Fate/stay night : 2.5i+3.10i+BERSERK = The Future Remember (形のない者)
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プロローグ

 ……十年前。

 思い入れのあるこの街を襲った大災害。

 死者数は数百名にも上り、私の知る限りで、この地獄から生還できた者は、ただ一人の少年しかいなかった。

 

 

 

 ――――再生、開始。

 

 熱い。

 熱くない。

 正確に言うのなら、今の私は熱いことを思い出している。

 だが“熱かった”というのは間違いだ。

 なぜなら私は、この“熱い”を体験したわけではないのだから。

 

 私は今、すべてが赤く燃え盛る地獄の中で、ただ泰然と立ち尽くしている。

 もう見慣れた光景だ。もう、他人事のように見慣れてしまった光景だ。

 

 ふと、私の横を通り過ぎる一つの人影。

 彼は私の存在に気づいておらず――それも当然だが――瓦礫の山に登って膝をつく。

 

「――――。――――、――――。――――、――――……」

 

 人影は口を開き、何かを喋っている。しかし私には、その声が聞こえない。

 だが、おそらく人影が吐露しているらしき感情は、その背中越しからでも見て取れた。

 

 ――――その人影は、この地獄の光景に慟哭し、生存者を探そうと嗚咽していたのだ。

 

 そして人影は、がれきに埋まっていた赤毛の少年を救い出し、己の裡に込められていた聖剣の鞘を譲渡する。

 すると赤毛の少年は、虚ろな瞳を開いてくれた。

 

 はたして少年は、自分を助けてくれた人影を見上げて、いったい何を思っているのだろうか。

 

 

 

 ――――私は歩く。私は早める。私は過去から未来に赴く。だが、その未来は現在(いま)ではない。

 

 

 

 今は夜。観るは昼。

 白い天井、淡い青色の壁、清潔な室内。そこは病室と呼ばれる場所。

 寝台の上には包帯に巻かれた赤毛の少年がいて、ほかにも何人かの子供たちがいた。

 

 そして、あの人影が病室に入ってくる。

 

「――――。――――――――」

 

 赤毛の少年に近づいた人影は、何かを話している。

 

「――――。――――――――、――――――――、――――――――」

 

 赤毛の少年は少し悩んだ末、何かを決めて人影を指差した。

 

「――、――。――――――――、――――、――――――――」

 

 人影は、赤毛の少年の荷物を整理する。

 彼の起源のせいか、散々しっちゃかめっちゃかにしたあと、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「――、――――――――。――――、――――――――。

 ――――。――――――――、――――――――」

 

 赤毛の少年は何を言われたのだろうか。感心したように口をあんぐりと開けた。

 

「うわ、爺さんすごいな」

 

 そうか。その人影は“爺さん”なのか。黒い泥人形のような見た目からして判らなかった。

 しかし、さして少年が気味悪がらない以上、この人影の姿はきっと、本当に人間の爺さんなのだろう。

 

 ……いや、最初から判ってはいたのだ。誰かがこの人影を呼称する際、必ず耳にするのは“衛宮切嗣”という名前だったから。

 そして『衛宮』という苗字には覚えがある。私の学校に通う友人のものだ。

 

 

 

 ――――私は歩く。私は早める。

 

 

 

 今は夜。観るは夜。

 私は深山町の交差点を抜けて、ある武家屋敷に辿り着く。

 私は塀の上に登るだけだが、()()()は塀を乗り越えて屋敷の中に侵入しようとする。

 しかし、すぐに屋敷内部に結界が張られていることに、()()()()()()()()()

 その私は、なんとかして屋敷には入れないかと思案する。そこで解析を掛けてみると、その私は結界の優しさに驚いた。

 

 ――入るも去るもご自由に。敵意さえなければ警報は鳴らさない。

 魔術師としては、あまりにも人が良すぎる。その防犯設備は、既に自分は魔術師ではないことを証明していた。

 

 そして、今の私と、その私は、塀の上で過去を見る。

 私にとっては二度目だけど、その私にとっては一度目だ。

 

 広い庭。縁側には衛宮切嗣と思しき人影と、数年ほど成長した赤毛の少年・衛宮士郎が肩を並べて座っている。

 同じ苗字からして、人影と士郎は親子なのだろう。養子に迎えられたということなのだろうか。

 

 ……綺麗な月を仰ぎながら、会話をする親子が二人。

 

「――――、――――――――」

 

「なんだよ、それ。憧れてたって、諦めたのかよ」

 

 幼い姿の士郎は、不機嫌そうに、そう言った。

 はて、人影は何を諦めたのだろうか。彼は月を見上げて、何かを語る。

 

「――、――――。――――、――――――――。――――、――――――――」

 

「そっか。それじゃ、しょうがないな」

 

「――――。――、――――」

 

「うん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。

 爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は――――」

 

 

 

 

 

「――――俺が、ちゃんと形にしてやるから」

 

 

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、人影にまとわりついていた泥が拭払されていく。

 それで、今まで黒塗りされて見えなかった姿が、ようやく(あらわ)になった。

 

 爺さんと呼ばれる衛宮切嗣。

 聞く所によると、かの魔術師殺しは、いま視ている時間軸では、まだ三十代の年齢だったはずだと記憶している。が、これは確かに“爺さん”と呼ばれるのも頷ける風貌だった。

 

 死神の黒装束を身に纏っておきながら、今にも自分が死神に連れて行かれそうな、そんな男。

 世界の悪意に悪戯されて、はたしてその終生は如何なる心地だったのか。

 

 しかし衛宮切嗣は、幸せそうに微笑んでいた。

 

「そうか。ああ――――安心した」

 

 ……この時点で、彼は救われていたのだろう。

 諦めてしまった何か。

 それを息子に受け継がせて、彼は救われて瞼を閉じた。

 

 そうして少年は、静かに涙する。静寂な夜は、いつまでも続いていく。

 

 

 

 

 

 やがて、朝が来た。

 少年は骸から離れない。

 門から若い娘が入ってきて、すべてを悟った顔をした。

 

 それからは観るまでもない。私には、彼らの家族の葬式に参列する資格はない。

 これはただの調査だ。我が一族の探求のための、ただのフィールドワーク。

 

 だのに私は、なんで……こんな寄り道をしたのだろう。

 いったい私は、何を考えているのだろう。

 

 世界を敵に回すのか? だけどそれで、もし大切な人たちを救えるのなら?

 大切な人を救うためなら、私は世界さえ敵に回せるのか?

 

 分からない。判らない。解らない。わからない。私は魔術師だ。魔術師なんだ。

 それでも大切な人々や、好きになった男の子を救えるのなら、私はどうしたいのだろう。

 

 

 

 ――――綺麗な月は見えない。今日は曇りだ。

 

 武家屋敷から離れて、交差点を左に曲がり、坂を上る。

 

 洋館に帰宅した私は、魔術の行使に疲れ果てて、ふかふかのベッドに倒れ込んだ。

 

「…………」

 

 悩む必要はない。なぜなら私は、もう戦いを始めてしまっているのだから。

 始めてしまっていたのなら、もう後戻りはできない。

 私は戦うことを決意する前に、決意していたんだ。

 

 それは。

 

 ――――まるで、未来を思い出すように。

 

 私は全てを擲ち、悪意を持つ世界に対して、宣戦を布告した。

 開戦の狼煙は明日にも昇る。

 今日はもう日付を跨いでいるから、明日というのは二回寝たあとの話だ。

 

「……。…………、……来て、バーサーカー……」

 

 暗闇に包まれた寝室。その壁際から大きな人影が現れる。

 その人影は黒いマントを身に纏った大男。彼は裸になり、全身傷だらけの肌を見せて、私に覆いかぶさった。

 

「契約を、しましょう」

 

 未来は既に予測演算され、その上で疑似的な測定を施されている。

 

 明日は一月の三十日。水曜日。

 

 

 

 その夜、私は女としての初めてを捨てた。

 

 

 

 /了

 

 

 




 これは、未来を思い出す物語。

 高校時代に完成し、長年wordの中で封印されていた二次創作物を、HF三章公開記念に先駆けて、なぜか今になって改稿して投稿しようとしている黒歴史公開記。




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幕間1(18禁)

 窓から入る月光が寝室を照らす。

 天蓋付きの寝台の上で、仰向けに倒れるは裸の乙女。

 

 ふと、光が届かない部屋の片隅から、薄闇に紛れて全身傷だらけの大男が現れる。

 

 大男は寝台の上に登り、乙女に覆いかぶさった。

 次に大男は、優しく乙女を扱った。

 

 乙女の細い腰を持ち上げて、舌を出し、清潔な腹下を舐め始める。

 その度に乙女は髪を揺らし、震える体をときどき跳ね上げさせて、怯えるように胸の前で腕を重ねる。

 

 濡れる股下。筋張る腹筋。

 小ぶりの胸は華奢に映え、火照る頬は両手のひらに隠されている。

 

 

 

   …

 

 

 

 やがて、前戯を終えた大男は本番に入る。

 

 ――――ズン……。

 

 星空に輝く瞳が見開かれて、乙女は苺の舌を伸ばしきる。

 浮き上がる腰は限界に至るまで昇天し、乙女は涙ながらに頬を染める。

 

「はっ……や、やっ……」

 

 声を出すことも叶わず、乙女は喘ぎ声を止められない。

 それを眼下に眺める大男は、容赦なく腰を振るい始めた。

 

 静謐な寝室は今を以て、連続して破裂する水泡に満たされる。

 月光を浴びる男女はひたすら、愛の無い快楽を求めていく。

 

「ぁ……キス、して……」

 

 やおら接吻を求めた乙女。

 それに応えて、大男は身を屈める。

 

 交わされる唇。すると乙女の片腕に幾何学的な紋様が浮かび上がる。

 光る色合いは、蛍光塗料のような薄い青緑色。

 

「これを……光に沿って噛みながら、吸い取って……」

 

 大男の肩に回された光る腕。乙女は何かに耐えるよう目を瞑る。

 一方、その矮小な腕を掴んだ大男は、まず鋭い八重歯で白い前腕に噛み付いた。

 

「はんっ……!」

 

 目尻を潤ませて、乙女は牙の痛みをこらえる。

 対する大男は腕を食みながら、腰を振ることを再開した。

 

 

 

   …

 

 

 

 やがて大男の口は、乙女の二の腕を食み終える。

 しかし乙女の腕は手放さず、今度は脇の下に鼻を近づかせた。

 そのまま脇下から滑るように、大男はまあるい丘を口内に収める。

 

「……んっ」

 

 乙女は首を伸ばして、後頭部を枕に擦り付ける。

 一方の大男は、もう片方の鼓動する丘を舐めとった。

 

「っ……お、おわりっ。もう、パスはつながったからっ――――!」

 

 行為の終わりをせがむ乙女。

 されど大男は、乙女の両腕を掴み、寝台に押し付ける。

 

「あっ、ちょ……!」

 

 そのまま倒れこむように腹部を密着させて、大男は腰を下向きに叩きつけ始めた。

 

「ぁっ……! んっ、はっ、あんっ……んっ……!」

 

 加速する肉体のぶつかり合い。

 打擲される乙女の花弁は、徐々に一対の茎を開かせる。

 

 あんぐりと開かれる赤い口腔。

 歯と歯の間に唾液の糸が引かれていく。

 

 拒否する虹彩は桃色を訴え、否定する体は後ろに引かない。

 重圧される乙女の花。快楽に溺れる乙女の瞳。

 

 

 

   …

 

 

 

 やがて乙女は、開けっぴろげに両腕を広げ、全身を真っ赤に火照らせて……

 白い精液を谷間に浴びて、どこか満足気に、すぅすぅと寝息を立てていた。

 

 

 

   /了

 

 

 




 ベルセルク第一巻冒頭のオマージュのつもり。
(いやぁ~まさか冒頭でいきなりHシーン騙されたな爆殺とか、読んだ当初は驚いたものです)




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一月三十日

 
この章の後半にある遠坂凛の謎解きシーンは【Fate/stay night[UBW]】のアニメ第一話を見てから読むと、凛と一緒に謎解きの答え合わせに挑戦できるかもしれません。



 朝が来た。

 それを知覚した瞬間、一拍もおかずにまぶたを開く。

 目覚まし時計も朝の陽射しも要らない。どれだけ徹夜して寝不足であろうと、一週間も起き続けて一度も仮眠すら取っていなくても、私はただ体内時計で陽が昇ったと理解する。

 これも研究者……じゃなかった。魔術師として当然の嗜みである。

 

「ふわぁあ……」

 

 といっても、この眠気自体はどうにもならない。

 とりあえず風呂に入ろうとベッドから飛び降りる。

 

「あれ、そう言えば……」

 

 あることを思い出してベッドに振り返るが、そこは当然として無人だった。

 

「どこに行ったんだろう?」

 

 それでも「まぁいいか」と楽観し、私は風呂場へ足を運んだ。

 

 

 

 ……身嗜みはOK。朝食も済ませた。あとは学校に登校するだけの時間となり、玄関口で靴を履く。

 

「おい」

 

 すると突然、背後から野太い声が上がる。

 振り返れば、そこには今朝方寝室にいなかった男がいた。

 

「朝の定時報告。するって言ってただろ。お前が」

 

 隻眼に隻腕の大男。黒い外套に身を包み、その下には漆黒の鎧を着込んでいる。

 さらにその背中には、およそ通常の剣とは呼べない巨大な鉄の塊を携えていた。

 

「なにそれ。私という女を抱いておいて、開口一番がそれかしら?」

 

「ハッ。ガキくせぇ体をしておいて女だと? もう少し年食ってから言え」

 

 ぐにっ……さ、昨夜はあれほど激しくしてたくせに……!

 

「に、日本人は低身長なの! これでも立派な穂群原学園の二年生なのよ!」

 

「話をすり替えるな。それにお前、どう見ても日本人じゃねぇだろ……本気で言ってんのか」

 

 言い合いを済ませて本題に入る。

 

「貴方こそ、一体どこに行ってたのよ。もしかして、さっそく仕事してくれたの?」

 

「いや、外を見張っていた。オレも一応、お前のサーヴァントになったんだからな」

 

「令呪もないのに?」

 

「魔力をくれてるだろ。パスだけ繋いでな。あと、この世に留まるための依代にもなってくれてる」

 

 ……そうか。意外と結構、律儀なんだ。このサーヴァント。

 少し驚いて、強面な人には優しい人が多いのだという、ギャップみたいなものに感心する。

 

「それじゃあ学校に行ってくるわ。翌朝になるまで私には絶対不干渉。私のことも知らないフリをすること。了解したかしら(Do you understand)?」

 

 その命令に対して素直に頷く私のサーヴァント。否、私の同盟相手。

 彼は私のことをマスターだと思ってくれているみたいだけど、そのような情けは別に要らない。

 私は私で、このバーサーカーというサーヴァントを裏切らせない程度の協力関係を築くのみで終始させるつもりなのだから。

 

「いってきます」

 

 誰に当てたわけでもない、一年以上前からの口癖を呟いて、いざ大好きな学校へと出発進行。

 そこには私の大好きな仲間たちが待っている!

 

 ……しかし、そうやって平和な日常という至福のひとときを楽しんで、微笑んでいられるのは今日までだ。

 だから存分に、今日という最後の日を楽しむつもりではあるのだが。

 この私――――ソニア・ド・ヴァンディミオンは!

 

 

 

 校門前。まだ朝も早い時刻だからか、人はまばらにいても少なかった。

 その時、前方から手を振って近づいてくる女生徒を発見。美綴綾子である。

 

「――あ、そうだ。言語の憑依経験を解かなくちゃ」

 

 最後の日になるというのに、自分の言葉を使わないで友と語らうなど勿体無い。

 今こそ私は、これまでに培ってきた大和言葉を、彼女の前で初披露するとしよう。

 

 

 ……憑依経験とは、降霊や召喚によって口寄せした霊的存在を自身に憑依させることで、自分が知らない技術や知識を蒐集する魔術である。

 これは様々な使い方が想定できる便利な魔術だが、私は専ら言語の問題に用いている。

 

 まず、私の使用言語は英語のみ。外国語なんて全く使えない。

 しかし私は日本に来訪したとき、適当に日本語が達者な亡霊を捕まえて、私の魔術刻印『霊魂の憑依経験』に封じ込めた。これは憑依術の工程を、たった一小節に短縮させるもの。

 そのおかげで私は、すぐに日本語を用いて、日本人と日常会話をこなせるようになった。

 

 具体的に説明すると、要はリアルタイムで行われる自動翻訳機である。私が英語で発言する際、亡霊はその英語をタイムラグなしに日本語へと置き換えて、私の口と声から日本語を発言してくれる。

 つまり憑依経験とは、憑依させたその一瞬で言語を修得したことにはならず、()()()()()()()()()()()()()()()と考えた方がいい。

 

 ――――ならば、この憑依経験を解いたら、私は英語しか喋れなくなるのか? ……それは否である。

 日本に滞在してから、はや二年になろうとしている。この間に私は亡霊の教鞭もあり、完璧に日本語を修得し、自分のものにしていたのだ。

 なにより二年も同じ言葉を使っていれば嫌でも覚える。

 

 

 さて……それでは美綴綾子を相手に、私の完全無欠な日本語会話を披露してやろうではないか。

 

「やっほー。おはようソニア」

 

「おはよう綾子」

 

 よし、最初の挨拶なんて序の口序の口。楽勝よ。絶対に違和感はないはず!

 

「うん? あれ、なんかソニア……変わった?」

 

「……えっと、何が……?」

 

 ごめんなさい。秒速で心が折れました。いくら鋭い洞察力を持つ彼女でも、絶対にバレないと思っていたのに……。

 嗚呼……今すぐにでも憑依経験をやり直したい。

 ――――と、思ったら! 何よあの亡霊、拒否ってどういうこと!? 自分で頑張れってこと? まさかここで使い魔の反逆を喰らうなんて思いもしなかったわ!

 

「んーとね、今のソニアの言葉――――」

 

 あー! やめてー! 今すぐこの日本語の教師の亡霊を無理やり縛って憑依させるからぁ! だからそれまで何も言わないで綾子ぉ!

 

「なんか……すごい完璧だったなって思って」

 

「……へ?」

 

「あ、いや、勘違いしないでよ。別に今までが完璧じゃなかった。ってわけじゃないんだ。だってソニア、転校してきた頃から日本語は流暢だったしね。ただなんというか、今の挨拶には暖かな真心のようなものがあったような気がして。……なに? なんか良いことでもあった?」

 

「綾子、大好き!」

 

「うわぁ! いきなり何するのよ。離れなさいよ、もー!」

 

 自分で考えた言葉で、自分の声色で挨拶して、こんなことを言われたら嬉しいに決まっている。

 しかし私たちは校門前でじゃれつくようなタイプの人間ではないので、人目を引く前に綾子から離れる。

 

「もう。何があったのかは知らないけど、あまり舞い上がらないようにね、ソニア」

 

「大丈夫よ、ありがとう綾子。それじゃあね」

 

 軽く手を振って私たちは別れる。

 彼女は私が知る中でも、かなり気の利く姉御肌な人物だ。あと似たようなタイプがもう一人いるが、あれはまた別のタイプである。気に入った相手しか面倒を見ない……というか、素を見せない猫かぶりな人物とでも言ってしまおうか。

 

 

 

 昇降口で靴を履き替えた私は、自分のクラス。二年C組に赴く。

 開きっぱなしの引き戸に顔を出して、本日二度目の挨拶をする。

 

「おっはよう!」

 

 しかし、教室は無尽に近かった。

 それでも応えてくれる生徒は一人いた。

 

「おはようソニア。また二番乗りだな」

 

 それは成長した赤毛の少年。衛宮士郎だった。

 

「士郎が早すぎるだけよ。用もないのに早起きしても損じゃない?」

 

「損じゃない。それに用がないのはソニアも同じじゃないか」

 

「いいえ。私は大好きなこの学校に少しでも長くいたいだけです」

 

「……そうか。そんなにこの学校を気に入ってくれていたのか。この学校始まって以来の外国人入学生にそんなに気に入られて、教師合わせて在学生ともども嬉しみに尽きます……と。まぁ、俺が代表して言うことじゃないけどな」

 

 まるでお姫様に礼を取る執事のように、士郎はふざけて腕を胸に付ける。

 

「そんなことないわ。学校っていうのは、そこにいる人たちがいて初めて気に入るものよ。それに一役買っているのが士郎、貴方もなの。だから私は別に、なまこ壁マニアってわけじゃないわ」

 

 

 

 それから暫くして、士郎や登校してきた友人たちと会話をしていると、新たに目を引く人物が教室に入ってきた。

 

「やぁソニア。おはよう。今日は弾んだ声で喋るね? 何か面白いことでもあったのかい?」

 

 教室に入ってきて早々、私に声を掛けてきたのは間桐慎二。去年から同じクラスで仲良くしてきた相手だ。

 彼は物事に関して明察で、小回りの利く探偵のような人物。プライドが高いのが玉に瑕だけど、それに実力が備わっているので、まぁかっこいいとは思う。その性格を除けば。

 

「おはよう慎二。やっぱり判るのかしら? 日本語、上達した?」

 

「あぁ。でも上達したっていうより、なんだか明るくなった気がするよ。長いこと一緒にいたけど、それが本来の君なんだろ? ようやくお目にかかれて僕は嬉しいね」

 

 くつくつと無邪気に笑う慎二は、私の席の隣に座る。

 

 それからホームルームが始まるまで、私と慎二は暫しの会話を楽しんだ。

 

 

 

 昼食の時間。

 席を立ち上がり食堂に向かう。その時、後方から声を掛けられた。

 

「おいおいソニア。今日は食堂に行くのかい? なら、僕と一緒に食べないか?」

 

 その声の主は慎二だった。どうやらわざわざ追いかけてきたらしい。

 だが残念無念。今日の私には用事があるのだ。

 

「ごめんなさい。今日は先約があって」

 

「なにそれ、男?」

 

「ううん。女友達よ」

 

「そうか、判った。邪魔したね」

 

 踵を返す慎二。彼は去り際に手を振って、ひとつ約束を残した。

 

「また今度誘うからさ。次は一緒に食べようぜ」

 

 

 

 それから私は、食堂で購買したパンを手に持って屋上へ上がる。

 

「うぅ。寒っ!」

 

 扉を開けた瞬間、凍えるような風が吹き付けてくる。

 ぶるっと体が冷えていくのが分かり、熱を逃さないよう脇を抱え込む。

 

「おーいソニアー。こっちこっちー!」

 

 誰かの呼び声をかき消すほど風が痛い。

 私は寒風を面食らって、一歩も動けなかった。

 

「もう仕方ないなぁ。あんた寒国出身のくせに冬はダメなんだから。そんなので、よく今まで研究できてたわよねー」

 

 勝手なことを言いながら、私の手を引いてくれる誰か。その握ってくる手の感触には覚えがある。

 なにより屋上で私を待っている相手なんて、一人しかいないんだから。

 

 不意に風が止む。というよりも、風が何かに遮られた。

 気づけば私は、彼女に手を引かれて給水タンクの裏に回っていた。

 

「ふぅ。たしかに寒かった!」

 

 黒髪にツインテール。制服に赤いコートを纏った美少女、遠坂凛。

 彼女は冬木のセカンドオーナーであり、私の魔術師としての友である。

 

「それで、凛。私に何か用なの?」

 

「――うん? あれ、あんた……憑依経験の魔術を解いたの? ようやく。 あっはは!」

 

「むっ……貴女に気づかれるのは判るけど、なんでそこで笑うのよ……」

 

「はは……いや、やっぱりなって思ったのよ。そうか。ようやく自分の口で喋ろうとしたのか。だったらもう、ネタばらしをしてもいいかな?」

 

 うふふふ、と。なにやら邪悪な笑みを浮かべている遠坂凛様。

 ――これはまずい。

 もしかしたら私が知らない間に、何か弱みを握られてしまったのだろうか?

 はて、ネタばらしとはなんだろう? このあかいあくまにからかわれるのは、ちょっとどころではないくらい苦手なのだけど……。

 

「あのね、ソニア。やっぱり会話っていうのは、自分の口と声でするものなのよ。もちろん私はあなたの声を毎日聴いているわ。けれどね、なんていうか……温度差が違うのよ」

 

「……それって、亡霊を通して話しているか否かってこと?」

 

「そうそう、判ってるじゃない。今までのあなたは心底親しみを込めて、この学校の人たちと会話していたつもりだったんだろうけど、正直どこか他人事みたいな雰囲気が感じられていたのよね。でも、もしかしてそれ……とっくに誰かに言われてた?」

 

「えぇ。最初は綾子に看破されて、次は慎二に気づかれたわ」

 

「へぇ? 綾子なら判るけど、あの慎二が? あいつも結構鋭いところあるのねー」

 

 そう言って凛は、ジュースをちゅーちゅーと飲み始める。

 私もその隣に座り、購買したコッペパンを食べ始める。

 

「……あのね。話っていうのは、聖杯戦争のことなのよ」

 

 不意に話しかけてきた凛。

 あまりにも唐突すぎて聞き逃してしまうところだった。

 

「明日、わたしはセイバーを呼ぶことにしている。教会のルールで聖杯戦争と関係のない魔術師は去るようにって、あの神父から言われなかった?」

 

「言われなかったわ。言われたとしても頷くつもりはない。わたしは今まで通り学校に通うわ」

 

 断固とした口調で言い返す。

 このことは今まで、何度も凛から心配されていることだったが、それでも私は頷けなかった。

 

「そう。それじゃあサーヴァントを目撃して、それをほかの魔術師やサーヴァントに気づかれてしまった場合、目撃者として片付けられる危険性があると判っていても?」

 

「えぇ。だけど自分が魔術師だと明かせば、私を殺す必要はないとすぐに相手も判るでしょう? だって神秘の秘匿は互いに了解していることだもの。もちろんサーヴァントというのが非常に強力な使い魔だということは理解しているわ。それでも自衛すらできない私だと思って?」

 

 これだけ言えば凛も諦めてくれるだろう。

 私はもうこの話題で口を開くつもりはないという意思を明示するため、販売機で買ったジュースのストローを口に咥える。

 

「そう……考えを変えるつもりはないのね。だったらせいぜい夜は出歩かないようにしなさい。まぁ言っても聞かないんでしょうけど。

 ――――ところでソニア。ちょっと服の下のお肌を見せてくれない?」

 

 ――――ぶふぅっ!?

 突然のセクハラ発言にジュースを吹き出しそうになる。

 そして私がリアクションを見せている間に、凛はやけに艶かしい手つきで私の服の裾を捲くり上げていた。

 

「な、なっ! 何してるのよ!?」

 

 咄嗟に距離を取り、服の裾をスカートの中に戻す。

 

「何って、令呪を隠しているのかどうか確かめさせてもらうわ。ほら上着も脱ぎさない」

 

「ばばばバカなの!? 令呪って手の甲に宿るものだと貴女の口から聞かされていたのだけど!? だのに服を脱ぐ理由とは!? そ、それにもし、私がサーヴァントを従えていたらどうするつもりなのよ! だって貴女、まだサーヴァントを召喚していないんでしょう!」

 

 わきわきと手を握ったり開いたりして、にやける凛から全力で逃げる。逃げる。

 

「なぁに? そんなに令呪を見せるのが嫌? 手加減してくれなくてもいいのよぉ!」

 

「て、手加減って……もう……」

 

 このまま凛にからかわれているわけにはいかない。早々に諦めさせるために、私は両腕の裾を捲ってみせた。

 

「あら真っ白。綺麗ねーあなたの肌。だけど何事にも例外はあるわ。令呪って背中とかお尻にも宿るらしいし?」

 

「もう、いい加減にしてよ!」

 

 顔を真っ赤にして怒る。すると凛は笑い転げる。

 嗚呼、もうダメだ。学友として接しても、久しぶりに魔術師として接しても、こんな扱いを受けるのであれば、もうダメだ。

 彼女に気に入られた者は、その誰もが、この“あかいあくま”のおもちゃにされてしまうのだ……。

 

 といっても……まぁ、気に入られているのなら、それはとてもありがたいことなのだけど……。

 

「あー、面白かった。判ってるわよ。あなた、聖杯戦争に参加するつもりはないんでしょう? まぁ興味はあるみたいだけどね。そのためにあなたは、監視の目が厳しい協会から、この地に飛んできたわけなんだし」

 

 それは……凛の言う通りだ。

 私は聖杯戦争に参加する気はないが、聖杯戦争そのものには興味がある。これだけは真実であり、凛に嘘をついていることはない。

 何故ならば、()()()()()()()()()()のだから。

 

「ただね、ソニア。マスターって聖杯が選ぶっていうじゃない? だからソニアが参加したくなくても、あなたに令呪が宿る場合もあるかなー? なんて、少し疑っただけよ。でも信じてはいたわ。もしあなたの体に令呪が浮き出ていたら、いの一番にわたしに報告(宣戦布告)をしに来てくれるってね? だってあなた、魔術師なんかじゃないもの。あなたはきっと正々堂々と勝負を挑みに来てくれる。もちろん、不意打ちも上等だけどね?」

 

「その信頼はどうも。でも貴女と一緒にしないでよね。ただそこに戦場があるから戦う。なんて理由で聖杯戦争に参加しようとしている女の子とね」

 

「あら、わたしとあなたは一緒よ? だってソニアも、そこに謎があるから調べるんだー、なんてうまいことは言えないけど、同じタイプじゃない。勝負師と歴史家の違いってやつ?」

 

 そこで会話は終わり、屋上は疾風だけの静けさを取り戻す。

 どうやら凛は、私に注意喚起をするために、ここへ呼び出したらしい。それは友達としての情だと受け取り、私は感謝する。もちろんセカンドオーナーとしての務めでもあるのだろうけど、それでも嬉しかったのだ。

 

「ありがとう、凛。……でもそうなると、しばらく貴女の家に行けなくなるのかぁ」

 

「あら、なら今日うちに来る? 歓迎するわよ」

 

「ほんと? いくいく!」

 

 そんな約束を取り付けて、私と凛は昼飯時を共に過ごした。

 

 

 

 放課後。学業終了のチャイムが鳴り、生徒が一斉に教室を出る。

 私は身支度をしている間に慎二の席に振り向いてみたが、その姿はどこにもなかった。先に帰ったのか。それとも部活だろうか。

 なんにせよ、今晩は遠坂凛の家に行く予定だ。誘われても付き合えない。

 

 校門を出て暫く歩き、交差点にて道を曲がる。西洋風の洋館が連なるところまでは、私の家路と同じ道のりである。

 しかして遠坂邸の門前に辿り着いた。呼び鈴を鳴らすと玄関の扉が開き、凛が出てくる。

 

「入ってらっしゃい」

 

 凛の家に来るのは、これが初めてではない。

 最初に冬木という土地に来て滞在許可を貰った時と、冬木での魔術行使を綿密に記録した書類を送るのに毎月。さらに個人的な興味で押しかけたり、凛に茶会へ誘われたりと、ざっと数えて両手の指は優に超えている。

 

 居間に通された私はソファに着き、凛はティーセットを持ってくると言って居間から出て行く。

 その後ろ姿を見送り、廊下と通じる居間の扉が閉まった次の瞬間。私は垂直に立ち上がる。

 

 ……はて、何故に私は立ち上がったのだろうか。自分でも分からない。だが、この血が騒ぐのならば仕方がない。

 私は何回も遠坂邸の居間に通されておきながら、一度もこの洋館の工房を見つけて侵入したことがないのだから。

 

「今日こそは見つける……」

 

 私の得意な魔術は、隠された工房の発見や、家主に気づかれず結界を突破すること。

 それでも流石は遠坂家。工房隠しの結界は一流で、その存在を気づかせない。

 

 ――――だが、何事にも弱点は存在する。

 

 一見、完璧な才能を持つ凛だが、如何せん経験が足りない。言うなれば熟練度。実戦経験ともいう。

 とにもかくにも、あらゆる結界の網をくぐり抜けて工房を見つけ出し、数々の秘奥を盗み出してきた怪盗魔術師こと私、ソニアにとっては、ちょっと時間が掛かるだけで魔法級の結界すら突破してみせる……と、豪語してみせる。

 

「……よし、見つけた!」

 

 魔力探知で工房への抜け道を発見。

 ここから隠密行動で居間を後にし、地下の工房まで直進する。音を立てずに早足で、疾く工房へと続く隠し扉を開ける。

 

「凛はまだ戻ってきていない……今なら行ける!」

 

 何度も遠坂邸に通いつめて、ようやく手に入れたこのチャンス。無論、あとで殺し合いになるのは覚悟している。だが、どうしても目の前に知るべきことがあるのなら、私は死地へ赴かなければならない。

 ここまで来たら時間を掛ける必要はない。ダダダッと工房の結界を踏み抜いて侵入する。

 もちろん今ので完全に凛の魔術回路は励起したことだろう。だが、地下までたどり着ければこっちのものである。

 

 ――――見つけたのは、無尽蔵と思われる書庫。

 それは数ある遠坂家秘伝のアーティファクト。だが、探すべき場所は此処ではない。もっと奥に、奥にあるはず。

 

 ……そうして見つけた。

 これより先は万華鏡の迷宮。遠坂家始まりの魔術の師は、やはりあの人だったのだ。

 

「――――! ――――――――!!」

 

 後方からドカドカと階段を駆け下りてくる音が響く。

 それは今にも私を殺さんと、正真正銘の赤い悪魔が迫り来る足音だった。

 

「おんどりゃあてめぇ殺さてぇのかぁああああああ!!」

 

 まるで遠坂凛とは思えない台詞回しの絶叫とともに、彼女は階段を転げ落ちながら宝石を投げてくる。

 次に囁かれるはドイツ語の詠唱。

 

 それと同時に、私は常に腰に帯剣している小剣を抜き放つ。

 

「Gale――――!」

 

 刹那、アメシストの極光と風刃虎牙が相克する。

 工房内が閃光と旋風に包まれて、爆風により書物や器具が吹き飛ばされていく中、全てがひっくり返っていく。

 

「あんた、前からうちの工房の在り処を調べていたみたいだけど、なんでそんなことするのよ!」

 

「あら、凛なら私のことをよく知っているはずだわ。いちいち説明しなくても判るんじゃなくて?」

 

「ぐぬぬ……」

 

「引き分けね……」

 

 砕かれた風の刃と、散っていった宝石。私と凛の魔術勝負は、全くの互角だった。

 

「ぬぅううう! 負けたぁ! こっちは虎の子の宝石をさっそく使っちゃったのに、あんたは魔力をちょっとばかし使っただけじゃないのよ! も~~~~う! コスト良すぎぃ!」

 

「……それは別に、私の魔術コストが良いんじゃなくて、宝石魔術のコストが――――」

 

「あぁ分かってる! 分かってるからみなまで言わなくてよろしい! もうあんたのせいよ! 今まではギリギリで止められていたのにぃ! 油断したっ!」

 

 よろよろと床に倒れる凛は、わんわんと泣く。どうやら相当悔しかったらしい。

 その泣き様を放っておいて、しかし背後は警戒しながら、床に散らばった文献を目にしていく。

 

「くそ、くっそ。なによあのゲイルって魔術。神秘の強さが段違いのくせに魔力を流すだけでわたしの宝石が抑えられるなんて……ちょっとそこんところどうなのよー!」

 

「どうもなにも、サーベルタイガーの亡霊を剣に憑依させて使っているんだから当然でしょ。剣歯虎の霊が宿る剣に風を用いた強化を施し、飛ぶ斬撃を魔術として確立させたものだもの。ただ剣の素材にアゾット剣を用いているから、そこまで出力は出せないのだけど。あと新生代の生き物とはいえ、それだけで神秘が濃いという話でもないしね。ただ古臭いだけの魔術よ。

 ……それでも驚いたわ。まさか相殺されるだなんて。予定では胴体真っ二つのつもりだったのに」

 

 神秘同士の鍔迫り合いは、より濃度が高い方が勝利する。だというのに、凛は紀元前の神秘を相手に自慢の宝石で相殺してみせた。

 このことから、普通の魔術師なら戦慄を覚えるレベルだ。それでも時計塔に在籍する化物と比べたら、私も彼女もぺーぺーなのだけど。

 

「ねぇソニア……その冗談、もし次の機会があったら絶対に言わないことね。わたし、本気にして本気出しちゃうから。その時は互いに手加減抜きよ?」

 

 殺気立って今にも掴みかかってきそうな凛を警戒しながらさておいて、私はある箱に目をつけた。

 

「あら、凛。これはなに?」

 

「あ、それはダメ。お父様が遺してくれた難題なんだから」

 

「難題?」

 

「そう。……ってやべ。今のでヒントの紙がどっかにいっちゃった……」

 

「片付け手伝おうか?」

 

「結構です。この押し切り神秘強盗! 絶対にあんたには遠坂の神秘をひとっつとも渡さないんだからね! そういうこと、ほかの魔術師を相手に何度も繰り返してきたんでしょうけど、わたしを相手にして同じことができるだなんてことは決して思わないことね! これだから研究者ってのはまったく……協会で規則としては特例で許されているとか訳わかんないわよ横暴だわ……」

 

 ぶつぶつと凛は愚痴をこぼす。

 そこで私は、足元に落ちている紙切れを発見した。拾い上げて読んでみる。

 

「……原則として五つのダイヤルは全て違う数字である?」

 

「――――え? って、ちょっとそれ返しなさぁあああい!」

 

 とたん鬼のような形相で駆けてきた凛は、私から紙切れを分捕る。

 

「次に何か触ってみなさい! 後ろからとびっきりの宝石魔術で串刺しにしてあげるから!」

 

「ぶぅ」

 

「殺されたいのかしら……?」

 

 さて、此処にこれ以上居続ければ、いくら凛でも堪忍袋の緒が持たなくなるだろう。

 私としては既に目的は達成したことだし、多少もったいないとは思うが大人しく立ち去ることにした。

 

「ソニア! わたしもう絶対にあんたを家に入れてあげないからね!」

 

「まったく……こうなるのは最初から判っていたくせに。まぁ最初から入れてもらわなくても、私は黙って入らせてもらったけどね。もちろん誰にも気づかれないように……」

 

 自信満々に胸を張り、凛に振り返る。

 私はやろうと思えば、魔法使いすら黙せる結界の突破を成し得られる。故に今回は、わざと凛に侵入を気づかせてやったも同然なのだと、かなり傲慢に鼻を長くする。

 

「……なるほど。術理を完全に解明していなければ不可能な結界のすり抜け、か。じゃあなに? もう遠坂の結界は見破ったりってやつ?」

 

「私に見破れない結界はないわ。だって、誰だって目の前で結界を仕掛けている場面を目撃すれば、神秘の強さで敵わなくても突破自体は可能でしょう?」

 

 私の返しに目を丸くした凛は、視線を下げてぶつぶつと考察を始める。

 

「――――過去視? それもかなり限定的な……でも、特定の過去を任意で視ることができる過去視なんて聞いたことがない。……ならば、魔術理論の解明というわけで高ランクの解析魔術? だけど結界の破壊ではなくすり抜けってことは、噂に聞く光と魔力の屈折により、肉体と精神、魔術回路を含む魂までもを透明化させる魔力感知不可能の魔術? いや、それとも……」

 

 顎に指を当てて考え込む凛。しかし存外に鋭い。流石は遠坂凛と言おうか。これならあとは閃きさえあれば、彼女は私の魔術特性に気づいてしまうだろう。どうやら少し遊びすぎてしまったようだ。こうなったらさっさと退散するとしよう。

 

 そうして階段を登ろうとした時、凛が呼び止めてきた。

 

「待った、ソニア。あんた、何が目的だったの? ここで退くってことは、もう目的は達成したってこと?」

 

 ゆらりと身を揺らす凛は、鬼神の如しオーラを放って近づいてくる。

 

「何か隠し持っているなら今すぐ出しなさい? 場合によっては最後までやらせてもらうわ」

 

「……いいえ。私は何も隠していないんです。なんなら身体検査をどうぞ」

 

 自分は犯人ではない。無罪だと主張して、素直に体を預ける。実際、私は本当に何も盗っていない。

 そして、一度は裏切ってしまった凛への罪滅ぼしも兼ねて、甘んじて体中をまさぐられることを受け入れた。

 

「う~ん、おかしいなぁ。絶対に何か隠し持っていると思ったんだけど……」

 

「だから、本当に何も盗っていないって。ただ、私が知りたかったのは、遠坂の師が誰なのか確かめることだったんだから」

 

「はぁ……? なによそれ。大師父のことなんて訊かれればいくらでも教えてあげたのに」

 

「違う。言葉じゃなくて実際に見たかったのよ。えぇ……確かにあそこは人外魔境の入口だったわ。あれを見ることができただけで満足よ。というか、あれを見たらもう諦めるしかないもの」

 

「諦めるって……ソニア。あんた、まさか……」

 

 言い止めて、凛は息を呑む。

 おそらく私がさっきまで諦めていなかった『何か』に気づいたのだろう。

 

「ソニア。まさかとは思うけど訊くわよ。――――あなた、ゼルレッチの工房に侵入しようとしていたの?」

 

「ゼルレッチに工房なんてないわ。あったとしても、それはこの世界にはない。どの世界にもないでしょう。……まぁ、私はちょっと興味があっただけだから、死にに行くようなことはしないわ。安心して。

 ……はぁ。それでもやっぱり魔法使いって次元が違うのね。まるで神様を見た気分だわ。弟子に残したもので、あれだけの魔境具合だもの。きっとゼルレッチのところに辿り着いた時点で死んでいるか、工房に潜り込もうと企てた時点で殺されてもおかしくはなかったってわけね? やんなっちゃうわ」

 

 溜息をついて落胆する。

 もし彼の元に辿り着くことが叶えば、一族の悲願を速攻で達成できると思っていたんだけどなぁ……。

 

「――――あ、あのねぇ……溜息をつきたいのはこっちの方! あんた一体どんな魔術を使うのよ! これだからあんたは私と同じタイプだって言ったの!」

 

「……あぁ、なるほど」

 

「いまさら気付いたんかい!」

 

 吠える凛にバシっと背中を叩かれて、工房から追い出される。そして私の片腕をぎゅうぎゅうと握り締めて、無理やり居間に連れて行く。その握力は、腕の皮膚に痕ができるほどの力強さだった。

 

 強引に居間のソファに座らされた私は、泰然とティーカップに紅茶を淹れ始めた凛と、優雅なお茶会を始める。

 

「ほら、お茶するわよ」

 

 うわぁ……遠坂凛とは、なんと豪胆な人物なのだろうか。

 今しがた工房を荒らされた――自分で荒らしたともいう――のに、予定通りに事を進めようとしている。だが、手に持ったティーカップがカタカタと小刻みに震えていることからして、彼女の怒りは爆発寸前であることは容易に見て取れた。

 

 こちらも紅茶を淹れたティーカップをいただく。が、目の前で殺気を放たれている状況で、平然としていられるほど私は強くない。同じくカップをカタカタと言わせて、この命はここで尽きたかと錯覚するほどの恐怖を味わう。

 

「ところでソニア、最近どおう?」

 

「そ、それはもう凛……絶好調よ?」

 

 こわい。怖い。(こわ)い。笑顔が恐い。

 こうなることは覚悟していたが、どちらかが死ぬまで殺り合うよりは遥かにマシである。そういう意味では、ほんとに遠坂凛の温情には頭が上がらない。というかセカンドオーナーを相手にこんな真似をして、すぐに街を追い出されないことを考えると、これは温情どころの話ではない。

 

 ――――そう考えると、凛はほとほと魔術師然としていないなと、ふと思った。

 

 

 

 しばらく穏やかな会話を楽しみ、これといった重要な話ではない世間話で団欒を終わらせた。

 ……否、それは一触即発の腹の探り合いであり、返答を誤れば即殺し合いが始まっていたかもしれない危機的状況であった。

 

 凛に別れを告げて館を出る。

 その直後、私は門前で、あの殺伐空間から生きて帰れたことに、内心どころか全身を使って安堵していた。

 

「はぁ……死ぬかと思った」

 

 そう思うのは当然であり、だが少し違う。人様の工房に侵入して殺されない魔術師など、世の中に一人もいないだろう。それがたとえ友人であっても、それは人間としての関係であり、魔術師としては全く関係のないことだ。

 

 それでも凛は許してくれた。いや、許してはいないだろう。ここで私を殺せば、協会から減点をくらうことを恐れての見逃しだ。だが、たとえ私が協会から保護されていたとしても、減点を惜しがる者は、まだ協会に籍を入れていない魔術師だけ。

 それ以外の輩は、全身全霊を以て私を殺しに来る。まだ侵入していないのに、私の姿を外で見ただけで殺しに来るやつもいる。ゆえに協会のルールは当てにしていなかったのだが……凛には期待して良かったことなのかもしれない。

 

 

 

 それから私は、まっすぐと家路に就いた。

 また、凛が心変わりして夜間に襲撃して来ないように、土塊のゴーレムを見張り番として家中に配置する。

 

「よし、防衛準備完了。まったくこんな研究をしていると、工房の中は実験場や研究室というよりは防衛施設に近くなってくるわね。まぁ凛と違って来るもの拒み、去る者どうぞな結界だけど。侵入者が使い魔のゴーレムを相手にしている隙に、すたこらさっさと夜逃げする。別に工房の中で取られるものはないし、まさに即席の使い捨て工房ね」

 

 疲れた身体を布団に潜り込ませて、私は明日という戦場に備えて身を休ませる。

 時刻はまだ陽が落ちた直後。寝るには早すぎる時間帯だった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夜。

 

「はぁ……まだ腹の虫が収まらないわ。時計塔に入学して、もし次にあの顔を見ることがあったら、今度こそぶっ殺してやる。学生にさえなれば減点なんてすぐに取り返せるんだから」

 

 いらいら、イライライライラ。

 腕を組んでは指をしきりに叩き、足を打ち鳴らしては舌打ちをする。これも全て殺意を押さえ込むためだ。

 

 それに、もしここで暴れたら、ソニアとわたしのどちらかが確実に死ぬ。あるいは、両方とも死ぬ魔術合戦となるだろう。そんなことは許されない。

 今夜はお父様が遺した箱の難題を解かなければならないし、謎を解いた箱に触媒となるものがあれば、明日には召喚の儀式に取り掛からなければならないのだから、魔力の無駄使いはできない。

 

「くっそ。こんな心境で冷静に謎解きなんてできるかなぁ? それもこれも――――ううん。あいつは関係ない。忘れなさい遠坂凛。思考を切り替えるのよあのクソバカソニア!」

 

 ダン! と、どこに当てれば良いのか分からない震脚を繰り出す。だが、八つ当たりのおかげか、なんだかとてもスッキリした。

 否、スッキリした理由は別にある。それは「もうなんでもいいや」と怒ることを諦めたからだ。

 

 しかし、全てを諦めて状況を受け流すのは悪い癖となり、己を弱くする逃避行動となる。だが、今回ばかりはこれに頼らせてもらう。でなければ、今すぐに目と鼻の先にあるソニアの邸宅に乗り込んで、秘蔵の宝石を三つもぶっぱなしてしまいそうだったからだ。

 

 ……これなら、やつの家なんか一瞬で吹き飛ばせる……なんて甘い誘惑を跳ね除けて、わたしは工房に降りる。

 

 

 

 それから私は散らかった書物や器具を整理して、いよいよあの箱と対面した。

 この箱は開かずの宝箱であり、五つのダイヤルが用意されている。まず鍵穴があり、その下に二列に分かれたダイヤルが五つある。ダイヤルは上段に三つ、下段に二つ。ダイヤルの数字は一から十二まであり、キャタピラみたいな造りのダイヤルらしかった。

 

 そして、わたしの手元には、このダイヤルの数字が何であるかを記してるらしき紙切れと、箱を開けるための鍵がある。

 わたしは鍵をダイヤルの上にある穴に差し込んで、それから紙切れを読んだ。

 

「えっと、原則として五つのダイヤルは全て違う数字である。……これって普通に重複する数字はないってことよね? よし、やりますか!」

 

 ぱちん、と頬を叩いて気合を入れる。思考を切り替えるのだ。

 だってこれは、亡きお父様が遺してくれた、最期の宿題なのだから――――!

 

「えー、なになに? 第一問:君は五芒星の中央に立っている。

 君は第六架空要素を召喚するため、五芒星の中央にエーテル塊を用意した。

 前提として根源に辿り着くためには第六架空要素を召喚するしかなく、第六架空要素はエーテル塊を用いなければ召喚に応じないものとする。

 では、この召喚儀式の結果、術者はどうなったのかを結論づけなさい。

 ――って、なにこれ、思考実験? ええっと、ヒントは……。

 ヒント:エーテル塊とは何か。召喚した存在はダジャレが好き。

 ――って、はぁ? これ本当にお父様が作ったなぞなぞなの? なんだか怪しくなって来たわね……まさか綺礼が? ううん。詮索はあと。謎を解かなくちゃ!」

 

 さて、まずは五芒星の中央に術者がいることが問題だ。何故なら目的は五つのダイヤルの数字を当てることにあるのだから。となると、五芒星の中央がこの問題に該当する数字の位置になるのだろう。だが、上段と下段では五芒星には見えない。

 

「……待って、鍵穴よ! 五芒星の一角を上に、二角部分を下にすれば、横の二角と数が合う! 鍵穴部分からの一筆書きで五芒星の角と合わせることができるわ! そして、その五芒星の中央ってのが上段にある三つのダイヤルの真ん中部分を指しているのね!」

 

 そうと分かれば、さっそく問題に取り掛かれる。

 次は思考実験だ。五芒星を描いて召喚すると記されている以上、これは召喚陣だと見るべき。

 そして、第六架空要素とは、悪魔のこと。人の願いに取り憑いて歪んだ形で叶える魔性の存在。だが、確か悪魔とは偽物しか存在しないんじゃなかったっけ?

 文献を漁って、その記述を見つける。悪魔とは何かが書いてあり、人類最大の障害であると記されている。そこに、悪魔とは第六架空要素であると書いてあった。これで答え合わせは済んだ。

 

 この術者は、ヒントも合わせて、根源に辿り着くために悪魔を召喚しようとしている。

 それはまるで魔術師としての道理を示しているかのような問題だった。

 ――――根源に至るためには、悪魔へ魂を売り渡す覚悟はあるか、と……。

 

「冗談。自分の力で辿り着けない頂点なんて、ごまかしにも程がある」

 

 この呟きは、きっとお父様が聞いたら落胆するだろうか。それとも賞賛するだろうか。分からない。だけどわたしは、悪魔に身を売るなんてことはしたくない。魔術師としての悲願が叶うのだとしても。その願いが叶う保証や確証はどこにもないのだし。

 

 そして、悪魔の召喚にはエーテル塊が必要であるという前提条件。これは一体なんなんだろう?

 まずエーテル塊とは、それ自体はとんでもなく無意味なものだ。へっぽこ魔術師がエーテルの扱い方を誤ると、四大元素に溶け合うはずの形なきエーテルは色なき形を以て物質化する。その物体には何の用途も存在しない。どんな失敗作にだって多少の使い道はあるはずだが、このエーテル塊は有った方が損なくらいのまごうことなき真の失敗作なのだ。

 とはいえ、そんなエーテル塊を用意できてしまうほどのへっぽこ魔術師が悪魔を召喚しようとしているとは、なかなか切羽詰っているのだろう。元素の扱い方も知らないやつが魔術を無理やり為そうとしているのだから。それは自己の限界を超越した等価交換。そんなことをすれば、間違いなく術者は死ぬ。

 

 つまりこれは――魔術とは常に死と隣り合わせ――ということを伝えたいのではないのだろうか?

 

 魔術とは安易に限界を突破できる法則にある。その限界を超えて魔術を使用すれば、それによって得られる成果は術者にとっては計り知れないだろう。だが、そのどれもが根源には届かず、ただ魔術回路が崩壊して死のみが待っているという状態になる。その場で即死することもありえるだろう。博打どころの話ではない。それはもう何の成果もない自殺同然の行為なのだ。

 

 ――だが、前提にはこうある。根源に至るためには悪魔を召喚するしかない。それならば術者は行うだろう。死んでも根源に至るために。

 ……あぁ、それはなんて矛盾。死んでは結果は知りえないというのに。

 

「ふむ……で、肝心の答えは? まったく思いつかないわ……」

 

 少し焦点を変えてみよう。

 悪魔やエーテル塊には、第六架空要素や第五元素という呼称が付いている。だが、安易に五か六だなんて解答はありえないだろう。問題作成者もそんなことは考えていないはずだ。

 となれば、このメッセージ性の強い問題文から、何かを感じ取ったのが答えだと見るべきだ。

 それは魔術理論を把握している者なら一目瞭然。――――これは『死』を伝えている。

 

 この魔術儀式は死を前提にして為されている。死んでも根源に至る覚悟はあるか。根源に至るためなら死ねるのか。なにより――――魔術とは常に死と隣り合わせなのだ、という魔術師として基礎中の基礎の教えがあるではないか。

 

「ふん。父さんったら、初心忘れるべからずってやつかしら?」

 

 死。し。四。

 この連想法によって、わたしは上段中央のダイヤルを四に合わせた。

 

「はぁ、面白かったけど簡単だったわね。さって、次の問題はっと……」

 

 わたしは紙切れの第一問から、第二問目に眼を滑らせる。

 

「――ふむふむ。第二問:しかして五芒星の左端には星座の精霊が召喚された。

 その精霊は地属性であり、さらにその精霊は君に近い性質を持っているようだった。

 ヒント:黄道十二宮。

 ――……うーん。第一問は悪魔だったんだけど、これは問題文作成の都合上と見るべきかしら。悪魔を召喚しようとしたら星座の精霊が召喚された、何故でしょう。なんて問題じゃないもの。……さって、黄道十二宮と来ると占星術の問題かな。どこかに卜占に詳しい本が……」

 

 書物を漁って、その中から占星術について書き記された中世期の本を引っ張り出した。

 

「地属性ってことは、サインのエレメントを示しているのね。地水火風と来て地に対応する十二の星座は……あった。金牛宮、処女宮、磨羯宮の三種か……まぁ磨羯は悩むまでもなく却下ね。こんなのがわたしに近い性質を持つはずないわ」

 

 だが、同じ性質といっても、何を指しているのか分からなければ解けるはずもない。

 星座の性別を見れば、この三種の星座はどれも女性を指している。となると、単純に自身の性別に当てはめても答えはわからない。最初は処女宮なのではと思ったが、そう単純な話ではないらしい。

 

 しかし遠坂凛が、いや、たとえ遠坂家の財政が火の車だったとしても金牛宮はありえない。こいつは(きん)だ。(きん)とは(かね)を持っているやつのこと。金欠のわたしとは対極に位置する存在。どちらかといえば仲間にしたい相手だ。ゆえに却下。心苦しいが、遠坂は金に縁のない家柄なのです。

 ということで処女宮。といってもわたしが処女なのは当たり前として、だからどうした。答えになっていないではないか。

 

「あっそうだ。その前に数字の割り出し方を……。えっと黄道十二宮ってことは、その並びが答えの数字になるってことでいいのよね? はぁ……難しいなぁ。もしかして星座の由来とか調べた方がいいのかしら? 星座の由来の大半はギリシャ神話だから……あそこらへんに神話関連の本が……」

 

 また発掘作業に入り、ギリシャ神話の星座に関する書物を見つけた。

 由来がびっしりと記されている。まずは金牛宮から調べてみた。

 

「獣帯、対極のサイン、違う。性質、は関係ないでしょ。牡牛座、プレイアデス星団、あぁこれってエウローペーの白い牛が元ネタだったんだ。なるほど。……ん? エウローペーってニンフの節もあったんだ。……って、素直に読んでいる場合じゃなくって!」

 

 このままではエウローペーの悲劇なのか喜劇なのか分からない話に夢中になってしまう。

 あぁ、わたしにも白馬ならぬ白牛が突然やってきて、攫ってもいいから色んな金になる宝具をくれないかなぁ。全部高値で売っぱらうから……。

 

「次は処女宮っと。おっ、やっぱし処女宮には色んな女神の説があふれているわね。イシュタル、アストライア、キュベレ、アテネ。うーん。でも女神と同じ性質ってどうなんだろ?」

 

 そのまま読み進めていけど、決定打になる情報はどこにもなかった。

 

「う~ん。おかしいなぁ。っていうかこれは問題に責任があるわ。何よその近い性質って。曖昧すぎて特定できるものもできないわ! ……こうなったら消去法で行きましょう!

 金牛宮と磨羯宮には否定できる根拠があるけど、処女宮だけにはない。だから処女宮が答えだとして、サインの並びは六番目!」

 

 そうしてわたしは上段左側のダイヤルを六に合わせた。

 

「はい次々! 本を読んでいたらあっという間に時間が過ぎちゃうわ!」

 

 謎解きに掛かってから既に三十分は経過していた。資料の引き出しに時間が掛かったせいだ。

 もう睡眠時刻が迫ってきている。このままじゃ徹夜になってしまう。

 

「はい。第三問:星座の精霊は五芒星の左下を指差して君に訊いた。君の誕生日はいつで、何座なのかと。

 そして精霊は、それを忘れずに生きて欲しいと、そう、言った…………」

 

 ……なによこれ。なんなのよこれ。ちょっとうるって来ちゃったじゃない。こっちは真剣だって言うのに、もう!

 

「ま、まったく。こんな簡単な問題が出るようになったら、謎解きにならないじゃない! この分だと二問目は処女宮で正解のようね。きっと次の問題も単純明快なものだわ。

 さて、それじゃあわたしの星座は――――」

 

 …………星座、は。

 

「…………」

 

 いや、いいや違う。わたしはそこまで自分のことに無頓着ではない。

 ただ、ちょっと、ド忘れをしているだけだ。頭を使いすぎたから、既知であることに我を忘れているだけだ。

 

 おもむろに星座占いの本を開く。

 処女宮は乙女座……違う。第二問と第三問は別物だ。惑わされるな。いや惑わされる以前に覚えているなら間違えないはず。だから別に忘れているわけじゃ……。

 

 

 

 ――――ふっ。がめついな凛。未だ湯水の如く湧き出るはずの遠坂の遺産を前にして、まだ金策を考慮しているとは、実にがめついな凛。というわけで今日が誕生日の君の星座占いでは、なんと水瓶座が最下位だったようだ。おめでとう凛。いや、今のは誕生日のお祝いの言葉だ。勘違いしないでくれたまえ。ほうら、いつもの服だ。おめでとう水瓶座最下位の遠坂凛――――

 

 ――――っ!

 

「う……うわぁあああ! あの外道神父のせいで思い出すとはなんたる不覚ぅううう!! そうよ、わたしの誕生日は二月三日! 最下位の水瓶座ですよーだ! うぅうぅうう……」

 

 およよ、と泣き崩れながらページをめくって、十二星座の一覧に目を通す。水瓶座の位置は下から二番目。つまり上から十一番目にあった。

 ってことで、わたしは下段左のダイヤルを十一に合わせる。

 

「……いいえ、ちょっと待って? 誕生日について精霊が訊いてきたってことは、二月三日の、二月が答えなのかもしれない? 月は十二ヶ月あるんだから、ダイヤルの数に当てはまるし……まぁいっか。もし次に十一が答えのダイヤルが出てきたら、その時に二のダイヤルに直せばいいんだし。よし次に行こう!」

 

 目元を袖でぬぐって、わたしは紙切れを凝視した。涙で少し見えにくい。全部で五問の問題文が片手で持てるくらいの紙切れ一枚に収められているのだ。当然文字はすごく小さい。眼鏡持って来れば良かった……。

 

「さてさて……第四問:精霊は五芒星の右下を指差して君に訊いた。

 君の師匠の名を教えてくれと。

 ……これって、父さんのことじゃないわよね? 魔術の師と言うのであれば、それは――――」

 

 魔道元帥ゼルレッチ。大師父の事を指しているのか。

 

「となると、第二魔法の並行世界の運営の使い手ってことで、ダイヤルは二か。簡単すぎるわね」

 

 下段右のダイヤルを二に合わせて、早々に次に移る。

 

「いよいよ最後ね。第五問:精霊は君に最後の問いを投げた。

 魔術師とは、常に『何』と隣り合わせなのか、と……。

 ……。…………あれ、これって、まさか?」

 

 どう考えても、この『何』に入る答えは『死』である。

 そうなるとダイヤルの位置は記されていないが、最後のダイヤルは上段右端となり、合わせるべき数字は四となる。だが、それでは原則の重複する数字はないというルールに反してしまう。

 

 と、とりあえず第五問は一先ず置いておき。わたしは第一問に、もう一度目を通してみた。

 

「うっそ、どういうこと? ここまでトントン拍子で来たのに、急に躓くだなんて……」

 

 頭を掻きながら紙切れと睨みっこすること小一時間。

 あくびが出てくるようになってきて、わたしはリタイア寸前にまで精神的疲労に陥っていた。

 

「まぁ、諦めるつもりなんて毛頭ないけど。解けるまで絶対に寝てなんかやらないんだからね。遠坂凛。しっかりしなさい。あなたにならできるわ! よし!」

 

 気合いを入れ直して、この難解な謎解きに再挑戦する。

 

「……あっ、そういえばヒントの悪魔は英語のダジャレが好きってやつ。すっぽかしてたわ。となると、英語っていうのは、なんだろう? 悪魔はデビル? デーモン? エーテルはエーテルだし、もしかして数字を英語で読むとか? その場合は序数詞も気にしなくちゃいけないのかしら……」

 

 とにかく色んな言葉を英語に直してみる。ダジャレだって言うからには、死を四と読むようなものだろう。

 だが、これは日本語のダジャレであるので不正解というわけだ。

 

「うーん。ヒントには、エーテル塊とは何か、って書いてあるのよね~。――――あっ」

 

 ふと、閃きというものが脳裏をよぎった。

 

「たしかエーテル塊って、第一魔法と関係しているって、どこかの文献で読んだ気が……」

 

 そこで、わたしは時計塔の資料集を読み進めて、確かにエーテル塊を説明しているページに『第一魔法と関係しているかもしれない』という記述を見つけた。

 

「うーん。けれど第一魔法って使い手は不明だし、資料を読む以上、世界からは消失しているとかなんとかわけわかんないこと書いてあるんだけど……。さらに内容も不明ときた。これって何も無いのと変わらないじゃない。そりゃあエーテル塊って、ある意味では無を作っていることになるとか、そんな見解を持つ魔術師もいたみたいだけどさー。『無い』繋がりでそんな理論が通るってんなら、架空元素の虚数についても何か一つこじ付けでもいいから説明してみなさいってのよ、まったく。

 ――――あぁ、もう! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そう叫んだが刹那、

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――………………んんんっ?」

 

 わたしは、今世紀最大の謎を解いてしまったかもしれない。

 

 

 

 ――無い。

 

 

 

 ……ない。

 

 

 

 ――ないん?

 

 

 

 ……ナイン!

 

 

 

「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっってぇこれぇ……

 ただのオヤジギャクじゃないのよぉおおおおおおおおおおおおおおおおこのスカポンタンのオタンコナスぅううううううううううううううああああああああああああああああ!!!」

 

 わたしは思わず、書物が大量に乗っかって相当な重量になっているテーブルをちゃぶ台返しで吹っ飛ばし、その反動で自分自身も本棚に倒れこむ。

 そして本棚にぶつかった揺れで大量の書物が降ってきて、わたしは本の山に埋もれることになった。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 

 思いっきり本棚の角に後頭部をぶつけてしまい、死に悶える。

 ――もういやだ。

 わたし、こんなオヤジギャグを使う家の娘にはなりたくないです……魔術師、やめてもいいでしょうか?

 魔術師としての難題を期待していたわたしの期待、返してください、お父様……。

 

 ナイン……ナイン……ナイン……。

 

「……ダイヤルの中央を九にしてっと」

 

 先ほどまでの狂乱は全てなかったことにして、工房を元通りに片付けたあと、わたしはダイヤルを回していた。

 

 ナイン……ナイン……ナイン……。

 

 どうやらナインの呪縛からは、まだ解き放たれていないらしい。

 もしかするとお父様は、この程度の呪縛を解呪できないようではまだまだだ、とでも言いたいのだろうか。いや、そうに違いない。

 

「ええっと、それじゃあ最後の五問目の答えは四だから、上段右のダイヤルを四に回して……」

 

 そして、全てのダイヤルを合わせた瞬間、箱はその隙間から白い煙を出しながら、あっけなく開かれた。

 

「開いた! やった!」

 

 きっと人には見せられない顔面になっているであろう、わたしの顔にえくぼが作られる。

 そのえくぼには喜びもあれば、最悪の意味も含まれていた。

 

 ナイン……ナイン……ナイン……。

 

 それから開いた箱の中を検めると、中には壊れた触媒と赤い宝石のペンダントのみが入っていた。

 

「えぇ? 期待してたのに……触媒になりそうなものがないじゃないのよう……今までの苦労はどうしてくれるのよう。このペンダントもなかなかのものだけど、触媒にはならないわ。でもほかにないし……はぁ、恨むぜ。わたしの金運を……」

 

 わたしは箱から赤いペンダントのみを取り出し、懐にしまって工房を出る。

 

 

 

 それから顔を洗い、お風呂に入って、一息ついてからベッドに入る。

 

「はぁ。今日は色々と疲れたなあ。神秘泥棒にはとうとう工房破りをさせられちゃうし、父さんが遺した宿題が、その……まさかのくだらないダジャレだったなんて……。はぁ、でも、悔やんでいても文句を言っても仕方がない。ソニアにやられたのはわたしの実力不足が原因だし、それを言うなら今日という日まで触媒を用意できなかった自分の責任よ。だから……」

 

 いや違う。だからではない。それでも、それを理由にして敗北することは許されない。

 負けたことを自分の実力不足だと反省するのは結構だが、それを言い訳にしていては成長なんてできない。

 本気で聖杯戦争を勝ち抜くつもりなら、一度の失敗も許されないのだから――――

 

「だから、今日は、もう、休もう……おやすみ、なさい――――」

 

 暖かい毛布にくるまって、意識が底に落ちていくのを感じ取る。

 わたしは微睡みに身を任せて、とても深い眠りに就いた。

 

 

 

   /了

 

 

 




 凛が挑戦した謎解きについては、アニメUBWの第一話目を参考にしました。



 魔術師としての才能で、凛が100~70なら、ソニアは40~30くらい。
 魔術師としてのレベルで、凛が30~20なら、ソニアも30~20くらい。
 このことから、伸び代は圧倒的に凛の方が高い。
 その差を指摘すると、ソニアは「それでも私の方が戦闘経験豊富なんだから」と張り合い始める。
 ……研究職での競い合いに戦闘能力は関係ない。という指摘を受けるまで、彼女はこれを引き合いに出し続けるだろう。



 ――――ソニア・ド・ヴァンディミオンの情報開示が待たれる。




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一月三十一日

 私の名前は、ソニア・ド・ヴァンディミオン。

 我らヴァンディミオンの一族は、中世暗黒時代末期に成り立ちを有し、それから代々と受け継がれてきた研究者チームである。

 

 我らは一体、何を求めて、何を研究しているのか。その理由と研究対象は“空白の時代”というものにある。中世暗黒期に突如として観測された神代回帰現象。この謎を追い求め、真相を究明するのが我らの悲願。根源の到達などハナから志していない我々は、その点で言えば、魔術師なんていう輩とはまったく思想を違えていた。

 言うなれば研究者。大昔の歴史の謎を追い求める、知的好奇心に溢れる歴史家でしかない。ただ、その歴史を解明する手段として魔術を用いているだけ。つまり我々は魔術使いだと言える。

 

 さて、それでは神代回帰現象とは何か。

 それは文字通りの意味で、中世期の時代に存在した大気のマナの質量純度諸々が、一瞬だけ神代のマナに変質したのだ。五世紀の人間が神代のマナに触れたら五体を爆発四散させるように、これは世界の危機。否、全人類の滅亡という事実にほかならなかった。だが、人類は今もこうして平穏無事に生きている。二回の大戦を経てもなお、人類は滅びていない。

 

 要は、抑止力が働いたのだ。誰も解決できない異常事態。それが人知れず解決された。さらに、()()()()()()()()()()()()()()()()。はたして抑止力は一体どのようにして、この神代のマナに染まった中世期の世界を救ったのだろうか。その方法は依然不明だが、世界(ガイア)という抑止力自身の介入があったことは明らかだった。

 

 それが判明した理由は説明するまでもない。

 何故ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。時計塔が観測した神代回帰現象は、何故か観測機の記録ではなかったことにされていたり、やはりあったような記録が残されていたり。既に発掘調査を済ませたはずの伽藍堂の遺跡から、新たに卵型の聖遺物が発掘されたり、時代考証が合わない遺跡が新たに発見されたり。

 さらに突如として()()()()()()()()()()()()()()()()()()が時計塔に現れて、しかもその魔術師一族の魔術刻印には、何故か“ガイアの抑止力が働いて位相をズラすことにより神代回帰現象をなかったことにした”……なんて、突拍子もない事実が書き記されていたり――――。

 

 全ては未知のまま、途方に暮れる魔術協会。だが、途方に暮れたいのはこちらの方だ。

 どこから現れたのか分からない謎の研究者集団。まるで異なる世界から紛れ込んだ宇宙人のような扱いをされるも、こっちは自分たちのルーツがないのだ。

 

 当時のヴァンディミオン一族は、まさに赤児のような始末だったという。突如として世界に放り出されて、知らないうちに世界の真実を書き記した魔術刻印を持たされていて、自分がいつの間にか世界に生を受けていたことになっていた。

 

 あまりにも。あまりにも横暴すぎる。

 無論、この話を信じている魔術師は存在しない。私たち一族の中でも信じている者は誰ひとりとしていない。だが、そうでなければ説明不可能なのだ。まるで狐ならぬ神につままれた断腸の思いで、当時の一族は志したという。

 

 自分たちが何者であるかを知りたければ、それはやはり世界の真実を探求するほかない――と。

 それから数百年余りが経ち、ヴァンディミオン家の魔術刻印は、当代の私に受け継がれた。

 

 その魔術刻印とは、幻想年代記(ファンタズム・クロニクル)

 中世暗黒時代の神代回帰現象に関する情報を書き記した記録媒体。それだけでなく、あらゆる空白の時代関連の情報も記録されている。

 これこそ知識の蒐集を目的とするヴァンディミオン一族の共有財産。

 

 ……さて、ここまで話しても。

 きっとこれから説明する空白の時代については、私自身にしても理解しきれていないだろう。

 

 空白の時代とは、文字通り空白の時代である。それは無理矢理な抑止力発動の爪痕とも云えた。神代回帰現象により人類が滅ぼうとしていた瞬間、アラヤは仕事をせず、ガイアが代わりに人類を助けた。その際に世界の位相をズラすことによって、要は世界を分岐させたのだ。

 

 『世界が神代回帰現象に侵された世界』と『世界が神代回帰現象に侵されなかった世界』を。

 

 これは並行世界を強制的に創造したも同然。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、どうにもこの世界の分岐。位相をズラすという行為は、抑止力をもってしても難しかったらしい。

 ――粗が目立ったのだ。

 先に言った世界の変革。辻褄合わせのために、きっと数多くのバグをそのままにして、ガイアは権能を行使したのだろう。

 

 その結果、ズラせた位相は世界などという一個の概念では到底成り立たなかった。

 せめて固有結界に近い概念に置き換わったのだろう。

 つまり世界は分岐したのではなく、おそらく『神代回帰現象に侵された世界の固有結界』として独立させたのだ。

 

 そしてガイアは今も、その固有結界を独立させ続けている。

 その果てには支払いきれない負債が溜まり、やがて地球はパンクすると分かっていても、ガイアは生存のため来たる死を後回しにし続けている。

 

 ――話が逸れた。

 要するにGという人物がいて、その人物は神代回帰現象を生み出す固有結界を展開していたとする。ガイアはその固有結界の展開を未来永劫維持し続ける契約を交わして、神代回帰現象という世界の害を別の位相に張り付けたのだ。

 それでも世界の変革が確認されている以上、恐らくその固有結界は徐々に現実世界へ侵食を始めているということは、安易に予想できることだった。

 

 ……これはすべて、数百年に渡る調査で立てられた仮説である。

 この仮説が正しいという自信はあるが、どこにも根拠は存在しない。

 ただ強いて言うなら――――()()()()()()()()()()()()()()()()のが根拠だとでも言おうか。

 

 その根拠とは、アラヤにある。人類の集合的無意識。

 もし、それが悪意のみに染まっていたとしたら? 中世暗黒時代とは、まさにそのような時代だったのではないか?

 

 

 

 ――あぁ。色んな話をした。いや、色んな自己問答をした。

 相談する相手はいなく、世界の真実を知っているのは自分だけ、ただ独り。

 こうして時々夢の中で、自分は一体何者なのかと。自分は一体何を探し求めているのかと。

 定期的に懊悩して意地でも納得しない限り、私はいつか狂ってしまう。

 

 私は魔術師じゃないんだ。根源なんていつ辿り着けるかも分からない奇蹟を追い求めて、何代も何代も無意味な研究を重ねて死んでいく、そんな狂ったやつらと一緒にしないでくれ。

 

 私は、普通の人間だ。どこにでもいる、普通の女の子になりたかった。

 ただの少女が世界の命運を握っているなんて、なんて酷い試練を神は与えるのか。

 いっそ本当に私が根源接続者であったのなら、かなり楽な仕事だったんだけどなぁ。

 

 

 

 夢の中でも逃れられない、私の魔術。

 

 ただただ未来を思い出す。

 

 まるで根源接続者の気分だなぁ。と、ため息をつきながら、急激な睡魔に意識を落とす。

 

 だが、時とは残酷なもので、朝が来てしまった。

 

 今日より家から出てはならない。

 

 それでも――――あと、一度だけなら……。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 朝。

 僕は弓道部の朝練のため、登校を早めていた。主将たる僕がいなけりゃ弓道場が締まらない。

 そうして昇降口から道場へ向かおうとしたら、女の子の話し声が聞こえてきた。

 

「……あれは、遠坂と美綴」

 

 こんな朝早くに遠坂凛をお目にかかれるとは僥倖だ。そのまま遠坂は美綴に連れられて弓道場へと向かった。

 

「ひとつ声でも掛けてやるとするか」

 

 しばらく柱に背を預けて、用を終えて昇降口を通り過ぎる遠坂を待ち構える。

 コツコツと足音が。目の前を赤いコートを着た学校一の美少女が通り過ぎる。

 

 ……僕に気付かないで、通り過ぎる。

 

「やぁ遠坂。おはよう」

 

 少しばかりの不機嫌さを抑えて、顔に笑顔を貼り付ける。

 

 

 

 ――――だが、このあと遠坂の口から、あんなことを言われるなんて思いもよらなかった。

 

 

 

 それは、僕という存在の否定である。

 

「あなたに興味はないって言っているのよ、間桐慎二くん。それは今までもそうだったし、きっとこれからも目に入らないわ」

 

 ……なっ、なんだって! そんなことがあっていいはずがない!

 僕は間桐家の長男なんだぞ! 遠坂と並ぶ名家のはずなのに、その言い草はなんだ!

 

 それから遠坂凛は、スタスタと校舎に消えていった。

 くそっ。僕に魔術が使えないからって見下しているのか! 確かに僕は魔術師としては落第点さ。魔術回路ってやつがないんだからな! それでも僕には魔道の知識がある。五百年積み上げてきた知識の研鑽がある。

 

「くっそう。遠坂のやつめ……」

 

 今にも癇癪を起こしたいくらいの気分だった。この雪辱、どう果たしてやろうか。

 ……ふん。だが今に見ていろよ、遠坂。僕はマスターとやらになったんだ。

 

 お前はそれに気が付いていないようだが、僕はライダーというサーヴァントを従えて、僕は魔術師と同列に成り上がった! 魔術が使えなくても、その知識によって得たこの魔道書さえあれば、僕は魔術師に成り得るんだ!

 

 それでも相手は冬木の管理人・遠坂凛だ。魔術合戦で勝てるわけがないことは業腹だが承知している。だからサーヴァントの勝負で決着をつけるしかない。

 

 そこで気になるのは、遠坂と僕のサーヴァント。強いのはどちらなのか、という点。もちろん僕が引いたサーヴァントが最強なのは当然のことだが、サーヴァントとサーヴァントの勝負で、僕が遠坂に狙われたらアウトだ。

 

 そのためには遠坂とそのサーヴァントを、ライダーに同時に相手取って貰わなければならない。だが、サーヴァントという存在は魔力によって動いている。つまり魔力が多ければ多いほど強くなるのだ。

 

 しかし、僕は魔術師じゃない。ライダーに魔力を送ってやることはできない。だったら僕がライダーにしてやれることは、ただ一つ。

 

 ――魂喰い。

 人間の魂・精神力・生命力とやらをサーヴァントに食べさせることにより、霊体で構成された使い魔を強化する方法。

 

「やるんなら今夜からか……」

 

 そろそろ聖杯戦争は幕を開ける。

 事前に準備をしておくのに越したことはないし、なにより僕が命じなくても単独行動ができるライダーは勝手に人間を襲っている。だが、マスターとしては相手を選びたい。これでも神秘の秘匿とやらは了解しているつもりだ。とにかくバレずに済ませれば良いわけだし、バレたら殺しちゃえばいいんだ。

 

「フッ。くくく……ふはっはひっふへっ」

 

 笑いが止まらない。魂を喰らって最強になったライダーが遠坂凛をめちゃめちゃにするのを想像したら……。よし、遠坂がそのつもりなら、僕にも考えがある。今夜のところは魂喰いに留まって、明日にでも学校にアレを仕掛けるとしようか――――

 

「あぁ、早く始まらないかな、聖杯戦争!」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 同時刻。

 

「はぁ……」

 

 私は、迷っていた。今日は学校に行くのか否かと。

 本来なら昨日が最後であると決心したはずだが、それでも私は迷っていた。

 居間のソファに腰を下ろして、ただ溜息を吐く。

 

「……おい、なんかあったのかよ?」

 

 ぶっきらぼうに訊いてきたのは、壁に背を預けているバーサーカー。

 いや、この際、黒い剣士とでも呼んでおこうか。

 いつも黒衣を身に纏っているし、その下の鎧も漆黒で塗りたくっているし……。

 

「今日は学校に行こうかなって、迷っているのよ」

 

「なんだよ、学び舎を嫌がるガキじゃあるまいし。……あぁでも、そういえば確か、今日から行動に縛りを入れるとか言っていたか」

 

「えぇそう。なるべく計算に不確定要素を招きたくないのよ。虚数という名の暗黒をね?」

 

「はっ。それならオレの時点で既にそうだろうが。未だにオレの名前を覚えられねぇくせに」

 

「覚えられないんじゃなくて、知らないのよ。だって私はまだ、貴方の口から名前すら教えてもらっていないのに、覚えるもなにもないじゃない」

 

「…………」

 

「そんなことより、私の目の前に現れたってことは、報告の一つでもあるってことでしょ?」

 

「いや別に? 茶でも飲みにふらついただけだが」

 

 ……この黒い剣士は、暢気に散歩でもしていたのだろうか?

 まぁ、まだ聖杯戦争は始まっていないから、好きに遊び呆けても全然構わないのだけれど……。

 

「それじゃあバーサーカー。おさらいするわ。聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは全部で六騎。クラスはセイバー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。貴方はバーサーカーのクラスだけど、今回のバーサーカーではない。貴方は第四次聖杯戦争の折、間桐のマスターに召喚されたサーヴァント。……これで良くて?」

 

「…………そうだな」

 

「そして、今回の私の目的は、聖杯戦争を無事に終わらせること。具体的な行動方針はその時々に指示するとして、貴方は指示以外の単独行動では好きにすること。できることなら、ほかのサーヴァントを全員倒して来て欲しんだけどね?」

 

「難しいな。まぁ期待には応えるとするが、とりあえずは“死なない”の前提だよな?」

 

「もちろん。ということで決心が付いたわ。やっぱり学校に行く。少しでも情報が欲しいもの」

 

 ソファから起き上がり、黒い剣士を放っておいて玄関に赴く。

 実は行くかどうか散々迷ってはいたが、いつもの癖で制服等の登校準備は万全だったのだ。

 

 ……おっと、時計を確認すれば遅刻ギリギリの時間帯。私は足早に学校へと向かった。

 

 

 

 ホームルーム直前。

 

「とうちゃーく!」

 

 教室の戸をまたいで一息つく。

 少し坂を小走りしてきたから、息が上がってしまった。

 

「おっはよーう!」

 

 すれ違うクラスメイトに声を掛ける。だが、おかしい。いつもいの一番に挨拶をしてくる男が、今日はいなかったからだ。

 いや、教室にいるにはいた。不機嫌そうな顔で頬杖をつき、仕切りにどこかを気にかけている。

 その目線の先を追うと、そこには士郎がいた。というか、彼が気にかける男なんて、士郎以外にいないのだから。

 

「ややっ。ソニアお嬢さん。今日は遅めの登校ですな、珍しい」

 

「あら、生徒会長。おはようございます」

 

 挨拶してきたのは柳洞一成。いつも礼儀正しく古風な語りかけで気を使ってくれる好青年。

 訊けば何でも教えてくれる質問箱なので、困った時はいつも頼っているお人だ。

 

「ねぇ生徒会長。あそこにいる彼は、なんで士郎を睨めつけているのかしら?」

 

「はっ、くだらぬ茶番ですよ。お気になさらず」

 

「そうだぞソニア。別におまえが気にすることじゃない」

 

 ふと、一成のあとに横から声をかけてきたのは士郎だった。

 

「また仲裁とかしなくても良いんだからな。別に俺と慎二は喧嘩したわけじゃないんだから」

 

 ――それは違う。どんくさい士郎は、そこんところが朴念仁だ。

 

 そこで、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。私たちはそれぞれの席について毎日の活動を始める。

 

 

 

 それからのこと。

 昼は慎二と一緒に昼食を食べて、放課後も一緒に帰路に就いた。

 そこでの彼はいつも通りで、今朝の不機嫌さは皆無であった。

 

 ――慎二と士郎の仲。

 私が人生において、初めて抱いた不安の種。

 

 私は一年ほど前にそれをなんとかしようとして、禁呪を用いた。

 でも、それがキッカケで、今の私はこの地に留まり続けている。

 

「それじゃあソニア、僕こっちだから」

 

 また明日、と慎二は間桐邸に帰宅する。

 それでも胸中に渦巻く未来への不安は、留まるところを知らなかった。

 

 

 

   ◇

 

 夕方。

 

「しめしめ……」

 

 今なら城から抜け出せる。

 セラもリズも夕飯の支度で、わたしから目を離した。だけど、いま森から抜け出したら、帰る頃には夜になっちゃう。

 夜は戦いの時間。まだ聖杯戦争は始まっていないけど、用心としてバーサーカーを連れて行こう。

 

 ささっとニンジャみたいに壁から壁へ背中をつけて移動する。

 足音を気にする必要はない。絨毯のもふもふで加減されるから。

 

 そして廊下に辿り着いた。

 

「バーサーカー、そこに誰かいない?」

 

 声を押し殺してバーサーカーに訊く。

 

「――――――――」

 

 どうやら廊下には誰もいないらしい。このまま入口まで下りて、堂々と外に出てしまおう。

 

「ふふっ」

 

 なんだか悪戯をしているみたいで、あとで驚いて怒った顔をするセラを想像してしまったら、少しの笑いが出てしまう。

 

「――誰です?」

 

 やばっ。セラの声だ。

 

(バーサーカー。こうなったらわたしを抱いて城の外に飛び出して)

 

 ――実体化する巌のような大男。ちょっと怖いけど、わたしを守ってくれる存在だから、一緒にいると安心できる。

 そのまま庭園に飛び出て大ジャンプをしたバーサーカーは、わたしを抱えながら森を疾走する。

 

「――――――――」

 

「え? 誰に会うつもりなのかって?」

 

 わたしはバーサーカーの問いに答える。

 

「そんなの決まっているでしょ。弟に会いに行くのよ。既にサーヴァントを召喚していたら容赦なく殺してあげるんだから」

 

「――――」

 

 森を駆けること小一時間。バーサーカーの脚の速さならすぐに森を抜けられた。

 そのまま目的の人物を探しているうちに日は暮れてしまい、仕方がないから反則として、探し人の家の前で待ち伏せをする。反則も何も自分から会おうとしている時点で反則だけど、今回だけはどうしてものことなのだった。

 

 ……しばらく待ち構えていると、交差点から坂を上がってくる少年を見つける。

 

 ――――あれだ。

 サーヴァントを連れていないってことは、まだ召喚していないんだ……。

 

 そのままわたしは坂を下りて、少年とすれ違いざまに声を掛けた。

 

 

 

「はやくしないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 バーサーカーに抱えられて夜の街を跳ぶ。

 ――思うところはある。言いたかったことは、ほかにもある。それでも……。

 

 また、明日来よう。

 今は早く城に帰らなくちゃ、セラに怒られるし、リズを心配させちゃうから――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 二ヶ月後、ボクは小学二年生に進級する。

 お姉ちゃんは高校生になるみたいで、このところ忙しそうだった。

 

 ……眠れない。

 本来ならもうぐっすりと寝て、明日の学校を楽しみにしながら夢を見るはずだったのに、今日はなんだか寝付けなかった。

 

 ベッドから下りて、トイレに向かう。

 自室を出て廊下を渡り、お姉ちゃんの部屋の扉を横切れば、一階に降りる階段がある。

 

 ……ふと、足を一歩踏み出すと、床が軋んだ。お姉ちゃんを起こさないように、忍び足で廊下を渡る。

 そこで、お姉ちゃんの部屋の扉が開けっ放しになっているのを見つけた。

 閉めてあげようと思って、把手に触ろうとしたら――――

 

 

 

 ――――お姉ちゃんの部屋に、幽霊がいた。

 

 

 

 窓から差し込む月の光に、幽霊が黒く光っているように見えた。

 長い髪がお姉ちゃんの体に巻き付いている。それを目にして気が付いた。

 あれは幽霊じゃない。吸血鬼だ。だってその吸血鬼は、お姉ちゃんの首に――――

 

「――た、すけて、は、やと――」

 

 ――――噛み付いていたのだから。

 

「う、うわぁああああああ!」

 

 吸血鬼に隠れて見えなかったお姉ちゃんの顔が一瞬だけ見えた。いやだ。違う。だって、あれはお姉ちゃんじゃない。何故だか分からないけど骨人形みたいに見えた。そこに顔がなかったように見えた。吸血鬼が驚いたように振り返ってボクを見る。ボクを睨みつける。それに絶対の恐怖を感じた。

 

 ――殺される。

 そう思った瞬間に吸血鬼は消えていた。それでも確かに殺されると感じたボクは、床に転がった骨格模型を見捨てて階段を駆け降りる。

 

「どうしたの隼人!」

 

「何があった!」

 

 暗闇の中、お母さんとお父さんの声が聞こえた。

 

「お母さん! おと――――」

 

 闇の中で振り返ったら、そこにはお母さんとお父さんはいなかった。

 ……あったのは、壁に串刺しにされた何かと、床に倒れたお父さんだったものだった。

 

 ――――何も見ていない。何も理解していない。何も知らない。それならまだ、足だけは動く。

 

 鍵を開けて扉を開、開かないロックを開けたり外したりバカな行動を繰り返してようやく扉が開いた、そのまま外に駆け出す、後ろから風を切って何かが追って来る、女の声じゃなくて男の声がしたけど、とにかく逃げる逃げたい死にたくない生きたい!

 

 

 

 ――――初めてこんな遅い時間に外に出た。

 坂を駆け降りればもっと速く走れるのに、バカなボクは坂を駆け上がっていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 息切れになるまで走る。

 ボクはあまり駆けっこが得意じゃないんだ。

 

「ハァ……ハァ……、――――あ」

 

 坂の上に、誰かいる。でも、あの吸血鬼じゃないみたいだ。

 暗くてよく見えないけれど、それは簡単にボクなんか殺しちゃうんだろうなって、そう諦めちゃうくらい――――とってもこわいひとだった。

 

 

 

   ◇

 

 ――時はほんの少しだけ遡る――

 

「あーあー。まったく嫌な仕事をさせてくれるぜ」

 

 夜も更けて日を跨いだ住宅街にて、一番屋根が高い場所に腰を下ろし、街を見下ろすこと数時間。

 何故ランサーのサーヴァントであるこのオレが、こんな斥候みてぇな真似をしなけりゃならねぇのか。まぁそれは仕事だとして割り切るし、サーヴァントなら当然の義務だ。だが、それもこれも命令が悪い。命令のタチが悪い。

 

「サーヴァントの魂喰いによって被害を受けた“目撃者”を始末しろ。だとは、本当に善の欠片もねぇマスターだこと……」

 

 仮にキャスターみてぇな遠くから魔力を吸い上げるタイプは、まず目撃者には入らない。犠牲者は何が起こったのか分からず気絶するだけだからだ。

 だが、直接人間を襲って血液を吸い上げるようなタイプは犠牲者を生かす以上、目撃者として扱われる。

 

「要は他所のサーヴァントが食い散らかした、その喰い残しを片付けろってことだろ? ……たくっ。魂喰いを止めさせろ。ではなく、魂喰いに遭った目撃者を始末しろってぇのは……へぇへぇ。従ってやりますがね。

 ――どうにも気分が乗らねぇなぁ。こいつばっかしはよぉ……」

 

 舌打ちをしながら、今ライダーが交差点の一角にある一軒家に侵入したのを見逃した。

 サーヴァントの耳だったら、視覚に頼らず聴覚で何が起こっているのか手に取るように分かる。

 

 まず、ライダーは寝静まっている人間を値踏みしているらしかった。

 そして、好みの餌でも見つけたのか、吸い上げ始める。だが、どうやらその現場を誰かに見られたらしい。悲鳴が上がった。女みてぇなガキの声だった。それから両親が飛び起きて、広い居間に走ってくる。それをライダーが一瞬にして始末した。虫の息の餌から少しでも吸血しているようだ。

 

「……チッ。逃げ出したな。運が良いんだか悪いんだか」

 

 ガキだ。ガキが外に逃げ出した。

 ならば、オレが殺さなきゃならねぇのは――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

「待て、ライダー」

 

 僕は自分のサーヴァントを止めに掛かった。

 

「……シンジ。今、外に子供が逃げ出しました。目撃者は殺す手筈では?」

 

「その必要はない。そんなことより魔力は充分に溜まったのか?」

 

「はい。充分です。これなら明日には学校に結界を仕掛けられるかと。……ですが」

 

「あぁもう愚図だな! 逃げ出した子供は追わなくても良いって言ってるだろ! 誰もガキの言うことなんて信じないさ! 無駄な行動をして魔力を消費するのが頭の悪い行動だって分からないのか? 僕がせっかくおまえに良さそうな餌を見つけてやったってのに、あのガキなんざを殺すためにそれを浪費したいって言うのか?」

 

「…………」

 

「そうだ。分かれば良い」

 

 マスターとして、きつくライダーに言い含める。

 この殺人はおそらく、明日にはニュースで強盗殺人として扱われるだろう。

 

「今日のところはもう帰ろうぜ。ほかのサーヴァントと遭遇するのは避けたい」

 

 そのままライダーを連れ立って間桐家に帰還する。

 今から学校に行って結界を仕掛けても良いが、道中での戦闘の可能性を避けたかったからだ。

 ならば明日、放課後のあとに学校に居残って結界を仕掛ければ良い。

 

「くくっ。順調、順調……早く召喚しないと、僕を倒せなくなるぜ? 遠坂凛……」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜の深山町は静まり返っている。あまりに静か過ぎて気味が悪いくらいには。

 

「…………」

 

 一応、オレのマスターである小娘(ソニア)の指示は単純明快。

 朝の提示報告以外は好きにしろ――――だ。しかし、こいつはオレを信用してのことじゃない。あの小娘は最初から最後まで、この聖杯戦争を自分の身ひとつで勝ち抜こうとしている。だから、オレというサーヴァントを戦力には数えていない。

 

 ……要するに報告だけすれば良いってことは、オレを斥候扱いしているってことだ。だが、それに不満はねぇ。逆に好きに戦わせてくれるってのは、条件の良すぎる申し出だ。十年前の聖杯戦争でも、まぁそこそこなマスターには巡りあったものだが……また特殊なマスターもいたもんだ。

 

 ――――冷たい風が吹く。それに少しの郷愁を覚えた。

 第四次聖杯戦争。オレはマスターと共に聖杯戦争を勝ち抜いて、決勝まで生き残った。

 ……いや。マスターは途中で死んだが、まぁそれはどうでもいいことだ。

 

「――そういえば、あのガキどもは元気にやっているかな……」

 

 ……っと、このオレが柄にもねぇことを。いやこれはまいった。やっぱり気にしてたのか。

 少なくとも片方はオレのことなんざ忘れているだろうし、もう片方からは恨まれているかも知れない。まぁそれも、オレにはどうでもいいことだ。

 

 弱いやつは死に絶える。

 強いやつが生き残る。

 あいつらがどちらだろうと、別にオレは……。

 

「……なんだ、おまえ。こんな夜更けになにしてる?」

 

 坂に差し掛かったところで、道の向こうに子供を見つけた。

 ピンク色をしたうさぎ風の寝間着姿で、なにやら血に塗れている。

 

「……ッ」

 

 首の烙印が反応した。近くに魔性の存在が潜んでいる……サーヴァントだ。

 オレの保有スキルには、この冬木市全体に存在するサーヴァントや魔性の物をひとり残らず感知できるスキルがある。だが、それも近い遠い程度のもので細かくは分からない。しかし、少なくとも近くに一騎存在することは確かだ。

 きっと、この尋常じゃねぇ状況に遭って青ざめているガキを見るに、サーヴァントの問題に巻き込まれたんだろう。

 

「おい、どうしたんだって聞いているんだよ。なんか答えろ。素通りするぞ」

 

「……!」

 

 オレの言葉を何と取ったのか、次に子供はよく分からないことを訊いてきた。

 

「ぼ、ボクを……殺さないの?」

 

「あ? なんでテメェを殺さなきゃなんねぇんだ。理由がねぇ。怖い夢を見たんならとっとと家に帰んな」

 

「――か、帰れないよ……帰る場所なんて、ないよっ!」

 

 あぁ、なんだ。いきなり癇癪をおっぱじめやがった。これだからガキは嫌なんだ……。

 

「だっ、だって、お姉ちゃんもお母さんもお父さんも……」

 

「――――ぜぇんぶ、悪い吸血女に殺されちまったんだからなぁ?」

 

「――――っ!」

 

 大剣を構える。今の声はガキのものじゃない。

 声は――――屋根の上から聞こえてきた。

 

「よぉ。テメェ、サーヴァントだろ? 実体化してふらついているたぁ挑発のつもりか?」

 

 青装束の男。その手には朱い長槍を構えていた。

 

「……ランサーか。あぁそうだ。どうやらオレの初戦はお前になりそうだな。ついでに最初に脱落するのも、てめぇってことになりそうだ」

 

「ほう? 言ったな、バーサーカー。剣持って正気であるからって見抜けねぇとでも思ったか」

 

「思ってねぇ。サーヴァントってのは、大抵その霊基でどのクラスか解るもんだからな」

 

 そのまま坂を下りて、間合いを計りながらランサーの眼下に足を運ぶ。その位置にはガキもいた。

 

「なぁバーサーカー。ひとつ相談があるんだが……」

 

 ふと、ランサーは殺気を出さずに話を始めた。

 まるで折り入って話がある、みたいな顔で言われたら、オレも一度は剣を下ろさなきゃならなかった。

 

「話が早くて助かるぜ、バーサーカー。……いや、バーサーカーに話がわかるってのも、またおかしな話だがな。

 ――さて、話ってのはほかでもねぇ。実はな、オレ……そのガキを殺しに来たんだわ」

 

「……ッ!」

 

 ランサーの殺気を身に浴びて、怯えるガキが尻餅を搗く。

 

「……何故そんなことをする? てめぇ見たところ高潔な英霊らしいが、その実ただの殺人鬼か?」

 

「いや、それを言われると確かにそうだと言わざるを得ねぇわな。なんたっていつの世にも英雄という名ばかりの戦士は、殺すことしか脳にねぇんだから」

 

「同感だ」

 

「えっ」

 

 オレの同意に身を竦ませるガキ。

 そんな目で見ても助けてやらねぇぞオレは……。

 

「んで、話ってのはな。オレのマスターはこうオレに命令したんだ。

 ――目撃者は全て殺せ、ってな」

 

 ……その含みを持たせた言い方と笑みに、オレはなるほどと頷いた。

 それからオレは、ガキに向けて声を掛ける。

 

「……おい、お前、冬木教会って知ってるか?」

 

「――え?」

 

「知っているのかって訊いてんだ」

 

「う、うん……しってる」

 

「だったら今すぐそこに逃げ込め。それからそこの神父さまにこう言うんだ。

 ――怖いものを見た。そしてバーサーカーっていう男に、ここに行けと言われた――ってな」

 

「……そうすると、どうなるの?」

 

「さぁな。少なくとも、生き延びることだけはできるんじゃねぇか? ……そら、早く行けよ。あとはお前次第だ」

 

 それでも迷っているガキは、どうやらオレを信じるべきかどうか悩んでいるようだった。まったく最近のガキは人を疑うことを覚え始めてきているらしい。だがまぁ、それは正解だ。その後の選択が命取りになるってんなら、不信を覚えねぇほうが馬鹿のすることだ。そう言うやつは早死する。

 それに無理もねぇだろう。こいつに何があったのかは知らねぇが、きっとこいつは……ただそこに突っ立っているだけで、辛いはずだろうからな。

 

 そしてランサーが、ガキに向かって最後の後押しをする。

 

「いいか、そこの嬢ちゃん。オレがこいつを倒したら、オレはお前を追う。だが、こいつがオレに勝ったら、お前は逃げ切れる。つまりは、そういうことだ」

 

 遠まわしな言い方だ。

 これもガキを殺せというマスターの命令を意地でも守ろうとしているのか。義理堅いんだかどうなんだか。

 

「――――!」

 

 だが、子供の方もそこまで頭が悪いわけじゃあないようだった。そのまま振り返らずに坂を下っていく。

 それでいい。戦場では利口なやつしか生き残れないからな……。

 

 

 

 暫しの沈黙。

 月に陰る雲が明けて、月光が辺りを照らし出した。

 

 そこではっきりと、ランサーの姿をお目にかかる。

 青い髪に赤い瞳。獣の如き風貌を備えた優男は、その身を一瞬にしてかき消した――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 月光の下、鉄塊と朱槍が火花を散らす。

 最初は鮭跳びの法で狂戦士の背後に回り、その頭を吹き飛ばすつもりでいた。しかし狂戦士は、その満足には動かせねぇだろう巨剣でオレの槍を払いやがった。

 

「どうりゃ!」

 

 それから続けざまに神速に届く槍を畳み掛ける。

 しかし狂戦士は、その悉くを弾き、いなしていた。

 

「その剣技、セイバークラスのものと見た! あとは反射神経のみで捌いてやがんな! 粗暴なのか筋が良いのか、どっちかにしやがれってんだぁよぉ!」

 

 力押しでは敵わないと知りながら、槍を回して連撃をかます。

 かなりの技量の持ち主だ。オレには令呪が掛かっているとはいえ、それなしでも勝負は分からねぇ。

 さらにこいつ、オレを試してやがる……!

 

 一息で二十七の槍撃を喰らわせた。

 狂戦士は鉄塊を盾にするようにして身を守り、槍の攻撃の反動を利用して間合いを突き放す。

 

「どうやらテメェ。オレ好みのサーヴァントらしいな……アサシンとは大違いだ」

 

「気色悪いこと言うんじゃねぇよ……あと、アサシンと比べられるってのは、ちと無視できねぇな」

 

「いやいや、それがな、今回召喚されたアサシンは、たぶんありゃ、こと接近戦においては人類最強の剣士だぜ?」

 

 ――ぴくり、と。狂戦士の眉が反応する。

 どうやらこいつは武芸者タイプだ。自分より強い奴と戦いてぇって奴のようだ。面白い。

 

「なるほど。覚えておく。そのアサシンはどこにいる?」

 

「柳洞寺だ」

 

 軽い語らいを終えて、互いに武器を構え直す。そしてオレは、今度はそっちから来いよ、と手招く。

 それに応えて狂戦士は、大剣を肩通しに構えて突進してきた。

 

 サーヴァントであれば、それはあまりにも愚鈍な走り。

 だが、その一挙一動には無駄がなく、そのBランク級の敏捷は、全てが反射神経に重きを置かれているようだった。

 

「ハァッ――!」

 

 大ぶりの大剣を振り下ろしてくる。

 無論、それを真正面から受けるほどオレはバカじゃねぇ。最速の英霊を舐めるなってんだ。

 瞬時に狂戦士の背後に跳び回り、オレはその背中を――――

 

「そう来るってなぁッ!!」

 

 ――――狙わずに、槍をいなしに当てた。

 卓越した斬り返しの剣技に舌を巻きながら、巨剣の連撃を真正面から受けて立つ。

 

「ほらよ」

 

 されど、槍でも剣技の真似事はできる。

 狂戦士が振り下ろした剣を、槍の切り落としで防ぎにかかった。

 

「――ッ!」

 

「終わりだ!」

 

 そのまま鉄塊の上を滑らせるように槍を翻し、狂戦士の心臓を一突きにしようとする。

 が――――

 

 ガキィン――――と、突き出した槍が何かに弾かれた。

 

 その金属音はどこから鳴ったのか。最初は鎧にぶち当たったのかと思ったが、どうも違う。

 それは一目瞭然。オレとしたことが夜もあり、戦いに夢中で見逃していた。

 

 ……こいつ、左腕が義手じゃねぇか!

 

「剣技一筋のみならず、仕込みもかなりの重武装! なんだテメェ、独りで戦争でもおっぱじめるつもりかよ! こりゃまいった! ……なぁ、ここらで分けってのはどうだい?」

 

 心底笑いが堪えられないが、それでもオレは引き分けを提案した。

 ここで殺すには惜しい好敵手だと思ったからだ。

 

「そりゃ無理な相談だ。理由は訊かねぇが、一度打ち合ったんなら最後までやりあいてぇ」

 

「そうかい。ならば仕方ねぇ。惜しいが――――ここで殺させてもらう」

 

 ざっと後ろに退いて、朱槍を下向きに構える。周囲の魔力を暴飲暴食する魔の朱槍。

 

「――――っ!」

 

「わかったか? これがオレの宝具だ。手向けとして受け取れよ。オレの必殺の一撃を!」

 

 狂戦士が防御の姿勢を取る。無意味だ。

 オレは駆け出し、途中で力いっぱい踏ん張って、宝具の真名を叫ぶ。

 

「一刺一殺の呪いの槍。喰らうがいい! 刺し穿つ――――死棘の槍(ゲイ・   ボルク)!」

 

「っ――これは――ッ!!」

 

 因果逆転の呪いの槍。

 これをもし躱したら認めてやるよ。……テメェは常識破りの存在だってな。

 

「ぐっ――う、うぉおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 朱き槍と鉄の塊が鍔迫り合う。

 それから因果は逆転し、黒い剣士の心臓には、朱槍が必中したことになっていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――なっていた、はずだった。

 

 こともあろうにその男。どうにも“死”からの生還に長けている英霊らしい。

 それだけでなく“生存”にも長けた人間らしかった。

 オレの思った通り、こいつぁ常識破りな英霊だ。

 

「…………いいぜ、聞こうじゃねぇか。テメェどこの英霊だよ?」

 

 因果逆転の朱槍は、逆転しないままに、オレの手元に戻っていた。

 最初は宝具の発動をキャンセルするスキルか宝具でも持っているのかと思ったが……単純な話、あいつのスキルに因るものなのか、Eランクの幸運がEX級に変化して、さらに直感に近いスキルを有していたために、オレの槍を躱しただけのことだった。

 

 ゲイ・ボルクの呪いを弾くスキルと、オレの槍術を躱すスキルを同時に持つ英霊……。

 

「――――修羅の剣士」

 

 黒い剣士の男は、そう答えた。

 その称号が誰に与えられたものなのかは知らねぇが、オレも同感だ。まったく同じ称号を授けたい気持ちだった。

 

 何故ならこいつの戦い方は、対人間のソレじゃねぇ。

 いや、根幹にある剣技は人間を相手に練り上げられたものだが、こいつはさらにその先を行っていた。この剣技は、神代のものじゃなきゃ練り上げられねぇ技巧のものだ。対怪物用とでも言おうか。とにかく武装からして中世期の英霊だと踏んでいたんだが、その安易な予想は改めた方が良さそうだった。

 

「では修羅の剣士、バーサーカーよ。これよりオレは身を引くが、追ってくるなら決死の覚悟で掛かってこい。その時はすぐにでも、もう一つの宝具を出してやるからよ」

 

「…………」

 

 剣を収める黒い剣士。

 それを確認したオレは跳躍し、その場から撤退した。

 

 

 

 

 

「――ったく。オレの槍を完全回避とか、ふざけてんじゃねぇぞ。ありゃ神殺しの英霊だな」

 

 どんな英霊でも、たとえどんなスキルや宝具を有していたとしても、このオレの槍を相手にしてかすり傷ひとつ付かないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だがそれも、既に定められた死の上にある存在ならば、あるいは……。

 

「――――空白の時代の英霊、か。これは聖杯の知識だな。一体どういうことだ?」

 

 正体不明の英霊、か。なんだかこりゃあ、面白くなってきやがったなぁ!

 

 

 

   /了

 

 

 




 ちなみに深山町の交差点で発生した殺人事件は、個人的に聖杯戦争とは全く関係のない、ただの強盗殺人だと思うんですよね。それか元アサシンのマスターが、サーヴァント召喚の生贄にしようとした所でキャスターに令呪を奪われたか。……真相は、原作者のみぞ知る。



 ランサーの宝具は必中必殺。

 回避する方法は、因果逆転の呪いを弾く高ランクの幸運と、ランサー自身の卓越した槍術・投擲術を回避する回避系スキルが必要。しかしそのどちらの判定に成功したとしても、それは“必殺”という概念を打ち消すことができるだけで、“必中”という概念までは覆せない。

 つまり急所を外すことはできても、必ず“1ダメージ以上”は喰らうということ。さらに体内殲滅効果もある朱槍は、皮膚に掠っただけで敵の残りHPを上乗せした分のダメージを与える。よってHPが最大まである状態で宝具を喰らうと、防御系か回復系の能力を持っていない限り、掠っただけでHPが0以下にまで持っていかれる危険性がある。

 しかも運が悪ければ、これに回復阻害の呪いがついてくる。
 なにより最も悪辣な点は、ランサーは自前の魔力で、この宝具を六回程度は連発できるというところ。

 以上が、刺し穿つ死棘の槍――――ゲイ・ボルクの真の恐ろしさ。

 だが、それを喰らっておきながらダメージを『0』に抑えるとは、一体どういうことなのか。



 ――――修羅の剣士のステータス開示が待たれる。



(※上記は、この二次創作内での解釈です)


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二月一日

 運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――――

 ――――The Future Remember……。

 

 これが私の魔術。ソニア・ド・ヴァンディミオンに許された、魔法級の大禁呪。

 

 記録宇宙・アカシックレコードへの介入を可能とする大魔術。世界に記録された情報を読み取り、映像として再現し、見聞する。それは固有結界と似て非なるもので、現実の世界に顕現させる過去の記憶。

 過去を再現するといっても、実際にその空間を過去に巻き戻すわけではない。ただ実際に過去に起きた出来事を幽界のものとして再現するだけ。現実に投射された映像はホログラムのように触れることはできず、移り変わる風景もまた蜃気楼のようにおぼろげとなる。

 しかし、それらは過去に“在った”事実であり、決して偽りの光景ではない。

 また、この固有結界の範囲は術者の限界として、半径十七キロメートルまでに絞られている。

 

 もっと具体的に説明しよう。

 ――宇宙、または世界には、事象を記録する概念がある。その記録に介入して情報を読み込み(リードし)、エーテル体による空間再現――舞台で言う役者や小道具、背景の役割を成すこと――によって映像を作り出す。

 これは封印指定されるのも当然と言える大魔術。しかし魔術協会・時計塔は、我らヴァンディミオン一族の研究のために、制約付きで諸国漫遊を許している。

 

 ちなみに、これは余談だが。

 応用として、創世から現在までの空間の流れから、その事象記録の情報を基に未来を予測演算することも可能である。それは予測型の未来視に近いものとなるだろう。さらに私からすれば、この魔術は振動宇宙説に連なる理論で解釈することができる。

 

 

 ――話を戻そう。

 我らヴァンディミオン一族の悲願は、空白の時代の真相を解明すること。

 そのために私は、この過去を視る魔術を用いて世界を旅し、集めた情報を魔術刻印・幻想年代記(ファンタズム・クロニクル)に記録していく作業を延々と行ない続ける宿命にある。

 

 そんな一族としての使命を背負った私が、なんでこんな片田舎で幸せそうに学生生活を送っているのか。

 そのキッカケは、第二次世界大戦の直前。極東の冬木市で空白の時代の残滓が確認されたところから始まる。

 

 当時、我が一族は冬木市に介入しようとしたが、ユグドミレニアやアインツベルンの牽制によって調査は叶わなかった。

 来たる第四次聖杯戦争では、またも空白の時代の残滓が確認されて、我が一族は飛ぼうとするも、今度は法政科の連中に足止めをくらった。聖杯戦争に関わり、万が一にも魔術刻印・幻想年代記を失えば、もう二度と空白の時代の調査はできなくなるぞ、と脅されたのだ。

 もっともな意見だっただけに、我らは一族は二度の残滓確認をしていながら苦汁を舐めた。

 

 そして私は二年前、ヴァンディミオン一族の当主として冬木市にやってきた。遅ればせながら、空白の時代の残滓を調査するためだ。それも一年弱で調査を終えた私は、そのまま帰ることもできた。

 ……だが、好きになってしまったものは仕方がない。視てしまったものは仕方がない。

 過去を調べるだけで止せばよかったものを、私は友人ふたりの疎遠をどうにかできないものかと、禁呪の応用を用いた。

 

 

 

 本当に止せば良かった。

 

 世界の悪意に戦慄した。

 

 全てがおかしくなった。

 

 世界は終わりを迎えた。

 

 

 

 ……始まりは、本当にそれだけのことだった。友人の仲を取り戻そうと、初めて人のために魔術を使った結果がこれだ。

 一方は馬鹿みたいにプライドが高くて、一方は馬鹿みたいに朴念仁。放っとけばいつかは仲直りをしていただろう。それが腐れ縁というものだ。

 

 

 

 ――守らなきゃ。大好きな人を。大好きな、この街を。

 始まりは単に、それだけのことだったんだ。

 

 

 

 

 

 現在。約一年に渡り蒐集した冬木市全体の歴史年表。

 

 現代。第四次聖杯戦争(冬木市大火災)、第二次世界大戦。

 

 近代。第三次聖杯戦争(聖杯汚染)、第一次世界大戦。

 

 近世。第二次聖杯戦争、第一次聖杯戦争、大聖杯敷設。

 

 中世。平安。神代回帰現象。空白の時代。

 

 古代。王朝。

 

 神代。日本神話。

 

 先史。旧石器。

 

 天地開闢。蒼穹の惑星。緑の星に命が栄える。

 

 宇宙開闢。振動せし宇宙の膨張。並行世界の誕生。

 

 無の否定。

 

 

 

 

 

 はたして世界は何度繰り返されたのか。

 

 ――error。今は七。これより先は六回目の終始ゆえに。

 

 ――error。今は七。これより先は六回目の始終ゆえに。

 

 ――error。貴女は七。これより先は限界に至る。魔術とは常に死と隣り合わせゆえに。それでも覗くのであれば、等価としてその命を燃やし尽くせ。

 

「それは御免ね」

 

 しかしてヴァンディミオンの魔術師は、記録宇宙アカシックレコードの閲覧、またの名を根源への接続を切ったのだった。

 

 

 

   …

 

 

 

 早朝。

 

「昨夜、ランサーと戦った。真名はクー・フーリンだ。間違いねぇ」

 

 起きて早々、朝の提示報告をきっちりと済ましてきたのは、黒い剣士だった。

 

「……待って。なんでそんな簡単に真名が分かっているのよ。まさか宝具の打ち合いでもしたの?」

 

「あぁ。向こうから宝具を使ってきた。なんとか生き延びたが、あれは反則級の宝具だぜ。簡単に言うと、因果逆転の呪いの槍。絶対にお前を殺す、何があっても、世界がひっくり返ってもってやつだ」

 

「簡単にざっくりと言い過ぎよ。……でも、因果逆転か。クー・フーリンの逸話からすれば納得ね。というか、それならどうやって生き残ったのよ?」

 

「そりゃあ――――弾いて、躱した」

 

「…………」

 

 ……これ以上訊くのはよそう。

 まさかこんな厳つい男が、こんな語彙力のない言葉を使ってくるとは思わなかった。

 

「……おい、勘違いしてんじゃねぇぞ。本当にそう表現するしかねぇんだからよ」

 

「ふふっ。別にしていないわよ。なにはともあれ尋常でない状況から生還したら、そういう言い回しにもなるわ。アレでしょ? 自分でもどうやって生き延びたのか理解できないってやつ」

 

「あぁ、まさにそれだ。……お前にその意味合いが通じるとは思わなかったがな」

 

「これでも私、世界中を旅して修羅場をくぐってきているのよ? 英霊に近いものを相手にしたことも何度かあったわ。いま生きているのが信じられないっていう状況も、指で数え切れないくらいには経験したこともある」

 

「戦の経験アリってか。つくづく生意気な小娘だな」

 

 それだけ言って黒い剣士は踵を返す。

 報告を終えたため、自由行動に戻ろうとしているのだ。

 

「……マスター」ふと足を止めて黒い剣士は言った。「今日はどうするつもりだ?」

 

「うーん。家に閉じこもるのは、やっぱり明日からにしようかなぁ、なんて?」

 

 それから黒い剣士は、そうか、とだけ呟いて去っていった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夕方。

 冬木の中央公園……っていうところに、わたしはいた。

 今日のバーサーカーは少しおやすみ。

 連れ歩くだけで魔力を消費しちゃうから、わたしは独りでお散歩をしていたのだった。

 

「……あっ。もしかしてあれ、トオサカリン?」

 

 けれど、そのお散歩中に令呪が反応したかと思えば、近くにリンとそのサーヴァントがいた。

 どうやら向こうも、わたしを探しているらしい。もしバーサーカーを連れてきていたら、今頃はまだ夜になってもいないのに、戦闘が始まっていたかもしれない。

 

 ……だけど、なんだか必死にほかのマスターを探す仕草がおかしくって、わたしは隠れながらリンをつけ回すことにした。

 

「ふふっ。いやな顔しちゃって……」

 

 悪い笑みを浮かべて尾行を続ける。すると、リンはもうわたしの尾行を歯牙にもかけずに、夕食を取るため店に入った。

 その頃にはわたしも飽きてきていたし、お金を持っていないから店にも入れないので、さっきの公園に戻ることにした。

 

 

 

 時刻は五時前。

 公園に戻ってきたはいいものの、特にすることもなかったので、もうお城に帰ろうかと思った。

 

 ――――そこで、おかしなものを見つけた。

 

 わたしは異物を見つけた。あってはならない、黒いものを見つけた。

 

「あなた、だれ」

 

 夕焼けに染まる雑木林。木陰の裏で佇立するは黒衣を身に纏う男性。

 それは人間であり、人間ではなかった。サーヴァントであり、もうサーヴァントではなかった。

 

「あなた、誰だって訊いてるの!」

 

 声を荒げる。はしたないとは分かっていても、それでも問わなければならないことだった。

 黒い男はゆっくりとわたしに振り向いて、こう言った。

 

「……その見た目。なんだか幼いが、アインツベルンのホムンクルスに間違いねぇな。……で? どうしたよ、オレになんか用か?」

 

「何か用か、ですって? ……あなた、本当に何者?」

 

「何者もなにも、オレは前回の聖杯戦争で勝利し、生き残ったバーサーカーだ」

 

 ……前回の聖杯戦争に、勝利した?

 それはありえない。前回の聖杯戦争の勝者はセイバーのはずだ。

 いや、その前に十年前の存在が今もこうして生きていることが、わたしにとっては究極の問題点だった。

 

「まぁまぁ、そう殺気立つなよ、嬢ちゃん。今回の聖杯戦争に参加するサーヴァントが、七騎から九騎に増えただけのことだろう?」

 

「……七騎から、九騎?」

 

「――っと、やべ、八騎だ八騎。……いや、もうおせぇな。やっちまった……」

 

 こいつ、何かを知っている。

 やっちまった、なんてわざとらしく手を頭に当てているけど、それは演技だ。だけど、何故そんなことを? わたしに何かを伝えようとしている? なぜ?

 考えを巡らすも、いるはずのない八騎目のサーヴァントに動揺して、うまく考えがまとまらない。今ここにバーサーカーがいれば、さっさとこいつを叩き潰してイレギュラーは排除するというのに、それもできない。

 

 長い沈黙が続く。

 不意に背後からガサガサと物音がして、わたしはキッと目を鋭くさせて振り返った。

 

「だれ――――っ!?」

 

 そこでわたしは、またも仰天した。

 そこにいる黒いサーヴァントに驚愕した直後だというのに、どうして彼がここに現れたのかと。

 

 それは赤毛に童顔の少年。エミヤキリツグの息子が、わたしの目の前に――――

 

「あっあの、えっと、つかぬことをお伺いしますが、ここで何をされてるんです?」

 

 お兄ちゃんはなんでか、わたしをかばうようにして、黒い男に立ちはだかった。

 

「なにって、そりゃあオレのことか?」

 

「あっはい。その、失礼だとは思いますが、木陰に少女と大男っていうのはどうも……」

 

「なるほど。いや、気を使わなくてもいいさ。確かに、見るに怪しげな男だもんな、オレ。だが、勘違いは困るぜ。先に突っかかってきたのはそこの嬢ちゃんだ。知らない大人に喧嘩を吹っかけたら怖い目に遭うぜと、そうしっかりしつけといてやれ。それじゃあな」

 

 そう言って黒い男は、寄りかかっていた木立から離れて、この場から去っていった。

 

「まっ、待ちなさい!」

 

「おっ、おい。正気か! 今の人、良い人そうだったけど、めっちゃ怖かったぞ!」

 

「――ッ! ……なんで、ここにいるの?」

 

 あの黒い男は逃してしまった。が、それならば仕方がない。標的を次に移す。

 わたしには目の前にいる少年の存在が、ひどく目障りだったから。

 

「なんでって……えっと、さっき言った通りなんだが? あの人、知らない人だろ? そういう人には付いていったらダメなんだぞ? 君はまだ小さいんだから……そうだ、親はどこかな?」

 

「バカにしないで! なによ、なんでこんなことをしたのよ! わたしを助けたつもり? わたしにはバーサーカーがいるんだから、あなたなんて……」

 

 ――今すぐここで、殺しちゃうんだから……。

 そう叫びそうになったけど、すんでのところで踏みとどまった。

 目の前にいるお兄ちゃんは、なにやらあたふたしている。

 

「えっと、別に何かされたわけじゃないのなら別にいいんだ。たとえば飴を貰ったとか、どこか遊びに行こうとか。そういうんじゃないんだったら……良かった。本当に無事で」

 

 本気で、目の前にいる少年はそう言った。

 その安堵して胸をなで下ろす仕草が、妙に、妙に――――

 

「……ねぇ、お兄ちゃ――」

 

「――って、うぇっ! やべ、もう五時になってる!? バイト遅刻じゃないかっ!」

 

 だだだっと全力疾走で、わたしを置いて公園から走り去っていくお兄ちゃん。

 

「……なっ、なによ。どういうことなのよ。ほんとにわたしを心配して、助けに来てくれただけなの? なんで?

 ……そ、それに、知らない人なのはそっちもじゃない! わ、わけわかんないっ!」

 

 雑木林に独り。誰にぶつけていいのかわからない癇癪をぐっと堪える。

 目元に潤んだ涙を拭って、どしどし、と力強く地面を踏んづけて帰路に就いた。

 

 ――わけわかんない。わけわかんない。わけわかんない! 初めての会話が、こんなだなんて!

 

 気付けば目は赤く、頬は膨らみを抑えきれず、体は強張り、怒りやら何やらが胸に鬱憤を溜め込んでいた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 気配遮断のルーンを用いて、森の中にひっそりと佇む城に辿り着いた。

 ここでルーンの効果を解けば、おそらく即サーヴァント戦が始まる。

 

「まったく。今夜中に出来る限りサーヴァントとの戦闘を終えるべし、たぁ無茶な真似をさせる」

 

 斥候としての仕事。サーヴァントがどんな能力を持っているのかという偵察さえ済ませれば、オレの仕事はそれで終わり。あとは様子見に徹して機を窺う。

 

「上等。さぁて、最初の敵は、どいつかな?」

 

 城から尋常じゃない神性の圧を感じることからして、相手は神性を備えるサーヴァントだと見て間違いない。

 正攻法で行けば苦戦を強いられるだろうが、不意打ちは別に命じられてないため、どのみち真正面から打ち合うほかない。

 

 オレは城の前に堂々と姿を晒して、襲撃を待ち構える。

 

「――あら、ランサーのサーヴァントね。そっちから来てくれるだなんて、探す手間が省けたわ」

 

 銀髪の少女。それは黒々とした巨人の肩に乗っていた。

 だが、おかしい。おかしいぞ。こいつのクラスは――――

 

「――バーサーカー、だと?」

 

「なぁに? 見て分からない? ……それともあなた、ほかにバーサーカーのサーヴァントでも見たことがあるのかしら?」

 

「――――チィ。何か裏がありやがるな。一枠に二騎のサーヴァントを召喚する手法でも取ったのかい? お嬢ちゃん」

 

「そんな話じゃないわ。実はわたしも驚いているのよ。あと、あの男をわたしの仲間みたいに思わないでちょうだい」

 

 なるほど。どうやらあの修羅の剣士とこっちのバーサーカーは、特別繋がりがあるような間柄じゃないらしい。

 そうなるとあの黒い剣士は、まさかセイバーのクラスだったりするのか?

 

「なら別に構わねぇ。さて、早速おっ始めるとしますかねぇ!」

 

 バーサーカーに接近して、さっそく朱槍を心臓にぶち込んだ。

 

 ――つもりだった。

 

 なんとオレの槍は、その肉体に突き刺さることなく弾かれちまった。

 それから岩のように動かなかったバーサーカーが鬨の声を上げて――――狂化した。

 

 ――――金の瞳が、赤く狂い()る。

 

「■■■■■■■――――!!」

 

「どういうことだ。オレの槍が効かねぇだと!」

 

 落ち着け。こりゃ一定値以下の攻撃を無効化する宝具でも持ってやがんな。

 その証拠に、今しがたルーンでワンランク強化した筋力値での槍なら――――届く!

