声を失った少女(リメイク版) (零眠みれい(元キルレイ))
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1話

 眠りから覚めると、血が染み付いている木の床が視界に入りました。少し遠くには、金属でできた色々な道具があります。

 寝起きということもあり、つい上体を起こそうとしてしまいましたが、足元でフェリュさんが作業をしていることに気付き、すぐさま動きそうになった体の一部、何から何まで全てを静止させました。

 

「うーん……悩むなー…」

 

 フェリュさんは鋭利な刃物を、血でべっとりになっている左手で回しながらそう呟きます。

 きっと私に、どのような傷をつけるのか悩んでいるのでしょう。

 

「んーー、思いつかないことだし……レイラ――って、起きてたんだ。早速だけどあれ、やってくれる?」

 

 私は言葉で返事をせずに、行動で返事をしました。手足に繋がれている鎖の擦れる音を立てながら立ち上がり、近くに置いてあった刃物に気をつけ、膝を抱えて座ります。

 

「ありがと、そのままじっとしててくれ」

 

 そう言って、あれだけ手が動いていなかったフェリュさんが打って変わって、手際よく私の腕や足に新しい切り傷を作っています。

 そして数分後――。

 

「よし、完成っと! いやぁー、まさにイメージ通りだよー。似合ってる似合ってる!」

 

 完成…ですか? いつもは爪を剥がしたり、骨を折ったり、皮膚を焼いたり、痣を作ったりを組み合わせているのに、今回は切り傷だけですよ?

 それらの疑問が顔に出ていたからか、それともただの独り言なのか、フェリュさんは嬉々として答えます。

 

「数日前だったかな? 一種類だけの傷ならどうなるんだろう、ってある日突然思いついてさー。にしても予想以上だよ! やっぱりレイラは僕が見込んだだけのことはあるね」

 

 それからフェリュさんの話は続き、一時間ほど経つと用事があるとのことでこの部屋から出て行きました。

 私は疲労感が少しあったので、床の上に倒れて寝ることにしました。

 

 

 

 次に目覚めた時、濃い茶色の天井が私の瞳に映りました。

 寝ぼけているだけかと思いましたが、何回もパチクリとまばたきをしたので見間違えではありません。知らない天井です。

 私はここがどこなのか気になったので、周りを見ようと起き上がります。

 広さは私がこの前まで居た部屋と同じぐらいで、ベッドは私が使っているもの以外はありません。周りには椅子が一つ置いてあります。

 体には数箇所白い布が巻かれていて、鎖があったはずの所には何も縛られていません。

 結局、私にはここがどこなのか見当がつきませんでした。分かることといえば、私をここに移動させた人はフェリュさんではないことくらいです。

 これ以上考えていても何も思いつきそうにありませんね。まだ疲れが残っていることですし、起きていても何もすることがありません。もうひと寝入りするとしましょう。

 私は寝る姿勢に入ろうとしましたが、ドアを軽く叩く音がしたのでそのまま起きることにしました。

 ドア越しから「入るよ」と言って入ってきたのは白い服を着た男の人でした。見覚えはありません。

 男の人は椅子に座りながら、私に話しかけてきます。

 

「目が覚めたみたいだね。なかなか起きないものだから心配していたよ」

 

 この人の穏やかな口調と優しさを感じる声色は、あの人と似たものを感じました。久しぶりにその顔がふと頭の中をよぎります。まぁ、昔の記憶なのでかなりうろ覚えで、ですが。

 男の人は続けて言います。

 

「起きたばかりで戸惑っていると思うが、まずは安心してほしい。ここには君に酷いことをする人はいないよ」

 

 酷いことというのは、例えばどういったことなのでしょうか。あまりに曖昧で分かりません。

 でもまぁ、きっとこの人にとっては私に安心してもらえればそれでよいのでしょう。私は理解したということを相手に伝えるため、頷きます。

 

「」コクッ

「分かってくれたかい? ではまず、ここがどういう場所なのか、どうして君がここにいるのか、順を追って説明しよう」

 

 この人が言うには、私が住んでいた家の貴族が大きな罪を犯したそうで、家族全員皆殺しにするため憲兵がその貴族の家を襲撃。その際、監禁されていた私を発見し、この病院に連れてきたそうです。

 この病院は奴隷となっている子を助けるための施設で、誰かが引き取ってくれるまで面倒を見るらしく、今回私の担当になったのがこの男の人とのこと。

 

「――君は重傷だったため、医者である私に担当を任せられたんだ。何か質問はあるかな?」

 

 今話してもらった事とは関係の無い質問ですが、手足に巻いてあるこの白い布が気になります。

 私は布を医者の人に見せるようにして、手を前に出します。

 

「……? あ、それは包帯といって、傷口を保護するんだ」

 

 最初は意味が分からなかったみたいですが、伝わったようです。

 これは包帯というんですか。傷口を保護するために付けているのであれば、私には必要ありませんね。だってもう、治っているでしょうから。

 私は包帯を取って傷一つない腕を確認します。

 

「なっ――!?」

 

 すると、医者の人が乱暴に立ち上がり、現実を疑っているかのように私の腕を凝視します。そこまでびっくりすることなのでしょうか?

 

「……さ、触ってもいいかな?」

「」コクッ

 

 医者の人は恐る恐る私の腕を、傷があったであろう場所に手を当てています。

 

「ほ、本当に治っている…。信じられない…」

 

 怪我が早く治ることは自覚していましたが、まさかここまで驚かられるとは思いませんでした。私の方が驚きです。

 医者の人からはこのことを他言しないよう促されました。別に隠すほどのことではないと思うのですが、ここは素直に従いましょう。

 そのあとはこの施設での決まり事を教えられ、改めて自己紹介をされました。

 

「――そういえば、まだ聞いていなかったね。君には名前はあるのかな?」

「」コクッ

「ではその名前を教えてほしい」

 

 そう言われても、私には名前を伝える方法が分かりません。どうすればいいのでしょうか。手で喉を当てても分かりにくいですし…あ、声を出したら分かってくれるかもしれません。

 

「   」

 

 声が出ない私の口からは、空っぽの音だけが発せられました。

 

 

 

 数日後――。

 今日は久しぶりに外に出掛けます。医者の人と初めてのお散歩です。

 部屋でお昼ご飯を食べながら医者の人から注意事項を聞き、外出用の服に着替えて玄関の前まで来ました。

 

「もう一度言う確認するけど、私と手を離さないこと。興味が出るものがあったら指をさして教えること。気分が悪くなったらすぐに私の服を掴むこと。いいね?」

「」コクッ

「よし、じゃあ行こうか」

 

 医者の人は玄関のドアを開きます。

 そこには、石で敷き詰められた道路の上を、大人から子供までもが歩き回っていました。あちこちには赤い屋根と白いレンガの家が建てられていて、太陽の光で照らされている明るい街並みという印象を受けます。

 私は医者の人の手を握り、病院から出ました。

 すごく、すごくすごく眩しいです。全身で陽の光を浴びると、こんなにも目が眩むものなのですか。予想外です。

 それから数十分、医者の人に付いて行かれるがまま歩きます。

 次第に太陽の眩しさには慣れてきましたが、街の明るさには慣れませんでした。

 通りがかる人々は表情を豊かにして喋り、怪我をしている者はほとんど居らず、どこを見ても犯罪が行われていない。

 そんなこの街を、私は慣れることができませんでした。

 

「さて、もう疲れてきた頃だろう。そろそろ帰るかい?」

 

 疲れている訳ではありませんが、特にこれといって何もありませんし…そうですね。もう帰りましょうか。

 そう思い頷こうとすると、

 

