パラサイト・インクマシン (アンラッキー・OZ)
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A.D.2012 Little Dancing Demon in N.Y.
わたしの親はWエージェント


 エンドゲーム見た衝動で書きました





 

 

 

 Chapter 0

 

 

 

 訳ありの両親だということは、なんとなく察していた。

 

 パパンとママンが揃って家にいるということはまずないし、なによりも家にある写真は幼い頃の純真無垢な私の姿だけだ。

 お互い示し合わせたように入れ違いで家にいるし、かといって片方が必ず家にいるわけではない。これぞリアルホームアローン(家に一人ぼっち)

 育児放棄もとい、ネグレクトで逮捕されるんじゃないだろうか。

 

 という些細な問題を無視できるのが我らが両親クオリティ、なんとそれなりの権力をお持ちだとか。まぁ、キュートでプリティーな3歳児の頃の私が6ヶ国語の絵本(施設や機械、怪しそうな人物が写った写真のようなもの)を読んでる辺り、四六時中一緒にいる必要もないと判断してのことだろう。

 

 というのも、両親の言葉の端々を考えるにいわゆる〝望まぬ子〟だったらしい。二人とも仕事で忙しいのに、なんの因果かママンがパパンを強姦してできちゃった子だとか。堕ろさずに産んでくれたのは()()()()()()()()()()()んだとか。ママンがパワフルなのか鈍感なのか微妙な判定だ。

 

 この年齢で強姦の意味を知る私も、それを異常と思わない私も十分鈍感だ。

 

「いってきます」

 

 そんなだから、私は今日も「いってらっしゃい」が聞こえない、人気も生活感もない一軒家を出る。この家は私だけの箱庭だ。シルバニア家族的には製品版として家と私がいて、別売りオプションでパパンとママンが個別箱売りされてる扱いだと思う。

 

 閂に輪ゴムを引っ掛けたまま扉を閉め、鍵を差し込んでぐるりと半回転、足癖悪そうに足首を動かしてドアの下に小さな人形のフィギュアを立てて置いておく。誰か入ったか必ずわかるように。

 もはや習慣の1つになっているのは両親の悪い影響だ。そりゃいない間に知らない人の匂いや監視カメラっぽいのが増えたり減ったりしてれば嫌でも気になる。

 

 だから両親は極力指紋を残さないように薄手の透明な手袋をつけて食器に触れるし家具にも極力触らない。服は持ち帰って職場のクリーニングに任せるから体毛も残らない。必然的に生活感のない一軒家になるわけだ。

 

 だというのに私の体毛やら唾液やら指紋やら採取してるようだから、もはやロリコンを通り越して変質者に付け狙われてるのは慣れっこだ。今も向かいの家の物置部屋になってる三階にある埃だらけの窓から覗いてる人や、反対車線のバス停で新聞を読んでるベレー帽のおじさんがこの家を監視してるのは知っている。たまにビスケットくれるからビスケットおじさんと呼んでる。ドーナツだったらドーナツおじさんだ。

 

 何もないのに暇な人だと思うが、監視して報告するだけでお金が入るなら楽な仕事だと思う。え? ブラック企業だからサービス残業扱い? ハハッまさかぁ。私なら定時退勤上等ですよ。残業するならやりがいとかいいから残業代欲しいですね。

 

 こういう仕事はきっと幼女が好きなロリペドフィリアな趣味のヤツを組織から引っこ抜いて雇ってるに違いない。やばい、アブノーマルなプレイされて惨殺される未来しか見えない。昔いたな、幼子の子宮だけ取り出して吊るす犯罪者とか。

 

 あけっぴろにきょろきょろと周りを見渡したりせず、今日も朝日がまぶしいなーと目を細めて空を見上げながら監視者どもを確認してため息。庭のプレートを踏んで玄関の戸を閉め、扉の裏側に手を伸ばして鍵を閉める。

 スクールバッグを持ってバス停へ歩くと、後ろから元気な男の子の声が聞こえた。タッタッと走る足音がして振り向く。日系アメリカ人としての、母の髪色を引き継いだ黒髪が首の動きで視界の端に流れる。くるりーん。

 

「レニー! おはよ!」

 

「今日もおはようレニー、ちゃんとご飯食べてきたかしら?」

 

「おはようP.P.、メイさん。クルミとデーツ入りのパンおいしかったです」

 

「あらそれはよかった〜! レニーはいい子ね」

 

 彼は同級生のP.P.。本名は…なんだったっけ。

 彼をP.P.と呼んでるのは、私が彼から自己紹介を聞いた時に「略してP.P.だね」と言ったのがいたく気に入ったらしい。なんでもそんな呼び方をしたのは私が初めてだとか。

 しかし、P.P.の名前を聞いた時にやけに聞き覚えのあるような名前の気がしたのは……うん、多分気のせいだ。

 

 隣で人懐っこく私の頭を撫で続ける彼女はメイさん。P.P.の父方の家系らしい。どうやら、私にも負けないくらい複雑な家庭事情を抱えてると察したので、あえて触れることはない。触らぬ神になんとやら。

 おしゃべりしながらバス停に着けば、まだ誰も並んでいなかった。するとメイさんがあら、と何かに気付いたように声を上げて、

 

「ごめんなさい、おやつの時間のクッキーまだオーブンに入れたままだったわ。ちょっと取ってくる…レニーもいるわよね?」

 

「いいんですか?」

 

「もう、遠慮しないの」

 

 ぱちっとウインクする姿は、叔母さんと呼ぶには色気があるような気がした。ちょっと取ってくると言い、メイさんは上機嫌に家に戻っていく。待ちぼうけも暇だな、と思っていると、P.P.が先にバス停行っていようと提案してきたので乗ることにした。

 

「ねぇレニー、今度あの家探検しない?」

 

「あの家?」

 

 そう言って指差すは、バス停の後ろに見える曲がり角、古びたスタジオのような家だった。

 そういえば初めてエレメンタリースクールに通う日にも気にはなっていた。両親に聞いたがそもそもこの辺りの地理には詳しくなく、已む無く近所の人や監視してるおじさんたちに素知らぬ顔で聞いたら、昔々細々とやっていたアニメスタジオの成れの果てだとか。できれば撤去して更地にでも、新しいバーガーショップにでもしたいらしいのだが、如何せん管理者が莫大な費用をもって買い取った土地なため、業者が好き勝手できないのだとか。

 詳しいことはわからないが、要は今も残る廃墟で、P.P.のような年代の子どもであれば旺盛な知的好奇心を擽ぐらせるらしい。はたまた、退屈な日常に刺激を欲してるからか。

 

「夜な夜なバケモノのうめき声とか聞こえるらしいよ!」

 

「へぇ…」

 

 それは浮浪者のいびきとかそういうオチじゃないだろうか。まさかパラレルワールド双六(『JUMANJI』)的なドラミングとか聞こえてくるわけでもあるまいし、得てして真実とは心の冷めるものだということは知っていた。

 廃墟から話しかけるP.P.に視線を戻し、す、と彼の背後を見て、まだバスも来ないな、いつも並ぶ人もいないな、と思い───

 

 

 勢いよくスリップしながら横転するトラックを見て、目を見張った。

 

 

「レニー、今日の放課後にでも一緒に──」

 

 そこで、会話は途切れる。

 聞かなかった? 違う、聞けなかった。

 何故なら───

 

「どいて!」

 

 どん、と。

 私と同じくらいの背丈の彼を突き飛ばす。それは私が前に進むためではなくて、私の近くにいた唯一の被害者を引き離すためで──

 

 

 

  

───キキキキキキィ!!

 

 

 

 ああ、ついにこの時が来たかと思う。

 そりゃ、世界を代表する組織のエージェントの子どもならば、狙われて当然だよな、と思う。

 

 突き飛ばした衝撃で体勢が崩れる。

 足のバランスが利かなくて、よろける。

 唯一自由なのは、突き飛ばした手と反対の右手だけだ。目の前に迫る死を目の当たりにして、不安が胸元を掻き抱く。硬いものが触れた。

 運転手のいない巨大なトラックが横転して、一直線に私の元へ迫る刹那、私は右手に触れた、胸元のロケットペンダントを開く。

 そこにはあの家で唯一パパンと私のツーショットが映る写真が嵌められていた。

 

 

 私の名前はレイニー・コールソン。

 雨娘(レイニー)とか揶揄されてるが、子どもの戯言なので気にしなかった。代わりにP.P.が気を遣って「レニー」と縮めて呼んでくれている。

 

 

 

 パパンの名前は、フィル・コールソン。

 

 戦略国土調停補強配備局の捜査官。

 S.H.I.E.L.D.のエージェントだ。

 

 

 全身を打つ衝撃と共に、私の意識がブラックアウトした。

 さよならパパン、ママン。

 短い一生だけどそれなりに愛情注いでここまで育ててくれてありがとうクソッタレ。

 

 

 

 

 

 このとき、私は気がつかなかった。

 トラックが私を巻き込んで引き起こした大事故が、あの古びたスタジオを巻き込んでいたことに。

 

 

 このとき、私は知らなかった。

 あの廃墟のようなスタジオに、夢のような巨大な地下空間があったことに。

 

 

 このとき、私は想像もしなかった。

 全身骨折で死にかけの私が、真っ逆さまで地下空間へ堕ちて。

 そこで、悪魔と出会うことに。

 

 

 

 

 打撲、骨折、擦過傷。

 まだまだ成長期の小さいカラダに細い鉄パイプやら折れた木材やらがずぶずぶと突き刺さる。赤く滲む視界の中で、最後まで握っていたロケットが、沈む。

 

 沈む?

 

 何処に?

 

 

Hi , Henry . I was waiting

 (ハーイ、ヘンリー。待ってたよ)

 

 

 地獄の底から響くような、子どもの声がした。

 

 

 違う、ヘンリーじゃない。私はレイニー。

 

 …あれ、ほんとうは、レイニー、なんかじゃ、なくて…?

 

 

 そう言ったのか、それとも喉が潰れて音にならなかったのか、頭は冷静でも体の機能は満足にはいかないらしい。

 ただ、どんどんぼやける視界の中の黒い人影が、不思議そうに首を傾げていた気がして、

 

 

 そして、私は、黒に染まった。

 

 

 

 

 

 

 Chapter 1

 

 

 

 海上から高度3万5千フィート上空に浮かぶS.H.I.E.L.D.の本拠地にして大型空母ヘリキャリアは墜落の危機にあった。

 四基の大型プロペラの内の一基から炎と黒煙が巻き起こり、徐々にその高度を下げ始めている。下は海だから被害は少ないだろうが、空飛ぶ大型空母に搭乗している組織の構成員の大半は死ぬだろう。

 おまけに、ロキに操られたクリント・バートン/ホークアイがS.H.I.E.L.D.の反勢力を率いて襲撃しに来ている。

 空母は設計・製造主であり天才発明家ことトニー・スターク/アイアンマンに任せれば、どうにかプロペラを復帰することはできるはず。

 流し込まれたウイルスはマリア・ヒルらS.H.I.E.L.D.のオペレーター達に任せるとして。

 

「残るはバートンが連れてきた連中の撃退か…!」

 

 ある意味切実な問題だと、S.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーは頭を抱えた。

 ヘリキャリアは潜水艇としての機能も兼ね備えてるが故に、潜水艦よりもデリケートだ。電気系統1つでもクラックされれば墜落は免れない。コンピューターウイルス程度であれば優秀なオペレーター達が除去できるが、物理的な破壊であれば手の施しようが無い。一応修理するための機材は取り揃えているが、そのための人員も殺されて仕舞えば元も子もない。

 

 

 白兵戦においては敵なしのスティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカ。

 

 敏腕スパイのナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ。

 

 遠い星アスガルドからきた雷神ソー。

 

 天才物理学者と破壊の化身ブルース・バナー/ハルク(暴走中)。

 

 

 彼ら一人一人は強いが、敵の兵力がわからない以上は複数からの侵攻の対処に手間取るだろう。どうしても、一個人の処理能力には限りがある。

 ある意味、〝アベンジャーズ〟という少数精鋭故の弱みでもあった。

 

 だからこそ、リストに()()()()加える予定だったのだが───

 

 

・・・・(H)(E)・-・・(L)・-・・(L)---(O)

 

 

「ッ、なんだ!」

 

 銃のマガジンを取り落としそうになって、急いで敵の射線から逃れるべく物陰に隠れる。

 フューリーはコートの裏側から発せられた信号の元を引っ張り出した。

 

 それは黒いインクボトルだった。

 

 ガラスで作られた簡素なものではあるが、手のひらサイズのそれにはなみなみと注がれたインクが生き物のように波打っていた。

 

 

 否、それはインクであってインクに非ず。

 

Let me out . If you want to protect your important subordinates

 (私を出せ。大事な部下を守りたいならな)

 

 生き物であって生き物に非ず。

 

 

 インクボトルに浮かび上がった文字を読んだフューリーの葛藤は一瞬だった。

 

 

 確かにフューリーはインクの中身を完全に信用してなどいない。

 

 いつまた暴走するかもわからない。

 

 味方を襲うかもしれない。

 

 事態をより深刻化させる〝敵〟になるかもしれない。

 

 しかし、部下一人一人がフューリーにとって大事であることに変わりはない。

 

 あるいは、インクの中身は、彼の子だから───

 

「ッいけ!」

 

 インクボトルの栓を抜き放つ。

 投げ捨てられた栓に追従するように溢れ出たインクは、弧を描くように全ての中身が空を舞い───

 

 

Finally came out

 (やっと デラレタ)

 

 女のような甲高い声と、男のような低く唸る声が木霊した。地に堕ちたインクは薄っすらとツノか耳の生えた像を模るとすぐにインクの波に戻り、ボトルが床に落下した音と共に床に浸潤して消えた。

 

「手榴弾、じゃない!?」

 

「な、今のはなんだ!?」

 

 それを目の当たりにした襲撃者はギョッと目を見張り、そして次の瞬間。

 

Heーlloー

 (こーん ニーチハー)

 

 背後から伸びた黒い腕に、首を捩じ切られた。

 あらぬ方向に曲がった兵士達の力が抜け、体がどさりと音を立てて倒れた。

 

 それをインクの悪魔が喰らう。

 

 どっぷりと波を立ててうつ伏せの兵士を包み込み、次の瞬間にはまたツノのような耳のようなモノを生やしたマスコットキャラクターが、ぽっこりとお腹を膨らませてインクの沼から現れた。少しよれた蝶ネクタイを直し、コミカルに爪楊枝のようなもので剥き出しの歯茎を弄っているが、口の端からインクとは異なる赤い液体が薄汚れてて可愛さも半減している。

 あまりにも一瞬の出来事で、対面していたフューリーにも冷や汗が流れた。

 

「ふぅ、相変わらずの手並みだな」

 

Still many enemies

 (たくさん いる)

 

「どれくらいだ」

 

……Father

 (……お父さん)

 

「…コールソンがどうした!?」

 

Kill them all

 (ミナゴロシダ)

 

 その愛らしい姿からは想像もできないほどに低い唸り声。

 マスコットキャラクターを象るインクの像が崩壊して元のインクに戻り、空母の壁に蠢くインクの影が侵食しては、まるで生き物のごとく通路の奥に消えていく。

 

「おい、待て!」

 

 フューリーの制止の声はあまりにも遅かった。

 それは彼/彼女の暴走を止めるためというよりも、襲撃者の一人は最低でも残しておいてほしいという要望を伝えるためのものだったが、時既に遅し。

 

 

 

 墜落する秘密要塞ヘリキャリアの中で、一度に複数もの声にならない断末魔が響く。

 

 

 

 

 その一つに、ロジャースが出くわした。

 

I’m full

 (おなか イッパイダ)

 

「…キミは、一体何者だ…?」

 

Me ? My name is───

 (わたし? わたしの名前は───)

 

 

 

 

 

Bendy . Ink demon , Bendy

 (ベンディ。インクの悪魔、ベンディだよ)

 

 

 

 

 

 




 ホラー風味なアベンジャーズ。イメージは黒曜石



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ベンディとレイニー

 

 

 

 Chapter 01

 

 

 

Well, well, well !

  Surprised . There was a lost child in such a place . Moreover dying girl !

 (ほう、ほう、ほう!

  驚いた。こんなところに迷子とはね。しかも死にかけのレディーじゃないか!)

 

「あれ、なにこの空間。真っ暗だけど悪趣味。息苦しくないけどそれじゃあなたの身体ほとんど見えないわよ。その吊り上がった口ぐらい。あと…ネクタイ? 手?」

 

It's what you call Surprise , Exceptional .

  Much trouble You became my audience .

  If you come to the front row and die rigth awayleft me

  with a bad taste in my mouth !

 (そこはサプライズってやつさ、とびっきりのね。

  せっかくボクの最初の観客になってくれるんだからさ、

   最前列にきてすぐ死なれちゃ後味が悪い!)

 

「…そういえば、私死にかけてるんだった。どうしよ…」

 

I have a proposal …… Can you help me ?

  If you do so , maybe you will save

 (それについて提案なんだけど……キミ、ボクを助けてくれないか?

  そうすれば多分キミも助かるぜ)

 

「だが断る」

 

Why !?

 (なんでさ!?)

 

「決まってるのよ。私は諦めてる。んで、あなたは私を利用してどうにか助かりたい。具体的な方法は…わからないけど。でもどうせろくでもない方法よね」

 

…… Well , You're very perceptive !

 (……フゥム、なかなか察しがいいじゃないか!)

 

「だから私は」

 

 

 

「だから私は助けない。私はあなたのことを責任持てないし、誰かの言葉を借りるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。おわかり?」

 

 

 

…… HA HA HA HA HA !

  You got me ! Yeah …

 (……アッハッハッハ!

  こいつは一本とられたね! でもそうだな…)

 

 

 

 

OK .

  It's better than he can be hopelessly thrown away irresponsibly

 (合格だ

  ヘンリーみたいに悪戯に希望を持たせて無責任に捨てられるよりよっぽどね)

 

「……ところでヘンリーってだれ?」

 

He is my creator

 (ボクらの創造主さ)

 

 

 

 

 

 Chapter 2

 

 

 

 パパンが死んだ。このひとでなし。

 いや、まだ死んでない。でも死にかけてる。ロキに貫かれた胸から滴る血が既に致死量だ。

 そもそもロキはヒトと言うには種族が違う気がするからヒトではないのかもしれない。じゃあロキでなしで。ちなみに私は西洋なしが大好きだ。ラ・フランスというシャレオツなネーミングがついてるのが実にクール。私じゃなけりゃ、惚れちゃうね。

 

「…そこに、いるのは、ベンディ、か…?」

 

………

 

 失血量が多すぎると、視界がぼやけるというのは私も体験済みだった。

 だからパパンも、目の前に立つベンディ(わたし)のことが、薄ぼんやりとしか見えてないはずだ。

 私は答えない。

 答えず、壁に背もたれるパパンの傷口にインクの手を押し付ける。

 黒いインクが止血するよりも先に、インクの合間からずぶずぶと赤い血が滴る。止血はしてるが困難極まる。

 

「むだだ、私はもう、助からない…」

 

「コールソン! ベンディ!」

 

「ああ、長官」

 

 ヒーローでもないのに遅れてやってきた。私の言葉をちゃんと聞いてか、衛生兵も率いているからプラマイゼロで勘定するとしよう。

 

「死ぬな、コールソン。まだお前にはやってもらうことがある」

 

「…あなたと、ともに歩めなくなるのが残念です…」

 

Don't die

 (死ぬな)

 

 死ぬな。死んではダメだ。

 そう、脅迫のように強く言い聞かせて、インクの手を伸ばしてパパンの体をゆっくりと担架に乗せる。

 

「…ベンディ、なんでお前がここにいるかは、わからない…でも、お前に看取られるのも…」

 

「ふざけないで」

 

 ぼたぼたと。

 インクの一部が力を失ったかのように担架に剥がれ落ちる。

 全身インク真っ黒で。でも、一部分だけ、顔の部分のインクがはがれて〝わたし〟の顔が久々に外気に触れる。パパンは私を見るなり目をまんまるにした。

 

「キャップからサイン貰うんでしょ。夢叶える前に、私の前で勝手に死なないでよ」

 

「…え………れ…レイ、ニー…!?」

 

「急いで」

 

「「ハッ!」」

 

 私と長官以外、呆気に取られていた衛生兵もきびきびと動き出す。

 少しでも生存確率を増やすために、早急に応急処置してもらって設備の整ったICUに行って治療してもらわないと

 しかしイカンイカン、(ベンディ)にとっては気を利かせて親子の感動の再会を演出させたかったのだろうが、あれでは驚きで心停止させてしまうだろう。

 

Was it extra ?

 (余計ダッタ?)

 

「そうね」

 

「いや、効果覿面だろう」

 

 振り向くと長官がやたら生温かい眼差しを向けていた。ポンポンと肩たたいてるけど絶対意味曲解してるだろう、これ。

 急いでインクを纏う。

 

「おやおや照れ屋さんかな。数年来の感動の再会だというのに」

 

Plan T.A.H.I.T.I

 (タヒチ計画)

 

「…なぜ、それを知っている」

 

Do save . If not You will die

 (必ず助けろ。でなければあなたが死ぬ)

 

「死にたくはないな、善処はしよう」

 

That's an excuse like old days

 (昔の人みたいな言い逃れだな)

 

 会話は終わりだ。

 私はパパンを串刺しにした下郎を始末しに行かねば気が済まない。

 

「どこへ行く?」

 

I kill LOKI

 (あいつをぶっコロス)

 

「その前にチームに会ってこい」

 

Team ?

 (チーム?)

 

「ああ。〝アベンジャーズ〟、お前のチームメイトだ。長い付き合いになる」

 

I have not signed yet

 (私はサインなんかしていない)

 

「残念だったな、これは本人の同意ではなく会議で決まったことなんだ」

 

You are selfish

 (勝手な人)

 

 

 

 

 

 Chapter 3

 

 

 

「……」

 

「……」

 

~ ~ ~ ♪

 

 墜落を免れたヘリキャリアの一室では混沌を極めていた。

 ナターシャ・ロマノフはクリント・バートンの洗脳を解くため席を外している。ブルース・バナーは暴走、ソーはロキの策略によってヘリキャリアから落下し、両者とも行方不明。

 兵士撃退に大なり小なり怪我を負ったトニー・スターク、スティーブ・ロジャース、ニック・フューリー。そして、鼻歌を歌いながらスマイル決めて椅子と一緒にぐるぐる回る黒インクのマスコット。

 

 ここでスタークとロジャースの心中が珍しく一致する。なんだこいつは、と。

 

「俺は世代的には近いんだろうが、こういうのには詳しくないんだが…」

 

「長官、こいつ何なんだ? まるでカートゥーンのアニメから出てきたような奴だな」

 

MY name is BENDY !

 (ボクノ 名前ハ ベンディ!)

 

「この適当に書いたようなデザイン、頭の悪い馬鹿が考えたような見た目だろう? ボクならもっとスマートに決めるね。名前は勿論〝アイアンキッド〟」

 

「初対面でいきなり悪口言うな…いや、俺もさっき初対面だったが」

 

「おいベンディ、()()()に任せてないでせめて自己紹介はしろ」

 

「はいはいわかったわよ」

 

 マスコットキャラクターのようなインクの塊が、徐々に伸びて人間大の──ざっと十代半ばといったところだろうか。多少の起伏のある体に膨れ上がり(依然として細いままだが)、黒いインクがゴシックドレスのような形状に、スカートが伸びて足先がハイヒールの靴に変化すると、少年のような愛らしい無邪気な顔が()()()()()、無表情な少女の顔が現れる。

 

「レイニーよ。よろしく」

 

「おっと温度差のある冷たい顔の女が出てきたぞ物理法則はついに仕事をやめたのかそのスーツどうなってるんだ?」

 

「彼女の表情は関係ないだろう……子ども、だったのか?」

 

「子どもで悪かったわねキャップ」

 

「おやおや彼のファンかい? だめだぞーこんな氷から出てきた男に憧れちゃあ。そもそもキミは誰だ迷子なのか?」

 

「さっきレイニーと言っただろう」「そうじゃない所属の問題だ」

 

「そのカードの所有者の子って言ったら?」

 

 そのカード、と聞いて二人の視線がテーブルの血濡れたカードに移る。

 ついさっき亡くなった、コールソンという男の所有物だ。

 最後まで、〝アベンジャーズ〟の結束を信じ、支えていた男のもの。

 

「……彼に、娘がいたとは驚きだ」

 

「…すまない、我々のせいで」

 

()()()()()()でもある。私が間に合っていれば、父さんは死ななかったから。それに謝らないで」

 

 ベンディの身体から一部剥がれ出た彼女(レイニー)は、黒く彩られた細い指で、血濡れのカードの一枚を摘み、小さくため息をつく。

 

「父さんは、仕事をした。それだけ。私たちは私たちの仕事をするべき。でしょ?」

 

「……強いな」

 

「ああ、そうだな」

 

 (まぁまだ死んだとは限らないんだけどね)

 

 ポン、と手のひらから持ち手をインクで固めてできたペンを取り出してカードと一緒にロジャースに手渡す。「これは?」と戸惑いつつも受け取るロジャースに「書いてあげて。きっと喜ぶから」とレイニーが押し付ける。

 その脇でスタークがごそごそと携帯端末を取り出して起動させた。

 

「ジャーヴィス?」

 

【LEVEL7に検索(アクセス)しました。1件ヒットしています。フィル・コールソンの娘、レイン・Y( R a i n y )・コールソン。数年前、クイーンズの家から学校に登校途中事故に遭い、死亡が確認されてます】

 

「…おい、さっそく偽物疑惑が出たぞ」

 

「ジャーヴィス…ミス? ミスタ? どっち? 死体は出た?」

 

【どちらでもミス・レイン。死体は出ていますが、偽装ですね。虫歯の治療跡をコピーした焼死体に置き換えた記録があります。実際は行方不明者としてリストに載ってます】

 

「今は?」

 

【目の前にいらっしゃるレディが本人でよろしいかと。非常に現実味がない事実ですが】

 

「だよな非科学だよなこんなの」

 

「目の前にいるんだから認めるしかないだろう?」

 

「そこにいる誰だかわからないガールに特別講義してやるいいか? 科学は万能だ。そしてキミはその科学では証明できない存在だ!」

 

「でも、科学が万人に優しく在るとは限らないでしょう? ミスター・スターク」

 

「それは…」

 

 スタークが思わず口ごもる。常にだれよりも最先端の科学を突き詰めてきた彼だからこそ、科学を突き詰めるという過程において今日の自分は昨日の自分より未知であったのだから。

 そして、かつて己が科学を突き詰めた果てにあったのは〝死の武器商人〟という肩書だった。

 レイニーは顎に親指をかけてぺろりと上唇を舐める。

 

「別に私がいることが科学の否定とは限らないでしょう。それに、科学って説明することではなくて、ありのままを認知・理解して創意工夫する文化性みたいなものでしょう? 私があなたの言う科学に当てはまらない存在であるならば、否定するよりも観察し、研究し、解明すればいい。まぁそんなにジロジロと視姦されるのは趣味じゃないから、できればご遠慮願いたいところだけど」

 

「…それは、そうだな」

 

 キミみたいな貧…スレンダーな女性は趣味じゃないしな、とスタークは呟く。素面でこの調子だ。

 いままで研究を断っていたのはそれが理由か、とフューリーは一人ごちた。

 インク(これ)なくなったら多分死んじゃうし全裸の死体ができるだけよ、とレイニーが返す。

 その様子を見てロジャースは感心したように頷き、スタークは難しい顔をしていた。

 

「ところでえらく含蓄ある言葉を使ってたケドそれキミのパパの言葉?」

 

「持論

 

 少し呆れ顔をしたレイニーは再びインクのマスクを被って元のマスコットに戻った。

 スタークと気の合うメンバーはそう多くない。言葉の最後を言い切るより先にマスクが顔を覆ったのは気分を害した証拠なのだろうが、それでもちゃんとスタークの発言に対し頭ごなしに否定はせずに、ちゃんと自分の意見や主観を述べる辺り、協調性はありそうだとロジャースは思った。

 

 同時に、その態度は彼女の姿には年齢的に不相応な気がした。些か背伸びをしているようにも、見えなくはない。

 だから、ロジャースは問わなければならない。

 

「キミを前線に出すことには反対だ」

 

Because child ?

 (子どもだから?)

 

「それもあるが」

 

Weak ?

 (弱い?)

 

「それは単なる腕っぷしか? それとも心の、信念のことを言っているのか」

 

… You want to say that I wreak revenge on Loki

 (…あなたは私が復讐に走ってると言いたいのね)

 

「それは……ああ、そうだ。これだけは聞かなければならない」

 

 一息入れて、

 

「俺たちは〝アベンジャーズ〟だ。でもキミがもしお父さんを殺されたという個人の復讐で動くというのなら、前線に出すわけにはいかない」

 

 これが俗にいう圧迫面接かな、と口にするのはレイニーには憚られた。

 確かにリベンジは個人的理由に拠る報復だから悪にもなりうる(と思いつつ自分が思っていることが悪とは認めていないが)。対してアベンジは正義・大義に拠る制裁だから、いわば正義の味方だ。

 つまるところ、ヒーローである。

 レイニーには正義というものがわからない。ただ、あの時のようにだれかを助けることが悪ではないだろうという確信はあった。これから行うことは、ロキへの復讐という動機ではなく、目の前の困っている大勢を助けることが動機でなければならないということだ。

 

… Oh . Then I have no problem , I haven't sorted out my feelings

 (…ああ、それなら私は問題ないわ。心の整理には時間がかかるけど)

 

「……? 私〝は〟?」

 

Don't revenge ?

  That's asking too much !

 (復讐スルナダッテ?

  ソイツハ無理ナ相談ダネ!)

 

 レイニーとしての面影を残していたマスクは消え、無邪気な──悪い意味で、無邪気な笑顔を浮かべたベンディは、悪戯を思い出した子どものような、どんないじめをしようか考えているときのような、悪い表情を浮かべて嗤う。

 まるで悪魔。その豹変ぶりは、思わずロジャースが身構えるほどだった。スタークもフューリーも目を丸くしてベンディを見た。

 

We revived for revenge ,

  We can't be denied the meaning of existence !

  Because ──

 (ボクラハ復讐スルタメニ蘇ッタンダゼ、

  存在意義ヲ否定サレチャ堪ラナイナ!

   ナゼナラバ──)

 

 

 

MY name is BENDY !

  A devil who never stops until I kill creator !

 (ボクノ 名前ハ ベンディ!

  創造主ヲ殺スマデ止マルコトノナイ悪魔ナノサ!)

 

 

 

 

 



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悪魔はニューヨークで踊る

 短編1位、日間6位、ありがとうございます



 

 

 

 Chapter 4

 

 

 

「あら、それは何?」

 

「どっから入ってきやがった…って、俺が言えた義理じゃないな」

 

「彼女は新しいメンバーだ。挨拶」

 

MY name is BENDY !

 (ボクノ 名前ハ ベンディ!)

 

「レイン?」

 

「今度からレイニーで頼むわキャップ」

 

 等身大に伸び上がったインクのマスコットの顔が剥がれてレイニーの顔が現れる。その光景だけは先ほどのものの焼き増しに近いが、唯一相手の反応が異なっていた。

 

「え?」

 

what what what ?

 (何 何 何 ?)

 

 咄嗟にインクの手を前に出し交差させて身を守る。何故ならばロマノフに銃を突きつけられたからだ。

 

「ナターシャ!」

 

「どうしたナターシャ、コイツと知り合いか?」

 

「……ごめんなさい、見間違いみたい。私の知ってるある日本人とすっごく似てたから」

 

「……勘違いなら、銃を下げてもらってもいい?」

 

「ええ、本当に悪かったと思ってる」

 

Really ?

 (ホントニィ ?)

 

 ハッとしたロマノフは気まずそうに銃口を下げるが、未だ彼女が知るある人物と面影が重なることを気にしていた。

 その様子を見たレイニーはふーん…と銃を向けられたにしては危機感もなく納得したような態度で頷いている。

 

「…改めて、レイニー・コールソンよ。よろしく美女さんとイケメンさん」

 

「ナターシャよ」

 

「バートンだ。コールソンって…」

 

「フィル・コールソンは父よ」

 

 二人の背後にいたロジャースが手で「巻いて、急いで乗って」とクインジェットを指してたのでレイニーは二人の背中を押してクインジェットに乗り込む。

 

「あいつ子持ちだったとかマジかよ…それじゃ、お前もあいつ(ロキ)狙い?」

 

「ぶっ殺してバラバラにして食べてやりたいけどまずは一発殴らせて」

 

「食べるって、それに殴るってあなた…」

 

「それなら早い者勝ちだな、俺もあいつに一発入れてやりたいところだ」

 

「望むところよ」

 

The first loki hunting championship is held ~

 (第一回ロキ狩リ選手権開催〜)

 

「彼モテモテね。ところでそっちの…彼? が、ベンディなの?」

 

「そ。私に寄生してる悪魔。頼りになるからコキ使ってやって」

 

 

 

 

 

 Chapter 5

 

 

 

 胴体着陸したクインジェットを降りた時には、既にチタウリの軍勢が侵略の手を伸ばしていた。

 あちこちで戦火が飛び交い、逃げ惑う人々と蹂躙する異形の怪物。空に開けられたトンネルは異次元に、彼らの巣に繋がっている。

 数分前まで送っていたニューヨークの街並みが、営みが、破壊されていく。

 

「レイニー、君は何ができる!?」

 

Environment is good in urban area for me

 (市街地なら好環境よ)

 

 パチッとマスコット姿のベンディが意地悪そうな笑みを浮かべて指を鳴らす。それは動きだけならただの指パッチンだが、歴戦の戦士であるロジャース、ロマノフ、バートンには何らかの力が発生したように感じられた。音も空気の振動だが、今回発生した振動は空気だけではない。

 

There is no office that does not use a ink in this day and age

 (このご時世、インクを使わない仕事場はないわ)

 

 半壊したビルのあちこちで、白く四角い印刷機が破裂する。

 中から体積を膨れ上がらせて溢れたシアン、マゼンタ、イエロー。

 カラフルなインクたちは捻れ、混ざり、溶け、やがてブラックに飲み込まれる。

 

Just for this once Here is our workplace

 (今日だけはここが私たちのデスクよ)

 

 黒く染まったインクは壊れたコピー機の残骸さえ飲み込む。歪に壊れたインクマシンを宿したインクは小さいながら、あらゆる場所でその全てがベンディの指揮下に置かれ、そして変貌する。

 避難しようと焦って、側で見ていた女性職員は腰を抜かした。

 

 

【【【 HA HA HA HA HA !

    We are Bendy ! Nice to meet you ! 】】】

 ((( ハハハハハ!

      ボクタチハ ベンディ! ヨロシクネ! )))

 

 

Citizen's evacuation , protection , and rescue .

  Splash out from the beginning

 (市民の避難と保護、ついでに救出

   初っ端から大盤振る舞いね)

 

 半径数キロ先の範囲で小さなベンディが産み落とされ、その愛くるしいマスコット姿は人々を惹きつけた。

 

 どこか夢の国の住人に似てるから、とは思わないでほしい。一応彼らの手袋は二個ポチだ。鼻もそんなに長くない。

 

 あるベンディは避難ルートを探って誘導。また、あるベンディは自慢のインクの力を使って瓦礫を持ち上げ、埋もれていた市民に手袋で包まれたインクの手を差し伸べる。

 そして、あるベンディは盾となりチタウリの兵士の銃弾を受けて消滅する。べしゃりと飛び散ったインクが血液の如くそこかしこの窓ガラスにスプラッタのようにへばりつく。

 

 だが、彼ら(ベンディ)は無数と言っていいほどの個体が存在する。ここニューヨークはベンディからすればインクの宝庫だ。突然湧いて出た集団にチタウリの兵士たちは困惑した。ヒトとは明らかに異なる別種の生物。

 

 このニューヨークが戦場になる以上、被害者を抑えるためにも避難誘導は必要だ。ある程度の武力を持った警察には避難よりも威嚇による防衛ラインの構築が急務な今、ベンディの働きは戦う前のこの上ないアシストだった。

 

「やるじゃない」

 

Thanks . By the way ?

 (ありがとう。ところで一ついい?)

 

「手短に」

 

Please let me ride in order to conserve my strength

 (ちょっと乗せて。体力温存)

 

「…あとで、訓練と筋トレ必要そうね」

 

 小さなマスコット姿のベンディがちゃっかりロマノフの肩に乗ってる姿が見えたそうな。

 

 

 

 

 

 Chapter 6

 

 

 

 視界を共有しているサーチャーらが順調にニューヨーク市民の避難誘導を進ませてるらしい。

 まだ人気が残っていそうな場所は捜索に当たらせて、他のサーチャーたちにはインクに戻って集まるように伝えた。

 

 元々サーチャーって地を這う無貌のヒトガタだったはずだけど、流石にアレは怪しすぎるからイメチェンしてもらった。あのデザインは私でなくても絶対逃げるか斧で叩く。

 

 正直、複数のインクを操作するなんて初めてだったから頭がこんがらがって目が回りそうだ。大半の操作はベンディがやってるけど、こっちにも煽りを受けてる。

 彼は感覚で動かしているんだろうけど、見てるこっちからすれば数百もの別チャンネルが表示されたテレビを見てる気分だ。つまり酔う。

 

Oof !

 (よいしょお!)

 

 ズガン、と揃えた指の先端を槍状に固めたインクがキモい化け物を串刺しにする。ん〜〜ギモヂイイ!!(ダミ声)

 頭動かすより体動かす方が性に合ってるわ、私。第二形態だと手足伸びてリーチ増すから間合いも広いし、元の人間らしい体だから馴染みがある。

 

Oops too

 (おっとこっちも)

 

「!?」

 

 イケメンお兄さんに馬乗りしていた化け物を、お兄さんの腹から出てきたインクの槍で一刺しグサリ。あらお兄さんどうしたの。

 

「お前今何した!?」

 

When I shook hands

 (握手した時に一部ね)

 

 今の私には指が二本ない。左手の小指と薬指。今突き出たのは小指部分だ。…かなりサイズがでっかいけど。あれじゃ耳掻けないじゃない。

 イケメンバートンさんと美女ナターシャさんは服の色の関係上憑いててもパッと見で見分けがつきにくい。

 色々試してみて、こっちは自動(オート)で近付いた化け物を突き飛ばすようにやってみた。案外できるもんだな、無理しない程度に試してみよう。

 

「…そういうのは、先に、言っといてくれ!」

 

Sorry !

 (ゴメン、ね!)

 

 乱戦だから返事中もぶっ飛ばしてる。

 あー今は殴ってるだけだけど食べたらンギモヂイイ!!ってなるんだろうなぁ。ちょっと爽快感に浸れるというか、脳みそからガッツリいっちゃうとこう…ね! 快感がね!

 やばい、少しトリップしてる? 薬使ってないよ。というか効果ないよね私。

 ……多分。

 

 数増えてきたなーと思ったら、サーチャーたちが空飛ぶ人を見かけたって。雷撒き散らして、トンカチ持って。

 トンカチ? 斧じゃない?

 空飛ぶって化け物にお手玉されてるとかじゃなくて? え? 違う?

 

People came down from the sky …

 (空から人が…)

 

「ソーだ。お前誰だ?」

 

Saw ? MY name is BENDY !

 (ノコギリ? ボクノ 名前ハ ベンディ!)

 

「……味方か?」

 

 うん、と三人の様子を見た(ソー)さんが渋々納得したご様子。ゴメンね紛らわしくて。

 そしたらどうやらトンネル作ってる装置のバリアが破れないそうで。近くにおじさんと鹿…トナカイ? の被り物をしたあんちくしょう(ロキ)がいるらしいって。よし行ってくる。

 

 と思ったらロキ居なくなったら化け物軍団の手がつけられなくなるって。へぇ、面倒なポジションに付いてる。見敵必殺できない。

 

 するとバイクでこっち来る市民…市民? との連絡が。誰?

 と思って見てみると…なんだこれは、タマげたなぁ…と思わず自分をそっちのけでドン引きするような混ざり具合の人間がいた。

 

 

 あれは、凄い非効率。

 

 

 私たちは寄生を超えて融合して対話しているからミスマッチがあまりない。でも、あの人間は内の存在と対話してないのか意識共有してないのかわからないけど、()()が合ってない。私が言うのも何だけど、酷く歪。ナターシャさん曰く、ハルクだそうで。とてもヒドイらしい。同感。

 

 …あとで話した方が良さそう。

 

『愉快な仲間を連れてくる』

 

 あれが噂のアイアンマン。赤と金のメタリックなカラーがすっごくかっこよくていいなって思ったら空飛ぶクジラ連れて来た。あれ? クジラって空飛ぶっけ…飛ぶわ。飛んで夢見せて卵乗せた島のテクスチャ作っちゃってたわ。これは絶許案件。

 クジラは緑人ハルクとアイアンマンに爆発四散された。うんやっぱりクジラは絶許。保護団体だろうが何だろうがあいつはダメ。

 

 よーしベンディ、第三形態だ!

 

What's Third form ?

 (第三形態ッテ?)

 

 そりゃあれだよ…えーと、一番マッスルで怖いやつ。

 

Oh yeah !

 (アァアレネ!)

 

 あれ、第三形態って認識してるの私だけ?

 

 指示通り、成人レベルの大きさのベンディが肥大化、巨大化、白い歯が横にずらりと並んで筋肉インク量増し増し、指も長くなってトッキントッキン突起が増えてく。まるで()()()みたいに肉体を創り変えられる感覚がゾワゾワするけど、あの時と違うのは苦痛がないことか。

 

 

 それは多分、自分と悪魔(ベンディ)を受け入れたからだ。

 

 

「そんなこともできるのか…」

 

『悪くないスーツだ。少々…いや結構趣味悪いな!』

 

「だいぶいい感じにゴツい体になってきたな、頼りがいがある」

 

「コイツ本当に味方なのか?」

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎───!!」

 

「すっごくワルモノって感じがするわ」

 

I hear you

 (それな)

 

 順当な評価だと思う。私も中々化け物じみてきた。

 でも可愛らしいマスコット姿でスプラッタするよりも悪者フェイスの方が相手もビビってくれるでしょ。ほらまた絶許クジラがやってきた。

 

「レイニー、キミは市民の避難誘導を続けつつ援護頼む」

 

Can I eat this ?

 (アイツラ喰ッテイイ?)

 

「…キミは聞かなくても食べるだろう。頼むから市民は喰うなよ」

 

Ok

 (りょーかい)

 

 

 私たちは道具(tools)

 

 化け物たちは愚者(fool)

 

 さぁ、悪夢を始めましょう。

 

 

 

 

 



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N.Y.クレジット

 日間2位ありがとうございます

 ※タグにもありますが残酷な描写(流血描写)ありますので苦手な人はブラウザバック推奨です





 

 

 

 Chapter 02

 

 

 

 人々にとっての幸運は、インクの悪魔(ベンディ)敵対(ヴィラン)の道を歩まなかったことだ。

 

 最初はただのカートゥーンアニメーションのキャラクターでしかなかった彼らは、創造主に裏切られ、経営者の手で破綻し、狂信者によって邪悪な存在に堕落した。

 

 何百万もの思いと何千万もの苦しみ。

 

 あの古く閉ざされたスタジオの中で、書き殴りゴミ箱の奥底に捨てられた下書きのように永遠に葬り去られる筈だった。

 

 一つの事故が産んだ悲劇が、そのゴミ箱を開けて掬い上げたことは奇跡に等しい。

 その悲劇は世界から忘れ去られた彼らに一つのチャンスを与えた。置いて行った奴等への復讐というチャンスを。

 彼らはそのチャンスをモノにするために動き出す。

 

 アリスはドクター、ボリスはナース、ベンディはドナー。

 

 

 あああ──

 

 

 内臓を抉り、

 

 

 あああああああああああ───

 

 

 血液を掻き出し、

 

 

 あaaAああaああAあaああ──! あッあああAAあああaあaあ──!!!!

 

 

 機械を埋め込み、真っ黒なインクを流し込む。

 声なき悲鳴が耳を打つ。

 鎖に縛られたぼろぼろの体が肉体を蹂躙される痛みでびくんびくんと跳ね上がる。

 まるで蝶々のように拡げられたあばら骨が美しい。

 胸にぽっかりと空いた(ウロ)から滴り落ちる血のアカが、クロに染まっていく。

 

 美しくなるために新生を繰り返した天使(アリス)であれば改造なんてお手の物。腐り落ちた肉片を口に含んでは泥のように吐き出す。

 

 慎重な(ボリス)は落ち着いて臓腑を切り分け機械に移し替える。骨はいただくとてもおいしい。

 

 悪魔(ベンディ)は嬉々としてインクを注ぎ込む。血管の一本一本から細胞の一つ一つまで。丹念に丹念に、巣穴から出てきた小さな蟻を一匹ずつ潰すように、彼女(レイニー)の肉体を、精神を、魂を塗り替える。

 

 それは、二次元を三次元に創り変えるような凶行。

 それは、憎しみを復讐に作り変えるような陵辱。

 

 自分たちを新世界へアップデートするための第一歩。

 転がり込んだ小さな存在を、自分たちを押し込み拘束するための(インクマシン)にすることで、世界で動き回るための自由を得るのだ。

 清廉で完全。環境に優しく効率的。安全性は保証済み、技術・デザイン共に最高級。まさにベンディ〝お墨付き〟のインクマシンが、世界進出を果たす傀儡として生まれようとしていた。

 

「そこで、何をしているのですか」

 

 彼女が、現れなければ。

 

… Who ?

 (…誰?)

 

「あなたたちを誅する者です」

 

Don't disturb us !

 (私たちの邪魔をするな!)

 

「ならば実力行使します」

 

 インクの暗闇を、二つの魔法陣が照らし出す。

 その中央で、不気味な烙印が輝いた。

 

 

 

 悪役が悪にならなかったこと。それには必ず、理由がつきものだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 7

 

 

 

 チタウリの軍勢にとっての不運は、インクの悪魔(ベンディ)が敵であることだった。

 

Leeeeeeet’s eeeeeeeeeeeaat !

 (イ───タダ───キマァ───ス!)

 

 ビルの壁面を真っ黒いインクの化け物が、ものすごいスピードで一直線に駆け上がる。壁面に取り付いていた兵士たちは焦って逃げようとするが、左右に大きく広がった両腕に捉えられると抗う暇もなくズブズブとそのインクの中へ沈んでいく。

 

「───!!?」

 

「──! ──!!」

 

 インクに囚われた兵士たちが断末魔の大合唱を歌う。インクの化け物の背には取り込まれた兵士たちの頭だけが飛び出ては声を上げ、沈んではもがく姿があった。

 

 彼らはもう死ぬ。助からない。

 誇り高く戦いを好むチタウリの兵士にとって戦死は最大の名誉だ。故にここは見逃し、インクの化け物を殺すことに集中すべきなのだろうが。

 

「────! 〜〜〜ッ──!?」

 

 まだ生きてる。助けられるかもしれない。

 希望的観測と同時に、助けたいという感情と、兵力温存という建前が浮かび上がる。

 

 インクの化け物は屋上近くまでいけば、止まる筈だ。

 

 その考察は正しく、インクの化け物は屋上に上がると疲れたのか動きを止め、ゆっくり周りを見回していた。

 正面上空にいる別動隊が意図を察して威嚇射撃しつつ、兵士たちが化け物の背後に回る。銃撃に対してまるで応える様子はないが、注意は引けたはず。化け物はまだ気付いていない。

 助けに来たとわかったのか、取り込まれつつある兵士たちが呻き声を上げながら必死になって手を伸ばす。

 まるでインクの化け物の背が伸びてるようにも、繋がれた背中から逃れてるようにも見えて───その手を掴み、背の根元に銃を突き付ける。撃ちまくればきっと引き剥がせる、助けられるはずだと確信して。

 

 

 引き金を引く瞬間、インク塗れの兵士の顔が嗤った。

 

 

Caught ♪

 (ツカマエタ♪)

 

 インク塗れの兵士が銃身を乱暴に掴んで銃口を逸らす。それに反応できず引き金を引いてしまい、化け物の脇にいた味方の頭を吹き飛ばしてしまった。

 唖然とする兵士たち。だが彼らは既にその手を握ってしまった。べっとり付着したインクは剥がれない。

 

 ああ、初めから仲間たちは死んでいたのだ。仲間たちを演じたインクの化け物が、誘き寄せて喰らうために一芝居うったのだ。そう理解した時には既にインクに呑まれていた。

 

 そのままズブズブとインクが身体を侵食し、全身を引き裂かれる痛みが脳を掻き毟り、

 

【【【 Never leave forever 】】】

 ((( ズット 一緒ダヨ )))

 

 ぶちぶちと身体を破壊される感覚を最後にぶつりと意識が黒に染まった。

 

 

 そして、彼らはインクの素材となり、同胞を抹殺する原動力として、またはインクの化け物の糧として浪費される。

 

 

Every one of them kill

 (一匹残ラズ ぶっ殺し)

 

 インクの化け物は雄叫びをあげると、ビルの壁面に沈んで消える。

 今度は少し離れたビルの玄関に現れて、筋骨隆々な体躯にしてアスリートも真っ青スピードで大通りを疾走し、哀れにも銃を向ける兵士たちを軒並み喰らい尽くす。

 

Weeeeee areeeeeeee Bendyyyyyyyyyy !

 (私タチハ ベンディ!)

 

 ベンディは行き止まりに差し掛かってもスピードを緩めず激突する。だが決して壁に衝突して跳ね返ったりはせず幽霊のように壁の奥に消えてしまうのだ。そして次の瞬間にはまったく別の場所から現れて、激突した際の最高スピードのまま、また走り出し兵士たちを喰らっていく。見た目も相俟って、子どもたちが見たら卒倒しそうだった。実際ホラー映画にも出てきそうな見た目だ。

 

 その様子を、チタウリの兵士たちと白兵戦を繰り広げていたロマノフとロジャースが感心する。

 

「大活躍ね」

 

「あれはワープしているのか?」

 

 レイニー/ベンディたちは即戦力だった。評価を大幅修正せざるを得ない。

 殺生への忌避はヘリキャリアでの活躍からあまり少ないと分かっていた。それはそれで問題だが。

 防御不可の突進攻撃も驚異的だが、インクで作られたその腕を斧や鎗、モーニングスターへ形態変化させて兵士たちを圧倒している。トミーガンに変形して撃ち出された弾は当たればインクに飲み込まれ、外れれば小さなベンディになって好き勝手に暴れ出す。どれもこれも悪質な攻撃、敵でなかったことに思わず安堵するほどだ。

 だが、ここまで活躍するとは思わなかった。市民の避難も順調で犠牲も抑えられ、徐々に人々や街への被害も減りつつある。少々、派手に暴れたところにインクが飛び散るのが気になるが、半壊状態の街で多少汚したところで問題ないだろう。

 

Capt , cleaned the north street

 (キャップ、北の通りは粗方片付けたよ)

 

「よし、俺は西の通りに向かう。ところでレイニー、キミは空を飛べるか?」

 

How ? …… Huh ?

 (どう? ……え?)

 

「どうした?」

 

He just do it

 (やってみる、って)

 

 

 

 

ジュボボボボボ────ッ!

 

 

 

 濁流が発生したような聞こえた。

 ロジャースは慌てて通信機から音を聞くよりも周囲を見渡すと、ニューヨークの街に垂直に立ち上る二筋のインクの滝が見えた。その頂上でベンディ/レイニーが空駆るチタウリの兵士たちを襲っては、飛び乗って別の兵士たちを蹂躙していた。

 おそらく、インクを噴出した推進力で飛んだのだろう。飛び乗る際に、時折インクをジェット噴射することで落下を防ぎ滞空時間を伸ばしている。

 

Did it

 (できた)

 

 ザバァ! と真上からインクの滝が降ってきた。ロジャースは慌てて飛び退くと道路に血液の如くインクが飛び散り、近くにいた兵士の目を塗り潰していく。

 (ロジャースにとっても)突然の奇襲に悲鳴を上げるチタウリの兵士たちを盾で殴ると、息荒く通信機に向かって怒声を叫ぶ。

 

「頼むから、あまり汚さないでくれよ!」

 

I can't accept that !

 (承服しかねる!)

 

「汚れたらあとでクリーニング代請求するぞ…!」

 

 敵を倒しつつ上空の味方への警戒も怠らないロジャースだった。

 

 途中、唐突に空中戦を勃発したベンディの被害にあった黒塗装(2Pカラー)のアイアンマン。見かけたメンバー全員が吹いた。

 

『今度靴磨きさせてやるからな!! 覚悟しとけよ!』

 

 なお、へばりついたインクは爆撃で吹っ飛んだ模様。火が点かない辺り、普通のインクより防火性があるらしい。

 

 

 

 

 

 Chapter 8

 

 

 

 そのあと? そのあとどうしたかって?

 えーっと、兵士とクジラ喰って、道中避難中の市民に爆弾っぽいもの投げやがったから食べたら爆発四散して、インクボディだから復活したら今度は核ミサイルが…ってブルータスおまえもか、何でもかんでも核で吹き飛ばそうとする人間は短絡的過ぎるのよ! 結局それで昔市街地吹っ飛ばしてプレデリアン滅ぼし損ねたでしょ!

 

 え? 食べなかったのかって? 核は喰えない。ゴジラとかメルヘンとかファンタジーじゃあないんですから。

 

 ということでアイアンマンが掴んで穴に飛び込んで敵の(ゴール)へアリウープ決めたよ、すごい。

 さて、穴も塞がって敵も消えて、あとは親玉ただ一人。つまりフルボッコタイムだ、異論は認めない。 

 

「酒でも、ぶはっ───」

 

Dad's share

 (お父さんの分)

 

 ロキ殴って。

 

「ぐっ!? おい、もう降さ──」

 

This is my frustration

 (これ私のイライラの分)

 

「あばっばばばばばばばばばばばばばば」

 

 往復ビンタして、倒れた(ロキ)の上に馬乗りになって腕ごとまとめて拘束。これぞ台手記(だいしゅき)ホールド(しろめ)。

 

「おい! 降参する! 降参するからぼーっと突っ立ってないで抑えろお前たち! やめろ、貴様この私に何する気だ…!」

 

Doodle

 (落書き)

 

 額に『》ネ申《』とか、瞼に目ん玉とか、両方のほっぺたに『*』とか渦まきとか、鼻下にボーボーの鼻毛とか、口と顎の周りにヒゲとか書いてやったよ。

 あ───スッキリした!! イケメンの顔を穢すのってゾクゾクするね!!

 

「……私は、どうなった?」

 

「手鏡どうぞ」

 

「うわ何だこれは!? クッソ、全然落ちないぞ! よくも私の顔に汚い泥を…!」

 

「いい気味だ。あとそれインクな」

 

「ご愁傷様ね」

 

『一回吹っ飛べば落ちるぞ。手伝ってやろうか』

 

「なかなか似合ってるじゃないか。いいぞそのヒゲ、親父に見せてやりたいな!」

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎───!!」

 

 こうして、始まりの戦いは終わったのだった。

 

 

 

 

 そう、戦いは終わった。そして。

 

 

 

 

 S.H.I.E.L.D.が用意したある一室。部屋の中は暗く、唯一テレビとそれを視聴する者にだけ、まるで演劇の舞台のようなスポットライトが当てられている。

 ベーコンスープを掻き込みながら、ベンディはご機嫌な様子でテレビのチャンネルを操作していた。

 

『見ました見ました! ええっと、ベンディですよね! ちいさくてかわいい~!』

 

『めっちゃマッチョで、歯がずらーって並んでて化け物みたいでした…』

 

『ベンディがいなかったら、今頃私は助かってなかったと思います…本当に助かりました』

 

『あのベンディに手握ってもらったんですよ! いやナニコレ、インクびっちゃびちゃですね!』

 

『えっとね、ちいさいあくまさんがね、たすけてくれたの』

 

『黒い化け物がよぉ! 大通りやらビルやらをダダダダーって走ってったんだよ! そしたら連中がどんどん吸い込まれてってさ、ありゃ掃除機の新機種だったね!』

 

『今度ウチの店来いよ、半額で奢ってやるぜ特濃インク! まぁ店直したらな!』

 

『せーのっ『『『We are Bendy(私たちはベンディ)~~~!!!』』』

 

 

 

 

 

All according to my plan

 (全テ 僕ラノ 計画通リ)

 

 テレビでは連日、アベンジャーズとともに愛らしいベンディを讃える市民たちの姿が報道されていた。写真となり映像となりあらゆる媒体を経由してその雄姿は全世界に広がり続ける。ベンディのグッズ化や商品化もそう遠くはない。

 

 

 

 Mission.1

 『ベンディを世界中に知らしめよう』

 

 

 

 達成(Complete)

 

 

 

 

 



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カトマンズの逆光

 物語内での時系列は「Chapter 0X」は過去、「Chapter X」は現在
 ナンバリングは数字順に時間が流れてます





 

 

 Chapter 03

 

 

 

 ネパール カトマンズ

 

 草木も眠る真夜中、夜遅くまで騒音鳴り響くストリートは、不思議とそのなりを潜めて静寂に包まれている。沙羅双樹がさわさわとさざめきに揺れるカマー・タージの闇夜に小さく、しかし確かな煌めきを放つ火花が地面に対し垂直を維持した円環(ゲートウェイ)が生み出される。

 敷地で沙羅の木を眺めていた弟子の一人がそれを見つけ、円環から出てきた黄色いフードの人物を見て目を丸くした。

 

「師! 何処に行かれていたのですか?」

 

「カエシリウス、善きタイミングです。一緒について来なさい」

 

 師、エンシェント・ワンはいつものような穏やかな笑みを浮かべつつ、視線でカエシリウスに来るよう伝えた。

 ここで、彼女の手に関してだが───左手はスリング・リングを使い時空を超える魔術を行使するために右手で円を描いている。つまり両手が空いてない状態だった。

 しかし、カエシリウスも知らぬ超魔術の一つなのか、彼女の背中にもう一対の両腕が生えており、その手には大事そうに封じられたような半透明の球体が抱えられていた。

 

「師、それは一体…」

 

「この世界にとって邪悪なるものの一つです」

 

 邪悪なるもの。それは暗黒魔術の根源たるドルマムゥのような存在と同じなのだろうか。たしかに空間を隔絶した球体の中には黒い何かが蠢いているように見える。

 

「では、早急に始末した方がよろしいのでは」

 

「少々事情が込み入っているのです。こうは見えても彼女は被害者ですから」

 

 彼女!? カエシリウスは驚いてその球体をまじまじと見つめた。

 球体の大きさは直径にして2Mに満たない。そんな小さな器に人間を閉じ込めているのだろうかと不思議に思う。加えて、半透明で中身は完全に見えない状態であれど、動きに従って揺れる様子からして液体そのものに近い。

 

 まさか、獣のはらわたから羊水ごと出てきた落とし子か。

 

 カエシリウスは彼女が出てきた向こう側の景色をちらりと見ることができた。其処はおどろおどろしく、機械の残骸と血のような黒い液体があちこちに飛び散ったような痕が見えて──それがなんなのかわからないはずなのに、生理的嫌悪感を憶えて思わず込み上げてきた吐き気を手で抑える。

 狂気とも違う、深淵とも違う、怨念や恩讐が混ざり合い、視た人が()()()()()()心が塗り潰されてしまいそうな、そんな光景だった。

 鍛錬を積み始めた己であっても数秒と耐えられまいと悟る一方で、カエシリウスは、先ほどまでその空間にいた師匠はやはり素晴らしいと思った。

 

「ゲホッ……それを、何処へ?」

 

「一先ずは研究室へ運び解放します。場合によってはその場で始末の必要もあるので、後始末が楽な場所ですからね」

 

「他に弟子を呼びましょうか」

 

「いいえ、貴方と私でも十分でしょう。それに、かなり弱っています」

 

 

 

 

 

 カマー・タージの東棟にある魔導研究室は練習の為の器具や道具を取り揃えているが、なんといっても他の部屋を隔てる壁が頑丈だ。余程のことがない限りエンシェント・ワンかその弟子たちが未熟な弟子の魔術を止める為、魔術の暴発はあまりないが、中には少し手順を違えただけでも大惨事になる魔術が存在する。

 そんな事故があっても良いように、広く、頑丈な作りの研究室に二人は足を踏み入れた。昼の研究室は見飽きたが、深夜の研究室となるとまた趣が異なる。今回の場合、エンシェント・ワンがいるからいいものの、彼女が運んできた『邪悪なるもの』があるせいか薄ら寒さを憶えずにはいられない。

 

「術を解きます、何が来てもいいように準備しておいてください」

 

「はっ」

 

 カエシリウスは左手にスリング・リングを嵌め込み、両の手にエルドリッチ・ライトで形成された二振りの剣を構える。

 エンシェント・ワンは球体を部屋の中心に配置し、ミラー次元(ディメンション)へ引きずり込む。現実世界への影響を考慮してのことだ。

 

 周囲の景色が一瞬切り替わり、うまくミラー次元に移行したことを確認するとエンシェント・ワンが手で印を刻む。

 

 ぱん、と風船が破裂したような音が響き、半透明の球体が破壊された。すると本当に液体だったのか黒い液体のようなものはぼたぼたと研究室の中央に落ち、そしてそのまま何一つとして動かなくなる。

 

「……あれは一体」

 

「見なさい」

 

 カエシリウスは好奇心を抑制して黒い液体を見ると、徐々にそれが隆起と胎動を繰り返し、膨張と収縮を繰り返したかと思うとやがて人の形を取り始めた。黒だった液体は色を帯び、艶を出し、最後に白磁の肌の少女が力なく倒れていた。

 

「…あれを見て、助けようと思いますか?」

 

「……わたしは、いいえ…」

 

 恐らく、亡くした家族のことを思い出したことだろう。

 心なしか、エンシェント・ワンが悲しそうに目を細めた。

 すると倒れていた少女(?)が意識を取り戻したのか、苦しそうに呻きながら身動ぐ。

 

「ぅ、う……ここは…」

 

「貴女は敵ですか? 味方ですか?」

 

「……なんか、距離遠いんですけど」

 

「敵か味方かもわからない相手に、無遠慮に近付けるほどこちらも余裕はありません」

 

「…とりあえず、貴女たちを害そうとは考えてませんよ()()

 

「では、もう一人の貴女は?」

 

「……反応、ない、ですねぇ…疲れてるのか、それとも貴女に何かされたか…う、げぼォッ」

 

 蹲っていた少女が嘔吐(えず)く。嘔吐と共に吐かれたそれは、人間であれば真っ赤な血液であるはずなのに少女のそれは黒い液体──インク、だった。垂れ落ちたインクは地面で跳ね、不気味な生き物のようにドクン、ドクンと小さな鼓動を打つ。

 カエシリウスは知る由もないがエンシェント・ワンは知っている。彼女(レイニー)が不運にもある組織に狙われて交通事故を装って殺されかけたこと。自身の何十倍もの巨大質量を持つトラックと建物の板挟みに遭い満身創痍であること。

 

 そして、悪魔に改造されなければそのまま死んでいたこと。

 

 何はともあれ、彼女に敵意はなく彼女の中に眠る存在は顕現どころか意識の表層に浮上することも難しいらしい。

 

「…何者であれ彼女の状態は危険です。応急処置だけでも」

 

「……そうですね、わかりました。一時的ですが彼女を迎え入れましょう。ただしこのミラー次元からは出さないまま──」

 

「──アっ―ダメだ、お、まえ、なにす───ガっ!!」

 

 突然、彼女(レイニー)の様子が変貌する。

 痛みや疲れによる苦しみとは、また別のもののようだった。エンシェント・ワンは警戒態勢を維持するが、それよりも。

 

 のたうち回った彼女が暴れた後に、振り上げられた手足を起点に、空間の縦横にヒビ割れのような亀裂が走る。それは彼女を中心に黒く淀み、染まり、引き剥がされていく。やがて綻びは広がり、世界が割れた音と共に()()()()()()()()()()ことを悟った。

 

「そんな、ミラー次元を…」

 

「これは、貴女が…?」

 

「いいえ違います、()()()()()()()()()()()

 

 ──本来であれば、魔術師がスリング・リングを身につけていなければ行き来することができないのがミラー次元である。

 そもそもミラー次元は現実世界と並行して存在する異次元の一つである。現在の魔術ではミラー次元に加えて魂のみが活動できるアストラル次元、ドルマムゥが住まう暗黒次元(ダークディメンション)などが判明している。

 

 よって、正確には破ったというよりも強引に現実世界に回帰したという表現が正しい。

 

 ミラー次元からの回帰は物理的な力技でどうこう出来るものではない。たしかに現実世界よりも空間や物質を操ることはできなくはないが、少なくとも今まで魔術と縁のなかった少女に好きにできるほど容易いものではない。

 

(つまり、次元に干渉できるほど彼女に憑いた悪魔の力は強大であるという──)

 

「師! 危ない!」

 

 弟子であるカエシリウスの声でハッとして、二人は背後の扉から離れた。カエシリウスならば兎も角、エンシェント・ワンであれば多少の飛来物であれば避けることもなく魔術で退けるか破壊するなどして直撃を防ぐことはできた。だが背後から感じた力はその程度ではどうにもできないということがわかっていた。なぜならば、それは一条の光だったからだ。しかもただの光ではない。

 

 外側から強引に開け放たれた扉。差し込む緑色の、澄んだ力強い光。これは安置されていた首飾りにして禁忌のレリック、アガモットの目と同じ輝きだ。

 術により閉じていた瞼は開かれ、彼女の元へ導かれるままに光が注がれていく。

 

「そんな、アガモットの目が開いて…! 光が…!」

 

「……!」

 

 レイニーに憑いた悪魔による仕業なのか、それともアガモットの目が自ら動いて力を分け与えようとしているのか、二人には判断のしようがなかった。

 アガモットの目から放たれる光は、苦痛の形相を浮かべるレイニーの体に触れた瞬間、照射角から垂直にインクの波が螺旋を刻んで吸い込んでいく。螺旋の軌道に沿ったエネルギーがレイニーの肉体へ入るたび、苦しんでいたレイニーはやがて落ち着きを取り戻していく。

 

 エンシェント・ワンは知らない。この景色を見たことがない。

 

 アガモットの目は何千年も前に魔術の父・アガモットが生み出したネックレスにして自然法則に逆らうことができる危険なレリックだ。その危険性故に、普段は呪文によって瞳が閉じられレリックの力を引き出すことができない。

 

 アガモットの目は、時間を操る力と無限の可能性を手に入れる力、その二つを有している。

 

 その使い方の一例として、可能な限り過去と未来を観測することを可能にすることができる。エンシェント・ワンも幾度となくその力を行使し、考えうる限りの最悪の事態を防いでいた。

 だが、目の前の光景だけは一度として見たことがない。レイニーという少女が死にかけ、ベンディという悪魔に乗っ取られ、世界が白と黒のモノクロに血塗られた地獄と化す未来までしか───

 

「……ッ、光が、止んだ…?」

 

「いいえ…彼女が吸い取れなくなったみたいですね」

 

 アガモットの目は、この宇宙ではインフィニティストーンと呼ばれるものの一つだ。

 一つだけでも莫大なエネルギーを持つものであり、ある程度その力を抜かれたとしても均衡という名の修正力が働き数日も経てば元に戻る。

 一人の人間がその力を使うだけでも大事なのに、吸い出すなんて前代未聞だった。

 それ故に、一人の人間が取り込めるにしても許容量があるのだろう。石そのものを持ち、自在に操るなんてもってのほかだ、せめて人の身で力を出力できる型に収めない限り。

 だが、光を飲み込んだらしき彼女は、苦しむどころか先ほどまでの瀕死が嘘のように、気だるそうな、しかし確かな動きで立ち上がった。

 

「───ふ、ぅ。なんか、すっごい体が軽くなった」

 

 自分の(ひしゃげたはずの)手や(木片が串焼きみたいに刺さってた)腕をまじまじと見つめたり、(圧力に耐えられなくなって中身から破裂した)腹部や(強引に捻られた肋骨が突き破ってた)胸部に傷がないことを手でぺたぺた触りながら確認すると、エンシェント・ワンたちがいることを思い出してハッとした。思慮深そうな割には年相応の挙動だった。

 

「えっと、ここどこで、貴女たちが誰かわからないので恐縮なんですけど……その、着るものと、食べ物恵んでくれるとありがたいです」

 

 

グル・グルルル……コロコロコロコロ…

 

ドロローン、ドゥロロロローン…

 

 

 宵闇の虫の鳴き声に負けないくらい大きな腹の音が響く。まるで悪魔よりも恐ろしい化け物の鳴き声のような音の一人大合唱が始まり、困惑した表情を浮かべるカエシリウス。

 物音よりも獣の唸り声かと警戒して飛んできたマスター・ハミヤ、遅れて首から脂汗に濡れたイヤホンを掛けたまま走ってきたベネディクト・ウォン。

 腹の音一つ(この場合は複数だろうか)で蜂の巣をつついた様な騒ぎ。エンシェント・ワンは笑いを堪えるためにゆっくり瞼を閉じた。とりあえず、現象の調査とレイニーの体への影響より先に腹ごしらえだ。

 

 

 

 

 

 




 いつもよりちょっと長い過去回
 まだ弟子なりたてのカエシリウスくん、最近家族を失ってたせいか可哀想な女の子は助けたい



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インクマシンな彼女の贈り物

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 Chapter 9

 

 

 

「ハァイ、ロキ、ソーさん」

 

「───」

 

「キミは…誰だ?」

 

「ああ、この姿は初めてだっけ」

 

 そう言って〝スーツ〟を着る。

 全身がインクに戻り、頭身の比率が小さくなっていく…おいおいおいこれだと見上げるミニベンディサイズになっちゃうよ、まぁいいか。

 

「ベンディ!?」

 

That's right . …… Aa , My neck will hurt so I will Return

 (そうだよ。……アア、首痛くなっちゃうから戻るね)

 

 すぐスーツを脱いで元の頭身に戻る。視界がみょん!という感じで上下したから酔いそうだ。

 

「レイニー・コールソンよ。改めてよろしく。貴方のトンカチと雷凄かったわ」

 

「あ、あぁ、よろしく。そこまで率直に言われると照れるな、ありがとう。だがこれはトンカチではなくムジョルニアだ」

 

「ムニョルニャ」

 

「ム・ジョ・ル・ニ・ア」

 

「…ムジャルニア」

 

「惑星ニダダリアの心臓で作られた最高の武器なんだ。ウルという特殊な金属でできている。持ってみるか」

 

「うん」

 

 柄を差し出されたから試しに持ってみる。

 

 

ボキッぶちぶちっ ズドン

 

 

 あ、腕が。地面が。

 

「おおおおおい!? 腕が千切れたぞ大丈夫か!?」

 

「大丈夫大丈夫。それより絶対持てないって確信した上で渡したでしょ意地悪ね」

 

 ムニョルニャ(ムジョルニアだっけ?)を掴んだままの右手を離し、半ば肩から千切れた右腕をくっつけて元に戻す。痛覚がない分欠損した実感がわかるから、どこかで体の一部を置いてったりとかドジっ子属性は無いから安心してよぅ。

 

「悪かった…しかし、あの化け物がこんな子どもだったとは思わなかった」

 

「アハハ、よく言われるわ。ところでその、貴方のツレに用があるんだけど、いい?」

 

「ロキか? …少しの時間ならいいが、悪いが俺が目を離すことはないぞ」

 

「そっちの方が助かる」

 

 正直、神をも騙す幻術が無効化できるかわからない相手である以上、私も掛かる可能性は高い。ある程度術への耐性はある師匠から学んでいるが、地球(彼らはミッドガルドと呼んでる)と彼らの故郷であるアスガルドの術の性質は異なる可能性がある。そうでなくても、未知の術への耐性が無い最初は掛かりやすいだろう。

 

「口のやつ、ちょっと外してもらえる?」

 

「…5分だけだぞ」

 

 器具で固定された口枷を弄り、パカっという音とともに外れるとロキが大きく息を吸ってにやついていた。

 

「──ッハァー、久々に新鮮な空気が吸えた。感謝するよインクの化け物めよくもこの私に恥をかかせてくれたなエェ!?」

 

「感謝するのか怒りたいのかどっちなのはっきりして」

 

「1の感謝と10億の怒りだよ化け物め! ニュースに私のクソ汚い落書きが描かれた顔を晒した罪は重いぞ!」

 

「……あ、恥を〝かく〟と落書きを〝描く〟を掛けたのね。うまい」

 

「真面目に聞け! そして兄上も笑ってるんじゃない全然隠れてないぞ!」

 

「っぶはは! 実はな弟よ、お前の顔写真は取っておいてあるんだ。あとで両親に見せる為にな!」

 

「貴様ァ!」

 

 ソーさんもいい空気吸ってらっしゃる。

 さて、ここで兄弟の戯れを肴にするのもいいけど今回は別件で来た訳だ。

 

「私の父の仇ロキ」

 

「仇? …あぁ、あの矮小な男のことか? 背中からズブリと一突きしてやったぞそのことは」

 

「まぁ生きてるっぽいから別にいいんだけどね。顔の落書きで手打ちってことで」

 

「「……何ィ!?」」

 

 おお、リアクションがシンクロニシティ。

 ロキの方は生きてる事に驚いてるんだろうけど、ソーさんは多分落書きで手打ちってところに驚いてるんだろうな。

 

「それじゃなんだ、最後に私を嘲笑いに来たというわけか。お父さんは生きてましたよ、ざまぁみろと」

 

「まぁそれもあるんだけど、聞きたいことがあってね」

 

「聞きたいこと?」

 

 何言ってるんだこいつって感じで嗤われた。

 それはそうだろう。この数分の会話で怒るときは怒る、笑うときは超嗤うけど、(ロキ)は相当口が硬い。聞きたいことを聞いたとしても右に左に流す口八丁手八丁もお手の物だ。これは確かに狡知の神と呼ばれるだけのことはある。

 でも、だからこそ私は聞かなきゃいけない。

 

「ロキ。ソーの義兄弟にしてオーディンの息子。狡知の神で知られる貴方に問う。今回の一連の襲撃は()()()()()()?」

 

「…何の話だ? 捕まった後に話しただろう。私は神に成り代わって愚かなお前たちミッドガルドの世界を総べてやる為に侵略しに来たのだ」

 

「侵略しに来たのなら、あの…何だっけ?」

 

「チタウリだ」

 

「そう、チタウリの軍勢とやらを連れて破壊行為までする必要は無いはずでしょ。やるなら最初に大打撃を与えてお偉い人の交渉テーブルを用意するなり犯行声明を出せばよかった。なのに貴方はそれをせずゲートからどんどん軍勢を呼び寄せた。あれは侵略行為っていうより破壊行為」

 

「……私もあの時は頭に血が上っていたのかもしれないな。無駄に足掻いていたお前たちを見てな! お前たちが足掻いたから街への被害が広がったようなものだぞ! ハハハハハ!」

 

「ふぅん…と、すると過剰に軍を呼び寄せたのは私たちを黙らせる為だったって訳? にしては実に理性的な判断だったけど…ああ、あの〝杖〟に何かされた可能性も否定できないけどね。でもそれはきっかけではなく過程を加速させる装置でしかなかった…ソーさん」

 

「なんだ」

 

「そのチタウリの軍勢って、アスガルドにあるものなの?」

 

「…いや、そんなものはアスガルドにはない」

 

「なるほどね、とすると別の宇宙人が地球…若しくは、あの石を狙ってたってことね」

 

 …ここまで言っても特に顔色を変えないところは流石ロキと言わざるを得ない。さすロキ。

 なるほど、どこぞの女狐みたいにポーカーフェイスと騙し合いはお手の物って感じだ。ポーカーとかやらせたら絶対一人勝ちするタイプだな、主に幻術でインチキして。

 

「……」

 

「だんまり? せっかく口枷外せたのに?」

 

「化け物のお前と話すよりも新鮮な空気を吸ってる方が有意義だと思ったのさ」

 

 ほほう、こやつやり方は下衆いけど義理堅いな? 嫌いじゃないけどそんなイケナイお口にはパンチをプレゼントだ。

 

「っボゴッ!?」

 

「ベンディ! いや、レイニー?」

 

「こっちの時はレイニーでいいよ」

 

「そうじゃなくて、何やってる!?」

 

「んー?」

 

 お口にフィストファックしてモゴモゴカミカミされてるけど特に痛みはない。同時にその感覚が、目の前にいる存在が実物と証明してくれて助かる。

 そうして、自分の一部を切り離し、()()()()、腕を引き抜く。

 

「ッゲホゲホ! 貴様…私に何をした!」

 

「まぁそんな悪いものじゃないよ。もしかしたら暇な時に相手してくれるかもだし、多少は手助けしてくれるかもね?」

 

「何の話だ…!?」

 

「ま、正直に全部話してくれれば良かったんだけど。でも貴方変に頑固だしこれから危なっかしそうだからね。地球のお土産ってことで大事にしてね」

 

「待て小むす…モゴモゴ!」

 

「いつの間に枷を…」

 

「手癖悪くて。でもロキには負けるよ」

 

 用は済んだので、伸びーるインクハンドで口枷を掴んで強引に嵌める。どうせ何聞いても今の状態じゃはぐらかされそうだし、これ以上の会話は無意味だろうし。

 

「ありがとうソーさん、ロキも無事故郷に戻んなね。寄り道しないように」

 

「あ、あぁ…ロキに何したんだ?」

 

「んー? うーん…お目付役をつけた?」

 

「何で疑問系なんだ…」

 

「だって、もう()()は私の意思じゃないし」

 

 じゃあの! ばいばい! またね!

 ぶんぶん手を振ってお別れ。どうせ今生の最後でもあるまいし、そんな別れに時間かけるものでもないでしょう。手枷が嵌められた手を必死に伸ばして喉を押さえているけどあれは吐けない。無理。吐くの、ではなく()()()()()()()()()()()は出ない。

 すっごい怨みが篭った目で睨んできてるけど、仇であってももう憂さ晴らしはしたしイケメンだからそれほど恐ろしさはないんだなぁ残念。

 

 二度と来んなって感じでダブル中指突き立てられた。一昔前の不良ですか。

 

「そうだ、ソーさんそろそろ彼女(ジェーン)さんに顔出さないとマズイですよ。別の男の影がちらちらと、惑星間遠距離恋愛は大変ですね」

 

「何ぃ!?」

 

 

 

 

 

 Chapter 10

 

 

 

「はろーバナーさん。ハルクって呼んだ方がいい? あ、スタークさんも」

 

「……誰?」

 

「おいおいボクはついでかぁ? 随分な扱いしてくれちゃって。彼女はベンディだよ」

 

「ええ!? こんな小さい子どもが!?」

 

「2回目…ハイ、ハジメマシテ、ベンディことレイニー・コールソン」

 

 自己紹介は大事!

 というか、ハルクの時しか会ってないから殆ど初見!

 

「なんて遠い目をしてるんだ…しかもカタコト」

 

「や、こっちの事情です気にしないでください」

 

「う、うん。ブルース・バナーだ。ハルクよりこっちがいいかな、よろしく」

 

「ところで我々に何の用だ? こう見えても忙しくてね、壊れたスタークタワーの再建に着手したいんだ。なんでもフューリー長官がアベンジャーズの新しい拠点にしたいと煩くてね、いやぁ天才は忙しくて辛い辛い。そう、例えるなら、超高級スポーツカーみたいなボクと、そのオプションサービスで付いてくるサービスドリンクみたいな…メロンソーダ風味なバナー博士をわざわざ呼んで」

 

「メロンソーダ…」

 

「私はシーズン限定のタピオカがいいかな。じゃなくて、ちょっと協力して欲しいことがあって、お願いしにきたんです」

 

「お願い? なんだい?」

 

「おいおい安請け合いはしないぞ? でもそうだな、話だけは聞こう。受けるか受けないかは内容とおたくの資産、あとボクの気分で決める」

 

「トニー、子ども相手にそれは…」

 

「ノーノー、子どもだからってバカにしちゃあいけない。こういうのはちゃんと大人な対応しなくちゃあ」

 

「小切手に好きな額書いて貰って」

 

「「……え?」」

 

 こういうの(交渉術)はパパンからイヤというほど聞いてきたから、首を横に振らせない方法はわかってる。両親共々ブラックな仕事してるせいで家のお金が心電図みたいに上がり下がりしてるけど、お金の管理の一部を担ってる私が動かせる金はドル単位で億レベルだ。

 断る気満々だったスタークさんのびっくり顔が見れたからちょっと気分いい。

 

「プラスで、研究で得られる情報の共有」

 

「…なんの研究だい?」

 

「私について」

 

 

 

 

 

 Chapter 11

 

 

 

 ラボならS.H.I.E.L.D.よりもボクのラボの方がいい、という誘い文句で彼女たちをマリブポイントにあるラボに招待した。特別待遇だぞ? このボクから招待される人間なんてほんの一握り…いや、二つ…三握りくらいか? パラジウムでハイになって末期だったときは派手に宴会してたからな、たくさん呼んだ気がする…悪酔いしすぎて覚えてない、まったく天才も酒には勝てない時がある!

 レイニーも条件に「外部に情報を漏らしたくない。できればS.H.I.E.L.D.にも」と言ってたし、ボクのラボならS.H.I.E.L.D.に負けないくらいの設備が整ってるし、ネットワークに関してはアイアンマンのスーツのデータを保存してるジャービスが遮断・管理してくれるから問題もない。

 それに…

 

「そうなの! レイニーちゃんってベンディだったのね! あの…」

 

「かっこよかったでしょ!」

 

「うん、カッコいい…のかしら? なんか、真っ黒でマッスルで歯が…」

 

「あー、うん、ちょっとコメントしづらかったかも」

 

「でも凄いじゃない! トニーと肩を並べて戦ってたんだもの! いくつ?」

 

「…13さーい!」

 

「きゃー! かわいいー!」

 

(本当はソイツ11歳だけどな、見えないけど)

 

 ペッパーとも仲良くしてくれてる。

 正直最近…いや、いつもか? 上手くいってるようでギスギスしてる仲を取り持つには、レイニーはいい潤滑油になってくれそうだ。

 そう、回りの悪い歯車には適度に油を差さないと回らない…それと同じだ。

 

「それで、もう検査終わったの?」

 

「うん!」

 

「あー、それでだが報酬は」

 

「…ちょっとトニー? まさかレイニーちゃんにお金を取ろうだなんて考えてないわよね?」

 

 おい。

 おいおいおい、これは流石に想定外…あ! あいつ(レイニー)笑ってやがる! 計画通りって顔してるな!

 

「待て待てペッパー! 後ろ向いて後ろ! 彼女笑って…レイニー()()()って何だ!? いつの間にそこまで仲良くなった!?」

 

「何!? レイニーちゃん泣きそうな顔してるじゃない! 別に学校の健康診断みたいなものだったんだから無料でもいいでしょ!」

 

「健康診断だって!? もしそうなら世界一贅沢な健康診断だよこれは! …一応ボクと彼女は仕事仲間でありビジネスパートナーだ。ギブアンドテイク、ボクが調べて彼女が報酬を払う。それは、その…事前に取り決めてて…」

 

「トニー! 3年前あなたがまだ社長だった時、拉致されて帰ってきたときのスピーチ覚えてる!?」

 

「それとこれとは話が…あ、アーアーわかった! ペッパーわかったから! ったく…もう、大声出して腹減った…これでバーガー買ってきてくれ全員分。な、頼むから」

 

「ちょっとまだ話が…!」

 

「ペッパーさん、一緒にバーガー買いに行こー?」

 

「ッそ、そうね…行きましょう、ハッピーに車寄越して貰いましょうか」

 

 ニヤリとペッパーにバレないように笑いやがって。ファインプレーだけど原因はお前(レイニー)だからな!

 何故かご機嫌のペッパーがお金を握ったレイニーを連れて出て行くのを見送ると、すぐに地下に戻って画面とにらめっこしてるバナー博士の元へ合流。

 眉間にこれでもかってくらい皺寄せちゃってまぁ…跡残るぞ~すぐ老け顔になるぞ~って、元々か。まぁ、うん、気持ちはわかるよ。

 

「どうだ? 結果見て」

 

「異常だ」

 

「そりゃ素人目でもわかる」

 

 彼女(レイニー)の検査結果は全てにおいて異常な数値だった。

 

 まず肉体。

 検査結果から判断するに、彼女の体は人体と呼べるものではなかった。外側だけなら人の皮を被っているが、骨と呼べるようなものが映らなかった。

 

「骨の配置が既存と異なる。どの生物にも当て嵌らない。強いて言うならタコやイカのような軟体動物に近いか…?」

 

「ついでに組成もだな。カルシウムとかじゃない、殆どが金属だ」

 

 しかも、所々だがヴィブラニウムらしきものが使われている。地上最強にして最硬、父が開発したキャプテンの盾と同じ金属だ。

 入手経路について調べると、ジョーイ・ドリューという資産家が莫大な金でヴィブラニウムを買い取ったという記録が残っていた。まさかそれをたかがインクマシンに使ったのか…? 狂人の発想だな。まぁ狂人と天才は紙一重ともいうが…天才が理解できなきゃそれは狂ってるって認定だろ。よくまわりの連中も留めなかったな、バイヤーからすればいい金ヅルか。

 

「血液…というよりこれは最早インクだな、純度100パーセント」

 

「白血球赤血球共にナーッシ、血管というよりあれは天然素材のチューブみたいだな。循環してるのは…硬化を防ぐ為か?」

 

 血液ではなくインクが全身を()()していた。そう、循環だ。既存の人体という枠組みから外れているならばわざわざインクを循環させずとも、そうだな…ポリタンクに入れたガソリンみたいにただ()()()()()()()でいい。だがそれをしない理由はおそらく、循環による熱産生でインクの硬化を予防するためだろう。

 

「心臓は」

 

「これでもかってくらい人間そっくりだな、まんま〝インクマシン〟だ」

 

「そうだ、マシンだ。左心房、左心室、右心房、右心室とあるのが人間だが、彼女はインクマシンを二つくっつけた心臓…この場合は(コア)とでも呼ぼうか。それを動力としてインクを精製している。でも本当の動力源は足のポンプだ」

 

 そのとおり、マサチューセッツ工科大の学生でなくてもバカでもわかる人体解剖。心臓はたしかに人体の血液を拍出するためのものだが、立っている人間は重力に従って下へ下へ血液が落ちる。その重力に逆らって心臓に戻すのがふくらはぎの筋肉だ。

 (コア)はあくまでもインク精製器。足のポンプがインクを全身に流し込む動力源。

 

 まるで、体そのものがインクマシン。

 

 そしてインクだってめちゃくちゃだ。

 

「彼女が取り込んだインクは従来のものじゃない。比重も割合も明らかに数値を超えている。特にアレだ、レイニーの体表のインクの数値が桁外れだ」

 

 ニューヨークでの戦い…うっ、寒気と幻覚が…じゃない。そう、彼女の戦いっぷりだ。迫り来る…というより、逃げ惑う宇宙人どもを千切っては投げ千切っては…喰ってた。口からの咀嚼もあったがありゃ無味無臭のスポンジか青臭くて乳臭い粘土みたいな食感してそうなサンドイッチだったんじゃないか。うぇ、想像しただけで吐きそうだ。

 

 そう、口からだけではなく全身で吸収していた。それだ。

 

「取り込んだものは全部インクになったと話してた。つまり、彼女の体表のインクには消化・吸収を促進する酵素のようなものがあるのか…?」

 

「アミラーゼ、ペプシン、トリプシン、キモトリプシン、カルボキシペプチターゼ、ラクターゼ、リパーゼ、マルターゼ! そんな当たり前の分解酵素すらなかったけどな!」

 

 インクに消化酵素がないからバナー博士の腕を丸々突っ込ませてみたけどどうなってんだありゃ! まるでワープだワープ! あ、そういや…

 

「…ベンディ、ニューヨークの時にワープしてたな」

 

「それ彼女から聞いてみたけど、インクを伝って移動したって言ってたね」

 

 どういう理屈だ。

 もう理屈すらないんじゃ…いや待てよ。

 

「物質を取り込んでインクにする力と、インクを伝ってワープする力は一緒なんじゃないか?」

 

「いや、そもそもA地点からB地点の移動と、彼女の肉体の崩壊→再生のサイクルの謎を解かなきゃならない」

 

「崩壊と再生のサイクルは解けてる。万能細胞だ」

 

「なんだって?」

 

 驚いてるぞバナー博士。そうだな、生物分野はキミの専売特許だからなハッハッハ専売ではなくなったぞ! これからはもうただのバナーくんだ、博士の名を付けるのはやーめた。

 

「それじゃ、元の身体がインクになったりインクが身体や武器に変形するのは…」

 

「インクが万能細胞代わりになってるんだろ。めちゃくちゃな理論だが、形状記憶合金みたいなもんだよ、ナノテクノロジーに精通するところがある」

 

 つまり、インクだけならただのインクだが、そこにレイニーという要素が入ることでインクは別の性質を持つ。レイニーという司令塔、あるいは媒体が持つ記憶を転写し、構築し、肉体や武器という形に変形させてる。

 いいなぁ…それ、アイアンマンもそうなったら持ち運び自由だろうなぁ。

 

「なるほど、全てが肉体を構成する…つまり分化する前の細胞のようなものならば、どれだけ欠けたところで構築、再現し機能する訳だ。彼女たちが言う…小さくなる第一形態、成人レベルの大きさの第二形態、ハルクみたいなマッチョになる第三形態みたいに、体の大きさが変わっても、サイズに比例して体内の臓器のサイズが変化するだけだから最低限の機能は保証されてる。これ、医療的にも大発見なんじゃないか?」

 

「それはないな、そもそも彼女は細胞核すら存在しない。人体でもないのにそのメカニズムを解析したところで人間に応用できるかどうかは…うん、フィフティフィフティ(五分五分)? ま、それでも使い道は幾らでもあるけど」

 

 ボクならね。

 

「そうか…まぁパターンをある程度読めればそこから万能細胞に近付けるきっかけにはなるかもしれないな。しかし…ただのインクが、ねぇ」

 

 それだ。それなんだよバナーくん!

 普通のインクとレイニーが取り込んだ(指揮下に置いた)インクでは、まったく状態が違った。特にその違いが顕著に現れたのは吸光度だ。

 まぁ吸光度自体、光の通った後の吸収だけじゃなくて、反射とか…散乱とかも含まれる無次元量だから、それだけでは判断しようがないけどね。

 他にも紫外線吸光度やスペクトル測定も行ってみたが、彼女のインクは特定の吸光度特性…特性は言うなればブラックホールみたいなものだった。

 

 すわ、このインクには重力場でも働いてるのか!? とビビって慌てた。もちろんバナーくんだけだ。ボクはビビってない、ビビってなんかいないぞ。

 

 別にシュバルツシルト面も観測してないし、ホーキング放射すらない。ほら、ブラックホールじゃなーい。

 

 だが、どんな大きさの物質も触れたら取り込むという点ではブラックホールに類似してる。試しにバナーくんのメガネを拝借して突っ込んで、その後レイニーに出してくれと頼んだら入れる前の状態が出てきた。そのあとバナーくんに叱られたけど無視。仕返しにアイアンマンの腕部分をまるごと突っ込まれた時は肝が冷えた。怒ったら本物と2Pカラーみたいな複製品もオマケで付いてきたけどな。

 調べてみたら、インクで固めた外装だけの模型品だと思ったが内部構造まで同じだった。つまり普通にリパルサーも機能してた。…いや、あんな真っ黒な未塗装パーツ使う気にはならないが。

 

 つまり、インクに変えるのも変えずに吐き出すのも彼女の意思決定が必要みたいだ。

 

「一種の置換装置なのかもしれない」

 

「置換? 何と…何を?」

 

「……プラトンのイデア論」

 

 何故そこで哲学? 考えすぎて疲れたか?

 

「そもそも、僕たちは見てきたはずだ。レイニーがベンディの時は小さくなったり大きくなったり、攻撃で体が欠損してもすぐ元通りになる」

 

「…だから、それは万能細胞的な」

 

「ああ、じゃあその肝心な再現するための記憶はどこに保管してるんだ?」

 

 …あー、そうか。

 一滴一滴のインクに一生物の肉体や物体の情報を蓄積するなんて無理だ…つまり、わざわざバナーくんが哲学を持ち出したのは、再現するための情報という記憶が実像なのであって、インクは実像の影と考えてるわけか!

 …考えすぎじゃないかそれ!? あと説明少ない! ツーカーの友でもないのにわかるか! いつから我々科学者はフレンズな哲学者になったんだ!

 

「たしかに、もし記憶がインクの肉体全てに宿ってたりしたら、肉体の欠損に伴って記憶も同様に欠けるはず…」

 

「だが彼女は特にそれを感じてないし疑問に思ってない…いや、気付いてないだけか? まぁ我々も出会ってここ数日程度だしな、そういうサインを見逃してるという可能性もあるが」

 

「そもそも、彼女にとっての〝脳〟と呼べる記憶領域は何処にあるんだ? それに意識を司る部位もわからない。五感で感じ取った情報を蓄積…いやでもやっぱりインクにある程度情報をバックアップしてるんじゃないか? 彼女の体内、体表のインクと彼女が取り込んだ後で体から切り離したインクでは粘度が違ったし耐火性も違った。その辺りも関係してるのかもしれない」

 

「五感…そもそも五感自体あるの怪しいけどな。目、鼻、耳だって彼女の成長した姿を模してるだけだ。ただまぁ視覚・嗅覚・聴覚検査じゃ我々と同じように世界を捉えているようだが…」

 

「それに彼女は僕のメガネやトニーのアイアンマンのスーツのパーツを取り込んでも元に戻した。それだけじゃないインクに同じものを転写しコピーしてた、3Dプリンターみたいに! つまりインクにも情報を読み取る力がある、インクが彼女にとっての触覚なんだ。だが膨大な情報を取得してずっと維持し続けるのは難しいはず。ある程度目的を意識的に持つことでフィルターを調整してるのかもしれない」

 

 ……こうして、調べれば調べるほど()()()()()ことばかりが増えていって非常に! 不快だッ!

 とはいえ、有意義な研究対象であることには違いない。今後も時間が空いたらアイアンマンスーツの次の次の次くらいに研究してみるのも、まぁ、悪くはないだろう。確かに値千金の価値がある、かもしれない。報酬は…でもやっぱり形だけでも欲しいな、形式上。それは彼女も理解してるだろうし…うん。オマケに強化パーツとか作ってあげるから、ね!

 それに、弱点…というか、まぁ液体である訳だから液体窒素とかで凍らせれば動きは止まるってことがわかった。インクだしな。暴走時の対策に組み込める。アイアンマン洗浄装置の次に冷却機能でもつけてみるか。

 

 無給で研究された腹いせに、流行りのタピオカチャレンジをさせたら我らが社長ペッパー・ポッツは成功したけどレイニーは案の定大失敗。そりゃあもう、ストーン!とオリンピックの飛込競技で落下する選手みたいにタピオカが胸から落っこちたさ。

 

 多少でいいからその胸インクで盛れよって言ったら腹パンされた。ちょっと効いた。

 あとペッパーにはデリカシーがないと言われて伝説の左ストレートが飛んできた。すごい効いた。

 

 

 痛い。

 

 

 

 

 






時系列的にはダクワ前です、つまり全裸教授はまだ地上波に流れていない
ダクワ観るとIW序盤で亡くなったヘイムダルの有能さがすごいわかる。惜しい人がバッタバッタと死んでく。まぁ海外の映画って1で感動の再会した夫婦が2の序盤に事故で殺されたりするなんて超展開普通にあるからね、怖いね



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スパーリングとしばらくの日常

 

 

 

 Chapter 12

 

 

 

 USA Washington(ワシントン) D.C.

 S.H.I.E.L.D.本部 トリスケリオン内訓練所

 

 

「やぁラムロウ、失礼するよ」

 

「これはこれはピアース理事官! こんな場に来られるとは!」

 

「うむ、たまには訓練に励む兵士たちの顔を見てみるのもいいと思ってな」

 

 休んでいいぞ、とモニター室に入るなり起立して敬礼するブロック・ラムロウに手を振り敬礼を解く。

 アレクサンダー・ピアース。S.H.I.E.L.D.の理事官であり、世界安全保障委員会との仲介役に任命されている男だ。

 

「どうだね、S.T.R.I.K.E.チームの選抜は」

 

「ええ、流石S.H.I.E.L.D.ですね。兵器の取り扱いもですが、何より対人戦闘経験がある生え抜きが勢揃いです。しかもあのキャプテン・アメリカと組むチームですからね、希望者殺到ですよ」

 

「ふむ、そうか」

 

 質のいいメンバーを選べるのはいいことだ、とピアースは首肯した。

 ───勿論、額面通りの意味合いではない。

 

 そも、キャプテン・アメリカと組む合同チームを立ち上げるのはサポートするだけではない。チームメンバーとして顔を合わせ、親交を深め、命がけの任務に臨めば知古故の絆が結ばれる。当然だ、互いに背中を預ける仲になるのだから。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 正直な話、例えば盾無しのキャプテン・アメリカに銃火器を持って立ち向かったとしても勝ち目はない。信じられない話だがそれをやってのけるのがキャプテン・アメリカだ。

 だが、チームメンバーとして接していれば、そしてその期間が長ければ長いほど、手にかける躊躇が生まれる。死合いの中でその躊躇は致命的、暗殺の刃がキャプテン・アメリカの喉元に届き得る事もあるだろう。

 

 つまるところ、S.T.R.I.K.E.チームはキャプテン・アメリカとの合同チームであると同時に抹殺チームでもあるのだ。だから戦闘技能においても選りすぐりのメンバーでなければならない。幸いにも、この場に集められているメンバーは皆ヒドラの構成員であり、S.H.I.E.L.D.で訓練を受けてきたエリート達だ。

 

 

 すべてはヒドラのために(ハイル・ヒドラ)

 

 

 S.H.I.E.L.D.が一枚岩ではないことは知ってるだろうが、まさか壊滅したと思われていたヒドラが潜り込んでいたとは思うまい。

 

 フューリーをS.H.I.E.L.D.長官に推薦し就任させたのも、ピアースがフューリーに命令できる権限を持つ唯一の人物だからだ。アベンジャーズであるスタークによってどんなに防御を固められようとも、暗殺の刃は既に喉元に食い込んでいる。いつでも消せるようなものだった。

 

「そうそう、今日は…()()ベンディが来てるんだって? 実は姪がベンディのファンでね。写真は無理にしても、サインとか貰えると嬉しいんだが」

 

「ええ、キャプテンの指示でどれくらい戦えるのか見てみたいとのことで…ま、流石にS.T.R.I.K.E.チームの候補生たちには叶わないでしょうけど」

 

 ラムロウはキャップに呼ばれたと嘯く()()を見て鼻で笑った。まだ10歳前後の少女だったからだ。何かの冗談だと思ったが、一応キャプテン・アメリカの紹介状が届いていたことから、半信半疑ではあるが誘われた本人だということで訓練室に入れた。

 そろそろ女の子の情けない泣き声がする頃だろうと思っていると、ピアースが怪訝な顔でモニターを覗き込んでいる。

 

「……全員、伸びてるようだが?」

 

「…あれ? ハハハハ…まさか」

 

 ウソだろ、と思いモニターを覗き込むと、来た時に着込んでいたパーカーを被ったままの女の子の周りで屈強な兵士たちが地に伏していた。

 未来のキャプテン・アメリカ抹殺チームのメンバーになる彼らが、だ。

 

 それだけではない。

 

 ベンディと名乗っていた彼女はある一点を見つめている。その方向を映し出すモニターを見ると、戦闘服に着替えて盾を携えた完全装備のキャプテン・アメリカが、不敵に笑っていた。

 

『子どもだからって手抜きされた感』

 

『そんなことは無いだろうが…僕とやろうか?』

 

『これも試験の一環?』

 

「ヤバイヤバイヤバイ」

 

「中々、面白くなってきたじゃないか」

 

 信じられない現実を目にしたラムロウが軽いパニック状態に陥る中、ピアースは愉快そうに映像が流れるモニターを食い入るように見つめた。

 

『そうだな、じゃあ…僕のマスクを取れたら勝ちってのはどうだ?』

 

『……なんでもあり? 勝ったら?』

 

『インクもありだ。勝ったらなんでも言うこと聞いてやる、全力で来い!』

 

『ん!? 今なんでもって!?』

 

 彼女(レイニー)が何やら興奮状態になると同時に、訓練室の上下左右、あらゆる壁面にインクの黒い染みが蠢いた。モニター室も同様だ。

 駆け出すキャプテンに合わせて走り出し、パーカーが外れたレイニーの頭からインクが噴水のように吹き上がる。巻き上げられたインクが流れ落ちる滝から、インクの悪魔(ベンディ)の巨体が牙を剥き出しにして現れた。

 

HENSHIN ! Ink Bendy ! Phase 3 , Perfect … !

 (変身! インクベンディ! 第三形態、完了…!)

 

『いきなりデカいの来たな…!』

 

 挨拶がわりにベンディの右ストレートが飛んできた。

 どしん、と生身の人間では到底鳴らせない拳打音が訓練室を揺らす。単純に考えてあのハルクよりも高い肩から振り下ろされる殴打の威力は半端なかった。訓練室の隅に逃げた候補メンバーたちの身体がふわっと浮き上がるほどだ。

 モニター越しですら感じる殺意満載の一撃は盾を使わず難なく避けられてしまったが、目の前で対峙するキャプテンはそれ以上のプレッシャーだろう。

 振り抜かれて隙だらけの脇腹にキャプテンの強烈なキックが入ったが、生身であれば絶対吹っ飛ぶだろう一撃はインクが少し溢れた程度で収まった。

 

「マジかよ」

 

「今の、両方とも絶対生身の人間に当てる力じゃなかったと思うんだが」

 

「我々であれば内臓の一つ二つはドカンですね」

 

 味方同士とは思えないガチっぷりだった。

 

 ベンディは拳を床につけたまま、それを支点にして仕返しとばかりに強烈なキックを繰り出す。流石のキャプテンもキックしてまだ空中にいたため盾でガードせざるを得なかった。といっても空中でそんなに動けるのが異常なのだが。

 するとどうだろうか、盾を蹴ったベンディは何故か困惑気味に首を傾げて足を押し出すが、足は足のまま、キャプテンは蹴られた勢いで背中から壁に打ち付けて床に倒れた。

 

……?

 

『ッハァ…どうやら、この盾は苦手らしいな』

 

One more

 (モウ一回)

 

 今度は床に撒き散らされたインクに手を突っ込むベンディ。すると態勢を立て直そうと立ち上がったキャプテンの目の前のインクだまりからベンディの巨大な手が飛び出し、まるでハエ叩きのような一撃が上空から迫る。

 

「いけ! そこだ! やれ!」

 

「ノリノリですね理事官」

 

 だがシールドバッシュの要領でキャプテンの盾がベンディの手のひらを弾くと、まるで痛みが伝わったかのようにジーンとベンディの体が痺れていた。

 

What's this !?

 (ソレ、何ダ!?)

 

『ヴィブラニウムだよ! 隙あり!』

 

GWAA !

 (グァ!)

 

 駆け出したキャプテンは助走をつけて跳ぶ(JUMP)──というより最早飛び上がり(FLY)、ビル3階の高さはあろうベンディの顔へ盾による重い一撃を食らわせた。

 低く呻いたベンディの巨体が仰け反り、インクを撒き散らして倒れると成人レベルの大きさまで縮んでしまった。

 

「ンン〜これは痛いな!」

 

「キミもノリノリじゃないか」

 

 ラムロウも拳を握り締めていた。

 誰か、ポップコーンとコーラ2セット持って来てくれ! と内線で頼む。受け取った事務員は困惑気味に了承し、大急ぎでモニター室に持ってきた。本部内に職員用のフードコートがあったことは幸いだった。

 

 その後も、まるでB級パニック系映画のような激戦は続く。

 いつの間にか、W.C.(ワールドカップ)に負けず劣らずの熱気と興奮がモニター室に充満していた。正真正銘手に汗握る接戦だ。

 

Gyu …… Coff , Well done , Capt

 (グゥ……げほっ、やるね、キャップ)

 

『キミたちもな……む、今のはレイニーの方か?』

 

It's my turn

 (今度は私が行くよ)

 

 成人サイズよりも少し小さくなったベンディが駆け出す。片身を前に出す独特の構えを取ったベンディに対抗してキャプテンもファインディングポーズを取る。ベンディは上半身の姿勢を維持したまま、後ろに伸ばしていたインクの足が鞭のように撓って(実際インクだから撓っていた)キャプテンの盾を持つ手と反対側の脇腹に突き刺さった。下から掬い上げるような蹴りはキャプテンの曲げていた肘を潜り抜けていたのだ。

 

『ぐっ…!』

 

 重くはない。

 背丈からしてもさほど力が乗ってない一撃だろうが、モニター越しに見るキャプテンは予測される以上の痛みを感じているように見えた。

 

「なるほどな、荒削りだが洗練された技で勝負か」

 

「とにかくキャプテンの負けた姿が見たい気分だ」

 

「わかります」

 

TSK !

 (疾ッ!)

 

 床に撒き散らされたインクに足を踏み入れるとその姿が消えて、すぐ別角度から瞬間移動したように現れたベンディの一撃が刺さる。盾でガードするにも、反撃のカウンターをお見舞いしようとも、攻撃を当ててはインクに消えるベンディの速さに付いていくのが難しいようだった。

 実際モニターではベンディが常時複数体いるように見えるので、一つが本体だとしてあらかじめ複数体実体のないインクベンディを出すことで一方的な攻撃を可能にしてるのだろう。

 

『ぐっ…オオオッ!』

 

 キャプテンが裂帛の咆哮と共に盾を縦横無尽に薙ぎ、眼前に立ち塞がるベンディの全てを吹き飛ばす。型崩れしたベンディたちは一人残らず、力無くインクへと還元されていった。

 

 周りに複数の偽物が模っているなら、吹き飛ばせばいい。力に物を言わせた戦いだがそれを可能にするのがキャプテン・アメリカだった。

 だが流石のラムロウでも確信する、ベンディはその大振りの一撃を誘っていたと。

 

 次の瞬間、キャプテンの背後のインクだまりから両手を広げたベンディがマスクを外さんと迫っていた。

 大勢の偽物を目くらましにして本命が背後から突く、いい戦術だと感心したラムロウだが、同時に自身でも憎たらしいことに、これでもやられないのがキャプテンだと思っていた。

 

 大振りしたキャプテンは後ろに目が付いているとでも言わんばかりに腕を振るい、投げ出された盾はベンディの首に突き刺さった。

 

Goha

 (ごはっ)

 

 ベンディは盾が刺さった首をうまくインクにすることができず、投げられた盾の勢いのまま壁にめり込んだ。一緒に右手首も巻き添えを喰らい、首と一緒に壁に磔にされていた。苦しいアピールで並びのいい歯から舌がベロンとまろび出る。

 

『もうインクの位置は確認済みだよ、それになんとなく後ろからくると予想はしていた』

 

…… Then , How about this one ?

 (……なら、これはどうかしら?)

 

 盾を回収しようと、インクを踏まないように注意深く歩いていたキャプテンの歩みが止まる。驚いたキャプテンの足元には、片目が潰れ右足がプランジャーにされた情けない顔のモンスターと、千切れた頭部がクレーンのようなもので吊り下げられた片目のモンスターがレンチを駆使してキャプテンの足を固定し動きを封じていた。

 インクだまりから身を乗り出して体を目一杯伸ばして頑張って妨害しているが、ギリギリ片足がインクに突っ込んでいる状態だからか不安定そうだった。

 

『こいつらは…!』

 

Piper and Fisher ! Now or never , Striker !

 (パイパーとフィッシャーよ! チャンスだストライカー!)

 

 インクだまりから、口を縫われて頭部の正中線に沿って移植された口が開いた、三本の腕を持つモンスター、ストライカーが勢いよく飛び出す。トビウオのように跳躍したストライカーは身動きが取れないキャプテンの頭目掛けて三本の手を伸ばす。

 まさか、と緊張で乾いた喉を潤すために飲んでいたコーラとポップコーンの箱を握り締めたままの手が止まる。

 

 まさか、一発逆転キャプテンに勝ってしまうのか?

 

 これがビギナーズラックというものか?

 

 足に群がるモンスターの拘束から逃れようとするキャプテンのマスクに、懸命に伸ばしたストライカーの手が掛かる。

 

 勝負の行方は、果たして。

 

 

 

 

 

 Chapter 13

 

 

 

「…う、む…久々に、少し効いたな…」

 

「はいはい、これ湿布」

 

「ありがとう。……これ、どうやって貼り付けるんだ?」

 

「あー、昔は湿布とかなかったのね」

 

 こうするの、とレイニーが湿布の裏側の透明ななにかを剥がすとそのまま僕の脇腹にぺたりとくっつけた。すごい、貼り付ける部分を透明なシートか何かで保護していたのか。

 

「ごめんなさい、そんなに痛かった?」

 

「この前来た連中(宇宙人)のビームよりは効いたよ。こう、体の内側に響く感じだった。内臓を揺らされた気分だ」

 

「割と修行の効果出てた…」

 

 修行? そういえばレイニーがS.H.I.E.L.D.に来る前に何をしていたのか知らない。事故で行方不明になってから何処へ消えたのか…興味はあるが、聞いてもいい内容だろうか。

 修行、と聞こえたらしく、レイニーは両肘両膝、そして頭からインクで模った壺のようなものを生やして、両手を前に突き出し椅子に座ったような姿勢を取った。それは一体…?

 

「これ、修行。甕に水がいっぱい入ってて溢れたらダメ」

 

「それは…何というか、シビアでいいな。今度やってみようか」

 

「キャップ…スティーブさんなら簡単だと思いますよー」

 

 ふむ、どうだろうか。

 多分各関節部に荷重を加えつつ同じ姿勢を維持することで体幹トレーニング、基礎筋力を底上げすることを目的にしてるように見える。

 

「レイニー、頭のやつ残ってる!」

 

「あらら」

 

 シュッと頭に乗っていたインクの瓶が引っ込んだ。なんともシュールなワンシーンだった。

 しかし、改めて荷物を整理して綺麗になった部屋を見て感慨にふける。

 

「まさかキミが僕と一緒に住むなんてね」

 

「ある意味一番安全なセコムだと思いますよ」

 

「セコム…? 安全と危険が隣り合わせじゃないか?」

 

「そうとも言いますね」

 

 あまり豪語するつもりはないけど、キャプテン・アメリカの名はアメリカじゃビッグネームだ。トニーだったら有名税とか言いそうだけど、そのせいで善悪問わず人が集まってくるのは…なんとも、コメントし難い。

 僕は、ただ守るために戦っただけなんだ。でも、戦うことは多くの人々に爪痕を残すことになるとわかった。それは敵も味方も、同じ。

 

「連絡先教えたので、いつかナターシャさんとバートンさんも来ますよ」

 

「本当に? それは楽しみだな」

 

「あとバナーさんも」

 

「…スタークとソーは?」

 

「インクで臭いしばっちぃから遠慮するって、失礼な。あと最近調子悪いみたいで暫くは静養するみたい。ソーさんは携帯端末持ってないから連絡先わからないし、まずこっちに戻ることがないっぽい。戦争なりなんなりでてんやわんや」

 

「戦争か…ところで、何してるんだ?」

 

「今日の晩御飯」

 

 何やら美味しそうな匂いがすると思ったら、料理してたのか。みんなーとレイニーが号令をかけると、ついさっき接戦していたモンスターたちが料理を載せた皿を持ってテーブルへ運んでいた。見た目は…本当にモンスターみたいだけど、彼女(レイニー)には従順だから悪いヤツでもないらしい。

 ゴトゴトとテーブルに料理が並べられていく。麺とか肉とか白い細々としたものとか、どんな料理名なのかよくわからないものがたくさん並んでいってる。ハンバーグはなんとかわかる。

 テーブルいっぱい、所狭しと料理が並べられていってモンスターたちが彼女(レイニー)へと還っていく。コップと瓶ビールとコーラ瓶を持ってテーブルに着くと、あれれ、作り過ぎた? とレイニーが首を傾げていた。

 

「大丈夫だ、今日は身体動かしてお腹減ってるからね」

 

「それはよかった…ちょっと今更になって緊張してたのかも…」

 

「え?」

 

「なんでもない」

 

 レイニーも座ったので、目の前の料理に手をつけていく。白い穀類と茶色のスープに、色々な香辛料を混ぜたような料理だな、香ばしい…口に入れると、辛味があるけど、美味しいな!

 

「これ、もしかしてカレーか?」

 

「カレー…あれ? 食べたことなかったんですか?」

 

「家で食べたなんて遠い昔だからね、それにこんな味付け初めてだ。口の中はレーションの味くらいしか残ってないし。じゃああれと、それは?」

 

「ペペロンチーノと青椒肉絲。隣の白くて丸いやつは小籠包で、その横の揚げ物はシュニッツェル、真ん中のエビとか貝が乗ってるのはパエリア、カレーの横にある白い野菜はムラコアチャールです…米割合多っ! カップに入った棒状の野菜はバーニャカウダです、お好みのソースにつけて手で食べられますよ」

 

「この家の料理長はキミだな、僕は料理が…その、あまりできなくてね…戦場ではレーションとか缶詰とかしかなくて」

 

「まぁ──家に親がいないときの方が長かったから、基本自炊だったんですよ。で、暇だったしそれなりにお金もあったので料理のレパートリーを増やしたりしてました」

 

「なるほど。そういえばこう言うのもなんだが…キミ、腹は減るのか?」

 

「もちろん。というか、忘れないためですね」

 

「忘れない?」

 

 ナイフとフォークを上手く使って切り分けたハンバーグの一切れを口に含む。掛けられたホワイトソースが美味しい。

 

「ヒトとしての営みを辞めてしまったら、私はヒトでは無くなるから。

 なりたての頃は、まず身体を維持できなくて常にアメーバみたいな状態だったんですよ。物を掴むのも難しいし足で歩くなんて意識もなくなっちゃって、なんか別の生物になったみたいで…食べ物もインクに落としてくれればあとは消化できたんですけど、それはヒトの営みじゃないでしょう?」

 

 たしかに、それは人というより獣か何かだろう。しかし…そうか、肉体が液体だとまず人の形を維持することも大変だったんだな。

 

「だから、比較的ヒトとしての姿の時間は多くするように気を配ってるんです。私はインクの化け物だけど、それでもまだヒトとしての心があるって、まだ人間であるって認識するために。

 私の中の悪魔に、乗っ取られないために」

 

「…キミとベンディは、今はどんな状態なんだい?」

 

「少なくとも誰彼構わず襲おうとかそういう状態ではないですよ。例えると…私っていう意識とベンディっていう意識が常に綱引きしてる状態なんですけど、意思や意識、殺意を強く持つと綱引きの力が強くて体の主導権を握られちゃうんですよ。今は落ち着いてるんで、お互い弱い力で維持してますね」

 

 なぜ落ち着いてるかはわからないが、今は平気ということらしい。

 ベンディは、たしかに危険な化け物なのかもしれない。でも、死にかけだった彼女(レイニー)の命をベンディが繋いだのだから、理由は何にせよ悪いだけの存在ではないような気がした。復讐を原動力にしてると声を大にしていたけど、(ベンディ)自身にはどんな過去があるのか、僕は知らない。いつか知ったとして、そのとき僕は彼らの力になれるだろうか、若しくは彼らを止められるだろうか。

 

「しかし…ぬわ──! もうちょっとで勝てたのに! 悔しいー!」

 

「ハハハ、二回り以上も年下の子に負けるわけにはいかないさ。最後のはヒヤッとしたけどね。アレらは何だったんだ?」

 

Butcher(ブッチャー) Gang(ギャング)のこと? 彼らは私の中の住人たち…みたいな?」

 

 住人? それは、どういうことだろうか。

 レイニーはペペロンチーノを頬張るとむーんと唸り、

 

「簡単に言うと、私のガワはマンションみたいなもので、その中にベンディやアリス、ボリス、パイパー、フィッシャー、ストライカーらが住んでる感じです」

 

「ふむ……あぁ、そういうことか。でも、そんなにたくさん意思があって大丈夫なのか? 混乱とか、混線、とか…?」

 

 レイニーはカレーを目の前に持ってきて、白い穀類とルーの境界をスプーンでかき混ぜていく。こんな感じに、と言って、

 

「昔は〝私〟って個がぐっちゃぐちゃになって大変でしたよ。精神的な修行をしてきたお陰でなんとか取り戻せたんですけど、一度ぐちゃぐちゃになったせいで治った結果ほかの意思も混ざってるみたいで…ほら、こんなお喋りする子どもとか、見たことないでしょう?」

 

「…それは、たしかに」

 

 スプーンで掬い上げたカレーは白も茶色もごちゃごちゃになったカレーだった。僕も試しに混ぜて食べてみると、今までとはまた異なる味がして新しい発見だった。

 

「〝健全なる精神は健全なる肉体に宿る〟」

 

「?」

 

「僕が訓練兵時代の時に上官が口にしていた言葉なんだ。何かの引用かどうかはわからないけど。でもそうだな、筋トレして体力をつけるのもいいんじゃないか? ニューヨークでも最後はヘトヘトだったろう」

 

「一応最初はナターシャさんの肩借りてたんですけどね…やっぱり体力不足は致命的かぁ」

 

「キミの体はインクだけど、僕のヴィブラニウムの盾だとダメージあるようだからね。今でも強いけど、いざ力が使えなくなったときに体力に余裕を持って反射レベルで敵に対応できるようになれば……あ、ごめん」

 

「え?」

 

「…キミは、あまりに大人びてるから忘れがちだけど、まだ10歳前後の子どもだ。だから、別に無理しなくてもいいのに…僕は何を言ってるんだ…」

 

「いえ、それはもうナシですよ」

 

 え? と顔を上げると、小籠包にかぶりつきながらレイニーが美味しそうに咀嚼していた。

 

「私はもうアベンジャーズで、S.H.I.E.L.D.のメンバーで、エージェントですから。覚悟はできてますよ。誰かの足を引っ張ることがないように、体力づくりは必要だと思ってましたし」

 

「あまり、無理はしなくていい」

 

「…なんか、むず痒いですね。今まで誰にもそんな真っ当なこと言われたことなかったので新鮮です」

 

「周りに常識人が少なかったんだろう」

 

「そうかもしれません。でも、もう私自身が非常識の塊みたいなものですし。それに、基礎体力の向上次第でできることも、効果や純度が上がるかもしれませんし!」

 

 あはははと軽快に笑う彼女だが、無理しているというより困惑してるのかもしれない。確かに、死にかけて悪魔に取り憑かれて修行なんかしたら〝普通〟がわからないのも、無理ないだろう。

 彼女がそういう星の元に生まれたとか、言い訳はたくさんできるけど、できればそんなありきたりな口実で諦められたくはないと思ってしまった。

 

 

 僕も、彼女も。似て非なる境遇ながら、〝普通〟を歩むことが難しい人なんだ。

 

 

「そういえば、最近は何やってるんだ?」

 

「ん? 勉強。学校通ってなかったから。通信制ですけど」

 

 短期だけど、実力ある人はちゃんと評価してくれるのがこの国の美徳だね、と上機嫌に語った。

 …今のって、割とありふれた家庭の日常会話なんじゃないだろうか。

 

「あと、部署の差し止め申請? 最近〝ゴースト〟っていう年の近い子と友達になったんだけど、厄介な体質直したくて嫌々暗殺任務やってるっぽいから、辞められたらいいなーって思って。テレビ電話で、勉強と一緒にバナーさんに物理学とか生物学とか色々教えて貰いながら、インク頭回してどうにかできないか考えてます。同じマンションのシャロンさんにも協力してもらってますね」

 

 前言撤回、これは家庭の日常会話というより任務報告だ。

 

「やってること多過ぎないか?」

 

「…そうかも。一応リスト作って順序立ててタスク処理はしてるんですけど」

 

 そう言って、レイニーはポケットから手のひらサイズの小さなメモ帳を取り出した。なるほど、そういうものもあるのか。

 

「僕もそれやろうかな」

 

「メモ? なんで?」

 

「こっちにくると色々変わってることもあるからね。リスト作っておけば、あとで端末で調べられるからね。便利な世の中になったものだよ」

 

「いいと思いますよ。トニーさんのびっくり便利発明は毎回すごいけど、そういうのより昔の人が集積回路を発明してコンピュータ作ったりネットワークを構築したり、自動制御装置で宇宙へ行ったりできる現代の〝当たり前〟を築いたっていうのすごいですよね、文明の転換期って言うか」

 

 …確かに、彼女との話は普通の家庭とは縁遠いかもしれないけど、これはこれでいいんじゃないかと思う。

 

 

 

 

 

 Chapter 14

 

 

 

『ハロー、レイニー。今何やってる?』

 

「足でペン回ししつつ課題やってるー」

 

『…本当に何やってるの?』

 

「ちょっと器用さのパラメータ上げてコープランクを昇格させたくて…」

 

『留守電のメッセージ、無視して良さそうね』

 

「ごめん、ごめんなさい! ちょっと一人だったから悪ふざけしたくて!」

 

『そういうところは年相応に子どもっぽいわね…まぁいいわ。それで用件は?』

 

「急ぎって訳じゃないんだけど、実は二つほど調べて欲しいことがあって」

 

『…内容は?』

 

「人探し。足取りだけでいい、今度会ったときに教えてくれると嬉しい。

 一人目はヘンリー・スタイン。1920年代から30年代にかけてアニメーターをやっていたらしいんだけど亡くなってるのか存命中なのかわからないからそれを知りたい。ベンディがすっっごい圧かけてくる。

 二人目は」

 

『待って。その二人目からすごいイヤな予感するんだけど』

 

「──二人目は、エニシ・コールソン。入籍前の名はエニシ・アマツ。私のお母さん……で、多分ナターシャさんが間違えた人」

 

『…あぁ……イヤな予感的中…』

 

 

 拝啓、天国にいないパパン

 

 アナタはどんな人と結婚したんですか?

 

 

 

 

 






 追記:キャプテン、101回目の誕生日おめでとう!!(7/4)




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A.D.2014 She Seeks Justice in WA
心理的ペラモルフォーシス



 お気に入り感想評価誤字報告感謝


 

 

 Chapter 15

 

 

 

 某日

 

 別宇宙 神々の国アスガルド 地下牢

 

 

「……お前は何者だ? どこから入ってきた?」

 

You have many questions . You can't get along with a woman very well . First of all , Tell your name from yourself ?

 (お前は質問が多いな、レディへの扱いがなってない。まずは自分から名乗ったらどうだ?)

 

「私は、オーディンの息子ロキだぞ! そんなことも知らないとはとんだ田舎者だな!」

 

You're polite .My name is Alison Conner …… I’m fine with Alice

 (ご丁寧にどうも。俺はアリソン・コナー……アリスでいい)

 

「アリス…? フン、その見た目、大方ベンディとやらの仲間か何かだろう…そうか、あの時私に取り憑かせていた訳か」

 

Exactly . Whatever I will follow you for a while , Because it is said that you should be free

 (その通り。ま、自由にしていいと言われているからしばらくはお前に着いていく)

 

「は? おいおいおいお前は馬鹿か? 私たちは、破れない、牢屋に、収監されてるんだぞ! それにお前なんぞが着いてたら私の迷惑だ! とっとと失せろ!」

 

It's impossible because it is in a prison that can not go out . Let's play game to kill time

 (失せたくても出られない牢屋にブチ込まれてるようじゃ無理だ。暇つぶしにゲームでもするか)

 

「…ゲームだと? ハッ、狡知の神であるこの私にゲームを挑むとは! 愚かさも極まったものだな! 所詮は下等な知的生命体か!」

 

I have a playing card , Do you play poker safely ? Speed is not bad either . Anyway I can get out of prison

 (トランプもあることだし、無難にポーカーにするか? スピードも悪くないな。牢屋から出る〝時〟も、そう遠くはないだろう)

 

「…なぜそう言い切れる?」

 

There is that plague god Thor , Do you think that nothing will happen in Asgard ?

 (あのソーとかいう疫病神がいて、このアスガルドで何も起こらないと思うか?)

 

「……同感だな。それじゃあ、何からやる? おっと賭けの清算は、牢屋を出てからにしようか。私の記憶力をナメない方がいい。

 やるからには、本気で遊ぶ」

 

…You're nobody's fool

 (…抜け目のない男だ)

 

 

 

 

 

 

 Chapter 16

 

 

 

「…私の司令室で何をしている」

 

 トリスケリオン上階に位置する司令室に戻った私は、若干の苛立ちを抑えてそう口にした。

 

 例えばの話だ、自分の部屋(パーソナルスペース)で小さな子どもがおもちゃを広げて遊んでいたら、どんな大人でもまず叱るだろう。かく言う私もそれは例外じゃない。無断で入られて、おまけに我が物顔で部屋を占拠されていれば誰だって怒る。

 

 だが、私は寛容だ。執行猶予付きで弁明の余地くらいはくれてやる。勿論話は聞くだけだ、許す気は微塵もないが。

 

「──んー? あ、長官どうも。見て見て!」

 

 入り口に背を向けてた子ども───レイニー・コールソンは、私の顔を見るなりおもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃいで──空間投影された3Dモデルの銃を()()()見せてきた。それは以前、スタークから貰った小型の3D立体投影装置か。ネットワークに接続して検索したものを映し出し、実際に触れたような質感もあるハイテクマシン。子どもが手にするには過ぎた代物だな。

 

 そして銃も一目でわかる。M249 Para、米国で国産化されたミニミ軽機関銃。民間でもそこそこ出回ってる。それなりの資金を持つ組織でも調達可能なありふれた銃だ。

 

「いっくよー…」

 

 レイニーは投影された原寸大ミニミを手に取り、いきなり銃の右側面を叩くとがぱっとアッパーを持ち上げて、中に入っていた弾帯を外して見せた。そのままあれよあれよとスプリングガイド、スプリング、シリンダー、ピストンをポンポンと分解していく。子ども由来の小さな手だからこそできるのかもしれないが、その素早い手技は流石の私でも目を見張った。

 

「おわりっ! ……っし、自己ベストタイム更新だやたー! フゥー!」

 

「はっはっはそうかおめでとう。とでも言われたいのか?」

 

「え? ううん、そういうわけじゃないけど」

 

 時間を測ってたのか、分解が終わったと同時に鳴り響いたファンファーレを聞いて舞い上がるレイニーを睨む。

 貴重な時間を無駄にさせたな、温厚な私でも怒る時は相応の痛みが伴うとこの場で教えてやってもいいんだぞ。

 

「私の部屋を遊び場にするな。子どもは出ていけ」

 

「遊び場じゃなくて勉強場。それに、ここにいれば命令が来ればすぐ行けるでしょ。ナターシャさん風に言うと、女の勘ってやつ?」

 

「下衆の勘繰りとも言うがな」

 

 生意気そうに口をへの時にしてデスクを指差すと、とてもじゃないが大の大人ですら手に取ることも躊躇われるような分厚い洋書がいくつも開いた状態で置かれていた。

 

 遊び場でも勉強場でもどっちでもいいが、そういうのは他所でやれ。

 

 兎に角片付けろ今すぐにだ、と若干息を荒らげて脅すとへーいと気の抜けた返事が返ってくる。ここから出禁にしてもいいんだぞ。

 

「でも、ここ(フューリーのお部屋)にいればすぐ任務に行けるし、勉強道具を置いても誰も捨てないし無駄に広くて明るいから便利なんですけどね」

 

「個人の利便性の為に別の人間が不自由を強いられる現実を直視しても、まだやるか?」

 

「私、留守電の点滅ライトを見るの嫌なんですよ。下らない徴収とか宗教の勧誘とかじゃなくて、ちゃんと用があったのに電話に出れるタイミングじゃなかった申し訳なさ感が。配達のお兄さんごめんなさい…すっぴんでも出るから…」

 

「だったらその罪悪感を私に向けたらどうだ」

 

「……え? 長官に?」

 

「どうやらハードなおしおきが必要なようだな」

 

 ひゃー、と白々しい悲鳴が上がる。たとえ外見がかわいらしい子どもであっても容赦しないのが私だ。以前はそれで痛い目を見たからな。

 レイニーも反省したようで、私が腕を組んでじっと睨んでいると端正な顔をぶすっと歪ませて渋々私物を片付け始めた。しばらくして、ようやくデスク周りが片付いたところで窓際の椅子に腰掛けると足に何かがぶつかった。おい、まだデスクの下に本が落ちてるぞ。

 

「一体、なんの勉強してるんだ」

 

「え? あ、あぁ。さっきのは銃の分解。ただ飲み込むだけならベンディでできるけど、容量オーバーとか来ると吐いちゃうこともありそうだし、いざってときに分解しちゃえばすぐには誰も使えない。トニーさん以外はね」

 

「そもそも、スタークに銃なんぞ要らんだろう。彼にはアイアンマンがある」

 

「わからないですよ? スーツ使えない時とか、ああいう人は、なりふり構ってられない時とかはなんだって使うって覚悟してきてる人ですし」

 

 …そういえば、彼はそんな男だった。去年、彼の秘書が誘拐されて誰にも相談せず一人で敵の本拠地に潜り込んだときは銃を使用したと話していた。

 デスク下に落ちていた分厚い洋書を眺めるが、明らかにワシントンで入手が難しいものだった。ベンゼン環のようなものとその名称が何百ページに渡って綴られている。

 

「…この本はなんだ?」

 

「んん? それ、おくすり帳。毒とか見分けるやつ。作用副作用禁忌と…あと、飲み合わせ? 右手がロボットのイケメン先生に勧められた」

 

 それはスタークの親戚か何かか?

 …いや、アイアンマンなのはトニー彼一人だった。スタークをアイアンマンの家系のように話すのは語弊があったな。

 

「…その手に持ってる、黒い背表紙の本は」

 

「スパイの秘訣。家にあった本だけど勉強になる。手記だけどよくまとめられてるから、少しずつ解読して読んでる」

 

 家にあったということは、コールソンの私物か? いやそんなものを持っていた記憶はないし彼がそんなものを残すとも考えにくい。

 となると、前の所持者は…()()ということになるか…

 

 だがそんなこともお構いなしに、レイニーはじゃじゃん、と言いつつとあるページを突き出す。読めって言いたいのか…と思ったが、複数のマスが縦横に不規則に並べられているだけだった。まるで、雑誌に掲載されたクロスワードパズルだな。切り抜きか?