 

「おりゃぁあああ!」

 

 神速の槍捌きを、高速の斧剣で凌駕されること数分。ようやく黒い岩盤に血糊が付いた。

 はたしてこの武練。並大抵の英霊ではないと持ち得ない技術だ。さらにマスターを小脇に抱えた状態でこれとは、ちと舐めては掛かれねぇな。マスター狙いに切り替えさせないための手なのは分かっているが、こいつと全力で打ち合うためにも、どうやって引きずり下ろすか。

 

「どうした、バーサーカー。マスターを小脇に抱えたままじゃ、さぞ戦いづらかろう。いっちょマスターを下ろして、その剣技、オレのために披露してみせてはくれねぇか? なぁに。マスターを狙うなんていう、そんな卑怯でつまらない真似はしねぇと約束するからよ」

 

「……バーサーカー。受けて立ちなさい。この小生意気な英霊なんて、ぺちゃんこに踏んづけちゃえ!」

 

 おぉ、怖い怖い。

 

 ――――バーサーカーの瞳が、半分だけ金の色を取り戻した。

 

 今ので分かったことは、このバーサーカーのマスターはとんでもない存在だってことだ。サーヴァントの狂化を逐一切り替えることができるマスターなんぞ聞いたことがねぇ。それも半分は狂化に使い、もう半分は卓越した技量を再現するために眠らせるとは、芸が過ぎる。

 さらにこのバーサーカーは、狂化してスペックを向上させておきながら、狂ってもなお健在の武術を披露できるときた。

 

「こいつはとんでもねぇ大物じゃねぇか」

 

 最強のマスターに最強のサーヴァント。相手にとって不足なしッ!

 腰を低く下ろし、バーサーカーが駆けた。それを真っ向から迎え撃つ。左足の付け根、腰、心臓、斧剣の払い、右目、首、右膝、左肘、喉、頭蓋。急所絡めてバーサーカーの肉体を抉り抜く。

 そうして崩折れる狂戦士。

 

 だが、オレの見立てでは――――

 

「■■■■――――!!」

 

「戦闘続行持ちだろうな。急所貫かれといてその動きはねぇだろう!」

 

 そう言いながらも口元が吊り上がる。瞳孔が見開かれる。

 満身創痍の身体で剣戟を重ねてくる狂戦士。気づけばその両目は、赤く光っていた。

 

 ――――全狂化!

 

 ゴリ押しとはつまらねぇ。ほかのクラスでやり合いたかったな。

 そんなことを思いながら、引き際を見誤らないように間合いを計る。

 

 そして、こっちが逃げ腰になったことから、てっきり追いかけてくるもんだと思ったが……どうやら奴さん、深追いはしねぇ主義らしい。

 

 ……さて、ここらが潮時か。

 

「……おい、提案があるんだが、そこの嬢ちゃん。そろそろ分けにしねぇか?」

 

「断るわ」

 

 即答かよ。仕方ねぇ。

 

「ならば手向けとして受け取るがいい」

 

 地を駆け、地を抉り――――

 

刺し穿つ――――死棘の槍(ゲイ・   ボルク)!!」

 

 

 

 

 

 ……趨勢は決まった。確実に心臓を貫いた。

 たとえバーサーカーが高い幸運を持っていようと、槍を回避する術を持っていようと、それでもこのオレの槍を躱すのは極稀のことだとされる。昨夜は、その極稀の中のありえないものを相手に引かれちまったが、今夜はバッチシと決まった。

 

 これで聖杯戦争は始まる前に、第二のバーサーカーは――――

 

「ふふふっ。油断は大敵よ?」

 

「なにっ――――蘇生の宝具だと!?」

 

 心臓を穿たれて地に伏したバーサーカーが、むくりと起き上がる。

 こいつ、防御系の宝具を有してやがる。だが、オレの槍を受けて無事だというのなら、その隙に攻撃宝具を使用していれば、面食らったオレを殺れていたはずだ。それをしなかったことから察するに……。

 

「攻撃系宝具は持っていないが、かなりの防御系宝具を持っている。だが、鎧ではなく肉体に宿る無敵となると、となり島の後輩に無敵の仁王立ちがいたが、それじゃあねぇな」

 

「あら、それ、スェウ・スァウ・ゲフェスのことを言っているの? 残念だけど全くの外れよ」

 

「だろうな。そいつは聖槍しか効かねぇインチキなサーヴァントだ。だが、バーサーカーには普通の槍で効いた。これは逸話が宝具に昇華されたサーヴァントだと見るべきだな。中世の騎士道に謳われるバカっぽそうな英雄なら、話は別だが」

 

「ぶっぶー。全然ちがーう! それじゃあ答え合わせをしてあげるわ。

 ――バーサーカーの宝具『十二の試練』。神々に与えられた試練を突破し、その突破した数の難行を一つの命とした蘇生宝具」

 

 ――――その逸話の主人公の名は、なるほど。ギリシャ神話の大英雄ヘラクレスか。

 

「お答えどうも、お嬢ちゃん。そんじゃまぁ、真名も聞き出せたことだし、オレは帰らせてもらうぜ」

 

「あら、逃げるの?」

 

「どうとでも取れよ。次にばったりとお外で出会ったら、ご自慢のサーヴァント、容赦なくぶち殺してやるからよ」

 

 気配を消すルーンを使用して、森の闇にこの身を同化させる。

 

 

 

 ――次は、柳洞寺だ。

 

 

 

 アインツベルンの森から脱兎の如く撤退し、お次は柳洞寺のお山に到着した。

 

「ということで、また来たぜ。アサシン」

 

「ほう……いつぞやのマスターはどうしたのだ、ランサー」

 

 柳洞寺の山門にて、門番として刀を構える、その名を佐々木小次郎というサムライ。

 オレの苦手とする天敵であり、なるべくなら二度とやり合いたくねぇ相手だ。

 

「いろいろあってな。宗旨替えってやつだ。そいつの命令で、全てのサーヴァントを相手にしなけりゃならなくなってな」

 

「ほう。薄情なやつだな。見下げ果てたぞランサー。前のマスターを捨てて、今のマスターに与している、ということかな?」

 

「だから、いろいろあったって言ったろ。てかな、山門がマスターのテメェにとやかく言われたかねぇな」

 

「なるほど、だがな。今の発言は撤回させてもらうぞランサー。たとえ山門であろうと、我が現界の依代たるマスターを侮辱することは許されん」

 

 ……えっ。こいつ、マジで言ってんの?

 

「それに、貴様の狙いはあの女狐の方であろう?」

 

「そいつはもう終わった話だ。一度目も二度目も引き分けて、そろそろ飽きてきた。逃げてばっかだからな、あのキャスターは」

 

 ……そう。一度目は、つまらねぇ聖杯戦争監督役からの命令だった。

 そして二度目は、狐につままれたことへのリベンジ戦。

 だが、そのあとに、まさかあんなことになるたぁ……つくづくオレの女運はないのだと思い知らされるぜ。

 

 ――――思い出す。

 オレが召喚された、あの日からのことを……。

 

 

 

   …

 

 

 

 一週間以上前。オレは、バゼットという女魔術師に召喚された。

 その次の日に監督役から手紙が届いた。何でも召喚したサーヴァントが気に食わないんで、共謀して始末してくれだとか、これまた締まらねぇ依頼を出されて、オレはそれを引き受けた。

 

 そして、オレがキャスターのところに辿り着いた時には、既に決着は付いていた。

 キャスターは自分のマスターを殺していた。何があったかは一目瞭然だった。

 

 そのあとはビームの応酬よ。

 少ない魔力で、自身の霊基を削ってでも魔力を生成し、最期までキャスターは生きるのを諦めなかった。その気概は認めてやるが、ついぞオレから逃げ切ることは叶わなかった。

 

 刺し穿つ死棘の槍――――ゲイ・ボルク。

 依頼人は既に死んでいたが、元々はキャスターを殺せとの依頼だ。

 やる気は出ねぇが、仕事はキッチリ済ませねぇとな……。

 

 そしてオレは、宝具を用いてキャスターを刺し貫いた。

 ――――だが、地面にくたばったキャスターの死体は、偽物(フェイク)だった。

 

「やられたぜ。かなりの魔術師だとは充分に承知していたから、万全の対策をしてきたつもりだったんだが……まさか、いやこれは驚きだ。スゲェぜキャスター。まさにいっぱい食わされた」

 

 偽物。その心臓を貫いたはずのキャスターの身体は、偽物だった。

 それは魔術により生み出した虚像。分身だった。だが、その程度を見抜けないオレではない。

 これでも武術・魔術ともに一級品の英霊だと自負している。ゆえにキャスターを侮ることなく、赤枝の騎士としても魔術師としても万全に挑んだつもりだった。

 

 まず、オレは逃げるキャスターを追って、新都の高速道路まで追いかけた。

 そこで勝負を仕掛けたオレは、キャスターの砲撃をルーンでひたすら相殺し続け、魔力切れを待った。

 一方のキャスターは、オレがわざとらしく、かつ分かりやすく間合いを図っているのを見抜いて、宝具を警戒し始めた。

 それは、オレが最初に「おまえのマスターの依頼で始末しに来た」と伝えていたおかげでもある。逃亡の時間に作戦を練る時間もくれてやって、これでハンデの差は帳消しだと示したつもりだった。

 

「σκια――Χωρίστε」

 

 それからキャスターが宝具の警戒として何を出すかと思えば、それは自分の分身だった。

 オレは炎のルーン・アンサズを用いて虚像を焼き払ってから、問答無用で宝具を放った。

 熱で道路が溶解し、キャスターに突貫する辰砂の槍は、その身を貫いた。

 

 ――別に、その本体も分身だった。なんて話じゃねぇ。

 それは紛れもなく本体でありながら、真の意味で分身だったんだ。

 

「……いつだ。いつからだ。自身の霊基を削り分かち、一方にオレを追わせて、本物が行方をくらましたのは、一体いつからなんだ、キャスター!」

 

 そう、それは最初からだった。

 キャスターが自身のマスターを焼き殺したときに、オレは僅かな魔術の残滓を確認していた。

 あれはてっきり、自身のマスターを幻術で嵌めて殺したものだと思っていたが、実はもう一つ布石を張っていたのか。

 

「なるほど。戦闘ではど素人だが、権謀術数なら引けを取らないってか。あの魔女め……」

 

 キャスターは最初から、何かしらの理由で魔力が制限されていた。

 おそらくやつのマスターの仕業だろう。そのせいで気が付かなかった。

 

 霊基を二つに分かつことで、()()()()()()()()()()()()()()()()を生み出す。

 だが、それは必ず本体の魔力が多く、分身の魔力が少なくなる定めにある。しかしキャスターは、()()()()()()()()んだ。自身の霊基を削り、それを魔力とすることで現界し、オレとやりあって、そしてどこかのタイミングで霊基を分けた。

 

「つまりぃ? 最初から霊基を分かつ分身の魔術は使っていたが……そうか。さっきのアンサズで完全に分かれたのか……」

 

 オレが気にせずルーンで焼き払った虚像。あれこそが本体だったのだ。あのまま炎に巻かれてダメージを負ったのは事実だろう。そのまま消滅するかのように霊体化して、風前の灯の魔力だったために、オレは気が付かなかった。

 

「まさに本体分身共々――いや違うな。あれは半身も同然だったわけだから、本体微本体共々、ヒットポイントが一か二だったからこそできた芸当だ。小賢しくも勇気あるじゃねぇか、キャスター。微本体の方を魔力多めにし、本体である自分の魔力は少なくして誤魔化すってのはよぉ」

 

 とりあえず出し抜かれたのは事実だ。

 本職じゃねぇけど、オレが魔術戦に負けたってのは、流石はキャスターのクラスだということか。

 

「チッ。バゼットになんて言おうか。初陣だったっていうのにカッコつかねぇなぁ。初めから褒められる仕事じゃなかったにしろ」

 

 オレはその後、おめおめとマスターの下に帰り「逃した」と報告した。

 するとバゼットは、すぐに「リベンジしましょう」と言ってきた。

 

 

 

 次の日からキャスターの行方を捜索し、街から生気を吸い上げている流れを発見した。

 そのエネルギーの流れは柳洞寺に集中しており、すぐにキャスターの居所を掴むことができた。

 

 さらに次の日、オレはバゼットと一緒に柳洞寺へ赴いた。

 その山門で待っていたのが、アサシンのサーヴァント。しばらく押したり引いたり切った張ったを繰り返していると、どうやらアサシンは山門から動けない身であることが分かった。

 それさえ分かれば、オレとバゼットは目配せをする。

 

「ランサー、このままアサシンを抜いて境内へ上がりましょう。私たちの目的はキャスターですから」

 

「簡単に言ってくれる」

 

 悪態をつく。

 が、戦闘中に念話で立てた即興の作戦は互いに了解しており、完璧の示し合わせとなっていた。

 

 まず、オレが前に出て、アサシンと鍔迫り合う。その隙を突いて、オレとアサシンの横をバゼットが駆け抜ける。無論、門番としてそれを逃すアサシンではない。だが、二兎を追う者はなんとやら、とバゼットは言っていた。

 バゼットに標的を移したアサシン。同時にオレは暗殺者の背後を取る。そしてアサシンに狙われたバゼットは、迫り来る刃を拳で打ち払った。それも一度が限界だ。続きはオレが受け持った。

 

 そうしてうまいこと、アサシンを出し抜いたと思ったんだが――――

 

「二兎を前に、二兎を逃すのは門番として失格だな。ゆえに一兎を逃して一兎を仕留めよう。

 ――秘剣・燕返し!」

 

 ノータイムの宝具だった。

 

 ――首を切り落とされる。

 

 生前、死んだあとの話だが、首を斬り飛ばされたオレにとっては笑えねぇ業だった。

 

 ――令呪を以て命ず、ランサー躱して!

 

「う――うぉぉおおおお!?」

 

 

 

 ――――気付けばオレは、境内に上がっていた。

 首には切り傷の痕があった。あと刹那の寸刻でも遅ければ、オレはもうこの世にはいなかった。

 

「チッ……また貴方なの? リベンジというやつかしら。それにしても、あのアサシンは本当に役に立たないわね……」

 

 ふと上空に現れたキャスター。オレたちを迎撃しに来たのだろう。

 

「ランサー、大丈夫ですか?」

 

「あぁ、こりゃまいった。名采配すぎるぜ、バゼット。ほんとに助かった」

 

 だが、こりゃ帰りが怖いな、と思ったのも事実だが、ひとまずは正面の敵だ。

 バゼットは後方で待機。オレがキャスターを追い詰めて、今度こそ宝具で仕留める算段だった。

 

 だがまぁキャスターも必死なもんで、溜め込んだ魔力をフルに使って来た。対魔力を持つオレは平気だが、バゼットが危ない。刺しの宝具を既に見られていたため、距離を取られていたこともあり、戦いづらかった。

 しかし、ここで投げの宝具を使うのも得策じゃねぇ。敵の陣地内で、しかも広い陣地。躱されたり身代わりを用意されたらという危惧もあり、仮にキャスターを仕留めることができたとしても、帰りのアサシンが問題だった。

 

「……悔しいですがランサー、ここは引きましょう。キャスターとアサシンの同盟は予想外でした。無理に突破して令呪を切るより、撤退した方が良かった。私の落ち度です」

 

「なに言ってやがんだマスター。テメェは何も間違っちゃいねぇよ。それを言うならオレの力不足が問題だってんだ。……よし、そうと決まれば引くぞ、バゼット」

 

 オレたちが撤退を選んだ瞬間、キャスターは追撃をやめた。

 そのまま山門に近付き、再度アサシンと対面する。

 

「なんだ、情けない。あの女狐を倒してくれるものだと踏んでいたのだが、逃げ腰とはこれ如何に」

 

「うっせぇ。もとより前哨戦のつもりだったんだ。リベンジも兼ねてたがな」

 

 そして、オレはバカみたくアサシンに吶喊した。

 

「おりゃああああああ!」

 

「秘剣・」

 

後より出でて先に断つ者(アンサラー・)――」

 

「燕返し!」

 

「――斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!!」

 

 ……いったい何が起こったのか、オレには分からなかった。とにかく自分のマスターを信じての特攻だった。

 気付けばアサシンは、その身を“宝具発動前”に戻しており――――いいや、違う。あとから出したはずのバゼットの宝具が、先にアサシンを貫いていた。

 それはアサシンの腕を狙った攻撃で、腕への一撃にアサシンが気を取られている隙を突き、オレたちは転がり落ちるようにして柳洞寺から退散した。

 

 オレはこの時、召喚されてからマスターとあーだこーだ言い合っていたが、この時点ではかなり気に入っていた。

 相棒にするなら、こいつが良いとも思った。

 

 

 

 ――だが、それから数日後の話。

 今のオレにとっては、つい昨日の話だ。

 

「バゼット……?」

 

 床に倒れ伏しているオレのマスター。その傍らには監督役の神父が立っていた。

 バゼットは奸計に嵌った。騙し討ちにされて令呪を奪われたのだ。

 

「令呪を以て命じる、ランサー」神父の寂びた声色が脳裏にこだまする。

「主替えに賛同しろ。重ねて令呪を以て命じる。全てのサーヴァントと一回ずつ戦って、殺さずに生還しろ」

 

 

 

 ――秩序・中庸。

 マスターを殺されたことは癪だが、簡単に男に騙されて討たれたバゼットもバゼットだ。だが、いずれ仇は取るさ。

 

 

 

 ……ちくしょう。楽しかったのになぁ……。

 

 

 

   …

 

 

 

「ほれ」

 

 突然、眼前を横切る鋒。

 

「うぉい! 突然何するんだテメェ!」

 

 それはアサシンの物干し竿だった。

 

「いや、何やら物思いにふけて神妙な顔ばせをしていたものでなぁ。驚かせてみたかっただけよ。なにせ私を前に、そのように無防備な身体を晒し続けていられるのは、些か鼻持ちならなかったものでな」

 

「なんだ。そんなに今のオレはやばかったか。すまねぇな」

 

「いやいや謝る必要はない。詮索したこちらも悪いのでな。私はただ、ランサー。おまえと打ち合ってみたいだけよ」

 

「残念だが、それはできねぇ。オレには令呪が働いている。しばらく打ち合ったら帰らせてもらうぜ」

 

「それでも良い。令呪などなくても、私と打ち合うつもりはないのだろう? ならば、無理矢理にでも本気を出させるまでだ」

 

 ――月光の剣士。

 ぶっちゃけた話、オレはまともに打ち合うつもりはない。嫌がらせは信条じゃねぇが、さっき、いきなり斬り掛かられた腹いせも兼ねて、仕事があるオレは一回だけ付き合ってやる。

 

「では――」

 

 上段からオレを待ち構えるのではなく、一足にて間合いを詰めてきたアサシン。

 それにオレは、一合だけ付き合うことにした。

 

 たった一度だけ火花を散らす朱槍と物干し竿。

 すると案の定アサシンは――――

 

「秘剣――」

 

「――って来ると思ったよ!」

 

 鮭跳びの術で、山門から地上までの距離をひとっ飛びで跳び降りる。

 

「――――何?」

 

「ほらよ。打ち合ってやったんだから、これで終いだ」

 

「……………………。…………………………………………」

 

 おーいおーいと、目で訴えかけるうるさい侍だ。いくら苦手な相手とは言え、少し申し訳ない気がしないでもない。

 だから一つ、土産を残してやった。

 

「喜べアサシン。この聖杯戦争にはひとり、凄腕の剣士がいる」

 

「――――!」

 

 顔つきが変わった。まっ、今夜のところは、これで勘弁してくれや。

 キャスターの方は、あの神父に前回の戦いを聞かせてやれば文句ねぇだろう。

 

 

 

 ――さて、次なるはライダーだ。

 最近、深夜に深山町一帯を単独行動しているのは知っている。仕掛けるのならちょうど今の時間帯だ。

 

 

 

 そういうことで、オレはでかい橋の下にある公園にやって来ていた。

 すると、そこには案の定ライダーがいるじゃねぇか。

 

「よぉライダー。今日も女を襲って吸血か?」

 

「――! ……あなたは、ランサーですか」

 

「応とも。戦う気はあるか?」

 

「なくても襲って来るでしょう」

 

「はっ。違いねぇ」

 

 さて、見たところライダーは、はっきり言って弱い。警戒するべきは宝具のみだ。

 

「しっかり見とけよ、見逃したら死ぬぞ」

 

「――――――――」

 

 地面を割る勢いで脚を踏み切り、ライダーの首を狙っていく。

 それをライダーは直線と曲線を折り交ぜて、時に跳び、時に這い、蛇のように躱していく。

 

「ちょこまかと」

 

 だが、段々と軌道は見切ってきた。

 返す槍の石突きをライダーが躱したところで――――

 

「ほらよ」

 

 その土手っ腹に蹴りを入れた。

 

「ぐっ……!」

 

 ライダーは激しく身を転がして地を這い蹲る。

 

「どうしたライダー。腰が入ってねぇぞ。油断させようってんなら、そりゃ無意味ってもんだ」

 

「…………っ」

 

「そのバイザーを取れよ。そっからがテメェの本番なんだろ?」

 

 ライダーの顔には目を覆い隠すバイザーがある。あれはおそらく魔眼隠しだ。

 蛇のようにうねる身のこなしからして、吸血種でもある。魔獣の類であることは匂いからでも分かることだった。

 

「……では、お望み通り見せてあげます」

 

 バイザーに手を当てて、その瞳をオレは見据える。

 無論、魔眼だと予測しておきながら直視するってのは下策だ。だが、オレにはルーンによる魔眼対策がある。どんな魔眼が来ようと、オレには効かない。

 

「――石化の魔眼(キュベレイ)!」

 

「なにっ? 宝石の魔眼か!」

 

 こりゃ驚いた。

 それでもオレには効かねぇが、そこそこ歯応えはあるらしい。

 

「――っ。効かない、のですか」

 

「残念ながらな。と、ここで決めちまっても良いんだが、分けにするってのはどうだ?」

 

「……? このまま押し切られれば、私を倒せるというのにですか?」

 

「そんな簡単な話じゃないだろ。まだ奥の手を残しているはずだ。それを警戒してってのもある」

 

 しばらく押し黙るライダー。

 思案するように手を顎につけて、そのバイザーを元に戻した。

 

「分かりました。何が目的かは知りませんが、このまま戦っても不利ですので」

 

「助かるぜ。そろそろ切り上げたかったんだ」

 

 言い残して、オレは霊体化する。

 

 今日のところはバーサーカー・ヘラクレス、アサシン・佐々木小次郎、ライダー・メドゥーサと戦闘をこなした。

 謎のサーヴァント・修羅の剣士が気になるが、残るはアーチャーとセイバーのサーヴァント。

 

「明日もこりゃ駆り出されるな」

 

 そんな事を思って、今夜のところは安息に就くとした。

 

 

 

   /了

 

 

 




 ランサーのクラスでありながら、キャスターのクラスの真似事までこなしてみせる、万能型魔法戦士。ケルトの大英雄、クー・フーリン。
 ステータスの低さは世界最高峰の槍術やルーン魔術など、修得した能力の多さで補うオールマイティな技巧派タイプ。しかし本人としては、ただ死闘を楽しみたいだけの場合が多いため、あまり小手先のルーンは使おうとしない。

 狂化してもなお武練は健在。そもそも狂化されているのか。破壊の嵐、狂戦士バーサーカー。
 ギリシャの大英雄、ヘラクレス。説明不要の超最強大英雄。
 ケルトの大英雄クー・フーリンとは、その土地ごとの知名度や偉大さにおいて並び立つ者。
 つまりアイルランドの英雄といえばクー・フーリン。ギリシャの英雄といえばヘラクレスというように。
(しかし物語の構成で区分けするなら、冒険譚のフィン・マックールとヘラクレス。戦争蹂躙型のクー・フーリンとアキレウスといえよう)

 ギリシャにおけるゴルゴーンの怪物。それが英雄としての側面を引き出されて召喚されたのが、女怪メドゥーサ。
 平地ではない場所なら持ち前の機動力を活かし、抜群の戦闘能力を発揮できるタイプ。
 魔術の心得があり白兵戦もこなすが、全ては二流程度。しかし石化の魔眼キュベレイを活用したスキルや宝具、手綱を使った騎乗物であるペガサスなど、様々な能力によって汎用的な運用を期待できるサーヴァント。その汎用性の高さから、マスターがかなりの戦術家であれば聖杯戦争の優勝も夢ではない。




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二月二日

 朝。

 私は再三の決定を再三覆して、学校に足を運んでいた。

 

「もう行かない。もう行かないと言い聞かせてはや何日? 我ながら我慢ができない娘だ……」

 

 呟きながら学校の門を跨ぐ。

 こうなったら聖杯戦争中でもなんでも、学校にだけは毎日通うのもアリかなぁ……なんて、バカなことを考えていたら――――

 

 ――――刹那、吐き気を催す不快感に襲われた。

 

 ……学校全域に結界が張られている。体中に血糊が塗りたくられたような水気の感触。

 はて、魔術結界はキャスターの仕業なのだろうか? しかし、私はずっと柳洞寺を観ていたというのに、キャスターが学校に結界を張り巡らす瞬間を見逃すはずがない。となれば、この結界はほかのサーヴァントの仕業と見るべき。なのだが……。

 

「とにかく翌朝には、バーサーカーに柳洞寺へ向かうよう伝えておきましょうか」

 

 聖杯戦争は動き始めている。だけど学校だけは安全と思っていた。その考えは誤りだったことを認めて、きっと私はこれからも学校に通い続ける。

 もしこの結界が発動したら、この身に代えてもみんなを守るために。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夜の学校。

 紅い剣士と青い槍使いの死闘を目撃し、俺は青い方に心臓を貫かれた。しかし、死ぬ寸前だった自分を誰かが助けてくれたらしく、俺はふらつきながら家に帰宅した。が、なんとあの青い槍使いが追ってきて、俺は何度も死に目に遭いながら抵抗した。

 そして、土蔵の中に追い詰められた俺は――こんなところでテメェに殺されてたまるか――と、眼前の殺人気に叫ぶ。次の瞬間――――

 

 ――――その日は、運命の夜だった。

 

「バカな、第八のサーヴァントだと……!」

 

 青装束の槍兵が驚きの声を上げる。

 光と旋風を巻き起こして現れたのは、聖緑の瞳に銀の甲冑を着こなした金髪の美少女。

 その手には不可視の剣を携えており、彼女は俺に向けてこう言った。

 

「問おう――貴方が私のマスターか」

 

 清涼なる響き。琳とした声のセイバーと名乗る少女は、ハッキリ言って、俺の負けだった。

 ――これを一目惚れと言うのだろうか?

 煌びやか騎士は土蔵から庭に飛び出て、青い槍兵と鍔迫り合う。

 

「信じられねぇ。テメェ、セイバーのサーヴァントか!」

 

「どうかな。何を以て私を剣使いと断じる?」

 

「ぬかせ剣使い。しかし畜生、これはどういうこった。あいつがバーサーカーでないのなら、セイバーだと思っていたんだがな……」

 

「あまり独り言を呟いていても良いことはないぞ、ランサー!」

 

 それこそ超人の死闘。

 目前で起こっている尋常の埒外にある剣戟は、人の身で出来る業ではなかった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――強い。

 不可視の剣を手に、華奢な体つきでありながら怪物並みの膂力を以て、堅実な一手を畳み掛けてくる剣騎のサーヴァント。

 その本領はまだまだ発揮したりてないようだが、それを差っ引いてもオレは動揺していた。

 ……まぁ、イレギュラーなんてのはいつの世にも憚るものさ。気にしていたら、いちいち満足にチェスも打てやしねぇ。

 

「なぁセイバー。召喚されて早々、何やら勝ちにこだわっているらしいが、分けにするつもりはねぇか?」

 

「断る。無論、貴様はここで倒す!」

 

 なら仕方ねぇ。オレの必殺を喰らわせるほか道はない。

 

「ならば覚悟しろ、セイバー! 刺し穿つ――死棘の槍(ゲイ・ ボルク)!」

 

 

 

 

 

 ……その結果が、これだ。

 悔しい。一言でいえば、それに尽きる。

 真名、クー・フーリンとしての矜持でもある必中必殺の宝具を、こう何度も躱されちゃあ、殺意というものでは形容しきれない屈辱に、何度も己を殺したくなる。

 

 まさか連日連夜、自慢の宝具を撃ち放って生還するサーヴァントが三騎――修羅の剣士に蒼銀の剣騎。そして魔術師の方は、まんまと騙されて偽物だったわけだが――と、殺されておきながらも生き返るサーヴァントが一騎いるとは思わなかった。

 だが、なにも面白くないわけじゃない。逆に昂ぶってきた。簡単に殺されるようなやつじゃあ英霊とは呼べない。二つ目の令呪の縛りもこれで解けた。次からやつらと全力で打ち合えるとなると、胸が躍る。

 

(ランサー。次の指示を出す)

 

 ――と、思ったらマスターのお出ましだ。次は何を言われるのやら……。

 

(全ての偵察を終えて帰還したな。ならば、あとは盤上の様子見だけをしていればいい。余計な行動はするなよ。活動は私からの命令を待て。以上だ)

 

 ――チッ。一転、暇になった。

 こんなん生殺しじゃねぇか。自分の幸運を恨むぜ、まったく。

 

 

 

   ◇

 

「ふふっ」

 

 笑った。わたしは笑っていた。では、いったい何に笑っているのか。

 

「ねぇバーサーカー。わたし、ようやくお兄ちゃんと殺し()えるんだよ?」

 

 傍らに佇立するバーサーカーの大きな手を握って、わたしは道路を歩いている。

 これよりキリツグの息子は、トオサカリンと共に教会から出て、この道を通る。

 つまりわたしは、待ち伏せをしているのだ!

 

「行きに通った道なら、帰りもこの道を通るはずだわ。遠くから傍観するサーヴァントなんて放っときなさい。狙いはお兄ちゃんのサーヴァントなんだから」

 

「――――――――」

 

 緘黙のサーヴァント。バーサーカー。

 今は停止状態にさせているけど、戦闘が始まったら雄叫びを上げて敵に襲いかかる。

 赤く光らせる眼は片方のみで良い。まずは肩慣らし。すぐに決着がついちゃうと面白くないからね。

 

 そして、霞の奥から歩いてくる人影が複数。

 何やら言い合っているようで、こちらは余裕の構えでしばらく黙っていてあげた。

 それも静けさを取り戻してきたとき。わたしは張り切って――じゃなくて、冷静に冷徹に気品ある態度で声をかけた。

 

「ねぇ、お話は終わり? ……リンには初めまして。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。そして、これで会うのは三度目だね、お兄ちゃん?」

 

「あれっ、君は……」

 

「……ちょっと。なによ士郎。あんた、まさかアインツベルンと知り合いだったの?」

 

 あぁ良かった。覚えていてくれた。

 お兄ちゃんにとって、わたしはただの女の子だったらどうしようかと思っていた。でも、これなら心配ない。

 

 ――なにが、心配ないんだろう?

 

「それじゃあ始めようか。やっちゃえ、バーサーカー」

 

 歌うようにバーサーカーを戦闘状態に移行させる。

 活動を開始し、わたしの体から七割の魔力が吸い上げられていった。

 

「■■■■――――!!」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 跳躍するバーサーカーと呼ばれた隕石は、俺めがけてその斧剣を振り下ろしてきた。

 

「下がって、シロウ!」

 

 間一髪、セイバーが間に入らなければ、俺はどうなっていたことか、考えるだに恐ろしい。

 だが、もっと恐ろしかったことは――――

 

 巌のような黒い巨人と剣戟を重ねること十合にも満たないうちに、セイバーが押され始める。

 ――俺のせいか。俺が、マスターとしての力不足のせいなのか……。

 

「ぐっ――!」

 

 脇に一撃。鎧ともども抉り取られた。

 半身を吹き飛ばされてもなお絶命しないセイバーもセイバーだが、それ以上にバーサーカーの容赦のなさが恐ろしかった。

 ――俺に出来ることはなんだ。俺が出来ることはなんだ。セイバーのために出来ることはなんだ。

 

「なぁんだ。拍子抜けね。このまま殺しちゃってもいいかも」

 

 ――出来ることなんて、ない。

 相手は人外の理にある英霊、サーヴァントだ。

 こっちは魔術師といってもただの人間、勝ち目はおろか生き残る道すらない。

 

「士郎、逃げなさい。アーチャーの援護があれば、あなただけでも――」

 

 ――うるさい。自分の身の安全なんて二の次だ。

 俺の前には、命をかけて俺を守ろうとしているセイバーがいる。

 

「■■■■――――!」

 

 ……なにより。

 

 ――――たとえ、死ぬことが分かっていても。

 どうしてか、死ぬより恐ろしいことがあったんだ――――

 

 それは自殺同然の愚行。走れば死ぬことは自明の理。頭の中で何回も何回もこの先を予測して、何度も何度もセイバーを助ける方法を考えて、そして必ず俺は死ぬのだという解を出し続ける。

 この矮小な身を以てして、バーサーカーの攻撃を止めることは不可能。前に出ても、セイバーともども吹き飛ばされるのがオチだ。それを理解していた上で、俺は走っていた。馬鹿だな、俺は。いったい何を考えているんだ?

 

 ……そうか。俺はとにかく、死んでもセイバーを――――――――

 

 

 

 ――感覚が、跳ねる。

 

「シロウ――?」

 

 

 

 ――――きがつけば、セイバーの身長が俺よりも高くなっているようにみえた。

 おかしいな、俺より小さかったはずなのに。

 

「うそ、なんで……」

 

 なんでそこで、お前が涙するんだ。

 

「あ、あんた、馬鹿なの?!」

 

 遠坂にまで怒られた。

 あぁ、どうしよう。俺は、なんて馬鹿なやつなんだろう。

 

 ――――女の子を三人も、しかも同時に泣かせちまうだなんて…………――――

 

 

 

  ◇

 

 

 

 ――もうしらない。しらないもん。わたしはしらない。もうどうでもいいもん。

 キリツグの息子は死んだ。あれだけお兄ちゃんだけは殺すなとバーサーカーに命じておいたのに、バーサーカーはしくじった。

 

 それもこれもお兄ちゃんが馬鹿みたいに突っ込んでくるのが悪い。

 はぁ、なんであんなことをしたんだろう。そんなにセイバーが大事なの?

 ……サーヴァントは、自分を守ってくれる存在なのに? なのにあの少年は、サーヴァントを守るために自分を捨てたっていうの?

 

 ――虫の居所が悪かった。

 

 新都の広い公園に差し掛かったとき、かつて目にした謎の黒いサーヴァントを見つけた。

 つまり、わたしは八つ当たりの対象を発見したのだ。

 

「……あなた、今日もここにいるの?」

 

 背後から冷ややかな視線を送る。

 黒い男は振り向いて、これまたぶっきらぼうにレディをあしらった。

 

「あ? なんだアインツベルンの娘か。またオレに喧嘩を吹っかけてきたのか? こりねぇやつだな」

 

「――ッ。今のわたしは怒っているの。だからバーサーカー、あいつを殺せっ!」

 

「■■■■■■■――――!!」

 

「おいおい――っ!」

 

 バーサーカーを実体化させたと同時に斧剣を叩き込む。今回は魔力を全開に回してのフル狂化だ。

 不意打ちだけどそんなの知るもんか。こんなところを彷徨い歩いている異分子が悪いんだから。

 

 さて、とにもかくにも、これで黒い剣士は死んだ。

 ……はずなのに。

 

「――ったく。癇癪で人を殺すたァ怖ぇガキだこと」

 

「な……そ、そんなはずは……!」

 

 ど、どういうことなの。黒い男――いや、黒い剣士は生きていた。

 その手に巨大な鉄の塊のような剣を持って、バーサーカーの一撃を正面から受け止めている!

 

「オレと戦うってんなら腹を決めな嬢ちゃん。虫を嬲り殺すつもりでいると、後悔することになるぜ!」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――――殺セ 昂       愉                 斬――――

 

 煩い。黙れ。

 心を侵食してくる闇狼を振り払いながら、バーサーカーの斧剣を打ち払っていく。

 まるで台風だ。オレとバーサーカーが打ち合うごとに周りの木々が倒れていく。

 

「■■■■■■■――――!!」

 

 狂化してなお衰えぬ剣技。

 こいつは大物だ。大物過ぎてやべぇくらいにな――――!

 

 頭上を潰してくる振り下ろし。胴体を横に両断しようと切り払う薙ぎ払い。

 それらを交錯するように大剣を奮って弾く。こっちが攻撃する暇がない。この猛攻を凌ぐので精一杯だった。だが、やられてばかりのオレじゃない。僅かにバーサーカーと対面する位置をずらし、バーサーカーの胴から脇までを切りつけようと姿勢を変える。

 

 それも次の瞬間、オレは奴に、狂戦士とは思えない体術を披露された。

 瞬時にオレの思惑を読んだのか、バーサーカーは返す斧剣でオレの薙ぎ払いを受け止め、回した身体でオレの胴に回し蹴りを当ててくる。

 あっけなく吹き飛ばされた自分の身体。背中から木々を二つ三つぶち倒してから地面を転がる。

 

「ガハッ――!!」

 

 血反吐を吐き出すもすぐに立ち上がり、バーサーカーの追撃を間一髪の連続で凌いでいく。

 

「のろいわね」

 

 ――歯を食いしばるのをやめて口を噤む。

 

 

 

 ――――刹那、オレは銀髪の少女の背後に……

 なにやらおかしな影が揺らめいているのを垣間見た――――

 

 

 

 次の瞬間、バーサーカーは斧剣を持っていない左腕で、オレの身体を鷲掴みにする。

 

「のろすぎちゃって、ほら、バーサーカーならこんなふうに掴めちゃう。このままあなたというお人形さんを握りつぶすことだってできるのよ?」

 

「…………」

 

 段々とバーサーカーの腕に力が入る。

 鎧が軋み、体の中の骨まで息苦しくなってきた。

 

 ――このままだと殺られる。檸檬のように片手で搾り取られ殺される……!

 

「おしまいね。やっちゃえ、バーサーカー」

 

「――――フッ」

 

 

 

   ◇

 

 

 

「おしまいね。やっちゃえ、バーサーカー」

 

 決着はついた。

 バーサーカーの左手に囚われた黒い剣士は、このまま為すすべもなく身体を握りつぶされ、骨も砕かれ、血肉は果汁のように地面へとぶちまけられる。

 

「――――フッ」

 

 だっていうのに、黒い剣士は哂った。

 バーサーカーの手に力が入る。

 同時に黒い剣士は、左腕をバーサーカーの顔面にかざした。

 

 次の瞬間。

 ――――バーサーカーの首から上が、爆発とともに吹き飛ばされた。

 

「うそ、バーサーカーぁ!」

 

「――――、――――――――――――」

 

 ……首から上が、ない。バーサーカーは絶命していた。

 

「くそっ。こいつ死ぬ間際に自分の腕を固定させやがったな……岩みたいに動かねぇ!」

 

 バーサーカーに握られる男の左腕から白煙が立ち上る。

 そこでようやく、わたしは何が起こったのか気がついた。

 暗闇で分からなかったけど、黒い剣士の左腕は義手で、さらにそれは大砲でもあったのだと……!

 

「よっと」

 

 黒い剣士がバーサーカーの腕から逃れる。

 そのときにはためいた男のマントの下を覗き見て、わたしはつい呟いてしまった。

 

「――――人間戦車」

 

「…………」

 

 黒い剣士がわたしを見る。

 別にそれは殺気という殺気ではなかった。

 それでも、わずかにわたしは――――恐怖してしまった。

 

「ば、バーサーカー! 早く蘇生しなさい! じゃないと――――」

 

 大剣を肩に通して、わたしに向かって駆け出す黒い剣士。

 

「――――、――」

 

 バーサーカーは急いで蘇生しようとしているが、間に合わない。

 やがて黒い剣士は、わたしの目の前まで走ってきて、そしてその分厚い大剣を――――

 

 ――こわくて、ぎゅっとめをつむる。すると……

 

 

 

               ――ひゅん、と。銀の髪が靡いた――

 

 

 

 ……黒い剣士はわたしの横を通り過ぎて、夜の街に消えていく。

 たなびく髪は動きを止めて、心臓の鼓動に耳が驚く。

 

「――――――――」

 

 硬直するわたしの体。

 その頭にバーサーカーが手を置いてくれた。

 

 ――――怖かった。

 

 今すぐバーサーカーにそう言って、抱き上げてもらいたかった。

 でも、それはできない。マスターなら、弱いところを見せずに強気でいなくちゃ。

 

「――――」

 

「そうだね。もう今日は帰ろう、バーサーカー。なんだかとても疲れちゃった……」

 

 バーサーカーに命令して肩に乗せてもらう。

 そのままお城まで、わたしは寄り道せず帰路に就いた。

 

 

 

   /了

 

 

 




「……そうか。俺はとにかく、死んでもセイバーを――――――――守りたかったんだ。」
 衛宮士郎が恋をしたことで起きた明確なバグ。これについて後年、奈須きのこ氏は、次はもっとうまく書けるとおっしゃられていました。
 であれば……どうかリメイクで、幻の慎二、ライダー、キャスター、イリヤルート……ありませんか? しかもエロ付きでお願いしまっす!
(強欲の人類悪顕現。ならばこの二次創作のように、自給自足するしかあるまいて……)



「――――そこでオレは、銀髪の少女の背後に、なにやらおかしな影が揺らめいていたのを垣間見た――――」
 泥影、始動。
 それは泥でもなく影でもない。泥と影が融合した、世界の悪意が顕現した存在。
 ある少女の体を借りて、ある人物が受肉を図る。



「――ひゅん、と。銀の髪が靡いた――」
 黄金の聖杯を狙う泥影を、修羅の剣士がその大剣で薙ぎ払ったシーン。
(特に意味があるシーンというわけではない)




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二月三日

 朝。

 

「……ちょっと、そんな泥だらけの体で居間に入らないでよ」

 

 朝食を取っている時に帰還した黒い剣士を見て、私は言った。

 

「だったら風呂を貸してくれ。それまでオレを待ってくれたらの話だがな」

 

「別に構わないわ。今日は日曜だもの。……でも、報告の方が先よ」

 

 そう言うやいなや、黒い剣士は昨夜の出来事を説明する。

 

「昨夜バーサーカーと戦闘した。マスターはアインツベルンの娘だ」

 

「それで、殺したの?」

 

「……バーサーカーの首から上を完全に吹き飛ばした。が、次には時間をかけて修復していった。ありゃ一体なんだ?」

 

「それは蘇生宝具と見るべきね。どんな法則で成り立っているか分かれば、攻略は容易いわ」

 

「……そうとも思えねぇがな」

 

 苦い顔で顔を俯かせる黒い剣士。どうやら泥だらけの体を見るに、相当の苦戦を強いられたらしい。

 前回の聖杯戦争の勝利者と本人の口から訊いていたが、やはり楽勝というわけではもちろんないようだ。

 

「あぁそうそうバーサーカー。一つ頼みがあるのよ。……命令じゃなくて頼みっていう意味、分かるわよね?」

 

「あぁ。それで、用件はなんだ」

 

「実はね、私の通う学校に結界が張られているのよ。それでこれは安易な発想なんだけど、柳洞寺にはキャスターのサーヴァントが居を構えているのね。だから――」

 

 といっても、これは確かに安易な発想だった。

 何故なら私はキャスターが柳洞寺に居を構えていて、そこから冬木市全体に網を張って人間から魔力を吸い上げているのを知っていたのだから。ゆえにそれを知っていた私は、学校に結界が仕掛けられていても、すぐに風と水気というふうに魔術の種類が違うということを見抜けたし、なにより街全体から魔力を吸引中のキャスターが、突然学校限定の結界を仕掛けるというのも無駄が多いのではないかと考えることもできた。

 

 それでも私は黒い剣士に対して、柳洞寺へ赴けと指示を出すしかない。

 何故なら私は既に、その安易な発想による指示を彼に下してしまっていたのだから……。

 

「――だから、今夜は柳洞寺に乗り込んでくれってか。なら、それは倒せとの指示か? それとも偵察か?」

 

「その判断は貴方に任せるわ。ついでにもう一つ伝えておくと、柳洞寺にはアサシンのサーヴァントが門番として待ち構えているから、どうか気を付けてね」

 

 ――ぴくり、と。黒い剣士の眉がつり上がる。

 

「アサシンか。なんでも接近戦なら人類最強の剣士だとか、ランサーは言ってたな……」

 

 ……私は何も言わない。

 今の発言は、彼の独り言として処理する。

 

「それじゃあ今夜中に今のお願いを済ませてね、バーサーカー」

 

 そうして朝の提示報告を済ませた私たちは、各々の休日を過ごし始めた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夕方。

 

「さて、夕飯を作るか」

 

 それから今日の夕飯は豪勢なものにしよう。

 藤ねえと桜には、セイバーが家に住むことについて納得してもらう必要がある。そのための交渉材料として、腹を満腹にさせておかなければ。もちろんメインは、セイバーを歓迎するための料理だけど。

 

 それにしても今日は……色々あった。

 自分はバーサーカーの一撃を受けて死んじまったと思っていたら、なんと目を覚ました時には自室に寝っ転がっていた。

 そして隣にはあの遠坂凛がいて、セイバーも生きていて、俺たちは何とか無事に生還したのだと知ることができた。

 

 遠坂からの同盟申告は慎重になるあまり断ってしまったが、後悔はしていない。

 それからセイバーに、聖杯戦争とはなんたるかのルール説明を受けて、もっと知りたければ冬木教会に向かう必要があることから、俺はその通りにした。

 

「……前回の聖杯戦争にもセイバーは召喚されていて、さらにその時のマスターが切嗣(オヤジ)だときた。さらに切嗣は聖杯を求めてアインツベルンと手を組んだけど、最後には聖杯を否定してそれを破壊した。それは結果的に衛宮切嗣がアインツベルンを裏切る形になったから……だから俺はあのイリヤっていう少女に目の敵にされている、と。大体はこんな感じだったか」

 

 まぁほかにも衛宮切嗣とはかくも恐ろしい魔術師殺しで殺戮マシーンだったとか言峰に聞かされたけど、それについてはぶっちゃけあまり気にしていない。

 だって昔はそうだったとしても、俺を助けてくれた親父は、俺の憧れの人で、命の恩人で、誰かを助ける正義の味方だったんだから。

 

「――あ、そういえば、あのときのセイバーの顔……」

 

 ふと脳裏をよぎったセイバーのあの顔に、頬が緩んでにやけてしまう。

 

「……むっ。シロウ? 私を呼びましたか」

 

「あ、いや違う。なんでもない」

 

 あぶない、あぶない。流石はサーヴァントの聴力。

 居間に正座するセイバーは、台所で食器の音やまな板を切る音にまじってこぼれ出た俺の呟きをしっかりと耳にしていた。

 

 ……まぁ、思い出したのは、なんてことはないワンシーンだ。

 言峰からの説明を聞き終えて教会を出たとき、あまりに俺を心配するセイバーがおかしかったのと、「セイバーの素顔を見て思ったんだ。サーヴァントって言っても、やっぱり女の子なんだなって」って言ったら、セイバーのやつが赤面して……んで、その顔が忘れられなくなったってだけのことだ。

 

 ――って、どうしよう。料理はできたっていうのに、居間に顔を向けることができない。まずいぞこれは。

 藤ねえと桜が帰ってくる前に、きっと馬鹿みたいに緩んでいるこの顔をなんとかしなければ、何を言われて何をからかわれるか……!

 

 仕方がない。もう一品作ろう。既に贅沢の限りを尽くしていたが、今はちょっと居間に振り返ることができない。

 まだ桜も藤ねえも帰ってくる時間じゃないし、もう少しだけ……。

 

 

 

 そうこうして色んな料理を作っていると、いつの間にか冷蔵庫がとんでもないくらい寂しいことになっていた。

 これじゃあまるで新品の冷蔵庫みたいだ。がらんどうになっている。

 

「やっちまった。明日の朝食は食パンだな。そんで、あまりに作りすぎたから夕飯の残飯を昼に持ってこよう。学校帰りに商店街に寄って買い物を済ませればオールオッケーだろ」

 

 否、全然オールオッケーではない。

 夕飯がバカみたいに豪勢なのに、明日の三食のうち二食が疎かだとは、冷蔵庫の管理もできない素人なのかと言われてしまう。

 まぁ、言われる相手がいないんだが……それでもこの有り様を見て、桜はなんと思うだろうか……。

 

「ふぅ。思ったより精神が動揺していたようだ……精進が足りないな、こりゃ」

 

 それから俺は、台所に収まりきらない料理の品々を食卓に運んでいるうちに、藤ねえと桜がやってきた。

 

「よし、セイバー。あとは前もって言った通りに頼むぞ」

 

「はぁ……」

 

 これからこの豪勢な料理を使って藤ねえを説得しに掛かる。今日はビュッフェと言い張ろう。

 主食が二つ以上あるなんて一番やってはいけないことだけど、藤ねえという強敵には太陽が三つあっても太刀打ちできない。その舌と脳を蕩けさせて参ったと言わせるためには、俺は料理において邪道に頼ろう。

 

「たっだいまー士郎! ってうぉおおおお! なんだ今日の料理はぁあああ! うひゃああわたしの大好きなものばっかりー! あれー今日わたしの誕生日だっけー?」

 

「せ、先輩、これ、どうしたんですか?」

 

「いや、まぁ、精神が錯乱したというか、悪魔に身をやつしたといいますか……」

 

「いいえシロウ。そんなことはない。料理は大いに越したことはありません。確かにこの人数では作りすぎと言えましょうが、この私が無駄なく全てを平らげましょう」

 

 

 

「――ん?」「――えっ?」藤ねえと桜が、ともに目を丸くする。

 

 

 

 ……いや、セイバー。それはありがたいんだが、料理を平らげることよりも、まず先に藤ねえをだな……。

 

 

 

 

 

 それからはまぁ色々と大変だったが、なんとかセイバーの誠実さで藤ねえに納得させることができた。

 主に切嗣の知り合いだという点が勝負の決め手だったらしい。

 逆に、俺の料理が役に立ったかと言われると、その……逆効果だった。

 

「士郎がこんな料理を作ることなんて今までありませんー。それもこれもセイバーさんがいるおか……せいだってわかってますー?」

 

 と、逆手に取られてしまった。

 やはり邪道は駄目だな。王道が一番だ。

 邪な道は先達が思い至ってもやらなかったことなのだから、素直に磐石な道筋の上を歩むのが一番だ。

 

 そして藤ねえの文句にやばいと思った俺は、すぐに「いや藤ねえ、これはセイバーを歓迎するためだ」と、なんとか言い逃れることができた。

 こうして波乱万丈の夕飯は、なんとか和解で終わったのだった。

 しかし、藤ねえと桜が家に泊まるという事態に転がったことは、流石に予想外だったが……。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夜。

 既にライダーを使って学校に結界は仕掛けた。

 だが、無用な戦闘は避けろとあれほど言ったのに、ライダーはランサーというサーヴァントの戦闘で魔眼封じの宝具を解いた。

 そのくせ仕留めきれず、そのせいで溜めに溜めた魔力はそこそこにまで減ってしまったらしい。

 

「あれほど息巻いていたくせに……」

 

 怒りを露わにしながら策を講じる。また魂喰いをしなければならない。

 そうなると餌は誰がいいかな。まぁ僕が命令しなくても、ライダーは勝手に喰い散らかしていくんだが……。

 

 ――ふと、部屋の中央に突然、人が現れた。それはライダーだ。

 サーヴァントっていうのは霊体と実体を使い分けることができるらしい。そして魔術師なら霊体化しているサーヴァントを見つけることができるらしいんだが、あいにくと僕には見えない。それは言わずもがなだ。

 

「シンジ。定時報告をしに来ました」

 

「あぁ。言ってくれ」

 

「昨夜セイバーとアーチャーがバーサーカーと戦闘していたところを目撃しました。マスターと思しき人間は男女に分かれており、シンジと同じ制服を着ていました」

 

「なに……? 女の方は遠坂凛に間違いないだろうが、傍らに男?」

 

「はい。しっかりとこの目でみました」

 

 そうなると、うちの学校には遠坂以外にマスターがもう一人いることになる。

 身の安全を守るために、明日からは学校を休むべきか……?

 

「それで、遠坂のサーヴァントはどのクラスなんだ」

 

「見たところ、アーチャーのようでした。セイバーは男の方を守っていたようなので」

 

「なるほど。話は分かった。それじゃあライダーは魂喰いにでも行ってきな。僕は作戦を立てておくから、また後日来てくれ。その時に今後の方針を伝えるから」

 

「……了解しました」

 

 すう、とライダーは消えていく。霊体化する時の状態は、まさに幽霊のようだ。

 ……まぁ、僕は幽霊なんて見たことないんだけど。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 アーチャーと一緒に新都での昏睡事件を調べて、分かったことが二つ。

 まず新都と深山、この二つの街から広範囲の吸引を行なって魔力をかき集めている大魔術師がいる。

 それは言わずもがな、キャスターのサーヴァントだろう。

 

 そして、人間から吸い上げた魔力は、全て柳洞寺に向かっていた。

 これから分かることは、キャスターは柳洞寺に陣取っているということ。

 おそらくよほどの霊脈なのだろう。ここまで力強い魔術を行使できるとなると、きっと今回の聖杯戦争に召喚されたキャスターは、魔術師として最高峰の存在だ。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――――学校に結界が張られていた。ただ、その事実に煩悶とする。

 結界を仕掛けたやつは、つまり学校の皆を狙っているということだ。

 

 ――――許せない。

 ヴァンディミオンの名に懸けて、私は犯人を仕留めてやる。

 

 そう思うと眠りに就けるはずがなく、私は夜遅くだというのに外に出て、学校に足を運んでいた。

 あれだけ外には出ないと自粛して自重してなお、このざまである。

 それだけ私は、学校というものに執心しているということか。

 

 さて、今日は日曜。学校はお休みである。といっても部活動があるため登校する生徒も多い。

 それも日が暮れれば家路に就くのは当然であり、学校には誰ひとり残っていないということは分かりきっていた。

 

 それでも私は、学校に結界を仕掛けたサーヴァントと一戦交えるくらいの覚悟でここに来た。

 もし計算が狂ってしまっても知るもんか。……いやはや、いつもの悪い癖だ。

 

 私は研究に取り掛かるとき、必ず計画を立てる。一から十まで、小数点がある限り、完璧に計算して計画を仕上げる。

 ……だが、物事には常に例外というものが存在し、ありんこ一匹紛れ込んだだけで計算が全て狂うことがある。

 つまり私は、そのありんこである。

 

 完璧主義を歌いながら、自分からその完璧を壊していく。

 確実な式などないと知っていながら、それでも完璧な式を導き出そうとする。

 こういうの、理系でもあり文系・体育会系でもある。右脳でもあり左脳でもある。

 あなたはうさぎ脳な方なんですね、って。後藤くんから指摘されたことがある。きっと占い番組でも見たのだろう。

 

 要は論理的にまとめようとし、実際に論理的にまとめるものの、最後には野生の直感で動いてしまうタイプなのだ。私という人間は。

 そう思うと、研究者でありながら冒険者でもある私にとって、自分の性格はこれ以上ないくらいの適正なのではないだろうかと思い至る。

 

「……さて、後先考えずに学校まで来ちゃったわけだけど、どうしよっかな」

 

 校門前に到着した。

 中に入ることも可能だが、結界を仕掛けたサーヴァントがいる可能性もある。慎重に行かなければ……。

 

 その時――前方に人影を発見。

 見るに生徒だった。こんな夜遅くまで何をしているのだろうか。

 

「はー、疲れたー。野暮用を思い出したとはいえ、ちょっちやりすぎたなー。こんな夜遅くなっちゃったよーもー」

 

 あれは……綾子!?

 そう言えば綾子は弓道部の主将だった。部活に来ていてその帰りというのもありえない話ではない。なにより彼女はマスターではない。そうなると、たまたま遅い時間の帰宅となっただけか。

 

 私は物陰に隠れて様子を窺う。

 綾子はそのまま校門を閉めて坂を下り始めた。

 

 ――そこで私は、周囲の魔力の流れを感じ取る。

 これでも魔術を抜きにした危機感知能力は高いと自負している。

 

 そして私の直感が囁いた。

 この気配は……近くに、サーヴァントが存在している。

 

「……うん? 今、何か音しなかった? ……うーん。ちょ~っと、こわい、かな?」

 

 綾子の方も、この背中からうなじを逆なでされているような厭な感触を感じ取ったのだろう。

 だが、流石の綾子もこれは荷が重い。

 何かが陽炎のように道路を歩いている。それは綾子の背後をつけているように見えた。

 私はその陽炎よりも、さらに後方から尾行する。魔力を遮断すれば気付かれることはない。別に魔力を持っていかれるような契約を交わしていなければの話だが……。

 

 ――まずったなぁ。

 いつバーサーカーが柳洞寺のアサシンと戦闘を始めるか分からない。

 もし始まってしまったら、私から流れる魔力に気取られる。ならば気付かれる前にこちらから出向くべきか。おそらく敵はサーヴァント。先手を取られるのだけは避けたい……。

 

「――ちょっと、誰かいるのー? …………気のせいかなぁ?」

 

 気のせいではない。既に陽炎は綾子より前に通り抜けて、木の上にするりと登っていった。

 あのまま綾子が真っ直ぐ道を進んで行って、木の下を通りかかった瞬間、陽炎は蛇のように襲いかかるだろう。

 

 ――――助けに行くなら今しかない。しかし、綾子のところまでかなりの距離がある。

 それは坂道の始点から終点、山の頂上から麓までの距離。

 このくらい離れなければ、サーヴァントの感知能力からは逃れられない。

 

「さて、あそこまでひとっ飛びで行くためには、最高級の憑依経験しかないか……」

 

 もとよりサーヴァントとの戦闘を想定するなら、この亡霊を使うほかあるまい。

 

 そして、いよいよ綾子が件の木の下に近付き、陽炎が頭上から仕留めようと――

 ――その髪をわずかに揺らした、その瞬間を狙って!

 

 

 

「――Hexerei(ヘクセライ) Satz(ザッツ) von(フォン) Vendée Mion(ヴァンディミオン)――!!」

 

 

 

 それは、霊魂の憑依経験。

 憑依魔術の工程を形式化・簡略化させて、刻印に封じ込めてある霊魂を一小節で術者に憑依経験させる魔術。一応、霊魂に乗っ取られないよう、憑物祓いの刻印が仕込まれている。

 

 そして今回、私が引き出す亡霊。否、幻霊こそ……!

 

 ――遥かな古代。其はハイボリアと渾名された時代。

 キンメリアという土地には、幾多数多の英雄たちが群雄割拠していた。

 そんな乱世に生まれた“赤髪の女剣士(レッドソニア)”の称号を持つ女英雄が一人。

 かの英雄コナンに並ぶ古代の剣士は、亡霊でありながら英霊に引けを取らない幻霊であった……!。

 

 スペル違いだけど、私と同じ響きの名を持つ英雄。

 彼女を今ここで、自分自身に憑依させる!

 

 ……魔術刻印・起動。

 我が身に宿る霊魂こそ――――(はる)(なか)つの灼剣士(しゃくけんし)

 

 数キロの距離を一回の跳躍で縮め、殺意を飛ばして小剣を奮う。

 

「――――ッ!」

 

 刹那、私の接近に気がついた陽炎は、木立から飛び退り道路に着地した。

 そして、隠れた姿が露わになり……長い紫色の髪がたなびく。

 

「な、なっなんだ?! ――あ、あれ、ソニア? なんで、赤い髪を、して――、……」

 

 綾子に速攻で暗示を掛けて眠らせる。このまま走り去らせても良かったが、神秘の秘匿を考えたらついやってしまった。

 彼女をここで眠らせるということは、つまり。私は絶対に、目の前にいる敵に敗れてはいけないのだから……。

 

「魔術師……ですが、ただの魔術師ですね。見たところ、マスターではないようで」

 

 一瞬でマスターではないと見抜かれた。

 ならば、ここは一つ。騙されてくれる可能性は低いけど、一抹の希望に賭けて、少し道化を演じてみよう。

 

「そうでもないわ。私はバーサーカーと契約をしているの」

 

「そうですか。しかし、周りにサーヴァントの気配は感じられませんね……」

 

「そりゃそうよ。私がサーヴァントを侍らせていないのは当然だわ。令呪だってないもの。私はバーサーカーのマスターの従者でね、こうして偵察をしているのだけれど、私が念話で呼べばご主人はひとっ飛びよ」

 

「ほう……それは興味深い話ですね。本当かどうか、ひとつ試してみますか? ライダーのクラスに懸けて、お相手して差し上げますよ」

 

 クスクスと笑うライダー。

 

「…………上等」

 

 やるなら先手必勝だ。否、サーヴァント相手に先手を取れるはずもなし。

 腰を落として小剣を構える。これ以外にも奥の手は二つあるが、そのうちの一つは温存しておきたい。

 

「では、たかが魔術師がどれほどやれるのか、お手なみ拝見と行きましょうか。……それに貴方も中々の美人ですので、そこに倒れている少女ともども美味しく頂くのも悪くありませんね」

 

「――ッ。ハァ!」

 

 踏ん張った足で、コンクリートの地面を抉り抜く!

 

「なっ――!?」

 

 私の瞬発力に驚愕するライダーのサーヴァントは、鎖付きの短剣を手に防御の構えを取る。

 

「――そこ!」

 

 そのまま高速の斬撃を畳み掛けるも、その全てが容易く弾かれる。

 今の私――否、この赤髪の剣士の亡霊のステータスは、サーヴァントのランクシステムに当て嵌めると、筋力耐久敏捷魔力ともどもオールEと言ってしまおうか。

 サーヴァントの筋力Eランクは、人間の腕力の十倍ほどだと考えていい。つまりこの亡霊は人間として弱いわけではない。こいつら英霊という存在が、あまりにも次元違いすぎるんだ――――!

 

「少しはやるようですが、私たちサーヴァントには届きませんね……」

 

「くっ――!」

 

 時間はほんの二、三分だったろうか。

 初撃から怒涛の攻撃で反撃を許さないつもりでいたが、それは全て様子見に使われていたらしい。

 私はやる気のないライダーの蹴りを腹に喰らい、胃の中がぐるんぐるん回る思いで宙を舞った。

 

「――ガハッ!」

 

 ……当たり所が、悪かった。

 標識に頭をかすって血が流れる。血が左目に入ってしまって片目を潰された。そろそろ体も限界だ。

 憑依経験は筋力のみならず、耐久まで再現するから、今のような人間ではない動きをし続けても、魔力が消費されるだけで人体に影響はない。

 

 ――――人間ではない動きにより生じる、尋常でない痛みを除けばの話だが……。

 

「しかし妙ですね。貴女ほどの魔術師なら、痛覚を遮断することも可能なのでは? そのせいで段々と動きが鈍ってきていますよ」

 

 確かにそうだ。一時的に感覚をぶっ飛ばすことも、私なら出来なくもない。

 しかし、痛覚とは非常に大切なもので、これがあるとないとでは戦闘力に違いがありすぎる。

 特に危機的状況に対する直感に影響が出てくる場合が多い。

 

「なるほど。魔術師かと思えば、なかなか戦いにも心得があるようで……」

 

 当然。一度やってみたことがあるから、言えることでもあるのだけど……。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

「詰みですね。その剣に宿る力を解放すればまだ分かりませんが……この期に及んで出し惜しみをするようでは、その程度だということです」

 

「はぁ、はぁ――――そうかしら。私は別に、貴女と最期まで戦うつもりは初めからないんだけどね?」

 

「……それは、どういう――――なるほど。やられましたね」

 

 ライダーは綾子が倒れていたところを見て、静かに悟っただろう。

 

 ――綾子の姿がない、と。

 

「こっちには自律行動ができる頭の良い使い魔が二体いてね。擬態能力も備えているから、一体は綾子を連れて逃げて、もう一体はしばらく綾子に化けていたのよ。まぁ、その擬態もついさっき解いたのだけれど、貴女、今の今まで気付かなかったわね」

 

「…………」

 

「まぁ、それもこれもサーヴァントの……いえ、英霊の性ってやつかしら? なにせ貴女、楽しんじゃっていたものね?」

 

「……えぇ、それは認めます。ですが最後に一つだけ、訊きたいことが」

 

「どうぞ」

 

「貴女は何故、彼女を助けようと、私の目の前に現れたのですか?」

 

「――――愚問。私の友達だからよ」

 

 その返答を聞いたライダーは、音もなく霊体化して去っていく。

 

「あっ、やばっ……」

 

 痛みで世界が白く染まる。

 しかし片目は、それでも血に濡れて赤かった。

 

 それもすぐに、両目は闇に瞑られる……。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――――彼女は一つ、見誤っていた。

 使い魔による擬態? そんなもの、私の前には無意味でした。

 何故なら私はバイザーをしている。そもそも視覚に頼っていないのです。

 私は聴覚や嗅覚で周囲の状況を判断している。ゆえに綾子のにおいがその場から離れていくことも疾うに気が付いていた。

 

 ……それでも、彼女は一つだけ言い当てていた。

 確かに私は戦闘を楽しんでいた。必死になって綾子を守ろうと息も絶え絶えに剣を振りかぶり、私に肉薄してくるその姿に、ある種では目を見張るものがあったとでも言ってしまいましょうか。だから最後まで頑張った貴女には、綾子への吸血ではなく、貴女への吸血で許してあげましょう。

 

 ――名も知らぬ、優しき魔術師さん。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 柳洞寺の山門へと続く、石畳の階段を登ることしばらく。

 前方は上り坂、側面は雑木林、背後は下り坂。

 一方、サーヴァントが通れる道は階段しかない。雑木林にはサーヴァントの侵入を阻む結界が張られていたからだ。

 

 登り続けることようやく。山門が見えてきた手前で、異様に髪の長い男が立っていた。

 その手には細長い長刀がある。日本刀と呼ばれるやわな剣にしては、それは長く細く、鋭すぎた。

 

「待っていたぞ。お前がランサーの言っていた剣豪か」

 

「なんだ。そうすると、てめぇが剣豪のアサシンか」

 

 背に携える大剣を回し抜く。戦いにくい地形だ。といっても階段の戦闘は未経験ってわけでもない。

 

「では、推して参る」

 

 アサシンは長刀を横に構え、こちらの出方を窺っている。ならば望み通り、正面からぶった斬ってやる。

 一気に石段を駆け上がり、大剣を振り下ろす。そこに長刀が割って入った。

 

 ――折れる!

 

 鉄の塊が棒切れを叩き折れないわけがない。

 そのまま長刀を砕き折り、アサシンの身体を袈裟斬りにしてやろうと力を込める。

 

「荒いだけなら造作もない」

 

「――なにっ?」

 

 火花が散った。オレの大剣なら、そのまま押し切れたはずだ。

 だが、長刀は折られず、押し負けもせず、オレの大剣は自身の体もろとも上手くいなされていた。

 

 返す刀に首が狙われる。

 素早く身を引いて――――間に合わないと悟った瞬間、迫り来る刃を義手で弾いた。

 

 ここで様子見のために身を退いてはならない。

 かと言って、前に進んでもいけない。

 さらに、ここで止まってもやられる。

 

 ――――偽の心眼が、そう囁く。

 

「――ッッッ!」

 

 たった一度の打ち合いで余裕をなくした。こいつの剣には遊びがない。

 攻防一体その全てが必殺の一刀。ならばこっちも手加減なしだ。剣士として剣を執る!

 

 足を踏ん張り、腰を入れて、オレはここから絶対に退かずに斬り殺すと剣を奮った。

 斬撃は受け流され、斬風は愛でられ、薙ぎ払いは合わせられ、撃ち落としはいなされる。

 

 一息で数十の剣戟を重ねて、周囲に斬り合いの圧が生まれる。

 オレとアサシンの間は台風の目となり、周囲の雑木林は激しく音を立て荒れた。

 

「――――ただ兵刃を競い合うだけで、この場は死地と相成った。疾風と暴風が合わさり、嵐もかくやという剣風よ。もはや何人たりとも、私たちの間には割り込めぬ」

 

 悠長に喋る余裕が、コイツにはあるってのか……。

 歯を食いしばり、大剣を奮う速度を上げる。

 それなのにアサシンの長刀は、オレの剣を悉く弾いていく。

 

 傷を負わせられない――――守りが上手いサーヴァント!

 さらにその太刀筋は、まったく見切れないときた!

 

 たかが棒きれだと思ったが、その実たかが棒きれだった。

 なのに折れないというのは……つまり使い手の次元が違いすぎるというわけか!

 

「そろそろ本気を出せい狂剣士。風を読んでも燕は仕留めきれぬぞ」

 

「――――――――ッ!」

 

 最期の大振りを振り抜いた。

 それを切り落としで止められ、ならば強引に突きを入れる!

 

「おっと」

 

 突きを躱すため横に飛び退ったアサシン。

 そこでオレは一歩踏み出し、互いに平地の上にて睨み合う。

 

「よもや、自ら飛び込んでくるとはな」

 

 疾風の剣士。この男に見切れぬ技はなく、この男の技を見切れる者もなし。

 取り回しにくく、なのに取り回しやすいように振るい、受け流しにくく、なのに受け流しやすいように扱う、防戦に秀でたように見える長刀。

 西洋の剣でいう盾みたく叩き潰す用法の剣使いではなく、東洋の鋭く切り裂く用法の刀使い。

 されどこの男からは、血腥い臭いは一切しなかった。

 

 それはつまり――――こいつは、剣聖の域に届こうと……?

 

「どうやらオレは今、真の意味で最強の剣士と巡りあったらしい」

 

「その賞賛は快く受け取るがな。それも否、拙者は所詮まがいものよ……!」

 

 互いに平地。

 オレは大剣を逆手に持ち替え、アサシンに横薙ぎを入れる。

 

「ふっ――!」

 

 それを当然のごとく、アサシンは斜め十字を切るように合わせてきた。

 だが、オレは大剣の重量を利用して、大剣に引っ張り回されるように、空中にて体を横ひねりして一回転する。

 

「――なんと!」

 

 そのまま空中で一回転させた身で、今度は大剣を上から下に振り抜く。

 

「ハァッ――!」

 

 それすらもアサシンは、まるで宙にはためく紙のように退き躱し――――

 

 ――――次に奴は、後ろ手に長刀を持ってくるという変則的な構えを取った。

 

「秘剣――」

 

 オレは大道芸の一回転から着地する。

 

 刹那、

 

「――燕返し!」

 

 背中から襲い来る三本の死線。

 背を向けているオレは、振り返りざまに斬り殺される。

 

 

 

 ――それは、ほぼ直感に等しかった。

 ――負けたと思う前に死んだと悟った。

 ――ゆえに死より逃れ、生に長けた本能が覚醒する……!

 

 

 

 

 

「ッッ――――っうぉおおおおおおおお!」

 

 

 

 

 

 左下から脇を抜き胴を削ぐ一の閃。肘を折り、わずかに義手を内側に突き出す。

 右横から心臓を貫いてくる二の閃。大剣を掲げて、守りに当てる。

 左上から首を飛ばしに来る三の閃。どうにもならない。故に、左脚を一歩前に踏み出した。

 

 全くの同時。そこには三本の剣が存在していた。そのどれもが急所を狙う死の一閃。

 次元を曲げる。否、屈折させる神の御技。それを人の身で為したこいつは鬼神か何かか。

 

 

 

 義手は全壊。

 大剣は刃毀れ。

 左肩は切り落とされる勢いで脱臼複雑骨折し、肩に白い骨が突き出ている。

 左上半身は使い物にならなくなり、肩から脇腹部分の鎧は砕き割られ、何故か右腹の鎧にも罅が入っていた。

 つまるところ鎧は半壊。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも首の皮一枚は、どうにか繋がっていた…………――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――。

 一の太刀、二の太刀を直感で凌いだのは見事だ。しかし三の太刀を躱せる者は、この世に誰ひとりとして存在しない。それこそ高度の未来予知か、次元跳躍などでも使わない限りは、な。

 ……だが、まさか一歩死地に飛び込むことでその死を回避するとは、些か驚かされたぞ。まるで呪いのようだ。死に赴くがゆえに死ねない、そんな呪いのような……。さて、どうか教えてはくれないかな。その死より回避する術を――――」

 

「……そんなものはない。オレにあるのは、生きるための術だけだ」

 

 オレの首――それも肩を貫いてのだが――には、アサシンの長刀が伸し掛っている。

 このままアサシンが押せばオレは死ぬし、引いても死ぬ。切っても心臓に到達して死ぬ。

 

「そんなつまらない結末を、私は望んでいない」

 

 だというのにアサシンは、長刀を慎重に肩から抜き離した。

 

「我が物干し竿を用いた燕返しにて殺せなんだら、たとえその後があろうとも引き分けというものよ。今夜のところは帰るが良い。剣士としての戦いは、私の勝ちということでな」

 

「なに……?」

 

「次はサーヴァントとしての勝負がしたい、ということだ。どうやらその義手のカラクリは面白そうだからな。腰にも色々と見るべきものがある。まるで独りで戦をするような趣きだ」

 

「……つまり、次はなんでもありの勝負ってことか?」

 

「おうとも。楽しみにしているぞ、重戦士。いや、次は()()()だと尚良いがな」

 

 ……こいつ。オレの鎧がなんであるか分かって言っているのか。

 

「わかった。殺してくれなくて感謝する。オレにはまだやるべきことが残ってるんでな」

 

 アサシンに背中を見せて階段を下る。

 飄々とした雅な剣士は、最後までオレの背中を見届けていた。

 

 

 

   /了

 

 

 




「Hexerei Satz von Vendée Mion」(ヘクセライ・ザッツ・フォン・ヴァンディミオン)
 ぼくのかんがえた かっこいい じゅもん。(スペシャルサンクス:グーグル翻訳先生)



「赤髪の女剣士」「レッドソニア」「遥か中つの灼剣士」
 ちょうどこの章の執筆中に、ソニアに力を貸してくれる霊魂を誰にしようかと考えて、第一候補としてスパルタクス、第二候補として英雄コナン(シュワちゃん)、第三候補として黒ひげなど、どれにしようかと考えていたところ。
 たまたま番組表を流し見していたときに、午後ローのタイトルに『レッドソニア』(2017/10/31)という文字を見て、何か運命的なものを感じたため、その映画を見ることにした。

 ……端的に言って、惚れた。まず英雄コナン(というか戦うシュワちゃん)が好きだったこともあり、それに負けじと戦うレッドソニアを見て、一発でソニアの霊魂をレッドソニアにしようと思い至った。というか映画を見る前から、もうあらすじだけで“これしかない”と思っていた。

 ちなみに脳内補完として、型月時空における自分の中のレッドソニアは、生前数ある魔獣と渡り合えるほどの力の持ち主だったと勝手に考えている。しかし知名度が足りないため英霊としては呼べない。だが、それは幻霊ということであり、高位の降霊術で召喚できるため、憑依経験向きの霊魂戦士としてソニアに抜擢されたのだろう。



 アサシン・佐々木小次郎のスキル。秘剣・燕返し。
 ただ一本の刀で、一の太刀、二の太刀、三の太刀を全く同時に放つ、回避不能の対人魔剣。
 ――それを“前に踏み込んだが故に生き残った”修羅の剣士は、はたして如何様にして生き残れたのか。
 おそらくそれは、死より逃れる術とは、また異なったスキルだろう。




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二月四日

 ――――夢を見ている。

 

 空が赤い。ここは学校?

 まるで世界が何かを伝えているようだ。その伝言の意味なんて分からない。

 ふらふらと学校に赴き、そういえば用事があったなと思い出して、生徒会室に向かった。

 

 戸を開く。

 そこには半裸の一成がいた。隣には士郎もいた。彼も半裸だった。

 

「――――」

 

 彼らは一体、生徒会室の中で何をしているのだろうか。

 ちょっとだけ胸が震えた。何かが胸の奥から叫び、駆け上がってくる。

 そのよくわからない衝動を抑えるためには、まずここから離れなければと思った。

 

「ソニア……」

 

 甘い声で私の名を呼んでくるのは士郎。一成は眼鏡を外して私を見上げている。

 

「どうしたんだ。こっちに来いよ」

 

 ダメよ。邪魔しちゃ悪いもの。

 そう言おうと思っても、体は勝手にふたりへ近付く。

 

 ――ダメよ!

 同性愛と逆ハーレムは違うって凛が力説していたもの! あと、百合とハーレムも全然違うって凛に教えてもらったわ!

 

 ……それに、それに、どうせだったら、あいつの方が……。

 

「おえっ、本気ですか貴女は……」

 

 ――ふと、聞き覚えのある女性の声がした。

 それでも姿は見えない。

 

 気付けば士郎と一成はその場にいなく、代わりに床には――――()()()()のようなものが落ちていた。

 

 

 

 ふらふら、ふらふら。

 廊下を歩いて、教室に入る。

 

 そこには凛がいた。

 いつも色んなことを教えてくれる凛。

 

 あれ、どうしたの。凛って八重歯だったっけ?

 そんなことを言おうと思ったけど、相変わらず体は動かない。

 

「ふふっ……」

 

 不敵な笑みで近付いてくる凛。

 だけど、その様子はいつもの悪い笑みではなく、どことなくアブナイ香りが……。

 

 ――蛇のように巻きついてくる。

 

 否、それは喩えだ。

 凛が両腕を回して、私の首に、私のふくらはぎに手を伸ばす。

 お腹に凛の熱い吐息がかかった。制服の裾から顔を入れて、おへそを舐められる。

 

「――ひゃん!」

 

 体が動かない。まるで金縛りにあったかのように、麻痺して動かない。

 そのまま胸までせり上がってくる凛の頭。

 制服が、破けちゃう。服と谷間をトンネルのようにくぐり抜けて、凛が顔を出した。

 

 近い。

 唇が近い。ダメだよ、そんな……。

 凛は私の肩に顎をおいて、首を舐め回す。

 

 次に噛み付いてきたときは、もう何も考えられなくなっていた。

 全てが真っ白。生気を吸われる。

 

 

 

 ――これは■■だ。

 

 何も考えられない。

 

 ――これは■■だ。

 

 あはっ。全部、凛に食べられちゃった……。

 

 ――これは吸精だ!

 

 魔術回路が危険信号を伝えてくる。鳴らさられた警鐘を、私は自分の手で切った。

 否、それは己が意志によるものではない。

 

 

 

 ふと気が付けば、凛のほかに士郎と一成が現れた。

 

 ――やめて。

 

 この先に待ち構える淫らな顛末を想像してしまう。

 絶望と欲喜が入り混じる学園の妖艶不可解さ。

 男と男が。

 女の子と女の子が。

 

 ――目を瞑れない。

 

 誰か、助けて。

 

 蛇のように巻きつくふたりの雄。

 蛇のように巻きついてくる少女。

 鼠のように食べられちゃった私。

 

 魔力が底を尽きた。捨てられた。凛と士郎と一成は、私を置いてどこかへ消えた。

 その場に残ったのは、裸で置き去りにされた私だけ。

 

 それでも、その場にはもうひとつだけあった。

 

 それは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   …

 

 

 

 朝。

 

「――んむ……」

 

 朝日の光と、ものっそい肌寒さに目を覚ます。

 外だ。私は外で目が覚めた。どういうことだ。

 

「……庭?」

 

 辺りを見回すと、この庭が自分の家の庭であることが分かった。

 はて、それにしても、なんで自分はこんなところで寝ているのか?

 

「よいしょっ……と?」

 

 起き上がろうとしたら、たたらを踏み、最後には尻餅をついてしまった。

 おかしい。魔力がすっからかんだ。

 

「……、……? ――――っ!」

 

 魔力が、ない。

 それで、全てを思い出した。

 私は昨夜、綾子を守るためにライダーと戦闘して、それで私は倒れちゃって、なんか変な夢を見たけど、綾子はどうなったんだっけ……!?

 

 ふと、ガサガサと物音がして、草むらから二匹の蛇が現れた。

 

「……ベルナデット。そうか、あのあとは貴女たちが助けてくれたのね?」

 

 ベルナデット。

 厳密には、それは動物で言うところの蛇ではない。私の自慢の使い魔だ。

 

 茨竜(しりゅう)炎檻(えんかん)・ベルナデット。

 火を噴く双頭の毒蛇の霊体を召喚し、特注の茨に憑依させたのが、この使い魔。

 茨の蛇が対象に巻きつけば、その毒の棘で対象を傷つけ侵し、火を噴きながら動きを拘束する。

 全長は約十メートル。たとえ二つに分断されても元が双子なのもあって、それぞれ単独で活動が可能。三つ以上に切られると三本目からは活動を停止してしまうけど、くっつくことにより即時の再生が可能。

 ほかにも私の魔術回路を埋め込んでいるから、自前で様々な魔術を行使することができる。

 

 おそらく私が倒れたあと、ベルナデットが綾子と私をここまで運んでくれたのだろう。

 その証拠に草むらの影では、綾子がベルナデットに守られながら熟睡している。

 

「って、ちょっと強く暗示を掛けすぎちゃったかな……こういう場合ってどうすればいいんだろう。教会に引き渡すといっても不安だし……もう一回暗示を掛けて、綾子の家に帰らせればいいか」

 

 それから私は綾子を起こしたあと、暗示で記憶操作を施してから家に帰した。

 

 

 

 異様に気だるい体を一生懸命動かして居間に上がる。時計は朝の五時を指していた。

 

「うー。それにしてもおかしい。なんでこんなに魔力がないのよ~」

 

 思い当たる節があるとすれば、それは黒い剣士との契約のせいか。

 魔力パスだけを繋いでいるため、戦闘が始まれば魔力を吸い上げられてしまう。

 それでもかなり低燃費なサーヴァントなので、今まで負担に感じたことは一度もなかった。

 

「そうなると、やっぱりあのライダーの仕業か……」

 

 とにかく紅茶を淹れて、居間で一息つく。すると玄関が開く音がした。バーサーカーだ。

 ドシドシと重い足音を廊下から響かせてやってくる。なんだろう。疲れているのかな。

 

 とにかく私は、居間の扉が開く頃合いを見計らって、彼に声を掛けた。

 

「おかえりなさい、バーサーカー。柳洞寺の方はどうだっ、た――――」

 

 ――――言葉を失った。

 左肩から白骨を露わに、血肉が零れ出ている。

 左半身は血みどろになっていて、顔は真っ青、全くの生気が失われていた。

 それは半分死んでるどころの騒ぎじゃない。人間としてなら、その損傷だけでも死に絶えておかしくない致命傷だった。

 

「な、なっ……」

 

「悪い。治療を頼む。そろそろ死にそうだ」

 

 その「悪い」という言葉が、こんなものを見せてすまない、とでも言いたげな目線だったのが気に食わなかった。

 

「待って、先ずは止血よ。ベルナデット、鎮静剤と魔力剤の棘を彼の左腕に!」

 

 その命令を先に読んでいたのか、ベルナデットは黒い剣士の半身に巻き付いた。

 一応、私もここまでじゃないけど生死の境を彷徨ったことは何度かある。

 そのときはいつも独りだったから、傷の治療は全て自分の手で行なわなければならなかった。

 自分の腹を切開して鉛玉を引き抜くのも、腕に針を縫うのも、全部、自分の手で。

 だから、この程度の治療は出来る。たかが腕一本。粉砕された肩一つ程度、きっちりと治してやるわよ!

 

 かといって、もとよりサーヴァントとして召喚された存在が受肉した場合、完全な人間となるわけではない。霊体にはなれなくなり、それでも魔力が必要となる。依代も完全に不要となったわけではない。つまりこれは半分人間、半分霊体を治療するという前代未聞の治療行為だ。

 医学的な霊媒医療の経験がないと、不可能と思われる医療行為――それでも、私ならできる!

 

「――Hexerei(ヘクセライ) Satz(ザッツ) von(フォン) Vendée Mion(ヴァンディミオン)――」

 

 今の啖呵は、決して根拠のない自信から出た言葉ではない。

 こういう時のために用意したユタの亡霊を憑依し、それによって得た知識、技術を経験・模倣、疑似習得する。

 

「さて、サーヴァントの肉体はエーテル体で構成されているから、足りない血肉や臓器はエーテルで満たせばいいのかしら?」

 

「オレに訊かれてもな……」

 

「別に貴方に話しかけてるわけじゃないの! 独り言として受け流しなさいなっ!」

 

「へいへい」

 

 それからの朝は、静けさとは無縁の慌ただしさとなった。

 いや、治療自体は静かに進んではいたのだけど、互いに汗だくになっての苦行を強いられたのだ。

 

 

 

 それから治療時間は、約二時間にも及んだ。

 足りない魔力は私自身の生命力から引っ張ってきて、ベルナデットの魔力も底を尽きた。

 それでもなんとか、黒い剣士の死んだ半身の大部分を修復し終えることが出来た……。

 

「……すげぇな。どういう原理だ。義手や鎧まで直ってやがるぞ……?」

 

「もとは霊体だから、魔力とエーテル塊さえあればなんとか治るのよ。実体のある真性生物には、こんな治療は逆に毒になるわ。――――はぁ。疲れた。もしも半霊体、半実体の存在を相手にしたこの霊媒医療が予想と違っていたら、どうなっていたことやら……」

 

「……? おい、その言い分だと、もしかしてオレのこの体をどう治せばいいのかも分かってなかったのか? それで、そのまま治療を?」

 

「そんなの当然でしょ。サーヴァントなら魔力を送るだけで大体()()……というか()()んだけど、貴方は受肉しているんでしょ? だから()()()()()()()()()()を用いればいいのか、()()()()()()()()()()を行えばいいのか、てんで分からなかったのよ。まぁ答えは()()()()()()だったのだけれど」

 

「へぇ。それでよく治ったな……すげぇぜ。ありがとよ、ソニア」

 

「――――どういたしまして。それじゃあ私、学校に行く支度をするから……」

 

 立ち上がって居間から出ようとする。

 そこで、黒い剣士が呼び止めてきた。

 

「待てよ。朝の定時報告を忘れてるぜ」

 

 その声掛けに黙って振り返る。

 確かに忘れていた。私には彼に頼みたいことがあったのだと。

 

「まず、柳洞寺のアサシン。ありゃ思いのほか強かった。ありゃアサシンというよりセイバーと名乗った方がいいやつだ。まぁ最優という意味には当てはまらなくなるがな」

 

 そんなことは聞くまでもない。既に私は、そのことを知っている。

 彼が、アサシンと引き分けた結末を知っている――――。

 

 ……それでも、あの怪我は予想外だったけど。

 

「それで残念ながら、キャスターには会えなかった。ぶっちゃけアサシンには見逃してもらったと言っていい」

 

「そう、報告ありがと。それじゃあ今日のところは戦闘を避けてちょうだい。実はもう一つお願いがあるのよ。――今日はね、学校で見張りをして欲しいの。それで結界を仕掛けたやつを見つけたら、その結界を解くように交渉してちょうだい。倒しちゃダメよ」

 

「おいおい……最初と最後で矛盾してるぜ、まったく。倒さずに戦えとは、これまた難しいことを……」

 

「やるの? やらないの?」

 

 それから黒い剣士は、自分の体の調子を確かめるように席から立ち上がった。

 そのまま手を振って居間を出ていく。どうやら言うことは聞いてくれるらしい。

 

 私はため息をついて風呂場へ直行する。

 その吐く息は、重い疲れを感じているためだ。

 

 そうして私は、お風呂で気を落ち着かせたあと……いつも通り学校へ登校するのであった。

 

 

 

 放課後。

 なんと今日の私は掃除当番だった。箒とちりとりを手にゴミをかき集める。

 そして、日の本の学校の掃除当番では、主に生徒ふたりによって行なわれる。

 ゆえに私には、相方がいなくてはならない。

 

「よしっ綺麗になったな。それじゃあ机と椅子を元通りにするか」

 

 その相方とは、衛宮士郎である。

 ……うぅ。今朝に見た変な夢のせいで、今日はあまり士郎と一成の顔は見たくなかったのに……。

 少しの抵抗を見せようと顔を俯かせて、ゴミ箱にちりとりの中身を放る。

 

 既に校内に生徒はいなく、夕焼けのみが教室を包んでいた。

 

「それじゃ、さよならソニア。あとは俺がしておくから、先に帰っていてくれよ」

 

「う、うん。分かった。ばいばい……」

 

 別れの挨拶を告げて、そそくさと教室を出る。

 

「……?」

 

 こんな恥を晒す――別に晒した恥は何一つないのだが――ことになるのなら、今日だけは学校に来るんじゃなかった……。

 

「あのさ、ソニア」

 

「なっなに!?」

 

 唐突に背後から士郎に呼び止められる。

 私は振り返らずに背中で答えた。

 

「今日はずっと顔が真っ赤だったけど、風邪なら無理せず休めよ。ほかのやつに移しちまうし、なによりソニア本人の無理はよくない」

 

「……別に、風邪じゃないよ……」

 

「ん、そうだったのか? なら余計な忠告だったかな」

 

「ううん、大丈夫。ありがとう、士郎」

 

 それだけ言って、さっさと教室を出る!

 三階の踊り場まで来て、階段を下りる。

 

 ――――そこでふと、踊り場の上に、誰かの気配があったような気がした。

 チラリと手すりから体を乗り出して、上階を覗いてみる。

 すると、なんとそこには……あの遠坂凛がいた。

 

「……なぁに? ソニア」

 

 ……いや、なぁに? だなんて可愛く言われても、そりゃ目を見張りますよ。

 なんだって凛は魔術回路を励起させて、魔術刻印を光らせているのですかと?

 

「ねぇソニア。これから起こることは黙ってなさい。あなたは聖杯戦争とは関係のない、ただの部外者なんですからねぇ」

 

 ……よくわからないけど、とりあえず今の彼女は最っ高に怒っている。これは触らぬ神に祟りなしだろう。遠坂凛様の満面の笑顔を見た瞬間、私は夢の中で凛にあれこれされたことは全部帳消しにして、さっさと家に遁走してもいいくらいの出来上がりっぷりだと感じた。

 

 ――それでも一応、私は訊かなければならない。

 

「ねぇ凛。今、貴女は誰と戦おうとしているの?」

 

「訳も聞かないで、って言っても聞かないわよね。話せば大人しく帰ってくれる?」

 

 黙って頷いて、続きを促す。

 

「実はね、うちの学校にマスターがいたのよ。私以外のね。で、私たちは敵同士なんだから殺されたくなくば家に閉じこもって生き残る道を探せと忠告したのだけれど、あの馬鹿、暢気に朝、()()()()()()、ですって……殺意を通り過ぎて殺してやりたくなったわ……」

 

 ……凛。別にそれは通り越してないよ。それは充分立派な殺意です。

 

「ほら、私はこのままあいつを待ち構えるから、あなた邪魔なの。さっさと帰りなさい」

 

「……分かった。ちなみに本当に殺すつもりはないのよね?」

 

「ないわよ。頭ぶち抜いて記憶なくして全部元通り!」

 

 う~ん。頭ぶち抜くのかぁ……凛は一体、どんな魔術を使うつもりなんだろう?

 それから私は大人しく帰路に就くため、昇降口より靴を履き替えて外に出た。

 

 ――――チラッと雑木林を垣間見る。木立の裏には、黒い剣士が座り込んでいるのが見えた。

 まったく、もう少しバレないように隠れなさいよ。不審者扱いでもされたらどうするの、もう……。

 

 そのまま弓道場のそばを通り過ぎて、校門へ向かう。

 ――と、見せかけて、私は踵を返した。

 

 私は昇降口ではなく、校庭に赴く。

 窓から教室の中がよく見える。角度によっては、教室の扉や廊下も少しだけ見えた。

 

 ……三階にある二年C組の教室から、一人の人影が廊下に出る。そのまま廊下を渡って踊り場へ向かう。そろそろ四階に繋がる踊り場で、待ち構えていた凛と鉢合わせた頃か。

 

「なるほど……この状況はまずいわね……」

 

 私は選択を迫られていた。やっぱり外なんかに出るんじゃなかった。

 もしこれから私が選んだ道が間違っていたとしたら、それで私の計算は全て水の泡になる。

 それでも世界は、私にゆっくりと選ばせる時間さえくれなかった。

 

 ――魔術戦が、始まった。

 

 なんだか私の知ってるガンドじゃないガンドを乱射して、凛は士郎を追い詰めていく。

 廊下に飛び退いた士郎は、そのまま反対側の階段まで全力疾走していく。

 

 ――私は、何をすればいい……?

 

 反対側の踊り場に辿り着いた士郎。そこで姿を見失う。

 はたして士郎は、無事に一階まで逃げ切れたのだろうか。と思ったら、今度は二階で容赦のないガンド撃ちが放たれた。

 士郎はまた廊下を疾走して、やがて三年の教室へ飛び込む。

 

「……バカね」

 

 自ら退路を絶った士郎。だが、あのまま廊下を走り続けていても、早くにやられていただろう。

 教室に防音の結界を張る凛。魔術回路の励起がここからでも感じ取れた。

 

「――――――――」

 

 それは、私がここから魔術を行使しても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――」

 

 選択を迫られる。

 一の道を思いつけば二の道を思いつく。

 やがて道は十に分かれ、百に分岐し、一千に届いた。

 思考を分割してもなお、あまりある選択肢の数々。

 道は一万に増えゆき、森羅万象、事の成り行きは、まさに神のみぞ知る一億を優に超え、一兆を跨いだ。

 

「…………」

 

 これだけの道をどう選ぶ。

 どうせ迷うのなら、迷った末に選んでも後悔するのは目に見えている。

 ならば選ぶのはやめて、心の赴くままに動いたほうが何倍もいい。

 私は京に膨らんだ道を破却する。

 

「……はぁ。決めた。私が凛についても不公平だもの。手を貸すのなら士郎ね」

 

 無論、見て見ぬふりも出来た。だが、どうしても放っておけなかったのだから仕方がない。

 おそらくこれも未来を思い出す流れの中に組み込まれているはずだと信じて、私は駆け出した。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「くそっ。あいつ本当に殺す気じゃないか……!」

 

 上階での鬼ごっこの末、二階に降りて三年の教室に飛び込んでから、強い魔術の発動を全身で感じ取った。机を倒して強化の魔術を施す。部屋全体に結界が張られた。

 次に来るのは決まっている。あの馬鹿げた威力を持つガンドだ!

 

「ぐっぅぅ……!!」

 

 教室全体が魔弾の嵐に晒された。机は吹っ飛び、椅子は粉々。

 なんとか自分の身を守ってくれた机は無事だったが、教室には白煙がむしてきて、燻り出しまでしてきやがった。

 

「くそっ俺は諦めないぞ。ここは二階だ。窓から飛び降りてもまだ大丈夫……」

 

 ガン、と肩をぶつけて窓を叩き割ろうとしたが、予想外に硬かった。

 というか反発されたですとぉ――!?

 

「防音の結界だけじゃなく、獲物を逃がさないようにも出来ているとか……こりゃ詰めか」

 

 まったく。なんだって俺がこんな目に……遠坂とは組まなかったけど、別に敵対するつもりはないって前もって言ったんだけどなぁ……?

 このまま教室の外にホイホイ出ていくのが、なんか負けを認めたみたいで嫌だったので、あぐらをかいて思索に耽る。

 

「ちょっと、さっさと出てきなさいよ! もう詰めだって分かってんでしょ! あんたそんなに負けず嫌いなの? 楽にしてあげるからさっさと出てきなさいぶち殺すわよ!」

 

 ……今のは聞かなかったことにしよう。あの遠坂凛が言うようなセリフじゃない。

 あれはきっと別人。きっとあかいあくまなんだ。

 

「……ごほっ、げほっ!」

 

 まずい。煙が喉にッ……姿勢を低くはしているが、そろそろ限界か……。

 

「いや、まだだ。トレース・オン――」

 

 教室に張られた結界の構造を解析する。

 どこかに穴があるとも思えないが、それでも、もしかしたら、うっかり穴が空いてあったりするかもしれない……。

 いや、やっぱり強化の魔術を使って即席の武器を作り、大人しく遠坂と対峙していたほうが良かったかな。

 一応これ、最後の魔力だったわけだし……。

 いやいや、ここまできてやっちまったんだ。一度選んだ選択は、二度は振り返らない。

 

 ――構造解析。結界は万全に張られている。

 

「やっぱりな、無駄な魔術というか解析をしちまっ……」

 

 ――って、待て。ある。あるぞ、これ!

 教室の廊下の反対側。校庭に通じる窓際の端だけ、何故か四角く切り取られたかのように()()()()()()()()()――――!

 

「……ん? ()()()()()()? なんで俺は、そんなことを思ったんだろう」

 

 冷静に考えて、これは遠坂の魔術が失敗したと見るべきだ。

 仮に誰かが助けてくれたとしても、人の結界を破って気付かれないことなんてありえないし、なにより遠坂がすっ飛んでくる。

 さらに()()とは言ったが、俺を助けてくれる魔術師なんているはずがないんだから。

 

「……あいつ、案外うっかりさんなんだな」

 

 まぁ、そのくらい可愛げのあるところがないと、俺の破壊された憧れの遠坂凛像が蘇ることはない。

 このまま結界の張られていない窓を、こうガラッと開けて、脚から外に……。

 

「よい、しょっと」

 

 壁の少しのくぼみに手を乗せて、バランスを取りながら飛び降りる――!

 

「ってあぁ! しまった! 窓閉めてくればよかった!」

 

 飛び降りた直後に気がついたが、もうこうなったら校門まで全力疾走して、商店街に寄って買い物を済ませて堂々と家に帰ってやる。別に今すぐ家に帰ったら遠坂が襲撃しに来てくるから遅めに帰ろうとか、そんなことは決して――――

 

「――ほっ!」

 

 足から地面に着地、前転して衝撃を和らげながら怪我なく着地に成功する。

 日頃から鍛えていたおかげだ。そのまま間髪入れずにクラウチングスタートを切って、校門まで駆け出す。坂を全力で降りたら、交差点を曲がって商店街へ直行だ。

 

 ――よし、遠坂の裏をかいてやったぞ!

 

 

 

   ◇

 

 

 

「――――ちょっと、ねぇ、いつまで閉じこもっているつもりなのよー! 篭城戦をするってんなら、こっちにだって考えがあるんだからねー!」

 

 教室をガンドで爆撃してから、未だに出てくる気配のない士郎。

 わたしは段々とそれにイラついてきたので、宝石を取り出して、最後のいぶり出しを行なうことにした。

 青い宝石を投げ入れる。これを喰らったものは脳を揺さぶられて昏倒する。

 

 ――閃光が走った。

 てっきり教室の戸を破って廊下へ転がり込んでくるものと踏んでいたんだけど、それもなかった。

 

「……うん? 士郎? まさか、さっきのガンドで本当に死んじゃってたりぃ……?」

 

 そう思うと、サァっと血の気が引いてきた。

 だっ大丈夫よ。一応、手加減はしていたのだもの……い、いえ、でも、やっぱり、頭に血が上っていちゃったりして、手加減できてなかったのかしらぁ……?

 

「士郎? ねぇ、士郎? 返事して……返事してよ?」

 

 恐る恐る教室の戸に手をかける。

 

 ――ふと、直感が走った。

 まさかわたしをここまでおびき寄せて、戸を開ける瞬間にぶち破ってくるつもりなのではないか……!

 

「ふぅ。危なかった。士郎! そんなのに騙されないからねー! いいからさっさと出てきなさいよ。もしかして拗ねてんのー? へっぽこなあんたが、わたしに魔術戦で勝てるわけないでしょうに」

 

 ……返事がない。どうやら中は無人のようだ。

 

「――士郎!」

 

 我慢ならず戸を開く。

 目に飛び込んできた教室の中は、本当に無人だった。ただひとつの机を残して、ほかの器具は壊れ果てている。

 さらに白煙で包まれていたはずの教室は、煙なんて一つもなかった。まさに煙に巻いて逃げた逃亡者のように……?

 

「――あれ。なんで、窓が開いているのよ……」

 

 嘘だ。そんなのはありえない。あいつが結界を解いて、教室の隅に開けてある窓から逃げ出したとでも?

 

「最初から窓が開いていたとか? いいえ、それでもありえない。たとえ開けっ放しでも結界は確実に教室全体を覆っていた。ネズミ一匹逃げ出せないはずなのに……」

 

 自分が張った結界を再確認する。

 すると、士郎が逃げ出したと思しき窓の部分だけ、綺麗に四角く切り取られていた。

 人間ひとり分が逃げ出せる程度の大きさに……。

 

「……あいつ。こんな魔術を隠していたっていうの?」

 

 否、それはありえない。

 何度も言うが、人の結界を弄って、術者本人に気付かれずに突破する魔術師なんて、私の知る限り一人しかいない。

 それに士郎が嘘をつくはずはないから、強化の魔術しか使えないというのは本当だろう。

 

 ……あれ、待てよ? 私の知る限り、一人しかいないって……。

 

 

 

「――――――――、…………あぁ~いぃ~つぅ~~~~~~っ!」

 

 

 

 腹が煮えくり返る思いだった。

 あれだけこっちのことには関わるなと、あれほど言っておいたのにぃ……!

 

「あんの神秘強盗ぉ! 次会ったらタダじゃおかないんだからねー! あんたの仕業だってのは分かってんのよソニア! 今すぐここに出てきなさい! ここで決着をつけてやるんだからわりゃゃあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 口から火を吹いて怪獣になる。

 あぁ、完全に出し抜かれた。この様子だと士郎はもう交差点のところか。

 

「――アーチャーァアア!」

 

(うぉっ、なんだね突然、凛。いきなり念話で叫ぶのはやめてくれたまえ。心臓に悪いぞ)

 

「今夜……攻めるわ」

 

(なに? それはもしやキャスターの件か?)

 

「えぇそうよ。腹いせにね」

 

(腹いせ? ……まぁ、君に何があったのかは聞くまでもない。マスターがやる気になってくれて、サーヴァントとしては頼もしいだけだ。では、今夜は新都にてキャスターと)

 

「えぇ。昏睡事件のことも放っておけないしね。頼むわアーチャー」

 

(了解した。だが、何があったのかは知らんが、あまり頭に血が上らないようにな、マスター)

 

 念話を遮断する。

 

「ふぅ。そうね、アーチャーの言う通りだわ。今回は私の負け。それだけよ。それに、今回のことであいつも次会ったら命はないって分かっただろうし……のこのこと学校に来ることも、もうなくなるでしょ!」

 

 だったら世は事もなし。

 今日のところは早めに帰って、アーチャーと新都に繰り出さなくちゃ!

 

 

 

   ◇

 

 ――時はほんの少し遡り――

 

 

 

 橙色に染まった雑木林。

 学校の裏手にあるその林で、オレはマスターの指示通り、見張りに徹していた。

 

「…………」

 

 首筋の烙印が疼く。近くにサーヴァントがいる。

 手を背にある大剣の柄にかぶせて立ち上がる。

 すぐ近くまで接近しているのは首筋の痛みからわかるが、場所を掴めない。

 

「まさか気配遮断……?」

 

 アサシンが山門から降りてきたってのか?

 だが、それにしては少し妙だ。

 

「……なるほど、そういうことか。こりゃあ、単純に忍び歩きが得意なだけのサーヴァントだな。反対に、どうやら隠れんぼはあまり得意じゃないようで――ッ!」

 

 振り返って、今まで背を預けていた木立をぶった切る!

 

「――ッ!」

 

 頭上から飛び退り、距離をとって着地する紫色の女。

 ――ライダーのサーヴァントだ。

 

「…………」

 

「そのバイザー。何か裏がありそうだな」

 

「……貴方こそ。その鉄の塊、ただの剣じゃありませんね。どうやら私の天敵なようで」

 

「そんなことバラしてもいいのか?」

 

「言わなくても、貴方なら疾うに分かっていたでしょうに……」

 

 大剣を構えてライダーを見据える。

 相手は深く腰を落として、今にも飛びかかって来そうな気迫だった。

 

 こいつの言う通り、オレの大剣には魔物や魔性に対する特攻がある。

 反英雄……というよりかは、怪物や死徒――あるいは使徒の類には効果覿面(てきめん)の宝具だ。

 さらにこの大剣には竜特攻もあるだとか、よく分からないもんも追加されているがな……。

 

 しばらく膠着状態が続く。

 どうやら相手は痺れを切らさず待ち構えているようだ。だったら望み通り!

 

「――!」

 

 大剣を担いで駆け出す。

 すると、ライダーは後方に飛び退って、林の中を疾駆し始めた。

 地を這い木を登り、いつの間にか背後を取る。その空中殺法は、とんでもなく素早かった。

 

「ハァ――ッ!」

 

 ライダーを捉えた瞬間、大剣を横薙ぎに奮う。

 だが、そのどれもが空振りで、ライダーはギリギリ、オレの懐には入ってこなかった。

 ……今の攻撃で間合いを見切られたか。なかなか賢い女だ。一体どんな英霊なんだか……。

 

「だが、甘いな」

 

 奇襲のつもりなのか、頭上から短剣をむき出しにして襲い来るライダー。

 しかし、そのスピードは先程よりも落ちているようだった。

 大剣を天高く掲げ、一歩身を引く。

 

「――ッ!?」

 

 それだけで獲物は、勝手にオレの前に落ちてきた。

 

「どうやら出力不足らしいな、ライダー!」

 

 そのまま大剣を片手で振り抜く。

 ギリギリで後退するライダーだったが、その腰は容易く切り裂かれた。

 

「ぐっ――ふ……ぁ!」

 

 地面を転がりつつも体勢を整えて退避していくライダー。

 どうやら尻尾を丸めたらしい。

 

「ふん……結界を仕掛けたやつなのかどうか、聞きそびれちまったぜ」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――くそっ。なんだよ、なんなんだよアイツ! こんなの聞いてないぞ!

 

 ライダーからは、郊外の森には大英雄がいると聞いていた。

 柳洞寺には魔女と門番がいるとも聞いていた。

 町には神出鬼没のランサーもいて、セイバーとアーチャーの野郎が手を組んでいるともライダーから聞かされていた!

 

 聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは、全部で七騎じゃなかったのか?

 

「なんだよアイツ。どうなってんだよこれは! ライダーのやつも簡単にやられやがって……マスターに恥をかかせるなよなもう!」

 

 黒い剣士から離れて、身を隠しながら癇癪を起こす。

 ――そこでふと、見知った友人が全力疾走で校庭を横切り、校門から出ていくのを目撃した。

 

 ……あれは、衛宮だ。衛宮士郎だ。

 たしかあいつ、校内で遠坂のやつと戦っていたはずじゃあ……?

 

 

 

 ――――僕は今日、学校には出席しなかったが、それでもライダーを連れて、近くにまでは足を運んでいた。だって学校には遠坂のほかにマスターがいるみたいだったし、のこのこと登校するだなんてリスキーなことは馬鹿のすることだと知っていたからだ。

 そしてライダーには、バーサーカーと戦闘をしていたというセイバーのマスターを探してもらった。そしたらすぐに見つかったよ。ライダーは衛宮を見て指を差した。

 はっきりと「あの赤毛の少年です」とね――――

 

 

 

 だからてっきり、僕はあいつらが手を組んでいると思っていた。そうじゃなきゃ、互いにマスターだと知った上で顔を合わせるなんてことをするはずがなかったからだ。

 それでも様子を見ているうちに、それが間違いだと気が付いた。人っ子ひとりいなくなったら、あいつら校舎の中だっていうのに、ドッカンバッカンと怖いことを始めやがったんだから。

 

 それで検討が付いた。

 衛宮のやつ、きっと遠坂に振られちまったんだと!

 

 ……あぁあぁ。僕はね、衛宮。おまえが魔術師だと知って、僕のプライドはズタボロになったんだよ。僕に持っていないものをおまえは持っていた。僕にはそれが気に食わなかった。けれど、まぁ真の魔術師である遠坂のお眼鏡に叶わなかったってことは、おまえもそんな大したことないんだろう?

 

 実は僕もそうなんだよ。悔しいけど、遠坂に振られちまったんだ。興味ないってはっきりとな!

 はぁ、仕方ないなぁ衛宮のやつは。きっと落ち込んでいるだろうから、ちょっと声でもかけてやるか。

 ……それにしても衛宮のやつ、ようやく女遊びってのを覚えたのか。やるじゃん、あいつ。

 

「――ふぅ。おいライダー。いつまで黙っているんだ。もう動けるんなら帰るぞ!」

 

「…………」

 

 黒い剣士の様子を窺って、その場から立ち去る。

 

 ――よぉし。明日の方針は決まったぞ。遠坂のやつをギャフンと言わせてやる!

 

 

 

   ◇

 

 

 

 商店街。

 茜色の夕焼けに染まったそこは、学校帰りの子供たちや主婦でいっぱいだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……っと」

 

 走り疲れた俺は、ポッケから財布を取り出して中身を確認する。

 ……良かった。ポケットは破れてないし、財布もあるし、ばっちりと大金三万円が入っている。

 

「これで空っぽの冷蔵庫を温めてやりますかっ」

 

 息を整えてから、慣れ親しんだ商店街を周る。

 ここなら、もし遠坂と遭遇しても心臓が一瞬止まるだけで、向こうも下手には出来ないだろう。

 

 

 

 それから小一時間かけて、買い物袋が両手にいっぱいとなった。

 確か朝食はあまりのものと食パン一斤で済ませたけど、案外セイバーには好評だったっけ。やっぱり西洋の英雄らしいから、西洋風の料理の方が良いんだろうか。まぁ、あの美味しそうに食べる顔がまた見られるのなら、洋食も考えてみるか。

 

「さて……帰るか」

 

 一歩足を前に踏み出したが、何故か体が動かない。

 というよりも、後ろから裾を引っ張られているような……?

 

 ――振り返るか検討する。

 もし、そこで遠坂の顔でも拝んでしまったら、俺は思わず自制が効かないまま飛び退いて、転んで卵を割ってしまうかもしれない。

 セイバーの朝食を、割ってしまうかもしれない……。

 

 おそるおそると背後に振り返る。

 ……しかし、目の前には誰もいなかった。

 

「なんだ。気のせいか」

 

 前方に振り返って、再度帰路に就こうとする。

 ――――はて、体が動かない?

 

「……下っ……」

 

「……下……?」

 

 言われた通りに振り返って、それから下を見る。

 

 ――――するとなんとそこにはあらびっくり。

 俺の半身を彼方にぶっ飛ばしたバーサーカーのマスターが、俺の服を掴んでおいでですかそうですかってなんでぇえええ!?

 

「うわわわわっおいおまえ離せよ!」

 

「なっなによ、急に暴れないでよ――――きゃっ」

 

 どてっと尻餅をつく銀髪の少女。

 ……やっちまった。

 周囲からの視線が痛いのなんの前に、俺を睨みつけるバーサーカーのマスターの視線で射抜かれ死ぬ殺される。

 

「…………」

 

「…………」

 

 気まずい。

 

「……ちょっと。レディが転んだのだけれど」

 

「あっあぁ、悪い、悪かった……」

 

 買い物袋を下ろして、銀髪の少女イリヤの手を取り引っ張り上げる。

 

「ありがと。でも、そんなに驚かしちゃった?」

 

 服についた汚れを、ぱんぱんと払いながらイリヤは言う。

 

「そ、そりゃあな。あと、言っとくけどな。俺、おまえのバーサーカーに一度殺されたんだぞ? それなのに普通の反応を期待されてもらっても、その、俺が困る」

 

「そうね、確かに。でも私も困ったわ。お兄ちゃんがバカみたいに突っ込んで来るんだもの。死んじゃったかと思ってた。……でも、生きてた。それは良かったと思うわ」

 

 にっこりとイリヤは、()()()()()()()()()()()と、そう本気で言ってのけた。

 ……俺にはわからなかった。

 

 ――――彼女は、俺の親父に裏切られた。だから彼女は俺を殺そうとしてきた。なのに俺が生きていたことが嬉しいと?

 どういうことなのだろう。

 もしかして俺を何回でも殺せるから嬉しいとか、そんな無邪気に羽虫を殺す無垢な子供だったりするのだろうか?

 いや、ありえる。イノセントマーダーなこやつなら、きっとありえるやもしれぬ……。

 

「……なによ。そんなに人のことジロジロ見て……」

 

「いや、俺が生きてて嬉しいっていう()()()の言い分が、よく分からなくてだな……」

 

「――――え?」

 

 途端、天地がひっくり返ったかのように仰天したイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 俺はこの少女が何に驚いたのか、皆目検討がつかなかった。

 

「……なんで、その呼び方、知ってるの? わたしの、名前……」

 

 ――――あっ。

 

「あっ、ちょっ、わるっ、ごめんっ! 間違えた! たしか外国(ロシア)の方では、気安く略称で呼んじゃダメなんだろ? なんでも家族や恋人しか使っちゃいけない名前があるとかで……だからすまん! 失念していた、謝る!」

 

 ここで戦闘になるのは避けたい。

 土下座も辞さない勢いで誠心誠意、頭を下げる!

 

「……別に、そんなご機嫌取りみたいなこと、しなくていい。それにわたし、ロシアの方じゃないし。逆にむかつく。……だから、お兄ちゃんの名前も教えて」

 

 ――――はて? 予想外の返答が返ってきたぞ?

 

 だが、それで許されるのなら教えたい。

 それにもしかしたらこの子、実は良い子なのかもしれないし。

 

「衛宮、士郎。気軽に士郎って呼んでくれ」

 

「シ、ロウ……シロウ? ……分かった、そう呼ぶ! だからシロウも、わたしのことはイリヤって呼んでね!」

 

 今度もまたにっこりと微笑んで、俺の腕を掴んで抱きついてくるイリヤ。

 なんだか奇妙なことになってきたけど、俺は買い物袋を手に、このまま家には帰れなくなっていた。

 

 ――少しでもこの少女と話をしたいと、そう思ってしまったんだ。

 

 

 

 それから俺とイリヤは、公園のベンチに座って色んなことを話した。

 マスターは明るいうちに戦ってはならないとか、なんでか俺と話をするために城から抜け出してきたとか。

 そして――城って、あのお城の事を指しているのだろうか。もしやイリヤは、まじもののお姫様なのかしら……?

 

 

 

 そんな話を小一時間し続けて、日も暮れてきた頃。

 

「…………」

 

 話が止まり、何やらもじもじとし出すイリヤ。公園の時計をしきりに確認して、時間を気にしているようだった。どうやら、もう帰る時間だというのが言いにくいのだろう。

 子供ならもっと遊んでいたいだろうし、ここは年長者として後押ししてやりますか。

 

「なぁイリヤ。そろそろ暗くなってきたし、お開きにするってのはどうだ?」

 

「え? あ……うん」

 

 ……今にも泣きそうな顔で頷くイリヤ。

 俺はそれだけで、もはや何をどうしたらいいのか判らなかった。

 

「……そろそろバーサーカーが起きちゃうから、帰るね」

 

「あ、あぁ……」

 

 それで分かった。もしかしなくてもイリヤは寂しそうにしているのだと。

 かと言って、これ以上話をし続けていたら夜になってしまうし、卵が腐ってしまう。

 

 そこで思い付いた。

 そういえば今までの会話の中で、俺からイリヤに質問をしたことがなかった。最後にひとつだけ質問してみてもいいだろうと思ったが、肝心の質問がまったくもって思い浮かばない……。

 

「ねぇシロウ……」

 

「なぁイリヤ……」

 

 ――――声がかぶった。

 

「なに、シロウから言って」

 

「あ、いや、イリヤも遠慮しなくていいぞ」

 

 ……暫しの沈黙。

 互いにベンチから立ったというのに、公園から立ち去るのでもなく、また座り直すのでもなく、相対し続ける。

 

 ……このまま日が暮れたら、即マスター戦とかにならないだろうか……。

 互いに相手の出方を待って様子を窺う。

 まさかこれが殺し合いじゃなくって、単純にどっちから話すべきか迷っているのだと思うと、なんだか笑いがこみ上げてきた。

 

「――キリ……」

 

「ん? すまんイリヤ。今なんて言った?」

 

「…………」

 

 唐突に口を開いたイリヤだが、すぐに押し黙ってしまう。

 それでも先に口を開いたのはイリヤだ。あとは根気強く待ってやる。

 

 ……冷たい風が吹く。

 日は落ち、空は陰り、電灯が点き始めた。

 

「ねぇ、シロウ。…………いま、キリツグって、どうしてる?」

 

「――――――――」

 

 それは、予想できていた質問だった。

 だから、その問いへの回答は、既に決めていた。

 

「……死んだよ、五年前に」

 

 簡潔に、容赦なく。

 お前が復讐する相手はもういないのだと、そう口にした。

 

 目の前でこわばる表情。銀の髪が揺れる。

 あぁ、もう少し言葉を選べば良かった。

 

 その、今にも泣きそうで、悲しそうな顔を見て、俺が切嗣の代わりになれば、もしかしたらこの少女はこんな顔をすることはなかったんじゃないかーなんて、そんな馬鹿なことを一瞬でも考えてしまった。

 だけど、それは許されることではない。

 俺は切嗣の代わりになんてなれないし、復讐されるつもりなんて毛頭ない。

 

 それでも――――

 

「……」

 

 何も言わずに振り返り、俺の前から去りゆくその姿を――――

 

「なぁイリヤ。明日もここで、話さないか」

 

 ――――見捨てておけなくて、呼び止めた。

 それの意味するところがなんであるかなんてどうでもいい。

 

「え――?」

 

「明日が無理なら明後日、それが無理でも、イリヤが来てくれるなら、俺はこの公園で待ってる」

 

 ただ今日みたいに、なんてことはない話をしようと、そう言った。

 

「イリヤはいやか?」

 

「……別に。ただ、シロウはどうなの?」

 

「どうって、話したくないんなら誘わないだろ?」

 

「……分かった。気が向いたら、また来るね?」

 

「そうか――良かった」

 

 このまま終わりで、あとは殺し合いしか待っていないだなんて、そんなのは嫌だった。

 単純に俺はイリヤのことが、このほんの一時間程度で好きになっていたのかもしれない。

 

 殺されかけてそう思うだなんて、なんだか内心狂ってるなと思わなくもないけど、無垢で純真で何も知らない少女が、聖杯戦争でマスターとして育てられたなんていうのが、俺には我慢ならないこともあったのかもしれない。

 だからせめて、こうやって公園で聖杯戦争もマスターもサーヴァントも忘れて、ただ語らうことが出来たら。

 

 少しでも、この子を笑わせることが出来たら――――

 

「ばいばいシロウ。またあした」

 

「あぁ、また明日。イリヤ」

 

 手を振ってイリヤを見送る。くるくると踊りながら走り去っていった銀髪の妖精。

 けれど途中で振り返って、大声で次のようなことを言ってきた。

 

「だけど忘れないでねー! キリツグはもういないけど、わたしの目的はシロウを殺す事なのは、くつがえらないんだからねー!」

 

「がくっ」

 

 そんな物騒なことを大声で言うんじゃないっての……!

 

 

 

 それから家路に就き、時刻は五時過ぎとなっていた。

 出迎えてきたセイバーに「悪い。遅くなった」と伝えて、早速夕飯の支度に取り掛かる。

 一応、学校帰りに買い物を済ませてくると伝えておいたおかげで、セイバーからとやかく言われることはなかった。

 だけど内心では、俺が一人で学校に行くことを今でも不満がっているようだった。

 

「まぁそれも美味い飯で手打ちってことで……ってのは無理だよな」

 

 手早く調理を済ませて食卓に夕飯を並べていく。

 

 

 

 しばらくして桜と藤ねえが帰宅してきて、すぐに夕食が始まった。

 

『いただきます』

 

「なぁ藤ねえ。今日も泊まっていくのか?」

 

 食事の片手間、気になった事を訊いてみた。

 

「うん。そりゃあもちろん。桜ちゃんもそうだよね?」

 

「あっ、はい。藤村先生が家に許可を取ってくれたので、私はそれで……」

 

 なるほど。

 まぁ桜も藤ねえも昨夜の泊まりでセイバーと随分仲良くなったみたいだし、それならそれで文句はないんだが……。

 

 ふと、セイバーが俺に視線を向けている事に気が付く。チラリと目を合わせただけで、セイバーの心配の色が見て取れた。

 そうだ。俺は今、セイバーというサーヴァントと聖杯戦争に参加しているのだ。

 出来れば関係のない藤ねえや桜を家に泊まらせたくない。

 

 ――それでも仕方ない。

 

 セイバーに視線を送って了解を取る。

 流石のセイバーも藤ねえの頑固さは理解していたのか、諦め気味に目を伏せた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 柳洞寺の境内にて、私はとっても苛立っていた。

 

「……アーチャーの、マスターぁ!」

 

 数刻前からだ。

 境内から見える都市の範囲すべてを覆い尽くす糸を張り巡らして、人々から生気を半分吸い取る吸引の網が、数刻前からアーチャーの手によって切断され続けている。

 それもすぐに新しい糸を送り出せば済むものの、こう何度も邪魔されては満足に魔力集めもできやしない。

 

「……はぁ、落ち着きなさい。これは罠。私をおびき出す罠なのよ」

 

 そう自分に言い聞かせて興奮を抑える。

 けれど次の瞬間、アーチャーの矢によって一気に数百本もの糸が切られた。

 これは新都に張った糸の七割方を切られたということだ。

 

「きゃ!」

 

 さらに魔力を送り込まれて、逆流してきたアーチャーの魔力と私の魔力がぶつかり合う。

 魔力の糸口だった指先が弾けて、熱くヒリヒリしてとっても痛い……。

 

「ぐっぅぅ。……も、もう我慢なりません! その挑戦、受けて立ちましょう」

 

 身体を紫の蝶に四散させ、空を飛び新都へ赴く。

 それからビルの屋上で弓を構えているアーチャーの頭上に、堂々と現れてやった。

 

「ほう。ようやくご登場か、キャスター。待ちくたびれたぞ」

 

「アーチャー。これは一体どういう了見かしら? 人の縄張りを荒らしに荒らして」

 

「貴様に取る了見なんてどこにもないだろう。縄張りだという点も、私が何のために荒らしたのかが分からない君ではあるまい? キャスター」

 

「無論。そんな事は分かっています。けれど奇妙なものね。弓兵が誘いを掛けて正面切ろうだなんて」

 

「それは君も同じだろう、魔術師(キャスター)。堂々と私の射程圏内に入るとは、いい度胸だ!」

 

 高速で射出される三本の矢。迫り来るそれを、私は片手を前にかざしただけでいなした。

 矢避けの術式を組み込んだ円形の結界を張り、矢はあらぬ方向に飛んでいく。

 

「面倒な結界だ」

 

 そう言って弓をしまい込むアーチャー。

 

「あら、どうしたの? 弓兵が弓を捨てて、いったい何をするつもりなのかしら?」

 

「なぁに。弓を取るだけが弓兵の仕事ではない。中にはこういう遣い手もいるだろうさ!」

 

 そうしてアーチャーは何かを呟いた。

 

「――――・――」

 

 それから両手に現れたのは黒白の双剣。

 同時に跳躍して急接近してくるアーチャーを魔弾の砲撃で撃ち落とす!

 

「ハァッ――!」

 

 しかし、その砲撃をアーチャーは双剣で捌いた。面倒な対魔力だこと。

 近付かれないようにビルの合間を縫って飛行し、距離を取る。

 アーチャーの方はいつの間にか弓に持ち替えていて、懲りずに矢を放ってきた。

 それを結界で弾き、一進一退の攻防を繰り返す。

 

 正直、陣地作成によって神殿と化した柳洞寺での戦闘ならまだしも、そこ以外での戦闘は全く以て不利である。

 溜め込んだ魔力は数あれど、それは柳洞寺を倉庫としているため、今の私には出力というものがあまりに足りない。

 

 それでもアーチャーの攻撃を受け止め続けられる魔力はある。

 ただ、こちらからの攻撃手段がないという話で、こればっかりはどうしようもない事実。

 

「どうしたキャスター、逃げてばかりか!」

 

 次々と増殖して威力を増してくる矢の嵐。軌道を変えてくる矢なんて見た事……あったかもしれないけど、こっちも結界を二つ三つと、あるいは極大化させて、レーザー光線じみた攻撃から身を守り続ける。

 だけど負けてばかりというのも癪に障る。よって、一度だけ精一杯の砲弾を撃ち込んで、それで退散すると決めた。

 背後に数十もの結界を展開する。それはこれから放つ魔弾の砲身。

 

「――――!」

 

 追撃を止め、その場に留まるアーチャー。

 後退しないことから私の砲撃を受け切れると踏んでいるのか。

 それが無謀だったことを思い知らせてあげましょう……!