パカラッパカラッ

 

 と、知らない音が聴こえてきました。耳を澄ませてみると、その音が大量に重なっていることが分かります。

 音がする方向を見ると、人だかりができていました。なぜ人が集まっているのでしょうか。私は気になったので、そちらに指をさします。

 

「……あそこに行きたいのかい?」

 

 医者の人は気が進まないような顔をしています。なおさら私は何があるのか気になりました。

 

「」コクッ

「……分かった、怖くなったら私の後ろ来るんだよ」

 

 そして、私は医者の人と離れないように手を掴み、人ごみを掻き分けて一番前の列にたどり着きました。そこで見たのは――

 茶色い動物を引き連れ、血塗れになって歩を進める調査兵団の姿でした。誰しもが負傷していて、誰しもが絶望した顔をしています。

 医者の人から壁の外には人を食べる巨人がいると聞かされてはいましたが、まさか兵士がここまでボロボロになるとは…。それほどまでに巨人が強いということですね。

 それはさておき、さっきの音はあの茶色い動物の足音でしょうか。なんという名前の動物なのでしょう。それに向かって指をさします。

 

「この人達は調査兵といってね、巨人の謎を解くために壁外に行くんだ。この有様を見るに、今帰ってきたみたいだね」

 

 いえ、そのことを聞いているわけじゃありません。そんなこと見れば分かります。

 私は首を振り、もう一度茶色い動物を指します。

 

「」フリフリ

「ん? あ、あぁ…あの頭のことか…。あれには振れないであげよう。何十人もの死体を見てしまえばああもなるさ。だから――」

 

 違います。ハゲた人はどうでもいいです。私が気になっているのはあの動物なんです。

 

「」フリフリ

「そうじゃない? だとすると…なるほど。あの人の濃ゆくて太い眉毛が面白いって話だね。しかもそれに対しての目の細さが…。もうこれは凄いとしか言い様がない」

 

 違います。違うんですけど何ですかそれ、すごく気になります。そんな人見たことありません。

 動物より興味の湧いたその人を見つけるため、医者の人の視線を追って調査兵団の人達の顔を一人一人観察します。

 しかしなかなか見つかりません。本当にそんな人がいるのでしょうか。そんなことを考えつつ黙々と探していると、一人の兵士と目が合いました。

 他の男性よりも少し小柄で、目も眉毛も細く鋭い目付きをしています。この人でもなさそうです。私は隣の人の顔を見ようとしました。

 

「おい、お前…」

 

 ですがその目を合した兵士から声を掛けられ、再度男の人と顔を見合わせます。

 その人は何故か、わざわざ私に近づき足を止め、目を見開いて信じられないものを見るかのような表情をしていました。

 

「もしかして…」

 

 男の人は過去の記憶から絞り込むように、

 

「レ、レイ…ラ……なのか?」

 

 私の名前を口に出しました。



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2話

「俺は厩舎に馬を停めてくる。少し待ってろ」

 

 私に続き、馬から降りたリヴァイさんはそう言って、馬を連れていってしまいました。

 私は待っている間、目の前にある大きな建物を眺めることにします。

 ここは調査兵団となった兵士達が体を鍛え、傷を癒し、食事を取り、寝泊まりする場所であり。

 今日から私が住む場所でもある、調査兵団本部です。

 

 

ーーーーー

 

 

「こ、この子を知ってるんですか!?」

 

 珍しく医者の人が取り乱しています。大きな声を出したせいで、人の注目を集めてしまいました。

 

「いや…そいつの外見が似た奴と一回話したことがあるだけだが…」

 

 それを聞いた医者の人は、唖然として私に問いかけます。

 

「君は…君の名前はレイラ…なのかい?」

「」コクッ

「本当だったのか…。レイラさん、君はこの人に見覚えはあるかい?」

 

 私は男の人をもう一度じっくりと見ながら、過去に会ってきた人の顔を照らし合わせます。覚えているかぎりの全ての人を思い出しました。

 しかし…やはりというべきでしょうか。それらしい顔が見当たりません。あったとしても恐らくは数年前の記憶、ぼやけているものがほとんどです。

 それに男の人が言うには会っているのは一回だけ。逆に覚えている方が変ですね。

 

「」フリフリ

「見覚えはない…か」

「おい、あんた」

 

 私と医者の人のお話が終わったのを見計らったように、男の人が会話に入ってきました。

 

「レイラとはどういう関係なんだ?」

「私は近くにある孤児院に勤めている者で、レイラさんを引き取る方が見つかるまで保護者代わりをしています」

「……」

 

 その説明を受けた男の人は、真剣に考えている素振りをみせています。何を考えているのでしょうか。

 

「リヴァイ、どうしたんだ?」

 

 そこへ馬に乗っている、金髪の背の高い男の人が来ました。小柄な男の人をリヴァイと呼んでいます。この人はリヴァイさんというのですか。

 

「エルヴィンか、好都合だな。頼みたいことがある」

 

 そして大柄な方がエルヴィンさんですね。

 頼みたいことというのは、先ほどまで考えていたことと何か関係があるのでしょうか。

 

「お前が頼みたいことだと?」

「こいつは孤児らしくてな、引き取る相手を探しているらしい。そこで調査兵団の兵舎で住まわせたい」

「「……は?」」

 

 ……へ?

 

「リ、リヴァイ…? さすがにそれは」

「誤解すんなよ。あくまで暮らさせてやるだけだ。入団はさせねぇ」

「その事ではないのだが…いや、何も言わないでおくか…」

 

 エルヴィンさんから若干のためらいを感じます。何か言いにくそうです。

 

「で、どうなんだ?」

「私は構わないが…その子の意思はどうなんだ?」

 

 私はどちらでもいいです。リヴァイさんが暮らしてほしいのならそうしましょう。

 

「」コクッ

 

 行きたいという意味での肯定。そのつもりでコクッとしましたが、伝わっているでしょうか。顔色を伺ってみます。

 これはダメみたいですね。リヴァイさんとエルヴィンさん、二人とも首をかしげてはてなマークを頭の上に浮かせています。

 

「まだ言っていませんでしたが、レイラさんは声が出ないんです」

 

 医者の人のフォローにより、二人のはてなマークは崩れ去りました。納得したようです。

 

「レイラさん、行きたいと思っての頷きで合ってるかい?」

「」コクッ

 

 医者の人のおかげでちゃんと伝わったようです。その証拠に、エルヴィンさんとリヴァイさんは私を調査兵団に連れていく方針で話を進めています。

 

「分かった。キース団長には私が交渉しよう」

「じゃあ決まりだな。俺はリヴァイだ。レイラ、馬に乗せてやる。こっちに来い」

 

 それは馬という名前だったんですか。そもそもその茶色い動物に関心があって最前列に来たんでしたね。すっかり忘れてました。

 私は医者の人の手を離し、リヴァイさんが引いている馬に駆け寄ります。

 するとリヴァイさんが私の脇に手を入れて持ち上げ、言っていた通り私を馬の上に乗せました。その後リヴァイさんも私の後ろに乗ります。

 

「進むぞ。落ちねぇように気を付けろよ」

「」コクッ

 

 馬の上から見た景色は、いつもより視線が高いせいか全然違いました。貴重な体験なので、私は前後左右コロコロと視点を変えます。

 そんなことをしていると、一瞬エルヴィンさんと医者の人が話しているところを見かけました。

 

 

ーーーーー

 

 

「――でさー。あの子可愛かったなー! 捕獲したかったなー!」

「……」

 