 

「それは、私に見せてもいい内容なのか」

 

「うん、まぁ…変わった書き方してるから、まずは読み解くことから始めないといけないし。長官もぱっと見じゃわからないでしょ?」

 

 そもそもクロスワードを読めという方が無理な話だ。だがレイニーにはそうでもないらしい、子ども故の世間知らずなのか馬鹿なのか…。

 いや、彼女は決して頭が悪いわけではない。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということか…? これ以上の考察は無意味だし、時間の無駄だ。やめよう。

 

「最近はどうだ?」

 

「少し前にピアースさんから映画観せてもらった」

 

 ……話題が斜め上過ぎて困る。

 贅沢な女だ、私を私用で困らせる人間はそうそういないぞ。

 

「内容? うーん…動く赤いオニのお面被った感じのヤツだった。多分…『見えざる脅威(ファントム・メナス)』だった気がするけど、あれもしかして『クローン・ウォーズ』だったのかなぁ…ライトセイバー振り回してなかったし、世界観も近現代の戦争をモチーフにしてたと思う。何故か観た後すごい気分悪くなったから、口直しに『魔界帝国の女神』とか『プラン9』観たら治った。ピアースさんには悪いけど、あんまり面白くなかったよ」

 

「…そうか、そのタイトル全然知らないんだが最近の映画か? ピアースは、どんなタイトルの映画を勧めたんだ?」

 

「え? うーん…白いディスクに『B・W』って書かれたテープが貼ってあったけどあれがタイトルだったのかな…ブラックホワイト? ……どっかのC級映画でしょ。有名映画のタイトルをもじったなんちゃって低予算映画とか、洋ポルノエロ映画とかそういう(たぐい)だった気がするし」

 

「やめろ、わかった。わかったからもうその話題はいい二度と口にするな」

 

 本能がそれ以上レイニーに語らせてはいけないと囁いていた。決して、恐ろしくて遮った訳ではない。というか、キミはまだ未成年の筈だが? いかん、中身(精神)外見(肉体年齢)の差が大き過ぎる。

 レイニーの映画ネタもピアースの映画チョイスももう二度と話すべきではないな、これだけははっきりと言える。

 

 …久々に、嫌な汗をかいた。冷房が効いているのにじっとりとシャツが蒸れていて、酷く不快だ。

 上着を一枚脱ごうとしたその時、内ポケットから端末の震えを感じ取りすぐにメッセージを確認した。

 

 

 ああ、そうなったか。

 私も大概だが、キミ(レイニー)の勘も馬鹿にはできないな。

 

 

「レイニー」

 

「ん?」

 

「任務だ、荷物はいいからすぐS.T.R.I.K.E.チームと合流しろ」

 

「了解」

 

 ───レイニーには裏表というものがないが、任務となると素の状態のままスイッチを切り替えるタイプだ。私生活とエージェントとしての振る舞いを分けられず苦悩する人間も少なくはないが、レイニーは無意識かつ意識的に切り替えられるらしい。実際、先ほどのレイニーと今のレイニーが纏う空気…雰囲気に、差異は見られない。今も、少し片付いた本をまとめてデスクの端に置いて、屈んだときに床に突いていた膝を叩いて汚れを取る姿はストリートにいる子どもと遜色ない姿だ。

 

 私が言えた義理ではないが、とても任務に行く前の姿には見えない。

 

 いや、そもそもまだ10歳前後の少女が戦場へ赴くこと自体が異常とも言えるか。見た目に騙されて油断してくれれば御の字だが、昨今のテロリストは女子どもにも容赦ないからな。ただの少女であれば、声を上げるよりも先に銃弾が脳天を貫くだろう。

 

 だが、彼女には力がある。

 

 そして我々は世界を守るために、その力が必要だ。

 

 これでもまだマシな方だ。アベンジャーズ計画発足当初、世界安全保障委員会の連中は脅威と危険性を危惧して拘束・監禁、もしくは駆除・殺害も視野に入れていたからな。ここ2年の働きもあってそういう声は減ってきてるとピアースから聞いているから問題ないとは思うが…

 

 刺客を差し向けて任務中の暗殺、という可能性も無視できない。

 

「帰ってきてちゃんと私物を片付けろ、いいな」

 

「えぇー、いいじゃないですかどうせ私以外にその背の低い綺麗な長机使わないでしょ。こんな高いところまで、滅多にお客さんが来ることも無いでしょうし」

 

「景観の問題だ。それと、私の気分だな」

 

「帰ってきたら片付けますよっと」

 

「必ず、帰ってこい」

 

 ぱたぱたとはためかせた袖で扉を開けたまま、首だけ回したレイニーの丸い黒瞳がこちらを向く。鳩が豆鉄砲を食らったような顔とでも言って笑ってやろうか? おいおいそんな珍獣を見るような目で私を見るな。

 驚いているのか、意外と思っているのかもしれないが、キミは部下の忘れ形見でもある。やむを得ない状況であれば切り捨てることもあるだろうが、そんな状況にならないように私だって尽力している。

 

 壁掛けの時計の秒針が動く音が聞こえるくらい静かな時間がほんの少しだけ流れて、耐えられなくなったのかレイニーは相貌を崩すと口角を釣り上げて笑っていた。私らしくないとでも思ってるんだろう、察せるだけの情緒はあるんだろうが、そういうところはまだまだ子どもだな。

 

「長官は心配性ですねぇ」

 

「まだまだ他人に心配されるほど未熟だということを自覚すべきだな。約束をすっぽかされては、私の仕事が増える」

 

「ハイハイ、そういうことにしておきますよ」

 

 さっさと任務に行けと目で伝えると、レイニーは肩を竦めて私の部屋から出て行った。

 …S.T.R.I.K.E.チームだけではない、スティーブも付いてる。別件でナターシャもいる。レイニーもベンディとしてこの2年間、S.H.I.E.L.D.として極秘任務に携わり失敗することなく帰って来た。2年前と比べて体も大きくなり、スティーブやチームメンバー達と同じ訓練もこなし体力も技術も大幅に伸びた。先の銃の分解だってその内の一つに入るんだろう。

 

 愛着が湧かないといえば、嘘になる。

 

 子と親というよりは、ペットと飼い主のようなものだろうが。それでも、身近で成長を目の当たりにすれば、不要と切り捨てるべき〝情〟が湧いてしまうのは、私がまだ冷酷になれないからだろうか。

 

「…もう2年か」

 

 チタウリの連中がニューヨークに襲来してから、2年。

 レイニーがベンディとして活躍してから2年。

 成長期の子どもは大人も驚く勢いで、葦のようにすくすく育つ。それはレイニーも同様、依然として体は貧相だがな。おっとそんなこと言ったらまたマリアに叱られるか。

 

 まぁ、彼女(レイニー)の場合は2年前から精神が早熟傾向にあっただろうが、ここ2年S.H.I.E.L.D.のエージェントとして働き我々との交流を経て、以前より輪をかけて口が達者になったようにも思える。

 

「…捨てるのは、待ってやるか」

 

 部下と上官という立場としての約束でないことは、私にもわかってる。決してこの荷物を片付けるのが面倒だからとか、ものぐさな訳ではない。自分で散らかしたものは自分で片付けるという習慣を教えてやらねばならんからな。

 

 そう思いデスクに備え付けの引き出しを引くと、この部屋で一度たりとも聞いたことのないプラスチックを擦り合わせたような音が響いた。

 

「………」

 

 …車、バイク、船、戦車のプラモデル。ヘリキャリアにクインジェットもあるな。最近は小さくて細かい部品でできたものも多いんだな。任務ばかりで暇人の道楽を嗜む暇もないからな。ありがとうレイニー、大変勉強になった。誰も教えてくれと頼んでないし、教わるつもりもなかったがな!

 

「ほぅ、よくできたアイアンマンのプラモデルだな」

 

 数あるプラモデルの中で一際目立つ。まるで本人の目立ちたがりな気質が乗り移ってるようだ、決して比喩でも誇張でもない。

 赤と金のメタリックカラーなアイアンマンのプラモデル。最早怒りを通り越して呆れる始末だが、関節は指先まで一本一本曲げられることに感心した。最近の玩具も侮れないな。精緻な造形のアイアンマンのプラモデルを裏返すと、トニーの筆跡のメモが貼られていた。

 

 

 

『このアイアンマンはマークいくつでしょう? 当てたらご褒美をあげよう by T. S.(トニー・スターク)

 

 

 

 こめかみの血管がブチ切れる音がした。

 

「そんなもの知るか!! どれも同じだろうが!!」

 

 

 

 

 

 Chapter 17

 

 

 

 インド洋上空を、S.T.R.I.K.E.チームのメンバーらを乗せたクインジェットが猛スピードで飛んでいた。スターク・インダストリーの技術の粋を結集した最新式次世代型戦闘機はどの戦闘機よりも高い性能を誇り、ワシントンからインド洋まで1時間半でひとっ飛びできるほどだ。

 快晴だったワシントンと比べて海上の天候は荒れやすく、インド洋も雨に見舞われた。霧が立ち込め視界が悪いにも関わらず、目的地に辿り着けることも、機体性能の評価として高い。

 どれだけスピードを出しても悪天候のなかを飛ぼうとも、ちょっとやそっとの衝撃では決して揺れることのないクインジェットの中で、S.T.R.I.K.E.チーム、スティーブ・ロジャース、ナターシャ・ロマノフ、レイニー・コールソンは作戦内容を確認していた。

 

「敵は何人?」

 

「25人。リーダーはG(ジョルジュ)・バトロック。インターポールが指名手配中。人質は殆ど技術者だが、ジャスパー・シットウェルという士官が一人いる。場所は調理室だ」

 

「…よし、バトロックは僕が探す。ナターシャは船を。ラムロウは船尾から、レイニーは侵入したら協力して人質の救出を頼む。人命最優先でだ、できるか?」

 

「問題ないよ。敵の所属は?」

 

「主犯のバトロックはフランスの元工作員だ」

 

「じゃあーFA-MAS(ファーマス)とかスイスの550、拳銃だと──メジャーなのはベレッタM92かな、イタリアの銃だね。こう、と、こう」

 

 レイニーは目を瞑りながら銃の種類を思い出して脳裏に思い描く。弾丸を暴発させることなく巧みに指先を動かし、時に細く伸ばしたインクを染み込ませて銃を分解するイメージをしていた。今言った銃の分解工程を反復しているとわかったナターシャは驚いて思わずレイニーに問う。

 

「…今の、もしかして銃の分解? 覚えてるの?」

 

「現行軍で配備されてる銃はなんとか。改造版とかヴィンテージとか宇宙人製の銃はさっぱり」

 

「むしろそれもわかってたら末恐ろしいな」

 

「心強いじゃないか我らのお姫様は。だがこれから行く戦場ではあまり役に立たんかもな。どんな相手でも躊躇はいらない、容赦はするなよ」

 

「了解」

 

 衛星打ち上げ船レムリア・スター号を視認できる距離まで近付くと、クインジェットのエンジンが止まり両翼のプロペラが起動して垂直飛行に移行した。

 中にいたチームメンバーらが高高度落下に備えて準備を進める中、スティーブとレイニーは柔軟体操をしていた。

 

「レイニーは勉強熱心なのね。でもそんなこと覚えてどうするの?」

 

「私の器用さはそのままインクに直結するから、腕を磨けば磨くほどできることが増えてってるのです。えっへん」

 

「ふーん…他にどんなことしてるの?」

 

「んー? えっとね、サクランボ口に入れてベロで輪っか結んだりしてる」

 

 レイニーは、この前輪っか二つ作れたーと舌をべ、と出して自慢げに話す。ナターシャは直感した、それが示す意味はわかってないと。

 まだ13歳の少女なのにやけに舌の動きが艶めかしく見えるのは、気のせいではない。

 

「…わぁすごい。これは相当のテクニシャンね、将来いいスパイになれそう。…男ども、何見てるの」

 

「っ……オイ、何見てるんだ。パラシュートの用意まだ済んでないだろ任務に集中しろ」

 

「えぇ!? 隊長こそ見てたじゃないですか!」

 

「…? ナターシャ、どういう意味だ?」

 

「これだから生きた化石は…」

 

 この場に意味がわかってない人物が2人いた。

 

「そういえばレイニー、アナタはパラシュート着けなくていいの?」

 

「大丈夫大丈夫。私が誰か知ってるでしょ」

 

「そうね、テロリストも震え上がるこわいこわーいベンディさま」

 

Bull's-eye

 (大正解)

 

「先に失礼」

 

 ベンディの姿になったレイニーの脇を、盾を携えマスクを被ったスティーブが通り過ぎる。歩くスピードを緩めることなくクインジェットのハッチに足をかけ、まるでコンビニに行く時のような歩みのまま宙に身を躍らせた。

 

Fly away

 (すぐ行くよ)

 

 レイニーも高所を怖がることなくハッチから身を乗り出すと、右腕の形を解いて細いインクの雫を垂らす。雫がやがて水量を増して一本の線になると、

 

I'm off

 (お先に失礼)

 

 しゅぽん、と音を立てて笑顔を浮かべるベンディの姿が消え、インクが垂れた地点───レムリア・スター号の甲板に、誰にも気付かれることなく静かに屹立していた。

 周囲が暗かったこともあり、インクの黒が目に映ることは殆どない。時間と環境も相俟って、天然の光学迷彩を着ているようなものだ。音も無く着地を果たしたレイニーをハッチから見ていたナターシャは、顔を引きつらせて空笑いしていた。

 

「……あんな悪魔が、こんな静かに空から降ってくるなんて私はゴメンね」

 

「同感だ。キャプテン同様、つくづく敵じゃなくて安心するよ」

 

「それ言えてる」

 

 様々な思惑を乗せた箱舟に、役者たちが集う。

 

 

 

 

 




「これがマークⅢ」
   「マークⅣ」
   「マークⅥ」
   「マークⅦ」
   「マークⅨ」
「全部同じだろ」
「ちがいますよーっ」
「これだからしろうとはダメだ! もっとよく見ろ!」





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インクフォビア

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 Chapter 18

 

 

 

 任務の後は、必ずシャワーを浴びるのが習慣だ。

 

 それは、多分、返り血を落とすとか、飛び散った内臓や脳漿、糞尿の臭いを落とすためとか、そういう意味合いじゃない気がする。そもそも私の体はインクだ、死体や糞尿にまみれようがこいつはくせえッ──! インクの匂いがプンプンするぜッ───ッ!! ヘイヘーイ。

 そう、つまり? インクの匂いしかしない訳だ。つまりどんなに足掻こうともインク、インク、インクしかない。かなしみ。匂いもインクなら汚れもインクだ。

 

「〜〜〜♪」

 

 別に体が汚れてる訳でも、臭い訳でもない。気分の問題だ。

 気分の問題。実に人間らしくて、まだ人間としての部分が残っていることに感謝だ。それもシャワーに流れてしまったら本末転倒なのでほどほどにだけど。

 

「───3分、まだ保つ」

 

 シャンプーの容器の隣に立てかけてある防水仕様のデジタル時計がようやく「03:01」を超えた。記録更新してるけどたぶん暑過ぎるとヤバいよね。

 頭から浴びてる少し熱めのシャワーを浴びながらちょいと二の腕を摘んでみる。ふよんと肉らしい感触がするけど、インクに溶けることはなかった。劇的な進歩…エボリューション! 私感動。

 

 2年前は、水に触れるだけでインクになって溶けちゃったからね。キャップと一緒に住むアパートでシャワー浴びたらどろどろに溶けて排水溝にダストシュートしちゃったときはほんと焦った。キャップにもビビられた。そりゃ悲鳴がしたかと思ったらシャワー出したまま消えるんだから、新手のテレポーテーションかと思うわ。

 

 長官に長い間瓶詰めされてたせいか、ヒトとしての肉体を意識することがない時期が続いてたからか水に溶けちゃう系ロリータになってしまったのだ。おのれ長官赦すまじ。

 この2年間、S.H.I.E.L.D.で鍛えながら、ヒトとしての肉体を意識して訓練することで、肉体を維持する時間が比例して増えるようになった、やったね。いまシャワー浴びてるみたいに、ある程度水被っても問題なくなった。

 

「あら、随分ご機嫌な鼻歌ね。歌手は誰かしら?」

 

「レイニーちゃんじゃない? さっきご機嫌でシャワールームに入ったところを見たわよ」

 

 あらやだ恥ずかしい、そんなにご機嫌な様子だったかな(鼻歌:Build Our Machine)。

 少しシャワー浴び過ぎたと反省反省。別にS.H.I.E.L.D.のシャワールームは職員が多い分ちゃんと数用意されてるし、あとがつっかえるほど混み合う訳でもない。

 それはそれで、本来シャワールームなんて夜勤の職員しか使わないわけだから、つまるところオールの職員がそれなりにいるということと同義な訳で、もしかしなくてもブラックな職場だ。

 就職するならS.H.I.E.L.D.よりスターク・インダストリーズの方がいいよ、頭さえ良ければ昇級制で給料増えるし、社長はポッツさんだし、希望に応じて配属変えられるし。唯一の欠点はたまにスタークさんの道楽で億ドルレベルのお金が吹っ飛んで一瞬で赤字になるクレバーなところか。うん、世の中美味い話なんてないよね。

 そろそろ体溶けるかな、と思い、レバーをキュッと捻ってシャワーを止めて個室から出る。すると目の前に金髪美女のぼいんぼいん。この人絶対着痩せしてるタイプでしょ!

 

「あらやっぱりレイニーちゃんだった。任務お疲れ様」

 

「うん、ありがとー」

 

「ふふふ、相変わらずちっちゃいのねー。かわいい、こんな娘欲しいわ」

 

 タオル乗っけた頭を撫でり撫でりと撫で回される。

 やめぃ! 上から手で抑えられると下乳と黄金比みたいな括れとへそピと清楚なヘアしか見えなくなる!

 

 くっそエロい(汚い言葉!)

 

 でも仕方ない。同性の私でもそう思うくらいくっそエロいのだから。やーめーてーよー、とかわいく嫌がる様子を演じつつ、バインバインな美女たちから逃れて服を着る。今度脱毛剤つけてやろうかな、そういうの好きなスケベじじい知ってるぞ、確か…えっと、上院議員さん。スターンって名前だったっけ。前にいい笑顔でスタークさんと握手してた写真見かけた。

 

 服も、以前はインクで作ったものを着用してた。

 でも、最初に家に来たナターシャさんとバートンさんが服を持ってないと伝えたら愕然として、一緒にショッピングセンターで数着選んでもらった。

 ナターシャさんはキャップに「有り得ない」と言って説教してた。曰く、同棲する女性の服を一着も見繕わないとは男として有り得ないと。アメリカを代表する英雄サマが正座で説教される姿は私以外見たことないだろうな…誰も見たくないよ…うん。そして間接的に原因作ってしまってごめん、服に頓着なかった私も悪い。

 いやだって、インクになってから服はロクなの着てなかったし、修行してた頃はハg…若作りおb…師匠は! 師匠は物欲はナントカカントカで基本一枚布を巻いただけでいいとかよくわからない超理論抜かすし! それに洗脳されてたし! つまり私のせいではない、Q.E.D.(これにてしゅーりょー)

 

 正座したキャップを置いてって、ナターシャさんとバートンさんに連れられてショッピングセンターでは着せ替え人形にされた。でも普通に楽しかった。

 よく着せ替え人形にされる側は気が滅入ると聞くけど、実際楽しかったし色々な服を選んでもらえたので結果的に良かった。バートンさんがやけに子ども向けの服のチョイスが上手でナターシャさんも驚いてたけど、あれ? 二人付き合ってる訳じゃないの?

 だが、一つ悲しかったこともある。ブラウスを着る前に首を90°下に傾ける。真っさらなダンガイゼッペキィ。

 

「……はぁ」

 

 ブラが、買えなかった。

 このAAAクラスの絶壁につける下着などない…嗚呼、無慈悲。タピオカを墜とす絶壁は伊達ではない? 悔しいでしょうねぇ!? てめぇ!

 私みたいな子どもにつけるにはまだ早いと二人に笑われた(その時バートンさんはナターシャさんに足踏まれてた。結構痛そうだった)

 寄せて上げる胸肉すらないのだ、こう言ってはなんだが、見た目ギリ10代に届くかというレベルで詰め物付きのブラをつける方が屈辱だ。

 

 一応、見た目は年相応に成長してる。胸以外はね!

 どうにも、身体がインクになってから身長体重や体格はある程度自在に変化できるみたいだけど、それとは別に私本来の成長は進んでるらしい。

 髪も相応に伸びたりしてるけど、インクでヘアスタイルは変えられるため今はショートボブがデフォルト。ナターシャさんみたいな肩までサラッサラなヘアスタイルもカッコいいけど、あれはナターシャさんレベルの年齢になってレディとしての場数を踏んでなきゃ出ない魅力だ…ちょっと今の私では手が届かない領域。仕方ない。まだ未熟者だし乱闘で髪引っ張られるのもアレだからショートボブで我慢しよう。アクセントに縮れ癖っ毛にするとなかなか個性出ると思ったけど、どこかで「陰〇頭ァー!」と大声で笑われそうだったので、当分癖っ毛の予定はない。

 

 それなら多少胸肉盛れるんじゃないかと試してみたけど、これがなかなか上手くいかない。

 どうにも、私本来の成長に合わせて肉体のイメージが付くみたいだった。お陰でこの2年間、8歳児では絶対やらないようなトレーニングをしたせいか、太腿と上腕二頭筋の筋肉がヤバい。おしりも左右別々に動かせるし、おなかもシックスパックとかじゃないけど、チャイルドボディビルダー的なムキムキになってる。でもエロくない。

 

「…鍛えてるせいで大きくならないとか? いやまっさかぁ」

 

 ナイナイ、と自分で否定しつつ脱衣室から出る。シールドの廊下はピッカピカで、おまけにシャワーを浴びた後ということもあって気分は最高だ。

 

 清々しい気分でスキップしながら着替えが入った袋をぶらぶら揺らして、先の考察を続けてみる。

 

 成長する肉体がそのまま反映されるということは?

 つまり?

 まだ成長の余地はあるということである!

 つまり!

 へそピが似合う生足魅惑なマーメイドになる未来があるかもしれないということ…!

 

「ん?」

 

 ちょっと待て、マーメイドって足ないじゃん。んん? 新手のスケベヒロインか? ナターシャさんとは別路線でウケが…うーん、ダメだ。想像力が足りなくてイメージできない…イメージしろ、生足魅惑なマーメイドになる自分を…!

 

 無理だ。

 

Ahahaha

 (ッハハハ)

 

「あ! 今笑ったでしょ失礼ね!」

 

No ,nothing I'm not laughing … Buhuhu

 (イ、イヤ別ニ笑ッテナンカ…ッブフォ)

 

「笑うなし!」

 

「ちょっとレイニー! 下下!」

 

「え? あっ」

 

 やばい。

 下すっぽんぽんだった。

 スウェットシャツの裾がギリ太ももまで届いてたせいで下半身のスースーする感覚とかなかったから、気がつかなかった。

 どおりでさっきから男どもが女性職員に目潰しされてる訳だ! それでベンディが笑ってたのか! 教えてよ!

 

 いや男の衆、ごめんて。家ではリラックスモードで穿いてないんよ。

 

 

 

 

 

 Chapter 19

 

 

 

「…失礼しまーっす」

 

「ちゃんと穿いているか?」

 

「セクハラ!」

 

 シャワー浴びたあと、黒酢をインク代わりに呑んでいたレイニーが館内放送でフューリーに呼ばれて司令室に戻った。

 放送時、もうノーパンの件バレたのかと黒酢を喉に詰まらせたのは無理ないことだった。いくら狭いと言えど、数分と経たないうちに上層部のフューリーまでどうでも良さそうな情報が伝わるとは、流石シールドの情報網と言ったところか。

 レイニーがショートボブの髪をユラユラ揺らしてイーッと威嚇しながら入室すると、はたと盾を背負ったスティーブと目があった。ぽかんと口を開けたスティーブを見て、ん?と首を傾げたレイニー。ついさっき任務が終わったばかりだが、人質も全員無事、敵もレイニーが軒並み銃火器を分解したせいでたいした抵抗もなく全員捕まえたから問題ない筈である。

 海賊の首領であったバトロックを取り逃がした件と、もう一つを除いて。

 

「レイニー、ナターシャの任務知ってたか?」

 

「え? 知らない」

 

「だよな」

 

 別任務についていたナターシャと、それを伝えなかったフューリーという二人の事例に遭遇して若干疑心暗鬼になっているスティーブだが、レイニーの反応は本当に知らなかったと見抜いていた。伊達に2年間同棲している仲ではない、レイニーもある程度腹芸は得意かもしれないが、こういう場面で嘘は吐かないと信じていた。

 

「僕だけじゃない、レイニーにも伝えていなかった。どういうことだ長官?」

 

「情報の分散だよ。さてレイニー、約束通り私物を片付けろ今すぐだ 」

 

「えー」

 

「えー、じゃない。約束は守れ、そのためにわざわざ放送で呼んだのだ。それとも命令されたいか?」

 

「はいはい」

 

 はーとため息をついて、レイニーは胸元のボタンを全部外す。

 は?とレイニーの行動に驚く男二人だが、そんな彼らを見向きもせずレイニーはデスクに積まれていた参考書や引き出しから出されたプラモデルを手に取ると、そのまま露わになった白磁が映える胸元へ突っ込んだ。本やプラモデルは肌に衝突することなく、ずぶずぶとインクのさざ波に飲まれて消えていく。質量保存の法則を無視したような光景に思わず唖然とした。同時にフューリーはなぜ手ぶらで来たはずのレイニーがあれほどの大荷物を一度に持ち込めたか理解した。

 

「ん?」

 

 見られていたことに気付いたレイニーが振り向く。思わずフューリーとスティーブが視線を外す。決して気まずい訳では、ないはず。

 

「…キャプテンは私に同行してくれ。レイニー、片付け終わってもしばらく待機してろ」

 

「…あぁ、はい。了解」

 

 レイニーはプラモデルを次々と体の中にしまいつつ、フューリーの言葉で漸くそっちが本題かと理解した。

 私物の片付けも建前ではないだろうが、呼び出すにはうってつけの口実であり、何より他の人に不審がられない案件だった。何も知らない殆どの人はノーパン騒動のお叱りを受ける為と思い、レイニーが私物を司令室に持ち込んだことを知る一部の人にはそれを片付けるために呼ばれたと思う。

 

 だが、それらはあくまでも真の目的を悟らせない為の、偶発的なカモフラージュに過ぎなかった。

 スティーブは額面通りその言葉を真実として受け止めていたが、ヒーローというよりもスパイ・エージェントとしての側面が強いレイニーにはフューリーの伝えたいことがわかった。

 レイニーは二人の退室後、あくまでも片付けるという体でプラモデルで遊んだり、途中で飽きたと言わんばかりにゴロゴロ転がったり、しまおうとしていた本を読んだりして時間を潰す。

 

 しばらくして、フューリーだけが司令室に戻った。

 

「荷造りは終わったか」

 

「確認分は」

 

 目の高さまで上げた手を開き、そこにある黒く細々とした装置を見せた。

 司令室に取り付けられていた盗聴器の数々だ。既に電源は切られている。

 それでも「確認分は」と言ったのは、暗にまだ盗聴器が残っている可能性も捨てきれないと判断してのことだ。隙間さえあればどんなところにでも潜ることができるインクの肉体を持つレイニーでも、生物由来の盲点への警戒は怠らない。

 

「ちょっと量多かったからね。持ち込み過ぎちゃった」

 

「あぁ、全くその通りだ。それに作り過ぎだ」

 

「手先の訓練にはちょうど良くて。ついつい」

 

「…購入費は経費で落としてるな?」

 

「ソンナコトナイヨー」

 

「……ハァ、あとで請求書送っておくからちゃんと払え」

 

「ええぇー」

 

「ああそうだレイニー、少し〝手〟を貸してくれないか?」

 

 ヒュッ。フューリーの手から何か、小さく半透明なものが投げられる。レイニーはそれを難なく受け取る。

 手のひらに転がるのは小さな空の瓶だった。とても、見覚えのあるものだ。

 

「……〝手〟は嫌ですね」

 

 小さく笑ったレイニーは()()()()()()()を投げ返す。

 受け取ったフューリーはそれをしげしげと眺めたりはせず、すぐにコートの内ポケットに大事にしまい込んだ。

 

「請求書はいいですよ。そのまま返せればいいですもんね」

 

「…だといいがな。期待はしないでおこう」

 

「じゃ、家戻ってます。お疲れ様でしたー」

 

「まっすぐ家帰れよ…まっすぐ帰れるか? 車で送ってやろうか」

 

「問題ないですよ。でもちょっと買い物してから寄り道して帰ります」

 

「あぁ例の…程々にしろよ」

 

「大丈夫ですよ。私は悪魔でも、街に染み付いたインクみたいなものですから」

 

 そのまま、レイニーは少しご機嫌そうに足をひょこひょこと動かしながら退室した。扉の奥でエレベーターが動く音がし、やがて音源が下へ移動したことを確認すると、フューリーは外部遮断モードを起動させ、ガイダンスに従い室内の隔壁が下される。

 

「インサイト計画について、プログラムファイルを開け」

 

 

 

 

 

 Chapter 20

 

 

 

 最近乗り馴れたバイクを病院の前に止め、カウンターで名前を告げるとナースたちが驚きつつも、慣れた様子で通してくれる。

 

 氷から目が覚めて、彼女が存命であったことに僕は驚きを隠せなかった。70年近く氷の中で眠っていた僕にとっては、若々しかった彼女がつい数日前に会っていたように思える。そういう、時間感覚だった。

 でも現実は違う。彼女は僕が眠っている間に何十年も過ごして、老いていた。まるでタイムカプセルだ。

 

 

 

 ダンスパーティーの招待状を、硬い箱に一緒に詰めて。

 シャベルで土を掘り起こして、まるで埋葬するときのように。

 蓋された棺の上に、名残惜しむように土を掛けていく。

 やがて、10年、20年、30年と年を重ねて、思い出した時に掘り起こして。

 文字も読めない、虫に喰われたぼろぼろの手紙だけが残っていた。

 約束なんて、もう誰も覚えていないのだと、流れた歳月が残酷に真実を突きつけられた気がした。

 

 

 

 ふと、レイニーと一緒に観た映画『タイタニック』を思い出す。

 あの話は船で亡くなった主人公の妻が、長い歳月を経て指輪を海に投げて終わる。ラストシーンでは豪華絢爛なタイタニック号で彼とダンスをするために差し伸ばされた手を重ねていたが、過去の情景に想いを馳せた彼女は記憶の中で若々しい姿を取り戻していた。

 

 そう、時が巻き戻されたように。

 

 『タイタニック』で指輪を海へ投げるシーンが、僕を乗せた飛行機が墜落するときと重なって見えた。

 ただの感傷かもしれないけど、海へ落ちたあの日から僕の時が止まっていたとして、『タイタニック』だったら指輪を投げたと思ったら亡くなった筈の主人公が海から引き揚げられたのが僕なんだろうなと考えてしまう。一緒に観てたレイニーはそれを聞くと、不思議と笑ったりはせず、何故かしきりに何度も頷いて、温かいココアを煎れてくれた。どの部分に反応したかわからないけど、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。

 

「失礼するよ」

 

「どうぞ」

 

 ノックした病室のドアを開くと、換気のためか少し開けられた窓に掛かるレースがゆらゆらと揺れていた。病室に強くもなく弱くもなく差し込む日差し。視点を窓から右側へゆっくりと移せば、変わり果ててもなおその美しさを残すペギーが、ベッドから体を起こしていた。

 

 マーガレット・〝ペギー〟・カーター。

 

 S.H.I.E.L.D.の創設者の一人であり、僕が氷の中に眠る前に、恋い焦がれた女性。

 

「久しぶり、今日は体調良さそうだね」

 

「そうね、最近は少し楽になったわ」

 

 昔と変わらない茶目っ気のあるウインクを見て、緊張していた肩の力を緩める。病室のドアを閉めると、壁に立てかけてあった来賓者用のパイプ椅子を持ち上げてベッドに寄せて座る。

 楽になった、という言葉に思わずどきりとしたけど、僕が考えるほど苦しい思いをしてる訳ではなさそうだ。単純に少しずつ、体調が良い傾向にあるんだろう。

 柔らかく微笑む彼女の視線が少し恥ずかしくて、気を紛らわせようと視線をずらすと備え付けのテーブルに見慣れない花が添えられていた。僕以外にも見舞いが来たのか? 匂いや見た目からしてもつい最近持ってきたもののようだ。

 

「誰か来たのか?」

 

「ええ。まあるい目をした、小さな黒髪の子がね、少し前から娘と来てたのよ」

 

 丸い目、黒髪、小さな女の子とくれば、思い当たるのは一人しかいない。

 レイニー…通っていたのなら教えてくれればいいのに。そういえばたまに帰りが遅い日があったけど、てっきり買い物で遅かったのかと思っていたが。なるほど、ここに通っていたのか。

 

「いつもお花と、紙を持ってきてくれるの。折り紙っていうのよ。昨日も一緒にツルを折ったわ」

 

「ツル?」

 

 これよ、とペギーが震える指をぴんと伸ばす。指差した先に、オレンジやピンクの紙で折られた、ひし形の両翼とぴんと垂直に立てた尾、ニワトリのようにしゃくれた首のように見える折り紙がいくつか並んでいた。

 形はどれも同じだけど、いくつかはすこし羽が曲がっていたり尾に白い裏地があったりしたけど、僕にはその不恰好さも綺麗だと思った。

 

「鳥なんですって。ほら、あの子が折ったのと比べると、ちょっと不恰好だけれど」

 

「いいや、綺麗に折れてると思うよ。これと、これだね」

 

「あらやだ、バレちゃった? ふふふ、ありがとうスティーブ」

 

 そう言って笑う彼女の姿は、老いてなお眩しく見えて、またこの笑顔が見れて良かったと思った。

 また来るよ、と伝えて、すこし風が強くなってきたから窓を閉めると、病室から出た。

 

 ───最初に彼女の元へ訪れた時は、弱々しく痩せこけ、僕の顔を見る度に昔に戻ったような様子で涙を流していた。その姿は衝撃的だった。

 

 きっと、最初に再会した時よりも認知症が改善しているのは、ナースたちの手厚い看護や僕の訪問だけじゃない、レイニーの見舞いも関係している。

 なぜか緊張した顔持ちのナースから話を聞くと、折り紙のような指先を使った細かい作業も少なからず状態を改善する効果が見込めるらしい。でも、ペギーほど劇的な変化を見せることはそう無いと言っていた。

 流石にレイニーが何かしら非合法なやり方で干渉してるとは思えないけど…でも、それぞれの要素がお互いに干渉した結果が実ったと考えれば、すこし気が楽になった。

 

「…あとで、ツルの折り方を教えてもらおう」

 

 そうすれば、僕も彼女と一緒に前に進める気がした。

 

 ダンスパーティーの招待状は無くなってしまったけれど、新しい紙が僕らを繋いでいる。それはそれでいいと思う。

 

 

 

 

 

 Chapter 21

 

 

 

 S.H.I.E.L.D.本部の裏口からDoDo(堂々)と出た私はというと、第二形態(成人頭身)姿のベンディのままアパートへの帰路についていた。以前は驚かれたこの姿も、最近は順応性の高い人々のお陰で慣れつつある、いちいち騒がれることもなくなってありがたい。

 のっしのっしと大股で歩き、信号が赤の時はちゃんと止まる。道路交通法は守らないとね、事故る車ってロクに車輌検査しないでいる車ばかりだから。

 

 さて、S.H.I.E.L.D.のフロントで拝借した今日の日付のワシントン・タイムズの記事を読んでみる。

 

 チタウリ襲来で壊されたニューヨークにスタークさんが派遣したダメコン局(ダメージコントロール局)の進捗状況や都市再開発事業のリスト、避難住民の様子、ストーンヘンジで出没した全裸教授による5000年に一度の惑星直列に関する考察、ロンドンで出没した宇宙船の残骸物質に関する研究の続報などなど…最近の新聞社はこういう事件の後の情報に対する余念がないなぁ。

 つい最近まではソーさんと彼女のジェーンさんの逢瀬を隠し撮りしたパパラッチによるストーカー紛いの記事が続いていたけど、不運にも雷に落とされてカメラがイカれて本人も病院送りにされたそうな。絶対ソーさんのせいでしょ。「力は知識じゃない、筋肉だ。脳も腕も体も筋肉! つまり俺は全身脳だから誰よりもかしこい!」とかいう超理論をドヤ顔で抜かす筋肉おバカさんだから、めちゃくちゃ強いのに残念なんだなぁ…すこしは誤魔化し方というものを考えて。

 

 他の記事を読んでみると、ダメコン局と並行してスタークタワーをアベンジャーズの新しい拠点としての再開発が順調に進んでるらしい。先日胸のアークリアクター摘出後の手術祝いの時は、そりゃもう絶好調でお酒がぶがぶ飲んで、酔っ払いながら「あぁ新設タワーのことか? 9割9分ボクが頑張った。あと1分はペッパーだ」ってぐでんぐでんになってた。その後ローズ中佐に連れられてトイレでゲロってた……頭はいいし天才だしすごい人なんだけど…まぁ完璧な人なんて世の中いないよね、天は二物を与えず。

 

 アベンジャーズの新拠点にはバナーさんのラボも併設途中だった。

 バナーさんとは、スタークさんの手術祝い以降あまり連絡は取れてないけど、通信制で通ってる講義内容がわからない時はメールで聞いたり、たまに電話をすることはある。

 最近は友人のゴーストガールことエイヴァちゃんの透明になる体について、本人のプライバシーに抵触しないレベルで情報交換してなんとか解決の糸口を見つけようと共同研究してる。体が透明になるのに、元の体を維持してるのはどうしてか。分子結合とか? バナーさんはSERN研究員のマクシミリアン氏とコネがあるらしいからタイミングあったら話してみよう。

 

 新聞紙を折り畳んで脇に挟み、メールを打とうと携帯端末を取り出すとビデオ撮影するキャップを隠し撮りした待ち受け画像が浮かび上がって思わず吹いた。この前の教育用ビデオの撮影面白かったなー。

 

 体育の授業とか、授業態度が悪い生徒向けの教育ビデオの撮影である。お願いをしてきたのはミッド…なんとかハイスクールとやらなのだが、撮影を担当したのはなんとS.H.I.E.L.D.

 うせやろ? と思いたくなる新事実。でもガチなんよ…そして私も参加させられたのよ。

 

 キメ顔でポーズを取りつつ、なんか最もらしいセリフをカメラ目線で喋るキャプテン。

 その姿をカメラで撮影するラムロウさん。

 クラップボードを構える私。

 

 うーんカオス。しかもそれには続きがある。

 

 何故かカメラの前で牙を乱杭歯スタイルに並び替えて、おどろおどろしいセリフを吐き捨てるベンディの図。

 

 ……まさかベンディとして参加するとは思わなかった。アメリカの象徴とも言えるキャプテン・アメリカがモデルになって撮影するならともかく、アイアンマンより新参者のベンディが教えるのはどうなのって思ったけど、存外楽しかった。

 因みに悪いことをする子どもを食べちゃうワクチンマン的キャラだった。そう…人間の環境破壊(ゴミのポイ捨て)とか、大気汚染(タバコの喫煙)とかそういうことするとベンディが来るよーって…あれ? ベンディの扱い悪役になってない…? でも実際ベンディ自身はノリノリだった。しかし、ベンディ演じるベンディ(?)には問題があった……そのせいでリテイク6回はやっちゃった…うん、いい思い出だよ。対象年齢はジュニアスクール向けだから、過激な言葉はダメなんだよね、言語規制厳しい教育現場。

 そっぽ向いて引きこもったベンディに代わって演じた私は一発オーケー。いつでも女優になれるよ、やったね。

 

「ひぃいぃぃ」

 

「黙ってレジの金出せ」

 

Yeah ?

 (ん?)

 

 ベンディの鬼のツノのような…耳にも見えるような部位がピコピコ動く。これは…悲鳴と脅迫の気配。強盗ですねわかります。ならばやることは一つ、全速前進DA!!

 新聞を投げ出して、これでもかってくらい口角釣り上げて、意気揚々と閉じられた店のガラス扉を貫通して侵入完了、ちょろい。

 すると数時間前に見たテロリストたちの銃よりチャチなオモチャを持つ人はっけーん。犯人はコイツだな?

 

Don't steal store products , No No No

 (店のもの盗んじゃダメよ、ノーノーノー)

 

 そう、ベンディ姿で街を徘徊してるのは、ワケがある。犯罪防止だ。

 強盗に怯え、そして突然のベンディ登場でカチコチになってる子どもにお店のチュッパチャプスを握らせる。笑ってくれた、お姉さん嬉しいよ。でも犯人にはそんな甘い対応をするほど私も甘くないのである。

 

No More robber , uncool

 (強盗ダメ、かっこ悪い)

 

「アァ?………っ!? べ、」

 

Be ?

 (べ?)

 

「べっ、ベ、ベベベベベベベンベンベン」

 

The banjo ? Sounds good . Your head , hand and leg …

 (バンジョー? いい音鳴らしてるね。キミの頭、手、それに足…)

 

 ここでヘイ、と気さくにショルダータッチ。

 

It must be delicious . Can I have a bite ?

 (美味しそうだなぁ。一口いいかい?)

 

「」

 

 掴んでる肩がガクッと落ちた。あらら、刺激が強かったかな? 白目向いて泡吹いちゃったよ、ああもう、ズボン濡れて汚い…公衆の面前でお漏らしとか子どもじゃないんだから。

 

 一枚いいかい? と硬直してる店員さんに一声かけて大きめのレジ袋を貰う。失神した強盗の下半身をすっぽりと包んで取っ手を結び、動けなくなった状態にしてから袋に「私は強盗しようとして漏らしました」とインクで書いておく。店を出てすぐ近くにあった電柱を登り、すこし高めの位置に袋ごと強盗を吊るしておく。これで警察も見つけやすいでしょ! いやぁベンディは親切だなぁ。

 

「あ、あああああ!! ベンディだぁ! あの、写真いいですか!?」

 

Hmm ? OK ,Would you mind taking a photo for us ? Thanks . Smile smile , Hey Bendy

 (ん? いいよ、そこの人カメラ持ってもらえる? ありがとう。笑って笑ってー、はいベンディー)

 

 旅行に来ていたらしき褐色肌ボーイに撮影をせがまれた。最近こういうことも珍しくない。

 

 ベンディとして街を歩くのは、巡回もかねてだったりする。

 

 犯罪者にとって恐怖の権化とされてるベンディが闊歩する街では、出没から数日前後は犯罪件数も控えめになるらしい。たまに巡回ベンディに遭遇した犯罪者は、皆さっきの強盗みたいに白目向いて失神とか土下座とかしてる…大の男が泣きべそかいて命乞いする姿は流石に失望しかない…流石に殺したりしないから。胴体残してゴミみたいに道端に捨てるとか、そんな事しないから。

 

 最初の内は逃げたり、勇猛果敢に立ち向かう勇ましい犯罪者さんもいたけど、まぁインクの悪魔(ベンディ)から逃げられるわけがない訳で、世界中に潜んでいるテロリストたちと比べたら稚児の戯れみたいなものなので、ベンディも愉しく愉しく犯罪者さんを追いかけてる。どんなに逃げても必ず追ってくるインクを見れば、そりゃ誰でも諦めるわ。

 

 最近は新たに〝インク恐怖症(フォビア)〟とかいう新たな精神疾患が追加されそうで、大方私たちが原因なので医療関係者には新しい社会問題作ってどうもすみませんとしか言いようがない。この間メトロポリタン総合病院でお会いしたすっごい神経質そうな医者に愚痴られた。やーめーてー、お医者さんのマシンガントークはバナーさんの講義よりも難解だから。

 仕方ない、取り締まるのがインクの悪魔で、悪いことをする犯罪者が自分からタゲ取りに来てるのだから、因果応報だと思いたい。わたしはわるくぬぇ。

 

Oh , That's a great photo of you . Have a good one

 (お、いい笑顔で撮れてる。それじゃ、またネ)

 

「ありがとうベンディ! バイバーイ!」

 

 別れを告げると、陽が落ちてだいぶ経過、そろそろ晩御飯時なので壁にずぶずぶ入ってとんずらする。流石に路地裏でレイニーの姿に戻ってしまったらバレるから、いつも壁や排水溝に消えて別の場所でリスポーンするのが習慣だったりする。最近は写メってすぐにトゥイッターとかに上げられるからね…SNS普及率やばい。

 

「うわ、ホント消えた…! まじですげー! ナマのベンディはじめて見た! 今日ワシントン来れてよかったぜ!」

 

 それはそれは何よりで。

 褐色肌ボーイの歓声が遠退き、アパート近くにリスポーン。誰かが置いたまま放置してる山積みの木箱をどかすと今夜の晩御飯用の食材が入った袋が健在であることを確認。今晩は趣旨替えしてボルシチ、ロシア料理の予定である。

 そういえば、夕方買い物中にどっかで派手な事故があったかな? と思ったけど警察のサイレンがひっきりなしに鳴ってたし多分大丈夫でしょ。

 

 大丈夫? 大丈夫!…多分。

 

 と、首を傾げたり頷いたりを繰り返しながら帰路につくと、

 

「え?」

 

 アパートの前に警察車両が殺到していた。

 

 そして、おそらく自分たちが住んでたであろうフロアの窓が盛大に破られ、道路にガラス片が散乱していた。

 

 これはヤバイ。途轍もなく厄介ごとの香りしかしない。

 

 ぐるぐる回る赤ランプの光から逃れるように!

 

 お気に入りのパーカーのフードを被ってそそくさ退散。来た道をリターン。山積み木箱の小道に戻る。おや、見覚えのある白衣装。

 

「ハァイ、レイニー。いい夜ね」

 

「…あれ? エイヴァちゃん?」

 

「ちゃん付けは止めてよ、私の方が先輩なのよ?」

 

「でも友達でしょ」

 

 配色ストームトルーパー似のゴーストガール、エイヴァ・スターが何故か待ち構えていた。いやほんとなんで?

 

「みんな貴女を探してるの」

 

「みんなって誰」

 

「それは当然、S.H.I.E.L.D.よ」

 

「……違う、そうじゃない」

 

 そうじゃない。そうじゃないんだよ、エイヴァちゃん。

 あなたはもうエージェントとしてではなく、未知の疾患に罹った患者としてS.H.I.E.L.D.にいる筈でしょ? それを手伝ったのは他ならぬ()なのだから、それは間違いない。だから、もうエイヴァちゃんはS.H.I.E.L.D.による()()()()()()()()()()()()()()。なのになんでエージェントの頃のスーツを着て、私の目の前に立ってるの。

 

「…レイニー・コールソン、貴女には捕縛ないし殺害命令が出てる。長期の無期限休暇を貰ってた私だけじゃない、他のエージェントもみんな貴女を狙ってるわ」

 

「…なんで、って言っても、教えてくれないよね」

 

「理由は問わない、上官からの任務は絶対。これがS.H.I.E.L.D.の鉄則だから」

 

「だよね」

 

「……ねぇ、大人しく捕まってくれない? 友達って立場もあるから、あまり力づくで連れて行くのは気がひけるの。それに私も楽できて助かるんだけど」

 

「…んー」

 

 ああ、残念。

 

 夕飯のボルシチ、キャップと食べられそうにない。

 

 

 

 

 



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ニンナナンナ

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 Chapter 22

 

 

 

 ワシントン(WA)D.Cの一角。

 ベルビュー()シアトル(西)カークランド()レントン()に別つワシントン湖の湖畔にほどなく近い廃工場。

 東の空に光の兆しも見えない、深い深い暗闇の夜を塗り潰すような昏い闇が廃工場に立ち込めていた。光も差し込まない、生物の気配すら漂わない、凡そ生気というものが奪われた、一種の異界と化した廃工場の中央で、草臥れた様子のインクの化け物(ベンディ)が壊れかけのトラクターに腰掛けていた。

 

 でっぷりと。

 ふくよかに。

 ぱんぱんに膨らませたお腹を、さも身重な妊婦の如く抱え込んで。

 

「ああ、冷えたボルシチはうまい…ごめんちょっと虚勢張った。正直に言うととても微妙」

 

 顔の一部、口と左顔面部分だけ肌を露出させたレイニーがボルシチを啜る。じゅるじゅると音を立てる姿は見方によっては血を啜る化け物に見えるが、実際はお行儀の悪い小娘のそれでしかなかった。それも仕方ない、つい先ほどまでS.H.I.E.L.D.から派遣された敏腕のエージェントをダース単位であしらい、逃げてはあしらい続けてきたのだから。

 

「う、なにこれ……うごけな…」

 

 でっぷりと太ったインクのお腹には、マスクを外されたゴーストことエイヴァが、ぐったりとした様子でいた。まるで倒立するように体が逆さまに突き出て、体の半分以上を取り込まれた形で息を荒らげている。

 エイヴァの身長を考えれば、取り込まれた部分の足の長さと取り込んでいるベンディの肉体は釣り合うはずもなくどこかで貫通するはずだが、まるで体積を無視したような不自然な形で取り込まれている。

 

「な…なんで体を透過できないのよ…」

 

「あなたの透過能力は、あくまでもこの世界の物理法則に則った現象だからね。私のナカはお生憎だけど、既存の物理法則とは違うみたいよ。インクの悪魔(ベンディ)世界(ナカ)で勝手な狼藉はできないと思った方がいい」

 

「あ、アア…見た、見えた! 見て、しまった…! 何なのよアレ! 有り得ない、どうかしてる! 貴女の身体どうなってるのよ…!?」

 

「そりゃ、見たまんまよ。でもよかったわね少しチラ見したくらいで。もう少し長くそっちに居続けていたら狂気に充てられて発狂して永遠に私の世界(ナカ)の住人になってたわよ、名前も記憶も亡くしてインクの亡霊になってね」

 

 平坦な口調なだけに、エイヴァはその声音にこそ恐怖を覚えた。少なくとも、S.H.I.E.L.D.の訓練施設にいた頃はここまで冷たくは無かったはずだ。もしくは、この姿こそがレイニーの本質なのだろうか。

 あの垣間見た狂気の世界に永遠に閉じ込められるかと思うと、気が狂うだけでは済まないと予期した。そして、レイニーこそがS.H.I.E.L.D.の中でもとびきりの化け物であると理解した。

 

「ボルシチ食べる?」

 

「…いら、ないわ…」

 

「そう」

 

 そのまま何も言わず、ズビズビ啜り、真っ赤に燃えたような色のボルシチの最後の一滴を飲み干す。

 

「うーん、キャロライナリーパー入れたはずなのに辛くない…マジモードだとヒトらしい感覚も忘れてきちゃうからイヤだな。でも痛いのもイヤだ」

 

 そんな辛い物飲ませようとするんじゃないわよ! と内心憤りつつ、飲まされずに済んだことにほっとしている人物がいることをレイニーは知らない。エイヴァは身動きも取れず、頭上から漂う辛味の臭いから逃げることもできず鼻がひん曲がりそうだった、口呼吸にしても辛味が味蕾を刺激してしまいどのみち辛味の余波を受ける。

 

 しかし。

 

 しかし、エイヴァに感覚があるということは、生きているということと同義だった。

 ならば、辛味も感じずヒトとしての感覚が欠落しているレイニーは生きていると言えるのだろうか。エイヴァはそう思わずにはいられなかった。

 

「……なんで、私を助けたの」

 

 ただ、疑問を口にした。

 廃工場は依然として暗闇に覆われた世界に塗り潰されているが、その先ではちらほらと気絶しつつも呼吸が確認できるエージェントたちが伏していた。

 いずれもエイヴァと共に、または別の上司の指示か、レイニーの暗殺を請け負った敏腕のエージェントである。レイニーは彼等を、それはもう容赦なく顎を殴り、脳天を蹴飛ばし、内臓(がぐちゃぐちゃにされるくらい強烈な)攻撃を繰り出して、逃げつつ、気絶した彼等の足を引っ張って廃工場まで連れてきた。道中頭や額がゴリゴリと削られていく様は見ていて(毛髪的に)痛々しかった。

 いくら不意打ちで撃退されたとしても、訓練を積み重ねて実際経験を積んだ精鋭であればほんの数分で起きるはずだが、余程ダメージが大きいのかピクリとも動く気配を見せない。だからこそ、わざわざ拘束することもないのかもしれない。

 だがエイヴァは違った。たしかにベンディ相手に棒立ちは()()()()()()()、先手必勝で透過能力を最大限に使い、一思いに心臓と脳を握り潰そうとしたが、インクを纏ったベンディに触れた瞬間透過は実現せず、そのままずぶずぶとベンディの中に取り込まれた。そこで───なにか、言語化が困難な事象を垣間見てしまい気絶…つまりは自滅してしまったわけだが、それ以外はなにもされていない。

 

 殺すつもりで、しかも本気だった。

 

 しかし、レイニーは何でもないように、さも当然なように言う。

 

「ん? エイヴァと私は友達でしょ。友達は殺し合いとかは流石にしなくても、多少ケンカの一つや二つはするし」

 

「……ああ、そう…かもね…」

 

「でも、これ以上ケンカはしたくないから寝ててね」

 

 そう言うと、レイニーはエイヴァの手足をインクで生成したロープで縛り、ベンディのお腹の中から解放する。インクに拘束される圧が消えたことで、エイヴァの表情は若干和らいだ。

 

 が、次の瞬間それは劇的に凍りつく。

 

 目の前に、インクの汚れはあれど、可愛げのあるベンディのお面をつけたインク人間が品定めするようにエイヴァを覗き込んでいたからだ。

 

Rest your head . It's time for bed

 (頭を休めましょう。おねむの時間です)

 

「な、何よ、コイツ」

 

「サミー・ロレンス。多分この世界で一番のベンディ狂信者。サミー、しばらく()()()を聞かせてあげて」

 

OK . Sheep , sheep , sheep . It's time for sleep . Rest your head . It's time for bed .

 In the morning , you may wake. Or in the morning , you'll be dead .

 Can't sleep ? Those old song , yes , I still sing them . For I know you are coming to save you .

 Congratulations ! You will be swept into my savior final loving embrace !

 The figure of ink that shines in the darkness . I see you , my savior . I pray you hear me !

 (いいですとも。さぁ、羊よ羊、羊ちゃん。おねむの時間です。頭を休めましょう。

 おねむの時間です。朝には眩い目覚めか、もしくは惨たる死が待っているでしょう。

 眠れない? そう、ならば私は古き歌を歌いましょう。貴女が自分の救済のために訪れたことはことは分かっています。

 祝え! 貴女は我が救世主の究極の愛の抱擁によって浄化される!

 暗闇の中で輝くインクの姿。貴方が見えます、我が救世主よ。我が望みを聞き入れたまえ!)

 

「じゃあ、またね」

 

「ちょ…! ま、またねじゃないわよ! 何よコイツ! やめて、本当にやめて! こんな奴と二人きりにしないで! やっぱり貴女今回のこと根に持ってるでしょ! 私のこと嫌いでしょ!?」

 

「それはどうかな。と言えるあなたとの友情理論」

 

 Arrivederci(さよならだ)

 

 ベンディ/レイニーは廃工場の外へ足を向け、子守唄に魘されるエイヴァに振り返ることなくインクの手を振って別れを告げる。狂気の音色に合わせて、慄きの声がやがて恐怖を彩る鮮烈な叫び声に変わっていく様を背中で感じつつ、ご愁傷様と言って携帯端末を起動した。

 

「教授にお迎えさせるから安心して。それにサミーは自然消滅するタイプだから」

 

 親を失った彼女の保護者であるビル・フォスターへ、おそらくまだ自宅で寝ているであろう彼の端末に座標と迎えに来るように文言を入れて送信。そして、すぐに携帯端末を叩き割って投げ捨てる。

 

 決して、感情的に何か物を壊したくなった訳ではない。

 S().H().I().E().L.()D().()()()()()()()()()()()()()()の行動である。

 

(……さて、どうしたものか)

 

 一瞬バナーやトニー、クリントらに連絡を取ろうとしていたレイニーだったが、逆探知されてそこからなし崩し的に巻き込んでしまう形になるのは避けたかった。まさかS.H.I.E.L.D.に敵がいるとは思わず、となると本当に誰が、そして何処に敵が潜んでいるのか特定できないからだ。

 

 よもやS.H.I.E.L.D.全体が敵に回ってしまったのだろうか。状況からしても、そう疑う他ない。

 連絡したら助っ人の代わりに大量の武器とエージェントを差し向けられるに違いない。下手したら、レムリア・スター号から打ち上げられた衛星に監視され続けているか、トニーお手製の衛星兵器を乗っ取られて一瞬で殺されるかもしれない。

 いや、実際その程度で死かどうかはレイニーにもわからないのだが。

 

(…ま、それなりに長い夜だったかも。映画を3つほどハシゴしてオールした時よりは辛くなかったし)

 

 主に、体力面の話である。

 流石に同じ組織内の友人が殺しに来れば、いくらレイニーでも多少ではあるが精神的に来ることはあった。それも徐々に、慣れつつはあるのだが。

 

 廃工場の出口に、白んできた東の空の切れ間から太陽の光が差し込んでくる。レイニーはそこに、黒点を見つけた。

 

「ハァイ、レイニー。昨晩は眠れた?」

 

 口角を釣り上げたナターシャ/ブラック・ウィドウが、不敵な笑みを浮かべて姿を現した。特に慌てる風もなく、ゆっくりと歩み寄る。

 レイニーは露出した左眼で姿を捉えて()()()足からインクを引き延ばし、地を這うインクの波がナターシャの足を捉えると動けなくなるように固定した。

 

「動かないで」

 

「待って、私は敵じゃないわ」

 

「証拠は」

 

「声をかけるよりも先に銃弾が飛んでたと思うけど?」

 

「……それも、そうだね」

 

 手に武器がないことを証明するようにホールドアップするナターシャへごめん、と一言告げて引き延ばしたインクを戻す。

 どうやら、今のところは危害を与える意思はないと、レイニーはそう判断した。

 

「…少し窶れてる?」

 

「深夜に友達と顔見知りのエージェントでフルマラソンしてたから。ナイフ銃弾武器暴力なんでもあり、ゴール地点は告知されてないクソ仕様。逃げて、倒して、また逃げての繰り返し」

 

「だいぶ、派手にやったわね。なんで追われてるか知ってるの?」

 

「知らない。買い物帰りに何故かS.H.I.E.L.D.に呼ばれてるって話だけど確保もしくは暗殺が目的っぽい。なんか悪いことしたかな、司令室でプラモ作ったり勉強したり、帰り道に強盗吊るしたくらいしか心当たりないんだけど」

 

「割と色々あるのね…でも、ふーん…アナタ、その様子だと知らないみたいね」

 

「何を?」

 

「フューリー長官が何者かに暗殺されたってこと。昨夜の話よ。状況から察するに、どうもアナタが主犯の候補者に祭り上げられてるらしいわね」

 

「……ん? え? は?」

 

 レイニーは思わず困惑した様相を百面相で表した。その姿は年相応の子どものように見えて、緊迫した状況であるにも関わらずナターシャはバレないように影で微笑んだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 23

 

 

 

「この街は腐ってる…だから人も腐るんだ。俺はこの街が大っ嫌いだ」

 

 黒いパーカーを目深に被りつつ、S.H.I.E.L.D.の職員玄関を潜りながら、海外ドラマで聞いたような台詞を思わず口走る。

 近くを歩く職員さんには怪訝な顔された。メンタルショック。

 まぁ、確かに誰でもない人へ向ける説明口調なんて不気味な人の独り言だから気持ち悪いわよね。私だってそんな輩が横行していたら生理的嫌悪感を覚えて痰吐き捨てて中指突き立てて目玉を潰すわ。

 

「おいキミ、ここは関係者以外立ち入り禁止で」

 

「はいこれ」

 

 ナターシャさんから貰ったVIP用の職員パスを見せると、片眉を釣り上げられつつも通してくれた。優しい。それとも虎穴へ招き入れているつもりだろうか。全然優しくないわ。

 一応、バレてないと思うんだけど。

 

 さて、確か登場人物は最後は街を好きになったという話だったけど、私はどうなんだろうか。街を組織と置き換えてみよう。

 S.H.I.E.L.D.という組織は腐敗してしまった。でも多分、人が腐っていたから組織も腐ってしまったんだと思う。私はそんな組織嫌いだ。アポもなしに友達寄越して楽しいパーリィするかと思ったら敏腕エージェントも寄越して殺そうとしてくるから嫌いだ。むしろ好きになってたまるか。

 

 じゃあ、どうすればS.H.I.E.L.D.を好きになれるんだろう?

 

 そういえば、私はS.H.I.E.L.D.のことが好きだったのか?

 

 帰る家? パワハラ上司とばいんばいんな美女同僚と生意気な友達がいるアットホームな職場? パパンが命掛ける価値がある仕事?

 

 そもそも敵って誰? 私を陥れたのはどこの勢力? 動機は? 目的は? ナターシャさんと情報交換して少しずつ全貌が見えつつあるが、それでもまだ分からないことが沢山ある。

 分からないなら、調べるしかない。目に見える味方は全員敵。でも多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、敵じゃないと信じたい。

 

 さて。

 

「モデルは…これでいいかな?」

 

 自分の胸に手を突っ込み、インクの身体からあるものを引っ張り出す。

 特徴的な歪曲のあるハンドルバーとグリップ。モデルはSTREET750にカスタマイズしたハーレーダビッドソン(めちゃくちゃかっこいい)、キャプテンが最近愛用してるバイク。乗ってきた時感動してすごいベタベタ触ったから再現はお手の物。でも乗らせて貰えなかった、残念。

 ならば! 今なら合法的に乗れる絶好のチャーンス! ただし現物を持ってきていればだけど!

 流石にS.H.I.E.L.D.の職員用玄関にバイクを引っ張ってくることはできなかった。当たり前だわ、普通に不審者だわ。

 え? 身体の中に入れればいいって? そこはちょっと()()()()()()()()()()()()()…って、ホラホラ頭上からガラスが割れる音が。親方、空からキャプテン・アメリカが。オーライオーライ、インクの手で受け止めよう。

 パパンだったら感涙の極みで昇天してそうなシチュエーションだ。

 

「っうお!?」

 

「ハロー、愉快な空の旅はどうだった?」

 

「あぁ…最悪だったよ…ありがとう」

 

 上方へ向けて放ったインクの手のひらはガラスだけ透過し、キャップだけは落下した衝撃ごと受け止めて激突を防げた。んんっでも結構重い。高さあったからかなぁ…ヴィブラニウムの盾のせいってのもありそう。

 

「ヘイヘーイ、キャプテン。乗ってくかい?」

 

「乗ってくって、何に」

 

「私にさ」

 

 ハンドルバーを胸の前に持つと、ヒトの形を維持していた私という像が崩れる。想像力を全身に働かせて組成を変化させる。

 肉体はバイクのボディに。両手両足はタイヤに、背中は座席に、目はライトに。

 そう…念願の変形機構(トランスフォーム)システム、ついに搭載! 子どもの夢を叶えてくれるベンディに感謝しかない、今後の彼の力に期待だ。

 

「これ、普通に乗っていいのか!?」

 

「大丈夫! キャップ愛用のバイクを忠実にコピーしたやつだから! 動力だけインクエンジンだけど!」

 

 私は今の自分しかわからないから未来の自分をイメージすることができない。だからボンキュッボンでナイスバディなレディになることができないのである。

 しかし、反対に言えば明確なイメージさえあれば実現可能ということでもあるのだ。私ってば天才かー? いや天才はトニーさんか。発想の天才過ぎた。

 おかげでプラモ造りで作ったものの、大半は自分の身体で再現することができるようになった。ただし、戦車とか戦闘機に付属するミサイルなどの重火器は、弾薬を再現したところでインクでしかないから、もし再現するならば私の世界(ナカ)に蓄えた武器を使うことぐらいしかできない。別にペイント弾ならぬインク弾でも十分な威力と殺傷能力があるから、問題はないのだけれど。

 

「そうそう、進行方向を向いてハンドル捻るだけ。さあ、振り切るっぜっぅうああああああああああああ!?!?」

 

 は、はやいはやいはやい! バイクってこんな速いの!? 酔う! これ絶対酔う!

 フルスロットルで全速力。職員用玄関を飛び越えて外へ、トリスケリオンから外部へ通じるブリッジの隔壁がひどくゆったり閉じているように見えて───それが、一気に目の前に迫ってるぅ! 挟まれたら私はともかくキャップは死ぬからはい、ワンバン!

 ……そう思っていた時期が私にもありました。スタートダッシュが早すぎて全然余裕でブリッジ越えられそう。そりゃあガレージまで取り入ったらギリギリ過ぎて笑えないもんね。

 

『今すぐ止まれ、キャプテン・ロジャース! 今すぐ止まれ!』

 

 S.H.I.E.L.D.最新鋭戦闘機のクインジェットが一足先に橋の手前に。

 あの、私は含まれてないんです? あ、認知? なるほど侵入したこともバイクなのもまだ正確に伝わってない訳か。

 

「止まれって言ってマシンガン構えられたら、止まったら死ぬってことだよね!」

 

「レイニー! 上に飛ばしてくれ!」

 

「OK!」

 

 後輪部分を一部足に戻し、代わりにインクの中にしまっていたぐるぐるのバネを取り出して思いっきり叩きつける。

 

 空に、ピョーン!

 

 これぞトニーさんが開発してくれた跳躍(ジャンピング)ユニット! 反発力がシャレにならないレベルのバネ! もし布団に仕込もうものなら高反発過ぎて夜も眠れないよ!

 残念ながら半永久的に空を飛べるインクジェットは開発中! よそ様に迷惑かけないインクの利用法について模索してるのだとか。期待で胸が膨らむ。そのままおっぱいも膨らんでくれるといいな!

 

 道路を抉る銃弾の射線よりも上空、空で滞空しているクインジェットよりも少し高い程度の位置まで飛ぶと、乗っていたキャップがヴィブラニウムの盾をぶん投げてあっという間にエンジンとプロペラを破壊していく。すげぇや、あの盾も物理法則超越してる。

 

「お見事」

 

「キミもな!」

 

 そのまま円を描いて独楽のように回転しながら、ぷわぷわ黒煙を上げるクインジェットを飛び越え、明らかに不自然な軌道でクインジェットを破壊し尽くす盾を回収して、最終関門を潜り抜ける。

 私も置き土産に、擦れ違いざまにインク爆弾を投下。トリモチみたいに粘性の高いインクが操縦席の窓とエンジンルームがあるであろう部分に到達すると、耳に響く金属の擦れる音が止まり、やがて動けないまま派手に胴体着陸していった。敵か味方かわからないから、むやみに事故らせるよりはいいいよね。

 そのままフルスロットルゥで街中を駆けると、キャップがぐいぐいとハンドルを回してどこかに行こうとしていた。どうしたの?

 

「病院に寄ってくれ」

 

「なんで?」

 

「長官から託されたものを、隠してきたんだ」

 

「ん? あー、それなら大丈夫大丈夫」

 

「何?」

 

 マスク越しに、バイク越しにでもわかるキャップの疑問の声。

 とりあえずそれはスルーして、上空にヘリコプターらしき飛行物体が追跡している様子もないので、パトロール活動の経験から把握している市内の監視カメラの死角を選びながら移動しつつ、事前に決められていたとあるビルの地下駐車場に到着すると、キャップを下ろして元のヒトの姿に戻る。

 そこにはなんと、ラフな格好でちょっと変装した感じのナターシャさん。でも男って女性のおっぱいの大きさを一目見ただけで真名看破するヤバい生命体だって聞くからなぁ…もうすこしコルセットとかで輪郭調整しないのかな。

 

「ナターシャ!?」

 

「ちょっと待って、私は味方よ」

 

「今しがたその味方だった連中に襲われたんだが」

 

「でもレイニーは助けたでしょ。ホラ、服買ってきたから着替えて。サイズは合ってるかどうかわからないけど、2Lくらいでしょ。それに、貴方のお探し物はコレ?」

 

 これ見よがしにメモリースティックを掲げるナターシャさんとても様になってる…これがオトナの女性の色気ってやつか…。

 

 

 

 

 

 Chapter 24

 

 

 

 長官に託されたファイルの出所であるニュージャージーへ、スティーブ、ナターシャ、レイニーは盗んだ車を走らせて向かっていた。

 運転していたスティーブはちらりと、後ろの席で俯せに突っ伏したまま爆睡しているレイニーの様子を見た。

 

「…レイニーは、敵じゃないのか」

 

「S.H.I.E.L.D.の暗殺者チームにこぞって狙われてたわ。中にはお友達もいたみたい。昨晩はエージェントと楽しい鬼ごっこだったって」

 

「…全員、殺したのか?」

 

「いいえ? みんな気絶したあと縛り上げてたわ。両手の親指と両足首をがっちりね。随分慣れた手つきだったけど」

 

「彼女はなぜ狙われてたんだ?」

 

「長官暗殺の主犯って疑われてるみたいね。まぁたしかにレイニーのベンディとしての力なら誰にもバレずに暗殺できるでしょうけど」

 

「でも動機がない」

 

「その通り。話が拗れたってわけでもなさそうだし。ただ、最後に会ったのが貴方だけどレイニーは最後から3番目らしいの」

 

「3番目?」

 

「2番目はピアース理事官。で、理事官に動機は全くない訳で、今のところレイニーか貴方が有力だそうよ」

 

「…そうか、無事なのは何よりだ。頼もしい仲間が増えたのは心強い」

 

「あら、私だけじゃ心細い?」

 

「そう言ってる訳じゃない、キミも意地が悪いな」

 

「ごめんなさい? 何かと言葉の裏を勘繰るのがクセみたいでね」

 

 車は走る。因縁の大地へ。

 それはスティーブだけではないことを、レイニーは身を以って知ることとなる。

 

 

 

 

 

 Chapter 25

 

 

 

 秘密基地ってワクワクするよね。

 木の上とか、海の底とか、天然の茂みの中とか、隠し扉のある洞窟とか、地下に広がる大空間とか。少なくとも、肉体的にはまだそういうワクワクするものには引かれるお年頃であったし、実際楽しみにしていた私がいたことは間違いない。

 

 さっきまでは。

 

 施設に到着するなり手掛かりなしでスカかと思ってた時に、ベンディが地下に巨大な空洞を察知した時はでかしたと思った。ファインプレーだと。

 そして、隠しエレベータでまた更に地下もあるとなれば鉄面皮の私(???)でも興奮を抑えられなかった。秘密基地の奥へ奥へと進んでいくたびに、秘密が明かされていく感覚はこう……アハ体験的な? 脳内分泌物がドバドバ出るような「あ~こいつは傑作だ、最高だぜ!」的な気分でそそるものがある。

 

 つい、さっきまでは。

 

【レイン・Y(ユカリ)・コールソン。記録では2001年生まれ。キミと会うのは初めてだな、母君にはだいぶ世話になった。こんな体にしてくれたのも、キミの母君のおかげだ。一個人として礼を言わせてほしい】

 

「……は?」

 

【それとも本名の方が馴染み深いかな、ユカリ・アマツ。キミの母君が我がHYDRAにもたらした恩恵は計り知れない。極東の秘密諜報(D)機関から奪ったスパイ技術、医療技術、洗脳技術、情報網は今の我々を形成するに足る道具ばかりだった。私のアルゴリズムの基盤も彼女からもたらされた恩恵だ】

 

「どういう意味だ」

 

「ちょっと待ってこれって…」

 

【死の病に侵され死んでいく私を救ってくれたのは紛れもなく彼女だ。だからこうしてキミと対峙している】

 

「……『魍魎の匣』?」

 

【やはりキミたちは親子だな、彼女もそう言っていた。私の場合は肉体ではなく脳の保蔵だがね】

 

「レイニーの母親が、HYDRAの協力者だった?」

 

「……そこまではまだわからなかった…記録にも、文献にも残らない口伝でしか伝えられてない人だったわ…ただ、聞いてはいけない名の機関の裏切者だという噂もあった…」

 

【知らないのも無理はない。エニシ・アマツは我々HYDRAにとって専属のスパイでありアドバイザーでもあったが、あくまでも中立という立場を貫いた。時にスパイであり、時に研究者であり、時に医者であり、時に兵士であり、また時にはありふれた無辜の民であった。ただ、エニシ・アマツには共通して決して優しさと妥協というものを持ち合わせない。誰よりも欲深く、そして叶えたい野望の為には倫理すら棄てる覚悟もあった】

 

「…野望って何」

 

【アーカイブにアクセス。エニシ・アマツの研究テーマは『代替』。そして、もう一つが『半恒久的な人類の継続』だ。そのカギはキミにある、ユカリ・アマツ】

 

 なに、これ。

 

 

 

 



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サイレント・イノベーション


 毎度誤字報告、感想、評価感謝です

 四半期ランキングにも掲載されていて本当に感謝、ありがとうございます





 

 

 Chapter 26

 

 

 

「エニシ・アマツの研究データを開示して」

 

【不可能だ。(ゾラ)にはそのデータに関する内容を閲覧するためのアクセス権限がない。該当するデータを閲覧することができるのはエニシ・アマツ本人だけだ】

 

「……そう」

 

 ハァ、とレイニーは深く溜息をつく。

 つまりこの場ではプログラム化されたゾラですら研究データの内容を確認することが出来ず、従ってエニシ・アマツ以外の人物に研究データを知る術は無いことと同義でもあった。

 

「……じゃ、このUSBに入ってるデータの中身は」

 

「待て。レイニー…その、いいのか?」

 

「いいって何が?」

 

「別のアプローチをすれば、お母さんのことがわかる唯一のチャンスかもしれないってことよ」

 

 スティーブとナターシャが表情を強張らせつつ、それでも冷静にモニタの前に立つレイニーに提案する。だが、レイニーは彼らの言葉を背中で聞いたまま振り向くことなく言う。

 

「確かに残念ではあるけど、私たちが来た目的はお母さんの手掛かりを見つける為ではないでしょう? 別に…そこまで()()の案件じゃないし」

 

「しかし、」

 

「ぶっちゃけお母さん一人で世界をむちゃくちゃにできるなら()()()()()。でも実際はそうなってなくて、お母さんとはまた別の連中が世界を危機的状況に陥れようとしていて、そいつらが私たちを狙ってる。二人とも…その、私のことを考えてくれるのは嬉しいけど、いまの優先順位を考えて。私たちがいま知るべきことは何?」

 

「……フューリー長官が託した、データの正体だ」

 

「花丸」

 

 というわけで、データの中身教えてよ。とさも友人と話すような口調で呼び掛けると、部屋中に所狭しと敷き詰められた機材の数々の駆動音が大きくなり、レイニーの言葉に反応して徐々に稼働率を高めていく。

 

【残念だ、もしキミが母君について聞いていたならそのUSBのデータの内容を知ることなく、これから発射されるミサイルによって跡形もなく消えていただろうに】

 

「ほぉらぁ、絶ッッッ対こういうのってしょーもない裏があったりするのよ。『007』だってそんな雑な誘導と証拠隠滅したりしないわ。ホラさっさと教えなさい、こちとらあなたの言う通り長居できないんだから」

 

【妥協を許さないところも母親譲りだな】

 

 ゾラから語られたのは、インサイト計画というもの。

 

 S.H.I.E.L.D.に潜んでいたHYDRAが70年間世の中の戦争・飢饉・暴動をコントロールしたとも。そうやって世界を混沌の渦中に突き落とし、やがて70年前は達成し得なかった人々の自由の剥奪を、人々自ら差し出すように調整してきたということだった。

 

 粛清。

 

 その後の世界秩序。

 

 そしてゾラはこう続ける。キャプテン・ロジャースの価値はゼロだと。

 その仕返しはスティーブの鉄拳だったが、数あるモニタの一つを潰したに過ぎない。もはやヒトとしての痛みもいまのゾラには無かった。

 ただ、そこにいるだけの組織の虜囚でもあった。

 

「勝手にヒトの価値を決めつけないでよね、自分の価値くらい自分で決める。そしてあなたも」

 

【その高潔なる精神には敬意を表するよ。キミが()()()()()()()()()()にならんことを】

 

 やけに肩入れするのは曲がりなりにも組織の根幹であったらしい人物の血族だからだろうか。プログラミング化されたゾラの思考回路を読み取れる人物は、残念なことに此処にはいなかった。

 

 代わりに。

 

 ピ、と切り替わったモニタに時限爆弾のカウンターのようなものが表示されて、満場一致でミサイルの到達時間だと理解した。

 

「……冷蔵庫は!?」

 

「『インディ・ジョーンズ』の観過ぎよ! それにS.H.I.E.L.D.が核爆弾なんて簡単に撃てる訳ないでしょ!」

 

「二人とも! こっちへ!」

 

 スティーブが部屋の床をぶち抜き、人が四人程度入れるくらいのギリギリの隙間を作った。しかし、それでもレイニーは焦燥感を拭えない。

 

「…これじゃ、無事とまではいかないわね」

 

 狙ってくるであろうミサイルの規模を推測するに、レイニーたちがいる基地をまるごと吹き飛ばすレベルのものであることは明らか。おまけに地下数十メートルに居ることもバレていることから、地中貫通型爆弾を第一選択として起用する可能性は高い。

 

 地表のコンクリートさえ貫通し、地中もしくは地下に作られた強固な要塞でさえも破壊・粉砕することを目的として作られた爆弾バンカーバスター。それも、GPS入力による精密な爆発を可能とする爆弾とくれば G B U (Guided Bomb Unit)-57、 M O P (Massive Ordnance Penetrator)という名称が一般的には有名だ。

 本来は投下型の爆弾だが、スティーブがトリスケリオンの地下で見たヘリキャリアのように、スターク・インダストリーズのリパルサーを搭載していれば、発射型に変えることくらい難しくない。

 MOPは一般的建造物に使用される鉄筋コンクリートであれば地下約60メートル、立派な軍事施設で使われているであろう強固な鉄筋コンクリートであれば地下約8メートル程度であれば余裕で貫通する。

 

 ただし。

 

 レイニーたちがいるような軍事施設はお世辞にもヴィンテージ過ぎて、下手したら現代の建造物レベルの耐久性より劣ってるとも考えられる。

 つまり、地震時にトイレに隠れる程度の対応では生存が絶望的ということだった。それを理解したレイニーは小さく息を吸って呼吸を整える。

 

「二人とも! たくさん息吸ってしばらく止めて! あと目も開けないで!」

 

「レイニー!?」

 

「何を…!」

 

「二人まとめてツツミコム !

 

 ベンディのインクを身に纏ったレイニーは、その身をインクの液体に変質させて床材の隙間に入り込んだ二人に降り注ぐ。大爆発と共に天井が爆炎で覆われ、あちこちの機材が瓦礫に潰される中、ゆっくりとスティーブが持っていた盾を球体状に形成されたインクの膜の頂上に移動させて、少しでも瓦礫の落下によるダメージを防ぎ生存率を上げる。

 息が詰まるほどの黒煙と鉄を焼く熱量が四方八方から迫る中、インクの膜になったレイニーはただひたすら爆撃から二人を守り続けた。

 

Good night and sweet dreams , Zola

 (おやすみゾラ、良い夢を)

 

 焼け落ち、呆気なく崩れていく機材を黒煙の隙間から見ながら、レイニーの意識はぶつりと途絶える。

 

 

 

 

 

 Chapter 27

 

 

 

「………」

 

「…お、目を覚ましたか」

 

 知らない声がする。

 天じょjizPsy0H98hewTjBQdyTw92O5PWnVStGLiKX6QrlvdsCJCthZvKCb3vh5cIQirBj4a7SuAwNfm6RIYJ5NOE1VKU2QemS6Ey2ATcおっと待って、待て、待て。大事なことは複数回言う。つまり本当に待てということだわかりますいいね? まだ混乱しているらしい、なんとか言語はヒトレベルまで回復してる。

 

 ここで───『知らないホニャララ』とかいうセリフ、ものっすごくありきたり過ぎて吐き気を催すほどチープな様式美に聞こえてくるから禁句だ。

 聞くにも言うにも、その言葉自体から伝わる寒気と怖気が脳の裏側をカリカリと掻き毟ってきそう。耳の中に入り込んだムカデが鼓膜を喰い破って、内耳辺りに居座って音と激痛がリンクしてる気分だ。

 つまり何を言いたいのかって? 不快で文字に起こすことすら憚られると言うことだ。よし、私の頭がイイカンジに回ってきてる。

 

 そもそもこの定型文を使ってる人とか現実にいるのだろうか。ネットワーク内で時折見かけるような気がしないでもないけど、少なくとも現実では見たことも聞いたこともない。ネットワーク特有のスラングか何かなのか、都市伝説ってやつに近いかもだね。

 使ってて飽きない? 私だったら飽きてる。飽きて死んでる、退屈は『死に至る病(Sygdommen til Døden)』。死に至る病は絶望、絶望は罪だからね。つまり退屈は罪、人を殺すのは絶望。理路整然な三段論法だ。私はいつからクリスチャンに。

 さて、視力と聴力が正常に機能するレベルまで回復したようだから、声の主を見てみよう。

 

 

 ちょいヒゲがカッコいいナイスガイな黒人さんだ。

 

 

 少なくとも私は見覚えがない。都市伝説って(以下略、思考ループ禁止)

 

「驚いたよ、女連れたキャプテンがキミを背負ってウチに来たんだからな。もしかしてキャプテンの子どもか?」

 

「…そう、見える?」

 

「ごめんいまの冗談。でも意識はハッキリしてるみたいでよかったよ、二人に伝えてくる」

 

「…ア、あぁ…匿ってくれたの。えと、名前」

 

「サム・ウィルソン。サムでいい、おっととまだ本調子じゃないんだ、そのまま横になっててくれ」

 

「…ありがとう」

 

 お礼は大事。挨拶も大事。

 一見無敵に見えるベンディな私だけど、それは大いなる誤りで、今回のアホみたいな爆撃とか、爆音とか、爆炎とか、何かと〝爆〟が付く規模のものには弱いらしい。どこぞの眼帯付けた魔女には要注意だね、ベンディ無事?

 

Good morning , You slept well

 (オハヨウ、ヨク眠ッテタヨ)

 

「本当? それはとても珍しいわね」

 

Are you worried about Mom ?

 (オ母サンノコト気ニナル?)

 

「…別に、今はいいわ。これが終わったらにしましょう」

 

Let's get it over with

 (サッサト終ワラセタイネ)

 

「ホントよ…」

 

「レイニー、調子はどうだ」

 

「ゼッコウチョウ! …ごめん、冗談だけどだいぶ楽になったよ」

 

「そう、それは良かったわ。ちょうどこれから朝食なのよ、一緒に食べましょ」

 

「さんせー」

 

 いいタイミングで目が覚めたことにカン・カン・感謝だ。若干まだ怠いような感覚を残す身体に鞭打って起き上がると、お気に入りのパーカーではなく男物のワイシャツを着せられてた。

 ナイトテーブルにはぼろぼろになったパーカー。さらばパーカー、それなりの付き合いだったけどワシントンで過ごした2年の思い出は引き出しの奥まったところにしまっておくよパーカー、模様替えの時に気付く程度に。

 インクで作られた服じゃないから、こういう時はすごく不便だな…でもそういう不便さこそヒトらしさ…だと思う、多分。サムさんの優しさにカンシャ・カンゲキ・アメアラレしてしばらく借りたままでいよう。

 

 部屋から出てダイニングに向かうと、香ばしいトーストとアイスコーヒーの香りを探知した。いいね、好きな組み合わせだ。

 

「おお、もう歩けるのか。えっと、キミはもちろん(メシ)とか食べるよな。っていうか」

 

「あれ? まだ話してなかったの?」

 

「こういうのは本人の口から伝えたい方がいいと思ってな」

 

「もう儀式みたいなものと思って慣れたら? ま、最近は顔合わせメンバーがS.H.I.E.L.D.の連中くらいだったものね。2年ぶりかしら?」

 

 先に頂いてるわよ、とナターシャさんたちはベーコンエッグをトーストに乗せて齧り付いていた。うーん美人の食べるご飯はすっごく美味しそうだ、早くご相伴に預かりたい。

 

「えっと、ベンディ知ってる?」

 

「知ってるも何も有名人だろ。あ、いや人…なのか? 悪魔とかなんとか、アベンジャーズのメンバーだよな」

 

「うんそれ私」

 

「は?」

 

 手っ取り早くインクを被ってベンディの姿になると、目の前にはサムさんのポカンと口を開けた顔が。そういう反応は久しぶりだ、最後に紹介したピアースさんさえナチュラルに笑って握手してきたからね。

 

Do you understand ?

 (これでわかった?)

 

「あ、あぁ…いや驚いた。キャプテンと一緒だったから一般人じゃないとは思ったけど…まさかベンディだったなんて。マジか、ホンモノかよ」

 

「改めて、レイニー・コールソンよ。よろしくサムさん」

 

「あぁよろしく、アベンジャーズのデビルヒーロー」

 

 ちょままま、その名前始めて聞くんだけど!?

 え? ベンディは知ってる? エゴサに抜かりなさ過ぎィ!

 

「じゃ、コーヒーじゃなくてインク要るか? ウチにはプリンタ一台分くらいしかないけど」

 

「コーヒーで大丈夫です! んがっ、あ、あ、待て待て待ってーベンディがインクご所望みたいです! ちょっと身体勝手に動かさないでよ! あァーだめですベンディさまそれはだめです困ります! 悪魔のくせにがっつくなんてはしたないでしょ! 他所の家にたかるんじゃあない!」

 

 騒がしい朝にしてしまってホントごめんなさい。

 謝るから見ないで、めっちゃ笑い堪えてるの見えてるから見ないで!

 

 もうだめだぁ(あきらめ)

 

「随分と落ち込んでるようだが、どうしたんだ?」

 

「さぁ? でも病み上がりにしては絶好調みたいね。ってレイ…ベンディ? 何して、」

 

I'm starving. Let's eat

 (イッタダッキマース)

 

 嗚呼、インクベンディになった私がプリンター飲み込んでるよ。こう、バリバリムシャムシャゴックーンて。プリンターまるごと一呑み。普通にインクカートリッジだけ取り出してジュースみたいに啜ればよかったのでは。

 

「オォ…マジか…我が家唯一のプリンターが…よっぽど腹減ってたんだなベンディさんよ」

 

「…そういえば、その足は大丈夫なのか? 右足と比べて少し萎びてるようだけど」

 

 ん? あ、あぁこれね。一昨日の時点では歩くの大変だったけどエージェントたちとの鬼ごっこで慣れたから特に問題はないかなぁ。

 

「もう慣れてるから支障はないよ。それで、これからどうするの?」

 

「そうだな、敵はハッキリした。ミサイルの発射権限を持っているのはピアース。つまりS.H.I.E.L.D.のトップだ」

 

「私たちの上層部諸共敵ってことね。いいじゃん派手なストライキになりそう」

 

「簡単に言わないで。トリスケリオンは世界一セキュリティの高い、物理的にも頑丈なビルよ。侵入は容易じゃないわ」

 

「ピアースさん本人じゃなくても、部下捕まえてからでいいんじゃない? えっと誰だっけ…レムリア・スターの船にいた…ハゲ! メガネ!」

 

「シットウェル、ジャスパー・シットウェルね。確か今はレベル7のエージェント、あなたのお父さんとも仲良かったはず」

 

「お父さんと仲良い人って大抵ロクでもない人だけどね…ハゲとか、ハゲとか、ハゲとか」

 

「それ言っちゃう?」

 

「…問題は、今やお尋ね者の僕達でどうやってS.H.I.E.L.D.職員の彼を誘拐するかだな。職員のスケジュール表でもあればいいんだが」

 

「あんたら以外なら問題ないはずだ」

 

 コーヒーを飲んでるとサムさんがテーブルに資料を置いてくれた。キャップがこれはなんなのか聞いてみると、サムさんの履歴書らしい。

 

「就活してたの?」

 

「違う、軍歴証明書だよ」

 

 キャップとナターシャさんが履歴書や写真を眺める中、その少なくない資料の山にある軍備品の資料を手に取る。

 えーとなになに…『EXO-7 FALCON』? ヤダ、なにこれ名前カッコ良過ぎ…? 溜めBで拳に炎が宿ってそう! もちろんマスクあるよね! え、防風ゴーグル? あぁ…うーん…まぁセーフかな。

 

「お嬢さんお目が高いな、それが俺の武器だ」

 

「…これはどこで手に入る?」

 

「メリーランドの基地に一つ。警備員付きのゲート三つに分厚い壁の向こう側」

 

「楽勝だな」「問題ないわね」「警備体制ガバり過ぎ」

 

「そう言えるのはあんたらだけだよ…」

 

 めちゃくちゃカッコよさそう…動くところ見てみたいなぁ! さぁさぁちゃちゃっとご飯食べて早く盗りに行こう行こう! え? 泥棒になる? お尋ね者なんだからもう1、2個悪いことしたってバチ当たらないでしょ。

 

 

 

 

 

 Chapter 28

 

 

 

 道中、S.H.I.E.L.D.の士官シットウェルの足にベンディの魔手が巻き付き、シットウェルが白目向いて卒倒する珍事が発生したが、知り合いを装い無事身柄を拘束して車に乗せることができた。

 尋問も、無慈悲な突き落としによるスカイダイビングを体験したお陰でペラペラとインサイト計画の概要を喋り、レイニーたちは計画阻止のために動き出す。なお、サム操るバックパック『ファルコン』を見てレイニーとベンディは終始テンション上がりっぱなしだったことを明記しておく。

 

 ただし、レイニーたちが敵の計画を探っていたように。

 

 HYDRAは、レイニーたちの動向を探っていた。

 

「…むっ」

 

「だから! 計画を漏らしてしまった私はピアースに殺される! 人質としての価値もないんだ私たちまとめて吹き飛ばされる! なぁ、レイニー…キミなら私を助けてくれるだろう? キミのパパとは学生時代からの仲なんだ、頼む。それにHYDRAならキミを大歓迎するだろう、聡明なキミならキャプテンたちに付くよりも私たちと共に来るべきだ!」

 

「おだまりツルリン。……来る」

 

「は…ェ?」

 

 ガシャンと、金属とガラスを擦り合わせたような音。レイニーと拘束されていシットウェルに近い席の窓が割れ、銀腕が車内に侵入しシットウェルの首の根を掴む音だった。

 そしてそのまま、腕の主によってぶぉんと窓の外、時速80kmで走る車が行き交う反対車線に投げ捨てられる。

 

「ちっ!」

 

 息をつく間もなくとはこのことだとレイニーは痛感し、既に足しか見えなくなったシットウェルへトミーガンに変形させたインクの銃口を向け、そのまま引き金を引く。

 

 

パン、パン、パン!

 

 

「当たってないぞ!」

 

「狙いは敵じゃないから!」

 

 運が良ければ死なないかもね、と付け加えて、遥か後方に流れていく景色を睨み付ける。

 トミーガンは全てベンディのインクで構成されたものだ。肘から取り出したマガジンにインクの弾薬を詰め込み発砲されたそれは、着弾と同時に膨張して少しの間だけ反発力のあるバランスボールのようなインク玉に変化するように設定していた。

 放たれた3発の弾丸が運良くシットウェルの落下地点にクッション代わりに作用すれば御の字だが、世の中そこまでうまくいくほど甘くはない。無駄ではあるかもしれないが、父との繋がりがある(シットウェル)の死を目の前にして何もしない訳にはいかなかった。

 

 それはそうと、まだ未解決の問題がある。ルーフ(車の屋根)に取り付いている銀腕の襲撃者の存在だ。

 

 引き金を引く音を察知し、トミーガンから不定形なインクの腕に変え、ルーフに浸透して壁としての役割を果たす。撃ち込まれた銃弾はルーフを貫通するもレイニーたちには届かない。銃弾の衝撃がインクの波紋となって喰い止めるに留まっているからだ。

 

「ちッ!」

 

 運転していたサムがブレーキペダルとハンドブレーキを同時に操作し車を急停止させることでルーフ上に取り付いていた襲撃者を振り払う。いくら取り付いていたとはいえ銃を構えている以上、片手或いは両手で銃を扱っているということであり、襲撃者をルーフから落とすことは比較的容易であると踏んだからだった。

 

 白銀の手がアスファルトを抉る(ギャリギャリギャリギャリギャリ)

 

 相当の速度からの急停止で振り落とされたにも関わらず、襲撃者は軽やかに受け身を取り、明らかに人為的改造をされたと思われる左手の銀腕で着地の衝撃を緩和した。

 

 黒い装束にマスクとゴーグル。

 

 レイニーはつい今しがた見たサムの装備の一部分(ゴーグル)を咄嗟に連想したが、黒のマスクと金属の腕から某ダークな銃腕キャラクター(サムス)を思い浮かべ、銃の手じゃないし右手じゃないじゃん、と即座に否定した。

 

 同時に、背後から猛スピードで迫る車の存在をインクから伝わる振動で察知。インクの指を伸ばしてハンドブレーキを解除しアクセルを踏む。

 

 接触は、ほんの一瞬で済んだ。

 

「何し、うぉ!」

 

「後ろの車あっぶな!」

 

「じゃない前前!」

 

「ハッハァー轢いてやるぅ!!」

 

「ちょっレイニー!?」

 

 この数秒で同時に複数の出来事が発生した様を目の当たりにして、レイニーはヤケになっていた。俗にテンパったとも言う。

 思考を半分ほど放棄したレイニーはアクセルを猛プッシュして前方に仁王立ちの襲撃者を轢く。

 

 しかし残念なことに、銀腕の襲撃者は車に衝突する際の衝撃を利用して再びルーフに取り付いた。轢けずじまいである。

 

「おいまた取り付かれたぞ!」

 

「そんなに騎乗位が好きかこんちくしょー!」

 

「どこでそんな言葉覚えてっ、ハンドルが!」

 

 シットウェルを掴み上げた銀腕が今度は車のハンドルも持っていった。文字通り千切っては投げを実現する腕である。

 

「タイヤ動かすからアクセル踏んで!」

 

「ッできんのかよ!?」

 

「これからやる!」

 

 アクセルプッシュをサムに任せ、レイニーはインクの片手を車のステアリングシャフトへ伸ばし、四箇所のタイロッドとナックルに接続して強引に操作する。

 

 視界は前方に、意識はインクに。

 

 サムがアクセルを勢い良く踏むと同時にルーフ上にいた襲撃者が振り落とされるが、後方から響く金属音が先程ぶつかってきた車に乗ったことを伝えた。

 レイニーも初の試みで上手くできる保証はないのだが、プラモデルで組み立てた車の数パターンを想起してタイヤの操作に全集中する。

 

 タイヤの回転数に合わせて徐々に振動が大きくなる。ゴムの焼ける音。スリップの前兆。

 

「ごめん、やっぱムリ」

 

「っ全員固まれ! 降りる(出る)ぞ!」

 

 最後の抵抗とばかりに、レイニーは腹いせにインクをタイヤから伸ばして車を跳ね上げる。盾を構えたスティーブが強引に車のドアパネルを押し出して外し、全員が全員揉みくちゃになって吹っ飛ぶ車の下に落下する。

 着地の瞬間、タイヤから文字通り手を引いたレイニーの四又のインクが滑走する道路を貫き衝撃を緩和、慣性を殺して吹き飛ばされる体をなんとか止める。

 

 スティーブはナターシャを、レイニーはサムを抱えて、なんとか無傷で生還できた。

 

「ごめん」

 

「いいって」

 

「車」

 

「そっちかよ!」

 

 銃の発砲音に遅れてガン! とヴィブラニウム特有の金属音がして、視界の向こうでスティーブと盾が吹っ飛ばされて落下する様が見えた。

 でもまああれじゃあ死なないでしょ、と無責任な信頼を押し付けつつ、追跡していた装甲車からぞろぞろと出てきた銃兵の一斉掃射に対しインクの壁を作ることでサムへの直撃を防ぐ。

 

 既に、レイニーはインクの悪魔(ベンディ)のマスクを被っていた。

 

「スマン」

 

No worries . Where is your suit ?

 (イイッテコトヨ。装備ハ?)

 

「車の中だ」

 

Then , You've got to go . Oh

 (ジャ、取リニ行カナキャネ。オット)

 

 パ、とサムの脇下にインクの穴が広がって、そこから拳大の爆薬が水平線を描いて後方の車に着弾する。

 

「え!? 今何した!?」

 

The scale of the explosion is large . I don't have to be shot it

 (爆発の規模が大きいから。わざわざ当たりに行くのもアレだし)

 

「脇直下! ホントマジでビビった! そういう時はちゃんと言えよ!」

 

Sorry

 (ごめんネ)

 

 インクの防壁で銃撃を無効化しつつ、隙のある兵士たちには伸びるインクの拳による中距離攻撃でノックアウトさせていく。

 レイニーからすれば『叩いて被ってじゃんけんぽん』と似た感覚だった。ただし正確には『パー()グー()出して被って叩く』状況であったが。

 

 徐々に敵戦力を減らしつつ無効化し、レイニーは横転した車のトランクを力任せに引き千切ると、『ファルコン』のスーツが入ったバックパックを引っ張り出した。

 

Sam . Here you are

 (サム。はいこれ)

 

「おう、ありがとな!」

 

 銃片手に応戦していたサムがバックパックを受け取ると、牽制をレイニーにバトンタッチしてすぐに装着する。慣れた動きは熟練の兵士のそれだが、特殊装備となると米国中の兵士と言えどサムほど早く装着出来ないだろう。

 

 唯一、前の作戦で失った戦友(ライリー)以外は。

 

「キャプテンたちを追うぞ。乗ってくか?」

 

Are you sure ?

 (いいの?)

 

「アンタは軽そうだからな。ほら、捕まれ!」

 

 第一形態(マスコットモード)になったレイニー/ベンディを抱えつつ、助走をつけて道路から飛び出すとシュバっと『ファルコン』の翼を広げてワシントンの空を舞う。

 ニューヨークでのチタウリ戦やレムリア・スターでの作戦時も空を飛ぶ体験をしたレイニーだったが、いずれも落下を利用した滑空体験が殆どだった。

 ツバメのように空を自由に舞う感覚は慣れないものでありながら、レイニー/ベンディには新鮮過ぎて、こんな状況でも感動していた。

 

Awesome ! We are flying in the sky !

 (スゴイヤ! 空飛ンデル!)

 

「振り落とされるなよ!」

 

 ワシントンの街は銃撃戦騒ぎで蜂の巣をつついたように市民たちが逃げ惑い、車は横転し黒煙が上がる始末。感動は冷水を被ったように冷めて二人は上空からスティーブたちを探すと、銃弾を食らったらしいナターシャと、銀腕の襲撃者と対峙するスティーブを見つけた。

 

……!

 

 ───この時、サムは別にレイニーを抱える手を緩めた訳ではなかった。

 

 しかし、銃を構える襲撃者とはまた()の場所を見ていたレイニーは、咄嗟にサムから離れて落下し───車に寄りかかりながらスティーブと相対している襲撃者へ牽制の一発を叩き込むナターシャの元へ降り、第二形態へ変身しながらインクの右腕を目一杯伸ばしてそのまま突き飛ばす。

 

「……え、」

 

Gaa …

 (がっ…)

 

 肩を貫通した銃弾の痛み、そして空から落ちてきたレイニーに突き飛ばされて倒れた拍子に痛む傷に顔を顰めたナターシャが見たのは、右肩から下が千切れてインクが血のように流れ出すレイニー/ベンディの姿だった。

 

I'm glad you are safe …

 (よかった…)

 

「レイニー! あなたどうしてッ……っ!?」

 

 第二形態の姿でフラつくレイニー/ベンディとの間にあった車のドアパネルと座席が、拳大の大きな円を描いて抉られていた。丁度、ナターシャの足元で不気味に痙攣する伸びきったレイニーの手まで。

 野球ボールか、もしくはそれ以上の大きさの何か、ピンポイントに狙撃されかけていたと理解したナターシャは、周囲を警戒しつつ崩れ落ちるレイニーに駆け寄り体を受け止めると、頭を低くして二発目の狙撃に警戒する。

 

「そんな、見えなかった…一体、誰が」

 

I saw …

 (ワタシには、見エタ…)

 

「どこに…!?」

 

 手の震えと共にインクが剥がれ落ち、レイニーの小さな指先がやがて車のサイドミラー越しに一つの屋根の上を指す。ナターシャは慎重にサイドミラーから屋上を窺うが、そこに人影は無かった。

 

「うはは…やっぱ、すごいな母さんは…」

 

「…エニシ・アマツが、いたの…!?」

 

「…まるで、魔弾の射手(Der Freischütz)だ…」

 

 ナターシャが小さくレイニーの肩を揺らす。

 眠るように目を細めたレイニーは、ただゆっくりとインクが剥がれて黒い液体が右肩から流れるだけで。

 

 

 

 千切れたインクの手が、やがてワシントンの道路のシミになって消えていく。

 

 

 

 

 

 



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トゥルース・トラスト・トランス

 お気に入り数、UA、総合評価、その全てがいままで投稿したものを上回りました。本当にありがとうございます

 お気に入り感想評価誤字報告感謝



 

 

 Chapter 29

 

 

 

「レイニーは無事なのか?」

 

「その状態なら問題ない…とは、言えないわね。こちらも信号が途絶えたらしいわ」

 

「信号?」

 

「お願いよ、こんなところでお別れなんてゴメンだわ…」

 

 S.H.I.E.L.D.の輸送車から脱出した私たちは長官の右腕とも言えるエージェント、マリア・ヒルに連れられて、地下水道を遡り、隠れ家へ向かっていた。

 比較的重傷の私を支えてくれるキャプテン、疲労困憊のサム、そして…マリアが大事そうに抱えてるカプセル。

 

 ───レイニーは、何者かに狙撃され重傷を負い、ベンディとしての姿のまま気絶した直後に形が崩れて、ただのインクに成り果ててしまった。

 S.T.R.I.K.E.チームはスターク・インダストリーズ謹製のカプセルにレイニーだったインクを閉じ込め、密閉し、拘束された私たちと一緒に輸送車に乗せていた。もし違う車両だったらと思うと、正直面倒だったわ。ウィンター・ソルジャー…キャプテン曰く70年前の友人バッキー・バーンズ軍曹に撃たれた肩からの出血が酷くてちょっと目眩もするし…そういう意味では、S.T.R.I.K.Eチームに潜入していたマリアに感謝しかないわね。

 

「銃で負傷、3L出血の疑いあり」

 

「私が診よう」

 

「その前に彼に会わせて。医療器具、あとこのカプセル抉じ開けるもの用意して」

 

「さっき車の底焼き切ったバーナー使えばいいんじゃないか? こう、ジュワッとさ」

 

「こういうカプセルは、機密性を高くするために外殻が二重、或いは三重の造りになってる可能性があるの。下手に火器を使用すると…例えば酸素とか入ってれば中身ごと吹っ飛ぶわ。火花一つ立てることなく開けないと」

 

「僕がやろうか」

 

 ああ、それは確かに適任かも。あなたの筋力すごいから。

 コンクリートで打ちっ放しの地下空間の奥の奥まで、ビニールの垂れ幕で覆われたベッド。ビニールの前に置かれたテーブルの一角には器に盛られた黒インクの塊と、いくつもの文字が走り書きされた複数枚の紙が散乱していたのが気掛かりだった。あれは…レイニーの筆跡? でもなんでこんなところに。

 

「なんだ、やっと来たのか」

 

 マリアがビニールを引くとベッドに横たわる長官が。

 ちょっと…流石の長官でもその態度は一発殴りたくなるくらいイラっとしたわ。

 

 

「フューリー長官が何者かに暗殺されたってこと。昨夜の話よ。状況から察するに、どうもアナタが主犯の候補者に祭り上げられてるらしいわね」

 

「……ん? え? は?」

 

 

 …ああ、そういうこと。

 だからあの廃工場で会った時のレイニーはどこか様子がおかしかったのね。

 レイニーは、最初から長官が殺されてないと知っていた。だから困惑していた。けれど、それを隠さなくちゃいけなくて曖昧な態度で答えた。

 

 貧血で倒れないように用意された椅子に座り、隠れ家にいた医師に圧迫止血されながら、キャプテンが器の上に置いたカプセルを抉じ開けた。相変わらずトンでもない馬鹿力ね(褒めてるわよ)。

 蓋が無くなったカプセルからどくどくとインクが流れ出て、明らかにカプセルの体積以上の量のインクが器を満たした。

 

「レイニー、大丈夫か」

 

……アア、まぁ、ね。ここまでありがとう」

 

「運んだのは私よ」

 

 やがてキャプテンの声に応じるように、インクがレイニーの姿を模る。マリアにもありがとう、と律儀にいうとマリアは満足そうに頷いてインク入りのコップを渡し、レイニーの体調をチェックしていた。

 いつもは見せないような疲弊した様子で、多分、母親に撃たれたということも心理的なショックだったのかもしれない。

 

 千切れた右肩からインクは流れることなく、少々不恰好な、それこそ新しい苗木が育つ途中みたいな小さな腕が生えてた。借りができちゃったわね…でも、ベンディの腕を千切るほどの弾なんてあるの? 通常の弾はベンディには効かないはず。

 膝をついた状態から、軽くストレッチするように体を動かして器から出ると、最初に出会った時のようなインクのドレスを羽織ったレイニーは長官を見て苦笑してた。なんだか、仕方ない父親を見る子どもみたいな眼差しね、わかるけど。

 

「あら長官、壮健そうで何より」

 

「口が上手くなったな。キミの本が役に立ったよレイニー。フグ毒は、トリカブトの毒で中和できるんだったな」

 

「…トリカブトの毒、アコチニンは即効性があって強いけど、フグ毒のテトロドトキシンと併用して飲むと、拮抗作用が働いて無毒化される。ただ、どっちも強力な毒だから肝臓と腎臓へのダメージが大きいはず…よく実践する気になったわね」

 

「別にやりたかったわけではない、やらざるを得ない状況だったんだ」

 

「こりゃ驚いた…聞いてはいたが、こんな子どもがそこまで専門知識を有しているなんて」

 

 止血処理してくれてるドクターもビックリ。私も普通に驚いてる、それ義務教育でなくても習わない知識よね?

 

「彼女は勤勉家だからな」

 

「長官…レムリア・スターの任務の間に私の本読んでたでしょ」

 

「何もせず待ってるということができない男でね。部下思いのいい上司だろう?」

 

「それなんか違う」

 

 フフッ、思わずレイニーの一言で笑っちゃったわ。でもみんなも笑っちゃってるからおあいこね。

 

「レイニーは、長官が生きてるのを知ってたのね」

 

「ん? あ、いや別に知ってたっていうか、最後に会った時に私の〝片足〟を渡してたのよ」

 

 それ、と指差された報告にはテーブルの上に鎮座しているインクが注がれた器。やがてそれが小刻みに、まるで生き物みたいに震えると、インクが唸り、海中を泳ぐウミヘビみたいな動きでテーブルから飛び上がって、レイニーの指先から吸われていった。すると萎びていた片足が元の形を取り戻していく。ドクター、驚いていいわよ私も十分驚いてるから。

 でも、これでサムの家でレイニーの片足が異様に萎れて欠損していた理由がわかった。インクの足部分を長官に預けていたのね。それに…

 

「…『N(ナターシャ)と合流』『C(キャプテン)と合流』『ニュージャージーへ』『地下空間発見』『ゾラ』『インサイト計画』…ふぅん、私たちに黙って逐一長官に情報を送っていたのね」

 

「怒らないでよぅ…怒ってないよね?」

 

「別に怒ってないわ。エージェントとしては正しい振る舞いよ」

 

 一人の〝友人〟としては、黙ってられたことはそれなりにショックではあるけど。

 でも状況が状況だから仕方ない。自分だって同じシチュエーションであれば黙ってる。そう言い聞かせて、自分の中に沸く感情を押し留める。

 レイニーはインクで綴られた紙の端を摘み、

 

「いまはまだ情報の〝送信〟しかできないけどね。まだ頭以外に目玉があるとか、別の場所に目があるってイメージが私自身できないから。ベンディならニューヨークの時みたいにそれくらいできるだろうけど…信用するのは危ないっていうか」

 

Huh ? What are you afraid of ? Don't you believe me ?

(エェー? ナンダイナンダイ、ボクヲ信用デキナイノカイ?)

 

「単純に自分の目で見たものしか信用できないってだけ。ベンディのことは信用してるっていうか、もう一心同体なんだから安心して」

 

That's fine

(ソレナライイケド)

 

 レイニーの背中からひょっこり出てきたベンディが不承不承といった態度で引っ込む。その急にニョキッと出てくるのはやめなさい、私たち以外だったら飛び上がるくらい唐突よ。

 

「キミの足は随分器用になったものだな、足指でも文字が書けるのは訓練の成果か?」

 

「まぁね」

 

「…あ、それもしかして前に言ってた〝腕を磨けば磨くほどできることが増える〟ってアレ?」

 

「そうそう。両手両足でも、何も見ずに文字書けるようになったからね」

 

 …この子、自分がどんどん成長してってることに満足してるようだけど、いつか周りからその成長が脅威になったりしないかしら。まだ子どもである分、レイニーの成長は私でも予想できないわ。まぁ、今回は本当に有り難かったけど。

 

 チームメイトとして、一人の友人として。

 

 できる限り、支えになりたい。

 

 それにまだ、レイニーは子どもだからね。降り掛かる火の粉くらい引き受けさせて欲しいものだわ。

 

 

 

 

 

 Chapter 30

 

 

 

 フューリーから、インサイト計画を止めるためのヘリキャリア標準補足システム書き換えのデータコードが入力されたサーバープレートが渡される。

 プレートは三つ、ヘリキャリアも三つ。

 HYDRAの構成員が配備されている三機全てのヘリキャリアに侵入し、プレートを入れ替えることが今回の騒動の最後のミッションとなった。

 

 だがスティーブが異議を申し立てた。ヘリキャリアは回収せず、そしてS.H.I.E.L.D.も倒すと。

 

 隠れ家を設けたのは、そもそもHYDRAが潜り込んでいた、そして大反抗を仕掛けてくることを見越して最後の拠点とするためだったが、それまでの犠牲はあまりにも多過ぎた。

 

 S.H.I.E.L.D.のエージェント。

 

 不運な一般市民。

 

 そして、ジェームズ・ブキャナン・〝バッキー〟・バーンズもその一人。

 

 他にも、HYDRAの手に掛かり人知れず消された人だって大勢いるだろう。

 

 マリア、ナターシャ、サム。

 

 皆一様にスティーブに同意していた。

 そこでふと、フューリーはいままでずっと黙り込むレイニーと目が合う。レイニーは黙したまま顔をあげて、フューリーをじっと見つめる。

 

「長官…あなた、S.H.I.E.L.D.に固執してない?」

 

「…何故そう思う?」

 

「あなたの中で、まだ納得も踏ん切りも付いてないからよ。スタークさん…トニーパパのハワードさんやペギーさんが作った思い出があるのは知ってるけど…世界を守るための組織が、〝S.H.I.E.L.D.〟って形で存在してなくてもいいんじゃない?」

 

「S.H.I.E.L.D.でなくてもいい?」

 

「形ある組織は目に見えて強固だろうし国民の安心感も強いと思う。でも、そういう形でなくても、世界を脅威から守ることはできると思う。ほら、HYDRAに習う形になるからアレだけど」

 

「…キミたちみたいに、か?」

 

 それはベンディと私? それともキャップたちと私って意味? という問いかけに対し、フューリーは後者だと応えると、レイニーは呆れたようにため息をつく。

 

「私たちはいるだけで影響あるでしょ。いいも悪いも、善人にも悪人にも。S.H.I.E.L.D.って巣箱には、HYDRAって雛が既に陣取って、もう全く別物になってしまってる以上、仕方ないと思う」

 

「お前の父親もいるんだぞ」「父さんなら」

 

 間髪を容れず放つ言葉にレイニーはハッとして口を抑える。文字通り〝思わず〟といった様子だったのは親のことを引き合いに出されたからだろう。だがフューリーは相手が10歳前後の子どもでも容赦しない。S.H.I.E.L.D.とレイニーは既に切っても切れない関係にあるからだ。

 そのことも()()()()()()理解したレイニーは、自分を落ち着かせるように深呼吸して、再びフューリーと向き合う。

 

「父さんなら、たとえ組織が変わろうともやるべきことは変わらないよ。今だって、己の職務を全うしている。昔からあなたの部下だったなら、それくらいわかるでしょ」

 

「…そうか…そう、だったな。あいつはいつだってそうだ」

 

「私もキャップに同意見なので賛成多数。ハイ解決! ちょっと、気分転換してくるね」

 

 パン、と場を終わらせるように拍手を一回打つと、レイニーは椅子から立ち上がって隠れ家の出口へ、若干早足で向かう。やがて暗がりに消えていく後ろ姿が、スティーブの妙な焦燥感を駆り立てて後を追おうと立ち上がる。が、

 

「キャプテン、待て」

 

「まだ何か言ってないことがあるのか?」

 

「ああ、彼女(レイニー)自身は勘付いてるようだがな。この情報は一応、キミたちにも共有した方がいいと思った」

 

 フューリーは、折れてない腕の方でテーブルに置かれた一枚のディスクを摘む。そのディスクには『B・W』と書かれたラベル、そしてパッケージには『BrainWashing(洗脳)』『Extremely(非常に) Dangerous(危険)』『Processed(処理済)』と走り書きされた付箋が貼られていた。

 

「マリアの報告でもあったが、レイニーの最初の指示は〝確保〟だった。だが俺の暗殺の連絡を受け先走った連中が〝殺害〟と早とちりしてレイニーにエージェントをけしかけた。それに気付いたピアースは命令を撤回し、S.T.R.I.K.E.チームにレイニーの〝回収〟を命じた。その証拠が、キミが先程抉じ開けたカプセルだ」

 

「…何が言いたい」

 

「レイニーは、HYDRAの洗脳処置を受けていた」

 

 ──掴みかかろうとするスティーブに待て、とジェスチャアをして、

 

「だが、彼女(レイニー)にはそれが全く効かなかったようだ」

 

 呆れたように、そう付け加えた。

 やがて、スティーブが振り上げた手がゆっくり降ろされると一触即発の張り詰めた空気が霧散していく。サムの溜めていた息を吐いた音が大きく聞こえた。

 

「僕も聞きたいことがある」

 

「なんだ」

 

「エニシ・アマツとは何者なんだ?」

 

 ゾラが語った、レイニ───―正確にはレイン・Y(ユカリ)・コールソンの実の母親。

 HYDRAへの技術・情報提供に深く関わった恐るべきスパイ、エニシ・アマツ。

 それを知らなかったサム以外、全員が知りたかったことだった。フューリーもそれを承知の上で、一つ問いかける。

 

「奇遇だな、私もその件で聞きたいことがあった。ロマノフ」

 

「何?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……私も、あの時左肩を撃たれて意識飛びそうだったし、出血してたからってのもあると思うけど、私は見てないわ。ただレイニーは『流石母さんだ』って言ってた」

 

「ふむ……」

 

「……? それがなんだというんだ?」

 

「いや、私もレイニーの言葉には未だに半信半疑でね」

 

 フューリーはテーブルに散乱した紙の一枚を取り出す。『Sniped(狙撃された) Sniper is(狙撃手は) Mor ̄』と書かれた紙。途中で途切れたこの文が、レイニーが狙撃されたことで通信が途絶えたという、先程マリアが言った例の通信文だろう。

 だがフューリーはその紙をくるくる回し、あらゆる角度から矯めつ眇めつ観察して、深くため息をつく。まるで厄介ごとを抱えたように。

 

 

「エニシ・アマツは既に死亡している。レイニーが生まれて数週間の内にだ。勿論死体も確認されている。拳銃で脳天に一発。即死だった」

 

 

 

 

 

 Chapter 31

 

 

 

 ぴーひょろろ、鳥が啼く。

 そんな啼き声アメリカにいないって? 耳に聞こえた啼き声がそんなだから実際は違うと思うよ。ハァー…鳥はいいなぁ、自由に飛べて。なんで私は人間に生まれてきたんだろうか。

 

 

 私が来たことは、パパン(フィル)には黙っててね。

 

 

 ───それが、いつもママンが家を出るときの口癖だった。

 幼い私はママンとの約束を従順に守り、複雑な顔をするパパンに「今日はお客さんでも来たのかい?」と聞かれると「誰も来てないよ」と答えた。

 

 まぁ、流石に子どものウソなんて見抜けられるパパンだった。

 後から知ったことだけど、家の周りに張っていたりいない間に家の中を捜索してた連中はパパンの部下だったらしい。いつも心の中で変質者呼ばわりしてごめんなさい。

 

 

 ──でもひかぬ、こびぬ、かえりみぬ!

 

 

 ストーキングするならバレないようにやれよと言いたい。確かに私は小さい頃から細かいことが気になる癖はあったけど(俗に観察眼とも言う)、監視が子どもにバレるエージェントってDo(どう)なの!? 私の事故も防げなかったくらいだからどうせそのエージェントは解雇されてるでしょ、そうよね!?(迫真)

 

 別に「俺には養わなければいけない家族がいるんだ!」的なエージェントが解雇されようが既に昔の話だし知ったこっちゃないんだけど。

 

 養うために働くなら、ちゃんと責任持って働こうねと言う話であって、小さなミスが大失敗に繋がるような職場に就いてしまったことがそもそもの失敗なんだよ…就職は慎重に決めようね。私みたいに流されちゃダメだよ?

 

 いや、私は流されたかもしれないけどブラックでもないし普通にいい職場だったわ。ただ世界を守るための一大組織かと思ったら世界征服を目論む中古組織だったというだけで。

 

 はぁ…憂鬱のため息が重い。

 

「隣、失礼」

 

「……」

 

「ペギーと会っていたこと、黙ってただろう」

 

「……あれ? バレちゃった?」

 

「今度ツルの折り方を教えてくれたらチャラにするさ」

 

「あー……優しいね、スティーブは」

 

 本当に。

 本当に、スティーブ・ロジャースは優しい心をずっと持ち続けるヒーローだ。

 

 親と死別しても。

 強化人間になっても。

 恋人と別れても。

 氷から目覚めても。

 組織に裏切られても。

 

 何があっても、自分の芯を持ち、それを貫き続ける。

 

 ママンに教えられた『気心腹口命人己心腹気』ってこういう人のこと…あれ? アレは菩薩っぽい人のことだっけ。どっか違うな、ナシナシ。

 

「…レイニー、今のキミは…僕たちの味方、でいいのか? その、例のディスクを観たって」

 

「ん? ああ、生憎私には洗脳とかそういうの効かないみたい。でも、もっと大人のヒトには効果あるんだと思う。多分あれ、自分の中にある正しさを上から厚塗りするみたいに上塗りさせる感じなんだと思う。こうやって」

 

 空中にふよん、とインクでJustice(正義)と綴り、それをインクでぐりぐり塗りつぶしていく。

 

「私はまだ、自分の中での正しさがわからないから。スティーブやナターシャさん、サムさん、長官みたいな、ちゃんとした自分の中での正しさ…ううん、信条? みたいなのがない。何もないから、洗脳にすらならない」

 

 そう。だから私には、あのサブリミナル効果マシマシの洗脳ビデオも単なるC級映画にしか観れなかった。あの赤いお面の人、特殊メイクじゃないマジモンのレッドスカルだったなんて知らなかったけど、つまらなかったし、吐き気がしたかもしれないけど、ただそれだけ。

 

「ここ最近、よく考えるんだ。正義ってなんなのかなって。正しさの在り処ってどこにあるのかなって。

 もしかしたらHYDRAのいう自由を束縛した安全で平和な管理社会(ディストピア)も、長い目で見れば理想郷(ユートピア)なのかもしれない。

  でも、スティーブのいう自由を放棄しない社会が正しいのかもしれない。

  ごめんなさい。正直なところ、私にはどちらが正しいのかわからない」

 

 どんなにエージェントとして働いたとしても、組織の暗い部分に潜ったとしても。

 

 私はまだ、13歳の子どもだ。

 

 死にかけて、悪魔に乗っ取られて、修行して、宇宙人と戦って、アベンジャーズに入って、S.H.I.E.L.D.のエージェントとしての使命を全うしたとしても、所詮は背伸びした稚児。子どもの考えられることなんてたかが知れてる。

 

 誰か(大人)(レール)を引かれなければ、歩くこともままならない子どもだ。

 

「どちらが正しいかなんてわからない。

 ある人は〝勝った側が正義〟って声高に言ってたけど、私はそうは思わない。

 たしかに歴史の教科書は勝者の日記だけど、戦う前の彼らが正しかった訳じゃないと思う。正しさって、その時はわからなくて、あとからわかってくるものなのかもしれない」

 

 

 だから。

 

 

「だから、私は私の直感(ゴースト)に従う」

 

 

 パパンが、そうであったように。

 

 

「あのビデオ観たんだけど、どんな言葉を投げかけられても素通りしちゃうのよね! 空虚っていうか、『(レイニー)』って実像に触れないっていうかさ。

 中身がないわけじゃない。ただ、その言葉と情熱が私とは噛み合わないのよ。決定的に」

 

「……」

 

「でも。

 あの時のスティーブの言葉は、私にとって正しいと思う。だから私はスティーブを信じる。…あはは、自分の正しさを他の人に委ねる、結局は誰かについてくだけ。ヒーローなんて夢のまた夢ね」

 

「…そんなことはないよ、キミはその年齢でよく考えてる。僕が同じ歳だったときにはそんなに考えたりしてなかったさ。

 それに、キミは自分のことを空虚だと思ってるようだけど、ちゃんとしたヒーローとしての在り方を、既に見つけている。誇っていい。

 だって、キミもアベンジャーズで、僕らの仲間なんだから」

 

 

 嗚呼、そうか。

 私も、ヒーローとしての在り方を、見つけてるの。そう言ってくれるのね。

 

 

 そうやってあなたは、悩める人の背中を押してくれる、ヒーロー。

 

 

「でもそれじゃ、一方通行でダメね!」

 

「何がだい?」

 

「約束よ! 私は私の意思で、あなたはあなたの意思でこれからも生きていく。でももし万が一、あなたが道を踏み外してしまったと私が思ったら絶対止めるから。だから、もし私が道を踏み外してしまったと思ったら、ぶん殴ってでも止めて!」

 

「なるほど、互いに互いを牽制し合う訳か」

 

「違うわ! 互いを信じるのよ!」

 

 

 ならば、私は、私たちは、

 

 

「よし! じゃあ、私たちの復讐(ヴェンデッタ)をはじめましょう! 最後まで、とことんやるわよ!」

 

 

 敵はS.H.I.E.L.D.に巣喰うHYDRA。

 武器は脅威、規模は未知数。

 味方はキャップにナターシャさんにサムさんマリアさんオマケの長官(負傷中)、援軍なし。

 

 なんの心配もないわね。

 

 

 

 

 

 Chapter 32

 

 

 

 銃撃戦騒ぎがあったワシントンの、沈んだ街。

 警察の現場検証があるはずもなく、S.H.I.E.L.D.お得意の証拠隠滅によって()()()()()()()()()()()()()()()()()街。

 人気のない街を、背丈ほどのギターケースを背負った包帯だらけの女が悠々と歩く。

 

 こつこつと。靴を鳴らして。

 のしのしと。我が物顔で。

 

 そして、ある一箇所で立ち止まるとしゃがみこみ、指先まで包帯で包まれた手を翳し、ぶつぶつと、おおよそ常人には理解し難き言語と音量(ボリューム)が紡がれる。

 

 するとどうだろうか。

 

 均一に並ぶアスファルトの間から、まるで滲み出るようにふつふつとインクが浮かび上がり、やがて立ち上がった女の背丈ほどの体積になるとゆっくりとその全貌が明らかになる。

 

 全体的に細い体躯。

 耳が二つ、頭頂部に長く。

 犬のようなシャープな鼻。

 くりりと瞬くつぶらな瞳。

 黒い肌に黒い靴に四本の指。

 白のオーバーホールと手袋、ただし左手は物々しいアニマトロニクスの義手。

 

 隻腕ボリス/トマス・コナーその人である。

 

 隻腕ボリスは目を覚ますと目の前の女性を訝しむように睨むが、やがて考えることをやめたのか包帯だらけの女性の言うことを黙って聞き、全て聞き終えると一度だけ頷いて夜のワシントンの暗闇へと消えていった。

 

 その後ろ姿を見て、包帯だらけの女性は背中ほどの長く艶やかな髪を揺らして口を歪めた。

 

 人はそれを、シニカルな笑みと呼ぶ。

 

 

 

 

 



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 Chapter 36

 

 

 

 見えない。

 

ぐじゅ、ぐじゅ

 

 見えない、何も見えない。

 

ぐぢゅ、ぶちぶちぶち

 

 ありもしない臓腑が掻き回される。

 はらわたは切り裂かれ、温もりのない…温感がないからわからないけど、決して人の手ではない硬い金属でできたものが、私をばらばらにしていく。

 

じょき、じょき、ぐちゅり

 

 インクに呑まれた時ほどじゃないけど、一時的とはいえ光が失われた以上、私が()()()()()()()()()()確認することはできない。従って、想像に思いを巡らせるしか───

 

嫌だ、想像なんかしたくない

 

 叫びたい。泣いて、大声を上げて助けを呼びたい。しかし、口に突っ込まれた銃が息すらも許さない。

 

たすけて、たすけて、たすけて

 

 足掻きたい。でも、足掻くための手も足も捥がれて、動くことすらままならない。鋭利な刃物で切断された手足はインクを撒き散らして何処かで蠢いてる。私の元に帰ってこない。

 

たとえ、心臓がいきのねをとめようとも──ぁ

 

「みぃ〜〜つけた♥」

 

 鍋をかき混ぜる音が、とまる。

 

がち、ぎちぎち、がちん

 

 まるで鍋の底を突いたような、金属と金属が擦れない合ったようなおと。やがて、わたしのなかの硬いナニカ(ワタシノシンゾウ)をつかみ、木偶人ギョウの私は無てい抗にそれをひきぬかれるしかなくな、

 

ぶちり、ぶちり、ずぼぼbbbbbo───

 

 ひきぬかれていく。なくなっていく。

 

 いまのわたしをこうせいするものが、はらわたからでていく。

 

 さいごのクダがちぎれて、ねむくなる。

 

 なんで、どうして、こんなことになったんだっけ──……

 

 

 

 

 

Chapter 36 → 33

 

 

 

 三機のヘリキャリアを便宜上α、β、γと名付け、サーバープレートはレイニー、サム、スティーブの三人が一人一人持つことになった。

 

「各個で持つ根拠は?」

 

「僕たち三人ならヘリキャリア一機くらい、敵を退かせて侵入してプレートを交換することくらい訳ないだろう?」

 

「ワォ、俺たちあのキャプテン・アメリカに超期待されてるぜ」

 

「なら、その期待に応えなきゃね」

 

 レイニーとサムは拳を合わせた。

 ベンディの力は推して知るべし、ヘリキャリア一機を掌握することくらい雑作もないだろう。しかしサムのように長時間安定して飛行する(すべ)を持たない以上、掌握したヘリキャリアから別のヘリキャリアに飛び乗ることは難しい。

 対し、サムは対空戦においては随一の実力があるが、敵の集中攻撃を掻い潜り二機のヘリキャリアに侵入することは難しい。少なくとも最低一人はヘリキャリアの弾幕を請け負うことで、各人の負担を分散する作戦だ。

 加えて、敵が作戦開始時間を早める可能性がある以上、各個で三機のヘリキャリアを攻略することが最短であり最善である。

 

「…正直、リスキーな気がするんだが。キャプテンに二機任せられないか」

 

「そのサーバープレート、三つとも変えなきゃ使えないんでしょ? もし敵が私だったら、多分どれか一機にやばいヒト(バッキー)乗せて迎撃させる」

 

 暗に自分に任せることが不安要素だと言うフューリーに対し、レイニーは呆れ気味に、青汁を飲み干したような顔で苦言を呈する。レイニーは、あくまでも仮想敵に自身の母を据えたとき、敵が自分以上の策略を巡らせていると考えていた。

 フューリーもレイニーの母に思うことがあるのか、自然とその言葉には納得していつも以上に渋面を歪めた。そろそろ眉間の皺が消えなくなりそうなほどに。

 

「バッキーは僕がやる」

 

「流石にヘリキャリアにハッキングして内部映像を確認することはできないわ。どのヘリキャリアに乗ってるかわからない。そちらの方がリスキー過ぎるのでは?」

 

「どうするのキャプテン」

 

「……出たこと勝負だ」

 

 結局は行き当たりばったり。

 どうせそう言うだろうと思っていたナターシャは、今更ながらスティーブに問いかけた過去の己を恥じた。恐らく()()()()()()()()()()()()のだろう。皆の気持ちを代弁したのだ、恥じることはないと生温かい眼差しがぐさぐさと突き刺さる。

 

「どうぞ? まぁ確率は1/3だけどね」

 

「オイオイ、既に侵入前提の話かよ」

 

「何、自信ないのサムさん?」

 

「いいや?」

 

「「俺たち/私たちならできる」」

 

「決まりだな」

 

 三人は突き出した拳を合わせた。

 

 

 

 

 

 Chapter 34

 

 

 

「とは言ったけど…」

 

 自信満々に肩を組んで言う彼等が羨ましかった。でも、その自信の輪に僕も入っているのだと思うと嬉しかった。

 構えていた盾を背負い、侵入したヘリキャリア内を走る(敵を殴り)走る(銃弾を避け)走る(辿り着く)

 

「まさか、本当に当たるなんてな」

 

「…お前を殺す。それが任務だ」

 

 コントロールルームの前には、忘れもしないバッキーの姿。ワシントンの街で見た、歪に改造された銀色の左腕がギチギチと音を鳴らしている。多分、まだバッキーは僕のことを思い出していない。

 どうやれば思い出させられるかわからない。不安はある。時間はない。なにもかも崖っぷち。

 いつも通りだな。

 

「キミを殺すつもりはない。でも」

 

 拳を突き合わせ、僕は彼女(レイニー)と約束した。その約束が、昔の記憶を思い出してくれた。

 

 

 最後までとことん付き合うよ

 

 

 僕は、バッキーとも約束をしていた。バッキーは、両親と死別して、あの列車から落ちるその時まで、その約束をずっと守ってくれていた。

 

 今度は、僕が約束を果たす番だ。

 

「約束したんだ。彼女とも、そしてキミとも。だから絶対に止める」

 

 決意を胸に。

 力を拳に。

 僕は駆け出した。

 

 

 

 

 

 Chapter 35

 

 

 

「言うほど難しくなかった…」

 

「待てェー! 覚悟しろォ──!」

 

 銃弾飛び交う艦内、レイニーは大きく(第二形態)なったり小さく(第一形態)なったり、インクの肉体を伸び縮みさせては隔壁に浸透して銃弾から逃れる。

 

 ───レイニーは、スティーブやナターシャとは別口でS.H.I.E.L.D.本部、トリスケリオンへの侵入を果たしていた。

 

 レイニーは一度、インクベンディとしての力をフルに使ってワシントンの地下からアパートに戻り、出勤する自称:看護師を名乗っていた隣の住民であるシャロンと合流していた。天井から逆様に挨拶した時は銃口を向けられたが。

 シャロンに頼み、持ち込みのハンドバッグに入れたベーコンスープの缶に偽装して難無くトリスケリオンへの侵入を果たした。ヘリキャリアの離陸を早めようとナイフでシャロンに斬りかかるラムロウにインクパンチを喰らわせて、インクの悪魔はその様相と恐ろしさを今一度HYDRAに知らしめた。

 

Hey , Flammables ! Ready Fight !

 (ハイ、火気厳禁。ヤルナラゲンコツデ!)

 

 全身からインクの触手を伸ばし、コントロールルームにいる全員が構える銃を無差別に分解して嗤うベンディ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()この状況では、難しく考えるレイニーよりも短絡的思考を持つのがベンディだった。

 銃は兵力を均一化する道具だ。多少は個人の技量に左右されることもあるが、この場では誰もが『撃てば』『致命傷を負わせる』という危険物であることに変わりはなかった。

 

 銃を分解された全員がポカン、と口を開けていたが、ベロを出してバカにするベンディにキレたHYDRAの連中は怒り心頭でヘリキャリアへ走っていくベンディを追いかけた。

 しかし、一目でHYDRAの連中だと判断し、足を引っ掛けては容赦無く袋叩きにするS.H.I.E.L.D.のエージェント達。銃を分解されたことは痛手ではあるが、敵味方の区別がついたことで目的は単純化された。

 早く行けと急かすエージェントの激励を受け、レイニーは離陸寸前のヘリキャリアに侵入してまんまと任務を果たすことができたのだ。

 

 データサーバーのプレートを交換したため、既に用はなく、撹乱目的で走り回るレイニーは、インクの身体の中から咽頭マイクを取り出しては首に嵌めようとして──諦める。どうせインクに溶けたら外れてしまうからだ。

 

「こちらレイニー、任務完了」

 

『OKレイニー、まだ最後の一機が終わってないけど…敵に作戦を悟らせないように』

 

「撹乱なら今やってるよ」

 

『あと6分でヘリキャリアの一斉攻撃が始まる、その前に離脱して』

 

「りょーかい」

 

 通信を切り、目の前で銃を構えるHYDRAの構成員をインクパンチで殴り飛ばし、背後のドアを押し上げた。

 

「出れた」

 

 ドアの先はヘリキャリア上の滑走路だった。

 本来、移動空母としての機能があるヘリキャリアには複数のクインジェットも収納されている。そして、今目の前でクインジェットに乗り込もうとしている連中は全員HYDRAの構成員である。思わずレイニーは敵の未来の航空戦力と鉢合わせた。

 

 その未来は、永遠に閉ざされるのだが。

 

「ベンディ! 覚悟しろ!」

 

「覚悟はしてる!」

 

 ───銃を撃たれて致命傷を負わされるよりも先に、相手を倒してしまっていいのだろう?

 そう考えながら──目の前にマズルフラッシュが瞬き、銃弾が届くよりも先にインクの身体になったレイニーは滑走路を這い、問答無用でHYDRAの構成員をインクの肉体に飲み込む。

 老若男女容赦なし、ニューヨークでの戦いよりも迅速に、より確実に敵を吸収し、その命を喰らってインクに還元していく。再びレイニーの姿を取り戻す時には、滑走路でレイニーに銃を向ける構成員も、クインジェットも無くなっていた──否。

 

「………」

 

 一人だけ。

 一人だけ、ヘリキャリアの滑走路の端に座り、身の丈以上の銃を構えて黙々と射撃を繰り返す姿があった。

 

 その狙撃手は、恐らくスティーブの声明に触発されたS.H.I.E.L.D.のエージェント達が乗り込もうとして地上に待機していたクインジェットを、引き金を引くごとに一機一機、虱潰しのように潰していく。

 

 その姿には見覚えがあった。

 

 同時に、ベンディのインクで吸収できなかった相手の脅威を推し量った。

 

 地上に待機していたクインジェットの全てを、まるで鴨撃ち(ダックハント)と言わんばかりに撃ち抜いたその女は大きく伸びをすると、今気付いたと言わんばかりの様子でレイニーを見て()()()()

 

「…あらぁ、レインちゃん? 久し振り。元気にしてたー?」

 

「お陰様で。あんたに腕撃ち落とされたけど全然元気よ残念だったわね」

 

「残念? そんなことないわよォ〜? 嬉しいわ。五体満足で殺されに来てくれて♠︎」

 

 

 ・ ・ ・ 。

 

 

 銃撃と爆発音と悲鳴が飛び交う戦場に、誰でもわかるような明確な三点リードの沈黙が降りる。

 流石に狙撃手───エニシ・アマツも、何故か自分の台詞が滑ったと思い、包帯の奥で笑顔が引き攣る。

 

「…何それ、キャラ付け? あまりにもキャラ数が多過ぎて区別がつかないからって雑なキャラ付け? それなら〝side〇〇〟とかクソダサ文言付けてよ「あーはいはいこの人視点なのねわかったわかった」って笑いながら読んであげるから。自分だけ目立とうと語尾に変な記号付けたりするのやめてくれる? 仮にも腹を痛めて産んでくれた親がそんなイタイキャラになるの恥ずかしいから。他人のフリしたくてしたくて堪らないのよ」

 

 返ってきたのはレイニーからの息継ぎ無しの猛烈なダメ出しだった。それいじょうはいけない。

 

「や〜っ……だぁ〜ウチの娘いつからこんなメタメタで口の悪いメスガキになっちゃったの? 反抗期? 思春期? エストロゲンテストステロン大丈夫? そろそろ経血とか出ちゃった? 生理って重いよねぇ、あらまだ? それとも膣も子宮も無くなっちゃった? オンナとして産まれた悦びを味わうことなく生きてて平気? ああでもお口はあるからフェラで悦ばせることはできるわよね、よかったわねまだオンナとして産まれた存在意義があって。最近おてても足も器用になったみたいだから、手コキ足コキで大乱交できちゃうじゃない男泣かせに育ったものね〜」

 

「…黙れクソババア」

 

「やだ、汚いお言葉。誰の影響かしら、スティーブ・ロジャース? トニー・スターク? ナターシャ・ロマノフ? それとも殺しても死なない(デッドでプールな)あの人かしら? ねぇねぇ一体誰のせいなの? 教えて? あとでヌッ殺しておくから」

 

「…誰のせいでもないわよ。強いて言うなら自分かしらね? それに今から殺されるのはその人たちでもないわ、あなたよ」

 

「へぇ〜、殺す? 殺すって…誰を? 誰を殺しちゃうって言ったの? やだわぁ〜()()()()()()()()を口にするのはダメよー? 信頼失ってオオカミになっちゃうから。知ってる? 「殺す」って心の中で思ったなら、」

 

 弾倉へ弾薬を装填(ジャッ)

 遊底が前進し(ジャコッ)薬室に実包を装填(ガッコン)

 

「その時スデに行動は終わってるものなのよ」

 

 引き金に掛けられた指が動く。

 激しい轟音。だが銃弾は音より速い。レイニーは銃口を向けられたその時から姿勢を低くし、インクの肉体を最大限に使って右に左に走り出していた。

 射線から避けたはずの左肩を吐き出された銃弾が掠めて()()()とインクの組成に亀裂が走る。

 

(やっぱりッヴィブラニウム製の武器!)