 

「全魔弾連続掃射――――ヘカティック・グライアー!!」

 

 五十七もの追尾魔弾を連続して撃ち込み、アーチャーに襲いかかる凶弾の雨。

 アーチャーの周囲が魔力の渦に包まれる。それを見届けることなぞせず、私は柳洞寺へ撤退した。

 

 ――ひらひらと蝶のように舞い降りる。

 

 おそらくアーチャーは無傷。こちらは無駄に魔力を消費しただけ。

 それでも損しかなかったわけではなく、アーチャー側は新都に張った網を切るような邪魔はもうせず、大人しく消えてくれた。

 

「ふぅ……まったく。害虫退治は疲れるわ」

 

「なんだ、キャスター。虫が出たのか?」

 

「――! 宗一郎様……」

 

 背後から声をかけてきたのは、私のマスターだった。

 

「こんな夜遅くにどうしたのです。もう眠っておられる時間でしょうに」

 

「いや、何か――――虫の声が、聞こえた気がしたのでな」

 

「……虫、ですか?」

 

 一瞬、なんの事か分からなくて答えに窮する。

 

「何も変わりがないのなら、それでいい。邪魔したな、キャスター。それと、見張りを続けるのもいいが、あまり根を詰めぬようにな」

 

「マスター……」

 

 そう言って去っていく、葛木宗一郎という優しい男の人。

 彼は私の、命の恩人。

 十日くらい前にランサーに襲われて逃げ切り、山中を彷徨う中、見るに怪しい女を拾って介抱して、あまつさえ聖杯戦争やサーヴァントという突拍子もないことを信じてくれた莫迦な人。

 

 私は彼のために聖杯を取ると決めている。

 私の願いは故郷に帰ることだったけど、それでも、それに勝るものを見つけられたから。

 だから彼の言う通り、無理をして敗北を喫するなど言語道断。さっきみたいに目に見える餌に釣られて誘いに応じるなど、あってはならないことだった。

 

「……そうね。宗一郎様の言う通り、少し休みましょうか……」

 

 サーヴァントが睡眠を取っても、あまり益になる事はない。

 魔力の消費が抑えられる程度と精神安定剤程度の薬であり、特に必要なものではないのだ。

 

 それでも気を落ち着かせるためなら、確かに有効かも知れない。

 だけどマスターの身を守るには、気を抜くことは許されない。

 

「まぁ、あの門番がいるのなら少しくらいは……信用に足る人物ではないようですけど」

 

 そのままマスターの辿った帰り道をなぞって寺に帰る。寝るなら寝室。そんなの当然のこと。

 

「……ふふっ」

 

 ――あぁ。私はいつから、こんな恥ずかしい女の顔ができるようになったのでしょう?

 

 

 

   ◇

 

 

 

 底は闇。

 腐臭と水気の漂う、醜悪極まりない深淵の地下室。

 小さきものどもが地べたを忙しなく這いずり回っている。

 しかし、儂の目の前には、もう一つ。黒い虫の如き影法師が地べたを這い蹲っていた。

 

「――キ、キキキ」

 

 儂がした事は直截簡明。サーヴァント・アサシンの召喚である。

 柳洞寺を陣地としたキャスターが、どうやってか令呪を手に入れて、山門を触媒にアサシンを召喚した事は疾うに知っておった。

 しかしルール違反による英霊召喚は、亡霊召喚へと格落ちした。

 召喚されたアサシンは、およそ英霊とは呼べない矮小な魂だったのだ。

 然れど、その魂の強さは英霊に引けを取らないものだったかなぞ、儂にはどうでもいいこと。

 

 つまるところアサシンというクラスの枠に召喚された“偽のアサシン”は、その魂の容量があまりに足りず、枠の数割を埋められた程度にしか過ぎなかった。故に儂は残り数割の余った枠に、無理やり“真のアサシン”を割り込ませる形で召喚を完遂した。

 

「キキ、キッ――」

 

 宜しい。こうなる事は目に見えていた。ただ獣の如き吠え声を上げるだけの黒虫。それで良い。

 いくら枠の容量が余っていたところで、一つの席を二つの魂が取り合うなど、最初から無茶な話ではあったのだ。

 ……故にこれから、一つしかない席を奪い合おうではないか。

 

 

 

 ――夜の街を歩く。

 黒虫は儂の影のように這いずってくる。その気配は徐々に消えていった。

 儂を喰らう可能性も考えなくはなかったが、そもそもこの黒虫には魂喰いをするという知性さえ持ち合わせていなかった。

 ならば、ほかのサーヴァントを見せれば、おそらく本能として理解してくれるだろう。

 

 ――アイツをタベレバ、レイキハラはミタサレル――と。

 

 

 

 しかして柳洞寺の山門に辿り着いた。

 黒虫が本当に儂の後を付いてきているのかは、完全に気配を絶っていたために全く分からなかった。

 それでも生まれて初めて見た者を親と思うのは、どの命でも変わらない。

 きっと行儀よく、爺の後を孫のように付いてきている事だろうて。

 

 

 

 そこでふと、目の前に陣羽織を羽織った男を見た気がした。

 が、儂はそれよりも――

 

「今宵の月は、実に晩餐にうってつけよなぁ」

 

                                「――■■ー■ー■――」

 

 ――――鮮血が迸る。

 一瞬、月が血に染まったのかと錯覚した。

 それは見間違いであり、単にあの黒虫の右腕が、偽のアサシンを手荒く平らげただけである。

 

「……遅いのぉ。まぁ待ってやるがの。よく噛むのだぞ。大きくなれば、食べる速度も直に早まってくる」

 

 餌を前に引き裂き噛み砕く黒虫は、徐々にその餌と取って代わった肉体を手に入れていた。

 

「キ――――キキキキキ」

 

 それは最早黒虫などではなく、立派な暗殺者と成っていた。

 月下に嗤う魔神の右腕。

 その遣い手こそ――――ハサン・サッバーハにほかならない。

 

 

 

   /了

 

 

 




 結界破りについて。
 ソニアによる結界魔術の破り方は、例えるなら“水の中に浸したガラスをハサミで切り取る”ようなものである。
 ガラスが結界、水が麻酔属性入りの魔力、ハサミが結界切り取り用の魔術(メス)なら、 既に構築された結界の一部を膨大な麻酔魔力で飽和させることにより、メスを切り込んでも術者に気づかれず、結界を切り取ることができる。
 が、僅かでも注入する魔力量を間違えたり、メスの切り込み方を失敗でもしたら、即座に術者に感知されてしまうため、なかなか集中力と根気のいる作業である。



 イリヤの描写について。
 イリヤの描写が難しい。ドSな小悪魔的要素を前面に押し出し、無垢な少女のところも書くとか、この二面性のバランスが難しい。さらに姉としてクールな態度を取るところとか、一転して無愛想になるところとか、結構、相手や気分によって態度が変わるため、まさに書き手にとってザ・お嬢様。



 真アサシンの宝具について。
「――■■ー■ー■――」
 それはもはや世界の悪意に満たされ、何か別のものへと変質している。
 否、真アサシンそのものが、悪いものに取り憑かれていると言えようか。



 余談。
 聞きかじりの知識だが、イリヤという名前は現実ではロシア語で男性名なのだが、型月におけるイリヤはイリヤスフィールなので、おそらくドイツ出身でドイツ語の女性名なのだろう(そもそもアインツベルンがどこの国いるのか分からないけど。ラインの黄金的にドイツだと思っただけ)。また、現実のロシアでは愛称を呼べるのは親しい人物だけらしい。




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二月五日

 朝。

 黒い剣士が定時報告にやってきた。

 

「昨日の夕刻、学校にライダーが現れた。マスターの姿は見ていない。あと、結界を仕掛けたやつなのかどうかは確認できなかった」

 

 無聊と伝えてくる黒い剣士。

 何かつまらない事でもあったのかしら?

 

「そう……報告、感謝するわ。それじゃあ今日のところは好きにして良いから」

 

 ライダーのマスターの正体は知っている。

 ただ、学校に結界を仕掛けたのが誰なのかが気になって仕方がない。

 状況証拠的には、わざわざ学校に現れたライダーが疑わしい事になるのだけれど……。

 

「……まぁ、その時はその時か」

 

 仮に結界が発動してしまっても、私ならたぶん結界をすり抜けられる。

 さらに昨晩は苦戦を強いられたけど、ライダーのスペックがそれほど高くない事は承知している。

 毎日学校に通っているはずの凛と手を組む事が出来れば、まだ勝負は分からない。

 

「それも昨日の割り込みを土壇場で許してくれればの話だけど……」

 

 さて、それじゃあ今日は学校に行く事は少し遠慮して、クラシック音楽でもつけて一日を爽やかに過ごしましょうか――――と立ち上がったとき、未だに壁に寄りかかっている黒い剣士が目に入った。とっくに部屋を出て行ったものと思っていたけど、なんでまだここにいるのだろう?

 

「……なぁに? バーサーカー。なんでまだここにいるのよ?」

 

「あ? 好きにして良いって言ったのはテメェだろうが」

 

「それは、そうだけど……ここにはなにもないわよ? 休憩したいのなら、そこのソファに座りなさい」

 

 窓際に置かれた一人用の肘掛け椅子を指差して言う。

 しかし黒い剣士は、なぜか食卓を囲む長椅子にどっしりと座り込んだ。

 

「なら、オレはここに座らせてもらうぜ。……と、いうわけで、一つ飯でも奢っちゃくれねぇか? 実は昨日の夕飯でもう金欠になっちまってな。商店街に行っても肉屋のおっちゃんを冷やかす事しかできねぇんだ、これが」

 

 そう言って黒い剣士は、空になった財布を見せつけてくる。

 その言い分に私は、目を白黒させながら呆然とした。

 

「――――そう、だった。サーヴァントは睡眠も食事も必要ないけど、貴方は受肉しているんだから、人並みの生活が必要なんだった……」

 

 考えてみればその通りだ。私は彼を使い魔の戦力としてしか見ていなかったけど、彼は一応、今を生きる人間なのだ。

 受肉とは、単にマスターなしでも現界できる程度の事だとしか頭に残っていなかったけど、彼は私と出会うまでの間に、働いてお金を稼いで、おそらく普通の人とは変わらない生活をしていたのだ。

 

 ――だけど、いや、その前に……この英霊が現代の職場で仕事をする光景が全く思いつかないのは、少し失礼だが突っ込んでおくべき事なのだろうか……?

 

「おいおい、しっかりしてくれよ。オレは確かにサーヴァントだが、半分は受肉してるんだぜ。物を食わなきゃ死ぬし、交通事故に遭っても普通に轢き殺される。ションベンも必要だし、睡眠も取らなきゃ満足に動けないんだぜ? ……まぁ、ある程度は魔力だけでも生きていけるんだがな」

 

 黒い剣士の腹の虫が居間に鳴り響く。

 

「……ほら、テメェ女なんだから飯の一つくらいは作れるだろ。あっ、おかゆは勘弁してくれよ?」

 

「――なっなによそれ! べつに作れますぅ! バカにしないで、そこで待ってなさい! 全く世話の焼ける使い魔なんだから……あと、言っとくけど私、旅料理しか作れないから、簡単なものしかできないと承知しなさい! 例えばポトフとかパスタとか、そんなの!」

 

「上出来だ。鼠を丸呑みにした蛇を食うよりずっと良い」

 

 ……うわぁ。彼が生きていた時代はそういう時代だったの? それともそういう生き方をしていたのかしら?

 まぁ何にせよ、まさか誰かに料理を振る舞う事になるとは思いもしなかった。

 案外これ、初めての経験かも知れない。調理実習を除けば。

 

「……でも、一応お世話にはなっているから、そうね。腕によりをかけて上げましょうか」

 

 きちんとエプロンを着て台所に立つ。

 

「よし」

 

 何故か気合を入れて、私は朝食の支度を始めた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 今日の朝食は白米に味噌汁、焼き魚にきんぴらと定番の品々となっている。

 皆一様に「いただきます」と言って、騒がしい朝食が始まった。

 

 もぐもぐと食事を進める。

 しかし俺は、あまり箸が進んでいない桜が気にかかった。

 

「おい桜、どうした。具合でも悪いのか?」

 

「え、あっいえ、何がでしょうか?」

 

 ……う~ん。どうやら桜、自分自身の顔色があまり優れていない事に気が付いていないご様子で。

 そこで唐突に、横から藤ねえが身を乗り出してきた。

 

「あぁそうそう。そうなのよ~。桜ちゃん昨日、苦しそうに胸を押さえていたじゃない? あれ、大丈夫だったの? ちょっとおでこ見せてねー」

 

 桜の額に手をつけた藤ねえは、一転してふざけた顔から真面目な顔に切り替わる。

 

「う~ん。まだ微熱かな~? でも、このままだともっと熱くなりそうかな~?」

 

「なんだって?」

 

 途端、朝食は別の意味で慌ただしくなった。

 

「桜、ちょっと顔をこっちに向けろ」

 

「えっ、あっ、せ、先輩!?」

 

 桜の額に触れる。

 確かに少し熱い程度だが、桜の顔色は微熱なんて生易しいもんじゃなかった。

 それはもっとひどいもので、汗だってたくさん出てきていた。

 

「……確かに。今のサクラの顔色は、分かりやすい病気の前兆と見ていいでしょう」

 

 後ろから冷静で的確なセイバーの見解が飛んでくる。

 

「あ、あのっ、だっ、だいじょうぶ、ですから。あの、せんぱい。そろそろ手をはなして……」

 

「バカっ大丈夫じゃないだろう。今日は学校を休め」

 

「うん。先生もそうした方がいいと思うなぁ。無理して悪くなったら大変だしぃ」

 

 それきり桜は俯いてしまった。やはり気分が優れないんだろう。

 えーっと、確かあそこの棚に熱冷ましがあって、あとは布団を用意して、水を飲ませて、どこぞのあかいあくまのせいでもう学校にはいけないから、桜を看病するためにズル休み、か……。

 

 さて、今日はどうしたものかと思案する。

 ――あっそうだ。夕方に商店街の外れにある公園でイリヤと会わないと……。

 

 そんな一日の計画を立てているうちに朝食は終わり、俺は藤ねえに「今日は学校を休む」と伝えた。

 

 

 

 その後、桜を寝室に寝かせて、一通りの看病を終えた頃。

 桜が寝付いたところで、オレは居間に戻る。

 

「セイバー」

 

 金髪の少女を呼びかける。

 しかし返事はなく、居間に彼女の姿は見えなかった。

 

「あれ、どこに行ったんだろう」

 

 少なくとも離れから居間を渡って人の気配はなかったから、必然、庭のどこかにいることになるのだが……。

 廊下を渡って玄関に向かう。もしかしたら庭を探検して、土蔵か道場にでもいるのかもしれない。

 そう思って、玄関で靴を履こうとした――その時。

 

 ――――チリリリリリリリリ。

 

 電話が鳴った。誰だろうと受話器を取る。

 

「はい、衛宮ですが」

 

 次に俺は受話器の向こうで、驚きの声を耳にした――――

 

 

 

   ◇

 

 ――少し時は遡り――

 

 

 

「……ふん。やっぱりな」

 

 一時限目が終わった。

 僕は休憩時間に校舎を出て帰路に就く。

 ……()()()()()()()()()()()。それさえ分かればそれでいい。昨日は遠坂にこっぴどくやられて、もう家から出るに出られないだろうというのは解りきっていたけど、それでも莫迦なあいつだから、万が一はと思って今日は登校したんだ。

 

 帰宅して、家の電話を見る。

 留守電が入っていたから内容を確かめてみると、それは藤村先生の声だった。

 なんでも桜がひどい風邪を引いたから今日は家で休ませます、だと。

 

 そんなのは今どうでもいい。

 受話器を取って衛宮の家の番号を入力していく。

 

 ――プルルルルル……と電話機が鳴る。

 

 まだか。まだ出ないのか。家にいるはずだろう。僕が直々に出向いてやったっていいんだぞ。

 だけど、やっぱりそれはダメだ。お前が来い、お前が僕の家に来るんだ、衛宮。

 

 ――そして、ガチャっと。ようやく受話器を取る音が、向こう側から聞こえた。

 

『はい、衛宮ですが』

 

「――――――――」

 

『……あの、もしもし?』

 

「――やぁ、おはよう衛宮。今日は学校を休んだんだってね?」

 

『え……慎二? 慎二なのか?』

 

「そうだよ。まぁ無理もないさ。昨日あんなに遠坂にボコられたんだからねぇ?」

 

『――――なんで、それを――――ッ!』

 

 そうだ。これで莫迦なお前でも理解できただろう。

 僕はお前たちを知っている。衛宮士郎と遠坂凛という人間が、じゃない。その繋がり、その関係性を知っているということだ。

 それすなわち魔術師としての関係。だから、僕もお前たちの仲間なんだよ。

 

『……なんの用だ、慎二』

 

 そうだ。僕を恐れろ。警戒しろ。

 僕は決して“どうでもいい存在”なんかじゃないはずだろ、衛宮!

 

「もちろん話があるのさ。だからさぁ、今から僕の家に来てくれない?」

 

『…………なぁ、慎二。おまえは、マスターなのか?』

 

「チッ。質問に質問で答えるなよな。……あぁそうだよ。僕はライダーのサーヴァントを従えている。それで、お前はどんなサーヴァントを従えているんだい、衛宮?」

 

『……………………』

 

 そこで答えないのか。こっちはバラしてやったのに? まぁ当然の反応だ。僕と駆け引きをしようって腹か。

 だが、残念。僕はもうお前がセイバーのサーヴァントを連れている事を知っている。隠していてもバレバレなんだよ。

 

「あぁそうそう。家に来るという件だけど、サーヴァントは連れてくるなよ? 衛宮、お前が一人で来い。……なぁに、俺たち親友同士だろ? なら何も心配ないじゃないか!」

 

『……そうかもな。分かった。俺ひとりで行く。そして話があるとの事だが、俺からも一つ質問がある』

 

「なに? 長くなるなら、こっちに来てからにしてよね」

 

『そのつもりだ。待ってろ、今すぐ行く』

 

 ガチャリ、と電話が切られる。

 

「……ライダー。いるかい? ちゃんと警護、よろしく頼むよ。だけど、何があっても衛宮には絶対に手を出すなよ。分かったな?」

 

 霊体化を解いてライダーが現れる。

 一度頷いたあと、またその姿を消した。

 

 

 

 待つこと数分。衛宮がやってきた。

 すぐに客間へ通して、衛宮と対面する形でソファに座る。

 ライダーも背後に現界させて、ただそこに突っ立っているように命じた。

 

「ようこそ衛宮。ちゃんとセイバーは連れずに来てくれたかい?」

 

「――! 慎二、お前……」

 

「なに、僕だけが君のサーヴァントのクラスを知っているなんて不公平だからね。だから電話したときも僕のサーヴァントのクラスを教えてやったのさ。ほら、僕はフェアな男だからさ」

 

 そうだ。僕は衛宮に対してはフェアを心がける。謂わば対等だという事だ。

 

「そうか……それで慎二。話したい事があるってのは分かったが、先に訊きたい事がある」

 

「……あぁ、分かってる。なんだい、言ってみなよ」

 

 それから衛宮は、僕が魔術師なのかどうなのかを訊いてきた。

 その質問に対し、間桐は魔術師の家系だったけど、既に廃れて僕には魔術回路がないと答えると、次は桜がその事を知っているのかなんて無知な事を聞いてきやがった。

 魔術師とは一子相伝。桜に伝える魔道の秘蹟はないと教えたら、衛宮のやつ、安堵しきった様子で胸をなでおろした。

 

「――そうか。そんなにうちの妹の事を心配してくれたとあっちゃ、兄として一応の感謝はしないとね。……ところで衛宮。さっき留守電で、桜が風邪を引いたから藤村先生の家で寝泊まりさせているっていうのがあったんだけど。――あれ、本当はお前の家なんだろ?」

 

「あぁ、その通りだ。今は家でぐっすりと眠っているから問題ない。軽い熱だよ」

 

 ……へぇ。隠さないのか。

 まさか衛宮が桜を人質に取るなんていう事態は発生しないと思っていたけど、万が一を考えてはいたんだ。

 それも無用だったようだね。思った通り正直すぎて……。

 

「それで慎二。次はそっちの話だ。どうやら戦うつもりではないらしいな」

 

「ははっ! 当然さ。なに? 衛宮ってまさか、一人で来て戦うつもりだったわけ?」

 

「万が一の話しさ」

 

「あぁ、そうだね。友人を疑うなんて、万が一を想定するときしかありえない。なんだ、分かってるじゃないか」

 

 ――さて、次はいよいよ、僕の提案を衛宮が呑むか蹴るかの話だ。

 

「なぁ衛宮。僕の話っていうのはね――――僕と、同盟を組まないかっていう提案なんだよ」

 

 同盟要求。

 その理由として、まず僕は戦力の点について説明する。

 

「衛宮は魔術を使えるけど、聞いたところ知識は素人レベルだね。そして僕は魔術を使えないけど、知識はそれなりにある。お互いの戦力を考えるなら、僕たちが組んだときの相性は良いと思うんだけどね?」

 

「…………」

 

 黙って話を聞き続ける衛宮。

 今のところ反論はないみたいなので、僕は次の理由を述べた。

 

「なにより僕たちには、共通の敵がいる」

 

「……共通の、敵?」

 

「そうさ。遠坂凛って言う名前の、見る目のない魔術師がね!」

 

 僕の事を“興味ない”と断じたあの女。

 その女と一緒にいたのが衛宮だと知ったときは、衛宮が魔術師だった事も合わせて嫉妬を感じたけれど、その遠坂も衛宮に牙を向けた。

 ならば、あとは対遠坂同盟として、僕と衛宮が結託するだけじゃないか。

 もちろん衛宮が、それに速攻で了承するとは、つゆほども思っていないけど。

 

「……遠坂? なんだって遠坂が共通の敵になるんだよ。確かにあいつは昨日、俺を、その……殺す気で襲いかかってはきたけど、あれは俺の聖杯戦争に対するスタンスの認識が甘かったせいだし、なにより俺は遠坂を敵だなんて微塵も思っちゃいない」

 

「……はぁ。それじゃあ衛宮。一応訊いておくけどさ、もしも遠坂のやつが僕たちを狙いに来たら、どうするつもりなのさ。向こうは昨日みたいに手加減なしで来ると思うけど?」

 

「それは……」

 

「サーヴァント同士で勝手に決着を付ければ良いって? そりゃあ僕も同じ気持ちさ。だって衛宮も、僕と同じで巻き込まれてマスターになった口なんだろ?」

 

「……? 巻き込まれたって、もしかして慎二もそうだったのか?」

 

「……はぁ。だから言ったろ? 僕には魔術回路がない。ないってことは、マスターになる権利がないってことなんだ」

 

「それじゃあ、なんで」

 

 ――マスターになれてるのかって?

 

「これが、その理由さ」

 

 懐から一冊の本を取り出す。

 

「これは偽臣の書と言ってね。魔術回路がなくてもマスターになれるアーティファクトなんだ。これがあるおかげで、僕はこのじゃじゃ馬を従えていられるってわけ。……おっと、話が逸れたね。ごめん。それで衛宮はどうやって遠坂と戦うって?」

 

「――――戦う理由はないし、する必要もない。そう思う。それでも、もし遠坂が俺と決着を付けたいと、そう思っているんなら、俺は正面からセイバーと一緒に戦うだけだ」

 

「決着、ねぇ……。まぁいいさ。つまり遠坂は殺さないと?」

 

「なっ――――あ、あったりまえじゃないか! おい慎二、お前まさか、ほかのマスターの事を……!」

 

「おいおい熱くなるなよ。早とちりは誤解を招く事になる悪手だぜ? ……まぁ、僕も衛宮と同じ、降りかかる火の粉を払うだけのつもりでいるともさ。それでも向こうから殺しに来る以上、受け身なのはいただけない。例えば、もしもあのバーサーカーが自分の家に乗り込んできたらって、そんな事を考えてごらん。はっきり言って、僕には勝ちの目はないと思うんだけど?」

 

「……バーサーカーか。確かにあれは怪物だ。だが、慎二。それでもマスターを狙うという方針には、俺は全く反対の意見を持っている」

 

「へぇ?」

 

「それに何より、俺にはあの娘が悪いやつには思えないんだ……」

 

「……はっ! これだから馬鹿は困るんだよ」

 

 むっとした表情で僕を睨む衛宮。

 それを受け流しながら、僕は話を続けた。

 

「遠坂は狙わない。バーサーカーのマスターも狙わない。それじゃあ衛宮はさ、一体どうしたいんだ? 巻き込まれたとはいえ、参加したという事は何か目的なり願望なりあるんじゃないのかい?」

 

「俺は――――この聖杯戦争というものが安全に、無事に終われば良いと思っている。純粋に各々のマスターが戦って、周りに被害が出ないのなら、俺は何もしない。向こうから来たとしても、俺からは出向かない」

 

 ……なるほど。やっぱりそうきたか。

 つまり衛宮は最後まで受け身でいて、襲撃者だけは容赦なく叩くと。

 さらに街に被害を及ぼすやつが現れない以上、ずっと家に篭っている……。

 

「それじゃあ衛宮はさ。最近ニュースで騒がれている新都のガス漏れ事故。あれはなんとも思わないのかい?」

 

「――――なん、だって?」

 

「ふん。なんだ、知らなかったのか。街の皆を守るだとか抜かしておいて、被害はもう出てるっていうのに、ねぇ?」

 

「おい、慎二。何か知っているのかっ!」

 

 興奮して立ち上がる衛宮。

 それを冷静に見上げながら、僕はライダーの報告にあった柳洞寺の魔女について説明してやった。

 

「なんでもライダーによると、柳洞寺には魔女がいるらしくてね。新都に網を張って人々の生命力を吸い上げているんだとか。これはもう、衛宮の言う討伐対象には入らないのかな?」

 

「……おい、ライダー。それは本当なのか?」

 

 …………っ。

 なんで、そこでライダーに訊くんだよ。僕の言う事が信じられないっていうのか。

 

「――――――――」

 

 ライダーは答えない。

 もとより寡黙なやつだから、返答するのも老人のように遅い。それだと言うのに……。

 

「――はい。その通りです」

 

「おい、ライダー! 黙ってろって言っただろ! 衛宮も衛宮だ! いま話しているのは僕とだろう!?」

 

「……慎二?」

 

 ――チッ。クソッ。なんだよその目は。

 まるで僕がバカみたいじゃないか。少し熱くなってしまったか……。

 

「はぁ。これで分かっただろ。それで、どうなんだよ。僕との同盟は受けるのか受けないのか!」

 

 仮にここで衛宮が同盟を拒否しても、僕が言った柳洞寺の魔女を気にして、衛宮は今夜か明日のうちには柳洞寺へ突撃するだろう。

 また、仮にここで衛宮が同盟に応諾した場合は、準備のために柳洞寺への突撃は明日に持ち越したい。

 何故なら昨日の黒い剣士との戦闘で、もう魔力が足りなくなっているとライダーに言われたからだ。

 また、魂喰いをする必要がある。

 

「俺は――――」

 

 ――さぁ、どっちだ……!

 

 僕の事を友人だと思っているのなら、受けろ!

 僕の事を対等だと思っているのなら、拒否しろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は――――受ける。同盟を組む。それでいいな、慎二」

 

 ――――――――。

 

「だが、一つ条件がある。それは俺と組む以上、敵は俺が選ぶ。今までの慎二の言い分は正しいのかもしれない。それでも敵を見間違えている節がお前にはある。だから敵は俺が選ぶ。それで良いな?」

 

「――――あぁ、だけど衛宮がそう来るなら、こっちにも条件がある。それは……そうだね。まず柳洞寺への突撃は明日にしてくれ。逸る気持ちも分かるけど、生憎とこちらは本調子じゃないんでね。不完全な状態で戦いに行ってやられたら、街を守れないだろう?」

 

「分かった」

 

「待てよ、まだ条件は残っている。えっと……そうだね、これはどうかな。そっちのサーヴァントの真め――いや、やっぱりいい。……よし、作戦指揮なら僕に任せてくれよ。僕のライダーはかなり偵察に向いていてね。情報や切り札のカードはこっちの方が多いんだ。きっと君たちよりもね。だから作戦を立てたりするのは僕の役目って事で。それでいいね?」

 

「あぁ、だけど慎二の作戦や指示がいつも正しい事になるとは限らない。そのときはきちんと反論させてもらうぞ」

 

「――――あぁ、もちろんだとも! それでいい。そうでなくちゃ! それじゃ、よろしくっ衛宮!」

 

 すこぶる機嫌が良いため手を差し出す。

 その手を衛宮は取ってくれて、固く同盟の契りを交わした。

 

「それじゃあ今日のところは帰って、同盟を組んだ報告を自分のサーヴァントに伝えてくればいい。出撃は明日。また電話するから、忘れるなよ」

 

 そうして衛宮は帰っていった。ライダーを護衛につけて送り返す。

 

「よしよし……計画通りだ」

 

 

 

 それから暫くして、ライダーが戻ってきた。

 

「ちゃんと送り返してきたか?」

 

「……はい。交差点付近で別れました」

 

「なんだよ、ちゃんと家の前まで送れよな」

 

「いえ、あのままさらに進んでいれば、セイバーの探査距離に引っかかってしまいますので」

 

「あぁ、なるほど。じゃあそれでいい」

 

 ふぅ、それにしても、まったく気分が良い。

 僕たちは同盟! 同盟を組んだんだ!

 どちらかが軍門に下るのではなく、対等を意味する同盟を組んだ!

 

 これで衛宮と協力して遠坂をギャフンと言わせる……ことは出来なくなったけど、さらにバーサーカーを打倒するっていうことも出来なくなったけど、それでも衛宮と共闘して聖杯戦争を勝ち進み、最後には僕と衛宮でどちらが上なのか決着をつける……。

 そうだ、だから衛宮。お前が決着をつける相手は、決して遠坂じゃない!

 

 

 

 ――この僕だっ!

 

 

 

「くっ……くくっ……まぁ、上なのはやっぱり、僕なんだけどね」

 

 

 

   ◇

 

 ――時はほんの少し遡り――

 

 

 

 間桐邸からの帰り道。ライダーに送られて、交差点までの道を歩く。

 ……う~む。ライダーに声を掛けるべきだろうか。同盟を組んだ手前、挨拶くらいはしないとな。

 

「あの、ライダー。これからよろしく頼むな」

 

「……………………」

 

 うん。黙ろう。

 その方がライダーにとっても良いんだろう。なんだか慎二のやつ、俺とライダーが話すのを嫌がっていたみたいだし。

 

 そうこうしているうちに交差点に着いた。

 

「ありがとう、ライダー。ここらへんでいいよ。これ以上行くと、セイバーが飛び起きて襲い掛かりにくるかもしれないし」

 

「…………でしょうね。それでは」

 

 そしてライダーは霊体化を解いて…………解かない?

 

「ライダー?」

 

「…………いえ、慎二が貴方を気に入る理由が、分かったもので」

 

 ……???

 

「なんでもありません。それでは」

 

 それからライダーは霊体化に入って、その場から去っていった。

 ……バイザーで目元を隠していても分かる。今の笑顔は、とびっきりの美人だった。

 

 

 

 帰宅し、がらがらーと戸を開ける。すると、なんと目の前には、拗ねた目つきで両手を腰に当てる、セイバーの姿がそこにあった。

 その表情は怒りと呆れを通り越しており、無言の圧力で俺を睨めつけている。

 

「……あ、その……」

 

 一回、重い溜息を吐いたセイバーは、

 

「何か言い訳はありますか? マスター」

 

 今にも説教が始まりそうな、むすっとした顔を見せた。

 

「……ない、です。ないですけど、説明だけは」

 

「えぇ、きっちりと説明してもらいますとも」

 

 そう言ってセイバーは、俺の横を素通りして道場へと向かった。

 ……これは、付いていかないとダメな流れだろうか?

 まぁ、ここで平然と靴を脱いで居間に上がって桜の様子を見に行ってしまったら、それこそその場でセイバーに叩き切られるかもしれない。

 ならば仕方ない。セイバーのあとを追おう。

 

 

 

 それから俺は道場にて、セイバーに慎二と同盟を組んだ事を報告した。

 そして、この同盟の話を聞いたセイバーは、

 

「別にシロウが選んだ相手であるのなら、私からはなんとも言えません。サーヴァントの意思に反しているとしても、マスターの方針には従うのみですから。……それでもやはり、事前に伝えて欲しかった」

 

 と、難しい顔で言われてしまった。

 そのあとすぐ「すみません。今のは出過ぎた発言でした」と謝られてしまい、本当にこればっかりは後悔した。

 

 確かに、俺の相棒はセイバーなんだ。

 聖杯戦争に参加すると決意した以上、共に背中を合わせて戦う相棒がセイバーなのは百も承知していたはず。

 それなのになんで俺は、そんな大事な事を忘れてしまっていたのだろう。

 

 それから俺はセイバーに、柳洞寺にいる魔女について話して、出撃は明日だという事も伝えた。

 

「なるほど。確かにライダーのマスターはなかなか情報に通じているようですね。私ひとりでも充分だとは思いますが。……ところでシロウ。そろそろ昼餉の用意に取り掛かっては」

 

「……お、もうそんな時間か。それじゃあセイバーの説教と柳洞寺の説明も終わったことだし、昼飯にしますか」

 

 

 

 やがて、セイバーと昼飯を済ませて桜を看病したりしているうちに、夕方が近付いてきていた。

 魔力の消費を抑えるため眠りに就いたセイバー。

 それと入れ違いに起きてきた桜だったが、どうにも呂律が回っていないようだった。

 

「あ、あの、先輩。私はもう大丈夫ですから、夕飯の支度をさせてください……」

 

「ダメだダメ。病み上がりにそんなことはさせられません」

 

 時計をしきりに確認しながら、強情な桜を諭しにかかる。

 そうして暫く終わりのない口論を繰り返していたときに、桜に痛いところを突かれた。

 

「先輩。本当に私は大丈夫ですから。……それに、さっきからしきりに時計を確認していますけど、何か用事でもあるんじゃないんですか?」

 

「ぐぬっ……」

 

 確かに、俺にはイリヤとの約束がある。

 それにしても間が悪かった。ここで俺が公園に出向けば、桜は勝手に夕飯の支度を始めてしまうだろう。

 かと言って、公園で待っているイリヤをほっぽくのも、あとで殺されかねない。

 

「ううむ……」

 

「先輩。過保護なのはあまり良くないですよ。私に任せてください」

 

 えっへん。と胸を張るが、それでも心配してしまう。何か妥協できそうなものは……。

 

「……そうだ。桜、じゃんけんをしよう」

 

「じゃんけん、ですか?」

 

 そうだ。こういう勝負事の賭けなら、約束を破るのに罪悪感があって、桜は言う事を聞いてくれるだろう。

 俺が勝てば桜は安静。俺が負ければ、潔く引き下がるとしよう。

 

「そう、俺が勝ったら、桜は俺が帰ってくるまで待っていること! はい、最初はグー!」

 

「えっえぇ! い、いきなりですか! じゃ、じゃんけん――」

 

『――ポン!』

 

 俺はグー!

 そして桜は、小さな手を大きく開いてパー!

 負けた! 完! 衛宮家の台所はもう桜以外許さないというのかッ!

 

「やった! それじゃあ先輩、夕飯は何が良いですか?」

 

「…………風邪に良いものが良いと思うな」

 

「あ、はい! ありがとうございます、先輩!」

 

 ぐぅ……どうしていつもグーが先に出てしまうのか。

 まぁ、でもこれで肩の荷は降りた。潔く夕飯は桜に任せて、俺はイリヤに会ってくるとしよう。

 

「それじゃあ桜、ちょっと行くところがあるから。……あぁ、あとセイバーが起きてきたら、友人のところに行っていると説明してくれ。それじゃっ!」

 

 若干の嘘は申し訳ないとは思うが、過保護なセイバーを相手にしていると、どこにも行けやしない。

 そのままダッシュで商店街まで赴く。

 

 

 

 商店街の外れにある小さな公園。

 昨日の約束なんてのはただの口約束で、本当に彼女が来てくれるかどうかは半信半疑だった。

 それでも曇天の下、公園のベンチにて、寒そうに身を縮こませて誰かを待ち続ける白い少女がそこにいた。

 

「イリヤ」

 

「あっ、お兄ちゃん!」

 

 たたっ、だきっ、と走って飛び込んで抱きついてくるイリヤ。

 

「今日は遅かったね!」

 

「悪い。待っただろ?」

 

「ううん。レディを待たせるのは紳士としてダメだけど、本当に来てくれたから全部許す!」

 

 ……許すも何も、ここにもう一度来ると約束したのは俺なんだけど。

 まぁ、それはいいとして、俺たちはベンチに腰掛けた。

 

 

 

 それからイリヤの口を衝いて出てくる話題の数々は、本当に他愛のない話ばかりだった。

 昨日みたく話したいこと、自慢したいこと、聞きたいことを次々と。

 例えば自分は走るのが苦手だとか、メイドたちはいつもうるさいだとか、時々間違った日本人の知識を説明してくれたりもした。

 

 その時間は、ほんの三十分にも満たない間だった。

 そこで俺が聞き役に徹するあまり彼女は話し疲れたのか、イリヤは話題を変えてくる。

 

「ねぇ。シロウはわたしに、何か質問ある?」

 

「俺が、イリヤに質問?」

 

「そう。もういっぱい話しちゃったから、今度はシロウが話す番!」

 

 ……そう言われても、少し困った。

 聞きたいことがないわけじゃないけど、話の流れ的に聖杯戦争に関係することはあまり聞きたくなかったのだ。

 

「うーん。それじゃあイリヤは、どこに住んでいるのか聞きたいな」

 

「わたしのお家? 良いよ! 教えてあげる!」

 

 そう言ってベンチに膝立ちして、唐突に俺の顔とイリヤの顔が急接近して……!?

 

「動かないでね。いま視覚を繋げるから」

 

「し、視覚を、つなげる?」

 

 

 

 ――――それから視界が暗転し、次々と街の風景が移り変わっていった。

 

 森。森。森。

 その奥深くに大きな城があった。本当に郊外の森にこんな城があるのか。

 やがてかっ飛ぶ視界は城の中に入る。すると寝室の中には二人のメイドがいた。イリヤが話してくれたメイドたちの外見と一致する。

 

「おや、リーゼリット。イリヤお嬢様は何処で?」

 

「…………ぷいっ」

 

「――――まさか、貴女」

 

「……隠れんぼ、してるの」

 

「そんなすぐに見抜ける嘘はやめなさい!」

 

「嘘じゃ、ない。イリヤの負け。セラにいないってことが、見つかっちゃったから」

 

 

 

 ――――それからまた視界が暗転し、額に顔を合わせるイリヤの身体が目に入った。

 

「あっちゃあ……セラに見つかっちゃったかぁ。ごめんね、お兄ちゃん。わたし、もう帰るから」

 

「あ、あぁ……」

 

 未だに頭が混乱している。今見たのは夢か?

 いや、本当に空を飛んでいるようだった。乗り物酔いに近い感覚を得て、満足に声が出せない。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

 ……なんだ?

 

「今度はお兄ちゃんの家も、教えてね?」

 

 ……もちろん、だ。

 

 

 

 ――――気が付けば、数分が過ぎたあとだった。

 イリヤの姿は疾うになく、ただベンチで頭を押さえる俺が独りでいるだけ……。

 

「ふぅ。騒がしいやつだったな。やっぱり子供はああでなくちゃ」

 

 今日のイリヤは俺が見ていた限り、最初から最後まで笑顔でいてくれた。

 でも、それはもしかしたら、わざとだったのかもしれない。

 これでもすぐ顔に出ちまうのは自覚があって、イリヤが暗い顔をすると俺まで暗くなってしまうことを、イリヤは気づいていたのかもしれない。

 

「……なんだ。気を使われていたのは、こっちの方だったってわけか」

 

 そんなことを遅まきに気が付く。

 さてと立ち上がり、公園の時計を見る。もう帰る時間だ。家に着けば桜の夕飯が待っている。

 

「――今度は俺の家を教えてくれ、か。当たり前だ。なんなら家に招待して飯も奢ってやる」

 

 だが、そのためには、やはり聖杯戦争という戦いをいの一番に終わらせなければならない。

 そして明日は柳洞寺だ。堅実に行こう……。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 何かが付いてきている。しかし臆病なやつなのか、傍には接近してこない。

 首筋の烙印に痛みが(はし)り、強く反応する。

 最高にやばい存在なのは分かるんだが、遠くからオレを監視するだけなので放っておくことにした。

 

 ――ここは柳洞寺。

 オレは先日のリベンジにやって来た。言わずもがなアサシンとの勝負のためだ。

 剣術勝負に破れたオレは、次はサーヴァントとして勝ちに行く。

 

「……だっていうのに、あいつどこに行きやがった?」

 

 アサシンの姿がない。いや、アサシン故に気配遮断をしているということなのか。

 確かにあいつ「次はサーヴァントとして果たし合おう」と言っていたから、気配を消して背後から奇襲を……という腹なのかもしれない。

 だが、それでも合点が行かなかった。

 なんでもありの勝負を請け負ったものの、あの刀を振ることしか能のないアサシンが小手先を使うなんて、どうしてもオレには考えられなかったからだ。

 

「……このままだと境内まで上がっちまうぞ」

 

 そう言い切った途端に、石畳の階段を上がりきってしまった。

 仕方ないので山門をくぐり抜け、境内に上がる。

 

「…………嫌な気配がするな」

 

 さっきからオレを追ってきているやつ以外に、一、二……微かな反応だが、三。

 これらは全て、サーヴァントだと見ていいだろう。

 

「オレ以外に近くでサーヴァントが三騎ほどいるのか。だっていうのに、この静けさは何だ」

 

 確か柳洞寺にはキャスターが居座っているはず。

 それでも、こうして陣地に侵入したのに出てこないって事は、オレを警戒して観察でもしているのか?

 まぁ、キャスターなんかに真っ向からの面白い戦いなんてのは期待してないから、別に出てこなくても良いんだが……。

 

「こりゃあ無駄足だったかな。どうやらオレは仲間はずれなようで」

 

 どうやらオレはお呼びでないらしく、大人しく踵を返す。

 山門を抜けて階段を下りようと下を見ると――――そこに、()()()()()()()()()

 

「……チッ。遅かったか。オレが呼んでんのはテメェらみてぇな魔じゃねぇんだっての」

 

 石畳の長い階段の下に黒い人影が立ち尽くしている。

 さらにその傍らにも“見えない何か”がいる事は、うっすらと感じ取れた。

 この感覚には覚えがある。高ランクの気配遮断だ。しかし、おかしい。どうにもその見えない何かは、雅な侍剣士の雰囲気とはまったく異なり、真逆とも言える……それこそ魔の類のやつだった。

 

「…………随分と変わったな。アサシン。いや、本当にテメェはアサシンなのか?」

 

 返答はない。どうやら目の前にいる不可視のばけもんと黒い人影は境内に上がりたいらしかった。

 だが、オレがいるせいで、こいつらは上がれないでいる。

 どう考えてもオレの目の前に映る化物ふたりは、オレを恐れているようだった。

 

 どうやらこいつらにとって、オレという人間は天敵なんだろう。

 それが肌で分かる。

 オレのこの大剣であいつらを斬りつければ、すぐにあいつらは衰弱して死んじまうって事が理解できる。

 

「……まぁ、こんなやつら、すぐにでも斬り殺しておくべきなんだが……」

 

 そう呟いた途端、黒い人影と不可視のばけもんはその姿をかき消した。

 闇に溶け込み、その場からいなくなる。

 

「こうして逃げられちまうからな。まったくよ。これも全部、聖杯から出てきたものなのかね」

 

 階段を下り、柳洞寺のお山を後にする。

 あのあと、あそこで何が起ころうがオレには関係ない。

 倒さなければならない存在だとしても、オレ独りじゃどうにもならん。

 

 そして、あの侍剣士。まさか誰かに殺られたのだろうか。もしかしてあの影たちに?

 

「はぁ……こりゃあ、次々と好敵手を奪われそうだな。嫌な予感はこれか」

 

 ――チッ。そろそろ遊びは終わりの時間だってことか。

 これからはどんどん死人が出てくるだろう。そのたびにうちのマスターは泣き出すのか。

 

「大切な少数を救うために、未知の大勢を捨て駒にする。人間みんな、そんなもんだってのになぁ。……まぁ、まだあの歳じゃ無理もねぇか。いや、まさか死んだあとで何回もガキの面倒なんざを見る羽目になるとはね。――――今日のところは大人しく、休暇にするとしようか」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――修羅の剣士が寺を後にした。

 悪いが、今はテメェに構っている暇はない。

 今回はマスターから、変則召喚された真アサシンと戦ってこいとの命令を受けているからな。

 

 境内に上がる。

 キャスターの気配が寺の中から臭うが、どうやら姿を晒す気はなさそうだ。

 門番のアサシンが殺られて慎重になっているということか。

 

                                「――■■―■―■――」

 

「ゴフッ――――!!?」

 

 ――――それは、あまりにも突然だった。

 英霊の知覚を超越する蛇蠍の魔に、オレは知らぬ間に――――

 

 血の気が引く。心臓が動いていない?

 ただ霊核が破壊されたという事だけが漠然と理解できる。

 このままだと、オレは以てあと数分で消滅してしまうだろう。

 

「ハガッ――や、やろう……」

 

 誤算だった。

 敵は真アサシンだけだとタカをくくっていた。

 たとえキャスターが割り込んできて真アサシンと一緒にオレを殺そうとしてきても、同時に相手取って両方の首を取る事も不可能じゃなかった。

 

 だが――――

 

「――――影、か。オレの影として、そこに、ずっと……いた、のか……」

 

 それはどういった魔術か。否、対魔力で防げる法則の上にはなかったように感じられた。

 ならば魔物か。どういう存在なのか皆目検討もつかねぇ。

 とにかく元からそこにあったオレの影は、誰からも知覚されず、誰にも興味ないくせに、不意にオレを狙って殺しにきた。

 

「――――そういえば、あの修羅の剣士……去り際に誰かと会話をしていたように見えたが、ありゃ独り言ではなく、こいつらと会話をしていたって事か……? あいつには見えて、オレには見えない何かが、そこにいたってのか……?」

 

 聖杯の知識から浮かんだ言葉は――――()()()()()()()()()

 

 いや、まいった。キャスターが出てこないのも当然か。

 修羅の剣士が平気で境内に出入りしていたから、あそこは無事だという先入観に囚われて、今の今まで気付けなかった。

 

「――――境内は既に、サーヴァントだけを殺す空間に成り果てていた……もしも修羅の剣士を追い払おうとしてキャスターが出てきていたら、とっくにキャスターの方が殺られていただろうな……ゴホッ!」

 

 血反吐を足元にぶちまける。

 それを啜るように蝗が這い回っていた。

 

 ――その通りよ。バカね――

 

 そんな女狐の声が、寺の中から聞こえてきた気がした。

 

 オレの股下に映る影から、黒い人影が這いずり出てくる。

 その人影の背におぶさる形で、白い仮面の蝗が嗤っている。

 むしゃむしゃと、朱色に染まった林檎を頬張る。

 

 これは――――真のアサシンと黒い影が、融合している……?

 

 あぁ、意識が遠のいていく。何もできないまま、オレは消え去るだろう。

 ……クソッ。最期に修羅の剣士にリベンジしたかったぜ。

 

 それと、すまねぇな。負けちまったぜ、バゼット……。

 

 

 

   /了

 

 

 




 つい最近まで修羅の剣士は、マウント深山のバイク屋でバイトをしていた。
 頭には黒いヘルメット、顔には黒いサングラス、体には黒いライダースーツと、照り光るライダースジャケットを羽織っており、スパイクの効いた靴を履いて、ロマンあふれる漆黒の巨大魔改造バイクに堂々と跨るさまは、まさにどこぞの騎ん時に負けないほど超クールだった。
 また、バイク屋のおっちゃんが、もっとパンクさを出すために例のクソ不味い煙草を差し出すが、修羅の剣士はそれを断り、金髪の少年から貰った煙の出る煙草風キャンディを咥えることで、その威容をさらに恐れ多いものにさせていた。
(そして何故か売上は伸びたらしい。なんでも看板娘ならぬ看板伊達男として、どこぞの藤村組の翁に気に入られた修羅の剣士が、地元で少し有名になったからだとか)

 ちなみに修羅の剣士は、郊外の森のとある廃墟を根城としており、約十年もの間、森に漂う低級霊を狩ることで魔力の補給をしていた。
 しかしサーヴァントが長年現界を維持できるほどの低級霊が、そうやすやすと集まってくれるのかというと、それは修羅の剣士のスキルによって集まりすぎるくらいだった。
 主に修羅の剣士の生活は、夜に霊体を狩り続けて魔力を補給し、昼に街へ降りてバイクを弄り給料をもらって、激辛麻婆豆腐を少し辛そうに食べる。そんな毎日。



「絶殺呪層界潜影領域」
 ランサー、敗退。
 ――――然れどその魂は、世界の悪意に弄ばれる。




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二月六日

 朝。

 ()()()()()()、昨夜のうちにランサーが死んだはず。

 キャスターはそれを間近で目撃して、以降あの泥影(でいえい)には細心の注意を払うはず……。

 

「――ってことで、マスター。昨日は随分と静かな夜でな。戦闘は一度もなかった」

 

 問題は今夜だ。

 今夜、柳洞寺に士郎と慎二が乗り込んでくる。

 あの影はサーヴァントを重点的に狙ってくるだろうが、それは大きな餌だからであって、腹を空かせていれば小さな餌である人間も襲うだろう。

 

「――ほい、定時報告は終わり。腹減ったからなんか作ってくれよ」

 

 もしも今夜の予定調和が少しでも崩れれば、全てが水の泡になる。

 過去のターニングポイントは、確実に今夜の事件が鍵となっているからだ。

 これからの未来が、もし少しでも違う過去に進路を変更してしまえば……全てが終わる。

 

 ……本当に――――()()()()()()()

 

「……おい、マスター。考えごとか?」

 

「――ん? な、なに? バーサーカー」

 

「だから、飯を作ってくれ。頼むよ。……ダメか?」

 

「いや、全然! ……えっと、昨日のと同じでいいわね?」

 

 いつもの定時報告を済ませて、私は昨日から飯をたかりにくる黒い剣士のためにエプロンを着る。

 ピーマンを濯いで種を取って、手で程よい大きさにちぎってフライパンに入れる。

 次にゴマ油を掛けて炒める。焦げ目がついたら火を止めて醤油をかけて味を付ける。

 これにてピーマン炒めの完成~。あとはポトフとパスタを作ればすぐに朝食ができる……。

 

「…………」

 

 今夜が勝負。

 あまり気負ってもいいことはないけど、命運の瀬戸際で冷静に朝食を作っていられるほど私は強くない。

 だって抑止力の手助けがないのに、私独りで世界を救うなんて、そんなこと……出来るわけないじゃない――――

 

「――って、あちっ!」

 

「あ? なんだ、やけどか?」

 

 oh……鍋物で考え事はいかん。

 うっかり手首の位置を下げて、鍋の縁に触れてしまった。

 

「おいおい。考え事もそこまでにしておけ。続けてねぇで水で冷やせ、水で」

 

 ……後ろの姑剣士がうるさいので、水道の水で手を冷やす。

 まぁ、予定取りに行けば結果は収束するんだから、私は悪役を演じきればいいだけだ。

 

「……絶対に、守るから……」

 

「やけどした手を守るのもいいがな、鍋の煮込み過ぎにも気をつけてくれよ」

 

「違うわよ。……ところでバーサーカー。今日はずっとここにいて。絶対に外に出ないでね」

 

「そりゃなんで?」

 

「貴方みたいな不確定要素が出歩くと、計算が狂うのよ。少なくとも柳洞寺には絶対に現れないでよね。その時点で世界が滅ぶと思いなさい」

 

「……? へいへい。食い物を用意しておいてくれれば、言う通り、ここからは出ねぇよ」

 

「ありがとっ。はい、朝ごはん」

 

 野菜を煮込んだだけのポトフとパスタ。

 この中で一番味の濃いピーマンのごま油醤油炒めを食卓に出す。

 

「野菜と麺ばっかだな……肉はねぇのかよ肉は?」

 

「基本的に贅沢はしない主義なの。一度でも食べちゃったら、旅してるときにお肉食べたい禁断症状が出ちゃって辛いからね?」

 

「なるほど。若いのにしっかりしてる。……あぁ、うめぇぞ。現代と比べたら一昔前の飯だが、オレの時代だと絶品扱いになるなこれは。本当に時代の流れを感じさせてくれるぜ……。まぁ十年の現代生活で、俺の舌も結構肥えてきてるがな。特にあの金ピカのおかげで……」

 

 ……なんか、英霊ならではの食レポを披露されたけど、まぁ美味しく食べてくれる分には有難いから、その様子を暫く観察しておく。

 

 ――裏側の英霊。

 人類史から消え失せた空白の時代の英雄。

 彼の真名を知る者は世界のどこにもいなくて、ゆえにサーヴァントとしての知名度補正は皆無となる。

 

「ふぅ。ごちそうさん。爪楊枝あるか?」

 

 ほんと、これまた珍しい英霊もいたものだ。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夕方。

 約束の公園まで歩く。

 それと昨夜、また桜が倒れた。高熱を出して一日中寝込んで、目を覚ましたのはつい先ほどのこと。

 それから桜は昨日と同じように、夕飯は自分が作ると言って聞かなかった。

 

 その後、慎二から電話が来て、夜の十時頃に柳洞寺のお山の前に集合と云われた。

 そのときに桜が高熱を出したと報告したが、慎二のやつ、そんな事はどうでもいいとか言いやがった。

 

 ……今の時刻は、夕刻の五時前。

 セイバーが夕飯の匂いに釣られて起きてくる前に、約束の公園に向かおうとオレは家を出た。

 そこで昨日寒そうにしていたイリヤを思い出し、何かあったまるものを買ってやろうと、商店街でアツアツの肉まんを一つだけ購入する。

 

 約束の公園に到着する。

 相も変わらずベンチには、白い少女が手をさすりながら白い息を吐いていた。

 

「――――! シロウー!」

 

 呼び声に応じて手を振る。

 隣に腰掛けると同時に、オレはイリヤがひっきりなしに気にしているビニール袋から、肉まんを包んだ袋を取り出した。

 

「ほい、土産。熱いから気をつけろ」

 

「これ、なに?」

 

「肉まんだ。知ってるか? 豚肉が入っていて、ホクホクしてて、冬には定番のおやつだ」

 

「へぇ……あれ、お兄ちゃんのは?」

 

「俺か? 俺はいいよ。イリヤが全部食べてくれ」

 

「……むー。シロウってば、食事はみんなで食べるのが美味しいって知らないの?」

 

 むっ。いや、知ってはいるけど、申し訳なくなるくらいには知ってはいるけど。元々俺は出費を抑えるためにだな……。

 

「――はい、半分こ!」

 

 けれど、こうして肉まんを半分こにされて笑顔で渡されたら、確かにこれは断れない。

 

「それじゃあ遠慮なく、いただきます」

 

「えへ……んむっ――――あふぃ!」

 

 猫舌なのか、肉まんの皮を食んだ途端、舌を出して熱がるイリヤ。

 それから少しずつ食べてはいくが、手に持って温まるのが気に入ったらしく、中から出てくる湯気が特にお気に召したようだ。

 

「これ、あったかいね! 食べられる湯たんぽとか、ホントにさいこー!」

 

「それでも早く食べろよ。すぐに冷えちゃうからな」

 

 うむうむ。こんなに美味しそうに喜んで食べてくれるとは、買ってきて良かった。

 俺はゆっくりと味わうように肉まんを頬張るイリヤを眺める。

 

「……なぁ、イリヤ。俺、今日は用事があるから無理だけど、明日なら平気だ」

 

「ふん、ふん……?」

 

「俺の家に、イリヤが遊びに来る件。明日なら用もないし、一緒に茶を飲んで寒さをしのぐってのも良いんじゃないか? 昼間はマスターじゃないってイリヤは言ってただろ? だからそれを信じて、なんとかセイバーを説得する。それでどうだ?」

 

 結果的に返事が必要な問いになってしまった。

 

「ふん……ふん……」

 

 肉まんを食べ終えて、指をぺろっと舐めとるイリヤ。

 

「…………でも」

 

 イリヤは何かを言おうとする。

 

「……でも、わたしはシロウを殺しに来たのよ。そのわたしが、シロウの家にあがってもいいの?」

 

 ――――その問いの真意は判らない。

 だが、アインツベルンと衛宮切嗣の確執を指しているのは明らかだ。

 

 確かに俺は、衛宮切嗣という親父から。

 イリヤの場合は、アインツベルンという家系から。

 俺たちは何かを受け継いで、この聖杯戦争に参加している。

 

 おそらくイリヤは、アインツベルンを裏切った衛宮切嗣を憎んでいる事だろう。

 復讐対象であった切嗣がとっくに死んでいたと知っても、その息子である俺を殺すつもりなのは変わっていない。

 

 それでもイリヤが本当にオレの事を嫌っているのなら、俺はとっくに何回もこの公園で殺されていたはずだ。

 イリヤは「マスターは昼間に戦わない」と神秘の秘匿を理由に色々と言ってはいたけど、実際に俺を殺すつもりがないのは、薄々判ってきていた事だった。

 

 もちろん、イリヤの上辺に騙されているわけではない。

 可愛い無垢な少女でも、裏の顔がバーサーカーのマスターなのは嫌というほど知っている。だって一度殺されかけたし。

 

 ……家柄同士が敵対していて、しかし下の子たちは仲良くしたいと思っている。

 どこかにあったな、そんな戯曲。なればこそ、家柄の運命なんて知ったこっちゃない。

 

 オレはイリヤと仲良くしたいと思っているし、イリヤだって内心はオレの事を気にかけている、はず。

 じゃないと、今までの公園での交流はなんだったんだという話になる。

 だから物怖じするイリヤを、お兄ちゃんと呼ばれる俺が信じてやって、こうして言わなければならないんだ。

 

「――あぁ、もちろんだ。……って、いや、俺を殺すって件は全然もちろんじゃないんだが、それとこれとは話が別ってやつだ。オレはイリヤのことが好きだからな」

 

「――!」

 

「ほら、それに昼間はマスターとか関係ないんだろ? なら別に家柄の問題とかも関係ないじゃんか。……って、これは流石に無茶かな? いや、まぁ、イリヤが嫌なら諦めるけど……」

 

 うむ。我ながら少し傍若無人すぎたか。

 ほら、イリヤも呆れて口をあんぐりと開けて、俺の顔を見つめてくるし――――?

 

「ううん――――全然いやじゃない! ありがとう、お兄ちゃん!」

 

「うぉっ!」

 

 弾けるような笑顔でイリヤは、俺の腕に抱きついてきた。

 

「それじゃあ約束だからね、シロウ!」

 

 

 

 

 

 深夜。

 あれからイリヤと別れて、夕飯を食べて、桜を寝かせたあと。

 俺とセイバーは集合場所である円蔵山の麓へ、時間ぴったりに到着した。

 

「……シロウ。サーヴァントの気配が、あそこに。おそらくライダーだと思われます」

 

 セイバーの視線の先には、確かにライダーと慎二がいた。

 向こうもこちらに気付いて、柳洞寺に向かう階段の前で待ってくれている。

 

「よぉ衛宮。遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」

 

「……それで、慎二。作戦はどうなんだ。決めてきたんじゃないのか」

 

「あぁ、作戦、作戦ね。まぁほら、ライダーによると、三騎士とライダーのクラスには対魔力? ……ってものがあるらしいじゃないか。そしてキャスターとは魔術師の意味だ。これはもう作戦を立てる前に勝負が決まっていると僕は思うね。そもそも二対一だ。向こうに勝ち目はないよ」

 

 ……なるほど。対魔力のクラス別能力か。

 確かにセイバーは高い対魔力のランクを備えているし、ライダーもセイバーには劣るが、かなり高いランクを持っている。

 

 ただ、やはり慎二は正規のマスターではないのだろう。

 どうやらマスターに備わるサーヴァントのステータスを閲覧する能力が使えないでいるらしい。

 曖昧な物言いも、そのためだろう。

 

「……シロウ。本当に彼が貴方の友人なのですか?」

 

「ん? そうだよ。クラスメイトでもあるな。腐れ縁とも言えるかな」

 

「……そうですか。いずれにしても、私から離れないように」

 

「あぁ」

 

 それからライダーが先行する形で、後ろにセイバー。そのまた後ろに俺と慎二という布陣で階段を駆け上がる。

 その移動速度は小走りというやつだったが、しかし慎二は足並みを揃えずゆっくりと階段を踏みしめていた。

 

「おいおい、そんなに焦ることないだろ。……別に慎重になれとは言ってないさ。ただ急がずともキャスターが僕たちに殺されるのが早いか遅いかの違いだろ? だからさ、もっと優雅に行こうぜ。勝ちは決まってんだからさ、な? 衛宮」

 

 ……セイバーに目配せをする。

 同盟を組んだからには、こういった()()()()()()()()()()という問題が浮上してくるのは判りきったことだった。

 特に、慎二相手には。

 

 サーヴァント組とマスター組で距離に差が開く。

 

「なぁ衛宮。おまえってさ、どんな魔術を使うんだ?」

 

 唐突に慎二は、そんな事を訊いてきた。

 

「俺は強化の魔術しか使えない。前までは成功率自体かなり低かったんだが、最近はうまくいくことが多い。最近ってのも、ランサーに襲われたときと、遠坂に襲われたときが一番だけどな」

 

「ふぅん。確か強化ってさ、モノの存在を高めさせる魔術の基本中の基本なんだろ? 衛宮って案外、難しい事はできないんだな。もっと器用だと思ったのに」

 

「それを言われると痛いな。俺にできることは本当にこれくらいしかなかったんだよ。切嗣もあまりほかのことは教えてくれなかったし……」

 

「だれ、それ? もしかして魔術の師匠ってやつ? へぇ、意外だな」

 

 そんな魔術界隈の世間話を済ませて、山門に近付く。

 今にして思えば、まさかあの慎二とこんな会話をする事になるとは思ってもいなかった。

 長いこと友人をしているが、あまり共通する話題を持ったことは少なかった気がする。だから、なんというか、少し面映ゆいところもあった。

 それは慎二も同じだったのか、そっぽを向いて俺に顔を見せてくれない。

 

 

 

 やがて山門まで上りきる。

 その時、どうにもライダーが怪訝そうに口を開いた。

 

「おかしいですね……門番がいないとは」

 

「門番? ライダー、それはどういう事ですか」

 

「セイバー。ここにはキャスターと同盟を組んでいたアサシンのサーヴァントがいたのです。門番として境内に入ろうとするものを阻もうとしてくるのですが、なぜか姿が見えない……」

 

 ……そんな、同盟を組んでいるのなら、いの一番に教えてもらわなきゃ困ることを、ライダーは平然と言ってのけた。

 

「し、慎二。今、ライダーが言ったことは――!」

 

「あぁ、本当だよ。ここにはアサシンがいた。でも確かにおかしいね。もしかしてもうほかのサーヴァントに殺られちゃったんじゃない?」

 

「違う慎二。俺が言っているのは……!」

 

「あぁもうわかってるよ。なんで先に言わなかったんだって言いたいんだろ? そんなの言う必要ないじゃないか。どうやらここの門番はアサシンの癖に気配を隠さない変なやつだったみたいだし、隠れるしか脳のないやつが隠れずに門番をしている時点で、セイバーとライダーに敵うはずがないだろう? 衛宮のセイバーも最優のサーヴァントって称号があるんだし、どうせ言ったところで歯牙にもかける必要はないよ」

 

 ……ダメだ。慎二は分かってない。

 俺が言っているのは、同盟を組んで協力関係になった以上、情報の共有はしておくべきという話だ。

 いや、慎二はそれが分かった上で、俺たちに教える気がないのか……?

 

「ほら行こうぜ。もう柳洞寺で隠している事はないよ。アサシンはいないみたいだし、このまま境内に上がってキャスターを仕留めようぜ」

 

「……仕方ない。すまない、セイバー。行くぞ」

 

「――……はい」

 

 うわぁ……。慎二のやつ気付いてなかったけど、今のセイバーの冷ややかな視線、あれはかなりやばかったぞ。

 ついでに俺にも向けてた気がするけど……。

 

 あれ、これはもしや、最速で同盟決裂の危機が?

 さらにその危機とやらも、目の前にまで来ている可能性が……?

 

                                     「ア――――」

 

 境内に上がる。

 セイバーとライダーを前に、山門を背後にして辺りを警戒する。

 奥へ進み、寺の近くを周る。

 

「――――! マスター!」

 

 ふと、セイバーの鋭い声が夜の中に響いた。

 セイバーの見ている先を目で追い、そこにある人影を注視する。

 

 そこで俺たちは、目的の人物を確かに発見した。だが、どうにも様子がおかしい。

 何故ならそこには、既に真っ赤な血に濡れて呆然と座り込む、キャスターの姿があったのだから……。

 その手には、何か歪な形をした短剣を持っている。

 そしてキャスターが見つめる先には、()()()()()()()()が地面に転がっていた――――

 

 

 

   ◇

 

 ――時はほんの少し遡り――

 

 

 

 深夜の柳洞寺にて。

 私は帰りの遅いマスター・葛木宗一郎様の事が気になって仕方がなかった。

 

「どうしのかしら。こんな夜遅くになって帰ってこないだなんて……教師としての仕事は私自身よく知りませんけど、さすがにこれは遅すぎるわ……」

 

 まさか、アサシンを倒した刺客に狙われてしまったのかしら……。

 嫌な想像をしてしまい、そんな事はないはずと頭を振る。

 

 昨夜、境内に現れた謎の黒い影と新たなアサシンに境内を侵食されたあと、大事がないようにあれこれと結界や陣地を整えていたら、昼間から宗一郎様の姿を見失ってしまった。なんのパスも繋いでない以上、私が常に宗一郎様の隣にいて警護なりサポートなりしなければならないのに、それを疎かにしてしまった事を、私は今になって後悔している。

 

「ご無事で、宗一郎……」

 

 もう夜になってしまったから迂闊に外には出られない。

 サーヴァントでは、それが現れるまで知覚できない影とは相性が悪すぎる。

 全てが後手に回ってしまう相手なんて避けるに限る。

 なによりここで私が出向いてしまったら、夫の帰りを待つ家内としての義務を放棄する事になってしまうもの!

 

                                      「――――」

 

 ――――ふと。

 なにか、虫のさざめきのような音が耳に入ってきた。

 

                                     「――――れ」

 

 ――――これは、一体なんでしょう?

 聴覚に訴える幻術でもないようだし、耳を澄ませてみる。

 

                                     「――てくれ」

 

「――――――――」

 

                           「たすけてくれ、キャス、ター……」

 

「――――宗一郎様!」

 

 確かにこれは宗一郎の声!

 寺の中。寝室として割り当てられた部屋から居間を渡って廊下に走る。

 廊下の奥には玄関があり、ガラスの奥に宗一郎と思しき人影が見える。

 

                         「たすけ、て、くれ……キャスター……」

 

「宗一郎! 今!」

 

 スカートをたくし上げ、全力で廊下を駆け抜ける。

 玄関にまで辿り着き、戸の把手に手をかける。が、何故か横に引いても戸が横に滑らない。

 力強く引っ張っても開かない! なぜ、なんで!

 

                                   「キャスター……」

 

 苦悶に満ちた声で、私に助けを求めるあの人。

 

「待ってください! 今、開けますから! ――この、なんで!?」

 

 次の瞬間、あまりに軽く簡単に戸が開かれた。

 そこで、なんで戸が開かなかったのかを理解した、次の瞬間――――

 

                          「ダメだ。来るな、キャスター……!」

 

 ――――宗一郎の背後に、あの白い仮面が浮かんでいた。

 

                                    「■■ー■―■」

 

 ……あぁ、戸が開かなかったのは、宗一郎が残った左腕で戸を抑えていたからだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは既に、宗一郎の体ではなかった。

 

 宗一郎の黒い右腕が、私の胸に伸びる。

 これはアサシンとランサーを殺したものと同じ宝具だ。

 

 そのことを咄嗟に理解した私は、

 

 ……私は、

 ……わたしは、

 ――――わたしは、

 

 わたしは、

 わたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは、、

 

 どうしたら――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この手に宝具の短剣を構えて、伸ばされた腕に刃を突き立てた。

 ――――――――私は私が助かるために。あの人を……宗一郎様を殺したのだ。

 宗一郎の黒ずんだ右半身から白い仮面が飛び退る。

 

                                    「■■―■―■」

 

 初期化された宝具を即座に再使用し、今度こそ飛びかかってくるアサシン。

 ――――私は、その罰を受け入れる事にした。

 

 何もせず、何も為さず、迫り来る死を受け入れる。

 その前に宗一郎を抱きとめて、互いの位置を真逆に置き換えた。

 これで心臓を潰されるのは私。宗一郎はこのまま玄関に上がって、家に帰る。

 疾うにその命がなくなっていたとしても、せめて、これだけのことはしてあげたかった……。

 

 ――目に涙が溢れる。

 そのせいか、いま見ているものが現実だとは到底思えなかった。

 私のせいで半身が消失して絶命していたはずの宗一郎が、残った左腕で私の体を強引に引き戻し、互いの位置を反転させたのだ。

 

「うそ……」

 

「――――――――」

 

 宗一郎の背後に、アサシンの右腕が伸びる。

 

「そういち――――!」

 

 前に出る体を突き飛ばされた。

 それとほぼ同時に、宗一郎と私の間に黒い影のようなものが高速で通り過ぎる。

 

 ――あぁ、貴方は、最期まで、私のことを……。

 

 彼には疾うに半身がなく、ゆえに心臓を潰されたところで、失うものは何もなかった。

 

 ――()()()()()()()()()()()()――

 

 その声を聞いて、ついに立っていられなくなった。

 玄関に尻餅を搗いて、その亡骸をただただ見下ろす。

 何も出来ないで、ただ溢れるばかりの涙が止まらなかった。

 

 

 

 ――――、…………。

 それから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。

 もしかしたら、一分すら経っていなかったかもしれない。

 ……なにやらドタドタとうるさい。野次馬の声なんか聞いている暇はない。

 

「……ひっ。なんだよ、これ。死体……なのか? 半分、綺麗にないじゃないか!」

 

「…………っ」

 

 どうやら空気の読めない坊やたちが現れたみたい。

 

「…………」

 

 中には空気の読める女性もいたようだけど、これは寡黙というのかしら。

 

「……キャスター。まさか貴様、己がマスターを裏切ったのか!」

 

 ――――――――。

 中には、正論を言ってくれる王道な人もいたみたいね……。

 

 ――魔女(キャスター)が、マスターを裏切った。

 

 これを見たら、誰だってそう思うわよ。

 あの人は、最初から最期まで私を助けてくれたのに。

 私が出来たことは、最期にあの人を人間として死なせてあげたことだけ……。

 

 えぇ、だから、やはり私には、裏切りの魔女が似合っているのよ――――

 

「は――――はは、アハハ……アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 そう思うと、なんだか全てがおかしくなった。

 おかしくならないと耐え切れなかった。

 この筋書きを仕込んだ黒幕は、どうしようもないくらい筋金の入った極悪人だと。

 

「ア――ハハ、は。そうよ。私が、私が殺したのよ? だって、どうしようもなかったじゃない! どうしようも、なかったじゃない!」

 

「黙れ外道! サーヴァントであるものが主を裏切るなどと……ここで斬る!」

 

 セイバーがこちらに駆けてくる前に吶喊する。

 それは捨て身の特攻。私の宝具で触れさえできれば、道連れにはできるかもしれない。そんな事は不可能だと知っていても、それでも、最期まで諦めなかったあの人みたいに、私は――――!

 

 

 

 

 

「――――そうよ。最後まで、諦めちゃダメなんだから――――」

 

 

 

 

 

   ◇

 

 ――時は戻り――

 

 

 

「……キャスター。まさか貴様、己がマスターを裏切ったのか!」

 

 セイバーの怒号が飛ぶ。

 それでようやく、キャスターはこちらの存在を把握したらしい。

 

 フードに隠れてその素顔は見えない。

 それからキャスターはゆっくりとこちらを見上げて、突然、狂いだしたように笑い出した。

 

「は――――はは、アハハ……アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 狂乱するキャスターは、短剣を手にゆらりと立ち上がる。

 

「ア――ハハ、は。そうよ。私が、私が殺したのよ? だって、どうしようもなかったじゃない! どうしようも、なかったじゃない!」

 

 癇癪を起こすキャスターは、甲高い絶叫をあげる。

 その姿は、見るに痛ましいものだった。

 

「黙れ外道! サーヴァントであるものが主を裏切るなどと……ここで斬る!」

 

 ――――っ! セイバーが駆けた。まずい。

 キャスターの短剣が危険なものだと解析できていたのに、あまりの事態に伝え忘れていた!

 

「ま――」

 

 待て、と。俺はセイバーに待ったを掛けようとする。

 が、次の瞬間ーーーー頭上から、思わぬ声が割り込んできた。

 

 

 

 

 

「――――そうよ。最後まで、諦めちゃダメなんだから――――」

 

 

 

 

 

『――ッ!?』

 

 その場にいる全員が顔を上げた。

 頭上からこだましてきた声の主は、セイバーとキャスターの間に割って入る形で立ちはだかる。

 その手には、煌びやかな小剣を携えていた。

 

 そしてキャスターを斬ろうと駆けていたセイバーは、突然の乱入者に驚きつつも、乱入者諸共キャスターを切り伏せようと駆け続け、容赦なく不可視の剣を振り下ろす。

 それから剣と剣が鍔迫り合い、一回だけ火花を散らす。

 続けて二度、三度、敵はセイバーの不可視の剣を見切っているのか、その全てを完璧に弾いていた――!?

 

「――ッ!」

 

 あまりの正確無比な対応の仕方に、セイバーは戦慄を覚える。

 まさか、敵には見えない剣が見えているのか?

 それは否、あれはどちらかというと、敵は()()()()()()()()()()()()()()()()かのように思えた。

 だってあの剣捌きは、そうとしか思えない動きからくる体動だったからだ。

 

 遥かに自分より強く速い剣筋でも、どこから来るのかさえ知っていれば、予めそこに剣を用意しておくだけで難を逃れることができる。

 あの斬り合いはそういうものだ。何故なら敵は、セイバーの剣をまったく見ていない。

 ましてや背後にいるキャスターに顔を向けて、会話さえこなしていたのだから……!

 

 その、ある意味ではデタラメな戦い方に、俺は敵の持つ剣に秘密があるのではないかと思い解析する。

 それで分かった事は、あの剣は暴風の化身であり、体が剣で出来ている虎の化身でもあった。

 神秘の濃さでいえば、人類が存在する前という領域にまで片足を突っ込んでいる太古の霊剣。

 

 まさにそれは軌跡の剣晃(アンサラー)と云える代物。剣に宿る霊魂は、担い手の意思に応えて自ら剣を振るい続ける。

 少なくとも俺には、そんな風に見えた。おそらく俺の感想は近いだけで、厳密にはまったく違う魔術なのだろう。

 ゆえに、その剣には神秘が詰まっているというだけで、特別秘密のような秘密はなかった。

 

 何故よそ見をしながらセイバーと斬り合えているのかという説明には、まるでなっていない。

 さらに、その小剣の能力は単純威力系宝具に含まれるもので、それもセイバーの有する宝具『風王結界』の攻撃版。『風王鉄槌』と同じ属性の魔術である事が分かった。

 流石にサーヴァントの宝具には匹敵こそしないものの、かなりの高ランク。それこそAランク級の魔術として確立している。

 

「――Gale Saber――!」

 

 ――なっ!

 

「――にっ! 風王鉄槌(ストライク・エア)――!!」

 

 だっていうのに、Aランク級の大魔術を一小節で打ち放つなんて、デタラメに過ぎる!

 

 セイバーの暴風と敵の暴風がぶつかり合う。だが、敵の暴風はただ圧のある風ではなかった。

 それは風の刃と虎の牙を混ぜ合わせた、どれだけ失血させるかという効率を極めた鋒。

 たとえ魔術的な風の刃をセイバーの対魔力と宝具の暴風で完璧に防げたとしても、物理的な虎の牙がセイバーを噛み砕く!

 

「う――うぉおおおお!!」

 

 マスターとして分かる。セイバーの直感スキルが発動した。

 セイバーは、その剣から風の嵐を解き放ち続けながら一歩引き、二歩引き、最小限の首、膝、腕、胴の動き、くねらせ方で牙を紙一重のうちに躱していく。その全てが致命傷の一撃を、セイバーは一つのミスなく悉くを躱していく!

 

「っ――危ない!」

 

「うわっ、ライダー!?」

 

 突然、ライダーが慎二と俺の前に躍り出た。

 次の瞬間、ライダーの服に一線の切り込みが入る。同時にライダーの体から大量の鮮血が迸った。

 最小限の傷で止血不可能の出血をさせる。あの古代の霊剣は、そんな殺意に溢れすぎる魔剣だった!

 

「ラ、ライダー!」

 

 慎二の甲高い悲鳴が上がる。

 やがて風は止み、虎も牙を引っ込めた。

 

 セイバーと相対する謎の敵、突然の乱入者。

 俺と慎二は、その敵の姿を確かめようと、我が目を見張り、そして――――疑った。

 

「――――な!」

 

「なんで――?」

 

 ――――なんで、あいつがここにいるんだ?

 ……おそらく俺の感想は、隣で驚いている慎二と、まったく同じものだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「なんで――なんでお前がここにいるんだよ、ソニア!」

 

 今の僕の叫びは、きっと衛宮も同じ感想を抱いていたことだろう。

 マスターを殺したと思われるキャスター。

 それを衛宮のセイバーがトドメを刺そうとして、けれど突然の乱入者が現れてそれを防いだ。

 さらにその乱入者は、僕たちのクラスメイトである、ソニア・ド・ヴァンディミオンだった!

 

「おい、ソニア! お前、おまえ……。おまえも、魔術師だったのかァ!?」

 

「……………………」

 

 ソニアは何も答えない。答えてくれない。

 その瞳は、僕の知る彼女じゃなかった。

 冷酷で、無慈悲で、きっと呆気なく僕を殺してしまいそうな、そんな冷たい目をしていた。

 

「――――トレース・オン」

 

 横から衛宮の声が聞こえる。

 今のは何かの自己暗示……魔術の詠唱なのだろうか。

 背負っていた木刀を取り出して、それが鈍く光っているということは、さっき衛宮が言っていた強化の魔術?

 ならば、木刀の硬さが強化されたっていうのか?

 

 ――なんだ。地味だな。

 なんて事を思いながら、僕は衛宮が武器を構えている事に、遅まきながら、それがどういう事なのかに気が付いた。

 

「お、おい……衛宮、な、何してんだよ。相手はソニアだぞ? 僕たちの友達だぞ?」

 

「下がっていろ、慎二。あいつ、本気だぞ」

 

 ……本気? 何が?

 

「シロウ。つかぬことを聞きますが、彼女は貴方の友人なんですか?」

 

「そうだ。彼女の名前はソニア・ド・ヴァンディミオン。俺たちと同じ学校に通うクラスメイトだ。それでも、まさか魔術師だったなんてのは知らなかった……!」

 

「そ、そうだよ。衛宮の言う通りだ。だからライダー! それにセイバー(お前)も! 絶対にソニアを傷付けるんじゃないぞ! それにソニア、おまえもおまえだ! なんで何も言わないんだよ! 魔術師なのかって聞いてんだろ!」

 

 しかしソニアは、背後でうずくまるキャスターに対し、背中を向けたまま声をかける。

 

「……キャスター。今、私が話した通りに動きなさい。死に物狂いには慣れているでしょう?」

 

 ――――クッソォ。無視。無視だ。

 あいつ、僕を無視しやがってる!

 

「あ……あなた、何者なの?」

 

 呆然と立ち尽くすキャスターが、ソニアを見て問いかける。

 

「さぁ……強いて言うなら、ノルンの三姉妹ウルズの娘とでも名乗っておきましょうかね。あっでもカサンドラって名乗るのも、かなり皮肉が効いていて面白いわね。どっちにしようかしら。まぁどっちでもいいわよね」

 

 ふと、あの冷たい目の色は消え失せて、今度は飄々と振る舞い始めた。かなり演技臭い。

 

「それでキャスター。貴女はどうするの? さっき話した通り、私なら三十秒が限界だけど、セイバーとライダーを足止めすることが出来るわ。その間に貴女は距離を取って、戦闘準備を整えなさい。ライダーはすぐに逃がしちゃうけど、その代わりセイバーは五分未満で倒してあげる。相性勝ちってやつね。それで、貴女はライダーと戦って時間を稼いで欲しいの。私がセイバーを倒したら、すぐに追いついてライダーを片付けてあげるから。――ねぇ? できるでしょ?」

 

 ……な、何を言っているんだ、あいつは? 馬鹿なのか? に、人間の癖して、サーヴァントを倒すだって?

 いや、確かに今のでソニアはすごい魔術師なんだなと漠然と思ったけど、それでも無理だ。

 サーヴァントはレベルが、次元が違いすぎるんだよ!!

 

「どこの魔術師だか知らないけど、正気?」

 

「正気じゃなかったから、こんなことしてないわよ。莫迦……」

 

 その言葉は、誰に向けた言葉でもなく、自分に当てているかのようなセリフだった。

 

「……良いでしょう。無駄な悪あがきだとは思いますけど、確かに諦めきれない。諦めてはいけない。聖杯さえあれば、あの人を。……だから貴女の口車に乗ってあげましょう。どんな過去(ミライ)を紡げるのか、今から楽しみね? お嬢さん――――」

 

「……交渉、成立ね。まぁ時間を稼ぐと言っても、逃げるだけで構わないわ」

 

 話は終わったのか、キャスターはマントを広げて、ふわりと宙に浮かんだ。

 

「待て、キャスター! ――ッ!」

 

 逃げようとするキャスターを追おうと、セイバーが前に出ようとする。

 しかし、身も凍えるような殺気を向けてきたソニアを前に、セイバーは足を止めた。

 

「クソッ。おい、セイバー(お前)、何してんだよ! ソニアなんかに縮こまってないで、早くキャスターを追えよ!」

 

「……シロウ。ライダーのマスターに何か言ってやってください」

 

「慎二。セイバーの言う通りだ。ここでセイバーがソニアから目を離したら、俺たちは一網打尽だぞ」

 

「……チッ。だったらライダー! おまえがキャスターを追え! おい、起きろよ!」

 

「慎二! ライダーは血まみれなんだぞ!」

 

「それがどうした! 魔術師なんかにやられやがって! お前は僕のサーヴァントなんだぞ! だったらほかのサーヴァントの一人や二人、仕留めてこいよ! ライダーァ!」

 

「……ふ、ぐっ……」

 

 偽臣の書を持ち出して、言う事を聞かないライダーを縛り上げる。

 するとライダーは、血を流しながらも立ち上がった。

 そうだ。そのままキャスターを追え!

 ソニアのサーヴァントがキャスターだとしたら、それを倒すことで僕の力を見せつけてやるんだ!

 どいつもこいつも魔術師魔術師。僕だってマスターなんだから、同列のはずなんだ!

 

「ベルナデット!」

 

 ――ソニアが叫んだ。

 次の瞬間、ライダーの身体に一本の茨が蛇のように巻き付いて、ライダーを縛り上げる。

 

 それからソニアは、またあの冷酷な目を作り、今度はライダーを見下した。

 

「さて、ライダー。貴女には醜い醜い、醜悪極まりない怪力があるのでしょう? それを使えば、私のベルナデットなんて簡単に引き千切る事が出来るわよ。……え? 美しい女? ふざけないでよね。貴女は蛇蝎のようにしか生きられない、生まれ落ちた怪物の女神なんだから。――――なにより貴女のせいで、美しく可愛い姉たちが地獄に落ちたのは、本当に滑稽な話よね?」

 

「――――ッ!」

 

 ……? なんだ。あんなライダーの顔、初めて見たぞ。怒っているのか? 何に?

 

「……貴様、ソニアという名だな。シロウの友人だと聞いていたが、いくらそれ相手でも、サーヴァントの過去を侮辱するのは許せない。ライダーの過去に何があろうと、貴様がそれを罵っていいはずがない! 待ってろライダー。今その茨を斬ってや――っ!」

 

 剣と剣の打撃音。

 一瞬、まったく目で追えなかった。

 セイバーがライダーに近付こうとしたら、数十メートルの距離を一瞬にしてソニアが詰めて、セイバーを吹き飛ばしたのだ。

 

 互いに傷はなく、膠着状態が続く。

 

「あら――――そういえば三十秒。簡単に過ぎちゃってたわね。この分ならあと一分は時間稼ぎできるかしら? キャスターの手間なんか借りなくても、たかがサーヴァント二騎、楽勝かも知れないわね」

 

「ほう。言ったな。ならばサーヴァント相手に本気で打ち合うか。手加減はしないぞ」

 

「まっ待て、セイバー! ソニアと戦うな……! 俺の友人だって言っただろう!」

 

 ……くそっ。なんだよこれ。

 お前ら全員、ソニアのいいように操られてんじゃないか。

 ソニアの狙いが何かは知らないけど、これじゃあ、あいつの思うツボだ。

 ライダーもセイバーも、ソニアの煽りを真に受けている。

 

 ……仕方ない。こうなったらソニアの口車に乗るしか状況は進展しない。

 ソニアはセイバーが相手をするとして、ライダーにはキャスターを追わせないと。

 

「おい、ライダー。その茨を引きちぎって、キャスターを追いかけろ! 早く!」

 

「――ぐっ、う、うぅぅっ――」

 

 ライダーの筋肉に力が入る。

 みしみしとライダーに巻きつく茨は音を立てて、やがて茨は跡形もなく引きちぎられた。

 

「よし、ライダー、行け!」

 

「……………………」

 

 ライダーはソニアを一瞥したあと、跳躍して寺の屋根に登っていく。

 

「衛宮、分かってるな。そこのサーヴァントに、絶対ソニアは殺すなときっちり命令しとけよ! 僕はキャスターを追いかける! じゃあな!」

 

「待て慎二! 単独行動はまずい! それにライダーと二人がかりでなら、ソニアを抑えられたはず――――慎二!」

 

 うるさいうるさい。

 これは僕が一人で敵を倒さなきゃダメなんだ。二人がかりなんて僕の手柄じゃなくなっちまう。

 魔術師ひとりを倒すより、サーヴァントを倒さなきゃいけないんだ!

 

 

 

 

 

「――ほう? 何やら面白い諍いが起きておるのう。野次馬根性ではないが、儂も混ぜてはくれんかね?」

 

 

 

 ――――そこで、こんな場所で聞くはずがない、厭な胴間声が耳に響いた……。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「――誰だ!」

 

 セイバーと共にソニアと対峙して、慎二が走り去ろうとした、そのとき。

 やけに耳に厭な感じを残す寂声が境内に響いた。

 

 俺たちの前に現れたのは、嗄れた老爺。

 それを見て慎二は固まったあと、次にこう言った。

 

「おじい、さま……」

 

 おじいさま? つまり、慎二の祖父?

 ……ってことは、桜の祖父? とどのつまり――――魔術師!

 

「――っ! シロウ! 下がって!」

 

 ふいにセイバーの怒号が入る。

 が、その耳に聞き届けた言葉を理解する前に、俺の顔面めがけて放たれた絶対の死を予感した。

 

 ――それは容易く俺の顔面を吹っ飛ばす戦車砲並みの一撃。

 しかし、その形状は砲弾のように大きなものではなく、手のひらサイズの短刀だった。

 

「ハァ――!」

 

 渾身の一撃でその短刀――――ダークを弾き、俺を守ってくれたセイバー。

 セイバーはソニアと老人、そしていつの間にか老人の傍らに立っていた白い仮面のサーヴァントから、俺を守るように剣を構える。

 

「……アサシンのサーヴァント」

 

 白い仮面のサーヴァントを見て、セイバーが呟く。

 

「お……おじいさま、なんで……」

 

「慎二。我が孫よ。おぬしはほとほと頭の悪い小僧よなぁ。セイバーと同盟を組んだのなら、ここはライダーと協力して、そこな不穏分子を始末しておくべきじゃろうに……」

 

「な、なに言ってんだよ。あ、あいつはダメだ。それに、これは僕の戦いだ。い、いくら、おじいさまでも――」

 

「――うぬ?」

 

「ひぃいい!」

 

 悲鳴を上げて後退る慎二。だが、どうやらあの老人は慎二をどうにかするつもりはなさそうだった。

 魔術師は身内に甘いと聞くが、もしやそれは今みたいな事だろうか。

 

「まぁよい。ライダーはもう行ってしまったしな。ほれ、向こうで戦闘音が聞こえる。ならばここは同盟者の祖父はまた同盟者ということで、セイバー、どうかな? ここはアサシンと協力して、そこの娘を殺すというのは……」

 

「ふざけるな。今の一撃を放ったあとでよくもぬけぬけと。まさか一分前の出来事は忘れてしまうという呆けた老爺ではないだろうな」

 

「儂がボケ始めておると? まぁ否定はできんが、協力を拒むのならそれでよい。何故なら、あの娘を倒すのは至難だが、セイバー。おぬしは簡単に倒せるからのう」

 

 ……なんだって?

 

「――――っ。どいつもこいつも、セイバーのクラスを甘く見ているな。その身を以て分からせてやろうか」

 

「待て、セイバー。これは罠だ。煽られているのが分からないのか!」

 

「シロウ!」

 

 その一喝。

 俺の名前を叫んだあとで何も言わないということは、俺ならそのあとに続く言葉が何であるか分かってくれると、セイバーがそう信じてくれているからか。

 

「あら、セイバーとアサシンの果し合い? 面白いわね。私はお邪魔らしいから去らせてもらうわ」

 

 ソニアが言った。

 老人に気を取られていたため、セリフを聴き終えると同時に振り向く。

 すると、先程までそこにいたソニアの姿はどこにもなく、どこかへ消えてしまっていた。

 

「……ソニア?」

 

「シロウ。あの少女はライダーとキャスターのところへ向かいました。数秒でも私と斬り合える相手です。キャスターと彼女を相手にして、ライダーが無事でいられるかどうか分かりません……」

 

「そうか。かと言って、今の俺は完全に足でまといだ。現在の柳洞寺にサーヴァントは四騎。強力な魔術師が二人。マスターなだけのへっぽこが二人……。そのうちサーヴァント二騎と魔術師二人が敵とは、お世辞にも良いとは言えない戦況だ。混沌としすぎている」

 

「良い状況判断です、マスター。ゆえに今から勝利ではなく生還のために戦います。私から離れることのないように。マスターの命は、私が命に代えても守ります」

 

「馬鹿言え。女の子にだけ命を張らせるか。俺も戦う」

 

「なっ――貴方という人はこんな時に……えぇい。とにかく離れないように! 分かりましたね!」

 

 セイバーと肩を並べて木刀を握り締める。

 

「作戦会議は終わりかのう? では――」

 

「おおいまてまて、待てよ! おまえら僕のことを無視しすぎじゃないのか! おじいさま、僕は今、衛宮とは同盟を組んでいるんだ。それに衛宮を倒すのはこの僕だ! 僕の邪魔をしないでくれよ!」

 

「ダダをこねてくれるな、慎二。……お主はそれで良いのか? お主のサーヴァントであるライダーは、今もキャスターと戦っておるぞ。ここでのうのうと喚くだけで、本当に良いのかのう?」

 

「――――っ。あぁもう、お願いだから殺さないでよ、おじいさま! ……ぐっ、くそっ、くそう!」

 

 地団駄を踏みながら、慎二は走り去っていく。

 ライダーのところへ向かったんだろう。

 

「クカカッ。……それではアサシン。あとは頼んだぞ」

 

「――――御意に」

 

 そして、セイバーとアサシンの正面対決が始まった。

 黒衣を翻したアサシンは駆ける。まさかセイバーと正面から打ち合うつもりなのか!?

 

「驕ったな、アサシン!」

 

 その行動に憤慨したセイバーが、未だ風を纏いきれていない剣を手に吶喊した。

 互いに自動車より素早い疾駆。

 やがてその疾走は、目の前に飛行機の交通事故が起ころうとしていた。

 

 剣を掲げて振り切るセイバー。

 黒衣から尋常じゃない長さの右腕をセイバーに伸ばすアサシン。

 

「――ッ!」

 

                                    「■■―■―■」

 

 その宝具は、悪魔に魅入られた呪いの右腕だった。

 類感呪術の応用。暗殺対象の心臓を模した模造品を生成し、それを潰す事によって疑似的な死を与える呪術。しかし対象の心臓と模造品の心臓は、あくまで別物。だが悪魔に魅入られた呪いなら、その模造された死は鏡合わせとなる。

 

「セイバー!」

 

 あの右腕に触れられたら、セイバーは死ぬ!

 類まれな直感を駆使して、セイバーは即座に狙いをアサシンの右腕に切り替える。

 悪魔の右腕を斬りつけて、アサシンの左側に身を逸らす。

 

「覚悟!」

 

 そのままマントの下にある首を斬り落とそうと、セイバーは剣を振り切る――!

 

 

 

 ――月明かりの下、髑髏の首が宙を舞った。

 朱色に染まった月はなく、地に撒かれた鮮血もなく、辺りにはただ影が落ちるだけ。

 

「……アサシンは斃した。次は貴様だ御老公」

 

「カッカッカッ。アサシンを、倒したじゃとう? クカックカックカッ! ――――よもやそれは既にアサシンではなく、山の翁でもなく、桜の木の下に縮こまった幼き影でしかないと、まだ気付かんのか?」

 

「なに? ――――ッ!」

 

 よく判らない事を、老人はのたまった。

 そのとき、境内の反対側で戦闘をしていたライダーとキャスターが、柳洞寺を一周してまたここに戻ってきた!

 

 マントを広げて飛翔し、結界陣から魔力砲を乱打するキャスター。

 それを対魔力で弾きながら空を飛ぶ相手に肉薄するライダー。

 その顔には、あの目元を隠したバイザーはなく、あらわになった両眼は、何か特別な魔眼の類である事が見て取れた。

 

「――うわっ!」

 

「シロウ――!」

 

 砲撃の雨にセイバーと分断される。

 そのとき俺は空襲の中、恐るべきものを見た気がした。

 

 首のないアサシンが、むくりと起き上がる。

 セイバーは俺の方を見ていて、蘇ったアサシンに気が付いていない。

 また、その後方には口元を吊り上げる老人が独り居て……爆音により嗤い声は聞こえなかったが、俺にだけは聞こえていた。

 

 ――セイバー、地に堕ちたり――

 

「ぐっ、セイ、バー!」

 

 目の前に人間ひとりを焼き尽くさん魔力砲撃が着弾した。爆風に吹き飛ばされて地面を転がる。

 今の余波で簡単に木刀が折れてしまった。なんてこった。本当に自分は役立たずじゃないか――――

 

「衛宮!」

 

 駆け寄ってくる声は慎二のもの。這い蹲っていた俺に肩を貸してくれた。

 爆音に脳を揺さぶられて吐き気と頭痛がする。俺は不明瞭な視界で、なんとかセイバーの方に目をやった。

 

「ぐ、う、ぅっ……これ、は――――」

 

 苦悶の表情を浮かばせて、足元にへばり付く黒い何かを払おうとしているセイバー。

 それは頑なにセイバーから離れず、徐々に彼女の体を蝕んでいた。否、あれはどちらかというと底なし沼。

 セイバーはだんだん地面より下に沈んでいっている……!

 

「セイバー!」

 

「ま、待て衛宮! あれは何かやばい! やばいやつだ!」

 

「離せ慎二! セイバーが! セイバー!」

 

 ――再度、キャスターの魔力砲弾が辺りに着弾する。

 爆風を面食らい、足元がおぼつかなくなる。

 

「……ぐっ。シ、ロウ――すま、ない……」

 

 ――――何を。

 何を謝ってんだ。何で謝る必要がある。何で負けを認める必要がある!

 

「セイバー!!」

 

 慎二の腕を取り払って駆け出す。砲撃の雨の中を掻い潜って、底なしの黒い泥沼池からセイバーを救い出すんだ。

 既に首までどっぷりと浸かっているが間に合わないわけじゃない。

 その金色の髪を引っ張ってむしり取っちまう事になっても、絶対に――――!

 

「――そこまでよ。士郎」

 

 ――――足が、止まった。止まってしまった。

 このまま前に進んで、俺の首元に突きつけられる剣にわざと貫かれてでも前に進んでやるつもりだったのに、足が止まった。

 何故だ。……あぁ、そうか。自分の足元を見て分かった。これはさっき、ライダーを縛っていた茨の蛇だ。

 ライダーに完全に引きちぎられたと思っていたけど、もう一体いたのか。

 

「どけ、ソニア――――」

 

 既にセイバーは顔まで浸かっていた。最期に見えたのは、泥に汚れながらも失われなかった聖緑の瞳。

 俺を見るそのとてもすまなそうな目が、どうしても我慢ならなかった。

 セイバーにじゃない。あんな目をさせてしまった、俺自身に……。

 

「――……っ」

 

 最期に、重いものが水に沈みきったときの呑吐する音がして、手の甲にある令呪の色が痛みと共に消え失せた。

 

「……もう通っていいわ。もう士郎に用はない。最期に愛した人に別れでも残したら?」

 

 そう言って首に向けた剣を下ろし、ソニアは俺の横を通り過ぎていく。

 

「おい、衛宮。セイバーは、どうしたんだよ……。まさか本当に、殺られちまったのか?」

 

 ……まさか。そのまさかだ。

 少し黙っていてくれ慎二。信じられないのは俺の方だ。

 目の前で死なれたのに、俺は最後に遺されたこの令呪の痕を、ただ見下ろす事しか出来ないでいる。

 

「慎二。偽臣の書を出しなさい」

 

 俺の後ろにいる慎二に向かって、ソニアは泰然と歩み寄っていく。

 その澄ました声色は、もう俺たちの知っている彼女ではなかった。

 

「――! な、なんで、お前なんかに僕の魔道書を見せなきゃいけないんだよ……」

 

 刹那、ソニアの剣が空を切る。

 

「――慎二、逃げろ!」

 

「――慎二、逃げるのじゃ!」

 

 セイバーを殺した野郎と声がかぶった。

 次の瞬間、ソニアはサーヴァント級の移動速度を以て慎二の背後に回っており、慎二の手に持っていた本は、いつの間にか真っ二つに切り飛ばされていた。

 

「――――え? あ……あ、あ、あぁ! ぼ、僕の、僕の本が……!」

 

「や、やりおったなヴァンディミオンの魔術師! ええい、アサシン。あの魔術師は相手にするな。代わりにあの衛宮の子倅を始末するのだ」

 

 その命令と同時に、アサシンのダークが俺めがけてかっ飛ぶ。

 俺は何もできない。俺はここでセイバーを失って、何も出来なかったまま死ぬのか。

 

「え、衛宮ァ!」

 

 背後から慎二の叫びが響く。

 俺は諦めた。だが、体は死を避けようともがく。

 しかしサーヴァントの攻撃速度に対抗できるほどの術を、俺は知らない――――。

 

「――ぁ」

 

 全てが遅く見えた。

 目前の死を眺め、人生終了を脳裏に体験する。

 

「世話の焼ける!」

 

 刹那、数十メートル離れていたはずのソニアが、俺の前に現れていた。

 簡単にダークを小剣で弾き、なぜか俺を助ける。

 

「――Luristan――!」

 

 次に何かの詠唱をしながら、ソニアは懐からデリンジャーを取り出した。

 銃口の先から、魔力濃度の高い呪詛の弾丸が、アサシンに向けて発砲される。

 首のないアサシンに、それを避ける術はない。

 もろに銃弾を喰らったアサシンは、しかし吹き飛ばされる事はなく、まるでその場で石化したかのように硬直してしまう。

 

「――キャスター、宝具!」

 

 頭上を見上げてソニアが叫ぶ。

 釣られて真上を見上げると、そこには既に柳洞寺を何周もして戦闘を続けていたキャスターとライダーと――――さらに、いつの間にか跳躍していたソニアの姿があった。

 

 そこで俺は違和感を持った。

 慎二の偽臣の書(れいじゅ)はソニアに真っ二つにされ、ライダーは契約が絶たれた状態のはず。

 つまり魔力の供給がなくなったサーヴァントは、途端に弱るはずだ。

 なのにライダーは、逆に今までより、その威容を大きく感じさせていた。つまり、パワーアップしていたのだ。

 

 一方、キャスターは動きが鈍っているようだった。

 契約が切れたはずのライダーが強くなった事に戦慄しながら、ソニアの指示に従い、懐からあの短剣を取り出す。

 

 そしてぶつかり合う二騎の勝負の行方は、もはや明白だった。

 ライダーとキャスター。

 その実力差は歴然としており、邪魔者さえいなければ、ライダーがキャスターの短剣を弾いて、ライダーの短剣がキャスターを屠る。

 

 ……そう、邪魔者さえいなければ。

 

 一瞬のうちに俺の前から跳躍して、ライダーの背後を取ったソニア。

 その手にはセイバーと鍔迫り合った小剣を手に、ライダーの首を獲りに行く!

 

 ――ここでライダーは選択を迫られた。

 まず一つ目、ここでキャスターの短剣を弾けば、確実にソニアに首を切り飛ばされる。

 次に二つ目、ここでソニアの短剣を弾けば、確実にキャスターに短剣を突き刺される。

 どちらが致命傷で、どちらが浅い傷となるか。相討ちよりも生還を取るなら、答えは一つ。

 

 ライダーは空中で身を反転させ、ソニアの必殺の剣をガードした。

 しかし、それと同時にキャスターの短剣が背中に突き立てられる。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)――!」

 

 キャスターの宝具がライダーに突き刺さった瞬間、とんでもない魔力の渦がライダーの肉体から解き放たれた。

 あの宝具は魔術破りの短剣。あらゆる契約を断ち切る掟破りの反則剣。

 だが、既に契約が切れていたはずのライダーから、いったい何を断ち切ったというのか?

 

 そこで全員、力尽きたのだろう。

 キャスターもライダーもソニアも、ボロ雑巾のように空から降って地面に激突した。

 

「……な、なんだよ。いったい何なんだよ! 何が起きているんだよぅ!」

 

 たしかに――――慎二の言う通り、状況は混沌としていた。

 そのあまりのカオスぶりに、セイバーを失って白熱していた頭が急速に冷やされる。

 だが、最初から最後まで俺の頭に残っていたのは、ソニアの目的の不可解さしかなかった。

 

 砲弾の雨にめくられた大地。土は砂のように柔らかくなり、砂煙が辺りを覆う。

 それもすぐに、風が吹いて払ってくれた。

 

 ――そこに立っていたのは、ソニアだった。

 

「……………………」

 

 ソニアの体には傷一つない。だが、その顔ばせは苦痛に歪んでいた。

 今にも倒れそうな満身創痍の体。足を引きずって、片腕は既に動かないようだった。

 

「…………解せぬ。解せぬなぁ。イイぞ、訊いてやるともさ。ヴァンディミオンの魔術師よ。お主は今宵の乱戦で、いったい何を為そうとしているのだ?」

 

「……愚問ね。決まっているでしょう。教えるわけないじゃない」

 

 老人とソニアの問答。

 それもソニアの方から話を切って、彼女は俺と肩を並べた。

 

 その視線の先にはアサシンがいる。

 ソニアがアサシンに銃弾をぶち込んでから、まだ十秒も立っていない。

 

「……士郎」

 

 ソニアが小さな声で耳打ちをしてくる。

 

「私を信じてくれなくてもいい。ただ、生き残りたいと思うなら、私の言う事を実行しなさい」

 

 そんな事より、おまえの目的は一体なんなんだ。

 そう問いたかった。

 

「私じゃあ、あのアサシンは一秒も持たないでしょう。魔力無限で宝具を連発可能。さらに殺人に特化している宝具だなんて、勝ち目ないしね」

 

 確かにそうだ。

 あの呪術は、生物に心臓がある限り避けられない死だ。

 

「それでもサーヴァントなら話は別。今こっちにはマスター不在のサーヴァントが二騎いる。そのうちの一騎でも味方にできれば、相手も無駄な戦いを避けて帰ってくれるはず」

 

 マスター不在のサーヴァントとは、ライダーとキャスターの事か?

 まさか――――

 

「そのまさかよ士郎。――――貴方は今すぐここで、キャスターと再契約しなさい」

 

「……そのために、こんな事を?」

 

「あら、何でそう思ったのかは訊かないでおいてあげるけど、時間がないわ。言ったでしょ。一秒も持たないって……ね?」

 

 その苦笑いは、俺の知るソニアの顔だった。

 ――あぁ、それなら信じてやるさ。無駄な足搔きなんて思わない。

 だってソニアは、俺がそうしてくれると信じている。

 

 だってその瞳には、全くの疑いがなかったのだから――――!

 

「走れ、士郎!」

 

「キャスターァ!」

 

 アサシンに背を向けて、うずくまるキャスターに向かって駆け出す。

 それと同時に、背後で短刀と小剣がぶつかり合う金属音がこだました。

 

「……!」

 

 何事かと目を見張るキャスター。

 猛然と突っ込んでくる俺を訝しんでいるのだろう。

 

 だが――――俺は再契約の呪文なんて知らない。そもそもセイバーとの契約だって事故だったんだ。

 手の甲に宿る柄と鞘の紋様を遺した令呪の痕。その手をキャスターに伸ばす。

 本来この手は、セイバーに伸ばすはずだった腕だ。それも出来ず、今の俺はキャスターに手を伸ばそうとしている。

 

 ――ごめん、セイバー。

 

 否、謝ってはいけない。俺のこの手は誰の手だ。

 俺は正義の味方になって、誰かに手を差し伸べる人間になろうと思っていたはずだ。

 

 それも最初の方では、俺もセイバーに助けられてばかりで、ランサーの時も、バーサーカーの時も、一度もあいつに手を差し伸べることができなかった。だから、だからこそ……俺は二度と、()()()()()()()()()

 

 何故なら、この手はそもそも、セイバーの手だけを取る腕では、なかったはずだからだ。

 ゆえにこの手は、誰かのために伸ばされる手の平であらねばならない!

 

 このままではソニアがアサシンに殺される。

 このままではキャスターも殺される。

 その状況を打開できる策があるのなら、俺はセイバーとの繋がりを裏切ってでも――――!

 

「――キャスター、手を!」

 

「――Hexerei(ヘクセライ) Satz(ザッツ) von(フォン) Vendée Mion(ヴァンディミオン)――!!」

 

 刹那、背後から魔術の詠唱が囁かれた。

 それはどういった魔術なのか。鼓膜に届いたドイツ語の呪文。

 

 次の瞬間、俺の魔術回路が音を泡立てて反発した。外部から魔力を流されていると警告を発しているのだ。

 魔術回路はそれ自体が抗魔力となり、魔力の異常を敏感に感知して、毒となるものを跳ね返してくれる。

 だが、俺の魔術回路は警報を鳴らしながらも、何故かその魔力を受け入れていた。

 

 ……これは、ソニアの魔力?

 さらに魔術基盤の法則は強化の魔術に違いない。他人の体に魔力を流し込んで強化させるのは最高難易度とされる魔術だ。

 しかし、他人を強化するといっても、いったい俺の何を強化するっていうんだ?

 曖昧なものを曖昧に強化する事はできないはず。

 今の俺に、肉体強化なんてものを施しても――――

 

 

 

 ――再契約の呪文、知らないの? それなら、私が教えてあげる――

 

 ふいに、見知らぬ女性の声が脳裏に囁いた。

 

 ――あぁ、なるほど。だから強化なのか。

 この強化の魔術は、俺の肉体を強化させるためのものではない。これは俺の()()()()()()()ための()()だ。

 あくまで俺の体に憑依した詠唱代行者が、俺の魂を害さないように気をつけたもの。

 つまり、他人への憑依経験を成功させるための強化。謂わば“魔術の強化”と云えるものだ。

 

 ……しかし、果たしてそんな事が本当に可能なのか?

 魔術とは神秘だ。神秘とは曖昧なもので、曖昧に知られているほど魔術基盤が強固なものとなる。代わりに確固として知られていたり、知られていなかったりすると、魔術基盤とは脆弱になり弱くなる。下手をすると科学と大差なくなる場合もあるのだ。

 ……だが、それも魔術師が一生を掛けて、己自身として磨き上げた魔術研鑽の結晶である魔術刻印ならば。

 もしやそれは曖昧なものではなく、確固たる強化できる魔術になるのではないか――――?

 

 ――貴方も強化の使い手だから、なんとなく解るのね? そうよ。私のご主人様は、研ぎ澄まされた憑依経験の魔術刻印を持っていて、その憑依の対象者は自分だけではなく、最難関の強化を用いれば他者を含むことだって可能なの。

 さらに魔術刻印の中には憑き物祓いの加護が刻んであって、今回強化したものにはそれも含まれている。

 一人の人間の魂に、二人の精神は身に余る。だからご主人様は、貴方の“魂の容量”を一時的に強化・増量させたの。

 魔術刻印や魂は列記とした一つの性質。それを己に向けて強化することは一流の魔術師にしか出来ないけど、それを他者に向けるのは万に一つの至難の技。でもソニアにはそれが出来る。しかも魔術刻印と魂を二つ同時に強化できる。

 あの子は世界にただ一人の天才なの。だからそのおかげで、私はこうして貴方の中に入ることが出来た――

 

 脳裏に女性の声がこだまする。

 それから俺の代わりに、再契約の呪文を唱えてくれる。

 

 ――告げる。汝の身は我が下に、

 

「我が命運は汝の剣に!」

 

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら――

 

「我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう――!」

 

「させるかァ! アサシン!」

 

 老人の叫びに合わせて、アサシンのダークが二度(ふたたび)かっ飛ぶ。

 それがソニアの剣を軽く弾き飛ばした事を、俺は剣戟の音だけで察知した。

 

 ――ソニアが危ない。ソニアが危ないということは、同時に打ち損じたということ。

 つまり俺の背後には、今、アサシンの二本目のダークが……!

 

「――くっ!」

 

 刹那、地面に蹲っていたライダーが飛び起き駆けた。

 それは捨て身の特攻。俺の背後に飛び出て、次には何かが肉を抉り取ったような音が背後から聞こえる。

 

 ……それは言わずもがな、ライダーが俺を庇ってくれたということだ。

 地面に倒れこむライダーを耳にして……だというのに俺は、それでも構わずキャスターの下へと突き進む。

 キャスターも俺の言葉を受けて、歯を食いしばりながら起き上がろうとしていた。

 

「――キャスターの名を以て、その誓いを受けましょう……!

 仮初のそれですが、今だけは貴方を我が主として認めます、坊や――!」

 

 キャスターの指先と俺の指先が触れ合う。

 そのとき、契約の大儀式は完遂された。

 

 ――――剣と鞘の令呪が、僅かに歪な形へと変わっていく。

 同時にソニアに掛けられた、他者の魂を強化する魔術と、他者に対する憑依経験の魔術も解かれた。

 

「――――あ、ありえん! 御三家以外の令呪はすぐに消滅するはず……! いや、サーヴァントを失った直後なら、まさかあり得るというのかっ!」

 

「頼むキャスター! ソニアを――――」

 

 そう言い切る前に、キャスターの周囲に展開した魔法陣から、魔力砲のビームが発射された。

 間一髪ソニアに止めを刺そうとしていたアサシンの体にビームが直撃して、やつは呆気なく吹き飛ばされる。

 

「ぐぅぅぅ……ぬ、ぬぬぬぬぬ……アサシン! そこに転がる首を拾え、今は退くぞ! 対魔力のないお主では、キャスターの陣地内での戦闘は分が悪すぎるわい! 影はセイバーを捕食中じゃ。影がない限り、ここは退くしかあるまい!」

 

「――――、……御意に。魔術師殿」

 

 地面に転がっていた首を元に戻した不死身のアサシンは、ゆらりと闇に溶けて消えていく。

 そのマスターである老人もまた、その体を虫の群れに変えて飛び去っていった。

 

 ――――そうして、柳洞寺の境内で巻き起こった乱戦は、今ここに終息した。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――何が起こっていたのか。僕にはまったく検討すらもついていなかった。

 確か僕は、衛宮と一緒に柳洞寺にやってきて、キャスターを倒そうとしていたはずだ。

 だっていうのにキャスターを目の前にして、なんとあのソニアが現れやがった。しかも、ソニアは魔術師だった!

 さらにキャスターを倒すのを邪魔して、セイバーと斬り合えるほど強くて、ライダーを縛り付けて、そうして僕の顔に泥を塗りやがってくれたんだ、あいつは!

 

 それからライダーを逃走するキャスターに向かわせたってのに、まさかお祖父様まで現れるだなんて……。

 それにアサシンのサーヴァント? 衛宮を殺す?

 

 ――あぁもう何だってこう上手くいかないんだ! どいつもこいつも僕の邪魔ばかり!

 それからライダーは魔眼を開放しても、死に物狂いで逃げ続けるキャスターを仕留めきれず、そのせいで衛宮のサーヴァントがアサシンに殺られた! これは僕のせいか? 違う。衛宮のサーヴァントが弱かったのが悪いんだ。

 それも、あの黒い影のせいだ。なんだよあれ、なんなんだよ。

 

 それから、それから。

 

 ソニアが僕の魔道書を斬って、ライダーの契約が桜に戻っちまって、それでもまだ息が合ったのに、何故か衛宮を庇って消滅しちまった! まだ令呪が桜に戻っただけなら良かったのに、衛宮のやつを庇って消滅しちまったんだ! さらに衛宮はキャスターと一緒に、お祖父とアサシンを追っ払っちまって……。

 

「――って事は、なんだよ。脱落したのは、僕だけだってのか……?」

 

 まるで大戦の空襲が再来したみたいに戦慄していた境内は、既に平和そのものと云えた。

 

「は――ははっ。なんだよ、つまんねぇの。僕だけかよ。僕だけ、いつも仲間はずれで……」

 

「所詮、魔術回路もないただの人間がね。魔術師になんて、なれるはずがなかったのよ」

 

「――ッ!」

 

 ソニアだ。目の前にソニアがいる。こいつは今、僕になんて言った?

 こいつは僕が求めていたものが、なんだったのかを分かって言っているのか?

 

「それで。貴方は聖杯戦争から降りるの?」

 

「――何を。サーヴァントもなしだってのに、どう参加し続けろって言うんだよ……」

 

「そう。それでもサーヴァントがいないから無理ってだけで、諦めるつもりはないのね?」

 

「――……ちょっとさ、黙っててくれよ。お願いだから、僕を独りにしてくれよ!」

 

 右足で思いっきり地面を踏みつけた。

 何度も、何度も地団駄を踏む。勢いありすぎてたたらを踏んだ。

 

「くっ――」

 

「慎二……」

 

 なんだよ衛宮。僕を笑っているのか。弱くて哀れで負け犬な道化だと思ってんだろ。

 僕はいつもお前のそういう顔が嫌いだった。

 なんでも他人を気遣って、自分がぼろぼろなのを後回しにする、お前が……。ったくよぉ。魔術師のサーヴァントを従えたんなら、とっとと頭から流している血を治してもらえよ。見苦しいんだよ!

 

「士郎。今夜はもう帰りなさい。腹を割って、よくキャスターと話して、これからどう聖杯戦争を勝ち抜くのかを、じっくりと考えてから寝るように」

 

 そうだよ。さっさと帰れよ。お前にはキャスターがいるんだ。

 セイバーからキャスターに乗り換えられてよかったじゃないか。これでお前は、聖杯戦争をし続けられるんだからさぁ。

 

「……マスター」

 

「ん? どうした、キャスター」

 

「……いえ、なんでもないです。話は後で。私は魔力の消費を抑えるため霊体化します」

 

 しゃらん、とキャスターは光となって消えた。

 それから衛宮のやつも踵を返すと思ったのに、そのまま立ち尽くしたままだった。

 なんだよあいつ。僕を見下すのがそんなに楽しいのかよ。

 

「……おい、慎二。帰るぞ」

 

「――――えっ?」

 

「お前、本当はまだ全然諦めてないんだろ。……なら、まだ同盟は続いている。桜も待ってるし、今日はもう帰ろう」

 

 ――――なにを。

 

「士郎。もう慎二のことは独りにしてあげて」

 

「なんでさ。慎二を独りにはしておけない。同盟相手の前に、同じ学校に通う友人だからな。なによりその友人が今にも泣きそうな顔してるんだ。それを放っておけるわけないだろ?」

 

 ――――今にも泣きそうなのは、どっちだよ。

 本当に辛いのは、どっちだよ。

 その顔で、自分の事をないがしろにし続けるなよ。

 お前ってさ、本当に莫迦すぎて、本当に――……。

 

 膝から頽れる。情けなさで立っていられなかった。両手を地面につけて、もう動けない。

 あいつはセイバーが殺られて、涙をこらえていた。

 僕はライダーが殺られて、自分が悔しかっただけだった。

 まぁ衛宮はそういう優しすぎるというか狂ってるようなやつだから、僕はそんな馬鹿なやつと同じリアクションを取るつもりはない。

 僕も別にライダーが殺られてもどうとも思わない。そういう人間だからね。弱いやつを気にして、何の益があるってんだ。

 

 ――だから余計に、僕という人間の矮小さが引き立ってしまう……。

 ――だから不快に、見下していたやつに気を使われる事が我慢ならない……。

 ――だから無性に、魔術師(マスター)であったという事実が、魔術師ではないという劣等感を引き立たせる……。

 

「……桜」

 

「そうだ慎二。お前の妹が待っている。最近、熱が酷いんだ。寂しがっているだろうから、会ってやってくれよ」

 

 ……桜。あいつは魔術師だ。ライダーの真のマスターだ。

 それもライダーが死んじまった事で、桜はただの間桐の魔術師に戻る。

 そして、マスターになる手がなくなった僕は、本当にただの一般人となったわけだ……。

 今の僕を桜が見たら、また「ごめんなさい、兄さん」って、謝ってくるんだろうか……?

 

「――っ」

 

 唇を噛み締める。

 

「……桜には、会いたく、ない」

 

「――え?」

 

 あいつは僕に謝り続ける。

 あいつは僕を立てるために謝り続ける。

 それが僕を最も貶め、蔑む言葉だと知らずに、良かれと思って謝り続ける。

 謝意も過ぎれば卑屈だと親に教わらなかったのか。……あぁ、親、いないんだったな。

 

「……なぁ、慎二。もうマスターじゃなくなっても、お前が桜の兄である事には変わりないだろ?」

 

 そうだ。僕は桜の兄だ。優しい兄だ。ほかの誰より頼れる、ただ一人の兄だ。

 この侮辱の大きさを思えば、それくらい思ってもバチは当たらないと思い込んでいた。

 だけど――――あいつは変わらない。あいつは誰よりもか弱く見える小動物だが、その実、怖いやつだ。

 なにを考えているのか判らない。衛宮の家に通うようになってからも、随分と物を言うようになって、さらに手がつけられなくなった。

 そんなやつなんか、どうでもいい。だから、あぁ、頼むから独りにしてくれよ――――っ!

 

「……あぁ、もしかして喧嘩でもしたのか? なら思う存分、家に帰ってから仲直りすればいい」

 

「うるさいなぁ。独りにしてくれって言ってんだろうがっ!」

 

 激昂した。八つ当たりだ。惨め、あまりにも惨め。

 くそっ。こういうときってお前、本当に下手くそだよな。

 だから桜も困ってんだ。この能天気が……。

 

「士郎。ここに居続けるのは良くないわ。もう帰りなさい。大丈夫よ。慎二はもうマスターじゃないんだから、誰も何もしないわ」

 

「……ならソニア。一つだけ聞かせてくれ。お前も、マスターなのか?」

 

「……………………」

 

 何も答えないソニア。

 そのまま踵を返して、あいつは山門から降りて行きやがった。

 

「……慎二」

 

「帰れよ。同じことを言わせるつもりか。そろそろキレてぶん殴るぞ」

 

「ふぅ……分かった。気をつけて帰れよ。何かあったら言ってくれ。待ってるからな」

 

 最後まで馬鹿みたいに人の身を案じて、あいつは去っていった。

 境内に独り残されて、ただうなだれる。

 

「――――くそぅ……」

 

 風の音すらない深夜の静寂に、つまらない男の口惜しさだけが尾を引いた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 家に帰る。

 戸を開けて玄関に入ったら、目の前に立っている人物を見て、少し驚いた。

 

「さ、桜……」

 

「せ、先輩――っ。ど、どうして、そんなに血まみれなんですか……っ!」

 

 それからというものの、桜はあたふたして救急キットから包帯や消毒液を取り出し、俺の介抱をしてくれた。

 見たところ桜の熱は完全に引いているようで、逆に元気すぎて大丈夫かと思うくらいのやんちゃぶりだった。

 

「いて……」

 

「ご、ごめんなさい。時間、かけちゃって……」

 

 包帯を巻くのに小一時間。

 キャスターの魔力砲撃で抉られた地面から飛んできた小石に頭をぶつけただけで、別にそんな重傷じゃないんだが、まぁきちんと包帯巻いとかないと見苦しいだろうし、これで良しとした。

 

「ありがとう。桜。いや、これはホント、転んだ拍子に石を頭にぶつけただけなんだよ。さらに転んだ先が泥沼で、見ての通り泥だらけになっちまったってわけさ」

 

「……はい。そういう事にしておきます。見たところ喧嘩でもないようなので、はい」

 

 よし、言い訳はなんとかクリア。

 

「それじゃあ桜。あとは体を拭いて寝るだけだから、桜はもう離れに戻っても――」

 

「――あの、先輩。セイバーさんは、どうしたんですか?」

 

 

 

 ――――、――――――――――――。

 

 

 

「あぁ、帰った。ほんと急だよな。すぐに帰国しなきゃいけない理由ができちまって、送って行ったんだよ。藤ねえと桜には謝っといてくれって頼まれてたんだ」

 

「……いえ、そんな。でも、本当に急でしたね。もう少し一緒にいたら、もっと仲良くなれたかもしれないのに……」

 

「そうだな。ほんと、来る時も騒がしいやつだった――――」

 

 そのあと俺は、包帯を巻いた体で風呂には入れないから体を拭くだけして、もう寝るから大丈夫だと桜を離れに戻した。

 

 寝室にて電気を消す。

 既に眠ったと桜に思わせなければならないからだ。

 

「――キャスター。いるか?」

 

 いるか、とは聞いてみたけど、近くで霊体化しているのが感じ取れる。

 セイバーが霊体化した事はなかったから、サーヴァントの霊体化、実体化を感じるのはこれが初体験となる。

 

 ……だが、キャスターは実体化をしない。

 そこにいるのは分かるのだが、出てきてくれないのだ。

 

「……どうした? キャスター?」

 

(いえ、少し問題があって……)

 

 ――うおっ。これがサーヴァントとの念話ってやつか。脳に直接響いて驚いた。

 

「……問題、とな?」

 

 恐る恐る聞いてみる。

 

(ええ、どうやらマスターとのパスが、その、繋がってないみたいで……)

 

 それを、とても言いにくそうにキャスターは教えてくれた。

 俺はセイバーとの事故に近かった契約を思い出す。確かセイバーは、召喚の不都合でパスが繋がっていないと言っていた。

 だが、キャスターとはちゃんと正規の契約ができたはずだ。

 それなのにセイバーの時と同じ問題が起きているということは……。

 

「もしかして、俺のせい、なのか……?」

 

(おそらくは。確か現代の魔術師は、魔術を扱うのに魔術回路というものを用いると聞きます。マスターは、それを持っていて?)