 ぼーっとしながら兵舎を眺めていると、騒がしい声が聞こえてきました。そちらの方向を向くと、リヴァイさんとその横にメガネをかけて髪を結んでいる女の人がいます。リヴァイさんは女の人の話を無視していました。

 

「ねぇーちょっと聞いてる? ってあれ、あんな所に何で女の子が…。リヴァイはなんか知って――! リヴァイがいなく――いたー!」

「待たせたな」

「なになに? リヴァイとどんな関係なの?」

 

 女の人は私とリヴァイさんの顔を交互に見ながら、リヴァイさんに説明を要求してます。ついでに私もその女の人について説明を要求したいです。

 

「こいつはレイラ。孤児らしいから引き取ることにした。声が出ないそうだ。レイラ、こっちはハンジ。巨人好きの変わった奴だ」

 

 ハンジさんですか。好きなものが巨人とは、確かに少し変わってます。

 

「え…リヴァイあんた…」

 

 ハンジさんの表情が一転して、リヴァイさんをドン引きするような目で見ています。

 

「私のこと奇行種だの何だの言ってたくせに…。そんな趣味があっただなんて…」

「あ? 何言ってんだ?」

 

 ハンジさんが言っていることはどういう意味ですか? という質問をしようにも、リヴァイさんにも答えられないようです。

 

「えーと、うん。レイラの容姿は可愛いからね。気持ちは分からなくはないけど…。いや、好みは人それぞれって言うしね」

「チッ…問い詰めてぇところだが、飯の時間だ。後で部屋に出向くから、それまでに言葉を考えてろ。行くぞレイラ」

 

 リヴァイさんが兵舎に向かって歩き始めました。私はリヴァイさんの斜め後ろからついて行きます。

 途中途中で怪我をしている人がチラホラと目に付きました。大事な人を失ったのか、涙を流している人もいます。

 そういえばリヴァイさんやエルヴィンさんは怪我を負った箇所がありませんね。巨人からただひたすら逃げていたのか、それとも並の兵士以上に強いということでしょうか。

 

「ここが食堂だ」

 

 中は不思議なことに、机が多い割に人数が少なめでした。ここにいない人は、今日の壁外調査で受けた傷を治しているのでしょう。

 

「飯を取ってくるから適当に座っててくれ」

 

 リヴァイさんは奥の方へと歩いて行きました。

 私は人がいない机で、且つすぐ近くにあった席に座ります。身長が低いからか、机が少し高く足が床につきません。食事を食べる時に不便になりそうです。

 そんなことを思いつつ待っていると、リヴァイさんがお盆を持って私の隣の席に腰掛けます。

 

「俺の分を分ける。これくらいでどうだ?」

 

 リヴァイさんの手には半分より小さめにちぎられたパンが握られていました。

 はい、これくらいがちょうどいいです。という意味合いを込め、私は頷いてパンを受け取り口の中に入れます。

 病院での食事と同じく、味はなくて少し固めでした。少しずつ食べていると、

 

「リヴァイ、その子が今日からここに暮らすことになったという子供か?」

 

 いつの間にか前の席に男の人が居ました。エルヴィンさんより背が高く、あごにひげを生やしています。

 

「ああ、名前は――」

「レイラだろう? ハンジから聞いた」

「そうか」

「それと、これもハンジから聞いた話なんだが…」

 

『ミケ…実はとんでもない秘密を知ってしまったんだ…。私はこれからどうすればいいものか…。リヴァイは…ロリコンだったんだ!』

 

 途端に、リヴァイさんから静かな殺気が放たれます。

 ろりこんというのは、そんなに言われたくない単語なのでしょうか。

 

「……あの野郎、そういうことか」

「念のため聞いておくが、決してそういう気持ちで引き取ったわけじゃないんだよな」

「当たり前だ。レイラ、食い終わったらミケにハンジの部屋まで案内してもらえ」

 

 怒りを抑えているような声を発し、リヴァイさんは食堂から出ました。

 それから私はパンをちまちまと食べていました。男の人――ミケさんは無言で私を見てきます。

 沈黙の中、ミケさんは私にこんな質問をしました。

 

「レイラはリヴァイと知り合いなのか?」

 

 知り合いではないですね。リヴァイさんが一方的に知っているだけですし、記憶違いの可能性も捨てきれませんから。

 

「」フリフリ

「そうだったのか? あのリヴァイが赤の他人を助けるとは…意外だな」

 

 ……助ける? ミケさんは助けると言ったのですか?

 私は今、リヴァイさんに助けられている…?

 ここに住まわせる行為は、私を助けることにある?

 

 なぜ? なんで? どうして? どうやって? 何をして? ワタシをタスける?

 

 嫌だ イヤだ? 怖い コワい? 違う そうじゃない そんなこと思ってない 私は本物 違う 違う チガう チガウ… チガウ…?

 

 

 ワタシは ニセモノ なの?

 

 ……。

 

 

 ダイジョウブ 誰も私を助けられない

 ダいじょウブ 誰も私を助けられない

 だいじょうぶ 誰も私を助けられない

 誰も私を、助けることなんてできない

 大丈夫 大丈夫、大丈夫。

 

 私が本物を見ることは無い。

 違った。もう一つの本物だ。

 だって私は偽物じゃない。私は偽物じゃないです。

 私は偽物なんかじゃないんです。一つの本物です。

 だから私以外の本物は、私には知らなくていいことなんです。

 私の本物は、間違ってなどいませんから。

 間違ってなんか、ないんです。

 

「おい…大丈夫か? 手が止まってるぞ。もう食べきれないのか?」

 

 ミケさんに心配を掛けてしまったようですね。私は大丈夫です。

 ここで頷いてしまえば、パンが食べきれないという解釈をされるのですが、まぁいいでしょう。残りもあまりありませんし。

 

「」コクッ

「じゃあ行くか」

 

 その後、ミケさんには食器を片付けてもらい、ハンジさんの部屋まで先導してもらいました。ミケさんはノックをして、扉を開けます。

 

「やれやれ…」

 

 ミケさんは呆れたように言いながら入っていきます。私もミケさんに続いて入りました。

 そこでは――

 

「遅かったじゃねぇか」

「ミケ! 早くリヴァイを説得して、止めさせてくれぇぇ! 痛い! 腕痛い! マジで痛いんだって! ぎゃあああぁぁ!!」

 

 這いつくばっているハンジさんの上に、リヴァイさんがハンジさんの腕の関節を変な方向へ曲げていました。

 

「それくらいにしておいたらどうだ。ハンジも反省してることだろう」

「してます! 反省してます! ミケ以外には誰にも言わないから、誰にも言ってないから!!」

「……チッ」

 

 リヴァイさんは渋々関節技を解き、ハンジさんの上から体を引きました。

 ハンジさんはよろけながらも立ち上がり、腕を抱えて涙声を上げます。

 

「うぅ…痛い…。あれ? 今更だけど何でミケとレイラが私の部屋に?」

「俺が呼んだ。ここをレイラの寝床にしようと思ってな」

「そゆことね。私は全然いいよー、一緒に寝たいって思ってたし。レイラもそれでいいよね?」

 

 いいですよ。特に反対する理由はありません。

 

「」コクッ

「やったー!」

 

 やけにハンジさんは喜んでいます。そんなに嬉しいことなのでしょうか。

 

「あ、ミケ。それとリヴァイも。明日用事とかある?」

「俺は今日の壁外調査の事後処理がある」

「俺は何もねぇが…なんだ? どっか行くのか?」

「うん。レイラの服でも買いに行こうかなーって思ってさ。レイラは来る?」

 

