなく小町と大志まで固まってしまう。

 

「どーして?」

 

「けーちゃんには自分の分があるだろ? さーちゃんは意地悪で言ってるんじゃなくてけーちゃんが将来立派な大人になるために我慢することを教えてくれてるんだよ。あんまりワガママいってさーちゃんを困らせちゃうけーちゃんは俺も好きじゃなくなっちゃう……かも?」

 

 あ……もしかして、この間のこと覚えててくれてたのかな。

 

 

『あんまさ、甘やかさないでよ。京華に構ってくれるのは嬉しいんだけど、我慢することも覚えないと……』

 

 

 京華を連れてサンマルクカフェで休んでいる時、比企谷を諫めた言葉。

 こんなこと言わせるなんて、本当に比企谷は生粋のお兄ちゃんなんだなって感心した。

 そんな一面が見れてちょっぴり幸せな気持ちにもなったっていったら大袈裟かな。

 

「ふーん、そうなんだー……うん、わかった、けーか我慢する……」

「おお、お兄ちゃんが京華ちゃんを躾けてるなんて、いつの間にこんな立派になっちゃったの!(まあ、沙希さん的には本来そっちの意味でダメって言った訳ではなかったけど結果オーライってことで)」

 

「ごちそーさまでした」

 

 京華に食べさせていたのであたしのチーズケーキがまだほとんど残っていたが、比企谷に諭されたからか欲しいとは言ってこない。その代わり別のお願いをしてきた。

 

「ねぇねぇさーちゃん、はーちゃんにチョコあげたい」

「あ、そうだね、けーちゃん。ちょっと待ってて」

 

 冷蔵庫に入れておいたチョコを持ってきて京華に渡した。

 

「はい、けーちゃん。自分で渡しな」

「うん。……はーちゃん、チョコもらってください」

 

 昨夜あたしのチョコを作る前に一緒に作った京華のチョコ。バレンタイン合同イベントの時に練習できていたので完成度の上がった一品。

 京華と……あたしの心がこもったチョコレートだ。

 

「おお、けーちゃん今度もくれるのか。ありがとなー。はーちゃん嬉しくて涙が出そうだよ」

 

 比企谷はいつも見せるのとは別物のような笑顔で京華からのチョコを受け取る。そんな顔をあたしも向けられてみたかったね。

 

「うわー、お兄ちゃん今日モテモテだよね、怖いくらい……明日は槍が降りそう」

「俺がチョコ貰う度にパル〇ンテ唱えたみたいになっちゃうの? もう少し天変地異の敷居下げてくれますかね……俺いるだけで容易く世界が終わるから」

 

「じゃあ、そんなお兄ちゃんに世界を滅ぼしてもらおう。はい、小町からのチョコでーす!」

「こここ、ごまぢぃ~~~!」

 

「うわぁ……」

「うわっ……!」

「お、お兄さん……」

 

「はーちゃん、よかったねー」

 

「え? 俺の味方、けーちゃんだけなの?」

 

「お兄ちゃんが気持ち悪すぎるからだよ……あ、大志君にも。はい、義理チョコね」

「‼ あ、は、はい、ありがとうございます……」

 

 大志……強く生きるんだよ……

 

「たーくんにもチョコあげるー、義理だよー」

「あ、ありがとうな、けーちゃん……」ホロッ

 

 大志……もうかけてあげる言葉が見つからないよ……

 

「まあ、とにかく二人ともありがとな、このチョコのお陰でこれから一生チョコ貰えなくても生きていけるわ」

「そんなことはないだろうけど、そんなに喜んでもらえるなら小町的にもポイント高いよ」

 

「おう。まあ、まだケーキ食べ終わってないし、チョコは後で食うからいいだろ」

 

 そういって、比企谷はあたしの用意した、というかスーパーで買ってきたチョコレートケーキを食べてくれた。チョコは潰れてしまって渡せなかったけど、これがバレンタインってことでいいよね。あんたに直接は伝えないけど……

 

 ハッピーバレンタイン、比企谷……

 

 

 

つづく



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10話 それぞれの、譲れない想いがある。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


 デザートも食べ終わり、チョコケーキも食べてもらったあたしは満足気に洗い物を済ませようと台所へ向かう。

 実際、あれをバレンタインと認識されていないことは承知していたが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。そこへ比企谷が洗い物を手伝おうと近づいてきた。

 

「お客さんなんだから座ってて」

「そうもいかねえよ、小町は作るの手伝ったし俺にも洗い物くらい手伝わせてくれ」

 

 らしくなく食い下がってくる。いや、バイトの時もそうだったか。普段はやる気のなさを全面に押し出してるくせに変なところで意地を張るのが比企谷という人間だ。

 根負けして二人で洗い物を片付けることになった。

 

 しばらく無言で洗っていると気詰まりを起こし、会話を探す自分がいた。

 いつもはそう思わないはずだが、今だけ何故だか……今日が特別だからそう感じてしまうのか。

 

「……さっきは……その…………あ、ありがと……」

「あ? なにがだよ?」

 

「けーちゃ……京華を甘やかさないでいてくれて……あたしの言ったことちゃんと気にしててくれたのが……その……」

 

 本当はそんなつもりでダメと言ったわけではなかったのだが、偶に驚喜させることを言う比企谷が狡いと思った。文化祭の時のといい、こいつの天然はもはや才能だ。

 

「ああ、あれか。俺だって小町がいるし、よそ様の教育を妨げるのが好くないことは知ってる」

 

 しゃべりながらあたしが洗った皿を受け取り布巾で水気をふき取る比企谷。

 二人でこうしてる姿はなんだか……うん、考えないようにしよう。

 

「あんた、いつも京華に甘いからちゃんと言いきかせたのには驚いたよ。ま、最後は『かも?』とか言ってヘタレてたけど……ふふ」

 

 あたしは笑いながら皿を洗う。比企谷はバツが悪るそうに頭を掻いた。

 

「俺のお兄ちゃんスキルはオートで発動するから意識してないとキャンセルされないことがあるんだよ」

「また訳わかんないことを……このシスコン」

「うっせブラシスコン」

 

「……ぶつよ?」

「ゴメンナサイ」

 

 肩をすくめる比企谷をみてまたクスっと笑う。不思議だ。自分は不愛想だとは自覚している。なのに、こんなにも自然に笑い軽口を言い合えるなんて。

 

「それにしても、ホントに今日はその……ありがと。危ないとこを助けてもらっちゃって」

「別に大したことじゃないって言っただろ。そのお礼の夕飯御馳走じゃなかったのかよ? もう貸し借りはないだろ」

 

「でも妹ちゃんには材料持ち込みで一緒に料理作ってもらっちゃったし、あんたには妹達の世話と皿洗い手伝ってもらってるし、これって結局、家族同士で協力して夕飯食べただけでお礼になんかなってないでしょ」

「確かにそうかもしれんが、その……あんま恐縮されるとこっちまで恐縮しちまうっていうか……まあそのなんだ……」

 

 照れが隠しきれず口籠る比企谷。お礼を言われ慣れてないせいで起こる挙動不審だ。普段、気怠げで良く言えば大人びているところがある為、こういう照れた一面がより可愛らしく感じる。

 

「あんた、ホントにお礼とか言われ慣れてないんだ?」

「うっせ。ぼっちは人と関わることが少ないからしょうがねえだろ。お前だって慣れてないだろ」

「そうかも。でもあんたよりはマシだと思うよ? あんた人から礼いわれたら拒むような奴でしょ。そんなつもりないから、とか言って」

 

 ……本当にこいつのその部分は直して欲しいと思った。例え他人の為にやったことではなかったとしても、その行動によって誰かが助けられたなら、その誰かは感謝を伝えたいはずだ。それを拒むのはその誰かを否定していることにも繋がりかねない。

 

「何を見てきたように……」

「事実でしょ?」

 

 有無を言わせぬ意思を込めて比企谷をじっと見据える。

 

「あたし、前にスカラシップ教えてもらったことでお礼言ったよね?」

「ああ、確か言ってたな」

 

「あんたその時も『別にスカラシップ取れたのはお前の力なんじゃねえの?』って言ってお礼受け取らなかったでしょ」

「……言ったかもな」

 

「そうやって自分のしたことに向き合わないからいつまでも卑屈なんじゃないの?」

 

 自分でも驚くほど険のある言い方になってしまった。うじうじしてチョコの一つもまともに渡せなかったのにどの口が言うのか。それを省みて己の言葉に後悔していると比企谷は目を逸らした。

 

「……まあ、逃げて逃げて負け続けた人生だったからな、人の感謝からも逃げる癖がついたんだろ。なんだったら助けたのをなかったことにするまである」

 

 比企谷にしてはまともに助けたって認めた言葉が返ってきた。最後は茶化してたけど。

 

「じゃあ、今度はちゃんと受け止めてよ」

 

 洗い物が終わり、エプロンで手を拭きそれを外す。あたしは比企谷に正対し口を開く。もう一度、この言葉を贈るために。

 

「比企谷、今日は危ないところをどうもありがとう。お陰で怪我もなく家族に会えたよ」

 

 静かに頭を下げる。目を瞑り拝むように神妙なお辞儀のせいで比企谷の表情は窺えない。果たして比企谷はこの感謝を受け止めてくれるだろうか。

 

「…………」

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

「……別に俺は大したことはしてないぞ……」

 

 ダメかー。ホントこいつは一筋縄じゃいかないね。めんどくさい奴。

 

「……ただな、どうしてもお礼がしたいって言うなら一つ頼みがあるんだが」

「! な、なに? 言ってみて」

 

 目を逸らして頭を掻き、ゴミ箱にあるそれを指さしながらこれ以上ないくらい言いにくそうに言葉を紡いだ。

 

「その……なんだ、川崎の身代わりになったチョコレートを俺に供養させてくれ」

「……は?」

 

 一瞬言葉の意味が理解できなかったが、察してみてからもう一度頭の中で整理する。

 

「……これを……どうするって? え? 供養? 焼くの?」

 

 反芻するも結論はやっぱりそう出てしまう。ってか、あたしのチョコレートっていつからブードゥー人形みたいな魔除けの効果付与するようになったの? 北東の窓辺に吊るしたことなんてないんだけど。

 

「そーじゃねえって。……まあ、そのなんだ……食べ物なんだし、ちゃんと食ってやるのが供養なんじゃないかって……」

「え? 食べる……の? これを?」

 

 あたしは比企谷が何を言ってるのかまたも理解できなかった。箱の真ん中を19インチくらいのタイヤが何度も横断した為、つまり横断というよりペシャンコという表現がむしろ適切なこの惨状のチョコを? 食べる?

 

「中に入ってるのがつぶれただけで無事だろ。十分食えるから」

「ちょ⁉ そんなの食べさせられるわけないでしょ、欲しいならまた作るから!」

 

 あ、またって言っちゃった。でもこの『また』は他意はなく一度作った物をもう一度作るって意味と、比企谷にあげようとして作ったけど渡せないまま廃棄になったからまた作ってあげるの二通りの意味にとれる。

 これって後者で捉えられてたら普通に告白なんだけど。いやいやその前に前提からして間違ってる。あたしはそもそも比企谷に手作りチョコを渡そうと今日あれこれ頑張っていたのに何故今になって隠そうとしているのか。

 

「いいからよこせって……生まれてから小町以外にチョコを貰ったことがないから、たとえそんなになっちまったチョコだろうが男子高校生が女子高校生からチョコを貰えるってのは価値あることなんだよ」

「え……? だって、あんた今日妹と京華以外からも結構チョコ貰ってたじゃん」

 

「……何故知っている? 俺のプライバシーどこいったの」

「(あー、藪蛇だったか)あ、ああ、昼休みにあんたがたまたま前の生徒会長と一緒にいるとこ見かけてさ、そん時に」

 

 下駄箱に入ってたチョコや奉仕部で二人に貰ってたっていうのは絶対言わない方がいいね。ある意味ストーカーだし。って控え目にいってもストーカーじゃん! バレたら絶対引かれる。

 

「でもまだもらったチョコは何も食ってないからノーカンだ。とにかく俺はチョコに飢えてるんだ」

「バレンタインイベントの時にけーちゃんが作ったのあげたよね? その時、他の人にも貰ってなかったっけ?」

 

「それもノーカンだ。今日という日だからこそ欲しいんだよ。それに、俺は苦い人生を緩和する為に常に甘いものが必要なんだ。今日はまだチョコを食べてない。故にそのチョコを供養するイベントは俺の人生における清涼剤と言っても過言ではない」

 

 知らない内に比企谷節が始まってしまった。でもよく考えてみると捻くれるベクトルがいつもと違う気がする。いつものこいつなら貰う方に執着するんじゃなく『罰ゲームでチョコ渡すことになったんだろ?』とかいって警戒して受け取らない側なんじゃないの?

 

「……あんた、もしかしてチョコ欲しいの?」

「そう言ってるだろ。話聞いてたかお前……?」

 

「そ、そう……」

 

 呆れられてしまった。確かに会話を遡ると……

 

『その潰れたチョコがほしい』

 

『潰れたやつなのになんで?』

 

『潰れてても食べれるから欲しい』

 

『他にチョコたくさん貰ってるのになんで?』

 

 ――――っていう問答だった。比企谷は徹頭徹尾チョコが欲しいとしか言っていない。

 むしろ疑いの目で見て頑なにチョコを拒んでいるのはあたしの方だ。今日ずっとうだうだする原因だった羞恥心をあっちからの要求で無効化されて、自然に受け取ってもらえる状況になったのに、だ。

 とはいえ、このチョコをあげるのは抵抗あり過ぎる……貰ってくれるのは嬉しいんだけどなんでこんな別の意味で渡す難易度あげるわけ……捻くれ過ぎでしょ!

 

「まあ、そんな心配するなよ。そのチョコ川崎が作ったんだし、形が崩れたくらいで味なんて変わらんから。普段から由比ヶ浜の料理の実験台になってる俺の耐性を甘くみない方がいい」

「あんた……珍しく自虐しないかと思ったら返答に困るような自慢やめてよ……っていうか自慢よりむしろ由比ヶ浜ディスってるよそれ……」

 

「……大体、なんでそこまでこのチョコ欲しいのさ? 新しいの作ってあげるって言ってるのに……」

 

 また会話をループさせちゃったな。いやでもここまできたら欲しい理由をちゃんと聞かないと引くに引けない!

 

「だから、俺の苦い人生をだな……」

「あ、そういうのもういいから」

 

「ぐ……」

 

 落ち着きなく視線を泳がせ、何度も言い出そうとしては躊躇われる繰り返し。比企谷に好意を持ってるって自覚はしていたが、今のこいつはさすがにちょっとだけキモい。しかたないのでこっちから呼び水を向ける。

 

「このチョコはあたしの身代わりになったんだから、むしろさっき勘違いしたみたいに供養して燃やした方がいいでしょ」

 

 あたしはゴミ箱からチョコを持ち上げて見つめる。昨日、どんな想いを込めてこれを包んだのか湧き上がってしまう。やばい、少し瞳が潤んでるかもしれない。

 比企谷は『むぐ……!』と唸り声をあげてこちらを見た。いつもより少し澄んだその腐った目で。

 

「……お礼……」

「え?」

 

「……助けられたお礼したいんだろ? 何も言わずにそのチョコをくれればそれでお礼になる。それとも川崎沙希はちゃんとお礼を返せない人間だったのか?」

「ぐぅ!」

 

 今度はあたしの方が唸り声をあげる番だった。誤魔化し賺してが通用しなくなったら強引に押し通りにきた。確かにお礼の二文字を盾にされるとあたしには何も言えなくなってしまう。

 

「……それって狡くない?」

 

 こいつの頑固なまでの捻くれに対してちょっと呆れつつ呟いた。

 

「俺は目的を達成する為には手段を選ばん。ゆえにその言葉はむしろ誉め言葉だ」

「はぁ……」

 

 なんか真面目に話してるのがバカらしくなってきた。なんで欲しいのか一言いうだけじゃん。ここまで隠すとかむしろ邪な企てがあるんじゃないかって心配になるよ。こいつらしいっちゃらしいけど、肝心なところではぐらかされると百年の恋も覚めそうだ。あ、こ、恋とか、言葉の綾だけど!

 

「じゃあ、貰っていいんだな。……ありがとな」

 

 あたしの手からチョコを奪う比企谷の顔が赤くなっていたような気がするけど、うん、気のせいだろう。それにしても色気のないバレンタインチョコの渡し方だったな……これもあたしらしいっちゃあたしらしいのかもしれないけど……

 

 

 

つづく



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11話 おのずから、比企谷八幡はつまびらかにする。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


「ああ、お兄ちゃんそれって……」

 

 台所からチョコ持ってけば当然の皆の目につく。袋にでも入れて持ち帰ってもらった方が良かったかもしれない。

 

「チョコー? ぺっちゃんこしてるー」

「う……」

 

 包装部分にはご丁寧にタイヤの跡がプリントされており、それを見ると急に恥ずかしくなってしまう。やっぱり冷静に考えてみると、乞われても人にあげるものではなかった。

 

「なんでぺっちゃんこなの?」

「それはなけーちゃん、このチョコがお守りになってさーちゃんを助けたからだ」

 

 それを聞いて京華は興奮した様子でチョコを見ていた。

 

「うぉー、チョコさんありがとーねー」

「だから今度はお礼にチョコを食べてあげるんだ。チョコは食べてもらえると嬉しいんだ」

 

「けいかもたべるー」

「け、けーちゃん、つぶれてるからそれはやめとこ? ね?」

 

 確かに箱が変形しているだけで破損はしていないから害はないんだろうけど、けーちゃんに食べさせるのはさすがに気が進まない。

 でも、それを比企谷に食べさせるのってどうなの? まあ、あいつが強引にくれって言ってきたから気兼ねする必要はないかもしれないけど。

 

「そうだぞ、けーちゃん。この車に轢かれタイヤの跡がついて虐げられたチョコは世間から虐げられ打ちのめされ続けた俺にこそ相応しく、同胞と呼んでもいい。そんな俺が同胞を労う意味でも食べてやるのが正しい供養だといえよう」

 

「あんた子供になに言ってんの……」

「お兄さん……」

「お兄ちゃん、夢と希望にあふれた園児に得意の自虐ネタは小町的にポイント低いよ……」

 

「それそれ、そうして虐げられ続けることにより俺とこのチョコの親和性がより高まっていき、さらに相応しくなっていくんだよ」

 

 冷やかな視線に晒されながら潰れたラッピングを開封する。

 

「……うわっ、見事なまでにぺちゃんこだね」

「ぺちゃんこー!」

「だ、だから、新しく作るって言ったのに……」

「……いいんだよ、こいつが手酷く痛めつけられたその分、川崎が助かったってことなんだから」

 

「えっ?」

 

 なに? 今もしかしてあたしのことを気にしてくれたの? あの比企谷が?

 途端に顔が熱くなっていくのが分かる。

 

「あー、こりゃ手じゃ取れんな。川崎、スプーンとかフォークくれないか?」

「あ、う、うん……」

 

 おそらく赤いであろう顔を見られないように慌てて台所へ向かった。スプーンとフォークを手渡すが気恥ずかしくて比企谷の顔を見られない。

 スプーンで箱の底部に貼りついたチョコをこそげおとして口に運んだ比企谷をまじまじと見てしまう。

 

「……ん、うまいわ。ちょうどいい甘さだし」

 

 その言葉を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 

「ううー、はーちゃんばっかずるいー」

「ごめんな、けーちゃん。これだけは俺が食べなきゃいけないんだよ」

 

「ううー!」

 

 今にも泣きそうになる京華。さっきのチョコケーキは我慢させれたが、もう限界かもしれない。

 

「えっと……まだお菓子とかあったかな……」

 

 あたしは台所に余ったお菓子かチョコがないか探そうとするも、意外な、というかあり得ない言葉がかけられた。

 

「ああ、川崎いいから。けーちゃんにチョコあげていいならこっちで用意できると思うぞ」

 

 チョコ用意するって、その潰れたチョコはあんたが責任を持って食べるとかいってたじゃん。じゃあ、どうやって? と不思議に思い比企谷を見ると、さっき小町から貰っていたチョコの包みを開き始めた。

 

「え? ちょっと⁉」

 

「ちょっとだけけーちゃんにあげるけど、いいか小町? さすがにけーちゃんに貰ったチョコをけーちゃんに食べさせるのは気が進まんしな」

「え? あ! う、うん! 小町は全然構わないけど……」

「あのお兄さんが……」

 

 比企谷は普段と変わらない感じで話しているが、周りにとって驚愕の出来事だった。

 あの比企谷が、妹から貰ったバレンタインチョコをけーちゃんにあげる……⁉

 

「確かに京華ちゃんは小町からみても危機感覚えるくらい妹属性の塊みたいな子だけど、小町のチョコを分けるなんて、あのお兄ちゃんが……⁉」

「お、お兄さんどうしちゃったんすか⁉ 比企谷さんのチョコを分けるなんて!」

 

「お兄ちゃんとして当然の行動だろうが。むしろ実のお兄ちゃんである大志が小町から貰った『義理』チョコを開封してけーちゃんに与えないことに深い蔑みを禁じ得ないのだが?」

「う……そ、それは……す、すいません、気づかなくって」

 

「義理って強調するところが小町的にポイント低いよ、お兄ちゃん……」

「いや、気にするな。ほんの冗談だ。『義理』以外はな」

 

「…………」

 

 うぅ……いつもならここは大志の味方して怒るところなんだけど、比企谷の言い分は理屈が通ってるし、なによりあのシスコンが小町から貰ったチョコを京華にあげてるわけだから、とてもそんなこと言えない。

 あたしは比企谷に分けてもらった小町のチョコを京華に食べさせてあげる。

 

「おいしいぃ、小町お料理上手だねぇ」

「そうだろうそうだろう、そのチョコには小町の俺に対する愛情がこもっているからな」

 

「お兄ちゃん、人前でそれはマジやめて。超キモいし、みんな引くから」

「あれ、小町ちゃん? お兄ちゃんもそれ人前で言われると本気で落ち込んじゃうからやめてね?」

 

「はーちゃんキモイーキモイー」

「あれ、京華ちゃんまで? もう八幡的に立ち直れないんですけど?」

「けーちゃんだよー」

 

 そのやり取りを見てつい忍び笑いしてしまう。本当に仲が良いんだなって分かる。うちだって仲が良いとは思うけど、なんというかこの二人の忌憚ない会話と空気感にはちょっと敵わない印象を受ける。その中に違和感なく入っていける京華はさすが子供の特権だ。

 

「やっぱり俺の人生は苦渋に満ちたものだった。このチョコの甘さに癒してもらうしかない……」

「…………」

 

 そういうと比企谷は食べるのを再開する。本当に全部食べるつもりみたいだ。

 

「むぐ……ん」

「…………」

 

 あんなになってしまったチョコを嫌な顔一つみせず、むしろ美味しそうに食べてくれる。

 そんな比企谷を見ていると胸の奥が温かくなっていく。心なしか呼吸が苦しい気がする。

 

「美味しかったー、ごちそーさまー」

「はい、お粗末様」

 

 京華が食べ終わり、小町にお礼をする。まだ少し物足りないのか、比企谷が美味しそうに食べているチョコに視線を向けた。でもあれだけダメと言われたし、小町のチョコも貰ったので比企谷から貰おうとは思っていないようだ。

 

「はーちゃん、小町のチョコくれたのに、なんでそのチョコはくれなかったの?」

「これはさーちゃんが俺の為に一生懸命作ってくれたチョコだから、俺が責任を持って食べないといけなかったんだ。ごめんな、けーちゃん」

 

「ほぇー」

 

「え?」

 

「え?」

 

「あ」

 

「……あ」

 

 え、なに? いま比企谷なんていったの?

 あたしが一生懸命作ってくれたから食べてるって? 嘘? 渡すつもりだったのがばれて……あ、小町!

 

 あたしは顔どころか身体中が熱くなっていくのを感じながら勢いよく小町の方を向いた。磁石が反発するように同じ勢いとタイミングでそっぽを向く小町。

 

「うぅぅぅ~~~~~~~~‼」

 

 唸りながら比企谷の方を見ると俯いて顔を赤くしたまま一心不乱に、いつもよりも腐った目でチョコを食べ続けていた。

 それ以降、あたしも何も言えなくなってしまい頬を紅潮させて俯き続けた。

 

 

 

つづく



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12話 いつの日か、川崎沙希はその名を呼ぶ。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
2019. 6. 2 天候などの表現を一部追加。


~川崎家前~

 

 

 あたしと比企谷の二人は先に外で小町を待つことにした。京華がなかなか小町を離さない為だ。ずっと思ってたことだが小町の『妹なのに姉スキルの高さ』が京華の心を掴んだのかもしれない。

 比企谷も一緒に残っているとますます京華がはしゃぐので先に出てきてもらったのだが、なんとも気まずい。

 

沙希「…………」

八幡「…………」

 

 あたしは俯き、比企谷もそっぽを向いて応戦する。うちの前には街灯があまりなく視覚的な暗さがそのまま雰囲気の昏さをも演出しているようだった。

 バレンタインチョコを食べてもらったのにここまで関係が悪化する人間って世界でもあたしたちだけなんじゃないの?

 

 お願い小町、早く来て!

 正直、テンション高すぎてちょっと苦手意識あったけど、いまほどあんたの存在を頼もしく思ったことはないよ!

 

 沈黙に耐え切れないのか、しきりに頭を掻く比企谷。

 そんな乱暴にしてたら禿げちゃうでしょ!

 比企谷の頭皮を労わるべく、どうにかして話題を探してみる。

 

沙希「そ、そういえばそろそろ大志達の受験結果でるよね」

八幡「いや、お前それ無理矢理すぎるから」

 

沙希「む……も、文句あるなら、あ、あんたもなんか話題提供しなさいよ」

八幡「ぼっちにそんなことできるわけねーだろ、ぼっちのぼっちたる所以は、言わず喋らず問語らずだぞ。沈黙のアイデンティティーなめんな」

 

沙希「あたしもぼっちなんだけど? っていうか、あんたのどこがぼっちなわけ? 今日沢山チョコ貰ってたくせに! ……あ」

 

 遠ざけたいチョコの話に戻ってしまう辺りコミュ力不足が露呈した。

 

八幡「む……ま、まあ、小町も大志もきっと大丈夫だろうし、心配することはねえんじゃねえの? 俺達の弟妹だぞ」

沙希「あんなこと言っといてそれ拾うんだ? あんたこそ話題変えるの下手すぎじゃない?」

八幡「ぐっ」

 

 あー、またやっちゃった……その拾った話題放ったあたしが何言ってんのよ……

 最悪だ……チョコ渡せて……食べてもらって嬉しかったくせに、どうしてこうなるわけ……

 

八幡「…………」

沙希「…………」

 

八幡「……夕飯」

沙希「え?」

 

八幡「……料理美味かったな」

沙希「そ、そう……?」

 

八幡「ああ、俺の中の『料理が上手い女子ベスト3』に堂々のランクインだ」

沙希「いや、それ嬉しいんだけど……うん、まあ嬉しいけど……」

 

八幡「なんだよ?」

沙希「なんか茶化されてるみたいで素直に喜べないっていうか……」

 

八幡「悪いな、こんな捻くれ者で」

沙希「…………」

 

沙希「……でも、いいと思う……」

八幡「え? ちょっと急に何言ってんですか? どん底まで落としてから優しい言葉かけるとか、俺が訓練されてなかったら確実に勘違いしちゃうよ?」

 

沙希「あー、もう! 真面目に聞きなよ、ホンットめんどくさいね!」

八幡「お、おう……」

 

沙希「あんたのそういう捻くれた部分があるから穿った見方が生まれたんだし、あたしの無理なバイトを翻意させることにつながったんだ。だから、いいと思った……ってこと」

八幡「え? お前、どんだけスカラシップのこと感謝してんの? さすがの俺でもちょっと引くわ」

 

 冗談めかしてても顔の赤さまでは隠しきれていない。こいつは真面目な話をされると反射的に自己防衛として冗談が口を吐くのかもしれないね。

 

沙希「か、感謝してるに決まってるでしょ……理性ではあんな生活続けられるわけないのが分かってるのに状況がそれを許さないから、肉体的にも精神的にも辛くて……家庭の……そのセンシティブな問題のせいで、奉仕部の三人で説得にきてくれても事情も詳しく話せなくて……」

 

 今にしてみれば平塚先生に声をかけてもらった時、事情を細かく打ち明けていればスカラシップのことを教えてもらえたかもしれない。

 あの頃はつらくって……そのせいで心が荒んでいたから、素直に相談もできなかった。要するに拗ねてたんだろうね。なんであたしばっかりって。

 過去の過ちを省みていると、どれだけ危うかったのかが再確認されていく。

 

沙希「あのままじゃ、もし続けられて予備校の資金面が解決できたとしても肝心の大学進学の学力が追いつかなかっただろうし……」

 

 明け方にバイトが終わって朝の5時くらいに家に着く生活だ。その後、シャワーを浴びて、食事抜きでも睡眠時間は2時間も取れない。結局、大遅刻はするし、その分授業は遅れる、寝不足で勉強は頭に入らないの三重苦。これでは予備校に通う意味すら薄れる。

 

八幡「いや、でもそれはな、雪ノ下だってスカラシップのことは知ってたから俺だけにそんな感謝することもないんじゃねーの?」

沙希「……あの時の雪ノ下が解決できたとは思えないよ……スカラシップを知ってるだけで、あたしの境遇を理解してくれてたわけじゃないから……」

 

 エンジェル・ラダーに乗り込んできた時、雪ノ下は父親が県議会議員だと指摘されたことで動揺し、気色ばんだのを思い出す。それを気遣ってか普段温厚な由比ヶ浜まで声を荒げた。その時点で二人はあたしに敵愾心が生まれ、こちらの事情を汲み取れるほど親身にはなれなかったはずだ。

 実際、スカラシップを提示したのは先に説得に当たっていた雪ノ下ではなく、後に話し合いの場を用意した比企谷だった。

 

 そっか……だからか……

 あの時、比企谷はあたしを助けただけじゃなくて……

 あたしを理解してくれたから……

 あたしも比企谷の家族愛を理解したから惹かれたんだ……

 

八幡「…………」

沙希「家族にも話せないし、ぼっちだったから……本当にキツかった……」

 

八幡「…………」

沙希「……それどころか、あのままだったら守りたかったはずの家族を傷つけて、大袈裟じゃなく家庭が崩壊してたかもしれない」

 

沙希「京華もまだ小さいし、あたしが倒れたら家族の生活が立ち行かなくなる可能性も高かった」

沙希「……だから、その……あんたにとっては大したことじゃなくても、あたしには重要なことだから、こうして何度もお礼をするんだと思う……」

八幡「…………」

 

 目線を逸らして照れ隠しは続けているものの、今は何故かおどけた感じがしなかった。しばらくしてこちらに向き直るとぽしょりと呟き始める。

 

八幡「……川崎」

沙希「! な、なに?」

 

八幡「……すまなかった」

沙希「え⁉ なに? なんであんたが謝るの?」

 

八幡「お前があの出来事をそこまで真摯に受け止めて、重要視してるかに気付けなかった。俺は自分が照れくさくて極まりが悪いから、返事をぼやかして感謝を受け取らなかっただけだったが、それは川崎に対して失礼だった」

沙希「ひ、比企谷……」

 

八幡「お前の感謝を受け入れる。だからそのお礼として、また頼みをきいてくれないか?」

沙希「う、うん、何でも言って。頑張るから」

 

八幡「それじゃ……その……」

沙希「…………」

 

八幡「小町と大志の入試結果でたらお祝いにまた家族で食事しないか?」

沙希「え?」

 

八幡「いやなのかよ?」

沙希「う、ううん、そんなわけない! お礼で、って言われなくてもこっちから誘おうと思ったし……ただちょっと意外っていうか……うん、戸惑った……かな」

 

沙希「でも、なんでそれがお礼なの? 改めてお願いするほどの意味があったわけ?」

八幡「…………」

 

沙希「なに?」

八幡「……俺が、お前にしたことで守れたものを共有したかったんだよ……って恥ずかしい、言わせんな」

 

沙希「‼」

 

 比企谷がしてくれて、あたしが失わず守られたもの――家族――を一緒に想ってくれるんだ……

 

 今のあたしは自然に笑えてる気がする。

 だからなんだろうか。比企谷の顔は朱に染まっていた。

 

沙希「…………」

八幡「…………」

 

沙希「……あんたってさ、ホントずるいよね。不意打ちでそういうこと言ってきて」

 

 文化祭の時にも……

 

 

『サンキュー! 愛してるぜ、川崎!』

 

 

 不意にあの時の言葉が呼び起こされ、顔が熱くなるのが分かる。

 

八幡「おい、どした?」

沙希(ち、ちか!)

 

 あたしは匂いまで感じ取れそうな距離から比企谷を遠ざける。心臓の音が聴かれてしまうんじゃないかと思った。

 

沙希「な、なんでもないから!」

八幡「顔赤ぇぞ。平気か? 熱とかあるんじゃねーか?」

 

沙希「し、心配ないから!」

八幡「そーか。じゃあ、さっき言った件、考えといてくれよ」

 

沙希「あ、ああ、うん。合格祝いに家族同士で夕飯食べるんだったね」

 

八幡「…………」

沙希「…………」

 

八幡「……なんだよ?」

沙希「いや、いつもみたく捻くれたこと言わないのかなって」

 

八幡「バッカお前、いくら俺でも空気読めるわ。それに期待されたらむしろそれに応えないのがぼっちの嗜みみたいなとこあるだろ」

沙希「何なのよ、そのめんどくさい考え……まあ、不吉な冗談言わないだけ褒めてやるよ」

 

八幡「…………(うっ……なんださっきから……こいつ、こんな柔らかい笑顔とかできるのかよ……)」

八幡「……そ、それにしても小町遅くないか? けーちゃんそろそろ眠くなりそうな時間だろうし、さーちゃん見てきて」

沙希「さーちゃっ⁉ ば、バカじゃないの!」

八幡「国語は学年三位だ。お前より成績いい人間にバカは当てはまらんだろ、撤回を要求する」

 

沙希「~~~~‼」

 

沙希「こんの……捻くれ者!……バカ!…………はちまん」

 

八幡「⁉」

 

沙希「…………」

八幡「…………」

 

沙希「…………」

八幡「…………」

 

沙希「……さっきの……お返し……」

八幡「お、おう……」

 

沙希「使い方、合ってたでしょ? ディスリケーションだよ」

 

 余裕ぶってはみたけど、多分あたしの顔赤い。月明かりのない夜陰ですら比企谷の顔の赤さが見て取れた。

 なんだこれ? 相討ち? 全然ディスってないじゃん!

 

八幡「…………」

 

沙希「…………」

 

 お互い沈黙を貫くが、気まずい雰囲気でもない。なんというか、ふわふわした気持ち……比企谷もそうだと嬉しい、かな。

 

 

 

つづく



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13話 なんとなく、彼の求める本物が形を成す。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


「お兄ちゃん遅くなってごめんねー」

 

 ようやく小町が玄関に現れた。靴を履いている内に気恥ずかしさを払拭しようとするも、感情のコントロールがうまくいかない。身体も心なしか熱いし。

 

「お、おう小町、けーちゃんがおねむだったりしたのか?」

「あー、そうでもないみたいだったけど、急に寝ちゃったら困るから歯磨きさせてた。あ、小町がしてあげたんだよー」

 

「ああ、それでちょっと遅かったのか。小町はお姉さんでもいけるな、さすが小町。その調子で俺の老後の面倒もみてくれ」

「えー、そういうことは小町じゃなくて沙希さんに頼んでよ」

 

「…………」

 

(落ち着け……落ち着け……)

 

「あれ? 沙希さん? ……お兄ちゃん、沙希さんになんかした?」

「俺にそんなことできる甲斐性がないことは小町が一番よく知ってるだろ」

「分かってるけど、お兄ちゃんって天然で結構すごいことする時あるし……」

 

「え? あ、なんか言った? ごめん、聞いてなかった」

「あ、いえ、お兄ちゃんが沙希さんに何か言ったのかなーって」

 

「あ、ああ、大志と小町の合格祝いにまた家族同士で食事しようって話してた」

「ええ! あのお兄ちゃんが⁉ どうしちゃったの、お兄ちゃん! まさか小町以外にも家族欲しくなっちゃったの⁉」

 

「か、家族……」

 

「ばっか、これは川崎がお礼してくれるっていうから……」

「でもでも、お礼って普通してほしいこと頼むよね? ってことはお兄ちゃんも今日の食事楽しかったってことじゃん!」

「……まあ、そうだな。飯は美味かったし」

 

「‼」

 

「もー、そのまま付き合っちゃいなよー!」

「お、お前なあ、川崎が合格祝いしてくれるっていうのに機嫌損ねるなよ」

 

「…………」

 

「あれ……?(さっきから沙希さんの反応すごく薄いなぁ、どうしたんだろ)」

「あ、でもでも、合格祝いってなるとどっちか、もしくは両方落ちてたりすることもあるから、確実に出来るか分からないんじゃない?」

「! お前、俺ですら空気読んで口にしなかったことを言うか」

「ええ? お兄ちゃんがもう言ってるもんだと思ってたのに……」

 

 比企谷達が何か話してるけど、頭に全然入ってこない……どうしちゃったんだろ……

 

「じゃあ、そろそろお暇しよっか」

「そうだな、けーちゃんをお風呂に入れたりとか色々あるだろうし」

 

「あ……うん……」

 

「沙希さん、大丈夫ですか?」

 

「え? ああ、平気……」

 

「おい、ホントに大丈夫か、お前」

 

「い、いいから、気にしないで!(ち、近い!)」

 

「お前、今日大変だったし、なるべく早く寝とけよ」

 

 比企谷は自転車に乗り、小町は荷台へ。二人ともこちらを向いて別れの挨拶を交わす。

 

「それじゃ、沙希さん今日はご馳走様でしたー」

「ごっそさん、またな」

 

「う、うん、こっちこそ、ご馳走様」

 

「お兄ちゃん、お別れのキスとかしちゃえば?」

 

「キ!」

 

「小町ちゃん、はしゃぎ過ぎじゃないかね? 引かれちゃうよ?」

 

 

「…………」

 

 

「まあ、お兄ちゃんに……胸あ……ないか……」

 

「ま……今日も……下にヘ………謗り……認識であ……」

 

 

「…………」

 

 

 二人の声が耳に入ってこない……なんでだろう、さっきからずっと頭がぼんやりしちゃってる……

 

「~~~~」

 

「~~~~」

 

 なんか……やっぱり変だ今日……はちまんって呼んでから……ううん、さっきの比企谷の不意打ちから……

 

『おお、サンキュー! 『   』、愛してるぜ!』

 

 ⁉ ……また! なんで! なんで⁉

 

 自転車に跨ってる比企谷はこっちを向いてる。

 

 …………本気……なの……?

 

 …………愛してるん……だよね?

 

 あたしは吸い寄せられるように比企谷の傍へ……

 

「ん? なんだ? なんか言い忘れたことでもあるのか?」

「…………」

 

「合格祝いの予定なら、追ってメールとか……んっ⁉……む‼」

「…………」

 

「――――⁉」

 

 あたしは……比企谷の頬に両手を添えて――――

 

 

 ――――唇を重ねた。

 

 

 

      ×  ×  ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

―比企谷家―

 

 

「……小町、風呂あがったぞ」

「‼ そそ、そう! わかった、こ、小町もこれから入浴るから、お兄ちゃん先寝ちゃってていいよ!///」

「お、おう……」

 

 川崎の家であんなことが起こってから小町の様子がずっとおかしい。

 普段なら絶対小町が先に風呂に入るのに、今日はもじもじしながら何を訊いても要領を得なくて俺が先に入浴ることになったのだ。

 本当は俺の方が悶えたいのに、小町のあんな様子を見てしまうと逆に覚めて冷静になっちまう。

 

 ベッドで寝転がってラノベでもと思ったが、ラノベなんて大抵ラブコメ入ってるから読むとやっぱりさっきのこと思い出して悶えそうなのでやめた。

 

「川崎沙希……」

 

 俺がしたことで守れたものを共有したい、か……今思い出すとこの発言も悶え案件だな。悪いことではないが黒歴史に認定してもいいレベル。

 

 ケーキを食べ終わってから小町に呼び出されて、スマホに録音された川崎の言質を聞かされたのには正直驚いた。

 億が一が的中するとか、今日の俺は特異点そのものだな。俺が世界を滅ぼすかも……なんてな。

 

「そういや合格発表もうすぐだし、そのお礼代わりにまた夕飯の約束したってのに連絡しづれえじゃねえかこれ……」

 

 何にも悪くなくても衆人環視の元で土下座できる鋼の精神の持ち主、比企谷八幡だけど、あんなことされた相手に電話なんてできねーよ、俺のハートは硝子で出来ている! 心象世界がそこらじゅうに硝子の破片刺さった荒野が広がってるとか心が貧しすぎるだろ、どんだけ潤いない人生送ってんだよ‼

 

「…………」

 

八幡(思い出したら喉乾いてきた)

 

 

―リビング―

 

 

 マッ缶に一口つけるとソファーに腰をおとした。ドライヤーの音が止み、風呂上りの小町と遭遇した。

 

「あ、あはは……いやー、お兄ちゃんマッ缶好きだねえ、小町嫉妬しちゃうよー、ははは……」

「え? なにマッ缶にジェラシーとかお兄ちゃんのこと好き過ぎでしょ? 心配しなくても小町が一番だからな」

 

「え、えー……あ、そ、そうなんだ、でも……いや、こ、小町も、おお、お兄ちゃんのこと、好きだからね」

 

 先ほどの衝撃的な事件があったというのに俺の隣に座る小町。

 え? なに? これだけ気まずいと普通少し離れたりしない? ホントに俺のこと好きなんだな、お兄ちゃんも大好き! 結婚しよ!

 でも口に出すとマジトーンのカウンターとんできてダメージ受けそうだから言わんけど。

 

「……なんだよそのキョドリは……お前は俺かよ……『あんなこと』があったから分からんではないが……」

「! お、お兄ちゃんこそ何その余裕! なんかお兄ちゃんらしくない! イケメンぶって! 全然動じないとかビッチじゃん! ビチ幡じゃん!」

 

「ちげーし。ってかそのビチ幡って傷付くからヤメロ。言われて気持ち分かったわ、今度から由比ヶ浜に少しだけ優しくなれるかもしれん。小町は由比ヶ浜の救世主だ、さすが俺の愛妹」

「あと、お前が冷静じゃない分、俺が冷静になってるだけだ。本来なら、ベッドに寝転がって足をバタバタさせたいのを必死に堪えているんだぞ?」

「ついでに小町も足をバタバタさせたくなってきたよ……」

 

「大体、いつもっつーか川崎んちから帰る直前まで色々煽ってたのに、いざ目の当たりにしたらこんなんなっちゃうって内弁慶すぎない?」

「だ、だ、だって……目の前でその……キ、キキ……」

 

「あー、わかった。もう言わんでいい。俺の方が悶えそうだ」

「……………」

 

「……なんだよ?」

「なんか本当に冷静だね。普段ちょっと女の子から挨拶されただけでキョドるのに、今回のは告白とかすっ飛ばしていきなりキキキ、キスだ、よ?」

 

「いやもうそれキスに対してイップス発症してない? 川崎はうちの小町にトラウマを植え付ける存在になってしまったか……」

「やっぱり冷静だよね……で、どうなの? 沙希さんのこと好きなの?」

 

 そう問われ、改めて考える。俺は川崎沙希をどう思っているのだろうか……と。

 ふと、ある日の出来事が脳裏に浮かんだ。

 

 かつてクリスマス合同イベントの助力を依頼する時、言葉で言い表せなかった俺の求めたもの……

 

 俺はわかってもらいたいんじゃない、俺はわかりたいのだ、と。安らぎを得たい、わからないことはひどく怖いことだから。もしもお互いがそう思えるのなら

 

――――『本物がほしい』――――

 

 だが人と人が完全に理解しあえないことは知っている。そのことを手の届かない酸っぱい葡萄と揶揄したのは俺自身だ。

 その届かないはずの葡萄を違う手段で手にしようとした今日の言葉。

 

 

『俺がしたことで守れたものを共有したい』

 

 

 川崎にしたお願いの意図を言葉にしたそれは家族との親和。川崎のことを知りたいと願うと同時に、俺と彼女が直接理解し合おうとするのではなく、俺と彼女を知る家族を介した相互理解の関係。

 

 個と個による具体的理解ではなく、個と他による抽象的理解。他を介すことにより客観を纏った目は個にはない真実がある。

 それは幹を揺すって葡萄を落とすかのような間接的に手にすることに似ていた。

 

 妹の小町は俺をもっとも理解している人物であり、俺が捻くれているせいで表に出さない部分は小町から伝わるだろう。

 

 大志と京華は姉に大事にされており、不器用でぶっきらぼうな姉の普段は見せない優しさを教えてくれるだろう。

 

 そうして俺と川崎はお互いに気付けない部分を知ることができる。

 

 それで完全に理解できるとは思っていないが、他人を信じることに臆病と自覚している俺にとって最適解なのかもしれない。まだ素直になりきれないながらも俺から前に進めたことがちょっとだけ誇らしく思える。

 

 俺の次の言葉を期待してか瞳を爛々とさせている小町に、実に俺らしい答えを返してやった。

 

「……嫌いではないぞ。今日一緒に夕飯食べてて思ったけど家族と同じくらい居心地は良かったしな」

「え?」

 

「家族と同じってその……(小町と両親で意味合いに雲泥の差があるから判断に困るな……)」

「……どっちだろうな?」

 

 小町の頭を優しく撫でてやると、自然と俺の顔に笑みが浮かんだ。

 

「‼ お兄ちゃん、いくら小町を愛しすぎてるからって心をマインドリーディングしちゃうなんてデリカシーの欠片もないよ!(な、なに今の⁉ 腐った目なのに……こんな笑顔、小町ですら見たことないよ)」

 

「心をマインドとか意味かぶってるからやめようね、お前はどこの玉縄だよ。そんな海浜高校ワード使っちゃうと、総武高校に嫌われちゃうからね?」

「もう入試終わってるんだし、いまさら頭悪い発言しても嫌われないよ! 嫌うのはそんなこと言うお兄ちゃんの方だから安心してね♪」

 

「‼ ご、ごまぢぃいいいい~~~~‼」

「ふふ、やっぱりこの方がお兄ちゃんらしいよ」

 

 そういって笑みを浮かべる小町はいつも通りの小町だった。

 

 

 

つづく



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14話 実は、川崎沙希のバレンタインは正しかった。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2019.12.26 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。あとがきを15話に移しました。


《 Side Saki 》

 

 

―沙希の部屋―

 

 

 あたしは枕に顔を埋め悶えながら足をバタバタさせていた。

 

「~~~~」

 

 恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい!

 

 どーして『あんなこと』しちゃったわけ⁉ 明日ガッコ行けない‼

 

(~~~~‼)

 

(…………)

 

(…………でも……)

 

「……比企谷……」

 

 あたしは、今日初めてだった唇を指で触れなぞり……

 比企谷のことを想い浮かべていた……

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

「お兄ちゃん、お別れのキスとかしちゃえば?」

「キ!」

 

「小町ちゃん、はしゃぎ過ぎじゃないかね? 引かれちゃうよ?」

「…………」

 

「まあ、お兄ちゃんにそんな度胸あるわけないかー」

「まあな、今日も部室で雪ノ下にヘタレ谷くんという謗りを受けたばかりだ。俺のヘタレは世界の共通認識であってる」

 

「そこ自慢しちゃうのがお兄ちゃんらしいというか……あれ? 自虐か。まあでも、女の子の嫌がることしないだろうしそういうところはポイント高いよ」

「小町の嫌がることは絶対にしない自信があるぞ」

 

「キャー、お兄ちゃんポイント高い! じゃあ、帰ったら小町が先にお風呂入るね」

「え……俺の後に風呂入るのが嫌だって言ってない? お兄ちゃん泣いてもいい?」

 

「あ、沙希さん合格祝い楽しみにしてますね。また一緒にお料理しましょう」

 

「…………」

 

「小町ちゃん無視しないで。本気で嫌われてるみたいに思えるでしょ?」

「もー、そんな訳ないでしょ。今度の夕飯でお兄ちゃんの好きなもの沢山作るから期待しててね!」

 

「おお、サンキュー! 小町、愛してるぜ!」

 

 

『おお、サンキュー! 『   』、愛してるぜ!』

 

 

「⁉」

 

「…………」

「ん? なんだ? なんか言い忘れたことでもあるのか?」

 

沙希(…………)

 

「合格祝いの予定なら、追ってメールとか……んっ⁉……む‼」

 

「…………」

 

「――――⁉」

 

 沙希は八幡の頬に両手を添え、自分の方へ引き寄せた。

 

「…………」

 

「⁉」

 

「‼」

 

 そのまま沙希の唇に……八幡の唇が触れた。

 

「ん…………んむ……ふぅ……」

 

「……む……」

 

「~~~~」

 

 その場にいた三人にはそれが長い時間に感じたが、実際には数秒程度の出来事だった。誰もがそんなこと考える余裕などなかったが、八幡にだけは沙希が震えていたのが分かった。

 

 スッっと沙希の唇が離れていき、一瞬八幡と目を合わせたが、どちらともなく逸らされてた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「――――」

 

「な、お前、何を……」

「……愛してる……」

 

「え?」

「……あ、愛してるって……言われたから……」

 

「え、いや、それは……こ、小町に言ったんだけど……聞こえて……なかったの……か?」

「………………え?」

 

「…………」

 

「‼」

 

「~~~~‼」

 

 沙希は顔どころか耳や首まで真っ赤にして家の中に走り出した。

 

「あ、姉ちゃん、比企谷さん達これから帰るとこで……ね、姉ちゃん⁉」

「さーちゃーん!」

 

 家から二人を見送りに出てきた二人と入れ替わるように沙希は中へ消えていく。残された四人は呆然とそちらを見つめるしかできずにいた。

 

「…………」

「……」

 

「?」

「?」

 

「……あの、何かあったんすか?」

「あー、その、まあ……なんでもねえよ」

「そ、そそ、そーだよ、こ、小町たち、もう帰るね! 大志君、京華ちゃん、今日はありがとねー」

 

「うっす、こちらこそご馳走様でしたっす! 気をつけてください」

「またあそぼー」

 

 八幡は小町を乗せた自転車をこぎ出し帰途に就く。家に着くまで互いに一言も会話はなかった。今にしてみれば、よく事故に遭わずに済んだと、先ほどのことで頭が一杯になっていた八幡は思った。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

 小町に言った『愛してる』をあたしへの言葉だと聞き違えるくらい言われたかったってことだよね。

 ってか『愛してる』って言われたとしてもいきなり、キ、キスするのもどうなの? あたし今日おかしい……

 

「…………」

 

 いや……おかしくないか……

 

 昨日チョコを作ってた時から感じていた。

 家族以外にチョコを作るという意味。

 あたしが比企谷八幡に抱く感情を。

 

 もう……誤魔化せないよね。

 

 今まで、遠目から見つめているだけでいいと思ってた。

 ぼっちで家族優先のあたしが学校で誰かと仲良くなれるなんて思ってもいなかった。

 でも、今日比企谷がくれた言葉がそんなあたしに可能性を示してくれた。

 

 ――――俺が、お前にしたことで守れたものを共有したかったんだ――――

 

 比企谷があたしに踏み込んできてくれた。

 かつてエンジェル・ラダーに奉仕部で乗り込んできた時、三人に返した言葉。

 

 

『……なら、あたしの家のことも関係ないでしょ』

 

 

 それが今は懐かしく、酷薄であったとすら感じている自分を不思議に思う。

 

 いまはあたしの家族のことを知ってほしい。

 あんたの家族のことを理解したい。

 お互いの中に入っていきたい。

 生まれて初めての感情だった。

 

 あたしは意を決し、スマホを手にとると今日登録したばかりの電話番号を表示した。

 

「……恥ずかしくて話すのは無理か……な……」

 

 電話番号ではなくメールアドレスにタッチする。

 まずさっきのことを謝ろう……それから気持ちを伝えて……約束をして……

 

 今度はあたしから一歩を踏み出す。いままでできなかったことが今日はいくつも出来てしまう。不思議に思っていたが何となく納得できてしまった。

 

 バレンタインとは元来、チョコのプレゼントや愛の告白とは関係なく『大切な人に感謝を伝える日』なのだと聞いたことがある。

 

 押しつけがましい告白より、あたしが真摯に感謝の気持ちを伝えたから……バレンタイン通り出来たから神様に通じてくれたんだ。

 チョコが車に轢かれた時はその神様を恨んだりもしたけど、もしかしたら戒めだったのかもね。

 あたしはメールのタイトルにこう入力してから本文を考え始める。

 

 

 ――――『ハッピーバレンタイン比企谷』

 

 

 

つづく



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15話 ぼっちの二人はメールで語らう。★

2020.12. 1 沙希のメール中にある小町呼びを修正。
2019.12.26 序章のあとがきを追加しました。


 

【挿絵表示】

 

 

 

 

kawasaki's mobile

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

今日はどうも。

 

 

 

 

hachiman's mobile

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……おう。               

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……さっきのことなんだけど。 

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

今日は一緒に夕飯食った以外何もなかった。

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

は?

 

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

俺も忘れるから。            

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

なにそれ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

間違いだったんだろ?          

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

ちがう。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

え? だって……            

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

間違いだけど間違えじゃないの。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

なにその禅問答みたいなやつ。      

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……質問していい?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

あ? いいけど。            

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……さっきあたしがしたこと……嫌だった?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……お前はどうなんだよ?        

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

質問に質問で返すな。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

すまん……何て言っていいか分からんのが 

正直なところだった。          

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

そう。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

俺からも質問していいか?        

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

いいよ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

小町達の合格祝いの約束、まだ生きてるか?

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

なんでさ? 当たり前でしょ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

いや、あんなんあって気まずいかなって。 

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

あんたはどうなの?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

そうだな……不思議とそんなでもない。  

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

ふーん。あたしにされてもドキドキしたり 

しないんだ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

そんなわけないだろ、普段なら今日眠れない

くらいだわ。なんだったら小町のが寝れんか

もしれんが。              

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

妹がどうしたの?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

いや、ほら、してるの見て意識しちまうのか

キスって口にするとイップスになっててども

るんだよ。               

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

あー、そうだった。妹ちゃんにも見られてん

だったね、忘れてたよ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

忘れんなよ。身内のラブシーン間近で見せら

れるとか軽いトラウマになるぞ。特に俺が小

町のそういうの見たら死ぬまである。   

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

あの子も何だかんだいって相当ブラコンぽい

から悪いことしちゃったね。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

お前こそ全然普通だな。メールだしホントは

どうだか分からんけど。         

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……本当は打つ指震えてる。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

マジかよ、じゃあやっぱり忘れた方がお互い

の為なんじゃねえのか?         

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

どーして忘れさせようとするわけ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

だってよ……俺なんかとそういうことしたと

か女子にとってはトラウマもんだろ?   

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

…………

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……川崎?               

メールで「…………」だけ送ってくるとか 

返事に困るんだが?           

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

忘れるとか無理。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

だよなあ、俺もトラウマはずっと心の奥底に

秘めたまま消えてくれないから、気持ちは分

かる。                 

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

そういう意味でいってるんじゃないんだけど。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

じゃ、どういう意味なんだよ?      

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……あんたが好きってこと。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……嘘だろ?              

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

こっちからキスまでしたのにそんなに疑うこと?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

いやだって、聞き間違えたからっていってた

じゃねえか。              

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

どこの世界に好きでもない奴に愛してるって

言われただけでキスする人間がいるっていう

のさ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

お前が俺を? 本当に?         

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

いい加減認めなよ。あんただってホントは

分かってんでしょ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

…………                

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

こら、あんたまで「…………」だけ送るな。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

すまん、ちょっとびっくりし過ぎて書くこと

浮かばなかった。            

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

あのさ、あんたが言ってたお礼の約束も

そういう意味じゃなかったの?

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

答えて。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……俺はお前みたいにはっきり言えるとこま

できてないんだがお互いの家族と共に逢って

いくうちに理解しあえたらいいと思ってる。

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

……そう。ちゃんと言ってくれたね。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

こんなウジウジしたキモイ奴ですまん。  

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

その自虐禁止。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

だってよ、俺だぜ?           

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

だから禁止。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

でも……                

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

あんたさ、あたしの事どう思ってんだっけ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

そりゃ、美人でスタイル良くて家族想いで家

事と裁縫できる隙なしの女子って認識だが。

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

そのあたしが好きになるくらいあんたは

いい男なんだよ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

川崎……                

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

小町だってあんたのこと大好きだし、自分を

卑下しないで。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

……善処する。             

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

それやらないやつの返事じゃないっけ?

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

これはマジなやつだから。        

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

わかった。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

で、明後日入試合格発表だけど、その日に 

また一緒に食事するか?         

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

縁起担いで強がったけど、もしかしたらが

あるから前もって予定しておくのはちょっと

怖いね。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

片方だけ……とかなったらなお最悪だしな。

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

じゃあ、発表の次の日でいいよね。後で小町

にもあたしの番号とメルアド教えておいて。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

分かった。               

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

じゃあ、そろそろ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

おう、長々悪かった。          

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

こっちこそ。今日も、いままでも本当に

ありがとう。これからもよろしく。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

身体に気を付けて暖かくして寝ろよ。   

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

ん、ありがと。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

また、明日な。おやすみ川崎。      

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

うん。……今夜は月が綺麗だよ。

 

 

 

 

 

FROM :比企谷           

TITLE:なし            

え? 曇ってんだけど…………って、お前 

それ……                

 

 

 

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

ふふ……おやすみ八幡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【バレンタイン編】了



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一章
16話 冬なのに、再び天使が舞い降りる。★


再びお昼にめぐりが襲来!

2021. 8. 1 加筆と書式の一部変更。
2020.12. 1 台本形式その他修正。
2020. 1. 1 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
2019. 3.20 城廻先輩→めぐり先輩 に八幡の呼び方を変更。
2019. 3.10 タイトル変更。
2019. 3. 2 挿絵が完成したので更新!


《 Side Saki 》

 

 

~2月15日~

 

 

 ああ、もう!

 昨夜、メールし過ぎたせいなのか、いつもよりも少し遅れ気味な朝の一幕。その上、今日は京華を迎えに行く日だから自転車通学できずバス通学だ。遅れることはあっても早く来ることはまずないそれに備え、尚更早めに起きなければいけなかった。なんで、よりにもよって初めて比企谷の弁当を作るその日に……。

 

 昨日の夕飯から昨夜の出来事について比企谷とメールでやり取りをした。あたしの気持ちも伝えた。それに対して返ってきた比企谷の答えは決して満点解答ではなかったかもしれないが、少なくても拒絶はされなかった。むしろ、あいつの性格から考えれば満点だったかもしれない。

 

 ……最後に『月が綺麗だよ』なんてメールしたのがなかなか眠りにつけなかった原因の最たるものだ。

 比企谷はかなり読書するみたいだし、雑学にも詳しそうだし、あの反応は伝わってるよね……。

 伝わらなかったら伝わらないで自分だけ痛い奴って思っていればいいけど、分かってもらえたらそれはそれで……ホント恥ずかしい……。

 

 はっ! 一人台所で悶々としてないで弁当作らなきゃ……ただでさえいつもより一人分多いんだし

 そんな忙しさと昨夜の気恥ずかしさのせいで、身体が訴える声に耳を傾けることが出来なかった。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 明日は小町の合格発表&金曜日か……。

 受かってたらこの週末は今年一幸せな連休になるな。まだ2月だけど。

 ……ついでに大志も受かってれば言うことないんだがな。

 

「…………」

 

 俺があの毒虫の合格を心配するとは、これも川崎効果かもしれん。

 校門近くまで来たので自転車を降りて押していると前方に青み掛かった黒髪のポニーテールを引っさげた後ろ姿を見かけた。

 

 どうする……声をかけるべきか……かけるべきだよな?

 昨夜のこともあるし色々世話にもなったしお互いぼっちだし……って何声かける理由あげつらってんだ俺は……。

 

「よう、川崎」

「あ、比企谷。おはよ」

「今日は自転車じゃねえのか?」

「帰りに京華迎えに行くからね」

「大変だな」

「もう慣れたし、京華は可愛いから」

「シスコンめ」

「鏡見てから言いな」

 

 よかった。普通に話せてる。あっちも変わらない感じだし、って昨日のメールって夢じゃないよな。あんなことあったのが疑わしくなるくらい普通なんだが……。

 と、昨日の礼いっとかないと。

 

「昨日はさんきゅーな」

「あ、う、うん。こっちこそ……」

「じゃあ、俺こっち(駐輪場)だから」

「あ、そう……じゃ、また……」

「……おう」

 

 なんだ? 表情曇ったような気がするが……

 人間観察が趣味の俺に見落としはないはず……まだなんか言いたいことでもあんのかな?

 まあ、重要なら声かけてくんだろ。俺は自転車置いてこなきゃなんねーしな。

 

 駐輪場に自転車を停めて下駄箱に向かおうとするとスマホが振動した。9割以上迷惑メールなのだが、今回はそれに該当しなかった。

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

ねえ、今日も昼パンなの?

 

 

 なんだこれ?

 ――そうだぞ……返信っと。

 

「さて、教室に……」

 

 再びスマホが鳴動する。

 返信はええって……。

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

お弁当作り過ぎちゃったから、よかったら食

べてくんない?

 

 

 ……またベタな。

 ――サンキュ、ありがたく食べさせてもらうわ。受け渡しは昼休みに俺のベストプレイスでいいか? ……送信。

 

「さて、今度こそ……」

 

 三度スマホの鳴動によって、いよいよ迷惑メールの疑いがかかるが、やはり川崎からであった。

 

 ……だから俺を駐輪場に釘付けにすんじゃねえよ、遅刻させたいの?

 

 

FROM :川なんとか         

TITLE:なし            

分かった。場所は知ってるから渡しに行く。

 

 

 もう前もって下書きメール何通りか用意してたんじゃねえの? ってレベルの返信速度だったな。携帯メールスピードタイプ検定で由比ヶ浜といい勝負が出来そうだ。

 

 ――おう、いまから楽しみだ……送信。

 

「さて……行くか」

 

 さすがに登校中だから、昨夜と違って用件以上の無駄なメールのやり取りはせずに終わった。

 

 

~昼休み~

―ベストプレイスー

 

 

「比企谷、はい……これ」

「お、おう、ありがとな……」

「じゃ、あたし寒いから教室戻ってるね」

 

 川崎は俺に弁当を渡すとすぐに行ってしまった。本当に寒そうにしてたが、そこまでではない気がする。

 まあ、今日の俺はコートを持ってきたからな。防寒対策が完璧だしそう感じないだけかもしれん。パンと違って食べるのに時間がかかる弁当をこの季節に外はやばいと判断したからだ。

 昨日はまさかのめぐり先輩に風除けにされるという扱いがあったお陰で軽いショックの中の昼飯になってしまった。

 今日はコートも着込んだし、じっくりと川崎の弁当を堪能するとするか……。

 

「あ、今日もいた。比企谷くーん」

「⁉」

「今日もお邪魔するね」

 

 解せぬ。

 

「城廻先輩、何故寒いのにわざわざ外弁を……」

「比企谷くんに言われたくないなぁ……」

 

 俺はまためぐり先輩を置いて立ち去ろうとするが……。

 

「ちょいちょいちょいちょい」

「…………」

 

 めぐり先輩がすかさず俺の腕を掴んだ。この人、結構力あるんだよな……生徒会室の私物片付けてた時も気軽に持ちますよって言ったとき段ボール渡されて俺軽く引いたからな。段ボールが軽くなかったから。

 

「比企谷くんが逃げるからだよー」

 

 めぐり先輩が握るギアを上げてきた。

 痛い痛い痛い、痛いから! あと痛い!

 めぐり先輩ってファーストネームめぐりじゃなかったっけ?

 いつから薫になったの?

 どこの花山?

 どこの二代目?

 ってかむしろ生徒会的に言えば先代か。背中に侠客立ち刻まれてませんよね? あと怖い‼

 

「離してください。今日こそは暖かい場所で食べるんです」

「教室行くの?」

「俺が教室にいると皆の邪魔になるので空気読んで外で食べてるんですよ、行くわけないじゃないですか」

 

 そもそも特に今日は川崎の弁当のお陰でなおさら教室でなんて食べれない。

 

「じゃあ、どこで食べるの? 図書館は飲食物持ち込み禁止だよ?」

「……俺には便所飯という第二のベストプレイスがあるので」

「それはダメだよ比企谷くん、人としての尊厳を捨てる気なの⁉」

「あ、それ意外と酷い言い草ですよ」

 

 全国的に見れば便所飯している人間は結構いると思う。むしろ便所飯という単語があること自体、世間一般にはメジャーな飲食スペースと認定されているまである。発端は全然推奨されないけどな。

 

「んー、じゃあさ、生徒会室に行かない? 一色さんなら鍵借りれると思うし、頼んでくるから」

 

 それはすげえ気まずいからご遠慮したい。昨日一色から貰ったチョコを食べてないのだ。あのゆるふわビッチがそれを聞いてどんな強制労働を課してくるか想像だに難くない。いや、めぐり先輩も気まずいんですよ、チョコ貰った相手だし、そっちも食べれてないからな。

 

「いえ、生徒会室を私物化するのは良くないでしょう。仮にも元生徒会長が現生徒会長をたぶらかすのは感心できませんね」

 

 方便もいいところなのだが、雪ノ下達に言うならともかく、この人に言うのはこちらとしても良心の呵責に苛まれる。だってこの人、この学校の中で戸塚と比肩しうる天使だし、手がかりが少な過ぎてこの発言の他意に気付けるはずがない。

 雪ノ下あたりなら俺の品行方正な言葉自体に不自然さを感じ、他意前提で論理を構築していく強者だ。そして結果俺を傷つけるのであいつにこういった言葉を投げかけるのはこちらとしても覚悟がいる。

 

「あ……そうだよね、ごめん……私ったらなんてこと言っちゃったんだろう……一色さんにも迷惑がかかっちゃうよ……」

「そ、そうですね……」

 

 うわぁあああああ! やっぱりだよ、自分の目的を達成する為とはいえ、これは堪える。

 無用な業を背負っちまった……なんとかして徳を積みたい!

 

 奉仕部の部室も確実にアウトなんだよな。雪ノ下がいるし。なんだったら生徒会室より鬼門だ、まである。雪ノ下と由比ヶ浜のチョコをどちらから食べるかで迷ったことを悟られた以上、絶対食べたか訊いてくるはず。というか訊いてこない方が有り得ん。

 

「……じゃあやっぱりここで食べますか」

「⁉ いいの⁉」

「ただ昨日みたいに風除けにするのはごめんですから」

 

 昨日は肩と腕なんて完全に密着状態でずっと食べ続ける拷問だったからな。プロぼっちのこの俺ですら勘違いしてしまうレベル。しないけど。

 

「えー、比企谷くんいじわるだよぉ……」

「いや、それが普通ですから」

「しょうがないから、それで我慢してあげる」

「そうしてください」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…………」

「……やっぱりこの距離だと寒いね」

 

 そういってにじり寄ろうとしてくる。俺はいつから暖房器具になったんだろうか。

 

「あー、くっつかないでくださいよ」

「むー……」

「むくれてもダメです」

「……うん」

 

 なにそれ俯いて涙目になりそうとかもう天然で男手玉に取り過ぎでしょ。

 

「……はぁ……」

 

 俺はコートを脱いでめぐり先輩に差し出した。

 

「? 比企谷くん?」

「はい、このコート使ってください。膝掛にすれば結構違うと思いますよ」

「え? そんな、ダメだよ、比企谷くんが寒いじゃん」

「俺にはこのマッ缶があります」

 

「…………」

「? どうしました?」

 

 めぐり先輩が俺との禁を無視し接近する。

 

「ちょ! 城廻先輩!」

「こうして近づけば二人ともコートで膝掛できるよ」

「そ、そうですけど……」

「えへへ……」

 

 ……あれ、これって風除けにされるのとほとんど位置取り変わってないような……。

 

「さぁ、お弁当食べよー」

 

 結局、距離を詰められた挙句、コートまで奪われて俺の一人負けだろこれ……。

 

「そういえば比企谷くん、今日はお弁当なんだねー」

「はあ、まあ」

「誰が作ってくれたの? お母さん?」

「親の愛情は妹の小町がおよそ10割もらってますんで」

「そ、そうなんだー……あはは……」

「苦笑いされると悲しくなりますからここは明るくスルーしてくれるのが正しい応対です」

「そっか。じゃあその妹さんが作ってくれたの?」

「……ええ、そうです」

 

 何で俺は答えることに躊躇したんだ……? でも違うと言ったらまた追及されるわけで、どうやって説明すればいいのか判断に困るし、うん、ここはこれで正しかった。そのはずだ。

 

「…………」

「…………」

 

 無言のまま俺を睨めつけてくる。前を向いていても皮膚を焼くその視線は否が応でも感じられた。

 

「……比企谷くん」

「なんすか?」

「……それ嘘だよね?」

「え? どうしてそう思うんですか……?」

「女の勘かな……?」

 

 こええよ、女こええって! なに? 雪ノ下限定じゃなくても俺サトラレ谷なの? 養殖の一色は抱きついてポリグラフしてきたけど、天然だと触れなくてもポリグラフできるの? なにそれ、養殖の劣化具合ひどっ‼。

 

「ね? 怒らないから言ってごらん?」

 

 俺は知っている。怒らないから言ってごらん、そう言って怒らなかった人を今まで見たことがないことを。ってか怒られる要素自体皆無なこの案件で何故ここまで俺は警戒しているのだろうか。

 

「ええ、実はクラスメイトが作ってくれたんですよ」

「……女の子?」

「そこ重要ですか?」

「うん」

 

 ですよねー。俺が女の子に弁当作ってきてもらうとか、いつからリア充にクラスチェンジしちゃったわけ? って話だからな。

 

 というか女の子じゃなかった場合、むしろそっちのが問題あるまである。海老名さんに知られたら教室が血の海になって警察が現場検証しにくるレベル。総武高校にあらぬ噂が立って今年入学予定の小町に多大なる影響がでるのでこのことは墓場まで持っていく所存だ。男からの弁当じゃないからその前提を満たしてないけどな。

 

「あんまり仲良くはない女子なんですけど、なんか弁当作り過ぎちゃったらしくて、いつも俺がパンばかりだから施しを与えてくれたみたいなんですよ」

「へぇー……」

「…………」

 

 なに、その沈黙。

 

「…………」

「……比企谷くんはさ、いつも教室では食べないで一人で食べてるんだよね? なんでその子は君がいつもパンだって知ってるの?」

「え? それはですね……」

 

 あるぇー⁉ なんか不倫した夫が言葉尻掴まれてどんどん論理詰めで退路絶たれていくパターンに似てるんだけど⁉

 

 多分、川崎は小町にメールとかで訊いたんだろうけど、これどうやって説明すればいいんだ? 事実を伝えたら、ただのクラスメイトから妹とメールのやり取りまでする親しい人間にランクアップするぞ。

 

「……あー、えーっと……」

「…………」

 

 やばい、全く頭が回ってない。真っ白だ……。

 

「…………」

「…………」

 

「わかった。比企谷くんも困ってるみたいだし、これくらいにしてあげるね」ニコッ

「……あ、それは、なんというか……助かります」

 

 照れ隠しに頭を掻く癖が出てしまう。ここまで返しが出てこないとは……めぐり先輩ってたまに怖いかも……。

 

「その代わりと言ってはなんだけど、お互いのお弁当分けっこしよっか?」

「……それでチャラならいいですよ」

「やったー、ねえ、まずはわたしのお弁当食べてみて。どれがいいかな?」

「はい、じゃあその玉子焼きで」

「うん、召し上がれ」

「……あの……城廻先輩、何故お箸で玉子焼きをつまんで俺に近づけているんです?」

「え?」

 

 めぐり先輩は本気で「なんのこと?」という表情をしている。マジかこの人。

 

「ほら、あーんだよ。あーん。おかず交換なら普通するでしょ?」

「あなたの普通ってどこの世界のスタンダードですか? ラノベ? ギャルゲー? 二次元から出てこれないから最早材木座の心象世界を具現化してるまでありますよ」

「? えっと、比企谷くんが何を言ってるのかほとんど分からないんだけど……」

「分からなくて正常です。安心しました」

「んー、比企谷くん時々難しいこと言うよね……もっと単純にしよっか。この玉子焼きを比企谷くんがパクッてしてくれればいいの!」

「いやです」

「なんで?」

 

 本気で言ってそうだからやっぱ怖いわこの人……。

 

「男が女の子におかずを取って貰ってあーんで食べさせられるとか、もうウイキペディアに載ってる恋人の営みですよ? しかも学校内でやるとか正気ですか?」

「ええ……? 別にそこまで固く考えなくてもいいと思うけどなあ。とにかく『あーん』すれば解決、うん!」

 

 めぐり先輩は全く引く気がないらしい。ここは仕方がないので最終手段にでる。

 

「先輩失礼します!」

「あっ⁉」

 

 俺はめぐり先輩の箸から自分の箸で玉子焼きを奪いとって口に入れた。

 

「……比企谷くん、箸渡しはお行儀悪いよ……わたしの玉子焼きをお骨みたいに扱っちゃったら味が一段階ダウンどころじゃないから……」

「俺の存在がもたらすスパイス効果の意趣返しとはやりますね」

「え? そういうつもりじゃないんだけど……?」

「あ、それよりも味はどうかな?」

「……美味いと思いますよ」

「ほんとー?」

「ええ。小町には負けますけどね」

「うわー、喜びが半減するよそれ……」

「でも良かった。このお弁当わたしが作ったんだ」

「あ、城廻先輩のお手製でしたか。まあ先にそれが分かってたとしても小町には勝てないと言ってますけどね」

「むー、少しはお世辞も言わないと女の子にモテないよ?」

「ははは、俺が女の子にモテるとかどこのフィクション? って感じですね。先輩、俺のこと何にも分かってないですよ」

 

 いつもの自虐で茶化したが、俺は何か間違えたのだろうか。予期せぬ沈黙が場を支配する。

 

「…………」

「…………」

「あは……比企谷くんこそ全く自分を分かってないかもしれないよ?」

「え?」

「好きでもない男の子にお弁当なんて作らないよ……」

 

 それを聞いてドキッとしてしまう。さっき茶化したのも失言だったと心の中で予感していたが先輩のその言葉ではっきりと自覚させられてしまった。

 この弁当を作ってくれた川崎に、俺ははっきりと意思表示された。それなのに己を卑下して非モテを語るなど、昨日スカラシップのことで真摯にお礼をくれた彼女に対してしてしまったことと同じだ。

 

「まあ、俺がモテるかどうかはともかく、自分でもよく分からないところがあるのは確かかもしれません」

 

 そこまでは認めておく。でなければここにいない川崎に立つ瀬がない気がしたからだ。まあ、いないのだから認めても認めなくても結局何の影響もないのだが、俺自身の気持ちの問題が大きい。

 

「うん、じゃあそのクラスメイトが作ってくれたおかず貰うね」

「ああ、交換でしたね。どうぞ。あーんは絶対しませんから自分でとってくださいね」

 

 先ほどの轍を踏まないよう釘を刺しておく。めぐり先輩は迷うことなく玉子焼きを箸でつかんだ。

 

「同じものトレードする方が不公平がないよね、いただきまーす」

 

 確かにそうかもしれないが、これには別の意図がある気がしてならない。玉子焼きは好きなので持っていかれてちょっとだけ寂しいが、俺も残った玉子焼きを口に入れる。

 ……あれ? なんだ、味があんまり……。

 玉子焼きに味がついていないように思えた。川崎に限ってそんなことがあるだろうか?

 

「……んん? ……なんか、あんまり味がついてないかも? 比企谷くんどうだった?」

「同じくそう思います」

 

 俺は他のおかずも一通り味見してみたが、どれも味がなかったりしょっぱすぎたりと味斑がひどい。昨日御馳走になった川崎の腕前はまぐれだったのだろうか。

 

「あ……えっと、わたしのもっと食べていーよ。比企谷くんさえよければわたしもまたおかず分けてもらおうかな」

 

 めぐり先輩にどういった意図があるのか読めないが、俺にとっては川崎の弁当の異常事態が気になってそれどころではない。

 腐ってるとかそういうのじゃなくて単純に美味しくないよな……それでも由比ヶ浜の料理に比べれば金払ってもいいレベルだけど。それほどに由比ヶ浜の料理の不味さは異質だ。むしろ逆に崇拝できるほどの信頼度と言える。

 

 もう一度試食。由比ヶ浜の料理と比べると美味いのだが、どれもこれもが有り体に言って不味い。いや、由比ヶ浜のに比べれば美味いのだが。大事なことなので二回言いました。

 度々おかず交換しているめぐり先輩も表情が曇りがちだ。あの人がここまで取り繕わないのも新鮮で戸惑う。そこまで微妙な味らしい。

 

「あはは……えっと、比企谷くんのクラスメイトさんはちょっとだけお料理苦手なのか……な? でもでも、それなのに作ってきてくれるなんて本当に気持ちがこもってるんだと思うよ」

 

 どうやら気遣ってはくれているようだが川崎と会ったこともないめぐり先輩が弁当の出来をフォローする意味が正直分からない。俺なら会ったこともない人間が作った微妙な弁当など何の感情もこめず事実を言っておしまいだ。雪ノ下なら一刀両断するだろう。それに比べたら俺は優しいのかもしれない

 

 それにしても変だな……まさかあえて不味い弁当を作って食べさせる新手の嫌がらせでもないだろう。

 第一、俺みたいなぼっちは女子から手作り弁当もらえるだけでご褒美なのだ。それが不味くても大した問題ではない。その点においては、由比ヶ浜が奉仕部に依頼してきたクッキー作りの問題を解消した俺自身が証明している。

 蛇足だが、由比ヶ浜の作ったジョイフル本田で売っているであろう炭的な何かまで変質したクッキーだけは例外とさせていただく。

 

「いや……あいつは料理得意なはずでしたけど……前にも料理食べたことあるし、チョコも潰れても美味かったし……」

 

 あ、いまなにか余計なことを口走った気がする……。

 

「へぇ~。そういえば昨日あげたチョコ食べてくれたかな?」

 

 落ち着け比企谷八幡! 地獄への扉を自ら開く愚行だったが過ぎた時間は元に戻らない。これからのことを考えるべきだ。やだ珍しい八幡前向き!

 さて、川崎のチョコを食べたことは既にばれてしまったわけだがめぐり先輩のチョコを食べていないことはばれていない。

 いや、食べてないからばれる以外の選択肢がないわけだし時間の問題なのだが。

 

 食べてない物を食べたことにする方策はないだろうか?

 いや、もしそんなことが出来るのなら……実現するのならば……俺は『働かない』を『働いた』とする因果の逆転に使いたい。

 やべえな俺、想像以上に材木座に感化されてるぞ。

 

 また考えが脱線したが、ここは正直に食べていないことを自供するしかない。むしろ、何故川崎のチョコだけを食べたのか、どうして食べなければいけなかったのかを訴えた方が効率がいい。この間、僅か3秒程度。俺の脳の回転速度は寒いのに良好だ。いや、寒いからこそ良好なのかもしれない。PCも寒い方が性能は高い。あれ、俺の脳はついにPCと同等になったのか?

 

「いや、すみません。実は食べてないんです、色々あって」

「え?」

 

「……そんなに驚くことでもないと思いますけど。女子からチョコもらった男子は嬉しすぎてチョコを神棚において三日くらい拝んでから食べたりするのが普通かと」

「それが普通だったら手作りチョコもらった男の子はみんなお腹こわしてるんじゃないかな……」

 

 確かに手作りは日持ちしないだろうし、これを普通といってはさすがに世の中病的な男が多すぎることになる。まあ男なんてみんなそんなもんだってのも間違いではないはずだ。ソースは俺。

 しかし、めぐり先輩の意見が普通であっても世の男共は皆胃腸が弱過ぎることになる。ここにはマジョリティーな意見ってないの?

 

「でもそっかー、まだ食べてなかったんだ……」

「すみません、今日帰ったら必ず食べますんで」

「うん、感想期待してるね。……そのクラスメイトさんのチョコは美味しかったんだよね? わたしのも美味しいって言ってくれると嬉しいかなー」

 

 変なプレッシャーかけてきたよこの人。

 

「それでこのお弁当作ってくれたクラスメイトさんってどんな人なの?」

 

 にっこにこの裏に他意のありそうな笑顔で質問してきた。

 うわっ、なにこれ? 俺容疑者なの? ええ、そうでしたね、俺の目はいつも容疑者側だから仕方がないですよね。

 

「ああ、まあよくは知らないんですけどね。確か川なんとかさん……って名前だったかな。ホントよく知らないんですけど俺の妹とその川なんとかさんの弟が同じ塾に通っててなんだかよく分からない内に一緒に夕飯を食べることになりましてね。よく知らないけど川なんとかさん家族多いから率先して家事を手伝ってて料理もよくするんですって。よく知らないですけど」

 

 一色の振り芸みたく息継ぎなしで長文垂れ流しちまったよ。

 

「『よく知らない』が四回も出てきてたけど、すごくその『川なんとかさん』って人のことずいぶんよく知ってるよね?」

 

 正確には『よく分からない』も一回入ってましたが、こっちの方は事実だ。俺には川崎のことがよく分からない。ただ分かろうと努力しよう、そう決めている。

 

「まあ、クラスメイトですから……」

「…………」

「……チョコ潰れても美味しかったって言ってたよね? どうして潰れちゃったのかなーって気になるんだけど、教えてくれないかな?」

「そんな些細なこと気にしてると世の中生きづらいからもっと泰然自若にしてたほうがいいと思うんですよね」

 

 というか、普通に説明困難過ぎて瞬時に解答を作り出せません! 俺のCPU働いてくれ! マジもっと外気温下がって脳の発熱抑えてくれ! ただ下がり過ぎると脳は働くが身体が冬眠しちゃいそうだからダメな方のwin-winだけどな!

 

「うん……でもやっぱり気になっちゃうよね……わたしのチョコ食べないでその子のチョコは食べたんだし」

「しかも、潰れてるのを」

 

 うわ、笑顔こええよ、いつものマイナスイオンどばどばはどーしたの?

 

「それは……ですね、ある不注意によりチョコが車に轢かれて、その供養を兼ねて俺が食べたんですよ。潰れたチョコは神棚において拝まないでしょう?」

「いや、潰れてなくても拝まないから……そのチョコは比企谷くんが貰うものだったの?」

「いいえ、そのチョコをどうやって渡すかを俺に相談しようとした時に車に轢かれたので、そうじゃないと思います」

 

 嘘は言ってない。事故当時そのままの状況を話している。後に起こったことなど説明する義務はない。

 

「へえ……」

「なんですか……?」

 

 俺に訝しげな視線をやるめぐり先輩。居たたまれなくなり、居心地の悪さを誤魔化すよう無心で弁当を食べる。

 

「……チョコって目的の人に渡すとき以外で袋から取り出すかな?」

 

 小町と同じ結論に辿り着いた。

 あれ? もしかしてそう考えられないのって俺だけ?

 まあ、それも無理もないことなのだが。決して勘違いしないよう常に自分を律し戒め、己に向けられた行動の意を打ち消し否定し卑下し続けてきた。

 そんな幾重にも張り巡らされた絶対防御は小町やめぐり先輩が導き出したごく当たり前ともいえる原因と結果をも導き出せなくしていた。

 

「…………」

「言われて気づいた? それとも、その前から気づいてたのかな?」

 

 言わなかったことまで嗅ぎ当てられそうな、そんな方向へ話が進んでいる気がする……。

 

「……だから車に轢かれたチョコを食べてあげたんだね」

 

 まるで親に諭される子供のように黙って先輩の言葉を受け入れる。

 

「……やっぱり比企谷くんは優しいよね」

「…………」

「…………」

「……出来ればわたしのチョコにもそうであってほしいな……」

「…………」

 

 何か言おうにも相応しい言葉が見当たらない。そもそも今ここで何を言おうとも、俺が常に忌避してきた自意識過剰を認めることに繋がる。

 

「ごめんね、変な対抗心燃やしちゃった。川なんとかさんにはお弁当で勝ってると思うから、わたしのチョコも期待していいよ」

「いや、川なんとかさんの腕前はこんなもんじゃないんですよ。なんでかこの弁当は美味くいってなかったみたいですけど」

 

 口にしてやっとこの異常事態に意識が向いた。あの川崎が料理を失敗するなどあり得るだろうか。いや、ない。失敗するとしたらそれ相応の理由があるはず。そしてそれはあまり好ましくないことだと予感していた。

 胸騒ぎがした俺は、残りの弁当を掻き込みマッ缶を飲み干した。

 

「すみません城廻先輩、弁当御馳走様でした。ちょっと急ぐので先に教室戻ってます。必ず今日帰ったらチョコ食べますんで」

「あ、うん。こっちこそごめんね、一人で食べてるところに押しかけちゃって。感想待ってるから」

 

 今度は引き留めようとせずに手を振って送り出してくれた。

 

 

 

つづく



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17話 平塚静は、教え子家族に泣かされる。★

やっと少しはちさきっぽくなった……でもめぐり濃度高め

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2020. 1. 1 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
2019. 6. 7 姫菜の「振られちゃったけど」→「振っちゃったけど」 に修正
2019. 3.22 心の声→めぐり先輩 発言→城廻先輩 に八幡の呼び方変更
2019. 3.12 城廻先輩→めぐり先輩 に八幡の呼び方を変更


―教室―

 

 

 胸騒ぎの根幹である川崎の席を見ると机に突っ伏して眠っているようだ。その姿から疑惑が増す。

 誰にも見られたくなかったからベストプレイスに弁当を持ってきてもらい、めぐり先輩が来たとはいえそれなりに早く食べて戻ってきたのに、川崎はもう机で寝ている。もう自分の弁当を食べ終えたというのか?

 弁当の味といい、色々と気になったので珍しく教室で川崎に声をかける。

 

「川崎、お前自分の弁当もう食ったのか?」

 

 なるべく優しく川崎の肩を揺すって起こそうとする。悪いとは思ったがこれは確認しなければならないことだ。

 

「…………」

 

「おい、川崎」

「…………」

 

「…………ん」

 

「…………え……あ、比企谷……」

 

【挿絵表示】

 

「どしたお前、顔真っ赤じゃねえか?」

「……そ、そう……?」

 

「しかもなんか震えてねえか?」

 

 無意識に川崎のおでこに手を当てる。

 

「あ……比企谷の手、冷たくて、気持ち……いぃ……」

「‼ やっぱ、すげえ熱じゃねえか。保健室行くぞ。立てるか?」

 

「ん……」

 

 手を引いて、川崎を立ち促すが熱のせいで意識が朦朧としているようだ。俺におでこを触れられたのも含め、なんの抵抗も示さず反応も鈍い。

 それも無理もないことなのだろう。ふらつくその足取りは酩酊状態であるかのように歩行も覚束ない。

 由比ヶ浜も海老名さんもいないか。となるとこの教室に俺達ぼっちの味方はいない……。

 

「……………」

「…………ハァ、ハァ」

 

 しょーがねーな、躊躇してる場合じゃない。

 俺はブレザーを脱いで、それを川崎の腰巻に使った。

 

「……ひ、比企谷?」

「ほれ、背中に乗れ。保健室まで背負ってやるから」

 

「……え?」

 

「早くしろ、恥ずかしいだろ」

「! あ……あたしだって恥ずかしいってば…………」

 

「お前、もうまともに歩けねえじゃねえか。いいから掴まれよ」

「うっ……」

 

 さっきまでよりは抵抗らしいものが見られたが、熱が上がって一番辛いタイミングだったのだろう。心が弱ってる川崎にはいつものように強く抵抗されなかった。教室内だというのに案外素直に俺の背中に寄りかかり身を委ねてくる。

 

「よし、いくぞ」

 

 俺は細身だが自転車通学で最低限それなりに鍛えられている。女子一人背負うくらい余裕だ。いや、それよりも高い身長とは裏腹に、意外なほど軽い彼女に驚いてしまった。予想を遥かに下回る重みを背中に受け、力強く川崎の身体が浮き上がる。

 

「ん……」

 

 しっかり肢を抱え俺の両脇に川崎のそれが収まっている。後ろから見たら確実にスカートの中のレース見えてるだろこれ? 今日、黒のレースかなんて知らんが。

 ブレザーを腰巻にしてやってよかったー、気遣える男でホントよかったよー、小町にこの気遣いの化け物っぷりを自慢したい! 冷やかされるから絶対言わないけどな。

 

 ……なんか、背中に当たるんだが……。

 けれど、それを気にする余裕なんてないくらい様々な情報が飛び交ってる。

 川崎を背負っている俺に向けられた視線とそれに含まれる感情、驚愕や嘲笑といった空気がまとわりつく。何よりも、そのか弱い身体が発するバイブが事態の緊急性を知らしめてくれたから、俺は余計な煩悩を感じずに済んだ。

 そんな中でも、しがみつく腕に力が込められたことに安堵する。少しでも暖をとろうとしたからか、安心できるからなのか、どちらであろうとも俺にとってその行動は朗報以外なにものでもなかった。

 

 

―保健室―

 

 

 女子を背負って保健室まで運ぶとか、葉山じゃあるまいし、俺がやったら通報から公開処刑まで成立して社会的に死ぬトラウマ級の出来事だな。

 なんでこんな目立つことをしてしまったのか……。いや、何のためかなんて分かり切ってるし、そこに疑いを向けるべきではないか。大事なのはこの後どうするかということに謀略の全てを注ぐこと。

 

 『実は背負われていたのは男子でした』

 ……下手すると事実を上回る大事件になりかねんから却下だな。っていうかこれだと海老名さんの風当たりが強すぎだろ確実に悪化するまである。

 

 『実は背負っている人は比企谷八幡ではなかった』

 ……出来ればこれでいきたい。でも無理だ。

 総武高校に影武者システムとかありませんか? 現代社会でも大統領とかクラスなら採用されるシステムだと思うんですけどね。あれ? じゃあ俺がプレジデントクラスに出世しないとダメじゃないですか! 将来専業主夫志望ですよ⁉

 

 色々な策を練っているうちに保健室へ到着してしまう。養護教諭に言って川崎をベッドに寝かせる。

 

養護教諭「だいぶ熱がありそうね。いま体温計と冷やすもの持ってくるから、クラスと名前書いてくれるかしら。早退できるように担任の先生に報告してくるわ」

「ありがとうございます。2年F組の川崎沙希です。平塚先生に伝えてください」

 

 よかった、いつものように川なんとかさんとか言っちゃいそうだったわ。さすがにそれは不謹慎だよな。

 

「…………」

 

「…………あの……」

 

「ひ、比企谷……」

 

 え? その手はなんですか?

 

「……手……」

 

 おい、まさか? そんなこと出来るはずがないだろ!

 養護教諭がいるにもかかわらず手を握ってほしいと訴えているようだ。どうやら熱で気が弱っていて正常な判断ができないらしい。

 

「あ、いや……それは……」

「……お願い……」

 

「…………」

「…………」

 

 そんな潤んだ瞳で見られて拒否れるわけないでしょーが! なにこの破壊力⁉ あざとさ全開の一色なんて目じゃねえ!

 

「……わ、分かったよ」

「……ん」

 

 川崎は俺の手を握り返し、安心したように目を閉じた。

 しばらくすると養護教諭が戻ってきて氷枕を頭に敷いてくれた。体温計を受け取る際、繋いだ手を見られたが何もいわずにスルーしてくれたことはグッジョブ! ただ笑みが見えましたよ。俺の顔も赤くなってるだろうな。

 

「体温計入れるからちょっと手離して……」

「お、おう……」

 

 なんかそういわれるとニュアンス的に俺の方から無理矢理、手を繋いだみたいに聞こえちゃうじゃないですか。冤罪だ。再審を要求する。

 脇に体温計を入れるとまた手を握るよう要求してきた。

 そう、これが正しい事の起こりだったのですよ名前も知らぬ養護教諭さん! あなたも俺の名前を知らないからお相子ですね。

 俺がいるから安心なのか、気を遣ったのか、養護教諭は先生に知らせてくると保健室を後にした。他に患者さんきたらどうすんですかねえ?

 

 川崎が目を瞑らずにこちらを見ているので、眠るまで話がしたいサインなのだろう。ただ話題は乏しい。ぼっちだけに。しかも二人ともそうだから会話が絶望的じゃね? まあ黙っててもこいつとなら間がもつのだが、今日は一応話せることはある。

 

「……たく……昨日暖かくして寝ろってメールで言ったろが」

「……もうその前から風邪引いてたみたい」

 

「昨日いろいろあったしな」

「……それだけじゃないけど、その(風邪)せいもあって昨日あんなことしちゃったのかも……」

 

「風邪であんな大胆な行動しちゃうの? やだ、俺、絶対風邪引きたくない」

「…………」

 

 睥睨(へいげい)された。こわっ!

 でも……うん、眼力は死んでない。思ったより平気そうだな。

 

「昨日のお昼外で食べたのがまずかったかも……」

「は? お前なんで俺みたいなことしてんの? こんな冬に外弁とか風の子すぎない?」

 

「……あんた、わざと言ってる?」

「え?」

 

「昨日、チョコ持ってタイミング計ってたところに城廻先輩が来て寒い中食べる羽目になったんだけど」

「お前、見かけただけじゃなくて待ってたのか。あーっと……それは悪か……って、それ俺悪くなくね?」

 

「悪いよ……さっさと移動すれば城廻先輩も諦めてくれたかもしれないのに」

「いや……俺はそうしようとしたんだぞ? でも城廻先輩が俺を風除けにして居座ってきたからああなった」

 

「風除けがないあたしはまんまと風邪引いたってことか」

「あれ? 風除けが風邪引いてないんですけど」

 

「……二人でくっついてたじゃん……さぞ暖かかったでしょうね」

 

 ……拗ねてらっしゃる。なにこれ可愛い、お持ち帰りしたい。

 

 

ピピピツ

 

 

「ん…………」

「38.5℃ 疑いようのない風邪だ」

 

 体温計を差し出した腕を引っ込め、捲れた布団を掛けなおしてやる。

 

「まあ、悪かったって。ひとまず寝とけよ。熱下がんねえぞ」

「ん……」

 

 言いながら握った手に少し力を込めた。川崎も握り返してから目を閉じた。

 

 ……そういえば昼休みで人がそこいらに居る中、川崎をおぶったんだから注目されてたはずだ。どの面下げて教室に帰ればいいんだ俺。

 川崎が寝付いたのを確認して手を離そうとすると、がっちりとホールドされていて離せなかった。養護教諭をなんとか説得して離してくれるまで授業を遅刻することにした。

 

 そういえばいま川崎の腰巻になっているものは俺のブレザーでした。教室は暖房効いているとはいえワイシャツ姿って目立つよな。いや、それ以前に授業遅刻して教室に入るって目立ち過ぎだろ。今日、目立ってばっかじゃね?

 

 教室の近くまで辿り着くが、そろそろ五時限目も終わりが近かった。

 あー、ダメだ。入る勇気がねえ。今更教室行っても意味もないし、やっぱり休み時間にステルスして戻ろう。

 

 ……俺はどうしてあんなことをしてしまったのか……。

 

 だって俺だぜ?

 教室から女子を背負って保健室に連れてくなんてどこのイケメンだよ⁉

 葉山の魂が乗り移ったんじゃねえの⁉

 バッカじゃねえの⁉

 死にたい!

 もういっそ俺だけじゃなくてそのまま葉山も〇んでくれねえかな。

 

 

キーンコーンカーンコーン

~五時限目終わり~

 

 

 何の罪もない人間の死を願うとは……俺の心はどれだけ汚れてしまったのだろうか……などと省みるはずもなく、五時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 教室から大量に人が出てピークを過ぎた頃合いにステルスヒッキーのスキルで存在を消し、音もなく、下手をすれば姿もないまま教室に紛れ込んで席についた。

 うむ、さすが俺。芸術的なまでの侵入。流麗で雅なその様は見る者の目を惹く美しき動作だったはずだ。見ている者がいないので惹くことはないんですけどね。いや、むしろいつも引かれてるか。

 

 六時限目の準備をして授業まで寝たふりでも決め込もうかと思っていると声を掛けてくる人物がいた。

 誰だよ、俺に声かけてくる奴って。俺の平穏を乱さないでくれよ、ただでさえブレザー着てないのにますます目立っちゃうだろ。

 

「ねえヒキタニくん、サキサキの具合どうなのか知らない?」

 

 ぐっは!

 

 平塚先生がよく吐血しそうな声をあげているのを見かけるが、今の自分もまさにそうであっただろう。今一番触れて欲しくなかった。というかなんだったらこの人にも話しかけてほしくなかった。だって……

 

「……川崎なら熱でたから保健室で寝てるみたいだな」

「そっか……なんか朝から元気ないなぁとは思ってたんだけど」

 

「あいつが元気ないの分かるとか、どんだけ川崎のこと好きなの?」

「……分かるよ、サキサキがよく見てる人のこと今日は見てなかったし、授業中に伏せてること多かったから」

 

「は? 睨めつけてるの間違いじゃねえの?」

「あちゃー、ヒキタニくんにはそう見えるかー」

 

 睨めつける云々はともかく、確かに海老名さんの根拠には説得力がある。要はいつもと違う行動と無気力感が見られたんだろうが、それを分かるあなたは相当川崎のことを目で追っているってことですからね? やっぱ好き過ぎだろ。

 

「……ところで、なんでそれを俺に訊いてきたのかを訊きたいんだが……俺の予想通りだとするとまさか……」

 

 少し声のトーンを落として海老名さんにもそれを促す。

 

「うん、お昼休みにヒキタニくんがサキサキをおんぶして連れ出したって、けっこう噂になってたよ」

「だよなぁ……焦ってたとはいえ、なんであんなことをしちまったんだか……」

 

「ええ? いいじゃん。熱だして歩けない女の子を背負って保健室に連れて行くとか女子にとって夢シチュだよ? お姫様抱っこだとパーフェクトだったけど、そこまでヒキタニくんに望むのは厳しいか」

 

「なんだったら昼休みに海老名さんか由比ヶ浜がいてくれて運ぶのを任せるのが俺の中のパーフェクトだったんですけどね」

「そう? ……でもサキサキ的にもパーフェクトに近かったと思うよ」

 

「男におんぶされるのを教室で好奇の目に晒されるのがか? そんなことあいつは望んじゃいねえよ」

「そっちは……うん、確かに望んでないかもしれないけど」

 

 むしろぼっちにとってはそっちのが重要なんだよなぁ……。

 

「……わたしは修学旅行の時に振っちゃったけど」

「あん?」

 

「サキサキには幸せになって欲しいからね」

 

 ……文脈が上手く繋がらないから海老名さんが何を言いたいのかいまいち理解できないんだが……声も小さくてホントに聞こえた通りの内容でいいのかもわからんし……。

 

「ところで……」

 

 海老名さんはさらに耳元に顔を近づけて話しかけてきた。近い近い、あといい匂い、それと近い!

 

「……チョコは食べてくれたかな?」

 

 近づかれて起こった軽い興奮がサーッと引いていくワードだった。

 

「……マダデス……スミマセン……」

「誰かのは食べたの?」

 

 にっこにこの笑顔だが瞳は仄暗い闇に覆われている。

 かつて修学旅行で目にしたこともある闇。引き込まれそう。怖すぎる。

 

「……イヤ……ソレハ……」

 

 目を逸らして追撃をやり過ごそうとしたが、海老名さんはそれを何か別の意味に受け取ったようだ。

 

「やっぱりかー、じゃあ、まあ許してあげよう。分かりやすいなヒキタニくんは」

 

 えっ? なに? 今の何の話?

 

 誤解を解く暇もなく海老名さんは俺から離れて行った。何が起こったのか分からずボーッと己の目線の先を追ってみると、そこには五時限目の授業で主のいなかった机があった。

 

 あ……そう勘繰られたか……誤解だけど誤解じゃないし、まあいいか……。

 

「…………」

 

 ……いいのか?

 だって俺ってこういうの知られるの一番嫌がるはずじゃなかったのかよ。

 昼休みといい今といいどうしちまったんだよ、比企谷八幡……。

 

「あ……ヒッキー……や、やっはろー……」

「……おう。なんだよ」

 

「あの……さ、さっき小耳に挟んだんだけど、お昼休みに……その……沙希を保健室に運んだって……」

「そう……そうなんだ。何故お前は昼休みに教室にいなかったんだ……いてくれたらあんな目立つことなんてしなくて済んだというのに……」

 

「そこあたしが怒られるとこなの⁉」

「当たり前だろ、何のためのガハマさんだよ?」

 

 あーこれいかん。完全に理不尽だわ。普段、雪ノ下が俺にしてることとなんら変わりない理不尽な精神的苦痛を由比ヶ浜に与えている。許せ由比ヶ浜。それとお前も少しは俺の日頃の苦労を知るべきだ。

 

「俺のブレザーがないのも全てお前のせいでOK?」

「もう訳わかんないし!」

 

 そんなお互いに訳のわからない会話のようなものを続けていると、まだ予鈴も鳴っていないのに平塚先生が教室に訪れる。

 あれ? ってか六時限目って国語じゃないよな?。

 

「ん? 比企谷、ずいぶん威勢がいい恰好だな。普段の死んだ目から想像もつかん。ようやく私の指導が実を結んだようだ」

「上着一つで都合のいい解釈しないでください。俺は変わりませんよ」

 

「じゃあどうしたんだ? まさか! イジメにでも遭ってブレザーを隠されたのではあるまい?」

「教師が冗談でもそう言うのって洒落にならんのでやめてください。しかも俺に言うとか信憑性倍増ですよ?」

 

「はっはっは、すまんすまん。で、ホントのところはどうなんだ?」

「川崎に貸したんですよ。あいつが早退するならその時に先生に回収しておいてほしいんですけど」

 

「ああ、あのブレザーは君のだったのか。わかった、肝に銘じておくよ」

「どうもっす。……あ、ってことは、保健室で川崎見たんですよね、状態はどんな感じでした?」

 

「……君が素直に他人の心配をするとは……変わらないと言っていた割にはすぐ撤回されているな」

「……勘違いしないでください。ブレザー回収のタイミングが知りたかっただけです。あの熱なら早退するでしょうが、それがすぐなら俺は助かりますからね。寒いし」

 

「ふっ……そういうことにしておこう。現状は保健室のベッドで眠っているよ。本当ならすぐにでも帰したいところだが、無理に起こすのも躊躇われてな。いつ起きて早退させてもいいように川崎の荷物を取りに来たというわけさ」

 

「はあ、そうですか。……あの、先生」

「なにかね?」

 

「……いえ、なんでもないです」

 

 川崎の早退に合わせて一緒に早退すると申し出ようとしたがその言葉を飲み込んだ。早退の理由として先生に認められるか怪しいし、川崎が気を遣ってしまいそうだから。

 

「あ、先生、沙希の荷物あたしが保健室に持っていきます。ちょっと様子も見たいし……」

「そうかね? 助かるよ。ただ、いまは眠っているから本当に様子を見るだけになるがね」

 

「はい。あ、ヒッキー、またね」

「おう、川崎によろしくな。っつっても寝てんだから余計に声かけんなよ」

「うん」

 

 

      × × ×

 

 

《 Side Saki 》

 

~LHR終了~

―保健室―

 

 

「……起きたか川崎。どうだ? 少しは気分が良くなったかね?」

「……あ、先生、ど、どう、も……」

 

「……ダメそうだな」

 

 あたしの震えを見て確信する。自分で不快に感じるくらい激しいものだったし、見ただけで分かるだろう。

 

「すい、ません……さっき、熱計ったら、い、一番出て、て……」

「さすがに救急車までは呼ばないが、わたしが車で送って行こう。何とか駐車場まで歩けるかね?」

「は、はい……それく、らいなら……」

 

 平塚先生に付き添われ、あたしたちは先生の車に向かった。

 

 

―駐車場―

 

 

「すいま、せん先生……今日、い、妹の、お迎え、あるので、お手数です、けど保育園に寄って……ほしいん、ですけど……」

「ああ、構わないぞ。場所は教えてくれよ」

 

「は、い……あ、それと……こ、これ比企谷に返し、といて、くれ、ますか?」

「お、そうだったな。じゃあ、君を車に乗せてからわたしが届けてくるよ。暖房をつけておくから車を盗まれないよう見張っていてくれたまえ」

 

「車と一緒に、女子高生盗む奴なん、て……いないと、思いますけど……」

「じゃあ、急いで行ってくるから少しだけ待っていろ」

 

「は、はい……」

 

「…………」

 

「あ、そうだ……」

 

      × × ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 奉仕部に丸腰――二人のチョコを食べない――で挑もうとは、今日の俺はどうかしてるぞ。いや、それどころか登校そのものが丸腰――誰のチョコも食べていない――で二人からの攻撃を被弾したし今更気にしても詮無いことか。

 

 それでも丸腰なりにどうにか対応策を練っていると最近よく見る人物に出逢う。

 

「あ、比企谷く~ん」

「城廻先輩……」

 

 まだチョコも食べてないし昼休みも思うところがあったので少々バツが悪い。

 

「これから奉仕部?」

「ええ。先輩は帰りですか?」

 

「一色さんに生徒会のお手伝いを頼まれててね」

「あいつは……先輩、甘過ぎですよ。少しは自分一人でやらせないと図に乗りますよ?」

 

「ぇぇ……比企谷くんに言われたくないかな~……多分、一色さんが一番頼ってるのは比企谷くんだと思うよ……」

「まあ、俺はしょうがないっていうか、そうですね……刑務とでも言えばいいんでしょうか」

 

「比企谷くんいつから実刑受けたの?」

「去年の生徒会選挙からですね。早く刑期が終わってくれないかと願うばかりですよ」

 

「(あれはそんなんじゃないと思うんだけどなぁ……甘えてるだけで……)」

「なんですか?」

 

「ううん、なんでもない。そういえばわたしって比企谷くんとアドレス交換してたっけ?」

「いえ。俺から女子のメルアド訊いてメールするとMAILER-DAEMONさんて外国人から返ってくるんで訊かないことにしてるんです」

 

「……それ嘘のアドレスかブロッk「言わないでください、知らなくてもいい真実ってのが世の中にはあるんです」そ、そうなんだ……」

「あ、あはは……じゃあ、女の子の方から訊いてくる場合はいいんだよね?」

 

「え?」

 

「番号とメルアド交換しよ?」

「あー……そうっすね……」

 

「あれ? 意外と素直だね?」

「先輩もう3月で卒業ですし、ホワイトデーのお返し渡す時に連絡先知ってた方がいいですからね」

 

「あー、そっか。それもあったね」

 

「? 逆にそれ以外なにがあるんですか?」

「……ただ連絡先知りたいっていうのじゃダメ?」

 

 うっ⁉ 眩しい……なんだこれは……戸塚に勝るとも劣らない後光が差すような神聖さ……この人もやはり天使だった。

 

「まあ、いいですけどね。どうぞ」

「わっ? なんでスマホ渡すの? 番号教えてくれればいいのに」

「見られて困るものとか入ってないんで。滅多に番号登録しないからやり方もよく分からないし……」

 

「…………」

 

「!」

 

「? どうしたの~?」

「いえ、なんでも……」

 

 バッカ、バッカ、バカ!

 見られて困るものとか入りまくりじゃねえか!

 いや別にHI・WA・Iな画像とかそういうのは確かにないですよ?

 成人に指定されるようなものはないからむしろ健全で臨むところだと言えなくもないけど、昨日川崎とメチャクチャメールしたじゃん!

 告白文まで入ってるのに何でそれ忘れちゃうかなー⁉

 いつものクセって怖い!

 めぐり先輩はわざわざメールボックス開かないと思うけど……。

 

「えーっと……城廻めぐり……じゃなんだか堅いし、めぐりんにしとこうかな……」

 

「…………」

 

 何やら不穏なことを画策しているみたいで、登録後のアドレスを見るのが怖い。『☆★ゆい★☆』の再来はやめてくれよ……。

 打ち終わるまで待ってる時間が妙に長く感じる……今の俺はツライと感じているらしい。

 そういえば昨日の夕食は早く感じた気がする……俺、楽しかったのかな……一人をこよなく愛する俺が小町以外の人間との食事が楽しい……か……。

 

「はい、アドレスと番号入れたy『ユーガッメール』……? メールきたみたいだよ」

 

 神はいなかった……いや、相手次第でまだ可能性は……戸塚……は部活で有り得ないか……小町、お使いあったら喜んで買いに行かせていただきます、今この時なら自腹でもいい!

 それが叶わぬならせめて……贅沢はいわない、材木座、頼む!

 今ほどお前からのメールを心待ちにしたことはない‼

 

「……ごめん、差出人とタイトルだけ見えちゃった。スマホ返すね」

「あ、はい」

 

―――――――――――――――――――――――――――

From:川なんとか

タイトル:お昼はごめん

―――――――――――――――――――――――――――

 

 ピンポイントで一番気まずいやつ届いたな……もう起きたのか。

 

 

『お昼休みは保健室まで運んでもらってごめん、ありがと。これから平塚先生に家まで送ってもらうから、弁当箱は先生に渡しておいて。あんたにブレザー渡しに行ってもらったからもう会えると思う』

 

 

 なに? 先生に弁当箱渡せだと? 無理に決まってんだろ、何言っちゃってんのあの人。熱でマジ思考能力低下してねえ?

 

「あの~……あはは、ホントに『川なんとか』さんなんだね~。お弁当作ってくれた子だよね」

「ええ、まあ。今日熱出しちゃってこれから平塚先生に送ってもらうらしいです」

 

 メールに書いてある通り辺りを探していると平塚先生に声をかけられた。

 

「比企谷、これから部活かね? おっと城廻もいたか」

「あ、ええ、でもその前に保健室寄ってこうかと思ってはいたんですが」

 

「ああ、さっき起きたのでこれから送るところだ。もう保健室にはおらんぞ。あとこれを届けにきた」

「あ、ブレザーありがとうございます。……ところで具合ってどうです?」

 

「熱が酷くてガタガタと震えているよ。早く送り届けてやらないとな」

「……先生、俺も一緒に行っていいですか?」

 

 それを聞き、何故かめぐり先輩が驚いたような表情を見せた。

 

「ん? 君がか? だが生徒一人送り届けるくらいわたしだけで十分だぞ? 部活をサボりたいという理由に使うつもりなら断じて許「違いますよ」さんぞ?」

「あいつ今日妹のお迎えなんですよ。俺はあの子と何度も会ってるし結構懐かれてますから引き取る時スムーズにいくと思って。先生子供とか得意でしたっけ?」

 

「うっ! それを言われると……い、いいだろう、では比企谷も同行するがいい。奉仕部の依頼として帯同を許可する」

「はあ、どうも」

 

 あっさりだったな。子供苦手なのか? まあ苦手ってことはないだろうけど、千葉村の時も業務以外はさっさと寝てしまってたし別段好きということもないのかもしれないな。

 

「それと、あとで雪ノ下に部活休むって連絡お願いできますか? 俺が何か言っても信じなさそうだし、そもそもあいつの番号もメルアドも知りませんので」

「えっ、雪ノ下さんの番号知らないの? (…………それなのになんで川なんとかさんのアドレスは知ってるの?)」

 

 最後の方はよく聞こえなかったが、めぐり先輩に驚かれてしまったのは分かる。友達になってくれって言って二度も拒否されたエピソード話したら受けがよさそうだ。逆の意味で。

 

「わかった。それにしても聞いてて悲しくなるようなことを言うな君は」

「入部した頃からそうでしょう。今さら何を気にするんですか」

 

「城廻、それでは比企谷を借りていくぞ。君もあまり遅くならないようにな」

「あ、はい。さようなら。比企谷くん、またね」

「はい、さよなら」

 

 ワイシャツの上から既にコートを着ており、わざわざ脱いでブレザーを着るのが億劫なので手に持っていたが、ふわりといい香りがした。恐らく川崎の匂いなのだろう。昨夜の事件(キス)の時はそれを感じる余裕すらなかったからな。

 俺達は少し早足で車へと向かった。

 

 

―駐車場―

 

 

「川崎、待たせたな」

「いえ……」

「よ、これ掛けとけ」

 

 手元に戻ったブレザーを再び川崎に渡す。

 

「え? ひ、比企谷⁉ なんで……」

「ああ、君の妹のお迎えに行くといってきかなくてな。わたしはその子と面識もないし、今の川崎に歩かせるくらいならコイツに働いてもらおうと思ったわけだ。これも奉仕部活動の一環だよ」

 

「あ……比企谷……ホントごめん……」

「気にすんな。どうせ依頼なんてこねーよ。助手席に俺座るから川崎は後ろ移動してくれ」

「わ、わかった……」

 

「部員がそんなことを言ってどうする? じゃ、出すぞ。シートベルト締めろよ」

 

      ×  ×  ×

 

「すぅ……すぅ……」

 

「川崎は寝てしまったか……保育園の道を訊きたかったが……」

「ああ、俺わかりますから。クリスマス合同イベントの時、交渉に行った保育園なんですよ。コミュニティセンターのすぐ近くです」

 

「そうか。こうなると比企谷を連れてきて正解だったな」

「ええ、確かに。今の川崎を起こして場所を訊くとか人としてどうなの? ってくらい無慈悲ですしね」

 

「ほぉう」

「……なんですか?」

 

「いや、君の口からそんな風に他人を心配する言葉が出るとはと思ってね。まあ、もともと君は優しい奴だから不思議じゃないが、こうして素直に口にすることに驚きを隠せないのさ」

「ぐ……体調の悪い人間に対して労うのは普通でしょ?」

 

「君は普通じゃないだろ?」

「それは認めますけど、その言葉を教師が口にするのはおかしくないですか?」

 

「まあ、そう噛み付くな。せっかく角が取れて丸くなってきたのに元に戻ってしまうぞ」

「……そんなに変わりましたかね、俺」

 

「そうだな、少なくとも今日川崎に対する態度だけはいつもの君らしくなかっただろう」

 

 うわー、そんな俺ってわかりやすいのか……。

 って教室から女子背負って保健室に連れてけば誰が見ても分かりやすいか。何言ってんだ俺は……。

 

「……まあ、心配もしますよね。川崎は一家の大黒柱……ではないですけど無くてはならない存在なんで」

「そうか……」

 

「受験の弟の勉強みながら小さい妹の面倒みて」

「親御さんが忙しいから家族の飯も作って」

「自分は家計を助ける為に予備校費用をスカラシップ制度でカバーしつつ、学費の安い国立大学に入ろうと勉強して……」

 

「…………」

 

「もう……尊敬しかないですよ」

 

 俺と似た境遇であるのに自己研鑽し己を高めて真っ直ぐに、そして意志を貫く強さを持つ彼女――――雪ノ下雪乃――――とは別ベクトルの尊敬だ。こんなこと平塚先生には言えないが。

 

「……ほぅ、よく見ているな……やはり君は変わったよ。さっきも素直に心配するし、皮肉めいた文言なしに他人を褒めたたえたり……奉仕部に入部させるきっかけとなった作文を今の君に音読させたいくらいだ」

「…………止めてください。恥ずか死にますから……」

 

 川崎のことを口にしてしまった時点で手遅れだったな。川崎が寝てたから油断して口を滑らせたが、もし起きて聞いてたらとか考えなかったのかよ。なんつー恥ずかしいこと口走ってたんだ俺は。やばい、俺が俺じゃないみたいだ。いつもの俺カムバーック‼

 

「…………」

 

 後ろをチラ見して川崎の顔を窺うが寝ているようなので一安心する。これを本人に聞かれていたとしたら走行中のアストンマーティンからドア開けて飛び降りるレベル。

 

「この分だと感情についてもだいぶ理解が進んでいそうだな。どうだ? 今の君ならあの頃よりも周りの人達の気持ちを理解できそうかね?」

「……答えませんよ、そんなことは。二人きりならまだうっかり答えてたかもしれないですけど、後ろに川崎がいるんですよ?」

 

「川崎なら眠っているよ。よもや狸寝入りだと疑うのか? 君は相変わらず猜疑心の塊のままか?」

「……言ったでしょ? 簡単には変わらないって」

 

「ほう」

「……なんですか?」

 

「いや、意外だったのでな『簡単には』なんて枕詞を付けたのが。君のことだから『絶対に』と付けるものと思っていた」

「っ! ……そんなの言葉尻を捕らえただけじゃないすか」

 

 だが、『絶対に変わらない』と言い換えようとも思わなかった。何故だろう……。

 

「だが何も難しくもないことを訊いたつもりだぞ? 前にヒントをあげただろ?」

「え?」

 

「人間、存在するだけで無自覚に誰かを傷つけると」

「あ……」

 

「関わっても傷つけるし、関わらなくてもそのことで傷つけるかもしれない」

「……けれど、どうでもいい相手なら傷つけたことに気づけない……でしたね」

 

「覚えていたな。……そうだ。大切に思うからこそ、傷つけてしまったと感じるんだ」

「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をするということ……」

 

「その覚悟を持ってでも理解しようと思えるようになったかと訊きたかっただけだ。ヒントをあげた時、君が課題をクリアしたことは確認できたしな。その頃よりもっと多くの人に君がちゃんと向き合えるようになったのか……変われているのかを知りたかっただけだ」

 

「俺は……」

 

 課題……クリスマス合同イベントの協力要請を奉仕部に……雪ノ下と由比ヶ浜に依頼した時のことを指している。

 俺は二人に上手く言葉にできない胸の内を打ち明け和解した。この二人以外の人間に対しても傷つけるのを恐れず向き合えるのか、と先生は問うている。

 ……そしてその質問で真っ先に思い浮かべたのは後ろで寝息を立てている川崎沙希であった。

 

「…………」

 

 昨日川崎とメールした時に理解したいと伝えたが……その時、そこまで考え及んでいただろうか……。

 俺は川崎を傷つけてまで彼女の傍にいたいのだろうか……?

 ただのモテないぼっちが川崎みたいな美少女にキスされて勘違いして流されてしまっただけなんじゃないだろうか……?

 川崎に対する尊敬の念を慕情と取り違えているのではないか……?

 他人と接する時いつも抱いてきた疑念。俺の持つ猜疑心の矛先が川崎ではなく自分に向く。

 

「…………」

 

 俺が無言なことを怪訝に思い、答えづらいと感じたのだろう。先生はいきなり話題を変えてきた。

 

「……ところで比企谷、昨日あげたチョコは食べてもらえたかな?」

 

「あ」

 

 うわー、そっちも答えづらいわ!

 なんだそれ?

 まさか平塚先生がその地雷投げつけてくると思わなかったわ!

 なに? アラサーなのに乙女なの?

 だから貰ってくれる人が見つからないんじゃないの⁉

 

「……! 別に食べていないことを責める気はないが、今なにか別件でわたしを怒らせるようなことを考えなかったかね?」

 

 なんでみんな俺の心、的確に読んでくるの⁉ 八幡、絶対秘密保持契約とか結べない!

 

「ん、ま、まあ、食べてないから気まずくて言葉に詰まっただけです。決して平塚先生が思ってるようなことは考えてませんから」

 

 これ幸いと話題シフトに乗っかることにする。

 

「……まあ、信じるとしよう。運転中に衝撃のファーストブリットを打ち込むわけにはいかんからな。交通違反に抵触するだろうし」

「生徒に暴力って時点で法律に違反しているんですけど、その辺はどうなんでしょうかね?」

 

「そこは愛の鞭というやつだよ。それが分からんやつに拳では語らんさ」

「いや、正常に愛の鞭機能してるのって多く見積もっても半分もないんですけど……結構、私怨というかただ気に入らないだけで拳が飛んできたことのが多い気がしますが」

 

「そういう時は頬をかすめるように外しているだろう。存外、君への被害は少ないはずだが?」

「実は大したことない、みたいに言っても被害がある時点で法的にアウトなやつなのでもう少し自重してくださいね」

 

「その辺はまたラーメンを奢ってやる、というので手をうってくれたまえ。はっはっは」

「うわ、普通に賄賂で口止めしてきたよ、この人……ホントに教師なの……?」

 

「……それにしても」

「はい?」

 

「君がチョコを食べていなかったとは意外だったな」

 

 え? それまだ引っ張るの?

 

「……女子からチョコもらった男子は嬉しすぎてチョコを神棚において三日くらい拝んでから食べたりするのが普通かと」

「じょ、女子⁉」

 

 めぐり先輩に使った言い訳のコピペだけど『女子』ってパワーワードが効き過ぎた。

 

「な、なな⁉ なにを言うんだ、君は……大人をからかうもんじゃないぞ……まったくもう……」ブツブツ

 

 え? 何この反応? やばい、可愛いくね? ……なんでこの人が結婚できないの? 早くだれか貰ったげて!

 

「ま、まあ、いつもの君ならその言葉――女子、の方じゃないぞ?――を信じたいが、君は昨日けっこうチョコを貰っただろう。神棚に飾って食べ待ちするとは思えないのだが」

 

「昨日は帰ってから色々あってお腹いっぱいだったので、無理して食べるよりコンディションいい時に美味しく食べた方が、くれた人達もその方がいいかなって」

 

 正確にはお腹いっぱいというよりあの出来事で胸いっぱいだったせいだが、どちらにしろとても落ち着いてチョコを食べれる状態ではなかった。

 

「本当は誰かのチョコくらいは食べたんじゃないのかね?」

 

 核心ついてきやがった! なんとか誤魔化す手段を……おっ!