 

「あぁ、持ってる。というか作ってる。魔術が必要な時にだけ」

 

(必要な時にだけ? それは、いや、でも……それは、おかしいわねぇ?)

 

「あぁ。おかしいな?」

 

 何が問題なのか、キャスターと一緒に頭を抱える。

 そこでふと思ったが。俺はキャスターという人となりを全然知らない。

 ただ、柳洞寺では状況の把握と適応を常に求められていたから、細かい事や余計な事は考えないようにしていたけど、落ち着いた今になって思えば、俺は正体不明のサーヴァントと契約を交わして、堂々とあぐらをかいているという謎な状況になっているのだ……。

 

「――なぁ、キャスター。難しい事は一先ず置いといてさ。最初は順序よく行かないか?」

 

(?)

 

「まずは自己紹介って事だ。柳洞寺では本当に混沌としていたし、あの場で生き残るために俺たちは再契約した。だから、その。一旦落ち着いてだな――――俺の名前は衛宮士郎。キャスターの名前は――って、相棒だったセイバーの真名すら教えてもらえなかった俺が訊くことじゃないと思うけどな……」

 

(そうね……私の事はそのままキャスターとお呼びなさい。それじゃあ改めてよろしくね? マスター?)

 

 そのわざとらしい()()()()という呼称で、俺はある事が脳裏によぎった。

 

「――なぁ、キャスター。あのとき、キャスターのそばに倒れていた、あの体が半分欠けた死体は一体誰なんだ? 俺が思うに、あれはキャスターのマスターなんじゃないのか?」

 

(――――、……ええ。彼は私の、マスター、でした)

 

「……じゃあ、それは、その……」

 

 ここで何というべきか。

 

 裏切ったのか?

 殺したのか?

 それともあの場にはアサシンがいたから、殺されたのか?

 

 だが、少なくとも今のキャスターの声は、悲しさやら怒りやら、色んなものが含まれているように感じられた。

 

「――――あの場にはアサシンがいた。殺されたのか?」

 

(ええ、私のマスターは私を庇って殺された。それでも宗一郎を殺したのは私よ。既に体の半分が侵されて死人同然だったとはいえ、私はこの短剣をあの人に突き刺してしまったのだから……)

 

「――そうか。それは、辛かったな……」

 

 キャスターは、たぶん。その宗一郎というマスターのことを大切に思っていたんだろう。

 霊体化していて顔は見えないけど、その声の寂しさと言ったら、まさに未亡人のそれだった。

 

(――貴方は、信じるのですか?)

 

「え? 今の話をか? だって、そりゃあ……信じるもなにも、キャスターが嘘を付いているようには見えないからな……?」

 

 いや、もちろん全面的に信じているわけじゃないけど、悪い人には見えなかっただけの話で、もしかしたら俺を誑かそうとしているのかもしれないという事は、一応、考えてはいる。

 

(そう――)

 

 けれど、その警戒はすぐに余計なものとなった。

 その安堵する声。

 何かに洗い流されたかのような声色に、俺は本当にキャスターという女性が、根っこは善人なのかと思えてきた。

 だって、誰かから信じてもらうだけで、こんなに嬉しそうにするのは、はっきり言って可哀想だとも思えたからだ。

 

 ……ぶっちゃけた話。実はキャスターの短剣を見たときから、俺は彼女の真名を予想できている。

 それが正しいものか間違っているのかどうかは判らない。

 それでもキャスターの口から聞くまでは、黙っていようと思った。

 裏切ってもいないのに裏切ったと罵られるのは、誰だって嫌だからな。冤罪ってやつだ。

 

「……なぁ。それじゃあキャスターは、この戦いに勝つつもりはあるのか?」

 

(もちろんあります。さらにその問いは、私の願いを遠まわしに訊いているわね? まぁ、私の願望が真名に直結するものではないから教えてあげますけど。――――私が聖杯に願う事は、マスターを生き返らせる事です)

 

 はっきりと、厳かな口調で、自分は本気なのだとキャスターは言った。

 

 ――死人を蘇らせる。

 その願いに、俺はどこか胸の痛みを覚えた。

 

(坊やは、何か願い事はあるのかしら? ――――例えば、過去の清算。とか……)

 

「そんなものはない」

 

 口から衝いて出た言葉は、自分でも唐突すぎて驚いた。

 

(ない? そんなはずはないでしょう。聖杯とは万能の願望機。人間なら、何か――)

 

「そんなものはない。俺の願いがあるとすれば、この戦いを終わらせること、それだけだ」

 

 ハッキリと、簡潔に、俺は無辜の人々が無事でいられるのなら、それでいいと言い切った。

 俺の願いは、聖杯戦争を無事に終結させること。

 悪い奴が聖杯を使って人々を害する恐れを無くすよう、この馬鹿げた聖杯戦争を疾く終わらせること。

 その点、キャスターは別に災害を引き起こすような願いではなかったことは、一応感謝するべき事だったか。

 

(そう、なのね……。ええ、分かったわ。私はてっきり――――、いいえ、なんでもありません。そんなに真っ直ぐ私の目を見て言われたら、無粋な想像は意味ないし、失礼よね?)

 

 なんだ。とりあえず俺は誰もいない虚空を見て喋りかけていたんだが、そこにちょうどキャスターがいたのか。

 声は響くが正確な位置は反響して掴めないでいたから、実は対面していたと思うと少し気恥しいものがあった。

 透明人間と話すのって、こういう気持ちなのか……。

 

「……あれ。そういえば、キャスターのマスターの死体って、あれからどうしたんだ? 柳洞寺から立ち去るときには、死体がなくなってて変だなと思っていたんだが……」

 

(ああ。それなら私が、坊やがお友達と会話をしている最中に地中に隠しておきました。凍結させて防腐加工を施しておいたので、聖杯さえ手に入れられれば、すぐにでも宗一郎様は地中から生きて抜け出てくれるでしょう……)

 

「そ、そうか……」

 

 なんか、お墓から蘇るアンデッドみたいな想像をしてしまったけど、わざわざ言うことでもないし、失礼なので黙っておこう……。

 

(それでマスター。自己紹介と互いの目的を共有したところで、次は一体何を話すのかしら?)

 

「それは……まぁ、作戦会議って事になるな。何か言いたいこととか、聞きたいこととかあるか? ちなみにマスターとして不足過ぎるっていう指摘はなしでお願いします……」

 

(ふふっ。そうね。それじゃあ別のことを聞きますけど、貴方にはほかに仲間はいるのかしら?)

 

 仲間? はて、セイバーはもういないし……同盟相手の慎二もライダーを失ってしまった。

 敵か味方か判らない相手ならソニアがいるけど……。

 

「う~ん。――遠坂」

 

 思い浮かんだ人の名前が、本当にそれだけだった。

 

(遠坂? ……あぁ、あのムカつくアーチャーのマスターね。御三家の家名を持つ小娘。で、坊やは、あの娘と知り合いなの?)

 

 ムカつくって……もしかしてキャスターは、既に遠坂と一戦やり合っていたのだろうか?

 

「――あぁ。知り合いだ。でも、それがどうしたんだよ」

 

(いえ。ただ、どうやら今回の聖杯戦争では、まつろわぬものたちが街を跋扈しています。聖杯もそう、サーヴァントもそう、その中身も……。だからこれをどうにかしない限り、私たちは通常の聖杯戦争すら出来ない状態にあるのです)

 

 ……???

 

 俺には、キャスターの言っていることが十割も解らなかった。

 ただ、キャスターの言葉を汲み取る事で分かることは、今回の聖杯戦争は尋常なものではない。

 だから遠坂でも何でも良いから、ほかのマスターを懐柔して、それで聖杯戦争を尋常なものに戻す――――のではなく、そのまつろわぬものを相手にするため、戦う準備を整えるべき、ということなのだろうか?

 

(そう。貴方はまだ、あの影を知らないのですね。……ならば仕方ないわ。癪ですけど、坊や。貴方は本当にあの遠坂の娘と敵同士ではないのですね?)

 

「あぁ。少なくとも俺はそう思っている。次に会ったら殺されるかもしれないけど……」

 

(えぇっ?)

 

「いや、大丈夫! ちょっと前に色々あっただけだから! 放課後の校舎で一戦やり合っただけだから! でも今度は大丈夫。事情を話せば、ちゃんと相談に乗ってくれるさ。たぶん……」

 

(……まぁ良いでしょう。私自身癪ですが、状況を理解していない坊やに懇切丁寧に説明してあげます。耳をかっぽじってよく拝聴しなさい。――ハッキリ言って、今の私たちは絶望的な戦力です。魔術師のくせに魔術回路がない貴方と、魔力提供がなければ何も出来ないキャスター。聖杯戦争中、最弱と言っても誰も否定しないわ)

 

 いや、それはごもっともなんですけど……。

 

「待ってくれキャスター。俺にはちゃんと魔術回路が――」

 

「黙ってなさい。まずは状況理解だと言ったでしょう!」

 

 うっ。なんだろ。このいきなり尻に敷かれた気分。

 キャスターとは数刻前まで敵同士だったんだけどなぁ……案外人間の適応力ってのは馬鹿に出来ないもんなんだな。

 

(だから坊やがライダーのマスターと手を組んでいたように、私たちも誰かと手を組む必要があるということ。そこで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()とか言いそうな、あのアーチャーのマスターが適任だと、そう私は思うのよ! それにあの小娘、貴方と知り合いらしいし、いきなり襲われる事はないでしょうし……学校の昼間なら人も多いから、セイバーが殺られたから相談があるとでも言えば簡単に釣れるわ。それでも……ほんっとうに癪ですけどねっ!)

 

 ……なんだろ。遠坂のやつ、キャスターに随分と嫌われたものだな。

 

「分かった。つまり明日の方針は、何としてでも遠坂を味方に付けなきゃいけないんだな」

 

(そういう事です。それさえできなければ、私たちは丸裸のまま敵に襲われて犬死するでしょう。特にバーサーカー辺りに)

 

 確かに。そもそもキャスターは、クラス名の通り魔術師なんだ。

 それも高位のものだけど、白兵戦が得意な相手に地の利なし防衛なしで襲われたら、それこそ戦う前から勝負は決まっているというもの。

 

(聖杯戦争で上位に入る強者に御三家が入るのは当然として、アインツベルンは論外。マキリとは今夜の件で敵対していますし、本当にあの小娘しかいないのね……。ライダーもマスターを置いてどこかに行ってしまったし、セイバーは取られて、ランサーは敗退。謎の黒い剣士は未確認物体として扱うとして……あぁもう! 柳洞寺を手放してしまったのは本当に痛手だったわっ……! それも長居できるような地帯でもなかったのは重々承知していますけれどもっっっ!)

 

 なにやら独り言をブツブツと言いながら、キャスターが癇癪を起こしている。

 

(ふぅ。それではマスター。色々と問題はありますけど、とにかく今夜は眠りなさい。これ以上、その死にそうな顔で作戦を練れるほど、坊やは丈夫じゃないでしょう?)

 

「え――? いや、俺はまだ大丈夫なんだが? そんなに死にそうな顔してるのか?」

 

(……これは重症ね。なによ。私の事だけ心配してくれて、自分の事は無頓着なわけ? おかしな子。とにかく寝なさい。何かあったら何もできずに終わるでしょうけど、ビクビク震えながら朝を待つのね)

 

 それきりキャスターは黙ってしまった。

 それでも、ずっとそこに座っているのは分かる。

 

 ……俺は布団を敷いて、そのまま寝そべった。

 ふかふかの布団が心地いい。

 今なら眠れる。キャスターの言う通り、今は休息を取って考え事は明日にしよう。

 

 キャスターとの会話は、ほんの数十分程度のものだったが、大体の性格は分かった。

 人間付き合いなら、そこそこはやれるかもしれない……。

 

「……おやすみ」

 

 一応、これからの戦友に一言だけ挨拶を残して、俺は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

                                   ――セイバー……。

 

 

 

   /了

 

 

 




 セイバー、敗退。――――然れどその心身は、世界の悪意に弄ばれる。



 衛宮士郎、キャスターと再契約。剣と鞘の令呪が、僅かに歪な形へと変わる。



 魔術刻印の強化、魂の強化について。
 ここだけは珍しく、特に何も考えずノリで書いたため、普通ならありえないと自分でも思うが、例外はいつだって存在するものだ。

(もちろん流石に魔術の強化は駄目だろコレと思わなくもない。しかし発想を転換させれば、別に誰もが受け入れられるモノになるとは思う。たとえばそれは、ラスボスというポジションだ。
 仮にラスボスの魔術師が、自分の魔術を強化させて、さらに強化させた魔術を強化させて、最後に八極拳で殴りかかってきたとしたら、それはもう逆に凄すぎてラスボスだから納得できる偉大さ、凶悪さ、ヤバさになるのではないだろうか?
 つまり一部の魔術師にしか使えないからこそ、このチートさが際立つのであって――――つまりソニアは、ラスボスだった……?)




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二月七日

 朝。

 障子から漏れる陽の光で目を覚ます。

 

「っ――――」

 

 何か顔にべったり付いていると思ったら、それは枕が堰となって流れ落ちずに溜まった涙だった。

 

「……やべっ。枕、濡れちまった……」

 

 まったく。こんなところを誰かに見られたら恥ずかしいどころじゃないぞ。

 藤ねえ辺りなら、また悪夢でも見たのかと心配してくるところだろうけど……今回は、そんなんじゃない。

 

 ――ただ、とある少女の死に涙ぐんでいただけだ。

 

 それも長々と思い続けるのは無意味で今後のためにならないので、反省だけして後悔はしないように布団を畳む。

 

 そして寝室を出ると、朝餉の芳しい匂いが漂ってきた。

 居間に入ると、既に食卓には桜によって朝飯が並べられていた。

 時刻は六時。少し遅く起きてしまった。

 

「おはよう桜。朝飯ありがとな」

 

「あっおはようございますっ先輩。朝は元気の出るご飯とお肉にしておきましたので、これで大丈夫ですよ!」

 

 そうか。わざわざ元気の出る飯を作ってくれたのか。

 どうしたもんか。昨夜はキャスターにも心配されちまったし……。

 

「――ん?」

 

「はい? どうかしましたか、先輩?」

 

「あ、いや、な、なんでもない!」

 

 ――そうだ。キャスター!

 昨日の今日で朝の微睡みと飯の匂いですっかり忘れてしまうとはなんたる不覚! あいつは今どこにいる? 俺の後ろだ。

 なんとなく背後霊のように俺の後ろからずっと付いてきていたと今になって気が付いた。

 ということは、俺が図らずも夜泣きして枕を濡らした事も、もしや目撃済みで……?

 

(あらひどい。おやすみは言ってくれたのに、おはようは言ってくれないのね)

 

 脳内にキャスターの声がこだまする。

 これはもしや念話か、テレパシーというやつか。なんて、昨日も同じリアクションしたっけ。

 

 それにしても、少しキャスターの声がおかしいような気がする。

 まぁ、念話とはそういうものなんだろう。電話だって本人の声じゃないと聞くし。

 それと、どうやらこの念話は、一方的な通話に留まっているらしい。

 俺の方からは何も発信できない。そもそも俺が、そんな魔術というか魔力の送り方を知らないせいでもあるんだが……。

 

(私の事はいいですから、ちゃっちゃとご飯を食べて精力つけて、学校に行って遠坂の娘と会うのです。分かったら私の事なんか気にせずに、早く)

 

 それを聞いて、俺はなんだかキャスターのやつが焦っているように思えた。

 

「……先輩?」

 

「あぁ悪い、考え事」

 

 まぁこのままでは何も進展しないので、とりあえずキャスターの指示に従って、朝の工程をぱぱっと終わらせる。

 途中で藤ねえが朝飯をたかりにやってきて、セイバーの帰国についての事は怪しまれずに伝える事が出来た。

 これでセイバー関連の身の回りについては問題なしだ。

 

 

 

 登校時間がやってきた。

 桜は風邪も治って元気を取り戻し、いつものように部活動のため早めに出発した。

 対して俺は、少し遅れて学校に赴く。

 

「さて、遠坂にどう接近するべきか……」

 

 人の少ないところだとこの前の二の舞だ。だから今度は人の多いところで遠坂を見つけ次第、耳打ちでもして頼みを伝えるしかないだろう。チャンスを見極めないと。遠坂に先手を取られたらそれで終わりだ。

 ……まぁ、キャスターがいるから大丈夫だとは思うけど、俺とのパスが繋がっていないという事は、あまり無駄な魔力は使わせられないということだ。俺ひとりで頑張らなければ……。

 

 校門を通過して昇降口。上履きに履き替えて階段を登る。

 三階に上がって、廊下へ抜けようとした、そのとき――――

 

「あ、」

 

「あっ」

 

 バッチリ遠坂と目があった。

 これは幸運か不運か? いや幸運だろう。

 だが、あの眼で睨みつけられたやつは、きっと不運だ間違いない。

 

「――――あんた、」

 

「ととと遠坂、後生の頼みだ聞いてくれ――――!!」

 

 先手を取られる前に遠坂の肩に掴みかかる!

 

「うわっ、ちょ、しろ、う――!?」

 

 そのまま押し切って、遠坂の体を壁に押さえつける。

 よし、これで肩と両腕は完全に取った。これであのデタラメなガンドはもう使えないぞ使わせないぞ!

 あとなんか遠坂の腕がやけに筋肉質で全然俺の遠坂のイメージじゃなかったけど、既にあかいあくまを知っている俺からしたら、この程度のショックはもうなんともない!

 

「遠坂――」

 

 何故か俺たちを凝視する周りの生徒に聞こえないように、俺は遠坂の耳朶に限りなく口を近付けて短く簡潔に説明する!

 

「ふわぁっ――!? し、しろ、ちか、それに、い、いき、息――!」

 

「頼む遠坂聞いてくれ! 俺のセイバーがアサシンにやられちまったんだ! あとライダーもやられちまって、俺はキャスターと再契約して、街が大変なことになる前に助けが必要なんだ! あぁ大変なことって言うのはキャスターによると、この街にはまつろわぬなんちゃらがいるらしくて、それをほっぽくととんでもないことになるらしいんだよ。だから休戦ってことで相談に乗ってくれ、お願いだ……!」

 

「――……わ、分かったから。まずは落ち着いて、わたしを解放しなさいよ……」

 

 遠坂に言われた通り手を離す。はて、周囲からの刮目が気になる。

 いまさらになって思ったけど、俺、いま結構恥ずかしいことしてたな? してた。うん。

 

「わ、悪い遠坂。隙を見せたら一発でやられると思って……」

 

「ふん。それは正解ね。あのまま押し切られてなかったら、わたしもどうしてたか分からなかったから」

 

 それは良かった。

 ならば、今しがた俺がしたことは間違っていなかったってことだな。それなら良い。

 

「――お昼。屋上に来なさい」

 

 遠坂はそれだけ言い残して、自分の教室に去っていった。

 

(……くくっ。くっ、ふふっ……)

 

 ……後ろから誰かさんの堪えきれない笑い声が聞こえる。

 俺はそれを無視して、自分の教室に向かった。

 

 

 

 昼。

 いつも通り午前の授業を済ませて、食堂でパンを買ったあと、俺は屋上へ向かう。

 ――ちなみに慎二は今日、学校には来ていなかった。

 

 それから授業中、キャスターは一言も喋らなかったが、時々苦しそうな声が漏れていたのが気にかかる。

 俺は声に出さないとキャスターと会話ができないため、授業中は何もしてやれなかった。

 だから人気のない屋上へ上がる階段の手前で、今になって聞いてみる。

 

「なぁキャスター。なんか苦しそうだけど大丈夫か?」

 

(……えぇ、もう大丈夫です。実は未明から色々あって。まさに骨を削る思いをしていましたけど、はい。今はもう……)

 

「そうか。なら良いけど、何かあったら言ってくれよ? 力にはなれないかもしれないけど、話だけなら聞いてやれるからさ。――ほら、それじゃあ屋上に出るぞ。遠坂が待ってる」

 

 ぎぎぃっと扉を開くと、冷たい風と共に屋上の風景を目にする。

 すると奥では、遠坂が座っていた。

 そこは給水タンクの裏。あそこなら風が遮られて、昼食を取りながら会話ができるだろう。

 

「遠坂。来たぞ」

 

「遅い。早く隣に座んなさい」

 

「なら、遠慮なく……」

 

 少しだけ距離をあけて座り込む。

 

「……それで、何があったの?」

 

 遠坂の真剣な質問に、俺は洗いざらい昨夜の出来事を話した。

 

 まず俺は……柳洞寺に巣食うキャスターが、街の人々から命を吸い上げるのを阻止するために、慎二と同盟を組んで昨夜柳洞寺に乗り込んだことを話す。けれど、そのときにはキャスターのマスターが殺されていて、それを見たセイバーがキャスターを仕留めようとした。

 しかし、その場にソニアが割り込んで、セイバーと戦ったり、キャスターと協力してライダーを倒したり、だが完全に敵というわけではなく、アサシンから俺たちを守ってくれたり、そんな事を俺はありのままに説明した。

 かなり一連の流れを説明するのに骨を折ったが、それでも全てを伝え切った。

 

 そして、ふと気付けば昼食は既に終わっていて、俺たちはこのあとの授業をサボる形になっていた。

 

「そう。そんな理由目的すら不可解な乱戦が、昨夜の柳洞寺で起こっていたのね……」

 

「あぁ。ところで遠坂は、ソニアが魔術師だってのは知っていたのか?」

 

「当然。でも、ソニアは聖杯戦争のマスターではないわ。彼女はある研究者でね。その研究のために冬木の地に来ただけの外様なんだから。……それも今になって考えを改める事になったけど。まぁ前兆は既にあったしね。わたしとあなたが校舎で戦ったとき、あなたを助けたのはソニアなんだもの」

 

「え――――そ、それじゃああの窓は、遠坂が結界を張るのをミスったんじゃなくって……!」

 

「えぇ。ソニアは結界破りの天才よ。あんな即席の結界は瞬時に破っちゃうのよ……」

 

 ……そうだったのか。だとしても、ソニアの狙いが俺にはよく判らなかった。

 俺を守ってくれたという事は理解できるが、その理由がてんで判らない……。

 

「それで? ライダーは何故かあなたを庇って消滅して、セイバーは謎の黒い泥沼に沈んじゃったってわけね? そしてキャスターは、その黒い沼を‘影’と呼んだ。そのキャスターは、今ここにいるの?」

 

「あぁ。キャスター。出てこれるか?」

 

「……いえ、私の姿を晒すと混乱を招いてしまうでしょうし、半実体化だけすれば声は届くので、このままで」

 

 ……? よく分からなかったが、まぁ話をスムーズに進めたいという事だろう。

 念話ではなく、こだまのようにキャスターの声が屋上に響く。

 

「まず遠坂凛。貴女が今何を思い、何を想像しているのかなんて私は知りませんけど、少なくとも薄々勘付いていたのではなくて? 今回の聖杯戦争は、何かが違うと……」

 

「えぇそうね。違うというより、異常と言ったほうが近いかしら。主にわたしの知らないところで、何かが進んでいる。このままだと、とりあえずこんな辺鄙な街一つは消えてしまう程度には」

 

 ――――なん、だって?

 

「それは、どういうことだ。遠坂」

 

「どうもなにも分からないわ。ただ一つ言えることは、この冬木市に二つ三つ以上の怪異が跳梁跋扈している。そのどれもが聖杯戦争とはまったく関わりがなくて、あったとしてもそれはかつて関わりがあった連中だといえる。――そうね。具体的な事件で表すなら、衛宮くん。最近ニュースは見ていないの?」

 

「ニュース? それがどうかしたのか?」

 

「新都の集団昏倒事件。あれはわたしもキャスターの仕業だと思っていたのよ。それは昨夜にも当然の如く行われていたわ」

 

「昨日の夜にも? でも、それはキャスターの仕業なんだろ? もちろん俺が見ている限り、もう魂喰いなんて真似はキャスターには二度とさせない」

 

「――――坊や。そういう事じゃないのよ。そこの娘は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っているの」

 

 ……それは、つまり?

 

「キャスターがいない間に、また新都で何かがあったのか?」

 

「えぇそう。深山でもよ。一昨日も弓道部でけが人が多数出ていたようだし、新都でも突然人が消失する事件が多発している。ニュースでは失踪事件以外、その殆どがガス漏れ扱いされているけど、失踪や集団昏倒、不可解な事故の数々。これ全部、キャスター独りでできる芸当かしら? まぁキャスターほどの魔術師なら不可能ではないと思うけど。

 ……そこんところ、どうなのよキャスター?」

 

 俺は虚空に存在しているはずのキャスターを見つめる。

 

「――私は、命を取るような真似はしていません。それも最初は加減が分からなくて殺してはしまいましたけど、人間を攫うのも魔力を集めるだけなら無駄が過ぎて効率が悪い。深山で起こった事も知りません。基本的に新都の人間しか、私は狙いませんでしたから」

 

 ……そうか。そうなると新都での集団昏倒事件だけがキャスターの仕業で、それ以外は全く別の誰かが仕出かした事になるのか……。くそっ。毎日ニュースは見ていたはずなのに、それに気が付かないなんて……。

 

「衛宮くん。これで分かった? ほかの事件がソニアの仕業なのか、あるいはキャスターの言っている影やアサシンの仕業なのかは、未だ以て判明していない。けど一つだけ確実に言えることがあるわ。それは――」

 

 その遠坂の言葉を遮って、俺は続く解答を述べ上げた。

 

「――それは、聖杯戦争を全く無視している蛮行。つまり、俺がこの聖杯戦争に参加した理由。ただ悪さを働くためにサーヴァントを利用したり、聖杯を狙っているやつが、この冬木の街にいる。そういうことだな?」

 

「まぁ、概ねそう思って正解だわ。だから、ええ。確かにそれを言われたら、わたしたちが争っている場合じゃないわね」

 

 それから遠坂は、俺の方にわざわざ体を向けて、ある提案をしてきた。

 

「ここは休戦といきましょう。わたしたちは聖杯戦争を中断して、事件の解決に奔走する」

 

「あぁ、そうしてくれるとありがたい。ありがとう遠坂」

 

 手の平を差し出す。

 すると遠坂は、少し照れながらも握手してくれた。

 

「――それではミス遠坂。さっそく休戦したところで悪いとは思うのだけど、この坊やと私の或る問題を解決してはくれないかしら?」

 

 ……それはもしかして、俺とキャスターの繋がっていないパスの事だろうか?

 

「なに、問題? まぁ話してみなさいよ。最高位の魔術師であるあなたでも解決できない問題が、わたしに解決できるならの話だけど」

 

「えぇ。確かに魔術師として私が優れているのは当然ですけど、これは時代……いえ、世界のルールの問題です。神代の魔術師である私にとって、現代の魔術師たちが扱う魔術回路の事は、よく判らないのです。聖杯の知識だけでは不十分。よって貴女の助けを借りたい」

 

「…………驚いた。まさかあなたみたいなやつが人に頭を下げるだなんてね」

 

 ――え。今のキャスター、遠坂に頭を下げてたのか? というか、遠坂は霊体化しているキャスターが見えるのか……。

 俺はうっすらと存在が感知できる程度なのに……。

 

「えぇ、構わないわ。それだけ深刻な問題だってのは分かったから。それで? 具体的なところはどういったものなのよ?」

 

「あぁ遠坂、それはな、俺とキャスターの間に、魔力パスが繋がっていないんだ」

 

「……はぁ? なにそれ。どういうことよ?」

 

「この坊やには魔術回路がないのです」

 

「いやだからキャスターあるってば! 俺にはちゃんとあるの!」

 

「あったら既につながっているでしょう! まるで私がバカなことを言ったかのように反論しないでくださる!?」

 

「別にそんなつもりはない! でも魔術回路がないなんて言われていい気はしないだろう。俺が魔術師としてダメダメなのはわかっているけど、それでも俺は魔術師なんだ。その証拠を俺は持っている。……よし、そこまで言うんなら今ここで見せてやるともさ――!」

 

 なんだかムッときたので、遠坂とキャスターの目の前で魔術回路の生成を始める。

 

「――――っ。ちょ、士郎。それ――――」

 

 いつもは土蔵で独り、静かな環境で極限まで集中しなければ成功しない回路の生成。

 だけど最近、魔術回路の生成が簡単になってきている。特にランサーとの戦闘でそれを感じられた。

 柳洞寺では強化の魔術は一分も掛からなかったから、すぐにできるはず!

 

「は、や――やめ――――っ!」

 

 なんだ。うるさいぞ遠坂。

 こっちは少しでもズレたら内蔵が吹き飛ぶんだ。魔術師ならそれくらい知っているだろう。

 

「――――、――」

 

 俺が今やっている事がどれだけ危険なのか遠坂も理解できたらしく、邪魔だけはしないように黙り始めてくれた。

 このまま熱せられた鉄棒みたいなものをイメージとして、背中から体の芯にズブズブと押し込んでいく。

 これで一本だけ魔術回路が完成して――――そこらへんに適当なものがなかったので、制服に強化の魔術をかける。

 

「――――っ。――――、――――ふぅ。よし、ほらできた。見ろよ。制服の布地が硬くなってるだろ?」

 

「…………あ、あんた…………」

 

 ――――?

 なんだ。何かすっごく目の前にいる遠坂凛様がぷるぷると震えて怒ってらっしゃる。

 

「はぁ……なるほど。そういう事だったのね。魔術回路があるのではなく、必要な時に作っているというのは、そういうこと……。自殺も極めれば、ここまで無駄に器用な事もできるのね……人間国宝と言えるかも」

 

 ……なんだよ。キャスターまでよく分からないことを言って……俺、なにかしたか?

 

「……キャスター。分かった。全てを理解したわ。これは早急に処置しておくから、あなたの姿を見せてちょうだい。話を聞く限り、あなた今、結構やばいんじゃない?」

 

「……………………」

 

 とにかく遠坂とキャスターの間で、何か切迫している状況なのは理解できた。

 

「ねぇキャスター。士郎と契約して、まる半日は経過しているのよね? サーヴァントは依り代さえあれば、魔力がなくてもしばらくは現界できる。依り代さえなかったら数時間も持たずに消滅しているけどね。……それで? キャスター。わたしが知る限り、あなたの声って、すこーし幼い気がしていたのよねー。……あと、思っていたより小さいんだなー、とも思っていたのよ。わたし――」

 

 ……? 遠坂が何を言っているのか分からない。

 それを理解するためには、やはりキャスターの姿を見ておかなければならないんだろう。

 

「キャスター。出て来てくれ」

 

「――えぇ。そうね。もちろん」

 

 そう言って、しゃらんと魔力エーテルが形作られて、キャスターが実体化した。

 

 

 

 ……実体化した?

 あれ、おかしいな。今、目の前でキャスターは実体化したはずなのに、そこにキャスターの姿が見えない。

 代わりに見えるものと言ったら、目の前に俺より身長の低い女の子がいるだけなんだが…………はて、この子は――――?

 

「――って、だれぇっ!!?」

 

「――――ぷはっハッッ!!」

 

 驚く俺と、腹を抱えて爆笑する遠坂。

 俺たちの目の前に現れたのは、なんとキャスターと同じローブを身に纏った、けれど少しサイズが大きすぎてダボダボになってしまっている、水色の髪をした女の子。その子がちょこんと可愛らしく、頬を赤らめて立っていた――!?

 

「――……そ、そんなに笑わないでくださる? 気分が悪いわ……」

 

 ぷいっと頬を膨らませてそっぽを向く少女。

 その拗ねる姿が、あ、可愛い――――じゃなくて! これ、これ!

 

「――キャスター……なのかぁ?!」

 

「えぇ。それ以外の何に見えて?」

 

 ――あ、この口調はキャスターだ。

 呆れ半分にジト目で俺を見上げるキャスターが可愛らしい――――ではなくてだな。俺は悠長に何を考えているんだ?

 

「――! ――――!! ……っ!!!」

 

 声にならない叫びを上げて、遠坂は腹を抱えて転げまわる。

 おいおい、そんなに転げ回ったらスカートの中が見えちまうぞ。

 

 

 

 それから俺たちを混乱の渦に陥れたキャスターっ子。

 遠坂は何とか涙目の抱腹絶倒を抑えて、俺もなんとかキャスターを直視できるまでには落ち着いた。

 

「それでキャスター。なんでそんなことになっているんだ?」

 

「聞くまでもないでしょう、マスター。貴方からの魔力の供給がないために、私は自分自身の霊基を削り落として魔力源としていたのです。……まぁ、こうなったこと自体は、前々回のマスターのせいでもあるので、坊やだけのせいではないんですけれども……」

 

「――で、でも。セイバーはそんな事にはならなかったぞ!」

 

「士郎。それは単純に、セイバーが破格の英霊だったからよ。セイバーは何故か召喚時点で莫大な魔力を有していて、あなたと契約している間は、全部それで賄っていたんでしょうね」

 

 ……確かにセイバーは、自分でかなりの魔力を持っていると教えてくれた。

 それを倹約しつつ戦いを勝ち進むしかないとも。

 

「つまりキャスター……というか普通のサーヴァントなら、こうなるのは当たり前だと?」

 

 その問いに遠坂が答える。

 

「バカ、そんなわけないでしょう。大抵のサーヴァントはね、士郎なんかと契約して一日経つか経たないかの間で消滅してしまうわ。それをなんとか出来たキャスターがすごいと褒めてあげるべきよ。まさか自身の霊基を弄れるとは、本当にすごい魔術師なのよ。キャスターは」

 

「当然の褒め言葉ね」

 

 ――なるほど。それじゃあ俺がのうのうと寝ていた間に、キャスターはずっと苦しんでいたってことなのか。

 それを知らずに、俺は――――

 

「――遠坂。どうすればいい」

 

「……それ、キャスターを元に戻せるかって意味? そのつもりで答えるけど、絶対に無理ね。聖杯の力でもないと、絶対に不可能だわ」

 

 …………。

 

「それでも、これ以上ひどいことにならないようにはできる。それは士郎。あなたの間違った知識を正して、矯正しなければならないわ」

 

 ……遠坂!

 

「――で、どうすれば? 俺は何を間違えていて、何を正せば良いんだ!」

 

 このままだとキャスターは消滅してしまう。

 昨夜までは俺と同じくらいの背丈だったキャスターが、もう俺の顎をキャスターの頭に乗せられるくらいの身長差になっている。

 

「そうね。これは急を要するから、今すぐ学校サボってわたしの家に行きましょうか」

 

「あぁ! 遠坂の家にだな! 分かった!」

 

 …………? 遠坂の、家とな?

 

 

 

 遠坂邸。

 午後に学校を抜け出した俺たちは、遠坂に連れられてここまできた。

 遠坂が暮らしているだろうこの家に。遠坂がいつも寝て使っているだろう遠坂の部屋に。

 

「……よし、それじゃあ士郎。この宝石を飲んで」

 

「――待て。色々とトントン拍子過ぎて説明が欲しい。そんなものを飲んだら腹を壊すぞ死んじまう」

 

「なに? 説明している間にキャスターが消えちゃってもいいの?」

 

 ぐぬぬ……こやつ、俺で遊んでいやがる。

 まったく真剣なんだぞ、こっちは……。

 

「いい? わたしはもう、あなたがどこで、どう間違ったのかを聞くつもりはないし、時間もないから訊かない。だから事実だけを説明するわ。まず魔術回路というのはね、作るものじゃないのよ。どちらかというと、作るのは最初だけでいい。一回作ったら、あとは出し入れするだけでいいのよ。つまりスイッチね。電源を作るのは最初だけ。あとはスイッチのオンオフだけで神経をひっくり返して魔術回路を励起させたり、通常の神経に戻したりする……。

 ――だっていうのにあなた。魔術回路を作ったり消したり、傍から見たらバカみたいなことをしているのよ。さっき電源で例えたけど、ほんと、体の中に電源を入れたり出したり、その電源は丸裸で、いつ感電して死ぬかわからないってのに、あなたは平然とそれを繰り返している。

 わたしからしたら、自分で自分の命を絶とうとしているようにしか見えなかったわ」

 

「……そうか。それは確かに遠坂からしたら、屋上で俺のしたことは怖かっただろうな。目の前で自殺しようとしているように見えたんだろ? そんなつもりじゃなかったんだが、その、なんかすまん」

 

「謝る気があるのなら、さっさとこの宝石を飲んでちょうだい。これはあなたの体の中で魔力を生成し続けるものよ。これを飲んで魔術回路を形成する。すると回路に魔力が通りっぱなしになるから、必然、回路を出しっぱなしにし続けるしかない。これを継続させることで、荒療治だけど回路を神経に定着させるの。

 ……まぁ既に神経と同一化しているとも言っていいけど――」

 

「遠坂?」

 

「――なんでもない。分かったらこの宝石を飲んで、それから回路を生成すること。それからしばらく死に物狂いで頑張んなさい。ミスったら内蔵が吹っ飛ぶどころか、肉片が残るかどうかも分からないわ」

 

 おまっ――そういうこと、やる奴の前で言うなよ……しかも直前に……。

 だが、ここで覚悟を決めなければ状況は改善しない。

 大丈夫だ。何かあっても遠坂が何とかしてくれるだろうし、そもそも何かがあるわけがない。この程度のことを自力で解決できなければ、そもそも俺はキャスターのマスターに相応しくないという事なのだから――――

 

「――ふ、ぐっ、ぅ――!?」

 

 小粒の宝石を無理やり喉に通す。異物が身体に入ってきて脳が拒否反応を引き起こす。

 それから魔術回路の生成。一度形にしたら、それを何としてでも継続させる……。

 

「――ぐっ、ぅ、っ――」

 

 なんだこれは。体の中に鉄芯を通すだけでも、あれだけ辛かったのに――――さらに鉄芯が熱を持ち始めて、だんだんと高熱になってきている。このままじゃ、体の中から火傷して、燃え尽きちまいそうだ。

 ――なるほど。遠坂の言っていた、失敗したら肉片一つ残らないかもしれないってやつは、つまり俺の身体が内側から燃えて、全てが灰になるから何も残らないっていう意味だったのか――――

 

 まるで拷問。

 内側から張り裂けそうな激痛に襲われる。

 即ここから逃げ出したい焦燥に駆られる。

 弱気になるな。現実を受け入れろ。死から逃避したために死ぬなんて滑稽の極みだ。

 死から逃れるために死へと突き進むしかないのなら……あぁ、俺は死へと直進してやるとも!

 

 

 

 

 

「――――ふっ、ア、あ、アア、あ、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!」

 

 

 

 

 

「――!? ちょっと、キャスター!

                  あんた、今、何 やった!

 正気なの かって聞いて んのよ!

                             士 郎を殺  す気な の?!」

 

 

 

 鼓膜が破れた 角膜と網膜が破裂した 

 

           脳漿が頭蓋にぶちまけられて 全てが鮮血に満たされる       。

 

 

 

「別に殺す気なんてないわ。人聞きの悪い事を言わないでちょうだい。私はちょっと無駄が多い気がしたから、どうせなら一本だけとは言わず()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っただけです」

 

「それが殺すつもりって事なのよ! ――――しまった、士郎!」

 

 

 

 鉄芯一本。血肉を焦がす。

 それだけで地獄だったというのに、その数、二十七に激増。

 

 熱棒二十七本。魂を焦がす。

 これが奈落というやつか。

 

 

 

 

 

「   、あああああああああ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ああああああああああアアアアアア■■■■■■■■■■■■アアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――――――――――――――――」

 

 

 

「肉体の痙攣どころか、魂まで震えている――っですって…………ッ!?」

 

「あら、小娘には少し、恐ろしいものだったかしら? ならばそこで震え上がっているが良いわ。このまま最後まで見届けてあげなさい。だって私は信じているもの。

 ――この坊やはきっと、自力で無限の高みへと至る。そしておそらくは……原点のまま頂点へと辿り着いてくれると――」

 

 

 

 ――地獄を見た。

 否、俺は疾うに地獄を知っている。ならばこれはまた別の地獄か。

 形容するは焦熱地獄。大炎熱地獄。それよりも奈落へと落ち続ける意味合いで無間と言った方がいいか――――

 

 骨肉を焦がす。骨肉が溶ける。

               神経が燃える。神経が尽きる。

                             魂が焦げる。魂が溶ける。

 

 ――炎呑(えんとん)を味わうこと二十七度。

 (うち)から拓かれた擬似神経の数々を垣間見た――――

 

 

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 ――――

 

 

 

 ――

 

 

 

 

 

 ……暗い、暗い、部屋にいる。俺は今まで、何をしていた?

 確か遠坂の部屋で、無茶な肉体改造をしていた気が……。

 

「キャスター……!」

 

 ガバッと起き上がる。身体には何の不調もなく、強いて言えば重い感覚が残った。これは気怠いというのか。だが、それは脱力によるものではなく、逆に英気に溢れているというか……。

 

「――――――――」

 

 自身の裡を確かめる。それは自分の神経。魔術回路。

 確かめるためには作る。

 ――否、ただスイッチを切り替えるように、擬似神経を裏返せばいい……。

 

「――――」

 

 魔術回路を励起させる。簡単に出来た。

 確かに俺の魔術回路には魔力が循環しており、ある地点から外へ、キャスターに魔力が流れ込んでいるのが手に取るように分かった。この分だと、もうキャスターは大丈夫だろう。きちんと魔力提供はできている。

 

「――成功、したのか……」

 

 まさか本当に死に物狂いになる羽目になるとは思っていなかったが、良かった。本当に良かった。生きてて良かった。

 もしここで死んでいたら、キャスターや遠坂にどれだけ迷惑をかけていたことか……。

 

「……で、あいつらはどこにいるんだ?」

 

 俺が寝ていた場所は、もしかしなくても遠坂のベッドか?

 明かりが消えた遠坂の寝室から出る。階段を下りて居間に向かった。

 

「とーさかー?」

 

 そう呼びかけながら居間に繋がる扉を開けると、そこには優雅にお茶している遠坂とキャスターっ子の姿があった。

 

「あら、生きてたの? よかった。もし死んでいたら、ここでキャスターをとっちめてたところだったわ」

 

「なによ。ずっとここでそわそわしてて、すぐにでも坊やの様子を見に行きたがってたくせに」

 

「そ、それはあそこで死なれたらわたしの責任になるからで、もしそうなったら元凶を退治しなくちゃならないじゃない! だからそういうんじゃないんだから!」

 

「そうですか。まぁ結果良ければ全て良しと言うじゃない。魔力供給は好調。霊基を削ってしまったからには落ちたスペックはどうにもならないですけど、これで魔術の使用に支障はなくなったんですもの。それは坊やも同じことよ」

 

 …………。なんだ、遠坂とキャスター。

 俺が寝ている間に、こんなに仲良くいがみ合うまでになっていたのか。

 

「……ちょっとそこ、なんでにやけてんのよ」

 

「いいや。遠坂が俺を心配してくれてたのが嬉しくって」

 

「だ――だから、そういうんじゃないってば!」

 

 さて、俺の魔術回路の問題は解決したし、次は何をすれば良いんだろうか?

 かなり体調が良いので、今から全力で校庭走り込み三十周と言われても容易くできてしまいそうだ。

 

「……?」

 

 ふと、何かが頭の中に引っかかった。

 とりあえず今が何時か気になったので居間の柱時計を見る。

 ――時刻は夜の七時。どうやら俺は五、六時間は眠っていたらしい。

 

「――う~ん……何か、忘れているような?」

 

「それじゃあ士郎。さっさとキャスターと一緒に家に帰んなさいよ。……それと、これからはお昼に屋上で定時報告をすること。忘れないでよね」

 

「あ――あぁ。それじゃあキャスター、家に帰ろう。きっと桜が夕飯の支度をして待ち続けてる」

 

「あの健気な少女の事ですね。……ええ、ならば早く帰って彼女を安心させてあげなければ……」

 

 それから俺とキャスターは、遠坂と別れて帰路に着いた。

 坂を下って交差点に差し掛かる。

 

「…………」

 

(どうしたの、坊や?)

 

「――いや、何か忘れてるような気がして……」

 

 何かが引っかかる。

 しかし、俺は何も思い出せないまま帰宅してしまう。

 

 

 

 玄関から居間に直行。

 夕飯の匂いが廊下にまで漂ってきている。

 

「ただいまー」

 

「あー士郎おっそーい! お姉ちゃん待ちくたびれちゃったよー!」

 

「おかえりなさい、先輩」

 

 桜と藤ねえに迎えられて、俺は居間に腰を下ろす。

 

「よーし、それじゃあーいっただっきまーす! 桜ちゃんご飯! 今日は豚ロースだからねっ! 豪勢にかっくらっちゃおう!」

 

「はい。藤村先生、どうぞ。先輩も、ほら」

 

 …………。なんだ。喉まででかかっているのに。

 なにか、とても大事な事が抜け落ちている気がする……。

 

「……先輩?」

 

「あぁそうそう士郎、桜ちゃん。今日はお土産に肉まん買ってきたから、あとで一緒に食べようねー?」

 

「……食後に、に、肉まんですか……」

 

「あれ? あれれ? ほーう? もしかして桜ちゃん、最近気になる事でもあるのかなー? たとえばー、ほらたとえばー? ……あのお腹のお肉の重さを測るアレとかー?」

 

 ――――。

 

「――――そうだ、肉まんっっっ――!」

 

 勢いよく立ち上がって廊下に飛び出て、かかとを踏んだままの靴を履いて玄関から全力ダッシュ!

 

「ほえ、士郎?」

「せ、先輩?」

 

 そのまま門の鍵も掛けずに坂を全力で駆け下りる。

 ――あぁ、なんてこった。俺はとんでもない事をしてしまった。

 

 それはイリヤとの約束。

 今日の午後にイリヤを家に招いて他愛ない話でもして親睦を深めようと思ったのに、既に時刻は夜の七時過ぎで今更公園に行ったって白い少女の姿はどこにもないっていうのに。

 約束を破ってしまった。彼女を裏切ってしまった。ただ、その悔やみきれない罪悪でいっぱいになる。これじゃあ俺も切嗣と変わらないじゃないか。

 もう夜だ。今イリヤに会えても殺し合いになるのは目に見えている。それでも、果たせなかった約束でも、そこに行かなければ完全にイリヤを裏切ったことになると、そう思って――――

 

 

 

 商店街に入った。

 あの約束の公園に辿り着くまで、決して止まらず雑多の中をひた走る。

 

 公園の入口に辿り着く。

 息切れすらしていない。家からここまで、ほんの数分程度に感じられた。だが、身体の調子なんてどうでもいい。

 俺は頭を振って公園の中を見渡して、いつもそこのベンチに座っているイリヤスフィール・フォン・アインツベルンを探して――――――――探す、までもなかった。

 

「……シロウ。まだかなー……」

 

 手袋を顔に当てて、白い吐息をもらす雪の少女。

 もうこんな夜遅くで寒い時間だってのに、イリヤは自分を裏切った男を待ち続けていた。

 

「……イリヤ。ごめん」

 

 もっと何か謝罪の言葉を口にしようと思ったが、その全てが言い訳に聞こえそうだったので、ただ謝る。

 たとえいっときでも、おまえを忘れてごめんと。

 

「あ……いいよ。待つのは、慣れていたから」

 

 頬が赤く焼けていた。きっと手袋の下も同じ様子になっているだろう。体も小刻みに震えている。

 今日の気温はかなり低かった。これでは風邪どころか凍傷の恐れさえ出てくる。

 

「――――」

 

 俺はどうしていいかわからず、ただ遅れたことの謝罪と、ずっとここで待っていてくれたイリヤへの感謝を込めて、その体を抱き上げた。

 

「ごめん。待っていてくれて、ありがとう」

 

「…………うん」

 

 それから俺はイリヤの手を引いて、今度こそ帰路に着いた。

 家に上がってあぐらをかいて夕飯を食べるのは、きちんとイリヤとの約束を果たしてからだ。

 

 

 

 互いに無言のまま家の門前まで辿り着く。

 ――さて、どう藤ねえと桜に説明して、どうイリヤをもてなせば良いのだろうか。

 

「……イリヤ。実は今、居間に俺の……藤ねえっていう凶暴な虎と、桜っていう後輩がいるんだけど、良いか?」

 

 何が良いんだ。どう考えたってダメだ。俺は人を招待する時のマナーさえ出来ていない。

 ただ、寒そうにかじかんでいるイリヤだけは、なんとかしてあげたかった。

 

「……とりあえず。寒さをしのげれば、それでいいかな……?」

 

 その声は寒さに震えていた。そうだ。説明なんか後にして、まずはイリヤをあっためて、俺のじゃないけど桜の温かくて旨い洋食でも食べさせて、それから、それから――――

 

 イリヤを玄関に通す。

 

「あ、板張りの廊下だ。本当に日本のおやし――――はっくしゅんっ!」

 

「い、イリヤ!?」

 

 ま、まずい!

 これで本当にイリヤに風邪を引かせてしまったら、今度こそ俺はどうすれば――!?

 

「なぁにぃ? しろーお客さーん?」

 

 居間から暢気な藤ねえの声が聞こえてくる。

 イリヤと一緒に靴を脱いだあと、俺たちは居間に顔を出した。

 

「藤ねえどけ! 桜、そこのヒーターを前に!」

 

「え? は、はいっ分かりましたっ!」

 

「な、なにごとー!?」

 

 流石うちの桜。対応が早い。

 イリヤは手袋をとって、ヒーターの前でため息をつきながら温まり始めた。

 

「はぁ……あったかい……たすかった……」

 

「……あ、あの。このお茶をどうぞ。温まるので……」

 

 ――いや、本当に申し訳ない。

 桜も初めて見る相手に淹れ立ての熱いお茶を差し出せるとは、本当に物怖じしない子になったものだ。

 

「ねぇねぇ士郎。あの子いったい誰よ。何者よ。私の野生の勘が囁いているわ。彼女は多分、こう……甘く見てはいけない――そう、悪魔っ子のにおいがぷんぷんとにおってくるわ。もしかして士郎、あの可愛い女の子に「お兄ちゃんの家に行きたいなぁ? 一緒にお布団の中でご本を読んで欲しいなぁ?」なーんて、たぶらかされちゃったあとだったりするー?」

 

 ……何を横でのたまってんだ、この虎は。

 

「そんなんじゃない。あと教師として、そこは普通、生徒が子供をたぶらかしたというべきなんじゃないのか?」

 

「そんなことないもん。だって士郎そんなことしないもーん。するとしたら相手の方よ。うん!」

 

 ……そうか。藤ねえにそんな胸を張って言われたら、俺も誰かにそんなこと出来ないな。

 

「――さて、どうするか。イリヤをもてなしてやりたいが、せっかくの桜の料理が冷めちまう。かといって、イリヤを残して俺が食べるわけにもいかないし……うん。桜、すまないけど俺のはラップしといてくれないかな。イリヤには俺が温かいスープでも作ってやりたいんだ」

 

「え? あ、はい。私は別に、全然構わないですけど……」

 

 それから桜は、俺の分の飯をラップで包んでくれた。

 俺は台所に立って、冷蔵庫の中を検める。

 しかし、イリヤの口に合うようにスープにしようと思い立ってはみたものの、実際は材料的に味噌汁しか作れない事に気が付いてしまった。

 さらにイリヤのお腹がいっぱいになるのを作ろうとすると、あと小一時間は掛かる。

 そこまでイリヤを待たせてしまうのはアレなんで、ここは少し腕の見せどころとするか。

 

 つまり、今の俺が考えていることは――――作りながら出す。出しながら作る。

 よくある懐石の料亭みたく、小さな一品一品をその場で調理しながらお客様に出して、ゆっくりとお茶を楽しんでもらう例のアレだ。

 

 となると、先ずは飯と汁。

 次に向付としてなます……は少しイリヤには酸っぱいかな。刺身にでもしようか。ここはお寿司もアリだな。んで、椀盛に――――使い回しになるけど、ちらし寿司も良いかも。

 

「あれ、シロウ。これからわたしのために、ご飯を作ってくれるの?」

 

「ん? あぁ、だからそこで座って待っていてくれ」

 

 茶碗を手に炊飯器からご飯をよそって、イリヤの前に差し出す。

 

「先ずは飯だ。次に汁をぱぱっと作ってくるから」

 

「しる? スープ? ……スープならグーラッシュが良いなぁ~」

 

 ――なぬ? まさかの注文が入った。いや、予想外だっただけで別に駄目ではない。客の要望に応えるのが料理人の務め。良いだろう。そのグーラッシュとやらを作ってみせるさ。

 

「……あの、先輩。グーラッシュって知っていますか? みじん切りにした牛肉、玉ねぎ、人参、じゃがいも、にんにくなどをトマト鍋などで煮込む海外の味噌汁です」

 

 ……ははぁ。なるほど。洋食専門の桜がいて助かった。材料さえ分かれば自ずと作り方が判ってくる。

 まず、鍋に水を入れて、沸騰するまでの間に野菜をみじん切りにしておく。

 そして、味の素はアレンジとしてカレー粉をほんのちょっぴり入れてみた。

 これ以上多く入れてしまうと、カレーが出来てしまうので要注意。

 牛肉は、まだ使っていなかったものを引っ張り出して、細く切って先に鍋に入れておく。

 そっから野菜も入れて煮込み、塩などで味を調整……。

 数分で完成した。取って付けたグーラッシュをイリヤの前に差し出す。

 箸も渡して、こっから本格的な懐石でもてなすのだ――!

 

「うわぁ! い、いただきますっ」

 

「いいなー。イリヤちゃん良いなー。士郎の懐石料理なんて私も食べたことないのになー」

 

 ……流石藤ねえだ。突然の来客であるイリヤを、ほんの数分で呼び捨てにするまで仲良くなっている辺り、流石藤ねえだ。

 イリヤもそれが嫌じゃなさそうで、藤ねえと桜と一緒に美味しそうにご飯を食べてくれている。

 

 ――さて、ここからは早業である。

 桶に熱い飯を入れて酢を掛け混ぜ合わせる。しゃもじを横に切るようにして、そのあとは――――ってしまった、うちわ!

 

「――先輩(ヘッドシェフ)。ここにうちわを――」

 

「――(スーシェフ)。ありがとう――」

 

 ぱたぱたと酢飯を煽って、余分な水気を飛ばす。

 さて、あとは酢飯が完全に冷え切るまでの間に、白身や赤身を捌いて刺身にする。

 それから握り飯に刺身を乗っけて、お寿司の出来上がりっと。

 寿司下駄を棚から久しぶりに出してよく洗い、その上に寿司を乗せてイリヤに差し出す。

 

「――うわっ。これ、お寿司? すごーいすごーい!」

 

「うぉんうぉーん! しろう―! おねえちゃんも食べたいよぅー!」

 

「藤ねえはいつでも食べられるんだから文句言わない」

 

「あっれれー? そう言って作ってくれたこと、今までにあったっけー?」

 

 さて、最後の一汁三菜としての締め、焼物はどうしようか?

 

「イリヤ、なんか食べたいものあるか?」

 

「え――? う~ん。それじゃあ…………あ! あそこの上にある袋、あれな~に?」

 

「あ、イリヤちゃん。あれは私が買った肉まん。みんなで食べようと思ってたのよねー」

 

「肉まん……。どれだけあるの?」

 

「う~ん。ごめん。三人分しか買ってこなかったからー……」

 

「イリヤ、それが欲しいのか? なら俺の分をやるよ」

 

 まぁ、飯にシチューのようなスープに寿司とちらし、そのあとに肉まんってのは和洋節操なくなっちまうが、イリヤがそれでいいんなら俺に文句はない。

 

「う~ん。それじゃあ、また半分こにしよう? あ、でも、士郎のご飯美味しいから、何かほかのも欲しいなぁ~」

 

「あ、はいはーい! お姉ちゃんハンバーグがいいな~! 士郎のハンバーグはほんとに美味しいんだから~」

 

「へぇ、ハンブルグ? ならわたしもそれがいい!」

 

 よし、承った。

 まず玉ねぎをみじん切りにして、炒めたあと冷ましておく。

 次にボールにひき肉と塩を入れて捏ねくりまわし、パン粉やナツメグ、卵に玉ねぎなどを入れて、さらにこねくり回す。

 それからべちべちと手の上で遊ばせて空気を抜かし、楕円に成形したあと冷蔵庫に三十分ほど寝かせておく。

 

 ……現在イリヤは、ちらし寿司を食べ終えようとしている。少しお茶を飲んで藤ねえとでも駄弁っていれば、その頃にはハンバーグは完成しているだろう。

 油を引いたフライパンで捏ねた肉を焼き、最後にカッコ付けのためアルコール酒でフランベを実行!

 

「うわぁ!」「きゃっ!」「うひゃぁ!」フライパンから立ち昇る青い炎に驚く三人。

 

 ――ふっ。決まった。

 ハンバーグだけはじっくりと香り付けまで完璧にこなしてみせた。

 盛りつけも手抜きせず、イリヤの前に腕によりをかけたハンバーグを差し出す。

 

「……、――うん。美味しい!」

 

 ――良かった。それはもう本当に良かった。

 イリヤももう寒くはなさそうだし、お腹も温まったようだし、これで一先ず最低限のもてなしはしてやれた。

 

「それじゃあ俺も食べますか」

 

 イリヤの隣に座って、みんなと一緒に夕飯を食す。

 

「よっし肉まん食べちゃおー!」

 

「……あ、藤村先生。私はその半分で良いですので、残りは……」

 

「うん。全然いいよー!」

 

 ……騙されるな桜。今の藤ねえの優しさに見える承諾は、実は狙ってやっているんだ。

 桜が体重計を気にしている事を知っていて肉まんを買い、きっと桜は断るだろうとあの虎は踏んでいたのだ。

 うむ。そうに違いない。

 

 

 

 そうしてイリヤとのんびり居間に過ごしているうちに、時刻は八時半を回っていた。

 

「そういえば士郎。突然の来訪者イリヤちゃんには驚いたけど、そろそろ説明しなさいよー」

 

 ……そろそろ、そう言ってくると思っていたさ。

 ただ、少し遅すぎな気もするけど。

 

「あぁ、実はな――――この前、商店街の買い物で知り合った子で、ちょっと縁があったから家に招待する流れになったんだよ。……なんだけど、その……」

 

「そうよー。シロウってば、約束をすっぽかそうとしてたんだもの」

 

「うわー。それじゃあ待ち合わせ場所でイリヤちゃんはずっと待ってたのー? そーれはちょっとお姉ちゃん許しません案件だわねー」

 

「先輩。女の子を待たせるのはダメだと思います」

 

 ……いや、これはまったくおっしゃる通りで……。

 

「本当にごめんな、イリヤ」

 

「ううん。もう怒ってないよ? だってシロウのご飯、おいしかったから! ゆるすっ!」

 

 ――そう言ってくれると、本当に救われる。

 

「それに……ここに来て、シロウも大変だったんだなって分かったから――」

 

 ――その意味ありげな視線で言われたイリヤの言葉に、俺は昨夜の出来事を思い返した。

 

「そうだな。でもそれは約束を破りそうになった言い訳にはならない。それでもイリヤ、心配してくれてありがとう」

 

 いま気が付いた事だが、イリヤはマスターで、つまり魔術師だ。

 そうなると俺の背後にキャスターが控えていた事を、既に公園の時点で知っていたはず。

 何故に俺のサーヴァントがセイバーからキャスターになっているのか。

 きっとイリヤは諸々の気になった点を、()()()()()()()()()()()、と一言で済ませてくれたのだ。

 

「? ……なーんか、秘密のにおいがする……」

 

「藤ねえの冗談は置いておいて、イリヤはここで何かしたいことあるか? もう城に……家に帰るのなら送っていくけど」

 

「……それじゃあ、その……おうちの中を見て回りたいな~」

 

 その申し出に俺は快く応えて、俺とイリヤ、そして何故か藤ねえも付いてきて、武家屋敷の探検もとい紹介巡りと相成った。

 

 

 

 居間はもちろん俺の部屋、土蔵に道場などを見て回り、最後にはぐるっと一周して居間に戻ってきた。

 それでイリヤは疲れたのか、どちらかというと寂しそうな顔で佇んでしまう。

 

「あれー? どうしたのイリヤちゃん。疲れちゃった?」

 

「ううん。ただ……探していた人が、ほんとにいなかったなって――――」

 

 ――――。

 探していた、人。イリヤの……アインツベルンの探し人。復讐する相手。衛宮切嗣。俺のオヤジ。

 そうか、その姿を一目見たいがために、イリヤは家の中を見て回りたいと――――

 

「探し人? あ、もしかしてお姉ちゃん分かっちゃったかも! イリヤちゃんが探していた人は~ずばり! セイバーちゃんね?」

 

 ふと藤ねえが、不正解だが藤ねえの立場からしたらそう思い付くのも無理はない回答が飛び出てきた。

 確かに家に外国人がこうして突然やってくるなんて、生前世界中を飛び回っていた衛宮切嗣の知り合いだと思うのが普通だろう。

 

「違うけど。そういえばセイバーもいなかったよね?」

 

「あ! やっぱりイリヤちゃん、セイバーちゃんと知り合いなんだー! あのね、残念だけどセイバーちゃん。昨夜に突然帰国しなきゃならなくなって、帰っちゃったんだって。士郎がそう言ってたよ」

 

「あぁ、そうなんだよ」

 

 とりあえず話を合わせる。まったく藤ねえのやつ。勝手に話を持っていくんだから。

 この微妙に噛み合っていない会話を、こうしてまとめている俺の身にもなってくれ……。

 

 

 

 時刻は九時過ぎ。

 イリヤは俺たちの歓待に満足してくれたようで、そろそろ家に帰ると言ってきた。

 

「それじゃあ俺はイリヤを送るから。……あ、桜はどうする?」

 

「え、えっと。私は、その、熱はもう治ったので……」

 

「そうねー。でも桜ちゃん、もう家族みたいなものだからさー。いっそのこと、ここに住み着いちゃえば? 桜ちゃんなら、士郎を任せられるし!」

 

「ふ、藤村先生……!」

 

「ば、なっ何を言ってんだ、このバカ虎!」

 

 いきなりの不意打ちにまいった。

 確かに桜は家族のようなものだが、それは意味が少し違って……。

 

「……そっか。シロウには、もうこんなに楽しい家族がいるのね……」

 

「――――イリヤ?」

 

 背中から聞こえたイリヤの声。それは喜びなのか、寂しさなのか、判別の付かない声色だった。

 俺は、その言葉の裏にある意味を読み取れない。

 

 それから藤ねえの言い分に、なし崩し的に桜が家に泊まり続ける事になって事態は収束した。

 藤ねえも家を出て、俺はイリヤを送るため公園まで赴く。

 

「――あ、バーサーカーが目を覚ましちゃった」

 

「――それは、大丈夫なのか? 主に俺が」

 

「うん、大丈夫。でも、もしバーサーカーがここに来ちゃったら、わたしとシロウは殺し合わなきゃいけないから――」

 

「――なるほど。ここまでってことか。分かった。あとの帰りは気を付けろよ」

 

 まぁ、バーサーカーがいるんなら心配なんて必要ないんだろうけど。

 

「……うん。それじゃあね、シロウ。もし今度があったら――」

 

「そうだな。もし良ければ、今度はイリヤが俺を招待してくれ」

 

 思いついた次の約束がそれだった。イリヤの事をもっと知りたいという欲から出た言葉だったんだが。はて、もしイリヤがオーケーしてくれても、ほかのアインツベルン関係者が俺を許すだろうか? まぁ、そのときはそのときか。

 

「うんっわかった! 次はシロウをお城に招くわ。そのときこそ遅刻しちゃダメなんだからね!」

 

「あぁ。重々気をつけるよ」

 

 そうしてイリヤは、にこやかに去っていった。ホップステップで坂を下るところが微笑ましい。

 今日の最初はさんざんな目に合わせてしまったが、最後には楽しんでいただけたようで、本当になによりだ。

 

(まったく。坊やは騒がしいお人ですね)

 

 不意にキャスターが話しかけてきた。

 

(それでも料理が上手なのは意外でした。あと、女性に節操ないところも)

 

「んなっ――それは、だな。その……返しに困るから、そういう話題は禁止で……」

 

(あらそう? 案外ウブなのね。まぁ私の予感では、坊やは将来かなり手慣れる事になりそうなのだけれど? 自覚がないというのも、周りは困りものね)

 

 ……何に手馴れて誰が困るのかという話にはあえて触れずに、俺は踵を返して家路に就く。

 

(あら怒った? というよりも考えないようにしているのね。困った子)

 

「はぁ……キャスター。あまりからかわないでくれ。キャスターには健全な青少年の複雑な気持ちが分からないのか?」

 

(そんなの私が判るわけないでしょう? えぇ、私には判らないわね。……少なくとも、あの筋肉ダルマを居間に連れ込んで平然と食卓を囲んだマスターの底意地ならない度胸なんて、私にはまったくもって判りたくもないわ)

 

 ――――なん、だって?

 

「キャスター、それは……」

 

(イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのサーヴァント・バーサーカー。彼女は目が覚めたから早く帰るだのなんだの言っていたけど、ずっと彼女の隣にいたのが貴方には判らなかったの?)

 

「……知らなかった」

 

(でしょうね。ずっとあの筋肉ダルマの隣でビクビクしていた私の身にもなってちょうだい。本当はすぐに逃げ出してしまいたかったのだけれど、もしもの事態に備えて、貴方をイリヤスフィールとバーサーカーから守っていたんですから。ほんと、狭い食卓で下手したら霊体の肩が触れ合ってしまうかもしれないあの圧迫感。二度と体験したくないわ……)

 

 ――待てよ。それじゃあイリヤは……。

 

「イリヤは、俺と戦いたくなかったから、適当な嘘を言って、去ってったってのか?」

 

(そういう事になるわね。というか、貴方ねぇ……。昨日は遠坂と知り合いだと言っておきながら、アインツベルンとも仲が良かっただなんて、これは一体どういうこと? ……まぁ坊やの事だから、伝え忘れていただけなんでしょうけど。まったく。セイバーも大変だったのね……)

 

 むっ。そこでセイバーの事は言わないで欲しい。

 確かにあいつには苦労させちまったけど、あいつも俺と意見がよく衝突して互いに譲らなかったけど、それでも――――

 

「お前にセイバーとの仲を責められる謂れはない」

 

(――……そうね。悪かったわ。ごめんなさい)

 

 ……ぬっ。それはそれで正直に謝られても困るというか。

 いや、今はそんな話をしている場合じゃなくて。

 

「つまりだ。イリヤはやっぱり聖杯戦争なんてしたくないんだよ。一千年続いたアインツベルンの宿命のために、イリヤはマスターに仕立て上げられただけの、ただの女の子なんだ」

 

(……それで? そう勝手に解釈したところで、次は一体何をするつもりなのかしら?)

 

「イリヤの城に出向く。そこでアインツベルンと話をつけて、イリヤを連れて帰る」

 

 ――そう。ここでイリヤを奪うのではなく連れて帰ると言ったのは、何も独りよがりな決断というわけではない。

 俺はイリヤを連れて帰る。

 アインツベルンにマスターなんていう役割を与えられて聖杯戦争に駆り出されたバーサーカーのマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 そうではなく、俺はただの少女であるイリヤスフィールのために戦うと決意した。

 それがこの聖杯戦争に巻き込まれた、俺の運命なのかもしれないと結論づけて。

 

 一度は失敗した。俺はセイバーを救ってやれなかった。

 だが、二度目はない。俺は必ずイリヤを笑わせてみせる。

 

(……はぁ。まぁ話を付けに行くだけなら、イリヤスフィールの様子を見るに戦闘はないでしょうけど、連れ帰るとなったら話は別よ?)

 

「それは分かっているさ。何も聖杯戦争自体を放棄しようとしているわけじゃない。俺はただ、確かめに行くんだ」

 

 俺はまだ、イリヤの口から何も聞かされていない。

 聖杯戦争やマスターのことをどう思っているのか。それを確かめるために俺は行く。

 

(……分かりました。言っても聞かないですものね。短い間ですけど坊やの性格は大体掴めました。まったく似ているところもあれば、嫌に強情なところもあるんだから……)

 

「すまないな。キャスター」

 

(いいえ。ですが順序はお忘れなきよう。こうして魔力供給は万全となった今、拠点作りに取り掛かなければ。勝手に坊やの家を魔改造しますけど、よろしくて?)

 

「あぁ。こうなったら仕方がない。だけど工房ってのは閉鎖的な環境じゃないと作りにくいんじゃないか? 一応、俺の工房として土蔵を挙げてみるけど……」

 

(論外です。ここは屋敷の造りに合わせて防衛を敷くべきかと。詳しくは皆が寝静まったあとで話しますので)

 

「そうだな。桜が寝てからだ」

 

 

 

 そうして帰宅して居間に戻ると、桜の姿がない。

 はて、どこに行ったのだろうか。

 

(マスター。桜という少女なら廊下の先にいます)

 

「あぁ、ありがとう」

 

 廊下の先なら洗面所か? 風呂にでも入っているのだろうか。一応確認しておくか。

 

「桜? ……さくらー?」

 

 扉をノックしても返事がない。

 だが、キャスターの言う通りなら、ここ以外にいるはずがないんだが……。

 

(……マスター。すぐに中に入った方がよろしいかと)

 

「え。なに言ってんだよキャスター。桜は風呂に入ってんだぞ?」

 

(そうではなく、倒れているんです。……中で、彼女が)

 

 ……なんですと?

 

「お、おい桜、入るぞ!」

 

 扉を引いて洗面所に入る。

 足を踏み出そうとして、ギリギリで躊躇できた。

 桜が床で倒れていたのだ。危うく踏みつけるところだった。

 

「おい、桜? 桜! ――熱っ!」

 

 呼びかけても返事はない。さらに、桜の体が異常に熱かった。

 まさか熱がぶり返してきたのか? でも、さっきまであんなに元気だったのに……?

 

(…………)

 

 俺は桜を抱き上げて、すぐさま離れへ向かう。

 こんな桜を見たのは数日ぶりだ。前も倒れたけど、そのときより状態が悪くなっている。

 やっぱり何か変だ。今度、慎二にでも聞いてみるべきか――――

 

 

 

 それから桜の看病を済ませて無理はするなと寝かしつけ、俺はキャスターと寝室に篭る。

 ――実体化するキャスター。

 

「マスター。これから陣地作成を行います。許可を取るために設計した陣地の説明をしますので、よく聞いてください」

 

 そしてキャスターは律儀にも、この屋敷をどのような防衛施設に様変わりさせるのかという説明を始めた。

 

 まずキャスターが言うには、この屋敷のあまりにも開放的な陣地を逆手にとって、タワーディフェンスの要領で魔改造をするのだとか。

 キャスターの主な使い魔は、竜の牙を素材にしたゴーレム。俗に竜牙兵と呼ばれる量産型の雑魚兵で、一個体の強さは俺程度の魔術師でも倒せるレベルなのだが、一個体に使う骨の数が多ければ多いほど並みの魔術師でも手を焼くレベルになるのだとか。

 

 その竜牙兵を各部屋に余すところなく数体ほど配置しておく。

 さらに入口の門前から、あまり使っていない奥の別棟まで、竜牙兵の配置数を徐々に増していくのが効果的らしい。これは侵入者に、近寄られたくないもの、守りたいものが奥にあると、誤認させる効果があるのだとか。

 しかしサーヴァントはサーヴァントを感知するため効果は薄い。だけど実際にキャスターが屋敷の奥で待ち構えている事で、ほぼ高確率で冒険者気質のサーヴァントは釣れるとのことだ。

 もちろん、バーサーカーなどの全てを破壊する類のサーヴァントは例外だが……。

 

 そして、敵が屋敷の奥に到着した場合、座して待っていたキャスターは、神殿内なら可能とする空間転移を用いて、道場か土蔵をワープポイントとして遁走する。つまりタワーディフェンスとは、心臓部であるタワーさえ破壊されなければ負けではないということだ。

 俺たちが真っ向勝負で敵う相手ではなかった場合、敵がスタミナ切れを起こすまで、屋敷の中をあちこち逃げ回る必要がある。霊体化ならともかく実体化しているなら、この屋敷の間取り的に、敵は面倒な移動を強いられるはず。

 そのような経路に設計したとキャスターは言うし、霊体化と実体化の移行にも魔力を消費するので、敵には時間と魔力ともにかなりの消耗を強いる事が出来るはずなのだとか。

 

 さらにタワーディフェンスにおいて肝心かなめな要素がある。

 それはキャスターだけではない、心臓部であるマスター・衛宮士郎、俺自身の存在。

 ほぼ確実に俺が屋敷のどこかにいた場合、敵はキャスターよりも俺自身を狙ってくるだろう。

 そのときを考えて、キャスターは俺が神殿内にいる間だけ気配を完全に絶つ道具・お守り(アーティファクト)をくれるのだという。俺が音を出したり動いたり、下手な行動を取らなければ、大抵のサーヴァントは気付かないのだとか。また、これは前回のマスターにも渡してあったお守りらしい。

 しかし、どうやら使い回しが嫌なのだそうで、一から俺用のお守りを作ってくれるらしい。

 

 ――あと、仮に俺が敵に発見されてしまった際には、屋敷の中に留まるのではなく、広い庭に出た方が良いとキャスターは言っていた。

 狭い室内でも十全に戦闘をこなすサーヴァントを相手に、俺が何か出来るわけがないということだ。それは俺も最初のランサーとの戦いで、分かりすぎるほど承知していたことだった。

 そして庭に出た場合には、竜牙兵を塀に沿って配置するらしく、敵を逃がさない役割と、心許ないが俺を守る壁になってくれる役割があるらしい。

 とにかく庭まで逃げたら、あとはキャスターが俺を連れて空を飛び、それからはひたすら逃げ回るしかないのだとか。

 まさに持久戦というやつだ。

 

 一見、この防衛陣は、遁走と生還を果たすには完璧に見える作戦だが、実はこれには重大な欠点がある。

 それは、俺が魂喰いを禁じた事によって、キャスターは防衛以外に魔力を割けない状態にあるのだ。

 つまり、柳洞寺で見せたAランク級の大魔術魔力砲撃をあんなバカスカ撃つのはもう不可能だということ。

 一発撃つのでさえかなりの魔力を消費するため、迎撃のチャンスは限られているのだとか。

 具体的には、十発かそこいら程度だと、キャスターは言っていた。

 このように攻撃の回数はあまりに少なく、防衛に用意した竜牙兵も有限。

 よって相手がスタミナ切れを起こす前に、こちらが魔力切れとエネミー切れを起こせば、そこで俺たちの敗北……つまり、死が確定する。

 

 ――以上をもって、キャスターの衛宮邸魔改造計画の説明は終わり。

 俺はその全てを承諾したため、さっそくキャスターは陣地作成に取り掛かった。

 

「しっかし。こんな大規模な魔改造をするとなると、やっぱり桜をここに置いておくのは危険だな。明日辺りに慎二を見つけて桜を家に返さないと……あいつ、今どこにいるんだろうか?」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 同時刻。

 ライダーは消滅した。僕はもうマスターじゃない。それは桜も同じ事だ。

 だが、待てよ。僕は魔術師じゃないから、サーヴァントの霊体化が判らない。

 ということは、ライダーが“消滅したフリをしている”こともあるんじゃないのか?

 

 それを確かめるためには、やはり桜に会って話を聞かなければならない。

 その桜はというと、今は衛宮の家にいる。

 高熱を出して、衛宮の家に泊まり込んでから既に数日。まだ熱が治っていないということか。

 

 しかし、現在の時刻は深夜なので、衛宮の家に行くのは遠慮しておく。行くなら明日だ。

 それも桜は、学校には行かずに衛宮の家で寝ているだろうから、昼間に堂々と押し入ればいい。

 衛宮はまだ僕との同盟が続いていると言ってくれたから、勝手に入っても大丈夫だろう。

 

「……っくそ。ここまで考えるのに丸一日掛かるとかさ……」

 

 情けないことに、僕は陽が昇ってから落ちていくまでの間、ずっと自室に篭っていた。

 自分でも、どうしようもないくらい感情のコントロールが出来ないでいた。

 

 呆気なく聖杯戦争に敗北したこと。

 ライダーを失ってマスターじゃなくなったこと。

 ソニアが魔術師で僕の戦いを邪魔してきたこと。

 お祖父様がアサシンを従えて裏で勝手に動いていたこと。

 衛宮が僕を差し置いてキャスターと再契約し、聖杯戦争を続行しているということ。

 

「あぁくそ。なんでうまくいかないんだよっ……!」

 

 僕はこれからどうするべきなんだ?

 無念と憤りを感じてそれどころじゃない。

 

「……そうだ。桜だ」

 

 僕がマスターじゃなくなった。それはライダーが殺られたからだ。ならば桜もマスターではなくなったということだ。

 その桜は衛宮の家にいる。これは一体どういうことだ?

 

 桜は既に聖杯戦争とは関係なくなったのに、聖杯戦争を続けている衛宮の家にいる。

 いつ敵が衛宮の家に襲撃してくるか判らないのに、そんなところに桜を置いておけるはずがない。

 これは連れて帰るべきだ。そうだ。桜は間桐の家の者なんだから、こっちに来て僕の言う事だけを聞いておくべきだ。

 

 別にお祖父には協力しない。

 教会にも駆け込まない。

 聖杯戦争は諦めきれないけど、でもどうしようもないという事実も考えない。

 ただ、桜を連れて帰る。

 

 ……だって魔術師の家系である間桐の家の中で、魔術師ではない僕にただ一つ残された役割と言ったら――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 単独行動スキル。Cランク。マスター不在でも、一日は現界できる能力。

 ですがそれも、今の段階で限界を迎えた。

 柳洞寺にてキャスターの宝具を受けて、桜との契約が断たれた私は、日がな一日、桜の傍で石柱のように立ち尽くすばかり。

 もし私が桜の目の前に現れて再契約を願い、それを桜が断ったら、桜の中にある刻印虫が暴走を開始してしまう。

 それだけは避けるために、私はただ、この身が消え去るときまで、桜の護衛を続ける。

 

 ……キャスターが陣地作成で屋敷を神殿に仕立て上げている。

 このままでは桜の傍に居続けられない。忍び歩きには自信がありますが、かくれんぼは苦手なのです……。

 

「しかしキャスターは、自身の霊基を削って現界を保っていたのですね。流石コルキスの魔女ということですか。――さて、私にも一応、魔術の心得はありますが……」

 

 一か八かなんてあまり性に合わないのですが、それでも。姉様たちを莫迦にされて、黙って消えられるほど、私はお行儀の良い妹ではありませんから――――

 

 ……形のない島。ゴルゴン三姉妹。英雄ペルセウスに退治された女怪メドゥーサ。

 それが私の真名。かつての女神としての神威、今は魔獣の身に堕ちた事で、その眩い光は黒ずんでいる。

 

 ――――それでも。

 彼方への想いが、脳裏に蘇る。

 

 ――醜い醜い、醜悪極まりない怪力。美しい女神として生まれ落ちながら怪物になるしかなかった人生。なにより私のせいで、姉様たちが地獄に落ちたという、滑稽な……話。

 

「えぇ、えぇ、そうなのでしょうね。姉様たちが幸せに生きる道を選ぶのだったら、私なんか見捨てておけば良かったと……貴女はそうおっしゃりたいのでしょう……」

 

 でも、それは違う。姉様たちは自ら私のために残ってくれた。一緒に最期までいてくれた。

 そのひとときは、どんなに絶望に満ち溢れていて、残酷な結果が目に見えていて、希望のない島に在ったとしても……そのひとときは――――

 

 

 

 ――霊基、切削。慎重に、慎重に。

 

                 ステータスとスキルに欠損が発生。構わない、構わない――

 

    ――霊基の欠損を利用して、怪力スキルを封印。

 

                           ――自己虐待・魔性封印――

 

        神性スキルの向上――

 

                             ――彼方への想いを、思い出す。

 

 ――宝具『自己封印・暗黒神殿』の破壊――――魔眼封印不可能によるデメリット発生。

 

                                     「ッ――――」

 

 右眼を失明。否、毟り取った。

               見栄えが悪いので、エーテルで作成した義眼を差し込む。

 

    それにより『他者封印・鮮血神殿』も崩壊。

 

                         落涙、血涙、ところ構わず。

 

 ――魔力スペックの大幅ダウンにより、宝具『騎英の手綱』も実質使用不可能。

 

                良かったですね。あなたはもう、戦わなくて良いのですよ――

 

 

 

 ――たとえ、どんなに世界の悪意に苛まれようとも。

 

                     確かにここには、美しいものが在ったのだ――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 宵の月が頂点に君臨したところで一息を吐く。

 

「今宵は魑魅魍魎が跋扈するのに打って付けの闇よなぁ……」

 

 然れど、まだ動くべき刻ではない。

 桜に接近するためには、ライダーが邪魔なのだ。

 きゃつに単独行動スキルがあるのは知っておる。

 それを見越した上で、きゃつが消滅するまでこうして待っているのだ。

 

「しかし流石のキャスターも陣地を敷き始めたか。……だが、影と一体化したアサシンの前には全て無意味よ。衛宮の子倅の屋敷を蹂躙し尽くして、桜を連れ帰るとするかの」

 

 そのための布石は既に打っておいた。

 桜の体内に埋め込んでいた刻印虫を、先ほどほんの少しだけ活動させたのだ。

 これで桜の容態は悪化し、明日は学校に通えなくなる。

 

「もうしばらくの辛抱じゃぞ桜……そもそもお主がこうして意固地にならなければ、疾うに聖杯戦争は儂らの勝ちじゃったろうにのう。何を抵抗する必要があるのか……」

 

 それもこれもヴァンディミオンの魔術師が、儂の計画を全て狂わせている。

 

 

 

 五百年前。

 かつて時計塔に居た頃の儂は、ヴァンディミオン一族の同胞であった。

 同志たちと空白の時代の遺物を調査し、歴史を確かめ、真実を発見するのが楽しかった時期もあった。

 

 しかし、それも疾うに昔の話。

 儂はユスティーツァをこの双眸で一目見た時に、全ての研究を放り投げて、この冬木の地に越して来た。

 

 ――儂の目的は、大聖杯を成就させること。そして、不老不死を得るために……。

 空白の時代の調査? 世界の悪意の証明? そんなものはどうでもいい。

 世界が終焉に向かっている事実など、どうでもいい。

 未来に起きると予想されている北欧の終末戦争でも思い描いていろというもの。

 夢想に焦がれる若き日は終わりを告げ、無限に焦がれる老いた魔術師が此処にいるだけ。

 

「――ならば、必ず取るしかあるまいの。聖杯を、この手に……」

 

 

 

   /了

 

 

 




 念願のキャスターがロリ化したぞ!
 然れど勘違いめさるな。このロリキャスターは、決してFGOのキャスター・リリィではない!
 それよりもっと幼いのだ! どのくらい幼いのかと言われれば、それはそう、アナと同じくらいに可愛くて尊いのだ! ロリっ子万歳!



 衛宮士郎、魔術回路が二十七本、本格起動。



 グーラッシュ。
 ハンガリー起源のスープ料理で、ドイツではシチューらしい。食べたことないから、一度は食べてみたい。



 衛宮邸タワーディフェンスの巻。ここは珍しく、特に何も考えずノリで書いた。
 対セイバーでは、魔力放出によって縦横無尽に暴れまわるため、ゴリ押しで突破される可能性が高い。空に逃げても同じ。
 対アーチャーでは、弓矢から逃れることはできないし、もとより自分の家であるため超絶不利となる。少なくとも逃げ回るのは不可能。
 対ランサーでは、最初は雑魚散らしに乗っかって追いかけっこをしてくれるが、反撃の芽がないと飽きてトドメを刺しにくる。
 対ライダーでは、慎二がマスターの時は接戦となるが、桜がマスターになると容赦がなくなり、徐々に追い詰める戦法を取ってくる。
 対真アサシンでは、屋敷内ではダークを投げて拾うを最短で繰り返し、右腕の殴りを加えて堅実に攻めてくる。
 対バーサーカーでは、まず屋敷を蹂躙されて、次に跡形もなくなります。
 対ギルガメッシュでは、そもそも竜牙兵たちを相手にせず、相手にしたとしても宝具の雨で串刺しにされます。




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二月八日

 
 後半の推奨BGM:nano「Born to be」
(聴きながら読むのではなく、歌詞を知ってから読むといいかも?)

 ――折り返し地点だ。



 昼。

 今日は桜に学校を休ませて、家でゆっくりしているように言いつけた。

 そして、俺とキャスターがいつまでも家に留まり続けていると、桜を巻き込んでしまう恐れがあるため、学校に登校する。

 もちろん遠坂との定時報告を済ませるためにも、学校には行かなければならない。

 

 

 

 昼飯時の屋上。遠坂が食堂のパンを手に、俺たちを待っていた。

 そう言えば今朝のニュースで、また新都の方でまた失踪事件が起こったらしい。

 消えたのは七名の人間。その全てが行方不明者扱いされていた。

 

「こんにちは、衛宮くん。今朝のニュースはもう見たかしら?」

 

「あぁ。また新都の方で人が消えたらしいな」

 

「違うわ。あれは消えたんじゃなくて、殺されたのよ」

 

 ――――なんだって?

 遠坂はハッキリと、ニュースで言っていた人が消えた事件を、人が殺された事件だと言い切った。

 

「な、なんでそんなことが遠坂に分かるんだよ」

 

「間近で見ていたからよ。昨夜、アーチャーと一緒に新都を巡回していたときにね」

 

 ……それは、つまり。

 

「えぇ、そして見たわよ。あなたとキャスターが言っていた、その影ってやつを……泥とも形容できたけど、アーチャーは影が作り出す底なし沼と称していたわ。まぁ呼び名なんかはどうでもよくてね。問題なのは、そいつの行動原理よ」

 

 ……待て。遠坂、話が早すぎる。

 俺はまだ、そこまで理解が追いついていない。

 

 まず、間近で見ていたってのは、一体どういう事だ。

 それはつまり、見殺しにしたってことなのか。

 

「最初は捕食のために活動していたと思っていたわ。出現する度に周囲のマナを喰らっていくからね」

 

 いや、それも仕方のない事なのかもしれない。セイバーが手も足も出せずに呑まれてしまった相手だ。

 それは遠坂にも伝えてあったから、あの影はサーヴァントの天敵なのかもしれないという予想は既にできていた。

 遠坂だってきっと、その時には歯がゆかったはずだ。

 

 ……だから、仕方ない?

 それは違う。だから、だからこそ――――

 

「……でも、その見立ても昨日まで。そいつは昨日の段階で、確実に捕食目的以外で活動を始めていた。それが何だか、衛宮くんには分かる?」

 

「……遠坂、もったいぶらずに教えてくれ。その影の目的ってやつを。そいつは昨日、何のために新都に現れたんだ」

 

「簡単よ。――――()()()()()()()()()()()()()()。それ以外に言う事はないわ。マナも喰らわず、オドも喰らわず。深夜に歩いていた人を襲って、食べて、吐き捨てた。既にその死体は溶解して、土に還っている頃でしょうね。見た目はそこらの黒っぽい軟泥と変わらなかったわ」

 

 ――なんだよ、それ。

 それじゃあその影は、ただの殺人鬼ってことじゃないか……!

 

「なんでそんな凶悪なやつが新都に現れてんだよ。それはサーヴァントなのか?」

 

「違います、坊や。あの影は、あくまで聖杯の中身から漏れ出たものです」

 

「キャスター……?」

 

「そうですね。そろそろ私が知っている聖杯の中身の事を、坊やたちに教えてもいい頃合いでしょうか。あれがなんであるかを知りたい場合、私はある程度の解答を用意できるかと思いますので」

 

「キャスター。あなた、あの影の正体を知っているの?」

 

「ええ、もちろん。ですが、まだ話せません。ここで全てを話しても、混乱するだけだと思いますから」

 

 ……確かに。俺がキャスターと再契約した直後の夜では、俺はまったくキャスターの話が判らなかった時がある。

 それは、まつろわぬもの、そして影という一つひとつの単語。

 さらに聖杯の中身という単語を使ったキャスターは、おそらく今、この冬木の地で起きている怪事件の殆どを説明できるに違いない。

 

 それでもいきなり全てを話さないのは、今キャスターが言っていた通り、俺たちを混乱させないためだ。

 

「……そう。確かにわたしたちは現状、この冬木市で何が起こっているのか理解がまったく及んでいない。だから、一つ一つ答え合わせをさせようと、キャスター。あなたはわたしたちを誘導しようとしているんでしょ?」

 

「正解です。ですが勘違いしないように。別に私だけが全てを知っている風な顔をするつもりはありません。ただ気になったことは私に直接聞いて頂ければ、大体のことは答えられるというだけです。訊いてもいないことを聞かされても迷惑でしょう?」

 

 ――やっぱり、そういう事だったのか。

 ならば遠坂が言っていた「あの影は人を殺すためだけに活動している」という話に、キャスターが口を挟まなかったということは――――

 

「キャスター。あの影がただの殺人鬼だっていうのは、確かか?」

 

「確かです。あれは無差別に人を殺す機械。ただ殺しを嬉しんでいる怪物です。もちろん遠坂凛が言っていたように、最初は魔力を集めていたのでしょう。それも途中で、()()()()()ではなく、()()()()()に変化した。――私には、そのように見えましたね」

 

 ……なんてことだ。

 この街に、そんな危ないやつが自由に人を殺して回っているのか。

 

 ――場が沈黙する。

 皆が考えていることは、きっと同じだろう。

 ここまでの事が分かっておきながら、俺たちにはできることがないということが……。

 

「……キャスター。あの影はどうすれば止められるんだ?」

 

「それは難しい質問ですね。マスターは、()()()()()()という魔術用語を知っていますか?」

 

「ちょ――それって……!」

 

 遠坂が顔を青ざめている。こんな顔初めて見た。

 ……霊長の殺人者。聞いたことはないが、字面から意味くらいは読み取れる。

 

「だけど、それがなんだよ。なんか殺人鬼をかっこよく言っただけじゃないか」

 

「ばか、士郎。霊長の殺人者っていうのはね、ヒトに対して絶対の殺戮権限を持つ――――」

 

「ガイアの怪物? ――――いいえ。あれは、アラヤ・■■■■■の怪物です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――え?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ■■■■■■■

 

 

 

 

            ■■■■■■■ ■■■■■■■          ■■■■■■■

 

 

 

 

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    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

      ■■■■■■■                ■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――遠坂と声がかぶる。

 だけど、なんで声がかぶったのか判らない。

 

「……………………」

 

 何故かキャスターは黙り込んでいる。なんだよ、早く続きを言えよ。

 

「……で、それがどうしたんだよ? なんか殺人鬼をかっこよく言っただけじゃないか」

 

「ばか、士郎。霊長の殺人者っていうのはね、ヒトに対して絶対の殺戮権限を持つ――――」

 

「……ごめんなさい。今のは仮説だったので、確証はないんです。どうか聞き流してくださる?」

 

『――え?』

 

「それよりマスター。報告があります。どうやら私たちの陣地に誰かが侵入してきたようで――」

 

「――なんだって?」

 

 ……まずい。いま家には、桜がいる!

 

「いったい誰だ。誰が家に来たんだ!」

 

「この遠見の水晶を見てください」

 

 ふと、キャスターは懐から、よく占いなどに使う水晶球を取り出した。

 

「これは昨晩、私が用意した武家屋敷の監視カメラのようなものとお思いください」

 

 次々と俺の家の各部屋の様子が水晶の中で移り変わっていく。

 そこで俺は、特徴的な頭を見つけた。

 

「慎二――!」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 昼間。

 衛宮邸のチャイムを数回鳴らしたが、十秒経っても動きがなかったので勝手に家の中に入らせてもらった。

 

「おい、さくら―?」

 

 妹の名前を呼びかけながら靴を脱ぐ。玄関には桜の靴があった。学校には行かなかったらしい。

 次に居間に顔を出したが、明かりは点いていなかった。奥で寝ているのだろうか?

 廊下を渡りながら、僕は声を掛け続ける。

 

「さくらー? 迎えに来たぞー?」

 

 そのまま歩き続けていたら、別棟に付いてしまった。

 

「桜?」

 

 目についた部屋の扉を開ける。するとビンゴ。

 そこには桜がいた。熱っぽいのか、生気の抜けた顔をしている。

 

「……兄、さん?」

 

「なんだ。苦しそうだな、桜。衛宮のやつ、おまえを放っておいて学校に行ったのかぁ? 案外大事にされてないのかもな、おまえ」

 

「……そんなことを言いに、ここに来たんじゃないでしょう?」

 

「あぁ、そうとも。僕は妹を迎えに来たんだ。こうしてね」

 

 ほら、と手を差し出す。

 だが、桜はその手を見下ろすばかりで、虚ろな顔でぼうっとしているだけだった。

 

「……そうだ。一つ聞き忘れていた。桜。ライダーは本当に死んだのか?」

 

「…………たぶん。令呪が、消えちゃったから……」

 

 ……そうか。なら、ライダーが消滅してしまったのは本当なんだろう。

 それでも桜が嘘を付いているかもしれないから、その腕を確かめてみる。

 

「――――って、おい、桜。令呪、あるじゃねぇかよっ!」

 

「……え? あ、違うの。これは……っ!」

 

 一発頭を叩いた。

 これはどういうことか説明してもらわなきゃ手が止まらない。

 

「ま、待って。兄さん。本当にライダーのことは知らないの。だって、見て? 令呪、かすれちゃってるよ……?」

 

「あぁ……?」

 

 もう一度、桜の手を確かめてみる。

 すると確かに令呪の輝きはなくなっていて、傷跡にしか見えなかった。

 

「……ほら、兄さん。お祖父様が言ってたじゃない。御三家のマスターは、すぐに再契約ができるよう令呪が遺されるって……」

 

「――あぁ、そんなことも言ってたっけなぁ」

 

 なら、本当にライダーは消滅したということか。

 なんだよ、勘違いさせやがって。それならそうとすぐに言えばいいのに、愚図だな。

 

「はぁ……よし、それじゃあもう帰ろうぜ。立てるか」

 

 僕はまだ桜の腕を握っていたままだったので、そのまま引き上げる。

 ……って、こいつ、こんなに体が重かったっけ?

 

「え……なんで、帰るの……? 家に帰るなら、兄さんがひとりで帰れば……――っ!」

 

 もう一発、頭を殴る。

 まったく……ふざけたこと言ってんじゃないぞ。

 

「おい、いいか桜。よく聞けよ? お前はもうマスターじゃないんだ。ライダーはいないんだよ。なのに、なんでまだ衛宮の家にいるんだ? ライダーは死んだ。僕たちは聖杯戦争から脱落した。もうお祖父様の命令で、監視のために衛宮の家にいる必要はない。だから殺し合いに巻き込まれる前に、家に帰るんだよ」

 

 もう一回、腕を引っ張る。

 重い体を何とかして引っ張り上げた。

 しかし桜は歩くこともままならないのか、ふらついて床に倒れてしまう。

 

「――チッ。世話の焼けるやつだな。さっさと立てよ、ほらよ」

 

 足でけしかけて、早く起き上がれと急かす。

 まったく、そんなに熱が酷いのか? 移されたくないからおぶってやらないけど。

 ここは自分で起き上がるまで少し待ってやるか。

 

「…………、です」

 

「――は?」

 

「……いや、です」

 

 ――――。

 そこで、僕の沸点は軽く超えた。

 

「また――逆らいやがって」

 

 大げさに腕を掲げて、桜を怯えさせる。

 それから桜の髪を掴みに掛かろうとした、そのとき――――

 

 

 

「兄妹喧嘩はそこまでじゃ。慎二、桜……」

 

 

 

   ◇

 

 ――時はほんの少し遡り――

 

 

 

「さて……なかなか面白い布陣じゃのう。しかし、何故に慎二はああも容易く中に入れたのだ? ――あぁ、そうかそうか。確か慎二は衛宮の子倅と同盟を組んでおったのじゃな。ならば道理で、孫の慎二を入れて儂を入れないわけじゃ。――――故に、アサシン」

 

「……御意に。敵陣、突破致しまする」

 

 衛宮邸の門前から堂々と中に入る。

 本邸に繋がる玄関前の庭土から、竜牙兵が数十体生えてきた。

 

「やれ、アサシン――」

 

 攻撃命令を下した瞬間、アサシンのダークが全ての竜牙兵を穿ち抜いた。

 丁寧に玄関の戸を引いて、土足で中に入る。

 

 廊下に一体ずつ出現している竜牙兵。

 アサシンが先行し、廊下に立ち並ぶ雑魚を次々と蹴散らしていく。

 その流れるような手際は、まさに無音の殺戮。

 

 しかして儂らは一分も掛からず、別棟まで辿り着いた。

 

「――――、――」

 

 ふと孫の声が聞こえる。近くにいるらしい。

 そこで声が聞こえたところまで足を運んでみると……。

 

「また――逆らいやがって」

 

 と、慎二が桜に手を上げようとしている場面に出くわした。

 まったくこやつらは、いつもいつも喧嘩ばかり。

 慎二も兄たるもの妹には手を出さず、妹の桜も少しは慎二に文句の一つでも言ってやればいいのにのう……。

 互いに依存しすぎると、こんなに面倒なことになるとは、こうはなりたくないものじゃな。

 

「兄妹喧嘩はそこまでじゃ。慎二、桜……」

 

 目を見開いて、儂を刮目する孫たち。

 相当驚いているようで、いつもの可愛らしい悲鳴は出なかった。

 

「桜。慎二の言う通りじゃぞ。もう衛宮の子倅の監視など切り上げて、家に帰るのじゃ」

 

「……い、いや、です。……お祖父様」

 

 その断固とした拒絶に、儂はちょいと手を入れた。

 

「――――あぁっ! い、いた、やめ、いや、いやぁぁ……っ」

 

「さ、桜――?」

 

 刻印虫を少し暴走させた。

 今、桜の中で蠢く刻印虫は、桜の魔力を喰らい尽くしている。

 さらに喰らう魔力がなくなれば、今度は生命力までもを奪い尽くす。

 

 さて、この拷問にどこまで耐えられるか。

 

「いや……いやだよぅ……もういやぁ……っ!」

 

「ほれ、桜。帰るぞ。お前にはまだ、やってもらわなければならないことがあるのだからのう」

 

「――――え?」

 

 その時、彷徨う視線をこちらに向けてきたのは、慎二じゃった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「ほれ、桜。帰るぞ。お前にはまだ、やってもらわなければならないことがあるからのう」

 

 お祖父様は、確かにそう言った。

 ……桜は、まだ聖杯戦争で必要な駒だと。

 

「――――え?」

 

 どういうことだ。もう桜は必要ないはず。

 いくら魔術師だからって、サーヴァントを失くした桜に、お祖父様は何をさせるって言うんだ。

 

「なんじゃ、慎二。気になるのか? クカカカッ。……魔術師でもないお主には関係のないことじゃ。疾く立ち去るがいい」

 

 …………っ。

 

「ほれ、桜。……まったく世話の掛かる孫じゃわい」

 

「っ……いや、だ――――あぁ……ッ! せんぱい……嫌だよ、もう、いやぁあっ……!」

 

 それからお祖父様は、僕をまるっきり無視して、僕の前を横切ろうとした。

 

「――まっ、待ってよ、おじい――」

 

 ――ドンッと。肩が押される。それで僕はたたらを踏んだ。お祖父様の肩が、僕の肩にぶつかったのだ。

 それでもお祖父様はさして気にした風もなく、僕の横を素通りしていく。

 まるで僕は、ここじゃあ空気のような存在だ。

 

 ……そして、思い出した。聖杯戦争が始まるまでの、僕の扱いを。

 間桐家は魔術師の家系。

 つまり魔術師ではない僕は、まさに間桐の家においては存在価値すらない子供だったのだと。

 

 ……あぁ。

 ……そうさ。

 ……ついぞ誰も、僕の事を見てくれるやつなんか、いないのさ。

 

「やだ……やだ……やめて、やだよ。あぁ……せんぱい……っ!」

 

「おうおう。そう泣くな。大丈夫じゃ。すぐに楽にしてやるともさ」

 

 桜の肩にお祖父様の手が伸びる。

 ……僕は知らない。間桐の長老に逆らう桜が悪いんだ。僕は知らない。桜は自分の責務を果たすべきだ。

 僕に出来ない代わりに、おまえが果たすべきことなんだ、これは。

 それがどれだけ誇らしくって、どれだけ尊ぶべきことなのか、お前は知るべきなのに――――

 

「やだ……やだよ――」

 

 だって、言うのに。

 

「に、に――」

 

 ……なんで。

 

「にいさん、たすけ――――」

 

 なんでお前は、そんな目で僕を見るんだ……?

 

 

 

『――慎二! 桜を守れ! 今すぐそっちに行く!』

 

 

 

 ――――突然、耳をつんざく怒鳴り声が屋敷中に轟いた。

 これは、この声は……!

 

「……なぬ? これは、衛宮の小倅の声。やはり見られていたか……」

 

『キャスター。空間転移は!?』

 

『言ったでしょう。それは神殿内限定だと』

 

『だったら令呪は!』

 

『それは、でもこんなことに使うのはもったいな――――って坊や!』

 

『令呪を以て命じる――!』

 

「いかん! アサシン。表に出るぞ!」

 

 それからお祖父様は、僕が今までに見たこともない駆け足の速さで庭に飛び出ていった。

 だからお祖父様には聞こえていなかっただろう。

 そのあとに続いて出た、誰かの声を――――

 

『ちょっと衛宮くん! 行くんならわたしも――』

 

『キャスター! 俺を連れて家まで飛べ!』

 

 

 

 ――――それからの出来事は、まさに一瞬のことだった。

 気付いたときには閃光と旋風と共に、衛宮が僕の目の前に現れていたんだ。

 マスターとサーヴァントを瞬間的に移動させる。……これが、令呪の力だって言うのか……!

 

「――せん、ぱい? え……なんで……どうして、まだ、サーヴァントを……? だって、もう、セイバーさんは――」

 

「話はあとだ、桜。ライダーのマスターだとか、俺の監視だとか、そういうのは全部あと。そんでもって、慎二――」

 

 ふと、空気扱いの僕に振り向いて、衛宮は怒り顔で一発――――

 

「ぶへっ!」

 

 ――――僕の顔を、力いっぱいにぶん殴った。

 

「――、……ハッ! 身内からは無視されて、お前からはなんで殴られなきゃいけないんだよ……衛宮ァ!」

 

 血走っているだろう目つきで衛宮を睨みつける。

 だけど、その顔を、はたと見て――――

 

「ああもうおバカなの坊やたち?! いま喧嘩している場合かしら!?

 ――いいかしらマスター? 今すぐ庭に走りなさい。相手は投擲武器を使います。竜牙兵を盾にして、何とか逃げ切ってちょうだい。どうせそのお荷物を捨てて、私と一緒に空を飛ぶのを拒否するのは最初から分かってんですからねぇまったく!」

 

「悪い。キャスター。……行くぞ、慎二。――桜を、一緒に守るんだ」

 

 その顔を見て、……その顔は――

 

「なんでだよ。なんで僕が桜を守る必要がある? こいつは魔術師だ。僕なんかとは違う。魔術師なんだよ!」

 

「それがどうしたっ! 慎二、お前は桜のなんだ! お前は桜の兄じゃないのか!?」

 

 そうだ、その顔だ――

 

「なんだよ。まさか兄は妹を守るべきだとか言うんじゃないだろうな衛宮? そんなのは当然さ。だから僕はこうして桜を守ってやってるじゃないか。こうして間桐の後継者として順調に成長していくように、教育してやってるじゃないか!! よそ者が口を出すなよな。それこそお前は桜のなんなんだ! お前はなんでそうまでして桜を守るんだよ!」

 

 その顔は、その顔こそが――――

 

 

 

「――――――――家族だからだ」

 

 

 

 案外。

 

「ハッ。家族もいないお前が、それを言うのか?」

 

 僕に残されたものは、

 

「そんな――――いまのは、ひどいよ。にいさん……」

 

 妹だけじゃ、なかったらしい――――

 

 

 

 ……すぐそこの庭で破壊音が轟く。

 それに耳を傾けたり、目を向けたりするほどの価値はなかった。

 

「――ははっ!」

 

「何がおかしい、慎二」

 

「いいや? たださ、こんなことをしている場合じゃないんじゃない? ――桜を守るなら勝手にしろよ。僕は手出ししない」

 

「――っ。そうか。分かった。じゃあな、慎二」

 

 それから衛宮は、二度と僕には振り返らず、桜を両腕に抱いて廊下を駆け出した。

 

 …………。

 隣にはキャスターがいる。衛宮と別行動を取った事には、何か意味があるのだろうか?

 

 …………。

 窓の外に、何か骨人形みたいのが群れを成して衛宮と桜を囲っていた。

 あんなのを盾にしたところで、アサシンのダークからは到底身を守れないだろう。苦肉の策というやつか。

 

 …………。

 そう言えば、このキャスターっていうサーヴァント。なんか柳洞寺で見たときより縮んでいるというか、確実に肉体が幼児退行している。

 何があったのかは分からないけど、サーヴァントとしてスペックがダウンしているという話なら、それで十分に納得できる有様だった。

 

 …………、――――。

 

「……なぁ、キャスター。これからどうやってお祖父様とアサシンから、衛宮と桜を守りきるつもりなんだ?」

 

「……坊やに言う必要があって? 煩いハエは黙ってなさい」

 

「ふん。どうせお前みたいなチビには無理だろ。到底お祖父様にはかないっこないね。本当はお前も最初から分かっていたんだろ? こんなにゴーレムをたくさん配置しても、サーヴァントが襲撃してきた時点で自分たちの敗北は確定しているってさ」

 

「……そうね。坊やの言う通りだわ。勝ち目なんて最初からない。だから――」

 

「――だから、柳洞寺の時みたいに逃げ回るのか? ――ハッ。馬鹿の一つ覚えだな」

 

「っ……戦いを放棄した坊やにとやかく言われる筋合いはないわ。本当に黙らせるわよ」

 

「ならさっさと黙らせてみろよ。……お前さ、ハッタリかますんならもっとうまくやれよな。ほんとはお前、僕を黙らせるほどの魔力すらないんだろ?」

 

 …………。

 返答がない。言葉に詰まっている。

 ……違う。本当はキャスターは、僕に暗示を掛けることくらいできるはずだ。

 だけどそれをしないということは、それすらも惜しいということ。

 

「なぁ。よく考えてみろよ。暗示を掛ける魔力すら惜しい。だったら衛宮のやつに暗示を掛けて黙らせてさ、桜を持ってってもらえばそれで済む話じゃん。無駄な争いもなく、魔力も消費せず、戦いを終わらせる事ができる。で、あとは衛宮を連れて逃げ回ればいい。お荷物な桜を明け渡せば、お前たちは逃げ切れるだろうし。お祖父様も桜を連れて帰るだろうしさ。なんなら僕が説得してやってもいいぜ」

 

 …………。

 いよいよキャスターは、完全に僕を無視し始めた。

 まぁ、それならそれでいい。こっちにも考えがある。

 

「……お前にはできない時間稼ぎ。なら、僕が代わりにしてやるよ」

 

「――えっ?」

 

 だから僕は、衛宮と桜がいる庭に歩み出た――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

「――ぐっ……!」

 

 桜を抱き抱えたまま、横っ飛びで地面を転がる。

 刹那、俺たちが今までいた場所にクレーターが形成された。爆風を浴びて、周囲の竜牙兵が吹き飛ぶ。

 向かってくるダークは、その全てが戦車砲並みの一撃。骨人形なんて、あっさりと穿ち吹き飛ばしてしまう!

 

「桜、頑張れ!」

 

「は、はいっ――きゃ!」

 

 頭上を掠める投擲刀。すんでのところでしゃがんだため事なきを得た。

 しかし、どんどん周囲に居る竜牙兵たちが、俺たちを庇って骨くずに変わっていく。

 だんだんとその盾は少なくなってきており、逃げ道もこの先は行き止まりとなっていた。

 

 このまま庭にいても格好の的だ。しかし屋敷の中に入っても竜牙兵の数が少なくて、あっさりと突破されてしまう。

 ならば広い庭で駆け回っていたほうが、部屋に数体の竜牙兵より、庭に百飛んで二十あまりの竜牙兵の方がまだマシだということだ――!

 

「きゃぁっ!」

 

 すぐそばに着弾したダーク。

 その余波に、俺と桜は体を持ってかれて転倒してしまう。

 

「――まずっ!」

 

 今まで隠れてダークを投擲していたアサシンの姿を屋根の上に見つけた。

 野郎。俺たちが転んだ今なら確実に殺せると踏んで、舐めてやがる――!

 

「桜、起きろ!」

 

「ハッ、ハッ、だ、ダメです。先輩……もう――」

 

 くそっ。病人にこれ以上の動きは無理か。

 それにキャスターの水晶球で様子を見ていた限り、どうやらあの老人に暗示でも掛けられて弱っているようだ。

 このままでは、まずい……。

 

「…………」

 

 アサシンがダーク一本を手に左腕を掲げた。

 ――終わった。

 ここで俺が盾となっても、俺の体なんか簡単に吹き飛ばして桜も死んじまう。

 その何度目か判らない自身の死を見つめて――――

 

「――衛宮!」

 

 ふいに桜の部屋から、慎二が飛び出してきた。

 

「むっ? 待て、アサシン。その位置からでは慎二と桜に当たる」

 

「…………」

 

 動きが止まったアサシン。

 だが、その腕はいつでも投擲可能の状態を保っていた。

 

「おい、衛宮。さっきの話の続きをしようぜ」

 

「慎二……?」

 

「だからさ。桜がライダーのマスターだって話だよ。お前、ほんとは気になってんだろ?」

 

 ……今はそれどころじゃないのは、慎二も分かっているはずだ。

 ――それでも、その話には乗ってみた。

 

「はっ。そうだ。先ずは黙って聞いとけよ。実はな、桜は魔術師なんだよ」

 

 ――あぁ。どうやらそうらしいな。

 

「それでさ。間桐の魔術師は廃れてしまったって言ったけど、実はよその家からもらってきたのが桜なんだよ。あぁ、それがどこの家なのかは今後のお楽しみとして、桜は養子として間桐家に迎えられた。それからずっと魔術師として訓練を受けてきていたんだよ」

 

 ……ハッキリ言って。これが時間稼ぎのためだとは容易に理解できた。だが、それをして何になる?

 俺はまた、慎二の突拍子もない遊びに、ただ付き合わされているだけなんじゃないのか?

 

「だからさぁ……っていうか、もう言っちゃっても良いかな? 実はさ、桜には姉がいて――」

 

「――! に、兄さん、やめてください! ど、どうしてそんなこと、するの……」

 

 背後で桜が叫んだ。

 

「どうしてって。お前さ、衛宮に悪いとは思わないわけ? ずっと嘘をついて隠し事をしてさぁ。衛宮を騙して、良い後輩を演じて衛宮を誑かして……そういうのさぁ。嫌な女だなぁって、お前もそう思うだろ?」

 

「――――――――」

 

 慎二の当てつけに、桜は黙り込む。

 

「……待て、慎二。そうやって桜をいじめるのはやめろ。悪い癖だぞ。あと桜。別に俺は黙っていたのは怒ってない。魔術師なら自分の存在を秘匿するのは当然だからな」

 

「……っ。違うんです、先輩。私は、別に、そんなつもりで隠していたわけじゃ……」

 

「あぁ。そうかもしれない。だから細かいことは、あとで教えてくれ」

 

 ……ここで俺は、ようやく慎二の狙いが分かった。

 あれでも慎二はかなり頭が切れる。

 中学時代のときも探偵まがいの事をして、よく自慢話として聞かされていたっけ。

 

「……慎二や。さっきから何をしておる? まさかここで儂を相手に、つまらぬ姑息な手段で訴えているつもりなのではあるまいな?」

 

「違うよお祖父様。僕は間桐の子供だよ? そんな間桐に仇なす事をするはずがないじゃないか。信じてよ。僕のお祖父様でしょ?」

 

 ――その、いつもの人懐っこい慎二の笑顔は、しかし恐ろしいほど冷たいものだった。

 あいつは今、腹の中で一体、何を考えているんだろうか……?

 

「……むむむっ。慎二、お主どうした……?」

 

「どうしたも何もさ、気に食わないんだよ。ほんと、なんで、あいつが僕に、あんなことを言うんだかって……!」

 

 その目は、俺の後ろでうずくまっている桜を睨みつけている。

 それが殺気なのか動揺なのか、俺にはその一瞬では判断がつかなかった。

 

「――――、――」

 

 ――だが、どうやら時は整ったらしい。

 塀の外から、いつでも頼れるあいつの声が――――!

 

「――――はっ、はっ、――――アーチャー! 援護!」

 

「なにぃっ! ここで遠坂の娘だと……!?」

 

 突然、真っ昼間の青空と太陽が、黒色の太陽とパープルの天空に塗り変わった。

 それはどんな宝石の魔術なのか。アメシストの輝きが結晶の刃となってアサシンに飛来する。

 屋根をぶち壊していきながら紫色の宝石がアサシンを蹂躙する。老人も飛び退って、その姿をどこかにかき消した。

 

 次に、アーチャーの矢が標的を逃さず追撃していく。

 向こう側の庭では、どのような事態になっているのだろうか。

 

「――マスター! こっち!」

 

 ――っ!

 縁側から俺たちを呼ぶキャスター。すぐに桜を抱き上げて、慎二と一緒に走り込む……!

 しかし、突然目の前に赤い何者かが颯爽と現れた!

 

「うえぇい! と、遠坂!? い、いま、どっから現れた?」

 

「塀と屋根を飛び越えてきたに決まってんでしょ! ――それで、桜は!?」

 

 遠坂は慌てて、俺が抱き上げている桜の顔を確認する。

 

「あ――遠坂、先輩……」

 

「良かった、無事ね。――ところでキャスター。言っとくけど、うちのアーチャーはいま遠方からの狙撃を行っているわ。つまりアサシンと接近戦をさせるつもりは絶対にないと思ってちょうだい」

 

「でしょうね。だからあまり期待はしていなかったのだけど、それでも助かったわ。あとは遠坂凛。貴女がこの娘を守りなさい。私はマスターを連れて逃げに徹するわ」

 

「そうして。まぁ向こうはもう撤退を決意している頃だろうけど」

 

 確かに。いくら相手が対サーヴァントに特化している敵だったとしても、それは接近戦限定の話でもある。

 ここで竜牙兵を倒しながら、アーチャーの狙撃を躱して肉薄するというのは無謀な行為だ。

 おそらく相手も、遠坂の加勢を警戒して、これで退いてくれるだろう。

 

「はぁ。仕方ない。こうなったら、奥の手を使うとするかの……」

 

 ――だと思ったのに。

 ふいに老爺の寂声が屋敷中にこだました。

 次に、空中に緑色の液体のようなものが散布されて、俺たちに降りかかってくる。

 

「うわっ、なんだこれ!」

「わちゃ! きもちわる!」

「――っ、これは……」

 

 俺、遠坂、慎二。それぞれが驚きの声を上げる。

 だが、目立った変化はない。

 身に降りかかる瞬間、もしや硫酸なのではないかという嫌な想像をしたが、どうも違うようだ。

 

 ――しかし、

 

「――……桜?」

 

 俺の腕に抱えられている桜が、突然暴れだした。

 

「いや――――――――いやぁああああああああ!!」

 

「さ、桜!?」

 

 痛ましいほどの金切り声を叫ぶ桜。抱き上げている俺を突き飛ばして、桜は地面に落っこちる。

 そして、かなり頭を強く打ち付けたっていうのに、桜はまるで酸素を求めるかのように自分の首を掻き出して、ひどく喘ぎ始めた。

 

「――ッ、――――ア、ガッ、――いッ――」

 

 その様子は過呼吸に近い。

 だが、それよりも、何かがおかしい……。

 

「――なんで」

 

 なんで、桜がうずくまっている地面の下から――――アサシンの白仮面が見えているのか。

 

『――――ッ!』

 

 俺、遠坂、慎二、キャスター。全員が一様に同じ回避行動を取り、桜から距離を取る。

 まずい。ここであのアサシンの宝具を喰らうのは……!

 

                                  「――――――――」

 

 ――だが、桜の下にある仮面は、その実ただの仮面だった。

 

「――っ。まずい、今のはブラフか! 桜から引き離された!」

 

 遠坂が叫んだ次の瞬間には、既に桜の下にアサシンの姿はなかった。

 そしてあの影沼が桜を中心に広がって、通常の地面を侵食していく。

 

「あれに足を取られた時点で詰みと思いなさいっ!」

 

 キャスターの切羽詰まった怒号が飛ぶ。

 俺たちはその影沼のやばさを本能で感じ取り、桜に背中を向けてでも侵食してくる影から逃走する。

 次々と残った竜牙兵たちが影に足を取られて、底なし沼に嵌ったかのようにズブズブと沈んでいく。

 

「おい、どこに逃げりゃあいい! 玄関は本邸を隔てた向こうの庭だぞ!」

 

「黙って走れ慎二! こうなったら塀を飛び越えるしかない!」

 

「と、飛び越えるだって!? い、言っとくけどなぁ! お前たち魔術師はそんなことができるのかもしれないけど、僕には……うひゃぁ――!」

 

 声にならない慎二の叫び。

 俺と遠坂も一瞬、何が起こったのかてんで分からなかった。

 

 ――――桜が、小さく見える。ついでに屋敷も、ミニチュアサイズに小さく見える。

 つまり、今の俺たちの視点からして……。

 

「まったく。重量オーバーです。これだけでもう魔力の大半を使い切ってしまいましたので、あしからず」

 

 俺たちはキャスターの魔術によって、空を飛んでいた。

 広げたマントをはためかせているキャスター。

 彼女を中心に半透明の球体が出来ていて、どうやら俺と遠坂と慎二は、その球体の中にいるようだった。

 

「この結界から出ないように。落下したいのなら別ですけど」

 

「――――ふぅ。キャスター、助かったわ。あと一歩でも遅かったら本当にやばかった……」

 

 遠坂が胸をなで下ろす。

 まったくだ。広がる泥は、本当に踵まで迫ってきていたのだ。

 

 ……ふと、地上に目をやる。

 そこでは桜が泥の上で、今でも苦しそうに喘ぎ続けていた。

 

「……衛宮。あの緑色の液体は、桜の魔術回路を暴走させる薬だ。よくお祖父様が罰を与える時に使っている……」

 

「慎二……?」

 

「……なんでもないよ。ほら、見ろよ。屋敷全体が底なし沼に漬かっちまった。あれ、外に漏れ出したらやばいんじゃないのか?」

 

「その点は問題ありません。私の神殿の中で生まれたものなら、私の神殿の中だけで完結します。外に漏れ出ることは、まずありえない。私の結界に懸けてでも。ええ、保証します」

 

 そうか。なら安心だ。

 もしあれが外に漏れ出てしまったら、それこそ平和なお昼の街が、途端に地獄へと変わってしまう。

 

 それから老人とアサシンは完全に姿を消して、数分で影も引いていった。

 上空に佇む俺たちは地上に降り立ち、桜のところに駆けつける。

 

 ……倒れている桜。その体を持ち上げてみても、その下には何もない。

 ただ桜は今でも苦しそうで、遠坂によると命の危険があるらしい。

 

「でも、命の危険って、どうすれば?」

 

「……知り合いに治療のうまいやつがいる。そこに行きましょう」

 

「知り合いって、遠坂まさか……」

 

「えぇ、冬木教会よ。あいつなら今の桜の状態を何とかできるかもしれない……」

 

 それは桜も聖杯戦争に敗退したマスターだから、教会の保護を受けられるという意味でも可能なことだった。

 

 そうして俺たちは、すぐに教会へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 ――あれから数時間。

 教会に駆け込んだ俺たちは、監督役の言峰綺礼に桜を預けて、ただ礼拝堂で治療が終わるのをひたすら待ち続けていた。

 キャスターは後ろで霊体化していて、遠坂も慎二も何も語らない。

 というか、暢気に何かを話せる状況ではないということだ。

 

 

 

 ――――時刻は既に夜の六時。

 夕飯はどうするのかなんて、考えることすら出来なかった。

 

 

 

 ――――。

 ……ふと、言峰綺礼が数時間ぶりに、礼拝堂の奥から姿を現した。

 

「終わったぞ。間桐桜の容体はこれで安全だ。まぁ一命は取り留めたという程度だが」

 

「そう。それで構わないわ。……で? あの中身はどうだったの?」

 

 ……遠坂?

 

「……それは、どういう意味かね。凛」

 

「だから、皆まで言わせないでよ」

 

「……ふむ。それもいいが。後ろにいる男どもにも、私は監督役として説明責任を果たさなければなるまい? お前たちも、そう思うのではないかね?」

 

「――っ。あんたが責任とか、これ以上に似合わない言葉はないわね」

 

 何やら苦そうな顔をする遠坂。

 今のであいつが、俺たちに何かを内緒にして事を進めようとしているのが見て取れた。

 

「……頼む言峰。今の桜は、どうなっているんだ?」

 

「よかろう。説明してやる」

 

 ――それからは、色々と衝撃だった。

 とっくに予想できていたり、内心では分かってはいても、やはり人から聞かされる真実というものは、なかなかに堪えた。

 

 ……まず桜の身体の中には、刻印虫という使い魔が潜んでいるらしい。

 刻印蟲は宿主から魔力を喰らい、宿主の存命を術者に発信するだけの目的で活動している。

 それを言峰は、間桐臓硯の仕業だと言った。慎二や桜がお祖父様と呼ぶ、あのセイバーを殺しやがったあいつだ。

 

 そして刻印虫は、桜にある制約を背負わせているらしい。

 それは“戦いへの参加”というよりも“戦いの放棄”に反応して、刻印虫は制約を破った桜の肉体を蹂躙するのだとか。しかし今回は単純に、とある薬物を掛けられた事で暴走したらしい。

 つまりあの薬物は制約には関係なく、刻印虫が活動を開始する効能があったということ。

 

 ゆえに桜は、その神経も肉体も、完全に間桐臓硯の言いなり。いいように使われてしまっているということだ。

 ……我慢できない。孫を慮るような事ばかり抜かしておいて、やっていることは桜を道具として扱っているだけだ。

 絶対にあいつを許すことはできない。

 

「だけど言峰。桜はもうあんたが治したから、もう大丈夫なんだろ?」

 

「それは違う。私は間桐桜の身体の中にある毒素を洗い流しただけだ。刻印虫を取り除いたわけではない。かといって取り除こうとすれば、刻印虫は桜を食い殺すだろう。つまり間桐桜はこれからも刻印虫に蹂躙されていき、それもあと数日で死に絶える。……これで納得したかな、衛宮士郎」

 

「――――…………」

 

 納得なんてしていない。

 こいつは、もう桜は助からない。そう抜かしたが、まだできないと決まったわけじゃない。

 

 ……そう、例えば――――

 

「キャスター、出て来てくれ」

 

 俺の呼び声に、キャスターが背後で実体化する。

 

「……ほう、驚いたな。キャスターを従えていたのか? ふむ……ならばセイバーはどうした? 見たところ、再契約をしたということかな?」

 

「あぁ、見ての通りだ。色々と戦況は変わってきている。だが、それをあんたに説明している暇はない。……それで、キャスター。お前なら、桜を助けられるんじゃないのか?」

 

 俺の傍らに歩み寄るキャスターは、その小さな瞳で見つめてくる。

 

「……マスターは、私の宝具の事を言っているのですね?」

 

「あぁ、その契約破りの短剣なら、桜が無事のまま刻印虫を取り除けるは――

 ――ずっ!?」

 

 ぐえっ、な、なんだ? 喉を絞められている!?