 服のことはどうでもいいのですが、今後暇になることが多くなると思うので、何か退屈しのぎになる物が欲しいです。

 服屋さんの周りにそういう物が置いてあるお店があるかもしれませんね。私も行きましょう。

 

「」コクッ

「よっしゃ! リヴァイは?」

「特にすることもねぇからな、俺も行こう」

「了解! 明日は三人で外出だー! それじゃ、明日のためにもレイラは寝よっか。もう夜遅いし、疲れてると思うから」

 

 言われてみれば、少し疲れているかもしれませんね。ここはハンジさんの言葉に甘え、寝させてもらいましょう。

 

「私も後で寝るから、先にそこのベッドで寝てていいよ」

「」コクッ

 

 私はベッドに横たわり、薄い毛布にくるまりました。まぶたを閉じて、意識が遠くなるのを待ちます。

 

「ところでリヴァイ、なぜレイラを引き取ったんだ?」

「あーそれ私も気になる」

「あぁ…そうだな…。正直俺にもよく分からんが…恐らくレイラに――」

 

 そこから先の内容は、眠りに入った私には聞こえませんでした。

 



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3話

「ありがとう、お姉ちゃん」

 

 妹は笑顔でそう言った。

 

 

ーーーーー

 

 

 久しぶりに…夢を見ました。どんな内容だったのかは忘れてしまいましたが、懐かしい夢だった気がします。

 もう少し寝たいところですが、疲れが取れきれたおかげか、完全に目が覚めてしまいました。眠れそうにありませんね。起きましょう。

 私は隣で寝ているハンジさんを起こさないようにベッドから出て、窓から外の風景を見ます。

 日の出はまだ出ておらず、まだほんのり暗めでした。起床時間にしては早すぎましたね。

 何もやることがありませんし、空でも観察しましょう。

 

 

 

 数分で飽きました。他のことをしたいです。

 しかしそうは思うものの、何をしましょうか。何かないものかと探そうにも、それは触っていい物なのかが区別できませんし、何より無断で漁るわけにはいきません。

 うーん…試しに食堂にでも行ってみましょうか、歩くだけでも時間は潰れますし。

 そうです。歩くだけでいいならせっかくの機会、この兵舎の間取りを調べましょう。ここに住む以上、最低限度ハンジさんの部屋、食堂、玄関には迷わず行けるようにしなければ。

 私は早速廊下に出て、ほつき歩きます。

 

 

 

 ふむふむ、だいたいの部屋を把握することができましました。さすがに室内まではチェックしていないので誰の個室かまでかは分かりませんが、構造は確認できたので迷うことはないでしょう。

 さて、そろそろハンジさんの部屋に戻るとしま――

 

「レイラーー!! おーーい!」

 

 背後から聞き覚えのある女の人の声が聞こえてきました。

 振り向いて目を凝らしてみると、ハンジさんが手を口に当てて叫んでいます。

 ハンジさんも私に気付いたようで、私のところに駆け足で近づきます。

 

「あー! ここに居たんだ、良かった…。びっくりしたよ、レイラがいなくなってたんだから。もー不安で不安で…」

 

 そう…だったんですか。すみません…昨日と今日とで、心配を掛けてばかりですね。

 ハンジさんは人差し指を立てながら私に注意します。

 

「いい? 今度からは一人で勝手に行動しないこと。分かった?」

「」コクッ

 

 はい、次からは気を付けます。

 

「よし、反省しているみたいだし、朝ご飯を食べに行こうか」

「」コクッ

 

 そしてハンジさんと食堂に行き、ばったり会ったリヴァイさんと朝食を取ることになりました。

 室内は以前より人が増えているせいか、多くの視線を浴びます。

 ですが私含めて三人、気にせず食事しながら外出について話し合っていました。

 

「行き先としてはシガンシナ区か近場だけど、せっかくだしシガンシナ区でいいよね?」

「ああ」

「あそこ徒歩で一時間くらいだっだと思うし、これ食べ終わったらすぐ行こっか」

「そうだな」

「具体的な所は着いたら決める?」

「ああ」

「私金持ってく予定だけど、リヴァイは持ってく?」

「ああ」

「あとは――」

 

 これは話し合いというより、ハンジさんの提案をリヴァイさんが承諾しているだけですね。最後までリヴァイさんは「ああ」とか「そうだな」しか言ってませんし。

 そんなこんなで三十分後。私服姿に着替えた私達は、シガンシナ区を目指して出発しました。

 

 

 

 シガンシナ区。ここはもっとも外側の壁であるウォールマリアの南側に突き出した街。

 家が建ち並び、人通りはとても賑わっています。

 行きがけで薄々気付いてはいましたが、ここは前まで住んでいた病院があり、またリヴァイさんと初めて会った場所みたいですね。

 私ははぐれないようにするためハンジさんと手を繋ぐことになりました。リヴァイさんは後ろから付いてきています。

 服屋さんを探し回ること十五分、未だに見つけられずにいました。

 

「見つかんないねー。ちょっと誰かに聞いてくるから、リヴァイとレイラはここで休んでて」

 

 そう言うとハンジさんは片っ端から聞き込みを始めます。一人ずつ声を掛けては別の人にと切り替えていて、なかなか見つけられてない様子でした。

 この街は食べ物に関するお店は多いようですが、生活用品の方はあまりないようですね。私の目的としている物は見つかるでしょうか。

 

「おい、そこのベンチで休むぞ」

 

 リヴァイさんが私に目配せでベンチの位置を伝え、そちらの方向へと歩き出します。私も少し遅れて歩きました。

 リヴァイさんの隣に座り、無言になること数十秒後。リヴァイさんが私にある問いをかけます。

 

「楽しいか?」

 

 楽しいか…ですか。愚問ですね。そんなの、決まってるじゃないですか。

 楽しくありませんよ。

 そんな感情、一ミリも湧きません。

 だってそれらを感じないように、昔捨てたのですから。

 私はその問いに対し、楽しくないと首を振ろうとしました。しかし――

 

「リヴァイー! レイラー! 見つけたよー! こっちだってー!」

 

 タイミング悪くハンジさんの声が割り込んできました。

 私はとっさにハンジさんの方を見ます。ハンジさんは私とリヴァイさんが元いた場所から大声で手を振っていました。

 リヴァイさんもそれを見たのか、ベンチから立ち上がります。

 

「さっきの質問は無かったことにしてくれ」

 

 ? 理由はよく分かりませんが、リヴァイさんがそう言うのなら無かったことにしましょう。

 私が頷き返した後、私達はハンジさんと教えてもらったという服屋さんに行きました。

 屋内はそこそこの棚が積み重なっていて、その中に服が入っていました。全部でざっと三十着といったところでしょうか。

 

「レイラは何か着たいものとかある?」

「」フリフリ

 

 ないですね。なんでもいいです。

 

「そう? じゃあ私選んでくるから、適当にうろついてて。外には出ないでね」

「」コクッ

 

 ハンジさんは私に釘を刺した後、熱心に服を選び始めました。

 その間私は窓を通して外を眺めます。空よりかは飽きませんね。

 理由としてはコロコロと光景が変わるのと、この街の明るさに慣れてないからでしょう。

 ずっと前に暮らしていた所と雲泥の差がありますからね。慣れるにはまだまだ時間がかかりそうです。

 

「……暇か?」

 

 そんなことを考えていると、リヴァイさんから話しかけられました。

 あまりに唐突だったので、返事をするのに少し間が空いてしまいます。

 

「」コクッ

「さっき近くで店を見つけた。お前も来るか?」

 