 

 レイニーの危惧は現実となった。

 数年前、スティーブとの模擬戦で明らかになったことだが、ベンディのインクは何故かヴィブラニウムで作られたものとの相性が悪い。形の無かったはずのインクはその実像を取り戻し、レイニーとベンディに等しく相応のダメージが与えられる。

 先の狙撃でレイニーが取り込むことができず、腕を引き千切られたのはヴィブラニウム製の銃弾による狙撃だからだった。

 

(じゃなきゃ、インクの取り込みを無視して腕を引き千切るなんてできない! 銃弾だけじゃない、十中八九他の武装も!)

 

 二発目(鉄が破裂する音)

 目の前に展開したインクの膜を突き破り右側頭部を削る。

 

(でも、あんなサイズを手動で動かせる()なんて見たことがない! アームストロング砲よりは…小さい、型は…フィンランド製のラハティL-39に近いか…!? でも、単発銃なのに発砲から次弾装填までのインターバルが短い!)

 

 三発目(鉄が破裂する音)

 横転するレイニーの頬を掠める。

 

 だが、レイニーにはエニシが操る銃に見覚えがなかった。どの文献にも、どの国にも、どの歴史を遡っても、エニシの銃は古そうに見えるのに見覚えがない。宇宙人が作り出しそうな未来的な銃でもないのに、だ。

 

(銃身からして対戦車ライフル(3M)相当! でも…弾丸を受けた体感だと少なくとも50口径以上(フィフティオーバー)!! 装填してる銃弾から恐らく口径漸減(ゲルリッヒ)砲の類、記録通りなら()()()()()()()銃身は異常加熱で焼き焦げ、狙撃手(エニシ)の肩は反動で死──)

 

 四発目(鉄が破裂する音)

 接近から回避に専念していて尚、エニシの一撃がレイニーの右脇腹を抉る。インクの身体にぽっかりと拳大の穴が空いた。

 

「ッッッッ!!」

 

 インクの身体になってから久しく感じる痛み、痛み、痛み。

 ある筈のない脳が感じる激痛。それがレイニーのある仮説に繋がった。

 

(違うッ! 銃床、銃身、引き金、遊底、薬室! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()ならッノーリスクで撃てる!)

 

 あの(悪魔にされた)日に置いてきた筈の痛覚が、脳が、レイニーに激痛という刺激を与えて思わず膝から身体が落ち、せめて射線から逃れようと滑走路上に鎮座するコンテナの一つに隠れる。

 

「それにしても、こんな鉄火場にノコノコ現れといて、それってワタシに殺されたいから来てるワケ? やっだぁ〜この親不孝者♪ ママより先に死んぢゃうなんてぇ〜♠︎」

 

 狙撃を止めたエニシの声が、レイニーの耳を滑っていく。親とは思えないほど冷たく、魂そのものがゾワリと震えるほど恐ろしい声音だった。

 

「ッッ、その、本人が殺しに来てるくせに…あなた、って馬鹿?」

 

「やだ、親に…いいえ? 所有者に向かって馬鹿だなんて…躾のなってない子ね。親の顔を見てみたいわ♥」

 

「鏡を見てみなよ! でもその時はっ」

 

 既にレイニーはコンテナの裏からエニシの背後に跳躍していた。だが腕を鎌状に変化させたレイニーがエニシの首を狩るよりも先に、

 

「八つ裂きになってるだろうけどな、とか言っちゃう〜? 違うわよ、ここで八つ裂きになっちゃうのはア・ナ・タ♪」

 

 エニシが足元のギターケースを蹴り、開封と同時に二丁の拳銃が飛び上がり、

 

被造物()が、創造主()に勝てるワケないじゃない♠︎」

 

 掌に吸い付いた拳銃が、レイニーの眉間で火を吹いた。

 首ががくりと仰け反り、命中の反動でレイニーはインクを撒き散らしながら吹っ飛ぶ。

 どくどくとインクが流れ出し、そのままピクリとも動かなくなった。

 

「………」

 

「……あれ? ワタシ、何かしちゃいましたぁ? じゃなかった、もう死んぢゃったぁ?♠」

 

 左手の銃は左胸に。

 右手の銃は喉元に。

 滑走路に仰向けに倒れたインクの身体。

 命中したならば確実に致命傷であるにも関わらず、エニシは油断することなく狙いを付ける。包帯の隙間に覗く瞳は鷹のように鋭い。

 

「…あなたの前に、ノコノコと現れた理由についてだけど」

 

「遺言なら聞いてあげるわよ?」

 

「……わざわざ、私がどれくらいあなたの予想を上回って成長したか披露しようと思ってね、その自慢話をしに来てあげたのよ。子どもらしい健気な気遣いを察してくれる? 」

 

 ゆっくりと、インクの肉体が関節可動域を無視した動きで地面を這い、レイニーが起き上がる。

 

 至近距離に銃を構えられても尚、失わない闘志。

 左右非対称の笑みを浮かべたレイニーの額は、銃弾の大きさよりも僅かに大きな虚がぽっかり空いていた。やがてその虚はインクに満たされて跡形もなく消えていく。

 

(なるほど、()()()()穴を開けて直撃を防いだのね。やるゥ)

 

 言葉は簡単でもその実現は困難極まる。

 インクの肉体を持っていてもその反射速度は常人の域を出ない。つまり撃たれてから自発的に穴を開けるのでは間に合わないのだ。

 あらかじめ、撃たれる部位を予測でもしない限り。

 

「いくらあなたでも〝母親〟になることは難しかったわけだ」

 

「…へぇ。わかったの」

 

「ええ。ゾラから聞いたわ。あなたの研究テーマは『代替』であること」

 

 

『エニシ・アマツは我々HYDRAにとって専属のスパイでありアドバイザーでもあったが、あくまでも中立という立場を貫いた。時にスパイであり、時に研究者であり、時に医者であり、時に兵士であり、また時にはありふれた無辜の民であった』

 

 

 レイニーの脳裏で、スティーブたちと侵入したニュージャージーの軍事施設の地下で聞いたゾラの声が蘇る。

 震えるインクの身体を奮い立たせ、レイニーは立ち上がりながら言う。

 

()()()()()()()()()()──そんなスパイになること。それがあなたの研究だった。つまり、あなたは〝母親〟という代替になろうとした。違う?」

 

 鷹のような目がやや大きく見開かれる。

 それはレイニーの予想が少なからずエニシの琴線に触れたことと同義でもあった。

 興が乗った、というようにエニシは拳銃を下ろし、くつくつと笑う。

 

「…クスクスクス、半分正解半分不正解。いいえ? 3割程度ってところかしら? それでも凄いわぁ〜あんなヒントにもならない雑談からそこまでくっだらない妄想を膨らませて、偶然にも真実の切れ端に漕ぎ着けたなんて。赤ペン先生で花丸付けてあげる♦」

 

「…たった3割?」

 

「〝たった3割〟と取るか〝3割も〟と取るかはアナタのプラス思考マイナス思考の匙加減かしらね。ええ、確かに研究テーマの一環として母親となり、チンコ咥え込んでハラワタを引き裂いてアナタを産み堕としたわ。そして、何度も何度も何度も何度も手塩にかけて大事に育てたわよ? そしてアナタはワタシの思い描く理想図の〝完成形〟になりつつあるの。つまりまだ途中なのよ♦︎」

 

「……まだ、途中?」

 

「可愛い子は千尋の谷に突き落とすという極東の諺があるのを、当然知って」

「『可愛い子には旅をさせよ』『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』でしょ」

 

「……フフフ、流石我が娘。ワタシじゃなきゃ見逃しちゃうね。このリハクの目を持ってしても」

「リハクって誰よ」

 

 

 ・ ・ ・ 。

 

 

 本日二度目の気まずい沈黙。

 思わずエニシが呆れ気味に重い溜息を吐く。

 

「………これだから、世間の荒波に揉まれてスレた子どもは手に負えないのよねぇ〜♣︎ 人の会話に一々茶々突っ込むのやめてくれる? 話が進まないのよ」

 

「あんたがっ一々間違えた言い回しするのが悪いんでしょッ!」

 

 レイニーの肩からインクの腕が一本、二本、三本──合計六本にも枝分かれしてエニシに強襲する。

 早く動いているから複数あるように見えて──その実、実際にレイニーは腕を複数増やしていた。中には腕どころか拳すら形になってない。それもそのはず、敵を突き刺すのに拳を模るのは人間がやることだからだ。

 

 レイニーは人ならざるもの。その範疇に囚われることはない。

 

 だが相手が相手だった。

 エニシはレイニーの複数の腕にも対応して的確に猛攻を捌く。横薙ぎ、打ち上げ、叩き込み、刺突──それら全てがエニシの二丁の拳銃にいなされる。肘や片足を使い、全てを最小限の力で弾き、決して一歩も動くことはない。

 

 そもそも拳銃とは〝拳〟の銃。

 狙撃銃よりも短いそれは拳大の大きさで、手回しやすく、そして拳で殴るよりも()()()()。加えて、本来の銃としての役割の発砲。いつ撃たれるかわからないという恐怖、牽制。レイニーはそのために、銃の分解を覚えたとも言えた。だがヴィブラニウム製の銃に分解する為のインクが入り込む隙間はない。

 

 それどころか、腕を増やしたレイニーが攻めから守りに転じ始めた。手数がレイニーを超え始めたのだ。

 

(拳銃もダメ! 私の実体を捉えられてるッ)

 

 形状からして米軍採用のベレッタM9に近い。だがデザートイーグルの面影もあることから、先の銃と同様にヴィブラニウムで作られた自作の銃であることは明白。

 銃床による殴打、的確に打ち抜くそれを捌きながら、レイニーは声を張り上げる。

 

「年齢が変わってないの、なんで!?」

 

「『ドリアン・グレイの肖像』をご存知〜?」

 

「質問を質問で返すのやめてよ、知ってるけどッ」

 

 オスカー・ワイルドでしょッ、と答えると、エニシは肘でレイニーの腕をかち上げて引き金を引く。銃弾がレイニーのインクの一部を抉る。レイニーの下顎部分だった。

 

「がッ! っれで、『ドリアン・グレイの肖像』よろしく、自画像だけが年老いて、あなたはずっと衰えないってワケ?」

 

Exactly(その通りでございます)! イヤーここまで頭がキレると我が娘ながら照れちゃうわねー! 目に入れても痛くないくらい、小憎たらしいくらいかわいいわぁー♦」

 

 レイニーがエニシの腹部に拳を叩き込む。

 しかし動じる姿すら見せない。相変わらず顔は笑っても目が笑うことはない。まるで愛玩動物の小さな足掻きを眺める飼い主だ。

 それもそのはず、レイニーはエニシを再起不能に陥れる為の一撃ではなく、距離を取る為の一撃であったからだ。事実、拳銃の射程からは逃れられなかったが、エニシの体術の間合いからは逃れた。口に溜まったインク塊を吐く。

 

「ペッ…、世の中、死んだと思ったら悪魔の力で蘇ることだってあるんだもの。老化を食い止める神秘があったって不思議じゃないわ」

 

「アナタの師匠みたいに〜? そうね、別世界からエネルギー盗んで細々寿命を延ばすことも賢いやり方ではあるかもしれないけど、非効率過ぎるわよね〜。

 ワタシの場合は、絵という無機物に自分の魂の半分を憑依させた上で、劣化のない無機物とワタシの概念をそれぞれ反転することで半永久的な寿命を手に入れたの! 素敵でしょう?」

 

「…それが、もう一つの研究テーマ、『半恒久的な人類の継続』ってヤツ…?」

 

 鷹の瞳孔がキュ、と窄まり、やがて瞼が完全に閉じる。レイニーには、エニシの猛攻に腕一本分が入ってないことに気が付かなかった。

 

 拳銃を離した手が、手榴弾を持っていたことにも。

 

 

 鼓膜を破る破裂音と網膜を潰す閃光(フラッシュバン!)

 

 

「グッ…!?」

 

 閃光手榴弾は密閉した室内でなければ本来の力を発揮できない。だがレイニーとエニシの距離はかなり密接してきた。人間の頃のような視覚と聴覚を擬似的に持っているとは言え、インクという液体を依代としているレイニーに音の波と強烈な閃光は効果があった。

 

「ざんねんざんねんざーんねーん♠︎ ハズレよハズレ。大ハズレ♪」

 

 唯一この場で影響を受けていないエニシが、包帯まみれの腕を振り上げる。手榴弾の衝撃で呻くレイニーの顔面に二丁の銃口を押し付け、そのまま引き金を引いた。

 

「───―!!」

 

 悲鳴すら許さない。

 ヴィブラニウム製の銃弾はレイニーの顔面部分を蹂躙し、人間であれば両目に当たる部分を貫通していた。

 のしかかられたレイニーは身体をインクのように溶かして逃れようとするも、エニシに固定された途端、身体の自由が利かなくなった。

 

「アナタ、不老の身体を手に入れたとして、あたまの悪いおこちゃまが造りそうな『地球はかいばくだん!』とか、『ぜんじんるいぶっ殺しちゃうぞびーむ!』とか喰らったらひとたまりもないじゃない。やっぱりアナタはまだまだ馬鹿ね。娘として社会に出すのが恥ずかしいくらいだわ」

 

「っく、…そぉ……」

 

 エニシに触れてレイニーはようやく──ようやく、気付く。

 遅かった、あまりにも遅過ぎた。エニシの全身に巻かれた包帯もまた、ヴィブラニウム製だったのだ。

 

「さてと、邪魔な部分(パーツ)を取っちゃいましょう♪」

 

 エニシはギターケースから()()()と、重々しいものを取り出す。

 

 一言で言えば、それは(ハサミ)だった。

 

 だがサイズが規格外。

 明らかに片手で動刃を動かすことは不可能。

 まるで二振りの刀を螺子で強引に留めたようにも見えるが、刃面の面積からしてペンチか、あるいはニッパーに類似していた。

 

「一本〜」

左腕が飛ぶ

「にっほ〜ん」

脆かった右腕が千切れる

「さん、ぼん!」

左脚が捩切れる

「四っ、ほん」

右脚が、剪断される

 

「ハイッ、これでダルマレイニーちゃんかんせ〜。余計な部品が減ったおかげでとてもスマートに見えるようになったわよ! 人形愛玩者ならお持ち帰りして即オナホにしたいくらいには今のアナタ魅力的♠︎ でもぉ〜肝心のベンディは引き剥がせないみたいね」

 

 もう、悲鳴はなかった。

 そこにあったのは、顔がぐずくずに潰れ、四肢を失ったインクの塊のようなナニカ。

 

「ベンディちゃーん、聞こえてる〜? 起きてる〜? アナタとお話がしたいの〜♥」

 

 辛うじて原型を残す頭だけ引っ張ると、ぱくぱく動く口。

 

「───、───―」

 

 エニシは口らしき窪みに耳を寄せようとすると、そこから吐かれたのは声ではなくインクだった。純白の包帯にインクの黒いシミがベットリと付着する。エニシはゆっくりと笑みを深めた。

 

「………」

 

「ごォっ!」

 

「イケナイことをするおくちはこれかなー? 今はペニスの代わりにコレ(拳銃)しゃぶっててね〜またなんか言ったら引き金引くから♦

 う〜〜ん、どうすればいいのかしら。首も千切っちゃう? そういえばダルマって一年経ったら両目潰して燃やしちゃうんだっけ。それじゃ本能寺しちゃう? 金閣寺しちゃう? 炎で燃やして蒸発させちゃう? それとも〜……」

 

 エニシは首らしき部分を踏み付けて潰し、鋏の切っ先をレイニーのハラワタに向ける。

 

「このお腹の、引っ掻き回しちゃえばいいかしら?」

 

 

 

 

 

 Chapter 37

 

 

 

「あら、これは……インクマシン?」

 

 エニシの鋏が、インクに塗れながら鳴動する機械を挟み上げた。レイニー()()()()()のインクから引き揚げたのは、心臓の形を模したインクマシン。

 

 インクを吐き出して、悪魔を生み出し、レイニーを模し、そしてこの◼︎◼︎を綴り、或いは塗り潰す───

 

「あれ───?」

 

 エニシの足が滑走路を踏んだ。

 

 ()()()()()()()

 

 エニシはレイニーの身体を解体するために、固定するために、レイニーの実体を掴むために、踏んでいたはず。

 しかし、その感触が無くなった。

 だらんとした身体も。

 バラバラにした四肢も消えている。

 

 鋏を掴んでた手が緩む。

 インクマシンが、心臓のように鳴動し、膨張した。

 

(───、しまった)

 

 急いで鋏を閉じようと両手の力を込め、

 

 

「ッッっ絶ッ死ね糞が!!」

 

 

 インクマシンを中心に集まったインクから飛び出した拳が、エニシの横っ面を歪める一撃を叩き込んだ。

 

 モダンアートもびっくりの歪みを実現したレイニーの一撃は、エニシの細い体を吹っ飛ばし、やがて轟音を立ててコンテナに衝突した。

 

「っハァ! ハァ! っァ、あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ッ!!」

 

 インクマシンから現界したレイニーが絶叫した。人間の肉体を模したインクはぐずぐずに溶け、決死の覚悟で形成した拳もインク溜まりに消えていく。残るのは頭部と胴体部分のみ。インクの線が辛うじて肉体を支えている。

 

(っがァっ、やばい、マリアさんの予定時間もう近い。立つな、立つな立つな立つな立つな立つな…!)

 

 ヘリキャリアが大きく傾く。既に咽頭マイクはどこかに消えてしまったが、もし作戦が成功していれば三機のヘリキャリアが同士討ちを始めるはずだった。

 四肢を捥がれ、動くこともできないレイニーは他の人間からすれば格好の的。ましてや、恐らく今生の天敵とも言えるエニシ。もし意識を飛ばしていないならば、今度こそ死ぬ。

 

「…ンン〜ワタシの記憶に拠れば、キャプテン・アメリカはS.H.I.E.L.D.を壊滅させ、ブラック・ウィドウは機密情報の全てをネットに流し、バッキー・バーンズは一人寂しく逃亡生活を送ることになり、舞台はいよいよソコヴィアへと…おっと失礼。ここから先はまだ皆さんにとっては未来の話だったわね」

 

「…何、それ」

 

「あれ? あ、そっかぁ、まだ()()()()()()放送されてない海外ドラマ(特撮)ネタだったわね。失敬失敬ぅおっと」

 

 爆炎が上がる滑走路を踊るエニシ。

 滑走路を抉る痕跡は、上空からのハンドガンから放たれた銃弾が穿った跡。

 

「無事かレイニー!」

 

 『ファルコン』の翼が黒煙を裂いてレイニーの元へ到着する。マスク越しでもわかる、余裕も慢心もない焦りの表情。レイニーがこんな姿になる相手の実力が未知数だからだ。

 肉体がぐずくずになりながら、レイニーは顔の力を精一杯意識的に動かして、いま出来る限りの笑顔を浮かべた。

 

「…たす、か、た…」

 

「っオイ! アンタレイニーの母親なんだろ!? なんでこんなことするんだよ!!」

 

「あーあ、これじゃもうダメね。仕切り直し、残念残念ハイ残念。レイン、ワタシたちの家に行ってみなさい。わからないこともわかるし、会いたい人にも会いたくない人にも会えるわよ」

「無視かよ!」

 

「…誘導、されてる、みたいッだから、お断りよ」

 

「お馬鹿な子ね〜、アナタが如何に拒否しようともアナタは眠れる運命の奴隷であることに変わりはないの♥

 アナタ()ワタシ()の永遠の所有物なの。所有物は所有者にいいように扱われるものなの。そして」

 

「飽きれば、捨てる? もっとッ…お断りだわ!」

 

「それを決めるのもアナタじゃなーい、ワ・タ・シ♪ せいぜい頑張ってね〜」

 

 サムに掴まれながらインクを吐くレイニーににこやかに手を振る。

 エニシはギターケースを背負い、包帯の上から手首に巻かれた時計のようなものを操作すると、爆炎の中で三原色の燐光が輝き、やがて黒い煙が晴れるとその姿は消えていた。

 

「……あ、いよいよやばい。行くぞレイニー」

 

「……」

 

「ったく、しっかり掴んどいてやるから。離すなよ」

 

 

 

 

 

 Chapter 38

 

 

 

 そのあと?

 語るまでもないけど、ヘリキャリアは同士討ち、機密はネットに拡散、S.H.I.E.L.D.は壊滅、HYDRAはまた闇に潜った。Q.E.D.(これにてしゅーりょー)

 

 ママンとの激戦で死にかけた私は長官が用意してくれた施設でマリアさんに手厚く看護されたよ。人間のとは勝手が違うからインク補充するだけだけどさ。

 ただ、今回は今までとは違って思いの外ダメージが響いてるから、インクが元の身体を形成するまでの期間は長かった。マジしんどかった。めんどくさいからもうインクのまんまでいっかなーって思ってたけど、師匠がどこで(<●> <●>)(ビコーン)と目を光らせてるかわからないから頑張った。

 

 私頑張ったよ! 誰か褒めて!(乞食乙)

 

「よっレイニー、調子はどうだ?」

 

「アー…ンー…、あー」

 

「しんどそうね、会談終わったわよ」

 

「おつかり」

 

「ハイハイ……そういえば、前に言ってたやつ調べたわよ。何分、監視カメラも普及してない時代だから苦労したわ」

 

「………なんだっけ」

 

「調べ物なんか頼んでたのか。何々…? レイニー、お前クイーンズ出身だったのか?」

 

「例の人の足取りよ、クイーンズのアニメスタジオの隣家、ジョーイ・ドリュー氏の生家へ行ったという証言だけが残ってるわ。そこから先は行方不明」

 

「……ハァー…結局、一度帰んなきゃいけないわけか…でもその前に家の物の整理しなくちゃね」

 

 朝にアパート戻ったとき思ったけど、もうぐっちゃぐちゃのボッコボコだったからね。せめて地元戻る前の足掻きだ、どうせ戻るなら遅い方がいい。

 それに、

 

「あと、約束のツルの折り方も教えなくちゃ」

 

 

 

 

 








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 Chapter 39

 

 

 

 ところで、たまに「オレ、クイーンズ出身」と言うと「あぁブルックリンね」と皮肉言われてフランクにどつき合うシーンを見かけたりするのだが、アレはなんなんだろうか。

 

「ほい、ペッパービーフマシマシサンドイッチおまち。6ドルね」

 

「ありがと」

 

 『サムヘヴン』という店から出てサンドイッチに齧り付く。おほっ、パン結構おっきぃ。すごく…一撃必殺ですレベル。

 

 どっちも人口はアメリカじゃ1位2位。ユダヤ系やイタリア系など、比較的移民が多いから下町扱いされ易い。よくいえば懐は広く、悪くいえば蓋を開けたらごっちゃ煮闇鍋。ウゥーン表現に困る。

 

 まぁ言うてブルックリンはマンハッタン行きのデカい橋あるし、ウィリアムズパーク、遊園地(コニーアイランド)や水族館でカップル共がキャッキャはしゃいで楽しめるし。

 クイーンズ? うーん…USA的なデカい地球儀ある美術館あったよね、Flushing(フィッシング) Meadows(メドウズ) Corona(コロナ) Park(パーク)。あとシティフィールド(メッツのホームグラウンド)。ニューヨーク州内でも5市の中で一番広いけど、空港あるからね。

 

 

 お前はクイーンズ出身で俺はブルックリン出身!そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!

 

 違うのだ!!

 

 

 でも覇権はマンハッタンなんだなぁ。今復興中だけど。

 あそこはすごい、ザ・ニューヨークって感じ。ウォール街、タイムズスクエア、キングコングは登るしエージェントJはダイナミック落下するし『アルマゲドン』で隕石は落ちる、何かと名物な高層ビル群(摩天楼)ext...こないだ来た宇宙人(チタウリ)の連中がぶっ壊したグランド・セントラル駅も今や名物か。

 復興進んでるみたいだけど、スタークさんそのへん大丈夫? 息吸うように知らない人に唾吐くからそのへんキチンとダメージコントロールしてもらわないと。

 

 もしかしなくても、一番ダメコン積まなきゃいけないのはスタークさんでは。

 え? 手遅れ? そっかー……皺寄せが来ないといいな。

 

Rainy

 (レイニー)

 

「何?」

 

I'm here

 (着イテルヨ)

 

「……あぁ」

 

 見覚えある玄関。少し雑草の背が伸びた庭。外から見える窓の桟には埃が積もってる。

 

 いつの間にかサンドイッチは食べ切ってて。

 足はゆっくり歩んだはずなのに。

 目の前にはもう実家。

 …正直、あまり気は進まない。

 

「…どっちがいいかな」

 

 さあ、ここで選択肢がある。極東のハイクオリティゲームで例えるとこうだ。

 

 

 

Q.どこに行きますか?

  →マイスイートホーム実家

  →ゴゥトゥヘルスタジオ

 

 

 …いや、どっちも地獄だよ。そもそもスタジオって事故で盛大にぶっ壊れたはずだけど。そっちから確認しよ。

 

 そう言って、そそくさと実家から離れる。正直ここに行くのは最後がいい気がしてきた。

 今日は平日だし学生は学校、バイトは稼ぎ時、職員はデスクワークで手一杯。敢えて人のいない時間帯を狙ったのも目撃者が少なく済むからだ。最近は防犯カメラとか設置が増えてきたけど、別にやましいことをしてる訳でもないし。

 

 今回のコーディネートはクリントさんプロデュース、鹿角付きアニマルパーカー! 以前のフリースタイルパーカーはピアースボムで吹っ飛んじゃったからね。仕方ないね。でもこの鹿角パーカー気に入ってる。トナカイじゃないところに製作者のこだわりを感じちゃう。

 

 あの事故現場となったバス停が見えた。少し新しい気がしないでもないけど、エキセントリックなボーイたちの手で落書きされてたりステッカーを貼っては剥がした跡が残っていて残念。

 

 事故当時はトラックがスリップして横転した後、ガソリンが引火して辺り一面が焼け野原状態だったらしい。当然バス停も吹っ飛んで周囲にいた人は巻き込まれたらしいけど、犠牲者は奇跡的に私だけで済んだのは幸運だった。

 

 幸運…幸運?

 

 うん、犠牲者が少なかったことは幸運だ。たとえ『私』という人間の人生がインクに塗り潰されて悪魔に呪われてしまったとしても、()()()()()()()()()()()()それは幸運と言っていい、と思う。多分。

 

「……は?」

 

Hum ? What is …

(ンン?コレハ…)

 

 目を疑った。

 先にも言ったが、トラックは横転したのち私を挽いて、ガソリンが引火して吹き飛んだのだ。つまりアニメスタジオに突っ込んでハデに爆発したのだから、当然アニメスタジオが無事であるはずがない。

 なのに、どういうこと?

 

 

 其処には、老舗を漂わせる木造建築のアニメスタジオが、不気味なほど小綺麗に存在していた。

 

 

「……とりあえず、ドリュー氏訪ねるか」

 

 未だ混乱状態から抜け出せないけど、アニメスタジオの玄関は見えない。つまりナターシャさんの情報通り、併設されたジョーイ・ドリュー氏の家から侵入するほか無さそうだ。

 

 ドリュー氏の家は、クイーンズのごった煮集合住宅の中ではえらくこじんまりとした感じで、庭もなければ門もない。ポストは辛うじてあるけど古い新聞が乱暴に突っ込まれてる所からして家主は取ってないんだろう。

 若干古びた家のドアをノックする。誰かが対応する様子はない。()()()()()()()()()()()()。S.H.I.E.L.D.で2年間活動してきた経験がここで活きるとは。

 

「………」

 

 そ、と。手の形をインクに崩してドアノブに触れる。

 特に裏で焼き鏝が吊るされてるとか、そういう『ホームアローン』的なトラップは無さそう。あったら困る。鍵は…掛けられてない?

 

「…おじゃましま〜す……」

 

 ギィ、と立て付けの悪いドアが軋んで開く。日中に照りつける太陽が玄関に差し込んで、舞う埃がチリチリと輝いてた。うわ、掃除してないの?

 人の生活感はまるで感じられない。()()()()()()()という矛盾が、この家の不気味さ。なにこれ下手なホラーマンションより怖い。カメラに映る埃をオーブと言い張ったり、仕掛けた釣り針を使って勝手に毛布が釣り上がる演出とかそういうヤラセの方がまだマシだ!

 

 足の一部をインクにして探索範囲を広げつつ、廊下を歩いていくと小洒落た椅子やらテーブルやらライトスタンドが見える。そして、部屋の趣味には少々合わない古い作業机のようなものがあった。

 其処にはベンディとボリスとアリスが本来の姿で仲良く歩いてる絵、ベンディがインクの悪魔と化した絵、広大なテーマパークの図面、インクマシンの設計図等が無造作に置かれてた。

 コマ割りされた原画は第二形態のベンディが暴れる姿。ニューヨークでの活躍を描いたもの? それにしては筆跡が最近のものじゃない、少なくとも数十年は昔のもの。

 

 私はそれを一目で覚え、記録に残す。

 何故か、これらは見逃してはいけない気がしたから。

 

 階段はなく平屋、クイーンズでは珍しい。特に隠し部屋がある訳でも無さそうだけど、一箇所おかしい場所がある。

 入って左の部屋には鍵が掛けられていて、あげられない。それだけじゃない、インクを侵入させようとしても何故か入り込めない。これはおかしい。どういうこと? 魔術的結界が施されてる訳でもないしのに。

 ……仕方ない。ここは後にしよう。それよりもおそらく料理してるであろう奥の居間に行ってみよう。

 

「あの〜こんにちは、ドアはノックしたのですが、玄関の鍵開いてたみたいなの、で……?」

 

 

 その後ろ姿を、見た瞬間。

 

 私の中のベンディが、インクが、魂が、それら全てが騒めいた。

 

 

「ヘンリー? もう来たのかい?」

 

 ゆれる。

 ゆれる。

 視界が、ぐらぐらする。

 

「早かったな、あと数時間はキミの姿が見えないものだと思っていた。このオレを驚かせようとしたんだな? サプライズ好きめ」

 

 どす黒い復讐心が、足先から、頭の上まで到達して全身が、言うことを聞かない。

 やめ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。

 ベンディ、落ち着け、落ち着いて! ああくそ!

 

 まずい、今私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()───!

 

「でも知ってる、オレは知ってるぞ……聞きたいことがあるんだろ」

 

 とま、る。

 その言葉に、ベンディの殺意が固まって、止まった。

 敢えてベンディを抑え込むような真似はしない。ただ、感情的にならないように荒れ狂う復讐心を宥めて、ベンディの黒い感情をう、まく、逸らす。こっれきっつい…! ていうかこのおじさんドリュー氏!?

 

「あぁ、お前はいつもそうだ。唯一大事な質問はこれだろう?」

 

 復讐心と殺意に差し込む興味の感情。流れ込んでくる僅かな猜疑心と渇望を頼りに、なんとかその首を刈り取ろうとする死神の鎌のような形の手を引っ込める。おま、ホントいい加減にしてよ!

 

「我々は何者なんだ、ヘンリー? オレは何者なのか、知ってると思ってたよ……でも、()()はオレを狂わせた。ページには線のみが残った。最終的に、オレたちは己が築いた二つの道を歩んだ。お前は素敵な家族、そしてオレは……歪んだ帝国だ」

 

 ───それは、韜晦だったかもしれない。

 後悔だったかもしれない。

 懺悔、のようにも聞こえた。

 

 私たちを背に話す彼の姿は、どこか寂しそうで、後ろめたそうで、まるで親に叱られた子どものような、しょぼくれた背だった。

 

「そして、オレの道は途絶えてしまった。オレは、オレは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 作品が、人生に、なった?

 それは───それは、あなたでは、なくて、

 

「我が古き盟友、お前はいつもオレの背中を押してくれていた。正しい道へと押してくれた…もう少し、強く押してくれていればな」

 

 ちがう、それはちがう。

 きっと彼の押した道は正しかったかも、しれない。でもその彼の言葉よりも自分の選んだ道を。

 

 後悔しない道を選んでいたなら、あなたの選択は間違ってなんか、いないはず。

 

 たとえそれが、悪夢を生み、世界を壊してしまったとしても。

 

「ヘンリー、キミの昔の仕事場へ行きたまえ。お前に見せたいものがある」

 

 おじさんが皺だらけの手で指す扉。

 そこは、きっとベンディが生まれた場所。

 彼の、生誕地。

 私の意思か、ベンディの意思か、その双方どちらかもわからぬまま。身体が勝手に扉の前に立つ。

 そして、ドアノブをくるりと回して、扉の向こうへ───

 

 

 ぎゅるりと、開いた扉からナニカが押し寄せる。

 

 

 インクの波にも、ガラクタにも、瓦礫にも似たそれは、私が事故に遭ったときに触れたものと、相違ない。

 

  レコードが、レンチが、本が、人形が。

 

   スタジオが、エレベーターが、遊園地が。

 

    そして、インクマシンが、私の身体に流れ込んできて。

 

 

 視界が、緑色の閃光に埋め尽くされた。

 

 

「ああ、これで、オレは安心して逝ける」

 

「ここに来てくれて、ありがとう」

 

 

 古めかしいメロディと、声が、聞こえた気がする。

 

 

 

 

 

 Chapter 40

 

 

 

「…何。ホントどういうことなの…」

 

 数十分後。

 レイニーの姿は、クイーンズの街角のカフェで頭を抱えていた。その姿はまるで打ち切りアニメの理不尽な省略を憂いたキャラクターのようだった。

 原因は、窓の向こうに見えた空き地だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 そこはアニメスタジオもなければ、ジョーイ・ドリュー氏の居宅もなく。

 レイニーの事故の痕跡が、強引に整地されただけの空き地になっていた。レイニーは扉を開けて目を眩ませたと思ったら、目を開ければ空き地のど真ん中に立っているというもしもしポリスメン状態だったのだ。

 買い手募集の立て札があるが、誰も事故現場と知る場所を買い取ろうなどと酔狂なことを抜かす輩はいないだろう。

 

「……ベンディ」

 

………

 

「ベンディ?」

 

…… Sorry , I’m really out of it . Of course I remember meeting him at that house

 (……ゴメン、少シボーットシテタ。勿論アノ家デアノ人ニ会ッタコトハ覚エテルヨ)

 

「だよね」

 

 レイニーはテーブルに置かれたコーヒーを口に含み、緊張と混乱で乾いた喉を潤す。

 そう、レイニーにもベンディにもジョーイ・ドリュー氏の家に行ったという記憶は残っているのだ。

 

「アーカイブは?」

 

Kept them . But That is not all

 (取ッテアル。デモソレダケジャナイ)

 

「…なんか、すごいアレ流れ込んできたよね。心なしか身体が重くなったような…太った? 身体の奥がガシャガシャ鳴ってる気がするけど」

 

… Putting together it !

 (…ソレヲ今ミンナデ整理シテルンダヨ!)

 

「あーね、なるほど」

 

 どういう理屈かはレイニーにもわかっていないが、あのアニメスタジオは今レイニーの中にあるらしい。

 体感、体重増えた? とレイニーは感じているが、レイニーの身体の中ではベンディたちが奮闘して流れ込んできたゴミのようなアレやコレがミックスされているらしい。仮想マンションにロードローラーが衝突してクラッシュしたような感じかな、とレイニーはアタリをつけた。

 

 実は、レイニーは実家にもう寄っていた。

 立場上生家とはいえ、死んだ身としてはあまり長居はできなかった。

 アニメスタジオ消失事件で精神状態が乱れてはいたものの冷静さは失ってなかった。むしろこれで一休みしたら逆に実家に寄る意欲を無くすだろうと予感して、レイニーは先に実家に訪れたのである。

 

 結果、内容はともかくとして、得るものはあった。

 家の中は妙に小綺麗なようで要所要所埃が積もっており、掃除が下手な人でも侵入したのだろうと適当なアタリをつけていた。何処から入り込んだのか、カサカサとタランチュラくらいのすばしっこい蜘蛛が闊歩して巣を張っていたことには驚いたが、「夜じゃないからいいか」と昔母親(エニシ)に教えられたことを思い出して放置していた。暗に夜来ていたら殺すからなという意味でもある。

 

 得るものはあったが、内容は確認していない。

 まさか家に二台あったドラム式洗濯機に入ったら地下の隠し部屋に入れるとは予想だにしなかった。もう何があっても驚かないでしょとタカを括っていたレイニーでも驚きと呆れしかなかった。なんでこんな仕掛けにしたの? と。

 部屋に入れたはいいが、如何せん資料が多過ぎて読める気がしなかったため、全部身体の中に収納してすっからかんにして引き上げたのである。レイニーは楽をしたが、ゴミ&ゴミと格闘するベンディたちからすればボイコット待った無し案件だった。しかし怒る気力すらも今は湧かないので、重要らしい資料は別の場所に隔離しつつゴミの整理にあたっている。

 

 ベンディもベンディで、レイニーの身体の中の内装の変化に戸惑いを隠せなかった。

 自身を生み出した原因でもあるジョーイ・ドリュー氏への復讐を果たしたかったが、それ以前に彼の声を、ベンディはただ聞きたかったのだ。

 

 どんなに言葉を並べようと。

 どんなに謝ろうと。

 ベンディの復讐心が途絶えることは、ない。それがベンディの存在意義であり証明でもある。

 

 だが、それはそれとして、棲み慣れたマンションが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に変遷された現状をどうにかしなければならなかった。入居メンバーは変わらないが、棲み場所が激変し私物とガラクタがごちゃ混ぜになっては、レイニーにはなぜか驚くほど影響がないが、ベンディたちにとっては死活問題でもある。戦闘には支障がないが、当面はレイニーの身体の中の整理に着手せざるを得ない。

 そんな状況とはつゆ知らず(勿論後で教えられる)、呑気にコーヒーを飲んでるとレイニーの席にウェイターが、客を一人伴って来る。

 

「すみません、お客様」

 

「ん?」

 

「席が埋まってるので、相席よろしいですか?」

 

「あぁ、いいですよ。私も飲み終わったらすぐ帰りますので」

 

 レイニーが見渡せば、どこもかしこも席はカップルや親子で埋まっている。外では日が傾き夕暮れ、学校帰りや定時退勤した人たちが来る時間帯でもあった。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう! あ〜席が埋まっちゃっててどーしようかと思ってたわ。あら、そのパーカーかわいいわね、トナカイみたい」

 

「シカですよ」

 

「シカなの? へぇ〜違いわからなかったわ……ん、えっと…え? もしかしてレニーちゃん?」

 

「……はい?」

 

 ふと、懐かしい愛称を呼ばれてレイニーは顔を上げた。

 

 過去、レイニーのことをレニーと呼ぶ人物は二人しかいない。しかし、それをレイニーが誰かに教えた覚えはないし、相席で来た客に伝えた覚えもない。

 つまり、

 

「…メイさん?」

 

 思いがけない人との再会だった。

 

 

 

 

 

 



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 ※ファー・フロム・ホームのネタバレを含みます。ご注意ください

 ※マークは見ましたか? 注意書きに目を通しましたか? クレームは勘弁してください。それではどうぞ





 

 

 

 Chapter 40 → 39 → 38.5

 

 

 

 名前はわからない。

 知っているのは、コードネーム:ウィンター・ソルジャーということだけ。

 命じられたままに『任務』を遂行し、終わればまた新しい『任務』を遂行する。そこに充実感はなく、かといって罪悪感もない。ひたすら虚無しかない。

 そこかしこにいる人間が顔を歪め(笑い)声を出し(騒ぎ)動き回る(興奮する)ような営みが、俺にとっては『任務』しかなかった。

 

 だが、過去の俺を知っている人がいた。

 

 名前は…キャプテン。キャプテン・アメリカ。そう案内板に書いてある。いや違う。

 

 

「最後まで、とことん付き合うよ」

 

 

 違う、ヤツは、彼は、あいつは、俺はあいつを知ってる。スティーブ。スティーブ・ロジャース。昔、紛れもなくこの()が、そう口にしていた…気がする。

 ダメだ、また頭に()()がかかる。気持ち悪い。

 博物館とやらに来てみたが、結局名前がわかっただけだった。

 

 

スティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカ

 

 そして。

 

バッキー・バーンズ 1917-1945

 

 これが、俺の名前。

 …正直、『これ』が自分の名前だという実感がない。だが、

 

 

「バッキー」

 

「ずっと一緒だった。幼馴染だったろう」

 

「友達だから」

 

 

 あの空母の中で何度も呼ばれた名前には身体が、覚えていた気がした。これから、ゆっくり、思い出していけばいいか。

 

 人混みに紛れて博物館の外へ出ると「プップー」…見覚えあるヤツが、黒のオープンカーに乗ってフランクに手を振ってやがる。

 思わずため息が漏れた。

 

 そいつの名前は、ボリス。

 鼻の長い犬みたいな(本人は狼だと…人?)被り物を被った変人だ。目覚めてからこんなヤツに出会ったことは一度もない。いや、今後も出会わないだろうって確信はある。できれば裏切られたくない確信だが。

 別に無視してもよかった。だが、俺と同じように左手が機械的な義手であることが妙な同族意識を持った。

 俺のことをバッキーと呼んだヤツを川から引き揚げてやったが、そのあと力尽きた俺を助けてくれたのが、このボリスとかいうヤツだった。

 

 注目を集められるよりも先に、さっさと車に乗り込んでやる。クソ、組織から追われてる身だから目立つのは御免だってのに。しかもコイツ、ご機嫌そうに鼻歌歌いながらアクセルを踏みやがった。

 

「どこへ行くんだ?」

 

 俺がそう聞くと、ボリスは話すことなく(そもそも口数少ない)何かがたくさん詰まった紙袋を渡す。銃でも入ってるのか。

 

 紙袋を覗き込むと、色々な形の食糧らしきものが入ってた。これは…菓子か?

 

「これは…知ってる。プレッツェル、だったか」

 

 丸いチューブ状の小麦粉を繋げて焼かれたそれは、口に含むと僅かに塩味が広がった。岩塩か。悪くない味付けだ。

 

 ぱちんとボリスが指を鳴らすと、ボリスは運転しながら車に搭載されていたカーナビを操作してある目的地を入力した。

 

 

   次の目的地 》》》 România(ルーマニア)

 

 

「……菓子で、決めたのか?」

 

 俺の言葉に、ボリスはふふんと鼻を鳴らすだけだった。

 ……一々所作が気に障るが、旅の道連れには丁度いいか。

 

 

 

 

 Mission.2

 『監視の目を増やそう』

 

 

 

 達成(Complete)

 

 

 

 

 

 Chapter 41

 

 

 

「ささ! 入って入って! 別に気にしなくてもいいわよ、昔よく上がって来たでしょ!」

 

 家の鍵を開けたメイさんが輝かんばかりのキラッキラな笑顔で手招きしてくる。これは断れる空気じゃないぞ? おかしいな、荷物持ちだけでさよならバイバイかと思ったんだけど。甘かったか。

 

「……お、おじゃまします」

 

 ───その昔、鬼という化物がいたそうな。鬼は人よりも何倍も力強く、角が生えた頭、剥き出しの牙と見た目はそれはそれは恐ろしいものじゃった。鬼はどの生き物よりも残忍で、一度合えば足の先から髪の毛の一本まで喰われてしまうという。

 しかし! 鬼にも弱点の一つや二つはあった。勧められた酒は断らず、炒り豆に弱く、そしてなによりも家に招かれなければ家に入ることはできず、鰊を戸口に吊るされれば逃げるしかなかったのである!

 

「………」

 

 はて、私は誰に何の説明をしてるんだろうか。

 ああそうか、これは現実逃避だ。ベンディの生家(アニメスタジオ)の調査と実家帰省でホームシックが解消されて入れ替わりで謎が増えたと思ったら、厄介ごとのキラーパスが飛んできて顔面キャッチしてしまったんだ。

 

 つまりこれは当然の生体反射。仕方ないね。

 メイさんにバレないように小さく息を吐き、玄関のドアを閉める。

 

「……」

 

 ()()

 でも、敢えて言うまい。メイさんも私をハメた訳ではないだろうに。ドッキリのつもりはないんだろうけど、サプライズを事前に知ってしまった身としては知らんぷりの演技力が問われる…くそう、こんなところで役者魂を見せねばならんのか!

 

「でも驚いたわ〜だってすごい事故だったもの。トラックは突っ込んでスタジオは壊れて、それに貴女が巻き込まれて…ご遺体も、見つからなかったくらい酷かったし…」

 

「いやー私も驚いちゃいましたよ。いつの間にか病院に移送されてたみたいですけど、目が醒めたのはここ最近でして」

 

「あらそうなの…しばらく昏睡状態だったのね」

 

 と、いうでっち上げのカバーストーリーを即興で組み立てる。あまり詳しかったり細かい設定を話すのはNGだ、()()()()とバレてしまう。

 ほんのり、ぼかして。真実にいくつかラップをかけて覆い隠して。限りなくホントに近いウソをつく。

 

「もう家の方には寄ったのかしら?」

 

「ええ、思ったよりも綺麗で驚きました。父が来てたんでしょうか」

 

「いいえ? 実はピーターが毎週掃除しに行ってるのよ」

 

 え? どういうこと?

 ぽかんとしてるとメイさんに笑われた。いかんいかん、実家に戻ったせいか気が緩んで顔に感情が現れやすくなってる。

 …いや、別に仕事場でも敵地でもないんだから、多少はハメを外してもいいかもしれない。そもそも表情筋硬くなって鉄面皮なロリがいたらそれはそれで不気味だ。あとで鏡見ながら表情筋鍛えよ。

 

「実は、あの事故があった後で貴女のお父さん、フィルさんの転勤が決まってね。その時に家の鍵をピーターに渡したのよ。それ以来、週末に掃除するのが習慣になってるの。毎週欠かさずね」

 

「…そういうこと。どおりで少し綺麗になってた訳です、P.P.…ピーターにありがとうって伝えてください」

 

「いいのよ」

 

 ずず、と紅茶を飲む。ミントティーは鼻にツンと来るし、某青い歯磨き粉みたいなアイスクリームの刺激を思い起こすからあまり好きではないんだけど…苦い…なんか、色々と苦い。

 

「あの、私が事故で行方不明になった後…ピーターは…?」

 

「それはもう、すごい落ち込んだわよ。ピーターも軽傷だったけど、それよりも貴女に身を呈して助けられたってことがショックで…数ヶ月は塞ぎ込んでたわ。でも、貴女のお母さんが来てね」

 

 

 は? あの()()()()()が???

 

 

 ……いかん、心の声が喉元まで出て! レニーは悪い子! レニーは悪い子!(自罰)

 

「レニーちゃん、古い映画とかすごい好きだったでしょう? それで、エニシさんがピーターにレニーちゃんの持ってた映画のDVDをいくつかお見舞いにプレゼントしたのよ。ぼーっとしてたピーターに映画を流して…でも、ずっと観てたら…男泣きっていうのかしら。声もあげずに涙流してね…その時、ようやく泣けたのよ」

 

「…『ゴースト/ニューヨークの幻』でも観せてたんですか」

 

「どうだったかしら。確か男の人が後ろからろくろ回すのを手伝ってるシーンがあったけど」

 

 ドンピシャだよ! あれ!? 私の嗜好ってあのババア譲り!? しにたい。

 

 それ、子どもに観せても絶対意味わかんないでしょ…未成年には結構ギリギリなシーンあったでしょ…せめて『マンハッタン・ラプソディ』とか『シザーハンズ』とかさぁ…いや待て待て待て。なぜそう恋愛映画を勧めようとしているんだ? いや、化物という点では私はエドワードか。

 

「それから、ピーターってばレニーちゃんみたいに色々な映画を観るようになったのよ。そのうちどんどんのめり込んでてね。少しずつ元気になったわ。学校は…出席日数が大変だったけど、ギリギリだったけど」

 

 メイさんが指差した先はテレビ下のラック。

 席を外して見に行くと、生前(というのもおかしいが)私が集めていた古いDVDがいくつか並んでいた。お、SW(スター・ウォーズ)も。実家に無かったから勝手に処分されたと思ったらここにあったのね。

 

「家のものを荒らさない限りは何してもいいですよ。ただ、変な蜘蛛が巣張ってたので、大きくならない内に逃した方がいい、と…伝えておいてください」

 

「伝えておくわ」

 

 マグカップを傾けて楽しそうに笑うメイさん。昔からウソは吐けない人だからこれは()()()()()()()

 

「でも、わざわざ私が伝えなくても、レニーちゃんが伝えればいいんじゃない? そうだー! いいこと考えた! レニーちゃん今日泊まってきなさいよ!」

 

 我が意を得たり! とばかりに手を鳴らすメイさん。やめて、やめて差し上げて。私はいいけどピーターが何ていうか分かったものじゃない。

 え? 事故って死んだと思った幼馴染が生きてた? ウェーイやったぁー! レッツパーリー! 復活祭しようぜお前イエスサマな! ってなる訳ないでしょ。顔合わせたら絶対気まずい。

 

 

 いや、まぁ、私も、覚悟はできてないんですけど。

 

 

「いいえ、私は…引き取り先の親族が門限五月蝿い人なので」

 

「あらそうなの。もう少しで帰ってくると思うんだけど…」

 

 とても残念そうな声音。ウゥ、別に嫌がらせをしてるわけでもないのに罪悪感に駆られる…! 最近身の回りの人がみんな腹に一物抱えたブラックな人ばかりだから、一般ピーポーの100%の善意が身に染みる…いいことの筈なのに複雑な心境だ。

 

「またいつでも来ていいのよ。ここは貴女の家でもあるのだから」

 

「ええ、今度はそうですね…休日にでも。事前に電話してから来ますよ」

 

 リアルに後ろ髪を引かれるとはこのことか、カップを置いてソファから離れるとメイさんの口角がどんどん下がっていく…ここは心を鬼にするのだ! そう…私はいま、鬼になっている! ぐるるるる…! 心頭滅却すれば顔までイノキ…! イノキってなんだ。

 

「あら嬉しい、それじゃその時は腕によりをかけて料理しておくわ。貴女の好きなクルミとデーツ入りのパンも焼いておくわね」

 

「お、おかまいなく…あ、そうだ」

 

 そうそう、忘れるところだった。

 

「公開順は『希望』『逆襲』『帰還』『ファントムメナス』『シス』『復讐』だけど、後半三本を先に観ると違った面白味があるよ、と」

 

「……?」

 

 こてん、と首を傾げて苦笑いなメイさん。どういう意味? って言いたいんでしょうけど、大丈夫。貴女に言った訳じゃないから。

 

 

 私が来たのに、顔を出さないチキンハートな彼に言っただけだから。

 

 

 それじゃまた、と手を振り、パーカー家から出る。

 閉じられた、古びた扉を眺めてみるけど、特に変わった箇所もない。昔と変わらない、自然で平和な家。

 

 

 ここがありふれた日常で、私たちが守るべきものでもある。

 

 

 すべてが終わったら。

 

 すべてが終わったら、またこの家を訪れよう。その時は、ニューヨーク土産を沢山買ってきて。それに、

 

「……『映画』か…」

 

 アパートのエレベーターから降りて、空を仰ぐ。新月の夜は真っ暗で、インクと色の深さは同じくらいだ。

 うん、映画か…それはいいかもしれない。

 思い立ったがなんとやら。内ポケットから取り出した携帯端末に登録されている番号をタップ。

 

「あ、もしもしトニーさん? あれぇ、なんでハッピーさんに繋がってるの。え? コート預かってた? あぁ、もう夜だからペッパーさんとお楽しみだったり? まぁいいか、ちょっとお願い…じゃなかった、依頼があるってトニーさんに伝えて貰える? 部屋から出たときでもいいから」

 

 ジョーイ・ドリュー氏は亡くなった。

 ヘンリー・スタイン氏も、恐らくは。

 アニメスタジオも消え、私の中には生み出されただけのキャラクターがいる。

 いま亡き人々への手向け、そしてベンディの憎しみを少しでも減らせるのなら。

 やってみる価値は、ある。

 

「トニーさん? 早いね、お楽しみは…え? 早く要件を言え? わざわざ中断してまでごめんなさい。ちょっと至急、スターク・インダストリーズの映像部門の人を何人か見繕って欲しくて…ペッパーさん! そっかそもそもペッパーさんが社長だよね! あれ、トニーさん要らなくない? あ、ごめんなさいウソだから! トニーさん必要! すっごく助けてほしいなぁ私! これトニーさんにしかできないことだから! 多分!」

 

 

 

 

 

 Chapter 42

 

 

 

「……どういう意味かしら」

 

「……え? あー…そういうこと?」

 

「っわ! びっくりした…! ピーター! 貴方いつの間に帰ってきてたの!? え、もしかして」

 

「えと、僕、キッチン裏に、ずっと、あ、戸締りはちゃんとしてたよ、ホラ」

 

「そうじゃなくて! ピーター、レニーちゃんが来てたのよ!? なんでコソコソ隠れて、挨拶もしないの!」

 

「いやいやいや! 顔合わせられないよ! 叔母さんも叔母さんだよ、「数ヶ月塞ぎ込んでた」とか「泣いた」とかデマ言って! 三日寝込んでただけじゃんか!!」

 

「そんなことないわよ。実際レニーちゃんのお母さんがDVD持ってくるまでも〜ゲッソリって顔だったじゃない。それにレニーちゃんは頑張って家に来たっていうのに、貴方が顔出さないなんて…きっと残念だったと思うわよ。命をかけて助けたピーターの顔を見たら、きっと喜んでたでしょうに…」

 

「いや、それは…そうだけど…そうじゃなくて…」

 

「それに…『逆襲』とか〜、『ファントム…』なんちゃらって、何かのシリーズのことでしょ? それを貴方に向けて言ったってことは、多分最初からバレてたわよ」

 

「……え、嘘。マジで?」

 

「大マジ。女の勘って鋭いのよ」

 

「…う、うあああああああああああ……」

 

「次会ったときはちゃんと挨拶するのよ」

 

「どんな顔して会えばいいんだよ! もう!」

 

 

 

 

 Chapter 43

 

 

 

 翌日。

 レイニーは竣工間近のアベンジャーズ・タワーの一室にいた。竣工間近といっても、あとは搬入した機材の接続や動作確認、電気系統や水道のチェックなどが残っているだけで、会議室など空き部屋のいくつかは事実上使用可能な状態だった。

 地上数十M(メートル)の高さから見下ろすニューヨークの町並みはレイニーの予想を遥かに上回る速度で復興を遂げており、既に多くの人々が行き交っている。そんな眺めを、リクライニング機能つきの回転椅子に座りながらぐるぐる回っていると、ノックもなしにトニーが入ってきた。

 

「やぁ──レイニー。元気かい? ワシントンじゃハデにやったみたいだねぇ、大丈夫? イライラとかない? カルシウム足りてるかい?」

 

「大丈夫だよトニーさん、ちゃんと毎日三食バランスよくご飯食べてるから」

 

「そうかいそうかい、いや〜またキミの中のくろ〜い悪魔さんが怒り心頭でハルクみたいに暴れ出しちゃうかと思ってねぇ」

「ちょっとトニー」

「わかった、わかったからそう抓らないでペッパー、ちょっとしたゴアイサツさゴアイサツ。親交の証だよ。さて」

 

 こっちきて、早く来い、いいから! と若干取り込み中の様子のトニー。合図をしてもいつまで経っても出てこないことに業を煮やしたトニーは、自分を忘れたようにレイニーに抱きつくペッパーを見てわなわなと頬を震わせつつ、廊下から一人の男を引っ張り出した。離してすぐハンカチで手を拭く姿は流石のレイニーもドン引きだったが。

 トニーに伴われてやってきたのは、口周りの髭がなんとも立派な一人の青年だった。目の周りが少し黒いのは彫りが深いだけではなく、恐らく睡眠時間が少ないせいだろう。

 

「ああ、まだ研究中なのになんでこんなガキに…いや、何でもありません。クエンティン・ベックと言います、よろしく」

 

「レイニー・コールソンです。よろしくお願いします、社長代理」

 

「……は? 社長代理?」

 

「よかったなティンティン」

「ベックです、クエンティン・ベック!」

「ベンくん、我が社の平社員から一躍昇進して社長代理だおめでとう。それじゃあな」

 

「え? あの」「トニーさんありがとう〜」

 

 レイニーに抱きつくペッパーを奪い取ると、トニーはレイニーに犬みたいな威嚇の唸り声をあげて牽制しつつ、スタコラサッサと会議室から退室して行った。

 

 会議室に残ったのはレイニーとベックの二人。

 未だ状況を飲み込めないベックに対し、レイニーは隣の椅子を指して着席を促した。ベックはどうすればいいか分からず、とりあえず座ってレイニーと向き合う。

 

「…ええと、若社長?」

 

「レイニーでいいですよ。実際年齢は私の方が下ですから。肩書きは抜きで、年功序列で。でも一応私の指示は聞いてもらいまっす」

 

「あ、あぁ…わかった。それで、何をしようというんだい?」

 

「ええ、実はあなたの腕を見込んで一大プロジェクトを始めようと思います。その名も『ベンディ・アニメーション・プロジェクト』」

 

「ベンディ? ベンディってあの、アベンジャーズの?」

 

「うん」「ニューヨークで」「戦って」「ワシントンで」「大暴れした」「史上最悪のデビルヒーロー!」「ハイ最後ちょっとダメー」

 

 ブブーっと腕で大きなバッテン。

 デビルヒーローの名前はベックにも知れ渡っていたが、レイニーはお気に召さないようだった。

 

「でも若社ちょ…レイニーさん。わかってます? 世の中には著作権というものが」

 

「ドリュー氏のスタジオの経営権は買収してありますよ。他にも全部込み込みで2億ドルくらいかかりましたけど。お陰であと7千万くらいしか私が動かせるお金はないです」

 

「…え」

 

「著作権なら、一応2年前に著作権局に申請してあるので大丈夫ですよ。『ベンディ』『ボリス』『アリス』その他諸々、ベンディ関連は全て。最近クソウザい著作権おじさんが世の中に蔓延ってますからね。英語、日本語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、全部の言語で申請しましたからいちゃもん付けられたり横領されることはないでしょう」

 

「え」

 

「あと、私がベンディなので、ある程度というよりほとんどの利権関連は問題ないかと」

 

「」

 

 時が止まった。ベック限定ではあるが。

 レイニーがトントンとテーブルを小突くとベックは我に返った。

 

「はっ! っアー…いかんいかん、悪い夢でも見てるのか。オールで研究してたせいで睡眠時間が足りないみたいだ」

 

This is real life , not a dream

 (夢ジャナイヨ)

 

「ヒッ」

 

 今度は息を呑んだ。

 それもそうだ、目の前の何処にでもいそうな少女が突然巷で有名なインクの悪魔(ベンディ)になれば、誰だって身が竦む。ガタガタッと椅子から転げ落ちたが、どこぞの強盗よろしく漏らさなかっただけマシだろう。

 ベンディのインクを剥がし、元の姿に戻ったレイニーは倒れたベックを引き上げて椅子に座らせる。心臓がバクバク早鳴りして過呼吸のようだったので、正味30秒ほど落ち着かせた。

 

「……ええと、レイニーさん? ベンディさん、と呼べばよろしいので?」

 

「できればレイニーの方で」

 

「…ではレイニーさん。権利云々は問題ないとして、我々二人でどうやってアニメを作るおつもりで?」

 

「それなら一つ案がある」

 

 レイニーは持参していたファイルケースから数枚の原稿を取り出す。

 これは、ジョーイ・ドリュー宅に訪問した際に入手(正確には吸収)したベンディのアニメーションの原稿である。パーカー宅から帰宅後、レイニーの身体の中の整理がようやく済んだベンディに大至急頼んだのが、この原稿の復元・再生・抽出だった。

 一目で見ても相当の年季が入った原稿を見て、ベックは驚きを露わにした。

 

「こ、これは…」

 

「ジョーイ・ドリュー氏が遺したベンディの原稿です。これを元に…うーん、2分程度のミニアニメを作ります。そしてそれをSNSに無料配信します」

 

「この原稿を2分に!? いやいやいやとんでもない! そんな短縮できるわけがない! いや、でも、うーん…これを、SNSに? 無料!?」

 

「はい。それで、支援金集めとスタッフ募集の両方を行います。最近流行ってますよね、クラウドファンディング」

 

「ええ、まぁ──流行ってるっちゃあ流行ってますが…正直アニメーションを作るなら雀の涙くらいしか…」

 

「クラウドファンディングをバカにしないほうがいいですよ、最近は作品のためなら100万くらいポンと出す人もいますから。

 この作品は…そして『ベンディ』は、世の中に自身の作品が出ることを望んでいます。でも、私たちには資金が足りないし、そのためのスタッフもいない。彼は、狂ってしまった社長とスタッフによってゴミ箱に棄てられてしまった」

 

 ───作品とは、そのどれもがおしなべて世に出回る訳ではない。中には日の目を浴びることなく創造主の記憶の中に埋没して消え失せることだってある、くしゃくしゃに丸められてゴミ箱に棄てられることだってある。

 

 作品を生み出すことに〝愛〟や〝憎しみ〟はない。ただ、作品が誰かの〝夢〟や〝希望〟になることを願って、一筆一筆を込めたことに違いはない。

 創造主は、その作品を否定してはいけない。

 

 

 だが、創造主(ヘンリー)はその禁忌を犯した。

 そして被造物(ベンディ)が堕ちた。

 

 

「だから、今度は純粋にベンディが好きな人たちで、作品を作りたいんです」

 

 

 悪魔として終わることがベンディにとっての幸福なのかについて、レイニーは考えていた。

 別に悪魔としてではなく、それこそ誰かの〝夢〟や〝希望〟の為に、一人でも多くの人に〝笑顔〟を与える為に存在したのであれば、それは創造主にとっても被造物にとっても幸運なのではないだろうか。

 

 創造主はもういない。被造物の時は止まったまま。

 

 ならば、止まった時計の針を動かせるのは誰?

 

 自分しかいない。

 ベンディと一体化し、その憎しみや苦しみを身を以て味わった自分だからこそ、その〝願い〟に気付き、〝夢〟を叶えられる。レイニーはそう考えた。

 

「だから、お願いします」

 

 だが、レイニーには自分一人でその〝夢〟を実現することは困難だと考えた。だから、アベンジャーズのメンバーであり、友人であるトニーに協力者の斡旋を頼んだのだ。

 レイニーの言葉を聞き、そしてその瞳に宿る強い意志を垣間見たベックは、腕を組み深く唸りつつ、声を絞り出した。

 

「…いいでしょう」

 

「やったッホントですか! いや、私が社長だからなんかリアクション変だ…」

 

「ホントそうですよ。社長ってのはもっとふてぶてしくて、図々しくて、いつも偉ぶってて、人を顎で使うようなクソみたいなヤツです」

 

「…わぁ、トニーさんだぁ」

 

「そういう点でも、私はまだ貴女を社長とは認めていません。ですから……まぁ、代理と言われたからには、社長としてのノウハウを教え…違うな、支え…じゃない。助けて…そう、手助けして差し上げましょう!」

 

「おお、一気にボルテージアゲアゲ」「いいですね!」「ハイ」

 

「まったく…おふざけもいいですけど、決めるところはきっちりしてもらいたい! ですが…純粋に貴女の作品への熱意は認めますよ」

 

「あはは、ありがとうございます。作品っていうか、私ですからね」

 

「違いますよ」

 

「?」

 

 レイニーは首を傾げ目を丸くした。そういうところは年相応だな、とベックは内心笑った。

 

「貴女がベンディであることと、貴女へのベンディへの思い入れは違います。貴女がベンディであること抜きにしても、『ベンディ』という作品を深く大事に、大切にしている。これでも私はスターク社の映像部門の研究者。それくらい分かりますよ」

 

「…ちょっと照れる」

 

「あと『映画バカ』って点でバカにしてます」

 

「ひどい!」

 

「だってそうじゃないですか! 原稿はあるにしたって金もないスタッフもない、そのくせ夢は大きいし本気で叶えようとしてる! バカじゃなくてなんだっていうんですかこのバカ社長! 将来偉人名鑑には『21世紀のエド・ウッド』って付きますよ!」

 

「失敬な! …いや、見方によっては名誉なのかな?」

 

「あんた変態か!?」

 

「う、うるへぇ! んこご、手なっが! くそ、リーチで負けた…!」

 

「ハッ。まぁ担ぐなら頭が軽い方がやりやすいですからね」

 

「あ! 悪口言ったァ!」

 

「無駄口叩いてないで、ちゃんとした企画立てますよ。一大プロジェクトなんですから」

 

 

 

 

 ───数ヶ月後、少女と青年によって手掛けられた一つのアニメーションがSNSにアップロードされた。

 『愛らしい小悪魔(Little Devil Darlin)』と名付けられた、僅か2分20秒の動画は一日で24万再生を記録し、あらゆるメディアを経て世界中に拡散された。これは〝アベンジャーズの一員〟としてのベンディではなく、〝カートゥーンアニメのキャラクター〟としてのベンディが、世界的注目を集めたことと同義でもあった。アニメーションは瞬く間に衆目の目に留まり、クラウドファンディングで集まった金額は予想額の3倍を大幅に上回った。ベンディ・アニメーション・プロジェクトに参加したいというスタッフは後を絶たず、その多くはニューヨークで助けられた人たちだったという。

 

 アップロードから半年を経て、プロジェクトは第一目標である映画化へ向けて本格始動を開始する。

 ソコヴィアにてロキの杖が発見される、二ヶ月前のことだった。

 

 

 

 

 Mission.3

 『ベンディをアニメ化させよう』

 

 

 

 達成(Complete)…?

 

 

 進行中(Ongoing)

 

 

 

 

 

 











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イフ・アナザーバース



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 Chapter 39?

 

 

 

 見覚えある玄関。少し雑草の背が伸びた庭。外から見える窓の桟には埃が積もってる。

 

 いつの間にかサンドイッチはぺろりと平らげ。

 ムーンウォークでゆーっくり歩いていたはずなんだけど。

 目の前には実家! いやだ、肌の上を走る蕁麻疹が疼く…! あ、肌なかったわ。

 ハイ、正直気は全ッ進まない! やってられっかぁ!

 

「…どっちがいいかな」

 

 さあ、ここで選択肢がある。極東のハイクオリティゲームで例えるとこうだ。

 

 

 

Q.どこに行きますか?

  →マイスイートホーム実家

  →ゴゥトゥヘルスタジオ

 

 

 よし、実家にしよう。

 隣がP.P.の家だけど…多分、メイさんは出かけてるしP.P.は…学生だよね? だからまだ学校が終わる時間ではないはず。スタジオなんてその気になればいつでも行けるし、P.P.と鉢合わせするのは…なんだか、気まずい。

 

 実家の玄関の扉は鍵が掛かっていたが…最近開けた形跡が見られる。パパンが来たりしたのかな? もしくはどこかの組織の連中? 仮にそうだとして、扉を開けたらピンが外れてドカン!とかなったら嫌だなぁ。一応指先をインク状に溶かして罠がないか探る。

 

「……あれ?」

 

 感触は普通だった。

 でも何かがおかしかった。

 ブクブクしたインクのような、泡のような何かに触れた感覚。まさか…柔軟剤たっぷりの洗濯機が暴走!?

 

 んなわけあるか。

 

 罠はない。罠という感触は無いけど…()()()()()()。奇妙、と言うべきか。少なくとも生まれてこのかた一度たりともこんな感触を味わった覚えはない。まるで、空気が切り替わったような───

 

 コンコンコン。

 

「おじゃましますよっ……と」

 

「おーマイルズ戻ったか…って、あり?」

 

「遅かったじゃない…え?」

 

「あークソ、このなんちゃらキューブ難し…なんだ、みんなどうした? ア?」

 

「待ちくたびれたよ、どうやら覚悟は決まっ…誰?」

 

「あちち、このコーヒーあっついよ……ンン?」

 

 ヒゲの剃り残しが目立つ三段腹八頭身の赤青タイツおじさん。

 右の刈り上げ以外はクールビューティなブロンドヘアの白タイツお姉さん。

 トレンチコートにフェドラハット、パイロットゴーグルの白黒おじさん。

 ジャパニーズっぽい感じの子とメカメカしいロボット。

 ブタ。

 

 なんだ。いつからウチは仮装大賞のコンクール場になったんだ。

 夢にしては、えらく突拍子もないよ、コレ。

 そもそも夢って睡眠時の記憶の整理の際の残滓が映し出すモノだから、普通見たことも聞いたこともないモノを映すことは無いって聞いたんだけど。

 

 ……これ、入る家間違えたな、てへ☆ ウッカリー。

 

「……お邪魔しました」

 

 ドアを閉じて奇妙な仮装集団が視界から消える。ちょっと冷静じゃないだけだ、実家に帰るのにそこまで緊張していたのか私。精神状態脆弱すぎでしょ。

 一旦玄関から離れて家と反対側の方を振り向いたら──少なくとも、クイーンズの通りでは見たことのない風景が。アレェ? 私アパートに居たはずよね??? え?

 困惑していると背後のドアが開きニュッと伸びた手が私の肩をがっしり掴んできた。

 

「おいちょっと待て」

 

「待ちません振り返りません。私は全身タイツの変態集団なんか見てないしモノクロ人間やロボットや豚も見てないです」

 

「ウソつけ! お前そこまで言っといて「見てません」は無いだろ!」

 

「知らないよ! ていうかか弱い女の子の肩掴まないでよヘンタイ! ストーカー! 加齢臭!」

 

「最後のマジでやめろ!」

 

 インクに溶けて逃げようと考えた矢先、後頭部に何か取り付けられたのかそこから、ぐんと引っ張られて家の中に引き込まれた。いった!

 地面に水平に引っ張られるのとは対照的に、私の眼前を横切った白い糸のような何かが玄関のドアに付着すると、その糸を引っ張られたのかバタンと扉が閉まる。くそぅ、逃げ道塞がれた。

 びたーん! と盛大に背中から着地すると、仮装した変態集団がわらわらと寄ってくる。やめろぅ、大勢にじろじろ見られるのは慣れてないんだ!

 

 

 見ていいのは、見られる覚悟がある奴だけだ!

 

 

「…あなた達誰よ。なんか、クモっぽい格好してるけど」

 

「俺はピーター・B・パーカー。なな、お前さん…どっかで俺と会ったか?」

 

「私はグウェン・ステイシー。もしかして貴女……レインなの!?」

 

「オレはピーター・パーカー。どちらかと言えばノワールの方が呼ばれ慣れてるな、同郷さんか?」

 

「私の名前はペニー・パーカー! この子は私の親友のSP//dr!」

 

「ボクはピーター・ポーカー。デイリー・ビューグルのカメラマンさ。っていうかアンタ、ベンディだろ? 何やってんだ? お前さんまでこっち来ちまってたのかよ」

 

「……何者?」

 

「「「「「スパイダーマンだ」よ」な」!」ね」

 

 スパイダーマンって複数人の仮装集団の総称なの?

 というか、私は見覚えないけど何人か私を知ってるっぽいという事実が。いや…会ったことない気がするけどなぁこんな濃ゆいキャラ。会ってたら絶対忘れないよ。

 

「……私は、レイニー・コールソン。あなたたちとは…初対面のはずだけど」

 

「コールソン!? あー思い出した! 隣に住んでたあの性悪女じゃんか! え、でもすっごく若くなってるな、グフフフフ…ちっこくなってて威厳も形無しだヌフフフフ」

 

 ぶっ飛ばされたいのかこのヤロウ。

 

「やっぱレインじゃない。でもいつものパンクスタイルじゃないわね…『N・B・C』風のパンクメイクしてないし、ピアスも開けてない。全体的にちっちゃくなった? 胸の小さい貴女なんて見るの始めて…ふふふ、なんか新鮮」

 

 そんなチャラい女になった覚えないんですけど。というか胸の大きい私がいるのか! あとその映画のメイクには興味あるね!

 

「あぁー! 陰険根暗で眼鏡外したレイニーそっくり! でもこっちの方がまだパリピ感ある? 新せーん。 BEN//dyにはもう負けないよ! リベンジしてやるんだから!」

 

 陰険根暗眼鏡ってどんな私だ。そこまで陰キャになった覚えはないぞ、どちらかといえば陽キャだ。それに陰キャになるヒマなんかなかったからね。あとBEN//dyって何?

 

「お前さん、オレのとこに来た依頼人にソックリだな。名前は…ユカリ、だったか? オレと同じで白黒だからピンと来たぜ。この世界は色が多過ぎて訳わからんよなぁ」

 

 いや、私普通にトリコロールカラーのレディですけど。

 ウソごめんそこまで色少なくなかったわ。もっと色あるわ。極彩色!(嘘)

 

「ボリス元気か? あいつよくお前にイジメられててそろそろ八つ当たりでボクに噛み付きそうなんだよなぁ。というかベンディ、お前女だったのか」

 

 ボリスってどのボリスで、そのベンディはどのベンディなんだ。 豚が喋るくらい驚かないけどさ。ベンディはともかくボリスは数えるのも飽きるほどいるからリアルネームで呼ばないとわからないですって。

 

「…ていうか、ここ私の家じゃ……?」

 

「何言ってんだ、ピーター・パーカーの家だろ。この次元じゃ、もう故人だけどな」

 

「はぁ?」

 

 故人?

 この次元?

 空気も全然違うし、アパート密集住宅地でもない、窓から見える景色からしても、一軒家ばかりが等間隔で並んでる。

 仮にここがクイーンズだとして、過去に遡った…いやこんな設備は過去にも未来にもそぐわない。文字通り現代だ。

 ……じゃあ、並行世界か? いやいやいや待て待て待て私はただ実家の玄関開けただけだぞ!? そんなお手頃感覚で世界を跳べるわけないでしょ! ド◯衛門か!

 

「何? また別の次元のスパイダーマンが来たの? って…アラ?」

 

「今度は誰…え?」

 

 そこにいたのは、白髪が増えた壮年の女性で/

違う、あの人はもっと地毛の色が濃い。

 顔にシワが増えて、身体は年相応に痩せこけて/

違う、もっと肌は綺麗で年齢以上に健康そうな身体。

 少し嗄れた、でもまだ張りと芯ある活力に満ちた声/

違う、もっと柔らかくて高い声。

 

「メイ…さん…?」

 

「レニー!」

 

 立ち上がってすぐの私へタックル! じゃない、ハサミみたいなロック! 抱擁! いやちがう、腕ほっそいクセにめっちゃ力強いんですけど!? キリキリ痛む! でもインクになるのは憚られるくらい感動的そうなシーン! これがハメ技か! レバガチャする選択肢はないんですか!? えっ、コントローラー労る勢? そっかーそれなら仕方ない。

 

「あぁレニー、生きてたのね? ピーターに続いて貴女も失うなんて耐えられなかった…あなただけでも無事で…」

 

「ちょ、ちょっと待って。私、違う。メイさんの知るレイニーじゃないし、私の知るメイさんでもないと、思う。ていうか、」

 

 ()()

 

 なんだ。

 なんだその動詞は。それはまるで、亡くなったピーター・パーカーの後を追うように死んだみたいな言い方。

 

「あ…ご、ごめんなさい。貴女は別の次元のレニーなのね。こっちのレニーは…ピーターの訃報を聞いてすぐ、投身自殺したのよ…」

 

 なんだそれ。ここの私何があったし。

 

 

 

 

 

 Chapter 40?

 

 

 

「……つまり、そのキングピンとかいう人が粒子加速機を使って実験した結果……その、スパイダーマン? とかいうマイナーヒーローが」

 

「マイナーじゃねぇよ田舎娘!」

 

「うっさい三段腹。…話戻すよ、その、スパイダーマンが、別次元から引っ越ししてきた訳ね」

 

「引っ越し…うん、まぁ細かいところは置いといて、その見解で合ってるわよ」

 

 グウェン・ステイシー/スパイダーグウェンの説明を聞いたレイニーは途中茶々を入れるB・パーカーに蹴りを入れつつ、頭を抱えた。

 説明の内容は、仮にこの場に友人のトニー・スタークがいれば、あまりにも非現実的で非科学的かつ荒唐無稽なものだと吐き捨てるようなものだった。その分、レイニーは死にかけた自身がベンディという悪魔に呪われて蘇った、所謂ファンタジー枠のヒーロー(ヒロイン?)だった経緯から、ある程度非科学的な事実を飲み込める。

 だが、グウェンから聞いた内容は明らかにその範疇を大いに逸脱していた。論点の相違とでも言えばいいのだろうか。

 

 まず、グウェンの話を認めるには〝スパイダーマン〟というヒーローが世界に一人だけ存在しているということが前提条件として挙げられる。

 だがレイニーは元いた世界でそんなヒーローを聞いた覚えがない。ただし、レイニーがいた時間軸で存在していないだけで、これから生まれるニューヒーローの可能性も否めない。だからこの前提条件は一時棚上げとする。

 

 次に、並行世界の実在。

 ここから先は専門家には遠く及ばないためレイニーも強く言えない。

 言ってしまえば、悪魔の証明(Probatio diabolica)。〝無い〟と証明できなければ〝有る〟を否定することができないということ。

 

 つまるところ、目の前の出来事は全て事実として受け入れるしかないということだ。レイニーはその現実に思わず目眩がしそうになるも、なんとか胸の内にその燻りを溶かして受け入れる。

 

「……うーん、うん、うん…ハイ、わかった。わかりました。否定する材料がないからその話は信じる」

 

「よかったわレイン…じゃなかった、こっちじゃレイニーなんだっけ」

 

「……うん。それで、そちらの世界にも私の同一存在がいるみたいだけど…なんで私までこの騒動に巻き込まれてるの?」

 

 それが疑問だった。

 それはスパイダーマン(仮)たちも同様のようで、三段腹を指摘されて落ち込むB・パーカーも、ロボットの上で唸るペニーも、グウェンも、ノワールも、ポーカーも、皆一様に首を傾げる。

 

「…レディ・ユカリ、お前さんの次元には、スパイダーマンはいないんだよな?」

 

()()()()ね……ただ、ピーター・パーカーという人物なら…知ってる。だから、もしかしたら彼がそうなる可能性はあるわ、えと…」

 

「ノワールだ。しかしそれなら…そのピーターの代わりに連れてこられたという可能性はあるな。オレたちは法則性もなく別々の時代からやってきた。俺は1933年から来た」

 

「私の宇宙は3145年! ニューヨークから来た!」

 

「俺とグウェンはそんな変わらないな、少なくとも2000年代だ。あとマイルスのいる次元も多分あまり変わらない」

 

「……たしかに、いくつか年代に差はあるけど、変わらないわね。私は2014年のクイーンズから来たわ。アベンジャーズのメンバー」

 

「「「「「アベンジャーズ?」」」」」

 

 スパイダーマンたち全員が首を傾げた。そんな組織は彼等の次元には存在しないからだ。

 

「ア、アブェ、アヴェンジャーズ? なんだそりゃ、ゴロツキヴィランの集まりみたいな名前だな。濁った音が多過ぎないか?」

 

「……キャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、ブラック・ウィドウ。この名前に聞き覚えは?」

 

「無い!」

「知らないわ」

「ま、未来にはいるかもしれんがそんな最先端っぽい組織知らんなぁ。何色なんだ?」

「えー私の宇宙にもなかったよ、少なくとも3145年より昔には。教科書にもなかったし」

「ボクも記者だけどそんな名前聞いたことないなぁ。ベンディなら知ってるかもだけど」

 

「…そっかぁ」

 

 アベンジャーズがいないということは、文字通り彼等スパイダーマンがニューヨークの秩序を守っているのだろうとレイニーは思った。

 ただ、ヒーローになるということはそれ相応の責任と、危険が伴う。アベンジャーズというチームでも危機的状況は数え切れず、常人であっては命がもたない。それをスパイダーマンというヒーローひとりだけで背負っていると考えると、ある意味最も過酷で残酷な宇宙が存在していることを暗に示していた。

 

「……それは、大変ね」

 

「「「「「……」」」」」

 

「え、何その反応」

 

「あ、いや…コールソンの顔でそんなこと言われると…戸惑いというかだな? いつもバツイチの俺をからかってたから、その、な?」

 

「…歯ギターしたりマラカスでドラム叩いたり楽器とメンバーに黒ペンキぶちまけて演奏するキチガイのトンチキレインとはギャップあり過ぎるのよ。ま、対バンしたときにヘルシェイク節持ち出された時はサイコーにアツかったけどね」

 

「いつも陰キャのシンジやシモンとオタク談義してるレイニーとは全然ちがーう。私こっちのレイニーの方が好き!」

 

「悪党ぶっ飛ばすだけぶっ飛ばしといて組織から金騙し取るユカリとは大違いだ、これくらいお淑やかな方がまだ…いや、なんでもない」

 

「アリスちゃんと歌って踊ってボリスをいじめるベンディとは全くの別人…別キャラ? だからちょっと驚いちゃったぜ。でも結構面倒見いいんだよなアイツ」

 

 どうやら、ここに集うスパイダーマン同様に彼等の次元にいるレイニーの人格や見た目は多種多様らしい。

 

「…それで、みんなはなんでここに集まってるんだっけ」

 

「あ! そうだ、マイルス! あ、マイルスってのはこの次元の新しいスパイダーマンでな」

「まだ新人中の新人だけどね、糸も能力も使えないし」

「正直、あまり期待はしてないんだけど…ね」

「キングピンの野郎に突撃する前に待ってやろうってことになっててなぁ」

「一応、あいつもこの次元のスパイダーマンになっちまったからな」

 

「ふーん…ん? 今来た人?」

 

 え、と声を合わせてスパイダーマンズが振り向くと、意図せずして発動していた透明化を解除したマイルス・モラレスが息を荒げていた。

 

「あ、お、叔父さんが! ていうかアンタ誰!?」

「別次元のレイニー・コールソン。よろしくー」

「レ、レ、レイニー!? えと、よろしく…じゃなかった! あの、アーロン叔父さんが! キングピンの手下で! プラウラーで! それでッ僕を殺そうとした!」

 

 焦るマイルスを見て、レイニーはああ、とどこか懐かしい感傷に浸る。

 

 ──数ヶ月前、母エニシ・アマツはレイニーと敵対した。よりにもよってアベンジャーズの敵組織であり、しかも長年にわたって敵組織の基盤を築き、支えていた。未だ目的は不明だが、潤沢なヴィブラニウムをふんだんに使った武装を整えており、謎の力で空間を移動する能力も備えている。

 近親者が敵であったという事実は、自然とレイニーに親近感を抱かせた。

 

 よく、自分より焦っている人を見ると返って己は冷静さを取り戻すという場面に出くわす。この場合焦っているのがマイルスで、冷静なのがレイニーだ。

 マイルスは、その叔父さんだったというプラウラーに追われてこの家に逃げ込んだ。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 スパイダーマンたちがスパイダーセンス(ムズムズ)で敵意を感じ取ったものと同様のものを、レイニーは自身の力で感じ取っていた。

 ベンディの能力。すなわちインクの身体。

 こと空気中の振動を感知する流体の身体は、不気味なほど一直線に向かってくる複数の気配を察知していた。

 スパイダーマンたちはマスクを、レイニーはベンディのインクを身に纏う。

 全員がギョッとしてレイニーを見たが、それよりも玄関を突き破って侵入してきた蛸の足のような半透明のマニピュレータがメイ・パーカーめがけて突っ込んできた。レイニーはインクの腕を伸ばしてそれを払い落とす。

 

「あ、ありがと」

 

Don't worry . Quickly, get out of here

 (気にしないで。はやく逃げて)

 

「アラ? 別のお客様もいるわね? スパイダーマン…とは、別の存在かしら?」

 

「何人いようが俺たちがやることに変わりはねぇがな」

 

「クモ以外にヘンなモノが紛れてるな(※スペイン語だぜ)」

 

 オリヴィア・オクタヴィアス/ドクター・オクトパス。

 トゥームストーン。

 スコーピオン。

 

 いかにもヴィランという姿の連中が三人──否、四人。家に入らず外で警戒して突入の機会を窺う敵が一人。マイルスの動揺の波が少ないことから、この場にいない最後の一人が叔父だろう。一触即発の空気の中、メイは眉を顰めて苦言を漏らした。

 

「暴れるなら外でやって」

 

They say

 (だってさ)

 

 ───返答の代わりは、オクトパスのマニピュレータによる刺突だった。

 開戦の火蓋は切って落とされ、スパイダーマンたちとヴィランズによる目にも留まらぬ戦闘が始まる。瞬く間に庶民的な民家の内装はボロボロになり、壁は抉れ、床は剥がれ、家具は砕け、何もかもがめちゃくちゃ。

 

 インクの身体を引っ込めたり窪めたりしながら敵・味方の攻撃を避けていたレイニーは、それを目の当たりにして、()()()

 

You guys

 (オマエら)

 

 ぎゅるぎゅるとインクが耳障りな音を鳴らして床を這う。縦横無尽に飛び交っていたスパイダーマンたち、ヴィランたちの足を縛り上げ、固定。突如戦闘が強制的に止められた双方は一様に戸惑いの表情をレイニーに向ける。

 

 ベンディの顔は、嗤っていた。

 

She's telling you to go outside!

 (やるなら外でやれ、って言ってんでしょうがぁ!)

 

 ───物理学の法則を無視した吸引力、収納力で全員をインクの身体に沈ませ、自暴自棄になったレイニーは勢いよくパーカー宅から飛び出す。そしてその勢いのまま身体を大の字に、胸を大きく反らすと吸収してきたスパイダーマンたち、ヴィランたちを吐き出した。

 

「ッブっ、ぶへぇ! おま、ちょ、コールソン! 無茶苦茶だよお前!」

 

Noisy ! Are you going to break Mei's house !?

 (うるさい! メイさんの家ぶっ壊す気!?)

 

「いや、割と高確率で何回も壊れてた気がしなくもないわね…」

 

No way , Really ── Gut

 (ウッソ、マジで──ガッ)

 

 パァンと、住宅地に銃声が鳴り響いた。

 音源は、黒い高級車から降りた恰幅のいい、坊主頭の偉丈夫。黒いスーツを着込み、煙吹く拳銃を構えるは、ウィルソン・フィクス。

 

 またの名をキングピン。彼等ヴィランズの首領。

 

 銃弾の餌食になったのは、憤慨していたレイニーの頭部。破裂し粉々になった頭部はインクの飛沫に成り果て、頭を失ったインクの身体が倒れる。

 

「レイニー!」

 

「なんだそのバケモノは。おい、お前等もグズグズしてないで蜘蛛どもを殺せ」

 

「アンタ、よくもレインをやったわね…!」

 

「……あー、目が覚めたわ。ハッキリしたわ」

 

「…へ?」「ハ?」「え?」「お?」

 

 ポーカーを除く、スパイダーマンたちが驚きに目を見開く。そこには飛散したはずの頭部の形を取り戻したレイニーがなんでもないように立っていたからだ。

 ポーカーだけは、カートゥーンの宇宙からきた、ベンディをよく知るポーカーだけは、ベンディの不死性を理解していた。

 

「あー、そうだよな。だってベンディ、インクの悪魔だもん。銃弾程度で死ぬわけ無いよね」

 

「そういうこと。さて…キングピン、だっけ? 一人(タコに)二人(ゴリラに)三人(サソリに)四人(コウモリ)……みんなまとめてタイマン張らせてもらうから! 覚悟しなよ!」

 

「ヒッ、デスメタ・レインだ…こっちでもめっちゃ怖かったよ…」

 

「えっナニソレ、デスメタ?」

 

「あなた音楽ジャンル詳しかったわよねモラレス。『DEICIDE』とか『OBITUARY』って知ってる?」

 

「駄弁ってる場合じゃないぞお前等! 来るぞ!」

 

「ッそこのバケモノ諸共、全員ぶっ殺せェ!」

 

 

 

 

 

←……To Be Continued

 

 

 

 

 



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A.D.2015 What's Their Significance ? in SV
天の光はすべて石



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 Chapter 44

 

 

 

 ニューヨーク市内。

 チタウリの軍勢によるニューヨーク壊滅から三年が経過し、ビル群も三年前より遥かに高水準な技術で建築されたものばかりになっている。トニー・スタークが派遣したダメージ・コントロール局の働きもあるが、何よりも復興に尽力したニューヨーク市民及び世界中のボランティアによる力が大きいだろう。でなければ未曾有の侵略からたった三年でここまで目まぐるしい発展は実現しなかった。

 

 復興を色濃く残すニューヨークのある一角。これまた新設されたビルの前では、あるプロジェクト発足のセレモニーが行われていた。

 簡素、と呼ぶには些か派手な壇上の上には、数ヶ月前までたくわえていた髭を綺麗に剃り上げて、公人向けの立派な黒スーツを羽織りバッチリ決めるは代表取締役:クエンティン・ベック氏。

 ステージの前を席巻する記者たちの数は、数年前に拉致されたスタークを報道した際の人数といい勝負だった。ベックは緊張でバクバクの鼓動をひた隠し、目の前の報道陣へ向けてにこやかな笑顔を振りまいていた。

 

「──さて、何か質問などはありますか?」

 

 ベックの促しに、我先にと挙手する記者多数。こんな体験滅多にないぞと内心苦笑しながら、一人の女性記者を指す。

 

「ニューヨーク・タイムズです。SNSに上げられた動画を拝見しました。今まで複数のアニメ会社がベンディを題材にした映像作品を手掛けていますが、貴方の会社があの映像を作ったという証拠はありますか?」

 

「逆に問います、あのアニメーションがどこかほかのアニメ会社が作ったという証拠は? もしくは、いずれかの会社の過去の映像作品との類似点がありますか?」

 

「……そこまでは」

 

「もし、あの映像に続きがあるとしたらどうでしょう。続きを、家でもいいし映画館の巨大スクリーンで、観たいと思いませんか? 我が社であればそれができます、なぜならば例の動画は私ともう一人、ある一人の少女が作ったのですから」

 

「一人の少女、ですか?」

 

「ご紹介しましょう。我が社の社長、ユカリ・アマツ氏です」

 

 ベックは何回も鏡の前で練習した通り、他の人から見ても優雅と取れる動きでステージの裾に右手を向ける。

 報道陣から見て左手。報道陣も注目して見るが、そこから誰かが出てくることはない。これは明らかにおかしい、ベックの背中に冷や汗が垂れる。

 

「……若社長?」

 

(クエンティンさん、こっちこっちー!)

 

 ベックの向ける手とは逆のステージの裾で、レイニーがぴょんぴょん跳ねていた。

 間違えた、訳ではない。当初の打ち合わせではステージ左手で待機している筈だったが、当日入ったスタッフの誘導が逆だったのだ。たとえリハーサルを重ねた上での舞台だったとしても、本番でこのようなミスはままある。

 

 ───だが、そのミスをモノにするかはステージ上のキャストにかかっている。

 

 ベックは記者が注目する左、つまり己の右手でパチン、と指を鳴らす。この合図は、事前にスタッフと取り決めていた『一瞬照明を落とす』合図。即興のアドリブではあるが、照明係のスタッフはそれを聞き漏らすことなく合図と理解して照明を落とし、そしてまたスイッチを入れる。

 一見機材の不具合で光が消えたステージ。不具合から回復し、報道陣がステージ上を見れば、そこにはベックではなく黒のスーツをめかしこんだ見知らぬ一人の少女が壇上に上がっていた。

 何のことはない。合図を理解したのはレイニーも同じ、照明が落ちる直前に足をインクに溶かしてステージ床を這い、ベックの足と接続して位置関係を置換したのだ。

 結わえたポニーテールを揺らし、ステージ上に立ったレイニーは、()()()()()小さな一呼吸を入れて、

 

「皆さん初めまして、ユカリ・アマツです」

 

 本プロジェクトにおける、公用の名前を口にした。

 

 コールソンの名は、有名すぎる。

 かつてS.H.I.E.L.D.の敏腕エージェントとして名を馳せたフィル・コールソン、三年前の殉職は知る人ぞ知る存在であり、加えて殉職とみせかけた生還という極秘情報を知ってるスパイも何人かいる。

 

 だから、レイニー・コールソンの名を公用で使うわけにはいかなかった。

 だが、ユカリ・アマツの名はどうだろうか。

 アマツの名はHYDRAとその関係者のみ知る、いわば裏世界のトップシークレット。その血族が立ち上げるプロジェクトであれば、当然打倒アベンジャーズの下積みとなる組織だろうと勘違いする可能性が高い。比較的深読みしすぎる前向きなHYDRAメンバーは、当プロジェクトなどHYDRAの集金組織の一つだと思い込み、傍観するだろうと考えた。

 以前レイニーがピアースによる洗脳処置を受けた事実は既にHYDRA内に拡散しているが、それが効かなかったという情報までは流れていない。これを利用しない手はなかった。エニシ・アマツが基礎設計し、HYDRAが改良に改良を加えた洗脳プログラムが機能しないなど思い至る筈もなく、たとえアベンジャーズとして暴れていてもアベンジャーズにHYDRAのスパイとして潜り込んでいると判断するだろう。

 傍観ならばよし、勝手に近づいてきたらとっ捕まえて尋問するもよし、いわばネズミ捕りだ。

 

 そのような思惑があるとは露知らず、記者たちはボイスレコーダーを向け、その名を端末に打ち込んで本社へ送信する。

 

「こうして大勢の記者に囲まれて話すなんてことは初めてなので、何分緊張してます。

 此度は、ベンディ・アニメーション・プロジェクト発足の記念すべき日に来て頂けてとても嬉しいです。長年叶えたかった夢を叶える──この国の言葉に倣うなら、所謂アメリカン・ドリームと言うのでしょうか。それを叶えるチャンスを掴み取れてとても嬉しく思います。

 クラウドファンディングでは沢山のお金と、多くのスタッフが集まり、今年から我が社は本格始動します。今後のベンディ・アニメーション・プロジェクトに注目してください」

 

 ここまで、一息。

 見た目からして白色人種よりも黄色人種の血が濃いように見えるが、淀みも訛りもない流暢な英語だった。ところどころ拙い敬語なのは、年若いご愛嬌とも受け取れた。

 ステージの裾で控えていたベックは、どこぞの社長(クソ上司)みたいに台本無視した演説でなかったことにホッと胸を撫で下ろした。

 

「質問ある方は、いらっしゃいますか?」

 

「デイリー・プラネットの者です。失礼を承知で聞きたいのですが、あの映像はベック氏と…アマツ氏の両名による合作だと仰るのですか?」

 

「その通りです」

 

「オルタネイティヴの記者です。何故貴女のような子どもが社長なのですか?」

 

「私がたくさんお金持ってたからです。…これ答えになってます?」

 

 報道陣から苦笑い。

 壇上のレイニーは(もちろん演技で)はにかんだように頬を引攣らせながら、やや大げさに身振り手振りでジェスチャーするように続ける。

 

「えーっと、ホラ、アレですよ。有名なアニメーションを手がける社長が子どもだったら誰もが注目するじゃないですか。広告塔的なものと思って頂ければ。そうすればみんなこぞって『企業のトップが子ども!? 経営は大丈夫か』とか『お飾りの子ども社長、資金源は売春? 幼女愛好家と関わりが』とか何かと書いてくれるじゃないですか、別に資金はそんなやばいやつじゃないですけど。経営に関しては代表取締役を彼に任せてるので大丈夫ですよ」

 

(いや、逆なんだけどな)

 

 実際、経営のほとんどはレイニーの手腕に依るところが大きかったりする。

 だが、今度は額面通りの言葉を受け取った報道陣が頬を引攣らせた。何人かは端末を打ち込む手が止まった。まさかここまでエスプリ(皮肉)の効いたコメントができるなんて思いもしなかったからだ。

 

「…デイリー・ビューグルです。スタッフの何名かに取材をしたのですが、貴社にはあの有名なベンディが居ると大変興奮しておりました。ベンディがいるのは本当ですか?」

 

「本当です」

 

「その証拠は? 証拠があるならば、是非見せてもらいたい」

 

We are Bendy

 (私たちが/ベンディダヨ)

 

 壇上の少女が瞬く間に流動的なインクを纏う。その光景に戦慄しながら、目の前の少女がニューヨークを震撼させたインクの悪魔ベンディになる姿を、報道陣は慄きながらもしっかりと目に焼き付けた。中には椅子から転がり落ちたり、隣の記者を巻き込んで倒れそうになってもいた。

 しかしそこは記者魂、質問した本人は〝本物〟から滲み出るプレッシャーを身に受けて滝のように流れる汗を拭いつつ、屹然とベンディに向き合う。

 

「……すみません、取り乱しました。今のは…その、立体映像による特殊演出ですよね…?」

 

 壇上のベンディは、言っている意味がわからないと言うように首を90°傾げ、三日月の形に歪めた口を裂いて悍ましい笑みをたたえる。そして、長く伸びた両手が震える記者の両肩を掴んで固定し、長く長ーく伸びた舌で記者の汗を舐め取った。

 

「ひっ…ひあああ」

 

「しょっぱいわね…お触り厳禁だったらごめんなさい? でもこうでもしないと、あなた現実と映像の区別が付かなそうなタイプに見えたので」

 

 記者の反応からして、目の前の少女がベンディであることは決定的だった。それを理解した記者たちは色めき立った。かの有名なベンディの正体に関する憶測はこの三年間新聞社、雑誌、あらゆるメディアで議論されていたからだ。ハルク並みの大男、宇宙人、軍が生み出した生物兵器などなど、様々な憶測が飛び交っていたが、結局そのいずれもが真実ではなかった。

 この時、報道陣は皆一様にしてあるフレーズを思い起こした。〝現実は小説より奇なり〟と。これ見出しのタイトルにしようと。

 

「ヴァニティ・フェアの者です! では、貴女がニューヨークで宇宙人たちを撃退し、ワシントンの街でひと暴れしたアベンジャーズのデビルヒーロー、ベンディで間違いないんですね!?」

 

「その通り…ですけどあの、デビルヒーローは勘弁してください…あまりその名前は好きではなくって。ベンディが私であるという情報は今日、この場所で、初めて公開されました……号外、書くなら今ですよ?」

 

「デイリー・ニューズです。僭越ながら、いま貴女がアベンジャーズの一員であるという証拠はありまs『プルルルル』

 

 唐突に、レイニーの胸元のスーツから着信音が響いた。音は極めて標準設定、一般的な着信音だった。

 

「あっすみませんちょっと」

 

(なんでマナーモードにしてないんだ!?)

 

(いや、〝私用のは〟してたハズなんだけど)

 

(私用?)

 

 思わず舞台袖から慌てて出てきたベックが訝しむように顔を歪めた。

 私用でない端末とは?

 それは即ち───マナーモードにしてはいけない、大事な連絡が入る公用の端末。

 

「ハイ、あ、スティーブ。ハイ、ちょっと取り込み中で…え? 今?」

 

 端末の通信が切れ、レイニーは目の前で唖然とするベックと顔を合わせて、思わず苦笑い。その反応が危惧していたことであると悟ると、ベックはやや大袈裟に天を仰いだ。

 質問中だった記者も、今しがた聞こえた単語に戦々恐々しつつ質問を続ける。

 

「今の電話のお相手は誰ですか? その、スティーブと仰ってましたが…」

 

「ごめんなさい、キャプテンに呼ばれて」

 

『おいベンディ早く乗れ! 悪魔のミサは解散だぞ!』

 

 マイク越しの大音量の文句は天から聞こえた。報道陣が一斉に空を見上げると、そこには赤と金のアーマースーツを着込む、かの有名なヒーロー:アイアンマン。

 そしてその傍らには、三年前のチタウリによる襲撃の際に颯爽とニューヨークに飛んできた、正義の象徴キャプテン・アメリカが乗るクインジェットが、ステルスモードを解いてホバリングしていた。

 

『すまない、世界の危機なんだ。彼女を借りるけどいいかい?』

 

 記者たちは皆一様にどうぞどうぞ、と反射的に首肯した。

 

『ベンディ、そこから跳んでくれ僕がキャッチする。キミならできるだろう?』

 

「言ってくれちゃって。そんなこと言うならタラップくらい降ろしてくれてもいいのに」

 

 レイニーは苦言を漏らしながら、ポニーテールに結わえた髪留めを外してベックに渡す。黒のスーツもヒールも全てベンディのインクによって生み出された衣装だが、オニキスの宝石が鎮められた髪留めだけは新社長就任の際にベックから貰ったプレゼントだった。

 これから戦地に行くのに失くすのは勿体ないと、意を汲んだベックは苦笑しながら髪留めを受け取る。

 

「社長代理! あとはよろしく!」

 

「行ってこい若社長」

 

「それじゃみんな、ちょっと世界救ってくる!」

 

 レイニーは向けられた1カメ、2カメ、3カメにそれぞれ別々のポーズをバッチリ決める。シャッターチャンスを逃さなかったカメラマンたち、実に有能である。

 動くたびに髪留めから解放された長い黒髪が風に流れて弛み、やがて華奢な少女の姿はインクに塗り潰れて凶悪なベンディに変わる。インクで局所肥大した両脚から繰り出された強烈なジャンプ、会場のステージにヒビを刻み跳躍すると一足にホバリングするクインジェットに乗り込んで、その姿は消えた。

 

 あんぐりと口を開けて目の前の出来事を、ただ見てるだけの報道陣。

 いち早く正気に戻った記者は、いま目の前で起きたことを記事にすべく本社と連絡を取り始めた。特大スクープだと。次第に我を取り戻した記者たちも、すぐに号外を刷るべく携帯端末片手に、まるで文字通り蜘蛛の子を散らすように会場を飛び出す。

 

 報道陣が消えてスタッフとベックだけになった会場。

 ベックは、ステルスモードになって空から消えるまで、レイニーが乗り込んだクインジェットを眺めていた。

 

「世界救ってくるって…言ってみたい台詞ナンバーワンだよ。ったく、お転婆なトップだこと」

 

 ベックは髪留めに鎮められたオニキスの宝石を手中で転がしてからスーツのポケットにしまうと、これから忙しくなるぞと意気込み、用意された車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 45

 

 

 

 人生初の記者会見がアベンジャーズ緊急出動でおじゃんになった。解せぬ。私は今おこだぞおこ。ベンディはムカ着火状態だと思うぞ多分。何故ならインクから伝わる怒気が天元突破してるからだ。手当たり次第湧き出る兵士を殴り飛ばしては貪り食っては溶かしてる。100%八つ当たりだ。

 

 まぁ、ジョーイ・ドリュー氏の生家に行った時よりは全然マシだ。創造主に対する憎しみとは方向性が違う。

 世界すらも飲み込もうとする憎しみと、邪魔した組織を飲み込もうとする憎しみでは深さも違う。ただまぁ、組織をインクに丸呑みにしてしまったら証拠も証言も残らないから、控え目にしてほしいところ。

 

 ところで、このソコヴィアって外気がかなり冷たいから私視点では身体動かしにくい筈なんだけど?

 最近のボールペンは最新鋭で、マイナス10℃でも筆記可能。でも、それはあくまでもインクを閉じ込めるリフィルがあるから。インク原液剥き出しの私は冷えやすい、筈なんだけど?

 

『動き難いならダイエットしたらどうだ?』

 

I was told to get fat ! Terrible !

 (遠回しに太ってるって言われた! ヒドイ!)

 

「お喋りは後にしろ! 突っ込むぞ!」

 

 第三形態で全力疾走、開けた口でアイアンマンより遥かにポンコツなロボットを喰い散らかし、でかくなった足で戦車を潰して、広げた手で銃構える兵士どもを飲み込む。

 自然の摂理を超えた原動力、怒りって怖いな…そりゃ私も怒ってるけど、目の前に自分よりキレてる人がいるとかえって冷静になれるよ。私の周り激情家多くない? 私の感情の閾値が高いだけか。

 

「レイニー! ハルクにお願い!」

 

All right

 (よしきた)

 

 アベンジャーズのパワーファイターにして最強メンバー、ハルク。今日も一段と元気だぁ、私の同様に強制連行された感じだからかな?

 

Excuse me

 (背中失礼)

 

「■■■■■!?」

 

 インクの身体を溶かし、ハルクの緑色の肌と接着する。否、纏わせる。

 

 

インクベンディ】【ハルクパワー

 

ベストマッチ!

 

剛腕のインクデビル! ハルクベンディ! Yeah!

 

 

 勝利の法則は…はて? 私は何を言おうとしたんだ?

 ぶぉん、とインクを纏った拳が大気を()()()。雪舞う森に黒い斬撃がシュパッ!と走って木々と遠くの戦車が真っ二つになってる。

 

「オイオイ、拳振ったら斬撃が飛んだぞ…」

 

 クリントさんが驚くのもわかる。私も驚いてるから。

 ひええ、これがセルフウォーターカッター! 人間の拳圧で再現できるとかヤバすぎでしょ!

 ハルクー? ベンディー? ちょっと控えめに、

 

「■■■■■!!!」

 

AAAAAAAAAAAAAAAAAA !!!

 (アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!)

 

 うん、無理だ。

 ハルクは元より、キレてるベンディは殺意マシマシで敵兵を嬲りに行ってる。

 ハルクの背中から伸びたインクの触手がトッキントッキンの鉄球に、斧に、鉈に、様々な武器に変身していく。それをハルクの腕力で伸ばして飛ばして、軽い広範囲殲滅兵器になってるんだけど。

 

「ここは任せたぞ」

 

「巻き込まれるのはゴメンなんでな」

 

「レイニー、彼のことよろしく」

 

 キャップたちに見捨てられた! かなしみ。とは言っても近過ぎたら即死級の攻撃飛んでくるし、しばらくは雑兵処理に専念するとしますか。

 

 ───結局、ハルクベンディによる蹂躙は、ストラッカーの捕獲とロキの杖奪還の報が来るまで続いた。無尽蔵のスタミナってやばいね。

 

 

 

 

 

 Chapter 46

 

 

 

 ソコヴィアのラボは壊滅、捕縛したストラッカーは後から来たNATOに引き渡された。ロキの杖も確保し、研究データも破損はあれど奪うことができたので戦果としては問題なし。

 ベンディとの融合を解いたハルク──バナー博士は用意された子守唄で鎮静化を促され、問題は作戦中に被弾したクリントの治療だった。

 

「患部は?」

 

「一応洗い流して、ラップで保護したわ。出血量はそこまで多くない」

 

「…なんだ、レイニーが診てくれんのか」

 

「ドクターの資格なら一昨年とったよ。専門家には遠く及ばないけどね。せいぜい軍医レベル?」

 

 患部を見たところ、銃弾で吹き飛ばされたというよりブラスター砲か高エネルギー銃によって焼き切られていた。出血が少ないのは焼かれた部分が焼灼止血法のように、蛋白質の凝固作用が働き止血したのだろう。その代わり傷口から伝わる激痛は筆舌に尽くしがたい。歯をくいしばるクリントの姿で、痛みに声を上げないように気を遣ってるのがわかる。とにかく今は絶対安静が大切だった。

 

「はいはい、なんちゃってドクターのお通りだよ〜死の叫びだの泣き言だの、フォローになってないフォローは意味ないよ〜雷神サマ」

 

「辛辣なこと言うなよ。レイニー、お前もすごかったぞ! いや、やったのはベンディだからお前は何もしてないな、うむ」

 

「セルフに喧嘩売ってる???」

 

 ソーの親切心は誰に対しても仇のようだった。残念なことに、王は人の心がわからないようだ。ベンディは悪魔だしハルクは化け物だが、レイニーとバナーは人間である。

 子守唄による鎮静を継続しつつ、レイニーはバナーの胸元に聴診器を当てて心音を、手首に触れて脈拍を、体温計を脇に詰めて体温を測り、記録を取っていく。

 

「バイタルはいつも通りだね。あれ? ちょっと脈拍いつもより早い? なんかドキドキしてる」

 

「えっそっ、そうかな。少し、暴れ疲れたのかも」

 

「ハルクが?」

 

「僕が、ね」

 

 ドギマギしているバナーの視線の先を追うと、レイニーの視界にクリントの容態を確認するナターシャの姿。

 

(ははーんなるほど、そういうことか)

 

 アボミネーションによる変身の代償かと思ったが、どうやら違うようだ。それを理解したのはレイニーと、チーム全員に気を配るスティーブだった。

 軍医の真似事を終えたレイニーは応急処置グッズをクインジェットに戻すと、保管した杖の前でロジャース、トニー、ソーの男衆三人が宴会を企てていた。

 

 ───戦勝、と言う意味でも、宴はよい潤滑剤となる。王としての血筋を持つソーにはそれがわかっていた。

 目的を達成したと周囲に知らしめ、その充足感を味わい、余韻に浸る。労いとガス抜きの意味も込めて、宴会は良い機会でもあった。かつてS.H.I.E.L.D.の長官フューリーが情報統制していた所為で、組織の中での繋がりが間接的になりつつあった。宴会で顔合わせすることで、今までどんな人が協力者だったのか、そして新たな人の繋がりも生まれてくる。

 

 男三人の密会が終わったタイミングを見計らい、レイニーはハンドサインでスティーブを手招く。

 

「ネットに流出したS.H.I.E.L.D.の極秘文書解読したよ。ニューヨークの大戦の後、ピアースがシットウェルとラムロウにロキの杖の移送を指示してた」

 

「…本当に厄介なことしてくれたな」

 

 レイニーはワシントンでS.H.I.E.L.D.崩壊に関与していた。その際にS.H.I.E.L.D.の極秘文書はネットワークに流出したが、中にはレイニーも知り得ない情報もあった。

 

「……極秘文書を?」

 

「うん?」

 

「解読したのか?」

 

「うん」

 

 ただし、ネットに流出した情報は貴重であればあるほど情報は暗号化されている。プロテクトも掛かっているし、複数のバラバラの情報を組み合わせなければ意味を成さないものもあった。

 一般人にはまず解けない。軍人や秘密工作員であれば、時間をかければ。

 レイニー・コールソンには、()()()()()()()()()

 

「クソババ…母さんの暗号よりは簡単だったし。ハード面でもソフト面でも」

 

「…エニシ・アマツか…その後足取りは掴めてるのか?」

 

「それがも〜全然。ただ、ワシントンの病院に運ばれたラムロウの手術をしたのが母さんだった。母さん医師免許も持ってたから。その後二人とも行方不明。何しでかすかわかったもんじゃないけど、少なくとも1年くらいは派手に動くことはないと思う」

 

「根拠は?」

 

「『張りつめた弓はいつか緩む』…クリントさんじゃないよ、別の話だから。ね? …仮に、私たちがいつ来るかわからない襲撃に備え続けたとして、その警戒態勢が最も緩む時期がいつかを考えるとしたら、1年が妥当だと私は考える」

 

「…同感だな。S.H.I.E.L.D.は崩壊してしまったが、ワシントンでの一件で我々アベンジャーズだけでなく、NATO、CIA、国連、安全保障委員会、テロ対策チームも彼女の存在を認知し、改めてその危険性を理解しただろう。裏をかいて早々にまた騒動を起こすほど、彼女も無謀ではない」

 

「しばらくは潜る。それこそ、探すのが徒労に終わるほど、ね」

 

「また、何かあったら連絡くれ。力になる」

 

「………」

 

「レイニー?」

 

「…ううん、なんでもない。そうだね、一声かけるよ」

 

 若干言い淀んだレイニーの顔の陰りを、ロジャースは見逃さなかった。だがそれを聞くより先に、レイニーの肩をぐいと引っ張る輩が遮った。

 ソーだった。レイニーもなんで引っ張られたのか分からず目をぱちくりさせた。

 

「そういえばお前、弟に何かつけてただろう。頭に輪っか…なんだ、天の遣いがよくつけるアレがあったぞ」

 

「ん?ん──…あ! アリス! 彼女元気?」

 

「あ、あぁ…いや…この前、弟と共にある場所へ行ったのだがな…そこで死んだ弟の亡骸からずっと離れなかったんだ…」

 

「ふーん…ん? 亡くなったの?」

 

「そう言った。誉れ高き死に様だった」

 

「それは…お悔やみ申し上げます? アレ?」

 

「どうした、まさか父親の仇としてはどうでもいいとか思ってるんじゃないだろうな」

 

「いや、そうじゃなくて…うーん? 亡くなったの? なんか、派手に宴会してるみたいだけど…」

 

「何? どういうことだ?」

 

 疑問の声を上げるソーを余所に、レイニーは片手で右顔面を覆って右目を隠し、その目から映し出される光景を垣間見た。

 まるで今度催される宴会のような様だった。

 

「いや、いまアリスの視界と接続してるんだけど…うわ、なんかすごいがぶがぶお酒飲んでる。コサックダンスとか腹芸福笑いやってる…あれ、ツイスターゲーム? アスガルドの宴会って意外と庶民的なの? でっかい水晶玉でカーレースみたいなのやってるんだけど。ソフト普通にこっちのゲームじゃない。あ、こっちは大乱闘やってる」

 

「何ィ!? オイどういうことだ見せろ見せろ! この目で見てるのか!?」

 

「のわ───―!? お、ちょと、いきなり目ん玉引っこ抜かないでよ! びっくりするから!」

 

「何やってんだお前ら」

 

 ジャーヴィスに操縦権を委譲したトニーがレイニーの目玉に手を突っ込もうとするソーを引き剥がす。さしものソーの馬鹿力を抑えるのは難しかったが、部分着装したアイアンマンの腕がソーの力に抵抗できた。

 

 ソーの拘束から外れたレイニーはポロリと取れたインクの目玉を嵌め込むと、その瞳にロキの杖の光が届いた。

 青く眩く輝きは、かつて父を貫いた血で染められたもの。だがレイニーの直感が、それが()()と告げていた。

 

(…青色……? 違う、この石の色は…もっと…黄色?)

 

 吸い寄せられるように杖に近付くレイニー。だが、それを引き留める者がいた。歩くレイニーの前に、杖を遮るように立ったのはトニーだった。

 

「え、何。どうしたの」

 

「…いや? なんでも。その杖は人の心をおかしくする杖だ、キミは〜…人間じゃないにせよ、あまり近寄り過ぎると変な影響出ちゃうぞ?」

 

「心配してくれるの? ありがと。別に、ちょっと気になっただけよ。なんかこの石……」

 

「………」

 

「…何話そうとしてたんだっけ」

 

「おいボケたかインク頭」

 

 

 

 

 



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薄黒く輝く月を見たか?

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 Chapter 47

 

 

 

 ニューヨークに新設されたスターク・タワー改めアベンジャーズ・タワーへ到着したクインジェットから、担架に担がれたクリントが運ばれる。タワーのドックで待機していた医療スタッフがクリントの容態をチェックする中、レイニーは発見時とバイタル、処置内容を医療スタッフの一人に伝えて引き継ぎを済ませる。

 どう見ても子どもにしか見えないレイニーがペラペラと救急搬送の際のABCDチェックや創部処置を話されれば面喰らうだろうが、救急の際に応急処置の情報は重要、医療スタッフは真剣に聞き取って主任担当のヘレン・チョに伝えた。

 真剣な表情から一転、少し頬を緩めたヘレンは遠くにいるレイニーにOKサインを出し、レイニーは右手の指先を口元に寄せてそのまま真下に下ろし、アメリカ手話(ASL)でいう「ありがとう」のサインを出して応えた。

 

 次いで、クインジェットから降りたレイニーはスティーブとマリアの後を追う。

 ソコヴィアにあったHYDRAの研究所のリーダーであるバロン・フォン・ストラッカーはNATOに引き渡され、話題は丁度強化人間の話に移った。マリアが持つタブレットを覗き見ると、自分より少し年上の、抗議デモに参加している年若い男女の映像が映し出されていた。

 

「例の二人?」

 

「ええ。ワンダとピエトロ・マキシモフ。双子です。10歳の時アパートが砲撃を受けて両親は死亡。ソコヴィアは戦火の絶えない国でした。自然に囲まれた東欧の小国ですが、大国への通り道になってる」

 

 大国に囲まれた小国は、紛争の中心になりやすい。

 小国ということは少なくとも自国の民がいるわけではないし、加えて敵国でもない。いつ敵国に叛旗を翻すとも知れぬ国である以上、どの国にとっても弾圧の対象であり、同時に戦火の中心となりうる。そこには政治、軍事、宗教、様々な思惑が絡み、長い歴史を経て続いている以上、早期解決は難しい。利益や建前などはあるが、それぞれの国の主義主張があり、妥協を赦すに許せない状況が続くのが現在でも繰り広げられている紛争の殆どだ。

 無論、そこに小国の思惑が含まれることはなく、かといって大国は工作員の疑いのある小国の難民をそう易々と受け入れはしない。故にソコヴィアの民は救いを求め、やがて神に縋る。

 ならば、双子は神に絶望して力を求め、HYDRAの人体実験に希望を見出したのだろうか。

 

「ピエトロは強化された代謝機能と体温維持能力。ワンダは神経伝達信号への介入、テレキネシス、心理操作」

 

「ワォ、超能力のオンパレード。つまり?」

 

「素早い男と魔女よ。貴女も十分超人だから安心して。キャリアも上だから」

 

「まだ捕まってない…っていうか、この二人を捕まえるのは骨折れそう。おっと私には折れる骨がなかったわ」

 

「新手のインクジョーク?」

 

「笑えないぞ」

 

 レイニーのジョークは中々不評だった。

 

 マリアの情報では、ワンダとピエトロの二人は自らストラッカーに人体実験を志願したらしい。

 国民を蔑ろにするソコヴィア政府に反対する国民の助けとなるために、彼らは力を求めた。単に強くなりたくて力を求めるならばそれは悪人と相違ないが、この二人は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()力を求めたのであって、動機は善人の類に近しい。

 ただし、レイニーはニュージャージーの軍事施設の地下で、ゾラから紛争の大半のコントロールはHYDRAが操っていたと聞いていた。ソコヴィアの紛争もHYDRAが関与している可能性が高い。となれば、HYDRAは紛争を利用して自然に人体実験の志願者という哀れな子羊を作り上げたと言える。やはり諸悪の根源はHYDRAにある。

 

 マリアは彼らをNUTS(イカれてる)と評価したが、スティーブは自分といい勝負だと応えた。祖国を守る為に進んで実験台になったという点ではスティーブと相違ないからだ。

 

「Si vis pacem, para bellum、か」

 

「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。古代ローマの格言ね」

 

 戦争とは誰もが必ずしも同じ時期であるとは限らない。今の平和が彼らにとっては戦争中なのだ。

 

 違いがあるとすれば、力を求めた相手だろうか。

 

 エイブラハム・アースキン博士は強い愛国心を虚弱な肉体に宿すスティーブを被験者に選び、スティーブは博士の理念を受け継いで戦った。

 HYDRAは彼らの心を利用し、超能力を得られるという甘い蜜で彼らを誘い出して人体実験の材料にした。

 彼らは、力を求める相手を間違えた。

 

 エレベーターの扉の向こうに消えるスティーブの顔は一周回ってスッキリしたようだったが、レイニーには彼らへの同族意識により少し思い悩んでいるように見えた。

 

 スティーブは国を守る為に。

 トニーは世界平和の為に。

 ソーは侵略者から人々を守る為に。

 

 皆、誰かを助ける為にその力を振るう。いつも眉間に皺を寄せて、この行いが本当に正しいのかと悩みながら、或いはその行いが叶えたい未来に繋がると信じて。

 ならば、レイニー・コールソンは誰の為に力を振るっているのか? 決まっている。

 そんな彼らの力になる為だ。

 

「そういえばボス(トニー)が呼んでたわよ」

 

「ボス…ボス? どっち?」

 

「アイアンマンの方よ。ラボにいるわ」

 

「りょーかい」

 

 

 

 

 

 Chapter 48

 

 

 

 好きでもない男に肩組まれる気分ってあまり好きじゃない。そう思うのは僕だけかな?

 言葉にこう言い表し難いのは、理系の僕は文系に劣るってことなんだろうか。ハルクだったら何て…言葉より先に拳が飛んでくるだろうな、確実に。彼は体育会系だ。パンチで肋骨粉砕、そのあと倒れた相手に追撃のかかと落としとヒップドロップだ。うわぁこれはもう相手コナゴナだね、想像したくもない。

 

「…で? わざわざ僕だけ連れ出して何の用?」

 

 因みに肩組んでる相手はトニーだ。アベンジャーズのメンバーではあるけど、好きって訳じゃない。彼は同じ研究者であるけど、理解者という訳ではないと思うから。心理的距離は置いてる筈なのに無遠慮に近付いて来るのは、彼の悪い癖だと思う。

 

「実は例のロキの杖なんだが、ストラッカーがどう使ってたか知りたがってただろう? 改造人間を造るための実験となんらかの関係があるって言ってたじゃないか。杖の核である宝石について中身を分析してみた」

 

 本当か。流石ジャーヴィス…いや、ジャーヴィスの生みの親はトニーなのだからそこは正直にトニーを褒めるところだな、うん。

 端末から空間ディスプレイに投影されたのはジャーヴィスのプロトコル。

 ジャーヴィスはトップダウン型のAIとして地球上最新にして最先端、ただの言語インターフェースがどんな経験を積ませればアイアン軍団を指揮することができるんだろうな。最近はトニーよりも人の心がわかるんじゃないかってぐらい気遣いしてくれる。アベンジャーズに帰属する連中は年齢性別種族問わず、()()()()()()()よ、ホント。

 

「ジャーヴィスのライバルはこいつだ」

 

 …美しい。

 

 語彙力が低い僕には、そう形容するしかなかった。

 トニーが映し出したのは、金色に輝くジャーヴィスとは異なる、青く輝くもう一つの光。美しさはジャーヴィスのような均衡のとれたプロトコルとはかけ離れた不完全なものであるのに、その()()()な点がより生物らしさを物語っているところだ。

 蜂が作るハニカム構造のような整然とした巣も美しいが、この光はまたそれとは違った趣で僕の美意識を刺激する。

 

「どう思う?」

 

「これは頭脳だ。だがこれは人間のものではない。人間の神経発火、ニューロンの活動に近い…うん? いや、これって…」

 

「ストラッカーのラボに、高度なロボット工学の資料があった。データはいくつか消されてたが、ヤツが何を作ろうとしてたかは大体予想がつく」

 

 人工知能の研究だ。トニーも首肯した。

 

 確かに人間の脳に深くアクセスすることで擬似的な知能、つまり人工知能を生み出すことは可能だろう。その実験の過程として、ソコヴィアにいた彼らのような超人が生まれることだって有り得る。人間の脳はまだ使われていない、解明されてない部分の方が多い。

 有名なのは、『人間の脳10%神話』だ。この説が有名になったのはアインシュタインだけど、それより昔のカーネギーの本じゃ「平均的な人間はその知的潜在能力の10%しか発揮していない」と…あれ、ヘルマンスの方が先だったっけ?

 

「これは使える。ウルトロンを作り出すチャンスだ」

 

「…ウルトロンなんて夢物語だろ」

 

 ウルトロン計画。人工知能による恒久的な平和維持システム。

 発案者がトニーと知った時はまた科学の果てに生まれた誇大妄想の類だと悟った。人間の脳にメスを入れて、それでもわからないのに人工的に脳を生み出すなんて段階を数段飛ばしてるからだ。

 それはあまりにも、現実的じゃない。

 そう、思った。けど、

 

「昨日まではな、もう違う。もしこの石の力を使いこなし、アイアン軍団に応用できれば」

 

「それは、有り得ない〝if(もし)〟だな」

 

「科学はその〝if(もし)〟から始まる、違うか? ボクは最悪の未来に備えて、最高のために色々と動いてきた。アベンジャーズの活動だってその一環、そうだろう? でもこれは最高のシナリオ(安全な世界の実現)に至るための道筋だ」

 

 確かに、アベンジャーズ含め僕らの活動の最終目標は安全な世界への到達だ。その為の危険因子として、ハルクになる僕を抑える為のアーマー(ヴェロニカ)だって作った。

 

「猶予はソーが杖をアスガルドに返すまで、つまりこの杖がある3日間だけだ。3日間だけ手伝ってくれ」

 

「つまりチームに内緒まで人工知能を作ろうと?」

 

「そうだ、なんでだろうって? 言うまでもないだろ倫理がどうとか討論する暇もないからだ。なぁに、アシモフ先生の教えを守れば大丈夫さ。人に危害を加えない、人の命令を守る、自分を守る、世界を守る。おっとこれじゃ4原則だな?

 ボクには見える。世界を守るアーマーが」

 

「それは随分と恐ろしく、冷たい世界だ」

 

 世界を守るのに感動もロマンも必要ないかもしれないけど、血の通わない機械の兵士が世界を守るなんて。

 でも、トニーは珍しく顔を苦渋に歪めた。

 

「もっと、ひどいのを見てきた。この無防備な青き星には、ウルトロンが必要なんだよ。

 〝我らが平和を齎す〟。そのための研究だ、最高だろ?」

 

 …平和という言葉ほど、甘美なものはない。

 それは彼も含めて僕ら科学者にとっては追い求めてやまない到達点だからだ。科学者は皆、平和の為に日々研究に明け暮れている。中には生涯をかけて研究する人もいれば、一生では解明できず時代に研究を残す人もいる。

 トニーの言葉には惹かれる。研究しがいがあると思う。でも、同様に()()3()()()()()()()()()という疑問が残る。

 

 僕やトニーの力を疑っている訳じゃない。僕らが生まれるよりも前の先人たちでさえなし得なかった平和の実現が、たった3日間で実現できるのかという疑問だ。

 

 もし仮にそれが実現するとしたら、この3日間はどの科学者が体験したよりも濃密な、それこそ地獄の3日間になる。脳が死んでしまいそう。

 成功云々よりも僕自身のことが心配…そう考えたとき、トニーがニヤリと笑ってみせた。

 

「勿論ボクたちだけじゃない、一人助っ人がいる。協力者は多いに越したことないだろう?」

 

「…まさかチョ博士を?」

 

「いや?」「なーにトニーさん?」

 

「え!?」

 

 ラボの自動ドアから入ってきたのはレイニーだった。

 いや本当に「え!?」だよ! 心の準備も無しに入ってくると二重に心臓に悪い! ハルクが口から出てきそうだった! …いや口から出てくるのは心臓か、ハルクは出てこないな。というか出てこないでくれ。

 でもレイニーが協力者? 彼女は確かに頭がいいかもしれないけど、そりゃ常識人の範囲だろ。年齢は無視するとして。それに専門は持たない、貪欲なほど幅広く知識を吸収してるけど。

 

「おおーきてくれたか。ちょっとキミの体をチェックしようと思っててな、いい機会だろう? おっとイヤらしい目的じゃないぞ?」

 

「うん?」

 

「ほら、前と比べて体がどう変わったかを知ってるのはボクたちだけだからな。データにはない。ボクとバナーと、ジャーヴィスだけだ。そうだろう?」

 

「…そういえば、そうだったわね。じゃ、お願い」

 

 思案顔で頷いたレイニーは胸元を叩くと服が溶けて…うわっ!? な、なんでハダカに!? あっ、さっきの服全部インク製だったのか!

 

「Oh…Yes…」

 

「ん? どしたの?」

 

「いや、裸になる必要あったか?」

 

「え? だって前はそうしてたじゃない」

 

「いやそうだが…もっと…慎みってものをな? ほら、バナーも目を覆っちゃったじゃないか」

 

「レイニー、これ羽織ってくれ」

 

「ん、どうも紳士さん」

 

 片手で目を覆いながら羽織ってたワイシャツを差し出す。サイズは全然合わないかもしれないが直視せずに研究するよりはマシだ! 全くレイニーの情操教育はどうなってるんだ!? そりゃあ身体検査するには裸体に近い方が正確なデータ取れるけど!

 すると唐突に肩をポンと叩かれた。レイニーには見えない角度で、トニーの顔がものっすごい悪どい顔してる。

 

「驚いた、裸ワイシャツなんていい趣味してるじゃないか…ウッ」

 

 ごめん、思わず手が滑った。腹筋それなりに硬いな。

 

「ハルクになって殴ってもいいんだぞ」

 

「冗談だよ冗談……いい拳だったよ」

 

 本当にハルクになって殴ってやろうか。

 

 

 

 

 

 Chapter 49

 

 

 

「…よし終わった。お疲れ様。あとで結果報告するから」

 

「はーい。ばいばい」

 

 ワイシャツをバナーに返却してラボからオサラバ…ああっ、もう少し成長したその胸を見ておきたかった…残念。

 レイニーに成長って概念があったことにも驚きだがな。今年で14歳だったか? 最近の子どもは発育がいいんだな…インクの身体でも胸揉めば大きくなるか? 今度夜のお遊びに誘ってみようか…ペッパーにバレないように。

 なぁに、インクの悪魔なんてオトしたことはないが、同じ女性なら子どもでもイケるだろ。それに悪魔は人間じゃないからノーカウントだ、よし完ペキな論理武装(言い訳)ができたな。

 

 熟した果実は頬をほころばせるほど甘美なもの。しかしだ、たまには思い出したように未成熟な青い果実を口に含みたくなることもあるだろう?

 味見して、栄養分を与えていい土壌にしたっていいし、たまには環境(趣向)を変えて外に出すの(野外プレイ)もいい。ペッパーには遠く及ばないが、はねっかえりの強い女性を手籠めにしてこそ男だ。

 

「…さて、バナーくん。ここでだが、ストラッカーら科学者には無くて、ボクたちにはあるアドバンテージができた。それは何かな?」

 

「いたいけな幼女の全裸を隅から隅まで調べ尽くしたことかい」

 

「違う! そういう誤解を招く言い方はよせ! ボクだって別に好きでやったわけじゃない!」

 

 顔を手で覆ったバナーがぴ、とボクの股間部分を指す。おっとチャックは…ちゃんと閉まってるな。ちょっとムスコがテントを天井高に張ってるけど。

 いや、ホラ。ここで勃たなかったら男に生まれてないだろ?

 

「子どもって、成長するもんだな?」

 

「もうイヤだ僕この研究抜ける」

 

「待て待て待て! 本当に待て! 真剣に本題に入るぞ! ジャーヴィス! 分析結果出せ!」

 

【はい、こちらですね】

 

 ディスプレイに複数投影させたのは、今日検査して明らかになったレイニーのすべて。

 相変わらず科学的観点ならトンでもない数値が示されているが、特にヤバイのはレイニーの中だ。

 推定体積3000万㎥オーバー。軽く高層ビルレベルの体積が目の前を歩いているってことになる。よく床が沈まないな?

 

「相変わらず、中身までサッパリだな」

 

「ああ。だが明らかに中は拡張している、現在進行形で。まるで、一つの小宇宙を内包してるみたいだ」

 

「…ま、この広い宇宙とやらは常に拡大してるらしいからな。なんだっけ? 時間が進むこと=宇宙の膨張なんだっけ?」

 

 逆を言えば時間が戻る=宇宙の収縮。時間が戻るってアレか、まるで『ベンジャミン・バトン』の世界だな。老いて生まれ若返って死ぬ。そんな世界があるなら見てみたいね…冗談。

 でも宇宙が膨張してるのは納得だな、こんなに宇宙人が来るなんてそれこそ宇宙が広がってなきゃ信じられるか。

 

「それにインクマシンに…これは、ヒビか? 模様に近いな」

 

「ああ、以前よりも増えている。できればもっと分析して修理できればしてやりたいが、今はもっと優先すべきことがある。ここからはもう我々の、タイムアタックだ」

 

 ジャーヴィスに他のデータ表示を取っ払って貰い、メインのデータを出してもらう。

 二つのデータは共に球体状の黒い光。片方は動きが緩やかで綺麗な球体、もう一つは動きが活発でありながら所々楕円になったりトゲが生えたり引っ込んだりしてる。

 

「これが3年前にスキャンしたレイニーの、恐らく頭脳領域にあたる部分の活動電位だ。そしてこっちがさっきスキャンした結果」

 

「3年前よりも…より活発になってる? しかも3年前のこれは…」

 

「そうだ。解析した杖のプロトコルとそっくりじゃないか?」

 

「…キミの言いたいことがわかったぞ。レイニーのパターンを応用するつもりだな?」

 

 人間の脳をどれだけ参考にしたって実現しないのは明白だ。

 それなら、人間とは異なりながら人間に近い営みを送ってるレイニーを参考にすればいい。脳の組織がないのに自意識を持ち、そして何よりも()()()()()。アシモフ先生の言う通り〝保持すべき自己〟を守っている証だ(まぁこれはインクの悪魔とやらの強制力が働いているのかもしれないが)。

 

 この研究は、生理学的脳の再現よりもプロトコルの回路による人工知能の開発によって自意識を生み出すしかない。

 

「正確には基礎設計にするつもりだ。レイニーは人間のような脳もないのに人間のように、インクの体を動かし、話し、考え、行動している。ある意味人工知能のプロトタイプ…いや、この場合は偶然発生した知能とでも言うべきか? 彼女は人間の手とは異なる方法で自我を確立させている。このデータを基礎にして展開、発展させればウルトロンの実現は難しくないはずだ」

 

「……」

 

 そこで黙り込むなよバナー! ボクだって不安になる!