 あと、突然体が浮いて、どんどん教会の外に体が運ばれて――――って、俺は足を動かしていないぞ。

 これはどういうことだ!?

 

「衛宮士郎、話がある」

 

 ――って、違う。俺は浮いていたんじゃなくて、持ち上げられていた。

 俺の服の襟元を片腕だけで持ち上げて、堂々と教会の外に出ようとする言峰綺礼の顔が頭上にある。

 

「お、おい。離せよ言峰! なん、なんだってんだよ!」

 

「綺礼……?」

「……衛宮?」

 

 遠坂と慎二の呆けた声が礼拝堂に響く。キャスターは霊体化した。

 

 俺はそのまま力持ちの神父に持ち上げられて、教会外の裏まで運ばれる。

 それからまるでゴミでも捨てるかのように放り出された。

 

「――うわっとと! ……って、ほんとに一体なんだってんだよ……」

 

 言峰を睨みつけて、俺をここまで運んできた理由を問う。

 すると言峰は深く溜息を吐いたあと、俺にこう言った。

 

「莫迦かお前は」

 

「はぁ……?」

 

「いいか。衛宮士郎。先ほど私が言っただろう。間桐桜の中にある刻印虫は間桐臓硯のもの。ゆえに間桐桜の耳も目も心も間桐臓硯のものだということだ。……つまり、今あの場で本当に間桐桜を助け出そうとしてみろ。間桐臓硯という老害は、慎重さゆえに事此処に至って、間桐桜を廃棄するかもしれない」

 

 あ……いや、それは……っ。しまった。

 桜を助けることばかり考えていて、そこんところが頭になかった。

 

 ――でも待てよ?

 礼拝堂に桜はいない。それより奥の部屋に桜はいるはずだ。

 ……まぁ、間桐臓硯の目と耳がどこで光っているのか判らないから、少しでも桜から遠ざけた……っていう事なんだろうか?

 

「……その、さんきゅ。危うくドジっちまうところだった」

 

「お前に礼を言われても嬉しくはない。とにかくだ、衛宮士郎。お前のキャスターは、本当に間桐桜を救い出せるものなのか?」

 

「あぁ。絶対に救い出せる」

 

 そう俺が言い切ると、今度は難しい顔をし始めた言峰綺礼。

 その顔の裏に何を考えているのかは、これっぽっちも判らない。判りたくない。

 

「そうか。だが、一応忠告しておくぞ。間桐桜に宿る刻印虫は、彼女の神経を喰い、同化している部分が多々見受けられた。その宝具が間桐桜をどのような方法で救うのかは知らんが、下手をして無理に引き剥がせば、それだけで間桐桜は魂を手放し絶命するぞ。……ゆえに好機を急いてはならない。焦りは失策の生まれだぞ、衛宮士郎」

 

「あぁ、そのようだな。分かった。キャスターの宝具を使うのは、もう少し慎重になってみる」

 

 だが、その好機とは一体いつのこと。どのタイミングなのだろうか?

 

「……では、これから私は間桐桜の手術を引き続き行うつもりだ。中に戻るぞ」

 

 その言葉を受けて、俺と言峰は礼拝堂に戻った。

 遠坂と慎二は不思議そうにしていたけど、まぁそこは下手にごまかしておいた。

 

 

 

 それから言峰は、治療の際に桜の悲鳴が上がり、それで俺たちがうるさくすると手元が狂いかねないとして、教会から出て行けと言った。

 

「その通りよ。士郎、慎二。外に出ましょう」

 

 ……その遠坂の言い分に従って、俺と慎二は遠坂と一緒に教会を後にする。

 本当は礼拝堂で桜の無事くらい祈っても良いじゃないかと思っていた。けれど、今のこのごちゃごちゃとした頭では、確かに冷静ではいられない。

 言峰の言う通り、桜の叫び声が聞こえてきたら、俺はそこに駆け込んでしまい、言峰の手術を邪魔して、桜を死なせちまうかも知れない。

 ……だから、せめて桜が助かるまでの間に、俺はひとつ、知らなければならないことがある。

 

「なぁ、慎二。教えてくれないか。あの話の続きを――」

 

 俺は、桜の事を知らなければならない。

 たとえ桜がそれを嫌がっていたとしても、俺にそれを知られまいと日々隠していたとしても。

 それでも俺は、桜を助けたいと思う資格が必要だというのなら、俺は知らなければならない。

 

 ……それが、気付いてやれなかった、俺の償いでもある。

 

 でも、あぁ……俺は、本当はとっくに気付いていたんだ。

 それでも考えないようにしていた。

 聖杯戦争とやらが始まった瞬間、桜は高熱を出して倒れ、俺はそれをただの風邪だとした。

 そのときは、間桐が魔術師の家系だとは知らなかったからだ。

 

 問題はそのあとだ。

 慎二に間桐の家が魔術師の家系だと聞かされて、しかし桜は魔術世界には関わりがないという慎二の言い分を、俺は都合よく鵜呑みにした。ちょっとでも考えれば、すぐに分かる真実に、俺は目を逸らしていたんだ。

 だから今度こそは、慎二から本当の事を聞きたかった。何を言われても、俺は動じない。

 

「……いいぜ。話してやるよ。でも遠坂、お前の方が詳しいんじゃないのか?」

 

「……え?」

 

 だけど、なんでそこで遠坂が出てくる?

 いや、確かに遠坂は魔術師で冬木市のセカンドオーナーだから、御三家の一つと言われる間桐の魔術師が桜だったことは、当然として知っているはずだろう。

 

「――――――――」

 

 しかし、そこで俺は、押し黙っている遠坂の顔を見て――――察してしまった。

 

「そうさ、衛宮。桜は間桐家の養子。よその家からもらってきた子供。そして桜には姉がいると言ったよなぁ? それで? この冬木の地に、魔術師の家なんて一体いくつある?」

 

 それは――――桜は魔術師で、聖杯戦争のマスターだと分かった時点で、既に予想はしていたことだった。

 

「あいつの昔の性は遠坂。つまり遠坂桜って言うんだ。遠坂凛の一つ下の妹」

 

 慎二はまるで、いま話していることが全然特別なことではないように語り続ける。

 

「ほら、魔術師ってのは一子相伝だと教えただろ? つまり遠坂の家に桜は要らなかったって事なんだよ。でも桜には魔術の才能があった。それがもったいないから、間桐の家に入れられたんだ」

 

 あまりに唐突で突拍子もない真実が、慎二の口から語られる。

 だって言うのに俺は混乱もなく、その全てを当然のごとく受け入れていた。

 

 ……遠坂の顔を見ることが出来ない。けれど想像は出来る。

 俺の前を歩く遠坂は、きっと涼しい顔をしているだろう。

 まるで間桐桜というかつての妹は、とっくに赤の他人だと。そんな魔術師然とした顔をしているに違いない。

 だから遠坂は口を挟んでこない。慎二が少し嫌味を含めて桜の過去を語っているのは俺でも分かった。

 それでも遠坂が何も言ってこないということは――――即ち、遠坂もそういう風に桜を扱おうとしている…………なんて、最低の事が頭に浮かんだ。

 

「桜が養子に入ったのは十一年前。それからずっとお祖父様に教育、躾……いや、調教されてきたんだろうね」

 

 ……なんでそこで言葉を選ぶ。

 いや、桜は本当にそう扱われてきたと慎二は知っているから、あえて言葉を濁さず、ありのままを俺に説明してくれているんだろう。

 だが、それでも……。

 

「慎二。お前はそれを、どうとも思わなかったのか」

 

「別に? だって魔術師だぜ? 僕がどれだけ望んでも手に入らなかったものを桜は持っているんだ。そこに何を思うところがあるって言うんだい?」

 

 ――奥歯を噛み締める。

 ダメだ。話が通じていない。今、俺はそんな話をしているんじゃない。

 魔術師としてではなく、俺は、お前が一人の兄として、どう思っていたのかを――――

 

「甘いな衛宮。魔術師の家に生まれる。貰われるっていうのは、つまりそういうことだろう? ぶっちゃけ僕からしたらね。桜の境遇は羨ましい限りだよ」

 

 ――慎二の胸ぐらをつかみ、どこかの建物の壁に押し付ける。

 だが、それは考えなしの暴力ではない。

 俺は今、桜のために怒っているんじゃない。俺が今、怒っているのは――――

 

「――っ。だからさぁ。僕からしたら、衛宮がそんなに怒る理由が判らないね」

 

「――――本当に、判らないのか?」

 

「あぁ。判らないね。判りたくもない」

 

 ……話が通じない。いや、それは違う。

 慎二はたぶん。俺に魔術師とは何たるかを教えているつもりなのだろう。

 だから人としての感情を無視して、俺を焚き付けている。

 

「……やめなさい、士郎。それに慎二もよ。あんたたちがここで喧嘩をして、いったい何になるって言うのよ。それよりもねぇ、さっき見たことを忘れたの? 桜の下から、何が出てきたのかを――」

 

 ――そうだ。セイバーを喰らった影。無差別に人を殺して回る影。夜にはアサシンの体に巻きついていた影。

 それが桜の体の下から現れた。それが何故なのかは皆目検討が付かない。

 けど、それがどういった意味を持つのかは、理解しているつもりだ。

 

「そんなのは今は関係ないね。遠坂は黙っててくれよ。これは僕と衛宮の喧嘩だ。桜は今関係ない」

 

「関係あるさ、慎二。確かに俺たちは、すぐにでも影についての対策を立てなきゃいけない。それでも慎二。お前が桜の兄だと言うのなら、そんなことを平然と抜かすお前を、俺は――」

 

「はっ! なにさ。いっちょまえに人間ぶりやがって! 僕が桜の兄なら、妹を守るのは当然だと衛宮は言いたいんだろう? そんな世間の常識を勝手に僕に押し付けないでくれよ! 僕の気持ちが、お前なんかに分かるわけないだろう!」

 

「慎二!」

 

「――あぁもうやめなさいってば! 慎二は士郎を煽らない! 士郎も感情的になっているくせに、頭の中は冷静でやるべきことが分かってんだったら、ちゃんとしなさいよ!」

 

 その遠坂の激昂に、俺と慎二はひとまず離れた。

 

「そう。それでいい。はぁ……桜の治療が終わるまで、あと数時間は掛かるでしょう。それまであんたたち、頭を冷やしておくのね。――それから忠告しておくわ。これから私たちが桜を相手にどうするべきか、よく考えておきなさい……」

 

 それだけ言って、遠坂は去っていった。

 慎二も遠坂とは反対方向に去っていく。

 ――俺も、坂を下り始める。

 

 

 

 そこでふと、俺は足を止めた。

 目の前に、赤い男が立っていたからだ。

 

「何用です、アーチャー」

 

 キャスターが実体化して、俺の前に躍り出る。アーチャーから守ってくれようとしているのだろう。

 その小さな体で……まったく。俺はなんて情けない。

 

「キャスター。大丈夫だ。アーチャーは俺に話があるだけだ」

 

「その通りだ、衛宮士郎。

 ――だがな、私は既にサーヴァントではない。守護者としての務めを果たさなければならない」

 

「……え?」

 

「お前がどの道を歩もうと、もはやオレの知った事ではないということだ。自由意思のない汚れ仕事に、私はまた戻るだけだよ」

 

 何を――――

 

「いいや、違うな。もっと衛宮士郎という人間に判りやすく、端的に言葉を変えるとしよう。

 そう――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 ――――言っているんだ?

 

「……アーチャー。貴方、まさか……」

 

「キャスター。私は抑止の代行者だ。今はサーヴァントという殻を被ってはいるが、なかなかどうして。アラヤの守護者として呼び出されなかった理由が、今になって理解した。

 さて……ここまで言えば貴様にも判るだろう? オレの魔術特性も既に看破しているな? ならばいい。あとはこの出来損ないを頼んだぞ、キャスター――」

 

 それから踵を返して、アーチャーは霊体化していく。

 

「お、おい! どういう事だよ! なんだ、サーヴァントってのはみんなこうなのか!」

 

 アーチャーもキャスターも、そりぁやサーヴァントってのは上位の存在だから、色々と何かしら判っちまうんだろうが。

 それでもこれは、ちょっとズルいのではないかと思わなくもない……。

 

「衛宮士郎が決断すれば、世界の悪意の方向性は決定する。――いいか、衛宮士郎。

 物語はまだ、始まってすらいないんだ――」

 

 しゃらん。と、アーチャーはエーテルの青い光を纏って姿を消した。

 

 ……道が、存在しない?

 それは選択肢がないということか? それとも“何も選ぶな”ということか?

 そんなはずはない。まったくなんだよあいつ。助言をくれるのでもなく、逆に混乱させやがって。

 

 

 

 ――それから俺は数時間掛けて、キャスターと共に当ても無く街をさまよい歩き、気付けば公園のベンチに座っていた。

 

 考え事がまとまらない。

 俺がこれからどうするべきなのか。桜をどうするべきなのか。判っているのに、まとまらない。

 屋敷にいたとき、桜の下から影が溢れてきた。その泥のような影は、キャスターの結界のおかげで外に漏れ出すことはなかったけど……。

 それでも――――もし、もしも……あれが、外に漏れ出していたら……今頃、この街は……。

 

 ――俺は、何のためにこの聖杯戦争に参加した?

 ――俺は、何のために戦うと決意した?

 

 果たして数時間後。

 遠坂は礼拝堂で、桜をどうするつもりなのだろうか。慎二は、桜をどうしたいのか。

 他人の決定なんてどうでもいい。

 俺は、衛宮士郎が選ぶ道を決めるだけなんだ――――

 

 ――もはやおまえに、選ぶべき道などは存在しない――

 

 変な事を思い出すな。

 俺が今考えるべきことは、桜を殺して大勢の人間を救う事か。あるいは――――――――あぁ、でも、やっぱり、それしかないはずだ。

 確かに、それ以外の選択肢はないはずだ。だから、アーチャーは……。

 

「――俺は、桜を殺すしか、ないのか」

 

「――え? お兄ちゃん。家族を殺しちゃうの?」

 

 ……目の前に立つ白い少女に気が付いた。

 自分の顔を上げる気力もない。

 

「シロウ。家族を殺しちゃうの?」

 

「――っ」

 

 違う。殺すつもりはない。

 そうしなければならないのかもしれないと、今はそう考えているだけで……。

 

「シロウは、キリツグと同じになっちゃうの?」

 

「――――あ……っ、はぁ……はぁ……は、っ……!」

 

 その詰問に身が凍え、吐き気がしてくる。

 

 衛宮切嗣。小を切り捨て大を救う。そんな正義の味方を目指していた、俺の父親。

 衛宮士郎。目に見える全ての人が幸せであればと、そんな正義の味方を目指していた、半端者。

 

「シロウは、大好きな家族を、殺しちゃうの?」

 

 大好きな、

 

 ――ハッ。家族もいないお前が、それを言うのか――

 

 家族。

 ……あぁ、俺には大好きな家族はいない。いなくなった。

 あの大災害の時に、――士郎の全てが失くなったんだ。

 

 だけど、そのあとにもらった苗字がある。

 うだつの上がらない切嗣(オヤジ)がいた。うるさい姉がいた。健気に通う妹みたいな後輩がいた。

 そして、好きになった金髪の少女がいた。それと、好きになってくれた銀髪の少女がいた。

 

 ……俺の夢は、正義の味方になることだ。衛宮切嗣の夢想を継いで、その理想を追い求めようとした。

 だけど、その切嗣だって、最期には家族を取った。

 もちろんそれは正義の味方が期間限定だったせいだ。だから、まだ若い俺が跡を継ごうと思った。

 子が親の背中を見て、憧れるのは当然だ。

 

 そうして俺は、衛宮切嗣の夢を継いだ。富も名声もいらない。誰かに褒められたかったわけでもない。

 ただ誰かを救うという願いが綺麗で、ただそんなふうに在れたらどんなに素晴らしいことかと――――

 

「――そうだ。俺は、正義の味方になりたい。それが、俺の唯一の夢だったからだ」

 

「……………………」

 

 選ぶ道などは、もはや存在しない。

 衛宮士郎は、とっくに気が付いていた。

 

 ――あぁ、安心した――

 

 その最期の言葉は、衛宮切嗣が、きっと俺は理想通りの正義の味方になってくれると。

 そう確信して解き放った言葉だったと、俺はずっと思っていた。そうであったらと、願っていた。

 

 ――けれど、それが今になって違うのではないかと思い始めてきた。

 そう思えば、確かに俺は出来損ないだった。

 

 ――俺が代わりになってやるよ――

 

 そんなことを子供のときに誓ったというのに。

 俺はこんなにも、あっさりと覆してしまったんだから……。

 

「……ようやく分かったよ、切嗣。どうすれば正義の味方になれるんだろうって、俺はずっと悩んでいた。答えなんて見つかる気がしなかった。それでも誰かを助けたいという願いが、間違いなはずがないと信じて、俺は正義の味方を目指していたんだ――――」

 

「……そう。結局、シロウはキリツグと同じ道を歩むのね」

 

「あぁ。そうだ。その通りだ。

 だから俺は――――か ぞ   く     の――――――――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■(正義の味方を)

 

          ()

                ()

                        ()

                                 ()――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――世界の悪意(アラヤ・■■■■■)、干渉不可能――――

 

 

 

 

 

 ――――星月夜に舞う一匹の精霊(エルフ)。今ひとたび、ガイアの夜明けの戯れを――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――家族の味方に、なりたいんだ。切嗣が出来なかった、家族の味方に……。

 その中にはイリヤ、お前も含まれているんだぞ?」

 

「え――――?」

 

 家族の味方。

 こんな当たり前なこと。迷うまでもなかった。

 

 ……失うことの恐ろしさ。

 それは自分の中の大事な根底部分を失うことよりも、大好きな誰かを失いたくないという思いの方が強かったということだ。

 この時点で俺は、確かに出来損ないだった。正義の味方として、俺はあまりにも大事なものが増えすぎていたのだ。

 

「衛宮士郎は正義の味方を諦めてはいない。それでも俺は、衛宮切嗣の代わりになってやるんだ」

 

 ――衛宮切嗣が出来なかったことを。俺が代わりに実行する――

 

「……シロウ。それは、私だけの味方になるっていうこと?」

 

「それは違う。俺はイリヤも桜も守るんだ」

 

「それって結局みんなを守るっていうことじゃない。そんなのは無理よ、シロウ。みんなを助けられるって、本当にそう思っているの?」

 

「確かに強欲すぎるかもしれない。非現実的かもしれない。それでも俺は、家族を守るために戦うんだ」

 

 それに、目に見える全ての人を救いたいという願いに比べれば、これくらいできないと正義の味方を目指していた俺に笑われる。

 

 ――星の綺麗な夜空を見上げる。

 ふと、雪が降ってきたと思ったけど、なんだかそれはキラキラとしたものだった。

 

「うわ――――きれい――――」

 

 空から降ってくる光の雪。その中で舞うイリヤは、瞳を輝かせて見とれている。

 しかし……はて? この光る粉みたいなものは、もしかしなくても……鱗粉?

 

「お、おいイリヤ。これ、もしかすると汚いものかもしれないぞ……」

 

 すぐに謎の光の粒子から、イリヤを遠ざける。

 

「――――ぶぇっくしゅん!! ひー寒い! 寒さで体が震えて鱗粉撒いちまったぜー!」

 

 ……ふと、今度は少年のような声が公園にこだました。

 しかし、周りに人の気配はない。

 それに変だな。今の、なんだか頭上から聞こえてきたような?

 

「きっと妖精だわ! ニホンなんかにはいないと思っていたけど、きっと妖精よ!」

 

 くるくると回って夜空を見上げ、イリヤは無邪気にその妖精を探し始める。

 

「いや、あの、イリヤ? これから妖精を探すのは別に構わないんだが……俺、もう行かなきゃいけないんだ」

 

「それって、サクラのところ? ええ、どうせうまくいかないと思うけど、シロウがやりたいことなら、わたしは応援する。だってわたしは、シロウの味方だから」

 

「――――ありがとう、イリヤ。それじゃあな。今度、迎えに行くから」

 

 それから俺は、光の雨に包まれた公園を後にして――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■■■■   ■■ ■■   ■■■■■

 

 

 

 

                      ■■     ■■■■■

 

 

 

 

 ■■  ■■■■■     ■■           ■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正義の味方を張り通して、桜を殺すと決めたんだ――――

 

(……坊や……?)

 

「――――――――」

 

(……なるほど。まったく。世話の焼ける子ね……)

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ……衛宮と遠坂と一緒に教会を出てから数時間。

 そろそろ言峰綺礼という神父さんの手術も終わっている頃だろう。

 

 ……遠坂はたぶん。どうするだろうか?

 桜は何か、とてつもなくやばい奴になっていた。柳洞寺で見たあの影。あれを桜が操っているというのか?

 

 ……まぁ、僕にはどうでもいいことだ。

 遠坂が桜を危険人物と扱って殺そうとしても、僕には関係ない。関係ないんだよ――――

 

 僕が今興味あるのは、衛宮のやつだ。

 あいつならきっと、いや絶対、桜を助けると言うだろう。衛宮がそう言うんなら、僕も手を貸してやってもいい。

 ただ、衛宮が桜を殺すと決めたなら、僕はたぶん、怒る。柄にもない事を言ってしまうかもしれない。

 

「でも大丈夫さ。あいつ、やっと人間らしくなってきたんだ。これも僕のおかげかな」

 

 るんるん気分で教会に足を運ぶ。

 荘厳な雰囲気の礼拝堂に到着。そこには遠坂が既にいた。

 衛宮はまだ来ていないようだ。

 

「やぁ遠坂。やっぱり君は、僕の妹を殺すつもりでいるんだね?」

 

 僕は遠坂の冷酷な魔術師としての目を見て悟った。

 まるきり僕を無視して、遠坂は壁際に佇む。

 もうそれにムカつく事もなかった。何故なら僕は魔術師じゃないんだから。

 

「――――――――」

 

 ふと、教会の扉が開かれた。

 衛宮が戻ってきたのだ。

 

「よぉ衛宮! 待ってたぜ!」

 

「――――――――」

 

「……衛宮?」

 

 その色のない顔を見て、()()()、と思った。

 嘘だ。あいつが、なんで、顔、が――――

 

 言葉が出ない。衝撃を通り越して頭が真っ白になった。

 ……嘘だ。うそだうそだうそだ!

 なんだってお前は、そんな、遠坂と同じような……いや、遠坂よりも冷たい目を――――!

 

 その時、礼拝堂の奥から、重い靴音とともに深い寂声が響いてくる。

 

「手術は終わった。――さて、迷える子羊たち。そちらの選択は、もう決め終わったのかな?

 ――先ずは、凛。君の選択を聞かせてもらおう」

 

「言うまでもないでしょう。外道に落ちた魔術師を排斥するのが管理者の役目。それが身内なら尚の事。ここで私が桜に手を下すわ」

 

「……そうか。ならば次は、衛宮士郎の番だ。お前の選択は、なんだ?」

 

 そんなもん決まっている。

 衛宮が選ぶ道は、誰よりも笑って、誰よりも怒って、泣いて――――

 

「桜を殺す」

 

 

 

 ―――――――― 。

 

 

 

「衛宮、えみや。……衛宮ァッ! どういう事だよ! なんで、なんで!」

 

「慎二……どうもこうもない。桜を殺せば、大勢の人が救われる」

 

「そんなことを聞いてんじゃないんだよ! おまえ、お前の後輩はどうなるんだ! お前、自分の家族が桜だって、言ってたじゃねぇかよぉ!」

 

「あぁ。その点は感謝している。慎二、お前もやっぱり、桜の事が心配だったんだな」

 

 …………。

 なんだ。コイツは、誰だ?

 

「――お前、誰だよ。衛宮じゃないな。お前は誰だ!」

 

「誰って。俺は衛宮士郎だ」

 

「違う! お前は偽物だ! 返せ、元に戻せ! 出て行け――――!」

 

 猛然と衛宮に殴りかかった。

 衛宮は僕の拳を避けもせず、僕の殴りを頬に受けてたたらを踏む。

 

「……なら、良いのね。衛宮くん。わたしが、桜を殺しても」

 

「あぁ。意見はない。ただ――――代わっていいのなら、変わる」

 

「衛宮の顔と口で……そんな寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ!」

 

 もう一発ぶん殴った。

 地面に押し倒して何回も顔を殴りつける。

 それでも衛宮は木偶人形のように抵抗しない。

 

 ――かつ、かつ、と。

 だれかの足音が遠ざかる。

 

「――――っ! 待て、遠坂!」

 

 倒れ伏した衛宮を無視して駆け出し、遠坂の腕を絶対に離さないと鷲掴む。

 

「……慎二。ごめんなさいね。でも、最後に桜の兄でいてくれて、ありがとう」

 

 ――――違う。ちがう。ちがうちがうちがうちがうちがう!

 なんだ、これは、まるで悪夢だ! まさに悪夢だ! ふざけるな! こんなのは何かの間違いだ! どういう事だ!

 誰が、一体どんな胸糞悪いやつが、こんなことを――――!

 

 

 

 ふいに――――パリン、と。

 礼拝堂の外で、窓が割れた音がした。

 次に、人が走り去る音。

 

「なんだ……?」

 

 そこで僕は、即座に神父さんに振り返って、ただ一言を以て問いかけた。

 

「ねぇ、神父さん……この教会にいるのは、桜だけなんだよな?」

 

「それ以外に誰がいる。あと、彼女を寝かせていた部屋は、何故かここでの会話が筒抜けでな――――」

 

 僕はその言葉を最後まで聞き終える前に、遠坂の足を引っ掛けて床に転ばした。

 

「綺礼、あんた――って、きゃっ!?」

 

 そのまま礼拝堂の外へ出ようと駆け出す。

 誰よりも早く桜を見つけて、それから、それから……問い質さなければならない。

 もう衛宮も遠坂も知ったことか。

 どうせ殺されちまうんなら、僕は最後に知っておかなければならない。

 

 ――おそらく桜と僕の、決定的な溝を――――!

 

「――――間桐慎二」

 

 ふと、教会の扉に手をかけたと同時に、キャスターが僕を呼び止めた。

 

「あなたは、世界の悪意に騙されてはいないのですね。人畜無害な存在は、世界からも相手にされないということですか」

 

 ……僕は急いでいるんだ。なのに僕は、キャスターの言葉を無視できないでいた。

 気になって振り返ってみると、キャスターはあのライダーを突き刺した歪なカタチの短剣を持っていた。

 

「ふん……聖杯を手に入れるだけなら、別にこのまま放っておいても良かったのですけどね。――間桐慎二。あなたを見て気が変わりました。言ってごらんなさい。あなたは、何を望んでいますか?」

 

 …………。

 今の僕が、望んでいること? そんなもの決まっている。

 

 ――あぁ、だから言ったんだ。

 もしも衛宮が桜を殺すと決意したら、きっと僕は柄にもないことを言っちまうって――――

 

 

 

 

 

「――僕は、ただ衛宮の人間らしい顔が、見たかっただけなんだ――」

 

「ならその願い。私が代わりに叶えてあげましょう――!」

 

 キャスターが歪な形をした短剣を振り上げる。

 足元では衛宮がゆらりと起き上がろうとしていた。

 その背中に、キャスターは短剣を突き入れるようにして――――

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)――!」

 

 衛宮の体から、何か影のような悍ましい闇が取り払われた。

 

「――――ガハッ!? っ……ハァ……ハァ……はぁ――――あ、あれ?

 俺、いつの間に教会まで来ていたんだ?」

 

「え、衛宮……? お前、なのか……?」

 

 だが、その僕の問いを遮るかのように、神父さんがもう一度だけ衛宮に告げた。

 

「では再度問うぞ。衛宮士郎。お前が選んだ選択は、なんだ?」

 

「は――? そんなの決まっている。俺はな、今さっきイリヤに誓ったんだ。俺は、家族の味方になるって決めたんだよ!」

 

「え、衛宮くん……!?」

 

「――――衛宮ァ! 桜が外に逃げ出した! 遠坂より先に見つけないと、桜が殺されるぞ!」

 

 それだけ叫んで、僕は教会から飛び出した。

 あとは衛宮が遠坂を足止めするなりなんなり好きにすればいい。

 僕は遠坂よりも早く、桜を見つけなきゃいけないんだ――――っ!

 

 

 

 ――どこだ。どこにいる。

 どうせ桜のことだ。悲劇のヒロインぶって、人気のないところで、雨に打たれて打ちひしがれているはず。

 自殺なんてしない。あいつはそんなに弱くない。

 弱くないからこそ、あいつが相応しいと、僕は内心どこかで、僕は――――!

 

 

 

 

 

 ……見つけた。

 教会の坂を駆け下りて、夜でも人気のある新都は除外して橋を渡ったのが功を奏した。

 海浜公園。雨が降りしきる中、あいつは熱があるってのに、いろんなものに打ちひしがれていた。

 

「――桜」

 

 俯いたまま身を震わせる桜。

 その、いろんなものに詰まって、いろんなものに壊された桜を見て、間桐慎二()は懊悩した。

 

 

 

   …

 

 ――レイン - 間桐慎二の告白――

 

 

 

 成績はトップクラス。弓の腕は副主将クラス。

 自分が天才であるという自負は当然としてあり、自分以外は劣等種だという傲慢さも自覚しておきながら、当然とそう振舞ってきた。

 何故ならその自信に、実力が伴っていたからだ。

 しかし、僕が唯一、その才能を一番に欲しておきながら、持ち得なかったもの。

 それが魔術の才能だった。

 

 ――魔術師の家系に生まれ落ちながら、その才能がなかった。

 

 まぁ、それは家系の血が廃れていたから仕方ない。

 その代わりに僕は、今まで研鑽され、遺された魔道の知識を誇りにして――――自分は魔術師の末裔である。という“特別な存在” “選ばれた者”としての自尊心を日増しに強めていった。

 

 

 

 そんなある日、養子として桜という女の子を間桐家は迎え入れた。

 そのときは、なぜ自分の家系が養子を迎え入れたのかを、僕は考えつけなかった。

 ただ僕の妹となった桜は、この家が魔道の家だと知らずに育てられ、この崇高な知識に触れる事なく生涯を終える哀れな少女だと思っていた。

 

 それとは別に、一応は僕も兄となったのだから、桜の面倒をよく見てやっていた。

 ぬいぐるみを買ってやったり、桜が学校でいじめられていたら、そのいじめたやつを社会的に抹殺してやったりもした。

 そうしていたら、桜もまた、僕を兄として十分に慕い始めてきたので、それが無性に嬉しかった事もあった。

 

 暗く陰鬱で、自分を表に出さない脆弱で弱虫で矮小な少女だった桜。

 だからこそ万能の天才であるこの僕が、桜を守ってやらなければと常々思っていた。

 

 

 

 しかしその認識は、僕の中学生時代にて、まさに天地が反転するかのようにひっくり返った。

 ある日、僕は知ってしまった。実は桜には魔術の才能があると知ってしまったのだ。

 その真実はつまり、魔術師の家系であるこの家では、魔術の才能がない僕は“要らない子”であり、必要なのは桜の方だったということ。

 

 僕からしたら、たとえ成績はトップクラスで、スポーツ万能だったとしても、それは魔術の才能と比べれば取るに足りない才能(もの)だった。

 自分が天才であり、実力があるがゆえに鼻を高くした態度を取り続けてきたのは、その裏返しとして自分が誰よりも上だったからだ。

 

 ただ、魔術を抜きにして――――

 

 つまりこの時点で、僕と桜の上下関係は逆転したも同然だった。だが、それならまだいい。

 実力主義の家柄に生まれ、その家柄は魔術師の家だった。ならば、この家の頂点に君臨するのは、魔術師である桜にほかならない。これから桜は僕を下に扱って、僕は桜を上に見る。

 

 ……あぁ、これが正しい秩序だ。当然の帰結だ。

 

 

 

 ……だっていうのに、桜は何をしたと思う?

 僕が桜には魔術の才能があったと気付き、要らない子は桜ではなく僕だったんだと気付いたとき。

 あまつさえ桜は、僕にこう言ったのだ。

 

「ごめんなさい、兄さん」――――と。

 

 そこでなぜ謝る?

 お前には僕の気持ちが、価値観が判らないのか?

 自分より上のやつが、自分より下手(したて)に振る舞われることが、どれだけの屈辱なのかが判らないのか?

 

 いっそ無視してくれれば良かったんだ。

 自分は魔術の才能がない底辺で、桜は魔術の才能がある天才なのだと。

 そう諦めることだって、もしかしたらできたかもしれないんだ。

 

 

 

 ……それでも桜は、僕の妹であることを取った。

 たとえ魔術の才能があったという事を僕に知られても、すまなさそうにして――それが罪悪感のためなのかは知らないけど――桜は僕の妹であることを選んだんだ。

 

 ならば僕も兄として最低限の自尊を保ち、桜を妹として、桜の兄として振る舞うしかない。

 いや、振る舞うことができるのだ。

 妹が兄の言うことを聞くのは当然。時にすぐ足元にあるものを取ってこい。時にまだ食い足りないから桜の分をよこせ。

 時にそれは無理だという桜を殴り、時に女の体に興味があるからその身を差し出せと――――

 

 

 

 だが、あるとき桜に転機が訪れた。

 衛宮の家に通い、飯の作り方を覚えて、桜は衛宮に入れ込み初めた。

 心境の変化が訪れたのか前髪を切り、衛宮の前だけ笑顔を取り戻すようになった。

 そうして桜は心身ともに大きく成長して――――兄たる僕に口答えをするようになった。

 人並みにものを言うようになった。嫌なものは嫌だと、拒否を、否定を、抵抗を覚え始めた。

 

 兄として、その成長は喜ばしいものだった。

 しかし、お前はどこの家に迎えられて、誰の妹で、何のために育てられた?

 僕にないものを持っているお前が、なんでそんな無駄なことをしている?

 妹なら兄の言う事だけを聞けよ。よりにもよって衛宮のことばっかり言うことを聞き始めて――――

 

 

 

 衛宮。衛宮士郎。

 中学時代に知り合った、ただひとりだけの僕の男友達。

 頼まれごとを絶対に断らない馬鹿なやつで、大体の事はできる器用なやつだけど……それが理由で自分自身を悪用されて、それに気付かず気付いても良しとする最高にムカつく馬鹿なやつ。

 

 だけどその非人間を、僕は素直に認めていた。

 泣かず笑わず怒らず淡々と機械的に善行をこなす。その偽善はあまりにも滑稽に見えた。

 もしも正義の味方の偽物とやらがいたら、きっとそれは衛宮に違いない。

 自分のためにならない善行を為す正義の味方は、正義の味方の偽物にほかならないからだ。

 

 だけど僕は、そんな衛宮を認めていた。

 時たま非人間が見せる笑顔や怒り顔が心底嬉しかった。

 

 ――あぁ。お前は今、人間として僕を見ているんだと。

 

 だから、何かに囚われているような顔をした衛宮が、殺したくなるほどにイラついた。

 あいつにちょっかいを出すのも、全部あいつの人間らしい表情を見たかったからだ。

 こいつだけは、自分がいてやんなきゃと思っていた。

 どうにかこいつを人間らしくさせてみようと、ちょっかいを出し続けた。

 

 弓道部の退部の件だってそうだ。掃除の件だって嫌味の数々の件だってそうだ。

 それでもあいつには通じない。なんたって衛宮は正真正銘の馬鹿だからな。何を言ったって効かないのさ。

 だから、殴り合うしかなかった。殴ってでも判らせてやるしかなかった。

 それでもあいつは理解していない。僕はこんなに衛宮ことを知っている理解している。

 だのにあいつは、まったく自分のことを理解していない!

 

 ……その衛宮も魔術師だった。

 衛宮を認めていたということは、衛宮を対等だと思っていたということだ。

 その衛宮も僕より上に位置する人間だった。

 この屈辱を、慙死を、絶望を……、一体なんと口にすればいい?

 

 

 

 桜は自分より上に在るのに下手(したて)に出て、

 衛宮は自分より前に進んでいて決して振り返らない。

 さらには同じ魔道の家に生まれ、対等であるはずの遠坂にまで「あなたに興味はない」と断言された。

 

 ――誰よりも優れていて当然の優越感に浸っていて誰かを蔑んでいたというのに、

 ――誰よりも下にあったから当然の劣等感を抱いて誰かを道化みたいに見下すしかなかった。

 そんな僕の気持ち。誰かに理解されてたまるものか。

 

 ……同情なんて要らない。

 

 かといって努力は嫌いだ。

 誰が衛宮を真人間にさせるために骨を折るというのか。

 

 それと同じだ。

 

 天才であるからには努力なんて必要ない。

 何故なら努力ではどうにもならない事を、僕は生まれながらに知っているから。

 

 ……どうにもならないのなら、ただ他人を嗤うことしかできない。

 そんな星の下に生まれたのだと諦観しながらも諦めきれなかった。

 

 だから僕はマスターになったんだ。

 聖杯さえあれば魔術師になれるかもしれない、なれなくてもマスターとして在れば、ほかの魔術師たちと並び立てる。

 それだけが僕の救いだった。救いだったんだ。

 

 

 

 ――だのに、あいつは、なんだ?

 

 昼間、桜は、僕にこう言った。

 

「にいさん、たすけ――――」

 

 あのときの「ごめんなさい、兄さん」と同じ口調で、同じ声色で、同じ顔で言いそうになったんだ。

 申し訳なさそうに、悲しそうに、哀しそうに、お前は言った。

 

たすけて(ごめんなさい)……」と――――――――

 

「あぁ、そう、だったのか。……お前は最初から“たすけて”としか、言ってなかったんだな」

 

 これは僕の勝手な解釈だ。自己中極まりないこの僕が、誰かの心中を察せると思うか?

 それは桜も同じだ。あいつとは血の繋がりはないけど、僕の妹だったということだ。

 

 ――たすけて(ごめんなさい)――

 

 それは、申し訳ないけど助けてくださいという意味だったのか。

 それとも、ごめんなさいもう助けてくださいという懇願だったのか。

 どちらにせよ。そうか。

 

 ――僕は兄として最低限のことさえ、本当はしてやれていなかったのか。

 

 桜が僕の妹で在ろうとしたのは、ひとえに依存するため。

 それを僕は何かに履き違えてしまい、桜を妹として扱った気になっていた。

 間桐の家という狂気じみた世界で、兄と妹は己を守るためだけに家族ごっこを繰り広げた。

 そうしなければ、互いに生きていけなかったからだ。

 

 僕は間桐家の長男というプライドを守るため。

 桜は日常の平和を守るため? それとも家族というつながりを守るため?

 

 少なくとも僕は、色々と桜に悪い事をした。

 しかし桜は、それでも僕を兄として慕い続けた。これを闇と言わずして何という?

 さらに桜も、これから僕と同じように悪い事をするはめになる。

 

 そのとき桜独りだけで贖いの道を歩むのは、きっと辛い事になるだろう。

 誰かが同じ罪を背負ってやらなければ、おそらく桜は今度こそ折れてしまうかもしれない。

 

 ……だから、その誰かは――

 

 

 

   …

 

 

 

 降りしきる雨は、まるで僕の過去を全て洗い流そうとしているかのようだった。

 もちろん流される先はこれより以下。何故なら水は、常に下へと落ちるものだからだ。

 

「――なんでだよ。なんで、なんでお前が、僕に助けを請うんだよ……!

 お前は、僕が欲しくても欲しくても手に入らなかったものを……お前は持っているんだぞ!?

 お前は間桐桜で! 間桐慎二の妹なんだぞ? 間桐の、……後継者なんだぞぉ!!」

 

「……そんなの、私にはどうでもよかった。兄さんにとっては大事なものでも、私にとっては、そんなに大事なものじゃなかった」

 

「――――ッ! 桜……おまえ……っ!」

 

 僕が、どんなに――――!

 

 ――――あぁ、でも、そうか。だから僕たちは、今までずっとすれ違っていたんだ。

 そもそも根底からズレていたんだよ。

 きっと今も僕と桜は、何かが、どこかから、ズレてしまっている。

 なるほど、そう考えてみれば、当然の結果だったのか。

 

 客観的に見て、そもそも僕たちは自己に固執するあまりに誤解と誤解を重ねて他者を見誤っていた。

 人間の付き合いとして当然と言える、よくある誤解とすれ違いを、単純に魔術大にスケールアップしていただけだったんだ。

 

 ――――だからこれは、本当になんてことのない――――

 

「……桜、兄弟喧嘩はもう終わりだ。もう帰ろう。お前の家は、もう間桐の家じゃないんだろう?」

 

「――え? 兄さん……?」

 

「戻ろう。衛宮ならきっと、遠坂のやつからお前を守ってくれる。僕にはお前を守れない。だから行けよ。

 ……それにほら、せっかくだからさ。もう苗字も変えて、間桐でも遠坂でもなく――」

 

「な、何を言っているの、兄さん……っ!」

 

「ははっ! 馬鹿だな! 次に誰の苗字を言い出すと思ったんだ? まったく、本当に馬鹿だなお前は。からかうのがやめられないよ」

 

「……兄さん」

 

 そのまま桜に近付いて、でも、どうすればいいのか判らなかった。

 手を差し出せば良いのか? でも、なんか恥ずかしいしな。

 頭でも撫でてやれば良いのか? でも、もうそんな歳じゃないだろう。

 

 だけど桜は、その足を後ろに引いた。

 

「桜……?」

 

「でも、ダメです兄さん。私は、もう、これ以上生きていると、怪物になっちゃう……」

 

 

 

「そうさな。だから、疾く怪物に成ってしまえばいいのじゃよ、桜……」

 

 ――っ!

 どこからか、元凶(おじいさま)の寂声が響いてきた。

 桜の手を取って、すぐに逃げ出せるようにしておく。

 

「まったく。慎二や。お主を見ていると、十年前のあのバカ息子を思い出すわい……。間桐家……否、マキリの家に正義漢は要らぬ。そんなやつは勘当じゃ勘当。二度とお主に家の敷居を跨がせはせぬわっ!」

 

 唐突に間桐家から勘当された!?

 いや、それでもあんな家こっちから願い下げだ! もうあんな家出てってやる!

 少なくとも僕はな。今だけは桜の味方になってやってもいいって思ってんだからな!

 もう僕には、魔術師コンプレックスだって馬鹿らしくなって投げ捨てたんだ!

 もうおじいさまなんか、ちっとも怖くないんだからな!

 

「じゃが慎二。今ここで桜を明け渡すというのなら、許してやっても良いぞ?」

 

「ひっ――! 桜、逃げるぞ!」

 

「は、はいっ!」

 

 桜の手を引いて、公園から出ようと突っ走る。

 

「はぁ…………出来の悪い、悪すぎる孫を持ったもんじゃ。最後の慈悲さえ拒否すると云うのなら――――アサシン」

 

 ――――その、始めて味わった殺気とやらに、僕は身動きが取れなくなった。

 目の前に黒衣の白仮面が現れる。

 伸ばされる黒色の左腕。動けない僕の脇を通って、後ろにいる桜に手をかけようと――――

 ……あぁ、僕は、なんて無力。

 

 

 

 

 

「いいえ、シンジ。貴方は、よく頑張りました」

 

「なぬっ――?!」

 

 ――突然、頭上から聞き覚えのある声を耳にした。

 次に、目の前で甲高い金属音と火花が散ったと思ったら、そこには僕より身長の低い黒衣の少女が立っていた。

 

「だれ――――って、まさか、そんな……お前は、死んだはずじゃ……!」

 

 紫色の長い髪に、ダボダボの黒い服。

 その手には短剣と鎖。腰を低く蛇のように身体をくねらせて戦うのが特徴的な、かつての僕のサーヴァント。

 ――ライダーの姿が。否、小さくなったライダーの姿が、そこにあった。

 

「ラ、ライダー……生きていたの! でも、小さくて、なんだか可愛くなってる……?」

 

「えぇ。サクラ。遅くなって申し訳ありません。これには些か理由がありまして。それと、大きい方は可愛くないというセリフには一先ず目を瞑りますが、ここは逃走だけを考えてください」

 

 僕より小さいナリをして、ライダーは独りでアサシンに立ち向かおうとしていた。

 でも、アサシンから離れても、後ろにはおじいさまが……。

 

「――――桜! 慎二!」

 

 ふと、衛宮の声が橋の上から聞こえてきた。

 

「ぐぬぬ……ライダー。貴様、なぜ生きておる? 貴様の単独行動スキルは昨夜までのはず」

 

「さて、それを言うなら、私にはあのキャスターの方が驚きですけどね」

 

 ライダーとおじいさまが会話をしている。

 そこで衛宮は、なんと橋から飛び降りやがった!

 

「あ、あいつ何して……!」

「せ、先輩!」

 

 しかし衛宮はなんとなしに着地に成功し、その超人的な走りでここまで駆けつけようとしていた。

 そこで僕は思った。衛宮は肉体に強化の魔術でも掛けたのではないかと……。

 

 

 

 ――――深夜の海浜公園に吹き荒れる向かい風は、徐々に追い風となってきていた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「――――桜! 慎二!」

 

 それに、その隣にいるのは間桐臓硯とアサシン! ……と、あれはもしかしてライダーなのか!?

 なんかキャスターみたいに小さくなっているけど、まさか同じ事情だとかないよな? その可能性が大だけど……。

 

(間桐……臓硯……っ)

 

 ふと、キャスターの唇を噛み締めるような声が脳裏に響いた。

 おそらく意図せず念話で発信してしまったのだろう。

 キャスターの気持ちは痛いほど判るが、それでもここは抑えてもらわなければならなかった。

 

 とにかく俺は橋の手すりに足をかけながら魔術回路を起動。

 肉体を強化して、数十メートルの高さから公園まで飛び降りる!

 

「ふっ――――っと!」

 

 難なく着地して、衝撃を和らげるために一回転。

 回った直後にタイムラグなしで起き上がり、桜たちの下へ駆け出す。

 

 さて、アサシンはライダーに任せるとして……いや、スペックがダウンしているなら助太刀に行くべきか。

 ならば桜たちはキャスターに任せよう。そうなると何か強い武器がいる。

 だが、現在の俺は徒手。何か、何か強い武器が――――!

 

(坊や。貴方の魔術。本当は強化だけではないのでしょう?)

 

「えっ? なんでそれを――――」

 

(いいから試してみなさい。例えば、アーチャーの使っていた、あの双剣でも)

 

 アーチャーの、あの双剣?

 まさかキャスターは、サーヴァントの宝具を投影しろと言っているのか?

 しかし迷っている暇はない。出来るか出来ないかで怯えている場合じゃない。

 今すぐにそれが出来なければ、また俺は守りたいものを守れずに後悔してしまうから――!

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 二十七の魔術回路が裏返る。

 魔力が迸り、鉄を打つように火花が散った。

 

 元からある物を強化するのではなく、一から複製する錬鉄の魔術。

 右手に莫耶、左手に干将。雌雄陰陽夫婦剣(しゆういんようめおとけん)

 その宝具の真髄を、一から十まで完璧に複製してみせる――――!

 

「ハァアアアア――――!」

 

 アサシンの背中に、退魔の力を持つ双剣の一撃を走らせる!

 その剣術が必殺に至ると看破したアサシンは、慌てて飛び退った。

 

「キャスター!」

 

 俺の命令が飛ぶと同時に、背後からキャスターの魔力光弾が射出される。

 

「ぬぅ……!」

 

 それはたったの一撃。

 それでも公園のレンガを抉り抜くビームは、対魔力のないアサシンにとって、後退を余儀なくされるものだった。

 

「ライダー。桜と慎二を連れて下がれ」

 

「セイバーの……いえ、キャスターのマスター……いいのですか?」

 

「当たり前だ。臓硯に桜を取られたら終わりなんだぞ!」

 

 次の瞬間、ぶぉん、と何かが空を切る。

 それがすぐにダークの一投だと見切った俺は――――

 

「ハッ――!」

 

 飛び込んでくるダークを完璧に弾いた。

 戦車砲並みの一撃を、軽くではないけど何とか捌ける……!

 

「ほう……。数日をして強くなったな。キャスターのマスター。だが――」

 

 アサシンの声が低く変わる。

 それが本気を出す合図だと確信した。

 

 ――その時、慎二が声を荒げる。

 

「くっ……おい、桜! お前、ライダーと再契約しろ! まだ令呪あんだろ!」

 

「え……兄さん?」

 

 ――――それは、言ってはいけない命令だった。

 桜の中にある刻印虫の制約の事を考えたら、その命令はしてはいけないことだった。

 だが、それを判っていて慎二は言った。それは切羽詰っての世迷言だっただろうか?

 それは否だ。慎二はただ簡潔に、桜にこう訴えているんだ。

 

 ――お前も戦えと――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――桜を探して新都を周り、次は深山の方へ行こうと橋を渡っていたら、見つけた。

 橋の下にある海浜公園に、戦闘中の士郎たちを見つけたのだ。

 

 すぐに駆けつけようとして、足を一歩踏み出す。

 そこでわたしは、橋の手すりに腰を掛け、腕を組んでいる男を見て――――ハッと息を呑んだ。

 

「――――――――、」

 

「よぉ、凛……十年ぶりだな?」

 

 そんなお気楽な挨拶に、少しだけ殺意が沸いてきた。

 

(……凛。彼はその、君の知り合いかね? どう見てもただの人間には見えないが……)

 

 そりゃそうだ。

 今時の日本で、全身黒塗りの鎧に大剣担いだ二メートル以上の大男なんて、普通の人間には見えない。

 

(……彼はバーサーカー。第四次聖杯戦争の……生き残り。ってことになるのかしら)

 

(なにっ!? それはどういう事だ!)

 

(私にだって判らないわよ! あいつが生きているなんて、ほんとに今知ったんだから!)

 

 ……こっちが衝撃を受けている事を見透かしてか、目の前の黒い剣士はにやけている。

 

「いや。昔と比べて大きくなったな。どうやら性根はあまり変わってなさそうだが」

 

「……あんたこそ、なんで生きてるのかとか、死んでないのかとか、殺されてないのかとか、色々聞きたいことはあるけれどね。……とりあえず十年前から、その意地悪い笑みは変わらないって事が判ってほとほと呆れたわ。――でも悪いけど、今あんたに付き合っている暇はないの。だからそこを退いてちょうだい」

 

 本気で本気の殺気を向けて、黒い剣士を威嚇する。

 それに合わせてアーチャーも実体化した。

 どうやらわたしの戦意を汲んで、黒い剣士を牽制してくれているらしい。

 それとも、今にも飛びかかりそうなわたしを牽制……かな?

 

「それは無理な相談だ、凛。ここでお前があの場に駆けつけたら、それこそ臓硯の思うツボってやつだ。

 ――桜には、自分で戦うという決意が必要だからな」

 

 ……だから。あのとき、あんたは……。

 

「だから、なに? あなた、まさか桜に戦場ってやつを理解させたいわけ?」

 

「そういうこった。まぁお前もあいつの姉ならさ、ちっとは信じ(賭け)てやってみろよ」

 

「……それをして被害が広がるってんなら、今ここであの子を殺してやったほうがあの子のためよ」

 

「……そうだな。だから俺は間桐雁夜を殺したんだし」

 

 ――――――――。

 もう、顔も声もおぼろげな昔の思い出。

 ただ怖かったことだけを覚えているというのは、少しあの人に申し訳なかった。

 

「……だからあんたは、今頃になって?」

 

「お前だって俺と同じ口だろうが。……十年前、お前は桜の決意を受けて、以降は見守ると誓った。俺はそれを放棄した。そんで今に至る。互いに恨みっこなしだ。お前が俺を恨むのは筋違いだし、俺だってお前を恨むのは筋違いだ。

 ――要するに。誰のためだとか、そうした方が良いかとか、責任があるとか考える前にさ。――ちょっくら、おまえのやりたいことを押し通してみろよ。それでも使命があるのなら。ただ、テメェの妹みたいに、その信念を押し通せ」

 

「……上等。アーチャー、戦闘準備」

 

「了解した」

 

 あのとき、わたしが桜にしてあげられなかったこと。助けてあげられなかったこと。

 こいつはあのとき桜を助けられたのに、それをしてくれなかったこと。

 

 黒い剣士の言う通り。こいつを恨むのは筋違いだ。憎むならかつての自分。戦わなかった自分の罪……!

 桜は戦う道を選んだのに。わたしはそれから逃げた――!

 

 ……だから、桜を殺すの?

 あのときの気持ちは、どこに?

 

 ――――別に、こいつの達者な口車に流されたわけじゃない。

 ただ、わたしだって、わたしだって――――桜の事を……。

 

 

 

 そうして紅い騎士と黒い剣士が、冬木大橋の上で刃を競い始めた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 冬木大橋のアーチの上に私は立つ。

 私は柳洞寺の一件のあと、無駄な干渉を起こさないよう家に引きこもっていた。

 だけど、ほんのつい先ほど、バーサーカーが「なんかめんどくさいやつが帰ってきた気がする……」と言って、外出すると言い出した。

 余計な事はやめて欲しかったけど、もう私の目的はその半分が達成されていたため、バーサーカーは「あとは好きやらせてもらう」と言って聞かなかった。

 

 そして今、黒い剣士は、謎の紅いサーヴァントと戦っている。

 ……おかしい。確か聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは、全部で六騎のはず。

 

 セイバー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。

 

 そしてセイバーとランサーは柳洞寺で敗退。

 ライダーとキャスターは公園にいて、門番のアサシンは敗退。新たに間桐臓硯の真アサシンが召喚された。

 あと、バーサーカーはアインツベルン側が従えているはず。

 

 もちろん別の不可解なことも頭に残っていた。遠坂凛についてだ。

 彼女は聖杯戦争に参加すると言っていたのに、この六騎のうちのサーヴァントのいずれも従えていなかった。

 だっていうのに、校舎で士郎と凛が魔術戦を繰り広げる直前。凛はまるで自分が聖杯戦争に参加している風な口ぶりだった。

 あのときは気にならなかったけど……でも、何かがおかしい。

 

 私はてっきり、凛がサーヴァント召喚に失敗。あるいは、枠を全て取られてしまったのかと思っていた。

 でも、彼女は確かにサーヴァントを従えている。

 

「……あの紅いサーヴァントは、何者?」

 

 この不可解な事実に、私はどうにも結論を見いだせなかった。

 こんなにも混乱するとなると、現実との齟齬があまりにおかしすぎるとなると。

 私はもう、こう言った仮説を立てるしかなかった。

 

 ――私は今の今まで、もしかしたら世界の悪意に騙されていたのではないか、と。

 

「その通りだ。過去の預言者よ」

 

 不意に、背後から玉音のような声色が響いてきた。

 敵意はなかったからそれほど焦らなかったが、その存在を一目見て、私は絶句した。

 

「――――サーヴァント……なんで……」

 

 私の前に現れたのは、黄金の甲冑を着込んだ金髪の男性。

 その目は赤く、私の思考を見透かしている。

 

「……過去の預言者、か。千里眼から得られた知識で、ついそう口にしてしまったが、これはあまり正しくはないな。言うなれば、そう。

 ――現在(いま)において、未来(かこ)を予期する者よ。貴様を邪魔するものは、世界の悪意にほかならない」

 

 ……世界の悪意。

 確かに目の前にいる黄金の男は、そう言った。

 彼は何故、それを知っている?

 

未来(かこ)の預言者よ。貴様の名は何という」

 

「……ソニア・ド・ヴァンディミオン……」

 

「良かろう。ではソニアと呼ぼうか。……では、ソニアよ。一つ問いを投げる。

 ――お前は、()()()()()というクラス名を、知っているか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■    ■■■■■■■

 

 

      ■■■■■■■       ■■■■■■■  ■■■■■■■

 

 

 

             ■■■■■■■                 ■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――っ!」

 

 耳鳴りが酷い。頭が痛い。

 そうか、そういう事か……。

 

 ――貴様を邪魔するものは、世界の悪意にほかならない――

 

「……今、下の方で修羅の剣士と戦っているサーヴァントのクラスは、アーチャーという。無論、我もアーチャーだ。我は前回の聖杯戦争の受肉者であるからな」

 

 ……なるほど。それなら合点がいく。

 つまり前回の戦いで聖杯の泥を浴びて受肉したのは、黒い剣士のバーサーカーだけではなかったということか。

 

 私は世界の悪意に邪魔されている。

 だからこの黄金の男、アーチャーの事も知らなかったし、黒い剣士バーサーカーも、出会うまではその存在を知らなかった。

 衛宮切嗣の姿も最期まで確認できなかったし、前回の聖杯戦争のマスターの中で、同じく姿を確認できなかった者もほかにいた。

 

「我の真名。知りたくはないか?」

 

「いいえ、もう判っているわ。世界の悪意に騙されないほどの千里眼なんて、世に数えるほどしかいないでしょう? もし間違っていたら殺されるかもしれないけど、そんな事を気にしていたら、世界と渡り合えないしね。

 ――最古の英雄王ギルガメッシュ。それが貴方の真名ね?」

 

「よくできた、小娘。やはり俺の見立て通り、お前は雑種などではなかったな。まぁガイアの申し子であるとすれば当然とも言えるが」

 

 ――ガイア。

 今、この男はガイアと言ったの……!?

 

「あ、貴方、私たちのルーツが判るの?!」

 

「む? おっと、すまない。つい口が滑った。確かおまえたちの悲願は、自分たちのルーツを探る事であったな。突然世界に居たことにされて、この世界に住むように調整された、まつろわぬもの――」

 

 ――――――――。

 知っている。

 この男は、私たちの追い求めていた答えを知っている!

 

「だが、それはお前たちが自らの手で掴み取るべき解答だ。期待させて悪いが、我から何かを教えるつもりはない」

 

「……そう、そうね。そうでしょうね……。そんなにうまい話があるわけ、ないものね……」

 

 こればかりは諦めるしかなかった。

 かの英雄王を前にして、駄々をこねればどうなるか。

 

「……ふん。少しは食い下がるかと思っていたのだが、なかなか健気なのだな。良いぞ。だが教えぬ。――――代わりに、この戦いのための助言を授けようと思う」

 

「助言……?」

 

「そうだとも。良いか? 世界の悪意を逆手に取るのだ。修羅の剣士も悪意側。我も悪意側。そしてガイア側はソニア、お前だ。――ならば我たち二人が世界の悪意に反旗を翻せば、一体どうなると思う?」

 

 ……そんな事を言われても、私にはまったく理解不能だった。予測不能だった。

 

 それでも彼が言いたい事は判る。

 つまりこの英雄王は、私に手を貸してやってもいいと言っているのだ。

 その申し出は有り難かった。だからこそ、私はいい駒が手に入ったと思った。

 

「――――判りました。英雄王ギルガメッシュの仰せのままに――――」

 

 黄金の王の前に傅いて、忠誠を誓うフリをする。

 

「良かろう。では明日だ。物語はもうすぐ始まる。故に先陣を切るのはこの我だ」

 

 ――――物語が、もうすぐ始まる?

 それはつまり、まだ始まってもいないということなの?

 

 それでも私は、未知に対する不安には慣れている。

 もし、今すぐにでも世界が崩壊を始めたとしても、私は明鏡止水の心得で事を成し遂げる事が出来るだろう。

 

 英雄王ギルガメッシュの話では、開戦の狼煙は明日らしい。

 何をするつもりなのか全く検討が付かないけど、臨機応変にやっていくしかない。

 

 ……私たちは、ただ橋の上から公園を見下ろす。

 今の私たちは、ただの傍観者にほかならない――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――おまえも戦え――

 

 そう慎二は桜に言った。

 それを受けて桜は、ただ呆然とするだけ。その顔ばせは恐怖のそれに近かった。

 

「むう……仕方ない。ここは試運転として、桜。お前の中にある影からあやつを出そう……」

 

 臓硯がよく判らない事を言う。

 次の瞬間、俺は我が目を疑った。その場にいる全員も、凍りついたことだろう。

 

 間桐臓硯の傍らの地面から、黒い泥が吹き出てきた。

 その中から、鎧を纏う人間が現れる。

 

「――――、――――」

 

 金色の、髪。

 顔はバイザーをしているけど、その鎧も黒に染まっているけど――――あい、つは――――

 

「セイバー・オルタ。こやつらを片付けろ」

 

「……………………」

 

 臓硯の命令に何も答えない黒い騎士。

 だが、その手にはしっかりと不可視の剣を携えていた。

 

「――――セイ、バー……」

 

「…………シロウ。剣を執りなさい」

 

 その声を耳にした俺は、一瞬でも我を忘れて、腕を下げてしまった。

 

「――坊や!」

 

 その隙を突いて、セイバーが迫ってくる。

 

「――!? くっ――――はぁっ!」

 

 そこで俺とセイバーの間に、ライダーが割って入った。

 俺を守ってくれたライダーは、すぐにセイバーの剣圧に吹き飛ばされる。

 

「……シロウ。剣を構えなさい。貴方は今、誰を守るために剣を執っている?」

 

 ――――その嗜めるようなセリフで、俺は我に返った。

 そうだ。俺は今、桜を守るために剣を執っている。そんな俺が何を呆けている!

 

 ……だけど、確かに目の前にいるのはセイバーだった。

 あの、セイバーだった。死んだと思っていた、セイバーだったんだ!

 

 そして、間隙を挟まず。

 セイバーは一足一刀の構えで迫り来る。

 その踏み込みからの切り上げに、俺は下から合わせて弾き返す!

 

「ぐっ――!」

 

「アサシン。今のうちに桜を……」

 

 間桐臓硯が呟く。

 

「お、おい……まずいって桜。セイバーとか聞いてないよ……! おい、桜。早く!」

 

「む……無理だよ。いやだよ……ごめんなさい、ごめんなさい先輩! わ、わた、だって、わたし――――」

 

「さ、桜……?」

 

 くそっ。アサシンが桜たちに近付いている。だけど俺はセイバーから目を逸らせない!

 もう呆けてなんかいない。ただ、ほかに意識を割けばその時点で――――!

 

「ぐあっ――!」

 

 あまりにも重たい一撃。

 干将莫耶が砕ける事はなかったが、ただ振り下ろしを正面から防いだだけで吹き飛ばされた。

 ……いや、正面から防いだだけで? 普通なら防ぐことすらできずに袈裟斬りにされていたはず。

 もしやこれは――――憑依経験というやつか。

 

 俺はこの時点で、なんとなく投影魔術の特性を把握していた。

 ただ、何か俺の躰の裡にあるそれを漠然と感じ取るだけで、その正体が何であるかまでは判らない。

 

「だって誰も助けてくれなかった! たすけてって言ったって、誰も助けてくれないって、わかっていたんだもん!」

 

 俺がある程度打ち合えると判ったセイバーは、今度こそ手抜かりなしで俺を追い立て始めた。

 頭上からの簡単な一撃をいなし、続く横合いからの払いが襲い来る。

 

「ふ――ぐっ!」

 

 その一撃に対して、俺は急所を防ぐだけで精一杯だった。

 衝撃をモロに受けて吹っ飛ばされた俺は、無様に地面を転がる。

 

「……それは違うぞ。桜。だってお前は、一度もたすけてだなんて言わなかったじゃないか――!」

 

「言ったって……兄さん。何も変わらないよ。お姉ちゃんだって、同じだった……」

 

 今度は一息で三度の打ち込みをしてきたセイバー!

 

「――ハァッ! ――ぐっ、っ!」

 

 干将で右と左、莫耶で首狙いの斬撃を弾く。

 たたらを踏みながらでも、ここまでセイバーと肉薄できるようになってきた。

 ……それも多少の手加減を感じられるが。

 

 ――って、くそっ。こっちは大変だってのに、なんで逃げもせずに兄妹喧嘩を続けてんだ、あいつらは――!?

 ライダーもキャスターと協力して、アサシンと戦ってくれているってのに……!

 

「ハァッ――!」

 

 今度は自分からセイバーに接近して、大ぶりに双剣を叩きつけた。

 案の定セイバーは、それを力比べだと気付いてくれて、躱しもせず俺の攻撃を受けてくれた。

 そのまま俺はセイバーと鍔迫り合い、背後の桜に声をかける。

 

「――――桜。助けてと言うのが、そんなにも怖いのか? 助けてと叫んで、誰かがひどい目に遭うのが、そんなにも怖いのか?」

 

 口から衝いて出た言葉が、それだった。なんでそう思ったのかは判らない。

 でも、桜は優しい子だからな。きっとこうなんじゃないかって、勝手な事を言っているだけだ。

 

「――――それは違うぞ、桜。ヒーローってのはな、助けてと叫ばなければ、絶対に現れないもんなんだ」

 

「せん……ぱい?」

 

「衛宮……?」

 

「だから。叫べ、桜。

 お前の叫び。今ここにいる、お前のために戦っている俺たちが……絶対に、聞き逃しはしないから――――!!」

 

 鍔迫り合う双剣を外し、姿勢をわざと崩して、セイバーが前のめりになった瞬間、背後を取る――――!

 

「甘い」

 

「――がっ!」

 

 流石にセイバーを相手にして、そんな安易な不意打ちは効かなかった。

 簡単に返す刀で頬を斬られ――――

 

「――て、あれ?」

 

 ……足に、力が入らない。

 膝から崩折れて、セイバーの前に介錯する罪人のように(こうべ)を垂れてしまう。

 

「あ、せんぱ――」

 

 あぁ、そういう事か。しまった。

 足元を――――影に、取られていた。

 

 ――振り下ろされるセイバーの剣。

 俺の脚は、既に膝まで影沼の底に沈んでいた。

 なんて、間抜け――――

 

「せ、先輩、い、いやぁああああああ!」

 

 ……ばか。足を取られたくらいで、負けが確定してたまるかってんだ!

 両手を十字に切るようにして双剣を前に置き、俺の首を獲りに来るセイバーの剣をギリギリで防ぐ!

 

「ぐっ……まだ判らないのか桜! 子供のわがままはもう終わりだ! それが酷だなんて俺は思わない。そうお前が思ったとしても、俺は心を鬼にして桜を戦場に連れ立つ! だから――――」

 

 まずい。膝をついているせいか、下半身が影に呑み込まれるスピードが速い。

 さらに上からはセイバーに押さえ込まれている状態だ。

 このままだと、今すぐにでも影に呑み込まれる……!

 

「だって、だって……!」

 

「桜……手を貸せ」

 

 ふと、慎二が桜の手を取った。

 ……話はそれだけだ。

 あいつは今、ようやく自分の妹の手を、握ってやったんだ。

 

「へっ……頼りない兄貴でごめんな。でもさ、僕にはこれくらいしかできないから……」

 

「――――兄、さん……」

 

 その奥でライダーが吹き飛ばされた。アサシンの蹴りを喰らったのだ。

 

「……ほう。何故その影に触れながら正気を保っていられるのかと思ってはいましたが……なるほど。――シロウ、貴方はいつ、黄金の精霊の加護を受けたのですか?」

 

 ……? セイバーは何を言っているんだ?

 いや、そんな事より、もう腰まで泥に浸かっている。

 セイバーは正気を保つだのなんだの言っていたけど、なんだか頭がボウっとしてきた……。

 これ、かなりやばいんじゃ……?

 

「……っ、セイ、バー……っ!」

 

 ■ ■ ■ ■ 恨  死 殺    罰     犯  罪

 

 ■ ■ ■         大丈夫           大丈夫

 

 ――――何か、悪意を持ったナニカが、俺の頭に這い寄ってくる。

 その悪意の侵食を、何か光るものが阻んでくれている。

 

 まるで天使と悪魔の衝突だ。

 精霊と魔物の拮抗と言える光と闇が、俺の脳内を蹂躙していた。

 

「ア……ァ……」

 

「……それもここまでか。シロウ、覚悟――」

 

 ふざけるな。

 ここで、こんなところで、終わるわけにはいかない……!

 

                                    「■■―■―■」

 

 刹那、遠くで悪魔の右腕の発動を感じた。

 標的はライダーだ。

 彼女では、やつの宝具から逃れられない……!

 

「……いやだ、いやだよ。おねがい、だれか、おねがいだから――――

 だれか、たすけて、だれか――――!!」

 

 雨の公園に劈く甲高い悲鳴。

 せっかく叫んでくれたのに、ごめん。桜……。

 やっぱり俺は、約束を守れない男みたいだ――――

 

 胸まで泥に浸かる。もはや助かる見込みはない。

 俺はこのまま、セイバーと同じ死に方で――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ諦めんなよ。――――鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)――――ィ!」

 

 

 

 

 

   …

 

 ―― Born to be ――

 

 

 

 その真名開放は、まったく未知の英霊によるものであった。

 

「なにィ――!?」

 

 今まさにライダーの心臓を掴みかかったアサシンの悲鳴が叫ばれる。

 突如として公園に現れたのは、謎のサーヴァント・黒い剣士。

 

 その手に持つ大剣は――――それは剣というには、あまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それはまさに、鉄塊だった――――!

 

「ハァ――――ッ!」

 

 まさしく一刀両断。

 アサシンにとっては天敵だったのか、その黒い頭身は文字通り、真っ二つに裂かれて絶命する。

 その後、黒い剣士はアサシンを見向きもせず、こちらに駆け込んで――――

 

「まさか、貴様は――!」

 

「セイバー! あの時つけられなかった決着! 今、ここでっ――!」

 

 あまりに鈍足であまりに大振り。力だけで叩きつけるタイプの戦士か。

 それは否。俺は黒い剣士の振り下ろしを見て、即、否と断じる事ができた。

 あんな大剣を手にしているというのに、その剣速は恐ろしく速く。

 一息のうちに放った十の斬撃で、セイバーは容易く押し切られてしまったからだ!

 

「――フゥゥゥ……ほれ、坊主」

 

「ぁ――――」

 

 既に地上に出ているのは、目玉より上だけだった。

 黒い剣士は俺の頭を鷲掴みにして引っ張り上げる。

 

「――――ふっ、ぶほっ! げほっ、げほっ!」

 

 なんだ。こいつ……今、影を踏んでいたのに、無事だった……?

 ――いや、だが、そんな事より、まずい。

 

 俺は早く、こいつに知らせなければ!

 アサシンは、首が飛ばされても無事だった。つまり――っ!

 

                                    「■■―■―■」

 

 それは本当に恐ろしかった。

 アサシンの左胴体はそこに転がっていたというのに、もう片方の右胴体だけ動いていた。

 そして今、悪魔の右腕が黒い剣士の体に触れて、その鏡面存在をあっという間に握り潰してしまった――――!

 

「…………ん? なんだァ、テメェ?」

 

 ――――握り、潰されたはずなのに。

 その黒い剣士は、なに食わぬ顔で平然とそこに立っていた。

 

「――――? な、に?」

 

「なにはテメェだ。胴体真っ二つにされたんだから、おとなしく死んでいろ」

 

 それから黒い剣士は大剣を振り下ろして、アサシンを三等分にした。

 ……その肉片が、影に呑み込まれていく……。

 

「……お、おい。あんた、一体、何者なんだ……?」

 

「あ? オレか? ――――オレの名前はガッツだ。以後よろしく」

 

 それからガッツはセイバーと向き合い、大剣を構える。

 

「――――あ、あな、た、は……」

 

 ふと、後ろに控える桜が、ガッツを見て目を丸くする。

 

「……よぉ。遅くなって悪かったな。きちんと助けに来たぜ、お姫さん」

 

「…………そうだ。ガッツ、さんだ……。

 だって、そうでしょう? 顔も名前もうろ覚えだけど、確かにそう、あなたは――――っ!」

 

「ぬぅううううう! バーサーカー! いや、ガッツ! なぜ今になって現れたァ!」

 

 臓硯が叫ぶ。

 だが、その恫喝を無視するガッツは、この場にいる俺たちに向けて声を張り上げる。

 

「さぁ、反撃開始だ、坊主ども。ここまでクソ長かった物語は、ここでようやく折り返し地点に至った!

 だったら今こそ、反撃の狼煙を上げる時だろうがァ――――!」

 

 

 

   …

 

 ―― struggle ――

 

 

 

「つーことで、坊主。セイバーの相手はテメェに任せた」

 

「――って、はぁ!?」

 

 いや、お前、だって、さっき。

 なんかセイバーと並々ならぬ因縁があったみたいなセリフを抜かしておいて、急にそれか?

 

「あぁ気にすんな。単純にこれは相性の問題だ。ほら見ろ。臓硯の後ろにある泥影。あそこからアサシンが蘇っている」

 

 言われた通り、臓硯の方に目をやる。

 すると確かに地面が黒ずんでいた。その下に白い仮面が見える。

 

「どうやら奴は不死身らしい。さらに即死宝具持ちだ。だがさっきのオレを見てたろ? オレはアサシンと相性が良い。で、坊主はセイバーと相性が良い。要はそういうことだ」

 

「いや、理屈は判ってるさ。だけど、セイバーに勝てる武器が……」

 

「おう、そうそう。お前、面白い魔術を使うらしいな。アーチャーと同じ剣を使いやがってよ。それを見ると、お前アレか? オレの剣もパクれるのか? なら堂々とパクってみろ。この剣はな、今のセイバーに対してすこぶる相性が良いからな」

 

 ……なんだって?

 すぐにガッツの鉄塊大剣を解析してみる。

 

 宝具『鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)』には、竜特攻と魔性特攻があり、かつ常時発動型の宝具であるため、真名開放が要らない……?

 

「――なんだよ、その剣。まさに俺向きじゃないか……!」

 

 投影武器は真名開放が難しい。出来なくはないが、それ相応の対価を必要とする。

 それは魔力だったり、魔術回路の崩壊だったり。

 ……だが、この剣は真名開放を必要とせず、ほかの真名開放の宝具と同等の威力を備えている。

 さらに燃費も良く、これなら干将・莫耶より少しコストが高いくらいだから、何本でも投影できちまう……!

 

「よし、なら大丈夫だな。背中は任せたぜ、坊主」

 

 そう言って黒い剣士ガッツは、本気で俺に背中を見せやがった!

 

 俺の目の前には、黒く変貌してしまったセイバー。

 ガッツの目の前には、不死身のアサシン。

 俺たちは互いに背中合わせで、敵と対峙している。

 

「……待て、バーサーカー。何故、前回の聖杯戦争の参加者である貴様が、今この場に存在する?」

 

 ふいにセイバーが、ガッツに話しかける。

 

「あ? あぁ、テメェのその聖剣でな。あのあと泥をかぶっちまったんだよ。おかげでこのザマだ。まぁ感謝はしてるぜ? この十年で現世は堪能し尽くしたからなぁ」

 

 やがて、影から完全に蘇ったアサシンが会話に参加する。

 

「――心臓がない。そうか。我が身に濁る泥を、貴様もかぶっていたのだな。ならば、我が宝具が通じぬもの道理。我が宝具は人を断罪する事にのみ使われる罰なのでな」

 

 そして互いの言葉は言い終えて、あとは剣戟を重ね合わすだけとなる。

 だが、俺は迷っていた。

 確かに今のセイバーには、ドラゴンころしという大剣が有効だ。

 しかし、俺は妙に扱いやすい干将・莫耶の方がいい気がしていたし、これも錯覚かもしれないけど……この双剣でセイバーという強敵を超えなければならないと、そう漠然と思ってしまっている――――

 だからあの鉄塊は、ここ一番の切り札として取っておくことにした。

 

「行くぞ、坊主。負けるなよ」

 

「そっちこそ、ドジ踏むなよ」

 

 互いに背中合わせで駆け出す。

 その視界の端で、俺は桜の決意を見届けていた――――

 

 

 

「――――告げる」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 先輩が、戦っている。

 それに、遠い昔に見た、あの大きな背中の人も戦っている。

 

 ……何故?

 なんであの人たちは、私なんかを守ろうと、自ら傷つきに行くの……?

 

 

 

 ――わたしは小さな頃から、よく悪夢を見ていた。

 

「桜ちゃん。桜ちゃん」

 

 最初は優しそうな男の人の声だった。

 

「桜ちゃん、桜ちゃん……」

 

 それがだんだんと。

 

「桜、桜、さくらちゃん。さくらちゃん、ぼくだよ、おじさ――――■■■■■■■」

 

 化物がいた。化物。

 わたしの名前を呼ぶ化物。

 

 最初は優しい人だと思っていた。

 それは錯覚だった。

 

 その人は、化物だった。

 

「さ、、ささs、あsああさ、、さs、あ、さ、s、あ、さ、さ、あさs桜ちゃん、おいでぇ?」

 

 顔だけが、その人だった。

 それ以外は肉の塊だった。

 裸のわたしをヌメヌメとした触手で持ち上げて、

 

「あぁ、あぁ、あぁ……! ――――ささ、げ――――」

 

 ……それからは、覚えていない。

 わたしは間桐のおうちに戻っていて、ただ悪夢を見ただけなんだと思っていることにした。

 

 ――違う。本当は覚えていたはずだ。

 

 ……その悪夢の中には、お姉ちゃんがわたしを遠坂の家に連れ戻しに来ていた。

 

「一緒にかえろ?」

 

 頼れるお姉ちゃんだった。私にとってのヒーローだった。

 でも、わたしが行けなかったんだ。

 あの人に、わたしが、あんなことを言ってしまったから――――

 

「たすけて、おじさん――」

 

 だから、地獄が再現された。

 お月様は食べられて、化物たちの晩餐が始まって、

 

「……わたしだ。わたしが、たすけてなんて、言わなければ……」

 

 あの人が、化物になることなんて、なかったのに……。

 

 

 

「――人間、いつかは死んじまうもんさ。気にすんな」

 

 ……あったかかった。

 だれかが、わたしをくろいものでつつんでまもってくれている。

 

「帰れ。おまえの家に」

 

 いやだよ。

 

「どこに行っても、そこは戦場さ」

 

 そんなの、りふじんだよ。

 

「そうかもな。だが、それが現実だ。どこも戦場で……弱いやつは、そこで死ぬ。それが嫌だったら、どうすればいいのか、わかるよな?」

 

 つよくなればいいの?

 

「それもそうだが……戦うのさ。ひたすらにな。戦うのを諦めないんだ。

 ――まぁ、闘う事しか脳のねぇやつの言葉だから、あんまり参考にはならねぇだろうがな」

 

 ちがう。

 その言葉で、わたしは無意識のうちに諦めちゃったんだ。

 

 ――あぁ。たたかうしか、ないんだなぁ……って。

 

 

 

 安住の地はなく、世は常に戦場の上にある。

 だからきっと、たすけてって言っても、だれもたすけてくれなかったんだ。

 

 そもそもわたし自身が、たたかうつもりがなかったのだから――――

 

 

 

「だから、もう――――迷いません」

 

 掠れた令呪を掲げ、ライダーに目を向けて――――

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら――――

 ……私と一緒に、戦ってください。私はもう、逃げないから。

 ――――我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けます。ライダー!」

 

「――ライダーの名に懸け、その誓いを受けましょう……サクラ!」

 

 私に飛び込んできた、ちっちゃくて勇敢なライダー。

 指と指が触れ合った瞬間、確かに繋がったのが感じ取れた。

 

「むっ――些かこれは拙いか……!」

 

 もう、おじいさまなんて怖くない。

 ……ううん。本当はちょっぴりこわいけど、でも、負けない。

 

「私は、闘うと誓ったから――!」

 

「桜――!」

 

 私の前には先輩がいる。

 私の隣には兄さんがいる。

 それだけで私は、幸福だったんだ。

 大好きな人が二人。私のために戦ってくれている。

 だったら私は、もう守られているだけの存在じゃないんですっ!

 

「ライダー! 先輩の援護を!」

 

「了解しました」

 

 凄まじい剣戟を繰り広げている先輩とセイバーさん。

 そこにライダーが割り込む隙はないけど、先輩のミスをいつでもカバーできるように……!

 

「よし、良くやった桜! それじゃあ逃げるぞ!」

 

「え? ……に、兄さん!? わ、私、いま戦うって誓ったばっかり……」

 

「馬鹿! まだお前の中には刻印虫がいるんだ。おじいさまの指先一つで、お前なんか一発ダウンなんだよ! 一発で敵に寝返っちまうんだよ! ライダーと再契約させたのは、少しでもこっちの戦力を上げるためだ! ……いや、そうすると、お前がまた苦しむ事になるんだけど――」

 

 ……兄さん。

 

「判りました。でも、かといって逃げすぎると、おじいさまに狙われるかもしれないし、それに……お姉ちゃんが――」

 

 ――あれ、いま思ったけど、私、平然と遠坂先輩のことをお姉ちゃんって呼んじゃってた。

 せ、先輩に気付かれたらどうしよう。でも、もう先輩には、今夜中に全てを話そうと思っていたし……。

 

「……桜。ライダーと再契約したのね?」

 

「――っ! 遠坂!」

 

 突然、私の前に現れたのは、姉さんだった。

 

「……遠坂、先輩」

 

「そんなに警戒しなくても良いわよ。この戦いを見届けたいだけだから」

 

 ……?

 先輩の方に振り返る。依然、実力差はセイバーさんの方が歴然。

 一方のガッツさんも、アサシンを倒しては倒しては、先輩とセイバーさんの戦いに横槍を入れている。

 

 ……私には判る。私の中に埋め込まれたもの。

 そこから漏れ出す無限の魔力が、セイバーさんとアサシンに行き渡っている。

 このままだと勝負はつかない。じきにスタミナ切れを起こして、先輩たちの方が先に――――

 

「むむぅ……少し事を急いたかのう。仕方ない。聖杯は、もうひとつある――――」

 

 おじいさまはセイバーさんとアサシンを後ろに下げて、高らかに哂った。

 

「カッカッカッ。このままでは埓があかんのでな。切り上げさせてもらおう。ほかにも聖杯は在る。それを取ればいいだけのこと。貴様らの足掻きは、全てが無意味だと知れ!」

 

 そう言い捨てて闇に消えたおじいさま。

 ……あの人の頭の悪いところは、慎重になりすぎるあまり好機を逃すところにあると思う。

 だけど、そのおかげで助かった。

 このまま押し切られていたら、ジリ貧になって、負けていたと思うから。

 

「――っ。ふぅ……疲れた……」

 

「なんだよ坊主。言うほどバテてねぇじゃねぇか」

 

「ふざけろ。これでも実践は初めてだったんだ」

 

「マジかよ。こりゃ将来が楽しみだな」

 

 座り込む先輩に、ガッツさんが手を差し伸べる。

 

 ――絶望的に思えた前半戦は、一気に後半戦が始まると共に頼れる味方が増えてきた。

 

 もう、何も怖くない。

 この人たちとなら、私は一緒に戦える……。

 

 そして、先輩は私たちの下まで戻ってきた。

 その顔は、何故かニコニコとしている。

 

「よっ。桜、慎二……っと、遠坂もか。それじゃ、みんなで一緒に家に帰るか」

 

「な――――なんでわたしがあんたの家に帰んなきゃいけないのよ!」

 

「なっ、まさか遠坂。まだ桜の事を……っ!」

 

「当たり前でしょ! いい、衛宮くん? 桜をこのまま生かしておくという事がどういう事なのか判っているわよね? 桜ひとりを救うために、それ以外の人間を見殺しにしているのを――――衛宮くん。あなただけでも、絶対に忘れないでよね。

 ……だから、桜を預かったからには、犠牲者はあなた一人に留めなさい」

 

   ■■

 

 ――そんな意地悪な遠坂先輩の一言で、私の心にまた、暗い気持ちが疼き出してきてしまった。

 

                                                      

 

 もう……本当に、意地悪な人……。

                                 ■■■

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 海浜公園での一件から早々に衛宮邸(うち)に帰宅した俺たちは、居間で一息ついていた。

 俺と慎二、桜は言わずもがな、ライダーとキャスターも実体化して食卓を囲む。

 ……だが、なんでお前まで此処にいるんだというか……付いて来ているんだという男が一人いた。

 

「おっ? これが武家屋敷ってやつか。こういう家に入るのは初めてだぜ」

 

 その男こそ、ガッツという真名を持つ正体不明のサーヴァント。

 公園で俺たちを助けてくれたやつが、当然のように付いてきて居間に上がり込んでいた。

 

「よっと。……おい、茶はでねぇのか?」

 

「はいはい……って、その前にだな!?」

 

 なに当然と客のように居座ってんだ! ……と、言いたかったが。

 桜を助けてくれた点からして、ガッツが俺たちの味方なのは確かだ。

 それでも素性の知れないやつを警戒するのは当然のこと。茶を振る舞う前に、この男について色々と聞かなければならない。

 

「――ガッツ。って言ったよな? あんたさ、いったい何者なんだ。それが判らないと警戒しちまって、おちおち茶も出せない」

 

「そうだそうだ! お前、前に学校でライダーを倒したの、僕は覚えてんだからな!」

 

 そこに慎二が便乗してきた。

 慎二のやつ、ガッツと面識があったのか。

 

「まぁ当然だな。よし、いいぜ。オレの事を知りたいんだろ? 説明しても良いんだが……本当は関わるなって言われてんだよなぁ。ま、あいつには悪いけど構わねぇだろ」

 

 ……? あいつ……?

 

「オレの名前はガッツ。前回の聖杯戦争で召喚されたバーサーカーのサーヴァントだ」

 

「――んなっ!?」

 

 皆、驚きの相貌で第四次聖杯戦争のバーサーカー・ガッツを見つめる。

 

「前回の決着の折、セイバーのやつのせいで色々あってな。オレは受肉しちまったんだ。だから今のオレは半分人間だ。マスターがいなくても、しばらくは世界に存在し続けられるが、魔力がないと何も出来ないのはサーヴァントと変わらねぇ」

 

 淡々とガッツは、己の素性を明かしていく。

 だが、待て、理解が追いつかない……。

 

「……待てよ、ガッツ。今、魔力がないと何も出来ないって言ったよな? つまり今のあんたには、マスターがいるんじゃないのか?」

 

「……ノーコメントだ。それを言うのは反則だからな」

 

 ……やっぱり。遠まわしにだが、マスターがいると言っている。

 教えるのが反則だという事は、すなわち誰かが「言うな」と命令した事にほかならないからだ。

 

「……あぁ、だが前回の聖杯戦争のマスターを訊きたいってんなら教えてやる。前回のオレのマスターはな、間桐雁夜っていう男だった」

 

 ――――間桐。

 ガッツは今、確かに間桐と言った。

 

 視線を泳がして桜の顔色を窺う。その顔は俯いていて表情は判らない。

 だが、公園での桜は、確かにガッツの事を知っている口ぶりだった。

 

 第四次聖杯戦争は十年前。……あの惨劇も時を同じくしていた。

 慎二は桜が養子になったのは十一年前だと言っていたし、時期的に辻褄は合う。

 ガッツも桜を助けに来たと話していたし、きっと桜が小さい頃に知り合ったんだろう。

 

「桜……」

 

「はい、先輩。その通りです。もう五歳くらいの記憶でうろ覚えなんですけど、ガッツさんの事はぼんやりと覚えています」

 

 その桜の言葉で、ガッツの話してくれた事は、すべて真実なのだと信じる事ができた。

 

「それじゃあガッツ。あんたはこれから桜を守るために、一緒に戦ってくれるって事なんだな?」

 

「いいや、それは違う」

 

 ふと、予想外の返答が返ってきた。

 何が違うのかてんで判らず、焦って聞き返す。

 

「ち、違うって、どういう……」

 

「今のオレにはちょい縛りがあってな。ある条件下でしか、おまえたちに干渉できないんだ。例えば……そう。今夜みたいに金色の雪が降らない限りは――」

 

 ――金色の、雪。

 それは確か、イリヤと一緒にいた公園で……。

 

 その時、ガッツの言い分に、慎二が食ってかかった。

 

「はあ!? じゃあなんだよお前。桜を助けるって言って現れたくせに、これからはその条件とやらがないと何もしてくれないって言うのか!」

 

「その通りだ。二言はねぇ」

 

 いや二言はねぇって……これまた嬉しくない言葉だな、おい。

 

「だが、オレの目的は桜を助ける事にあるのは間違いねぇと断言しておく。これは雁夜の遺言でもあるが、オレ自身の目的でもあるとな。……さて、オレの事はもういいだろ? 代わりにオレも訊きてぇ事があんだよ」

 

 そう言ってガッツは、その指を慎二に差して質問した。

 

「お前、誰だ?」

 

「は、はぁ? ぼ、僕は桜の兄貴だ」

 

「兄貴? って事はお前も間桐なのか。それは知らなかったな」

 

 ……なんだ?

 ガッツは慎二の事は知らなかったのか?

 

「そ、それはそうだろうさ。だって十年前、僕は留学に行ってたんだからな。しばらく冬木にはいなかったんだ……」

 

「あぁ、そういうことか。それにしても桜、お前。いい兄貴を持ったな」

 

『え――?』

 

 俺とキャスター、ライダーと桜の声がかぶる。

 ……って、なんで桜も? たしかに慎二は、お世辞にもいい兄とは言えないが……。

 

「な、なんだよ。なんでそこでみんな、え? って言うんだよ! おいっ!」

 

「いや、すまん慎二。つい、な?」

 

「そ、そうです兄さん! わ、私も昔の事は水に流しますからっ! だから落ち込まないで!」

 

「別に落ち込んでなんかない!」

 

「……まぁ当然の反応だと私は思いますが」

 

「あら、ライダー、奇遇ね。貴女と同じ感想が出るとは思わなかったわ」

 

「キャスター。貴女と一緒にしないでください。心外です」

 

 それから桜と慎二、あとなんでかライダーとキャスターの言い合いが始まってしまった。

 前者ふたりはいいとして、なんでライダーとキャスターが舌戦を繰り広げていんだか……。

 もしかしてあいつら、実は性格という相性が悪かったりするのだろうか?

 

「……ふん。おい、坊主」

 

 その様子を見守っていたガッツが、ふと俺に声をかけてくる。

 

「桜を頼んだぞ。あいつをこうして笑わせられるのは、お前しかいねぇ」

 

「――なっ」

 

「そんじゃ、オレは帰らせてもらうぜ」

 

「……え。が、ガッツさん……もう、帰っちゃうんですか?」

 

「あぁ、言っただろ。ここにいるだけで本当は反則なんだ。あいつを置いて、オレだけがおいしい思いはできねぇ」

 

 あいつ、とは。もしやガッツのマスターのことを言っているのだろうか?

 そして茶を飲みたがっていたはずのガッツは、ついぞ何も飲むことなく家を出て行ってしまった。

 

「……よし、それじゃあ夕飯食って風呂済ませて寝るか。みんなもそれでいいよな?」

 

 それに頷く桜と、

 

「えぇ? 衛宮、これからこの人数分を作ってたら日を跨いじまうぜ?」

 

 と、慎二が。

 

「そうだな……。それに食べたらすぐに寝るし、軽いものにしよう」

 

 それから俺は、ライダーとキャスターを交互に見る。

 ――サーヴァントは食事や睡眠など、人間としての生活が必要ないと聞く。

 それは当然であり、だって彼らは英霊だからだ。しかし、それを知っていながら俺は、セイバーには普通の少女らしい生活をして欲しくて、まっこと身勝手でまっこと押し付けがましい下心もあったのだが、朝昼夕とセイバーには腕によりをかけた食事を振舞っていた。

 

 その理由は、桜と藤ねえと仲良くするセイバーの姿が見ていて嬉しかったのもある。けれどおそらく、その時の俺は、魔力の負担を抑えるためという理由を抜きにしてでも、セイバーを食事に誘っていた事だろう。それはたぶん……セイバーのことが好きだったからだ。

 

 ……だけど、キャスターはどうだ?

 柳洞寺の一件でキャスターと再契約をしてから、俺は一度でもキャスターを食事に誘った事があっただろうか?

 まぁ最初はそこまで気を許していなかったし、小さくなったことに驚いて、色々とドタバタしていてそんな暇がなかったのもあるし、桜や藤ねえはどうするんだという問題もあったけど……。

 

 ――今、そのしがらみはなくなった。

 俺たちは聖杯戦争に挑むマスターとサーヴァントで共通の理解を得ているし、ここいらで親睦を深めるためにも、キャスターとライダーを食事に誘うのもアリなんじゃないかと思えてきた。

 

「……よし、善は急げ。そうするとしますかっ」

 

「……? 坊や、どうしたのです?」

 

「いや、キャスターとライダーも一緒に食べないかなぁ? なんて」

 

「私たちが、ですか? しかし、私たちに食事の必要はありませんので……」

 

 まぁ……そうくるよなぁ。

 無理に勧めるのもやっぱり悪い気がするし……さて、どうキャスターを説得するか。

 

「おいおいキャスター。お前、衛宮の飯が食えないっていうのか?」

 

 そこで慎二が口を挟んできた。

 

「いえ、そんな事はありません。ただ……」

 

「ただ、なんだよ。食事ってのはさ、皆で食べるから美味しいんだぜ? まぁ僕はそうは思わないんだけどさ。でも、せっかく衛宮が料理を振舞ってくれるって言うんだから、おとなしく聞いとけよ。おまえ衛宮のサーヴァントなんだし?」

 

「……そうですね。無理に断る理由もありませんし。それでも何故かこの坊やに言われるのは癪なのですけどね。……えぇ、マスターの料理。いただくとします」

 

 うおっ。やるな、慎二のやつ。これでキャスターはオッケーだ。

 

「ははっ! それじゃあほら、ライダーもそうしとけよ」

 

「食べません」

 

 ……、一刀両断。

 ふむ。流石の慎二も、この断言には眉をひそめて口を出せないでいる。

 それに慎二の助けを待つばかりなのもあれなので、今度は俺から仕掛けるとしよう。

 ……といっても、今の断言に勝てる物言いが思い浮かばない。はて、このままでは気まずい時間が流れてしまい、こちらが根負けしてしまう。どうすれば――――

 

「ライダー」

 

 ふと桜が立ち上がる。

 次に何をするのかと思えば、

 

「オムレツとかどう? 私、ライダーに私のご飯を食べてほしいなぁ」

 

「サクラ……」

 

 ナイスだ、桜。

 ――それにしてもこの兄妹。なんで俺の考えている事をここまで判ってくれているんだろうか?

 もしやエスパー? 俺だけに対するエスパーなのか?

 

「衛宮も桜も早くしろよー。こいつらと居間で待ち続けるとか、正直神経が持たないからね」

 

 それから俺と桜は、簡単な夕飯を作って、慎二たちと一緒に食事を済ませる。

 あとは風呂に入って、慎二には別棟の部屋を割り当てた。

 

 

 

 ――自室に戻る。

 もう時刻は十一時。

 俺は布団に入って、明日の遠出に備える事にした。

 

 

 

  /了

 

 

 




 キャスターのルルブレを止めた言峰綺礼について。
 言峰綺礼は、確かに人の不幸を蜜の味とするロクデナシだが、神父としては嘘をつかず(本当のことも言わないが)、真面目な態度で結婚式を開いたりしてくれる良き神父さんなのだ。
 よって、桜の命を救うときも、自分の目的は度外視して「ただ人の命を救うため」という理由で助けてくれた。
 そんな彼がルルブレを止せと言ったのは、作中で言った通り、ひとえに桜の身の安全を思ってのことだ。
(――――べ、別に、あそこでルルブレしちゃったら、物語(世界)が崩壊を迎えちゃうなんて理由じゃないんだからねっ!)



 桜の「たすけて、兄さん」について。
 一応これはFateとBERSERKのクロスオーバーものであるため、桜の「たすけて(ごめんなさい)」という意味の重ね合わせについては、十年前のある儀式が原因というオリ設定を作っていた。桜には、人に「たすけて」と言えないトラウマがあったのだ。



『レイン - 慎二の告白』からの、慎二覚醒について。
 実は慎二の「たすけて(ごめんなさい)」という解釈は、全くの見当はずれである。
 正解率は10%を切っているのではないだろうか。
 何故なら桜の「ごめんなさい」は、自分が魔術師であることがバレて、兄である慎二の居場所を取ってしまって「ごめんなさい」という意味だったのだから。
 つまり「ごめんなさい」と「たすけて」は何も関係ないのだ(それでも上記のオリ設定により、少しは関係あるのだが)。
 しかし、その誤解により、慎二は妹のために立ち上がることが出来た。

 ――魔術師であることは誇らしいこと。

 そう思っていた慎二は、当然として桜もそのはずだと思い込んでいた。
 だから魔術師としての教育をすることが、桜のためだと思っていた。
 しかし桜にとっては、そうではなかった。
 話はこれだけのことなのだが、この兄妹はたったこれだけのことで、ここまですれ違っていたのだ。
 ……そんな、解釈。



「Born to be」について。
 高校生の頃、nanoというミュージシャンの「Born to be」という曲と出会い、まだプロット段階だったFate×BERSERKのテーマ曲はこれにしようと惚れ込んだ。
 それ以降、この二次創作を執筆している時は、常にこの曲を聴きながら書いていました。



「もがくもの - struggle」について。
 上記の「Born to be」を聴いている時。
 この曲の歌詞は、ガッツの視点から見た“衛宮士郎と桜の物語”というイメージで書いていました。



 ――あ、そうだ。
 黒い剣士の正体は、なんとガッツだった!(いまさら感)



 そして最後に、弱音と願望をば。
 ――――あぁ、いつか慎二共闘ルートが見たいなぁ! 絶対に筆者のこんなよくわからない解釈や青臭い背筋が凍るような展開よりも、絶対に熱い展開が見れると思うんだけどなぁ!
 ついでにイリヤルートとキャスタールートとライダールートも見たいなぁ!
 あぁ強欲ぅ……実に強欲ですねぇ……!




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幕間2(18禁)

 衛宮士郎が自室で就寝して、小一時間が経過した頃。

 暗闇の中で眠りに就いていた士郎は、ある違和感を感じ取って目を覚ます。

 

「……キャスター?」

 

 己のサーヴァントを呼んでみるも返事がない。

 

 常に主の側に着いて守護する役目の従者がいない。

 それは本来なら危惧すべき事態だが、こと衛宮士郎という少年は、それほど気にすることでもないと考えている。

 だが、今夜だけは様子がおかしい。確証も根拠もないが、ただ日常然とした気配が感じられない。そう衛宮士郎は思った。

 

 キャスターと再契約した夜は、ただ無念と後悔と明日への算段を胸に床に就いた。

 その次の夜は魔術回路を全開にし、武家屋敷を神殿とし防衛陣を敷いて、特に竜牙兵という異物感も覚えず静かな夜を過ごした。

 しかし、今夜は蜘蛛の糸が張り巡らされた中で眠る蝶々のような違和感を覚える。

 その言い知れぬ不安を感じた衛宮士郎は、ふと屋敷を回ろうと思い至った。

 

 別棟では間桐桜と間桐慎二が寝ている。

 そこに用はないため、士郎は縁側を渡り、居間近くを通る。

 

「……土蔵か?」

 

 そこで士郎は直感という閃きのまま、玄関で靴を履き、外に出た。

 すると思った通り。月夜の暗さに目を凝らせば、土蔵の扉が僅かに開かれており、中に人の気配があった。

 それを確認して、士郎は音もなく近づく。

 なるべく気配を殺して、土蔵の中で何が行われているのかを確かめようとする。

 

「――――Ψυχή――――」

 

 それは、神代における言の葉。

 現代における大魔術を一小節で行使できる神の御技。

 その言葉の意味するところは不明であるが、少なくとも魔術師が見れば、その魔術がどういったものであるかは見て取れる。

 

 そう。衛宮士郎は見てしまった。それを見て、理解してしまった。

 その魔術がどういった系統のものであり、特性であり、属性であるかを。

 

 糸が伸び、糸が触れる()を吸っていく。

 その糸は何本もあり、風に乗って街を進む。

 

 玉の緒の半分を吸い尽くす羊の毛糸。

 その魔術は、俗に魂喰いと呼ばれるものだった。

 

「――――キャスター」

 

「……っ!? ぼ、坊や……? あ、あの、これは――――」

 

 背後から忍び寄っていた士郎に気づき、キャスターは取り乱す。

 

 ――――聖杯戦争において、サーヴァントに魔力を与えて強化するという手法は、ある意味では定石である。

 その中には魂喰いという、人間の生気を搾取する手段が存在する。

 

 たとえば吸血種なら、魂喰いは吸血という手段で行なわれる。

 たとえば魔術師なら、魂喰いは吸精という手段で行なわれる。

 そして魂喰いの対象は、往々にして罪のない一般人が狙われる場合が多い。

 

「……なにをしているんだ、キャスター。その魔術は、まさか……」

 

「……あの、マスター。話を聞いてください。これは、必要なことなのです」

 

 無論、それが聖杯戦争の定石だったとしても、そも魂喰いを許さないマスターもいる。

 理由はどうあれ。少なくとも衛宮士郎というマスターの方針は、まさにそれだった。

 

 一般人への被害を食い止めるために、聖杯戦争に参加した男。

 そのことを知るキャスターは、おそらく隠れて魂喰いを行なっていたのだろう。

 しかし密かに実行していた魔力搾取が発覚した今。キャスターは取り繕うことよりも、目前にいるマスターへの説得を始める。

 

「キャスター。それは必要なことじゃない。今すぐにやめろ」

 

「っ……いいえ。やめません。何度も言いますが、これは必要なことです。私たちは今、最悪の状況に立たされています。マスターの魔術回路が開いたとは言え、その魔力生成量は乏しく、ゆえにサーヴァントへの提供量も足りなさすぎる。私自身の魔力も霊基切削により損傷してしますし、この状態では緊急の戦闘の際、マスターを守ることも、拠点の防衛すらもままなりません。だから……」

 

「だから、魔力が必要だから、聖杯戦争のことなんて知らない人々から、生命力を奪っても構わないと?」

 

「……えぇ。でも命までは取りません。支障のない程度には抑えています。ですから坊やは気にせずに、部屋に戻って寝ていて――――」

 

「キャスター。俺の方針は前に伝えたはずだ」

 

 士郎は断固とした口調と声色で訴える。

 ――もう、こんなことはやめろと。

 

「……正気ですか? 貴方は、自分が置かれている状況を分かっていて?」

 

「あぁ、充分に分かっている。魔力の不足は確かに問題だ。それは俺が不甲斐ないせいなんだが、だからといってキャスターに魔力集めはさせられない。……だから、何か別の方法を考えよう。とりあえず、次も同じことしたら令呪一画な」

 

「ぐぬっ……令呪を交渉に使うなんて、随分と生意気にマスターらしくなったものね? もう……」

 

 衛宮士郎の説得を受けて、キャスターは魂喰いの魔術儀式を停止させる。

 だが、それは何も、令呪の無駄使いを恐れてのことではない。

 

 ただ、キャスターの眼前に立つマスターの目が“本気”だったからだ。

 その本気を引き出してしまうくらいなら、マスターの説得に応じた方が賢明な判断である。

 ――ここで最悪“殺し合い”には発展したくない。

 ある意味、そうキャスターに思わせてしまう時点で、衛宮士郎という少年は一番聖杯戦争のマスターから縁遠く、しかし一番サーヴァントのマスターらしい人物なのかもしれない。

 

「それで、()()()()()()? 魔力不足の問題については、一体どう対処してくれるのかしら?」

 

 皮肉を込めてキャスターは問う。

 

「う~ん……といっても。済まないが俺には何も思いつかない。キャスターの意見が聞きたいな。魂喰い以外で、何か方法はあるか?」

 

「ないことはないですけど……でも、……坊やには、まだ早いというか……?」

 

「……早い? なんだよキャスター。最後まで聞かせてくれよ。俺に出来ることならなんでもやるぞ。人様に迷惑かけないやり方なら、全力で協力する」

 

「うっ……う~ん……そ、そうね。なら、もう寝室に戻りましょう。話はそこでもできるわ。ここは寒いし、ね? 戻りましょう。えぇ――」

 

 途端、キャスターは挙動不審になり、士郎の横を通り過ぎて寝室に戻ろうとする。

 その態度に首をかしげる士郎だが、とりあえず二人は寝室に戻った。

 

 

 

 明かりは点けておらず、薄暗いままの寝室。

 布団一枚の上にあぐらをかいて座るは士郎。

 その隣にはキャスターも正座しており、二人は面と向かい合っている。

 

「それで、キャスター。話ってなんだよ?」

 

「えぇ……。もうこうなったら単刀直入に言うわ……」

 

 土蔵の時から、何かを言いよどんでいるキャスター。

 そのことを察している士郎ではあるが、それが言いにくいことなのだとはちっとも分かっていない。

 

 そして、いよいよキャスターの口から。

 魔力の不足問題についての解決法が提唱された。

 

「――――魔力供給をしましょう」

 

「……はい?」

 

 首をひねる士郎。

 

「だから、魔力供給よ!」

 

「いや、それはもちろんなんだが……おい、キャスター。ふざけてるのか? 俺たちが今話しているのは、その魔力供給をどういう手段でやるのかって話だろ?」

 

「あ、当たり前でしょう!? だから魔力供給なのよっ! もう、これで察しなさいよ! バカ!」

 

「なっ、バカって……ちゃんと言わなきゃ分からないだろうキャスター? 一体どうしたんだよさっきから。なんか様子が変だぞ、お前」

 

 そんな士郎の返しに、キャスターは少し拗ねたように口をすぼめる。

 その頬は赤らんでおり、視線は士郎の周囲を彷徨っていた。

 

「……はぁ。やっぱりここじゃ言えないわ。二人きりならまだしも、余計な邪魔者がいるんですもの」

 

「……キャスター?」

 

 ふと、ため息をついて目を伏せたキャスターは、士郎に対してではなく、ほかの誰かに向けて語りかける。

 

「マスターとサーヴァントの夜を覗き見するとか、いい度胸ね。ライダー」

 

 そう言ってキャスターは天井を見上げる。

 釣られて士郎も頭上を見上げるが、そこにはただ天井があるのみ。

 しかし、ふと半透明な何かがするりと壁伝いに降りていき、障子の前でライダーが実体化した。

 

「ら、ライダー……!?」

 

 驚きの声を上げる士郎。

 それに対してキャスターとライダーは特に反応を示さず、どちらかというと互いに睨み合っていた。

 

「どうやら貴方たちには、問題が山積みのようですね。キャスターが言いにくいことなら、私が代わりに言ってあげますが」

 

「ライダー? お前、キャスターが言いたいことが分かるのか?」

 

「えぇ。それはもうズバリと。なんならバッサリと言ってあげます。

 ――――キャスターは、マスターと布団を共にしたいのだと」

 

「えっと……、――――それは、つまり……?」

 

 その瞬間、士郎の意識は凍りついた。

 おそらく士郎は、何度も頭の中で今のライダーの言葉を反芻させ、幾度も同じ結論に至った事だろう。

 

 つまりキャスターが言っている魔力供給とは、古代より変わらない、とある普遍的な魔術儀式。

 それも魔力供給を目的とした、男女による性交を手段とするもの。

 ――――ずばり。同衾であると。

 

「……ま、待ってくれ。なんだかそれは、とてもイケナイことのような気がする……というか、本当にイケナイことだぞ、それは!?」

 

「はぁ……ねぇ坊や。もうこれしか魔力の確保手段は残されていないんです。ほかに何か思いつくことがあるのなら、それにしますけど……少なくとも、今の私にはないわ。これ以上に効率的で簡単な魔力供給手段なんて、私はほかに知りません。そろそろ腹を括りなさいマスター。私だって宗一郎様以外の男に抱かれるなんてまっぴらごめんですけど、これも目的のためよ。私は復讐のためなら、なんだってやってやるって決めたんですもの。だから貴方も私の覚悟に応えてちょうだい。……それに、やぶさかではないっていうのも、ちょっとはあるんですからねっ」

 

「――――やぶさかではない?」

 

 それはつまり満更でもない?

 ……そんなことを一瞬でも考えたのか、士郎は気恥ずかしそうに頭を搔く。

 

 そこでライダーが口を開いた。

 

「これで話はまとまりましたね。では、今度は私の話を聞いてください。シロウ、キャスター」

 

「……ライダー?」

 

 唐突なライダーの頼みに、士郎とキャスターは耳を貸す。

 

「その同衾。――――私も混ぜてください」

 

「――――。……はいぃっ!?」

 

 腰を引いて驚く士郎。

 そこでキャスターが反論する。

 

「私も混ぜてって……ライダー。貴方まさか、私の魔力供給相手を横取りする気!?」

 

「横取りするも何も、私は最初から彼に目をつけていました。どちらかというと、私の獲物を横取りする気なのはキャスターの方です。しかし今は彼を求めて争っている場合ではない。かなり癪ですが、ここは効率的に魔力を分け合う状況だと判断しました」

 

「それは……確かに癪だけど、一理あるわね……」

 

 そこで火花を生む視線をぶつけ合っていたキャスターとライダーは、一転して互いに頷き合い、次に士郎を見つめる。

 

「――えっ……え~っと。これはまさか……ライダーもキャスターも。俺の体が目当てってことですか?」

 

 自分の貞操を守ろうと理性が回避行動を取ったのか、思わず士郎は両手で体を抱き込むように身を守る。

 

『えぇ。ですので。――まずは服を脱いでください』

 

「シロウ」

「坊や」

 ……と、ライダーとキャスターは声を合わせる。

 

 身を固まらせる士郎。

 擦り寄ってくる紫と黒の美少女。

 身長百六十七センチの男に、身長百三十センチ程度の少女ふたりが這い寄る。

 

「ちょ、ちょっと待て……ぐっ……わ、分かった。それしか、方法はないんだな? ――だ、だったら、まずはライダーに言いたいことがある……」

 

「……私、ですか?」

 

「あぁ。それは……俺の呼び方についてだ。変な事を言うが、俺のことは、ちゃんと士郎と呼んで欲しい」

 

 そんなことを言われたライダーは、しかし真面目にも何度も士郎の名前を復唱し始めて、じきにちゃんと言えるようになっていた。

 

「城う……士郎……。これで、いいですか?」

 

「あぁ、完璧だ。――――そ、それじゃ……だな……」

 

 顔を真っ赤にし、これからのことを想像しているのか、士郎の口元がひどく緩む。

 それを見て、キャスターが最後の後押しをした。

 

「まだ躊躇っているの坊や? もしかして貴方、童貞だったりするのかしら? それとも私たちの外見に騙されているの? 大丈夫よ。私もライダーも坊やからすれば年上。気にする必要ないわ。筆おろしは任せてね?」

 

「ふで……!? いや、そういうことじゃなくてだな――って、うぇっ!? きゃ、キャスター……!!?」

 

 ふいにキャスターは、士郎の服の裾をまくりあげる。

 同時に、士郎の背後に回り込んでいたライダーが、士郎に両腕を挙げさせて、キャスターによる脱衣を手伝う。

 その連携に対して、士郎は乙女のような甲高い叫びを上げる。

 

 そうして士郎は半裸になった。否、されてしまった。

 今度のキャスターは、士郎のズボンを脱がそうとする。

 一方のライダーは、士郎の背後で黒衣を脱ぎ、先に裸になろうとしていた。

 

 やがて衛宮士郎は、あれよあれよという間に全裸となる。

 彼の彷徨う視線の行き先にはキャスターがいて、彼女はローブを脱ぎ始めており、華奢な背中を見せていた。

 

 

 

   …

 

 

 

 かくして自然体となった三人は、一人分の布団の上に集まった。

 

「さぁ、坊や。どうか来てちょうだい。あまり、魅力的な体じゃないでしょうけど……」

 

 自身の小さな体をコンプレックスに思っているのか、キャスターは恥じらう。

 しかし士郎は、そんな彼女を見て、思ったままの感想を言った。

 

「――――いいや、キャスター。とても綺麗だ。とても可愛らしいと、俺は思う」

 

 衛宮士郎の口から衝いて出た褒め言葉。

 それを聞いたキャスターは、思わず頬を赤らめてしまう。

 

 仰向けで布団に寝そべるキャスター。水色の髪の毛が枕に広がる。

 小さな四肢は柔らかそうで、蕾のような胸部はふっくらとしている。

 へそ下はやや妖艶な肉付きをしており、秘奥の股下は閉じられていた。

 

 その上に、士郎が覆いかぶさる。

 

「っ……!」

 

 最初に士郎が手を出したのは。否、舌も出したのは、均整のとれたキャスターの胸元。

 側面から、両の手のひらでまあるい小丘を掴み、先端をちろりと舐めとる。

 

「ん……い、いきなり、すごいところに行くわね坊や? 私たちがしなきゃならないこと、分かっているの?」

 

「あぁ……。でも、いきなり始めたら痛いだろ? まずは、……その気にさせないとな」

 

 未だ閉じているキャスターの股下。

 それが士郎の両手によって開脚される。だが、本番にはまだ早い。

 キャスターの下腹部の蕾に局部を当てる士郎は、そのまま彼女の幼い体を抱き込んだ。

 

 そして――――そっと口付けを交わす。

 接吻する直前。ぎゅっと瞼を閉じていたキャスターは、唇が離れると同時に、潤む瞳で士郎を見上げる。

 

「……っ。キャスター……」

 

 その上目遣いの視線にやられたのか、士郎はキャスターの体を持ち上げた。

 士郎の膝上にキャスターがちょこんと座り、二人は肌を密着させる。

 

 士郎の首に手を回すキャスター。

 彼女は膝の上でバランスを取るため、膝立ちで士郎と胸を合わせる。

 一方、士郎はくびれのできたキャスターの脇腹とうなじを両手で掴み、再度その唇を重ねさせた。

 

 ――びくん。と首を仰け反らせるキャスター。

 僅かに開いた小さな赤い口の中には、士郎の舌が押し込まれていた。

 

 そうして互いに互いの唇を貪ること数秒。

 濡れる二つの口元は、既に前戯を終わらせてもいい頃合となっていた。

 

 一方、蚊帳の外にいたライダーが、ここで行動に出る。

 そっと士郎の大きな背中に抱きつき、ライダーは首筋をかぷりと噛む。

 続けてわざとらしく小ぶりな胸を背中に押し付けて、愛情たっぷりに士郎を抱擁する。

 

 そんな甘い痛みを感じた士郎は、ぐぐいっと背筋と剣を伸ばした。

 

「ぁ……」

 

 士郎の勃ち上がった剣が、キャスターの大腿の間を通過し、ぴたりと嵌め込まれる。

 このままキャスターがストンと落ちれば、あわや二人は結合するだろう。

 

「……キャスター」

 

 そこで士郎が、両手でキャスターの細い腰を掴み、ぐっと下に押し付けた。

 

「ふぅ……んっ……!」

 

 キャスターの濡れた花園に突き上がる、弾力のある剣。

 そうして、キャスターの秘奥は破蕾した。

 仰け反る首。ねじれるくびれ。喘ぐキャスターは、天に昇るように舌を出す。

 

 そこで士郎は眠れる獣を猛らせて、押し倒すようにキャスターと布団に倒れこみ、一度、二度、十度、二十度と、剣を押し込んでいく。

 

「っん、ん、ぁ、あ、あんっ! いっ、ぃんっ――――ぼ、ぼうっや――――ぁんっ!」

 

 どっしりと膝で立つ士郎。彼は眼下に仰向けるキャスターに、太い剣を突き入れ続ける。

 容赦なく打擲され、蹂躙されるキャスターの花園。

 股下と股下がぶつかり合う音と少女の喘ぎ声が、止むことなく寝室の闇に上がり続ける。

 

 やがて汗だくとなり、それでも犯すのを止めない士郎の耳元に、ふとライダーが囁きかけた。

 

「……士郎。もっとです。そんなんじゃ足りませんよ。私なら、もっと貴方のあんなことやこんなことを、受け入れてあげますよ」

 

「っ……たとえばっ?」

 

「たとえば、そう……貴方が思う。もっとひどいことを」

 

 言われて、士郎はキャスターの両腕を掴み、思い切り自分の方に引っ張った。

 

「あ、んっ……ぁ!」

 

 引っ張られる、キャスターの肉体。

 これ以上、二人の体が密着することなど叶わないというのに、士郎はもっと花園の奥へと剣を突き入れるため、引っ張る腕に力を込める。

 そうして士郎は腰を振る。何度も何度も、キャスターを突き放すように腰を振る。

 

 押し出される、キャスターの肉体。

 矛盾し合う引力と斥力。

 高まり続ける反発作用。

 重圧に身をよじらせる少女の体は、男の最終打撃に絶頂を迎える。

 

「ぁ――――はぅん!」

 

 一度、大きく破裂音をこだまさせたキャスターの股下が、ひどく緩み、白い糸を引かせる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ぁ、んぅ……ま、まだ……足りないわ……っ」

 

 ぐったりと布団の上に身を置くキャスターは、息を荒くして両手を士郎に伸ばす。

 その求めに士郎が応じようとしたとき、キャスターの傍らに、ライダーがうつ伏せの状態で寝そべった。

 

「いいえ。次は私の番です。……といっても、選ぶのは士郎ですが」

 

「…………キャスター。その体じゃ、少しきつかったろう。しばらく休んでいてくれ」

 

 そう言われたキャスターは、やや残念そうに伸ばした腕を引っ込める。

 次にキャスターは、隣に寝そべるライダーを睨みつけるも、当のライダーは勝ち誇ったような表情でキャスターを見下ろしていた。

 

「ほらまた……喧嘩するな、二人とも。そういう子は、お仕置きだぞ?」

 

 士郎はライダーの腰を持ち上げて、少女の乾いた蕾に剣を押し当てる。

 

「っ……硬いな……」

 

 ぐりぐりと極太になった剣を押し込む士郎。

 対する四つん這いのライダーは枕に顔をうずめて、布団を握り締め、局部の痛みをこらえていた。

 

「ぁ、し、士郎……それ、はっ……――っ!」

 

 そして後背位のライダーの秘奥に――――ズン、と。士郎の剣が力強く入り込んだ。

 

「はっ……んっ!」

 

 上半身を跳ね上げさせるライダー。

 紫色の長髪が艶やかな背中に垂れて、身を上下させるごとに乱れていく。

 その小さな体は痛みという快楽に翻弄され、握り締められる敷布団がどんどん歪んでいく。

 そんな、キャスターの時より激しい性行為は、まさに上級者といえる乱れ具合だった。

 

 最初は乾いていた少女の秘奥が、士郎に苛められるごとに濡れていく。

 叩き込むごとに息詰まる剣は、徐々に滑らかなものとなって、滑り込むように花びらへ突き入れられていく。

 草木をこするような音は、やがて川の水流のような音となり、男女はぶつけ合う肉体と幼体を加速させていく。

 

「ライ、ダー……っ!」

 

「ふ、っ、んっ、ん、ぁ、は、ぃ、し、ろ、ぅ――――んっ!」

 

 猛打された剣から解き放たれる白い奔流。

 それがライダーの花びらの奥へと流れ込み、ライダーは鼻息荒く全身を痙攣させる。

 

「ふぅ、ふぅ、ふぅ……な、なかなか貴方も、性豪、ですね。士郎……」

 

 ライダーの鼻息で暖かくなる枕。張り詰めた腹部と汗だくの体もまた、布団に生暖かい温度を与える。

 

「……キャスター」

 

 次に士郎は、傍らに寝そべるキャスターのもとへ移動する。

 それは膝立ちの状態で、一歩、二歩と移動すれば事足りる距離。

 

「……待ってください。士郎」

 

 そこでライダーが起き上がり、主従の間に割って入る。

 次に何をするかと思えば、ライダーは大口を開けて、士郎の剣を咥えてみせた。

 

「んっ……」

 

 吸い付くように剣を舐め、ライダーは味わうように食んでいく。

 一方の士郎はライダーの頭を押さえ、腰を振り、ライダーの口腔の先まで犯していく。

 

「キャスター。来てくれ――――」

 

 手招きする士郎。

 それに応じてやってきたキャスターの腰に手を回し、接吻。主従は舌を絡み合わせた。

 

 

 

   …

 

 

 

 その後も彼らは二時間に渡って戯れに興じた。

 布団の上で出来ることは全て行なった。

 

 華奢なキャスター。可憐なライダー。

 その肌を汚し、姿を乱れさせること何十回。

 衛宮士郎は二人の少女を犯すことに、一切の妥協を許さなかった。

 

 涙ぐむ少女に剣を突き入れ、喘ぐ少女の瞳に桃色の花を咲かせて。

 求める少女に射精をし続け、魔力供給という目的なら不必要と思われる後戯すらも疎かにはしなかった。

 

 布団で仰向けになる士郎。

 その胴体に少女が被さり、その剣山に少女が踊り乗る。

 入れ替わり、立ち代わる二人のギリシャ少女。

 あくせく働き汗を流し、魔力と快楽を求めて貪り合う。

 

 

 

   …

 

 

 

 やがて寝室の布団には、士郎の両腕に収まるキャスターとライダーの寝姿があった。

 魔力が充分に溜まったキャスターとライダーは、霊体化に入ろうとする。

 だが、ライダーは消える前に、士郎にあることを問いかけた。

 

 それは――――サクラのことを、どう思っているのかと。

 その問いに対し対し、士郎はすぐに答えられない。

 それでも構わないとして、ライダーはのちに答えを聞かせて欲しいと告げ、霊体化した。

 

 かくして魔力供給を終わらせた士郎は、くたくたの体で、ようやく眠りに就いたのであった。

 

 

 

   /了

 

 

 




 ロリライダーァアアアアアアア!
 ロリキャスターァアアアアアア!
 拙者より身長高い奴に用はねぇ!(身長百六十センチ程度のダビデ感)

 ――――まぁダビデと違って、別に自分より身長高い相手にトラウマとかないんですけど。つまりただのロリ(ry



 ところで高校生の頃の拙者は何を書いているんだ。
 今になって改稿している自分の身にもなってくれ。




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二月九日

 

 朝。

 慎二、桜、ライダー、キャスターと、俺の五人で朝食を済まし、そのあとは居間で作戦会議となった。

 そこで俺は、いの一番にみんなに告げた。

 

「あ、俺。今日は行くところがあるから、すまないけど慎二と桜とライダーは留守番しといてくれないかな?」

 

「行くところ……ですか? 先輩は一体どこに?」

 

「ちょっと郊外に用があるんだ。桜は覚えているか? あのイリヤって子だ」

 

「……?」

 

 話に入れない慎二が首をかしげている。

 まぁ細かいことは桜に預けておくとして、次に桜はとんでもないことを言ってきた。

 

「イリヤちゃん……ですか。アインツベルンのマスターですね」

 

「――! さ、桜! 知っていたのか?」

 

「はい。これでも私は間桐のマスターなんですよ。御三家のひとつくらい話には聞いています」

 

 あ。確かにその通りだ。ってことは、この前イリヤを家に招待したとき、逆にイリヤのやつも……?

 

「まいったな。キャスターの言う通り、下手したらあのとき一触即発だったのか……」

 

 キャスターとバーサーカー、それにライダーまで。

 俺がイリヤに懐石料理を振舞っていた時に、少なくとも周囲にサーヴァントが三騎も居たって事になるのか?

 我ながら恐ろしい事をしていたものだ。

 

 ……うっ。隣からキャスターのジト目を受ける。

 まるで「ようやく判って? マスター?」と言われているかのようだ。念話を使わなくても判る。きっとそう思っているに違いない。

 

「ま、まぁとにかく、俺はイリヤとは仲良しなんだ。きっと相談に乗ってくれれば味方になってくれるだろうし、うまくいけば連れて帰れる。だからそれまで待っていてくれないか?」

 

「……連れて帰る? おい衛宮。まさかイリヤとかアインツベルンだとか、それってバーサーカーのマスターの事なのか?」

 

 あぁと頷く。

 すると慎二は「は、馬鹿だな。もしかして衛宮ってロリコンなの?」なんて、突然なにをバカなことを聞いてきやがったんだこの慎二は!?