 

「あ、先生、保育園そこです」

「ちっ! 全く運のいい奴め……」

 

 先生は停めれそうなスペースを見つけ停車しハザードランプを点ける。

 

「……そういや川崎って保育園に連絡してましたかね? このまま俺が迎えに行って話通ってなかったら引き渡してもらえないまでありそうですけど……」

 

「まあ、大丈夫だろう。ここに川崎はいるし、何だったらわたしも一緒に行こうか。教師が説明すればいくら君の目の濁りが常識を超えていようと信用されるはずだ」

 

「先生いい意味で教師に見えないから信用されるか微妙ですけどね。こんな車乗ってるのが尚更教師の信憑性落としてますし」

 

「バッカもん。まあ、いい意味でという誉め言葉は受け取っておこう。しかし、さっきは校内だったからキーを差したまま離れられたが、路上の車の中で川崎が寝ていて停車中に同じことをするのはさすがに気が引けるな」

 

「じゃあ、信じてもらえなかったら保育士さんに川崎がいるっての確認してもらう為に連れてきますよ」ガチャッ

 

 そういうと俺は緊張もなく保育園に突入する。前にも来たことがあるので自然な足取りで侵入……もとい訪問できたと思う。女性の保育士さんをみつけたので声をかけてみる。ここはさすがに緊張するな。

 

「すみません、川崎京華ちゃんのお迎えに来たんですが」

「あ、はい、でも……」

 

「ご両親が忙しいので今日は姉の沙希さんが来る予定だったんですが、その姉も風邪でダウンしてしまいまして……代わりに友達の俺が……迎えに来ました」

 

 って俺、川崎と友達なのかな、なんて場違いな疑問が頭を過ぎる。

 

「あ、はあ、そうですか。お疲れ様です。……ですが……」

 

 そうですよね、迂闊に口車にのって大事なけーちゃんを渡せないですよね。

 

「急なことで連絡がいってなくて申し訳ありません。なんでしたら電話で川崎家に……はいないか。弟……大志にも連絡いってないかもしれないか。じゃあ車の中にけーちゃんのお姉さんがいるので確認してくださって結構です。いま熱出して寝てるので声かけづらくて連絡させるのを怠ってしまいました」ペコリ

 

 出来る限り低姿勢で穏便に。そして川崎家の事情を知っていますよアピールも込めて頭を下げる。そうしているとけーちゃんがこちらに気付いた。

 

「あー、はーちゃんだー」

 

 けーちゃんが駆け寄ってきて足にしがみ付いてきた。

 

「今日ははーちゃんがお迎え?」

「おう、そーだぞー。さーちゃんはちょっと疲れて眠ってるんだ」

「さーちゃん疲れちゃったのー? 昨日はーちゃんと一緒にご飯食べた時、嬉しそうだったのにー」

 

 保育士さんの前で情報漏洩しないでくれないか、けーちゃん。まあ、けーちゃんの態度とその漏洩で俺が人さらいじゃないことが分かったようだ。

 

「そう、よかったねけーちゃん。優しそうなお兄さんが迎えに来てくれて」

「うん!」

 

 完全に信用されたようだ。目が腐ったお兄さんと言われなくてよかったとつくづく思う。

 

「一応、車まで一緒に行きますか? 寝てる川崎と送ってくれる教師もいますよ」

 

 このご時世だ。念には念をいれて合法お迎えであることを訴える。いやね、そうでもしないと俺の目のせいでこのミッション難易度アルティメット級なんですもん。

 

「はは、分かりました。それでそちらのお気が済むのなら」

 

 保育士さんは朗らかな笑顔を以って応えてくれた。

 

 

―アストンマーティンの前―

 

 

「お待たせしました」

 

「わー、赤い車だー」

 

「おう、おかえり」

 

「お疲れ様です。沙希ちゃんのお具合どうですか?」

 

「まだぐっすり眠っていますね。なるべく早く家に届けたいと思っています」

 

「はい、お大事になさってください」

 

「(けーちゃん、さーちゃんが眠ってるから静かにしないとダメだぞ?)」

 

「(うん、シーッね)」

 

「…………」

 

「(それじゃ、けーちゃん、またね)」

 

「(うん、さよならー)」

 

 平塚先生が静かに車を発進させた。

 

 後部座席は狭いがけーちゃんには川崎と一緒にそちらに居てもらうことにした。助手席にけーちゃんを座らせるわけにもいかないし、ましてや助手席に座った俺の膝にけーちゃんを乗せたら法令違反(二重の意味で)が成立してしまう。

 

「……それにしても本当に懐いているんだな、その子」

 

「嘘だと思いました?」

 

「信じていないわけではなかったが、部活をサボる口実にする為に少し盛ってるのかと思っていたよ。だが、想像以上に馴染んでいて逆に背筋が寒くなった」

 

「え? それって俺通報されちゃうんですか?」

 

「君はその自虐が気に入っているのかね……」

 

「はーちゃん通報? されちゃうの?」

 

「大丈夫だ。けーちゃんが俺を嫌いにならない限り通報はされないぞー」

 

「! うん! けーかははーちゃんのこと絶対嫌いになんてならないから!」

 

「(声が大きいぞ)」

 

「(あ! うん)」

 

「……比企谷……お前、意外といいパパになりそうだな……」

 

「何言ってんすか……」

 

「違うよー、はーちゃんはパパじゃなくてけーかのお兄ちゃんになるんだよ」

 

「ぶふっ!」

 

「け、けーちゃん⁉」

 

「だって昨日、さーちゃんのチョコ食べたもん」

 

 けーちゃん、ばらしますか。そーですか。子供の無邪気さには勝てない。

 

「ほぉう?」

 

 窓の外を向き、顔を見られないようにするくらいしか抵抗できなかった。

 ふとこれからのことを思い出し、小町に電話をする。もうとっくに家に帰っているはずだ。

 

「……もしもし、小町か? 実は今日、川崎が学校で熱出してな。いま先生の車で一緒に送ってもらってる最中に保育園からけーちゃん拾ってきたところなんだ」

 

『ええ? お兄ちゃんが付き添いしてるの? わー、なんか別人みたいだね? お兄ちゃんの携帯でかけてきた偽物じゃないよね?』

 

「今はそういうのいいから。……で、昨日みたいに一緒に夕飯食べることにしようと俺が勝手に思ってるんだが、川崎はこんなだし、誠に遺憾ながら大志に連絡して今日の夕飯は親御さんがいるのか、誰が料理するのか訊いてみてくれないか?」

 

『ああ、なるほど。うん、わかったー。じゃあ沙希さんが料理する予定だったら、また小町が行って夕飯作るって感じでいいんだね?』

 

「おう、理解が早くて助かる。あ、そういえば自転車学校に置きっぱなしだわ。小町買い物してから川崎んちまで歩くにせよバスにせよ荷物重いし大変だな。俺も一緒に行くか」

 

『お兄ちゃん優しい! ちゃんと気が遣えるじゃん! 沙希さんも惚れ直しちゃうよ!』

 

「だからそういうのいいって。じゃあ、買い物の準備しといてくれ。俺が戻ったら一緒に出ようぜ」

 

『うん! 準備して大志君に連絡しとくね。大志君のお母さんが作ってくれるとかだったらまたお兄ちゃんに連絡するから』

 

「おう、サンキュー小町。愛してるぞー」ピッ

 

 

「話は通ったかね? で、わたしはどうすればいい?」

 

「予定通り二人を川崎家まで届けてもらえたら後はこっちでどうにかできますよ」

 

「連れないなぁ。今日は川崎を送り届けるという大義名分があるのだから、もっと頼りたまえ」

 

「え?」

 

「川崎を送り届けた後なら後部座席も広くなるし、小町くんを拾って一緒に買い物も付き合おうじゃないか」

 

「いいんですか? そうしてもらえるなら助かりますけど……」

 

「なら決まりだな。夕飯もご一緒したいが、さすがにそこまでいくと図々しいし酒も飲みたくなってしまうからな。買い物の後、君たちを送り届けたら大人しく仕事に戻るよ」

 

 やけに後部座席が静かだと思って覗いてみると、なんと京華が川崎を膝枕して頭を撫でてあげていた。京華の幼い膝では川崎の頭は重すぎるだろうに、それでも苦しい表情を見せず天使のような笑顔を向けている。

 

「(けーちゃんはお姉ちゃんもできるんだな)」

 

「(うん、いまはけーかがさーちゃんのお姉ちゃん)」

 

 はー、微笑ましい。和むわー。

 

 心がなごんでいる間に川崎家へと到着してしまった。ああ、今からけーちゃんを川崎家に置いていくのか……いや帰すが正しいんだけどね。そうすると名残惜しいというか何というか……。

 

「川崎、うちに着いたぞ」

 

 家から出てきた大志が川崎の様子を窺っていた。それを見て正直迷う。だが、大志はまだ俺より二つも年下で成長途上の身体だ。既に学校で経験済みだし俺が運ぶのが適任だろう。

 

「川崎、ほれ背中乗れ」

 

「あ……うん……」

 

 もう家に着いてオフモードで羞恥心がなくなったのか、それとも熱で思考が回っていないからか、大志の前でも平気で俺に負ぶさってくる。大志が玄関の扉を開け、川崎の靴を脱がして部屋へと誘導する。ああ、やっぱり俺が背負ってよかったわ。俺が川崎家の先導なんてできねえから。

 

 初めて訪れた川崎の部屋は綺麗に整頓されいる……とまではいかなかったが、見苦しい散らかり方ではなかった。編みかけの物や裁縫箱などがちょっと出しっぱなしな程度の、むしろ自然に女の子らしい部屋とも思えた。

 由比ヶ浜のやたら彩度増し増しガーリーカラーでファンシーな部屋(多少誇張はしているが)とは違い、川崎の方は質素だがそれでいて女性の部屋と分かる自然な在り様と言えばいいのか。俺にとってはこの方が、ある種女子の圧迫感めいたものがないので居心地がいい。

 

「先生、川崎の着替え手伝ってやってくれませんか?」

 

「ああ、了解した。覗くなよ?」

 

「覗くわけないでしょ。俺のリスクリターンの計算と自己保身に関して評価高いんでしょ?」

 

「全く一言一句漏らさずよく覚えているな」

 

「読書家なんで、名言は忘れないんですよ」

 

 俺は着替えをまかせて部屋を出ると、けーちゃんの手を繋ぎながらこれからの予定を大志と相談する。

 

「大志、小町から連絡あったと思うが今日はお前んとこの母ちゃん帰り遅かったりするのか?」

 

「はい、申し訳ないっす。土日のどっちかも仕事するくらい忙しいんで今日も明日も姉ちゃんが夕飯作って京華のお迎え行く感じでした」

 

「はぁ……わかった。今日と明日、小町を召喚して妹の手作り料理を披露してやるから親には連絡だけして予定を変えないでいいと伝えろ。あと、明日もけーちゃんのお迎えには俺が行くから、大志は川崎の看病しっかりしてろ」

 

「えっ⁉ そんな……悪いっすよ」

 

「いいから。お前だってまだギリ中学生だしさすがに料理が上手く出来るわけでもないだろ? いや、出来てたまるか。ソースは中学の頃の俺。さらに言うなら今の俺もソースになるくらい微妙な腕前だ。それにもとはと言えば風邪を引かせちまったのはどうやら俺のせいらしい……知らんけど。だからその分の責任はとる」

 

 責任……という言葉を口にするとどうしても一色の顔が思い浮かぶ。あの『責任』という人質をとって強制労働を強いてくる俺が唯一後輩と呼べる小町より可愛くない年下の存在を。そして気分が憂鬱になる。

 

「お前は姉ちゃんの心配と、三日連続で小町の手料理が食える喜びに噎び泣く準備でもしとけ」

 

 もう大志に対してツラく当たってるんだか優しくしてるんだかよく分からなくて感情の整理がつかん。

 先生……俺にはまだ感情というものがわかりませんよ……。

 

「本当にすいません。ありがたいっす。京華の世話まで考えると、多分俺一人じゃとても手が回らないっすから……」

 

 正直に弱音を吐露する大志。そういえば川崎は俺と同じでそういうの見せるのを極端に嫌がる気がする。お互い長男長女の立場だから、他人に……いや、弱みを見せて肉親を不安にさせるのを嫌うのだろう。……って偉そうなこと言ってるが俺は小町に弱いとこ見せまくりの相談しまくりで、お世話されてる側なんですけどね。

 

「まあ、お前も川崎家では長男なんだから、姉ちゃんに不安なとこなんざ(おくび)にも出さないよう心がけろ。普段、色々してやってても、いざって時に弟が頼りになるとこ見れれば川崎は安心するし喜ぶと思うぞ」

 

「…………」

 

「……なんだよ?」

 

「お、お兄さん……あ、ありがとうございます……」

 

「辛気臭い面すんじゃねーよ。お前は意地でも川崎を見張って寝かせて大丈夫だと言ってやればいいんだよ。あとお兄さんと呼ぶな、お前だけ小町の飯抜きにして俺が作った微妙飯にするぞ」

 

 いや、結局飯は作ってやるのかよ。そんな大志にかけるには俺らしくない言葉を使って励まし――やっぱこれ優しくしてんだな、川崎効果だわ――小町と買い物する為、平塚先生の車に乗り込む。

 

「はーちゃん、ばいばーい」

 

「比企谷さんと平塚先生、本当にありがとうございます。比企谷さんは後で、こ、小町、さん、と来てくれるんすね?」

 

「はぁ⁉ ……大志、なぜお前が小町呼びするんだ? 殺すぞ⁉」

 

「比企谷さんが『お兄さん』て呼ぶなって言ったんで、もう小町さんは小町さんとしか……」

 

「ぬぅ……わ、わかった……誠に遺憾の意を示すが俺のことをお兄さんと呼ぶことを認めてやる……分かったらその口から二度と名前で呼んで小町を汚すんじゃねえぞ?」

 

 正直、大志に『八幡さん』なんて呼ばれるのも『小町さん』と同等にキツイ。戸塚にしか呼ばれたことのない名前呼びポジションに大志が居座るとか戸塚と同等みたいな扱い臭出すつもりかよ! 恐れ多いぞ大志ぃ‼

 

「はい、わかりました、お兄さん!」

 

 なんでお前ちょっと嬉しそうなの? 小町呼びするよりお兄さん呼びの方が喜ぶとかお前ってまさかソッチなの? いつも引かれる側だった俺が引くよ?

 狭い車内だ。耳を欹てなくても聞こえてしまう。先生は呆れたように呟いた。

 

「しっかし……比企谷、いい加減少しは妹離れしろ。聞いてるだけで君の将来を不安にさせる発言だらけだぞ……」

 

「将来結婚できなくて専業主夫になれなかったら小町に面倒みてもらいますんでこれが正常です」

 

「はぁ……」

 

 こめかみに指を当てながら仄暗い溜息を吐く先生に雪ノ下の姿がダブった。

 

「? はーちゃん、また来るの?」

 

「そうだよ。おにい……はーちゃんは妹さんを連れて昨日みたいに一緒にご飯食べてくれるんだって」

 

「え? 小町ーも? わーい、やったー」

 

 喜んでもらえて光栄だが、大志にはーちゃん呼びされるのは俺としては微妙だった。大志もとてもバツが悪そうな面持ちだったからwin-winだが。あれ? lose-loseじゃね?

 

「はーちゃんと……えっと……」

 

 京華がくりくりとした瞳で平塚先生を見て言い淀んでいる。

 あ、そういえば先生の紹介ちゃんとしてなかったな。

 

「この人は平塚静先生だぞ」

 

「ひ、ひらた……か?」

 

「そうだな、しずかちゃんだ」

 

「し、しずかちゃん⁉」

 

 10ほども年下の小僧に名前でちゃん付け呼びなど予想もしていなかっただろう。俺も思わず言ってしまってから顔が赤くなるのがわかった。

 

「しずか……しーちゃ……しーちゃん!」

 

「し、しーちゃん⁉」

 

 20以上も年下の幼女にしーちゃんと呼ばれる。先生のライフはもう0かもしれない。五十音順だとさーちゃんの次がしーちゃんなので川崎より年下扱いになるのか? だとしたら先生のライフはMAXよ!

 

「はーちゃん、しーちゃん、いってらっしゃーい」

 

 送り出される声が、家庭のそれを想起させると感じたのは俺だけではなかったはずだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「う……うぅ……」ポロポロ

 

 その証拠に、まさに日々それを求めている平塚先生は咽びはじめてしまい、俺は事故らないか心配になってしまったから。

 

「……ひ、比企谷ぁ……」ブロンッ!

 

「……なんですか?」

 

「……やっぱりわたしも一緒に夕飯食べて行っていいかなぁ……?」グスグス

 

 もう誰か早くこの人もらってあげて‼

 

 

 

つづく



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18話 一人だけ、心躍らぬコンペティション。

平塚先生回。めぐりも多め。はちさきなのに沙希さん一章から出番が……

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2020. 1. 2 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Meguri 》

 

~同時刻~

―奉仕部部室―

 

 

コンコン

 

「どうぞ」

 

「失礼しまーす」

「めぐり先輩、やっはろーです」

「めぐり先輩、こんにちはー」

 

「あら、一色さんここにいた。でもお手伝いに呼んでおいてあなただけ美味しい紅茶を御馳走になってるなんてさすがのわたしもちょっと怒っていいかな?」

「ち、違いますよ、お願いした時間にはまだ早いかなーと思って、その間ここで時間つぶ……お二人と雑談を交えながら生徒会のことについて話してたんです」

 

「はぁ……もう言い直さなくていいから」

「あはは……」

 

「わたしもここに用があったからちょうどいいけど、一色さんは生徒会と奉仕部、どっちの関係者かもう分からないね」

「そんなことないですよ。っていうか奉仕部と生徒会の活動内容照らし合わせると類似点多いし、生徒会分室みたいなとこありませんか?」

 

「一色さん、さすがにそれは看過できないわね」

「え、い、いえ、冗談です! ジョーダン!」

 

「でも確かにうちの備品谷くんを一番持ち出してるのは一色さんかもしれないけれど」

「あ、あはは……備品扱いはちょっとひどいけど……」

 

「と、ところでめぐり先輩はどんな御用でこちらへ?」

「え? ああ、うん。……ちょっとした依頼をお願いしたくて」

「珍しいですね。生徒会関連のイベントとかって何かありましたっけ? あ、卒業式関係とかですか?」

「その辺も当日の設営とか手伝ってくれると助かるなーくらいですから、特にはないと思いますけど」

 

「依頼っていうか個人的なことで訊きたいんだけど」

「城廻先輩が個人的な依頼をなさるなんて……いえ、失礼致しました。では依頼内容をどうぞ」

 

「……2年F組に『川なんとかさん』って人がいるらしいんだけど、その子の名前と容姿を教えて欲しいなって思って」

「え?」

「川なんとかさん?」

「それって誰なんですか? あ、いや、それを知りたいんでしょうけど、何で調べてるのかなって意味で」

 

「……ちょっと気になる子なんだ。出来れば逢ってみたいかなって」

「子……ということは女生徒ですか?」

「うん、確か弟さんがいて家族が多いから家事を率先してやってて料理が上手い人なんだって」

 

「2年F組って分かってるなら結衣先輩のクラスだし心当たりあるんじゃないですか?」

「んっと……それって多分沙希のことじゃないかな?」

「沙希さん?」

「そうです、川崎沙希さん。料理すっごく上手みたいですよ」

「ああ、バレンタインイベントの時に依頼に来てた人ですよね」

「わたしたちは弟さんにも会ったことがあります。条件と合致するし、おそらく彼女だと思われます」

 

「どんな外見の子なのかな? 可愛い?」

 

「可愛いっていうより綺麗っていう感じですね。ゆきのんよりも長い青み掛かったロングヘアを可愛いシュシュで結ってポニーテールにしてるんです。そのシュシュも手作りで、制服も改造して着こなしててカッコいいって言葉も似合うかも。背も高くて足もスラっとしててスタイルいいし」

「バレンタイン合同イベントの時に小さい妹さん連れてきてましたからめぐり先輩も見かけてるかも……」

 

「ああ、そういえばいましたね。ちっちゃくて可愛い子が。あの子って確かクリスマス合同イベントの時にケーキ配ってお芝居出てもらった園児でした」

「そうなんだ?」

「はい。クリスマス合同イベントの時、先輩と一緒にコミュニティセンターのすぐ隣の保育園に交渉に行ったんですよ。そしたら先輩の目つきがヤバすぎて中に入りづらくて、わたしだけ交渉に……」

 

「比企谷くんらしいわね」

「ああ……分かる……けど、なんか可哀想……」

 

「交渉が終わって出てきたら、その子を迎えにきたお姉さんと知り合いだったみたいで話してたんですよ。後で知ったんですけどその人が川崎先輩だったんですよね。ちょっと怖い感じでしたけど綺麗な方でしたよ」

 

「ふーん、美人でスタイル良くてポニーテールをシュシュでまとめた川崎沙希さんっていう人ね。ありがとう皆」

 

「いえ、依頼というほどのことではないですから」

「そうですよ、ほとんど雑談で分かっちゃったって感じでしたし」

 

「……それにしても先輩遅いですねえ、まさかサボりですか?」

「いいえ、さっき平塚先生からメールが届いて所用で比企谷くんを借りていくから今日は来れないという話らしいわ」

 

「ええー? なんで教えてくれなかったんですかー⁉」

 

「あなた、まさかまた比企谷くんに手伝いをさせる目的で来たの?」

「あ、いえ……そういうわけでは……(昨日あげたチョコの感想訊きたかったんだけどな……)」

 

「あんまりヒッキー連れてっちゃ困るよ、いろはちゃん」

「い、いいじゃないですか、他に依頼もないんですし」

 

 愛されてるなぁ、比企谷くん……

 そんな三人を見渡してちょっと意地悪な質問をしてみたい気持ちになったけど、したら自爆は目に見えてるし、やっぱりやめておこう。

 そんな風に自己完結していると扉がノックされた。

 

コンコン ガラッ

 

「ひゃっはろー♪」

 

「……姉さん」

「や、やっはろー……です」

「やっはろーです、はるさん先輩」

「こんにちは、はるさん」

 

「あらー、めぐりまで。今日はずいぶんと賑やかなのねー。……でも、逆にいつもいる子がいないわねえ」

 

「で、何をしにきたの、姉さん」

「えー、雪乃ちゃん冷たーい、遥々母校へ訪れたOGに対してもう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかなー?」

「用件を言ってくれれば、それを可及的速やかに済ませるのに協力してあげるわ。優しいでしょ?」

「用件済まさせて早く帰らせたいのね。ふっふっふ、正直ねえ雪乃ちゃん。でも、目的の人がいないんじゃな~」

 

 その場にいる全員が『?』状態で次の言葉を待つ。

 凄く悪戯っぽい蠱惑的な笑みを浮かべながらはるさんは口を開いた。

 

「今日、比企谷くんいないの?」

「さっき平塚先生から連絡があって、今日は所用があるので部活には来ないそうよ」

「えー、無駄足になっちゃったかー、ついてないの」

 

「比企谷くんにどんな御用だったんですか?」

 

 質問しながらも予測はつく。はるさんが手に持つ赤いラッピングのされた箱をみれば。

 

「あー、いやね、昨日忙しくて時間作れなかったから、一日遅れだけどこれ……チョコ持ってきたの。比企谷くんに。でもいないんじゃしょうがないかー。あ、皆は比企谷くんにチョコあげたの?」

 

『‼』

 

 さっき飲み込んだ質問がこんな形で具現化されるとは思わなかった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 三人とも仲が良すぎて遠慮し合ってる感じなのかな……。

 

「わたし、あげましたよ」

 

 小さく挙手して答えた。はるさんに訊かれたというのもあって思ったより自然に言えてしまう。

 

「おお⁉ めぐりが? ホントにー?」

「ふぇ⁉ ま、マジですか、めぐり先輩!」

「え⁉ めぐり先輩が……ですか?」

「⁉ ……一体どんな弱みを握られているんですか⁉」

 

「あれ? これってそんなに驚かれるようなことなのかな? わたし結構色んな人にチョコ配ってるんだけど……」

 

「そういうこととは別の意味で興味があるのよ」

 

「…………」

 

 やっぱりそういう意味だよね……ライバル的な。

 

「他の子達はあげなかったの?」

 

「あ、わたしも! わたしもあげましたよ!」

 

「あたし達もあげましたからね!」

 

「え、ええ……」

 

「ふーん、なーんだ、比企谷くんモテモテじゃない。せっかくチョコ作ってきたのに喜んでもらえなさそう。もう皆のチョコは食べてもらったのかしら?」

 

 さっきからバンバン急所を突いてくる……さすがはるさんだなぁ。

 

「……いいえ。昨日渡した時、比企谷くんは予備校に遅れそうだったようでわたしたちのチョコは食べずにそのまま持って帰ってしまったわ」

 

「わたしのも多分そうですね。その予備校に行くっていう下校時に渡しましたし」

 

「わたしも食べてもらってないですね」

 

「なるほど……皆はチョコの感想が聞きたくてこうして集まっていたのに肝心の比企谷くんが来れなくてフラストレーション溜まりまくりと、そういうことなんだ?」

 

 はるさん、なんでそう正解をズバズバ当てちゃうんですか……。わたしなんて食べてもらってないの直接聞いてるからその核心は辛いです……。

 

「べ、別にそんなことで気を揉むとでも思っているのかしら? だとしたら姉さんの知能も大学生になって著しく低下したものね」

 

「おや~? 強がったってわたしには分かるんだぞ~? でも誰のチョコを最初に食べたかってのは気にならない?」

 

「あ~、あはは……ええっと……」

 

「…………」

 

「多分、持ち帰ってから食べると思われますし、誰が最初でもおかしくないですね……」

 

「……そうだね」

 

 ……もう誰のが最初に食べられたかは決まってるんだよ。……言わないけどね。

 四者四様を呈していたその場で唯一不敵な笑みを浮かべる人物がいいことを思い付いたと発言した。

 

「じゃあさ、誰のチョコが一番最初に食べてもらえたか賭けをしない?」

 

「賭け?」

 

「えー、ギャンブルですか? わたしこれでも生徒会長やってるので品行方正とはいかないまでも良識の範囲で行動しておかないと立場が危うくなってしまうし、推薦者の顔もつぶしかねないのでごめんなさい無理です」ペコリ

 

「あたしもお金賭けるのとかはちょっと……」

 

「やーねー、違うわよ。それに賭けというか、勝負に景品を付けるってだけ。景品を用意するのは発案者のわたしだから皆は何にも気にせずノーリスクで乗っかるだけでいいの。ちょっと言い方を変えれば……そうね、コンペティションかな?」

 

「え? なに? ペティー?」

「『コンペティション』よ。略すとコンペね。こちらの方が耳馴染みでしょう。それにしても由比ヶ浜さんの口からイギリスの経済学者の名前が出てくるとは思わなかったわ」

「え? どっからイギリスがでてきたの? コンペってイギリスが作ったの?」

「…………」

 

「あ、あはは、でもわたしもあまりよく知らないのでツッコミづらいですね。先輩がいらしたらちゃんと拾ってくれたんでしょうけど」

 

「それはどうかしらね一色さん。あの男もわたしの言葉に言及するより『ユキペディアかよ』という万能で無難な返しをして黙ると思うわ」

 

「うわー、雪乃ちゃんて比企谷くんのツッコミまで予測しちゃうんだ? 夫婦みたいじゃんそれ」

 

「ば、バカなことをいわないでちょうだい。誰があんな目が腐っていて友達のいない人間と番いになるというのかしら?」

 

「うわ、番いって普通動物に使う言葉だよ……雪乃ちゃんが比企谷くんをどう見てるか分かったよ、うん」

 

「ところで、どういう賭け……コンペなんですか?」

 

 コンペに興味があったけど、なかなか会話が進まないので先を促した。はるさんがバッグを探り出し満を持してわたし達に供覧する。

 

「じゃーん、ここにディスティニーランドの一日ペアチケットが存在します!」

 

「おおー!」

 

「最初にチョコを食べてもらった人にこのチケットを贈呈します! もらった子はこれで比企谷くんと一日ディスティニーランドデートができます! どう? 簡単でノーリスク。コンペでしょ?」

 

「あ、それいいかも……っていうか陽乃さんこの為にわざわざチケット用意したんですか?」

 

「まあ、コンペの為じゃないけどね。チョコ渡すの遅れちゃったし、お詫びも兼ねて比企谷くんと一緒に出掛けれればいいかなー程度に思ってたんだけど」

「まあ、比企谷くんだからねえ。わたしが誘っても絶対来てくれなそうってのも理解はしていたよ。だから一番にチョコ食べてあげた子が誘ったら可能性あるかなって急遽思い付いて景品にしちゃいました!」

 

「……別に比企谷くんとディスティニーランドに行きたいわけではないのだけれど、勝負というなら最初から負けるつもりはないわね」

 

「ふっふーん、素直じゃないなー、ゆきのんは」

 

「な、なにを言うのかしら、由比ヶ浜さんは」

 

「わたしもペアチケットには興味がありますけど。先輩と行くとかは別にして」

「でも確かに魅力的な提案ですけど、先輩が正直に誰のチョコを最初に食べたかなんて言いますかね? そこがちょっと心配です。昨日の帰りに渡した時だけでもわたしのを含めて6個貰ってましたし」

 

「え?」

「そんなに⁉」

 

「…………」

 

 多分6個じゃ済まないよね。川なんとかさんからのもあるし……あ、川崎さんか。

 

「あらー、比企谷くん誇張なしでモテモテじゃん。この四人の他に最低二つ以上は貰ってる計算か」

 

「あ、でも一つは平塚先生ですよ」

 

「……仮にそこが一番だとしたら正直チケットあげるのはさすがに控えたいんだけど……」

 

「あはは……ですねえ。前に結婚式の二次会でチケット4枚も貰ってわたしたちに取材目的でくれたくらいですし……」

 

「……平塚先生可哀想……」

 

「それにさ、逆に『皮肉か⁉ 皮肉だろ⁉ 結婚した同級生にならまだしも教え子にまで『一人で二回行けるね!』とか言われたらもう私は……立ち直れない……ぞ……』って身投げでもされたらこっちが困るし」

 

 その言葉に教室内がシンと静まり返った。

 

「……誠に遺憾ながら、その姉さんの意見には同調せざるを得ないわね」

 

「んー、雪乃ちゃんも他人の機微というものが分かって来てるみたいでお姉ちゃんは嬉しいぞ」

 

「……平塚先生が特殊なだけよ」

 

 はるさんもそうだけど、雪ノ下さんも容赦ない一言でこの場にいない恩師に止めを刺す。

 わ、わたしは何も言ってないからね⁉

 

「じゃあこの四人以外のチョコが最初だったら当初の予定通りやっぱりわたしが誘ってみようかな!」

 

「あ! ずるいですよー。確率が一番高くなるじゃないですかー!」

 

「(……年間パスポートを持っているわたしがコンペに勝っても、由比ヶ浜さんが一番だったとしても一緒に行くことになりそうね)」

「(ゆきのん年パス持ってるし、あたしとゆきのんどっちが勝ってもヒッキーと三人で行けるかも……)」

 

「そんなこと言ってもねえ。わたしも心苦しいけど、ここで始めたコンペの賞品をこの場にいない人にあげるってのもちょっとおかしな話だし」

 

「それは確かに一理あるわね。もともと姉さんが持ってきたチケットだもの。それくらいは譲歩するのが参加者としては当然の立場だわ」

「……でも多分、小町ちゃんからのチョコもあるから、そこが一番って可能性結構高いよ?」

「有り得ますね。先輩シスコンですし……」

 

「ああ、それは可能性高いっていうかむしろ100%そうなるかもしれないね。合同イベントの時も比企谷くんらしいっていえばらしい、ちょっとつまらない感じの態度で終わってたし、小町ちゃんのチョコに逃げるってことは十分有り得るわ」

 

――――シーン

 

 えっ? なに? この沈黙?

 あれだけ姦しかった教室内に耳が痛くなるような静寂が訪れる。話の流れから不自然過ぎる沈黙で空気も重い。はるさんの言葉にある含みを理解できていないのはわたしだけだったみたいだけど、気安く問える感じでもなかった。

 

「……まあでも、小町ちゃんだったら小町ちゃんにあげても面白いかもしれないや。あの子ならこのチケットの意図を理解してくれそうだし」

 

 互いを見合って無言になる。

 わたしは小町ちゃん? に会ったことはないけど、こういうことに鼻が利く子なのかな?

 

「それ以外の子だとどうしようかな……本人がしゃべるとは思えないし、小町ちゃんが知らない子から貰ってたらアウトだしねー」

「まあいっか。その時は相手探すのも面倒だし、やっぱり比企谷くんにあげちゃおう」

 

「そうですね。その方がなんか納得ですし」

 

「でも陽乃さんはそれでいいんですか? 用意したの陽乃さんですし、チョコも一日遅れだから今から渡せたとしても多分一番には……」

 

「あ、いいのいいの。さっきも言ったけど最初から一緒に行けると思ってないし。ただ比企谷くんがこのチケットで誰と行くのか見たかっただけ」

 

「正直言ってあの男に渡して誰かを誘うとも思えないけれど。人混みが嫌いだし、なによりも人が嫌いだし、好きなものは妹というシスコンよ」

 

「…………」

 

 どうなのかなー……そのルールだと比企谷くんに贈呈されることは分かってるんだけど、本当に妹さんと行くのかな……。

 

「一応ルールも決めたし、それならそれでわたしは構わないよ? 妹ちゃんを誘うなら比企谷くんが未だにそんななんだなってのが分かるだけだし。皆、大変ねえ」

 

 冷たい笑みを浮かべたはるさんに睨まれたわたし達は一言も発せなかった。

 一通り見渡すと徐に電話をかけ始めた。

 

「…………ガチャ もしもし? 小町ちゃん? わたしわたし、陽乃ちゃんでーす」

 

 はるさんが掛けた先は今話に出てきた比企谷くんの妹さんらしい。早速解答を訊き出すのだろうか。受話器のマイク部分を押さえて声が入らないようにする。

 

「シーッ スピーカーにするね」

 

 そういって沈黙を要求するとスピーカーモードに切り替えて電話を再開する。

 

「突然で申し訳ないんだけど、ちょっと小町ちゃんに訊きたいことがあって電話しちゃったんだー」

『はい、なんでしょう? あ、でも小町これから出掛けるので、あんまり長電話は出来ませんよ?』

 

「ああ、うん。それは大丈夫。手短に済ませるから」

『分かりました。なんでしょう?』

 

「比企谷くん、昨日チョコ貰えたんだよね?」

『ああ、はい、そりゃもう! 小町ビックリしちゃいましたよ! お兄ちゃんの人生最大のモテ期ってやつです!』

 

「いくつくらい貰えたのか教えてくれないかな?」

『えっとですね…………確か小町のを合わせて9個ですね』

 

「え」

「えっ⁉」

「え⁉」

「えっ⁈」

 

 沈黙を破ってしまうくらいの衝撃が全員を襲った。

 

『あれ? 近くに誰かいるんですか? なんかハモってた気がしますけど?』

「あ、ああ、ごめんねー、変なボタン押しちゃったみたいで聴こえがおかしくなっちゃったかなあ~? 音量調整し直すね」

 

「(なんなんですか一体⁉ 最後に確認した時から3個も増えてるじゃないですか~‼)」

「(あれ? あれ? 小町ちゃん以外で2個も増えてる? 誰だろ?)」

「(……もしかしたら比企谷くんには母親が二人いたのかしら? いえ、でも親にも愛情を注がれていないと自虐していたこともあったし母親ではないわね……)」

 

 小町ちゃんと川なんとか……川崎さんと、もう一人増えてる……⁉

 

 川崎さんのことを知っていたわたしですら驚いたのだ。他の三人はそれ以上だっただろう。昨日話した『俺がモテるとかどこのフィクションですか?』という言葉に対して冷ややかな気持ちになる。

 

「もうチョコって食べちゃったのかな? ホントかどうか見せてもらいたいなーって思っちゃったんだー。だって、あの比企谷くんだよ? 9個も貰えたなんて信じられないじゃない?」

 

 多分、怪しまれないように適当な情報を混ぜて訊きだそうとしている。『誰のチョコを食べた? 誰のを最初に食べた?』なんて訊き方をされたらさすがに訝しむだろうから。

 

『チョコを食べたか……ですか? そうですねえ、食べたとは思いますけど小町は食べたところ見たわけじゃありませんから、兄に確認してください。それじゃ、そろそろ出掛けるのでこれで! 失礼しまーす!ガチャッ』

 

 声音から一瞬歯切れが悪くなったような気がした。わたしが気づいたのだからはるさんが気づかないはずもないが、小町ちゃんは上手くぼかして早々と電話を切ってしまう。

 

「あ~、切られちゃったか。ざ~んねん」

 

 恐らくはるさんの質問に何らかの意図を感じたのだろう。瞬時に自然な会話を組み立て核心を察知して躱したのかもしれない。だとしたら比企谷くんもそうだが、妹さんも想像よりずっと敏い子だ。

 

「うーん、これで比企谷くんに訊くしかなくなったかー。あの子が素直に言うわけないしなー。まいっちゃったなー」

 

「全然まいってる風には見えないのだけれど……」

 

「まいってるよー? だって、あの捻デレくんに会って嫌そうにしてる顔見ながら誰のチョコ食べたか探らなきゃいけないんだものー。楽しくって楽しくって」ニコニコ

 

「いやもう楽しいって言っちゃってますから……」

 

 はるさんも比企谷くんのこと気に入ってるよね……。

 憧れのはるさんが障害になりそうだと分かると、わたしの中にあった僅かな希望が摘み取られる感覚に見舞われる。でも妹さんと仲がいい数少ない男の子だからっていう可能性もあるのかな。うん、そうに違いない。

 そう結論付けて不安を無理矢理押し殺したわたしは本来の予定を思い出した。

 

「あ、一色さん、そろそろ生徒会室に行こうか? すっかり長居しちゃった」

 

「はっ! そ、そうですね! 完全に失念してましたよ! それでは皆さん、お邪魔しました!」

 

「じゃあ、わたしも目的なくなっちゃったし退散するね」

 

「はーい、三人ともまたねー」

 

「さようなら。姉さんはもう来なくていいから」

 

 

《 Side Hachiman 》

 

~買い物中~

 

 

「いやー、平塚先生すみませーん、車出してもらった上に材料費も出してもらっちゃって」

 

「気にするな。今はプライベートだし、わたしも無理を言って御馳走になろうというのだしな。これくらいはさせてくれ」

 

「……だからって買い過ぎだろこれ……米(5キロ)まで買うなんて聞いてねえぞ……オモイ」

 

「いいじゃん、お兄ちゃん昨日おかわりしてたし、沙希さんとこの米櫃にダメージ与えちゃったんだから回復させるのはマナーってもんだよ?」

 

「おい、ちょっと待て。ご飯味噌汁おかわり自由の店でフードファイターが競技しましたみたいに言ってるけど、おかわりしたの一杯だけだからね? いくら川崎の飯が美味くて俺が成長期でも、ぼっちで文化部の俺は余計な動きしないから燃費いいんだからな?」

 

「おや? 二人とも、昨日も川崎家で夕飯を食べたのかね?」

 

「そーなんですよー、お兄ちゃんが沙希さんにお呼ばれしちゃって、その時もう小町も夕飯の準備終わってたんで一緒にどう? って感じで。家族ぐるみのお付き合い? ってやつです!」

 

 うぐぅ! 小町め……また先生にいじられる材料を提供しやがって……。

 

「ぐはぁ‼」

 

 いじるネタではなく先生にとってダメージになりえる口撃だったか。最近は『結婚』ってワードだけじゃなくて『家族』もダメなの……?

 

「あれ……? 先生どうしたんですか?」

 

 小町の戸惑いはよく分かる。こんなのまで口撃判定されたらNGワード多すぎて会話できねえよ。普通の会話にどんだけ密集した地雷原敷いてるんだよ? だから婚活パーティとかでロクに話せず追い出されちゃうんじゃないの、この人?

 

「ああ、先生この先のドラッグストアに寄ってください」

 

「……う、うん……わかった……」

 

 

『アリガトーッシター』

 

 

「お待たせしました」

 

「おう、またかさばる物を買ってきたな」

 

「何買ってきたの? ……2リットルのスポーツドリンク2本にマスクにうがい薬、冷えピタと……お菓子?」

 

「川崎の療養用品とけーちゃん対策……ってかお菓子は皆で食えるしな。また甘やかすなって川崎に怒られそうだけど」

 

「へぇー、沙希さんと京華ちゃんの為にいろいろ買ってきたんだ? 気遣い出来るじゃんお兄ちゃん。ホントどうしちゃったの?」

 

「……風邪引いてる小町に俺がどういう行動するかってトレースしただけだ。そう考えたらそこまで驚くことでもないだろ? ただ俺のお兄ちゃんスキルを任意で発動させただけだ」

 

「うわー、いい心がけだー」

 

 なんかここ二日間、小町が俺に驚きっぱなしな気がする。そんな評価されるほど俺なんかしたか? いや普段評価されてなさ過ぎるからそう感じるのかもしれん。そりゃそうですよね、普段からお兄ちゃん妹に介護されっぱなしですから。そんな俺が他人に何かをしてあげるなど妹君にしてみたら天変地異の前触れに思えても不思議ではない。

 

「……まあ、あれだ。小町にはこれから夕飯の支度で世話になるわけだし、最低限のサポートはしようと思ってな。これもお兄ちゃんスキルの範疇だ。どうせ俺が料理を手伝うと足手まといになるだろうしな」

 

「お兄ちゃん自分を弁えてて小町的にポイント高いよ!」

 

「バッカお前、俺はいつも弁えてるだろ? 弁えてるから普段からクラスでしゃべらず空気になるし、昼休みには誰にも気づかれず教室からいなくなるわけで」

 

「ひきがやぁ……」

 

先生は本当に呆れながら、それでいて寂しさを内包した顔を見せた)

 

「……君はその手の自虐ネタを少々控えることから始めた方がいいかもしれないな」

 

「これはネタじゃなくて事実を的確に表したまでですけど」

 

「……あのな比企谷、『言霊』という言葉を知っているか? 言葉には力が宿ると昔から言われていて、ネガティブな言葉にはマイナスなエネルギーを生み出すという研究結果も出ている」

 

「なんですかその、祈ることで世界は救われる、入信することで病気が治る、と宣うカルト宗教の言葉みたいなものは? そんなの信じるなんて国語教師らしくないですね」

 

「国語教師だからこそ言葉というものを重んじるのだよ。まあ聞け。言葉というものはな、それ自体が人を傷つける道具になることは君が身をもって知っているだろう。そしてその結果、言葉にはそれによって人を変えてしまう力を秘めているといえる」

 

「…………」

 

「君がそんな性格に染まったのも過去に裏切られ続け、悪意や人の醜い部分を言葉にされ浴びせられてきたからだろう。その腐った目こそが、言霊の存在証明となっているじゃないか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「もう慣れきってしまったから普通に接しているように見えるかもしれないが、君の自虐を聞く小町くんはそのネガティブな言葉に宿るマイナスのエネルギーを長年浴び続けて傷ついてきた被害者でもあるのだぞ?」

 

「…………あー、それは……そんな感じも少しだけしますねぇ……」

 

「そうだろう? 自分に向けられているわけではないが聞いてて気分のいい言葉じゃない。小町くんはそのエネルギーをその身に浴びないよう受け流すため君を(ざん)するのではないのか?」

 

「……讒言(ざんげん)じゃなく事実ですから」

 

「……それだよ、君自身が事実として自らを貶める言葉を発することで己がそうだと脳が錯覚し、その自虐のマイナスエネルギーを受け流す為に小町くんが自身では思ってもいない貶しを君に返す。そしてまた君がその讒言(ざんげん)を事実として受け止める。その結果、サブリミナル効果となり、自己暗示がかかり、超ネガティブ思考となる……それが繰り返されて負のスパイラルの完成だよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 最初あんなに先生の言葉を否定していたはずなのに、何も言えなくなってしまう。いや、まだ先生の説を100%信じるわけではないが小町が一部肯定した上、今沈黙を続けているのが俺の心に圧しかかった。

 

「雪ノ下を変える切っ掛けとして君を仕向けたつもりだったが、あれほどいい感触を得られたのは嬉しい誤算でね。今回のような問題まで頭が回らなかった」

 

 ちょっとー? 仕向けたとか言わないでくださいよ。それは先生の内に仕舞っておいてほしかったなー。

 まあ、俺なんかよりも明らかに雪ノ下の方が問題を抱えていたのは何となく理解していた。出会ったとき、俺の事を『本人が問題を自覚していないせいです』と宣っていたが、俺の問題を自分自身に重ね合わせて漏れ出た言葉のように思えた。

 

「君と雪ノ下の問題を同時に改善しようという考え自体に無理があったようだ。すまん、これはわたしのミスだ」

 

 もうはっきり雪ノ下に問題があるって言っちゃったよこの人。俺はまだしも小町もいるのに言っちゃっていいのかよ。

 

「……そんなことは……」

 

「君と雪ノ下の孤独体質は種類が違うしアプローチの仕方を間違えたようだ。君の場合、改善させるにはまず自信をつけさせる方向で接してやらなければならなかった。雪ノ下にはある程度、釘を刺しておかなければいけなかったが彼女はそういう面に関して狭量だからな。言ったところで上手くいかなかったかもしれん」

 

 矛先は雪ノ下にまで向いた。ただそれは無理からぬことかもしれない。雪ノ下のような優れた人間から見れば周りの人間は凡庸で、瑕疵も目につきやすいだろうから。それを口にするしないはまた別問題だが。

 

「いえ、別に雪ノ下は悪くないですよ。本気で言ってるわけじゃないってのは分かってますし、あれは弁論大会みたいなもんでディスリを競い合ってたみたいなとこありますから。特に最近はそんな貶されませんし、何だったら庇ってくれたりもしましたしね」

 

 戸部の依頼……葉山に連れられた戸部が俺に対して非礼な言い草で依頼してきた時、二人に退出を命じたことがあった。ただ、惜しむべくは、前後の言葉に整合性がなかったくらいか。

 

『まあ、比企谷くんが悪いのだし、仕方ないわね。では悪いけれど出て行ってもらえるかしら』

 

 こう続けば誰だって俺に出てけ、って思うだろうよ。なんでそれで戸部達に向けて出て行って、になるんだよ。これが国語のテストで出題されたら全国を見渡しても誰も正解できない難攻不落の読解問題として伝説になるわ。なんだったら抗議の電話が鳴り止まないまである。

 

「仮に俺の体質改善を『褒めて伸ばそう方針』で取り組んでたとしても、俺はその言葉を信じませんからね。無意味です」

 

「そうとは限らない。当初からそうしていれば今頃は違った結果になっていたかもしれないだろう。もう入部して何ヶ月になると思っている? 君のその性格が醸成されるのに歳月がかかったのと同様に、更生させるのにもまた歳月が必要なのだ」

 

「…………」

 

 また黙ってしまった……沈黙は肯定と受け取られかねない。我が部の長から教わった社会通念だ。

 

「ただ、今日の君からはわりと素直な面を見れた気がしたな。何か心境の変化でもあったのか?」

 

「あー……そういえばお兄ちゃん昨日辺りから結構デレてるの見るよね?」

 

「…………」

 

 ……心当たりがないわけでもない。

 俺は昨夜スマホに届いたメールの内容を思い出す。

 

 

 ――――『その自虐禁止』

 ――――『自分を卑下しないで』

 

 実際はメールでそう言われる前から俺が俺じゃないみたいな態度がいくつもあった。その主因たり得たものは……

 

 …………おそらく

 

 …………川崎一家と接したからなんだよな。

 

「…………」

 

「……そうやって言われると思い通りになりたくないのが俺なんだよ」

 

「相変わらず天邪鬼だなー」

 

「これも先生の言う歳月が成した功罪だ」

 

「いや、罪しかないから!」

 

「はぁ……」

 

 一旦話が区切られ短い沈黙の後、平塚先生が真剣な口調で呟いた。

 

「比企谷……わたしの言葉を全て肯定しろとは言わない。ただ、これだけは言いたい」

 

「……なんですか?」

 

「これから川崎家で夕飯を御馳走になるわけだが、そこでは自虐やマイナスになる言葉を発さないと約束してくれ」

 

「……結構難しい約束ですね。俺は油断すると自虐が身体から漏れ出る体質なので……」

 

「じゃあ油断するな! 常に緊張して夕飯に望め! この食事会を戦場だと思え!」

 

 どこの大家族の話?

 いつの時代の食事風景?

 食事が戦場とか世間一般的に真逆な解釈を強要してきたよこの人!

 

「これは何となくで約束しろと言ってるわけじゃない。明確な目的があって必要だと思うからだ。確かに君は今まで数々の悪意に晒されてきた結果、猜疑心が育ち常に言葉の裏を探り疑念を持つようになった」

 

「…………」

 

「だが君は、あの川崎の妹にも疑心を抱くのか?」

 

「⁉」

 

「違うだろう? あの子はまだ純粋な子供に過ぎない。君を絶対に嫌いにならないとも言ってくれた。人の持つ醜さが生み出し、歳月が培ってきた君の猜疑心という化け物が通用しない無垢な存在だ。逆にあの子に猜疑心が働くのなら、問題は相手ではなく君にあるべきだと思わないか?」

 

「…………」

 

 確かにけーちゃんにそんな心を向ける理由はない……この腐った目ですら怖がらずに懐いてくれるあの子に。

 

「……お兄ちゃん……」

 

「いや、あの子に限らず全ての相手に対してそれが当てはまってしまうのがこの問題の難しいところだ。あの子と他の人間の違いは、濃いか薄いかという差に他ならんしな。猜疑心を生み出しているのは心…………君の心なんだよ、比企谷」

 

「ただ、あの子は疑い深い比企谷でも比較的楽に信じることができる数少ない相手だろう?」

 

「…………そうですね」

 

「…………」

 

「うむ。だから君の自虐癖を矯正していくのに最適なカウンセラーはあの子だということだ。あの子の言葉に耳を傾け、素直になってみるといい。決して『年上』や『お兄ちゃん』という役にならず、『比企谷八幡』として応えてみることだ」

 

「…………」

 

「……ふむ、まだ怖いか。それでは少しハードルを下げてやろう。それにこちらも目的の一つだしな」

 

「え?」

 

「先ほどわたしは言ったな。言葉には力が宿ると。そこには君も多少の納得はしてくれたと思う。なんせその腐った目を作り出した原因の一つだからな」

 

「……はぁ」

 

「ならその腐らせる負のエネルギーに、無垢なあの子を晒してはいかんだろう?」

 

「あ……」

 

「君との15年にも及ぶ生活で身につけた小町くんの受け流しスキルなど、あの子が持っているはずもない。君の負の言葉――悪意――に晒されたら下手をするとあの子の目が腐ってしまうぞ? それでもいいのか?」

 

「…………」

 

「……まずはあの子の為でいいんだ。あの子の為に自虐をしない。ただそれだけでいい。今まで他人に軽んじられ否定されてきた自分から自然と漏れ出してしまう言葉も、あの子の為なら呑み込むことができるだろう? 君はそういう人間だ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………お兄ちゃん」

 

「…………なんだ? 小町」

 

「小町からもお願い。先生の約束守って……」

 

「…………」

 

「お兄ちゃんは沙希さんと京華ちゃんのお陰で変われるチャンスがもらえたんだよ?」

 

「…………でも俺は……」

 

 …………変わりたいと望んでいるのか?

 

 …………人に言われたくらいで変わるのか?

 

 …………なぜ今の自分を、過去の自分を肯定してやれない?

 

 …………言われたくらいで簡単に変わる自分が『自分』なわけねえだろ!

 

 …………て、言ってたな。過去の俺……

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 ……それじゃ過去の自分よりも、もっと過去の自分を肯定してやったらどうだ?

 

 ……我ながら詭弁でしかない、まさに屁理屈だが

 

 ……人から悪意を浴びせられる前の自分……まだ目が腐っていなかった頃の自分を肯定してやれ比企谷八幡

 

 『変わる』ではなく『戻る』

 

 ただの言葉遊びかもしれないが、それで変わるきっかけに……俺の中で変わっていい理由として成立するなら……

 

 この猜疑心のせいで川崎に対して本当に向き合うことができないというのなら……

 

 …………その言葉遊びに……

 

 …………騙されてやるのも悪くない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ああ」

 

「‼」

 

「けーちゃんに自虐ネタ言わないだけだろ? 簡単じゃねえか。そんなことで可愛い小町のお願いが叶うなら安いもんだ」

 

「お兄ちゃん‼」

 

「そうか……なら今日の夕飯は覚悟して挑めよ? 君が約束を違えた瞬間、衝撃のファーストブリットが炸裂するからな」ニコッ

 

「いや、いい笑顔で傷害事件予告せんでくださいよ……けーちゃんが見たら間違いなくトラウマになるでしょ……」

 

「なら、それを含めて約束を守るようにしないとな」ニヤリ

 

 そう言って平塚先生の顔に浮かぶ笑みに、俺は恐怖しか感じなかった。

 

 

《 Side Saki 》

 

―沙希の部屋―

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「…………うっ」

 

「ゴホッゴホっ!」

 

「……うう」

 

 迂闊だった……ここまで拗らせるなんて……咳まで出てきたし落ち着いて寝てられない。

 明日病院行ってこなくちゃ……京華送っていくついでに車乗せてってもらおう。

 

 まいったね……明日は大志と小町の合格発表の日だってのに。

 そういえば、大志は絶対安静、黙って寝てろって言ってたけど夕飯どうすんだろ……?

 さっきは辛すぎて疑問抱く思考力すらなかったけど、これって一大事だよね……? 今日も母さん遅いし、京華もお腹空かせてるんじゃ……。

 あたしは力を振り絞って身体を起こそうとするが、節々の痛みまで出ていて思うように動けない。

 っていうか、頭が……

 突然、世界がぐにゃりと歪むと、地面が襲い掛かって来た。畳の冷たさが気持ちいい。

 

「…………」

「…………」

「…………死ぬ……」

 

「…………いやダメだ、まだ……死ねない……」

 

 あたしは家族の顔を思い浮かべて気力を振り絞った……つもりだったが、気力ってそもそも健康な身体に宿るものだし、風邪なんて引くと気弱になって当たり前なんだよね。

 だから教室で比企谷に背負ってもらうなんて有り得ないことしちゃったんだし、あんなに目立つことさせちゃって比企谷、あたしのこと嫌いになったりしないかな……

 

「…………」

 

 やば……思い出したらにやけちゃう……

 文化祭の時の『愛してる』が冗談だと分かったのはしばらく経ってからだった。

 昨夜、間違ってキスしたのが夢だったんじゃないか、あの時みたいに勘違いだったんじゃないかって思ってしまったくらい今朝の比企谷の態度は普段と変わらなくて……。

 

 本当になかったんじゃないか?

 なかったことにされてしまったんじゃないか?

 って心配でメールの履歴何度もみたりしてたんだけど。

 あんなことまでしてくれたんだから、やっぱり少しは意識されてるはずだよね……

 比企谷……

 

コンコン ネエチャーン ハイルヨ?

 

「玉子粥持ってきt……な、なにしてんだよ、姉ちゃん」

 

 布団から出てドアに向かって行き倒れてるあたしに大志が駆け寄ってきた。

 

「ほら、布団戻って。熱下がんないよ」

 

 大志があたしを抱きとめ、布団に戻るのを手伝ってくれた。まだかなりあたしの方が身長が高いのでお姫様抱っこは無理だろう。大志にそんなことされたらすぐ元気になりそうだけど。

 

「……ごめんね大志……迷惑かけちゃって……ゴホッ」

 

「何言ってんだよ。いつも姉ちゃんに世話かけてるのは俺達の方じゃないか。こんな時くらいゆっくり休んでなって」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……たいしぃ」

 

 やばい……涙腺がやばい……昨日堰を切ってから、涙が簡単に漏れ出るようになっている気がする。

 

「お粥一人で食べれる? ……食べれなくてもさすがに食べさせるのは……その……なんで、なんとか一人で食べてよ」

 

 そうか、頭撫でられるのも照れるくらいになってきたから、そんなことできないよね。食べさせてもらえたらホントすぐ治っちゃうのに……ってこれってやっぱブラコン? 比企谷のこと言えないかも……。

 

「あとこれ、スポーツドリンクで適時水分摂って。喉乾燥させないように苦しいかもしれないけどマスクもしといて」

 

「……うん……ありがと大志……」

 

 いつの間にこんな気遣いできる子に成長してたの? 明日、絶対総武受かってもらってお祝いと一緒にお礼したい!

 身体を起こしてもらい、お粥を食べる。

 

「フーッフーッ……ハフ……ん、おいしい……」

 

 風邪の時は嗅覚味覚が鈍くなって何を食べてもとても美味しいとは感じないはずだが、この玉子粥はカツオの匂いが効いていておいしく食べれる。

 

「砂糖とかじゃなくて、たっぷりの粒状カツオ出汁で自然な甘味を強くしたんだ」

 

「へぇ……甘くておいしいよ。それに最初にはっきり塩気が感じられるから後からくる甘味がより引き立つんだね。相当お塩入れた?」

 

 これだけしょっぱさが感じられると、かなり塩分があるはずだけど大志は首を横に振る。

 

「表面に塩を振ったんだよ。混ぜちゃうと使った塩分のわりに全然味を感じないから、食べる直前こまめに少量ずつ振るんだ。そうすると塩の総量少なくても味の満足感がでるんだ」

 

 大志が一生懸命説明する間もあたしはお粥を口に運んだ。この子いつの間にこんな料理できるようになったんだろ?

 

「腎臓病の人が塩分制限されても少ない塩でより味を感じさせる方法なんだってさ。でも姉ちゃんはいま熱出して汗から塩分出ちゃうからむしろ摂った方がいいみたいだけど」

 

「なるほどね……あたしも今度から普段の料理で試してみよう。無理に塩分減らさなくていいし、同じ塩分なのにより味が感じられるのはいいね」

 

「まだあるからお代わり欲しかったら言ってね。洗濯物はこのカゴに入れといて。京華の面倒もちゃんと見てるから食べたらまた休んでて」

 

「うん……ありがと、大志」

 

 風邪なんていつだったかもう覚えてないくらい引いてなかったし、引いてる暇もなかったけど、たまにならいいかな……って何考えてんのあたしは……でもそう思えるくらい大志に甘えられるのが嬉しくて……。

 夜のバイトしてる時、奉仕部に相談してくれたりとか、この子、ちゃんとあたしのこと心配してくれんだよね。

 いい弟をもって、あたし……幸せだな……。

 

 お粥を食べ終わると大志に迷惑をかけないよう布団をかぶって目を瞑る。

 なんだか京華の声がいつもよりはしゃぎ気味な気がする。大志も大変だろうな。でもそろそろ母さんが帰ってくる頃だと思うし、もう少しの辛抱だよ……

 

 ……たい……し……

 

 おや……すみ……

 

 

      × × ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 川崎にお粥を食べさせ人心地ついたところで、誰かが帰宅した。

 この声は母親だろう。父親だったら意味もなくぶるってしまうまである。川崎にもぶるってるので母親も怖かったりするとぶるってしまっても不思議ではない。

 何それ、川崎家って俺の天敵なわけ?

 

「ただいま、沙希の様子はどう?」

 

「母ちゃんお帰り、さっき寝たところだよ」

「ママ、おかえりー」

 

 長女とは対照的に優しそうな面差しで、しかし川崎一族であることを証明する青みがかった黒髪。

 京華みたいな小さい子供がいるんだし、うちの母親より若いだろうか。そうでなくても最近見た母ちゃんの顔は仕事から帰って来て仕事を持ち込む疲れ切ったものや、消えない隈を刻み付けたものばかりだ。逆に母ちゃんのが若くても外見年齢がひっくり返るほど息子の印象は悪い。ごめんな、母ちゃん。

 

「お邪魔しています。総武高校生活指導の平塚と申します。今日は沙希さんが熱を出したのでお送りさせていただきました。それと誠に勝手ながら夕飯の準備とお嬢さんのお世話をさせていただいております」

 

「あ、そんな、これはこれはご丁寧に。沙希がご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」

 

 そんな平身低頭合戦を眺めながら、大人になるのってめんどくせえなぁ、と何とも言えない表情を見せてしまう。

 

「どうもー、お邪魔してます。大志君のお友達の比企谷小町です。こちらの目つきがちょーっとアレなのが兄の八幡です」

「どうも、お邪魔してます」

 

 小町ちゃん、俺を褒めて伸ばそう方針はどうしたの? まあ目つきがアレっていうのはマジ的確だしディスりではないか。

 

「お兄さんは姉ちゃんのクラスメイトなんだ」

 

 すかさずフォローを入れる大志。

 なんだよ、お前のが血を分けた兄弟みたいじゃねえか。

 でも悪いな。俺に弟はいらないんだ。そればかりか、うちの子だったらきっとお前も親父にもいらない子認定されてるぞ。

 

「まあ、そうなの? えっと比企谷くんだったわね、沙希がいつもお世話になっております」

 

「いえ、どっちかというとこちらのが世話になってるって感じなので……」

 

 ああ、堅苦しいのが辛い! こうして考えると大志とけーちゃんといるのってメチャクチャリラックスできてたんだな。

 

「ささ、母ちゃんも手洗って。今日は比企谷さんが夕飯作ってくれたんだ。一緒に食べよう」

 

「え? 本当に? まあまあ何てご迷惑を……」

 

「いえいえ、いつも兄と自分のご飯を作ってますから。御口に合うか分かりませんけど召し上がってください!」

 

 こういう時は小町のコミュ力が遺憾なく発揮される。初対面の親御さんとの会話なんて俺なら普段よりもキョドりそうだわ。

 

      ×  ×  ×

 

 正直、けーちゃん相手だと平塚先生との約束を破るような場面はなかった。

 なんせけーちゃんは本当に俺のことが好きなようで、俺を貶すような負の言葉など一切言わない。それどころか褒めまくってくる。照れくさいというのはあったが、けーちゃん相手だと素直に答えられるところがいい。

 

 だが、川崎母が食卓に着いてからというもの状況が一変。先生のファーストブリットを撃たせないようにするのがハードモードになっていた。

 何故なら大志のアシストを受け川崎母が俺を褒めまくるせいで照れ隠しに無意識に自虐ネタを放り込もうとしてしまうからだ。

 そんな大した男なんかじゃねえのに……。

 

「姉ちゃんがバイトで朝帰りしてる時、相談に乗って解決してくれたのがお兄さんなんだよ」

 

「まあ…………」

「忙しさに感けてて、あの子に家のことを押し付けているのが申し訳なくて……」

 

「いえ、うちの親とかも忙しくて主に小町が家のこととかしてますし、しょうがないことだと思います」

 

「お気遣いはありがたいです。けどね、親はそれじゃダメなのよ比企谷くん。特にあの時の沙希のように本当に苦しんでいる時、ちゃんと力になってあげられないなら親失格だわ」

 

 ああ、時間が経っても自責の気持ちがなくなるわけじゃないか。俺のトラウマだって消えないしな。

 

「しばらくして帰りが遅くなることがなくなったと聞いて、自然と解消されたものかと思っていましたけど……そうでしたか……あなたが……」

「……あの子、あんまりそういう話はしてくれなくて……」

 

 聞いていると川崎は家族とよく話すが、自分のことをあまり親に言わないらしい。エンジェル・ラダーでのバイトはもとより、学校であったこともあまり話さず、せいぜい成績のことくらいだそうだ。

 

 確かに、俺が言うのもなんだがお世辞にも友達の多い充実した高校生活を送っているわけでもないしな。また、それを話してしまうと、そうなった理由が両親が忙しくて家事と弟妹の世話を川崎が担っているから、という部分に帰結する。つまり話すこと自体が両親を苦しめることに繋がってしまうのが川崎には分かっていたのだ。

 

 そう考えるとエンジェル・ラダーの話なんてもっての外だよな。言ったら両親の稼ぎに対して無言の抗議になってしまうし、そのつもりがなく、ただ助けになりたいと思ってても親の方が勝手に負い目を感じてしまうかもしれない。

 苦労してんだな、あいつ……。

 

 この時とばかりに、大志は事の顛末を説明し出した。

 ……このバカ。ここには平塚先生がいるんだぞ、分かってんのかよ。

 

 あの時の依頼は大志から小町へ、小町から俺へと伝わってきたもので平塚先生を経由していない。その上、明確に法令違反だったので意図的に詳細な報告はしなかった。

 まあ、この人のことだからいまさら事を荒げようとはしないだろうが、それでも大志が話す度、横目で様子を窺ってしまう。

 

 ただやはり杞憂だったようで、平塚先生は話を聞いて驚きはしたものの満足気に目を細めていた。川崎さん(母親)も驚きと感心した表情を見せる。

 大志の話が終わると、川崎さんは俺の方へと向き直り姿勢を正してゆっくりと丁寧に頭を下げた。

 

「……本当に……比企谷くんには何とお礼を言ったらいいか……」

 

「いえ……そんな、気にしないでください」

 

 などとお礼を言われっぱなしで照れ隠しの自虐を考えれば平塚先生が目を光らせているという、なにこれ、どんな罰ゲーム? 状態になっていた。

 

「わたしも相談に乗ろうとしたのですが、沙希さんに頑なに拒まれてしまって……教師として力が足りず御両親には申し訳なく思っています」

 

 そうなんですよ、あなたがあそこでちゃんと川崎の相談に乗って学費と家計の問題を聞き出せてればスカラシップを教えることもできたというのに『親の気持ち』や『結婚』というワードを出されただけであっさり返り討ちにあったのはいただけませんでしたねえ。

 

「いえ、わたしたちが沙希に苦労をかけっぱなしだったせいで、このようなことになってしまって……」

 

 お母さん、大志もけーちゃんもいるんだしやめたげて!

 

「ですが、この比企谷が娘さんの悩みを解決してくれて、奉仕部顧問としてわたしも誇らしいです、あっはっは」

 

 そう豪快に笑いながら肩を叩いてくる平塚先生。豪快とか表現させるなよ、妙齢の女性だろ……。

 

「平塚先生痛いですから……あんまり肩バンバンしないで……」

 

「そう……比企谷くん、これからも沙希と仲良くしてあげてくださいね」

 

「あ、はあ、こちら……こそ……」

 

「けーかとも仲良くするの!」

 

 人に感謝されるのって……それを受け止めるってのがこんなに面映ゆいものだったとは……でも

 

 ――――『そうやって自分のしたことに向き合わないからいつまでも卑屈なんじゃないの?』

 

 ……はは

 

 こういうのを受け入れることも変わることへの第一歩なのかね……

 

 ……おかしいな、さっきから頭に響いてくるのが全部あいつの言葉ばっかりだわ。

 

 ……奉仕部に入ったばかりの頃、雪ノ下も俺を更生させようと色々言ってたな。

 

 あの時は今の自分に誇りをもってるって否定してたっけ。

 

 ――――『本人が問題を自覚していない』

 

 当時の俺は本当にあの生き方に悩みを感じていなかった

 

 他者との関わりがないからこそ、知らないからこそ問題と思わない、足りえない、それがぼっちたる所以。

 あの頃より少しは人と関わりが出来たから……問題であると知ってしまったから……変化を望むようになってしまったのが、今の俺なんだ。

 

 ……今言われたら、素直に雪ノ下の言葉を聞き入れていたんだろうか……

 

 …………

 …………

 …………わかんねぇ……

 

 差し当ってはこの川崎家での俺リスペクトの空気に耐えることから始めなければなるまい。

 今までの訓練されたぼっちとは真逆の訓練をすることになるとは……人生とは分からないもんだな。

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Saki 》

 

―沙希の部屋―

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「…………」

 

「…………ん」

 

 ……少しは眠れたかな……今何時……?

 あたしは体温計を脇に入れてから時計を見た。

 11時過ぎか、もう京華も寝てるね。

 

 歯も磨かずに眠ってしまったんで口の中が気持ち悪い。まだ何か食べる物があったら少しお腹に入れて歯を磨いてまた眠ろう。そう思って部屋を出た。

 

 ん、歩く分には平気なくらいふらつきもなくなったね。

 

 部屋を出ると母さんとばったり会った。お風呂上がりみたいだ。

 

「あ、母さんおかえり」

 

「ただいま沙希。熱下がった?」

 

「いま、計ってるとこ……」

 

ピピピッ

 

「……38.2℃」

 

「あまり下がってないわね」

 

「これでも下がった方だよ。ピークは39超えてたし。38℃台だとそこまでふらつかないからまだ楽かな」

 

「無理しないでね。何か食べる? お粥まだ残ってるからおかずになりそうなもの作るわよ?」

 

「ん……お願い。ちょっと食欲出てきたし、食べたら歯磨いて着替えてまた寝る」

 

「はいはい。その前に汗出たでしょ? 着替える前に身体拭いてあげる」

 

 部屋で背中を拭いてもらい、自分で出来るところは自分で拭く。

 

「そういえば今日もお弁当ありがとね。明日はわたしが作るから」

 

「うん……そうだ、あたし今日お弁当食べれなかったんだ……無駄にしちゃってごめん」

 

「いいのよ、しょうがないわ。あんなに熱出してたんだしとても食べられないわよ。それに」

 

「?」

 

「今日のお弁当いつもみたいに美味しくなかったし」

 

「‼」

 

「作ってもらっといてこんなこと言うのは悪いんだけど家族だし、いいわよね?」

 

「ちょ、ちょっと待って、それは別にいいんだけど、不味かったって本当?」

 

「ええ、味のバラつきすごかったし、珍しく沙希が料理失敗してたなって思ったけど朝から体調悪かったのなら納得だわ」

 

「――ぅわぁ…………」

 

 

「? どうしたの沙希?」

 

「…………よりによってこんな日に……」

 

「! ああ、そういうこと」

 

「え?」

 

「大丈夫よ、比企谷くんお弁当全部綺麗に食べてくれてお礼言ってたわよ?」

 

「あれ? なんで比企谷のこと知って……お弁当のことも……?」

 

「ああ、言っちゃいけなかったんだっけ。……まあいいわ」

 

「え……なんのこと?」

 

「今日ね、平塚先生と比企谷くんが沙希と京華を送って来てくれて」

 

「うん」

 

「その後で平塚先生が比企谷くんと小町ちゃんを連れてうちに来てくれたのよ」

 

「⁉ ふ、二人が来てたの⁉」

 

 気付かなかった……もちろんずっと寝てたし仕方がないことなんだけど。

 

「小町ちゃんがおうちでも料理してるからって沙希の代わりに作ってくれたのよ。このお粥も小町ちゃん作」

 

「……道理で、大志が作ったにしては上手く出来過ぎてると思ったんだ」

 

 これで合点がいった。大志が優しいのはいつも通りだったが料理が出来過ぎていたのがずっとひっかかっていた。

 

「平塚先生ともお話して、去年の夏頃に比企谷くんが沙希にどんなことをしてくれたのかも教えてくれたわ」

 

「! …………」

 

 バツが悪い……あんなことがあったけど大志も黙っててくれたから親には隠し通すことが出来たと思ったのに……

 

「…………」

 

「…………あの」

 

「……ごめんなさい沙希」

 

「ごめn……え?」

 

「わたしたち両親が不甲斐ないばっかりにあなたに苦労ばかりかけてしまって……」

 

「そ、そんなこと! あたしが勝手なことして皆に心配かけたんだから、あたしが悪いんだよ。母さんが謝るなんておかしいから!」

 

「いいえ、浪費してるわけでもないのに学費のことで子供に心配させてしまうなんて親失格よ。そうでなくてもあなたには家のこと弟妹のことで苦労かけっぱなしなのに……」

 

 母さんは本当に申し訳なさげに頭を下げている。

 ……ああ……だからイヤだったんだ、これを知られるのは……

 

「あ、あたしは苦労だなんて思ってないよ、大志も京華もいい子に育ってるしお世話してるの楽しいよ」

 

「……でもそのせいでお友達が作れないのも事実なんでしょう?」

 

「‼」

 

 …………ああ

 …………言わせてしまった。

 だからあまり学校のことはしゃべらなかったのに……

 なんでこうなっちゃったんだろう……

 あたしは苦労だなんて……

 

 エンジェル・ラダーでバイトをしていた時だけは……ちょっとだけだけどペシミスティックになったこともあった。

 でもあの出来事があったから、あたしは比企谷に出逢えたんだ。

 いや、クラスメイトだしバイト先で会う以前に屋上で会ってるんだけど、でもその時は進路希望表欄の『専業主夫』が印象を最悪なものにしていたし、実際名前も忘れていたからノーカンだ。

 本当の意味であいつに出逢う機会をくれたのは、いまの家庭環境があったからだ。

 多分、ああいう出逢い方でなかったら比企谷の本当の良さを知ることはなかったろう。そこに関してはむしろ感謝すらしているのに、母さんはそうは思ってない。

 

「…………」

「…………」

 

「……と、言いたいことは言えたし、これからはあなたもなるべく話してくれると嬉しいわ」

「え?」

 

「……うちの事情のせいで友達を作りづらいことは事実かもしれないけど、そのせいだけにされてもね。あなた不器用でぶっきらぼうだし」

「う…………」

 

「それに比企谷くんも言ってたわ。沙希がどれだけブラコンでシスコンかって」

「っ」

 

「予備校で大志とメールしてる時のあなたの顔がニヤニヤしててちょっとだけ気持ち悪かったとか」

「う……」

 

「大志に向かってちょっと暴力的な冗談をいうと本気で睨んできてシメるよって言ってきたりとか」

「あいつ、うちの親に何言ってんのよ!」

 

「学校であったクリスマスイベントとかバレンタインイベントの時なんて京華のこと写真に撮りまくってて普段の沙希じゃないみたいだって」

「……あいつ……熱が下がったらシメる……!」

 

「だから沙希が弟妹の面倒みるのは本心から楽しいんだろうって……あなたのこと、よく見てるじゃないの比企谷くん」

 

「そ、そんなこと…………」

 

「京華はベッタリだし大志もベタ褒めでね。あなたが家に友達を連れてくることなんてなかったから、本当に誰も仲が良い人がいないのかと心配してたんだけど今日彼をみて安心したわ」

 

「ううっ……」

 

「苦労かけて悪かったと思ってるけど、それで比企谷くんと御縁ができたと考えるとそんなに悪くなかったかなって。あ、親のわたしが悪びれないでこう言うのもどうかと思うんだけどね」

 

 恥ずかしい……けど、あたしの考えが伝わってくれたのが嬉しくて……ちょっと瞳が潤んでくる。

 

「……あ、そういえば、さっきの『言っちゃいけなかったんだっけ』ってのは何だったの?」

 

 『スカラシップを教えてもらって問題を解決した』ってことなら確かにあたしに話して欲しくはなかったかもしれない。親に謝らせて負い目を感じさせてしまったのは事実だし、母さんの胸の内にしまっておいてほしかった。でも、それとは違ったみたいだ。

 

「実は、今日比企谷くん達が京華の面倒と夕飯の支度をしたのを沙希に知られたくないから黙っててくれって口止めされててね。それをさっきお弁当の話が出ちゃったから言わざるを得なくなっちゃって。それが申し訳なかったなって」

 

「え? 比企谷に口止めされた? なんで?」

 

 またあいつは人から感謝を受けるのが苦手とか、あたしが気にするからとか、そんな風に考えてたのかと思ったが……

 

「比企谷くんは、沙希が気にして療養出来ないから黙っててくれって言ってたんだけど、比企谷くん達が帰ってから大志がね」

 

「『普段世話されてても、いざって時に弟が頼りになるとこを見れれば姉ちゃんは安心するし喜ぶから』って比企谷くんが言ってたって」

 

「だから、沙希に気兼ねさせないようにってのは口実で本当は大志に花を持たせようとして口止めさせてたんじゃないかって」

 

「ひ、比企谷が……そんなことを?」

 

 …………

 …………

 …………ヤバイ

 あたしのことをよく理解した行動と気遣いが、本当に嬉しい……。

 

 俯いて心の中で喜んでいるところを母さんの声で現実に引き戻された。

 

「……ふふ、確かに友達はあまりできなかったみたいだけどいい人は見つかったみたいね」

 

「! ……べ、別に! そんなんじゃ……」

 

 ……あ、でも忘れそうになってたけど勘違いとはいえ、キ、キスしちゃったし、メールだけど告白もしたんだよね。

 

「それでね、口止めの約束を破っちゃったから、沙希にも協力してほしいんだけど」

 

「え? え?」

 

「今のを聞かなかったことにしといてくれない? お粥を作って京華の面倒をみてあなたの看病をしたのは大志だったってことにしといて」

 

「ま、まあ別にそれくらい、いいんだけど。さすがに明日は学校休むし、わざわざ比企谷に言う機会なんてないけど?」

 

「それが、比企谷くんと小町ちゃん明日も来てくれて京華のお迎えもしてくれるのよ」

 

「え⁉」

 

「だから、明日二人が来た時にうっかり『昨日はありがとう』とか言わないようにね?」

 

「あ、あ、明日も?」

 

 …………

 ……嬉しい。

 ……嬉しい嬉しい嬉しい。

 

 迷惑をかけてるのは分かってる。けどバレンタインの日から今日……は気づかなかったけど、明日も比企谷とうちで夕飯を食べることになるなんて……

 

 お互いの家族と共に逢っていくうちに……ってのをちゃんと意識してくれてるのかも……

 

「……」

 

「あなた、いま大志とメールしてるときみたいな顔になってるわよ?」

「え? 嘘?」

 

「はぁ……おかず作ってあげるから、早く食べて寝なさい。明日京華を車で送る時に一緒に乗っけてってあげるから病院で薬もらってきましょ。早く治さないと」

「あ、うん……」

 

「…………」

「…………」

 

「……治るの長引けばそれだけ比企谷くんが家に来てくれるとか考えてない?」

「そっ⁉ そそ、そんなことないから!」

 

「本当に分かりやすい子ね」

「ホントにないから!」

 

「はいはい、早く食べちゃってね。明日も早いから」

 

 母さんはあたしの部屋から洗濯物を持って行きつつ食事を促した。ああ……熱上がってないかなこれ……

 

      ×  ×  ×

 

 お腹も満たし歯磨きが終わってまた眠るのだが、すぐには寝付けなさそうだ。あれだけ寝たからね。

 無理にでも寝ないと……そう思っていると、ハンガーに掛かっているブレザーに目がいく。

 

 あ……比企谷にブレザー返すの忘れてた……

 一度は返したものの、車の中でまた借りてしまいそのまま忘れてしまっていた。

 

「…………」

 

 なんとなくそれを手に取ると掛布団の上になるべく皺にならないよう広げた。襟元がちょうどあたしの鼻先にくるように。

 本当は包まって眠りたかったけど、さすがにしわくちゃになってしまいそうなので躊躇われた。

 

 比企谷の匂いを感じながら、幸せな夢が見れればと淡い期待を抱いてあたしは微睡んだ……。

 

 

 

つづく



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19話 ついに、天使は川なんとかさんと邂逅する。

今回もめぐりの出番多め。
あれ? 八沙ちゃんと成立してるこれ?

ちなみにアニメ・ゲームでは京華とめぐりのCVは同じ人です。
そのメタなネタを利用したやり取りが行われております。

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2020. 1. 4 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
特に相模・ゆっこ・遥の関係についての文を追記。


《 Side Hachiman 》

 

~2月16日(金)~

 

 

「…………」

 

「お兄ちゃーん、朝ごはんできたよーって、なにその恰好? 上ジャージで下制服って体育の先生みたいだよ?」

 

「おい待て体育教師をディスるのはやめてやれ。そんなもん人によってで固定イメージじゃないからな?」

 

「例えばの話だよ、真に受けちゃうお兄ちゃん、いつもより目が澄んでる気がしてポイント高いよ?」

 

「八幡を褒めて伸ばそう方針に早くも成果が見られたのか。今後が楽しみだな」

 

「まあ、それは置いといてなんでブレザー着てないの?」

 

「昨日川崎に貸して返してもらうの忘れてた…………替えもクリーニング中で苦肉のファッションだ」

 

「うわー、熱で朦朧としてた沙希さんにブレザーをさり気なく掛けてあげたの? お兄ちゃん本当にどうしちゃったの? 完全にイケメンじゃん」

 

「はいはい、小町ちゃんも完全に可愛いよ」

 

「う……なんかテキトーだけどおまけでポイントあげちゃう。それと早く食べちゃってね、今日自転車ないからバスでしょ?」

 

「おう、そうだった。ちょっと急ぐか」

 

 会話もそこそこだったので、すぐ食べ終わってしまう。食器を水に浸けて時計を見ると、意外と余裕があった。

 

「そういえば今日も川崎の家に行くけどまた一緒に買い物するか?」

 

「あー、今日は小町一人でいいよ。学校半日だし終わったら買い物して沙希さんち行ってる。お昼も作ってあげようかなって。お兄ちゃんこそ京華ちゃんお迎えに行くんでしょ?」

 

「ああ、昨日は信用を得るまで大変だったが今日はすんなりお迎えできそうだわ」

 

「あ、忘れてたけど小町今日合格発表だよ、お兄ちゃん!」

 

「そーだな。小町なら受かってる。俺が保証するぞ」

 

「えー、お兄ちゃんに保証されてもなー」

 

 そう言いながらも嬉しそうだ。

 

「ついでに大志も受かってれば言うことないな。あくまでもついでだけど」

 

「…………え」

 

「?」

 

「お、お兄ちゃんの口からそんな言葉が聞けるなんて……」

 

「あー、悪かった。……毒虫は落ちてるに決まってるがな、可愛い妹と同じ学校に通おうなんて神が許しても俺が許さん。……こう言えば良かったか?」

 

「うわ、通常モードも使い分けられるんだ? お兄ちゃん器用だね」

 

「うむ、こっちが本来通常モードなはずなのにどうしちまったんだろうな、俺は」

 

「いいことなんじゃないの? 自然にそういう言葉が出るのって。確かに小町的には、いつもの捻くれ発言が聞けないのもちょっと寂しい気がするけどねー」

 

 平塚先生との約束を一度達成しただけだが、効果があったというべきか。まあ、学校では絶対自虐ネタが溢れ出るだろうけどな。

 

「合格発表といえば、まだ結果は分からんけど、どっちにしても合格祝いで川崎達と一緒に夕飯ってやつは延期だな」

 

「あー、そうだね。沙希さん今日もダメだろうし、明日も多分病み上がりだしね」

 

「……悪いな小町。今日も夕飯の面倒かけて」

 

「なーに言ってんの。お兄ちゃんの介護なんていつものことなんだし、沙希さんの代わりにご飯作るの楽しいよ」

 

 ホント出来た妹だよ。こいつの為にも、もう少しはまともなお兄ちゃんになってやろうって、そう思えてくる。差し当たっては小町に向けて自虐発言をしないよう心掛けるか……ハードルひくっ!

 自虐発言ですら他人を傷つけるとは思わなかった……真のぼっちでない限り、どうやっても傷つく人は出ちまうってことか……平塚先生の言っていた『存在するだけで誰かを無自覚に傷つける』って言葉はこういうことでもあったんだな。

 

「じゃあ、もう出るわ」

 

「あ、バス停まで一緒に行こうよ。妹を置いてくなんてポイント低い!」

 

「40秒で支度しろ」

 

「もっと待ってよ!」

 

「ネタだネタ。待つに決まってるだろ! 待ってるから、すっげー待ってるから、ゆっくり支度してていいぞ」

 

「うん!」

 

 

―教室―

 

 

 教室を見渡したが、やはり川崎は来ていない。逆に来てたら説教かまして家に送り返すレベルだけど。戸塚も朝練だしHRまで安定の寝たふりだな。ついでに108の特技の一つ、人間観察で昨日のことについての噂がまだ流れているか調べてみるか……。

 

 …………………

 …………………『今上映してる…………映画なんだけど』……『今週の土曜日サッカー部の試合が』……『バレンタインでさー』…………『見てよ、何か上ジャージなんだけど?』……

 

 ん、これは……?

 

 俺はその発生源に耳を(そばだ)てた。

 

 ……『うわー、なにあれ? 体育教師かっての……』……『昨日、保健室に川崎さん連れ込んで何かしたんじゃないの? アイツ』……『川崎さんもその時、ヒキタニ菌に感染しちゃったんじゃないの?』

 

 おい、そんなに俺のファッションが体育教師に見えるのか。お前らの発想小町と一緒かよ。

 どう見ても俺を標的とした侮蔑の言。いつもなら放っておくのだが、話題の中心に川崎がいる以上、何もせずという選択肢はなかった。……しかし、

 

 ……どうするかな。

 

 俺自らがそこへ行き恫喝する? ないない。俺のキャラじゃないし、そもそも俺の恫喝に効果があるとは思えん。むしろ逆効果まである。

 チラリと声の方向を窺うと、相手が相模とその取り巻きであることが分かる。

 文化祭の後ならともかく、体育祭で相模は汚名返上……とまではいかないまでも一定の成功を収め停戦状態になったと思っていたのだが……。

 だが一時期の最大ヘイト時に比べれば可愛いものだ。割と純粋に冷やかしている程度なのかもしれない。俺のセンサーが悪意の多寡を正確に計っていた。

 今のところ手詰まりか……こっちからアクションしたら全て裏目になりそうだ。

 

 しばらく放置していようかと思ったら、意外なことに相模の方から接触してきた。

 

「……なにその恰好? 昨日川崎さんに何かして制服汚れちゃった?」

 

 おや……なんか無理してねえかコイツ? 顔引きつってるし…………ああ、そういうことか。

 

 相模の後ろで取り巻き二人が俺に蔑みの視線を向けている。

 つい昨日の昼休みのスキャンダルを話していたらそのまま俺ディスりの方向に話が進み、直接ぶつけにきたようだ。

 しかし、相模にはそこまでするつもりがなかったように見える。体育祭終了からこっち、俺と相模は元通り無関係という立場で収まった。なのに今こうなっているのには理由があるのだろう。

 

 あの二人はクラスメイトの取り巻きではなく、バスケ部に所属している相模の『よっ友』だ。確かゆっこ(モブ子)(モブ美)だったか。

 察するに、体育祭で運営側として俺と相模が協力関係(立場上だけ)にあり、現場班であったゆっこ(モブ子)(モブ美)と対立した経緯が尾を引いているのだろう。あの時、相模が頭を下げて一応の和解を果たしたが、その後の会議を鑑みるにただのパフォーマンスとも取れる謝罪劇であった。実際、二人はあれを現場班達に見せつけ相模を晒しあげた上、最後まで非協力的であった為、相互確証破壊という我ながら最低の手段で御する羽目となった。

 

 あれだけのことがあってまだ付き合いを続けようとする思考回路が俺には理解できない。弱みでも握られてるんじゃないか。もしくはドMか。

 いや、そもそも体育祭実行委員会議が答えだった。既に一度、二対一の構図で陰口の対象として相模は生贄にされた過去を持つ。喧嘩別れなどしたら文化祭後、俺にしたように風説の流布を以て貶めてくる可能性はある。相模との交流がある分、その陰口も的確に弱点を突いてくるだろうし元から最底辺であった俺と違い、上位カーストの相模が被るダメージは計り知れない。

 ならばと体育祭前の、三人で同じ人間を陰口の対象とした元の形に戻ろうとして選ばれた生贄が順当に俺だったということか。

 つまり、これは踏み絵だ。相模の意志は関係なく俺に攻撃せざるを得ない状況になったっていうのが正しいな。

 相模もいまさら俺に対して優しくすれば、後ろの二人に弱さを見せたことになり関係性が崩れると内心ビクビクしてるんだな。

 はぁ~、これだから友人なんていると生き難いんだよ……。

 

「……ちょっと、何か言いなさいよ?」

 

 何にしても向こうから絡んできてくれたのは好都合だ。いつも心の中で呟く自意識過剰の代名詞なこの言葉を贈ろう。

 

「……なんだお前? 俺のこと好きなの?」

 

「! は、はぁ⁉ ば、バカ言わないでよ、なんでうちがあんたなんかを! ヒキタニってホント気持ち悪い!」

 

「な、なに言ってんのコイツ、キモイ!」

「近寄ると妊娠させられそう! いこ!」

 

 相模達は床を踏み抜きそうな力強い足取りでその場を去った。元々俺からは近づきませんからご安心くださいね。

 解消されるか分からんが、このカウンターで『川崎に何かした?』から『ヒキタニマジキモイ!』に塗り替えられたはず……信じてるぞ、相模!

 しばらくすると朝練の終わった戸塚が教室に入ってきた。

 

「八幡、おはよう」

「おっす、戸塚」

 

「あれ、ブレザーどうしたの?」

「ああ、そういえばこれ見るとそう思うよな。上下ジャージになっとくか」

 

 ジャージ姿でも目立つことには変わりないが、やっぱ上だけジャージだと穎脱(えいだつ)感ハンパないし、まだマシだな。

 

「あ、せっかくジャージに着替えるなら昼休みご飯食べた後、ちょっと練習付き合ってくれない?」

「……そうだな。ついでに飯も一緒に食べるか」

「ホントに? うん、分かったよ!」

 

 朝から相模に絡まれて最悪のスタートだと思っていたが、神様は俺を見捨ててねえじゃん!

 ……そうだ、チョコ貰ったのにお返ししてなかったな。昼に飲み物を奢ってやろう。

 

 

~中休み~

 

 

 そろそろ小町達の合格結果は出ているはず……平塚先生に直接訊いてみるか。

 

「失礼します。平塚先生いらっしゃいますか?」

 

「ん、比企谷じゃないか。今日も夕飯のお誘いかね?」

 

「……先生の中じゃ誘われた感じになってますけど昨日別に誘ってはいませんからね?」

 

「……まあ、期待はしていなかったが、君はもう少し社交辞令というものを身につけるべきだ」

 

「欺瞞は嫌いです」

 

「はぁ……。それはそうと、何しにここへ? 用件の見当はついているつもりだがね」

 

「……それで……あの……」

 

「君の妹と川崎の弟の合否だろ?」

 

「前者だけでいいんですけど。後者は別に……」

 

「嘘をつけ。顔に出ているぞ。……あと10分ほどでWebサイトに合格者が載ると思うが、小町くんは合格だ。おめでとう」

 

「‼ あ、ありがとうございます!」

 

「……⁉ 『小町は?』 あ、大志の方は……?」

 

「君の妹はまだしも川崎の弟の結果はさすがに家族以外に明かせんぞ?」

 

「…………」

 

「な、なんだ、その表情は? そんなに悲しみに暮れた顔を見せるんじゃない。……ん、んっ! 仕方のないやつだ。教えられないが。わたしの態度から当ててみるがいい。君は人間観察が得意なのだろう?」

 

 そういって先生は俺の沈んだ表情に、満面の笑みを持って返してきた。

 

「は、……はは」

 

「うむ、そういうことだ。わたしは何も言っていない。それと今日は奉仕部を休んでも構わんからな。小町くんの合格発表の日だし、今日も川崎の妹のお迎えに行くのだろう?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「ああ、一応顔だけは出して休むと言ってやれよ? それに結果は直接教えてあげた方が二人も喜ぶだろう」

 

「分かりました。失礼します」

 

 ……やった……やったぞ、小町! ついでに大志も!

 

 直接的な言葉がないので川崎に電話して合格したぞ、とは伝えないが。これが勘違いだとしたらマジで痛い。痛すぎる。過去のトラウマにあった女子からの好意だと勘違いするよりも痛い。間違ってたら過去最強の黒歴史になってしまうだろう。

 

 …………良かったな、川崎。

 

 俺は小町より、むしろ川崎の顔を思い浮かべ安堵していた。

 

 

《 Side Meguri 》

 

~昼休み~

 

―ベストプレイス―

 

 

「あ、今日もここだ。比企谷k……」

 

「もー、八幡、遅いよ」

「すまん。購買でパン買ってたからな。ほら」ポイッ

「わっ、これって……?」パシッ

 

「バレンタインの時チョコくれただろ? 貰いっぱなしはいけないからな。ジュースでお返しってことで」

 

「! うん、ありがとう八幡!」

 

「こっちが先に貰ったんだから礼を言うのはこっちの方だ」

 

 あ、今日はお友達と一緒に食べるんだ。比企谷くん、ちゃんとお友達いるじゃん。

 う~ん、さすがに邪魔しちゃ悪いかな……今日はコートも持ってきて防寒対策完璧にしてきたんだけど……。

 わたしは二人が昼ご飯を食べるところを木陰で見守りながらがご相伴させてもらう。……これご相伴じゃないよね。

 

「そういえば、昨日は川崎さんを保健室に連れて行ってたよね。今日休んでるってことは結構症状重かったのかな?」

「ああ、昨日の時点で38℃以上出てたし、今日来るのは無理だったろうな」

 

「そっか……でも八幡はすごいよね」

「え?」

 

「僕は教室にいなかったけど、熱出した川崎さんの具合を察知してすぐ背負って保健室まで連れてったって聞いたよ?」

 

 え⁉

 昨日、熱出したって聞いたけど……比企谷くんが背負って連れてったんだ……。

 

「え……それのどこがすごいんだよ……?」

「だって具合悪いことに気付くのもすごいし、迷わず背負っちゃうところもすごいよ。僕だったら多分、恥ずかしがって躊躇してたと思う。他の女子に頼んでたかもしれないから」

 

「……俺も出来ればそうしたかったんだが、俺が声かけてキモがらない女子がその時教室にいなかったからな」

「そういう状況になっても、しっかりと行動できるところもすごいと思うんだ」

 

「……戸塚だってそういう事態になれば行動できると思うぜ。なんせ戸塚だからな」

「はは……嬉しいけど根拠がないよ」

 

「なにいってんだ、戸塚が根拠だろ。それ以上に根拠となるものがあるのかを知りたいまである!」

「あ、あはは……」

 

 

 ……川なんとか……川崎さんてどんな人なんだろ。

 

 ……逢ってみたいな。

 お昼ご飯が終わると、二人で楽しそうにテニスの練習をしていた。比企谷くん、全然ぼっちじゃないじゃん。

 

 

《 Side Saki 》

 

―川崎家―

 

 

「姉ちゃん、ただいま! 比企谷さんと俺、二人とも受かってたよ!」

「お邪魔しまーす! 沙希さん大丈夫ですかー?」

 

「あ、二人ともホントに⁉ …………ああ……おめでとう、……おかえりなさい…………」

 

「ありがとうございます! せっかくだから大志君と一緒に総武高校の合格発表見に行って来ましたよ。なんか青春してる! って感じだったよねー?」

「そうっすね。ドラマとかで観たことあるシチュで、やってみたいって思ってました」

 

「そ、そう……良かった……ね……?」

 

 あたしにはちょっとついていけない感覚だったので苦笑いで応えてしまう。

 

「その帰りに二人でお買い物もしてきましたんで……あ、お兄ちゃんには内緒にしててくださいね? 大志君と二人で買い物とかバレたら何もなくても何するか分からないし。これから皆のお昼作りますね。もう熱下がりました?」

 

 そう言って一気に捲し立てた小町は三日目の今日となるうちでの料理に腕を振るう。

 

「少し下がったけどまだ38℃切ったくらいかな」

「わっかりました。インフルではなかったんですよね?」

「ああ、午前中に病院行って検査受けたよ。インフルだったらさすがに連絡するしね」

 

 あたしは冷蔵庫に入れるのを手伝おうとして、ふらついてしまい大志に支えられた。

 

「あ、姉ちゃん危ないから無理して歩き回らないで」

「た……たいしぃ……」

 

「(あちゃ~重度のブラコンだわ、こりゃ……)」

 

「あ、ご、ごめん、昨日の妹ちゃんのお粥、美味しかったから、良かったらまた作ってくんない?」

 

「わっかりましたー! 沙希さんに喜んでもらえるなんて小町も感激d…………はっ」

 

「あ」

 

「どうしたの? 二人とも…………あ」

 

      ×  ×  ×

 

「……姉ちゃんごめん……昨日俺が全部やってたみたいな感じ出してたけど、比企谷さんとお兄さんが……」

 

「ん……あんたは何にも悪くないよ。むしろあたしを喜ばせようとしてくれたんでしょ? 嬉しかったし謝んないで」

 

「まあ、さすがに無理がありますよね。料理は大志君が上手く出来たって誤魔化せても、隣の部屋で京華ちゃんもはしゃいでて小町達の声もどうしたって聴こえてただろうし……」

 

 はぁ~、母さんに口止めされてたのに1分でバラしちゃったよ……。

 

「ま、まあ、あたしも意図は分かってたし、それに付き合うつもりだったんだけど、合格って聞いてつい気が緩じゃって……」

「黙ってようって言ったのは比企谷だっけ?」

 

「はい」

「うん」

 

「じゃあさ、今度こそあたしも気を付けるから、比企谷にだけは騙されてるふりしとくよ。あんた達もそれでいい?」

 

「そうですね。せめてお兄ちゃんだけでもそう受け取っといてもらいましょう!」

 

「……なんか俺としては複雑なんすけどね……」

「えー、いいじゃん、お兄ちゃんは大志君を立てようとしてたんだよー?」

 

「でも、お粥作ったのは比企谷さんで、塩分の妙味もお兄さんから教わったのにドヤ顔で姉ちゃんに話すとか、真実がバレた今じゃ顔から火が出そうなくらい恥ずかしいっすよ……」

 

「えっ? あれって妹ちゃんの料理テクニックじゃないの?」

「はい、お兄ちゃんよく読書するし、本から得た知識らしくて昨日話してくれて試してみたんですよ。そしたら上手くいったからこれだーって思って大志君に蘊蓄(うんちく)披露させたんです」

 

 あいつ……どんな本読んでんのよ……それにしても、そんなことにまで気を回すなんて意外。

 

「そういえば改めて合格おめでとう二人とも。比企谷と話してた食事会でお祝いするってやつ……ホントは明日だったけど延期でいいかな? いまあたしこんなだし、一刻も早く治さないと家族にも二人にも迷惑かけちゃうし……」

 

「ぜーんぜん構いませんよ! なんだったらお祝いじゃなくったってまた食事会しましょーよー。今日だって実は似たようなもんですから!」

 

「そういってもらえるとありがたいね……でもあんたにばっかり負担かけちゃうのが……」

 

「いいんですよ、どうせ家でだってお兄ちゃんの介護してるんですから、人数が増えたってそこまで変わりませんって。むしろ、沙希さん達と食事するってなると出不精なお兄ちゃんが意外と素直に従うんですよ?」

 

「……え?」

 

「……まあ、期待させちゃう言い方だったかもしれませんが、小町がここでご飯作るって言ったらお兄ちゃんはこっちに来ないと食べられないから半強制的なんですけど……」

 

「あ、そうだね。うん……別に何とも思ってないから……」

 

「(……姉ちゃん……分かりやすい……)」

「(……なんでもうちょっと素直にならないのかな~今さら隠したって一昨日の出来事はなくならないのに……)」

 

「? あんた達、何か言った?」

 

 目の前でぽしょぽしょと話す二人に不穏なものを感じて睨めつける。

 

「いや、べつに何にも……」

「なな、なんでもないです、あはは~(沙希さん怖いよー、お兄ちゃんじゃ手に余る気がしてきた……)」

 

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Meguri 》

 

~放課後~

 

―校門前―

 

 

 今日は比企谷くんとお話できなかったなぁ……今日こそはチョコの感想訊きたかったのに…………あれ?

 校門に向かっていると入れ違うようにこれから校舎へと向かう先輩の姿があった。

 

「はるさ~ん」

「あら、めぐりじゃない。今日は早いんだ?」

「はい。はるさんこそ今日はどうしたんですか?」

「ああ、これを持ってきたの。昨日比企谷くんいなかったでしょ?」

 

 そう言って、手にした紙袋を見せてくれた。中には黄色いラッピングの箱が覗かれる。

 ……あれ?

 

「じゃあ、今日こそは渡してくるから」

「あ、はい。さよならー」

 

「…………」

 

「やっぱりはるさん、比企谷くんのことすごく気に入ってるよね……」

 

 

      × × ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

―奉仕部部室前―

 

 

「あ、ヒッキー。部室の前でなにしてんの?」

「ああ、雪ノ下がまだ来てないみたいで鍵が開いてないんだ」

 

「えー、珍しいね。どうしたんだろ?」

「まあ、たまたま俺達のが早いってことがあっても不思議じゃないか。でも今日は用があるから報告に来ただけですぐ帰るんだよ俺」

 

「え、なになに?」

「ああ、小町が総武受かったんだ」

 

「え⁉ やったじゃん! さすが小町ちゃん! うわー、これで小町ちゃんが後輩になるんだー、楽しみー!」

「おう、ありがとな。それと多分、大志も受かってる」

 

「大志君も? やったね、沙希は……今日休みだけど、大志君も後輩になるんだ? 知ってる子が後輩ってなんか嬉しくなっちゃうね!」

 

 本当にこいつは自分のことのように喜んでくれるな。そしてテンションそのままに言葉を続けた。

 

「じゃあさ、今日この後小町ちゃんと大志君の合格祝いのプレゼント買いに行こうよ!」

「あー、すまねえ。別に大志のプレゼントを買いたくないから言ってるわけじゃないんだが、俺これからけーちゃ……川崎の妹迎えに行かなきゃなんねえからすぐ出ないといけないんだ」

 

「あ、そうなの?」

「今日川崎休みだし、親も忙しいらしいから、条件的に俺が行くのが適任っていうか……まあ、そんなわけなんで雪ノ下に伝えといてくれねえか?」

 

「うん、いいよ。じゃ、あたしとゆきのんでプレゼント買いに行くね。それとゆきのんがお祝いに料理を御馳走したいって言ってたから、明日とかヒッキーんちでいいかな?」

 

「おお、ありがとな。後で確認とってからまた連絡するわ。じゃあ、そろそろ出る。またな」

 

「うん! 小町ちゃんに合格おめでとうって伝えてね!」

 

「それは明日直接言え。じゃあな」

 

 別れを告げると、俺は昨日学校に宿泊した一日ぶりの自転車の下へと急いだ。だが、駐輪場に着くと重要なことを思い出す。

 あれ……そういえば、けーちゃんのお迎えってことは自転車で行くとまずいのか。こいつは二泊目決定だな。危うく自転車を持って行って保育園に着いたらどうしていいか分からなくなるところだった。

 いや、明日明後日が土日だから四泊五日が決定する。なんだよ、持ち主を差し置いてGWかよ。どうなってやがるんだよ、まったく。

 そんな訳が分からない独り言で虚しさをためながら徒歩でけーちゃんを迎えに行くのであった。

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Haruno 》

 

―奉仕部―

 

 

コンコン

 

「ひゃっはろー♪」

 

「……姉さん」

「やっはろーです、陽乃さん」

 

「あれー? 比企谷くんはー?」

 

「⁉」

「あ、ヒッキーなら今日も用事があるからって先に帰りましたけど……」

 

「あらー、残念だなあ。どこまでお姉さんを袖にすれば気が済むのかな、あの子は……」

「……ところで雪乃ちゃんはなんでそんな面白い反応したのかな?」

 

「な、なんのこと……かしら?」

 

「とぼけても無駄よ。悩みならお姉さんに相談してみなさい」

 

「そういえばゆきのん、今日部室来るの遅かったね。何かあったの?」

「べ、別に大したことではないから。それよりも、小町さんと川崎くんが合格したのだから、今日は早めに切り上げてお祝いの品を買いに行きましょう」

 

「うわ、雪乃ちゃん誤魔化すのヘタクソー」

「ゆきのん……」

 

「あ、いえ、これは……本当に人に話すようなことではないから」

「……うー……」

 

「……でも、本当に困ったらちゃんとあなたに相談する。約束するわ」

「! う、うん! 分かった、どうしょうもなくなったらちゃんと頼ってね!」

 

「あのー、お姉ちゃんにも頼って欲しいなー?」

「姉さんに頼ると事態が悪化する未来が目に見えてるから遠慮するわ」

 

「うわーん、雪乃ちゃんひどいー、お姉ちゃんグレてやるー!」

 

「ゆきのん……陽乃さんとびだしてっちゃったよ……?」

「いいのよ。いなくなってせいせいするわ。どうせ小芝居よ」

 

 

      × × ×

 

 

「はぁー、今日も比企谷くんに会えなかったなぁー。お姉さん避けられちゃってる? だとしたら悲しいなー」

 

「……しょうがない、そろそろ引き上げるかな……ん? 静ちゃーん」

 

「げっ、陽乃? また来たのかお前は。いくらOGでも頻繁に来すぎだ」

「元教え子に会えたんだから、もっと嬉しそうにしてよー」

 

「で、今日は何しに来た? 奉仕部の方から来た気がしたが、用件は済んだのか?」

「聞いてよ静ちゃーん。それがさー、昨日今日とチョコ持ってきたのに比企谷くんがいなくて無駄足になっちゃったんだー」

 

「ああ、なるほどな。だが残念だったな。比企谷は今日は部活を休んだぞ」

「知ってる。今行ってショック受けてきたんだもん。ねえねえ、比企谷くんてチョコ嫌いじゃないよね?」

 

「どうしてそう思う?」

「だって、わたしのチョコ避けてるんじゃないかってくらいにエンカウントしないんだもん」

 

「そんなことはない。あ、いや、確かにわたしがあげたチョコは食べていないみたいだが、別のは食べたらしいぞ」

「! 誰のチョコ食べたか訊いた?」

 

「川崎のチョコを食べたと聞いたぞ。といっても陽乃には分からんか。クラスメイトのやつだ」

 

「ふーん……それ以外に食べたって話聞いた?」

「? いや、それしか聞かなかったが。そもそもなんでそんなことに興味があるんだ?」

 

「なるほどねぇ……ありがと、静ちゃん。助かっちゃったー」

 

「あ、ああ、よく分からんが、力になれて何よりだよ?」

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Meguri 》

 

―コミュニティセンター―

 

 

 ……確か、コミュニティセンターの隣の保育園って言ってたよね。

 

「…………」

 

 ……何やってるんだろわたし。用もないのにこんなとこ来て。

 いや、願望はある。川なんとか……川崎さんだ。

 

 保育園に妹さんを預けてるなら迎えに来るかもしれない。

 美人でスタイルが良くて髪が長くてシュシュで結ったポニーテールの女の子。

 

 ホントにそんな娘いるのかなぁ……。

 

 一色さんの言っていた保育園は恐らくここだろう。場所以外なんの当てもなく来てしまった。何時頃に迎えが来るかなども分からない。

 チラっと見れたらいいな、くらいには思ってたけど、今日川なんとか……川崎さん本人は迎えに来ないよね、昨日熱出したって言ってたし。

 バレンタイン合同イベントで会ってるって言われたけど、妹さんのこと覚えてないし特徴も聞いてないからどうしようもない。

 そうして途方に暮れていると、見知った顔を見かけた。

 

 あ……

 

ハーチャン、テ、ツナイデー オウ、イイゾ

 

「……比企谷くん」

「あれ? 城廻先輩?」

 

 比企谷くんがねだられるままに手を握って歩く猫背な姿は、若干犯罪臭がしていそうで不安になってくる。

 

「その子って……」

 

「クラスメイトの妹ですよ、昨日熱出したって言ってたやつの。家族忙しいんでお迎えのお手伝いしてるんです。奉仕部活動の一環というか……」

「おねーちゃん、だぁれ?」

 

「あ、わたしはね、城廻めぐりっていうの」

 

「しろむぐりむ……?」

 

「うーん、じゃあわたしのことは『めぐめぐ』って呼んで」

 

「めぐ……めぐめぐ!」

 

「あなたのお名前はなんていうのかなー?」

 

「かわさきけーかっ、です! けーちゃんって呼んで!」

 

「けーちゃんね。よろしくね、けーちゃん」

 

「うん! めぐめぐよろしくー」

 

「これから帰るの?」

 

「ええ、その前にちょっとスーパーにでも寄ろうかとも……」

 

「あ、じゃあ、わたしも一緒に行っていい? 今日の夕食の材料買いたいから」

 

「あ、はあ。別に構わないですけど」

 

「よし、じゃあいこっか! あ、けーちゃん、もう片っぽの手はわたしと繋ごう?」

 

 比企谷くんがけーちゃんの右手を握り、わたしが左手を握る。

 なに、この光景……これじゃまるで比企谷くんとわたしが……わたしたちの間にいるけーちゃんが……

 ……なんか、恥ずかしい、けど……

 心が、ぽかぽか、する……。

 

 

―スーパーお菓子売り場―

 

 

「…………」

 

「けーちゃん、何見てるの?」

 

「……なんでもない」

 

「ふふーん、これを見てたんだなー?」

 

「違うよ、こっちを見て……あ」

 

「そっかー、こっちかー」

 

「あっ」

 

「どれどれー? タケノコの里かー」

 

「うん!」

 

「めぐめぐが買ってあげよっか?」

 

「……いい」

 

「? なんで?」

 

「さーちゃんが知らない人に買ってもらっちゃダメって言ってたの……」

 

「さーちゃん?」

 

「お姉ちゃんのことですよ。沙希だからさーちゃんなんですって。俺は八幡だからはーちゃん」

 

「へぇー。はーちゃん?」

 

「うん、はーちゃん!」

 

「……城廻先輩、けーちゃんと声似すぎで、はーちゃん呼びが心臓に悪いです……」

 

「そ、そう? あはは……」

 

 わたしも『めーちゃん』にしてもらえばよかったかな……それにしても知らない人扱いはなんか寂しいなぁ。

 

「……あ、そうだ。わたしはね、タケノコの里きらいなんだ」

 

「そうなの? タケノコおいしいよ?」

 

「でもキノコの山が好きなんだ。だから……」

 

「?」

 

「このタケノコとキノコが両方入ったお得パックを買おうと思ってるんだけど」

 

「おおー」

 

「……でもめぐめぐはタケノコが嫌いだから……けーちゃんに食べてもらえると嬉しいかな」

 

「! けーか食べる、食べてあげる!」

 

「そう? ありがとー」

 

 買い物が済むと、来た時と同じように比企谷くんとわたしはけーちゃんの手を握る。

 

「あの……俺とけーちゃんはここからバスで幕張本郷駅へ向かうんですけど、先輩は家どっち方面なんですか?」

 

「あー、そうだね……」

 

 んー、このままさよならするのってなんか寂しい。比企谷くんとけーちゃんの顔を交互に見て、こう続けた。

 

「……わたしも一緒に行っちゃおうかな」

「……は?」

 

「う、うわぁ……比企谷くん歓迎してなくても少しは隠そうよ。わたしすごく傷つきそうだよ……」

「あ、いや、その……すみません……あまりにも予想外だったもので……」

 

「んー、そのバスならうちの方角に向かうし、けーちゃん可愛いからまだ離れたくないかなーって」

「はあ、そういうことなら納得なんで、そう言ってくれれば傷つけずに済んだんですけどね」

 

「あはは、ごめんねー」

 

 ……本当は川なんとか……川崎沙希さんに会ってみたい、だなんて言えないから……それにしても、いくらわたしが人の名前覚えるの苦手でも川なんとかって言い過ぎな気がする。

 結局、わたし達はそのままバスに乗って川崎家へ向かう。途中、比企谷くんのスマホにメール受信があった。ぼっちとか言ってるくせにお友達いるじゃん。

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

yui's mobile

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

ヒッキーやっはろー(*´ω`*)    

 

 

hachiman's mobile

 

FROM :ヒッキー          

TITLE:なし            

顔文字がうざい。            

 

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

いきなりダメ出し⁉( ゚Д゚)      

 

 

FROM :ヒッキー          

TITLE:なし            

用件を言え。いまバスだから手短に。   

 

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

あ、ごめん(・_・;)

さっき言った小町ちゃんと大志君の合格祝い

の件なんだけど……

明日の何時ごろ、どこに集合するかとか聞き

たくて(^_-)-☆

 

 

FROM :ヒッキー          

TITLE:なし            

顔文字なしでメール打てんのかお前は。  

まだ大志に連絡してないから何とも言えない

けど料理作ってくれるってんなら多分俺んち

になると思う。ちょっと遅いランチって感じ

でいいんじゃねえの?          

 

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

じゃあ、お昼前くらいにヒッキーの家に集合

でいいのかな?

 

 

FROM :ヒッキー          

TITLE:なし            

細かい時間は小町と大志に連絡してみねえと

分かんねえな。結局このメールのやりとりは

ほぼ意味ないかもしれん。これから小町の方

と連絡とるわ。             

 

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

そうだね。じゃあ、なるべく早く連絡くれる

と嬉しいかな。今日ゆきのんちに泊まるから

連絡来たら一緒に予定考える(^^♪    

 

 

FROM :ヒッキー          

TITLE:なし            

わかった。あと重要なことなので先に言って

おくが、お前は絶対に料理を手伝うなよ‼ 

以上                  

 

 

FROM :☆★ゆい★☆        

TITLE:なし            

ヒッキー、ひどい!(ノД`)・゜・。

 

 

 

 

 俺は小町にメールで、明日の土曜日雪ノ下と由比ヶ浜にどうお祝いをしてもらうかの段取りを考える。

 

 

hachiman's mobile

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

合格おめでとうな。今けーちゃん連れてバス

に乗った。そっちは?          

 

 

komachi's mobile

 

FROM :小町            

TITLE:なし            

ありがとう!(^_-)-☆

夕飯の下拵えしながら、もうちょっとしたら

洗濯物をみてこようかなって感じ。沙希さん

まだ熱下がんないからお祝いに考えてた明日

の夕食会も小町が作って一緒に食べるでいい

かもしれないって思ってるところ。

 

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

それなんだが、由比ヶ浜と雪ノ下が小町と 

大志の合格祝いのプレゼントを贈るのとお祝

いの食事会をしたいんだそうだ。     

 

 

FROM :小町            

TITLE:なし            

え? ホントに⁉ やったー\(^o^)/

じゃあさ、沙希さんちでお願いしちゃったら

どう?

 

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

は? 川崎んちかよ?          

 

 

FROM :小町            

TITLE:なし            

だって沙希さん猫アレルギーだからうちに来

るの良くないし、大志君もうちに呼んだら 

沙希さん一人になっちゃって可哀想でしょ?

明日はお母さんが京華ちゃんと一緒に夕方 

までお出かけするって言ってたし( ;∀;)

 

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

ああ、そりゃ確かに可哀想かもしれんな。 

普段ならぼっち気質の川崎にはなんともない

かもしれんが状況が状況だしな。     

 

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

でもいいのか? 今言った通り川崎も俺と同

じぼっち気質だから家にあまり人を呼ぶのを

好まんかもしれんぞ?          

俺も大志をうちに呼ぶとなったら正直気が進

まないが川崎と小町のことがあるからしょう

がなく招待、というギリギリ許容するレベル

だ。                  

 

 

FROM :小町            

TITLE:なし            

お兄ちゃん未だにそんなこと言うなんて小町

的にポイント低いよ。まあ沙希さんに訊いて

みるから。それでダメだったらしょうがない

からうちでって感じにしようよ。

 

 

FROM :ごみいちゃん        

TITLE:なし            

おう。それと、そろそろバスが着くから頻繁

にレスできない。川崎と話がついたらそのま

ま由比ヶ浜に電話してやってくれ。    

俺がそっちに着いたらどうなったか教えても

らうから。               

 

 

FROM :小町            

TITLE:なし            

わっかりましたー\(^o^)/

小町にまかせといてよ、お兄ちゃん!

 

 

 メールが終わるとちょうどよく駅に着いた。けーちゃんの相手をめぐり先輩がしてくれていたお陰でメールに集中できた。

 

「じゃあ、降りますよ。けーちゃん、手つなごうな」

 

「うん」

 

「わたしとも手つなごう」

 

 忘れてたけど花山めぐり先輩には握撃(あくげき)があるから繊細にいたわってけーちゃんの手を握るよう要求したい。

 駅からまたバスを使おうと思ったが、けーちゃんが歩くと頑なに主張するのでそれに従う。

 時々、俺とめぐり先輩の掴んだ手を持ち上げてぶら下がってはしゃぐ。川崎一人のお迎えだとこんなことは出来ないからか嬉しそうだ。

 

 川崎家は両親が健在だし夫婦で両手を繋いでやってもらえるはずなのだが、うちと同じで共働きらしいのでなかなかそういった機会がないのだろう。

 夫婦と言えば、こんな姿を他人が見たらどう思われることやら。俺とめぐり先輩が制服姿なのが救いだ。

 まあ、こんな目が腐った男とめぐり先輩みたいな天使100%な女子が子持ちの夫婦的な何かに見えるはずがないが。おっと、自虐してしまったが、心の中でなのでセーフということにしとこう。

 

「…………」

 

「もうちょっとで着きますよ先輩。……?」

 

 ……なんかこっちチラチラ見てるのはなんだろうな。今日の俺の目の腐り具合そんなに酷い?

 びくびくしている内に川崎家が見えてきてホッとする俺がいる。

 

「とうちゃーく!」

 

「よく歩けたな。すごいぞ、けーちゃん」

 

「えへへー」

 

「頑張ったね」

 

 めぐり先輩はけーちゃんと繋いでいる手を持ち上げて、俺にも同じようにしてくれというサインを出した。

 

「ほーら、けーちゃん」

 

「わーい!」

 

 家の前でこんなはしゃいだらご近所迷惑かも、なんて思っていると、川崎家の玄関から誰かが出てきた。

 

「……けーちゃん、おかえり。比企谷も……あ、えっと……」

 

 川崎はパジャマ姿でお迎えしに来たが、予想外の出来事に目を丸くしていた。

 けーちゃんを持ち上げていた二人の手がゆっくり降ろされる。先に声をかけたのはめぐり先輩だった。

 

「えっと、総武高校3年の城廻めぐりです。たまたま比企谷くんを帰りに見かけて一緒にこの子を送ることにして……あの……」

 

「あ……その、あ、あたしは、2年の川崎沙希、……です。比企谷と……同じクラスの……」

 

 おうおう、ぼっちらしくキョドるというか噛み噛みの自己紹介だな川崎。ただこの状況で誰よりも戸惑っているのは恐らく俺だぞ。

 なんでこうなったんだっけなー? 俺は普通にけーちゃんを迎えに行っただけなんだが……。

 

「…………」

「…………」

 

 なんかこええよお! 何この緊張感⁉

 

「…………」

「…………」

 

「……あの」

「は、はい」

 

「……わたし、これで帰りますね。けーちゃん楽しかったよ。これ、けーちゃんが食べてね」

 

 そういってめぐり先輩は自分の買い物袋からタケノコ&キノコのお得袋を差し出した。

 

「だめだよー、めぐめぐがキノコ好きなのにけーかが食べちゃダメなのー!」

 

 ああ、そういうスタンスだったな。めぐり先輩がタケノコを苦手にしてる体でけーちゃんに食べてもらおうっていう。

 

「一緒に食べるのー」

「あ、でも……」

 

「…………」

 

 ここは俺が口を出せる状況じゃない。今現在の家主である川崎次第だ。

 

「…………」

「…………」

 

「……あの」

「はい?」

 

「先輩さえ宜しければ夕飯、とか……ご一緒にどうですか?」

 

「えっ?」

「え?」

 

「今日、お時間大丈夫なら……ですけど……京華を送ってもらったし、お菓子まで買って貰っちゃって……大したお構いは出来ま、せんけど……」

 

「……えーと……」

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

「……うん、分かった。お邪魔するね」

 

 めぐり先輩は先輩らしいいつもの口調で快諾した。

 

 

 

つづく



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20話 沙希は惑い八幡は顧み城廻めぐりは踏み出した。

川崎家にお邪魔しためぐり。沙希と八幡は困惑する……
ちなみにアニメ・ゲームでは京華とめぐりのCVは同じ人です。

2020.12. 2 台本形式その他修正。
2020. 1. 7 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

「…………」

「…………」

「……?」

 

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

 ……なんで?

 なんであたしは城廻先輩をうちに招いてしまったんだろう……?

 元々風邪を引いた原因はこの人だったし――半分以上が責任転嫁みたいなもんだけど――ほぼ初対面に近いこの先輩を家に招くって、人見知りなあたしにとってものすごくリスキーな行いだったんじゃないの?

 でも京華がこんなにも懐いてるから、相当好くしてくれたんだろうし、もてなしたいって気持ちも本当なんだけど。考えれば考えるほどモヤモヤする。

 そう葛藤しているところにちょうど京華が声をかけてきた。

 

「ねー、さーちゃん、めぐめぐタケノコ嫌いなんだって。だからけーか食べてあげなきゃいけないの」

 

 あたしの理解を超越する内容でポカンとさせられた。

 

「ああ、それはねえ……あはは……」

 

 先輩が京華に聞こえないよう事の発端を話してくれた。

 

「あ、ううん……そうですね……」

 

 正直判断に困ってしまう。前、比企谷とカフェで偶然会ったときにも言ったが、甘やかし過ぎて京華のワガママが育つとこちらとしても困る。特に最近は妹に激甘の比企谷とよく接しているから、知らず知らずのうちに我慢のハードルが下がっているかもしれない。

 

「あの……さっきはああ言いましたけど……お菓子とか買ってあげたい気持ちも分かりますけど、あんまり甘やかさないでもらえると助かるんですか……」

 

 ほぼ初対面の先輩に妹の教育のことについて説教する……こんな複雑な状況がこの世にあるのかと、うちに招いたことを早くも後悔した。

 

「あ……ごめんね、わたし兄弟とかいなくてそういうことまで気が回らなくて……」

 

「(……お兄ちゃん、一体何があったの、どうして前生徒会長さんと一緒に京華ちゃんお迎えしたの?)」

「(俺が知りたい。偶然ばったり会って成り行きでな……)」

 

「…………」

「(ん? どうした大志?)」

「(お、お兄さん、ちょっと……)」

 

「わ、なんだよ?」

 

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

「あの人も総武高校の生徒なんですよね?」

「さっき自己紹介してたろ。初対面の人間の自己紹介を疑うとはお前も俺や川崎に負けないくらい疑心暗鬼育ってるな」

 

「違いますよ! っていうか姉ちゃんはそんな疑心暗鬼じゃないですから」

「俺がそうだというのを否定しないところがなかなか分かっているな」

 

「あ、いえ、そういうつもりでは……お兄さん、いつも自虐するんでこう言って欲しいのかと思って……すいません」

 

 そう見えたのか……周りにそう思わせるとはやべえなこの自虐体質。本気でちょっと改善に取り組まないといけないかもしれない。

 

「まあ、それはどうでもいいとして、初対面の城廻先輩を置き去りにしてまで俺に何訊きたいの?」

 

「それなんですよ、あの先輩を見てお兄さんが去年総武高校について相談に乗ってくれた時に言ってた『美少女含有率』が証明された気がしてつい話さずにはいられなかったというか……」

 

「ああ、なんかそんなことしゃべってたような気がしてたな。確かに城廻先輩の前では元より、川崎の前でもしゃべることじゃねえわ。昨日、せっかくお前の株が上がったはずなのに暴落しかねん。まあ、暴落しても俺には関係ないんだがな」

 

「あ、そ、そうっすね。昨日はどうもありがとうございましたっす」

 

「結局話ってそんだけかよ? 今はこのよく分からない状況をなるべく円滑円満にするためにお前にも働いてもらわなくちゃいかん」

 

「え? 俺がっすか?」

 

「当然だろ、俺に話題提供なんて出来るわけねえだろ?」

 

「お、俺にだって無理っすよ、初対面であんな綺麗な先輩相手に話しかけられるわけないじゃないっすか。去年お兄さんも言ってたじゃないですか。大事なのは諦めの境地だって」

 

「お前、俺からのアドバイスを大切にしまいすぎだろ。半年前の言葉をいまだに心に刻み付けてるとか乙女かよ?」

 

 

      × × ×

 

《 Side Saki 》

 

 

「けーかがタケノコ食べてあげるの!」

「はいはい、でも小町が作ってくれるご飯が食べられなくなっちゃ困るし、一袋だけだよ?」

「うん!」

 

 あたしは城廻先輩から渡されたタケノコの里を一つ開けて京華に食べさせてあげた。

 うん、この笑顔の誘惑に負けそうになるのは分かる。でも比企谷も城廻先輩もあんまり甘くされちゃうと後が大変なんだよね。

 

「おいしい?」

「うん!」

 

「そう、お姉ちゃんにお礼した?」

「めぐめぐだよ」

 

「め、めぐめぐにお礼した?」

「けーかはめぐめぐが嫌いなタケノコを食べてあげたんだよ?」

 

「うふふ、けーちゃんありがとうね」

 

 あー、城廻先輩がお礼しちゃったよ……まあいっか。ここは京華の弁に合わせることにしよう。

 

「そういえば、川崎さん今日熱で学校休んでたんだっけ?」

「はい、こんな格好ですみません。……それで小町と比企谷に夕飯の支度とか京華のお迎えとかで迷惑かけちゃってて……」

 

「……比企谷くんと仲いいね」

「は?……ま、まあ、一応クラスメイトですから……」

 

 嘘だ。クラスで親しい人間なんてただの一人もいない。最近は海老名から声をかけてくることがあるが、文化祭や体育祭で衣装係を担当したことで関係が近くなったに過ぎない。相変わらずあたしから距離を縮めようとはしていない。

 だから『クラスメイトだから仲がいい』という言葉は嘘だ。『比企谷八幡だから仲がいい』があたしの中の真実なんだ。

 

 ……比企谷がそう思ってくれているかはまだちょっと自信が持てないけど。

 でも仲良くしようとは思ってくれてるはず……。

 

「…………」

「…………」

 

 さっきまで先輩の人柄のせいでちょっと無警戒になってたけど、考えてみればあたし達は同じ相手にチョコを渡した者同士という間柄だった。向こうは知らないかもしれないけど。

 

「はーちゃんにも食べてほしい」

「さっきたーくんが連れてっちゃったみたいね。何話してんだろ」

「はーちゃん、タケノコ好きかな?」

 

 京華は比企谷に食べてもらおうと少し残したタケノコの里を手にしながらそう呟く。あいつがタケノコ派かキノコ派かなんてあたしが知るわけない。っていうか友達いなくて分からないんだけど、友達がどっち派閥かって普通知ってるものなの?