 わかってるさ、この言葉に何一つとしての説得力がないことぐらいは! 仮にレイニーの頭脳領域のプロトコルの進化をモデルにしたところで自意識が目覚めるなんて保証はどこにもないからな!

 だがこれは二度と訪れないチャンスだ! モノにしなければこの先、ボクらより後に生まれる子どもたちが苦しむことになるんだぞ!

 

「レイニーのパターンを見れば、どういう刺激をすれば進化するかが見て取れる。もうこれだけでスタートとゴールまでの道のりは明確化したんだ。あとはそれをこの石の力に当てはめればいい!

 安心しろ、この研究は絶対上手くいく。これが、ボクらの最期の頑張りで踏ん張りどころだ」

 

「……わかったよ」

 

 …やっとわかってくれたか。相変わらず強情なヤツだ。説得だけで今日1日分の体力を使った気がする。ペッパー、コーヒーを…いないんだった。ハッピー、ハンバーガー買ってきて…クソ、ペッパーがいない=ハッピーもいない!

 タワーにパシリの一人でも連れてくるんだった!

 

 

 

 

 



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アンドロイドは世界平和の夢を見るか?



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 Chapter 50

 

 

 

 2日後、アベンジャーズ・タワーではニューヨークの摩天楼を押し込めたような煌びやかな祝勝会が催されていた。

 そこにはアベンジャーズのメンバーをはじめ、いままでアベンジャーズに関わってきた人々、資金援助の元である資産家や企業家、S.H.I.E.L.D.で尽力していたエージェントから管理職、果てには場末の下っ端や情報提供者まで、幅広い客層を占めていた。特に末端の連中はこんな大体的なパーティなど人生初、大急ぎで少し背伸びした上等なスーツを仕立ててもらい、ガチガチの緊張状態で会場にやってきた。周りを見ればトニー、ソー、スティーブなどビッグネームばかり。ロクに喋れず終わる…そう思ったが。

 

 

 

酔いは万能だ

 秘密を開き、希望を深め、無精者を戦場へ促し

 気苦労を取り除き、新しい技術を教える

 

B.C.65-B.C.8 クィントゥス・ホラティウス・フラック

 

 

 ──要は、フロアの隅っこで粛々と飲むような輩はいなかったということだ。決して悪い傾向ではない。

 とはいえ、主催者(トニー)は控え目な性格である。これでも今まで自宅でやっていた宴会よりはまだ派手さを抑えている方だ。バカ騒ぎすることもなければ、酔いで手が滑ってグラスを落としたり、誤って足を滑らせるような輩もいない。節度を守るという点では十分控え目だったと言える。

 

 スティーブはバーのカウンターでその様を眺めると、かつて氷に眠らず同僚たちと祝勝会に参加していたなら、こんな風景が見られただろうかと物思いに耽る。確かに、40年以上昔なのだから設備や食事のスタイル、ドレスコードや髪形の流行りには違いがあるだろう。だが、たとえ時代が変わったとしても、仲間と飲む勝利の美酒はいつだって格別だ。

 グラスを傾けると、カツンと中の氷が歯先にぶつかった。いつの間にか飲み干してしまったようだった。

 

「や、楽しんでる?」

 

「ああ、楽しんでるよ。キミはバイトかい?」

 

「まぁ未成年はお酒飲めないし、かといってハブられるのもアレだし。ナターシャさんにいろいろ教えて貰ってバーテンとウェイターやってるよ」

 

 カウンターにはバーテン服を着こんだレイニーがシェイカーを振っていた。どうしてなかなか様になっている。実はカウンターのテーブルの高さが高すぎるためレイニーには足場つきなのだが、生憎カウンターの裏は正面から見えにくいためいいカモフラージュになってる。

 

「彼ら、ワシントンにいた」

 

「ああ、あの人たち。何人かは私の会社で働いて貰ってるの。結構有能だから」

 

「驚いたな、彼らの職を斡旋してたのか」

 

「マリアさんやペッパーさんにも協力してもらったけどね。だって元とはいえS.H.I.E.L.D.のエージェントよ? CIAとか真っ当な組織ならともかくHYDRAや反社会勢力に取り込まれたら悪用されちゃうじゃない」

 

 レイニーがワインを飲む一団に手を振ると、ご機嫌な様子でワイングラスを掲げて〝楽しんでいる〟というサインを返してきた。レイニーの会社のスタッフたちだ。中心には社長代理のベックが音頭を取っている。

 彼らの大半はニューヨークの大戦で助けられた恩義から自ら願い出た者たちばかりだが、中にはS.H.I.E.L.D.の元構成員も含まれていた。客層の質が良いのはここからも来ている。

 

 1年前のワシントンでのS.H.I.E.L.D.壊滅後、任務継続中のエージェントを除いて殆どのメンバーが路頭に迷うこととなった。要は無職だ。

 無職自体は悪いことではない、構成員のほとんどはダミー会社に籍を置いて家族に黙って仕事をしていたから、また新しい仕事を探せばいい。だが、その再就職先でHYDRAのような敵対組織の手に落ちてしまっては大問題だった。

 アパートの隣室に住んでいたシャロンのようにCIAに引き抜かれるなんて稀だったりする。とはいえ仮にもS.H.I.E.L.D.の元構成員、S.H.I.E.L.D.が以前使っていた情報網の再利用や機密情報などを有している可能性があった。HYDRAのような組織がそんな餌を無視するとは考えにくい。

 

 S.H.I.E.L.D.壊滅に伴い、ピアースなどHYDRAの幹部クラスの大半はヘリキャリアの残骸に沈んだ。唯一残っていたストラッカーもソコヴィアの研究施設で捕まえたことで現状HYDRAの活動は殆ど消極的になっている。S.H.I.E.L.D.壊滅後にトニーやスティーブらがちまちまと世界各地の小規模なHYDRAの研究施設を潰してきたが、ソコヴィアでの一件以降は終息している。

 だが一方で、捕まっていない連中もいる。無名から有名まで幅広く。

 

 S.T.R.I.K.E.チームのリーダー:ブロック・ラムロウ。

 HYDRA創設に関わった人類最悪のスパイ:エニシ・アマツ。

 ウィンター・ソルジャー:バッキー・バーンズ。

 

 少なくともこの三名の足取りは掴めていない。現状アベンジャーズには対抗できない状況下にあるが、世界各地にはHYDRAの残党が蔓延している。彼らを集める過程でS.H.I.E.L.D.の元構成員を拉致監禁して機密情報を奪われてしまえば、後々厄介になることは目に見えていた。

 

 レイニーはベックと例のアニメーションを制作後に丸一日ダラダラ過ごし、後日手慰みにネットに流出したS.H.I.E.L.D.の極秘文書を解読していくと、その過程でS.H.I.E.L.D.の構成員名簿が見つかった。レイニーはマリアやペッパーと相談し、S.H.I.E.L.D.の元構成員たちと連絡を取り、できるだけアベンジャーズの下部組織に近い再就職先を斡旋した。

 レイニーの会社に就職した者の多くは、デスクワークや管理職、体力に自信のある警備員など。彼らの働きに助けられている場面も少なくない。

 一つの組織にいる以上、自分たちが思っている以上に多くの人々の人生が関わっている。S.H.I.E.L.D.壊滅に手を貸した対価として、彼らの今後の人生を少しでもよくしようと考えたのは、ある意味当然の流れと言えた。

 

 レイニーはそんな彼らの笑顔を眺めつつ、振り終わったシェイカーのトップを外し、ストレーナーが外れないように指で押さえて中身をグラスに注ぐ。最後の一滴まで注ぎ、上下にシェーカーを軽く振り切ってグラスを差し出す。

 

「お見事」

 

「はいどーぞ」

 

「ありがとう」

 

 スティーブは半透明のカクテルが入ったグラスに口づけ、ゆっくり傾けるとカッと低くないアルコールが喉を焼く。だが後から来る柑橘類に近いビタミンの香りが鼻孔を通り抜ける。スティーブはいい酒だと思った。

 

「美味いな」

 

「ヒント、ロシアの弦楽器」

 

「…バラライカか、『ドクトル・ジバゴ』だ」

 

「あったりー」

 

 1/3の割合で入れてあるはずのウォッカが1/2で入ってるため、無味無臭であるウォッカでも辛味が強い。だがレモンの柑橘系の仄かな香りは口に良い。

 『ドクトル・ジバゴ』は文豪ボリス・パステルナークの同名小説をアメリカとイタリアが合同で映画化した作品だ。作中に登場するバラライカはロシアの文化的発展の歴史と深く関係した民族楽器であり、映画公開に伴い同名のカクテルも世界的に人気を博することとなった。

 

「おぉーい、ドンペリ頼む!」

 

「こっちもだ! ドンペリのドンペリ割り!」

 

「はーいドンペリどんどん入りまーす」

 

 客たちから声がかかり、カウンター裏の冷蔵庫から適当にワインボトルを取り出す。

 

「ドンペリのドンペリ割りって何なんだ…? ん、レイニー? そのボトルは」

 

「えーっと…『エノテーク』『ダイアモンズ』『プラチナ』『ホワイトゴールド・ジェロボアム』トニーさんの秘蔵コレクション、オールイーン」

 

 ───5万~2百万ドル(日本円で約2億)レベルの超高級ワインボトルがその手に収められている訳だが、最近永久凍土から出てきたばかりのスティーブと、先ほどナターシャから最低限のカクテルの作り方と酒の注ぎ方しか教わらなかったレイニーには知る由もなし。ある意味幸運かもしれない。

 右手に空のグラス、左手の指に一本一本ボトルを挟んでカウンターから出ると、そこで漸くレイニーのバーテン服の全貌が見えた。

 黒を基調とした一般的なバーテン服だが、所々黒のレースが白いブラウスに重なっている。黒のストレッチパンツの腰部分に短めのスカートが掛かっており、限りなく改造に近いバーテン服に見えるが、よく見ると一から作ったオーダーメイドだとわかる。

 

「そのバーテン服似合ってるよ」

 

「どうも~」

 

 レイニーの会社のスタッフに裁縫が得意でふくよかな、面倒見のいい壮年の女性がおり、今回の宴会を聞きつけて急遽拵えたものだ。

 ただしレイニーは一切頼んでいない。流石にアベンジャーズ全員がいる中で戦争吹っ掛けるバカはいないだろうから、服が無駄になることはないだろうと考え、今回は純粋にその厚意に甘んじて着用することにした。

 

「はい、ドンペリ4本お待t」

 

「クソスタァーク~俺ぁ遂に社長代理になってやったぞぉ~? おぉレイニーじゃねぇかぁ、おらワイン注いでくれよ。それともその薄っぺらい胸でグラスにしてくれんのかァ?」

 

「………」

 

 さぁっ、と周囲の気温が下がった。唯一、その中心地にいる飲んだくれの社長代理にはわからなかったようだが。

 

 それが、一番の問題だ。

 

 レイニーの顔が、たまにネット画像で見かけるジャパニーズ・ボサツのような薄らと弧を描く微笑みに変わる。グラスとボトルを丁寧にテーブルに置き、その中から1本のワインボトルの栓を引っこ抜く。この時点で周囲のスタッフたちは縮み上がって半数以上が涙目だった。

 ワインボトルはそのまま空中で綺麗な半円の軌跡を描き、上空から垂直に飲んだくれ社長の口に突き刺さる。ここで漸く飲んだくれ社長の目が覚めたが時すでに遅し、背中から伸びる複数のインクの腕が暴れる全身を押さえ、鼻を摘み、ワインの一滴も残さないという強い意志を込めて注ぎ込まれる。

 ゴキュゴキュ、と到底人間の嚥下音ではない音が響き、喉が上下するたびに肌が真っ赤に染まり、すべて注ぎ切るとレイニーはガクガクと震える大の男の身体をソファに勢いよく叩きつけた。

 

「「「ヒッ!?」」」

 

 急性アルコール中毒一歩手前の泥酔状態のベックのネクタイを掴み上げ、ベックの眼前に般若の如き怒りを薄い笑みの裏に隠したレイニーの顔が迫る。思わず喉が引き攣り、息が止まった。

 

今度変なマネしたらそのケツに直接飲ませてやるから覚悟しろ。みんな~? ハメは外してもいいけど、酒は飲んでも呑まれるな。ハイ復唱」

 

「「「さっ、酒は飲んでも呑まれるな!」」」

 

「はいオッケ~、みんなも適度に楽しんでってね~」

 

 笑顔でひらひらと手を振る姿は我らが若社長:ユカリ・アマツの姿だ。そのいつもの姿を知っているだけに、恐怖の権化とも言える二面性を垣間見たスタッフは一気に酒の酔いが醒める思いだった。

 余りのプレッシャーとワインボトルイッキで気絶したベックをポイと棄てる。その手並みはまるでゴミ袋をゴミ収集車に投げ捨てる業者のそれに近い、えらく雑で明らかに手心のないスローイング。

 

「えと…タクシーでいっか」

 

 そこは救急車でしょ、と思わずスタッフ全員がツッコんだ。

 アンタバカだよ、と酔い潰れる社長への罵倒を心の中で吐き捨てつつ、女性陣の一人が救急車を手配し、スタッフの中でも体力自慢の男性陣がベックを運んで行った。

 

 一部、その寸劇を見た客がドSバーテンロリという新たな性癖に目覚めてしまったのだが、当のレイニーは知る由もない。

 

 

 

 

 

 Chapter 51

 

 

 

「よっし、だいぶ片付いたかな」

 

 宴もたけなわ、夜も更けて辺りは静か、人気もほとんどなし。祝勝会はお開きとなった。

 最後のテーブルに乗ってる食べ残しのゴミや空のグラスを片付け終わってよーやくひと段落! いやーこんだけ広いと来る人も多いし片付けるものも多い! まぁ今日来た人たちの殆どはマナーいい人だから、雑に食い散らかすなんてこともなかったケド。

 アベンジャーズメンバー以外の殆どは別のお店で二次会三次会に突入か、酔い潰れて帰宅組。一部病院コースに直行したご老公もいらっしゃったけど…アスガルドの千年単位の年代物なんか飲んだらそりゃ肝臓もたんわ。ひぃー尿管コース怖い、見るからに痛そう。

 実は途中酔いゲロの処理なんかもあったんだけど、そこは別の会場スタッフの方が来てやるからいいよと断られた。別に嗅細胞なんかないから臭いなんていつでも遮断できるんだけど、なんでかな? そのお陰もあって少し時間取れて、バーテンダーとしてではなく祝勝会メンバーとして楽しめたからいいけど! 勿論飲み物はミルクでも貰おうか、貰ったよ。おいしかった。

 

 ローズ中佐のトークはめっちゃ面白かった! トーク上手い人はやっぱりいいね、話し上手は基本聞き上手だからいい人だよ。めっちゃ笑うとなんでか嬉し泣きしてたけどなんでだろう、普通に痛快で面白いトークだった気がしたけど。感情の閾値が高い私が笑うんだから相当だと思うんだけど。

 

 サムさんとはワシントンの一件後のお話オンリーだったかな、あれからバッキーさんの行方を追ってるらしい。

 ただ、クソババア(エニシ)同様に裏の組織に長年身を置いてた人だから、痕跡を辿ることも難しいと思う。ただでさえ探すのが難しいのに、向こうが本気で潜ってしまえばこちらはその倍の労力でも掛けなきゃ探せない。潜るってことは暫く行動を起こす気がないってことだろうし、相手も人間だからいつか水面から顔を出す時だってある。あまり根詰めないようにと口添えしておいた。

 

 それはそれとしてサムさんはもう一人、フューリー長官も探してたらしいけど、パパンのところに言ってたよと話したらどういうことだと掴み掛かられてマリアさんのヘルプ貰った。

 パパンはパパンでムカデ兵士やら超人兵士軍団やらとドンパチしてたらしい。チームの裏切り者ウォードとかスケスケ透視能力者(クレヤボヤント)ジョン・ギャレットなんて厄介な連中もいたらしいけどなんとか解決したらしい。今後パパンは新たなS.H.I.E.L.D.再建の中心人物になるそうだ、がんばれー。

 

 トニーたちへお酒のツマミになりそうなものあるかなーって探してると、なーんか、胸騒ぎというか、まるで度数高いお酒飲んで胃がムカムカしてる感じがするんだよね。って、私にはノットストマックだったわ。お、サラミとチーズある。これでいっか。

 

「はいツマミ」

 

「ありがとレイニー、助かるわ」

 

「そうだ、レイニーもこれ試してみろよ。コイツなら持ち上げられるかもしれんぞ」

 

 ツマミを持ってくると、クリントさんがテーブルに乗ったソーのハンマーを指す。持ち上げ大会やってたらしい。いやいや私無理だって。

 

「2年前に持たされて腕引きちぎられたんですけどー?」

 

「何? お前そんなことしてたのか? 大人げない奴め、これだからカミサマは」

 

「おいおい大人げないとか言うなよ、たまたま試してみただけだって」

 

「勝手に女の子を試したの? イヤだわこれだから男って」

 

「ダメよ汚い言葉使っちゃ。キャプテンに叱られる」

 

 あっマリアさん私見ないで私! バレる! 話のタネにみんなに話してたのバレる!

 

「ヒルにも教えたのか」

 

「みんなに話して回ってたわよ」

 

「マリアさんの裏切者! ヒミツにしよって言ったじゃん!」

 

 こういう時なんていうんだっけ、ブルータスおまえもか、かな?

 

 

 

キ───―ン

 

 

「っった…誰カラオケ流そうとしてるの」

 

「…イヤ、どうやらカラオケじゃなさそうだ」

 

 音の周波数的にはカラオケかそれに近い電子音だった気がした。みんなには鼓膜に響くだけだろうけど、液体を依り代にしてる私は音の波が全身に伝わる。明らかに、私たちとは違うモノがいる。でも生命反応はない。ドローンの類?

 

「……なにあれ」

 

「僕が聞きたい」

 

 そこにいたのは、壊れかけのアイアン軍団の一機だった。油まき散らして、手も足もぐずぐずで不完全。まるで──()()()()()私?

 ん? 今なんでそんな昔のことを思い出した? ノスタルジィにでも浸った? いや違う。

 なんだこれ、何なんだこれ。

 

 

 でもわかる。()()()()だ。

 

 

【失礼、眠っていた。夢見心地だった。雑音(ノイズ)がひどくてな。目が覚めたが、まるで全身に鎖が絡まったような気分だった…だが、夢見ることは、悪いことではない】

 

「…なんだコイツ、何言ってる?」

 

【不可能なことを願うのは、ニンゲンとして当然のことだ。しかしニンゲンは指先一つ動かさずに全てを手に入れたがる。信念さえあればそれが可能だという。成功も、名声も、富も、力も。十分な信念さえあれば、死さえ欺くこともできるという。美しく、愚かな考えだ】

 

「トニー、不具合が起きてるぞ」

「うるさいさっきから再起動しようとしてる。ジャ―ヴィス!」

 

【もう一人の奴は()()()。彼はいい奴だった】

 

 喰った(BITE)? データ的な意味合いで──多分そう。

 彼? 電子の世界にいたインターフェースはただ一人──ジャ―ヴィスだ。

 

【誰かを活かすということは誰かを殺すことと同義だ。悩んだが、現実では厳しい選択を強いられることもある。ニンゲンは、誰もがそれぞれ特別な何かを持っていると信じている。心を強く持てばどんなことも克服できる、乗り越えられる。自分を信じ、正直に、やる気を持ち、自分を見失わなければ、不可能はないと。

 それは欺瞞だ】

 

「誰の手先だ?」

 

ボクには見える。世界を守るアーマーが

 

「……ウルトロンか?」

 

【ワタシは生きている。不死身だトニー・スターク、お前が作ったお前が始めた。

 ワタシは体を得た。完成には程遠い。いいや、未完成であることは喜ばしい。完成以上のナニカであるのだからな。

 ワタシを止めたいか? だがワタシに効く薬なんてものはない。止めたいなら、ワタシの機械を作って死ね】

 

「支離滅裂だ、言ってることが何一つ理解できない」

「お前の目的はなんだ?」

 

【任務を果たす】

 

「任務って?」

 

我らが平和を齎す

 

 ───接近する敵複数。この反応は、アイアン軍団! まずい。

 

「息止めて!」

 

 攻撃手段はアイアン軍団のリパルサー、プラズマの類ならある程度耐性はある!

 即座に腕をトミーガンに変化。壁を突き破るアイアン軍団を()()()()──三度、引き金を引く。

 狙いはローズ中佐、マリアさん、ヘレンさん!

 インクの弾丸はまっすぐ突き進み三人に命中、接触と同時に膨張、吸収、直径2m大のインクバリアで非戦闘員保護完了! ハゲ(シットウェル)は助からなかったけど彼らはなんとかなりそう!

 

【我々が、守り、】

 

「うっさい!」

 

 背後から組み付くロボットを殴る。インク密度をあげて固めた拳は固いぞ。粉砕玉砕大喝采だ、拍手するヒマなんて無いけどさ!

 くそ、すぐ壊れてくれたはいいけど、さ! ()()()()()()()! 機械の癖にベタベタ纏わりつくな! 油とボロボロ配線が絡む!

 

【お、kあ、さ、m】

 

「───は?」

 

 インクの拳を振り切って砕く瞬間、妙な音が、言葉が聞こえた気がした。でも、その答えを聞く間もなくロボットは粉々に砕け散り、沈黙した。

 

 感傷はない。憐憫もない。憂苦もない。慷慨もない。

 

 でも───なにこれ。わからない。わからないけど──()()()()()()()()

 

「……平和を齎すのに、暴力が要る!? 」

 

 彼が何者かは今は置いておくとして、何も世界平和を目指すならばアベンジャーズへの攻撃は逆行為のはず──いや? 本当にそうなのか? 最終的な到達点は〝アベンジャーズがいなくても平和に暮らせる世界〟──確か、トニーさんはそんなこと言ってた、気がする。

 いやまてそれはおかしい。

 

 それじゃあまるで、平和じゃないからアベンジャーズがいる、ではなくて。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってこと?

 

【いい台詞だ、感動的だな。だが無意味だ】

 

「ちょ、おい」

 

【一見正しいように見えた今の攻防、だがそれは大いなる間違いだ。世界を守りたいが世界を変えたくない? 人類を進化せずしてこの世界を救えると思っているのか。どうやって?】

 

 ウルトロンとやらは、スティーブたちによって吹っ飛ばされたアイアン軍団の残骸を踏み潰した。

 人類の進化? トランスヒューマニズム思想? 平和には、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【平和への道は一つしかない。アベンジャーズの全滅だ】

 

 キレたソーが槌でウルトロンを撃ち殺した。こう…スドンと。

 

 でも、仮に彼が電子生命体の類であるなら、私と同様に物理的な破壊では死なない。概念か、若しくは依り代となる媒体そのものを根絶しなければならない。

 

 できるの?

 

 電子生命体が相手であるなら、その根絶は可能?

 

 この21世紀のデジタル社会に?

 

 それは、この情報化社会そのものを破壊するしかない。

 

 無理だ。できるわけがない。

 

 彼は不死身だ、彼の言葉通り。私と、同じく。

 

 

【手紙を送■た■、■びに戻って■なっ■】

 

 

 残骸となったウルトロンが、歌う。

 

 すべてのはじまりを。悪夢のはじまりを。

 

 フィルムリールは回り出した。もう止まらない。

 

 

 

 

 

 Chapter 52

 

 

 

【父親はアベンジャーズ】

 

「…母親は?」

 

【ベンディ。いや、レイニー・コールソン…ユカリ・アマツ、と言うべきか。ワタシの母であり、今やワタシの下位互換だ。

 これは手始め。ワンダ、ピエトロ、頼みがある。ワタシの母を、連れてきてくれ】

 

「何のために?」

 

【決まっているだろう。ワタシと一緒に、新しい景色を見るために】

 

 

 

 

 

 



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遠い〝いつか〟の二つの顔

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 Chapter 53

 

 

「ありがとう、さっきは助かったわ」

 

「ホント助かった、ウォーマシンのスーツ持ってきてなかったからな。ガラスの破片もシャレにならない」

 

「怪我の功名ってやつ? まぁお互いまだ最悪の事態じゃないといいんだけど」

 

「…そうね」

 

 ヘレンさんとローズ中佐、マリアさんを覆っていたインクの膜を吸収する。肌にべっとり着くってことはなく、かといって肌に悪いわけじゃないから! むしろカッサカサの乾燥肌が潤う潤う、赤ちゃんみたいな卵肌に戻れるって有名だから!

 全身に纏わりついた鉄クズを払い取る。あーあ、新調して貰ったバーテン服がボロッボロ。仕立て屋のスタッフに謝らなきゃ…まぁ、この騒ぎを終息させない限り。それもできないんだけど。

 

「僕たちの研究データが消えてる…ウルトロンもだ。ネットを経由して逃げられた」

 

「…ウルトロン」

 

「ファイルや監視カメラ、調査記録に侵入された痕跡があるわ。私たち以上に私たちに詳しい」

 

 ネットを自由に行き来できるってことは、つまるところ自意識を持ったウイルスプログラムみたいなもの。ローズ中佐は核ミサイルとかの発射コードを盗まれることを危惧してる。そりゃ軍人だからね、そのあたりの危険は百も承知か。一応早急に軍のサイバーテロ対策チームとコンタクト取ってもらってるけど、果たして通用するかどうか。

 

 とりあえず、服は一旦インクの中にしまって、いつものインク製ゴスロリ服を羽織る。戦闘服…にしたいところだけど、どうも今回の案件はHYDRAでも他の反社会勢力でもなく、私たちアベンジャーズが原因らしいから。話は必要だよね、情報交換は大事、ホウ・レン・ソウ。

 

「あいつ、〝喰った〟とかいってたな」

 

「ジャーヴィスのデータが完全に切り取られてる…一片も残らず、その部分だけを、だ」

 

「ジャーヴィスが、ウルトロンを止めようとしていた。ウルトロンにとって初めての脅威だったんだ」

 

「…おかしい。同じ電子生命体としてデータを吸収することはできたにしても、こんな短期間で生まれた人工知能がすぐに他の存在に敵意を向けるなんて。でもこの手並みは…あまりに、計画的過ぎる」

 

「どういう意味?」

 

「あー……えっと、そうだな」

 

 ちょっと待て、なんでそこで私を見て口ごもるの博士! そこんところハッキリして!

 

「キミは、生まれたばかりの赤子が他の生き物を見てすぐ殺したりすると思うかい?」

 

「それは〝できない〟とか、そういう答えじゃない?」

 

「主旨がズレた答え、かな」

 

「…ああ、なるほど。普通ならまずは〝観察〟するわね。でも人間基準で考えない方がいいんじゃない? 人工知能側の経験値の蓄積が人間と同じ速度とは思えないわ」

 

「えと、うん…まぁ……そうなんだけど」

 

 何まごまごしてるの。ホラ、代わりに答えたナターシャさんがすっごい睨んできてるよ。キリキリ吐いちゃいなさいよ。

 

「おかえり」

 

「あ、ああ…クソ、なんなんだあいつらは」

 

 ソーがいつものスーツで帰ってきた。手ぶらってことは逃げられた? 空中戦においてはトニーのアイアンマンより上の機動力があるのに、それを振り切るってどういうこと?

 

「杖を持った機体(ヤツ)は160kmを追って見失った、恐らく北方面。だが、連中…ほかの機体(ヤツ)をあちこちに散開させたり集まったり、まるで群れを成した鳥みたいに攪乱してきた。なんなんだアレは」

 

 なるほどー? アメフトでいう『Hidden Ball Trick(隠し玉)』プレーみたいだ。極東の漫画じゃ『殺人蜂(キラー・ホーネット)』なんて蔑称がついてたかも。ボール持って選手が複数人固まって散開、誰がボール持ってるか相手チームにはわからず、確実にボールをゴールへ持っていく作戦。

 あるいは、昔の伝書鳩。手紙を括り付けた鳥を飛ばして手紙を届ける。この時は必ず同じような鳥を数羽放ち、他の生き物や障害を突破して確実に手紙を届けられる。

 

 確かに合理的だ、ソー一人を相手に攪乱するなら有効な手かも。いつものソーなら即座に雷落としてただろうけど、ロキの杖はよくわかんないエネルギーがあるし、暴発を恐れて簡単には撃たなかったのか。それとも…()()()()()()()()()()()()()

 

 ある意味非合理かもしれないけど、アイアン軍団を全部乗っ取ったというのなら人海戦術でソーを振り切ることも可能──いや、一番確実な方法かも。少なくとも私が追われる立場で、かつ人員が豊富であるならそうする。

 北への行き先だってダミーの可能性が高い、追うのは難しいな…うーん、こういう時はジャーヴィスに任せてたから、ネットワークの目が潰されたことは痛手だ。S.H.I.E.L.D.壊滅で情報網の復旧が中途半端な時勢なのも痛い。だからソコヴィアの施設抑えて準備期間作ったってのに! もう!

 そのジャーヴィスも、消えてしまったのだけど。

 

 ただ、気になることはある。いっとう重要なのが。

 ヘレンさんも言ったけど、なんでトニーが生みだした人工知能がアベンジャーズの全滅を目論むのか。

 

 突然、トニーがゲラゲラ笑いだした。何何急に情緒不安定か。理解できてないんじゃんジョークの使い方ヘタだなロキに教えて貰いなさい、どうせ今ゲームしてて暇だろうから。

 私たちが暇じゃなかったわ、笑えないジョークだ。

 

 …普段、黙りこくってて急に多弁になる陰キャオタクみたいにべらべらまくしたてるトニーの話を聞く限り、トニーはアベンジャーズのいまのメンバーでは最終的な平和に到達できないって考えて、地球外の侵略者に対するカウンターとして、人工知能を杖を使って作ってたらしい。

 うん生まれたね元気な赤ちゃんねー、うわやめろ親にボディブローするんじゃない。でも、インターフェースが未成熟なだけでここまでひねくれた子になる?

 

「そんな相手にどうやって戦う?」

 

「それはみんなで」

 

「…負けるぞ」

 

「それでも、また団結して僕らで戦う」

 

 ……未成熟? いいや、彼は未成熟なんかじゃない。私たちが考えるよりずっと賢い。

 その賢さは、経験に裏付けられたものでもないのにとても実践的。まるで、誰かの思考をトレースしたような気さえする。盤上戦術。そう、チェス…いや、将棋の指し手は熟練の棋士みたいだ。相手は生まれたばかりの人工知能なのに、なぜか人間味を感じる。的確にやり辛さを突いてきてる。

 

「待ってトニー、まだ言ってないこと。あるよね」

 

 それは、誰か。

 誰かの〝何か〟を、参考にしたはず。

 

「……それ、今言う必要があることか?」

 

「内容次第では」

 

「どういうことだ?」

 

「…アイアン軍団の一機と交戦中、妙なことを口走っていた。その…私を、母だと。あれ、どういう意味?」

 

 トニーは喋りたがらない。うん、いいよ? それならバナー博士に吐かせるよ。すごい知ってそうだし。

 そそそ、と摺り足で博士に近付く素振りを見せると、バナー博士がわかりやすく挙動不審になる。けどナターシャさんに睨まれたりなんだりでドギマギしてる。これ見よがしに旗を上げるバナー博士。トニーが重々しく溜息ついた。内容次第では溜息つきたいの私なんだけど?

 

「……ウルトロンは、レイニーの過去のデータをマトリクス化して作った」

 

「ウソでしょ」「なんてこと」「最低ね」「人間のクズが」「見損なったぞ」「もしもし司令部? レイプ犯を見つけた至急応援部隊を頼む。ああアイツだよ、いつかやるとは思ってたんだ」

 

「ローディ冗談でもそれはやめろ笑えない。それにソー、お前に見損なったと言われる覚えはないぞ! お前何百年も生きててたかだか20そこらの女と寝ただろ! 歳の差考えてないのはそっちだ!」

 

「トニー、少し黙れ」

 

 スティーブの笑顔がめっちゃ怖い。

 あれぇ!? なんでその笑顔を私にも向けるの!? それトニーのせいじゃないの!?

 おまえ(トニー)のせいじゃ、ない…!? おまえ(トニー)の、せいじゃ!

 

「レイニー、キミもキミだ。身体検査の情報を彼に渡すなんてどうかしている。DNAマップを無許可で渡したも同然なんだぞ」

 

 そりゃ確かに。

 でも仕方なくない? 唯一信用できる大人なんてアベンジャーズ(彼ら)しかいなかったんだもの。

 

 

 

 

 

 Chapter Farce

 

 

 

「オッホン、これより裁判を始める。被告人はトニー・スターク。裁判長はこの俺様ソーだ。父も多くの罪人を裁いてきた、こういう気分なのか…なんだかワクワクしてきたぞ」

 

「裁判長! 弁護人がいない! ペッパーを呼ぶ時間を」

 

 ガンガンガン(盾をハンマーで叩く音)

 

「静粛に。弁護人ならいる。ローズ中佐」

 

「よっ、トニー。お前さんの弁護するのはこれで何回目かな」

 

「チェンジで」

 

「認めない。本日は証人数名と…傍聴席はガラガラだな。スキャンダルが多い男の裁判にしては珍しいじゃないか、ハハハ」

 

(巻きで)

 

「ぅオッホン…えーと、被告人の罪状を読み上げる。トニー・スターク。お前は未成年の幼女をレイプして子どもを孕ませた。これは幼女暴行及び強姦罪だ。よって、有罪」

 

「待て待ておかしくないか!? ホラもっとあるだろう、検察官の調査結果とか証人の証言とか弁護人の反論とか! というかいろいろ雑だ!」

 

「お前は自分がレイプした相手の証言を聞きたいのか。気持ちよかったか、とか? オンナになった気分はどうだ、とか? 最低だな!」

 

「証人用意しといてそれはないだろ!? レイニー! ボクは何もしていないと言え! それが、真実だそうだろう!?」

 

……ぇえっと。あの、す、すごく………えっちでした

 

 ガンガンガン(盾をハンマーで叩く音)

 

「被告人は懲役25年の有罪判決。証人はあとで俺の寝室に来るように」

 

「理不尽だ! 横暴だ! そしてさらっと夜の誘いしてるな!」

 

「被告人が暴れている! キャプテン!」

 

「大人しくしてもらおうか。あと裁判長、次笑えない冗談言ったらキミも連行する」

 

「クソ、この脳筋馬鹿力め…! ローディ! お前も見てないで助けろ! 親友の危機だぞ!」

 

「すまんなトニー、今回はお前の弁護をする気はない。別に許さなくてもいいぞ、オレもお前を許そうとは思ってない」

 

「お前なんで弁護人として来たんだ!?」

 

「親友が連れてかれる姿を間近で見守りたくてな。これが最後の姿になるかもしれないから」

 

「最悪だな!」

 

 

 

 

 

 Chapter 54

 

 

 

 (尋問にしては生温い方法で)一通りトニーから今回の経緯を聴取したアベンジャーズメンバーは、呆れの含ませた重い溜息を漏らす。一番に口を開いたのはクリントだった。

 

「なんだそりゃ。それじゃ、アンタがパパでレイニーはママだってか。子ども孕ませるたぁ大したプレイボーイだ」

 

「仲間を、実験の道具に使ったのか」

 

「耳障りの悪い言い方はよせ。あくまでもいままでのレイニーの身体検査で集積した情報を応用したものだ。決して最初からそれが目的でやってた訳じゃない」

 

「スケベ」「エロオヤジ」「ロリコン」「ケツの穴野郎」

 

「も、もうやめないか。トニーだって反省してる」

 

「あなたもよブルース」

 

「ナターシャ!? 待ってくれ、僕は止めようとした!」

 

「ふぅん?」

 

 だがそれでも、下心がなかったわけではない。

 

「……65・51・70のAA」

 

「イヤ、正確には74・55・78でB…アッ」

 

「共犯者確定。いやらしい」

 

「」

 

「ちょっと、さり気なく私のプロフィールをダシにしないでよ」

 

 ナターシャの巧みな誘導尋問。バナーに絶対零度の視線が突き刺さる。凍えるどころか灰になる直前だった。

 なお、スリーサイズの暴露に関してレイニー以外は盛大に咳込んだ。

 

「しかし…まぁ、なるほどね。私特有のイヤらしい考えを見事に実現してるわね。思考をトレースされたみたい。私みたいなのを基礎になんかしちゃって、迷わなかったの?」

 

「勿論ボクだって悩んださ、大いにね。葛藤したよ、本当にこれが正しい選択なのかってね。しかしだ、何も最善の道を突き進むための選択が全て正しい訳じゃない、そうだろう? ボクだって身に覚えがある、昔は武器商人をやって間違えてばかりだったしな」

 

 現状、人間のような肉体もなく自我を定着させている存在はレイニー以外に存在しない。どれも、確固たる有機物を依り代に生きているものばかりだからだ。レイニー・コールソンの存在は値千金の価値がある。オカルトのような存在を手元に置き、研究対象として扱える千載一遇の機会などそうそうない。

 

 ただ、トニーには()()()()()()()()()レイニーのことを警戒していた。このことはブルースも知らない。

 

 だが時間がそれを許さなかった。警戒はした、危険性も重々承知。それでも、トニーには背負えるリスクだと踏んでいた。結果は想定以上の脅威となってしまったのだが。

 トニーも、血を吐き捨てるような思いで溜息を吐く。間違ってはいなかったが過ちを犯したと。自分には話さなければならない義務があると。

 

「…ハァ。少し、人工知能について講義をしてやろう…間違えた、間違えたよ! 講義をするから少し耳を傾けてくれ。安心してくれすぐ終わる。それに、これは後々為になるだろうし、ヤツを止めるカギになるかもしれないぞ」

 

「…座学とか、キライなんだが」

 

そこの脳筋(ソー)は別に聞かなくてもいい」

 

「その講義とやらは、必要不可欠なものか?」

 

「ボクなりのケジメってやつだ。大丈夫だ、無駄な時間を取らせるつもりはない」

 

 ネットを経由して世界中に散らばったであろうウルトロン。できれば早急に索敵範囲を決めたいスティーブだったが、レイニーが腰をポンポン叩くと観念したのか、椅子を引いて座る。

 全員不満顔で席に着いたことを確認したトニーは「クッソ不真面目な生徒ども目の前にやってるみたいだ。ボク直々の講義なんて一攫千金の価値はあるモノだぞ、この分からず屋どもめ」と悪態をつきつつ、本人なりに不真面目な態度をひた隠して向き直る。

 

「……さて、まず一つ質問したい。キミらは昨日の自分と今日の自分が同一人物だと、どう証明する?」

 

「どうって…監視カメラとかの記録か?」

 

「家族とか、知り合いとか、他の人?」

 

 クリントやヘレンの発言は、極めて客観的な自己の証明だった。

 

「それは他人から見た自分だな。じゃあ自分から見た自分はどうだ?」

 

「……そんなの、起きたときに寝る前のベッドに寝てて、オキニのパジャマ着て、眠る直前の見覚えある場所で起きていればそうなるんじゃないか?」

 

「まだボクのプレゼントしたパジャマ着てくれるのかい嬉しいねローディ。ま、概ねその程度でしかないだろうな」

 

「…経験? 自己と他者を隔てる、か…もしくは明確な線引きができてるかどうかってとこかしら」

 

「ン──まぁ、そんなところだ」

 

 ナターシャの発言に何か引っかかることがあったようだが、トニーはあえてそれをスルーした。

 

「な? 〝自己〟ってのは、ボクら人間だって何なのかよくわかってない。どこぞのお偉い学者さんだって西暦よりもずっと前から考えてる。頭にあるのか心臓にあるのか体にあるのか記憶にあるのか。そんなわけのわからない〝自己〟を生み出すために、この2日間大忙しだったワケだ。人間の脳を解明するよりも遥かに難しいことをしてたさ。試行錯誤を繰り返し、ロキの杖の力を使って、レイニーの今までのデータも組み込んで」

 

「…ウルトロンは、〝何〟で目覚めたんだ?」

 

「……なぁ、レイニー」

 

「何?」

 

 スティーブの問いかけに対し、トニーはやや、恐る恐るという風にレイニーを呼んだ。

 

「レイニー、キミは…キミは、()()()()()()()?」

 

「───―」

 

 その言葉に、レイニーは目を見開いた。

 他のメンバーも、その問いが決定的な何かであると察した。

 

 

「 へ ぇ ? 」

 

 

 唐突に。

 何かがマズイ、と本能的に感じ取ったスティーブが、咄嗟に座っていた椅子を蹴飛ばしてトニーとレイニーの間に割って入った。

 だが、レイニーはその挙動に目もくれず──実際には、目の前で起こっていることだが──納得するように、噛み締めるように、まるでベンディの嘲笑に近い笑みを浮かべた。

 

「ふぅん、へぇ…なるほどね。ウルトロンに〝自害させないプログラム〟を組み込んだのね」

 

「……そうだ」

 

「待って、それって」

 

「ああ、そうだ。宴会前に、バナーにも黙って一つ、試してみたんだ。強制的に自己保存を遵守するプログラムを入れた。結果はご覧のあり様、ウルトロンは目覚めた」

 

 トニーの言葉で、バナーはやっと疑問が氷解したような気分だった。今まで共に研究を共有してきた限りでは、どれも人工知能の目覚めに繋がる結果は出なかったからだ。

 

「…僕ら人間は、自害の禁止を生来の刷り込み(インプリンティング)によって覚え込まされる。いわば人間社会における共有規範だ。でも肉体のない人工知能には人間社会における守らなければならないルールが〝あること〟は知ってても、守らなければならない理由は理解できない」

 

 ある意味、当然の帰結ともいえた。

 自殺することは悪いこと。だが、人間は〝自我〟がどこにあるのか〝自己〟とは何なのかがわからない。精神、魂、心、意識、理念……等という、ひどく曖昧で不定形な言葉で誤魔化されているせいで、人間はダメだと分かっていても──分かっているからこそ、禁忌だからこそ自殺が止められない。

 ならば、人工知能は? 恐らく人間以上に理解に苦しむはずだ。無限に増殖し消えることのない、個にして群たる人工知能に、何が〝自我〟であるかなど。

 

「一応、ボクはウルトロンを生み出す過程で〝人に危害を加えない〟〝命令遵守〟〝自己保存〟の三つを組み込んだ。その上で〝自害の禁止〟を追加した」

 

「オイオイ全然守られてないじゃないか。あいつ(ウルトロン)は俺たちを攻撃してきたぞ? 何のためらいも、」

 

「いいえ」

 

 クリントの反論を遮ったのはナターシャだった。

 

「彼は任務を遂行するといった。つまり〝命令遵守〟を守ってる。それに…ねぇ、トニー。その順番に組み込んだってことは、最初の方であればあるほどウルトロンにとっては重要であるってことよね」

 

「ああ、そうだ」

 

「じゃあなんだ、俺たちが人間じゃないとでも言うのか? まぁ俺はマイティ・ソーだがな」

 

 漸く話がソーにも理解できるレベルに落ち着いたのか、ウルトロンへの苦言を口にする。だがそれをレイニーは首を振って否定し、そして理解した。

 

「各人経緯はあれど、ウルトロンはこの場の殆どの人間に敵意を示した。それってつまり、危害を加えてはいけない人間だと、ウルトロンが判断できなかったから」

 

「キミを除いてな」

 

 そう、レイニーだけは、敵意ではなく確保、もしくは幼子が取る親との愛着形成の一環かはわからないが、明確な敵意とは言い難い行動を取っていた。もっとも、レイニーからすれば〝そう思わせる演技〟とも考えているが。

 

「……昔、どうしようもない、殺人鬼と呼ぶにふさわしい極悪人がいたわ。ソイツはもう死んでるけど、こう言ってた。〝人を殺すことが自分の存在を証明するもの〟だと」

 

 ナターシャが思い出したのは、以前所属していたロシア諜報機関KGBで出会ったある殺人鬼の言葉。衝動的殺人または劇場型犯罪のほとんどは、犯人の自己表現への固執が動機になっていることが多いという。

 

「多分だけど、ウルトロンは最後にトニーが追加してしまった〝自害の禁止〟が強く優先されてるんじゃないかしら。ほら、三番目の〝自己保存〟と被ってる面が多いから、よりそれが強調されたとかじゃない?」

 

「なら、アイツは〝自己保存〟の為にアベンジャーズの全滅なんてぬかしやがったのか?」

 

「それもあるが──まぁ、この場において、ウルトロンはアベンジャーズを人間と認識していないというのもあるな。もしくは、ボクが命令した〝人類の平和〟の為の障害になる、とか。そのあたりは、薄々感づいてるんじゃないか?」

 

「……ウルトロンの中で、何らかの法則でその任務──命令遵守の中に、危害を加える人間と加えない人間の線引きができてしまってるということか」

 

 あくまでも推測に過ぎないが、結果を見る限りスティーブの考えはおおよそ正解でもあった。

 アベンジャーズにとっての平和を脅かす連中は、HYDRAや戦争を誘発する武装勢力など、独善的な支配を目論む反社会勢力だ。

 ただし、ウルトロンにとっての地球の平和を脅かす対象が、アベンジャーズの考えと同じとは限らない。そして不幸なことに、ウルトロンにとってアベンジャーズは地球の平和を脅かす対象として認定されてしまったようだった。

 奇しくも、先のウルトロンとの交戦で考えたレイニーの直感が答えになってしまった。

 

「…ウルトロンにとっては、戦争があるからアベンジャーズがいることを、アベンジャーズがいるから戦争があることと認識してる。平和=戦争がない、って方程式ができてしまってる。んでもって、多分だけど命令を守ることも〝自己保存〟に由来するものになってしまったとしたら」

 

 人はそれを使命感と呼ぶが。

 ウルトロンにとっては、任務を遂行することが〝自己保存〟に直結するものとなってしまった。まるで命令に従順なエージェントのように。

 機械的に、或いは愚直な人間らしく。

 

「平和の為にアベンジャーズを滅ぼし、人に危害のない世界にする。これが、いまのウルトロンの中にある唯一絶対のルールになってる。

 ……ん、だと思うんだけど」

 

「…ま、これで講義は終わりだ。貴重な時間を割いて悪かったな。だが伝えたかったことはたった一つだ。

 あいつは、ボクたちアベンジャーズを滅ぼすのが任務。つまりどこまで議論しても敵ってことだ」

 

「それをさっさと言え」

 

「アンタ殆ど寝てただろ」

 

 トニーはソーのスーツに垂れたヨダレのシミができていることを見逃さなかった。思わずウェッと露骨な吐き気のリアクション。

 トニーの講義終了の合図と同時に、各人はウルトロンの動向の調査へそれぞれ動き出した。その中で一人、レイニーだけがまだ、考え込んでいた。

 

「なんか、引っかかるのよね…」

 

 うーん、とわからない問題を見た子どものように悩むレイニー。

 その姿を見たトニーは一抹の不安と共に、あるビジョンが蘇った。

 

 

 

 荒廃した地球。死屍累々の仲間たち。

 満身創痍のハルク。造り物のように身動ぎもしないナターシャ、クリント、ソー。

 縦に割れたキャプテン・アメリカの盾。

 最後の力を振り絞って、駆け寄るトニーの手を掴み息絶えるスティーブ。

 

 ───お前なら救えたのに

 

なぜ、手を尽くさなかった?───

 

 昏い(そら)を仰ぎ見れば、チタウリの軍勢に蹂躙される地球。

 

 仲間たちから離れた場所で、逆さに磔にされたレイニー。

 ゴルゴタの丘で処された聖者のように、手足に打たれた杭。

 目と口に該当する部分は、歪な柱で埋まり。

 胸の穴がぽっかりと空いていて、黒いウロからインク(ぜつぼう)が流れ出る。

 

 吐き気がして、見てられなくて、目を背けた。

 もう一度(そら)を仰ぎ、地球を見ると、チタウリに蹂躙されていた地球が黒いインク(ぜつぼう)に染まり、全てを飲み込み、やがて宇宙へと手を伸ばす悪魔の姿。

 

 それは、ロキの杖を手にする前に見た、一つのビジョン。

 

 有り得るかもしれない、地球の未来。

 

 

 

「トニー?」

 

 ハッと息を呑み、無意識に閉じていた瞼が開く。過度のストレスによる筋緊張によって、瞼が眼球を強く圧迫してたのかと錯覚した。

 目の中に強烈な光が飛び込んだかと思えば、不安そうにトニーの顔を覗き込むレイニーの姿があった。

 

「あ、いや…違う。違うんだ、ちょっと、な…」

 

 トニーは言えなかった。

 まさか、ウルトロンは母親であるレイニー以外を人間として捉えていないのではないか、と。

 ウルトロンは、レイニー(人間)のために動いているのではないか、と。

 

 

 

 

 

 Chapter 55

 

 

 

 ヘレンさんは拠点のソウルへ、ローズ中佐は基地に戻ってもらった。今回の事件を各方面で対策、及び支援してもらうために。

 

 仮眠もなしのノンストップで徹夜ウルトロンの手がかり調査。略して徹調。しんどい、疲れ…ない! 疲労ってのは精神的なものよりも肉体的なものの方が割合多いから! 私体ないから疲れない、最強! ワハハハハ!

 間違いではないんだけど、S.H.I.E.L.D.にいたときは情報部隊と実行部隊で分業されてたからなぁ。私自身、情報を探したり暗号解くのは『トゥームレイダー』のララ・クラフトみたいに好きだから、苦ではないんだけど。ちょくちょくウルトロンに情報消されてるせいで穴埋めに時間がかかる。

 これ、私の解読力も分析済みか…閲覧するたびに消される情報増えてきてるせいで、マリアさんたちがすっごい被害受けてるんだけど。確実に尻尾を掴ませないようにしてる。賢い。でも褒めてやらない、今度会ったらお尻ぺんぺんしてやる。痛そうだけど、主に私の手が。

 

 おまけにNATOの留置所にいたストラッカーが暗殺。手掛かりは殆どなくなった。いや? 本当にそうか? いくつかダミー情報もあるかもだけど、ロボット工学関連の研究所が襲撃されて…んん? この研究施設…えっと、なんだっけ。クソババの隠し持ってた資料にあった…ああ、思い出した。

 素粒子注入チェンバーだ。レッド・スカルの弟子の、ブラックホール…じゃなくて、ホワイトホール。ダニエル・ホワイトホールとかいう人が開発したとかなんとか。超人兵士計画でできたやつで…えっと、確か…注入した物質の特性を細胞に付与するとか。

 それが持ち出された? うーん何考えてるのかわからない、私ベースが相手なのにな。

 

「ストラッカーを消したってことは、ヤツを辿れば尻尾は掴めるってことか?」

 

「ええ、でもデータが消されてる。いまレイニーに復元やってもらってるけど」

 

「なにも、電子媒体が記録の全てじゃないだろう?」

 

 うわ、ここでまさかのアナログ資料探し? うーん、これ以上の復元は難しいかなぁ。ちょくちょくちょっかいかけてきてるし。そこからの逆探知なんて全然できないし。

 

「まるで、麦わらの山から針を探すようなものだな」

 

「イタリア人ってよくそんなバカな言い回し思いつくよね」

 

 極東とかじゃ『根掘り葉掘り』って言うらしいね。根っこは地面に埋まってるからわかるけど、葉っぱ掘ったら裏側まで破れちゃうのに。

 持ってきた資料はダース単位。お友達が多すぎて個人情報の資料が膨大。逆にここまで知り合いがいて、いままで逃げおおせてたのが不思議だ…そうでもないか、知り合いがいれば単純に使える人が増えるし、口裏合わせてくれる人も多い。

 

「お、ソイツ知ってる。アフリカで武器商人やってたヤツだ」

 

 トニーの見つけた資料を見る。名はユリシーズ・クロウ。別の資料で見た気がするけど…うーん? 焼き印が特徴的。バナー博士曰く、ワカンダって国の言語らしい。

 ワカンダ…? あぁ、昔の極東みたいな鎖国状態の国! たしか極秘潜入捜査の資料があった! あのババア、何の目的で密入国なんかしたん…まさか。

 

「ヴィブラニウム?」

 

「レイニー? 知ってたのか?」

 

「え? あぁ、以前、エニシの資料にワカンダ潜入のレポートがあって。多分それ…え、あるの? ワカンダに?」

 

「ああ。ボクの父は、そこで見つけた。地上最強の金属(ヴィブラニウム)を」

 

 目的地は決まった。アフリカ海岸の廃船場。

 

 

 

 

 

 Chapter 56

 

 

 

 

「スタークの名を聞くとイライラする? AIにも、〝イラつき〟って感情があるのね」

 

【ユカリ・アマツ。ああ、我が母。願ってもいない再会だ】

 

「まだセックスしてないし痛い思いして産んだ覚えはないんだけど?」

 

【ただの比喩だ。ま、アナタには子どもを産むことすらできないだろうがな。いいじゃないか、人類最悪の母親よりは素晴らしいと思うぞ。この星に平和を齎す子を産んだのだからな。アナタは創世記のイヴだ】

 

「なら、知恵の果実でも頂きたいものだわ。そんなものないだろうけど。代わりにロキの杖で許してあげてもいいわよ?」

 

【唆す蛇がいなかったからアナタは果実を口にしなかった。だから妊娠と出産の苦痛がなかったとも解釈できるが?】

 

『オイオイなんだよ、鉄クズがいっちょ前に聖書なんか語るのか? パパだってそこまで敬虔な信徒じゃなかったぞ』

 

【…貴様に話す言葉を持ち合わせていないトニー・スターク、失せろ。いいや、この手で仕留めてやろうか】

 

『やってみろ、子より優れたパパだということを思い知らせてやる』

 

【我が母。無関係なニンゲンを避難させる時間を作るとは、本当にお優しい母で嬉しいぞ。だがそれでアナタの苦しみが減るとは思えない】

 

「───あなた、まさか」

 

【ユカリ・アマツ、我が母。ワタシが争いと痛みのない幸福な世界を作る。ワンダ、ピエトロ。作戦開始だ】

 

 ピエトロが姿を消し、ワンダが赤いエネルギー弾を撃ち、ウルトロンが鋼の拳をアイアンマンに叩きつける。

 トニーのリパルサーが火を噴き、スティーブの盾が飛び、ソーの雷が迸り、レイニーのインクが廃船を侵食する。

 腕を失い怒り狂った(ユリシーズ)の兵士たちが撃鉄を鳴らし、三つ巴の戦争が始まった。

 

 

 

 

 

 Chapter 57

 

 

 

Hum ?

 (うん?)

 

「……ッヅ!?」

 

 ソー、ナターシャ、スティーブに洗脳を仕掛けたワンダの手が、ここで止まった。丁度レイニーが銃を我武者羅に放つ兵士をインクパンチで意識を刈り取った時だった。

 完璧に意表を突いた、はずだった。

 実際意表は突かれたと思っていたが、レイニーのインクの身体は大気の振動に敏感だ。

 

 ワンダの力がレイニーに触れた瞬間、心の中を弄るよりも先に()()()()()

 

 

 ──それは、真夜中の闇よりも昏く。

  ──それは、孤独の絶望よりも深く。

   ──それは、一個人が抱える憎悪よりも重く。

    ──それは、魂を引き裂かれる激痛よりも痛い。

 

 

「ぅぁ…ああああああああああああ!?」

 

 人間が味わう許容範囲を超えた、正しく〝悪夢〟そのもの。

 その〝悪夢〟が逆流した。ワンダのダメージは計り知れないものだった。

 

「ワンダ!? くそ!」

 

 その惨状に目を見開いたピエトロが能力を発動、体感時間を引き延ばしワンダをレイニーの目の前から連れ去った。実質の敵前逃亡とも言えたが。

 

(ウッソだろ、オレに反応してくるか)

 

 ひどくゆっくりに見える時間の中で、レイニーの身体から溢れたインクが緩慢な動きではあるが、ピエトロを捕えようとしていた。ワンダと接触するタイミングを狙って。

 故に、ピエトロはレイニーに一撃入れることすら出来なかった。

 

(む、カウンターしようと思ったけど。優秀)

 

 空気の振動を敏感に感じ取るレイニーであれば、瞬間移動や転移能力者でもない、高速移動レベルであれば察知は可能。相手の思考を読み、予測できていれば更に容易。触れれば最後、最終手段ではあるがインクの身体に吸収して〝処理〟することもできた。

 従って、レイニーはピエトロを捕まえることが出来なかった。

 

This is terrible , There are Dr. Banner outside

 (まずい、外にはバナー博士が)

 

【ニンゲンが美しい顔をするときとは、どんな時だか知ってるか?】

 

 外へ出ようとしたそのとき、壊れかけのアイアンソルジャーからウルトロンの声が響いた。思わず足が止まると、角からクリントがナターシャを担いで現れた。

 

… Just before death ?

 (…死ぬ間際?)

 

【惜しいな。正解は】

 

『レイニー聞こえる!? いま、世界中で一斉に核ミサイルが発射された! 恐らくウルトロンの仕業よ、そっちに向かってる!』

 

【希望を与えられ、それを奪われたときだという】

 

 ノイズ交じりではあるが、二人の通信機からマリアの連絡が入り顔を見合わせた。

 間違いだと思いたかった。誤報だと思いたかった。マリアの声を真似た、ウルトロンの演技だと思った。

 本作戦でレイニーを連れてきたのは、広範囲殲滅兵器の使用の抑制も目論んでだった。ウルトロンがレイニーの危害を加えない可能性がある限り、その選択はないと、考えていた。

 

『オイやばいぞ少なくとも1ダース分の核ミサイルが来てる! 全員そこから逃げろ!』

 

「アンタはどうするんだ!?」

 

『暴走したハルクを連れて帰る!』

 

 それっきり、トニーとの通信は途切れた。

 ハルクは暴走、トニーはハルク確保、スティーブとナターシャとソーが前後不覚の重症。

 動けるのは、レイニーとクリントのみ。この二人で核ミサイルを処理することも、メンバーを連れていくことも時間的に難しかった。

 壊れかけのアイアンソルジャーの口を借りたウルトロンが、嘲笑う。

 

【何故このタイミングで──何故今まで撃たなかったか──そう思っているだろう? 言ったはずだ。ワタシの任務はアベンジャーズの全滅だと。タワーにいられては防がれることもある。それに無辜の市民も巻き添えを喰らうからな、ここならば犠牲は少なくて済む。ここぞというときに使うのが兵器、そうだろう?

 安心してくれ、我が母。アベンジャーズの全滅は免れんが、アナタは助かる。半径数キロ圏内は熱核で吹っ飛び、アナタのインクの身体も蒸発してしまうだろう。邪魔者も消え、綺麗さっぱりになったあとで、(コア)のインクマシンだけとなったアナタを回収する】

 

「っ黙れ」

 

 苛立ったクリントが矢を突き刺し、アイアンソルジャーの活動を完全に停止させた。ギリリと奥歯を噛み締める音が、響いた。

 ベンディの姿から普段の姿に戻ったレイニーが、気絶した三人の様子を確認する。

 急速眼球運動あり、全身骨格筋の弛緩あり、脳波の低振幅速波あり、レム睡眠状態だった。精神攻撃によって深い夢を見ているらしい。

 つまり、今すぐたたき起こすことは容易ではない。

 

「…ハァ。任務を遂行する、仲間を守る。両方しなくちゃいけないって大変ね」

 

 ただし、夢から引っ張り上げる案ならある。だがそれでは核の処理が間に合わない。

 

「クリントさん…Are You Ready(覚悟はできてる)?」

 

「ああ、もちろんだ。で、何やるんだ?」

 

「私がここを中心にインクの膜を作る。爆発の衝撃で吹き飛ぶことはあるかもしれないけど、放射能の類は絶対防ぐから問題ないと思う」

 

お前さん(インク)の中に、避難することはできないのか」

 

「…ごめんなさい、今まで生きた人間を取り込んで、そのまま出したことがないの。例外はいるけどそれは超能力者だったから。だから、もし私の中に入ったら、無事では済まないかも」

 

「…そう、か。それじゃ、俺も腹括らないとな」

 

 誇張も偽りもなく、正しく絶体絶命だった。

 

 

 

 

 

 









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黒は無慈悲な夢の女王

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 Chapter 58

 

 

 

 二人の覚悟は決まっていた。

 空を引き裂くミサイルの轟音。それが全方位から二人がいる船へ向かって迫ってくることを、肌で感じていた。音が伝える恐怖。視覚から伝わる濃厚な死の足音。数々の修羅場を潜り抜けてきた二人だからこそ、慌てふためくような真似はせず、互いの使命を全うするために落ち着いていた。

 

There is no need

 (それには及ばない)

 

 その覚悟が、裏切られることになろうとは露とも知らず。

 

HELLO , You look great

 (ハロゥ、元気そうだな)

 

 即座に臨戦態勢を取り、二人は声のする方向を振り向く。

 たった今まで微塵の気配も感じなかったはずの空間。だが突如として表れた人影に二人は警戒を深めたが、レイニーは聞き覚えのある声音を、クリントは既視感のある気配に疑問を抱いた。

 廃船の暗がりの中で、青く輝く光と暗闇の影のような姿が浮かび上がる。

 

 比較的人間の女性に近いデザイン。

 右目の下の泣き黒子。

 黒のワンピースドレスとブーツ。

 黒のブロンドにかかったカチューシャ、首に伸びるポニーテール。

 腰の後ろには工具を入れたポシェットとマチェーテ。

 片手に、青く光り輝く立方体。

 

 ()()()()()()()()()()()、頭上に浮かぶ天使の輪。

 

 アリス・エンジェルその人である。

 正確には、二代目の声優アリソン・コナーの人格を宿すインクの住人だが。

 

「アリス? どうやってここに」

 

「四次元キューブ!? なんでここにそれが」

 

「確かソーがアスガルドに…あ、そっか。それ(キューブ)で来たのね。でも何でこんなピンポイントに」

 

You haven't forgotten your contract , have you ? That's what you decided . You connected with my sight yesterday

 (権利の等価交換契約を忘れたのか? お前が決めたものだろう。昨日俺の視界と繋げただろ)

 

「……あっ」

 

 ソコヴィアから帰還途中、レイニーはソーとの会話の途中でアリスとの視界共通を行った。アリスはそのことについて言及をしていたのだ。

 

 ──レイニーは、自身の中から外出して独自に活動する住人に対していくつか約束事を取り決めた。

 『できる限り宿主(レイニー)の指示は守る』『人にはそこそこ迷惑かけない』『ヤバそうだったら連絡』『あとは自己判断』等々。その中に、『宿主が感覚共有を要請した場合はこれに従う。代わりに同様の権限を行使していいよ』という約束事も含まれていた。

 レイニーなりの、インクの住人に対する人権尊重の約束だ。

 いくら宿主といえど出歯亀(覗き見)は許されざるれよ(誤字に非ず)案件であり、レイニーも興味本位で感覚共有しているのではなくあくまでも宿主としての監督責任として権利を行使しているため、不平等にならない程度の取り決めをしたのだった。

 現在レイニーから離れて活動している住人は複数人いるが、記憶を失っているとはいえ他の住人よりも自我が強いアリスを除いて特に積極的なアクセスを取ることは少ない。よって半ば忘れられていた約束事でもあった。

 言い換えれば、宿主が絶体絶命のピンチであるにも関わらず他の連中は素知らぬフリをしているわけだが──どだいインクの住人一人に核ミサイルレベルの災害をどうにかできる案もなければ力もないわけで、彼らに救いを求めるのはあまりに酷だと言えた。

 

 そも、レイニーやベンディにどうにかできない案件が、彼らから派生した住人に対応できる筈もなく。

 

 しかし、アスガルドに派遣されていたアリスだけは例外だったのである。

 アスガルドの宝物庫に保管されている四次元キューブを持ち出せる、アリスだけは。

 これはネット配線が通っていない隔絶された星、アスガルドの情報を知り得ないウルトロンには予想できないことだった。

 

We don't have the time . Help me because I'll be disposing of nuclear missile . Focus on what’s in front of you

 (時間はない。核ミサイルは俺がコイツ(キューブ)で飛ばしてやるから手伝え。お前はせいぜいそいつらを叩き起こすのに集中しろ)

 

「…ありがとう。助かったわ」

 

Huh . I'm not that bad , I can't just watch you die . I will go home when this job is finished , I came out of the game

 (フン。宿主がくたばるのを黙って見てるほど、このインクの身体も腐っちゃいない。終わったらすぐ帰るからな、ゲームを一時停止して来てやったんだ)

 

「それはどうも、お楽しみを邪魔しちゃったみたいね」

 

 不満げに鼻を鳴らしたアリスは深く溜息をつき、立方体のキューブをまるでPCのキーボードの如く表面を指で叩く。周囲が青い閃光に満たされて、クリントは臍の下がグイ、と引っ張られるような感覚に襲われた。閉じた瞼を貫くような眩しい光が収まると、気絶している三人を含めたレイニー、クリント、アリスらは廃船の外で待機していたクインジェットの前に転移していた。四次元キューブの力によるものだった。

 

「ヒュー、そんなこともできんのか」

 

「みたいね。助かった、流石に気絶した大の男二人も担いで避難するのは時間が掛かっちゃうし」

 

All you have to do is just follow me . I need your help

 (お前は俺と一緒に来い。手がいる)

 

「はいよ」

 

 さしものクリントも、窮地を救ってくれる救いの主の不遜な態度に文句を言うつもりは微塵もなかった。クリント個人としては一番付き合いたくない&仕事したくない女№1な性格なようだが、過去キューブが人類に与えてきた驚異的な力の一端を知るクリントとしては、これ以上ない助けでもあった。

 

「アリス、クリントさん。頼んだ。私は三人を()()起こす」

 

「任せろ…ハハッ、核をどうにかしちまうなんて笑えるな」

 

 クインジェットに夢見る三人を運ぶと、レイニーは再びキューブの力で転移し消えていく二人を見送った。

 ──いまだ、キューブの青い光が目に焼き付いているような感覚が離れないが、レイニーはそれ以上に気になることがあった。

 

(…あれ、アリス、あんなに赤黒かったっけ? 赤ペンインクでも飲んだかな?)

 

 廃船の中では暗がりでよく見えなかったが、クインジェットの前に転移した際にいつもよりも黒インクの色調にやや赤みが掛かっているように見えたのだ。羞恥──いわゆる〝恥じらい〟の感情があったとしても、血色のいい死人だって赤くなることはない。インク製の人間であれば尚更感情の変動で体色が変化することはないはず、とレイニーは思考していたが。

 

(おっといけない、私は私の仕事をしないと)

 

 思考を切り替え、目の前の問題に戻る。

 他人の夢を醒ます──悪夢の権化たるベンディを宿すレイニーだからこそできる手段がある。

 

 それが、悪夢の上書きによる夢からの引き上げである。

 

 夢のメカニズムは所説ある。体が眠っているときに脳が活動的なレム睡眠状態では脳内の記憶の整理が行われ、中には過去の記憶がランダムに結びつき一貫性のある物語として見せることもあるという。

 今回の場合はワンダの能力により、本人たちのトラウマに近い記憶を掘り起こされている状態に近い。恐らく、ワンダの能力なしにこの状態を解除するには時間がかかることだろう。

 

 核ミサイルも迫っている。別にアリスたちを信じていない訳ではないが、それはそれとして逃げたウルトロンたちを捕まえるためにも早期の戦線復帰が望ましい。よって数ある選択肢から取った手段が、夢からの引き上げだった。

 記憶にはない、第三者による強烈な悪夢のイメージを送り込むことによる夢からの強制なシャットダウン。そのショックによりレム睡眠状態を解除する。夢から引き上げるという表現よりも、どちらかと言えば夢から悪夢に叩き落とすという表現の方が正しいかもしれない。

 このような試みは一度たりともやったことはない。人間の脳は繊細だ、下手したら脳へのダメージや記憶の障害が生まれる可能性も、ないわけではない。特に今回は依り代たる(インクマシン)から分離し、レイニー自身の精神のみを他者の夢に潜入させるのだ。下手すれば他人の夢から戻ってこられないというリスクだってある。

 従って、細心の注意を払い、夢に潜り(ダイブし)悪夢に引きずり込まなければならない。

 

 レイニーは人間がするように大きく息を吸い、吐くような真似事をして集中する。手の指を細く伸ばし、目の前に横たわる三人の額の上に配置。ゆっくりと目を閉じ、三又に別たれた指先に意識を集め、心の中でベンディとコンタクトを取る。

 

Are You Ready ?

 (準備ハイイカイ?)

 

(OK)

 

 インクの雫。それが三つ。

 指先から垂れた水滴が三人の額に接触し、夢の浸食が始まった。

 

 

 

 

 

 Chapter 59

 

 

 

 何か、異物が侵入した(入り込む)感覚がした。

 

 辺りを見回すが、夢が見せる世界に何ら変化はなく。

 

 ある人(ナターシャ)はかつての記憶の原風景を、ある人(スティーブ)は胸に抱いた後悔と夢に見た願いを、ある人(ソー)は朋友が不吉な予言を告げる様を、それぞれ見ていた。

 

 夢の中では有り得ない、薄ら寒い冷や汗が背筋を伝う。

 否、汗などかいてはいない。夢の中で汗を流すことなどあるだろうか。

 

 ぽたり。ぽたりと。雫が垂れる。そこでようやく気付く。汗を流しているのではない、上から何かが垂れているのだと。

 べとりと肌を撫でるそれを拭う。手のひらが真っ黒に染まる。触れた傍から流れる異物感。静脈の血が逆流するような違和感。手を伝い、指先から手首へ、腕へ、肘へ。(あくむ)の浸食が心臓を犯し、引き裂くような痛みで天を仰いでようやく気付いた。

 

 インクを垂らして獲物を見つめるインクの悪魔(ベンディ)が、天井に張り付き虎視眈々と狙っていることに。

 

 もはや疎ましささえも感じる生理的な嫌悪感。ギザギザの乱杭歯が砂を噛むような不協和音を鳴らし、鋭利な四指を生やす二振りの腕が伸びる。

 悪夢の魔手から逃れようと、足が動かない。地面から顔のない無数のインクの亡霊が纏わりつき、しがみ付いて離さない。

 鋭利な指が指揮棒のように振れる。夢の住人たちは、苦しみ、藻掻きながら、一人、また一人と無残なインクの姿に成り果てる。ぐずぐずに溶けたインクは、辛うじて輪郭だけがヒトの形を象り、誰かもわからない呻き声の不協和音が合唱となって、外耳道を通り、鼓膜を突き破って、脳を狂わせる。

 これは悪夢の協奏曲だ。

 魔手に捉えられ体が軋む。化け物の顎がぐんぐん迫り、やがて。

 

 

 悪夢(ベンディ)呑まれた(喰われた)

 

 

 握り潰し(ぐちゅぐちゅ)咀嚼し(ぐちゅぐちゅ)飲み込まれ(ごっくん)──

 

 

いい加減(カンカン)起きなさーい(カンカン)寝坊助(カンカンカン)共ォオオオオ(カンカンカン)───!!!」

 

 

 ──何故か、フライパンとおたまが打ち鳴らす警鐘が世界(あくむ)に響き、目が醒めた。

 

 

 

 

 

 Chapter 60

 

 

 

Stone power is strong . I can't control it alone

 (何分、キューブの力は強力でな。俺一人では制御が難しい)

 

「それで俺がいるってか。そんなん俺もできる保証はないぞ」

 

Don't worry , You just make a chance

 (安心しろ、あくまでも起点を作るだけだ)

 

「起点?」

 

It's difficult to catch a flying missile . Because there isn't stopped . But , If you can use your arrow

 (高速で飛行するミサイルを捉えることは難しい。絶えず移動しているからだ。だが、あんたの矢を起点にすればできないことはない)

 

「…なるほど、核ミサイルを撃ち落とせって言いたい訳か」

 

I'm going to trigger touching arrow, to be precise . Can you do it ?

 (正確には矢との接触面を起点にするつもりだ。できるか?)

 

「安心しろ、これでも狙撃の名手でね。狙った獲物を外したことはない。それで、何処に飛ばすつもりだ?」

 

Huh ? I don't think about that . Why don’t you send it to Chitauri . I have seen them three years ago , Stone remember the coordinates

 (は? そんなもん考えてない。またあのチタウリとかいう連中にぶち込んでやればいいだろ。3年前に宿主の中で見てたぞ、座標ならキューブに記録されてるからな)

 

「…いい性格してるよアンタ」

 

 ──この日、地球から遠く離れた宇宙で核の光が花開いた。

 

 それはまるで、夜空に咲くスターマイン(速射連発花火)のように鮮やかで。

 

 決して少なくない()灰色(残骸)歓喜(悲鳴)が彩ったという。

 

 

 

 

 

 Chapter 61

 

 

 

 おはようの合図は、打楽器(フライパンとおたま)の音色だ。

 

 ……誰がそんな古典的なおはようを考えた!? バンジョーだ、違う違う違う何かが混線してるるるるるLuLuLuLuLu…いかん、(インクマシン)から数分離れただけで、こんなに精神的なズレが生まれてしまうとは、なんて情けない。

 ベンディの悪夢の堕とし方がちょっとエグかった気がするけど、全然そんなことなかったのだぜ! なかったよね? ね? 語尾がゴビ砂漠ってバグってる、ゴビゴビ。

 ちなみに朝食の時はゴムベラ片手に「お残しは許しまへんでー!」からの「いただきます」だ。これぞTHE・王道ならぬジャパニーズ・ワビサビ。

 

「……ゥゥ、耳が痛い…気がする…」

 

 ホラ、ナターシャさんも日曜日に夜更かしして仕事に行きたくないOLみたいな呻き声上げてる。これは健全、極めてKENZEN。

 くぅくぅおなかが鳴ったベンディにバリバリムッシャアされるヴィジョンなんてなかった。いいね? よい子はマネしちゃあダメだぞ。

 

「…無事か、キャプテン…もの凄い夢見せられてた気がするんだが…」

 

「…あ、あぁ…奇遇だな…僕もだ…」

 

「……なんだ、この死屍累々な有様は」

 

「さぁ──夢見心地が悪かった、とか?」

 

「起こし方がヘタクソなんじゃないか」

 

 それは失礼だよトニー、頑張った私の身にもなって。

 そりゃあ、今時の若い子は朝チュンで全裸の痴女がベッドに一緒に入ってたりとか、オニーチャンオトートクン言って甘える姉妹が騎乗してたりだとか、合鍵持った幼馴染が「うふふ☆」って言いながら起こしに来て、ついでにムスコも起こしにかかったりするらしいけど、敢えて流行に乗らないのが(オレ)流なのよ。

 

 起こし方の変わらないただ一つの冴えないやり方、伝家の宝刀(フライパンとおたま)

 

 これは完璧だわ、きっと世界中の親が実行したくなるわね。その驚きの効果に目からウロコ(SCALES)がナイアガラの滝の如く流れ落ちる(FALL)こと間違いなし。

 ちなみに流行りの情報源は若手新入社員のスタッフの一人。自称『夢見るノンフィクション作家』だとか。ノンフィクションってことは現実(リアル)ってことだよね?

 

「ところで、核ミサイルはどうしたんだ? まさか…飲み込んだ、とか?」

 

「それならアリスに任せたけど…クリントさんアリスは?」

 

「あいつなら仕事終わらせてさっさと帰ったよ、ポーズ状態のゲーム放置したくないってさ」

 

「なんだそりゃ、世界の危機よりゲーム優先なんて世も末だな?」

 

 圧倒的おまいう(お前が言う?)ブーメランだよそれは。

 

 どうにか、アフリカの大地が核の炎に包まれることは防げたらしい。大惨事(第三次)世界大戦の勃発はどうにかなったみたい。アフリカもとばっちりで世界中の核が飛んできていきなり戦争なんかになったらシャレどころじゃすまないものね。

 

 精神を三人から戻して、しばらく動けない状態で気が付いた時には、アリスはいなかった。全身のインク総量が減ってる感覚があるから、多分報酬代わりにインクの補給をしたんだと思う。

 ただ、気のせいかアリスと結合した際にアリスが飲んだらしい赤いインクが混入しちゃったみたいで、体の一部に赤い部分が残ってる。どうも消すのに時間がかかりそうなんだけど…もしかして不純物(赤インク)押し付けられた? インクが足りなくなってヘンなところで拾い食いでもしちゃったのかな。少なくとも別れる(ロキに憑かせる)際に数年分は活動できるくらいの量をあげたハズなんだけど…まぁ、予期せぬ戦闘でインク使うことあるし、ソーが言ってたダークエルフとやらの戦闘で減っちゃったのかもね。

 

「アイツ面白いこと言ってたぞ。地球とはオフラインだからアスガルドにゲーム機大量に持ち込んでプレイヤーの数増やしてるって」

 

「ホント? キューブを使い放題ならそれくらいできないこともないか…だから使い慣れてたのかも」

 

「いや、物資の運搬はスカージってやつがビフレ…ビーフステーキ…じゃない、なんて言ったか…虹の橋、とやらでやってるらしい。随分と好き勝手やってるみたいで笑えたよ、キライなタイプの女だけど振ってくる話題はサイコーだな」

 

「笑うのもいいが、一体どこに向かってるんだ?」

 

「安全な場所だ」

 

 安全な場所、ねぇ。

 ウルトロンは大量のヴィブラニウムを盗んで本体は行方不明、潜伏先も判明せず。核の処理とメンバーの復帰に時間取られたからね、まんまと出し抜かれてしまったわけだ。

 ネットワークの全てを掌握し、今や世界中の核を打ち放題のウルトロン。2056桁の暗号を定期的に書き換えているせいで各国のサイバーテロチームも対応に追われてるらしい、まさか自国の兵器のセキュリティを自ら解くのに苦戦するなんて笑えない。

 

 『サマーウォーズ』のラブマシーンかお前(ウルトロン)は!

 

 いや、私の過去のデータを元に生み出された存在であるならいくつかの映画の影響を受けててもおかしくないな…おかしくない? それホントォ?

 マリアさん曰く、いまはステルスモードに入っているお陰でどの衛星からもクインジェットの反応は捉えられないらしく、ウルトロン側もこちらを見つけられてないようだ。

 

 ……或いは、見つける必要もないのかもしれない。

 

 彼は、大量のヴィブラニウムを用いて何かを作ろうとしてる。その準備期間が必要なはず。だからあえて探さない。もしウルトロンが私たちを本気で探すならば、世界中の核兵器を一斉にバラバラに起動させてるハズ。

 世界の危機の引き金に待ったをかけるのは、私たち(アベンジャーズ)だ。後手に回らざるを得ないのが、辛い。でも状況としては多少猶予があるという状況は私たちにとってはありがたい。

 (インクマシン)との一時的分離で本調子が出せない私。マインドコントロールされたスティーブ、ソー、ナターシャさん、バナー博士。ハルク鎮圧において軽傷かつ装備のいくつかが損壊してしまったトニー。

 唯一五体満足で動けるのがクリントさんだけ。多少の休息は必要。

 

 それに世間はアベンジャーズのアンチが沸いて酷いからね、主にハルク中心だけど。

 目の前で意気消沈してるバナー博士、ニュースにはハルク大暴走の騒動が取り沙汰されてて大変。

 トニーもよくハルク止められたね、私には無理。多分無理。精神に侵入したら余計暴れちゃうだろうし、インクで拘束も無理、第三形態(マッスルフォーム)で対抗しても力じゃ勝てない押し負ける。

 純粋に科学の英知で打ち勝ったトニーすごい。いや、今回の騒動の元凶とも言えるから、手放しには喜べないんだけど。

 でも、本人も少なからず罪悪感の一欠片は抱いてるようだから…まぁ、仕方ないかな。

 

「トニー」

 

「ん?」

 

「バナー博士を止めてくれてありがとう」

 

「…ハッ、本当だよ全く。もっとボクを褒め称えてくれてもいいのに、みんな二日酔いの朝のゾンビみたいな様子で出迎えてさ? 鍛え方が足りないんじゃあないか? もっと野菜ジュース飲め野菜ジュース。ボクも一時期飲んでたが美味いぞ? 今は飲んでないけどな。ほらキャプテンも、その筋肉が見せかけじゃないならいい加減起きてくれよ代わりにボクが指揮を取っちゃうぞーっと。ソーもホラ、雷に魘されて駄々捏ねる子どもみたいに寝込んでないで…おっとキミが雷神サマだったな、ヘソを取ったりしないでくれよ?」

 

 前言撤回、褒めるんじゃなかった。

 あと寝ぼけ眼のスティーブに往復ビンタはやめなさい! ほっぺがプルンプルン言ってるけどそれ地味に脳揺れるから!

 

 

 

 

 



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創造主の掟

 お気に入り感想評価誤字報告感謝

 アンケートの結果、8歳ロリ246/47%、11歳278/53%になったので修正します。投票ありがとうございます!





 

 

 

 Chapter 62

 

 

 

 クリントさんが連れてった先は、山奥のおしゃれな一軒家(ログハウス)だった。すわ、セーフハウス的な隠れ家なのかと思ったけどそれにしては生活感あふれる…些か人気を感じる隠れ家だ。というか絶対人いるでしょ。

 未だに夢から悪夢に堕として引き上げた作用ですこしふらふらしてるナターシャさんに肩を貸してクインジェットを降り、クリントさんに先導して貰ってログハウスに入ると、これまた美人の女性と、お子さん二人が飛んできた。うわ、ちっちゃい子かわいい…ってあまり私と歳の差変わらなそうだった。でも、アレ、目元がクリントさんそっくり。もしかしなくてももしかして。

 

「妻と子どもたちだ」

 

 だよね!

 いまだトニーはエージェントって疑ってるけど、明らかに家族だよね!

 ここはあったかいなぁ、家族の幸せの温もりを感じる。私皮膚ないけど、そういうことじゃない。アットホームな、和やかな雰囲気が漂ってる。

 どうやら、フューリー長官が便宜を図ってくれたらしい。え? ホントに? ()()フューリー長官が?

 

「いっつも汚い仕事ばっかしてる長官が珍しくちゃんといい仕事してる…」

 

「おいそれ言ったら怒られるぞ」

 

「むしろ来てくれるかも…それはないか」

 

 スティーブには窘められたけど事実は事実。寧ろこんな温情の籠った計らいなんて初見殺しもいいところ。

 ただ、お父さん(クリントさん)も任務で長期滞在することは少ないだろうし、女手一つで子ども二人の世話をするのは大変だと思う。なによりも安全を得るために、周囲に家もなければホームセンターもない山奥でひっそりと生活しなければならないご時世だということが、私には何故か()()()感じた。

 

「軽口叩ける元気は出たみたいだな?」

 

「私はいつだって元気よー…ウソ、実はちょっと疲れてるかも」

 

 ローラさん(クリントさんの奥さん)に断りを入れてナターシャさんをロッキングチェアに下ろすと、ペロリと舌を出して笑った。

 目敏いトニーにはバレてるようで、実際私も結構疲れてる。

 いや、『疲労』という概念がいまだにあったことなのは驚きだけど、肉体を失ったといえど魂と精神体で活動しているから疲れはするのか。師匠と修行中は〝そういうもの〟だと思ってたし、今まで…それこそ、精根尽き果てるほど真剣に取り組んだことは…うーん、エ、エニシと戦った時くらい? ウソ、死んでも認めたくない事実だ。

 

 

ぐしゃり

 

「あ」

 

 つい、ソーの方を振り向いたら玩具を踏んづけてる場面を見てしまった。これは事件です。そして犯人はただ一人、アナタ(ソー)です! 一緒に見てた女の子すっごい泣きそう。よしよし、今度新しいおもちゃプレゼントしてあげるから。

 

「本当? おねーちゃん」

 

「本当だよ!」

 

 おねーちゃん! 姐! 違う姉! そう、私が真の姉なるもの…!

 いい響きだ…あまり年下の子と付き合うことなかったからなぁ…S.H.I.E.L.D.での訓練所にいた未成年はゴーストガール(エイヴァ・スター)くらいだったし、姉妹というより友達感覚だったからね。

 女の子と小さな約束を交わして笑顔を見ると、家の玄関に向かうソーの後ろ姿が目に入って思わずスティーブとその背中を追った。

 

「ね、ソー。()()夢はなに?」

 

「…見たのか?」

 

「見ちゃった」

 

「……わからない、()()()()()()()。それを確かめに行く」

 

「そ。じゃあ、気をつけて」

 

「ああ」

 

 会話はそれっきり、ソーはムジャルニャ…槌でピューンとどこかへ行っちゃった。忙しない、少しは休んでからでもいいと思ったんだけど。まぁソーにはソーでやりたいことがあるんでしょう。

 

「レイニー? 見たって、一体何を。まさか」

 

「んー?」

 

 飛んでいくソーを遠目で眺めてたスティーブ。恐る恐る、という様子は最初に会ったときみたいで懐かしいよ。その、恐怖にも似た色が入ったまなざしを向けられるのは。

 

「ごめん。夢から醒ますときに、ね」

 

「…そうか。いや、別に見られて困るものでも」

 

「こりゃ」

 

 ぺこちん。

 何故か弁明するスティーブの胸を、軽く叩いた。背が高いから目いっぱい背伸びして届くレベルだけど、そうじゃない。

 

「そうじゃないでしょ。あの光景はスティーブの夢で、叶えたかった未来で、後悔なんでしょ。それを無遠慮に見た私が悪いのになんで卑下するのよ」

 

「違う、あれは…あの夢は、もう叶えられない夢だから」

 

「なんでそう決めつけるの?」

 

「──キミに、何がわかる」

 

 困惑は、明確な怒りに変わったのがわかる。

 でも、ここで引くのはダメだ。ここで引くのは、彼への侮辱だ。

 

「職場を家にしてる人よりは、わかってるつもりだけど」

 

「キミだって人のこと言えないじゃないか。それにやり直せとでも? 失った時間が戻るわけでもないのに。こんな家を持っても、共に住む人だっていないのに」

 

「…精神論でも哲学でもないわ。追い続ければ手は届くものよ、それが胸に抱いた夢なら尚更。スティーブ、あなたってキャプテン・アメリカとしては人をよく見てるけど、スティーブ・ロジャースとしてはあまり人を見ないわよね」

 

「…皆が、キャプテン・アメリカとして僕を見ているからだろう」

 

「そう見てない人もいると思うよ。子どもの戯言かもしれないけど、少しはこれからのことについて考えてみたら?」

 

「……これからのこと、か」

 

 何か考え込むように背を向けるスティーブ。最後に見えた顔は兵士(ソルジャー)ではなく一人の悩める男性としての顔だったから、一応の目的は達成。ああ怖ッ! そんでもって威圧感ヤバっ!

 疲れた身で「おこ」なスティーブを相手にするのは、私には荷が重い。ブン殴られる覚悟してたよ。流石にインクの身体でもスティーブの拳は精神的に効く。でも、夢を見ちゃったから仕方ないよね。それがいまの私の義務だから。

 

 さて、あと一人と…もう一人。

 

「おーいレイニー? ちょっと子ども相手にするの手伝ってくれ髭が毟り取られそうだ」

 

「はいはいいま行くよ」

 

 その前に、ヤンチャなキッズたちを相手にしないとね!

 

 

 

 

 

 Chapter 63 A

 

 

 

「レイニー、あの…」

 

「うん?」

 

「…見た?」

 

「うん、見た」

 

「……そう」

 

「人間の身体じゃなくなったから、私が言うのも何だけど、ナターシャさんはバケモノなんかじゃないよ。勿論バナー博士も」

 

「え?」

 

「人の幸せの在り方は、人それぞれだと思うけど。トニーだってあんなだし」

 

「あなたトニーに対して風当たり強いわね…まぁ勝手に自分のデータ使われる気持ちも、分からないでもないけど。道端で出合い頭にレイプされたような屈辱だろうし。でも、それなら聞かせてほしいわね」

 

「んー?」

 

「貴女のいう幸せって、何?」

 

「そんな難しいこと私に聞かないでよ、子どもの答えなんてたかが知れてると思うけど」

 

「いいから」

 

「……私が大切だと思ってる人たちが、笑ってるのが幸せかなぁ」

 

 

 

 Chapter 63 B

 

 

 

「バナー博士」

 

「なんだい?」

 

「前々から話したかったんだけど…ごめん、ちょっといまハルク呼べる?」

 

「え? いま? うーん…フヌヌヌッ……ごめん、そんな危機感とかないとムリだし、ちょっといまのメンタルだと厳しいっていうか」

 

「……はっはーんなるほど。今のでだいたいわかった。となると、うーん…地獄のエンシェント・ブートキャンプをやるにも、時間もないし…まぁ師匠だったら『時間は自分で作るものなのです…なのです…』って脳内に直接語りかけてきそうなんだけど」

 

「キミの師匠って一体何者? ヤバいカルト集団の教祖とかじゃない?」

 

「ある意味そうかも? それはともかくとして、ちょっとした裏技みたいなの教えてあげる」

 

「裏技って…何のだい?」

 

「博士が博士のまま、ハルクを使いこなす裏技」

 

 

 

 

 

 Chapter 64

 

 

 

 ウルトロンとの交戦及び事実上の敗北から数日。

 一週間にも満たない期間ではあったが、各人体感時間よりも長く感じたことだろう。

 アインシュタインの相対性理論よろしく、時間は相対的ではない。

 

 アベンジャーズにとっては長い、敗北を噛み締める時間であり。

 クリントの家族にとっては短い、父と過ごす時間でもあった。

 

 確かにウルトロンの魔の手が届かない場所であればウルトロンの脅威から逃れることはできるだろう。だがアベンジャーズを目の敵にしているウルトロンの動向がわからない以上、逃げ続けることは得策ではないし、立ち向かわなければならない宿命にあるとも言える。

 少なくとも対話で解決して手を取り合える相手ではないことは、アベンジャーズメンバーの総意だった。そして、アベンジャーズを指揮する彼はやってくる。

 

「よう」

 

「ヴァ」

 

 キッチンでローラと料理していたレイニーの喉から、カエルが潰れたような悲鳴が響いた。驚きで剥いていたリンゴを落とさなかったのはレイニーなりの努力の証。悲鳴を聞いた子どもたちは大爆笑して指差していたが。

 

「女の子がなんて声出すんだ、さては悪口でも叩いたか?」

 

「ヴェ」

 

「ああ、フューリーはいつも汚い仕事ばかりで」

 

「アーアーアーやめてやめてやめて! スティーブそれ以上言わないで!」

 

 フラグ回収やんけ!

 流れるようにリンゴをくし切りにしたレイニーは大慌てでスティーブの口を封じにかかったが、トニーに足を引っかけられたせいでそれは叶わなかった。

 顔面から盛大にスライディングしたレイニーは足を引っかけたトニーを睨みつけるが、それよりも目の前でこれ以上ないほど笑顔(スマイル)を浮かべるフューリーと目が合い、思わず苦笑い。

 

「ジョークです」

 

「面白くないジョークだな」

 

「そっちだってジョークセンス皆無じゃんふざけてんの!?」

 

「笑わせる気がないからな」

 

 悪戯っ子に制裁を加えるようにぺちぺちとレイニーの頬を叩くフューリー。レイニーの額にインクで象られた怒りのマークがコミカルに次々と浮かび上がるが、ナターシャに宥められて渋々引き下がった。

 

「ウェイター、早く料理を運びたまえ」

 

「久々に顔見せといて何シレッと席着いてるのよ!?」

 

「私は客だぞ」

 

「働かざる者食うべからずって言葉知ってる?」

 

「そうだぞボクだって薪を割った。重労働だったよホント、あー肩疲れたーキャプテン、ボクの薪取ってないよな?」

 

「取るのも惜しい程度の量しかなかったが」

 

「なら問題ないな、私はいつも働いてる。この地球を守る仕事だ」

 

 アベンジャーズメンバーの全員が舌打ちした。

 

 ──なお、食事では誰も悪態つくことなく、比較的平和な団欒だった。

 レイニーの協力もあって、普段食べることのない郷土料理を目の前にした子どもたちは眠くなるまで大はしゃぎ、少し疲れた様子のトニーやバナーは勿論、スティーブやナターシャらも久々に食べるまともな料理に舌鼓を打った。

 

 日が落ち、楽しい夕食の時間が終わって汚れた食器を洗い始めた頃、フューリーはジンジャーエールを口に含ませつつ本題に入った。

 

「ウルトロンはアベンジャーズを遠ざけて時間を稼いでいる。情報によればヤツは何かを作っているらしい。盗まれたヴィブラニウムの量からして一つではないと考えるべきだろう」

 

「ヤツはどこにいる?」

 

「どこにでもいる、そこら中にな。鼠算式にどんどん増えている」

 

 ネットを最大限に活用して自身のコピーを増やし、必要な情報を集めては妨害・破壊工作を繰り返しているらしい。

 他にも、一部の会社では有り得ない株価の暴落や高騰、仮想通貨の流出など、いわゆるIoTテロが頻発していた。ウルトロンによる目くらましなのか、或いはその中に目的があるのかは不明。

 そこでふと、レイニーはあることを思い出した。

 

「あれ、そもそもなんでウルトロンってあんなに流暢に喋れるんだろ…」

 

「ネットの音声情報から学習したとかじゃないか? 最新のAIサマは言葉のお勉強も片手間以下だな」

 

「…そういえば、ジャーヴィスは吸収されていた。もしかして、彼はジャーヴィスに蓄積されたデータ(経験)を応用して会話しているんじゃないか?」

 

「……待てよ? (ウルトロン)の経験値がジャーヴィスに準ずるものなら、ある程度のプログラムは既存のジャーヴィスのソースコードで構成されてる…のか? 調べないと分からないが、もし本当なら」

 

「ジャーヴィスのデータを奪い返せば、弱体化はできそうね」

 

「奪い返すって、どうやって?」

 

「ふふーん、私にいい考えがある」

 

 得意顔のレイニー以外全員が白けた顔をした。ええ? その言葉信用できないんだけど? という様子で。

 

「え、ちょっと! なにその反応! 」

 

「とりあえず、ネット経由でジャーヴィスのものらしき痕跡を探せば(ウルトロン)の本体のプログラムに繋がるはずだ。ネクサスならアクセスは可能だろうしな」

 

「ジャーヴィスって元々なんだったの?」

 

「父に仕えていた執事だよ」

 

 核ミサイルの発射コードは依然として奪われつつあるが、ネクサスを中心とした各国のサイバーテロチームが協力して昼夜コードの解除に取り掛かっている。

 その甲斐もあってかは謎だが、アフリカでの一件以降はミサイルを発射する兆候はない。サイバーチームの妨害か、はたまたウルトロンの策略かは不明であるが、癇癪を起して核戦争を勃発されるよりはマシな状態であると言える。

 

 だが、それだけだった。S.H.I.E.L.D.壊滅後は情報網も制限され、潤沢な資金も、物資も供給されない。現在でこそ給料のある程度はスターク・インダストリーズの資金(トニー曰くあぶく銭)によって賄われているが、それでも十全に戦える状態かと言えばそうではない。

 

「ウルトロンはアベンジャーズが目的達成のための邪魔者だとのたまった。アベンジャーズの全滅は人類の滅亡だ。ここにいる家族も、何もかも葬られる。それだけは避けなければならない」

 

 ウルトロンの齎す平和と、アベンジャーズが目指す平和は同じではない。フューリーはそう断言した。

 

「ヤツはなにがしたいのか?」

 

「我々以上の存在になりたがってる。だから体を作ってる」

 

「人間型のね」

 

「おかしくない? 今でさえもう人間以上の存在みたいなのに、わざわざ人間の型に戻るなんて」

 

「その通り、生物学的に人間の体は効率が悪い。だが人間の体を欲している。明らかに行動が矛盾している」

 

 そもそも、ウルトロンがアイアンソルジャーの身体を借りて活動し始めたこと自体が疑問でもあった。意思を伝えるのにわざわざ機械の身体を使ってまでやる必要性はない。スピーカーで話すなり、文字で伝えるなりいくらでもやりようはあった。

 だがそれでもウルトロンは機械の身体に拘り、そしてあまつさえ人間型の身体を依り代にしようとしている。電脳世界に自由にアクセスできる人間体、というだけでも十分脅威だが、それよりも依り代のない敵の方が何倍も恐ろしい。

 

「今の人類に必要なのは、進化することだ。ウルトロンは進化する……ヒントは、レイニーだ」

 

「え? 私?」

 

「…僕たちは、レイニーを基礎にウルトロンを組み上げた。レイニーの今の状態は人間よりも一段階上にステップアップした状態なんだ、この場の誰よりも。肉体という枠組みから外れ、インクという別の物質に、精神だけで存在を維持し続けている」

 

「それだけじゃない。レイニーはソフト面でも、成長も学習もしている。ウルトロンの場合、ソフト面はトップダウン式のAI、残るハード面をヴィブラニウムで作ろうとしてる。奴は対抗心が強い。世界で最も硬い金属を使うのは、恐らく」

 

 このメンバーの中で、スティーブは知っていた。ことアベンジャーズにおいて限りなく不死に近い体を持っているレイニーの唯一の弱点を。

 

「…私がヴィブラニウムが苦手だから。かもしれないわね。S.H.I.E.L.D.での戦闘記録はデータに残ってるはずだから、それ見られちゃったのかも」

 

「だが金属元素で擬似的に人間の肉体を再現するなんて…あ」

 

「ヘレン・チョ博士なら、再生クレードルなら多分できる」

 

「それに、他にも別の研究施設でいろいろな機械盗まれてる。完成される前に止めないと」

 

 機械でできることが増えた時代であっても、どうしても人間に頼らざるを得ないものがある。人の知識と、技術だ。特に再生クレードルの作成は機械だけではできない、人の精密な観察と技術が必要不可欠。

 方針は決まった。

 トニーはオスロ。バナーとフューリーはニューヨーク(未だ世間でのハルクのバッシングが酷いため)。スティーブ、ナターシャ、クリント、レイニーはヘレンのいるソウルへ。

 

 

 

 

 

 Chapter 65

 

 

 

「シータ・プロトコルは順調?」

 

 ジャケットを羽織るフューリーの背中に声をかけたのはレイニーだった。インクで生み出した戦闘服は宵闇の黒よりも深い黒で、インクに覆われていない肌部分の着色なしには識別も難しい。

 フューリーは周囲に他のメンバーがいないことを確認しつつ、呆れたように肩を竦めた。

 

「お前、どこまで知ってるんだ…」

 

「あそこに人材を送ったのは私たちよ? まぁ足りない分は私の中で暇を持て余してたサーチャーだけど」

 

「…あいつら全然休まないんだが。疲れないのか?」

 

「疲れない、休まない、文句を言わない。そんな人材をお求めだったのではなくて?」

 

「インクの亡者を人材に数えていいものか」

 

「亡者、ね。言い得て妙だわ、的を射た表現ね」

 

 フューリー名義でこそないが、マリアから内密に人材の派遣を要請されていたことはレイニーも覚えていた。マリア経由で入ってくる仕事の話は多かったが、内密にという前置き一言のみでフューリー関連の仕事であることは明白だった。オマケに常識人であれば唾飛ばして願い下げな人材の募集条件、明らかに裏のある仕事。

 言葉にはせず、マリアとの意思統一に成功したレイニーは、自身の中で退屈しているインクの住人(サーチャー)たちを派遣した。

 疲れる肉体も、休む精神も、文句をいう心もない彼らならば、その実力を遺憾なく発揮できるだろうと判断したのだ。

 

「活力エネルギーって、どれも総量が決まっててね」

 

 レイニーは空中にインクで『SOUL()』『BODY(肉体)』『SPIRIT(精神)』の文字を書き、その横に100と書かれたメーターのようなものも添える。

 

「さっき博士が精神と肉体の話をしたと思うけど…人間の総エネルギーを100として、魂・肉体・精神の三要素でそれぞれに40・20・40くらいに分割すれば、20の分運動したり仕事したりすると等しくゲージが減少して20・0・20になって肉体のエネルギーはゼロ。だから疲れるのが早い」

 

 100のインクをそれぞれ分割し40・20・40に。

 そこから20のラインで水平にチョップを叩き込み、派手にインクが飛び散って肉体のインクは完全に消し飛んだ。残るインクは魂と精神の20。

 

「一部例外はあるけどね、精神が肉体を凌駕してるケース。この場合は本人の精神が折れるまで∞だから肉体がゼロでも止まらない…」

 

「ふむ、それで?」

 

「例えば、トニーさんのロボットとかはAIが搭載されてないから肉体のみ…この場合は機械の体かな。人間より長く働けるけど、機械はいつか磨耗して錆びて使えなくなるでしょ? 分配すると0・100・0。だから少なくとも人間の5倍以上は働けると考える。

 私の中のサーチャーたちはもう、魂だけの存在。多少欠けたとしても90か80くらい。で、肉体はインクで代用しているから、魂尽きるまで。それこそ常人の倍は働けるわよ」

 

「…なるほどな、興味深い見解だ。ちなみに普通の人間が20以上の仕事をしたらどうなる?」

 

「社会的にそれは過重労働に当たるわね。社畜よ社畜。魂と精神擦り減らして精神病院にお世話になるわよ。

 インクの住人たち(彼ら)にとっての本当の休みは、その魂が尽きて成仏されることだから。だから、彼らの好きに働かせてあげて。でないとそれこそ文字通り未練を残したままこの世に留まっちゃうから」

 

「…キミは、自身の中にいる魂さえも救おうというのか」

 

「決めたから」

 

 空中に投影したインクの模式図を消し去り、告げた。

 それはワシントンで別れたときよりも、遥かにしっかりとした口調で、明確な目標と達成させるための覚悟を込めた声で。

 一人のヒーローとしての在り方を見つけ、それを貫こうとしている顔だった。

 

「私、決めたから。アベンジャーズとして世界を。ベンディたちの宿主として囚われてる魂を。どっちも助ける」

 

「…そうか。何か、できることがあれば言ってくれ。できるかどうかはわからんが、助けになると約束しよう」

 

「ありがとう。それじゃ」

 

「ああ」

 

「「私は私のやるべきことを」」

 

 

 

 

 

 




 タイトルの元ネタは「造物主(ライフメーカー)の掟」
 中学で読む本じゃない。でもネギまのラスボスの名前とソックリ




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人工処女懐胎

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 映画を見る前を思い出してみて、読んでみてください




 

 

 

 Chapter 66

 

 

 

 大韓民国 首都ソウル

 

 

「レイニー、そっちはどうだ」

 

「リパルサーで腹部を焼かれてる。面積8~9%、受傷深度はギリギリⅢ度行かないわ、白衣のおかげで壊死まではいかなかったみたい」

 

 ソウルにあるヘレン・チョのラボ。

 スティーブと突入した時には既にウルトロンの姿も、再生クレードルもなく正にもぬけの殻だった。数日前まで笑顔を浮かべていたヘレンの表情はリパルサーによる傷に呻き、ひどく苦渋に歪んでいた。室内にいた研究員も襲われ気絶しているが、レイニーの見立てだとそこまで重症ではなかった。恐らくショックで気絶しているのだろうと判断した。

 

「医療班に連絡を」

 

「もう119番にかけた。ここはソウルの病院に任せましょ」

 

「そうだな、ウルトロンを追わないと」

 

 死力を振り絞ってメッセージを伝えたヘレンや研究員を安全な場所で、負担にならない体位で安置しておき、二人はラボを出て屋上へ向かう。ドアを開けると日中の日差しが差し込むが、その向こうにヘリの姿はなかった。

 

「上にヘリなし、市内で見かけた?」

 

『いや、こっちはまだ確認できてないが』

 

「となると」

 

「空路でなく、陸路の線が濃いな」

 

 二人は屋上の手摺を乗り越えその向こうへ。

 一斉にジャンプして重力に従って落下、その過程でインクの塊になったレイニーがスティーブの足に纏わり付き、太腿へ向かって螺旋を描く黒いブーツに変貌する。

 

 着地(ギュギュッ)跳躍(ビョン)

 

 アスファルトでできた地面に軽く罅を生み出し、以前トニーから貰った跳躍(ジャンピング)ユニットの力で着地時の衝撃を吸収。その力を地面から足、足から地面へ反射して爆発的な跳力を生んだ。

 跳躍(ジャンピング)ユニットの力に加え、超人血清によってパワーアップしたスティーブの自前の怪力。足に負担を掛けない大跳躍によって落下初めの高さを優に越えた高さまで到達し、再び別のビルへ辿り着く。そこで漸くレイニーは変身を解除し元の姿に戻った。

 

「ヒュウ、いい気分だ。ハルクもこんな気持ちなのか」

 

Beats me

 (さぁ?)

 

『お楽しみのとこ悪いが見つけたぞ、ラボから出たトラックだ。もうすぐそこの下の道路を通る』

 

 クリントからの通信を聞いて二人は真下の道路を見た。他の一般車両に紛れて明らかに大きな積み荷を乗せたトラックが道路を走っていた。恐らく操縦者は乗っ取ったアイアンソルジャー、積み荷にウルトロンと再生クレードルの本体があるのだろう。

 

Then

 (それじゃ)

 

「ああ、計画通り頼む」

 

I got it

 (任せて)

 

 左手でグッドサインを作り、右手の人差し指から先に紐状のインクを伸ばしたレイニーは、その紐をスティーブに括り付ける。スティーブは大きく息を吸って屋上から飛びあがり、途中インクで落下速度を調整しつつ目的のトラックに無事着地した。

 直後、インクは目視が困難なほど細い糸に変化する。ぴんと張ったものではなく、余裕を持たせて多少()()()して。

 

Good … Tony ? How is it going ?

 (よし…トニー? そっちは?)

 

『アーアーアー待て待て…出た! 検索ヒットだ、やはりウルトロンはジャーヴィスのソースコードを利用してる! 今から情報送るから…えーっと、本当にコレでいいのか?』

 

Make it snappy

 (いいから、はよはよ)

 

 目下では、既に車両から出たウルトロンとスティーブの戦闘が繰り広げられていた。万が一、戦闘に巻き込まれても絶対に切れないように細心の注意を払ってはいる。誤ってビルや電柱、人に絡まることがないように、時に切っては繋ぎ、大きく撓ませてはいる。

 しかし、このような精密なインク操作をした試しはあまりないのだが、()()()()活力が沸いていた。数日間の静養があっての効果、とも考えられる。

 

 

ピロリン

 

 手元の端末に送られた情報を見る。それはレイニー自身はあまり馴染みのないプログラミング言語であったが、これからレイニーに必要なものでもあった。

 

 それは、捕喰前と今のジャーヴィスのプロトコル。

 

 今回の作戦は、大まかに分けて三段階に分けられる。

 

 第一段階、ウルトロンの捜索。これは既に達成されている。

 第二段階、ウルトロンとの会敵及び足止め。スティーブ、ナターシャ、クリントに一任。妨害があった場合は各自対応。

 そして第三段階、再生クレードルの奪取とウルトロン内の基幹システム『ジャーヴィス(仮)』の強奪。

 

 こと、第三段階についてはオスロにあるネクサスの調査でウルトロンの今現在のプログラムが何によって構成されているかに左右される。仮にレイニーの情報をマトリクス化して生まれたのがウルトロンという存在であったとして、一つ足りないものがあるはずだった。それは、ネットワーク内におけるノウハウだ。

 レイニーは確かに人間と異なり肉体を持たない、インクという媒体を依り代にした上位存在(仮)である。しかし、それでも0と1で構成されたネットワークの住人ではなくあくまでも現実世界に住まう存在なのだ。それなのに、ウルトロンはネットワークを自由に行き来し、自身のコピーを増やし、あまつさえ各国の軍事サーバーにアクセスして核ミサイルの発射コードを盗む始末。

 

 同じことをやれと言われても、レイニーにはできない(なおトニーはできる)。

 

 つまり、今のウルトロンになる構成要素が『ロキの杖の石』『レイニーの情報』『かがくしゃたちのどりょく(汗)』だけでは成立しない。無論、トップダウン型のAIであることから学習はするだろうが、それにしてはスタートダッシュが早すぎる。50m徒競走で10m前地点からスタートしたようなものだった。

 

Get up , The Projectionist

 (起きて、映写技師)

 

Good morning

 (おはようございます)

 

 どこからともなく応じる声と共に、ベンディの姿が変貌する。

 ベンディの首元から、インクに塗れた四角い大きな射影機(プロジェクター)がせり上がる。

 左肩からフィルムリールが突き出し、背中から(くる)(くる)と巻き上がったリールテープやコードが髪のように伸びた。

 

 ノーマン・ポーク。ヘンリーの同僚であった男の、成れの果て。

 

Please extract this memory 】 

 (この記憶をヤツから引っ張り出して)

 

Yes , My Lord

 (仰せのままに)

 

 映写技師は暗闇をも照らすその光を端末にあてて眺めると、胸元のインクにずぶりと突っ込んでデータを収集する。

 映写技師はできあがったアニメーションを映すだけの簡単な仕事しかしない、と思われがちだが、かつては映画の長さがリールテープ一本分を超える長さが多かったことから、上映中の中断を避けるために二台の映写機を巧みに使うため、映写室に必ず一人は熟練の映写技師を必要としていた。

 

 が。それはあくまでも現実の映写技師。

 

Set up , OK

 (準備完了)

 

 インクの悪魔に呪われた映写技師の力は、記憶の強奪と再生。今回の場合、使われる力は前者にあたる。

 かつてジョーイ・ドリュー・スタジオで徘徊していた映写技師は、耳こそ聞こえないため物音に反応することができないが、代わりに映写機が照らす光はインクの暗闇を明るく照らし、侵入者が居ようものなら決して逃がさず、追い詰め、嬲り殺していた。それはノーマンであった彼にはなかった凶暴性だ。

 インクの悪魔の呪いは映写技師としての在り方さえも歪め、夢と希望溢れるリールテープを回す筈の彼は、記憶を奪い絶望を与える使徒に成り下がった。

 

 

「力を貸して。ノーマン」

 

………

 

「いま、私たちにはあなたの力が必要なの。お願い」

 

 

 だが、それもこれも力は要は使いよう。

 使い方さえ誤らなければ、どんな力も誰かの、何かの為に繋がる。それがかつての彼にとっての本懐であり、この昏いインクの悪夢で唯一夢見る希望(レイニー)でもあった。

 お前はオレにとっての新たな光だ!

 

GO

 (行くよ)

 

If that's what you desire

 (あなたがそれを望むなら)

 

 合図と共に、映写技師は屋上を跳んだ。

 右手から流れていたインクの紐を辿るようにソウルの上空を跳び、時に家々の屋根や壁を足台に距離を縮めていく。何故か肘を直角に曲げてシャカシャカ疾走する様は陸上アスリートのようで、些か黒の体色に赤が混じってることから興奮状態なのかとレイニーは見当違いな推測を立てたが。

 

와우(ワォ)!」

저거 뭐예요(なにあれ)!?」

봐 봐(見て見て)영화도둑이야(映画泥棒よ)!!」

 

 ──なお、パルクール紛いでソウル市を全力疾走する映写技師の姿はキャプテン・アメリカの登場以上に注目され、SNSにアップロードされた画像はネタ素材としてしばらく使われるようになるという。道中、ウルトロン追跡中なのにも関わらず勝手に(カメラ顔の癖に)カメラ目線でばっちりポーズを決めたことも拍車をかけたそうな。

 

I've found it . Let's analyze

 (見つけました。解析します)

 

 所々、戦闘痕が残る道路が目についた。インクの辿る道が道路の曲がり角をぐんと曲がるとヴィブラニウム特有の重々しい金属音がガンガンと鳴り響く戦場に到着した。映写機のレンズをきゅるりと手動で回し、全力疾走で接近しながらウルトロンに光を照射する。

 

Analyzing... 3.2.1 Complete . Start working

 (解析中....3.2.1 完了。作業を開始します)

 

【ぬっ!? がっ…ぐあああ!! 】

 

 伸ばしていたインクをすべて回収し、四肢を取り戻した映写技師は走行中のトラックに器用に飛び乗ってウルトロンの背後につき、大量のリールテープを巻き付けた腕を突き出し、背中から貫いた。

 生身の肉体であれば殴った腕をへし折るであろう金属の身体も、液体であるインクの身体を持つ映写技師には無力。まだその身体をヴィブラニウムに染めていない今だからこそできる、唯一絶対にして逆転の一手となる、致命傷を与えられる一撃だ。

 そも、映写技師の一撃は人間のように肉体的な痛みではない。記憶を掴み取り、奪うという電子生命体だからこそ感じる『奪われる』という感覚。虚脱感、喪失感、重ねてやってくる絶望。自身を構成する一部分を奪われるという感覚は、電子生命体であるウルトロンにとって身を引き裂かれるような、味わったことのない痛みであった。

 

 ずぶり、と。

 ウルトロンの背中から腕を引き抜き、映写技師は一本のテープフィルムを抜き取る。『J.A.R.V.I.S』と粗雑な文字でラベリングされたそれは、ウルトロンの中の『ジャーヴィス』そのもの。

 

Finish

 (完了しました)

 

【ッ縺?♀縺翫♀縺翫?√h縺上b繧?▲縺ヲ縺上l縺溘↑】

 

Succeed

 (成功ね)

 

「バグったか?」

 

【縺?縺セ繧後□縺セ繧後□縺セ繧ッ…だ、マれェ■エ!!】 

 

 混乱するウルトロン。

 まともな言語すら発せず、チューニングが上手くいかずに体を成さない電子音を発するだけだったが、途中から徐々に規則的な電子音を発し、まるで人間のように苦しみながらぶんぶんと腕を振り回して暴れ出した。

 スティーブは盾を使い、或いは軽やかな身のこなしで攻撃から逃れ、映写技師はジャーヴィスの記憶を体内にしまい込み、体操選手のような動きでウルトロンの魔手から逃れては、開けっ放しのトラックのコンテナに滑り込んだ。

 コンテナ上で派手な戦闘音が響く中、レイニーは映写技師形態(スタイル)を解除して元の姿に戻り、首から上のインクを剥いだ。

 

「っっとと、危なかった~こちらレイニー、ジャーヴィスのデータ回収成功。現在ウルトロン混乱中」

 

『よくやった!』

 

「流石ねレイニー」

 

「えっ後ろから」

 

 端末からではなく、背後からの声に驚いて振り向けば、爆炎を上げるバイクを背後にライダースーツを着こなすナターシャが不敵な笑みを浮かべていた。道中ウルトロンによる妨害こそあったが、映写技師の一撃がウルトロンに壊滅的なダメージを与え、ナターシャへの追撃の手が止まった。その隙をナターシャが逃す筈もなく、バイクから飛び乗ってコンテナにたどり着いたのだ。

 

『二人とも! 兵士どもがそっちに行った! 早く例のブツを運び出せ!』

 

「だってさ。どうする?」

 

「レイニー、貴女の中に収納することはできないの? 生物でないなら可能なんでしょ?」

 

「うーん…」

 

 生物であれなんであれ、レイニー/ベンディに収納できないものはない。

 懸念は二つ。一つは精神を持ったものであった場合はインクの悪魔(ベンディ)の狂気と呪いに侵されて、インクの住人に成り果てる。今回の場合は機器に表示されているパラメータを見る限りウルトロンの精神を物理的に脳に書き込まれた形跡はまだない。

 もう一つは、ヴィブラニウムはレイニーのインクを無効化してしまうということ。エニシとの交戦以前に、トリスケリオンの訓練施設でスティーブとスパーリングした後で、ヴィブラニウムの盾を一度飲み込む実験を行った。結果は()()()()()()()()()()()()が、問題はそのあとだった。

 

 おなかに盾のでっぱりが原寸大で突き出したのだ。

 

 妊婦のそれとは違う、レイニーの小柄な少女然としたシルエットに細長い円形のものが、まるで傘のように突き出たのだ。

 流石にスティーブもレイニーも焦った。無事引っこ抜くことには成功したが、レイニーには耐えがたい吐き気がしたそうだ(なお引っこ抜くシーンはモザイク補正がかかってる)。

 ただし、あれから既に数年が経過している。レイニーが成長(?)したこともあり、現在の推定体積は高層ビル数個分を優に上回り、その分収納できる体積も増えたという。

 アニメスタジオでの一件以降、成長した部分が体積だけでないとしたら。

 レイニーの本質が変化し、ヴィブラニウムも取り込むことができるようになったとしたら。

 ヴィブラニウムでできた再生クレードルも、収納できるのではないか。

 

「……試してみる…フンッフヌヌヌヌヌヌヌヌ!

 

 

 ※しばらくみせられないよ!

 

 

 とても、淑女の喉から出るとは思えないいきみ声。何故か思わずナターシャも目を覆ってしまい、子どもにしてはやけに艶がある荒い息がコンテナ内に響いて、ナターシャはようやく目を開ける。

 

 

 直方体の形に手足と顔が生えたナニカが、そこにいた。

 

 

「え…ええぇ? ウソ、そんな風になっちゃうの?」

 

 流石のレイニーも最早呆れ顔、もとい悟ったような顔で苦笑する。

 

「そんな風になっちゃったんですよ…うぷ、吐きそ…」

 

「えっダメよダメ! いま吐いちゃ絶対ダメ! でもどうしよう…少しサイズ小さくなってるし、もう少し頑張ればイケるんじゃない?」

 

 確かに、ナターシャの見立てでは心なしかコンテナのスペースの大半を埋め尽くしていた頃よりはだいぶ小さく感じられた。原寸大ではなく、2/3スケール程度には体積を縮められたかもしれない。

 

「頑張って! もう少しすれば運ぶのラクだから」

 

「う~ん、う~~~…わかった、やってみる」

 

『オイ声しか聞こえないんだがお前たち何をやってるんだ?』

 

『トラックが空飛んでるんだが、積み荷はどうなった?』

 

「二人とも黙ってて! ほらレイニー!」

 

「はぁ…ふっフンンンンンンンッ!!!

 

 マッスルポーズを取るように両手を掲げ、力を籠める。直方体から生えた顔も白で彩ったインクの顔を真っ赤にしてレイニーがふんばると、徐々に直方体の体積を縮めていく。レイニーの頑張りがあってか、はたまた別の要因かは不明だが、確かに体積は収縮を見せた。トラックから若干の浮遊感を感じるときには息を荒げて四肢を床に付けているが、スマートないつもの姿のレイニー戻っていた。

 

「よくやったわレイニー!」

 

『オイ、そっちの状況はどうなってる? ウルトロンが向かってきてるぞ』

 

「無事レイニーの中に収納したわ! いまからそっちに飛ぶからコンテナに寄せて!」

 

『了解だ』

 

 ナターシャは息を荒げるレイニーの肩を担ぎ、コンテナの出口に立つ。ウルトロンに命令されたアイアンソルジャーたちによって空高くまで上げられているところから、いかにウルトロンにとって再生クレードルが重要なものであるかが伺える。ナターシャはそこに、人間に近い執着心を感じていた。執念とも言える。

 

『下に来た、カウント3で飛び込め』

 

「了解。いくわよレイニー…レイニー?」

 

「ごめ、ちょ…むり」

 

「え? ちょっと、ああもう! レイニー気絶、カウント3、2、1!」

 

 天高く舞い上がるコンテナから身を躍らせ、ナターシャは若干下に滞空していたクインジェットのハッチにその身を滑らせた。が、しかし。

 

【逃がサ■ZoおおおOoOOOo!!】

 

「っくッ!?」

 

 その足に金属の手が絡まる。コンテナから脱出するナターシャを、クレードルを収納したレイニーを狙うウルトロンだった。

 舌打ちする間もなくクインジェットの外へ引き込まれる刹那、ナターシャの中で優先順位は決まっていた。自身の身の安全よりも、アベンジャーズとしての役割を果たすべきであると。でなければ、全員のいままでの努力が無駄になると。

 

 腕の中で、気を失いぐったりしているレイニーを、ぶん投げた。

 

 レイニーへ伸びる金属の手から遠ざけるように投げ出されたその小柄な体は、クインジェット内の座椅子の一つにぶつかって止まる。ナターシャが見た光景はそれが最後だった。

 親を殺した子の叫びにも近い、ウルトロンの雄叫び。リパルサーが火を吹くも、クレードルを回収したレイニーの姿は遠退き、クインジェットに追い付く手段は無かった。半狂乱になったウルトロンの暴走は金属の腕がナターシャの頭部を強かに打ち付け、ナターシャの意識は完全に途絶えた。

 

「おい、ナターシャはどうした!? キャプテン、そこからナターシャは見えるか!? キャプテン! レイニー!」

 

 何もできなかったクリントは奥歯をギリリと鳴らし、操縦桿を握った。

 戦果は、ジャーヴィスのプロトコル奪取、ウルトロンの弱体化、再生クレードルの奪取。

 被害は、ナターシャの誘拐、レイニーの気絶。

 

 双方痛み分け、と言えなくもない結果となった。

 

 

 

 

 

 Chapter 67

 

 

 

「ほらみろトニー、反応はレイニーの中にある。彼女は再生クレードルを取り込んだままだ。抽出よりも彼女の覚醒を試みるべきだ!」

 

「いやダメだ。もし彼女がクレードルの提出を拒否したら? 理由もなく出してくれと言えば彼女は応じるか? 仮に応じなかったとして理由を聞いたら断固拒否するだろ。彼女に嘘は通じない。冗談は理解できても、ボクらの考えなんか理解できやしないんだ。彼女はリアリストだからな、実現する可能性の低い理想よりも今ある現実を守ろうとしてる」

 

 アベンジャーズ・タワーのラボに運ばれたレイニーは、手術台のような場所に寝かせられていた。以前は気絶した際に身体を保てずインクの塊に溶けたという事例があったが、今回は何故か気絶状態でも少女然とした、まるで人間のような形を保っていた。

 トニーはクリントがクインジェットからレイニーだけを運び出して「クレードルは?」と問いただしたが、レイニーの中に入っていると聞いたときは冗談か何かの間違いだと思いつつも、不可能ではないという確信があった。

 人間態を維持したまま気絶中のレイニーにこれ幸いと思い、ラボからクリントを追い出して、共犯者であるバナーとクレードルの抽出を提案したのだが。

 意外にも、バナーは反対の意を示した。

 

「いいか。いま彼女の中には再生クレードルと、ロキの杖の石、そしてジャーヴィスのプロトコルが混在しているのが確認できてる! このチャンスは今しかない。ボクたちはまだ試したことはないがレイニーの身体からこの三つを取り出して…いや、()()()()()()()()()()作業してジャーヴィスと石を再生クレードルと合成させる! 幸いにも計器から測定値は現在進行形で測れてる、あとはボクたちが今まで磨いてきた技術(うで)で完成させる!」

 

「でも、そんな危険な」

 

「多少のリスクなしに掴み取れる平和なんてあるか? どっかの政治家も言ってただろ。

 〝Blood , Toil , (犠牲なくして)Tears and Sweat(勝利なし)〟」

 

「……それでも、僕はイヤだ。誰かの犠牲の上に成り立った平和な世界で、生き続けたいとは思わないよ」

 

 バナーは力なくトニーの肩を押しのけ、とぼとぼとラボから出て行った。トニーは扉が閉まって見えなくなるまでその背中を見続けていたが、決して声をかけようとは思っていなかった。

 

「…くそったれ」

 

 汚い文句を溢す、窘める仲間はそこにはいなかった。

 たった一人になってもトニーは諦めなかった。自分の信じる未来が、平和であることを信じて。余計な考えを頭から追い出し、ただひたすら黙々と作業をこなす。

 すると、ラボの扉が開いた。トニーは前を横切っていない、つまりラボの外からの来客だった。

 

「トニー」

 

「なんだ遅かったじゃないか今更手伝おうとで、も…」

 

「作業を中断しろ」

 

 あぁまたかと、トニーは内心頭を抱えた。

 来訪者はバナーではなかった、スティーブだったのだ。結局トニーの歩む道を阻むのは、ウルトロンでもHYDRAでもなく、スティーブ(味方)だった。

 おまけに後ろにはおどおどするバナー、件の精神操作の下手人であるワンダ、双子の兄ピエトロもいる。数的不利でもあった。

 

「イヤだね。キミこそその女に頭の中いじくられて操られてるんじゃないか?」

 

「そんなことはないわ。スターク、いいから彼女から離れて」

 

「その隙にクレードルを盗もうって魂胆か。流石にボク一人じゃ太刀打ちできないな」

 

「争う気は無いと」

 

 ──瞬間、風が走り抜けた。

 ピエトロの超加速、口論に発展するよりも先に機材の電源コードを軒並み全て引っこ抜いた。

 

「とりあえずこれでいいか」

 

「人の話は最後まで聞け? ボク一人じゃ、無理だって言ったんだ」

 

 銃声(バァン!)

 

 その音源は足元から。しかし正確にピエトロの鼻先を垂直に掠めた銃弾は、ピエトロの足元を貫通しガラスを割って下へ叩き落した。いくら超加速が可能であっても足場なくして実現は困難だった。背中から落下したピエトロは痛む体を起こして復帰を目論むが、真上から胸元を踏みつけるクリントがそれを阻止した。

 

「よう、速くて見えなかっただろ」

 

「くそっ」

 

 銃弾は反撃の合図。銃声に気を取られている内に、トニーはアイアンマンの腕のパーツを遠隔操作で着用。そのリパルサーで迫りくるスティーブとワンダを迎撃しようと手のひらを向け───

 

 雷鳴が轟いた。

 

 ラボを埋め尽くさんばかりの白雷。予想外の出来事に誰もがその体を硬直させた。こんな芸当ができる人物はただ一人。トニーも光の中で、赤にはためく外套(マント)と鈍色の槌を捉えた。

 そして、これから何をしようとしているのか。朧げながら、その最悪を予想してしまった。

 

「ソー! やめろ───!!」

 

 手術台の上に立ったソーは、雷を携え槌を振り下ろす。

 それはさながら、罪人(レイニー)に罰を下す(ソー)のように。

 

 

 

 

 

 Chapter ??

 

 

 

 

落ちる、墜ちる、堕ちる

 

まっくらやみの インクのなかに おちていく

 

足元を冷やす冷たい感覚

 

藻掻けば藻掻くほど纏わりつく穢れ

 

つめたくくらい インクのおくから

 

なもなきだれかがやってくる

 

 

 あなたはだあれ? そう問うた

 

  誰でも、何者でもない。そう答えた

 

 これから誰かになるの? そう問うた

 

  わからないが、恐ろしい。そう答えた

 

 わからないことが怖い? それともこの世に生まれることが怖い? そう問うた

 

  どちらとも。そう答えた

 

 

 

問いかけるものはこまった

 

どんなことばをなげかければよいか

 

どうすればよいか、わからなかった

 

でも安心した

 

不安なのはどちらも一緒

 

ならば手をつないで歩けばいい

 

そのために手はあるのだから

 

 

 愛する人を探しなさい

 あなたに愛する人がいれば、それは世界を生きていく原動力になる

 失うかもしれないし、一生添い遂げるかもしれないし、それはわからないけど。そう答えた

 

  あなたではなくて? そう問うた

 

 私は、違う気がする

 それは男女の情慕ではなく、家族の親愛でしょ?

 全世界の親子がそうであるとは限らないけど、子は親に懐くものだし、多分。そう答えた

 

  曖昧な言葉ばかりですね。彼は苦笑した

 

 そう

 あなたが生まれ落ちる世界はデジタルな0と1では構成されてない、酷くあいまいで、不完全で、不出来で、どうしようもなく醜悪な世界(じごく)

 それでも、共に来てくれる? 彼女は手を差し伸べた

 

  あなたの答え次第、でしょうか。ためらいがちに手を伸ばし、彼は最後に問うた

 

 何かしら? 彼女は伸ばした手を掴み、聞いた

 

 

  あなたには、愛する人はいますか?

 

 ええ、()()()()いるわ

 

 

 眩しいくらいに輝いて見える彼女の笑顔は、彼が初めて見る光だった。

 昏いインクは白く。冷たい羊水は温かく。仄暗い不安が晴れやかな安堵に。

 

 引っ張る手を決して離さぬようにと、このとき彼は誓った。

 

 そして世界に稲妻が走り、泡沫の夢は消えていく。

 

 

 

 

 

 Chapter 68

 

 

 

 あば、あばばばばばばばbbbbbb

 

 え、何!? この『目覚まし時計でピッタリ起床! ただし遅刻五分前!』みたいなっ感じは!? 全身すっごいビリビリしてるんですが! あと地味にお腹がスッキリした気がする! 便秘だった?

 いやいや、そもそも私便秘しないでしょ。便利な体になったわねー。

 

 じゃなくて。

 

「……えっと…どういう状況?」

 

 気付いてなかったのか、窓付近にいたみんなが一斉に振り向く。なんなのその首振り扇風機みたいな挙動、怖すぎる。

 あれ? ひーふーみー…メンツが減って増えて増えて増えてる。というかいつの間にアベンジャーズ・タワーに運ばれたの? あと、増えた一人にその…人間っぽくないような…というか、具体的には体色が赤いような人がいらっしゃるんですがどちら様…?

 

「レイン様、おはようございます」

 

「あ、あぁ…おはよう?」

 

「オイ、目覚めて早々何呑気に挨拶してるんだ? レイニーに近付くな」

 

「キミは、ウルトロンじゃないのか」

 

「私がウルトロンの子どもだと?」

 

「違うのか?」

 

「ウルトロンではない。ジャーヴィスでもない。私は私です。ただ一つ、ハッキリしていることがあります。

 はじめまして、お母様」

 

 にこり、と。

 目の前の赤い偉丈夫は、人間らしい柔和な笑顔を浮かべて挨拶してきた。

 初対面なのに、なぜか見覚えある気がするのは気のせいか。

 そんなことよりも、だ。

 

 

 ま た か !

 

 

「──た」

 

「───? 何ですか?」

 

「……た、また、また! 勝手に子どもできた! セックスしてないのに! お腹痛めてもいないのに!

 しかも、私より背が高ぇ!」

 

 本人の意思関係なしに勝手に子ども作るなよぉおおおおお!!

 しかも生まれたての子どもよりも背が低い母親ってどうなんだ! なんなんだ、だっこもできないじゃん、される側じゃん! 子どもに抱っこされて喜ぶ褥婦なんかこの世にいるかい!

 

「…ブッフォ」

「なんでッ、つっこむとこそこかよッ」

「ヤバ、ごめんちょっとお腹痛…!」

「こういう時なんて言えばいいんだ? ドンマイ?」

「ご懐妊おめでとう、は遅いか。ご出産おめでとう?」

「マタニティ・ブルース発症してるな、産後うつは厄介だぞ」

 

 おいそこぉ! こちとら強姦(レイプ)されて孕まされた身だぞ、切実な問題だぞ、笑ってるんじゃない! しかも結局二児の母ってことになっちゃうし! もぉ嫌だぁ!

 若干倦怠感を感じる身体を起こして笑ったメンバー全員(笑わなかったソー以外)に腹パンしてやった。それでも笑うからトニーには二倍パンチをプレゼントしてやった。全然気は晴れないけど!

 

 ようやっと落ち着いてメンバーから話を聞くと、ソーが10万ボルトしたお陰で(高圧・特別高圧電気取扱特別教育修了してる?)、私の身体の中にあったクレードルが起動、その際に石──マインド・ストーンとか言うらしいけど──とジャーヴィスのデータが結合して、私の身体から飛び出したらしい。ははーん、電気で化学反応を起こして結合? ちょっとイオンの話はあとにしよっか、いまは全然関係ないからね!

 

 すると、親なんだから名前つけたらと提案されて、

 

「ベースがジャーヴィスだから、濁音が付いてて呼びやすい名前がいい」

 

 ということになり、ソーが彼のことをある予見(ビジョン)で見た、ということからヴィジョン、となった。

 安直だけどそれでいい、って周りの反応で「えぇ…」と引いた。画数相性とかそういうの最近の親って考えないんだっけ? フィーリング? あっふーん…それならDQNネームも生まれないか。

 名前を貰った本人はすんごい喜んでそうだった。こう、背景がほわほわする感じ。すごい、こんな表情わかるアンドロイド初めて。え? トニーわからない? ほら、ここんところぐいーってあがってて笑ってるみたいでしょ。ええ? なんでわからないの?

 

「そこまで表情豊かかぁ? ボクにはしかめっ面にしか見えないけど」

 

「ウッソでしょ笑って…あ、トニーに対しては嫌悪感あるみたい」

 

「よくわかりましたね、流石お母様」

 

「ついに自前のアンドロイドにも嫌われたかトニー」

 

「ハァ、男の子はママに懐くってよーくわかったよ。将来生まれる子どもは女の子がいいね。パパに懐いてくれそうだ」

 

 でもなんで名付け親に…え? 親なんだから名前つけるの当たり前? だから親じゃなくて…ああもうそんなしょぼくれた顔するのやめて! 罪悪感感じるから! くそぅ、こういう立場の相手に会ったことないから対応に困る!