 

「な、何を! そんな事、ないぞっ!」

 

「うわっ説得力ないな。……それにしてもさ。襲われた相手と仲良くしたがるとか、ほんと衛宮って頭おかしいよなぁ?」

 

 くつくつと笑いながら慎二は小馬鹿にしてくる。

 ……まったく。なんだか今日は機嫌が良いな。

 

 

 

 やがて作戦会議も終わり、俺とキャスターはお城に向かうため玄関口に向かう。

 

 もちろん臓硯の野郎が俺の不在に家に押し入ってくる危険性も考えている。

 それでもどのみち、言峰が言うには桜に刻印虫がある限り臓硯には逆らえない。

 だから俺がいてもいなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実がそこにある。だからといって、俺が桜から離れていい理由にはならないが、俺はイリヤも守ると約束したのだ。こればっかりは実行しなければならない。

 

「それじゃあ行ってきます。慎二、ライダー。……桜を任せたぞ」

 

 

 

 昼。

 タクシーを拾って郊外の森まで送ってもらい、森の中を歩き続けて数時間。

 前にイリヤとの視覚共有で見た道順通りに進んでいるが、流石に迷うというか、色々と遠い。

 一体どのくらい歩いたんだろうか。草木をかき分けて進んでいると――――

 

 ――ガサッ、と。そばの雑木林から音がした。

 獣の類なら危ない。すぐに投影できるように身構える。

 

「え、衛宮くん!?」

 

「と、遠坂!」

 

 するとなんと、木立の影から現れたのは、あの遠坂だった。

 

「……なんであんたがここにいんのよ」

 

「それはこっちの台詞だ遠坂。俺はイリヤを迎えに来たんだ」

 

「迎え? なに、あんたもしかして私の知らない間にイリヤと仲良くなってたわけ?」

 

「そ、その遠坂こそ、ここにいるってことはイリヤの城に向かってるってことだろ? それこそなんでだよ」

 

「忠告をしようと思っただけよ。今回の聖杯戦争は尋常のものじゃないから気をつけなさいってね」

 

 ……そうか。遠坂もイリヤを心配してここまで来たのか。

 なら、あとは一緒に行けばいい。

 別に戦いに来たつもりじゃないなら、途中まで目的は同じだからだ。

 

 そこで俺は、遠坂にその旨を伝えようと口を開こうとした。

 次の瞬間――――

 

 ――遠くで、大きな爆発音が轟いた。方角は城がある方向。

 まさか……イリヤとバーサーカーは、誰かと戦闘しているのか!?

 

「くっ――!」

 

 本腰を入れて走り出す。

 乱立する木々を抜けると、そこには絵本で見るような本物のお城が聳えていた。

 すぐに駆け込んで正面の扉から入る。するとそこには――――

 

「■■■■――――!!」

 

「フハハハ! 流石の大英雄だ。ほとほと狂化しているのが残念でならん! だが見よ、未来(かこ)の預言者よ! 我の勇姿を確とその眼に刻んでいるか!」

 

 そこは――――戦場だった。

 金髪の男が、あの巌のようなバーサーカーと互角に戦っている。

 背後から射出しているのは無数の武器。その全てが宝具だった。なんだ、あの全てがデタラメな男は……!

 

「――っ!」

 

 無数の宝具を身に浴びながら、何故か死なないバーサーカーは金髪の男に襲いかからない。

 その理由は直ぐに判った。バーサーカーの背後にはイリヤがいた。

 もしバーサーカーがあそこから少しでも動けば、イリヤが殺されてしまう!

 

「イリヤ――!」

 

 そう思うと居ても立ってもいられなくなった。

 干将・莫耶を投影し、金髪の男の背後から投げつける!

 

「――なにっ? 我の戦いを邪魔する者は――」

 

 しかし俺の投擲は、すぐに宝具の雨に弾かれてしまう。

 そして金髪の男は、すぐさま無数の武器を射出していた黄金の空間をこちらに向けてきた。

 

(――マスター!)

 

「判っている!」

 

 背後ではキャスターが霊体化している。

 そのキャスターを下がらせて、再度、干将・莫耶を投影。やつの宝具を防ぎきらなければならない――!

 

「――それは無謀というものだ。衛宮士郎」

 

 ふいに背後から、アーチャーの声が聞こえたと思った途端。

 目の前で実体化していたアーチャーが、向かってくる宝具を全て打ち払ってくれた。

 

「――むっ? ……贋作者(フェイカー)、か」

 

 アーチャーの姿を見て、金髪の男の動きが止まる。

 流石のあいつも、アーチャーとバーサーカーに挟まれて余裕を失っているようだ。

 

「おい、未来(かこ)の預言者よ。これは一体どういう事だ?」

 

 ――と、思ったら。

 金髪の男は俺たちをまるっきり無視して、誰かに喋り始めた――――

 

「さぁ? 私からすれば、王のお考えはまったく理解できないものばかりなもので……」

 

 ――――え?

 城に響いた少女の声。その声色には聞き覚えがある。

 

 ロビーの上、二階に続くところに、そいつはいた。

 柳洞寺の一件から一切姿を見せずにいた、あの――――

 

「あ、あんた……」

 

「あら、凛、士郎。こんにちは」

 

 ――ソニア・ド・ヴァンディミオンが……!

 

 

 

   ◇

 

 

 

「あら、凛、士郎。こんにちは」

 

 この二人の登場には驚いたけれど、私は泰然と挨拶をして、視線を戦場に戻す。

 今この場には、英雄王ギルガメッシュ、ギリシャの大英雄ヘラクレス。

 そして昨夜まで知らないでいた、クラス・アーチャーのサーヴァント。

 

 正直に言って、この神話の再現とも云える荘厳な舞台に、アーチャーは些か見劣りしていた。

 彼がバーサーカーに加勢したところで、おそらくこの最強の王は討ち果たせないだろう。

 

「……なるほど。状況は大体判った。どうやら私は、この辺が潮時らしい……」

 

 意味深な事を言うアーチャー。

 その言い方が妙に気になった。

 すると彼は突然、私に向かって――――

 

「私は君を知らない。君も私とは初対面だろう。だが判るぞ。お前は私の()()()だな。たとえ所属が違うとしても、互いに守護者である事には相違あるまい?」

 

 ――――彼は、いったい、何を……?

 

「私は霊長の守護者。お前は世界が用意した守護者。だが、私は今、星側に与しよう。故にあとは任せたぞ。名も知らぬ空白の魔術師よ」

 

 ……その言葉は、私に向けて言っているの?

 だって、そうとしか思えない。

 彼は今、自分の事を霊長の守護者と言い、私の事を世界の守護者だと言った。

 

 ――まぁガイアの申し子であるとすれば当然とも言えるが――

 

 ――突然世界にいたことにされて、この世界に住むように調整された、まつろわぬもの――

 

 ……つまり英雄王の言葉を信じれば。

 私という人間は、(ガイア)に用意された抑止力(カウンターガーディアン)だったとでも言うの……?

 

「ア、アーチャー? さっきからあんた、なに訳の分かんない事ばっか言ってんのよ……?」

 

 それからアーチャーは、ひどくすまなそうな顔で凛に振り返った。

 

「すまない。凛。私は君のサーヴァント失格だ。私は、君をこの戦いで勝たせてやれない。私は自らこの戦いを下りる定めにある。……ゆえに、先に謝らせてもらう」

 

「な――――なに言ってんのよ、アーチャー? ……ねぇ、冗談でしょ?」

 

「冗談ではない。薄々、君も勘づいていたはずだ。だからどうか、君の目で確かめてほしい」

 

 それで言葉を尽くしたのか、アーチャーは凛に背中を向けた。

 その顔ばせは、二度と凛に振り返らないという、決意と覚悟を秘めていた。

 

 ――アーチャーの言葉を信じれば、おそらく今が、()()()()()()()()()()()()なのだろう。

 この機を逃せば、全てが水の泡となる。だけど判らない。私は一体、何をすれば良いと言うの……!?

 

「――なんだ、贋作者(フェイカー)。まさか我と戦うつもりなのか?」

 

「その通りだ。英雄王ギルガメッシュ。私はここで、貴様を討ち果たさなければならない」

 

「――っ。ほざいたな、下郎。良かろう。疾くこの場で叩き潰してくれるっ!」

 

「ま、待って、待ってください王! お願いです!」

 

「煩いぞ預言者! 貴様はここで我の物語を綴っておれば良い!」

 

 ダメだ。このままではギルガメッシュとアーチャーの戦いが始まる。

 彼じゃあ英雄王には勝てない。私は、何をすれば――――!

 

「――――衛宮士郎。お前は何を守ると誓った?」

 

「え――?」

 

 アーチャーは右手を掲げ、背後に立つ士郎に問う。

 

「――――俺は、()()()()()()()()と、そう誓った」

 

 そう答えた士郎を笑い――――しかし、馬鹿にするのでもなく、

 どこかアーチャーは、何かと決別したかのように――――

 

「ならばその誓い、死んでも守り通せ。

 ――I am the bone of my sword.」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 わたしは、アーチャーが何を勝手な事をのたまってんのか全く理解できていなかった。

 正直に言って、本当にすまなさそうな顔をして、わたしに謝ってきたアイツを、本気でぶん殴りたかった。

 ……でも、あんな顔をして謝られたら――――止められるわけがなかった。

 

 何かを決意した顔。

 その顔が、無性に誰かさんに似ていたから――――

 

「Steel is my body, and fire is my blood.」

 

 金髪の男の後方から無数の宝具が射出される。

 アーチャーは言った。今、目の前にいる敵は、かの英雄王ギルガメッシュだと。

 

「I have created over a thousand blades.」

 

 アーチャーの右手から花弁が展開され、数々の宝具を弾いていく。

 

「Unknown to Death.

 Nor known to Life.」

 

「くっ。間に合わんか――っ!」

 

「Have withstood pain to create many weapons.」

 

 それは――――

 

「Yet, those hands will never hold anything.」

 

 アーチャーの――――

 

「So as I pray, unlimited blade works.」

 

 彼だけの人生だった――――!

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――体中を高電圧の電流が迸った。今も感電している。

 何故なら、こんな……こんな男の生涯を見せられて、平気でいられるわけが、なかったからだ。

 

「見たか、衛宮士郎。これが、これこそが――――衛宮士郎(おまえ)衛宮士郎(おまえ)であるがままに辿り着くべき終着点だ」

 

 俺が、俺であるべきままに――――

 其処は無限の荒野。赤銅の天空に無間の歯車。ただその下に独り佇む紅い男。

 彼こそはアーチャー。そして、彼こそは――――

 

「言わずとも判るな? 衛宮士郎。お前は原点のままにして、頂点に在らねばならん!」

 

 ――無理だ。

 

 弱音を吐いた。

 

 ――無謀だ。

 

 諦めを知った。

 

 ――無茶だ。

 

 衛宮士郎という死を悟った。

 

「これは、贋作者(フェイカー)の心象風景か。固有結界とは、また面白いものを……だが、まさかこんなみすぼらしい世界で、我に敵うとでも?」

 

「あぁ、強がらなくても良いぞ、ギルガメッシュ。貴様の天敵がオレであるのは、貴様の“王の財宝”を見れば一目瞭然だからな」

 

「――――ッ」

 

 苦い顔をしたギルガメッシュ。

 確かに、世の中には常に相性というものが存在する。

 これは無限と無限の戦い。真贋の確かめ合い。武器の貯蔵量の鬩ぎ合い。どちらが一歩先を行っているかの潰し合い。

 

「うそよ……固有結界だなんて……アーチャー! 貴方は一体、何者なの!?」

 

 端にいたソニアが叫んだ。

 

「オレに名はない。だが、かつて有った名は――――さぁて、どうだったかな」

 

 チラリと俺を見たアーチャー。

 その視線に気がついたソニアは、俺とアーチャーを交互に見比べる。

 

「待て、アーチャー。戦う前に少し時間をくれ。……おい、未来(かこ)の預言者よ。何か気になる事でもあったのか?」

 

「――――いいえ。ただ、やってみたい事があります。ですので、戦闘を開始されても構いません。私はこれから或る魔術行使に取り掛かりますので、お気になさらず」

 

「そうか。良い。許す。……ではアーチャー。偽物が本物に敵わないという道理を教えてやろう」

 

「…………」

 

 そして、まるで西部劇のガンマンのように。

 アーチャーとギルガメッシュは、無言のまま互いを見据えた状態で――――

 

「運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――

 ――The Future Remember……」

 

 ソニアの魔術詠唱を引き金として、無限の戦いは火蓋を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――地獄を見た。

         地獄を見た。

               ただ救いのない、地獄を見た。

 

 その途方もない戦いで、男は摩耗していた。

 

 男はただひたすら世界によって戦場に駆り出されていた。

 

 男は絞首刑にされていた。

 

 青年は俺の顔、俺の体で世界と契約を交わしていた。

 

 青年は正義の味方を目指して中東を旅していた。

 

 青年は倫敦で見覚えのある赤い女の人に川へ突き落とされていた。

 

 少年は全てを救えなかった。

 

 少年は彼女(セイバー)を救えなかった。

 

 少年は姉妹(かぞく)を救えなかった。

 

 化物になった後輩。

 黒くなった白い少女。

 

 少年は冬木の地で聖杯戦争を戦い抜いていた。その傍らには蒼銀の騎士がいた。

 

 少年は土蔵でセイバーという運命と出逢った。

 

 少年はじいさんの夢を継いだ。

 

 少年は救われていた。

 

 少年は体に全て遠き理想郷(アヴァロン)を埋め込まれていた。

 

 少年は全てを失っていた。

 

 少年は地獄を見ていた。

 

 少年は――――

 

 し、

      しょうね    。

                それは、失 くなった はなしだ   。

 あか、ん       ぼ    ――    ――           ――――   。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――過去視。再現・完了――――」

 

 全てを見た。

 男の生涯の、全てを見た。

 

 もう一人の自分自身の、

 それもまた別の未来を見た。

 

 俺は、

 

 ――――未来を思い出した――――

 

 

 

 

 

 紅い男は、金の男に肉薄する。

 

「フ――――フハハハハッ! 見たぞ、我は見たぞ! なかなか皮肉な男だったかアーチャー! まさか、正義の味方とやらを志し、あまつさえ世界と契約を交わして、フッフハハハッ! よもや英霊にまで成り上がるとはなぁッッッ!」

 

 その嘲り、その賞賛、その全てを無視して、アーチャーは己に語りかける。

 

「衛宮士郎! オレは、お前に賭けを残す。オレが助けられなかったものを、助けられるかもしれないお前に!!」

 

 ――――アー、チャー……お前は、いったい、なにを――――?

 

 喉が極限にまで絞られて声が出せない。

 

「イリヤの手を取ったからには、最後まで守り通せ。

 お前に預けるぞ。オレの、最後の剣製を――――!

 ――是・射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)――!!」

 

           そ――――――――れ       は。

 

                              紅と 金の  鬩ぎ合い。

 

 

 

 

 

                無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)

 

  約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

                          熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

              赤原猟犬(フルンディング)

 

                                    突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)

 

  勝利すべき黄金の剣(カリバーン)

 

                  虹霓剣(カラドボルグ)     偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

      原初の魔剣(グラム)

 

                 絶世の名剣(デュランダル)

 

                               屈折延命(ハルペー)

 

  金剛杵雷(ヴァジュラ)

 

                干将・莫耶(かんしょう・ばくや)

 

                                     方天戟(ほうてんげき)

 

       鶴翼三連(かくよくさんれん)

 

                      是・射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)

 

                                      壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 

 

 ――数多くの剣を、槍を、技を、宝具を……垣間見た。

 その全てを魔術回路に収斂し、記憶――――のちに設計図として書き起し、完成する。

 

 其は投影の鍛冶屋。

 其は剣の丘で鉄を打つ者。

 其は武器を造り模する錬鉄の騎士。

 其は『剣』という起源を持つ剣士なり。

 

「トレース・オン」

 

 其れは原初の自己暗示。

 

 

 

 鶴翼不欠落

      心技至泰山

           心技渡黄河

                唯名納別天

                     両雄倶別命――――!

 

 

 

「……天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)――――」

 

 ――それで、終わった。

 アーチャーの勝利でもあり、敗北でもあった。

 否、不敗にして敗走はなく、そもそもアイツは敵を見てすらいなかった。

 イメージするは常に最強の自分。

 自分にさえ負けなければ、確かに敗北はなかった。

 ゆえに彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う。

 

 ……とんだ皮肉だ。だからこそ、アイツの生涯に意味はなく――――

 ――――だからこそ、誰かに何かを遺せるんだ……。

 

 

 

「――アーチャーぁあ……!」

 

 遠坂の叫びが城内にこだまする。

 俺たちは廃れた荒野から、城の入口に位相を戻されていた。

 

「うっ――――ぐぅ……っ!」

 

 頭から肩にかけて、おびただしい血を流す金髪の男。

 アレは致命傷だ。もう助からない。

 

「ぐっ……くっ、――――おい、未来(かこ)の預言者……これは、一体どういう事だ……?」

 

 過去の預言者。そう言えば、あいつはソニアの事をそう呼んでいた。

 しかし、あいつの見据える先には、既にソニアの姿はいなかった。

 

「……おのれ、謀ったな」

 

 そう言って、……ギルガメッシュは、行き汚くも逃げようとする。

 ……っ。ここで奴を逃したら、アーチャーの健闘が全て無駄になる。

 だからここは、俺がギルガメッシュにトドメを刺さなければならない。

 

 ……だが、足が動かない。いや、体が動かない。

 まるで自分の身体は容量をオーバーして処理落ちしたかのように凍結(フリーズ)していた。

 

「ふっ……よせよせ。ここで貴様らが束になって掛かってきても無駄というものよ。おとなしく我を逃がしたほうが身のためだぞ?」

 

 それは……確かにその通りかもしれない。

 あいつの背後にはバーサーカーがいる。

 それでもバーサーカーがイリヤから離れれば、ギルガメッシュは相打ちを狙ってイリヤを、そして遠坂や俺も殺す事ができるだろう。あるいはバーサーカーさえも倒しきってしまうかもしれない。

 

 そんな絶対なる強者に成す術がないまま。

 俺たちは徒歩で去っていく英雄王ギルガメッシュを見送ることしか出来なかった。

 

 ……とたん俺の意識は、まるで電源を落とされたかのように暗くなった――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夜。

 ――驚天動地。

 まさに私が昼間に見た出来事は、その一言に集約される衝撃だった。

 

 衛宮士郎の未来の姿がアーチャーである。

 こればっかりは言葉を失った。絶句のあまり頭が真っ白になった。

 

「……あれで、良かったのだろうか……」

 

 衛宮士郎は、また別の世界のエミヤシロウの末路を見た。

 それを知れば、衛宮士郎がエミヤシロウと同じ道を歩む事はないだろう。

 転機としては、真冬のテムズ川に叩き落とされた辺りだろうか。

 あれさえなければ、おそらく衛宮士郎は衛宮士郎のままでいられるはず。

 

 ……そんな事はどうでもいい。

 とにかく私は、やるべき事をやらなくてはならない。

 

「――――見つけたぞ。未来(かこ)の預言者……」

 

 ……呼びかけに応じて振り返る。

 その瞬間、私の頭をぶち抜こうと剣が飛来した。

 

 私はそれを躱さない。

 代わりに、隣にいる黒い剣士が払ってくれるから――――

 

 鉄塊と飛剣が激突する。

 剣は逸れ壁を割り、黒い剣士はマントを翻した。

 

「――なに? ……ほう、ガッツか。こうして対面するのは久しいな」

 

「よっ! なんだテメェもう成長しちまったのか? 小さい方にお礼を言いたかったのによぉ」

 

「たわけ。小さい方も大きい方も我であろう。何故そっちにだけ礼を言いたいのだ貴様は。――まぁ無駄話はそこまでにしてだ。未来(かこ)の預言者、ソニアよ。どうやら我は、貴様という存在を、何かに履き違えていたようだ」

 

「どうやらそのようね。貴方たぶん、私の事を道化師(サンジェルマン)か、あるいは劇作家(シェイクスピア)だか何かだと勘違いしていたんじゃない?」

 

「フッ――――そいつらが誰だかは知らんがな、どうやら我の認識はそのようになっていたようだ。……だが、未来(かこ)の預言者よ。このような結末、我が許さんぞ?」

 

「許すも何もってねぇ……これは、未来(かこ)通りなんだけど?」

 

「――――なに?」

 

「だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだもの。役名さえない誰かさん?」

 

「――――――――」

 

 あまりの蔑み。天上の王を愚弄する言の葉。

 馬鹿にするつもりはなかったけど、どうやら私、自分のルーツを教えてくれなかった事を根に持ってたみたい。

 

「きさま、この、雑種如き ガッッ――――!!?」

 

 激昂し、ギルガメッシュは宝具を射出しようとした。

 しかしふと気がつけば、その身体は半分無くなっていた。否、その身体は、既に半分が沈んでいた。

 

「こ、これは、なぜ――――!」

 

 まだ息のあるギルガメッシュの心臓に、鋭利な影が差し込まれる。

 

「ふぐっ――!? ……そ、そうか。ガッツ……貴様の、()()()()()のせいか……!」

 

「その通りだ、ギル。別に悪いとは思わねぇ。オレがここにいると判った時点で、テメェは逃げるべきだったんだよ」

 

「……くっ……そ……」

 

 影の沼に浸かり、ギルガメッシュは首まで沈み込んでいく。

 

「まぁだが……十年のよしみだからな。ほらよ」

 

 しかし黒い剣士は……いいえ、今なら思い出せる。私は最初から、もう彼の名前を教えてもらっていたんだ。

 ――そう。黒い剣士ガッツは、今まさに影に呑み込まれんとするギルガメッシュの頭上に、大剣を差し出した。

 

「――――ッ!」

 

 それを迷わず掴む英雄王。

 その手は血だらけとなるも、大剣を引っ掴んだまま、ガッツによって泥影から救い出された。

 

「くっ……なぜ、助けた……? どのみち、我はもう消えるというのに……」

 

「何故って。貴方の魂は()()()()()に回収してもらわないと困るからよ」

 

「――――、……そうか、なるほどな。まったく、それはそれは真につまらん結末よなぁ。それでは或る童話作家(アンデルセン)に、血を吐かれるぞ……?」

 

 最期の最期に私の目的を察したのか、英雄王ギルガメッシュは、今ここに黄金の粒子となって完全に消滅した。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 朝食のあとに先輩を見送ってから、もう半日が経とうとしていた。

 

「先輩、遅いですね。兄さん」

 

 居間で勝手に煎餅をかじりながら、しきりにリモコンを持ってテレビを切り替える兄さんに声をかける。

 

「……そうだな。この分だと帰ってくるのは明日になるんじゃないか? だから桜もさ。ここでずっと待ってないで部屋に戻れよ。病み上がりなんだし、いつでも戦えるように気を張る必要なんてないだろう?」

 

 ……気を張る必要。

 確かに、私は先輩がいなくなってからずっと、いつおじいさまが現れても抵抗できるように目を覚まし続けている。

 もちろん抵抗が敵うような相手ではない事は承知している。

 それでも私は先輩に留守番を任されたんだから、少しでも頑張らなきゃ皆に悪いと思って……。

 

「桜。ここでお前が意固地に頑張ってもさ、ぶっちゃけ全部無駄なんだよ。ただ居間で待ち続けるのは毒だぜ?」

 

「それでも、兄さん……」

 

 私の体の中には刻印虫が埋め込まれている。

 今のライダーの主導権は私にあるから、ここで私が“気を張る必要”ことの意味は、きちんと兄さんも判っているはずだ。

 それなのになんで兄さんは、まるで「諦めろ」と言うかのような物言いをしてくるんだろうか……。

 

 ――その時、私の傍らにライダーが実体化し、兄さんの背中を見据えて立ち尽くす。

 それでも座っている私より少し背が高い程度のライダーは、なんというかとても可愛らしかった。

 昨日から何度もその姿を目にしているけど、正直言ってこの可愛さは同じ女でもずるいと思う……。

 

「――シンジ。お言葉ですが、貴方はサクラの制約を忘れたのですか?」

 

「はぁ? そんなわけないだろ。聖杯戦争に参加する意思を持ち続けていないと、桜の中にいる気持ち悪い虫が暴れ出すんだろ? そんなの百も承知さ」

 

「ならば、なぜ?」

 

「ら、ライダー!」

 

 ライダーがわずかに殺気を込めて言ったのを、私は見逃さなかった。

 けれど鈍感な兄さんはライダーの殺気に気付かず、馬鹿みたいにコメディ番組を見て笑っている。

 

「あっはっはっ! この芸人バカなんじゃないの! 無理なものは無理だって誰か突っ込んでやれよ! アハハ!」

 

「――――無理。無理と言いましたか、シンジ。貴方はそう思っているのですね?」

 

 ……ライダー?

 

「あ~~つまらなかった。……って、あぁ、ごめんごめん。それで、今なんて言ったんだい? ライダー」

 

「ですから、シンジ。貴方は、桜を救うのは無理だと思っているのですね?」

 

「そうだね。きっと誰が見てもそう思うだろうさ」

 

 …………。

 確かに。私は死んだほうがマシな人間だ。私は、私が生かされる意味が、理由が判らない。

 それでも死にたくないと思っている。もう生きていたくないほどに嫌で厭で苦しいけど、それでも死にたくないと思っている。これは果たして矛盾している事だろうか?

 

「ですがシンジ。貴方は昨夜の雨の時、まるでサクラと共に歩むような口振りだったではありませんか。あの決意は嘘だったと?」

 

「嘘じゃないさ。兄として妹の事を思っているのは本当だよ。それでもね。無理なものは無理だ。桜は絶対に聖杯戦争を勝ち抜けない」

 

「それは……どうしてですか、兄さん」

 

「どうしてもなにも、桜。お前はもう詰んでるんだよ。お前が助かるためには聖杯がなくちゃならない。それでも聖杯戦争に勝利してしまえば、お前はおじいさまにとって用済みだ。一体その場でどうなる事やら……。かといって聖杯戦争を降りる事もできない。なぁなぁで聖杯戦争が終結するのを待っていても、ほら――」

 

 ふと、兄さんはテレビのリモコンを操作して、ニュース番組に切り替えた。

 

『ニュースです。冬木市新都の方で、またもや失踪事件が起こった模様です。中央公園付近では失踪者の片方の靴が発見などされ、警察は誘拐の線も入れて調査を進めて――――』

 

「ほらここ。検察官のすぐそばにある雑草を見ろよ。これ、どう見てもあの黒い泥だろ」

 

「――確かに。これは柳洞寺でセイバーを呑み込んだ泥と同種のものですね。ただの泥なら付着しているだけに見えますが、これは明らかに雑草を溶解している……」

 

「その通りだ、ライダー。さらにこの泥は昨日の昼間、桜が倒れた下から湧き出たものでもある。もっと言えば海浜公園での戦いでセイバーとアサシンが影を纏っていただろう? あれは僕が思うに、この泥や影っていうのは、おそらく同じもの、または似た性質のものなんじゃないかなって、最近思い始めてきてるんだよね」

 

 ……あぁ。

 そこで私は、兄さんが何を言いたいのかを理解してしまった。

 

「まぁこれは教会での焼き直しになるけど――――つまり桜がこうして生きている以上、街の人間はだんだんと消えていき、おそらく聖杯戦争が終わる頃には街の人間は半分近くなっているんじゃないかな。そして街の人間が全員いなくなったとして、最後の最期に死ぬのは一体誰だと思う?」

 

 ――それは私だ。

 兄さんはこう言いたんだ。

 

 私はどうせ死ぬ運命にある。なら早めにこの命を絶ってしまえば、街の人々は被害を受けずに済む。

 これは街が消えたあとに私が死んだ場合と比べて、どちらがいいのかという命の天秤の話だろう。

 そんな事、私だって判っているつもりだ……。

 

「……サクラ? どうしたのです。そんなに俯いて。確かにシンジが言っている事は事実かもしれません。ですが貴女は故意にそれをしているわけではない。サクラの影は、あの妖怪に操られているだけで、何も貴女が気に病む事では――」

 

「――ありがとう、ライダー。わかってる。わかってるの。でもね、それでも……」

 

 この罪を、どう償えば良いのだろうか。どう贖えば良いのだろうか。

 すぐには判らない。だっていうのに兄さんは、唐突に選択を迫ってくる。

 

「……良いか桜。言っとくけどな、僕は“終わりが見えている戦い”や“勝てない戦い”に応じるつもりは毛頭ないと思えよな」

 

 え――――兄さん?

 

「僕はこれでも桜の兄貴だからね。妹を見捨てるなんて事はしないだけさ。だからここにいる。それでもね……これとは別に、僕はまだ聖杯戦争を諦めてはいないって事さ」

 

「――シンジ。それは、」

 

 ライダーの言葉を遮った兄さんは、私の目を見て命令した。

 

「なぁ桜。僕にさ、またあの偽臣の書を作ってくれよ」

 

「――――ぁ。……でも、それは……」

 

 どうしよう。断れない。なんで?

 だって私は戦う決意をしたんだ。戦いを拒否して兄さんにライダーを貸した時とは違う。

 戦うと誓った以上、ここで兄さんにライダーを渡してしまったら、すなわち私は戦いを拒否した事になってしまう。それだけはダメだ。また苦しくなって倒れてしまう。

 ……でも兄さんの頼みは断れない。

 ――そうだ。こういう時は、いつも……。

 

「に、兄さん……私は、戦うって、誓ったから……だから、ごめんなさ――」

 

「おい桜、謝るなよ。絶対に謝るんじゃない。無理なら無理だと、そうハッキリ言えよ、この弱虫桜」

 

「――――」

 

「ふん……どうやら僕にライダーを貸すとまずいらしいね。つまりそれって要は? 制約に引っかかるような心境の変化が、桜に訪れたって事なのかな? ハハッ! ならいいや。ここで桜に倒れられると困るからね。もちろん衛宮との決着を諦めたわけじゃないけど、今回僕に逆らった件は大目に見ておいてやるよ」

 

 ――それきり兄さんは、私には目もくれず、テレビに夢中になってしまった。

 

「……」

 

 ライダーも霊体化する。

 

 ――どうしよう。

 私は今、どんな顔をしているんだろう……?

 

 

 

 それから私は、兄さんの言い分に従って早めに寝付く事にした。

 どうやら熱がぶり返してきたみたいで、これでは戻ってきた先輩たちを余計に心配させてしまうと思ったからだ。

 

 明かりを消して布団に潜り込む。

 そして、部屋の隅にいるはずのライダーに声をかけた。

 

「……ライダー。今から先輩のところに行って」

 

(……宜しいのですか?)

 

「ええ。だってライダーがここいても、私はおじいさまを前にしたら何もできないし、だったらライダーが向こうに行ってくれれば、少しは役に立てるでしょう? 決断は少し遅くなったけど、きっと大丈夫。何かあったら、絶対に先輩を守ってね?

 ……それとキャスターさんとは、あまり喧嘩しないように」

 

(……前者は承知しましたが、後者はどうでしょうか。ともかく了解しました。――それと桜、おやすみなさい)

 

 そう言ってライダーは離れていった。

 

 ……あぁ、今の私って、どういう私なんだろう。

 先輩に選ばれたって事なのかな? 家族の味方って、私も含まれているって事なんだよね?

 それなら先輩。私は先輩を信じます。

 先輩も、兄さんも、先輩の家族のイリヤちゃんも、それに……姉さんも。

 みんなが先輩の家族だと言うのなら、きちんと先輩はみんなを守ってくれますよね?

 

 ……無謀だとは思います。無理で無茶だとも思います。

 それでも私は、信じる事しかできなくて、ごめんなさい。

 

 ――あ、またやっちゃった。

 

 私はもう謝りません。私は決めたんです。私は先輩のために戦うんだって……。私も、家族だと思える人たちを守りたいんだって……だから、もしその時が来たら、私は私を――す事が出来るでしょうか?

 

 ――こわい。

 瞼を閉じる。ただ心中に渦巻く暗黒は、色なき世界で黒く濁り始めていた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――瞼を開く。

 そこは西洋風の豪奢な寝室で、まるでお嬢様の子供部屋みたいなところだった。

 

「……っ」

 

 脳が揺らぐ。眩暈がする。

 吐き気はないが、自分が誰であるのか不明瞭にさえ思われるほど混乱していた。

 

「……俺は、アイツとは違う。絶対に違う。だから大丈夫だ。アイツはただ、俺に力を遺してくれただけなんだから……」

 

 重い体を持ち上げて、ベッドから床に足を付ける。

 

「――っ。立てない……」

 

 体を動かす事や物を持つことは出来たが、足に力が入らなかった。

 ……全身が気怠い。

 ほら、あれだ。目を覚ました時に、腕を圧迫して血流が遮られて麻痺してしまい「なんか腕がくっついているだけ」のように感じられるアレだ。あの麻痺が足に起こっている感覚に近い。ぶらぶらと足が、股の付け根からぶら下がっているのだ。

 

「……イリヤー?」

 

 とりあえずイリヤの名前を呼んでみる。

 なんでイリヤの名前を呼んだのかというと、この部屋が前に視覚共有で見せてもらったイリヤの部屋と瓜二つだったからだ。

 しかし返事はない。さて、どうしようか。

 

「……投影、開始(トレース・オン)

 

 適当に杖となるものを投影してみた。

 無駄な魔力を使ってしまったが、必要だと思ったから仕方ない。周囲に体の支えになるものはなかったし。

 

 それにしても投影がスムーズに行えた事に自分でもびっくりする。

 はて、この分なら、今すぐにでも色んなものを投影できそうだ。

 

 

 

 ……廊下に出ると、めちゃくちゃ広くてびっくりした。

 さすが本物のお城だ。ただの廊下でもスケールが全然違う。

 

「おーい。誰かー?」

 

 ……俺の声が廊下にこだまする。

 だというのに返答の一つもなしとは、どれだけこの城は広いんだ?

 

「……って、そうだよ。馬鹿か俺は。――キャスター?」

 

 呼びかけに応じて、キャスターが実体化する。

 

「なんです、マスター?」

 

「……お前、わざと黙ってただろ……」

 

「ふふっ。さぁて? 出る必要を感じなかったもので。まさか私がいないとお外を歩けやしない坊やじゃないわよねぇ?」

 

「あのなぁ……」

 

 くそう。なんか良いようにからかわれている。

 完全に昨夜の件で上下が逆転しちまった。……いや元からか?

 

 そのままキャスターと一緒に広い廊下を歩いていく。

 

「……なぁ、キャスター。お前、俺とアーチャーの関係について、もしかしてずっと前から知っていたのか?」

 

「……確信はなかったですけど、似ているとは思っていました。珍しい魔術特性が二つも同じ場所に集うだなんて、珍しい事もあったものだとね」

 

 そうか。それじゃあ遠坂のやつも、なんだかんだ勘づいてはいたのだろうか。

 

「って、そうだ……遠坂のやつ、大丈夫かな?」

 

 なんか自分のサーヴァントが勝手に特攻して勝手に消滅したんだ。それもたぶん、俺のせいで。

 だから遠坂と顔を合わせるのが少し怖かった。こう……何かアーチャーを失った代わりに対価を求められそうで……。

 

「あぁマスター。こっちに人の気配を感じます。この魔力量はイリヤスフィールかと」

 

 キャスターの誘導に従って、教えられた扉を開く。その先は、なんとダイニングルームだった。

 乳白色の室内。その中央には洒落た真四角のテーブルに、三人分の椅子が置いてあった。

 

 その椅子の二つばかりに座っていたのは遠坂とイリヤ。

 テーブルの上にある食事にはまだ手がつけられていない事から、どうやら今から夕飯を食べる場面らしかった。

 

「あ、シロウ起きたんだ! 良かったー! ほら、今からシチューを食べるところだったの! 隣に座ってー!」

 

「あら、おはよう衛宮くん?」

 

「お、おう……」

 

 俺はイリヤの笑顔に笑顔で返しながら、わざとらしく衛宮くん? なんて呼ぶ遠坂から目を逸らして椅子に座る。

 

 

 

 それからは、とても平和な夕飯が始まった?

 

「――って待てい! え? このまま普通に食事して良いのか? あのギルガメッシュの件とか、アーチャーと俺の件とか、ソニアの事とか、そういうのは?」

 

「あぁ、あの金ピカの事は知らないけど、アーチャーの件は……別に、何か言うべき事もないわ。あいつ、ただ自分の役目を果たしただけだもの」

 

 それだけ言って遠坂は、さも平然とシチューを食べ始めた。

 

 ……それは嘘だ。

 だってアーチャーは、マスターを完全においてけぼりにして逝っちまったんだ。

 何か守護者だとか何だとか言っていたけど、あいつが一方的に遠坂を裏切る形になってしまったのは事実なんだ。

 ……まぁ、あいつだって好きに選んだ道じゃないだろうけど……。

 

「……もう。士郎がそんなに気にする事じゃないわよ。それよりあんたは自分の事を心配なさい。ほら、杖なんて持ってるけど、もしかして満足に歩けないの?」

 

「あぁ。ちょっと気怠いだけだよ。たぶん、もうひと眠りすれば治るさ」

 

 それから特に話す事もなかったようなので、腹も空いたからスプーンを片手にシチューを掬って食べ始める。

 

「……んっ。なかなかうまいぞイリヤ、もしかしてシチューとか好きなのか?」

 

「う~ん。まぁ、普通かな。……でも、シロウのシチューなら好きになるかも?」

 

「――なっ!」

 

 正直、それはかなりの不意打ちだった。

 少し照れながら、俺のシチューなら? とか。

 まったく、イリヤはどこでそんな男の料理人を一発で転がすセリフを覚えたのか。

 イリヤの顔が見れなくなっちまったじゃないか。

 

 ――自分が気恥ずかしくなっているのを隠すため、シチューをかっ食らう。

 

「……って、この皿。高級品だけあって、ものすごく小さいな……」

 

 まるで猪口だ。何回か匙で掬っただけで食べ終わってしまう量だぞこれは。

 上品な皿だけど、実用には向いていない。

 

「おかわりあるよー? セラ!」

 

「かしこまりました」

 

 そこで俺は、壁際にメイドがふたり佇んでいる事に気づいた。

 セラと呼ばれた女の人が、俺の皿を取ってシチューを入れてくれる。

 もう一方の女性は、まるでお人形のように、じっと虚空を見つめて立ち尽くしていた。

 

「どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

 そして夕飯のシチューを食べ終えた俺は、今度はイリヤに大浴場を勧められた。

 

 そこで俺は、ようやくあることに気がつく。

 もしかしてイリヤは、この前のお返しとばかりに、俺を歓待してくれているのではないかと。

 確かに次はイリヤの城に呼んでくれと約束したが、今日はそのつもりで来たわけじゃなかったのに……。

 

「――はぁ……きもちいい……」

 

 まぁ歓迎されているというのは悪いことではないので、至れり尽くせりを味わう。

 ちなみにキャスターには、きちんと廊下で待機しておくように言っておいた。

 無論、忘れたわけではない。今も俺の家では、桜や慎二が俺の帰りを待っているだろう。

 それでも今日中に帰るとは言ってなかったし、どのみち満足に歩けない体なので仕方ない。

 

 

 

 風呂を出る。

 するとメイドの一人に声を掛けられた。セラという人とは別の人だ。

 

「イリヤ、呼んでる。来て」

 

「え? あ、はい」

 

 妙に片言なメイドさんに腕を引っ張られて、俺が最初に目覚めた場所に連れてこられる。

 

「イリヤ、シロウ。連れてきた」

 

「ありがとう、リズ」

 

 部屋に入ると、壁際にはセラというメイドの人もいて、ソファにはイリヤが腰をかけていた。

 ……だが、イリヤのその顔色を見て、俺は動揺した。

 なんと真っ青なのだ。夕飯を食べていた時は、あんなに元気いっぱいだったのに……。

 

「イリヤ……具合でも悪いのか?」

 

「あ、その……実はね。今さっき、魂が四騎分、わたしの中に溜まっちゃって……」

 

 ……?? 魂が、四騎分とな?

 

「えーっとね。つまり、わたし……シロウと話がしたくて呼んだんだ」

 

「あぁ。それは判ってる。俺もイリヤに聞きたいことがあったからな。まぁ、まずはイリヤからで」

 

 そう言うとイリヤは息を吸って、吐いて……何かの緊張をほぐしながら、ようやく俺に問いを投げた。

 

「――あ、あのさ。シロウは、さ。……本当に、わたしの事を家族だと思ってるの?」

 

「あぁ。当たり前だろ」

 

 即答する。

 何を聞かれるかと少し身構えていたが、なんだ。本当に簡単な事だった。

 

「――――わたしが、エミヤキリツグの娘でも?」

 

「…………え?」

 

 

 

 ――少年は姉妹(かぞく)を救えなかった――

 

 

 

「……っ!」

 

 脳裏に、俺のじゃない記憶が流れ込んでくる。

 これはアーチャーの固有結界が発動していたときに見た、あの物理的な過去の映像だ。

 まるでホログラムのように身近に感じられて、気味が悪かったのを覚えている。

 

 ――だが、今はそれよりも……。

 

「なんでさ。イリヤが切嗣の娘……って言うのは、少しというか、かなり驚きだったけど。……って、ホントにそうなの!? ――――って聞き返したいくらい衝撃だったけど……え、マジか。……って事は、俺とイリヤは兄妹だったって事になるのか……?」

 

「うん。でも、それを言うなら…………姉弟って事に、なるのかな……?」

 

 ……? 姉弟? 姉と弟? ……兄と妹ではなく?

 

「え、イリヤ。おまえ何歳なんだ?」

 

 イリヤの話を全て信じるとして、俺は気になった点を訊いてみる。

 すると壁際から、セラというメイドの人が急に怒鳴り込んできた。

 

「ちょっとそこのあなた! イリヤお嬢様に失礼ではありませんか!」

 

「え、えぇ!? す、すみませんでした……あぁいや確かに、女の子に年齢を聞くのは失礼……?」

 

「なんでそこで疑問形なのですか!」

 

「もう、セラ。別にいいから黙ってなさい。……えぇ、シロウ。わたし、実はシロウよりも年上なんだよ? それに、そんなに驚く事ないじゃない。だってシロウ。昼間見たアーチャーの過去で、全部知っちゃったんでしょ?」

 

「……だから、話してくれる気になったのか? アーチャーの過去を見て、イリヤが俺の姉だと知ってしまったから、こうして……?」

 

 ――俺は目を覚ました時から、アーチャーの過去については、あまり深く考えないようにしていた。

 その中にセイバーの真名だとか、――と――が変わり果ててしまった姿だとか、そういうのを思い出したくなかったから、俺はそれを封印しようとしていた……。

 

「そうよ。だってシロウ。夕飯は露骨にわたしの顔を見るのを避けてたじゃない」

 

 あ。いや、あれは、ちがくて、だな……。

 

「だから。シロウの方から訊いてこないなら、もう全部打ち明けちゃおうかなって……」

 

「そうだったのか。……もしかして、後悔したか?」

 

「え? ううん。だってシロウ。わたしはシロウの家族だって、ハッキリ言ってくれたから!」

 

 その、過去の何かを振り切った悲哀と、嬉しさの顔つきが、ひどくいびつで……。

 

「――イリヤ。もし良かったら俺の家に来ないか? あそこの暮らしと比べたら、ここのお城の方が良いかもしれないけど……それでも俺はイリヤと一緒に暮らしたいと思っているんだ」

 

 ――アインツベルンと衛宮切嗣の確執。

 それをまるっきり無視して……否。解消も無視も何も、それは俺とイリヤには、なんの関わりもない事なんだから、何も変な言い分じゃない。

 

「……それじゃあさ。今からでも良いから。わたし、シロウと一緒にどこか遠くに行きたいな……」

 

 ――――あぁ。ごめん。イリヤ。残念だけど、その話は聞けない。

 

 だけど、イリヤが聖杯戦争自体を投げ出して、俺と一緒に逃げても良いと言ってくれるような、本当は戦いなんてしたくない女の子だってのが判った。それだけで俺は嬉しかった。

 それでも俺は、イリヤという少女を戦場に連れ立って行かなければならない。

 

「ごめん、イリヤ。それは無理な相談だ。俺にはイリヤだけじゃなくて、桜もいる」

 

 果たして、この選択は正しかったのか。

 俺には妹のような姉がいた。かたや妹のような後輩は、いま彼女が生き続けているせいで街の人々は死に絶えている。

 

 ……俺は家族を守ると誓った。どちらも血はつながっていない。血縁なんて関係ない。

 ただ、人としてのつながりを俺は尊んだ。

 

「――うん。シロウなら、きっとそう言ってくれると思ってた!」

 

「うわっ!」

 

 突然イリヤは、俺の胸に飛び込んでくる。

 おいおい、机を踏むのは行儀が悪いぞ……?

 

「それじゃあ、イリヤ……?」

 

「うん。今日はちょっと動けないから、お引越しは明日にしよう?」

 

 ……動けない?

 そのセリフが少し気になったが、きっと昼間の戦闘で疲れているのだろう。

 

「判った。それじゃあ、そういう事で。話はもう終わりか?」

 

「あ……えっと。……シロウはさ、わたしのこと、もっと知りたい?」

 

「もっと? もっと何かあるのか……?」

 

「うん。例えば――――わたしって、本当は人間じゃないのよ……?」

 

 ふと、イリヤはバーサーカーに俺を襲わせた時のような、邪悪な笑みを浮かべる。

 それにしても、人間じゃないとはどういうことで?

 俺はアーチャーの過去を探ってみる。探ってみるとは言っても、いきなりヒトの生涯を全部見せられたから、そこまで色んなことを同時には覚えられないと言いますか……。

 

「えへへ。正解は、ホムンクルスでしたー!」

 

「え! ……えーっと、それはつまり?」

 

 俺の切嗣は、ホムンクルスだった――? って、そんな事あるわけない。

 となると?

 

「キリツグは人間だよ? ただ、わたしのお母様が前のホムンクルスだっただけ。あっ、ちなみにセラとリズも双子のホムンクルスなんだよ」

 

 ――なんと。

 普通は驚くべきところだが、アーチャーという最大のネタバレを食らっているため、そんなに驚かない驚けない。

 それから俺は、次々とイリヤに真実を伝えられる事で「あぁ、そう言えばそうだったな」という奇妙な体験を連続して味わった。

 

 

 それはまるで、未来の情報を今、思い出しているような、本当に奇妙な感覚。

 これは正夢? デジャブ? そのどれにも似ているようで、若干違うようにも感じられた。

 とにかく未来を思い出す、なんて変な言葉が似合うくらいの不思議な体験だった。

 

「それでね。極めつけは、なんと! イリヤスフィール・フォン・アインツベルンその人は!」

 

「その人は?」

 

「せ・い・は・い・なのでしたぁっ!」

 

「――――聖杯?」

 

「そうだよ。厳密には小聖杯の器がわたしなの。英霊という魂を回収する器でもある」

 

「――――っ……えっと、つまりイリヤは、そうか。確か魂を回収しすぎると人間としての機能を……だからさっき魂四騎分とか言って、疲れた顔をしていたのか」

 

「うん、そだよ。すごいね、シロウは。名称を言うだけで説明できちゃうなんて!」

 

「いや、だからそれはアーチャーの過去を全部見たせいであって……」

 

 もうほんと。アーチャーが生前何度風呂に入ったかだとか、どこのホテルのシェフとメル友になったのかだとか、つまるところ全部とは文字通り全部という意味だ。

 そういったものを見てしまったんだから、覚えきれていなくとも、名前を出されて思い出す事もあるということだ。

 

「あぁ。そっか。そだね。……でもシロウ。アーチャーは、シロウとは違うよ」

 

「……あぁ。判ってる。他人の人生を逆しまに追体験しちまったんだ。だからイリヤは、俺自身がアーチャーだと錯覚しないように気をつけろって言いたいんだろ?」

 

「うん。判っているならいいの。だから、同じ未来にもならないから、わたしを見て気に病まなくてもいいんだよ?」

 

 ――――それは、アーチャーが救えなかった姉妹のことを言っているのか。

 あの固有結界の中にはイリヤもいた。だからイリヤも、自分の成れの果てを見てしまっている。

 ……まったくアーチャーのやつ。イリヤにあんなものを見せて、気をつけろとでも言いたいつもりだったのか?

 

「……イリヤお嬢様。そろそろご就寝の時間です」

 

「え? もうそんな時間なの?」

 

 時計を見る。時刻は九時を回っていた。なかなか健康的な睡眠サイクルで……。

 

「……! うん! それじゃあシロウ、いっしょに寝よう?」

 

「よし、それじゃあ俺はおいとまするから……」

 

 ――――?

 いま、イリヤおねえさまは、いったい、なんとおっしゃっられたのか?

 

「…………だめ?」

 

 その愛玩動物が上目遣いで主人を射殺すような眼っ!

 デビルだぜ……。こいつぁバーサーカー並みのデビルだぜ、このしろいあくまは……っ!

 

 ――――待て、小さい女の子相手にこんな……というか妹、じゃなくて姉相手にこんな……いや、待て、この記憶はなんだ?

 スポンジ? うわああああああ連想とかアーチャーの野郎!

 

 頭を抱えて恥ずかしい過去にもだえる。

 それは衛宮士郎自身の過去とアーチャーの過去で二度おいしいじゃなくて二度すっぱい!

 

「う……ぐ……俺、こんなキャラだったっけ…………?」

 

 ――なんだろう。何か、このあとかなりやばい展開が待ち受けている気がする……。

 

「……ねぇ、シロウはわたしと一緒に寝たくないのー?」

 

「いや、そういうんじゃないぞイリヤ。ただな、これは……」

 

 これは、俺が勝手にドキドキしているせいだ。

 そう、イリヤのせいではない。

 俺がまだまだ修行不足で精進が足りない未熟者なせいなんだ。だから許せ、イリヤ……。

 

「……シロウ?」

 

「うぐっ――――」

 

 どうする?

 俺は、俺は――――

 

 

 

 

 

『イリヤと一緒に寝る』

 

『イリヤにドキドキしているから無理だと伝える』

 

 

 

   /了

 

 

 




 最初で最後の分岐が出ました。一方は全年齢対象版。もう一方は十八禁。
 さぁ、十八歳以上の幼女の体に性愛を感じるロリコンどもよ。
 ここは健全に、合法ロリの肉体美に溺死しろ!




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イリヤと一緒に寝る(全年齢対象版)

 俺は――――

 

「判った。イリヤと一緒に寝る」

 

「わーい! やったー! 実はね、シロウ。わたし、家族と川の字になって寝るのが夢だったんだー!」

 

 ……そうか。それは良かった。

 

 

 

 それからお付きのメイド二人は、電気を消したあと寝室を出て行った。

 ちなみに今のイリヤは下着姿になっている。

 いきなり目の前で服を脱ぎだされた時はびっくりして、本当に心臓に悪かった。

 

 いや、イリヤって案外、大胆なんだなって意味で……。

 

 そんなイリヤは、肌が少し透ける白いブラウスを一枚だけ着ている。

 寒くないのだろうかとは思ったけど、ベッドに触れてみたら結構暖かかったので大丈夫だと判断した。

 

 ……俺とイリヤは、一緒のベッドに入る。

 

「ねーシロウー。腕まくらして?」

 

「はいよ」

 

 右腕を差し出して、イリヤの小さな頭がそこにのっかる。

 ……近い。丸くうずくまったイリヤの頭が、だいたい俺の顎らへんに来ている。

 つまり俺の胸に、イリヤの吐息が掛かる形になる。

 

「……おやすみ、シロウ」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 ――はぁ。今日もまたいろいろあって疲れた。

 というかこの頃、毎日がいろいろあったという状況の連続ではないか?

 

「……ふう……」

 

 とにかく全身の気怠い感覚を拭うため、さっさと眠ることに集中する。

 

「…………」

 

 ――すると集中するあまり、なるべく感じないように気をつけていた事が、逆に感じやすくなってしまった。

 それはと言うと、なんとイリヤの寝息が、自分の胸に掛かっているのだ。

 恥ずかしながら、それだけで俺の鼓動は早まっていく――――

 

 ――――はたして、そのままの状態がどれくらい続いただろうか。

 まだ五分? もう十分?

 

「……シロウ。すごいドキドキしてるね」

 

 起きていたのか、イリヤが小さな声で話しかけてきた。

 それからずいっと身を乗り出して、イリヤは自分の体を俺の体に密着させた。

 

 それは抱きついてきたと言ったほうが良い。

 横向きの抱っことでも言おうか。コアラみたいに抱きつく姿は、本当に妹のように愛らしかった。

 

「……ねぇ、シロウ」

 

「……なんだ?」

 

「シロウは、わたしのこと、好き?」

 

「そりゃあ――――」

 

 好き、だけど。……それは、そのまま好きと口にしていいものか判らなかった。

 こういうのは一瞬でも迷ってしまうと、なかなか答えられないものだ。

 そうやって俺が迷うさまを見て、イリヤはくすくすと笑っている。

 

「好きなの?」

 

 ここで嫌いなの? と続かないあたり、イリヤは判って訊いている。

 まったく卑怯だと思うんだが、そういうの……。

 ……だが、ここは兄貴としての甲斐性を見せてやらなければなるまい。

 

「――――あぁ、好きだぞ。俺はイリヤの事が好きだ」

 

「……んっ」

 

 それきりイリヤは黙り込んだ。

 どう受け止めたのかは判らない。判らない以上、俺の勝手な判断で、何かをしてしまうわけにはいかなかった。

 

 ――あくびをして、目を瞑る。

 

 

 

 ……。

 これで、次の日に目を覚ましたら、イリヤと一緒に家に帰るんだ。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 …………――――、

 

 

 

 ――――ふいに、ほっぺにこそばゆい感触を覚えた。

 それがなんであるかに、すぐに気がついた俺は――――

 

「――って、うぇえええい?!」

 

 ガバッと顔だけ起き上がってみる。

 すると枕の上には、身を震わせて笑いをこらえているイリヤの姿があった。

 

「……い、イリヤ……お前、いま――――俺にキスしただろ?」

 

「くっ……ふふふっ……」

 

「まったく。驚かせやがって、この!」

 

「あ! あははは! や、やめてシロウ! ごめんなさーい!」

 

「悪さをするいたずら娘には、こちょこちょの刑だ!」

 

 しばらくじゃれあって、互いの息が切れた頃には、もう俺たちは眠たくて仕方がなくなっていた。

 

「……んぅ。こんどこそ、おやすみなさぁい……」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 そこで俺は最後の仕返しとして、イリヤのおでこにキスをしてから、何事もなかったかのように狸寝入りに入る。

 

「――――――――」

 

 ……ふっ。目を瞑っていても判るぞ。

 今のイリヤは、おそらく赤面しているに違いない。

 そう思うと、本当にイリヤが赤面しているのかが気になったので、ほんの少しだけ目を開き、今のイリヤの様子を確認してみると――――

 

「…………、」

 

 赤ら顔で口を閉じ、瞳孔は見開いていた。

 それは、極度の羞恥を表している。

 

「――――ぁ」

 

 さらに心なしかイリヤの体が熱くなっている気がして、トクットクッと、小さな鼓動も聞こえているような気がした。

 ……そんなイリヤの体を、優しく抱き寄せる。

 

「ぁ――シロウ……」

 

 これで思う存分、お互いに恥ずかしがった。もう遠慮する事は何もない。だって家族なんだから。

 あとは、本当の家族のように。兄妹姉弟、仲良く眠りに就いて、一緒に朝日を拝むだけだ――――

 

 

 

   /了

 

 

 




 甘い。
 いえいえ、健全なじゃれあいです。他人に見せられないようなじゃれあいでも、全く以て健全です。
 というか、兄妹や姉弟のプロレスって、大体こんな感じでしょう?(兄妹喧嘩をしたことがない人感)




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幕間3(18禁)

 俺は――――

 

「すまんイリヤ。俺、イリヤにドキドキしているから一緒に寝るのは無理だ。たぶん大変な事になる」

 

 主に俺が、と。

 そう口から衝いて出た言葉は、あまりにも正直すぎた。

 

「――ど、ドキドキって……」

 

 それから赤面するイリヤ。珍しく頬を赤く染めて俯いて、

 

「な……何を言うかと思えば、ほ、ほんとに何を言ってるのよシロウはぁ!?」

 

「えっ……えぇ!?」

 

 その思わぬイリヤの動揺に、俺も同じく釣られて、たじたじになってしまった。

 

「……ところでお嬢様。バーサーカーの魔力供給の件は、如何するおつもりで?」

 

「な――――セ、セラ、いま、いまのわざとでしょっ!」

 

 ……ん? なんだ。なんか身に覚えのある、いやな単語が聞こえてきた気が……。

 

「実はですね、エミヤ様。今のお嬢様は気丈に振舞っておられますが、その実、大変魔力に乏しく、下手をすれば命の危機さえあるのです」

 

「――なんだって?」

 

 どういう事なのかと、セラというメイドさんに振り返る。

 

「あ、あの、シロウ違うの! 別にこれは何もしなくても大丈夫で――」

 

「馬鹿。セラさんは命の危機があるって言ってたじゃないか! ……で、それを俺に伝えたって事は、俺ならイリヤのために、何かできる事があるって事だよな……?」

 

「その通りです。現に、このお城にいる男性は貴方しかいませんから」

 

「あ、あわわ――――!」

 

 ……? 男性? それの何が重要なのか?

 

「んーと、すまない。もっと判りやすく教えてくれないか? 例えば、なんで命の危機の状態にあるのかだとか、どうすればそれをなんとかできるのだとか……」

 

「それは。いま、イリヤの体には魂が四つあって、それだけでイリヤは大変なのに。バーサーカーのせいで、もっと痛いの。だからイリヤには、魔力が必要なの」

 

 そのリズさんの説明で――――うん。

 つまりこれ、要するにアレだな?

 

(妹との魔力供給――――ではなく、姉との魔力供給。何か背徳的なものを感じるわね……)

 

 別にキャスターの感想とか要らないから!

 ってそうだ。なんで俺は毎回キャスターがすぐ後ろにいるのを忘れてしまうのかっ!?

 

「ちょ、ちょっと待ってください。お、おいイリヤ。別にそれって急な要件じゃないんだろ――――?」

 

 ふと、後ろに振り返ってイリヤの顔を見る。

 

 

 

 ――――それで、俺の理性は打ち砕かれた。

 白い髪で顔を隠し、だけど隠しきれないでいる頬が燃えるように赤くなっていて、イリヤは両手で力強くスカートを握り締めていた。

 それだけで俺は、イリヤが何を想像しているのかが判ってしまって、同じくものすごく恥ずかしくなる――――

 

「――っ。い、イリヤ。その、別に俺はイリヤをそんな眼で見ていないからな?」

 

「じゃあなんでさっきドキドキしてるとか言ったの?」

 

 ――!? 急に冷たい目つきで俺を睨みつけてきたイリヤ。

 あれ? もしかして、すごい怒ってらっしゃる? なんでさ?

 ……う~む。ここで一句。女心は分からぬは、夏の日和と秋の空。

 

「…………おにーちゃん?」

 

 ――――ジーザスあざといッ! あざといよっ!

 天は我を見放した! ヤバイ! このルートを通ったからには絶対に道場に逝けない!

 逝ったら物理的に別の意味で逝っちまうどこぞの虎に逝かされちまう!

 地獄で待ち構えるやつらに地獄送りにされちまう――――!!

 

「ふんす……! ふんすふんす……! し、シロウ? わ、わたしは、別に……良いよ?」

 

 あれ? もしかして鼻息荒くなってますかイリヤさん!?

 

「待て待て待て! 第一それは犯罪だろうが!」

 

「え? 別に犯罪じゃないよ? だってわたし、もうお酒飲める年だもん」

 

「なんでさ!?」

 

 逃げ道なしとな!!

 リズという人はドアの側に立って退路を絶っているし、セラという人はイリヤを抱き上げて、布団の上にそっと置いたりしているし……!

 

「さぁエミヤさま。準備が整いました」

 

「待て、待ってくれセラさん? こういうのは、その、勢いで行ったらあとあと後悔するもんだと相場が決まっておりましてだな……」

 

「なにをおっしゃりますか。血も繋がってないので無問題です。モーマンタイです」

 

「もーまんたいー」

 

「えぇ、リズの言う通りです。……それにメイドからもお願い申し上げます。どうかイリヤお嬢様に魔力の提供を……」

 

「おねがいー」

 

 そ、そんな頭下げられてもだなぁっ!

 

「――ふふふっ。……シロウ、冗談だよ。まったく可愛いんだから」

 

「……え? ……えぇ?」

 

 いや、今のはからかわれたことに対するええ? だっただけで、別に残念だった意味ではもちろんないとも――――

 

「ねぇシロウ。わたしね? ……ほんとは家族で川の字に寝るのが夢だったんだぁ……」

 

 ――――――――。

 ……ったく。それを最初に言えっての。恥ずかしがっていた俺が馬鹿みたいじゃないか。

 

「ほらよ」

 

 ダブルベッドでイリヤの傍らに寝そべる。

 

「えへへ。近いね?」

 

「ばっ――ふ、ふんっ。もうからかわれてやんないぞ」

 

 動けないイリヤの代わりに毛布を掛ける。

 

「ねーシロウー。腕まくらして?」

 

「はいよ」

 

 右腕を差し出して、イリヤの小さな頭がそこにのっかる。

 ……近い。丸くうずくまったイリヤの頭が、だいたい俺の顎らへんに来ている。

 つまり俺の胸に、イリヤの吐息が掛かる形になる。

 

「……おやすみ、シロウ」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 するとメイドの二人が電気を消してくれた。

 ……だが、ドアの開く音がしない。いや、まさか。聞き逃しただけだろう。実際に静かだし。誰もいないはずだ。

 ……しかし、ちょっと気になったので、少し顔を上げて部屋を見てみると――――しっかりとセラさんとリズさんが、じっと暗闇の中で目を光らせていた。

 

「っていや、怖いなおい!」

 

「お気になさらず。私たちはきちんと見届けなければなりませんから」

 

 何を!?

 ……それでも一向に去る気を見せないメイドさんたち。

 それを前にして、俺はもう疲れていたのもあり、色々と諦めた。

 

 ……俺の腕の中に、イリヤがいる。

 数日前では考えられない状況だった。

 

「…………」

 

 イリヤの寝息。それが自分の胸に掛かる度に鼓動が早まる。

 ――――そのままの状態が、どれくらい続いただろうか。

 まだ五分? もう十分?

 

「……シロウ。すごいドキドキしてるね」

 

 ふと、起きていたのか、イリヤが小さな声で話しかけてきた。

 それからずいっと身を乗り出して、イリヤは自分の体を俺の体に密着させた。

 それは抱きついてきたと言ったほうがいい。

 横向きの抱っことでも言おうか。コアラみたいに抱きつくさまは、本当に妹のように愛らしかった。

 

「……ねぇ、シロウ」

 

「……なんだ?」

 

「シロウは、わたしのこと、好き?」

 

「そりゃあ――――」

 

 好き、だけど。……それは、そのまま好きと言っても良いのか判らなかった。

 こういうのは一瞬でも迷ってしまうと、なかなか答えられないものだ。

 そうやって俺が迷うさまを見て、イリヤはくすくすと笑っている。

 

「好きなの?」

 

 ここで嫌いなの? と続かないあたり、イリヤは判って訊いている。まったく卑怯だと思うんだが、そういうの……。

 つまりイリヤが訊いている事は、家族として好きなのか……あるいは、女として好きなのかって事だ。

 

「――――あぁ、好きだぞ。俺はイリヤの事が好きだ」

 

「……んっ」

 

 それきりイリヤは黙り込んだ。

 どう受け止めたのかは判らない。判らない以上、俺の勝手な判断で、何かをしてしまうわけにはいかなかった。

 

「……………………」

 

 まるで拷問だ。

 くそっ。どうして俺は、こんな最低な男になってしまったんだ……。

 

「…………っ」

 

 別に俺は、本当にイリヤのことを可愛い妹のように思っていたはずだ。

 そのあとで実は姉だったとか、そういうのは関係ない。

 大事なのは家族とか以前に、俺がイリヤをどう思っているかだ。桜だってそう。傍から見たら、それこそ桜は赤の他人だ。

 それでもずっと俺の家に通ってご飯を作ってくれて朝晩を共にする……本当に家族同然の存在なんだ。

 

 それと同じで、イリヤだってキリツグとの関係を無視したって、俺は、別に……。

 

「――シロウ。我慢しなくても良いよ。わたしは、どっちでも良いから――――」

 

「――――っ!」

 

 

 

 ……その言葉で、俺は獣に成り下がった。

 ぎゅっと、その小さな体を抱きしめる。

 

「ぁ……シロウ――」

 

「ごめん。イリヤ――」

 

 そのまま彼女を下にして、俺はイリヤに覆いかぶさるように位置を入れ替えた。

 

 …………。

 暗くても判る。今のイリヤは顔が真っ赤っかだ。

 さらに息も荒くなっていて、呼吸するときに胸が上下するのが――――なんというか、すごく艶かしく感じられた。

 

 

 

 

 

              ――――(third person)――――

 

 

 

 

 

 暗闇の寝室。

 天蓋付きのベッドの上で、体を重ねる義兄と義妹。

 部屋の隅にはメイドのセラとリズが佇立しており、事の成り行きを見守っている。

 

「ぁ……シロウ――」

 

 暖かい毛布の中で、義姉弟が身を寄せ合う。

 

「ごめん。イリヤ。……どうやら俺、イリヤのことが好きみたいだ」

 

 それが今、暑い吐息で抱き合う男女となった。

 

「うん……」

 

 頷いたイリヤの胸元に、士郎の指先が這う。

 あるかないかの谷間。そこに親指と人差し指が触れたのか、触れてないのか。

 イリヤは目をギュッとつむり、思わず息を止める。

 

 紐解かれる若紫のリボン。

 寝たままの状態で、士郎の手によって脱がされる紫のブラウス。

 

 その下にはイリヤの白い下着姿があり、幼い少女の鎖骨があらわになる。

 さらに下ろされる白いスカート。垣間見えた白紫の下着。

 

 士郎によって就寝時の寝間着姿にされたイリヤは、赤らめる頬でつと呟く。

 

「ぁ、シロウ……その前に、起こして?」

 

 両手を広げ、イリヤは抱っこの合図を出す。

 持ち上げられる小さな体。

 枕の上に落ち着いたイリヤは、動けない身であることから、さらなる脱衣を待つ。

 

 揺れる銀の髪。ロイヤルな白い下着の肩紐は緩く、既に片方の肩紐はほどけている。

 幼い体。色好い肌。頬を染める色は強く、視線は彷徨い、焦点を定まらせない。

 

 恥じらうイリヤの肩に手を伸ばす士郎。

 両肩の紐が降りて行き、それに連れてイリヤの胸元がさらけ出される。

 

「っ……は、恥ずかしいよ……シロウ……」

 

 慙死を極まらせる羞恥を受けて、イリヤは動揺するあまり、その声色と口調を幼い頃に戻してしまう。

 それが引き金になったのか。士郎は一気に肩紐を下ろし、イリヤの上半身を裸にさせた。

 

 次に士郎は、細いくびれより下に手を這わせ、白紫の下着を脱がそうとする。

 同時に、イリヤの体を引きずるように下ろして、再度仰向けにするよう寝かせる。

 最後にイリヤの生脚から下着を脱がして、士郎はうまいこと脱衣と仰臥位を両立させた。

 

 シーツの上に銀の髪を散乱させ、裸のまま仰向けとなったイリヤ。

 両手を顔の横に置き、何もできないまま士郎を見上げる。

 一方、士郎は情欲そそる妹の裸を見て、やおら己の衣服を脱ぎ出した。

 

 イリヤの上に、士郎が覆いかぶさる。

 最初はほのかな口付けを交わして、徐々に士郎は体重を預けていく。

 重みに苦しむイリヤ。高まる鼓動に吐息を漏らし、その息遣いは大きなものへと変わっていく。

 

 鼓動の激しさが胸をはさんで推し量られる。互いの興奮は同じなのだと、少年少女は互いに抱き合う。

 何度も繰り返される愛撫と接吻。体を求めることはなく、二人はただ、共に在れることを優先していた。

 

 それが数分続き、これからも続くと思われたところで、違う行動に出たのはイリヤだった。

 士郎と唇を重ねたとき、いたずら心で舌を入れる。

 すると士郎は、それを倍で返すように、イリヤの舌を巻きとっていく。

 

「んっ……」

 

 それはイリヤが出した、初めての喘ぎ声。

 エスカレートしていくフレンチキス。

 情熱的な舌入れは、やがて別の口の声を出す。

 

「ぁ……」

 

 不意に、イリヤは股を閉じようとする。

 しかし、イリヤの股には士郎の片脚が挟まっており、完全に閉じることができない。

 

 それは偶然なのか。否、彼は狙ってやっていた。

 愛撫と接吻を繰り返しながら、士郎は準備をしていたのだ。

 

「どうしたんだ、イリヤ?」

 

 士郎は身を離すと同時に、イリヤの股下に膝をこすらせるようにして起き上がる。

 

「ふぃっ――――!?」

 

 唐突に感じられた花瓶の快感。

 それに目を見開くイリヤは、すぐにそれが士郎の仕業だと気づいたのか、頬を膨らませる。

 

「も、もー……シロウの、いじわるっ!」

 

「ごめん。もうやらないよ」

 

「え…………や、やっぱり、たまには、していいよ?」

 

「そうか。なら遠慮なく」

 

「あ……」

 

 イリヤの大腿に這わされた両手。

 開脚を促した士郎の前に、濡れた花が顔を見せる。

 

 そこに、既に長剣と化していた士郎の武器が、力強く挿入された。

 

「っ……ぉ、おおきい、よ……」

 

「これでも普通だぞ? まぁ、イリヤはちっちゃいからな……」

 

 ゆっくりと、やさしく、花の周囲をなぞるように、先端をねじ込んでいく。

 

「は、はぁ……ん……は、はんっ……ぃ……いたぃ、よ……」

 

 それに連れてイリヤの腰が浮いていき、パクパクと開閉する口から可愛らしい喘ぎ声が上がる。

 

「……っ」

 

「……シロウ?」

 

 だが、そこで士郎の動きが鈍った。

 次第にぎこちなくなる体動。

 体が硬直でもしているのか、士郎は苦しそうに身揺らしをやめる。

 

「シロウ? 大丈夫?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だと……思、う……」

 

 そう言った途端、士郎は全身の力を失って、イリヤの体に倒れこんだ。

 

「し、シロウ……!?」

 

 慌ててイリヤが抱き支えるも、逆に士郎の重みに押しつぶされそうになる。

 その時、今まで部屋の片隅で様子を見守っていた、二人のメイドが動いた。

 

「……どうやら見たところ、魔術回路の励起状態の問題で、一時的に全身が麻痺を起こしているようですね。両腕は少しだけ動かせるようですが、全身が脱力している。おそらく相当な疲労が溜まっていたのでしょう」

 

「どうする、の? 魔力、供給」

 

「そうですね……今のイリヤお嬢様は全身を動かせない状態ですし、エミヤ様も全身麻痺。これでは魔力供給ができません」

 

「それ、じゃあ、手伝う?」

 

「そうするしかありませんね。リーゼリット。貴方はイリヤお嬢様を。私はエミヤ様を担当します」

 

「わかった。私のほうが、イリヤと同調できる。それじゃあ、脱ごうか」

 

 帽子を取り、下着姿となって、ベッドに上がるメイドがふたり。

 かたやお淑やかな身なりで、束ねた総髪を下ろすメイド、セラ。

 かたや豊満な身なりで、髪にウェーブを持たせたメイド、リズ。

 

 そしてセラが士郎を、リズがイリヤを抱き起こして、四人は情事を再開する。

 

「えっと……あの。これは、どういう……?」

 

「エミヤ様が不甲斐ないばっかりに、私たちが手伝うことになったのです。ほら、早くイリヤお嬢様の上に……」

 

 座しているリズの胸元を枕にして、イリヤは仰向けになっている。

 そこでセラに背中を押された士郎は、対面するイリヤと体を重ねて、再度その中に剣を挿入する。

 しかし前倒しになる体が勢い余って、士郎はリズの谷間に顔を突っ込ませてしまった。

 

「ふがっ!?」

 

「うわぉ」

 

「ちょっと、貴方!」

 

 即座にセラによって持ち上げられる士郎の体。

 それで花の中から剣が引き抜かれてしまい、イリヤは再三の中断に、やや不機嫌となる。

 

「ち、ちょ……いま、軽く、窒息死しそうになったぞ?」

 

「はぁ……ままならないものね。もっと熱いアプローチを期待していたんだけど」

 

 そこでセラは、ハッと息を呑んだ。

 ――――まずい。ここでふたりが萎えてしまえば、魔力供給が叶わなくなる。

 

 それに、このような介護じみた真似をしていては、イリヤお嬢様のご要望を叶えられない。

 ならばどうするか。無論、剣は突き立てたままで、お嬢様をもう一度その気にさせるしかない。

 そうするための具体的な策は、一見それは無意味なものに見えるが、とても過激で、如何にも斬新な……。

 

 ――――キュピーン、と。セラの片目が閃く。

 

「分かりました。エミヤ様。イリヤお嬢様。ここは私にお任せを。いい考えがあります」

 

『……?』

 

 セラ以外の三人が首をかしげる。

 一体セラは何をするつもりなのか。それを彼女は、簡潔に説明する。

 

「結論から申しますと、イリヤお嬢様とリーゼリットの痛覚を同調・同期させます。そしてエミヤ様には、私とともに……その、はい。リーゼリットと夜の営みをしてもらいます」

 

「おう。私?」

 

「えぇ。ですから、リーゼリットとイリヤお嬢様は並んで横になってください」

 

 そう言われて、イリヤとリズはふたり並んで仰向けになる。

 かたや士郎はリズの前で膝立ちとなり、セラによって背後から両脇をがっしりと掴まれていた。

 

 そして、イリヤとリズの同調が開始される。

 するとイリヤの全身が魔術回路の光を帯びて、リズと手をつなぐことにより、ふたりの下腹部に令呪の紋様のような痕が生成された。

 

「では、エミヤ様。リーゼリットを」

 

「い、いや……ちょっと待ってくれ。魔力供給の件って冗談じゃなかったのか……? それに、なんだかトントン拍子で話が進んでいるが、リズさ……リーゼリットさんの意思はどうなるんだ?」

 

「私? 私は、イリヤがいいのなら、それで、いい」

 

「そうね。なんだかセラの考えも面白そうだし、私は別に構わないわ。……それに、お兄ちゃんに犯されるリズの顔を見てみたいのもあるし?」

 

 途端、イリヤは小悪魔フェイスを作り、リズの腕に抱きつく。

 

「な、なんだか奇妙な展開だな……」

 

 何か背徳的なものを感じるのか、士郎は腰を引かせる。

 だが、その臆病さを許さないセラが、引いた士郎の腰を叩き、無理やり行為を促した。

 

「ほら、エミヤ様!」

 

「うわっ!?」

 

 ――ドン、と背中を押された士郎は、再度その豊満な肉体美に、己の顔を溺れさせる。

 直後、イリヤは自身の胸に何かの感触が当たったのか、興味深そうに自分の胸を見下ろしていた。

 

 リズの上にかぶさる士郎。士郎の背中に胸を付け、その体を持ち上げるセラ。

 そこで、顔の近い士郎とリズの目があった。

 

「私に惚れるなよ、べいびー」

 

「――えっ? あ、いや……」

 

 虚ろな瞳。端正な顔立ち。

 無垢なる乙女の塊であるリズと顔を近くさせて、士郎の頬が熱くなる。

 

 熱を取り戻した少年の肉体。

 最初に彼がしたことは、目の前の乙女の唇を奪うことだった。

 

「ひぁ……っ!」

 

 傍らにいるイリヤが喘ぐ。

 彼女は何もされていないが、口を半開きにせざるを得ない。

 

「ふゅ……っ!」

 

 その口元が僅かに歪む。

 鮮やかな色をする小さな舌が、何かに巻き取られるように口内を廻る。

 

「ふにゅ……っ!」

 

 盛り上がった乳房をまさぐる士郎。

 直後、イリヤは中指と薬指で、己の乳輪の外回りを守る。

 

 ――垂れていく虚ろな目元。気づけば両腕は首に周り、無垢なる乙女は追求を覚える。

 されど少年の体は後ろに引かれる。

 背後に居る女性から、接吻も愛撫も不要だと、本番に移れと強制される。

 

 ――伸ばした両腕。それを少年に取ってもらえた乙女は、傍らにいる少女のために苦痛を買う。

 

『あ――――っ!』

 

 少女たちの声が重なる。

 突き出されるは一本の剣。

 喘ぎ出されるは二つの声。

 

 乱れる髪に、揺れる胸。乙女の肉体は充実の快楽に跳ね上がる。

 対する少女は蠕動する。耐え切れない虚無の快楽に、その身をくねらせ、うごめかせる。

 

「は、は、はっ、はんっ、はんっぅ!? ……し、シロ、ウ……さ、さびしい、よ……っ」

 

 傍らで打ち合う男女の踊り。

 それに合わせて少女は独り、陸に打ち上げられた魚のように踊り狂う。

 やがて銀髪の少女は、しゃくり上げるようにして起き上がり、少年のもとに全身を震わせながら這い寄っていく。

 

 手指をシーツに這わせれば、中指以外が跳ね上がる。

 膝をシーツに滑らせれば、股下の連撃に腰が曲がる。

 

 それでも少女は健気に進み、少年の片腕に辿り着く。

 されど少年は、乙女の体を犯すことのみに集中する。

 

 言い切れない哀愁を感じた少女は、その耳たぶを舐め始めた。

 

「あむっ……ふむっ……シ、ロウ……こっちを、見て……?」

 

 猛り狂う少年の肉体。

 対する少女は、乙女の腹を跨ぎ、少年の前に躍り出た。

 

 少年の体は、乙女と正常位にある。

 されど少年の前には、少女の淫るる顔がある。

 

「イリヤ……っ!」

 

 士郎の背中に抱きつき、その体を固定させるセラ。その両腕は士郎の脇を通り、男らしい胸元に回っている。

 士郎の前身に抱きつき、その首に手を回すイリヤ。その股下はリズの腹を跨いでおり、今にも絶頂を迎える。

 士郎に両腕を掴まれて、その剣を受け入れるリズ。その虚ろな瞳は輝いており、腰は大きく仰け反っている。

 

「ぁ――――はぅうんんっ――――!?」

 

 そして少年の白波立つ精液の奔流が、リズの中に解き放たれた。

 その感触のみを体感するイリヤは、溺死不可避の悦楽に昇天する。

 

 直後、イリヤとリズの淫紋が輝き出す。

 おそらく魔力へと還元された精液が、全てイリヤの中に流れ込んだのだ。

 

「――――――――」

 

 息を整えるイリヤ。

 次いで銀髪の少女は、ゆっくりと桜色の瞳を見開き――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――もういっかいっ。シロウ?」

 

 あざとく“おねがい”をした。

 

 

 

   /了

 

 

 




 ジーザスあざとい! あざといよォ! イリヤァアアアアアアアアアアア!



 ――――ちなみに拙者のカルデアにおける秘蔵のサポート編成Ⅲ「サポート名:~ここが楽園か~」は、アナ(忠犬待ったなし)、セイバー・リリィ(ピュアリー・ブルーム)、エウリュアレ(英霊正装:エウリュアレ)、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィまたは清姫〔ランサー〕またはワルキューレ〔オルトリンデ〕(サマー・リトル)、マリー・アントワネット〔ライダー〕またはアン・ボニー&メアリー・リード(プリズマコスモス)、マリー・アントワネット〔キャスター〕(蒼玉の魔法少女)、ステンノまたはカーマ(ウィッチズ・キッチンまたは夏の閻魔亭)、清姫(恋談火焔行)、シトナイまたはアビゲイル・ウィリアムズ(緑の破音)です。

 そして拙者には、一度の夜で絆マックスの彼女たちのマイルームを全て回り、全員の相手をしなければならんのです。
 それがマスターの仕事なのです。マシュとカルデアスタッフの目が痛くても気にしないのです。

 ……流石に後半は冗談です。

 実は拙者、アステリオスと親友みたいにバカができればそれだけで幸せなんです。




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二月十日

 朝。

 まどろみの中、腕に確かな暖かさを感じながら目を覚ます。

 俺の腕の中には、心地よさそうに眠っているイリヤがいた。

 

「……おはよう、イリヤ」

 

 吐息が胸に掛かる。それくらい近い。というか密着している。

 何故こんなにも近いのかと疑問に思うと、同時になるほどと思った。

 どうやら俺がいつの間にか、イリヤと共有している布団を独り占めしてしまっていたらしい。

 眠りの中の無意識だったとはいえ、悪い事をしてしまった。

 

「……むっ。さむいよ、シロウ……」

 

 だからイリヤは暖を取ろうと、俺に擦り寄ってくる。

 

「――っ。す、すまない、イリヤ」

 

 まだ眠たそうにしているイリヤ。

 俺としてはそのままにしてあげておきたいが、そうも言ってられない。俺の腕はイリヤの頭に固定されているし、体だってイリヤの手が回っている。つまり身動きがとれないのだ。

 さらに、その……健全な青少年の朝は色々とあるもので……あれ、これ結構やばいんじゃ?

 

「い、イリヤ、ちょっと……」

 

 まずい。まずい。何がとは言わないがまずい。

 自由な左腕を使ってなんとかイリヤを引き剥がそうとする。よし、これなら――――

 

「ぅ……」

 

 ――これなら……ダメだった。

 優しくイリヤの頭をすくい上げて、枕となっている俺の右腕を救い出してやりたかったのだが、なんとイリヤはその腕枕をガッチリと両の手の平で掴んでしまったのだ。

 さらに俺の腕に手を回して、胸にまで抱き寄せて……!

 

「ち、ちょ、イリヤ……!」

 

 静かに優しくゆっくりと、しかし急いで腕を引き抜こうとする。

 なんとかイリヤの絡めとりから逃れて、いざ脱出!

 だが、今度のイリヤは俺の裾を掴み取って、断固として離れるのを許さなかった。

 

「……って、イリヤ。起きてるだろ、それ」

 

「――ふふっ。おはよう、シロウ!」

 

 その朝一番の目覚まし笑顔。

 

「おはようイリヤ。それじゃあ顔を洗いに行こう。それから朝飯食って、」

 

「お引越し、だね?」

 

 俺たちは家族になったんだという了解を交わして、ベッドから起き上がる。

 

 

 

 それから俺たちは洗顔を済ませて、朝飯のために食堂に赴いた。

 食堂で遠坂と合流し、朝食を取りながら、今後の方針について話す。

 

「わたし、これからは士郎の方に付くから」

 

 開口一番。そんな事を言ってきた遠坂。

 

「……はい?」

 

 その言葉に、俺はまだ起きたばかりで頭が回っていない事もあってか、自分でもどうかと思うくらい素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「……だーかーらー。わたしはもうアーチャーを失ってマスターじゃなくなったの。それでもわたしは冬木の管理人として、遠坂の現当主として、今回の聖杯戦争は放っておけない。だから少なくとも、黒幕だろう間桐臓硯と敵対している衛宮くんにつくのは、あながち間違っていないんじゃなくて?」

 

 ……あー。その、つまり?

 

「つまり遠坂は、俺たちの味方になってくれるって事か?」

 

「そうよ。わたしは出来る限り士郎をサポートするから、大船に乗った気でいなさい。……それでも勘違いしないで欲しいのは、わたしはまだ桜の事を諦めたわけじゃないって事ね」

 

 ……それは、桜を助けるという事を、ではなく。

 桜を殺す事だと、遠坂の眼光に射抜かれて理解した。

 

「言っとくけど遠坂。そんな事は絶対にさせないぞ。姉たる者が妹を殺すだなんて言うなよな」

 

「はぁ……。そんなのいちいち言われなくても判ってるわよ。今のはただ、わたしのスタンスを明示しただけだから。不意打ちで桜を殺すつもりなのかとか、そういう事は考えなくてもいいから!」

 

「遠坂、不意打ちするのか?」

 

「…………。それで、残るサーヴァントは士郎のキャスター、桜のライダー、イリヤのバーサーカー、間桐臓硯のアサシン。そして殺られたはずのセイバーが間桐臓硯の手駒としてある。――あと、ガッツについては論外で進めるわ」

 

 ……なんか無視された。

 どうやら俺はまだ本調子ではないらしい。それでも今の遠坂の話の中で、一つ気付いた事があった。

 

「なぁ遠坂、おまえ、ガッツの事を知っていたのか?」

 

「えぇ。前回の聖杯戦争で、いっときでも一緒に死線をくぐり抜けた元仲間ですもの」

 

「な――っ! ……ええっ?」

 

 前回、一緒に戦った、元仲間……?

 

「と、遠坂。聖杯戦争に参加するのは、今回が初めてじゃなかったのか!?」

 

「もちろん初めてよ。マスターとして戦うのはね?」

 

 ……うわっ。なんかすごい言葉のマジックを聞いた気がする。

 

 俺が聖杯戦争に巻き込まれた夜。

 遠坂が魔術師だと知って、それから親身に聖杯戦争の事を説明してくれたときの事を思い出す。

 そのとき遠坂は確かに「聖杯戦争に参加するのは今回が初めて」と言っていた。でもそれは「マスターとして」であって、おそらく前回は何か別の理由で参加したという事なのだろうか?

 

「まぁわたしの事はどうでもいいわよ。一応忠告しておくと、ピンチの時にガッツを頼ろうだなんて思わないようにしなさい? 肝心な時にいなくて、必要じゃないときに出しゃばるのが、あいつの悪い癖なんだから」

 

 ……その遠坂の言い方で、俺は遠坂とガッツの間には何か並々ならぬ関係でもあったんじゃないかと、不必要に勘ぐってしまった。

 

「ふぅ……ごちそうさま。イリヤ。今日も豪華な料理をありがとね」

 

「どういたしまして、リン。――ところでリンの言い分を聞いていると、リンはシロウの味方をするのであって、わたしの味方にはなってくれないようだけど?」

 

「そんなの当然でしょ。あんたと士郎が実は姉と弟だったって判っても、聖杯戦争として一度敵対して殺し合った仲なのよ? そんな一朝一夜で関係が改善するわけ――」

 

「あぁ、その事なんだけど遠坂。今日からイリヤとセラさんとリズさんは俺の家に来ることになったからな。家には慎二も桜もライダーもいて、たぶんいくらうちでも狭くなるだろうけど、そこらへんは勘弁してくれよ」

 

 そうだそうだ。今日から遠坂も俺の家に入り浸るとなると、イリヤたちの事も伝えておかなければならないだろう。

 それにしても、俺の家も大所帯になったものだ。

 ……いや、こんなに大人数がうちに住まう事になっても、まだ部屋に空きがある点を突っ込んでおくべきか?

 

「改善するわけ――――改善……って、えっ。士郎、いまなんて?」

 

「ふふん。リン、そろそろ理解したらどう? わたしとシロウはねー。もうすでに同じベッドで一緒に寝ちゃうような仲なんだからねー!」

 

「――ぶふぉぅっ!?」

 

 いやいや待てイリヤ。そういうのはな、人様に堂々と自慢するものではないんだぞっ!

 

「……へー。……、一緒に、ねぇ……?」

 

 ほれ見ろ、あの遠坂に白い目で見られちまっただろ!

 ……それにしても遠坂に白い目で見られるってのは、結構傷つくもんなんだな……。

 

「まったく衛宮くんは一体どんな方法でイリヤを懐柔したんだか。このすけこまし」

 

「すけこまっ……!」

 

 ぐぬぬ……どうやら遠坂からの俺の評価は、すけこましで固定されてしまったようだ。

 

 

 

 それから俺たちは朝食を終えて、城のロビーに集合する。これから俺たちの家に帰るのだ。

 

「よし、そろそろ帰るぞイリヤ」

 

「うん。あ、あとセラとリズは遅れてくるって」

 

「……ほんとにあんたたち、遠足帰りのような感覚で行くのね……」

 

 ロビーから両扉を開けて外に出る。

 寒気がなだれ込んできて、森が広がる光景を見据える。

 

「行くか」

 

 一歩足を踏みしめて歩き出す。俺の後ろにはイリヤと遠坂が。

 さらにこっちにはキャスターとバーサーカーもいるんだ。

 

 俺だって戦えるんだし、何が出てきたってイリヤを守りきれるはず。

 

 

 

 そうして俺たちは森の中を歩き、国道線に出るまで数刻を掛けていると。

 

                                    「■■―■―■」

 

「――っ、士郎!」

 

 ――――死を直感するダミ声が、あまりにも唐突に森の中でこだました。

 

(――マスターっ!)

 

 実体化したキャスターは、俺の前に躍り出る。

 その小さな体には、突如として死角から伸ばされた死の腕が触れていた。

 

「キャスター――ッ!」

 

 唐突に現れたアサシン。攻撃する瞬間まで働く気配を遮断するスキル。

 それも即死性のある宝具をいきなり使ってくるなんて、これはいくらキャスターでも……!

 

 ……しかし、キャスターの体とアサシンの腕の間に、回路がショートするような黄金の魔力の火花が散った。

 これは抗魔力! キャスターの高い魔力が、なんとかアサシンの宝具を弾いたのだ!

 

 それからアサシンは暗殺失敗を悟り、即座に戦線から離脱していった。

 

「っ――まったく死んだかと思ったじゃない! それよりマスター。気をつけて。アサシンが出てきたということは……」

 

 すなわち、泥影の奴隷となったサーヴァントが現れるということ。

 俺たちの行く手を遮るように、少し先の落ち葉を呑み込むように、黒い渦が生み出される。

 ブラックホールのように底なしで、周囲のものを侵食しながら、ゆっくりと金髪の黒騎士が浮き上がってきた。

 

「……っ。セイバー……!」

 

「――バーサーカー。出てきなさい」

 

 イリヤの命令に応じて、バーサーカーが実体化する。

 

「待て、イリヤ。バーサーカーはダメだ。言い忘れていたけど、サーヴァントがあの影に触れたら一発でアウトなんだ」

 

「えぇ。リンから聞いているわ。でも大丈夫よ。わたしのバーサーカーは強いんだから。……行け、バーサーカー!」

 

「■■■■――――!!」

 

 雄叫びをあげるバーサーカーは、猪突猛進とセイバーに吶喊する。

 

「待て、バーサーカー!」

 

 狂戦士を相手に言葉で戦いを止めるのは不可能だ。

 けれどイリヤは絶対の自信を以てセイバーを潰しに掛かる。

 

「士郎。敵はセイバーだけじゃないわ。マスターである間桐臓硯も近くにいるはず……」

 

「そうね。だからマスター。セイバーとアサシンはバーサーカーに任せて、私たちは速くここから離れなければ……」

 

 判ってる。判っているけど……何か、とてつもなく嫌な予感がした。

 背筋に悪寒が走る。これは、この感覚には覚えがある。

 振り返るのがこわい。アレを目で見ることに絶対の恐怖を感じる。

 物理法則ではどうにもならない圧倒的な強さを持つ何かが迫ってきている。

 

 ――森の中。

 陽射しは木陰に遮られている。

 それでもわずかな木漏れ日の“消失”を、俺たちは見逃さなかった。

 

「――――みんな、走れッ!」

 

 気づけば恐怖に呑まれながら叫び、俺はイリヤを抱いて飛び退った。

 

『――ッ!?』

 

 遅れて遠坂とキャスターも、背後から俺たちに覆い被さろうとする闇を躱した。

 その闇は濁流のごとく俺たちが今までいた場所を流れていき、それはバーサーカーの足元になだれ込んでいた。

 

「■■■■――――、――――!」

 

 セイバーと爆撃の如く打ち合うバーサーカー。

 しかしバーサーカーは、背後から迫り来る死の奔流をどうやって悟ったのか。

 その巨体には似合わない跳躍で、木の上を飛び越し回避した。

 

「すげっ――」

 

 思わず出た感想。

 だが、そんな事を悠長に呟いている暇はない。

 

「イリヤ、すぐにバーサーカーを戻せ! ここは逃げるが勝ちだ!」

 

「え、でも……」

 

 イリヤの手を引っ張って走り出す。後ろからは遠坂とキャスターも付いてきていた。

 だが、それをセイバーとアサシンが逃すはずはない。

 

 まずは鉄砲玉として、アサシンが跳ねながら急接近してくる。

 

「キャスター、イリヤを任せた!」

 

「それはアサシンもというやつかしら!?」

 

 当然だ。いくら俺でもサーヴァント二体を相手に出来るわけがない。

 

 ――――投影、開始(トレース・オン)

 

 干将・莫耶を投影し、俺はセイバーを見据えて真っ向から突き進む。

 そこに、アサシンのダークが飛び込んできたとしても――――

 

「Ἄτλας」

 

 ――キャスターを信じて特攻する。

 その呪文は重圧の結界となり、飛び込んでくるダークの動きを止める!

 

 そのまま走り込んで、俺はセイバーと打ち合う。

 キャスターにはアサシンを足止めしてもらい、その間に遠回りをして、遠坂とイリヤが抜け出してくれれば――――

 

「させぬわ、戯け。いいように出し抜かれてやると思うたか」

 

 その醜悪極まりない喉笛を鳴らした声に、俺は一瞬だけ戦慄する。

 同時に、パスから異常を感じるほどの感情の揺れが、魔力として伝わってきた。

 

「憎しみは、時に剣筋を鈍らせますよ、シロウ」

 

「――ッ!」

 

 刹那、セイバーの踏み込みをギリギリで弾く!

 

「ッ、ア――!」

 

 違う。今のは俺の感情ではない。キャスターのものだ。

 後ろを振り返ることが出来ないけど、おそらく遠坂たちは今、臓硯と対峙している。

 

「ここで私の下まで駆け込んできたのは、少し下策でしたね。それでも嬉しいのは確かだ。私を相手にできるのは、この中ではシロウ。貴方だけですからね」

 

「……セイバー。どうして……どうしてお前は、そっちに付いているんだ。操られているのか? 間桐臓硯を倒せば、お前は助かるのか?」

 

「……いいえ、シロウ。この状況で希望を求めるのは無意味だ。貴方も、それは判っているだろうに。私はただ、己が内面と向き合った末、此処に居る」

 

 ――後ろで遠坂の詠唱と共に爆発が起きた。どうやら魔術戦を繰り広げているらしい。

 

(マスター! そろそろ魔力の限界です! アサシンとこれ以上は……!)

 

「……っ」

 

「そうです、シロウ。ここは退くのが正しい。この状況を切り抜けるには、必ず誰かが囮にならなければならない。私とアサシンを相手に十分持ちこたえてくれる、そんな誰かが……」

 

 一歩、足を踏み込み、セイバーと鍔迫り合う。その反動を利用して、俺は後ろに飛び退る。

 次の瞬間、まるでそのタイミングを見計らったていかのように、頭上からバーサーカーが降ってきた。

 

「■■■■――――!」

 

 その剣戟は風林火山。

 一薙ぎで颶風を巻き上げ、林を薙ぎ倒し、競い合う刃は火花を散らせ、バーサーカーは山のように押されない。

 しかしセイバーの方は、どこからそんな莫大な魔力を引っ張ってきているのか。

 常時魔力放出状態で、バーサーカーと渡り合っていた。

 

 セイバーの相手はバーサーカーに任せて、俺はキャスターの助太刀に向かう。

 だが、アサシンは速射性の宝具を持っているため、安易に近付くのは一秒後の死に繋がる。

 ゆえにここは――――互いに引き合う性質を持つ、干将・莫耶を投擲する!

 

「なぬっ?」

 

 先ずは白刃の一投。それをダークで弾かれる。

 東側に逸れていったのを見届けて、続けて黒刃を一投する。

 

「無駄な事を……」

 

 それすら容易く弾かれた。しかし投げつけた干将・莫耶は、木々の間をどうすり抜けてか。

 雌雄陰陽夫婦剣は、互いに巡り合いすれ違うため、アサシンを交錯点として行き違う!

 

「――なにぃ!」

 

 アサシンの肩と脇腹に切り傷が付く。だが、それは掠った程度であまりに浅い。

 それでも魔性に対する特攻がある干将・莫耶は、思いのほか効果があったようだ。

 

「ギィイイイイイヤャーァアアアアア――――!!?」

 

 切り傷からジュージューと焦げ目をつけて、アサシンは地を転がる。

 俺はそのまま飛び交う干将・莫耶をキャッチして、そのまま遠坂の加勢にも向かう……!

 

「遠坂!」

 

「士郎!? ダメよ。あなたはイリヤを連れて今すぐここから離れなさい!」

 

「な、何を言うんだ遠坂!」

 

「このクソ爺が、いま正直に白状してくれたのよ! ――こいつの狙いは、イリヤよ!」

 

 ――――そうか。つまりこいつは……。

 

「クカカカッ。左用。儂の狙いは黄金の聖杯ゆえな」

 

 その言葉によって脳裏を過ぎったのは、誰とも知らない後悔の念だった。

 

 ――少年は姉妹(かぞく)を救えなかった――

 

「――ッ!」

 

 黄金の聖杯。それはアインツベルン製の聖杯のこと。その小聖杯とはイリヤのこと。

 ……つまりこいつは、また俺の守りたいものをッ!

 

「だったら遠坂、お前も早く!」

 

「ま、待ってよシロウ! まだバーサーカーが……」

 

「ダメだイリヤ。敵の狙いがお前だと判った以上、ここに留まるのは分が悪い。バーサーカーなら大丈夫だ。セイバーの足止めをして、十分距離をとったら令呪で呼び戻せばいい」

 

 それは無理な相談だった。

 いくらバーサーカーでも、あのセイバーに真っ向勝負では勝ち目がない。

 いや、あのセイバーにまとわりついている影には、か。

 

「クカカッ! ……では、先程は避けられてしまったが、今度はどうかな?」

 

 その舌舐りは、猟犬を相手に兎がどこまで逃げられるか賭けをする猟師のようだった。

 森の奥から、どこへなりと消えていったあの泥影の濁流が、再度押し寄せてくる。

 

「イリヤ!」

 

 俺は無理やりイリヤを引っ張って走り出す。このままでは遠坂もキャスターもバーサーカーも巻き込んでしまうからだ。

 そして案の定、迫り来る泥影は、イリヤを追いかけて進路を変える。

 木立を呑み込みながら押し寄せてくる泥影の波。

 逃走経路の確保なんて端から無駄で、ただ少しでも生き延びる時間を稼ぐために走ったようなものだった。

 

「む、むり! シロウ、にげられない!」

 

 すぐそこまでなだれ込んできている泥影の奔流。それでも高度は俺の腰ほどもなかった。案外厚さは薄いのかもしれない。

 こうなったら俺がイリヤを持ち上げて、半身泥に浸かりながらでも耐えるしか……!

 

「イリヤ、持ち上げるぞ!」

 

「え?」

 

 恥ずかしいとか言っている場合ではない。

 俺はもう肩車でもするかという勢いでイリヤを持ち上げて、結果、まるで担ぎ上げているような体勢になった。

 顔のすぐ横に、イリヤのまあるいお尻がある。

 

「ちょ、シロ――!」

 

 イリヤが何か文句を言おうとした瞬間、俺の膝より下は――――文字通り()()()()()()()

 

「ふ――――ぐっ!」

 

 足が、ない。足がない。

 足が、取られた。足が奪われた。

 

 それはつまり、このまま倒れるという事で……。

 

「っぁ――ふっ――うごアアア!」

 

 根性で立つなんて無理だ。片腕でイリヤを担ぎ、もう片方の手で、近くに有る木の幹を支えにする。

 そうして俺は、両足より先の感覚が無いというのに立ち続ける。

 

「マスター!」「士郎!」

 

 ダメだ、近付くな、近付けば――――モッテイカレル!!

 海浜公園で泥の影に呑まれたときよりヤバイ。

 あのときは何かに守られているような感じがしたけど、今回それはない。

 だから、これは、かなり――――

 

「■■■■――――!!」

 

 突然、爆弾が爆発でもしたのかという雄叫びを耳にして、気絶しかかっていた意識が呼び戻された。

 セイバーと戦っていたはずのバーサーカーが、突如として踵を返し、こちらに突っ込んでくる。

 ――待て、そのスピードでは、俺とイリヤを轢き殺さないかそれぇ!?

 

「ば、バーサーカー、何を、だめぇ――!」

 

 森にイリヤの悲鳴が轟いた。だが、その叫びもすぐにバーサーカーの雄叫びにかき消された。

 そのときのバーサーカーの雄叫びは単なる吶喊ではなく、何か意味が込められていたように感じられたのは、果たして錯覚だろうか。

 

 泥影の水面に足を取られた俺と、なんとか俺の上に乗っかって無事なイリヤ。

 そこに突撃してくるバーサーカーは、斧剣を持っていない方の腕を伸ばし――――()()()()()()()()()

 

「なに、を……」

 

 俺はバーサーカーが何を考えているのか判らなかった。だってこいつは最初、この泥影がサーヴァントにとってヤバイ代物だと見抜いたからこそ躱したのだ。狂ってはいてもそこまでの判断能力があって、なぜ今になってそんな自爆するような事を――!

 

「■■■――――!」

 

 泥影の一部を引っ掴んだバーサーカー。

 今度は何をするのかと思えば、なんと泥影を俺たちから引き剥がした。

 

「ぐおっ……!」

 

 足を取られて転倒する。

 イリヤを落っことしてしまった。

 

 ――それで、何が起こったんだ。

 バーサーカーが泥影を掴んで引っ張った途端、まるで影は何かの布だったとでも言うように、バーサーカーの方にたなびいて持って行かれた。

 その泥影はバーサーカーの片腕を覆い、確実に侵食していた。

 

「■■■■■■■――――――――!!」

 

 左腕を泥影に侵食され、右腕の斧剣のみでセイバーに立ち向かう巌のような大男の後ろ姿。

 鬼神の如く荒れ狂う狂戦士は、もはやイリヤの事を見ていなかった。

 

 ――――――――。

 それがどういう事なのか、俺は即座に理解して――――

 

「え、シロウ?」

 

 イリヤの手を取って、駆け出した。

 

「ま、待ってよシロウ! なんで、なんで! バーサーカーはまだ戦ってるんだよ!」

 

「ダメだ。あの影に触れた以上、バーサーカーはもう助からない」

 

 非情な現実を口にした。

 

「――っ。でもバーサーカーは助けてくれた! 今だってあんなに戦って……」

 

 俺はセイバーの件でもう割り切れる。だが、イリヤにとってサーヴァントとの別れはこれが初めてなはずだ。

 だっていうのに俺は、無慈悲にも割り切れと言うしかない。

 

「――手を離して! いやだ、いやぁ!」

 

 暴れるイリヤの手を、爪が食い込むくらいしっかりと握って走り続ける。

 イリヤはそれに従ってはいるが、だんだんと走るスピードが落ちている。

 イリヤは、走れるほど丈夫には造られていないのだ。

 

「黙って前を見て走れ。バーサーカーは、俺たちに()()と背中を見せたんだ――!」

 

 ギルガメッシュとの戦いのとき、自分の命を犠牲にしてまで、イリヤを守り通すつもりでいたバーサーカー。

 あれが俺の見間違いでなければ、バーサーカーは本当にイリヤを守るためだけに存在する壁のようなものだった。

 

 そんな彼がイリヤから目を逸らしたのだ。それは俺にイリヤを任せたということ。

 ……だけど俺には判らない。理解しているけど、判らないんだ。

 だって俺は、何かバーサーカーに、俺はイリヤを守れる男なんだって、一度でも証明できた事があっただろうか?

 俺がバーサーカーと対面したのは二、三回程度。その間にバーサーカーは何を思って、俺に後を託したと言うんだ!

 

 それが判らない。理解しているけど判らない。

 アーチャーが固有結界を見せた時に、バーサーカーもあの場にいたということしか、俺には判らない!

 だって俺はアーチャーじゃない! だっていうのに、あの野郎……。

 まるで、イリヤを見捨てたかのように背を向けやがって――!

 

「■■■■――――!!!」

 

 雷鳴のように、バーサーカーの咆哮が森にこだまする。

 後ろからは遠坂が走ってついて来ているのを確認した。どうやら臓硯は撒いたらしい。

 あとは泥影とセイバー、アサシンを単身で抑えてくれるバーサーカーがどこまで持つか。

 そしてバーサーカーがやられるまでに、俺たちがどこまで逃げ切れるかに掛かっている。

 

「……はなして。はなしてよ、シロウ……」

 

 バーサーカーが見えなくなってからずっと黙り込んでいだイリヤが、始めて口を開いた。

 

「……シロウ。家族を守るって言ったじゃん」

 

 ――――。

 

「バーサーカーは、わたしのお父さんみたいな……」

 

 ――――――――。

 

「うそつき……」

 

 ――――――――――――。

 ……ごめんな、イリヤ。俺の家族は、桜とイリヤなんだ。

 

 音もなく、森の中をひた走る。

 音があるとすれば、ただ小さくなっていく遠雷を耳にするだけだった。

 

 やがて国道線に出る頃には、森を覆う影も地を埋め尽くす泥もなく、全てが明るくなっていた。

 

 

 

 昼前。

 あのあと俺たちは国道線でタクシーを拾い、命からがら衛宮邸(自分の家)に帰宅した。

 引き戸を開けて、俺、イリヤ、遠坂の順番で上がり框を踏み、居間に向かう。

 

「おかえり、衛宮」

 

 出迎えてくれたのは慎二だった。

 居間で横になり、頬杖をついて、リモコン片手にテレビを見ている。

 

「おかえりなさい。先輩。……それに、遠坂先輩」

 

 台所にいた桜も出てくる。

 俺は「ただいま」と言ってテーブルに着いた。その隣に、口を噤んだままのイリヤも座る。

 続けて遠坂、桜もテーブルに着き、慎二はテレビを見たまま寝そべって動かない。

 

 そして俺は、アインツベルンで起きた昨日と今日の出来事について報告をした。

 といっても、俺とアーチャーの関係については話がややこしくなるため伏せておき、ただアーチャーが消滅したことを伝える。

 

 次に、英雄王ギルガメッシュの存在と、その隣にはソニアがいた事も話した。

 もちろんソニアが俺たちに見せたアーチャーの過去についても、なんとか伏せておいた。

 

 ちなみにソニアが現れたことを慎二に伝えたとき、慎二は「ソニアの目的が分からない。あいつは一体、何がしたいんだ?」と、少しイラついていた。

 最後にバーサーカーが影に呑み込まれたことを告げて、さらに間桐臓硯がイリヤを狙っていること、遠坂が味方に付いてくれたことを話して、大体の報告を済ませた。

 

 

 

 ……誰も何も言わない。居間にはテレビの音以外、静寂に包まれている。

 遠坂のアーチャーは消滅して、謎のアーチャーのサーヴァントが登場。

 

 そして味方になれるはずだったバーサーカーが、あの影に呑み込まれた。

 このどうしようもない現状に、俺たちは勝ちの目がないことを痛感する。

 

 それでも、いつまでも暗いのはナシだ。

 俺は立ち上がって、台所に向かうとする。

 

「衛宮くん? どこに行くのよ」

 

「あぁ、遠坂。そろそろ昼飯を作ろうと思って」

 

「あ、それなら先輩。私が作りますから……」

 

「桜?」

 

「先輩、きっと疲れているでしょう? だから、ここは私に任せてください!」

 

 ……そう、か。

 いや、桜が張り切ってくれる分には、別にいいんだが……。

 

 確かに俺は、森で黒い泥に足を取られたこともあって、かなり精神にきていた。

 ここは桜の言う通り、少し休むとしよう。

 

「分かった。それじゃ、任せたぞ桜」

 

 俺は食卓の前に戻り、イリヤの隣に座る。

 傍らのイリヤは、家に帰ってから何も言わない。というか郊外の森を出てから、俺たちは一度も目線を交わしていない。

 

 ……白状すると。俺はこの気まずさから逃げたくって、昼飯を作りに行こうとしたも同然だった。

 

 台所で、桜が昼飯の用意をする音が聞こえる。

 かたやテレビの前には慎二がいて、遠坂は桜の様子を気にかけている。

 イリヤは目を伏せてお人形のようにじっとしており、俺はこの広い居間で、ただ窮屈さに肩を狭めていた。

 

 ……ふと、そこで遠坂が動いた。

 台所に顔を出して、桜に声をかける。

 

「ね、ねぇ桜? その……お昼は、何を作るのかしら?」

 

「お、お昼……ですか? えっと、その……ふ、普通に、グラタン、とか……」

 

「そ、そう。なら、わたしも何か手伝えることとかあるかしら……?」

 

「い、いえ! 大丈夫です! えっと……と、遠坂先輩は……大丈夫です……」

 

 ……何が大丈夫なんだ。

 傍から見て、完全に二人はドキマギしていた。

 そのあまりの惨状を見ていた慎二はテレビを切る。

 イリヤも目を覚まし、俺たちは台所へ注目する。

 

「……で、でも。食器を並べるとか、食材を切るとか、そのくらいなら出来るし? 二人でやった方が、早く出来るでしょ?」

 

「あ、はい。それなら、遠坂先輩には……」

 

 なんとか台所に入ることを許された遠坂は、桜と一緒にグラタンを作り始める。

 

 その時、おもむろに慎二が立ち上がった。

 慎二はあたふたとしている姉妹ふたりの台所に足を運び、カウンターに肘を置く。

 

「おいおい桜。元姉を姉と呼びたきゃそう呼べよ。いつまでも遠坂先輩、遠坂先輩、なんて……よそよそしい態度を取らなくてさぁ」

 

 ……あいつ。単刀直入に言いやがった。

 俺もそれについては気になっていたが、何も遠坂の前で言うことはないだろ。

 

「あ、に、兄さん……」

 

「…………」

 

 一転して気まずくなった台所。

 桜は慎二の言い分に何も言い返せず、遠坂は黙って食材を切り続けている。

 

「ほら、桜。兄である僕を、いつも兄さんと呼ぶみたいにさ。遠坂のことも、そう呼んでやれよ。間桐の苗字なんて気にするな。もう僕たちは魔道の家系である間桐の子じゃないんだからさ。こんなときくらい、自分の好きにしてみろよ。内気ばーか」

 

 そう言って、慎二は「ほら」と。桜の口から、ある呼び名を出したくて催促する。

 それに桜は困りながらも、不躾な兄から勇気をもらったのか。

 自分の胸を押さえて、何かの恐怖を吹っ切ろうと――――遠坂の背中に向かって、その名前を呼んでやった。

 

「――――ね、姉さん。……玉ねぎ、切りすぎ、です……」

 

「――え? ……えぇっ!?」

 

 おそらく最初の「え?」は、桜に姉さんと呼ばれたことへの驚きだろう。

 そんでもって次なる驚きは、桜に指摘された件についてのものだろう。

 はて、一体どれだけのイラつき具合で、玉ねぎをみじん切りにしていたのだろうか?

 

 かたや慎二はその様子を見て、いやにはにかんでいた。

 そして台所に侵入したと思ったら、今度は遠坂の肩に手を回しやがった!?

 

「おやぁ? 僕の妹が、遠坂のことを()と呼んだぞ? となれば遠坂? ()()()()()で、()()()()()()だ。――ってことはつまり、僕と遠坂は傍から見たら、()()()()()()だと思われちゃったりしてね?」

 

 ……って、今度はまた何を言いやがるんだ慎二のやつは!?

 

「――桜はわたしの妹よ。あんたの方が義兄でしょ」

 

 しかし遠坂は、その慎二の言い分に、至極泰然と言い返した。

 

「……姉さん」

 

「はっ! それでも同じことじゃないか。なぁ遠坂。同じ妹を持つ者同士、仲良くしよ――――」

 

「寝言は寝て言いなさい、慎二?」

 

 ――ぞわり。

 その笑顔は、慎二の背筋に悪寒を走らせるには十分な気迫だったろう。

 遠くから見守っていた俺でも、今のはちょっと鳥肌が立つくらい怖かった。

 

「……まったく道化っていうのは、いつも新手のナンパを思いつくものね」

 

 ふと、傍らに座るイリヤが呟く。

 だが、はたして本当にそうだろうか?

 

 俺が思うに、たぶん慎二のやつは……。

 

「――ケッ。おい見たかよ衛宮。僕が振られるところを。まったく遠坂ってやつは猫かぶりなやつなんだな。お前もあんな女に騙されるんじゃないぞ」

 

「ちょっと! 今なんか言った!?」

 

 台所から、今にも饒舌に火を噴き出しそうな、あかいあくま。

 

 

 

 しかして俺たちは一つのテーブルを囲んで、遠坂と桜が作った美味しいグラタンを味わった。

 

 もちろん。昼食のあとは作戦会議だ。

 俺、遠坂、桜、慎二、イリヤ、キャスター、ライダーで卓を囲む。

 

 そして桜とイリヤを狙う臓硯は、またいつか、ここに襲撃しに来るだろう。

 それについて遠坂は、こんなことを言っていた。

 

「おそらく次に襲撃されたら、わたしたちは桜とイリヤを守りきれず、二人とも臓硯に奪われてしまうでしょう。それでも一応、明日までにイリヤと何かの対抗手段を考えておくわ。……それも全部、無駄な足掻きになるでしょうけどね」

 

 

 

 夜。

 夕食を済ませたあと、俺は慎二から縁側に呼び出されていた。

 

「どうしたんだよ。慎二」

 

「いやね。……ちょっと。衛宮と話したいことがあってさ」

 

 一体なんだろうか。

 俺は慎二のそばに腰を下ろし、慎二が喋りだすまで待ってやる。

 

「……衛宮はさ。間桐の魔術特性がなんであるか、知っているか?」

 

「……間桐の?」

 

「そう。間桐の魔術は、なんでも吸収と束縛、戒めや強制というものらしい。属性は、五大元素の水。これらを組み合わせて、間桐の魔術師は主に蟲を支配し、使役するんだとか。……まぁ、僕は知識としてしか知らないから、そうそう詳しいことは話せないんだけどさ」

 

 ……慎二は何を言いたいのだろうか。

 それきり何も話さなくなり、慎二と俺は、ただ縁側で月を仰ぐのみ。

 

「……なぁ、衛宮。……魔術ってさ。そんなに苦しいものなのか?」

 

「それは、俺からはなんとも。魔術師によるんじゃないか? 少なくとも、俺はこれを苦しいとは思わなかった。一歩間違えば死にそうになる時もあったけど、俺は毎日土蔵で魔術の鍛錬をしていた」

 

「へぇ……それ、一日も欠かさずに?」

 

「もちろん。だがまぁ、最近は聖杯戦争続きで、その日課は出来ていないけどな」

 

「…………そっか」

 

 何もせず、夜を過ごす。

 これでいいのかと思わなくもない。

 もしかしたら、今すぐ間桐臓硯が昼の続きとして、こちらに攻めて来るかもしれない。

 

「……桜も、そうだったのかな」

 

「さぁな。ただ、お前は桜の兄なんだから、本人に訊けばいいじゃないか」

 

 それでも今は、ただこうして、慎二と喋っていたかった。

 

「ハ――――それが出来たら、僕と桜の仲はここまでこじれてなかったよ。まったく。なんだか僕らしくない話をしちゃったね。なんでもないから、もうさっさとあっちへ行けよ」

 

「なんだよ。慎二が呼び出したくせに」

 

 払う手で追い払われてしまったため、俺は居間に退散する。

 

 そして居間に戻ると、そこにはイリヤがいた。

 

「――シロウ」

 

「イリヤ――」

 

 ふと、互いの名を呼ぶ声がかぶる。

 

「あ、シロウが先にどうぞ」

 

「それじゃあ、イリヤ。……少し、話をしよう」

 

 といっても俺は、ただイリヤの名前を呼んだだけで、特に話すことなんてないんだが……。

 座布団に座り、イリヤと正面から顔を突き合わせる。

 それから悪くはない沈黙が流れて、結局イリヤが口を開いた。

 

「ねぇ、シロウ。今日はわたし、どこで寝ればいいの?」

 

「えっ? あ――――そう、だな……。遠坂たちは別棟の寝室に割り当てたけど、イリヤは……うん。もしよかったら、俺の部屋の隣とかどうだ?」

 

「うん! そうするー!」

 

 よし、それなら善は急げだ。

 今すぐ布団を用意して、きっと疲れきっているイリヤを休ませてあげないと。

 俺とイリヤは居間を出て、自室に向かうため廊下を渡る。

 

「あ、そういえばイリヤ。セラさんとリズさんはどうしたんだ?」

 

「それならたぶん。もうここに来ていると思うわ。まぁ、あの二人のことは気にしなくていいから」

 

 ……はて、もうここに来ている?

 しかしイリヤが気にするなというのなら、言われた通り気にしないでおこう。

 

 そうして廊下を渡っていると、窓からおかしなものが見えた。

 

「遠坂……?」

 

 何やら血相変えて、遠坂が縁側の廊下を走っている。

 ……なんだか嫌な予感がしたため、俺とイリヤもその場に急いだ。

 

 別棟に向かい、桜の部屋に入ろうとする遠坂に声をかける。

 

「遠坂、どうしたんだ?」

 

「あ、士郎。その、桜が倒れたのよ……」

 

「――なんだって? い、今は?」

 

「薬を飲ませて寝かせたわ。今は安静にしている。きっと魔力を喰われたのね。もうすっからかんになっていたんだから」

 

 ……魔力を、喰われた。

 それはつまり、間桐臓硯が刻印虫を――――

 

「……くそっ。あいつは、どこまで桜を苦しめれば……」

 

「……とりあえず、衛宮くん。今夜はもうこれでお開きにしましょ。ずっと気を張っていても仕方がないし、こっちにはキャスターとライダーがいるのだもの。あ、それとイリヤは少し借りてくわね」

 

「わたし? リンは一体、何をするつもりなの?」

 

「それはこれからのおたのしみってね。それじゃ、士郎。おやすみなさーい」

 

 俺からイリヤをかっぱらって、遠坂は自分の部屋に戻る。

 

「……まっ。遠坂の言う通りだな。それじゃ、キャスター。見張りは任せたぞ」

 

(もちろん。何かあったらすぐに起こします。竜牙兵の数も充分ですので、敵に攻め込まれても少しの猶予はあるはずです)

 

 

 

 それから俺は隣の部屋を掃除して、イリヤの布団を用意し、やっとのことで自室の布団に潜り込む。

 

 こちらの手札はキャスターとライダー。

 敵にはセイバーとアサシン。そして、あまり考えたくはないが、もしかしたらバーサーカーがあちら側に渡った。

 最後に中立的な立場にいるのが、黒い剣士ガッツ。あと、どちら側なのか分からない、英雄王ギルガメッシュ。

 

 状況は依然不利のままだが、それでも俺は誓ったのだ。

 なんとしてでも桜を守り、イリヤも守るのだと。

 

 ――――家族の味方になる。

 それが衛宮士郎の、戦いだ。

 

 

 

   /了

 

 

 




 バーサーカー、敗退。
 ――――然れどその魂は、世界の悪意に弄ばれる。




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二月十一日

 

 朝。

 俺たちは居間で朝食を済ませた。

 

 それから遠坂に道場まで連れて行かれて、何やら唐突な魔術講座が始まった。

 なんでも泥影対策をするために、俺の体に防護術式を刻み込むのだとか。

 それも泥影を相手にするとき、少し楽になる程度なのだが、ないよりはマシだということで、俺はその提案を受け入れた。

 

 もちろん。それに最初キャスターは反対した。

 遠坂のことを信用しきれていないのか、はたまた張り合っているのかは分からなかったが、キャスターは次のようなことを言った。

 

「この女の魔術を受ける必要はありません。対魔力の施しなんて、私が用意してあげます。それに、もしこれが坊やを取って食うものだったとしたら、一体どうするつもりなのですか?」

 

 ……と。

 でも、そこはなんとかキャスターを宥めて、俺は遠坂に体を預けた。

 

 ……しかし、問題はそのあとだ。

 何故か道場には、俺と遠坂以外に、桜と慎二、イリヤがいた。

 こうなるとキャスターは当然として、桜を守るためにライダーもいるということだから、結局全員集合だった。

 

 そこで俺は一人ひとりに、何故ついてきたのかと、ちょっと訊いてみた。

 それによると桜は、「だ、だって、先輩が心配で……」

 一方の慎二は、「暇つぶし。あと面白いもの見たさかな?」

 最後にイリヤは、「リンに何かされないための見張り」

 ……とのことだった。

 

 また、遠坂の方は、桜とイリヤに信用されていないことに多少ご立腹のようだったが、それも仕方ない。

 だって実際、その防護術式の刻み込みとやらは、なんというか……かなり恥ずかしいものだったから……。

 

 まず、俺が半裸になります。

 次に喉を針で刺されたような感じがして、その次はヘソ下から中身をこねくり回される感じがした。

 しかも、遠坂の人差し指でだ。

 

 もう一度言う。遠坂は手袋とかはしていない。

 少しの温度がある生温かい遠坂の人差し指が、俺の腹の中にどういうわけか入っていったのだ。

 

 ……もちろん。変な声も出た。

 その間、みんなの見る目が痛かったような気がしたが、それは気のせいだとしておく。

 

 そうして俺は、やっとの思いで遠坂の妙な人体改造から解放されたのであった。

 

「ふぅ。これで終わりっと。まったく士郎。変な声出さないでよね。別に変なことしてないのに、変なことしてる気分になってくるじゃないのよう」

 

「いや、無茶言うなよ……」

 

 ぐったりとして仰向けになる。

 道場のひんやりとした床が背中に触れて、少し仰け反った。

 

「さって、お次はイリヤね。ちょっとまた付き合ってくれる?」

 

「えぇ。昨日の続きね。分かったわ」

 

 それから遠坂は、イリヤと一緒に道場を出て行った。

 今この場に残っているのは、俺と桜と慎二である。

 

「……あ、あの。先輩、服……」

 

「あぁ、ありがとう桜」

 

 桜から渡された服を着る。

 それから慎二がやってきて、

 

「なんだ。魔術って、案外エロいことにも使えるんだな」

 

 これまたど直球なことを言いやがった!

 

「な、おま、慎二……!」

 

「なにさ。顔を赤くしちゃってさ! でも、案外まんざらでもなかったんだろう?」

 

「に、兄さん……! ――で、でも、兄さんの言う通りです! ……そ、そうなんですか、先輩!? 結構、姉さんにお臍を人差し指でまさぐられることに、まんざらでもなかったりしちゃってるんですかっ!?」

 

 桜までぇ!?