 

「さあね、はーちゃんが来たら訊いてみればいいから」

「うん、はーちゃんチョコ好きだもん。けーかのあげたチョコ食べてくれたって言ってた!」

「そうなんだ。良かったね、けーちゃん」

 

「けーちゃんもはーちゃんにチョコあげたんだ? なるほどー。めぐめぐもはーちゃんにチョコあげたんだー」

「めぐめぐも? はーちゃん美味しいって言ってくれた?」

 

「っ!」

「はわわ……」

 

「うーん、まだ感想訊いてないんだー。後で訊いてみるねー」

 

 ……城廻先輩はあたしが比企谷にチョコをあげたことなんて知らないはず……知らないよね?

 でも…………笑顔がなんか怖い。

 

「戻ったぞ」

「お待たせしたっす」

 

「おかえりー、何話してたの?」

 

「ああ、総武高校のことについてちょっと……」

 

「えー、わたし前生徒会長なんだよ? ここで訊いてくれれば答えられたのに」

 

「いえ、あの男性目線で分かることがあるというか……」

 

「? ふーん、あ、総武について訊きたいってもしかして……」

 

「あ、はい、今日受かりました」

「小町も受かりましたです!」

 

「わー、おめでとー!」

「おめでとー」

 

 城廻先輩と京華が拍手して祝ってくれている。

 なにこれ、なんかすごい尊いんだけど?

 

「はい、おめでとさん(ああ……ばれちゃったよ)」

「おめでとう二人とも(これってひょっとすると……)」

 

 あたしは、多分比企谷も同じ予感がしていた。

 二人とも全く同じ様な条件だから分かってしまう。

 

「じゃあ、合格祝いしないとね」

 

「(だよな……)」

「(でしょうね)」

 

「え? え? いえ、そんな、悪いですから」

「そ、そうっすよ。今日は京華を送ってもらったからお礼する立場なんすよ?」

 

 ああ、こんなこと言うのは城廻先輩には失礼なんだけど、これめんどくさいやつだ。

 初対面の、しかも自分達が入学する時にはもういないOGの先輩にお祝いしてもらうのってどう考えても申し訳ない。

 大志達も分かっているのか、二人してかなり困った表情を見せている。

 かといって無碍にもできないし、やっぱり夕飯誘ったの失敗だったかも……。

 

「……城廻先輩、お気持ちだけありがたく受け取っておきますから、あんまり妹達を困らせないでやってください」

「えぇ……わたしもお祝いしたいのに……」

 

「夕飯誘ったのがお祝いせびる為の不純な行動みたいに捉えられちゃうから、そこはなしの方向でお願いしますよ」

「そんなこと思ってないよ、比企谷くん穿ち過ぎだよ」

 

「むしろ俺は人を表面だけで見たことはないですから」

「むー、とにかくそんなこと思ってないからお祝いさせてよ」

 

 比企谷は何とかお祝いを回避しようと必死になって説得する。

 しかし、純粋さが裏目に出ているのかこちらの配慮を汲み取ってくれない。

 業を煮やし比企谷はアプローチを変えてきた。

 

「……これは俺の友達の友達の話なんですが……」

 

「お兄ちゃんの話じゃん……」

「あんたじゃん……」

「お兄さん……」

 

「黙って聞け……その友達はクラスメイトの女子の歓心を得ようと誕生日にプレゼントを用意したんです」

「でも普段から知り合いの少なかったその友達は人との距離感が分からず、わりと高価な物をプレゼントしてしまった」

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「そうしたらどうなったと思いますか?」

 

「どうなったの?」

 

「その女子はドン引きしてプレゼントを受け取って貰えなかったんです。めでたしめでたし」

 

「うわぁ……」

「あんた……」

「お兄さん……」

 

「全然めでたくないよ! というかその話にお祝いと何の関係が?」

 

「ですから小町と大志がその女子で、城廻先輩が俺……じゃなかった、友達の友達ってことですよ」

「もうお兄ちゃんでいいじゃん……」

 

「え、でも、わたし別に高価な物とかプレゼントするつもりとかじゃ……」

 

「実際、金額の多寡じゃなく今日初めて会った人にプレゼントされること自体が問題なんですよ」

 

「う……そっかぁ……そういえば比企谷くん以外の人たちは初対面だもんね……」

 

「そうですよ、学校が同じなだけでプレゼントするルールだったら俺は相模にもプレゼントをあげなくてはならなくなる。そのあり得なさは城廻先輩にも伝わるでしょう」

 

「あ、うーん……その関係性を出されちゃうと認めざるを得ないかな……わかったよ。無理にプレゼントしようとしてごめんね」

 

 比企谷の身を削る例え話で城廻先輩は納得してくれたみたいだ。ごめんね比企谷……あたしが招待しちゃったばっかりにあんたの古傷を抉っちゃって。

 ……あんたのことを少し知れたのは嬉しいけど。

 

「分かってくれればそれで」

「じゃあ、お祝いすること自体は問題じゃないんだよね?」

 

「⁈」

 

 さっきのが、ただ比企谷の自傷行為になり下がってしまった。

 

「小町、もう諦めて祝われろ。お兄ちゃんは疲れました」

「お兄ちゃんの黒歴史は無駄にしないよ!」

 

「大志、あんたももう覚悟決めてお祝いを受けな」

「あ、う、うん。えっと、城廻先輩ありがとうございます」

 

「うん!」

 

「ところで夕飯の下拵えってもう終わったのか?」

 

「とっくに終わってるよ。煮物とか時間かかるのはもう作ってあるし。だって小町達今日半日だからお昼過ぎから来てたんだよ?」

「お昼ご飯も作ってもらっちゃったし、洗濯と掃除も……本当に助かったよ」

 

「そうだろうそうだろう。小町に介護される幸せをお前も感じ入ったことだろうよ」

「なんでお兄ちゃんが自慢げなの……」

 

「洗濯物取り込んできたっす」

「大志、ありがとう」

 

「ありがと、大志君。洗濯物畳んだらご飯作るから、お兄ちゃんと大志君は京華ちゃんと遊んでてね」

「洗濯物くらい俺が畳むっすよ?」

「いいからいいから。家族のとはいえ女物があるんだよ? 大志君デリカシーないよ!」

「う……すんませんっす。(俺の洗濯物を比企谷さんが畳むデリカシーはなくていいんすか……)……じゃあ、俺のだけでも分けとくっす」

 

「あたしも畳むよ」

「沙希さんは休んでてください、小町がしますから!」

 

「あ、え、う、うん……」

 

「そうだぞ、病人は休んでろ(仕事を奪われたさーちゃんなんか可愛い……)」

「小町こう見えて家事するの好きなんですよ」

 

「えらいんだね小町ちゃん。わたしも一緒に畳むから、終わったら料理も一緒にしよ?」

「ちょうど材料も買ってきたからわたしが作った料理を食べてもらうのが合格祝いってことでいいよね?」

 

 城廻先輩はちょうどいい落としどころを提案してくれた。確かにそれなら受ける側の心的負担も少なく祝えるだろう。

 

「あ、だったらお先に作ってて構いませんよ? 畳むのは小町だけで大丈夫ですから。小町のはハンバーグであとは焼くだけなので」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて作らせてもらうね」

 

 小町に促された城廻先輩は早速料理に取り掛かる。初めての台所なので使っていい物や使い方をあたしが教える必要があるだろう。せめて小町が畳み終わって料理をするまでは。

 

「分からないことがあったら訊いてください」

「うん、ごめんねー、熱あるのに休ませてあげられなくて。一通り教えてくれれば大丈夫だと思うから」

 

 そういって手を洗い、買ってきた物を袋から出す。

 

「あ、先輩制服汚れるからエプロンどうぞ」

 

 先輩はもともと料理をするどころか、うちにあがることも考えていなかったのでエプロンなど準備しているはずもない。

 

「ありがとう。川崎さんは気が利くね」

 

 うっ、なんだこの可愛さ⁉

 年上を言い表すのにこんな似つかわしくない言葉もないはずだけど、どうしてもそれ以外で当てはまる形容ができない。

 和やかでぽわぽわ? してて一緒にいると気が休まる感じ……

 

 …………男って

 

 …………比企谷ってこんな感じの人がいいんだろうな……。

 

 城廻先輩は慣れた手付きで野菜に包丁を入れはじめた。その前に鮭に塩コショウをふっておくのを見ると、頻繁に家で料理をしているということが窺える。

 料理初心者は一つの物事にばかり目がいってしまい非効率になりがちだ。これは料理だけに言えることでもないが、あたしは料理が得意だし外から見ているとどう考えて動いているのか見て取れる。必要な野菜を出して、いきなり切り始めたらまず慣れていないと思う。野菜の種類や料理にもよるが、皮むきから切るまでどんなに手馴れてても少しは時間がかかる。その間に料理の手順で次に必要なこと――鍋に湯を張ったり魚に塩をふっておいたり――をあらかじめ先にやっておくべきだ。

 

 聞けば当たり前のことだと思えるかもしれないけど意外と出来ない人はいるもので、それがいわゆる『慣れてない』というやつだ。なんせ家庭科の授業では座学中に作る物と手順までノートに書いていたのにいざ実習になるとそれをすっとばしてやろうとしたり、何からだっけ? など訊いてくる輩もいた。

 慣れてないとルーチンワークがなかなか確立できないのはあたしも実体験で分かったことだし、家のことを手伝い始めたときは、さっきの比企谷の黒歴史にも負けないくらい無様なこともあった。

 小町もそんな苦労があったからこそあそこまで見事に家事をこなせるようになったのだろう。それは城廻先輩もしかりだ。

 

「~~♪」

 

 城廻先輩は上機嫌に鼻歌を歌いながらたまねぎを剥いていく。薄切りの様子を見るに多分料理が上手いだろうなという印象を受けた。

 ここで『料理上手ですね、普段から家でもしてるんですか?』なんて言えたらいいんだけど、こんなことも気軽に話しかけられないとか比企谷のこと冷やかせないくらいコミュ障拗らせてるよ。

 さながら調理実習を見守る試験官のようだったあたしに水を向ける城廻先輩。

 

「……川崎さんは自分でお弁当とか作ってるの?」

 

 得意分野の話題をふられた。コミュ力高い人は相手のそういう部分を嗅ぎ付けるのも得意なのか。

 

「はい、いつも両親と妹と自分のを。大志は給食なんで」

 

「昨日も作ったんだよね?」

 

「……作りましたけど」

 

 その質問は明らかに何かを含んでいる。でもそれが何なのかまでは分からない。同じぼっちでもあたしは比企谷ほど人の言葉の裏を探るのに長けていない。

 

 あたしのぼっちがそっけない態度……強い拒絶で壁が築かれているのなら。

 比企谷のは洞察力という監視カメラや猜疑心といった防犯設備を擁する砦。最初から相手にしないあたしのと違い、あいつは相手の機微を察して侵入を未然に防ぐ。

 

 そんな性質がぼっちのくせに人嫌いに思えなくて……あいつの捻くれた性格をめんどくさいなと思う反面、知るほどになんだか気になって……母性本能をくすぐられるというやつだろうか。

 

「わたしも昨日、お弁当作ったんだ。鮭の塩焼きと玉子焼きと肉じゃがと……」

 

 城廻先輩が弁当のメニュー発表を続けた。聞けばあたしが作ったのといくつかかぶるおかずがあった。やはりなにを意図しているのかは気づけないままだった。

 

 いや、ただの会話なんだから大した意味はないんだ、きっと。

 言葉の裏を取ろうなんて比企谷がうつってるんじゃないの?

 

「…………美味しいって、言ってくれたんだ」

「…………?」

 

 聞き取り辛かったし主語がないので何のことか理解できなかったが、訊き返すのは失礼な気がして納得したふりをした。

 野菜を切り終わると鮭をフライパンで焼いて、火を通している間にボウルを出した。あたしは城廻先輩が指示する通り、味噌やみりんなどの調味料を用意する。

 

「ありがとー」

 

 ……こんな奥さんと一緒に料理してみたいって思っちゃうあたしがいる……あたし女だけど。

 

 比企谷の周りってどうしてこう綺麗だったり可愛くて女の子らしい人が多いんだろ……?

 一昨日は頑張ったし、少しは意識してくれてるとは思うけど……城廻先輩を見ていると、どうしてもコンプレックスを刺激されて自信が持てなくなる。

 あたしは比企谷より辛うじて身長が低いけど、女にしてはデカいからね。目つきもあいつとは違った意味で悪いし、睨むと怖がられるし。

 ……あれ? あたしも比企谷に負けないくらい自虐できちゃってない?

 

 そうやって城廻先輩とあたしの比較に頭を悩ませていると、料理は次の段階へ移行する。

 フライパンから鮭を取り出し、さっき切っておいた野菜を投入して敷き詰める。その上に今取り出した鮭を乗せ、味噌ダレを回しかけた。

 

「これで火加減見ながらバターおとして水分とばして完成っと」

「ちゃんちゃん焼きですね?」

 

「うん、おいしーよね」

「うちでも時々作りますよ」

 

 正直、材料も普段から冷蔵庫にありがちだし手間のかからない男飯なので、急いでる時なんか助かる。魚と野菜も摂れて栄養バランスも悪くないし。

 

「もう大丈夫だから、川崎さんは向こうで休んでていーよ。ありがとう」

 

 城廻先輩はあたしを追いやると火にかけたフライパンを尻目に使い終わった包丁や俎板などを洗い出した。やっぱりこの人、料理し慣れてる。

 

 料理に時間がかかる人は、優先順位を見極められないという特徴がある。その中で『料理をしながら片付けられない』というのが思いの外、大きなウエイトを占めていると思う。

 

 例えば今のような状況は分かりやすい。フライパンを火にかけ水分をとばした頃、バターをおとす。となればもう今出ている調理器具はほぼ全て不要なので片付けていい。

 時間の使い方が下手だと、このままフライパンの様子をぼんやりと監視するという考えられないことをする人もいる。

 そんな人は少ないだろうが、もっと途中の工程でも鍋に材料を入れた後、使わなくなった包丁や俎板をすぐ洗って調理スペースを確保したり片付けの時短ができる優先順位を見極められるのが手際が良いと言えるだろう。

 

 ……比企谷はそういったことが苦手なようで色々と雑だし片付けない、なんてのを一昨日の夕飯時に小町から聞いた。

 

 男の子だししょうがないかもね。大志に家事させても似たような粗が目立つし。

 

 …………

 

 ……ふ

 

 ……なんかさっきから比企谷のことばっかり考えちゃってるよ。

 城廻先輩をみて、安心して台所を任せると小町の方の様子を見に行くことにした。

 

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

「…………」ジーッ

 

「…………」

 

「…………」ピトッ

 

「…………」スカスカ

 

「…………」モジモジ

 

 小町の奴、他所様の家でなんてアホなことを……。

 俺が呆れかえっていると、現在の家主がキッチンから戻ってきた。

 

「……妹ちゃんお待たせ。まだ畳んでるのかい? 手伝うよ。先輩の料理も仕上げに入ったから……」

 

「ひゃぁっ!」ビクッ サッ

 

「ん? ……ちょっと、今後ろになに隠したの?」

 

「い、いえ~、あのー……」

 

「…………」

 

「な、なんでもないですよ、ホントですから!」

 

 無実を訴える小町の目は分かりやすく泳いでいた。あれじゃ川崎が納得するわけないぞ。

 

「……ねえ、お姉ちゃんは怒らないから言ってごらん?」

 

 それ絶対怒るやつじゃねえか。あとお姉ちゃんとかいうなよ、小町に反撃する糸口を与えるぞ。

 

「あ、あー、沙希さんがお姉ちゃんなんて言葉を口にするなんて、小町期待しちゃいますよ⁉」

 

「ぐっ! ……ご、誤魔化されないよ! べ、別にあたしはそもそも大志と京華のお姉ちゃんなんだから何も間違ってないんだよ!」

 

「あれー、強行突破された⁉」

 

 何なんだよ、この茶番劇は。

 

「……また何か企んでるんじゃないだろうね? 一昨日はあたしの言ったこと比企谷に漏洩させてたし」

「ひっ!」

 

 いきなりこっちが標的にされてびびりそうになったが、これは俺の名前が出ただけのやつだ。轢かれたチョコが俺宛てだと川崎から聞いた言葉を俺に伝えたからな。俺の失言でばれたからちょっと心が痛むけど、けーちゃんに訊かれたからだししょうがない。

 

「お待たせー。もう出来たよ! ……何かあったのかな?」

「え、いや、小町は別になにも……」

 

 状況が悪化してるな。

 仕方ない、俺にヘイトを向けて小町を助けるか。

 全く、あのアホ妹め。

 

「あー、川崎。別に小町は何も企んでないぞ。ただこのアホ妹は服の上から川崎のブラ着けて一人クロスオーバーファッションショーしてただけだ」

「は? …………は、はぁっ⁉」

「お、お、お、お兄ちゃん見てたの⁉ さいてー‼」

 

「いや、どうしたって見えちゃうでしょそりゃ。俺も同じ家にお邪魔してるんだぞ? むしろお前が何してんだよ」

 

 恐らく黒のレースとお揃いであろう黒のブラを手にした小町は、自分の胸に当てていた。川崎のバストサイズはすさまじく、小町のブラと服を合わせたトータルの上から川崎のブラを当てても全く勝負にならなかった。

 

「あ、あ、あんたも、な、なに見てんのよ⁉」

 

 こうして少しでも小町に向くはずの矛先を俺に向けられれば本望だ。マジ、俺、千葉のお兄ちゃんだな。妹愛強すぎ。

 

「…………」

 

「…………」ヒョイッ

 

「…………」ピトッ

 

「…………」スカ

 

「…………」

 

「…………」グスッ

 

 川崎の死角で小町と同じことをしていためぐり先輩には触れないでおこう。

 そして、おいこら大志、めぐり先輩見て顔赤くしてんじゃねえ!

 

 

「じゃ、じゃあ、小町ハンバーグ焼いてきちゃうね!」

 

「フ、フライパンは空けといたからねー。小町ちゃんがハンバーグ焼くまでけーちゃん遊ぼうか?」

 

「うん! めぐめぐと遊ぶ!」

 

 いや、もうマジで第二のお姉ちゃんじゃないかってくらい懐かれてるな。めぐり先輩に感心して眺めていると、大志が俺以外に聞かれないよう話しかけてきた。

 

「……お兄さん……あの先輩今年卒業なんすか……?」

「残念だがその通りだ。あの人はもう半月くらいで卒業してしまうな」

 

「……そうっすか……本当に残念です……」

「だがな大志、現生徒会長も外見『だけ』はあの人に勝るレベルの女子だということは教えておいてやる」

 

「⁉ ま、マジっすか⁉ 総武高校の美少女含有率どうなってるんすか⁉」

 

 このバカ、川崎に聞こえんだろが。

 

「まあな。ただ中身で言えば現生徒会長は城廻先輩のような天然天使じゃなく、非天然ビッチだ。男をジャグラーばりに手玉に取るやつだ」

「うう……でも、ってことは相手にはしてもらえるってことっすか⁉」

 

「お前なんで俺みたいな卑屈な姿勢から入ってくんだよ? 気持ちは分かるが俺が去年授けた言葉を思い出せ。……かあちゃんいつも言ってるでしょ⁉」

「! そ……そうでした……夢から覚めたっす……」

 

 大志が落ち込んでいると、いつの間にか背後から睨めつけられる気配を感じた。

 

「……比企谷……あんた、なに弟に変なこと吹き込んでんのさ……」

 

 あれ、これ完全に冤罪じゃね? 去年も今も女子について訊いてきたの大志だぞ?

 

「……川崎、まず落ち着け。大志もほら、思春期真っ只中だろ? 年上のお姉さんに憧れる気持ちは万国共通というか……」

「あたしを療養させる気ないわけ? あんたシメたらまた熱上がっちゃいそうなんだけど?」

 

 俺は一発もらって川崎のご機嫌を取ろうと覚悟を決めていた。が、その時、救済の声があがった。

 

「さーちゃん、はーちゃんいじめちゃだめー!」

 

「あ、や、べ、別にはーちゃんをいじめてるわけじゃ…………え?」

 

 声をかけられた方向を見ると、めぐり先輩が悪戯っぽい笑みを浮かべ、してやったりといった感じだった。

 

「あはは」

「めぐめぐすごーい!」

 

 そう言ってけーちゃんはめぐり先輩とハイタッチする。

 え? なにこれ、声メッチャ似てるんだけど? 川崎までもが見事に騙されていた。

 

「え? っと……あの……」

 

「さーちゃん……お熱上がっちゃうからはーちゃんを許してあげて……」

 

 え? なに?

 マジでめぐり先輩、けーちゃんの声帯模写完璧じゃね?

 花山薫じゃなくて古川緑波(ろっぱ)だったの?

 めぐり先輩見ながら声聴いてると違和感すげえんだけど。

 

「あ、あの……先輩?」

 

 うわぁ、川崎焦ってるな。俺? 当然焦ってますよ。

 

「ふふふっ、ごめんねー。比企谷くんがわたしとけーちゃんの声そっくりだって言うから、けーちゃんの口調を密かに勉強してたんだー」

 

 小悪魔化したよ。さすが天然だな。そして大志、さっきより顔赤くしてんじゃねえよ! 確かにめぐり先輩可愛いけどよ!

 

「さーちゃん焦ったー、あはは!」

 

 今度はけーちゃんがめぐり先輩の笑い方真似てるよ。なんなの? どうなってるの?

 

「そろそろ焼けるよー、みんな手洗ってテーブル拭いといてー! ……どうしたの?」

「なんでもないぞ小町。天使が小悪魔にクラスチェンジしただけだ。しかも二人も」

「はっ? ……もう訳わかんないこと言ってないで手洗ってきなさい。ご飯食べるよ。はい、すぐ洗う!」

 

 うちでのヒエラルキーが窺えてしまうやり取りを見られてしまった。やだもうお兄ちゃん死にたい。いや、バレて落ちる立場なんて最初からなかった。

 

      ×  ×  ×

 

 総勢六名による『いただきまーす』と共に食事が始まった。

 うちは基本小町と二人だけだから、初めて大家族気分を味わえて何だか無駄に興奮する。

 

「一昨日お兄ちゃんがリクエストしてきたから、今日はハンバーグなのでーす!」

「あれ? 俺、そんなこと言ったっけ?」

 

「小町のハンバーグの方が美味しいと思うけど沙希さんのを食べたことないから正当なジャッジができないって言ってたじゃん! こんな大事なこと忘れるなんて小町的にポイント低いよ!」

 

「言ったとしても、結局これ小町のハンバーグじゃん。ジャッジできねえよ」

「ちっちっち、それがね、このハンバーグは小町が作ったけど、レシピは沙希さんなんだなー」

 

「……それ川崎のハンバーグじゃないよね? 川崎小町って人のハンバーグだよね?」

「お兄ちゃん細かい。それにお兄ちゃんの場合、妹補正かかっちゃうから『メイドイン:川崎小町』ぐらいでちょうどよく正当なジャッジできるんじゃないの?」

 

「否定はできんな。とにかくいただいてみるか」

 

 取り合えず一口。その食べる様を興味深く見つめている川崎を視界の端に拾ってしまい、落ち着かない。

 

「ど、どう?」

 

「…………これ、豆腐ハンバーグか」

 

「うん、あたしが風邪で胃腸弱ってるし離乳食で使えるくらい消化のいいの作ってみt……作ってもらった」

 

「美味いぞ、川崎小町。俺が今まで食べた中で一番だ」

 

「え⁉ あ、ありが……ってその呼び方やめてくんない?」

 

「お兄ちゃん……気づいてないかもしれないけど、それって小町が川崎家へお嫁に行っちゃってるってことだからね?」

 

「なっ⁉ 俺としたことが! こんな簡単なミスに気が付かんとは……とりあえず大志、密かに顔赤くしてんじゃねえ。お前と小町はずっとお友達だろ。霊長類ヒト科オトモダチだろ?」

 

「おともだちー」

 

「ぐはっ!」

 

 けーちゃんが合いの手を入れ、大志が吐血する。なにこれ愉快愉快。

 

「比企谷……あんたうちの弟に……」

 

「あれ? ちょっとおかしくない? 元々それ言ったの俺じゃないからね?」

 

 そんなやりとりをしながら食事を摂るのが思いの外楽しくて……

 

 ……楽しい? やっぱり楽しいのか……

 うちで小町と食べる食事よりも楽しいと、はっきり感じられる。

 

 ……ぼっちを自称してても最近一人の時間が少ないし、知らぬ間に人間強度が落ちてるのかもしれないな。

 ってか、今日の天使含有率高過ぎだろ。いつから川崎家は天界になったの? 戸塚がいないのは惜しいが、戸塚は性別を超えたまさしく天使だからな。この三人とクラスが違うのかもしれない。

 

 そんな会話の中、自分のハンバーグをあっという間に平らげてしまう。いや、本当に美味いぞこれ。

 

「大志、食が進まんようだし、お前の分をよこせ」

「⁉ お兄さん横暴っす!」

「うるせえ! 川崎小町の美味い飯をお前に食べさせるのはやはりもったいない!」

「……お兄さん、実はその呼び方気に入ってませんか?」

 

 俺が箸で大志のハンバーグに狙いをさだめている中、いやに川崎が静かだ。こういう時はブラコン全開で俺を窘め……恫喝にくるはずなんだが……?

 

「比企谷、あたしのあげるからお行儀よくしてよ。けーちゃんが真似したらどうすんの?」

 

 むしろけーちゃんにチョコを我慢させたくせに俺が他人のをせびってどうする。とんでもねえ反面教師だぞ。

 

「あー、すまなかった。はしゃぎ過ぎてたみたいだ。けーちゃんが見てるのに……」

 

 はしゃぐ? この俺が……? やっぱらしくねえ。

 

「ん、分かればいい。それにお代わりまだ沢山あるし、次焼けばいいだけだから遠慮しないで」

「そうか、悪いな。んじゃもらうわ」

 

「お兄ちゃん恥ずかしいからもっとお行儀良くしてよ……でもそこまで喜んでくれると小町的にも沙希さん的にもポイント高いよ!」

「川崎ポイントまで作っちゃったよ……」

 

「ちなみに沙希さんポイントは貯まると膝枕して耳かきしてもらえるからね!」

「なっ! な、なに勝手なこと言ってんの⁉」

 

「落ち着け。いつもの小町ならむしろ何故そこまで控え目で済んだのかと訝るレベルだろ」

「ありゃ? やっぱり結婚とかのが良かった?」

 

「~~~~っ!」

 

 もうやめたげて! 川崎のライフはゼロよ!

 

「結婚! 結婚!」

「……姉ちゃんが可愛い」

 

「…………」

 

「あ、あ、あたし、ハンバーグ焼いてくる!」

 

「ああ、沙希さん、小町がやるのに……」

「お前が揶揄い過ぎるからだろうが」

 

 そういって俺は小町の脳天に軽くチョップをお見舞いする。

 

「……えへへ~、なーんか楽しいね?」

 

 いつも家で食べる二人だけの夕飯。一時期、帰ると誰もいないのが嫌で家出した小町。可愛い妹を気遣って始めた習慣だった。

 だが、それも寂しさを解消しただけであって、満足するかといえばそうでもない。もちろん小町と一緒に食べれれば俺に不満などないが、小町にとってみればやはり両親にいて欲しかったに違いない。

 その小町の心の隙間を川崎達が埋めてくれたのだ。

 いや、小町だけでなく…………俺もこの空間に心地良いものを感じていた。

 

 …………認めるべきだろう。

 無自覚であった心の飢えを川崎達は満たしてくれた気がしたのだ。

 

「…………そうかもな」

 

「…………」

「……わたしのちゃんちゃん焼きも食べてね。総武高校合格祝いだよ」

 

「わー、めぐり先輩ありがとうございます!」

「感激っす!」

 

 天使お手製か。ちょっと羨ましいが、ここに箸をのばすほど空気が読めないわけではない。そう思っていたのだが……。

 

「……はい、比企谷くんも召し上がれ」

 

 眩しい笑顔で取り分けてくれる。

 第三の天使かよ。

 

「い、いただきます」

 

「けーかも食べる!」

 

「うん、食べてほしいな。取り分けるね」

 

      ×  ×  ×

 

 結局、合格祝いと称したちゃんちゃん焼きは川崎を除く全員の胃袋に収まっていた。

 

「お待たせ。次焼けたよ」

 

 川崎がお代わりを持ってきてくれた。すっかり忘れていたが、病人にやらせて呑気に食事をしてしまっていたことに罪悪感を覚える。

 まあ、川崎が小町の弄りから逃げる為に台所へ向かったのだから、手伝ってそれを阻む行動もし辛かったのは事実だ。

 

「あ、川崎さん、ごめんね」

 

 最も素早い反応をみせたのはめぐり先輩だった。なんて気が利くんだろう。川崎の持ってきたトレーを受け取り俺の皿とお代わりの皿を入れ替え、川崎の分も同じように入れ替える。

 

「すみません、城廻先輩。川崎もすまん。病人なのにやらせちまって……」

「ううん、気にしないで。もうだいぶ良くなってきたから」

 

 そう復調具合をアピールして席に戻る。あまりに普段通り振舞うから忘れがちになってしまっていたが、もう少し川崎のことを注意深く見ておくほうがいいかもしれない。

 

 ……川崎から貰った上、さらにお代わりきたんだけど……ハンバーグ三つって食べ過ぎじゃね……?

 こっそりとフードファイトが始まりつつあった。文化部で今も未来も働きたくない省エネぼっちが大して食えるわけないそんなしょぼい選手が奮闘する俺の中だけの大食い選手権だが……。

 

 だいぶ食欲が出てきたのか、川崎はお粥を食べきりご飯のお代わりもしていた。しかし、見ていて心配になるくらい食うなこいつ。俺も負けてられん。

 

「ちょっと多かった? 無理して食べないで残していいからね」

「……いや、食う」

「そ、そう……」

 

「…………」

「……そういえば、いま思い出したんだけど川崎さんて体育祭の時、チバセンの衣装担当してくれてたよね?」

「担当者選びは比企谷くんに一任しちゃってたし実行委員会が難航してたからすっかり忘れたよ、ごめんね。比企谷くんは川崎さんがああいうのできる子だってなんで知ってたの?」

 

「ああ、それはですね、こいつは文化祭の時もクラスの演劇で使う衣装係してて当てにしてたっていうか」

 

「…………」

 

「あー、沙希さんがあの衣装担当してたんですか⁉ すごいなぁー、料理も裁縫もできて女子力高い‼」

 

「へぇ……あたしも演劇見に行きたかったなあ。文化祭の時も実行委員と生徒会は当日の運営も忙しかったし、しょうがないけど」

 

「姉ちゃん裁縫は得意だけど、まさか自分から名乗り出て衣装係になったの?」

「そ、そんなわけないでしょ! もとはと言えば比企谷が……!」

 

「おっと、それは聞き捨てならん。演劇の打ち合わせ中、衣装の話になるたびに反応してたのはお前の方だろうが」

「そ、それは……! なんでそんな目ざとく……!」

 

「ぼっちは他人の機微に敏感だからな。ってか『裁縫』とか『作る』とか言葉でるたびにお前のポニーテールがぴょんぴょん跳ねんだからそもそも隠せてないって自覚しろよ」

「うわ、お兄ちゃん沙希さんのこと見過ぎじゃない? キm……じゃないや、他人に興味を持つのはいい傾向だけどね!」

 

 ……ディスらないように言い直したか。小町も俺の更生に対してずいぶん気にしてるな。ただここはすんなりと『キモい』って言ってくれたほうがテンポがよかったんだが難しいもんだ。後で『使っていいディスリ用語』をピックアップしてガイドライン化しておくか……。

 

「ふぅん……」

 

「まあ、お陰でクラスの出し物も文化祭自体も成功したわけだし、普通に感謝してるぞ」

「う……そ、そう」

 

「(ホントにちょっと素直になってるなぁ)でも、文化祭自体の成功ってのはさすがに大袈裟じゃない? 確かにクラスの出し物それぞれが集まって文化祭支えてるのは分かるけど……」

 

「いや、それとは別の貢献もあったんだよ。ちょっと運営側でトラブルがあって実行委員長に連絡が取れなくなってな」

「ああ……あったね……」

 

 めぐり先輩にとっても近しい問題だったので苦い表情を見せた。ただ、それを差し引いても暗い表情に思えたのは俺の気のせいだろうか。

 

「総評とか賞の発表するのが実行委員長だからいなくてすげえ困ったんだよ。集計結果までそいつが持ってたしな。それ探してる時に見つけられたのが川崎のお陰だって話な。八幡的にポイント高かった」

 

「ほえー」

「八幡ポイントもあるんだ……」

 

「‼」

 

「? どうした? 顔赤いが……?」

 

「あ、あんた……やっぱ忘れてんだ……」

 

「?」

 

 忘れてる? 何を? 俺は体内の糖分を脳に集中し、その時の記憶を呼び起こす。

 

 

 確か俺は急いでいて……

 

 息を切らしながら川崎に話しかけて……

 

 訝る川崎がちゃちゃを入れるも俺は強く突き放して先を促した……

 

 ……あの時の俺の剣幕でちょっと涙目になりながら狼狽えた川崎がなんというか……可愛かった……

 

 …………

 

 …………

 

 ……いや、そこじゃねえよ!

 

 初めて屋上で会ったことを訊いて、どうやって入ったか教わり……

 

 相模がいる可能性が濃厚だと判断してそこへ向かおうとした。

 

 急いでたから事情を訊き返してくる川崎に説明する暇もなくて、一言だけお礼を返したんだっけ……

 

 …………

 

 ……あ、ああ⁉

 

 

 ――――『サンキュー! 愛してるぜ川崎!』

 

 

 俺の頭の中で色々なピースがはまってパズルが完成していく。

 

 文化祭が終わってしばらく川崎が俺と目も合わせず逃げて行ったのは、その時の悪評で避けてた訳でもなく……

 体育祭の衣装係を頼もうと服を作ってくれと言った時、狼狽えてよく分からない返事をしてきたのも……

 バレンタインの日、風邪で思考力が低下してたとはいえ俺の『サンキュー! 小町、愛してるぜ!』に過剰反応してキスしてきたのも……

 全部あの時の言葉が原因だった……のか?

 

「! ……あ、え……っと……」

 

「⁉ ~~~~っ‼」

 

 反応と視線で、俺が思い出したことに気付いたようだ。耳まで真っ赤にしながら顔を逸らした。顔の赤さじゃ多分俺も負けてない。

 もうまともに目を合わせられなくなってしまった俺達は無言で箸を進めた。いや食い過ぎだからね? でも食うしかできないこの状況。

 

「…………」

「あの時は比企谷くん頑張ったよね」

 

 めぐり先輩が空気を読んだのか、会話が途切れないようにしてくれたのが救いだった。

 小町達も受かり、けーちゃん以外総武高校関係者だし、二人ぼっちがいても話題にはそれほど困らなかった。というかめぐり先輩と小町とけーちゃんがいれば円滑に会話が回るので……あれ? 俺達いらなくね?

 川崎の体調が良くなってきたせいか、食事中の雑務を率先して行っていた。けーちゃんが落としたスプーンを洗ってきたり、飲み物やお代わりを注いできたりと、完全に普段と同じような行動になってる。

 

 ……これ飛ばし過ぎじゃねえか? 身体動かしてないと落ち着かないオカン体質なのは薄々勘付いてたけど、また悪化しかねねえぞ……。

 

「川崎、俺がやるからお前大人しくしてろ」

「いいって、お客さんなんだし座ってなって」

「……お前なぁ」

 

「はーちゃん優しい! パパみたい!」

「け、けーちゃん!」

 

 そーか、川崎のパパは優しいのか。優しくても今帰って来て御対面は心臓に悪いのでやめてください。

 

 

 

「はーちゃん、大好き!」

 

 

 

「え⁉」

 

「はは、ありがとな、けーch……えっ?」

 

 声の方を向くとそこには――――めぐり先輩の笑顔があった。

 

 

 

つづく



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21話 そして、堕天の使は策謀する。

過去に八幡を傷つけた言葉をめぐりは省みる。
伝えたかった。謝りたかった。その想いを胸にめぐりの心は揺れ動く。
ちなみにアニメ・ゲームでは京華とめぐりのCVは同じ人です。

2020.12. 2 台本形式その他修正。
2020. 1.19 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
変更点詳細→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=231235&uid=273071


《 Side Meguri 》

 

 

「はーちゃん、好き……」

 

「⁉」

「‼」

 

 わたしはそう呟いて真剣に比企谷くんを見つめる。

 比企谷くんを含めけーちゃん以外の皆が言葉を無くし沈黙を作り出した。

 

「あ……」

 

 ふと我に返り、とんでもないことを口にしてしまったと自覚する。

 二度目の言葉はけーちゃんに寄せるのをつい忘れてしまった。寄せるのを忘れたらただの告白なんじゃ⁉

 カタルシスに気づいて顔が紅潮してくるのが分かる。

 徐にけーちゃんとハイタッチして取り繕う。

 

「あはは! けーちゃんいえーい!」

「いえーい!」

 

「に、似てたかな? あはは……」

 

「……一回目は100点ですけど二回目は0点を差し上げますよ」

 

「ゼロ⁉ いままでの人生で0点ってとったことないよ⁉」

 

「なら人生初ですね。おめでとうございます」

 

「あ、あはは……うん、ありがとう」

 

 お礼言っちゃったよ。

 

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

 なんとか誤魔化せたはずだけど、0点ってことはやっぱり比企谷くんにもわたしそのままの告白に聞こえたってことだよね……いや、それって誤魔化せてないじゃん!

 

 …………

 …………

 

 焦り過ぎちゃったかな……

 

 ここに来てからずっと比企谷くんと川崎さん達の雰囲気が良くて……

 まるで奉仕部で雪ノ下さんと由比ヶ浜さんと三人でいるときの……ううん、それとも違ったもっと別な入り難い空間。

 

 すっごい親密な友達みたいなんだけど、川崎さんと比企谷くんがお互いを見る目にそれ以上のものを感じるというか……隔たりのない関係というか……もう家族? っていう表現がぴったりで……。

 

 ……でも

 

 だからって……諦めるわけにはいかない……‼

 

 やっと比企谷くんに伝えるチャンスがめぐってきたんだから。

 

 ……本当は謝りたかった。

 

 

 彼と初めて出会ったのは文化祭実行委員会で、実行委員はクラス毎に選出されるのでかなり人数が多かった中、彼のことなんて最初は認識してなかった。

 

 それでなくてもわたしは人の名前を覚えるのが苦手だ。

 

 初めて彼に話しかけたのは積まれた仕事に辟易している時だった。

 名前も分からず困っていると、向こうから『お疲れ様』って声をかけてくれた。

 わたしもなんとなく『お疲れ様』って返したけど、あれは名前が分からず困っていたわたしに助け船を出してくれたんだって後から気づいた。

 

 

 それからだんだんと文実に出てくる人が減っていった。

 彼をはじめ残った人達にますますしわ寄せが来ている中、そのストレスもあってか強い言葉で吐き出そうとしていた己を律し、最後は冗談のように『自分が楽を出来ないことより誰かが楽をすることが許せない』と(うそぶ)いた。

 その言葉にわたしも『君、最低だね⁉』って微笑みながら返すことができた。

 

 

 スローガンを決める会議の時は悲しかった。

 

 それまでの彼の真面目な印象が打ち消された。

 

 皆の前で『自分より誰かが楽するのが許せない』と不満をぶつけるような、人という字が表す犠牲。わたしに冗談として言っていた言葉が本音と思えてしまう出来事だった。

 その誤解を抱いたまま、事態はさらに悪い方向へと進みだす。

 

 

 相模さんの失踪……

 

 その対策に彼が出した案は『代役を立てて賞の結果をでっち上げる』という容認し難いものだった。

 最終的には彼が相模さんを見つけ出し、罵声を浴びせて連れ戻すことに成功した。

 顛末を相模さんサイドの人間からしか聞かなかったし、彼も弁明しないのでそれが事実だと理解してしまい、不真面目で最低だとはっきり口にしてしまった。

 

 ……でも

 

 あの時、何故自分の頭で考えなかったのか。

 人に言われたことを鵜呑みにして、目にしていた彼の行動まで否定してしまった。

 彼の言動諸々があまりにわたしの常識と反するものだったので理知的でなく感情的になってしまったのではないか。

 

 結果を見れば明らかだ。

 スローガン決めの後、目に見えて参加者が増えた。

 

 それは何故?

 彼が挑発的なスローガンをみんなの前で発表して反感を買ったからだ。

 

 『人』という字は片方に寄りかかって誰かを犠牲にしている。

 

 そう言い切って会議を静まり返らせた。

 はるさんは大笑いしていたけど……

 

 その時はなんて不謹慎なんだろうって思ったけど……

 彼の言う、人という文字に秘められた解釈を、相模さんを始めとするサボっていた人達に当て付けて牽制する為だった。

 その上、自分に悪感情を向けることで対抗心を生ませ、より参加せざるを得ないように。

 彼は最初からそこまで計算していて、はるさんも最初からそれに気付いていたからの反応だったのだろう。

 

 相模さんが失踪して、代役を立て賞の結果をでっちあげる案も、今にして思えば実はベストだったのではなかったのか。

 放送で呼び出しても電話をかけても戻ってくる意志を見せない相模さんをあの短時間で連れてくるなんてそもそも不可能だったのではないか。

 時間稼ぎの緊急ライブに参加することになって余裕がなかったからか、そんな当たり前のことに考え及ばなかった。

 そうして代案を拒否して得られたのは、相模さんを罰する機会を失い、代わりに彼の立場を悪くする結果。

 

 対外的に文化祭は成功したが、それは彼の代案にのっても同じ結果だったのではないか?

 褒められたことではないが、賞の結果をでっち上げても知っているのは内々でしかなく、あの時の事情を考えればそれが最善だったのではないか。

 代案を捨てて得た結末が、責任から逃れた罪人を見逃し、責務を全うした彼がいらぬ咎を背負う。

 一体、それのどこが褒められた結果だったのか。

 そうして天秤にかければ彼の代案は誰も傷付かず、罰せられるべき人間だけが罰せられる正しい世界だった。

 賞の結果の改竄など、まさに必要悪の一言で片付く程度の瑣末なことでしかない。

 わたしが今に至ってようやくそう考えられたことを彼は最初から分かっていた。

 

 年下なのにわたしよりずっと大人で常識に捕らわれない考え方ができる彼に憧憬を抱く。

 誤解を解くことなく、彼はただ一言『すいません』と謝罪した。

 それを思い出す度、わたしの胸が締め付けられる。

 

 『ごめんなさい』って言いたかった。

 

 でも気づいた時には遅すぎて……

 

 それに……

 黙示て誤解すら受け入れたのには、きっと彼なりの考えがあったのだろう。その意志は尊重しなければならない。

 

 だから、わたしは…………

 

 あの時、彼が周りから受けた何十分の一程度かもしれないけれど……

 

 彼に謝れない……その咎を心に秘めたまま……

 

 そんな罪障を抱いたまま、彼に寄り添い……

 

 ……伝えようと決めた。

 

 ……比企谷くんが好きです……と

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 俺はめぐり先輩が作り出した微妙な雰囲気を無視するように食べ続ける。当のめぐり先輩は小町を見ながら何か思索していた。

 

「小町ちゃんっていつもそのヘアピンしてるの?」

「え?」

 

 唐突な話題変更に小町を始め全員がポカンとしている。

 

「あ、は、はい」

 

 めぐり先輩は鞄からヘアピンを取り出した。

 

「動かないでねー」

「あ……」

 

 小町の空いてる右側の前髪をヘアピンで留める。

 

「……どうかな?」

「あ……えへへ……似合いますか?」

 

「うん!」

 

「似合ってるっすよ!」

 

(めぐり先輩のヘアピンを着けてもらい小町の天使力が増したが、その代わり『デ小町』という言葉が思い浮かんじまった……」

 

「デ小町⁉」

 

「お兄さん……」

「あ、あはは……」

 

「あ、いや……声に出てた、か?」

「ひどいよ、お兄ちゃん! 小町のことそんな風に思ってたなんて!」

 

「いや、前々から思ってたみたいに言わないで。違うからね? ただ、いま城廻先輩のヘアピンを着けてもらって前髪を分けた姿でそう閃いただけだから」

「ひどいよ、比企谷くん……わたしのことデコ廻って思ってたんだ……確かにはるさんにはよくおでこ突かれるけど……」

「え? なにそれ? 勝手にバージョンアップしてない? サポート体制バッチリ過ぎない? どこのマイクロソフト⁉」

「…………ふふふ、冗談だよ」

「……勘弁してくださいよ……」

 

「あ、めぐりさん、このヘアピン……」

 

「あ、合格祝いだと思って受け取ってほしいかな。別に高い物でもないし、やっぱり何かプレゼントしたくて……」

「めぐりさん……分かりました、ありがとうございます」

 

「良かったな、小町」

「うん!」

 

「小町ちゃんだけじゃ片手落ちだし、大志君には……これにしよう」

「えっ⁉」

 

 めぐり先輩は大志の頭を優しく撫で始め、ファーストフード店の0円スマイルとは比較にならないめぐりっしゅスマイルをお見舞いする。

 

「合格おめでとう」

「あ、ありがとうございます……」

 

 おうおう、幸せそうだな大志。そんな顔、ブラコンの川崎に見られたらどうなることか。

 そういえばさっきから川崎が静かだな……。

 

「……ん?」

 

「……うわぁ……大志君デレデレだぁー……」

「あ、ち、違うっすよ⁉」

「んー?」

「…………(こ、これが天然の破壊力⁉)」

 

「……川崎、平気か?」

「うぅ…………んっ⁉」

「さーちゃん?」

 

 川崎が口を押えて震えている。顔色も悪い。

 

「気持ち悪いのか? トイレ行くぞ」

 

 川崎の肩を抱いて手洗いへ連れて行く。いつもなら照れそうなシチュエーションだが、昨日背負って保健室に連れて行った経験が効いているのか気にならない。

 

「……ほら力抜け……息吐くタイミングで一気にな」

 

 川崎の背中をさすりながら促す。

 今さら遅いがこれ俺がやるより大志に任せた方がよかったかもな。順調に戻していく光景をなるべく見ないようにするが俯いてる川崎にはその気遣いが伝わらないだろう。

 

「……うっ! ……ぐ、お……ボォェッ!」

 

 川崎は何度かもどすと呼吸を荒くし、しばらくじっとしていた。

 

「…………」ハァハァ…

「…………」サスサス…

 

「…………」ハァ…

「…………」

 

「…………」

「…………ご……ごめん比企谷……」

 

「……あー、気にするな」

 

「…………」ズズ…

 

 川崎は涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をペーパーで拭う。俺はそっぽを向いたままぽつりと呟く。

 

「……落ち着くまで少し休んでろ。水持ってくるから」

 

      ×  ×  ×

 

「どう?」

「さーちゃん大丈夫?」

 

「大丈夫だと思います。胃が弱ってたのに食べ過ぎたのに加えて、色々動き回ったせいかと」

 

「ほっ……」

「良かった~」

 

 トイレの扉が開かれ、当人が顔を見せる。吐いてスッキリしたのか、顔色はさっきよりマシになっていた。

 

「病み上がりなのに動き回るからだ。ちょっと部屋で休んでろ」

 

「……ご、ごめん……」

 

 言いながら肩を貸し部屋へ連れて行く。

 

「城廻先輩は布団を開けてくれますか?」

 

 昨日、川崎の部屋には入っているがそれで全く抵抗がなくなるわけでもない。やはり女子の部屋に入るのは緊張するし、状況が状況とはいえ無断で入られるのは川崎もよく思わないだろう。こうしてめぐり先輩に頼んで配慮したというポーズくらいは見せておいたほうがいい。

 飯とか店で食べた時、最初から奢るつもりでも相手に財布を出す素振りくらいはして欲しいというアレに似てる。似てねえか。

 

「ただいま」

 

 益体の無いことを考えていると川崎の母親が帰宅した。

 昨日も会っていたので、さすがに緊張はしない。父親だったら何回会ってても緊張しそうだが。

 

「あ、母ちゃん、お帰り」

「おかえりー」

 

「おかえりなさい」

「おかえりなさーい」

 

「おかえりなさい。お邪魔しています」

 

「あら、いらっしゃい。総武高校の制服ね。沙希のお友達?」

 

「えーと、わたし三年の城廻めぐりといいます。沙希さんとは体育祭実行委員でお世話になりまして……」

 

      ×  ×  ×

 

 川崎の母親を交えてお茶を飲みながら雑談する。おっと、会話の主導権は小町とめぐり先輩ですよ。俺が話題提供など出来るはずもないし、しかも相手が同級生の母親とか無理ゲー過ぎだろ、ぼっち舐めんな。

 

 川崎母は夕飯がまだなので川崎小町(まだ言うか)の豆腐ハンバーグを食べてもらった。

 めぐり先輩が自己紹介のきっかけとなった体育祭について話した。その流れで川崎の話題になり会話を継続していくあたりコミュ力の高さがうかがえた。

 

 え、普通のことだって? だから言ってんだろ。ぼっちはそんなコミュニセオリーなんぞ知らんとな。

 娘の話を一生懸命していためぐり先輩に警戒心が解けたのか、川崎母は初対面だというのに少し家庭環境に踏み込んだ内容を話す。

 既知ではあったが当事者の、しかも恐らく負い目もあるであろうその口から聞くと想像以上に負担がかかっていることを実感する。

 

 朝早くに起きて皆のお弁当を作り両親の出勤時間が子供たちと合わないので朝食も川崎が担当することが多いそうだ。学校で勉強して終われば予備校、なければ買い物や京華のお迎え、帰って一家の夕飯を作って京華のお風呂と寝かし付け。そうしてようやく取れた自分の時間は勉強の復習や予習に充てられる。

 大志が受験生であったこの一年は特に負担が集中していたらしく、横で聞いてて申し訳なさそうにする大志が少し可哀想に思えたほどだ。

 いや、不憫なのは川崎か。考えてみればその負担が集中し出した時期、さらに自分の予備校費用を稼ごうと睡眠時間を削ってエンジェルラダーでバイトまでしてたのだ。疲れでイライラも募っていただろうし、無関係な奉仕部にバイト先へ乗り込まれてやいやい言われれば切れたくもなる。川崎のあの時の対応はむしろ紳士的だったのではないかとすら思えた。

 昨日、車中で平塚先生につい漏らしてしまった川崎に対する尊敬の念、それが如何に率然であったかと痛感させられた。

 

 川崎に対する意識を改めた俺は堪らずにその様子が気になってしまった。

 

      ×  ×  ×

 

―沙希の部屋―

 

コンコン

 

「……どうぞ」

 

「入るぞ」

 

「⁉ ……ひき、がや」

 

「スポーツドリンクと湯たんぽとお粥とハンバーグ持ってきた。また腹空っぽになったろうから一応な。無理して食わなくてもいいから」

 

「あ……ごめん……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………ごめん」

 

「何の謝罪だよ?」

 

「……あたしがあんたの忠告聞かなくて無理して迷惑かけたやつの」

 

「それは城廻先輩にでも言えばいい。俺は平気だ」

 

「…………」

 

「…………でもごめん」

 

 やめてくれ。

 俺の方こそお前を分かったつもりになっていたことを謝罪したいくらいなんだから。

 

「お前そんなに謝るやつだっけ?」

 

「……どういう意味?」

 

「いや、いつものお前なら俺のこと睨めつけて呆れながら話すんじゃねえかってな」

 

「…………」

 

「…………」グスッ

 

「え⁉」

 

「…………」ポロポロ

 

「あ、いや、その、そういう意味じゃなくて……」オロオロ

 

「…………」グスッグスッ

 

「ああ、そうじゃなくて、別に謝ってほしくないしお前らしくないって発破かけようとしただけで悪意はねえって。いつもならこんなこと説明しないが泣かれると……その……」オロオロ

 

「ん……ごめ……」グス

 

「…………」

 

「…………」グスッグスッ

 

「……あの、謝るから……その……」オロオロ

 

「……ううん、謝るのは……あたしのほう……」グスッグスッ

 

「え?」

 

「…………遅刻した時はスカートの中見られるし、勘違いで初めてのキスしちゃうし、初めて作ったお弁当は大失敗だし、初めておんぶされたのは教室で熱出して注目集めちゃうし……」グスッグスッ

 

「あー…………」

 

 う、見えてたの気づかれてたか……ってか全部悪いことみたいに捉えてるけど半分はご馳走様ってことに気づいてないのかこいつ……。

 最初のなんてただ眼福なだけだし……そういえばキスされちまったんだっけ……言われて思い出すとか俺の中の印象ランキングどうなってんの? 黒のレースのが上位なの⁉

 一番ダメージデカいのは教室で注目集めたくらいだけど、それだって川崎と密着した時の幸福感で相殺どころかプラスまである。

 でも口にすると川崎ポイント爆下がりしそうな上、平塚先生に匹敵する一撃もらいそうだから言わねえけど。

 

「……そんなの気にするな……謝られることはなんにもねえから」ガシガシ

 

「⁉ そう……なの?」グスッ

 

「まあ、な……詳しくは訊くな」

 

「う、うん……」ズズッ

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………お前でも風邪引くとやっぱ弱るのな」ポソッ

 

「……あたしを何だと思ってるわけ?」ジロッ

 

「あ、少しだけいつものに戻ったな」

 

「…………」

 

「……川崎?」

 

「…………あたしってそんなに魅力ないの……?」グスッ

 

「え? いや、突然何言い出すんですか、あなたは?」

 

「突然じゃない……なんか、一昨日のことなかったことみたいに思えるくらい普通にしてるけど……あたし、あんたに告白したよね?」

 

「……ああ、されたな」

 

「あんたはゆっくりあたしに向き合ってくれるみたいに言ってたけど」

 

「…………」

 

「はっきり返事された感じでもないから、こんな意識されてないみたいに話されると不安になるんだよ……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……それに関してはすまないと思ってる」

 

「…………」

 

「でもな、言葉にしたからって伝わるとは限らないんじゃねえのか?」

 

「……なにそれ」

 

「俺の言葉なんて今まで誰も聞いてくれなかったし、受け入れてもらえなかったから」

 

「…………」

 

「……あたしが信じないって思ってる?」

 

「そうは言ってない」

 

「言ってるでしょ‼」

 

 川崎の荒げた声にビクッとして目を背けてしまう。

 

「……実際、お前だって『家族と共に逢って理解し合いたい』って言葉に不安を覚えてたじゃねえか」

 

「‼ ……それは…………そういう意味で言ったんじゃ……」

 

「いや、責めてるんじゃない。人は見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞かないから、言葉ってのがいかに不確かかって言いたかっただけだ」

 

「だから、俺の言葉をお前がどう受け止めたかで不安になるのも分かる」

 

「…………」

 

「だから、言葉なんかじゃなく……その……」

 

「…………」

 

「……あたしは」

 

「え…………」

 

「……ちゃんとした言葉が欲しかった」

 

「言葉って不確かかもしれない。けど、そんな余地の生まれない強い言葉が欲しかった」

 

「……あんたが文化祭の時に言ってくれた言葉……とか……」

 

「⁉ ……でもあれは……その……」

 

「……分かってるよ……あたしも気づくのがだいぶ遅かったけど」

 

「…………」

 

「あんたはこれっぽっちも本気じゃなかったのに、あたしだけが…………もちろん100%とはいわないけど」

 

「…………」

 

「なんであんなこと言ったんだろうって……」

 

「…………」

 

「もしかしたらって……」

 

「…………」

 

「……そういう風に受け止めてた」

 

「…………」

 

「だから、あんたの言いたいことも分かるつもりだけど……」

 

「……その……すまん」

 

「なんで謝るの?」

 

「……いや、誤解させちまったから……」

 

「……誤解?」プッ

 

「え? なんで笑うの?」

 

「だって、あんなの誤解するなら、それもう誤解じゃないでしょ」

 

「え?」

 

「どうでもいい相手に『愛してるぜ』って言われたら、あたしだったらどう返すと思う?」

 

「あー、…………そう、だな……『バカじゃないの?』かな」

 

 職場見学希望調査票に『専業主夫』と書いていたのを一瞥して言われた言葉。川崎のそれは俺にとっての『専業主夫』に近い口癖のようなイメージがある。

 

「ん、正解。分かってんじゃん…………じゃあ、そう言い返さないあたしがどう思ってるのかも当ててみて」

 

「…………」

 

 そっちはちょっと難題過ぎません? 急に難易度上がったぞ、マジで。

 視線を逸らし思考を重ねるも答えには到底辿り着けずにいた俺を見て、溜め息を吐いて呆れこう呟いた。

 

「……あたしはあんたが好き」

 

「っ‼」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……そういうこと」

 

「…………」

 

「…………でも」

 

「?」

 

「……あんたがそういうなら……あの時いってたあんたの言葉だけは誤解ってことにしといてあげる」

 

「…………」

 

「……あたしがあんたを好きだってことに変わりはないから」

 

「…………」

 

「……あんたもそういう言葉で、出来ればあたしを安心させて欲しかった」

 

「言葉なんて……言ったってどう伝わるかも分からないのに?」

 

「……言葉だけを信じるわけじゃないから」

 

「…………」

 

「…………比企谷だから…………比企谷八幡だから」

 

「…………」

 

「……あたしは『あんたの言葉』だから安心できるんだよ」

 

「‼」

 

 ……俺なんかの言葉で……安心が得られる……?

 

 俺が求め続けたものを……俺が川崎に与えてやれてる……?

 

 なんでだよ……

 

 じゃあ、どうすれば俺はそれを得られるようになるんだ……?

 

 教えてくれ川崎……どうすれば、お前にとっての俺っていう存在を作れるんだ……?

 

 言葉をもらえるだけで安心できるような存在を……

 

 ……俺が欲して止まないその存在を。

 

      × × ×

 

《 Side Meguri 》

 

 

 

「……いやな子だね……」

 

 誰にも聞こえない声量で呟くと、わたしは川崎さんの部屋から離れた。

 一体誰に向けて言った言葉なのか……。

 わたし自身、分からないままだった……。

 

 

 川崎さんの部屋から戻ってきた比企谷くんの顔には苦笑いが浮かんでいた。

 

 川崎さんに食事を持って行ったことに対するはにかみか、

 

 川崎さんとの内実を秘め(くら)ましたいからか、

 

 いずれにせよ、今の比企谷くんの心が川崎さんに向いていることに、

 

 

 ……わたしは、

 

 

 ……言い様のない焦燥を抱いた。

 

 

 

―車内―

 

 

「いやー、本当にすみません」

 

「いいえ、このくらいさせてちょうだい」

 

「助かります」

 

「ありがとうございます」

 

 わたしたちは川崎さんのお母さんに車で送ってもらっている。

 

 比企谷くん達は家が近いし男手もあるので、送るならわたしの方をと固辞していたが車で寄るのに大して時間は変わらないからとお母さんは譲らなかった。

 結局、申し出を受けた比企谷くん達を家まで送ってその後わたし、という流れになった。最後に降りるわたしが助手席に座っている。

 

「それにしても、本当にいいの? 明日も来てくれるなんて?」

 

「はいー、明日は小町が祝われる側なのでむしろお邪魔して申し訳ないですって立場なのです! そのついでみたいなもんだと思っちゃってください!」

 

「明日休みだから沙希のことならわたしが看れるのに……」

 

「明日はけーちゃんをプリキュアの映画に連れてく約束してたんでしょ? 行けなかったらけーちゃんが悲しみますから。何だったら俺が連れて行って一緒に観たいまである。内面的にそうでも絵面が通報案件で現実的には無理ですけど」

 

「お、お兄ちゃん……クラスメイトのお母さんに何言ってるの?」

 

「俺はにわかだから今まで劇場に足を運んだことはないぞ。あくまで願望を口にしただけだ。まだ劇場では観てない。お兄ちゃんを信じろ」

 

「劇場では……ってことは動画とか円盤では観てるんだね……」

 

「あはは……」

 

「お兄ちゃんへの信頼はマイナス方面に高いから困っちゃうよ……そうでなくても女児向けアニメ映画にその腐……んんっ! そんな目をした高校生が保育園児を連れてく絵面がなんかもう……筆舌に尽くし難いんだけど」

 

「それは違うぞ小町。プリキュアは女児だけでなく俺をはじめとする大きいお友達もちゃんとターゲットに入っている。だから一概に女児向けとは言い切れないぞ。俺は詳しいんだ」

「真の大きいお友達ともなるとショッピングモールで開かれるイベントにサイリウムを用意する周到ぶりだ。昼間にしか行われないイベントにそれを持っていってしまう知性の低さに引いてしまう俺がいるがな」

 

「小町はイベントに参加しちゃう羞恥心の低さに驚きだよ……」

「小町はとっくにプリキュア卒業したのに一緒に観てたお兄ちゃんが絶賛留年中だなんて小町は悲しいなぁ……」

 

「けーちゃんと話せるネタになるのは八幡的にポイント高いと思うぞ?」

「はぁ~、この分だと京華ちゃんが卒業後もお兄ちゃんは留年を謳歌してそうだね……」

 

「ふふ……」

 

「ほら、お義母さんに笑われちゃったじゃん。少しは隠してよ、小町はずかしーよ」

「いや、この場合、笑ってもらうのがベストの結果だからな。これが苦笑いだとベターで、聞かなかったことにされると関係をリジェクションされるまである。っていうかお母さんの発音おかしくなかった?」

 

「…………」

 

「……比企谷くん達兄妹は仲がいいのね。傍で聞いてておかしくて……クラスでも人気者でしょ?」

 

「あー、兄は学校ではぼっち気取ってて一人で悪目立ちしてるんですよー。小町は結構人気者だって自負してますけどね!」

「一つ否定させてもらうなら、小町は結構ではなく物凄く人気者だ。自分を卑下する小町は八幡的にポイント低いぞ?」

 

「自分のことは否定しないんだね……っていうかお兄ちゃんそれ思いっきりブーメラン刺さってるから」

「え?」

 

「……自分を卑下するお兄ちゃんは小町的にポイント低いよ?」

「…………本当のことはちゃんと認めるんだよ。謂れないのは……まあ、善処する」

 

「……うん」

 

 それっきり車内から会話が無くなってしまうものの、程なく比企谷くん達の家に到着した。

 

      × × ×

 

「それでは、送っていただいてありがとうございました!」

「どうもありがとうございました」

 

「こちらこそ。それじゃ、悪いけど明日もお願いね」

 

 比企谷くん達はお礼を言うと車が出るまで見送ってくれていた。本当に仲のいい兄妹で礼儀正しいなぁ。

 

 さっきまで小町ちゃんが会話の中心だったので二人がいなくなると車内は沈黙に支配された。

 

 小町ちゃんほどではないけど、わたしも生徒会長を全うしコミュ力に長けていると自負しているのでこの空気を変えようと行動する。相手が初対面の後輩の初対面の母親という課せられたハードルが高いけど。

 

「そういえば城廻さんは生徒会長をやっていたんですよね?」

 

「は、はい。もう引退してますけど、大学は推薦が貰えたので普通の生徒会長よりも長く活動していたと思います」

 

 話題を探しているとあちらから振られた。そういえば今日が初対面だし、わたしのことを知りたいと思うのが自然だろう。

 家で話してた時は時間もなかった上、川崎さんと関連がありそうな体育祭のことだけに終始してたし。

 

「すごいわね。沙希も成績はいい方みたいだけど人付き合いがちょっと苦手なとこありそうなのが心配で……家族といるときはそうでもないんですけど……」

 

「沙希さんはすごいと思います。わたしなんて生徒会長っていっても別段優れてるところがあるわけじゃないし周りにいっぱい助けられて全う出来たってだけです」

「でも沙希さんは……忙しい御両親に代わって、誰の助けもなく弟妹の面倒を見たり家事をしたりで……わたしなんかとは比べられないですよ」

 

 わたしの言葉を聞くとお母さんは申し訳なさそうにする。

 

「……沙希を良く言ってくれるのは親として嬉しいんですけど、それが逆に親としての不甲斐ない部分を表しているようで……沙希には苦労ばかりかけてしまって……」

 

 親になったことはないけど、これくらいは気持ちが分かる。やっぱり子供に苦労なんてかけたくないよね。わたしだって想像しただけで嫌だもの……。

 

「……でもあの子にも助けてくれる人はいるんですよ」

 

「‼」

 

「あの子、あんまり学校のこと話してくれなくて心配してたんですけど」

 

めぐり(ズキッ)

 

「昨日わたしも初めて会ったんですけど、比企谷くんって前々から沙希のことを気にかけてくれてたみたいで」

 

めぐり(ズキッ)

 

「沙希が予備校のことで問題が起こった時にわたしたち家族が何もしてやれなかったのに彼が助けてくれて」

 

 …………やめて。

 

「文化祭の時も裁縫が得意で衣装係をやってみたいけど自分から発言できなかったところに助け船を出してくれて」

 

 ……やめて!

 

「クリスマス合同イベントでは妹の京華をお芝居に出させてもらっていい思い出になったようで」

 

 やめて‼

 

 ………………

 

 ………………

 

 …………いやだ……

 

 ……いやだ、いやだ、いやだ!

 

 …………比企谷くんを

 

 …………とらないで

 

 ………………

 

 ………………

 

 …………そうだ……

 

 …………その時わたしは……

 

 

「本当に比企谷くんにはなんてお礼を言っていいk「実は」……え?」

 

「…………実はお耳に入れておきたいことが……」

 

 

 …………信じられない言葉を口にしてしまう。

 

 

「……文化祭で実行委員をしていた頃から比企谷くんにはあまりいい噂がなかったんです」ズキンッ

 

 

 わたしは学校での比企谷くんについて話し始めた。

 

 

「……文化祭のスローガンを決める時に……」ズキンッ

 

 

 一度言葉にすると次々と流れ出る。

 

 

「……グランドフィナーレを迎える時、実行委員長を呼びに行って……」ズキンッ

 

 

 わたしが誤解するに至ったその原因部分を

 

 

「……噂では……罵声と、暴力を振るったとか……」ズキンッ

 

 

 噂そのままに伝えてしまった。

 

 

「……今日、伺ったのはそんな彼が京華ちゃんを連れていたのを見てしまったので心配になって……」ズキンッ

 

 わたしが誤解した内容をそのまま……いや、むしろ悪性を込めて伝え、比企谷くんが危険な人物だと疑いをかける。

 それを聞いた川崎さんのお母さんは随分驚いた様子だったが特に反論などはしてこなかった。

 その後、わたしの家に到着するまで無言が続いた。

 

「……送っていただいてありがとうございました」

 

「こちらこそ。今日はどうもありがとうございます」

 

 

 …………これで ズキンッ

 

 …………川崎さんに伝われば…… ズキンッ

 

 …………気持ちが鈍ってくれれば…… ズキンッ

 

 

「…………過去のわたしがそうであったように……」ズキンッ

 

 

 

つづく



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22話 未だに、比企谷八幡は踏み出せず。

ようやくめぐりのターンが終了。
このシリーズからめぐりが無双し過ぎてたのでやっと他のキャラが出せる……
あれ? 現生徒会長どこいったんでしょうかね?(汗)

2020.12. 4 台本形式その他修正。
2020. 1.20 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Hachiman 》

 

 

~2月17日(土)~

―八幡の部屋―

 

 

「お兄ちゃん、起きてー」

 

「……ん……ああ、おはy……うぐっ⁉」

 

 覚醒したところで腹の上に俺でなければわりと本気で怒るレベルの痛みと重さが感じられた。

 

「……小町……起こしてくれるのはありがたいんだが、マジで痛いから腹の上にダイブするの止めてくれない? ってか今起きてたよね? 起きてるのにするのは普通に暴行だからね?」

「ごめーん♡」

 

「はぁ……まあ、次からもうちょっと優し目でお願い……」

「うん! あ、それとこれから雪乃さん達来るから朝ご飯さっさと食べちゃおう」

 

「え? 早くね? 川崎んち行くの昼前くらいだろ?」

「小町達のお祝いに作る料理の材料を一緒に買いに行くからね」

 

 あー、これ俺荷物持ちなやつだ。

 近い未来に起こる強制労働に鬱屈しながら朝飯を食べに行くのだった。

 

      ×  ×  ×

 

「ヒッキー、小町ちゃん、やっはろー」

「おはよう、小町さん……それとひ、比企谷くん」

「おはようございます、お二人とも!」

 

「……うす」

 

 朝っぱらからテンションの高い由比ヶ浜の声に頭をズキズキさせながら二人にあがってもらう。

 小町におめでとうを贈る二人。合格結果を受けてた小町は重荷もとれ本当に嬉しそうだった。

 そういえば私服の二人を家にあげるのは初めてだったな。というか俺の知人が家にあがることがまず初めてでしたね。二人だから初めてみたいに語り始めてすみません。

 

「小町ちゃん合格おめでとー‼」

「おめでとう。さすがは小町さんね。どこかの誰かとは違ぅ……え、えっと!」

 

「いやいや、どこかの誰かって誰だよ? 俺のことだろうけど俺二年前に総武受かってるからね? もうありもしないディスリ要素すら入れてくるようになったな。今度からもっと真実をもってディスってください、お願いします」

 

「べ、別に、あなたのことだなんて言っていないわ。被害妄想が過ぎるのではないかしら? ヒキガェ……谷くん」

 

「おい今、小4の頃のあだ名で呼ぼうとしてただろ? 高速道路だったらICの進路変更遅すぎてクッションドラムに衝突してるくらいギリギリで言い直してたからな? バレてるからギリギリで事故起こしてるからな?」

 

「あ、あうぅ……」

 

 は? なに? どうしたの一体。雪ノ下が目に見えて困ってるんだが?

 あのどんな時でも冷静沈着、上から目線で論破し屈服させる氷の女王が、今はその見る影もないかのように狼狽えている。

 

「ゆ、ゆきのん⁉ ひ、ヒッキー、ちょっと酷いんじゃない⁉ ゆきのんをそんなに責めないでよ!」

「い、いや、ちょっと待て! 今の発言のどこに責める要素があった⁉」

 

 むしろ、もっとちゃんとディスってくれという意味すら込めた内容な気がする。

 

「いえ、いいのよ、由比ヶ浜さん。比企谷くんは何も悪くないわ……」

「⁉……どうしたの、ゆきのん? なんかいつもと違うね?」

 

「そ、そんなことはないわ」

 

 誰の目からも明らかにいつもと違うって分かるだろ。由比ヶ浜ですら誤魔化されないぞ。

 

「あー、その……なんだ。……なんか変なこと言っちまったんなら謝るわ」

「わっ、お兄ちゃんが素直に謝るなんて珍しい。いつも自分が悪くてもできれば謝りたくないとか言ってたのに」

 

「い、いえ、本当に違うの……信じてちょうだい」

 

 ますます挙動不審になっていく雪ノ下。ホント一体どうしたの?

 

「分かった。分かったからまず落ち着け。お前はいつもと変わりない。俺も何も気にしてない。それでいいんだな?」

「ええ、そうよ。そうしてちょうだい」

 

 一応、話が済んだので仕切り直したものの、やはり雪ノ下の様子がおかしい。何となくおどおどとした目で俺を見ている。ぼっちの観察眼はそれを見逃さない。

 あれ? 俺なんかしましたか? しましたね。存在自体がなんかしちゃってるまであった。

 

「それで、スーパーでお買い物して沙希の家行くんだよね? のんびりおしゃべりしながら買い物できるようにもう出ちゃう?」

「いいですねー、結衣さん達と買い物しながらおしゃべりするの楽しそうですし」

「分かった。じゃあ俺、準備してくるわ。起きてすぐ朝飯食ったばっかで何にもしてねえし」

「…………」

 

そして、俺達は買い物を含めても約束の時間にはかなり早いタイミングで家を出た)

 

 小町を中心に女三人横並びで歩くその三歩ほど後ろを俺が付いていく形。

 今日は小町と大志の合格祝いという名目なので、小町に料理を手伝わせるわけにはいかない。お邪魔する川崎家の台所設備について小町から聞く雪ノ下。

 正直、由比ヶ浜が料理に携わらないのならどうでもいい。由比ヶ浜の料理はもはや兵器だしな。

 そういえば昨夜吐いてたけど川崎大丈夫かな。熱は下がってると思うが……。

 まだ胃腸は弱ってるだろうし、その辺を考慮した献立を雪ノ下なら考えてくれていると思うが今日のこいつはちょっと心配だ。

 

「……なあ、雪ノ下」

「⁉ な、なにかしら? ひひ、比企谷くん」

 

「え? どんだけキョドってんの? あれかお前、昔の俺か?」

「ば、バカなことを言わないでちょうだい。いつわたしの目が腐っt――――‼ な、なんでもないわ‼」

 

「え、おい、どした? さっきから『なんでもない』の一点張りだが、どこからどうみてもなんでもなくないぞ?」

「っ‼ す、少し黙りなさい! わたしがなんでもないといったらないのよ、いつから意見できるようになったのかしら⁉」

 

 あ、少しだけ調子戻った。

 

「へいへい。それはいいとして、川崎は昨日ちょっと吐いてたからあまり消化良くない物だと胃が受け付けないかもしれないから何作るのかって気になったんだ」

「……そんなことあなたに言われるまでもなく織り込み済みよ」

 

「頼もしいな。だからくれぐれも由比ヶ浜に料理はさせるなよ? 二人のめでたい合格祝いの場が惨劇になったら一生のトラウマになっちまう」

「突然、わたしにくるし⁉」

 

「んで、何作るの?」

「金目鯛の煮付け、彩り野菜の煮物、きのことほうれん草のスープ、茶碗蒸しと鳥雑炊ね」

 

 なんだろう……むしろ川崎の得意料理に分類されそうなやつばかりなんだが……。

 

「なんか意外なチョイスだな……」

「川崎さんの体調を最大限考慮した結果よ。揚げ物なんてもっての外だし、お祝いと呼ぶには少し似つかわしくない感が否めないけど、そこは家から持ってきたケーキで我慢してもらいましょう」

 

「そういえばその荷物なにかと思ってたが、ケーキまで用意してくれたのか?」

「ええ、二人の為にわたしが作ったのだけれど」

 

「じゃあ、持つぞ?」

「あなたのような目の腐った人間が持つとケーキに伝染して腐っt……く、崩れてしまうから結構よ!」

 

「だから隠せてないからね? なんかお前、今日キレが悪いな、どした?」

 

「‼ ――――ひ、比企谷くん!」

 

「うお⁉ なんだよ、急に大声出して?」

 

「こ、このケーキを崩さないよう持つのなら持たせてあげてもいいわ!」

 

 上から目線過ぎるのでは……やっと本調子か。

 

「へいへい、是非持たせてくださいませっと」

「そ、そそ、それで提案なのだけれど」

 

「ん?」

 

「まだ冬とは言え保存料の入っていないケーキを買い物中ずっと持っているのも良くないし、あなただけ川崎さんの家に向かっててもらえないかしら?」

 

「あ? ああ、確かに冷蔵庫貸してもらってケーキ入れとくほうがいいが、買い物どうすんだ? 一応俺は荷物持ちって認識で来てるんだが」

 

「い、いいのよ、食材の買い物くらい大した荷物ではないのだから。そ、それに二人だけにちょっとした相談もあるし……」アセアセ

 

 ……え? 俺はのけ者なんですか? いえ、いつものけ者でしたね、忘れてましたよ。

 

「あー……じゃあ小町、川崎んちへ二人の案内頼めるか?」

 

「うん、任せといて!」

 

「じゃあ、ヒッキーまたあとでね!」

 

「おう、気を付けてな」フリフリ

 

「さて、川崎にメールしとくか……」

 

      ×  ×  ×

 

―川崎家―

 

 なんか雪ノ下、いつもと違ってたな。何あの余所余所しさ……修学旅行以降の気まずい時みてえじゃん……。でも感覚的にだがギスギスしたふうじゃなかった気がする……なんというか戸惑っているっつうか……。

 そうしてメールの返事もないまま予定より早く川崎家に到着すると家の前でけーちゃんと母親に出逢う。

 

「あ、おはようございます」

 

「はーちゃんだー!」

「あら、おはよう。早いのね」

 

「はあ、別動隊……いや本隊は昼ご飯の材料買いながらおしゃべりしてますよ。俺はなんだか分からないけど追い出されたんで先に来たんです」

 

「ふーん……(ねえ、比企谷くん?)」

「はい?」

 

 おばさんは俺の耳元まで顔を近付けて小声で話しかけてきた。おそらくけーちゃんに聞かせないようにするためだろう。

 

「(比企谷くんは学校で暴力を振るったことはあるかしら?)」

「はっ?」

 

 突飛な質問に間抜けな声をあげてしまう。

 

「したことないですよ。逆に(平塚先生には)よく殴られたりはしますけどね」

「そう……」

 

「突然どうしたんですか?」

「いえ、なんでもないの、気にしないで。それと、いま話したことは沙希には内緒にしておいてほしいんだけど」

「? 分かりました」

 

「そうそう、こんなところで話すのもなんだから家に上がっててちょうだい。これから京華を連れて出掛けるからわたしがお構いできないのが申し訳ないんだけど」

 

「……うー、はーちゃんと一緒にいたいよー……」

「映画の時間に遅れちゃうでしょ? お兄ちゃんとはまた遊べるから今日はお出かけするの」

 

「うー……はーちゃん、帰ったらあそぼ?」

「おう、いいぞ。けーちゃん、プリキュア観に行くんだろ? いいなあ。俺も観たかったから代わりに観てきてくれ」

 

「うん! けーか、はーちゃんの代わりに観てくる!」

「それじゃ、二人のこと頼みましたよ」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 二人を見送り家にお邪魔すると誰も出迎えがない。

 

「あれ? どうなってんだ?」

「大志も川崎も出てこないが……」

 

 俺は川崎の部屋をノックしたが返事はなかった。まだ寝ているのか、もしかしたら熱が下がっていないのか。さすがに部屋へ押し入るわけにもいかんし。おばさんの様子から具合が悪化したってこともないだろう。病状が悪くなったのにけーちゃんと映画に行くとかさすがにあり得ない。なら川崎は?

 

 そう考えていると隣の部屋から大志が出てきた。

 

「ふぁ……あ、お兄さん、おはようございます……」

「おっす。なんだ寝起きかよ」

「はい、す、すみません」

 

「さっき外でおばさんとけーちゃんに会ったぞ。あがっててくれって言われたんだが川崎もお前も出てこないからあせったわ」

「あれ、姉ちゃんも寝てるんすか?」

「知らん。ノックしたが出てこない」

 

「そうっすか。まだ寝てるのかな。あ、お茶出しますから居間の方に行っててください」

「ああ、悪いな。それと雪ノ下がお祝いのケーキ作ってくれたから冷蔵庫借りたいんだが」

 

「ありがとうございます! じゃあ、俺が冷蔵庫入れておくんで」

 

 大志に促されて居間に行く途中トイレを借りようとそちらへ向かう。

 

ガチャッ

 

「え」

「あ」

 

「⁉ ひ、比企谷⁉ な、なんで⁉ わっ、」

 

「あ、あ、あ、いや、その……」

 

 洗面所のドアが開き、出てきたのはバスタオルを巻いた川崎だった。鉢合わせ狼狽えた拍子にバスタオルがはだけ落ちそうになる。慌てて腕で押さえて事なきを得たが桜色のなにかなんて見えなかった! うん‼

 

「ッ――――」

「す、すまん‼」

 

× × ×

 

 

《 Side Saki 》

 

 

 大志に淹れてもらったお茶を飲みながら気まずさに身悶えるあたし達。

 ここまでの経緯は説明されたが、それで万事解決となる訳もなく……。

 

「…………」

「…………」

 

「……あー、俺ちょっと部屋に行って着替えてくるっす」

「た、大志!」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 あたし達の静止を聞かず、大志は自分の部屋へ籠ってしまった。

 

「…………」

 

 大志のバカ、気を利かせたつもりかもしれないけど悪化してるよ‼

 

「…………」

 

 あたしは慌ててスウェット姿になっただけで髪の毛など濡れたままバスタオルを頭に巻いたままだ。

 

「………あー……その、悪かったな」

「…………」

 

 比企谷は謝ってくれて、あたしはそれを俯いて聞いていた。

 

「予定より早く着いちまって、メールもしたが返事もなかったし……」

「あ、ごめん、お風呂入ってたから……」

 

「すまん、それでどうしようかと思ってたところに玄関でおばさんと会ったから、上がっていいものと勘違いしてた……」

「…………え?」

 

 あたしがお風呂入ってるのって母さん知ってたよね? え? なんで? 昨夜言ってたこと忘れた訳じゃないよね⁉

 昨夜、三人が帰った後に母さんと話したことを思い出す。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

~昨夜~

 

―沙希の部屋―

 

コンコン

 

「入るわよ」

「うん。三人を送ってくれてありがと」

 

「お安い御用よ。それより熱は下がった?」

「お陰様でね……さっき吐いちゃったけどもう大丈夫」

 

「そう……」

「…………」

 

「…………」

「……なに? なんかあるの?」

 

「さっき城廻さんから変な話聞いちゃったんだけど……沙希はなにか知ってる?」

「? なにを?」

 

「……なんでも、比企谷くんが文化祭実行委員で酷く中傷めいたことを言ったり、文化祭最終日に実行委員長の女子を罵倒して……その……暴力まで振るったとか……?」

「⁉ 比企谷が? そんなの、あり得ないから!」

 

「でも、前生徒会長の城廻さんがそう言ってたから、どうなのかなって。あなたは本人から何か聞いてないの?」

 

 聞いてないけど、たとえ訊いても比企谷が自己弁護なんてするわけないし、はぐらかされるのがオチだ。

 確かに文化祭の時に悪評が流れたけど……っていうか噂流してたの相模達だったみたいで、そんな話気にも留めなかった。

 何より、あの時は『愛してる』って言われたことに動揺し続けてた時だから正直噂なんてどうでもよかった。

 その時のことよく知らないけど、相模を罵倒したのは多分……比企谷なりに理由があったんじゃないかな。

 

 あたしが比企谷を好きなことでバイアスかかってるのかもしれないけど、相模が文実をサボってクラスの出し物ばかり手伝っていたのは知ってる。あたしも衣装係で結構がんばったからね。

 あれだけクラスの方に来てれば文実の仕事なんてほとんどしてないだろうし、なんの積み重ねもないから実行委員として相模が仕事できたとは思えない。

 そのせいで文化祭が進んでいく内に不安が募り役割をこなせず怖くなってエンディングセレモニーを前に逃げたのは想像に難くない。

 だから相模を罵倒して被害者ポジションにさえしてしまえば、あとは自分が黙して自らをスケープゴートに……比企谷の考えそうなことだ。

 

 これはあくまであたしの想像だけど少なくとも、いい線いってる気がする。

 でも比企谷を知らない奴らからすればそんな噂、信じられるもんなのかね……。

 確かにこの結論はあまりにも比企谷に都合が良すぎるから他の奴等にはそこまで及ばないのも無理はない。誰がわざわざ自分をスケープゴートにするもんか。

 あたしに言わせれば相模達の話なんて何しゃべっても嘘にしか聞こえないんだけど。

 

 それに、あんな噂に城廻先輩が惑わされたってのがちょっと意外だった。

 あの人も比企谷を理解している一人だと思っていたのに……。

 

 …………

 

 ……そして、母さんも比企谷をあまりよく知らない。

 

 何も語らない比企谷よりも城廻先輩の言葉で揺れるんだ……。

 

 肉親に比企谷が信じて貰えないことへの言い様のない悲しさがあたしを支配した。

 

「……あたしは何も聞いてないし、多分訊いても比企谷は何も話さないよ」

「…………」

 

 少し重苦しい雰囲気になるがあたしは言葉を続けた。

 

「でも比企谷は絶対に噂になったようなことはしないよ」

「あいつには敵が多いから全部逆恨みみたいなもんでさ、その噂だってそいつらが自分の都合のいいように歪曲して広めたものだよ」

 

「…………」

 

「……噂通りの奴だったらあたしは京華を近づけたりしないし、京華もあんなに懐いたりしないから」

 

「……そう……」

「…………」

 

「…………まあ、わたしもちょっと気を付けるから、沙希も気を許し過ぎないようにしなさいね?」

「な⁉」

「なんでそんなこと言うの⁉」

 

「城廻さんはね、生徒会長だったのよ? 確かに今日会ったばかりだけど、それを言ったらわたしは比企谷くんとも一昨日会ったばかりだしね」

「え?」

 

 母さんの言葉が信じられなかった。確かに城廻先輩の立場なら万人に受け入れられる言葉かもしれない。でも比企谷の言葉だって……。

 

 …………あたしには安心をくれるものなんだ。

 

「…………」

 

 母さんは憂慮した面持ちでこちらをみている。

 どうして? 昨日来た時も、さっきも居間で比企谷達と話してたんじゃないの?

 比企谷はスカラシップを教えてくれて、あたしたち家族を救ってくれたんだよ?

 

「……昨夜、比企谷達と話したんだよね? 学費のことであたしが朝帰りして何してたか」

「…………ええ」

 

「あいつのお陰でバイト辞めれて家族に心配かけなくて済むようになったのに、それはないんじゃない……?」

「そうかもしれないけど、それとこれとは話が別ってことを言いたいだけ。城廻さんの言葉だから耳を傾けたけど、噂に関してはあんただって事実かどうか分からないんでしょ?」

 

「それは…………」

 

 確かに痛いところを突かれた。あたしも詳細を知ってるわけじゃないし本人も弁明しないだろうから母さんに説明できる材料がない。

 

 …………くやしい

 

 ……くやしい

 

 くやしい!

 

 今まで家族以外に興味なんてなかったはずなのに……。

 

 ずっと家族を愛してるって思ってたのに……

 

 その家族にこんな……

 

 こんな気持ちを抱くなんて……‼

 

「…………」

 

 今の状態じゃ平行線かもしれない。

 興奮して……取り返しがつかなくなるのが怖い。

 ……だから

 

「…………分かった。ちゃんと弁えるように……するよ」

「ええ、そうしてちょうだい。もちろん本人の口から言ってくれたら比企谷くんをちゃんと信じるからね?」

 

 その条件は誤解が解けないのと同義だ。

 きっとあたしから頼んだって自らを弁護しようとする奴じゃない。

 

「…………ごめん、もう休むから出てってくれない?」

「……分かったわ。明日も来てくれるんだし失礼のないようにね」

 

「うん…………」

 

 もうこの会話自体が既に失礼千万なんだけど自覚ないのかな母さん……。

 明日はまた比企谷達とさらに雪ノ下達まで来てくれるし、早めに休んで朝シャワーを浴びよう。

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 あんなに比企谷を腐してたのに……大事な娘がお風呂入ってる家にその男を上げるってどういうことよ⁉

 それともわざとそうしたのかも。あたしが母さんの言うことに納得してなかったから、そんな娘は自分の身で比企谷を試してみなさいっていう意味なのかな。

 でも実際何もしないし目を逸らしてくれるくらい紳士だったからあたしの勝ちだよ、母さん。

 

「…………」

「……後で殴っても通報してもいい。いや、通報はできれば止めてほしいかな。なんなら何でも言うこと聞くから、まず髪の毛乾かしてこい」

 

「え?」

「……ドライヤーで乾かさないとまた風邪が悪化するだろ。ホント悪かったから」ガシガシ

 

「あ……」

 

 ……あたしの心配してくれるんだ。

 

「…………」

「…………」

 

「……別に逃げないから、ほれ、行ってこい」

「…………」

 

「……なんでも?」

「は?」

 

「……なんでも言うこと聞いてくれんの?」

「……まあ、無理のない範囲でなら」

 

「無理ってどの辺まで無理なの?」

 

「あー、そうだな……まず紐なしバンジーは無理だな」

 

「しないから」

 

「うーん、生肉着けてライオンの檻の中に入るのもパス」

 

「それやらせてあたしに得ないでしょ。ライオン飼ってないし」

 

「平塚先生と決闘させるのも無しな」

 

「いい加減、バイオレンス方面から離れない? ってかあんたにとって平塚先生って紐なしバンジーやライオンの餌と同列なわけ? そこに引くんだけど?」

 

「じゃあ、小町をあげるのも無理な」

 

「別に欲しがってn…………あ……それって…………」

 

「‼ わり、今のなし!」

 

「う、うん……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 その『小町をあげるのも無理』が、告白の否定に結び付けられかけ慌てて言葉を遮る比企谷。微妙な空気になり出したのでつい浅慮なままフォローのつもりでこう切り出した。

 

「……あ、あのさ」

「……なんだ?」

 

「……昨日部屋で話したこと気にしないでいいから……」

「……え? どれのことだ?」

 

「……あたしが……その……そういう言葉で、出来ればあたしを安心させて欲しかった、ってやつ……」

「…………」

 

「よく考えてみれば、あたしが一方的にあんたを好きなだけなんだし、そのことであんたを縛るのは迷惑でしかないよね」

「いや……そこまでは……」

 

「……あんたにはあたしより大切な人達がいるかもしれないし、想いに応えて欲しいとか、ましてや付き合ってなんて言わないから」

 

「……今まで通りでいい……想い続けるだけは……許してくんない……?」

 

「…………」

 

「それがお願い……」

 

 言いながら真っ先に思い浮かべたのは奉仕部の二人だった。

 あそこは、奉仕部は比企谷の居場所……あたしと知り合う前から比企谷のいた場所。

 

 あたしが入って行けない場所…………。

 

 本当に比企谷のことが好きならあたしの我が儘を押し付けるべきじゃない。

 たとえあたしよりあいつらを選んだとしても。

 その方が比企谷が幸せなら……。

 ……受け入れなきゃいけない……。

 

「…………」

「…………」

 

「……そんなもんお願いでもなんでもないだろ」

「え?」

 

「誰かを想うことに許可なんていらねえよ。資格はもしかしたらいるかもしれないけどな」

「…………いいの?」

 

「許可が要るなら、恋愛も役所で判子もらいにいく時代になるだろ。まあ、それならそれで俺みたいなやつにはメリットかもしれねえけどな。勘違いで告白してフラれる前にそもそも許可が下りない。うーん、優しい世界」

 

「クスッ」

 

「だから別のお願いにしとけ。俺が自分から相手に何かしようってのは珍しいんだからよ」

「‼ ……そうだね!」

 

「おう」

「……んー」

 

「…………」

「…………それじゃあ」

 

「……髪……す……ってよ」

「? なに?」

 

「……髪……乾かすの手伝って……よ……」

「あ、あー、それは……」

 

「……だめ?」

 

「…………わかった」

 

 

―洗面所―

 

ブォォォォォ――‼

 

「…………」

「…………」

 

「……ねえ」

「なんだ?」

 

「さっき、母さん達に玄関で会ったって言ってたけど」

「……おう」

 

「……なに話してたの?」

「あん? 大して話はしてないが」

 

「聞かせてもらっていい?」

「ん? いいぞ。おばさんとけーちゃんに会ってこれから映画に行くところだって言ってたくらいだ」

 

「…………それだけ?」

「ああ、なんでだよ?」

 

「……ううん、なんでもない」

 

「…………」

「…………」

 

 比企谷が、洗面台の前に座ったあたしの頭頂部から後ろに流れるよう温風をあてている。

 いつも自分でドライヤーをするのとは全然違う。いや、そればかりか美容室でしてもらう時とも。

 

 …………これが好きな人にしてもらうってことなんだろうか?

 

 …………幸せ……かも……

 

ブォォォォォ――‼

 

「……さき…………川崎」

 

「……‼ な、なに?」

 

「さっきから呼んでるのに無視するなよ。俺の存在が無くなったのか、お前の具合がまた悪くなったのか迷うだろ」

「プッ あんた、またそんなこと言って……で、なに?」

 

「いや、他人の髪にドライヤーするなんてしたことないから、熱すぎたりしないか分からなくてな。もっと近付けて平気か?」

「ああ、うん。髪長いし根本部分とかなかなか乾かないからもうちょっと大胆にやっても大丈夫だよ。あまり束にならないように手櫛で隙間作りながら当ててね」

 

「一ヶ所に集中しないでまんべんなくお願い。乾かす場所偏ると、乾かし過ぎた部分の髪痛むから」

「りょーかいっと」

 

 ちょっと要求し過ぎたかと思ったけど、比企谷は丁寧に後ろ髪を手で梳かしながら温風を当てていく。元々器用なのか痛くしないし、気持ちいいくらいだ。自分でやるより……いいかもしれない。

 

 鏡で比企谷の表情を窺うとすごく真剣だった。他人の髪の毛を弄るのが初めてというのを鑑みると器用というより努めて優しく丁寧にしているのかもしれない。

 

 ……わざわさ、熱くないかとか訊いてくるくらいだからすごく神経使ってやってくれてるんだろうな。

 

 こんな奴が女に暴力なんて振るうわけがないよ……

 

 …………

 

 …………

 

 …………それにしても

 

 成り行きで頼んじゃったけど、これって結構恥ずかしいことかも……。

 

「ねぇ、比企谷。あんたさっき他人の髪弄ったことないって言ってたけど妹の髪乾かしたこととかもないわけ?」

「あー、小町か。多分だけど。記憶に全くないから分からんっていう方が正しいか」

 

「……そう」

 

 あたしが初めてか……

 って今の鏡に写ってる顔ちょっとヤバイ‼

 平常心平常心……!

 

「……根本はこんなもんか」

「ありがと」

 

「後は襟足と耳の後ろあたりが乾きづらいからお願いします」

「了解了解」

 

 

ブォォォォォ――‼

 

 比企谷の手があたしのうなじに触れる。

 

「⁉ あっ……」

 

 えっ? えっ? なにいまの⁉ 何か触れられたとこがじんじん痺れるみたいな……でも嫌な感じとかじゃなくて、

 

「……んっ!」

 

 ……これ……気持ちいいかも……。

 声が出たのを聞かれてないのは一生懸命な比企谷の顔を見れば分かった。

 

「っ! ……んっ‼」

 

 今度は耳に触れる。そのたびに軽く電流が走る。

 

「……っ、ぁ……」

 

 こんな……あたしの耳敏感過ぎでしょ。

 

「ふぁ…………ひゃ……」

 

 く……癖に……なりそう。

 

「こんなもんか。で、毛先も今までみたいにやればいいんだよな? ……おい川崎?」

「あ⁉ う、うん、根本から毛先に風が流れるようにドライヤー向けて」

 

 毛先フェーズに移行してしまい直接触れられることがなくなったのが少し残念だけど、手櫛で梳いてもらうだけでも気持ち良かった。

 

 

 たっぷり時間をかけ、だが乾かし過ぎないよう気を付ける。

 

「……比企谷、もういいよ」

 

 ちょっと……いやだいぶ名残惜しいが終わらせてもらう。本当はもっと続けてほしいけど、これ以上続けるとせっかく比企谷が丁寧に乾かしてくれた髪の毛がオーバードライになってしまう。

 

 

「ん」

「どうだ?」

 

「……いいじゃん、乾かし過ぎてないしキューティクルちゃんと閉じてて艶々だよ」

「そうか、そりゃよかった」

 

「あんたドライ上手いじゃん。またやってもらおうかな」

「勘弁してくれ……メチャクチャ緊張したぞ……」

 

「やってれば慣れるでしょ」

「いや無理だから! 慣れないからね! ……ドライヤー中、心臓やばいことになってたんだぞ?」ボソッ

 

 最後の方が聞き取り辛かったが、比企谷はそのまま続けた。

 

「通報されない交換条件として受け入れただけだ。これで通報しないよな? ……しないですよね? しないでください!」

 

 そういえば発端なんてすっかり忘れてたけどそんな流れだったっけ。

 

「あれくらいであたしがあんたを通報するわけないでしょ」

 

 あたしは鏡越しに比企谷を見て微笑んだ。

 

「⁉」

 

「お風呂入ってるところに裸で押し入ってきたらさすがにちょっと考えるかもしれないけど」

「いやいや、それでも考えるのかよ⁉ しかもちょっと⁉ ノータイムで110番だろ! なんだったら911まである‼」

「911が上位互換みたいに言ってるけど、意味同じだからね」

 

「それに……言ったでしょ、あたしはあんたが好きだって」

 

 もう何度目かの告白。一度伝えたら何度だって言える。が、それでもまだ少し恥ずかしくて鏡の向こうの彼から視線を逸らす。

 

「あ、ああ……」

 

 比企谷もキョドらなくなり、少し照れたように視線を逸らすくらいだ。

 

「…………」

「…………」

 

 また沈黙。時折り鏡越しで視線が合うもどちらともなく逸らした。何度かそれが続いた後、比企谷はぽしょっと呟く。

 

「……なあ」

「……なに?」

 

「ちょっと訊いてもいいか?」

「ん、いいよ」

 

「昨夜、お前の部屋で言ってたよな、俺なんかの言葉で安心できるって」

「うん」

 

「あれって、なんでだ?」

「……は?」

 

「…………俺が過去のトラウマなんかで臆病過ぎるからかもしれねえが、俺は誰の言葉を聞かされても、その……安心するってところまでいかなくて……」

「…………」

 

「いや、ホントにすまん。でもこればっかりは事実で、隠しても仕方ないことだし、好きって言ってくれたお前にも申し訳ないから……」

 

 ……なんだろう……遠回しに振られてる……のかな?

 でも奥歯に物が挟まるようなこの言い方は……

 

「……ねえ、それってあたし振られてる?」

「いや、断じてそんなことは言ってない! お前のことを好きか嫌いかで言えば好きな方だとはっきり言える。それは間違いない!」

「‼ そ、そう? あ、ああ、ありが、とう……」

 

 またこいつは不意討ちで……‼

 

「でも、それでもお前の言葉だけで俺が安心するかって言えば……いや、お前だけじゃない。中学の頃に比べたら今は信頼できる奴等が増えた。お前もその一人だ」

「…………」

 

「それでも! 俺は言葉を掛けられれば裏を探ろうとしちまうし、平塚先生にも似たようなことで説教されて……って何言ってんだ俺……何が言いたいんだよ……」

 

 比企谷は必死に説明しようとするが上手い言葉が浮かばないのか歯痒そうに顔を歪めた。

 でも、何となく分かる。比企谷が今も、もがいてるっていうことは。

 

 ……比企谷は信じたいのだ。あたしの言葉も、他の奴等の言葉も。それが出来ないからこうして話すこともまとまらず伝えられない。

 

 でも比企谷なりに誠実にあたし達と向き合いたいって気持ちだけは伝わってくる。

 正直に包み隠さず今の自分の気持ちを吐露しているのだと。

 上手くいかず、どうすればいいのか分からない。

 どうすればあたしを、他人を、無垢な心で信じることができるのかが分からない。

 

「お前は、俺が好きだから俺の言葉を盲信して安心できるのかもしれない。でも俺にはそれができない」

「…………」

 

「これってお前の好きより俺の好きが足りないからなのか? もっと好きになったら俺は信じることができるのか?」

「それは……」

 

 比企谷はあたしに縋るように答えを求めた。でもあたしだってそんなこと分からない。

 ……あれ? 必死過ぎて結構すごいことを口にしてた気がする。

 

 比企谷があたしと同じくらいあたしを好きだったら、か。そうなれたら夢みたいだけど、そもそもあたしと比企谷じゃ条件が違う。

 あたし達は家族を大切にするところは同じだけど、交友関係には雲泥の差がある。

 

 比企谷には奉仕部の二人が、生徒会長が、城廻先輩が、戸塚や、あの材……何とかって奴もいる。

 そういった多くの人達へと気持ちを向けるのにどれだけエネルギーが必要となるか、あたしには想像もつかない。

 

 逆にあたしが気持ちを向けるのは比企谷しかいない。

 

 何となく目で追うのも、話しかけるのに緊張するのも、話しかけられて意識するのも、ふと頭に思い浮かべるのも。

 そんな無二の存在だからここまで好きになれたのかもしれない。

 

 だから言葉なんて不確かなものでも、それが比企谷のものなら安心する。

 そして、これをそのまま伝えるべきではないことも分かっている。

 伝えれば『あたし以外との関係を切ってみたら?』という意味を内包してしまうからだ。

 

 だったらあたしの言うべき言葉は一つだ。

 

「じゃあ…………いつかあたしの言葉で安心できるようにしてあげる」

「う……」

 

 それは『いつかあたしに惚れさせてみせる』と同義な言葉。

 

「…………」

 

 照れ隠しか手持無沙汰か頭を掻く手が止まらない比企谷に、あたしは将来の心配を込めてこう言った。

 

「あんた、あんま掻き過ぎるとハゲるよ?」

「マジか? 俺大人気になっちゃう? ハゲだけに? 明るくて?」

 

「……ちょっと意味分かんないんだけど?」

「ああ、すまん。去年奉仕部であった依頼の話の中に、由比ヶ浜が『明るいのがアピールポイント』とか言ったことがあってな。その返しがそれだった」

「あんた、またしょうもないこと言ってんだね……」

 

 弛緩した空気が流れる。結果的にアシストしてしまったとはいえ、あの会話からここまで転換できる頭の回転と話術にある意味感心してしまう。

 

「…………」

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

「……わりぃ……その……またはぐらかしちまった」

「え」

 

「……お前があんなにちゃんと伝えてくれてるのに……こうして逃げ回る俺は本当に情けねえなって自覚はあるんだよ……」

 

 比企谷も自覚はしてるだろうとは思ってたけど、こうして打ち明けてくれたのが意外だった。

 

「……いいさ、あたしへの信頼が足りないんだからあたしの責任で」

「いや、それは違うだろ……」

 

 そうは言うがその言葉に力はない。

 本当にあたしの言葉を完全には信じられないんだ……

 どれだけ臆病なんだろう……

 今までに一体何があったのだろう。

 

 比企谷はさっき言葉の裏をとろうとしてしまうと言った。そんな猜疑心が制御できなくて苦しんでいる。

 ならせめて、あたしは比企谷八幡の前では誠実でいよう。あたしの信じるを捧げよう。

 それで比企谷の疑心が少しでも晴れるならあたしに惜しむものなんてないから。

 

「だから……その……」

 

 言葉を濁す比企谷に対して、鏡越しのままこう続けた。

 

「……あたしが安心させてみせるよ」

「川崎……」

 

 それを最後にあたしは洗面台から離れた。

 

「ほら、もうじき妹ちゃん達が来るよ」

 

 

 

つづく



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23話 彼の前では、雪ノ下雪乃の煩慮も徒でしかない。

雪乃のしゃべりが苦手です……
語彙力皆無のガハマちゃんと違って多少は考えないといけないので。
部室のやりとりと違うので、罵倒も言い過ぎると周りが引くだろうから加減しないといけないし。
とはいえこの時系列だと雪乃の印象はだいぶ柔らかになってるのでそういった意味でも加減しないとキャラ崩壊ですが。
正直ガハマちゃんは思考まで単純だから無限に会話続くんですよね。面白いかどうかは別にして。

2020.12. 4 台本形式その他修正。
2020. 1.21 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Yukino 》

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

~昨日の放課後~

―職員室―

 

「先生、鍵を借りに来ました」

「ああ、ご苦労。ほら」

 

「では失礼致します」

「ちょっと待ちたまえ」

 

「? なにか?」

「……比企谷の更生について話があるのだが……」

 

「……なんでしょう?」

「……ちょっと生徒指導室まで来てくれないか?」

 

「はい」

 

 平塚先生は普段より真剣な表情でそう促した。

 

「さ、掛けてくれ」

「失礼します」

 

 生徒指導室の椅子に座ると、この後部活なのを察してかいきなり本題に入る。

 

「昨日、比企谷を借りた時に話題になったんだが」

「はい」

 

「比企谷が入部する時に依頼した『比企谷の孤独体質改善依頼』が進んではいるようだが気になったことがあってな」

「⁉ …………申し訳ありません。想像以上に頑固というか、確かに変わり始めているようなのですが、なかなか……」

 

「それは君も負けていないようだが……まあ、今それは言わないでおこう。呼び出したのはその依頼のアプローチについてだ」

「? アプローチ……ですか?」

 

「そうだ。どういった方針で取り組んでいるのか少しばかり気になってね」

「方針……ですか…………確かにこれといって特殊な取り組みをしているわけではありません。強いて言うなら、今までも部活を通じて彼との交流を図りつつ会話シミュレーションを……というところですが……」

 

「つまり当初と変わらず、ということだな」

「……そうですね」

 

 その言葉にはどこか非難めいたものが含まれている気がした。

 

「……何をおっしゃりたいのでしょうか?」

「……時間もないし、まどろっこしいことはやめておこうか。今の君なら受け入れられるだろうからな」

 

 平塚先生は座り直すと正対し、わたしの目を見てこう続けた。

 

「……雪ノ下、君はずいぶん変わったよ。奉仕部設立の頃からは考えられないくらい表情も豊かになり、柔らかさが出てきた」

「……はい」

 

「…………元々、比企谷を強制入部させたのは彼の更生よりも君の孤独体質改善を狙ってのことだった」

「っ⁉」

 

 平塚先生の口から信じ難い言葉が告げられる。

 唐突な彼の強制入部、安い挑発で無理矢理わたしとの接点を作ってきた不自然さから何か狙いがあるとは思っていた。

 いや、疑らない方がおかしいが、まさかそんな意図だとは予想もしていなかった。

 

「出会った頃の雪ノ下には認められない事実かもしれないが今の君なら、と思ってな」

「…………」

 

 確かにあの頃、言われていたら聞く耳など持ち得なかったであろう。

 だが、平塚先生の指摘通りその言葉に耳を傾けるだけの自己分析を今のわたしは出来ていた。

 

「無論、この変化は比企谷だけの功労ではない。由比ヶ浜も同じくらい貢献している」

 

「……そう、ですね…………わたしは奉仕部に在籍していて良かったと心から思っています」

 

 平塚先生と二人だからこその科白だった。たとえ由比ヶ浜さん相手であってもこうは言えなかっただろう。

 

「そうか。その功労者の一人に昨日こんな話をしたんだが……」

 

 平塚先生が車中で話した『言霊』と『比企谷くんの自虐癖』に関連する見解を説明された。

 

 言霊についてはわたしも耳にしたことがある。

 霊と名の付くそれは、言葉が魂を持って現実に影響を与える、一種の呪詛に近しい存在だとか。

 言葉によって指向性が齎されたそれは、受けた人の意識を変え、それによって行動が変わり、結果までも変化してしまう。

 これは引き寄せの法則と呼ばれ、偉人の名言でも似たような言葉がある。

 

 心が変われば行動が変わる。

 行動が変われば習慣が変わる。

 習慣が変われば人格が変わる。

 人格が変われば運命が変わる。

 

 言霊がそれを起こす切っ掛けを与えるのだとしたら、わたしは日頃から比企谷くんに対して存在する価値のない人間になれと暗示していたことになる。

 あれは気の置けない相手に対しての戯言。比企谷くんも理解してくれているはず。

 だが、本当にそうだろうか。そう考えると不安が過る。

 

 あの捻くれた男が言葉の裏を、悪意を読まないはずがない。

 夕日差し込む奉仕部の教室で自ら吐露していたではないか。

 

 ――『本物がほしい』と。

 

 それが何なのか、今でもわたしは答えを探している。

 しかし、確たる答えが分からなくともその前の言動を鑑みれば少しは答えに辿り着けるのではと瞑目した。

 何か裏があるんじゃないか、事情があってそう言ってるんじゃないかと、言葉を疑う彼の望むもの……きっと言葉に替わり信じられるなにかなのだろう。

 もっと言えば、彼は言葉というものに少なからず恐怖を抱いていると当て嵌めれる。

 

 そんな彼の目に普段罵倒ばかりしているわたしはどう映るだろう。

 

 本当に冗談だと受け止めてもらっているのだろうか。

 

 それでなくても常日頃から虚言を吐かないなどと嘯いているのだ。

 

 むしろ本気と取られる方が自然といえるのではないのか。

 

 その結論に達した時、わたしの心臓はキュッと締め付けられたような不快感に襲われた。

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

「――――ということを言われ、比企谷くんとどう接して良いのか分からなくなって……」

「つまり、お兄ちゃんを罵倒することによって前向きさを失わせていることが人格更生を妨げているので、控えるよう注意された、ということですね?(あちゃー、やっぱり雪乃さんにも注意入ったかー)」

 

「あー、うーん……ゆきのん冗談でよくヒッキーに言ったりしてるもんね」

「ごめんなさい。小町さんにとって気分のいい話ではないかもしれないけれど決して本気で比企谷くんを貶していたわけではないの……」

「いえ、小町も結構言っちゃってるとこありましたからこの件に関しては強く出れないっていうか……」

 

「それでも実の兄を他人が悪し様にするのを見ていい気分になるとは思えないわ。わたしの姉にならウエルカムなのだけれど」

「そう言われても返答に困りますよ……」

「陽乃さんを悪し様に出来る人がそもそもいないと思うんだけど……」

「比企谷くんはいつもそうしているけれど結果が全く伴っていないものね。卑屈の理論武装で逆に姉さんを喜ばせているという見方も出来るわ」

 

 そしてその卑屈理論を一番楽しんでいるのがわたしであることが目下問題となっているのだ。

 

「話が逸れたわね。初めて出逢った時の延長でわたしは彼に対して罵倒表現以外でのコミュニケーションをとることが著しく困難になってしまったの」

「なんの悪びれもなく言い切った⁉」

「雪乃さん、それは小町的にポイント低いです……」

 

「でもあの腐った目を見ているとそれに相応しい言葉を口が勝手に疾言(しつげん)してしまうのよ」

「うわー、雪乃さん反省してなーい」

「あ、ご、ごめんなさい小町さん。だから今後どうするか対策を練るべく比企谷くんに外してもらったのよ」

 

「お二人なら、もっと普通にできる話題などがあると思って……出来ればわたしにそれを教えてもらえないかしら?」

「うん! 分かったよ、ゆきのん! もうヒッキーのこと悪く言わないようにあたしがしっかりレクチャーしてあげるからね‼」

「ふふ、ありがとう由比ヶ浜さん、頼もしいわ」

「小町も出来る限り協力しますからね!(でも結衣さんのレクチャーって不安だなー。いつもお兄ちゃんにメールしてもほとんど返って来てないみたいだし)」

 

 

× × ×

 

《 Side Saki 》

 

 

―川崎家―

 

ピンポーン

 

「いらっしゃい。今日はありがとう。あがってよ」

 

「お邪魔しまーす」

「お邪魔するわ」

 

「お邪魔します! 沙希さんもう身体平気なんですか?」

「ああ、お陰様で完調したと思うよ。今日ちゃんと寝れば完璧だと思う」

 

「良かったー、昨日は心配したんですよ?」

「すまないね、心配かけて。さ、今日は小町と大志のお祝いだしゆっくりしてなよ」

 

「そんなこと言ってまた無理する気じゃないですよね?」

「し、しないから。昨日はホントに食べ過ぎなだけだったからさ。少し家事するくらい平気だよ」

「そうだよ、無理しないで! あたしとゆきのんが手伝うからさ! 小町ちゃんもゆっくりしててよ!」

 

「それはいい心がけだが、お前は決して料理は手伝うな。絶対だぞ。神と雪ノ下に誓え、今すぐに」

「ゆきのんが神様と同列に⁉」

「比企谷くんにしてはいい判断だわ。由比ヶ浜さん、絶対に料理に手を出さないでね。絶対だから」

「念押しされた⁉」

 

 これが奉仕部漫談なのか、淀みなく繰り広げられるやり取りは心地良くもある。

 …………だからこそ、ちょっともやもやする。

 

「いらっしゃい、皆さん! 今日はわざわざ申し訳ないっす!」

「大志君、久しぶり! 合格おめでとう‼」

「おめでとう」

「ありがとうございます!」

 

「本当にわざわざすまないね、大志の為に」

「小町の為でもあるからな。気にしなくていいんだぞ」

 

「あら? あなたがそんなことを言うなんて随分偉くなったものね……はっ⁉」

「へいへい、祝うのは俺じゃないからな。……って最後の『はっ⁉』ってなに?」

 

「な、なにを言っているのかしら? ついに目だけでなく耳まで腐り果ててしまったのかしら……~~~~っ‼」

「いや、だから語尾につくその得体の知れない呻きはなんだよ? 川崎だけじゃなくお前まで風邪か?」

 

「し、心配? いえ、心配するように見せかけてわたしの歓心を買おうというのかしら? 相変わらず姑息な真似がお上手な……の、ね………?」

「なんで最後の方、恐る恐るなの? お前今日変だぞ?」

 

「そ、その……」

「ああー、えーっとー! そ、それよりもお祝いのお料理作ろうよ‼ あたしも手伝うから‼」

 

「お前はやめろ!」

 

「あなたはやめて!」

 

「酷いし⁉」

 

 

× × ×

 

 

 比企谷と小町はごねていたが、結局あたしも料理を手伝うことにした。

 雪ノ下のサポートをあたしがするといった形だ。昨日みたいに無理し過ぎてまた体調不良なんてみっともない真似をしたくない。

 一緒に料理を作っていると、なんだかこちらを窺いながら目が合うと逸らして、またこちらを見る、を繰り返す。

 

 ……言いたいことでもあんの? といつものように訊きたいが、相手が雪ノ下だと少々躊躇われる。

 

 エンジェル・ラダーで話した時もそうだったが、彼女とは相性が悪いと感じる。去年の夏、予備校で会った比企谷に向けて言った言葉がそれだった。

 あまり普段通りの口調で接すると無用な衝突を招く気がしてならない。その懸念があったので比企谷にスカラシップのお礼を頼んでしまったのだから。

 どうしたものかと考えている内に、料理はどんどん進んでいく。

 

 さすが雪ノ下。クリスマスやバレンタインイベントでその腕前の一端を目の当たりにしたが、何でもできる才女なのは確かのようだ。小町や城廻先輩よりもう一段以上調理能力が高いし的確で手早い。

 あたしも雪ノ下も料理が得意なのでどんどん捗るが、逆に話せる時間が短くなっていくとも言える。

 

「…………」

 

 ……仕方ないね。

 

「……ねえ、さっきからチラチラ見てるけど何か訊きたいこととかあるの?」

「えっ⁉ いえ、その……」

 

 予想外のしおらしさで拍子抜けしてしまう。これから決闘するってくらいの意気込みで声かけたのに。

 

「そ、その……川崎さんは……いつも、比企谷くんとどういう話をしているのかしら?」

「はっ⁉」

 

 今度はこちらが間抜けな声を上げてしまう。

 

「え? 一体、何言ってんの?」

 

 あたしよりも比企谷と親しいであろう雪ノ下から聞かされる言葉には思えなかった。

 あたしに興味があるわけではないだろうし。

 

「ご、ごめんなさい。突然変なことを言ってしまって……気にしないで、忘れてちょうだい」

「ああ、こっちこそごめん。あんまりにも予想外だったから思考が追い付かなくてキツイ言い方しちゃって」

 

 雪ノ下とはほとんど話したことがないが、それでもバイト先に彼女が来て会話したし、バレンタインの依頼でも話した。

 その時と状況がまるで違うから比較しづらいものの、それでもこんな弱気なしゃべりをする奴ではなかったはずだ。

 

「そんなこと訊いてくるなんて、なんか理由あんの?」

「…………」

 

「さっき、比企谷と話してた時に変だったのもそのせい?」

「…………」

 

「……理由もなしにそう訊かれてもね……比企谷とは会話自体あまりしないから、何話してるって言われても答えにくいね」

 

 対外的な会話が比企谷九割その他一割とは言った。だが実際、登校時に会えば挨拶くらい、教室で会話は皆無、予備校では挨拶もなく声をかけるのはたまに近くに座った時くらいだ。

 

 ……あれ? あたしの九割どうなってんの?

 バレンタインの日からこっち、それらの状況以外で話すことはあったが、どれも例外的で雪ノ下の求める答えには適さない気がする。

 

「…………実は……」

 

 雪ノ下は、昨日平塚先生に言われたことをあたしに話し出した。

 

 比企谷が奉仕部に入部した……というかさせられた原因が孤独体質にあり、それを改善させる依頼を受けたのが雪ノ下だということ。

 ところが平塚先生に言わせると、それを矯正する雪ノ下の接し方が著しく相応しくないのだという。

 

 バイト先に乗り込んできた時やその後の大志を含めた奉仕部との話し合いの時の雪ノ下の会話を思い出す。

 雪ノ下はあたしと話している最中にも比企谷をディスる発言がよく飛び出していた。

 いや、下手をするとあたしと雪ノ下が向かい合ってるその間に比企谷がいる、というか射線に入った位置関係なくらい流れ弾に被弾し続けていたほどだった。

 雪ノ下はそれを楽しんでいる節があったし、比企谷はその性格から言い返さず自虐で受け入れてたのだろう。

 

 ただ、孤独体質改善において本人に自信をつけさせることは、前向きな性格作りとして正しいし、それにより外交的になり他人に接しやすい。ネガティブで自虐体質だと聞かされる方も気が滅入るし他人が寄り付きにくいだろう。なのに雪ノ下の日常的な貶し言葉は古傷を抉り、コンプレックスを助長させ、自信を失わせ、後ろ向きに拍車をかけている。

 それを平塚先生に指摘されて雪ノ下は、比企谷に対する接し方を改善することにしたのだという。

 だが、急にやろうとしてもどうすればいいか分からず、藁にも縋る思いであたしに訊いてしまったというわけだ。

 

「……今まで当たり前のように比企谷くんを貶していたツケが回ってしまったようで、その……普通に会話するということが困難になってしまって……」

「…………」

 

「いえ、別に貶さなければ言葉が発せない訳ではないの……」

「ただ、何というか……今まであれだけ貶してきて突然何もなく普通に話すと、空々しい気がしてしまって……」

「そんなつもりもないのに、なんだか虚言を吐いているように錯覚してしまって……」

 

 雪ノ下の言葉を虚言に捻じ曲げるあいつの自虐体質力ってどうなってんの……?

 っていうか、雪ノ下も比企谷に近いくらい捻くれてるのかもね。

 

 普通に表現するより少し機智に富んだ会話を望んでいて比企谷も国語の成績がいいって言ってたから語彙力あるだろうし、何より捻くれた視点のお陰で得られた小才が雪ノ下の御眼鏡に適ったのかもしれない。

 まあ、二人が話してるとこなんてほとんど見たことないから予想でしかないんだけど。

 

「で、なんであたしに訊いたの? 言っとくけどあたしもあんま友人いないし会話とか少ないんだけど」

 

「……その……」

「もちろんわたしも身近で話題が多くて比企谷くんと親しい由比ヶ浜さんがお手本になるのではないかと思って相談してみたのだけれど……」

「……彼女の話題が……話題どころか言語すら違うのではないのかと錯覚してしまうくらいに何を言ってるのか理解ができなくて……」

 

「あぁ……なんかそれ分かる気がする……」

 

 最近の流行やらテレビ番組やネット、身近にあった出来事……多分あたしや雪ノ下や比企谷からみたらどうでもいい中身のない話題ばかりを教わったのだろう。

 特に流行などは、それに疎いあたし達にとって何を言ってるのか理解することも難しい。それって比企谷にも通用しない話題ってことだと思うけど由比ヶ浜も普段どんな会話してんのさ。

 

「前に比企谷くんの言っていた『ふわふわぽわぽわした頭の悪そうな物が好き』と総評した言葉を思い出してしまったわ。それくらいに異文化コミュニケーションだったと言わざるを得ないわね」

 

 向こうに由比ヶ浜いるんだけど……うち狭いし聞こえても知らないよ……?