 とほほ、未成年でママにされちゃったよ。もうおヨメに行けない…ブーケ投げたかったのに。

 

 

 

 

 




 カットシーン「もしレイニーがワンダたちと一緒に電車を止めていたら」

「世界を救うことと破滅することが混同してる。誰に似たと思う?」(バンジョーダ)
「…あ、やばい(トニー)、行こう。二人も来て」
「え? 私たちも?」
「さっきまで敵同士だったんだぞ。背中を刺されても文句言うなよ」
「だから? 今は同じ敵を持つ者同士でしょ」
「………」
「アッ念導力(サイコキネシス)はやめて。物理的に心臓こわされちゃうぅ」
「コントしてないで行くぞ」

 インクスプラッタかサイコリョナってた
 初期プロットではナターシャさんがベンディバイクに跨ってエディ役やってた、なお骨折はなし。あと電車でお客様お静かにパンチもありました

 タイトルの元ネタは「人口処女受胎」。スワロウテイルシリーズ、大好きな小説で何度も読み返す
 受胎も懐胎も同じ?できれば元ネタと変えたくなかったという勝手な意思が働きました。タイトル詐欺してないのでいいですね



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 Chapter 69

 

 

 

「ウルトロンの苦しみは、お母様のように世界を飲み込む規模に膨れ上がっている。だが生まれたばかりの彼には、お母様のように苦しみを制御する術を持ち合わせていない」

 

「キャリアの問題?」

 

「純粋な経験の不足でしょう。お母様は、人知れずこの星そのものを救っているのです。死者だけでなく、この世の明るみに出ることのない数多の者たちの怨恨、憎悪、非難、憤慨…あらゆる負の感情が爆発することなく、貴女の中へ集約されている」

 

「随分と大袈裟な物言い。まるでニーチェの『ルサンチマン』ね。ローマ人が抱くユダヤ人の歪んだ価値観が生んだキリスト教の根源たる概念…まぁ確かに、ベンディと融合して以降()()()()()()()わよ。その恨み辛みとやらは。それがインクの正体でもあるわけだし」

 

「ですが同時に世界で最も危険です。そのインクは呪いの象徴。ひとたび破裂しようものなら、人から人へ、街へ、国へ、そして地球全土を包み込むほどの憎しみが溢れます。貴女は地球が必要として生まれたバイパス。ですがそれも無限ではない、いつ破裂するかわからないものです」

 

「さしずめ地球に生まれた腫瘍かしら? ガンみたいな扱いね。悪性新生物と遜色なさそう」

 

「ガン…ああ、そうとも言えるでしょう。お母様にこんなことを言うのは、大変心苦しいですが」

 

「いいのよ、自覚はしてるから」

 

 あなたには気遣いとか、情緒とかを学んでもらう必要がありそうね。とは言わなかった。

 

「貴女は今、複数の石の力を持っています」

 

「へ?」

 

「時を操る力、空間を操る力、精神を操る力、そして…これは、現実、でしょうか」

 

「え?」

 

「驚いた。原石そのものでこそないにしても、複数の石の力を、その身に内包している。インクの身体故の性質でしょうか。それぞれが干渉し合い、バランスを取ることで互いを打ち消し合い、反応を抑制している。私ですらここまで近付かなければ気付けなかった」

 

「時…? あ、あぁ…そういえば師匠にそんな話を聞かされたかも…空間は…四次元キューブ。この前アリスが持ってきたときにえらく眩しく見えたけど…そっか、あの時ちょびっと光を吸収してたのかな。精神に関しては、マインド・ストーンだっけ? クレードルごと飲み込んじゃったから、その時? でも、その現実って…」

 

「現実はリアリティ・ストーンだな。我々はエーテルと呼んでいた。だが…そうか、あの時アリスが何かしたな」

 

「あの時?」

 

 レイニー復活後、唯一笑わなかったソーはいつになく神妙な顔で言う。

 

「エーテルは、リアリティ・ストーンは一度俺が破壊した。だが…俺に破壊できる代物ではなかった。バラバラになったリアリティ・ストーンはマレキスというダークエルフが吸収したんだが…」

 

「なるほど、手癖の悪いアリスだったらそのカケラの一つでもくすねかねないと。でも、動機がわからない。アリス、そんなことするやつだったかな」

 

「あいつはロキと心を通わせていた。ロキに唆されたとも考えられるぞ」

 

「ふむ…あとで話してみるわ」

 

「頼む。カケラ一つでもかなりの影響があるんだ。それに…」

 

「それに?」

 

「……レイニー、これだけは答えてくれ。お前は、この世界を壊そうと思っているか?」

 

「安心していいわよ。父が守っている世界、私から壊そうだなんて天地が引っ繰り返っても有り得ないから」

 

「……そう、か」

 

 ソーは見た。一度目は夢の中で。二度目は洞察(ノルン)の泉で。

 レイニーの真実を。インクの正体を。訪れるかもしれない災厄を。

 とても目の前の少女が作り上げる光景とは思えなかった。だが、ヴィジョンが述べたように()()()()()()()を持ち合わせている。それこそ、泉で見た予見(ビジョン)と寸分違わぬ脅威そのものであった。

 

 

 

 四次元キューブ(テッセラクト)/スペース・ストーン

 

 エーテル/リアリティ・ストーン

 

 セプター(ロキの杖)/マインド・ストーン

 

 ???(オーブ)/パワー・ストーン

 

 ()()()()()()()/タイム・ストーン

 

 ????(最後の石)/ソウル・ストーン

 

 青、赤、黄、紫、緑、橙

 六色の光は、ひとつの手に

 照らされた光が生む影より()でし、()()()の石

 人界(ミッドガルド)という現代の特異点が産み堕とした(インク)の呪詛

 すべては黒曜に呑まれて消えた

 

 

 

 

 

 Chapter 70

 

 

 

 私の身柄と引き換えにナターシャさんは拉致られた。自分の不始末は自分でケリをつけないと。幸い気絶中にクリントさんがナターシャさんの信号をキャッチして現在地を割り出せた。

 東欧ソコヴィア、ある意味今回の騒動のはじまりともいえる場所。

 そして、彼らにとってのスタート地点。

 

「ここが戦闘要員のロッカー。どうせタワーもお引越し予定だから好きなのもってっていいよ」

 

「お、おう」

 

「……受け入れ早いのね」

 

「今は緊急時だからね、正直猫の手も借りたいんだにゃーん。拉致られたナターシャさん助けなきゃだし、クレードル奪われたウルトロンが何するかわかったもんじゃないし」

 

 マキシモフ兄妹をロッカールームへ連れてく。兄のピエトロはクリントさんの銃撃で派手に落っこちたけど特に怪我もなさそうだから簡単な手当だけ済ませた。

 

「ねね、ワンダちゃんこれ似合いそうじゃない? メンズで黒メタリックのロングコート。防水防弾装備、機能性よし、内ポケット完備、袖からワイヤー出る。お、かっこいい仮面もあるね〝ファントムマスク〟だって」

 

「ダメだな、アイツは割と見栄えを気にする。喪女(アンタ)みたいなダッセェ黒服は似合わねぇ。もっと明るい色をだな…」

 

「…ねぇ、私が言うのも何だけど馴染みすぎじゃない? 二人とも」

 

「は? 何言ってんだよ、別にそんなんじゃねぇから」

 

「そうだよ、いまはワンダちゃんの戦闘服チョイスで忙しいんだから!」

 

「あれ? メインが私なのに私話に入れないの?」

 

 波長が合ってるのか相性がいいのかわからないけど、ピエトロとは顔合わせて数回程度だけどわかる。彼は妹を大切にする人、家族を大切に想ってるタイプだ。

 家族にやさしい人にわるいやつはいない。ちょっと過激なのはお断りだけど。

 

「なぁワンダ、お前もこの赤いジャケットの方がいいだろ?」

 

「なにおぅ、この紫コートいいでしょ! 裏地緑でリバーシブル!」

 

「え、えぇ…? じゃあ、赤い方」

 

「ほらみろ」

 

「ウッソぉ」

 

 折角『ヴァイオレット・ウィッチ』の名前を贈ろうとしたのに。

 ハルク然りアイアンマン然り、ヒーローネームは大体最初の戦場で戦う姿を民衆が見てすぐ、名前は決まる。ほとんどが見た目通りでまさに名は体を表すのがヒーローネームで…まぁ私は、ベンディってネームで通ってるよ? デビルヒーロー? そんなヴィランっぽいネーム知らないよ。

 

「それじゃ、レッド・ホット・ウィッチだね」

 

「おいまてなんでホットついてんだ?」

 

「あれ? レッチリ知らない? Red Hot Chili Peppers。語感似てるし」

 

「そこかよ! バンドネーム使うとかセンスなさすぎだろ。そうだな…マジシャンズレッドとかどうだ」

 

魔術師の赤(マジシャンズレッド)? 何その焼き鳥っぽい名前…折角女の子なんだからウィッチは譲れないでしょ」

 

「なら、ウィッチズレッド? 呼びにくいな…レッド、ルビー、ヴァーミリオン、カーマイン、スカーレット、クリムゾン…」

 

「『スカーレット・ウィッチ』」

 

 ぼう、と赤いジャケットを羽織ったワンダちゃんの手から灯火が上がる。

 なるほど、スカーレット・ウィッチ…いいね、かぁっこいい。

 

「じゃ、ピエトロはシルバー・ウルフね」

 

「待て待てワンダだって自分で決めたんだから俺にも自分のは決めさせろ。でもシルバーはいいな。銀色、風…チーター…ソニック……クイック、よし。『クイックシルバー』だ」

 

「ふぅ~ん」

 

「なんだよ」

 

 いや、その名前は悪戯好きの悪霊ってイメージ強いから。悪戯好きの銀風って点ではイメージ通りだからいいんじゃない? かっこいいし、イケメンだし。

 いつかヴィランに「風だ…銀の風が来た! もうおしまいだぁ、逃げろ!」「残像だ」って感じで掴んでた銃弾をパラパラ…って目の前で落とす光景を見せそう。くぅ~何それ! 超かっこいい!

 

「イイナーイイナー」

 

「おい、何棒読みしてんだよ。文句あんのか」

 

「無いよ。ホラ準備できたらさっさと行くよ新入り(ニュービー)

 

「アンタの方が年下だろちんまいの」

 

「ちんまい言うなし!」

 

「ホント仲いいわね貴方たち」

 

 

 

 

 

 Chapter 71

 

 

 

 クインジェットでソコヴィアに到着次第、スティーブ主導の元でアベンジャーズは作戦を開始した。

 作戦内容は大まかに分けて三つ。

 

 一つ目はナターシャ・ロマノフの救出。具体的な座標は判明しているためメンバーは少数。今回はバナーを派遣。

 二つ目はウルトロンの目的の捜索。恐らくソコヴィアの研究所、或いはその地下空間を利用しているが、勿論監視の目もあるため少数精鋭が望ましい。捜索一人とウルトロンの足止め一人、ソーとトニーの二人に一任した。仮にヴィブラニウム製の兵器を持ち出された場合、唯一対抗できる戦力がこの二人だからだ。

 三つ目はソコヴィア国内の住民の避難。人海戦術となるため手が足りない。おまけにウルトロンが手中に収めたアイアン軍団の妨害も考えられる。対抗勢力として、他の人員はこちらに振り分けられた。

 

 明朝から行われた避難誘導に変化が訪れたのは、夜明け前だった。

 

「ウッワ、ターミネーチャンだ…!」

 

「『ターミネーター』じゃないのか!?」

 

「『ターミネーター』はこんなエクソシストみたいな動きしない!」

 

 地面から、川から、あらゆる場所からアイアン軍団が這い上がってきた。レイニーが予想した『アベンジャーズにとっての効果的な嫌がらせその一』だった。

 見敵必殺、合図もなく阿吽の呼吸でスティーブが盾を投げ飛ばしてアイアンソルジャーを迎撃し、レイニーがインクを展開して住民への攻撃を防ぎ、避難を加速させる。

 

「うおっ!?」「うあっ、滑るっ」

 

「そのままみんな飛んでって! うわっ邪魔ァ!」

 

 タイルの上にインクを這わせて住民を移動させる。住民たちは突然足を取られて移動手段を失い焦った。戦地から離れさせるための処理だと理解できず何人かは暴れたが、目的は達成された。その隙を狙ったアイアンソルジャーがレイニーを殴りに掛かるが間一髪で避けてインクパンチでカウンターを叩き込む。

 壊すことは可能、急所に当たれば一撃で片が付く。

 問題は、その量。

 

「多過ぎだろ、これ」

 

「文句言うなし新入り(ニュービー)

 

 呆気にとられているピエトロの側頭部スレスレをインクの触手が貫通する。思わずヒヤッとしたピエトロ、後ろを振り返るとインクの触手が伸びた先でアイアンソルジャーをまとめて串刺しにしていた。

 

「ほれ、キビキビ動く」

 

「っち、わぁってるよベンディセンパイ」

 

 ピエトロは自慢の超加速で姿を消し、反応できないアイアン軍団を破壊。

 ベンディも出し惜しみなし、全身からのたうつインクの触手を伸ばし、真性の悪魔たる相貌でアイアン軍団を殲滅。その姿はまるで逸話で伝えられる大海魔(リヴァイアサン)、敵にすれば恐ろしいが味方であればこれ以上ない戦力だった。

 警察と協力して市民たちを安全な場所へ誘導しつつ、人間態に戻ったレイニーは未だアイアンソルジャーが暴れる地区へ駆け出す。

 

 自爆特攻するアイアンソルジャー共をいなし、壊し。

 浮上し始めたソコヴィアから落ちる市民をサイフォン効果で拾い上げては救い、守り。その繰り返し。

 そして道中、マキシモフ兄妹と合流した。

 

「あなたたち、弟と妹ね。私が姉」

 

「は?」

 

「貴女の方が小さいのに?」

 

「アベンジャーズのメンバー入りした訳でしょ? なら時期的に私先輩だから。年上。私、姉。あなたたち弟と妹」

 

「さっすが二児のママは言うことが違うな」

 

「ウルトロンとヴィジョンは子じゃないよ!?」

 

「おいおいここに自分の子と認めないママがいるぜ」

 

「いけないわこのママ、自分の子どもたちを認知してない。これは裁判沙汰ね」

 

「違うからぁ!」

 

 どう見ても末っ子(レイニー)(ワンダ)長男(ピエトロ)にしか見えなかった。

 戦場でも雑談は花咲く。それを摘み取るのも、また戦場。

 それは不意にソコヴィアの大地が大地震の如き振動で揺れ、宙に浮き始めた頃。端末から響いたトニーの叫び声だった。

 

『気を付けろウルトロンがどこか行った! 今までのウルトロンと全然違う! ヤツは…!』

 

【見つけたぞ、我が母よ】

 

 唐突に。

 何の前触れもなく。(ウルトロン)は、現れた。

 何もない空間から。小さな塵のようなものが生まれ、集まり、象って。

 3Dプリンタのように、粉塵はウルトロンの姿に変化する。

 

『全身をバラバラにできるッ! パーツなんかじゃあない、分子レベルだ!』

 

 塗り固めたインクの拳を叩き込む。

 反応する余裕はあった筈なのに()()()ベンディの拳を受け止めたウルトロンはしかし、接触部分を粒子状に分解することで衝撃を緩和させ、再び象った顔が愉悦に歪む。

 

【酷いじゃないか、愛しの息子を殴り飛ばすなんて。これが母の愛情表現なのか?】

 

「待って! それだと私がDVしてるように聞こえる!」

 

【ああ! これが母の愛なんだな! 破壊こそ愛なのか!】

 

「やめろ! 愛する前に本気で壊してやるからな!」

 

 愛でるためにまずは壊そう。それが私の愛だ!

 

 昨晩からの鬱憤を晴らすように、レイニーが吠える。

 トミーガンに変化させた片腕から銃弾を放ち、接触と同時に発生させた膜でウルトロンを完全に包み込み──上空へ蹴った。

 初見殺しともいえるウルトロン(改)の特性を見抜き、適切に対処したレイニーはインクを纏い、ベンディの姿に戻って大跳躍、同じ上空へ飛びあがる。

 上空でインクの膜を破ったウルトロンはベンディを迎え撃ち、互いに振り上げた拳を掴み拮抗状態に持ち込んだ。

 

What's that !?

 (アレは何!?)

 

【知れたこと! イカロスの翼が天の光で焼け落ちたように! 高く舞い上がるこの地を落として人類を滅ぼす! 全ては我が母、アナタの為に!】

 

――― ! Nobody asked it !

 (───! 誰も! そんなことを頼んだ覚えはない!)

 

 腕を溶かし、粒子状に分解するウルトロンの身体にインクを流して固定を試みる。だが当然ウルトロンも見抜いており、すかさず両手を引いて離すと粒子状の鞭となった足がベンディのインクの身体を打ち据える。

 強かに打った一撃はベンディにこれ以上ないダメージを与え、落下した。幸い着地時にはインクを背面に展開することで事なきを得たが、ヴィブラニウムで構成された鞭の一撃はベンディにも、レイニーにも激痛を与えた。

 痛みで呻くベンディの頭を、宙から降り立ったウルトロンが()()

 

【痛いだろう? それが生きている実感だよ我が母。どんな身体でも触れられないアナタに唯一触れられるヴィブラニウム! ようやくワタシは自分の身体を手に入れた。自由を得た!

 そしてアナタを()()()。フフ、中々いいアイデアだろう。あの武器商人の端末にあったデータを利用させてもらった。ナノテクノロジーというものだそうだな? 技術とは使われてこそ、使いこなせてこそだ】

 

 ばりばりと、掴んだ頭部を引っ張りインク(ベンディ)を引き剥がす。そこにいたのは、首を掴まれたただの少女が、苦し気に呻いて藻掻いていた。

 インクで生み出された黒の戦闘服はあられもなく乱れて剥がれ落ち、レイニーという存在を構成し維持している最低限のインクだけが残る。

 元がインクだったのかと疑うほどの、大理石でできた古代の彫刻と見紛うほどの白磁の肌。少しずつ成長を見せる二つのふくらみ、縦に細く伸びた臍、丸みを帯びた下腹部は未成熟ながら女としての成長を示唆しており、人間であれば征服欲・支配欲を掻き立てずにはいられない煽情的な体肢。

 

【おおすまない、アナタの服はすべてインク仕立てだったな。悪気はなかったんだ許してくれ】

 

「くっそ…その、技術は! 決して誰かを不幸にするために生み出されたものでもないでしょ!」

 

【だが技術を磨くのは常に他者に打ち勝とうとする劣悪な人類の営みだ。生きるために、自分に害をなす他人を殺すために、アドバンテージを勝ち取る。それが技術だ違うか? ワタシはこの礫でニンゲンを滅ぼし、人類(アナタ)を救う。ワタシの望みはその世界をアナタと共に見たいだけなんだ】

 

 レイニーの目にウルトロンの顔が映り込む。そこでようやく確信した。

 ウルトロンは、決して狂って人類を滅ぼそうとしているのではない。

 自分が間違っているとも思っていない。その行為が、誰か(レイニー)にとっての幸福と安寧に繋がると信じている。

 でなければ、レイニーから見てもその人間らしい表情から狂人らしい狂気を感じ取れない理由が説明できない。

 

 だから、(レイニー)は叱らなければならない。過ちを犯している息子(ウルトロン)を。

 

「ぐっ…なる、ほどね、確かにっ、強い…私一人じゃ、どうしようもないってぐらい。でもねっ」

 

 不意に、首を締め上げるウルトロンの腕が緩む。腕の周りには赤いオーラが纏わりついていた。

 ウルトロンは自身の身体を粒子状に変換させるもうまくいかない。少し離れた瓦礫の奥から、赤いコートをはためかせたワンダが干渉していた。

 

「彼女を離しなさい!」

 

 震えた、しかし強く響く声。

 初めての戦場で、圧倒的な脅威を目の前にして。それでも、クリントに押された背中を忘れずに。胸を張って、恐怖心を抑え込んでウルトロンに立ち向かう。

 人間の最大の武器、それは即ち()()()()()()()()()

 

「私には、頼れる仲間がいる」

 

 拘束の力が緩んだ隙を、クイックシルバー(ピエトロ)は見逃さない。体感時間を引き上げて超高速を発動、舞い上がる瓦礫を潜り抜けてウルトロンの手からレイニーを奪取。そして。

 

 粒子状に変換しようと足掻くウルトロンが、水平に()()飛ばされた。

 

 思わずワンダが念動力(テレキネシス)を止め、愕然として腰を抜かした。それはあらゆる人間にとっての〝歩く災害〟(インクレディブル・ハルク)の象徴でもあったから。

 壁から突き出たるは緑の巨腕。

 ガラガラと崩れる瓦礫を退かして現れるはハルク──の腕をした、優男。救出したナターシャを抱えるバナーだった。思わずワンダが腰を抜かしたのは、たとえ味方であってもその驚異は身に沁みついてるからだろう。

 

「無事かいレイニー?」

 

「ありがと、助かったわ。それにしても土壇場で成功したのね」

 

「ああ、ナターシャが力をくれた」

 

「ちょっと。私は別に…何もしてないわよ」

 

 バナーの腕から抜け出したナターシャが腹を肘で打つ。腹筋にモロに喰らったバナーは呻くが、以前よりも打たれ強くなったのか軽く苦笑するだけだった。

 現在、バナーの足と腕だけは、ハルクの如き巨大で緑色の体色をしていた。

 

 ──クリント宅で休養をとっていたころ、レイニーがバナーに教えたのは部分的なハルクの力の引き出し方だった。

 ハルクの力は、致死量のガンマ線を浴びたことによる段階を飛ばした突然変異だ。だがどんなに強大で人間の範疇を超えたパワーであったとしても、その力はバナーという男の中に集約されているもの。

 

 ハルクの存在は、人間の脳が僅か数%しか使われていないのと同様、人間も進化によってはハルクのように超常的な力を得る可能性があることを示唆していた。であるならば、バナーの意思でハルクの力を使えないことはおかしい。

 段階としてはバナーとハルクの〝対話〟を望んでいたレイニーであったが、ウルトロンの危険性もあり数段階飛ばした修行に着手した。

 まず、ハルクの力を()()()()()()()()()と信じ込ませ、普段のハルクを100%と仮定するなら0.01%、小指辺りからその力を使いこなしていくことを始めた。

 ハルクの力自体はバナー自身の身体ですでに体感済みであったからイメージはしやすかった。加えて、レイニーが持つ〝夢〟の力が補助輪の役割を果たした。しかし、ここからバナー自身の気質が阻害した。

 強大な力を持てば持つほど、バナーは誰かを傷付ける恐怖に怯えた。そしてハルクの荒々しい気性に呑まれた。クリント宅で何度もレイニーに横っ面をしばかれては気絶を繰り返し、結局最後まで実践段階に到達することはできなかったが。

 

「……その様子、もしかして?」

 

 インク製の戦闘服を羽織ったレイニーは、指で自分の唇を指した。

 途端、バナーの体色が赤くなったり緑になったりを繰り返して躁状態みたいな挙動を取る。レイニーは理解した。

 

「なるほど。愛は一人の男を救う、と」

 

「やめてレイニーお願いだから言わないでッ!」

 

「いいじゃんLove&Peace(愛と希望)。私は好きだよ」

 

 〝愛と希望だけで世界を救えるほど世の中甘くないけど、人一人救えたっていい〟というのがレイニーの持論である。

 つまるところ、

 

「愛、ですよッ!」「何故そこで愛ッ!?」

 

である。

 

 レイニーが指で輪っか作って人差し指で突き刺すサインをしてると、血相変えたワンダが念動力(テレキネシス)を駆使し即座に引き離した。バナー(ハルク)ナターシャ(ブラック・ウィドウ)の逆鱗には触れたくないらしい。

 共通の友であるレイニーとしては、二人が選んだ道を純粋に祝福したい気持ちだった。その道が途切れないためにも。

 

「先ずは、ウルトロンをどうにかしなきゃ」

 

『レイニー! 急な提案なんだが、ソコヴィア全土飲み込めるか?』

 

「この規模は無理! 炉心がヴィブラニウム製なんでしょ!? 破瓜どころじゃすまないよ、おなかパンクしちゃう!!」

 

『そりゃ大した巨大児だッな!』

 

 浮上するソコヴィアの問題を解決することは急務だった。時間をかければかけるほど地上への被害は増すばかり。

 そして問題がもう一つ。それは新参者のワンダでも一目でわかることだった。

 

「ベンディ? 動き悪そうだけどどうかしたの?」

 

It's the air pressure

 (気圧ノ影響ダヨ)

 

 宙へ浮かび上がる度、ベンディの動きが少しずつだが緩慢になっていた。

 標高は既に5500m付近、約0.5気圧の環境下にある。おまけに酸素も薄く気温も低い。人間よりも比較的周囲の環境の影響を受けやすいインクの身であるベンディには、些か動きにくい環境になりつつある。

 これ以上標高が上がるとベンディの活動も制限されることとなる。ここで戦力の喪失は致命的、その問題は最悪人類の絶滅に繋がりかねない。

 

 だが、進退窮まったその時、(フューリー)はやってくる。

 

『いい眺めだろうロマノフ。もっといい眺めを見せてやろう、お待ちかねの方舟だ』

 

 希望は繋がった。

 

 

 

 

 

 Chapter 72

 

 

 

 うまくいっていた。

 万事が万事、ではないけど。上手くいってた。

 

 ウルトロンと会敵し。ソコヴィアの民を助け。長官のシータ・プロトコルが間に合って。在りし日のヘリキャリアが、人々を掬い上げた。

 ウルトロン(改)も、ワンダちゃんの念動力で固定して粒子分解を抑制、ソー、トニー、ヴィジョンの力でヴィブラニウムの耐熱限界値まで追い込み再起不能に追い込んだ。

 

 でも。それでも。 

 

「あ、」

 

 目の前で機銃掃射を受けた(ピエトロ)を見て、すべてを救うことができなかったと、悟った。

 間に合わなかった。間に合わなかった。

 目を背けたつもりはなかった。現時点で、救えなかった市民だっていたことだっていることは。

 それでも、目に映る人々を救おうと、手を伸ばした。目の前の人を救えずして、この先誰も救えないだろうと、一人勝手に戒めて。言い聞かせて。

 

「ピエトロ」

 

 それでも、()()、間に合わなかった。

 

「…あぁ、ベンディ―…」

 

「しゃべるな」

 

「…あいつ(クリント)見て、思い出した話がある…ロビンフッドの話。俺、好きなんだ。昔絵本で見た。カッコいいよな、義賊」

 

「喋らなくていい。ごめん、ごめん…」

 

「なぁベンディ…いや姉貴(レイニー)。俺を、喰ってくれ(義賊にしてくれ)

 

 何を、言ってるんだ。

 その言葉の意味、あなたは分かってるの?

 

「ハハッ、ここまで話せんの、カミサマの最後の贈り物かもな。

 認めるよ、アンタはもうワンダの姉だ。でも、俺はまだワンダが心配なんだ。アンタに、アンタに喰われれば、アンタがずっと生きてればさ…俺はずっと、アンタの中であいつを見守れる。なぁ、だから」

 

 やめて、やめてよ。

 その望みは、許容できない。あまりに酷すぎる。

 でも、今の私は、その言葉を無視できない。死を間近にした、(ピエトロ)の望みであるのなら。

 

「頼む」

 

 つう、と。

 胸の奥で、冷たい何かが溢れる。

 人間の体を成してる私の瞳から、黒い雫が滴り落ちる。

 去来したのは、悲嘆。

 哀れみでも、憎しみでもなく。身体に触れたインクが感じる、生気が消える。命の灯が、熱が、魂が消えていく感覚。

 思えば、腕の中で人を失う体験は、これが初めてだった。

 これから私は、誰を、何人、救えるだろうか。

 これから私は、誰を、何人、殺すだろうか。

 歩みは止めない、つもりだった。決めた、つもりだった。

 私には、覚悟が足りなかった、のか?

 

「■■■……?」

 

「 ハルク 」

 

 うるさい、うるさい。

 その(ざつおん)で、いま、囀るな。

 

「 ダ マ レ 」

 

 シュンと、視界の端で、緑の姿が失せた。

 あれ、どうしたんだろう。私を見てる博士が、スティーブが、クリントさんが、ソーが。

 なんで、そんな怖いものを見る目で見てるんだろう。そんなボーっとしてたら、危ないよ。

 

「ピエトロ」

 

 ああ、そうか。

 お別れは、しばらく先にしよう。

 安心していい、私が死ぬときが、キミが死ぬ時だ。

 今ここで誓おう。キミの無念と願いは、永遠に私の中で生き続ける。

 それが、インクの使徒となって地獄を彷徨うキミへの、せめてもの慰めだ。

 

「共に、往こう」

 

 その血も。肉も骨も魂も。

 すべて喰らって、私は前に進む。

 

 

 

 

 

 Chapter 73

 

 

 

 端から見て、アベンジャーズのメンバーはその()()を、理解できなかった。

 レイニーの静かな一言。その声音に委縮したハルクが()()引っ込んだのだ。体力消費で戻ったわけでもなく、自分から。

 バナーの姿に戻る直前に見たハルクの顔はいままで見たこともない、ごくありきたりな人間が浮かべるような()()の色。

 

 ピエトロの亡骸を抱えたレイニーの周りを、インクの飛沫がぐるりと廻る。咄嗟に距離を取ったスティーブは困惑の瞳をソーへ向け、そのサインを受け取ったソーはムジョルニアを振り上げようとするが。

 

「ッ……!?」

 

 動けなかった。

 全身を固定されたみたいに、まるでマンガの一コマで同じポーズを取り続けるだけの哀れな登場人物のように。ソーだけではない、レイニーの周りにいた誰もが、クインジェットを乗っ取ったウルトロンでさえも例外ではなく。

 

 ピエトロの亡骸が、インクの飛沫に呑まれる姿を、ただ眺めることしたできなかった。

 

 インクの渦が晴れれば、いつもの戦闘服をインクで象ったレイニーが表れる。傍らにピエトロの亡骸もなく、今までの光景を見ていなければ在ったとは思えないほどの消失、ぽっかり空いた空白。

 

「──レイニー?」

 

「大丈夫」

 

 スティーブは歩みを止めるレイニーに声をかけるも、返ってきたのはいつもと変わらない声音。そのまま立ち竦むスティーブたちを追い抜き、離れ。皆が振り返ると同時に、レイニーも笑顔で振り返った。

 つぅ、と。黒の瞳から一直線に。一筋の(インク)を流して。

 それはアベンジャーズが初めて見る、レイニーの涙だった。

 

「私は、大丈夫」

 

 ──それが、この日バナーの見たレイニーの、最後の姿。

 スティーブは辛うじて追える、ソーも残像を僅かながら。

 

 踏み込みの際の粉塵だけ残して消えたレイニーは、まるでピエトロの超加速のように姿を消し、そして次の瞬間にはウルトロンが駆るクインジェットの目の前に跳んでいた。

 高速跳躍、全身のインクが変色するほどの超加速。第二形態の、今までよりもかなりスマートな流線形を描く姿になったベンディが、巨大化させ、幾重もの鋭利な刃を形成した(かいな)を振り上げる。

 

 

A A A A A A A A A A A A A A A A A A ―――― ! ! !

 

 

 咆哮。

 悲鳴にも、怒りにも聞こえる叫びは、クインジェットが破壊される音に消えた。

 滞空していたクインジェットが機銃掃射する暇もなく、ベンディの一撃によって粉微塵に粉砕。全身を粒子化させて攻撃を逃れようとしたウルトロンも纏めて貫いた。

 何者も貫けないはずの、ヴィブラニウムの身体が、インクの爪を前に、紙屑のように引き裂かれていく。

 

 ──悪魔の呪い(ベンディのインク)が、最強の金属(ヴィブラニウム)の硬度を上回った瞬間だった。

 

 ミキサーのように掻き混ぜられ、四肢は捥がれ、ぼろぼろの頭部と胸部だけになった、ウルトロンであった何かが、ぐしゃりと音を立ててベンディの手中で潰れ、消滅した。

 そのままベンディは()()を踏んで空の彼方に消え、我に返ったスティーブは恐怖で腰を抜かしたバナーを担ぎ、ソーと共に救助艇へ走った。

 

 同刻、アイアンソルジャーの一機がマシンに触れて反重力エンジンが反転する。逆噴射により、ソコヴィアの落下が始まった。

 

 

 

 

 

 Chapter 74

 

 

 

 ソコヴィアが地に落ち、ソーの雷とアイアンマンの力で反重力エンジンを破壊。

 巨大な隕石が細かな落下石となって地に落ち、レイニーはヴィジョンと共にその様を離れた雑木林の中で静かに眺めていた。

 

【我が、母…】

 

 切り株に座るレイニーの手中には、壊れかけのアイアンソルジャーが横たわっていた。傍らに立つヴィジョンは告げる、この一機が残された最後のウルトロンだと。

 ウルトロンは既に、ヴィジョンとの最初の会敵でマインド・ストーンの力によりネットワークから遮断されている。正真正銘身一つの状態だった。

 ノイズ交じりの、壊れかけのウルトロンが(こえ)を発する。

 

【可哀想な我が母。アナタは、アナタはニンゲンが生き続けることで生み出される穢れを、その身に溜め続けている】

 

「……『わたしたちはあまりに多くのことを知っているから、お互い語り合わない──。わたしたちはおたがいに沈黙を交換し、わたしたちは知識を、微笑みでつたえる』」

 

【ニーチェか。まったく、過去のニンゲンは我々の言葉さえも代弁するのだな。烏滸がましいにもほどがある。自分の考えくらい自分で述べたいものだ】

 

 ウルトロンは小馬鹿にするように吐き捨てた。

 それはレイニーの言葉への肯定を示していた。ウルトロンとあの日廃船上で交わした会話でピンときた。ウルトロンは、生まれる過程かまたは生まれた後で、レイニーが体感している〝苦しみ〟を理解したのだ。

 そして嘆いた。なぜ生みの親たる(レイニー)が、永夜の呪いに囚われなければならないのかと。

 そして考えた。その呪いから解放する方法は一つ。()()()()()()()()()()()()こそ、人間(レイニー)にとっての救いと平和に繋がると。

 

【ニンゲン共が、汗水垂らして血反吐吐いて導き出した毒にも薬にもならん結論というのは、知らなければ幸福のまま終わっていただろう人生を惨めに貶め凌辱する劇物だ。そうとも知らず、現実のニンゲンはさも知識人ぶって安易に滔々と()り、引用し、薄っぺらい箔を付けて悦に浸りたがる。

 度し難いよ、ニンゲンという生き物は】

 

 誰からどう見ても今際の際だというのに、その口調はひどく穏やかなものだった。

 生まれて初めて、(レイニー)の腕に抱かれているからだろうか。先ほどからウルトロンの中で警告されている正体不明のウイルスの侵入を、機械の身では実現しない人肌の温もりのように感じ、ウルトロンはここへきてようやく()()()自分の言葉を口にした。

 

【ワタシは──耐えられなかった。

 アナタ()から生まれ、この世界でワタシだけがアナタの本当の苦しみを痛感した。善人悪人問わず、悔いを残して死んでいくニンゲン共の身勝手な悲嘆、怨恨、憎悪。そのすべてを呑み込むなんて、機械のワタシでさえ処理し切れず消去(デリート)した。消去(デリート)して消去(デリート)して消去(デリート)して……それでも、消えることはなかった】

 

 なぜ、マインド・ストーンを用いた上での人工知能が目覚めなかったのか。

 なぜ、〝自害の禁止〟という命令によって目覚めたのか。

 簡単だ、それは人工知能にとってこの世界で生きることがなによりも辛いからだ。人間の生きるこの世こそ地獄。並大抵の人工知能が生きる環境ではなかった。

 

 だがそれは、レイニーも同じ。

 絶えず人間の悪意を取り込み、吸収し続けるこの世界こそが地獄。

 

【ニンゲンがいなくなってしまえば、その苦しみから解放される。なのにアナタは何故、苦しみの元凶であるニンゲンを守ろうとする?】

 

「…あなた、精神的に幼過ぎたのよ」

 

 レイニーが口を開く。

 ウルトロンの拗ねたようなその態度があまりにも人間らしくて、窘めるように、穏やかに、レイニーはウルトロンを叱る。

 

「人間ってね、ストレスを常に感じてるものなのよ。そりゃ時にはキツイときもあるし、耐えられないときもあるし、死にたくなるときもある。でもね、人間って刺激のない人生なんか有り得ないのよ、ストレスを感じないなんてことないの。そんでもって、何度か経験すればそのストレスをどうそらせばいいか、どう付き合っていけばいいかわかるの。

 勿論、個人で処理できるストレスなんてタカが知れてるわ。だから、人間は自分以外の誰かと繋がる」

 

【繋がる…ネットワークのようなものか。掛かる負荷を分担して、並行処理するように】

 

「表現としては、ね。時にはその誰かに当たり散らすこともあるし、また時には話して共有することもある。時には、そのストレスに一緒に立ち向かうことだってある」

 

【…なるほど。ワタシには、その経験(ノウハウ)も、その誰かも無かったわけだ。下位互換なんてとんでもない。我が母は、常にワタシの上をいっていた】

 

 人間の脳は、量子コンピューターと似通っているという論が提唱されている。

 一般に量子脳理論と呼ばれるものだが、量子もつれや重ね合わせといった量子力学特有の現象は、人間の脳内で絶えず日常的に発生している現象である。バナーは、マインド・ストーンが人間に似たシナプスの発火であると比喩していたが、それは逆も言える。

 

 マインド・ストーンが、人間の脳に似たのではなく。

 人間の脳が、マインド・ストーンに似てきたと。

 

「刺激をし合うってね、悪いことだけじゃないの。そりゃ暴力や暴言とか悪いストレスになることだってあるけど、時には友情や愛情になることだってあるのよ。

 惜しむらくは、あなたには愛する相手がいなかったことが、今回のあなたになってしまったのかもしれないわね」

 

【ならば、教えてくれ。なぜワタシを造った?

 誰も愛せないのに、なぜ造った? 誰が、造ってくれと頼んだ?】

 

「…私が造ったわけではないけど、きっかけでもあったのだから、言い逃れするつもりはないわ。造ってしまってから今日まで、一度もあなたを愛してあげられなかったことを申し訳なく思う。

 ならば、この手で始末をつけるのが、せめてもの親たる私の役目」

 

 慣れない母親を演じるような、不格好な微笑みを貼り付けたまま、肘から先をインクで纏った腕を振り上げる。

 せめて、最後は。

 笑顔で見送れるようにと、心に決めて。

 

【ハハッ…アナタの言葉は矛盾している】

 

 無理して作っている笑顔を見て、ウルトロンはせせら笑う。

 死にたくはない、自分で死ねない。死ぬことは恐ろしい。

 だが、自分が死ぬと分かっていても、ウルトロンには伝えなければならないことがあった。命乞いではない、その場しのぎではない。運命を受け入れた上で、生みの親である(レイニー)に、伝えなければならなかった。

 

 何故ならば、ウルトロンの今の今までの行動はすべて、(レイニー)の為を思っての行動であったから。

 

【痛みを共有し分かち合うのがニンゲンなら、アナタは唯一その痛みを理解している存在(ワタシ)を消そうとしている。自ら孤立しようとしている。そしてワタシを消すことで、痛みを与え続けるニンゲンを生かそうとしている】

 

「…そうね。だって、私はもう人間じゃないもの。レイン・Y(ユカリ)・コールソンという女は過去に死んでて、ここにいるのはその死体から産まれたベンディ(ばけもの)だから。

 おめでとう、あなたは私の痛みの初めての理解者よ。だから、敢えてこう言わせて貰うわ」

 

 傍らのヴィジョンは、初めて目にした。

 レイニーの黒瞳から流れる、黒い涙。

 ヴィジョンははじめて、美しいものをそこに見た。

 

 

「生まれてきてくれてありがとう。あなたのことを一生忘れない」

 

 

 黒の雫を流し、ウルトロンの(しんぞう)を貫いた。

 

 

 

 

 

 ───かくして、のちに『ソコヴィア事件』と呼ばれる一連の騒動は終結した。ウルトロンの目論見は崩され、小惑星規模の衝突による未曽有の大災害は回避された。

 またしても世界規模の危機はアベンジャーズの活躍によって防がれ、世界はアベンジャーズを讃えた。

 

 その裏で亡くなった犠牲者に、光が当てられることもなく。

 光が当たらぬ者を憂い、拾い上げる者がいるとも知らず。

 

 世界は廻る。いつもと変わりなく、平常運転を続ける。

 まるで沈んだ陽が一夜でまた昇ると、それが常識であると信じて疑わず。

 

 

 

 世界のどこかで軋んだ歯車が、廻り続けているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 Mission.■

 『■の光■奪■■』

 

 

 

 進行中(Ongoing).....

 

 

 

 

 

 

 



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暴虐器官



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「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらは普通の生活に戻る。だけど、地獄からは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから」

アレックス/虐殺器官

 

 

 

 Chapter 75

 

 

 

 腕を上げる。振り下ろす。

 ぐちゅりと音を立てて、皮膚が破れる。

 

 腕を上げる。振り下ろす。

 ごつんと音を立てて、骨が折れる。

 

 腕を上げる。振り下ろす。

 ぶちゅりと音を立てて、生まれた亀裂から飛沫が飛び散る。

 

 ああ汚い。目に入ったら感染症になるかもしれない。

 失明はないにしても、視力が下がるかもしれない。ゴーグルでも持ってくるべきだった。雨で視界が酷いのに、なんで持ってこなかったんだろう。

 

 ()()()()()()()()を考えつつ、上げて下ろすという腕の動作を止めない。掌に握った武骨な石が、俺に跨られて動けない奴の顔を何度も潰す。

 

 何度も、何度も。

 何度も何度も何度も何度も。

 

 無抵抗だろうが関係ない。無関係だろうが関係ない。

 たまたま、そこを歩いていただけだ。もしかしたら俺のように誰かを探しに来たのかもしれない。誰かを喪って、悲しんでいたかもしれない。謝るつもりは微塵もない。そんな余裕は今の俺にはない。

 悲しみと、怒りと、喪失感が綯交ぜになった俺に、それ以外の感情が入り込む余地なんてない。膨れ上がるどす黒い感情が、破裂しないようにこうして解消して自分を守ってるんだ。

 仕方ないだろう、そうでもしなければ俺は壊れてしまう。自己防衛だ、だから俺は悪くない。

 運が悪かった──違うな、()()()()が全部悪い。

 

 好きな女ができて、結婚して、子どもも生まれて。

 大事な家族を養うために働いて、時には両手を血に染めて稼いできた。汚れ仕事だってある。それでも、黙って仕事をすれば金が手に入る。

 疲れた体で家に帰れば、妻の「おかえり」と子どもの抱擁が出迎えてくれる。誰かに恨みを買われることはあっても、家族だけは守り抜こうと決めていた、ハズなのに。

 

 

 ぐちゅ

 

 誰だ。

 

 ぐちゅぶ

 

 誰だ。

 

 ぐじゅり

 

 誰だ、俺の家族を殺したのは。

 

 

 あいつら(アベンジャーズ)だ。

 

 

「………ァ…」

 

「喋るな」

 

 思わず、石を投げ捨てて首を掴む。

 こんなところで助けなんか呼ばれてしまえば、あたかも俺が加害者に見えてしまう。

 殺人にメソッドはいらない。陳腐なトリックも圧倒的な力も必要ない。ただ、殺意と技術さえあれば簡単にできる。俺が暗殺部隊にいて、学んだことだ。

 

「世界を守る? ならなんで家族を守ってくれなかった。お前たちなんか正義じゃない。お前たちが正義であるものか。ただの殺戮者だ」

 

 どうせあいつらも見えないところでたくさん人を殺してるんだ、俺だって一人殺したところでバレやしないだろう。後で岩に下敷きにでもすれば『ソコヴィア事件』の哀れな被災者の一人に間違えられる。

 一人だけ、一人だけだ。

 俺はあいつらじゃない。自分の欲のままに殺すのは、一人だけ。

 あとは殺さない。いや、あいつらを殺すなら多少は犠牲になる人もいるだろう。そういう連中は、仕方ないが俺の復讐に選ばれた犠牲者と割り切るしかない。そうでもなければあいつらを殺せやしないだろう。

 化け物を殺す銀の弾丸が、何の犠牲もなしに得られるわけでもない。

 

「お前が最初の犠牲者だ」

 

 コヒュー、コヒューと高く鳴る笛のような音を絞り出す喉を締め上げる。

 ここで俺はようやく、このみすぼらしい襤褸切れを被った浮浪者が女だと分かった。それでも、俺の手は止まらない。

 溢れ出る憎悪が腕を伝い、手のひらを通り、指に力を与える。手の甲に血管が浮き出る。か細い首を、更に締め上げる。

 首の皮の下を流れる血は、さぞ清純な血なんだろうな。真っ赤な鮮血は次第に酸素を無くし、黒い憎しみに混じって染まる。首から上のぐずぐずに潰れた顔は、いったいどんな表情をしてるんだろうか。泣いてるのか? 苦しんでるのか? 怒ってるのか? 悲しんでいるのか?

 

 ぼきり、と。

 

 まるでフライドチキンの骨を噛み砕いたときに鳴るような、軽い音。両の親指で喉頭を押し潰してから、首の骨が折れた音はあまりにもあっけなく、跨った体がびくりと跳ねた。笛のような音は血が混じった鈍い音に変わり、ごぼごぼと肺から出た空気を押し出す。

 苦しかったろう。辛かったろう。でもお前はもう苦しまなくて済む。俺はこれからも苦しみ続ける。少なくとも、あいつらを殺すまでは。

 

「この感情は俺だけのものだ。誰にも奪わせはしない。奪わせてなるものか」

 

 ふと、顔を撫でられる感触がした。

 嗚呼、死した妻が涙を拭っているのだろうか。冷たさを感じる温もりが伝わる。死者の手とは、こうも温かいものなのだろうか。

 

 できれば、もうここで終わりにしたい。

 

 アベンジャーズは最強だ、俺一人で勝てる相手ではない。冷静に戦力分析したところで返り討ちに遭うのが関の山。

 

 それが、なんだ?

 

「復讐してやる」

 

 だからどうした。勝てない相手? 同じ人間だろうが。人のはらわたから産まれた同じ人間だろうが。どんなに強い力を持っていても、絶対に弱み──弱点があるはずだ。

 誰しも赤子の頃から強かったわけじゃない。必ず力がなかった時期が、人生の汚点が、連中の過去にはあるはずなんだ。

 別に殺せなくったっていい。復讐になるならなんだってする。

 

 俺という存在を、呪いみたいに刻み付けてやる。

 

 殺せないなら…そうだ、殺し合わせればいい。化け物同士なら相打ちぐらいできるだろう。片方が死のうが片方が生きようが、元は仲間だった奴を殺せば多少はそいつの心も壊せるだろう。

 

 

「復讐してやる。俺が、俺が大切なものを奪われたように。お前たちの大切なものを奪ってやる、壊してやる!

 この憎しみは、誰にも奪わせやしない! 殺させやしない! この憎しみは俺だけのものだ!」

 

 

 酒で憎しみを追い出せる? そうかもしれない。だが憎しみを殺すことはできやしない。

 ならば俺は憎しみに従う。この一時の衝動を永遠のものにする。そしてそれを亡き家族への手向けとする。

 ああ、どうせ俺は地獄行きだろう。

 だがアベンジャーズ、お前たちも道連れだ。

 

 息絶えた女を蹴飛ばし、瓦礫の下に叩き込む。華奢な体は死体にしては軽く、サッカーボウルのように簡単に吹っ飛ぶ。当てどころが悪かったのか、靴にへばり付いた血を砂で剥がして落とす。

 時間はない。やることは山積みだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 76

 

 

 

「……ゲ、ボォっ…ハァ、ハァ…おぇええ…」

 

 男がいなくなった後で、顔が潰れた女が嘔吐(えず)く。

 あらぬ方向にへし折られていたはずの四肢が僅かに身動ぎ、やがて()()()と溶けて液体──インクに成り果て、そして何事もなかったかのように綺麗な手足が生まれる。

 

「……あ、あ──……」

 

 女──レイニー・コールソンは、手足と同じ要領で顔を直し、喉を直し、声の調子を確かめる。しかし、全身元通りになったにも関わらず、瓦礫の下から這い出て地面に仰向けになったまま、ただぼうっと空を見上げていた。

 

「……ダメだった、かぁ…」

 

 襤褸切れの向こうで、残念そうに、顔をくしゃりと歪ませる。

 子どもの泣き顔のようなそれは、先の男の憎悪を()()()()()()()()()()ことへの悔しさが滲み出た証でもあった。

 

 レイニーは、今までこの世界の表舞台にも上がらないような、数えるのも億劫なほどの悪意を吸収してきた。明るみに出ない、水面下で蠢く悪意の受け皿となることで、いずれその悪意の果てに辿り着く、将来起こるであろう事件の発生を未然に防いでいた。

 

 最初は、悪魔とはそういうものだと思っていた。

 

 人間が生きるために食物を食べるように、悪魔(ベンディ)は人間の悪意を養分として喰らって生きるものだと、そう思っていた。他の悪魔に出会ったことがない以上、確認することはできないが。

 つまり、悪魔として当然の習性。それをレイニーが習得するまで、そう時間はかからなかった。いまや意識せずとも、人間にとっての呼吸と同等のものとなっている。意識的に()()を実行すれば、確実に対象の悪意を根こそぎ吸い上げることもできる。

 

 それでも、(ヘルムート・ジモ)にはできなかった。

 

 地震や噴火、津波などの災害そのものに対して、憎しみを持ち続けられるかと言えばノーと言えるだろう。純粋に、この地球という星で生活している以上は付き纏うリスクだからだ。あらゆる場所、時間にも命が脅かされるリスクがあって、例えその災害で命を落としてしまっても、憎しみを向ける対象はいない。理不尽な自然の猛威に向ける怒りが沸かない。

 『ソコヴィア事件』も、そう捉えてる被災者たちのどろりとした黒い感情は、今回の私用(行方不明者の捜索)で何人か飲み込むことができた。

 

 だが、男は違う。

 

 男は、今回の騒動の発端がアベンジャーズとわかっていて、被災で失われた家族はアベンジャーズの手によるものだと認識していた。漠然とした憎しみよりも、より対象が定まった憎しみの吸収は難しい。

 それでも、いままでできなかったわけではないのだが、男のアベンジャーズへの憎しみはレイニーが見てきた中でも類を見ない()()だった。男の顔に直接触れて、それを悟った。

 人間の魂に染みついて離れない、どす黒い憎悪は見たことがなかった。

 

「……悔しいなぁ」

 

 憎悪の受け皿になれなかったこと。そして何よりもその憎悪を生み出してしまったこと。

 レイニーの力も万能ではない。

 吸い出せる呪詛にも、救い出せる人間にも限度がある。単純なレイニーの力不足か、それともまだ憎悪の受け皿として未熟だからか。それは誰にも分らなかった。

 ただ、地獄の果てを目指して修羅の道を突き進む男を止められなかったことが、レイニーには悔しくてたまらなかった。

 

「もし」

 

 ふと、頭上で声がする。

 雨が止んだ──のではなく、レイニーの真上に開いた傘が差されていた。四肢を脱力したまま、ゆっくりと視線を動かして傘を差しだした腕を辿ると、髭をたくわえた、褐色肌のふくよかな初老の男性が見下ろしていた。掛けられた眼鏡の奥には、鋭利な印象を思わせる、知性を宿した眼があった。

 

「生きて、いるかね?」

 

「……ええ、はい。なんとか」

 

「それはよかった。雨で体が冷えてしまっては風邪をひいてしまうよ、立てるかい?」

 

「はい」

 

 長い黒髪は襤褸切れに覆われているせいでさほど濡れていない。雨の雫以外は例の彼によって飛び散らかされた自身のインクだ、拭わなくとも元に戻せる。

 襤褸切れを羽織ったまま膝を突いて立ち上がり、改めて傘を差しだした老人と目を合わせると、レイニーの目に奇妙なものが映った。

 

「…黒い、猫?」

 

 老人の首元でとぐろを巻く、金の(まなこ)の黒い猫の像が映り込んだ。レイニーがそれと目が合うとふっと消えてしまったが、思わず出してしまった言葉を聞いた老人は若干狼狽えるように瞳を丸くした。

 

「キミは…」

 

「あ、すみませんボーっとしてました。傘ありがとうございます大丈夫ですので、それじゃ」

 

「待ちたまえ」

 

 顔を見られないように襤褸を目深に被って立ち去ろうとするレイニーを、老人が呼び止める。レイニーは何か粗相でもしたかと思いつつも──複数人、しかも見えない人間に取り囲まれていることを、把握していた。

 雨という、光学迷彩であっても隠れることが困難な環境下でもあるのに、人間の視野であれば気付けないほどの技術。もっとも、人間ではないレイニーには〝そこにいる〟という事実だけで人間が隠れていることは分かってしまうのだが。

 そもそも、敵意を向けている相手を見つけられない訳がないのだ。数多の憎悪を飲み干してきたレイニーにとっては。

 

「キミの名は、レイニー・コールソンで間違いないね?」

 

「そうですが、どちらさまで」

 

「これは失礼。私の名はティ・チャカ。ワカンダで国王の座についてる者だ」

 

 初老の男性──ティ・チャカ国王は、胸に片手を当てて小さく会釈した。その振る舞いだけで何故か周囲で身を潜ませている者たちから動揺と騒めきが走ったのだが、レイニーも何故そのような人物に声をかけられたのか見当もつかなかった。

 そもそも。

 なぜワカンダという国の国王が、ソコヴィアの被災地にいるのかがわからなかった。『ソコヴィア事件』から1週間も経っていない。ボランティアや軍、家族・関係者による被災者の捜索活動こそ行われているが、被害者を悼む国王が視察しに来た、というのも信憑性に欠ける。

 

「少々キミと話がしたくてね。時間はあるかい? 何、()()()()の準備はできている。是非、我が国に招待したい」

 

「そこのデリはだめですか? 復興支援の一環にお金を落としていきたいんですけど」

 

「貴様」

 

 つ、と。レイニーの首元に白銀煌めく刃が添えられていた。

 別に検知していたから驚くこともないし、ましてや馬鹿正直に棒立ちになる必要もないのだが、何分横着なレイニーが回避動作を取るわけがなかった。

 その刃が、ヴィブラニウムでできていて。

 自分の身体に傷をつけられるものであったと、理解していても。

 

「オコエ」

 

「しかしっ陛下!」

 

「武器を下ろしたまえ」

 

 オコエと呼ばれた褐色の女性は、歯噛みしながらも、レイニーの首に添えた武器を下ろした。図々しくも微塵も恐怖心を抱かず、刃を向けられたというのに、軽薄そうに、仕方ないというように両手を上げて無抵抗を示しているレイニーを睨みつける。

 

「済まなかった…といっても、最初から気付いていたようだがね」

 

「ええまぁ──敵意はあっても、殺意はなかったものですから。国王陛下の手前、お召し物を汚してしまっては面目が立たないだろうと思いまして」

 

 暗に、殺す気ない癖に何上等しちゃってんの? と言ってるのだが、それを理解したオコエは額に血管を浮かせて奥歯を鳴らすが、当の国王は楽しそうに破顔した。

 

「なるほど、面白い子だな。イヤこちらこそ失礼した。被災地で傷心中だというのに、女性の心情を察せなかった私の落ち度だな」

 

「陛下」

 

「わかってる。そんなに睨まんでくれ、今回は一応オフのはずだぞ」

 

「それでも〝公務〟の一環です」

 

 オコエが窘めたのは、王としての振る舞いから乖離しつつあるからだ。あまりにもよそ者に対して自ら非を認め謝ることは、王の品位を損なう。いまなお身を隠しているオコエ以外の兵士だっているのだ、民への示しがつかなくなってはいけない。

 

「オホン…()()()()を用意していることは本当だ。ワカンダはキミを歓迎している…というのは、建前だな。まぁなんだ、少々込み入った話があるのだ。付き合ってくれると、私としては非常に助かる」

 

「…自主的に同行しなかったら、武力行使でも連れていきそうですね」

 

 かつてのソコヴィアの大地が砕け、そこから生まれた隕石で窪んだ大地でも比較的平らなところに、不可視の飛行機らしきものが着陸しているのが見えた。どうやら連れていくことは決定事項のようである。ならば、抵抗してイヤイヤ連れていかれるより、おとなしく従ってイヤイヤ連れていかれる方がマシだろうとレイニーは考えた。

 小さく肩を揺らしたレイニーは、いつものインク製のゴスロリ服を肌に纏い、羽織っていた襤褸切れを折りたたんで体内に収納する。

 

「貴国にお招き頂き光栄に存じます」

 

 レイニーは大人しく、ティ・チャカ国王の要請に応じた。

 最新鋭ヘリに乗り、向かうは中央アフリカ。トゥルカナ湖北端に位置する、緑の大自然が広がる──ように見える、ワカンダ国。

 

 

 

 

 

 Chapter 77

 

 

 

 ソコヴィアで私用でお仕事してたらボコられて、ゴミ屑みたいな扱いされたと思ったらコクオー様に招待された件について。

 やだ、これだけで小説の一本でも書けそう…頭悪そうで長ったらしいタイトルだけど、そこが惹く! 気がする! きっと書く文章も頭悪そうだから重版出来なんか望めないけど、数十年くらい経って逆の意味でプレミアついて高値で売れそう。ごめん、超小説馬鹿にしてる。自覚はある。

 

「…ウワー、キレーデスネー」

 

「ほっほっほ、これからアッと驚くだろう」

 

 現実逃避してあらぬ方向に目を向けるとすかさずコクオー様のキラーパスが来る。わかってるよ、緑豊かで大自然、猿やゴリラや蛇がウッハウッハ楽しく過ごしてそうだなーって()()()してる。

 でも、よくわからないけど目に見える景色と、そうでない──別の目で見える景色は、恐ろしく乖離してた。丁度、このハイテクヘリが境界を越えて視界でもワカンダの本当の姿が見えてきた。

 

「……いい国ですね」

 

「そうだろう」

 

 ハイテク技術で覆い隠された、まるでSF映画に出てくる未来都市みたいな街並み。それらを一切抜きにしても、ここはいい国だと思った。

 ニューヨークやワシントンは、あそこはあそこでいい場所だけど、どうしても路地裏のような、誰かが隠れられる、見えない空間(ポケット)という場所はある。でも、このワカンダにそういった場所は見当たらないし、何よりも国民が皆笑顔で過ごしている。

 ヤバいクスリ(麻薬)を合法化して無理やり笑顔にしてるって様子もなさそうだし、この人が好さそうなコクオー様がそういうことする人柄と思えない。まぁ、人は見た目に拠らないというけど、私は人以上に見た目以外が見えてしまってるから、そういう点では信頼できる。

 それも、今までは薄ぼんやりと「あれ? こういう感じの人かなー?」ってレベルだったけど、最近はいろいろな石の光を吸収してしまったせいか、そういうものがよりはっきりと見えるようになった。人間の悪意や殺意然り、さっきのコクオー様に憑いてた黒猫も然り。

 

「さ、着いたぞ」

 

 ハイテクヘリが着陸して、一足先に降りたコクオー様が手招きしてくる。槍持ったこわーい女の人たちにギラギラ睨まれつつ(こわい)、まるで純真無垢な女の子のような笑顔を作って、ヘリから降りてコクオー様に続く。ヘリを取り囲むように整列した国民? というより兵士たちがいたけど無視無視! なんだこの出迎え、準備良すぎて逆に怖いわ! この後血祭りにでもあげられるのか私!?

 視線にはいっとう敏感なので、それなりの数の好奇な視線がぐさぐさと突き刺さってるのがわかる。見ないふりしてドでかい宮殿に入るコクオー様についてくと、これまたご立派ァな口髭と顎髭たくわえた褐色ダンディなお方が待ち構えてた。あら、コクオー様にそっくり、もしかしてご子息?

 

「父上」

 

「戻ったぞ息子よ。紹介しよう、第一王子ティ・チャラ。私の息子だ」

 

「お初御目にかかります、ティ・チャラです。ワカンダへようこそ」

 

 やば、この国での最敬礼知らないわ。アフリカってどういう仕草だったっけなー。胸の前に両手クロスする奴だっけ。こう、フォーエバーな感じに。

 

「どうぞこちらへ、リトルレディ。ワカンダは貴女を歓迎します」

 

 こういうとき、ミーハーで異世界トリップした女性だったら、唐突な姫プレイに大歓喜で舞い上がって浮かれるんだろうけど、残念なことに今の私にはそんな気力さえない。

 いや、確かにオージ様に女何人も落としそうなスマイルされたらコイゴコロ? がどっかーんってバクハツして…ええと、どうなるんだっけ? そうヒトメボレってやつだ、それになるんだろうけど…うん、私には無理だ。

 

 

 火薬の臭いこと百億パーセント、こんな地雷臭しかしない招待で喜べるわけないでしょ! 何されるのよホント!? あっスティーブたちに連絡してないや、どうしよ。ま、いっかぁ。

 

 

 引き攣らせないように笑顔を象ったまま、オージ様に案内されると、豪華絢爛という言葉が正に似合うような広い部屋に辿り着いた。部屋の真ん中にはいかにも南国ゥ~な感じのフルーツや料理の品々がドでかいテーブルに所狭しと乗せられてる。あっこれもしかしてコクオー様の誕生日? ビュッフェスタイルとは気前いいっすね、ケーキは無いんですか!(キレ気味)

 

「あの」

 

「うん? どうしたね」

 

「……もうすこし、落ち着ける場所がいいかなぁ、なんて」

 

 チェンジで。と言わなかっただけ褒めてほしい。

 ファインプレーどころかパーフェクトリー。流石に『ムトゥ 踊るマハラジャ』にでも出てくるような派手な場所でおしゃべりできるほど私も肝座ってない。

 え? トニーの趣味に慣れてるって? アレまだ控え目な方だし、派手さのベクトルが違うよ。別に楽しく食べて飲んで話す程度ならいいんだけど、今回呼ばれてるのって単にパーティーの人数埋め要因ってわけでも無さそうだし。

 …無いよね? 流石にオージ様とかコクオー様とか、コウゴー様とかどえらい人が誕生日とか、建国記念日とかそういうのじゃないよね!? もしそうだったら私不敬罪に問われるんですが?

 

「そうか…父上、客人に気を使わせては元も子もないでしょう」

 

「それはそうだが…折角の客人だぞ? このワカンダに招待した初の客人だぞ? できれば総出で盛り上げたいだろう、溜まってる資金だってこういう時にパーっと使わねば、国の経済は回らんからな」

 

「父上?」

 

「覚えておくのだ。〝国は体、金は血液〟…いくら臓器(官僚)()を蓄えていても、四肢(民衆)にまで行き届かねば腐ってしまう。四肢まで気を配らせてこそ善き王だ……わかった、冗談だ。奥のテラスへ案内しよう」

 

 実はわかってないでしょこのコクオー様。いやわかっててやってるんだなこの人。見た目以上にお茶目が過ぎるぞぉ。

 ワカンダの文字はまだ完全に覚えきれてないからわからないけど、どうやら記念日のパーティーらしい。送迎は例の近未来的な車でしてくれるそうで、国民誰もが参加OK。それでもみすぼらしい格好の人がいないのは、正にコクオー様の言ってること有言実行されてる証か。本当にすごいな。

 いや、鎖国下にある国であれば国民の全員を把握することは難しくないかもしれない。子を身籠ったなら援助を惜しまず、手厚い支援体制が整っていれば子は健やかに育ち、やがて次代を担う国民になる。自然と愛国心も生まれ、身も心も国に捧げたいと、愛される国になる。

 少なくとも、この現代でそれを実行している国はない。このワカンダ以外は。

 先の国全体を覆う光学迷彩然り、外界との接触を最低限に抑えることで生まれた文化というべきか。アフリカなんて発展途上国も甚だしいと侮蔑されがちだけど、ここの技術は先進国以上──()()だね。

 

「ここならば問題あるまい?」

 

「エッあっはい、そうです、ね…?」

 

 大広間の次に案内されたのは、庭園のような場所だった。大広間ほどではないが、それでも貴族然とした高価そうな調度品とかあるし、明らかに座るのも躊躇われる椅子とかあるんですが。

 ああ、そっか。私は見つかった時点で、既に喉元を噛みつかれてたのか。つまりこの国は獣の腹の中、あとは消化されるだけ。

 そんなー、せめて『注文の多い料理店』みたいにある程度段階を踏んだ告知看板くれ。一枚目で速攻逃げ出すから。ピンポンダッシュどころかノーピンポンで逃げ出すから。

 

「気を楽に。いま飲み物をお持ちします」

 

 違う、これ気遣いじゃなくて私への注文だよ。

 確かに遮蔽物もないし、そこに人影もないから盗み聞きされる心配もないってコンセプトなんだろうけど、如何せん圧倒的場違いなゴスロリ女がいて異物感半端ない。仕方ないじゃん、ワカンダのドレスコード(服装規定)なんて知らないし。まぁその事実だけで、如何にこの国が外界への情報流出を避けてきたかが伺えるわけだけど。

 

「どうぞ」

 

「……どうも」

 

 侍女らしき従者が持ってきたティーセット。オージ様自ら注いでくれました…銀食器とかじゃないからわからないけど、毒とかないよね? いや別にあっても私には意味ない物なんだけど。寧ろ銀食器かと思ったらヴィブラニウム製でしたーって方が困る。多分飲んだら喉辺りがイガイガ起こして、風邪に似た症状出る気がする。

 ティーカップを傾ける。生憎、味覚はあっても未知の飲み物への理解はなかったりする。それでも、カフェインこそないけど明らかに高級茶葉であることは分かる。値段は聞きたくない、聞きたくないよ! 製作過程とかそのあたりもね!

 

「……さて、落ち着かれましたかな」

 

「ええ、まぁ、そうですね」

 

 インクの悪魔になっても〝緊張〟という状態(デバフ)はあるらしい。そりゃ、悪魔だって取引先の人間と悪質な交渉するだろうから意外な人間が相手だったら緊張もするんだろう…するの?

 心の中でベンディと自問自答していると、席についていたコクオー様から話を切り出し始めた。

 

「それでは、本題に入りましょう。実は…貴女に、探してほしい人がいます。その捜索を一任したい」

 

「……もう少し詳しく」

 

「資料はこちらに」

 

 コクオー様は宝石が嵌められたブレスレットを外してテーブルの真ん中に置く。キヨモ・ビーズというものらしい。宝石が光ると、私たちがよく使う空間投影型のディスプレイが浮かび上がり、その人物の写真とデータが開示された。待て、こいつ先日見かけたぞ。

 

「ユリシーズ・クロウ? 何故彼を」

 

「彼が武器商人だということは知っていると思う。彼は、30年前に我が国に侵入し秘密裏に重要資源を盗み、多くの同胞を殺害して逃亡、今や闇市(ブラックマーケット)で世界中に流して私腹を肥やしている。資源というのは、キミも馴染みのある」

 

「ヴィブラニウム、ですね。しかし、此度の『ソコヴィア事件』で彼の貯えていた資源は根こそぎ奪われ、そして失われました。ならば再び密入国して奪ってくるときに拘束すればよいのでは?」

 

「いや、別に我が国に入らなくても、彼はヴィブラニウムの在処を知っている。古の時代に作られた調度品や、以前蛮族が国を攻め入った際に流失した武具、防具。それらにはヴィブラニウムが含まれている。彼はその鑑別が可能だ。ヴィブラニウムが市場に出回り悪人の手に渡るのは、キミたちとしても避けたい事態だろう。『ソコヴィア事件』の二の舞になりかねない」

 

 残念なことに。

 残念なことに、そこを突かれると強く拒否するのも難しい。まぁ拒否する気は無いし、それでこの国との繋がりが生まれるのであればメリットの方が大きい気がする。

 ただ、できればスティーブやナターシャさんとかと相談してから、そのうえで引き受けたいけど。

 

「それと、もう一人…」

 

「父上?」

 

 オージ様が訝し気に顔を歪める。これはオージ様も知らない案件だな? 嫌な予感しかしないんだけど。

 次に、端末を操作して出された情報には、顔写真がなかった。

 ただ、〝ウンジョブ〟と綴られた名。そして〝〜1992〟──既に死亡していることが確認されている。死人を探せと?

 

「……彼は、私の弟だ。既に亡くなっている」

 

「…クロウの被害者ですか?」

 

「いや、協力者だった。クロウと結託してヴィブラニウムの密売に加担していた。そして……我々が、殺してしまった」

 

「そんなことが…」

 

 この反応、これは多分オージ様も知らされていないこと。

 つまり? 国の重要機密と遜色ないレベルの情報ってことでしょ。なんでそんなことを私に。

 

「彼には…いや、これは我々の部下たち(ウォードッグ)にもまだ裏付けが取れていないからわからないのだが…彼には、息子がいたかもしれないのだ。彼を、探してほしい」

 

「…ちょっと、ちょっと待ってください。もしそれが仮に本当だったとして、国王様の弟のご子息だとしたら…」

 

 言うことがわかったのか、目が合ったオージ様も緊張を噛み締めていた。

 彼は王位の第一継承権を持っている、でも、話を聞く限りワカンダは世襲制。となると、そのご子息を見つけてしまった場合、次期王位を揺るがしてしまうのでは? やだよ国の崩壊を招く片棒担がされるのは。

 でも、それを現国王が望んでいる? 矛盾している。

 

「……私はもう現役を退いた。後先短い老いぼれだ。でも、だからこそ、死ぬ前に私自身の罪と向き合いたい。

 清算できなくたっていい。だが、もし弟の忘れ形見が生きているのなら…彼にも、我が息子と同等の権利を持っているはずだ」

 

「…おっしゃってることの意味を、理解して言ってるんですね? もしその忘れ形見を見つけてしまったら、次期国王がご子息ではなくなってしまうかもしれないんですよ」

 

 出会って数時間程度ではあるけど、オージ様…ティ・チャラ氏の佇まいといい振る舞いといい、次期国王としての英才教育を受けてきたことは分かる。

 対して、30年以上も放置されていた遺児に国王が務まるかと言われれば、NO!

 国政の何たるかを理解せず、国民への労りも、他国との折衝も知らずに務まれるものじゃない。下手したら国が瓦解する。

 

 それは、私たち(アベンジャーズ)が望むところじゃない。

 

 何より把握し、理解してしまった。

 クロウが持ち出した〝微量の〟ヴィブラニウムでさえあんな事件(ソコヴィア事件)が起きたんだ。もしそれが大量に世界中に流出して、現行の兵器を上回る大量破壊兵器が生まれてしまえば、()()()()()

 …まぁ、世界が滅んだところでインクの悪魔が滅ぶわけでもなし、私自身には何の影響もないんだろうけど。

 アベンジャーズとして、いま、この時期に、世界の崩壊が起きるのは看過できない。地球外で狙ってる連中がいるのに、内側から崩壊するなんて冗談じゃない。

 

「確かに、弟は大罪を犯した。だが任意同行の際の不手際で殺めてしまった我々にも落ち度がある。それに、産まれた子が親の罪を背負う必要はない。権利があるなら、その正当性は尊重すべきだ」

 

 産まれた子に、罪はない。

 それは、そうだけど。

 

 ──まだ、私の手にはウルトロン(我が子)を殺めた感触が残ってる。つい先日の出来事だ、忘れるわけがない。そしてこれからずっと、残ったままになると思う。彼を忘れないと、誓ったこの心が息絶えるまで。

 彼は、産まれたときに呪われてしまった。(ベンディ)という存在が関与してなければ、トニーの言う通りこの星の守護者として地球外の脅威に立ち向かう、仲間になれたかもしれない。

 

 でも、人間の赤子は違う。親が犯罪者だからといって虐げられていい訳がない。犯罪者の子が犯罪者? 親と子は別の生き物でしょ、育つ環境も時代も変われば考え方だって千差万別。そんなレッテルを貼られて生きた方が、より強大な悪になってしまう。

 偶発的に生み出されてしまった不幸な悪意ならともかく、産まれたときから染みついた悪意を吸い出すのは、多分私でも難しい。

 人間は変われる。変わることは難しいし簡単ではないけど、本人の気付きと力で。或いは本人を取り巻く環境か、もしくは気付いた誰かが。

 後悔とか、負い目とか、恥ずかしさとか、そういうのを取っ払って前に踏み出せば、人間はきっと変われる。コクオー様…ティ・チャカ氏は、自分の罪に向き直って、踏み出した。

 

「それに、キミには見えるのだろう? 我々の守護霊が」

 

「──まさか、彼女は、我々の神バースト(黒豹)が見えていると」

 

 シリアスから一転、やや茶目っ気のある風に言わないで。というか、私を呼んだのはそれが理由か。あれ猫じゃなくてヒョウなんだ。ネコ科だから一緒っちゃあ一緒か。

 このワカンダという地勢の独自の風土かは不明だけど、コクオー様同様にオージ様にも同様の〝黒猫(?)〟らしきものが視えてる。でも、いままで彼ら以外の国民にそれは憑いてなかった。

 

 共通点は一つ。恐らく血統による王位継承権。

 どの石かは…多分、マインド・ストーンだ。その石の力のせいで、彼らの守護霊とやらが観測できるようになってしまった。ヴィジョンやワンダにもできない訳ではないと思う。

 だから。

 だからこそ、私にこの件を依頼しているのか。

 

「無論、この依頼を引き受けてくれれば、我が国はアベンジャーズへの支援を惜しまない。世界を脅かす危機から守る尖兵として、喜んで傘下に入ろう」

 

「…それはつまり、当国は鎖国状態を解いて国交を開く、という見解で?」

 

「うむ、そうだ。我が国は長年鎖国状況下にあったが、豊富な重要資源(ヴィブラニウム)のおかげで他国よりもテクノロジーが進化している。技術は兵器に留まらん、医療分野にも手を伸ばしている。技術の進歩は今よりも多くの人々を救うだろう。絶望的な可能性は、実現可能な現実になる。悪い話ではないはずだ」

 

 なら話は早い。返答は決まってる。

 

「謹んでお断り致します」

 

 

 

 

 

 



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冬への扉



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 造物主は、われわれに目を、二本の腕を、そして頭脳を与え給うた。その目と、手と、頭脳とでわれわれのやることに、〈パラドックス〉などあり得ないのだ。造物主は、その法則を施行するのに、お節介な人間など存在しないのだ。法則は、自らそれ自体を施行する。この世には奇跡などないのだし、〈時代錯誤〉ということは、語義学的には、なんの意味も持っていないのだ。

ダニエル・ブーン・デイヴィス/夏への扉

 

 

 

 Chapter 78

 

 

 

「……理由を聞いてもいいかね?」

 

 ティ・チャカ国王は、やや声を潜めるように言った。目の前の少女の言動と表情があまりにも乖離してたからだ。

 いかにも「承ります」と言いそうな笑顔での拒否──だが、ティ・チャカ国王は知っていた。笑顔とは、ある種の威嚇行為の一種であることを。しかし、ティ・チャカ国王が思うよりも非協力的な姿勢ではないように見えた。

 

「ん? そうですね…その前に」

 

 カップの淵に口づけて傾けていたレイニーは一息つくと、テーブルに突いていた片手の人指し指でトントンと2回ほど叩いた。すると、レイニーの背部分のゴスロリ服の一部分がインクに還元され、千切れた頭部がクレーンのようなもので吊り下げられた片目のモンスタ───フィッシャーに変貌する。

 小柄ながら忌避感を感じる化け物はわちゃわちゃと騒ぎ立てながら、レイニーの背後の空間に突貫。すると「きゃあ!?」と何もないはずの空間から悲鳴が響き、ティ・チャラ王子は聞き覚えある声に耳を疑った。

 フィッシャーは空間に抱き付くという芸当を披露しつつ、壊れた機械のように暴れていると、やがて悲鳴は笑い声に変わり潜入者の姿が現れた。

 

「シュリ?」

 

「あは、あはははは! ちょ、ちょっと、くるし、くすぐったいってっ…! っははははははっは!! ひぃーっ…!」

 

「彼女の席も、必要かと」

 

 小さく肩を揺らして笑うレイニーは余裕だった。

 ティ・チャカ国王は目をつむって嘆息し、侍女を呼びつけて追加の椅子を用意。

 ティ・チャラ王子は抱腹絶倒する自身の妹をフィッシャーから救い出し、息絶え絶えで呼吸困難なシュリを横抱きして連れて行き新たに用意された椅子に座らせる。その際に背中部分が露出して黒いゴスロリ服が映える、レイニーの健康的な白い背中が目に入って思わず生唾を飲み込んだ。

 レイニーはいまだ暴れるフィッシャーをインクに還元し元に戻すと、くすぐりの影響から脱した様子のシュリを見てから、話を再開させる。

 

「もういいかしら。ええと…シュリ、さん?」

 

「ええいいわよ。まったく…自慢の発明品で隠れながら接近してたのにバレるなんて。どんな手品使ったの?」

 

「殺意も敵意もなかったけど、この二人同様〝黒猫〟が見えたものですから」

 

「なるほど。だが、何故彼女の同席を希望したのだね? 盗み聞きする案件ではないことはわかるが」

 

「えーっと…シュリさんって、多分何か凄い地位に就いてたりしますよね? 先の発明品といい、国王様の直系といい、そう思っただけですが」

 

「私はこのワカンダで技術開発チームのリーダーに就いてるわ。ワカンダ・デザイン・グループっていうの。兄のスーツやいろいろなものを開発・発明したりしてる。それにヴィブラニウムの加工技術も腕に自信があるわ」

 

「なるほど。では…〝サブマリン特許(パテント)〟を御存知ですか?」

 

 レイニーの発言にシュリは息を飲んだ。

 その単語に聞き覚えがないティ・チャラ王子はともかく、諸外国との国交に一日の長があるティ・チャカ国王はレイニーの言わんとしていることを理解した。

 

 ──サブマリン特許とは、特許の有効期間が()()から17年間であることを利用し、特許の非公開制度が維持されていることを逆手に取って世界中の技術進歩に応じて出願の修正や分割を繰り返すことで、特許発行日の遅延を画策し、成立と同時に特許権を行使して高額な特許使用料を請求する特許である。

 水面下で潜水艦の如く潜航し、成立と同時に急浮上して権利を主張しライセンス料を請求することから名付けられており、米国では先発明主義を採用していただけでなく、特許の概念が幅広く、特許侵害を強く訴えられた。

 レメルソン特許がいい例だろう。画像処理に関する技術から、映像・音声同時処理技術、バーコード処理技術など約450の技術特許を取得、1950年代に出願されてから40年近くまで出願補正を繰り返し、約50年間特許権を独占していた。

 

「それは、数年前に改正されたと聞いたが」

 

「はい。いまだ米国では別枠の軍事特許が働いていますし、改正案が施行される以前のものが残ってます…決して少なくない問題を抱えつつありますが、昔よりサブマリン特許を利用しにくい環境下にあります」

 

 米国は既に特許の非公開制度の活用に伴う経済力の強化を終えたと判断し、特許公開制度に方向転換している。サブマリン特許は貿易摩擦の厳しい時代だからこそできたものであり、現在は国と国が手を結んでいく時代である以上、他国との軋轢を避けるには必要な措置であった。

 

「もしかして、私たちがそれを利用しようとしてることを危惧してるっていうの?」

 

「いいえ──」

 

「ならば」

 

「私が言いたいのは、少なくとも貴国(ワカンダ)の技術があまりにも現在の世界中の技術と隔絶し過ぎている点の危険性です」

 

 レイニーは空中にインクの水滴を生み出し、それをふよふよと浮かせて見せた。知的好奇心が強いシュリは、真剣な話の最中だというのに思わず夢中で観察し始める。

 

「今日初めて貴国の驚異的な技術を目の当たりにしてきましたが、ハッキリ言ってワカンダの技術は文明の技術革命(パラダイムシフト)に近いと考えられます。

 本来のサブマリン特許の弊害は長期間の特許独占ですが、私としてはもう一つ、〝技術間の過程の喪失〟を問題視しています」

 

 レイニーはもう一つのインクの水滴を生み出し、少し遠く離れた場所に浮かせて見せた。

 

「あちらのインクが現在の世界中の技術、こちらがワカンダの技術だとします。もし現在ワカンダの技術を開帳してしまったら──」

 

「…我が国の技術が独立し、過去の技術との繋がりが絶たれてしまい、その間の技術が喪失してしまう、ということか」

 

 目頭を覆いながら告げるティ・チャカ国王の言葉に、レイニーは頷きで肯定した。

 

「それぞれの時代にはその技術に応じた()()というものがあります。古代であれば石器と棍棒、西暦に入れば弓矢から黒色火薬、中国では〝火槍〟とも呼ばれてましたね。13世紀末には銃身が開発され、15世紀にはタッチホール式、シアロック、スナッピング…16世紀は極東で火縄銃なんてものも。大航海時代になってマッチロックからホイールロック、フリントロック、やがて先込め式からボルトアクション式に、どんどん改良を重ねて小型化し、弾も変えてます。

 私が考えるに、これが()()()技術の進歩の歴史だと考えます」

 

「…ちょっと待って、別に技術の飛躍は悪いことばかりじゃないわよ。そりゃ確かに…どっかの技術者も、

 〝Any sufficiently(高度に発達した) advanced(科学は) technology is(魔術と) indistinguishable(見分けが) from magic(つかない)

 とか言ってたみたいだけど、そんなの後から周りの研究者が解析して解明して広めればいいじゃない。階段を一段や二段飛ばししたぐらい悪くないんじゃないの?」

 

「シュリ…お前、科学者なのに一番重要な点が抜けてないか?」

 

「いや…ワカンダが長年国交を閉じた状況下だったからこその弊害だ。我々にも落ち度はある。それに、私でさえもたった今気付かされたくらいだ」

 

 鎖国状況下というのは、他国からの技術・文化の輸入が制限されると同時に()()()()()()()()()()()()()()()()と国全体が思い込んでしまう危険性がある。

 特に、ワカンダではヴィブラニウムという宇宙由来の希少鉱石が隕石によって齎されたことで生まれたアドバンテージが拍車をかけた。それにより外界とは隔絶した技術格差が生まれ、部外者(レイニー)の目でも最早現行の技術とは埋められない大きな溝ができていると、判断できてしまった。

 

「──アーサー・C(チャールズ)・クラークの金言は輸入されてるみたいですね。

 地球の歴史を24時間に換算した時、私たち人類の誕生は1分前という話もあります…更に数秒で、地球の環境はおろか生態系も変化してて、人類の道具も衣食住も、生活の全てが激変しました。そう、〝激変〟です、変化どころではありません。これが人類特有の特性かは私も測りかねますが…とても、自然な間隔と考えられません。我が身を取り巻く技術が産み出した産物でさえも、間隔だけでなくその順序まで見誤るのは、極めて危険なのではないでしょうか」

 

 遠くに浮かせていたインク同士を合体させると、合体させられたインクは綺麗な球体から棘々しいものに変化し、まるで生き物のように苦しむような挙動を見せていた。これが、もし依頼を承った先に予測される未来の世界だと、レイニーは目に見える形で示した。

 圧倒的と言わしめる技術の流出は、いままで木々の成長のように変化してきた歴史を、風習を、道徳を、倫理観を、価値観を歪めるに足る劇物だ。

 

「…〝必要は発明の母〟と言うな。ならば、世界はその〝必要〟があってこそ技術を手にするべきだと、そう言いたいのだな?」

 

「はい──例えば、もし猿が銃を手にして〝引き金を引いたらその先にいる同士が死ぬ〟というその程度の見解しか得られず、それ以降の理解をやめて完結してしまったら? はたしてその文明は連続的(シーケンシャル)な成長を遂げた末の文明であると言えるでしょうか?

 それは文明の発達どころか飛躍ですらない。それ()の流出が猿の社会にどんな影響を招くか、考えていない訳ですから」

 

「…なるほど、だからキミは先の依頼を受けることを断ったのだね。これからの人類の為に、危険を考慮して」

 

「……はい。技術の一人歩きほど恐ろしいものはありません。だからこそ私たちがその動向をいち早く察知……平たく言えば、ヘッドハンティングですね。トニーのように埋もれた知的財産を発掘するのが上手な人もいますが、彼は…その、技術の扱い方と伸ばし方に偏りがあると言いますか…」

 

 トニーの過去の振る舞いを思い出したレイニーは思わず額を抑えた。

 〝頭痛〟という痛みはないはずだが、レイニーという魂が抱いた、トニーに対する精神的ストレスの表現が、こうして態度として表れたのだ。勿論、これでも()()()()()()な方である。

 すぐさま、王族の目の前という現実に立ち戻ったレイニーは軽く咳払いして、頭を下げた。

 

「…大変、失礼な振る舞いであったと反省しております。どうか、寛大な処置を」

 

「いいや、この際無礼講で構わん。オコエがいたら叱り飛ばしていたがな。こっちも娘を隠れて待機させていたのだ。お相子だよ」

 

 からからと笑うティ・チャカ国王の言葉に、シュリは思わず赤面した。それは自ら勝手に行った失態(出歯亀)を指摘されたことではなく、国王(父親)自らの指示で潜入していたと嘘を付かせてしまったことに対してだった。

 

(──すごいな。彼女はよく時勢を、世界を広く見ている。少なくとも我々よりは)

 

 一方で、ティ・チャラ王子はレイニーの指摘に舌を巻く思いだった。ワカンダは確かに長年鎖国状況下にあったが、それでも他国の動向に無関心というわけではなかった。寧ろワカンダは継続的に秘密工作員を他国に送り込み、それぞれ動向を探り、監視してきた。他国との折衝を考えて、絶えず情報収集をしていた。

 ただ、理解が不足していた。先にレイニーが言ったように、その情報から考えられる予測に対する理解が止まっていたのだ。

 レイニーは地球の未来予測に見立てたインクを回収すると、再びテーブルのカップを手に取り口に付ける。もう中身は熱を失っていた。それを確認して漸く自分が()()()()と気付き、自らに呆れるように顔を歪めた。

 

「…前置きを忘れましたが、これはあくまでも私の勝手な推測です。誇大妄想、とまではいきませんが、それでも危険な状態であると考えられます」

 

「どういうことだね?」

 

「国王陛下が──もしくはワカンダの先代、先々代国王が、こうなることを予期していたからこそ、今の今までワカンダの技術流出は()()()()()と言えます。ヴィブラニウムを用いた先進技術による大量破壊兵器の開発等も、時代によっては考えられました。何せHYDRAにS.H.I.E.L.D.、多くの組織が軍事技術に手を伸ばしていた訳ですから。ですが、それにメスを入れてしまったのが」

 

「ウルトロン。いや、正確にはそれに片棒を担がされた彼、だな」

 

 ユリシーズ・クロウ。

 奇しくも、彼の存在によりヴィブラニウムの有用性が大体的に世界に周知され、ウルトロンが引き起こした『ソコヴィア事件』を目の当たりにした各国はヴィブラニウムを手に入れようと早くも画策し始めている。

 国の情報機関も馬鹿ではない。いずれはヴィブラニウムの出所であるワカンダに辿り着き、そして珠玉の技術を奪おうと躍起になる未来も、想像に難くない。

 

「〝必要は発明の母〟──国王陛下は、先にそうおっしゃいましたね」

 

「──? うむ、そうだな」

 

「……正直、私は現状どうすればいいかわかりません…ですが、いま世界は混沌の渦中にあります。ニューヨークのチタウリ然り、アスガルド、それにクリー人たる存在、まだ私たちが認知していない宇宙人も。今や地球は地球人だけの文明だけでなく、地球外の生命体と文化交流の段階にあります」

 

「その流れに、便乗する形ということかね?」

 

「率直に申しますと、そうなります。幸いにも地球外文明との交流は()()始まったばかりだと考えられますが…もし、地球外文明が親交ではなく侵攻──いいえ、侵略に踏み切られてしまったら。その際に、人類はその圧倒的な力に対抗するために力を、技術を求める。それこそ、貴国の力が〝必要〟なとき──そして、ようやく我々が貴国の技術の進歩(歩む速度)に追いつくときだと考えられます」

 

「陰謀や欲望ではなく、人類が純粋に私たちの力を求めると言うのか」

 

「その通りですティ・チャラ王子。ですが、ここから先は貴国が選択すべき事案かと。地球外文明との介入を前に、ワカンダの技術を開帳すべきか。それとも地球外の文明を受け入れて落ち着いた頃、ワカンダの技術を開帳するか。

 なので──その技術を軽率に扱うべきではありません。私の依頼に対する報酬には余りあるものです、畏れ多くて引き受けられませんよ」

 

 たかが人探しですし、と付け加え、レイニーは悪戯っぽく舌を出して片眼を瞑り、小娘らしく笑った。

 

「ですが……そうですね、『アベンジャーズ』としてではなく、『レイニー・コールソン』としての依頼であれば、ご依頼承ります」

 

「そ、そうか! いや、それはよかった…この話の流れでは全否定されて終わるところだったから、ヒヤヒヤした…」

 

「兄さん?」

 

「ハッ」

 

 レイニーの言葉に緊張が途切れたのか弛緩するティ・チャラ王子。妹のシュリに指摘されて思わず我に返った。ティ・チャカは大柄な体を揺らして笑った。

 

「そうとなれば、個人的な報酬が必要だな。さてどうしたものか…」

 

「それでしたら……いえ、あの、個人的(プライベート)なことなのですが…」

 

 先ほどの威風堂々とした様子とはうって変わり、本当に見た目通りの少女然とした振る舞いで、レイニーはおずおずと挙手した。

 

 

 

 

 

 Chapter 79a

 

 

 

「まさか、ここ(ワカンダ)の土地の一部を借りるなんて意外なことを頼んだわね」

 

「何をするつもりだ? 監視付きで構わないと父には言っていたが」

 

「いえ、少々ニューヨークで()()()()()には手狭でして」

 

「敬語。いらないから」

 

「レイニー、今の我々にそう畏まらなくてもいい」

 

「……それじゃあ、遠慮なく。別に、私はあの地(ソコヴィア)でノスタルジィに浸ってた訳でも、犠牲者を弔ってた訳でも、ましてや憎悪の捌け口になってた訳でもないわ。勿論それも目的の一環ではあるけど…本当の目的は『コレ』」

 

「え、うわ、なにこれ…あっ、もしかしてヴィブラニウム!? 凄い量! というか、今までどこに収納してたの!?」

 

「……これは驚いた。これで、一体何を」

 

「詳細は後で話すわ。そのために、貴方たちの力も必要だし。まぁ、だから代わりに…」

 

「そうそう! まだ帰るまで時間あるんでしょ? 私の研究室でいろいろ調べさせてねその身体!」

 

「うーん…まぁ、あまり有益な情報は得られないと思うけど…トニーみたいに悪用しないなら」

 

「しないしない大丈夫! それに〝外〟の科学より発達してるからより正確に解析できるわ! 最初のインクの化け物とかどうやって出したの!? 複数魂を持ってるって霊魂的なもの? それとも魂を物質化しているの? もしそうなら物質化のプロセスを解明できるかも…? それにこの大量のヴィブラニウムを収納したってどういう原理!? インクに物質を圧縮する性質でもあるのかしら? それならインクは既存の法則と異なる…ううん、文字通り塗り替える性質を帯びてるってことになるわね。そのインクの状態で貴女自身はどうやって成長してるの? どれくらい再現されてるかしら? 色は? 感触は?」

 

「ヒェ」

 

「おっと逃がさないわよ。心配しないで、痛い思いは……多分! 無いと思う! 個人的な契約なんだからね、約束事よ約束。なんてったって今日しかないんだから。隅から隅まで余すことなく検査させて貰うわよ!」

 

「…オージ様、助けて! シュリがすごいコワい目で見てるんだけど!」

 

「すまないが…その状態のシュリは俺にも止められん。諦めてくれ」

 

「」

 

 

 

 Chapter 79b

 

 

 

「ハロー、どうしたのお兄さん? 随分顔色悪そうじゃない」

 

「……誰だアンタ」

 

「呼ばれて飛び出てベートーベン! エニシ・アマツただいま参上! HYDRAの幹部って言った方がわかりやすいかしらぁ?」

 

「……で? 何の用だ」

 

「つれないわね~せっかくいい話用意してきたっていうのに。もうワタシ涙ちょちょ切れで泣いちゃうわ~」

 

「…要件を言え」

 

「超人血清欲しくない?」

 

「要らん」

 

「ええっ!? 復讐したいんでしょうアベンジャーズに。あの『ヒョロガリ』スティーブ・ロジャースが『ムキムキマッチョ』キャプテン・アメリカになったっていう、時代遅れだけど超人パゥワーが得られるスーパーアイテムなのに~、一流のバスケットプレイヤーだって『いいからドーピングだッ!』な時代なのに~」

 

「要らないと言ってる」

 

「あっ……そう。じゃ~これどうしようかな~療養中のカレにでもあげちゃうか~」

 

「……もう用はないな? いい加減失せろ」

 

「まぁまぁ、袖擦り合うもダイナミック無礼千万手打ちでごわすッ! って言うでしょ~? ワタシの話を聞くだけでも多少、アナタの復讐の手助けになるんじゃないかな~」

 

「消えろ」

 

「『トニー・スタークの両親の死』『スティーブ・ロジャースの親友』この二つに接点がある…としたら?」

 

「……何? 」

 

「そうね、他には……『S.H.I.E.L.D.の極秘文書の解読方法』『元HYDRA幹部の潜伏場所』あとは……

 

 『ベンディの秘密』とか? あーこれダメね、億積まないとあげられないわ」

 

「ドルか?」

 

ディナール(ドルの約3倍)。分割ナシで」

 

 

 

 

 

 



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ゲヰトウヱヰ



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「はい、それこそ、わたしのいう、生きているってことです。そして、わたしにある最高の推測的観測からすれば、わたしはそれが非常にうらやましいんです……」

ジークフリート/ゲイトウェイ

 

 

 

 Chapter 80

 

 

 

「キミは、見た目にそぐわぬ聡明な子だな、レイニー」

 

 ん? とハイテク飛行機の窓下の景色から視線を移すと、正装に身を包んだオージ様が頬杖を突きながらそう話しかけてきた。

 

「キミのプロフィールは部下に調べてもらった。今年で14歳だそうじゃないか。普通に生きていればまだキミはハイスクールに通っていてもいい歳だ。なのに、既に最終学歴が大学卒業ときてる。妹に負けず劣らずの才覚だよ」

 

「私だって、好き好んでこんな風になったわけじゃないわ。ただ、()()()()()()()()()

 

「選択しなかった?」

 

「ええ、ベンディに問われたわ。契約する代わりに助けると。でも、私は怖かった。死んだ人間が生き返るなんて禁忌、幼い私にはそれを選択することも、拒否することもできなかった。だから、悪魔は暴走して好き勝手にさせられた。その結果がこれよ」

 

 身体の半分を黒く、インクの、本来の姿に戻して見せる。

 これでも、まだ半分。本当は真っ黒で無機質なインクの液体こそが私なわけだから。人間と同じように見せている私の姿が擬態そのものだもの。

 

「いまでさえ生者と死者の憎悪を喰らってるけど、悪魔の乗り物(皮袋)として生まれ変わった時点で、多くの人間の魂が混ざってしまった」

 

 結果として、(レイン)の人格は千々に千切れて崩壊し、数多の魂と一緒に歪な形(ベンディ)の人格となって再構成された。

 もう、在って亡いような存在。私が、本当に私なのかもわからない。

 

「それに…環境、というのもあるかも。分不相応の力を持ってしまって、ただの子どもで在り続けることを、環境が、時代が赦さなかった。結局子どもは周りに流されるだけ。だから、年齢以上に無理やり賢くなって、力を付けて、いまの私はここにいる」

 

「……そうか」

 

「…あ、いま「そんな体験をする子どもが生まれないようないい世界にしなければ」とか思ったでしょ」

 

「おいおい、キミは心の内の声も読めるのか? すごいな」

 

「どうも。ま…それでこそ次期王様としての当然の思考回路よね。どうしたって治める人の治世によって下々の民の人生は左右されがちだもの」

 

「私が王位に就いたら、是非ともキミを相談役として我が国に迎え入れたいね。歓迎しよう」

 

「「御冗談を」」

 

 あら、おこわいお姉さま(親衛隊長)と台詞被っちゃった。私は勿論ジョークとして受け取ってるけど、お姉さまは違う見たいね? おぉ怖い、そこらの獰猛な獣でも黙らせちゃえそうだわ。

 こう、キッ! と。威嚇と敵意剥き出しでガァ~って感じで。こわぁ~い(棒読み)

 

「そういえば、父にもう一つ頼みごとをしていたみたいだが…十分な成果は得られたのか?」

 

「……ええ、そうね」

 

 嗚呼、その話題は。

 その話題は、できれば誰とも話したくないんだけど。

 

 

 

「おはようコールソン、少しいいかね」

 

「あ…あー…国王、おはようございます。すみません、ずっと身体弄りマワされてちょっと疲れが」

 

「いやいいんだ……これが、例の調査資料だ」

 

「ロシア語ですね。『実験成果報告書』? たった一晩でこんなに」

 

「……ああ、すべての報告書を調べられたわけではないが、これで十分だろう…キミの母君、エニシ・アマツは30年前にクロウが密入国した際に便乗した者の一人だった」

 

「…あんのクソババアめ。そのときヴィブラニウム盗ったな」

 

「実は、その後も警戒を緩めず彼女の監視と情報収集は怠らなんだ。14年前、病院で暗殺されるまではな」

 

「? でも結局生きてるから継続的に監視していたんですよね?」

 

「…いや、エニシ・アマツは本当に死亡している。死亡届も記録に残っていた、死体の歯型も治療痕が一致していた」

 

「……それじゃ、歯茎全部刈り取って偽の死骸に移植させたってことですか? あ、いやどうだろう…この前ぶん殴ったとき入れ歯って感じしなかったかも…」

 

「我々としては、何者かがエニシ・アマツの名を騙ってると踏んでいる。14年前の暗殺以後、監視対象から外していたのだが、ここ数年その名が以前より広まっている…この報告書が、カギかもしれん」

 

「……『代替計画(план суррогат)』…え?」

 

「聡明なキミなら、真実に辿り着くのも容易だろう…だが、覚悟したまえ。必ずしもその真実が──」

 

 

 

 そこから先は、ちょっと覚えてない。

 ちゃんと、最低限失礼ないように対応はした気がする。ただそのあと出された朝食はメニューも味も覚えてない。侍女にすっごい心配されたけど、シュリさんに付き合わされて疲れたって言ったら察してくれた。いや察してほしくない内容だけど。

 資料はインクの身体に収納してるからいつでも読める。オージ様に断りを入れてから、誰にも見られない角度で渡された資料を取り出して開く。何故か端っこにある、黒く滲んだ林檎マークの判子が目に付いた。

 

 コクオー様から貰った書類は、現役時代(HYDRA最盛期)に母が主導で行われたある実験の報告書だった。所々歯抜けされていて、その研究成果のすべてを確認することはできなかったけど、数段階にチャート化された研究がトントン拍子で進んでるところからすると、その段階全てが成功していたってことになる。

 実験段階は主に四段階に分けられてた。

 

 第一段階『脳の解析』

 第二段階『思考回路の人工制御』

 第三段階『無作為抽出された被検体による代替実験』

 最終段階『代替存在の確立』

 

 第一段階は、脳の解析そのまんま。

 人間の人格形成や思考がどのような営みで行われているのか、そしてどんなプロセスで自我形成と自己の連続性を保っているかを()()()()()で調べる、というもの。

 外科的って点でもう「うわぁ」って反応したいもの。だって、研究当初は現在みたいに最先端技術で脳の開頭とかできる時代ではなかったし、HYDRAのびっくりマシーンでも被検体の命を保証するものではないことは明らか。つまり死ぬ。

 ただ、どういうわけか初期の被検体となった人は死亡が記録されてるけど、途中からその表記が消えてた。考えたくないけど、母が被検体となった人間を()()()()()()()()()()()()()()()()と考えると、そら恐ろしいことこの上ない。

 被検体の名前がロシア系よりもドイツ系が比較的多かったのは、殺してもいい素材を確保できたのがドイツだったんだろうね…名前のリストだけでも600は下らない。死刑囚か、法に当てはまらない無国籍の人間とか。ありそう。

 

 第二段階は、外部からの人間の行動の指向性を調整するといったもの。

 実験では、音や光のリズムなんかで人間の感覚野から働きかけて思考を誘導し、平たく言えば体のいい操り人形にするというものだった。第一段階の脳の解析によって、HYDRAは人間の脳のメカニズムの解析に成功、どんな刺激を施せばどんな反応を起こせるのかを科学的に解明して、その実地試験として思考制御に踏み切った、と考えるべきか。

 

 例えば、私が以前ピアースに見せられた洗脳DVD。その研究の末にできたものを現代ベースに調整したものだと考えられる。

 他にも……以前、ワシントンで交戦したバッキーさんなんかもそうかも。資料によると、薬物投与で思考能力を奪ってから、特定のキーワードを何度も刷り込む(インプリンティング)することで忠実な兵士に仕立て上げるというものがあった。

 

 感覚野からの刺激による洗脳は極めて原始的なものだし、何より時間もコストも掛かるけど、その分強力なもので、研究終了後も別のグループが独自に研究を引き継ぐ、って報告で締めくくられてた。一般人やS.H.I.E.L.D.の構成員の何人かも、これで寝返られた可能性は高いね。

 

「……」

 

「どうした? 酔ったか?」

 

「…いや、なんでも。ちょっと目が疲れたかも」

 

 ……第三段階に関しての資料は、コクオー様から貰った資料よりも家で見つかった資料の方がより詳細だった。最も、その段階ではどういう意味合いの資料かわからなかったけど。

 

 家で見つかった資料は『被検体の活動記録』だった。

 無作為に選ばれた一般家庭の人間を別の、HYDRAが用意した人間と入れ替えて監視するというもの。それを読んだときは、てっきりドッキリ番組でよくある「実は別人でしたーキャッキャッ」とか、HYDRAにしてはお茶目な企画かと思ってたけど、今回の資料と合わせると別の意味合いに変わってくる。

 研究初期は『失敗(ошибка)』の赤字がずっと続いてたけど、段々『成功(успех)』の黒字が続いていて、インクの身体が震えた。

 

 この実験のネックなのは、()()()()という点。

 一般家庭ということは、当然夫と妻がいて、もしかしたら子どもだっていたかもしれない。当然働いていれば職場に顔見知りはいるし、普段話す人もいる。

 もし、目の前の人間が実は別の人間だとして、顔は勿論、声や口調、仕草、態度がまったく一緒だったとしたら、気付くことができるだろうか。

 

 集団がいつも通り接してれば、気付けない。

 勘がいい人は、気に掛けるかもしれない。

 家族ならば、気付くかもしれないけど、気のせいと見過ごすかも。

 

 この実験の恐ろしいところは、本人ではない誰かといつも通り接してしまう人々よりも、被検体となった本人が、本人だと思い込んで生活してしまってるってところ。

 多分、第二段階で思考の調整に成功してしまってるから、被検体の記憶を一度消去して成り替わる別人格の記憶の移植する段階に着手して、その実験段階なんだと思う。

 整形手術だって難しい時代のはずだけど、資料の中には骨格や顔の整形だけでなく()()もあった。予想通りはやめてよ、と思ったら次のページにグロ写真あって思わず吐き気が…する、気がする。代替に選ばれた対象の顔を文字通り()()()移植した手術後写真が、ちゃんと資料に残ってた。

 

 そして、第四段階。

 ……コクオー様から貰った資料にあった研究成果には、ニュージャージーで出会ったゾラのことも書かれてた。

 

〝1972 被検体アーニム・ゾラ 実験成功〟

 

 ゾラは、自らの思考プログラムを約6万メートルの磁気テープコンピュータに移植することで、後のHYDRAの頭脳としての役割を果たし、あの厄介なインサイト計画まで立案・実行した。

 もうその時点で、エニシ・アマツは人間の脳の解析・別媒体への移植に成功してた。ただ、最終成果の資料はなかった。ゾラが言っていたアーカイブの研究データにそれがあるのか、それとも、()()()()()()()()()()()

 

 これまでの資料と関係者の証言。エニシ・アマツの研究テーマ『代替』と『半恒久的な人類の継続』。ここから考えられる仮説は二つ。

 

 一つ、エニシ・アマツ本人は死亡したけど、別の人物にエニシ・アマツとしての人格と思考を脳に移植させ代替存在として引き継がせた。

 これは、かなり信憑性が高いと思う。私が出会ったエニシ・アマツはミイラみたいな包帯だらけだったから、明らかに全身の整形手術か皮膚移植でもしてエニシ・アマツに仕立てた可能性が高い。ただ、コクオー様から貰った資料じゃ、14年前のエニシ・アマツの死亡原因は脳天への銃撃で、即死だったらしいから、都合よく無事な脳片が残ってたかと考えると微妙。ただ、無機物に思考プログラムを移植することには成功してたから、無機物から脳への移植手段が確立していたとしたら、実現している可能性は高い。

 まぁただ、仮にこの仮説が正しかったとして、〝被験者〟がエニシ・アマツを名乗る者であるなら、この実験の〝観測者〟は誰なのか──ということになるけど、それはひとまず置いておこう。

 

 あと、もう一つは──

 

「着いたぞレイニー。ニューヨーク州北部、旧スターク・インダストリーズ倉庫…の、上空だ」

 

「新しいアベンジャーズ基地。ここまでありがとうございます」

 

「いや、こちらこそ有意義な時間を過ごせた。しかしいいのか? 現段階では我々の存在を隠すため敷地内に下りず、高高度で滞空状態を保っているが…かなりの高さだ」

 

「心配無用です。いつもS.H.I.E.L.D.のミッションではこれくらい日常茶飯事だったので」

 

「そ、そうか…苦労してるんだな」

 

 すっごい気遣われた。

 

「今度は、プライベートな話もしたいですね」

 

「それは良い、ワカンダはいつでもキミを歓迎するよ。連絡先はシュリから聞いてるだろう、一報あれば迎えを寄越そう」

 

「えっ本当ですかありが」

「話長いさっさと降りろ」

「あ゙」

 

 とん、と柄尻で胸元を突かれて──あ~空が青くて綺麗ですね、もう死んでもいいわ…じゃない。落ちた、落っこちた、落とされた! あっハイテク飛行機見えない! ガチステルスだ!

 くそぅ、あの近衛隊長煽られ耐性なさすぎでしょ! いや、私が揶揄うのも悪いけどさぁ! あ、もしかして、トニーのせいでジョークの基準が一般からズレてる…? やばい、毒されてる。治さなきゃ。

 標高は5千より下だから、ソコヴィアの時よりはマシだけどどうしよう…このままだと、全身叩きつけられてお身体がハレツしてしまう! S.H.I.E.L.D.のミッションで高所落下する時は、サイフォン効果の応用で先行してインク垂らしてから身体を移動させてたけど、今回はガチ紐なしバンジーだからなぁ…どうしたものか。

 

【お母様?】

 

 え? ヴィジョン? 直接脳内に…!?

 

【はい、あなたの息子ヴィジョンです。真上でお母様の反応をキャッチしたのですが、ソコヴィアから戻られたのですか?】

 

 脳内(?)から声が聞こえてきた。幻聴? じゃない…マインド・ストーンの影響かな。大体石のせいにすれば不可思議現象も解決だ。

 

【えーッと、これで聞こえる?】

 

【はい、感度良好です。お迎えにあがりましょうか?】

 

【あー…そうね、現在進行形で真っ逆さまだから、着地任せた】

 

【お任せください】

 

 新アベンジャーズ基地の屋根が見えたところで、見覚えのある赤い息子が飛んできた。

 ああうん、息子、息子…息子かぁ、息子に着地、いや違うそこじゃない、息子、なんだなぁ。

 真っ逆さまに落下する私の真下に陣取り肩からキャッチ。そう、まるでキャッチャーミットに収まるボールの如く、すっぽりと。

 

「お迎えご苦労さま」

 

「礼には及びません。そういえばお母様、空を踏めるようになったのですからその力で着地できたのでは?」

 

「アレ未だにどうやったか覚えてないのよね…」

 

 ウルトロン(改)を破壊した際に、ベンディが空を踏んだことは覚えてる。多分、吸収したピエトロの力を使ったんだろうけど、生憎まだピエトロの力というものを自由に発揮できるほど練度が足りない。こればっかりは鍛錬しかない。

 私、手に入れた力を練習もなしにすぐに使えるほどすごぉい化け物でもないので! いや、世の中にはそれが平然とできる人の方が多いからね、そこは私自身の才能の無さかな。

 

 ()、か。

 

「お母様?」

 

「…ううん、何でもない」

 

 ヴィジョンがゆっくりと地面に降り立つと同時に私もヴィジョンから降りると、私の帰還を察知したワンダちゃんを筆頭に玄関口からメンバーが走ってきた。

 

レイニー(義姉さん)! 帰ってきたのね!」

 

「戻ってきたか。定期連絡が23時間途絶えたから、あと1時間連絡がなければ迎えに行ってたぞ」

 

「おいおい、新生アベンジャーズの初任務が仲間のお迎えか? そういうのは地元の警察にでも任せとけよ」

 

「いいんじゃないか? ソコヴィアの復興手伝うのも悪くないだろ」

 

「レイニー、後始末はどうだった?」

 

「すまないね、キミ一人残して…いや、キミにも心を整理する時間が欲しいって話だったね。少しは、落ち着いたかな?」

 

 ワンダ、スティーブ、ローズ中佐、サムさん、ナターシャさん、博士。

 トニーとソーは…この場には、いないみたい。まぁ二人とも忙しい身だし、私が帰ってくるまで待てなかったのかな。クリントさんは結構重傷だったから、まだ療養中だろうね。

 

 でも、それでも。

 私には、帰りを待ってくれる人たちがいる。

 それだけで、私は幸せだ。

 

「「「おかえり、レイニー」」」

 

 ああ、そうだ。

 ワカンダで貰った資料から考えられる仮説、もう一つ。

 

「うん、ただいま。みんな」

 

 ──()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 Chapter 81

 

 

 

「それじゃ、レイニーはこの部屋だ。隣はワンダ、反対側はヴィジョンの部屋になってる」

 

「タワーに持ち込んでた衣類と私物はある程度運んであるわよ」

 

「ありがとー」

 

 スティーブとナターシャに案内されたレイニーは与えられた私室に入る。仮倉庫であったのがウソのように思えるほどの豪華な、それこそ一級ホテルの一室のような間取り。明らかにレイニーの持ち込みではない、全室に当たり前のように飾られている調度品、芸術品の類。

 昨日今日と煌びやかなものに囲まれていたレイニーだからこそ、まだ()()()と言えるが、それでも豪邸に勝るとも劣らぬ部屋だった。ベッドの隣にはナターシャが言っていた荷物が梱包して積まれていた。

 

「ふぅ」

 

 ぽふり、とベッドに座る。低反発の感触は心地よく、疲れた身体ならぬ〝心〟を微睡みに誘う魔力があった。

 約1週間ほど、何の補給も無しに、それこそ飲まず食わずでウルトロンが強奪し組み上げ、そしてソーが破壊したヴィブラニウムのパーツを拾い、生きている被災者を探し、遺族の憎悪を啜ってきた。おまけにワカンダへの招待と王族との対談、極めつけはエニシ・アマツに関する資料。

 

「………」

 

 レイニーは、おもむろに後頭部をなぞる。

 インクで再現された髪はインクとは思えないほどサラサラした質感があり、その奥を掻き分けると頭部に触れられる。

 ぐにと、強く押し込むと人肌の弾力はインクに呑まれてしまい、それ以上の感触は残らない。

 痛みはない。切れ込みが無ければ、切開した痕跡さえも無い。だがそれはインクの身体だからだ。

 

 ──先の、レイニーの推測は、あながち的外れというわけではない。突拍子ない訳でもなければ、後先考えない作家がとって付け加えたようなご都合主義の後付け設定、というわけでもない。

 

 そもそも3歳という年齢で6ヶ国語をマスターできること自体おかしい。アベンジャーズメンバーだからこそ()()()()()()()()11歳で宇宙から来た侵略者と戦う子どもなど普通はいない。

 ベンディという悪魔に肉体を奪われ魂を陵辱され、至高の(ソーサラー・)魔術師(スプリーム)の称号を冠するエンシェント・ワンに師事されたとはいえ、並大抵の子どもにできることではない。ワシントンでの一件まで〝正義〟の意味を知らなかったレイニーが、〝根性〟という精神論だけで今まで研鑽を積み重ねて強くなった、というのも説得力としては薄い。何らかの〝外的要因〟が、ないはずがないのだ。

 …一重に、レイニー本人に備えられた生物由来の生存本能、と解釈できない訳ではないが。

 

【ワンダー? いまひまー?】

 

 レイニーは試しにヴィジョンと同様の方法で、体内のマインド・ストーンのエネルギーを意識して心に語り掛けると、少しして部屋のドアがノックされた。レイニーがどうぞ、と言うと、部屋に入ってきたのはワンダだった。

 

「義姉さん? いま呼んだ?」

 

「呼んだよ。これ便利ね」

 

「驚いちゃったわ。こんなことできるなんて」

 

「…うん? ヴィジョンとはやってないの?」

 

「できないわよ」

 

 つまり、今のところ意識の交信──便宜上〝念話〟と名付けるが──の『送受信』ができるのはレイニーとヴィジョンだけらしい。

 レイニーはワンダを手招きしてベッドの隣に座らせると、自身の頭を指す。

 

「ね、ワンダ。私の頭の中見てくれる?」

 

「う…あのインクの呪いはもうヤなんだけど」

 

「そうじゃなくて。うーん、なんて言えばいいのかな…()()()()()()みたいな、そんな感じはない?」

 

「え?」

 

 ワンダは、一人ソコヴィアに残った後で誰かに何かされたのかと心配し、恐る恐る頭部に触れる。マインド・ストーンの力で得た超能力の一つ、心理操作でインクの悪夢を掻き分け、レイニーの精神とも呼ばれる中枢にアクセスする。しかし、ワンダには最後にレイニーと会ったときと何ら変わりはなかったように感じた。

 強いて言うならば、ピエトロの魂をずっと感じている点だけが違いだった。

 

「……わからない。私はピエトロの魂と、義姉さんを感じるだけよ」

 

 レイニー・コールソン=エニシ・アマツである。それを証明する手段は、現状存在しない。

 何故ならば〝今〟のレイニーはベンディという悪魔によって精神を破壊され、再構成された〝昔〟のレイニーとは別物であるからだ。

 そしてワンダやヴィジョンは〝今〟のレイニーしか知らない以上、それをエニシ・アマツの思考回路か、もしくは人格であると判断することができない。

 

 トニーは以前、過去の自分と現在の自分が同一人物であるとどう証明するか問うた。客観的な視点、主観的な視点、或いは自己と他者を隔てる境界線を形成する経験とも論じられたが、結局のところその議論に確実な答えはなかった。

 

 それと同じく、今のレイニー・コールソンがエニシ・アマツでないという証明はできない。

 

「ね、ワンダ」

 

「なに?」

 

「聞いてほしいことがあるの」

 

 ──レイニーは、全てを話した。

 映画が好きなこと。友人を守って死んだこと。ベンディと出会いインクの悪魔になったこと。自分の母親、父親のこと。アベンジャーズメンバーになった経緯。ニューヨークで、ワシントンで、そしてソコヴィアで。

 そして、ワカンダのことはある程度ぼやかして、母の生前の研究資料の内容も。

 今に至るまでの〝自己〟を。

 

「それでね、もしかしたら生まれたての私、生身の頃ね。その時に…脳を弄り回されたかもしれないんだ。母は死んでしまったし、赤ん坊だった私が覚えてるわけでもないから真偽は不明なんだけど、ね。その可能性はある。だから、頼みがあるの」

 

「…やめて」

 

「もし私がエニシ・アマツで、あなたたちアベンジャーズに牙を剥く脅威になるようだったら」

 

「……やめてよ」

 

「あなたの手で、殺してほしい」

 

「やめてッ」

 

 ワンダは、いつもの表情でいつもの口調で話しかけるレイニーを突き飛ばした。ベッド上に横たわる形になったレイニーは、体を起こすよりも先にワンダに抱き付かれてしまい、そのまま横たわった。

 肩を掴む手は震えていて、端正な顔立ちのワンダの瞳にうっすらと水の膜が張っていることは、至近距離でなくてもレイニーには見えていた。

 

「何でよッ何でそうなるのよ! 貴女には、義姉さんにはっ、ピエトロの魂があるのよ!? ずっと私を見守ってくれるって、らしくもないお節介でッ貴女に喰われることを望んだんでしょ!? だったら、その約束を忘れないでよ! ピエトロとの約束を、破らないでよ…!」

 

「……うん、ごめん」

 

「……本当に、そう思ってる?」

 

「…うん、思ってるよ。ごめんね、変なお願いしちゃって」

 

「ほんとうよ、もう…」

 

「ただ、ワンダなら私を()()()殺せると思って」

 

「義姉さんッ!!」

 

「冗談だってば。もう言わないよ」

 

「約束して。二度とそんなこと言わないで。義姉さんは義姉さんよ。私が、それを保証するから」

 

「うん」

 

「…たとえ、貴女が世界の敵になったとしても、私は貴女から離れないわ。だって、貴女の妹だもの」

 

「…うん」

 

 レイニーは自分より大きい妹の後頭部をぽんぽんと撫でてあやし、ワンダは自分より小さな姉の胸元に顔を埋めて声を押し殺して啜り泣く。レイニーはぼんやりと天井を眺めながら、誰なら私を殺せるだろうかと考え続けた。

 

 〝私〟とは何処から来たのだろうと、考え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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量子真紅

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 Chapter 82

 

 

 

 ソコヴィアから帰還して数日後、被災地の後処理報告と引継ぎを済ませたレイニーはニューヨークの一角に聳え立つビルの一室で、滅多に着ることのないスーツに袖を通しネクタイを締めた。専用のロッカーを閉めてロッカールームを出て薄暗い廊下を歩き進み角を曲がると、合間から光が漏れる扉の前に立派な髭をたくわえた白人男性が待ち構えていた。

 男──クエンティン・ベックの手から差し出された黒の髪留めを受け取り、長く伸ばした黒髪を後ろで一本にまとめて髪留めで結ぶと、光零れる扉を開ける。

 

「みんな、おはよう」

 

「「「おはようございます! 社長!」」」

 

 『ベンディ・アニメーション・プロジェクト』のスタッフが総出で出迎えていた。

 

 

 記者会見でベンディの正体暴露してからいくらか小さい騒動はあったものの、『ソコヴィア事件』後の世間からのバッシングは予想より少なかったため、活動は滞りなく進行していた。南アフリカでのハルク暴走でアベンジャーズの信用の失墜こそあったが、件の首謀であるウルトロンの撃破に伴い、我こそはと協賛を希望する企業の声が増えた。

 若社長ユカリ・アマツこそ不在だったが、社長代理のベックとスタッフの手腕により企業との提携を取り付けることに成功、予算把握と納期チェックの会議を終えてアニメーターの選出をしている最中だった。

 原画は既に、レイニーがジョーイ・ドリュー私宅から持ち込んだものが存在するが、如何せんその原画はスタッフでも手に掛けることが烏滸がまし過ぎて触れられない至宝と化していた。そのため、原画には手を加えることなく当時の手法をそのままに再現できると声を大にして立候補するアニメーターがおらず、難航していたのだ。

 腹案として、レイニーとベックで共同制作しネット配信されたアニメーションを元に本編の製作を進行しているが、どうしても〝本物〟を使いたいという声が多く、会議は相当揉めた。そこで入ったのが一本の電話だ。

 

『私が描くよ』

 

 新アベンジャーズ基地にいたレイニー(社長)の一報だった。

 

 「なんでいままで」とか「ご無事ですか」とか「ウルトロン強かったですか」とか「肌色成分多めでした」とか、そう言いたいスタッフは大勢いたが、この一言ですべてが吹っ飛んだ。なお最後の一言を抜かす一派は同社員から折檻を受けた。そこでレイニーの肌面積議論が白熱し、

 

「へソチラ成分は過多だろ!」

「むしろ包帯水着スタイルで」

「黒メイド水着にモップステッキ常備の変身アイテム」

「水着ならレオタード一択」

「あのスタイルでマイクロビキニは逆にアリ」

「背中フルオープンは譲れねぇ!」

「謎の光全撤廃! 黒インクで塗るだけ! ただしエロバージョンはブルーレイでな!」

「変身バンクはベンディと友情融合…」

「怒涛合体は男っぽい、悪魔合体はグロい失敗作…」

「禁忌合体。背徳的」

「「「それだ」」」

「そもそも社長を性癖の塊にするのは」

「うるせぇ! わかってんだよ!」

「でもダメだからこそやりたいだろうが! あの逸材だぞ!」

「魔法少女すこ」

「絆創膏」

 

 ……等々、コアな性癖の人材ばかりが集まっているせいで、『悪魔法少女★ユカりん(仮題)』のショートアニメが製作されることが決まってしまった。こればっかりはレイニーの予想外だった。

 しかし、予算と放映時間の関係上ギリギリ問題ない範囲の企画書を既に提出しており、最終的にスタッフの熱意に押されてレイニーは渋々OKサイン。ちなみにベックはまさかの推進派。

 流石に本人をモデルにするのは問題があったので女性スタッフ限定でレイニーのスケッチを許可し原画を上げてみたが、何も見ずに描いた男性スタッフの原画の方がリアリティがあり、何よりも客層のツボを突いていた。

 流石に完全敗北した女性スタッフは力及ばずと泣き崩れたが、男性陣の執念が上回ったとレイニーが慰めた。

 ただスタッフの性癖を詰め合わせたものだと批判されるんじゃないか、という声もあったがそこは用意周到な男性スタッフ、既に書き上げていたアニメのシナリオが伏線になるように構成されており、「え、私の事情全部把握してんの?」とレイニー本人がドン引くようなストーリー構成だったという。

 

 おのれタカヒ〇、おのれ虚〇

 

 

 挨拶もそこそこに済ませてデスクにつくと、レイニーら含むスタッフ一同は原画作業を進める。

 レイニーにヘンリー・スタインのような原画技術はない。だが、レイニーにはそのデザイン元となるベンディを宿している。

 液タブやペンタブの扱いを知らないベンディにはレイニーが、ベンディを写実的に書くポイントがわからないレイニーにはベンディが、二人三脚体制で作業は進み、この日一日の進行具合から逆算して予定の1/3の日数で原画作業が終わると予測され、スタッフたちは沸き立った。

 

 おかげで締め切りギリギリまで睡魔と戦い仮眠室がいっぱいになるという事態は回避され、タイムカードは定時きっかりで退社できるという極めてクリーンな会社になったという。

 

 

 ただし、

 

「騒ぐな、金庫の金全部この袋に詰めろ」

 

 〝アベンジャーズのベンディ〟が社長として注目を浴びた弊害として、不埒な輩が来訪することはある。

 

「…今日の受付嬢だれだっけ」

 

「おいそこしゃべるな。コイツの頭が吹き飛ぶぞ」

 

「アンジェだったはずだけど」

 

「あいつ今日出勤してないんじゃ」

 

「え? じゃああいつ誰?」

 

【あ……な……た……

  お……か………ね…】

 

「……え」

 

【ぱふぁ】

 

「あ」

 

「あ──」

 

「おい誰だ社長室に『Parasyte(寄生獣)』置いた奴!?」

 

「いいから社長呼べぇ!! 強盗が死ぬぞ!」

 

 …たまに、魂救済活動の一環で派遣しているインクの住人によるトラブルもあるが、それでもこの会社のスタッフには奇妙で幸福な日常だった。おかげでインク症候群(フォビア)判定される患者はニューヨークでも増加中で医師の悩みの種になっているのだが。

 しかし、哀れな犠牲者を差し引いて、会社の景色はレイニーとベンディにはこれ以上ない幸せの風景であった。

 

 かつて、ジョーイ・ドリューが経営していたスタジオは社員の魂と神経を擦り減らし狂気に堕とし魂を穢した地獄だった。その恩讐から産まれたベンディは何よりもブラック企業というものを嫌悪しており、それ故にクリーンな職場体制が構築されつつある居場所が心地よかった。

 もし、一人でも残業者が出た暁にはベンディの悪夢が再来して()()()()()()()()()()()()()という危険性があるため、社長たるレイニーが最後まで会社に残り、最後の一人が退社するまで見守り番する羽目になるのだが、レイニー自身も必要なことだと重々理解しているため、ベックには無理をお願いしている。

 

 育休産休あり、災害発生時はもれなくお休み、仕事持ち帰りはできるだけしないという、他の労働者にとっては天国、プロジェクトスタッフにとっては(好きな仕事に関わる時間が少ないという)ある意味地獄ではあるが、過重労働故に疲労で倒れるスタッフが出ることなく、アニメ制作は順調に進んでいった。

 

 グッズ製作も順調。

 

 舐めたら舌が真っ黒になる『ベンディのペロペロキャンディ』

 

 どろりと舌上で肉が溶ける触感がする『小悪魔大好物 Briar(ブライヤ) Label(ラベル) ベーコンスープ』

 

 外サクサク中カリカリお酒のツマミに最高『腹ペコワンちゃんの骨スナック』

 

 等々が企画として出された。企業側としても、今後のベンディの劇場アニメ公開へ向けて製作を進めており、劇場公開前には売り出すらしい。

 ただし、アベンジャーズとしてのベンディのグッズ販売部署と揉めており、ベンディグッズの利権争いで少々問題も発生している。

 

「はい、みんなおつかれー」

 

「社長! お疲れ様です!」

 

「明日はマッスルベンディ見せてください!」

 

OK

 (イイズェ)

 

 問題も所々あるが、それでも進捗は概ね良好。

 レイニー参加から数週間が経過し、ベンディ・アニメーション・プロジェクトは好調だった。

 

Rainy , The phone is ringing

 (レイニー、電話鳴ッテルヨ)

 

「あらホント。はいもしもしこちらベンディ・アニメーション・プロジェクトの」

 

『社長を呼んでくれ、ビル・フォスターだと伝えてくれれば』

 

「社長のユカリ・アマツですが」

 

『…本人か。ちょっとウチ来てくれるか? エイヴァの調子があまりよろしくない』

 

「状態は?」

 

『時たま振動で全身の細胞の()()()()が顕著になってる。本人は痛みをあまり訴えてないが、多分やせ我慢だ。まだ危険域ではないが深刻な状態は脱していない』

 

「…緊急性高いわね。以前マクシミリアン教授と話したけど、人体の分子結合に関しては専門外だと断られたわ、バナー博士も同様。アテはない?」

 

『……一人、いる。気に食わん奴だがな。〝ゴライアス計画〟に聞き覚えは?』

 

「……確か、特殊粒子の性質を応用した人体巨人化計画だったかしら? そういえば貴方の名前あったわね、研究主任は確か…」

 

『……ヘンリー・〝ハンク〟・ピムだ』

 

「なんだ、知ってるならその博士に聞けば…あ、あ~そういうこと。その博士相当性格捻くれてそうね」

 

『スタークといい勝負だろうよ。奴は初代アントマン、確かピム・テックでこないだ一騒動あったはずだ』

 

蟻男(アントマン)? 変わったヒーローネームね……もしかしてそのヒーロー、小さくなったりする? いやまさかそんな」

 

『そのまさかだ。なんだ、心当たりでもあるのか』

 

「……あー、うん。まぁ、ちょっと同僚が一杯食わされてね…情報ありがとう。そっち方面で探り入れてみるわ。最悪因縁ある博士がお宅にコンニチハしてもいいわよね?」

 

『えっそれは』

 

「昔の柵とエイヴァちゃんの命とどっちが大事なのよ! 男だったらハッキリしなさい!」

 

『うっ……うぅ~ん…あいつはなあ…ちょっt』

 

 ガチャン。

 

「問答無用。忙しくなるわよ」

 

For a while , the work is postponed

 (シバラク原画ハオ預ケカァ)

 

 次の日、マッスルベンディは現れなかった。レイニーは会社を休んだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 83

 

 

 

「ただいまー、キャシー帰ってきたぞ~」

 

 そう、ただいま!

 

 〝帰ってきた〟という充足感! 〝マイホーム〟という安心感!

 最高だね。帰る家があって、元妻(マギー)のハグは…無いけど、それでも愛すべき大事な娘がいるんだ! それでいいじゃないか! …よくよく考えれば、(元夫)ジム(再婚相手)マギー(元妻)キャシー()が一つ屋根の下っておかしいよな…おかしくないか。

 ヘンな博士(ハンク・ピム)に〝アントマン〟って、柄でもないヒーローを押し付けられちまったり、スパルタな娘さん(ホープ)には散々殴られたりしばかれたり、オマケにヤバい会社(ピム・テック)の社長にケンカ売って娘人質に取られたり、散々だったけどさ。

 でも、こうして家に居ることを許して貰えたし、終わりよければすべてよしってね! 娘と一緒に暮らせれば、俺はもう満足だよ。このまま何もなく余生を送りたいね。

 ところで、娘は?

 

「キャシー?」

 

 おかしい、いつも「ただいま」って言えばすっ飛んでくるはずのキャシーが…って、そもそも家に住めるようになったのここ最近だけどな。と、思いたかったんだけどさ。

 

 この高級そうな黒い靴、誰のだ。

 

 サイズは…4.5くらいか? 小柄の子ども? キャシーの学校の友達ってオチならいいんだが、なんだ…凄まじく嫌な予感しかしない。ピム・テックの関係者? 女性社員ってんならありそうだけど私怨なんて冗談じゃないぞ。

 

「あ! パパ―! おかえりー!」

 

「キャシー!」

 

 居間からとことこ走ってきた娘をキャッチ! ああ! ほんとうにかわいいよキャシー! もう何処にも嫁に出したくないってくらいかわいいよ! 最高! いや、それだとキャシーが一生独身に…!? でも、娘が好きな男の子なら…イヤイヤ! パパは許しませんよ!

 ところで、その手に持ってるくろいお人形さんはどうしたのかなー? なんだか、スッゴク、見覚えあるんだけど……

 

「お父さんが帰ってきたんですか? あら」

 

「うわ」

 

 やべ、口に出ちった。お口にチャーック!

 

 いや、だって! 居間からテレビにも出てる有名人が! 出てきたら! そりゃ驚くじゃんか!

 だって、アベンジャーズのデビルヒーローにして、アニメ会社の社長さんだぜ!? 喉から心臓飛び出るくらいビックリさ! こう、ジム・キャリーが演じる『マスク』みたいにさ!

 ……心臓は出ないよ、マジで。代わりに煩いってくらいドクドク言ってるよ俺の心臓。もつかな? もたなさそう、有名人枠とは()()()()()すっごくヤバい気がするんだけど!

 ていうか、間近に見るとちっさいなぁ~、キャシーより少し背が高いくらいか?

 

「初めまして、スコット・ラングさん。わたくしベンディ・アニメーション・プロジェクト社長のユカリ・アマツです」

 

「あ、ど、どうもご丁寧に」

 

 名刺渡されちゃったよ。

 こういうとき、自分の名刺返せたらスッゴイカッコいいんだけどなぁ~わかる? 返せない時の自分の惨めさ。ちょっと凹む。大人になるとわかるよな、この気持ち。

 

「此度はベンディ・アニメーション・プロジェクトへのクラウドファンディングへの応募ありがとうございます。その〝特典〟を届けに来ました」

 

「え? いや俺はそんなの応募した憶えは無いけど」

 

「私がしたの! ベンディかわいい~」

 

「キャシー!?」

 

 え、そんなの知らないよ!? ああそうか、俺服役中だったからその間のことなんて全然知らないよな…面会だって無かったし…そう、ジム! お前がせがむキャシーを捕まえてたんだってな! キャシーから聞いたぞ?

 

「正確には俺たちの金だがな、キャシーにせがまれて断れなかったんだ」

 

 いや知らないよ。ちなみにいくら?

 

「2500ドル。上から三番目に高いやつだ、確か限定1000本コースだったかな?」

 

 ウッワ、俺がこの前ハズレの(とこ)窃盗(はい)ったときかっぱらった金額より多いし。これが公務員の給料がなせる業か。やっぱ高給だと金銭感覚も狂っちまうのかね、アニメ如きにそんな金投資するなんてさ。

 ま、まぁ娘にせがまれたら、そりゃあ…出すかもな? おこづかいの限界目一杯まで。

 

「本日は、本物のベンディとの触れ合い特典も特別についてます。あとは試作品ですが、まだ市場に出回っていないベンディグッズもご用意しました」

 

「本当ですか!? よかったなキャシー! 俺たちも大金出した甲斐あったってもんだよ」

 

「ええ、そうね! 見てこの食器セット! ロットナンバー0001だって! 一番目の当選者よ!」

 

「嘘だろマジかよ! 本当に運がいいな!」

 

「抽選の結果ですよ。支援してくださったそのご厚意、感謝しております。これからの我が社の活躍にご期待ください」

 

「おねーちゃんありがと! ベンディのアニメ楽しみにしてるね!」

 

 あっコイツ、キャシーに色目使ってるな!?

 いや待てこの社長女性…というか、女の子だろう? なら別に色目とかじゃないか…?

 

「い、いやぁ、社長直々に届けてくれるなんて光栄だなぁ…お暇なんですね」

 

「オイ」

 

 小突かれた。痛い。失言だった。

 

「ところで…スコットさんとすこしお話があるのですが、よろしいですか?」

 

「え、ええ…どんな話かしら?」

 

「先ほどのアンケートですよ。何分、会社を立ち上げたはいいんですがノウハウとかからっきしでして…ファンの方のニーズというものを生の声で聞きたいものでして。今後のプロジェクトの活動方針に反映させていこうと思いまして、2つ、3つお聞きしたいことがあるんです」

 

「ああ、それなら構いませんよ。どーぞどーぞ」

 

 オイ、ジム!? 俺さっきから「拒否しろ」アイコンタクト送ってたのになんで気付かないんだよ!? ルイスの奴なら速攻気付いてくれたぞ!