 

「だ、だとしたら、私は別に……よくは、ないけど……」

 

 なにやらブツブツと言い始める桜。

 何か誤解が進んでいるような気もするが、ここは即時退散がいいと判断した。

 

 ……まったく。慎二のやつ。あんまり人をからかうなってんだ。

 

 そう思いながら振り返ると、当の慎二は笑って「ばーい」と手を振り、道場を後にした。

 続けて俺と桜も中庭に出る。

 

(マスター。少し土蔵でお話が)

 

 ふいにキャスターが話しかけてきた。

 

「悪い、桜。俺、ちょっと土蔵に行くから」

 

「分かりました」

 

 戻る途中で桜と別れて、俺は土蔵に向かう。

 

 

 

 ……さて、ここに入るのは久しぶりだ。

 前に入ったときは、確かランサーに襲われて、セイバーを召喚したときだったか。

 

「マスター。単刀直入に言って、今の貴方の魔術レベルを問いたい」

 

 実体化したキャスターは俺を見上げて、厳かな口調で話を始める。

 

「俺の魔術レベルって……もしかして、何を投影できるのか、ってことか?」

 

 俺は、既にあるものを強化する魔術と、一から何かを複製する投影魔術しかできない。

 といっても一応“変化”という技巧を加えて、あるものを魔改造するという魔術も、アーチャーの記憶から知ってはいるんだが……。

 

「えぇ、そうよ。それで、今の貴方はアーチャーの使用していた双剣と、ほかに何が作れるのかしら?」

 

「んー。そうだな……やろうと思えば、一回限りの短期決戦で、無限の剣製は可能だと思う。ほかには熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)が一気に投影できる。あと、理論だけなら鶴翼三連(かくよくさんれん)も把握済み。流石に是・射殺す百頭(ナインライブズ)は無理。……こんなところかな?」

 

「上出来よ。そして充分よ。なら次に、サーヴァントを相手に戦った場合、貴方の勝率はどれくらいあると思う?」

 

 ……なんだ。

 まさかキャスターは、俺を試しているのか?

 

「そんなの無理に決まっているだろ。一対一で戦って、俺がサーヴァントを相手に勝てるわけがない。そんなの、キャスターでも分かってるだろ」

 

「そうね。まぁ今のライダーになら、貴方でも勝てるかもしれないけど。それでもセイバーやアサシンは倒しきれないでしょうね。……だとしても、たとえ勝てない敵が相手だと分かっていても、坊やは彼らと戦おうとするのよね?」

 

「――あぁ。それが、桜とイリヤを守れることに繋がるのなら」

 

「なら、今のうちに考えておきなさい。おそらくバーサーカーは敵の手に渡った。次は魔力無限のセイバーとバーサーカー、そして不死身のアサシンが三騎同時に襲いかかってくると思ってちょうだい。その上で貴方に何が出来るのか。それをよく考えて、煮詰めておきなさい」

 

「……分かってる。とにかくキャスターは、ただ二人を守るだけじゃなくて、この聖杯戦争に勝つ方法を考え出せって言いたいんだよな?」

 

「当然です。まさか、私の願いをお忘れでして?」

 

 ……そんなわけない。

 キャスターの願いは、ひとえに元マスターの蘇生。

 死人を生き返らせるという禁忌に挑むのなら、それこそ願望機である聖杯の力が必要不可欠。

 

 だけど……。

 

「なぁ、キャスター。もちろんキャスターの願いは分かっているけど、その……聖杯の中身については……」

 

 聖杯の中身。

 俺はアーチャーの記憶の中で、恐ろしいものを垣間見た。

 あの汚染物質をどうにかしない限り、この冬木の地に眠る聖杯は破壊するしかない。

 少なくとも今のままでは、この聖杯戦争は、それ自体が爆弾をいつ、誰が爆破するのかを競っているだけのゲームになる。

 

「それなら問題ありません。私の手にかかれば、聖杯は汚染されたままでも使えますし、この短剣があれば、土壇場で願いを叶えることも出来ますから」

 

「えっ。そうなのか? ……いや、でも、そうか。魔術破りの短剣と、神代最高峰のキャスターの腕前があれば、そのくらいは出来るのか」

 

「えぇ。もちろん。そういうわけで、今後の方針は任せたわよ、マスター。私に出来ることと言えば、ランクダウンした神殿を構築して、マスターの背後霊として付き従うだけしかないんですからね」

 

 ……それは、霊基のスペックダウンが激しくて、何も出来ることがない。ということを言いたいんだろうか。

 

「そんなことないぞ。俺にとってキャスターは必要な存在だ。実際、明日にはちょっと手伝ってほしいことがある。まだ頭の中でまとまってないから今は言えないんだけど、すぐにキャスターの手を借りることになるから」

 

 それだけ言って話を切り上げる。

 

「……っ。そ、そう……なら、早くしなさいよ。明日なんて言わずに、今すぐ。時間は待ってくれないのよ?」

 

 そう言って霊体化するキャスター。

 なんだか顔が赤くなっていたけど、何か恥ずかしいことでも言っちゃったのだろうか、俺?

 

 

 

 それからは何事もなく昼を迎え、時間を食い潰すように夜が来た。

 みんなで夕飯を囲み、その後は夜の定番となった作戦会議に入る。

 そこで遠坂の口から真っ先に出たのは、魂砕き(アウトブレイカー)。概念武装という単語だった。

 

 なんでも遠坂家には宝石剣という設計図が残されており、あとは素材さえ用意できれば、それの“素”が完成するらしい。

 そして、その素となる存在の上に、俺が宝石剣の投影を重ねることができれば、かなりの戦力強化に繋がるのだとか。

 そのための準備を遠坂は昨日から進めており、ついさっきイリヤとの共同作業で、設計図の完成と素材の用意が整ったとのこと。

 あとは設計図通りに宝石剣の素を製作し、俺がイリヤの記憶の中から宝石剣を解析して投影を行なう。

 

 しかし問題なのは、これがあと二日、三日はかかるだろうということ。

 それまでに臓硯の襲撃があったら宝石剣の製作が間に合わなくなるし、そもそも成功する目処もない。

 

 そんなことを話した上で、今夜の俺たちは解散した。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 夜。

 暗澹とした地下の蟲蔵で、儂はこれからの作戦を練り上げていた。

 まず、桜の精神的支柱であった衛宮の小倅と慎二が手を組んだ今、強まり始めた桜の自我を揺さぶることが難しくなった。

 

 それに一役買っているのが、衛宮の小倅。

 桜にとって衛宮の小倅とは、“自分が守らなければならない日常の象徴たる存在”である。

 あやつの強情なところは、己が大切だと思うものに守られることを期待するのではなく、逆に守ってあげなければならないと奮起するところ。

 それも、どこぞのバーサーカーのせいで、桜は“戦う”という決意を固めてしまった。

 さらに、その戦うという決意を後押しした存在が、桜にとっての頼れる兄貴分。既に間桐家から勘当した、何も出来ない小童のはずの慎二……。

 しかも桜にとって、“自分を守ってほしい英雄的な存在”たる遠坂の娘が、アーチャーの敗退を機に向こうへ付いた。

 

 ……状況は芳しくない。

 これにて桜の心の隙間は磐石なものとなり、たかが刻印虫の暴走程度では、桜の心を乱すことができなくなった。

 つまり桜を黒く染めるための決定打がなくなったというわけじゃ。

 もはや刻印虫の暴走程度では、桜は身を呈して倒れるだけで、心を乱すこともない。

 無論、戦況として圧倒的に此方が有利だ。しかし、これは聖杯戦争だ。

 聖杯の成就が成し得られないのであれば、たとえ聖杯戦争自体に勝利しても意味がない。

 

 ならば、桜を崩すことが出来なくなったのであれば。つまり間桐オリジナルの青銅の聖杯が成就できないのであれば。

 次なる聖杯。――否、元々の聖杯を狙うしかあるまいて。

 

 ……あぁ、ユスティーツァ。

 お前を穢すことになるのは心苦しいが、聖杯さえ手に入ることができれば、儂はそれで構わない。

 

 ――――襲撃は二日後。

 なに、焦る必要はない。

 いつでもあ奴らは一掃できるのだから、あとは聖杯が降霊する日を待てばいいだけのこと。

 

 それまで、束の間の平和を味わっておくが良い……。

 

 

 

   /了

 

 

 




 短い。手抜き描写。ソーリー。

 下記は言い訳。
 実は『二月十日の昼』部分の執筆中に、拙者がお金を稼がなければならない歳になってしまったという諸事情により、とにかく作品を完結させたいという意向の下、ここからは日常回をすっ飛ばし、戦闘回を簡略化するなど、かなりの手抜き加減となっておりまする。それは改稿している今になっても、描写を増量する時間がないことから、これ以上のクオリティは絶望的です。
 oh……全く以て歯がゆいぜ。
 何故に拙者の“無限の夏休”は終わってしまったのか。
 これが大人になるということか。南無三……。




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二月十二日

 朝。

 居間で朝食を済ませたあと、さっそく遠坂とイリヤは宝石剣の素の製作に入った。

 桜の方は無理せず自室で寝てもらうことにして、慎二の方は相変わらず居間でくつろいでいた。

 そして、俺はキャスターを連れて土蔵の中に入り、昨日の話の続きをすることにした。

 

「出てきてくれ。キャスター」

 

「なんでしょうか?」

 

 実体化するキャスター。

 いつ見ても、この見上げてくる姿には慣れない。

 

「これからバーサーカーを倒す方法を話そうと思う」

 

 そう言うと、キャスターは目を丸くして驚いた。

 

「よ、よりにもよってバーサーカーですか? それは驚きですけど……でも、どうやって?」

 

「それは……まず、ライダーの存在が必要不可欠なんだが……」

 

 それだけ言うと、キャスターは俺の考えを見抜いたのか。

 顎に手を当てたあと、「あぁ、そういうこと」と呟いた。

 

「貴方、あの蛇女の宝具を投影するつもりなのね?」

 

「あぁ。でも、そのためにはライダーの協力が必要だ」

 

「そうねぇ……正直に話しても受け入れてくれる内容じゃないし……ただ、発想はいいわ。仮にライダーの協力が得られたら、私の魔術でライダーの記憶を覗けるし、その記憶を貴方に繋げることもできる。一から投影するのは困難でしょうけど、一か八かの可能性はあるのではなくて?」

 

 そう言ってもらえると助かる。

 あとはセイバーの倒し方についてなんだが、それは言うまでもなく、我武者羅に一騎打ちを挑む。という事くらいしか思いつかない。

 

 そしてアサシンについては、まず不死身という時点で勝つも何もない。

 そのくせアサシンは泥影と一体化しており、サーヴァント特攻の宝具を持っている。

 ただ魔力と幸運の高いキャスターなら、アサシンの宝具を防げる確率が高い。

 それでも魔術師と暗殺者が正面切って戦えるかと言われると、それはノーだと断じられる。

 

「……ふむ。となると、どうやってライダーと仲良くなるかだが……」

 

 腕を組んで首をひねる。

 ここまで悩む理由は、あのライダーの好きなものとか嫌いなものとかが、容易に想像できなかったからだ。

 

「……ふふっ」

 

 ふと、なぜかそこでキャスターが、俺を見て微笑んだ。

 

「……なんだよ」

 

「いえ、別に。ただ、坊やも色んな女の子と仲良くなりたいお年頃なのだなと」

 

 ばっ――――

 

「な、何言ってるんだよキャスター! こんな真面目なときに……」

 

「えぇ? だって、この数日で三人の少女と寝た貴方が何を」

 

 うっ――――。

 く、くそっ。もしかして俺、キャスターに遊ばれてないか?

 たぶん今の俺は、誰にも見せられないくらい顔が赤くなっていると思う……。

 

「あぁもう、この話は終わり! あんまり俺をいじめないでくれ、キャスター……」

 

 話を切り上げて、土蔵から出る。

 一方のキャスターは、最後までくつくつと笑いをこらえながら霊体化した。

 

 

 

 それから俺は、昼にイリヤと商店街に出かけた。

 大所帯となってから、冷蔵庫の中が一気に寂しくなってしまったからだ。

 

 

 

 そして夕方には土蔵にこもり、アーチャーから流れ込んできた記憶の数々の整理に入る。

 自分とアーチャーは別人である。ただ、投影の知識だけを貰い受ける。

 逆しまに体験した誰かの人生を、俺の人生から決別させる。

 

 

 

 そうこうしているうちに夜が来て、俺たちは夕餉を済ませた。

 

 現在、一同は居間に集っている。

 これから恒例の作戦会議が始まるというところで、イリヤが口を開いた。

 

「それにしても、ここ二日はとても静かだったわね」

 

 確かに、これじゃあまるで嵐の前の静けさだ。

 そこで遠坂が口を開いた。

 

「たぶん。間桐臓硯は焦っていないってことなんだと思うわ。やつは、いつでもわたしたちを片付けられるから、きっと聖杯戦争の決着をギリギリまで持ち越そうとしているのよ。要するに慢心しているってことね。癪だけど、それでもこの時間を無駄にはできないわ。概念武装の準備も整いつつあるし、そろそろ具体的な策を講じたいところなんだけど……」

 

 ふいに遠坂は、俺の方を見る。

 ……いや、違う。その視線は、俺より背後に向けられていた。

 それはつまり……。

 

「――私に何かご用で?」

 

 実体化するキャスター。

 座布団に座る俺の後ろに立って、それでも俺の後頭部が邪魔だったためか、少し横に歩いて遠坂と顔を合わせる。

 

「えぇ。キャスターからの意見を聞きたくてね。あなた、あまり実体化して喋ってくれないのだもの」

 

「それはまぁ、別に話すこともありませんし? 情報共有なんてしても無駄でしょ。貴女がどれだけすごい概念武装を作ろうとしているのかは知らないけど。現状、戦力となる人員は、我がマスターと私自身。そして、ライダーとそのマスターしかいないのですもの。既にアーチャーを失った元マスターなんて、戦力外通告もいいところだわ」

 

「お、おいおい……キャスター?」

 

 ふんと鼻を鳴らして、キャスターはそっぽを向く。

 対する遠坂は、今にも眉間に寄せられた血管が破裂しそうなくらい顔をしかめていた。

 

「――っ。あぁ、そう。なら、あなたの方こそどうなのよ? さも自分が戦力になれると言いたげだったけど。あなた、この聖杯戦争に勝てる見込みがあるのかしら? ――――確かアーチャーの記憶では、聖杯は黒いものに汚染されていたわ。黄金と青銅の聖杯も見た。ほんの一瞬だけだったけど、それだけでわたしは全てを理解した。冬木の聖杯は、既に無用の長物になっている。あれは、ただの破壊を呼び込む魔法の釜だとね」

 

「……姉さん?」

「遠坂?」

 

 今の遠坂の話に、桜と慎二が疑問符を浮かべる。

 それもそうだ。

 桜と慎二には、アインツベルンの城で俺と遠坂とキャスターが見た、アーチャーの過去について話していないのだから。

 

 ……黄金の聖杯。それはイリヤのことだ。

 ならば青銅の聖杯とは何かを、俺は記憶の中から引っ張り出す。

 すると、それがなんとなく、桜のことだと分かった。

 

 アーチャーは知っていたのだ。

 ……間桐臓硯の人体実験によって、桜が聖杯の紛い物にされていたということに――――

 

「――――っ」

 

 ――キツイ。その事実を知ったからキツイという話ではない。

 俺はアーチャーが経験した、この聖杯戦争の結末を識ってしまっている。

 

 ――少年は姉妹(かぞく)を救えなかった――

 

 脳裏にこびりつく凄惨な事実。

 俺は目頭を押さえて、食卓に肘をつく。

 そこでキャスターが、遠坂の質問に答えた。

 

「……そんなの関係ないわ。私は汚染された聖杯でも十全に扱える。それに、あと一騎の英霊の魂を黄金の聖杯に落とすことが出来れば、それで聖杯は満たされる。だったら、私はさっさとそうしてこの聖杯戦争を終わらせて、疾く願いを叶えたいところなんですけどね」

 

 そう言ってキャスターは、何故か桜の方を見た。

 ――――いや、違う。

 その視線の先は、やはり桜より背後の方を見ていて……!

 

「ほう……ほざきましたね。キャスター」

 

 敵意を持って、桜の傍らに実体化する小さなライダー。

 それからキャスターとライダーは火花を散らす視線をぶつけ合わせて、居間が一触即発の雰囲気に包まれる。

 

「おい、やめろってキャスター。仲間割れするようなことを言うな。それにライダーも乗っからないでくれ。確かに煽られていい気分じゃないだろうけど……」

 

 両者の間に入って仲裁する。

 その時、慎二の声が上がった。

 

「あのさぁ。まったく話が見えてこないんだけど、なに? 君たち、僕らを仲間はずれにしたいわけ?」

 

 不機嫌そうに姿勢を崩す慎二。

 そこで遠坂が答えた。

 

「はぁ……違うわ、慎二。どうもね。キャスターによると、ここでライダーを倒せば、あとは全部自分でなんとかなるって言いたいそうなのよ」

 

「へぇ……? それってつまり、ほかのサーヴァントを全部、キャスターが片付けてくれるってことかい? なら、別にそれでいいんじゃないかな?」

 

『……は?』

 

 あまりの突拍子もない台詞に、俺と遠坂の声がかぶる。

 違う、慎二。キャスターが言っていることは、そういうことじゃない。

 それに今の話の流れで、ほかのサーヴァントを全部倒すなんてことは、一つも話題に上らなかったじゃないか……。

 

「だってさ。もしアサシンが衛宮とキャスターで倒せるような雑魚なら、確かにライダーは要らないよね。でも、それを言うならこっちだって同じだ。キャスターがいなくても、桜のライダーならアサシンを倒せる。そしてお祖父様も殺せば終わりだ」

 

 これまたあらぬことを言い始めた慎二。

 

「お、おい慎二――――」

 

 そこで俺は、何を言っているんだ、と言おうとしたところで、遠坂が横から発言した。

 

「あのね、慎二。臓硯を殺せば桜が助かるわけじゃないし、場合によっては桜も死ぬ恐れがあるのよ。それに今の話は、そもそも聖杯戦争を勝ち抜く話ではなくて、どう終わらせるのかという話で――――」

 

「まぁまぁ、今は細かい話は抜きにしてさ。僕はそれがいいと思うな。だって面白いじゃないか。はたしてライダーとキャスターはどっちが強いのか。どうせ僕たちはこの聖杯戦争を勝ち抜けない。だったら、最後くらい身内で決着をつけてみようよ」

 

 ――――慎二は、何を言っているんだ?

 俺には到底理解できなかった。

 だって、桜の体の中には刻印虫がいて、無理にサーヴァントを使役すると、既に足りない魔力がさらになくなっていくんだ。そうして行き着く先は、桜の死。それを知っていながら、慎二はこんなよく分からない発破をかけているのだ。

 

「……ふん。そこのワカメ頭も、たまにはいいことを言うわね」

 

「ワカメ頭ってなんだよ!?」

 

 キャスターの台詞に、慎二が叫ぶ。

 

「いいでしょう。それではちょっと庭に出ましょうか。キャスター」

 

 そして、やる気満々のキャスターとライダー。

 

「ま、まてまて! 二人とも正気か!? 今はこんな、仲間割れをしている場合じゃないってのに――――!」

 

 俺は立ち上がり、庭へ出ようとするキャスターを止めようとするが、キャスターのやつ霊体化しやがった!?

 ライダーも霊体化してしまい、続いて慎二も立ち上がる。

 

 そして慎二は、何故か俺に敵意を持った目で見据えてきて、

「それじゃ、衛宮。……庭で待ってるぜ」

 それだけ言って、居間を出て行った。

 

 ……そうして居間に残されたのは、俺と遠坂、桜とイリヤ。

 この事態の急展開に、この中の誰ひとり付いて行けていなかった。

 

「……はぁ。まんまと道化に釣られたわね」

 

 ふと、イリヤが呟く。

 

「あ……あいつら、馬鹿なんじゃないの? ライダーが戦闘すれば桜の魔力が削れていく。そうなれば、夜に街を喰らう影の活動が活発化するだけだってのに……」

 

 一方、遠坂は今にも怒りが爆発しそうなのか、わなわなと身を震わせていた。

 

「……あ、あの、せ、先輩。私たちは……どうしたら?」

 

 最後に桜が助けを求めてくる。

 でも、ごめん。俺もどうしたらいいか分からない。分からないけど、とにかく今は――――

 

「とにかく今は庭に急ぐべきだ。まったく、なんでこんなことに……」

 

 すぐに居間を後にして縁側に向かう。

 すると案の定、庭では慎二とライダー、そしてキャスターが面と向かい合っていた。

 

「おい、やめろって慎二! ライダー! キャスター! こんなことしている場合か!」

 

「あぁもう、うるさいなぁ衛宮は。そろそろ腹を括ったらどうだい? それに、もうこのチビサーヴァントたちは止められないよ。こうなったら衛宮も覚悟を決めなよ。――――それにね、衛宮。僕はお前と、いつかの喧嘩のケリを付けたいと思っていたんだ」

 

「えぇ。その通りよ、坊や。いいえ。私のマスター。それに、早く私の前に来てくれないかしら? もうライダーの蛇睨みに耐えられないわ。このまま戦闘が始まってしまっては、私は何も出来ずにライダーに殺されてしまうけど、それでもよくて?」

 

 ぐにっ……。

 確かに、既にライダーは腰を低くかがめて臨戦態勢を取っている。つまり、本気ってことだ。

 実はこれはただの戦闘訓練だとか、そういうわけじゃない。

 キャスターもライダーも、それに慎二も。あいつら、本当にここで決着をつけようとしている!

 

「あぁもうクソッ!」

 

 干将・莫耶を投影し、庭に躍り出る。

 これもキャスターを守るためだ。

 ちょっと打ち合えば、ライダーも頭を冷やしてくれるだろう。

 

 ――ふいに、視界の端にイリヤが映った。

 イリヤは縁側に腰を落ち着かせて、まるでこれから試合を観戦するように佇んでいる。

 

 遅れて遠坂と桜もやってきた。

 

「あぁ……本当にやるつもりなのね……」

 

 頭を押さえて、遠坂は今にも心労で倒れそうなのか、傍らに立つ桜に寄りかかる。

 そして、次に遠坂は何をするのかと思いきや、ポケットに手を突っ込みながら庭に降りてきた。

 

「はぁ……本当にやってくれたね。慎二」

 

 何やらブツブツと言って、遠坂はライダーとキャスターの間に入ってくる。

 はて、もしかして仲裁に入ってくれるのか?

 それなら有難い。ここは一つ。遠坂先生の一喝で血迷ったこやつらを――――

 

「あぁ、もう……ほんっとーに――――あったまきたァア!! こうなったらあんたたち全員わたしが皆殺しにしてやるわ! 十の宝石を五個使ってでも倒して、そしてわたしが勝ったら、桜はわたしが殺す! それでいいわね! 邪魔するやつはサーヴァントでも容赦しないわよっ!!」

 

 ――――こやつらを…………。

 

「――――な、なんですとぉ!? ちょ、ちょっと待て遠坂! おまえ、何を――――!?」

 

「ま、待ってください姉さん!」

 

 おぉ! ここで桜が!

 そうだ。頼む。もはや俺の味方は桜しか――――

 

「わた、わたしは姉さんに付きますっ!」

 

「なんでさっ!?」

 

 ……クソッ。冷静になれ。状況を分析するんだ。

 

 まず、キャスターとライダーは犬猿の仲だ。

 常に一触即発の危機はあったから、何もこうなったことは珍しいことではない。

 逐一、俺や桜が仲裁に入れば、それで喧嘩にはならなかった。舌戦にはなっていたけど……。

 

 そんでもって、次に分からないのは慎二だ。どう考えても慎二の一言によって、ライダーとキャスターに火がついてしまった。

 慎二の考えていることが分からない。ただ慎二の言い分によると、どうやら俺といつかの喧嘩のケリを付けたいらしい。

 ……でも俺、慎二と喧嘩したことなんてあったっけ?

 

 そして問題は遠坂だ。いつもは冷静な遠坂が急にブチギレた。

 ……いや、結構沸点が低いときもあったような気もするが、それでもおそらく遠坂の行動は正解なんだろう。

 だが、それでも、俺は遠坂には味方できない。桜を亡き者にするってんなら、俺はそれを全力で止めるだけだ。

 

 最後に桜。おそらく桜も、遠坂の言い分を正しいと思っているんだろう。だからこそ、桜は遠坂についた。

 

 ……それでも、俺は……。

 

「――――なるほど。そう思えば、これは避けられない戦いだったってことか」

 

「あぁ、その通りさ、衛宮。少なくともここには、僕と桜、遠坂、そして衛宮の三つ巴の思惑がある。こんなバラバラなままじゃ、まとまる話もまとまらないし、勝てる戦いにも勝てるわけがない。……だから、誰が一番上か、ここで決めるんだよ」

 

 ……干将・莫耶を構えて、ライダーを見据える。

 今のライダーは、たとえ霊基を削っていても、桜がマスターとなっていることで、かなりパワーアップしていることだろう。

 

 ならば、キャスターには後方支援に徹してもらう。

 それはもはや口に出すまでもなく、キャスターは一歩足を引いて戦闘準備を整えていた。

 

 一方の慎二は仁王立ちをしたまま、ライダーの動きを見守っている。

 

 かたや遠坂は腰を落とし、ジリジリと間合いを図って、ポケットの中で虎の子の宝石を用意していることだろう。

 

 そして縁側では、桜とイリヤが俺たちを見守っている。

 

 そこで俺は、ひとつライダーにある話を持ちかけた。

 

「なぁ、ライダー。この勝負に俺が勝ったら、一つだけ言うことを聞いてほしいことがある」

 

「…………」

 

 何も言わないライダー。

 それが了承の合図だと悟り――――

 

 

 

 ――――俺は駆け出した。

 

 刹那、宝石を取り出す遠坂。

 その横を素通りして、俺はライダーに斬りかかる。

 

「ハァッ!」

 

 ライダーの鎖付き短剣と切り結び、その小さな体を弾き飛ばす。

 一方、キャスターは一言で以て詠唱を完了させていた。

 背後で宝石の割れる音がして、魔力の爆発が引き起こされる。

 

 次いで、俺に突き飛ばされてたたらを踏んでいたライダーは、すぐに地面を穿つ足の踏み込みで、まっすぐに飛び込んできた。

 対する俺は、アーチャーの剣技を模倣する。

 未来を思い出す形で会得した、研ぎ澄まされた邪念のない双剣の型を、憑依経験で一気に体得する!

 

「――――ハァァッ!」

 

 勝負は一瞬。一撃で決める。

 長引けば桜が危ないし、ライダーだって短期決戦で決めるつもりだ。

 背後で遠坂とキャスターがどうなっているのか分からないけど、とにかく俺は、あと一秒でも戦闘を長引かせたくない。

 

「ライダーァッ!」

 

「――――っ!」

 

 俺は正面からライダーと激突する。

 干将で短剣を弾き、莫耶で首を獲りに行く。が、ライダーは身の小ささを利用して、俺の脇下を潜り抜ける。

 それを逃しはしないと振り返り――――そこで俺は、空中殺法じみたライダーの攻撃を双剣で受け流しきった。

 

「きゃ――――っ!?」

 

 ――キャスターの悲鳴が聞こえる。

 そこでライダーの背後に見えたのは、武術の構えを取ってキャスターに肉薄する、遠坂の姿だった!

 

「キャスター!」

 

 ――――どうする。

 このままライダーを倒すか、それともキャスターを助けに行くか。

 

「――投影・開始(トレース・オン)

 

 干将・莫耶をライダーに投擲し、間髪入れずに無銘の弓矢を投影する。

 投影速度は一秒も要らず。ライダーが干将・莫耶を弾いた次の瞬間、俺は遠坂の足元を狙って――――

 

「遠坂! 後ろだ!」

 

 これから攻撃するぞと教えてから、引き絞った矢を射る。

 

「えっ? ――――ちょわぁっ!?」

 

 キャスターにトドメを刺そうとしていた遠坂の足元に矢が刺さり、少しの爆発のあとに砂塵が舞う。

 だが、これが俺の隙となった。

 干将・莫耶を弾いたライダーは、弓しか持っていない俺に接近して――――

 

「覚悟――!」

 

 跳躍し、飛び込んでくるライダー。

 もう一本の干将・莫耶を投影しようとするが、おそらくライダーの敏捷には負ける。

 ――だが、キャスターの高速詠唱なら!

 

「――なにっ!?」

 

 ライダーの背後に襲い来る一発の魔力光弾。

 その攻撃に対し、ライダーは対魔力で難なく払うが、その間に俺は投影を完了。

 干将・莫耶を胸の前で交差させるように構え、俺はアーチャーの切り札を解放する!

 

「――オーバーエッジ!」

 

 干将・莫耶が黒白の翼へと巨大化し、ライダーを挟み込むように両腕を奮う!

 

「くっ――!」

 

 その攻撃に対し、ライダーはギリギリ短剣で防いだが、今の俺の筋力は憑依経験で向上している。

 強化された干将・莫耶の一撃を喰らったライダーは、その矮小な体を地面に転がし、塀まで突っ込んでいった。

 

 ――――庭に舞う砂塵が止む。

 その先には、塀を背にして痛がっているライダーと、立ち上がって俺を睨みつけている遠坂の姿があった。

 

 ――俺は干将・莫耶をしまい、また弓矢を投影する。

 次に遠坂とライダーを狙って矢を引き絞り、俺は詰めを作った。

 

「これで俺たちの勝ちだ。もう終わりにしよう。そろそろ頭も冷えただろ? ……慎二も」

 

 振り返って慎二を見る。

 その顔はとても悔しそうで、拳を握り締めていた。

 

「……ハ。そうだね。これは衛宮とキャスターの連携勝ちだ。遠坂とライダーは今回組むのが初めてだったからね。まったくつまらない。もうちょっと面白い戦いが見られると思ったんだけどな」

 

 それもすぐに飄々と徹し始めて、慎二は縁側から別棟に去っていった。

 

「はぁ……まったく慎二の奴は何がしたかったのか……」

 

 弓矢をしまい、張り詰めた心と肩をほぐす。

 ……すると、遠坂が何やら言いたげな顔をして、俺に迫ってきた。

 

「ちょっと、士郎。あんた、よくもわたしに矢を射ってきたわね」

 

「えっ……だ、だってそれは、遠坂。思いっきりキャスターに殴りかかってたじゃないか……だから、助けなくちゃと思って」

 

 そこでキャスターが、俺のところに戻ってきた。

 遠坂を警戒するような仕草で、俺の背中に隠れる。

 

「ま、まったくです……魔術戦を仕掛けてきたと思ったら、いきなり踏み込んできて胸を殴られました……。今時の魔術師は体術も出来るのですか?」

 

「あったりまえでしょ。このくらい既習科目よ。はぁ……それにしてもなんだか白けちゃったわね。――さくら~! あなたは大丈夫~?」

 

「――は、はい! わたしは大丈夫です。姉さん!」

 

 縁側にいる桜が答える。その隣にはライダーもいた。

 おそらく遠坂と同じく、桜の体を気遣っているんだろう。

 

「……はぁ」

 

 そう思うと、少しの溜息が出た。

 

「あら、どうしたのよ士郎。溜息なんかついちゃって」

 

「いや。ただ……やっぱり俺、ライダーに手を抜かれていたのかなって……」

 

 ライダーは桜の体を気遣っている。それはつまり、あまり桜から魔力を奪い取れないということ。

 そう考えれば、さっきの戦闘で些かライダーは出力を抑えていたように感じられた。

 おそらくライダーが本気を出せば、まず俺は相打ち覚悟で挑んでも、勝ちを拾えるのは数割程度。

 

「いいえ。坊や。そんなことはないわ。貴方は確実に強くなっている。それもサーヴァントとやりあえるほどにまでね。もちろん、まだライダーに勝てるほどではないけど、それでも驚異的なレベルアップをしていると私は思うわ」

 

 ……そうか。

 

「キャスターにそう言ってもらえると、少し自信がつく」

 

 それから俺たちは、縁側で待つ桜とイリヤの下へ戻った。

 

「せ、先輩……大丈夫ですか?」

 

「お疲れ、シロウ。なかなか悪くない戦いだったわ」

 

 桜に大丈夫だと伝え、イリヤに礼を言う。

 そこでライダーが、俺に声をかけてきた。

 

「それで、士郎。約束の件はどうなったのですか?」

 

「……えっ?」

 

 約束の件って……それは、まさか。

 

「俺が勝ったらってやつか? ……といってもな。本当にいいのか?」

 

「無理なお願いなら断るだけです。それで、用件はなんなのですか」

 

 ……うむっ。

 とりあえず話を聞いてくれる分にはありがたいんだが……。

 

「なら、明日にしよう。今夜はこの戦闘で魔力が足りなくなっちまった」

 

「……そうですか。では」

 

 霊体化するライダー。

 

 

 

 そうして俺たちは、ちょっとした諍いを終わらせて、久々の騒々しい夜を終わらせたのであった。

 

 

 

   /了

 

 

 




 そういえばHF劇場版で、アーチャーは間桐桜の問題を知らなかった事が明らかとなりましたが、まぁこの二次創作はかなり前に書いたものなので、新情報に対する矛盾にはご容赦を。

 とりあえずこの二次創作では、アーチャーは“全てを知りながら、全てを守り救うことが出来なかった男”という、かなり辛い人生を歩んでおります。




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二月十三日

 早朝。

 朝飯を済ませたあと、俺とキャスターはライダーを連れて土蔵に赴いた。

 青いシートの上に座り、胡座をかくと、キャスターとライダーが実体化する。

 俺の目の前には、青色の髪に紫のローブを羽織った少女と、紫色の髪に黒い装束を身に纏う少女が立っていた。

 

「……さて、それじゃあライダー。相談したいのは、だな……」

 

 はて、どう言ったものか。

 こういうのは単刀直入に言った方がいいか。あまり勿体つけてもあれだしな。

 

「ライダー。俺は、これからある宝具を投影したいと思っている。それはバーサーカーを倒すために必要なものだ。それでなくても、ライダーの戦力強化に繋がると思う。協力してくれるか?」

 

「それは……内容にもよりますね」

 

「話は簡単よ、ライダー。今から私の魔術を使って、貴女の記憶に働きかける。それを坊やに繋げるの。そして英雄ペルセウスが使っていた“不死身殺しのハルペー”を坊やに投影させるのよ」

 

「――――、……なるほど。しかし正気ですか? そんな提案に、私が乗ると? わざわざ魔術師の術中に嵌るようなことは出来ませんね……」

 

 それは、その通りだ。

 しかもライダーとキャスターは非常に仲が悪い。

 これは、こんな提案をしただけで怒られてもおかしくないものだ。

 

「……ですが士郎。一つだけ問いたい。――――貴方は、最後まではサクラの味方ですか? たとえこの先に、何があったとしても」

 

「――――もちろんだ」

 

「ですが貴方は、もう一人の少女までもを守ろうとしている。そんな貴方を信じることは、到底できません」

 

 …………。

 確かに、俺の言っていることは、ただのわがままなのかもしれない。いや、充分わがままだろう。

 それでも俺は、やらなくちゃならない。絶対に無理だと思っていても、俺は衛宮士郎だ。

 

「……分かった。横暴なことを言ったな」

 

 ライダーの説得に失敗した俺は、もう土蔵にいる意味がないので立ち上がる。

 

「いいえ。話は最後まで聞きなさい」

 

 その立ち上がりをライダーが制して、元の位置に戻れと目線で訴えかけてきた。

 

「……正直に言って、私は自前の魔術を用いても、貴方にあの戦いの記憶を見せることが出来ません。霊基を削った際に失ったあのバイザーの宝具が今でもあれば話は別でしたが、それも今はない。……はぁ。どうやらキャスターの手に掛かるしか、ほかに方法はないようですね」

 

 うわっ。ものすごく嫌そうな溜息をついて、なんとライダーは俺たちの提案に乗っかってくれた。

 

「ら、ライダー……本当にいいのか?」

 

「えぇ。約束は約束ですし。それに、サクラの命令もありますしね。貴方の言うことを聞けという、命令が」

 

 ……桜。

 

「……ふん。それじゃ、やっと魔術行使に取り掛かれるわけね? 潔いのはいいことよ、ライダー」

 

「あ、それと士郎。最後に頼みが。……骨は拾ってください」

 

 ……いや、さすがのキャスターも、そこまでしないと思うが……。

 

「大丈夫だって。とりあえず二人とも、今だけは口喧嘩とかしないでくれよ。宝具の投影は、たぶんとても難しい。下手をすると、その場で俺が弾け死ぬ可能性もある。だから真面目にな?」

 

 俺の懇願に、ライダーとキャスターは頷いてみせる。

 そういうわけで、胡座をかく俺の膝の上に、ライダーがちょこんと座った。

 ……うっ。上目遣いで心が乱されるっ。こうなったら目を瞑って、集中……集中だ。

 

「それじゃあマスター、ライダー。行くわよ。まず目を閉じて、そうね……坊やはライダーの頭に手を回して、おでこ同士をくっつけてくれるかしら?」

 

「――――は? ……なんですとぉ!?」

 

 い、いきなり何を強要してくるのかキャスターは!?

 いや、しかし記憶の連結となると、そりゃあ頭同士を近づかせたほうがいいのかもしれないが、それでも……。

 

「何をしているのですか、士郎。来ないのなら、こちらから行きますよ」

 

「って、うぇぇぃ!?」

 

 膝立ちで、両手を伸ばして、俺の顔を挟んで、おでこを合わせに来たライダー。

 近い。あまりにも近い。ちょっとタンマがほしいってのに……。

 

「それじゃあ行くわよ。一回、空の上に飛び上がるような感覚のあと、一気に急降下する場合もあるけど、絶対に怖がって慌てないようにね」

 

 こちらの心境を全く察してくれないキャスターが手の平を広げて、俺とライダーの眉間に触れて一言。

 なんの言語か分からない神代の魔術詠唱で、俺は空の彼方に吹き飛ばされた――――

 

 

 

 ――――それは、ある英雄の死闘だった。

 

                       ――――否。それは、ある女怪の最期だった。

 

    ――――それは、襲い来る神話の再現だった。

 

                ――――それは、あまりにも脆弱な英雄だった。

 

  ――――それは違う。

 

            ――――それはあまりにも、その怪物が強すぎるだけのことだった。

 

 

 

 鼻の高い英雄は、傲慢により怪物に挑んだ。

 しかし怪物の姿を見た英雄は、ひと目で心が折られた。

 

 英雄は絶望の中、死に物狂いで戦った。

 怪物退治。否、倒すためではなく、生存のため。ただ生き残るために。

 しかし英雄とは、奇跡に恵まれるから英雄と謳われる。

 あらゆる宝具を使って、気づけば最大の弱点を突いていたのは、如何なる幸運。如何なる運命だったのか。

 

 ――――捕捉。

 其は、屈折延命の理を持つ神剣の鎌。

 あふれる神性は、不死系の特殊能力を無効化する。

 この刃で付けられた傷は、自然治癒以外の回復・復元が不可能となる。

 

 其の真名こそ――――屈折延命(ハルペー)

 

 この宝具は、英雄王の蔵と、アーチャーが使用していた無限の剣製の中でも確認された。

 だが、あのときは一瞬だけで、ほかの武装と同時に解析するなんて不可能だった。

 実際、アーチャーもハルペーは投影しきれていなかった。そんな不完全な投影でも、俺に見せたってことは――――

 

 ――――これが、必要だっていうことだ。

 

 

 

 ――――投影、開始(トレース・オン)

 英雄と怪物の死闘を眺めて、俺はその神話を複製する。

 

 っ――――ダメだ。足りない。

 時間が、技術が、経験が足りない。

 基本骨子の想定が甘い。そのほかにもあらゆるものが甘すぎる。

 

 投影自体の知識は自前でしかありえない。今の俺の実力では、これは不可能だ。

 あぁ、投影を完璧にこなせてしまうほどの憑依経験がないものか、なんて甘ったれた弱音を吐いてしまうくらいには、己の未熟さが際立つ。

 たとえアーチャーの体の一部を貰っていたとしても、これは――――――――――――――――

 

 

 

 で                 き            な       い。

 

 

 

 ――――、

 

「――ぐわっ!?」

 

 ――バチンッ! と、何かが弾けた。

 頬がヒリヒリして痛い。

 俺、俺は……、一体、何を?

 

「大丈夫、坊や!?」

 

「っ……深く、入りすぎです。士郎……」

 

 俺は……そうか。

 失敗、しちまったのか。

 

「悪い……っ」

 

「謝らなくてもいいから。それより顔色が悪いわよ。魔力を殆ど使い切っているじゃないの!」

 

 その通りだ。

 俺は、投影が不可能だと知っておきながら、何度も挑戦した。

 おかげで目の前のライダーは、ぶっちゃけ俺より疲弊気味だが。

 

「……ですが、士郎。惜しいところまではいきましたね」

 

「あぁ、そうだな。次は、たぶん……」

 

 出来るだろうか?

 いや、出来なくても俺は、やらなくちゃならない。

 なんとしてでも、俺はハルペーの宝具だけは投影しなくてはならないんだ。

 

「……たぶん。次は出来ると思う。だからライダー。あと一回チャンスをくれ」

 

「ま、まだやる気なの、坊や!?」

 

「いや、今すぐにじゃないさ。また魔力が回復したら、もう一度、挑戦する」

 

「……それまで、敵が待ってくれるとは思えませんがね。士郎」

 

 ライダーの言う通りだ。

 とりあえず、今の俺は魔力がすっからかんだ。全魔力を構造解析に当てた。

 でも、次はおそらく……もっと先をいけるはず。

 

 

 

 それから俺とキャスターは、ライダーと別れて居間に戻った。

 軽く居間で休んでいると、そこに遠坂とイリヤがやってくる。

 

「あら、士郎。サボり? こっちは宝石剣の素が完成したんだけど。体力有り余っているなら、ちゃっちゃと手伝ってくれない?」

 

「違う。休んでるの。それに俺はクタクタです。すまないが、それは明日にしてくれないか? 遠坂」

 

「なにかしたの、シロウ?」

 

 寄ってきて、俺の傍らにイリヤが座る。

 

「わたしも疲れたわぁ。リンったら、わたしのことこき使うんだもの。シロウも疲れているなら休んでいるといいわ」

 

「あぁ、そうするつもりだ」

 

 二人並んで仲良く休む。

 それを見て、遠坂が言った。

 

「……前から思っていたけど、ほんと随分と仲がいいわね。あなたたち。……それじゃ、わたしも少し休憩っと。あ、ちなみに慎二と桜は別棟にいるわ。なんだか兄妹水入らずって感じだったから、こっちに戻ってくるときは声をかけなかったけどね」

 

 ……そうか。慎二と桜が。

 そりゃよかった。なんだかその報告で、俺の疲れが殆ど吹き飛んじまうくらい嬉しかった。

 

「よし、そんじゃ、昼飯を作りますかね」

 

 俺は気合を入れ直して、台所に向かった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 昼。

 衛宮邸の別棟で、僕は桜とくだらない話をしていた。

 それは、桜が思う魔術について。

 

 僕は訊いた。

 

「お前さ。自分が魔術師であることをどう思ってんの?」

 

 すると桜は答えた。

 

「それは、どういう意味で、ですか?」

 

 それから繋がらない話を進めていると、どうも桜は魔術を嫌っているわけではないということが分かった。

 といっても、やっぱり嫌いなんだろう。

 

 ――――魔術を習わなければ……そうしなければ、生きていけなかったから。

 魔術が嫌いかどうかは、酸素が嫌いかどうかと同じ。

 いや全く変な喩えを出すものだと思ったけど、要するに桜には選択肢がなかったってことだ。

 

 桜は別に、崇高な魔術師になるため魔術を体に修得したのではなく。

 ただ生き抜くために、魔術を体に仕込まざるを得なかった。

 

 それを知った僕の心境?

「あっそ」で済ませられる。

 

 でも、そのあと桜は、僕が「あっそ」で済ませたってのに、続けてこう言ったんだ。

 

「確かに魔術は厳しいものだったけど、それでも“辛いものではなかった”から」

 

 ……別に、僕は魔術が辛いのか? なんて質問はしていない。

 それは余計な答えだ。だから僕は怒った。

 

「そんなことは訊いてない。とにかく、話はこれで終わりな」

 

 桜の部屋の扉をバタンと閉めて、僕は自分の部屋に戻る。

 といっても隣の部屋だから、物音はすぐに聞こえる。

 

 ――バタン。

 

 だから、すぐに気づいたんだ。

 僕は、まだ自分の部屋の扉を閉めていないって。

 

「……桜?」

 

 おそるおそる桜の部屋に戻り、扉を開ける。

 

「……桜っ!」

 

 部屋の中では、桜が倒れていた。

 苦しそうに胸を押さえて、滝のように汗を流している。

 

 ……そういえば、さっきから暑いのか、桜はよく額の汗を拭いていた。

 でも、そもそも体調なんて、数日前から悪かったんだ。

 

 とにかくこれは、おそらく刻印虫のせいだろう。

 僕は魔術の心得がないから分からないけど、遠坂や衛宮ならすぐに分かるはず。

 

 そこで僕は桜を抱き上げて、すぐに居間へ向かおうとした。

 

「――――待て、マトウシンジ」

 

 ――だっていうのに。

 

「動くな。これは我がマスター。つまりお前の先祖の命令だ。今すぐそこの娘を連れて、声を上げずに表へ出ろ。さもなくば、このアサシンが仕事を果たすまで」

 

 ――なんで、あのアサシンの声が、どこかから聞こえてくるんだ?

 

「……な、なんだ。どこにいるんだ?」

 

「貴様では私の居場所は掴めない。それより、今のは抵抗の意思を持った声上げか? そうでないのなら、言う通りにした方が懸命だぞ」

 

 ――なんだよ、これ。

 え、衛宮の奴や、遠坂の奴は、このことを知らないのか?

 もしかしてライダーの奴もキャスターの奴も? あ、あいつら何してんだよ!

 

「……い、言いたいことは、ハッキリ言えよな。ぼ、僕が逆らったら、どうするつもりなんだよ。僕を殺すのか?」

 

「……貴様は殺さん。暗殺対象ではない。私が殺すのは、間桐と名がつくモノたち以外全てだ」

 

「……わ、分かった。で、でも」

 

「まさか、また時間稼ぎか? ならば、私はもうひとつの仕事に移させてもらう」

 

「っ――わ、分かった! 分かったから待ってくれ! クソッ。言う通りにすりゃあいんだろ!?」

 

 桜を抱き上げて、僕は部屋を出る。

 

「西を回れ。東はやつらに近づくことになる」

 

 廊下に反響するアサシンの声を聞いて、言う通りに縁側へ出る。

 

「庭に出て、その娘を庭の中央に下ろせ」

 

 言われた通り、庭の中央に桜を下ろす。

 

「こ……これで、いいのかよ。だけど、残念だったな。すぐに衛宮と遠坂が気づいて駆けつけてくる。そうなったとき、返り討ちに遭うのはお前の方なんだからな、アサシン!」

 

「……自分で何もできない小僧がよく吠える」

 

 ……っ。

 

「――まぁ、そこが孫の可愛らしいところじゃて。あまり悪く言わんでくれ。アサシン」

 

 刹那、僕の全身に怖気が走った。

 塀の上に立つ、お祖父様の姿を見て――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ――カランカラン。

 と結界の警報が鳴り、居間の明かりが消えてなくなる。

 

「――――遠坂っ!」

 

 即座に台所から飛び出し、俺は遠坂と顔を合わせた。

 

「全員、離れないで! 特にイリヤは、わたしの隣にいなさい!」

 

「俺は桜のところに行く!」

 

 廊下に飛び出し、縁側を走る。

 すると庭の方で立っている慎二と、苦しそうに倒れている桜を見つけた。

 

(マスター、塀の上に間桐臓硯が!)

 

 ――それも、確認した。

 庭に飛び出て、干将・莫耶を投影する。

 

「間桐臓硯! テメェ、どれだけ桜を苦しめれば気が済むんだ!」

 

「……フン。衛宮の小倅も来たか。無論、儂も孫を痛めつけるのは気が引けるが、全ては聖杯のため。それに影を引き出すには、これ以外に方法がなくてな。これより極限にまで刻印虫を暴走させて、桜のオドを枯渇させる。さすれば、影はマナを求めて地上に這いずり出てくる。……このようにな」

 

「――ッ! ハ、ァ――――アァアッ!? ァ、ッ――――アァァァ!!」

 

 途端、爪を立てた桜は、喉から血が出るまで掻き毟り始める。

 ――それで、俺の中の撃鉄が落とされた。

 

「テメェ!」

 

「いけないマスター! 影から泥が!」

 

 ――――っ。

 実体化したキャスターの制止で、すんでのところで立ち止まる。

 そこで俺は見た。また桜の下から、泥が湯水のようにあふれ出てきていたのだ。

 しかも桜が泥沼に沈んでいく。その傍らにいた慎二は、泥に触れないよう足を引く。

 

「――――っ。クソッ……だ、ダメだ! 桜!」

 

 だが、慎二は何を考えてか、自分から泥を踏み、桜の腕を鷲掴んだ!

 

「慎二!」

 

 泥に沈む桜を引っ張りあげようとする慎二。

 

「あっ……うっ……、――――」

 

 けれど泥に触れた途端、慎二は全身から力が抜けるようにして、泥の上に倒れ込んでしまった。

 しかし、何故か慎二が泥に沈むことはなかった。

 

 やがて泥が広がり、中から――――セイバーが、出てきた。

 

「――――シロウ」

 

 ――っ。

 そう何度も呆けている場合じゃない。

 俺は決めたはずだ。セイバーを倒し、アサシンも、バーサーカーも倒して、桜を救うと!

 

 ……だが、ここで俺が桜の下へ駆ければ、まずセイバーが邪魔してくるし、きっとアサシンも近くに潜んでいるはず。

 下手な行動をすれば、俺とキャスターはものの一瞬で叩き潰される。

 

 そもそも俺たちは、泥影に手出しできない。

 ……そうして俺たちがどうしようも出来ないでいる間に、桜が――――泥沼に、沈みきった……。

 

「……クカッ! クカッ! クカカッ! ……いや、哀れよな。衛宮の小倅。慎二もそうだ。妙な正義感を振りかざしおって。しかし無力だと分かっていても、こうまで抵抗されると、羽虫のごとき鬱陶しさよな。――ここは念入りに潰しておくべきか。セイバー、アサシン」

 

 ――っ!

 間桐臓硯の殺気を受けて、干将・莫耶を握り締める。

 するとそこで、縁側から遠坂とイリヤがやってきた。

 

「ちょっと、イリヤ!」

 

「待ちなさい。マキリの者。あなたの狙いはわたしでしょう? なら、わたしを持っていけばいいだけの話じゃない。あなたにとっての羽虫なんて放っておきなさい」

 

 ……何を。イリヤは……。

 縁側から庭に飛び出したイリヤは、俺のそばを通り過ぎて、間桐臓硯のところに行こうとする。

 

「お、おい、イリヤっ!」

 

 その肩を掴んで。

 そして、俺は――――その小さな肩が、震えていることを知った。

 

「シロウ。とうとうあなたは、最後まで誰も助けられなかったわね」

 

「――――――――」

 

「でも、サクラだけなら、まだ救い出せる見込みはあるわ。ゾウケンの狙いは黄金の聖杯に移った。もうサクラは用済み。そうでしょう?」

 

「……あぁ、そうさな。無論。儂も孫を使い捨てる気など毛頭ない。すべてが終わったあと、世は全てこともなしに片付いていることだろう」

 

 ……そんな言い分。信じられるか。

 それにイリヤ。その言い方じゃ、お前……。

 

 ――自分が犠牲になれば、桜は助かるって。

 そんなことを言っているも同然だって、分かっているのか……!

 

(――頼むからマスター。ここは抑えてちょうだい。一回、間桐臓硯には好きにさせるの。私の宝具の特性は知っているでしょう? そこの生意気な小娘の言う通り、ここは耐えるべきよ)

 

 ……理屈は、分かっている。

 

「それじゃ、ばいばい。シロウ」

 

 でも、この足は……。

 

 ……桜の下に蠢く泥影が広がっていく。

 その泥影は地面を侵食していき、やがて獲物を見つけた豹のように跳ね上がる。

 鞭のようにしなる泥影。それは槍のように――――イリヤの胸を串刺しにした。

 

「ッ――――! ――――い、イリヤァアアアアアアアアア!!?」

 

 布のように泥影に覆われたイリヤが、桜の下に引きずり込まれるようにして消えていく。

 それを見過ごすことなんてできず、もちろん自分が見――にしてしまったことを理解して、どうしようもなく駆け出した。

 

 向かってくるセイバー。

 もう一つ、何かの気配を背後から感じ取る。

 

(マスター――――!)

 

 それがアサシンの奇襲だと分かっていて、俺は……俺は――――!

 

 

 

 

 

「――クソッ。イリヤァアアアアアアアアア――――!!」

 

 血が出るほど唇を噛み、歯を食いしばり――――この足を、必死に食い止めた。

 

「――――えぇ、それが正しい。シロウ。もし、あのまま突撃してくれば、キャスターの命はなかった」

 

 ……そうだ。

 

 ――シロウ。とうとうあなたは、最後まで誰も助けられなかったわね――

 

 その言葉を真実にさせないためにも、ここは下手に手出しできない。

 

 ふと、塀の上に佇む間桐臓硯が声を上げた。

 

「ふん。走った止まったがなんじゃ。どのみち、再起不能にさせるのは変わらない」

 

 そう言うと、また桜の下から泥影が広がり始めて、こっちに伸びてきた。

 どうやら今度の標的は、俺とキャスターらしい。

 

「衛宮くん!」

 

 背後から叫ぶ遠坂。

 俺はキャスターを背中に守り、縁側まで後退する。

 しかし泥影は押し寄せる波しぶきのように、縁側の窓を全て割ってきた。

 

 そうして俺たちは、黒い津波に呑み込まれて――――

 

 やがて、意識が、保てなく――――――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 黄金の聖杯を手に入れた。

 これにて影に呑まれた黄金の聖杯と青銅の聖杯は、泥影を介してその魂を共有した。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの器には、四騎分の英霊の魂が。

 孫の桜には、セイバー、ランサー、バーサーカーと、三騎分の英霊の魂が。

 

 そして、これら魂を、全て黄金の聖杯の方に移す。

 さすれば黒く染まった黄金の聖杯は、人間性を失い、完全なる聖杯として起動する。

 まぁその前に、天のドレスをアインツベルンの城で見つけなければならんのだがな。

 

 ――――儂の前に、黒き姫が顕れる姿を想像する。

 

「――おぉ。ぉおお! ユスティーツァよ!」

 

 これで儂の計画が、また一歩完成に近づいた。

 

 終わりのときは近い。

 儂は、この聖杯戦争に勝利した暁には不老長寿を得て、真なる根源へと至るのだ……っ!

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 柳洞寺の山門にて。

 私は黒い剣士ガッツを連れて、もう一度ここに戻ってきていた。

 

「……それで、ここに来て何をすんだよ。ソニア」

 

「何もしなくていいわ。貴方がここに来ることに意味があるんだから。それでも手持ち無沙汰なら、私の護衛をしてくれる?」

 

 これから私がすることは、ただの降霊儀式だ。

 ……それも、人類最強の剣豪である、ただの亡霊を降霊させる。というものなのだけど。

 

 ――――魔術刻印・破却。

 憑き物祓いの刻印を捨て去り、私は悪魔に魂を売り渡す。

 

 これよりこの身に憑依させるは、かつて山の中で剣聖と出逢い、その技術を教えてもらおうとして、ついぞ教えてもらえなかった若人が。

 約五十年の歳月をかけて、ただの刀一本のために生涯を費やし、ただの燕を斬ろうとして、やがて無限の高みへと至った、剣豪の正体。

 

 其の名は無く、あるとすれば借り物の名。

 

「運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――

 ――The Future Remember……」

 

 柳洞寺の山門で、過去を視る大魔術を発動させる。

 

 居るは現代。

 

 観るは現代。次に近代、近世ときて――――私は見つけた。

 

「お、おい。そいつは――――」

 

 ただのひと振りで、三振りの刀を生み出す多重次元屈折現象。

 それを編み出した奇跡の瞬間に、私とガッツは過去視という形で立ち会った。

 

 ――――これが触媒となるわけではない。

 ただ縁となるものは出来ただろう。しかしそれはあまりにも微弱な縁。

 

 ――然れどこの場には、霊魂を(あつ)まりやすくするスキルを保有する、破格の英霊がいる。

 彼の力を借りれば、なによりこの剣豪と打ち合った経験が力強い縁となり、且つ戦いの約束を果たせなかったという無念が、あちらから寄ってきやすい念となる。

 

 ――――さて、一念鬼神に通ずるというのなら、見せてみなさいよ。

 

 これは、英霊召喚なんていうものじゃない。

 これは、英霊の座にいるものが直接人間を乗っ取るという、通常ならありえない降霊儀式にほかならない。

 

 未来は既に予測演算され、その上で擬似的な測定を施されている。

 つまり、未来は既に思い出されている。

 現在から観測し、それを視て、それが確定された未来であるのならば。

 偶然の奇跡というものは、全て必然という名の運命として、我が身に降りかかる!

 

「……過去視。再生・終了。……来たれ、鎮まれ。其の名は、(はる)(みやび)月剣士(げっけんし)

 ――――魔術刻印(ゼーレ)許諾(セット)

 

 全ての魔術工程を終了させ、私は汗だくで膝をつく。

 

「おい……何をしたんだ?」

 

「っ……はぁ、はぁ……そう、ね。まぁ、こと近接戦においては最強の使い魔を、味方に出来たってところかな?」

 

 その代わり、搦手には滅法弱いけど。

 

「……ふぅ。とにかく、これで私と貴方の協力関係は終わりよ。魔力の供給は続けてあげるけど、これからは好きになさい」

 

「……そうか。わーったよ。まったく、最初から最後までわがままだったな。――それじゃあな。ソニア」

 

 長い階段を降りていくガッツ。

 それから私は山門の下で体育座りをして、暫しの休憩を取った。

 

 ――それは、少し違う。

 どちらかというと、あるサーヴァントを待っていた、とも言う。

 

「……出てきなさい。いるのは分かっているのよ。――――()()()()

 

 その名を呼んだ瞬間、背後で槍を翻す音と、重圧感を感じられる足音が石畳に響いた。

 

「ほう……よく分かったな、嬢ちゃん。耳か、気配か。そのどれでもねぇな。音消しと気配を断つルーンを使ってたってのに、なぜ気づいた?」

 

 私は振り返り、ランサーの姿を確認する。

 そこには青装束のランサーはいなく、青い服は泥に穢されたように黒ずんでいた。

 さらに影と同様の黒い頭巾を頭から垂らしている。

 

 ……言うなれば、ランサー・オルタ。といっても、彼に反転の影響はないだろう。

 しかし心臓を破られてもなお、世界に弄ばれて、酷使される存在なのは変わらない。

 

「……ケルトにおいて一流の戦士でもあり、魔術師でもある貴方にとって、こんな簡単な魔術。答える必要はないんじゃなくて?」

 

 彼は、私とガッツが来るより前から、この場所にいた。

 それは、先ほどの過去視の魔術でも確認できたことだ。

 

 それに、彼は私が魔術を使った光景を見ていたはず。

 ならば、私が過去視の魔術師であるとは、もう看破しているはず。答える必要はない。

 

「ふん……あの王とは違って過去を視る眼か。しかし、その性質や使い方は未来視と同じものだな。そこまで行くと聖人レベルの異能と言えるが、どちらかというとテメェは森の賢人だな。主に使い方からしてそうだ。誰かのためではなく、身近なものと、自分のために使っている。それもこれも私欲のためだ」

 

「……えぇ、そうなのかもね。でも、それを悪いと思ったことはないわ。だってこれは、私の人生だから」

 

「違いねぇ。そんじゃ、ちょっくら無駄話は終えて――――――――オレに殺されろよ」

 

 ――――――――、悪寒どころではない。

 ただ、その眼光で射抜かれただけで……私は我が身を硬直させていた。

 

 ――黒い猛犬が、朱く迸る。

 

「ぁ――――」

 

 恐怖のあまり喉が塞がって、霊魂を憑依経験させるための詠唱もできない。

 

 ――落ち着け。我が主。我がマスター。何事も明鏡止水の心得だ――

 

 刹那、脳裏に涼やかな声が咲き、私の体は勝手に動かされていた!

 

「――なにっ!?」

 

 ――闇夜に紛れて、私の背中から得物が引き抜かれる。

 それを目撃したランサーはすかさず跳躍して、私の手によって振るわれた()()()()()()竿()を退き躱した。

 

「その刀、何故テメェが持っている!」

 

 ――――もちろん。綾子のアパートから掻っ攫ってきたに決まっている。

 

 私は去年まで、冬木市全体を練り歩いて、あらゆる過去の情報を集めていた。

 そして見つけた。この無銘の剣豪の正体と、そのルーツを!

 ならば、次はそのルーツを現在に向けて辿っていけば、いずれ現物が見つかる。

 

「ランサー。さっきの私の魔術を見ていたんなら、もう分かるでしょ? 私の中にはね、とびっきりの切り札が仕込まれているんだから!」

 

 ――といっても。この身長、この体重、この体型と胸の厚さでは、些か棒振りに慣れるまで時間がかかるな――

 

 ……今のセリフは聞かなかったことにする。

 たとえ慣れるのに時間がかかっても、敵はそこまで待ってくれない。

 英霊なら、このくらいのハンデ。ものの数秒で克服してみなさいよ!

 

 ――よろしい。この槍兵は強敵だ。マスターの全身を一時的に全て貰い受けるが、構わぬか――

 

 上等。そのために貴方を憑依させたんだから!

 

「――Hexerei(ヘクセライ) Satz(ザッツ) von(フォン) Vendée Mion(ヴァンディミオン)――」

 

 ……魔術刻印・起動。

 我が身に宿る霊魂こそ――――遥か雅な月剣士!

 

 全ての憑き物祓いの刻印を破却して、私は無名の剣士に全てを任せた。

 己が命運、己が幸運、己が運命まで、その、総てを――――!

 

「――では、行くぞ。槍使い」

 

 私の口から、私ではない声が出る。

 私の体が、彼に適したものへと作り替えられていく。

 それは日の本の侍が用いる、自己暗示によって己の肉体を戦闘用に作り替え、限定的な未来視を得るなど、飛躍的な戦闘力の向上を発揮する絶技に近かった。

 

「上等だ。アサシン。いや、サムライ。二度とやりあいたくねぇ剣豪。佐々木小次郎!」

 

 そうして、疾風の剣士と神速の槍兵が鉾を交わせた。

 

 ――――風のように切り結ぶ。

 その度にランサーの体から、鮮血という名の泥影()が飛び散っていく。

 泥影とは、世界の悪意が軟泥のように物質化したもの。

 それを身に浴びるランサーは、既に不死身の肉体となっている。

 ゆえにランサーは、己の体が傷つくことを無視して、傷を負う代わりに小次郎の骨を断つため肉薄する!

 

「むっ――――」

 

 泥影が私の体に降りかかり、私の心身が毒に侵される。

 これ以上、この泥影を被り続ければ、おそらく私はあと数滴で死に絶える。

 それを悟った小次郎は、即座に離脱を始めてくれた。

 

「逃がすかよ――――」

 

 逃れられない剣戟を重ねる。

 そも、毒以前に、返される鋒が一度でもこの身を掠れば、私は絶命する。

 

 ――――それでも分かる。

 白熱する闘志。

 加速する剣戟。

 呼吸は既に停止(やめ)ている。

 

 研ぎ澄まされた感覚は、視覚情報を加速度的に読み込み、すべてが遅く、ことごとくが長く感じられる。

 

 やがて、それは剣戟の極地。

 謂わば肉体だけでも無我の境地に至った疾風の剣士(わたし)は、今を以てこの身がどういう状態であるかを悟る。

 

 ――――気づけば毒に苦しむ体は、痛みを訴えるのをやめていた。

 なにも痛覚がなくなったわけではない。言うなれば、体から毒が消えたのだ。

 

 それが何故なのかは分からない。

 ただ一つだけ分かることは――――この身が、武の極限に至ったということだけ。

 

 ――――透化。

 肉体の崩壊を招く運動は骨肉を燃え上がらせて、肉体の限界を超えた死に体は死という有様(事実)に凍えていく。

 

 ――そう。この体は夢想の域に至り、毒という誘拐物を透化させている。

 信じられないが、そう形容するほかない。

 

「もはや斬り合いに邪魔な概念は、私に付与されることはなくなった。

 ――然れど、この身は少女のもの。毒を防いでも殺し合いには向いていない」

 

 鍔迫り合うランサーを弾き返し、その反動で山門から跳躍した小次郎。

 一気に階段の終着点に着地した小次郎は、そのまま疾走し、街の屋根を飛び跳ねてランサーから距離を取る。

 

 一方のランサーは、地面を穿ちながら追ってくる。

 互いに敏捷A+以上の追いかけっこは、あっという間に深山町を越え、冬木大橋を渡り、新都の方まで舞台を移していた。

 

「どうした。逃げてばっかで! 前は逆に、相討ち狙いで容赦なく首を獲りに来ていたじゃねぇか!」

 

「前という話は知らんが、何分こちらは年端も行かぬ少女の体を借りているのでな。こうして人間のものではない動きをしているだけで、我がマスターは今にも死にそうになっている。あまり無茶はできんよ」

 

「そうかい。面白くねぇ。今の俺は首を吹き飛ばされても動けるようになっちまってる。もとより心臓もねぇ。要するに不死身ってことだ。そんでもって魔力は無限ときた。このままじゃ埒が明かねぇから、一刺しで勝負を決めてやるよ!」

 

 小次郎を見据えて、ランサーはコンクリートの上に爆砕着地する。

 次にランサーは朱槍を翻して跳躍し、その槍に寒気を覚えさせるほどの莫大な魔力を収束させていった。

 

「――――穿て、抉れ。この槍は万物万象を突き崩す。

 突き穿つ――――死翔の槍(ゲイ・   ボルク)!!」

 

 解き放たれた朱槍の一投。

 一刺一殺の呪いの槍と謳われる魔槍は、今では暗黒に侵されている。

 そのせいで荒れ狂う波濤のような膨大な魔力は、ただそれだけであらゆる空間を引き裂いていた。

 

 高層ビルの屋上に着地する小次郎。

 

「これは拙いな。逃れ切れるが、流石に躱し切れん――――」

 

 呟いて、小次郎は直下から迫り来る死の暴力に対し、跳躍による後退を選んだ。

 対軍宝具の朱槍がビルを溶解させながら貫通して、私たちに迫り来る。

 

 ――――これを躱すのは不可能だ。

 私も小次郎も死を確信した。

 勝負を決めるなら、宝具を放たれる前に、こちらが決めなければならなかったのだ。

 

 ――だが、誰が言ったか。言わなかったか。

 別に私は、ランサーを倒すつもりなんてない。もとより不死身の存在を倒せるわけがない。

 だから私の目的は、最初から最後まで徹頭徹尾、ランサーからの遁走にのみ要所が置かれている!

 

 

 

 

 

 

「――――まったく。危なっかしい戦いをするものだ。理詰めで行くくせに、最後は直感に頼って事を成す。どこかの誰かを思い出すよ。

 ――――I am the bone of my sword.(我が骨子 は 捻じれ 狂う)

 ――――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!」

 

 

 

 

 

 刹那――――そこで、全くの予想外のことが起こった。

 これは、計算にない。こんな状況で、助けが来るはずがない。

 なのに、彼はそこにいた。

 

 遠い、遠い、高層ビルの屋上。そこに佇むは、洋弓を引番えて宝具の矢剣を放った、今は亡きはずの紅いアーチャーが――――!

 

 空間を捻り切りかっ飛んでくる一射。

 空間を引き裂いて向かってくる一投。

 それが私たちの前で交錯し、新都の上空で無限と極限の宝具が爆発する。

 

 爆風と爆熱の余波で周辺の建物の窓ガラスが全壊し、鉄筋コンクリートが焼け焦げていく。

 深夜の新都は人気がない。おそらく死人が出ることはないだろう。

 

「ぐっ――――これまた超常の武器による応酬とは、鳥肌が立つな。とにもかくにも、助太刀感謝する。謎の弓兵――」

 

 礼を告げ、小次郎は撤退を始める。

 

 その間、ビルの屋上では、アーチャーとランサーが対峙していた。

 そして、これも英霊による規格外の聴力なのか、地上からでも一部始終の会話が聞こえてきた。

 

「礼は要らないさ。無銘の剣士。実は、私も無銘の守護者でな。同じガイアの側に立つ者同士、協力するのは当然と言える。

 ……しかし、まさか自由意思を持って再召喚されるとは思わなかったがな。まったく。これではアラヤからガイアへの転属を考えたくなるよ」

 

 皮肉げに失笑し、アーチャーは私たちから意識を遠のけ、地上から跳び上がってきたランサーを見据える。

 

「それにしても、随分な変わりようだな。ランサー。よもや騎士としての矜持は捨てて、世界の悪意側に与するとは……英雄としての誇りはどこにいったのかな?」

 

「抜かせ。アーチャー。……だが、言いたいことは分かるぜ。オレも、好きでこんな汚れ仕事をしているわけじゃねぇ」

 

「ほう……ならば、操られていると?」

 

「いいや違う。これはオレの意思だ。たとえこの戦いが世界の滅亡に与するものだとしても、オレは一度決めた主人(あるじ)を裏切ることはねぇ。それがオレの矜持だ。オレの英雄としての誇りだ。英霊としての在り方だ。なにより赤枝の騎士団の一戦士としての意地でもある。なにせ、オレはクランの猛犬。ケルトが大英雄、クー・フーリンだからよ」

 

「……ふん。これだから騎士の矜持だとか、誇り、意地だとかと抜かす英雄には心底困り果てる。それほど世界より己が大事か、ランサー」

 

「あたぼうよ。そもそもな。オレが寝返った程度で世界が滅ぶほど脆いってんなら――――そもそも、そんな弱っちい世界があっていいはずがねぇ。生き残りてぇなら、過去を乗り越えろ。それが人類史の強大さ、偉大さだ。現代の人間が、既に失われた神代のものに負けている時点で、これほどつまらねぇ世の中はねぇんだってなぁっ――――!!」

 

 ――――そうして、朱槍と双剣が鍔迫り合った。

 これより両者、無限の魔力を以て、終わらない戦いを演じることになる。

 

 ……世界の悪意と、世界の守護者。

 アラヤとガイアの殺し合い。

 

 ――――今此処に、地球(セカイ)の命運を分ける現代神話の前哨戦が、幕を開けた。

 

 

 

   /了

 

 

 




 ソニアによる降霊、亡霊の召喚、憑依経験について。
 あるところに名無しの剣士がいた。彼は燕返しという秘奥義を使えた。しかし、彼は英霊ではなかった。英霊に匹敵する、ただの亡霊だった。ゆえに聖杯の力がなくとも、降霊対象が亡霊である限り、自力での召喚は可能となる。
 それでも高位の降霊術と縁を結ぶための過去視。そして過去未来現在すべての生霊・死霊を無尽蔵に寄せ集める生贄の烙印というスキルがなければ、無銘の剣士の降霊儀式は成功しなかった。
 さらに降霊させた亡霊に少しでも悪意があれば、憑き物祓いの刻印を破却したソニアは、一瞬で精神崩壊を起こし、廃人に成り果てる。
 その無銘の剣士こと――――仮の名を、佐々木小次郎。
 彼の霊魂の召喚と使役は、数々の奇跡が重ならなければ成し得られないことだった。



 今はガイア側の守護者エミヤvs今はアラヤ・■■■■■側のクー・フーリン〔ランサー・オルタ〕ついて。
 このあとエミヤは無限の剣製を使用し、持ちうる全ての投影武器を用いて、因果逆転の宝具を使用したランサーと相討ちに終わる。
 本来、抑止の守護者が敗北。否、相討ちとはいえ対消滅するなど、あってはならないこと。
 現在切羽詰っている双方の抑止力さんにとって、この相討ちはヒヤヒヤものだったことでしょう。
 かくしてアーチャーとランサーの出番は、これにて終了であります。




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二月十四日

 昼。

 俺は目が覚めたら、何故か自分の家ではなく、冬木教会の礼拝堂にいた。

 傍らには慎二とキャスターがいて、混乱する俺に説明してくれる。

 

 まず俺は、間桐臓硯に桜とイリヤを奪われた。

 そして泥影の波に呑まれて気を失った。

 その後、目が覚めた慎二は、瀕死状態だった俺と遠坂を見て、すぐに教会へ運んでくれた。

 ちなみに慎二とキャスターは俺を担ぎ、ライダーは遠坂をおぶさって、教会までの坂を登ってくれたとのことだ。

 

 最後に、今は教会の奥で、まだ遠坂が眠っているらしい。

 そこまで説明されて、俺はこの打つ手なしの状況にうなだれる。

 

 すると、そんな俺たちの前に言峰綺礼が現れた。

 そしてあろうことか、やつは俺たちに一時的な共闘の提案を出してきた。

 

 共通する目的は、イリヤの奪還。

 言峰綺礼は間桐臓硯を嫌っているのか「あの妖怪の好きにはさせたくない」と言っていた。

 

 そこで反論したのは慎二だった。

 慎二は「いま僕は衛宮と同盟を組んでいるんだ。ただの神父さんなんか要らないよ。そもそもあんたに何ができるんだ」

 と言って、言峰に食ってかかる。

 

 それに対して言峰は「それで。共闘提案は決裂か?」と訊いてきた。

 

 ――俺は選んだ。

 これは俺の戦いだ。

 それに俺には、慎二やキャスター、遠坂やライダーがいる。

 

 そう答えると、言峰は礼拝堂の向こうに去っていった。

 すると入れ違いに遠坂が戻ってくる。

 俺たちは礼拝堂で、今後の方針を話し合った。

 

「いい? 間桐臓硯の手に桜とイリヤが渡った時点で、わたしたちの負けが確定した。宝石剣を完成させようにも、イリヤがいなければ不可能だし、泥影を止めるために桜を殺そうにも、桜はもう間桐臓硯の手の中。これで、もうわたしたちに打てる手立てはなくなった」

 

 ……確かにそうかもしれない。

 だが、俺はまだ諦めていない。

 

 そんな俺の目を見て、遠坂は俺の考えが読めたのか「なら、何か案はあるの?」と訊いていた。

 

「……案は、ある。少なくとも、バーサーカーを倒す手段はある。ライダーの宝具を投影して、賭けに出ればって感じだけど」

 

「へぇ……まぁ、士郎には何か考えがあるのね。それは分かったわ。……なら、慎二は?」

 

 次に遠坂は、慎二の顔を見る。

 

「ソニアだ」

 

 即答する慎二。

 

「柳洞寺に現れてから、一向に姿を見せないでいるソニア。あいつは、きっと何かを知っているに違いない」

 

「そうね。わたしもそう思うわ。あんたたちの話だと、最初にソニアは柳洞寺に現れて、その後の不可解な行動により、セイバーと斬り合い、衛宮くんとキャスターを再契約させた。そして次に現れた場所がアインツベルンの城。そこでは英雄王ギルガメッシュと一緒にいて、アーチャーと抑止の守護者についての話をしたあと、突然姿をくらました。

 ……まぁ、どう考えてもワケありって感じよね。ソニアのやつ」

 

 う~んと喉を唸らせる遠坂。

 そこで慎二が「なら、遠坂の方はどうなんだい?」と訊いた。

 

「わたし? わたしは……あるにはあるけど、まだ黙っておく。別に隠したいわけでも焦らしたいわけでもないわ。まだ確証がないから、期待させるようなことを言いたくないだけ。わたしの案を言うくらいなら、ソニアの居場所を探す方が先決だわ」

 

 そうして俺たちは、三者三様の案を出した。

 

「よし、ならこうしよう。遠坂、慎二。俺はこれから土蔵に戻って、キャスターとライダーと一緒に宝具の投影に取り掛かる。その間、遠坂と慎二はソニアのところに行くといい」

 

「えぇ、その方が良さそうね」

 

 俺たちは立ち上がり、教会をあとにした。

 

 

 

 遠坂たちと別れて、俺は土蔵に戻ってきた。

 そう言えばキャスターの気配は背後で感じられるけど、ライダーはどこにいるんだろうか?

 

(安心なさい。ライダーもついてきているわ)

 

 キャスターが教えてくれて、俺は安堵する。

 もしかしたら昨日の失敗で、断られてしまう可能性も考えてはいたのだ。

 

 ……屋敷に入り、殺風景な庭と割れた窓ガラスに目をやる。

 それから土蔵に入り、俺はシートの上に座す。

 すると目の前に、キャスターとライダーが実体化した。

 

「よし、今度こそ成功させる」

 

 ライダーを膝に乗せ、おでこを合わせる。

 もう恥ずかしがったりしない。

 

 ……いや、実は結構かなり恥ずかしいんだけど、これが失敗したら世界が滅ぶと思え。

 

「それじゃあ行くわよ。マスター」

 

「あぁ、頼む。――――投影・開始(トレース・オン)

 

 そうして俺たちは、また神話の再現に立ち会った。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 昼。

 冬木教会で衛宮と別れたあと、僕と遠坂はソニアの家に足を運んでいた。

 

 呼び鈴を鳴らし、応答を待つ。

 すると普通に、洋館の玄関が開かれた。

 そしてなんと中からは、眠たげな顔をした、パジャマ姿のソニアが出てきたじゃないか!

 

「ふわぁ……なに? 慎二と凛じゃない。何か用?」

 

「――……お、おいソニア! 僕たちはな、お前に話があって来たんだ!」

 

「ちょ、慎二。そんな喧嘩腰にならなくてもいいじゃないの」

 

 後ろから遠坂に落ち着けと言われて、それでも僕は制止を振り払う。

 

「……そう。貴方たちは、私に話があって来たのね。ならどうぞ。お茶を出すわ」

 

 ……えっ?

 呆気なく僕たちを家に入れようとするソニア。

 それに拍子抜けして、全身の力が抜ける。

 

「ほら、だから言ったじゃない。別にソニアと戦闘にはならないわよ。魔術師ってのはね、無駄な戦いはしないの」

 

 そう言って遠坂は、平然と玄関に上がっていった。

 それに僕もついていき、ソニアに客間へ案内される。

 

 やがて紅茶を出してきたソニアがテーブルに着く。

 そこで開口一番。僕がソニアに質問した。

 

「なぁ、ソニア。まず訊きたいことがある。それは柳洞寺の件だ。一体おまえは何が目的で、あの場であんな、敵味方をコロコロ変えるような動きをしたんだ?」

 

「ノーコメント」

 

 ――――そう言って、ソニアは両手にカップを持ち、紅茶をずずずと啜る。

 その泰然とした姿を見て、ちょっと僕はカチンときた。

 

「おい、ソニア。ふざけてんじゃ――――」

 

「待ちなさい慎二」

 

 そこで、遠坂が口を挟んでくる。

 

「……ねぇ。ソニア。わたしね? あなたのこと、そこそこ気に入ってるんだ。宝石バイカーのコネを横流ししてくれたり、時計塔とのパイプを繋いでくれたり。まぁ、あなたにとって、それは全部自分の研究を冬木市でやらせてもらうための管理者へのゴマすり。黄金色(こがねいろ)の菓子だったっていうのは、もちろん分かっているつもりなんだけど……それでもね。それを抜きにして、わたしはあなたのことが好きなのよ。

 ――だってあなた、この街のことが好きでしょ? ここでの研究なんてとっくに終わっているのに、あなたは協会から厳命された一年という研究期間を莫大な有休を払ってまで延期に延期を重ねて、帰還を先延ばしにし続けた。それもこれも全て、卒業まで冬木に居続けるため。

 ……でも、冬木の管理者である遠坂家の口添えがなければ、そんな蛮行は協会が許さない。だから、この冬木の地に留まり続けたいっていう話をあなたの口から聞かされて、頭を下げられて頼まれたとき、わたしは本当に驚いたわ。地元の人間として、これ以上嬉しいことはないもの。

 ……だからね? わたしが思うに、あなたの目的って、案外わたしと同じものなのよ。ちがくて? ソニアさん」

 

 ……その遠坂の懐柔に、僅かにソニアの口元が緩んだ。

 

「……まったく。いつの話をしているのよ……。

 ――えぇ、そうね。私の目的は明日にでも分かるわ。だから今は、ノーコメント」

 

 ――――っ。

 だっていうのに、ソニアはまた口を噤んでしまった。

 

「はぁ……もうこいつはダメだよ、遠坂。なんでか、こんなに意地を張ったソニアは見たことがない。僕が思うに、ライダーが戦ったあの黒い剣士はソニアのサーヴァントだと思っていたんだけど、協力が得られないなら時間の無駄だ。帰ろう」

 

 席を立ち、僕は足早に客間から出ようとする。

 すると傍らにいる遠坂が、何故か僕を見てその目を丸くしていた。

 

「えっ、慎二? あんたも、わたしと同じこと考えてたの?」

 

「ハ――――ちょっと考えれば、すぐに分かることだろ。とにかくさ、もう帰ろうぜ。ソニアは僕たちの味方じゃない。それさえ分かれば、もうここに用はない」

 

 扉の把手に手をかざす。

 その時、ふいにソニアが口を開いた。

 

「――――わたしは、柳洞寺でしか動けない。……大きく、語れない」

 

「……ソニア? ……そう、分かったわ。あなたは何か、自分に縛りを入れているのね? 柳洞寺だったら、全てを話せると?」

 

「えぇ、だから……明日の夜になれば、きっと全てが分かるわ。そしてそれが、最後の決戦になるということも」

 

 そうして僕と遠坂は、ヴァンディミオン邸をあとにした。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 昼過ぎ。

 俺は土蔵で、宝具・屈折延命(ハルペー)の投影を成功させていた。

 ゼロからの投影を行使し、己の裡からハルペーという剣を引っ張り出すような感覚で、俺の手元には、今その宝具がある。

 

「それじゃ、ライダー。これはお前に託す」

 

「えぇ。多少、本物よりランクダウンしているようですが、真名開放に支障はないでしょう。ありがとうございます。士郎」

 

「ふん。私のマスターにかかれば、このくらい朝飯前よ」

 

「……何故、そこで貴方が鼻を高くするのですか。キャスター」

 

 ……それは確かに。

 俺の傍らにいるキャスターは、両腕を腰につけ、背伸びをして胸を張っている。

 

 ともかく、これで宝具の投影は成功した。

 次はバーサーカーと対峙したときのために作戦を立てなければ。

 

「なぁ、キャスター」

 

「――――待って、坊や。客よ」

 

 ……客?

 何やら張り詰めた顔で、キャスターは土蔵の外を睨む。

 その視線の先を追って、俺はその客とやらを刮目した。

 

「よぉ。坊主。なんだか大変そうじゃねぇか。なんなら、オレが手を貸してやってもいいぜ」

 

「――――ガッツ……」

 

 ……なんで、あんたが、ここに?

 そう問いたくて、俺はライダーとキャスターを背後にやり、背の高い大柄な黒い剣士、ガッツと対面する。

 

「あんた、何をしに此処に来たんだ?」

 

「いま言った通りだ。お前たちがこれから何をしようとしているのかを訊きたい。もし、これから戦闘に出るってんなら、協力するぜって話だ」

 

 そこで、背後に控えるキャスターが口を開く。

 

「それは誰の差し金? 共闘の申し出なら、信用に足る理由と証拠が欲しいところだけど」

 

「あぁ……まぁ、正直に言うと、監督役からの頼まれごとだ」

 

 ――――監督役?

 

「お、おい……それって、つまり……!」

 

「あぁ。やっこさん。お前に共闘の申し出を断られて、ちょっと拗ねてたぜ? んで、そこにオレが顔出しに通りかかったら、いきなり――衛宮士郎に協力しろ――だとさ。……まぁ、オレも昨夜から暇になってたからな。強いやつと戦えるなら、手伝ってやろうかと思っただけだ」

 

 ……言峰、綺礼が……!?

 待て、落ち着け。まず言峰が“ちょっと拗ねている様子”を全く想像できない。

 いや、そもそもそんなこと想像する必要はなくてだな……。

 

 そう、俺が考えるべきことは――――ガッツとの共闘を受け入れるかどうかだ。

 

 ……まぁ、これは考えるまでもない。この共闘は受け入れるべきだ。

 この聖杯戦争はサーヴァント同士の戦い。

 なによりガッツとは桜を守るという考えで一致している以上、言峰よりかは信頼できる。

 

 もちろん。裏が見えている言峰の方が、ある意味では互いに警戒して油断せず、ただ目的遂行のために力を合わせることが出来る。

 そういう点で俺と言峰綺礼は、共闘という関係上なら協力しやすい部類に入るだろう。

 

 しかし、何度も言うが、敵は強大だ。

 セイバー、バーサーカー、アサシン。

 これらサーヴァントを打倒するためには、あと一騎のサーヴァントが欲しいと思っていたところだ。

 

 キャスター、ライダー、ガッツ。

 ……そして、サーヴァントには届かないが、一矢報いるくらいはしてやれる俺自身。衛宮士郎。

 この布陣なら、まだ勝負は分からない。

 

「……よし、分かった。ガッツ。一緒に戦ってくれるか?」

 

「もちろんだ。テメェは見所がある。背中は任せたぜ」

 

「なら、最後に問いたい。……あんたは、桜を守る存在なんだよな?」

 

「あぁ……、一応な。まっ、おまえには負けるさ。……それになんだかんだ言って、オレはただ強いやつと戦いたいだけだ。もし強敵と戦う際、桜を守らなければならなくなったら、きっと俺は――――」

 

「そのときは俺に任せろ。あんたは強い。ガッツには戦闘に集中してもらいたいからな」

 

 俺は片手を差し出す。

 目を丸くするガッツ。

 そして、俺が握手を求めていることに気づいたガッツは、この手を取ってくれた。

 

「うっし! それじゃあさっそく、郊外の森に行こうぜ。そこにはバーサーカーがいる」

 

「……え。って、今からか!? それに、バーサーカーがどこにいるのか分かるのか……?」

 

「オレには魔性のものを感知するスキルがある。そして郊外の森に強い魂が三つ感じられる。その中でも一番やばいものがある。おそらく、それがバーサーカーだろう」

 

 ……ならば、あと二つは、セイバーとアサシン。

 

「待ちなさい、坊や。貴方は宝具を投影して、もう魔力が残り少ないでしょう。ここで無理をすることはないわ」

 

 キャスターが止めてくる。

 そこでガッツが言葉を返した。

 

「今すぐ行かないと、たぶん色々と手遅れになると思うぜ。まっ、行きたくないんならそうしろ。オレは独りでも行くがな」

 

 俺たちに背中を見せて、ガッツは屋敷の玄関から道路に出ようとする。

 その背中は黒衣に包まれており、おどろおどろしくも血腥い魔力を持つ、巨大な鉄塊の柄が見えていた。

 

「……俺は大丈夫だ。それよりキャスター、ライダー。今は二人の調子を知りたい」

 

「それは……私は、大丈夫ですけど……」

 

「私は問題ありません。士郎」

 

 ――よし。なら話は決まった。

 

「行こう、キャスター。なにも、俺たちは今すぐ郊外の森で決着をつけようとしているわけじゃない。せめて、バーサーカーだけでも片付けておくんだ」

 

「はぁ……そうね。確かに最終決戦前に戦力を減らしておくのはいいことよ。その前哨戦で、一網打尽にされなければね?」

 

 確かに、キャスターの言う通りだ。

 だからこそ、俺たちはこの場で、即席のコンビネーションを確立させなければならない。

 

「――おい、ガッツ! 待てよ。まずは作戦会議だ!」

 

 去りゆくガッツを呼び止めて、俺は大声でみんなに告げる。

 

「まず郊外の森で交戦する際、一気にセイバー、アサシン、バーサーカーの三騎が泥影の中から出てくるだろう。そのとき、俺はセイバーと打ち合う。アサシンはキャスターが相手取れ。ガッツはバーサーカーと戦闘。そしてライダーは隙を見て、バーサーカーに宝具を叩き込むんだ。ライダーはバーサーカーの宝具・十二の試練(ゴッドハンド)を一時的に打ち破れる宝具を持っているからな。

 そしてバーサーカーを倒せたら、すぐに撤退だ。大まかな作戦はこれでいいな?」

 

「あぁ、それは構わねぇが……十二の試練(ゴッドハンド)?」

 

 ふと、ガッツが首をかしげる。どうやらガッツは、バーサーカーの蘇生宝具を知らないらしい。

 だから俺は、アーチャーから流れてきた記憶を整理し、バーサーカーには十一個の命のストックがあって、全部で十二個の命を持っている。ということを説明してやった。

 

「ほう……なら、全部で十二回殺さなくちゃいけねぇってことか。だが、オレは前に一回、やつの頭を吹き飛ばしたことがある。これはどうなんだ?」

 

「十二回殺さなくちゃいけないまんまだ。バーサーカーには減ったストックを数日で回復できる能力がある」

 

「……なんだそれ。反則だろ」

 

 眉をしかめて、ガッツは唖然とする。

 

「あぁ……だからこそのハルペーだ。ライダーの宝具は、おそらくバーサーカーを一撃で殺すことは出来ない。だが、宝具の蘇生能力を一時的に無力化できる。つまり、その状態で一回でもいいから、バーサーカーを殺すことができれば――――」

 

「なるほど……要するにギリギリまでバーサーカーの体力を減らし、あと一撃で倒せるというところで、そのハルペーとやらを叩き込む。それでも殺しきれなかった場合、まだあと一撃の猶予は残されているだろうから、ライダーが撃ち漏らしても、オレがトドメを刺せるな。……考えてるじゃねぇか。坊主」

 

 ガッツからお褒めの言葉をもらったところで、俺はキャスター、ライダー、ガッツの顔を確認する。

 ……どうやら三人とも、今の話で納得してくれたようだ。

 これで話はまとまり、俺たちは屋敷を出た。

 

「よし、それじゃあ行こう。郊外の森に――――」

 

 

 

 

 夕方。

 俺たちは郊外の森に到着して、城に向かって歩いていた。

 いつでもアサシンの奇襲に対応できるよう、周囲に気を配り、体を張り詰めておく。

 

「……あぁ、そうそう。一つ言い忘れてたが、オレのスキルは気配遮断を無効化する。上位スキルの気配感知に近しいスキルなんだ。だから、あんまり心配しなくていいぞ」

 

「えっ……そ、そうなのか?」

 

 といっても、これからは戦闘が起きる。気を張り詰めておくのに越したことはない。

 

 

 

 それから数十分。

 森の中を進んでいると、不意にガッツが声をかけてきた。

 

「……近いぜ。この気配はバーサーカーじゃない。正々堂々上がって来るってことは、セイバーだな」

 

 ――っ!

 ガッツが言うと同時に、森が暗黒に包まれる。

 ……囲まれた。それでも脱出口がないわけではない。

 

 目の前に泥の影だまりができる。

 その中から、セイバーが出てきた!

 

「……性懲りもなく、また来ましたか。シロウ」

 

「あぁ、オレは諦めが悪いんだ。セイバーなら、もう知っているだろ」

 

「……分からない。既に貴方は、サクラとイリヤスフィールを救えなかった。彼女たちはもう、間桐臓硯の手により自意識を剥奪されている。これ以上首を出せば、貴方の命はないぞ。シロウ」

 

 …………。それでも――――

 

「まだ戦いは分からないだろ。こっちにはキャスターがいる。ライダーがいる。ガッツがいる。遠坂も、慎二も。そして……たぶん、ソニアも。そしてセイバー、()()()()()()()()。お前は泥に呑み込まれても、最初から最後まで桜のために剣を執っていた。いつでも俺は殺せたはずだ。……まだ諦めてない仲間は大勢いる。ならば俺たちは、何度だって立ち上がってやる」

 

「……よろしい。ならば絶望を知れ。シロウ。……今しがた、バーサーカーが目覚めた。こうして私が出てきたのは、シロウたちと戦うためではない。これは思考を奪われる前のサクラが残した最後の命令だ。……シロウたちが来たら、なんとしてでも引き返せと」

 

 ……そうか。

 でも、そうだとしたら、俺がセイバーを相手にする必要はないってことだ。

 ならばアサシンはどうなのか、セイバーに訊いてみる。

 

「アサシンはいるのか?」

 

「あの暗殺者は魔術師の護衛をしている。バーサーカーで事足りると思っているのだろう」

 

 そう言ってセイバーは、泥の中に潜っていった。

 

 ――――ふと、遠くで遠雷の咆哮が上がる。

 続いて土石流じみた地響きが、前方より迫り来る。

 

「坊主は下がってろ。……いや、こりゃ逃げた方がいいな。オレでも真正面からアレと対峙するのは無理だ。まぁ、そもそも逃げ切れるかどうかも分からねぇがな」

 

 大剣を構えて、ガッツが俺より前に出る。

 まだバーサーカーの姿は見えないが、数本の大木が宙を舞っているのが垣間見える。

 

 ――アレは、ヤバイ。

 そうは言っても、怖気づいてはいられない。

 なにせ俺は今、セイバーに啖呵をきったばかりだ。

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 弓を投影し、和弓の構えを取る。

 次にカラドボルグを投影して――――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)を用い、バーサーカーの足止めを買うことにした。

 

「ガッツ。一撃目は俺に任せろ。辺り一面吹き飛ばすから、巻き込まれるなよ」

 

 

 

 ――――そうして森の奥深くから、破壊の嵐が現れた。

 

「■■■■――――■■■■■――――!!!」

 

 泥影に覆われた黒い布。

 高い神性を証明する赤い刺青。

 今、最悪の方向性で最恐となったバーサーカーが、質量の暴力を以て吶喊してくる!

 

「我が骨子は捻じれ狂う。

 ――――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!」

 

 現在、衛宮士郎が持ちうる武器の中で、最大の一射を放った。

 地面を、木々を、黒い巨人を巻き込んで、空間を螺旋に引き裂く虹の剣。

 それがバーサーカーの下半身にて爆発することにより、その機動力をまるごと奪い取る!

 

「よくやった坊主! あとはオレに任せろ!」

 

 バーサーカーの動きが鈍り、大剣を掲げたガッツが駆け出す。

 その首に叩き入れる鉄塊の一撃。

 その攻撃にバーサーカーは、反射的に手に持つ斧剣で合わせに行った!

 

 ――――そして、竜巻の如し剣戟が、俺たちの前で火花を散らす。

 

 黒い剣士は一歩も引かず、常人では捉えられない速度で大剣を奮う。

 かたや黒い巨人も、顔が黒い頭巾に覆われて目が見えないでいるだろうに、向かってくる鉄塊を完璧に捕捉。ことごとくを撃墜していく。

 

「――――ッ!?」

 

 刹那、ガッツの顔色が急に悪くなる。何か様子がおかしい。

 ――あいつ、なんで奮う腕を弱めてんだ!?

 

「……出て、来るなァッ!!」

 

 突然叫び、ガッツは何かを振り払った。

 ――おかしい。

 今、ガッツの背後から、黒い狼のような何かが出てきていたような……?

 

「■■■■■――――!!」

 

 攻撃速度を上げ続けるバーサーカー。

 流石にこれ以上はガッツの体が持たない。

 しかしガッツが隙を作ってくれない以上、ライダーが飛び込むには、まだあまりにも危険すぎる!

 

「まるで災害ね……! 鍔迫り合いの風圧だけで木々が靡くってなによ!? あの二人は化物なの?!」

 

「何も出来ない神代の魔女は黙っていてください。あそこに飛び込むのは私なのですから」

 

 前方で起こっている戦闘が暴風怒濤すぎて、背後にいるキャスターとライダーの話し声が聞こえない。

 既に俺の鼓膜は、眼前で轟く雷鳴のような剣戟に聴力を失っていた。

 

「――――くっ!」

 

 重い一撃。

 バーサーカーの絨毯爆撃といえる一撃を喰らって、ガッツがたたらを踏んだ。

 

 ――――そもそも、俺はこの化物を、最初はガッツの協力なしでやり合おうと思っていた。

 だからもちろん。ガッツに全てを託すなんて、そんな他人事みたいな真似はしない!

 

「ライダー! 俺に合わせろ!」

 

「えっ!? ま、待ちなさい、マスター!」

 

 俺は生身で突撃し、バーサーカーと打ち合いながらたたらを踏んで下がったガッツより――前に出る!

 

「何っ!? テメェ、馬鹿か――っ!?」

 

 あぁ、馬鹿だろうさ。

 これは自分から、台風の目に飛び込んだようなもの。

 ……いや、死という名の嵐に身を投げたしたも同然。

 

 だが、一度。

 たった一度だけなら――――!

 

「■■■■■■■――――――――!!!!!!」

 

 突然バーサーカーは、標的を俺に変更した。

 何故そうしたのかは分からないが、これでバッチリ、ガッツを守れる。

 

「――――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 バーサーカーの前に五枚の花弁を展開する。残り二枚は、まだ俺の実力じゃ足りない。

 しかし俺の右から迫り来る神速の一撃なら、この五枚だけで、なんとか――――!!

 

 一枚、二枚、三枚四枚五枚――――ッ!?

 コンマ一秒で全てが破壊され、俺はまたコンマ一秒後の死を悟る。

 刹那、俺の傍らでは、踏ん張りを決め、歯を噛み締めるガッツが、その左の怪腕を構えていた――!

 

「もう一度、吹っ飛べ!」

 

 爆音とともにガッツの左腕から炸裂した、Aランク以上の魔力砲弾。

 その鉄球と爆薬が、バーサーカーの斧剣に直撃する。

 しかし、それだけの破壊力を以てしても、バーサーカーの攻撃を止めるには全然足りなかった。

 

「――――ぐおっ!?」

 

 ガッツに首根っこを掴まれた俺は、乱暴に地面を引きずられる。

 同時に、俺がさっきまで立っていたところに、地面を抉るバーサーカーの斧剣が叩き込まれた。

 おそらく大砲の一撃で、軌道を逸らすくらいはできたのだろう。

 

「ライダー! テメェの番だ!」

 

 大声を上げるガッツ。

 一方のライダーは、それを言われる前に実行していた。

 いつの間にかバーサーカーの側面に回り込んでいたライダーが、その手に輝く鎌を叩き込む!

 

「■■■■――――!!」

 

 しかし、バーサーカーは恐るべき脊髄反射で斧剣を地面から抜き取り、側面より来るライダーを撃墜しようと――――!

 

「まったく世話が焼ける――――!」

 

 その時、キャスターの高速神言が詠唱された。

 魔力弾のビームがバーサーカーの腕を狙って炸裂する。

 それにより、どろりとバーサーカーの腕が、腐食して溶け落ちた。

 

「万物に再生なき死を――――屈折延命(ハルペー)!!」

 

 そしてライダーの鎌が、バーサーカーの胴体に刻み込まれた。

 瞬間、ハルペーの刀身が光り輝き、バーサーカーの胴体の一部に裂け目が生じる。

 

「――! あそこだ、ガッツ!」

 

「オレだけじゃダメだ! 巻き込んでもいい、坊主も合わせろッ! ――ウォオオオオオオ!!」

 

 ガッツは雄叫びを上げながら、バーサーカーの胴体に大剣を突き入れる!

 ――だが、その突撃を受けたバーサーカーは、片腕一本で大剣を掴み、心臓に突き入れられるのを防いだ!?

 

「■■■■――――!!」

 

「なん、だと――――」

 

 大剣を掴まれたガッツは身動きが取れなくなる。

 しかしだ――――ガッツ。お前はさっき、自分を巻き込んでもいいと言ったよな。

 だったら、もう一度やるまでだ!

 

投影(トレース)――――」

 

「待って、マスター!」

 

 ふと、キャスターが俺の詠唱を制止する。

 なぜ止める? そう思ったが、キャスターが俺の宝具を止めた理由に、すぐに勘づいた。

 

 ――ガッツの背中に、黒い闇のような狼が見える。

 その狼は、ガッツの漆黒の鎧と同化しているように見えた。

 

「ぐっ――――クソッ。まずったぜ……――――」

 

 漆黒の鎧が変形し、兜としてガッツの頭を覆っていく。

 やがて闇の狼のような異様へと変貌した甲冑姿のガッツは――――

 

 

 

「u、Ugaaaaaaaaaaaaaaaa――――!!!」

 

「■■■■■■■■■■――――――――!!!」

 

 ……狂化、した。

 

「っ――!?」

 

 かなり危うげに暴走しているガッツから、ライダーが距離を取る。

 

「マスター、下がって!」

 

 キャスターも焦った様子で、俺の腕を引っ張って後退を始める。

 こんなにも二人が焦る理由は、ガッツのあの鎧のせいだ。

 

 ……あれは、どう見ても宝具だ。

 それも筋力・耐久・敏捷のステータスをA++にまで向上させる――――覇魔の境地!

 

 

 

 

 

 ――――それからは、もはや怪獣決戦としか形容できない死闘が繰り広げられた。

 咆哮を上げる二頭の獣。

 その鬨の声で俺たちは吹き飛ばされ、森が薙ぎ倒されていく。

 

 蹂躙される大地。

 

 圧倒的な剣戟を交わし、サーヴァントの戦いという常識すら凌駕してみせる大激闘。

 首が飛ばされても、手足があらぬ方向に曲がっても、死んでも即時再生・即時補強して戦い続ける狂戦士が二人。

 

 それは体に焼き付いた本能による技量勝負でもあって、ただの獣の噛み付きあいでもあった。

 

 ガッツにより全ての四肢を斬り飛ばされたバーサーカーは、その牙のような歯でガッツの首を噛みちぎろうとする。

 対するガッツは、決して手放さない大剣を握り締め、何度も何度もバーサーカーの肉体を細切れに斬り刻んでいく。

 

 ――――息も出来ない殺し合いの連続が、絶え間ない死の連続が、俺の網膜と脳裏を侵し尽くす。

 さらに驚くべきことは、疾うにバーサーカーは俺が目視できる範囲で――――()()()()()()()()()()

 

 ……ありえない。ありえない。ありえない……っ!

 バーサーカーの宝具は、十二個の命だ。そのストックが回復することはあっても、上限のストックは十一個まで。

 だっていうのにバーサーカーは、真の意味で不死身だった。

 

 

 

 

 

 ――――やがて、荒れ狂う闇の狼が、二十八回目の死を暗黒の巨人に与えたところで。

 冒涜された英雄の肉体が、泥影の底に沈んでいった……。

 

 だが、何が信じられないかって。

 あれで、まだ死んでないんだ。

 いや、もう死なないんだ。

 あの、バーサーカーは……!

 

「Frurururururuuuuuuuuuu…………――――――――」

 

 そして狂犬は、戦場に独り、取り残された。

 かの狂戦士が立つ場所は、もはや何も残されていない。

 郊外の森で勃発した神話の激闘は、その舞台だけ、まるで空間ごと円形状に切り取られていた。

 

 ――夕焼け空が見える。

 おそらく深山町にいる人々は、今日は青天の霹靂が多いなと、のんきに微睡んでいることだろう。

 

「……マスター。逃げるわよ。全力で」

 

「…………」

 

 ガッツは、まだ俺たちに気づいていない。

 キャスターは声を押し殺して、木の枝を踏まないよう後退る。

 ライダーも忍び足が得意なのか、物音を立てないよう下がっていく。

 

 ……だが、もう無理だ。

 あの狂犬からは、誰も逃れられない。

 

「――――……!」

 

 兜の鼻と耳が、ぴくりと動いた。

 ――――やるしか、ない。

 

「キャスター。気づかれた。逃げることはもう考えるな。――――宝具を使うぞ」

 

「……っ!? マスター、正気? 私に、あれに近づけと?」

 

 そうだ。もはや最後まで言う必要はないだろう。

 俺は今まで、ただ怪獣決戦の戦いを見て、棒立ちしていたわけじゃない。

 ガッツの鎧を、マスターの透視能力で確認して、あれが魔法級の呪いであることが分かったのだ。

 

 ならば、あとは皆まで言わずとも分かってくれるだろう。

 キャスターの宝具は、魔術破りの短剣。

 掠るだけでいいんだ。それだけで真名を開放すれば、おそらくガッツは目を覚ます!

 

「無理に戦う必要はないわ。私たちが撤退すれば……!」

 

「ダメだ。おそらくアレは、どこまでも追ってくる! もし街まで逃げ帰ったら、無辜の人々を巻き込んでしまう!」

 

 覚悟を決めろと、俺は無言で示すため、干将・莫耶を投影する。

 

「俺が時間を稼ぐ。ライダーはキャスターのサポートを頼んだ。それと言っとくが、ワンミスすれば俺は死ぬと思う。だからチャンスは一度きりだ。失敗したらものの一瞬で全滅すると思え」

 

 震える脚。かじかむ両手。双剣を握る手に汗を掻いているのが分かる。

 バーサーカーが最恐の具現だとしたら、ガッツの鎧は最凶の具現とでも言おうか。

 

 さっきまでは、そんな最恐と相対しても、俺にはガッツがいた。

 だが、今の前衛は俺だけしかいない。

 

「Grururururu…………」

 

「――――行くぞ」

 

 ――駆け出す。

 同時にガッツも、大剣を肩に背負って駆けてきた。

 

 側面から回り込むライダー。

 一方、俺の背後ではキャスターが追随してくる。

 

「ハァッ――!」

 

 干将を振りかぶる。

 刹那、ガッツは大剣を持ったまま跳躍して、高速の前転を繰り返しながら斬り下ろしてきたッ!

 

「くっ――!?」

 

 受け止めはしない。咄嗟に横転して躱す。

 仮に受け止めるなんてことをすれば、俺は一瞬でぺちゃんこにされる!

 

「Guaa!!」

 

 ガッツは着地ざまに大回転切りを披露してくる。

 その運動能力は、何度見ても反則にすぎるだろ!

 

「――ハァッ!」

 

 今度はライダーが、ガッツの死角を突いて飛びかかる。

 だが、ガッツはありえない角度から腕を通し、大剣をライダーに突き入れようとする!

 

「させるかっ――――!」

 

 全身の魔術回路を励起させ、一足の踏み込みで距離を縮める!

 

「――――ッ!」

 

 俺とライダーに挟まれたガッツ。

 その間合いに、一拍遅れてキャスターも飛び込んでくる!

 

破戒すべき(ルール)――――」

 

 射程外からキャスターは、既に真名開放を行なおうとしている。

 おそらく懐に入ってからの宝具使用では間に合わないと考えてのことだろう。

 

「魔眼・開放――――」

 

 そしてライダーも、魔眼スキルと攻撃宝具を同時に使用する。

 今のライダーが持ちうる手札の中で、それが一番威力の高い宝具だったからだろう。

 

 ――ならば、俺もあと一手が必要だ。

 おそらくガッツなら、二方向からの同時宝具には簡単に対処できる。

 ゆえに、ここはゴリ押しの一発を――!

 

「オーバーエッジ!」

 

「――――屈折延命(ハルペー)!」

 

 石化の魔眼(キュベレイ)によって、ガッツの動きが一瞬だけ鈍る。

 そこに挟み込みのオーバーエッジとハルペーを叩き込み、その全てが回転切りで弾かれるッ!!

 だが、その薙ぎ払いによって生まれた、ただ一度の間隙に――――!

 

「――――全ての符(ブレイカー)!」

 

 狂犬の大剣回しの間隙を縫って、ガッツの懐に潜り込んだキャスターが、いよいよ宝具を発動する!

 ――漆黒の鎧に突き刺さる歪な短剣。

 叫びを上げる闇の狼。その身を消し炭にされた狼は消えていき、ようやくガッツは呪いの鎧から解放された。

 

「――――――――ガハッ!!?」

 

 そして鎧による暗い呪いの中で溺死寸前だったガッツが、四つん這いになって息を吹き返した。

 

「ゴホッ! ゲボォ……ッ!?!」

 

「が、ガッツ!?」

 

 大量の血反吐を地面にブチ撒け、かなりヤバイ倒れ方で気絶したガッツは、それきり動かなくなる。

 だが、死んでいるわけではない。まだ息はしている。というか、あの戦いで死んでいない方がおかしいというか……。

 

「ぁ……」

 

 膝から力が抜けて、かなり間抜けに尻餅を搗く。

 一方、魔力が底を尽きたのかライダーは座り込んでおり、キャスターは息切れして短剣を手に立ち尽くしていた。

 

「……はぁ、はぁ……クソッ。なんとか生き延びたな。バーサーカーは、倒せなかったけど……」

 

「……だ、だから私は言ったのよ! やっぱりやめましょうって!」

 

「……というか。私も落ちたものですね。いくら士郎が認めたとはいえ、この狂戦士を信じるべきではなかった。まさか、ここまで人騒がせな宝具を持っていたとは……いえ、バーサーカーというクラスから、予想して然るべきことだったのですが」

 

「本当よ! まったくこのっ! 蹴ってやる! えい! えいっ!」

 

 ……気を失っているガッツの体を、キャスターが容赦なく小さな足で蹴っ飛ばす。

 

「……だけど、キャスター。ライダー。もしガッツがいなかったら、俺たちは死んでいたんだぞ? まさかバーサーカーの蘇生宝具が、あそこまで悪質なものになっているとは思わなかった。なんで二十八回死んでも眠りに就くだけで、まだ生きているんだ?」

 

 そう聞いても、キャスターは何も答えない。

 ライダーも答えてくれないが、まぁ今のはキャスターに当てた言葉だったこともあり、別に気にしない。

 

「……とにかく、早く撤退しよう。もしここでアサシンに襲われたら、ひとたまりもない」

 

 俺はガッツを背負って、郊外の森をあとにする。

 

 その間、キャスターとライダーは、

「そもそも黒い剣士の言い分に乗っかってバーサーカー退治を承諾した坊やが一番悪いのではなくて?」

「確かに。それは言えてますねキャスター」

 と、何故か俺を悪者にして意気投合していた……。

 

 

 

 夜。

 衛宮邸(自分の家)に帰ってきた俺は、

「あ、あんた――――バッカじゃないのぉおおお!!?」

 と、遠坂凛様にキツイお叱りの言葉を受けていた……。

 

「あ、あのねぇ。わたしたちに何も言わずバーサーカーと戦いに行ったのもそうだし、なんでガッツと一緒にいるのかってのもそうだし、英雄ペルセウスの宝具を投影しているってのもそうだし、バーサーカーが何回死んでも死なないっていうのもそうだし!? あぁもうどこから突っ込めばいいのか分かんないわよこの馬鹿士郎! とにかく次からは、ちゃんとわたしたちに話を通してから行動してよね!」

 

「そうだぞ、衛宮。桜のライダーを勝手に持って行きやがって。なに? もしかしてライダーは衛宮のサーヴァントなの? さも自分の手駒のようにこき使うなんて、まったくこれだから無自覚の女たらしは」

 

 ……むっ。

 遠坂の説教は分かる。あと、確かに桜のライダーを勝手に連れて行ったのもそうだけど……最後の台詞はいただけないぞ、慎二。

 

「なによ? なんか文句あんの?」

 

「い、いえ。遠坂には何も。ほんとに反省していますので……ところで、夕食の支度に取り掛かっても……はい。ダメですよね」

 

 正座から逃げようとしたら、遠坂の蛇睨みに再度、体が硬直する。

 

「はぁ……今夜の夕餉はわたしが担当するわ。わたしに出来ることといえば、それくらいだしね」

 

 そう言って遠坂は、いろいろ吐き出してスッキリしたのか台所に向かった。

 ちなみにガッツはまだ気を失ったままで、居間の端に寝かせている。

 一応キャスターが応急手当をして、全身ボロボロだったガッツの体は、ほぼ完全に回復している。

 

 といっても、どうやらガッツの鎧の宝具は凶悪な能力を得られる代わりに、自身の霊基を削ってしまう諸刃の剣らしい。

 だからバーサーカーとの戦いで削られた霊基は戻ってこないとキャスターは言っていた。

 それ以外にも、ガッツは元々第四次聖杯戦争の生き残りでもあることから、霊基自体は既に三割以上が削れている状態らしい。

 

 一方、あれからライダーは霊体化したままで、どこにいるのか分からない。

 しかしキャスターによると、近くにはいるらしい。

 

「なぁ、衛宮。ソニアの件についてなんだけどさ」

 

 ふと、慎二が口を開く。

 それから俺は、ソニアの件について報告された。

 

 なんでもソニアは秘密主義を貫いており、しかし柳洞寺では別だという。

 そして遠坂によれば、ソニアは自主的な縛りを入れているらしく、つまりソニアは何かの魔術的な要因に絡んでいるのではないか、ということが予想できた。

 さらにソニアの口からは、明日が最後の決戦になる、という不穏な言葉が出てきたそうだ。

 

 それについて遠坂は、大聖杯の降霊日がちょうど明日であることを踏まえ、それに関係しているのではないかと台所から説明してきた。

 そんなこんなで、しばらく慎二と会話をしていると……居間の端でガッツが目を覚ました。

 

「……ここは…………あぁ、そうか。また、暴走しちまったのか」

 

 むくりと起き上がり、ガッツは頭を抱える。

 

「起きたか、ガッツ。まったく大変だったんだぞ。あの鎧の宝具を発動してから後のこと、覚えているか?」

 

「あ――……わりぃ。ちょっとしか思い出せねぇ。確かバーサーカーは八つ裂きにしたが、そのあとは……どうも、世話になったみたいだな」

 

「別にいいさ。あんたがいなければ、たぶんバーサーカーに挑んだ瞬間、あの悪質な宝具で何も出来ずに死んでいただろうし。それに、バーサーカーはとにかくヤバイっていう発見が出来た」

 

「ハ――――僕からしたら、バーサーカーなんていうサーヴァントは元からヤバイと思うんだけどね」

 

 まぁ、それは慎二の言う通りだ。

 でも、そのヤバイやつが、さらにヤバくなっているんだ。

 それが分かっただけでも、今回は大収穫だろう。なんだかんだ言って、みんな無事に生きて帰ってこれたんだし。

 

 ……その時、夕餉の支度が終わったのか、遠坂が中華料理を運んできた。

 そこで、ふと思う。遠坂の手料理を食べられるのって、かなり光栄なことなんじゃないかと。

 

「おっ。凛の食い物か。こいつぁ美味そうだ。今までは味気ねぇもんばっかだったからな」

 

 ガッツは自分も食べる気満々なのか、胡座をかいて食卓の一角に着く。

 すると、遠坂が声を荒らげて待ったを掛けた。

 

「ちょっと! あんたに出す料理なんてないんだからね! そもそもガッツはサーヴァントなんだから、食べる必要ないでしょ!」

 

「おいおい……オレは一応、受肉して半分人間なんだぜ? 前に言わなかったか? このままじゃ腹が減って戦にも出れねぇ」

 

「だったら働かざる者食うべからずってことわざ、知っているかしら!?」

 

「……今日はオレ、随分働いたと思うんだが……」

 

 なんだか遠坂は、ガッツに対して辛辣に当たる。

 その時、ガッツの腹の虫が居間に鳴り響いた。

 

「……ほら。頼むよ」

 

「ぐぬ……ぐぬぬ……――わ、分かったわよ。出せばいいんでしょ、出せばぁ! あと、今までの桜の手伝いで、ついライダーとキャスターの分も作っちゃったから、さっさと霊体化をやめて出てきなさい!」

 

 そう言って遠坂は台所に戻り、三つの食器に大量の野菜炒めを盛って運んできた。

 

 

 

 それから俺たちは遠坂の夕食に舌鼓を打ったあと、恒例の作戦会議に入るのであった。

 

 まず、遠坂が話す。

 

「たぶん。明日が聖杯戦争、最後の夜になると思うわ。ソニアの発言もそうだけど、そもそも聖杯戦争には期限があってね。それを過ぎると聖杯は閉じちゃうのよ。そしておそらく間桐臓硯も、明日には聖杯が降霊する地へとやってくるはず。そこが柳洞寺の地下にある大空洞っていうところよ。それまでの間、わたしたちは英気を養って、最後の決戦までじっと待つの。

 ……といっても、わたしは宝石剣の完成が不可能になったから無力だし、慎二も言わずもがなだわ。まぁ、それでもわたしはついていくけどね? 護衛なんて要らない。わたしを守る必要もないわ。なけなしの宝石で、微力ながらサポートする。それでいい士郎?」

 

「あぁ、それでいい。でも、やっぱり不安は残るけどな。きっとその大空洞という場所では、サーヴァントの総力戦になるだろう。それを思うと、やっぱり危険だからついてこない方がいいと思う」

 

 そこで慎二が口を開いた。

 

「それでも、そこには桜もいるんだろう? なら僕は行くね。何もできないだろうけど、衛宮と遠坂が桜を助け出したあと、桜をおぶって逃げ去るくらいはできる」

 

 そして結局、明日は俺、慎二、遠坂、キャスター、ライダー、ガッツと、全員で出ることになった。

 

「あぁ、そうそう。衛宮くん。あなた、アーチャーの宝具は使えるのかしら?」

 

 ふと、遠坂が訊いてきた。

 

「アーチャーの宝具? もしかして固有結界のことか? それなら、ほんの短時間だけ使えるけど……」

 

「なら、もしそれが長時間使えるようになったら、衛宮くんの戦力アップに繋がるかしら?」

 

 ……なんだって?

 

「そんなことが出来るのか? もちろんアーチャーの固有結界を使えるなら、投影の工程を省けるから、かなりの戦力アップだ」

 

「……そう。まぁ、そうよね。……聞いたわたしが馬鹿だったわね……」

 

 ……?

 なにやら頭を抱えて、遠坂は顔を赤くしている。

 

「……それじゃ、士郎。あとで、ちょっとその、色々とアレがあるから、わたしの部屋に来なさい」

 

「あぁ、分かった。遠坂の部屋だな」

 

 

 

 深夜。

 就寝する前の時間帯に、俺は別棟に用意した遠坂の部屋に赴いた。

 

「とーさかー。入るぞー」

 

 扉をノックして中に入る。

 するとそこには、ベッドの上で座り込んでいる遠坂がいた。

 

「……来たわね。ところでキャスターはいる? いるわよね? なら出てってって伝えてくれる?」

 

 そして遠坂は、これまたよく分からないことを申してきた。

 

「……それは一体どういうことかしら、遠坂の娘」

 

 これには実体化するキャスター。

 対する遠坂は、もじもじとしながら話し出す。

 

「それは……はぁ。分かった。ちゃんと説明するから。それじゃあ二人とも、わたしの前に来なさい。そして全部を了解したら、キャスターには部屋を出てってもらうわ」

 

 俺とキャスターは互いの顔を見合わせる。

 とにかく遠坂の前に座って、話を聞くことにした。

 

「実は、これからわたしの魔術刻印の一部を、衛宮くんに移植しようと思うの。そうすれば、それが受信機代わりとなって、わたしから衛宮くんに向けて一方通行の魔力のパスが通る。で、その移植のために、わたしと士郎を二人っきりにしてほしいのよ。移植は命に関わる手術だから、安全のためにね」

 

 ――なんて。遠坂はさらっと、とんでもないことを言いやがった。

 

「ま、待てよ遠坂。魔術刻印って、魔術師にとっての財産だろ? 何十年、何百年、家柄によっては何千年と積み重ねてきた、命より大事な魔術の結晶じゃないか。なんで、それを俺に……」

 

「そうでもしないと勝てないからよ。あなたはアーチャーの全てを受け継いだ。その責任をきちんと取って、そして返してもらわなくちゃ、わたしの気が済まない。それにね。アーチャーはわたしのサーヴァントで、その力を士郎が引き継いだんだから、ぶっちゃけ士郎はわたしのサーヴァントなのよ。だから、わたしの命令はこれから一生絶対のことなの。……分かった?」

 

 ――――絶句した。

 いや、いつかは言うだろうなとは思っていたけど。

 聖杯戦争が始まってから知った遠坂の性格上からして、アインツベルンの城から覚悟していたことだけども。

 

 まさか、そんな。

 ……赤い顔して言われるとは思わなかった。

 

「……横暴ここに極まれりね。まぁ大体の事情は分かったわ。とにかく、わたしはお邪魔虫ってことね? ……それでも、この部屋から出るつもりはないですけど?」

 

「なっ……! ちょっとキャスター! あんた全部分かって言っているでしょ! もしかして覗きが好きなのかしら!?」

 

「別に? ほかの少女と寝るマスターなんて、何度も見てますし。正直に言って、もう慣れました」

 

「ブフッ……!! き、キャスター!? それってもしかして、イリヤとかのことを言っているのか!?」

 

 ぷいっと顔をそらすキャスターは、それきり霊体化してしまう。

 しかし気配は近くにあった。それでも無言に徹しており、こちらから声をかけても返答はない。

 

 それから俺と遠坂は、なんでか顔を熱くしていた。

 

「……えー。こほん。とにかく士郎。了解は取れたってことでいいのね?」

 

「あぁ。遠坂が、本当にそれでいいのなら。……それでも、やっぱり不安だな。だってこれ、俺が一生かけても返せない借金を、遠坂から借りるってことだろ? まるで悪魔に魂を売り渡すみたいで、なんだか……」

 

 実際、遠坂凛という少女は、あかいあくまだし……?