 

「いえ、由比ヶ浜さんばかりを責めるつもりはないわ」

「いや、今の聞いてると責めるつもりしかないの間違いじゃないの?」

 

「そ、そういうことではなく、その……わたしも一般の女子高生と離れた価値基準を持っているから、由比ヶ浜さんを責められないということよ」

「ああ、なら納得かも」

 

「だ、だから……その……こんなことを言うのは非常に失礼なのかもしれないけれど……」

「ん?」

 

「わたしと同じく友人が少なく、一般的な女子高生と離れた価値基準を持っていそうで、かつ比企谷くんと関係が良好な川崎さんなら、最も有効なアドバイスをいただけるのではないかと思って……」

「…………納得したくないけど理屈は通ってるのが悔しいね」

 

 失礼という自覚があるだけ人間味が感じられるのは大きな進歩だろう。エンジェル・ラダーに乗り込んできた時からは考えられない人間味だ、うん。

 まあ、出来る限り協力してもいいかもしれない。比企谷に自虐をやめろって言ったのはあたしだし、あいつが貶されなくなるのも願ったりだしね。

 

「確かに、雪ノ下が言ったことは大体、的を射てるよ」

「ほ、本当に⁉」

 

「……でも多分、期待には応えられないと思うよ?」

「あたし達が話すことってほとんど最小限のコミュニケーションだし、話題も予備校が同じだからその話くらい? あとは弟妹のこととか?」

 

「そ、そう……」

 

 目に見えて消沈する。あのプライド高そうな雪ノ下がわざわざあたしに訊いてきたという事実が、今までのことを省みている証明になった。

 

「…………はぁ……じゃあさ、貶しつつ、でも褒めたりとかしてみたら?」

「え?」

 

「今まで通り会話できないのが調子狂うなら、そうするしかないんじゃないの?」

「……比企谷くんを……褒める?」

 

 いやいやキョトンとしないでよ。

 

「…………それは少し……いえ、非常に難しい問題ね。彼の誉めるところを見つけるとなるとわたしの価値基準を大きく覆す必要があるのではないのかしら?」

「いや、あたしにそれ訊かれても……」

 

 前言撤回。あまり省みてはいなかった。

 

「……無理ならディスったあとフォロー入れればいいんじゃないの? あんた達がなにしゃべってるか知らないけど」

 

 正直、もう相談に乗る気も失せていたので適当な返しで場を流そうと考えた。

 

「適当なフォローというのは、どういったものなのかしら?」

「ああ、例えばだけど『あんたの目って今日も腐ってるね。でもあたしはそんな目も嫌いじゃないけどね』とか、そんな感じ」

 

「‼ すごいわ、川崎さん! それならわたしでも今まで通りに会話ができるかもしれない!」

「そ、そう? お役に立てて何よりだよ」

 

 普段どんな会話してんのさ? そういえば奉仕部でのあいつを見ることなんてほとんどなかったっけ。

 さっきうちに着いたばかりの会話がその片鱗だというのなら部室ではいかなる責め苦がされていたのか想像するのも恐ろしい。

 

 ……やっぱり、あたしは雪ノ下と仲良くできないね……

 

 

× × ×

 

 

「今日は川崎雪乃の料理か」

 

「お兄さん、本当にそれ気に入ってたんすね……」

 

「いやー、小町の時と違って無理に協力する必要ないから別々かもしれないよ?」

 

「うう……あたしも料理手伝いたかったよぅ……」

 

「おいバカやめろ、この祝いの席を惨事の現場にするつもりか⁉」

 

「辛辣だぁ⁉」

 

「お前が手伝うと『由比ヶ浜雪乃』でも『川崎結衣』でもなくて『由比ヶ浜結衣』という不変の料理が完成しちまう」

 

「なにそれ⁉ あたしってなんか特別じゃん‼」

 

「おう、そうだぞ。他の料理上手を殺す強さを持ってるという点で特別だ」

 

「ひどっ⁉」

 

「お兄ちゃん、もうちょっと違う言い方があるでしょ」

 

「そうか、悪かった」

 

「最近料理の練習してるみたいだし、少しは上達したんだろうがそれでもあまり美味しくないので昔のネタみたいな不味さのがまだ笑えたな由比ヶ浜」

 

「うわぁぁ――――ん‼」

 

ビシッ

 

「いてっ⁉ 小町、デコピンするならもうちょっと加減しろ、本気で痛ぇから」

「はぁ~……お兄ちゃんの罪はこの程度のデコピンじゃ償いきれないよ……」

 

「うう……ヒッキーの…………バカ……」グスッ

「あぁ、悪かったって。ほんの冗談だ。ただ謝りはするが、マジで雪ノ下先生のGOサイン出るまで他人に料理は振舞うなよ? それだけは切に願う」

 

「グスン……うう……わかったぁ……」

 

「ハァ……もうお兄ちゃんなんてほっといて洗濯物干して来るね」

「あ、比企谷さん俺やるから座っててください」

「えー、家事好きだし小町にやらせてよ。入試直前なんて普段やらないお母さんとかお兄ちゃんまで家事手伝ってくれて違った意味で欲求不満だったんだよ?」

「え、そうなんすか? お兄さんやっぱり面倒見いいっすよね」

 

「へー、ヒッキーってやっぱり小町ちゃんには優しいんだね」

「おい、バカやめろ、恥ずかしい。それに、そんなもん川崎は常日頃からやってることだし、俺がその何倍も小町に面倒見てもらってる事実を後からバラして落とす気だろ?」

 

「お兄ちゃんは小町を何だと思ってるの……当たってるけど」

「当たってんのかよ、ならせめて悪びれろよ。なに清々しいまでに胸張って答えてんだよ、お兄ちゃんは泣いちゃうよ?」

 

「……楽しそうだね。料理出来たから、テーブル拭かせて」

 

 料理が出来たことを知らせようとしたら、比企谷があたしのことを口にしていたのに驚く。当たり前にしていたことだけど、そんな風に言われると鼓動が大きく跳ねるのが自分で分かる。

 

「あー、布巾貸せ。拭いとくから」

「そ、さんきゅ」

 

「大志は料理運ぶの手伝っとけ。小町も洗濯物干すなら早くしないと料理冷めちまうぞ?」

「わー! 小町が戻る前に食べ始めるとかなしだから! 小町泣くよ⁉」

 

「バッカ、お前、そんなことしたら俺のが大ダメージだわ。小町を悲しませて心がブレイクして8万ダメージ、小町を泣かせたことを親に気付かれて勘当された俺は大学行けずに高卒で働いて8万ダメージの計16万ダメージだわ。高卒初任給の手取りかよ」

「あたしが干すから妹ちゃんは座ってなよ。ってか、あんた冗談の中で専業主夫って言わないだけ現実見てんだね。ちょっと見直したよ」

 

「現実なんて生まれた時から理解してるわ。俺が産声を上げた瞬間から親が絶望する絵面が思い浮かぶからな」

「……そういうこと言わないでっつったでしょうが」

「お兄ちゃん……!」

 

 あたしが軽く脇腹を小突き、小町が軽く脳天をチョップする。大して痛くもないだろうが比企谷の戸惑い具合は見てておかしくなるほどだった。

 

「えっ⁉ なんで二人で結託して暴行するの? やっぱり俺泣いていい?」

 

 だいぶ程度が和らいだとはいえ、未だ自虐癖は尽きないのかつい出てしまうようだ。そんなコントのような光景を複雑な表情で見ているのが由比ヶ浜だった。

 

「むー……」

「? なんだよ?」

 

「……なんかヒッキー達と沙希って仲良すぎない?」

「え、そ、そう見える?」

「あ? そんなことないだろ?」

 

 比企谷がどういう答えを望んでるのか判然としなかったので曖昧に疑問形で返したが、即座に否定されるのもどうなのさ……。

 

「沙希さんが風邪でダウンしてた時に色々お手伝いしてたからですよ」

「別に大したことはしてねえぞ。昨日けーちゃんを迎えに行って夕飯一緒に食っただけだ」

 

 母さんが口を滑らせたから一昨日も来てくれたことは知ってるんだけど。調子を合わせておかないと比企谷の顔を潰してしまいかねないので口からこぼれそうになる真実を何とか飲み込んだ。

 

「うう……」

「由比ヶ浜さん、運ぶのを手伝ってもらえないかしら?」

 

 料理を運んでくる雪ノ下を尻目にあたしも手伝う。結構沢山作ったからね。

 

「凄いっす! 姉ちゃんの料理とはまた違う感じで美味そうっす‼」

「ありがとう、川崎君。今日は二人のお祝いなのだから、沢山食べてちょうだい」

「昼から豪勢だな……」

 

 料理を並べ、結局小町に洗濯物を干してもらい戻ってくると、改めて二人の総武高校合格祝いが始まった。

 

「それでは! 比企谷小町ちゃんと川崎大志くんの総武高校合格を祝って‼」

 

 そういいながら由比ヶ浜はクラッカーを人数分回してきた。

 

「? おい、由比ヶ浜。まさか……?」

 

「うん! やっぱりお祝いだしパァーッとやらないとね‼ ほら、みんなもこれ持って」

 

「ゆ、由比ヶ浜さん? その……」

 

「あのっすね……」

 

「せっかく用意したんだからさあ! ほらほら遠慮しないで!」

 

 みんなが言葉を選んでは飲み込み、また別の言葉を考えて、を繰り返したところで小町が最初に口を開いた。

 

「あの~結衣さん……もうテーブルに料理並べちゃったからクラッカーなんか鳴らしたら紙テープとか料理に入っちゃうんでやめておいた方が……」

 

「出来ないことはないが、テーブルの下や壁に向かって発射するシュールなお祝いになるぞ」

 

「うえぇぇぇ⁉」

 

 あ、今気づいたんだ。

 うん、知ってた。やっぱりこの子、いい子なんだけどちょっと…………いい子なんだけど……!

 

「そ……そっかぁ……そうだよね……ごめんね、二人とも気づかなくて……」

 

 その落ち込む姿は可愛いし純粋だ。童顔なのも可愛さに拍車をかけている。

 ただ、そこに二つの大きなメロンがぶら下がっていることがアンバランスで、チャーミングの中に扇情が同居する恐ろしい生き物だと感じた。

 

「はぁ……じゃあ、小町と大志に壁際に並んでもらって、そこに向ければいいだろ。二人ともそっちに並んでくれるか?」

「あ、そうだね。お兄ちゃん頭いー!」

「さすがっす!」

 

「ただし、間に俺が入れるくらいの空間をあけろよ。っていうか俺が入るか。そうしよう」

「せっかく妙案出して見直したのにその行動でまた見下げ果てたよ。黙って祝いな」

 

 二人の間に入ろうとする比企谷を後ろから裸締めで押さえつける。もちろん大志達に近寄らせないだけで大して圧迫などしていない。

 

「うっ……ちょ、っと……」

「? なに? そんな苦しくないでしょ、大して力入れてないし大袈裟なんだよ」

 

「さ、沙希……?」

「姉ちゃん、気づいてないかもしれないけど男からしてみるとそれはどうかと思う……」

「え? 男からすると……? ……あぁ⁉」

 

 締め上げるというよりただ抱き付いてただけと言った方が正しい。しかも、お風呂上りの時バタバタしてて……。

 ……いまノーブラだったことを忘れてた。

 すぐ離れるのも意識したみたいで恥ずかしいし、徐々に腕を解く。

 ゆっくりとした動きで圧迫が緩んでいく。自分の胸から『たゆん』とか『ぽいん』とか効果音が聴こえそうで、元の形に戻っていくのをしっかり感じ取れてしまう。

 

 完全に比企谷から離れたが、位置的に正面の弟妹と目が合ってしまう。二人の表情は羞恥を帯びバツが悪そうだった。

 その視線に耐えられなくなり顔を背けるが、その先に雪ノ下の顔があった。

 

「……………そんな脂肪の塊の何がいいのよ……」

 

 信じられない独白が聞こえた。

 

「うう……あたしだってそれくらい……」

 

 いや出来る出来ない以前にやらないでよ、やっちゃったあたしが言うのもなんだけど。

 

「ほ、ほら! クラッカー鳴らすよ‼」

 

 我ながら呆れるくらい下手な誤魔化し方だ。

 

パァーン‼

 

『総武高校合格おめでとう‼』

 

 

× × ×

 

 

「そういえば今日って沙希と大志君だけなんだ?」

「ああ、父さんは今日も仕事。母さんは下の子連れて映画に行ったから」

 

「じゃあ、今日来たのってちょうどよかったんだね。迷惑だったらどうしようかと思ってたんだー」

「いや、そういうことは行く約束する前に考慮すべきだろ。いつもの空気を読む力はどこいったの?」

 

「だ、だってー、初めて行く友達のうちって何かいいじゃん? だからちょっと強引にでも遊びに……お祝いに行こうと思って」

「いや、もうそれ遊びにでいいよね? 今更体裁取り繕わなくていいからね?」

 

「……ともだち……ともだち……?」

「いや、沙希さんそんな不思議そうに反芻しなくても……ってか友達ですよね? むしろ友達以外の表現ってあります⁉」

 

「雪ノ下の言葉を借りるなら『依頼対象者』・『知人』・『顔見知り』あたりが的確なんじゃねえの?」

「失礼ね、確かにわたしと川崎さんではそれらの呼び方が当てはまるでしょうけど、由比ヶ浜さんにとっては『クラスメイト』が適切ではないのかしら?」

 

「そこは友達じゃないの⁉」

「ごめんなさい由比ヶ浜さん。友達……というものがどこからどこまでを定義する言葉なのかわたしには分からなくて……」

「逢った時からブレないなお前。ある意味安心する」

 

「ううー、あたしと沙希は友達だよね⁉」

「ん、クラスメイトじゃない?」

 

「え……」

「ええええ⁉ そこは友達っていうところなのでは⁉」

 

「ああ、ごめん。友達かな? ……多分」

「うう……沙希のいじわるぅ……」

 

「ぼっちにはぼっちのスタイルってのがあるからな。あまり自分の考えを押し付けても川崎に迷惑かかるし、これ以上はやめとけ」

「お兄ちゃんが言うとすごく説得力あるよね……」

 

「さすが一人でいることに関しては一家言あるのね。長年培われた経験がそうさせるのかしら?」

「俺の友達いない歴は年齢とイコールだからな」

「ヒッキーさすがにその自虐はもうつまんないから……」

 

 全くだ。むしろその自虐はあたしにこそ相応しくなってる。

 あれ? そういえばホントにあたしって友達いなくない?

 

「お兄ちゃんの無念は小町が総武高に入学して晴らすからね!」

「きっと小町ちゃんなら友達いっぱいできるよ!」

「そうね。そのゾンビのような目のせいで友達の出来ない比企谷くんとは違うでしょうし。……でもそんな腐った目も、わたし嫌いではないけれど」

 

「⁉」

 

「ゆきのん⁉」

「……どうした雪ノ下? なにか変な物でも食べたのか⁉ 小町達のお祝いをしてくれるのは嬉しいが体調が悪いなら家で休んでた方がいいんじゃないのか?」

 

「え? え?」

 

「おかしいな、料理したのは雪ノ下と川崎なのに、由比ヶ浜が作った飯みたいなデバフ効果が出るなんて……」

「ヒッキー、もういいから! あたしの料理ディスりはもうお腹一杯だから‼」

 

「……あの……その」

 

 比企谷の返しに二次的な被害を被る由比ヶ浜。ああ、去年エンジェル・ラダーであたしと雪ノ下がそんなやり取りしたなあ。その時の犠牲者は比企谷だったけど。

 雪ノ下はこっちに非難の目を向ける。なにその目。あたしのせいみたいに捉えないでよ。

 

「ん、んん! ……わ、わたしと川崎さんが作ったのよ? 妙な効能なんてあるわけないじゃない」

「まあ、それは冗談なんだが、お前がさっきから変なのは事実だろ」

 

「なんだ? なんか悩みでもあるのか? なんだったら奉仕部として解決を依頼されてもいいぞ。ただ雪ノ下さん絡みの悩みは勘弁してくれないと俺まで変になる自信がある。むしろそうなるしかないまである」

「あら、自分が変じゃないだなんて、いつからそんな認識不足になったのかしら? あなたはもっと自分を冷静、にっ⁉ ……分析、で、きてぃたはず……だ、けれ……ど……」

 

「おい、だからなんだよ、その『話の最後の方は必ず戸惑う呪い』みたいなのは?」

 

「あ、あはは……」

「…………」

「…………」

「?」

 

 大志は比企谷と同じくポカンとしているが、あたしを含め女子は困惑した目で雪ノ下を見ている。

 

「な、なんだよ? お前らはこの呪いについて何か知ってるのか?」キョロキョロ

 

 あたしもそうだけど由比ヶ浜は特に嘘を吐けない性格だ。どうにかして話題を変えようとも思ったけど、あたし目線だと別に話してもいいかなって気がしてきた。

 

「あ、あら、いつまでわたし達をその下卑た目で舐めるように視姦しているのかしら? ……でもわたしはその視線嫌いじゃないわ……っ⁉(えっ⁉ わたし、一体何を口走っているの⁉)」

 

「はぁ?」

 

「ゆ、ゆきのん⁉」

 

 どんなフォローよ……。

 

「おい、なにその『わたしだけは見られると興奮しちゃうんでバッチこい』みたいな心に棲むビッチが漏れ出た発言は? それともお前、背中にビッチが棲んでるの? 両手上げて構えるとビッチが泣くの? 地上最強のビッチ? 他人の家で特殊性癖(つまび)らかにされる身にもなってみろ。特に奉仕部でもない川崎家はどうしていいか分かんねえぞ? もう一度自分の性癖を見つめ直して川崎家の敷居をまたいでください。ごめんなさい」

 

「~~~~っ」

「ヒッキー、いろはちゃんみたいになってるよ⁉」

「お兄ちゃん、こんな時に限って何でツッコミがキレッキレなの……」

「…………」

 

 結局、落ち着かせる為に雪ノ下をあたしの部屋へ連れて行った。由比ヶ浜なら何とか宥めてくれるだろうと期待して二人を残してあたしは比企谷達のところへ戻る。

 

 ……正直、あんなにもうまくいかないとは思わなかったよ……雪ノ下ってこういう応用が苦手なのかもしれないね。

 

 あたしは、実力試験学年一位が見せたその一面に、なんとなく親しみを覚えていた。

 

 

 

つづく



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24話 その山には、夢と希望が詰まっている。

書いてて楽しくなっちゃって文字数増えたくせに予定のところまで進みませんでした。
長くなりすぎて読みづらかったかもしれないです。内容にもメリハリが利かなくて
何言いたいか分かりづらくて反省してます。悪ふざけし過ぎました。
あと当たり前ですが『プリキュア☆ミラクルユニオニズム』なんてものはありません。創作です。

2021. 8.18 大志の発言とその他修正。
2020.12. 4 台本形式その他修正。
2020. 1.21 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


 

 

 

「――――というわけで、雪乃さんはお兄ちゃんのことを思って男子高生特有の性に満ち溢れた視線を甘んじて受けていたわけであります」

 

「おい、なんだよその初めから溢れ出る性欲を隠せてないから通報されるのは当然と言わんばかりの表現は。それだとまだ目が腐ってるって言われたほうが優しいからね? そっちは真実だし」

 

「やだなー、まるでお兄ちゃんが女子に興味ないみたいな言い草じゃん。嘘はいけないよ嘘は」

 

「何故、真実を訴えた兄の言葉を信じないんですかね? 人は冤罪を仕組まれる方がよほど後ろ向きになってしまう生き物なのですよ?」

 

「だぁーってお兄ちゃん、よく家で小町のこと見てたりするじゃん! 脱いだ洋服、洗濯機に入れててくれたり」

 

「おいバカやめろ。ここにきてそれはあらぬ誤解を生むだろ。冤罪か? 本当に冤罪を擦り付けたいのか? 第一、お前片付けといてって言ってその場で服脱いで投げつけてくる奴がどの口でそんなこと言うのか? っていうかそれ誰得情報だろむしろ小町まで大ダメージを被る未来しかないまである」

 

「あ、あんたたち…………」

 

 川崎さん顔赤くしてしどろもどろになっている。調子にのっていらんことまで暴露してしまった気もする。最悪、今のを雪ノ下に聞かれなかったのだけは朗報だった。だって聞かれてたら俺社会的に死亡すんじゃん。一発退場だわ。

 

「う……あ……な、なんでもない! なんでもないから‼」

 

 その反応でもう何でもなくねえよ。絶対小町のこと性的な目で見てるとか誤解してんだろ、取り繕えてねえから!

 

「…………」

 

 大志め、今の聞いて小町の姿を想像しているな。よし、わかった。お前が総武高校の制服を着ることは未来永劫ないことをあとで教えてやる。ってか何生意気にステルスしてんだよ、大志! お前がそのスキルを使うにはぼっち実務経験年数が8年ほど足りんわ。俺専用スキルだけに。八幡だけに!

 

 おもむろに小町にデコピンをお見舞いする。

 

「あいたっ!」

 

「TPO弁えましょうね小町ちゃん? せめてそういうのは家で話そうか。いや、家でもホントは嫌だけど。それと、実際に血が繋がってる妹なんて見ても何も感じねえよ。下着なんてただの布としか思えないわ。だよな、大志ぃ?」

 

「え? え? 俺っすか⁉」

 

 ステルスを無効化する突然の口撃に大志は面白いように狼狽える。

 

「そ、そりゃ、京華はまだ子供ですから、何か感じてたら本気でやばっすよ⁉」

「ばっか、そっちじゃねーよ、ねえちゃんの方だよ。けーちゃんを引き合いに出すとか、さすがの俺でもドン引きだぞ。もうそれ事案成立だから」

 

「あ、え、そ、そうでした。そんなつもりはなかったんすけど、妹って言われたからついそっちにしか考えが及びませんでした」

「まあ、お前にそういう趣味趣向があったということが分かったのは収穫だ。小町のお友達認定から外される超重要案件だからな。どう思う? 小町?」

「うーん、小町的にポイント爆下げだよ。大志君にそんな秘密があったなんて……」

 

「誤解っすよ!」

 

 うーん、大志がガチで困ってる顔はなかなかゾクゾクするものがあるな。あれ? 俺やばくね? 俺の嗜虐心やばくね? 大志虐めて満たされるとかそれもう色々とやばい‼

 

「あ、あんたたちねぇ……」

 

 あ、ちょっと本気で怒りかけてるかもしれん。そろそろやめとくか。

 

「きゃー、沙希さんが怒ったー」

 

 小町もうまいこと俺に合わせてくれて揶揄っていただけだ。

 

「くっ……! あんま大志虐めんじゃないよ。大体、あたしは大志の前で下着になんかならないし」

「でもバスタオル一枚とかで部屋練り歩いるとか言ってなかったか? ほら、確か去年大志がメールしてきた時……」

 

「あ、あ、あんた! なんでそんなことまだ覚えてんの⁉」

「いや、そりゃまあ、なかなか衝撃的な事実だったから……」

 

「まー、気持ちが分からないでもない小町からは何も言えませんけど」

「小町ちゃん? 誤解を生むようなフォローいらないから。俺達は健全な千葉の兄妹ですからね?」

 

「千葉ってつけるとそれだけでもうインモラルな意味合い含まれてそうだから小町的にポイント低いよ」

「小町ちゃん⁉ その情報もっといらないからね⁉」

 

 そんな会話を聞かれ、俺川崎に殴られるんじゃないかと心配になりそちらを見る。両手は膝の上に置きスウェットを握りしめてぷるぷる震え、顔が紅潮しているのが俯いてても分かるくらいだ。

 

 ヤンキーみたいな見た目と違ってホント超純情なんだよなーこいつ、中身はフツーにいい姉ちゃんでオカンだし。実際今までぶつとか殴るとか言われたことあるけど本気で痛い暴力とか皆無だしファッションヤンキー? お願いとかすると聞いてくれるし、なんちゃってツンデレだよな。むしろデレ100%と言っても過言ではない。

 

 でも、それは川崎が俺のことを好きだから……なんだよな。

 いくら川崎がいい奴でも家族以外にそこまで頼みを聞くとは思えない。学校では俺以外の奴となんてほぼしゃべらない奴だしな。

 去年の依頼の時なんて由比ヶ浜発案ハニートラップ(?)で使役された葉山を一顧だにしなかったくらいだ。まともな女子なら雪ノ下みたいに因縁がない限り葉山を邪険にするなんて有り得ない。

 そういう面で言えば由比ヶ浜のように『俺に優しい娘は他の奴にも優しい』が当てはまらない疑念のない相手と言える。

 

 ……そんな川崎を信じられないとか、俺どんだけ臆病なんだよ……

 

 ここ数日のことを想起し自己嫌悪に苛まれる。そんな俺を見かねてなのか、さっき髪を乾かしている最中、川崎は自分の想いを押し付けるつもりはないとまで言い出した。この想いが負担になるくらいなら答えなくてもいいと。

 

 正直、川崎は魅力的な女の子だと思う。

 

 絡みはかなり少ないものの、知り合った時期は奉仕部の二人と大差ない。それにここ数日間は濃密に接したお陰で彼女の色々な面を見れた気がする。

 初めて会った時に見せた冷然とした表情も、今では様々な色を見せてくれる。元々あいつの家族想いなとこや料理上手は知っていたつもりだったが、実際口にしてみてその凄さを実感した。雪ノ下のと比べても引けはとらない。むしろ俺は川崎の料理の方が好きかもしれない。

 その上、普段まず絡まない弟妹と過ごしたことが、川崎と接する以上に川崎を知る機会となった。

 川崎の心的負担を考え、お見舞いに来ていることを悟られないよう一昨日は顔を見せなかった。すると必然的に大志とけーちゃんの二人と多く接するわけで、共通の話題なんて川崎か小町のことしかない。結果、普段川崎がどんな生活をしているのか垣間見てしまうわけだ。

 川崎は朝、弟妹達を起こして家族の弁当を作り、学校が終わると予備校かけーちゃんを迎えに行く。家に帰れば夕飯を準備し、けーちゃんをお風呂に入れて寝かしつけてから自分の勉強と大志の勉強を見てやる。休日はけーちゃんと遊んであげたり、アルバイトで家計を助ける。

 そんな自分の全てがほとんど家族に向けられている川崎の話を聞いて、内心動揺が止まらなかった。

 

 俺もスカラシップを維持するくらい勉強はしているし、小町の面倒も看ている。

 ただ、最近はもう小町に料理を作ってもらってるし、何だったら面倒看てもらってる部分が大きい。

 スカラシップ錬金術で浮いた金を小遣いに計上してるし、その金で携帯ゲーム機やラノベを買って余暇を楽しんでいる。

 今までそれでいいと思っていたし、それくらい普通だろうと、そんな自分が好きだという自覚もあった。

 

 でも川崎沙希という人間を知っていくうちに、本気で自分が嫌いになりそうになる。

 

 他人と比べることは無意味だと分かっていても、気にせずにはいられない。

 

 いや、川崎と俺の生き様の違いに後ろめたさを感じたのは事実だ。だが、それ以上に……

 

 そんな美しい生き様を見せる川崎沙希という人間が向けてくれた想いに対して、はっきりとした答えを示せないでいる俺自身にかつてないほどの嫌悪感が生まれてしまったのだ。

 

「ひ、比企谷さん、誤解っす! 俺は別に姉ちゃん見ても何とも思わないっすから!」

「え?」

 

 ついつい回顧してたところを大志の声で我に返ったが、そういえばそんな話してたな。っていうかそれを聞いた川崎の反応どうなってんの? お前一体何を期待してんだよ、見てほしいのかよ? むしろインモラルな関係望んでないか? 直接口にしたら今度こそ拳飛んできそうだから心の中に留めとくけど。

 

「冗談だよ、ジョーダン♪ でも沙希さんみたいにボンキュッボンなスタイルの女性でもお姉ちゃんだと興奮しないんだ? じゃあお兄ちゃんもホントに小町のことなんとも思ってなさそうだね」

 

 そう言いつつ自分の両の胸を両の手で包み込んでもにゅもにゅ。

 ちょっとやめて小町ちゃん‼ いつからそんなはしたない娘になったの⁉ お兄ちゃんは許しませんよ⁉ 大志コラ、赤くなってんじゃねえよ‼ 顔背けたのは評価するぞ、この野郎‼

 

「おい、今の今までなんとも思ってるって誤解してたのか? やばいぞ、その認識。この目で実妹見てそんな意識あるとしたらとっくの昔に俺は塀の中だからな? いやその前に親父からのDV被害でこの世からいなさそうだ」

 

「あら、この先もそうならないとは限らないのではないのかしら?」

 

 突然あらぬ方向からのツッコミが入る。復活の雪ノ下だ。

 

「よう。ようやく解呪されたのか」

「っ! そんな風に言われると厨二病を疑ってしまうのだけれど。それより、あなたも聞いたのね」

 

 さっきまでの言語的な不具合は平塚先生に言われた『比企谷八幡更生プログラム』が影響していたのだと小町から聞かされたことを思い出す。

 

「……いまさらお前に優しい言葉をかけられたくらいで俺の性格が治るわけないだろ。俺って過去の自分をリスペクトしてるからな」

 

 ……ま、ついさっき今の自分を嫌いになり始めたんだけどな。

 

「‼ ……そ、そうね、あなたにそんな気遣いは無用だったわ。先生に言われたからといってあなた如きに何を怯えていたのかしら」

 

 おうおう、清々しいくらいにいつも通りだわ。これぞ雪ノ下雪乃!

 

「まあ、そんなわけで余所余所しい会話とかやめとこーぜ。俺もそういうのは嫌いなんでな」

「分かっているわよ、そんなことは」

 

「…………」

 

 川崎が何か言いたそうな顔をしていたが、結局無言を貫き食事に戻ることにした。

 そういえばまだケーキを切っていなかったな。最初に顔見せはしていたものの、やはりデザートということで一旦冷蔵庫に戻されたんだった。

 

「雪ノ下、ケーキあったよな。そろそろデザートでよくないか?」

「そうね。それじゃ、わたしが切るからとってくるわね」

 

「あれ、結衣さんは?」

「由比ヶ浜さんならまだ川崎さんの部屋にいると思うのだけれど、わたしだけ先に戻ってきたから」

 

「……まさかとは思うけど部屋漁ってないだろうね?」

「まさか……と言いたいところだけど、他に部屋に残る理由がないのも事実ね。そんなことはないとは思うのだけれど……」

「いいよ、あたし行ってくるから」

 

 正直、由比ヶ浜の行動は俺達には予測がつかないから川崎の部屋で何やってるのかなんて見当もつかない。

 

 

 

―沙希の部屋―

 

 

「由比ヶ浜、雪ノ下がケーキ切るから……」

「んなっ⁉ ちょ、あんた、なにしてんの⁉」

 

 川崎の部屋の方で何やら揉めてるみたいな声が聞こえた。ちょっと心配になって俺も行ってみる。

 

「どうした川崎、なんかトラブったか?」

「ひ、比企谷⁉ なんでもない! なんでもないから来なくていいから‼」

「あ? あー、そうですか。分かった」

 

 具体的には分からないが、なんとなくセクシャルな話だとは思った。女子の部屋で起こっていて男子に寄るなって言われりゃそう予想しちゃうじゃん。だって男子高校生だよ?

 

「じゃ、戻ってるから早めにな」

 

 そう言い残し居間に戻るが、わざとゆっくり歩いて川崎の部屋へ耳を欹てた。悪いとは思ったがこれも人情だ、許してくれ。

 

「……それ早く返し……いよ。家だと苦し……ら外してる……昨夜、洗濯物……るの忘れ…………置きっぱな……たのよ」

 

「あ、うん……たしこ……めんね。でも、沙希の……ついどっちが大…………確かめ……なっちゃって……」

 

 あー、これは、あー、あれだ。そーか、確かに追い出されるわ。ってか盗み聞ぎが既にやばい。そして顔のニヤけがもっとヤバイ。意識してないと一人で『フヒッ』とかいう気持ちの悪い笑いがこぼれそう。

 俺は逃げ出すように居間へと向かった。内心、どちらの方が……なんて考えてはいませんからね!

 

 

 

―居間―

 

 

「お兄さん、何かあったんすか?」

「俺達のようなY染色体交じりは入ってはいけない世界だった。人はどこまで高みを目指せるかという哲学的な話でもある」

「は、はぁ、よくわかんないすけど、凄そうっす」

 

 意味分かってもすげえよ、ある意味総武高校双丘頂上決定戦だぞ。なんて口にしようものなら川崎に今度こそぶっ飛ばされそうだし、由比ヶ浜からは卒業するまでキモい言われそうだから言わんけど。いや、今までのこと考えるとバレなくても卒業まで、なんならその後もずっとキモい言われるだろうけど。

 

「小町さん、テーブルの方ありがとう。ケーキが割と大きいから完全に片付けないと乗らないし助かったわ」

「うわぁ、ホンットすごいですよ雪乃さんの料理の腕は! 小町も今度教えてほしいなー」

 

「ええ、もちろんいいわよ。小町さんならすぐに上達して教えることがなくなりそうだけれど」

「そういえばクリスマス合同イベントの時もケーキ作ったんですよね? お兄ちゃんから聞きましたよ」

「ばっ!」

 

「っ⁉ ひ、比企谷くんが家でそんなことを話すなんて雪でも降る前触れ? それともあまりの出来事にフィリピン海プレートも同じ姿勢を保っていられなくなるのではないのかしら?」

 

「おい、なんで俺がお前のことを話すのが一世紀レベル間隔の稀有な地震起こすトリガーになっちゃうの? 俺のせいで32万人以上が生きている苦しみから解放される可能性がでてくるとかA級戦犯もびっくりだぞ⁉」

 

「残念なことにそれでも法はあなたを裁けないのよ。何故なら、法とは生きている人間に適用されるものだから」

 

「それは存在を認識されないのか生ける屍と思われているのか判断に迷う。雪ノ下のジャッジはいかに⁉」

 

「残念。そのどちらでもない『人ではない』が正解でした」

 

「いい笑顔でねつ造すんじゃねえよ。いや俺はホモだよ? ホモだからね?」

 

「サピエンスをはぶくのはやめなさい。ゲイだと認識されるわよゲイ谷くん。いえ、それは適切ではないかもしれないわね。謝るわ」

 

「謝罪を受け入れる前に何が適切じゃなかったのか聞かせていただきたいところだな」

 

「ゲイの語源となった英語圏では

 

 『お気楽』

 『しあわせ』

 『いい気分』

 『目立ちたい』

 

 という意味で使われてきた言葉なのよ。

 

 つまり?

 何一つあなたに当てはまらない。

 

 よって?

 あなたの二つ名はゲイ谷くんでは似つかわしくないのにわたしが間違えてしまったことへの謝罪よ。

 

 結局のところ?

 ホモ谷くんが適切だったということかしら?」

 

「おい、もうツッコミ追いつかなくてお手上げだわユキペディア。ていうかホモ谷はホモ・サピエンスでいいんだろ? さっき自分でサピエンスをはぶくなって言ってたからね? 言質とってるからね?」

 

「ホモ谷くんは広義的にはホモ・サピエンス、いわゆるヒトで合っているわ。ただ狭義的にはホモとしてのセクシャルマイノリティーだから、どちらもホモ谷くんとして適切な表現ではないのかしら?」

 

「ついに俺がヒト科の生き物だと認めたな? そこだけは情状酌量が認められたんだな?」

 

「あら、失礼。ついホモ・サピエンスであると錯覚してしまったわ。元はと言えばあなたがゲイと対照的な存在のせいでホモと呼んでしまったのがいけなかったのよゲイ谷くん。ヒトでもなくお気楽でもなく目立ちたくもないあなたはもう『非ゲイ谷くん』でいいのではないのかしら?」

 

「おい、それ散々紆余曲折した結果、普通の人になってるからね? ゲイじゃないならセクシャルマジョリティーだからね?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……くす」

 

「……くっく」

 

 そこまでしゃべってどちらともなく笑みがこぼれた。奉仕部での俺が好きなあの空気、それが川崎家で再現されたような印象。

 

「……やっと平常運転だな」

 

「……お陰様でね」

 

 柔らかな笑顔を見せる雪ノ下。気づけば俺達に視線が集まっていた。

 

「お、お兄ちゃんと雪乃さん、よく噛まないでしゃべってられるね?」

「凄いっす……どうすればそんなにもポンポン言葉が続くのか理解できないっす」

 

「俺、自虐だけは呼吸するように出てくるから」

 

「悪化してんじゃん‼」

 

「わたしも虚言でなければ舌も滑らかに動いてくれるわ」

 

「結果的にお兄さんを貶しまくってるんすけど……」

 

「まあ、平塚先生も今更なんだよな。そういう注意は雪ノ下と最初に出逢った時に言うべきだった」

 

「う……あの時は、その……なんというか……いえ今も言っているのだけれども……」

 

「分かってるって。コミュニケーションの一環なんだろ。まあ事実だし別にいい。小中学の時のが酷かったし気にしてない」

 

「良くはないわ。それではまるでわたしがあなたの寛容に甘んじているみたいじゃない」

 

「雪乃さん、みたいどころかそのものですよ」

 

「……くっ、確かにその通りだわ。これでは本当に比企谷くんにお情けを賜っているようで屈辱以外の何物でもないわ」

 

「そんなこと言われても、俺は本当に何も思ってないぞ?」

 

「――――だったらさ、雪ノ下も同じように貶されれば貸し借りなしなんじゃないの?」

 

「あ、川崎、男子禁制の用は済んだのか?」

 

「うっ、ま、まあ済んだと言えば済んだかな。それよりも!」

 

 言いながら後ろに何か隠しているのがバレバレなのだが追及して話の腰を折るのも何なのでここは触れないのが最良だろう。

 

「雪ノ下が自然にしゃべれるようになる為に比企谷を口撃するなら、あくまで冗談として雪ノ下にも同じ目に合えばいいんじゃない?」

 

 さらっと恐ろしいことを口にする川崎。そんな条件で俺がしゃべれるわけないだろ。

 

「いや、無理だろそれ……そんなことしたら今度は俺の言語が呪われるわ」

 

 確かに初めて会った時は雪ノ下に対して少しは言ってた気がする。『変な女』とか。川崎に提案されなくても、そうしてた過去があるものの途中から現在のように耐え忍ぶスタンス一択となったのだ。

 

 俺と違って雪ノ下には欠点らしい欠点がほとんどない。よってこっちのディスリストがショボくてすぐ弾切れを起こし雪ノ下に蹂躙される、そんな未来が今の俺。戦争だって弾薬が無くなれば戦い様がない。白旗である。

 

 無論、雪ノ下だって人間だ。陽乃さんに比べれば欠点はあるし……っていうか陽乃さんにあって雪ノ下にないもの。一目瞭然であり明々白々で比べれば歴然というか誰が見ても顕著であって姉妹のどちらが姉でどちらが妹なのか明確に区分できるその様は灼然炳乎(しゃくぜんへいこ)として残酷なまでにその現実を諸人に知らしめる。つまり?

 何とは言わないが『慎ましやか』なのだ。これ初めて会った時にも思ったな。奉仕部に入って約10ヶ月。俺全然成長してねえ……。

 

「川崎、それは俺に死ねといってるのと同義だぞ? または社会的にニルヴァーナされる。あれ? 輪廻転生からパージされちゃったよ。社会的にさとりを開くってどういうことなの? あ、それもう既に俺やってるじゃん。人生は苦いから、達観し、さとりを開いてコーヒーくらいは甘くていい。なんてことだ……マックスコーヒーって涅槃(ねはん)に入るキーアイテムだったのか。これを飲めば人類全てが釈迦になれる! 仏の道もマッ缶から! いいなこれ、布教していくか」

 

 調子にのってしゃべっていると絡みつく視線が痛い。そりゃもう変な汗が噴き出してくるくらいに。普段から慣れた悪意のこもったものではないがそれとは違う意味で痛い。いや寒い。身体中の血中温度が下がる気がした。

 

「…………」

 

 あれだけ饒舌になり元の輝きを取り戻した雪ノ下が黙った。

 

「……あー、ごめん、お兄ちゃん。さすがの小町もキモくて擁護できないかも……」

 

 最愛の妹にキモがられた。貶さないと言われていたのに。

 

「お兄さん、今日は疲れてるんすよ……ほら、姉ちゃんが熱出したからここ何日か色々と大変でしたし」

 

 大志に心配された。(うれ)える者を慰めるように。

 

「比企谷……お医者さんに診てもらう?」

 

 川崎は本気で俺の頭を危ぶんでいるようだ。

 

「ヒッキー、キモい‼」

 

 いつの間にか戻ってきていた由比ヶ浜にいつもの言葉をもらう。由比ヶ浜だけは今の俺を平常だと思っているように聞こえたがそれを確認できたキーワードが『キモい』って、俺達の関係も相当歪んでるな。

 

「お、おい待てお前ら、引くな。これはあれだぞ? いつもの屁理屈からくる冗談だ。……待て川崎、スマホから病院の番号を呼び出すんじゃない。ってか精神科の番号なんてなんで知ってんだよ? あ、小児科ですか、そうですか。けーちゃん小さいからよく医者に掛かるもんな。って俺4歳児と一緒かよ⁉」

 

 調子に乗り過ぎた代償として、しばらく自分が正常であるとアピールし続けるはめになった。なにこれ何の罰ゲームだよ……

 

 

      ×  ×  ×

 

 

「はぁ……比企谷くんなんて放っておいてケーキを食べましょう」

 

 熱心な説得の甲斐あってか、ようやく当初の予定通りに進みそうだった。

 

「ああ、そうだ。出来れば8等分にしてあげてくれないか? けーちゃんとおばさんがおやつ時くらいには帰ってきそうなんだよ」

 

 それを聞いた皆が驚きで目を丸くしている。

 

「わっ、ヒッキー優しいね。あたし気が回らなかったよ」

「……比企谷くんからそんな気遣いの言葉が出るなんて、少々見縊っていたかもしれないわ」

「お兄ちゃん、小町的にポイント高いよ‼」

「す、すいません、母ちゃんと京華の帰り時間まで考えつきませんでした」

 

「この程度のことでそんなに感心するなよ。俺が気付いたのはたまたま先に着いた時に二人に会ったからだし、どの映画に行くのかも知ってたからだ。ちなみに映画はプリキュア☆ミラクルユニオニズムだ。プリキュアという伝説の戦士を職業として認知した彼女たちが雇用主が誰なのかを探し当て賃金引上げを求める冒険活劇ロマンスだ。俺も観たい」

 

 あ、また潮が引いていくように皆も引いていくのが分かる。

 

「ヒッキー、マジキモいから‼」

「小町的にポイント低いよ……」

「低年齢層を対象にそんな映画を作るなんて製作者は何を考えているのかしら?」

「気にするとこ、そこっすか⁉」

 

「安心しろ、ちゃんと大きいお友達向けにしつつ、女児童にもマッチするような展開と演出が施されたハイブリットな作品らしい」

 

「本来の趣旨とは逆なのだけれど……」

 

 こめかみに指を当てながら顔を顰め目を瞑っている雪ノ下。やれやれといった感じでケーキに入刀する。

 さっきと評価が反転する中、川崎だけは俺の隣に座って肩が触れるくらいに身を寄せてきた。

 

「……ありがと」

 

 その言葉の意味するところはけーちゃん達のことを気にかけてくれていてという意味なのだろう。さすがシスコン。俺もだし気持ちは分かるぞ。

 切り分けでケーキが配られる。自分のと川崎の分を受け取った俺はそれを差し出すと、手に隠していた物の存在を忘れていたのか皿を受け取ろうと無防備にそれを晒してしまった。

 

「……あっ‼」

 

「ん? ――⁉ うお、あぶね‼」

 

 秘匿すべきそれを持ったままの右手で皿を受けたが俺に見られ隠そうと手を引いた。するとどうなるか。

 

「わっ、きゃ!」

 

 当然、皿が落ちそうになるので、慌ててまた手を出して受け止める。俺の手ごと。皿の上でフォークが暴れ嫌な音を響かせるが何とか事なきを得たものの、俺と川崎は皿をお互いの両手と両手でしっかり握りしめ、見つめ合っている状態になた。

 

「あぶね……ちゃんと受け取れよ」

「ご、ごめん!」

 

「…………」

「…………あ」

 

 川崎がその手に持ち、現在俺と彼女の両手からぶら下がった物……それは、川崎のものであろう『レース柄のブラジャー』だった。色は黒なので、もしかしたら俺が過去見たショーツとお揃いのものなのかもしれない。確認する術はないが。

 

 確認しよう。今の状態は

 『俺と川崎が両手で大事にケーキの乗った皿を握ってそこから紐垂れるように黒ブラがブラブラしてる』

 という、なんだこのシュールな絵面。

 

「…………比企谷くん? 弁護士なら紹介できるから必要なら声をかけてちょうだいね。留置所から」スッ カコカコ

 

「待て雪ノ下、あたかも俺が盗んだブラを隠していたところアクシデントによって馬脚を現したみたいになってるけど、芸術的なまでに冤罪だからな? おい、スマホ操作すんのやめろ。いや、やめてください、ホントマジやめて」

 

「――っ」

 

「あ、あは、はは……」

 

「おい由比ヶ浜、いつもの常套句『マジ、キモい』はどうした? もはや様式美の域にまで達しているはずなのに何故言ってこない? ってかさっきまで連発してたよね?」

 

「あ……うん……なんて言うかね、アレがアレだからっていうか……」

 

「なんで遊びの誘いを無策で断る時の俺みたいになってんだよ、由比ヶ浜お前マジキモいな! って俺に言わせたいのかよ⁉」

 

「ひどっ⁉ キモくないもん! ヒッキーのバカ!」

 

「こ、これは! 由比ヶ浜があたしの部屋で洗濯物から漏れてたこのブラ見つけて、雪ノ下が部屋出てからこっそりどっちが大きいか比べようとしてて自分の外してこれ着けようとしてたから止めただけ‼」

 

「――――」「――――」

 

「さ、沙希ぃ⁉ 言わないでよぉ‼」

 

「……結衣さん、その行動はちょっとキモいです。兄が他人にそれを言う日がくるとは思いませんでした」

 

「小町ちゃんまで⁉」

 

「――――ぎりっ‼」

 

 キモいをマホカンタされた由比ヶ浜が動揺してるが、俺にとっては無言のまま歯軋りだけ聴こえてくる雪ノ下が怖い。

 

「言うつもりなかったけど、このまま黙ってたら比企谷が留置所か、あたしが痴女の二択じゃん! ならホントのこと言うでしょ」

 

 留置所は冗談であってほしかったよ川崎さん……ってか留置所行っちゃうってことはあなた被害届出してますよね?

 それにしても『外した』だと……⁉

 川崎が今着けてないのは分かっていたが、由比ヶ浜は……

 

「…………」「…………」

 

「? …………⁉ ちょ、なんでそんなジロジロ見てんの⁉ ヒッキーマジでキモイから⁉」

 

 由比ヶ浜が両手を交差して胸を隠す。だが残念だったな。俺の腐った目(白眼)はいま正確にお前の胸の状況を把握した!

 あれ? 白眼だったら服どころか経絡系見えちゃわね? やだそれー、マジキッモーイ♪ って自分で言っててキモイわ。罪状:公然嫌悪罪とか名付けれそうだわ。このケースだと過失が認められると思うから減刑されるけど。

 

 ガシッ

 

 川崎の右腕が大志の肩に回され何をするのかと思ったその時、そのまま右掌が大志の顔面……両目を隠すように捉えて鷲掴みにした。要するにアイアンクローだ。

 

「ね、姉ちゃん⁉」

 

「…………気持ちは分かるけど本とか画像で我慢しときな。その目付きでクラスメイトの女子を見るのはさすがにアウトだよ。あたしは一体どんな顔すりゃいいのさ?」

 

「うわぁ…………下卑た意志を持って結衣さんを見る大志君……そんなの下卑大志君だよ‼」

 

「下卑大志っ⁉」

 

「なかなか愉快な二つ名を賜ったな下卑大志」

 

「あんたが言うな」

 

「ひっ⁉」

 

「今すぐその目を潰してやろうか?」

 

「やめろ怖い! なんなのその脅し文句? 反社会的勢力かなにかかお前⁉ あと怖い!」

 

「弟妹のお祝いの席でエロい目するからだよ。ここにけーちゃんがいたら、あんた本気でやばいからね?」

 

「ばっか、けーちゃんがいたらこんな目するか。あの子は天使だぞ? 俺の目すら浄化されるわ」

 

「……どーだか」

 

「悪かったよ。でもな、健全な男子高校生にブラしてないかも? なんて情報流されたら本能で見ちまうもんなんだよ、察しろよ。むしろ二人も男子高校生いるのになにガールズトーク炸裂させてんだよ⁉ 特に下卑大志なんて興味持つど真ん中だろ⁉」

 

「俺っすか⁉ しかもその呼び方⁉」

 

「うわ……大志君を人柱にしたよこのごみいちゃん……」

 

 あ、もうごみいちゃん解禁なんすね?

 

「で、でもでも……あたしと沙希の……どっちが大きいのか気になったんだもん! しょーがないでしょ⁉ ヒッキーだって興味あるくせに‼」

 

 なにこの娘、爆弾落としてきたよ。しかもその話まだ続くんですか?

 

「こ、こら! そ、そんなの後でこっそりバストサイズ言い合えば済む話でしょ!」

 

「でもさ、多分沙希とあたしってアンダーサイズが結構違うからバストが負けててもカップで勝ってるとかあるかもしれないじゃん⁉」

 

 あちゃー、この娘なにこの話題掘り下げてるんですかね?

 バストサイズにおけるカップの計測の妙とか喋り出したよ。

 男子が思うCカップって実際はちっぱいだよねって感じな赤裸々トーク始まっちゃったよ。

 え? ここ女子校だっけ? 違うよね?

 

「~~~~っ‼ こ、この、バ、バカなこと、言わないで!」

 

 まあ、確かに興味あるっちゃあるんだが…………冷静に見てみると甲乙つけがたいサイズだよな由比ヶ浜と川崎って。

 

 由比ヶ浜のが小柄だしアンダーサイズは小さいだろう。

 だがトップにおいても川崎に引けはとらないし……この関係性は…………そう、あれだ。

 

「……ローツェとカンチェンジュンガか」

 

『え?』

 

 比企谷八幡知人女性ヒマラヤ山脈! その一乳(一角)を担う由比ヶ浜。ネパールの狭い国土はその小柄な身体とアンダーサイズ。それとは不釣り合いに聳え立つ豊満なバスト、まさにローツェ(世界第四位:8516m)が相応しい‼

 

 対する川崎。由比ヶ浜と並ぶヒマラヤ山脈の一乳(一角)カンチェンジュンガ級(世界第三位:8586m)その意味は『偉大な()の5つの宝庫』!

 

「あんた突然なに言ってんの?」

「え? ああ、由比ヶ浜がローツェで川崎がカンチェンジュンガだなって」

「ろーりえ?」

「由比ヶ浜さん、それはあなたのお母さまがカレーに入れている材料のことよ」

 

(まだまだ妄想は膨らむな。山脈の一乳として君臨するK2(世界第二位:8611m)は陽乃さんかな。ちなみに不安定な天候と急な傾斜により登頂の難しさは標高第一位よりも困難だと言われているK2って不思議と陽乃さんの性格的にもピッタリな気がする」

 

「K2って不思議と陽乃さんにピッタリ? お兄ちゃん何のこと言ってるの?」

 

 やべ、気づかれたら社会的に終了してしまう妄想が声に出てた。

 今後気をつけねば。

 

「なんでもない、なんでもない!」

 

 ん、んん! とにかく、第一位の発表の前に箸休めとして、そうだな……

 

「一色は富士山か……」

 

『?』

 

 世界的に見れば控え目だが、我らが母国が誇る日本最高峰の富士山(標高:3776m)その持ち主は一色いろはこそ相応しい。 何故なら、日本最大級であるにも関わらずゴミ問題から世界遺産に登録できないところなんかまさに、あのあざとさの中に隠れた腹黒さを表現しているようだからだ。富士山と同じく先っちょも綺麗な気がする。

 

 そして栄えあるヒマラヤ山脈最強のエベレスト級(世界第一位:8848m)といえば……

 

「……平塚先生だろうな」

 

「ヒッキーさっきからなに独りでぶつぶつ言ってるの? キモいんだけど?」

「比企谷くん」

「⁉ お、おう、なんだよ」

「一体何のことを言っているのかしら? みんな不思議がっているし説明してくれてもいいと思うのだけれど……」

「た、大したことじゃない、そ、そう! ふと皆を山の神様に例えたらどの山が合ってるかって妄想してただけだ」

「? どういうこと?」

「確かに言っていることの意味は分かるのだけれど、ずいぶん唐突ね」

「分かるの⁉」

 

「ええ、昔から山の神は女神だというのが通説なの。山神様は山に宿り、山を支配する神様として昔の人々から崇められていたわ。現在もだけど、昔は特に自然の力は人間が対抗する術を持たない恐ろしいもので、山神様はその自然と同義であり畏怖の象徴ともいうべき存在だった。だから、怖いもの、口やかましい妻のことを『山の神』と揶揄して呼ぶようになったのね」

 

「さすがユキペディア。なんでも大昔から農民たちの間でそういう伝承がされてたらしいぞ。ちなみに諸説あるが山の神様は産土神(うぶしなのかみ)とも解釈されているようで、要は土地神みたいなもんだ」

 

「よく分からないけど、なんでその土地神が女性っていわれてるの?」

 

「そうそう、小町もそれ不思議に思いました。雪乃さんの説明だけだと『怖いもの=妻=女性』って図式で、妻の呼び方の一つが山の神ってのは分かったんですけど、怖いものを女性に限定するにはちょっと説得力が足りない気がするんですよね?」

 

「今の雪ノ下の説明だけだとそうだろうけど、他にも諸々あってそうなったんだ」

 

「他にどんな説があるの?」

 

「山の神――土地神――は、春になると山から降りて田の神となり、秋には再び山へ戻ると言われているの。つまり山の神と田の神は同一とも解釈されているわ。山には農耕に欠かせない水源があるし、田の神は作物豊穣を司る神様として崇められている。それら産み育てる御利益だけとってみても女性に当てはまるのだけれど、まだ他にも言い伝えがあるのよ」

 

「山の神は十二様(じゅうにさま)とも呼ばれてて、一年に12人の子を産むと言われてる。地方ではお祭りもあって安産子育ての加護もやってるらしい」

 

「そうね。その辺りが最も山の神が女性であると伝承される由来ではないかしら。それと、山の神を祀る祭りの日は、山の神が女神であることから出産や月経の穢れを嫌って女性の参加が許されないのだそうよ」

 

「書物なんかだと古事記に出てくる大山津見神(おほやまつのかみ)の娘、石長比売(いはながひめ)が山の神の一員であったって説があって、それに基づいたとも言われてる。ただ、これで山の神が女性だと論ずるには順序が逆な気がするけどな。この話よりもっと昔から山の神は女性だって言われてたから」

 

 誤魔化そうと屁理屈を始めたら思いの外、熱く語ってしまった。今ほど読書していて良かったと思えたことはない。同じく雪ノ下も饒舌に答えてくれる。他の奴らは感心して俺達を見ているし、大志は熱心にスマホでネット検索を駆使しているようだ。

 

「ほぇ~、雪乃さんとお兄ちゃん息ピッタリだね」

「……確かにね。ちょっと感心しちゃうよ」

「ホント、よくそんなこと知ってるね。ゆきのんはもちろんだけどヒッキーも」

「これでも国語なら学年三位だからな。本もよく読むし」

「由比ヶ浜さんも週に一冊くらいから読書を始めてはどうかしら?」

「え、えー、あー、あたしはいいや、うん! GanGamとかbon・bo読んでるから」

「そう……出来れば雑誌などではなく活字を読んでほしいのだけれど」

「それを読書にカウントするあたり、来年の受験が心配になってくるな」

「そ、そんなことより、ほら! ヒッキーがさっき言ってたの教えてよ!」

「何のことだ?」

「言ったじゃん、あたしのことろりーた? とか」

「ロリータではなくローツェよ、由比ヶ浜さん。ヒマラヤ山脈の一角で世界的にも標高の高い山で有名ね」

 

 忘れてた、それの為の詭弁だった。

 

「あたしがカンチェンジュンガ?」

「ああ、そうだったな。世界にある有名な山が誰に似合いそうか考えて命名してた」

「それで、結衣さんがローツェ?」

「そうだ。ローツェ・結衣・由比ヶ浜だ」

「な、なんか……なんかカッコいいね⁉」

「騙されてはダメよ、由比ヶ浜さん。あなた名前がミドルネームになってるわ」

「あたしの結衣どっかいっちゃうの⁉」

「そして川崎は、カンチェンジェンガ・沙希」

「あたしリングネームみたいになってんだけど……」

「無視されたし⁉」

「雪ノ下さんは、陽乃・K2・雪ノ下」

「ただミドルネームをつけただけじゃない……」

「あたしの結衣どこ⁉」

 

「一色は、一富士いろは三茄子」

「語感と勢いだけじゃん」

「あたしの名前つけ直してよ!」

「平塚先生はアニメ好きだし厨二っぽく『未婚のサガルマータ』という二つ名で……」

「……もしもし、平塚先生ですか? わたくし雪ノ下ですが、ご一報したことが……」

「ちょっと待て、マジ待って、命に関わるから止めてください‼」

「……冗談よ。電話したフリだもの」

「それだけで寿命が縮むかと思ったぞ……」

「……それよりも、比企谷くん」

「……なんだ?」

「先ほどから聞いていて碌な名前がなかったのだけれど……」

「俺のネーミングセンスなんてそんなもんだし、お前も知ってるだろ」

「いえ、それはいいのだけれど……何故ここにいない一色さんや姉さん達の名前を口にしたのに、わたしが出てこないのかしら?」

「あ、そういえば小町も出てきてないよ、お兄ちゃん!」

「え……付けて欲しいの?」

「あったり前じゃん! 小町だよ⁉ 愛しのマイシスターじゃん! 付けなくていいと思ってんの⁉」

「べ、別に付けて欲しいわけではないのだけれど、あれだけみんなの名前が挙がっているのにわたしを無視するのは失礼ではないのかしら?」

 

 やっべえ、元はと言えば双丘推定標高ネーミングだったのに、あっちから希望されるとは……俺の煩悩が心の中でパルクールしてるくらいはしゃぎまわってる! でもこの二人は慎ましやかだからどうしたもんか……

 

「そ、そうだな……じゃあ、雪ノ下だが……」

「ええ、わたしは?」

 

 ヒマラヤ山脈群は言うに及ばず、一色を評した富士山ですら程遠い……ってか一色が富士山て今にして思えば盛り過ぎじゃね? 見た感じその一色よりもさらに慎ましやかと思われる雪ノ下はどんな山の神がいいのか。大嫌いな数学より難問な気がする。

 

「そうだな、雪ノ下は……」

 

「…………」

 

「……鋸山(のこぎりやま)だな」

「⁉ の、鋸山⁉」

「あれ? えっと、なんか今まで聞いてた中で急にありがたみがなくなったんだけど? 結衣さんとか沙希さんはヒマラヤ山脈なのに、雪乃さんって地元の山なの?」

 

 鋸山は地元千葉房総丘陵の一角で標高わずか330mしかない。我ながら絶妙なチョイスだと思う。

 

「鋸山は元々建築資材などに使われる石材の産地として採石が盛んだったし、千葉を代表する雪ノ下建設の令嬢たるお前に相応しいだろ」

「……そう、かしら……」

 

 あれ、なんか気落ちしてない? 家のことを引き合いに出したのがまずかったかな……でも

 

 ……それにほら、鋸山のノコギリの形って……こう、洗濯板に似てるじゃん?

 

「……なにかしら? 非常に不愉快な気配を感じるのだけれど」

 

 いや、心読まないでください、こええって!

 

 なんか微妙な空気になりかけていたのを察し、小町がフォローするように間に入ってきた。

 

「じゃあじゃあ、小町はどう? 小町、どんな山が似合う?」

「小町は……」

「うんうん」

「……愛宕山(あたごやま)かな」

 

「へ?」

 

 地元千葉県南房総市にある房総丘陵の一角。千葉県においての最高峰であるが、そもそも千葉は日本一標高が低い県として有名なので愛宕山の標高はわずか408mしかない。

 

「え、え、なんか、なんでかうまく説明できないけど小町的にポイント低い‼」

 

 そうくると思ってちゃんとした説得材料も用意してある。

 

「何言ってるんだ小町。俺の千葉愛は知っているだろう? 何故、千葉を愛しているかと言えば愛宕山の山神が小町だからだ。つまり、小町を愛してる=千葉を愛している。そういう図式だ。あんだすたーんどぅ?」

 

「えっ⁉ お、お兄ちゃん……千葉の山は、他にも…………お兄ちゃん大胆過ぎだよ……」

 

「っ⁉」

 

 小町の様子がおかしいが……いや、小町だけじゃなく全員の様子が変だ。……俺、なにか間違ったんだろうか……?

 

「むー……」

「む……」

「……あれ……」

 

 大志がスマホの画面と女子達を交互に見ている。しかもその視線の先が……

 

「……ほえ? あ、ちょっ……」

「……うぇ?」

「……あの……」

「た、大志⁉」

 

 女子達がそれに気付き、身構えるように自分の胸を両手で隠す。羞恥や侮蔑、戸惑いと感情はそれぞれだが、これほどまであからさまに見て平然としてる大志。こいつの心臓は大したものだ。それと川崎さん、弟に見られてその表情はどうなの? ブラコン通り越してません?

 

「お兄さん、それってもしかして……」

「⁉」

 

 ばれた⁉ スマホで山を検索してたからか⁉ まさか、雪ノ下にすら悟られなかった双丘ネーミングが、よもや大志などに⁉ 

 いや、大志も俺と同じくY染色体をその身に有する種族。ならばこの数少ない情報からでも標高に勘付くのは必然ではないか……ってなんで喋り方が材木座みたいになってんだよ、いまの俺頭やべえな⁉

 

「たいしぃー! そんな目で小町を見るとは調教が必要なようだな。ちょっと表に出ろやー‼」

「‼ す、すみません! そういう意味で見てたんじゃないっす! 信じてください‼」

「だめだ! 信じるから一旦表にでて俺とサシで話すぞ! 異論反論抗議質問口答えは一切認めん‼」

「信じるのに表出なきゃダメっすか⁉」

「そうだ、信じるからだ! この意味が分からんお前ではないはずだ‼ だから来い‼」

「‼ わ、分かったっす! ついていくんで拘束は不要っす!」

「いい返事だ! なら早くしろ‼」

「ちょ、ちょっと比企谷、大志に乱暴なことしたら許さないよ⁉」

 

 俺の剣幕にあてられ心配になったのか慌てて川崎が止めに入る。ただ、なんとなくいつもの迫力が感じられない。普段ならもっときつく睨みを効かせてくるはずだが。

 

まあ、小町を含む女子四人を性的な目で見ていたし、それもあって大志を庇うのが後ろめたくあるのかもしれない。

 

「……大丈夫だ川崎。決して乱暴なことをしない。俺と大志は男同士の話をつけに行くだけだ」

「姉ちゃん、大丈夫だから俺とお兄さんを信じてくれよ」

「え、え? えっと、その……うん、わ、分かった……」

 

 俺ばかりか大志にこうまで言われると川崎は引くしかないだろう。内心、川崎を騙してるみたいで悪いなという罪悪感でいっぱいだったが。

 

 ……だって、双丘の話だよ。SOUKYUU!

 この場合、下半身の方ではなく上半身のパーツを指す言葉ね。少し優しい表現をするんなら女性の象徴。

 

 隆起したり

 豊満だったり

 巨がついたり

 貧であったり

 微であったり

 美だったり

 爆がついたり

 ミサイルだったり

 メロンだったり

 風呂で浮いたり

 ツンとしたり

 

 でも時には垂れちゃったりと様々な形状、変形があるブレスト。ああ、クリスマス合同イベント会議で玉縄が使ってた方じゃないよ。あっちはブレインストーミングの略のブレストだからね?

 

 要するに男の夢と希望がいっぱい詰まった器官なわけよ。分かるかな~、わっかんねえよな~、X染色体しか持ちえないあいつらにとってみれば、重いし見られるし邪魔だなーくらいにしか感じないんだろうなぁ~。あ、そんな苦労がない人もいましたね。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

―川崎家・玄関前―

 

 

 大志を玄関先まで連れてくる間の妄想がすさまじく、もしこれを口にでも出そうものならエグ過ぎて俺の人生は終わる。間違いなく。

 

「お兄さん、もう外ですよ?」

「……ああ、すまん。つい考え事をな」

 

 神妙な顔でカッコつけてはいるものの、中身を知られたら大志にすらゴミを見る目を向けられそうだ。

 

「……それで大志」

「……うす」

 

「……どこで気づいた?」

「……うす。怒らないで聞いて欲しいっす。比企谷さんの愛宕山を検索した時っす」

 

「そうか。さすがにローツェとカンチェンジュンガじゃほぼノーヒントだもんな。あと、いつもなら目を潰してやろうかと考えるんだが今日は見逃しておいてやる」

「はい。ただ比企谷さんの名誉の為にも言わせていただくと愛宕山(408m)はさすがにひどいっす」

 

「俺も内心そうは思ったが千葉県内の山じゃないと俺の千葉愛が上手く機能しないから仕方なかった。なんで千葉は標高最低なんだよ!」

「千葉愛で比企谷さんへの愛情を示したのは分かるんすけど、鋸山も千葉県内の山っすからね?」

「あ」

 

「お兄さん大胆っすね」

「やべえ、これっぽっちもそんなふうに考えてなかったのに!」

 

 俺はあまりに迂闊な発言を悔い、頭を抱えて蹲った。

 

「だって雪ノ下だぞ? そりゃ最低標高の千葉から山選ぶじゃんか? むしろ千葉からしか山を選べないまである」

「わかるっす! いや、こんなこと声高に言うことじゃないっすけど、分かるっす‼」

「分かるか大志! 男の子だもんな⁉ お前とはいい友達になれるかもしれなかった。来世に期待しているぞ!」

「今生では無理っすか⁉」

「小町が産まれた時点で、お前が俺の友になる可能性は完全に潰えた。諦めろ」

「早くないっすか⁉ 残念っす……」

 

 本当に残念そうな表情を見せる大志に、同情より軽く恐怖を抱いてしまった。戸塚ならともかく、男にそんな表情見せられても微妙だろ。いや、戸塚は戸塚だった。

 

「それにしても平塚先生って一昨日うちに来てくれた先生ですよね?」

 

「ああ、アラサーで、いまがピークだろうけど、すごかっただろ? いや、でも性格とか行動諸々トータルで見るとあまりお近づきになりたくない人のが多いかもしれないが、だから結婚もなかなか出来ないんだろうけど、とにかくすげぇ」

 

「すごいしか言ってないっすけど……でも、そう聞くと総武高に入学するのがますます楽しみになってきましたよ!」

 

「はっはぁ、そうか。また一人の若人に絶望を与えてしまうのかと思うと心が躍るな」

 

「絶望っすか⁉ トータルそんな酷いんすか⁉ あと、そこは心が痛みましょうよ⁉ ……それで、その……K2も総武高の生徒さんなんすか?」

 

「欲しがり屋さんだな、こいつめ。その人は雪ノ下の姉なんだが、雪ノ下とは逆でK2なんだ。鋸山とK2だぞ? 千葉とパキスタンだぞ? 姉妹なのに原産国が違うとかどんな姉妹都市提携だよ?」

 

「ってことは、お兄さん達が来年度三年生だからその人は……」

 

「ああ、残念なことにK2は卒業生だ。まあ、普通のOGより頻繁に総武に来たりもするが、あの人は俺達の在学中に在校してないのが幸運と思えるくらい厄介な人だからラッキーだったんだぞ」

 

「そう……っすか……」

 

「お前、ガッカリしすぎじゃね?」

 

「でもまだ富士山が残ってるっすよね?」

 

「結局、全部訊いちゃう? お前、どんだけ山に夢と希望を抱いてんだよ。そこに山があれば登ってしまうのが男の性なのは分かるが」

 

「その富士山は来年度も在校生なんすか⁉」

 

「こええよ、興奮し過ぎだっつーの。さすがの俺でも引くぞ」

 

「引いてもいいっすから富士山に関する情報をお願いするっす!」

 

「お前もう必死だな。体裁取り繕う気もないだろ?」

 

「お兄さんに高校入学して夢を見るのはやめておけって言われましたけど、新たな希望が生まれたっす。焼かれながらも人は、そこに希望があればついてくるっす!」

 

「なにその丸パクリ……お前の希望は双丘かよ、お兄ちゃん心配だぞ?」

 

 おっと、小町と話す時の癖でお兄ちゃん宣言しちまったよ。ここ数日で川崎一族と馴染み過ぎだな。

 

「お、お兄さん⁉ まさかお兄さんからそんな風に言われるなんて……」

 

「あー、感動してるとこ悪いが間違っただけだ、気持ち悪い。んで、富士山だったな。富士山は現在生徒会長をしてる奴のことだ。昨日、お前に話しただろ? 外見『だけ』はレベル高いってやつ」

 

「外見すごいのに胸も富士山級なんすか? もうそれやばくないっすか⁉」

 

「誤解すんな。富士山ほどインパクトがあるわけじゃない。揶揄するのに最適だったから富士山をあてがっただけだ。大体、一色がホントに富士山級だったら、さすがに小町が愛宕山ってことはねーよ。少なくとも1000~2000m級のを用意してる。ま、雪ノ下は鋸山で十分だけどな」

 

 俺は油断していたのだろう。相当やばいレベルの暴言を吐きまくっていた。親友なんていたことないし、この手のぶっちゃけなどしたことがなかったが、同級生の弟……男同士というだけでここまで弱みを曝け出せてしまうものなのか。性というカテゴリーはなんと度し難いのか。

 

「⁉」「⁉」

 

 玄関の方ではっきりと物音がした。まさか、誰かが聞き耳を立てていたのではないか。同じ疑問を大志も持ったようで俺達の視線はゆっくりと重なる。

 

「(……誰か、いるんすか、ね?)」

「(傘が倒れたとかだったらいいんだが、そんなわけないよな……)」

 

 そっと玄関を覗いてみるが、そこには誰もいなかった。

 

「……この場合、どんなケースが考えられるんでしょう?」

 

「そりゃもうどのケースも最悪だが、一番はやっぱり全員が聞いていたか、聞いた奴が全員に言う。これだろうな」

 

「そんなことになったら俺の高校生活は絶望に彩られるっすよ……」

 

「バッカお前、高校生活どころか私生活もだろうが。俺達の姉妹も含まれてんだぞ⁉ 学校では罵倒され、エロ谷、エロ崎と蔑まれ、家では肉親の恥、下半身で生きる本能の化け物、と呼ばれて家族内ヒエラルキーは最下層に……ってそれだけはいつもと変わんねえわ」

 

「得意の自虐言ってる場合じゃないっすよ! そんなことになったらいつもお風呂最後に入らされるっす、親の帰りなんていつも遅いのに!」

 

「そんなもん、先に入って出たあと風呂の水抜いて掃除してからまた湯を入れればいいだけだ。小町より先に入る時はいつもそうしてる」

 

「解決済みだった⁉ っと、それよりも最悪のケース以外にどんな結末があるっすかね?」

 

「そうだな、誰に聞かれたのかで俺達の今後の人生が決まる。最悪なのは雪ノ下と小町だな。雪ノ下は潔癖症な上、双丘において強いコンプレックスを持っている。あんな話聞かされたら全員にしゃべった挙句、言葉だけで人の命を奪えるくらいの罵倒をしてくるぞ」

 

「入学してすぐエロ崎になって3年間耐えるのは無理っす!」

 

「はっはっはぁ、俺は残り1年だが部活が同じでほぼ毎日顔を合わすからお前よりダメージがデカいぞ!」

 

「小町が聞いてても最悪だ。雪ノ下から又聞きした場合より鮮明に軽蔑されるだろう俺は、特に家での居場所がない。家大好きなのに」

 

「俺も同級生ですから、特に同じクラスになった場合、針の筵っす。3年間彼女できないポジションが確立してしまうっす」

 

「はっ、安心しろ。去年と昨日もアドバイスしてやっただろ。かあちゃんいつも言ってるでしょ⁉ ってな。お前に彼女はできん。俺にも出来たことないからお前に出来るわけがないと信じたい」

 

「えっ⁉ お兄さん本当に彼女いないんすか?」

 

「えっ⁉ その確認必要?」

 

「いえ、ただてっきりどなたかとお付き合いしてるんだとばかり……」

 

「ないない。まあ、相手というより自分の問題だがな……」

 

 おっと、大志に思わず本音をこぼしてしまった。そう、これは相手の問題じゃない。俺がどうすれば人を信じられるようになるか、だ。

 

「…………」

 

「話を戻すが、由比ヶ浜か川崎に聞かれたんだったら多少の望みが残されている。由比ヶ浜はビッチくさく見えて純情だ。だから他の奴にこんな話、恥ずかしくてできない……かもしれん」

 

「かもしれないってどういうことっすか?」

 

「あいつの心情的にはそうだが、由比ヶ浜は隠し事ができないタイプでな。雪ノ下に不審なところを見咎められたら確実に吐くだろう。それを踏まえて読めない」

 

「俺達の最後の希望は川崎だ。もし聞いてたのがあいつだとしたら、身内の恥をわざわざ他人にしゃべらないだろう。大志の存在がストッパーになるわけだ。その場合、学校の連中にバレることなくおはよう平和な日常。俺は予備校であんたエロ谷じゃん、こんにちは。お前の家庭で気まずい空気がこんばんは。ってところか」

 

「家庭で気まずいのが想像以上に辛そうなんですけど……」

 

「それくらい我慢しろ。学校が無事なら俺達学生にとって大半の生活時間が平和になるんだぞ? 落としどころとしては最高だろ」

 

「うぅ……分かったっす。確かにそれ以上の条件はないっすね……」

 

 出来れば川崎が聞いてましたってパターンが最高なんだが、確かに大志にとっては気まずさが半端ないので同情するな。とはいっても聞いていたのにこっちが気付かなければ、向こうだって姉の優しさスキルで気付かなかった振りをしてくれるはずだ。

 そう考えればさっき物音に気付いた時、誰も発見しなくてよかったと言える。さっきはああ言ったが聞いていたのが一人なら、川崎以外だとしても同じような気遣いを見せてくれる可能性は高い。俺の嫌いな欺瞞だが、こういう時はあってもいい。というか社会生活においてそういうのはあるべき気遣いだ。

 

 話が一段落したところで不意に声が掛けられた。

 

「あ、はーちゃんだぁ! ただいまー」

「あら、わざわざお出迎えしてくれたの? 大志もただいま」

「あ、たまたまです。けーちゃん、おかえり。おばさんもおかえりなさい」

「おかえり」

 

 俺が川崎家に着くのと入れ違いで出発した母親と京華のお帰りである。もう映画を観終わって帰るくらい時間が経ったのか。早いものだな。

 

「大志達のお祝い用のケーキこれから食べるんで行きましょう。お二人の分もありますから」

「わぁ、ほんと⁉」

「あら、ありがとうね。京華、ちゃんとうがい手洗いするのよ」

「うん! はーちゃん、行こ‼」

 

 天使のような笑顔で俺の手を握って促すけーちゃんとそんな姿を微笑ましく見ているおばさんの顔を視界の端に捉えた。

 

 これからどんな断罪をされるのか不安になりつつも、傍にいるけーちゃんのお陰で今日のところはひとまず大丈夫だろういう安心もあった。

 誰が盗み聞きしたのかは知らんが、願わくば空気を読んでくれ。頼む‼

 俺と、ついでに大志の平和な高校生活の為にも‼

 

 

 

つづく



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25話 川崎京華は、夢と希望を膨らます。

反省してるはずだったのに‼
またけっこう悪ふざけがでてしまいました。今度こそ反省します。

2021. 8.18 一部追記と修正。
2020.12. 4 台本形式その他修正。
2020. 1.23 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


《 Side Saki 》

 

 

「ただいまー」

 

「あ、けーちゃん、おかえり」

「おかえりなさい」

「おかえりー」

「おかえり!」

 

 母さん達が帰ってきた。比企谷達を伴ってリビングに来る京華はテーブルのケーキに目を輝かせていた。

 無作法な真似をさせないよう、手を繋いだ比企谷ごと手洗いさせる。

 

「ケーキあるから、ちゃんと手洗いとうがいするんだよ。はーちゃんも一緒に行って洗ってきて」

 

「⁉」

 

 うがい手洗いを進めると周りが一瞬気色ばむ。

 一体、何なのさ?

 

「はーい」

「お、おい……「はーちゃん、行こ」あ、ああ」

 

「…………」「……えっ、と……」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が同じように言葉を濁すも、その意図を察せられないあたしは訊き返すことしか出来ない。

 

「……なに?」

「あ、無自覚だ」

 

 二人を差し置いて小町が反応する。

 その言葉が何を指しているのか理解できずにいると母さんも姿を見せた。

 

「あ……母さん、おかえり……」

「ただいま。皆さんいらっしゃい。今日はわざわざ大志達のお祝いにいらしてくれたようで、狭いうちで大したお構いもできませんけど寛いでくださいね」

「お邪魔しています。雪ノ下雪乃と申します」

「由比ヶ浜結衣です。沙希さんとはクラスメイトです」

「おばさんも手洗ってきてください。このケーキ、雪乃さんが作ったんですよ」

「まあ、すごいのね。それじゃご相伴にあずかろうかしら」

 

 そういって母さんは京華の後についていく。昨夜ひと悶着あったので、まだ気持ちの整理がついていない。どうしゃべっていいかが分からない。家族に対してこんな感情を抱くのは去年の春以来だ。

 

「洗ってきたよー」

「えらいね、じゃあ座ろっか?」

「うん、はーちゃんの隣!」

 

 当然そうなる。一辺二人掛けのテーブルで、さっきまで比企谷の隣は誰もいなかったのでちょうどいい。

 

「隣いいかい?」

「ああ。……って?」

 

 あたしは比企谷の隣に座り、京華を膝の上に乗せた。……肩が触れる距離で。

 

「か、川崎さん?」

「なに? 何か文句でもあんの?」

「イエ、ナンデモナイデス」

「さーちゃんだよ?」

「あ、ああ。……えっと、さ、さーちゃん……」

「うん!」

 

 特に由比ヶ浜からの視線も気になったが、あたしの意識はそこにない。これは比企谷を信頼せず城廻先輩の言葉を信じた母さんに対する中てつけだからだ。

 あたしは必要以上に比企谷との仲をアピールしてやろうと京華も含めて一緒に甘えることにした。

 

「はーちゃん、あーん」

「え? 俺?」

「ごめんね、付き合ってあげてよ」

 

 子供特有の無邪気で他意のない行動にあたしは内心ひやひやしながら、そして密かに鼓動が早くなっていく自覚をしつつやんわりとお願いした。

 

「……わーったよ、けーちゃんに言われちゃな……はむ……」

「おいしい?」

「ああ、美味しいぞ。けーちゃんが食べさせてくれたからな」

「はい、次のあーん」

「おいおい、それじゃ自分の分なくなっちゃうんじゃねえのか?」

「はーちゃんは食べさせてくれないの?」

「うっ、そうだな。けーちゃんにお礼しないとな。ほら」

「あーん……はむ……んぐ、おいしー!」

 

 京華と比企谷の食べさせ合いっこを一同生温かい目で見守る。

 最近はあたしが食べさせてあげることも少なくなり、久々に見せる京華のそれは写真に残したい尊さだった。

 

「(……天使すぎだろ)」

「(……あんたの妹に負けないでしょ?)」

「(……悔しいけど反論できん)」

 

 あの比企谷が認めるとは相当だ。確かに小町が愛らしいのは認めるけど、彼女はもう自我を得て小憎らしい部分が見られる年齢だ。京華は今が一番可愛い盛りだからね。

 

「さーちゃんにもあーんして」

「は?」

「け、けーちゃん、あたしは自分の分あるから……」

 

 こうなることは考慮していたものの、雪ノ下達や家族に見られながら比企谷に「あーん」してもらうなんて相当な羞恥プレイだ。お父ちゃんがいないだけマシともいえる。いたら公開処刑だ。あたしじゃなく比企谷が物理的に。

 

「く……はぁ……そら、さーちゃん、あーんしろ」

「ひ、ひきっ⁉」

 

 さーちゃんて呼びながらあたしにケーキを食べさせようとする比企谷は、もう心をオフにしたのか目が腐っておらず、死んでいた。

 

「……あ、あーん」

 

 周囲の視線を浴びながら、何故か目を瞑ってケーキを待っていると一向に口に甘さが広がってこない。不審に思い薄く目を開けると、口元まできたケーキがUターンして比企谷の口に飲み込まれていた。

 

「あー、はーちゃんずるい」

「すまん……恥ずか死にそうだったんで」

「…………」

 

 ――辱められた。

 あんな顔を晒して待っていたのに食べさせてもらえないとか、あたしのイメージに合わな過ぎてこっちこそ恥ずか死ぬ。

 

「……はーちゃん? 口開けよっか?」

「ん? あがっ⁉」

『⁉』

 

 あたしは頭に血が上っていたせいか、何の抵抗もなく比企谷の口に指を突っ込み抉じ開けた。

 

「はい、どうぞ?」

 

 言いながらかなり大きめのケーキ片をフォークで運ぶ。あたしを見る比企谷の目が恐怖をおびていた。

 

「むぐっ、んぐ」

「はいったはいったー」

 

 少しは溜飲が下がり、ナプキンで手を拭いていると京華があたしの口に手を入れてきた。

 

「⁉ ちょ、っと、けー、しゃん⁉」

「はーちゃん、いけー」

「え? いいの? 川崎?」

いいわへひゃいだほ(いいわけないだろ)!」

「いいのー」

 

 目に入れても痛くない妹のあまりに無慈悲な承認と、これから起こるであろう羞恥に、あたしの感情は名状(めいじょう)し難いものとなっていた。

 

「……すまんな、けーちゃんのお許しが出たからお前に入れさせてもらうぞ」

「んー、んー」

 

 なんでそんな言い方してんのよ⁉ と言葉にならない抗議は届かず、比企谷のあーん攻撃に屈してしまう。まるで口を犯されたような敗北感に打ちのめされた。

 

「はぁ……やっと落ち着いて食える……はぐ」

「あ」

「ん? なんだよ」

「べ、別になんでもない、ヒッキーのバカ」

「えー……なにそれ……?」

 

 自分でも一口食べた後、初めて由比ヶ浜の言葉の意味――間接キスであったこと――に気づく。

 あれ? 比企谷のフォークでもあたし食べたよね? あっちもそう?

 ってかそんなの問題にならないようなことしてんじゃん、比企谷の口に手ェ突っ込んで無理矢理あーんとか、京華の可愛い手で口抉じ開けられながら、お前に入れさせてもらうぞ、とか。もうメチャクチャだよ‼

 

「さーちゃん、顔赤いよ?」

「! なんでもないから、けーちゃんもっと食べよっか」

「……」

 

 え? なんで母さんにこにこしてるの? 比企谷のこと暴力男とか思ってたんじゃなかったわけ? そんな疑問に苛まれ訝る中、小町が照れながら呟いた。

 

「……い、いやー……なんか、こう……見てて恥ずかしいと言いますか……」

「そ、そうっすね……」

「え? なに?」

「……仲良い親子、みたいだなーって……」

「うちで京華と寛いでる時より姉ちゃんが楽しそうな感じするっす」

「! ん、んん‼ ……小町、親御さんの前で変なこと言うんじゃありません」

「ばっ! た、大志、バカな、こと……言わ……ないで……」

 

 そうであればいいな……と思わないわけがなかった。そのせいで段々と否定の声が小さくなり最後はぽしょぽしょとしぼんでしまう。

 

 もともと母さんへの牽制で必要以上に馴れ馴れしく気安い感じ出してたんだけど京華の暴走もあって少々やり過ぎた気がする。当の母さんは全然気にしたふうでもなく、むしろ微笑ましいものを見ているようで……。

 

 ……昨夜の言い合いはなんだったわけ⁉

 

 まるで夢だったのではないかと思えるような母さんの反応にあたしは戸惑いを隠せなかった。

 

 ケーキを食べるのがまるで羞恥プレイであったような錯覚に陥りつつ、皆にコーヒーを淹れる。けーちゃんにはオレンジジュースを出してあげるとまた『はーちゃんも飲む?』と勧めていた。どんだけ比企谷に懐いてるんだか。

 比企谷は困った表情を見せながら少し口をつけていた。酸っぱそうに顔を顰めている。果汁100%だしね。でもそんな酸いもケーキにはちょうどいいだろう。

 なんせ、こいつはコーヒーにドバドバ砂糖とミルクを放り込む。ケーキの糖と勝負してるわけじゃあるまいし、そんなに入れたらコーヒーの味どころか匂いまでおかしくなりそう。

 

 母さんが洗濯物を取り入れに席を外した。来客中にすることでもないが、子供同士の時間を増やそうとあえてした気遣いみたい。それでなくても比企谷達二人には家事のことでお世話になってるし今更隠すものでもない。

 

 そして、今日映画を観た京華の話題といえば、日曜早朝一緒に観ているプリキュアであった。

 

「――でね、けーかはキュアミル〇ーが好きなの。はーちゃんは?」

「なかなかいいところを突いてくるな。俺も好きだぞ。だが俺が一番好きなのはキュアセレー〇だな。特に声がいい。さーちゃんは?」

「あたしはやっぱキュアス〇ーだね。武器を使わないで拳で戦うところが好きかな」

「おい、目の置き所がバイオレンス過ぎるだろ。文明人なんだから武器を使え、武器を」

「キュアセレー〇は弓だからね。狙撃って安全圏に身を置きながら一方的に攻撃するみたいで好きじゃない」

「なんでだよ、弓最高だろ? 相手に反撃させず攻撃できるんだぞ? ってかセレー〇は声最高だろ? エンジェルヴォイスだぞ? 戸塚似だぞ?」

「結局そこなんだ……確かに戸塚の声に似てるけど……」

 

 あたしと比企谷の会話についていけない雪ノ下が隣の由比ヶ浜に助けを求めた。

 

「……由比ヶ浜さん、彼等は何の話をしているのかしら……?」

「え? う、うん、あたしもよく分かんない……」

 

 あまり縁がないであろう由比ヶ浜を気遣い、小町が横から説明を買って出る。

 

「小町が五年前くらいに卒業した日曜早朝女児向けアニメの話ですよ……」

「なんだったらこのまま仮面ライダーの話題へとコンボがつながるっすよ……」

 

 小町の言葉を引き継いだ大志。二人ともうんざりとした表情と呆れた声音で訴えていた。

 

「あ、大志、仮面ライダーバカにしてるでしょ? 最近のは男児と一緒に観てるママ向けの要素も抑えてるから、結構観てて面白いんだよ?」

「お前って別にイケメン好きじゃねえだろ」

「うっ、そうなんだけど……でも本音で言うとプリキュアより、ちゃんと殺陣のある仮面ライダーのがあたしは好みかな」

「お前の性格が滲み出た嗜好傾向だな……」

「う、うっさい! 空手やってたし、ああいうのには興味あんの!」

「さーちゃん、けーかプリキュアのがいい……」

「あ、ごめんね、けーちゃん。プリキュアも好きだよ」

「でも、さーちゃんは仮面ライダーも好きなんだから、けーちゃんが好きなものを押し付けるのはよくないんだぞ」

「え、けーか、悪い子なの?」

「ひ、ひきが……!」

「違う違う。けーちゃんは悪くない。さーちゃんはプリキュアも仮面ライダーも好き。だからどっちのが、とか言わなくてもいい。けーちゃんだって、プリキュアよりも仮面ライダーが好きって言われたら嫌だろ? それとおんなじさ」

「! ……うん! けーかはプリキュアが好き。さーちゃんは仮面ライダーが好き。それでいいんだよね?」

「そうだ。けーちゃんはお利口だな」

 

 あたしの膝上に乗ってる京華を撫でる比企谷。こういうところを見るとお兄ちゃん慣れしてるなって思う。撫で方も優しくて、こんな甘い毒に中てられたらちょっと小町がブラコンに育ってしまうのも分かる。

 

「はーちゃんもプリキュア観に行こ?」

「そうだなぁ、けーちゃんと一緒に行ければよかったんだけど……いやよくないな。二人で観に行ったら通報待ったなしだし、さーちゃんがいないと無理だわ」

「さーちゃん一緒に行こう!」

「プ、プリキュアを劇場で? うーん、けーちゃんは観たし何回も行くのは勿体ないしね。また今度、次の映画が始まったら一緒に行こうよ」

 

 正直、けーちゃんを連れてなら行く体裁がとれるけど、そこに比企谷が加わるとまた話が別だ。さっき小町にも言われたように家族――子持ちの夫婦――というスタンスで行くことを余儀なくされる。

 

 あたしはそう見られることにむしろ喜びを感じる。

 

 だが比企谷はどうか?

 

 目立つことが嫌いで、あたしの告白にずっと迷いを抱いている。まだあたしを信じられる存在として認められない。そんな人間を休日横に連れて歩きたいと思うだろうか?

 

「あ、映画といえば、学校でも話題になってる映画が封切りされたんだよ」

「そういや教室で聞こえてきた気がするな。由比ヶ浜が興味持ちそうなのっていったら恋愛映画かなんかか?」

「決めつけてるし⁉ でも当たってるから悔しいんだけど……」

「その映画ってね、主人公の男の子が同じ高校の女の子と恋に落ちるの。でも男の子は小さい時から虐待を受けてて、ある日それに耐えられなくなって虐待してた肉親を殺めて……それで捕まっちゃうんだけど、付き合ってた女の子の将来を考えて、わざと嫌われて関係を終わらせて……っていうストーリーみたい」

「…………」「…………」

「……なんか……ちょっと親近感が湧く主人公ですね」

 

 あたしもそう思う。その男の子を思い浮かべ当てはめると驚くほどしっくりくる。由比ヶ浜が興味を持ったのもその辺が理由だと思う。

 

「それでさ、もしよかったら明日それ観に行きたいなって思ってるんだけど、みんなで一緒に行かない?」

「え、みんなってまさか俺にも言ってる?」

「みんなは皆じゃん、当たり前でしょ?」

「いつも当たり前のようにハブられるから質問したんだろ。まあ、今日こうして出掛けてさらに明日の休みまで出かけるとかどんな社畜だよ。パス」

「酷いし‼」

「万が一行ったとしても、俺その映画よりプリキュア観たいから別々に観て終わったら待ち合わせすると思うぞ」

「どーしてそうなるし⁉ ヒッキーキモい!」

「あんた、ホントにバカじゃないの……?」

「そうね、比企谷くんには女性の気持ちなんて分からないからそんな愚かしいことが出来るのではないのかしら?」

「い、いやー……誕プレ買いに行った時、そんな兄と息が合ってた人がいるので小町的にはコメントを控えさせていただきます……」

「ん、んん! む、昔のことだから……」

「語るにおちてどうする? 小町の気遣いを台無しにしたな」

「……黙りなさい」

「周囲の温度を下げるような視線を放つな。ただでさえ寒いってのに」

「じゃ、じゃあ、ゆきのんはどう?」

「あ、ごめんなさい。明日は用事があって空いていないのよ。また今度誘ってもらえると嬉しいのだけれど」

「ああ、そっか……うん、じゃあ、また今度ね」

「グループのお友達を誘って観に行ってくるといいわ。わたしは、その……あまり恋愛物が得意ではないから」

「確かに雪ノ下はミステリーとか歴史映画のが好きそうな気がするな」

「勝手に決めつけられるのは癪なのだけれど当たっている分、余計に腹立たしいわね」

「お話盛り上がってるようね。沙希のお友達にこんな綺麗な子達がいるなんて聞いてなかったわ」

 

 洗濯物を取り込んだ母さんが自然に会話に交ざってきた。もう普通にご機嫌みたいなんだけど。確かにうちは小さい子もいるし友達呼ぶなんて滅多にないから嬉しいのかもしれない。……友達って言っていいか分かんないけど。

 

「二人は比企谷と同じ奉仕部の人だよ。ほら、去年あたしがアルバイトして迷惑かけた時に助けてくれた人達……」

「あら、その節はご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」

「いいえ、お気になさらず。部活動の一環でしたので、却ってご迷惑にならなかったかと胸を撫でおろしています」

 

 まさしくその通りだ。去年比企谷に、雪ノ下にもお礼言っといてって社交辞令込みで言ったし、これに関して年齢詐称してたあたしが言える立場にないことは分かっている。だけど雪ノ下はあの時、それを盾に脅迫紛いの交渉を仕掛けてきたのが未だ心にしこりを残していた。

 実際、学校側に報告されてはいないものの、されてたらバイトどころか学校を辞めさせられた可能性すらあった。そんなのちらつかせながら説得されて、はい、わかりました。なんて受け入れられるわけがない。……まあ自業自得なんだけど。

 

「…………」

 

 比企谷の奴、会話を無理矢理聞いてない振りして京華のこと撫でてる。京華もご満悦だし。っていうか肩がくっつくほど傍に座ってるあたしの膝の上にいる京華撫でてる比企谷の図って、本気で、その、夫婦にしか見えないんじゃ……。

 

 やば、あたしのが顔赤くなってない?

 母さんと話している雪ノ下以外の注目が集まっているのが分かる。小町なんてそれはもうによによしている。なんだったらキモいくらいの顔つきだ。兄貴のことが言えないくらいの。

 

「そういえばうちの大志も小町ちゃんも総武の後輩になるのよね。その奉仕部には興味とかあるのかしら?」

「小町は入部するつもりですよ! お兄ちゃんもいるし雪乃さんと結衣さんとも一緒に活動できるって素敵じゃないですか!」

「俺もお兄さんのこと尊敬してますから、入ろうって考えてます」

「興味を持ってくれるのは嬉しいのだけれど、奉仕部はわたしが作った特殊な部だしあまりお勧めしないわ。わたし達も3年生になったら引退間近だし。他の部か生徒会なんてどうかしら?」

「冷静な判断だ。正直、生徒会のがいいんじゃねえか? 部長様も認めてるし。あ、でも生徒会は……小町と会長のあざとさの相乗効果が生まれそうでお兄ちゃんちょっと胃が痛いかも」

「どういう意味⁉」

「生徒会長をあざとモンスターな後輩が務めてるんだ。もし小町がそいつに毒されたらと思うとお兄ちゃんはもう何も信じられなくなってしまう」

「あざとモンスターってのがどんな人なのか見てみたいけど、まあ生徒会役員になるには他力も必要だし一先ず置いとくね。他にお勧めってないの?」

「そうだな、テニス部をお勧めする。部長が天使だし! 天使が部長だし! 小町の天使が相乗効果ならお兄ちゃん咽び泣くくらい嬉しいからね?」

「うわ……お兄ちゃんの性癖を全面に押し出したアドバイスは小町的にポイント低いよ……」

「性癖じゃねえよ人聞き悪い。これはもう信仰であり、崇拝していて、鑽仰(さんぎょう)なんだ!」

「お兄ちゃん、圧が凄すぎて引くんだけど……」

「彩ちゃん好き過ぎでしょ……」

「同性であってもいよいよ通報対象になるのかしら……」

「……ちょっと悔しいんだけど……」

 

 まだ雪ノ下や由比ヶ浜に心奪われる方が救いがあると感じていた。あたしの告白よりも、男である戸塚の方が比企谷に信頼されていると思うと軽く死にたくなってくる。

 ていうかあたしってそんなに魅力ない? それともいよいよ比企谷の性的嗜好を疑うべきだろうか? バイセクシャルなら許すけど。 ……ってあたし何言ってんだろ?

 

「まあ冗談はさておき、やっぱ生徒会あたりなんかいいんじゃねえか? 小町は可愛いしコミュ力も由比ヶ浜並だ。順調にクラスから地盤固めていけば推薦者くらい集められるだろ」

「あ、うん……分かった。何かたまにお兄ちゃんが真面目にしゃべると妙に説得力あるんだね」

「あれ、小町ちゃん? それは普段が聞く価値ないことばかりだって言ってるように聞こえるんですけど?」

「逆にまるで傾聴に値する弁舌が行われていたふうに聞こえるのだけれど?」

「ヒッキー、いつもキモイことばっか言ってんじゃん……」

「……まあ、大抵バカな屁理屈言ってるしね」

「おかしい。ここに俺の味方は存在しなかった」

「はーちゃん、けーかがいるよ! はーちゃんいじめる人なんてけーか許さないんだから!」

『⁉』

 

 あたしの膝の上から比企谷の膝に移った京華は可愛らしくアホ毛ごと頭を撫でていた。

 

「ありがとな、けーちゃん。こんなに優しくされたのは生まれて初めてだ。けーちゃんは戸塚に負けてないぞ」

 

 妹に、負けた⁉

 

「これは本当に通報しなければならないかしら?」

「ヒッキーのロリコン‼」

「ちょっと待て! 頼むから状況を見てしゃべってくれ! ここは部室じゃねえ、川崎家なんだ、わかる? 冗談でも言うとダメなやつだろそれ!」

「……確かに、京華の母親と姉と兄に聞かされる言葉としてはキツイっす……」

「待て大志、同意してくれたってことは俺のこと『ロ』で始まって『リ』で終わる性的嗜好の持ち主だと思ってないんだろ? ないんだよな? ないって言って⁉」

 

「お兄ちゃん、うるっさい。二文字で表現できる言葉をそんな長く例えてるとかお兄ちゃんこそふざけ気味じゃん」

「ばれたか。ただここが川崎家だからちょっとは控えてくれと思ったのは本音だぞ? 親御さんの前で堂々とロリコン呼ばわりとか冗談でも気まずいわ」

 

 必死に弁明している最中の比企谷に対して京華が顔ぷにを始めた。

 

「ってコラ。あんまり人の顔突っつくんじゃありません。目に入ったら危ないだろう?」

「けーちゃん、あんまりはーちゃんに迷惑かけない」

「えー、けーか迷惑かけてないもん」

「け、けーかちゃん、あんまりヒッキーに迷惑かけちゃダメだよ?」

 

 そういって由比ヶ浜が京華を抱きかかえようとしたが……

 

「はーちゃんをイジメる人なんて嫌いだもん」ギュッ

 

 比企谷にしがみついた。

 

「うぇぇぇ――――⁉ けーかちゃんに嫌われた⁉」

「はぁ……けーちゃん、あんまり困らせないで」

「や! さーちゃんだってはーちゃんイジメてたもん」

「いや、イジメてないし……」

 

 あれ、なんだろう……比企谷に妹を盗られそうになってる? やだ、ちょっとどころか死にたいくらい悲しいんだけど? これじゃまるで比企谷みたいじゃん。

 

「けーちゃん、さーちゃんは俺をイジメてなんかないぞ? お姉ちゃんに謝るんだ」

 

 比企谷は京華の腕を軽く握り、言葉を強調した。普段、京華に見せる顔と違って真剣だ。

 

「ヒッキー、あたしは⁉」

「ああ、あのお姉さんもイジメてないぞ。イジってるだけだ。ちょっとアホだけど」

「最後のやついらなくない⁉」

「アホなの?」

「けーかちゃん⁉」

 

 同情したくなるような弄りが由比ヶ浜に襲い掛かる。京華も子供らしく遠慮がない。4歳児の口から放たれたアホに由比ヶ浜の心は耐えられるのか心配になる。

 

「ほら、仲直りしよっか?」

 

 そういうと京華を由比ヶ浜に抱っこさせる。向かい合うように抱き上げられた京華は目をぱちくりさせながら顔を覗き込んだ。

 

「あ、あはは……けーかちゃん、まだまだ軽いんだね」

 

 由比ヶ浜をじっと見つめる京華を見て、あたしの脳裏に嫌な予感が過る。

 

「ふふ……へ? ひゃっ……ちょ、けー、か……ぁんん!」

 

 急に艶っぽい声を上げだす由比ヶ浜に何事かと思った。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 おもむろにけーちゃんが由比ヶ浜の『ローツェ』を鷲掴みする。

 

 おっ〇ブの客かよってツッコミ入れるレベルで躊躇も容赦もない。

 あれは慣れてるわ。普段からカンチェンジュンガ登ってるねこれ。

 その経験値を今回のローツェ登頂で遺憾なく発揮してるわ。

 なんだったらその山肌を鷲掴んで登るが如く、そりゃもうしっかりともにゅもにゅしてる。

 

 俺もそうだが大志もやばい。由比ヶ浜のメロンが不規則にその形状を変化させる万乳引力に生物学上牡は抗えない。

 ホントごちそうさまです。

 

 あー、これ後で死ぬわ。雪ノ下に罵倒滅されるわ。大志生贄にして逃げるか。無理だな。俺が生贄になって大志が生き残るまである。

 そういや、このメロン、フルーツキャップ(ブラジャー)してねえじゃねえかよ。やけに形が艶めかしく変わると思ったわ。

 もうこれあれだ、眼福通り越して目だけ天国行っちゃうな。

 目だけ天に召されると今以上にキモくね?

 腐っても目だから、それが無くなったらもうキモイキモイいう由比ヶ浜の言葉が本気で口に出しちゃいけないやつになるじゃん。

 ホントに毛根死滅してる人にハゲって言っちゃうのと同じくらいダメなやつじゃん。

 

「ちょっ、と、ヒッキー、見な、い、でよ……」

「み、見てねえから……」

 

 いや、見てねえよ、って言ってはみたけどダメなんだよ、(サガ)なんだよ、そうこれは本能の(せい)なんだよ、牡のアイデンティティーなんだよ、分かる? 分かんねえよな、牝に分かれって無理だもんなぁ~、雪ノ下に由比ヶ浜や川崎の肩こる気持ち分かれって言っても無理なくらい無理、そんなの無理無理無理! だって性別同じなのに種族が違うくらいの隔たりあるもん! 『もん!』 ってなんだよ気持ちワリィ! もう俺、壊れかけてんな!

 乳すげえな⁉ あれだけ変わりたくないっつってた俺を変えるとか、もう俺の更生、乳に依頼した方がいいんじゃねえの⁉ 乳っていっても超サイヤ人の鬼嫁じゃないから!

 

「……っ‼」

 

 おっと、雪ノ下が睨んでる。これは『見てねえから』に信憑性がなさすぎた故か、それとも俺が今考えた『比企谷八幡更生プログラムの講師』として登場し揶揄されたものを悟られたからか。あるいは両方だな。

 

「ごごごめん由比ヶ浜! も、もう! けーちゃん何してんのさ⁉ ほら、こっち来な!」

 

 慌ててけーちゃんを由比ヶ浜から引きはがして抱きかかえる川崎。当のけーちゃんは膨れっ面のままだ。

 

「はーちゃんイジメたからけーかがイジメてあげたの!」

「は、はぁ? なにそれ?」

「だって、さーちゃんもこうすると嫌がるから、はーちゃんの代わりに仕返ししてあげたんだもん!」

 

 はい、当たってましたー。さーちゃんいつもやられてましたー。だからカンチェンジュンガまで育っちゃったのかなー? ってか代わりに仕返しとかなにそれ可愛いな。でも代わってもらわない方がはーちゃんはもっと嬉しいんだけど世間が許さないからこう言おう。けーちゃんグッジョブ‼

 

「さーちゃんもはーちゃんに意地悪したからお仕置き!」モニュンモニュン

「うぇぇぇ⁉ けけけーちゃん⁉」

 

 はい、連続で登山始まりました。こっちもさっき風呂上りに慌ててパーカースウェット着てたもんだからフルーツキャップ(ブラジャー)未実装だわ。さっきのクラッカーでおめでとう事件の時に体験済みだけど。

 

「ちょっ、と! ダメだっ、て! けーちゃ、んん……お、怒、るよ……⁉」

 

 もう声がぜんっぜん怒ってねーの。

 ってかサキサキメッチャ可愛いんだよ、普段の怖い感じと違って照れながら嫌がりながらも相手がけーちゃんだから拒めず困り果てながら登頂される様はもうなんつーか、明日朝早いのに彼氏が「今日いい?」って訊いてきて「明日早いし……」って返してんだけど同じベッドで寝てるからちょっかい出されて困りながら(あしら)ってたんだけど強く窘めなかったせいで本格的にしてきて結局拒めなくて翌朝寝坊しちゃう女みたいなんだよ。衆人家族環視の中これされるのは紛うことなくお仕置きだわ。けーちゃんすげぇよ、もっとやれ‼

 

「さーちゃん、はーちゃんに謝って!」

「ん、んん! ほ、ホントにやめ、て……」

 

 あ、やべえなこれ。ずっと見てられるし、なんなら乳ソムリエとして由比ヶ浜と川崎の頂どちらが高いか鑑定して欲しいまである。さあ、決定しようじゃないか、クイーン・オブ・バストを‼ って俺いま由比ヶ浜よりアホになってんな。

 

「ひ、ひきが、や、見るん、じゃ、ない……よ」

 

 家族に揉まれるところをクラスメートに見られるとかどんな羞恥プレイだよ。ってかさっきのケーキあーんの時からずっと川崎羞恥プレイ続行中だったわ。さすがに気の毒に思えてきたし助け船を出すとするか。

 

「けーちゃん、さっきも言っただろ? 俺はイジメられてない。イジメとは本人がイジメられていると自覚しない限りイジメにならないんだ」

 

 前にどこかで言ったようなこと――4歳児にかける言葉ではない――を言いつつけーちゃんの説得を試みる。正直、川崎の言うこと聞かないんじゃ、俺の言うこと聞くわけがない。いよいよ川崎オカンの出番ではないのか? あなたずっと傍観してるけどいいんですか? 長女が次女にモミモミされちゃってんですよ? それをクラスメートがタダ見してるんですよ? 俺だったら請求書を郵送した挙句、支払われなかったら諦めてるところですから。あれ? やっぱり無料じゃん。

 

「……うん、はーちゃんが言うならやめる」

 

 うえぇぇ⁉ やめちゃったよ⁉ いや、やめてくれていいんだけど。いや、やめない方が眼福なんだけど。そうじゃなくて、なんで俺の一声でやめんの⁉ いや邪な意味じゃなく優先順位おかしくね?

 

 俺がけーちゃんを抱きかかえると、ホッとした表情を見せつつ、胡乱げな視線をこちらにとばす川崎。

 

「え? え? 俺、別にけーちゃんに何もしてないよ? むしろお前ら助けたんじゃん? なんでそんな目で見るの? ねえ?」

「比企谷くん」

「ふぁい!」

「お兄ちゃんキョドりすぎ……」

「京華さんに何を吹き込んだのかしら? 川崎さんが言っても聞かないのにあなたの言葉に従うなんて、もしかして脅迫でもしているのかしら?」

「いやいや、いつものノリで言ってるけど4歳児に脅迫とかすごいからね? ってか4歳児に伝わる脅迫内容ってどんなんあるのよ?」

「そうね……さっきのように卑猥なことをすればお菓子を買ってあげるとか、そんなのかしら?」

「おい、親御さんの前でなんてこと言っちゃってんの? それに脅迫の概念間違ってるぞ。成果を求めて報酬を得るのは労働だろ」

「え? あなた京華さんにそんな卑猥な労働を求めていたの? やはり通報するべきよね」

「……ケーチャン、オレ、イジメラレテルンダ……」

「‼ あ、あなた、やはり京華さんを雇っていたのね⁉ 京華さん、あんなことをしてはダメよ?」サッ

 

 雪ノ下は胸を両手でガードして身構える。むしろお前も揉んでもらえ。川崎のようになれるかもしれんぞ? とは口が裂けても言わんけど。だが、当のけーちゃんは興味なさ気にしていた。

 

「本気にしないでね? 冗談だから。けーちゃんも」

「うーん……いいや……」

 

『けーちゃんは、のこぎりやまにとざんすることをきょひした』

 

「…………えっ⁉」

 

 おいこらショック受けんなよ。けーちゃんに登山されたかったのかよ。まあ、さっきのやり取りでけーちゃんに登山してもらえば標高が増すというけーちゃんの御利益というか、川崎家の都市伝説に気付いたのかもしれんな。雪ノ下はこの手の話題に敏感だし、雪鋸山(雪乃こぎりやま)だし。だが、えっと、その、残念だったな雪ノ下。

 

 気まずくなりかけたが、けーちゃんを川崎の膝の上に戻して話を切る。ってか何の話してたっけな。山の話になっちゃうと全てを忘れて没頭しちまうわ。やっぱあれだ、俺の更生は登山がいい、最高。実際したことないけど。登山してるけーちゃんを見たことしかないけど。

 

「けーちゃん、なんであたしの言うこと聞かないではーちゃんの言うことは聞いたの?」

「けーちゃんの中ではお前も俺をイジメてたって認識になってるし、しょうがねえんじゃねえの?」

「あ、あたしはイジメてなんか……」

「さーちゃん、はーちゃんに謝らないと、めっ!」

 

 あれ、割と根に持ってますね? けーちゃんに怒られてサキサキしどろもどろになってるし。

 

「あ、え、そんなに?」

「(……あー、川崎、不本意だと思うが謝ってご機嫌を直しちゃった方がいい)」

「‼ ち、ちかっ!」

 

 そりゃそうだ。川崎の膝の上にけーちゃんが乗ってて、そのけーちゃんに聞こえないように囁いてるわけだから、吐息が耳に当たるくらい近づくのはしょうがない。風呂出てあんま時間経ってないし、川崎がものすげえいい匂いなのは秘密だ。

 

 意を決したのか、川崎が俺の方を向いて謝罪してきた。

 

「あ、あの……比企谷、その、…………ごめん」

 

 うわ、これ言われた俺も罪悪感がキツイ。何とも思ってないっていうか、あんなの会話の流れで絶対でる貶しってか、ただのツッコミじゃん? なんでそれで川崎謝らせてんだよ、けーちゃん実は鬼かよ⁉

 

「あー、うん、まあ、その、なんだ……大丈夫だぞ、気にしてないから」

 

 こうやって気にしてないアピールをけーちゃんに見せることで、謝罪茶番劇の終息を図る。だが、さらに予想外な言葉が俺達を襲った。

 

「じゃー、さーちゃんとはーちゃん、仲直りのキスしてー」

 

『⁈』

 

「キキキ、キキキス⁉」

 

 小町のイップスが発動した。そういえばバレンタインの日にしてたんだっけ……忘れてたわけじゃないが、びっくりするくらい今まで意識してなかったな。だが、そうは言っても今ここで川崎と抵抗なくキスできるかと問われれば、答えは否なわけで。

 

「け、けーちゃん! そそそんなこと、で、できるわけないでしょ⁉」

「なんでー? 仲直りにはチューするってパパもママも言ってたもん」

 

 あんた、なんてこと吹き込んでんだよ⁉ ってかさっきからずーっと川崎の母ちゃんニコニコし過ぎだろ? 長女の羞恥プレイがそんなに楽しいんですかね? ドSか?

 

「…………」「…………」

 

 二人の視線が痛いし()てえなあ……何とか誤魔化せないものか……。

 

「けーちゃん? キスしなくても仲直りは出来るんだぞ?」

「そんなことないよー。だったらまたさーちゃんにお仕置きするもん」

 

 うおおおいぃぃ! またモニュンモニュンしちゃうの? いいぞ、やれ! って言いたいけどさすがにもう川崎の精神が持たんだろ。つっても皆の前でキスしても精神は崩壊するんだが……どうしたもんか……。

 

「あ、の……、それは……だ、って……」

 

 うわぁ……なんだよコイツ超可愛いなオイ……。

 

「…………」

 

 ……なんか川崎が俺のこと見つめてんだけど……俺っていうか……唇? えっ? おい、なにその気になりかけてんだ、園児の言うこと間に受けて特大のトラウマ生み出すつもりか? 考え直せマジで! 雪ノ下と由比ヶ浜の視線は痛ぇし! ……あ、そうだ‼

 

「けーちゃん、明日さーちゃんと映画観て仲直りしてくるから、キスはする必要ないんだぞ?」

 

『え?』

 

 既に決定事項のような発言に三者の声がハモった。川崎だってキス観覧されることや公開モニュンモニュンより映画を観る方が救いだろう。

 

「おー、うん、わかったー! はーちゃん達もプリキュア観て来て! 面白いよ‼」

 

 はい、俺達が観るのはプリキュアに決定いたしました。

 

「じゃあ、明日でいいか? 時間、調べとく」

「え? あ、う、うん、わか、った……」

「ず、ずるい、サキサキだけ! あたしも! あたしもヒッキーと仲直りする‼」

 

 仲直りを映画鑑賞の代名詞みたいに使ってる由比ヶ浜に、覚悟を問うてみる。

 

「あー、まあ一緒に行くのは別にいいんだが、ホントにいいのか?」

「え? なんで? だってさっき映画に誘ったのあたしの方だよ? 良いに決まってんじゃん⁉」

「俺達が観るのは『プリキュア』だ」

「‼ え、で、でも、その……」

 

 そういって視線を向けた先はけーちゃんだった。俺にはその意味が理解できていたが今話すわけにもいかない。だが、無事仲直りの約束が出来たことに満足したせいかけーちゃんはうつらうつらとしていた。お昼寝の時間がとっくに過ぎているからだろう。

 

「あ、けーちゃんそろそろお眠かな? それじゃお昼寝しよっか」

「ん……まだ……はーちゃんとお話したい……」

「はーちゃんとはまた後で話そうね。けーちゃんが眠そうにしてるとはーちゃんも心配するから」

 

 俺は川崎の意を汲み、けーちゃんに精一杯優しく微笑んでお昼寝しておいでと手を振る。川崎が学校では見せないような表情をけーちゃんに向けながら抱きかかえて部屋へ連れて行った。二人がいなくなったのを確認し、ようやく続きを話せる場が整う。

 

「由比ヶ浜、もう一度訊くがお前は俺達とプリキュアが観れるか?」

「う、うぇ⁉」

 

 真顔で何てこと訊いてんだ俺。第三者が見たらどう形容していいか分からん状況に間違いない。

 

「で、でも、けーかちゃんが一緒に行くわけじゃないし……」

 

 その先に続く言葉は「プリキュアじゃない別の映画を観てもいいじゃん」になるのだろうが、それが許されるのならそもそも俺は休日にわざわざ映画を観に行かない。

 

「俺やお前はまだしも、川崎は観なきゃ確実にバレるってこと気付いてるか?」

「あ!」

 

 いや、最近の生活を鑑みるに俺も観ないとバレる気がする。それくらいけーちゃんは俺に懐いてるし、近いうちにまた川崎家に足を運ばないとも限らない。その時、けーちゃんにプリキュアの内容を話せなかったらあの子を裏切った気持ちに苛まれる。そんな選択はできそうにない。

 

「まあ、そういうわけだ。由比ヶ浜がさっき言ってた恋愛映画を観たいっていうなら一人で観ることになるぞ? 川崎一人でプリキュアを観せる訳にもいかんし、なにより俺が観たい」

「あ、そう、だね……うん。じゃあ、あたしもプリキュア観に行けば解決だね!」

「は?」

 

 いやいやいやいや、どうしてそうなる? そもそもお前がプリキュア観に行く理由がないだろ。百歩譲って仲直りのポーズだとしても、それこそお前だけは行った体でやり過ごせるだろ? さっき自らが口にしてたようにけーちゃんが一緒に行くわけでもないんだから。

 

「は?」

「二回も言うなし!」

「いや、だってそうだろ。お前プリキュア興味ないじゃん?」

「きょ、興味あるし! さっきヒッキーとサキサキが話してるの聞いて超興味でたし⁉」

「なんで疑問符なの……」

「お兄ちゃん……」「お兄さん……」

 

 弟妹揃って憐みの目で見ないで! だって理屈で考えれば有り得ねえだろ、由比ヶ浜がプリキュア観たいとか。

 

「はぁ……控えようと思ったのにやっぱりごみいちゃんはごみいちゃんだったよ……」

「あ、はい。もうそれでいいです。変な気遣いとかいいんで、罵ってください」

「やけくそだ⁉」

「はぁ……由比ヶ浜さんが行きたいと言っているのだから余計な心配をしないで受け入れてあげるだけでいいのよ」

「え? だってプリキュアだよ? 興味があったとしても『齢17にして劇場でプリキュアを観覧する』ってきつくない?」

「ブーメランな上、沙希さんにまでダメージ与えちゃってるよ……」

 

「俺はあえて空気を読まないスキル備わってるし、川崎にもスルースキルと妹の為スキルがあるだろ。けど由比ヶ浜のスキルって空気読んじゃうんじゃなかったか? 多分だけど周囲の視線痛いよ? 大丈夫?」

「い、いいって言ってるでしょ! とにかく今夜あたしにも連絡ちょうだい」

「あ、ああ、分かったから近い、近いっつーの」

 

 明日は川崎、由比ヶ浜と一緒にプリキュアか……なんか妙なことになったな。

 

 その後、川崎が戻り由比ヶ浜が中心となって総武での学校生活を話した。今年入学組は興味深く聞いていたし訊いてきた。それに便乗する形で川崎のお母さんも、娘の学校生活を多少知りたかったのか興味深く耳を立てていた。

 

 けーちゃんが起きた時に皆がいないと可哀想だったから、少し長居し過ぎかと思ったが起きるまで待っていることにした。川崎一家も引き留めるのに腐心するようだったし。

 

 けーちゃんが起きて少し遊んであげた頃、もう夕飯の支度を始めてもいいくらいに日が沈んでいた。お祝いの料理に使った材料が結構残っているので買い物は必要ないだろう。もしかしたらそれを見越して多めに買ってたのかもしれない。既にこの家に三日連続で食のお世話を続けてる小町ならではの如才の無さである。我が妹とは思えない恐るべし気の回し様だ。

 今は玄関で川崎一家に見送られてお暇するところだ。

 

「それじゃ、今日は本当にありがとうね。大志も京華も喜んでると思うし。あ、あたしもね」

「うん、今度はあたしが手料理作ってあげられるように練習しておくからね!」

「やるならわたしの目の届くところでやってちょうだい。由比ヶ浜さんの料理を野に放つには厳正な審査を通してからでなければ危険よ」

「そうだな。その時は俺もちゃん味見するから無許可で川崎家に振舞うなよ。あと実技もそうだが座学でも料理について勉強しろ」

「なんかあたしの料理、危険物みたいになってる⁉」

 

 むしろ兵器といってもいい。今回の件は依頼の時みたいに『女子の手作りクッキーを男子は漏れなく喜ぶ』という条件がないのだ。しかも俺の中で『料理が上手い女子ベスト3』に入る川崎の家族に由比ヶ浜が振舞うなど狂気の沙汰。それで川崎と母親がダウンしたら普通に家庭崩壊の危機が起こりうる。

 なんとしてでも止めなければならない。由比ヶ浜の料理を知る者として使命感にかられた。

 

「まあ、期待しないで待ってるよ。……それで比企谷、明日の……」ウツムキ

 

 けーちゃんの手前断れないし、腹を括ったか。川崎はそれで納得できるんだけど由比ヶ浜は未だに理解できん。

 

「ああ、どうせネットで調べるだけだし、すぐ連絡できると思う」

「ヒッキー、あたしも! あたしも!」

「分かった分かった。夕飯終わるくらいにメールするわ」

「はーちゃん、ちゃんと仲直りしてきてね」

「ああ、ありがとな、けーちゃん」

 

 こうして長い長い合格祝いは幕を閉じた。山のことばかり考えていた気がするけど。

 

 

―比企谷家―

 

 

「ただいまー」「ただいま」

 

「おかえり小町、よくやったな! 合格おめでとう‼」

「おかえり、やったわね小町‼」

 

「あ、ありがと!」

 

 昨日は平日で二人の帰りも遅かったし、今日も半日だけど仕事入ってたみたいだから親が小町に面と向かって祝うのはこれが初めてだ。

 

「これから合格祝いに外へ食べに行くか!」

「いいわね。小町、帰って来たばかりで悪いけど支度して」

 

「え、え、今から?」

「そうよ、夕飯の支度なんてしてないもの」

「小町の好きなもん食べに行くぞ! なんでも言ってくれ!」

「ホントに⁉ じゃあ、小町高級でもあんまり堅苦しいお店苦手だし、焼き肉いきたーい‼」

「肉の師匠か? 学壱か? 好きなところ選べ‼」

「わーい、やったー‼ ……あっ、えっと、お兄ちゃん……」

「どうせ来ないんだろ? 留守番頼むぞ」

「はい、これ夕飯代よ」

 

「……ああ、さんきゅ」

 

 そういって野口さんが一人俺の手に託された。良かった。ワンコインじゃなくて。

 

「あ、あの、お兄ちゃん……」

「行ってこい。俺は先に風呂入っとくわ」

「……うん」

 

 恐らく小町は俺にも一緒に行って祝って欲しかったんだろう。だが、もう川崎家で祝ったし、今度は両親に祝ってもらえ。いつも通りってやつだ。

 それに小町も分かっているだろう。親父の前で必要以上に俺を気に掛けると機嫌が悪くなることが。

 

 両親、特に親父の小町への溺愛っぷりは目を覆いたくなるレベル。多分俺も負けてないが。ただ、ここで問題なのはそれが扶養する側とされる側ということだ。

 まあ、親父は小町に頭が上がらないので何か起こっても小町本人は大丈夫だが、俺はそうもいかない。普通に小遣いなんて貰えなくなるわな、ただでさえ少ないのに。

 

 今のやり取りでも、

 

 『小町が俺を誘う』

     ↓

 『親父不機嫌になる』

     ↓

 『小町が親父を窘める』

     ↓

 『親父のフラストレーションが俺への制裁(小遣いなしなど)』

 

 といった流れが起こりうる可能性がある。

 

 そうした結果を小町にチクる? ないない。兄が妹に言いつけて親を叱ってもらうとかどんだけ捻じ曲がった家族関係だよ。普段、朝起こしてもらったり飯を作ってもらいもするが、それでも最低限小町の前では情けないお兄ちゃんでいたくない。それが兄の矜持だ。

 いや、お世話してもらってる時点で十分情けないって? 俺の中ではセーフ判定なんで大丈夫だ。

 

 小町は慌ただしく――出先から戻ったばかりでそのまま外出できる状態だが――準備をして、三人でお祝いに出掛けた。ふと、俺が総武に合格した時は何かしてもらったっけ? なんて普通の子供からすれば軽くトラウマになりそうな回顧をしてしまう。

 

「じゃ、行ってくるね‼」

「おう、行っといで」

 

 俺はやる気のない腐った目で三人を見送ると、ここ最近出来なかった部屋に引きこもる幸せが堪能できる。

 そういえばアニメも録画()り貯まってたな。消化しながら貰ったチョコを堪能するとしますかね。

 

 

 

つづく



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26話 四者四様、それぞれの前夜。

更新遅くなりました。

全プロット完成済みで臨んだ前シリーズと違い、今シリーズは行き当たりばったりなところが多く執筆に時間がかかっています。
なんとか最後まで書き結びたいので生温かく長い目で見てくださるとありがたいです。

2020.12. 5 台本形式その他修正。
2020. 1.24 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


 俺はベッドの縁に座りながらスマホをいじっている。

 最近はスマホで映画の上映場所も時間も家で調べられるから最高。

 スマホに視線をおとしながらぼんやりと回顧する。

 

 家族のことを思い浮かべると必然的に小町の顔ばかりが思い浮かぶ。

 小学生くらいまでは両親と小町と一緒に映画観に行ったもんだが、知らないうちに行かなくなったっけ。なんでだ……?

 

 ……そうだ、思い出した。

 低学年の頃、家族で出掛けることになって俺が戦隊物の映画を観たいって言ったんだが、小町が興味なくて……あの頃はまだ俺もガキだったから譲ろうとしなくひと騒動になった。

 

 結局、小町がプリキュアの映画を観たいって大泣きし、両親は小町を優先、俺は親に怒られる形でプリキュアを観に行くことになったんだっけ。

 

 それがおそらく始まりだったのだろう。以降、家族で外食に行っても小町の好みが優先され俺の意志は蔑ろ。

 これがまだ男兄弟なら好みも近かったかもしれないが、男女となるとまず噛み合わない。

 しかも、両親、特に親父は小町を溺愛して可愛がり、その様は俺が引いてしまうほどだ。

 そんな出来事が繰り返され、気づくと一緒に外食へ行くことがなくなっていた。

 映画も同じで、他人と一緒に行くと好きな映画を観られない。なら俺だけ好きな映画を観ればいい。

 

 生徒会のフリーペーパー製作の取材で映画を観に行くことになった時、別々に観ようとしたら一色に呆れられたが、この思考はそんな幼少の頃に芽生えたものだ。

 しかし、そのプリキュアを俺も好きになり、今では小町が卒業したのにこうして観に行くことになるとは……世の中は分からん。

 

 久しぶりの映画ということで、柄にもなく昔を思い出してしまう。過去なんて思い返せば悶えて死にたくなることばかりで、回顧の過程で迂闊にもトラウマに触れでもしたら目も当てられない。

 俺は頭から振り払うように別のことを考えた。

 そういえば2年になって奉仕部に入れられてからは特にあんまり時間が取れず映画に行くことなんてなくなったな。

 といっても時間が取れないと言いつつ、ほぼ毎日、下手すると休みの日にまで駆り出される奉仕部なのに基本待ちの姿勢だから内容は暇が多いという訳のわからん状態。

 

 おっとそうだ。それでも去年映画に行ったっけな。陽乃さんのセッティングで折本達に葉山を紹介する流れで道連れにされたんだった。

 たまたま映画は興味あったやつなのが救いだったが、基本俺の意見は全否定されたしな。

 まあ、折本には中学の頃に告白を拒否られて次の日、黒板にそれを晒されて……いまさら否定されることくらい何も感じないが。

 文実の時の相模と違って、俺の告白を周りに知られても折本自身に得なんかないし、うっかり会話の流れで話しちまったのを関係ない奴が面白おかしく広めたんだろうな。むしろ、そうなることを予想できず勘違いした俺の自業自得まである。

 

 ……トラウマに触れないよう別のこと考えてたのにうっかり踏んじまったか。どんだけ迂闊なんだよ……。

 

 『告白』という言葉で避けていた過去に捕まってしまった俺だがその呪縛から解き放ってくれたのは最近あったもう一つの『告白』だった。

 

 スマホをベッドに置きそのまま後ろに倒れ込む。

 

 ……バレンタインからこっち、人生初めての告白をされた

 ……相手はあの川崎沙希。それも三度。

 

 一度目はメールで。二度目は川崎の部屋に夕飯と湯たんぽを持って行った時。三度目は俺がドライヤーで髪を乾かしてやってる時だ。

 そもそもその前に勘違いとはいえキスされるという衝撃の出来事があったから告白自体にそこまでの動揺はなかったが。

 

 大体、なんで俺なんだ……?