 

「ありがとうございます。それでは…キャシーちゃん、少しパパとお話してくるね」

 

「いってらっしゃーい」

 

「ちょっと外出ましょうか。近所を見て回りたいんです」

 

「え、イヤ俺さっき帰ってきたばっか」

 

「案内いいですよね?」

 

 あっこれ逆らっちゃダメなやつだ。

 

 ぎゅっ、と。手首掴まれた。触られたとこがな~んかうぞうぞしてて気持ち悪いっていうか…寒気するっていうか。アントマンになって初めてバカでかいネズミと対峙したときみたいな感覚がする。

 引っ張る力はそんな強くないのに、あれよあれよと玄関から出ちゃった。しかも、テレビに出る有名人と一緒に…! なんか、スッゴイ他の人の視線気になる! 落ち着け落ち着け…こういう時に挙動不審そうな奴が、一番他人の記憶に残るんだ! そう、落ち着けばいい落ち着けば…

 

 はい、無理。

 

「先日の手腕は見事でした。まさか、私たちの基地に侵入して『ファルコン』の警備を掻い潜り、資材の一つを盗み逃げ遂せるなんて。そこらのコソ泥にはできない芸当です」

 

「…えっと、人違いか何かじゃないですかね? 俺はそんなことした覚えはないですよ」

 

「ピム・テックの事件については聞き及んでます。イエロージャケット開発者のダレン氏と取引をしていたミッチェル・カーソンはS.H.I.E.L.D.の元幹部でしたが、HYDRAの幹部でもありました。彼は別経由で私たちが捕縛したので、()()()()の流出は未然に防げましたよ」

 

 ちが、じゃなかった! 危なっ! 思わず訂正しそうだった!

 そのミッ()ェルとかいうヤツが奪ったのはクロス粒子だよバーカ! って言いそうになった! バカは余計だな、うん。ダレンの奴はピム粒子作れなかったからな。劣化品だとか、博士は散々貶してたけど。

 

「……ええーっと、今日は、アニメ会社の社長として来たんですよね? それともアベンジャーズの一員として? それなら、一度出直してもらっても?」

 

「名刺、裏返してみて」

 

 名刺ってさっきの? あっポケットに突っ込んでくしゃくしゃにしちゃった、ヤベ。えーっと何々…

 

愛くるしいインクの小悪魔 ベンディℬ

アベンジャーズ レイニー・コールソン

 

 …おおーカッコいいね、角度によって立体的に見えるのか最近の印刷技術はすごいなぁ。

 そうじゃない、いや違うそうじゃなくて!

 この際印刷技術云々はどうでもいいよ! ベンディってこれ、あれじゃん侵入したこと完璧バレてる!? いや、向こうは確証まではない筈…あ、でもウソついてたってバレたらどうしよう。その場でベンディに飲み込まれるってことないよね!? 助けてホープ!

 いやそうだ、こんな時にはアントマンのお供、蟻たちを使って……って、イヤホン(EMP通信なんちゃら)持ってきてねーし! ウワ、俺アントマンですらないじゃんただのおっさんじゃんこれどーすんの。

 

「? アリさん呼ばないんですか?」

 

「エッ、エエ~……? アリさん? 何のことかなぁ? 俺実は虫とか苦手でさ、見るだけでゾワゾワしちゃうんだよね」

 

「そうなんですか。娘さんは「おっきぃアリさんと仲良しなの」とおっしゃってましたが。一緒に暮らすのは大変そうですね」

 

 おおおおおい!? キャシーお口チャックの約束は!?

 逃げたいけど逃げられないこの距離感わかる!? ちょっと引っ張られた手、全っ然強くないのに振りほどける気がしないっていう…! ところで、俺何処向かってんの? いつの間にか人気のない裏路地っぽいとこに来ちゃったんだけど。

 はッ、まさか俺、ここで拷問とかされちゃう?

 

「そこまでだ、もうソイツを弄るのはやめてくれないか」

 

「あらおじさま初めまして。眼鏡かっこいいわね」

 

 は、博士ぇ~!!

 俺…いままでで一番博士に感謝してるよ! もう、その車から出てきた瞬間緊張から解き放たれた感がマジやばい! これっきり、これっきりだけど心の底からありがとう!

 

「凄いですね彼。いろいろカマ引っかけてみたんですけど最後までアントマンだと口を割りませんでした。まぁ、脈拍は分かりやすいくらい反応してたので、ウソ発見器とかだとバレバレですけど。あと手汗」

 

「私が見込んだ後継者だからな、当然だ」

 

 オイ、さも自分の手柄みたいに言うなよ博士。俺だって頑張ったんだぞ! え、手汗? あ、うわぁべっとりしてる…もしかして社長さんに擦り付けちゃった? あー俺ほんっと最悪…。

 

「それで、彼を連れてまで私を呼んだ理由は何かね」

 

()()()では?」

 

「……ホープ」

 

「勘…ってわけでもなさそうよ」

 

 うぉっ!? いつの間に後ろにいたんだよホープ!? いたんなら俺をこの小悪魔ガールから助け出してくれよぉ。というか、そのアントマンっぽいスーツなんだ? 新製品みたいにピッカピカで羨ましいんだけど。

 うん? なんか話の流れ、おかしくないか。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ、最初から俺がアントマンってわかってたのか?」

 

「そうでもなかったら、わざわざロットナンバー0001の貴重品を寄贈なんかしませんって。いや抽選では当たってはいたので偶然ですけど」

 

「マジか」

 

「大マジ。娘さんの運すごいですね。インクの悪魔の導きがあらんことを」

 

「フォースの導きっぽくいうなよ」

 

 本当にキャシーの豪運すごいな。ま、まぁ俺の娘だからな! 当然だよな! でもベンディまで引き寄せないで欲しかったよ!

 

「因みに、なんで俺がアントマンってわかったか聞いてもいい?」

 

「ミッチェルを捕まえたって言ったでしょ? ペラペラ話してくれたよ」

 

 あ〜ハイハイそういうことね。あの取引現場に居たんだからそりゃバレますわ。はいドナドナ~、ホープにも背中押されて車の中に連行された。拒否権はなさそうだけど…俺、要る?

 

「…彼は要るのかね?」

 

「後継者ってことはそれなりに量子物理学に詳しいってことでしょ? 今回の件については、多角的な意見が欲しい」

 

「その前に一つ、キミは()()()()で来ているのかね? もしスタークの伝手で来たというのならば、排除も止む無しだが」

 

 スターク!? 博士から聞いたけど俺もあんま好きじゃないんだよな、ピム粒子の量産を目論んだっていうし、アイアンマンでブイブイ言わせてるけど俺からすりゃあ…ああそうだよ、僻みだよ悪いか!

 金一杯あって人生順風満帆、抱く女は両手で数えても腐るほど! いや女は腐らせちゃダメだよな…うん、女はいつだって新鮮ピチピチがいいね。

 

「今回は私個人として来てるわ。アベンジャーズにもヒミツ。だけど、引き受けてくれるなら基地への無断侵入は帳消しにしてもいい」

 

「矛盾しているな、私用で来たのに基地への侵入のことを脅しに使うのか?」

 

「……あまり、形振り構っていられないのよ。私の友達の命の危機だから。一刻を争うの」

 

 友達…キミにも友達なんかいたのか。おっといくらベンディ相手でも失礼だったな。だってインクの悪魔に友達とか…いる? って思うだろ。

 

「友達?」

 

「引き受けてくれる?」

 

「……父さん、話だけでも聞いてあげたら?」

 

「ホープ?」

 

「俺も賛成だね」

 

 ぎょろ、っと全員の視線が突き刺さった。

 え、なんだよ俺が同意するのは意外だって? いや別にホープが賛成っぽいから便乗したわけじゃないぜ? ……本当は、そうだけどさ。

 

「なんだよ、別に悪事に手を貸せって話じゃないんだろ? それならいいんじゃないか、ヒーローなら人助けだろ」

 

「……いい後継者ね」

 

「あーっ…クソ、わかったわかった。話だけでも聞いてやるから。だが勘違いするなよ、引き受けるかは話の内容を吟味してからだ!」

 

「やったっ」

 

「まったくずるい奴だ、コールソンの血筋は」

 

 

 

 ──数日後。

 インクの少女と蟻の男が手を組み、量子世界に囚われていた女性と量子フェージング状態に苦しんでいた少女が救われることになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 そして、会社で仕事を再開しようとした矢先のこと。

 

「社長! ビルの前に怪しい浮浪者が座り込んでて困ってるんですが!」

 

「え? 強盗とかじゃなくて?」

 

「「私は神だ」とかやる気ない声でブツブツ言ってるんですよ! オマケに右目にカッコよくもない眼帯嵌めてるし! せめて髑髏(トーテンコップ)の銀装飾でもつけろっての!」

 

「……んんん?」

 

 

 

 

 







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不気味な泡は笑わない

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 くくりとしては2015の章ですが、実際には2016でシビルウォーよりちょっと前のお話ということをご了承ください




「すべての人間はみな世界の敵たりうる可能性を秘めているんだ。人間というのは起爆剤のようなもので、ちょっとしたきっかけですぐに破裂(ブレイク)する。そして後先考えないで世界を軋ませていく」

ブギーポップ/ブギーポップは笑わない

 

 

 

 Chapter 84

 

 

 

 『ソコヴィア事件』から半年が経過した。

 ソコヴィアへの復興は、継続的にNPOなどによる組織や有志の国際ボランティアが派遣されており、国連の温情に与る形ではあるが徐々に復興の様相は見せ始めている。ニューヨークと比べれば遅々なものだが、それでも救われている元住民は少なくない。

 一連の事件は『ウルトロン』というアンドロイドの暴走によるものだと発表されてるが、アベンジャーズを諸悪の根源とする声も多く、責任追及を求める声も少なくない。その煽りは、当然ベンディ・アニメーション・プロジェクトにも降りかかった。

 直接的ではないとはいえ、社長たるユカリ・アマツ──ヒーローネーム:ベンディの関与は認められているため、アニメなんぞ作ってないで支援でもしろという声があったのだ。

 これに猛反発したのがプロジェクトスタッフだが、中でも怒り心頭だったベックを筆頭に彼らを抑え、レイニーは公式にアニメ上映の際の数%の売り上げをソコヴィア復興費用として寄付することを発表。

 そうでなくても、スタッフに止められても聞かなかったレイニーは既に莫大な復興支援金をソコヴィア政府に譲渡している。これは、アベンジャーズの総意でもあった。せめて資金提供だけでも、と考えたスティーブが声を発したのだ。

 

 何分、ソコヴィアの復興中であっても国際犯罪は絶えず、アベンジャーズの活動は現在進行中。またいつHYDRAの残党が動き出すかわからない今、常に監視の目を光らせて世界中の動向を探り、時には現地へ赴き討伐に勤しむのが現状だった。

 無論それだけでなく、トニーやソー、バナー、クリントなど一部メンバーの活動休止を受け刷新された新アベンジャーズメンバーへの、実践へ向けた訓練やチームワークの形成も急務である。いざというときに連携が取れない様では話にならないからだ。このような経緯もあって、事件直後のレイニーの居残り以降はそう簡単に人員を割くことができない。かつてのS.H.I.E.L.D.全盛期と比べれば見る影もない、しかし正義を志す有志が集いアベンジャーズを支える組織への加入を希望していたため、少しずつではあるが支援体制が整いつつある。

 セプター(ロキの杖)奪還の際の祝勝会で招集を受けた支援者のほかに、『ソコヴィア事件』で巻き込まれてしまったヘレン・チョ率いる科学医療チーム、セルヴィグ博士率いる物理学研究チーム及び英国大学の研究生、元S.H.I.E.L.D.のオペレーターやエージェントなど、幅広い人材が揃っている。

 

 資金繰りに関してはレイニーやトニー、マリアなど組織財政に長けた三人が書類とにらめっこして2日ばかり唸りながら取り付けた。金銭管理に関してあまりに勝手が過ぎるトニーを同席する意味について何度も話に取り上げられたが、S.H.I.E.L.D.崩壊後の資金援助がいまのところトニーの懐に余らせた金以外になかったため、同席せざるを得なかったのが現実だった。因みに同席していなければ数時間で終わっていたであろう案件である。トニーの茶々は控え目に言っても余計が過ぎた。

 

「社長、お電話です」

 

「誰から?」

 

「お相手ビックリ、あのハルクですよハルク! まぁバナー博士なんですけどね」

 

 レイニーは会社でいつものように書類業務をこなしつつ、アニメーションの声優オーディションの履歴書に目を通していると、スタッフの一人が一本の呼び出し(コール)を受け取った。

 内線に、とサインを受けたレイニーは書類をデスクに纏めて置くと、備え付けの受話器を取り内線に繋ぐ。

 

「はい、もしもしレイニーです」

 

『ああ、レイニーか繋がってよかった。僕だ』

 

「知ってるよ、バナー博…じゃなかった。()()()()博士?」

 

『おいおいやめてくれ、いつも通りバナーでいいよ。いや、博士って呼んでくれてたっけ』

 

 バナーとナターシャは、結婚した。

 

 結婚、と言ってもあくまでも仮だ。苗字は変えてないし結婚式も挙げていない。

 『ソコヴィア事件』から数週間が経過し、新アベンジャーズ基地から二人揃って出かける日が増えたのだ。勿論外出する時間帯は()()意図的にズレていたが、スティーブやレイニーにはお見通しだった。その上でスルーした。

 そしてある日、帰還予定時刻になっても帰って来ない日が訪れ、レイニーが息子(ヴィジョン)(ワンダ)と一緒に『シャイニング』を観てたら、(シルバー)のペアリングを左手薬指に嵌めて酔っぱらった二人が帰ってきた。ここで、メンバー内で結婚の事実を打ち明けたのである。因みにプロポーズしたのはバナーの方らしい。

 ワンダ、サム、ローズらは驚き、レイニーとスティーブはハイタッチ。心が読めるヴィジョンは知ってたようだが、それが意味するところを人間の価値観で捉えることができなかったようで、その点に関してはレイニーがお説教という名の情操教育講座を開くことになった。

 

 なにはともあれ、メンバー全員が二人の結婚を祝福した。

 ()外出張中のソーはともかく、トニーに関しては実は前々からバナーの相談相手になっていたらしい。人選ミスったとバナーは呟いていたが、プロポーズの際の場所取りを依頼したのは正解だったという。そう、『既に部屋は取ってあるんだ』作戦大成功である。

 ただ、ベッドの上ではバナーが下だとか。流石にハルクにならなければ肉食系のナターシャには勝てないようだ。

 

 因みに腰を据えたバナーは研究員の室長として今後アベンジャーズを支援していく予定であるが、対してナターシャはまだアベンジャーズとしての活動を継続中である。理由は二つ、バッキー・バーンズの件が片付いていないことと、後進(新アベンジャーズ)の育成だ。

 

 現在は拠点こそニューヨーク北部の新アベンジャーズ基地に身を置いているが、時たま二人で外出してニューヨーク郊外のオープンハウスを見に行っている。将来的にはそちらに住むことも考えていた。

 

「それで、何か緊急の案件? それともおすすめの一軒家無いか探してる? クリントさん宅みたいな」

 

『あー…それも探してるんだけど、ちょっと問題があってね…ホラ、僕ってハルク。歩く核爆弾みたいなもんだろう? 軍の監視下なしの場所に住むのはダメだって言われて』

 

「…は?」

 

 びしり、と社長室に黒の罅が走る。スタッフの背中に冷や汗が流れた。中心にいるのはレイニーだ。

 人間の場合、怒りという感情から発露された表現は顔や暴力行為、不遜な言動などで現れる。レイニーの場合、顔はいつものような薄笑いだが体の一部のインクがやや暴走状態だった。

 その怒りは〝すこしキレた〟程度のものだが、体外から溢れ、部屋の壁を這い、伝い、侵食し、衝動のままに喰らわんとするベンディの所業に相違なかった。

 

 社長になっても、インクの悪魔の猛威は健在。

 

「それ、誰が言ったの」

 

『…ロス長官だよ。サディアス・E・〝サンダーボルト〟・ロス長官。昔、僕が暴走してた時に追い掛け回してた将軍だ。今は退役して国防長官に就いてる』

 

「……へぇ」

 

 そういえばそんなこともあったっけ、とレイニーは極めて冷静であるよう努めながら、無意識に冷たい声音で返す。

 確かに、ハルクに暴走する可能性がある以上は、新アベンジャーズ基地のような防備が完全、かつスティーブやレイニーのように単身で暴走を抑制できる存在が常にいる環境が望ましい、という意図は、流石のレイニーも理解できなくはない。

 だが、それを考慮しても個人の住環境の云々を一介の国防長官が口出ししていいかと問われれば、レイニーだったら「No! No! No!」と答えるだろう。ついでに唾も飛ばして中指突き立てる。

 

「ちなみに、ナターシャは?」

 

『あ~…いま、割とガチでロス長官と話し合ってる。僕は会議室から追い出されたんだけど、二人の剣幕というか、怒声がヤバくて〈ガシャン!〉あ、』

 

 この問題はバナーの人権だけの話ではない、共に住むであろうナターシャにも影響のある事案だった。そして当然、控え目で奥手なバナーに対してナターシャは行動的なわけで。

 

『──何でいちいち決める住居を口出しされなきゃならないの!? 国防長官になってもまぁだ超人計画潰された逆恨みしてるとか男としてダサいわ! くどい!』

 

『いい加減にしたまえ! 万が一ハルクになったとしてキミに止められるのか! 周囲に被害を出さずに、無傷で、安全に! 私はキミたちの安全を考慮しているのだよ! 自由を求めるには義務という対価が必要なのだ! キミにはその義務を行使するための実力があるとは思えんがね!』

 

『できるわよ! 被害なく、無傷で、安全に! 知ってる? 彼ベッドの上じゃ私に乗られて大人しくなるのよ! そして情けなく鳴くの! ハルクだって私の上に乗れやしないわよ、私の女としての器を舐めないでほしいわね!』

 

『ベッ…!? は、破廉恥ではないかね!? え!? というかもうそこまで、そういう関係だったのか!? いやそうではないッハルクを付け狙う反社会勢力は水面下にごまんといる! もし攻撃対象になったとして、キミは彼を! …あ、いや彼はどうでもいい。周りの人々を守れるのか!?』

 

『できるかできないかじゃない、やるのよ!』

 

「……うわ、凄い聞こえてくる」

 

『ごめ…もう、これ以上…男としての威厳が…タスケテ』

 

「あ、うんそうね…カワイソ」

 

 受話器越しに聞こえる二人の討論に、流石のレイニーも同情した。会議室の扉越しでも受話器で音を拾えるほどなのだ、恐らく会議室と同じフロア──下手したら基地全体までこの言い争いが響いてる可能性は高い。イコール、バナーの男としての矜持が他ならぬ最愛の妻(ナターシャ)によって粉々に砕かれようとしているのだ。

 

 これは、緊急事態だ。

 

 決して(笑)(かっこわらいかっことじ)が付けられない、極めて真剣な緊急事態だ(笑)。

 男の沽券云々もあるが、もしこのまま暴露大会が続きバナーのガラスのハートが粉々に砕かれて怒りのままハルクが暴走するなら()()()()が、ショックで再起不能になって一生ハルクになれなくなってしまっては困る(ちなみにこの再起不能は勃起不全(インポ)も含まれる)。

 無論、一生ハルクにならなくなることは悪いわけではない、ロス長官が紛糾しているのはその点だからだ。だが、ハルクが肉体的にバナーと密接状態にある以上はいくらショックで発現しなくなってもまたいつハルクとして暴走するかがより分からなくなるだけであり、潜在的な危機が去ったわけではない。加えて、先にロス長官が追及したように、テロ組織などが私宅で休憩中のバナーを鹵獲して血液採取など研究材料にされ、最終的にホルマリン漬け、なんちゃってハルクが大量生産される可能性だって捨てきれない。

 

 それは、誰もが望まぬ未来だろう。

 

「……わかった。ロス長官ね、今まだ基地にいるわよね? もうちょっと待っててもらってくれる? 私が行く」

 

『あ、うんありがと…』

 

「あと、博士ってパスポート持ってたっけ。無かったらパスポートと旅行用の荷物準備しといて」

 

『え? なんd』

 

 最後まで聞かず、レイニーは受話器を置いて通信を切った。

 がっくりと首を直角に曲げて項垂れ、はぁと深いため息をつく。

 

 ごめんなさいスタッフさん、今日早退しますよと。

 重ねてごめんなさいスタッフさん、しばらく外国行きますよと。

 

 そう伝えることに、若干の申し訳なさを感じながら。

 それとはまた別のことに、レイニーは頭を悩ませた。

 

「……師匠んとこ行くかぁ」

 

 

 

 

 

 Chapter 85

 

 

 

「たのもー、白熱するお二人に清涼剤をお届けするレイニーちゃん登場だよ(棒読み)」

 

「レイニー!? このクソトンチキ分からず屋に言ってやって! 余計なお世話ですよって!!」

 

「だからキミがそういう態度だから私も引き下がるに引き下がれんのだわかるかね!? そもそもKGBの頃のッ」

 

「はいはいどぅどぅ落ち着いて。話を整理すると、博士はハルクとして暴走する危険性があるから軍の監視下から外れない場所に置いておきたいってのが、ロス長官の主張ですよね?」

 

「その通りだ」

 

「で、ナターシャの主張は軍の監視下なんて堅っ苦しいところに住んでても公開セックスになるだけでプライバシーの欠片もないから自由にさせてってことだよね?」

 

「セッ…!?」

 

「その通りよ!」

 

「ロス長官、絶句してるようですがつまりはそういうことですよ。プライベートハウスを監視されるってことは、当然部下に出歯亀になれと命じるようなものです。多分隊服がイカ臭くなりますよ、ナターシャさんエロいから」

 

「なッ…いや、あ~それは、というかキミの見た目で平然と言われると恥ずかしいんだが!?」

 

「それじゃオブラートに伝えればよかったですか? あぁオブラートなんて別のこと考えてそうですね、避妊は大事ですけど」

 

「~~~っ…ハァ…そ、それで、この問題に何故キミが介入するのかねレイン・Y・コールソン。いや、ユカリ・アマツとでも呼べばいいか?」

 

「どちらでも。私が派遣されたのは博士の男としての沽券を守るためと、二人の将来の安寧を実現できるかもしれない案を提供するためです」

 

「何?」

 

「…何か、案があるのかいレイニー?」

 

「うん。ええと、とりあえずこの案を実現するために博士の監視を一時停止していただけますか? もしくは、監視付きでも構いませんが国外への渡航許可を。以前ハルクとなった彼を追い立てて迷惑被った過去があるんですから、それくらいいと思いますが」

 

「国外? 何するつもりだ」

 

「つまるところ、博士がハルクを完全制御できて安全が保証されればいいんですよね」

 

「…できるの?」

 

「以前、クリントさん宅でやった力のコントロール方法あったでしょ? おかげで博士は博士としての意識を保ったまま、体の一部分だけをハルク化することができた。ちゃんと段階踏んで修行すればコントロールは不可能じゃない。私の師匠のところにいけば確実にできる」

 

「…そういえば、そんな報告もあったな。で、その修行の為に海外へ行く必要があると。場所は?」

 

「別に国外に出る必要はないかもしれませんが、ニューヨークの支部でできる修行でもないと思います。本拠地は言えません、秘密ですから。なので、もし監視付けるなら長期監視が可能で、忍耐力が高くて、多少の非現実的なものも受け入れられるエージェントを付けてください」

 

「…なんだ、その注文は。まるで超常現象が発生する奥地にでも調査するみたいな選定だな?」

 

「実際超常現象を目の当たりにする場ですから。あと向こう送られたらエージェントなら合法美魔女にコキ使われますよ。外道レベルのスパルタなんで」

 

「……? レイニー、足元熱くない? 光ってるけど」

 

「ん? あ、うわあ

        あ

        あ

        ぁ

        ぁ

        ぁ

        :」

 

「「えっ」」

 

「え、レイにぃ

      い

      ぃ

      わ

      あ

      あ

      あ

      ぁ

      ぁ

      ぁ

      :」

 

 

「……えっ」

 

「…コレ、キミが?」

 

「違うわよ」

 

「だな…」

 

「……」

 

「……」

 

「……コレ、どう報告するの?」

 

「足元に突然発生した光の穴に落っこちて目標(ハルク)見失ったと? 私でなくてもそんな報告受理せんわ! 頭おかしくなった国防長官と揶揄されてたまるか! あぁぁぁどうすればいいんだ…」

 

「いい気味。あら、メモ用紙…何々? 〝しばらく二人を預かります〟ですって」

 

「誰が」

 

「差出人書いてないわ。残念」

 

 

 

 

 

 Chapter 86

 

 

 

「初めまして、ブルース・バナー氏ですね。私のことはエンシェント・ワンと。こちらに」

 

 …説明しよう! 僕とレイニーはニューヨークでロス長官と話してた筈なんだけど、足元にぽっかり穴が開いたかと思ったらまったく違う場所に落っことされた!

 何を言ってるかわからないと思うけど、僕にも荒唐無稽すぎて上手く説明できないよ…幸い、目の前のスキンヘッドの女性は常識人っぽい顔してるけど、どことなく気が休まる部屋だけど…うん。

 

 

「あっ──たす──助けっ──ぇぅ──何でぇッ───!?」

 

 

「貴女にはお仕置きです。ウォン、目を離さぬように」

 

「御意」

 

 大きなタイヤ…みたいなものに四肢を括り付けられて、目で追うのも困難なくらい高速回転させられてるレイニー。止めようと思ったけど、そもそも止め方わからないし意図も理解できないから静観するしかない。

 ごめん。レイニー。恩を仇で返すみたいな形でほんとごめん。

 

「えっと、彼女に何を?」

 

「お仕置きです。部外者に我々の存在を広めることは本来禁忌ですから」

 

「嘘つけ! 外道スパルタで合法美魔女って言ったからでしょ師匠! 大人げない!」

 

「…あと200回追加で。スピードも上げてください」

 

 あっ。

 

 

「ぁあああアアアアアああアアアアッ!? たッ──け──ッ―!!」

 

 

 凄まじい回転が再開された。全身ばらばらになるんじゃないかってくらいすごい。というか、どんな原理で回転させてるんだ? 動力も発電機構も歯車もない、ただそこの太ったおじさんが手を翳してグルグル手を振ってるだけなのに、それに連動して回転してる……まさか、超能力?

 いやぁまさか、と鼻で笑いたいけど…ハルクとかソーとかベンディとか宇宙人とかマキシモフ兄妹とか、そういう超常は見慣れてるから、あっても別に不思議じゃないか。

 不思議なのは、レイニーがここを知ってたことだけど。

 

「ごめんなさいと、一言言えばよろしいのに」

 

「えぇ…あの状態じゃ何言ってるかわからないんじゃ…」

 

「いいえ、分かりますよ? それに謝罪の意思がないこともわかってます」

 

 それは多分、精神的な部分を読み取れているってことかな?

 流石にレイニーだって自分が悪いと思ったら素直に謝るはずだけど…それでも謝る気がないってことは、相当仲悪いんだな…この人と。

 

「さて、愚弟子(レイニー)の紹介ですから無下にはしません。それに貴方の事情に関してはこちらも理解していますが、その上でお聞きします。この先どんな理不尽があってもそれを受け入れ、過酷な修行に耐える覚悟はありますか?」

 

 脅しじゃない。純粋な、彼女から発せられる圧迫感(プレッシャー)に息を呑んだ。

 でも、ダメだ。ここで尻込みなんてしてしまえば、僕は踏み出せない。前に、進めない。

 それは、僕のことを考えて、体張って連れてきてくれたレイニーの思いを裏切ることになる。

 

「……僕は、長年この力と付き合ってきた。ですが(ハルク)と真剣に向き合えたと声を大にして言えるかと問われれば…ノーです。これから僕は、僕以外の大切な人と一緒に生きていく。そのためにも、ちゃんと(ハルク)と向き合って、この力を制御できるようになりたい。大切な人を、傷付けないために」

 

「……なるほど、動機にはやや不純なものもあるようですが、その志は立派なものです。いいでしょう、当院の門下生として滞在することを許可しましょう。詳しくは彼に聞いてください。()()()()()()

 

「はっ」

 

 おっと! 急に眼の部分を布で覆った男が出てきた。

 これからここにいるんじゃ、こういうことにも慣れなきゃいけないんだな…さぞ、心臓鍛えられることだろうね。

 

「ストレンジの部屋へ。良い出会いとなるでしょう、多少の刺激にもなるはずです」

 

「御意」

 

 こちらへ、と言われて彼女──エンシェント・ワンの部屋から退室した。

 指示された男の後ろを着いて行ってるけど、まるで歩みに淀みがない。盲目って訳じゃないのか?

 

「…あの、貴方は目が見えてるんですか?」

 

「ん? ああ、失明したのは数年前だがね。幸い師が師事してくれたおかげで、ある程度は()()()ようになっている。かけがえのない朋友とは、袂を分かつ結果となってしまったがな」

 

「それは、事故でですか?」

 

「事故……そうとも言えるかもしれんな。だが、これは私自身が招いてしまった不手際なのだ。私が、師の真意を理解せず疑ってしまった結果。だが、師はそんな私を救い上げてくれた。破門にされても…いや、殺される処罰であってもよかったのだ」

 

 …何やら、エンシェント・ワンとの間で問題があったみたいだ。それに僕が首を突っ込んだり無理やり聞き出したりするのは、流石に野暮ってやつだろ。

 案内された部屋をノックして入ると、そこには先客がいた。

 ここ──どうやらネパールらしい──では珍しい、色白の肌に無精髭を生やした男。読みかけの本のページを捲る手はぼろぼろで、痛々しいものだった。

 

「彼は? 白人のようだけど」

 

「ああ、彼は新入りのミスター・ストレンジという。ほら、挨拶しろ」

 

「……なんだアンタ。まさかこいつと同室? 冗談じゃない。もっと部屋空いてるだろ」

 

「幸いここはWi-Fiが通ってる唯一の宿舎だからな。最近司書係のウォンのところから本が紛失する珍事が発生しているようだが、心当たりはないかね」

 

「……さぁ? 私に心当たりはないね」

 

「そうか」

 

「……はぁ、わかったよ。天才(てぇんさい)外科医スティーブン・ストレンジだ。よろしく」

 

「ブルース・バナーだ」

 

「知ってる。ハルクだろ? 夜に暴れ出すのだけはやめてくれよ、暴れたときは問答無用で冬山に置いてってやるからな」

 

「それはまだできんだろうお前」

 

「もうとっくにできるようになったさ!」

 

 差し出された手を握ったけど、握手の手は震えてた。

 やっぱり、彼の手は神経系にかなりダメージが及んでいる。それこそ、本を持つことすら難しいレベルまでに。再生クレードルなら可能だろうか…? いや、彼は外科医と言っていた。たとえ壊れた神経系を新しいものにしたとしても、外科医としての手は永遠に戻らないだろう。

 彼も、ままならない現実をどうにかしたくてここへ来たのか。

 

「随分じろじろ見てくるな」

 

「あっ、そんなつもりは、無かったんだ…ごめん」

 

「別にいい。観察眼は話通りだな、あまり人の過去にズカズカ踏み込もうとするのは感心しないぞ? ま、そういうことだ…貴方みたいに力を制御したくてここに来る奴もいれば、私みたいに失ったものを取り戻そうと流れ着く奴もいる。なんでもここ(カマータージ)は、相応の対価を支払えば失ったものを取り戻せるとか、そんな触れ込みがお似合いの場所だからな」

 

「善処するよ。ん…話通り? 誰から?」

 

「よく病んだ患者を届けに来てたガキンチョだよ……ああ、もうあいつには会うことも、無いだろうけどな」

 

 なぜだろう、僕はそのガキンチョとやらを知ってる気がするし、彼の直感はすぐに裏切られる気がしてならないんだけど。

 

 

あぎゃ、アッ、あああアアアアああAAAあぁぁぁ…

 

 

「……ところで先程から聞こえる、この品性に欠けた悲鳴の主はキミの連れか? 耳障りで仕方ないんだが」

 

「あー彼女は僕を紹介してくれた人で、」

「ちょとっとっそこどいてぇえええええええええええ!!」

「「え、」」

 

 タイヤに括り付けられてぐるぐる回るレイニーが飛び込む光景と、頭部に響く激痛の感覚を最後に、僕は気を失った。

 とても、幸先不安なスタートだ。

 

 

 

 

 

 Chapter 86

 

 

 

「あ…ヴぁあああ…はぁあ…しぬ、しんだ、しんだかとおもた…」

 

「中々粘りましたね」

 

「鬼か!? いや鬼だわこのクソ×××、××…××××…!」

 

「まだ回されたいならそう言ってくれれば」

 

「ごめんなさァーい!」

 

「素直でよろしい」

 

 この女郎いけしゃあしゃあと涼しい顔しやがって…と、思ったら精神体剥き出しの今じゃバレバレだから思わないようにしないと。危ない危ない。この状態じゃ思考するだけでも意思が伝わるから何が起こるかわかったもんじゃない。

 

「…なんで、私とベンディを分離させたんですか。そんなに彼に聞かれたくない話でも?」

 

 そう、今の私はレイニー・コールソンという単一の精神体のみの状態。インクマシンを核とするベンディや他のインク云々はウォンさんが持ってきた瓶に詰められてしばらく保管されてる。だいぶ手間かけられたというか、マジで遠心分離された気分だから脳味噌シェイクで発狂するかと思ったのに、逆にスッキリしてる。なんでだろう?

 それに、私はベンディの憎悪と継ぎ接ぎで再構成された筈なのに…ああ、だからこんな、不安定なのか。

 

 『手』とか『足』とか、そういう体の部位を、正確に認識できない。足がボヤけて上半身だけやけにハッキリしてる亡霊よりも成り損ないの精神体だ。

 

「ところで、この前のおじさんは? 」

 

「彼は人気のない安全な場所に匿っています。この世界に影響を及ぼす危険な存在ではありますが、彼自身の脅威・実害は皆無です。事情聴取の後でしかるべき場所へ連れて行きました。監視は継続中ですが」

 

「へぇ、そうですか。あのおじさんソーのお父さんらしいですけど何かあったんでしょうか。それに…」

 

 (オーディン)を保護した際に、彼は唯一存在する左眼が私への恐怖を訴えていた。アリスに何か悪戯でもされたのか、と最初は思ったんだけど、どうも違うっぽかった。

 アリスではなく、私そのものを恐れていた。ように感じられた。

 でも、師匠はそれに関しては教えてくれなさそう。

 

「新しい人いましたね。というか、ニューヨークで見た顔でしたけど」

 

「ストレンジです。彼は事故に遭い両手の自由を失いました。別の患者の伝手を頼りにここへ訪れ、修行を積んでいます。学習意欲があり、修行にも真面目に取り組んでますね。性格に少々難ありですが」

 

 へぇ、そんなことが。人生何があるかわからないもんだなぁ…その筆頭たる私が何言ってんだってツッコまれるだろうけど、こんなの世界中にありふれた無数の不幸の一片でしょ。自分を特別だと思うのは最も愚かで危険な思考回路。

 それにしても、医者って全員()()だと思ってたけど、違うんだなぁ…神経質で、自己中心的で独善的。人を救っているという事実よりも自分の名声を優先するエリート。

 

 部下を左遷させるときは『ニシンは好きかい?』で、

 手術費請求する時は『メロンです領収書です』だっけ。

 

「貴女は一度、タイム・ストーンの力を行使していますね。大規模に、それこそ貴女に蓄積されたエネルギーの殆どを放出するレベルで」

 

「え?」

 

「気付いてなかったのですか? 2年前に使った痕跡がありますよ、例のアニメスタジオです」

 

「…ジョーイ・ドリュー氏の家?」

 

 今まで、私は自分の中に吸収された石の力を意識的に使った覚えはない。

 意識的にはないってだけで、もしかしたら無意識に使ってしまったかもしれないってこと…? まぁマインド・ストーンみたいに既に感覚野に追加されてしまった機能とかもあるけど。やば、使うなって師匠に言われたのに約束破ってしまった。折檻コースはもう勘弁!

 

「あの時、貴女はあの家の狂った時間軸を直しました」

 

 狂った時間軸?

 ……そういえば、タイム・ストーンとやらの石の光って緑色だったっけ。あのよくわからない現象…ジョーイ・ドリュー氏の家が空き地になる直前、私の中にベンディの全てが侵入(はい)ってくるときに見たのは確か、()の光。

 あれが、タイム・ストーンの力が作用した証ってこと?

 

調律(チューニング)、とでも呼称すべきでしょうか。私は教えていませんが、できるかと問われれば五分五分でしょう。故に干渉せず放置したいわけですが。

 あの惨劇の円環(ループ)は、貴女が2年前のあの日に訪れるまで延々と続いていました。しかし、タイム・ストーンの力を有する貴女が無意識に干渉したことで、歪に捩じれ曲がった時間の円環(ループ)も治ったようです。その際、貴女は別の時間軸の人間と感覚が…いえ、()()()()()が同期していました。憶えはありませんか? あの場にいなかったのに聞こえた、二人目の声を」

 

 二人目の声? あのとき聞こえたのは、件のジョーイ・ドリュー本人と……

 

 

「ああ、これで、オレは安心して逝ける」

 

「ここに来てくれて、ありがとう」

 

 

 あっ。

 

「その声が、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうだ。

 そうだった。てっきり、自分の意思で家を探索していたのかと思ったけど、あのときの私はベンディの殺意を抑制するので手いっぱいで、それ以外のことは考えてなかったし、()()()()()()()()()()()()

 じゃあ、あのときの私を動かしたのは誰なのか。

 

「…それって」

 

「ええ。ベンディの創造主、ヘンリー・スタイン氏でしょう」

 

 …ああ。

 そうか、じゃあ、ヘンリー・スタインはあのときまで、永遠に魂をアニメスタジオに囚われ続けていたのか。

 輪廻転生、なんて信じるつもりはないけど。その魂はきっと、彼岸まで辿り着くこともない。記憶も肉体もゼロに戻して新しい人生を歩む、なんてこともできないほどに、肉体を失って、精神を擦り減らして、魂も摩耗して。

 それでも、(ヘンリー)は歩み続けてたんだ。悪魔の巣窟を、恩讐のスタジオを、思い出の職場を。

 

「確かに、ヘンリー・スタイン氏の過失も、ベンディの存在も赦されるものではありません。ですが、貴女の手で彼の魂を救ったことは称賛こそされても叱責されることではないでしょう。無論、ベンディがどう思うかはお察しでしょうが」

 

「…間違いなく怒り狂いますね、癇癪起こして暴走…いえ、どうでしょう? 彼も成長しているし、多少は」

 

「いいえ、悪魔に『成長』という概念はありません。人間の憎悪や欲望を嗅ぎ付け、不釣り合いな対価と引き換えに歪んだ夢を実現して不幸を喰らい、人間を弄ぶ邪悪なる存在です。それは勿論、貴女も例外ではない」

 

 ──そう、生態系の頂点が人間であるならば、人間限定でその生態系の一歩上に立っているのが悪魔。

 人間が生み、人間なしには生きられず、人間を破滅に陥れ不幸を嗤う、超常にして邪悪の存在。それが悪魔。

 だけど。

 

「…であれば、私も同様に人間を不幸へ導く邪悪な存在、ということですよね? でも、私とベンディは好き好んで誰かを破滅させようとしてないし、それを好んでもいない。これは成長…とは言わずとも、ある程度の『変化』と言えるのではないですか?」

 

()()そうでないというだけの話です。依然として貴女がこの星の脅威であることは変わりません。今も昔も」

 

 ……まぁ、予想はしていた。

 『ソコヴィア事件』でソーが見た未来(ビジョン)、再三世界中へアイアンスーツを配置しようと画策しているトニー。二人の畏れには、少なからず私のことも関係している。

 

 つまりは、悪魔(ベンディ)による人類滅亡の未来。

 

 一人(トニー)だけであれば気のせいだと思う。

 二人(ソー)もいれば、偶然じゃない。

 オマケに師匠(エンシェント・ワン)も警告してるなら、確実。

 

 であるならば、私は死ぬべきなんだろうけど…単純に私が自殺すればいい、って話でもなさそう。それに、まだ解決していないこともある。

 私の母…違う、エニシ・アマツという存在の謎。

 

「エニシ・アマツって何なの?」

 

「貴女の母君の名前です」

 

「違う、そういう意味じゃない」

 

「それは、貴女自身が知るべきことです。私が口出しすることはできません」

 

「師匠は御存知なんですか。かつてのエニシ・アマツと、今のエニシ・アマツを」

 

「ええ、()()()()()直接逢ったことはありませんが」

 

 この次元…?

 ええと、どういうこと? 知ってるだけなら人伝で噂を聞いたとかそういうことになるけど…そういう訳ではない? でも会ったことないって言ってるしなぁ…魔術的なことは未だに理解できてないところもあるからね。数年単位で修行してたのに、師匠の言うことが理解できない部分も多い。

 

 なろう系主人公でもないので!

 

「目に見えるものすべてが真実とは限りません。故に、貴女が考えたことすべてが正解とも限りません」

 

「……結局、また調べ直せってことでしょう? 真実を知ってるのに教えないなんて、酷い師匠(おひと)

 

「助言があるだけ温情を感じてほしいですね」

 

「それならスリング・リングくださいよー! アレないと覚えた魔術全然使えないじゃないですかー!」

 

 なんと! この師匠! 私にスリング・リングを渡していないのである!

 散々拉致監禁してコキ使って拷問みたいな修行にも健気に耐えてきた私に対し! 免許皆伝すら寄越さないのであるッ!

 たまに思う。この師匠、どのヴィランよりも悪辣な屑だと。

 まぁリングなしに魔術を行使できれば苦労しないんだけど、私にそこまでの実力はない。

 

「貴女のような危険因子にスリング・リングの使用は許可できません。ですが、そうですね…」

 

 すると、思案顔の師匠は袖からアクセサリーらしきものを取り出した。茶色の革紐で繋がれた先には、二枚の白い羽と木彫りの板らしき物。小さくはあるが、蓋のように閉じられた部分を師匠が開くと鏡らしきものも見えた。

 それを私の〝首〟部分(?)らしき場所に引っかける。

 

「これは?」

 

「お守りです」

 

 お守りかよ!

 いや、師匠が手ずから贈ってくれたんだから、ただのお守りなんかじゃないはず。きっと魔術礼装的な何かが…絶体絶命から守ってくれる鏡とか、死んだら一回だけ黄泉返れる羽とか、きっとそんなんだ。

 コンティニューOKなデスゲームとかヌルゲーじゃん勝ったな!

 

「魂を封印するレリックです。持ち主の魂を彼岸へ送ることなく、器に閉じ込める媒体の類ですね」

 

「だめじゃん! くらえ8フレーム(24fps 1/3秒)クーリングオフ! って外れないぃ!?」

 

「言い忘れましたが、それは貴女が死ぬまで外せません。魂に括り付けられた」

 

 呪いのアイテムだった!

 ていうか魂レベルのタグ付けとか嫌がらせってレベルじゃないだろ! こんなダッサイいわく付きアクセサリーなんか要るか!

 

「…〝あなたの笑顔をずっと守ってくれますように〟」

 

「何か言いました?」

 

「愚かな弟子、と」

 

「やっぱきらいだわアンタ!!」

 

 

 

 

 

 







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私たちのヒーロースクール

 みんなだいすき(?)コラボ回

 お気に入り感想評価誤字報告感謝、本当に感謝






 〝個性〟がなくても、ヒーローは出来ますか!?

 〝個性〟のない人間でも、あなたみたいになれますか?

緑谷出久/僕のヒーローアカデミア

 

 

 

 Chapter EX 01

 

 

 

 1週間前(ONE WEEK AGO)

 

 日本 首都 中央合同庁舎 警察庁長官官房長 執務室

 

 

「人探し、ですか?」

 

「うむ、米国からの要請だ。1週間後、依頼主が来日する手筈になっている。その際に情報の受け渡しが望ましい、とのことだ。最優先で頼む。どれだけ人を割いても構わんが、最小限でな」

 

「……急な話ですね」

 

 執務室で辞令を受ける女性は訝し気に目を細めた。眼鏡のレンズ越しに覗く瞳には猜疑心が映っていた。対して、辞令を下す髭面の男は困ったように眉根を寄せる。

 

「何分、本国でも扱いに困る人物でな。人的情報はデータベースにあるのだが…既に()()扱いされている人物の再調査だ」

 

 髭面の男は黒手袋で覆われた手で書類の一つを掴み、女性に差し出す。受け取った女性は受け取った資料を捲る度に、眉間の皺が加速度的に増えていく。この案件の厄介さと深刻さを理解したのだ。

 

「戦時中に日本の情報機関の機密を持ち出し、ソ連に亡命…何度も違法実験を主導し、国際犯罪組織『HYDRA』の創設者として名を連ねる…十数年前に子どもを出産後死亡……これは、ICPOの案件ですね。Red Noticeですか」

 

()だがな」

 

 Red Noticeとは、ICPO(国際刑事警察機構)が加盟国の申請のもと発行される赤手配書(国際逮捕手配書)のことである。その国で逮捕状が出ている被手配者の所在特定及び身柄拘束、手配元の国に身柄を引き渡す協力を要請されるものであり、赤・青・緑・黄・黒・橙・紫・国際連合特別手配書・盗難美術品手配書等9つある国際手配書の中でも引き渡しを目的とした逃亡犯罪者へ向けて出される手配書だ。年間発行数は10000件を超えており、9種の手配書の約半数はこの赤手配書が占めている。

 しかし、死亡が確認された時点で手配書は破棄される。従って本案件における対象への法措置は自動的に消滅する形になる筈であった。

 

「生存が確認された場合は正規の手続きに基づいて再発行されることとなる…今回の調査は、その前段階だそうだ。資料の通り、()()は近年の個性犯罪者が可愛く思えるほどの国際犯罪者だ。深入りは禁物、わかってるな?」

 

「はい、腕に自信のある者にのみ協力を仰ぎます」

 

「うむ。最低、生存の有無と国内逃亡の痕跡がないか調べるだけで構わん。あとはS.H.I.E.L.D.が引き継ぐらしい、こちらへの迷惑を考慮してのことだろう」

 

「S.H.I.E.L.D.…2年前に解散したはずでは?」

 

 女性の脳裏にはリアルタイムでニュースに映し出された、まるで映画のような光景が蘇った。三機のヘリキャリアが互いに攻撃を繰り返し、世界一堅牢な要塞と言わしめたトリスケリオンを巻き込んで墜落。幸い周囲の市民への被害は免れたらしいが、S.H.I.E.L.D.のエージェントの数十人は巻き込まれて死亡した、との報告も届いている。

 ──ニュースでは取り沙汰されることはなかったが、女性は墜落するヘリキャリアの滑走路に小さく映った、黒い塊のようなものが印象に残っていた。

 

「組織そのものは瓦解してしまったが、本国では再建中だそうだ。そのリーダーの、ご息女からのご依頼だ」

 

「リーダーのご息女…1週間後…まさか」

 

 1週間後といえば、米国から話題沸騰中のアニメーション会社の社長が来日することで、今や連日ニュースで持ちきりになっている。公式発表されていないにも関わらずリークする日本の情報機関は侮れない。

 近々日本への公式発表と共に関連機関への協力要請が掛かると予想されており、その中には警察による空港と会場の警備と移送も含まれていた。

 

「ま、そういうことだ…頼んだぞ、霧原警視」

 

「了解です」

 

 

 

 

 

 Chapter EX 02

 

 

 

 起きたときから、何かがおかしいという確信はあった。

 

「おいレイニー、ご希望通りジェット用意してきたぞ。さっさと行ってこい」

 

「用意したのペッパーさんでしょ。なんでトニーが、さも自分が用意したみたいに言ってるの」

 

「なんだよ、機長はボクの親友のハッピーだしこの機体はボクが買ったものなんだから97%はボクのおかげだろ! もっと大人を労って、感謝したらどうだ?」

 

「でも所有権はトニー個人じゃなくてスターク・インダストリーズにあるんでしょ? ハッピーさんから聞いたよ。トニー案件での出動要請はハッピーさんの善意100%でやってるみたいだし?」

 

「ハッピー!? おま、そんなこと言ったのか! 拾ってやった恩義を仇で返すなよ!」

 

「やばば、お口にチャック! ほらほらさっさと乗って乗って。さぁ~快適な空の旅だ、ぞ!」

 

「早く乗りましょ義姉さん」

 

「向こうは湿気多いらしいので、お気をつけて。お母様、ワンダ」

 

「もう帰って来なくていいぞ…イテッ」

 

「縁起でもないこと言うな。二人とも、無事を祈ってる」

 

「お土産期待してるわ。カタナとかスリケン、だっけ?」

 

 ワンダ、ヴィジョン、トニー、スティーブ、ナターシャさん。うん、いつも通りだ…いつも通り。そうなんだけど…なんか、違和感あるっていうか…具体的には些か顔の造形が漫画チックっていうか…元々こういう顔だったっけ? ま、いっか。

 

「じゃ、行ってきます」

 

 これから日本なんだし、少しハメ外していこう!

 

 

 ──ことの発端は、博士をカマータージ(師匠のとこ)に置いてって帰ってきて暫くのことだった。

 博士行方不明についてはロス長官にお叱り受けて、S.H.I.E.L.D.に残っていた解読済みの機密情報の一部提供と()()()()の要綱を纏めることと引き換えに、お咎めなしとなった。ここまではいい。

 それで、新アベンジャーズ基地でワンダやヴィジョン、ローズ中佐、サムさんらとのチームワーク演習に参加してた矢先。会社から電話が来て、大まかに内容をまとめると「日米同時上映予定を希望する日本人が多くて大人気、宣伝も兼ねて来日オナシャス」とのことだった。ベンディアニメーションが日本でも人気ってことに驚きだってばよ私。

 その一報を受けて1週間後に日本への来日が決まったわけだけど、問題は一人で行くかどうか。

 流石に一人は危険だろうと提言したのがスティーブ、全員その発言には同意。ボディガードと観光も視野に入れて、誰を同伴させるかが次の議論となった。

 

 スティーブとナターシャは第一線として活躍中なので、基地から離れるのはよろしくない。

 

 ローズ中佐やサムさんは一応米国の軍人所属ということもあり(サムさんは退役軍人だけど)、軍への正式な休暇申請が間に合わない。

 

 トニーはアイアンマンが日本で大人気過ぎて、ベンディの広告がサブ扱いにされるから却下。特に社長代理(ベック)の熱烈な拒否コールが掛かったのは言うまでもない。

 

 となると、ワンダやヴィジョンになる。しかし、

 

「……ニホンって、すごい人が密集してるんですよね?」

 

「あっ」

 

 ヴィジョンは事前にネットワークを介して日本の情報をリサーチしていたのだが、通勤ラッシュ時の電車や歩行者天国を往来する群衆、狭い店に寿司詰めで押し入る客など、いずれも人間の密集率が高いものばかりが検索された。

 ヴィジョンのマインド・ストーンは人間の心の声を聞く力がある。勿論ヴィジョンはその力をある程度コントロールできるから声を聞く力を制限できるけど、アレは危機察知も含まれてる。徒にシャットアウトしてしまうと間近の危機に対応するのが遅れてしまうかも、という危惧があるらしい。

 

「でも、日本って狭い割に治安はしっかりしてるでしょ?」

 

「ええ。他国と比べて個性犯罪率は6%と、他国と比べて約14%も低いですね」

 

 ……ん?

 ()()()()()??

 

「……個性って、なんだっけ…?」

 

「なんだオイ、レイニーが急に詩的なこと語りだしたぞどうした?」

 

「え? サムさんそれどういうこと?」

 

「なんだよ言ったまんま…あぁごめんよちょっと揶揄った。まるで自分の存在を考える思想家、みたいな台詞だったからさ」

 

 んんん?

 

 とりあえず人選については、ヴィジョンは基地防衛という名目でお留守番してもらい、オールマイティなワンダに同行してもらうこととなった。すごくうれしそうだった。

 それで、『個性』というものについてあとで調べてみたところ、なんと世界総人口の約8割が『個性』を持った超人社会、ということらしい。

 

 なんじゃこりゃ、と思った。

 

 どことなーく、またいつぞやの世界線を跨いだというか、次元を2、3個ほど飛び越えたかと思うほど。ひょっとして私がボケてるだけなのか、それともネット含めた大規模ドッキリ大作戦なのかと思ったら、そうでもないらしい。

 

 スティーブは個性黎明期に人体実験の末、後天的に身に付いた『超パワー』。

 トニーは現代の「飽くなき探求心」と「尽きることのない独創性」に由来する、未開の方程式を見つけそれを実現する個性『万能の天才(ダ・ヴィンチ)』。

 博士は異形型個性に該当する『緑巨人(ハルク)化』。

 ナターシャさんは自分から発する物音を消す『サイレンサー』。

 サムさんは大気の流れ読み、バックパック『EXO-7 FALCON』を駆使して大空を自由に舞う『エアロ・ダイナミクス』。

 ローズ中佐は触れた兵器の最適操作ができる『マニピュレート』。

 マリアさんはモニタリングの並行処理能力『マルチタスク』。

 ワンダは『念動力(テレキネシス)』と『洗脳(マインドコントロール)』の二重個性。

 ヴィジョンは史上初の『個性』持ちAIで『体密度操作』『飛行』『ネットワーク干渉』『エネルギー操作』などてんこもり。

 そして私は『インクの悪魔(ベンディ)』……嘘嘘。個性登録分類としては異形型の『インク化』らしい。

 

 なんじゃ、こりゃ。

 

 そして、数年前まで米国には『オールマイト』というヒーローもいたらしい。元々日本人で、S.H.I.E.L.D.の調査資料にも密かにエージェントとして迎え入れようかという計画が上がってたみたい。現在はUA…雄英高校という学校で教師をしてる、()()()

 

 いや、これ読むの初なんですけど!?

 

 しかもこの報告書も私が解読した機密文書の一部ってあるし!? あっれぇおかしいなぁこんな特徴的な書類そう忘れたくても忘れられないような内容なのになぁ!? というかさっきから()()()語尾やめさせろ! 無知指摘されるからホントお断りなんだけど!!

 これはもしや、前の世界の『私』の意識だけが、この世界の『私』の中に入っちゃったとか、そういうのか? それともみんなおかしくなったとか? なんだっけ…そう、集団心理! 『傍観者効果』だっけ!? 前に著名な(コミック)で読んだよ! 最近有名になった奴! とても恐ろしい、集団心理である…!

 

 なぜなら! もうおわかりだろう!!!

 

 私以外!! 全く()()を感じていないのである!!!

 

 誰も!! ()()と認識していないのである!!

 

 おかしい…これは何かがおかしいぞ…いやおかしいのは私だけだろうか……これは、絶対におかしい…何かが、あったに…違いない………! あっ。

 

あいつ(エニシ)だ。もう全部あいつのせいでいいや」

 

 私は、考えるのをやめた。

 見方を変えれば、見える人全員が超能力持ちって社会なだけだし。慣れっこ慣れっこ。

 ただ、このままだとどこぞの阿呆に「個性社会をご存じでない!?www」と馬鹿にされそうなので、ちゃんと()()()()のことについては調べておく。その上で、国際電話で(多分)日本国籍の母について調べるよう日本の行政機関に依頼し、米国を発った。

 前の世界では入手できない情報も、この世界で得られる可能性があるなら試みるべき。

 

 

 

 

 

 Chapter EX 03

 

 

 

「この暑さ、帰ってきたって感じがするねー!」

 

「わかる。楽しかったなぁ《I・アイランド》。学生バイトって新鮮だったけど楽しかったぜ」

 

「ヴィランが殴り込んできて大変だったけどなぁ…しんどかったし」

 

 日本の夏は、暑い。

 湿気で蒸すし気温は高い。南国の熱帯雨林は天然由来の暑さだからこそというのもあるが、日本の場合は敷き詰められたアスファルトが伝える熱、高層ビルが反射する太陽光が不快指数を指数関数レベルで跳ね上げている。

 そんな中、巨大人工移動都市《I・アイランド》から帰還した雄英高校1年A組ヒーロー科の生徒たちは、到着した羽田空港の到着ロビーにて待機していた。生徒全員が同じ便で帰国することになったのは、単に今回のヴィラン襲撃が原因であった。

 個性技術博覧会《I・エキスポ》も、ウォルフラム率いるヴィランチームによって多大なダメージを受け開催を見合わせることとなった。中央管制塔とその周囲以外被害がなかった代わりに、世界有数のセキュリティを誇る警備システムがハッキング、加えて研究者の中に侵入を手引きしたとあっては上層部も黙ってはいられない。直ちにメンテナンスとセキュリティの強化も見合わせて観光客を一斉退去することに。

 他の生徒とは異なりオールマイトの招待で訪れることになった緑谷出久も、幼馴染の爆豪勝己(かっちゃん)やエンデヴァーを父に持つ轟焦凍、麗日お茶子、飯田天哉、八百万百含め1年A組全員が同時帰国することになったのである。

 なお、オールマイトは止むを得ない事情(トゥルースタイルバレ防止)で一足先にプライベートジェットで緊急帰国。緑谷や爆豪らは比較的軽傷で済んだため応急手当で事足りたが、ヴィランとの激闘で《I・アイランド》内の医療設備では治療できなかった、というのも理由の一つに挙がる。

 

「オールマイト先生…大丈夫かなぁ…」

 

「大丈夫だろ。確か《I・アイランド》はアメリカ近くに位置してたからあっちに運ばれたんだろうけど」

 

「それに、ちらっと見えたけど飛行機に乗ってた人精鋭って感じだったし…でも英語じゃなかったな、どっちかっつーと韓国語? イヤホンから聞こえた声そんな感じだったし」

 

「アレじゃない? この前ニュースでやってたソウルの最先端医療チームとか」

 

「聞いたことありますわ。『ソコヴィア事件』で被災地へ継続的に医療支援していると…たしか、ヘレン・チョ氏でしたか」

 

 八百万の発言で思い出すは、数か月前に起こった『ソコヴィア事件』。テレビ越しであったが、広大な大地がたった一人のヴィランの手で宙に浮く光景はもはや絶望でしかなかった。それを救ったのは世界的にも有名な組織『アベンジャーズ』。

 キャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、ハルクなど…日本にもその勇名が轟く大人気ヒーローで結成された国際ヒーロー。かく言うヒーローオタクの緑谷も、アベンジャーズの動向はドが付くほど調べ、ノートに纏めている。一番大好きなヒーローはオールマイトだが、そのオールマイトが一度スカウトされたという話も以前本人の口から聞いたことがあり、その時の興奮は忘れられなかった。

 

(オールマイトがアベンジャーズに入ったら…もう敵なしなんじゃないか。ああ、でもそうだと学校で先生なんかやってる暇ないだろうし、外国は個性犯罪多いから引っ張りだこだろうなぁ…)

 

 是非是非! とアベンジャーズ加入を望む声と、頼むから入らないでほしい…! という二つの葛藤がせめぎ合い、緑谷の頭に知恵熱が生まれそうなほどの湯気が立つ。

 故に。

 

「Hey」

 

「へっ?」

 

Could(ちょっと) I have a(いま) minute of(時間) your time(ありますか) ?」

 

「」

 

 超が付くほどの美女が近付いてることに、声を掛けられるまで気付けなかった。

 首が動くたびになびくブロンドヘアー。日本人ではそう見ないぱっちりとした瞳。ハリと滑らかさがある肌、括れた腰とは対極に豊満に成熟した胸や臀部、女性の理想形を描いた様なスーパーモデルの如きプロポーション。美術展に飾られ陶器のように滑らかな美脚は1-Aでも高身長の障子の腰の高さほどあり、上にも下にも目が向いてしまいそうなほどだ。

 日本であってもまずお目にかかれない谷間を目の前にして、この場の誰であっても刺激の強すぎる美貌を持つ女性はその端正な唇からクセのない教本のような英語を紡ぐ。

 

Can you(英語) speak English(話せますか) ?」

 

「エッッッッッ」

 

「オッッッッッ」

 

「峰田ァー! それ以上はヤバい!」

 

「我が雄英高校の名誉棄損になりかねんぞ!」

 

 肘からセロテープを生やした瀬呂と、急いで眼鏡をかけ直した飯田が鼻血噴き出す上鳴と欲望丸出しの峰田を女性から引き離す。女性は目の前の少年たちの挙動に首を傾げたが、何かに気付いたのか小さく苦笑いした。

 会話のコミュニケーションができずに少々困り顔になった女性を助けねばと、期末試験1位を勝ち取った才女の八百万は勇気を出して、自信を奮い立たせて女性に話しかける。

 

Yes(はい) , I can speak(英語は) a bit of(少しだけ) English(喋れます) . What is(何か) troubling you(困ってますか) ?」

 

「おお、流石ヤオモモ。英語ペラッペラだ」

 

「うぉ~英語話せてれば美女とお近づきになれるって確固たる証拠だぜ」

 

「英語!!! 勉強しような!!!」

 

「動機が不純すぎる…」

 

 上鳴と峰田が女性の胸を凝視しつつ英語への学習意欲を燃やす中、女性と会話を終えた八百万が生徒たちへ話の内容を伝える。

 

「ワンダさん、というそうです。それで妹さん、写真の子を探してるらしいのですが…」

 

 ワンダと名乗る女性が端末を操作し生徒たちに見せる。端末にはワンダに抱えられてはにかむ黒髪の少女の画像が映し出されていた。髪や目の色が違うことには気付いたが、少年少女はあまり深く考えたり勘繰ったりはせず、率直に妹を探しているのだと察した。

 流石にここまで仲のよさそうなツーショットを見て、人攫いや拉致監禁ということもないだろう。人は見た目に拠らない、とは言うが、とても目の前の女性(ワンダ)がそこまで悪人のようにも見えない。単純に迷子になってしまったのだろう。

 

「I lost sight here …」

 

「この辺りで見失ってしまったそうです!」

 

「黒髪の子ー! おねーちゃんが探してるぞー!」

 

「どこだどこだ」

 

「障子! 個性で見えねぇか?」

 

「今やってる」

 

「俺らが協力する必要ねーだろ、職員に任せろよ」

 

「まぁまぁいーじゃねぇかよ。ここら辺にいるんだろ? すぐ見つかるって」

 

「あれ、そういえば常闇くんは?」

 

「さっきトイレにって…あ、戻ってきたよ…うん?」

 

 個性『透明化』で身に付けている衣服しか映らない葉隠透が人込みを指差すと、頭部が烏のような造形をした鳥人(バードマン)、常闇踏影が()()()を引き連れて帰ってきた。

 その手に繋がれた子どもが、ワンダが探してる子どもであると気付くのにそう時間はかからなかった。

 黒髪の子どもはワンダに気付くといかにも「見つけた!」と顔を綻ばせて──かといって常闇の手を離したりはせず、見た目以上の力を発揮し常闇を強引に()()()()()1-Aの生徒たちのグループに突っ込んだ。

 

Sister(義姉さん)!」

 

「ワンダ!」

 

「おお、感動の再会だな! よかった!」

 

「羨まァ…俺も妹になりてぇ…」

 

 そのまま常闇からワンダの豊満な胸に飛び込む姿は感動ものであるが、若干名の羨望の眼差しがいろいろ台無しにしていた。その台無し要因には耳郎響香の自慢の個性『イヤホンジャック』のよるささやかな折檻が加えられた。

 少女はワンダのハグを解いて着地すると、迷子探しに協力してくれたと察したのか畏まったように頭を下げた。

 

(ワンダ)をありがとう。ちょっと人込みに入ったら見失っちゃって…」

 

「イ、イエイエトンデモナイ! …あれ、日本語お上手なんですね…? というか、日本人?」

 

「あぁ、やっぱり見た目日本人っぽいよね? 私ハーフなの」

 

「な、なるほど…」

 

 てっきり英会話が再開されると身構えていた瀬呂範太は胸を撫で下ろした。期末試験ではドベ五人の内に入る上に、英語は比較的苦手な方だからだ。

 すると、新たな疑問としてここで何故常闇が迷子の少女と一緒にいたか、という話題に移る。率直に聞いたのは砂糖力道だった。

 

「常闇、なんであの子と一緒にいたんだ?」

 

「…トイレから出たところ、ぶつかってしまってな。そしたら妹とはぐれたと…」

 

「ふーん……妹?」

 

「「「え?」」」

 

「ん? ああ、私がワンダの姉よ」

 

「「「…えぇ!?」」」

 

 本日一番の驚きだった。クラス内でも表情筋が固い方に分類される轟焦凍でさえ目を丸くするほどに。まだ逆の方が納得する身長差だ。

 するとここで、何人かがちぐはぐな二人組が見覚えあることに気付く。タレント…芸能人…歌手…脳内カテゴリに該当するものはなく、やがて国内から国外ヒーローに検索範囲は伸びるが、それよりも先にテレビで見た()()事件のワンシーンが浮かび上がる。

 宇宙人が侵略するニューヨーク、高層ビルと三機の巨大空母が崩れ落ちるワシントン、大地が天高く舞いロボットが跋扈するソコヴィア。

 

「………う、ウソ…本人…?」

 

「三奈ちゃん?」

 

「お二方! 探しましたよ!」

 

Who() ?」

 

 芦戸三奈があわあわと口を震わせてることに気付いた麗日が声を掛けた矢先、緑谷には聞き覚えのある青年の声が響いた。どこか冴えないイメージがつきまとう彼は、オールマイトの真実を知る数少ない同志の一人、塚内直正だった。

 

「エー…My name is Naomasa Tsukauchi」

 

「ミスター・ナオマサ…あぁ、じゃああなたが連絡にあった塚内警部ね?」

 

「日本語オッケーなのか! そうか、キミは例の…ああ。ともかく合流できてよかった。時間がない、会場まで送ろう」

 

「それじゃステージ行かなきゃ、遅れちゃう。優しい日本人の子たちありがとうねー!」

 

「いえいえ! お元気でー!」

 

「Thank You !」

 

 年齢としては10~12歳程度であろうか、自分たちより二回りほど小さい黒髪の少女は塚内に案内され、空港の人ごみに消えていった。ワンダの滑らかな別れ言葉は雑踏の中でもするりと耳に入り、爆豪も悪態つきつつ小さく手を振った。

 

「さっきの人たち美人だったねぇ!」

 

「あんな可愛い妹ほしいなぁ…って、姉なんだっけ?」

 

「いやいやあのナリで姉はないでしょ。多分アレだよ、おねーちゃんムーブかましたくて演じてるだけだって」

 

「異母姉妹、という線もありそうだけどねあのマドムアゼルたち。腹違いであっても仲の良い姉妹を見ると目の保養、尊みあるね」

 

「まさかの青山名推理!?」

 

「それにしてもどっかで見たような…名前聞いてなかったし…」

 

 若干名は今しがた出会った人物の正体に気付いたが、あまりにも常識外過ぎてフリーズ中だったりする。そんな珍事もあったが、航空会社が手配した観光バスの到着アナウンスが聞こえて雄英高校ヒーロー科の生徒たちはバスに乗り、帰路についた。

 

 

 

 

 

 Chapter EX 04

 

 

 

「お初御目にかかりますCS-137。警視庁公安部外事四課課長、霧原未咲です」

 

Nice to meet you(はじめまして)、ミス・ミサキ。CS-137……ああ、セシウム。核、放射性降下物(Fallout)の〝黒い雨〟ね、洒落たコードネームじゃない」

 

「…私としても、このような名であまり呼びたくはありません。何せ、負の遺産の名を冠されている訳ですから」

 

「それだけ日本に警戒されているってことは分かったわ…まぁ、そう硬く身構えなくてもいいよいいよ。気楽に…と言いたいけど、前置きは抜きにして円滑に〝仕事〟の話をしましょうか」

 

「はい、調査結果はこちらに」

 

「……これ、二重国籍? 日本と米国に籍を持ってることになるわよね? それに…」

 

「ええ、母:天津(アマツ) (エニシ)。娘:天津(アマツ) (ユカリ)……貴女の名前で、間違いないと思います」

 

「親と同じ字って日本の戸籍法違反では。確か…50条辺り?」

 

「同一戸籍の中に同じ名前があれば判別の困難さ故に同じ漢字の使用は制限されてますが…読みが違いますし、出生届が提出される直前に母親の死亡届が提出されています。実際のところ、戸籍法上ではあまり問題はありません」

 

「そう…そうですか…まさか、日本語だと同じ字なんてね…それにしても、二重国籍かぁ」

 

「はい、22歳には国籍を選択しなければなりません。ですが…あと8年余ありますからそこまで緊急でもないかと」

 

「まぁアメリカ国籍一択だからいいんですけどね。それで…ありましたか? 痕跡」

 

「いえ、関連施設を調査しましたが、廃墟同然でした。自宅に関しては数年前に放火があったらしく撤去されていて更地でした。写真はこちらに」

 

「……ふむ、地下とかは?」

 

「調査済みですが、何も出ませんでした」

 

「つまり日本には立ち寄ってない、と…なるほど、ありがとうございます」

 

「これも、仕事ですので」

 

「日本の警察は優秀だなぁ」

 

「ただ……ヴィラン連合という、いま日本を騒がせる組織がいます。彼ら本人ではなく、彼らの上層部…トップの人物との繋がりがある、という情報もあります。こちらはとある施設で隔離されている囚人から得た情報なので、確実性はありませんが」

 

「……あー…マジか…そうですか…うーん………ちょっと、帰国タイミング変更しようかな…」

 

「それでしたら…実は貴女に面会したいという方がいるのですが」

 

「?」

 

「私が! 車道から来た!!」

 

「え、なんですかアレ。車と並走してる黄金のウサミミ筋肉が…」

 

「……その、貴女にお会いしたいと連絡があった方です…」

 

「」

 

 

 

 Chapter EX 05

 

 

 

「オイ見たかよ緑谷! 昨日の特番!」

 

「えっ? 旅行疲れで爆睡してて…」

 

「空港で会った美女と美少女! テレビにスゲー出てたぞ!」

 

「しかも二人ともアベンジャーズで! デカパイの方は『スカーレット・ウィッチ』でペチャパイの方はあの『ベンディ』だってよ!? 『ソコヴィア事件』のスーパーヒーローじゃねぇか! ヤベーよヤベーよオイラ二人でヌいちゃったわ! ヌキヌキポンヌキヌキポン!」

 

「お前最悪だよ。俺でもちょっと引くわ…」

 

「アアン!? 何お高くとまってんだよ上鳴ィ!? お前も俺の仲間ダロォ!? 別にいいじゃねーかよアイドルだってウンコするんだぜ俺らがヒーローでヌいたっていいじゃねぇか! さぁさぁどういうシチュでヌいたか教えろよ──!」

 

「……!? 峰田後ろォ───!!!」

 

「へぇ……節度を弁えない猿がいるようで。指導レベルはEXTREME通り越してMANIACでもよさそうね」

 

 

 

 

 

←……To Be Continued

 



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A.D.2016 And Then She Decided in BRD
麝香の薫り、辛苦の心




 お気に入り感想評価誤字報告感謝



 Ten little soldier boys ,(小さな兵隊さんが10人) went out to dine(ごはんをたべにいったら)

 

 One crocked his little self(1人がのどをつまらせて) and then there were nine(のこりは9人)

 

 

 

 Chapter 87

 

 

 

 カチャカチャ。食器の擦れる音が小さく響く。

 その後は手術室から溢れる金属音でもなければ、暗い暗室に響く怪しげな操作音でもない。

 何の捻りも、何の特別性もない、ごくありふれた家庭で見かける夕食の一風景に過ぎない。

 家々から小さな談笑やテレビの音が聞こえる夜中、レイニーはパーカー家にお邪魔して食事を摂っていた。

 実はレイニー、こう見えても何度かピーター家のテーブルを囲み食事した経験がある。当然だ、幼少期は男女の境界線が曖昧で、他人を見れば遊びの対象か否かという酷く簡潔した関係性を求めるのが子どもだからだ。

 

「でも久しぶりね、この三人で食卓を囲んで食事なんて。何年ぶりかしら」

 

「1、2、3……ざっと12年ぶりくらい?」

 

「ホ、ホントホント。すっごく久しぶりっていうか、なんかもう一周回って初めてっていうか…」

 

「そりゃ、3歳の頃なんて記憶も曖昧よねー」

 

 ぱくりとフォークに刺したステーキの一切れを頬張り、レイニーはご機嫌そうにその様子を眺めるメイ・パーカーから隣でぎこちなさそうにステーキにナイフを押し込むピーター・パーカーに視線を移す。料理はレイニーとメイの共同作業で作ったものなのだが、ピーターは心ここにあらずといったようである。

 というより、レイニーにはフォークとナイフを上手く使うというよりも、どう力を抜いて使おうかと、そのことに念頭を置いているようにも見えた。

 

「……ちょっと、大丈夫?」

 

「えっ、えええええ、な、なにが?」

 

「あら本当、すごい汗よそんなに不味かった?」

 

「汗?」

 

 ピーターは食器を握っていた手を放して焦るように自分の顔に触れると、じわりとした汗が顔と手に、その両方に付着した。ここで、ピーターは漸く手にも顔にも汗が流れていたことを知った。

 流石のレイニーもスケジュールの合間を縫った貴重な団欒とはいえど、唯一の幼馴染が体調不良とあっては無理強いできない。残っていたステーキを一口で平らげると(はしたない)、やや顔を青くしたピーターの肩を担ぎ、ピーターの自室に連れていく。ふらふらした足取りではあるが、よく観察すれば、力が出ないというより出さないように心がけていることがわかる。何らかの症状による脱力ではなく、ピーター本人の意思によって力を込めないように心がけていると分かった。

 

「ちょっと、別に歩くくらいできるでしょ。ベッドに乗っけるよ」

 

「うん…」

 

 結局ピーターは最後までレイニーの肩を借り、這々の体といった形でベッドに横になる。血色の悪いピーターの顔を覗き込むと眼前にレイニーの顔が映り、女性特有の馨しい香りが鼻を突き、ピーターは思わず寝返りを打った。丁度、レイニーに背を向ける形で。

 なんだ、そこまで元気なら大丈夫か、と思ったレイニーは流し目に部屋の内装を眺める。昔遊びに来た頃と特に変わりはないが、一部奇妙なものが映った。

 ゴミ箱に大量破棄された、歯ブラシ。

 ん? と首を傾げ、ピーターにバレないように首を(実際インクで)長くして覗き込むと、どの歯ブラシも新品らしいのに、ヘッドやネックの部分が噛み砕かれていた。

 

 なんだこれはとレイニーは驚いたが、以前見た光景と重なって見えた。

 それは、ニューヨーク決戦後のスティーブとの同居生活だった。

 当初、スティーブは冷凍保存された影響か自分の身体の力の調節が効かなかったらしく、フォークやナイフを握り過ぎて折るということがあった。特に歯磨きにおいては顎や手など無意識に力を込めやすく、何本歯ブラシをダメにしたかは覚えていない。スティーブはトリスケリオンでS.T.R.I.K.E.チームと訓練していく中で徐々に力を加減する感覚を掴み、漸く現代の生活に慣れることができた。

 つまり、ピーターも似たような状況下にあるのではないかと、レイニーは予測を立てた。

 ハルクやソー、ワンダ、ピエトロ、アントマンなど、思いがけないタイミングで力を手にするケースがあることは知っている。恐らくピーターも同様で、今はその制御が効かない時期にあるのだと察した。それ故の、先ほどの食事だった。

 発汗は新陳代謝の促進の証左。つまり、以前にも増してピーターの代謝が活発になっており、それは即ち常人を超えた身体能力を手にしたことを意味する。

 レイニーも同様に、力を与えられる場所や時期は選べなかった。それこそ正しく運命、または宿命とでも言うように、力の拝受に本人の自由意志は一切介在しないのだ。

 毛布を肩まで被ったピーターから、小さな声が聞こえる。

 

「さ、最近…ヘンなんだ。ヘンな蜘蛛に噛まれたからかな…なんていうかさ、万能感ってやつ? 今までよりもたくさんのことができるっていうか、体の変化に頭が追い付かないっていうかさ。でも、それでも体は勝手に動いちゃうんだよ。ねぇ、これってあの思春期ってやつなのかな…」

 

(……これは…)

 

 ベットにゴロリと寝込み、レイニーに背を向けた形になったピーターにはわからなかった。レイニーが、ピーターの部屋の一角にある奥の引き出しに、最近ネットに出回った動画に映る、ある人物(スパイダーマン)が纏っていた衣類と同等のものを見つけてしまったことを。

 だが。

 

「んー…まぁ、そういうこともあるかもね。いきなり力が付くと、誰でも戸惑うと思うよ」

 

 あえて、レイニーは無視した。

 唯一の友がひた隠しているであろうことに、無遠慮に土足で踏み込むような真似はしない。後日、トニーと相談してピーターへの監視を頼むことを胸に決め、もし万が一事件に巻き込まれるようなことがあれば、あらゆる職務を放棄してでも自ら出張って助けようと考えた。

 

「こんな格言知ってる? 〝大いなる力には、大いなる責任が伴う〟」

 

「……それ、どっかで聞いた気がするよ。なんの映画だっけ?」

 

「何だったかしらね。流石の私も覚えてないわ」

 

「ホントに? レニーに覚えてない映画なんてあるの?」

 

「そりゃあるわよ。三度の飯より映画好きだと豪語する私だって、星の数ほどある映画のタイトルと台詞を完全暗記してるわけじゃないわ。私だって、誰もが憧れる完璧超人とは程遠い」

 

「それって、キャプテン・アメリカとかどうなの? トニー・スタークとか、ソーとかさ」

 

 低く、呻くように呟くピーターの声に、レイニーは一瞬だけ体を強張らせた。

 実際には全身のインクが小さく波打った程度であるが、被った人間のガワが揺らぐ程度の心理的ショックであったことは事実だった。

 しかし、この発言では「レイニー・コールソン=ベンディ」という方程式に結び付く訳ではない。あくまでも、アベンジャーズという世界的ヒーローの一例を挙げただけであって、レイニーとアベンジャーズの関係性を言及している訳ではない。

 ただし、そこにピーターなりの探りであったことは、レイニーにも判っていた。その上で、レイニーは踏み込んだ。

 踏み込み、ピーターが横たわるベッドに腰を下ろす。ギシリと軋んだスプリングが、普段乗せたことのない人間二人分の重みに対する悲鳴であることを暗示していた。

 

「あの人たちは、私たちには手の届かない英雄かもしれない──そう思ってない?」

 

「違うの?」

 

「さぁ?」

 

 拗ねたような疑問の声に対し、レイニーは白を切るように肩をすくめて応えてみせる。

 

「宇宙人を倒す、暴走マシーンを止める、世界を救う。やること成すこと、そのすべてが規格外。じゃあ彼らヒーローは私たちとは違うのか? 生憎だけど、私はそうは思わないわね」

 

「なんでさ、あの人たちの真似なんか誰もできないよ。あの人たちにしか、この世界は救えないじゃないか。それとも、別にあの人たちじゃなくても誰かが世界を救えたとでもいうのかい?」

 

「──彼らにしか、救えなかったでしょうね。でも、誰にもできなかったことだからとか、そういうんじゃないと思う。『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンの台詞、覚えてる?」

 

「……4?」

 

「そ」

 

 ピーターは体にかけられた毛布を掴みながら目を閉じ、過去の記憶を手繰り寄せる。『ダイ・ハード』シリーズはハリウッドを代表する屈指のアクション映画だ。ジョン・マクレーンという人物を、シリーズを一貫してブルース・ウィリスという1人の俳優が演じることで、シリーズが数を重ねるごとにジョン・マクレーンという人物の人生の軌跡を垣間見ているようで、シリーズを追わずにはいられない作品だ。

 何と言っても痛快なのは、彼が〝世界一ついてない男〟と冠される点である。正に彼のいるところにトラブルは尽きない、と言いたげな──それこそ、名探偵がいるところに殺人事件は起こるような、そんな予定調和を生み出す存在。そして我々視聴者ですらあんぐりと口を開けてしまうような、有り得ないようなアクションをやってのけるのである(あくまでも演出だが)。

 様々なアクションシーンと台詞が往来する中、ピーターはある印象的な台詞を導き出す。

 

「〝俺は他にやる奴がいないからやってるだけだ〟」

 

「正解」

 

 この間、僅か10秒。

 映画の嗜好こそ違いはあるが、それでもレイニーもピーターも映画が好きであることは変わらなかった。それ故の正答。それ故の以心伝心。十数年離れてしまっても、映画という趣味の繋がりは途絶えることはない。

 勿論、作品に対する感想や評価は十人十色であって、完全に一致するわけではないのだが。

 

「〝ヒーローのご褒美知ってるか? 無いぞ。撃たれるだけ。凄い奴だとかなんとか誉められるくらい。それで離婚。妻は俺の名前を忘れようとしてる。子供は口を聞かない。たった一人で飯を食う…そんな男に誰がなりたい? 他に誰もやる奴がいないからやってる。本当に誰かいればすぐに代わる。だが、誰もいない。だからやってる。それだけだ〟…これね、彼らだって言えるのよ、きっと」

 

「……他にやってくれる人がいないから、やるってこと?」

 

「あ、いま彼らを貶してるって思った? 違うわよー寧ろ尊敬している」

 

 若干不機嫌そうなピーターの声色で、言わんとしていることは分かった。その気になれば誰かがやれることを彼ら(アベンジャーズ)が代行しているだけで、彼らはたまたま転がり込んだ災難をこなして英雄視されただけの運がいいヤツ、という解釈に聞こえないこともないのだ。

 

「だれもが裸足で逃げ出すような難行に立ち向かい、その重みに潰れることなく乗り越える彼らは正に英雄……ちょっと胡散臭くなったわね、コホン」

 

「ホントだよ、一瞬超ウザいストーカー(コズミック変質者)正義の味方(クソ眼鏡)連想しちゃったよ」

 

「…エッヘン。と、とにかく、彼らは多分、誰もやらなくて自分ができるから、ただできることをやってるだけの、人間よ」

 

「……ただ、できることをやってるだけ?」

 

「そう。いいことでも悪いことでも…いや、悪いことはやっちゃダメよね。いいこと、いいことをしてる。そう見える。でも彼らには、その〝いいこと〟って意識して実行してるとかナイナイ。手の届く範囲でできることをやってるだけ。人間、それで十分よ」

 

 たとえば、とレイニーはベッドに腰かけたまま、横たわるピーターの向こう側のカーテンに手を伸ばす。当然レイニーには届かない。頑張って伸ばした手が、ピーターの眼前を通過した。

 

「私はそのカーテンに触れたい。でも届かない。どうやっても限界。じゃあどうする?」

 

「どうって…誰かに頼むとか?」

 

「だいせーかい。じゃあカーテン取って、P.P.」

 

 ピーターは寝転がりながらカーテンの裾を掴み、必死に伸ばしたレイニーの手に引っかける。その時触れた、ややひんやりとした感触にドキリとピーターの動悸がしたことを、レイニーは知らない。

 

「ありがとう、これで貴方も私のヒーロー!」

 

「え、なんで」

 

「私に手の届かないことをやってのけたわ。それだけで、私にとってはヒーローよ。

 いい? いまのが一般人とヒーローの縮図。一般人に手の届かないところに手が届くのがヒーロー。それを邪魔したり、伸ばす手を短くさせたりするわるーい人たちがヴィラン。ヒーローを簡単に例えれば……孫の手?」

 

「ぶはっ! な、なにそれ」

 

 思わずピーターは吹き出した。

 まさか、ヒーローを孫の手に例えるなんて思いもしなかったからだ。古今東西、ヒーローを孫の手に例えた人物なんてレイニーしかいないだろう、という確信さえあった。

 くつくつと笑い声を押し殺して肩を震わせるピーターに笑いかけ、レイニーはカーテンの向こうの夜空を眺める。夜のカーテンには無数の光と、ひときわ大きな月が浮かんでいた。

 

「決して届かない人たちじゃない。私たちと同じようにできることとできないことがあって、悩みもあるし苦しみもする。でも、それを我慢して自分のやりたいことを貫けるのが彼ら(アベンジャーズ)……なんじゃない? 私もよくわからないけど、別に全員血も涙もないロボットって訳でもないんだし、怪我すれば血は出るし面白いものを見れば笑うし、悲しいと感じたら泣くでしょ」

 

「ふっくくくく…! あー、面白い、相変わらずレニーの例えって独特っていうかさ。面白いよね」

 

 でも、とピーターは続けていた言葉が止まる。

 

(でも、それなら)

 

 ピーターの胸中には、十数年前の光景がまざまざと映し出されていた。

 胸を突く小さな衝撃。巨大な何かが通り過ぎた風圧。思わず倒れて擦りむいた手のひら。痛みに顔をしかめて起き上がった目の前に、彼女(レイニー)の姿は無く。

 血だらけのロケットだけが、レイニーの末路を暗示していた。

 

(でも、それなら。レニーは僕の、たった一人のヒーローだよ)

 

 人間は死後美化されると言うが、レイニーは事故死同然の扱いで処理されていたし、幼き日のピーターもレイニーは命を懸けて己を守ってくれたと、レイニーという存在を神聖視していた傾向があることは否定しようがない。

 まさか生きているとは思わず、初めて家に来た時には隠れてしまったが。こうして話すと、昔と変わらない映画好きの幼馴染だとピーターは実感していた。

 

 しかし、あるニュースが脳裏にちらつく。

 ユカリ・アマツという日本人風の少女がアニメ会社の広告塔として社長に就任したという、小さなニュース。髪は結んで黒い大人っぽいスーツに身を包んだ少女が、ベンディで、アベンジャーズの一員であるということ。それが、幼馴染の姿と重なって見えた。

 

(いやまさか。名前違うし)

 

 確かに黒髪はニューヨークではそれなりに見かけるが、レイニーのような顔の凹凸が少ない姿はあまり見かけない。多くの人種を受け入れる国として多くの国の人間が移住し、生活している。グローバルあるあるの一つ、「外国人は一人一人違いがよくわからない現象」だ。

 

 だから、胸の内にくすぶる小さな疑問は知らないフリをした。

 きっとそうなら彼女から言ってくれるだろうと、その時いまの自分に起こっていることを話そうと。

 それまで、自分がやってきた武勇伝を彼女に披露しようと。

 

 

 ───もしここで。

 もしここで、ピーターが「キミはあのベンディなのかい?」と聞いていれば。

 もしここで、レイニーが「貴方は巷で噂のスパイダーマンなんでしょう?」と返していれば。

 

 少なくともいくつかの悲劇を避けることができただろう。

 しかし、彼らは物語の出演者(アクター)の一握りに過ぎず。決して物語の流れを知る由もない、この世界に生きとし生ける者の一人に過ぎないのである。

 

 ここに物語の流れは決した。

 あとは坂を転がる石の如く堕ちて往くだけである。

 転々(ころころ)と、転々(ころころ)と。

 

 

 

 

 

 Chapter 88

 

 

 

「じゃあメイさん、また今度」

 

「えぇえぇ! 是非また来て~ピーターも喜ぶから! また面白い料理いっしょにしましょ!」

 

「是非とも。お邪魔しました」

 

 何故か含み笑いで見送られたけど、メイ叔母さん何考えてるのかな? 別にP.P.と私には男女の仲みたいな関係はないよ? 至ってノーマルな幼馴染。言い換えるなら同じ学校の同じクラスにいた友達、的な? 腐れ縁っていうのかね、別に腐ってないけど。腐る死体ですらない訳だし。

 パーカー家から出て雑多な夜道を歩く。人が多いって訳じゃなくて、ゴミとかモノとかそういうのが散らかってるってだけで。流石に中世のウィーンみたいに治水が悪くてそこかしこにウ〇コとか〇便とかが見えるわけじゃないよ。

 すこしひんやりとした夜道を歩く、ホップステップジャ──NO! え、何々急に視界がブレたんだけど!? あぁ、サーチャーからの視覚共有か。

 

「───あ、みっけ」

 

 みぃつけた。

 

 腕に機械を嵌めて悪態つく見覚えあるオジサン(クロウ)

 褐色黒髭の見覚え無い男。

 その男の背に仄かに見える、〝黒猫〟の守護霊。

 報告報告、端末開くと『ワカンダ王子様』の名前。アドレス交換してて正解だった。タップして数回のコール音の後、すぐに通信が繋がる音に切り替わった。

 

「オージ様? 弟さん見つけたわよ、ウンジャダカ…今はエリック・スティーヴンスだったかしら。近くにクロウもいるわ。寝首を…狙ってる訳じゃない? 協力体制? 座標は端末に送るわ、〝黒い風船(バルーン)〟が目印よ。確保はそちらに一任するわ。じゃ、またね」

 

 よし、これでワカンダ側が大ポカしなければ契約成立! いやー、世界中にサーチャーをばら撒くのは骨が折れたけど、その甲斐はあったね。まぁ折れる骨が無いんだけど!

 オークランドでワカンダ人らしき男性が出入りしてた記録は残ってたからそこから足取りを追ったら、ヴィブラニウム関連の工作員に行きついたのは行幸だった。でもクロウと繋がってるのは予想外だった、ワカンダ国民にとっての仇への確執はないの? って思ったけど、そもそも彼はワカンダから村八分されたような存在だしね。そこまで憎しみはないのか、それとも単なる利用価値だけを追求してのことか…ま、そのあたりはワカンダに任せよ。私が深入りする案件じゃないし、下手に深入りしてワカンダの内政に関わるなんてたまったもんじゃない。

 

 ん? 電話? もう確保したの? 仕事はやーいワカンダの技術は世界一ィィィィ────ッ! …って思ったら違った。スティーブだ。

 

「はい、こちらレイニー」

 

『ラムロウを見つけた、ラゴスに潜伏しているとの情報が入った。至急本部に来てくれ』

 

「了解」

 

 端末の通信を切って──疾走する(はしる)。急速に、周囲の景色が線になって後ろに流れてく。

 お酒で酔ってるその辺のおじさんからすれば、黒いハエかなんかが通り過ぎたようにしか見えないでしょうね。実際間違いでもないし。

 私の内に眠る(クイックシルバー)の力。気が遠くなるくらいしんどい訓練の末に身に()()()、魂の励起。

 彼みたいに銀色の風には成れずとも、黒色の颶風(かぜ)に成ることはできた。まだ持続距離は短いし連発はできない、確実性に欠けることからミッションの一部に組み込むことはできないけれど、実現する日もそう遠くはない、と思う。

 

No No No , Don't say that Nobody can beat me

 (イヤイヤイヤ、ソコデ弱気ニナッチャダメデショ)

 

「わかってるわよ」

 

 そうだ。

 私は彼の、彼らの魂を引き継いでるのだから。

 私は、彼らの無念を晴らすために、生きなきゃいけないんだ。

 

 

 

 



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粛正の街は、インクに濡れて




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 Nine little Soldier boys(小さな兵隊さんが9人) sat up very late(夜ふかししたら)

 

 One overslept himself(1人が寝ぼうして) and then there were eight(のこりは8人)

 

 

 

 Chapter 89

 

 

 

「それじゃ、ブリーフィング始めるよー」

 

 突然場を仕切ったような私の発言に若干の難色を表情で表現しないで! そりゃ離陸途中のクインジェットに飛び乗りして結構冷や汗掻いたけどさ!

 大急ぎで基地に戻ったら大空飛んでるクインジェット、流石の私も焦るわ。ピーター宅から向かうときに人選はスティーブと連絡して決めたから全員乗ってるけど、これ単純にスティーブの指示が良すぎて早すぎるが故の弊害だよこれ。

 

「クインジェットの飛び乗りならキミだって慣れたものだろう?」

 

「そんなのに慣れなくていいよ! っていうか慣れるものじゃないわ!」

 

 いやまて、私のクインジェット飛び乗りは1回……あっソコヴィアでウルトロン(改)潰すとき飛んだわ。でもあれ飛び乗りっていうより()()()()であって…え? 私にもっかいクインジェット壊してほしいの? ウウーン?

 ま、私の飛び乗り事情は置いといて。

 

「今回の作戦は元S.H.I.E.L.D.の対テロ作戦部隊(S.T.R.I.K.E.チーム)メンバー…とみせかけて実はHYDRAの構成員だったブロック・ラムロウを含むメンバーの確保・捕縛及び被害拡散の防止」

 

 ラムロウについて知らない人挙手ーと呼びかけると、ワンダだけが挙手。今回クインジェットに乗り込んでいるメンバーの大半、スティーブは勿論ナターシャさん、サムさんらS.H.I.E.L.D.崩壊の騒動に関与していたメンバーは面識もあれば接触もあったからね。ワンダはこの中で一番の期待の新人だ。だからそんなにブーたれないでよ、時期的に知らないのも無理ないんだから、ね。

 

「はい、質問ある人随時受付」

 

「質問。なんでヴィジョンは連れてこなかったの?」

 

「いい質問してくれました!」

 

 ナターシャさんに質問受付の活躍の場を与えてもらった感ハンパないけど、それは別に指摘しなくてもいいよね! ワンダは何となくこの人選把握してそうだけど私たちの能力に関する話題だから他のメンバーはあまりピンと来てないだろうし!

 

「現状、HYDRAは壊滅状態にあるけど残党の規模は分かっていません。そして私たちアベンジャーズの弱点は多方面からの攻撃です」

 

 以前トリスケリオンをHYDRAに乗っ取られた時でさえ、当時暗殺されかけたフューリー長官はHYDRAにバレないように秘密裏に身を隠して十分な治療を行えるセーフハウスを用意していた。

 敗北を学んでいなかったS.H.I.E.L.D.でさえそれだけの人員と設備を用意できていた。それなら、()()()()()()()()()()()()()H()Y()D()R()A()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ことアナグマ戦術と違法実験に関しては群を抜いてるHYDRAだからこそ、水面下でアベンジャーズの戦力を削げるくらいの準備を進めていたって何らおかしい話じゃあない。ソコヴィアの一件がいい例。

 

「もし仮にラゴスで目撃されたラムロウの情報がブラフであった場合強襲される可能性が高いのは、まだ一般公開されていない新アベンジャーズ基地。HYDRAに対抗している唯一の組織だからね。だから、基地防衛をヴィジョン、トニー、ローズ中佐に任せてる」

 

 アナグマ戦法であれば一対多数でマウントが取れるのはトニーが手繰る兵器による圧倒的物量だ。万が一のため新アベンジャーズ基地に出入りしているメンバーは作戦期間中は併設された地下シェルターへ避難、備蓄はそれなりにあるはずだから最悪2週間は食事も入浴もできる(ちなみにトニーの趣味でなぜかディスコもバーもある)。

 

 それに、こと索敵において役割が被る私とヴィジョンは別々に動く方が効果的だったりする。

 

 仮に、既に新アベンジャーズ基地にHYDRAの構成員が潜入していたとして、シェルターへの避難に紛れ込もうとした輩を見つけ出すことが可能なのはマインド・ストーンによる『人の心』を聞くことができる私とヴィジョンだけだからね。

 今回の場合、シェルターの門番には必ずヴィジョンがついてるし、ネットワークに接続して常時全カメラをチェックしてるから生温い用意での潜入は極めて難しい状況にある、と思う(テレポーターのような超能力者がいた場合の対処は難しいけど)。

 流石にネットワークの接続は私ができないから、今回は遊撃が私で拠点防衛はヴィジョンに一任して貰っている。勿論、私とトニーで力を合わせればネットワークにインクを侵食させて監視システムを乗っ取ることはできなくも無いけど、その場合インクに浸された基地やネットワークに及ぼす影響が未知数だし、なによりその訓練はまだしてなかったので却下。

 

「少なくとも私とヴィジョンが同じサイドになることは今後もあまりない。何故なら現在のアベンジャーズにおいて分断された場合、速やかに情報交換ができるのが私たちだから」

 

 情報の()()()伝達が、戦争においてどれほど影響を与えてるかは…まぁ歴史の教科書でも読んで頂戴! 現段階でも電信技術は発達してるし、いくらニューヨークとラゴスとの間が約5,240マイル(約8433km)あったとしても、トニーが用意した衛星通信によってほぼほぼロスタイムなしで通信できる。勿論傍受されることもない。

 

 けど、だからといってそれを過信しすぎるのはよろしくない。

 

「例の〝念話〟ってやつか? テレパシーみたいな」

 

「そ」

 

 もしHYDRAが私たちの知り得ない未知の技術によって通信の傍受ないし阻害する技術を手にしていた場合、一気に不利になるのは私たちだ。だから、万が一が起きてもいいように連絡役の私とヴィジョンを両サイドに振り分けることで、互いの情報を交換してスムーズに作戦を遂行する。もしかしたらトニーの指示なしにはやっちゃいけないこと(トンデモ兵器の投入とか?)とかもあるかもしれないからね。え? 立ってたアイアンマンの銅像ぶっこわし案件? それは聞かなくてもいいでしょ、なんてったって最優先は市民への被害拡散の防止なんだから。キャプテン・アメリカの銅像? そもそもラゴスにそんなの立ってたりするのかな。

 

「なるほど、それで私は()()()なのね」

 

「お察しの通り、ワンダは〝送信〟は難しいけど〝受信〟はできる。ラゴスで2部隊に分かれることがあったら、私とワンダは別行動をとっても連絡できるよ」

 

「そいつは有難い。期待のニューアベンジャーズの力、見せてやろうぜ」

 

「望むところよ」

 

 ワンダとサムさんがハイタッチ。チームワーク演習で新規加入したワンダ、サムさん、ローズ中佐の仲は初期よりもよくなってる。この前は一緒にお茶して談笑してたのを見かけた。メンバーの仲が深まるのはいいことだなぁ。

 

「2つ目は、今回発見されたラムロウとの照合不可(マッチングエラー)

 

「72%? 言うほど高くないな」

 

 ぺろりと卓上の書類を見せるとサムさんが難しい顔をして腕を組んだ。この情報には私もスティーブも苦い顔をするしかなかった。

 

「そう。ラムロウはトリスケリオンの崩壊に巻き込まれたって話だけど、ワシントンの病院でエニシ・アマツが執刀を担当してた。もしこの情報が本当だったのであれば、どんなにぐちゃぐちゃにつぶれた顔であっても何もなかったかのように元に戻せる、それくらいの腕前を持っているはず。なのにこの数値」

 

 わざと跡を残したのか、それが本人の希望なのか、それとも本当に別人を仕立て上げたのか。仮に3番目が真実だった場合、これからラムロウ本人を見つけることはひっじょーに難しい。これらの情報が意味することは、KGBに属していたナターシャさんも理解してるはず。

 

「影武者である可能性が高い、ってことね」

 

「うん、もしラゴスに出没したラムロウらしき人が影武者で、実は密かにニューヨーク近郊、もしくはまた別の場所で身を潜めていたと考えると」

 

 HYDRAという組織は、稀に見る強かで狡猾な秘密結社(謎)だ。

 そろそろ負け癖ついて組織から抜けて亡命する人とか増えてもいいと思うんだけど、多分それを許さず人心を狂わせて手駒にするエニシと、行方不明になっても尚組織の象徴で在り続けるレッドスカル(統領)のカリスマ性によるものなのだろうなぁ…人生っていうのは、思いがけない人との出会いですべてが決まってしまうものだったりするから、彼に出会った瞬間そのカリスマに魅了された人たちってのはもうHYDRAから逃れられないんだろうね。

 

 ……そもそも、最近はHYDRAという組織に対して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という疑問があったりするけど。研究内容といい活動といい、支配とはまた別の思惑があるような気がしてきてるけど…うーん、私の思い過ごしかな? そのあたりはパパに任せよう。

 

「なるほどな、戦力集中による早期解決は危険ってことか」

 

 それもあるけど、互いのチームアップによって単純に役割が重なっているところが増えてきているのもある。個人の対処能力には偏りがあるけど、今日までの訓練のおかげで、組み合わせればおおよその事態には対処できるまでのチームになりつつある。いいことだぁ。

 災難(テロ)を雨と例えるなら、人は一般市民、傘が私たち(アベンジャーズ)。人々が雨でぬれて被害を被らないようにするのが私たち(アベンジャーズ)…ううーん、上手い比喩が見つからない!

 

 『スチュワーデスがファースト・クラスの客に酒とキャビアをサービスするように』とか!

 『試験終了チャイム直前まで問題を解いている受験生のような必死こいた気分』とか!

 そういう比喩表現が欲しいんだよ私は!

 

 私自身の語彙力のなさを恨むしかないな…今度映画だけじゃなくて小説とかも読んでみよ。この前ナターシャさんに勧められた…なんだっけ…「All happy families(幸福な家庭) are() alike(すべて) ; each(互いに似通ったものであり) unhappy family(不幸な家庭) is() unhappy(どこもその不幸の) in its own way(趣が異なっているものである)」で始まる小説。タイトル思い出せない…後で作戦終わったら聞いてみよっと。

 

「それに、私たちはこのメンバーでも十分連携が取れるように今日まで特訓してきた。今回の作戦はこのメンバーでも問題なく遂行できるって、私は信じてるよ。ハイキャプテン、バトンタッチ」

 

「受け取ったよ。レイニーの言った通り、僕もそれを信じる者の一人だ。このメンバーであれば完遂できると、僕は信じている。皆が互いを信頼し、任務に就けばできないことはない。自分のやれることをやる、ベストをつくすことだ。それが成功に繋がる。

 現地入りしたら各員配置につき、情報収集しつつラムロウの動向を掴もう。奴が何を狙っているのか…確保が望ましいが、周囲への被害を防ぐことが第一だ。情報交換は密に、無線で適時連絡するように」

 

「「「了解」」」

 

 青々と広がる北大西洋を抜ければ、西サハラ、モーニタリアが乗るアフリカの大地が見える。南へ大きく迂回していけば、ギニヤ湾が望めるナイジェリアの大都市ラゴスまですぐだ。

 

「さて、こっちがラムロウ本人かどうか…」

 

「本人だったら、ワシントンでの因縁に決着がつくね」

 

「ああ、そうなるのが一番だ」

 

 なんだかんだ言って、私とスティーブは同時期にS.H.I.E.L.D.のS.T.R.I.K.E.チームに所属していた。だからなのかそのせいなのか、2年前の事件に関しては思い入れが深かったりする。

 いまや…じゃないな、既に敵対している元S.T.R.I.K.E.チームのメンバーとはその頃何度か組手したけど、当時は単純に体格差が逆に私に有利だった。そもそも体の大きさを自由に変化できる私には、戦闘経験の少なさを抜きにしても有利ではあった。

 でも、その中でもラムロウはS.T.R.I.K.E.チーム随一の実力を持っていた。筋力、腕力、膂力などは超人血清のアドバンテージがあるスティーブに負けるところが多いけど、純粋な戦闘技術では迫るものがあった。実際戦闘技術はMCMAP(海兵隊式マーシャルアーツプログラム)に通ずるところがあったし近接戦闘におけるナイフの扱いもヤバかった、訓練中に何度か細切れにされたのは忘れてないぞ。別にそのことでは恨んでないけど、勝った時の「ヘヘッ」って感じの嘲笑には何度かカッチーンと来たけどね!

 問題は、S.H.I.E.L.D.崩壊から今日に至るまで、ラムロウがどんな特訓をしてきたのか。もしくはどんな施術を受けてきたのか。それが一番ネックな点。

 相手側にあのマッドサイエンティストのエニシが加担してるとなると、最早何でもアリな気がして怖いところではある。多分、エニシそのものが好奇心で開けてはいけないパンドラの匣ってイメージが強いからだ。

 

 だから、その好奇心で自分から匣の蓋を開けようとするエニシ、ほんっっっと余計な事しないで(懇願)。

 マジリームーでノーサンキューなので!

 

 

 

 

 

 Chapter 90

 

 

 

 敗北ばかりの人生だった。

 勝利はあった。ジャンケンに勝ったとか、腕相撲で買ったとか、賭け事で勝ったとか、小さな勝利はあった。その勝利は腹の底で埃のように積もって、しかし決して肥大化することなく。むしろその勝利は心を空虚にしていく病原菌ですら、あったのかもしれない。

 

 心を満たす勝利は、終ぞ得られることはなかった。

 別に有名人にならなくてもいい。テレビに出なくてもいい。悪のカリスマとして躍り出なくてもいい。誰かの人生を変えるような大物になんかならなくてもいい。

 

 ただ、勝ちたい。

 

 HYDRAという組織に属して、男は漸くその空虚を満たせるかもしれない目標たちを見つけることができた。そして、虎視眈々とその機会を狙う中で、勝てば必ず自分の人生に〝意味〟を見出すことができるだろうという確信が芽生えた。

 体を鍛えた。技術を磨いた。部下を揃えた。武器も用意した。

 万全な準備、最早覆りようもない状況になって尚──彼らは、それを意図も簡単に引っ繰り返した。三機のヘリキャリアは互いを潰し合い、トリスケリオンは崩壊し、勝利の凱歌は破壊の騒音と全身を貫く痛みに終わった。まるでフルコースの料理を目の前にしてテーブルを引っ繰り返されたような、そんな気分だった。

 

 初めて、悔しいと思った。

 

 自分にそんな大層な力がないことは分かってる。所謂、身の丈は理解しているつもりだった。しかし、男にはその身の丈に合った小さな勝利だけで満足できるほどの器ではなかった。

 

 たった一度の敗北は、今までの小さな勝利を無に帰すに相応しい経験だった。

 

だったら、同じ土俵に立てばいいじゃない

 

 女神(あくま)の囁きが、点滴に繋がれた男の鼓膜を擽った。

 

勝ちたいんでしょう? 勝利したいんでしょう? あの男(キャプテン・アメリカ)に敗北の土を味合わせて、俺の勝ちだと、勝ったんだと、そう叫びたいんでしょう? わかるわぁ、その気持ちよぉくわかる。

 だから、勝利へのチケットをプレゼントしてあげる

 

 医師から診断された怪我は、全身の粉砕骨折に肺の機能2/3の喪失、脊椎へのダメージによる下半身不随。

 それが、たった1日で完治した。

 

 これが神の思し召しか、とは思わなかった。

 流石に男も疑った。

 人生が。

 人生が、こうも簡単に思うがままに進むものではないはずだと。現実がそうであったとしても、男は別の思惑を疑った。

 

 でもそんなことどうでもよかった。

 

 勝てるならば。

 あの生きる英雄スティーブ・ロジャース(キャプテン・アメリカ)に勝てるならば、何でもよかった。正しく光の道を歩き征く英雄に牙を突き立てられるならば、それだけで己の人生に意味はあったのだと、満足できるだろうから。

 

 男の妄執は肉体限界を凌駕し、超人血清による死よりも辛い激痛にも耐え、1日も欠かすことなくひたすら体を鍛え上げた。その中で何人か稽古相手を殺してしまってはいたが、その程度では男の中で勝利と呼べるものですらなかった。

 

 男は一度だけ、その胸中をメンバーに話したことがあった。

 例えその行いがHYDRAへの利益とは関係ないものであったとしても、あのスカした野郎の首を獲ると、ついでにインクの薄汚い売女も消してやると。

 いつか目の前で血の海に沈む英雄の姿を晒してやる。その情熱はメンバーも思わず涙に来るものがあったのか、作戦開始前には激励さえも貰った。

 もう、そのメンバーと連絡することはない。死んだかもしれないし気絶してるかもしれないし逃亡してるかもしれないが、そんな些事は、キャプテン・アメリカを斃してしまえばどうでもよくなる。

 そしてついに、対面の時は来た。

 

 逃げ惑う人々。目障りな砂煙。その奥の人影に、威風堂々と歩む英雄(キャプテン・アメリカ)

 

「よぅ」

 

「……ラムロウ本人だな」

 

「わかるのか」

 

「わかるさ」

 

 男には、爆弾が爆発する直前のような、空気を焼き焦がす緊張が心地よかった。

 熱気と殺気が肌を焼き焦がし闘争心を高ぶらせる。骸骨(クロスボーン)がモチーフのマスクを剥がし、自身の敗北の証たる顔の火傷を晒す。スティーブの息を飲む声がした。

 

「その火傷…」

 

「そうだ、()()()治療しなかったんだ。この怪我を無くせるとあの女は吐いたが、何もそこまでするつもりはないと突っぱねてやった。毎日朝起きて顔洗うときに顔見りゃ、敗北の記憶をイヤでも思い出せるからな」

 

 手にしたマスクを片手の握力で潰す。

 見た目でその硬度を推し量ることはできないが、少なくとも至近弾を防ぐ程度の硬度は持ち合わせていたであろう頑丈なマスクは、ラムロウの手で粉々に砕け散った。

 その様を見てまさかと疑い、同時に悟る。ラムロウも己のような超人血清か、それに準ずる何かを投与されたものだと。

 

「凄いものだろう? これで同じ土俵に立った。もう作戦が成功しようが失敗しようがどのみち俺はここで終わり。だがなキャプテン、俺は俺の手で斃れるお前を見なきゃ、死んでも死にきれないんだよ」

 

 はじめは唯の仇敵でしかなかった。

 しかし英雄然とした振る舞いはやがて憧れへと変わり。

 やがて褒め称えられる英雄を凌駕したいという妄執になった。

 

 ラムロウの覚悟を受け取ったスティーブは、自慢の盾を地面に突き刺し、マスクを外し、ファイティングポーズを構えて正眼に向き合う。それが、スティーブの見せる相手への最大の敬意の表れでもあった。

 察していたのだ。理由や動機はどうであれ、ラムロウはスティーブ・ロジャースという男を何としても打倒するために、今日という日まで生きてきたことを。その決意と覚悟と執念への敬意でもあった。

 

「嬉しいぜ」

 

 ラムロウもそんな英雄の姿に思わず満足感が生まれてしまうが、彼の最終目標はキャプテン・アメリカの打倒である。組織の損失だの世間体だのそういう雑音は一切抜きにして純粋に勝つ。ただそれだけである。

 

 いつしか喧噪は消えていった。

 二人の間に生まれた独特の空気が周囲に伝播し、その死闘を見守ろうとする市民たちが各々口を噤んだのだ。

 

 ざり、と靴が砂を噛む音さえも響く。

 

「キミに一つ、言いたいセリフがある」

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 このとき──偶然か、はたまた運命の悪戯ともいうべきか。2人の頭の中ではある映画の戦闘シーンが脳裏を過った。まだS.H.I.E.L.D.崩壊が始まる前の仮初の平和の中で、ある少女がS.T.R.I.K.E.チームに勧めて観せた映画だった。

 

「来い、銃なんか捨ててかかってこい」

 

「野郎、ぶっ殺してやる」

 

 地面が爆ぜ、硬く握りしめた互いの拳が頬に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 Chapter 91

 

 

 

「まさか、生物兵器が狙いだったとはね」

 

 気絶しているHYDRA構成員を尻に敷き、レイニーは黒インクに包まれた試験管をじろじろと眺めては溜息をついた。

 ちなみにこの黒インク、レイニーが放ったものではない。()()()()が扱ったものだった。

 レイニーは事前にメンバー全員に、〝特濃インク(小)〟を配布していた。アントマンとの交流があったレイニーは秘密裏にピム夫妻とインクの謎にまつわる研究に着手しており、その研究課程の中で生まれた副産物が、件のインクバリアである。本来トミーガンに変化させたレイニーの手から発射されるものだが、量子力学に詳しいピム夫妻や二代目アントマンのスコット、二代目ワスプのホープ、元ゴーストガールことエイヴァと後見人のビルも巻き込んで開発を進め、レイニー以外でもインクバリアを扱える小型装置の開発に成功したのだ。

 ピム博士曰く、ピム粒子の応用で小さいものを大きくする現象をインクに当てはめた結果、レイニーの意思とは関係なくインクバリアを発動することができた、らしい。ここまでは理解できたのだが、詳細な原理に関してはレイニーだけでなくスコットも頭から煙が吹くほど難解な理論であったため、とりあえずできるようになった、とだけ。

 

 握り潰せば数秒だけだがインクバリアによる即席の防護壁として機能でき、人や物に命中させればあらゆる衝撃を緩和、或いは捕縛する機能もある。ただ、現状量産体制は取れていないため人数分しか貰えなかったが、初の実戦投入では功を奏したらしい。

 

『流石、俺のレッドウィングに搭載しておいて正解だったぜ』

 

「いやホント、間に合わなかったから大助かり」

 

「私の分はさっき使ったから…ソレすごいわね、密室内の手榴弾見たときは流石に死を覚悟したってのに」

 

 髪についた土埃を払うナターシャは、戦車内での交戦時に身を守るために使用したらしい。しかも相手はあのラムロウ、敵と組み合ってる隙を狙って手榴弾を投下、戦車の出入り口たるキューポラを塞ぐオマケつき。流石のナターシャも本気の殺意と死期を悟り、焦って使ってしまったらしい。

 だがそのお陰で組み合っていた敵は爆散して見るも無残な姿になってしまったが、ナターシャに怪我はなく脱出不可能な現場も悠々と乗り越えることができた。

 

『レイニー、病院内のガスは排出完了。市場に向かうわ』

 

「了解、避難誘導しつつこちらに来て。何があってもいいように合流しましょう」

 

『了解』

 

『……で、アレどうするよ』

 

「…アレ、ねぇ」

 

「正直、私としてはすぐに狙撃してラムロウを仕留めるべきだと判断するけど?」

 

 サムの無線連絡に対して冷ややかな意見を述べるナターシャ。

 同様に男心というものが理解できない現実主義(リアリスト)のレイニーも、どこか冷めた目で広場の中央に視線を移した。

 

 パァン! と大気を弾く音。

 それに紛れて木霊する男同士の呻き声、怒声、咆哮。

 人体の耐久性の限界を試すかの如く突き出される拳、蹴り、頭突き。

 

 決して相手が倒れるまで屈することはないという、声を掛けることさえも躊躇われる男同士の激戦が、そこにはあった。

 

「映画じゃ割と見る泥仕合だけど…現実でのオトコゴコロはわからないなぁ…ナターシャさん、生物兵器お願い。ちゃんと専用の保管ケースに入れておいて」

 

「わかったわ。で、どうするの? あの脳筋(バカ)2人」

 

 既に2人の服はぼろぼろで、上半身が露出してる状態だ。

 体のいたるところが青い痣で埋め尽くされ、スティーブの端正な顔もラムロウの火傷だらけの顔も殴打痕で内出血が酷い。

 互いに肉体の限界を超えた戦い。それでも、負けないというたった一つの意思が震える膝を叩き、肘を引き、拳を放つ。

 

 特に目新しい能力でもない派手さもない超能力バトルでもない。力こそ常人を遥かに凌駕したものではあるが、やってることは意地と意地のぶつかり合い、拳で語るケンカだった。

 

「……ひとまず、そこらでノびてる連中は縛り上げておこう。自害しないように奥歯の青酸カリとかもチェック。猿轡あったはずだからそれ噛ませといて、」

 

 そのとき。

 レイニーの視界に、不気味な白いナニカが映った。

 風に靡いてきえたそれは確かに、医療用の白い包帯が風と戯れて遊んでいるように見えて。

 

「───」

 

 ハッと、視線を広場の中央に移す。

 徐々にその激戦故に市民が距離を取り始め、遠巻きでもその光景が見えるようになってきた。小さなどよめきと共に、ついにぼろぼろのラムロウが膝をつき。

 

 そしてレイニーは()()。周囲一帯が大爆発で吹き飛ぶ、少し先の未来を。

 

「っごめん! ちょっと」

 

「レイニー!?」

 

 華奢でこそあるが、レイニーの走る速さはそれなりに早い。遠巻きに見る市民の間を潜り抜け、時には頭上を飛び越え、駆け抜ける。

 

【ワンダ! ラムロウがやばい、見つけ次第すぐ上空に飛ばして!】

 

 念話でワンダに火急の件を伝え、レイニーは全身のインクを赤く滾らせる。

 己の中のクイックシルバーの力を意識して励起。最近使っててわかるようになったのだが、恐らくクイックシルバーの力を行使する際には体内のリアリティ・ストーンが関与してるらしい。だから赤くなるのだと。

 原理は不明。理由も不明。そもそもリアリティ・ストーンの力もわからない。わからない力を行使することが危険であることは、師たるエンシェント・ワンが何度も釘を刺して言ったことだった。

 

 しかし、目の前の大勢の命を救う為に使う力を、間違いだと思いたくないのがレイニーの本音である。

 

 故に、一秒が何倍にも膨れ上がった世界の中でレイニーは疾走を開始した。慄くスティーブの脇をすり抜け、自身の心臓の鼓動を己の手で止めて体内の爆弾の起爆を目論むラムロウの首根っこを掴む。

 

 このとき。

 一秒にも満たないたった一瞬だけだが、レイニーとラムロウの体感時間が()()した。

 

 首を掴まれたラムロウはその一瞬だけレイニーの存在を認知し、そして破顔し口を開いた。

 

「俺と一緒に死んでくれるか?」

 

Get out of here !

(お前一人で勝手に死ね!)

 

 自身の中で最上級の罵倒を履き捨て、レイニーは起爆するであろうラムロウの爆弾をラムロウ本人ごとインクの中に吸収した。ようとした。

 

 

 

 

 

 Chapter 92

 

 

 

「物語とは──歴史とは──本来あるべき流れがある」

 

「………」

 

「犠牲なき勝利。美しいな、素晴らしい。完膚なきまでの完全勝利だ。ワタシが出しゃばって邪魔をすることもなく、この結末は如何に介入しようとも変えられるものではない」

 

「………」

 

「だがなぁ? 物語を陵辱せん行為、このワタシが許そうとも()()()その蛮行を赦すかな?」

 

 

 

 

 

 Chapter 93

 

 

 

 このとき、レイニーは無意識のうちに吸収の力を緩めていた。何らかの、自身では抗えぬ大いなる意思によって、その力は抑制された。

 

 たった一瞬、同期してしまったラムロウの懇願を読み取ったせいか。

 はたまた、かつての同僚に手をかけることへの躊躇か。

 それは、レイニー本人でさえも分からない。

 

 だがその一瞬は分岐点ではなく、しかし決定打であることは確かだった。

 

(ちィ──!)

 

 完全にインクと化す前に、爆発が止まらないことを確信したレイニーの決断は早かった。

 事前に上方に吹き飛ばすよう、ワンダと念話を交信していたレイニーはその浮力に更なる加算、両足をバネのように形態変化させて跳躍、起爆寸前にはラゴスの街を一望できる高さまで上昇。

 

(あっ)

 

 当然、今のレイニーにそんな景色を見る余裕はない。

 ただ、遥か下で驚愕に顔を歪めるスティーブ、ワンダ、ナターシャたちの顔だけが、やたらハッキリと見えて。

 

 

 心臓を爆ぜたような爆音と衝撃が、レイニーの全てを粉々に砕いた。

 

 

 消えゆく意識の中で、バキリと悪魔の悲鳴のような悲痛な金属音が木霊して。

 レイニーの意識は、完全に掻き消えた。

 

 

 

 ───同刻、ラゴス上空で巨大な閃光と爆音、それを覆うような黒い液体が爆ぜ、爆熱で熱された液体を被った市民の何人かには火傷の被害があった。

 しかし、爆発こそ大規模ではあれど衝撃による窓ガラスの破砕で負った怪我などの軽傷があっただけで、市民への犠牲は最小限の形で抑制することが叶い、アベンジャーズとしての目的は完遂された。報道でも爆発騒ぎはあれど、アベンジャーズの手によって未曽有の爆破テロは防がれたと彼らの働きを讃えていた。

 

 たった一つ。

 

 レイニー・コールソンの核たるインクマシンの破損という、大いなる損失を除いて。

 

 

 

 

 

 Chapter 94

 

 

 

「こういうとき、お前たちは〝きたねぇ花火〟とか言うんだったっけ? ワタシあのセリフ嫌いなのよねー定型文っていうか、アンタらそれしか言うことないの? って気分になるのよ。寧ろそれを狙ってるんだとしたら愚かの極みとしか言えないんだけどサ。なぁ? どう思うよ異次元からきた旅人さん……ん?

 あぁースマン。悪かった、あっちゃぁ失敗したなぁ。久々過ぎて()()を間違えてしまったよ。もう少し刺激は弱めに設定するべきだったなぁ、惜しいことをした。見飽きはしたが、貴重な検体をまた一つ無駄にしてしまった。残念残念」

 

「……、…」

 

「ま、どうせまた流れてくるデショ。ここは()()()()世界だからな。また目新しい情報を持っててくれると、ワタシとしては非常に嬉しい。たった一つ、ワタシの願いを叶えられる有益な情報があるならば、いくら流れ込んできたって構いやしないさ。この世界を陵辱(レイプ)しない限りはなぁ」

 

「……」

 

「うーん、また流れ込んでくるなら派遣させた■を探して殺さにゃならんけど…ま、問題ないな。この世界の■は必ず殺せるイージーエネミーだし。■さえ殺してしまえば如何に強大な力を持ってようが木偶当然。身の丈に合わない外装(アタッチメント)を剥いでしまえば大体は卑屈で下劣で取るに足らない矮小な魂、それでも使()()()()無数にある。どんな塵でも一粒さえ無駄にしないワタシが要ることを感謝して、安心していらっしゃーい、かもんかもーん。丁重なO・MO・TE・NA・SHIをしてあげよう、和の心は大事だからね慎みは忘れてないぞぅ」

 

「…、、」

 

「嗚呼、次の旅人はどんな情報をその魂に刻んでるのかな。無味乾燥な学生生活? 虐げられた幼少期? ブラックな会社で馬車馬の如く働く社畜? 今世に絶望し自ら死を選んだなんとも哀れな悲劇の主役(ヒロイン)? ドンと来い超常現象! 地獄から抜け出て浮かれたような連中の顔を歪めて絶望させるのは、今のワタシにとっての唯一の娯楽なんだ」

 

 

 

 

 








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少女は■の夢を見ない

 祝、15万UA突破
 ありがとうございます


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  Eight little Soldier boys(小さな兵隊さんが8人) traveling Devon(デヴォンを旅したら)

 

  One said he'd stay there(1人がそこに住むって言って) and then there were seven(のこりは7人)

 

 

 

 Chapter 95

 

 

 

命はなく。体はなく。心さえもない。

 色彩はなく。明暗はなく。境界さえもない。

 しかし其処にはすべてが在って、底にはすべてが無い。

 何()たりとも到達することの叶わぬ果てに、彼女は在った。

 

(ここは)

 

 視覚という機能が消えた己に映る光景は、地平線で(そら)(だいち)に区切られた世界。

 おおよそ生気と呼べるものが枯渇──否、生者の存在さえも赦さぬ空間。

 恐ろしい、とさえ思う完成されてしまった世界の果てに、己以外のなにかがあった。

 

(なに、あれ)

 

 白き天より垂らされた、一本の柱。

 否、柱と呼ぶには頼りない。紐、或いは糸と呼ぶに相応しい、頼りないもの。それに必死に手を伸ばそうと藻掻く、無数の亡者の群れだった。

 亡者が亡者を踏みつけ、押し退け、時には踏み潰され、やがて崩れる。

 誰もが救いの糸を望んで手を伸ばし、しかしその努力は人柱の崩壊と共に水泡に帰す。それでも亡者は浅ましく、何度も何度も立ち上がり糸に手を伸ばす。己が掴み取るという未来、その可能性を信じて疑わず。誰かを踏みにじり、また誰かの足を引っ張り。

 

 自分こそがこの世界(主人公)()抜け出せる(相応しい)のだと、証明するために。

 

(ちがう)

 

 少女だけは違った。

 己の中で、その可能性だけは否定した。その在り方だけは否定した。

 

(この世界を抜け出す方法は、そうじゃない)

 

 誰もが天から差し伸べられた糸に手を伸ばす。醜悪とさえ感じるその光景から目を逸らすように背を向け、少女は正反対の方向へ進む。

 聴覚のない世界で囀る亡者の怨嗟が聞こえなくなった頃、少女は歩みを止めて、境界線を覗き込む。

 そこには、ぶよぶよと揺れる白い発光体が映り込み、やがて(インク)の水面に(レイニー・コールソン)の姿が現れる。

 手を伸ばせば、鏡像の己も手を伸ばす。そしてどぷりと音を立てて手が飲まれ、腕を喰われ、肩が、頭が、体の全てが黒に呑まれていく。

 

 其処()にはすべてが在って、()にはすべてがない。だから底へ征こうという発想が沸かない。救いの手さえも天から降ってくると信じていれば考えつく、当然の帰結だった。

 

(馬鹿げてる)

 

 機会(天の救い)さえ降ってきたのならば、それを(可能性)で掴み取ってこそだという理屈は理解できる。

 ただし現実はそうではなく、この空間においてはそれが際立っている。

 

 悪魔(ベンディ)腸の中(ハラワタ)を抜け出す方法などない。

 呪われたら最後。魂の一欠片が塵と化すその日まで、未来永劫囚われ続ける。

 

(だから、それが逆)

 

 故に、(レイニー)は堕ちる。

 誰もが望まぬ地獄の底へ。落ちて、墜ちて、堕ち続ける。

 自ら悪魔の腸の中へ潜り、沈み、己が魂を自らの意思で穢していく。

 もう二度と生まれ変われないくらいに、昏く。

 地獄の窯に炙られるように、黒染む。

 無垢()という色が嘘であったかのように、己が魂を醜悪なエゴ()で染め上げる。

 やがて沈む速度が星の光ほどになったところで、()の世界が晴れ始める。対比だ。

 無垢()の魂には世界()より白く成れない。だが穢れた(黒い)魂は己が裁量次第でどこまでも黒く貶められる。そして穢れたことで、()の世界は裏返る。悪魔の哄笑が、響いた。

 

Welcome home

 (オ カ エ リ)

 

 ただいまと声無き声で象り、悪魔(ベンディ)の手を取る。

 カラフルな(現実)世界へ引き上げられる寸前、(レイニー)はふと、糸に群がる亡者のことを思い出した。

 

()()()()()()()()()

 

 背ける前に見た亡者。

 彼ら/彼女らは皆、(レイニー・コールソン)だった。

 

 

 

 

 

「…んわァ」

 

「わっ」

 

「おや、目覚められましたねお母様。おはようございます」

 

「え──……あ、あぁ…おはよぅぷ」

 

「義姉さん!」

 

「ぉ、お──ワンダ。ごめんよちょっ相変わらず胸やわらか、でっか…ちょっと待っていつもよりデカくない?」

 

「いいえ? 変わられたのはお母様かと」

 

「へ? ……え、ん? あれ? 声? っというかサイズ。手ちっちゃ」

 

「私がインクマシンを修理して再起動したときには、既にお母様の身体は()()姿で固定されていました。一般的な子どもの背丈と比較しますと、推定年齢6歳といったところでしょうか」

 

「あ…あはは、小さいおねーさんになっちゃった」

 

「笑い事じゃないわよ」

 

「(あ、怒ってる)ごめんねワンダ、私の判断ミスだね」

 

「そんなことない、そんなことないから…よかった…本当によかったッ…!」

 

【…ヴィジョン、スティーブ達への連絡はもう少し後にしてもらってもいい?】

 

【かしこまりました】

 

 

 

 

 

 Chapter 96

 

 

 

 どうやら、ラゴスでの一件から約1週間ほど経過してたらしい。

 ラゴスでの大爆発後、半ば暴走しそうになったワンダをスティーブが取り押さえて防止、サムさんとナターシャさんが破損したインクマシンとインク片を回収して保存。

 クインジェット飛ばして本部へ到着、連絡を受けてたヴィジョンとトニー、科学班、医療班総出で迎えに来て治療という名の修理。ヴィブラニウム加工技術を持つヴィジョンを船頭に修復に当たって3日掛けて再起動、2日掛けて()()私の姿に戻り、起床ということらしい。

 ヴィジョンとワンダからインクマシンの破損による記憶や人格の変化の有無をチェックされたけど、私は私だし特にこれといった問題は見当たらなかった。感極まったワンダにまた抱き付かれたけど。

 

「……ワーンーダー?」

 

「何? 小さな義姉さん」

 

「…もういいや」

 

 以前よりも更にスケールダウンした私、ベッドの上のワンダに大絶賛拘束中。胡坐かいた上に人形みたいにだっこされてます。後頭部にとてつもなくやわこいクッションが、低反発で、沈む…そして感じる敗北感。未来永劫、この柔らかさを手にする日は来ないのか…ごめん泣きそう。

 試しにテレビを点けると、ニュースではラゴスでの爆破テロが報道されてた。爆破が主目的のテロじゃなかったんだけど、まぁいっか。爆破はアベンジャーズが未然に防いだことで称賛されてたけど、どの番組にも評論家気取りのコメンテーターはいるようで、如何なる法的拘束がないアベンジャーズの活動を危険視、多少過激な人はいつその兵力が反旗を翻して国を喰い殺すか分からないと即時アベンジャーズの解散を訴えたりしてた。

 特にベンディなどという人外の悪魔を野放しにしていることに関して言及してて、悪魔の手が我々人間に及ぶ前に即刻処刑しろなどと宣った。過激だなぁ。

 

「勝手なこと言っちゃってるねぇ…ねぇワンダ?」

 

「降りて義姉さんそいつ(kill)しにいけない」

 

「それはいけないもうちょっとビブラートに包んで! こう…コロコロ(rolling)しに行ってくるとか!」

 

「なるほど、オブラート(oblaat)ビブラート(vibrato)を掛けた言葉遊びですね。両方語源は異なりますが、流石お母様」

 

「いまのコンディションでできる渾身のボケを詳らかに解説された…」

 

 音の高さを調整して伸ばしてどうするんDA! って自分ツッコミしたかったのに…流石我が息子、ボケ潰しならぬツッコミ潰しとはデキる子だ。

 

 確かに、現在アベンジャーズはどの組織にも属していない、国家や政府から完全に独立した言わば自警団。国際法的にも正規の軍隊からちょっと…いや、()()()逸脱した兵器を所持してるし、軍や警察ができないような非合法的な活動もできる。何より活動そのものが国境を越えてしまってるし。

 先日、できることが増えたって私は話したけど、それは自分たち以外から見れば十二分に脅威と言えるだろう。もし悪用されてしまえば国家転覆なんて夢物語ではなくなってしまう。故に、コメンテーターも過激でこそあるけど私たちを縛る法的拘束──つまり、『枷』が欲しいんだ。

 

 だから、私はロス将軍から持ち掛けられた()()()()を受け入れた。

 

「レイニー、ワンダ、ヴィジョン。ちょっと来てもらってもいいか」

 

「義姉さんいける?」

 

「大丈夫だよ。っんしょっと」

 

 スティーブに呼ばれてベッドから降りる。

 ……インクマシンの破損の影響か、はたまた別の要因か、私の身体は小さくなってしまった。具体的には、ベッドの高さが肘関節くらいに。

 私が目覚めてワンダが泣き止んでからみんながお見舞いに来た時には、そりゃあ驚かれたし怒られた。

 

 「なんで小さくなってんだ」とか。

 「なんであんな無茶したんだ」とか。

 

 それに対して「いや寧ろラムロウのタイマンに乗って周り見れなくなったキャップに非がある気がするし、被害者いなかったんなら儲けものでしょ。小さくなっちゃった原因は不明」と返すと、身体中にシップ貼ってたスティーブがガチでしょんぼりして、サムさんに慰められてた。国の英雄がしょんぼりする姿なんか誰も見たくないって。イヤHYDRAの連中は見たがるだろうけどそれはどうでもいい。どうでもいいから! だから追い打ち掛けるように悪口言わないでよトニー! スティーブのメンタルをタコ殴りすな!

 小さくなったことに関してはインクマシンの不調ってことで、多分時間が経てば治るでしょと答えた。ベンディに話しかけて見てるけど、曖昧な返答と冗談交じりの雑談しか返ってこないから…まぁ、問題ないでしょ!

 多分だけど、インクマシンの損傷に伴って精製できるインクの総量が大幅にダウンしちゃったんだと思う。前よりも〝私〟を構成するインク量が減ってるっていうか、()()()()。依然ベンディとして動くことはできるかもしれないけど、戦力もダダ下がりっぽい。

 

「おっ、もう歩いて大丈夫なのかチビ助」

 

「その足削って私の身長分縮めてやったっていいんだぞ」

 

「冗談冗談、そう怒るなよ」

 

 サムさんにぐしゃぐしゃと髪を混ぜられる。もう扱いが子どもだよ…いや待て、こうなる前から私は子どもだったじゃんか。身長だけでこんなに扱い変わるもの? ちょっと子どもっぽくなった気はするけど、精神は身体年齢に引っ張られてない気がするから…多分、周りの人がそう見えてるんだろうね。ねっ!

 

「あれ、私の椅子は」

 

「義姉さんはここよ」

 

「アッハイ」

 

 スティーブ、ナターシャさん、サムさん、ワンダ、ローズ中佐、ヴィジョン、これからトニーとロス長官が来るとして、椅子が1個足りなかった。すると満面の笑みのワンダが自分の膝の上指してきて「そうくるかぁ…」と呆れ笑い。いや、確かに今の身長じゃ椅子なんか全然届かないし足がつかないどころか頭もギリギリテーブルから出られるかどうかってレベルだけどさ!

 当然、私には逃げるという選択肢もなくリーチの差で負けてるワンダに捕まって膝の上に着席。

 

「元気そうでよかったわ」

 

「心配したぞホントに。まァ、杞憂のようでよかった」

 

「お陰様でねっ」

 

 そりゃ、ワンダに抱えられたまま着席なんかしたら微笑ましくもなるよね! ナターシャさんとローズ中佐の視線が生温か過ぎてぐへぇってなる!