 何のお店かは不明ですが、そこなら何か見つかるかもしれませんね。行きたいです。

 私はリヴァイさんにそのことを伝え、ハンジさんには他のお店に行くと知らせました。私とリヴァイさんだけで移動します。

 

「ここだ」

 

 内部は服屋さんと似たりよったりですね。ただ置いてあるのはほうきや雑巾などの掃除道具です。ここは掃除用具専門店、といったところでしょうか。

 リヴァイさんはすぐそばにあるハタキを手に取り、興味深そうに見ています。しかもほんのりですが表情が緩んでいました。

 私もリヴァイさんを真似てハタキを持って見てみます。

 木の棒の先端に布が付いてますね。

 ……。

 それ以外の感想が思いつきません。というか、そもそも私は掃除をしたことがないので、使いやすいのかどうかも分かりません。

 私はハタキを元の場所に戻し、お店の中を探索することにしました。探索というより、ただ掃除道具を観覧しているだけですけど。

 これはほうき。こっちはちりとり。雑巾、ハタキ、ブラシ――えっと…この四角くて白くて固いのは確か…石鹸でしたっけ? よくフェリュさんがこびりついてた血を落とすのに使っていました。

 ……もういっそのこと掃除を暇潰しにやってもいいんですけど、綺麗にしてから汚れるまで合間ができちゃうんですよね…。

 理想としてはいつでも好きな時にやれて、長期的にできて、ある程度一人でできる物なのですが…そう都合のいい物は見つからないものですね。

 まぁ、掃除用具専門店にそんな物を求めるのもどうかと思いますが。

 ん…あれは…。

 ふと目に付いたそれは、文字が記されている紙を束ねてある書物――本でした。

 字は少ししか読めませんが、教えてもらえれば一人で読めますね。それに読み返せば永久に読むこともできます。厚ければ厚いほど長続きすることでしょう――決まりですね。これにします。

 私は一番分厚いであろう本を取ろうとしますが、高い位置に棚があるせいでギリギリのところで届きませんでした。

 あと少しで届くのに…一体どうすれば…。

 

「どうした?」

 

 そう困っていると、たまたま見かけたのかリヴァイさんが来てくれました。

 リヴァイさんは私が取ろうとしている本に視線を移します。

 

「あれが欲しいのか?」

「」コクッ

「俺がやる」

 

 本当ですか? ありがとうございます。

 私はやや後ろに下がり、心なしか嬉しそうにリヴァイさんは本を取ってくれました。

 リヴァイさんは私に本を渡しながら言います。

 

「字は読めるのか?」

 

 読めるといってもほんの一部分だけなので、ここは否定しておきましょう。

 

「」フリフリ

「なら帰ったら俺が教えてやる。そろそろハンジも終わってるところだろう。それ買って帰るぞ」

「」コクッ

 

 リヴァイさんに本を買ってもらい、掃除用具専門店から出て服屋さんに行く途中、ハンジさんと合流しました。

 

「おー二人共。ちょうどこっちも買い物が済んだところだよ――ってあれ? リヴァイ、それどしたの?」

 

 ハンジさんは私が抱えている本に指をさして、リヴァイさんに尋ねます。

 

「レイラが欲しがってたから買ってやった」

「へーそうな――リヴァイ、私の目にはその本のタイトルが『初級から上級までの掃除テクニック』と映っているのだけれど。ついでにすごい分厚いんだけど。いくら潔癖症だからって押し付けはどうかと思う」

「誤解だ、レイラが欲しがってたって言ったろ。何回言わせる気だ」

「本当はリヴァイがそそのかしたんじゃないの?」

「そそのかしてねぇよ。ってかそもそも会ったことある奴ら全員に対して巨人の話題を出すお前に、そんなこと言われる筋合いはねぇな」

「そ、そんなことないし! レイラには言ってないし!! ……まだ」

「おいちょっと待て、今まだって言ったな」

「そ、そんなことはどうでもいいんだよ! 今問題視すべきことは本のことで――」

 

 この本をきっかけに、喧嘩が始まってしまいました。

 いえ…喧嘩と表現するのは、何となく違う気がします。少なくとも、私が今まで目にしてきた喧嘩とは。

 何故なら、リヴァイさんとハンジさんの『それ』は、どことなく楽しそうにしていましたから。

 私はそれが不思議で不思議でたまらなく、終わるまで『それ』を見続けていました。

 



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4話

 調査兵団の人達は先日、治療を専念してほとんどの人がお休みでしたが、今日からは次の壁外調査に向けて訓練、仕事に励んでいました。

 リヴァイさんは立体機動の技術を磨きに、ハンジさんは巨人、ミケさんとエルヴィンさんは戦術について研究をしているらしいです。

 私はというと、ハンジさんの部屋で一人、昨日買ってもらった本を読んでいました。

 大きいサイズの本とは裏腹に文字が大きかった、なんていうこともなく、小さい字でぎっしり書かれていて、絵もなく図もなく一ページ読むのに時間がかなりかかるという、私の期待を上回ってくれた本です。

 ただし、一つだけ問題点がありました。

 昨日あれから寄り道をすることなく兵舎に帰り、リヴァイさんから文字を教えてもらったのですが、覚えきれておらずまだ読めないところが多々あるのです。

 読み飛ばしてもいいのですが、文脈が分からなくなると早く読み終わってしまったり、飽きがきてしまうんですよね。

 誰かに聞こうにも皆さん仕事が大変そうなので、そうするわけにはいきません。かと言って、私のことを全く知らない見知らぬ人では教えてもらえないでしょう。

 私のことを知っていて、なおかつ調査兵以外の人…そういえば『あの人』がいましたね。あそこまでの道のりは何となく覚えているので、多分一人で行けるでしょう。あとはこれを、どうやってリヴァイさん達に伝えるかですね。

 ふむ…。

 思考を巡らしていると、机の上に置いてある鉛筆が視界に入りました――。

 

 

 

「レイラー、様子見にしたよー」

 

 入ってきたのはハンジさんです。なぜ私の様子を見に来たのかは分かりませんが、何はともあれ早めに伝えることができて良かったです。

 私は本のとあるページを開き、ハンジさんに見せました。

 

「うん? 何か分かんない単語でも――あ、なるほど」

 

 どうやら分かってもらえたみたいですね。

 見せているこのページには、丸で囲まれた文字があるのです。ついさっき私が鉛筆を使って書きました。そしてそれを繋げると――

 

「シ、ガ、ン、シ、ナ……もしかしてシガンシナ区に行きたいの?」

「」コクッ

「でも私達忙しいからなぁ…」

 

 そう言うと思って、私は返事ができるように他のページにも書いておきました。そのページを見せます。

 

「…………一人で?」

「」コクッ

「……うーん…」

 

 ハンジさんは目を瞑り、腕を組んで考え込んでいます。

 どうしてでしょうか? 外出するのに許可ができない理由が分かりません。てっきりあらかじめ説明しておけば、出掛けられると思っていたものですから。

 もしかして、外に一人で行かせれば、そのままどこかへ行ってしまうと――逃げられると思っているのでしょうか。

 でもそれなら、ここに来た初日にこんなことを言うはずです。「この家から出るな」と。

 それにハンジさんはこう言っていました。「一人で勝手に行動しないこと」――私は勝手に行動してはいけないだけで、事前に伝えてくれれば何をしてもいい、そう解釈していたのですが…違ったのでしょうか?