 川崎はちょっと怖い系だけど美人だし弟妹の面倒をよく看るすごくいい子で俺じゃとても釣り合わない。

 あいつはなんで俺なんかを……。

 

 この前から何度もスカラシップの礼を言ってきたが、俺にとって本当に大したことじゃなかった。むしろそこまで感謝されるのが申し訳ないくらいに。

 

 川崎の言葉を信じたい。が、他ならぬ自分自身の存在が彼女の告白の説得力を失わせる。

 

 心のどこかで中学の頃の折本のトラウマが影を差しているのか、言い知れぬ恐怖が拭いきれない。

 

 あの時、俺に話しかけてくれていたものの、折本にそんな気は一切なかった。ただ誰とでも気さくに話しかけるあの性格に勘違いして自爆しただけ。それと同じことが川崎にも言えるんじゃないのか?

 

 あの言葉は冗談なんじゃないか……?

 あの好きはスカラシップの相談にのったお礼の意味ではないのか……?

 

 …………

 

 …………

 

「……成長してねえな」

 

 ぽつりと口を吐いたのがそんな言葉だった。

 

 前にも考えたことあっただろ。折本ならいざ知らず、川崎は俺と同じで家族第一。学校の連中にほとんど興味なんて持ってなくて愛想も振りまかない。そんな川崎が容易く他人に好きなんて口にするもんかよ。

 

 そこまで分かっているなら何故、俺は川崎の言葉を信じない?

 

 一昨日、車中で平塚先生に言われた言葉がよみがえる。

 

『猜疑心を生み出しているのは心…………君の心なんだよ、比企谷』

 

 そう……俺の猜疑心が、心が、川崎の言葉を否定している。これはおそらく本気で好きと言ってくれた川崎に対して失礼この上ない行いだ。

 

 何度自問してもこの感情の正体が判然としない。たかが言葉を信じるだけ。だがそれが俺にとっては何よりも難しい。

 

……捻くれここに極まれ、だな。原因を探り当てて根治しないと、ちゃんと向き合えないかもしれない。このままじゃ申し訳なくて川崎の顔をまともに見られそうもない。

 

 かつて平塚先生が言っていた。感情が計算できるならとっくに電脳化されている。計算できずに残った答え、それが人の気持ちというものだ、と。なら俺にできる計算をして答えを導き出すしかない。

 

 とはいえ、もう幾度も自問自答を繰り返してなお拭えぬ猜疑心だ。このまま自分の感情に焦点を絞っても堂々巡りから抜け出せないかもしれん……。

 

 …………

 

 …………

 

「視点を変えてみるか……」

 

 俺が川崎を信じられないか、ではなく、川崎が俺を好きになった感情を紐解いてみよう。

 それに納得できる合理性があるなら……もしかしたら俺の猜疑心も少しは和らぐかもしれない。

 

 俺にとってスカラシップの情報を教えるのは大したことじゃなかった。が、川崎にとって深夜アルバイトを続けるのは死活問題だった。あのまま続けていれば疲労で身はやつれ、家庭不和を招き心もボロボロになり、本気で人生が狂っていたかもしれない。それを回避できたんだから感謝するのも頷ける。

 そう考えると俺が川崎にしたことは折本が俺に笑顔で話しかけてくれたのと関係性が似ているのかもしれない。折本はただの一男子に声をかけたり挨拶しただけ。そこに他意はなく、然したる労もかかっていない。しかし俺にとっては勘違いを起こさせるのに十分な出来事だった。

 

 …………

 

 …………

 

 ……あれ? それじゃ川崎が俺に抱いてる気持ちも勘違いなのか?

 

 いやいや、そうじゃない! 折本は俺のことをその程度にしか捉えていなかったかもしれないが、俺は川崎のことを……。

 

 ……川崎のことを……なんだ……?

 

 ……好きだとでもいうつもりか……?

 

 俺なんかが川崎みたいな人間を好きになっていいわけがない……。

 

 ‼

 

 まただ! また戻った!

 

 堂々巡りのお手本のような思考ロジック。ただ、少しずつ答えに近づいていってる。そんな気がする。

 

 他者の言葉を信じられない要因は元より、俺自身の考えに影響しているのが、自己評価の低さであることに気付いた。

 

 自分を卑下しないでって川崎にも言われたし、平塚先生と小町にも注意されたな。過去の自分に戻ってやるとも誓いを立ててはみたが……自分を卑下するのは好きって言ってくれた川崎に失礼なんだろうが…………。

 

 …………

 

 …………

 

 はは……だってしょうがねえじゃねえか。昔と違って事実、今は死んだ魚みたいな目なんだしコミュ障だし捻くれててキモイし数学は赤点だし……逆に世の中の奴らはなんで自分に自信あんだよ。葉山ならともかく、大抵の奴はそれ以下のスペックだろ。

 

 川崎のことは前から知っている。大志の相談にのって多少はあいつのことを知ったから。雪ノ下とは違った意味で尊敬できるし信頼できる人間だと思っていた。あんなにも家族の為に自分を犠牲にして自ら行動する綺麗な人間が本当にいるとは思わなかった。俺みたいなのが川崎を好きになったら川崎の価値を下げちまうんじゃないかとすら心の何処かで思って……る……?

 

 …………だからか。

 

 俺は川崎の言葉を信じることが出来なかっただけじゃなかったんだ。俺の存在が川崎の価値を下げることに……川崎を傷つけてしまいそうだから応えることができないでいたんだ。

 

 …………

 

 …………

 

 ……やっぱり、いまの俺じゃ川崎の想いには応えられない……。

 

 俺は屈してしまったのだ。猜疑心と……川崎を大切に思うが故、生まれた臆病な心に……。

 

 結論が出るとズシンと身体が重く感じる。五月病などとは比較にならないくらいの倦怠感。

 冬の寒い朝、布団から出れない呪縛レベルの億劫さ。

 それでもこれから川崎と由比ヶ浜に映画の待ち合わせの連絡をしなければならない。

 

 自分の中で結論が出ただけだが、それでも川崎に直接電話するのは気が重い。先に由比ヶ浜に連絡することにした。

 

 

× × ×

 

《 Side Yui 》

 

 

―結衣の部屋―

 

 ……今日は沙希んちでカーテンの外だったな……(※蚊帳の外)

 

 ゆきのんは相変わらず難しいこと一杯しゃべっててヒッキーに褒められてたし、沙希とヒッキーは小町ちゃん達も一緒になって家族? みたいな感じだった……。

 

「……今日はあたしだけいいとこなかった気がするなぁ……」

 

 いつの間にあんな仲良くなったんだろう……。

 

 言葉にできない不安と焦燥。胸の奥が冷たくなっていく。

 そんなあたしの心も奉仕部での時間を思い出すとぽかぽかして、やっぱり大切だって感じて、でも今日のヒッキーは、まるでそんな日々を忘れてしまったんじゃないかっていうくらい振り向いてくれなくて……。

 

~♪... ~♪...

 

 ⁉ スマホに着信が! このメロディ聴くの実は初めてなんだよね。

 すーっ……深呼吸をして心を落ち着け、いつもの、紅茶の香り漂うあの部屋で挨拶するみたいに、

 

「ピッ やっはろー、ヒッキー! 珍しいよねヒッキーから電話くれるなんて! ってか初めてじゃない⁉」

 

『大声出すなよ親に怒られるぞ。まあ、お前の目に悪いスパムメールのような文章読むよりこっちのが早いからな』

 

「スパムじゃないし! ヒッキーキモい!」

 

『はいはい、キモイキモイ。それより明日は9時に駅集合な。んじゃ』

 

「早い! 短い! そんだけ⁉ もっとこう会話のキャッチボールとかあるじゃん⁉」

 

『その牛丼みたいな三段活用なんだよ。別に用件伝えたんだし無駄に話すこともないだろ』

 

「ヒッキーは女心が分かってないよ! こういう時は女の子の話を少し聞いてあげるだけで好感度爆上がりなんだよ⁉」

 

『お前、小町と同じようなこと言うな。なに? 女子って義務教育でそれ習ってたりするわけ? 私立ならそんな教育受けなくて済んでたのかな。だとしたら無理にでも小町は私立の小中学に入れてやるべきだった』

 

「いやいや、そうじゃないし! まずあたしの話を聞いて? ね?」

 

『由比ヶ浜の「少し」は俺の感覚からかけ離れた「少し」だからちょっと勘弁願いたい。それにこれから川崎にも連絡するからな。油断して長電話しちまうと川崎にも悪いし』

 

「あ、そ、そうなんだ。あたしが先なんだ……」

 

『まあ、そういうことだ。悪いな』

 

「うん……それじゃヒッキーも明日は遅刻しないでね」

 

『しねーよ。俺には小町がいるからな』

 

「なにそれ、小町ちゃん頼り⁉」

 

『冗談だ。明日はプリキュアの映画だぞ。堂々と観に行く理由ができたんだ。楽しみで仕方ないしすぐ寝るし早く起きる。なんなら全然眠れなくて朝まで起きててそのまま駅に向かうまである』

 

「そこは寝よう! 映画館で寝ちゃうよ⁉」

 

『律儀にツッコまなくていいから。ま、それだけ楽しみだってことだ。じゃあ、お前も早く寝とけよ』

 

「あ、うん、ヒッキーもね」ガチャッ

 

ゴンゴン……

 

 ドアを叩く音がするけどノックなんかじゃない。あたしがドアを開けてあげると勢いよくサブレが部屋に飛び込んできた。

 

「わんわんっ!」

 

「あは、ご飯だから呼びに来てくれたんだ。えらいねサブレ」

 

 サブレを撫でながら抱きかかえると首輪が目に入った。去年ヒッキーにプレゼントしてもらったものだ。

 

 ……ううん、ヒッキーはヒッキーだ。サブレを助けてくれた優しいヒッキー……。

 

 明日はデートに行くんだから、服とか選ばないと! ……沙希と三人でだけど。

 

 それに! 実は沙希とはあんまりおしゃべりしたことなかったし、今日もよく話せなかったから明日いっぱいおしゃべりしよう! うん、それがいい!

 

 

× × ×

 

《 Side Haruno 》

 

 

―陽乃の部屋―

 

「――うん、うん、そーなのよ」

 

 静ちゃんがつい口にした情報――川崎のチョコを食べた――を元に、比企谷くんにチョコを渡しそうな川崎という子を探してみた。

 奉仕部の活動内容を全て把握してる訳ではないものの、関係者の情報くらいは得ており、その中に川崎沙希という少女がいた。きっとその子だと興味を持ち調べている。

 わたしは顔が広いし総武在学中の生徒からも情報が拾える。今電話しているのがわたしが気に入ってる数少ない後輩、城廻めぐりなのだが、話していく内にどんどん生気のない声音になっていく。

 

 めぐりからの情報は興味深かった。タイムリーなことに昨日、噂の川崎沙希ちゃんと会ってきたそうだ。それだけじゃなく家族と一緒に食事もしたという。ただ、明らかに何か隠してそうなめぐり本人にも興味が湧いたが、いまはスルーしておこう。

 

「ええ、ありがと。助かっちゃったわ、めぐり。時間取れたら明日も総武に顔出すから。んじゃまた♪」ガチャッ

 

 電話を終えると集めた情報を整理する。

 

 川崎沙希。総武高校2年F組所属。長い髪を結ったポニーテールと泣き黒子が魅力な外見レベルはトップカーストな子だけど、実際は誰とも関わらないぼっち気質。その辺、比企谷くんに似てるなー。

 でも内面は家庭的で弟妹達を大事にする家族大好きな女の子。

 

 やだ、ちょっとなにそれ、ポイント高すぎなんじゃない?

 しかも美人でスタイルもいいとか聞いたんだけど。

 

 めぐり曰くバレンタインイベントの時に妹さん連れて来てたらしい。だからわたしも会ってるみたいだけど、その時は周りなんて特に興味なくて覚えてないや。

 

 記憶力には自信ある方だし家の仕事柄人の顔覚えるのも得意だけど、さすがにバレンタインイベントでそんな気を回す必要ないから覚えてない。油断してたな……。ズズッ

 

 珈琲カップに一口つけて、改めて川崎沙希という少女像を形作る。

 

 なんでも、あの目立つことが嫌いでめんどくさがりな比企谷くんが、川崎さんの代わりに妹さんのお迎えに行ってあげて、人嫌いなのに川崎さんの家で夕飯を一緒に食べるとか。

 

 …………

 

「なにそれ! わたしにはたまにカフェで会っても『遭っちゃったよ』って顔して嫌そうな顔するくせに、態度違い過ぎでしょ⁉」

 

 突然声を荒げて独白してしまう自分にびっくりだ。誰もいなくてよかったと、雪乃ちゃんと血縁者なのかと疑わしい自分の胸を撫でおろす。

 

「……まあ、そんな顔がたまらないとこもあるんだけど」

 

 ついさっき憤ったばかりの前言を肯定的なものに変貌させる。比企谷くんもわたしのこういうよく分からないところを恐れてるんだろうなあ。

 続いてスマホを操作し血縁者なのか疑わしい辛辣な応答をする大好きな妹へ電話する。

 

『……もしもし』

 

「ひゃっはろー、雪乃ちゃん!」

 

『……用件は何かしら?』

 

「雪乃ちゃんつめたーい。もう少しちゃんと相手してくれてもいいと思うんだよね。お姉さん悲しいなー」

 

 お約束ともいえる定型挨拶だ。雪乃ちゃんってすぐ剥きになって予想しやすい言動だから揶揄いやすいのよね。あの子のそういうところは可愛いと思うけど割と重篤な欠点だし、直るまでわたしはこれを続けていくからね。

 

「ちょーっと訊きたいことがあるんだけど……」

 

 わたしは川崎さんについて情報収集するのだが、予想以上の収穫があるとはこの時、思っていなかった。

 

 

× × ×

 

《 Side Saki 》

 

 

―沙希の部屋―

 

「……そういえばそろそろ期末試験なのに映画なんか観に行ってていいのかな……あ、休んだ分のノートも借りなきゃ……」

 

 京華は母が寝かし付けてくれているので、軽く勉強してから寝ようと思ったが明日の映画のことに気持ちが奪われやはり手につかなかった。

 それ以外に昨夜母さんと話したことの結論がまだ出ていないのも尾を引いている。

 

コンコン

 

『いま、いいかしら?』

 

「あ、うん」

 

 ちょうど懸案事項の一つがあっちからやって来てくれた。

 

「昼間は色々聞けて楽しかったわ。もう少し友達を家に呼んでくれればいいのに」

 

 友達かは微妙なところだが、わざわざ否定するよりも流した方がいいだろう。それよりあたしの憂患を取り除くことが先決だ。

 

「……あの、昨夜話してたことなんだけど……」

 

 恐る恐る訊ねてみるが、母さんの返答は実にあっけらかんとしたものだった。

 

「ああ、比企谷くんの悪い噂についてだっけ? あれなら一応本人に確認とったし、元々あなたを(けしか)ける為にしたようなものだし」

 

「⁉ はぁっ⁉」

 

「わたしがそこまで人を見る目がないって思った? むしろあるからああ言ったんだけど」

 

「なっ⁉ どういうこと?」

 

「あなたが比企谷くんを見つめる目で全部分かっちゃうもんよ」

 

「……そんな分かり易い?」

 

「この上なく」

 

 そんな風に言われたらもう俯くしかできない。碌に目を合わせられなくなってしまった。

 

「ああいえば反発して比企谷くんにアプローチすると思ってたけど、あんまりにも思い通り操作できちゃったから逆に怖くなったわ。この先、詐欺とかには気をつけなさいよ? 比企谷くんはそういうの用心深そうだしあの子とあなたならちょうどバランスがいいかもしれないけど」

 

「うぅ……」

 

「それと、あなたお風呂上りにバスタオル一枚でうろつくから今朝比企谷くんにちゃんと見て貰えた?」

 

「あうぅぅ……」

 

 やっぱり今朝家を出た時に比企谷をうちにあげたのはそういう謀略があったからか‼

 

「昨日会った城廻さんもそうだけど今日来た二人もすごく可愛い娘じゃないの。三人とも比企谷くんのこと憎からず思ってるだろうし積極的にならないと奪られちゃうわよ?」

 

「え、今日来た二人はそうかもしれないけど、城廻先輩は……」

 

「あの娘が一番積極的だったじゃない。わざわざ信じてもいない噂話までして」

 

「信じてない⁉」

 

 母さんのいうことに驚かされっぱなしで頭が追いつかない。

 

「信じてない? 城廻先輩が? じゃあなんで母さんにそんなこと話したの? 城廻先輩が比企谷を好きなら悪口を他人に言うわけが……」

 

「比企谷くんの悪印象をわたしに持たせて、あなたを牽制する目的だったんじゃないのかしらね」

 

「なっ⁉ 城廻先輩がそんなことするわけ……」

 

「色恋が関わったら女なんていくらでも醜い本性現すものよ。沙希だって比企谷くんを他の娘に奪られたくないでしょう?」

 

 母さんの言葉に言い淀む自分がいる。まさに今日ブローしてもらう前に(おもんみ)ていたからだ。

 

「……あたしは……あたしと一緒にいても比企谷は幸せかどうか分からないし……」

 

「……はぁ? あなた一体どこまでバカなの?」

 

 バカとか言われた……なんかここ最近、あたしの扱い酷くない?

 

「はぁ……いいこと? 比企谷くんに幸せになってもらいたいんだったら自分の手で幸せにする! くらい言えないのかしら? せっかく家の手伝いで培った家事や裁縫が役に立つチャンスじゃないの」

 

「……だって、あたしより奉仕部の二人の方が多分比企谷は好きだと思うから……」

 

 それは自分を誤魔化すのに出た言葉かもしれない。比企谷に選ばれなかったら……それが怖くて張り巡らせた予防線……。

 

「……ごめんね、沙希」

 

「え?」

 

 それが何に対しての謝罪なのか判然としない。

 

「あなたがそう考えちゃうのって下の子達の為にずっと我慢することが身に付いた癖なんだと思う」

 

「! そんな……こと……」

 

 思い当たる節がないわけがない。

 幼少の頃からあたしの生活全ては家族の、弟妹の為に行動してきた。

 家族のことを思えば……そう言って自分を騙してきたのかもしれない。

 だから常に一歩引いて考えてしまう。

 

「わたしが保証する。あなたはいい女よ。わたしたち親が至らぬばかりに苦労して、その境遇に僅かの泣き言すら漏らさず長女として家族に貢献して……」

 

「…………」

 

「家庭的で家族愛に満ちて……あなたが嫁げばきっと男性は幸せになれるわ。もちろん、あの比企谷くんだって」

 

「……そう……なのかな……」

 

 不安げに聞き返すあたしを母さんはそっと抱きしめてくれた。

 

「ええ。あなたを産んで育てたわたしが断言する。あなたは比企谷くんを幸せにできる女性よ。それに、あなたには自分の幸せも掴んで欲しい」

 

 自分の幸せ……言われて気付いた。そこが抜け落ちていたことに。でもちょっと考えたらすぐ解決する瑣末な問いでしかなかった。

 

「……あたしは比企谷が笑ってくれれば……比企谷が幸せなら、あたしも幸せだから」

 

 言った後、反芻すると途端に頬が紅潮していく。

 あたし母親になに告白してるわけ?

 母さんもポカンとした面持ちだったが、しばらくして目を細め慈愛に満ちた温顔を見せる。

 

「……すごいのね沙希」

 

「え?」

 

 さっきから母さんが繰り出す勃然(ぼつぜん)とした言葉に理解が追い付かず聞き返しっぱなしだ。

 

「相手の幸せを願うことができるのって、もう恋を通り越して愛なの。その若さでそう思えるって本当にすごいことなのよ?」

 

「え……」

 

 今まで、あたしは比企谷が好きなのを直隠(ひたかく)しにしてきた。だが口に出して伝えてしまった以上認めざるを得ない。

 そしてその感情が恋だと思っていた。でも母さんは愛だという。その違いがすぐ認識できないくらいあたしが色恋に鈍感なのだと知った。

 

「じゃあ、恋は下心、愛は真心、って言葉、聞いたことないかしら?」

 

「え、あ、その……恋って漢字は心って文字が下についてるからで、愛は心が真ん中にあるからそう言われてる言葉遊び……だっけ?」

 

 勉強は嫌いじゃないし、このくらいの雑学なら一応知ってる。……言葉の上でだけど。

 それにどんな意味や感情が込められているのか考えたことがなかった。

 

「そう。恋はその下心――ひそかに考えてる企み――に因んで、相手に求める欲を示す感情だって揶揄されてるのよ」

 

 そう聞くと恋に少なからず厭わしい気持ちを抱いてしまう。

 もし恋という感情が本当にそういうものなんだったら、それこそ比企谷の猜疑心の餌食だろう。

 

「そして愛は、相手を思い遣って尽くそうとする純粋な心なのだそうよ」

 

「愛……」

 

 その言葉を聞いて真っ先に思い出すのが文化祭の時の…………んん! やめよう。空しいしちょっと悲しくなってきた。

 

「若いと、どうしても感情優先で承認欲求が強くなる傾向があるから、好きな人に自分のことだけを見てとか思いがちだし娘に言うことじゃないけど、男の子の場合は下心しかないしね」

 

「あ、うん。それは……分かる」

 

 承認欲求の話も分かるが、それ以上に男の下心には強く納得できた。常日頃からあたしの胸や太股に向けられる視線が証明していたから。

 

「だから、自分の欲望を押し殺して相手に尽くすなんてそうは出来ない。わたしがその感情を本当の意味で知ったのはあなたが産まれた時よ」

 

「‼ そ、そうなんだ……」

 

 自分が愛されてることを直接聞かされるのは少し照れる。

 あれ? 父さんへの愛情は?

 

「いまではお父さんにもちゃんと愛情はあるわよ。でも夫婦ってね、やっぱり他人なの。だからお父さんへ向けられたのはほとんどが恋心で、愛情は僅かだと思う。そう感じてるわ」

 

 あたしの考えを見透かしたように言葉が続いた。

 

「だから、お腹を痛めた我が子ならいざ知らず、異性とはいえ他人に純粋な愛情だけを持って接するなんてやろうと思っても出来ることじゃないわ。沙希はその歳でそれが出来る大切な人と出会えたなんて、正直羨ましいわね」

 

 そこで母さんはハッとなった。

 

「えっと、話が大きくそれちゃったわね、ごめんなさい。つまり何が言いたいかっていうとね」

 

 あたしの両肩に手を置き、真っ直ぐ見据えてこう言い放った。

 

「沙希ほど比企谷くんを幸せに出来る女の子はいないって話」

 

 さっきから言われていたことだけど、こうしてはっきりと断言する母さんの顔を見ていると安心と自信が湧いてくる。

 

「……うん」

 

「そう。それじゃ明日は比企谷くんと由比ヶ浜さんと映画に行くんだから早く寝ないとね。あとこれ、お小遣い。頑張ってらっしゃい」

 

「‼ こ、こんなに⁉ 多いよ。たかが映画なんだから、あたしなんかより大志と京華に何か買ってあげてよ」

 

「ほら、それがいけないって言ってるの」

 

「あ……」

 

 あたしはまた無意識に弟妹を優先させてしまい、それを叱咤された。

 

「いい? これは普段からあなたに家のことしてもらってるお礼と、あと昨日おとといと沙希の代わりにうちのことを助けてくれた比企谷くん達の分も含んでるの。比企谷くんってしっかりしてるし気難しそうだからお礼って言っても受けなそうだし、難しいだろうけどこれで何とか喜ぶようなこと考えてあげなさい」

 

 そういってあたしの手にお札を握らせた。なんか申し訳ないような気もする。あたしだってバイトしてるし、それをお小遣いにまわすのは全然構わないのに……。

 

「じゃあ、明日帰ったら報告しなさいね」フリフリ

 

 母さんは手を振りながら部屋を出て行った。

 

「……それが本音か」

 

 経費負担の交換条件は娘の色恋を肴にお酒を飲むことのようで、これならお小遣い貰わない方が良かったかなって思った。

 

 

 

つづく



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幕間
26.5話 Interlude【Komachi】


予告通りinterludeです。

『川崎京華は、夢と希望を膨らます。』終盤部分の続き。

比企谷小町の焼き肉合格祝いです。
相変わらずはちさきとは一体? という内容になっております。


2020.11. 6 タイトル変更。


 はぁ……美味しい……

 人って幸せでも溜め息が出るもんなんだね。小町初めて知ったよ。

 

 総武高校合格祝いで牛四家に来た小町達三人(・・)は普段とあまりに違う夕飯に戸惑いながらも、しっかりとお肉の味を噛み締めている。

 

 うちは両親が共働きの上、忙しいから一緒に食べることは滅多にない。お父さんもお母さんも夕飯はほとんど会社で済ませてくるから家で食べる時はいつもお兄ちゃんと一緒だ。

 そんな生活が長く続いていたので例え家族でもお兄ちゃん以外の人と食べるのはちょっと落ち着かない。

 ここ何日かは沙希さんちでご飯を作ったり一緒に食べたりしたけど、特に緊張したりとかはなかった。きっとお兄ちゃんがいたからだ。カーくんにとっての家が小町にとってのお兄ちゃんみたいなもので、お兄ちゃんがいるだけで小町は安心できる。

 

 カフェで沙希さんにも茶化されたけど、割とマジで仲良いよねうちの兄妹って。普通、小町くらいの女の子は男家族と距離を置くみたい。同じように兄がいる友達と話してると、うちの方がマイノリティだって思い知らされた。

 

 お兄ちゃんのTシャツが寝間着にちょうどいいから、勝手に着てお披露目したらまんまと小町の物になったんだ、って何気なく話したらみんな苦笑いしてて何だったら軽く引いてた。

 

 なんで? アイラブ千葉のやつじゃないし、ワンピースみたいで良い感じじゃん、って反論すると「え、……だって、ねぇ……」「あいつ(兄貴)の着るとか……一緒に洗濯するのも嫌だし……」って返って来て、以来小町は家のことを一切友達に喋らなくなった。だって聞いてる友達の顔は小町じゃなく、お兄ちゃんのことを気持ち悪がってるみたいだったから。

 

 世間とズレが起こるくらい兄妹仲が良いのは、さっきまでの追想にその要因がある。

 

 いつも両親がいない日はお兄ちゃんが小町の分もご飯を作ってくれた。

 学校で必要な物とかがあったらいつもお兄ちゃんが一緒に買い物に付いてきてくれた。

 休みの日は家にいて小町の相手をしてくれた。

 不安で寂しくて家出した時も迎えに来てくれたのはお兄ちゃんだった。

 

 そんな境遇だから他所のうちよりも兄妹の結びつきが強いのが当たり前で、お兄ちゃんと小町は二人で助け合って生きて行かなきゃいけないんだって子供心ながら理解してたのかもしれない。

 でも、その頃の小町にはお兄ちゃんを助ける力なんてなくて、いっつもお兄ちゃんが小町を助ける側だった。

 

 小さい頃、「小町、大きくなったらお兄ちゃんと結婚する!」って言ったのを今でも覚えてる。こんなのよくある子供の戯言で本気にする人なんていないけど、小町は今でも案外悪くないと密かに思っていた。法的には無理だけどね。

 こんなこと照れくさくて絶対面と向かって言えないけど、お兄ちゃんには本当に感謝してる。

 

 だから、お母さんはともかく普段からお兄ちゃんを蔑ろにしてるお父さんはあまり好きになれない。

 でも感謝はしてるよ? お兄ちゃんとはベクトルが違うけど。お財f……違うか。金づr……これも違うな。そう! お小遣いとかそういう方面で!

 さっきだってお兄ちゃんが行かないと決めつけて一人で留守番させるのはどうかと思う。あれに関しては夕飯代を流れるように差し出したお母さんも同罪だけど。

 

(せっかく総武に受かったお祝いなんだから、こんなときくらい一緒にって言ってくれればいいのに)

 

 っていっても無理なんだろうな。

 いつの頃からか、お父さんはお兄ちゃんに対して風当たりが強くなった。お兄ちゃんが総武に受かった時も別段褒めるようなことがなかった。その時はおかしいとまでは感じなかったけど、今こうして同じ高校に受かった苦労を顧みるとあのリアクションがどれだけ有り得ないかが分かる。

 そういう扱いの違いを感じ取ってお兄ちゃんも両親、特にお父さんと一緒に出掛けるのを忌避するようになったんじゃないかな。

 

 平塚先生が車中でしていた言霊の話が思い起こされる。

 お兄ちゃんの自虐癖、その原因が自身の心にあり、それを口にすることで自己暗示が成され益々自分を肯定できなくなっていく。

 あの時、口に出来なかったけど小町には思うところがあった。

 

 先生はその自虐を言葉にしなければ、と言ってたけどそれってただの対症療法だよね?

 そんな心を作り出してしまった原因を究明し改善していく方が根治へと繋がるんじゃないの?

 先生は京華ちゃん相手なら猜疑心が働かないだろうから最適なカウンセラーとしてあの子を推してたけど、そこは他人じゃなく肉親にこそ求めるべきじゃないの?

 人が生まれてから一番最初に信じることができる存在である親にこそ褒められ肯定してもらうべきじゃないの?

 

 お兄ちゃんが自虐体質になった要因の一つ……というより根本の原因は……

 

 

 

 ……父親にあるんじゃないか。

 

 こんなこと他人である平塚先生に言えるはずもなく、小町は言葉を飲み込むしかなかった。

 

 そして当人はというと結構なペースでお酒がすすんでいる。

 家で一緒に食卓を囲んでいないからお父さんがどれだけ飲む人なのか想像もつかないけど、これは飲み過ぎじゃない?

 

「あんた、さすがに飲み過ぎでしょ。もうちょっと抑えたら?」

「今日はそのつもりで来たんだ。とことん飲むぞ!」

「まったく、年甲斐もなくはしゃいじゃって……」

 

 小町だけじゃなくお母さんも呆れてるよ。酔っ払ってくだ巻かないでほしいよね。あんまり迷惑かけそうなら他人の振りしちゃおうよお母さん。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

「……ぐふっ……、さすがに食べ過ぎたかなぁ」

 

 化粧室の鏡に向かって呟きながらお腹をさする。間違っても人前じゃできないはしたなさ。

 

「……やっぱりお兄ちゃんにも来て欲しかったなぁ……」

 

 つい口に出してしまったけど、仕方がないと思う。

 だって昼間、川崎家でお祝いしてもらったのと比べるとお肉は美味しいけど楽しさの面では……ね。

 お兄ちゃんじゃないけど、まずお父さんがいるとちょっと寛げないし、あんなにパカパカ飲んでると取り留めなく同じこと繰り返して喋るしで何だかこっちが恥ずかしくなってくるよ。

 

 そうだ、せめてお兄ちゃんにテイクアウトを買ってってあげよう!

 

 ん、んっ、……ねぇ、おとうさぁん、小町お土産にテイクアウト買ってほしいんだけどぉ……ダメ、かな……?

 

 よし、これなら完璧。

 たとえ総武に落ちていたとしてもお小遣い200%アップの賃上げ交渉に勝つる比企谷家最強のネゴシエイターがお兄ちゃんの夕飯を豪華なものにして差し上げちゃう!

 もっとも、お父さん相手に(お兄ちゃんにもだけど)小町が交渉で負けたことなんてないんだよねぇ。本気出せば冗談抜きで車とか買ってくれそうだけど、それはそれで比企谷家の未来が心配になってくるからお父さんにはもう少ししっかりして欲しい。

 さて、そろそろ戻っておねだりしよっと。

 

 こういうのってタイミングも重要だけど、完全に出来上がっちゃってるからそこは気にしなくていいか。後はおねだりの仕方だよね。

 お父さんは、小町がお兄ちゃんのことを話すと機嫌が悪くなる。どんな意図があってそうしているのかいずれ問い質したいけど、今は我慢だ。こんな親なので正直にお兄ちゃんのお土産にテイクアウトを、とおねだりしようものなら買ってはくれるだろうけど後でお兄ちゃんへの風当たりが心配だ。だから小町は画策する。

 

 ねえねえ、小町ここのお肉すっごくすぅっごおく気にいっちゃった! 家でも食べたいからテイクアウト……買って、くれない、か、な?

 

 こう言えば、小町の為にとお父さんは喜んでテイクアウトを買ってくれる。小町はお兄ちゃんの為にテイクアウトを手に入れることができるし、お兄ちゃんもお父さんの不興を買わずに美味しいテイクアウトを食べられる。素晴らしい妙案だ。

 誰も傷つかない優しい嘘だけど、唯一の欠点は小町が大食いって認知されることなんだよね。なにそれツライ。

 

(いやいや、お兄ちゃんがノーリスクでテイクアウト焼き肉を食べれることに比べたら、そんなことくらい!)

 

 お兄ちゃんを想って己を奮い立たせる。考えようによっては大食いって思われるだけだし、実際食べないんだから小町は太らない。なにそれ、やっぱりいいことしかないじゃん。

 そうと決まれば目の前の酔っ払いを籠絡する魔法の言葉を唱えよう。

 

「ねえねえ、小町ここのお肉すっごくすぅっごおく気にいっちゃっ「テイクアウトも買ってくか!」はやくない⁉」

 

 いや、いいんだよ? いいんだけども?

 これじゃ鏡の前でしたリハがバカみたいじゃん、やっぱり比企谷家の今後が心配。

 だって、二代目もあのお兄ちゃんだよ?

 「将来の夢は専業主夫」ってのたまうお兄ちゃんだよ?

 「強くなるために努力するのは女々しいこと」って断じる二代目じゃないんだよ?

 いや、これはちょっと違うか。そっちの二代目だったら別の意味で比企谷家が心配になるじゃん。小町、受験勉強より暴対法勉強しなきゃいけなくなるなんて嫌だし……。

 そんなわけで、是非ともお兄ちゃんにはしっかりしたお義姉ちゃんを貰って欲しい。

 

 比企谷家の未来に言い知れぬ不安を感じている間、二人は小町抜きでテイクアウトメニューから選んでいた。

 冗談じゃない。お兄ちゃんの好みを一番知ってるのはいつもご飯を作っている小町だ。お父さんは言うに及ばず、お母さんですら最近ではお兄ちゃんの好きな物なんて把握してないはず。っていっても二人はこのテイクアウトがお兄ちゃんの物だなんて思ってないんだけど。

 

 メニューを少し強引に引っ張って見てみると、いくつか種類があって値段もそれぞれ違う。小町に買うつもりでいるんだし、ここは値段なんて気にしないでお兄ちゃんが好きな物を選んじゃえ。

 

「……えっと……これ、とか、いいでしょうか」

 

 少々、申し訳なさそうにお伺いをたてるのがネゴシエイトの基本だ。横柄な態度で頼み事なんてされて望みを叶えてくれるなんてとんでもなく捻くれた人間だろう。……お兄ちゃんとか、ね。

 

「いいのよ。小町にはいつも家のことで色々と負担かけてるんだし、遠慮なんてするもんじゃないの」

 

 まったくノーマークだったお母さんの方から労いの言葉をかけられた。

 考えてみれば、うちで一番子供に負い目を感じているのはお母さんのはずだ。いくら共働きとはいえ、家事の一切合切を子供に任せきりにしているのだから。

 

 小町が小学校低学年くらいの頃は、たった二つ年上なだけのお兄ちゃんが家事と小町の面倒を見てくれていた。いまでは思うところがあって小町がその役を担っているけど。

 

「そうだぞ。家のことをやりながら進学校に合格する非の打ちどころがない我が家の宝に、カンパーイ!」

 

 あー、もー、恥ずかしいなこの人。お母さんも見てないで何とか言ってよ。

 ……っていうか、いまから二年も前に小町の面倒見ながらその進学校に合格を果たした兄がいるんですけど、二人とも忘れてるわけ?

 

「うー、いやー、まあ確かに小町も頑張ったけど、お兄ちゃんなんて二年も先に合格してるから……」

「そんなことはないぞ、小町の方がずっと大変だったろうからな。八幡の面倒を見ながら大したもんだ!」

 

 ……なにそれ

 

 小町がお兄ちゃんをお世話してたっていっても、お兄ちゃんをずっと心の支えにして頼ってきたんだ。それに比べてお兄ちゃんには誰も頼れる人がいなかった。小町はその頃まだ小さくて何か起こっても力になれなかったから、きっとお兄ちゃんの不安を取り除くことはできなかっただろう。しかも、頼るべき親はお兄ちゃんに家を任せっきりで……。

 

 そんな状況で小町の面倒見ながら合格したんだから、小町の場合とは訳が違うんだよ?

 

 お兄ちゃんは誰にも頼れない心細い中、それが出来たんだよ?

 

 どうして褒めてあげないの?

 

「そうよ、年下なのにしっかりしててお兄ちゃんの面倒見る子なんて、いまどきどれくらいいると思ってるの」

 

 確かにそう聞くと立派かもしれないけど、だからといってお兄ちゃんの功がなかったことにはならない。お兄ちゃんのしてきた行いは賞賛されるべきことだ。でも二人はお兄ちゃんより小町を誉めそやす。

 

 

 

 ああ……

 

 何となく感じてはいたけど、いまはっきりと理解させられた。

 

 こうやって小町はお兄ちゃんが貰えるはずだったものまで奪ってしまっていたんだ。

 これじゃお兄ちゃんが捻くれるのは無理もない。

 

 いままでの交友関係で生まれた数々の黒歴史。それらがお兄ちゃんの自虐体質を作り出していたのは事実だけど、ことに歪な家庭環境が浮かび上がった。しかも、その最たる原因が小町への偏愛なのだから当事者としてはまったく笑えない。

 

 きっと小町が訴えても二人はお兄ちゃんを褒めてくれないだろう。褒めたとして小町が強要する栄誉でお兄ちゃんが救われるはずもなく、むしろ猜疑心が働き症状が悪化する可能性すらある。

 

 

 

 ……いいんだ。両親がお兄ちゃんを分かってくれないなら小町がはっきり口にすれば。

 

 小町の言葉なら、お兄ちゃんは信じてくれるよね?

 

 お兄ちゃんにいっぱい愛情をもらった小町がそれを返せばいい。

 

 明日、お兄ちゃんは結衣さんと沙希さんの三人で映画デートだ。

 結構朝早そうだし、小町も早く起きていつもみたいにお兄ちゃんを起こしてあげよう。

 帰ってきたら、内容を聞かせてもらって、ダメ出しして、慰めて……

 

 

 …………お礼を言おう。




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=248501&uid=273071


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二章
27話 川崎沙希は、知っている。


更新ペースをなんとか戻しつつあるが、やはり最初の頃に比べて遅い……
キャラ出し過ぎたなとちょっと後悔している今日この頃です。
いろはどこいった……?

2020.12. 5 台本形式その他修正。
2020. 1.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
変更点詳細→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=231235&uid=273071


《 Side Hachiman 》

 

 

~2月18日(日)~

 

「………」

「……え、なにこれ……」

 

 目覚まし時計を見ながらの第一声がそれである。

 

 昨夜はずいぶん楽しかったのか両親はしこたま飲んで帰ってきたらすぐ寝ちまった。小町もご機嫌な様子で、見てるだけでこっちが幸せな気分になる。

 

 ……はずなのだが、昨夜考え抜いて出した結論が俺の心を離してくれない。とても陽気な気分になれないのだ。

 

 そんな陰鬱な気分のせいか、寝たり覚めたりの繰り返しで最終的にはこんな時間に起きてしまった。待ち合わせが9時なのに起床が5時ってなんだよ……

 

 まだ冬の寒さが滲みるこの季節、ましてや早朝5時という時間がアシストして布団の中はそれはもう天国である。

 ……なのに、だ。そんな中にいても二度寝ができないほど目が冴えてしまっていた。いや、正確には不快感で眠れないといったところか。目の腐り具合に拍車がかかること請け合いである。

 

 川崎に相応しくないから、川崎を大切に思うからこその決断だったのに、こんなにもすっきりとしないのは俺の中に未練があるからだろうか?

 それでも伝えなければならない。答えなければいけない。それが誠意ある態度ってもんだろ。

 

 覚悟が決まった俺は布団から出ると手早く着替え終えた。昨夜の内に小町が選んでくれた服だ。

 一階に降りると当然、小町どころかいつも朝早い両親も起きていない。空腹をどうにかしようと思ったが自炊する気は起らなかった。

 何故なら、こんな朝早く起きて一人で飯を作って食べているところを小町に見られたら『お兄ちゃん、なんでこんな早く起きてご飯食べてるの? 遠足の日の小学生みたいに今日の映画デート楽しみ過ぎて眠れなかったんだ?』なんて言われるに決まってる。

 そうなることだけは避ける為、俺は待ち合わせ場所近くの喫茶店でモーニングを食べることにした。

 

 でも、出掛けてから思ったんだが小町が俺を起こしに来て部屋にいなかったら『お兄ちゃん、なんでこんな早く(以下略)』になることに気づいた。

 ただ今更戻っても既に手遅れなので結局モーニングは避けられない。なにやってんだろうな俺。

 

 自らの行いに呆れながら電車に乗る。ああ、温い。この世の幸せが凝縮された空間だと感じるのは少しオーバーだろうか。いや、こんな時間で人もいないし俺にとって幸せ空間以外の何物でもないな。

 時間潰しの為に本を持ってきたのだが駅はいくつもないし、やはり店で読むことにするか。帯に短し襷に長しとはこのことか。電車の中で手持無沙汰になってしまった俺の頭では朝の思考の続きが自動的に再開された。

 

 待てよ……これから一緒に映画観に行くっていうのにそんな返事をするのか?

 さすがにそれは空気が読めなさ過ぎるだろ。

 でも川崎は返事をくれなくていいとも言ってくれていた。だとしたら、この結論を伝えることの方がむしろ川崎を傷つけるんじゃないか?

 

「…………今日言う必要はない、か……」

 

 今日は川崎だけでなく由比ヶ浜とも出掛けるのだ。映画を観る前はもとより、後ですら拒否を伝えるのはどうかと思う。あえて空気を悪くする必要はない。

 その結論は、自ら距離を縮めようとしない怠惰、踏み込む勇気を持てずにいる臆病な自分を誤魔化し先送りしているのだと分かっていた。

 

 だが、どうすればいい?

 今日言わないことは確定した。

 なら近いうちに言わねばならない。

 

 川崎は何度も言葉にしてはっきりと俺を好きだと言ってくれたぞ。

 俺も答えを出さなければならない。

 比企谷八幡はこうであると示す意味でも誤魔化すべきじゃないはずだ。

 

 ……ただ

 その言葉を伝えたくない気持ちが自分の中の何処かにあることを感じている。

 

 ――――川崎のことをどう思う?

 

 俺はあいつを尊敬している。

 

 

 ――――川崎のことは嫌いか?

 

 絶対にそんなことはないと断言できる。

 

 

 ――――川崎に嫌われたくないか?

 

「‼」

 

 己が心音が聴こえた。

 これは驚悸というやつだろうか。自分で自分を驚かせるなんて信じられんことをする。

 だがもっと信じられないのは、この俺が他者に嫌われるのを忌避していることだった。

 いや、俺だって別に嫌われたいと思ってるわけじゃないが。

 

 文化祭で相模を連れ戻す為に学校中の人間に多かれ少なかれ嫌われた。

 それが奉仕部の、雪ノ下が受けた依頼の範疇で遂行するのに必要だったから。

 

 修学旅行で嘘告白をして雪ノ下と由比ヶ浜を不快にさせ微妙な空気を作り上げてしまった。

 戸部と海老名さん二人の依頼を達成する為に必要だったから。

 

 未遂だが生徒会選挙で一色を会長に当選させない為に応援演説で自分にヘイトを集め、不信任にさせようとした。

 依頼であったし、他の策が機能したので実行には至らなかったがこれしか手段がなかったらやっていただろう。

 

 俺にとっては他者に厭われようが疎まれようが必要に応じればいつだって受け入れてきた。

 なのに何故、川崎に対してそれができない?

 俺が川崎を受け入れない=川崎に嫌われる。それはどうしても避けて通れぬ図式。

 むしろ文化祭や嘘告白に比べて真っ当に厭悪されるべき理由ではないか。今までより清々しくどうぞ嫌ってくださいといえるくらい合理的な話。

 ……なんだよ、どうぞ嫌ってくださいって、俺ドMかよ。

 

 川崎の想いに応えられないのに嫌われたくないとはなんて我が儘なんだろう。

 感情の正体を探ろうと瞑目するがタイミング悪く駅へ到着してしまった。

 まだ時間も早いし朝食を摂ってから考える時間があるだろう。

 俺は頭を切り替えて電車を降りた。

 

 さて、サイゼの場所はほぼ把握してるが適当な喫茶店となると…………んっ……⁉

 

「‼」

 

「あ……」

 

 電車から降りると、隣の扉から降りてきた長身の女性に目を奪われた。シャープな印象でその大人びた姿から彼女であると想像できず気付くのが遅れた。

 

 え? 川崎?

 

 その出で立ちでもシュシュとポニーテールがあれば気付けたはずだが、たった一度しか見たことがない髪型が認識を阻害していた。

 え、なんで? まだ7時前なんだけど? あれ、俺時間まちがえてメールしたか?

 慌ててスマホを取り出し送信履歴を探す。確かに9時に駅と書いてある。

 

「あー……まだ時間じゃないよ。あたしが勝手に早く来ただけだし、喫茶店で軽食でも食べようかなって思っただけ」

 

「……お前もか」

 

「……てことは、あんたもなの?」

 

「……おう」

 

「…………」

「…………」

 

「…………」

「……その、一緒するか?」

「……なにそれ、いまさら別々に食べる意味なんてないでしょ?」

 

 映画は別々に観ようと提案したことはあるが、さすがにここで川崎相手に一緒に行かない選択をするほど空気を読めなくはない。俺達はそのまま合流して喫茶店を探すことにした。

 

「サイゼなら知ってるがこの辺りの喫茶店は知らん。お前はどうだ?」

 

「あたしもそういうのに明るくないかな。家族多いし外食すると結構な出費だから控えててお店とかあまり……」

 

「けーちゃんもまだ小さいから入れる店も限られるしな。雰囲気ある店だと子供のはしゃぐ声とか、たとえ周りが気にしなくても家族は気にしちまうよな。まあ、けーちゃんは大きな声出したりする感じには見えないけど」

 

「ああ、ちゃんと躾けてるからね。そういうとこでは大声出さないでって言い聞かせてる。けーちゃんいい子だからちゃんと守ってるよ」

 

「やっぱりか。ってか、その躾けもお前なんだよな。もうお前、姉ってよりけーちゃんの母親みたいじゃね?」

 

「ちょ、誰が母親よ⁉」

 

「だってよ、今日の恰好もなんつーか、入園式とか卒園式に親が着るようなフォーマルな装いじゃね? そのまま保育園に行ったらそういうイベントなのかと思うぞ」

 

 今の川崎はバーでアルバイトをしていた時のように髪をアップにして動きやすいようまとめている。服装もパンツスーツスタイルと手には小さめのフォーマルバッグで演出しており、黒いジャケットとパンツは彼女のスタイルを際立たせ大人っぽさを醸し出していた。なるほど年齢詐称で深夜アルバイトに入れるわけだとつくづく感心してしまう。

 

「……それ、褒めてくれてる?」

 

「うっ……ま、まあ、そうだな……褒めてるか貶してるかで言えば……褒めてるし……似合ってる」

 

「……いつも回りくどい言い方するんだから。でも……うん、ありがと」

 

 我ながら最低の褒め方だと思うが川崎もまんざらではないようなのでギリセーフということにしておこう。

 

 ……あれ? っていうか今朝家を出るまで俺川崎を振ろうとしてたんだよな? なのになんでこんな褒めたり(?)して普通のデートみたいな感じになってんだ?

 その矛盾した行動を不思議に思ったが嫌な気分ではない。むしろこうしたいと思う自分がいることに気付いた。

 

「あんたも普段の恰好とちょっと感じ違うね。って言っても普段のあんたをあんま知らないし、つい制服姿をイメージしてるからってのもあるんだけど」

 

「ああ、これか? これは小町に選んでもらった。どうも俺のセンスは、女子目線で若干の問題というか壊滅的らしくてな。一人ならまだしも今日はお前等と行くんだし多少は気をつけとこうと思ってな」

 

「‼ そ、そう……」

 

 あれ、そんな驚くようなことか? 俺がどう思われてるかが窺える反応だな。そんなに俺が気を遣うのって新鮮⁉

 

「それにしても学校で遅刻ワーストのお前がこんな早く来るとはな。そんなにプリキュア楽しみだったか?」

 

「ば、バカなこと言ってんじゃないの! それに遅刻ワーストだったのは去年だし、今はあんたのが遅刻ひどいでしょ」

 

「そ、そうだな、すまん……」

 

 思わず謝ってしまった。普段なら何かとゴネて謝罪しない方向にもっていくのだが誰がどうみてもブーメラン発言だったし、何よりこれに屁理屈を被せるとどうしても去年川崎が深夜アルバイトをしていたことに触れてしまう。それは俺達にとって大き過ぎた出来事であり笑い話として扱うにはまだ消化しきれていない。

 バレンタインの日からこっち、ずっと真剣に感謝され続けていたし川崎の立場で考えてみたら、俺がしたことはそれだけの価値があったと言える。多分、それがキッカケで俺のことを少なからず気にするようになったはずだし、あまり弄っていい話じゃないな。

 

「……なんかやけに素直じゃん。いつものあんたじゃないみたいだよ、平気? お腹空いてんじゃない? 早く喫茶店さがそ」

 

 急に態度が変わり俺を心配する川崎。面倒見の良さは弟妹の世話で培われたのだろう。普段キツイ印象の彼女だが、こういう優しい一面を見せられると心が揺らぐ。

 いや、元来彼女の本質はこっちなのだ。学校で他人に見せる姿にどれほどの素が垣間見られようか。家族に見せる時のように力を抜き、こうして相手を気遣う姿こそが本来の彼女で、その顔を一端ではあるが、今俺に見せてくれてる。

 こうして些細なことでも心配されるのは新鮮であったし悪い気分でもなかった。去年までの俺なら由比ヶ浜あたりが似たような何でもないことで心配してきても鬱陶しく思ってしまったかもしれない。今のようには感じなかっただろう。

 

 ……俺は変わったのだろうか。

 

 その問いに答えてくれる者はいない。いるとしたら恐らく……それは俺自身なのだろう。その変化が、川崎や由比ヶ浜達に伝えるべき言葉を教えてくれるかもしれないが、今はただ自分の心に素直に従おう。

 

 キョロキョロとせわしなく店を探すとても可笑しげな川崎だったが、その姿は可愛さも内包していた。

 

 ああ、こんなにも色々な顔を持っているのか。その魅力に中てられた俺は、もっと川崎のことを知りたい欲求に支配されていた。

 

 

      ×  ×  ×

 

―駅前の喫茶店―

 

 

 モーニングにドリアがあったのは八幡的にポイント高かった。ついでにサイゼより値段も高かったが。

 

 俺達はすぐに食べ終え、それぞれいつも通り過ごす。元々早過ぎたので時間潰しにと用意した本を取り出し俺は読書を。川崎は教室で佇んでる時のように頬杖をつき外を眺めていた。

 普段ならそれで良かったが今日はお互いがお互いを意識していた。

 

「……あんたさ、読書好きだよね」

「そうか? 普通だと思うが」

「修学旅行のときの新幹線でもちょくちょく本読んでたじゃん」

「え? お前なんで知ってんの? 俺ってそんなに目障りで悪目立ちしてた?」

「え、あ、そ、それは、その……」

 

 急にしどろもどろになる川崎。訝しむがその理由にすぐ思い当たった。

 

「あ、う……その時から、その……もう……なのか?」

 

 核心こそ濁しながらだが、それでも今の俺達なら伝わるであろう言葉で川崎の答えを待つ。

 

「あうぅ……その……海老名に無理矢理騒がしい席に引っ張られて座らされたし、あたしは話したりとかする気なかったから、その……………………あんたの方……見てた……」

 

 照れて俯く川崎。この前から何回この仕草を見せてもらっただろう。何度見ても可愛い。口には出さんけどカワイイ。一色が本気でわたし可愛いアピールしてきた時の20倍は可愛い。界王拳なら身体に負担がかかるくらいカワイイ。何回可愛い言ってんだよ俺。

 

「お、おう……」

 

 ただこの会話の流れはよくない。電車を降りるギリギリまで、なんなら朝食の後も悩み続けるつもりだった川崎への返事に話が及ぶかもしれん。

 

「それに! ……二人きりなのに平然と本広げるあたりそう思っただけ」

 

 誤魔化すように強引に話を元に戻した。偉いぞサキサキ。お前は俺の空気が読める奴だな。

 

「ぼっちは気の利いた話題選びなんて出来ないからな。話しかけられないようにする自衛手段だ。教室で寝たふりしてるのも似たようなもんだな」

 

「……あたしと話すの嫌なわけ?」

「いや? むしろ俺の知り合いの中では気楽な部類だ。というか知り合い自体が少ないけどな」

「そ、そう?」

 

 さすがに「ぼっちだけどな」とはもう言えない。正直、今これを言い過ぎるとそれだけで川崎を傷つける恐れがある。もうネタとしても封印だ。

 

「お前も学校じゃあんま話さないし無言でも間が持つしな」

「結局しゃべらないことが前提なんだ……」

 

「いやだって変に気を遣って無理に話しかけようとする痛々しい俺をみたいか?」

「そりゃ……見たいとは思わないけど」

 

「だろ? だから自然体の方がいいんだ。奉仕部でもいつもこんな感じだぞ」

「!! ……そっか、奉仕部でも……ね」

 

 え、なんだよその顔。なんで照れてんの? ちょっと顔赤い気もするしその表情照れてるで合ってますよね?

 

「……ねえ」

「なんだ?」

 

「……奉仕部で今までどんな依頼あったのか……教えてよ」

 

「は」

「あ?」

 

「いやこええって。ドスの利いた声を出すな……なんでそんなこと知りたがるんだ?」

「……興味がある、じゃダメかな?」

 

「は? 奉仕部に? やめとけやめとけ。雑用や面倒事押し付けられるだけだぞ」

「……面倒事押し付けて悪かったね……」

 

「あー、いやこれは皮肉とか冗談とかそういったことじゃない。単純にあの部活のポジションを客観的に述べたまでだ。それに厳密に言うと去年大志が持ってきたお前の相談は小町にしたもので、もともと奉仕部が請け負うはずのものじゃなかったしな」

 

「え……」

 

「たまたまサイゼで雪ノ下と由比ヶ浜と戸塚が勉強してるところに俺が出くわして、さらに偶然小町が大志連れて遭遇したんだ」

「じゃあ、あんたが二人に相談したわけじゃなかったんだ?」

 

「ああ。そもそも他人の家庭のゴタゴタに首突っ込んで解決してやれるほど俺は家族と団欒してないからな。だが無碍に断って小町と大志だけで事にあたる方が嫌だったから手を貸すことにしたんだ」

 

「そうなんだ……」

 

「結果的には色々と上手くいったし相談にのって良かったとは思ってるけどな」

「⁉ ど、どういう意味?」

 

「無事解決できたことによりそれがキッカケで大志に総武高校のことを相談されたとき小町と大志は何があっても友達だと確認できたこととか」

「…………」

 

「一応個人的に相談されたから奉仕部の活動報告書にお前のことを記載しないで済んだこととか」

「?」

 

「雪ノ下は嘘がつけない。だから書かなくてもいい理由が必要だった。書いてたら……まあ顧問は平塚先生だし大目に見てくれる可能性は高かったがそれでも学校外でのことだし年齢詐称の法令違反だ。後でバレたら隠蔽とも取られかねないからな。知らせない(書類に残さない)のが一番だ」

 

「あ……ホントごめん……」

「この前から何度謝ってんだよ。もう終わったことだ」

 

「うん、ありがと……」

 

「後は……まあ、これはいいか」

 

 うっかりその他の恥ずかしい理由を口にしそうになったが思い止まった。が、この匂わせるような一言がダメだったようで思いの外、川崎が食いついてきてしまう。

 

「む、なに隠してんの? 最後まで言いなよ」

 

「……やだ」

 

 ここは黙秘権を行使する。言ったら恥ずか死ぬ。絶対に。

 

「…………」

「…………」

 

「……あっそ。分かった。そうくるならこっちにも考えがある」

「……鋸山ってずいぶん低い山だよね、標高どれくらいだっけ?」

 

「‼」

 

 なんで突然その話題を⁉ いや待て、問題はそこじゃない。昨日の今日でそのワードが、このタイミングで出たことが問題なのだ。つまりそれが意味するところはただひとつ。

 

「……まさかお前……聞いて……」

 

「……あんたがあたしらをどういう目で見てるのかが分かったね」

 

 川崎は両手を組んで頬杖を突き正面から俺を見据えるゲンドウスタイル。いつも以上の切れ長な目と不敵な笑みに背筋が凍り付いた。俺は言い終わる前か同時くらいにテーブルに頭を叩き付けそうな勢いで下げた。椅子に座った状態の土下座である。

 

「すまん! 謝るからこの通り! 頼むから忘れてくれ!」

 

「⁉ ちょっ、人が見てるから、やめなって!」

 

「いいや、やめない。お前が忘れると言うまで俺の頭が上がることはない!」

 

「なにちょっとカッコいい風に言ってるのさ! ならさっき言いよどんだこと話しなよ。そしたら忘れてあげるから」

「いやダメだ、それを言うならこのまま土下座を衆目にさらし続ける方がマシだ」

 

「⁉ ちょっと⁉ 相談にのって一体どんなこと思ったのさ⁉」

 

 やばいやばいやばい、まさか川崎がこんなにも食い付いてくるとは思わなかった。ここまで拒むともはや嘘で誤魔化すことも出来ない。

 

「……分かった。奉仕部であった依頼のことを話すからこっちは勘弁してくれ」

「む……まあ聞きたかったのはそっちだし、それでいいよ」

「誠心誠意、話させていただきます」

 

 助かった……大志の相談にのって問題を解決した縁のお陰でバレンタインからこっち小町とお前達家族とで飯食えて……ちょっと楽しかったし嬉しかった……なんて本人の前で言えるかよ。

 

 この展開が結果的に助かってないことに俺は気付かなかった。

 

「そうだな、事の発端は二年生の始めに俺が『高校生活を振り返って』というテーマの作文に『青春とは嘘であり、悪である』という一歩間違えれば犯行声明にも似たものを平塚先生に提出したことから始まった」

 

 まず俺が奉仕部に入ったきっかけから詳らかにしたのだが川崎の表情が怪訝なものになる。ですよね。うん、知ってた。今にして思えば完全な高二病だし、こうして話すことも憚られるくらい軽く黒歴史だ。

 

「あんた、そんなこと書いたわけ?」

 

「その時は本気でそう思ってたんだよ。っていうか、その作文を書くに至る経緯は高校入学式の日に交通事故で三週間入院。のち退院したらぼっちが確定していたってのが始まりだしな。いや、正確に言えば入学式の日も高校生活の範疇だから合ってるのか?」

 

「え、あんた入学式で事故ってたの? どこ怪我したの? 後遺症とか大丈夫?」

 

「ん? ああ、それは平気だ。怪我も大したことなくて足も元通りだ。ってか入院は特に俺のぼっちの始まりには関係ないかもしれん。そもそもぼっちの始まりは小学生時代くらいまで遡るからな」

 

 俺は由比ヶ浜達にエピソードトークをするような軽い乗りで小学校からあった黒歴史――もちろん笑い話にできる軽いやつ――を披露していく。つまらなかったのかまた川崎の表情が曇っていく。さっきの呆れを含んだものではない愁眉を宿したものだった。

 

 ……あれ、奉仕部で話したときとか呆れられたりツッコまれたりしたけど川崎にはアウトな話題だったか? まあ、もともと川崎みたいなやつが俺を好きになるなんて一歩間違えば勘違いなわけで、俺の真実を知ればそうなるわな。

 

 たっぷりの砂糖とミルクを入れた珈琲を一口すすってそう思い巡らす。

 川崎が俺を好きなのを最初から勘違いと断ずることはしなくなったが、それでもやはりボタンを掛け違えたからこうなったのだという疑念が入り込む。なら奉仕部の活動内容を打ち明けたのを機に、俺という人間を知ってもらえたら目が覚めてくれるかもしれない。そうなれば全てが正常に戻る。

 

 ズキッ

 

 …………なんだいまの。

 

 胸の奥が痛い……その正体も分からないまま、俺は話を続けた。

 

 最初の依頼である由比ヶ浜のクッキー作りから始まり、チェーンメール騒動、川崎のバイトを辞めさせる……は傷に塩を塗り込むし既知のことをしゃべる意味がないので割愛した。

 

 千葉村で出会った鶴見留美のいじめ問題、文化祭の相模、体育祭の相模、こっちは相模からの依頼ではなく体育祭を盛り上げて欲しいと依頼しためぐり先輩からの派生だった。

 

 修学旅行の戸部の告白、これは文化祭や体育祭の実行委員などと違いプライバシー保護のため守秘義務を行使した。戸部のことを伏せ、海老名のことも隠して話した。

 

 生徒会長選挙の一色、これは川崎も相談に乗ってもらい関わりがあったし、生徒会長という公的な役職の依頼なので隠す必要はなかった。

 

 あとはクリスマス合同イベントと直近のバレンタイン、この辺になると川崎もけーちゃんと共に参加者として携わっているから話すことは少なくて済んだ。

 

 

 こうして振り返ってみると盛りだくさんだと錯覚するな。実際は日がな一日部室で読書したりスマホ弄ったり読書していることが大半なのに。

 

「…………」

 

 最初は時折り質問や合いの手のような反応があったのだが話が進むにつれ段々川崎が静かになっていく。ちょっと怒った表情にも見えるのは気のせいだろうか? 俯き表情が窺えないのが、怖さに拍車をかけている気がする。

 

 俺の行いに大層ご立腹な可能性は十分にある。ってかそれしか理由がないまである。やっぱり修学旅行の嘘告白の時みたいに俺のやったことは間違いばかりだったんだろうか。

 

 ……このまま川崎に嫌われて元通りの関係になるのか……

 

「……あんたさ、ちょっと頑張り過ぎじゃない? もう少し手を抜くことを覚えないとそのうち潰れちゃうよ?」

「え?」

 

 川崎の予想外過ぎる労いに、身構え用意していた俺の言葉の全てが機能しなくなっていた。

 

「え、なんで? 普通は幻滅とかするだろ? 俺のやったことはかなり最低の手段ばかりなんだが……」

 

「そんなの最低でもなんでもないよ。っていうか聞いてて思ったけどそもそも高校生の部活に舞い込む依頼としてはキャパオーバーしてるのばかりなんじゃないの? あんたがどう思おうが、もともとは平塚先生に無理矢理入れさせられた部なんだし、解決できなくたって文句言われる筋合いでもないでしょ」

 

「いや、だが依頼は依頼だし、働きたくはないが引き受けた以上はきちんと果たさないと……」

 

 ふと、なんのためにやっているのか? という疑問が頭を過ぎったが、答えが出る前に川崎がアクションを起こす。

 

「……あんたはよく頑張ってるよ」

「あ……」

 

 不意に川崎は俺の頭を撫でてきた。それはごく自然な動作で拒む隙すら与えてもらえなかった。頭の上にじんわりと暖かさが広がっていく。川崎のいい匂いも相まってアロマ効果まで期待できそうだ。

 普段ならやんわりと手を払い除けているところだが、今は不思議とされるがままでいたかった。

 

 どれくらいの間、そうしてくれただろう。その幸福とも呼べる短い時間は終わりを告げた。

 

「……なあ」

「なに?」

「どうしてお前は俺のやったことを受け入れてくれるんだ? なんでそこまで信頼してくれるんだ?」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜ですら拒絶されたこともあるのに……

 

 ⁉ う、なに訊いてんだ俺。もう口から出ちまったし引っ込みつかねえけど……

 

「え」

 

「や、やっぱ今のなし! 忘れてくれ」

 

「……いまさらなしはなしだよ。答えてあげるからよく聞いときな」

 

「あー、だから言わなくても……」

 

 俺の言葉を遮るように川崎は真剣な面持ちで見つめてきた。

 

「比企谷のことをきちんと知る機会があったわけじゃないけど、それなりに比企谷八幡という人間を少し理解してるつもりだよ。それにあたしが信頼する家族みんなも比企谷を信じている。あたしがあんたを信じる理由はそれで十分でしょ」

 

「…………」

 

「あと忘れてるみたいだから言っとくけど、あたしあんたのこと好きだから」

 

「か、川崎……」

 

 これで何度目だろう。真っ直ぐに想いを伝えられるのは。

 こんなにも人からハッキリと好意をぶつけられたことなんて小町相手ですらなかったかもしれない。

 

「……でも、あたしはもっと比企谷のことが知りたい。だから……」

 

「…………」

 

「……ねえ比企谷、いま聞いた中でもう少し詳しく訊きたい依頼があるんだけど、教えてくんない?」

 

「え?」

 

 想像してたのと違った質問に驚きの声を上げてしまった。いや、ここから掘り下げて俺の行いを罵倒してくる可能性はなくはない。やだなあ、でも自業自得だしなぁ。

 

「文化祭の件なんだけど……」

「あ、ああ、文化祭……か……」

 

 あれもなかなか酷かった。俺の中でのワーストはぶっちぎりで修学旅行だが、緘口令が敷かれていたのか全く噂にはならなかった。修学旅行の嘘告白は広まっていれば戸部や海老名さんにも被害が及ぶし、何より大事になったら葉山が関わったことまで表沙汰になるだろう。俺はあの依頼の実態をしゃべるつもりはないが、その可能性を考慮した葉山が強く口止めをしたと推測するのが妥当だ。

 よって対外的には俺を校内一の嫌われ者たらしめた文化祭の依頼がワーストに輝くだろう。

 

 その文化祭の依頼を詳しく聞きたいだと……悪い予感しかしねえな……

 

 しかし、俺に拒否権はない。それはいつものことだが、今回は拒否すれば雪ノ下に鋸山のネーミング由来を暴露される恐れがあるというとてつもない脅迫材料が川崎の手に握られているからだ。

 

「……あまり聞いてて気分のいい話じゃねえぞ」

「ん。嘘は吐かないでね。別にあんたが何をしたとしても否定するつもりはないから。あたしはどうしてあんたがそういう行動をとったのかを知りたいだけ」

 

 やけに真剣だな。何かあるのか? とはいえ、いくら推考しようと情報がなさすぎて如何様にもとれる現状、考えても意味はないか。

 

 俺は要点をおさえて私情を混ぜないように淡々と出来事だけを話していった。

 が、そんな俺の努力も空しく、川崎はさっきまでと打って変わって気になる部分に質問を浴びせてきた。

 

 事の発端は相模が文化祭実行委員長としての責務を全うする為にサポートをしてほしい。という依頼から始まった。

 文化祭準備期間ということで奉仕部は休部することに決めていたが雪ノ下が個人的に受けた。

 雪ノ下の姉が総武OGの有志として文実作業を手伝いたいと申し出た際、クラスの出し物の方に顔出して実行委員を遅刻した相模に「文化祭を楽しまないと」という悪魔の囁きで文化祭実行委員会の舵取りが危うくなる。

 副委員長の雪ノ下は相模の愚行を正さず個人の能力によって帳尻を合わせてきたが、無理がたたり倒れてしまう。

 状況を打破すべく、俺はスローガン決めの会議で実行委員たちを煽るような提案をした。

 結果、実行委員たちを思惑通り操作できたので何とか文化祭開催にこぎ着けた。

 だが、文化祭の最後に問題が発生する。相模が雲隠れしたのだ。探し出す時間を稼ぐため雪ノ下を始め、その姉陽乃さん、平塚先生、由比ヶ浜、城廻先輩たちが飛び入りで一曲演奏した。その間、俺は相模を探した。

 

 材木座に協力してもらい、川崎のお陰で探し出したものの、とても時間までに説得できる状況じゃなかったため葉山を利用する搦手を使う。

 

「……そうして誰も傷付かない世界の完成というわけだ」

 

 ……と最後、得意気にそう言ったら川崎の顔に怒りの色がありありと浮かんでいた。

 

「……なによそれ……」

「え?」

 

 まるで殴り掛からんばかりだった川崎の表情は憂いを帯びたものとなり身を乗り出してくる。両手が迫り、てっきり首でも絞められるのかと思ったが、もう一度頭を撫でてきた。

 

「……誰がどう見てもあんたに非はないよ。あんたはよくやった……やり過ぎなくらいに」

「あ……」

 

 またこの多幸感が得られるとは……俺は願ったりと、されるがまま身を委ねる。

 ……照れくさいけどな。

 

      ×  ×  ×

 

 ……撫で続けていた手がようやく離れる。

 いや、ようやくだけど俺にとってはもう? なわけで名残惜しくも再びその時間は終わりを告げた。

 

「…………」

「う……」

 

 真剣な、そして熱っぽく潤んだ瞳でみつめてくる。何かのスイッチが入ってしまったのか、普段みる川崎という女性からは想像もできない表情(かお)だ。

 

 ……これはあの時の返事を欲しているのか。返事はいらないと言ったのは嘘だったのか。いや、スイッチが入ったようだとさっき俺も感じていたではないか。ならその時の言葉よりも今の感情を優先するのが人間というものだろう。

 元々、川崎も無理をしていた。好きと告白して返事が欲しくない人間などいない。中学時代、俺も折本に対してそう望んでいたではないか。何故、川崎がそうでないと言い切れる?

 

 ……睫毛長いな。

 その整った顔立ちは由比ヶ浜のような幼げでチャーミングな感じではなく、まだ少女でありながらもどこか大人びた雰囲気を醸し出している。特に泣きぼくろが女性の婀娜っぽさを演出していた。

 

 大人っぽさが同居しつつも年相応な部分を残した魅惑的な女性。それが心の壁を取り除いて真っ直ぐな気持ちを俺にぶつけてくる。

 

 初めて会った時はキツイ印象しかなかった。

 エンジェルラダーでのバーテン姿は見事に大人の女性を演じきっており、家庭の事情を背負いながら思いつめて働く表情は諦念に染まり、なんとも痛々しく冷然としていた。

 どちらの川崎も彼女本人に違いないが、俺には別人にしか見えなかった。そして、できればずっと今の川崎でいてほしいと願う。

 

 だが、そんな魅力的な彼女でいてほしいと願う反面、俺が傍にいたらその願いは叶わないのではないか。一晩、悩みぬいた残滓がここにきて頭にちらつく。

 

「…………俺なんかじゃ釣り合わない……」

 

 それはなんの覚悟もなくつい漏れた呟き。話しかけるつもりの声量ではなかった為、川崎に聞こえなかったのは幸いだった。

 

 しばらく無言が続き、俺からの返事がないと察したのか川崎は前のめりから背もたれに身体を預ける姿勢になる。ただ視線は俺から離れず、いつものキツイ目付きも鳴りを潜めていた。

 それどころか徐々にその表情に違う色が浮かんでいく。

 

 この表情は見たことがあるぞ。っていうか小町や由比ヶ浜達がよく見せる顔だ。文学的に表現するならば……憐憫?

 あれ、俺ってやっぱり憐れまれてる? いや、当然か……こんなぼっちで目が腐ってて数学赤点で捻くれた奴なんか……

 川崎は俺のことを好きだと言ってくれた。だが、本人は無自覚だろうが少なからず同情も混じっているのかもしれない。

 

 ズキッ

 

 なんだ……望み通りの展開だろ……

 なんでまたこの痛みがくるんだよ……

 

 

 

つづく



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28話 川崎沙希は、理解を深める。

今回は沙希視点です。
入りの部分は前回の話とちょっとだけかぶります。

もうちょっと進めたかったんですが区切りがいいのでここで。

2020.12. 5 台本形式その他修正。
2020. 1.25 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


× × ×

 

《 Side Saki 》

 

 

 ちょっと狡いとは思ったけど交換条件を持ち出し比企谷の奉仕部活動を詳しく聞くことに成功した。

 

 まずどんな依頼があったのか話してくれた。滅多に依頼は来ないと言っていたが、さすがに10ヶ月以上もやってると結構依頼が舞い込んでいるものだ。中には高校の部活、いや生徒に解決するには困難と思われるものが多々あった。特に校外の出来事である千葉村の案件は解消方法も含めかなり危ない橋を渡っていた。しかもそれが正式な依頼ではなく、主に雪ノ下の意志で決定したことにも驚いた。

 

 その違和感は、改めて詳しく訊いた文化祭での相模の依頼で確信する。

 

 比企谷は特に感情を込めることなく淡々と話していった。その中であたしが気になった点を質問していく。比企谷は聞いて気分のいい話じゃないと言った。確かに気分のいい話じゃなかったが、比企谷の思惑とは違った意味で気分が悪くなる。

 

 身勝手な依頼を持ち込んだ相模も、それを引き受けて分をわきまえずパンクした雪ノ下にも…………

 

 でも一番気分を害したのは…………

 

 その時、何も知らなかったあたしだ……

 

 比企谷の受けた仕打ちに心を痛める以上にその事実があたしの心を抉った。確かにその頃は比企谷を好きとはっきり言えなかったが、少なくとも意識していた。その想い人がこんな大変な目に遭っていたのに何もできないどころか気付くこともできなかった不明を恥じ、己を嫌悪してしまう。

 

「……誰がどう見てもあんたに非はないよ。あんたはよくやった……やり過ぎなくらいに」

「あ……」

 

 それは比企谷に向けられた言葉なのか、己の無力を弁護したのか、もしくはその両方なのかもしれない。

 

 衝動的に比企谷の頭を抱き寄せようとしたが、二人の間にはテーブルがあり正面から抱くには距離が遠すぎた。伸ばした手は行き場を失いかけたが、結局もう一度比企谷の頭を撫でることで落ち着いた。

 比企谷も満更ではないようで、されるがまま甘受していた。

 

 それに少しだけ嬉しくもあった。比企谷の行動がほとんどあたしの思っていた通りだったからだ。

 やはり城廻先輩は相模が自己保身の為に流布した事実無根の噂を信じて話したんだ。母さんは信じていない噂をわざと聞かされたと言っていたけど、あの城廻先輩がそんなことをするなんて、あたしにはどうしても思えなかった。

 母さんがそう思ってるだけで城廻先輩もきっと誤解してるんだ。あたしは少しでも比企谷の味方が増えることを願い、明日学校で城廻先輩と話して誤解が解ければと考えていた。

 

 どのくらいこうしていただろう。普段の比企谷ならこんな素直にあたしの愛撫を受け入れていないはず。もしかしたら、いい返事が貰えるのかもしれない。

 人間とは現金なもので返事をしなくていいと言ったものの、それが色好いと分かれば願わずにはいられない。

 あたしはそっと手を離し、恐る恐る比企谷の目をじっとみつめた。

 

「……」

「う……」

 

 真剣に見つめるあたしの気持ちに気付かないほど鈍くないはずだ……

 ないと信じたい…………

 

 ないこともないかも……

 

 雪ノ下はともかく由比ヶ浜は好意が丸わかりだし、あれに気付かないようならあたしの訴えを察せないのも無理はない。期待半分、怖さ半分で比企谷の返事を待ったが、聞こえたのは予想外の……いや、ある意味予想通りでもある言葉だった。

 

「…………俺なんかじゃ釣り合わない……」

「⁉」

 

 こんなにもあんたを肯定して気持ちを伝えたのに、まだそんなことを……自分を卑下するの?

 あたしは悲しくなり、前のめりになった身体から力が抜け、背もたれに預けた。

 あたしの言葉に力がないから自信が持てないのか……それはそれで悔しいけど、それよりも比企谷がそこに至る原因が何なのか思い当たる節があった。

 

 母さんに言われたことが脳裏に蘇る。

 

『あなたがそう考えちゃうのって下の子達の為にずっと我慢することが身に付いた癖なんだと思う』

 

 ……弟妹の為、常に一歩引いて考えてしまう。母にそう指摘された昨夜の出来事。多分、比企谷にも同じことが言えるんじゃないだろうか。

 

 去年、お互いを知る切っ掛けになったアルバイトの件。マックで大志と話し合いの場を設けてくれた比企谷は奉仕部の二人と共に妹を連れてきた。大志の友達だけど、あの場に小町がいたのは少々驚いた。大志の相談を訊いた張本人ではあるが友達の姉という関係性の薄い者に何故ここまで親身になれるのか……人が好いのは兄に似たのかもね。

 それだけじゃない。小町があの場にいたのは兄……比企谷のことを心配して支えたかったのではないか。現に小町の言葉であたしは大志の思いに気付かされ諍いは雪解け、現実的な問題は比企谷の情報とあたしの努力で解決した。思い返せば比企谷兄妹には頭が上がらない。

 サンマルクカフェで会った時の二人を見てもその関係性は窺えた。あれだけ慕われてるということは、妹のために今まで数々の我慢をしてきたのだろう。あたしにも経験があるからそれは手に取るように分かった。

 

 さっき聞かされた奉仕部での活動で比企谷が損な役回りばかりを引き受けたのはこいつの長子としての癖のような、妹を持つ身の責任感が自然と表にでてしまった結果なんじゃないだろうか。

 分からなくはない。親しい人間の為ならそんな気持ちにもなるだろう。ただ、あたしから見ても疑問なのは、本来、妹や親しい仲――――雪ノ下や由比ヶ浜――――を対象とすべきはずの行動が知らず知らずの内に他人にまで作用してしまっていることだ。特に文化祭の依頼などその典型で、大して親しくもなくむしろ反目する相模の立場まで考えての立ち回りはお人好しの域を超えたある種、自傷行為に等しい。

 

 どうしてそこまで他人の為に自分を犠牲に出来るのか……

 そんな思いがあたしの意識よりも先に口を動かしていた。

 

「……あたしなんてそんな大したもんじゃないよ……あんただっていいお兄ちゃんしてるじゃん」

 

 これは口に出さないけど、小町にだけじゃなく皆に対してもね。

 

「‼ ……お前と比べたら俺なんてお世話されてる側みたいなもんだ。俺が飯を作れば台所をちゃんと片付けろと怒られるし、掃除をすれば雑だとお叱りを受け、洗濯すれば色物は分けてと呆れられる。だから結局小町は自分でやった方がいいという結論に達したんだ」

 

「それは……うん、まあちょっとはその通りかもしんないけど、それも小町が自分で出来る歳になったからであって環境が変わったからだよ。

 あたしだってもしも長女じゃなかったり、下の子がいなかったら家事してたか分からないし、家計が厳しくなきゃバイトして予備校費用稼ごうとも思わないよ」

 

「そうか?」

「そうだよ」

 

 勝手にあたしの存在を大きく見ている比企谷の考えを正そうと漏れた言葉だが、謙遜ではなく事実だと思う。今の環境あってのあたしだし、やっぱり必要に迫られなきゃ怠惰を求めるのが人間の本質だ。あたしだってもともと人見知りで家計に余裕があればアルバイト、特に接客なんてしてたとは思えない。

 それに弟妹の世話にだって思うところがなかったわけじゃない。今では自分の中で消化できているというだけの話で。

 

「お前ならそうはならないと思うけどな。俺なんか休みの日はついつい寝過ごして小町が起こしに来ても『あと五年……』とかいってそのまま布団から出ない始末だぞ。なんだったら平日の朝にもそれが起こりうるまである」

 

 そんな調子であたしの言葉に呼応したのか、いかに自分が矮小で怠惰な人間なのか説明してきた。あれだけ自虐をやめろと言ったのにいつもの比企谷に逆戻りする様を見ていると情けないというより悲しさが先んじる。

 

「笑い方もなかなかに希少種らしく15年一緒にいる小町ですら俺の笑みを見て未だに鳥肌が立つこと請け合いだそうだ。そりゃこんなキモい男に告白されたら晒したくもなるわな」

「え?」

 

 卑下することに興が乗ったのか世間話をするような軽い感じでカミングアウトしてきた。あたしがそれを聞き逃すはずもなく、

 

「……あ」

 

「…………詳しく……聞かせてもらっていい?」

 

 頼んでいるようで半ば強制するあたしの言葉に比企谷は抗う術をもたない。

 

「あー……あんまり聞いて気分いい話じゃねえぞ……ってさっきから何度気分いい話じゃない話してんだよ俺」

 

 渋々話し始めたがその声音は沈みあいつの目つき以上に陰鬱だった。失敗だったかもと後悔したが後の祭りだ。あたしが比企谷を苦しめてどうすんのさ……

 

 罪悪感に包まれながら、比企谷の独白を黙って聞いていた。

 

 

      ×  ×  ×

 

「……とまあ、告白したことを次の日、黒板に晒されて軽くクラスで浮いただけだ。むしろそれまでクラスで認識されてないまであったし認知された分プラスじゃね?」

「…………」

 

「その女子も俺に告白されたなんて周りに広めて得なんかないし、うっかり話しちまったのを関係ない奴が面白おかしく広めたんだろうな。そうなることを予想できずに告白なんてしてそいつには悪いことしちまったなと思ってる」

「……そう」

 

 膝の上に置いた自分の手が震えてることに気付いた。自覚はないけど、いまあたしはすごい顔になってると思う。

 

「いや、ほら、そこは笑うとこだから。その反応は俺に効く」

 

 普段は茶化す姿が滑稽に映るが、今の比企谷は痛々しい。恐らくもっとも傷の深いトラウマなんだろう。心中察してなお余りある。

 

 ……だけど!

 

 それでもこいつは自分ではなく告白した相手のことを……他人に対して心を砕いている。その改善してほしい内罰的な部分は元より、告白された女に対しても堪らなく腹が立つ。

 

「……ちょっとごめん、化粧直ししてくる」

 

 居た堪れなくなったあたしは化粧室に駆け込んだ。こんな顔、比企谷に見せたくない。瞳から熱いものが溢れ、文字通り化粧直しが必要になっていた。

 

 今の比企谷の人格がどうやって形作られたのか確実に理解が進んだ気がする。あいつが人間不信と思えるような考え方になったのは数々の黒歴史の頂点に君臨するこのトラウマが原因なのだろう。

 

 軽んじられ、蔑まされ、否定され、認められず、打ちのめされて、最後は裏切られた。そんな経験をすれば青春とは悪であると断じるに至ってしまうかもしれない。

 確かに気軽に話しかけられた程度で勝算なく告白する比企谷も大概だが中学生なんて大して考えもせず行動に移してしまうこともあるし、そこまでされる謂われもない。告白を話のネタにするなんて相手に対して不誠実だ。

 

 有り得ないけど、もしあたしが比企谷にそんなことされたりしたら……

 二度と男なんて好きにならないと誓いを立てるかもしれない。

 

 比企谷がこうなってしまったもう一つの主因にも薄々勘付いていたが、これを口にしてしまうと今度はあたしの中で燻っていた昏い感情に心を焼かれてしまう。

 あたしはその感情に蓋をして、どうすれば比企谷の不信感を取り除くことができるか改めて考える。

 

 その不信感を植え付けたのは比企谷の周りにいた奴等が故意か無自覚かを問わず、ぞんざいな扱いと心無い言葉をあいつに浴びせたから。そうして比企谷から自信を奪いとっていったんだ。ならそれを取り戻させてやればいい。

 

 でも自信を持たせるっていってもどうすればいいんだろう……

 

 ……前に京華の情操教育について本で調べたとき成功体験が大事だって書いてあったっけ。

 たくさんの成功体験を経験してる子供は自信を持つだけでなく、何事にもチャレンジする勇気を持てるようになるとか。

 比企谷のいう黒歴史は成功体験と真逆なわけだし、そんな体験を小学生の頃からしてたら行動すること自体に恐怖を感じるようになっていても不思議じゃない。

 

 まるっきり比企谷のこといってるみたい。4歳児レベルの教育方針が当てはまっちゃうところに思わず笑いが込み上げてきた。

 

 でもこれって詳しく調べてみたら脳科学の研究で得られた成果に基づいて確立されているらしく、児童の情操教育のみならず、人間のパーソナリティーの発達を説明する概念でもあり成人にも適用できるメカニズムだといわれている。

 

 ネガティブな思考は脳にリミットを作ってしまう。さっき比企谷がつぶやいた「俺なんかじゃ釣り合わない」はその典型だ。ただ、これは比企谷に限ったことじゃない。厄介なことにあたしたち人間の脳は自然と心配事ばかり考えてしまうように出来ていて、それが生まれつきの遺伝や進化の過程によるものだといわれている。

 

 狩猟時代を生きてきたあたしたちの祖先が外敵に襲われないか常に周りを警戒して生きるため必死に心配を重ねていた思考。それは今も遺伝子に引き継がれ、防衛本能の一種としてネガティブな思考に支配されてしまう。

 現代社会においてその本能は大した意味を持たないどころかこうして枷となっているのでまさに先祖が残した負の遺産といえる。

 

 その遺伝的要因は脳科学の分野で解明されつつあり『セロトニントランスポーター』という脳内物質をその人がどれだけ持っているかによってネガティブ思考の濃い薄いが決定するらしい。この物質が多いとポジティブな考え方が出来る人間というわけだ。

 そもそも日本人はこのセロトニントランスポーターが少ない人が多く、8割ほどがそれに該当するらしい。

 つまり日本人はマイナス思考が多い民族といえる。

 逆に欧米人や南米人は多い人の割合が高い。特に南米の人の陽気な気質はそういう脳内物質の量に関係してるのかもね。

 

 そうしたネガティブ思考を改善するために必要となるのが成功体験だ。それが自信の源として機能し、未知のことに対しチャレンジできるようになる。

 

 ……とまあ本の受け売りをつらつら並べてみたが、要するに心の寄る辺となるものがあればそれに安心を感じて積極的に行動できるということだ。身近なことに例えるなら仲のいい友達同士で行動すると気が大きくなりやすくなるアレだ。

 ……あたしは友達いないしアレとかいっても分かんないけど。

 ……そう! 家族といると心強いのと一緒だ‼

 

 比企谷もそういう寄る辺を持っているはずだけど……

 きっとそれが小町なんだろう……

 

 けど……

 

 だとしたら……あたしは一抹の不安を感じてしまう。

 

 それだけじゃ……きっと足りない。他に成功体験を……新たな寄る辺を作らないと、比企谷はいずれ壊れてしまうんじゃないだろうか…………

 

 比企谷がこうなってしまったもう一つの原因にそれが関係している。あたしにはそう思えてならないから寄る辺が小町だけのままではこの先どうなってしまうのか心配なんだ。

 

 成功体験か……本には簡単なこと、小さいことから成功体験を積み重ねていくといいって書いてあったっけ。

 

 そもそも比企谷は数学を除けば勉強、特に国語の成績は相当いいし、戸塚の依頼話を聞くにスポーツだって出来る方だ。その辺が成功体験として機能しないなら他にどんなことで自信をつけさせればいいっていうのさ……

 

 …………

 

 ……男が自信を持つ時ってどんな時なんだろう……?

 

 …………

 

 ……か、彼女が出来たり……とか……かな……

 

 …………

 

 …………

 

 ……あたし、何度も告白してんだけど……

 

 ……釣り合わないって思ってくれてるあたしに告白されてるのに……キ、キスされてるのに自信に繋がらないの……?

 

 思い返すと逆にあたしが自信をなくす体験ばかりだった。

 

 今日の映画デート(みたいなもの)で比企谷に自信をつけさせてやれれば少しは変わるかもしれない。底なしに明るくてポジティブな由比ヶ浜もいることだし期待は持てる。

 

 そう、比企谷にとって小町と並ぶほどの寄る辺となれるものは限られてくる。その役割を担えるのは奉仕部以外にないはずだ。だから今日は寄る辺を持つにはうってつけの機会だといえる。

 

 それでもし由比ヶ浜に気持ちが向いたとしても……関係ない。

 

 あたしは比企谷が幸せになってくれればそれで……

 

 ……それでいいんだ。

 

 ズキッ

 

 心が悲鳴をあげるのを無視し、自分を押し殺すよう言い聞かせた。

 

 

 

つづく



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29話 殊の外、今日という日は出遭い煩う。前編

祝!『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』14巻発売&完結

実はまだ読んでないです。
サキサキスキーとしては内心読みたくない葛藤があるけど、気持ちの整理がついたら読みます。
だって絶対サキサキ幸せにならないでしょ。サブキャラ過ぎて。出番あってもほぼちょい役だろうし、心が痛む……

2020.12. 5 台本形式その他修正。


× × ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 喫茶店から出た俺達は無言のまま歩き出した。

 本で時間を潰すつもりが奉仕部の活動報告(?)と黒歴史発表会を同時開催したお陰でむしろ時間が足りないくらい予定が塗り潰されてしまった。さすが俺の黒歴史。質も量も桁外れだ。

 

 それ以上に自分でも意外だったのは懇願(脅迫)されたとはいえ川崎に奉仕部での事情を打ち明けてしまったことだ。

 顧みれば後悔の地雷原のような活動記であり今まで部外者に話したのは小町だけ。しかもそれすら修学旅行のほんの一部のみ。本当に話してしまって良かったんだろうかと不安になるくらい重要な出来事だった気がする。

 ただ川崎はこれを誰かに話すようなタイプじゃない。俺にだけは言われたくないだろうが話す相手もいないだろう。

 なんで川崎を言い表そうとしたら自分にもダメージ与えちゃってるんですかね。

 

 途中、何組か犬の散歩をしてる人を目にし、この辺は散歩コースに向いているのかと考え至ると同時に由比ヶ浜を思い浮かべる一助になった。あれ、それがないと思い出せないってことないよね。これから待ち合わせなのに。

 

 目的地である映画館があまりに駅から近すぎた為、今いた喫茶店からこれから行く映画館を素通りして駅に戻るという訳わからん行動をしている。そんな俺達の前に今日本で三番目くらいにエンカウントしたくない人物と遭遇した。

 

「あれー、先輩じゃないですかー」

 

 本気でちょっと嫌な顔をして話しかけるなオーラを醸し出すも、こと一色いろはには通用しない。ちなみに会いたくない一番目と二番目にも等しく通用しない。ちょっと、オーラの意味なくない?

 

「なんでこんなとこにいんだよ?」

 

 後ろに控える川崎が気になり酷くぶっきらぼうな対応をしてしまう。いや、普通か。普段通りだったわ。これが一色いろはに対する俺のデフォルトでしたね。

 

「なんですか、その言い方⁉ はっ⁉ こうやって酷過ぎる扱いで落としてからホワイトデーで優しい言葉とお返しを用意して効果を倍増させようって魂胆には感心しますし少しだけキュンとなりましたけど狙い過ぎだし計算高くて腹黒いので無理です、ごめんなさい!」

 

 もはや見慣れた振り芸をこれでもかといわんばかりの長科白で披露し肩で息をする一色。後ろの川崎も圧倒されている。

 

「まあ冗談はさておき、このところ進路相談とか受験の準備で生徒会が忙しかったですから息抜きで映画観に来ました」

「まだお連れさんが来てないみたいだが、一色的には『女の子待たせる男とか超ありえなくないですか⁉』って親の仇みたいに罵倒しそうなんだけど」

 

「……ちょっと、先輩は私を何だと思ってるんですか。それに私だって女友達くらいいますよ」

「お、おう……」

 

 お前こそ、それ俺によく言ってくる科白なんだよなあ。とそこまで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「来週、期末試験じゃなかったか?」

「ああ、嫌なこと思い出させないでくださいよ。生徒会の仕事が大変だったんですから少しくらい自分への御褒美ってことでいいじゃないですか。先輩ホントに気分を下げるの得意ですね。ダウナーなだけでなくインフルエンサーとしても機能してますよ。傍迷惑っていったらないですよ」

 

 小町にもよくテンション爆下げだからツアー添乗員とかに絶対なるなよとお叱りを受けたのを知っているかのような口ぶりに狼狽えてしまう。

 それにしてもホント女子って自分への御褒美好きだよな。女子って全員心の中に丸の内のOLを秘めてるのかよ。

 っと、普段が忙し過ぎて逆に秘めててほしいくらいな川崎を思い出し、どう紹介しようか考えていると先に一色が水を向けてきた。

 

「……ところで先輩、そちらの方は? まさか友d……お知り合いですか?」

「それブーメランだからね。お前こそ俺の事なんだと思ってるわけ。俺にも友達の一人や二人いるから。戸塚とか、彩加とか」

「……戸塚先輩って確か名前彩加じゃありませんでしたっけ? 水増しするのやめてくれませんかね」

 

 なんで戸塚の名前知ってんだよ。あれか、テニス部部長だから部長会とかで生徒会と関わりあって覚えちゃったのか。けしからん。一色と関わって天使が穢されるなどあってはならん。俺は一色から戸塚を遠ざけようと決意を固くした。

 

「どちらにしても友人という線は消えたので、もしかして先輩がよく口にしてる妹さんですか?」

 

 お前、目は大丈夫か。これ(川崎)を見て妹と認識してしまう頭で来週の期末試験を乗り切れるのか心配になってくる。いや認識もそうだが、前に保育園と奉仕部で川崎とは会ってるだろ。その残念な記憶力の方にこそ同情を禁じ得ないところだ。

 

「どんなバイアスかかってたら妹に見えんだよ。少なくとも姉か、下手するとオカンに見えても不思議じゃないだろ」

 

「……ちょっとあんた、それはさすがに傷付くよ」

 

 今まで黙っていた川崎がこの時ばかりは口をはさんだ。年齢的な意味ではなく環境面や精神的な意味でのオカンといったつもりだったんだが、どうやらお気に召さなかったようで口を尖らせていた。

 女は年齢の話題に敏感だ。そんな話をしようもんなら衝撃のファーストブリットを解き放つアラサー教師が身近にいることが裏付けとなっている。

 

「確か保育園で妹迎えに行った時とかクリスマスとバレンタインのイベントでも会ったよね。あたしってそんなに影薄い?」

「へ? 保育園? クリスマス? バレンタイン?」

 

 分かるぞ川崎。ぼっち特有の認識されない存在感のなさを言ってるんだろ。だが俺と違いお前は目立つ存在のぼっちだから心配いらん。むしろ心配するなら一色の脳の方にしろ。まあ、一色の気持ちも分からんではないがな。現に今日、川崎と会ったときの俺の反応がそれを証明している。

 

「一色はお前の制服姿しか見たことないし、雰囲気違い過ぎて気付けっていっても無理だろ」

「制服……妹……あ、もしかして……川、川……川なんでしたっけ?」

 

 一色よ、お前もか。まるでカエサルになったような気分にさせられるが意味は違い俺と同類であることの確認である。

 なんだろうね、どうしてこの川崎という名前は覚えにくいのか八幡不思議。

 ちなみに小町ですら川なんとかさんと表現したことがある。やはり血は争えんな、その調子で大志のことも大なんとかさんで頼む。

 

「川崎ね、川崎沙希。そういうあんたは比企谷のお気に入りの生徒会長だっけ」

「待て川崎、そうじゃない。一色のお気に入り(労働力)が俺という認識だ。オーケー?」

 

 それを聞き、何故かちょっと引く川崎。

 

「先輩、捏造するのやめてもらえませんか。私が先輩を気に入ってるとか気持ち悪くて無理です。むしろ川……崎先輩が言う、私を気に入ってて是非仕事を手伝わせてくださいいろは様って頭を下げる先輩ならリアリティがあるので聞いてあげなくもないですけど、それくらいで私を落とせると思うなら妄想も甚だしいので弁えてくださいね、ごめんなさい」

 

 告白もしてないのに一分程の間二度振られる貴重な経験をさせてもらう。さすが失恋製造マシーン一色。それにしても自己紹介したのに名前をつっかえるとか川崎称の覚えにくさは霊長類に刻まれし記憶のエアポケットかなにかなのか。

 

「ところでお二人こそこんな時間にこんなところでなにしてらっしゃるんですか? 特に先輩が休日に家から出るなんて明日は好からぬことが起こる前触れですか?」

「お前、ホントに遠慮がねえのな。概ね合ってるから反論に困るが」

「あんたってホントにぶれないよね」

「そーなんですよー、川崎先輩聞いて下さい。この人、デートで第一声が『で、どこ行く』ですよ。信じられますか?」

「そ、そう、なんだ……」

 

 川崎の声音に力がなくなっていく。心なしか表情も曇っていた。

 確かに初対面に近い後輩から愚痴紛いの話題を振られて人見知りの川崎が愛想よくできるはずもなく苦笑いしか出ないだろう。

 

「気を利かせて私から普段どこに行くのかって促したら「家」っていうし、女の子は準備に時間がかかるのに待ち合わせに少し遅れただけで「いや、マジ待ったわ」ですよ。ありえなくないですか?」

 

 ここぞとばかりに畳みかけられ俺も川崎も圧倒された。

 ってかこいつデート(?)のとき一言一句、聞き漏らさずに覚えてるのかよ。その記憶力をどうして勉強や川崎の名前に対して使ってやれないのか。ちょっと前まで俺がそうだから強くは言えないですね、八幡うっかりだわ。

 一色の不満は止まるところを知らないらしく、息継ぎが必要なんじゃないかと心配になるくらい早口で捲し立てた。

 

「映画を観ようといったら『じゃあ俺こっち観るわ。あとで待ち合わせな。下のスタバでいいか?』とか言ってナチュラルに別々のを観ようとしたんですよ。あの時の先輩、サイコパスかと思いましたよ」

 

 ははぁーん、さてはお前センスいいな? ゾンビとか目が腐ってるとかは言われ慣れてるが、サイコパスは新鮮すぎて思わず称賛するまである。

 

 それにしてもさっきから川崎の様子が変なのが気になるな。いつもなら呆れながらゴミを見るような目になるはずだが、今のこいつは不安と焦燥、それに少しの……嫉妬?

 ……あー、これはあれか、そういうことなのか。

 恐らく一色のデートという言に反応し、俺も否定しないことから事実であると理解した川崎にそういう感情が生まれたのだろう。デートに至った経緯はそれはそれは能動的とは程遠い理由だったがそのような事情を今の川崎に知る術はない。結果、一色とデートして映画を観たという事実だけを察したわけだ。そんな川崎の情動を推し量り自然と口角があがるのが分かった。

 

 ……気持ち悪い気持ち悪い、馬鹿じゃねーの、今朝まであんなに相応しくないなどと悩んでいたのに、こうして嫉視された途端に嬉しがるのだから俺という人間はつくづく度し難い。

 

「あのな川崎、これは……」

 

「そういえばぁ、せんぱぁいバレンタインの時にぃ映画とご飯ご馳走してくれるって約束してくれましたよね?」

「ファッ⁉」

「…………」

 

 あざと番長一色いろはが十八番、お砂糖とスパイスと素敵な何かで作られたであろう甘ったるい声。なのに内容は辛い。いや世知辛い。

 その言葉を聞いた川崎の表情が一段と険しくなった気がした。

 大体あれは約束どころか賭け、いや賭けという言葉すら成立しないくらいに滅茶苦茶なやり取りだった。百歩どころか千歩も万歩も譲ってなんとか言質をとられたと認めてやってもいいかもしれない可能性のお話。そこまで譲っても結局可能性止まりなとにかくアンフェアで詐欺紛いな賭けだった。なんせ後出しジャンケンだからな。

 

 曰く付きの部分を上手く隠ぺいした爆弾(発言)を投下してきた一色に冷やかな目を向ける。ささやかな抵抗のつもりだが歯牙にもかけないのがこのあざと後輩の厚顔ぶりだ。案の定、素知らぬ顔であらぬ方に目をやり受け流す。

 

「せぇんぱぁい、忘れたんですかぁー? 咽び泣いて私のチョコを受け取ったあの日のことを」

 

 すげえなこいつ。ここまで事実と異なったドラマが展開されるとは。改竄……いや、もはや創作レベル。一色いろはを映し出す心象世界スクラヴォス(奴隷創造)ここに顕現。何それ、すっごいしっくりくるわ。俺が中二病って話じゃなく一色の考え方にって意味だが。

 

「待て待て待て、事実無根にも程がある。お前こそ「葉山先輩が受け取ってくれないので、しょーがなくあげますよ」って言ってなかったか?」

 

 あれ、売り言葉に買い言葉で思わず口にしたが「一色の想い人が葉山」と匂わす発言を川崎の前でしてよかったんだろうか。

 

「うわっ……先輩女の子のチョコなんだと思ってるんですか。しかも発言内容まで改竄されてますよ。馬鹿なんですか? 記憶力家に置いてきちゃったんですか? チョコの味も覚えてないんじゃないですか?」

 

 自然に軌道修正してきた。俺の暴露を咎めるニュアンスも感じられない。本気で気に障ったのなら女の子が出しちゃいけないような底冷えする低い声で窘めるはずだ。

 それにしてもその科白、そっくりそのまま熨斗付けて返したい。悪びれもせずにほぼ自分のことをここまで悪し様に言えるその精神力に感嘆する。

 

「バッカ、お前、チョコだろ、覚えてるに決まってんだろ」

 

「……じゃぁ、お味の方は、どぅでしたかぁ?」

「味は……うん、甘かったな」

 

「…………それで?」

「え、いや、だから甘いなって」

 

「……先輩やっぱりバカなんですか。国語得意じゃなかったんですか? チョコの感想が甘いって川崎先輩の妹さんより語彙力ないんじゃないですか? いつもテキトーですけど、ここでそれは正直幻滅です。作ってるときの私の気持ち返してください」

「今のは比企谷が悪いね」

 

 何故だ。チョコの感想を訊かれたから答えたのに味方であるはずの川崎にまでダメ出しをくらってしまった。あれ、お前俺の事好きじゃなかったっけ?

 第一、チョコの感想は「甘い」しかないだろう。

 

 料理なら「美味い」

 

 映画なら「面白い」

 

 一色なら「あざとい」等々

 

 これは世の決まり事なのだ。数取団よろしく箪笥のことを一棹二棹、兎を一羽二羽と数えるのと同じ一種の作法(ルール)である。

 

 ただし最近ではその作法(ルール)に則らないものも存在する。

 女子が使う『可愛い』と『ヤバイ』である。

 この二つは注意が必要でそれぞれが違ったルール破りをしているのが特徴だ。

 

 まず『可愛い』だが、女子が言う『可愛い』は男子もしくは世間一般の言う『可愛い』とは意味が違う。

 愛玩動物を見て可愛い、アイドルを見て可愛い、服を見て可愛い、ここまでは合ってる。だが、話し上手な者を可愛いと呼び、肌が綺麗なものを可愛いと評し、自分より美的格付けが下だと認識した相手を可愛いと賛美する。特に最後なんて意味合い的に蔑視をも超える死体蹴りじゃねえか。どこに可愛いとかいう要素があんだよ、女子こわっ!

 

 それ以上に多様性に富んでいるのが『ヤバイ』だ。

 従来通りの危険な(ネガティブな)を意味する『ヤバイ』は本より、愛玩動物を見て可愛い(ポジティブ)と評する正反対寄りのことをヤバイと表したと思いきや、昂る感情を一言で説明するのにヤバイといってみたりと関連性のないものや矛盾するものにすら当て嵌める万能ワード。

 それに込められた言葉は枚挙すると『可愛い』『美しい』『綺麗』『凄い』『楽しい』『嬉しい』『悲しい』『感動』『面白い』『カッコいい』など挙げればきりがなく、前後の言葉から推察しないとどの意味なのか分からない。我々の語彙を貧しくするのに貢献してくれた言葉といっても過言ではない。

 

 そんな二つの悩み多きダークマター的表現言葉に比べれば、チョコや一色はなんと芯の通った言葉なのか。甘いとあざといの代名詞として使用できる作法(ルール)そのものみたいな言葉で安心する。

 この国の語彙力を守っているのはチョコと一色だったのか。

 ……飛躍し過ぎですね。話を戻そう。

 

 一色だけでも手強いのに川崎まで敵に回ったらお手上げだ。ここは潔く負けを認めて穏便に済まそう。由比ヶ浜との待ち合わせもあるし。ただ、言われるがまま降参するのは癪なので一矢報いようと策を弄する。

 

「……あー、なんだ。悪かったよ。映画だったな、一緒に観るんなら奢ってやることも吝かではない」

「え、ちょっと……」

 

 なんの了承もなしに予定を変更され慌てる川崎。無理もないが、これは謀略であり本当に一緒に行動するわけではない。俺の目が任せろと雄弁に語る。後から考えるとよく通じたものだ。この腐った目にそんな説得力があるとは驚きだ。

 

「へぇー、成長の跡が見られるじゃないですか。レクチャーした甲斐があったというものですね。……でも、川崎先輩はご一緒しても構わないんですか?」

「あ、えと……」

 

 歯切れの悪い川崎に代わり、本日の演目を発表する。

 

「今日はな『プリキュア』を観に来たんだ」

 

「はい! ……はい?」

 

「『プリキュア』を観にk」

 

「……………………はいぃ?」

 

 いつものあざとさはどうした。声低いぞ。お前は右京さんかよ。

 

「本気で言ってるんですか先輩。あれ対象年齢、小学校中学年くらいまでですよ。高学年になったらバカにされても文句いえない作品チョイスなんですよ。先輩何歳ですか。あれ女児向けなんですけど、いつから性別変わったんですか。冬休みの間にタイに行ったとか聞いてないんですけど」

 

 プリキュアを観に来た発言から性転換手術疑惑に発展する話題の乱高下が凄まじい。それにしても小学校中学年までとは。高学年はアウトだと。微妙な境界線に思えたが例えばルミルミがプリキュアを観てる姿をイメージしたらしっくりきた。アウトですね。しかし、そもそもルミルミが低学年であったとしてもプリキュアを観て目を輝かせている絵が想像できない。例える相手が悪かった。

 

「一説によるとプリキュアのメインターゲットは確かに女児4歳~9歳あたりとされているが、男子19歳~30歳までを対象にするとされる証拠写真が近年ネット上に出現したことを御存じない?」

 

 一色の「こいつ何言ってんだ」という科白を顔だけで表現する身体言語力に驚きを禁じ得ない。むしろこれだけ顔で言葉を形作れてしまうならさぞ隠し事が下手なのだろうと推測するも、笑顔のまま人を威圧できる芸当も過去に体験していた。

 こいつ顔でパッション表現自由自在かよ。是非、笑いながら怒る人で細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出場してほしいものだ。

 

「……この際、先輩の世迷言は聞き流すとして今話したことを要約すると、映画とご飯をご馳走するから是非一緒にプリキュアを観てくださいいろは様、でよろしいんですかね?」

 

「俺をそこはかと下僕(いぬ)アピールするの止めていただけませんかね」

 

「先輩達が私の観る映画に随行してくださればwin-winですよ」

 

「いやいや、観たい映画が観られない上に奢らされるとか完膚無き迄に罰ゲームじゃないですかそれ。lose-winだわ。いやこれ普通に勝敗決してんだろ」

 

「……さすが富士山、だね」

 

 おい、何言い出すんだ。この寒い季節にもかかわらず唐突に川崎が口にした言葉が俺の発汗を誘う。

 

「え、富士山って私のことですか?」

「命名したのは比企谷だけど」

 

 隣の俺にやっと聞こえるくらいの呟きだったが、自分に対しての声に敏感なのか高感度一色センサーは見事に聞き分けた。

 ってか川崎さん? マジで昨日の山談義全部聞いてたのね。それ蒸し返すのダメだから。さっき喫茶店であれだけ土下座した上に聞きたいことも全て話したのに反故にするんですか? 人としてそれはどうかと思うんですよ?

 

「なんですか、確かに総武高校で一年生なのに生徒会長に選ばれてサッカー部マネージャーを兼任する男子生徒の憧れですけど、私のことを富士山に揶揄するとか光栄です。もっと言ってください」

 

 いつもの振られる流れで欲しがられるのは新鮮だが意味違うからね。川崎は富士山が自然遺産登録出来なかった理由を一色の内面に重ね合わせているのだ。

 

 登山者のし尿処理の不備やゴミの不法投棄のせいで自然遺産登録から漏れ、文化遺産に甘んじてしまう残念な事情が一色、もとい富士山にはある。

 あぶねえ、言い間違えるところだった。まるで一色がし尿問題を抱える食物繊維が足りない人物みたいじゃねえか。いやいや、さすがに失礼過ぎるというか、もはや普通に侮辱発言だ。

 いつもは冗談で通報すると脅されているが、もしこんな失言をしでかしたらマジで名誉棄損で訴えられることを甘んじて受け入れてしまう。いや自首するまである。

 

「っていうか本当にプリキュア観に来たんですか? マジなんですか? え、川崎先輩も……?」

 

 川崎の顔をみて固まる一色。こいつなりに先輩への敬意を払って失礼のない対応を考えているのだろうが、その先輩の中に俺は入ってない。はい、平常運転でした。

 

「まあな。ちょっと川崎の妹絡みで事情あってちゃんと内容を覚えて土産話を持って行かないといけないんだわ」

 

 川崎には申し訳ないが無許可でけーちゃん絡みだと漏らす。お前だって富士山発言したし、その負債分だと思ってくれ。濁すと説明が困難だし、ありもしない新たな問題をも生み出してしまいそうだからな。

 ……っていうかプリキュア観なきゃいけない事情ってなんだよ。制作サイドの覆面捜査員くらいしか思い浮かばねえよ。

 

「はぁ……仕方ありませんね。さすがにプリキュアを一緒に観るのはハードルが高いっていうか普通に厳しいし、今日のところは私もお友達と待ち合わせしてますので次の機会にお願いすることにします」

 

 ねえ、プリキュアってそんなに観るのに高いハードル設定されてるわけ?

 平時であればプリキュア鑑賞を妨げる忌まわしき無形の障害物である同調圧力だが、今回一色を撃退するのに一役買ったそのハードルとやらに感謝の念しか湧いてこない。

 

「おう、その日が来ないことを祈ってる」

「台無しだこのひと。じゃあ、また明日学校で」フリフリ

 

 あなた学年もクラスも違うじゃありませんか。その言葉の帰結する先は生徒会の仕事を手伝えと暗にほのめかしているようなもんですよ。

 承諾もなしに約束された強制労働に身を震わせ何とも言えぬ表情で、らしくもなく手を軽く振り返すのだった。

 

「おっと、とんだ足止めだったな。由比ヶ浜来てるかもしれねえし、ちょっと急ぐか」

 

「あ、悪いけどあたし映画館で化粧直ししてるから、由比ヶ浜との待ち合わせ一人で行ってくれる?」

 

「あ? ああ、分かった。んじゃ、由比ヶ浜連れてここで合流ってことでいいんだな」

 

「うん、勝手言ってごめん」

 

 その方針に了承して川崎と別れる。

 さっき調子に乗って一色を揶揄ったプリキュア鑑賞(謀略)だったが、もしも乗ってきたらどうするつもりだったのか。有り得ないとは思いつつも、万が一が起きてしまった場合、由比ヶ浜も巻き込み収拾がつかない事態に陥っていたかもしれない。そうならなかったことに胸を撫でおろしつつ、少しの反省と共に俺は駅へ向かうのだった。

 

 

× × ×

 

 

《 Side Saki 》

 

 

 化粧直しと嘘をついて映画館で待機したのには訳がある。

 前日、母さんに持たされた小遣いで比企谷の分のチケットを購入しておこうと思ったからで、由比ヶ浜と一緒だと都合が悪いと踏んでの行動だ。

 これは熱を出して迷惑をかけた比企谷に対するお礼。なのに今のあたしは買うのを躊躇っている。それも全てさっきの新生徒会長のせいだ。

 もともとあたしは部外者みたいなものだし、あのタイプが苦手なのもあって二人の会話にほとんど口は挟まなかった。だが、あのやり取りの一つがあたしの心を強くざわつかせた。

 

『そういえばぁ、せんぱぁいバレンタインの時にぃ映画とご飯ご馳走してくれるって約束してくれましたよね?』

 

 比企谷と少しでも付き合いがあれば、あいつが部活に時間を取られてバイトも出来ないって分かりそうなもんだ。もっとも、時間があっても性格的にバイトするイメージも浮かばないけど。

 そんな親に扶養してもらってる立場の人間に奢らせるなんて神経を疑う。

 普通の高校生なら別に大したことない感覚なのかもしれない。でもあたし自身裕福と言い難い家庭環境のせいで過敏に反応してしまうのだ。なら、お礼とはいえ同じく扶養されてる身のあたしが出すのはどうなの。そんな思考が後足を踏む原因となっていた。

 

 他人が聞けばどうでもいいことなのに酷く拘っちゃうのは相手が比企谷だからかな。

 親のお金で奢るなんてカッコ悪いとこ、あいつに見せたくないのかもしれない。

 あいつはあたしの事情を知っているし前にそれで迷惑かけたからカッコ悪さも余計に際立つ。

 気づけば偽りの言葉に用いたお手洗いで座して懊悩している。奇跡的に空いていたからいいものの、女子用トイレはいつも混むので本来の用途でもないこうした使い方をしてしまうのは憚られる。

 

(もたもたしてると由比ヶ浜連れて比企谷が来ちゃうね……)

 

 どのみちもう時間がない。買うなら今すぐ行くべきだ。

 意を決して立ち上がろうとした瞬間、洗面所の前で聞き覚えのある声がした。

 

 

 

つづく



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30話 殊の外、今日という日は出遭い煩う。中編

二つに区切ろうと思っていたのですが、そうすると前中後編の三作で予定のとこまで届きそうもないので長いまま出しました。
毎度のことながら読みづらくて申し訳ありません。

2022. 8.23 一部表現を修正。
2020.12. 5 台本形式その他修正。


『え、のぶ子ちゃん、見てたの⁉』

『感謝してよね、空気読んで隠れてたんだから』

『いや、別にそんなんじゃ……』

 

 ついさっき聞いたばかりで間違えようのない声。どうやら一色が友達と話しているらしい。やっぱり余所行きの声だったみたいで比企谷と話してる時より一オクターブ低い。

 

『嘘だー、だっていろはから話しかけてたじゃん。あんた知ってる男子が居ても自分から話しかけたりしないでしょ』

『そ、そんなことないよー。……ただ覚えてないだけで』

『なお悪いでしょそれ』

 

 それを聞き、ちょっと親近感が湧く。あたしもクラスメートの名前、比企谷以外言えるかな。

 

『でもあの先輩のことは覚えてるんだー? だよねー、確かに目付きちょぉヤバかったし猫背で陰キャって感じで忘れようとしても無理だわ。あれで眼鏡かけたらテンプレ揃っちゃうでしょ』

 

 瞬間、拳を強く握り締めるのが分かった。

 あんたが比企谷の何を知ってるっていうんだい、ってすぐにでも飛び出して詰め寄りたい。でもここで出て行ったら盗み聞ぎしていたのが明るみになる。

 それに、初めて屋上で会った時、寸分違わず同じことを感じてたあたしにその資格があるかっていうとその意思も挫かれようというものだ。

 

『……モブ子ちゃん、先輩のこと知らないくせに何でそんな風に言えるの?』

 

 さっきまでより更に低い一色の声が響く。人がいないせいもあり薄壁一枚隔てたあたしの耳にもよく届いた。そのせいで聞こえてしまう。

 ……一色、あんた今その友達のこと『モブ子』って言わなかった?

 

『え? えっと……あの、あたし、のぶ子なん、だけ、ど……』

 

『……確かに先輩の目はスーパーに並んでるお魚みたいだし、暗いし、キモいし、姿勢悪いし、偶にっていうかしょっちゅう訳わからないこと言ってるし、実は私とか同じ部活の先輩女子のことちらちら見ててキモいけど……』

『え、あ、え?』

 

 事実なだけに不承不承にも納得してしまうあたしだけど、友達の方は困惑してるみたい。それに、何気なく漏れ出たちらちら見てる発言にもやもやする。あと、あんたキモいって二回言ってるよ。

 

『捻くれてるし、私のことぞんざいに扱って、口を開けば『あざとい』だし』

『そうなん……え、まだ続くの?』

 

 キモい~からの~良いところ、とはならず悪態が続く。モブ子と呼ばれたのぶ子も戸惑いを隠せないみたいだ。 

 

『いっつも迷惑そうに文句ばかり言ってるけど何だかんだ理由つけて結局はお願いとか聞いてくれるし、荷物とか何も言わなくても自然と持ってくれるし、私のことちゃんと見ててくれてヒール穿いてるの気遣って心配とかしてくれたり……』

 

『あ、ここからは良いとこなんだ』

 

『実は賢くて前に一度言った私の誕生日覚えててくれたし国語の成績すごく良いんだけど数学は全然ダメだったりとか、妹想いなとこあるけどよく聞くと妹重いってくらいシスコンだったりとか』

 

『今度はアゲてからサゲるの⁉』

 

 比企谷の暴露模様が目まぐるしい。あたしの認識とほぼ同じで、この子よく見てんじゃん、って少し感心してしまう。

 

『……じゃあ、今日一緒に映画観に行けばよかったのに。あたしに気を遣ってくれたわけ? あんたどんだけあたしのこと好きなのよ(笑)』

『え、あー、うん、別に全然そんなことないんだけど、っていうかちょうど前に奢ってもらう約束もしてたし』

 

『……その『全然そんなことない』ってのがどこに係ってるのかものすっごくに気になんだけど聞かなかったことにしとく』

『ああ、それは「別にモブ子ちゃんに気を遣ってない」ってところにだけど』

 

『……言わないでっていったでしょ! あとのぶ子だよ! サブカルクソアニメみたいなネーミングセンスやめて!』

『多分、ついて行けば出してくれたと思うけど……』

『スルーなのね……』

 

『もともとズルみたいな形でした約束だったから最初からそのつもりもなかったんだよね。それに先輩の性格考えたら、奢ったらもう厄介事がなくなったー、って喜々としそうなのがなんかめっちゃ悔しくて、それならこれをチラつかせながら絡んで困らせた方が楽しそうだなーって。さっきも明日学校でってお願いしたから今年度の学校行事の見直し手伝わせちゃう』

 

 なんだ、そういうことだったの。比企谷に甘えて見せてただけで要は構って欲しいってことだったんだ。

 外見と言動から一色を苦手なタイプだと決めつけてたけど印象ががらりと変わった。

 

『はぁ……あんたってそんなタイプだっけ? なんかキャラ変わってない? 昔ならクラスの男子に買い物で荷物持ちさせて確実にお茶して貢がせてポイしてなかったっけ』

 

『ちょっ、人聞き悪いこと言わないでよ、貢がせるとかするわけないじゃん。お金が絡むと面倒になるし、そんなんして勘違いさせてストーカー化されたらどうするのよ。荷物持たせる以外の用途で使っちゃダメだよ』

 

 貢いでもらうNGの理由があたしのような倫理的なものでなくストーカーリスク回避なのが無駄に計算高い。イメージ通りの面が見られて何故か安心する。ってか荷物は持たせるんだ。しかも用途って……ちょっとこの子が怖くなってきたよ。

 

 それにしてもまいったね、出るに出れなくなっちゃったよ。別に盗み聞ぎするつもりとかないし普通に出てもいいんだけどここまで聞いといてそれは通らないよね。

 

 結局、個室から出れなくなったあたしは比企谷の分のチケットを買うことが出来なかった。

 

× × ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

「あ、ヒッキー、やっはろー」

「…………うっす」

 

 俺はめんどくささを隠そうともせず溜め息を吐きながら由比ヶ浜に近づいた。常々思っていたがなんだよ『やっはろー』って。でも学校では通じちゃう。学校というものが青春という言葉と同じで、いかに特殊なのか再確認できる片鱗を見せつけられた気分だ。

 

「恥ずかしいからその挨拶はやめとけ」

「え、なんで? ただおはようって言うのつまんなくない? なんかー、やっはろーってテンションアゲアゲになる気がしない?」

 

 挨拶に面白さとか求めてねーよ。なんだその発想。リア充の基準は『面白い』か『そうでないか』が全てなのかよ。

 

「こんなとこで立ってるのも寒いし、行くか。川崎は先に映画館で待ってるって連絡あったから」

「え、そうなの? あたしには……ううん、なんでもない」

 

 言いかけて止めるなよ。気になるだろ。それが川崎から連絡あったって言葉に対してだから少しだけ罪悪感に襲われる。

 でも別に嘘は言ってない。川崎から『直接』連絡があったのだから。

 

 あえて意識しないようにしていたが、今日の由比ヶ浜は随分気合の乗りが違うように見えた。コートで隠されている今の状態でファッション的なことは分からずとも、この寒い中ミニスカ武装という時点で推して量るべきだ。その気合とは裏腹に今日観るのってプリキュアなんですが。

 

 しかし、この映画館に来ると陽乃さんの戯れで折本達に葉山を生贄に差し出したことを思い出す。俺も生贄みたいなもんだったんですけどね。

 ちなみに二番目に会いたくないのは折本だったりする。ここ(映画館)でそんなことあったらそりゃそうだわな。

 一番? 一番目なんて決まってるじゃないですかー。その記憶の原因となった魔王(陽乃さん)ですよ。

 

「ん、二人ともおはよ」

 

「おう」

「沙希、やっはろー」

 

 映画館に着いた俺達は川崎と合流した。

 川崎も心得たもので、俺と喫茶店で朝食を済ましたことをなかったことにする応対だった。

 

 心なしか緊張した面持ちで上映予定のポスターに目をやる由比ヶ浜。その視線の先にはゴリゴリのアニメ絵、キラキラした美少女キャラ。

 俺や川崎のように妹と一緒に見る大義名分(正確には俺にはもうないが)があるのならいざ知らず、由比ヶ浜はプリキュア初心者。いやアニメ自体に抵抗ありそう。リア充がアニメを見ることなど世間が許さない。一色にも咎められたような同調圧力が由比ヶ浜にも働いているのだろう。

 ちなみに俺のようなぼっち界隈ではその手の圧力などに屈しない。ぼっち最強。

 

 窓口の方を見るとカップルが人目も憚らずイチャついていた。

 

(なんで急に盛ってるの、ねえ? ここは公共の場ですよ。公然猥褻罪で通報されますよ。むしろされろ。やはりリア充は滅んでいい!)