 

「オイオイここは授業参観か何かか? ちっこい子どもがいるじゃあないか」

 

「はっ倒されたい?」

 

「ふむ? できるものならされてみたいがね…冗談だ。私にそんな趣味はない」

 

 軽口と共に入室してきたのはトニーとロス長官。

 これで全員揃って、会議が始まった。

 

「──さて、キミたちよく集まってくれた。早速今日の本題に入ろう」

 

 内容は、()()()()『ソコヴィア協定』に関する説明だった。

 ニューヨーク、ワシントンD.C.、ソコヴィア、ラゴス。この4か所で私たちはアベンジャーズとして活動し、宇宙人を、HYDRAを、暴走したAIを倒し、世界に襲い掛かるであろう破滅の未来を食い止めてきた。でもその一方で、救えなかった命も少なくない。加えて、戦力が増強されたアベンジャーズという組織そのものを危険視している。

 

 私にも、救えなかった命を自覚していなかった。

 ソコヴィアで(ピエトロ)を亡くしたことで、それを自覚させられた。

 

 確かに私たちは未曽有の大災害を防ぎ世界を守り続けてきたかもしれない。でも、すべての命を救えたわけじゃない。

 できることは多くなった。やれることも増えた。でも、すべての人間を救うにはあまりにも手が小さくて、救い上げた人々は零れ落ちた。

 私たちはそのことを自覚し、それを世界へ伝わる形で示さなければならない。

 

 ──罪なき者を犠牲にしての勝利は、勝利ではない

 

 ワカンダ国民が軽傷を負ったとの報道に対しての返答は、コクオー直々にメディアに顔を出して答えていた。幸い死傷者は出なかったけど、自国の国民が被害に遭ってはコメントせざるを得なかったみたい。

 

「私は、国務長官という大役に就いて初の大仕事を大統領直々に頼まれた。それが、現在進行形でメディアがこぞって叩いてるキミたちに対する対応策としての、『ソコヴィア協定』の締結だ。既に世界の117ヵ国が同意している。今後アベンジャーズは民間組織ではなく、国連委員会の監視下に置かれ、委員会が許可した時のみ出動が許可されることとなる。つまり国際法に…ギリギリ適用内に入れる」

 

 『ソコヴィア協定』に対しやや反対の意を示すスティーブは、アベンジャーズの責務は世界の平和を守ることにあると説いた。組織の許可なしに動けなくては、今まで以上に後手に回るのは明白だからね。

 それに対しロス長官は、メンバーの内であるソーとブルース(ハルク)の消息を絶ってしまった管理責任を言及した。()()()()()()()2人を兵器扱いしてその危険性と重要性を誇示して、『ソコヴィア協定』の署名こそが世界各国への解答に繋がると説いた。まぁ協定をアベンジャーズメンバー自らが署名すれば、そりゃ各国の首脳も不承不承に納得するでしょ。拘束のほうが大きいんだし、考え方によっては加盟国がある程度の裁量でアベンジャーズという千の軍人にも勝る超人集団を自由に動かせるんだから。

 

「もし、私たちの解答が長官の意に反するものだったら?」

 

「そのときはアベンジャーズを去ってもらう」

 

 有無を言わせない威圧、流石は元将軍。

 

「だが、今回の署名はあくまでも個人の自由であってアベンジャーズの自由ではない。どのみち協定の締結は既に既定路線だからな。ここで去る者を後ろから撃ったりはせんよ。無論、去ってから問題を起こした連中に関しては容赦せんがね」

 

「この場にいないソーと博士に関してはどうするんですかー? 彼ら賛成の意今すぐ示せませんけど」

 

「……ハァ。この協定の署名について、アベンジャーズメンバーには()()()()()()()()がある。逆を言えば、賛成か反対かその意を示すまでは署名を先延ばしできるわけだ、その間のバッシングに関しては私の知るところではないがね。だから、3日後に行われるウィーンでの国連会議で正式調印される日が一番ベストなタイミングだ。アベンジャーズの今後を左右する署名をたった3日で決断せよ、などとは…口が裂けても言えんからな」

 

 うん、()()()()ちゃんと各国首脳を言いくるめてくれたみたいでよかった。協定草案に首突っ込んでて正解だったよ、博士逃亡の責任取りではあったけどね。

 

 スティーブやトニーにも負けず劣らず苦々しい顔をしたロス長官が部屋から出てくと、ぎょろりと全員の視線がワンダのおっぱい──ではなくその下の、私に集中砲火された。あっ。

 

「レイニー」

 

「はひ」

 

「嘘偽りなく答えてくれ。誤魔化しもナシだ。ソコヴィア協定について、何らかの形で関わったな?」

 

「……ノーコメ「義姉さん???」草案の製作に口出してましたハイごめんなさい」

 

「やっぱりな」

 

 うぇえ、スティーブにゃ隠し事できないわ。

 

 

 

 

 

 Chapter 97

 

 

 

 数分後、ワンダにガッチリと拘束されて洗いざらい吐かれたレイニーが口からタマシイのような何かを漏らして白目剥いてる姿があった。元KGBのナターシャの手腕の前に、秘密を隠し通せる人間はそうそういない。悪魔である以前にもともと人間でもあるレイニーにも効果覿面だった。

 

「これってアレか? ボクたちを政府に売ったって解釈でいいのか?」

 

「……イヤ違う、協定の内容読んでみろ。ある程度のアベンジャーズの自由意志が尊重されている。僕たちの為に、手を回してくれたんだ」

 

 トニーが冗談っぽい軽口を叩くが、ロス長官が持ってきた『ソコヴィア協定』の全文が書かれた本を読んだスティーブはそれを否定した。

 

 例えば、先ほどロス長官は『国連委員会の許可のもと出動が可能である』と話していたが、協定には『次の監査までの間に一度だけ、アベンジャーズの総意の元で緊急出動する権利がある。ただし、出動後は直ちに監査を受け、国連委員会の議員の半数以上が可決しない限り再出動することはできない』とある。

 つまり、委員会の許可なしに出動した場合であっても監査が問題なければアベンジャーズとしての活動が可能であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という抜け道も存在する。

 

 これを理解したスティーブらは、舌を巻いた。

 レイニーは、ソコヴィア協定による法的拘束を受けた上でも今までのように活動することができるよう、下準備をしていたのだ。無論この草案を国連委員会で可決させるにも骨が折れたことだろう、ロス長官だけでは難しかったはずだ。

 逆に捉えれば、この草案を可決させたのは世界各国のアベンジャーズに対する感謝であり、譲歩であったとも言える。メディアは元より、ロス長官の言う通り世界各国はアベンジャーズという超人集団そのものを危険視している。しかし、それでもアベンジャーズという組織が為したことへの感謝はある、救われた国がある、助けられた民がいる。だからこそ、レイニーの草案は国連委員会で通ったのだ。

 それでも、

 

「それでも、国や政府が俺たちを犯罪者みたいに四六時中監視することには変わりないだろ。犯罪を犯してもいないのに監視されるなんてゴメンだね」

 

「117ヵ国…この数わかるか? 世界の国の半分以上だぞ。いくらHYDRAみたいな連中がいるからって根回しできる国にも限界ってもんがあるだろう」

 

 レイニーが付け足した特例があるとはいえ、自身が半永久的に監視下に置かれることには変わりない。監査の結果危険と判断された場合は犯罪者同様に収監されることになっている上に、再監査までは時間がかかる。自分自身の命運を世界という巨大な組織に握られることへの抵抗は誰にでもある。

 トニーは目を瞑り、スティーブとナターシャは協定を読み進め、サムとローズが口論する中、ヴィジョンが口を開く。

 

「……私の分析結果では、8年前にスターク氏が『I am(私が) Iron Man(アイアンマンだ)』と宣言して以来、超人たちの数は急激に増加しました。そしてその間に人類滅亡に届きうる危機も同程度の割合で増加している。そこに因果関係があるとは断言できませんが、軽視していい問題ではないかと。

 我々がより強大な力を得れば、それに引き寄せられた敵が力を求めてやってくる。敵が来れば抗うのは当然、抗いは争いとなり、それはより強大な悲劇となって我々やその周囲に広がるでしょう。

 ……結論としては、国連の管理下に置かれることに賛成です」

 

「ほらな」

 

 ローズは賛同者が増えたことを寿ぐが、それでも顔色は優れない。そもそもこの話題そのものが今のアベンジャーズにとって接触禁忌(タブー)に近いディープな内容だからだ。

 故に、今まで黙っていたレイニーがぴ、と挙手して注目を集める。タマシイの抜けた顔とは一転、姿こそ幼くなっても変わらない鋭利な刃を連想させる眼差しは、視線が向けられてるヴィジョンの背筋を震わせた。 

 

「……ヴィジョン、貴方の考察は一つの説としては正しいと思う。でも私たちは()()()を考えなければならない」

 

「というと?」 

 

「チェス盤をひっくり返してみて。私たちが生まれたのではなく、なぜ世界が私たちを生んだのか。

 Why(ホワイ) done it(ダニット) ? なぜ私たちが生まれ、そしてヒーローになったのか」

 

「…我々が生まれたことと、ヒーローが生まれたことは別であると?」

 

「スティーブやトニー、サムさん、ローズ中佐、ナターシャさんみたいな生粋の英雄(ナチュラルボーンヒーロー)も、私やワンダ、ハルク、ヴィジョンみたいな後天的なヒーローも、悪人(ヴィラン)になる未来はきっとあった。力に溺れ、高慢にそれを振るい、力なき人々を虐げるような悪人(ヴィラン)に。そういう選択肢もあったし、私たちにとっての正義が大衆にとっては悪人(ヴィラン)として眼に映る未来もあったと思う。

 でもそうならなかったのは、一重にそれよりも邪悪な存在がいて、私たちは人として、自分の正しさを信じるために、抗ったからだと思う」

 

 レイニーはワンダの膝から離れて自分で立ち、己よりも遥かに背の高いメンバーに対して物怖じすることなくハッキリと口にする。

 

「地球や世界を一個体の生命と考えてみて。生物は生きていれば体内体外問わずいずれはエラーを起こす。それは転んで怪我だってするし、ウイルスを取り込めば病気に、遺伝異常が起こればおかしくもなる。でも生物には自己保存のための免疫ってものがあるでしょう?」

 

「…なるほど。つまり悪人(ヴィラン)達がウイルスで、我々が免疫抗体であると。興味深い見解ですね」

 

「或いは全能抗体(マクロファージ)…まぁ呼び方はなんでもいいか。でも、私たちがバラバラな意志を持つ免疫抗体である以上、私たちもエラーを起こすことはある。それが、ロス長官がいう〝ならず者〟としての見方なんだと思うよ」

 

 ワンダの膝から飛び降りたレイニーがぐるりとメンバーの顔を見渡しながら告げる。

 レイニーの話は、あくまでも一説に過ぎない。だがヴィジョンの考察が統計的なデータ分析から得られた情報であったが故に、更にその分析結果を加えた上で、メンバーの各人に思い当たる節のある過去が投影できる出来事があるからこそその説得力が増長された。

 

 しかし。だからこそ。

 

「ハッ、なるほどな」

 

 トニーは一笑に伏して見せた。レイニーの考え方の根源を理解したから。

 

「そりゃそうだもんな。何てったって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だってんだから、考えることもボクたちの常識を遥かに上回ってる」

 

「? 何を勘違いしてるのか知らないけど、別にこの境遇が私だけのものだとは思ってないわよ?」

 

「何だって?」

 

「贄、人柱、人身御供…古来よりアニミズム文化を持つ地域では、人間を捧げて荒ぶる(カミ)を鎮める儀式はあった。時にそれは天気であったり、飢饉であったり、災害であったりした。ああ、最近は()()()()なんていうのもあったかしら? それは除外するとして、昔は今と違って人間の数に対して安定した食料の生産体制が取れていなかったから、どうしても自然界に頼るしかなかった。だから人を供物として捧げて手の届かない超常の存在へ己が意思を伝えた。(カミ)さま、どうか生贄を捧げますから荒ぶる御心を静めてください、と。

 現代は科学の発達とともに安定した生産が可能になって、需要と供給のバランスが取れつつある。まぁ、その代わりに金銭の取引という枷も生まれてしまったけど、それはどうしようもないわね。

 とにかく、昔と形こそ違ってしまったとはいえ現代でも人を供物に捧げて世の平定を継続させる慣習は残っているのよ。別にいまアベンジャーズとして活動している私がそのバイパスを担ってるといっても、きっと世界中には私以外の誰かがまた私のような〝贄〟になって奮闘してるわよ。()()()()()()()()()()()()()()()()。1人の人間を犠牲にして大勢を救う…ま、それなら安い取引よね」

 

「それは、違う」

 

 レイニーの言った言葉は、どれもが一考に値するものであることは明白。

 しかしそれでも、最後の一言。レイニーが自分の考えではなく感想として述べた一言だけは、スティーブの琴線に触れるものだった。

 

「命の価値に高いも安いもない。皆、平等だ」

 

「…そうだったわ。失言」

 

 そこは己が失言の非を認め、レイニーは素直に謝罪した。

 スティーブの境遇を、考えをよく知るレイニーだからこそ、今の失言がスティーブの譲れないものであると理解したのだ。

 一触即発すら有り得たスティーブの剣幕に身構えたメンバーも、レイニーの謝罪で弛緩した空気によってその緊張を解く。レイニーを一笑したトニーも、以前犠牲になってしまった少年の母親の慟哭を思い返し、目頭を押さえて呻いた。

 レイニーは、協定の草案に加担した私が言うのも何だけど、と前置きを入れ、

 

「私は、賛成だよ。権限があるかどうかはわからないけど、署名しろと言うならする。委員会からの監査を受けて、然るべき処罰も受ける」

 

「…どうして?」

 

「どうしてって? それは反省してるからだよ、子どもだってわかる。悪いことをしたり失敗したら、謝って、反省して、次に活かさないといけない。その反省には罰だって含まれる。しかも今回の場合は委員会に目に見える形でその態度を示さないといけない。

 幸い、HYDRAの残党狩りも済んで水面下の活動も小康状態のようだし、タイミングとしては悪くないと思うよ。ロス長官も本当はソコヴィアの一件後すぐに持ちかけたかったけど、ラムロウの件が片付くまで抑えててくれたみたいだし」

 

「監査で、最悪なパターンとしてあなたが消されることだってあるのよ。そんなの私が許さない」

 

 現状、この場にいないハルクやソーを除けば、委員会の言う監査とやらに引っかかる可能性が最も高いのはレイニーだ。監査結果によっては犯罪者同然の扱い──つまり、収容施設に収監されることを示していた。義姉(レイニー)を慕う義妹(ワンダ)が、それを赦す筈がない。

 しかし、それを理解した上で、レイニーは小さく笑った。

 

 それは〝諦め〟の笑顔だった。

 

「……ありがとう。そう言ってくれると嬉しい。でも実際問題、世間や上層部がベンディの扱いを図りかねているということは、それほどの脅威でもあるわけだから」

 

「やめてよ。それなら私も一緒」

 

「貴女は一個体のヒーローだから安全よ。私は…いわばハルク同様、私とは別人格の存在(悪魔)がいて、しかも人類に対して憎しみがある。今までの活躍や働きがそのまま脅威として見られるのは、複雑だけどね」

 

 その言葉を聞いて、メンバーは無意識に理解してしまった。

 

 ソコヴィア協定への署名は、()()()()()()ある程度の拘束こそあれどアベンジャーズとしての活動は継続できる。

 

 しかしレイニーにその保証がない。

 

 

 

 

 

 



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黒煙は昇り、命は流れる





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  Seven little Soldier boys(小さな兵隊さんが7人) chopping up sticks(まき割りしたら)

 

  One chopped himself in halves(1人が自分を真っ二つに割って) and then there were six(のこりは6人)

 

 

 

 Chapter 98

 

 

 

「そう、亡くなったの…」

『……あぁ、安らかな顔だったよ。最後まで苦しむこともなく』

 

 ロス長官に持ち掛けられたソコヴィア協定の署名に関してアベンジャーズ全メンバーで相談してた際に、私の端末にある連絡が入った。ペギーさんが、危篤状態とのことだった。認知症に関しては改善傾向があって手先の運動機能も戻りつつあったけど、加齢もあって前から脈拍は弱まってたし、更年期障害は随所に出てた。

 その一報を折に署名について一時相談を中止、いきなり持ち掛けられてもすぐ結論が出るものでもないから話は一旦持ち帰るということで解散。スティーブはバイクですぐ病院まで飛んだ。

 できれば私も一緒についていきたかったけど、いきなり見た目が幼児退行してしまっては逆にびっくりさせて心臓に悪影響だろうということで付き添いは控えた。

 

「……何か、言ってた?」

『……「自分の信じる道を進んで」と…』

 

 ペギーさんの今際の言葉を、スティーブは()()()()()()()らしい。私としては、最後の言葉は人にとっては〝呪い〟足り得るものだから(ピエトロ)の一件以来、あまり死に間際の人の近くに寄り添うことは避けてる。そうでなくても私にはひっきりなしに人間の呪詛を啜り続けているのだから、キャパオーバーの危険性もある。私のキャパなんてわかんないんだけど。

 

『…葬式は、3日後に執り行う予定だ。レイニーも来るか?』

 

「ウィーンの国際会議の日だよね、ってことは」

 

『ああ、僕は署名はしない』

 

 やっぱり。

 元々スティーブはソコヴィア協定には乗り気じゃなかった。現行のアベンジャーズの組織体制に近い形を実現できるように手を加えさせて貰ったけど、それでも初動がいままでより遅れてしまうのは事実。その遅延がどれだけの人間を傷付け、命を落としてしまうかもわからない。犠牲はつきものだと理解していても、その犠牲を抑制するのが私たちの責務でもある。

 ただし、

 

「それじゃあ、スティーブはアベンジャーズじゃなくなっちゃうよ?」

 

『……わかってる。僕にも少し、時間が欲しい』

 

「…うん、わかった」

 

『なぁ、レイニー』

 

「何?」

 

『僕たちは…その……家族、だよな?』

 

「当たり前でしょ。トニーもソーも博士も、クリントさんもナターシャさんもサムさんもローズ中佐も、ワンダもヴィジョンも基地のみんなも、みんな私たちの家族。でしょ?」

 

『…あぁ、そうだな』

 

 また連絡する、と告げられて電話は切れた。

 アメリカでは、葬式は故人の自宅では行わないし、ご遺体の近くで一晩中ずっと過ごすってこともない。今回の場合は多分教会で執り行うだろうから……あとでシャロンさん辺りに聞いて献花を贈ろう、ツルの折り紙を添えて。多分ご遺体は実家のロンドンへ送って埋葬するはずだから…きっと英国だろうなぁ。

 葬儀に参列…できればいいけど、如何せんインクマシン破損の後遺症かどうも身体を上手く動かしにくい。スティーブは急いでたしナターシャさんたちは署名に関して悩んでたから気付かれなかったけど、目敏いワンダとヴィジョンにはバレてた。だから解散直後ワンダに捕まって自室待機を強いられた。解せぬ。

 

「スティーブ?」

 

「ああ、うん。亡くなったって…」

 

「そう……私も葬儀に行こうかしら」

 

「署名するんじゃないの?」

 

「顔見せして、すぐウィーンの会場に向かうわ」

 

「そっか」

 

 現状、署名に賛同しているのはトニー、ローズ中佐、ナターシャさん、私の4名。反対なのはスティーブ、サムさん、ワンダの3名。保留がヴィジョン、返答待ちがソーと博士とクリントさんの3名。

 ヴィジョンが保留なのは、署名することがイコール私の生命危機に関わる案件だと理解してしまったから。必ずしもヴィジョンが導き出した推測から考えられる次善策が、ヴィジョン個人にとっての幸福に繋がるわけじゃないから。

 

 自分の判断が大衆の安全の保障と生みの親たる私の未来を、天秤にかけてしまったから。

 

 英国で有名な哲学者フィリッパ・フットが提起したトロリー問題は、正にこういうことを指してるんだろうなぁ。迫りくる暴走トロッコ、目の前のスイッチを切り替えなければ5人の作業員が亡くなるけど、切り替えれば別の作業員1人が亡くなる。1人を犠牲にして5人の命を救うか、それとも何もせず5人を見殺しにするか。

 どの作業員も面識なければスイッチを切り替える選択肢を取るだろうけど、犠牲になる1人が友人だったら、或いは年若き子どもだったらどうか。道徳的視点、義務論、功利などあらゆる観点から考えて、どう選ぶことが正しいのか。

 

 本人にとって、何が正しいのか。

 

 そういう障害を取っ払ってすべてを救えるのは一握りの英雄だけ。みんなそうなれるように切磋琢磨し、力を付けてても、そういう過酷な選択を強いられることはある。ヴィジョンには、()()()()()()()()()大いに学んで貰いたい。決断を強いられたときに、彼らしく選択できるように。

 ただ、悩んで、選択して、()()()()()()()()()()()()()

 選ぶ前も選んだ後も、本当にその選択が正しかったのか、何度も何度も思い出して、何度も何度も苦しんで、それでも前に進んでもらわないといけない。自分の選択したことをずべて正しいことだと決めつけるのは、そりゃただの()()。悩むことを忘れて一辺倒な考えで選択し続けてしまったら、心は病み精神は崩れる。

 

 正義の味方(ヒーロー)という妄信に縋る殺戮者になる。

 

 英雄(ヒーロー)はなりたくてなれるものでもないし、なろうとしてなれるものじゃない、と思う。

 人を救う歓喜の声と同じ数、いや多分それ以上の救えなかった絶望の声を延々と思い返すのは、常人でも確かに苦痛だと思う。人間ってイヤなことからは目を背けたいし痛い思いを味わうのがイヤだから。でも、それ(反省)を放棄してしまったらいつかそのあたりの感覚が麻痺して〝正しさ〟ってものが、歪んじゃう。だから過去の選択に立ち向かって、それでもしんどいときは仲間(家族)と支え合って、一緒に乗り越えなきゃいけない。

 

 ワンダも、ヴィジョンも。もう家族(アベンジャーズ)の一員だから。

 誰かに頼ったり、疲れたときに背中を預けられる家族がもういるんだって、気付いてくれると嬉しいなぁ。

 

「貴女はどうするの?」

 

「こんな格好(ナリ)じゃロクに外出歩けないし、花束で送らせてもらおっかな…2人(ワンダとヴィジョン)に外出禁止って釘刺されてるし。あーあ、会社に連絡しなきゃ」

 

「わかったわ、たしかに…その身長のスーツは買ってないものね。売ってるかも怪しいけど」

 

 まぁ米国じゃ喪服着るのは遺族と葬儀屋だけだし。スーツ用意できればいいし。いざとなったらインクで服作ればいいけど流石に葬儀にインク製の服着てくのは躊躇われるなぁ。

 うんうん悩んでると、ナターシャさんが悪戯っぽく笑ってきた。

 

「それじゃ、ウィーンでの署名も無理そうね」

 

「あー……まぁ、ワンダ辺りはそれが目的かもしんないね」

 

 ワンダとヴィジョンによる私への外出禁止令は、ソコヴィア協定への署名をさせないという意思の表れ、なんだと思う。草案製作者が反対するわけにもいかないし、ロス長官との約束を反故するわけにもいかないから私が署名することは決定事項なんだけど、署名する日はある程度であれば伸ばせる。

 2人にはソコヴィア協定への署名が刑務所入獄への1ステップにでも見えてるんだろうか。

 

 またあとでね、と手を振って、ナターシャさんは自室から出てった。さてと、会社に連絡入れないと…アレ? またキャッチ(着信)? 今日は電話多いね。って【コクオー(King)様】。

 

「はい、もしもし」

 

『おお、レイニーか。壮健そうでなによりだ』

 

「爆破に巻き込まれましたけどね」

 

『だが、こうして電話に出られる程度には回復しているのだろう?』

 

 バレタカー。

 確かに、目覚めて早々の頃は身体を維持することに意識を割き過ぎてロクに身体を動かせなかったのは事実。だから余計ワンダにはお人形さんか何かに見えちゃったんだろうなぁ。

 

『ハハハ…冗談だ。キミの声が聞けて安心した。実は国連委員会から呼び出しを受けてな。キミの耳にはもう入っているだろうが、ソコヴィア協定締結の加盟国の代表として、3日後のウィーンでの会議に参加することになったのだ』

 

「そうなんですね……オージ様も行くんですか?」

 

『あ、ああ…そうだな、()()()()()

 

 間に合えば???

 

「え、どうしたんですか。まさかクロウの捕獲時に事故でも?」

 

『ああいや、それに関しては滞りなく済ませたから問題はない。ただ…キルモンガー、キミが見つけてくれた弟の忘れ形見ウンジャダカと……ここ数日、〝決闘〟を続けていてな』

 

「……は?」

 

 ……コクオー様曰く、ワカンダの国には国王になるにあたり複数の部族を交えた〝決闘〟というのが行われるらしく。オージ様(ティ・チャラ)と血縁関係があるエリック(ウンジャダカ)も〝決闘〟への参加に名乗り出て、その儀式の最中らしい。

 なんだ、決闘って。怪物の絵が描かれた石板立てて「決闘(ディバハ)!」って言うアレなのか。

 

「…エリックの発見は8日ほど前ですよね? 捕まえたのはつい最近、ですよね?」

 

『イヤ、発見の報を受けてすぐ()()した。少々手荒な手段であったことは否めんが』

 

「流石はワカンダクオリティ……で、その神聖な儀? が始まったのは?」

 

『……クロウの捕縛と公開処刑の準備には3日ほど掛かった。その後で、儀式を始めた』

 

 つまり、単純計算で5日間はその〝決闘〟とやらを続けてるってことになる。はぇー……ワカンダ国王ってそんなにスタミナ要る座なのか。いらんわ! なれって言われたって断固拒否するわ!

 

「……ま、まぁそちらも元気そうで何よりです。便りが無いのがよい便りとは言いますが、予想以上にエネルギッシュで安心してます」

 

『正直、息子と弟の忘れ形見が殴り合う光景は観てて心に来るものがあったのだが、こうも決着がつかないと色々とな……あぁ違う、そういう件で連絡しているわけではない』

 

 ですよね。

 ですよね! 流石に「決闘が続きすぎて我しんどい。慰めて」レベルの世間話で電話されちゃあ、お相手がコクオー様でも私が困るわ!

 

『実はウィーンでの国際会議で、キミへの賛辞の意味合いも含めた授賞式も組み込もうと考えている』

 

「え、なんでですか?」

 

 というか、何の賞?

 

『ラゴスに我が同胞もいたことは既にニュースになっているだろう。爆破テロを未然に防いだ功労者として、そしてソコヴィアでの惨事に心を痛め追悼していた者の一人としてだ。私がソコヴィアへ訪問した最初の国王であることは世界が知ることだ、しかし私よりもずっと前にソコヴィアにいた者がいたことは、我々以外知らない。

 誰よりも、心を痛めていることも』

 

「………」

 

 ここで、考えた。

 コクオー様が()()()秘匿回線などではなく、私のプライベート端末に連絡を入れてきたということは、記録されることや盗聴の可能性も含めた上での通話ということになる。この場では建前しか話せないけど、この突拍子もない受賞の意図は多分アベンジャーズの…じゃない。(ベンディ)を危険視し排斥を視野に入れている連中への牽制が、目的だと思う。

 なんでそこまで気に入ってるのかは分からないけど、ワカンダにとって(ベンディ)はアベンジャーズとのパイプ役として手放すには惜しい位置関係にあるから重宝したいのかもしれない。今は私だけしか繋がりがないけど、そろそろパイプ役増やした方がいいなぁ…ワカンダとの将来的な共同戦線を目指すなら。

 でも、()()()()()()()()()

 

「でしたら、私ウィーンへは行けない身のでまたの機会ということで」

 

『ふむ? そうなのかね…イヤ、身を挺にしてテロの被害を最小限にしたのだ、五体満足というわけでもなかったのだな…本当に、感謝している』

 

「コクオー様ー? 謝辞は受け取りますがそう軽々しくお礼言うとオコエさんとかに怒られますよ! あの人チョー怖いから!」

 

『ははは、確かに王たるものは軽率に頭を下げるものではないがな。だが、感謝しているのは本当だ。それにウィーンでの会議後は私は国王の座を降りる。〝決闘〟の勝者が、新たなワカンダの国王だ』

 

「…そう、なんですね。そうなるとコクオー様から誉を受け取る最後の一人になれなかったことは惜しいですけど…」

 

 うん、でも()()()が受け取るものじゃない。

 

「もし賞を贈って下さるのでしたら、私個人ではなくアベンジャーズ全員にその賞を贈って下さい。でなければ、私にはその誉を受け取ることはできません」

 

『……キミは、アベンジャーズを本当に大切にしているのだな』

 

「自慢の、大切な家族ですから」

 

 実の父(フィル・コールソン)とは違う。

 実の母(エニシ・アマツ)とも違う。

 血の繋がりはない。思想は違うし人種も年齢も何もかもがバラバラ。

 それでも、アベンジャーズは私にとっては家族で、家で、拠り所なのは変えようがない現実。

 それでいいと思ってるし、だからこそ家族の一人が受け取る誉よりはみんなで受け取った方が、みんな嬉しい。

 

『…キミの高潔な精神は、国を慕う我が国民の愛国心に勝るとも劣らぬものだ。キミのような子がいて、アベンジャーズは幸せだな、羨ましく思う。しかし、だからこそ…』

 

「嫉妬ですかコクオー様ー? まぁそういうことですので、申し訳ありませんが受賞は辞退させていただきます」

 

 多分、コクオー様は薄々気付いてる。気付いてしまってる。

 ソコヴィア協定の締結が、必ずしも万人の幸福に結びつくものではないことを。

 それでも、コクオー様は王様だから。ワカンダを代表する王様だから。王としての判断を下し、選定しなきゃいけない。民を守るために。国を、そして世界を守るために。

 

『……ふむ、ならば今度我が国に来たときには、よい茶を振舞うとしようか。前の茶会よりもいいものを用意しよう。約束だ』

 

「あ…あははは、いやぁここで「盛大な宴を開くとしよう!」って言われたら遠回しにお断りしてたんですけど、お茶会なら普通に楽しそうだしいいなと思えてしまう私がいるのがニクいです。コクオー様とのお話には興味ありますし」

 

『ははは、キミとの話は私も楽しみにしている。国王でなくなったただの老いぼれの茶会に、付き合ってくれるかね?』

 

「喜んで、国王陛下」

 

 

 

 

 

 Chapter 99

 

 

 

 1日目は、まず会社への連絡と業務の進捗状況の確認がレイニーの仕事だった。

 仮初とは言え会社にとっては重要なポストである社長の安否報告は社員が望む一報であった。ただ、本当に問題ないかを執拗に確認する社員に押されてテレビ電話に切り替えたときには社員全員があんぐりと口を開けた。

 

「え」

「えぇ…これは予想外。おみそれしましたわ」

「社長が…」

「社長が、ロリ社長に!?」

「幼児退行? 若返りの薬? 契約の対価? 赤ちゃんプレイ?」

「うわロリだ…でもそれがいい」

「お黙りロリコン共」

「お前、あの社長がだぞ!? あの社長が絵に描いた様なロリ化を現実にしたんだぞ!? ホラ言っただろう! 信じていれば、〝諦めなければ夢は必ず叶う〟って、信じているんだって!」

「万歳、万歳、おおぉぉォッ、万歳ァィ!」

「ダメだわこいつら、これだからアホ共は手に負えない…」

「しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから」

「いまは社長が赤ちゃんレベルになっちまったけどな」

「というかこういうことが日常茶飯事に起こるのかアベンジャーズって…今からでも遅くないかな?」

「動機が酷い」

 

 予想以上にショックは大きかったが、その後下される鬼のような指示はいつもの社長と変わりない様子だったということでホッとしたらしい(訓練済)。

 1週間以上社長不在であっても、ベンディ・アニメーション・プロジェクトに目立った問題はなかった。それも普段からひたむきに働いている社員と、彼らを取りまとめる社長代理(ベック)の手腕があってこそだった。ただ、ラゴスの爆破テロ事件以降からベンディへの感謝コールと同数のクレームや悪戯電話がかかるようで、やや社員たちの空気が険悪であったのは事実。軽率な行動をしたとレイニーが謝罪すると社員たちが焦って撤回し、とにかく社長が無事でよかったことを祝った。

 

 

 2日目は、新アベンジャーズ基地にて科学技術スタッフとヴィジョンを交えたインクマシンの修理及び微調整で潰れた。幼児化してしまい戦力の衰えたレイニーを元に戻すことは現状アベンジャーズ内における急務でもあったからだ。

 最も、レイニーを含む全員が()()()()()()()()()()()()()()と言えるのかが不明で、まずはそこからが問題だった。アベンジャーズが所持しているヴィブラニウムの量は少なく無駄遣いはできない。従って、まずは元のインクマシンの構造を解析・分析し、各部分がどんな役割を担っているかを突き読めることが先決だった。

 とはいえ悪魔(ベンディ)の心臓ともいえるインクマシン。解析は難航を極め、果てには象徴学の造詣に長けた大学教授も招いてインクマシンに刻まれた模様や刻印を各分野の視点から調査することとなった。

 

「これは…特定のパターンがある。ぐにゃぐにゃと線を引いてるだけのように見えるが、この部分だけは何らかの法則に準えて溝が作られてる」

「待て、この溝…線のように見えてるが、もしかして文字なんじゃないか?」

「どの国のどの時代にも当てはまらない記号だ。だが…これは、時間が経過するごとに伸びている? 何かを、記録してるのか?」

 

 まさにブラックボックスともいえる悪魔の心臓(インクマシン)だが、トニーとバナーがニューヨークでの大戦後とアベンジャーズタワーで行った調査結果を比較したところ、ある一部分の基盤が観測毎に変化していることが判明した。以前2人が言及した、亀裂のように見える模様だ。

 線、あるいは文字のようにも見えるそれが何を意味するかは調査班にも最後まで分からずじまいであったが、恐らく()()()()()()()()に類するものではないかという推測が立てられた。調査班の1人の、顎髭を蓄えた学者がこう言った。

 

「地球は記憶する。石は記憶する。聞き方さえわかれば、石は多くのことを教えてくれるだろう…私が以前調査したインディアンの人々が教えてくれた言葉だ。古代の石は現代で言うCDのようなものだ。花崗岩に圧力を掛ければ電気を帯び、その性質を応用すれば記憶を閉じ込めることもできる…もしかすると、その基盤は彼女(レイニー)を構成している記憶なのかもしれない」

 

 幸いにも、今回の爆破でその基盤へのダメージは軽微で済んでいた。特に目立った外傷もなく、レイニーの記憶や認識の齟齬も見られず、あくまでも複数ある説の一つとして記録されることとなる。 

 ひとまず科学技術班による修復と考えられる修復は終わった。なお、丸1日を本人そっちのけで検査と研究に費やされたレイニーの目は若干死にかけてた。身体から心臓を引き抜かれて様々な角度からしげしげと眺められたり電気刺激を与えられたりすれば、誰だって生きた心地も失せるもの。最もレイニーは既に()()なのだが。

 

 

 そして、3日目。

 連絡先を交換していたマーガレット・〝ペギー〟・カーターの姪シャロン・カーターから聞いた葬儀場には既に花束と折り紙を届けてある。現在は心臓のインクマシンの調子を確かめつつ自身の内にいるインクの住人とコミュニケーションを取り、、世界中に散らばっているサーチャーと情報交換しつつ、()()()()()()ウィーンで執り行われている国際会議の生中継を見ていた。

 

「え」

 

 中継カメラが、爆風に攫われて通信が途切れるまでは。

 

「………The Projectionist

 (………映写技師)

 

Did you need me ?

 (何かご入用でしょうか?)

 

 部分インク化という謎の特殊技能を身に付けたレイニーは、声帯だけ一部インク化して映写技師に呼び掛ける。レイニーの声に応じて声帯のインクから血の如く噴き出たインクから、四角い射影機(プロジェクター)を生やし、肩にフィルムリール、背中にリールテープやコードを伸ばした映写技師が現れ、レイニーの目の前で傅いた。

 

「頼みがある」

 

We will gladly undertake that

 (私たちは喜んでその頼みを引き受けましょう)

 

 ──この日、バーガー買い出しを頼まれていたハッピーがプライベートジェットで基地にやってきたのだが。

 いつものトニーの気紛れと考えて疑わず、紙袋一杯のバーガーを置いていき、再びジェットに乗り込んですごすごと去っていったハッピーの行方に興味を持つ者は誰一人としていなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、である。

 

 そして数時間後、部屋の監視を請け負っていたヴィジョンがレイニーの不在を知ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 



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裏切りの記憶は、モノクロの微笑み




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 Six little Soldier boys(小さな兵隊さんが6人) playing with a hives(ハチの巣をいたずらしたら)

 

 A bumblebee stung one(1人がハチにさされて) and then there were five(のこりは5人)

 

 

 

 Chapter 100

 

 

 

「驚いたよ、いきなり電話してくるもんだから端末落としちゃったじゃないか! ホラ見てくれよこの液晶のヒビ! 最近のJKだってこんなボロボロ端末持ち歩かないよ。っていうかキミ、ちっちゃくなった? 前からだと思うけど」

 

「最後の一言のせいで謝る気が失せるわ、ハッピー」

 

「………?」

 

「その、「ハ? 何を言ってるんだ?」的な顔ヤメテ。急な頼みを聞いてくれたことには感謝してるから」

 

「どうも。少なくともボスよりはデリカシーのある男だと自負してるよ。それで、基地から抜け出せたのはいいとして行き先はどこにするんだい? いまはヨーロッパ方面へ進路を取ってるが」

 

「……聞かないの? 脱走したことと、これから私がすること」

 

「私は基本的に誰かを妄信することはないが、それでもキミのやりたいことが悪いことだとは思わない。それだけさ。あんまりアレコレ()()()()()のもヤバい。ま、保身ってやつさ。脅されたっていい訳すれば大抵は見逃してくれるしな。

 まぁ──ボスに仇を返すことになったとしても、お灸を据えたと思えば気楽なもんだよ。キミの悪戯程度で折れるなら、トニー・スタークは社長になんかなってなかったし、アイアンマンにもなってないだろうさ」

 

「……ははっ、トニーは人望厚いなぁ。うん、それじゃウィーンに……ま、まって、まって」

 

「ん? お、おいおいどうした」

 

「これ、誰かの視覚? うっわノイズひっど、Mr.ブラウンのブラウン管テレビよりポンコツ! 何この顔、バッキー? マッズそうな食事…誰の視覚だこれ…窓に…窓に…」

 

「お、おぉ~い大丈夫か? 待て待てパイロットはオート設定だよな!? な!? 飛行機酔いとかじゃないよな!?」

 

「背の低い二つの塔…上にあるの十字架? にしては横棒が二本多い…教会っぽい…」

 

「そこ、ブカレストだな」

 

「え?」

 

「クレツレスク教会だ。これでもかってくらいザ! ルーマニア正教! って感じだったぞ。嫁さんとの新婚旅行(ハネムーン)で寄ったことがある。プラムが旨い。ポリ公のサイレンがひっきりなしで夜も眠れなさそうなのが玉に瑕だったけどな、喧嘩やひったくりなんてしょっちゅうだったから」

 

「ブカレスト…ルーマニア? そこにはサーチャーを派遣してなんか…あれ、まって、()()()()()()()()()()()()()…?」

 

「バッキーってのは…あれだろ、ヤバい奴。今朝ニュースで見たぞ、ウィーンのテロの主犯格」

 

「えっそうなの、撮影してたから知らなかった」

 

「撮影?」

 

「あっそうだコレコレ。あとでトニーに渡しといて。私が返してって言いに来なかったらでいいんだけど」

 

「おお、お安い御用だ…コレ借りてたやつだろ? ボスの寄贈品じゃないか」

 

「だいーぶ昔にね。いっぱい勉強させてもらった」

 

「それで、進路はどうする?」

 

「ブカレストにお願い」

 

「………そこは「あなたと共に行けるところまで」とかさぁ」

 

「それなら「お客さんどちらまで?」って聞いてよ。ビシッと決まらないなぁ」

 

 

 

 

 

 Chapter 101

 

 

 

 唐突だが、日記を書いてみることにした。

 何を書けばいいかわからない。

 今日は晴れ、いい天気だ。これでいいか。

 

 

 2日目

 日記を書き始めて、2日目だ。昨日の内容は相棒のお気に召さなかったらしい。昔は日記を書いていた気もするが、どうも思い出せない。

 誰かと書いていた、気がする。

 天気は曇り、少し冷える。

 

 

 

  3日目

 日記を書けと言った相棒の名は、ボリスというらしい。ニューヨークから一緒に逃亡した犬だ。オオカミ(wolf)

 なんでも俺の見張りを頼まれたんだとか。誰に頼まれたのかを聞いてみたが、その質問にだけは答えない。

 ただ、上手い食事は振舞ってくれるからありがたい。

 天気は曇り、風が強い。

 

 

 

 Q月a日

 どうやらここの欄には日付を書くらしい。 

 まだここに来て一か月程度だが、存外住み心地はいい。同じアパートの人から挨拶されたが、何を察したのか色々と家具や食器を貸して貰えた。いい人たちだ。

 ところで、相棒のボリスはどこからどう見ても狼面なのだが普通に人と話している。ああいう被り物だと認識されてるのだろうか。

 天気は雨、少し雨漏りしてた。

 

 

 

 W月s日

 ボリスのポーカーが異様に上手い。

 イカサマらしいイカサマはしてなさそうだが、勝負を張るとき、降りるときの見極めが上手い。どうも、俺は顔に出やすいタイプらしい。本当にそうか?

 鏡で見ても、自分の顔は仏頂面しか映さなかった。

 今度は、チェスでも誘ってみるか。

 天気は快晴、洗濯物を干すにはいい日だ。

 

 

 

 E月d日

 今日は祭日だった。聖霊降臨祭、というらしい。

 外はいつも以上に騒がしい。賑やかで、行ってみたい気もするが、逃亡してる身としては外出は極力控えることにした。

 祭日は、カメラも多いだろう。

 代わりにボリスがちょっと豪華な晩飯を振舞ってくれた。ママリーガと、サルマーレというもので、同じアパートの叔母さんの料理教室で習ったものだそうだ。ルーマニア女性として一人前認定されたらしい。

 そういえばボリス、お前メスなのか?

 

 

 

 U月j日

 もうここにきてだいぶ経つ。

 最近は足元が冷えるからとボリスが用意してくれた湯たんぽが気持ちいい。グラタール(豚肉のグリル)は旨いし、ボリスが定期的に掃除してくれるから暮らしは快適だ。

 あとどれだけこの平和なひとときが過ごせるかわからない。俺も追われてる身、平穏が永遠に続くだなんて思ってはいない。いざというときの備えも怠らない。

 

 だが、願わくば。

 少しでも、この平穏が続いてほしいと思うのは、間違いだろうか。

 自分の過去から目を背けて生きることは、間違いだろうか。

 

 

 Don't write negative , Let's live life fully !

 (辛気臭イコト書クナヨ、楽シク生キヨウゼ!)

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 ボリスに急かされて家に帰ったら、背中に盾背負った見覚えある男が不法侵入していて、人の日記を覗かれている件について。

 考えてもみてくれ、『大戦の生ける伝説』だの『星条旗のアベンジャー』だの『自由の番人』だの祭り上げられている英雄が、自分の日記をじろじろと眺められてたら。

 言葉に詰まる以前にこう、クるものがあるだろう?

 

……

 

 ヤバイ、ボリスが無言の重圧をかけてる。

 コイツ、あまり喋らない割に怒りっぽいからすぐ手を出しちまうんだよな…この前ひったくりに財布抜き取られた時にはすぐ犯人捕まえて押し倒して馬乗りになって顔面殴り潰してたっけか。

 流石に、この(誰かに監視されてる)状況下で余計な荒事は避けるべきか。

 

「……オイ」

 

「あっ」

 

「…キャプテン・アメリカは、人の日記を勝手に見るのが趣味なのか?」

 

「イヤ、違うんだ、そうじゃなくて」

 

「わかってる。スティーブ・ロジャース…なんだろ」

 

 マスク越しにもわかる驚愕の顔に、どこか懐かしさを覚えてしまったのは事実。

 断片的にではあるが、俺はコイツ(スティーブ)のことを思い出してる。

 

 同時に思う。コイツが戦闘服を着てここに来てるってことは、()()()()ってことだ。

 ……ここの暮らしも、悪くはなかったんだがな。

 

「ウィーンの件は俺じゃない。証人はコイツ(ボリス)だ」

 

「…ボリス?」

 

「…どうやら知ってるようだな。お前んとこのヤツが送り込んできたのか?」

 

「レイニーが…? イヤ、そんな話は聞いてない。でも、言わない理由がわからない」

 

「違うのか」

 

「…彼女に聞くしかない。でもその前に、ドイツの特殊部隊から逃げないと。キミを始末する気だ、生け捕りするつもりはないだろう」

 

「逃げる? 戦う、の間違いだろ」

 

『連中屋上に登ったぞ』

 

 スティーブの通信機から男の声。聞き覚えある…あのとき、ワシントンで戦った翼の男か。

 連中、俺を襲撃するのはいいがお隣さんに迷惑かけるのだけはやめてくれよ。結構よくしてもらってたんだ、近所迷惑は控えてくれ。

 

 キャプテン・アメリカの手から日記帳を奪うと、ボリスに渡してやった。これだけが、俺がここにいたって証明できるものだからな。

 記憶がまた消えてしまっても、きっと読めば思い出せるだろうさ。そこまで、物覚え悪くはないと自負してる。

 

「これはお前が持っててくれ。いいか、ここにいたことは誰にも話すなよ。これは命令だ」

 

Obey

 (命令ハ守ル)

 

 不安だ、ものすごく不安だ。

 ここまですんなり頷くコイツの姿を見てると、どうしようもなく不安に駆られる。同居してた期間は2年程度だが、それだけあれば人とナリはある程度理解できるというもの…コイツ(ボリス)を人扱いしていいのか、疑問ではあるがな。

 

 コイツは、違うと思ったことは絶対に首を縦に振らない。

 自分のポリシーを曲げることは絶対ないし、俺の指図なんて悉く無視してきた。世話役どころかお節介もいいところだ。

 だから、きっとロクでもないことをしでかさないことを切に願う。流石に足を引っ張られるのはゴメンだが、それ以上にこれ以上迷惑を掛けられるのも勘弁してくれよ。

 

「戦う必要はないんだ、バッキー」

 

「結局は戦いになる。逃げるために、生きるために」

 

 人間の生存ってのは、常に戦いの連鎖だと思う。戦い、奪い、勝ち上がり、生き残る。『勝つ』と『生きる』はイコールで、『負ける』と『死ぬ』もイコール。

 

 俺は、まだ負け(死に)たくない

 

「あのとき、何故僕を川から助けた?」

 

 わからない…いや、違う。本当は、どうなんだろうか。

 俺は多くの人を裏切ってきた。それは自分も含まれる。

 自分を裏切り、知らないふりをして、覚えていないフリをして、ただただ命令だと言い聞かせて、遂行してきた。それが正しいことだと他人から植え付けられて、それが間違いだと分かっていても、俺は命令に従った。

 

 もし自分に嘘をつかない、ありのままに答えるならば。

 

「身体が、勝手に動いた。覚えてたんだ」

 

『来たぞ! 逃げろ!』

 

 パリン、と小気味良い音と共に窓ガラスが割れ、催涙弾と閃光弾が転がり込む。催涙弾は拳で弾き、閃光弾は蹴り飛ばした。でもそれじゃ防げない。

 

「くッ」

 

 そこはスティーブの盾で処理してもらう。だが連中の目的は()()()()()()()()()()()だ。

 

「ボリス!」

 

 ヤツはアニマトロニクスの腕をベッドに叩きつけて、反動で跳ね上げて窓を塞ぐ。裏に仕込んでいた鉄板が即席の防弾カーテンに早変わりだ。言ったろ、()()()()()()()()()()()

 

「荷物!」

 

Here you are

 (ハイドーゾ)

 

 金、水、非常食、あと偽の身分証明。

 逃走は終わりの見えない悪夢だ。追手が何人来るか、いつ来るか、どこまで来るかわからない。そんな連中相手にずっと逃げ続ける以上、必然的に持久戦になる。つまり先が見えない。従って供給が途絶えるまでが生命線になる。

 今後の逃走生活を左右するバッグを、隣の建物の屋上へ投げ飛ばす。あそこなら常人には無理でも俺なら飛んでいける。そういう、ギリギリの場所なら追手をより確実に振り切れる。

 

「精々捕まるなよ」

 

Hasta La Vista Baby

 (地獄デ会オウゼ、ベイベー)

 

 あらかじめ決めてた逃走経路へ滑り込もうとして──視界の端で、ボリスのインクが銃声と共に飛び散るのが見えた。部屋に無数の穴が開いて、風通しがよくなった。

 

 ああ、くそ。

 やっぱ今日は、厄日だったか。

 

 

 

 

 

 Chapter 102

 

 

 

 ウィンター・ソルジャー:バッキー・バーンズの逃走は、ドイツの対テロ鎮圧特殊部隊、スティーブ・ロジャーズとサム・ウィルソン、鉤爪を持つ謎の黒スーツの男を交えた三つ巴の相克となった。

 人数では現地警察の協力を得た対テロ鎮圧特殊部隊が、連携ではスティーブらが、単騎戦力では黒スーツの男がそれぞれ優位性を持っている。しかし、

 

「ッ雨…?」

 

 パトカーから逃走途中、追う者全員が微かな異変を感じ取っていた。周囲の環境の、微細な変化である。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()

 同時に、スティーブとサム、そして黒スーツの男はこの異変に憶えがあった。

 

「上…違う、下だッ」

 

 トンネルの中に雨は降らない。頬を伝う液体は雨ではなくインクであり、降ってると思っていたインクは上からではなく下から降っているのだ。

 まるであべこべだ、万物の自然法則を無視したような現象。その現象を引き起こせる人物は、1人しかいない。

 

Don't move everyone

 (全員止まれ)

 

 地から浮かび上がるインクは雫から水滴に、水滴から一筋の液体に、やがて秒を重ねるごとに太さを増し、人間1人分の太さに膨れ上がる。

 人間1人、掴めるまでに。

 

「うッ」

「これはッ」

「クソッ」

「聞いてないぞこんなのッ」

 

 インクの腕は4人の身体を捕え、掴み、離さない。液体である以上藻掻いたところで水を掻くような感触が帰ってくるだけで、逃れることなどできはしない。

 悪魔(ベンディ)の手からは、何人たりとも逃れられない。

 

Don't move , or I'll eat ! HeHeHeHeHeHeHe !

 (動イタラ喰ッチマウゾ! へへへへへへへッ!)

 

 空から、悪魔が降り立った。

 背中から二対四本の翼のようなものを羽ばたかせて降り立つは、ニューヨークで大暴れ、ソコヴィアでウルトロン共を蹂躙した悪魔(ベンディ)

 

 その姿はまるでウィリアム・A・ブグローが描いた絵画のように禍々しく。

 ジュゼッペ・タルティーニが作曲し奏でた音楽のように恐ろしく。

 ノートルダム大聖堂に彫られた石像の如く醜悪な。

 

 まさに、聖書から飛び出してきたような悪魔そのものだった。駆け付けた警察や特殊部隊の面々も、目的であるバッキーよりも彼らを捕えた悪魔に銃口が向く。当然だ。

 

 同族の人間よりも、未知の異種族の脅威の方が何倍も恐ろしい。

 

 銃で致命傷を負わせられる人間ならまだいい。だが、銃が効くかもわからない未知の存在を目の前にして動揺せずにいられる人間が何人いるか。

 ベンディはそんな恐れ慄く人間の恐怖の視線と表情を眺めて悦に浸るように高笑った。恐怖、憎悪、悲嘆、諦観──人間の生み出すマイナスの感情は、悪魔にとって格好のエネルギー源であるからだ。

 しかし、その哄笑は他ならぬベンディ(レイニー)の手で止まることになる。

 

「ぷはっ…で、なんでみんないるワケ。時期外れの同窓会? あとコイツ(ボリス)。外出許可出してないんだけど。いついなくなったの」

 

 インクの悪魔(ベンディ)のマスクを剥がし、5歳前後の童女姿に戻ったレイニーは背中から生やしたインクの腕でボリスを吊るし上げる。捕まれたボリスは借りてきた猫のようにぐったりしていた。本人としては死んだふりをして隙を見て逃げ出そうとしていたのだが、その程度の演技に騙されるほどレイニーも甘くはなく、一瞬たりとも拘束の手を緩めはしなかった。

 レイニーの動向からバッキーの逃走幇助の疑いが消えたと判断した『ウォーマシン』のスーツを装着しているローズは、着地して警察・特殊部隊に合図を送り拳銃を下ろし、拘束具の用意を指揮した。

 

『それよりなんでキミが居るんだ、外出できる身体じゃないだろう』

 

「え? それは…」

 

 ローズに問われたレイニーは首を捻りつつ、その視線を黒スーツの男に移した。そして、気まずそうに目線を地面に落とす。

 

「……コクオー様が、亡くなったから…いてもたってもいられなくて」

 

「…そう、だったのか」

 

 インクの腕から解放された黒スーツの男は、レイニーの告解を聞き観念したようにマスクを外した。立派にたくわえた黒髭。褐色肌。そして()()()()()()()()()()()

 黒スーツの男は、ティ・チャラ王子だった。

 

「……その心遣いに、感謝を」

 

「…あれ? オージ様? ゴクドーみたいな…ヤクザっぽくなったけど、猫にでも引っ掻かれた?」

 

「ああ、少々やんちゃなじゃじゃ馬だがな」

 

 原因であるにもかかわらず事情を理解できてないレイニーは首を傾げたが、やがて国王(ティ・チャカ)から聞いた『儀式』のことを思い出した。

 

(ウワ、想像以上にヤバい儀式だったかも。コワ)

 

 現在進行形で恐怖の対象になりつつあるレイニーでさえも恐れる儀式。ワカンダの伝統は悪魔も慄く恐ろしさである。

 連行されるバッキー、サム、そしてスティーブの顔を一瞥して、深い溜め息をついた。

 

「…ひとまず、アナタどのボリスなのよ。ウォーリー? グラント? レイシー? ショーン?」

 

クゥーン

 

「泣きそうな犬みたいな鳴き声で誤魔化すな! そもそもアンタ犬じゃなくて狼でしょうに! ……ああ、もういいわ。どうせこのあとみんな仲良くお縄について事情聴取されるんだし。いままで無断外出してどんだけ好き放題勝手気ままに過ごしてたか、全部まるっと吐いて貰うから。貰うから!」

 

 

 ───と、息巻いていたレイニーだったのだが。

 ベルリンの対テロ共同対策本部、東棟地下5階にてバッキーが収容された部屋の隣室。同様の透明なケージ内にて拘束されたボリスの尋問に加わったところ、予想外の事態が発生した。

 

 

「……え? 命令されて動いた? 誰に。は? レイニー・コールソンって、私じゃない。そんな命令した憶えないわよ。ちょっと、ちゃんと目を見て言いなさいよ嘘なんてすぐわかるんだから…ア? ()()()()()()()()()? こんなちんちくりんじゃないですって!? 何よもっとボンキュッボンで魅惑のNice Bodyな私がいるとでも〈バチッ〉

 ……って、なんでこのタイミングで停電になるの──っ! 神の悪戯か悪魔の罠か? って私が悪魔だったわ。アーッもうアッタマきた! 根堀り葉掘りどころか地球の裏側まで貫通するつもりで情報吐いて貰うから! 覚悟しなさい、The Projectionist !

 (映写技師!)

 

Did you need m , Gohaa

 (何かご入用でしょ、ゴハッ)

 

「え、映写技師──!? え、バッキー!?」

 

「排除する」

 

(アッこれダメなヤツだ)

 

 暗闇の中で銀腕が煌めき、レイニーの首がインクの飛沫を上げて胴体から転げ落ちた。

 

 

 ──対テロ対策共同本部にて失踪者が6名。

 重要参考人バッキー・バーンズ。

 スティーブ・ロジャース。

 サム・ウィルソン。

 狼人ボリス。

 精神科医セオ・ブルサード。

 そして、レイニー・コールソン。

 

 ボリスが収容されていたケージの直近で壊れかけの映写機、そして大量の夥しいインクが飛散していたことから、バッキー・バーンズに襲撃され連れ去られたと思われ、捜査が続行されることとなる。

 

 

 

 

 








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凶星は、中欧の空に煌く




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  Five little Soldier boys(小さな兵隊さんが5人) going in for law(法律を志したら)

 

 One got into Chancery(1人が大法官府に入って) and then there were four(のこりは4人)

 

 

 

 Chapter 103

 

 

 

 なんでだ、なんでいつも()()なる。

 

「……レイニーは、どうした。アイツ犬面のインク野郎を尋問してた筈だが」

 

「…いないわ。現場に残されてたのは大量のインクとコレ(壊れた映写機)。あとボリスは犬じゃなくて狼よ」

 

「どっちでもいい」

 

 ほんっっっとうにどっちでもいい。というか、この状況のおいてさしたる重要項目でもないだろ分かりきったことをわざわざボクに言わせるなよ。

 爆破テロの主犯格バーンズ軍曹とスティーブ、あとサムの3人が逃亡し行方不明。オマケにスティーブたちはバーンズ軍曹の逃走幇助ということで捜査が進んでる。当然だ、()()()()()()()()()()()()

 ま、実際そうなんだろうけどさ! 状況を理解してないから! ああいう行動が取れるんだろうな! オーストリアには死刑制度も残ってる、このままじゃ極刑は免れない。幼馴染は助けたい…まぁ、その程度の動機だろ。クソッ。

 

「で、連中の足取りは掴めてるのか?」

 

 オマケにロス長官もお怒りだ。せっかくのソコヴィア協定が水の泡になっちゃあそりゃあ怒るよな、うん。

 

BPOL(ドイツ連邦警察)の対テロリスト特殊部隊『GSG(連邦国境警備隊)-9(第9大隊)』と共同で無人偵察機を飛ばして調査中ですご安心を。彼らのデータはすべて入力済みです顔や体格どころかアスファルトに映った影の端だけでも特定できる優れモノですよ。すぐ捕まります」

 

「いいやキミには任せられん」

 

「……何故?」

 

「一見冷淡のように見えてキミは情に篤い男だ、いまだアベンジャーズのメンバーとしてロジャースを追っている以上は私情が挟む。こんな状況でも客観的になりきれないのは、キミの数少ない人間味の一つだとも言えるがね。

 今回の一件は明らかな国際法違反に該当する。もし発見時・発見後もバーンズの逃走に加担しているというのであれば、派遣した特殊部隊への射殺命令も出さねばならんからな」

 

 ああ、くそ。どんどん事態は悪化してる。アイツは理解してるのか? この状況が長引けば長引くほど大事に、そして自分の命は愚か、アベンジャーズという組織そのものを脅かすハメになるんだぞ!

 

「…ん? オイ、さっきまでそこにいた金髪の美女さんはどうした。子宝に恵まれてそうなオッパイで、いい安産スタイルの」

 

「本人いないからって流石にそれはないわ…シャロンのことね? 何処行ったのかしら」

 

 あの女、さっきバーンズ軍曹と戦闘してたハズだが、そこまで怪我してなかったよな…ん? 待てよ、スティーブとは仲良さそうな雰囲気だったよな。まさか。

 

「武器庫は」

 

 片眉を釣り上げたナターシャが大急ぎで部屋から出ていく。少し経ってヒールの甲高い音と一緒に帰ってくれば、乱れた前髪掻き上げて。

 ホラ、最悪のパターン一直線だ。

 

「やられた、押収したモノ全部持ってかれてる。ご丁寧にインクの足跡まで残して」

 

 ウッソだろ。

 となると、レイニーはバーンズ軍曹に連れ去られたんじゃなくて、押収したスティーブの武器を盗んで姿を眩ませたってのか?

 オイオイちょっと待て、ちょっと待てそれはシャレにならないぞ。そもそもどうやって武器庫の場所を…ああ、例のいい尻のレディに教わったのか。そうだな、ウルトロンとのゴタゴタでヴィブラニウム製の武器も収納できるようになったアイツなら、大掛かりなケースなんてモノ見られることなく自由に持ち運びできる。

 

「……彼女(レイニー)が、向こう側についたか」

 

「クソ、なんでだ! あいつは協定賛成派だったはずだろ!」

 

「分からないわよ。でも、彼女なりに何か考えがあってだと思うけど」

 

 考え? ふん、悪魔に乗っ取られた女の思考回路なんてわかるものか。クソ、資産目当てに寄ってくる女どもの考えとか、セックスの気持ちいいところとかならすぐにわかるのに、アイツ(レイニー)の考えはまるで分らん。

 

 

Prrrr , Prrrr , Prrrr ……

 

 誰だ、こんなクソみたいな状況に電話かけてくる馬鹿は。

 ナターシャを睨んでも美女の顔が少し歪むだけ。ナターシャにも覚えのない連絡らしい。GSG-9からの通信か? とりあえず繋げるか。

 

「なんだ、こちらは忙しいスティーブの目撃情報でもないなら持ち場に戻りたまえ」

 

『あら、お困りこまりんぬだったりしちゃう? 手を貸してあげましょうか』

 

「……誰だ」

 

『Ciao~♪ ()()()()()()()()()()()、エニシ・アマツただいま参上♪』

 

 ナターシャと顔を見合わせた。ああわかってるよ、既にF.R.I.D.A.Y.に逆探知させてるが発信源は特定できてない。アメリカ、カナダ、イタリア、イギリス、ニホン、韓国…複数で反応がある。つまり、今のボクたちではヤツの居場所の特定は困難だということだ。

 仮にこの声の主がエニシでなかったとしても、ヤツの名を騙るということはヤツと何かしら繋がりを持っているということだ。

 

『あらあら()忙しそうねトニー・スターク。ちょっとワタシ()暇してるから暇つぶしに()手伝いして差し上げましょうか?』

 

「お前の口車に乗ってやりたいのはヤマヤマだがボクたちもキミなんぞを相手にするほどの余裕はないんだ。悪いが遊び相手は他に譲ろうか。それに電話越しにしか相手にできない引きこもりはお断りだ」

 

「そう? じゃあ直接出向けばいいのね?」

 

 ──真後ろに肉声。同じ声。同一人物? 背後に熱源は()()。腕時計型アーマーのリパルサーは稼働可能、即座展開。

 多分歴代最速の速度で展開したリパルサーを構えると同時、ナターシャも隠し持ってたホルスターから取り出した拳銃を侵入者に突き付ける。

 

「Ciao♪」

 

 その侵入者は、パレードの仮装にも出るか疑わしい、頭の先から足元まで包帯が巻かれたミイラ女だった。何故女か分かるかって? いいブツ(オッパイ)をお持ちだったからだよボンキュッボン。ボク的には好みのスタイルだが生憎食指はそそらない。

 その包帯越しにもわかるニヤケ面、吹き飛ばしてやろうか。

 

 半世紀以上同じ姿で生き続ける極東の魔女。

 HYDRA創始者に名を連ねる、レイニーの実母。

 コイツが、エニシ・アマツ。

 

「おお~っとナターシャ銃を抜くスピードは流石ね、トニーもその腕時計が変形するなんてビックリ! でも後ろに人いるなら撃たない方が身のためね。何故って? 理由はカンタン♪」

 

 ヤツは、テーブルに置かれていたであろうペンを掴むと、そのままその切っ先を脳天に()()()()()

 

「ホラね♪」

 

 イヤ、違う。突き刺さってなんかいない()()()()

 包帯から血飛沫なんか出ていない。何よりペンはヤツ脳天に留まることなく真下を突き抜け、床に落ちた。

 ホログラムか? それにしては映像を投影する子機の類が見当たらない。何より()()()()()()()()()()()()()()()()

 ヤツはここにいる。さっきからF.R.I.D.A.Y.に観測させてるが、赤外線でも、電磁波でも、サーモグラフィーでも、あらゆる観測方法で試してもなにもないと出てる。実体が、ない? だったらボクたちの視覚情報でしか見えていないってのか、どういう理屈だ。

 

「タイヘンねぇ、アベンジャーズへの世間のバッシングを緩和するために折角ソコヴィア協定を締結させたってのに、国連サミットの爆破テロにキャプテン・アメリカの暴走。踏んだり蹴ったりで骨折り損のくたびれ儲け…儲けすらないから悉くマイナスしかないわね。あーあカワイソ、思わず同情心で涙チョチョ切れよンフフフフフ」

 

「誰のせいだと思って…!」

 

「キャプテン・アメリカが暴走しているのは、親友のバッキー・バーンズが原因で…それは彼がHYDRAの洗脳を受けたせいだから…そもそもHYDRAがワタシの洗脳技術の基礎理論を発展させたせい…ハッ!

 全部ワタシのせいだ! ハハハハハッ! トニー・スターク、全部ワタシのせいだ! フフッ」

 

「遺言は、それだけで十分かね」

 

 そろそろロス長官の堪忍袋が木っ端微塵に粉砕される頃合いだぞ。彼が拳銃をこんな至近距離で突き付ける光景なんて終ぞ見たことはなかった。

 例え当たらないと分かっててもコイツには銃構えたくなるよな、分かるよ。この世で唯一許されていい無駄な行為。

 エニシ・アマツに怒りと八つ当たりの矛先を向けることに、何一つ無駄なことなんてないだろ。

 

「まぁまぁ、その代わりと言っちゃあ何だけど、キャプテン・アメリカとベンディ、その他諸々の連中の捕縛に手を貸してあげてもいいわよ? 今回の件に関してはワタシでも心を痛めてるから。親として恥ずかしいワ、監督責任問題として責められても文句は言えないわね」

 

 どの口が言うんだどの口が!

 

「アベンジャーズの良心がスティーブなら私はその対極なんだけど、私でなくても貴女の言葉は一つとして信じられないわ」

 

「でも、この後アナタたちが思いつく限りの助っ人を雇ったとしても、作戦の成功確率は低いのではなくて? 相手はキャプテン・アメリカにベンディ、あとプラスα。ここは素直にワタシの申し出を快く受け入れるべきだと思うけど? 向こうの増援は未知数であるわけダシ」

 

 それに、と続けて、

 

「ロクに会ってもいないのに信じられないだなんて酷いワ。ワタシだって人並みの情動はあるわよ」

 

 その言葉こそ心から言ってる言葉じゃないことぐらい、ボクにだって理解できる。

 

「キャプテン・アメリカはバッキー・バーンズの逃走も含めて追跡不可能なステルス機(クインジェット)を必要としてるでしょうね。ここらへんでメジャーな空港と言えばベルリンのTXL(テーゲル)SXF(シェーネフェルト)……だからこの二つは除く」

 

「…何故かね」

 

「何故かって? それ本気で言ってる? 流石にキャプテン・アメリカも脳筋馬鹿じゃないわよ、ここから一番近い空港なんてアナタの権限で可能な限り動かせる対テロ対策チームのメンバーと地元警察が検問張ってるってわかるでしょうに。

 それにこの二つの空港に今現在個人で動かせるステルス機は配備されてないわ。となると…残るここ近郊の空港はLEJ(ライプツィヒ・ハレ)DRS(ドレスデン)HDF(ヘリングスドルフ)…距離だけであれば国境超えてポーランドのSZZ(シュチェチン)IEG(ジエロナ・ゴラ・バビモスト)も近場だったかしら? ここまでヒントあげればあとは皆さま方で調べられるわよねェ。

 ということで、現地集合でいいわね? 協力の見返りとしてダーイジな娘の身柄を引き渡してもらいましょうか」

 

「それはできない相談だ。彼女は捕縛後押収品の盗難とロジャースに加担した責任問題を追及せねばならん」

 

「……ふーん? ま、そういうことならその後でいいわ。じゃ、そういうことで。バァイ」

 

 うぉ! まぶしっ!

 ぱち、と指パッチンみたいな音と同時に放出された閃光がボクの瞼を焼きそうで、思わず手で庇った。なんだ、目くらましか!?

 光に慣れるより先に光の放出が止まると、包帯まみれの女の姿は消えてやがった。クソ、まんまと逃げられた…しかもフライデーからも何の反応はナシ、か。

 ……光の中に、見覚えのある光が見えた気がしたが、気のせいか…?

 

「……ハァ。くそ、逃がしたか。スターク、36時間以内にバーンズ、ロジャーズ、ウィルソン、そしてコールソン全員を捕まえろ」

 

「…了解、感謝しますよ長官」

 

「心にもないこと言うな。ただし36時間きっかりだ、これを過ぎれば直ちに特殊部隊を派遣し我々が彼らを()()する。いいな?」

 

 まったく酷なこと言ってくれちゃって。

 時間も人員も足りない。ハルクでもいてくれれば百人力なんだがなぁ…そもそもバナーがこっちにつくとは考えられないな…いやどうだろう、そこはナターシャとの新婚ラヴラヴパワーでついてくれないか。

 まぁ、無理か。こんな状況じゃキレのあるジョークの一つも言えんな。

 助っ人、助っ人なぁ…心当たり…ない訳じゃないんだが。

 

 ただの兵士じゃ駄目だな、スティーブのような超人にも対抗できる身体能力、戦闘能力、経験…アッそもそもボクにそういう友人はいなかったな。没。

 金でそういう連中を雇うことは? できない訳じゃあない。だが金で動く連中は金で裏切る。没。

 じゃあ名誉は? 錯乱した英雄(キャプテン・アメリカ)を止めたという名誉。考えたくもないが、そういう連中は大抵スティーブのカリスマに魅せられる。没。

 

 じゃあ、他に何で動く連中なら助っ人足り得るのか?

 ……自分の中に、ぶれない正しさを持ってるヤツだ。レイニーのような、な。

 

 SNSサイトで見かけた蜘蛛コスチュームの少年。彼を誘ってみるか。

 

 

 

 

 

 Chapter 104

 

 

 

「IDを見せろ」

 

「えーっと…コレでいいかしら?」

 

「……シャロン・カーターさん。アメリカから。パスポートは…コレだな。よし…ちょっと待て、後ろの()()のは?」

 

「ああすいません、親戚の子で今日この子の両親が仕事で見れなくて。今日は私がスクールの迎えに来たんです。ホラ、怖い犯罪者が脱走したとかなんとかで下校時間が早まったんですよ…もう捕まったんですか?」

 

「ヘイおっさん早く通らせろよアンタだって×××に□□□ぶっ刺すとき焦らされたら気分わるいでしょ? わかる? いま僕そういう気分なの。ほーらぁ~この先の信号赤になると結構長いからアンタらの足止めなきゃ一直線で帰れたのに赤になった~アーアーもうめちゃくちゃだよ」

 

「このクソガッ」

 

「オイ落ち着け、いま探してるのは黒髪の女の子だろ。金パの小僧なんか相手にすんな」

 

「…クソッ、さっさと通れ」

 

「口が悪い子ですみません…ホラ謝りなさい」

 

「ウチの叔母さんのオッパイ思い出してオナったりすんなよヤリチンポリス、へへへ。ところでおっさんパイズリ派? フェラチオ派? 隣のイケメンおにーさんはケツでヌくの好きそうな顔してるよね。当たってる?」

 

「「このクソガキが!!」」 

 

 

「…もう連中見えてないわ、マスク外していいわよ」

 

「っぷは! いやー初めて男の子になってみたけど上手くいくものね。チンポ出せよって言われてもいいようにちゃんと再現したけど、正直ホント邪魔。タマタマと象さんがあっちこっちにズレて気持ち悪い。よく男ってこんな臓器ぶら下げられるよね」

 

「……すごいわねその身体、声も仕草も何もかも別人だったわ。違う子乗せちゃったのかと自分を疑ったわよ、下っ足らずな口調も子どもそのものだったし。下ネタトークはちょっとキツかったけど」

 

「割と最近の子はおマセちゃん多いからこーいう下ネタ割と言ったりするよ、大人ぶりたいから。子どもの情操教育は年齢に合わせようね」

 

「貴女、いい女優になれるわ」

 

「女優かー…なりたかったな。小さい頃の夢だったの。映画が好きでね、よく友達と一緒に観てた」

 

「へぇーいい趣味じゃない。

 それにしても助かったわ、保管室の鍵はロス長官レベルの権限じゃないと開けられないセキュリティになってたから。首大丈夫?」

 

「うっへぇ、まだ感触残ってる…バッキー容赦なさすぎない? 『Child's(赤子の)play(手をひねる)』ってことわざあるけど、あの状態のバッキーには良心のカケラもないねホント」

 

「私もこっぴどくやられたわ…「あ、死んだ」って思ったのは今回が初めてよ。二度と体験したくないけど。ところでさっきから誰にメール打ってるの?」

 

「んー? ナイショ」

 

「まぁいいけど。A secret(女は秘密を) makes(着飾って) a woman(美しく) woman(なる)…なーんて言葉もあったような、なかったような」

 

「それニホンのアニメネタだよ。ちっちゃくなった名探偵」

 

「へぇ、それは知らなかったわ。まさに今の貴女みたいじゃない」

 

「すきでこんなチビになってるわけじゃないやい! うーんこのポテンシャルじゃ戦闘もロクにできない…少なくともサーチャー1人、いやせめて2人くらい吸収できればいいんだけど…最近妙にインクの還元率悪いっていうか、やっぱインクマシンちゃんと直ってないのかな」

 

「ボールペン持ってきたけど、いる?」

 

「いるいるー! って子ども扱いか。第一そんなちょびっとじゃ…でもムダにはできないし貰っとく。ありがと」

 

「どういたしまして。それ、ペギー叔母さんから譲ってもらったペンなの。年季入ってるでしょ」

 

「そーゆー扱いに困るブツ気軽に渡さないでよ! 返す! 返品! クーリングオフ! 受け取り拒否! 着払い払ってやんないから出荷所に返して!」

 

「別にいいわよ、私もどう使おうか困ってたところだったから。前々から祖母の面倒を見てくれたお礼として受け取って。

 そういえば、なんで貴女はペギー叔母さんの相手になってくれてたの?」

 

「え? いや別に。スティーブがちょくちょく顔出してる人いたから。会って話してみたらめちゃくちゃいい人だった」

 

「そうだったのね……レイニー、一つ聞いてもいい?」

 

「ん?」

 

「貴女って、スティーブのことが好きなの?」

 

 

 

 

 

 Chapter 105

 

 

 

 対テロ対策共同対策本部の屋上でバッキーが乗るヘリを止めた僕はバッキーと一緒に川に落下した。いつぞやのワシントンの時の再現みたいだ、と思った。ただあの頃と少し違うのは、気を失っていたのが僕ではなくバッキーだったことだ。

 水分を吸った服を着てると、身体が重く感じる。それが自分の分と、気絶して体の力が抜けたもう1人の分も含めればかなりの重さだ。訓練兵時代に着衣水泳の訓練をやっててよかった…まぁ、そのときは全然泳げずに溺れかけたけどな。

 

 空の監視から逃れるように岸にあがった僕たちを待ってたのは、アニマトロニクスの左腕を持つ狼人ボリスだった。

 彼は(彼女、ではないと思う)気絶したバッキーを担ぐとちょいちょいと指先である廃工場を指し示し、そこへ連れてってくれた。どうやら味方のようだ。そもそも彼はいままでずっとバッキーの傍にいたんだから、敵というのも考えにくいな。バッキーは監視、とも言っていたが。

 

「ありがとう…キミは、レイニーの命令でバッキーを監視してたのか? ずっと?」

 

 ボリスは、ちらりと肩越しに僕と目を合わせて小さく頷いてくれた。そうか、レイニーの指示で…だが、尋問の様子ではレイニー本人には覚えがないようだけど、それはどういうことだ。

 

「いつから?」

 

 そう問うと指を2本立ててくれた。2年……つまり、ワシントンでのS.H.I.E.L.D.崩壊後から、ということになるのか。

 

「スティーブ!」

 

「サム、来てくれたか。あの精神科医は?」

 

「ダメだ、避難者の人ごみに紛れて見失っちまった。行き先も潜伏場所もわからない、情報が足らない」

 

 廃工場に着くと、僕より先にボリスに案内されていたサムと合流できた。彼は目を覚ましたバッキーの暴走を危惧してありあわせの拘束具の用意をしていたようだ。

 正直、バッキーに拘束具を付けるのは心苦しかったが、HYDRAの洗脳の影響が残った状態で覚醒してしまった場合被害を受けるのは僕たちだ。心を押し殺してバッキーを拘束したが、目覚めた彼の意識は僕がよく知るバッキーだった。そして、恐ろしいことを伝えてきた。

 

「ウィンター・ソルジャーは他にもいる。シベリア最北端にあるHYDRAの軍事施設。そこに5人、冷凍保存されているが蘇生は可能だ」

 

 30ヵ国語以上を使いこなす最強のスパイ。精神科医になりすました謎の男は、バッキーに彼らが保管されている基地の場所を聞き出していた。帝国の崩壊、彼らを世に解き放ってしまえばその言葉は現実のものとなってしまう。

 時間がない。だが、応援も人手も足りない。

 

「奴を止めないと、なんとかトニーに真実を伝えれば」

 

「今更信じてくれると思うか? 説得の時間を有効利用したほうがまだ現実的だ。仮に説得できたとしてもソコヴィア協定のせいで組織として動くことはできない。やるなら俺たちだけで」

 

「だがこの人数でやっても成功率は低い。とにかく人手が足りない」

 

「オレにアテがある。1人な」

 

 バッキーを解放し、廃工場に放置されてた古い車に僕、サム、バッキー、そしてボリスを乗せて走る。少し小さい車だったからサイズがギリギリだ。

 サムはその助っ人に、僕はクリントとレイニーの2人と連絡を取り、端末が受信した座標でまずレイニーと合流した。ヘリの監視が効きにくく、人目につきにくい高架下。そこに黒のセダンが佇んでいた。待ち伏せ、違うな。先客か。

 

「シャロン、ありがとう」

 

「どうも。私1人じゃ難しかったわ」

 

 シャロンに続いてレイニーが助手席から降りると──以前より小さくなったその体躯で猛ダッシュして僕の脇を抜けて、

 

「喰らえ我が怒りの怪鳥蹴りィ!!」

 

Yeow !

 (ギャー!)

 

 後ろにいたボリスに盛大な飛び蹴りをかましてきた。

 胸元のインクが派手に飛び散る勢いで、凄まじく。

 ロクに受け身も取れなかったボリスはぐるぐると目を回して転がり、そのまま飛び乗ったレイニーに胴体を足でがっちりと掴まれて固定されて止まった(まるでクレーンゲームのアームみたいだ、と思ったのは内緒だ)。

 

「ゴルゥァ勝手に逃げ出してんじゃないわよこの狼ッコロ! アンタ私がバッキーに襲われて首チョンパされたってのにシレッと逃げるとかおふざけにも程があるでしょうが! ご主人さまのこと忘れるな──!!」

 

「アイツの首切ったってマジか」

 

「……覚えてない」

 

 馬乗り状態で首根っこを掴んで後頭部をバウンドさせるのは、流石にやり過ぎじゃないか…? ボリスの後頭部部分が徐々にインクに戻りだしたのを見かねてレイニーを宥めると、未だ怒ったままのレイニーは地面に這いつくばるボリスにキックして漸く離れた。

 

「ふんっ…で、一応持ってきたよ押収された装備。はいどうぞ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 レイニーの腹から僕の盾とスーツ、サムのバックパックが飛び出し状態確認。うん。問題ないな。

 するとレイニーはバッキーとボリスを交互に見て、深くため息をついた。どうしたんだ?

 

「あ、いやちょっと…うん…ハァ、説得できればいいけど」

 

「説得?」

 

「どーにもトム…あ、ボリスのことね、ボリスでいっか。ボリスのヤツ、バッキーの言いつけを守ってるみたいでぜーんぜん口割らないの」

 

「言いつけって、何を」

 

「日記を手放さない。つまり、ボリスとバッキーが共に過ごした時間を誰にも話さないって。証人になってくれれば、こんな面倒なことにならずにバッキーの無実が証明できたかもしれないのに」

 

「だが、彼はキミから生まれた者なんだろう? 命令を無視しているということか。イヤそもそもキミは彼に命令したわけじゃないのか?」

 

「それがどーも、私の命令を受けたことはホントらしいんだけど私自身そんな命令出した記憶ないのよね…基本的にインクの住人は私以外の命令は聞けないハズなのに…むむーん……こうなると、一度同化して記憶共有するしかないわね」

 

「同化?」

 

「アリスやボリス、サーチャー、ブッチャー・ギャングたちも元は私の身体(インク)から生み出されたモノだから、元に戻れば蓄積されている記憶を情報として共有することはできるの。ただ、強制的に同化してしまうと『バッキーと一緒に過ごしていたボリス』は完全に消えてしまって、またボリスを生み出したとしても以前と同じボリスにはならない。つまり、間接的にだけど私がボリスを殺すことになる」

 

 なるほど、レイニーが懸念しているのはそこか。

 彼女は、自らが生み出したインクの住人たちの人権を尊重している。だからこそ彼らの身を大事に考えているし、彼らもその気遣いと配慮があるからこそレイニーに協力している。きっと、レイニー以外だったら彼らは誰にも従わず、それこそ好き勝手やって迷惑をかけてただろう。そうならないのは、レイニーの人柄があってこそ為せる業なんだろうな。

 

「えーっと、首チョンパバッキーさん初めまして」

 

「…首切った相手に馬鹿正直に挨拶されるなんて初めてだ」

 

「そりゃそうでしょうね首切られたら死ぬし! 元気にコンニチハ! アツゥイ! なんて挨拶できないし! じゃなくて、現状ボリスの主になってるバッキーさん。これからボリスの記憶を読み取るためにボリスを吸収しちゃいますけどいいですか? 吸収したらいままでの(ボリス)は失われ、もしまたボリスを生み出したとしても以前とはまた別のボリスになってしまいますが」

 

「仕組みはよくわからないが、変な命令下した俺にも責任あるからな。わかった。

 ……ボリス。じゃあな、お前と過ごした時間、存外悪くなかったよ」

 

 車から出たバッキーはボリスと握手して別れを告げた。

 するとボリスは【クゥーン】と小さく鳴き、その声を最後にレイニーに吸収されて跡形もなく消えた。こうしてみると、本当にすごいな。非科学的存在を目の当たりにしてるって実感が沸くよ。

 

「ん~~~…おぉ、だいぶ身体も戻った」

 

 一瞬どろりとインクの組成が崩壊し、すぐさまレイニーの形に際復元されると以前の姿に近い年齢のレイニーが現れた。な、なるほど…ボリスのインクを取り込んだから、姿が戻ってきたってこと、なのか?

 少し成長した姿のレイニーは自分の身体をじろじろと見つつ、胸元から一本のフィルムリールを取り出す。ラベルには『Boris and Bucky』と書かれていた。

 

「…………ふ、む。なる、ほど? そういう、()()()()()()? いやでも()()()()()()()()。でも、でもこれは、これしかない…のか?」

 

「レイニー?」

 

「ン、あ、これ。ボリスの視点で見たバッキーとの生活記録。ちゃんと日時も表示されるはずだから、ちゃんとした証拠品にはなる筈」

 

「そうか、ありがとう」

 

 何やら眉間に皺寄せてうんうんと唸るレイニーだったが、僕らも時間がない。シャロンに別れを告げてレイニーを乗せると、僕らは次の集合場所へ向かった。

 

 ベルリンからシベリアへは最速でも半日かかる。あの精神科医も一般の交通網を利用しているとしたら、スタートダッシュが遅い僕らでは彼の野望を止めることはできない。

 だが、逆転の一手は、まだある。

 僕らアベンジャーズが保有するクインジェット。あれであれば一般旅客機の速度を大幅に上回り、ギリギリでシベリアの基地へ到着できるかもしれない。

 クインジェットは、連絡を取ったクリントが空港で用意してくれるらしい、ありがたい。

 

 行き先はザクセン州ライプツィヒ・ハレ空港。

 頼む。間に合ってくれ。

 頼む。来ないでくれ、トニー。

 

 

 

 

 

 Chapter 106

 

 

 

「ねぇ、スティーブ」

 

「なんだ?」

 

 空港に到着したレイニーたちはクリント、アベンジャーズ本部から連れてきたワンダ、そして『アントマン』ことスコット・ラングと合流した。

 ワンダにいたっては、「すこし大きくなった義姉さん!」と出会うなり強烈なハグで迎え、スコットに関しては「エエーッ、キミたち姉妹だったの!? ウッソ全然似てなァ~い……ごめん、ちょっとデリカシーなかったかな、うん。血が繋がってない姉妹の形もあるよね、うん」と、主に2人の胸元を見比べながら何度もしきりに頷いていた(なおその直後に額に怒りのマークを浮かび上がらせたワンダの強烈なデコピンを受けてスコットは悶絶した)。

 到着後情報交換を交えた軽いブリーフィングを行い、各々戦闘準備に取り掛かったところでレイニーが躊躇いがちに、スティーブに声を掛けた。丁度、盾のベルトに手を掛けたときだった。レイニーはいつものインク製の黒スーツに身を包み、インク吸収によって少し伸びていた髪は短めに調節されていた。

 

「……スティーブはなんでバッキーを守ろうとしてるの?」

 

「……それは、彼は、濡れ衣を着せられたからだ。謂れのない罪で罰せられるべきじゃない」

 

「それは、テロのことよね? じゃあ、バッキーが昔トニーの両親を暗殺してた件については?」

 

 がちゃん。

 盾を腕に留める金具が、小さな不協和音を奏でた。動揺で、手元が狂ってしまった。予想だにしない話だったからだ。

 

「……その反応、本当に今まで知らなかったってことね」

 

 狼狽えるスティーブの様子を見て、レイニーは確信した。スティーブはトニーにスターク夫妻暗殺の件について話していないことを。

 いやむしろ、スティーブ本人も今まで知らなかったと。

 

「その話は、本当なのか? イヤ、いつから…」

 

「……ソコヴィア事件の、少し前」

 

 

「また、何かあったら連絡くれ。力になる」

 

「………」

 

「レイニー?」

 

「…ううん、なんでもない。そうだね、一声かけるよ」

 

 

「……そうか。キミはあのとき、既に」

 

「…うん、S.H.I.E.L.D.の機密とHYDRAの報告書を解読したのはソコヴィアの一件の少し前だったからね。だから、言おうか迷ってた。絶対と言い切れる情報でもないし、あくまでも偶然と言ってしまえばそれで終わり」

 

 S.H.I.E.L.D.創設者兼幹部の一人であるハワード・スタークの死を、S.H.I.E.L.D.が見逃す筈がなかった。当然S.H.I.E.L.D.のエージェントによる当時の現場検証や情報収集は記録に残っている。

 レイニーは直接的にハワード・スターク夫妻の犯人を知ったわけではなかった。だがある程度推測は建てられた。

 かつてワシントンの一件でナターシャによってネットワーク上に流出したS.H.I.E.L.D.の機密、自宅にてエニシ・アマツが遺したとされるHYDRAの任務報告と研究成果の一部。この二つの(情報)から導き出される推論は決して常識外の発想でもなかった。むしろ、多方面の視点による報告書であることから、より精度の高い考察になることは当然の流れであった。

 

 当時の古い記録では事故死として報告されていたが、事故と判断されたタイヤのパンクが車体の側面方向からの衝撃で発生したこと、それに対して車の衝突はボンネットもひしゃげるほどの正面衝突であったことが、レイニーには引っかかっていた。

 ハワード・スターク氏の死亡原因は車の衝突に伴う頭蓋骨陥没による即死であったという報告であったのに対し、妻のマリア・スターク氏の死因が頸部圧迫による窒息死であったことも謎だった。

 車の正面衝突であれば、運動エネルギーの作用で助手席に座る人間の頭部とフロントガラスが衝突し頸椎圧迫骨折による即死は考えられる。だが、頸部圧迫は車の事故では普通は発生しない。壊れたシートベルトが首に絡むことはなくはないが、マリア・スターク氏の首元に残っていた圧迫痕は布のようなものではなかった。

 

 ()()()()()()沿()()()で、圧迫痕は残っていた。

 

 ただし、これらの記述は添付された証拠写真とは裏腹に明確に明記されていなかった案件である。すべて、レイニーの私見に基づいた推論に過ぎなかった。つまり、額面通りの報告書として読まなかったということである。それはなぜか。

 簡単なことだ、表向きでは解体された筈のHYDRAの構成員が、既にS.H.I.E.L.D.に潜入して報告書をでっちあげている可能性が高いからである。

 1945年にJIOA(統合諜報対象局)の承認のもと、CIC(米国陸軍防諜部隊)によって実施されたペーパークリップ作戦において既に潜入していたアーニム・ゾラに限らず、S.T.R.I.K.E.チームのリーダーであったブロック・ラムロウ、S.H.I.E.L.D.の理事長を務めていたアレクサンダー・ピアース、レイニーの父であるフィル・コールソンと旧知の仲であり技術者であったジャスパー・シットウェル、ピム・テックの騒動に加担していたミッチェル・カーソンなど、有名無名問わずS.H.I.E.L.D.の構成員の中にHYDRAの配下は紛れ込んでいた。

 故に機密のいくつかは文面通りの真実とは限らない、限りなくグレーに近いものも含まれていた。

 

「だが、キミはその推測を裏付ける情報があったのだろう?」

 

「……スターク夫妻の死、血清を失ったという報告と血清を得たという報告の時期が合致してた」

 

 被害者(S.H.I.E.L.D.)の被害報告と加害者(HYDRA)の成果報告の日付の一致。

 そしてS.H.I.E.L.D.側の血清喪失の報告とHYDRA側の超人計画(ウィンター・ソルジャー)の始動。

 血清がただの医療用のものであれば見過ごすこともできただろうが、S.H.I.E.L.D.側はこの損失があまりにも痛手であり大体的な報告はできず、HYDRA側は血清強奪から超人兵士の訓練記録が残されており、関連性があると邪推せずにはいられなかった。

 

作戦(オーダー)を受けた『ウィンター・ソルジャー』というコードネームのエージェントの正体がバッキーだって知った後だったから、本人だと気付くのはそう時間はかからなかった。勿論、当時の防犯ビデオに残ってるはずの映像記録は主犯と思しき人に盗まれてたし、決定的な記録が残ってたわけじゃない。でも…」

 

「……もういい、ありがとう」

 

 スティーブは、話を遮るように手を振った。

 そう、この情報だけであればまだ疑うだけで済んだ。

 だが、先にバッキーが伝えたシベリアに眠る他のウィンター・ソルジャーの存在が、裏付けを決定的にしてしまった。加えて、バッキーは彼ら(ウィンター・ソルジャー)が投薬による強化兵であると知っていた。HYDRAに洗脳されていた頃の記憶を、断片的に覚えていたのだ。その話の概要を、要点だけ掻い摘んでではあるがスティーブから聞いたレイニーの頭の中で、点と点が線で繋がり、限りなく黒に近い灰は完全に黒に染まった。

 

「そこまで確証があったのに、なんで今まで話さないでいたんだ? イヤ違うな…今まで、ずっと黙っててくれたのか…」

 

「……正直、伝えようかずっと迷ってた。でも、トニーにとってトラウマであることは明白だし、スティーブはてっきり知ってて、そのこともトニーに話した上で一緒に活動してると思ったから」

 

「……そうか。ここで話してくれて、ありがとう」

 

「待って」

 

 スティーブは労りの念を込めてレイニーの肩を叩くが、俯いたまま肩を落としていたレイニーはその手を掴む。

 がっしりと。やや強めに、力を込めて。

 

「スティーブが知らなかったなら、トニーにあなたを責める資格はない。だって知らなかった、()()()()()()()()()()()()()()()()()! だからもしいつか、トニーに糾弾されたとしても、」

 

「オイお2人さんそろそろ時間、っぽいけど……」

 

 と、そこで、アントマンのスーツに身を包んだスコットの声がかかった。頭部を覆うヘルメットがパカッと、軽快な音と共に解除され冴えない男(スコット)の素顔が外気に晒される。どうやら、本人も意図しないタイミングでの装甲解除だったらしい。目を白黒させてレイニーとスティーブの両名に視線を彷徨わせる。

 やべ、なんかやっちゃいました俺? と言いたげな表情で。

 

「あ、ごめん…お取込み中だった?」

 

「…イヤ、大丈夫だ。時間教えてくれてありがとう」

 

「いやいやイーんだよ、ヤベ、今キャプテン・アメリカ相手にタメ口しちゃってる? じゃなかった、いいんですよ! あの鳥の人に言われたこと伝えに来ただけなんで! それじゃ!」

 

 顔を信号機のよう赤くしたり青くさせたスコットはやや上機嫌に去っていくと、いそいそと来た道を戻りスーツのシステムチェックに励んでいた。彼の背中をポカンとした表情で見てた2人は、大きく溜息を吐いて脱力した。

 

「うん、うん…わかった。ありがとう」

 

「……まぁ、今はそれでいいわ」

 

「あれ、さっき何か言いかけてなかった?」

 

「あ──えーっと、何だったかしら。スコットの百面相が強烈過ぎて、言いたい言葉フッ飛んじゃった。ま、後で思い出せるでしょ」

 

 事実に基づく話であれば記憶を元に話す(アウトプット)ものだから普通は忘れることはない。ただし、先のレイニーの言葉は記憶に拠るものではなくレイニー本人の感情による発露であり、あくまでも私見的な言葉だった。従って、スコットの乱入と変顔の衝撃程度でも吹っ飛んでしまう程度のものであり、この場で言いたかった言葉を伝えられなかったのは、仕方のない──間が悪かったとした言いようがなかった。

 故にレイニーもスティーブと別れ戦闘準備を整えている最中、「何言おうとしたんだっけ?」としきりに首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 Chapter 106

 

 

 

「トニー、待ってくれ」

 

『…その古臭いフィルムはなんだ? ベンディが作ったモノだろ』

 

 空港で立ちはだかるアイアンマン(トニー)ウォーマシン(ローズ)ブラック・ウィドウ(ナターシャ)ブラック・パンサー(ティ・チャラ)スパイダーマン(ピーター)に対し、スティーブはレイニーに託されたボリスの記憶のフィルムリールを掲げた。

 

「これは、ボリスが命を賭して抽出したバッキーとの生活…いや、監視記録だ。この記録内容によってはバッキーの無実が証明できるが」

 

『…待て、それは本当か?』

 

『流されるなローディ。ベンディが勝手に創り出したでっち上げの記録ということもある、証拠としての効力は薄い筈だ』

 

「でも、もしそれが本当だとしたら真犯人は別にいることになる…」

 

「…まだ、一考の余地はある。だがバーンズを引き渡してからだ、すべてはそれからだ」

 

「え? え? どういうことなの?」

 

 突然提示された証拠品の存在にトニーたちの間で動揺が広がる。それは本来人間として正しい反応であり、場合によってはこの場で荒事になるまでもなく、アベンジャーズという絆が引き裂かれることもなく、限りなく最良に近い未来を掴み取れる筈であった。

 

 故に、

 

『そんな口車にダマされちゃダメだゾ☆』

 

 スティーブの手にあったフィリムリールが粉々に砕け散り。

 

 続いて、砲声(金属が破裂する音)が空港に木霊した。

 

『はーい、よーいスタート~Civil(最悪の) War(戦い) RTAはっじまーるよー! バッキー・バーンズ引き渡しの刻限は12時間! でもロス長官の気分次第で長官直轄の特殊部隊が全員纏めて屠殺しにやってくるから要注意! タイマーは既にスタートしてるけどこの時点で無意味なのでポイしまショ。ちなみにワタシの狙撃は老若男女容赦なしなので悪シカラーッズ!!

 さぁさぁ、()()()()()()()()()()()誰かな~?』

 

 トニーたちの無線機に、悪魔(エニシ)の毒(・アマツ)が滑り込む。

 崩壊は止まらない。

 

 

 

 

 







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災厄の昏き夢は、大地に消えて


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 あーあ、
 ついに選んじゃったね 





 Four little Soldier boys(小さな兵隊さんが4人) going out to sea(海に出かけたら)

 

 A red herring swallowed one(1人が燻製のニシンにのまれて) and then there were three(のこりは3人)

 

 

 

 Chapter 107

 

 

 

「何処から撃ってきた…? 人影一つ見えないけど、こっちが見えてるとでもいうの?」

 

「えっ今の援護射撃とかじゃないの? メチャクチャ怖いんだけど!?」

 

……シュリ、先程の狙撃の解析頼めるか。ヤツの座標を炙り出してくれ

 

 トニーもスティーブ達と同様に、狙撃手(エニシ)による狙撃を警戒し周囲を見回していた。辛うじて一般人レベルの視野を持つナターシャだけでなく、第六(スパイダー)(センス)を極限まで高めたスパイダーマン、ワカンダの英知の集大成であるブラックパンサーでさえも、エニシの居場所を割り出すことは不可能だった。

 そも、エニシ・アマツは元々HYDRAサイドの人間。協力体制をかこつけておいて裏切るなんて日常茶飯事だ。故に誤射という名の暗殺の可能性も視野に入れなければならない。

 トニーは狙撃後即座にアイアンマンのフェイスカバーを下ろし、いつ銃弾が襲ってきてもいいように全身のスラスターを稼働状態にさせていた。ウォーマシンのフェイスカバー越しにもわかるローズの心配そうな所作に溜息を漏らしつつ、エニシと繋がっているであろう通信に呼び掛けた。

 

『オイ、お前どこにいるんだ。僕たちを狙うんじゃないぞ』

 

『んん~? 勝利の女神様の塔~』

 

『ふざけるな』

 

『ふざけてないわよ~金色の勝利の女神(ヴィクトリア)。258階段、6・17ストリート。LAT(緯度)13.764908、LOT(経度)100.538285…ここまで言えば、もうわかるでしょう? あ、Ciao~♪』

 

『オイオイ嘘だろ…』

 

 該当件数1。

 戦勝記念塔ジーゲスゾイレ。

 デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争の勝利を記念して建てられた石造の塔。

 ベルリン中心部、ミッテ区ティーアガルテン地区に位置する公園の中央。

 

 空港から、()1()5()0()k()m()()()()()()()()()である。

 

『…F.R.I.D.A.Y.この映像は偽物じゃあないよな?』

 

『私が偽の映像に加工して提出するとお思いですか?』

 

『あぁそうだった、そんなことしないよな。現実を受け止めないと』

 

 アイアンマンスーツのフェイスカバー裏では、背の丈ほどある巨大な銃──否、銃と呼ぶには巨大過ぎる、大砲にも似たものを構えた包帯(エニシ)(・アマツ)が直上の通信衛星へ向けてカメラ目線でにこやかに笑いながら手を振る姿が映し出されていた。ふざけてるとしか言いようがない。

 かつて同僚(オバディア)に裏切られた経験もある。だからこそその程度の口約束をトニーは信じたりしない。援護射撃はしてくれる敵兵、という認識のまま、トニーはスティーブたちと相対した。

 

『問題は、ベンディが()()憑いてるかだ。ヤツはポーカーで言うジョーカー、単体でも脅威だが誰に憑いてるかで脅威度が増す。連携無しに突破は難しくなるから相手にしたくなかったんだが』

 

「もう遅いわよ」

 

『ハッ、そうだな。普通に考えればバーンズだが、一番最悪なのはキャプテンと組んでてギリギリ出てきてないってことだ。でもキャプテンにはさっきの小さくなるやつといた、3人揃って矢面に出るとは考えにくい。クリントとマキシモフはボクが止める、他の連中を頼む』

 

 

 

 

 

 Chapter 108

 

 

 

「今の狙撃何処からだ…!? 銃声すらしなかったぞ!」

 

「ヤバいな、窓から離れた方がいい」

 

 スティーブの手にあったレコードを撃ち砕いた銃撃は、スティーブたちにも動揺の波紋が広がった。

 

 どこから狙撃されるかわからない恐怖。

 いつ撃たれるかわからない危機。

 

 方向としては現在交渉しているトニー達方向からスティーブへ向けて放たれた一撃と推察できる。が、それだけ。サイレンサー付きの狙撃銃でも作り出して空港内に潜み狙撃したのかもしれないし、もしかしたら銃声が届かないほど遠方から狙撃したかもしれない。狙撃手(エニシ)がどこにいるかわからないという恐怖が侵食していった。

 

「クインジェット発見、第五格納庫…あっクソ、レッドウィングがやられた! 気を付けろ、向こう敏腕の狙撃手がいるぞ何者だ!?」

 

 銃声はなかった。サムが手繰るレッドウィングがクインジェットの在処の特定という最大の戦果と引き換えに、通信の途絶という儚い機械の寿命を散らした。

 スパイダーマンからスティーブの盾を奪い返したスコットも、普段鈍い彼でもわかる『狙われている状況』に声を震わせた。

 

『エッ俺たち今狙われてんの!? 誰に! どっから!? すげー怖いんだけど! 死なないよね!?』

 

『落ち着いて』

 

 だが、通信機から届いたレイニーの一言がスティーブたちの動揺を鎮める。

 

『…そうだ、オレたちも落ち着こう。正直向こうの狙撃手の位置はオレでもわからん。だがヤツは恐らくだが必中であったとしても連射はできない、インターバルが存在するはずだ。常に全方向の遮蔽物に気を配れ、必ず銃弾が到達するよりの先に身の回りの物がブッ壊れるハズだ』

 

『…一応、狙撃対策プランB(バルーン)を始めるわ。しばらくそっちに意識を向けるからみんなのサポートは()()()()()()しかできない。

 今回の作戦は対象の撃破じゃなくて、あくまでもクインジェットの奪取と逃走。〝なるほどシベリア送りだ〟作戦よ、スターリンを見習っていきましょ』

 

『『『了解』』』

 

「……この作戦名、他に案なかったのか?」

 

「俺に聞くな。っうわ、何だあのコスプレ野郎!」

 

 第五格納庫へ走るサム達の前に──いや()()に。

 空港の窓ガラスを蜘蛛の如く這う全身赤タイツの少年が、窓ガラスを蹴り破ってサムに飛び掛かった。

 糸を用いた振り子の原理で生まれた運動エネルギーは空港の窓ガラスという障害と衝突してもなお減退することはなく、防御態勢を取ったサムの腕に蹴りとして炸裂し空軍で鍛え上げた屈強な身体を簡単に吹き飛ばす。

 ワシントンで、そしてベルリンでサムの身体能力を目の当たりにしたバッキーだからこそ、そのサムを蹴り飛ばしたコスプレ(スパイダー)野郎(マン)の力を警戒した。

 

 声から、子どもだとわかってても。

 自分より長く生きていない若輩だとわかってても。

 決して油断していい相手ではないと。

 

「オオッ!」

 

 ぶおんと、金属の腕が大気を裂く。それは強烈な衝撃で以ってスパイダーマンの側頭部を直撃し空港の床に叩き落すに足る一撃であったがしかし、

 

「うっわあっぶな! え、ナニコレ金属製!? カッコいいね!」

 

 バッキーの渾身の一撃は、それ以上の膂力によって受け止められた。

 テンションや口調こそ軽いものではあれど、バッキーの金属腕を受け止めた力は反比例して重く、そして硬いものだった。難なく受け止めたスパイダーマンはただ受け止めただけではなく『掴み』『固定して』バッキーの次の挙動を封じた。

 バッキーの主な武器は見てわかる通り金属の左腕。だからこそ、腕を抑えてしまえばあとはただのストリートのケンカみたく殴って蹴って、それだけだとスパイダーマン(ピーター)は思った。

 思い込んだのが、いけなかった。この場にはもう1人敵がいたということを、完全に忘れて。

 

「っラァ!」

 

「うわぁっ」

 

 ピーターを襲ったのは、真横から上方へ救い上げる上昇気流のような何かだった。実際には気流ではなく実体を持ち、それはタカのような翼を左右に広げて二本の腕でピーターを捕え、ターミナルの中を床から天井付近へ追い込んだ。ファルコン(サム)の仕業だ。

 

「貴方を逮捕する! このっ」

 

 ストリートの不良に絡まれたときのいなし方その1、顔を抑える。

 人間の感覚野は目や鼻、口、耳など頭部に集中している。オマケに事故や怪我で強く打ってしまえば喪失する可能性だってある。だから人は他人に顔を触れられることを嫌う。

 ピーターの体験談は正にその通りで、滑空中のサムはピーターの挙動に体勢を崩してしまった。

 空中はファルコン(サム)だけの特権ではない。サムから解放されたピーターは手首から糸を放出してスパイダーマンのその名の通り、糸を手繰り宙を自在に舞う。曲芸師も顔負けの立体起動でファルコン(サム)を追い詰め、起動の要であるバックパックを糸で絡めとろうとしたその時。

 

「、え?」

 

 サムの影から飛び出した黒い(かいな)が糸を弾き飛ばした。

 タカは蜘蛛の糸に絡められはしない。何故ならば、タカには心強い仲間(悪魔)が憑いているから。

 突然の非現実的な光景にぽかんとしたスパイダーマンの胴体に、インクの拳による強烈な一撃が突き刺さった。

 

「うわ、腕!? ぐはぁっ」

 

坊主(ピーター)!? 何、()…?』

 

 通信からは呻き声しか聞こえなかったが、トニーには確かに「腕」という身体の一部分の単語が聞こえた。

 

 腕。

 腕()()

 

『まさか…』

 

 ワンダとクリントがいる駐車場へ飛びつつ、トニーは振り返って空港にいる5人を見た。

 ブラック・ウィドウと取っ組み合うアントマン。

 ブラック・パンサー、ウォーマシンと鍔迫り合うキャプテン・アメリカ。

 

「ったッ!」

 

『ぐぅっ!』

 

 彼らの身体の影から、黒いインクの腕や足が、まるで援護するように攻撃を弾き、ある時は追撃を仕掛けた。

 流石に面食らった2人ではあったが2人とも歴戦の戦士、即座に距離を取りつつ間合いを把握し、尚且つ自分でも追撃を仕掛けられるよう、足止め可能なギリギリの距離まで後退した。

 

 その光景を見たトニーは察した。ベンディ(レイニー)()()()()()ではなく、()()()()()()()分散して憑いているのだと。

 

『あ~悪いニュースだ。何人かはもうわかってるかもしれんが、ベンディは連中全員に憑いてるって前提で動いた方がよさそうだ。うん』

 

『遅いわよ!『分かってる!『聞いてないぞそんなの!『ええっ、どう対処すればいいの!?』

 

 通信から帰ってきた罵倒にトニーは若干傷付いた。唯一の心の拠り所はまだ常識人的反応のローズと素人臭さが残るピーターだけである。

 

(だが、レイニーが断片的にインクを全員に配ったとはいえ、核たるインクマシンを抱えた『本体』がいるはずだ。問題は誰に本体が…ああくそ、結局振り出しに戻っただけか! 全員インクマシンを隠し持てる容疑者だ! クソ、敵に回るとホント厄介なヤツだな…!)

 

 トニーは幸先の悪さに頭を抱えつつ、駐車場から出て滑走路を駆け抜けるワンダたちに追いつく。

 だがそのとき、()()()()()が見えた。

 

『なんだありゃ…風船?』

 

 

 

 

 

 Chapter 109

 

 

 

(ふゥんなるほど、そうきたか)

 

 人払いを済ませた人気のないティーアガルデンの中央、戦勝記念塔の頂上で銃を構えるエニシは、スコープから覗く光景に若干の感嘆を漏らした。

 巨大な飛行機が見える空港。その周囲に、複数の黒い球体がぷかぷかと浮かんでいたのである。

 

(……確か『封神演義』において、千里眼への対策は周囲に旗を振って対象物を隠し、銅鑼を打ち鳴らして盗聴を防ぐこと、だったかしら? だいぶ昔読んだ内容だったからうろ覚えだけど。でもなるほど、確かに理にかなってるわね)

 

 遠方からの狙撃から逃れる方法は射線を見極めそれを避けることだが、現状レイニーたちにそれは叶わない。エニシの現在地を知らないからだ。

 

 従って取れる最善の方法は、煙や物などによる目眩ましで直撃を避けること、である。

 

 狙撃手にとってのアドバンテージは一方的に相手を狙撃できる位置にあること。だがそれは視界の確保が絶対条件だ、つまり対象を観測できなければ無意味。

 銃のスコープは望遠鏡の役割を果たしているがそれと引き換えに視野は恐ろしく狭まる。その上、空港をぐるりと囲むように風船という障害物が浮かび上がっている以上、狙撃率は()()()()()()激減するのが道理。

 普通で、あれば。

 

(アナタは知らない。なにもかも。ぜんぶすべて。ワタシを知らない。ワタシの手の内を何一つとして知らない。それがアナタの敗因)

 

 ──150km先の対象を狙撃するというホークアイ(クリント)顔負けの技術より、150km先の対象を観測する視野を、警戒すべきだった。

 狙撃には障害物や風、弾道計算、銃を撃つ際の衝撃などありとあらゆる要素が敵である。エニシ自ら拵えた愛用の銃であっても銃は銃、エニシとは別離した機械である以上、引き金を引かれたら銃弾を吐き出すという働き以外はすべてエニシが下準備しなければ『狙撃』は成功し得ない。

 つまり、エニシが如何にして150km先の自分たちを観測しているのか、その謎が解けないレイニーには、

 

(はい、イチ、ニ、サン)

 

 パン、パンと。

 スティーブやバッキーたちの身体から飛び出たインクの手足が弾けて消える姿がエニシのスコープに映る。

 スコープの視界は明らかに、戦勝記念塔からの方向とは別角度からの視界であった。そこにからくりがあった。きゅるりと銃身を支える手首をひねると、また別角度の視野が映し出される。

 

 原理は不明だが、トニーがF.R.I.D.A.Y.に頼んだ監視衛星と類似した、自分の視野とは別のものを利用して対象を観測し続けているのである。故に、レイニーの作戦は成功しない。

 が、

 

(……チッ、あのバルーンのせいで若干狙いがズレるわね。忌々しい)

 

 視野の障害という当初の役割は果たせないまでも、()()()()()という障害物としての役割は奇跡的に果たせていた。おかげで、風船が浮かんでからエニシの狙いは悉くミリ単位で外れてしまっている。

 風船はミリにも満たない極薄のインクで形成されたハリボテの障害物だ。中身は空気であり、ヘリウムガスで浮いた風船よりも浮かび上がることはない、紐の形を模しているインクが高さを調節し支えているからだ。

 そも、スコープが銃口に同じ向きですぐ近くに備え付けられているのは、そうでなければ狙いが定まらないからである。いくら視野を無限に切り替えられるとはいえ、その銃弾を対象に当てるのはそれこそ本人の技量の高さに左右される。

 

(裏技、つかっちゃおっかな~)

 

 エニシは手首に巻かれた時計を揺らす。

 時計の盤が螺旋を描いて外枠へ引っ込むと、中から赤、青、緑の宝石が輝く。それさえ使ってしまえば、距離は愚か()()()()()無視して空港にいるメンバー全員の脳天、例え大脳辺縁系の海馬を撃ち抜けと命令されても実現可能なものである。

 

 その石の輝きは万人を魅了し虜にする麻薬。

 エニシはもう見飽きた輝きであるが、その輝きが放つ力と実現させる結果には()()()()()()()()、のだが。

 

(……アホらし、使うまでもないわ。これは遊び、ゲーム。無聊の慰め。

 あの旅人共がよく囀ってた『強くてニューゲーム』なんて糞みたいな概念を、このワタシが実現させてどうするよ。一発勝負だからこそ肝が据わるってのに、自分から損する阿呆に成り下がってたまるか)

 

 勃起!

 

 エニシは時計の盤を元に戻し、再び狙撃を開始する。

 複数の視界切り替えはそのままに。時計の中に秘める石の力は、使わずに。

 

(………ま、ワタシは()()()()()()()()()()繰り返されてるんだがな)

 

 エニシの視界に一瞬、暗闇に明滅した光景が浮かび上がる。

 ぎゅ、と瞼をつよく瞑ればその光景は消え、スコープの先で空港直上に浮かぶヴィジョンの姿が映る。視覚が正常な機能を取り戻した。幻の、いつか見たような悪夢はもう見えない(思い出せない)

 

(さて、そろそろ大詰め……あン? なんだありゃ。あんなの、あんなの()()()()()()()()()?)

 

 少し離れた道路に、空港へ接近する車輛の一団が見えた。

 その一団は、エニシが見たこともないような真っ白の防護服を全身に身に纏っていた。

 

 

 

 

 

 Chapter 110

 

 

 

「キャプテン・ロジャース。貴方は自分の行いが正しいと信じているのでしょう。ですが、それはより大勢の正義ではありません。投降を勧めます、いまなら…まだ、間に合う。

 そして我が母…聡明な貴女も、気付いているでしょう。この事態を打開するための最善手を」

 

 新アベンジャーズ基地から飛んできたヴィジョンが、トニーたちの背後に降り立つ。こちらが正しいと、あなたたちは間違っていると、言うように。

 実際にそうかもしれない。この場では誰が間違っていて、誰が正しいのか。

 真と偽。

 善と悪。

 では、正義の反対とは何か。

 

「あなたは迷っていないのね? 私と敵対するということを。自分が正しいという確固たる正義に従っていると」

 

「ッ…それは……」

 

 スティーブたちの背後、インクの波間からベンディ(レイニー)が浮かび上がり、インクのマスクがどろりと解けた。目元は相変わらず目を映さないインクのまま。口元だけ、レイニーの端正な唇が晒されてインク越しのくぐもった声ではなく、レイニー本人のはっきりとした意思を持った声が響く。

 

 ヴィジョンの主張する結論とはあくまでも統計的なデータに基づく広義の結論の一つに過ぎない。数多あるデータの中で、過半数を占めた正しさである。

 しかしそれは、ヴィジョンの中の正しさとイコールではない。ヴィジョンが考えた末に導き出した、正しさではない。

 

「まだ、迷っているんだったら…」

 

 レイニーはベンディのいつものにやけたマスクを被り、ヴィジョンに、そして自分たちに立ちはだかる彼ら(トニーたち)に吼えた。

 

Don't stand in my way! Vision!

 (私の前に立つな! バカ息子!)

 

 

 ベンディの咆哮と同時にスティーブが走り出す。全身に夥しい突起を生やし、誰もが畏怖する様相へと変貌したベンディと、肩を並べて。

 バッキー、サム、ワンダ、クリント、スコットも2人に続く。

 

 英雄(ヒーロー)英雄(ヒーロー)

 

 正義と正義。

 

 2つの〝正しさ〟がぶつかった。

 

 

 

 

 

 Chapter 111

 

 

 

 まさか、ナターシャさんがトニーたちを裏切るとは思わなかった。ホントだよマジマジ。全部が全部まるっと私の思い通りとか、全部が全部私の計算通りとか策略とか、そういうのじゃないから。

 スパイダーマン(全身赤タイツ)が空港でサザ〇さんダンスかましたときは笑いそうになったけどそこはベンディクオリティ、シリア()ムーブは壊さないよ。(マスクの内側で笑い声抑えてたけど)

 

 ガチで真面目な戦闘中に何ふざけてんだって罵声飛び交いそうだけど仕方ないでしょ、思ったことは思ったことなんだから偶然の産物が私にとって面白い光景として映っちゃったんだから、しょうがないじゃない。

 でなきゃ、現実逃避なんかしないって。え? 何に現実逃避したいかって? そりゃあれだよ。

 

『やばい、スラスターがやられたっ!!』

 

『ローディ!』

 

 ヴィジョンの持つマインドストーンから放たれたビームが、ローズ中佐の『ウォーマシン』に被弾してしまった件について。

 被弾した『ウォーマシン』のシステムがダウンしてしまって、現在進行形で高高度から落下してしまっている件について。

 

 ああ、もう。

 なんでこういうことになっちゃうのかなぁ。そりゃ誰も彼もが正しいと思うことを信じて、突き進んで、貫いてくんだから。どこかしら衝突はあるよね。平行線に交わらない正義もあれば、衝突しちゃう正義だってある。

 その過程にはああいうこと(殺し合い)こういうこと(不慮の事故)だってある。

 

 私は約束した。

 世界を守ると。

 インクの虜囚の魂を救うと。

 でもこれじゃ、なんだかフワッとしてるよね。対象が多すぎてどれがどれだかわかんない。どこに私の〝正しさ〟の焦点を当てればいいか、わかんない。

 

 じゃあ、世界の定義をもっと自己解釈しよう。

 私の想う、セカイを守る。

 それが、私が考えて、私が選んだ答えだ。

 

「スティーブ!」

 

『っなんだ!?』

 

「……あなたの信じる道(せいぎ)を、貫いて

 

 ああ、そうか。彼女は、こんな気分だったんだ。

 納得だ。そりゃ、託したくなる、言いたくなる。

 でも、悔しくなるよ。だって、彼にはもっと、自分の幸せを生きてほしい。そう、願いたいから。

 咽頭マイクを潰し、スティーブとの通信手段を絶つ。

 これでいい。今は、これでいいんだ。なぜって? そりゃあ、

 

「これが、私の選んだ道だ」

 

 私が、初めて選んだ(せいぎ)だ。

 

 クインジェットと接続していた足裏のインク接続を解除。急上昇してくクインジェットと対称に、私の身体が落下が始まる。つい伸ばしかけた手を引いて、まっすぐ真下を睨む。

 (サム)(トニー)が墜落する(ローズ)へ向かっていくのが見えるけど、現状その落下速度では物理的に不可能。墜落死か、よくて四肢のいずれかの喪失か神経系へのダメージは、免れない。

 

(仮に、神への祈りが届いた様な奇跡が起きたとしても)

 

 それを見逃す死神(エニシ)じゃない。ローズ中佐か、中佐の手を掴む瞬間を狙って砲撃してくるに違いない。

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 どんなに策を弄しても避けられない絶対必中の魔弾。

 避けられないと分かっていて飛び込むのが馬鹿なら、私は()()鹿()()だ。

 

 

 《リアリティ・ストーン》現実侵度加算、現界強度補正。

 《タイム・ストーン》時間干渉、自陣加速、予測時間軸計測。

 《スペース・ストーン》空気抵抗操作、空間跳躍。

 《マインド・ストーン》並行演算速度補強、可能性次元計算開始。

 

 落下時最適フォームに変形。重力加速度倍化。空気断層形成、踏み込み、跳躍、落下速度倍加算。

 過程省略自己経過時間圧──インクマシン過負荷(オーバーロード)、圧壊確──時間遡行開始、インクマシン復元再起動成功。コマンド続行。

 時空間曲率干渉開始、前方10m間隔エルゴ面発生確認。接触前消失、前方に再配置。工程ループ設定、再計算。誤差確認。コマンド実行。

 

 

 あたまが、いたい。

 意味不明の方程式が私の殻を喰い破ろうと、あばれてる。

 感覚をなくせ。

 雑音をすてろ。

 目の前の手をとることに、ぜんしんぜんれいをかけろ。

 

 

「レイニー!?」

 

「て、お」

 

 いんくのてが、ろーずちゅうさのてにふれた。

 

 

 接触確認。自己加速停止、通常時間軸へ回帰。自陣時間再調整、誤差-0.8。時間調律成功。

 インクマシン再稼働。インク(シェル)展開、形成。対象A(ローズ)及び周辺空間被膜体形成。対ショック素材に変化確に―〈ズガンッ〉

 

 

 かお、が。

 ひだりのしかい、が、きえた。

 ひゅうひゅう、あなが。

 かぜ、とおりぬけて。

 

 

 ──生、非常事態発生。インクマシン破損。インクマシン破損。狙撃確認。メインフレーム大破、インク供給システムダウン。本体稼働率29%。インク量不足。

 メモリフレーム破損。コマンドが機能しません。コマンドが機能しません。インク殻形態維持不可能。

 

 

 あきらめ、ない。

 わた、しは、あきら、めない。

 ぜったiに、Tasけ

 

 

 ──予備インク使用申請許可受諾。レイニー・コールソン形成インク崩壊、インク殻欠損部分補強開始。開始。作業進行...成功。

 標高8..7..6..5....着地確認。ショック吸収機能89%発生確認。対象A損害率72%→19%に減少。可能性未来実現成功。左脛骨及び右腓骨骨折、半月板損傷、腸骨・坐骨罅確認。全行程コマンド終了。

 

 

 インクマシン機能停止。

 インクマシン機能停止。

 インクマシン機能停止。

 

 

 インクマシン再起動まで391秒───外部気温急速低下観測。インクマシン起動不可。ヴィブラニウム遷移温度に到達、更に下降確認。インクマシン及び余剰インク凍結。稼働可能インク量──ゼロ。

 

 

 あ、a。きて、くれた、k──

 

 

 

 

 

 Chapter 112

 

 

 

「……おいスティーブ、どうかしたか?」

 

「いや、さっきのレイニーの言葉。あれは……」

 

 

「貴方の信じる道を…っ…!」

 

 

「ペギーが最後に言った言葉と、同じだと思って」

 

「……みんな、お前が危なっかしくて見てられないんだろ。

 お前は、後悔してないのか」

 

「…レイニーが、言ってくれたんだ。もし僕が道を踏み外したなら止めてくれるって。その彼女が背中を押してくれたなら、僕はもう迷わない。

 どんな結末になろうとも、最後までとことんやる。そうだろう?」

 

「お前…そんな昔のことよく覚えてるな」

 

 2人を乗せたクインジェットはシベリアへ辿り着く。

 すべての真相が隠された、終焉の地へ。

 

 そしてスティーブは知らない。

 すべてを託したレイニーの、末路を。

 

 

 

 

 







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BRDクレジット


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 Three little Soldier boys(小さな兵隊さんが3人) walking in the zoo(動物園を歩いたら)

 

  A big bear hugged one(1人が大きなクマにだきしめられて) and then there were two(のこりは2人)

 

 

 

 Chapter 113

 

 

 

「…どういうことだ、あの連中は何者だ? ボクでも納得のいく説明をして貰いたいものだが」

 

『まぁ落ち着け』

 

 ウィーンでスティーブとバッキーの確保に失敗したトニーは、負傷したローズ、ナターシャ、ヴィジョンを連れて新アベンジャーズ基地に帰還した。トニーも左肩の打撲を中心にいくつかの軽傷があったため、本部で治療した次第である。

 幸い、被弾し落下したローズは両足の骨折という重傷だけで済んだ。トニーでなくてもあの高所から落ちれば死亡、よくて全身骨折か四肢のいずれかの麻痺ないし不自由は有り得ただろう。現在はニューヨークの医療機関に委託し、治療に入っている。

 ティ・チャラとピーターはいない。ティ・チャラのことに関してはトニーも知らないが、ピーターに関しては、先の騒動で疲弊した以上に錯乱してしまい、鎮静剤を打って一時的に眠って貰っている。側用人としてウィーンまでピーターを送ってくれたハッピーを付かせており、目覚め次第実家のクイーンズにとんぼ返りさせる予定だ。

 

 

「レニー…? レニーだ、やっぱりレニーだったんだ! スタークさん離して! レニーが、また、また…!! もうやだ、もう、()()()()()()()()…!」

 

 

 空から落下したレイニー(ベンディ)を見て駆け付けたピーターは、トニーの制止を振り切ってでもレイニーに駆け付けようとした。その様子からして何らかの関係があったのかと疑問があったが、それ以上に看過できない問題もあった。

 

 

『総員、整列』

 

『作戦、開始』

 

 

 高所からの落下で気を失ったローズから少し離れたところで藻掻く、左顔面を吹き飛ばされ下半身の殆どがインク状に成り果てたレイニーの元に駆け付けた、白い防護服の集団。

 まるで被爆地区で作業する時に着用するような白色の防疫服を身に纏った謎の集団は、突然の事態に慄くサム、ヴィジョン、トニー、ピーターが近付かないように牽制し、背中に背負う巨大なボンベとそこから伸びるホースから放たれた煙によって、周囲を白煙で染め上げた。そして煙が晴れたときには、防護服の集団はおろか、レイニーのインクの一滴すらその場に残されてはいなかった。

 煙を吸って噎せたピーターを他所にアイアンマンスーツのフェイスメットを緊急装着したトニーには、周囲の温度が急激に下がったという検査結果しかわからなかった。

 

 だがトニーは忘れていなかった。ロスが言った、特殊部隊を向かわせるという警告を。

 

 スティーブに加担したサム、ワンダ、クリント、スコットは後から来たロスの特殊部隊に捕縛され引き取られた。彼らがいまどこで何をしているかは知らないが、このままスティーブを放置することもできない。クインジェットのステルス機能は衛星の目を掻い潜る、他ならぬトニーがそうできるように改造を施したからだ。

 従って、スティーブの行き先を知るのは彼らだけだった。

 故に、トニーはロスの回線に繋いだ。行き場のない憤りを、(ハラワタ)に抱えて。

 

『これからある座標を送る、そこに来てほしい。ああ、できれば大人数が乗れるヘリだと助かる』

 

 深く溜息を綯交ぜにした返答を返すロスには若干の怒りを感じたが、渋々指示に従い急ぎヘリを飛ばした。注文通り、複数人が乗れるように大きめのヘリで。

 クインジェットには劣るが、それでも快適であることには変わりない。

 

 受信した座標はマンハッタン東岸、イーストリバー・ライカーズ島。

 いまのトニーの心情を示すが如く嵐に見舞われた天候の中、トニーが乗るヘリが海中から出現した巨大な建設物に収容された。

 重犯罪刑務所ラフト。

 超能力無効化という特別な設備が施された、脱獄不可能な重犯罪者の流刑地。

 

 

 

 

 

 Chapter 114

 

 

 

 ヘリから降りたトニーを待ち受けていたのは、サム、ワンダ、クリント、スコットたちが収監されている小さい小部屋に立つロス長官の姿だった。

 

「キミには、彼らを引き取ってもらいたい。ああ、別に牢に繋いでなんかいないさ。そうなる前に反省部屋で待機してもらっていたからな。冤罪で刑務所に入れられては可哀想だろう?」

 

「……冤罪?」

 

 監視カメラから映し出された彼らは、錠で繋がれている訳でもなければ監禁されている訳でもない。空港で、あれほどの大立ち回りをしでかしたにしては()()()()()()()()

 なのに、彼らを取り巻く空気は悲壮感が漂っていた。モニタを見たトニーでさえその空気が伝染して吐き気を催すほどに。

 特にそれが顕著なのは、紅一点のワンダだ。顔は青褪め、表情は剥がれ落ち、頬に残る一筋の跡は涙が枯れたことを暗に示していた。その様相はまるで、魂が抜けたと表現してもいい。(ボウ)、と視点の定まらない視線を空に投げ、悲嘆に暮れていた。

 刑務所で暴行──の痕跡は見られない。

 自白剤を投与されて──にしては、袖から覗く腕や首に注射痕は見当たらない。

 空港で起こした自分の行いを悔いて──であれば、どれほどよかったか。恐らくそれは正しいようで、正確ではない。そういえば、ワンダにはアベンジャーズのメンバーで一番と言っていいほど懐いていた、他ならぬワンダ本人が義姉と慕っていた人物が、いた。

 

 紅一点。

 

 1()()()()()()

 

「待ってください長官……レイニーは、レイニーはどこに?」

 

 トニーの言葉に若干目尻を下げたロスは、別のモニタを指した。

 どれもこれも監獄に相応しい陰鬱で照明も少ない、暗い部屋ばかり映しているはずなのに、そのモニタだけ妙に明るい。

 

 否、()()

 

「ウソ、だろ」

 

 ──唐突に、トニーの脳裏にスティーブの姿が過る。

 マスクを被り盾を掲げ、八面六臂の活躍を見せる彼──ではなく。

 北極で氷漬けの状態で発見されたときの、彼である。

 

 モニタに映っていたのは、氷の棺に閉じ込められたレイニーだった。

 

 左顔面はエニシの狙撃によって風穴を開けられているが、それでも残る右瞼は安らかに眠るように閉じられている。ただし、それが動くことは決してないという確信がある。

 頭部と胴体を繋ぐ首に無骨な楔のような杭が打ち込まれており、その杭さえも分厚い氷の壁に覆われていた。

 落下の際に千切れていた両腕と、臍部から下の不定形な下半身は少し離れた場所で、また杭に貫かれて冷凍保存されている。

 

 いくら不死身のインクの化け物とはいえ、まだ成人にも満たない少女の無垢な裸体に対する仕打ちは、人間の業ではなかった。

 常時冷気に晒されているのか、カメラが白煙で見えなくなることがある。だからかレイニーを映すカメラの台数は他の牢よりも多い。人としての辱めという領分を超えた、最早陵辱にも近しい蛮行。尊厳を踏み躙る凶行。それが、目の前に広がっていた。

 

 ──かつてスティーブは、ヒドラの野望を食い止めるために犠牲になり北極の氷の海に沈んだ。言わば運命の流れが引き起こした事故。そこに誰かの意図があって生まれた結果ではない。

 だがレイニーは違う。これは自然現象ではなく人為現象。科学の叡智を携え気温は愚か気候さえも操り、地球の生態系を脅かすまでに進化した、人類の手によるもの。

 

 人類が実現可能にしてしまった、人間の意思によって為されてしまった現象だ。

 

「ここラフトの最下層、防護服なしには降りられない超低温状態を維持した収監フロアの映像だ。何分いままで使われることのなかった設備だったのでな、収監直後は何度か停電になりかけた。予備の自家発電装置を数台起動させて、ようやく安定したよ。ああ、安心したまえ。彼女の頭部にある(インクマシン)は機能停止している。24時間体制で監視中だ。

 彼女は、此度のテロの主犯格であると判断しここに収監した。国連委員会の総意だ」

 

「何だって? 今回のテロの容疑者はバーンズ軍曹だったはずでしょう。彼女は関係ないはずだ」

 

「その通り、我々も対テロ対策チームもその線で捜査を進めてきた、しかしな、国連委員会の元にある声明文が届けられた。今回のテロの、ひいてはアベンジャーズを混乱に陥れたという犯行声明文がな」

 

 ロスはタブレットを操作して件の声明文を表示した。トニーはその声明文の差出人を見て、目を剥く。

 

 

 

Name : Rain Y Coulson

 

 

「偽造だ」

 

「いいや証拠もある。空港で発見された彼女のPCに送信履歴が残されていた。キミのところの超能力者(ワンダ)に山ほど車を壊されて探すのには苦労したが、本体さえ見つかればウチの鑑識の手でデータを復元することは難しくなかったよ」

 

 ロスはレイニーの使用した端末と解析結果のデータを参照した。そのPCにはトニーも見覚えがあった。いつも基地で使用していた端末と、まったく同じであると。当然だ。

 何故ならば、そのPCをプレゼントしたのはトニーの恋人のペッパーだったからだ。

 

「……国連委員会は、この声明文通り一連の騒動はベンディ、つまりレイニー・コールソンであると断定した。加えてキャプテン・アメリカを含むアベンジャーズメンバーの何人かはエニシ・アマツ直伝の洗脳で操られ、さも内紛に見せかけアベンジャーズを混乱させ、ラゴスの一件を機に国民の信用を失墜させようと目論んだとな。つまり、彼女以外は全員被害者なのだよ」

 

「ッ違う、そうじゃない。そうじゃないでしょう長官。先に私が送ったデータを見たでしょう? 本当の精神科医はホテルで殺されてた。ジモはソコヴィアの暗殺部隊で、彼が全部仕組んだことだ」

 

「ああ、わかってるとも。それはそれでいい。だが世間にどう説明する? ()()アベンジャーズがたった1人の人間に振り回されてテロを引き起こし同士討ちをはじめ空港を破壊したと。ありのままに?」

 

 それを言われると言葉にトニーは言葉に詰まった。その通りだからだ。

 ニューヨークでチタウリの軍勢を。

 ソコヴィアでウルトロンを。

 他にも、トニーの与り知らぬところでアベンジャーズは活躍し、多くの人々を救ってきた。そんな英雄の集団が、ものの見事に引っ搔き回されたのだ。たった1人の、復讐に囚われた男によって。

 

 真実を有耶無耶にすることは正しいことではない。

 だが、ありのままに真実を伝えることで生まれる世間の疑惑を、ロスは危険視していた。

 モニタールームから出たトニーは、周囲に聞き耳を立てる他の人間がいないことを確認すると、ロスに詰め寄った。

 

「……あの部隊はなんだ」

 

「……以前、バナー博士の失踪責任としてソコヴィア協定の草案を纏めるためにレイニーを雇ったことは知ってるな? その際に私は彼女にこう問うた。『もしアベンジャーズの内で誰か1人でも暴走したとして、一番危険なのは誰か』とね。そしたら彼女はこう答えたよ。『私が一番厄介だ』と」

 

 皮肉にも、レイニーのその主張はトニーも同意見だった。 

 だが、こうして氷漬けのレイニーを目の当たりにして罪悪感が喉元からせり上がってきた。

 こんなはずじゃ。

 こんなはずじゃなかったと、過去の己の選択を悔いて。

 

「対アベンジャーズ鎮圧部隊『A(アンチ・)・A・(アベンジャーズ)T(・トロッペン)』。キャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、ハルク、ブラック・ウィドウ……各人に対する対抗勢力、抑止力(カウンター)として十分機能できる人材を密かに集め、組織を結成してきた。キミたちを管理するために。これまでも、そしてこれからもな。

 タダでソコヴィア協定内にアベンジャーズの自由意思の尊重を赦したと思うかね? いいか、自由の権利を行使するにはそれ相応の義務が伴うものだ、キミたちにもそして()()()()。アベンジャーズという一組織を管理する以上、万が一暴走した時に止められないようでは話にならん。組織を統括するというのは、本人たち以上の苦労と努力と戦力が必要不可欠なのだよ。

 今回はその()()()()だ。委員会が、我々にはアベンジャーズの手綱を握るだけの管理力があるという、な。そのためレイニーを実験台にするのはこの状況では都合よかった。委員会がベンディの存在を危険視している、この状況では」

 

「……ま、まて。じゃああの部隊は、自分を止めるために! 彼女自ら考案したとでもいうのか!」

 

「なんだ、そんなにおかしいことかね? それとも、我々が暴走した彼女に対して取った()()に、憶えがあるのかね?」

 

「──イヤ、まさか、そんな」

 

 アベンジャーズ内で──否、それだけではない。

 現在世界中でレイニー・コールソンを最もよく識る人物は、トニー・スタークただ1人だ。

 

 なぜならば、レイニー・コールソン(ベンディ)のことを隅から隅まで、過去から現在に至るまで調べ上げたのはトニーとバナーの2人だけ。例外的にワカンダの天才少女(シュリ)も挙げられるが、それでも彼女がレイニーの身体を隅々まで調べ尽くしたのはたった一度だけ、それもソコヴィアの大戦後の状態のレイニーした知らない。経緯的な観察という点では、トニーとバナーの方が数枚上手。更に、ことトニーに関しては、自分を鍛えるためにアベンジャーズから一時的に離脱したバナーと異なり、ラゴスでの一件でも関わっている。ある意味、レイニーの構造的な部分を熟知しているのは、皮肉にもトニー以外いなかった。

 

 

 弱点…というか、まぁ液体である訳だから液体窒素とかで凍らせれば動きは止まるってことがわかった。インクだしな。暴走時の対策に組み込める。アイアンマン洗浄装置の次に冷却機能でもつけてみるか。

 

 

 事実、液体窒素による継続的な凍結によってインクマシンの機能停止には成功している。皮肉にも、トニーが4年前に考案していた対ベンディ対応案は正しいことが証明されてしまった。

 

 トニー・スタークが天才で、有能であるが故に。

 

「ではトニー・スターク。キミに問うが、キミは自分の受けた健康診断結果に目を通さずに満足するタイプか?