 

「……レイラ、後でリヴァイ達と相談するから、それまで我慢できる?」

 

 ハンジさんは悩んだ末にこの結論に至ったようです。

 まさか相談事にまでなるとは思いませんでした。別に絶対に行きたいというわけではないので、行くなと言われれば行きませんよ? いえまぁ、どちらかというと行きたいので、素直に頷きましたが。

 

「」コクッ

「じゃ、次は昼ご飯の時間になったら呼びに来るから」

 

 ハンジさんは扉を閉じて、再び仕事に戻りました。

 

 

 

 数時間が経ちました。

 現在。調査兵団の人達が昼食を食べている食堂で、リヴァイさん、ハンジさん、ミケさん、エルヴィンさんが議論を開始しようとしています。

 まずは議論内容について、ハンジさんが静かな声で説明しました。

 

「……レイラが一人でシガンシナ区に行きたがっている」

 

 その一声に、リヴァイさんとミケさんは眉間にシワを寄せます。エルヴィンさんは飲み物を飲んでいました。

 

「……なるほどな」

「……一人で…か」

「そう。ミケの言う通り、この話し合いにおいてもっとも難題であるといえるのが――レイラのみで行くということ」

 

 私は参加できないので、分けてもらったスープとパンを食べていました。

 スープには少々味がついていますね。パンは相変わらず固くて味がありません。

 

「目的地は約三キロ、シガンシナ区。壁に向かって進むだけだから迷うことはないとは思う。ここまではね」

「そっから先、つまりはシガンシナ区の中で迷う可能性が高いと…」

「いやリヴァイ、それだけじゃないんだ。帰る時にシガンシナ区を出れたとしても、この調査兵団本部まで無事に帰れるのか――私はそこが一番の肝だと思っている。レイラは道順を覚えていると言っていたけど、たった数回で覚えきれるとは思えない」

 

 そういえば食堂に来る途中でそんなことを聞かれましたね。私は正直に答えただけですよ。昔そういうのを暗記することが多かったので、記憶慣れしてるんです。

 

「そうだな。仮に本当だとしても、うろ覚えに近いだろう」

 

 いえミケさん、シガンシナ区までならそこそこ覚えてますよ。と言っても信用してもらえないようですね。

 

「うん。だから私は、私としては、まだレイラを一人で行かせるべきじゃないと考えている」

「違うなハンジ。行かせるべきだ」

「……理由を聞こうか、リヴァイ」

 

 パンとスープを交互に食べながら思います。このパンの固さを、どうにかして緩和できないものですかね。支障はないはないんですけど…改善できるならしたいです。

 ん? あれは――

 

「レイラがやりたいと思うことは滅多にない事だろう。この機会を逃すべきじゃない」

「それにしてはリスクが高過ぎる。道に迷ったらどうするの? レイラは声が出ないから、助けを求めることもできない。行かせない方が賢明だと、私は思うね」

 

 エルヴィンさんがパンをスープに浸けて食べています。見るからに分かります。パンが柔らかくなってます。私もやってみましょう。

 

「俺もどちらかといえばハンジと同じ意見だな。近くの街ならまだしも、シガンシナ区までとなると…あと二回くらいは俺達の誰かが付いた方がいいんじゃないか?」

「……それでも俺は、行かせてやりたい」

 

 食べやすくなりましたね。今後もこのようにして食べるようにしましょう。スープがない時はそうですね…飲み物にでも浸けましょうか。

 

「レイラが少しでも望んだことは叶えてやりたい。地図を書いて渡すなり、集合場所を門の近くにして俺達の誰かが迎えに行くなり、何か方法があるはずだ」

「「……」」

「それに一人で外出できるようになった方が、こいつのためにもなるんじゃないか? 本は買ってやれたが、一冊だけだといつかは限界が来るだろう。いや、もう来ているかもしれない。あと二回俺達が付いてからだと、先延ばしは一週間以上にもなる。行かせるべきだ」

 

 リヴァイさんが考えを述べ終えると、ハンジさんは若干申し訳なさそうに、

 

「リヴァイの気持ちは分かるよ。でも…その方法が分からない」

 

 それに続いてミケさんも、

 

「方法があったとしても、安全策でなければ俺は反対だ」

 

 そう言ったっきり、全員口を閉ざして沈黙状態になりました。

 えっと…これはつまり、今回はシガンシナ区に行ってはいけない、ということ…ですよね? あと数回昨日のようにリヴァイさんやハンジさんと出掛けてから、そうしたら一人で行ってもいいと。

 それにしても、依然として外出許可が下りない理由は分かりませんし、なぜリヴァイさんがそうまでして私の望みを叶えようとしたのか、疑問が出てきましたね。

 まぁ、そんなことは知ったところで何もありませんけど。

 さて、残りのスープを飲んで、本の続きでも読みましょうか。読めないところについては、じっくりハンジさんにでも教えてもらいましょう。

 私は自分の考えに則り、スープを飲み干そうとスプーンで口に運んでいました。

 するとポツリ、沈黙の中でエルヴィンさんが言います。

 

「『調査兵団本部への行き方を教えて下さい』と書いた紙を渡しておけばいいんじゃないか?」

 

 聴き逃してしまいそうなその一言に、一瞬だけ無言になり、

 

「それだ!!」

 

 重く暗かった雰囲気は、ハンジさんの声でかき消されました。

 

「それだよエルヴィン! それなら道に迷っても助けを呼べる! この策なら安全でしょ? ミケ」

「ああ、俺が反対する理由はない」

「よかったね、レイラ。外に行ってもいいってさ」

 

 え? いいんですか?

 私は念のため、リヴァイさんに視線を向けます。反対なんかされていませんし、逆に賛成してくれていましたが、もしかしたらと思い、視線を向けます。

 リヴァイさんはほっとしたようにして、私にこんな言葉を掛けました。

 

「行ってこい」

 

 その後私とハンジさんで部屋に戻り、出掛ける準備をしました。

 服は白と緑、どちらかのワンピースのうち、白い方のワンピースに着替えます。

 本とハンジさんから渡された紙を持ち、兵舎の玄関まで来ました。

 

「もし迷子になったら、その紙を駐屯兵に渡してね。いってらっしゃい」

「」コクッ

 

 ハンジさん達に見送られ、シガンシナ区へと足を運びます。

 

 

 

 多少迷いそうになりましたが、シガンシナ区に到着しました。来る途中で道順を完璧に頭の中に入れたので、帰りは大丈夫そうですね。

 では当初の予定通り、『あの人』に――数日前までお世話になっていた医者の人に、文字を教えてもらいに行きましょう。

 まずはこの門からリヴァイさんと初めて会った大通りに、そこから道沿いを遡れば、きっと病院に着くはずです。

 一回しか通ってないのと、期間が空いてしまっているので記憶は曖昧になっていますが、歩いている内に思い出せることを祈りましょう。

 私は周りの建物を見ながら、曖昧な記憶を頼りに進みます。

 なんというか…当たり前のことなんですけど、馬の上から見た高い視点と、いつも通りの低い視点とでは変わりますね。

 初めはそのせいで大通りに着かないかもしれない、なんて思いましたけど、あの時珍しい体験だと思って、光景を目に焼き付けるようにして見ていて正解でした。斜め上を見れば過去の光景と合うので、何とか辿り着けそうです。

 そうしているうちに、目的地の過程である大通りに来ました。

 恐らくここ…ですよね? あの日より混雑してないので、全然違う場所に見えますが、ここ…なのでしょう、そういうことにしましょう。

 次に、医者の人とどの通りから来たのか…これは消去法で潰していくしかなさそうですね。一つ一つ見ていきましょう。

 私は近いところから順に、通りを見て回ろうと、まずはこの道から見てみようと、体を半回転させた――その時です。

 後ろから肩をつつかれ、こんなことを言われました。

 

「レイラ」

 

 私はびっくりして振り向きました。

 声を掛けられて驚いたというのは勿論そうなのですが、私の名前を知っているのも確かに驚きではあるんですが、何よりも驚いたのはそんな事ではなく――誰の声か分かったからなんです。

 覚えのあるとかそういうレベルではなく、間違いなく当たっていると自信を持って言えるほど、声の主が分かったんです。

 その声の主に驚きを感じたんです。

 もしも声を出すことができていれば、思わず「え?」と言っていたことでしょう。

 その正体とは――

 

「やぁ、一週間ぶりだね」

 

 医者の人から死んだと聞かされていた、かつて私を監禁していた人物――フェリュさんでした。

 



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5話

「いやーいきなりいなくなったもんだから、ほんとこの一週間寂しかったー。でもこうして会えて嬉しいよ」

 

 フェリュさんはニコニコしながら話します。

 え…と…? いや、なんでフェリュさんが生きてるんですか? 医者の人が家族全員皆殺しにされたとか、憲兵が家を襲撃したとか言っていた気が…。さすがに聞き違いじゃありませんよね?