 

 そんな血迷った行いから目を逸らす先にサキサキ、もとい川崎がいた。こいつはこいつで違う場所を熱心に見ている。他に観たい映画のポスターかと思ったが、視線の先にはスペシャルプライスの文字。

 子供料金は中学生までで高校生の俺達は一般料金となる。だが、学生証があれば高校生料金が存在するらしい。

 滅多に映画に行かないので迂闊にも頭から抜け落ちていた。

 それもそのはず。プリキュアに高校生割引とか最初からあると思ってなかった。

 メインターゲットの女児は子供料金、大きなお友達の19歳以上男性は大学生枠だ。まさにプリキュア界のエアポケットと呼べる年齢層な俺達。って気持ち悪いですね、はい。

 

 とにかく、プリキュアに学割使えるとか思ってなかったし学生証なんて持ってきてない。あー、半額近く違うな。二日分のマッ缶様って結構デカくね? え、大したことない? ちなみにマッ缶は一日三本は飲んでますから。あれ、飲み過ぎ? そんなに毎日エネルギー補給して何してんの? 俺って毎日地下闘技場で試合してるわけ? いやいや俺が飲んでるのはマッ缶だから! 炭酸抜きコーラとおじやとバナナなんて食ってないからね?

 自分がマッ缶信者であることを再確認していると、袖がくいくい引かれた方に顔を向ける。

 

「……ね、あんた学生証って持ってきた?」

「いや」

 

 やはり川崎も見ていたらしく俺と同じことを考えていた。

 差額で普通にサイゼ入れて一食摂れちゃうのが口惜しい。そうと知ってれば用意したものを。

 

「…………ねぇ、あれ」

「なんだ?」

 

 川崎が指差す先には別の種類のスペシャルプライス――カップル割――があった。

 

「…………は?」

「…………」

 

 まさかとは思うがマジですか。川崎さん攻めすぎでは?

 いや、既に何度も告白されてるし、進度として間違ってはいないのか?

 でも、俺まだ答えてねえぞ。

 などとキョドっていると今度は由比ヶ浜が声をかけてきた。

 

「ヒッキー、学生証持ってきてないの?」

「ああ、まさかプリキュアに学割が効くと思ってなかったからな。お前は?」

 

「え⁉ あ、あたしは、その、あたしも……ない」

「だよな……川崎はどうだ?」

 

「あ、あたし? ……うん、持ってる、よ」

 

 さすが川崎家のオカン役兼長女。常に用意周到。お出掛けの際は一家に一台川サキサキ!

 かの有名な終身名誉監督が出演するホームセキュリティのような信頼度。

 

『サキサキしてますか?』

 

 うん、語呂はいいが意味わからん。却下。

 んでもってこの流れの辿り着く行く末も却下。

 

 川崎がほのめかしていたのはカップル割の利用だろうがいくら安くなるとはいえ偽装カップル、しかもどちらにも態度を保留している相手だ。拘り過ぎかもしれないがそんないい加減は俺の心が許さなかった。

 

 唯一それを実行する理由としては、川崎が学割を適用できないケースが挙げられる。他人の家計を心配するのは余計なお世話だし、一般と学割の差額なんて生活に影響するものでもないことは分かってるが、せっかく利用できるサービスがあるのだ。浮いたお金でけーちゃんへのお土産を買ってやれると考えると、千葉に住む兄としては捨て置けない選択だ。こいつもシスコンだしな。

 

 

 肝を冷やしていると軽く背中を押された。由比ヶ浜も同様に押され俺達は横並びになる。

 

「じゃ、あたし飲み物とか買ってくるから、あんたたちはチケット買ってきたらいいよ。その、カップル割、とか」

 

「っ! ええ、ちょ、そそ、そんな⁉」

 

「おい、川崎……」

 

 え、なんで、どうして? 川崎の行動に疑問ばかりが浮かんでくる。

 てっきり俺とカップル割を適用するのかと思っていたのだが自惚れだったらしい。恥ずかしい、殺してくれ。

 どうやら由比ヶ浜と俺でカップル割を利用させようとしているみたいだが、お前はそれでいいのか? 告白に対してまともな返事をしてない俺がいう筋合いでもないんだが明らかにやってることがおかしいぞ。

 

 最後に、注文を聞いて行かなかったが川崎は何を買って来るのか。飲み物は是非マッ缶で頼む。

 

 売店に向かった川崎を尻目に、俺達の間には緊張感を伴う空気が流れていた。

 

「……あはは……じゃ、じゃあ、……いく?」

 

 俺の左肩に軽く両手を乗せて上目遣いで見てくる由比ヶ浜。お前は甘えん坊の犬か。やめてくれ、勘違いしちゃうだろ。

 いや、こいつの態度とか見てると勘違いと断ずるにはいささか説得力が足りないこともしばしばあるんだが。

 

 去年、体育祭の準備作業中に由比ヶ浜からケー番やメアドを聞き出そうとする男を上手いこと(あしら)い躱す強かさと警戒心を持ち合わせているこいつが、同じ部員だからという理由だけで自分から俺と連絡先の交換をするだろうか。

 その頃から既にそう思っていてくれたのかもしれない。でなければそこまで身持ちの堅い女が二人きりで夏祭りに行こうなどと言い出すはずがない。

 だが、たとえそうであったとしても、俺と由比ヶ浜はカップルではない。

 

 待てよ。冷静に考えるとカップル割の条件ってなんだ?

 映画館側も営利企業だ。いかに客を入れる為とはいえカップル割などといういくらでも誤魔化し様のあるあってない無いような条件での料金引き下げは好ましくない。

 よって、夫婦割のように証明書の提示が期待できないカップル割は独自の規定によって審査するだろう。

 この映画館での審査(それ)は一体なんだ?

 

(……猛烈に嫌な予感がする)

 

 『それ』とは一緒に自転車に乗って学校に登校したりすることか?

 

 『それ』とは彼女の作った夕飯を一緒に食べたりすることか?

 

 『それ』とは休日に家で一緒に過ごすことか?

 

 どうやってここで『それ』を証明すんだよ。もはや悪魔の証明では?

 

 ってか、今の全部小町とのやつだわ。

 ということは俺は小町とカップルである。証明終了(Q.E.D)

 小町ー、お客様の中に小町さんはいらっしゃいませんかー。

 機内で具合の悪い乗客を診てもらうお医者様を探すように小町の力を借りたい。だがしかし、残念なことに小町は東堂いづみ学園プリキュア科を既に卒業しているので誠に遺憾ながら、ちょっとおバカな犬っぽい美少女のお供で窓口ヶ島に赴くしかない。

 

(いやいや、あの窓口にはどんな鬼が棲んでんだよ。だとしたらサルとキジ足りなくない?)

 

 棲んでるのが普通の鬼ならまだいい。鬼と書いて(オーガ)だったらどうしよう。多分軍隊でも負ける。そんなのが番してる窓口でスペシャルプライス利用できるお客様いるのかしら。サルとキジどころじゃねえぞ。唯一のお供である由犬ヶ浜は戦闘には全く向いていないコミュ力愛嬌モンスターだし八幡不安だわ。

 

 などと、どうでもいい妄想の不安を膨らませるより現実の心配をしよう。

 何かを見落としてる気がする。それがなんなのかを必死に探り当てようと頭をフル回転させるも隣の由比ヶ浜から薫る甘やかな匂いに阻害される。

 なんで女の子ってみんないい匂いするの⁈

 

 思考力を奪われていると別の方向から声がした。その声はたったいま魔王(陽乃さん)すら王座から退け、日本でエンカウントしたくない人物第一位に輝いてしまうほどに俺の身を震え上がらせる。

 

⁇「あれ、結衣ちゃん?」

 

 さっきまで俺達を包んでいた空気が一変した。肩に乗せられた由比ヶ浜の手が強ばるのが分かる。

 声の主は川崎曰く、文化祭実行委員長と体育祭実行委員長を歴任し生徒会長をやっても不思議じゃないカタログスペックだけが立派な人物であった。

 

「げっ、ヒキタ、ニ……」

 

 げっ、てなんだよ、げっ、て。確かにカースト下だけど。そういう意味で言ったんじゃねえよ、こいつマジか。とまで思ってるのが手に取るように分かる。

 第一お前、俺と関わり合いたくなかったんじゃないのか。

 何故あえて声など掛けてきた? からの「げっ」だ。由比ヶ浜が目立ち過ぎる故、俺のステルス機能にブーストかかっちゃったのか。そりゃ認識できる奴は居ませんよね、むしろ失敬。

 

「南ちゃん、ポップコーン何味か訊くの忘れ……⁉ あれ、ヒキタニじゃん」

「なになに? あ、ホントだ」

 

 余計なオプションまで付いてきた。え、なに、お前等って『よっ友』じゃなかった? なんで休日にわざわざ一緒に映画観に行こうとかなるわけ。

 

 去年の夏祭りで相模達と遭遇したあの日の再来だ。由比ヶ浜が警戒するのも無理はない。

 だが、いまは由比ヶ浜というよりも、むしろ俺の方に視線が集まる。込められた感情は蔑み、嘲笑、そして困惑。当然、困惑しているのは相模だ。

 

 教室で絡んできた時もそうだったが、相模は俺と関わり合うことを望んでいない節がある。それでも俺に絡んでくるのはモブ子(ゆっこ)モブ美()のご機嫌伺いなところからだと推測される。その憶測は正しいようで、よっ友であるはずの二人と休日に出掛けているのが何よりの証拠だ。

 

 好感度上げの為に映画デートとか普通すぎるけど対象が普通じゃない。女子二人が相手とかどこの百合ゲーだよ。是非エンディングを見せてくれ。

 

 ふざけてる場合じゃなく、相模以上にこちらの方も出遭いたくなかった。日本でエンカウントしたくない人物がまた更新される。思ったより陽乃さん達と遭うことに吝かではなかったようだ。

 

 何故なら俺はいま『由比ヶ浜と二人』で『プリキュアの映画』を『カップル割』で観ようとしている。

 この一文の中に由比ヶ浜を破滅させるだけのパワーワードがいくつあったか。今の状況を表しただけなのに三回ほど社会的に死ねるくらいボリューミー。

 

 正直に言おう

 解決手段が、ない。

 そもそも俺に悪意を以って感情論での罵倒をしてくる輩に対し有効な対抗手段はほぼない。

 

 体育祭実行委員会議のときの相模含む首脳陣側が出した安全対策、譲歩も妥協も現場班のためにしてきてなお相互確証破壊という核のボタンを押さなければ成立しなかった。

 

 いや、それすらも切っ掛けに過ぎなかったのだ。最終的に決定打となったのは、それで奴等の感情を最大限に高め呼応して、相模の感情を引き出しぶつけたからだった。

 

 それほどまでに感情が拗れた諍いを収めることは難しい。だからといってそれに倣い俺も感情をぶつけて対立すれば解決するという単純なものでもない。それだったらどれだけ簡単なことか。

 

 いや、仮にそういう図式だったとしても俺にとってハードルが高すぎだ。人前で泣きながら怒号を浴びせるとか無理だろ。男が泣きながら怒鳴り散らすとかキモい通り越して通報待ったなしだわ。

 他に解決手段がないわけではないが、現状では困難で実現不可能であることに変わりはない。

 

 正着手としては、まず正論での論破。

 相手に反論の余地が出ない正論で捻じ伏せる。だが、体育祭の時と同様、感情に端を発した論理というものはどうしようもなく、理論で論破されても相手が聞く耳を持たない。

 

 そこで次に誰が言うか。ここが最も重要であり成否の鍵を握る。俺が理屈で捻じ伏せても向こうは降参しないだろう。なんせカースト最底辺の言うことだしな。どんな名言であろうとも誰ともつかぬ者の言葉などがどうやって他人の琴線に触れよう。

 

 だからといってトップカーストの由比ヶ浜でも結果は同じだ。この場合、立場だけでは不十分でその人物の性質も大きく影響する。由比ヶ浜は相手の空気を読み合わせる柔和なタイプで、こういった悪意に対してはすこぶる相性が悪い。下手をすると流されて言いたくもない陰口に賛同させられる可能性すらある。

 

 現実的ではないが関係性がある目上の人間、親や教師などそういった立場の大人が介入すれば容易に解消するだろう。その後どうなるかはさておき、いま欲しいのは現状どう乗り切るかであって解決が目的ではない。

 

 この場を一時的にでも無難に乗り切れば、由比ヶ浜のトップカーストという立場が活きる。二年になってすぐの頃とは違い、しっかりと関係を築けた三浦は友達想いで面倒見がいいし、後々プリキュアのことで由比ヶ浜の陰口でも言って三浦の耳に入ろうものなら、モブ子(ゆっこ)モブ美()はただでは済まないだろう。

 

 ここで最も必要なのはトップカーストに君臨しつつ感情の強さを以って相手を屠ることのできる人物。そう、三浦のような存在。

 もしくは多数のシンパを擁し、カーストという枠を超越していて、隙のない理論で圧倒的なまでに相手を捻じ伏せる雪ノ下。

 

 共通するのは対立に瀕した状態で見せる闘争心と勝負強さ。この場にどちらかがいてくれればと願わずにはいられなかった。

 由比ヶ浜はこの二人と真逆なタイプだし、それについてどちらが優れているという次元の話でもない。雪ノ下には雪ノ下の、三浦には三浦の、そして由比ヶ浜には由比ヶ浜の良いところがありそれぞれの個性なのだ。むしろ俺に手持ちのカードが少な過ぎて慚愧に堪えない。

 

「ゆ、結衣ちゃん、奇遇だねー。なに観るの? うちらはいま評判になってる「かけがえのないあなた」って恋愛モノ観るんだけど」

 

 俺をいないものとして扱い、由比ヶ浜に直接打って出る。

 いいぞ、相模。俺のことは空気と思って視えないままでいろよ。

 

「え、ええっと、その、ぷ、プ……ア、を……」

 

 おいバカよせヤメロ。なにを口走ろうとしてるんだこのローツェは。大人しく同じの観るっていっとけ。

 

「え、なに?」

「プ、プリキュア! 観るの!」

 

「へ、プリ、キュア?」

「……」

「……」

 

 俺の願い空しく豪快に地雷を踏み抜く由比ヶ浜。

 最近、由比ヶ浜のエアリーディング機能に不具合が起こってるようで修理が必要だな。どこに頼めばいいんだよ、ガハママか?

 

 三人は「えっ、うそでしょ?」って顔で由比ヶ浜を見ている。その視線は俺に移り一瞥すると心得顔でまた由比ヶ浜に戻った。

 

「……プッ」

「……プリキュアって……由比ヶ浜さんやさしすぎ。いくら頼まれたからっていっても断っていいんだよ」

 

「え、え?」

 

 よっぽど由比ヶ浜とプリキュアが結びつかなかったのか、プリキュアに誘ったのが俺の方からだと解釈したらしい。

 いや、せがまれて許可した立場だけど、まるで俺の方から頼み込んだと錯覚するくらいプリヶ浜が不釣り合いで違和感しかない。誰だよプリヶ浜って。

 

「え、……あ! ち、違うから、そういうんじゃなくて……」

 

 むしろ都合よく取り違えてくれたんだから訂正する必要ないだろ。お前は一体どこへ向かおうとしているんだ。アホの子だとは思っていたが今この時ばかりは本気で理解不能。あとに続く宣言がそれを証明する。

 

「…………あたしが、ヒッキーに連れてってってお願い、した、の……」

 

 悲壮な覚悟でつっかえつっかえ告白する由比ヶ浜。顔どころか耳まで真っ赤だ。

 恥ずかしいよな、プリキュアだもんな、プリキュアに謝れ。

 大体、そんな恥ずかしいならなんでカミングアウトしちゃうの。無理矢理ついて来ようとしたりだとか由比ヶ浜らしくない行動が目立つ。

 

 由比ヶ浜の発言に三人は目を丸くしている。俺はというと今年一、居心地が悪い。去年の修学旅行後のギクシャクした奉仕部とは違う意味でそりゃもう居心地が悪いです。

 この後、トップカーストのリア充由比ヶ浜さんと女子児童向けアニメ映画を観るのはもっと居心地が悪そうだといまさら気づいた。

 

 三人を尻目に、肩に乗せた手で俺の背中を押して窓口に到着する。

 おい、まさか。いまこの状況で言っちゃうのか? 冷静になれ由比ヶ浜。お前はいま自ら核のボタンを押そうとしているんだぞ。

 

「……ププ、プリキュアをカップル割で」

 

 言った。言ってしまった。いや、これから観る予定だったからそれはいい。それはいいんだが、何故この三人がいる前で言ってしまうのか。

 その後どうなるか想像できないほどアホなわけじゃないだろ。

 ……え? そこまでアホじゃないよね?

 

「――っ⁉」

 

「分かりました。では証明となるものの御呈示をお願いいたします」

「えっ、証明、ですか? なにを見せたら…………」

 

「当映画館ではカップル割をご利用の際、二人で写っているプリクラなどを御呈示願っております」

「ぷ、プリクラ、かぁ……持ってない、です……」

 

「それでしたら頬に軽くキスしていただくことでもご利用いただけますよ」

 

「‼」

「⁉」

 

 事も無げに爆弾を投下する従業員。当然ながら俺と由比ヶ浜は固まってしまう。さっきまで思考が働かなかったが、俺が懸念していたのはこれだったのだ。

 同時にさっきどこぞのカップルが窓口でイチャついていたのにも合点がいく。こういう理由だったのか。イチャつくのにも理由があるんだな。初めて知った。

 

 それにしてもカップルの証明とは……実際、プリクラくらいは要求されるだろうなとは思っていた。でなければ男女一組のお客がほぼ無条件で学割並みになってしまうしな。

 それがなければ割引しなければいいだけなのに書類(プリクラ)を忘れた者には頬にキス(さらしもの)という罰則を設けている。冗談じゃない。考えた奴は前に出ろ。公然猥褻幇助罪で通報するぞ。

 

 お互い顔を見合わせる。必然的に目が合いその大きな瞳が俺を写す鏡となった。顔色までは分からないが、多分赤くなっていると思う。

 こうして間近で見るとより由比ヶ浜の容姿が整っているのが分かる。うちの学校に美少女が多いのは存じていた。そこにいる相模やそのお友達も確かにレベルは高い。だが、こいつと比べるとその美貌が霞んで見える。

 俺にバイアスが掛かってるからそんな判定がされてしまうのかもしれんがニュートラルにってのはそれこそ無理でしょ。

 

 相模を筆頭に三人は文化祭からこっち俺を貶める為、あることないこと喧伝してきた張本人達なのだ。そういう人間の醜い内面はどこかしらから漏れ出てくる。少なくとも悪意を持って接してくる俺の前でいい顔など見せようはずもなく、俺にとってこいつらの顔は常に醜悪で歪んでいるように映っていた。

 

 引きかえ由比ヶ浜はといえば同じ部の仲間であり、いつも俺に笑って話しかけてくる。常に勘違いとの戦いを強いられるくらい優しい女の子。比べること自体が烏滸がましいのだ。

 

 考えながら俺の目線が唇へと移った。他意はない。何気なくという表現が当てはまる。

 だが、別のサインと勘違いした由比ヶ浜はいつもの、本当にいつも通りの調子で言葉を紡いだ。

 

「‼ な、どこ見てるし! ヒッキーきもい!」

 

「っ……!」

 

『――――ぷっ、あっははは!』

 

 由比ヶ浜はいつも部室でいってる言葉を俺に投げつける。普段から言われてるし特に気にもならない……はずなのだが。

 モブ子とモブ美はここぞとばかりに嘲笑、いや嘲笑うなどといった生易しいものではない。その声量はもはや哄笑(こうしょう)と呼べる代物だ。

 無遠慮な笑い声は周囲の客を振り向かせるのに十分で、ぼっちが最も恐れる耳目を集める事態となった。

 

「あ…………」

 

 由比ヶ浜も周囲の状況を察し、好奇の目が自分達に向けられていることに気づく。実際にはほとんど俺に向けられているのだがカップル割なんぞを頼んだ以上、この場において由比ヶ浜と俺は切り離せない。

 

 いや、切り離す手段はある。

 いつもならそれを望むのだが、いまはその考えが一切起こらなかった。

 だが、現実はいつも残酷で、思うようにいかない。

 分かっていたはずなのに、その度に期待しては裏切られ、俺の心は固く閉ざされていくのだ。

 

「あ、そ、その…………」

「…………」

 

「……ごめん」

 

 衆目に耐えられなかった由比ヶ浜はその場から逃走した。

 そう。由比ヶ浜がこの下卑た視線に晒され続けるくらいなら逃げることは立派な戦術であり合理的だし推奨さえする。俺と違い、由比ヶ浜には失う物が多すぎるしこの判断は正しい。

 あとは俺がその場から静かに立ち去ればいいだけの話。簡単なはずだった。それを困難たらしめたのが目の前の性悪同級生達である。

 

 まるで俺を謗るのが今日出掛けた目的であるかのように痛い部分をこれでもかと突いてくる。普段の雪ノ下と由比ヶ浜の発するディスリとは違う。あいつらのは親しみをもって言い合う言葉遊びだ。そこに一切の悪意はない。

 だがこいつらは、俺に対して人間の醜い負の感情を遠慮なしにぶつけてくる。傷つける為だけに言葉を駆使する。授業で、いや人生で得た知識をこんなことに浪費する度し難い人間。俺が最も忌避する俺をぼっちたらしめる存在。

 

「あんた映画代浮かすのに由比ヶ浜さん使うとか最低じゃない?」

 

 やめろ。その名を呼ぶな。

 

「せっかくお願いしてプ、っくく、プリキュア一緒に観てもらえるとこだったのにカップル割とか図々しんじゃないの?」

 

 黙れ。俺が誘ったんじゃない。あいつから頼み込んできたんだ。

 

 しかし、そんな事情など知りも知ろうともしないこいつらには何を言っても無駄なことは既に分かっている。真実を知ったところで捻じ曲げ自分たちが都合のいいように解釈しそれを触れ回るまでがテンプレ。実際、文化祭で体験済みだ。

 

 あの時は俺の目的の為にそれがむしろ役に立ったが、いまは状況が違う。由比ヶ浜を含め俺達が弄られていい理由はどこにもないが、それを止める術もいまのところ存在しない現実とどう付き合っていけばいいのか。

 

 窓口の女性職員も困り顔でこちらを見ていた。その瞳の奥底から「買うの? 買わないの?」と督促感情がダダ洩れていることまで分かる。

 

 この件に関わっているのが業務として取り扱っている窓口嬢だけだったら「はい、すいません、大人一枚で」と言い直すことも出来ようが、相対する三人はどう俺を悪罵しようか手ぐすねを引いて待ちわびたハイエナのような存在。すんなりと事が運ぶとは思えない。

 

 ちなみに獲物を横取りするイメージのあるハイエナだが、実際にはハイエナが狩った獲物をライオンが横取りする図式が正しい。ライオンの狩り成功率は20%程度と低いがハイエナは60%ほどもあるのだという。これマメな。

 

 気付けば三人だけでなく遠巻きに覗うオーディエンスの数も増えていた。彼等の目に俺はどう映っているだろう。

 脊髄に液体窒素でも流し込まれたみたいに、それが交感神経と副交感神経を伝って身体中が凍えていく。

 冷たい熱が手汗となり滲み出してきた。手のひらの発汗は気温の変化ではなく精神的な作用によって引き起こされると聞く。

 

 まさか、動揺しているのか、この俺が。

 数々の黒歴史を体現してきた俺が誰とも知らぬ聴衆にどう思われようが関係ないはずなのに。

 実際、プリキュアを観るだけならどうってことはない。だがその場に悪意を持った同級生達が立ち合い、あまつさえ偽装カップルを看破され取り残されるというこの上ない羞恥プレイが完成してしまった。

 それがオーディエンスを含めた俺達の共通認識。

 

 どうやら今の俺は自分で思っている以上にダメージを負ってしまっているらしい。

 態勢を立て直す為、俺も撤退を余儀なくされる。背中に刺さる三対の視線に心を焼かれながら何事もなかったように立ち去ろうとした。が、それを許容するほど後ろの三人は優しくない。

 

「ちょっと、何事もなかったようにとんずらする気?」

「最低だよねぇ、女の子に無理矢理カップル割させようとして恥かかせて逃げ出すんだから」

「そんなの前から分かってるじゃん。こいつ南ちゃん泣かせて文化祭メチャクチャにしかけたんだから。ほら、南ちゃんも言ってやりなよ」

 

「え……うち……」

 

 やはり捕まってしまった。

 というか、どれから突っ込んでいいか分からないくらいメチャクチャなことをいっているのはこいつらの方だ。

 

 特に文化祭をメチャクチャに、などとよくもほざけたもので相模もそうだがお前等二人もサボり組の筆頭格だった。

 相模のダメさ加減はいまさら言及するまでもないので割愛するが、それでもこいつ(相模)は実行委員長という責任の矢面に立っていた分、評価できる。

 対してモブ子(ゆっこ)モブ美()はその他大勢という隠れ蓑に守られサボり、挙句、友達(相模)が罵倒され泣かされたのだからと都合よく義憤を振りかざして気に入らない他者()を攻撃する大義名分に使う。

 

 それは相模の為ではなく、自らの行いから目を背けさせる偽装に過ぎず、現に後の体育祭実行委員会ではその相模と反目し一時はやり込めて晒しあげていた。

 

 一連の行動を見ていると、二人にとっての友達とは斯くも自分に都合良くストレスの捌け口としてなってくれる道具なのだという印象を受ける。

 

 そんな俺の心事を計り知ることなど聴衆に出来ようはずもなく、この場において俺のレッテルは文化祭でそこにいる相模を泣かせた最低野郎。極めて情勢は悪い。いや、こんなのは俺にとったらいつものことか。

 

 そう、いつものことだ。

 

 ずっと一人だった。

 

 助けなどいらない。

 

 助けてくれる奴なんていない。

 

 由比ヶ浜が去り、俺が残されたことでその負債全ての清算を俺がしなければならない。

 元々、由比ヶ浜は何の関係もないし、奴等の狙いは俺ただ一人。

 このままサンドバッグになって奴等が飽きるのを待つのが最効率。

 精神的ミンチに身を差し出す最長拘束時間は奴等が観に来た映画の上映時間まで。いやいや、俺挽肉になっちゃうの? それ精神的じゃなくて肉体的なリンチだから。

 終わりが約束されているリンチほど温いものはなく、むしろ終わる時間が待ち遠しくて楽しみまである。

 

 ……なんてな。自らを鼓舞する為、そうおどけてみたものの内心これから起こる惨劇にこの身を震わせずにいるので精一杯だ。

 

 あー……明日からまた学校でヒキタニフィーバー始まっちゃうんだろうな。そろそろ有名税徴収されちゃいそう。このろくでなし三人組のプロデュースした税率ハンパなさそう。ってか相模のやつ、ちょっと引いてるっぽいな。

 

 可及的速やかにこの場を離れ、これ以上傷口を広げないよう努める。

 そんな俺を救済する人物(ヒロイン)がいようとは欠片も頭になかったのだ。今この時までは。 

 

 

 

つづく




14巻読みました。
心が痛む……想像以上にサキサキに出番がなかった。
ピークが12巻のサンマルクカフェとは……

所詮葉山以下のサブキャラだからしょうがないところはあるが、この悲しみをSSにぶつけます。


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31話 殊の外、今日という日は出遭い煩う。後編

八幡を救ったのはあの人! ……あの人⁉

今度から一話の文字数これくらいで行きたいな……


2020.12. 5 台本形式その他修正。


《 Side Saki 》

 

 

(……ちょっと強引だったかな)

 

 喫茶店で話してからこっち、どうすれば比企谷に自信を持たせられるか、寄る辺を作れるかと悩んだあたしは由比ヶ浜を(けしか)けることにした。

 何故って? あわよくばいい答えが期待できると思い促して出た言葉が『俺なんかじゃ釣り合わない』だったから。

 あたしを全くの無関心と捉えたものでないのが救いだが、明確な拒絶には変わりない。なら自分以外を充てがい少しでもリア充気分にさせて自信をつけさせてやろうというあたしらしからぬ婉曲した行動だった。

 

「1740円になります」

 

 高いね、ホントに! 頼んだのはポップコーンセットとポップコーンペアセット。

 比企谷と由比ヶ浜の分とあたしの分だけど、こういうところって本当に高いよね。風邪で迷惑かけたことと大志の合格祝いのお返しでもあるからって理由じゃなきゃ絶対買ってないねこれ。

 財布からお札を取り出す。この後、チケットを買う時に提示する学生証は財布に入っていない。

 

(……やっぱりあたしもカップル割したかった、かな……)

 

 比企谷も由比ヶ浜も学生証を持ってないっていうし、お礼の意味合いも込めて二人にカップル割させたかった。持っていると嘘をついた方が二人も気兼ねないと思ったからだ。

 しかし、元来の節約癖もあってそんな僅かな後悔が頭にちらつく。学割やカップル割って半額くらいまでおちるからね。もちろん、後悔の理由はそれだけじゃないんだけど。

 

(いや! 目的は比企谷に自信をつけさせることだし、多少の出費くらい目を瞑る)

 

 私服姿を見るのは初めてだけど今日の由比ヶ浜は意気込みが違うみたいだった。この季節のミニスカで気合の入り様が窺い知れる。

 似合わないかもしれないけど本当はあたしももっと可愛さをアピールしたファッションで臨みたかった。だけど、由比ヶ浜と比較されるのが怖くて路線を変えてしまったのだ。結果、比企谷から掛けられた言葉が『母親みたい』には内心へこんだりもした。

 

 ポップコーンセットを受け取ろうとすると場に似合わない高笑いが聞こえてきた。発生源はチケット売り場窓口の方からで、なんとなく不穏な予感がしたあたしはポップコーンをお店に預かってもらい様子を見てくることにした。

 ちょっとした見世物になってるそこを見ると騒動の中心は比企谷達のようだった。なんだか気まずい雰囲気漂う中、由比ヶ浜は走り去ってしまう。残された比企谷の表情は隠しているが苦悶の色が漏れている。

 比企谷を責めるように言葉をぶつけている奴等は同じ学校の生徒みたいだ。一人はクラスメイトの相模で、あとの二人は名前は知らないが見覚えがある。

 そいつらが険のある言い方でつっかかり、比企谷が耐えているという状況。

 

『あんた映画代浮かすのに由比ヶ浜さん使うとか最低じゃない?』

『せっかくお願いしてプ、っくく、プリキュア一緒に観てもらえるとこだったのにカップル割とか図々しんじゃないの?』

『ちょっと、何事もなかったようにとんずらする気?』

『最低だよねぇ、女の子に無理矢理カップル割させようとして恥かかせて逃げ出すんだから』

『そんなの前から分かってるじゃん。こいつ南ちゃん泣かせて文化祭メチャクチャにしかけたんだから。ほら、南ちゃんも言ってやりなよ』

 

 すぐにでも止めに入ろうとしたけどカップル割の話が出てきて思い止まった。一瞬で状況が理解出来てしまったから。

 

 ……そうか。

 あたしの胸中に湧き上がった感情は後悔一色となる。

 ここは学校から数駅離れてるとはいえ学校関係者と遭遇の可能性がないわけじゃなかった。

 あたしと違い、交友関係が広い由比ヶ浜は女性社会のしきたりに縛られてる。個人的には下らないと感じていてもその影響力はバカにできない。

 今まさに比企谷の悪評が由比ヶ浜に付け入る隙を与え、立ちどころに足を引っ張られている。

 普段、教室であいつが誰にも話しかけられないよう寝ている(寝たふり)のは、自分と関わって迷惑をかけないようにする優しさなんだって気付いた。

 どうやらカップル割でプリキュアを観ることがバレちゃったようだけど由比ヶ浜らしくない。ああいう輩を見つけたら、その辺上手く立ち回ると思ったんだけど。

 

 とにかく、いまは現状を打破しないと。

 このままあたしが出ていってあの妄言を訂正しても確実に水掛け論になるだろうね。ここは法廷じゃないし証拠物件を用意してるわけでもない。周りにはどっちが嘘吐いてるかなんて判断できないから。

 それに、ここで加勢したら文化祭の内情を打ち明けてくれた比企谷を裏切ることにもなりかねない。あいつらの流した悪評を比企谷が反論していないのがその証拠だし、この場の趨勢は既に決している。

 ならあたしがするべきことは代理戦争じゃない。

 

(…………そうだよ、比企谷に自信をつけさせるのが目的であんなことしたんじゃないのさ)

 

 やるべきことは分かった。ただ下手にやると(いたずら)に傷口を広げるだけ。そんなのあいつも望まない。

 何か方策はないものか思索を巡らす。あいつに負担をかけずに救う方法。

 目的ははっきりしているものの思い浮かばない。

 

(……あたし、こんな頭悪かったっけ)

 

 そう嘆いてしまうくらい何も思い付かなかった。

 勉強は出来る方だと自負している。成績もいい方だ。しかし、去年の深夜アルバイトを鑑みると、問題が起こった場合の対処法を探るという面であまりに脆弱な才知しか持ち合わせていないのだと気付く。

 奉仕部で常にこういった問題の解決を手掛けていた比企谷を改めて尊敬する。どうしてそういった策謀に長けているのか。

 結局、考えるのは比企谷のことばかりで妙案は浮かばなかった。

 

(比企谷ならどうするか……って考えるのはそぐわない気がする)

 

 実際あいつの作戦傾向はいわゆる謀略だ。文化祭での比企谷の立ち回りを無駄にしないためにもあの三人を陥れるやり方は認められない。途端に手詰まり感漂う。

 尊敬した直後に落とすみたいになってしまい、ふとさっき会った後輩生徒会長の言動がだぶった。あたしと正反対な性格っぽいあの子ならこんな時どうするだろう。

 

 自分の可愛らしさを最大限利用して男に甘え、手玉にとりそうな後輩。きっと演じるのも得意なんだろう。

 ん、演じる……演じるか……

 なんとなく光明が見えてきたあたしはハンドバッグからファンデを取り出し、留めていた髪を解いて作戦に備えた。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 二人の言葉を無視し窓口から遠ざかろうとすると群集の中から一人抜け出して近づいてくる者がいた。

 さっきまでと趣を異にしているが間違いなくもう一人の連れ人、川崎である。

 服装から既に高校生離れしていたのに、いまは髪を下ろしさらに大人びた雰囲気を醸し出していた。

 

(っていうかメッチャ笑顔じゃん、むしろ怖い! あと怖い‼)

 

 騒動を見られていたのか。当然だな。こんな目立つところであの高笑いだからな。気付かない方がおかしい。

 しかし弱ったな。さっき喫茶店で文化祭のことも話したから川崎の性格上、あいつらと言い争いになる可能性がある。

 

 こちらに顔を向けながら自分の手に持つスマホを指さした。同時に俺の身体が震えた。スマホのバイブ機能である。断じていま川崎が見せた笑顔に恐怖して震えたわけではない。

 

(メール? なんだこれ? 『いまからあたしは「川越」だから』 ……意味分からん)

 

 どういう意味だ? むしろ俺が川崎の名前を思い出す時の第一声をいってるんだとしたら何故知っている? 怖いわ。あと怖い。

 

 『⁇』が俺を支配している中、川越という名の川崎が傍まで近づき想像だにしない言葉をぶつけてきた。

 

「はちまん、待っててっていったのに一人で行くなんて酷いじゃない」

 

「はぇっ⁉」

 

『⁉』

 

 おおおお、落ち着け、俺!

 ただ川崎がいい笑顔で俺に向かって名前で呼んできただけだ!

 それもいつものハスキーな声じゃなく、いままで聞いたことがない余所行きヴォイスで!

 

 うん、事件だな。特に名前呼びの破壊力が凄い。

 何その甘い言い方の「はちまん」

 お前こんな声でるのかよ。不覚にも顔が熱くなっていくのが分かる。

 

「カップル割しようっていったのに飲み物買ってるうちに行くなんて」

 

 いやいや、お前が飲み物買ってくるから由比ヶ浜と行けっていったんでしょうが。などと空気が読めないことはいわないが心に思うのだけは勘弁してくれ。ツッコまずにはいられないから。

 相模達三人も目を丸くしている。俺の目も丸くなってるだろう。腐ったままだろうが。

 

「ちょっ、だ、誰よその人……!」

 

 誰だろうな。俺の方こそ教えて欲しい。川越さんっていうんだけど身に覚えがないんだよなぁ。

 

「はちまんの御学友さん? 初めまして川越といいます。はちまんがいつもお世話になっております」ペコ

 

 礼儀正しく頭を下げる。言葉遣いなんて別人だし、よく見たら川崎のトレードマークともいえる泣きぼくろがなくなってる。下ろした髪の毛と相俟ってやっぱりこの人、川越さんなんだなと自分を欺いてみた。

 

「えっ⁉ もしかして……ヒキタニの、か、彼女さん⁉ う、嘘でしょ⁉」

 

 いや、違う。と、言いたかったが面倒なことになりそうなので口を噤んだ。

 ってかこれ、沈黙で肯定してもどの道、面倒なことになりそうな予感しかしないんだが。

 

「こ、こいつ、今日プリキュア観るらしいですけど川越さんはご存知なんですか?」

 

 口調が敬語に変わってる。さすがに初対面の人間に対して礼儀は弁えるか。ってか普通にいまの川崎、もとい川越さんは年上に見えるしな。これ老けてるとかじゃなく大人っぽいって意味な。

 

「ええ。だって誘ったのはわたくしの方からですし」

 

『えっ⁉』

 

「わたくし保育園で保母をしてまして、園児達がこの映画を観てきたって嬉しそうに話してくれるのを聞いて興味を持ったんです。ちゃんと内容を理解して返してあげないと子供ってすぐに勘付くからわたくしも観ておこうかなって」

 

 そうかー、川越さんは保母さんだったのかー、シェフじゃなくて。

 勤め先はおそらくコミュニティーセンター傍のあそこだな。きっとそうだ。

 ……なにそれ、どんな設定?

 

「こ、こいつさっきクラスメイトの女子とカップル割しようとしてたんですけど……」

 

 そう、そこの辻褄が合わない。

 今日俺は川越さんとカップル割でプリキュアを観に来たそうだが、飲み物を買っている隙をついて同級生とカップル宣言しそうになるとか肉食系過ぎでは? けしからん。

 答えに窮するかと思いきや、川崎は存外にさっきと同じトーンで話し始める。

 

「はちまんは優しいからその子に頼まれて断れなかったんでしょ。もしかしたら、その子もわたくしと同じで先に映画観た小さい兄弟か親戚がいて観にきたのかもしれないし」

 

 俺の知らない事実が次々と詳らかにされていく。口から出まかせなんだろうが図らずも状況にマッチしていた。

 由比ヶ浜の家族構成をこいつらが知っているとは思えないし、親戚まで範囲を広げられたら尚更だろう。プリキュアを観に来たと本人の口から説明しても信じないくらい由比ヶ浜とプリキュアの親和性のなさが、この荒唐無稽に近い理由に説得力を齎していた。

 

「さ、はちまん、始まっちゃうし急ご」

 

 俺の左腕にしがみつく川崎、もとい川越さん。

 なんだこれ、柔らかい! いい匂い!

 ゆっくりとした歩調で窓口へと引き摺られる目の腐った陰キャな男子と川越と呼ばれるシェフもどきカンチェンジュンガ級山脈(双丘)の保母さん。

 だが俺にはまるで窓口が絞首台に見えた。

 

 さっき起こした由比ヶ浜との惨劇をまた繰り返すつもりか。

 カップルである証明としてあの窓口で何をしなければいけないのかお前は分かっているのか。

 早いところその事実を切り出さないと取り返しがつかない。刻一刻と刑の執行(頬にキス)が迫ってくる。

 これから行われるであろう儀式の生贄に彼女を差し出すことを諒としない。

 いや、川崎云々ではなく俺の都合だ。もう一度拒絶されたらと思うと恐怖で足が竦みあがる。

 

 身体を強ばらせ踏み止まろうとするも川崎の力は存外に強く、抵抗を許さなかった。その力強さは物理的なものだけでなく彼女の意志を示しているようにも感じた。

 

「カップル割でお願いします」

「分かりました。では証明となるものの御呈示をお願いいたします」

 

 いやいや、俺ついさっき犬っぽい美少女とカップル割しようとして玉砕しましたよね。舌の根も乾かぬ内に綺麗系お姉さんとカップル割しようとしてるんだから咎めろよ。この国はいつから二股容認されるようになったの。窓口ヶ島の番どうなってんだよ、ザル過ぎだろ。

 ってか、さっきまでのやりとり見といて表情も変えずに一言一句違わぬ営業文句並べるなんて従業員の鏡だよ。あんたの感情どこいった。尊敬するわ。

 

「証明ですか?」

「はい、お二人で写っているプリクラ写真か、ここでどちらかが頬にキスしていただければ」

 

 キス、と聞いて川崎の表情が一瞬揺らいだ気がしたが総じて平静を保っているように見える。

 だが顔色だけは別だ。化粧の上からでも紅潮したのが分かった。

 

 互いの目が合い、懲りもせずつい唇を見てしまう。

 あ、これやばい。『拒絶再び!』なやつだ。何それアニメのタイトルみたい。

 

 いや、茶化してる場合じゃない。

 川崎にまで拒絶されたら俺は…………

 

「…………」

 

 川越と名乗った彼女はほんの一瞬だけ逡巡すると、その柔らかな左手を俺の頬に添えて顔の向き(・・)を変えた。

 

(え……?)

 

 あの……川崎さん? 顔、引き寄せるんじゃくて、向き(・・)変えるの?

 これだと頬が横向いてるんですけど…………ってぇ⁉

 

「ぅん、むっ……」

 

『‼』

 

 俺の顔が川崎の方を向いたまま唇が触れた。つまり?

 セカンドキッスが衆人環視の映画館、というぼっちにとって地獄のようなノンフィクションが展開されてしまう。

 拒絶されなくてホッとしてるし本心では嬉しいはずなのだが、初めてしたときと同様に戸惑いの方が強い。

 

「……お、おま……」

「…………いいですか……?」

「はい、結構ですよ。仲睦まじくて羨ましいですね」

 

 頬でいいっていってんのになんで口にするの?

 言葉でなく笑顔がそう雄弁に語っているような気がした。

 チケット渡す手がちょっと震えてるじゃねえかこのお姉さん。あんたの感情、垣間見ちゃったよ。

 

「……いこ」

 

 再び腕を抱きかかえ、引っ張られる。

 衝撃的だったのか相模達は一言も発することが出来ず俺達を見送っていた。

 いや、衝撃的なのは俺もなんですが。

 

 聴衆の反応は一過性のものだったようで、窓口を離れると皆一様に興味を失ったのか思い思いの行動に戻る。

 すげえなオーディエンス。こんなのが日常茶飯事なのかよ。

 もっとも俺だって見ず知らずがイチャコラしててもなんの興味もないか。一瞥して終わりだ。

 

 落ち着いて話せる状態になり、何から訊こうかと川崎を見ると首まで赤くして前を向いていた。

 

「……なあ川崎、なんであんな……」

 

「…………」

 

 あれ、聞こえない? おかしいですね。三十センチと離れてないんですが。

 あ、そういうことか。

 

「か、川越さん」

 

 なんだこれ、恥ずかしい。真顔でなに言ってんの。

 

「え⁉」

 

 反応してくれたが、想定と違う。なんで驚いた風に返事するの。

 

「あ、ああ、そっか。そうだよね、まだ続いてたんだそれ」

 

 いや、続けてなかったのかよ、呼んじゃっただろ川越さんて。これ最初呼んだ時はただ気付かなかっただけっぽいな。俺の乗せられてあげた感情返して。

 後ろを振り返り何かを確認してから、その長い髪をいつものシュシュでポニーテールを結う。

 

「これで普段通り呼んでいいよ」

 

 別に髪下ろしてても川崎でいいじゃねえか。お前のシュシュはクレッシェンドトーンなの? お前いまプリキュアモジュレーションしちゃったの? なんでその小芝居続ける必要があったんだよ。あれか、お前、お茶目か。

 

「いや、もう手遅れだから。すっげぇ恥ずかしいから。……それで、なんであんなことを?」

「…………」

 

 俯いて言いづらそうにするも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「…………あ……」

「あんたを助けたかった、から……っていうんじゃ、ダメ?」

 

 俯き途切れがちに、だがはっきりと紡がれた言葉。

 いや、それは分かる。言葉通りの結果だったし、俺も助かった。

 だがそうだとしても、質問の本質はそうではないことくらい川崎にも分かるはずだ

 

「……それに、こうでもしないと色々と都合が悪いでしょ?」

 

 この行動が過去の行いとこれからの俺、両方の状況を読み切った上での作戦なのは理解できた。

 文化祭で俺が成し得た奉仕部の依頼。相模達を糾弾し正当性を示すことはその依頼を徒爾(とじ)にするに等しく、かといって由比ヶ浜のように寄り添おうとすれば著しくダメージを被ってしまう。

 手を差し伸べた本人が傷付かず、奉仕部の依頼を毀損せず、この状況を打破するのに川越さんとのカップル割はまさに理想的な展開。変装というほど御大層な準備をしているわけではないが今日の川崎は十分それに値する大人びた装いだった。

 ただ、先ほどの疑問が解消されてない。あいつらを退けた鮮やかな手管ではなく、何故そうしたかについて。

 

 川崎は俺を好きだと言ってくれた。なのに何故、由比ヶ浜とのカップル割を勧めたのか。どう考えてみてもその行動に辻褄が合わない。

 愛想を尽かされてしまったからなのか。いや、ならキスまでして俺に手を差し伸べてくれたことの説明がつかない。

 直接訊けば終わる話かといえばそう単純なものでもない。訊いたところで、それが俺の望む答えであっても、俺がその答えを導き出せない以上、信じることは難しい。彼女が見せた行動の矛盾が拭えないから。

 

 やはり俺は変わることが出来なかった。

 けーちゃん相手に信じる真似事が出来ても、川崎の言葉に未だ向き合うことが出来ない。

 俺の心の弱さが露呈したのと同時に体内を巡る血液が冷たくなっていく。身体が強張り心まで冷めていく気がした。

 

「さ、由比ヶ浜さがそ。あ、ジュースとポップコーン預けたままだった。あいつらとカチ会うとまずいし、また川越になっときますかねっと」

 

 微笑みながらシュシュを外す。なに、お前、これからプリキュア観るからって変身願望強くなっちゃったの?

 

 川崎が珍しく陽気なのはこれから映画を観るからだろうな、と無意識に理由を探してしまう。行動の理由を、心理を、理論立てて読み解く。そうせずにはいられなかった。予想できないのが……怖かった。

 さっきの由比ヶ浜にしてもそうだ。あいつの性格と立ち位置からプリキュアを観ることを吹聴する必要はなかった。損得勘定を抜きにした、論理や理論を飛び越えた感情が齎した行動だったのだろう。あんな不意討ちをもう許したくない俺は、無駄と分かっていても今まで以上にそうして計算を重ねていく。

 

 ……俺の望んでいたものが一歩、遠のいた気がした。

 

 

 

つづく



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32話 密やかに、己が心を問い質す。

初めて八幡お休み回。
ほとんどいろは一人で頑張っていただきます。


2020.12. 6 台本形式その他修正。



《 Side Iroha 》

 

 

 悔しかった。

 何に対してかその時は判然としなかったけど、考えを重ねるにつれ徐々に明瞭となっていった。

 

 前売り券を買ってあったので装備を整えて(高いっ!)(ジュースとポップコーンを買って)いざ劇場へとの気勢は周囲に響く嘲笑で削がれた。

 騒ぎの中心に目を向けると女の子が走り去っていく。声の主達は一方的に罵声を浴びせ嘲笑し耳目を集めていた。まるでその相手が全ての悪であるかのように。

 

 喚き散らしてる女子三人に見覚えがあった。特に一人小さくなっているショトカのピアスは文化祭のエンディングセレモニーでの泣き姿と、前年度学校行事の資料を目にしていたので憶えていた。確か、相模先輩? だったはず。文実の委員長と体育祭委員長を歴任し、めぐり先輩とも交流があった人物。

 

 来年度の通例イベントに生徒会がどう関わって取り仕切って行けばいいのかめぐり先輩から教授されたが、文化祭と体育祭については言いづらそうに言葉を濁していた。わたしも早く終わらせて帰りたかったので、割と強引にその時の状況を訊き出したけど酷いの一言。

 なんでも、はるさん先輩の言に乗せられ実行委員長の職務を疎かにし文化祭開催すら危ぶませたとか、集計表を持ち逃げしてエンディングセレモニーを台無しにするところだったとか、誰が聞いても失態の権化であるその人が何故か悲劇のヒロインに祭り上げられたとか。そんな向かうべきところへの悪意を捻じ曲げ吸い上げたのが他ならぬ先輩だった。

 

 どうしてそんなことを、なんて疑問は不思議と湧かなかった。先輩ならきっとそうするんだろうな、くらいに思えてしまう辺り先輩を理解できてるんだなって感じたし、誇らしくもある。

 

 だからこそ、その優しさに甘え、あまつさえ先輩を蔑ろにし、結衣先輩も傷つけたのを見て義憤以上の怒りが湧いたのかもしれない。

 一部始終を見ていたわたしはどうにか先輩に助勢できないか目算を立てていた。

 

 先輩のことだけを考えれば一番手っ取り早い救済はカップル割にわたしが名乗りを上げること。

 けれど、相模先輩達と同じく恋愛映画を観に来たわたしがプリキュアに変更するのは正直厳しい。

 自分から誘ったのにのぶ子ちゃんを一人にしてしまう不義理はどう考えてもよろしくない。事情を説明して頼めばありだったかもしれないが、それを乗り越えても別の大きな問題があった。

 

 カップル割の条件。現状を打開するには先輩とカップル割を成立させる必要がある。一緒にプリクラを撮ったことがないわたしはこの前のフリーペーパー製作の取材で撮った写真で代替できるか考えるもプリクラより弱いよねって結論に達した。

 

 結局のところ、先輩に手を差し伸べるには結衣先輩が逃走したきっかけとなるキスをしなければならない。ここに様々な想いが綯い交ぜになる。

 

 

 先輩のことをそういう対象として好きなのか。

 

 ……うん、ないよね。

 

 

 確かに先輩って実は顔立ち整ってるけど目で全て台無しにしてるし、捻くれてて、でも頭はいいんだよね、姑息だけど。いざという時に頼りにもなるし。

 

 うん、ないはず……。

 

 

 わたしが生徒会長に無理矢理立候補させられた時、こちらの要望と行動基軸を慮ってあえて生徒会長になることを提案してくれたのはファインプレーだったと思う。お陰で惨めな思いをせずに済んだし、忙しくはなったけど生徒会長という絶対的な地位とコミュニティを得ることができた。それによって今までのような弄りと称した嫌がらせも劇的に減っていった。

 

 うん、なくもないかな。

 

 

 海浜とのクリスマス合同イベントの時もそうだ。わたしが会長に推された責任を、なんて大層な殺し文句で篭絡したものの人手として使えればよし(言い方!)と思っていた。でも先輩はそんな想定を遥かに上回り人員としてだけでなく、わたしを精神的にも肉体的(コンビニの袋とか持ってくれたしねって大袈裟!)にも支えてくれた。雪ノ下先輩と結衣先輩を動かしたのも先輩の熱い想いのお陰だ。

 

 うん、あの言葉でわたしの心も動かされたんだよね。

 

 

 葉山先輩に告白してこっぴどくフラれた時、どうして先輩に縋ったのか。

 『責任、とってくださいね』にどんな意味を込めたのか。

 葉山先輩に再アタックするのを手伝って欲しかったのか。

 それもあったかもしれない。けど、頭に浮かぶのはもっと直接的で今まで認められなかった想い。

 

 うん、こっちの意味だったのかもしれない……。

 

 

 バレンタインで先輩にチョコを作ったのはどうして?

 貰ったチョコの数当てっこクイズで、たとえ外れてもいいからチョコを渡したかったのはなんで?

 

 …………うん

 

 ……やっぱり…………好き、なんだろうな……。

 

 

 自問と自答を繰り返し、ようやく出てきた答えは先輩を想う感情。

 でも、認めようとすると咎めるように紅茶の香りに包まれたあの空間が浮かび上がる。そのビジョンを見た途端、及び腰になってしまったわたしは衆目の前に出られなかった。

 

 一番の解決策が実行できないと察し他に策を練るが、そこに現れたのが先ほど先輩と一緒にいた川崎先輩だった。川崎先輩は演じるように口調を変え、先輩の空いてしまったカップル枠にするりと入り込み……

 

 そして見せつけられた衝撃の行為(キス)

 

 わたしの大好きな先輩達を差し置いて眼前で繰り広げられた光景。

 

 溜飲が下がるのと同時に味わう敗北感。

 

 先輩の心が安寧を取り戻す喜びと同時に、わたしの手で彼を救えなかった自身の不甲斐なさを呪った。

 

 もっと早く自分の気持ちに気付いていたら何か変わっていたのだろうか。

 

 この場における雌雄は決した。ならここにいても仕方がない。益体もない考えを打ち消し、いまわたしに出来ることをしよう。

 救われなかった先輩に手を差し伸べるべく自然と体が動いていた。

 

× × ×

 

―化粧室―

 

 いつもは満員御礼状態の化粧室。上映時間が迫っていたせいなのか今だけは閑散としていた。

 ……奥の個室を除いて。

 

 すんすんと鼻を鳴らし咽ぶ声が扉の向こうから漏れ聞こえ、わたしのよく知る人物だと知らせてくれていた。

 なんて声をかければいいのだろう。

 一部始終見ていたわけではないけど、あの上級生が宣っていた侮蔑で大体の状況は把握できていた。

 後から参加した川崎先輩とのやりとりなど細かい経緯までは分からないが、結衣先輩が先輩とカップル割をしようとしてキスをしなければならなかったところに同級生と鉢合わせて逃げてしまったのが真相のはずだ。

 これを自分に置き換えたらと思うとゾッとする。ただでさえ女子に敵が多いわたしがそんな場面を目撃されようものなら、即座に学校での立場は失墜するだろう。事実、さっき先輩に手を差し伸べることが出来なかったのだから。

 

 でも結衣先輩は抗わなければいけなかった。

 

 奉仕部のあの空間を構成する一人であるなら……。

 

 あの日、先輩に『本物がほしい』と想いをぶつけられたあなたならば……。

 

 わたしが先輩を意識した切っ掛けは間違いなくその想いを聞いてしまったからだ。

 だが、こうも自分の気持ちに気付けなかったのも、その想いを盗み聞ぎしてしまったせいかもしれない。

 あれを向けられなかったわたしには入り込む資格がないって暗に言われたみたいで。

 そうして始めから白旗を上げた自分を認めたくないから無意識に自覚を拒んでいたのかもしれない。

 

 それを自覚した今、結衣先輩を立ち直らせることが少なからずわたしにとってマイナスになろうともそんな瑣事で結衣先輩を蔑ろにするなんてあり得ない。

 わたしにとっては、先輩を憎からず思うだけじゃなく雪乃先輩も結衣先輩も大切な人なんだから。

 

 そろそろ上映時間も近づいてるし、先輩達も探しているだろう。そっとしておいてほしいのは痛いほど分かるけど、ここは千葉ポートタワーから飛び降りるくらいの覚悟を見せる。

 

「……結衣先輩」

 

『⁉ え、い、いろはちゃん? な、なんで⁉』

 

 あー、この反応は先輩わたしのこと結衣先輩に言ってないな。

 こーんな可愛い後輩に偶然出会えた奇跡を言わないなんて、なーんか複雑な気分かも。まあ、先輩に限ってわたしが思ってるような他意はないんだろうけど。

 

「さっき窓口で偶然見かけたので……それで少し心配になって……」

 

『……見てたんだ……』

 

 黙り込む。

 まるで悪戯をした子供が親に怒られ何も言えなくなってしまったように。

 わたし結衣先輩の親じゃないんだけど、むしろ結衣先輩の母性を少し分けてもらいたいくらいだよね。

 いかんいかん、いまそんな冗談持ち込んでる場合じゃないや。

 

「大体、カップル割の条件が厳しいんですよ。普通なら男女客ってだけでおーるおっけーじゃないですかー。それをわざわざ……」

 

 頬にキスとか知らない人からすれば、こんなとこでイチャついてんじゃねえよ鬱陶しい。迷惑防止条例に抵触しちゃってんじゃないのって感じ。

 まあ、プリクラ条件は妥当と言えば妥当かもだけど。いまどき付き合ってるのにプリクラ撮ってないカップル探す方が難しいし。

 

『……ヒッキーは……どう、してた?』

 

 当然そうきますよね。でもアレはわたしですらショッキングな出来事だったし、結衣先輩の耳には入れれないなぁ。

 

「あー、先輩は無視してその場を離れて行きましたけど……結衣先輩は先輩とお二人で観に来たんですか?」

 

 そもそもそこが謎だったんだよねー。川崎先輩の妹さん絡みで先輩も行くことになったってのには一応納得なんだけど、結衣先輩まで同行する経緯が分からない。理由は分かるけど。

 

『……ううん、沙希……川崎さんっていうバレンタインの時に妹さん連れてた人いたでしょ? その人と三人で……』

 

 そこは既知なんです、とは言えないので適当に返事をしておく。

 

『沙希がさ、学生証持ってるって言うからヒッキーとあたしでカップル割してくればって勧めてくれたんだ。それでね……』

 

 なるほど、あれは川崎先輩公認でしたか。

 でもだからこそ、あんなことするなんて謎行動すぎる。え、あの人ってビッチ? なんて心中、茶化していると消え入りそうな声が個室から聞こえてきた。

 

『……あたし、またヒッキーを、傷つけちゃった……前にも、似たようなこと、あって…………』

 

 ぽつりぽつりと話し始めた結衣先輩の声音からは悲壮感が漂う。

 

『……夏祭りでも……さがみん達に遭っちゃって、それでそれで……!』

 

 なるほど、一を聞いて十を知るとはこのことだ。

 わたしは雪乃先輩みたいに聡明じゃないし、どっちかというと結衣先輩寄りの思考回路だけどそれ故に一瞬で理解できた。

 

 雪乃先輩のようなカースト外の人間にはピンと来ないかもしれないけど、女子社会では本人の意志に関わらず、一緒に居る男子をステイタスとして見られるのが一般的だ。さながら持っているバッグや身に着けている服のブランドでその人間の価値を測るように。

 結衣先輩以上にブランド戦略に頼っているわたしはこの問題の本質をすぐに自得した。

 

 先輩はその目付きが祟ってルックスが秀でているとはいえずクラスで目立つこともない、ぼっちでちょっと気持ち悪い冴えない男の子だ。付き合ってみると良いところが沢山あるけどそれを関わりのない人間に分かれというのは無理がある。

 今日カップル割で窓口にいる二人を見れば、結衣先輩がお情けで先輩に付き合ってあげているように捉えられてしまうだろう。その上、結衣先輩はつり合いの取れない男を隣に置いている趣味の悪い残念な女子、なんていうレッテルが貼られてるかもしれない。

 

(……つらいなぁ……)

 

 経緯はどうあれ、結衣先輩は先輩と一緒に映画に行けることを楽しみにしていたはずだ。なのにさっきの出来事で予期せずお互いを傷つけあってしまった。

 川崎先輩の機転で先輩の心にはある程度の安寧が齎されたが結衣先輩側は重症だ。

 和らげるには先輩が晒し者にならずに済んだことを知らせればいいのだが、そのためには川崎先輩が試みたカップル割のことも話さなければならない。得られる安堵と与えるショック、どちらに天秤が傾くのか予想がつかないわたしは口を噤むしかなかった。

 

「でもあれはしょうがないと思います。一部始終見てたわたしも、その……友達と違う映画観る予定だったから、なにもできないままで……」

 

 結衣先輩ほどではないにせよわたしの忸怩もなかなかのものだろう。文字通り何もできず指を咥えて見ているだけだったから。

 川崎先輩の行動が強烈過ぎて、今にして思えば頬にキスくらいで先輩を助けられるならいっそそちらを選択すべきだったのかもしれない。

 きっと結衣先輩はわたし以上にその選択が出来なかったことを後悔しているのだろう。

 

「だって、そのさがみん先輩? たちと遭ったのは不可抗力じゃないですか。先輩だってきっと分かってくれますよ」

 

『それでも、あたしは……逃げ出しちゃいけなかったんだよ……送り出してくれた沙希の気持ちも踏みにじっちゃったんだから……』

 

 あんなとこ見ちゃったわたしからすると結衣先輩に割引使わせる為、二人を送り出すっていう行動のちぐはぐさが疑問ですけど。

 

『……きっと罰が当たったんだよね……』

 

 なんのことに対してなのか見当もつかない独白。けど結衣先輩には思うところがあるらしい。その声音からいまどんな表情なのかが手に取るように分かった。初めて奉仕部に依頼した時の結衣先輩が想起される。遠慮がちに先輩を見つめる少し怯えた悲しげな表情。多分、それと重なることだろう。

 それでも結衣先輩にはいつもの調子に戻ってもらわないと困る。この後も先輩達と一緒に行動するんだろうし、ムードメーカーの彼女にふさぎ込まれたら今日のデート(って言っていいか分からないけど)も一日お通夜状態になるのは目に見えていた。……わたしには関係ないんだけど。

 

「罰っていうのがなんのことか分かり兼ねますが、それで結衣先輩はこれからどうしたいんですか?」

 

『どうって……』

 

「だってこれから映画観るんですよね? まさかこのままブッチする気なのかと。そんなことしたら余計先輩にご迷惑がかかるんじゃないですか?」

 

 もう少しオブラートに包んだ言葉選びをすべきだったかもしれない。これじゃ結衣先輩を責めているように聞こえる。いや、責めているんだ。

 だってしょうがないじゃん。先輩を助けられなかった負い目があるのは分かるけど、今のわたしにはそれを挽回する機会すらない。逆にそれがある結衣先輩が活かそうとしてないんだから、これくらい難詰したくもなる。

 

『…………』

 

「顔を合わせづらいのは結衣先輩の都合であって、先輩には無関係ですよね。むしろ、結衣先輩がいなくなったらきっと先輩すっごく心配しますよ。あの人なら自分のせいで傷つけたのかもって思い込むんじゃないですかね?」

 

 先輩は妹さんがいるせいかお兄ちゃん気質が強い。それを(みだ)りに振りまくものだから周囲に対して自罰的になりもする。他人の責任なんて抱え込むことないのに。責任とってくださいなんて言ったわたしの言えることじゃないけど。

 今回のことでも責任を感じるだろう。それが分からない結衣先輩じゃないはずだが気を回せないくらいにショックを受けたと考えると不思議じゃない。

 

「……責任を感じてるというなら先輩に気を揉ませないよう無理して接するくらいがいいと思うんですよね。すいません、生意気いって……」

 

『え、え、揉ませないようにって、無理しないといまヒッキーに揉まれちゃう状況なわけ⁉』

 

 とんでもない斜め下の答えが返って来た。ここで難聴系スキル発動させるってどうなの。っていうかこれ言葉の意味を理解できなかった難脳系なんじゃ……。

 どちらにしても持たざる者としてはちょっとだけイラッとした上、毒気まで抜かれてしまった。

 

「あー、じゃそれでいいんじゃないですかね、揉ませれば先輩の傷も癒えますよ、きっと」

 

 おっと、声低くなっちゃった。でも許してくださいね。そんなのひけらかされると誰でもこんな声出ちゃいますから。

 

『いろはちゃん、それテキトー過ぎない⁉ ヒッキーみたいな塩対応なんだけど⁉』

 

 おざなりに返すとそう引き合いに出された。先輩みたいといわれて何となく心がほわっとしてしまったのは内緒。

 

『…………』

 

「…………」

 

『……ありがとね、いろはちゃん』

 

「い、いえ」

 

『そうだよね、後悔してる暇があったら挽回しなきゃだよね』

 

 わたしの発破が少しは効いたのか、いつもの調子を取り戻してくれたみたいだ。

 

『でもさ、いろはちゃんも結構大胆なこと言うんだね』

 

「? なんのことですか?」

 

『だって「友達と違う映画観る予定だったから」ってことは友達と来てなかったらヒッキーとカップル割してでも助けたのかなって思って』

 

「‼ ち、違いますよ、あれは言葉の綾っていうか、いつも生徒会の仕事とか手伝ってもらってるからお返しが出来ればって意味であって!」

 

『あー、やっぱりカップル割自体はイヤじゃないんだ?』

 

「~~~~っ!」

 

 いつもの調子を取り戻し過ぎた結衣先輩に予想外の反撃を食らい動揺してしまう。なんとかはぐらかす話題は……そうだ。

 

「そういえばー、はるさん先輩が言ってたコンペのこと覚えてますか?」

 

『え、ああ、ペティーのことね、もちろん!』

 

「結衣先輩、なんでイギリスの経済学者のほう覚えちゃってるんですか、むしろそっちは忘れていい方ですから」

 

『う、うるさいなっ、覚えやすかったからしょうがないじゃん!』

 

 確かにペティーってなんか可愛い響きだよね。おっと、結衣先輩のペースに乗せられちゃうところだった。危ない危ない。

 

「この後も一緒に行動するなら誰のチョコを最初に食べたのか訊いておいて欲しいんですよね」

 

『あー、そうだね、色々ありすぎてすっかり忘れてたよ。昨日も訊きそびれちゃったし』

 

「昨日? 昨日土曜日ですけど先輩と会ったんですか?」

 

『わー、なしなし、今の無しで!』

 

 嘘がつけない結衣先輩はあっさりとゲロ(下品☆)するも不問に付すことにしよう。わたしにはそんな権利ないけど。この感じだと何かの用で川崎先輩も一緒にいて、その拍子にプリキュアを観ることになったんだろうって容易に想像できたから。

 そんなことより、既に結構な時間が経ってしまっている。川崎先輩がここに探しに来てもおかしくない。

 

「結衣先輩、そろそろ映画始まっちゃいますよ」

 

「うひゃー、まずっ! あたしまだチケット買ってないよー」

 

 元気良く個室から飛び出した結衣先輩の手にはお財布と――学生証が握られていた。

 

 さ、わたしものぶ子ちゃんと合流して映画観ないと。

 先輩と一緒に映画鑑賞できる結衣先輩が羨ましい。たとえプリキュアを観る等価交換で成り立つご褒美だとしても……

 

 ……やっぱり普通に無理です、ごめんなさいっ!

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=231026&uid=273071


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33話 ついに、趣味である人間観察は自己にも及ぶ。★

久々に挿絵いれました。
今回は会話自体少なめで、ほとんど八幡の一人語りです。


2020.12. 6 台本形式その他修正。


《 Side Hachiman 》

 

 

 ちらちらとこちらの様子を窺う左隣の由比ヶ浜が俺の方に手を伸ばす。そこにあるポップコーンバケツ二つのうちの一つからポップコーンをつまむ。対して右隣りに座る川崎はやや前のめりで映画に没頭してる。

 

 最初は俺がペアセットのポップコーンを、川崎が自分のポップコーンを抱えていた。映画が始まってしばらくすると川崎が夢中になり身を乗り出す度、ポップコーンが零れ落ちる。それを目の当りにした俺は川崎からポップコーンを預かって今の状況に落ち着いたというわけだ。

 

 え、これじゃ俺がまるでドリンクホルダーならぬポップコーンホルダーだって?

 むしろ幼稚園と小学生の学芸会で『木』と『岩』を歴任した俺にとっては人の役に立っていて喜ばしいまである。木から岩になり強度が上がったことによるジョブチェンジに好意的な見方もできるが、有機物から無機物にクラスダウンした感も否めない。人間から遠退いたと受け止められる変容だからな。

 やだ、どんどん退化してない?

 

 それと由比ヶ浜、知っているか? リンゴしか食べない 死神は 手が赤い。

 

 ――――いかんいかん、これは糖分を脳に行き渡らせる天才探偵に向けるべき言葉だった。この子は栄養が頭ではなくメロンにいってるガハマさんでしたね。しかもミスリードの方の名言じゃねえかよ。

 

 ちなみにポップコーンが何故映画の定番ジャンクフードになったか知っているか?

 よく言われているのは咀嚼音が小さいから。確かにそれもある。だが、もっと映画館にとっては合理的で切実な、悪く言えば卑しい理由からなのだ。

 

 昔は映画がつまらないとスクリーンに物投げるってのがわりとポピュラーで、フードによってはスクリーンに傷がつくってんで軽くてふわっふわなポップコーンが最適って理論に達したわけ。

 

 あとは、むしろこっちがメインでたまたま前の二つが良いように当て嵌まったんじゃないかと思えるが、ポップコーンは利益率が高い。そりゃもうバカ高い。知ってたらまず買わんであろうし、買ってから知ったら「ぼったくり! ぼったくり‼」ってエンドレスシュプレヒコール待ったなし。

 

 映画観る前、川崎から「風邪引いて迷惑かけた分のお礼も兼ねてるから」って言われてまあ有難く受け取ったんだよ。で、劇場入る前にスマホの電源切るだろ。そん時、気になってついググっちゃったわけよ。そしたらポップコーン用の豆って1キロ3~400円くらいで買えるらしくて、それを破裂させたらなんと50人前くらいになるんだと。ダースなんぞ余裕で超えてる。

 な? 笑うだろ? いや、真顔になるわな。他に調理で必要なの油と塩と火だけだぞ。

 

 こういうのは考えちゃいけないと分かってはいるけどこのペアセット、コーラ二つついてるとはいえ野口さん一人でギリギリ討伐出来ない価格だぞ。豆買って来て手作りなら英世さん一人で10ダースは堅い。差額どんだけだよ……。現実、そんなに油と塩分摂ったら将来医療費のが高くつきそうなんで実践しようとは思わんが、それにしたってぼり過ぎでしょ。映画という商品の付加価値でもあるが。

 結論、映画ってすげえ。以上。

 良い子の皆、映画館で食べるポップコーンは美味いだろ?(濁った目

 

 そうそう、咀嚼音は確かに小さいポップコーンだけど映画館で気になる人は多いらしいから気をつけろよ。幸か不幸かプリキュア観てるお客にそこまで繊細な人はおらんがな。なんせ子供ばかりで上映中も非常に賑やかだ。

 

      ×  ×  ×

 

 ぼんやりとスクリーンを眺めながら頭では別のことを考えていた。

 二人を見ているとついこんなふうに思うのだ。

 

 俺なんかが由比ヶ浜の隣にいるなど烏滸がましい。

 

 川崎とカップル割などしていいはずがない。

 

 強迫観念にも似たそれが俺の身体を、頭を、心を縛りつける。

 川崎に好きと言われてから、今日を迎える直前までその言葉に返す答えを探してきた。

 その結果が先ほどの惨事。いや椿事で証明された。

 俺とカップル割をしようとするだけで由比ヶ浜にとってマイナスとなる事実。俺という存在は隣を歩くだけで対象に悪影響を与えてしまう。そう再認するほどに由比ヶ浜から受けた拒絶は俺にダメージを、川崎の行動は混乱を与えていた。

 

 ここ数日、平塚先生を筆頭に小町や川崎から自虐を控えるよう言われてきたが、あんなことに意味はないと今ならはっきり言える。

 

 ――――俺自身が無価値(・・・)であることを自覚してしまったから。

 

 ならば自虐しようと自分の価値はこれ以上落ちることはない。つまりそれ(自虐)を止めたところで対症療法にすらならなりえないだろう。

 

 初めて奉仕部で雪ノ下と話した時は国語学年3位とか顔が悪くないとか虚勢を張っていたものの、あれは売り言葉に買い言葉みたいなものだった。実際はこれっぽっちも自分が優れているなんて思っていない。

 

 いつからこんなにも己の評価を貶めるようになったのか。

 

 折本への告白事件?

 いや、あれは人間不信のトリガーにはなったがこれとは別件だ。

 もっと昔、根本的な何かがそうさせたのだろうが溢れんばかりの黒歴史とトラウマに塗れたこの人生でそれを限定するのは難しい。

 

 おっと、映画も気づけばクライマックス間近ではないか。

 やっぱり劇場版は殺陣シーンが多いのがいい。

 テレビ通常回はBパートで長い長い変身シーンを挟んで殺陣、その後ピンチに陥ってからの決め技(フィニッシュ)という流れだが、放送時間の関係上殺陣シーンが恐ろしく短い。そのせいで少年漫画にも通ずるプリキュアなのに平塚先生が興味を持てないんだと思う。まあ、持ったとしてそれで俺とプリキュア談義になったら世にも奇妙な風情が漂うだろ。

 男子高校生とアラサー女性教員が女児向けアニメを語り合うとかどこからツッコんでいいのか分からん不思議空間の完成だ。一周回ってむしろ尊いまである。

 それよりけーちゃんに聞かせられるよう覚えておかないとまずい。

 幸いなことに目だけはずっとスクリーンに釘付けだったのでスプラリミナル効果――本人が対象(プリキュア)を認識しているが記憶にとどめていない状態――が期待できるだろう。

 

 いやそれダメじゃん。

 記憶になかったら話思い出せないじゃん。

 けーちゃんに観てきたこと話せないじゃん。

 

 隣をチラ見すると映画の最高潮にシンクロするように更に前のめりになる川崎。目を爛々とさせて夢中になる様が普段とのギャップを生み出している。

 

 その姿に……

 

 ――――小さい頃の小町を思い出した。

 

 

 

 

 ……あ

 

 これは天啓か。

 降りてきて欲しくない閃きが雫となり思考の水面に落ち波紋を広げた。

 

 幼少期の観たかった映画争い。

 俺の観たいものと小町の観たいものがぶつかり合ったあの日。

 その争いの本質は『戦隊モノ対プリキュア』ではなかった。

 

 端的に言うと比企谷八幡が『兄』となる為の通過儀礼。

 今まで親から受けていた寵愛が妹と二分され、なんだったら全てを持っていかれ妹を優先した初めての日、俺の中から自己肯定感が失われた。

 

 未だにプリキュアを愛好しているのも、俺の存在が打ち消された在りし日に対しての細やかな反抗で、

『戦隊モノが観たかったけどプリキュアも面白いじゃん』

『これもある意味ヒーロー(ヒロイン)ものだしな』

『決して自分が折れてプリキュアを観たわけじゃない』

『なんだったら俺もこっちが観たかったんだ』

 ――――と、今も自らを誤魔化しているのかもしれない。

 

(‼ いかんいかん、俺はプリキュアが好き、俺はプリキュアが好きだから今も映画を観ている)

 

 暗示のように心の中でそう念じる。

 俺の意志でプリキュアを選んだんだ。決してそんな負の感情に基づいたチョイスじゃない。

 

 そんな言い訳じみたことを考えてしまっている時点で本当は気付いていたのだろう。

 

 認めたくない俺の奥底で燻る黒い感情に。

 

      ×  ×  ×

 

「……結構、面白かったね」

 

 俺達はロビーで映画の感想会っぽいことをしている。何故ロビーかって? 川崎は最初から、由比ヶ浜は途中から映画に夢中になっていったのでポップコーンがほとんど減らず、出るにしても残りを食べてからでないと不都合だと感じたからだ。

 初見の由比ヶ浜すら夢中にするとは、やはりプリキュアは偉大だった。俺はプリキュアが好き俺はプリキュアが好き。

 

「そうだね、やっぱり映画だとオールスターなのがいいよ。あたしが前観てたキャラとかも…………はっ⁉」

 

 慌てて口を押えるも後の祭りだ。

 川崎が現役時代のプリキュア戦士の話ですね。けーちゃんの付き合いだけじゃなく小さい頃、自分も観てましたよってうっかり詳らかにしちゃったよ。誘導尋問すげえな由比ヶ浜。おっと川崎、こちらは隠せてない照れが漏れ出ちゃってますねえ。

 

「俺なんてリアルタイムで観れなかったやつは動画配信でチェック済みだから全てのキャラが頭に入ってるぞ」

 

 二人とも俺を見て何ともいえない表情になる。

 うん、川崎をフォローしたつもりだがフォローになってないかもしれん。俺の気持ち悪さを詳らかにしただけだった。川崎のと合わせて詳らかの一盃口かよ。

 

「子供の頃、戦隊モノを観ようとしたが結局小町と一緒にプリキュアを観に行くくらい好きだからな」

 

「うわ、ホントに⁉ ヒッキー好き過ぎない?」

 

「それって……」

 

 いかんいかん、さっき自覚した負の感情がつい漏れ出るような発言だ。言い回しに変化をつけたし悟られることはないだろうが危なかった。

 由比ヶ浜はいつも通り「うわー、こいつマジかよ」って顔作って否定形の反応だが川崎はどちらかというと疑問形? のような顔だ。まあ、その受け止め方が正しいかどうか分からないし、俺が勝手に思い込んでるだけかもしれない。

 そんな益体ないことより早くポップコーン食べちゃってください。この後、映画の感想会みたいな感じで喫茶店とかファミレス行くんだろ? あんま他人と映画行ったことないから詳しくないけどそういう儀式までが映画なんだろ? 俺の経験則はラノベやギャルゲなんかで得たものだけどな!

 ……さすがに言ってて悲しくなる。またすすんで自らの心を傷つけてしまった。やはり俺はMなのでは。

 

      ×  ×  ×

 

 映画館を出るとすんなり店が決まった。待ち合わせ前に川崎と喫茶店を選んだ時とは比べ物にならないスムーズさ。由比ヶ浜のこういう所は本当に頼りになる。

 

 由比ヶ浜が選んだ店はいつかの一色と入ったカフェを彷彿とさせる雰囲気だ。特に外光を取り入れる大きな窓が印象的で、外から丸見えなのでは? との懸念もあったが、植樹された木々がある程度外からの視線を遮っている。

 俺達は窓際のテーブルに案内され、それに作為的なものを感じた。確かに由比ヶ浜とか川崎を窓の近くに置いてショーウインドウ化させれば客足が増えるかもしれんが、その思惑も俺がいるせいでプラマイゼロだ。え、この二人相手でも俺の存在一人で台無しにできるの? 俺の目の腐り具合やばくね?

 

 品物が次々とテーブルに並ぶ。さっそく食べようとすると由比ヶ浜に止められる。まあ、知ってたけど。タイプ的に由比ヶ浜は一色側だし。こいつはインスタ映えより食べたいもの優先だろうけど撮るのは確定ですよね。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 改めて映画の感想会が始まるわけだが、どう見てもプリキュア初心者の由比ヶ浜が一番口数が多いことに驚く。内容はプリキュアの名前を間違えるくらいアホだったがそのアグレッシブさには脱帽だ。

 コミュ力高い奴ってエアマスターであると同時に話題振れたりとか地頭が良いやつ多そう。

 ……この娘はどうなんですかね、総武高に入れたんだし良いとは思うんだが知り合って10ヶ月ほど経つもその片鱗が全く見られない。

 

「――――でね、って、ひ、ヒッキーなんでそんなじろじろ見てるの?」

「あ? おお、由比ヶ浜ってアホだけど頭いいんだなって感心してた」

「アホってなんだし⁉ ……え、アホって頭いいの?」

 

 異次元の質問で返された。アホだけど頭いいのとアホが頭いいじゃ意味変わっちゃうだろ。どっちにしろアホは確定なんだが。

 

 それにしても上映前に合流してからというもの、こいつはまるで何事もなかったかのような反応だ。多少無理はしてるだろうが、それでもこれだけ普段通りに振舞えるあたり、こいつにとってあの出来事はそれほどダメージ足りえなかったのだろうと勘繰ってしまう。

 

 そもそもあの時の行動が俺の中で明解になったわけではない。

 二人でいるところに相模達と出遭ってしまった以上、知らぬ存ぜぬで通らないのは分かる。

 プリキュアを観ることも、あそこがチケット売り場窓口前であったことを加味すると下手に嘘など吐いてバレると後々面倒だからだということも分かる。

 だが、カップル割については擁護のしようがない。

 

 あの場面、一人800円程度の割引よりクラス内の関係性を考慮した立ち回りの方が重要だったはずだ。縦しんばカップル割がしたかったとしても、相模達をやり過ごしてからでよかったはず。なのに由比ヶ浜は自らカップル割を申告した。まるで誇示するかのように。

 そんな根回しをして行き着いたのがあの逃亡劇では俺でなくとも理解ができまい。むしろ、ああやって相模達の前で拒絶することにより俺の立場をなくす目的だったのでは……

 

 ‼

 

 いま俺はなんてことを考えた?

 

 ……どうやら自分で思っている以上にさっきの件が堪えているようだ。普段なら絶対に思い浮かばない方向へと思考が流れていく。

 これ以上深みに嵌らないよう由比ヶ浜のことは一旦置いておき別のことに注力しよう。

 そういえばあんなことがあったからか由比ヶ浜は触れてこないが、あの後どういう経緯でチケットを買ったか訊かれたらまずいことになるのでは?

 結局、由比ヶ浜のことに繋がっちゃってるじゃん、切り替え下手か俺。

 

 それより川崎。こっちの案件もなかなか手に余るというか、こっちの方が難解だ。由比ヶ浜の件は、あいつがアホで勇み足した挙句、恥ずかしくて土壇場でひよったとしたら悪意のなさは説明できるが川崎は……

 何故、俺のことを好きと言ってくれたのにカップル割を譲ったのか。川崎が学生証を持っていて俺と由比ヶ浜が持っていなかった為、効率的に考えれば確かにこの方がいい。だが、それはあまりに川崎らしくない、強いては人間味のない手法ではないか。

 人は理屈では動かない。どれほど正しいと論じようと感情で動くのが人間である。それは昨年の体育祭実行委員会でも経験済みだ。だからこそ彼女の行動原理が不明過ぎて読めないし不安な気持ちにさせられるのだ。

 

 苦悩が漏れてしまったのか怪訝な表情で俺を見る二人。気恥ずかしくなり目を逸らすと向こうも顔を赤くしてそっぽを向いた。

 由比ヶ浜は誤魔化すようにスマホ画面を指でカツカツ。画面が暗いままなので壊れたかと振ったりしてる。絶対意味がないの分かるだろ。むしろ振る操作は正常じゃないと反応しないまである。

 

「ん~~? あ、そか」

 

 どうやら映画館を出てから電源を入れ直すのを忘れていたらしい。照れ笑いを浮かべて電源を入れると同時にメールが届いた。

 

「わわ! …………あ」

 

 なんだよ、その「あ」って。ちょっと気になっちゃうだろ。俺がメール見るわけにもいかんし、気になっちゃったから出来れば中身を教えてもらいたいが、そんなことしようものなら「女子のメール知りたがるとかヒッキーキモい!」って絶対言われるだろうなぁ。いやだなぁ。よし、忘れよう。

 そう結論に達し、大量のシュガーとミルクを投入した疑似マッ缶珈琲を口に含む。ケーキが甘いんだから珈琲は苦くしないと甘さと甘さのぶつかり合いが口の中で喧嘩してるな。主義に反するが苦いままにしとけばよかったと僅かばかりの後悔が襲う。

 

「…………ヒッキー……」

 

 捨てられた子犬のようにか細い声で縋ってくる由比ヶ浜がスマホをこちらに向けてきた。

 え、なんだよ、心読まれちゃったの? 精度高すぎてヒッ検2級くらいありそう。

 

「なんだ由比ヶ浜。スマホ画面見せといて後から通報とかなしだぞ?」

「そんなんしないって。ヒッキーあたしのこと何だと思ってんの⁉ いーから、これ……」

「なんだ、雪ノ下からのメール?」

 

 

yui's mobile

 

FROM :ゆきのん          

TITEL:気を付けてちょうだい    

昨日姉さんから電話で比企谷くんのことを訊かれたの。

あの人のことだから何か企みがあるかもしれない。

十分注意してね。

 

 

店員「いらっしゃいませ。お一人ですか? どうぞこちらへ……」

 

陽乃「あっれー? 比企谷くんじゃなーい」

 

 その声を聞き、心臓を優しく掴まれたような厭悪と圧迫感に襲われた。この人は優しさですら不快に変換してしまうのか。ある種の才能だな。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………?」

 

 川崎だけは面識がほぼない為、俺達が眉根を寄せているのはさぞ不思議に感じたことだろう。少しでも付き合いがあればその意味が分かるから。いや、もうこれから分かっちゃうかな。

 コミュ力お化けの由比ヶ浜をしてこんな顔をさせる魔王(陽乃)に出遭ったパーティー(俺達)は生き残れるのだろうか?

 

 

 

つづく




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34話 魔王の眼は誤魔化せない。

久々に陽乃さん登場。
この人も嫌いじゃないけど扱いが難しい。
うまく行ってないけど取り合えず出します。


2020.12. 6 台本形式その他修正。


「ひゃっはろー♪」

 

「……うす」

「や、やっはろー……です」

「どうも……」

 

「相席いいかな?」

「いやいや、他に空いてる席たくさんあるでしょ。何故敢えて狭いスペースに潜り込もうとしてるんです? 猫ですか、あなたは」

 

「猫だったらよかったんだけどねぇ。雪乃ちゃんに構ってもらえるし~?」

「俺も猫だったらどんなによかったことか。食って寝て可愛がられて一生を全うできるって至福じゃないですか?」

 

「あれー、意外。比企谷くん飼われたいんだ? 君のことだからてっきり孤高の野良としてぼっちを貫き、ぼっちのまま気ままに生きていくと思ったよ」

 

 うっ……確かにそれこそ俺らしい。俺よりも俺のことを熟知した答えに言い知れぬ恐怖を抱く。

 

「お、俺は俺を養ってくれる人が理想なんで」

 

 あ、これ悪手だな。

 気付いても時すでに遅し。にぃっと口角が上がり、いたずらっぽく囁いてきた。

 

「あらー、それじゃお姉さんが養ってあげるけど?」

 

 ですよねー、そうくると思った。

 そういう冗談言うタイプでもあり、実現できちゃうタイプでもある。

 さて、どう返すべきか……

 

「……それじゃ俺が無事猫になれたあかつきには養っていただきますね」

「そーきたか。ん、まあ期待して待ってるから早く猫に生まれ変わってね」

 

「え、俺に死ねっていってる? 早く阿頼耶識(エイトセンシズ)に目覚めなきゃ」

「は⁇」

 

 三人を茫然自失させてしまう。

 伝説のアニメネタなんだけどなー、この場で分かる人がいるわけないのは知ってた。けどこの反応はやっぱり悲しい。

 

「比企谷くんのよく分からないネタは置いておいて」

 

 置いておかれちゃったよ。

 

「それで? 相席しちゃっていいのかな?」

「なに問題解決したみたいに進めてるんですか。1ミリも状況変わってないですよ。却下で」

 

「比企谷くん冷たーい、こーんな綺麗なお姉さんが一緒にお茶しようって言ってるのにそれを無碍にするんだ……」

「俺はもともと冷酷な人間ですからね」

 

 よよよと陽乃さんお得意の芝居がかったウソ泣きがうざかったので珈琲を口に含みながらメンドくささを隠そうともせず突き放した。

 俺の反応が意外だったのか目を丸くする。こちらとてその顔はレアであることに陽乃さんは気付いているのだろうか。

 

「……確かにある意味そうかもね、君が好きなあの缶珈琲みたい。依存性が高くて糖尿病になるまで止められない……ううん、なっても止められないかもね」

 

 俺がマッ缶だ! と咄嗟に口走る余裕すらなかった。その陽乃さん得意の他意ある一言に思い当たる節があったせいかもしれない。最近、川崎にも似たようなこと言われたっけ。けーちゃんに対して甘いって。

 

「まあ、嫌って言われても座るけどね。店員さん、ここ相席させてもらいますから、とりあえず珈琲お願いします」

 

 陽乃さんはそう言って店員を追い返した。

 

「俺の意志は……ってか連れがいるのを認識できかねますか、そうですか。二人ともどこの比企谷なんですかね」

「え、え、ひ、比企谷とか、比企谷、ゅぃ……とか、何言っちゃってんのヒッキー……そういうの言われると困る……」

 

 自らの存在感を揶揄して二人を形容したはずが、由比ヶ浜の思考回路を通すと全く別の化学反応が起こったらしい。

 あれー、めぐり先輩が体育祭のことで依頼に来た時も似たようなことあったな。あの時は雪ノ下に忌み名と言われたっけ。それって小町もなんですがあいつは気付いているのだろうか。どうも、忌み子の比企谷八幡です。

 

「本当に嫌だったら店員さんに言って辞めさせてたはずだよ。そうしなかったんだからオッケーってことでしょ」

 

「由比ヶ浜もそうですけど、これでも周りの空気には敏感なんで。それに本気で嫌がったって雪ノ下さんは思い通りにするじゃないですか。何するか分からないし最悪を見越した判断だと言ってください」

 

 座右の銘である『押してだめなら諦めろ』を体現させてくれる人だ。

 

 雪ノ下もそうだな、あの拒否権を認めない有無を言わせぬ感じ。

 

 由比ヶ浜もお伺いは立ててくるが、捨てられた仔犬のような目で見られると断れないよな。

 

 一色は分かっていてもあのあざとさで頼まれると言うこと聞いちゃうんだよ、あれって男の遺伝子レベルに刻まれた弱点かもしれん。責任もあるし。

 

 平塚先生は命令と暴力ぇ……。

 

 小町? ばっか、お前、世界一可愛い妹だぞ。答えは始めから「はい」か「イエス」か「かしこまち!」の三択しかない。あれ、最後って小町が承っちゃってるよな?

 

 って、んん? おかしいぞ。体現者が多過ぎませんかね。むしろ俺が突っぱねる相手が誰なのか訊きたいまである。あ、いたわ。材……なんでしたっけね。そんな感じの人。

 

「むー、分かったよ。ちゃんとお願いするから。二人とも悪いんだけど、ちょっとだけ相席させてね。そっちの娘には自己紹介まだだったよね。わたしは雪ノ下陽乃っていいます、雪乃ちゃんのお姉ちゃんやってまーす」

 

 川崎を見て自己紹介を始める陽乃さんだが、確かバレンタインイベントの試食会で会ってるよな? とはいえあれだけの人数がいる中、直接絡みのなかった二人だ。これが初対面といっても差支えないだろう。

 そんな当たり障りのないことを考えていると、川崎からぽそっと漏れた言葉に肝を冷やされた。

 

「陽乃? ……ああ、K2の」

 

 一瞬、俺の身体が強張る。川崎の視線が陽乃さんの(お山)へと向かう。

 

「(川崎さん何言ってくれちゃってんの⁉)」

「(あっ、ごめん……)」

 

 互いに視線で会話する。そんな俺達に向けられる胡乱な視線も二対存在していた。

 

「えと、あたしは二人と同じクラスの川崎沙希、です」

「川崎? ああ、君が川崎ちゃんね」

 

 前にも何かあったかのような口振りだが俺の気持ちは別のところにあり、その疑問などすぐ頭から消え去った。

 

「……ところで……K2、ってなにかな?」

 

 嘘だろ? たった一言で辿り着くのか。

 いや、そんなわけない。まだ川崎の言葉をオウム返ししてるだけ。あの呟きが何なのか形にすらなっていないはず。

 落ち着け比企谷八幡。決して陽乃さんの頭脳を過小評価するつもりはないが、あんなほぼノーヒント状態で解るはずがない。世界中の数ある山の名前を一つ聞いただけで答えに結び付くものか。

 

 頼んだぞ川崎。もうこれ以上、余計なことを口にするなよ。そんな願いを込めて隣に座る川崎の脚を指で突いてサインを送る。テーブルの影になってるので陽乃さんには見えないはずだ。

 

「ああ、昨日ヒッキーが陽乃さんのことをそう言ってたんですよ。あたしのことはロリエ? ロイエ? だったかな?」

 

 oh...

 今度はガハマさんがノーマークだったよ。

 

「……それってもしかして……ローツェじゃない?」

「それだー!」

 

「……へぇ」

 

 目を細めた陽乃さんの笑みに背筋が凍った。いま俺の方がロイエ(後悔)している。

 そして決定的な一言を呟く。

 

「……なるほどねぇ~、やっぱり比企谷くんも男の子なんだね」

「? 山の神様は女性だってヒッキーとゆきのんが言ってたからヒッキーに山の名前ついてないですけど、何か関係あるんですか?」

「山神様か、上手い事いうね。比企谷くんのそういう機転の利くとこ、おねえさん好きだなあ」

 

 ――――終わった。これ完全に解ってる。

 K2というほぼノーヒントでもギリギリなくらいだったのに由比ヶ浜の第二ヒント(ヒントすら陽乃さんが言い当ててる)がダメ押しとなって俺の高校生活は終焉を迎えました。

 

 悲報、俺氏終了のお知らせ。

 

 このままでは公開処刑。

 

 大丈夫じゃない、問題だ。

 

 などなど、様々な表現を用いてはいるものの共通するのは、これから俺は死ぬというただ一点に尽きる。あくまで社会的にだが。いや、陽乃さん相手だと肉体的な面で無きにしも非ず。

 ああ……小町よ、お兄ちゃん今日帰れないかもしれない。なんなら一生比企谷家の敷居を跨ぐことは出来なくなってしまった。さらば小町。あと戸塚。

 苦々しい思いで瞑目していると執行人が優し気にお願いしてくる。

 

「……比企谷くん、ちょっとと言わずしばらく相席させてもらうけど、いいよね?」

 

「……是非、おくつろぎなさって下さい……」

 

 あまりの豹変ぶりに由比ヶ浜は目を丸くしてるし、川崎はバツが悪そうにこちらを見ていた。

 

 

 注文した珈琲に口をつける陽乃さん。その音がやけに鮮明に聴こえるのは誰も一言も発していないから。

 俺達、いや俺はただプリキュアの話をしたかっただけなんだよ。それなのに、何この圧迫面接みたいな重圧(プレッシャー)。などと口が裂けても言えない俺は平静を保つ為、また一口甘い甘い疑似マッ缶珈琲を含む。

 

 ムードメーカーの由比ヶ浜も陽乃さんのことは苦手としていてさっきまでの元気と口数も影を潜めている。川崎に至ってはうっかり漏らしたK2の呪いなのか地蔵状態だ。

 『K2』ってブレイクの効果でもあったっけ。だとしたら『比企谷』という言葉はバニシュの効果がありそうだ。あれ? それって次にデス唱えられたら100%即死するじゃないですか。って、こんなネタ誰が覚えてんだよ。

 

 バカなことで頭を埋めていると、この場で最も力を持った人物が口を開いた。

 

「三人は映画でも観てきた後なのかな?」

 

 雪ノ下からのメールにあったが、今日の事を聞き出しているだろうに白々しい。揶揄われるのはいつものことだが今だけは放っておいて欲しかった。

 

「……雪ノ下に訊いて知ってるんでしょ? 態々訊くのは性格がいいとは言えませんね」

「いつになくハッキリ言うんだね。けどざーんねん。わたし雪乃ちゃんから詳しくは訊いてないよ。それに比企谷くんの口から聞きたいなーって思っただけ」

 

 「詳しくは」と言い回すあたり少しは探れたのだろう。雪ノ下に限って情報漏洩はないと信じたかったが相手はこの姉だ。あったとしてもそれを責めるのは酷というものだ。

 

「俺だけならまだしも、由比ヶ浜と川崎のプライバシーに関わるので黙秘します」

「おや、強情だ。ま、いいけどねー、一つ一つ言ってって当てていくのが面白いんだし♪」

 

 面白がる陽乃さんの態度はいつものことだが、俺はいつも以上に面白くない。

 昨日、大志と話した『山談義』は、先ほどの陽乃さんの発言から見透かされたと取るべきだろう。お山を人質に取られたのだし、ひと思いに殺して欲しいくらいだが、それすらも叶わず嬲る選択をするあたり腹に据えかねていた。

 

「でぇー? 比企谷くん何の映画観たの?」

「……映画観たって断定してるじゃないすか」

 

「じゃー、観てないんだ?」

「どっちでしょうね」

 

「ハッキリしない男は嫌われるよ?」

 

 さっきは「いつになくハッキリ言うんだね」とか言ってたじゃん。手のひらくるっくる回るな。ドリルかよ。いえ、ハルノでした。

 

「大して荷物も増えてないし、やっぱり映画だよね、うん。観たってことで進めよっか。何の映画観たの?」

「いやいやフリーダム過ぎでしょ。こっちの行動まで決定されちゃってんですけど」

 

「ん~、今日封切りされた恋愛モノかな?」

 

 無視ですか。いかにも陽乃さんクオリティーだわ。

 

「ノーコメントで」

 

「じゃ~、特撮映画?」

「ノーコメントで」ピクッ

 

「ふむ、アクションモノ?」

「ノーコメントで」

 

「…………プリキュア?」

「ノーコメントで」ピクッ

 

「……んん~?」

 

 首を傾げて俺の目を覗き込む。眉根を寄せた顔が外骨格に包まれていなかったのに動揺する。

 

「うーん……でも、それはさすがにあり得ないかぁ……なら、もしかして三人でプリキュア観てきた?」

 

『⁉』

 

 なんで分かっちゃうんだよ……まるで、いろはすポリグラフホールドだぞ。

 さすが一色の完全上位互換。この人なら俺の顔を見ただけであれと同様の効果が得られたとしても不思議じゃない。

 

 ……そうか。俺は陽乃さんのことを未だに過小評価していた。

 

 この人は幼い頃から雪ノ下の名に恥じぬ教育を施され、それを十全に取り込めるだけの才知を持ち合わせた天才だった。

 そんな人が親の仕事関係者と数多く邂逅してきたらどうなるか。

 権力者に群がる汚い大人達。それらが織り成す面従後言(めんじゅうこうげん)

 俺の知る人の醜さなど及びもつかない世界だろう。大人が持つ負の側面を嫌というほど見せられ続けた陽乃さんはその濃密な経験から『強化外骨格』という仮面を手に入れた。だが、どうして手にしたモノが仮面だけだと思ったのか。むしろ敏い彼女なら防御の仮面よりも先手を打てる眼――嘘を見抜く慧眼――を身に付けようとするだろう。

 さっき一瞬、仮面が外れたのは攻撃(慧眼)防御(仮面)が同時にできないせいかもしれない。

 おっと材木座(厨二病)思考な発言だな。自重せねば。

 

 ――雪ノ下陽乃に嘘は通用しない。

 前々からそれは感じていたが、触れなくてもポリグラフされた今、その認識レベルが甘かったと言わざるを得ない。

 

「あ、あたしの妹が昨日観てきて、それで、映画の話が出来るように、その……」

 

 川崎がしどろもどろになりながら会話を引き継ぐが、上手く伝えられない。

 

「そーなんですよ、沙希の妹さんってすごく小さいから今まさにプリキュア前世駅? っていうやつです‼」

 

「おい由比ヶ浜、やべーぞ、それ。けーちゃんの前世が駅だったみたいに聞こえるから。ちなみに、もちろん千葉駅だよな? 異論反論抗議質問口答えは認めんが」

 

「それ、京華が千葉駅なの認めろって言ってんだけど。あんた死にたいの? 顔は勘弁してやるからボディだしな」

 

「ひぃっ⁉」

 

「千葉駅ならヒッキー認めちゃうんだ……」

 

 川崎を交えて奉仕部漫才のようなやり取りが始まり、それを見た陽乃さんの表情は驚きから笑顔へ変わっていく。

 

「……く、っくく……あはは、君たち面白すぎだよ。ガハマちゃんはいつものことだけど、顔はやめてボディだしなとか、川崎ちゃんてどこのヤンキーなのかな? いまどきいないよ、そーゆーの」

 

「あたしいつもみたいに思われてる⁉」

 

「由比ヶ浜、『思われてる』じゃない。そのものなんだ。お前も認めた方が楽になるぞ」

 

「あたし千葉駅じゃないし⁉」

 

「そっちを認めろとは言ってねえよ……」

 

 話の噛み合わなさ加減が激しい。これが由比ヶ浜クオリティー、そう思った瞬間、陽乃さんとの落差につい心和んでしまう。

 

「~~あー、おもしろかった……ところで、もしかして比企谷くん特撮映画の方が観たかったりしたの?」

 

「え?」

 

 どうしてそう思うんですか? と問うつもりだったが声にならない。

 

『わたしに隠し事なんて出来ると思ってるのかなぁ?』

 

 陽乃さんの表情はそう問うているように見えた。

 この人はいつもそうだ。常に思考は俺の先を行き、俺の弱い部分を捉えて離さない。今もこうして何か見透かすような質問をぶつけてくる。

 これ以上しゃべらせると俺の中で確実に良くないことが起こる気がした。興味はあるが聞きたくない、そんな二律背反。

 

「予想出来るけどね。比企谷くん、子供の頃とか好きな映画なんて観れなかったでしょ?」

 

 ――――どくん!

 心臓が大きく跳ねた。

 

「比企谷くんは男の子だし、特撮映画のほうが観たかったんじゃないかな?」

 

「…………ちょっと……」

 

「あ、さっきヒッキー言ってました。結局プリキュアが好きで小町ちゃんと一緒に観たって」

 

「そっかー、ガハマちゃんはそれで納得しちゃうんだねー」

 

「え?」

 

 やめてくれ、そこを掘り起こすのは。

 

「一人っ子だっけ、ガハマちゃん。じゃあ、そういう空気は読めないかー」

 

「あの!」

 

 川崎が強めに話を遮った。俺と変わらぬ人見知りが、初対面の陽乃さんに対してする行動じゃない。もしかしたら気を遣われた?

 だとしても今の俺はそれを気にする余裕がなかった。

 

「ちょっとトイレに……」

 

 三対の目を振り切るようにトイレへと駆け込む。本当は催してなどいないし、女でもないのにトイレに逃げ込むとか我ながら気持ち悪い。だが、あのまま続いていたら間違いなく不快な方へと向かっただろう。

 相模グループ遭遇事件が発端となり今の俺はペシミズムに支配されつつあった。それが自分に向くならむしろ平常運転でもあり問題はない。ただ、さっきまでの思考を顧みると外罰的に働いていたことは否めない。そこへ陽乃さんの眼と話術で嬲られたら、俺の心は隠し通せなくなるかもしれなかった。

 だから逃げた。

 いつものように、のらりくらりと躱し賺すでもなく物理的に距離をとって逃亡した。

 たかだが観たい映画を譲るという行為が、触れてはいけないモノのように感じ怖くなったから。

 

 気持ちを落ち着けて皆のもとへと戻るが、かき乱したのはまたも陽乃さんだった。

 

「あ、比企谷くんおかえり♪ 川崎ちゃんのチョコ最初に食べたって本当?」

 

「⁉」

 

 俺は口から心臓が飛び出す思いだった。

 

 

 

つづく




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35話 その濁った瞳は自己を映す鏡と成す。

すっごい間あいちゃいましたがわたくしは元気です。

気付けばアニメ俺ガイル完がもう10話まで……
やっぱりサキサキの出番少なくて泣ける。1話がピークだった。
むしろ1期になかったサキサキの代名詞『川崎、愛してるぜ‼』が盛られた分、今までより救済されてるとも言える。


2020.12. 6 台本形式その他修正。


「⁉ なん、で……」

 

 声に出た。そんなつもりはこれっぽっちもなかったのに。

 言葉が零れた後、しまったという表情も滲ませ失敗の上塗りをしてしまう。

 

『わたしに隠し事なんて出来ないって言ったよね?』

 

 雪ノ下陽乃は恐ろしく綺麗な顔と反比例する酷く意地悪な笑みを浮かべ呟いた……ような気がした。俺の心が作り出した妄想に過ぎず、だが存外嵌まり過ぎる強固なまでの雪ノ下陽乃というイメージ。

 

「‼」

 

 反射的に川崎を見るがその表情は驚愕そのもので、とても情報を漏らしたようには見えなかった。そもそも戸部じゃあるまいし川崎がそんなことするはずがない。小さく首を横に振り潔白だと訴えている。

 では何が考えられる? 川崎のチョコを食べた時に同席してたのは四人。川崎と大志とけーちゃん、そしてもう一人……。

 

(…………小町か)

 

 表情に出さなかったつもりだが、それでも陽乃さんにはうすうす見破られているかもしれない。今はこれ以上、考えないことにした。

 

「……そっか、沙希のチョコ……食べたんだ」

 

「……まあな。ちょっと事情があったっつーか、成り行きだな」

 

 捨てられた仔犬の如きか細い鳴き声を連想させる由比ヶ浜の呟きに対し、咄嗟に取り繕ってしまう。

 

 ハッとなって横を見る。

 隣に居る川崎が今の言葉を聞き逃すはずもなく、その表情は憂色に染まっていた。

 

 ……なんだよ、お前ら。

 誰のチョコを食べようと俺の自由だろうに何故そんなことを気にする?

 いや、奉仕部でチョコを受け取るとき順序で優劣を気にしたのは他ならぬ俺だった。

 

 因果応報。

 身から出た錆。

 

 数多在る言葉が俺を責め立てているような感覚に陥る。

 いや、間違いがあれば自身の至らなさや要因を見つけ、決して他者を責めようとしないのが比企谷八幡という人間だったはずだ。

 

 ――――なのに。

 

 今この瞬間(とき)ばかりは胸の奥で沸き立つ感情がそれを是としない。

 困惑と、ほんの少しの哀感、そして胸を焼く怒り。それら様々な感情が綯い交ぜとなって形作られ生み出された他責の念。

 このひと(陽乃)に揶揄われるなんて珍しくもない。むしろ出会ってしまえば漏れなく振り回されてきた実績しかないまであるのに、今日に限ってこんなにも狭量なのはどうしてか。

 

 原因にはいくつかの当てがある。

 

 由比ヶ浜、お前は何故カップル割を、しかも相模達に喧伝するような真似をした? 去年の夏祭りで起きた事件を忘れたわけじゃないだろう。お前は優しい奴だと思っていたのに、あそこまでしてからの逃亡は俺にダメージを与える為の敵性行動と捉えられても文句はいえないぞ。

 

 川崎、お前はどうしてカップル割を由比ヶ浜に譲った? 俺を救ってくれたことには感謝しているが、俺に向けられた幾度かの言葉(告白)は偽りだったのか? そんな疑念を抱くほど一貫性のない支離滅裂で不可解な行動だぞ。

 

 お前達は俺の理論では解析不可能な難問をぶつけ散々心かき乱すだけでは飽き足らず、そんな態度で今もなお俺を責め立てるのか。

 そうしてささくれ立った感情を更に逆撫でする目の前の仮面を着けたこの(陽乃)に、強い憤りを覚えていた。

 

 その陽乃さんを俯き加減で盗み見ている由比ヶ浜。今度は結託か、一体何を企んでいる。一度支配された不信感は簡単に拭うことが出来ず、警戒レベルがどんどん上がっていく。陽乃さんも由比ヶ浜にそれとなしに目配せすると、徐に席を立ってこう続けた。

 

「さてっと。あんまり三人の邪魔しても悪いし、そろそろお暇しようかな」

 

 それを聞いて思わずふっと漏らしてしまう。

 あんたは俺達、特に雪ノ下にちょっかいを出すことに生き甲斐を感じているような人ではないか。そんな人の口から零れる科白としては些かどころか途方もなく不釣り合いだろう。

 

「む、なにかなー、その笑い。君ってホントに失礼だよね。罰として駅まで送ってってもらおうかな。あ、でもそれって罰というより御褒美かな。こーんな美人なお姉さんをエスコートできるんだから」

 

「は?」

 

 この方は一体何をおっしゃっているのだろう。誰もがあなたを見て憧れ羨み好きになるとでもいいたいのか。

 

 ……はい、なりますね。

 『誰もが』という部分を『大抵の人が』と置き換えれば。

 そしてその大抵の人の中に俺という例外は含まれない。

 だから、決して魅了されてなどいない俺がこの人を送る理由としてこう告げるのだ。

 

「帰ってくださるなら喜んでエスコートさせていただきますよ」

 

 皮肉を隠さない実に俺らしい言い回しで了承した。

 

「ほーんと、可愛くない」

 

 そう口にする陽乃さんの表情は楽し気で言葉との乖離も甚だしい。その表情で一体どんなことを企てているのか。駅までの道すがら何を仕掛けてくるのか。きっと俺には想像だにできないのだろう。

 そんな怖さしかない帰路に着く俺の頭には自然とドナドナが流れていた。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

《 Side Haruno 》

 

 

 ゆっくりと駅に向かって歩くわたしは様々な人達とすれ違う。犬を連れて散歩する女の子、子供の手を引く母親、恋人の手を握る男の子。わたしとその後ろを三歩ほど離れてついてくる男の子は他人にはどう見えているのだろう。

 目付きが悪い妹の同級生……比企谷八幡は嫌そうな顔を隠そうともしていない。それもそのはず。歩き始めてからずっと絡み続けているのだから。

 

 いつもならわたしのタイミングで適度に揶揄って比企谷くんが返すそれなりに節度弁えたやり取りなのに、今のわたしは傍から見たら酔っ払いが絡んでいるくらいのくどさ。酔ってるときと同様に後ろから自分を見つめる冷静な自分が雪ノ下陽乃をそう評する。

 

 …………

 

 …………

 

 ……やばい

 

 わたし、なんか浮かれてる?

 

 二人きりで会うのが雪乃ちゃんの進路の答え合わせをした時以来だからだろうか。いや、それもあるけど本懐はおそらく手にした袋のせいだろう。

 バレンタイン当日は時間が作れなくて会いに来れなかったけど、以降も総武高に二度顔を出して会えず仕舞いだった。

 確実に会うのなら以前のように直接携帯に電話すれば済む話。あえてそれをしなかったのは偶然を装った出逢いを演出したかったからかもしれない。わたしにそんな少女趣味があるとは自分でも驚きだ。

 結局、雪乃ちゃんとの電話を足掛かりにするという偶然には程遠いシチュエーションだが、それでも存外高揚しているのが自分で分かる。

 

 手にした紙袋には緑色(・・)のラッピングがされた箱が収まり、新たな持ち主へ渡されるのを今か今かと待ち望んでいる。残念ながら赤色(一号)黄色(二号)はその願いが叶わなかったが。

 

(二日連続であんなにチョコ食べたりしてお肌荒れないかしら。荒れたら比企谷くんに責任とらせてやるんだから)

 

 14日も過ぎてたし、一号二号を大学の友達に上げて面倒な誤解を生むのも避けたかったから自ら処分(味見)した。手作りで保存料が入ってないとはいえ一日で傷むものでもなく、作り直す必要があったかと言えばノーだ。

 

(ま、実際食べきってみて味とか満足感の改良点が分かったから無駄とまではいえないけど)

 

 一号を食べ二号を、二号を食べこのチョコを、と過去作の欠点を補い完成度が増したバレンタインチョコ。

 きっと比企谷くんは嫌そうな顔をしながらわたしの見えないところでこれを口にして、来月になったら何食わぬ顔でそれとなしにお返しを用意してくれるのだろう。そんな明確なビジョンが浮かび上がり忍び笑いを漏らしてしまう。

 

 その満悦も比企谷くんを連れて来た目的を思い出し現実に引き戻された。

 比企谷くんと二人きりになる後押しをしてもらう為、ガハマちゃんに目配せして実現させたその目的。

 

 コンペ景品の授与式であるディスティニーランドのペアチケットを贈呈すること。

 

 図らずも食べたチョコのことを静ちゃんから聞けたが、その情報は川崎ちゃんのを最初に食べたと断定できるほど詳細ではない。ならばと牽制代わりにカマをかけてみると比企谷くんはあっさり認めてしまった。

 彼は用心深く、小狡くて、言葉遊びも得意だから、もうちょっと抗うと思ってたのにこんな簡単に尻尾を掴めたのはなんだか拍子抜けした。

 

 そういえばコレ、どうやって渡せばいいんだろ。川崎ちゃんのチョコを食べたせいで端無くも難題として降りかかった。

 

 普段の言動から、雪乃ちゃんと行って来なさい、ならまだしも、今日初めて自己紹介した仲の川崎ちゃんと行くのを勧めるなんて不自然で何か企んでるのかと勘繰られそうだ。それでなくても比企谷くんは怯えた野良猫よろしくわたしを警戒しているのに思い通り事が運ぶなんて楽観的にもほどがある。

 

 待てよ。元々コンペのことは比企谷くんに言うつもりがなかったんだし、一層のこと何も言わずチョコと一緒に渡しちゃうのはどうだろうか。そんなちょっとした妙案(悪戯心)が頭を擡げた。

 

 比企谷くんが受け取るかどうかは置いといて、こう渡されたら誰と行くかは本人の意思に委ねられるだろう。変に律儀な彼なら受け取らないか、受け取っても十中八九小町ちゃんと行くだろうけど。万が一、いえ億が一、それ以外の選択が生まれるとしたら……。

 

 

 ……もしかしたら渡した人をお返しとして誘ってくれるかも……

 

 

 

 

 

 ……やっぱり今日のわたしは何処かおかしい。そう自覚してると後ろから声をかけられた。

 

「……小町に連絡したんすか?」

 

「へ? 小町ちゃん? ああ、小町ちゃんね、したした、したよ?」

 

 考え事と不意の問い掛けで思う様な返しが出来ず、ただ素直に答えてしまう。突然小町ちゃんのことを持ち出されても瞬時に返せたのは考え事(コンペ)の中にちょうど含まれていたからだ。

 奉仕部に立ち寄り雪乃ちゃん達と話している途中、電話したのが想起された。結局、小町ちゃんからはなんの情報も得られなかったので徒労だったが。

 

 そういえば比企谷くんはどうしてそれを知っているのだろう。小町ちゃんから聞いたんだろうか。だとしたらやっぱりシスコンなんだね。そうやって気軽に話せる関係にちょっとだけ憧れちゃうよ。

 

 そんな想いが、不用意にもつい口から漏れ出てしまう。

 

「いいなあ、仲良くて。わたしも雪乃ちゃんに相談とかされたーい」

「……普段からお姉ちゃんしてないあなたに相談なんて雪ノ下もしづらいんじゃないですかね」

 

 ……え?

 

 今なんて?

 

 横目で比企谷くんを捉えるも表情までは窺えない。

 内容自体は皮肉屋な彼が口にしてもおかしくないものだったが、いつもの調子とは程遠い攻撃性を含んだ声音にわたしの心臓は大きく跳ねた。

 しばしの沈黙。なんとか我に返ったわたしは彼に動揺を気取られぬよう(おど)けた口調でいつも通り接する。

 

「へ、へぇー、こりゃお姉さん一本取られちゃったかな。君はいつも『お兄ちゃん』してるもんね」

「そうですね、そんなお兄ちゃんに対しても不義理(情報漏洩)で応えるんですから雪ノ下さんの気持ちも分からんではないです」

 

 ん? いまのひょっとして小町ちゃんのこと?

 

 一瞬、理解が追い付かなかった。それは比企谷くんの口から発せられる言葉としてあまりにも異質であったから。縦しんば小町ちゃんを腐したとしても最後は誉め称すまでが彼のテンプレ。でも今の声音には冗談など一片たりとも含んでいない。

 

「……比企谷くんにわたしの何が分かるのかな?」

 

 凄んではみたものの、内実は己を奮い立たせる強がりに過ぎない。

 その証拠にすぐ後ろをついてくる比企谷くんがいま一体どんな表情をしているのか、知りたくもあるのに怖さが先立ち目を合わせるのを躊躇っていた。

 

 そんなわたしの気持ちを意に介さず続く声。

 わたしの知らない比企谷くんの織り成すアイロニー。

 

「……貴女こそ本当は分かってるはずでしょう」

「え……?」

 

 いつもはぽしょぽしょと囁くような細く暗い声。今日のそれは負の感情を纏う昏い声と評すべきか。得体の知れないソレがわたしの背中に覆い、憑いてくる。

 

「雪ノ下にちょっかいをかけるのは妹を想う兄心(このかみごころ)からじゃなく、もっと醜い感情からだということが、ですよ」

 

 その一言がわたしの心臓に痛いほどの鳴動を引き起こし咄嗟に振り向いてしまう。

 正対すると濁った目がわたしを捉える。

 目を逸らすことが出来ない。

 まるでその目に魅入られてしまったのかのように。

 

「……なにを言うのかな君は。わたしは雪乃ちゃんの為を思って……」

「そしてあなたの為でもある」

 

 比企谷くんの声音には強い意思みたいなものが感じられた。まるでわたしの心を見透かすように、見てきたように断定する。

 

「雪ノ下さんって地元の大学でしたよね」

 

 突然、話題をがらりと変えられた。比企谷くんの意図が読めず頭が付いていかない。

 

「でもご自身の学力からしたら不満だった。と、これは貴女の弁ですよ」

 

 去年、夏祭りに父の名代として出席したとき偶然比企谷くんとガハマちゃんに出会い、つい口にした言葉。わたしに思い当たるのは当然としても、比企谷くんが覚えていたのは意外だった。

 

うち(進学校)で学年首席の雪ノ下が憧れる貴女なら本来どこの大学にでも入れたのに、どんなことでも学べたのに」

 

「……何者にでもなれたのに、貴女の両親はそれ(自由)を与えなかった」

 

「…………‼」

 

「両親が与えたのは自由とは真逆な『後継者』という名の束縛だった。いや、それが当たり前だと思えるよう諦念を植え付けられ育ってきたんでしょう」

 

「……知った風な口を利くじゃない」

 

 言葉とは裏腹に、わたしの身体は強張り芽生えた恐怖は加速度的に増大していく。

 

「……たった数年早く生まれたがために、その束縛は雪ノ下ではなくあなたに向けられた」

 

「…………」

 

「何となくですが貴女は雪ノ下と本質は同じで群れを嫌うタイプなんだと思います。そんな貴女が、対外的に後継者をアピールする為とはいえ名代として各所の挨拶回りなど全てを任されるのは想像以上に辛かったんじゃないですか?」

 

「…………」

 

「出会う大人は二心あり、見たくもない腹の内を探り合う欺瞞の世界。いつぞやの『本物なんて、あるのかな……』って呟きはそこに浸かった経験が言わせたのかもしれませんね」

 

 冷たい汗が身体中からぶわりと溢れ出す。

 軽口を叩いて往なす余裕もなく、抗えずに耳を傾けてしまう。

 

「そうした貴女の犠牲が妹の選択肢に繋がった。だが、それ(選択肢)に見向きもせず貴女の後を追いかける妹。貴女のお古に慣れ切ってしまった妹は自己を確立できないばかりかこの身を挺して作ったチャンス(自由)を棒に振ろうとしている。そんな妹に内心苛立ちを感じていたんじゃないんですか?」

 

 わたしのもやもやが言葉として形を成していく。

 

「翻って雪ノ下はどうでしょう。海外留学のみならず、まだ高校生なのに母親の反対を押し切っての一人暮らし。そんなふうに甘やかされてきた妹がさぞ妬ましかったでしょうね」

 

 やめて……

 

「だから雪ノ下の成長を促す為にとちょっかいを掛けたのはあなたの為。その苛立ちが漏れ出た結果であり……」

 

 もうやめて…………これ以上は……

 

 

 

「……妹の苦しむ姿を見て溜飲を下げていたんじゃないんですか?」

 

 ドサッ

 

 手にした紙袋が地面に落ちる。

 こんなモノ(チョコ)も支えられないほど今のわたしには力が湧いてこない。

 

 

 

 ……気付かぬように目を逸らし、触れないように秘めてきた。

 

 けど隠し切れずに暴かれた。

 

 比企谷くんの瞳に映るわたしは酷く濁り、曝け出された醜い感情を具現した相応しい姿だ。

 

 醜い己の姿を見て居た堪れなくなったのか、彼から逃げるように駅へと走り出す。

 

 結果的に目的は果たしたものの、日付も過ぎ直接渡せてもいない。

 全くもって意に適わぬ最低のバレンタインデーとなった。

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=246330&uid=273071


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36話 追憶が拳となり、殴り合う。

アニメ『俺ガイル完』終わっちゃいましたね。

雪乃結衣派ではないのでそんなに言うこともないんですが一言。

「やっぱり第1話がいい! 沙希と小町の絡みなんて最高‼」です。


2020.12. 6 台本形式その他修正。
2020. 9.28 最後の方の一部を修正変更。
どうしても次話の展開とマッチしなかったので少しだけ変更します。すいません。


《 Side Yui 》

 

 

―喫茶店―

 

 

 うぅ……。

 ちょっと気まずい、かも。

 

 ヒッキーが陽乃さんを駅まで送ることになったから、あたしと向かい合う沙希の二人だけになっていた。

 

 さっきまでヒッキーを挟んでのプリキュア感想会は、全然まったく気まずさとかなくて、むしろいつも三人で話してる部室内の空気感ってくらい自然だった。タイプは違うけど沙希もゆきのんと同じで無口な方だからお喋りの割合的に奉仕部でのゆきのん役に収まってたんだと思う。

 でもこうして二人きりになると途端に何を話せばいいのか分からなくなる。陽乃さんが乱入してからはもうプリキュアの話題って感じじゃなくなったし。

 

 昨夜は沙希とおしゃべりする‼ って意気込んでたのにダメダメだ~。もしかしてあたしの中に沙希に対する苦手意識みたいなのがあるのかも……。

 

 今でこそ普通には話せるようになってるけど、沙希って他人と関わろうとしない優美子みたいな感じだし、それってハッキリ言うとちょっと怖い系なんだよね。修学旅行の新幹線でもとべっちなんか沙希にビビりまくってたし、実はあたしもビビってたりして……。

 昨日もあたし達のこと友達って呼ぶのに躊躇してたみたいだし、むしろ姫菜の方が親しい感じかも。

 あたしもびーえる? だっけ? それに詳しくないと沙希と仲良くなれないのかなぁ……いやいや、それは絶対違うっぽい。

 

 頭の中で色々と話題を探し会話シュミ(・・)レーションする。

 クラスメイトで同い年の女子相手にここまで苦労するなんてどんだけあたし沙希が苦手なの? ゆきのんと初めて話した時だってここまでじゃなかったよ。

 ってか、ゆきのんはあたしが話しかけると困った顔しながらもちゃんと返してくれたし、会話が成立しないってことはなかったしなぁ。

 姫菜はどうしてたっけ?(びーえるは抜きにして)

 そういえばたまに話してるの見ると姫菜もガンガン自分から行ってるんだよね。杏より桃が安し(案ずるがより産むが易し)っていうもん(桃のが高いです)。よくヒッキーにも言われるけどあたしなんてアホなんだし積極的に行かなきゃもっとダメじゃん!

 

 覚悟が決まって沙希を見ると縦肘をついて窓の外をぼんやり見てる。考え事してるのは分かるけど何かまでは分からない。

 

 当然だよね。

 他人の考えが分かったらどれだけいいか。

 それが分かるんだったらきっとヒッキーは本物が欲しいって願ってないと思う。

 

 それでも沙希のこと観察して少しでも会話の糸口がないか探ってみると、学校の時よりお化粧が濃いのに気づいた。っていうか学校ではあんま派手に化粧すると指導の対象になるからあたしも薄くしかしてきてないけど沙希はいつもノーメイクだったはず。

 今日はすっごく大人っぽい恰好に仕上げて来てるし化粧するのも自然なんだけど、トレードマークの泣きぼくろを消してるのが何となく気になった。

 

「……あのさ、沙希って今日気合入ってるよね、お化粧、とか……」

「え?」

 

 話しかけられると思ってなかったのか、不意を突かれたみたいに目を丸くしてる。沙希のこんな顔ってちょっとレアだよね。レアといえば昨日沙希んちにお邪魔したときも沢山レアな表情見れたっけ。

 それだけでも沙希とは親しくなってるじゃん、頑張れ、あたし!