 

「……ちょっと。誰が悪魔よ」

 

 キッとした目で睨みつけてくる遠坂。

 その刺してくる視線に貫かれながら、俺は本題に戻る。

 

 実際、遠坂からの魔力バックアップは、これ以上ないほどの恩恵が期待できる。

 明日の最終決戦には、必ず固有結界が必要となるだろう。そのために、この申し出を断る理由はない。

 

「それじゃあ遠坂。具体的には何をすればいいんだ?」

 

「んー。それじゃあ……まず、脱げ」

 

 ……まず、脱ぐ。

 

「――――はい?」

 

「そしてわたしも脱ぐから、ベッドの上でわたしと面と向かうこと」

 

「……と、とおさか?」

 

 一体、遠坂は何を言っているのだろうか。

 仮にそんなことをしてみろ。

 俺、慙死此処に極まって死んじまうぞ。

 

「はいそこ、恥ずかしがらない! 別にやましいこととか、いやらしいこととかするわけじゃないんだからっ!」

 

「そういうこと言われると余計に意識しちまうんだが!?」

 

 

 

 ――――それからは、色々と大変だった。

 心臓の鼓動が大きすぎて、下着姿の遠坂が近すぎて。

 それでも刻印移植の際に遠坂の心象風景に入って、そこでパスが繋がったのが確かに感じ取れた。

 

 これで俺の魔力問題は万事解決した。

 俺の二十七本の魔術回路と、遠坂の百本近い魔術回路――否、本来魔術師は持っている魔術回路を全て使うことはないため、遠坂の場合は七十本近い魔術回路。

 これだけあれば、流石に成熟した魔術師であるアーチャーの魔力量には届かないが、それなりの固有結界の展開を維持できる。

 

 ――あとは、明日の夜を待つだけ。

 俺の目的は、決戦の場で桜とイリヤを救い、黒幕である間桐臓硯を討つこと。

 汚染された聖杯に関しては、全てが終わったあとキャスターに任せればいい。

 

 そして……それを為すだけの手立ては、俺の心象風景に貯蔵されている。

 今日に投影した屈折延命(ハルペー)もそうだし、キャスターの破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)もそう。

 ほかにもあらゆる投影武器を用いて、桜とイリヤを泥影から解放する。

 

 それでも、僅かな胸騒ぎがあった。

 何か、違うんだ。俺たちの敵は、たぶん間桐臓硯ではない。

 

 この聖杯戦争は、最初から何かがおかしかった。

 それに気がついているはずなのに、俺たちは気がついていないんだ。

 

 たとえば、いつだったか思い出せない。遠坂とキャスターと学校の屋上で話したこと。

 あのとき、何かに邪魔されたんだ。

 

 ――――分からない。全ては謎のまま、終わりが近づこうとしている。

 もしかしたら俺たちは、何か決定的な見落としをしているのかもしれない。

 あるいは、何かの悪意に騙されているのかもしれない。

 しかもそれは、終わりが近づいて、全てが終わったあとでも気づけない、最悪の呪いなのかもしれない。

 

 ……それでも、俺のやるべきことは変わらない。

 仮に土壇場で、どんな予想外のことが起こっても、俺たちは為すべきことを為すだけだ。

 

 

 

 ――――待ってろよ。桜、イリヤ……。

 

 

 

   /了

 

 

 




 駆け足。飛び足。猛ダッシュ。
 手抜き、手抜き、申し訳ない。




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二月十五日

 深夜。

 ――決戦の時が来た。

 

 ソニアこと私は、最後の戦場へと赴く。

 行き先は、柳洞寺の地下にある天然の鍾乳洞。

 またの名を大空洞と呼ばれる場所に、私は辿り着いた。

 

 魔術的に隠された入口を見つけて、暗闇の段差を降り、広い洞窟に出る。

 

「……止まれ。貴様は何者だ」

 

 ふと、眼前の地面から溢れ出る泥影の底から、セイバーが現れた。

 

「貴様は……シロウの同輩か。なんの用だ? 私は常々、貴様の行動理由を不可解に思っていた」

 

「そんなことないわ。私の目的はハッキリしている。それを、この先で証明してあげるわ。だから、そこを通してくれない?」

 

 私の前に立ちふさがり、セイバーは魔に堕ちた聖剣を構えている。

 しかし戦闘するつもりはないのか、セイバーは脇に逸れて道を譲ってくれた。

 

「この先には死が待っている。それでも行きたいのなら好きにするがいい。それより私はシロウを待っている。サクラからの遺言を果たすためにも、私はここでシロウを止めなければならない」

 

「そう、それじゃ」

 

 セイバーの横を通り過ぎる。

 そして洞窟を抜けると、そこには巨大な大空洞が待っていた。

 

「……来たか。異分子め」

 

 ふと、断崖の手前で、間桐臓硯が呟いた。

 その両隣には、黒いドレスを身に纏った、既に無機物となっている桜とイリヤスフィールが佇んでいる。

 

「どうやらセイバーは言うことを聞かなかったようじゃな。ならば、アサシン。バーサーカー。ヴァンディミオンの魔術師をここまで近づけさせるな。必ずここで捻り潰せ」

 

「――――御意に。魔術師殿」

 

 臓硯の一声で、意識のない桜が手を挙げる。

 すると、彼らの前に泥影の沼が出現し、その下からバーサーカーが這いずってきた。

 

 ……よく見ると、バーサーカーには四肢がない。

 あるにはあるが、それは今にもちぎれかかりそうで、まだ再生途中のように見えた。

 

「――Hexerei(ヘクセライ) Satz(ザッツ) von(フォン) Vendée Mion(ヴァンディミオン)――」

 

 ……魔術刻印・起動。

 我が身に宿る霊魂こそ――――遥か雅な月剣士。

 

 無銘の剣士の霊魂を憑依させ、この肉体を戦闘用に作り変える。

 私はこれからバーサーカーとアサシンを抜き去って、即座に大魔術を詠唱しなければならない。

 ゆえに、この前の夜。ランサーと死闘を演じた時のように、全ての判断を小次郎に任せることは出来ない。

 

 物干し竿を構えて、戦闘技術のみ疑似修得。

 敏捷Eランクの速度で駆けるだけで、この身は限界を迎える。

 それをAランクにまで適応させるとなると、かなりの激痛が伴う。

 よって勝負は一瞬。

 たとえ血を吐いても、筋肉が断絶されても、私は目の前の化物二体を抜き去らなければならない。

 

「■■■■■――――!!」

 

 暗黒の巨人の咆哮が上がり、大空洞を震わせる。

 濁流のように地べたを這いつくばって、迫り来るは破壊の嵐。

 

 一方の暗殺者は、高速で飛び跳ねながら悪魔の腕を開放しようと襲い来る。

 

 それを、私は――――

 

「一歩で、抜き去るッッッ!!」

 

 踵が大地を抉り、爆発的な踏み込みで、百メートルの距離を疾駆する。

 

「なにィ――――ッ!?」

 

 私のことをただの魔術師だと油断していたアサシンを一歩で抜き去り、バーサーカーの真正面に躍り出る!

 

「■■■■――――!!」

 

 腕が使えないから大口を開けて、私を噛み潰そうとしてくるバーサーカー。

 あれを正面から受けて立つのは不可能だ。

 

 それに私の肉体は、あと一度の踏み込みで限界を迎える。

 それより前に、大聖杯が眠る大空洞の頂上に、私は辿り着かなければならない――――っ!

 

 ――ならば、跳躍と同時に斬り伏せろ――

 

 脳裏に怜悧な声が咲く。

 その教えに体が脊髄反射を起こし、物干し竿がバーサーカーの口を縦に斬り裂く。

 同時に私は最後の跳躍をかまして、モノを噛めなくなったバーサーカーを飛び越えた。

 

「――――その長刀は……まさか、ヴァンディミオンの魔術師! 貴様、英霊を、その身に――――!?」

 

 いまさら気づいても遅い。

 全ては予定調和だ。

 つまらない。つまらない。全ては決められていたこと。

 

 ――――間桐臓硯、間桐桜、イリヤスフィールの三人を飛び越えて、私は断崖の頂上。大聖杯の前に着地する。

 

刻限(とき)は来たり――――」

 

 詠唱を始める。

 

「何をするつもりだ、ヴァンディミオン! もはや貴様の好きにはさせぬ――――ガッッ!?」

 

 私の行動を妨げようと飛び上がってきた間桐臓硯の肉体を、神速の剣術で細切れにする。

 それでも首だけは残してやって、これより起こる出来事だけは見えるようにしてやった。

 

 ……さぁ、これより終局(フィナーレ)を楽しもう。

 

「――かつての自分は、過去を視ている未来の自分を視たりて。

 ――――今の自分は、未来を視ている過去の自分を視たりて。

 世界との不完全な約束は、今を以て磐石となった。

 さぁ、運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――

 ――The Future Remember……」

 

 再演される希望の未来。

 再現される過去の希望。

 

 これより大空洞で起きる出来事を、私は此処に映像として再演する。

 そして、これより私たちは、決められたレールの上を再現して(走って)いく。

 

 

 

 三十分後:大空洞崩壊。

 二十五分後:■■■■死亡。

 二十分後:■■■・■■■■■出産。

 十五分後:融■七■■討伐。

 十分後:イリ■ス■フ■■ル解放。

 五分後:衛宮士郎一同到着。

 

 

 

 この魔術は、現在から未来を視るものではない。

 この魔術は、()()()()()()()()()()()()()()()

 過去視による偽の未来測定は、今此処に未来という曖昧性と過去という絶対性を鏡合わせとして、与太話のない物語として完結する。

 

 ……それでもやっぱり。全てがあらかじめ決められているというのは、ちょっとつまらないけど。

 何事も、一つくらい欠けているほうが、丸く収まるものだ。

 

「な――――んだ。……あれは、なんだ? 今見た過去(みらい)は、真実なのか……?」

 

 私の魔術を見たアサシンが驚愕する。

 

「えぇ、そうよ。これより結末に至るまで、この世界はあらかじめ決められたレールの上を走るの。そこに神の悪戯はなく、遊びもない。ただ、つまらない幸福だけがそこにある」

 

「――――だ、ダメだ。そんな馬鹿な。だめだ、ダメだだめだだめだ駄目だダメだだめだだめだダメだァッ! アサシン耳を貸すでない! こんなものはまやかしだ! 決められた未来などあるはずがない! こんなのは許されん! 儂が許さん! アサシン! 己が願望を胸に抱け! 英霊ともあろうものが、悪魔に魅入られるではないわぁああああ!!」

 

 発狂する間桐臓硯。否定を繰り返すだけで、もはや私の存在が目に入っていない。

 確かに。根源に辿り着くための聖杯を前にして、既に根源へと近しい禁忌を見せられては、大抵の魔術師はこうなるものだ。

 

「好きになさい。来たる未来にどう足掻こうと、既に決められている過去を変えることはできないんですもの」

 

 これで全ての布石は整った。

 提示できるカードは、全て出し切った。

 

 ……あとは、士郎たちを待つだけだ。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 深夜。

 俺たちは柳洞寺のお山にやって来ていた。

 そこで地下に入るための結界を見つけて、俺たちは天然の洞窟に入る。

 布陣は、俺とキャスター、ライダー、ガッツが先頭に出て、遠坂と慎二は後ろに控える。

 

 そうして暗闇の段差を降りていると、少し広めの洞窟に出た。

 ……洞窟の奥に、泥影の沼が見える。

 そして予想通り、その中から黒いセイバーが現れた。

 

「……やはり来ましたか。シロウ」

 

「あぁ。そこを通らせてもらうぞ。セイバー」

 

 干将・莫耶を投影し、セイバーと対峙する。

 

「待て、坊主」

 

 そこでガッツが俺の肩を掴み、強引に引っ張り戻された。

 

「セイバーとケリをつけるのはオレだ。坊主は下がってろ」

 

「なっ!? お、おい。話が違うぞ、ガッツ! それじゃあアサシンやバーサーカーが出てきたときはどうすんだ!」

 

「それなんだが、何故かその二騎が出てくる気配がない。つまり、オレはいま手持ち無沙汰ってことだ。それにな、坊主じゃセイバーは倒せねぇよ。それでも納得できねぇのなら、勝手に後方支援に徹してろ。オレはこれから、サシの勝負にこだわるつもりはない。一英霊として、勝ちに行く」

 

 ……それは、つまり。

 

「賢明な判断だ。確かに貴様とシロウが組めば、私を下せる好機が生まれるかもしれない。――――では、行くぞ」

 

 ――――くそっ。考える時間も与えてくれないのか!

 

「俺とガッツが前に出る! キャスターたちは巻き込まれないよう退避してくれ!」

 

 そう叫ぶと同時に、セイバーは莫大な魔力放出で、一瞬のうちに駆けてきた!

 

「オラァアアッ!!」

 

 その突撃を、ガッツは大剣の切り落としで真正面から受け止めた。

 そのまま一息のうちに、ガッツとセイバーの間で、高速の剣戟がぶつかり合う。

 

 セイバーは魔力放出により、圧倒的な筋力と装甲、再生力でガッツを押し切っていく。

 対するガッツは、地面を砕くほどの踏み込みで、怒涛の攻勢を崩さずセイバーを押し返していく!

 そして最後に大きく鍔迫り合った両者は、柄と柄を激突させることで距離を取った。

 

「――――よぉ、セイバー。ちょっと頼みがあるんだがよ」

 

 ふと、ガッツが口を開く。

 

「そのご自慢の聖剣。オレに向けて撃ってみてくれねぇか?」

 

 ――――なっ。

 

「何を、言っているんだ! ガッツ!?」

 

 お前、死にたいのか!?

 そう怒鳴ってやろうとしたら、

 

「……なるほど。前回の焼き直しか。ここで賭けに出たな。バーサーカー」

 

 その挑発を受けたセイバーは、何故か了解して、聖剣を顔の前に構えて見せた。

 

「おう。あの聖剣の光は、オレの中で一二を争うトラウマだが、やっぱり負けたままじゃ死にきれねぇ。ここで挽回を図らせてもらう!」

 

「ま、待て、ガッツ! 何を考えているんだ!? セイバーに宝具を打たせるな!」

 

「おいおい。このままじゃ拉致が明かねぇだろ。今の剣戟の最中に間隙を挟める余地はいくらでもあった。それが出来なかった坊主がわりぃ」

 

 ……っ。悔しいが、ガッツの言う通りだ。

 俺は隙を見て、干将・莫耶によるアーチャーの奥義をセイバーに叩き込もうと思っていた。

 だが、俺の憑依経験はまだまだ甘い。出来ることは増えたが、出来ることに体が追いついていないんだ……っ!

 

「――――だからよ、坊主。何事も身代わりが必要ってこった」

 

「……えっ?」

 

「オレじゃあセイバーにトドメを刺せない。だから、お前がケリをつけろ」

 

 ……何を。

 

 腰を入れて、ガッツは大剣を前に置く。

 一方のセイバーは、その聖剣の真名を開放しようとしていた。

 

約束された(エクス)――――」

 

「――――」

 

 ――――そこで、俺は全てを悟った。

 ガッツの宝具には、魔性に対する特攻がある。

 それが、泥影に呑まれたセイバーの宝具を受けた場合、はたしてどうなるのか!

 

「――――勝利の剣(カリバー)ァアア!!」

 

「――――ッ!」

 

 反転する極光。

 その黒い威光は全てを呑み込む。

 

 対するは魔を断ち切る鉄の魔剣。

 その刀身は、魔性のものを両断する。

 

 ――黒い光の本流が、容赦なくガッツの全身を呑み込む。

 しかし聖剣より解き放たれる極大の魔力奔流は、その全てがガッツの大剣の前で、分水嶺のように()()()()()()()()()()()()()()

 

「なにっ!? まさか、貴様の宝具は――――!」

 

「そうだ、オレの宝具は()()()()()! あの時は聖剣の正しき光に敗れたが、闇に堕ちたテメェを斬るのは、今では造作もねぇことだ! ――――ッ……ウゥオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 放たれ続ける暗黒の極光を、断ち続けるは鋼鉄の大剣。

 そしてサーヴァントとは、宝具を使っている瞬間が最大の攻撃になるが、同時に最大の隙にも成り得る!

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 ――鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)、投影待機。

 次いで、俺が手向けるは――――!

 

 鶴翼(しんぎ)欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)

 ――未だ、不完全。

 

 心技(ちから)泰山ニ至リ(やまをぬき)

 ――故に、応用開始。

 

 心技(つるぎ)黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)

 ――干将・莫耶、三本同時投影、全待機。

 

 唯名(せいめい)別天ニ納メ(りきゅうにとどき)

 ――投影、開始。二対、投擲。一対、この手に。

 

 両雄(われら)共ニ命ヲ別ツ(ともにてんをいだかず)――――!

 ――敵の周囲を旋回する四つの刃。迫り来るはもう二つの牙。

 

 このどちらかを防げば、どちらかは防げない!

 

「――――シロウ。どれだけ手数があろうと、己の実力に追いついていなければ、私を打倒することなぞ不可能だ!」

 

 セイバーが魔の聖剣を振り切る。

 その最後のひと押しで、ガッツはセイバーの宝具を防ぎ切ったものの、壁に叩きつけられた。

 

 次いで、首を狙い旋回する四つの刃を無視したセイバーは、駆け寄る俺の二つの牙を向かい打とうとする。

 それは、己の命を度外視して、ただ敵の首を獲りに行くという、捨て身の特攻。

 ――だが、俺はバーサーカーとの戦いでヒントを得ていた。

 

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 ――――()()()()()()()()()()()()()

 

「セイバーァ……!」

 

 セイバーと打ち合う直前、干将・莫耶を我武者羅に投擲する!

 

「なにっ――――!? 六つの挟み込み!」

 

 セイバーの前後左右を三対の干将・莫耶が囲み込む。

 だが、基本通りの型を失った奥義は、それだけで児戯に等しい技へと堕ちる。

 

「こんなもの、全て払いで――――!」

 

 セイバーは魔力放出によって堅牢な鎧を強化し、聖剣の薙払いで干将・莫耶を弾こうとする。

 その防御行動により二対の刃は弾かれ、残り一対の刃は鎧に防がれるだろう。

 

 確かに。実力の向上がなく、ただ手数が増えただけでは、セイバーを倒すことは出来ない。

 けれども……もし、その増えた手数の中で、セイバーを一撃で倒せる剣があるとしたら――――!

 

「――投影、開始(とうえい、かいし)!」

 

 魔術回路に待機させていた鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)を投影。

 

「なに! その、剣は――――!?」

 

 三対の干将・莫耶を薙ぎ払おうとするセイバーに対し、

 その聖剣も、干将莫耶も……全てを巻き込む形で、一刀両断にしてみせるッ!

 

「行くぞ、鉄塊(てっかい)剣風伝奇(けんぷうでんき)――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――見舞った一太刀。砕かれた黒い鎧。

 セイバーの肩口から血が流れ、泥影が迸る。

 

「――――何故、止めた。シロウ――――」

 

 だが、その首を――――俺は、獲れなかった。

 

「――――」

 

 そんな無様な俺を見て、宝具の奔流を喰らったばっかりのガッツが、起き上がりざまに焦った顔で走ってくる。

 

 その行動が、セイバーにトドメを刺すつもりなのだと、俺は知っていて――――

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 セイバーを袈裟斬りにしている大剣は、その魔を殺す特性によりセイバーをその場に縛り付けている。

 大剣を引き抜かない限り、セイバーはそこから動けない。

 

 だから、俺は――――

 

「坊主! テメェ!?」

 

 言っただろ。俺は誓ったんだ。

 俺は、家族を守るのだと――――!

 

 ――――大剣と双剣が交錯する。

 足りない技量を憑依経験で取り繕う。

 足りない覚悟を別の覚悟で塗り潰す。

 荒れ狂う狂風を前に、俺は成すすべなく弾かれるッ!?

 

「クソッ! させるか――――!」

 

 踏み込みを固め、ガッツをセイバーに近づけさせない。

 怒涛の連撃を、俺はあらゆるものをすくい取る剣戟で追いついてみせる!

 

「テメェ正気か! 迷うな! ここでトドメを刺さなければ、すぐにセイバーは復活するぞ!」

 

「ダメだ! ――――俺は、()()()()()()()()()()()()()()()! それがあるのに、まだ諦められるわけがない!」

 

「――――シロウ……? ダメだ。何を、言っている。ここで私を殺さなければ、すぐに、泥が――――」

 

 セイバーの足元に泥影が生まれる。

 しかしセイバーの半身を切り裂いている大剣のせいで、泥影は完全にセイバーを沼に引きずり込めない。

 

「……考え直せ、坊主! 俺の大剣でも、時間をかければセイバーは治癒する! それは時間稼ぎにしかならない!」

 

「もともとそれでいいんだよ、ガッツ! セイバーが呑み込まれる前に、この先で決着を付ければいいだけだ!」

 

「この……退けぇッ!!」

 

 暴力的な膂力で大剣が奮われた。

 その剣圧の力は、たしかに俺を殺しに来る一撃。

 

「ぐっ――――ッ!?」

 

 防ぎに入った干将・莫耶が砕かれる。

 

「セイ、バーァア――!」

 

 それでも転がって、起き上がって、俺は飛び込んだ。

 俺を吹き飛ばして、セイバーを一刀のもとに――そうとするガッツの前に、反射的に身を投げ出す。

 

「――――チィ!」

 

 刹那、大剣を止めにかかるガッツ。

 だが、もう遅い。

 おそらく俺はガッツの大剣で、この背中を両断されることだろう。

 

 

 

 ――――しかし、いつの間にか俺の体は、セイバーと位置を入れ替えられていた。

 

「カハ――ッ!?」

 

 そこには……俺を庇って、ガッツの大剣に半身を切り裂かれた――――セイバーの姿があった。

 

「……せい、バー……?」

 

 確かセイバーは、俺が体に刻み込んだ大剣の力で、身動きがとれなかったはずだ。

 ……まさか、最後の力を振り絞って、魔を殺す魔力に抵抗したっていうのか……!

 

「……し、シロウ……無事、ですか……?」

 

 背中越しで振り返るセイバー。

 

「セイバー……セイバーァ!?」

 

「あぁ、よかった。これで、サクラとの約束は――――」

 

「……見事だ。セイバー。オレの宝具を受けて、まだ動けるとはな」

 

 そう言って、容赦なく引き抜かれた鉄の大剣。

 セイバーの体から尋常ではない鮮血が迸り、もはや使いものにならなくなったセイバーなんて要らないと、泥影の沼が引いていく。

 

「――――」

 

 膝から崩れ落ちそうになる。

 その時、ガッツが俺の腕を掴んできた。

 握り潰されるのではないかというくらいに、ガッツの握力は強かった。

 

「立て、坊主。お前の戦いは、まだ終わっちゃいないだろう。お前は、誰を守ると誓ったんだ」

 

 ……そんなこと、最初から決まっている。

 

「俺は、桜も、イリヤも、セイバーも守るんだ」

 

「だが、お前はセイバーを救えなかった。それだけだ」

 

 そう言ってガッツは、洞窟より先に進んでいく。

 

 

 

 ……俺の目の前で倒れ伏すセイバー。

 おそらく霊基が消滅するまでに、まだ時間があることが分かった。

 

「……おい、ガッツ」

 

 そのセイバーの切り傷に違和感を覚えた俺は、去りゆくガッツに振り返る。

 

 するとガッツは、

「全てを救う。普通なら、そんな奇跡は許されない。……だけどな。足掻いて、足掻いて、もがいて、もがいた末に……その奇跡とやらは、降って湧いてくるかもしれない」

 そんな独り言を呟いて、壁に寄りかかるガッツは、俺たちが来るのを待っていた。

 

「……マスター」

 

 俺の傍らにキャスターが立つ。

 続いて遠坂が来て、怒りを交えた複雑な表情で口を開いた。

 

「……衛宮くん。今、あなたは……本当に、セイバーを助けようと思って、あんな行動を取ったの?」

 

「あぁ。おかしいか」

 

「っ……えぇ。おかしいわ。そんなんじゃ、あなた。自分が助けられるものも助けられないわよ。どっちを救うのか、それが割り切れないのなら、あなたはこの戦いに向いていない」

 

「いや、違うぞ遠坂。俺は割り切れている。それに……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……えっ?」

 

 それだけ言って、俺はガッツのところに向かう。

 すると、背後から慎二が声をかけてきた。

 

「おい、衛宮。僕は認められないね。今のお前の行動は。なぁ、衛宮……もし土壇場で、あの銀髪の子か、桜のどっちかを選ぶときが来たら、お前はどうするつもりなんだ? 返答次第では怒るぞ」

 

 ……その言葉に、俺は慎二の顔を見て言い返す。

 

「そんなことは起こらない。俺がどっちかを選ぶ時が来たら、その時はもう片方を慎二たちに任せたい。別に俺は、独りで全てを救おうとしているわけじゃない。遠坂や慎二、キャスターやライダー、ガッツがいなかったら、そもそも家族を守るだなんていう誓いは押し通していない。……いや、押し通しきれない」

 

「……そんなこと言われたって、僕と遠坂は役立たずだぞ」

 

「それでもだ。俺は俺の役目を果たす。だから俺たちについてきた以上、慎二も遠坂も協力してくれ。頼む」

 

 我ながら無茶なことを言っているのは分かっている。

 それでも俺は、全てを救える力を、知識を……アーチャーから託された。

 だったら最後の時まで、この信念は押し通すべきだ。

 

 ……それに、このことは自分の家から柳洞寺に出立する直前。キャスターとライダーに話していたことでもある。

 

 ――俺は、桜やイリヤのほかに、セイバーも救うつもりでいる――

 

 そう言うとキャスターは反対し、ライダーも殺意を顕にして、俺への協力をやめようとしてきた。

 それでも俺は説得を尽くして、なんとか二人を納得させた。

 アーチャーから託された記憶の中にあった、()()()()()()()()()()を説明して――――

 

 

 

   ◇

 

 

 

 あと一分程度で、大空洞に士郎とガッツたちが入ってくる。

 そしてイリヤスフィールや桜の状態を見ても何も反応がないことから、どうやら過去通り、ガッツはセイバーにトドメを刺さなかったらしい。

 通常、彼の性格からしたら、これはありえないことだ。

 それでもセイバーを殺さなかったのは、士郎を信じてみたのか、それとも……。

 

 ――――何かしらの要因で、セイバーにトドメを刺せなかった。

 そんな、私でさえ曖昧にしか掴めていない奇跡が、もしかしてどこかにあるのか。

 

 ……とにもかくにも、私は私のやるべきことをやるだけだ。

 

 さて、目の前の間桐臓硯は――ありえない。そんなことはありえない。ありえてなるものか――と独り言を呟くばかり。

 一方のアサシンは正気のままで、侵入者を察知していた。

 そしてバーサーカーの方は、徐々に泥影により四肢の復元が進んでいた。

 

「……ちょっと、そこのアサシン。話があるわ。貴方はイリヤスフィールを守ってちょうだい。私は桜を守るから」

 

「……それは、まさか、先ほどの過去通りにしろと言うことか?」

 

「えぇ。そうよ。どのみち貴方はそうせざるを得ない。今は不出来な聖杯の桜より、完璧な聖杯であるイリヤの方が大事なんだから、間桐臓硯は信頼できる暗殺者にイリヤを守れと命令を下す。すると桜の方が疎かになるけど、そこを何故か私が守る」

 

「……なるほど。確かにどのみち、決められた運命には逆らえんということか――――ならば、これはどうだッ!」

 

 突然、アサシンはダークを投げ放ってくる。

 これは、私が見た過去の中ではなかったことだ。

 

「無駄ね」

 

 それでも、そのくらいの誤差で影響なんてものは出ない。

 物干し竿でダークを弾き飛ばし、少しの誤差程度では大きな流れは変えられないのだと思い知らせる。

 

「一匹の魚が川の流れを変えることはできない。そんな喩えがどこかにあったわね」

 

「……ッ」

 

「おっと。ここで宝具を使おうだなんて考えないことね。私は全力で逃げさせてもらうから。その間に、きっと士郎たちが、イリヤスフィールも桜もセイバーも救いきっていることだろうけどね。()()()()()()()()()!」

 

 私の嘲るような台詞に、アサシンは口を噤む。

 仮面の下の表情は読み取れないが、おそらく苦渋に満ちているのは読み取れる。

 

 その時、ようやく大空洞に入ってきた士郎とガッツたちが、頂上に立つ私を見つけた。

 同時に、間桐臓硯は正気を取り戻して、アサシンに命令する。

 

「次から次へと……アサシン。黄金の聖杯を守れ。バーサーカーを迎撃に向かわせる」

 

「し、しかし、魔術師殿……!」

 

「ええい。口答えするな! ヴァンディミオンの仕組み通りになるわけがない! いいから行け、行くのだ! アサシン!」

 

 臓硯の癇癪を受けて、アサシンはイリヤスフィールの側に付く。

 私は頂上から飛び降りて、バーサーカーの隣に立った。

 

 こちらに向かってくる士郎、ガッツ、キャスター、ライダー。

 そして、これからの戦闘に巻き込まれない位置で、凛と慎二が控えている。

 

「――――ソニア!」

 

 ふと、士郎が叫ぶ。

 続けて何かを言おうとする士郎を遮って、私は物干し竿を構える。

 

「来なさい。士郎、ガッツ。これはね? 私が知る、全ての者たちが望んだ――つまらない終局序曲(アンサンブル)なんだから」

 

「ソニア……?」

 

「構えな、坊主。オレはバーサーカーを相手にする。テメェはソニアを相手にしろ」

 

 そのガッツの言葉で、士郎の目つきが変わる。

 そう、今だけは……私と士郎は戦う運命にある。

 

「……だったら、ソニアの相手はライダーに任せた。キャスターはアサシンが守っているイリヤの方へ行ってくれ。俺は桜の方に行く」

 

 ……そう。

 そうすれば、少なくともイリヤスフィールは解放される。

 

 ガッツは大剣を構えて、バーサーカーを見据える。

 士郎は双剣を構えて、彼より前に出るライダーが私と対峙する。

 そしてキャスターは、アサシンと対峙する。

 

「それじゃ、行くわよ。ライダー!」

 

 ほどほどの脚力で突貫する。

 それに合わせて、ライダーが飛び込んできた。

 

「■■■■■――――!!」

 

 咆哮を上げるバーサーカー。冒涜された大英雄は武器を持たず、徒手でガッツに襲いかかる。

 私たちの傍らでぶつかり合う狂風と嵐。

 

 そこで、私の長刀とライダーの鎌が鍔迫り合った。

 同時に、私とライダーの横を士郎が駆け抜けていく。

 

投影、開始(トレース・オン)――――っ!」

 

 その手には、キャスターの宝具と同じものが投影されていた!

 一方のキャスターは、アサシンと対峙するだけで、こちらの戦況を窺うに留めている。

 そう。士郎はキャスターにイリヤスフィールを任せたとは言ったけど、別に助けろとは言っていない。

 

 そのことをアサシンは知っている。

 あのまま士郎を野放しにすれば、桜だけではなく、イリヤスフィールまでもが泥影から解放されることを知っている。

 だから、それを邪魔したいはずだが……もし持ち場を離れれば、好機と見てキャスターがイリヤスフィールを救ってしまう。

 

 ――つまり、どう転ぼうが、全ては予定調和のうちにある。

 

「聞きなさい、ライダー。これから私はアサシンに突撃する。だからタイミングを合わせて、バーサーカーに宝具を叩き込んで」

 

「――――っ!?」

 

 一度、高速の太刀筋で、ライダーの鎌を弾く。

 言うことを聞いてもらえなくても結構。

 どのみちライダーは、そうせざるを得なくなるから。

 

「アサシン!」

 

「来たかっ!」

 

 その名を叫び、私は三度目の踏み込みで大地を割り、アサシンに突撃する!

 対するアサシンは飛び退り、私とアサシンは追いかけっこを始める。

 

 ――もし、ここでアサシンが宝具を使えば、私は絶対に死ぬ。

 だが、私が死んでいる間に、私はアサシンの首を切り飛ばす。それでもアサシンは不死身だから、すぐに再生する。

 それでも、その一瞬さえあれば……その頃には桜もイリヤスフィールも士郎たちによって救われている。

 

 私が犠牲になるだけで全てが救えるのなら、これ以上望むことは何もない!

 

「グッ――――グゥッ!!?」

 

 しかし、アサシンは宝具を打ってこない。

 私は長刀をアサシンに振るうが、アサシンはそれを躱すばかり。

 既に宝具のレンジ内に入っているというのに、アサシンは宝具を使用してこない。

 

 そうすることで、過去通りになることを恐れて……。

 

「どうしたのアサシン? 宝具を使おうが使うまいが、貴方の敗北は、残念だけど既に決定されている事なのよ!」

 

「……なんということだ。こんな、こんな横暴なことガァアアアアアッッ!!」

 

 ダークを持ち出したアサシンは、ただ私と斬り合っていく。

 その間、私とアサシンの戦闘に目を丸くするキャスターが、ここが好機とばかりにイリヤスフィールへ走り込む。

 

「何がなんだか分からないけど――――破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)!」

 

 イリヤスフィールに短剣を突き入れるキャスター。

 それによりイリヤスフィールの体を汚染する泥影が、その法則を無視してことごとくが初期化される。

 

 解き放たれた世界の悪意。

 黒いドレスから白いドレスへと変身したイリヤスフィールは、糸の切れた人形のように崩折れる。

 

 次いで――ガッツとバーサーカーが戦闘しているところに、隙を突いてライダーが宝具を叩き込みにいった!

 

「今度こそ蘇生なんて許しません――――屈折延命(ハルペー)!」

 

「ナイスだ。ライダーァアッ!!」

 

 ライダーによって、バーサーカーの胴体に一閃が切り込まれる。

 刹那、バーサーカーの蘇生宝具が無効化された一瞬を狙って、ガッツが大剣を叩き込む!

 ――――だが、それだけでは足りない。

 

 バーサーカーは戦闘続行スキルを持っている。一度の殺害にダメ押しを仕掛けなければ、一回殺すことすら難しいんだ!

 ゆえに私は、アサシンとの追いかけっこをやめて――――

 

「お願い。私の体、まだ動いて――――!」

 

「ぐっ……させるかァッ!」

 

 焦るアサシンがダークを投擲してくる。

 それを私は見向きもしない。あのダークが私に当たらないことは、既に過去を視て知っている。

 

「しまっ――!」

 

 焦るあまり狙いを誤ったのか。

 それとも、そうなることを知っているがゆえに、極度の緊張感に敗北したのか。

 ともかくアサシンは、短刀の投擲を狙いから外した。

 

 そして私は四度目の踏み込みで、ガッツの大剣と合わせに行く!

 

「ウォオオオオオオオオオ!!」

 

「ハァアアアアアアアアア!!」

 

 バーサーカーの頭部から胸部までを大剣が縦断し、バーサーカーの素っ首を長刀が両断する。

 直後、命を絶たれたバーサーカーは、世界の悪意から解き放たれた。

 

 ――消滅する漆黒の巨人。

 悪意ある意識に冒涜され続けた大英雄の肉体は、今此処にようやくの安息を得られた。

 

 だが、ここで止まってはいられない。

 私の跳躍の着地場所は、バーサーカーの首を斬り飛ばした先にある。

 

 そのまま私は、桜に駆ける士郎の首を狙って――――!

 

「なに、ソニア――――!?」

 

 ――ガキィン、と。長刀と双剣が切り結ぶ。

 

「何故だ、ソニア! アサシンと戦って、キャスターをカバーして、なんでそこで俺を邪魔するんだ!」

 

「――――コフッ!? ……ご、ごめんなさいね、士郎。……なんたって、過去通りにしないといけないから――――」

 

「……過去、通り……?」

 

 口内からかなりの量の血がこぼれる。

 既に脚の感覚が無い。それでも脚がある以上、私の感覚は無視して、小次郎(私の体)には動いてもらわなければならない。

 

「……お……おのれ……おのれぇ……!」

 

 ふと、断崖の頂上で戦場を眺めていた臓硯が、恨み言を言いたそうにアサシンを睨みつける。

 

「裏切ったな! アサシン!!」

 

「なっ!? ご、誤解でありまする魔術師殿! 私は魔術師殿を裏切ってなどございませぬ! 裏切るつもりなど毛頭ない! ただ、ただ、ただ! これが、定められた未来!

 ――――否、過去なのでありまする!」

 

 間桐臓硯とアサシンが言い合っている。

 その時、大空洞の入口に控えていた慎二が駆け出した。

 

「ちょ、慎二!?」

 

「今だ遠坂! あの生意気な小娘を助けるぞ!」

 

 そう言って慎二は、キャスターとイリヤスフィールのところまで走ってくる。

 そして慎二はイリヤスフィールをおぶさり、凛とキャスターと共にアサシンから距離を取った。

 

 しかして間桐臓硯が、気が狂ったように高笑いを上げる。

 

「あ、はは――――は。もう、ダメだ。未来は、悪魔に蹂躙された……。さらに、アインツベルンの聖杯が解放されたということは、七騎分の英霊の魂が、全て桜の方に流れたということ。それが意味することは――――桜が生まれ変わるということだ。たとえ魔術破りの短剣であろうと、魂の行き先までは初期化できない。あぁ……生まれるぞ。生まれ変わるぞ! この世全ての、化物がぁああ!」

 

「なに……? それはどういうことだ、間桐臓硯!」

 

 士郎が叫ぶ。

 しかし間桐臓硯は、また独り言を呟き始め、もはや聞く耳を持っていなかった。

 それゆえ、私が代わりに解説する。

 

「化物よ。これから間桐桜は青銅の聖杯として、今回の聖杯戦争で集めた七騎分の英霊の魂。アーチャー、ランサー、バーサーカー、真アサシン、ギルガメッシュと融合して、融合七英霊として再誕する」

 

「……ソニア? おい、今のは――――」

 

 冗談なのか? と、士郎は問おうとする。

 刹那、間桐臓硯が口を開く。その腕には、臓硯の令呪が鈍く光っていた。

 

「あぁ、あぁ……! そうだ。最後まで儂は諦めんぞ! 五百年の執念を、こんなところで諦めてなるものか! 桜の中には儂の本体がある。ならば、儂そのものが英霊と融合すれば――――!

 ……令呪を以て命じる。――――アサシン、自害せよ!」

 

「ま、魔術師殿!? ――――ぐ、ごがぁ?!?!」

 

 悪魔の腕で、己の心臓を突き破ったアサシン。

 されどその身は不死身であるため、たった一画の令呪の強制力では、アサシンは死にきれなかった。

 

「重ねて令呪を以て命じる。必ず死してみせろ。アサシン!」

 

「お、おやめくだされ……ま、魔術師殿――――! ぐ、グガァァッ!!?」

 

 自害命令を重ねて命じられたアサシンは、その死にきれない体を殺しきるため、己の霊基を自壊させる。

 悪魔の右腕は折れ、四肢を自分で折りたたみ、最後に首を捻り切る。

 それも全て、アサシン自身の自己改造スキルで成し得られる、最もむごい自殺方法だった。

 

 それでも虫の息でいるアサシンは、最後に断罪とも呼べる救い。――――否、終わりを告げられる。

 

「あぁ……鐘の、音が――――そう、か。わた、し、は――――…………」

 

 泥影から解放されたアサシン。

 その魂が、おそらく桜の中に帰還する。

 

「は、はは! これで、儂が桜の中に入れば――――」

 

 そして断崖の上に在る間桐臓硯の肉体は、今を以て事切れた。

 おそらくその意識を、桜の中にいる本体とやらに移したのだろう。

 ……無駄なことを。

 いずれキャスターの宝具で桜が解き放たれる時に、まとめて殺される過去を視ていたというのに。

 

 しかして七騎分の魂を集めた間桐桜は、その色のない目を裏返させて、足元に広がる泥影の沼に覆い尽くされていった。

 

「さ、桜――――!?」

 

 遠くで慎二が驚いている。

 彼や凛、士郎には、たとえひと時でも、辛いものを見せてしまった。

 

「――――さぁ、士郎。ガッツ。これからは英雄らしく、化け物退治と行きましょう?」

 

 わざとらしく、私は士郎に振り返って言う。

 

「ソニア……お前はまさか、桜を助けるつもりがないのか!? お前は敵か味方か、どっちなんだ!」

 

 そこで――私は味方よ――と即答しようとしたら。

 横からガッツとライダー、キャスターが歩いてきた。

 

「おい、坊主。ソニアを信じてやれ。そいつは最初から最後まで、お前らの味方だった」

 

「ガッツ……?」

 

 ガッツの言い分に士郎は訝しむ。

 しかし、今は悠長に話している場合ではない。

 刻一刻と桜は変容を始めており、既に全長十メートルを越す怪物になろうとしている。

 

「とにかく士郎。話を聞いて。怪物になった桜は破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)で解放できる。ただしキャスターにはガッツについてもらう。理由はガッツの鎧の宝具を安全に使うためよ。ガッツの鎧には、魔術師の魂を一騎分収納できる余りの枠があるの。そこにキャスターを潜り込ませて桜を救い出したあと、キャスターの宝具で暴走したガッツを解放する。ガッツとキャスターは、これでOK?」

 

「あぁ、オレは構わねぇ。しっかし、まさかここでもチビの魔術師を背中におぶさるとは……因果かねこれも」

 

「ちょ、ちょっと! 私はまだやるとは言ってないんだけど! ――きゃっ!?」

 

 キャスターの首根っこを掴んで、ガッツは自分の肩まで持ち上げる。

 それからガッツは、自分の首にキャスターの両腕を回させようと、強引に背中に乗せ上げた。

 

「ほれ、ここで手を離したら落ちるぞ。顎を背中の鎧にぶつけたいか」

 

「も、もう! おんぶされればいいんでしょ!? まったく屈辱的だわ!! 全てが終わったらどうしてやろうかしら?!」

 

 さて、ガッツとキャスターの準備は整った。

 

「それじゃあ、次に士郎。この戦いは貴方が鍵よ。ガッツが桜と戦闘している間に、私とライダーが貴方を援護する。その間に貴方は懐に潜り込んで、その短剣を桜に突き刺す機会を見出してちょうだい」

 

「えっ。ちょ……えぇ?」

 

「諦めましょう士郎。やるしかありません。それに一刻も早くサクラを救い出したい。そうでなければ、私は目の前の少女を怒りで殺してしまいそうです」

 

 ……今の本気の殺意は、申し訳なさも含めて受け止めるとして、それはそれで襲ってきたら切り返す準備をしておく。

 

「――――――――」

 

 鳴動する大空洞。

 咆哮にならない、少女のような泣き叫び声が、大空洞全体を振動させる。

 

「それじゃあ、行くわよ。ちなみに融合した桜は、ギルガメッシュとアーチャーの宝具、ランサーの敏捷性、バーサーカーの凶暴性を揃えて襲って来るから、そのつもりで」

 

「――――な、なんだってぇ!?」

 

 素晴らしいリアクションを士郎が披露してくれた、次の瞬間。

 融合七英霊桜は、その怪物としての肉体を完成させた。

 

 全てが汚泥に覆われた、全長数十メートル以上の怪物。

 外観はてるてる坊主のようで、クラゲのようにゆらゆらと揺れている。

 その頭部に貌はなく、胴体には無数の剣や槍の形をした影が、その先端を見せている。

 さらに足元には数え切れないくらいの影の触手が蠢いており、それらは全てバーサーカーの斧剣より大きいものだった。

 

 私たちを捕捉した融合七英霊桜は、突如として引きのない攻撃速度を以て、雨のように無尽蔵の影武器を投射してくる。

 

「士郎! 私についてきて! あの中を突破するわ!」

 

「嘘だろこんなの!?」

 

 駆け出す士郎の頭上に降り注ぐ、影槍の数々を長刀で弾いていく。

 そして私でも捌ききれない三割の取り逃しを、ライダーが完璧にカバーしてくれる。

 

 一方のガッツは、その呪われた鎧を使用していた。

 

「行くぜ……u、Ugaaaaaa――――!!」

 

「こ、これは……!?」

 

 ガッツの背中に闇の狼が昇りくる。

 それは背中に抱きつくキャスターすらも呑み込んで、ガッツは狂化した。

 

 ――しかし、次の瞬間。

 

「aaaaaa――――あ? こ、これは……。――――あぁ、すげぇぜ、キャスター。まさかオレの正気を取り戻せるとはな。並みの魔術師じゃ、こんなことは出来ねぇぜ!」

 

 ガッツは正気を保ったまま、呪われた鎧を使いこなしていた。

 それからガッツは、天性の魔が持つ破格のステータスを正気のままに再現して、融合七英霊桜に躍りかかる!

 

「行くぜ、桜! 歯ぁ食いしばれェ!!」

 

 その吶喊に迎撃行動を取ったのは、影の触手だった。

 尋常でない量の触手が、ガッツに猛打を浴びせかかる。

 しかし、それらをたったのひと振りで、ガッツは魔の者共を破断していく。

 

 ――――融合七英霊桜との距離まで、あと百数メートル!

 

 その時、敵は攻撃の速度をさらに早めた。

 私の頭上に倍となった影の雨が降り注ぐ。

 

「ソニア! っ――――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 

 士郎を守るどころか私が危うかった場面で、士郎は六枚の花弁を咲かせて影の雨を防ぎきる。

 

「ライダー! 俺を蹴飛ばせ!」

 

「っ!? 正気ですか!」

 

「このままじゃ物量で押しつぶされる! 固有結界を展開する暇もない! 干将・莫耶で活路を切り開く! ――ソニア!」

 

 その呼びかけは「俺に合わせろ」って意味ね……!

 

「蹴飛ばしますよ、士郎!」

 

「あぁ、足の裏で合わせる!」

 

 ライダーは怪力スキルを使用。

 士郎は跳躍し、ライダーの蹴りに乗っかって、大きく敵に接近する。

 

 次々と投射される影の剣。

 私は肉体の限界を超越するのを構わず、小次郎の力を借り受ける。

 

「ハァアアッ!!」

 

 ここまでで、士郎の花弁は一枚に減っていた。

 その一枚を割る攻撃から士郎を守るために、私は降り注ぐ全ての武器を風のように切り崩す。

 

 ――その時、私たちの真下に大きな影が出来た。

 

「――――なっ!?」

 

 空中をかっ飛ぶ士郎から驚きの声が上がる。

 なんと私たちの頭上から、この戦場にいるもの全てを踏み潰すことが出来る、巨大な影の手の平が降ってきていたのだ。

 

 ――あれを防ぐ術を、私も士郎も、ライダーも持っていない。

 魔を断つ力を持つ干将・莫耶なら斬り祓えるかもしれないが、そもそも斬りつける前に踏み潰されてしまうだろう。

 

「――――へっ」

 

 その時、どこかで誰かの失笑が聞こえた。

 

鉄塊・剣風伝奇(ドラゴンころし)ィ――――!!」

 

 次の瞬間。

 頭上より堕ちたる影の空が、そのさらに上より降ってきたガッツの大剣によって一刀両断に切り崩された。

 跡形もなく散っていく影の手の平。

 

 そこで頭上より降ってくるガッツと、地上より跳躍した士郎が、中空ですれ違う。

 

「行け、坊主――――!」

 

「――――投影、開始(トレース・オン)!」

 

 干将・莫耶を投影し、一気に融合七英霊桜の中腹に着地する士郎は――――!

 

「かなり痛いぞ、桜ァッ!!」

 

 魔を断つ双剣を奮って、融合七英霊の腹を横薙ぎに切り開いた。

 

 刹那――――轟音を立てて、形が保てなくなった影たちがボロボロと崩壊を始める。

 そして頭部から、影に纏われていた本体である桜が降ってきた。

 

「――サクラっ!」

 

 降り注ぐ影の塊を避け、ライダーは地べたを這うように駆け抜ける。

 

「行くぞ、ライダー!」

 

 地上に落下する士郎。

 やがて桜が地面に衝突するギリギリのところで、ライダーは彼女を受け止める。

 同時に士郎も着地して、その手には歪な形の短剣を投影しており、桜の下に駆けつける。

 

「目を覚ませ、桜!」

 

 そして士郎は、桜の胸に短剣を突き刺した。

 途端、黒く染まった桜の体が、純白の色に解き放たれる。

 それに合わせて、大空洞全体を覆おうとしていた泥影は、その鳴りを潜めていった。

 

「……あぁ、桜……よかった……」

 

 すやすやと眠る桜の寝顔を見て、士郎は安堵する。

 その周りにライダーとガッツが集まってきて……遅れて凛と、イリヤスフィールをおぶさった慎二もやってきた。

 

「おい、衛宮。戦いは、終わったのか? 桜は……?」

 

「無事だ、慎二。……ところで、イリヤを助けてくれてありがとな。もしあのまま放置されていたら、今の戦いに巻き込まれて無事では済まなかったと思う」

 

 ……士郎と慎二の何気ない会話。

 それだけのことなのだけど、私はそれを見て、どこか安心していた。

 

「……ちょっと、ソニア」

 

 ふと、凛が話しかけてくる。

 

「あなたね。今度こそは洗いざらい話してもらうんだからね!」

 

 その凛の言葉で、全員、私の方に振り返る。

 

「……えぇ。全てを話すわ。まず……戦いは、まだ終わっていないってことを」

 

 

 

『……えっ?』

 

 士郎、慎二、凛が呆ける。

 

 そこで私は、大空洞の断崖の頂上を指さした。

 必然、みんなは私の指先を追って、断崖の奥に聳える大聖杯を見上げる。

 

『――――――――』

 

 瞬間、場が凍った。

 彼らは何を見たのか。

 決まっている。

 

 七騎の英霊の魂は小聖杯から解き放たれて、真の聖杯である大聖杯に帰還した。

 これが意味することは――――この世全ての悪の復活。

 ――――否。それは世界の悪意の復活。つまり幻造世界(ファンタジア)の幕開けとなる。

 

 大聖杯から黒い泥の塔が立ち昇る。

 それを見て、士郎が口を開いた。

 

「……そうだ。まだ戦いは終わっていない。俺かキャスターの破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)で、この世全ての悪に汚染された大聖杯を破壊するか。あるいは、汚染された聖杯でも悪意を起こさずに使えるキャスターに願いを叶えてもらうか。そのどちらかをする必要がある」

 

 そこで私は、首を横に振った。

 

「いいえ。違うわ、士郎。それは、もっとあとの話。私が言っているのは――――世界の悪意の復活よ」

 

「ソニア……?」

 

 凛が呟く。

 ここで私は、自分が知る限りのことを皆に語り聞かせる。

 

「第三次聖杯戦争の折、とある二騎のサーヴァントが召喚された。その中の一騎が、復讐者のクラスで召喚されたアヴェンジャー・アンリマユ。最弱の英霊として召喚され、四日目で敗退した、取るに足らない存在。しかし、この世全ての悪であれと願われた少年は、大聖杯に魂を取り込まれる際、その無色であらなければならない願望機を悪に汚染させた。

 ……でもね。そこに、さらに最悪なものが放り込まれたの。それが、もう一騎の英霊。騎兵のクラスで召喚された、私からしたら真名不明の謎のサーヴァント。そいつは第三次聖杯戦争の最後で敗退したんだけど、こともあろうにそいつは、最後の最後に大聖杯の中に自ら飛び込んで自滅した。

 ……えぇ。本来なら、自滅するはずだった。普通は大聖杯の中に飛び込んでも、霊基が消滅して、魂が大聖杯の中に帰還するだけ。なのに、なんの相乗効果かしらね。この世全ての悪に汚染されていた願望機は、その騎兵を魂として取り込まずに、大聖杯を胎盤の卵に見立てて、約六十年もの間、その騎兵を育てていたのよ。

 ――おそらく全ては、その騎兵を受肉させるために。この世を一瞬にして書き換える、神霊もどきを創造するために」

 

 ――――ドクン。と、

 大聖杯の中で、一回の鼓動が轟いた。

 

 これより先の戦闘は、私でも予測不可能。

 この最後の決戦だけは、どうしても世界が暗黒に包まれていて、何も分からなかったのだ。

 

 でも、これを乗り越えた先には、あらゆる希望が満ち溢れていた。

 ならば、暗中模索にも耐えられる。

 

 そして、私の未来を思い出す魔術が、その騎兵の権能によって無効化されたためか。

 私たちは世界の悪意から、一時的に解放された。

 

「みんな。覚悟なさい。今を以て、私は思い出した。あれが――――副王フェムト。第三次聖杯戦争の折に召喚された騎兵のサーヴァント。“白い鷹”グリフィスが、汚染された聖杯の中で眠り続けて、二回の聖杯戦争を経て神霊もどきとして受肉した、この世の全てを終わらせる魔の顕現。それが司るは、中世暗黒時代における集合的無意識。

 ――――アラヤ・アンリマユ!!」

 

「――なにっ!? グリフィスだとっ!?」

 

 驚愕して、ガッツは大聖杯を見上げる。

 

「ま、待ってくれソニア! グリフィスなんて英霊、俺たちは聞いたこともないぞ!?」

 

「当たり前よ、士郎。ガッツもグリフィスも、空白の時代の英霊。私たちの住む表側の歴史には残らない、裏側の英霊なんだから」

 

 ――そして、胎児は大聖杯の中で始動する。

 

 聳え立つ汚泥の塔。

 その中心部が光り輝き、その中に異形のものが存在していた。

 黒い翼を広げ、漆黒の鷹の兜を冠する魔物が、胎児のように丸くなっている。

 

「――――グリフィス……ッ!!」

 

 知り合いなのか、ガッツは何度もその名を呼ぶ。

 

「これより先は未来予測外の流れ。世界の悪意が働く時間。アラヤ・アンリマユの抑止力が、私たちを邪魔するの」

 

「……なら、俺たちのやることは決まっているな」

 

 桜を抱き上げた士郎は立ち上がり、凛と慎二に振り返る。

 

「遠坂。慎二。……桜とイリヤを任せた」

 

「お、おい、衛宮……?」

 

「衛宮くん……?」

 

 桜を凛に預ける士郎。

 それから士郎は、私の傍らに立って、つと訊いてきた。

 

「それで、ソニア。あいつはどうやって倒せばいい」

 

「分からないわ。私には全く分からない。それでも、やつを倒すしかないのよ。そうするためには、ここに集う全ての奇跡が必要だわ」

 

「……分かった。それなら俺に考えがある。とにかく断崖の上に急ごう」

 

 私と士郎、ガッツとその中にいるキャスター、ライダーは坂を登り、大聖杯の前に到着する。

 

 眼前で眠っている副王フェムト。

 ふと、その眼がパチリと開く。

 

 胎盤として始動する大聖杯が破水して、黒い瀑布が大聖杯の底に落ち続ける。

 その滝の裏側から現れる副王フェムト。彼は私たちを一瞥して、ガッツに目を向けた。

 

「――――ガッツ。あぁ、これも運命か。まさか二回目の受肉にして、またお前がオレの前に現れるなんてな」

 

「……へっ。さて、どうだったか。悪いな。どうもサーヴァントになったオレは、記憶が曖昧らしい。一度人生を終えたことは確かなんだが、その道中を思い出せない。だから……オレはお前に、復讐を果たせたのかどうかも分からねぇ」

 

「……そうか。――――ただ、二回目の生を得ても、オレとお前の出会い方は変わらないらしい」

 

「待てよ。なんでお前は、これまた世界なんかを滅ぼそうとする? どう見ても、今のお前は神霊級の化物だ。お前がそう在れと思っただけで、おそらく一瞬でこの街は潰される。まさか、また力が欲しいからとか、抜かさねぇよな?」

 

「……そうだとしたら? ――お前なら、オレがそうすると分かっていたはずだと、前にも言わなかったか?」

 

 その返答にガッツは押し黙り、倒すべき敵として大剣を構える。

 かたや士郎は、ガッツの――お前がそう在れと思っただけで、おそらく一瞬でこの街が潰される――という言葉を聞いて、表情を強ばらせていた。

 

 ふいに副王フェムトは、片腕を掲げる。

 同時に汚泥の塔から、豪雨のような影の矢が放たれた!

 

「これは――――!?」

 

 その影の武器を見て、私は驚愕する。

 これをすぐに、みんなに伝えなければ――――!

 

 降り注ぐ影の矢。

 私たちは徐々に散り散りになりながら、武器の雨を切り抜いていく。

 

「――――オレは、第三次聖杯戦争に召喚された全ての英霊の魂を以て受肉している。つまり、それら英霊の宝具を所有しているも同然だ」

 

 そこで副王フェムトは、私がみんなに伝えたかったことを言ってくれた。

 さらに汚泥の塔から、人型をした影の軍団が次々とこぼれ落ちていく。

 つまりは断崖の下。凛や慎二のいるところへ、影の軍勢がなだれ込んでいく!

 

「――――まずい。ライダー、ガッツ、ソニア! 俺の体は任せた!」

 

 突然、士郎は何を言うかと思ったら、無防備にもその場で立ち尽くしていた!?

 

「士郎、何を!?」

 

「坊主!?」

 

 驚くライダーとガッツが、慌てて士郎を守りに行く。

 同時に士郎は――

 

「――――体は剣で出来ている」

 

 ――固有結界の詠唱を始めた。

 しかし私は、アインツベルンの城でアーチャーの詠唱を聞き、その小節の長さを知っている!

 

 ――間に合わない。

 頭上から降り注いでくる影の雨から、私たちは士郎を守りきれない!

 

「――――血潮は鉄で、心は硝子」

 

 私は長刀を振るい、士郎に迫る影矢を払う。

 

「……なるほど。ここが正念場というわけですか」

 

 ふと、ライダーが呟く。

 その手には、なぜか金羊毛の皮があった。

 

「私の記憶を覗いた対価として、今朝キャスターから貰った金羊毛の皮。どうやら使うときが来たようですね――――」

 

「おい、ライダー! テメェ何してる!」

 

 士郎に迫る影の槍を、ガッツは大剣を奮って払っていく。

 一方、ライダーは地面に召喚陣を描き、金羊毛を地に放った。また、その手には黄金の手綱を携えていた!

 

「――――金羊の皮(アルゴンコイン)!!」

 

 それは、ひとたび地に放れば竜が現れるとされる黄金毛皮の大秘宝。

 召喚陣の上に舞い落ちた金羊の皮は、突如として黄金の光輝を放ち、周囲一帯の影武器や軍団を焼き祓う。

 

「――――なに?」

 

 副王フェムトが眉をしかめる。

 

 その時、小鳥が一匹入れるかどうかの毛皮の下が膨れ上がり、中から巨大な碧い角が飛び出てくる。

 やがて毛皮の中から、幻想的な白い獣の相貌が現れて……召喚された幻想種は、ものの一瞬で全長十メートルを優に超えるドラゴンとなった!

 

 ――――大空洞に咆哮を轟かせる、黄金の皚々竜。

 

「――――幾度の戦場を越えて不敗。ただの一度も敗走もなく、ただの一度の勝利もなし」

 

 手綱を持つライダーは竜種の背中を駆け登り、即座にドラゴンの首に手綱を取り付ける。

 

「天馬という幻獣を召喚できる幻獣召喚能力を持ち、かつ幻想種を操る手綱を持っているこの私にはぴったりの宝具ですね。ただし、これがキャスターの宝具だというのが玉に瑕で癪ですが」

 

 愚痴を吐いたライダーは、しかし完璧に竜種を乗りこなして、副王フェムトと対峙する。

 

「――――担い手は此処に独り。剣の丘で鉄を打つ」

 

 無言で副王フェムトは、再度、腕を掲げる。同時に汚泥の塔から数百に及ぶ影の武器が投射され、影の軍団も生まれてくる。

 その影の荒波を前にして、ライダーの命令により、ドラゴンは火を噴いた。

 

 焼き払われていく影の軍団。されど無尽蔵に投射される影の武器を前に、ライダーとドラゴンは苦戦を強いられる。

 一方、降り注ぐ影の雨から士郎を守るために、ガッツはその身を大回転させて影の武器を薙ぎ払う。

 

「――――ならば、我が生涯に意味は不要ず。この体は、無限の剣で出来ていた――――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――広がる赤銅色の世界。

 副王フェムトが接続する大聖杯の汚泥の塔ごと、空間の位相をずらして持ってきた固有結界。

 その中に閉じ込められた私たちは、外部の影響を気にせず戦えるようになっていた。

 

 降り続ける影の雨と無限の剣が交錯し続ける。

 私は士郎の傍らに立ち、ライダーとガッツは迫り来る影の軍団を前に立ち向かう。

 

 そこで副王フェムトが、士郎の心象風景を見渡して、興味深そうに顎をさすった。

 

「……固有結界。まさかオレと同じ能力を持っているとはな。……ならば、もし固有結界の中で固有結界を展開したら、一体どうなるのか見てみたい」

 

「……えっ?」

 

 その言葉に、士郎は驚きを隠せない。

 続けて副王フェムトは語りだす。

 

「いいだろう。オレの宝具を教えようか。この姿になったオレの宝具は、幻造世界(ファンタジア)という。固有結界とは似て非なるもので、権能に近しいものだ。その能力は有り体に言えば、世界規模で神代回帰現象を起こすというもの。この現世を神の時代に戻すということだ」

 

 ――――その言葉で、私は確信した。

 今の現実世界は、既にその幻造世界が使われている。

 その上でもう一度使われてしまえば、今度こそガイアは抵抗できない。

 しかも今この場では、アラヤの抑止力が機能していない!

 副王フェムトのスキルか宝具で、アラヤはアンリマユに取り込まれている。

 

 ――この宝具が発動すれば世界が終わる。

 改変された世界は、それだけで絶望にあふれた世界となるだろう。

 

 だが、私たちは副王フェムトを止める術を知らない。

 士郎の固有結界を開いたところで、すぐに打ち破られてしまう。

 

「――――大丈夫だ、ソニア。言ったろ? 俺に考えがあるって」

 

 そう口にした士郎は、私の肩に手を置いた。

 次いで副王フェムトは、もう一度片腕を掲げて、天上を仰ぎ指を差す。

 

「さぁ……今こそ世界を作り変えるときだ。――――幻造世界(ファンタジア)!」

 

 副王フェムトが呟くと同時。

 やつの周囲から、世界を塗り替える光の壁が円形上に広がっていく。

 

「ふぐっ!? ぐ、あぁああ――――!!!」

 

 突然、士郎が苦しみ出す。

 まさか心象風景同士のぶつかり合いとは、互いの精神を摩耗させるぶつかり合いなのか!?

 

 ――――ならば。

 私がするべきことは、もう決まったも同然。

 

 士郎の固有結界が副王フェムトの固有結界に侵食され尽くせば、その権能が外界に雪崩込み、世界の変革が起きてしまう。

 それを阻止するためには、士郎の固有結界を、私の魔術で補強すればいいだけのこと。

 なんたって士郎の固有結界は、私の魔術とこの上なく噛み合う性質なんだから――――!

 

「運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――

 ――The Future Remember……!」

 

 私の魔術は、過去を映像として再現し、集めた過去の情報をもとに疑似的な未来測定を施せる。

 その大禁呪を士郎の固有結界の中で発動したら、はたして一体どうなるのか。

 

 士郎の心象風景に過去はない。あるとすれば、それは“ただの一度の敗北もなく、ただの一度の勝利もない”。

 それはつまり。士郎が自分のイメージに負けない限り、私は負けない過去を蒐集し、勝てない未来を演算し続ける。

 

 ――――無限に廻る無間の歯車は、“終わらない逆転劇”を生み出し続ける!

 

「……ソニ、ア……?」

 

「――さぁ、士郎。今の貴方は、副王フェムトを相手にする必要はないわ。貴方は自分との戦いをしているだけで、私の魔術は相乗され、貴方の固有結界は完璧なものになるのだもの!」

 

 ぶつかり合うは、二つと一つの固有結界。

 

 そもそも剣の丘は、神の世代を見てはいなかった。

 

 そもそも回る歯車は、機械仕掛けの神を許してはいなかった。

 

 そもそも衛宮士郎という男は、副王フェムトを意に介してはいなかった――――!

 

 

 

「――――なに?」

 

 拮抗し合う固有結界に、副王フェムトは顔をしかめる。

 

「グリフィス――――ッ!」

 

 そのときガッツが、副王フェムトに突貫した。

 しかし、全てが神代の魔獣並みで構成されている影の軍勢を前に、ガッツはなかなか突破しきれないでいる。

 

 一方のライダーは、無限に降り注ぐ影の武器から私たちを守るので精一杯。ドラゴンの体にもたくさんの影の武器が突き刺さっており、既に両者限界に近づいている。おそらくライダーの魔力は残り少ないのだろう。騎乗スキルのランクが足りないのも理由の一つに数えられる。今ではもう竜を操ることが精一杯で、その力を十全に発揮することが出来ないでいた。もはや宝具の真名開放も不可能に近い。

 

 絶体絶命の戦力差。

 このままでは幻造世界の侵食を抑えられても、決定打がなくて嬲り殺しにされる。

 

「っ……よし。サンキュ、ソニア。これで――――だいぶ余裕が出来た」

 

 ふと、胸を押さえて士郎が立ち上がる。

 その時、私の目にあるものが映り、ふと気がついた。

 

 ……そうか。その手があったんだ。

 

 士郎の、中には――――

 

「俺の体の中には、聖剣の鞘が埋め込まれている。そして俺の手にある令呪は、元々はセイバーのものだ。

 ……あぁ、おかしいとは思っていたんだ。柳洞寺でセイバーを失ったとき、令呪はすぐに消えず、キャスターと再契約できた。令呪の形もセイバーとキャスターの意匠を組み合わせたようなものになっていた。

 最後に洞窟でセイバーがガッツに斬られたときも、セイバーは……治癒していたんだ。泥影の力はドラゴンころしの力で抑えられていたはずなのに、セイバーは何かほかの力で治癒していた。

 ……つまり俺とセイバーは、まだ繋がっていたんだ。

 ――――俺の胸の裡にある、全て遠き理想郷(アヴァロン)を介して!」

 

 突如として士郎は、令呪のある手の甲を掲げる。

 

「令呪を以て命じる。……セイバー、言ったよな。自分は俺の剣になるって。

 だったら俺はお前の鞘なんだから、()()()()()()()()()()()だろう?

 だから、来てくれ――――セイバーァアアアアアアアアア!!!」

 

 赤銅の光輝を放つ士郎の令呪。

 同時に士郎の体が光り輝き、二画目の令呪を使って、彼は一つの奇跡を行使する!

 

 ――――巻き起こる旋風と閃光。

 おそらく令呪の命令は、洞窟で眠るセイバーを、空間転移によってここまで連れてくることだろう。

 だが、士郎の命令は、鞘から出てこいというものだ。

 

 ……アヴァロンとは、全ての穢れを打ち消す魔法級の宝具。

 それを介して召喚されるということは……もはやセイバーは、アラヤ・アンリマユの汚泥を祓いきっているということ!

 

 しかして、私と士郎の眼前で収束する光輝。

 その光の粒子が一斉に解き放たれた先には――

 

 ――聖剣を携えし蒼銀の騎士が、煌びやかに降り立っていた。

 

「――――セイバー」

 

「――――はい、我がマスター」

 

 掛けたい言葉は色々とあるだろうに、士郎はマスターとしてセイバーに告げる。

 

「決めてくれ。もう、この世界は保たない」

 

「どうやらそのようですね。それに、ここなら加減は要らない。……人類悪のなりそこない。ここで葬ります!」

 

 一歩足を引き、セイバーは聖剣を構える。

 圧倒的な貫禄を放つ騎士の中の王は、ここで全てを救う宝具を発動する!

 

 一気に周囲一帯のマナを吸い上げる光の聖剣。

 

 ふと、その魔力の収束を見ていた副王フェムトが呟いた。

 

「……オレを殺せる宝具か。だが、それをみすみす使わせると――――」

 

「グリフィス――――!!」

 

 刹那、もはや数千に及んでいた影の軍勢を独りで鏖殺し尽くし、敵陣を突破したガッツが副王フェムトに斬りかかる。

 対する副王フェムトは片腕を前にかざすだけで、なんとガッツの動きを止めてしまった!

 

「ぐっ……!?」

 

「オレの手の中で逃れられるものはいない。……弱くなったな。ガッツ」

 

「おいおい……グリフィス。あんまりオレを、舐めるんじゃねぇ!」

 

 全身に力を込めるガッツは、見えない束縛から逃れようとする。

 だが、無茶だ。あれはたぶん、一回捕まってしまえば脱出は不可能といえる神霊の能力。

 

「――――なんてな。上出来だ、キャスターァア!」

 

「なに――――ッ!?」

 

 しかし、どうやってかガッツは副王フェムトの呪縛から解放され、その大剣を胴体に突き出す!

 

「ガッツに合わせろ! 世界を救え、セイバーァアア――――!」

 

約束された(エクス)――――」

 

 振り下ろさん光の聖剣。

 突き出さん鉄塊の大剣。

 

「グガァァァッッ!!?」

 

 容赦なく副王フェムトの胴体を貫いたガッツは、即座に大剣を引き抜いて、聖剣の射程から離脱する。

 それと同時に。

 

「――――勝利の剣(カリバー)ァアアアアアアアアアアアア!!」

 

 輝ける命の奔流が、神代に連なる全てのものを呑み込み――――

 

「ガハッ――――馬鹿な。こんな、はずでは――――!」

 

 副王フェムトが、その極光に呑み込まれる直前。

 

「――――グリフィス。テメェはな。聖杯なんぞに望みを託している時点で、その夢は叶うもんも叶わなかったんだ。もし、またいつかの時があったなら、そんときは人の身で水でも掛け合おうや」

 

「――――ガッツ――――」

 

 最後の言葉を投げかけるガッツ。

 そうして副王フェムトは……否、光の鷹に転生する直前だった、白い鷹グリフィスは――――

 

 その存在を塵芥にして、完全に消滅した――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――固有結界が解かれる。

 元の位相にある大空洞。

 その断崖の下に投げ出された私たちは、もはや満身創痍で崩折れる。

 

「だはっ……!」

 

「きゃあ!?」

 

 ふと、ガッツが座り込むと同時に鎧の宝具が解除されて、キャスターが転がり落ちる。

 そのときにキャスターは、どうやら後頭部を打ち付けたらしく、激しい痛みに身悶えしていた。

 

「くっ……!」

 

 一方のライダーは、召喚した竜を退去させて、手綱を手に膝をつく。

 

「衛宮!」

 

「ソニア! ……と、なんでセイバー!?」

 

 そこに慎二と凛が駆けつけてきた。

 だが、まだ全てが終わったわけではない。

 

 大聖杯の中では副王フェムトとは別に、この世全ての悪(アンリマユ)が受肉しかかっている。

 あれをどうにかしない限り、世界の神代回帰現象とはまた別口で、世界が汚泥に覆われて滅亡してしまう。

 

 ちなみに副王フェムトが倒されたことで、世界の悪意は今を以て消滅した。

 これで未来予測の領域に戻ることができて、私の魔術はもはや、磐石を超えた世界の真実となっていた。

 

 私は立ち上がり、独りで大聖杯がある断崖の頂上へ向かう。

 

「……ソニア? 待てよ。大聖杯は、俺とキャスターが……」

 

「いいえ。世界を救ってもらったところ悪いけど。貴方たちはここで退場よ」

 

「――――ソニア?」

 

 ――――ふと、大空洞全体で地震が起こる。

 否、それは地震にあらず。

 

 これは第四次聖杯戦争のあと。

 とある魔術師が仕掛けた爆弾を私が見つけて、発動時間を今から七秒後にしたもの。

 

「――――走りなさい。死ぬわよ」

 

『――――えっ?』

 

 そんな呆けた声が、士郎たちの間で上がった直後。

 地中で大爆発が起こり、大空洞の地盤が割れて、裂け目からマグマの如し霊脈が吹き出てくる。

 

「うわっ!! な、なんだ、これはっ!?」

「まさか、これは、霊脈そのもの!?」

「お、おいおい。逃げた方がいいじゃないのか!!」

 

 次の瞬間、私と士郎たちの間に、大きな裂け目が作られる。

 

「そ、ソニア! 早くこっちに来い!」

 

 そう言って士郎が呼んでくれるが、残念ながら私は振り返れない。

 ただ、私がこの瞬間で口にするべきことは――――

 

「ガッツ! キャスター! 貴方たちはこっちに来なさい! このくらいの天変地異でも、こっちに来れるでしょ!」

 

「――――っ。無茶を言うぜ。いくらサーヴァントでも、この裂け目から吹き上がる霊脈に触れちまえば一瞬で消し飛ぶぞ……!」

 

「そ、そうよ! それになんで貴女が私に指図するわけ!? 確かに大聖杯には大事な用がありますけど、流石にこれを突破するのは――――って、きゃあ!?」

 

 そうは言いながら、ガッツはキャスターを担いで、海原の波のようにうねり狂う大地を飛び越えてくる。

 

「っ――――士郎。サクラを連れて早く逃げてください。この場に留まり続けては、貴方たちが危ない!」

 

「その通りです。シロウ!」

 

「ライダー、セイバー……くそっ。ソニアが何を考えているのかは知らないが――――キャスター! あとは頼んだぞ!」

 

「ま、任せて坊や! きゃあ――――!!」

 

 ……やむを得ず大空洞から撤退していく、士郎、慎二、凛、桜、イリヤスフィール、ライダー、セイバー。

 

 一方、私もこのままでは死ぬ危険性があるので、既に定められたルートを通り、断崖の上に到着する。

 それと同時に、ガッツとキャスターも追いついてきた。

 

「チッ――――おい、ソニア。オレは二度とあの地獄のレースはしたくないぜ」

 

「死ぬかと思ったわ……死ぬかと思った……」

 

 疲れきった顔をするガッツと、恐ろしい体験をしたかのように震えるキャスター。

 

「……でも、別に死ななかったからいいじゃないの。どうせ、こうなることは過去通りなんだから」

 

「あ、あのねぇ……そこの、ソニアとかいう生意気な小娘。さっさとその、過去通りっていう意味を教えなさいよ……」

 

 ローブの汚れを払うキャスターは、私を下から睨みつけてくる。

 それについては、まだ明かせないと言おうと思ったら――――

 

「ふっ――――完全犯罪おめでとう。いや、それとも完全救済と言ったほうがいいかな? ソニア・ド・ヴァンディミオン」

 

 ――――最後の最後に、ついぞ私が過去視の中で捉えられなかった、衛宮切嗣に次ぐ人影が現れた。

 ……だが、既に世界の悪意が消失しているおかげで、私は全てを思い出す。

 

「……そう。そういえば、聖杯戦争には監督役なる役職があるはずだったわね。

 今の今までそれを知っていたはずなのに、いつからか自覚していなかったわ。――言峰綺礼」

 

 私の目の前には、黒服に身を包んだ言峰綺礼が拍手して近づいてきている。

 

「とにもかくにも、愛に生きる乙女は世界を敵に回すことで、愛する者たちを救おうとした。しかし、最後には愛する者たちとの協力で世界を救ってみせた。……なるほど。どうしてこのようなことが出来るのかと気になっていたが、それは恐るべき魔術のおかげだったか……」

 

 ……私は何も答えない。

 ただ、話したいのなら話せばいい。

 それすらも、既に決められた過去通りなのだから。

 

「おそらく貴様の魔術は、封印指定ものの大禁呪。固有結界に片足を突っ込んでいる過去視の魔術なのではないかね? さらにその応用で、過去の情報を収集し、未来を予測演算することができる。ここまでは誰もが予想できる範疇だ。……だが、その魔術には、()()()()()()()

 ――たとえば、あるAという時間軸で、ソニアという魔術師が未来の予測演算をしたとしよう。それは、おそらく予測型の未来視として、“もしかしたらそうなるかもしれないし、そうならないかもしれない未来”となるだろう。

 ……だが、もし。もしもだ。Aという時間軸から見た未来が、Bという時間軸にするとしよう。そのBという時間軸にいるソニアが、過去視により過去を見た場合。

 ……それはBのソニアにとって、未来の自分Bを見ている、過去の自分Aを見ていることになるのではないかね?」

 

「……?」

 

「――――――――」

 

 首をかしげるガッツと、疾く解を導き出したキャスター。

 

「そうなると時間軸Aのソニアは、過去の自分Aを見ている、未来の自分Bを見ているということになる。

 こうなると、未来の自分Bが見た過去は、過去であるがゆえに世界のレールが磐石なものとなる。すると過去の自分Aが見た未来は、本来なら予測型の未来視となるはずなのに、“それが未来から見た過去という事実であるから”という後付けの理由によって、疑似的な未来測定が施されることになる。

 ある意味、これは――――矛盾だな。根源接続者と似て非なる力だと言えよう。これだけの魔術を持っていながら、よくも今まで生きていたものだ」

 

「逆よ。これだけの魔術を持っているから、私は生き延びているのよ。誰も、自分が死ぬ未来になんて飛び込まないでしょ」

 

「それは、言えているな」

 

 さて、といっても、彼の説明にはまだ穴がある。たとえば具体的な使い方とかだ。

 それは、今度柳洞寺の門前で、みんなに打ち明けるとして――――

 

「それで、言峰綺礼。貴方は何をしに私の前に現れたの?」

 

「――ふっ。それも、聞かなければならないことなのか?」

 

「一応ね」

 

「ならば答えよう。私の目的は、この世全ての悪の誕生だ。ゆえに、それを妨げるものは、私がそれを妨げる」

 

「――――それが、自分の死を意味していても?」

 

「無論だ。私にとってはこれが全てだ。……出来ることなら、最大の好敵手と最期をまみえたかったものだがな」

 

 ……なら、お望み通りに。

 私は物干し竿を構えて、言峰綺礼は武術の型を取る。

 

「――――」

 

「――――」

 

 風が吹く。

 これが、決闘の始まりだ。

 

「ハァッ――!」

 

 最小限の動きで距離を縮めてくる言峰綺礼。

 それに対して私は、全力で殺しに行く!

 

「秘剣――――」

 

 たとえ憑依経験といえど、私の体では燕返しは使えない。

 仮に使ったとしたら、その場で自身の死を意味している。

 だが、全くの同時ではなく、ほぼ同時の斬撃を二発までなら――――!

 

 ――すれ違う拳と長刀。

 撥ねられた首は宙を舞う。

 鼓動は既になく、ゆえに鮮血もない。

 

「――――ゴホッ!?」

 

 一方、技の代償を支払った私は、全身の筋肉が断裂した激痛に襲われて意識を刈り取られる。

 ……そうまでしてまでも、私には確実に勝たなければならない理由がある。

 それに代行者を舐めてかかってはいけないということは、経験上、痛いくらいに知っている。

 

「うっ……」

 

 ばたり、と力なく倒れる。

 もはや私の体は、限界という限界を飛び越えて、既に死に体も同然。

 あとは、キャスターが全てをやってくれる。

 

 ……ガッツ? 彼の仕事は、もう終わっている。

 彼はただ、爆弾が爆発するとき、キャスターをこちらに連れてくるためだけの要員だったから。

 

「……おバカな子ね。それだけの魔術の腕を持っているのなら、この聖杯戦争に関わらない道もあったのではなくて?」

 

「……それは、違うわ。キャスター……話は、全部、逆なのよ。これだけの魔術があったから……私は、この街が、好きで……」

 

 瞼が重い。

 もう、声を出す気力もない。

 

「……とにかく、聖杯は私の好きにさせてもらうわ。霊脈が破壊されてしまったけど、今ならまだ間に合う」

 

 えぇ。それでいい。

 これで、キャスターのマスターは生き返る。

 そして願いを叶えたあとは、キャスターもガッツも、この大空洞から脱出する。

 

 そうすれば、みんなが生きている明日が待っている……。

 

 

 

 ――――ふと、大聖杯が光り輝いた。

 とても綺麗だ。汚染された聖杯には到底見えない。

 

 どうやらキャスターは、無事に願望機を使うことが出来たようだ。

 その安堵しきったキャスターの表情が、とても嬉しそうだなって。

 

 それからガッツとキャスターは、すぐに大空洞から出ないと命が危ないっていうのに、私のそばまで戻ってきた。

 

「……何よ。その顔。まるで早く帰れって言いたそうな顔ね。はぁ……自分を犠牲にして誰かを救う。自分は必ず今日という日に死ぬんだ。それを自覚しながら、この一年を暮らしてきた貴女の気持ちなんて、到底推し量れるものでもありませんけど……もう。ほんっとーにバカな子ね」

 

 ……それを言うためだけに寄ってきたのなら、余計なお世話というものだ。

 早く帰らないと、旦那さんに会えなくなるぞと、脅してやりたかった。

 だから、もうちょっと頑張って、声を絞り出してみた。

 

「……好きな人が、いたから。……わかる、でしょ……?」

 

「ふん。生娘がいっちょまえぶるんじゃないわよ。ほんっとに、ほーーーーんっとにバカな子ね? どうせ顔だけがいい男に騙されたんでしょ。そうやって外見だけの男に騙されて、貴女は自分が助かる道を忘れてしまっているんですもの」

 

 ……?

 

「あのね。私たちが貴女を見捨てて行くわけがないでしょ。なんでそんな簡単なことに気づけないのよ……覚悟完了した子ほど恐ろしいものはないわね。

 ――えぇ、そう。私は今日で裏切りの魔女は卒業よ。それに言っとくけど、宗一郎様を見殺しにさせた恨みは、かなり根に持っているんですからね。――でも、それとこれとは話が別ってだけ。だって貴女が死んだら、坊やが悲しむかもしれないから」

 

「……別に、いい」

 

 唐突に私の口から出てきたのは、否定の言葉だった。

 

「私は……もう、決めたの。私が見た過去は、ここで、命を、終える未来……」

 

「――――まさか、貴女。自分が死ぬ未来を見て、それを良しとしたの?」

 

 当然だ。

 だって私は――――何度も繰り返した。

 ただ、何度も過去の情報を集めて、未来を予測演算することで、逐一未来を修正していったんだ。

 これがなかなか大変な作業だった。時間がないということもあり、私は限界まで魔術を行使し続けた。

 最上の未来を引き出すのに数ヶ月。それほど時間は掛からなかったが、代わりとして魔術回路はボロボロになった。

 

 そして、私は妥協した。私以外の全てが救われる未来を視て、これで良しとしたのだ。

 それが、まさに今この状況。この先では一番平和な未来が待っている。だから、これでいいのだ。

 

「……それじゃあ貴女は、もう自分が死ぬ過去を疑似的に確定させてしまったから、もう自分は助からない。助かるには聖杯の力でもないとダメだけど、その聖杯もない。だから、もう自分が助かる道はない?」

 

 その推察に対して、私は動かない首で頷く。

 するとキャスターは、心の底から呆れているのか、深く溜息をついた。

 

「はぁ……あのね。この世の中には、口先だけで世界を騙す虹の魔術師もいるのよ? だから、こんな世界を裏切ることくらい……は、私には出来ませんけど。それでも……彼になら、出来るんじゃなくて?」

 

 そう言ってキャスターは、傍らに立つガッツを見つめる。

 

「おそらく聖杯の泥に侵された者は、アラヤ・アンリマユの妨害行為によって、貴女の魔術では観測できなかったんじゃないかしら? だったら同じく泥を被っているこのバーサーカーは、因果律の流れから外れているっていうこと。それが意味することは、つまり――――」

 

 つまり……決められた未来を、変えることができる……?

 

 確かに。それを言うなら衛宮切嗣もそうだし、言峰綺礼もそう。副王フェムトだってそう。

 特に副王フェムトとの戦いでは、私の魔術が無効化されていたから、未来は暗黒に包まれていた。

 それでも士郎の誓いによって、私たちは勝ちを拾えた。

 言峰綺礼との戦闘でも手を抜かなかったのは、私が言峰綺礼と戦う結末がぶれることを恐れたため。

 だから大幅に劣化した燕返しを使ってでも、確実に殺しにいった。

 

 ……それと同じで、ガッツにも、運命を切り開く力が備わっている。

 副王フェムトの権能を突破したのがいい例だ。

 あれはキャスターのおかげでもあるけど、そもそも至近距離まで近づかなければ、キャスターとガッツの不意打ちは成立しなかった。

 

 ――――私の魔術を、無視できる存在。

 

 それでも私は臆してしまった。

 これは、要らない憐憫だと分かっていながら。

 

「……それで、どうするんだ。このまま死ぬか。それとも生き汚く這い蹲るか。選べよ」

 

 そんなガッツの言葉に、どうしても私ははにかんで――――

 

 

 

 ――――どうしても“生きたい”と、やっぱり思ってしまったんだ……。

 

「えぇ……えぇ。わかっては、いたのよ……。わたしは、ちゃんと……自分が生き残る未来を見ていたんだ。それでも、死ぬんだと思っていたのは、いつか必ずやってくる負債が、怖かったから……」

 

「負債なんてどこにもねぇ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ごくまれにみんな助かった。そんな奇跡っていうのも、一つくらいはあってもいいんじゃねぇのか?」

 

「えぇ……? でも、それは、ちょっと……欲張り、じゃない、かな……?」

 

 意識が、遠のいていく。

 でも、嬉しかった。そう言ってくれて、嬉しかったんだ。

 

「……まったく、謙虚な子ね。世界に対して謙虚でいても、何一つ得なんてないのに」

 

「あれだろ、キャスター。根源接続者っつーやつだ。厳密には違うが、きっとこいつ、なんでも思い通りになることに、要らねぇ罪悪感でも持ってたんじゃねぇのか?」

 

「あら、貴方。この子のこと、よく分かっているのね?」

 

「……そりゃあ、まぁ。――オレのマスターだしな?」

 

 ――――。

 その一言で、何故か。閉じる瞼が熱かった。

 

 

 

 

 

 ――――大空洞が光に包まれる。

 

 その光が、朝の陽射しのように暖かくて……

 私は、微睡みの中に意識を落とした――――――――

 

 

 

   /了

 

 

 



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Epilogue

 
 後日談。



 ――――かくして第五次聖杯戦争は、ようやくの幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 ……朝だ。いや、昼かな? 寝過ごしちゃったか。

 体内時計で、私は昼が来たことを理解する。

 

 瞼が重い。

 体が動かない。

 それでも暖かい。

 笑い声が聞こえる。

 その声が幸せそうで。

 私は、目を覚ました。

 

 

 

 ――――目を開けば白い天井。

 青臭い匂いに清潔な室内。

 

 そこは病室だった。

 私は寝台の上に仰向けで寝ている。

 

 片腕は点滴されており、一応、両手両足の感覚はある。

 体も重いけど、どこか異常があったりはしない。

 

 ……むくりと起き上がる。

 

「やぁ。やっと起きたか。ソニア」

 

 ふと、私の左から聞き覚えのある声がした。

 驚いて振り向くと――――そこには慎二がいた。

 頭に包帯を巻いており、骨折したのか腕にも包帯を巻いている。

 

「慎二のやつ。あのあと瓦礫が降り注ぐ洞窟から逃げる途中ですっ転んで、自分で腕の骨を折ったんだよ」

 

 今度は私の右から、士郎の声がした。

 

「なんだよ、衛宮。僕が背負っていた、あのイリヤスフィールとかいう小娘は無事だったんだから、別にいいだろ」

 

「そうは言ってもなぁ」

 

「っ……なにさ。そういう衛宮も、僕と同じで包帯ぐるぐる巻きじゃんか。僕のことが言えるのかい?」

 

「そりゃあ慎二。俺はずっと戦ってたんだぞ? 戦闘中に怪我はよくあることだ。その点、慎二は自分で――――」

 

 そこで私は、士郎の無自覚な煽りにより慎二のプライドに火がつきそうだったので、両手を上げることで二人の口論を制する。

 

「はいはい。とにかく私を挟んで喋らないでくれる? 起きたばっかりで、耳がガンガンしているのよ」

 

 そうは言いながらも、私は微笑みを隠しきれない。

 

 その時、病室の扉が開かれた。

 

「お見舞いに来たわよー! って、おっ! ソニア起きてるー!」

 

 元気に入ってきて、私の寝台に座ってきたのは凛だった。

 

「あ、兄さん。先輩。そしてソニアさん。フルーツバスケットを持ってきました。今、皮を剥きますね?」

 

「サクラ。椅子を用意しました。こちらに」

 

 続いて入ってきたのは、桜とライダーだった。

 桜は慎二の寝台の横に座って、果物ナイフでりんごの皮を剥き始める。

 

「シロウー! わたしも来たよー!」

 

「元気そうで何よりです。シロウ」

 

 そしてイリヤスフィールとセイバーも入ってきた。

 イリヤスフィールは士郎の寝台に飛び込んで、セイバーが慌てて士郎の点滴とその腕を守護する。

 

 どうやら、これで全員集合みたいだ。

 ……と思ったら、私は病室の入口に、まだ三人の人影があることを確認した。

 

「むっ……」

 

 そこにいたのは、入院服姿で点滴スタンドを持って歩いている、葛木先生だった。

 その傍らには、葛木先生の半分の身長もない、キャスターが連れ添っていた。

 二人は私を見つけるなり、病室に入ってくる。

 

「……君がソニアか。キャスターから話は聞いた。私を生き返らせてくれたことに礼を言う。死人が生き返るなど、本来あってはならないことだろうが……与えられた奇跡だ。これからは妻のキャスターと慎ましく生きることで、この恩を返していこうと思う」

 

「あらやだ宗一郎様ったら!」

 

 ……端的に言って、その二人は傍から見たら、父親と娘にしか見えなかった。

 でもまぁ、このラブラブっぷりなら、逆に勘違いされることもないだろう。

 

 そして最後の一人は――――病室の入口で腕を組み、壁に背をかけている、どう見ても銃刀法違反の黒い剣士、ガッツだった。

 しかしその服装は、なかなか見慣れない私服姿でもあった。

 テカテカした黒いライダースーツを着ており、なかなかの大柄な(あん)ちゃんである。

 

「よぉ」

 

 ガッツは軽く片手を挙げて挨拶するだけで、すぐに瞼を伏せる。

 

 

 

 それから私たちは、しばらく歓談を楽しんで、気が付けば“学校を卒業したら”という話題になっていた。

 

「遠坂。学校を卒業したら、あのロンドンの時計塔に行くのか?」

 

「えぇ、そうよ。推薦もあるし、あそこに入って色々と学んでくるわ」

 

 士郎と凛が話している。

 そこで慎二が憮然と呟いた。

 

「ハ――――魔術。魔術師。名門の家柄が通える時計塔。今では現代魔術科なんてものがあるらしいけど……なんだかもう、全部がバカらしくなっちゃったね。そもそも間桐の家も出て行くつもりだったし、僕はどう足掻いても魔術回路なんて痕しか残っていないんだし、別にいいんだけどさぁ」

 

「兄さん……」

 

 口ではそう言っているものの、慎二にはまだ未練があるようだった。

 いや、それも……桜の顔を見て、慎二は本気でそうするつもりなのだろう。

 だから、いま私が言おうと思ったことは憚られた。

 

 それでも、どうしても……言うだけ言ってみようと思った。

 

「……なら、慎二。これは、話半分に聞いてほしいんだけど……魔術史の研究に、興味はあるかしら?」

 

「……は? なにそれ? 魔術史って、魔術の歴史みたいなことかい?」

 

「えぇ、そう。我らヴァンディミオンの一族の中には、魔術回路がない魔術師もいるわ。もちろん魔術回路がない時点で魔術師ではないんだけど、彼らは歴史家、研究者という立場でも、そこらの魔術師よりかは魔術史についての造詣が深くなれる。だから、知的好奇心の塊で、魔術史について興味があるのなら、我ら一族はいつでも歓迎しているんだけど……元々、間桐臓硯も若い頃はヴァンディミオンの一族に協力していた事もあるし、すぐに受け入れてくれると思うわ」

 

 ……って、私はなに、慎二が来てくれる前提で話しているのかしら!?

 

「ふぅん……で、それで?」

 

「――――えっ?」

 

「いや、ソニアは何を言いたいのかって話」

 

 ……お、おっと。

 これは、ちゃんとハッキリ口で言わないと分からないことなのかな……?

 

「え、えっと、だから……もし、慎二が良かったら……時計塔の一部に施設を置いている、ヴァンディミオンの家に来ないかっていう……話」

 

「――――は? ……僕が……?」

 

 こくん、と頷く。

 そこで私は、傍らに座る凛がとっても意地悪な顔をしてニヤニヤしているのを見つけてしまった。

 

「あら~……? そうかぁ~。ソニアはそういうタイプだったのか~……」

 

「な、なによ、凛!?」

 

「貴女がダメ男好きってことを言いたいのよ」

 

 キャスターにバッサリと切られた!?

 

「あら、今日は意見が合うわねキャスター?」

 

「まったくね。こういう少女を見ると、本当に自分から不幸になりに行くのだと呆れちゃうわ」

 

「お、大きなお世話ですぅ!?」

 

 それから私は火照る頬のあまり、隣の慎二の顔を見れないでいると……。

 

「……こんなクズな僕のどこがいいんだか。ソニアも変わってるね。まぁ君がどうしてもって言うんなら、ちょっとくらいは興味あるけど?」

 

 ――――。

 それは、つまり……?

 

 驚きのあまり、慎二の方に目をやる。

 しかし慎二は私に顔を向けてくれず、呆とする桜の方を見ていた。

 

「……兄さん。顔が赤いっ」

 

「なっ!? お、おまっ、桜ぁああ!」

 

 怒る慎二。微笑みながら既に撤退を完了している桜と、慎二から桜を守ろうとしているライダー。

 その微笑ましい光景を見ていると、なんだか笑いがこみ上げてきた。

 

「……それなら、わたしはシロウとずっと一緒にいるー!」

 

「うおっ!? イリヤ……!」

 

「なっ! い、イリヤスフィール……それなら、私もですね……。シロウには、私の願いに対する答えを出してもらわなければなりませんから……」

 

 士郎に抱きつくイリヤと、それを見て仲間に入りたそうなセイバー。

 その時、慌てて桜も立ち上がった。

 

「あ、あの! わた、私も……!」

 

「あら、そうなるとサクラとセイバーはライバルね。まぁ、わたしには敵わないだろうけど」

 

「え……えっと、イリヤ? なんの話をしているんだ……?」

 

 わざとらしく意味を伏せて喋るイリヤの言葉に、士郎はあたふたとしながらはぐらかす。

 

「ふん……それならわたしは、独りで時計塔か」

 

 そこで凛が、少し寂しそうに呟いた。

 

「それでも凛。たまには会えるわよ」

 

「えぇ。そうね。といっても、本当にたまにでしょうけど。ソニアは研究のために世界中を旅するわけだしね」

 

「なら、私と宗一郎様はハネムーンねっ!」

 

「あぁ、キャスター。お前の行きたいところに行くといい。お前がいれば、私はどこでも満足だからな」

 

 ……みんなには、一緒にいるべき人がいる。

 でも、独りだけ我関せずと佇んでいる男がいた。

 

 それがどうしても気になった私は、つと訊いてみる。

 

「……ガッツは、どうするの?」

 

 すると、みんなの視線がガッツに集まる。

 その衆目に根負けしてか、ガッツは少し困ったように口を開いた。

 

「あぁ……まぁ、オレはな。好きにやるさ。好きに。もとより、あまり一つのところには留まれない性分でな。ここに十年もいたのなんて、オレの中でも珍しい部類なんだ。勝手に旅して、この烙印のせいでよく分からないもんと出会って、ひたすらに戦って、普通に生きていくさ」

 

 ……たぶん。それがガッツの生き方なんだろう。

 でも、これはお節介なのかもしれないけど……なんだかそれは、とても寂しく思えた。

 

「それなら、ガッツ。貴方は私のことをマスターだと思っていてくれているんでしょう? なら、私の用心棒をしてくれないかしら? 空白の時代の調査のため、慎二と一緒に世界を回れば、命の危険がつきまとう。そのときに貴方がいてくれると、とてもありがたいんだけど?」

 

「……ふん。そうだな。そっちの方が色々と面白そうだ。いいぜ、請け負った。オレは、ソニアと慎二(おまえら)の旅路を見守っといてやるよ」

 

 そう言ってくれたガッツは、私と慎二の旅に加わることになった。

 

「……ん?」

 

 ふと、窓の外に目をやったガッツが、なんだかすごく嫌そうな顔をする。

 

「はぁ……また面倒なやつが帰ってきた……」

 

『……?』

 

 みんなはガッツの呟きを訝しみ、彼の視線の先にある窓の外を覗き見る。

 すると、窓の外は青空だったが、そこに一つの光が――――

 

「お~~~~い! 見つけたぞ~! ガッツ~~~~!」

 

 そこには、なんと……身長二十センチくらいの妖精が空を飛んでいた!

 

「うわぁ! 妖精だわ!」

 

「うわっ痛っ!? い、イリヤ。俺の上で立たないでくれ……」

 

 興奮して立ち上がるイリヤスフィールと、痛がる士郎。

 やがて旋回しながら桜によって開かれた窓を通って病室に入ってきた妖精は、ガッツの顔の前で急停車し、私たちをジッと見つめる。

 

「あれ、ガッツ! おれが日本全国を旅して飛び回っている間に随分と友達が増えたね! いやぁよかったよかった。ところでさぁ。聖杯戦争って確か今年だったよね? いつやんの?」

 

「……もう終わったよバカ」

 

 そう言うと、妖精は突然栗のような頭になって、口をあんぐりと開けた。

 

「ガガーン……! って、うそ!? もしかしてこれ、お祭りに乗り遅れちゃったや~つ!? うわぁああやっちまったぁああ!! ……っていうか。今回おれがいなくてよく生きてたねガッツ?」

 

「……まぁ。今回は、仲間がいたからな」

 

 にやりと笑うガッツ。

 それに私たちも、釣られて微笑んでしまう。

 

「お~? ガッツがそこまで認めるとは。なんだか興味を惹かれるメンツだな~。……あっ! おれの名前はパック! よろしくなっ!」

 

 

 

 それからは、ずっとパックが話の主役となって、病室は大変賑わった。

 

 ……これからみんなは、それぞれの道を歩むのだ。

 だから、その祈願を掛けて、私は最後の大仕上げをしなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一ヶ月後。

 ずいぶん前に退院した私は、柳洞寺の山門にやって来ていた。

 ここで私は過去視の大魔術を発動して、辻褄とやらを合わせなければならない。

 

「運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに――

 ――The Future Remember……」

 

 私は今から、一年前までの円蔵山周辺の光景を再生する。

 その映像には大空洞での戦いもそうだし、士郎とキャスターの再契約場面も映し出されている。

 そして一年前の此処には私がいて、その私は過去視により収集した情報から未来の予測演算を行っていた。

 

 つまり過去の私が視ているのは、今の私だ。

 そして今の私は、過去の私を観ている。

 

 話は複雑そうに見えて、実は簡単。

 私は一年ほど前、この山門で未来の予測演算を行った。そこで見た未来の私は、なんと過去までの私を観ていた。

 つまり過去の私は、未来の私にとっての過去を()たのだから……それは過去の私にとって“未来を思い出した”と断言できる。

 そう断言できる理由は、何故なら私は()()()()()()()()()()()()()()()()がゆえだ。

 

 そして、疑似的な未来測定を施してから、約一年が経った今。

 私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「約一年前の私。おめでとう。今の私がいる未来は、士郎も慎二も凛も桜もイリヤスフィールも、セイバーもライダーもキャスターも葛木先生も、そしてガッツと、よく分からないパックっていう妖精も。みんな無事よ。無事なのよ。この未来は成功した未来。限りなくゼロに近い奇跡を成就させた未来。だから頑張ってね。諦めなければ、いつか未来は叶うから――――」

 

 今頃、一年前の私は、今の私と同じ場所に立って、未来の予測演算を行っているはず。

 そして、いま私が話した内容を聴き、いま私が再生している一年前までの過去の一部始終を視ているはず。

 

 大空洞での言峰綺礼戦。

 大空洞での副王フェムト戦。おそらくこの二つは、一年前の私の目には真っ黒に塗り潰されているように見えているだろう。

 大空洞での融合七英霊戦。

 大空洞でのイリヤスフィール解放。

 洞窟でのセイバー戦。

 山門での剣豪召喚。ランサー・オルタの登場。これもまた、ランサーの姿は真っ黒に塗り潰されていた。

 柳洞寺でのキャスター再契約。

 山門でのランサー敗退。

 山門でのガッツvs剣豪のアサシン。そしてこれらも、ランサーを殺した真アサシンと、剣豪と戦ったガッツの姿は、真っ黒に塗り潰されていた。

 

 ……思い返す。一年ほど前の山門で、私は喧嘩した士郎と慎二を仲直りさせようと、未来の予測演算を行った。

 しかし、そこで私は世界の滅亡を視てしまった。

 それから私は何度も何度も過去視を繰り返して、あらゆる情報を拾い集めて、未来の予測演算を繰り返し、逐一未来を修正していった。

 

 そうして数ヶ月の魔術行使を休みなく続けた結果、この現在(みらい)が視えた。

 とどのつまり……現在の私から視た未来、その未来の私から()せてもらった、現在の私にとって“今より先の過去(みらい)”の映像……。

 その映像を星のテクスチャの上に被せることにより、私は水面に映る朧げな月(不確かにして確固たる道筋)という名の未来を疑似的に観測したのだ。

 

 要約すると、未来を予測演算することによって、()()()()()()()を疑似観測する。

 ――ゆえに、未来を思い出す。

 

 ここに、ちょっとずるい映像の大魔術儀式を完遂させて――私は明るい未来を勝ち取れたことを誇りに思った。

 

 

 

「お~い、ソニア~!」

 

「――――慎二が呼んでる。もう行かなきゃ。ここで待ってるわ。ソニア!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Fate/stay night:2.5i+3.10i+BERSERK=The Future Remember.

 

 

 

 

   / True End

 

 

 




 これにて大団円。

 しかし、とにかく書ききることを意識しすぎた結果、プロットにあるものは全て書ききったが、かなり終盤の描写を疎かにしてしまった。これを時間の言い訳にするなど書き手として言語道断で、恥ずかしすぎて慙死此処に極まってしまいますが、個人的に二次創作は気楽にやりたいので、手抜きはご容赦ということで。まぁ本気出しても文章力がそもそもなのであまり変わらな(ry




 冬木の美人教師からの質問。
 Q. わた、冬木の美人教師が士郎とラブラブする待望の幻想ルート。その名もタイガールートはないんですかー?
 A. プロット段階ではあった。三秒ルートのあと、慎二が蟲蔵で見つけた母親の保菌にタイガーが触れてしまってジャガーマンというプロットを考えてましたが、かなりギャグのくせにシリアスになったので却下。
(……というか。やっぱりタイガールートは三秒で終わらせて、その後は聖杯戦争関係なく、士郎と大河がイチャイチャしながら士郎の歪みを乗り越えるという、もはやサバイバーズ・ギルトをテーマにした人間ドラマ的な小説にした方が面白いというか、するべきなのではないかと拙者は思うの。……まぁ、それFateじゃなくね? とはなるけど)



 タイトル「Fate/stay night:2.5i+3.10i+BERSERK=The Future Remember」の意味について。
 これは適当に決めたものです。
 Fate:原作で一番目のルート。
 UBW:原作で二番目のルート。
 イリヤ&キャスタールート:(UBWとHFの間ということで「2.5」。且つ「i」とは数学分野で虚数単位を表す)
 HF:原作で三番目のルート。
 慎二&ライダールート:(HFを分解して桜ルートのみにして、そこに慎二共闘ルートとライダールートを足し、皆を救えるのかというルート。ゆえに「3.10」)
 そこにBERSERKが加わって、全てを纏めたイコールが――――いざ、未来を思いだせ。



 ソニアのフューチャーリメンバーについて。
 これは過去を映像として再現するからこその荒業。未来の自分が過去の映像を再現しているけど、その過去は今の自分にとっての未来であり、それがだんだんと自分より過去になっていく。
 絵で書くと分かりやすいとは思うのですが、如何せん画才がなく、喩えをしようにもSF小説・漫画・アニメに関して乏しい知識ではうまいこと言い回しできず。さらに文才がなく、うまく伝わらないことを自覚しておきながら表に出した結果がこの始末。
 ……まぁ、そこらへんはフィーリングで。御免也……。



 ちなみに『Fate/Zero BERSERK』のプロットも一応ありますが、書く予定はありません。セイバー・ディルムッドが出たら書こうと思っていて、実際もうとっくに出ていましたが、ぶっちゃけお金を稼がなければならない歳になってしまったため、書く予定はやはり見つかりません。



 最後に。
 たまたま此処を訪れた人が「なんだ、お前。馬鹿で下手くそだけどやるじゃん」と内心で思ってくれれば、この二次創作がwordフォルダに長い間封印されていた中、思い切って改稿して出してみた拙者が報われる。




 それでは、ここまで読んでくれた読者よ。少しでも楽しんでくれたら幸いでした。

 ありがとうございます。




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Character(ネタバレ注意)

 
 目次

 ソニア・ド・ヴァンディミオン

 キャスター  / メディア
 ライダー   / メドゥーサ
 バーサーカー / ガッツ
 真アサシン  / 呪腕のハサン・サッバーハ
 ランサー   / クー・フーリン〔オルタ〕

 ライダー&アヴェンジャー / 副王フェムト



姓名:ソニア・ド・ヴァンディミオン

天敵:間桐臓硯

聖杯への願い:空白の時代の真相究明(ただし黒い聖杯に用はない)

属性/起源:地・空/根源

魔術系統:カバラ・降霊術・憑依術・魅了・結界破り。その他、暗示などの基礎魔術。

 

『運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに』

(ザ・フューチャー・リメンバー)

 記録宇宙・アカシックレコードへの介入を可能とする大禁呪。

 世界に記録された情報を読み取り、映像として再現し、見聞する。それは固有結界とは似て非なる大魔術。

 過去を再現するといっても、実際にその空間を過去に巻き戻すわけではない。ただ実際に過去に起きた出来事を幽界のものとして再現するだけ。現実に投射された映像はホログラムのように触れることはできず、移り変わる風景もまた蜃気楼のようにおぼろげとなる。しかし、それらは過去に“在った”事実であり、決して偽りの光景ではない。

 また、この魔術の範囲は術者の限界として、半径十七キロメートルまでに絞られている。

 ちなみに応用として、創世から現在までの空間の流れから、その事象記録の情報を基に未来を予測演算する事も可能。

 ――――宇宙、または世界には、事象を記録する概念がある。その記録に介入して情報を読み込み(リード)し、エーテル体による空間再現(舞台でいう所の役者や小道具、背景の役割)によって映像を造り出す。……封印指定されるのも当然といえる魔術である。

 さらに術者本人によれば、この魔術は『振動宇宙説』に連なる理論で解釈できるとされる。

 

 カバラ。再生する土のゴーレムを作成できる。小間使い以外には大して役に立たない。

 降霊術。霊体の降霊。主に魔術礼装の作製や憑依経験に用いる。

 憑依術。霊体を憑依させる事で未知の技術を修得し、知識を蒐集する。

 魅了の魔術。主に権力者の寵愛を得るために用いる。

 解析の魔術。魔術の術理構成を解析し、ハッキングを仕掛ける事が出来る。主に結界破りに用いる。

 

魔術刻印:幻想年代記(ファンタズム・クロニクル)

 『運河を逆行しよう、光年の果てまで創世を見届けよう、我は世界を覗く者ゆえに』によって知り得た“中世暗黒時代の神代回帰現象”に関する情報を書き記す記録媒体。知識の蒐集を目的とするヴァンディミオン家の共有財産。

 

 霊魂の憑依経験。

 憑依術の工程を形式化・簡略化させて、刻印に封じ込めてある霊魂から一小節で憑依経験を成し得る業。霊魂に乗っ取られないよう、憑物祓いの刻印が仕込まれている。呪文は『Hexerei Satz von Vendée Mion』(ヘクセライ・ザッツ・フォン・ヴァンディミオン)。宿る霊魂は、遥か中つの灼剣士、遥か雅な月剣士。

 

魔術礼装:緑漆(りょくしつ)のベヘリット。空白の時代に存在していたとされる未知の聖遺物。

 

 茨竜の炎檻(ベルナデット)。火を噴く双子の毒蛇の霊体を召喚し、特注の茨に憑依させた使い魔。茨の蛇は対象に巻き付き、毒の棘で傷付け侵し、火を噴きながら動きを拘束する。全長約10m。たとえ二つに分断されても――茨の蛇は双子のため――それぞれ意思を持って動くように造られている。

 

 颶風の銀剣(ゲイル・サーベル)。剣歯虎の古代霊を召喚し、銀の剣に憑依させた補助礼装。風を用いた強化によって対象を“風の刃と虎の牙”で効率よく失血させるよう噛み切り裂く。一人前となった魔術師に送られるアゾット剣を改造した品物。詠唱は『Gale』。

 

 青銅の魔銃(ルリスタン)。自身の魔術回路が撃鉄となっている特製の魔銃。自分以外が使用しても引き鉄を引けないようになっている。フィラデルフィア・デリンジャーを改造した魔術礼装。装填数は二発。塗装は緑みある灰色のアッシュグレイ。蛇神の意匠が施されている。また、青銅の銃弾には装飾として失われたキンメリアのルーンが彫ってある。この魔弾は“青銅の魔銃”専用の銃弾であり、これ以外の弾を込めても発砲が出来ないようになっている。

 

詳細:空白の時代の真相究明を魔術刻印に誓い、その奇蹟を追い求めるヴァンディミオン家は、魔術協会三大部門の内、時計塔とアトラス院にパイプを持つ。

 その一族にソニアという天才魔術師が生まれた。若輩にして分割思考と高速思考の秘技を修得し、たった数年で降霊科ユリフィスを主席で卒業。さらに禁呪の才を見られてしまい、速やかなる封印指定を受ける。

 彼女は時計塔のような魔術師ではなく、しかしアトラス院のような科学者・発狂者でもない。

 彼女はただ世界の裏側に秘匿された歴史の真実を追い求める、ひとりの研究者・歴史家・考古学者なのである。

 そしてヴァンディミオン家の当主であり、世界中を旅して幻造(ユメ)の秘蹟を追い求める普通の少女。

 そんなヴァンディミオンの家系は、中世暗黒時代から始まったとされる。彼らは中世暗黒時代における“神代回帰現象”の真相を探求する一族。彼らは魔術師よりは研究者としての側面が強く、根源への到達よりも真相の究明に執着する。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

class キャスター

 

マスター 衛宮士郎

真名 メディア

性別 女性

身長・体重 136cm 34kg

属性 中立・悪

 

筋力 □     E

魔力 □□□□  B

耐久 □     E

幸運 □□□   C

敏捷 □□    D

宝具 □□□   C

 

『クラス別能力』

陣地作成:A

 神殿を構築可能。

 

道具作成:A

 魔力を帯びた器具を作成可能。

 

『詳細』

 マスター・葛木宗一郎が暗殺されたあと、土壇場で衛宮士郎と再契約した。

 しかし新たなマスターが魔力を生成できないポンコツであったため、依り代は確保できたものの魔力補給の問題によって大部分の霊基を削る羽目になる。それによりロリ化。

 

『保有スキル』

高速神言:A

 神代の言霊。現代とはまるで次元が違う、一工程(シングルアクション)の大魔術。

 

金羊の皮:EX

 アルゴンコイン。本来は竜を召喚できる宝具らしいが、キャスターには幻獣召喚能力がないため使用不可能となっている。

 

『宝具』

ルールブレイカー

破戒すべき全ての符

ランク:C

種別:対魔術宝具

レンジ:1

最大捕捉:1人

 あらゆる魔術を破壊する短刀。刺した魔術を初期化し、思い通りに組み替えられる。

 

 

 

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class ライダー

 

マスター 間桐桜

真名 メドゥーサ

性別 女性

身長・体重 134cm 30kg

属性 混沌・善

 

筋力 □□□   C

魔力 □     E

耐久 □□    D

幸運 □□□   C

敏捷 □□□□□ A

宝具 □□□□  B

 

『クラス別能力』

騎乗:A+

 幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。

 

対魔力:B

 詠唱三節以下の魔術を無効化する。大魔術でも傷つけるのは難しい。

 

『詳細』

 霊基を削ってでも現界を維持し続けた結果として、ステータスと保有スキルに欠損が見られる。

 しかしライダーはそのスキルの欠損を利用して、怪力スキルの使用を自粛する事により、神性スキルを向上させる事に成功する。

 そのおかげか怪物化という成長が抑えられて“彼方への想い”を思い出し、自身の霊基を大幅に書き換えるまでに至った。

 ロリ化したため、めっちゃ可愛くなっている。しかしロリになっても性格は冷淡なまま。だけど念願の姿になれたため、実はかなりハイテンションになっており、いつもより毒舌度が増している。

 

『保有スキル』

怪力:C

 霊基を削る際に封印したスキルの一つ。

 スキルを完全に消去する事は不可能なので、自粛という手段を取り、ランクが低下している。

 

彼方への想い:A

 誰かを守るために霊基を削るという無茶を冒して、ステータスやスキルが欠損していく中、怪物化という成長が抑えられ、懐かしき記憶を思い出したために追加された新たなスキル。

 

神性:D

 怪力スキルの自粛により、ランクが向上している。

 

単独行動:-

 無茶な現界維持を行なって霊基を削ったことにより、スキルに欠損が生じた。

 

魔眼:A+

 石化の魔眼キュベレイ。

 

魅惑の美声:B

 彼方への想いという新スキルの追加により付属された新たなスキル。ザ・可愛い。かわいい。美少女。幼女。尊い……。

 

『宝具』

ベルレフォーン

騎英の手綱

 天馬を召喚し、突貫する対軍宝具。ペガサスの召喚は可能だが、魔力不足により宝具の真名開放は実質不可能。ただし幻想種を乗りこなして戦闘することは可能。

 

 ……ちなみに大空洞での戦いでは、彼女の騎乗スキルのランクでは乗りこなせないはずの竜種・黄金の皚々竜に騎乗して戦闘を行っていたが、それができた理由はアルゴンコインの主人であるメディアの口添えでなんとかなったらしいとかなんとか(適当)

 

ハルペー

屈折延命

ランク:B相当

種別:対人宝具

レンジ:2~3

最大捕捉:1人

 不死系の特殊能力を無効化する神性武具。衛宮士郎が投影により作製した複製品。それでも真には迫っている。

 

 

 

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class バーサーカー

 

マスター ソニア・ド・ヴァンディミオン

真名 ガッツ

性別 男性

身長・体重 204cm 115kg

属性 混沌・善

 

筋力 □□□■  B+

魔力 □     E

耐久 □□□   C

幸運 ■     EX

敏捷 □□□□  B

宝具 □□□□  B

 

『クラス別能力』

狂化:E

 低ランクのため狂化の恩恵は全く受けないが、ダメージを負うごとに幸運判定を行い、失敗すると闇の獣に取り憑かれて、宝具『狂戦士の甲冑』が強制的に発動してしまう。

『詳細』

 第四次聖杯戦争にて、間桐雁夜に召喚されたバーサーカー。

 聖杯の泥を浴びて受肉し、十年後に行われる第五次聖杯戦争の時まで、郊外の森に蔓延る低霊級を狩り続けて魔力を補給。泥を啜り蛇を喰らい、今の今まで生き延びていた。

 隻眼隻腕の黒い剣士。肉体は黄金時代の五体満足な状態で召喚に応じる事も出来たのだが、化物より強い超人英霊との戦いでは対化物用の戦慣れした装備が良いと判断し、大砲付きの義手、手動連射式ボウガン、予備の短剣、投擲用の短刀、炸裂弾など、様々な武具を備えた黒い剣士時代の姿で召喚された。

 現実の歴史には存在しない裏側の英霊。よって知名度の恩恵は皆無となる。

 

『保有スキル』

生贄の烙印:EX

 呪いの中でも最上級の厄災。

 ガッツの近くに魔物が(あつ)まりやすくなる。さらに神秘を感知する効力があり、魔力に共鳴すると烙印に刺激が走り血が滲み出てくる。

 “蝕”という魔法級の神域。五法の大魔術儀式から生還した影響で、尋常ならざるモノに影響(キズ)を与えることが出来る。

 さらに骸より生まれ出でて泥の中で死より始まりし者は、誰よりも死に近く、それゆえ死より逃れる術に長けている。

 それは因果逆転のような神技に至る“絶対なる死”に力強く反応し、逆に鬼神の域であろうと人の身で放つ“回避不能”の技の前ではあまり強く反応しない。是れぞ『踠がく者』(ストラゴー)の証。

 例えるなら、このスキル自体が幸運EX級のランクを誇る。

 ちなみに“生存に長ける”と“死より逃れる”は別物。前者は人間としての生存、後者は魔の手からの回避を意味している。

 

心眼(偽):B

 バーサーカー時のスキル。セイバー時のスキルである直感が自身にとって最適な展開を感じ取り攻防一体の完璧性を有するものなら、偽の心眼とは視覚に頼らない直感・第六感による危険回避。生存に長ける最適解を導き出す、踠がく者の真髄。

 

戦闘続行:A

 最期まで闘う事を諦めない。生存に長けた戦士。

 

単独行動:A+

 マスターなしでも現界できるスキル。受肉したがゆえにランクアップしている。

 

妖精の鱗粉:B

 エルフこと妖精パックによる治癒能力。ついでにパックは気配遮断スキルAランク相当と気配感知スキルA+ランク相当を有している。

 いつもなら召喚の際に英霊ガッツによって弾き出されるのだが、今回は付いてくることに成功したようだ。

 それも物語の最後まで、好き勝手に単独行動し続けていたようだが……。

 

『宝具』

ドラゴンころし

鉄塊・剣風伝奇

ランク:B

種別:対人宝具

レンジ:1~3

最大捕捉:5人

 ひたすら魔物を斬り続けたことにより、おどろおどろしい魔力が宿っている大剣。斬魔刀とも呼ばれる。

 まさに竜すらも斬り殺さん威容を誇る鉄塊。名称からの竜特攻。魔物を斬り続けた事による魔性特攻が付与されている。

 この宝具は真名開放を必要とせず、常時発動型の宝具に含まれる。

 

きょうせんしのかっちゅう

狂戦士の甲冑

ランク:A+

種別:対人宝具

レンジ:-

最大捕捉:1人

 小人の妖精が造ったとされる呪物で、着用者に『狂化A++』の呪いを与える。

 理性と生命(霊基)を引き換えに『筋力・耐久・敏捷』のパラメーターを『A++』に固定する。

 平常時のバーサーカーは狂化を発動していないが、暴走によってこの宝具が発動してしまった場合、全スキルが無効化されて基本令呪二画を消費しなければ甲冑を外せなくなる。

 ただし任意で宝具を発動した場合、幸運判定次第では理性を保ったまま、全スキルをそのままにパラメーター上昇の恩恵を受ける事ができる。

 使い続ければ死ぬまで霊基の核――最大HP――が削られていく諸刃の鎧。

 『A++』という破格の恩恵は、決して人の身では届かない天性の魔、覇魔の境地に至っている。

 

 

 

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class アサシン

 

マスター 間桐臓硯

真名 呪腕のハサン・サッバーハ

性別 男性

身長・体重 215cm 62kg

属性 秩序・悪

 

筋力 □□□□  B

魔力 □□□   C

耐久 □□■   EX

幸運 □     E

敏捷 □□□□■ A+

宝具 □□■   C+

 

『クラス別能力』

 気配遮断:A+

 サーヴァントとしての気配を断つ。

 

『詳細』

 真アサシン。

 世界の悪意に身を奪われた者。影に潜み、泥を身に纏う。

 穢れた暗殺者は、その他の生命を全て泥沼に堕とす。

 

『保有スキル』

投擲/短刀:B

 短刀を弾丸として放つ能力。

 

風避けの加護:A

 台風避けの呪い。

 

自己改造:C

 自身の肉体に、全く別の肉体を付随・融合させる適性。泥影を身に濁らせている。

 

『宝具』

■■ー■ー■

????

ランク:C

種別:対人宝具

レンジ:3~9

最大捕捉:1人

 呪いの右腕。対象の心臓を複製し、それを握りつぶすことで殺害する類感呪術の奥義。高い魔力や幸運で抵抗可能。

 ちなみに、この宝具は本来の性能を殆ど失っており、元々の宝具の効果を悪質的に向上させている。

 たとえば宝具の使用時には、正式な真名開放を必要とせず、ノータイムで宝具を発動できたり、宝具の連続使用時にタイムラグが一切なかったりする。

 また、この宝具には、ある権能が付加されており、それは“対象が霊長側である限り、宝具の抵抗は絶対に不可能である”というもの。これに抵抗できる者は世界(ガイア)側の存在か。あるいは、とある妖精の鱗粉を被っていた人間、あるいはサーヴァントのみである。

 

 

 

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class ランサー

 

マスター 言峰綺礼

真名 クー・フーリン

性別 男性

身長・体重 185cm 70kg

属性 秩序・中庸

 

筋力 □□□□□ A

魔力 □□□□□ A

耐久 □□■   EX

幸運 □     E

敏捷 □□□□■ A+

宝具 □□□□  B

 

『クラス別能力』

対魔力:C

 詠唱二節以下の魔術を無効化する。

 

『詳細』

 ランサー・オルタ。心臓を破られてもなお、世界の悪意に弄ばれ、酷使される存在。

 その容姿は影と同様の黒い頭巾を頭から垂らす形で被っており、青装束も泥に穢されたように黒ずんでしまっている。

 反転とは“善悪の逆転”の事を指すが、ランサーの場合は属性が中庸なので反転の影響はない。

 ランサーはマスターの令呪による指示通り「主人替えに賛同し、偵察を終えたのち様子見」を図るのみである。

 己はただの使い魔として、マスターの命令通りに動く番犬。その姿勢を変更するつもりはさらさらない。

 

『保有スキル』

仕切り直し:C

 戦闘から離脱する能力。

 

神性:C

 聖杯の泥にまみれたため、ランクダウンしている。

 

戦闘続行:EX

 往生際が悪い。聖杯の悪意(汚泥)によって、霊核(心臓)が破られても活動できるように変質させられている。

 

矢避けの加護:B

 飛び道具に対する防御。

 

ルーン:B

 北欧の魔術刻印・ルーンの所持。大体なんでも出来る。

 

『宝具』

ゲイ・ボルク

突き穿つ死翔の槍

ランク:B+

種別:対軍宝具

レンジ:5~40

最大捕捉:50人

 破壊力を重視した一投爆裂の投げ槍。

 

ゲイ・ボルク

刺し穿つ死棘の槍

ランク:B

種別:対人宝具

レンジ:2~4

最大捕捉:1人

 必中必殺・因果逆転の呪いの槍。無限連発可能の朱い獣牙。

 この宝具を回避するためには、呪いを跳ね除ける幸運の高さと、そのあとに槍の疾走を躱す特殊スキルが必要となる。

 

 

 

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class ライダー&アヴェンジャー

 

マスター 深淵の神(アラヤ・アンリマユ)

真名 副王フェムト

性別 男性

身長・体重 ????

属性 混沌・悪

 

筋力 □□□□■ A++

魔力 □□□□■ A+

耐久 □□□□■ A++

幸運 ■■■■■ EX

敏捷 □□□□■ A+

宝具 -

 

『クラス別能力』

騎乗:A++

 竜種を乗りこなせる。

 

対魔力:EX

 あらゆる魔術による干渉を無効化する。

 

『詳細』

 第三次聖杯戦争の折、ライダーとして召喚された“白い鷹”グリフィス。

 実質的に聖杯戦争の勝利者となるまで勝ち進むが、汚染された聖杯は、グリフィスの「受肉したい」という願いを歪曲して叶えて、その体を大聖杯の中に取り込んでしまう。黒く濁った大聖杯の中でアヴェンジャーに汚染されたグリフィスは、中世暗黒時代における“この世全ての悪(アンリマユ)”に染まった“集合的無意識(アラヤ)”と繋がってしまい、神霊級の反英雄“副王フェムト”として、霊基を再臨する。

 第四次聖杯戦争の頃はまだ眠っていたが、第五次聖杯戦争にて、ついに目覚める。

 聖杯に望む願いはただ一つ。「――――受肉したい。光の、鷹として……」

 

 白い鷹=英霊。副王フェムト=神霊級(神霊もどき)。光の鷹=神霊が人の身に降りた、あるいは転生した状態。

 

『保有スキル』

選ばれしもの:A

 覇王の卵、深淵の神、アラヤ、アンリマユ、根源。それらに選ばれたものを指すスキル。

 

根源接続(悪):A

 空白の時代。中世暗黒時代においての集合的無意識は、この世全ての悪と同化した。悪意ある神に見初められし青年は、魔道外道に身を落とし、神霊もどきに転生する。己が夢のために、唯一無二の絆を断ち切ってでも――――

 

神性:A+++

 神霊もどき。しかし、それは在り方の問題で、能力は神霊と同格か、あるいはそれ以上。

 

単独■■:EX(実際はD相当)

 マスター不在でも現界可能。完全にこの世に生を受けている。世界の悪意によってアラヤの抑止力は微小にしか発動していない。ちなみにセイバーはグリフィスを見て「人類悪のなりそこない」と呼称していたが、その真意や如何に……?

 

『宝具』

ファンタジア

幻造世界

ランク:EX

種別:対界宝具

レンジ:-

最大捕捉:-

 固有結界とは似て非なる、後天的に根源へ接続した者による世界の在り方そのものを書き換える神代回帰の権能。その規模は星全体に及ぶ規格外の代物。

 この権能によって、世界は二つの線に分岐した。剪定事象としてではなく、もうひとつの世界として、グリフィスの理想の世界として、元の世界を下地に生まれ変わった。

 それは、幻想種が棲む世界の内側と、地球の表面を融合させる試み。

 本来なら抑止力が許さない蛮行だが、当時のアラヤの抑止力そのものである深淵の神に“良し”と認められたグリフィスは、なんの邪魔立てもなく幻造世界を完成させた。(型月時空において、それは漫画版BERSERK・妖精島の章のとき)

 ひとつの地球に、ふたつの世界。中世暗黒時代のヨーロッパに、幻造世界を挟み込む。この矛盾を解消しなければ、世界の安寧は保たれず、星の秩序は崩壊する。そのためガイアの抑止力は、最終手段「無かったことにする」を実行した。

 ガイアの抑止力は幻造世界を別の時空位相に独立させ、空白となった空間と時代に「本来の歴史」を未来から取り寄せ、アラヤの抑止力と協力し辻褄を合わせた。

 本来ガイアは星の抑止力であるが、人間が滅びれば星も危機に陥るのでアラヤに助け舟を出したのだ。

 また、この異常事態にいち早く気が付く者がいた。根源接続者はもちろん、魔術師や死徒である。

 特に世界の真実を探求する者たちは、この世界的変異事象を「空白の時代」と名付けて、真実の究明を図った。

 ――――空白の時代の黒幕。その真相が、いま明かされた。

 

 

 



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