 フェリュさんだけたまたま生き延びることができた…は、偶然にしては出来すぎていますし…憲兵がそんなミスをするでしょうか。

 ……おや? 今気付きましたが、フェリュさんの服装がいつも着ていたのと違いますね。前までの派手さがなくなって、何だかしょぼくなってます。

 なんといいますか…周りと溶け込めるような、そんな服装になっています。

 

「信じられないって顔してるね…まぁそれもそっか。うーんなんて言えばいいかな……レイラはさ、僕の家に初めて来た日のこと覚えてる?」

 

 フェリュさんの家…ですか? 何となくですけど…暗い部屋に連れてかれて、手足に鎖を巻かれて、傷をつけられて…そんな感じだった気がします。

 

「」コクッ

「じゃあその時、僕がこんなことを言ったのを覚えてるかな? 僕は――」

 

 ……あっ…。

 

『僕は不思議な力を持っているんだ』

 

 思い出しました。あの日以降それらしい事を言っていなかったのですっかり忘れていましたが、そんなことを言ってその不思議な力を見せてくれましたね。

 確かにあんなことができるなら、私が知らない何かしらの力を使って生きていてもおかしくないです。

 

「納得した?」

「」コクッ

 

 それに対し、フェリュさんは「よかった」と胸をなでおろして私にこんな質問をしました。

 

「ところで見た感じ一人で歩いてたみたいだけど、どこに行くの?」

 

 医者の人に字を教えてもらいに病院に行くんです、とどうやって説明しましょうか…。さっきみたいに本の中にある字を一文字ずつ探していると大変ですし、そう簡単に見つからないんですよね…。

 とりあえず、本を開いて分からない文字に指をさし、教えて欲しいという意思を示しましょう。

 

「……へー、こういう内容なんだ。いかにもレイラが好みそう…じゃないな、表現が違った。いかにもレイラが選びそうな内容だね」

 

 え? そうなんですか? 私は適当に、一番厚そうな本を選んだだけですよ。それに掃除に関してはあまり興味ありません。

 

「ってか、レイラって字読めないよね? ああでも孤児院の先生にでも学ばせてもらえるだろうから問題ないのか」

 

 違いますよ。リヴァイさんに教えてもらったんです。

 どうやらフェリュさんは病院に住んでいるのだと勘違いしているようですね。まぁ無理もありませんが。

 誤解は解いておきたいです。私は病院ではなく、調査兵団本部で暮らしていると伝えるため、首を振って否定し持っていた紙を渡します。

 

「違うの? ……え? は? ちょ、ちょっと待って。本当?」

 

 あからさまに動揺し、フェリュさんは自分の目を擦ってもう一度紙をマジマジと見て「うわ…ガチだ」と言います。

 

「……これって調査兵団本部に住んでるって意味だよね?」

「」コクッ

「……どんな経緯があればそんな場所に住むことになるんだよ…」

 

 フェリュさんの気持ち、分かります。本当に、なぜリヴァイさんは私を引き取りたいなどと提案したのでしょうか。

 

『リヴァイが赤の他人を助ける』

 

 私を助けるため…? でも、私に助けられる要素なんてないですから、もっと別の理由だと思います。見当はつきませんが。

 

「あー話を戻すけど、どこに行くのかって問いにレイラは本を開いて見せたってことは、文字が分からないから学びに行こうとした――で、合ってる?」

「」コクッ

 

 正確に言えば分からない文字があったから学びに行こうとした、なんですけど、読めると言っても半分以下なので間違いではありませんね。

 

「学びに行こうとした場所っていうのは、多分だけど元々住んでた孤児院だよね? それ以外に接点のある場所ないし」

「」コクッ

 

 フェリュさんから状況説明を問われた時、上手く伝えられるか不安でしたが、ちゃんと伝わったみたいで良かったです。

 

「……あのさ、もしよかったらだけど、字、僕が教えようか? 他に約束事とかがなければだけど」

 

 用事は字について以外ありませんね。それによくよく考えてみれば医者の人が病院に居て暇であるとは限りませんし…フェリュさんに教えてもらいましょう。

 

「」コクッ

「じゃああそこに座ろっか」

 

 フェリュさんが指名した近くの川辺の階段に座り、分からない文字を出てきた順から教えてもらいました。

 教え方はリヴァイさんより上手で、その証拠に覚えられた字は増えています。しかし、なかなか全部覚えきれないものですね。なるべく早く覚えて、迷惑をかけないようにしたいのですが。

 

「ねぇレイラ、少し休憩しない?」

 

 二時間ほど経ってからでしょうか。フェリュさんがそんな話を持ちかけます。

 私としてはまだ勉強していたいのですが、あくまでも私は教えてもらっている立場です。なのでフェリュさんが休憩したいというのであれば、私はそれに従いますよ。

 

「」コクッ

 

 私がフェリュさんの意見に同意したのを確認すると、

 

「ならせっかくだし、あっちの方ををぶらつこうよ」

 

 フェリュさんが指をさしている方向は、通ってきた大通りとは反対方向でした。

 

 

 フェリュさんに先導してもらう形で進みます。こちらの方の大通りは、店の数が少なくなっていて、全体的にひとけが減っていました。先程まで賑わっていた音も小さくなっています。どうしてでしょうか。

 

「レイラと会ったあの通りって、この街の中では結構栄えてる部類に入るんだよ。多分街の中心部にあるから。だから中心から離れると、こんな感じで人通りが少なくなる――あくまでも僕の予想だけどね」

 

 歩きながら、私が何も訊かずとも、フェリュさんは解説してくれました。

 フェリュさんの説が正しければ、昨日出掛けた時にうろついた場所はシガンシナ区の真ん中辺り、ということになりますね。あそこはとても賑わっていましたから。

 

「レイラはさ、こういう人通りの少ない通りって好き?」

 

 どちらかというと好きですね。

 理由としてはああいう風に賑やかな場所が苦手だから、こっちのより静かな場所の方がマシというものです。

 付け加えて言いますと、私は街の明るさに慣れているか慣れていないか関わり無く、あそこが苦手なのです。

 私には適応できない場所だから。

 適応したくない場所だから。

 そして――何も感じることができないから。

 私はあそこが苦手――いっそのこと嫌いと言ってもいいでしょう。

 

「」コクッ

「……ねぇ」

 

 私の返答を横目で見ていたフェリュさんは、足を止めて私を見据えます。

 私の眼を――見据えて言います。

 

「それって、本当?」

 