 

「泣きぼくろファンデで隠しちゃったんだね。でも沙希にはすごく似合ってるから、隠さない方が良い感じかも!」

「ん、ありがと。由比ヶ浜がそういうなら次からはそうしてみるよ」

 

 沙希は優しく返してくれた。

 けど、あたしは空気や乗りを読むのが得意だから沙希の少し困ったような、苦笑いっていうのかな、そんな表情の変化を見逃さない。

 でも、触れて欲しくなさそうなことも分かるから、この話はこれでお終い。

 

 ああ、また会話なくなっちゃった。

 

 ええっと、会話会話……。

 いつもこんな考えなくてもポンポン出てきたのに今日に限ってなんでこんなになんも出てこないの⁉ アホって頭良いんじゃないのヒッキー‼

 心の中でヒッキーのせいということにしてると沙希が口を開いた。

 

「…………比企谷、遅いね」

「え⁉ う、うん、そーだね」

 

 陽乃さんを送るといって店を出てもう30分以上経ってる。話題探しに夢中になってて遅いと感じるのも忘れてた。

 

 そっか、ヒッキーだ!

 沙希の言葉でやっと気が付いた。あたしと沙希には共通の話題なんて元々なかったんだ。

 

 あたしは勉強も運動もお料理も苦手だけど沙希は全部得意。

 あたしは友達とお喋りするのが好きだけど沙希は無口でクール。

 あたしは一人っ子だけど沙希は弟妹大好き。

 

 考えれば考えるほど真逆だけどヒッキーに関してだけは共通するし、今日のお出掛けなんてまさにヒッキーがあたし達を繋いでくれたんじゃん!

 

 会話のキッカケが掴めるとあたしの頭にふっと話題(疑問)が降りてきた。

 それはついさっきの出来事。

 その時は何とも思ってなかったんだけど急に気になりだした。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

~30分前~

 

 

『あの!』

 

『ちょっとトイレに……』

 

 ヒッキーが逃げるようにトイレへ向かったら沙希が陽乃さんに詰め寄った。

 

『どういうつもり?』

 

『え? どういうつもりって何がかな?』

『いまの映画の話、あんたも妹がいるなら解ってると思うんだけど』

『? ちょっとなに言ってるか分からないんだけど、もっと具体的に言ってくれない?』

 

 陽乃さんはなんのことなのかホントに分からないって感じで訊き返していて、あたしも沙希がどうしてこんな必死に訴えているのか分からない。

 

『比企谷がプリキュアを選んだ理由のことだy……です』

 

 タメ口になっていたのに気付いた沙希は無理矢理敬語を付け加える。

 

『ああ、川崎ちゃんも妹いるんだよね? なら言わなくても分かるでしょ。それがなに?』

『……分かりますけど、いまのあいつには出来れば触れて欲しくないっていうか……』

 

 最初の勢いが嘘のようにぽしょぽしょと萎れていく言葉。逆に弱みを見つけたみたいに陽乃さんが勢いを増した。

 

『分っかんないなー。こんなの下の子がいたらあるある話でしょ。過剰に反応することじゃないと思うんだけど』

『えっと……上手く説明できないけど、今日は色々あって、その……』

 

 沙希は反論できず俯いてしまい、陽乃さんも興味を失ったのか今の沙希みたいに縦肘ついて窓の外を眺め出した。

 

 え、終わり?

 あたしには二人が話してるのが何を指してるのか分からなかった。

 下の子がいるってだけで二人が分かり合える何かがあるのが不思議でしょうがない。

 

 だからあたしは話題の一つとして純粋な疑問をぶつけてみることにした。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

「……ねえ、さっき陽乃さんに言ってたことってどういう意味だったの?」

「え」

 

「えっと、ほら、プリキュアを選んだ理由? って言ってたけど、ヒッキーが男の子だから普通は特撮映画(ヒーローモノ)が観たいはずだけどそれでも小町ちゃんと一緒にプリキュア観ちゃうくらい小町ちゃんもプリキュアも好きだったって話じゃなかったの?」

 

 だってヒッキー自慢げに言ってたじゃん。

 でもそれを聞くとさっき見せた苦笑いみたいな顔でぼつりぽつりと答えてくれた。

 

「あれはさ、そういうことじゃないんだよね……」

「じゃあ、どういうことなの?」

 

 沙希は言いづらそうにしてたけど、たっぷり溜めた末に口を開いた。

 

 

 

 

 

「…………下の子のために自分を押し殺した上の子の抵抗」

 

 

 えっ?

 自分を押し殺す? ヒッキーが?

 あたしにはその言葉の意味がよく理解できなかった。

 

 だってヒッキーは部室であたしとゆきのんが引くくらいのシスコンエピソード全開で自慢げに話してくるから、そんなに想われてる小町ちゃんが羨ましくって実はこっそり嫉妬しちゃってるくらいなのに我慢するなんてそんなわけないよ。

 あれ、でもさっき陽乃さんが言ってた好きな映画とか観れなかったってのがそうなのかな。あたしには全然実感湧かないけど上の子にはそういうの分かっちゃうの?

 

 心の中が読まれたみたいなタイミングと内容が続いた。

 

「比企谷ってさ、いっつも強がって斜に構えて決して他人に弱みを見せない奴でしょ」

 

 それにはすごく同意できる。

 その強がりは理屈をこねくり回した拗らせ理論(ヒッキー節)

 

「だから、プリキュアを全作観て好きアピールしてたのも、きっと本音を探らせない為の強がり。もしかしたら自分でも気づいてないのかもしれないけど」

 

 沙希の言葉があたしの中にストンと落ちた。

 そう言われると逆にさっきまであった疑問が疑問ですらなくなって雪解けていく。

 

 ヒッキーが本当は特撮ヒーロー映画を観たかった事実。

 

 つまり、あの言葉がそのまんまの意味なんかじゃなくて……

 自分を押し殺して小町ちゃんに合わせた事実をヒッキーの強がり拗らせ理論で表したのが『プリキュアが観たい』発言ってこと?

 

 ……そうだよね、ヒッキーが素直にそんなこと言うわけない。

 

 今までもずっとそうだったじゃん。

 

 弱みとか全部自分の中に溜め込んで自虐で受け流して。

 

 だから、ヒッキーが言うことはいつも言葉通り受け止めちゃいけないって10ヶ月以上一緒にいたのにまだ分からないの?

 

 あたしのバカ!

 

「でもどうしてそんなこと分かるの? もしかしたらホントにヒッキーの言った通りなのかもしれないじゃん」

 

 本当はもうそんな風に思ってないのにあえて逆のもしもを尋ねてみた。そうすればあたしには理解できない陽乃さんの言っていた上の子理論を聞きだせるかもしれなかったから。

 沙希はちょっと辟易(たじ)ろぎながら、でも教えてくれた。

 

「小町と一緒にプリキュアを観に行ったって話した後、ほんの一瞬表情が歪んだ気がしたから。多分、あれって昔を思い出してその頃の感情が漏れ出たんだよ」

 

 さらに聞き取れないくらい小さい声で「……あたしにも経験あるから」と続ける。

 

「……って、あたしが思ってるだけだけどさ」

 

 ぷいっと顔を背けまた窓の外を眺めだした。未だ戻らぬヒッキーを探すように。

 

 

 

 

 

 ……すごいなぁ。

 

 何気なく流しちゃったけどヒッキーの表情の変化に気付くってすごいことだよね。

 

 あたしなんか表情どころかさっきまで10ヶ月一緒にいても言葉に隠された事実に気付けなかったのに。

 

 

 今のあたしはどうかしてたんだと思う。

 何も考えず自然体で、まるでママに夕飯のおかずでも訊くみたいに話題を振った。

 

「沙希ってさ、好きな人とかいるの?」

「は?」

 

 肘をついたまま顔だけこっちに向けて固まる。ついでにあたしも固まった。

 

 

 …………

 …………

 …………

 

 あれ?

 いまあたしなんて言った?

 なんか変なことゆってない⁉

 

 気の迷いか、はたまた日頃から恋バナできない環境のせいであたしの恋愛脳の栄養不足(飢え)が言わせたのか。

 だって基本的によくお喋りする周りの女子って、優美子とか姫菜とかゆきのんとかいろはちゃんだよ。

 この四人と恋バナとかちょぉっと無理くない?

 優美子はもう隼人君一択だし、姫菜も誰とも付き合う気がないってハッキリしてて、あと腐女子っていうの? よく分かんないけど。

 残った二人はもっと問題で、いろはちゃんはいまいち分かりづらいけど、ゆきのんには安易にこの話題を出してはいけないというか……と、とにかくこの二人と恋バナなんてしたら藪からスティック(藪から棒)(「藪をつついて蛇を出す」と言ったつもり)っていうか、もう触れちゃいけないもんなんだってあたしの中で線引きされてるから恋バナなんてここ一年くらいはしたことないんだよ! 口が勝手に恋バナ(栄養)欲しがっちゃうのも無理ないじゃん!

 

 

 ……でもいい機会かも。

 だって同じクラスだから分かるけど沙希は誰とも仲良くしようとしない。それどころか、自分から話しかけることもないもん。

 今日は沙希と仲良くなるって決めて挑んだ一日なんだし、ちょっと踏み込むくらいじゃなきゃ成果なんてでないよ。勢いってやっぱ大事だよね。

 

 文化祭以降、姫菜がよく話しかけてるのを見るけど、傍目からは沙希が迷惑そうにしつつ折れてる、みたいで仲良しってのともちょっと違うんだよね。

 そんな沙希がバレンタインチョコ渡すくらいだからもしかして……って可能性は低くないんじゃないかと思う。これは昨日、沙希んちにお邪魔したときにも感じてたことだ。

 

 人と目が合って固まる猫のようだった沙希の表情に感情が戻り、教室で見る鋭い眼差しを向ける。でも恥じらいみたいなのも浮き出てた。

 

「……言うわけないでしょ」

「えー、いーじゃん、教えてよー⁉ ねっ⁉ ねっ⁉」

「あ、あんたねぇ……!」

 

 ちょっと照れながら凄んでも迫力がなくて逆に可愛く見える。

 こーゆーの訊かれるのは嫌がるだろうなとは思ってたし、なんだったら前にドレス着てバイト先に凸した時みたく冷たい態度くらいは覚悟してたんだけど、そんな型通りの反応じゃないのが意外だった。

 

 あ、でもこれって訊けたら訊けたでまた厄介なことになるかもなんだよね。

 もしかしたら同じ人が好きかもしれないのに、なんでこんな嬉しそうに訊いてるんだろ、あたしのバカ!

 

「…………」

 

 あたしをジッと見ながら段々と表情が険しくなっていく。完全に断らないってことは言うかどうか悩んでるのかな。

 その予想は当たってたみたいでゆっくりと口を開いた。

 

「……こういう話ってあんまりしたことないんだけど、ヒトに訊くからにはまず先に自分から話すもんじゃないの?」

 

 

「え」

「え」

「えええ⁉」

 

 

「はっ? タダでそんなの教えると思ってんの?」

 

 ん? え、ちょっと待って、話すって、あたしの好きな人を教えるってこと?

 やー、それはちょっと、ってそれやばくない? やばいよね⁉ むしろなんでこのケースを想定してなかったのあたし⁉ 

 

 うう……どうしよう……

 あたしは一対一の女子トークですら口に出来ないのに、奉仕部に依頼で来て好きな人を皆に告白したとべっちって凄くない?

 

「あはは……えと、その……」

 

 こんなこと……ゆきのんにも、ちゃんと話したことないのに……

 いままで気付かないふりをして、誤魔化して……

 もし話したら、口にしてしまったらきっと取り返しがつかなくなる。

 認める勇気が、あたしにはまだないから。

 

 悩み抜いた挙句、あたし自身予想外の言葉を口にしていた。

 

「……あのね、あたしんちって犬を飼ってるんだ。小型のミニチュアダックス、サブレっていうんだけどこれがちょー可愛くって」

「え」

 

 沙希をぽかんとさせちゃった。ついでにあたしもぽかんだよ。なに口走っちゃってるのあたし⁉

 

「毎日お散歩させてるのあたしなんだけど、全然言うこと聞かなくて誰に似たんだろーって思っちゃう時があるんだよね」

「……一体なんの話?」

 

 うん、そーだね。あたしもこの先どんなふうに着地するのかわっかんないからね?

 

「そんでねそんでね、うちの高校の入学式の朝にもサブレのお散歩に出掛けたんだけど、そしたらね」

「……サブレのリードが外れて道路に飛び出しちゃったの」

「え」

 

 自分で口にしながら苦い感情が思い起こされる。手からリードの張り(テンション)がするりと消えた不安感と心臓が跳ねた痛みは今でも忘れない。

 

「そこに車が来てサブレが轢かれそうになっちゃって……」

「…………」

 

 沙希は最初訳が分からないって表情だったけど、いまは神妙な面持ちで聞いてくれている。

 きっとこの後に続く言葉を想像してそんな顔になってるのかもだけど心配しないで。そうじゃないから。

 

「……その時、見ず知らずの男の子が庇って……サブレを助けてくれたんだ」

「……!」

 

 沙希の表情が変わった。やっぱりびっくりするよね。普通そんな人いないもん。見ず知らずの犬を庇って怪我するとかマンガの中だけの話だと思ってた。

 

「でもその人はあたしのことなんか知らなくて……」

 

「なのに自分が轢かれてまで見知らぬ犬を救ってくれたの」

 

 『そんでその人のこと気になりだして……好きになっていったの』って心の中で付け加えておいた。

 それに名前を言えないのもごめんだけど、これを知ってるのは当事者と小町ちゃんだけ。人に話したのは沙希が初めてだからそれに免じて許してほしい。これも口には出来ないけど。

 

 あたしの想いが通じたのか沙希は難しい顔で何を言おうか考えてるみたい。だと思ったらまた頬杖して窓の外を眺めながら口を開いた。

 

「あたしはさ……言われたんだ」

 

 たっぷり溜めて、衝撃の一言。

 

 

 

「……愛してるぜ! って」

 

「はえ⁉」

 

 なにそれ⁉ なにそれ‼

 

 

 ……これって、アレだよね?

 恋バナにおける倒句交換(等価交換)っていうの? ってなんか違う気がする‼(ある意味合ってます)

 

 あたしがサブレを助けてもらったエピソードで沙希の右頬をひっぱたいたら、グー(愛してるぜ)で左の頬ぶん殴り返された、みたいな。

 そりゃ、あたしにとって、あたし達にとって三人が出逢う大切なキッカケは何物にも代え難い素敵な思い出だけど、今の流れだとちょっと、ちょーっとだけ不向きな内容なんだよね。

 あたしの為に犬を助けたってわけじゃなくってそれは本人の口からも言われてるし、運命的なって意味ではすっごくすぅっごく魅力的な出来事だけど、あたしに気持ちが向けられてない時点で『恋バナ』って枠組みから少しずれてる気がする。

 それに引きかえ沙希の告白はちょっとどころか尋常じゃないくらいパンチ力あり過ぎ。だって羨ましいって思っちゃったもん。

 

「あ、あたしだって、二人っきりで夏祭り、行ったこと、あるんだから!」

 

 反射的に沙希の右頬を夏祭りで再びひっぱたきにかかるけど、多分実際に叩いたとしたら『ペチッ』としか音がしてないと思う。そんくらい歯切れ悪くて自信なさげな告白。

 でもなんでこんなつっかえつっかえになっちゃうんだろう。

 

 ……そっか、何となく後ろめたいからだ。

 

 

 最初は楽しかった。

 でも偶然さがみん達と遭っちゃって陽乃さんに事故のこと触れられて一年以上もずっとお礼を言えなかったのが呼び起こされた。

 ゆきのんのおうちのこととかを陽乃さんから聞かされたり、ゆきのんに内緒で夏祭りに行ったのが影響してあたしの中では嬉しさより憂鬱のが大きくなってたみたい。

 

 ……っていうか

 

 『愛してるぜ!』

 

 なんて言うかな?

 全然イメージじゃないんだけど。

 

 あたしの右頬ビンタ(夏祭り)なんて興味なさげに窓の外を眺めたままの沙希。でも女子の社交場らしく礼儀っていうのかな? お返しに二度目のグーパン(爆弾発言)をあたしの左頬に撃ち込んできた。

 

「もう告白もしてる」

 

 え?

 え?

 ええ⁈

 

 告白って、え、え⁈ 

 告白なんていつしたの⁉

 え? あれ? でも告白までしたんならさっきのはどうして?

 

 あたしの中が『なんで?』で埋め尽くされた。

 だって映画館であたしにカップル割勧めてきたじゃん。それってどう考えてもおかしくない⁉

 もうオーケーもらってて正妻の貫禄見せつけるってやつなの⁈ ってそんなわけないか。

 

 もしかしたら沙希は嘘を吐いてるのかもしれない。

 あたしは大切な思い出を正直に話したのに。

 でも本当だったら本当だったで、こうして疑っちゃう自分がすごく嫌で嫌で許せない。

 

 あたしにとって信じられないことや分からないことの連続で混乱してると、聞き捨てならない一言が心に突き刺さった。

 

 

 

つづく




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37話 パンドラの箱は、八幡の手により紐解かれる。

ちょっと難産で、土曜日に更新するつもりでしたが遅れてしまいました。

まだシリアス調が続いてます。
多少のネタは入れてみましたが展開が展開だけにハメを外し切れないのがつらい。
シリーズ開始当初はこんなことになるとは思っていませんでした。
伏線のためにもどこかにInterludeを挟みたい。また作業量増えちゃうな。


2020.12. 6 台本形式その他修正。


      ×  ×  ×

 

《 Side Saki 》

 

 

 あたしはときどき押しに弱いなっていう自覚がある。

 由比ヶ浜がこの話題を振ってきて拒み切れなかったのがその証拠だ。

 

『好きな人とかいるの?』

 

 そんなのにあっさり答えられるような性格じゃないから、少し意地悪にこう訊き返した。

 

『まず先に自分から話すもんじゃないの?』

 

 本当に知りたかったわけじゃない。

 実際、言われたら困るのはむしろあたしの方。

 告白したけど返事待ちで、その一因を担ってるのが間違いなくこの娘だから。

 

 正直、黙らせる意味でした意地悪だったけど予想外の返しにあたしの心は酷く揺さぶられた。

 

『入学式の日に犬を庇って車に轢かれた』

 

 そんなバカをあたしも知っている。

 同じことをされたあたしだから知っている。

 名前を口にしてないけど、その馴れ初めがあいつを指してるのが自然と理解(わか)ってしまう。

 映画前に喫茶店であいつから聞いた話が繋がったのも大きい。

 

 そっか。

 あんたは昔からそうなんだね。バレンタインの日に自分がされたことをまさか二年前にもしているなんて。

 いや、助けてもらったあたしが言えることじゃないか。結果二人とも無事だったけどあいつを危険に晒してしまったわけだし。

 それでも看過できないのは、対象がせめて自分の飼い犬ならまだしも、助けたのは見ず知らずの他人の犬という事実だから。これには驚きを通り越し最早呆れてしまう。

 どこか壊れてしまっているのではないかとすら思える自己愛のなさと異常性を垣間見て、抱いていた懸念が憂慮へと悪化し寒気立つ。一刻も早くあいつに自信を取り戻させ自己肯定感を高めてやらないと。

 さて、聞きっぱなしじゃ立つ瀬がないし、女子トークの礼儀としてはお返ししておかないとね。

 

 由比ヶ浜は好きになったキッカケを話してた。だからあたしもそれと同じものを返すのがルールってことでしょ?

 好きになったキッカケ……色々あるけど、やっぱり……これかな。

 でもこれを言ってしまっていいんだろうか。あの時はあいつも本気じゃなかったし、この場に持ち込むのにそぐわない内容な気がする。

 

 

 

 ――――止めておこう。

 

 ……でも、それと同時に湧き上がる葛藤。

 あたしと知り合う一年以上も前からあいつに選ばれたこの娘への羨望。それに対する精一杯の抵抗がアクセルを踏ませた。

 

「あたしはさ……言われたんだ」

 

 たっぷりと溜めて、強く印象付けるため倒句で由比ヶ浜の左頬を殴り返す一撃。

 

 

 

「……愛してるぜ! って」

 

 後ろめたさもあったあたしは素っ気無い風を装い窓外を眺めながら呟いた。

 目を白黒させていた由比ヶ浜だったが、すぐ我に返り負けじと反撃してくる。

 

「あ、あたしだって、二人っきりで夏祭り、行ったこと、あるんだから!」

 

 ……じれったい。主語(好きな人)を伏せたままの殴り合いを何度するのか。

 そんなに好きならどうしてハッキリ言ってくれないのか。

 

 ……何故カップル割であいつに自信を取り戻させてくれなかったのか。

 

 その歯痒さが再び由比ヶ浜の頬を殴りつける原動力となる。

 

「もう告白もしてる」

 

 口にした瞬間、心がシンと冷えていく。

 その返事がもらえていない事実がわたしに冷や水を浴びせた。

 お陰で冷静さを取り戻す。

 

 

 

 ……何してんだろ。バカみたい。

 由比ヶ浜に乗せられて、対抗心で余計なことペラペラ喋っちゃってあたしらしくない。こんなの比企谷の為にもならないし、なんとか収拾しないと。

 幸い名前は伏せたままだからこっちは気付かれてないとは思う。だって普段のあいつを知ってたらこんなエピソードと人物像が結びつかないから。この時ばかりは由比ヶ浜のルール設定に感謝した。

 

 

 窓外に顔を向けながら興味の無い素振りで

 

「……冗談だから」

 

 それを聞いた由比ヶ浜は顔全体で「え?」を表現をしていた。

 果たして納得してくれただろうか。でも名前を口にしたわけではないし嘘を追及する意味もないはずだ。せっかく作ったこの流れに由比ヶ浜は乗ればいい。このまま話を終わらせれば誰も傷つかないから……。

 

 

 

「……ずるい」

「え」

 

 間の抜けた顔から一転、内に秘めた強い想いが滲む表情で真っ直ぐあたしを見据える。

 

「あたしは……ちゃんと言ったのに……」

 

 呟くと今度は悲しげに俯いてしまう。

 

 そうか……

 見ず知らずの人間が自分の大切なペットを助けてくれたという運命的な出逢いは由比ヶ浜にとって大切にされてきたモノであろう。もしかするとこれを話すのは初めてなんじゃないかとさえ思える。少なくとも教室でこの話題が出たことはない。由比ヶ浜や三浦達は目立つし教室にいると嫌でも会話が耳に入ってくるから分かってしまう。

 考えてみれば、あたしが先に話せと要求し由比ヶ浜はそれに応えた。なのに冗談で返されては裏切りと感じるのが道理だ。

 誰も傷付かないなんてあたしの勝手な押し付けだった。

 

 

 ちゃんと話したら、より強く意識させてしまう。

 

 きっと由比ヶ浜は止まらないだろう。

 

 それは雪ノ下にも伝播するかもしれない。

 

 あいつに自信をつけさせる為に焚きつけるのも悪くないといえなくもないけどそれを許容できるほどあたしの気持ち、まだ萎えちゃいない。

 だからあたしも精一杯の抵抗を見せてこう言うのだ。

 

「……冗談って言ったのは嘘」

「…………」

 

「……予備校のひと」

「え」

 

 

「あたしが……気になってるひと」

 

 由比ヶ浜も直截的な表現は避けてるから、こちらもこの婉曲な言い廻しが妥協点。

 これ以上ヒントはあげない。

 

 ……あたしだって、まだ結果(返事)待ちなんだから。

 

 

 

「……比企谷、遅いね」

 

 時計を見ると既に40分以上が過ぎていた。

 

 あいつが戻ってくる気配は未だに……ない。

 

 

× × ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 未だ暖かくなる兆しすら見えない余寒真っ只中にあって電車とは炬燵と双璧を成すこの世の楽園と言っても過言ではないだろう。冬は特に自電車通学を選択した過去の自分を抹殺すべく、タイムマシンの開発を本気で考えたのは一度や二度ではない。その度に、今からでも電車通学にすれば開発自体が不要であると発見し「俺がクリストファー・コロンブスだ!」と偉人ごっこに勤しんでいたのを懐かしむ。中学生の頃なら当然「俺がガンダムだ!」になっていただろう。時の流れを感じる。

 

 陽乃さんと別れ電車に乗った俺はロッキングチェアのような心地よい電車の揺れに身を委ねている。さらに車内の温暖さによる二重のトラップにより危うくダメ人間が製造されてしまうところだった。だが既にダメ人間だったので製造は不可能でした。

 そんなダメ人間でも落とし物を拾うことくらいはできる。いま膝の上に乗せている紙袋がそれで、陽乃さんが走り去るとき落としたものだ。中を覗くとナマモノ的な急を要する物ではないようだったし、電話する気分にもなれなかったのでこうして預かっている。

 

 なぜ気分じゃないのか。偏に俺の愚かな行いに因るものだ。合せる顔がないと言ってもいい。

 さっきは一体どうしてしまったのか。あの陽乃さん相手にあんなことを口にするなど命が惜しくないのかと過去の自分に問い質したくなる。やっぱりタイムマシン開発は必要だわ。だが明日考え直してまたコロンブスになる無限ループから抜け出せない。こうしてタイムマシンは永劫完成しないのであった。

 そんな現実逃避をしても忘れていられるのはほんの僅かな時間だけ。

 

 己と照らし合わせ、雪ノ下陽乃という人間はこうであると勝手にイメージし、意気揚々と本人に指摘してしまった。

 勝手に理解した気になって他人を評するのは俺が最も嫌悪するものだったはず。しかも内容がよろしくない。

 

 『雪ノ下陽乃はドス黒い心を持って妹に接し苦しめ、愉悦を感じる性悪女』

 

 本人にこう伝えたのだ。

 

 …………

 …………

 

 控え目に言って頭おかしい奴ですね。その頭のおかしい人間として十七年間暮らしてきた本人がいうのだから間違いない。

 

 

 車内にアナウンスが流れ、そろそろ降車駅だと確認する。

 自宅大好きな俺にとって天使のささやきにも等しい音色……のはずが、今は胸が詰まる思いで聞いていた。

 これから家に帰って俺が愚かな行為に走った原因たる人物に詰責しなければならないからだ。

 いつもならこれくらいの粗相など笑って許すか、そもそも問題にすら挙げず聞き分けの良いお兄ちゃんを演じるのだが。先ほど陽乃さんのK2を……もとい胸を言葉の刃で抉った頭のおかしさから分かるように、いつもの精神状態じゃない。なにより陽乃さんをあれほど極み付けておきながら、小町にはお咎めなしなど身内びいきがすぎるのではないか。

 

 電車を降りるとまるで別世界の寒気が肌を撫でた。皮膚に鈍痛が走り、徐々に感覚が鈍くなっていく。その影響もあって、急く気持ちを抑えきれず足早に家路につく。

 不意に俺の身体が震えた。いくつかの原因で起こる日常的な現象である。

 

 1.寒さ

 2.不安

 3.疲労

 4.カフェインの過剰摂取

 

 順当なところで1番が本命、っていうか人が震える99%はこれだろ。まぁ、これから家に帰ってすることを思えば2番の可能性が無きにしも非ずといったところか。むしろ俺の場合、マッ缶の過剰摂取で4番が穴どころか対抗まで迫る勢い。

 

「ん?」

 

 震えの発信源がポケットの中であることに気づく。

 普段、スマホなんてゲームか目覚ましにしか使っていないからバイブ機能あるの忘れてたわ。

 まさかの「5.スマホの着信」でした。

 

 とはいえ最近ではそう珍しいともいえない。二年生になってから番号を登録する相手は増えたからな。それでも片手の指で足りるくらいだが。

 着信名を見るとディスプレイには【川なんとか】の文字が表示されていた。いい加減ちゃんと登録しとかないと、本人に見られたら主に肉体的な恐怖に基づく2番の理由で震える未来しか見えない。

 

「おう、もしもし」

『あ、比企谷、あんた大丈夫なの? まだかかりそう?』

「え」

『え』

 

 一瞬なんのことか理解できずにいると川崎もオウム返しからの沈黙。

 

『え、って……ちょっとあんた、いまどこにいるの?』

「どこと言われても、もう駅降りてそろそろ家に着くくらいだが?」

『は?』

 

 川崎の反応がおかしい。

 ちなみにこの「は?」は確実に怒っている「は?」だ。普段から部室でも耳にするのでこうした一文字を察することにかけては定評がある。

 ちなみに「は?」は一般的にただの疑問形だが、小町や一色が用いると不機嫌を形容する言葉だろう。特に一色はいつものあざとい猫なでヴォイスが恋しくなるくらい冷たく低い声音で「は?」と表現するので分かり易い。これ川崎にも適用できるな。あと三浦とか。三浦の場合は「はぁ?」とか伸ばしそう。不機嫌つーか威嚇っぽいけど。

 他にも

 

 「ひ!(川崎の驚動)」とか

 

 「ふ……(雪ノ下の嘲笑)」とか

 

 「へ?(由比ヶ浜の疑問)」とか

 

 「ほー?(平塚先生の感心?)」

 

 とか、色々と一文字の感情は目の当りにしてきた。ってかハ行すげえな。あらゆる感情を表現できる。

 要するに女子の「は?」は何を表しているかというと、ただただ機嫌が悪いことを意味している。

 結論、川崎はいま不機嫌。

 

 長々と考えた挙句、声音で簡単に分かる結果だけが導き出されたという、時間と脳のリソースの無駄でしかなかった。リソースを割くなら何故不機嫌なのかを推測することに使えよ俺。

 

 

 …………あー

 そうか、さっきまで俺は陽乃さんを追い払……もとい、駅まで送るという使命を帯びて席を外しただけで、別れた後は喫茶店に戻らなきゃいけなかったんだ。連絡もなく放置してれば、そりゃ怒るよな。よし、原因解明。

 

 ……ソースが分かってもアンサーどうすればいいのこれ。

 

 『たまたま二人のこと忘れててうっかり帰っちゃったよ。ほら、俺って家大好きじゃん?』

 

 ……だめだこれ。あまりに正直すぎて、川崎から金の斧を、由比ヶ浜から銀の斧をふりおろされて(・・・・・・・)しまいそうだ。いや斧貰えないどころか制裁されちゃうのかよ。嘘で斧没収されたほうがまだ平和だな。ふりおろされるほうがご褒美という危篤(ドM)な人間もいるが。

 それに重要な部分を隠している以上、やはり斧は貰えないだろう。どんだけ斧欲しいんだよ俺。いや別に斧いらないんだけどね、比喩だし。

 答えに窮していると川崎が問いかける。

 

『……なにかあったの?』

 

 さっきまでと雰囲気の違う声音。

 「は?」鑑定では、不機嫌または怒りと判定したがただの疑問形だったようで、どうやら本気で心配してくれているらしい。

 

「……わりぃ、なんつーか……色んな事で頭一杯になってて気がついたら電車乗ってた」

 

 口を吐いたのは、都合の悪い部分を上手く避けた自然な言い回しだった。

 

『……そう』

 

 言外に納得してないのがありありと伝わってきたが、続いたのは沈黙だった。これ以上は触れないでおいてあげる、という意味らしい。

 実際、追及されたらどう説明していいのか分からないし、自分でも納得いく答えがまだ出てないのかもしれない。

 

『……じゃ、このまま解散ってことでいいね?』

「ああ、すまん。由比ヶ浜にも悪かったって伝えてくれ」

『ん……あんたも気をつけて帰んなよ』

 

 通話を切るときの気遣いに応える余裕もなく、家が近づくにつれ足取りが重くなっていく。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

―比企谷家―

 

 

 家に着いて玄関の扉を開けると親の靴が両方なかった。小町の靴はあるから外食に出掛けたとは考えづらい。決算前で最近ばたばたしてたし、今日も休日出勤だろう。いや、時期に関係なく両親が忙しいのはもはや恒常化してると言っていい。

 案の定、小町はリビングの炬燵でぐでーっとしながら膝に乗った愛猫のカマクラを撫でていた。

 

「ただいま……」

「おかえり~、ってずいぶん早いんだね、何かあった?」

 

 さっき川崎にも言われてるので内心辟易としてしまうが、確かにその疑問は持つよな。十時前の上映時間を選んで帰宅が十三時前だ。映画だけ観て、はい、さよなら、なんてリア充じゃなくても不自然なことくらい分かる。

 

「……あー、ちょっとあってな。早めに解散になったんだわ」

「ふーん……」

 

 胡乱げにこちらを見つめるが、それ以上の追及はない。

 どうやらこちらが切り出すのを待っているようだが、未だにどう説明すればいいか自分でも分からず話しようがない。

 

「親父達は?」

「へ? ああ、二人とも休日出勤だって。ああいうの見てると働くのって大変だなって感じるよねえ。お兄ちゃんじゃないけど小町も専業主婦目指しちゃおっかなー」

 

 上手く話を逸らせたようだ。というより小町の方があえて乗ってくれたのか。

 あまりしつこく来ないのは去年の兄妹喧嘩が頭を過ぎったからかもしれない。

 

「……もしかしてお昼も食べないで帰ってきちゃった?」

「……まあな」

「小町もお昼まだだし作ろっか?」

 

 言うが早いか、カマクラが膝から飛び降り小町は昼食の準備を始めた。

 小町に料理を任せて自室で着替えているとテーブルの上に紙袋が置きっぱなしなのに気づく。

 

(おいちょっと待て、まさか小町へのお土産だって勘違いして開封しないよな?)

 

 陽乃さんから預かった(拾った)物を勝手に開けられたらどんな責め苦を味わわされるか分からない。開けてなくても既に味わわされるに値することしてるから結局不可避なんだが。

 慌ててリビングに戻ると小町はキッチンで料理に勤しんでいた。紙袋はそのままだったが、初期位置より少し動いた形跡がある。恐ろしいが訊かねばなるまい。

 

「……小町、この紙袋なんだが……」

「ああ、それね、お兄ちゃんありがとー♪」

「え……ってことはまさか……?」

 

 こちらも見ずにキッチンから謝辞を述べる小町。懸念していたことが現実となって血の気が引いた瞬間「なーんてね」と添えられた。

 

「最初、小町へのお土産だと思ったから開けようとしたんだけど、中みてみたら危険な感じがしたからお兄ちゃん待ってたんだよ」

「危険てなんだよ、中から『カチッカチッ……』って音でも聴こえてきたのかよ」

 

 誰にC4をプレゼントしようというのか。いくら陽乃さんでもそこまでは……と否定しきれないくらいぶっ飛んだ人物なので始末が悪い。たとえ爆発しなくともトリメチレントリニトロアミン(プラスチック爆弾の主成分)消え物(食べ物)として贈るとか未必的故意が成立するだろう。あれって甘いらしいし、バレンタインチョコの包装にカムフラージュしているあたり本気度が窺える。食ったことないけど。

 ひとまずは安心すると、小町が料理の手を止めずに疑問をぶつけてきた。器用なやつだ。

 

「で、それって誰のなの?」

「それは……、ん? ちょっと待て、勝手に開けられずにホッとしたが何をもって危険と判断したんだお前」

「えーっと、それは……財力?」

「は?」

 

 不機嫌ではない完璧なハ行(疑問形)を使いこなす。同じく疑問形で財力と答えた人物はその理由を滔々と話してくれた。

 

「袋から出して、綺麗なラッピングだなーって思ったんだけど、小町のお土産にこんなプレゼント然とした物買ってくるかなって。小町の誕生日来月だし」

「んで、今度は合格祝い的なやつかもとか考えたけど、お兄ちゃんがこんなさり気ない渡し方出来るとも思えないし」

 

 俺という人間を知り尽くした小町の分析力をまざまざと見せつけられる。ってか財力の話どこいったんだよ。箱の中身なんて分からんだろ。え、なに、高価な物か分かっちゃうわけ? ラッピングされた状態から中身が分かるとか、箱の中身は何でしょうクイズなんかより数段難易度高いぞ。箱振って判断したりしてたら中身やばくね?

 

「そしたら袋の中からラッピングの他にディスティニーランドのペアチケットが出てきたんだよね、しかも大人用。小町のために買ってくれたんなら初めから中人用にするでしょ? 現地で中人用に変更できるけど手数料かかるしお兄ちゃんはそんな無駄なことしないから。つまーり、これは小町に買ってきたものではあーりませーん」

 

 妙なイントネーションでドヤる見た目は小町、頭脳も小町、その名は名探偵小町!

 うん、最高に語感いいけどただの小町だよね、それ。

 小町の言う通りディスティニーの大人ペアチケットなんて一万五、六千円はするだろう。スカラシップ錬金術もあるし、無理すればいけなくもないが俺にしては奮発し過ぎだ。

 

 考え方ばかりか懐具合まで熟知されていて軽く恐怖を抱く。十五年も一緒にいれば愛着も湧くという言葉の重みを今改めて実感している。

 

「ああ、それはあれだ。雪ノ下さんのだ」

「え、陽乃さん? ……あー、そっかー。そういう感じかー」

 

 フライパンを振りながら一人で納得している小町。その口ぶりが妙に引っ掛かりこちらから促してみた。

 

「……なにか思い当たることでもあったのか?」

「んー、何日か前に突然電話きたんだよねー」

 

「‼ ふーん……」

 

 心臓が大きく跳ねた。

 

「良かったねーお兄ちゃん、陽乃さんからもチョコ貰えて」

 

 ……何を言ってるんだこいつは?

 このチョコは陽乃さんが落としたのを一時的に預かってるだけだぞ。

 

 ……ん? チョコ?

 

「は? これ、チョコなのか?」

「チョコに決まってんでしょーが。陽乃さんだって忙しいだろうし、数日遅れたくらいでバレンタインの可能性を全否定するお兄ちゃんのがどうかしてるよ」

「あのな小町、これは落とし物だ」

「ほえ?」

 

 俺の言葉が理解できず目を丸くしていた小町だが、すぐ我に返って質問をぶつけてきた。

 

「なにそれ、さっき陽乃さんのって言ってたじゃん」

「だから雪ノ下さんの忘れ物だよ」

「えー、でもそれって明らかにチョコだし、ディスティニーペアチケットもお兄ちゃんに誘って欲しいから大人用なんじゃないの?」

 

 妄想レベルのご都合主義が展開され俺は言葉を失う。名探偵は継続中のようだ。

 

「それにさ、この忘れ物ってどうやって置いてったの? 陽乃さんならさり気なく忘れ物としてお兄ちゃんに渡したってことも考えられない?」

 

 そんなわけがない。

 俺の不躾で遠慮のない責めが陽乃さんを傷つけ、そのショックによりこのチョコを落としていったからだ。あれを演出に塗り替えるような機転のある人間などいないだろう。たとえ陽乃さんであろうとも。

 

「だって陽乃さんから電話きたとき、お兄ちゃんがチョコいくつ貰ったのか訊いてきたし誰のチョコ食べたのか気にしてたから、そーゆーことなんでしょって」

 

 無邪気に電話の内容を詳らかにする小町。これで陽乃さんが川崎のチョコのことを知っていた裏付けが取れた。

 

「またお義姉ちゃん候補が増えて小町的にポイント高いのであります!」

「あ、でも沙希さんのことは……どうするの?」

 

 不意に投げ掛けられたその言葉が俺の心を激しく揺さぶった。

 

 川崎のことをどうするか、……だって?

 陽乃さんに口を滑らせたお前がいうのか。その川崎の説明がつかない行動と由比ヶ浜の拒絶で、今日はずっと混乱し懊悩してきた。そこへきて小町の口からこの発言は癇に障り、もやもやしたドス黒い感情を生み、内にこびりついて拭えない。

 そんな状態では普段気に留めなかった僅かな綻びが顕在化していく。

 

 ――――川崎の想いに答えられなかった、自身を無価値と断じた原因。それが最愛の妹にあるのではないか。

 

 映画館でふと浮かんだ『兄』となる通過儀礼。あれがその第一歩となって今の俺が作られた。

 下の子がいる家庭ならありふれた話だと一笑されるかもしれない。ただ、うちの家庭はほんの少しだけ環境が悪かった。

 

 俺達が小さい頃からうちの両親はひどく多忙で休日にすら仕事が入る社畜だ。そのせいで小町が小さかった時分は拙いながらも俺が家事などをこなしてきた。

 世間を知る歳になると、それがいかに異常なのかを理解する。事実、小学校で家庭科の授業を受けるより前から俺は自分と小町の分の料理を作っていたりしたのだから。

 

 

 

 いつからだろう。

 親が僕を見てくれなくなったのは。

 

 それは分かっていた。

 小町が生まれてからだ。

 

 小町が泣くと僕が怒られる。

 どうして?

 僕だって泣きたいのに。

 友達と遊びたかったのに。

 でもダメだ。

 僕はお兄ちゃんなんだから小町を守ってあげないといけないんだ。

 

 小町が家に誰もいないのを寂しがって飛び出してしまった。

 探しに行かなきゃ。

 僕はお兄ちゃんなんだから小町と一緒にいてあげないといけないんだ。

 

 小町が大きくなってきた。

 だんだんと自我を得て親へ甘えるのが上手くなる。

 同時に俺にも甘えてくる。

 俺は小町のために、今までお兄ちゃんとして応えてきた。

 だから小町は俺が好きだ。

 でもそれを見た親父が不機嫌になる。

 どうすりゃいいんだよ。

 

 俺の人間観察力はこうした境遇の産物だった。

 親父の顔色を窺い、親父の機嫌が悪くならないよう小町の顔色を窺った。

 そうした環境によって表情や機微を感じ取る慧眼が鍛えられた。

 

 親の愛情は小町に注がれ自分を押し殺す。

 そんな日々を過ごす内に、俺は『無価値』であるという自己定義が完成した。

 

 

 さらに小町が大きくなる。

 小町が俺の飯まで作って家事をするようになった。

 こんな無価値な俺の世話をする。

 両親の寵愛を一身に受け、俺を無価値に貶めたのは他でもない小町なのに……

 

 こんな俺にまだ利用価値があるとすれば

 

 

 

 ――ダメな兄の面倒を見て両親からさらなる寵愛を受けようとしているのでは――

 

 

 ⁉

 

 自分で出した結論に身震いした。

 今の俺は本当に醜い感情に支配されている。

 賤しく嫉みに塗れた思考は小町すらもこんな歪んだ見方をしてしまう。

 

 はは……こんな奴が川崎と釣り合うわけがない。

 俺の判断はやっぱり正しかった。

 

 先ほどまでの嫌悪や憤りが嘘であったように脱力する。

 

「そうだな。お前のお陰でお義姉ちゃんが出来る可能性はなくなった」

「え⁈」

 

 調理中の手を止めてこちらに振り向く。フライパンを持っていなかったら飛びかかってきそうな勢いだった。

 

「そ、それってどういう意味⁉」

「言葉通りだ、これ以上しつこく訊くなよ」

 

 言葉通り取ってもそうだが、去年の兄妹喧嘩をも言外に訴え拒絶する。

 結局、修学旅行のことは話したが、あれは小町が第三者であったから。

 だが、今度ばかりは言いたくない。

 

 言えばお前の本性を暴いて傷つけ、醜い感情を曝け出した俺も傷つく。

 それならばせめて、去年より成長した小町に程よい距離というものを維持できることに期待しよう。

 

 分かってくれたのか、小町はこれ以上追及してくることはなかった。

 

 用意してくれた料理がひどく味気ないのが印象的だ。

 その原因が作り手の腕によるものではなく、食べる側の心にあるのはこの濁った目で見ても明らかである。

 

 

 

つづく




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幕間
37.5話 Interlude【Kawasaki family I】Feb 15th 16th


Twitterの予告通りinterlude前編です。

前後編の二つに割ったのですごく短いですが、文字数増やすのが目的ではないので、この際気にしないことにしました。

18話『一人だけ、心躍らぬコンペティション。』終盤の続きと
21話『そして、堕天の使は策謀する。』終盤の続きです。

後編は48話の後(三章と四章の間)くらいに投稿する予定。

第三者視点となります。


次の投稿したらこの話は二章と三章の間(37話の次)に移動させます。


 ~Feb 15th~

 

 

 布団の中から幼い少女の穏やかな気息が聞こえてくる。

 

『はーちゃんが赤い車でむかえにきてくれて嬉しかった』

『いっぱい遊んでつかれた』

 

 少女の顔はそう語り、満面の笑みで眠っている。

 

 

 布団からちょこんとはみ出た手を握る女性はその表情を見て安心したのか、そろりと手を離してバスルームへ。

 その人物は年若いポニーテールの女性ではなく、幼い少女の母親であった。

 

 本来、それが正しい。

 ……というのは世間一般の話であり、こと川崎家では違っていた。

 

 川崎一家は私営団地に暮らす五人家族だ。長女は高校生で長男もこの春から高校に進学する。普通と少し違うのは、いま布団で眠っている幼い次女がまだ保育園に通う年齢であるということ。

 

 長女――沙希との歳の差は13歳ほどで、下手をすると親子として成立するだろう。保育園にお迎えに行った沙希を初めて見た保育士は決まって同じ反応をした。

 

『お母さん、お若いですね』

 

 その言葉に引き攣った笑顔で答える。

 制服姿ならと期待もしたが余計に奇異な目で見られてしまい、それから沙希は開き直るようになった。

 

 

 

 どうして沙希がそうせざるを得ないか。それは幼い少女を寝かし付け、今は入浴中の母親、強いては両親にある。共働きで忙しい両親に代わって家族が迎えに行くのは自然の成り行きだろう。

 一般的な家庭より子供の多い川崎家は暮らしにあまり余裕がなく、特に来年から大学進学予定の長女には学費がかかる。

 

 

 母は湯舟に浸かりながら今日あったことを振り返っていた。

 

 熱で早退した沙希を平塚先生が車で送り届けるばかりか、京華のお迎えまでしてくれたこと。

 大志の友達である比企谷小町が家族の夕飯を用意してくれたこと。

 そして、小町の兄・八幡が沙希を助けてくれたこと。

 

 特に最後のは大志が無自覚に喋ってしまったようだが、親としてはヒヤヒヤさせられた。なんせ同席していたのは沙希の教師であり、済んだこととはいえ内容は年齢詐称と法令違反。

 結局、事なきを得たものの、目を瞑ってくれるかはこの人の人柄次第であったからだ。同時に、母親でありながらどれだけ沙希に無関心であったのかと悔恨する。

 しかし、収穫もあった。それは湯上りに沙希の具合を見に行き確信へと変わる。

 

 沙希は今まで一度として他人を家に招いたことがなく、身内にしか関心を向けて来なかった。そうならざるを得ない環境を作ってしまった親の至らなさに歯噛みしながら、密かに心配していたのだ。

 そんな娘に比企谷兄妹と平塚先生が来て色々と骨を折ってくれた話をすると、家族ですら今まで見たことのなかった表情をする。

 

 ――沙希に大切な人が出来たのだと直感した。

 

 こんな顔を向けられる八幡に少しの嫉妬と、それ以上に喜びを感じていた。

 

 

 

 この日、夜遅く帰宅した夫に労いの言葉をかけて夫婦は一時の安らぎを得る。

 

「皆はもう寝たのか?」

「ええ。特に沙希は今日熱出して早退してきたから、ちゃんと寝てもらわないと」

「……そう、か」

 

 夫の反応で連絡を失念していたことに初めて気づいた。申し訳なさから、今日あった出来事をいつも以上に細かく話す。

 

 最近、こうやって一日の終わりに会話をすることが減っていた。京華が産まれてからその傾向が特に顕著である。これから長男は高校生になり、長女が最もお金が必要となる大学進学を視野に入れるなら準備をしておかなければならない。今まで以上に働きに出て貯蓄をしなければならない。ゆったりとした時間を作れることはそれだけで贅沢なのだ。

 

 京華が産まれてからは前より長く仕事に出られたのは僥倖だった。というのも産休の間、沙希と二人で京華の面倒を見ていたことが起因する。

 

 母親が妊娠する前から既に家事の多くを手伝っていた沙希は、赤子の世話もすんなりと順応する。特に育児において最も悩みの種となる睡眠不足が、母親と沙希の二人で当たることにより極端に軽減されたのは大きかった。

 

 お陰で存外に職場復帰が早まり、家計へのダメージは最小限で済んだ。しかも、沙希はその後、公立の総武高校に合格する。

 家内と家計の両方を助ける出来過ぎた娘が、今日初めて友人を――いや、大切な人を連れて来た。

 

 彼女は興奮のあまり、つい事の顛末を話してしまう。

 八幡と沙希の馴れ初めを。

 

 これが川崎家にとって間違いの始まりであったのだ。

 

 

      × × ×

 

 

 ~Feb 16th~

 

 

 布団の中から幼い少女の穏やかな気息が聞こえてくる。

 

『今日もはーちゃんがむかえにきてくれて嬉しかった』

『めぐめぐはすごく優しくて好き』

『あしたはプリキュアみにいくの楽しみー』

 

 少女の顔はそう語り、満面の笑みで眠っている。

 

 

 大志はその寝息を確認すると、読み聞かせていた本を静かに閉じて部屋を後にする。

 

 保育園のお迎えで初めて出会ったにも拘らず、本物の姉妹かと見紛うほどに京華とめぐりの関係は良好であった。

 そのせいか、母親は家庭の事情をめぐりに打ち明けた。傍で聞かされていた大志は身を縮ませていたことだろう。姉に対する罪悪感が動機となって京華を寝かし付けたのかもしれない。

 沙希はまだ体調が良いとは言えず、三人を車で送り届けた母親が戻る頃には眠りについていた。

 

 

 

「……ただいま」

「お帰りなさい、今日もお疲れ様」

 

 大黒柱の帰宅に母が労う。

 明日は比企谷兄妹と奉仕部の面々が家に来て、大志の合格祝いをしてくれる予定となっていた。寝不足にならぬよう早めに就寝するつもりだった大志だが、仕事で遅くなった父親を無視して部屋に引っ込むほど薄情ではない。

 

「父ちゃん、お帰り」

「おう、ただいま。……大志、ちょっと話したいことがある。先に風呂を済ませてくるから悪いが起きて待っててくれ」

「え、う、うん」

 

 珍しい父の誘いに目を丸くする大志。いつも忙しくしている父親とは、まともに話せる機会が取れないのが道理だ。父親と話し慣れてない彼にとって、どんな話か予想もつかない。

 入浴が終わるまで起きていなければいけなくなった大志は、時間潰しに自室へ行こうとした矢先、父親に呼び止められた。

 

「話す前にこれだけは言わせてくれ。……合格おめでとう、大志」

「‼ う、うん、ありがと」

 

 父の祝辞に昂揚する大志を他所に、傍らにいた母の表情は暗かった。

 その理由は、後の話し合いで知ることとなる。

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=265137&uid=273071


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三章
38話 やはり、人とは度し難い生き物である。


酷くお久しぶりです。
皆様、如何お過ごしでしょうか?
わたくしは元気です。

読み返さないと思い出せないくらい期間が空いてしまいましたが、また頑張って再開していきますので皆様の暇つぶしのお役に立てれば幸いです。


『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。14.5』読みました。
あらすじ読んだ時から期待はしてませんでしたが、やはりというかサキサキが出ないのが悲し過ぎた。

12.5あたりでも出して川崎家を書いてくれ……


《 Side Hachiman 》

 

~2月19日~

 

 

『あ……誰だっけ……ひ、ひき……まぁいいや』

『なんで名前知ってるの……怖い……』

『あー、そこの、一年の比企谷さんのお兄さん』

『比企谷菌だぁ~!』

『しゃーざーい、しゃーざーい』

『なんか比企谷からメールくるんだけど~、マジキモいから勘弁』

『ええ~、絶対むりむり!』

『あー、そういえば私、比企谷に告られたりしたんですよー』

 

『あ? なんだ居たのか。それより小町、お土産買ってきたぞー』

『じゃあ、小町のことよろしくね。あら、あんたの分もいるの?』

 

 

………………

…………

……

 

 

 

「………………くそ……」

 

 内より溢れ出る記憶(トラウマ)が濁流の如く押し寄せる最悪の目覚めだった。

 これが夢で幸いだったとポジティブに考えても気分が晴れることはない。全てが過去にあった出来事なのだから。むしろ夢で追体験されてしまったとネガティブに捉える方が自然である。

 今日が月曜日というのを差し引いても、これほど気分の悪い朝は生まれて初めてかもしれない。

 その心中を顕すように身体中が倦怠感に包まれている。冬とはいえ、血液がサボタージュしてるんじゃないのかと疑いたくなるくらいの体温低下を感じた。

 冬のベッドは微睡むのに至高――のはずが、その認識は改めなければならないようだ。とても惰眠を続けられる状態でなくなった俺はいつもよりすんなり床を出る。時計を見ると普段よりも随分と早い時間だ。だからこそ予測できたはずの可能性に、ドアを開けるまで気づけなかった。寝ぼけていたが故か、それとも過去のトラウマのせいなのか。

 

「あ……」

 

 まるで示し合わせたように隣のドアが開くと、そんな漏れ出るような声の主と目が合った。

 

「お、おに…………っ」

 

「あ、おい……」

 

 俺はこの時どんな顔をしていたのだろうか。

 不意のことで想定や心の準備もしていなかった為、少なくとも笑顔ではなかったと思う。寝覚めの悪さから普段以上に陰気で死んだ目をしていたかもしれない。

 一瞬目を合わせたかと思えばすぐに逸らされ、下へと降りて行く小町の反応がそれを裏付けていた。

 

 ……何だよ、挨拶もしてくれないのかよ。

 あの反応からやはり俺のチョコ情報の出処は小町だったと確信できた。

 

 

 ――俺が誰のチョコを一番最初に食べたのか。

 

 そんな誰得情報を漏らされたところでいつもの俺なら何も感じず流していただろう。相手が小町なら尚更だ。一晩寝て冷静になるとその結論に拍車が掛かる。しかし、それは別にして小町が何も言ってこないことに違和感があった。

 あの態度から俺に対し罪の意識に苛まれていることは窺える。なのに謝ることが出来ない妹。

 せめて一言……いや、そんな贅沢は言わない。『話したけどそれがどうかしたの?』くらいいつもの乗りで言ってくれればこちらもいつも通り兄として振舞えたのに、それすらもない。

 そんな蟠りが心に影を落としていた。

 

 制服に着替えて下に降りるとテーブルには朝食の皿が準備されていた。

 ……俺の分も。

 

 去年修学旅行の後、喧嘩して冷戦状態になった時などガン無視で飯も別々だったが、今はこうして用意してくれる。目が合うと申し訳なさげに逸らすのも、それが罪悪感の顕れだと証明していた。

 

 

      × × ×

 

 

 自転車のペダルを漕ぎながら、昨日のことを問答する。

 由比ヶ浜と川崎を置いて帰ってしまったフォローをどうするか。電話で川崎に謝っておいたものの、やはり直接会って一言いうのが筋だろう。でなければ小町のことを言えない。

 

 元来、ぼっち気質でコミュ障な俺は気の利いた言葉が上手く思い浮かばず、どうすればいいのか途方に暮れた。

 通学中、思考の海に深く沈み過ぎるとまた交通事故でも起こしそうで浅く潜ることしかできず、尚更妙案など出そうにない。いっそ電車通学ならそんな心配はなかったものを、と考えるもすぐに改めた。あんな人混みに押されながら毎日通学するなどゾッとする。

 俺は人間が嫌いなのだ。こうして自転車で一人登校するのが最善で、一瞬でも電車通学に憧れるなど今の自分がおかしいことに気づく。

 

 学校に着くなり、ある意味一番会いたくない人物に昇降口で遭遇する。同じクラスだし出逢う確率が高くて当然なのだが、それでももう少し後で会うようにしてくれと神様に願わずにはいられなかった。

 

「あ……ヒッキ……」

「……おう」

 

 呼ばれた名は途切れ、朝の小町を思い起こさせる。

 由比ヶ浜、お前もか。

 

 普段とは違った意味で落ち着きがなく、俺を見やったかと思うとすぐ下に視線が流れる。

 あまりにもチラチラ目が泳ぐので、自らの(下半身の)ゲートが開放されているのではないかと疑ってしまったほどだ。トイレは家で行ったきりなのでもし開放されていたとしたら家から学校まで開放状態のまま自転車に乗り続けていたことになる。広告料が発生してしまうくらい清々しいまでの宣伝活動だ。いやいやスポンサーがいてもやらんでしょ、そんなの。俺が誰のチョコから食べたかより遥かにどうでもいい誰得情報だ。むしろ通報対象として扱う方がしっくりくる。

 由比ヶ浜の視線に釣られて確認すると幸いにも閉鎖状態であり、視線が泳いだのは別の理由からのようで安心した。

 

 何か言いたそうにする今の由比ヶ浜が去年の修学旅行後とダブる。あの時は俺の軽挙が招いたものであり、自身もあの結果を受け入れていた。だが、おどおどする彼女の姿を見て今回この空気を生み出した原因は由比ヶ浜の方にこそあるのだと認識する。

 

「……なんか言いたいことでもあんのか?」

「え⁉ あ、その……えと、……」

 

 先程までの自問はなんだったのかと顧みる間もなく全て吹き飛ばされ、謝罪という言葉が頭から完全に掻き消された。それは自ずと態度に顕れ、纏う空気をも変化させ、不要な程に強い言葉が口を吐いた。

 

「…………」

 

 水を向けても沈黙で答え、びくびくとしている由比ヶ浜。血の気の失せたその表情は、まるで悪戯が見つかった幼子のような印象を受けた。更に言えば俺が虐めてるようにも見える。誰かに見られたなら文化祭以来二度目のヒキタニフィーバー待ったなし。

 いや、見知らぬ第三者に見られるのなら単にフィーバーで済むが、三浦に見られようものなら命の危険をも覚悟しなければならない。事情を知らなければ俺が由比ヶ浜を責めているようにしか見えないのだから。

 

 いや、違うか……。

 

 ――たとえ事情を話したとしても俺に味方など存在しない。

 

 中学の頃? それとも小学生?

 ……もっと昔からだったような気がする。

 

 いつからだったかも忘れてしまった記憶を掘り起こしていると、三浦以上に見られてはいけない人物が由比ヶ浜越しに佇んでいた。

 

「あら、おはよう由比ヶ浜さん。……と、比企谷くんも」

 

 由比ヶ浜の後ろ姿に挨拶しながら俺と目が合う。ぼっちの習性なのか無意識に目を逸らす。これがまずかったのだと後々気づくことになる。

 

「あ……ゆきのん、や、やっはろー……」

「⁉ え、ええ……おはよう」

 

 振り向いた由比ヶ浜の顔を見て動揺したのか、思わず二度目の挨拶をする雪ノ下。その表情には驚きと戸惑いが見受けられた。

 ぎこちなく笑顔を作り感情を隠そうとする由比ヶ浜だが、もう雪ノ下相手には通用しないようだ。出逢った頃の雪ノ下は他人の気持ちを汲み取ることを最も苦手としていたし、そもそも興味もなかったであろう。しかし今では由比ヶ浜を大切に想うと同時に彼女の機微を理解するまでに至っていた。

 

「あ……さき教室行ってるね、二人もこんなとこで止まってると邪魔になっちゃうよ!」

 

 そう言って固さのとれない表情のまま由比ヶ浜は教室へと向かった。

 残された俺達は自然と顔を見合わせ口を開く。

 

「……何かあったのかしら?」

 

 彼女の後姿にぽつりと呟く。身体をこちらに向けつつ漏らしたそれは、俺に向けたものだとほのめかされていた。

 

「……あいつが人の邪魔になるから、なんて配慮を見せるとはな」

「……そういう意味で言っているのではないのだけれど」

 

 呆れた表情を隠さずに的外れだと否定される。

 敢えてとぼけた答えを返したのだから、納得されたらそれはそれでこちらが困ってしまう。

 

「……でもそうね。確かに浅慮で、慎みがなく、深く考えずに思い付きで行動するところがある彼女からあんな言葉を聞かされれば、あなたの関心事がそこに向くのも分からないでもないけれど……」

 

 去年聞いた由比ヶ浜の短所を並べ立て俺の意見に一定の理解を示す。意思のこもっていないただの言葉であったが。何故、そんなことが言えるかって? 姉である雪ノ下陽乃に向ける時のような強い視線を俺に向けていたからだよ。

 そして、その目が訴えかけるものは迎合ではなく――咎人に向けるものであった。

 

「…………あなた、由比ヶ浜さんに何をしたの?」

 

 真っ先に疑念を向けてくる。

 俺が何かをした前提の問い。

 今に始まったことではない日常の光景。

 

 いつもなら疑惑を認めず、その更に斜め上の自虐でやり込める(呆れさせる)のだが、自虐で往なそうとした瞬間、頭に思い浮かんだのは小町の顔であった。

 

 俺の存在を無価値に貶めた始まりであり自虐癖の生み親。そんな彼女が俺に自虐を無くせと宣う。この酷く矛盾した願いはどうだ。不愉快などといった感情は疾うに過ぎ、小町に対して嗤いすら込み上げてくる。

 

 だからだろうか。雪ノ下の言動自体に思う所はないつもりであったが、その情態を引き摺り宿る負の感情が自然と顔を険しくしていく。

 心が、ざわつく。

 

「……俺が何かした前提で話を進めるのはやめろ」

 

 言葉は普段通りだが声音は鋭くなってしまう。そんなつもりなど微塵もないのに、これではまるで責めているようではないか。雪ノ下もそれを肌で感じ取ったのか目を見開くも、己を奮い立たせるようにこちらを見据えた。

 

「……なら、心当たりはない、というのかしら?」

 

 無くはないが、俺が喫茶店に二人を置き去りにした件は既に川崎を通じて由比ヶ浜へ謝罪済みのはず。ならば冷静に考えてこれは心当たりには該当しないだろう。由比ヶ浜が俺に言いたそうにしていたのはそれとは別件である可能性が高い。

 他にあるとすれば、やはりあれだろう。

 

 ――――『カップル割拒絶事件』

 

 ……思いの外、沈潜してしまっていたようで、朝の下駄箱にしては不似合いなほどの沈黙が支配していた。

 気まずさを掻き消すように口を吐いて出た。

 

「……いや、何もしていない」

 

 そう断言した。

 雪ノ下の目には惚けているように映るかもしれないが事実である。

 

 そう……俺は何もしていない(・・・・・・・)

 

 俺は川崎に勧められ、由比ヶ浜に伴われ、カップル割を促された。

 相模グループに見つかった時点で俺は気配を消していたし、プリキュアをカップル割でと触れ出したのは由比ヶ浜だ。

 カップル証明の提示を求められ、由比ヶ浜はそれが出来ず、俺を残してその場から去った。それだけのこと。

 

 ほらな、俺は由比ヶ浜に何もしていない(・・・・・・・)だろ。

 

 思い出すのも忌まわしい過去。この先は俺と由比ヶ浜だけで完結出来ない超展開が待っているので、とてもここで口にすることが出来ない。そういった事情も汲み取っていただきたいが、それは傲慢というものか。

 かつて奉仕部に持ち込まれた生徒会選挙の依頼に際した状況を思い起こさせる。あの時よりは幾分マイルドだがそれでもピリピリとした空気が張り詰めていた。

 

「惚けるつもりね」

 

「事実を言ったまでだが?」

 

 雪ノ下は「何をしたの?」と問うてきた。故に俺は「何もしていない」と事実を以ってそれに答えただけ。何も間違ってなどいない。仮に「何かされたの?」と質問されていたら真実を話していた……かもしれないが、雪ノ下にそんな発想はないし真相は闇の中だ。当然、こっちの事情を窺い知りもせぬ雪ノ下が納得するわけもなく、追撃の言を緩めない。

 

「さっきの彼女の態度を見て何もないはずがないでしょう。あれほど不自然な……」

 

 そこまで口にして言葉を飲み込み、表情は曇っていく。

 

 ……なるほど俺と同じく以前の出来事が思い起こされたか。その記憶が俺のバカな行為も引っ張り出したらしく眉根を寄せ、軽く唇を結んだ。

 

 ふと視線がぶつかると彼女は口を開き……かけるも言葉にはならなかった。

 歯に衣着せぬ雪ノ下らしくない態度だが、由比ヶ浜の影響があってか随分と言葉を選ぶようになったと思う。俺も決めつけの言動に内心ざわついていたし、このまま行けば互いにエキサイトして責め合いへ発展していたかもしれない。それを回避しようとして踏み止まる彼女に救われたが、選んだ言葉で台無しにしたのもまた彼女であった。

 

「……あんなにも由比ヶ浜さんは楽しみにしていたのに……」

 

 ぴくり、と眉根が動くのが分かった。

 

 楽しみにしていた? 由比ヶ浜が?

 その言葉を理解しようとすればするほど心が再びざわついた。

 

 お前はあの時のことを知らないだろう。

 あの場にいなかったお前にどうしてそんなことが言える?

 由比ヶ浜が子供向けの劇場アニメにそこまで興味があったとは思えない。楽しみにしていたのだとしたら、俺を窮地に陥れるようなことはしなかったはずだ。

 

 図らずも昨日の出来事が鮮明に呼び起こされてしまい苦虫を噛み潰す。感情に任せて雪ノ下の言葉を否定しようと口を開きかけたが、胸に沸き立つ反吐の様な言葉もろともなんとか飲み込んだ。代わりに雪ノ下を睥睨する。

 

「…………」

「っ⁉」

 

 普段、絶対しないであろう行動に彼女は見て取れるくらいの動揺で応えた。

 しかし、流石は雪ノ下といったところか。すぐにいつもの調子に戻って俺に視線をぶつけてくる。

 

 このままここに居るとそれこそ由比ヶ浜が懸念した他人様の邪魔になりかねない。俺は言葉を待たずに教室へと歩き出した。雪ノ下も数瞬遅れてそれに倣う。

 俺が先を行き、三歩後から雪ノ下が付き従う様は京都でラーメンを食べた帰路を彷彿とさせた。何かをする度、こうして様々な情景が思い起こされる。俺と雪ノ下はそれだけ同じ時間を共有してきたのだと感慨を覚えた。

 そこまでの関係性があっても疑念を抱き、すれ違い、諍う。

 

 ……やはり人とは斯くも度し難い生き物である。

 

 階段を上り、俺はF組の教室に続く廊下を右へ。J組はその逆だ。対話と呼ぶにはあまりにも僅かな交わり、それを強制的に別つこの分帰路を心の何処かで歓迎している自分に気づく。

 小町達を祝った席ではあんなにも気持ちが満たされ心華やいでいた。密かにあの時間が終わらなければと願うその感情は、紅茶薫るあの部室で抱いたそれに近かったかもしれない。

 そうまで心を沸き立たせてくれた一人に抱くいまこの時の感情が、まるで真逆とは全くもっておかしな話だ。

 

「……比企谷くん」

 

「なんだ?」

 

「……今日から部活に来なくていいわ」

 

「…………は?」

 

 

 ――――『もう、無理して来なくてもいいわ……』

 

 幻聴のように脳内でリフレインする言葉。

 心臓をきゅっと握り締められたような不快感。

 それに伴う血流の鈍化が背筋を凍らせ手足は竦む。

 

 思わず振り向くと雪ノ下は背を見せたまま横目でこう続けた。

 

「…………そろそろ試験期間だからよ」

 

 そう言い残して足早にJ組の教室へ向かう。

 冗談めかした倒置法で踏み止まった感あれど、背中越しに聞こえた言葉に温かみはない。美しい黒髪を棚引かせた後ろ姿が冷淡さをより強調している。それは後の文を抜きにしても成立しそうな雰囲気を醸し出していた。

 その場に立ち尽くした俺はぼんやりと彼女の後ろ姿を見送った。冗談として受け止めるには些か真に迫り過ぎていたから。

 

 雪ノ下が去った後、いつまでもこのままでいるという訳にもいかず、己を奮い立たせ自分の教室へと向かう。

 F組に近づくにつれ、ふと新たな懸念が脳裏を過った。教室にはさっき気まずい別れ方をした由比ヶ浜がいるのだ。どんな顔で会えばいいのか。懊悩している間も刻々と時間は過ぎていく。いずれ会うのだから今、覚悟を決めるしかない。

 

 意を決して教卓側の扉を開けた。気配を消して教室に入るには後ろ側の扉がいいと素人は思いがちだが、時間ギリギリでもない限り入口は前でも後ろでも大差はない。むしろ圧倒的な存在感を誇るトップカーストグループは教室の後方にたむろしている為、教卓側の方がいい。

 

 結果から言えば俺の杞憂に過ぎなかった。そもそもトップカーストの面々は俺のことなど意識しないし、逆もまた然り。俺と由比ヶ浜だって部活が同じであってもクラス内ではお互い遠目から窺うことが精々で絡みがないことに気づいた。

 

 いつも通りに少しだけ意識を割くが由比ヶ浜は何事もなかったように、いや努めてそうしていると思った方が良さそうだ。不自然なくらい三浦や海老名の方に身体を向け、意図してこちらを見れない体勢を作っている……ように見える。

 あいつもこの気まずさを考慮して距離を取ろうと考えているのだろう。それはきっと正解で、他人の気持ちを汲み取ることが得意な由比ヶ浜ならではの判断だ。

 

 ……そんな彼女を知っているからこそ昨日の出来事が悔やまれ、必要以上に意固地になってしまっているのかもしれない。

 

 

 状況を理解した俺は自分の席に座り、SHRが始まるまで寝たふりで過ごそうと突っ伏した。耽る余裕が出来た為か、更なる懸案事項にも気づいてしまう。

 

 ――――もう一人の当事者である川崎とどう接するべきか。

 

 彼女とは昨日電話で話しているし、気まずさという点はあまりないが戸惑いはある。

 何故か。それは川崎が由比ヶ浜以上に何を考えているのか全く理解出来ていないことに起因していた。

 

 この数日は俺にとって驚天動地の出来事ばかり。メールで告白されたり、熱で倒れた川崎を保健室まで背負ったり、極めつけが小町にトラウマを植え付けた事案(キス)だった。

 ここまでしておいて俺と由比ヶ浜にカップル割をさせようとした行動。

 かと思えば川越なる保母さんに扮し、自らが偽りのカップルを演じる奇行。

 

 感情の理解は俺の苦手とするところだが、それを差し引いても彼女の行動原理は常識を逸脱している。混乱しか生まないレベルであり、何がしたかったのか納得いく答えが出せぬまま現在に至るのだ。

 

 好きな人を独占したい気持ちは誰しもが持つ自然なエゴである。俺の立場なら、たとえ偽りだとしても戸塚を他の男に差し出すことなど許容出来るはずがない! ――って、好きの意味違っちゃってるなこれ。

 

 ……本題から逸れた。

 要は、告白した相手をわざわざ別の女(由比ヶ浜)に宛がうことで告白の信憑性が損なわれたが、フォローに際した行動(キス)が好きじゃなければ出来ないものだったという不可解なお話。

 

 言ってる俺も訳が分からない。三歩進んで三歩下がる、とでも言えばいいのか。

 いや、告白された時点で三歩進んでるから由比ヶ浜とのカップル割を勧められた時点で三歩下がったということになる。つまり、その後の偽カップル割のターンが消化されていない。

 俺にとってこれがどちらに該当するのか思索するも答えは出ず、最初に告白された(・・・・・・・・)ことを三歩進むと直覚したことに自分でも気付いていなかった。

 

 続々と登校してくる生徒の中に川崎の姿はない。

 考えてみればクラス内で俺と川崎には絡みがない。何だったらクラスの誰とも絡みがないまである。ここ最近の関係が特殊だったのだ。無論、ちゃんと機会を作って話さなければいけないこともあるが、取り合えず教室では今まで通りの距離感を保つことでお互い不利益はないはずだ。

 

 そう結論を導き出し準備(寝た振り)を整えても、やはり期待を裏切られるのが比企谷八幡という人間らしい。予鈴が鳴りSHRが始まるも、窓際の空席――頬杖を立て窓の外を眺める姿――が埋まることはなかった。

 

 朝のホームルームが終わると教室内は束の間の喧騒に包まれる。

 SHRの最中、ずっと川崎を待ち侘びていた。出し抜けに川崎が入ってきても動揺せず済むようにとのネガティブこの上ない翹望(ぎょうぼう)。そこに意識の大半を奪われていた俺は、突如襲い来る別方向の刃に備えがなかった。

 

「南ちゃん、おはよー」

「やっほー、みなみちゃん」

 

「あ、お、おはよー」

 

 聞き覚えのある声が教室外から雪崩れ込む。顔を上げずとも分かる声の主はモブ子(ゆっこ)モブ美()。遺憾ながらこいつらの声と名前は俺の記憶に刻み込まれていた。

 わざわざ別クラスから相模に会いに来るとか友達みたいなことするなこいつら。『よっ友』の定義に反しているぞ。条約違反だ。

 もう一年近くもこのクラスで過ごしF組という空間が醸成されているせいなのか、他クラスにまで『よっ友』が会いに来ている光景の異質さなのか、もしくはその両方か、二人がここにいる違和感が凄い。その話声はざわついた教室内においても不協和音のように耳に付く。気づけばそんなつもりもないのに耳を(そばだ)てていた。

 

「みなみちゃんのクラスって今日現国ある?」

「え? う、うん。あるけど……四限かな。どうして?」

「よかったー、実はうっかり教科書忘れちゃったの。神様仏様みなみちゃん、うちら次の授業だから貸して欲しいんだよね」

「あ、うん、いーよ、いま出すね」

 

 わざわざ教室まで来て何事かと思っていた相模は、拍子抜けしたように鞄の中を探る。

 なるほど、忘れた教科書を借りる目的でなら態々来るのも納得だ。『よっ友』条約は今日も履行されていた。

 それにしても「神様仏様」まで口にしてんだからそこは「南様」じゃないのかよ。(おど)けたやり取りにすら『様』を付けないのは、相模が尊敬の対象ではなく自分達より下だという階級意識が滲んでいる、と見るのは流石に穿ち過ぎだろうか。これで同じ時間に同じ授業があって借りに来ていたら未必の故意が成立するが、たまたま担当教諭がかぶっていただけの可能性もあるし、真相は……言わぬが花だろう。

 

 俺にとって価値も興味もないお喋りが耳に流れ込んでくる。さながら消滅危機言語をスピードラーニングするかのようで、心の底から無駄と言いたい。無駄で益体のないくせに、寝たふりを忘れうっかりツッコミそうになる内容だから始末が悪い。

 

 やれ最近オープンした店がお洒落だの、やれ女バスの先輩が引退したのに未だに部活に顔出して来るのが迷惑だの、極めつけは、来週から期末考査なのに全然勉強してないだの。

 だったらこんなとこでダベってないで試験範囲の復習でもしてろ。教科書借りたんだから出来るだろうがと叫んでやった――心の中で。これが昨日映画観て休日を謳歌してた奴等の科白なのだから理解に苦しむ。

 

 映画といえば、重大なことを思い出した。そんな俺の思考を先回りするかのように話題が流れていく。

 

「はぁ~、こんなことなら観に行くんじゃなかった~、評判ほどじゃなかったし映画の前に変な物見せられるし」

 

 『変な物』

 

 それを皮切りに極一部ではあるが、教室の空気が怪しくなっていく。

 

「? 結衣、どしたん?」

「う、ううん、なんでも、ない……」

 

 モブ子の吐き捨てるような愚痴に由比ヶ浜が反応してしまったのか、三浦は不思議そうに声をかけていた。

 無理もない。当事者にとってはカップル割事件を仄めかす以外の意味に取れず、動揺の一つも見せよう。ただモブ子の言う『変な物』と由比ヶ浜の思い当たる『変な物』は行き違っているように感じる。

 

「ホント、信じられないよねー、あんなん公然猥褻だっつーの」

「ほんとほんと」

「あはは……」

 

 核心を暈しながらごてる相模達。その声にじわじわとダメージ(Dot)を受ける由比ヶ浜。

 両者の思惑に通ずる身として言えるのは、奴等に由比ヶ浜を弄る意図はなく、矛先が俺に向いているということだ。

 しかし、それを知る由もない由比ヶ浜は拒絶し嘲笑されたことを指しているように受け止め、奇跡的に噛み合ってしまった。要するにノセボ効果とアンジャッシュ状態を足して二で割ったような状況。……うん、余計分かりづらいですね。

 

 この状況を打破する方法は二つ。

 

 一つはモブ子とモブ美がこの場からいなくなること。

 女子特有のお手洗いへ連れ立って行くとか、予鈴が鳴る(タイムアップ)など手段は問わない。

 

 もう一つは由比ヶ浜に事実を明かしてやることだ。

 奴等の言葉に他意――正確には由比ヶ浜に対して――はない。つまり、本来由比ヶ浜は傷つく道理がないのだ。彼女を傷つけているのは彼女自身の心であり、思い込みという棘を抜いてやれば自ずと解消される。

 だが、伝えようにも普段教室では絡みがない俺では不可能である。今できることは隔靴掻痒の思いで顔を伏し、嵐が過ぎるのを待つことだけだった。

 

 伏したまま、この淀んだ空気が支配する教室内を窺うぼっちイヤー。ぼっち嫌? 何言ってんだ、ぼっち最高だろ、ぼっちイヤー(地獄耳)だよ。それと並行して周囲に気取られぬようちらりと盗み見る。

 人間は八割以上の情報を目から得ていると言われ、やはり見なければ始まらない。ちなみに聴覚は一割未満だ。ぼっちイヤーの有用性に疑問を抱きながら諜報活動を開始する。

 

 チェーンメール騒動の時もこうして他人の動向を窺ったが、今回の難易度はその比ではない。あの時の葉山グループ連中は、俺に対して路傍の石が如く無関心。だからこそ易々と人間観察を許したのだ。

 しかし、いま様子を窺う相手共は俺を意識して――というか敵視しており、何だったら隙あらば向こうから仕掛けてくるのではないかというほど窺われているまである。そんな状態の相手に探りを入れるのがどれだけ危険か。下手をすると、ふとした拍子に視線がニアミスどころかバッティングしかねない。そりゃそうだ。お互い同じような行動してるんだからバッティングしない方がおかしい。何それシンクロ打法? 打率良さそう。千葉ロッテの選手達も俺を見習って欲しいものだ。なんならヘッドコーチとして招聘されるのも吝かでない。

 

 惚けた妄想で平静を保とうと試みてもやることは変わらない。この世は諸行無常に支配されているのではなかったのか。事態の変化が起こらぬ現状に幾ばくかの不条理を感じる。

 

「――それにしても、プリキュア! プリキュアって!」

「そーそー、ないよねー、ウケる」

 

 話題はいよいよ本丸へ到達する。

 明確に悪意を込めプリキュアを解き放つ。その銃弾は俺を貫通し、由比ヶ浜にも着弾した。こいつは、強力過ぎる。……違う劇場版アニメの科白だった。

 

 「俺を貫通した」と評した自分の言葉に妙な説得力を感じる。銃弾は貫通するより体内に残る方が深刻なダメージを与えると聞く。貫通した俺とは『プリキュアを愛執するキモオタと喧伝される』ことを意味し当然ダメージを負うが、興味どころか存在を認知されない俺の嗜好を聞かされたところで興味が湧くはずもなく「へー(棒)」で終わってしまうコンテンツ。

 それに対して弾が体内に残った由比ヶ浜。俺とは比較にならないほど事態は深刻だ。

 

 近年は市民権を得たアニメ。それでもリア充代表由比ヶ浜の株価を暴落させるバッドステータスであることには変わりなく、三回ほど社会的に死ねる内の一回に該当する。例外的に『ジブリだったら』という文言(バフ)が付与されれば由比ヶ浜のバッドステータスは解除されるが、観てしまったのはプリキュア。現実はどこまでも残酷である。

 

 ちなみに、同じくアニメやマンガを趣味としている海老名さんにこのルールは適用されない。『触れるな危険!』という暗黙知に守られた全く羨ましくないキャラ付けである。

 

 由比ヶ浜の様子を窺うといよいよ余裕が無くなってきたのか、完全に背を向ける体勢。三浦達というより、壁と話してるってくらいに不自然なベクトルである。モブ子の一言一言にびくりと反応し、手は忙しなくお団子とスカートを往復する。『動揺』が教科書にそのまま載っていてもおかしくないくらい完成された立ち居振る舞いだ。

 

 「気の毒」とは思うが、もう一方で「仕方がない」とも感じていた。

 

 そう、これは由比ヶ浜の行動が招いた結果。

 相模達に出遭った時、いや、カップル割を勧められるより前、プリキュアの映画を観に行きたいと頼まれた時から俺は反対していた。幾度も引き返すチャンスはあった。なのに強行し続け現況に至る選択をしたのは他でもない由比ヶ浜なのだ。

 

 毒にも薬にもならぬことを考えながら静観していると、女王様の御諚(ごじょう)にて教室内の喧騒が切り裂かれた。

 

「あんさー、違うクラスの人らは出てってくんない?」

 

 違うクラスの人らと暈しているようでその実、名指しの歯に衣着せぬ三浦らしい一言。ざわついてた教室が嘘のように静まり返る。それだけ女王の言葉には重み(と圧)があるのだ。

 由比ヶ浜の狼狽えようから何がその要因なのか勘付いての行動だろう。意外と周りをよく見ている。そういえば修学旅行の時もそうだったな。もっとも三浦の場合、ただ単に気に入らなかった可能性が無きにしも非ずだが。

 

 モブ子達もカースト上位には違いないが、如何せん相手はトップカースト。相模がそうであるように、この二人も三浦に強く出られるとは思えない。さっきまでの由比ヶ浜が乗り移ったのではないかと錯覚するほどに三人は狼狽えていた。

 奴等からしてみれば狙いは俺なのに何故か三浦から敵意を向けられてしまう不条理に戸惑いの色を隠せずにいる。だが、実際は不条理でも何でもない。この話題で由比ヶ浜を刺激し三浦の不興を招くことに気付けなかったのなら、想像力が欠落しているか記憶力が欠如している。

 こうした分析も客観(俺は当事者の一人だが)視すれば普通すぐに気付けるものだ。しかし、こいつ等にとって昨日の出来事――いざ臨まんとしたカップル割を衆人環視の中、翻意させ晒しあげた所業――が取るに足らないものだと認識する度し難き人格ならばその限りではない。

 どちらにしても女王様の逆鱗に触れた奴等にそれを顧みる余裕はなく、この喫緊の問題をどうすればいいか思い(あぐ)ねていた。

 

 教室内が不気味な静寂に包まれている。

 クラス中の視線は端を発した三浦ではなく、クラス外生命体へと集中していた。その視線が、場の空気が、二人を異物だと判じている。

 

 この光景、覚えがある。

 

 俺は記憶の糸を手繰り寄せると腑に落ちた。

 

 ああ……外から見るとこんな景色だったのか。

 

 そう。これは昨日、映画館で俺と由比ヶ浜が晒された状況の再現。二人は今まさに、その身で因果応報という言葉を体現していた。周りから向けられた好奇の目と、そこに含まれる幾許(いくばく)の厭悪が二人を射竦める。

 

 なかなかのえげつない空気に傍で見ていた俺ですら思わず気後れしてしまう。

 これでもクラスという括りから漏れただけの、同じ学校の生徒に向けられた空気なのだ。であるならば、完全アウェーな映画館で俺達はどのように見られていたのだろう。それを思えば、この二人の公開処刑(執行人:三浦)に哀れみなど一切なく、むしろカタルシスさえ感じていた。

 

 女王様とそれが織り成す包囲網に身の置き所を失ったクラス外生命体はいよいよ逃走を計る。

 教室から出る寸前足を止め、睥睨してきた。その際、様子を窺っていた俺の視線とぶつかる。

 

「……」

「……っ‼」

 

 形容し難い形相で睨み付けてくるモブ子とモブ美。

 かの有名なモンバーバラの姉妹がバルザックを睨める形相、とでも言えば伝わるだろうか。

 

 ……タダの親の仇でした。

 

 だが、そんな呪い殺すような目で見ても無駄だ。日頃から雪ノ下にアンデッドのようだと評されている俺には死に耐性があるからな。ついでに言うと精神面でも耐性持ち。こちらは他ならぬお前達に文化祭で鍛えられたのだから皮肉な話である。

 

 その視線を流し気だるげに二人を眺めていると、今まで頭から抜けていたのが不思議なくらい重大な懸案が呼び起こされた。切っ掛け……というか要因そのものをたった今視界に捉えたからだ。

 

「…………そこ、立たれると邪魔なんだけど?」

 

 教室の入り口で佇むモブ子たちの背後に佇む影――鞄を肩に抱え不機嫌さを隠すことのない川崎沙希――はそう言い放つ。

 

 それが合図であったかのように予鈴のチャイムが鳴った。

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=260881&uid=273071


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39話 ほんわかと、城廻めぐりは安らぎを与える。

二週間以内に更新できました。

申し訳ありませんが、更新ペースの安定感は期待しないでください。
すすむときは早いですが、止まるとマジ全く浮かびません。


今回は超久しぶりのあのキャラが登場します。


 遅刻かどうか微妙なタイミングで教室に現れた懸案事項(川崎沙希)

 当初は昨日ブッチしてしまったことに対し改めて謝罪しようか悩んだが、降って湧いた疑問で上書きされた。

 

 この三人――相模グループ――は昨日のカップル割事件の当事者であり、川……越なる年上の保母さんと軽く会話までしてしまっているのだ。やり過ごせた時点で正体がばれていないのは分かっていたが、こうしてまた直接本人達と対峙し、もしも気付かれでもしたら……それが新たに浮かんだ懸案事項である。

 

「どいてくんない?」

 

「え、あ、」

「……っ」

 

 出逢ったばかりの頃を彷彿とさせるジャックナイフのような佇まい。モブ子は完全に気圧され、モブ美はひっ、と息を呑む。クラスの空気という化け物に呑み込まれ萎縮したところにこの追い打ちは相当効いたようだ。

 早々に、俺の懸案は杞憂であるとの結論に至る。

 

 逃げるように教室を後にする三人。

 ん? 一人多い気がする。お前(相模)はうちのクラスだろうが。何でお前まで出てんだよ。居づらいのは分かるが、この後出戻る気まずさはそれ以上だと思うぞ。

 

 安いコントのようなボケに冷静な分析をしていると、川崎がようやく教室に入って来た。さっきまでの不機嫌さが鳴りを潜め、その表情はいつも見せる物憂いなものではなく寂寥感を滲ませている。

 

 いつもと違うからといって必ずしも昨日のことが関係しているとは限らない。自意識の化け物が仕事し過ぎて社畜化してないか心配になるレベルで心配性。

 謝るかどうかの判断に窮していると、視線がぶつかりナチュラルに逸らされた。

 

 ……これ、昨日のこと気にしてるのかどうかマジわっかんねーな。

 第一、目が合ってずっとそのままだったらそれこそ不自然過ぎて何かあるかと勘繰っちまう。むしろ、逸らされる方が普通っぽいまである。情報が少な過ぎて判断に至れない。

 当初懸念していた通り、教室でコンタクトする手段などないのだ。ブッチの罪は電話の謝罪で完了したものとする。よし、決定。

 

 一応、納得出来る答えが導き出され、再び顔を伏せる。

 騒ぎの元凶がいなくなり、教室内は普段通りの空気に戻っていた。

 

(……あ、今日から部活ないって由比ヶ浜に伝えてあんのか?)

 

 下駄箱でのやり取りを思い出した俺はもう一人の部員に告知されていない事実に気付く。

 

(……ま、雪ノ下がメールかなんかで知らせるよな)

 

 今朝のことが記憶に紐付けられていたのか、雪ノ下の名と同時に去り際の後ろ姿が浮かんだ。

 心臓が予期せぬ脈動を起こす。不整脈かしら、などとおどけてみるも気分は晴れなかった。

 

 

      × × ×

 

 

~昼休み~

 

 四時限目終了のチャイムが鳴ると、購買組が我先に教室を飛び出していく。あまりの勢いに教師が見咎め、授業で使っていた指し棒で尻を折檻(大袈裟)されるのもしばしばだ。

 

 先生、最近はそーゆーことに色々煩いから気をつけてくださいね。モンペとかクレーマーとか。だとしたら平塚先生は既に手遅れかもしれない。「次は当てるぞ」ならまだしも、遅刻した時ホントに当ててきて教室でダウンしたしな。そのお陰で眼福に与れたのだから文句は言えないが。

 

 まあ、こういうことは信頼関係で成り立つものであり、お互いにそれが分かっているから起こる。わざわざそんなことまで考えなければいけないとは住み難い世の中になったものだ。

 

 ステルス機能を発動させ、のろのろと購買部へ向かう。教室を出る際、ちらりと後ろの席に目を配ると今日ずっとこちらを窺い何度か目が合った由比ヶ浜の姿が見える。

 

 席を立つ素振りも見せず、三浦達と話しながら弁当を広げていた。由比ヶ浜なりにお礼の意味合いもあるのか、今日は雪ノ下とではなく三浦達と教室で食べるようだ。三浦に事情は話していないだろうが、何となく先程の行動が由比ヶ浜にとってプラスになったと感じ入るかもしれない。

 

 

 次に視線が追うのは窓際後ろの席。先週、生まれて初めて俺に弁当を作って来てくれた女生徒は、朝の時と同様に物寂しさを漂わせたまま窓の外を眺めていた。

 今朝会うまでは、ちゃんと話さなければなどという所感を抱いてたが、彼女の雰囲気を前にそれが憚られた。

 

 由比ヶ浜とは対照的に、昨日あれだけのことがありながらここまで俺に対し意識を割いている様子もなく、ほぼ普段通りといった振舞いを続けている。それだけでも改まって話しなどしづらいが、加えて唯一違う部分にその表情が挙げられた。いつもなら物憂げのはずが、今日は寥寥たる表情で窓の外をぼんやりと眺めているのだ。

 

 気だるげとは明らかに趣が異なり、儚さを伴う哀感。エンジェルラダーで無理をして働いていた時ですら見せなかった気丈な川崎が苦悩の片鱗を滲ませていた。

 

 そんな彼女に、おいそれと話し掛けれるほど無神経でも不感症でもない。不感症は違うか。戸部でもない、だな。戸部ならどんな空気だろうが話し掛けれる胆力を持っている。言い換えるなら繊細な心や考える頭脳を持ってない。戸部マジリスペクトだわー。

 うん、リスペクトに土下座したくなる不適切な用法。戸部には謝らないのかよ。

 

 戸部のお陰で緊張が解れ冷静になると、既に起こした失策にやっと焦点が当てられる。

 

(…………あれ、昼休み入ってから結構時間、経ってるじゃん……パンあるのか?)

 

 致命的な出遅れで結末は見えていたが、弁当を持っていない俺に選択肢はない。

 

(まぁ……選ばなけりゃ何かしら残ってんだろうよ……)

 

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 

 

      × × × 

 

 

 今の季節を立春の候などと表現するのは手紙上の話だと身をもって実感する。寒風は容赦なく肌を刺し切り刻み、癒されるはずの天使の舞い(戸塚の昼練)は期待も空しく拝謁が許されなかった。

 

 奉仕部が休みなのだから戸塚も練習を休む可能性に何故気付けなかったのか。天使に謁見出来なければベストプレイスに一体何の価値があるというのだ。きっと今の俺の目はドロドロに濁っているだろう

 

 ぼさぼさの髪が冷たい風に揺られている。背中の丸まりは普段の二割増し、目の濁りは三割増しといったところか。その重い足取りは、さながら敗残兵を想起させる。向かった戦場(購買)が既に殲滅状態(Sold Out)であったからだ。

 

 

 今日は何という日だろう。

 昼食が抜きになった、などという瑣事に込めた言葉ではない。

 

 俺を取り巻く人間関係の急激な変化。

 

 謝ることが出来ない小町の姿勢が、

 由比ヶ浜のすっきりしない態度が、

 雪ノ下の一方的な否定が、

 苦悩を抱える川崎の存在が、

 

 その全てが俺を苦しめていた。

 

 同時に、俺の中にいるもう一人の自分が訴えかける。

 その全てが、出口の見えぬ俺自身の心の問題に起因して引き起こされたのだと。

 根拠はない。だが不思議なくらいに確信もあった。

 

 唯一の救いはかじかむ指にじんと痺れる熱さを伝えてくれるマッ缶の存在くらいである。

 

 

 震える身体を温めてくれた甘いコーヒーは、その熱を体内に移すのと反比例して冷たくなっていく。

 天使がいないばかりか空風を凌ぐ場所すらない、全くもって価値の無くなったベストプレイス――もはやその呼び名自体相応しくないが――で腰を下ろしマッ缶を啜る。

 

 こうなると教室に戻って文明の利器を享受するのが最善であるが、そう思うのは皆同じで教室はごった返してるだろう。

 ここに来るのは元々は一人になりたいが為でもあるのだ。

 人口の疎密と寒暖はトレードオフ。そう自分に言い聞かせ、残された価値に縋るように居座り続ける。

 

 

 ……違うな。それは単なる誤魔化しに過ぎない。

 いつもの昼飯はそうかもしれない。寒さのデメリットを差し引いても一人で気兼ねなく食べたいからだという行動原理は我ながら納得できる。

 

 しかし、今は違う。

 敗残兵たる俺は戦利品を得られなかったのだから、せめて教室に戻って暖を取るべきだ。なのに自分を誤魔化し、こうしているのは別の理由があるから。

 

 

(…………あいつらに会うのが怖い、のか……)

 

 ぽつりと心に浮かぶ考えに意外なくらい得心してしまう。

 

 甚だ自意識過剰かもしれないが、このまま教室に戻って昼飯抜きの俺が机に突っ伏したとして、それを見咎める者がいたとしたら……

 

 もしも由比ヶ浜が、昼も食べない俺を見て具合が悪いと勘違いして話しかけてきたら。

 もしも川崎が、今日も弁当を作ってくれていて話しかけようとしてきたら。

 もしも雪ノ下が、何時ぞやの時のように由比ヶ浜と一緒に昼を摂るつもりでF組に呼びにきたら。

 

 教室に戻ることで起こるこれらの不安要素を無意識の内に避けていたのかもしれない。

 理解できないものは酷く恐ろしい。今のあいつらに抱く印象がそうであるように。

 

 小町たちの合格祝いで安らぎを抱いた時間がずいぶん昔に感じられる。

 俺達はどこでおかしくなってしまったのだろうか。

 

 マッ缶を飲み終えて地面に置くと存外に音が響いた。それだけひと気のない静かな場所だと主張しているようだ。

 

 

 

「あ、いたいた」

 

 静寂を破る声音が天使降臨の(しるし)となる。

 

「比企谷くーん、今日もここでお昼なのかな?」

 

 三度、城廻めぐり前生徒会長がベストプレイスへ現れたのだった。

 

「ま、まあ、そうですね」

 

 にこにこと癒しオーラ全開の彼女は当たり前のように俺の隣へと腰を下ろす。

 ふわっとした癒しのアロマが鼻腔をくすぐる。あまりにも近いので間隔を空けようと横へずれる。ソーシャルディスタンスは大事です。その心掛けを嘲笑うかのようにずれた分と同じだけこちらに近づくホーミングめぐりっしゅ☆

 

 さっきまで俺を取り巻いていた空気が嘘のように浄化されていた。さすが総武が誇る二大天使の一角。今年で卒業しちゃうけど入れ違いで小町が入学するから二大天使安泰ですね。

 

 ――小町、と思い浮かべると必然的に今朝のことが頭にちらつく。

 自然と表情筋が強ばっていくのが分かった。

 

「んん? どうしたのかな比企谷くん」

 

 表情の変化を読まれたのか、心配そうに呟くめぐり先輩。ただでさえ近いのに顔を寄せ上目遣いで覗き込まれると、これもうこのままむちゅむちゅしちゃうのではという体勢に見えてしまう。想像に若干の変態性を帯びていたが、大丈夫だ問題ない。変態は問題にしない限り、変態ではないのだ。

 ……過去の発言を流用してみたものの、明らかに失敗である。四文字違うだけでこんなにも力を失うとは。問題になってないだけの、ただの変態だったわ。

 

「ああ、分かった。比企谷くんお昼が足りなくてご機嫌ナナメなんだね」

 

 否、正解は『食べていない』です。

 まあ、中らずと雖も遠からず、といったところか。

 

 敗残兵と答えたら通じるだろうか?

 

「お昼休み始まってそんなに経ってないのにもう食べ終わっちゃってるもんね」

「はあ……まあ……」

 

 当たり障りなく反応したつもりが、上手い返しが出てこなかった。

 

 「嘘を吐くのが苦手なのではない。他人と話すのが苦手なのだ」―比企谷八幡『敗残兵のベストプレイス』より―

 

 ……名言風に宣ってみましたが、ただのコミュ障ですね。ありがとうございます。

 大体なんだよ敗残兵のベストプレイスって。ぼっちがパン買えなくて一人腹空かせる書籍とか売れねーよ。

 

 そういえばめぐり先輩がどうしてここに来たのかまだ訊いていない。

 いや、俺から訊くってのもらしくない行動か。ここは待ちだ。待ちガイルの境地でじっと待つ。リュウケンとダルシム以外全てに通用する最強のスタイル。ガイル以外に7キャラしかいなくて3キャラに通用しないのに最強とは? 名前負けも甚だしい。俺ガイルには沢山のキャラがいるというのに。ん? 俺は何を言っているんだろう。

 

 隣に座るめぐり先輩を横目で観察すると、もじもじまごまごそわそわぽわぽわしていた。

 最後のやつはめぐり先輩の標準動作だった。

 

 いつもは落ち着き払っている……かどうか普段目にしていないので端倪(たんげい)すべからざることだが、由比ヶ浜や一色のようにJK然としたイメージはない。

 実際、あと一ヶ月でJDにクラスチェンジするので当たり前といえば当たり前か。

 

 忙しなく動く手が最も経由する黄色い巾着袋(風流)は、二段重ねかと疑うほどの標高があった。

 めぐり先輩、意外とお食べになるんですね。それともデザート類の入った別タッパーかな。

 

 めぐり先輩は弁当を食べに来たわけだ。少し考えればすぐ分かるはずだし、先週も二回ほど昼をご一緒したばかりで今やっと思い当たるとか相当失礼だな俺。

 

 ただ神視点からすればバレンタインの日にご一緒したお昼はもう二年以上前の話だし、そういう意味では思い出せなくても無理はない。ホント俺なに言ってんだろうな。

 

 とにかく、さっき咄嗟に嘘というか、言葉を濁していて良かった。

 ここで真実を打ち明ければ心優しいめぐり先輩のことだ。お情けを賜る――自分の弁当を俺に分ける――流れになるのが明白過ぎる。

 

 日が東から昇り西へと傾くように。

 平塚先生が生涯独身であるように。

 これら全ては世の理である。

 

 めぐり先輩の優しさを説明してたら何故か平塚先生の絶望に繋がるという話題の飛び方がエグい。週刊少年マンガ一週買い損なうくらい飛んだぞ。合併号とかでよくあるんだよあれ。

 

 この場に居ない恩師(に対して思うことではない)を無駄に傷つける思弁で気慰んでいると、消え入りそうな声音に引き戻された。

 

「じゃ、じゃあ、お弁当、い、一緒に、た、食べない?」

「え、……あー、その……」

 

 めぐり先輩がたどたどしく言葉を積み上げて完成した要望は、さっきの懸念そのものであった。

 いや、だからそうなるのが申し訳ないから空言でやり過ごしたんですって。などと思ったところで伝わるはずもなく、どうやって断ろうかという方向に考えがシフトしていた。

 

 いやそりゃね、俺も本心をいえば食べたいよ?

 だが俺はあくまで専業主夫志望であり、謂れの無い施しを受けたい訳ではない。

 愛する妻が外で働いて疲れて帰ってきたところを奉仕する。その結果、労働の対価が生まれ、心置きなく受け取れる報酬となるのだ。

 

 文面だけ見ればすげーまともなこと言ってるのに何故気持ち悪く聞こえるのでしょうか。

 

 薄々勘付いてはいたが発言の内容よりも誰が言ったかで印象が決定してしまうらしい。『生徒会選挙≒人気投票』という図式に通ずるものがある。

 

 例えるならば「俺は自宅警備しているから君は安心して出掛けたらいい。夕飯の支度は帰ってきから始めればいいよ。出来るまで楽しみに待ってるからね」などと、女に働かせて飯まで作らせるというヒモ生活を享受する男の科白。

 何処からどう見てもあたおか発言だが、発信者が葉山で爽やかな笑顔を持って囁けばアリだと感じてしまう女子は多いのではないだろうか。科白も葉山っぽく喋らせてみました。そして例えが衝撃的に長い。

 

「今日はちゃんと、ばっちり着込んできたから問題ないよ!」

 

 学校指定のコートを着込み、確かに防寒対策万全のようだ。

 

 前に二度、ここで食べた時は寒さに耐え忍びながらだった。俺が頑なに移動しなかったからってのもあるが、めぐり先輩がここで食べなくて済むよう先に立ち去ろうとしたのに、その俺を引き留めたのもこの人なんだよな。だから、俺は悪くない。冬が悪い。

 所々足りない言外の部分を、その言動も含めて頭の中で補う。

 

 過去、二度とも引かなかっためぐり先輩が今日に限って引くとは思えず、施しを受けるのを是としない俺。

 もう弁当という足枷もない今の俺なら図書館に避難する選択が最善だろう。

 

 結論が出ると素早く行動に移す。空のマッ缶を持って立ち上がり図書館へ。それを阻むように左手を掴まれた。予想はしていたものの、柔らかな手の感触にどきっとしてしまう。

 

「え、ちょ、ど、どこいくの?」

「あー、いや、寒いので図書館に行こうかと」

「え、え? じゃ、じゃあ、私も一緒に行くよ!」

 

 ふっ、かかったな。

 今のあなたが図書館へ同伴するには致命的な欠点がある。同伴とか言っちゃったよ。

 

「残念ですけど図書館は飲食禁止ですので……」

「ちょっと待って」

 

 柔らかだったはずの手がまるで別の手と入れ替わったように荒々しく左手を握り込む。握撃というやつでしょうか。このままトランプの一部を引き千切るように俺の左手を扱わないでいただきたい。それだけは切に願います。

 心の中でおどけたものの、めぐり先輩の表情は真剣で茶化せる雰囲気ではなかった。

 

「……まだ私のお弁当食べるかどうか答えてもらってないよ」

「んぐ…………」

 

 誤魔化し切れてなかったようだ。

 どうしてそう俺を餌付けしたがるのか。

 角が立たぬような上手い捻くれ理論を思索していると先手を打たれた。

 

「……比企谷くんは、私とお昼食べるの、イヤ……なのか、な……?」

 

 伏し目がちにぽしょぽしょと呟く。

 瞳から溢れ出そうになるものは、もしかしなくても涙であり、かつての「最低だね」発言が蘇る。その時よりも悲しげな表情が俺に強い罪悪感を植え付けた。

 捻くれた答えに知恵を絞っていた己の愚かさに憤りすら感じる。

 

「……すいません。そういうことじゃなく城廻先輩のお弁当を分けて貰うのが申し訳なくて、何とかはぐらかせないかと……」

 

 これ以上の誤解を生まないよう直截に言ったが、はぐらかすとかこれもこれで酷い内容だ。

 懺悔するように瞑目し、めぐり先輩の言葉を待つ。

 

「…………」

「…………」

 

「…………私のお弁当が食べたいの?」

「え、あ、食べたくないということもなくはないです」

「どっち⁉」

「むしろ、食べt……いや、なんでもないです、はい……」

 

「…………」

「…………」

 

「比企谷くんのお弁当じゃなくて?」

「俺の弁当? 俺は弁当持ってないですけど」

 

「?」

「⁇」

 

 悲しみの表情から一転ぽかんとした表情へ。

 マンガなら、きっと二人の頭の上には『⁇』マークが浮かんでいることだろう。

 解読の取っ掛かりすらない俺に先んじて答えが閃いたのか、めぐり先輩はぽんと手を打ちつつ破顔した。

 

「あ! そっかー、そーゆーことだったんだぁ」

「城廻先輩?」

 

 一人得心しためぐり先輩は全身で「なーんだ」という表現をしていた。

 

「ねえ、比企谷くんは私の作ったお弁当(・・・・・・・・)食べたい?」

「え、それ、さっきと同じ質問では……?」

「食べたい?」

「さっきとどう違「食べたいの?」…………」

 

 笑顔の奥底に有無を言わせぬ圧を感じる。めぐり先輩ってこんな感じの人だったっけ?

 

「あ、あー、食べたい……です。でも城廻先輩の分を貰うわけにはいかないので遠慮しときます」

 

 ようやく理由まではっきりと答えることが出来た。全くもってめんどくさい性格だ。

 

「ふーん、じゃあ一緒に食べられるねー」

 

 え、話聞いてた? 分けて貰うのが悪いからって言ったよね?

 

「じゃーん! こっちが比企谷くんの分で、こっちが私の分!」

 

 言いながら種明かしの要領で弁当箱を二つ並べて見せてくれた。

 

 ……なるほど、道理で話が噛み合わないわけだ。

 巾着袋の中身が二段重ねに見えた大きさも当然である。実際に二つあったのだから。犯人(弁当)は最初から二人(二個)いたということになる。

 え⁉ わざわざ作ってきてくれたの⁉

 

「どう……かな?」

 

 食べたいと言質を取っためぐり先輩は、言葉では不安げにしながらも表情は自信と確信に満ちていた。

 

 始めからちゃんと理由まで話していれば妙な誤解が生まれることも、それにより不安にさせることもなかった。こーゆーところがダメなのだろうか? ダメか、ダメだな。大事なことなので三回も心に思ってしまった。

 完全に直すことは難しいかもしれないというか絶対直せない自信があるのでTPOを弁えた使い方をすれば俺も周りもハッピーなのではなかろうか。差し当たってはめぐり先輩の要求に応じるところから始まる。

 

「…………………………………………」

「ながいよ⁉」

 

 素直に「もう一度食べたいです」と一言発するだけで了となるはずが、深い葛藤と躊躇いが生じ、果ては怯えて地蔵となった俺に向けられたそれ(ツッコミ)。10mの飛び込み台で行くぞ行くぞと意気込んだ挙句、日和ってしまう感じに似ていた。俺にとって素直とは地上10mの本能に訴える恐怖であったことに恐怖を覚える。

 決意してすぐ実践する機会に恵まれ、それを秒で不意にした俺は、捻くれの根深さを実感しつつ、今度こそ言葉にしようと意気込んだ。その時、事件は起こったのである。

 

「…………城廻先輩さえ良ければいただ……」

”くぅ~”

 

「⁉」

「――――っ‼」

 

 

 ……

 …………

 …………はぁ

 

 

 …………死にたい……。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 無言、沈黙、静寂、寂寞、幽邃、静穏、安寧、安らか...

 

 もし俺の目が写輪眼なら、周囲を支配する無音表現が文字としてこのように見えていることだろう。色で見えるんじゃねえのかよ。俺の故郷が英語圏ならばSlienceとかに見えちゃうんだろうか? いいえ、ここは千葉()です。

 ってか最後の方はそのまま召されてしまいそうな単語が並ぶが、現在の心境を顕すのにこれほど相応しい言葉はないだろう。

 

 恥ずい……死にたい……。

 

 そう、まさかの腹鳴である。

 あまりにも絶妙過ぎるタイミングは神懸りですらあり、ウサイン・ボルトがこのタイミングでスタートを切れていたならば人類最速の男はより高みへと昇っていたであろう。たかがStomach rumbleなのに話が荘厳過ぎた。って、だから何で英語なんだよ、ここは千葉()だっつうの。

 

 めぐり先輩は俯いて、こちらから表情を読み取れない。次第に肩が震えだし、全身に伝播する。

 

「…………っ」

 

「……あの……城廻、先輩?」

 

「……ぅ……くっ…………うふふ……あははは」

 

 始めは忍び笑いで必死に堪えていたようだが、徐々に大きくなっていき、ついにそれは大笑いへと成長した。その急激な成長曲線は筍のようで春の息吹を感じさせる。さすが立春の候と呼ばれる季節だ。

 ……筍かぁ……筍ご飯食いてえなあ。筍のきんぴらもいいな。筍のグリルなんて最高だろう。あとラーメンに乗ってるメンマも美味いよな。って最後の仲間外れ感よ。どう見てもラーメンの方が本体だし。なんだったら「馬鹿め、そっち(メンマ)が本体だ!」って言われても俺は喜んでラーメンを食うぞ。

 

 食べ物のことに思考が流れたせいで腸の働きが活発になったらしい。この身体は俺のいうことを全く聞かない。

 

”くぅ~”

 

「‼」

「んぶふっ⁉」

 

 二度目の腹鳴に反応しためぐり先輩は、両手で口元を押さえて何とか笑いを堪えようとしている。お気づきでないようですが、あなた既に大笑いしてますからその我慢に意味はないんです。手遅れですよ?

 心からのツッコミが通じたのか、我慢の限界を迎えたのか、押さえていた両手が決壊し、ひまわりのような笑顔を覗かせる。

 

「――あは、はははっ」

 

 ころころと笑うめぐり先輩の目には涙すら浮かんでいた。

 喜んでいただけて何よりです。こちらも身を削った甲斐があるというもの。鳴かず飛ばずで四十を過ぎようかという崖っぷち芸人がプライベートを犠牲に笑いをとりにいく心境。実際はお前のプライベートなんぞ視聴者様は毛ほども興味がねえんだよ、というケースが大半だ。つまり、めぐり先輩も俺の腹鳴なんぞに興味なんかねえよ、なに意識しちゃってんの? きもっ。

 

 ――おっと、これは明らかに中学時代、女子が俺に返す言葉第三位だった。ちなみに二位は無視(返してないし)で、一位は………

 

 

 

 ………………言いたくねぇ……。

 

 

 

 

「あー、おっかしい……ごめんね、笑っちゃって。でも、比企谷くん身体は正直なんだね」

 

 この科白にそこはかとなく卑猥さを感じてしまうのは男子(思春期限定)特有の性なので許して欲しい。思春期フィルターは時として放送コードに触れもしない一般的な言葉ですら反応し、都合よく変換してしまうのだ。

 単体では意味を為さぬ形容詞――例えば「大きい、熱い、硬い」など――も、ひとたび女子の口から発せられると思春期フィルターが発動する。脳内で修飾された語句にエンコード(変換)され、勝手に昂奮するのが男子(思春期もそれ以外も常に)というものなのだ。

 

 こんなことをつらつら考えてしまう辺り、やはり俺が変態であることにまちがいはない。

 ……タイトルがやば過ぎて発刊差し止めの未来しか見えない。

 

 ――閑話休題。

 

 

 腹の底から捻くれてはいると自覚していたが、腹までは捻くれていなかったようだ。それどころか、身体で表現しているにも拘わらず発声までするサービス精神。なにこのなぞなぞみたいな切り口。

 

 ともあれ、口と違い実に素直な返事(だって生理現象だもの)を聞いためぐり先輩は先程と違う朗らかな笑みで訊ねてくる。

 

「もちろん、食べてくれるよね?」

 

 ああ、これは反則だ。この笑顔に抗えるわけがないだろう。まるでゾンビに唱える二フラムのような笑顔に浄化されちゃう。目だけが腐った死体みたいなもんだし、目だけ浄化してくれませんかね。でも、よくよく考えたら二フラムって消し去る効果だっけ。俺の場合、目だけが無くなっちゃいそう。

 

「あー、えっと……」

 

 だが、さきほど10m下の水面に飛び込もうとした瞬間、腹鳴により意気を挫かれ羞恥が増大した俺は気持ちの立て直しがまだ出来ていなかった。へどもどして言い淀んでいると、めぐり先輩は急に表情を曇らせ目を伏せる。

 

「食べてくれないの?」

「あ、いや、その……」

「そっか、比企谷くん食べてくれないのかぁ……」

 

 めぐり先輩が寂しそうにぽしょりと呟く。

 俺の分であろう弁当箱を手荒びして「食べてくれないとこの弁当は処分しなきゃいけなくなる」と言外に匂わせてくるのだ。だが、それはまるで俺が食べる為の言い訳を用意してくれたようで、非難めいた感情は一切感じない。

 

「…………比企谷くんが食べてくれなきゃ、このお弁当捨てなきゃいけなくなるんだけどなぁ……」

 

 ちらちらこちらを窺いながら、口を尖らせ拗ねたように囁く。一色がよく見せる計算し尽くされたような行動も、めぐり先輩がやるとあざとくないのが不思議でしょうがない。

 

 俺の思考をなぞるようなその発言に、めぐり先輩と心が通じ合った気がした。

 

 ささくれ立っていた心が熱を持ち、じんわりと温められ、ほんわかと癒されていく。

 

 気付けば知らず知らずにいつもの俺に戻っていた。

 これが『めぐめぐ☆めぐりん☆めぐりっしゅ♪』効果か。『め』と『ぐ』がゲシュタルト崩壊しそう。

 

 心が軽やかになる実感を得た俺は、いつものように、とてもやる気がなく、めんどくさがりながら、こう答えるのだ。

 

「…………しょうがないですね。千葉県の食品ロス率が上がるのは千葉県民として避けなければいけないし」

「話の規模がおっきいよ⁉」

 

 捻ふざけると呆れられ、真面目にすると驚かれ、周囲は俺にどういう期待をしているのか。反応の理不尽さに、つい頭を捻ってしまう。

 

「まあ…………捨てるくらい困っているなら、俺が処理しますよ」

 

 言ってしまったものは仕方がないが、ちょっと酷い言い方ではないだろうか。しかし、そんな懸念もめぐり先輩は意に介さず再びひまわりのような笑顔で答えてくれた。

 

「うん! 悪いけどお願いするね!」

 

 謝られる謂われないんだよなぁ。しかし、この絵図はめぐり先輩が用意し俺が求めたもの。ならば、尊大に、乗せられたままやり通せ。それが、言い訳を用意してまで俺を行動し易くしてくれためぐり先輩への礼儀となる。

 ただ、ほんの少し素直になっても罰は当たらないだろう。

 

「…………それで、今日はどこで食べるんですか?」

「どこって、ここで食べるんじゃないの?」

「……城廻先輩はここで寒くないんですか?」

「え、……………………え⁉」

 

 おいおい、ちょっと驚き過ぎじゃないのか。なんで二回びっくりしてんの。しかも溜めがなげぇ……。

 

「じゃあ、ここで食べましょうか」

「ま、待って待って! うん、ちょうどいい場所があるから付いてきて!」

 

 めぐり先輩は嬉しそうに俺の手を引っ張る。

 

 こんな時、俺はいつもどうしていたのか。

 嫌そう? 恥ずかしそう? めんどくさそう?

 そのどれもが正解で、今の俺が不正解。彼女が力を込めずとも、俺は独りでに歩いていたのだから。

 

 笑顔を絶やすことのないめぐり先輩を見ていると、今日あった出来事が嘘であるかのように心が軽くなった。

 

 

 

つづく




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40話 ほんわかと、城廻めぐりは揺らしにくる。

ジャスト二週間での更新となりました。

もうちょっと先まで進んでいたのですが、このまま次の区切りまで行くと二万文字を超えそうだったので一先ずここで区切ります。

物語内時間の進みが遅い為、一度そのキャラが出ると連続で出演し続けます。今回もタイトル通り、城廻めぐり回です。

更新速度を優先(二週間も経ってるくせに)しているので、見直し足りないかも。
追加予定のとこ放置したままかもしれませんので見つけたら追記します。


 ベストプレイスを後にして校舎に入る。廊下は暖房がないので決して暖かくはないが、むしろ風が無い分、外よりもいくらかマシに感じられた。

 あんな環境で毎日昼飯とか、どういう神経してんだよ俺。得度でもしているの? 悟りを求めるという意味では合っているかもしれない。人を絶ち、俗世と関わらず、ぼっちの道を邁進する。

 

「…………」

「…………」

 

「…………比企谷くん」

「はい?」

 

「……どうして私の後ろを歩いてるの?」

「…………城廻先輩の「付いて来て」という指示を忠実にこなしているだけです」

 

 無論、この言葉に多少の含みもある。女子と並んで歩くなどある種、罰ゲームだ――女子側の。大和撫子よろしく三歩後ろを奥ゆかしくついて行けと義務教育(中学の頃)から躾けられ、それを実行しているだけだ。

 

 自覚がないかもしれないが、めぐり先輩はモテそう……いや、絶対モテる。ソースは(中学の頃の)俺。

 

 いくら可愛いかろうが、それが度を超えていたり、必要以上に派手な出で立ちの女子というのは男側が気後れすることも珍しくない。前者タイプは雪ノ下、後者タイプは三浦がその例に当たるだろう。その点、めぐり先輩は系統として海老名さんに近い。

 

 整った顔立ちであるが、近寄り難さはない。ほんわかとしてた雰囲気、愛らしい仕種、男女の分け隔てない柔らかな態度がそうさせているのだろう。加えて純朴さを演出するお下げもポイントが高く『俺だけが知っている超可愛い子』に該当する。序列一位グループの下位集団から密かに好かれ、また中間層、果ては最下層あたりの男子までもが『ひょっとして俺でも付き合えるんじゃね?』くらいの願望を抱くようなタイプの女の子。

 ここまでは海老名さんと似た評説だが、それでいて決定的に違うところがある。それはめぐり先輩が裏もなく人に対して積極的な面まで持ち合わせていることだ。こうした点を踏まえると間違いなく海老名さんの完全上位互換と言える。男子が理想とする女子像を具現化した存在、まさにDTキラー(最低の称号)と呼んでも過言ではない。

 

 中学の頃に同級生として出会っていたのなら、それはそれはトラウマ級の勘違いをしていたことであろう。出会いが高校で良かった。

 

 つまりだ。長々と論じてきた結果、何が言いたかったのかというと、それほどまでにおモテになるめぐり先輩の隣に俺が並び立つ手抜かりがあっていいはずがない。

 ベストプレイスでの二人きりは、見られた時のリスクこそ高いがその可能性は低い。人が寄り付かないからこそのベストプレイスだからな。だが、こうして昼休みに廊下を練り歩くのは話が別だ。

 

「んー、じゃあ、こうすればいいんだ」

「えっ、ちょっ⁉」

 

 とてとてと隣まで歩み寄り、俺の左腕にめぐり先輩の右腕がするりと絡みつく。抱くようにかかえられた為、お山が押し当てられる。

 ふむ、これはまた……川崎家で大志と話したお山談義に含まれていなかったのが悔やまれるほど結構なものをお持ちで。由比ヶ浜達には及ばずとも富士山(一色)を遥かに凌駕する……ってこの思考はまずい。意識し出すとまともに歩けなくなるかもしれん。煩悩を断ち切り、心を無にしよう……仏説摩訶般若波羅蜜多時……すんなり般若心経を口ずさむ辺り、やはり俺が得度しているのはまちがいない。

 この調子で一丁悟りでも開いてくるか、なんて最寄りのコンビニにでも行くような乗りで悟りを開こうとしていたら、先にめぐり先輩が教室の扉を開こうとしていた。

 

「ここって……」

 

 教室と呼ぶには少し手狭な部屋は俺達二人共が慣れ親しんだ場所でもある。いや、ある意味めぐり先輩は馴染みがないかもしれない。というのも、三ヶ月前にこの部屋の主が替わった時、しんみりと呟いたのが彼女自身であったからだ。

 いまや一色の根城と化し、部外者の俺が馴染んでしまったここ生徒会室。本日の昼食は書類整理です、とか言われそうで軽く眩暈がしてきた。

 

 まるで自室に入るような流麗な動きで扉を開き中へ。ベストプレイスは元より、廊下と比べても格段に暖かな部屋へ淀みなく導かれた俺の身体がいらっしゃいませ。なりたけ風にいえば「はい、らっせ」。今日はらっせの人がいるのか、ツイてるな。って待て、生徒会室にらっせの人がいるってどうなん? それって生徒会のお仕事も優秀な時のシフトなの? 俺、働かなくても大丈夫そう?

 

 期待に胸を膨らませていると、控え目に膨らんだ胸を当ててくるもうすぐJDな先輩が、空いた手で机にスペースを作っている。もう生徒会室に引き摺り込まれたんだし、逃げませんから手を離してもいいんですよ。あ、離さない方が嬉しいとか決して思ってませんから、はい。

 

「……ここ使っていいんですか?」

「最近、よくお手伝いに来てるから多少の自由は利くし遠慮しないでいいよー」

「あのバカ、受験生の城廻先輩に手伝わせてるんですか……」

「年度末は色々と忙しいし、私も指定校推薦決まっててその辺は融通利くから。だから、あんまり一色さんを怒らないであげてね」

 

 めぐり先輩を苦手としていた節がある一色からわざわざ頼むのは違和感があったが、これでようやく腑に落ちた。そういえばフリーペーパー作りの時なんか原稿の締め切りに追われてたな、何故か俺が。似たような案件が年度末という言葉の中に凝縮されているのだろう。そりゃ、めぐり先輩に頭も下げますわ。

 

「……それよりも」

「?」

「比企谷くんてさ、めんどくさがりだよね?」

 

 おっと、話題が飛んだぞ。しかも、この決めつけから入る感じは高確率で言質を取りに来ているのだと経験則で分かる。

 

「そうですかね、意外と……」

 

 待て、ちょっと待て。俺の経験則が正しい場合、これがブービートラップの可能性は高い。この先の展開が易々と想像できた。

 

①意外とそんなことはないですよ。 → じゃあ、生徒会の仕事手伝ってくれてもいいよね!

 

 うん、まずいな。となると……

 

②意外とそうかもしれませんね。 → じゃあ、たまには生徒会の仕事手伝ってくれてもいいんですよ!

 

 これはめぐり先輩の人物像には合わない答えだ。一色にこそ相応し……って、おい2番、これ完全に一色だろ、口調も。しかも、どこに「じゃあ」の要素入ってんだよ。前後の繋がりがおかしい。

 得意とするリスクリターンの計算を瞬時に終えた俺は、交渉相手がめぐり先輩であって一色ではないという事実を鑑み、2番を選択した。

 

「……そんなことはありますね」

 

 国語学年三位が口にする文法ではないが、途中から無理矢理内容を捻じ曲げたのだし言葉がおかしくなるのは仕方あるまい。妙な言葉遣いをスルーしてめぐり先輩は続ける。

 

「やっぱり、そうだよね。もしかして喋るのもめんどくさがっちゃうかな?」

 

 また予想が付きにくい方向へと話を持っていくものだ。それに意外と毒舌だなめぐり先輩。『喋るのもめんどくさい男=いま喋ってる俺の完全否定』という図式が成立するのだが?