 極めて真剣な眼差しです。私が嘘をついていないか、ほんの僅かな挙動をも見逃さないような――そんな眼をしています。

 フェリュさんはなぜそんな目で見るのでしょうか。私が嘘をつかないことくらい、知っていると思ったのですが。どれくらいの期間かは定かではありませんが一緒に暮らしていましたし、私はフェリュさんに嘘をついたことはありません。

 少し気にかかりますが、それをフェリュさんに訊くことはできませんし、仮にできたとしても今はフェリュさんの質問に答えるのが先です。

 私は本当です、と首を動かそうとしたのですが、フェリュさんは遮り続けます――なんだかこれだと、はいかいいえか曖昧な内に遮られたみたいですね。いえまぁ、本当にそうかもしれませんが、私の感覚では――えーと。

 あ、例えばの話、私が声を捨てていなかったとします。そんな前提だとすると、こんな感じになるのです。

 私は「本当で――」と、そう言いかけたのですが、フェリュさんは遮り続けます――と。

 

「夜になれば、ここはあの街とそう変わりないだろう」

 

 君はそれでも、こういう所が好きだって言える? と、フェリュさんは私に念押しします。

 夜になればあの街に似る。確かに改めて周囲を見渡してみれば、フェリュさんの言う通りです。

 建物や道の分かれ方が似ています。夜になれば背景が暗くなり、人の数がさらに減って――あとは治安が悪くなれば、あの街にあってもおかしくない通りになりますね。

 ……さっきはマシだから好ましい、そんな理由で肯定しましたが、違いました。私は、どちらかというと好き、というわけではありません。

 

「」コクッ

 

 普通に好きです。

 あの街に似ているから。

 だから私は、こういう所が好きなんです。

 

「……そっか」

 

 フェリュさんの漏らしたその一言には、微かに落胆した気持ちが込められているように聞こえました。

 ですがすぐに切り替わり、そのような雰囲気を一切出すことなく、フェリュさんは私の手を取り歩きだします。

 

「実は見せたいものがあって、ここに連れて来たんだ。こっちだよ」

 

 見せたいもの? どんなものなのか想像ができません。休憩がてらにぶらつきたい――そんな建前を使ってまで見せたいものとは、一体何でしょうか。

 私はフェリュさんに引かれている手に進む方向を委ねました。フェリュさんは路地に入ります。

 ひとけは完全になくなり暗さが増して、無音の中私達の足音だけが響いているので、いかにも犯罪が行われそうな空気が漂っていました。

 あれからフェリュさんは口を閉じてしまい、背中しか見えないので、今どんな気持ちなのかが分かりません。しかし、嬉しそうではないことだけは分かりました。

 ……? 五分くらいでしょうか。それくらい歩いていると、いきなりフェリュさんは立ち止まります。どうかしましたか?

 

「……」

 

 私の疑問に、フェリュさんは答えません。口を閉じたままです。

 何があったのか気になった私は、自分の目で確認することにしました。フェリュさんの隣に移動します。

 そこには、私とフェリュさんの目の前には、一匹の黒い猫がぐったりと倒れていました――まるで死んでいるかのように、目を閉じています。

 まぁここは路地ですし、衰弱している生き物、もしくは死体があってもそこまで珍しいことではないでしょう。なので私は不思議に思います。

 なぜフェリュさんは微動だにしないのでしょうか。猫が邪魔なら避けて進めばいいだけなのに。表情を伺おうにも、何しろ周りが暗いのでどのような表情なのかが区別できません。シルエットになってます。

 

「……レイラ」

 

 いつも通りのトーンで、フェリュさんは私を呼びました。

 てっきり意外とフェリュさんは猫好きで、この黒猫が可哀想で哀れんでいたから硬直していたと思っていたのですが、どうやら違うようですね。もしも哀れんでいたなら、ここで私の名前なんて呼ばずに猫を拾い上げるでしょうし。

 

「この猫はまだ死んでない。けれどこのまま放っておいたら死ぬだろう。僕はこの猫を助けても助けなくてもどちらでもいいよ」

 

 私の予想通り、フェリュさんは哀れんでないどころか、猫に対しての関心もないようです。

 

「だからレイラが助けたいと言うなら、この猫はレイラが助けたことになる――レイラ、君は猫を『助けたい』かい?」

 

 ……………………………あ、そっか。

 対象は別に、動物でもいいんだ。

 私には動物の感情なんて分かんない。

 この仕草をしてたら喜んでるとか、この仕草をしてたら悲しんでるとか、分かんない。

 声も特定の鳴き声しか発しない。

 だったら、助ける相手は動物でも――猫でもいい。

 助けたい。早く助けたい。今すぐ助けたい――でももし、この子が助けられることを望んでいなかったとしたら――

 

「……きっとこの猫は、助けてくれた人に感謝するよ」

 

 ……なら、ならもう、迷うことなんてない――迷うことなんてありませんね。

 助けたいです。フェリュさん、お願いです。この猫を助けてください。

 

「」コクッ

「……」

 

 私の頷きを見たフェリュさんは、無言でその場にしゃがみ込み猫を触ります。そして数十秒後、猫を抱きかかえて立ち上がりました。

 

「とりあえず延命はさせたけど、お腹空かせてるみたいだから、食べ物をあげないとまたさっきみたいになると思う。だから屋台で何か食べれそうなものを買いにいこうか」

「」コクッ

 

 私達は急いで路地から出て、たまたま近くにあった魚屋さんでフェリュさんに魚を買ってもらい、ゆっくり食事ができる場所――先程まで勉強をしていた川辺の階段で食べさせていました。

 黒猫は私の膝の上に座り、すごい速さで頬張っています。相当お腹が空いていたのでしょう。それにすごく美味しそうに食べています。魚が好きなのでしょうか。喜んでもらえて良かったです。

 食べ終わると、黒猫は眠ってしまいました。その寝顔はとても幸せそうです。あそこで私が助けなければ、こんな顔をすることなく最期を迎えていたでしょう。本当に、助けられて良かったです。

 

「嬉しい?」

「」コクッ

 

 はい。嬉しいです。

 最近ぽっかり空いていた心の穴も満たされました。

 

「そっか、良かった……ところでさ、夕方に差し掛かってる頃だし、そろそろ調査兵団本部に帰った方がいいんじゃない?」

 

 あ、そういえばハンジさんから暗くなる前に帰ってと言われてるんでした。

 ……猫を持って帰ったとしても、飼っていい許可は出ないですよね…。仮に出たとしても、お世話の仕方が分かりません…。もうちょっとこの幸せを噛み締めたかったのですが…。

 

「僕がその猫を預かってようか?」

 

 え、いいんですか? ではお言葉に甘えて…お願いします。

 

「」コクッ

「了解。会いたくなったらまたシガンシナ区に来なよ。いつでもこの川辺で待ってるから」

「」コクッ

 

 分かりました。明日の昼ぐらいに再び来ます。

 それから私は本と紙を持ち、フェリュさんと猫にお別れしました。帰る道順は覚えられていたので、特に迷子になることなくシガンシナ区を出て、私の家――調査兵団本部へと一直線に向かいます。

 ここからは迷子にならないでしょう。結局ハンジさんに書いてもらったこの紙は使いませんでしたね。別の意味で役には立ちましたが。

 今日、フェリュさんに会えて良かったです。字を教えてもらえましたし、猫を助けることができました。

 ……あれ? そういえば、路地に入る前にフェリュが何か言っていた気が…そもそも何で路地に入ったんでしたっけ?

 ……ん? 一時間前の記憶なのに忘れるなんて、おかしなこともあるもんですね。



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