 

「めんどくさいっちゃめんどくさいですね」

 

 文頭に「この会話が」と付けない常識くらいは持ち合わせている。

 

「そっかそっかー、そうだよねー、めんどくさいよねー」

 

 絶対嘘じゃん。めぐり先輩お喋り絶対好きじゃん。しかもなんで嬉しそうなんだよ。

 喋ってる俺の全面否定から、めぐり先輩の心にもない喋るのめんどくさい宣言とか、どういう意図があって、どのように終着するつもりなのだろう。逆に興味が湧いてきたわ。

 超難解な推理ドラマのつもりでめぐり先輩を注視していると、ピッタリと目が合ってしまった。

 

「…………あ」

 

 溜め息のように儚げな音が漏れ聞こえる。

 頬を朱に染めてためぐり先輩は目を逸らし顔を伏せた。

 ……ああ、そういえばずっと左腕を拘束されてたんだった。

 

 つまり? 近い、近いよ、めぐり先輩! なのに手は頑なに離さないどころか、むしろちょっと力強さが増した感じ。

 つまり? むにゅむにゅっぽよぽよん、をより鮮烈に感じ、なるほど着やせするんだなというキモい感想を抱く。

 つまり? やはり俺が変態であることにまちがいはない。―続―

 

 差し止められていたはずが続刊されてたよ、()()()()

 ……語感が死ぬほど悪い。略称をSNSで公募しなければ。いやいや俺そういうのやってなかったわ。また(使い捨てられる)材木座に頼むか。

 

「…………」

「…………」

 

 妙な空気が俺達を支配していた。室内の暖かさのみならず、身体の内からぽかぽかするような昂揚感とでも言おうか。左腕からもめぐり先輩の熱が送られてくる。

 

「…………」

「……あの……城廻先ぱ……」

「……それ」

「え?」

()()()()なんて、呼びにくいよね」

 

 多少、珍しくはあるが普通の苗字だし、なんだったら「比企谷」のが珍しいし呼びにくいけど?

 本当に呼びにくい認定されたければ「城廻」で小噺の一つでも作っていただきたい。世の中には「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の……(以下略)」なんてのもあるからな。これ、人名なんだぜ。嘘みたいだろ?

 

「いや、そんなことは……」

「呼びにくいよね」

「いや、そうでもな……」

「呼びにくいよね」

 

 昔のゲームによくあるあれだ。ほら、無限ループってやつ。ああいうのは、開発者がルートを脱線しないように用意するもんじゃないのかい? おっかしいなぁ、ここは現実のはずなんだが。

 世の中の摂理について問答したいところだが、生憎俺は神様と交信できないので目の前の「四月からJD先輩」と問答するとしよう。うん、これは確かに呼びにくし、やっぱ城廻先輩って呼ぶわ。

 

「城廻先輩、それはどういう……」

「呼びにくいよね」

 

 お、折れねえ……。

 というかこのままだと話が終わらず先に昼休みが終わるまである。呼びにくいと認めて前進した方がいいのか、したらしたでこの先どういう展開になるのか、脳内でシミュレーションしているとあちらの方から話しかけてきた。

 

「……しろめぐりって長いよね」

 

 察しの悪い俺に業を煮やしたのか、自ら会話に変化を付けてしまう。いみじくもループを抜けてしまった。

 

 それにしても――

 しろめぐり……長いか? 雪ノ下と由比ヶ浜も同じ五文字だし、特に長いとは思ってないが。

 めぐり先輩の意図が全く読めないことで、俺の脳は一時的に思考放棄を選択してしまう。

 

「……そうかもしれませんね」

「うんうん、だからさ、短くすればきっと呼びやすいと思うんだー」

「はい」

「うんうん、だからさ、めぐりって呼んだ方が短くていいと思うんだー」

「はい?」

「そうだよねー、じゃあ、早速呼んでみて欲しいなー」

 

 いやいやいやいや、あなたは一体何を言ってるんですか?

 呼ぶことを了承した「はい」じゃありませんから。二度目のは同意じゃなく疑問形の「はい?」ですから。

 

「さん、はい、どうぞー」

 

 聞いちゃいねー。いや言ってないけど。

 それに助走なしでいきなりどうぞじゃ、その気があっても言えないと思うぞ。

 

「落ち着いてください、別に城廻先輩は呼びにくくないですから」

「ええー、呼びにくいよ。だってみんな私のことめぐりって呼ぶよ?」

「みんなの中に俺は入っていないので城廻先輩と呼ぶんですよ。あと雪ノ下も」

「雪ノ下さんにも今度言っておくから、まずは比企谷くんがお手本を示してほしいな」

「誰に向けるお手本なんですか。雪ノ下に向けたら『あら、妙齢の女性を名前で呼ぶなんて、あなた葉山君にでもなったつもりかしら』って蔑視されますね」

「わー、すごーい、雪ノ下さんが喋ってるみたい」

 

 控え目な拍手で賞賛してくれるが、その間も俺の左腕は抱えられたままである。むしろ拍手する度、身体が捩れ肉感をそそるので厄介極まりない。

 

「城廻先輩、取り合えず離れてくれませんか?」

 

 じゃないと色々と問題が……って、めぐり先輩の表情が見る見る険しくなっていく。

 

「…………めぐり」

「は?」

 

「めぐりって呼んでくれなきゃ離れませんー!」

 

 ぇぇ……なにこの駄々っ子……。

 それに無茶だろ、異性を名前呼びしたことなんて小町と……留美くらいだぞ。その数少ない経験も片方は妹でもう片方は小学生。つまり今回のミッションにおいて全く助けにならないキャリアである。

 それにしてもこの態度はルミルミを彷彿とさせるな。俺より年上だけど、意外と精神年齢は留美並みなのか? 留美が大人びているのか、めぐり先輩が無邪気なのか、議論の余地がありそうだ。

 

「城廻先輩の五文字から二文字とったところで大差はないんで」

「えー、あるよー、だから呼ぼー?」

 

 にこにこ笑顔で楽しそうにおねだりしてくるめぐり先輩。

 くそ、なんだこれ⁉ 可愛いな、おい! 一色とは違う天然物に心が激しく揺さぶられる。

 だが、言ってることが可愛くねえ。手を離してもくれないし、このままだと本当に昼休み終わるのでは? 現時点の結果だけ見ると、この昼休み何をしていましたかという問いに、俺は迷いなく「生徒会室に監禁されていました」と答えるであろう。軟禁じゃないところが割とガチで怖い。だって拘束されてますもん!

 

「正確無比に呼んでこそ相手を正しく認識できると思いますから」

「じゃあ、比企谷くんが呼んでるのは鎌倉市にある地名なんだね」

 

 うわぁ……そうきたかー。いや、確かにあるけどさ、神奈川県の地名に城廻って。でもそれ、神奈川県鎌倉市城廻先輩ってことでしょ? 先輩って付いてるのに人名と地名をアンジャッシュ状態に持っていくのは斬新過ぎない? 土地が先輩ってどういうことよ。俺、来年度から鎌倉市に新土地神として納まっちゃうの? ちっす、今年度から鎌倉市立土地神校に入校した八幡です! ……待て待て、土地神(女神)って女子校じゃなかったっけ。まずはタイで施術してから願書記入するわ。ってか既に八幡神社とか鶴岡八幡宮とかあるじゃん。まさかのアンジャッシュ状態成立で論破されかけてた⁉

 いやいや、ボケ殺しのマジツッコミでここは乗り切る!

 

「その場合は、神奈川県鎌倉市城廻先輩って言うんで、正しく認識してないのは城廻先輩の方ですよ」

「うわー、比企谷くん真面目過ぎだよ……」

 

 自分がやりたくないことに関しては真剣に取り組むこの姿勢、もっと誉めそやして欲しい。

 

「それに、もしこれが試験だとして、解答を略して記入したら不正解にされますよね」

「私の名前って教科書に載っちゃってるの?」

 

 日本史の教科書に載っていてもおかしくはないですけどね。なんせ平山城があった場所ですし。

 このまま正論で押していこうと、さらに追い打ちをかける。

 

「最近はラノベのタイトルなんかも長いものが多いですしね」

「そうなんだー。「らのべ」って私読まないからよく知らないけど、どういうタイトルがあるの?」

「そうですね、例えばですが「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」とかありますよ」

「ふーん……それって毎回言うの大変じゃない?」

「だから普段は「ダンまち」って略して呼んでますね」

「………………………へー」

「あ…………」

 

 おふぅ……。

 何の為につらつらと至言を並べ立てたのか分からなくなるくらいに芸術的な自爆。

 こんな簡単に襤褸が出るとか至言の使い方間違ってんだろ。国語学年三位が聞いて呆れる。

 

「……比企谷くん」

「…………はい」

 

 勝ちを確信して嬉しさを隠し切れないのか、隠すつもりもないのか、それはそれは素敵な笑顔で名前を呼ばれた。俺の表情はきっと対照的なものであっただろう。

 

「略したほうがいいよね」

「…………んぐぅ……」

 

 思わず気持ちの悪い呻き声を上げてしまった。それもそのはず。ここで易々と屈服してしまうと、今後一切はこの人のことを「めぐり先輩」と呼び続けなければならなくなる。心の中ではいつもそう呼ぶが、口に出して呼べとなると、この世界で魔法を唱えろというレベルのミッション・インポッシブル。俺にめぐり先輩のような癒しの魔法は唱えられないし、一色のように魅了(チャーム)(男限定)を唱えられるわけでもない。

 

「いいよね?」

 

 返答のない俺に最後通告のような圧を込める一押しを放ってきた。

 ぐ……まだだ、まだ終わらんよ!

 あれだけ派手に自爆ボタン押(失言)しといて今更ではあるが、グリプス戦役時のシャアのように、手足をもがれても残ったバルカンでキュベレイを道連れにしようとする足掻きを見せてやる。

 

「百歩譲って、長いものを略すのは効率的だと言えなくもないですが、いま例に挙げたタイトルはあくまでラノベであってこのスタイルをそのまま人名に対して用いるのは些か乱暴ではないかと思うのですよ?」

 

 一色の振り芸が乗り移ったかの如き早口で一気に捲し立てる。

 めぐり先輩は目を丸くして「お、おぅ……」とでも返答しそうなご様子。

 

「で、でもね比企谷くん、人の名前でも愛称で呼ぶときは本名より短く略すことってあるんじゃないかなー?」

 

 正論だ。が、気持ちを強く持て。ここで押されるな。下がれば一気に持ってかれるぞ! 一体何と戦ってるんだよ俺。

 

「確かにそういうケースもありますが、そうでないケースもあります。むしろ俺の周りではそうでないケースが多いですよ。例えば妹が呼ぶ「お兄ちゃん」ですが、よく「ゴミいちゃん」という愛称で呼ばれます。両方六文字ですよね?」

「そ、そうだね」

 

 それって蔑称でしょ、とツッコまないめぐり先輩の優しさが滲みる。

 

「由比ヶ浜は俺のことを「ヒッキー」と呼びます。比企谷と同じく四文字です。どうです? これって別に略されてないですよね?」

「う、うん」

 

 それも蔑称だよね、ってツッコまないめぐり先輩(以下略)。

 

 ポム・スフレのように中身のないこの説得が今のめぐり先輩に通用するだろうか。冷静に聞くと、だからどうした? と一蹴されてもおかしくない。さっきから駄々っ子モード(初めて見る)に入ってるし。

 

「でも比企谷くんの愛称が略されてないからって、私を呼ぶ文字数を減らさなくていい理由にはならないよね?」

 

 駄々っ子でくるかと思ったら割と理路整然に反論してきたよ。

 それにしても諦めないなこの人、しぶとすぎだろ。ダイハードシリーズのブルース・ウィルスかってくらいにしぶとい。この二人、つるりとした綺麗なおでこがきらりと眩しいという共通点もあるしな。むしろ、そこ以外全ての要素が真逆まである。

 

 

 真面目な話、俺がこれから先の人生でめぐり先輩を何回呼ぶのだろうか。

 俺達は文化祭でたまたま知り合い、奉仕部を通じてより理解を深めた。しかし、学年が上であるめぐり先輩は、今年でこの学校を卒業してしまう。

 この間、連絡先の交換はしたが、俺の性格上、わざわざ自分から連絡などしないだろう。卒業して新しい環境に飛び込むめぐり先輩は俺達在校生よりも遥かに忙しく目まぐるしい日々を送り、過去を振り返る暇などない。

 つまり、たとえ要望を叶えたとしても、卒業まで一ヶ月を切ったこの期間内でしか「めぐり先輩」と呼ぶ機会はないのだ。

 

 一向に諦めてくれないめぐり先輩に嘆息しつつ、そう論理立てて説き伏せなければと重い口を開く。

 

「……いいですか? 一回呼ぶ毎に二文字短縮する効率と、こうして問答している文字数のどちらがより多くロスしているか比べるべくもないでしょう。その上、城廻先輩は来月卒業式ですから、俺が今後何回呼ぶかは想像に難くないですよね?」

 

「……………………え」

 

 驚きの声と同時に表情が固まる。

 まさかこの人、自分がもう卒業することに気づいていなかったのか?

 先程までの抵抗が嘘のように軽く茫然とするめぐり先輩。このままあっさり説得出来てしまうのではないかという希望を抱き、畳みかける。

 

「だってそうでしょう。俺と城廻先輩の進路は違うし、この先の人生で交わる場面も想像出来な……い……っ」

「……………………」

 

 視界に飛び込んできためぐり先輩の表情に思わず言葉が途切れた。

 眉根を寄せ今にも泣き出しそうなそれは、文化祭の後に見せた暗い表情を遥かに超える。腕を掴む右手にきゅっと力が込められた。まるで言外に何かを訴えている行為のように。

 

 俺達二人を支配する沈黙の間隙をつくように、かつんかつんというヒーターの音が耳に滑り込んでくる。音があることで、より静寂を意識してしまう不思議さに思考を奪われ、いつしか熱に浮かされたようにぼんやりとしてしまう。

 

 

 自然とただ見つめ合っているだけの状態が続くと、めぐり先輩の表情が幾分落ち着いてきたように見えた。

 脳が再起動し、俺達は一体何をしていたんだという疑問が浮かんで、ようやく正気へと戻る。

 

「え、えっと……」

 

 めぐり先輩の表情に意識を奪われ、記憶も奪われてしまったのか、どこまで話したのか認知障害と名の付くレベルの物忘れを発揮してしまう。

 上手く口が回ってくれず困っていると、助け舟を差し出すように微笑み、言葉にならない会話のバトンを引き取ってくれた。

 

「何が起こるかなんて、先のことは誰にも分らないよー」

 

 打って変わって明るさを取り戻しためぐり先輩に、重かった俺の口調も軽やかになる。

 

「いや、城廻先輩が卒業することは誰だって分かるでしょう」

「分からないよ? もしかしたら、今から留年するかもしれないもん!」

 

 異常なまでに困難な未来を力強く示唆するめぐり先輩に戦々恐々としてしまう。

 指定大学推薦が決まっており、現在自由登校の時期にどうやったら留年する分岐ルートが発生するのか。これで卒業出来ない未来を引くには、留年ではなく退学の方がよほど手っ取り早い。

 

「留年したら比企谷くんと一緒のクラスになれるかもしれないし」

 

 留年したらその可能性は少なくないかもしれない。文実の時、めぐり先輩の文理選択は文系だと傍聞きしたからな。ただ、前提条件(留年)の可能性がゼロなので、そも同じクラスになる可能性もゼロだった。

 

「比企谷くんが私と同じ大学に進学するかもしれないし」

 

 めぐり先輩が今から留年するよりは可能性がありそうだ。先輩の進学先知らんけど。

 

「もしかしたら私達がこの先、付き合ったりするかもしれないし……」

 

 そっかー、そうなったら確かに「めぐり先輩」と呼ぶ機会は爆増するよなー。

 同じ大学に進学出来なかったとしても、最低週一くらいの頻度では会いそうだし、週10回くらいはめぐり先輩って呼ぶかもしれない。いや、電話とか毎日しちゃうスタイルだったそれ以上だよなー。

 付き合っていけば当然、将来一緒になる可能性も出てくる。あれ? そうなるとそもそも「城廻」って無くなっちゃうんじゃね? めぐりと呼ぶことを義務付けられた、どうも比企谷です。いやいや、その時はめぐり先輩も比企谷だから……。おっと、危うく妄想の中で金婚式を迎えるところだったぜ。

 そんな長い長い妄想の果てに、ふと出発地点の記憶を辿ると、とんでもない発言があったことに気がついた。

 

 ――ん? 今この人、なんてった?

 

「ん? めぐり先輩、今なんて言いました?」

「‼ あ、わわわ、えと、えと…………ん? 比企谷くん、今なんて言ったの?」

 

 俺がスタンド使いであれば「質問を質問で返すなぁー!」と怒り狂い、手だけ残して爆殺しているところだが、めぐり先輩はラッキーだった。比企谷八幡は静かに暮らしたい……吉良吉影と全く同じスタンスであるが、スタンドは使えないからな。

 もし使えたら、手ではなくオデコを残して爆殺していたかもしれない。やだ、なにそれ、手を残すよりグロい話になってるじゃないですかー。

 ともあれ、俺は吉良吉影ではないのでめぐり先輩の疑問に答えるべく、指摘された発言を顧みる。

 

 …………

 …………

 …………

 

 ――ん? 『めぐり先輩』 今なんて言いました?――

 

 ……あれ、これ言ってますやん。

 

 かなり恥ずかしい、というかそれ口にしたら負けでしょっていう禁を犯していた。ジャッジメントチェーンを仕込まれてたら心臓が握りつぶされているところだった。危ない危ない。

 ギリギリセーフ風を装っているが、もう口に出してるので完全にアウトだった。

 

 あれだけ宥め(すか)して、頑なに忌避していた「めぐり先輩」をつい口にしてしまっていたらしい。この俺が異性を名前で呼ぶなど、恥ずかしいを通り越してキモさしかない。キモさ以外の成分ないのかよ。ああ、キモいよ、十分自覚してるよ。だが、うっかりキモさが醸し出ちまったのは、めぐり先輩が原因だからな?

 

 その原因は、質疑するまでもなく聞こえていたし覚えている。俺の耳に異常がないかの診断も含めた質疑であり、それくらい衝撃的で望外な発言だった。

 もう一度、同じ問いをめぐり先輩に向けてみる。

 

「…………何て言ったのか、もう一度言ってみてくれませんか?」

 

 めぐり先輩は一瞬たじろいだが、胸に左手を当て(右腕はしっかりと俺の腕を拘束中)大きく深呼吸すると平静を取り戻した。

 

「……私たちが、もし付き合うことになったら、城廻先輩って呼ぶのは変でしょ?」

 

 当たり前のことであるかのように答えるめぐり先輩の表情は酷く穏やかだった。あまりの明朗さに、こちらの方が気後れしてしまう。心臓が早鐘を打つのが分かる。

 

 どうしてこの人はなんの気なく男子の心を揺さぶりにくるのか。川崎家での「はーちゃん、大好き!」って悪戯も忘れてないぞ、ちくしょう!

 

「そういう無邪気で悪意のない言動が多くの男子を勘違いさせ、結果、死地へと送り込むことになるんですよ?」

「? 死地って?」

 

 やべ、口に出てた。

 

「と、とにかく、城廻先輩は呼びにくくないんで大丈夫です」

「呼びにくいよぉ……」

 

 お互い一歩も引かず、振り出しに戻る。

 一体何と戦ってんだよ状態に些かじりじりとしてきた俺は、ふと始まりまで時を遡る。状況を打破できないかと見失っていた目的を探す為に。

 俺、ここに何しに来たんだっけ。

 そうだ、昼飯食いに来たんだった。

 

「城廻先輩、そろそろお昼食べないと時間なくなっちゃいますよ?」

「えっ、あー! そーだった!」

 

 慌てた様子で包みを開ける。流石に片手では巾着を解きにくいのか、ようやく、ようやく! 腕を離してくれた。

 俺の分であろう大きい方の弁当箱を両手で持ち、向かい合って座る。それを差し出してくれるだろうという期待を見事に裏切って、めぐり先輩はこう切り出してきた。

 

「…………これ……めぐりって呼んでくれたら、食べさせてあげる!」

 

 …………このやりとり、まだ続くようです。

 

 もう勘弁してくれ……。

 

 

 

つづく




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41話 どうしても、城廻めぐりはめぐりと呼ばせたい。

今回は一週間でいけました。

伏線回収が遅すぎて、自分でも読み返さないと覚えてないレベルでした。
引き続きめぐり回ですが、他キャラも出ます。


 不毛としか言い様のない争いに埒が明かぬと判断したのか、弁論(・・)式ネゴシエイトから脅迫(・・)式ネゴシエイトへとシフトしていく。

 効果覿面なのは火を見るよりも明らか。なんせ、ここまでのこのこ付いてきた目的そのものを人質、もとい弁質(べんじち)に取られたのだから。

 

 げんなりしているのが表情に出てしまったのか、めぐり先輩は「はっ⁉」となり、慌てて取り繕う。

 

「ご、ごめんね、でも、もっと比企谷くんと仲良くなりたいって思ったから呼んで欲しくて……」

「え」

「……だって、卒業したらもう会うこともない、みたいな言い方するから悔しくて……」

「あ、いや、それは……」

 

 中学を卒業した瞬間、同級生の連絡先を秒で消した経験から漏れた言葉だった。

 俺にとっては至極当たり前で何気ない一言も、めぐり先輩にとっては衝撃だったようで、焦りと苛立ちから交渉条件を変えてしまったのだろう。

 

「留年するかもしれないよって言ったのも、そうなれたら比企谷くんとまだ一緒にいられるかもって、あうう……」

 

 顔を伏せながら吐露する姿をいじらしく感じ、ちょっとした罪悪感が芽生えた。

 一度「めぐり先輩」と口にしてしまっている以上、あれだけ頑張って拒否してきた意味も既に薄れていたが、俺の辞書に「素直」という文字は残念ながら、ない。

 

「……俺も城廻先輩にそう思わせてしまったのは、申し訳ないと感じなくもないこともないですが」

「…………それって申し訳なく感じてないよね?」

 

 じと目で睨めつけてくるめぐり先輩。バレてしまったか、由比ヶ浜なら誤魔化せていたのに。さすがは文系。というかこれで誤魔化せるのは由比ヶ浜相手だけまである。

 

「でもでも、皆にめぐりって呼ばれてるのは本当だよ!」

 

 そこは別に疑ってませんから大丈夫です。

 

「それにそれに、付き合ってるのに城廻先輩呼びってやっぱり変じゃないかなー?」

 

 全然大丈夫じゃなくなったし、そこには疑いしかないです。

 

 めぐり先輩の脳内では、付き合ってもいないのに、その後の呼び方にまで発展するフラッシュフォワードが起きているようだ。

 そこに至る過程が全く想像出来なさ過ぎて、時を消し飛ばされたのかと錯覚するレベル。スタンドを使えるのはめぐり先輩の方でした。女子なのに名前にキングとつくクリムゾンですよ? よりによって最強過ぎだろ。

 

 だが、湧き起こる罪悪感と、めぐり先輩の必死さに免じて、少しばかり譲歩してもいいかもしれない。

 

「……そうですね、本当にそう呼ぶのが適当だと証明されたら、呼ぶことも吝かではないです」

「え、……………………え⁉」

 

 その驚倒二回目だから。

 ベストプレイスを離れると了承した時と全く同じ驚き様に、めぐり先輩のダメもと感が窺える。

 

「ほ、ホントに? ホントに呼んでくれるの……?」

 

 恐る恐ると言った感じでお伺いを立ててくる姿は小動物のようにビクビクしていた。

 俺、そんなに恐怖の対象ですか?

 

「城廻先輩の作った弁当を食べる為に来たので、このままお預けをくらうのはこっちとしても不本意ですし」

 

 その言葉を聞き、さっきと打って変わって眩しいくらいの笑顔を向けてくれる。

 

「そ、そっかー、そんなに私のお弁当食べたいのかー、うんうん! じゃあ、どうぞ召し上がれ!」

 

 めぐり先輩は両手に押さえた弁当箱をついっと俺に差し出した。

 

 引っ掛かったな。

 俺は心中、悪い顔でほくそ笑む。

 

 「めぐり先輩」と呼ぶのは諸々の証明が出来てからと明言した。つまり、証明出来なければ「城廻先輩」のままだということ。証明とは如何にして行うのか、具体的な条件の提示はなし。したとしても、それが本当に証明足りうるのかは俺の匙加減次第。まさに玉虫色の答弁。

 俺はゼロ回答のまま、まんまとまんま(弁当)を食べることに成功するのだった。

 

 

 めぐり先輩が作ってくれた弁当は一言でいえばガッツリ系。おかずは肉や揚げ物でご飯が進む。栄養のバランスに少々偏りが見られるが、これは俺の為に作ったものだからだろう。

 めぐり先輩の弁当にちらりと目がいく。サンドイッチが綺麗に並び、パンの隙間から覗く具は彩り鮮やかである。これを見ると、やはり俺の弁当は俺用にチューンナップされているのが分かった。先週、一緒に食べた時の弁当を思い浮かべ、それを確信する。

 

「比企谷くんって美味しそうに食べてくれるんだね」

 

 にこにこ顔を崩すことなく嬉しそうに話しかけてくる。いつも一人で飯を食う俺にとって、新鮮過ぎてペースが狂う。

 

「……特に不味くもなく、残念そうに食べることが困難なので」

「……………………」

 

「…………‼ 美味しいって一言いってくれれば済むよね⁉」

 

 しばし反芻しなければ意を得ることも難しい婉曲し過ぎた褒め方に、めぐり先輩は憤慨する。もし、まともに褒めてはにかみでもされたら、こちらとしても反応に困るので、このくらいがいい按排だ。

 

 ――と、思った矢先、胸の前で手を合わせながら視線を逸らし、まごまごとしだす。その姿は病的に可愛く、不興を買ってまで遠回しに褒めた俺の努力を台無しにする破壊力であった。

 

「そういえば比企谷くん、チョコ食べてくれた?」

「え、ああ、頂きましたよ」

「ほんと⁉ ど、どうだった……?」

「味は……うん、甘かっ……」

 

 その瞬間、ざわざわと心にさざ波が立つ。初めて一色いろはと出会った時に感じた警戒警報だ。無論、一目惚れでもなければ一色の時に感じたものとも違う。

 

 ……あぶなかった。

 一色の機嫌を損ねたマイナスワードでまた不興を買うところだ。

 過去の失敗を省みて、かつ俺が口にしても恥ずかしくないような所感を述べる。

 

「ビターだったらマッ缶とよく合うというか、マッ缶の糖度がないとやっていけないところがありましたが、あれだけ甘いとマッ缶とは合いませんね」

「そ、そっかぁ……美味しくなかったんだ……」

 

 寂しげに俯くめぐり先輩。批評はまだ続きますよ。

 

「……逆に言うと、マッ缶なしで食べるのに適したチョコでした」

「……………………どっち⁉」

 

 少しは気の利いた言葉で相手の御機嫌を取るべきだが、やはり俺の辞書に「素直」という文字はないので事実だけ述べることにしよう。

 

「俺は甘いもの大好きな甘党なので」

 

 言いながら、ベストプレイスで飲み干したマッ缶に思いを馳せる。そういえば飲み物買えなかったな。めぐり先輩に連行されてたせいで。

 

「…………」

「…………」

 

「す、素直に美味しかったって言ってよ⁉」

 

 御意見ごもっともだが、これが俺なのだ。慣れてもらうしかない。

 

「はぁーよかったー、川なんとか……川崎さんのチョコは美味しかったって言ってたから、私のは不味いのかと思っちゃったよー」

「……あ」

 

 その一言は重要なことであると俺の心が警鐘を鳴らす。

 めぐり先輩のほんわかめぐめぐめぐりっしゅ☆ に癒され一時的に忘れていたが、昨夜からずっと俺の心を蝕んでいる闇はそれ――川崎のチョコを食べた事実を陽乃さんに漏らしたこと――が発端であったのだ。

 

 情報自体に大した意味はないが、その行為にとりわけ強い蟠りと拘りがあった俺は、小町に大人げない態度をとってしまった。しかし、この気づきは俺の行動原理を根本から崩してしまう恐れがある。

 

 

 ――川崎のチョコを食べたなど小町が漏らしたに違いない。

 

 そう思い込んでいたが、こうしてめぐり先輩の口から発せられたように、他に可能性がなかったと本当に言い切れるのか。

 

 背中に汗が流れる。

 それはひんやりとした冷たい熱を帯びていた。

 心臓の音がその間隔を徐々に狭めていく。

 

 

 確かめなければならない。

 

 本当に小町が陽乃さんに話したのか。

 本当はめぐり先輩が陽乃さんにうっかり話したのかもしれない。

 

 雪ノ下を除き、俺の知る限りでいえば、めぐり先輩はもっとも陽乃さんに近しい人物だ。

 小町が言っていたように、もし陽乃さんの置き忘れたチョコが俺宛てだとするならば、めぐり先輩とそういう話が出てもおかしくはないだろう。むしろ、自然と言える。

 

 ぼっちでコミュ障の俺は話題作りも会話を広げることも苦手だが、皮肉なことに今はスムーズな会話シミュレーションが完了している。

 

「……城廻先輩は、最近雪ノ下さんに会いましたか?」

「むー……はるさんなら先週会ってるけど、なんで?」

 

 ハムスターみたいな膨れっ面だが(それも可愛い)律儀にも答えてくれた。憧れの陽乃さんといえど、他の女性の名前を出すのが気に入らなかったのかもしれない。しかし、ここにNGを出されたら俺の会話シミュレーションは成立しないので我慢してもらう。

 

「……いや、城廻先輩にだったらそういう話をするのかなと思って」

「むー……そういう話って?」

「実はバレンタインチョコの話なんですが……」

「ふーん、バレンタインチョコね……」

 

 ずっと機嫌の悪さダダ漏れの膨れっ面が引き締まる。

 もうちょい軽い感じで訊きたかったが、どうやらそうもいかないらしい。

 

「昨日、多分、恐らく、偶然にも雪ノ下さんと街で遭ったんですが」

「不確定を強調し過ぎじゃない?」

 

 そのくらい偶然と思いたいのだが、あの人なら単純に勘だけでも俺を補足できそうで怖い。

 それを抜きにしても、小町が言ったようにチョコの置き忘れが陽乃さんの確信犯であるとしたら、俺と出逢ったのは必然でなければならない。あれを偶然と呼ぶには疑わしさが拭いきれないのだ。

 

「ここまで強調するのには少々訳があって、この偶然っていうのは雪ノ下さんの装いではないかと俺は思っています」

「それって、どういうことかな?」

「その前に、雪ノ下さんがバレンタインチョコを誰かにあげるとか知ってましたか?」

「あー、…………うん、知ってたよ」

 

 この訊き方は自意識の化け物みたいで本当に気持ち悪くて嫌で嫌で仕方がないのだが、これを訊かないと話が進まないので俺も我慢しよう。

 

「…………その相手って、もしかして…………俺、だったり……しません、でした、か?」

 

 緊張し過ぎてどもりが酷い。

 めぐり先輩は特に変わった反応を見せず、何やら考え込んでいる模様。

 良かった。気持ち悪くは思われていないみたいだ。……思われてないよね?

 

「……そっかー、ってことは、はるさんからチョコ貰えたんだね」

 

 さして予想外という訳でもなく切り返すめぐり先輩を見て、俺の懸念はより一層強くなる。

 轢きチョコ事件もあって川崎だけは例外扱いだが、俺とチョコのことで一番多く話したのは、意外にもめぐり先輩であった。

 だからこそ、川崎のチョコを最初に食べたことを知られていたのだし、陽乃さんに話していたとしてもそれはとても自然なことに思える。

 

「……貰えたというか預かってるというか微妙な状況なんですがね」

「え」

 

 一瞬、躊躇うも、俺はあの日の出来事をかいつまんで説明する。

 

 あの日、偶然にもカフェで雪ノ下陽乃と遭遇し、軽く話した。別れる段になり、駅まで送れと強要された俺は大人しく従い、後を付いて歩き…………。

 

「……駅に着いた辺りでちょっとした口論になって……内容は個人的なことなので伏せさせていただきますが、雪ノ下さんはチョコと、あるチケットが入った袋を忘れてそのまま走り去ったんですよ」

 

 別に会話の内容まで話す必要はないのだ。

 ある程度、状況を説明すれば陽乃さんと親しいめぐり先輩のこと、精度の高い推考を期待できるだろう。

 

「…………チケット……」

 

 俺としては予想外なチケットの部分に食い付いた。

 チョコと関係ないし、本来スルーするところではないか?

 

「それで仕方なく預かってるというか何というか。これを俺宛てのチョコって断定するのは、些か恣意的に捉え過ぎだと思いまして。ってか客観的に見て、これ半分くらい窃盗入ってません?」

「…………あー、そっか。これ、もう言ってもいいのかな……」

 

 明らかに俺の知らない情報を持っている口振りで思索する。口元に指を当てながら「んー」と唸るその仕種はもはや幻想世界の生き物で、もうペガサスとかユニコーンとかの類。存在自体が尊い。

 めぐり先輩を別次元の存在として崇めているところにぽそりと、俺の知らぬ解を話し始めた

 

「実はね、はるさん何度か学校まで来て比企谷くんにチョコ渡そうとしてたんだよ?」

「…………は?」

 

 のっけから衝撃的な情報を開示され、動転する。

 だって、え? あの人が? え? ってなるでしょ。めぐり先輩はというと、こちらの様子など意に介さず、ずんずんと話を進めて行く。

 

「チケットって、デスティニーランドのだったでしょ」

「……そこまで知ってるんですか」

「うん。はるさんが言い出しっぺなんだけど、「比企谷くんが最初に食べたチョコをあげた人にデスティニーペアチケットを贈呈しよう」っていうコンペが開催されたんだ」

「‼」

 

 求めていた情報、その核心に触れる発言が俺の意識を集中させる。

 

 コンペとな? しかもデスティニーランドのチケットとか、結婚式の二次会で当てた人が想起されてしまう。むしろ、それしか思い浮かばないまであるから、今はあの人のことを頭から締め出そう。

 

「だから、そのチョコは比企谷くんのもので間違いないと思うよ」

「はぁ、それとこちらからも質問なんですが……」

「なにかな?」

 

 誂えたような展開を前にして、内心昂っているのが分かる。その高揚とは別に、緊張も伴っていた。

 

「チョコはともかく、このデスティニーランドのチケットはどういうことなんですか。さっき「俺が最初に食べたチョコを上げた人に~」っていうコンペの趣旨にそぐわないですよね?」

「あー、それは…………」

 

 あと二つもやり取りすれば、俺の知りたがった答えがある。どんな顛末を期待しているのか、自分自身よく分からず、ふわふわとした状態で次の言葉を待つ。

 

「その条件を決めた時、その場にいた人以外のチョコを食べたら、比企谷くんにチケットをあげようかってなったんだよね」

 

 心臓の音がやけに煩く感じた。

 お膳立てが整い、ついに俺の口からこの質問が放たれる。

 

「……雪ノ下さんは、どうして俺が最初に食べたチョコのことを知ってたんですかね?」

 

 俺の口から直接聞いたあなたなら、

 陽乃さんと親しくしているあなたなら、

 

 これに対する解を、きっとあなたは持っているはずだ。

 

 だから、どうか答えてほしい。

 どうか俺の望む答えであってほしい。

 

 固唾を飲んで見守る中、めぐり先輩は実にあっさりと、自然に驚き、こう答えたのだ。

 

「んー、なんでだろうね。私、はるさんに言ってないよ?」

 

 意外なほどあっさりと望まれた答えが返ってくる。

 これを聞いて、ふと安堵している自分に気づく。

 

 しかし、何故かは分からないが、その感じ方に怖気立った。

 実際に、俺が望む答えであったはずなのにこの感情は矛盾が生じていないだろうか。

 

 俺は言い様の無い不安に苛まれていた。

 

 

 

「……そう、ですか。城廻先輩が言ったわけじゃなかったんですか……」

 

 ぽつりとした呟きが自然と漏れた。

 それは小さな小さな呟きで誰に向けたものでもなかったのだが、至近距離にいるめぐり先輩が拾い上げてしまう。

 

「…………むー」

 

 ハムスターのような膨れっ面ふたたび。

 さっきから何度かお見受けしたハム太郎だが、振り返るとはっきりこうなるスイッチが存在していた。

 

「…………めぐりって呼んでくれるんじゃなかったの?」

 

 おい、待て、誇張されてるぞ。上級生の女子を名前呼び捨てはないだろ。葉山すらそこまでは出来ない。なにリア充の王を軽く凌駕させようとしてんだよ。

 

「呼ぶことに合理的な根拠とそれを証明出来たら、って言いましたよね?」

「え、でも、呼びやすくする為に呼び名を短くするのって合理的な考え方だよね?」

 

 議論が最初に戻った。やはり、ちゃんと終わらせておかないと燻り続けるようだ。

 しかし、捻くれ論も出したが、さっきから割ときっちり名前呼びを拒否してたと思うんだけどなー。

 

「しかもしかも! 「しろめぐりせんぱい」から、「めぐり」に変えたら六文字も減少しちゃうの! なんと今だけ66%OFF! これはもう呼ぶしかないよ‼」

 

 途中からテレビショッピングの謳い文句みたいな、すげー怪しい勧誘始まった。ジャパネットめぐりかな? 無駄に語感良くて逆にモヤるんですけど。

 確かに、九文字から66%OFFの三文字は惹かれるものがある。だが、世の中、理屈ばかりが正しいわけではない。過去のことから学んでいる。文字数が減少しても、感情的には呼びにくくなってしまうのだ。

 

「いや、呼び捨てはないですから……」

 

 そこまで言ってふと悪戯心が湧いた俺は、あざとい後輩が数々打ち立てた「一色いろはゴメンナサイ語録」の一節をアレンジして拒否してみることにした。

 

「はっ! なんですかもしかして今俺のこと口説いてましたか三回お昼一緒に食べたくらいでもう彼女面とか図々しいにもほどがあるのでもう何回か重ねてからにしてもらっていいですかごめんなさい」

 

 ふー、ふー、と息が上がってしまう。

 ……あいつ、いつもこんなことしてんのかよ、普通に大変なんだが。

 この労力に免じて、今度からもう少し耳を傾けてやろうという仏心が生まれた一方、対面では予想外の反応が起こり目を丸くしてしまう。

 

「……え、……えっ⁉ そ、それって、これからも一緒にお昼食べてもいいって、こと? それに、かか、彼女って……」

 

 めぐり先輩の反応と感触が、俺の想定とは真逆過ぎて狼狽えてしまう。

 

 あれ、おかしいぞ?

 この文言は「お断り」ではなかったのか?

 ちょっとー、いろはすー? この振り文句、お断り出来ないから返品したいんですけどー?

 

「いやちょっと待て、待ってください。齟齬があるので訂正させていただくと、この告白はですね……」

「こ、ここ、告白⁉ 告白‼」

 

 駄目だー、聞いちゃいねー。

 顔を真っ赤にしながらチーバめぐりと化しためぐり先輩を、どうやって言いくるめようか悩み抜いていると、突然扉が開く音が聞こえた。

 

 

「はぁー、昼休みなのに全く……って、先輩⁉」

 

 俺の返品要求を聞き届けてか、秒で登場したいろはす。このレスポンスは念じた俺もびっくりの社畜っぷりですよ。八幡的にポイント高い。などと浮かれていられたのは一瞬で、すぐに話題が怪しい方向へと流れていった。

 

「あ……」

 

 俺の顔を見た途端、チーバいろはすと化した。

 なんなんですか、いくらここが千葉だからといってチーバくん大量発生し過ぎではないでしょうか。

 

「……なんだよ」

「え、あ、いえ、その、別に……き、昨日はその、お、お疲れ様でーす」

 

 お前こそなんだかお疲れのようだが、いつもと変わらず会話の主導権は後輩に握られた。

 

「っていうか先輩、なんでここにいるんです? もしかして、仕事のお手伝いに来てくれたんですか? 仕事にかこつけてわたしとの距離を縮めてそろそろ告白する気でしたか遊びに行くくらいはいいんですけどそれ以上は全部終わってからにしてくださいごめんなさい」

 

 そして、ぺこりと丁寧に一礼。

 それそれ、それだよ。めぐり先輩に通用しなかったその振り芸、返品していいですかね。

 どう伝えようかと思索を巡らせていると、一色は「彼女……彼女……」と呪詛のようにぶつぶつと呟くめぐり先輩に目をやる。

 

「あ、てっきりお昼食べてからこっちに来ると思ってたのに早かったですねー」

「あ、い、一色さん、こんにちはー。自由登校期間でお友達も登校してないから、ここで食べることにしたんだー」

「ところで……なんでめぐり先輩と先輩が一緒にお昼食べてるんですか?」

 

 胡乱な眼差しを向けてくる一色に対して、何かに気がついたような反応をするめぐり先輩。

 

「! あ、あー! 一色さん、今なんて言ったの⁉」

「え? あ、えと、なんでめぐり先輩と先輩が一緒におひ……」

「それ!」

 

 聞き返され、言い直させられた上、それを食い気味にかぶせられた一色は不満げな表情を隠そうともせず、めぐり先輩を睥睨していた。

 

「な、なんですか、何かおかしなこと言っちゃってましたか?」

「一色さん、私のことめぐり先輩って呼んでる」

「え、あ、はあ、結構前からだと思いますけど……え、うそ、もしかして呼んじゃ、まずかった、ですかね……?」

 

 まさか、呼び方に関するNGが出るなどとは夢にも思っていなかった一色は一転、恐る恐るめぐり先輩の動向を窺う。

 

「ううん、むしろ呼んでほしいから!」

「へ? あ、は、はい……はい?」

 

 じゃ、何てそんなこと聞き返したんだよって表情がありありの一色。

 もはや会話に付いて行けず、通訳を求めるような視線を俺に向けた。これから展開される流れが手に取る様に分かってしまった俺は、一色に同じような視線を返す。それは一色よりも、気持ちの面で切羽詰まっていた。

 

「私が気になったのは、どうして呼び方を変えてくれたかってこと。ちょっと聞かせてほしいなー」

 

 一色は意図が読めずに戸惑っていたが、めぐり先輩の高いテンションに口を挟むのは困難だと判断したのか、おずおずと口を開く。

 

「え、えっと、めぐり先輩には生徒会の活動を通じてお世話になって、親密になれたなと感じてきたので、仲が良い相手を名前で呼ぶのは女子的には当然の流れかなー、みたいな……?」

 

 そのあざとさ、知ってるぞ。

 親密になったと名前呼びで甘えてみせて相手を喜ばすいろはすの常套手段だろ。大体、解答が模範的過ぎて狙いが透けてるんだよ。次からはもっと上手く被りましょう。まあ、でも、可愛い後輩だし、本音は隠していたのでおまけで100点あげてもいいぞ。って俺、いろはすに毒され過ぎてません?

 とにかく、そのおまけが俺にとっては最重要で、一先ず胸を撫で下ろした。

 

 ぶっちゃけ、一色がめぐり先輩を苦手としているのは薄々勘付いている。サラブレッドなまでに純血な養殖小悪魔の一色は、由緒正しい天然天使のめぐり先輩とは非常に相性が悪く、俺が葉山を嫌う理由と、ある意味似ているのかもしれない。

 

 一色は俺と同様、性根がクズ属性であり、お互い割と通ずるものがあるせいで、あのあざとさを翻訳できてしまう。

 親密になれたから~、はポーズで「しろめぐり先輩」って長いから「めぐり先輩」でいっか。というのが本音であろう。

 

 そう、さっきめぐり先輩が俺に呼ばせる為、推してきた論拠そのものなのだ。

 

 もし、一色が飾らず被らずこれを口にしていたら、めぐり先輩は比企谷城に攻め込んできたであろう。落城(・・)した俺に残されるのは「めぐり先輩」呼びだ。

 要するに、本音を隠したところに着目して100点おまけする俺は、エゴの塊なのである。

 

「わー、嬉しいなー、一色さんにそんな風に思ってもらえてるなんて」

 

 照れと他の感情が綯い交ぜになった複雑な表情をみせる一色。

 こいつ、内心面倒くさく感じてそうだな……。今日のめぐり先輩に対しては俺も同意見だが。

 いろはす検定の段位が日々上がっていく一色いろは被害者の会、会員番号001号のどうも比企谷八幡です。

 

「じゃあじゃあ、比企谷くんのことはなんでそう呼んでるの?」

「は?」

 

 不意を突かれた一色は被る余裕すらなく本性が漏れ出していた。

 たった一文字だが、そこに込められた感情の冷たさと声音の低さに閉口してしまう。

 

「教えてくれるかな?」

「あ、はぁ、まあ……」

 

 めぐり先輩に押される形で、渋々と理由を語り出すいろはす。

 あれ、これやばくない?

 

「……比企谷先輩? って呼ぶの、ぶっちゃけ長くないですかー? 先輩にはお世話になってますし、これからもきっと呼ぶことが多いと思うので、短い方が効率がいいかなって。あ、これって先輩がよく口にしそうな理屈じゃないですかね」

 

 きゃるん☆ とあざとさを振り撒く一色が、俺の目には小悪魔どころか悪魔に映っていた。いや、死神と呼んで差し支えないほど殺意の高い発言である。

 

 殊勝な心掛けとマイルドな表現でめぐり先輩の歓心を買ういろはず。

 だが、お前おそらく最初の頃は俺の名前覚えてなかっただけだろ。覚えてないから無難に先輩と呼んでそのままになってるやつだ。被害者会員第一号の目は誤魔化せんぞ。

 

 ちなみに『一色いろは被害者の会』において、恐らく俺だけが装備しているであろう『いろはすあざとフィルター』を通して聞こえた発言内容がこちらである。

 

『……比企谷先輩? って呼ぶの、ぶっちゃけ長くないですかー?(えーっと、なんて名前だっけ? ま、先輩でいいや) 先輩にはお世話になってますし、これからもきっと呼ぶことが多いと思うので、短い方が効率がいいかなって(先輩には責任とってもらわなきゃだし、きっとこれからもずーっと扱き使ってくんで略した方が楽ですからー☆)』

 

 一色とはクズい波長がばっちり合うので、特別なにかしないでも感度良好である。俺でなきゃ聞き逃しちゃうね。

 

「そうだよね、短い方が呼びやすいもんね!」

 

 一色とのシンパシーを自画自賛している間に、めぐり先輩も一色の言葉に共感し、嬉しそうに答える。

 

 

 ――詰んだ。

 

 真っ先に思い浮かんだのがそれだ。

 

 次に来るであろう約束された要求に、身を固くして覚悟を決める。

 

「……比企谷くん」

「……………………はぃ」

 

 その返事は情けないほどにか細く、頼りない。

 

「これって証明されたってことで…………いいよね?」

 

 言質というこれ以上ない証明書を印籠ばりに(かざ)され、俺は抗う術を失う。

 

「…………………………………………はい」

 

 仄暗い穴の底から聞こえてくるような、この世全て(主に一色)を恨む声音。

 俺達のやり取りを訝し気に見守っていた一色の肩がびくりと震えた。

 

「あ、お昼休み終わっちゃうから、早くお弁当食べなきゃ!」

 

 原因の九割くらいがめぐり先輩の遅延行為だったんですけどね。まあ、その遅延行為に加担してたのも俺だし、何か言えた義理ではないか。

 目の前の弁当に箸をつけながら、俺はタイミングを計っていた。意を決さなければ絶対に上手く言えない自信がある。

 

「ところで、先輩ってお弁当派でしたっけ? あ、すいません、別に母親と仲があまり良くなくてお弁当作ってもらえないんだろうなーとか失礼なこと思ってませんから」

 

 何故か隣にちょこんと座って弁当と俺を交互に覗き込む。

 そこまで言っちゃったらもう傷つける気満々じゃないですかー、やだー。

 

「俺の昼飯事情をお前に話した覚えはないし、昼飯から家庭事情を憶測されるのも些か遺憾だな」

「だから、そんな失礼なことは思ってませんてば。先輩だったらお弁当持ってくるより、毎日お昼代貰ってお昼抜いたりして浮かせた差額を懐に入れてる方がしっくりくるなーと思って」

 

 家庭事情の憶測よりも失礼なのきたわ、なんだこいつ。正解してるから、なお質が悪い。やっぱりこいつとはクズ同士のシンパシーどころかテレパシーまで使えるんじゃないかってほどに通じ合ってるわ。なんなら、スカラシップ錬金術まで見破られそうで怖い。一色家に婿入りして専業主夫になったら、ヘソクリなどは全て暴かれる未来しか見えない。

 

「普段はそうだが、今日はたまたま……たまたま…………たま、……たま…………」

 

 たまたまを繰り返し過ぎて「偶々」が「タマタマ」に聞こえてしまいそうです。なにこれ、セクハラ?

 

「た、たまたま? たまたま、なんですか?」

 

 言わせてしまった。セクハラ決定。慰謝料は分割払いでお願いします。

 近い将来、納めるであろう負債に思いを馳せながら、タイミングを計っていたあの言葉を口にする。

 

「た、たまたま……め、……めぐり、先輩が、作ってくれた、んだわ……」

「はぁ……。……はっ?」

 

 最後のひと足掻きで「先輩」を残す。これだけは譲れない。

 これでどうか勘弁してください、そう願い恐る恐るめぐり先輩の顔を見ると「んふふーん」とハミングを歌い、柔らかな笑顔(ハミングだけに)で俺を迎えてくれた。どうやら許されたようだ。

 

「……もっと短くしてくれてもいいんだけどねー」

 

 許されていなかった。

 だが、本気で勘弁してほしい。呼び捨てはマジで無理。

 

「……これ以上、短くすると言いやすさ(文字数削減効果)より羞恥心(精神的恥辱効果)が勝ってしまうので許していただけないでしょうかね……」

「ふふ、しょうがないなー、許してあげようー」

 

 ものすっごい良い笑顔で酌量していただけた。めぐり先輩マジ天使。むしろ、言わさなければ大天使なんだよなあ。

 一色はまだ混乱しているのか、めぐり先輩→弁当→俺→めぐり先輩、と視線をループさせ口をパクパクさせていた。

 

「な、なな、なんですかこれ、何が起こったらあの先輩がめぐり先輩のお弁当を! ってかめぐり⁈ めぐりって⁉」

「言ってないんだよなー……」

 

 どさくさに紛れて呼び捨てゴシップを報じる一色をじっとりと睨めつける。

 お前の言葉が発端となって起きたんだぞ、という非難を込めるのも忘れない。

 まあ、一色の窺い知れぬところで進行していた訳だし「責任、とってくださいね」などと言うつもりもない。俺が言ったら間違いなくホラーになってしまう絵面だしな。

 

「……言ってもらいたかったけどねー」

 

 対面でも、どさくさに紛れてなにか呟いているような気がしたが、きっと俺の耳には届いていなかった。

 

 

 

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42話 まだまだ、俺達の昼休みは終わらない。

後半の難産のせいで前話から二週間以上過ぎちゃいました。

今回は最初から最後までほぼいろは回です。

それではどうぞ!


      × × ×

 

 

 カタカタ……

 ぺら……ぺら……

 かつん……かつん……

 

 キータッチと書類を捲る音が支配する生徒会室。

 時折りそれが止み静謐に包まれるも、すぐにヒーターの音で打ち消される。

 

 現在、俺達二名――現生徒会長・一色いろは 奉仕部社畜・比企谷八幡――の内、後輩生徒会長は年度末の仕事に追われ、無言で手を動かしている一方、社畜はJK(もうすぐJD)の手作り弁当を静かに食す。

 

 先程までの『めぐり呼び捨て(捏造)事件』や『女子の手作り弁当を食べる目の腐った男案件』の時が嘘のように、それはもう無言。ヒーターがなかったら音がなさ過ぎて逆に耳が痛いレベル。

 

 俺が生徒会室に来てしまった(プラス一色がいる)時点で、なし崩し的に仕事をやらされることになるのは分かっていた。さっき散々、心中で抵抗はしていたが、結局仕事を手伝うのはもはや様式美。というより、むしろ志願したのだからぐちぐち言うのはお門違いである。

 

 異常なのは、この場にめぐり先輩がいないことくらいか。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

―10分前―

 

 

『な、なな、なんですかこれ、何が起こったらあの先輩がめぐり先輩のお弁当を! ってかめぐり⁈ めぐりって⁉』

『言ってないんだよなー……』

 

 非難を込めた目で一色を睨めつけていると、めぐり先輩がぽしょりと何か仰ったような気がするが聞かなかったことにする。

 既に色々あった上、説明してると昼休みが終わってしまいそうなので、一色の相手を放棄し無心で弁当を食べた。

 

 それにしても、めぐり先輩って料理上手かったんだな。別に意外でもなんでもないけど。むしろ、一色のチョコ作りの方が衝撃的か。バレンタインイベントの見事な手際を思い出し、一色の料理の腕前を推し量る。

 

 次のおかずに箸を付けると、こんこんとノックする音に手が……止まる俺ではない。サンドイッチをはむっとしながら目配せするめぐり先輩も同様の考えなのだろう。

 意を汲み取った一色は、ため息を吐いて席を立ち、来客の応対をすべく扉の方へと歩み寄る。

 

 別に俺は、多分めぐり先輩も年上マウントを取るつもりはない。何なら扉との位置関係的にめぐり先輩が行くのが自然まである。

 しかし、留守番ならまだしも、俺は本来生徒会とは無関係で、めぐり先輩も既に退いた身だ。故にこの来客を応対する役目は、現生徒会長である一色いろはを置いて他にない。あいつもそれを得心したからこそのため息なのだ。

 

『はぁーい、いま開けまぁーす』

 

 甘ったるい猫撫で声は24時間営業かよ、コンビニも吃驚である。

 扉を開くと、お客は短い声で返事ともつかない声を上げる。俺はその声に聞き覚えがあり、同時に心臓がきゅっと締まった。

 

『あ……』

『ふぁ……』

 

 それが一色にも伝播したのか、変な声の応酬。見ると一色の顔が赤い気がする。角度的にここからお客は見えないが、俺の想像通りの人物であるなら一色が赤面する理由などないはず。俺自身、いまはちょっと顔を合わせづらい部分もあるので、確認はめぐり先輩の反応から窺う。

 

『……えっと、ここに城廻先輩いる?』

 

 めぐり先輩の表情から窺知するまでもなく、尋ね声に件の人物を裏付けた。

 最初は、なぜ俺がここに居るのが分かったのか真っ先に疑問を抱いたが、めぐり先輩目当てでここに来るのなら納得である。そして、今はそのめぐり先輩にどんな用があるのかという疑問に塗り替わっていた。

 

『めぐり先輩ですか? いますけど……』

『ふめぇ、まふぁし?(えっ、私?)』

 

 サンドイッチを食みながら返事するとか、一色相手なら「あざとい、狙い過ぎ」と容赦のないツッコミで一刀両断するところだが、こと相手がめぐり先輩となると「ドジだけど、先輩らしい」になる。なお、絶対口にはしない模様。

 

『……んぐ、ごめんね、はしたなくて。あ、川崎さん、どうしたの?』

 

 咀嚼を終えて扉に向かい件の人物を確認する。

 来意を計り兼ねる俺とは対照的なまでにあっさりした反応。その対応を意外に感じつつ、成り行きを窺う。

 

『えっと、その、……ちょっと話したいことがあっ、……ありまして……』

 

 川崎沙希という少女のことをある程度知る人間にとって、この言葉は違和感しかない。俺もその内の一人として、つい耳を欹ててしまう。というのも、川崎がめぐり先輩とまともに話したのは先週夕飯を食べた時くらいのはず。それを差し引いても、川崎から積極的に話し掛ける説得力足りえない。

 

『お話? ここで?』

『あ、いえ、できれば二人きりで……』

『いいよー。あー、でも……』

 

 少々困り顔で俺に流し目を送るめぐり先輩。その意図のいくつかは当たりがついているので、後顧の憂いを軽くしようと努める。

 はぁ……。やっぱり働くのか。

 

『あー、こっちは気にしないでいいですよ、めぐり先輩。食べたら俺が作業手伝っておきますから』

『え』『え⁉』『⁉』

 

 めぐり先輩より数倍驚く一色の声と、教室外から息を呑む気配。川崎と俺は、サッカーのゴールマウスとコーナーくらいな位置関係なので、覗き込みでもしない限り視認出来ず、俺の声で初めて存在に気づいたのだろう。

 

 三者三様の反応に複雑な思いを抱きながら、川崎の出方を静かに見守る。

 教室を離れた理由が、彼女を含めた会話のサボタージュだったはず。天使に癒され小悪魔に踊らされ、いつの間にかそんなことを失念していたのだ。己の鳥頭っぷりに嫌気が差す。

 とはいえ、あの流れでは息を殺し身を縮めていても川崎に俺の存在はバレていただろうけどな。

 

『……いいの? 比企谷くん』

『先輩が自ら志願するなんて……』

 

 うん、驚き絶句する後輩は無視でいいな。

 

『ここに来ると分かった時点でこうなることは予想していましたから』

 

 ああ、なんたる社畜っぷり。両親から受け継がれし社畜のDHAここに極まれ。遺伝子情報じゃなくドコサヘキサエン酸が受け継がれちゃったよ。身体は不飽和脂肪酸で出来ている……なんだそれ、せめて「I am the bone of my sword.(身体は剣でできている)」がよかったわ。だってこれじゃ脂肪の塊だもん。

 

『ひ、比企谷……?』

 

 声の抑揚から疑問形だと分かる。少なくても俺を呼ぶニュアンスではなかった。なら返事をしなくてもいいだろう。もしその気があればもう一度呼ぶだろうし、一回目は聞こえなかったで通そう。

 

『じゃあ、あとでお弁当の感想聞かせてね』

 

 もう既に聞いてますよね? どれだけ俺から感想搾り取るつもりですか。食レポタレントじゃないんで褒める語彙の引き出しが少ないんですよ。

 めぐり先輩も食レポ王道の「濃厚な」とか「まったり」とか「口どけがいい」みたいなもの求めてないだろうけど。

 

『あ、あの、やっぱり、い、いいです』

 

 へどもどと前言を撤回する川崎に「なんで?」という表情で答えるめぐり先輩。同様の疑問が生じた俺は見えもしないのに川崎の方を窺う。

 

『まあまあ、せっかく足を運んでもらったんだから、お話しよー』

『え、ちょっ、城廻せんぱ……⁉』

『じゃあ、ちょっと出てくるねー』

 

 川崎の肩を両手で掴み、押すようにして外へと連行する。俺をここに連れてきた行動といい、意外と強引だよなめぐり先輩って。川崎も押しに弱い部分があり、海老名さん相手に同じ光景を何度か見かけたことがあった。

 

 

 

 取り残された俺と一色は各々自由に過ごす。とはいえ、まだ食べ終わってないので俺は昼飯を再開するのだが、一色は隣で昼休みに片付ける仕事の書類整理を始めていた。分かってる。横からプレッシャーかけなくても食べ終わったら、ちゃんと手伝うから。

 

 ときどき弁当に口を挟んで「先輩、こういうの好きなんですかー?」とか「これってわたしも得意なんですよねー」とかアピールしてくる。

 

 最初はいつも通りの会話だと思った。いろはす主動で会話がはじまり俺があしらう。

 しかし、気づいてしまう。

 

 言葉の接ぎ穂で埋めきれない沈黙。その中にある僅かな気配。

 それを意識しだすと、いつも通りだと思われていた会話が上滑りしているようにも感じてしまう。

 

 徐々に会話――いろはすが一方的に話しかけてくるだけだが――が減っていき、箸を付ける音と書類を捲る音のみとなっていく。 隣から伝わる緊張感が俺にまで伝わってくるせいで、咀嚼音を出さぬようにとめっちゃ気を遣ってしまう。せっかくの弁当も食ってる気がしなかった。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

―現在―

 

 

 慎重に咀嚼していると、じっとこちらを見つめる一対の視線を感じた。

 

 いよいよか。

 何かあるとは感じていたが、その内容に皆目見当もつかないのが総武高校全男子の妹こと、最強の後輩一色いろはという生き物である。

 

「先輩、今度わたしがお弁当作ってあげましょうか」

「ん、んんぅ‼」

 

 お前まで何言い出すんだ。これ以上、俺の心労を増やさないでくれ。

 

「どうですか? せーんぱいっ」

「……またお前の逆鱗に触れそうな感想しか出ないだろうから遠慮しとくわ」

「その割に、めぐり先輩のお弁当は遠慮してないじゃないですかー」

「あ、いや、これはね……」

 

 千葉県の食品ロス率を下げる為に止むを得ず、なんて言ったところで白い目で見られるのは分かっていたが、他に上手い弁明もないわけで、試しに告白するとやっぱり白い目というか、前に嫁度対決で由比ヶ浜が作った和風ハンバーグを見ている俺のような目で見られた。俺が客観的にどんな目をしてたか知らんけど、多分そう。え、俺の屁理屈って覚悟して無理しないと聞いてられないレベル?

 

「ほんとのほんとはどうしてですか?」

 

 おう、なんとなく終わったつもりであったが許されていないらしい。追及の手を緩めないいろはすは新たな手管でもって俺を籠絡しようとしている。

 

 椅子を近づけ、肩が触れ合う距離に接近する。

 内緒話のように俺の耳元に唇を寄せ、小さな声で囁いた。

 

「……言ってくれないとぉ」

 

 するりと脳髄へ流し込むように、あの言葉が耳朶を甘噛む。

 

「……また『いろはすポリグラフホールド』しちゃいますよぉ?」

 

 がたっと椅子ごといろはすから距離を取る。彼女を見ると、へっとバカにし腐った笑いを浮かべていた。

 

 きっと俺の顔はみっともないくらい赤く染まっているだろう。その原因が小ばかにされた羞恥からなのか、いろはすポリグラフホールド(ただの抱擁)をされることへの期待によるものなのか。後者であったなら、同じ技は二度も通用しないどころか、二度目の方が高いダメージを被る逆聖闘士ムーブである。一度目にデバフ効果まで付与されちゃってますよね、これ?

 

「ねぇ、せんぱぁい、教えてくれないんですかぁ? 教えてくれないとぉ、またしてほしいんだって思っちゃいますけど、いいんですかぁ?」

 

 主語を省くな。なんかエロいし、あざとい。

 

 しがないことでも心がざわついていた今日が嘘のようないつも通り。一時的かもしれないが平穏を取り戻した俺は、普段よりも抵抗少なく後輩の頼みを聞き入れた。

 

「今日はぼーっとしてたら購買に行くのが遅くなってな。なにもパンが買えなくて昼飯のマッ缶を飲んでるところにめぐり先輩が弁当をくれたわけだ」

「……そんなすぐ教えてくれるとそれはそれで悔しいんですけど」

 

 いろはすポリグラフホールドに興味がないと言い換えたような自白に一色は頬を膨らます。じゃあ、どうすりゃよかったんだよ。

 理不尽な苦情にげんなりしながらも、あらましを続けた。

 

「そしたらここに連行された上、名前で呼ばないと弁当を分けてくれないという弁質交渉を持ちかけられてこうなった」

 

 弁質という新語に怪訝な顔を見せるもすぐに呑み込み、ふっと呆れ顔で溜め息を吐く。

 

「経緯は分かりましたけど、分からないですね」

 

 何くれとなく含みを持たせる一色の言葉に頭を悩ませるのはいつものことだが、ついに哲学的な領域にまで達してしまう。返答のしようがないので、ある程度翻訳してくれるまで黙ってめぐりっしゅ☆弁当を口に運ぶ。

 

 何も言ってこないことを怪訝に思ったのか、一色が不満を滲ませる。

 

「……先輩、聞いてますか?」

「聞いてるけど、分からんので……」

 

 一色に似せた言い方をするも僅かな違いが影響し、ただ理解力がないことを喧伝しただけになってしまう。一色の哲学と俺の無理解、雲泥の差である。

 

「はぁ、分かりませんか」

「……分からんな」

 

 早いとこ問題文を翻訳してほしいと言外に仄めかすも、一色は俺と弁当を交互に見やるばかり。そのうち書類をさばく手も完全に止めてしまった。

 

「……それ美味しいですか?」

「……普通に美味い」

「やっぱり変ですね」

「どうしてそうなる?」

 

 哲学から禅問答へと変容していくやり取り。

 あちらはまだしも、俺にとっては足が地に着かないふわふわな状態が続き、なんとも居心地が悪い。

 

「それですよ、その感想。ってかその前からずっと変です」

 

 何がだ? この『めぐりっしゅ☆弁当』が美味いのは事実だし、なんも変なところはない。

 一色さん、翻訳足りない。もう一声。

 

 一色は両手で頬杖をつき、何も書かれていないホワイトボードをぼんやり見つめる。隣に座る俺に意識を置きながら、ゆっくりとその続きを紐解いていく。

 

「いつもならもっとこう「美味い」の前に、散々悪足掻きみたいな講釈たれるじゃないですか」

「い、や……、まあ……そう、かもね……?」

 

 俺という人間を知り尽くした後輩が、容赦のない言葉の刃をぐさぐさと突き立てる。

 いや、確かにそうなんだけど、あなたが来る前に俺は割と頑張ってたわけですよ。そこが査定されていないとなると、こちらとしても納得いかないわけであり今日は判子を押さずに保留し続けてキャンプに自費参加も辞さないというか、いつから俺は千葉ロッテに支配下登録されたのやら。

 

「それこそ本人の前で「めぐり先輩」なんて呼ぶくらいなら、弁当なんて食べられなくていいどころか便器に流すことも厭わないのが先輩じゃないですかー」

「ちょ……、君ねぇ……」

 

 一色さん、翻訳し過ぎて胸の中に収めて置いてほしかったものまでダダ洩れしてますよ。お前、俺のことそんな風に思ってたのかよ。お前の中の俺ひど過ぎでは? 目だけじゃなく心も腐ってるじゃん。

 心ならずも後輩の秘めたる想いを知ってしまい、諦めにも似た溜め息が漏れる。

 

「そんな先輩が「めぐり先輩のお弁当、美味いです」なんて、変だと思うに決まってるじゃないですか」

 

 こちらを向きながら、そう確信する一色。

 ここに辿り着くまでに想像以上の傷を負ってしまった気がする。

 含ませば足りず、訳せば過分で、ちょうどいい按排はなかったのか。

 

 内心毒づいていると、一色の翻訳は終わりを告げるどころかようやく本題だと言わんばかりに連綿と続いた。

 

「……だから、何かあったのかなって思いまして」

「…………」

「昨日、あの後に改造手術でも受けたのかと」

「はい?」

 

 真面目な雰囲気をぶち壊す想定外のぶっ飛んだ質問に目を丸くする。

 

「誰に? ダイジョーブ?」

「……わたしが心配してあげてるんですけど、先輩の方が頭大丈夫ですか?」

 

 なかなかに辛辣な返しではあるが、そこは「大丈夫」じゃなく「ダイジョーブ」なんだよなあ。パリピなJKには通じなかったかダイジョーブ博士ネタ。

 まあ、いろはすの口から「トミー・ジョン手術」とかの単語(元ネタのモデル)が出てきたら「こいつ、出来る……」を通り越して「この子、怖い……」になるだろうし、俺のどこを切り開いて探しても「めぐり先輩のお弁当、美味いです」なんて宣う「素直」は存在しないので自家移植出来ないんだけどな。いやいや、あったとしても性格は移植出来ないから。そもそも俺の中にあったら移植しなくても機能してるもんでしょ性格って。つまり、俺は手術自体が不可能であることが証明されてしまった。

 

 一色はげんなりと肩を落としてため息を一つ。

 ふっと吐き終わると横目でじっとりとした視線を寄越す。

 

「はぁ……、昨日あの後に川崎先輩か結衣先輩に教育されてそうなったのかと思ったので」

「……!」

 

 まるで浮気した罪悪感から妻に優しくなる男の不自然さを突く鼻の利きよう。いや、実際には教育されたわけでも手術を受けたわけでもなく、ほぼ当たってないんだけど、キーワードが一致しただけで必要以上にキョドってしまった。

 

「まあ、ぶっちゃけ? 特に興味とかありませんから、わたしのこと壁だと思ってぶちまけてみたら楽になるかもしれないんじゃないですか?」

 

 酷い文句で懺悔を促してくるが、ひどく魅力的な申し出でもあった。

 心配していると言ってみたり、かと思えば興味がないなんて矛盾した言い方に、この後輩なりの気遣いが感じられ心温かくなってしまう。”酷優しい”とでも呼ぶべきだろうか。一色いろはを顕す標語として流行らせていこう。

 

 わざわざ興味がないと断りを入れてくれたので、心置きなく独り言を呟くとしようか。

 

「……あるところに、ものすごく可愛い年下の女子がいた」

「はっ、え? ……んん?」

「どした?」

「…………はあ、なんか思ってたのと違う導入だったので。でも、どうぞ続けてください」

 

 突如始まった昔話風ストーリーテリングに一色は戸惑いながらも先を促す。

 ナレーションベースの展開なのに”年下の”とかいう主観的な基準が入ってしまってる時点でいきなり破綻しているのだが、”妹”と表現するよりはいくらかマシだ。

 

「その女子は普段からよく揶揄ったり小ばかにしてきたりもするが、本当は優しくて……実は腹黒い」

「はぁ、……はい?」

 

 ついでに”底が浅い”も付けておきたいがテンポも大事だし省くことにする。

 

「それって……」

 

 何か呟いているが、流れを止めたくないのでここはスルー。

 なんか目を逸らしてもじもじちらちらしだしたがスルー。

 

「ある日、その女子と近しい関係である男子が、とあるイベントでチョコレートを貰ってきた」

「…………」

「男子は内心けっこう……いや、だいぶ? ……違うな、…………すげー喜んだ」

「そ、そう……ですか……」

 

 かなり恥ずかしいことを言っている自覚はある。だがこれは壁に向かっての独り言であり、語り部として架空の物語を語っているのだから何とかなった。

 それよりも興味がないなんていう割りにいちいち応答あるのがこそばゆい、というかやりづらい。黙ってぶちまけさせてくれ、頼むから。

 

「その男子は、のっぴきならない事情からある女子のチョコを食べたんだが、その事実「誰のチョコですか⁉」おい壁、しゃべんな」

 

 食って掛かるように質疑を挟んできた一色をだいぶ酷く窘めた。

 だってもうさっきからずっとなんですもんこの子。興味ないとか嘘ですやん……。

 そんな過去最大級のぞんざいな扱いを気にも留めず、自身の願望に忠実な一色は”壁”として妖怪デビューでもしそうなくらいに喋り続ける。……華奢なぬりかべだな、ベニヤ板より脆そう。

 

「いーから黙って誰のチョコかだけを可及的速やかに白状してください」

「黙って白状とか、言ってることに矛盾があるどころかこのやりとりの前提条件ぶち壊してるの分かってるんですかね?」

 

 ”興味を持たず壁となって”が丸ごと破綻していることにお気づきでない模様。

 つまらなそうに前を向いていたのも今は昔、軽い昂奮状態の一色は身を乗り出して追及してきた。ちかいちかい、ちかいって! 吐息が耳を撫で触ってんだよ、耳弱いからぞわってするの、ほんとやめて!

 

「とにかく黙って聞いててくれ。興味ないって言ってただろ」

「思ってたのと違ってた、とも言ったじゃないですか。そこだけは興味あるんです!」

 

 確かに予期せぬ視点から、新たな興味の対象を認知するのはあり得ることだ。めぐり先輩から聞いたコンペの話が本当で、一色がその関係者なら知りたがるのは当然である。

 俺の中では既に隠す意味もなく、自然と一色の求めに応じてしまう。

 

「……川崎な。川崎のチョコ、食った」

「…………そう、ですか」

 

 眉根を寄せ哀感を浮かべる一色。めぐり先輩が言うには、最初に食べたチョコの持ち主がデスティニーランドの権利を有するらしいので気持ちは分かる。

 いや、むしろ一色にとっては告白爆死したトラウマ級テーマパークでもあるデスティニーが話題に上がったせいで出た反応かもしれない。

 

「……続き」

「へ?」

「楽になりたいんですよね? さっさと続けてください」

 

 ええ……、興味津々じゃねえかよ。ぶちまけて楽になれと言ってたわりには盛大に哀歓を見せつけてくるし、ただ秘め事を吐露してるだけで余計にツラいんですけど……? 苦しみから解き放つ天使のいろはすどこいった? ”楽になるかも”が、トドメを刺すって意味なら、もはや悪魔的発想。

 

 意気阻喪させられ、これ以上続ける意志はないのだが、俺の生まれながらに持っている対年下×効果(赤特殊能力)の影響か、嫌だと言おうが厭だと思おうが否だと念じようが、結局いろはすの思い通りになってしまうのである。

 

「……のっぴきならない事情から、ある女子のチョコを食べたんだが」

「川崎先輩のですね」

「……まあそうだが」

 

 もう合いの手まで入れちゃってるじゃん。これナレーション形式の意味あんの? 対話形式になってない? 壁ってもっと奥ゆかしいものでしょ。家にこんな勢いで喋る壁とかあったら事故物件疑っちゃうっていうか事故物件そのものなんですけど?

 そして、次の文節が最も口にしたくない地雷ワード……であったはずなのに、思いの外すんなりと口に出来てしまった。

 

「…………そのチョコ情報が、どうやらその年下女子から外に漏れた疑いがあっ「そんなわけないじゃないですかバカなんですか疑うとかクズ過ぎなんですけど⁉」えぇ…………?」

 

 クリパのブレストよりも余程まともに意思疎通が出来ているくらいガッツリ双方向な対話なんだが。そこだけは(・・・・・)興味があるどころか、いまのところずっと興味しかない、になってるぞ。

 

 何よりも驚いたのは一色の力強い否定だ。

 どうして小町――説明上、年下の女子だが――が情報漏洩していないと言い切れるのか。しかも、一色は小町との面識がないのだ。俺の知らぬ間に運命的な邂逅でも遂げてしまったのかと心配になるくらいの擁護っぷりである。

 

「そりゃあ、確かに自分のチョコが最初に食べられなかったことにショックを受ける女子もいるかもですけど、だからといって報復紛い……いえ報復にもならない告げ口なんて……」

 

 そこまで言って急に何か思いついたのか、しゅばばっと椅子ごと距離をとって手をぱたぱたとさせる。

 

「はっ! もしかしてあらぬ疑いをかけて精神的に追い詰めた後で優しくするDV手法のテンプレで口説く気でしたかそもそも今知った情報を過去に漏洩するとか有り得ないのでもっと筋の通った容疑で追い詰めてから泣き縋って謝ってくださいごめんなさい」

「はいはい、追い詰めない追い詰めない」

 

 そして、最後は恭しく一礼。めっちゃ早口でもう何言ってるのか分からないので、ギリ聞き取れた単語を拾って曖昧に返答した。

 

「なんですかその態度それもう絶対聞いてないじゃないですか」

 

 それよりお前も聞いてない振りくらい出来ないわけ? これじゃもういつもと変わんないし、それどころか”壁”に振られるという斬新な経験までしちゃったんですけど?

 完全に毒気を抜かれて冷静になると、疑問を抱いた部分に思い当たる。

 

 中途半端ではあったが悩みの一部を望まぬ形で相談して、それに対する解も得た。一色の言う通り小町が無実だとしたら、いま俺の中に去来する焦燥は極めて正常な感性だといえた。

 

 しかし、先程めぐり先輩の答えに抱いた安堵に対し、どうして怖気立ったのか、この道理に合わない気持ち悪さの正体が掴めない。

 由比ヶ浜と川崎どころか己のものですら理解できない『感情』という得体の知れない化け物に、俺は恐怖を抱いていた。

 

 その感情を生み出す要因――小町の冤罪――を声高に叫ぶ一色に、強い疑問を感じた俺は膨れっ面で睨む後輩に問い質す。

 

「……ちょっと訊いていいか?」

「なんですか」

「なんでさっき情報漏洩してないって言い切ったんだ? 他人が何を考えてるかなんて誰にも分らんだろ」

 

 「自分のことですらも」そう付け加えそうになるが、わざわざ哲学的な因子を加えて分かりづらくする必要などどこにもない。先程までの自己観察で感傷的になったせいだろう。意味深にして気取られでもしたら、一色に叩かれ埃が出ないとも限らない。そう思い至り、なんとか言葉を呑み込んだ。

 

 書類整理に戻ろうとした手をぴたりと止め、7:3で驚きと呆れが入り混じった表情を見せる一色。俺の顔を覗き込み、その言葉に嘘偽りがないと判断すると表情は呆れに全振りされ、深いため息と共に教戒が始――まるはずだったのだが、あろうことか不発に終わる。

 

「はぁ……やっぱり聞いてなかったんですね。本人が言って(漏洩して)ない、って言ってるんですからそこ疑うとか人として終わってますよ?」

 

 『一色いろはゴメンナサイ語録』を最も耳にしているのは俺だという自負はあるが、リスニング力が高いかというとそうでもない。

 一色が自分を飾らずにここまで忌憚なく振舞える相手はおそらく俺くらいであろう。そんな俺をしても、両の手で数え切れるくらいしか振られていないので耳を鍛えるほどには至らないのだ。

 

 そもそも基本、猫を被っている一色は普段から振り芸を披露することはまずないだろう。マジ告白されて芸で振る画は想像できないし、俺はある意味でレアな体験をし続けているのかもしれない。

 

 ――って、え、なに? 本人?

 

 拾いきれなかった言葉が再び口にされると俺は我が耳を疑った。

 

「ちょっと待て、本人ってどういう意味だ? お前、小町に直接聞いたのか?」

 

 看過できず聞き直すと今度は、なにいってんだコイツみたいな顔で応戦する。

 

「は? 小町……? 誰ですか? お米?」

「おい、このやりとり前もやっただろ。妹な、俺に似てない超可愛い妹」

 

 実際に血が繋がっているのか疑わしいレベルで、俺に似てるのは髪質とアホ毛だけ。他は絶望的に似ていないのでこう言うしかない。

 

「だって……ものすごく可愛い年下の女子って……え、あ、でも……」

 

 妹と表現しなかっただけであって”妹=年下”という条件は成り立つ。俺はなにもおかしなことは言っていないし、独り言つ一色も漏れ聞こえる言葉からそれに気づいたふうではある。

 

「……実は腹黒いって、言いましたよ……ね……?」

「? うちの妹はな。…………んん?」

 

 そこまで答える段になり、もしかしたらという仮説が浮かび上がった。

 

 まだ小町と出会ったことのない一色にとって暈されたストーリーテリングは存外に効果的であったようだ。そのせいで”腹黒い”と自覚している彼女は”年下”と結び付け自分のことだと誤認する。

 思えば、小町と一色の二人を知る由比ヶ浜と雪ノ下ですらどちらを指しているのか判断がつかない表現だったかもしれない。むしろ、妹と銘打たないせいで一色有利に働くまである。

 

「……あ⁉ う、あ……」

 

 ずっと思索をしていたであろう一色は、顔どころか耳や首まで赤く染め、羞恥に身を震わせる。

 この反応こそ仮説が事実である何よりの証明であった。

 

 なるほど一色であったなら、たったいま知ったばかりのチョコ情報を過去に遡って漏洩することは不可能であり「言ってない」という答えに承服せざるを得ない。

 

 こうして俺の疑問は氷解し、彼女の問題が浮き彫りになる。

 

 一色にとって「ものすごく可愛い」を取り違えてしまったことはこれ以上ないほどの失態である。

 系統としては「アイドルが握手会を開催してファンが誰も来ない状況」とでもいうべきか。いかに心寒からしめるイベントか想像に難くなく、一色の顔を見れば大袈裟な表現でもあるまい。その証拠に、隣からはじっとりと湿っぽい空気が感じられた。冬の寒さがアシストすれば比喩ではなく本当に湯気が出そうなくらい茹で上がったいろはすがそこにいる。

 

 何を言っても死人に鞭打つような結果しか生まれない空気に恐怖しながら、俺の出来る配慮は何かと沈潜する。

 ベストプレイスから生徒会室へ直行したので飲み物がないことに思い当たり、部屋の一角にある冷蔵庫と電気ケトルの傍のティーセットを見比べる。

 

「……なんか飲み物もらっていいか?」

「ふぇ⁉ あ……、はぁ、どうぞです」

 

 冷蔵庫が一色の私物ということもあって手を付けるのが憚られた。季節も相俟ってホットを選択し、電気ケトルのスイッチを入れる。

 

「お前も飲むよな? なにがいい?」

「は、はい、じゃあ、珈琲をお願いします」

 

 考えるまでもなく触れないことが武士の情けだと悟り、何事もなかったようにお茶の用意をする。ケトルがこぽこぽと泡の弾ける音を奏で始め、それが先程までのペーパーノイズに代わって生徒会室を支配した。

 俺の計らいに気づいたのか作業に戻るが顔はまだ赤いままだ。

 

 珈琲を淹れ、一色に差し出すと「どうも」と軽く会釈して口をつける。んぐぅっと眉根をひそめカップから口を離す。毒でも入っていたかのような反応に、淹れた本人が吃驚してしまう。

 

「…………ちょぉあまいです……」

 

 うっかり俺の物差しで調整された珈琲はどうやら一色の味覚に合わなかったようだ。こんなに美味しいのに、と相違を口にしながら身体に糖度を流し込む。甘さと温かさが内側に広がり満たされているとめぐり先輩が戻ってきた。

 

「ごめんねー、遅くなって」

「おかえりなさい」

「えっ、あ、うん……、ただいまー!」

 

 俺が声をかけると一瞬だけ躊躇った後、いつものように元気ほんわかめぐりっしゅ☆ただいまー! を頂きました。

 

「どうしました?」

「……比企谷くんがおかえりなさいって言ってくれたのにちょっとびっくりしちゃっただけだよ。なんだか嬉しいかも」

「⁉ …………めぐり先輩も珈琲飲みます、か?」

「あ、うんうん、欲しいなー、ありがとー」

 

 その指摘によって、らしくなさを自覚させられた俺は珈琲を勧めてなんとか誤魔化した。何の(てら)いもなくこういうこと言えちゃうあたりがさすが天然モノと脱帽せざるを得ない。こちらの養殖モノはというと、ちびちびと甘い珈琲に没頭しながら未だに顔の色がとれずにいる。今の会話に微塵も意識を割いていない。

 

「……ん? 一色さん、どうしたの?」

「ふぇ⁉」

「えっ!」

 

 「なにかありました」を言語化したような悲鳴に、めぐり先輩の方が驚いていた。

 

「なんか顔赤くない? 熱でもあるのかな? 保健室いく?」

「え、あ、えっと」

 

 矢継ぎ早に心配を口にするめぐり先輩は一色の顔をまじまじと見つめている。上手く取り成してやらなければと頭を捻るが、もたもたしてるとそのまま保健室へと連行されてしまいそうだ。ちなみに、その連行力(そんな言葉はない)は身を以って経験済みである。一色などひとたまりもない。

 

 一色はいま顔を赤くしており、原因は熱か羞恥。熱だと保健室連行ルートなので羞恥の理由を考えなければならない。事実、羞恥が原因だし。

 

 人を騙すには少しの真実を混ぜてやると効果的だと聞く。確か一色も昨日映画を観に行ってたし、なら一色がプリキュアを観ていたことを俺に揶揄われたから、というのはどうだろうか?

 

 ――――否、没、却下。

 

 めぐり先輩がプリキュアを理由に相模グループのような蔑如をするはずもないことは分かっているが、それでも普通に一色本人が嫌がるだろう。事実を打ち明けるよりも嘘のがダメージ大きくなる本末転倒なやつだ。

 

 考えろ、他に何かないか。そういえばそろそろ期末試験だった。これは使えるか? ああ、めぐり先輩が一色を連れて保健室に向かいそうだ。もう時間がない!

 

「俺が出題した問題を解けなかったんで悔しくて拗ねてるんですよ」

「⁉」

 

 途方もない出まかせが口を衝いた。当然予想外であろう一色は驚きの表情を見せる。こちらに視線を向けためぐり先輩に見られなかったことは幸いであろう。上手く調子を合わせてくれればと心中願っていた。

 

「出題って? あ、そろそろ期末考査だっけ」

「そ、そうなんですよ~。こんな目付きでも先輩って結構成績いいみたいなんで~」

「目付きは関係ないだろ」

 

 さすが一色。勘とアドリブに優れ、特にこうした立ち回りは普段から被った演技で訓練されている、というのが俺のあざとい後輩評である。

 

「へぇ~、比企谷くんどんな問題出してたの?」

「え、あー、国語が得意なんで読解問題を…………!」

「っ‼」

 

 意図せず、直近の苦い経験を想起させるレトリックとなってしまう。例え話の誤認と結びついたようで、一色はぷるぷると顔を赤くしたままこちらを睨めつける。その様はあまりに小動物じみていて、つい笑みをもらすと、それを煽られたと受け止め、ますます熱を帯びていく悪循環。

 どうしたものかと思案していると、めぐり先輩が追従してきた。 

 

「そっかー、私も文系で国語は得意だから協力できるよー」

 

 意気揚々とズレた認識を披露するめぐり先輩に、俺たちは苦笑いで答える。

 その意味が分からずめぐりっしゅ☆すまいるを返してくる年長者に俺も、きっと一色もほんわかさせられたことだろう。

 

 

 

つづく




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43話 その虚言は少女を救い、彼の歩みを押し止める毒である。

二週間過ぎちゃいそうだったので、いつもより少な目ですが急いで出します。

やっとまた少しプロットが進んだ。
このところのいろはめぐり回はずっと思い付きを差し込んでるだけで、プロット自体はめぐりにチョコ情報について話したことくらいしか進んでませんでした。


 両手の平を合わせて、ひときわ丁寧な礼。

 悟りを開いた僧が見せるような敬拝を中身の入っていない弁当箱に向ける。

 この世の生きとし生けるもの全てに感謝を込めて、いただきます……違った。これから食べるつもりかよ。

 

「御馳走様でした」

「お粗末様でした」

 

 俺の礼に謙るぽわぽわな先輩はまるでお菓子を買ってもらうけーちゃんのようなキラキラした目で見つめてくる。

 かつてこれほどまで「目は口ほどにものを言う」瞳が存在したであろうか。その感想を今か今かと待ち望むめぐり先輩の目は、アイフルのCMでお馴染みのチワワも斯くや。なにそれ、感想はボーナスまで待ちなさ……って、お馴染みじゃなく懐かしだったわ。

 そんな庇護欲を煽る瞳は俺の捻くれ防壁を簡単に突破してくる。めぐり先輩の瞳には一億八千万キロワットのエネルギーが込められているというのか⁉ いいえ、俺の捻くれ防壁がラミエルに比肩しえないだけです。あいつのATフィールドは肉眼で確認できるくらい強力だしな。

 

「あー…………美味かった、です」

「……‼」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせるめぐり先輩が眩し過ぎて視線を逸らす。その先にあった一色の顔との対比が凄まじく、対義語みたいな表情だ。何か言いたそうにしていた割りには黙って聞いていた一色が不気味に思えた。

 

 こいつなりに気を遣っているのだと窺える。そういう常識は弁えているんだよな。また「弁当を便所に流すことも厭わない」なんて評されたら部屋全体が凍り付くところだった。

 なにそれオーロラエクスキューション? 部屋全体が氷の棺になるみたいなもんだからフリージングコフィンか。いや待て。いつから一色は水瓶座になったんだろうか。四月十六日の牡羊座だろ? アリエスのいろはす。うむ、語呂が悪いし、聖衣(クロス)の修復とか出来なさそう。しれっと誕生日覚えてる俺とかキモすぎだろ。

 

 下らないことに沈潜していると、めぐり先輩がぽしょっと聞き捨てならないことを呟いた。

 

「…………やっぱり留年したかったかも」

「怖いこと言わないでください……」

 

 めぐり先輩の一言を偶然拾い上げ、俺は戦慄した。

 

「え、先輩留年するんですか?」

「なんで俺のことになってんだよ……しねえし」

 

 いやめぐり先輩もしないけど。

 

「でも、どうせ浪人するんなら留年の方がお得だと思いませんか? 今ならわたしと同級生になれる特典までついてきちゃいますよ」

「なにその『今お使いの物を下取りに出せば何と価格は20%増しです』くらい意味のない特典」

「なんですとー!」

 

 色々ツッコミどころ満載だが、それだと先ず以て入試一回損してるよね?

 一色の暴論特典を冷静に往なしていると対面からもツッコミが入る。

 

「だめだよー、比企谷くんが留年したら私と同級生になれないんだからぁ~」

 

 ツッコミ方がおかしいですし、ツッコむとこもそこじゃないですよね?

 自分が留年する前提の物言いに一色も引いている。

 ついでに他人を留年させようとするお前にも引いてる。

 

「落ち着いてください。もう今からめぐり先輩が留年することは不可能ですから」

「うーん、だったら比企谷くんが私と同じ大学に進学するで手を打てばいいかなぁ」

「そのやりとりさっきしましたから。ないですから」

「あれ、でも先輩って文系じゃないですかー」

 

 余計なこと覚えてんなコイツ、と内心毒づく。

 先程の文系発言を鑑みて漏れ出た一色の援護射撃(本人にそのつもりはないだろうが)に相好を崩すめぐり先輩は逆に怖く映った。

 

「えー、じゃあ、おんなじ進学先にすればいいんだよ、うんうん、そうしなよー」

 

 葉山ではないが、そんな理由で進路を決めるべきでないと心配してしまう。しかし、唯一知っている先輩(癒し効果抜群)が在籍する、というのも一つの要素ではあるし、むしろ学問を修めるためではなく、働くまでのモラトリアムとしての進学なら、なおのこと十分な動機になる。

 そこまでではないにしろ、俺の進学先選定もあまり褒められたものではないので強くは否定できない。

 

「でも先輩ってー、私立文系一択じゃないですかー」

「え、お前にそんなこと言ったっけ」

「前に私立文系のが圧倒的に楽って言ってたじゃないですか。英国社三教科やっとけばいいって。先輩が好きそうな選択ですよね?」

 

 ほんとにいらんこと覚えてんな。そして俺の性質までしっかり把握されている。でも補足解説ありがとう。

 

「比企谷くん私立なんだ? まだ一年あるし私と同じ国立文系にしちゃお」

 

 一色の補足解説を聞いてまだ翻意を促すとかハート強すぎでは? 俺の理系が弱すぎって話もありますけどね。

 

「たった一年でどうにかなるほど、俺の理系科目はぬるくないんで」

 

 それってどんな自慢? といわんばかりに残念なものを見る一色。

 対照的にまるで(こいねが)っていたかのような反応を見せるめぐり先輩が、胸の前でぱんっと手を合せた。

 

「じゃあ、私が理系科目みてあげる! それならどうかな?」

 

 にこにこぽわぽわめぐりっしゅ☆すまいる降臨!

 うっ……眩しい……癒しが行き過ぎて逆に身体が崩れてしまいそう。閃華裂光拳の使い手かな。それで目潰ししてくれたら過剰ヒールも俺には丁度いいかもしれない。

 

「いや……でも俺、数学は……」

 

 捨ててはいるが、善意で教えてくれるというめぐり先輩の申し出を無碍にするのは良心が痛む。

 

「私の大学ってはるさんもいるし、同じ大学に行きたいよ「慎んでお断りさせていただきます」ね、ってなんで⁉」

 

 普段ですら忌避するものが今はなおのこと、それまでの葛藤など吹き飛んでしまうくらい拒絶してしまう。

 とっておきのつもりで出した交渉材料が一蹴され、酷く狼狽えるめぐり先輩。その姿がどうしようもなく面白くて、ほんわかする。

 

「はいはい、数学よりもまずお仕事を片しちゃいましょうー」

 

 お前が言うなという科白で以ってこの場の幕引きを図る一色。

 しかし、可能性は低いが、この話題が続けば陽乃さんとの口論にまで言及される恐れがあったので、俺としては助かった。

 めぐり先輩も脱線しすぎた自覚があるのか、黙ってそれに従う。

 ……でも俺たち手伝う側なんだよなー。

 

 仕事が再開されたのは既に昼休みも残り僅かとなった時間帯であった。

 今年度の仕事は主に卒業式関連だろう。特に、一年生ながら生徒会長である一色は此度の送辞を任されている。答辞を読むめぐり先輩とこうして仕事をするのは非常に効率がいい。

 

「それじゃ先輩は送辞の草稿をお願いしますね♡」

「またすごい仕事ぶん投げてくるな……まあ、やるけど……」

 

 元来、送辞を読む一色自身がやるべきだとは思うが、世の中には『謝罪代行業』なんていう一昔前では理解し難い職種もある。自分で謝るよりプロに任せた方が確実で手間もかからず、ならするでしょアウトソーシング。謝罪の精神からは遠く離れてるけど。

 でも俺プロじゃないから、やるといっても例年の送辞やネットで検索したテンプレを参考にして打ち直すだけ。最後は心を込めて清書して下さいね一色さん。

 

 しかし、目の前でこんなこと話しててめぐり先輩がどう思っているかに不安を抱く。真面目だからなぁこの人。文化祭で言われた苦言が過る。うっ……頭が……!

 

「そういえばめぐり先輩と川崎先輩って仲良いんですか?」

 

 わざわざここにまで呼びに来たし、訊きたくもなるか。

 それに対してぽわぽわすまいる☆を崩さずノータイムで返すめぐり先輩。

 

「んー、先週比企谷くんと一緒に川崎さんの妹さんを家まで送り届けたんだよねー」

「⁉」

 

 一色の動揺が俺に伝播し、送辞をググろうと誤字って曹丕と入力してしまう。こいつ、実は三男だったのかという無駄知識を入手してしまった。

 いやいやそうじゃなくて、何で一色が動揺してんの?

 

「な、なるほどー」

 

 めぐり先輩は事実を話しただけなのに、周囲の温度が下がっていく。

 あれ、ヒーター壊れたかな。主に隣からの冷気が俺の冷覚を刺激する。扉開いてたっけ? でも横を向くのはやめておけと本能が訴えかけてくる。俺と扉の間にいるナニカと目を合わせたら原子の動きを止められてしまいそう。なんだその表現、氷の聖闘士の戦い方かよ。素直に凍るでいいだろ。

 

「そこから話すようになった感じかなー」

「へー」

 

 自分から訊いておいて心底興味がなさそうに返事する一色。その意識は別の方へと向いていた。そう、主に俺。

 もうちくちくと横から視線が刺さっているのが分かる。流し目で一色を見るとその目は「お前、マジ何してんだよ自覚ねぇのか」って意味をはらんでいそうだった。え、自覚ってなに?

 

「……川崎先輩ってどんな用があったんでしょうね?」

 

 めぐり先輩はその何気ない一色の言葉にほんの少し硬直した後、顔を向ける。笑顔に変化は見られないが、その場の空気は僅かだが確実に変化していた。

 そうと悟らせないよう普段と同じゆったりとした優しい口調でめぐり先輩は答える。

 

「先週のお礼かな。川崎さんって凄く律儀で、そういうとこしっかりしてるんだよ」

「へー、なるほど」

 

 引き続き一色の興味が薄い。自分から訊いたことに対する反応とは思えないほどに。それに引き摺られたのか、答えの不自然さに目が向いた。

 律儀なのは知っていたが、あの人見知りな川崎がお礼の為にわざわざ生徒会室まで尋ね歩くだろうか。一色の視線が胡乱げなものに見えなくもない。

 

 つまり、この答えは嘘の可能性が高いのだろう。めぐり先輩のみならず川崎のプライベートにも関わるし、取り繕うのはむしろ当然か。俺だって陽乃さんとの口論を濁したしな。

 

 一色の訴えにどのような意図があったか、未だはかりかねているが、藪をつついて蛇を出す必要もあるまい。俺は頭や口より手を動かすことに集中した。もとい、主にグーグル先生が働くのだった。おーい、送辞やーい。

 

 

      × × ×

 

 

 授業を終えての放課後、いつものように教室を出てようとして雪ノ下の残した言葉が思い起こされた。

 

(……あー、今日から部活なしか)

 

 危うく部室まで足を運び、扉が開かないことで「なんだ雪ノ下さん部長のくせに遅刻ですか、くすくす。しょーがねーな俺が代わりに職員室で鍵借りてきてやんよ」と意気揚々と向かい、平塚先生から「あん? 今日から試験期間で休みだぞ」と自身のぬけ作っぷりを思い知らされ、家に帰った後、部屋で枕を濡らすところだったぜ。――ながい! ながすぎる‼

 

 10ヶ月で刷り込まれた習慣というものに、いつの間にか服従していた。この分だと自虐をしない習慣化は俺の体質改善に大きく寄与していたであろう。現実はその誓いが三日と持たなかったのだが。

 

 さて、ならば帰るしかない。しかし、それはそれで頭の痛い案件が残っていた。

 

 家に帰れば小町が待っている。

 手酷く突き放され、疑念の目で射抜かれた小町は何の抵抗もなく俺に屈した。その態度と、陽乃さんから電話があった事実で密告したと断定したが、今は蟠りも薄れている。生徒会室で新旧生徒会長達と話したのがデトックスとなったようだ。元々情報としての価値などなかった上、冷静になり始めた俺の口から一色に明かしたくらいだから遺恨などあるはずもない。

 

 どうするかなど決まっていた。悪くなくても俺から頭を下げて関係改善を図るのが比企谷家流である。他の家でもそういうとこ少なくなさそうだけどな。

 

 

 帰宅後の対策に耽っていると、三浦達に手を振り教室を出る由比ヶ浜が目に留まる。何となく気になった俺は、由比ヶ浜の後ろ姿を目で追いながら行き先に目星をつけた。

 予感が的中していると悟ったのは、この10ヶ月間通った特別棟への道程を由比ヶ浜が歩んでいたからだ。

 

 雪ノ下のやつ、今日部活がないことを由比ヶ浜に伝えてないのか?

 懸念した俺は、間違いを正そうと由比ヶ浜の後を追う。朝以降、由比ヶ浜とは話しておらず、物別れが続いていた。その時の蟠りが邪魔をしてなかなか声をかけることが出来ない。今の俺なら無用な諍いを起こすこともないのに、今朝のことが非常に悔やまれた。

 

 結局、声をかけそびれた俺は部室の前までストーキングしてしまい、完全にタイミングを逃がす。扉が開かず『⁇』状態の由比ヶ浜に事情を話して和平交渉に持ち込もうか。

 そんな何手か先を考える棋士八幡の読みを嘲笑うかのように部室の扉が開いた。

 

「(ファ⁉)」

 

 何とか声を抑え、気づかれるのを回避した。

 あれー、雪ノ下部長。今日から部活ないっておっしゃってませんでしたっけー?

 淀みなく部室に入っていく由比ヶ浜を見ると、俺が聞き間違えてしまったかと不安になった。

 

 来なくていいと言われたのを律儀に守る意識がそうさせるのか、部室の前に立つも扉には手を掛けず耳を欹てた。かつて一色に聞かれてしまった羞恥イベントの想起が、俺にこの行動をとらせたのかもしれない。

 

『やっはろー』

『こんにちは』

 

 中から雪ノ下の挨拶が聞こえ、本当に俺が間違えていたのだと自省し扉に手を掛けた。

 

『……比企谷くんは来ないわよ』

『え⁉』

 

 扉に込めた力が抜ける。

 ”本物が欲しい”と訴えた時はこんなにも声が筒抜けだったのか。驚くほどクリアに聞こえる為、言葉に乗せられた色までも感じ取れてしまう。

 

 俺は一体何をしているのだ。部活休みが俺の勘違いなら今すぐ扉を開き「うす」といつものように適当な挨拶をして入ればいい。これではまるで、盗み聞ぎをしているようにしか見えない。

 

 早く扉を開けなければという意志に反し、手に力が入らない。

 いけないとは分かっているのに、中の様子に耳を欹ててしまう。

 

 罪の意識に苛まれながら、葛藤を続ける間も部室からは声が漏れ聞こえてくる。

 

『今日から部活をお休みにしたから。その方がこうして話すのに都合がいいと思って』

 

 ……俺がいない方が都合がいい?

 それを聞いて胸がざわついた。

 

『……よかった。助かったかも……ありがと、ゆきのん』

 

 雪ノ下の計らいを、つらそうにも謝辞を述べる由比ヶ浜の音吐(おんと)

 それがどういう意味なのか。否が応でも察しがつく。俺に聞かれたくない話があるのが明白だった。

 

 いや、誰だって他人に話せないことの一つや二つ内に秘めているし、それを話せと言うほど傲慢でもない。むしろ妥当といえよう。

 問題は凡慮の末にたどり着いたざわつきの正体にある。

 

 この胸のざわつきは秘密が共有されなかった疎外感からくるものではない。

 この場を設ける為に、雪ノ下が俺を欺いたことが源泉となっていたのだ。

 

 それは小町によって引き起こされた事件と似ていた。

 陽乃さんから電話がきてうっかり口を滑らせたのか。はたまた自慢げに言い触らしたのか。それとも訊かれて密告したのか。

 どのようにして起きたのか俺には知る術がないが、小町から伝聞された事実に変わりはない。

 

 一番近しく、最も信頼する最愛の妹の裏切り。

 それと同じことを、よりにもよって雪ノ下雪乃の虚言で以って成されたのだ。

 雪ノ下に欺かれたばかりか、押し付けたその理想(虚言を吐かない)にも裏切られ、失望で圧し潰されそうになる。

 

『……話してくれるかしら?』

 

 その言葉を最後に扉から離れる。

 これ以上、ここに居たくなかった。

 

 

 

 逃げるように部室を離れると、こちらに近づいてくる人影があった。このところエンカウントの高い一色いろは生徒会長その人である。

 

 俺の存在を認識した一色は、カーディガンの袖からわずかに覗く指先を全て露出するほど全力で手を振ってきた。

 やだなー。またこいつ奉仕部に仕事ぶん投げに来たのかなー。

 

 

 ……待てよ。となると奉仕部が目当てってことだよな。

 

 このまま一色を奉仕部に行かせるのは俺にとって都合が悪いのではないか。部活以外でこの特別棟に用事があるわけもなく、俺がここに居たと一色が口を滑らせたら……。雪ノ下なら立ち聞きしていた事実まで突き止めるかもしれない。

 

 そうならない為には一色を部室に近づけないようにしなくてはならない。

 一色と接触するわずかな時間で対策が浮かぶ。

 

「今日から試験期間だから部活休みだぞ」

「えー」

 

 俺マジ策士と自画自賛するもただ事実を述べてるだけだった。

 一色は残念そうな声を漏らし表情も同様だ。そんな当たり前のことを何故わざわざ確認するかって? 科白と表情が乖離する確率がぶっちぎりで高いのがこの後輩だからだよ。あれだけ声と表情が別々の意思を持つ生き物も他にないぞ。

 

「あれ、じゃあ先輩はなんでここにいるんですか?」

「……俺も行ってから気づいたところだからな」

 

 意外と鋭い指摘に内心狼狽えていたが上手くやり過ごすことに成功した。やはり事実というスパイスを混ぜると嘘とはいえ自然風味が出るようだ。

 

 このまま生徒会室に帰せば、三人が今日バッティングすることはないだろう。確実なのは一色が帰るまで俺が一緒にいて監視することだが、そこまでするかは微妙なところだ。

 そんなことをすれば、控え目に言っても彼氏面した痛い奴に見える。俺が指摘するまでもなく、一色の振り芸に組み込まれる可能性が高いワードだし、なおさら出来る雰囲気ではない。

 

 

 来た道を引き返す俺達は会話の糸口を探していた。一色が本当にそう思っていたかは分からないが、少なくとも俺にはそれが必要なことだからだ。

 

 昼休みの出来事や、今こうして奉仕部に赴いたことを考慮すると一色が生徒会の仕事に忙殺されていると分かる。このまま同道し、昼休みの焼き直し(奴隷志願)をすれば俺の望みは達成されるであろう。

 

 しかし、毎回手伝わされてきたとはいえ、普段から手伝うことを宥め賺し、ぼやき断ってきた俺の原理原則からすれば自ら志願など口が裂けても言えぬこと。敏い一色には不自然に映るだろう。

 せめて一色の方からいつものようにおねだりしてくれれば折れたと恰好もつくのだが、欲しい時にこそ儘ならぬものである。

 

 昨日のとも昼休みのとも違う女子の馥郁(ふくいく)を隣に携え、いよいよ生徒会室と昇降口の岐路へ到達する。やはり迂闊に手伝いを申し出て腹を探られるのは避けたかった。

 

 諦念に染まった思考回路で会話の糸口が見つかるはずもなく、無言のまま分水嶺を超えた。

 

 話し掛ける方が問題を悪化させる――干乾びるほど脳漿をふり絞ってその結論に至った俺は、無駄のない動きで下駄箱へと向かう。

 その流麗さたるや、音を置き去りにした感謝の正拳突きに匹敵すると自負している。俺が着てるのは「心Tシャツ」じゃなく「I♡千葉Tシャツ」だけどな。

 

「せーんぱいっ」

 

 殊更甘やかな声音で声をかけられ、そちらに顔を向ける。見ると一色が俺と別れた場所に留まっていた。

 

「なに、どしたの」

 

 生徒会室に戻ったんじゃないのかと言外に問うた。

 

「先輩もう帰るんですか?」

「お、おう。部活ないし、試験期間だし、帰らない理由があったら逆に教えてくれ」

 

 柄にもなく「暇だったら今から生徒会室に来て仕事手伝わせてあげますけど」くらい清々しいまでの上から目線な理由を期待していた。

 むしろ「手伝わせてください」と言いたくても言えない事情があった為、吝かでないまである。

 

「そうですかー」

 

 人差指を口元に寄せ上目遣いで「んー」と可愛らしく唸る。もはや世界水準の域に達しているのではないかと思えるくらいあざとい。ここ千葉から世界に羽ばたく逸材と分野が「一色いろは」と「あざとさ」というのも釈然としないものがあるが。

 

 などと千慮一得どころか千慮無得な益体の無さを一人鼻白んでいると予想だにしない一言が会話の幕を閉じた。

 

「……それじゃ、一緒に帰ってあげます」

「……………………は」

 

 いや、新たな会話の幕開けでもあった。

 

 

 

つづく




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44話 こうして、彼らはまたすれ違う。

二週間どころか六週間かかってしまいましたが、失踪してませんのでご安心下さい。


《 Side Saki 》

 

 

 いつもなら帰りのSHR終わりを号砲に下校するあたしだけど、この日はぼんやりと窓の外を眺めていた。

 いや、こうして頬杖を突きながら外を眺めるのもいつも通りではあるんだけど、今日はいつにも増してペシミストぶってる。

 

 良いことがあったのに、どうしても素直に喜べないのだ。

 理由は簡単。同じくらい悪いこともあったから。

 

 そういえば、昨日電話で話して以降、比企谷とまともに喋ってなかった。それも悪いことの一つに入るだろう。

 

 窓の外から教室へ目を向けると、部活に行く者、下校する者は既になく、放課後に友達とお喋りを楽しむ暇人達のみが残っていた。

 

 くだらない。

 どうして今しかない大切な時間をそんな無駄に浪費できるのか。自然と表情が険しくなる。

 いや、時間の使い方は人それぞれだ。あたしがとやかく言うことじゃない。

 

 

 悪いことの一つを払拭しようと再び教室内を見渡すも、当然のようにいなかった。

 

 そういえば、あいつも部活をやってたっけ。

 あたしとあいつを繋いでくれた部活を、一瞬であっても失念するなど惚けていた証左だろう。

 

 今日は帰ったら夕飯を作るくらいで予備校も京華の迎えもないけど、用のない教室にこれ以上留まる理由もない。

 ようやく教室を出たあたしはゆったりと下校する。

 

 

 下駄箱から自分の靴を出し、無造作に放った。京華に真似でもされると困るので、家では絶対に出来ないけど。実はちょっとした発散の為、無意識にしてしまったのかもしれない。

 比企谷の下駄箱につい目が行く。この中に誰の物とも知れぬチョコが入っていたのが随分と昔に感じられた。

 

 駐輪場で回収した自転車を押しながら、買い物が必要だったかどうか思い浮かべる。とはいえ、ここ数日は風邪で寝込んでいた為、うちの冷蔵庫の中身は比企谷の妹の方が熟知していそうだった。

 失敗したなと項垂れていると、よく知った人物が下校する姿を発見した。

 

 自転車を押す比企谷と隣を歩く一色。

 あたしも追従して遠らかに後を付いていく。

 バレンタインの日を焼き直すような光景。

 

 今日もあいつは誰かと一緒だった。

 

 その光景は、昼休みに生徒会室へ足を運んだあたしを嘲笑うかのようで、何となく居心地が悪い。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

 ――それはほんの三時間前。

 生徒会室を訪れたあたしに起きた出来事。

 

 肩を押されたあたしは、まるで連行されるようにひと気のない屋上へ辿り着いた。ヒーターの効いた教室や生徒会室と違ってやっぱり寒い。

 発端となった城廻先輩は、あたしには一生真似できないであろう笑顔でほんわかと話し掛けてきた。

 

『あはは、なんか無理矢理連れてきちゃってごめんねー』

『いえ、あたしの方こそ……会いに来といてやっぱりいいとか変な態度とっちゃって、その……すいません』

『そこが気になっちゃって逆に連れ出しちゃったんだけど、差し障りがなかったら教えてくれないかな?』

『…………あー……えっと……』

 

 普段のあたしからは想像もつかないほど歯切れの悪い反応に、自分自身戸惑ってしまう。

 城廻先輩の要求に応じたくないわけではないが、一度翻意したことを穿られる決まりの悪さに困惑しているのと、口にするのが憚られる理由もあったからである。

 

 

 当初あたしが生徒会室を訪れたのは城廻先輩に伝えたいことがあったからだ。

 城廻先輩が悪評を信じていない上で比企谷を讒言していると母さんは言っていた。もしもその逆、比企谷の悪評を真に受けていたとしたら……。

 

 あたしはそれを正しにここへ来たのだ。

 

 しかし、比企谷が生徒会室に居る時点でその必要はなくなった。

 

 

 生徒会室で一緒に昼食など凡そ比企谷らしからぬ行動に、城廻先輩から発案されたのだと想像がついた。その行動は比企谷が文化祭で見せた挙措の真相に辿り着いたことを意味する。つまり、母さんの見立ては間違っていなかったのだ。

 

 さて、状況を鑑みると既に満足する結果を得ていたあたしは、これ以上この件に触れることなく比企谷達から離れたかった。だが、それを城廻先輩に阻まれ答えに窮している。

 なんせ、”あなたが母さんに伝えたのは虚妄であった”と非難するようなもので、口にするのが躊躇われたからだ。

 

 だが、考えてみればあたしは先輩が悪評を信じていようがいまいが、始めからどちらでも構わなかった。むしろ、城廻先輩の思惑に乗って目的を果たすべきだ。

 

『……うちの母が城廻先輩を車で送った時、話したことについて……なんですけど』

『……!』

 

 一瞬だけど先輩に緊張が走ったのが分かる。この感じだと、やはり作為あっての虚説であると確信できた。少なからず落胆するが、この虚説が母さんの言うあたしを牽制する為のものなら、それだけ比企谷に固執している証明でもある。なら、自分の感情よりも、あいつの為に出来ることを優先しよう。

 

 あたしは城廻先輩が風評に踊らされているスタンスで話を続けた。

 

『文化祭の噂話はただの逆恨みでほとんどが虚言だったって話、信じてくれますか?』

『え……』

 

 真に迫ったその驚き様は演技に見えず、内心こちらが驚いてしまう。

 もしかしたら、この人は本当に噂を信じていたのかもしれない。真実を知ることによって虚聞を流したと自覚させられ、こんな反応をしたのではないか。

 どちらでも構わないとは言ったものの、出来ればそうであって欲しいとどこかで願ってしまう。

 

 ただ噂を鵜呑みにしてしまっただけの、純粋で素直な城廻先輩……。

 そういう人物であった方が、あたしも心から頼ることができるからだ。

 

 昨日、喫茶店で比企谷から聞いた事実――比企谷視点での文化祭の顛末――を城廻先輩に説明した。

 あいつの性格から口外されることを嫌がるのは分かっている。だが、口止めされていたのは大志としていた山談義。それにむやみやたら触れ回るわけではないのだ。必要な場面、必要な人物に対してはやむなしだろう。今がそうだと感じた。

 

 あたしはなるべく事実のみを伝え、城廻先輩を変に刺激しないよう細心の注意を払う。先輩は途中で口を挟むことはせず、真剣な表情で話を聞き続けた。

 

『……そうなんだ』

 

 信じていたことと真逆に近い事実を聞かされ、揺るがぬ人間はいないだろう。話す度にどんどん消沈していくのが分かる。

 それにしても、比企谷から聞いたことだと前置きはしたけど、こうも容易くあたしの言葉を信じてくる純真さに驚く。

 やはりというか、この人は噂を信じてしまっていただけのようだ。比企谷本人が否定しなかったし、彼女の人柄では誤解する方が自然だったのかもしれない。

 

『だから…………っ!』

『……そう、なんだ……』

 

 あたしの言葉は力ない声音によって遮られる。悔悟の念がそうさせているのか、声の主は俯き小刻みに震えていた。

 

 ――いけない、こんなつまらないすれ違いで先輩が持つ光を消しては……。

 その光とは朗らかでほんわかとした、周りに幸せと安らぎを与えるあたしにはない笑顔。

 

 きっと、あいつの疑心を解くのに必要で、いまそれを失うわけにはいかない。

 

『……えっと、その……』

 

 こうなるともう罪悪感を意識させずに励ますのは無理だろう。とにかく城廻先輩の気持ちを少しでも軽くする。その一点を優先すべきだ。

 

『……これは、誤解を解かない比企谷に原因があるからで……気にしないでいいと、思います……』

『…………』

 

 無言で俯いたままの先輩からは感情が読み取れない。気遣いを込めた内容でも、捉え方によっては皮肉めいて聞こえそうだ。

 余計気にさせてしまったかもしれないけど、何を置いてもこれだけは言っておかねばならなかった。

 

『……だから、比企谷に』

 

 ――寄り添ってあげて欲しい。

 

 そう城廻先輩に伝えようとして言葉に詰まってしまう。まるで口が自由を奪われたように声を発することが出来なくなっていた。

 それに引き替え、言葉の続きを待つ城廻先輩は徐々に立ち直りつつあり、あたしをじっと見つめる。

 

『…………』

 

 自分が一体どんな顔をしていたのか、城廻先輩にはどう見えていたのか、あたしには知る術がなかった。

 やがて、あたしから次の言葉が期待できないと察すると、眩しい笑顔が向けられた。

 城廻先輩らしく、穏便な会話の打ち切り方である。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

 これが今日あった”良いこと”である。更に言えば、今その比企谷が後輩女子と一緒に歩いていることも”良いこと”に分類されるだろう。

 

 あいつを憎からずどころか告白までしたあたしからすれば、到底そうとは言えない内容であるだけに、複雑な気持ちになる。迷いを振り切るように自転車に跨り、二人とは別の道から帰路へ着く。

 

 あの時、どうして言葉が出なかったのかが分かった。

 

 

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 寒空の下、なぜか自転車を押して歩く俺がいる。この自転車に跨り本来の性能を引き出してやれば、今の十倍は早く帰れるであろう。そうしないのは、隣を歩いている後輩のせいだ。

 

 登校時の小町よろしく、後ろに乗せてやればと思えなくもないが、生憎後部座席(ただの荷台)は小町専用で一色が乗るには凡そ14年は早い。

 

 いや、単純に【小町との付き合い年数】-【一色との知り合い年数】=凡そ14年としたが、これでは小町が苦節15年で俺の後部座席に座る資格を得たようではないか。実務経験15年とか『比企谷八幡の妹』という職種が如何に困難な専門業種であるかが窺えた。

 24時間同じ屋根の下、兄の世話(老後込み)をしながら寝食を共にする15年。

 この労働でインセンティブが『自転車での二人乗りによる学校への送迎(送りのみ迎えなし)頻度は応相談』というやばさ。マスターアップ直前のゲーム会社も裸足で逃げ出すブラックな職場である。

 

 

 

 ――閑話休題。

 

 そもそも、こいつはどうして一緒に帰ろうなどと言い出したのだろう。

 仕事を手伝わせる気があったのなら、たとえ奉仕部が休みであっても俺に直接頼むはずだ。というか、俺だけのが扱いやすいとは本人の弁でもある。

 それをしないということは他に目的があったのか。相変わらず、俺にとって一色いろははよく分からない後輩である。

 

 頭の中で一色の思惑を戦わせていると、長い長い沈黙が打ち破られた。

 

「……あの後、川崎先輩とは話しましたか?」

 

 出し抜けに掛けられた言葉に強烈な違和感を抱く。

 これが雪ノ下や由比ヶ浜の名前ならまだ分かるが、川崎と関係の薄い一色の口から出たのだから、異質さも分かろうというものだ。

 

「……なんのことだ?」

 

 あまりにも突飛な発言のせいで頭が回らず、意図を探るより出方を待つことしか出来なかった。

 

「いえ、なんとなく。お昼休みに川崎先輩が来た時、なんか余所余所しかったので。先輩が居るのに気づいたなら話くらいするかなと思いましたけど、それもなかったし」

 

 一色が知るはずのない俺と川崎の関係性。それを匂わすような分析にどきりとさせられた。

 

 こいつ、まさか俺が告白されたことを知っている?

 

 いや、昨日川崎と二人でいるところに出くわしているし、由比ヶ浜も来ることを話していなかった。川崎と二人きりで映画を観たと誤解され、この発想に至ったと考えるのが自然だろう。

 

「……言っとくが、昨日は別に川崎と二人きりだったわけじゃないからな。由比ヶ浜も一緒だったし」

「なに的外れな返ししてんですか。それに結衣先輩と一緒だったことくらい知ってましたし」

 

 は? 知ってた? 待って。それ俺知らない。

 

「ちょっと待て。知ってたならその質問自体が出てこないだろ」

「なんでですか?」

「なんでって……」

 

 一色は当然のように疑問を投げかけるが、心配の原因は俺と川崎を男女の仲と誤解してたからだ。映画に由比ヶ浜も帯同したと知っているなら、その疑いはなくなり前提が崩れる。

 そんな情状を伝えようとすると、想定外の言葉で遮られた。

 

「そりゃ、カップル割で映画観た二人がギクシャクしてたら気にもなります」

 

 ひと際大きな脈動と同時に、ヒュッと内臓がせり上がる感覚。身体は石のように硬直し歩みが止まる。

 並んで歩いていたはずの俺が視界から消えたことに気づき、一色は振り返った。

 

「……見てたのか」

 

 動揺を隠せず誤魔化し切れないと判断した俺は、らしくもなく素直に応じた。

 いや、この『カップル割』という言葉で観念させられたのだ。これは、相模達が気づけなかった川崎の演技を、一色が見抜いたことを意味する。

 

「まあ、わたしもあの場にいましたし。結構、っていうかすんごく衆目引いてましたんで、見ない方がレアですよ」

 

 あきれ顔で状況説明されてしまった。ごめんね、バカップルみたいな痴態で精神汚染しちゃって。

 再び歩き出した一色は、前を向いたまま続けた。

 

「……それで、先輩はどうするつもりなのかなって」

「どうするって……」

 

 また様々な意味を含んでいそうな言葉で、返答に窮してしまう。

 再び歩き出して横並びになると、一色はこちらを見据えて立ち止まった。

 

「……女の子があそこまでするのがどういう意味か、いくら先輩でも分からないわけないですよね」

 

 一色の言いたいことはよく分かる。その意味を、気持ちを、他ならぬ川崎の口から聞かされていたのだから。だが、その前にカップル割を由比ヶ浜に勧めて疑念を抱かせたのも、他ならぬ川崎であった。

 

 過去を紐解くと、急速に気持ちが冷め、ぶっきらぼうに結論だけを口にする。

 

「……ただの演技だろ。お芝居だよ」

 

 わざわざ事情を話す必要はないと判断し、仔細を伏せたが、その言葉は思ったより胸を締め付けた。

 この苦しみは、俺がまた希望を抱いていたと自覚させるものだ。

 もう期待しないと決めたはずなのに、釣り合わないと自ら拒絶したくせに、どこまでも卑しく、未練がましい。

 

 自戒の念に苛まれていると、一色が深いため息を吐きながらゴミを見る目で語りかけてきた。

 

「……クズだクズだとは思ってましたが、さすがにクズ過ぎません?」

「お、おう……」

 

 俺の中に渦巻く自己嫌悪が、清々しいまでの辛辣な評価(クズ)を肯定してしまう。

 

「いいですか、先輩」

 

 呆れ顔で俺を見据える一色。

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるような口調で諭してきた。その声音は表情と不釣り合いなくらい真剣で、こちらの身も引き締まる。

 

「女の子の唇は、安くないんですよ」

「……っ」

 

 それは、カップル割を演技と断ずる俺の言葉を否定するもの。俺自身、昨日から何度も川崎の行動について考えていたことである。

 

 彼女が向けてくれた感情は、俺にとって理解することが困難な類いのもので、時には猜疑心を生み出すまで悩み抜いた。

 あまりに辻褄の合わない行動に、川崎が向けてくれた感情をも疑い始めたが、それに待ったを掛けたのが一色の言葉である。

 

 ――演技で唇を捧げるなど有り得ない。

 

 同じ女子の口から聞かされたその言葉には重みがあった。

 胸のつかえが取れた気がしたが、それも束の間、一色は新たに煩悶させてくる。

 

 

「……だから、ちゃんとしてください」

 

 真っ直ぐに俺を見据えて言い放つ。

 川崎に対して、ということなのだろうが、あえて暈すような言い方に、別の意図も込められているように聞こえた。

 

 以降、別れるまで互いに一言もしゃべることはなかった。

 

 

                   ×  ×  ×

 

 

 一色の言葉で川崎への疑念が晴れた俺は、別の部分に焦点を当てることが出来るようになった。

 

 川崎の感情に疑いがないとなると、目を向けるべきは由比ヶ浜に譲った行動の方である。前はそこが不可解であるが故、川崎の好意の方を疑ってしまったわけだが、ここがブレなければカップル割を譲った理由にだけ注思すればいい。

 

(ま、これが難問なんだけどな)

 

 易々と答えが出るなら、最初から川崎の好意に疑いを持ったりしないし、こんなにも悩んでいない。

 

 

 懊悩していると知らぬうちに、家へ到着していた。

 

「……ただいま」

 

 いつもなら小町のお帰りが迎えてくるはずだが、リビングから声はなかった。朝の感じから、よもや戦争へと変遷しないだろうが油断はできない。あれで思春期だし、今までも幾度となく小町の逆切れから、降伏を余儀なくされたのも事実である。

 

 リビングへ行くと、テーブルの上に初めて見るであろう豪華な焼肉弁当とメモ書きが置いてあった。店のロゴから察するに、弁当屋の物ではなく、焼肉店のテイクアウト品だ。わざわざ買ってきたのだろうか。

 

『塾の友達と食べに行くので、お兄ちゃんはこれ食べてね☆』

 

 書き置きの通り、どうやら小町はまだ帰って来ていないようだ。

 この弁当がご機嫌取りのつもりなら、陽乃さんに情報を漏らしたことに対して、一応罪悪感は感じているのが窺える。

 既に何人かに知られ、一色には自ら口にするくらい価値が薄れてしまったチョコ情報。一日経って冷静になった今、この弁当で手打ちにしてもいいとさえ思っていた。

 

 しかし、妹の理不尽を受け入れ、無かったことにする。本当にそれでいいのだろうか。

 こんな幼子のような甘えを残したまま高校生になることが、小町にとっていいことなのかと気懸かりでならない。その考えの甘さから対人関係でトラブルを起こさないとも限らず、間違ったことを正してやるのも兄の務めである。

 

 今までは去年の喧嘩も含め、全て俺から頭を下げてきたが、今回は心を鬼にして小町から謝ってくるのを待つ。

 

 この焼肉弁当に手を付けないことで、その可能性は高まるかもしれないが、あまりにも酷なお預けである。

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=267455&uid=273071


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