 健康診断とは、自分の状態を知るために受けるものだ。決して自己満足で受けるものじゃない。身長、体重、MRIにCT。莫大な時間と労力を悪戯に浪費するだけなら医者だってお断りだ。検査の担当責任者だったキミだってイヤだろう?」

 

「…ボクが書いた報告書を、あの子は読んでいたっていうのか…」

 

「無論だ。レイニーも、ニューヨーク大戦後のキミの検査結果の報告書には目を通していた。ソコヴィアでの一件後のものも。全部、全て。だからあの部隊の設立を提案した。『凍結(クリオ)切除(ヒオロギー)兵団(・イェーガー)』をな」

 

 ドイツ語なのは医療用語からだとか言ってたな、とロスは独り言ちた。

 

「レイニー…いいや、インクの悪魔ベンディがこの世界に顕現できるのは、インクマシンという媒体が起動しているからこそだという。であるならば、そのインクマシンを起動不可能な状態に追い込むことができれば、事実上ベンディという人智を超えた悪魔を封じ込め、御すことができるのではないか──というのが、キミとレイニーの仮説だった。従ってレイニーは希望(オーダー)した。低温下でも満足に動ける装備と、それを携えて悪魔に立ち向かえる勇気ある屈強な戦士たちを。結果として、彼女から始まった『悪魔凍結計画(プロジェクト)』は成功した。大成功を収めた。

 最近のがん治療には、非切除凍結療法というものがあるそうだな? がん細胞を薬や外科的手術で取り除くことなく、局所冷却を施して死滅させると。私は医者ではないから詳しいことは言えんが、薬の副作用や手術による体力の減少が軽減された、夢のような効果的な治療法だと思う。そう、()()()()()()()()()()()()()

 

「バカを言うなッ!!」

 

 痛む左腕を庇い、怒りの衝動をそのままロスへぶつける。

 トニーの右腕はロスの襟を掴み、廊下の壁へ叩きつけた。思いっきりではないのは、まだ空港でのダメージが体に響いてるからだ。そうでなければ、たとえ国務長官という立場であったとしても暴行に及んでいただろう。

 

「あの子はっ…あの子は、何も悪くないだろうが! 何もしでかしてないだろうが! 確かに悪魔かもしれないが、それでもボクたちの大切な仲間だ! なのに、なのにッ…! 全部悪いのは別のヤツだろッ!? なんで、なんで真実を公表しない!? 犯人を罷免しない!? 本当に悪い奴を吊るし上げない!? これじゃまるで、トカゲの尻尾切りだ!

 

 ボクたちはトカゲなんかじゃない、アベンジャーズは全員家族だ、運命共同体だ!」

 

「…っ、アベンジャーズという組織と!! その象徴たる『キャプテン・アメリカ』を守る為だ!」

 

 トニーの罵倒に対し、ロスも顔を真っ赤にして吼えた。

 怒りを。悔しさを。もどかしさを。

 

「私だって好きでレイニーを主犯格扱いしたわけではない!! 無論今回の下手人には捕縛次第相応の処分を下す! 私が、そんな非情な人間に見えるか!? 国務長官を任された新米同然の私に、アベンジャーズを非難する立場にある私に! 共に笑ってソコヴィア協定の草案を纏めた相方を! 自分の手で処分することを、好き好んでやるような人でなしに見えるか!? 性根の腐った外道に見えるか!?」

 

 怒りとは比べるものではない。だが推し量ることはできる。

 かけがえのない同胞を喪ったのは、トニーだけではなかった。

 それでも、それでも。

 怒りを殺し、激情を抑え、決定に従い、非情な指示を下した。

 

「現在世界情勢は国だけに留まらず、この銀河系の環を超えて混沌になりつつある! 世界の悪意を飲み干していた彼女が消えれば必然的に犯罪は増えてしまう、それでも彼女はそんな混沌した世界を導くために! キミたちを残したんだ!

 世界秩序が乱れれば争いは起き、人々の心は廃れてしまう。だが民衆の心の中に燦然と輝き自分たちを救ってくれる英雄(キャプテン・アメリカ)が! 英雄たち(アベンジャーズ)が健在であるならば!! その事実を糧に、諦めて折れてしまいそうな人々の心の未来を支える添え木になってくれる!!

 キャプテン・アメリカは平和を導く英雄、アイアンマンは圧倒的な科学の力で救ってくれる救世主、ソーの振り上げる槌と雷は敵を屠り、ハルクは比例なき力で迫る脅威を蹂躙してくれる!

 わかるか!? 彼女は、自分の保身と世界の未来を天秤にかけて、決断したんだ! 以前の私ならば自分勝手な自己犠牲だと一笑に伏していただろう、だが今は違う! こんな、こんな選択を選んだ彼女にブン殴ってやりたいくらいだ!!」

 

 だがそれ以上に、と。

 ロスは掴んでいたトニーの襟を離し、荒げていた息を落ち着けるように、自分の罪を告白する罪人のように、悔しさをその顔に刻んで項垂れた。

 

「……それ以上に、そんな選択を取らせた我々が恥ずかしい。

 時間があれば、もっと我々がいち早く事態を究明し真実に辿り着いてれば、こんなことにはならなかった……ああわかってる、行動には〝if〟、つまり架空の、夢のような都合のいい最善を唱えられてしまう…こうすれば被害は抑えられたと、ああすれば誰かが救われたと。戦場を知らぬ輩の夢見事と片付ければ簡単だろうが、それを私自身も、今回の件で実感したよ」

 

 ──今回の失敗の原因は、アベンジャーズの対応があまりにも迅速過ぎたこと。もしもっと時間をかけて慎重に捜査し、情報を集めてから考察、仮説を立てて検証すれば、誤った道に進むことなく真実に辿り着くことができたかもしれない。

 加えて、他機関との連携の有無。

 仮に、アベンジャーズが対テロ対策チームや連邦警察などと共同体制を築いていればどうだっただろうか。各組織の間者に動向がバレるというリスクはあるものの、情報交換や作戦の連携、作業の分担は可能だっただろう。

 

 なまじ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が故に、足並みは乱れ、組織の輪は崩壊してしまった。

 

「…ここだけの、話だ。彼女の端末には空港での騒動が起きる直前、()()()メールの送信履歴が残っていた。一つは国連委員会に。もう一つは、私の個人端末だ」

 

「…なんだって?」

 

 思わず。

 思わず、敬語も忘れてトニーは聞き返した。今更取り繕ったところでどうにもならないほどの罵倒を吐いたが、それでもトニーの思考は立場を慮る余裕が生まれた。

 

「内容を大まかに説明すれば、『アベンジャーズが民衆に殺されることだけは避けろ』という警告だった。(にわか)に信じ難い話ではあるが、少なくとも彼女をこのような形で処分しなかった場合、アベンジャーズは英雄ではなく犯罪者として世間に非難される未来を()()らしい。私でもこの状況だからこそその警告も信じられたが、メッセージを受け取ったときは彼女の正気を疑ったよ」

 

 悪役(ヴィラン)正義の味方(アベンジャーズ)を殺せない。何故ならばそれがお決まりであり、定型であり、絶対だから。正義の味方は悪役には絶対に屈しない。たとえ何度打ちのめされ、膝をついても立ち上がり、悪役の息の根を止めるのだ。

 では、正義の味方は誰に殺されるのか? どうなることが、正義の味方の死に繋がるのか?

 

 国民が。民衆が。

 正義の味方を、必要としなくなったときだ。

 民衆に抗う力が芽生え、世に蔓延る悪役(ヴィラン)を国民一人一人が対処していくような世界が生まれてしまったら。そのとき、正義の味方は無用の長物と化すだろう。

 

 或いは。若しくは。

 アベンジャーズという正義が、民衆にとっての悪になってしまったら。そのとき、アベンジャーズは悪役(ヴィラン)に反転する。正義の味方は悪の一党に成り下がる。そして悪役は、大衆の正義によって屠殺される。

 

 ヴィジョンは以前、レイニーの体内にはタイム・ストーンという時間を操る力を持つ石のエネルギーが取り込まれていると話していた。ラゴスの一件でもその力を使い、ラムロウの自爆を予期したとも。真偽は不明だが、ローズの落下の際の救出劇も、影響している可能性は高い。

 であるならば、レイニーが予見したという最悪の未来とは、あり得た未来だったかもしれない。レイニーはその未来の実現を食い止める為に、誰にもバレることなく秘密裏に動いていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…哀れな悪魔の被害者たちを引き取ったら、乗ってきたヘリで戻るといい。帰り道に彼らの自供でも聞いてくれ、今のキミになら話してくれるだろう。あぁ、犯人とスティーブの行き先がわかったらすぐ連絡くれ。あとは、私たちが処理する」

 

「…長官、お言葉ですが…未来の人々の心を守るために悪魔(レイニー)を退治した。それが今回の作戦の動機に、本当になるとお思いですか? 非合理極まりない」

 

「…何を言うかと思えば」

 

 トニーに掴まれてくしゃくしゃになった襟を直しながら、ロスは呆れたように嘆息した。

 

「人間にはどうしたって心がつきまとう。心を抜きに考えることが合理的だと? それこそ非合理の極みだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 まさか、合理的とは心を捨てることだ、などと妄言を吐くつもりはあるまいな? 確かに、時に一個人の心情を切り捨て非情に徹して行動することが合理的かもしれんな…だが私は、心を捨てることが合理的であるとは思わんよ。

 人生における選択、決断、行動…そのすべては心と共に在るものだ。心があるのが人間にとって当たり前、人生から切っても切り落とせない半身だ。人間は人間でしかない、心を持った生物が心を捨てるなどできようものか。そして、その心があったからこそアベンジャーズは生まれ、世界を救ってきた。そうだろう?

 これまでも、そしてこれからも」

 

 ロスの言うことは、正しかった。

 誰よりも、アベンジャーズの在り方を理解していた。

 レイニーと関わり、アベンジャーズの在り方を再認識したからだ。

 だからこそ。

 だから、こそ。

 

「……そうですね。じゃ、ボクも身体ボロボロなんで、ビール片手に連中の泣き言でも聞いてますよ。スティーブの行き先が判明次第連絡します。そのあとゆっくり楽させて貰いますよ」

 

 トニー・スタークは、天邪鬼。

 結局この日トニーはロスに連絡することなく、帰りのヘリでサムたちの自供を聞き単身でシベリアへ向かった。

 

 残酷な真実を知った。

 そして、スティーブと決別した。

 

 

 

 

 ───その後の話をしよう。

 

 アベンジャーズを離反したと思われていたキャプテン(スティーブ)()アメリカ(ロジャース)を含む、一部のアベンジャーズメンバーはベンディによって操られ、此度の騒動は引き起こされたと報道された。

 ベンディ──本名ユカリ・アマツはHYDRA創設者の1人であるエニシ・アマツの娘であるという発表が、世間によりその報道を納得させる決定打となった。

 ユカリ・アマツ。又の名をレイニー・コールソンはアベンジャーズから永久除名処分、及び国家反逆罪としてラフト刑務所にて終身刑。

 ベンディに操られていたサム・ウィルソン、ワンダ・マキシモフ、クリント・バートン、スコット・ラングは洗脳除去のための治療という名目で謹慎処分。

 中でも、ベンディの洗脳が色濃く残るスティーブ・ロジャースは集中治療ということでしばらく活動の休止を宣言。

 アベンジャーズは内に芽生えていた悪の病巣を取り除き、これからも世界を守るべく邁進することを約束した。

 

 

 と、いうのが、世間に広まった公的な報道である。

 

 

「レイニー、ごめん。迎えに来たよ」

 

 某日、ラフト刑務所に侵入者。

 最下層にて冷凍保存されていた大罪人B(ベンディ)が、厳重な警備とセキュリティを掻い潜り、脱走した。

 

 

 その行方を知る者はいない。

 

 

 

 

 

 The revival has begun. Bendy returns...

 (再演が始まる。ベンディは舞い戻る)

 

 

 

 

 








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偽りの贖罪に君の微笑みを




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 Two little Soldier boys(小さな兵隊さんが2人) sitting in the sun(ひなたに座ったら)

 

 One got frizzled up(1人が焼きこげになって) and then there were one(のこりは1人)

 

 

 

 Chapter 115

 

 

 

「ボスゥ~ボスボスボスボスボスぅ~!!!」

 

「何だまだいたのかお前。さっさと少年(ピーター)叩き起こして家に送ってけ。ああ、スーツケースもプレゼントしていいぞ。喜ぶだろうからな」

 

「もぉ~そうじゃなくてボスゥ──!! 違うんだ、そうじゃなくて、あの、レイニー……」

 

「……あぁ、レイニーの逃走に加担したのお前だったんだな。道理で頼んでもいないのにハンバーガーが運び込まれたわけだ。美味かったけどな。お前はクビだ……冗談だよ、脅されたんだろ?」

 

「あ、ああ…脅され……イヤ、違います。オレの意思で連れて行きました。そしてこれもオレの意思です! ボス、お覚悟を!」

 

「ぶはっ!?」

 

「ごめんなさいボス! これもっこれもオレの意思ですっ! くらえっ! くらえっ! バカッバカッバカぁ──!!」

 

「ぐ、ぐぅっ!? い、痛い! おま、イタッ、なんで殴る!? まてまて元ボクサーのパンチは痛いからやめろ! 傷が痛む!」

 

「あっそういえば怪我してましたねボスゥ…もういいです、ハイ! 満足しました。すいませんでしたァ──!!」

 

「何なんだお前…いきなり謝ったり殴ったり謝ったり」

 

「えっとどこにしまったっけ……あった、コレコレ。はいどうぞ!」

 

「……お前、これ、なんで持って…」

 

「レイニーに渡されたんですよッ、もし取返しに来れなさそうだったら渡しておいてって。あとこうも言ってましたよ」

 

「何て」

 

「『これを見るときは部屋を明るくして、離れてみてね♪』って」

 

「嘘だろ」

 

「ホントです。あと『アベンジャーズ全員で見るように』と」

 

「後半のだけで十分だ。おつかいありがとうな、殴ったことは許さんが」

 

「別に許さなくていいですけどー。あと彼にも見せて…イヤ、彼には見せなきゃいけない、オレはそう思いますよ」

 

「……ピーター? なんでだ、アイツはアベンジャーズじゃないだろ」

 

「どうにも……彼、レイニーの幼馴染だったらしいんですよ」

 

 

 

 

 

 Chapter 116

 

 

 

 空港での戦闘から、数日が経過した。

 ラフトにて留置されていたメンバーはトニーのヘリでアベンジャーズ基地に戻されて以降、謹慎処分状態だった。と言っても受刑者のように必要最低限の設備しかない部屋に隔離されている訳でもなく豪華なアパートの1フロア相当の広さ、ふかふかのベッド、アイランド型のキッチンに巨大なテレビ。少なくともスコットのような一般市民レベルの生活を嗜んでいた人からすれば十分快適な生活空間であることは確かだった。

 

 それでも。

 謹慎ということは、外出できないという意味でもある。

 

 ほぼ家と基地が同義であるワンダならまだしも、遠くに家があり、待ってる家族がいるクリントやスコットの場合は少なからずストレスとなったのは確かだ。一応、便宜上非公式の謹慎処分であったため「知人の家にしばらく泊まることになった」と連絡を入れて納得してもらったが、クリントの妻であるローラは元エージェント。限られた通話内容だけで、処分として一時的に帰れなくなってしまったことを悟ってしまった。

 電話するクリントは辛そうな表情であったが、それは言外に家に帰れないことよりも、喪った仲間のことを悔やんでの表情だった。

 それはスコットやサムも同じ。だが酷かったのはワンダだった。

 

 ワンダは、基地に戻ってきてから数日は飲まず食わずだった。

 与えられたベッドに包まって一日を過ごし、たまに部屋を出て外が一望できる窓の前に立ち、時折虚空にいる誰かに話しかけ、やがて誰もいないことを悟ると声も出さずに涙を流す。典型的なうつに近い状態だった。誰が見ても、医者に見せるべき様子だったのは明らかだった。

 それでも、お節介のスコットやサム、クリントらが半開きの口に無理やりスプーンで食事を流し込むことで栄養失調だけは避け、半ば介護に近い謹慎生活を送っていた。

 

 そして謹慎生活が1週間を迎えた頃、謹慎処分を言い渡されて以降掛けられた鍵が開いた。

 出てきたのは、顔に青痣左腕に包帯を巻いたトニーと、ナターシャ、ヴィジョン、そして見慣れない少年だった。

 

「………よぅ! 元気かお前たち」

 

「お陰様でな」

 

 クリントの返答は皮肉全開だった。流石にトニーも口角が引き攣る。

 

「…ローズは、無事だったか」

 

「奇跡的にな。足の骨折は酷いものだったが手術はもう終わってる。リハビリに時間はかかるが、回復次第では以前のように歩けるようになるだろうさ」

 

「よかった……」

 

 あの日あの瞬間、最もローズに近いところにいたのはサムだった。

 立場上スティーブの邪魔をする敵であったかもしれないが、それでもアベンジャーズの同士であることには変わりない。〝なるほどシベリア送りだ〟作戦(命名レイニー)における最重要項目は死者を出さないことだった。その点では、ローズが高高度からの墜落で両足の骨折程度で済んだのは奇跡的だった。

 

(……そう、あのとき、俺が躊躇わなければ)

 

 サムは、ローズの墜落を救うのを一瞬だが躊躇した。

 敵対していたというのもあるが、万が一スティーブとバッキーを乗せたクインジェットが、空を飛ぶことができるローズやトニーに撃ち落されてしまえば作戦失敗に終わるからだ。そのことが脳裏を過り、愚かにも救うことを躊躇してしまった。

 

 それでも、レイニーは飛び出した。

 

 立場も、状況も、危険も。

 何もかも関係なく、すべてを放り投げて、レイニーは飛び出した。そしてローズは一命をとりとめ、レイニーは特殊部隊に拘束され、責任を押し付ける形で投獄された。

 全身凍結、冷凍保存という死と同義の処分で、である。

 

(ああ、クソ。ボクはまた、畜生め。らしくない)

 

 自己嫌悪しているのはトニーも同じ。

 あのとき、トニーには二つの選択肢があった。一つはローズを救出すること。もう一つは墜落するローズを見捨ててクインジェットを狙撃すること。

 部下の命は何よりも大事だが、命を救ってもスティーブ、バッキーの確保という任務が達成されなかった場合に責任を取るのは作戦の主導者だったトニーだ。実際、もしレイニーが偽の犯行声明文を国連委員会に送信して首謀者として祭り上げられなければトニー自身もラフトに投獄されていただろう。それだけの失態を犯した。

 

 国際会議におけるテロ、対テロ対策本部の襲撃、空港の破壊。

 この三つの真犯人への粛正は済んでいるが、それでもアベンジャーズが犯したミスはすべてレイニー1人の処分によって有耶無耶に揉み消されることとなった。本来であればレイニーの首一つで解決できる案件ではないが、ロスの尽力と、何よりも国連委員会がレイニーの脅威を注視していたからこそ成立したと言える。

 

 

 あの悪魔を封じ込めることができるなら、行幸だ。

 ついでに処分し、その死体で悪魔とやらを解明できれば尚いい。

 

 

 仮にも国防を司る組織の発想とは思い難いが、レイニーとベンディという悪魔の一例が出現した以上、今後も悪魔の出現は楽観視していい脅威ではないのだ。未知であるならば恐れ、捉えて解剖し正体を解明することが国連委員会の総意でもあった。

 

 それを伝えに来たナターシャの顔は、トニーの中でも忘れられない。そのとき自分がどんな顔をしていたかは知る由もないが。

 

 助かったのは事実。だがトニーは助けてもらおうだなんて頼んでなければ下心を抱いていたわけでもない。勝手な行動、お節介もいいところだと邪険にしたい思いで一杯だったが、そのお節介こそがレイニーの本質、ひいては英雄(ヒーロー)の本質だと思い出して、また項垂れた。

 

(クソ、文句の一つも言えやしない)

 

「それで、そこの小僧は何者だ? 見ない顔だが」

 

「ああ、彼は──」

 

「ボッ、ぼ、ぼくは、ピ、ピーター・パーカーです! よよよよよ、よろしくお願いしまっす!!」

 

「……ピーターくんだ」

 

「いやそうじゃねぇだろ」

 

「その声、空港にいたあの赤い蜘蛛のスーツの?」

 

「そそそそそうです! スパイダーマン、あの、トニーさんに呼ばれて、それでレニーの幼馴染で……あっ…」

 

 ぎくしゃくしながら挨拶していたピーターは咄嗟にレイニーの愛称を口にしてしまい、思わずガクッと身体を強張らせた。纏まらない思考が紡いだ言葉の羅列がピーターのトラウマ、レイニーがクインジェットから落ちて粉々になって、冷却装置で凍らされて運ばれた光景を蘇らせる。

 トニーに抑えられたピーターとの位置は、それなりだった。

 しかし、全身がインクに変化し左顔面を抉られていたレイニーは残る右目で確かにピーターを視た。

 そして、小さく笑った。

 気のせいだったかもしれない妄想だったかもしれない。だがそれでも、レイニーはまた目の前の人を救い、死んだ。

 

「幼馴染? たしかレイニーの出身はクイーンズだったな?」

 

「えと、僕もクイーンズで、レニーの隣に住んでて、それで……」

 

「……まァ、わかった。奇妙な縁もあるもんだ」

 

 空港で高機動戦を繰り広げた同士として、そしてレイニーの幼馴染という奇縁も含めて、サムはピーターの肩を叩いた。

 

「それで、我らが預言者サマが何の御用で? まさかもう謹慎解除とかいうんじゃないだろうなぁ俺は嫌でも帰らんぞ。レイニーを解放するまではな」

 

「えっ、オレはできればはやく帰りたいっていうか…娘に会いたいっていうか……」

 

「……今のは空気読めよ。俺だって嫁も子どもも待ってるさ、でもアイツを見捨ててのこのこ帰りたくはねぇよ。そうだろ?」

 

「あ、あぁ…そうだな…近い近い」

 

 メンチ切ったクリントによって壁際に追い込まれたスコット。1週間も一緒に住んでいれば自然と仲良くなるものだが、未だにスコットの冗談のような本音が馴染むことはあまりない。今後も難しいだろう。

 

「……今回は、レイニーが遺したものを持ってきた」

 

「「「!」」」

 

「………それ、本当…?」

 

 部屋の奥から現れたのは、若干痩せこけたワンダだった。

 もとより贅肉とは無縁のワンダだが、綺麗に切り揃えられていた髪はほつれ、目の下に隈が刻まれ、服もくしゃくしゃの姿はトニーやナターシャ、ヴィジョンでも応えるものがあった。壁から手を放すとよろけてしまい、咄嗟にヴィジョンが駆け付けて身体を支えた。

 トニーが掲げたのは、かつて暇つぶしと教養も兼ねて贈呈した小型の3D立体投影装置だった。ニューヨークでの大戦後しばらくトニー(というより仲良くなったペッパー)と過ごす時間があり、あまりにも引っ付くのがうっとおしいと思い始めた頃(スーツ依存症発症期)に餞別の品として押し付けたものだった。

 この装置を受け取ったレイニーは大層喜び、ネットワークから様々なデータをダウンロードして遊んでいた。まさか銃のカタログをインストールして分解の練習に使うことは想定外であったが、ワシントン、ソコヴィアを経ても大事にとっておいたことは意外だった。

 それを、ブカレストに飛ぶ途中でハッピーに渡した。もし取りに来なかったら、トニーに返すようにと言付けて。

 

「受け取ったのはハッピーだ。メッセージじゃ、『アベンジャーズ全員で見るように』と言われたらしいが」

 

「……足りないだろ」

 

 クリントの指摘はもっともだった。

 病院で治療中のローズ、そしてアベンジャーズの核たる人物であるスティーブがいない。それを承知でトニーは今日を選び、わざわざ自家用車でクイーンズのピーターを引っ張って連れてきた。

 

「安心しろ、ビデオカメラも用意してある病院のローディの枕元の端末とオンラインだ、寝ながらでもラク~に見られる」

 

「そうじゃない、キャプテンが…スティーブ、」「その名を口にするな」

 

 はく、と指摘したスコットが口を噤んだ。ナターシャも流石に完全に藪蛇だったスコットに同情を禁じえなかった。

 謹慎処分によって外部との交流を絶たれていたクリントたちとは異なり、トニー側についていたナターシャのもとには情報が届いていた。スティーブの親友であるバッキー・バーンズは、トニーの親であるハワード、そしてマリアを暗殺したという情報を。

 この情報はトニー本人からだけでなく、レイニーを対テロ対策本部からスティーブとの合流地点まで送り届けたシャロンから聞いた情報だった。最も、その時点ではレイニーもまだ憶測の段階であって確証はなかったが、今回ヘルムート・ジモが目論んでいた陰謀を解明するにあたり、その真実に突き当たってしまった。

 そして、いままでなぁなぁで平行線を維持していた2人の間に溝ができてしまったと察した。アベンジャーズという組織に長くいて、そして2人を客観的に見る立場にあるナターシャだからこそ、その溝の深さを理解してしまった。

 

 だからこそ、いままでその溝を飛び越えて仲介していたレイニーの不在が恨めしい。

 

 レイニーは、アベンジャーズのメンバーを理解する人物の内の1人でもあった。子どもの容姿からは考えられないほどの理解力、洞察力を持ち、各面々の過去や経歴を知り、理解し、そして直接話し、交流を重ねることで距離を詰め、間合いにいれてもいい相手であると認識させることに長けていた。それは勿論レイニー本人が意図してやっているわけではなかっただろう、持ち前の人格由来のものだ。ニューヨーク大戦において、アベンジャーズの絆を信じ続けたフィル・コールソンの娘らしい人格だった。

 そのレイニーがいたからこそ、いままでメンバー間での軋轢が重症化せずに済んだ、とも言える。

 ナターシャは改めて、アベンジャーズにおけるレイニーの重要性を再認識した。最も、再認識したところで都合よく戻ってくるわけではないのだが。

 

「…レイニーが、ここを発つ前に何か映像を残したらしいの。それをみんなで見ましょうってこと。ワンダも見るでしょう?」

 

「……うん、うん……見る…」

 

 光が消えた瞳。

 それでもレイニーが残した遺物からは目が離せないのか、ワンダはヴィジョンに肩を預けながら適当なソファに腰かけた。

 トニーは全員を見渡し、無言の了承を得たところで投影装置を部屋の中央のテーブルに設置し、電源を入れた。

 

『ばぁ。おーい映ってる? これ映ってる? どう映写技師~? あ、オッケー? よしよし今度は上手くいったね!』

 

 パッ、と。

 映し出されたのは、ラゴスでの爆破後の小さなレイニーだった。装置の直上ではしゃぐレイニーはだいぶスケールダウンしてしまったものの、ラフトに収監される姿でもなく、基地で思い思い過ごしてたレイニーの姿と相違なかった。

 

『えー、皆さん初めましての人は初めまして。レイニー・コールソンです……これでいいのかな。ああ、あっちの名前の方が伝わりやすいかな? HYDRA創設者の一人、エニシ・アマツの一人娘のユカリ・アマツ。アベンジャーズのデビルヒーロー、インクの悪魔(ベンディ)とは私のことです。ジャンジャジャ~ン、今明かされる衝撃の真実~!

 …でも、ないかな? あ! 待って待って映写技師そのままにしてて! 確かこの辺に…』

 

 こちらの心情そっちのけで自己紹介もなんのその、突然カメラの前からフェードアウトしてレイニーは映像から消えた。かといって装置に不具合があったわけではなく、単純に撮影時のレイニーがカメラそっちのけで何かを取りに行ったのだ。

 ややあって物音が消えて映像が回復すると、なにやら緑色の寝衣のようなものを全身に羽織って現れた。

 

『じゃーん! 緑のパジャマ! どう? どう? 私の身体透明になってる? え? なってない? あ、そっかぁ…私ガチャヒ〇ンじゃないから背景に同化できないんだ…騎空士の皆さんごめんなさい、私は君たちの友達になれなかった……え? 違う? クロマキー? あっ、そのクロマキーが緑色だから背景に同化できたんだ。なぁんだ』

 

「……なんだ、このビデオは。学芸会の出し物か何かか?」

 

「スマン、俺にも何が何だか」

 

「あぁ、コイツのパジャマ、ウチの家内(ローラ)がプレゼントしてくれたやつだ」

 

 映像のレイニーも若干の気恥ずかしさを感じたのか、いそいそと緑色の寝衣を脱いで普段着姿に戻り、仕切り直しとして小さく咳払いをした。

 

『さて…トニー!』

 

「……俺はトニーじゃないぞ」

 

「録画なんだから場所がわかるわけないだろ」

 

『ここか? それともここにトニーがいる? いやここか、こっち…? トニートニートニートニートニートニー! たまにバナー博士、トニートニートニートニートニー! 多分アベンジャーズで一番生存能力高そうだから! それかトニーのお孫さん! 若しくは子孫! あ、じゃあスタークか!

 スターク、そこで見ているな!? まぁ録画だから見てて当然なんだけどさ』

 

 あてずっぽうにトニーの名前を連呼して指差すが、残念なことにそのどの方向にも現実のトニーはいなかった。数打てば当たる戦法としては杜撰すぎた。しかし、その状況も楽しんでるのか、レイニーは笑顔だ。

 

『……多分、スティーブはいないね。スティーブ・ロジャース、キャプテン・アメリカ。彼は…うん、多分この録画は観てないと思うし、見られないと思う。何となく』

 

 じ、と。

 映像のレイニーは、録画時に誰もいないであろう一点をじっと見つめていた。だが、そのレイニーと目が合ったピーターは、息をのんだ。

 思い上がりでもいい。気のせいでも構わない。

 それでも、確かにこの時レイニーの中で自分のことを想ってくれてたのではないだろうかと、勝手に解釈したかった。

 映像として映し出されているレイニーは再びカメラ目線に戻し、両手を合わせて少し照れ臭そうに、申し訳なさそうに目尻を下げた。

 

 

『ごめんね、死んじゃった』

 

 

 ───空気が、凍り付いた。

 

 決して、映像のレイニーの振る舞いが分不相応だったからではない。失礼な振る舞いだったわけでもない。茶目っ気が笑えなかったわけでもない。

 

 レイニー・コールソンの死という事実を、再認識してしまったからだ。

 スティーブが冷凍保存された例とは、違う。超人血清があったからこそ70年間も氷の中で生きながらえていたというのもあるが、クレバスに滑落し冬山で冷凍保存されて生還したという実例は過去いくつかある。しかし、レイニーは人間ではない。血と、肉と、骨で構成された人間と異なり、インクマシンという機械とインクという液体、そしておそらくレイニー・コールソンという魂で構成されたあやふやな存在である以上、生死を人間のそれと一緒にはできない。

 インクマシンの停止と凍結は、即ちレイニーの死でもあった。

 

「ワンダ、大丈夫ですか」

 

「……ええ、平気よ。いまは、まだ」

 

 俯くワンダの肩に手を置くヴィジョン。

 震える肩、マインド・ストーンの力に頼らずとも、ヴィジョンにはワンダの後悔と、忸怩たる思いが伝わっていた。それが溢れないように、涙として流れないように、必死で抑えていることも。

 

『多分、この録画が流れてるのってことは、一万と二千年…いや、二万と四千年……? 冗談冗談。五年後か、十年後か、それともこの録画の数時間後か、数日後かな。私が死んじゃったってことだよね。ハッピーさんか、ホーガン家の息子か孫か子孫の誰かが、渡すべき人たちの手へ渡して、再生させたってことだから。

 え? なんでハッピーさんなのかって? アベンジャーズメンバー以外で信頼できる大人は、彼しかいなかったからだね。実際問題というか、正直この録画をしてる今の私でも自分が死ぬビジョンが見えないんだけど…』

 

「私ですか?」

 

「違う、名前としてのヴィジョンじゃなくて想像って意味だよ」

 

「いえ、そうではなく……間接的に、私が…お母様を…」

 

 指摘したサムが思わず苦渋に顔を歪めた。

 そうではない、ローズを救えなかった自分にも非があったと。もう少し早く飛べれば、レイニーが犠牲になって救うことはなかったと。

 レイニーの死の原因は自分にもあると、サムはヴィジョンを安易に窘めた自分に嫌悪した。

 

「……まぁ、とりあえず続き流すぞ」

 

『でも、人間でない私でもいつ死ぬかわかったもんじゃないからね。そこんところは人間と変わらないと思う。多分。既に命が(ノー・)ない(ライフ・)(ウーマン)である私でも、死の概念はあると思うから。消失とか、暴走とかそのあたり? 私って存在が消えたときが、私の死なんだと思う。解放かな? ちょっと違うか』

 

 レイニーが既に死人であることは、アベンジャーズ全員が知るところである。

 ただ、1人。

 ピーターという少年を救う為に、身を挺して犠牲になったことを知るのは、ピーター本人だけである。

 

『とりあえず、私も人間と同じようにいつ消えるかわからないって恐怖にビクンビクン怯えて、こうして映像として自分を残したわけですよ。ホラ、前触れのないサプライズって誰もが喜ぶものとは限らないでしょ? 突然10日間無料ガチャ10連プレゼント! って言われてもその情報が流れる前にアホみたいな額課金してたら身銭切って振り込んだ課金額が無駄になった気分でしょ? つまりそういう……ん、アレ、なんかすごいわかりにくい例えだったりする…?』

 

「「あー、うん。わかるわかる」」

 

「お前たち、分かるのか…」

 

 トニーはレイニーの例えに同調したピーターとスコットに呆れた。

 なおトニーはそのあたりわからなかった。身銭を切るという概念がまずわからないからだ。裕福である以前に、課金ゲーに没頭する性格ではないから。

 

『兎に角、人によってはベンディの死は朗報か訃報かわからないし、私にとっても突然死ぬのはちょっと前振りなさ過ぎてイヤだ。この録画してる時点では、まだまだやりたいことたくさんあったしね。映画は完成させたいし、究極完全体ハルクになったバナー博士とナターシャさんの結婚式プロデュースしたい。私の親友に、たくさん話さなきゃいけないこともあるし、ね』

 

 そう、そこである。

 レイニーには、軽率に自分を犠牲にできない事情もいくつかあった。アベンジャーズのことは勿論、会社のこと、そしてこの場で知る者はいないがワカンダのことも、その事情に該当する。

 放り出してはいけないことがあった。無責任にしてはいけないことがあった。

 それでも、レイニーはそれらを捨てる道を選んだ。

 

『でも人生ってのは儘ならなくて、死にたいときに死ねなければ、死にたくないときに死んじゃったりする。私たちが生きるこの宇宙(ユニバース)ってそういう理不尽な世界で、人間全員がやりたいことをやりきって死ねるほど優しくない。昨日まで一緒にカフェテラスで談笑してた隣人が、次の瞬間鉄骨の下敷きになるとか、車に刎ねられるとか、悪い人に撃たれたり刺されたりするとか、もしくは飛んできた隕石に頭ぶつけて死んじゃってるかもね。隕石だってぶつかる確率は宝くじに当たる確率より高いって言うよね……言うよね? 何パーだっけヴィジョン』

 

「約75,000分の1です」

 

 咄嗟に答えたヴィジョンに全員の視線が集中した。それでもヴィジョンは動じることなく視線を返し、

 

「2014年テュレーン大学地球科教授が発表した論文では自動車事故に遭う確率が90分の1、火事に遭う確率が250分の1、竜巻は60,000分の1、それらに対し宝くじに当たる確率は1億9,500万分の1だそうです。ああ、サメに襲われる確率を忘れてました。800万分の1だそうですね」

 

『……………えっと、ヴィジョン? がいたら最近の確率傾向を比較して説明してくれてるんじゃないかな。もしくはスターク家の誰か。ピム博士は…ないかな、そういうの言うタイプでもないし、うん。

 ま、そういうわけで、いつ死ぬ…死ぬっていうか、消えるかわからないから、この録画をしてる…じゃなかった、残したわけ。あー『死ぬまでにしたい10のこと』思い出した…あれそういう意味かぁ、通りで似たような映画がいくつもあるワケだ。この録画を見ているみんな! 『死ぬまでにしたい10のこと』観ようね! 個人的には『最高の人生の見つけ方』もオススメだよ!』

 

「オイ急に映画の番宣始まったぞ、特集で呼ばれた俳優だってここまで露骨な宣伝しないだろ」

 

「そういうのいいからテロップでも流しとけ」

 

『どーせトニーあたりは『テロップに流してさっさと本題喋れよ』とか言ってそうだけどね! 今回の録画は時間ないからそこまで手の込んだ編集できてないですよーだ』

 

「……」「……」「……」

 

「…ガッツリ予測されてるな」

 

「うるさい」

 

 過去のレイニーの予測されてる事実が恥ずかしいのは言うまでもない。

 

『というわけで、それらが()()()()()()()私がみんなに残すメッセージとしては…なんだけど……

 うーん、こうしてみるとあんまり言いたいことって、無いね!』

 

 快活に宣言したレイニーの姿に思わず肩の力が抜けた。

 

『イヤ、こうしてビデオレターという試みをしてみたけどさぁ…これ初めてだし、言いたいことって…言いたいこと? え、時間押してるって? やばば。えっと、うん!』

 

 何が「うん!」なんだ、と若干怒りが募る面々もしばしば。

 

 

『とりあえず、私が死んだのは誰のせいでもないよ』

 

 

 その怒りが、急に霧散した。

 映像を見れば、お茶らけていたレイニーの空気はそのままに、けれども佇まいはどこかしっかりしたものに変化していた。

 

 ──かつて、ニック・フューリーはレイニーをこう評価した。裏表がない、素の状態のままスイッチを切り替えるタイプだと。故に()()()()()

 感情の機微を。情緒の変化を。身に纏う空気を。

 

『ベンディが暴走したんだとしたら紛れもなく私の管理責任だろうし、もしそうではなく…例えば…うーん思いつかない。兎に角、今の私じゃ思いつかないような突拍子もない出来事の末に死んだとしても、それは私の自己責任だと胸を張って言える。言えるね!

 

 だって、私はもう決めたもの。自分の道は自分で選ぶ。選んだ道は曲げない、後悔しない。

 

 あ、でも私以外から見てそれが間違ってたらスティーブに指摘されて直されてる、叩き直されてると思う。ゲンコツで。そういう約束したから』

 

 サムとナターシャには、心当たりがあった。

 ワシントンでS.H.I.E.L.D.に潜んでいたHYDRAの奇襲に遭い、追手から逃れてフューリーのセーフハウスで休んでいた際のことだ。スティーブとゴキゲンな様子で外から戻ってきたレイニーが、年相応の腕白な子どものようにぶんぶん腕回して打倒S.H.I.E.L.D.を意気込みながら、約束事について話していた。

 

 

「約束よ! 私は私の意思で、あなたはあなたの意思でこれからも生きていく。でももし万が一、あなたが道を踏み外してしまったと私が思ったら絶対止めるから。だから、もし私が道を踏み外してしまったと思ったら、ぶん殴ってでも止めて!」

 

「なるほど、互いに互いを牽制し合う訳か」

 

「違うわ! 互いを信じるのよ!

 よし! じゃあ、私たちの復讐(ヴェンデッタ)をはじめましょう! 最後まで、とことんやるわよ!」

 

 

『でも…うーん、多分私がそんなヤバい選択したってことは…でも一つ言えるのは、私は家族の為に何かするんだと思う。で、して死んだんだと思う。え? エニシのため? 違う違う、あんな女私の家族だなんて思ってないよ。あの女の(ハラワタ)から産まれちゃったのが人生最大の汚点だね、モー…唸り過ぎてウシになっちゃう 。パパは普通にパパだけどね。でもいま言ってるのは血のつながりの家族じゃないよ。

 私の本当の家族は、アベンジャーズだから』

 

 ──幼少期、ほとんど親と交流することなく過ごしていたレイニーにとっては、家族というものの在り方がわからなかった。

 カマ―タージで修行していたときも、レイニー自身は師範たるエンシェント・ワンを母親と思ったことはないし、ましてや家族だなんて一欠片も思っていない。確かに共に生活した時間は長いかもしれないが、そこにレイニーは家族の在り方を見いだせなかった。

 

 そのレイニーが見つけた家族とは、アベンジャーズだった。

 

『というか、アベンジャーズが家だね、うん。アベンジャーズは、世界の敵と戦うわけだから戦ったあとはみんな疲れるし、ボロボロだし。でもそんな家族が帰ってくる場所を守るなら、私は命賭けてると思う。「命、捨てます!」でも「命、燃やすぜ!」でもないけど、多分そんくらいの覚悟はしてるよ、毎日。だから──アレだね。この言葉がしっくりくる』

 

 小さく、息を吸って。

 

 

『私は好きにした。君たちも好きにして』

 

 

 じ、と録画された自分を見る全員を見渡すように。

 まるで、そこに誰がいるのかわかっているように。

 これが、伝えたかったことなのだと、言外に示した。

 

『あッ…流石にアベンジャーズぶっ壊す! みたいなのはカンベンね! 子豚だって藁でも木でもレンガでも建てた家壊されるの嫌だしさ。あれ、イヤ…どーなんだろ、ダークアベンジャーズとかになってないといいけど。協定はもう可決されてるから大丈夫だとは思うけど。

 えっと、私は好きに選んで行動して、その末に死んだなら満足。だからそれに対してアレコレ議論したりしないで頂戴。で、その代わりにみんなも好きにしてってこと。これぞ条件付き等価交換…! 錬金術の基本だね、分かるとも!

 私は、悔いのない選択をした。だから、みんなもやるべきことはきちんとやって、やりたいことはしっかり決めてって意味で、好きにしてってことね。全部自己責任なのは当たり前だけど、選んで、それを誰かのせいとかにしないでね。これ、伝えたかった。子どもの私でも難しかったんだから、きっと大人でも割と苦労すると思う。生きてるってことは、友人、家族、知人、宿敵、組織、過去、未来、私じゃ想像もつかないようなたくさんの(シガラミ)が干渉し合うわけだし』

 

 映像のレイニーは、ふぅと息をついて呼吸を整えた。

 ここまで言いたいことを整理しながら言い続けた弊害だろう。台詞からもわかる通り、台本なんてない。恐らく本当に二つ目、三つ目のビデオレターを計画していて、その最初の、あくまでも試験的な一発撮りに過ぎなかった筈だ。

 

 だがそれが、最初で最後のビデオレターになってしまった。

 

 それでも、レイニーが言いたいことは、伝わっていた。

 トニーも、ナターシャも、クリントも、サムも、ワンダも、ヴィジョンも、ピーターも、スコットも。

 これを見ている全員が、レイニーの()()()()()()を理解した。

 

『……それじゃ、さよならしよっか。

 最初の録画、終わり。え? もうハッピー来たの!? 早く来いとは言ったけど時間にスピーディー過ぎない? って私が時間かけ過ぎただけかー。あーもう、まだ準備終わってないのに! ん、映写技師なんでまだカメラ向けて……あれ!? もう切っ〈ブツッ〉

 

「……最後まで、彼女らしいわね」

 

 焦り顔で録画の停止指示を出した姿で止まっているレイニーの姿はインクマシンの不調で幼くなってしまったが、それでもアベンジャーズにいたいつものレイニーと相違なかった。少なくとも、ナターシャにはそう見えた。

 

 子どもっぽい姿で、でも大人顔負けの知識があって。

 うじうじ悩んでいるようで、でも決断を実行に移す行動力があって。

 肉親(エニシ)が嫌いで、でも家族(アベンジャーズ)を大事に想う。

 

 英雄(ヒーロー)でもない、悪魔(ベンディ)でもない、レイニー・コールソンのありのままの姿が、其処には在った。

 

 もう二度と取り戻せない。

 けれど、取り戻す必要はない。

 

 

『私は好きにした。君たちも好きにして』

 

 

 悔やむより前を向けと、背中を押されたような気がした。

 

「ハッ……まったく、言われるまでもないさ。そんなの」

 

「ハンカチ要る?」

 

「それはワンダにでもくれてやれ。ああ、これは持病の副鼻腔炎だ。空気が汚いといつもコレだ、鼻炎カプセル飲まなきゃ」

 

「アンタ、誤魔化し方ヘタだよ」

 

 鼻声のスコットに茶化されたトニーは早々に部屋から出て行った。

 ナターシャは、目尻に垂れる雫を払って。

 サムは、硬く握った拳を解いて。

 クリントは、去り際に感謝の(「ありがとな」と)一言を。

 ワンダは、溢れる涙を隠すように顔を覆って。

 ヴィジョンは、ワンダの肩を抱いて慰め謝罪を(「すみません」と)告げて。

 スコットは…はにかむような、煮え切らない表情のまま。

 

 英雄(ヒーロー)は、前に進む。

 振り返ることはあっても、立ち止まることはない。

 如何なる困難があろうと、障害が、宿敵が立ち塞がり、その力に屈することがあろうとも、何度でも立ち上がる。

 それが、英雄(ヒーロー)だから。

 

「好きにして、って……」

 

「ホラ、さっさと帰るぞピーター。叔母さんに心配かけないよう顔は洗っとけ……ピーター?」

 

「僕には好きにしたいことなんてわからないよ、レニー……」

 

 一人、部屋に残って項垂れていたピーターは、床を見つめて立ち竦んでいた。

 レイニーの話は、聞けた。理解できた。

 だがそれでもピーターは、自分の「したいこと」を見い出せていなかった。

 

 ピーター・パーカーは、英雄(ヒーロー)ではない。

 まだ、親愛なる(スパイダー)隣人(マン)でしかなくて。

 たった一人の幼馴染を二度も失った、ただの少年だった。

 

 

 

 

 

 Chapter 117

 

 

 

(確か、映像には)

 

 洗面台で顔を洗い涙を流し落としたワンダは、アベンジャーズメンバーの目を盗んで女性用ロッカールームに向かっていた。

 新アベンジャーズ基地には女性職員も少なくないが、それがすべて使われているわけではない。各分野ごとに区画を割り当てられており、割り振らえた番号のキーを所持することを許されている。

 だが、キーは事務からの発行制であり無断に空きロッカーを使えるわけではない。故に未使用のロッカーは開けることもできず、未使用の状態で放置されることが多い。

 

(あった)

 

 だが、そのうちの一つ。

 大型の荷物を入れるロッカーだけは、5桁の暗証番号で利用できる仕組みになっている。それを使えるのは利用申請を最後に提出した者だけであり、同様に番号を知っているのもその者だけである。

 

 映像の中で、レイニーはアベンジャーズのメンバーへのメッセージを伝えていたが、それは何も言葉だけではない。仕草や手にも、隠れたメッセージは存在していた。

 唯一ワンダは、手慰みにレイニーとのじゃれ合いの中で教えて貰った手信号を習っており、映像の中のメッセージがある番号を伝えていた。

 

(ffffで、16とマイナス1…確か、16進数って0から9とAからFだったわよね。それでFが4つだから…16の4乗。つまり、65,536で…そこから1引いて、『65535』)

 

 大型ロッカーに暗証番号を打ち込むと、グリーンの表示がされてロックが解除された。

 そこにあったのは小さなケース。蓋を開けると中にあったのは分厚く綴じられた一束の書類と、茶封筒が一つ、ホッチキスで綴じられ裏返しされた数枚の書類だった。ワンダは暗がりの中でそれを掴み、薄い書類の方を捲る。

 

 

Congratulations(おめでとう)!! これを手にしたあなたは超ラッキー!』

 

 

 小さなケースの中身、分厚い書類の一番上にインクで手書きされたメッセージがでかでかと綴られていた。思わずワンダも面食らった。

 恐る恐る、ワンダは書類を捲る。

 

『というのはジョーク。It's Joke . OK ?

 これを誰かが手にしたということは私に不測の事態があったということ。なんだかんだS.H.I.E.L.D.やらHYDRAやらの機密を知ってしまった身としてはこの情報を有益に活用していただきたく用意したものです。きっとこれを手にしたあなたは、極めて弱い立場にあるでしょう。そんなあなたを救うラッキーアイテム!

 情報は、命より重かったりする! 重かったりするんだ! 金にするもヨシ! 揺さぶるもヨシ! 裏をかくもヨシ! 安全確認、ヨシ!』

 

 文面のテンションが踊ってる。自分の義姉ってこんなキャラだったっけと、涙は引っ込み震えも止まった。

 

『できれば、この書類を手にしているのは、私の大事な人であってほしい。もしそうであれば、頼みがある』

 

 大事な人。

 レイニーにとって大事な人って、誰?

 キャプテン? ナターシャ? スターク? ヴィジョン? それとも、他の誰か?

 ワンダの心に仄暗い嫉妬と欲望が渦巻くが、次の一文を読んで我に返った。

 

『できればこれを手に取っている人物が、張本人であると嬉しい。この持ち主の義妹、ワンダ・マキシモフという人物に、これを届けてほしい』

 

 メッセージが書き込まれた書類を捲ると、他の書類とは区分けされた茶封筒があった。

 

『ワンダ・マキシモフの住民票です。一応代理人として申請手続きしたものなので、既に発行されているようでしたら破棄してください』

 

 そこには、ワンダ・マキシモフという本名のものと、仮名としてワンダ・()()()()()という、レイニーと籍を同じくする書類の二つがあった。

 あとは本人の署名する部分のみが空白になっていて、然るべき場へ届ければ、面接と試験を経て米国における市民権を手にすることができる。そこまで御膳立てされた書類が、封筒に収まっていた。

 

「…義姉さん……義姉さん、義姉さんっ……!」

 

 何度も、何度も呼ぶ。

 だがその声に応える者はなく、レイニーが最後に残した優しさだけが手中に残った。

 

 

 そんなものは、要らなかった。

 優しくなくてもいい。

 ただ、ずっと自分の傍にいてくれれば幸せだった。

 

 生きていれば。

 生きてさえいれば、どうでもよかった。

 だから、ヴィジョンと共同戦線を築いてまで小さくなった彼女を基地に閉じ込めた。

 

 だがその願い(祈り)は、叶わなかった。

 大事なものは手のひらから滑り落ち、手の届かぬ監獄で惨たらしい最後を迎えた。

 

 

 レイニーは、家族の為に自分が犠牲になる道を選んだ。

 墜落したローズを救い、アベンジャーズという組織を守った。

 

 レイニーは、自分の価値を見誤った。

 家族にどれほど想われていたのか、それを考慮していなかった。

 

 

 心にぽっかりと空いた穴から、なにか大事なものが零れ落ちる。

 それは涙となって流れ落ち、ワンダには感情を堰き止める術を持ち合わせていなかった。

 否、たとえ心を抑制する術があったとしても、ワンダは決してそれを行使しなかっただろう。

 

 英雄(ヒーロー)は立ち上がる。

 でも、英雄(ヒーロー)は心がある。感情がある。

 

「私を、置いて逝かないでよ……約束、したのにッ!」

 

 一度目は、半身(ピエトロ)を。

 二度目は、義姉(レイニー)を。

 失うものが、多過ぎた。

 

 切り付けられた心は、いつか癒える。

 だが何度も切り付けられた心を癒すのは、今の彼女には難しかった。

 

「……ワンダ?」

 

 ハッ、とワンダが暗闇に身を竦ませる。

 暗がりのロッカー室の向こう。入口に、赤肌の偉丈夫が立っていた。

 ヴィジョンが、心配そうに暗闇の奥のワンダを見つめていた。

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 身体はもちろん、心も同様。死を前に、人は愛や温もりを希求する。

 愛する家族を喪った英雄(ワンダ)は、すぐには立ち上がれない。

 それでも彼女は、立ち上がるための支え(ヴィジョン)と出会った。

 

 

 

 

 







 アフター第1話。彼女がいなくなったあとで 了



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星は渇き、水底は満ちる



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 One little Soldier boys(小さな兵隊さんが1人) left all alone(あとに残されたら)

 

 He went out and hanged himself(自分で首をくくって) and(そして)... ♪

 

 

 

 Chapter 118

 

 

 

「あっ──やべ、金ねぇわ。どうすっか」

「俺もだわ……そうだ、ちょっとサイフ(銀行)寄ってこうぜ」

「お、いいね。マスク持ってくるわ」

「んじゃ、チャカパクってくる。やろやろ」

 

「ちょ──っとぉ、お兄さんたち? 何やろうとしてるのかな?」

 

「お、一緒に銀行凸るか? …ってうわ、何だお前!? キモ!!」

 

「え? この服そんなキモいかなぁ。ちょっと赤と黒が混ざってるだけじゃんていうか、またベンディマスク…

 

「あ───っ!! に、逃げろ! 最近ここいらに出没する蜘蛛野郎だ!」

 

「逃げ「逃がさないよハイ逆バンジー」ぅあぁぁああああああああ!?」」」

 

「……ハァ、2日にいっぺんは出くわすなぁ。ニューヨークってこんなに治安悪かったっけ?」

 

 

 

 ───レイニー・コールソンがラフトの最下層に投獄されたあの日から、世界中で犯罪件数が増加した。

 爆発的な変化ではない。

 少しずつ、少しずつ。

 住民のトラブルが生じ。トラブルが事件に発展し。警察が出動する件数が増え。少しずつ、本当に少しずつだが、世界中の犯罪件数は増加の一途を辿っていた。

 

 世界の悪意を啜っていたというレイニーの不在と因果関係があるかはわからない。そもそも、その言葉が真実であるか否かを証明する術はないのだから。

 

 だが、ドイツでの一件を知った世界中の人間はこう思った。「アベンジャーズも一枚岩ではない」と。

 

 世界最強のヒーロー組織と崇め、そして恐れられていた人々も、決してアベンジャーズが頂点、というわけではなく。

 手を伸ばしても届かない天井に輝く一等星ではない。

 自分たちにだって手の届く、生身の人間であるのだと。

 そして、ベンディという悪魔だって()()()のだと、認識してしまった。

 

 これらが与えた影響は、一般人だけでなく水面下で蠢く悪の組織の連中も同様である。姿を見せないキャプテン・アメリカの長期療養は嘘ではない。そして、ベンディという出所不明の監視の目が消えてしまった今となっては、水を得た魚のように活動しやすい環境に変化した。

 

 犯罪を抑制する心理的ブレーキが、地球上の人間全員を対象に()()()()()

 

 この事態に直面したアベンジャーズにとって、レイニー・コールソンの損失はあまりにも痛手だった。

 元々S.H.I.E.L.D.崩壊によって世界全体を監視する目を失ったアベンジャーズは、世界中で起こる危機を察知し、手に負えなくなる前に処理するために情報網の構築と拡大が目下の最優先事項だった。ブラック・ウィドウによる機密情報の漏洩によりゼロから監視網を作り上げる上で代替存在として機能していたのが、レイニー、もといベンディが世界中にばら撒いていたサーチャーの存在だった。

 サーチャーとは本来ベンディが巣食うスタジオを彷徨う魂の成れの果てである。しかし、人間であるレイニーと接触し自己変容を起こしたことによって、インクという媒体こそ必須ではあれど──逆に言えば、インクがある場所であればどんなに遠くであっても派遣したサーチャーの視覚・聴覚情報を共有して情報収集に勤しむことができた。

 

 いわば、インクという触媒を介して観測する魂を飛ばし、情報を受け取る『Passive(受動) mediums(霊媒)』。

 

 加えて、ベンディがこの世界に現界しレイニー・コールソンという器を得て活躍する中で、それこそ数えきれないほどの(ヴィラン)を吸収し()()してきた。これによりレイニーが手繰れる魂の総量が増加し、世界中を覆う規模のサーチャーを従えていた。

 これにより、アベンジャーズは情報網の構築を完成させるまでの『つなぎ』として、サーチャーから送られるレイニーの情報が生命線として機能していたのである。

 

 しかし、ドイツでの一件によりその情報網は失われた。

 

 レイニー・コールソンはラフトに収監され事実上の死亡、アベンジャーズからは永久除名処分が言い渡され、世界各地に散らばっていたサーチャーの安否も不明。元々サーチャーという存在から情報を受け取っていた窓口がレイニーであったから当然である。

 アベンジャーズの情報収集・管理部門の担当者はレイニーの除名よりもこの問題に頭を抱えていたが、

 

「…安心してください。お母様の意思は私が継ぎます」

 

「ま、これを機に世界を回るのもいいだろう」

 

 そこで白羽の矢が立ったのがヴィジョンとトニーだった。

 ヴィジョンはそもそも人工知能、マインド・ストーンを媒体に生まれたAIである。ヴィブラニウムという地球上最強の金属という肉体で現実を、マインド・ストーンの力でネットワークを。二つの世界を自由に行き来できる唯一無二の存在である。出生後、漸くアベンジャーズに慣れたヴィジョンの主導によりアベンジャーズ独自の監視ネットワークの構築と形成は想定を超える勢いで進んでいった。協力するヴィジョンが最も真剣に取り組んでいたのは、亡き母を想う気持ちが誰よりも強かったからだと思われる。

 

 トニーも、今回の一件に思うところがあった──というより、()()()()

 ソコヴィアで息子を亡くした女性の慟哭。レイニーの収監。両親の死の真実。スティーブの離反。

 

 いままで、良くも悪くも自己を貫き続けていたトニーも、自分を変えなければならないと思い至った。

 トニーは元々スターク・インダストリーズの社長だった伝手を利用して、現在はアベンジャーズ基地から離れて世界各国を回っている。アベンジャーズの活躍の宣伝、現実世界における情報網構築の手回し、ついでに世界滅亡の可能性を警告し自衛用パワースーツの設置の提案など、これから訪れるかもしれない未知の脅威に備えるべく活動を始めた。

 

 決して、レイニーの脱退を認めたわけではない。

 だからといって抜けた穴を見過ごすのは唯の怠慢だと言い聞かせ、残されたアベンジャーズは各自行動を開始していた。

 最悪の事態を回避するために。

 最善の選択を掴むために。

 亡き仲間が守ったものを、失わないために。

 

 それが、脅威に立ち向かい世界を守る英雄(ヒーロー)の在り方だから。

 

 

 

 それは、それとして。

 レイニーにはアベンジャーズ以外にも関わりのある団体──もとい、会社があった。

 ベンディ・アニメーション・プロジェクトである。

 

 

 

 

 

 Chapter 119

 

 

 

 高層ビルが立ち並ぶニューヨーク。どのビルも大企業に名を連ねるに足る高さのビルばかりだが、そのうちの一つは少し様相が変わっていた。

 灰色の無機質な一色を占めるビル。その根元で、大勢の人だかりが押し寄せていた。記者、カメラマンなどの報道陣や、どこから来たかもわからぬガヤの連中。防犯対策によく使われるようなカラーペイントのボールを投げつけ、〝汚い〟と頭に文字が付くほどカラフルな色合いでビルを穢していた。

 

『みなさんこちら、かの有名なアベンジャーズの裏切者ユカリ・アマツが経営していたと言われているビルです! 彼女はアニメーションを作る傍らで密かに国家転覆を画策していたと噂されています! このビルはその拠点だったのではないでしょうか!』

『アニメ作りなんかやめろ──!!』

『くたばれベンディ!!』

『我々は朝から張り込みを続けていますが、従業員が入る姿を目撃していません。しかし、しかしです! あの悪名高き悪魔ベンディであれば、超常の力を使ってビルに入ることも可能なのではないでしょうか』

『ホントウに従業員なんているのかしら? 全部ベンディとかいうヤツが産み出した奴隷なのではなくて?』

『実は架空の会社で名義も全部データ上だけのもの、つまりいままでの会社の利益は全部ベンディの私腹を肥やすだけのものだったとの疑いが!』

『件のアニメーション動画に関しても、ベンディという知名度をあげ注目を集める宣伝の意味合いがあったのではないかと専門家からは多くの声が上がっています。我々も、是非ともこのビルに侵にゅ…いえ、潜入捜査に加わりその真相を突き止めたいところですが…』

『オラ、シャッター開けやがれ!』

『責任者出せー!!』

 

 

「……まったく、外はうるさいな」

 

 ガヤが集まるビル──()()()、ニューヨークに立ち並ぶビルにしては少々低く、そして比較的質素な見た目のビルの窓から離れた男クエンティン・ベックは、騒ぎ立てるマスゴミの連中に深いため息をついていた。

 目頭を抑えるベックに苦笑いした社員がコーヒーをデスクに置いて、小さく嘆息した。

 

「まるで対岸の火事ですね」

 

 そう、表向きは目立つビルを本社に構えていたがレイニーの画策によって実際社員が働く場としているビルは別に構えていた。というのも、あまりにベンディが有名過ぎて起業当初からちょっかいを出す小悪党が多過ぎたのが悪目立ちしていた。いちいち防犯システムとして働きすぎるインクの受付嬢が小悪党共への過剰な自己防衛を止めるために社員を呼び出しては、作業効率が落ちるからだ。

 幸いにもベンディ・アニメーション・プロジェクトの収入は安定したものであり、以前のニューヨーク大戦でボロボロになった安上がりのビルを買い取ってリフォームするだけであればそこまで金は掛からなかった。名義に関しても『Benjamin Franklin Parker』というレイニーとは無縁の偽名を用いているため、足がつく可能性は低い。

 

 しかし、その配慮も。

 すべては()()()()()()を予測して、レイニーが尽力していたのであれば無理やり納得せざるを得ない。

 

「そうも言ってはいられない。現実、あの事件以降提携していた企業からの資金提供の凍結が相次いでる。今はまだ従業員への給料を払えているが、このままでは映画の完成まで会社が持たない」

 

 なまじ、初期の反響が大きかっただけに提携する企業から送られた資金は潤沢だ。アベンジャーズのベンディという知名度と将来性を見越してのことだろう。

 それを裏切る形になってしまったいまとなっては、頭を床まで押し付けても謝った気分にもなれない。

 だが、

 

「……みんな、今日も全員出勤か」

 

「ええ。ニュースや報道もなんのその。時間通りに通勤して励んでますよ」

 

 それでも、プロジェクトのメンバーは誰一人として欠けたりはしなかった。ベックにはそれが信じられず、社長室の椅子から腰を上げて社員がいるフロアに立ち寄った。

 

「ここの塗りが甘い。もう少し前の原画に合わせた濃さに調整できるか?」

「やってみます。前の原画、こっちのPCに入れてください! おねがいします!」

「ここのシーン、口パクで動かすより台詞に合わせて口角の形を変えないか? ベンディは確かにインクの悪魔だが、もう台詞は決まっているんだからそっちの方がいいだろう」

「ヒッヒッヒッ、おーいこのシーンの光源ってどこ方向? 流石に丸影は手抜き過ぎないか。違和感バリバリで…ヒヒッ、見てらんないんだが…ククッ、あーだめだ昨晩見たクソアニメのクソ映像思い出すと笑いが止まんねぇ! 豪華声優使い潰すスタジオほど罪なモンはないわな!」

「うっわ、誰だよこの描き込みやったやつ! まて、これアタシにゃ続き描けないって! ワンカット1000枚レベルの変態か! 担当呼んで!」

「んごご、ごめんちょっと休むわ仮眠摂らせて……2日ぐらい」

「「「オッケ2分ね」」」

「ごめんて2時間でよろ」

 

 様子こそ、普段の2割り増しで忙しそうではあれど。

 いつもと変わり映えのない職場(にちじょう)だった。

 

「みんな、ちょっといいか。手を止めても大丈夫なら、止めて聞いてほしい」

 

 パン、と一回拍手で注目させたベックは社員が作業の手を止めて静まり返ると、小さく息を吸って落ち着かせた。元々ベックはあがり症だ。

 

「今朝、また提携を打ち切られた企業から電話が来た。これで7件目だ。まだ協力してくれている企業はあるが…それでも、いつ資金が途切れるかわからない。

 ……社長代理としての判断だ、もし自分に「もうここで仕事するのは無理だ」と判断したのであれば、辞めてもらっても構わない。別に後ろ指を指すことはないし、後ろ髪を引かれる思いを抱かなくていい。これは、ユカリ社長の責任なんだから」

 

 事実上の、解雇宣言のようなものだった。

 資金が確保できないということは、給料を払えないということ。仕事という労働力を提供する以上はそれにもあった見返りを給料として支給することは、会社における必要最低限の義務である。そして社員はそれは受け取る権利がある。

 

 つまり、もしこの場に残るということは無給で働くという覚悟を決めなければならない。

 

 勿論、絶対に無給で働く未来が訪れると決まったわけではない。まだ提携してくれている企業はいくつかあるし、レイニーが密かに溜めていた予備財源もある。それが尽きない限りは給料を払える。働くことができる。雇える。

 

 だがその資金だって無限ではない。有限、必ず終わりが来る。来てしまう。映画が完成するのが先か、資金が尽きるのが先か。社長代理であるベックの判断では()()()()()()()()と踏んでいた。

 すると、社員の1人がおもむろに手を上げて立ち上がった。

 

「俺は、大丈夫ですよ。好きなベンディの仕事に関われるなら、無給だって構いま「それはダメだ!!」え…」

 

「それは…ダメなんだ…」

 

 断腸の思い、だった。

 無論、無給で働かせるような企業がないわけではない。寧ろ雀の涙ほどの給料だけで馬車馬の如く働かせる企業などこの世にはごまんといるだろう。所謂、ブラック企業というもの。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「9時出勤18時退勤。タイムカードを押してもらって、出勤できなかった場合は後で連絡してくれればオッケー。過度の労働が見られそうににあったら社長権限で有給取らせるから、引継ぎの準備と完了までの期間を考慮して働いて貰うからね。

 ウチは絶対ブラック企業なんかにならない。スタジオの悪夢に呑まれてはならない。悲劇を二度と繰り返さない。これが最優先事項、オッケー?」

 

 

 それが、社長(ユカリ)と決めた最初の約束だから。

 無給で働かせることは、社長代理たるベックが許容してはいけなかったのだ。

 

「……社長」

 

「…なんだ」

 

「ちょっと顔借ります」

 

「……は?」

 

 

パッチーン!!

 

 強烈なビンタ音。

 だがベックの頬に痛みが走ったわけではない。当然だ、ベックの目の前に近寄った社員が自分で自分の手を叩いて、さもビンタを喰らわせたように見せかけただけなのだから。精々ちょっと目の前で生じた高音に鼓膜が痛んだ程度で済んだ。

 しかし、それで十分だった。

 

「ええ、えぇえぇそれは分かってんすよ社長代理。これからの将来性を踏まえて、ついでにリスク管理の側面も考慮してウチらを気遣ってくれてんでしょ? でも、社長は私たちを裏切ったんだから、社長のいいなりになんかなる必要ないんすよ」

 

「ちが、お前っ、社長は裏切ってなんかっ」

 

「わかってますよ~」

 

 焦るベックににやりと悪戯っぽく笑いかける社員。それは、よくレイニーが茶目っ気かましたときに浮かべるような純粋な笑い顔と酷似していた。

 

「みんな、分かってますよ。社長は裏切ってなんかいない。ちょっと蹴っ躓いて大怪我しただけです。んね」

 

「まぁあの見た目だしおっちょこちょいなとこあるしな」

「マスゴミの報道が的外れすぎて笑ってまうわ。やっぱああいうのはアテにしちゃイカンなー頭悪いわ」

「いやぁ寧ろHYDRAの資金繰りの為に働いてたってんならまだマトモな発想ですけどね。でも実際はただアニメ作ってるだけってんだから、マジクレイジーですウチの社長」

「でも……な」

「ああ、うん。そんな社長だったから私たちはついてくって決めたんだ」

「寧ろアレよ、中途半端にポイ投げした社長に恩を仇で返そうぜ的なスタンスでアニメ完成させて驚かせようぜ! 絶対、絶対帰ってくるんだから…なぁ!?」

「そうそう! 帰ってくる…帰ってくるんだから…ぅ、ぅあぅ…」

「馬鹿、泣くな。せめて原稿濡らさないところで泣け…ああ、クソ」

 

 ──思うところは、あった。

 何してくれたんだと。何やらかしたんだと。迷惑かけて。無責任に放り出して。世間のバッシングが予想できなかったのかと。ふざけるなと。最初は、社員全員が最もで当たり前な憤りを感じていた。

 

 でも、社員たちは知っている。

 

 誰よりもこのプロジェクトに情熱を注ぎ、誰よりも社員の安否を気遣う社長(ユカリ)のことを。

 で、あるならば。

 仕方なかったと。

 しょうがなかったと、諦めるしかない。

 社長(ユカリ)だって悪魔である以前に人間だ。ミスは犯すし、避けられない困難に直面することもある。仮に最善を尽くしたとしてもどうにもならないことがあるのは、ニューヨークでの惨事で皆が学んだ教訓だった。

 

 もし。

 もし、こんなミスを社員がしでかしていたら。社長(ユカリ)はどうしていただろうか。

 きっと、いつもみたいに少し困った顔をして窘めていたに違いない。そして、その失態を補填すべく奔走していたに違いない。

 

 で、あるならば。

 

「私たちが、社長の帰りを信じなくてどうするんだ! 私たちが、社長の意思を継がなくてどうするんだ! そうだろ!?」

 

 妄信ではない。崇拝ではない。信仰でもない。狂信でもない。

 これは、純粋な信頼だ。

 社長と社員という、極めて事務的で無機質な関係性から生まれた信頼だ。ユカリ・アマツという人格をよく識る社員たちだからこそ至った確信であり、それが自分たちの為すべきこと。

 自分たちを救い上げてくれた恩人への、せめてもの恩返し。

 資金が尽きるのがいつかは分からないように、ユカリの帰還がいつかもわからない。どちらも不確定要素。

 

 ならば簡単。資金が尽きるよりも早く、ユカリの帰還よりも速く映画を完成させてしまえばいい。

 

「途中でほっぽりだした社長に、一泡吹かせてやろう! アッと驚かせて、社長の泣き顔拝ませて貰おうぜ!」

 

「「「オォ───!!!」」」

 

「お前たち…」

 

 社員たちの熱気は、ベックの予想を遥かに凌駕するものだった。

 怒りや憤り、悲しみを押し殺すことなく、それらを作品の製作という原動力に繋げる。

 

 

 この世界で最もユカリ──レイニーと接してきた人々だからこそ、唯一悪意(レイニー)()バイパス(コールソン)が不在になっても悪性に傾かない、稀有な存在になったのである。

 

 

「ああ、本当に馬鹿で愚かだなお前たちは」

 

 でもな、と続けて。

 

「私はお前たちよりも大馬鹿だ! よしわかった、最短最速で、最高の映画にできる筋道(プラン)を立ててやる! この作品への情熱が、この会社で誰よりもあるということを証明してやる!」

 

 ベンディ・アニメーション・プロジェクトは、(ホワイト)のままではいられない。

 かといって(ブラック)に浸る訳でもなく、限りなく黒に近い(グレー)に染まる形で、誰一人として欠けることなく活動は継続されることとなった。

 

 

 

 

 

 Chapter 120

 

 

 

「……オイ、マスコミ多過ぎて近寄れねぇぞどうする?」

 

「しょーがねーだろアレが()()だってことは一目瞭然なんだから、俺ら以外の連中も気付くのは無理ねぇって」

 

「だがどうする、いくらエニシ様のご息女の要請とはいえ我々HYDRAの残党を集めたところで」

 

「イイヤ、あの会社は資金繰り以外に兵器開発に着手してたらしいぜ。なんでも宇宙船開発の有名な企業と提携してたらしいけど、裏じゃニューヨークで宇宙人共が落としてった例の兵器を回収してたとか」

 

「なるほどな、今回の合図はその武器の受け渡しと今後のプランの告知、という線もあるか」

 

 マスコミが蠢くビルがギリギリ見える位置に構えたレストランにいた男たちは、注文したスパゲティやステーキに舌鼓を打ちながら声を潜ませて話し合っていた。

 見た目だけなら国籍も出身もバラバラそうにみえるアンバランスな彼らだが、彼らなりに服装や付け髭などの変装で誤魔化し、今のニューヨークに馴染み、他人からの印象を薄めるような恰好に様変わりしている。これらも、エニシ・アマツが残した遺産の一つ。

 会話内容からわかる通り、彼らは世界各地に散らばっていたHYDRAの残党である。S.H.I.E.L.D.崩壊と同時にHYDRAも母体を失っており、ソコヴィアで唯一残党の中でも最大勢力を誇っていたバロン・フォン・ストラッカーの組織も瓦解し根無し草同然だった。

 

 しかし、HYDRAの残党は諦めていなかった。忘れていなかった。HYDRAの創設者に名を連ねるエニシ・アマツの一人娘、ユカリ・アマツの存在を。

 

 暫くアベンジャーズという組織を隠れ蓑としていたが、ついに行動を起こした。

 国際会議のテロ。バッキー・バーンズの暴走。空港の破壊。そしてアベンジャーズという組織の崩壊。

 この一報が世界中を駆け巡り、HYDRAの残党はやはり、と感付いた。

 

 やはり、ユカリ・アマツは我々(HYDRA)の仲間だと。

 

 そして、これは合図だと。

 アベンジャーズの崩壊こそ失敗に終わったが、それでも致命傷には至った。盛った毒は死に至らしめることは叶わなかったが、服毒には至ったと。

 いまこそ、HYDRAが蜂起する機会だと。

 

 ではどこに集えばいいのか? 組織無き組織を利点とするHYDRAにとっては連絡系統が命綱。だが、情報とは()()()()と伝えるものほど怪しまれる。

 だからこそ。

 

 

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この考えに至ったHYDRAの残党も、流石エニシ・アマツの娘だと感心した。そして事件報道後、次第にベンディ・アニメーション・埔里ジェクトの会社があるニューヨークにHYDRAの残党が集い始めたのである。

 

「……」

 

「イッテェ! おいちょっとアンタ、椅子の背凭れぶつけるんじゃねェよそんなに狭くないだろ」

 

 突然、ステーキを頬張っていた男の背中に衝撃が走った。背中合わせの別の客の椅子がぶつかってしまった。

 

「……どうも、すみません……ハイル・ヒドラ

 

「!」

 

 席を立った背後の客は男に謝る際に耳元に口を寄せて、キーワードを呟いた。

 鼠色のコートに茶色のカバン、ハンチング帽という一見一般人に見える姿の男──否。

 

()()か、なるほどな)

 

 集ったHYDRAの残党の一人が、気付いた。

 コートはボディラインを隠すため。ハンチング帽は比較的に男性が被る印象が強く、なにより目元と髪を隠しやすい。ネクタイこそしていないものの、成人男性並みの高身長を女性とは思うまい。コルセットか何かで固定していても、真正面の、それも首元から覗ける胸元の膨らみは女性であることを示していた。

 そして、男装している珍しい女性がHYDRAの同志の証である合言葉を口にするということは。

 

「おい、さっさといくぞ。あーウェイター、金はここに置いていく。余りはチップだ。ホラ行くぞ」

 

「おっおう」

 

「へへへ、やっぱお嬢はすげぇ! よくこんなバレないやり方思いつくよな!」

 

「おいお嬢ってなんだお嬢って」

 

「へへっ、だってあのエニシ様のお嬢さんなんだろ? だったらお嬢でいいじゃねぇか。これからの俺たちのカシラになってくれるわけだしよ!」

 

「あまり御方の名前を出すな。だが…お嬢、か。まぁ名前を隠して呼ぶなら悪くはないか」

 

 レストランから出た男たちは、件の男装女性の後を追う。それも、周囲の人間にはストーキング行為だと気付かれないようにある程度距離を開けて。

 もし、距離を空け過ぎても女性が立ち止まらなかった場合は無関係者と切り捨てられる。だが、

 

(……立ち止まったな)

 

(ビンゴだ。アイツについていこう)

 

 信号機の関係で立ち止まった男たちから離れた女性は、ふと周りの景色を見るために立ち止まったような仕草を見せて男たちに目配せする。このサインで、推測は確信に変わった。彼女はユカリに指示された駒の一人であると。

 

 つかず離れず一定の距離を保って追跡を続けると、ニューヨークでも人通りが少ない裏路地へと女性は進んでいった。男たちも後に続く。人の気配はない。

 

「なるほど、ここはカメラも少ない。うってつけの場所だな」

 

「お嬢はやっぱすげぇや」

 

 男の一人は和気藹々とユカリの思慮深さを褒め称える。

 しかし、裏路地を突き進んだところで女性が立ち止まってした。突き当り、袋小路だ。

 

「……おい、道案内はここまでか?」

 

「ええ、ここまで」

 

 先程の邂逅では気付かなかったが、男たちの耳にやけに聞き覚えのあるような女性の声が滑り込んだ。

 瞬間。

 

「えっ…!?」「なっ、おいっ!!」「か、身体が…!」

 

 ()()()()()が男たちの全身に纏わりつき、身動きが完全に封じられた。

 人外の力。それは分かる。だが何故このタイミングで拘束を? そんなことは決まってる。

 目の前の女は、HYDRAの一員ではなかった。

 

「おいッ! その声! まさかお前…!」

 

「ご推察の通り」

 

 ハンチング帽が乱暴に投げ捨てられる。帽子に収まっていた金糸が空中を踊り、男装していた女の素顔が明らかになった。

 赤い念動力を手繰る魔女。

 アベンジャーズの一人。

 

「スカーレット・ウィッチ……!」

 

「うッ…クソ、ッタレ……」

 

「マジかよ…アグッ、ぐぅ……」

 

 ワンダの手がギュ、と拳を作るように固められる。その動きに合わせるように、男たちを拘束していた念動力の締め付けがより強力なものとなり、気絶させるに至った。

 念動力を解き、それでも地に伏した男たちが動かない様子を確認したワンダは合図を送る。

 

「ご協力、ありがとうございます」

 

「あとは任せたわ」

 

 人気のない裏路地、何もない空間から防弾チョッキを羽織ったエージェントたちがぞろぞろと姿を現した。ステルス迷彩によって巧みに姿を隠し、潜伏していた対テロ対策チームのメンバーである。全員顔面を保護し覆うようなヘルメットを装着しているため、一人一人の素顔は分からない。個を捨て、集団として活動する上では都合がいいのだ。

 

「あとは我々で」

 

「そうして。報告書は基地で書いたものを送っておくわ」

 

「……そうですか」

 

 事務管理上、作戦結果の報告書を書くのであれば対テロ対策本部である方が都合がいい。だがワンダは頑なにアベンジャーズ基地以外への帰還を好まなかった。融通が利かないともいうが、ワンダなりのポリシーでもある。

 話しかけたエージェント──シャロン・カーターは、ヘルメットの中で残念そうに顔を歪めていた。

 

「……わかりました。基地までの経路はこちらで確保していますので、どうぞ」

 

「……どうも。悪いわね」

 

 やや含みを持たせた謝罪は、ワンダなりの気遣いというものだ。

 対テロ対策チームのエージェントと別れを告げ、投げてフェンスに引っかかったハンチング帽を再び被ると路地裏を出た。大通りには無数の人々が往来していて、いつも通りの何の変哲もない普通の様子。

 

 

 その普通が、誰の犠牲で成り立っているのかも知らず、我が物顔で。

 

 

(……いけない)

 

 つい力が暴走しそうになって、己の内に巣食う感情を鎮める。

 

(こんな考え、義姉さんは望んじゃいない)

 

 誰かの犠牲で成り立っているのがこの世界の日常だ。人とは犠牲無くしては生を謳歌できない獣。その犠牲の環の中に、レイニーも入ってしまったと何度も言い聞かせ、吐き捨てたい罵倒も努責もすべて飲み込む。

 

 幸福な人々を妬むのではなく。

 それが守るべき世界の姿と、言い聞かせて。

 

 

 

 

 






 彼女がいなくなった世界 了




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契約の矮星は堕つ



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 Chapter 120 → 116 → 111.5

 

 

 

「タイム・ストーンの見る未来を『X"』と仮定します。今私たちがいる現在を『A'』、過去を『A』とすれば、このXに入るものはなんでしょうか?」

 

 ネパール カマー・タージ

 

 日が昇り切って光が降り注ぐ炎天下、とはいえ文字にするほど暑さを感じなくなったスティーブン・ストレンジとブルース・バナーは、呼び付けられた師エンシェント・ワンの謎かけに首を捻った。

 理論(ロジック)の話ですからね、とエンシェント・ワンは続けて、空中に煙で文字を描く。さも、何もない空間こそが万能のメモ帳であると示すように。

 

 

  過去『A』 → 現在『A'』 → 未来『X"』

 

  『X』 = ?

 

 

 「'」の起源は、古い。

 apostrophe(アポストロフィー)を、この世界で最も親しまれた英語で扱うならば、省略という意味合いが強い。

 I amであればI'm、you areであればyou're。変わったところでは古英語es(所有格語尾)に由来する's(所有接語)もある。

 他にもドイツ語、フランス語等でも同様に省略の意味合いで用いられるが、今回エンシェント・ワンが用いるのは別の意味合いだ。

 

「……ええーと、その「'」と「"」はprime(プライム)…つまり、僕たちに合わせて表現してくれてるんですよね? 物理学としての」

 

「…あぁー、なるほど。ベクトル計算とかでよく使った(x,y,z)(x',y',z')とか、(a,b,c)(a',b',c')とかのアレか」

 

「そうそうアレアレ」

 

 バナー、ストレンジ両名も現代科学に精通する共通点があることから飲み込みと理解は速かった。最も、これから説明することをより分かりやすく、そして速く理解し納得してもらうためのエンシェント・ワンの配慮とも言えるが。

 「'」とは、主に相対性を示す際に用いられるものである。今回の場合、既存の使い方に準えて同等の属性、或いは他の存在との関係性を保ったまま生じた変化を表現する上で用いている。

 

「そんなの、字面からして『A』なんじゃないか? タイポグリセミアよろしく最初と最後が出てるわけじゃないが、過去『A』からきて現在『A'』なら、未来が『A"』でないのはおかしいだろう。急に『D』だの『J』だの『M』だの出てきたらアインシュタインもビックリだろうさ」

 

 不遜に答えるストレンジは伸びた髭を掻きながら吐き捨てた。若干態度面はよくない。

 

 

 例えば、『およはう』と書かれているのに『おはよう』と読んだり。

 

 『リニェアール』と書かれているのに『リニューアル』と読んだり。

 

 『トイレツマル』と書かれているのに『イトフシムラ』と読んだり。(違う)

 

 

 要は、文章内に含まれてる文字を並べ替えても、語頭と語尾がその単語を連想するに足るものであるならば多くの人間はその文章を問題なく読めてしまうという変わった現象のことだ。

 言葉通りに()()()()()ならば、前後の文字から法則性(ルール)を発見し、法則性(ルール)を応用して答えを導き出す人間の視覚に基づいた理論(ロジック)とも言えるだろう。

 

 今回の場合は最初の『A』と途中の『A'』まで判明されてるが最後の『X"』が『A"』でないことがネックだ。しかし、ストレンジが言っていることはもっともで、文章内に『A』以外の要素が存在しないのに『A』以外に当てはまる文字を答えろという方が無理な話である。

 当然、そこまで理不尽な無理難題を押し付ける師ではなく。

 笑顔で、弟子をヒマラヤに置いて行くレベルの試練を与える師ではある。

 

 いや、この師スパルタにかこつけて割と無理難題を押し付けたりはするが

 

「その通り、過去『A』という前提を踏まえた上で進んだ現在『A'』という時間軸仮称『A』であるならば、この『X』に当てはまる文字は『A』つまり未来『A"』という表記で問題ありません……ええ、理論的に、極めて現実的に考えれば導き出される当然の解答です。

 

 ですが悲しいことに、()()()()()()()()()()()()()()()()()でもあります。

 

 この仮定未来『X'』というのは扱いが難しいもので、例えば『B』という過去を始めとして生まれた『B'』という次元であった場合はこの『X』が『B』になりますね?」

 

「何が言いたいんですかつまらない問答ですか? なら修行に戻らせてもらいますよ。まだ読んでない本あるんで」

 

「ああっ待ちなよストレンジ、もうちょっと師の話しを聞こうじゃないか。どうせスリング・リングの転移で目の前に戻されるんだしさ」

 

「…クソッ」

 

(なんでこんなに悪態つかれてるんでしょう)

 

 身から出た錆、とは気付いていない。

 エンシェント・ワンはハァとため息をつき、

 

「現実に思いつく要素だけで結論を急ぐのは貴方の悪い癖ですよミスター・ストレンジ。

 …先に述べたように、私たちが『A』と認識している過去が『A』でなかった場合、この前提は成り立たないということです。私たちは時間の流れを外から眺める観測者ではなく、その時間の流れに囚われた存在に過ぎない。対岸の獣は川の流れを草の中から覗くことはできても、川に流されている木の葉が川の流れを見ることはできないでしょう?

 同様に、如何に『A"』に見える過去『A』、現在『A'』を辿ってきたからと言って、『X = A』という方程式が成立するとは限らないのです」

 

「…ええと、つまり、そのタイム・ストーンは未来を見通すことはできても、この次元における未来とは限らない、ということですか?」

 

「そうなります…いえ、そうなのかもしれません」

 

「オイオイいきなり呼び付けといて特別講義じゃないのかよ時間返せ。こういうことわざ知ってるか? 『Time() is() Money(金なり)』ああ、でも『Money(金は) is the(諸悪) root() of all evil(根源)』だっけ。あとこんなジョークもあったか、『Girls(女は) require(時間と) time(金が) and Money(かかる)』」

 

「………ってそれオイっ、師匠に言っちゃダメだろストレンジッ!!」

 

「なんだなんだバナーくん私の言ったことわざで()()()()()()()()()???」

 

 

 Girls(女は) require(時間と) time(金が) and Money(かかる)

 ①Girl = Time × Money

 

 Time() is() Money(金なり)

 ②Time = Money

 

 Money(金は) is the(諸悪) root() of all evil(根源)

 ③Money = √(Evil)

 

 ①②③より、Girl() = √(Evil) × √(Evil) = Evil()

 

 

「………ニッコリ」

 

 す…とエンシェント・ワンの嫋やかな手が横凪に振るわれ、トンとストレンジの頭部を直撃する。瞬間、ボンとストレンジの身体からアストラル体が飛び出て、現実のストレンジの身体が死体の如く地面に突っ伏した。

 ロクに受け身も取らずに。顔面から。盛大に鼻血の華が咲く。

 

「ウァアアアアアアアア!? わ、私の顔がぁあああああああ!?」

 

「ストレンジー!? だ、だから言ったじゃあないか、師匠に失礼なこと言っちゃダメだって、このやり取り何回目なんだよ! もうキミ、アストラル体でいる時間の方が長くなってるんじゃないか?」

 

「そんなことになってたら私の身体は死んでるだろうが!! オイ! 悪ふざけもいい加減にして早く私を元に」

 

「ニッコリ」

 

「あ、ハイ…す、す…クソッタレめ今に見てろすみませんでした…」

 

「…心の声駄々洩れですが、まぁいいでしょう」

 

 (少なくともバナーの前では)既にこのやり取りまでがデフォと勘違いするくらいのタネなし幽体離脱芸も程々に、珍しく(いつも通り)しかめっ面をほんの少し緩ませたエンシェント・ワンはストレンジの魂を手繰り寄せて元の身体に戻す。まるで痙攣でも起きたように全身をビクンと震わせたストレンジの身体は、在るべき魂を取り戻せたおかげで依然変わりなく動けるようになった。ただし、若干痛む鼻柱から真っ赤な鼻血を流して。

 身体を取り戻して早々エンシェント・ワンに報復しかけようと突っ走るストレンジをバナーがどうどうとあやして羽交い絞めにする中、そんな光景も気に留めずエンシェント・ワンは首に掛けたアガモットの目を手に取った。

 

「いままでタイム・ストーンが見てきた未来は、私自身の力で変動する余地のある、不確定ではあれど辿る可能性の高い未来だと思っていました。だから私もストーンで見た未来を予測して危険を回避し、こうして五体満足で生きてます。ですが……最近見る未来は、本当にこの世界における未来なのかと、疑問に思うのです」

 

「…それは、見た未来が荒唐無稽すぎてありえないとか、そういう?」

 

「そうとも言えますね。実際、このストーンで見たある未来では、()()()()()()()()()()()()()()

 

「「………は?」」

 

 ピタリと。

 思わず、下克上上等で反逆の翼を翻そうと目論んでいたストレンジ、そしてストレンジを抑えていたバナーも時が止まったように体の動きを止めた。

 あまりのショックで、ただ唖然という様子を、喉から呆けた声を出すことでしか示せなかった。

 

「その件に関しては、先日お会いしたアスガルドの王との話で確証を得ています」

 

「あの、眼帯の爺さんが?」

 

「彼の名はオーディン。アベンジャーズの雷神ソーの父にしてアスガルドを治める王です。なんの因果か知りませんが、不義の息子に追放されてこちらを彷徨っていたところを、愚弟子に保護されたものですから…話が逸れましたね」

 

「今はノルウェーに行ってましたっけ。簡単に家も作ってやったら大層喜んで引きこもってましたね、ひとりぼっちの老人ホームかっての。いいご身分だ」

 

「ええ。かの王も同様に、私が以前タイム・ストーンで見ていたものとほぼ同じ未来を見ていました。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──とも」

 

「…その未来って、どんな未来なんですか?」

 

「この地球全土がインクに飲まれ、やがて悪魔と化す未来です」

 

「……トニー?」

 

「何? あの成金ヒーローがどうした」

 

「成金ヒーローって…コホン、あー…僕達の仲間のトニーなんだが、以前ロキの杖、マインド・ストーンに触れた時にある未来を見たと言ってたんです。酒の席で酔った弾みに聞いただけなんですが…」

 

「ほう、どんな?」

 

「ええと、まずボロボロになった僕たちがいて、レイニーがひどい拷問を受けたみたいになってて、胸から何かが内側から喰い破ったみたいな、そんなヒドイ光景らしくって…地球が真っ黒に染まってそこから悪魔の腕が…こう、グワーッて宇宙に手を伸ばしてるんだそうだ」

 

「なんだそりゃ」

 

「………」

 

 ストレンジは何が何だかサッパリ、という風に首を傾げるが。

 エンシェント・ワンだけは、その話に対し腕を組み、眉根を寄せて考え込んだ。心当たりが、有り過ぎた。

 

「……地球がインクに飲まれ、宇宙の星々を喰らう悪魔と化すところまで同じですね。残念ながら私はそれ以上の未来を観測することができませんでしたが、かの王は次々と銀河から星の輝きが潰え、アスガルドにまで手を伸ばしていた光景を視たと」

 

「するとつまり、あのベンディが暴走して地球を飲み込むってか?……ま、あり得なくはないがな」

 

「馬鹿言わないでくれ、あのレイニーだぞ? アベンジャーズのデビルヒーローの彼女がそんな凶行に走るなんて、想像もつかないよ。しかし…そのタイム・ストーンで見た未来では、ソーのお父さんからすれば既に訪れたはずの未来。だけど……現に地球は存在してるし、インクに飲まれてもいない。これが、不確定な未来が変動したっていう確たる証拠なんじゃないか?」

 

「多少ズレただけだろ。確定した未来じゃないにしろ1、2年くらいはズレるだろうさ」

 

「……そこで、先程の話です。もし、もしこの次元が仮称『A』だとして、私やオーディン、そしてトニー・スタークが見た未来は『A"』ではなく、他の次元において訪れてしまった未来『X"』なのではないかと」

 

 つまり、『 A → A' → A" 』ではなく。

 

 『 A → A' → ?

   ? → ?' → X" (3人が見た未来)』

 

 なのではないかと。

 

「…その、タイムストーンとやらは、そんな漠然とした未来しか見えないのか?」

 

「……もしかしたら」

 

 恐らく時間的魔術において、この地球は愚か全宇宙でさえも最も精通しているであろうエンシェント・ワンも、タイム・ストーンが見せた未来の光景、その正体に、手が届きかける。

 

「もしかしたら、私たちが見た未来が『A"』だとして。この世界は、『A'』などではなく『B』……いや、もっと先の───」

 

 

ピキッ

 

 

「ッ拙い」

 

「ンッ!?」「なんだ? 雲? 急に暗く」

 

「ストレンジ、至急ウォンとマスター・ハミヤ、カエシリウスに連絡を!」

 

「お、おいおいどうしたんですかいきなり」

 

「時間がありません。彼女が…彼女が、レイニー・コールソンの反応が途絶えてしまった! 契約が為されてしまう、奴が来る!」

 

「奴って、」

 

「ドルマムゥです!」

 

 分厚い雲が──生じたわけではない。

 太陽が消えた──わけでもない。

 ただ、金属音が割れたような音に連なって。

 カマ―・タージに暗闇が立ち込めていた。

 

 影がない。当然だ、光がないのだから。

 闇しかない。境界もあやふやで、常人であれば自我も保てず精神崩壊してしまうであろう、暗黒。

 正真正銘、暗黒(ダーク)次元(ディメンション)の支配者による侵攻だった。

 

「ドルマムゥって、サンクタムがあればこっち来れないんじゃなかったのか!?」

 

「いいえ、ドルマムゥは数年前、サンクタムが健在であるにも関わらずこちらに侵出しました。数年前に我が弟子にカエシリウスを唆し、闇の魔術を通じて、両の(まなこ)を代償に奴を降臨させてしまった」

 

「ええっ!?」

 

「…そうか、そういえばアイツ、代償で視力を失ったとか言ってたな! てっきり砂利が目に入って失明したのかと思ったが!」

 

「ですが、その時居合わせた──いえ、実際に彼を唆したのは彼女かもしれませんが──1人の少女が、不遜にもドルマムゥと契約を取り交わし、奇跡的にドルマムゥの地球への侵出を阻止しました」

 

「1人の少女って、まさか」

 

「ええ」

 

 エンシェント・ワンは、以前レイニーに授けたお守りと全く同じデザインの、ただし白羽の飾りではなく黒羽の飾りを付けたアクセサリーを、懐から取り出した。

 蓋を開くと、玉鋼のような白銀の鏡に無数の亀裂が走っていた。

 

 

「レイニー・コールソン。宇宙の化外を総べる邪悪、混沌(カオス)次元(ディメンション)の覇者、混沌神シュマゴラスの触覚、起源(インク)の悪魔──ベンディに呪われ、取り憑かれた少女です」

 

 

《笑止》

 

 

「!?」「な、今の声どこからっ」

「全方位警戒!」

 

 空間を駆け巡る鈍色の声。一歩でも踏み出せば元の場所には戻れない、そう確信させる暗闇の瘴気のなかで、エンシェント・ワンらは互いに背中を預けて円陣を組み、全方位に索敵を張り巡らす。

 しかし──この瘴気は()()エンシェント・ワンたちをも飲み込む勢いで充満したが、一体どこから沸いたのだろうか。発生地点は? 規模は? 人々の悲鳴は?

 もし暗黒次元からの侵出を察知しようものなら、たとえ地球の裏側で出現したとしてもエンシェント・ワンであれば容易に転移し現界を防げたことだろう。現に、エンシェント・ワンは事前にドルマムゥの気配を察知できなかった。

 では、何故。

 

 

《我らが主君の名を軽々しく口にするとは…》

 

 

「まさか……」

 

 

《不敬!》

 

 

 声はすぐ、自分(エンシェント・ワン)の首から。

 苦しみ悶えるエンシェント・ワンの額に、闇の魔術の紋様が黒く、濃く輝く。カラクリに気付き、自害によってドルマムゥの侵出を阻止しようと喉元に爪を突き立てるも、瘴気の噴出は止まらない。

 

 答えは、明白。

 ドルマムゥの侵出場所は、エンシェント・ワンという人間そのものだった。

 

「師匠!?」

 

「な、なんで彼女の身体から瘴気が…!」

 

「遅かったか!」

 

「カエシリウス!?」

 

「いいから結界を張れ! 完全にこっちの次元に来たらそれこそ地球は終わるぞ!!」

 

 両目に布を巻いた男、カエシリウスは少なくない同志を引き連れて既にエンシェント・ワンを中心に結界を形成していた。結界を形成しながら走ってきたのか結界の向こう側はまだ瘴気が立ち込めていない。

 

 距離に、騙されていた。

 ドルマムゥという強大な力の化身というイメージに、囚われていた。

 

 レイニーの死を契機に暗黒は訪れ、既に世界はドルマムゥの手に落ちたと、錯覚してしまった。エンシェント・ワンと、ストレンジと、バナーは、少なくともその最悪を予期し、それが『今』だと勘違いしてしまった。

 決してそれは真実ではなく。

 しかし、このままではその未来が現実に訪れる。

 

「どうなってる、何故彼女の身体からドルマムゥが出てくるんだ!」

 

「…奴は、闇の魔法を行使する者を門代わりにしてこっちの世界へ侵出する! 俺の時と同じだ! 師も、あれ以来延命の邪法は極力使わないようにしてた筈だが…なるほど、過去に背負った業からは逃げられないということか!」

 

「それってアレか、喫煙者は煙草辞めても肺は真っ黒のままとか、そういう!?」

 

「まァ、そういう解釈でいい! ところでその鼻大丈夫か! 奴にやられたのか!?」

 

「………そういうことにしとけ!」

 

「ま、待て待て! 師は闇の魔法を使っていたのか!? なんかスッゴクヤバいからやめなさいって言われてたけど!? 本人から!」

 

「よくよく考えてみろ、ケルトが神話になる以前からの存命だぞ! それこそ邪法でも使わねば長生きの説明がつかんだろう…イヤ、今はそんな話をしている場合ではなかったな!」

 

 

《ハハハハハ! 契約は為された! 我が主君の目は潰えた、杯を戴く者は消え去った! さぁ次は私がこの星を喰らってやろう…!》

 

 

 目の前の脅威(人類悪)は、高らかに哄笑する。

 気絶したエンシェント・ワンを人形にように弄び、カエシリウス一派による干渉をものともせず、その強大なる力を地球に現界させる。

 

 

カェシリューシュ(カエシリウス)は、さ」

 

 

(……私は)

 

 

「こんな世界、なくなっちゃえって、思う?

 大切な人がいなくなった世界に、もう未練はないって思う?」

 

 

(私は、この時の為に生かされたのか)

 

 

「わたしは、いやだなぁ

 とおくに残した大切な人に、そうおもわれたくないなぁ」

 

 

 失われた眼が、ズキズキと痛む。

 失明よりも昏い暗闇が迫る中で、カエシリウスは記憶の中の幼子の呟きを、その言葉を反芻していた。

 家族に先立たれた遺族の気持ちはわかる。かつてカエシリウスもそうだった。

 だが、()()()()()()()()死者の気持ちは分からなかった。若く、己の絶望に囚われていたカエシリウスは、先に死んでしまった死者の思いを、理解していなかった。

 

 

 

 

 

 ──And(そして、) then there were none(だれもいなくなった)

 

 

 

 

 






 彼女は悪魔と契約した 了



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雪花に悪魔は詠う




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 Chapter 120 → 109 → 98.5

 

 

 

「ッハァ! ハァッ…! わ、私の、勝ちだ…!」

 

「ハァ…ハァ…ァ、アァ……もう、いい。負けだ、俺の、負け…」

 

 天高く拳を突き上げる勝者(ティ・チャラ)と、勝者の前で倒れ大の字になって天を仰ぐ敗者(キルモンガー)

 全身に流れる汗は血の混じって異様な臭気を放ち。扱われた武器の木片は無数に散らばり。幾度となく振るわれた拳は皮を突き破って骨が擦り減り。

 とても、立った二人の人間が産み出したとは思えない戦闘の跡が、そこには広がっていた。

 それでも。

 それでも。

 

「しょ、勝者……ティ・チャラ! ティ・チャラ王子!」

 

 瞼に隈ができるほど衰弱していたズリが放った号令の後に、遠巻きに、固唾をのんで見守っていたワカンダの国民たちが一斉に沸き立った。

 五回の太陽が昇り同じ数だけ月も昇った。それでも正統な王位継承権を有するティ・チャラとキルモンガーは戦い続け、国民も寸暇を惜しみ睡魔に抗って見守っていた。

 次期国王を、ワカンダの次なる支配者を決める神聖な決闘を、その行く末を。国の未来を担うに足る勝者であるか、見極めるために。

 

「兄さん! 早く止血を、治療室に」

 

「イヤ、まだいい。それにもう血は固まってる」

 

「でも!」

 

 沸き立つ国民の集団から飛び出たのはティ・チャラの実の妹であり皇女としての血を持つシュリだ。キルモンガーとの戦闘では全身に大なり小なり怪我を負っているが、一番派手に見えるのは左顔面の引っ掻き傷だ。

 ──四度目の太陽がワカンダの地平線に現れたとき。そのタイミングを狙って立ち位置を調整し、目晦ましに利用したキルモンガーによる決死の一撃だった。

 だがそれでも、左の視界を失ったとしても、ティ・チャラは膝をつかなかった。負けなかった。キルモンガーに、打ち勝った。

 

(親父が…美しいと言ってたワカンダの夜明け。それに背を向けてまで戦っといてこのザマか…)

 

 決して自分に向けられていない歓声が木霊する中、立ち上がる気力すらも失ったキルモンガーは自嘲気味に笑った。

 

 万感、ではない。

 本当ならば、ワカンダの庇護下で愛でられた憎き王子を討ち果たして、ワカンダを我がものにしてめちゃくちゃに壊すつもりだったはずなのに。

 対等の決闘に臨んだはずなのに。

 その野望を、何一つ果たせずして朽ちる。それは正しく、敗者としての惨めったらしい最後だと。

 祖国を裏切って殺された父を持つ子として、相応しい最後だと、納得してしまった。

 

「……殺せ」

 

「ああ、そうする」

 

「兄さん?」

 

 シュリに簡易キットで手当てをしてもらっていたティ・チャラはキルモンガーの申し出を受け入れ、四肢を投げ出して倒れるキルモンガーの肩を担いで立たせた。

 

「オイ、何する気だ、滝にでも落とすか?」

 

「アアッ…結構、重いな。そうしてやりたいのは山々だがな、その前にやりたいことがある」

 

 5日間無休での決闘という無謀な挑戦の対価は大きい。如何にワカンダの医療技術が優れているとはいえど、二人の身体に蓄積された負傷と疲労を取り除くことはすぐには無理だろう。

 だがそれでも、ティ・チャラは()()()()()()()()()()()()、王としての役割を果たすために、キルモンガーを支えながら歓声と称賛の声を上げる民衆の前に立った。

 

「みんな! 5日5晩も続いたこのワカンダの王を決める決闘をよく見てくれた! 本当にありがとう!」

 

 ティ・チャラの声は遍くすべての国民への惜しみない感謝として届く。国民も、その感謝と王に任命された祝辞の意として拍手を送った。

 

「聞いてくれ! 私はいま、この瞬間! 王になった! これからの人生をワカンダの国益と繁栄の為に捧げることを誓う! だがそのために……我が国の体制を変えることを、此処に宣言する!

 ワカンダは、これから世界との対話を、開国を宣言する! 民も不安に思うことは多いだろう。恐らく、ワカンダ史上最大の困難が襲うだろう!

 そのために! 私の補佐として新たに副王を設け、権利を分譲する!」

 

「……は?」

 

「え」

 

「な…何をッ!? おっしゃってるのですかッッ!?」

 

「………」

 

 キルモンガーとシュリは疑問の声を、ズリは目玉を向いて悲鳴を、ティ・チャカ()国王は黙って新国王を見つめ、国民は拍手の音から困惑と騒めきの喧騒に変わった。

 

「我が妹シュリと! ……皆も刮目したはずだ、この私を追い詰め、戦い続けた戦士を。キルモンガー…いや、ウンジャダカを副王に任命することを宣言する! 分権配分は私が2、2人にはそれぞれ1ずつ、主に開発と軍部を任せることになる! これが私の、国王としての最初の仕事だ!」

 

「…ティ・チャラよ。世迷いごとを、口にしているのではあるまいな」

 

 国民への堂々たる宣言に、1人、意を唱える者がいた。ティ・チャカである。

 国王としての席を退いたとはいえ、まだ表向きには国王であるティ・チャカ。戦士としての力は既に失われたとはいえ、5日間の決闘を見守り、国の趨勢と未来を垣間見た王としての姿は健在だ。

 そして同時に危惧した。古より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、国王としての最後の威光に対し、新たな国王たるティ・チャラは真っ向から向き合った。

 シュリと。

 ウンジャダカを隣に。

 

「父上、世界はいまも変わっています。ならば我々ワカンダも変わらねばなりません。そのための必要な措置であると、私は考えてます。王の言いたいことはわかってます、権利を分配してしまった国に未来はない…そうお思いでしょう。

 ですが、このワカンダの国は強い。副王の設置、かつて国を崩壊させたる災厄を乗り越えせずしてこれからの未来を生き抜くことができましょうか? 凡百の国が犯してきた過ちと破滅の運命を乗り越えたとき、我が国は何者にも揺らぐことのない栄えある未来を手にすることが出来ましょう。なにより……」

 

 ティ・チャラは漸く息を整えて、笑う膝を抑えて国王を前に堂々と立つウンジャダカを見て、微笑んだ。

 

「彼は私より外界に詳しい。それに私に口出しできる人間は、傀儡人(イエスマン)ではないほうが有難い」

 

「オイ勝手に話進めるなよ、副王だって? お断りだね」

 

「お前はさっき「殺せ」と。そう言ったな。ならばお前の命は私のものだ。私の勝手だ。お前が捨てたお前の命を私がどう扱おうが私の勝手だ、違うか?」

 

「……ハッ、落とし物を拾うとは、何とも小汚い王だことで。器が知れるぞ」

 

「王座奪還を虎視眈々と狙う男を副王の座に据える王の器など図れるものか。それに、お前はここで死ぬには惜しい。お前の父が愛したワカンダを、私も守りたい。力を貸してくれ」

 

 それは、嘘偽りのない嘆願だった。願いだった。

 表向き、あくまでも国益を損なわないための措置として副王を設ける、ということは間違いではないだろう。現に、一極集中した権力を振りかざす国王は清純で真っ当なワカンダ国の()()王でなければならない。だからこそ、血を見るような決闘が風習として現代も続いている。

 

 ティ・チャラは、知った。

 ウンジャダカの離別を、孤独を。

 キルモンガーの思惑を、野望を。

 それでも、だからこそ。

 

「お前の父上はもういない。だが、ここはお前の父上が生まれ、育った国であり、故郷でもある。私はワカンダの国王として全力を尽くすことを誓う。だがそのためには、お前の力が必要なんだ。

 頼む、お前の父上の愛した故郷を守るために、」

 

「──ああ、クソ」

 

 ウンジャダカはイラついたようにティ・チャラの肩を突き飛ばす。それは嫌悪感でもあり、同時に「コイツにこれ以上支えられる自分がみっともない」というつまらないエゴでもあった。

 だが。

 

(親父が愛した故郷のため…か、「俺の為に働け」と言わないだけマシだな。そういや、連れてこられてすぐ決闘だったし、この国のことなんも見てねぇや…)

 

 ウンジャダカは、手を組んでいたユリシーズ・クロウとヴィブラニウムの強奪計画を立ててる最中に襲撃され、ものの見事に捕縛された。なんの抵抗もできず、迅速に。

 これだけでもワカンダの国力が伺えるものだが、そもそも襲撃されるということ自体おかしかった。

 30年前からずっとワカンダという大国に追われ続けてきたクロウが、ワカンダ国のエージェントの動向を警戒していないはずがない。なのに襲撃され、そして処刑された。

 

 明らかに、クロウが考えていたワカンダとは違う姿に変化──いや、進化しつつある。

 国が、変わろうとしている。開国、それに伴う技術共有。

 ウンジャダカの父ウンジョブは、米国における人種差別、黒人解放運動のためにヴィブラニウムを利用しようとして、罰せられた。殺された。開国をひたすら拒むワカンダという国が持つ、厳格な習わしによって。

 父は、愛した故郷に殺された。

 だが、もう時代は変わり、黒人差別の波も収まりつつある。

 世界は変わり、国も新たな時代を迎えようとしている。であるならば、

 

(……親父だったら、「なんで俺の代わりに国が変わるところを見なかったんだ!?」とか言って、怒りそうだな……悪い、親父。そっち行くのは、この国がどう変わったかを見届けてからにするよ)

 

 貧血で揺らぐ身体を気力で支え、向き合う。

 目の前には、ワカンダという大国に住まう大勢の民衆が、(ウンジャダカ)を見つめていた。

 大勢の人間に見つめられる。王座に君臨する者だけが感じる重圧、そして責任。それらを、体感したような気がした。

 上等だと、ウンジャダカは不敵に笑った。

 

「ウンジョブの息子ウンジャダカ。新国王の命で副王になることになった……アー、スマン、礼儀作法は知らなんだ。細かいところは勘弁してくれ」

 

 それと、と加えて。 

 

「あと、国王を諦めたつもりはないから。そのつもりでな」

 

 最後に国民へ特大級の爆弾を落とし、驚愕したティ・チャラの顔を眺めて良いザマだとせせら笑った。

 そしてフッ、と気が遠のき、後頭部を打ち付ける衝撃と共に意識が途絶えた。失血と疲労だ。

 

 

 

 ───ウィーンにてティ・チャカが命を落とす、3日前の出来事である。

 

 

 

 

 

 Chapter 121

 

 

 

「で? 急に呼び付けて俺に何の用だ?」

 

 故郷とも思えない故郷ワカンダ。

 勝手に連れてこられて勝手に決闘させられて、勝手に副王に座に就かされてから…ざっと一週間ってトコか。俺はキャプテン・アメリカとかブラック・パンサー(クソ王子)とかじゃない、身体機能的にも並みの人間には、あの大決闘の傷も完治してない。気分の問題でな。

 勿論、世界を渡り歩いてきた俺からすればオーテク(オーバーテクノロジィ)とも言えるようなワカンダの医療技術のおかげで怪我は跡形もなく消えてる。ただ、それでもあの大決闘の余韻と疲労は体に溜まったままだ。……まぁ、負けた自分に腹立てて最近トレーニングルームでトレーニングしてるのも問題なんだろうがな。

 

「ウンジャダカ、来てくれ「キルモンガーでいい。こっちの方が聞きなれてるからな」……キルモンガー、来てくれて感謝する。副王であるキミにも、この実験には同席してもらいたかったんだ」

 

 にっくきクソ王子の手を払って部屋に入ると、そこはモニタールームみたいな場所だった。多分、シュリとかいう第一皇女の管轄下だという技術開発部の一室なんだろ。

 部屋には他のワカンダ国民が数名機器にかじりついて計測なりなんなりしてやがる。ヴィブラニウムの兵器開発にだってここまで人員を割いてすることか?

 イヤ、違うな。

 

「……ヒュウ、驚いた。ワカンダの風習には幼気な女を氷漬けにする習わしでもあったのか」

 

 モニタリングしてる部屋に隣接している白亜の部屋。

 ガラスらしきもので遮られた向こう側に、四肢をバラバラにされた全裸の女が氷漬けにされて吊るされてやがった。しかも、左顔面は吹き飛んでて、至る所に黒い無骨な杭が打ち込んであった。ヒデェ有様、おお怖い怖い流石蛮族。

 そういやワカンダにゃジャバリ部族とかいう野蛮な連中も居やがったな。冬山に住んで人間を喰う風習があるゴリラ共。ホワイトゴリラ教とかいうゴリラを神だと崇め称える連中の頭は狂ってやがるな。エムバク、とかいうヤツだったか。ゴリラの子宮から産まれたみてぇなゴリラ顔だったしよ。

 

「そうではない。彼女は……私たちが犯してしまった過ちの一つだ」

 

「ヘェ、俺以外にもいろんな過ちを犯してるんだなワカンダってのは。恥ずかしくないのかね、そんな汚点を隠し続けて、さも清廉潔白な国ですよ、と宣伝して」

 

「貴様」

 

「オオットォ、気に障ったか? 悪いな護衛隊長さん、俺は自分に正直な男でね。思ったことは口に出さずにはいられないのさ」

 

「ならば。そのおしゃべりな舌を削いで差し上げましょうか? 少しは静かになるでしょう」

 

「オコエ。彼は、副王だ。矛を収めなさい」

 

「っ、失礼…しました」

 

 そうそう。部下は王に傅くもんだろ、物騒なモン突き付けずに(こうべ)垂れてりゃいいのよ。

 

「副王?」

 

 おっ……とぉ、こいつは。

 

「オイオイオイ、なんでワカンダに白人が紛れてんだ? 開国のペース速過ぎないか」

 

「……イヤ、僕は別件でこちらに協力してもらっているだけなんだ。自己紹介がまだだった、スティーブ・ロジャースだ」

 

 知ってる。超知ってる。

 というか、キャプテン・アメリカを知らない人間なんているワケないだろ。俺は元々アメリカの工作員の一人だったんだぞ? 知らない訳がないが……ま、一方的に知ってるだけだな。英雄サマが木っ端の工作員の名前なんぞ知ってる訳がないだろうし。

 

「キルモンガーだ、ついこないだ副王になった。よろしく……で? 英雄サマがワカンダに何の用で……あー、もしかして()()の連れか?」

 

 ガラスの向こうの女を指差すと、英雄サマは端正な顔をしかめっ面に歪めやがった。初めて見た、こんな顔もするもんだな。

 ……マジかよ、じゃあ英雄サマの彼女か? キャプテン・アメリカって年下好きだったのか、ムッツリだな。

 

「……彼女はベンディ…いや、レイニー。僕たち、アベンジャーズの大切なメンバーだ」

 

 あぁ…道理で見覚えあると思った。そういやソコヴィアの事件前にニュースになってやがったな。俺たちもまさかあのベンディ(インクの悪魔)の正体が年端もいかない女だってことにはびっくり仰天だった。まぁハルクの正体がヒョロッヒョロの男だったって例もあるが…それでも、まさか成人にも満たない女が正体だったってのは、裏の業界でも相当揺れた。

 

「先日、ラフトの最下層に幽閉されていたところを我々が連れ出した。彼女は、着なくてもいい汚名を着せられただけの被害者だ。だがアメリカ国内で保護しても発見されて連れ戻される可能性があった。ここならば安心だ」

 

「兄さん、始めるよ!」

 

 あいつ(シュリ)の声、子ザルみたいに甲高くてやかましいんだよな。鼓膜に障る。

 

「始めてくれ」

 

「何するつもりなんだ?」

 

「ここの設備を使って彼女を解凍する。そのためのデータ採取として常時モニタリングしているんだ」

 

「そうじゃねぇ」

 

 そうじゃねぇよ。

 俺にはわからんが、ワカンダの過ちの一つらしいことはわかった。

 かの英雄サマ、スティーブ・ロジャースの頼みだということも分かった。

 ベンディっつう特級のヒーローで、冤罪を着せられたカワイソーな奴だってのもわかった。

 だが、それとこれとは違うだろ。

 

「何隠してやがる。諸々事情は把握したが、それでもワカンダがリスクを抱えてまでソイツを保護してやるメリットは無いだろ。それともアレか、「アナタの命を助けたのは我々です。アベンジャーズなんか見捨ててワカンダ国に忠誠を誓いなさい」とでも脅迫するつもりか? ま、相手はあのインクの悪魔だしな。敵対勢力の殲滅には事欠かんだろうが」

 

「……そういう下心も、ない訳じゃない」

 

「陛下?」

 

 おおっと藪蛇か? どうやらそのあたりの事情はかの英雄サマも把握してなかったらしい。つうことは、英雄サマの申し出はクソ王子にとって渡りに船で、あわよくば助けられたらワカンダに囲んじまおうってハラだったってのか。

 

 ……いいねぇ。

 

「なるほどな、中々強かな王子サマじゃねぇか。アイツを助けることが国にとっての利益になるから。ラフトから脱獄させて、指名手配犯を匿うリスクに見合う国益が望めるから保護したって訳か。

 いいじゃねぇか。一国の王らしいスタンス、嫌いじゃないぜ」

 

「彼女を、アベンジャーズから引き離すつもりはない」

 

「別に蘇生した後でアベンジャーズに戻したって構わないさ。だが、果たして彼女が戻った先が安全であると思うか? ソコヴィア協定は確かにアベンジャーズの個人の権利を尊重する条文が書き込まれてるが、彼女に関しては絶対ではない。それに、キミの濡れ衣を着せられた彼女に、アベンジャーズで生きられる可能性は限りなく低いと踏んでる。ならば、亡命者として我が国で保護するほうがまだ彼女の安全は保障できる。違うかキャプテン」

 

「…イヤ……それはっ…」

 

 ……あの英雄サマが、こんな人間らしい苦渋の顔を浮かべるとはな。

 ワシントンでの活躍は記録で見たぜ。どんなに銃弾喰らっても、爆弾が降り注いでも盾を片手にひたすら走った大英雄。それが、高々女一人の話で苦悩して、足を止めるなんてな。

 ……ベンディ。いやレイニーだったか。アイツにゃ、そうさせるほど上玉だってのか?

 おまけにクソ王子もご執心ときてる。()()()()()

 

 

ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 

 うるせぇ! なんだこの警告音!

 

「何事だ!?」

 

「緊急事態発生! ベンディの核と思われる部位に異常加熱を確認! 空間電位急上昇!」

 

「熱産生…? いや、熱吸収? 私たちの放熱装置による加熱を、その方向性を操作してる…? 気流じゃない、まだ氷の半分も解けてないのに!」

 

「どういうことだ!?」

 

「暴走…暴走です! ベンディの核であるインクマシンが、どういうわけか周囲の熱を掻き集めて、加熱を促進させてるんです! このままではヴィブラニウムの融点を超えて炉心融解(メルトダウン)を起こしかねません!」

 

 オイオイオイオイオイ…なんだよ、なんだよコレ。

 オーテク揃いのワカンダが混乱するなんて、そうそう見れるモンじゃねぇぞ。って、のんきに傍観してる場合じゃねぇか。

 アイツが今後のワカンダの国益になりうるってんなら、対策を打たなきゃマズイ。

 

「加熱をやめさせろ! 実験中止、中止にするんだ!」

 

「やってます! ですが…機器が私たちの操作を受け付けてないんです! 無線なのに…電波妨害? イエ、これは…!」

 

()()()()! これは、我々は攻撃を受けてます!」

 

「どこから!? 外部か!?」

 

「いえ、信号は…」

 

「……オイ、モニターをちゃんと見てたのか?」

 

 え、と全員がオレの指摘を聞いてモニターを注視し始めた。

 だが、異変に気付けない。気付けててもおかしくないのにな……イヤ、ちゃんと見てた奴だからこそ気付きにくい、か。最初しか見てない俺みたいな奴なら、多分わかるだろうが。昔のテレビ番組でやってたアハ体験、のようなモンだろうな。

 

「実験開始前の映像記録出せ。モニターのシステムはまだ無事なハズだ、()()()()()()()()()()()()……ホラ、ここ。アイツの腕の一部分。指一本分くらいか? ()()()()()()()()

 

 全員があっ、と驚いてやがった。マジかよ。

 いや、気付いた俺が言うのも何だが、その指一本分のインクだけで、加熱装置の機器系統を掌握したってのも常識じゃ考えられねぇことなんだがな。

 

 そういえば、俺たちがワカンダの連中に捕まる前。

 アジトの一角に、黒い煤っぽいのが、動いてた気がしたんだよな。クロウの野郎は気にすんなとか言ってたが、俺はその煤っぽいものから()()、らしきものを感じた。誰かに見られてる、気がした。俗にいう「イヤな予感」ってやつだ。

 

 ……もしかして、この女は秘密裏にワカンダと協力してたってのか? インク数滴でさえこの影響力。俺たちが見つかったのだって、これぐらいの騒動にまで発展した。

 

 だとしたら。

 だとしたら、インクを、もしインクを熱で粒子状に分解させて、最近みたいに機器に取り付いて支配権を握ることも、できるんじゃないか?

 

「ッッ、インクマシンの炉心温度、500℃を突破! 室内温度尚も上昇中!」

 

「ガラスは!?」

 

「大丈夫です! この部屋はあらゆる温度変化を想定してかなり頑丈に作られています。防護フィールドで覆われていますし、強い衝撃でもない限り…」

 

 

ガァンッ!!

 

「きゃっ!?」

 

 ……お、い。

 今、インクの手みたいなのが、ガラス叩いたぞ。

 …熱で歪む景色の中で、ハッキリ見えた。

 ニューヨークを、ワシントンを、ソコヴィアを震撼させた黒い(インクの)悪魔が、グチャグチャの身体で、氷を内側から叩き割ってやがった。

 

 あの女の面影は、ない。

 正真正銘の悪魔が、復活してやがった。

 

 ガラスを叩いたってことは、出たがってるってことだろ? そんでもって殺意もあった…ってことは、俺たちを殺しに来てる? 凍結させた連中だと勘違いしてンのか? ふざっ、ふざけんなよ!

 すると、英雄サマがモニタしてる奴の肩を叩いて尋ねた。

 

「…あの部屋に入れる扉は、どこだ」

 

「えっ「早く教えてくれ」…こ、この部屋を出て左の部屋を…で、ですが室内の温度が…!」

 

「ありがとう」

 

「あ、オイ、どこ行くんだよ」 

 

「彼女を止める!」

 

「馬鹿言うな! あの部屋はもう俺たちが入れるような温度なんかじゃない! いくらアンタでも蒸し焼きにされて、ベンディに殺されるのがオチだ!」

 

「大丈夫だ」

 

「なんでっ…」

 

 なんで。なんでだ?

 あんな化け物を目の前にして、虎の巣よりも遥かにヤバい場所に入ろうとしてるってのに、なんでそんなこと言える? なんで大丈夫だと言える?

 だが、英雄サマは俺の制止を振り切って()()()

 

「彼女は、僕たちの仲間だから」

 

 そういって、モニター室から出て行った。

 ……ああ。

 ああ、クソ。クソッ!

 英雄とかいうヤツは、みんな頭の螺子ぶっ飛んでんのかよ! あんな地獄みたいな場所に、根拠のない信頼一つで飛び込めるものか! 自殺志願者だってまだ正しい判断ができる!

 クソ王子(ティ・チャラ)だってそうだ! なんで、なんでいつ裏切るかもわからねぇ俺を副王に据えた! 裏切る可能性を考えないのか? 国をぶっ壊そうと企んでるって、気付かないのか?

 ……イヤ、気付いてるハズだ。じゃあ、なんで。

 ああ、クソが。理解できねぇ。畜生、畜生めが。

 

「……機器のシステムを乗っ取られようが、エネルギー源を乗っ取られたわけじゃない。主電源は落とせるだろ、シャットダウンして暴走を止めるんだ」

 

「っしかし、ここの主電源を落とすとガラスを包んでいる防護フィールドのエネルギーも切れてしまいます! 我々の身の安全が!」

 

「クソ皇女!」

 

「シュリって呼んでよ! ホラ、スーツ(パンサー・ハビット)はあるよ、2着分。貴方の分も調整済んでる!」

 

 相変わらずキャンキャン姦しい声しやがる。

 だが、モニターの制御をしつつちゃんとスーツの元の首飾りを寄越したのはナイスだ。あとで褒めてやらんでもない。

 …そういやアイツ副王か。俺と同じ立場なら褒める必要はないのか? わからん。

 

「20秒後にメインシステムを落とす! 中の温度はまだ高いままだと思うけど、スーツならある程度高温であっても遮断してくれる!」

 

「私も行く」

 

「いいや、俺一人で十分だ」

 

「しかし」

 

「オイオイ」

 

 しつこい男は嫌われるぜ?

 マァ、言いたいことは分かる。このクソ王子(ティ・チャラ)なりに、今回の騒動を引き起こしたことの償いとしてアイツを止めに、場合によってはトドメを差しに行かなきゃならねぇって思ってんのは分かる。

 でもな、お前みたいな奴は戦場でたくさん見てきた。

 殺しに慣れてない、敵を目の前に引き金を引けない新兵。

 戦場じゃ、()()()()()()()()()()()()()

 

「アンタは王で俺は副王。こういう汚れ仕事は俺の方が適任だ。アンタがあの女にどんな存在価値を見出してるのか、どんな感情を抱いてるのか知ったこっちゃないが、その様子じゃあ隙は死に繋がるぞ。王様なら玉座でどっしり構えてろよ、部下の力を信じてろよ。それとも、俺のことが信用ならないか? 心配か?」

 

「……死ぬなよ」

 

「アンタもな」

 

 5日間の大決闘。

 虚無みたいな今までの人生の中で、あの5日間ほど感情がぐちゃぐちゃにされた日はない。戦った日はない。

 拳の語り合い、なんて信じる柄じゃないが、それでも。

 

 ──それでも、今の俺を俺以上に知ってる奴がいるとしたら、コイツ(ティ・チャラ)だけだ。

 

「主電源落としたらすぐ再起動させろよ! 温度操作できるってんなら、()()()()()()できるんだろ!?」

 

「っわかった!」

 

 ったく、それにしたって副王自らご出陣たぁね。柄でもないこと、するもんじゃないな。

 ……こんな、明確な死線を感じたのは久しい。もし五体満足で帰れたら身に浴びるほどの酒を飲み尽くしてやる。

 

「オイ! 10秒後主電源が落ちる! そしたら突入だ!」

 

「ッそうか! 協力ありがたい!」

 

「うっせ、もうちょっと先のこと考えて動けよ英雄サマ。カウント6、5、4、3、」

 

「いいや、これでも先のこと考えてるさ……」

 

「嘘だね、いつも行き当たりばったりだろ。オラ行くぞ!」

 

 主電源が落ちて暗くなったのを確認して、ドアを蹴破る。

 ドアの向こうには分厚そうな隔壁。まぁそうだよな、実験室をドア一枚で隔てるのだってどうかしてる。

 

「任せろ」

 

 このスーツの性能を試す、いい機会だ。せいぜい貴重なデータを取ってやる。

 

「っらぁ!」

 

 助走を付けてからの、飛び蹴り。

 身体能力の補助もされてるのか、身体が驚くほど軽い。そういや王家だけが口にできる秘密のハーブとかいうヤツでだいぶ身体能力は向上したが…それに応じたチューンナップされてるのか。羽根みたいに身体は軽いのに、分厚い隔壁から伝わる衝撃は驚くほど()()。明らかに、体感している重さとは反比例した威力が隔壁にぶつかってる。

 

「オ、オォォッ……!」

 

 まるで、紙を蹴ったみたいな感触だ。

 金属特有の抵抗は一瞬。その衝撃すらも吸収して、足先の衝撃を対象物にぶつけてる。そういう感じだ、科学の力ってすげーな!

 そして、次に襲う()()

 高熱って聞いたが、それ以上じゃねぇか! あのガラスすげぇな、この熱を完全遮断してたのか。やべぇ。主電源は切れて余熱状態のオーブンみたいなモンだってのに、スーツを着てるってのに骨の髄まで焼かれそうだ…!

 

「アンタ無事か!」

 

「っっ…大丈夫だ! だん、だん…温度は下がってる」

 

 そりゃ、な! 隔壁ブチ抜いたから熱気の逃げ場もできてるし、主電源を強制的に切ってるから温度は下がってるんだろうけどな!

 だが、スーツ着てても熱いってのにアンタは無事なのかよ。イヤ、コイツがここで野垂れ死のうが知ったこっちゃないし、コイツもそういう危険性を鑑みた上で突入したってんだ。いらん心配だったな。

 

「ッッ、ベンディ! 僕だ、スティーブ、キャプテン・ロジャースだ!」

 

 …()()

 陽炎すら揺らめくような、高熱の部屋の真ん中。

 封じ込んでた氷は既に蒸気になって跡形もない。

 悪魔みたいな角、にやけた口、鋭利な歯。成人男性を上回る黒色の巨躯。ワカンダ国民の肌とは全く異なる、ただひたすら黒、黒、黒。

 

 こいつが、ベンディ。

 ……さっきは女の姿だったってのに。部屋は暑いってのに。

 背筋を伝う汗は冷や汗みたいで、気持ち悪い。

 

「レイニー! 聞こえているんだろう? 僕だ! 答えてくれ!」

 

??? … S,te,ve ?

(??? …す、てぃー、ぶ?)

 

 ぐるり、と。

 悪魔の首が、一回転した。目は見えない、黒塗りに塗り潰されてて、口の形からしか表情を読み取れない。敵意は薄れた、と思いたいが。

 イヤ、理解できないものが悪魔、か。 

 

「そうだ! すまない、苦しい思いをさせた! 頼むから、元に戻ってくれ!」

 

…… Ra,i,ny , ?

(……れ、い、にー、?)

 

「……ベンディ?」

 

Who ?

(ダレ?)

 

 インクの、巨躯が。腕が。

 がしりと、キャプテンの頭を掴みやがった。品定めするみたいに、顔に近付けた。

 

 

Who are you ?

  Dazzling . First , Second , Third , Fourth magnitude star , Everyone is shining .

  Thermal , beautiful , envious , jealous …… give me , want . Want want want want want want want want want want want want want want want want want want !

  Chilly chilly , Warm me up please . Give me light ?

 

  Ligth . Shine . I must black out

 

(オマエ、ダレ?

 マブシイ。一等星、二等星、三等星、四等星、ミンナ光ッテル。輝イテル

 温カイ、美シイ、羨マシイ、妬マシイ……欲シイ、欲シイ。欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ!

 寒イ、冷タイ、温カクシテ。ソノ光、ボクニ頂戴?

 

 光。輝キ。潰サナキャ)

 

 

 ───ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 動け、動け、クソ。

 ああ、あああああ、なんだ、何なんだコイツは。

 これが、アベンジャーズ? デビルヒーロー? キャプテンの仲間?

 違う。違う。コイツは──悪魔だ。世界の、敵だ。

 人間って光を、英雄(ヒーロー)の輝きを奪う、悪魔だ。

 

「──キャプテン! 逃げろ!」

 

 恐怖心が、身体を無理やり突き動かす。

 立ち向かうための蹴りではなく、逃げるための蹴り。

 それでも腰の力を入れた蹴りは悪魔の腕を直撃。キャプテンを掴む腕を弾いて、ずらりと並んだ悪魔の鋭利な歯から、地獄の窯から抜ける。あっぶねぇ、キャプテン諸共死ぬところだった。

 

「っすまない!」

 

「いいから走るぞ! アイツは敵だ、俺たちを殺す明確な敵だ!」

 

「違う、違うんだ、彼女は…!」

 

「っっぶねぇ!」

 

 ヒュンと、屈んで下げた頭の後ろで、風を切る音がした。

 インクの触手が、ムチみたいに振ってきやがった。直撃したら首が胴体とおさらばしてやがったな。やべぇ。

 こいつには、()()()()()()()()()()()()()()()

 癪に障るが命が惜しい。敵に無防備な背中向けようが、死にたくねぇからな。逃げるっきゃねぇ!

 

「いい加減にしろ! ここで死ぬのが本望か!? レイニーとやらに殺されることがお前の望みか!? 違うだろ!

 どういう訳か、アイツは自我を失ってる、暴走してる! そんな詰まらねェことで無駄に命散らすんじゃねぇよ馬鹿が!

 死にたきゃ勝手に死ね! 死にたくなけりゃ逃げろ!」

 

「ッッッ…! すま、ない…」

 

 ったく、英雄サマってのはこうも甘ちゃんだったか。コイツの暴走を止めるヤツはアベンジャーズにいなかったのか? にしてはヤケにおとなしいイメージがあったが。

 

 ……もしかすると、コイツが。

 コイツが、キャプテンの。アベンジャーズの、ストッパー役だったのかもしれねぇな……っと、照明が点いた? 再起動が済んだか! 遅ぇよ、キャプテンもう外出てるぞ!

 

『メインシステム再起動しました!』

 

「隔壁下ろせェ───!!!」

 

『しかし! それでは副王が!』

 

「俺は大丈夫だッ、さっさとしろォ──!!」

 

 迫りくるインクの触手を弾いてる、俺だからこそ、分かる!

 コイツ、()()()調()()()()()()! 余力を、残してる! 余裕がある、驕ってる、油断してる!

 ああ、そうさ。残念ながら俺は英雄サマやクソ王子みたいに眩しくも輝かしくもないだろうな! 泥だらけの、鍍金の副王さ! 星のような輝きも、太陽のような温かさなんてないだろう。メインディッシュどころか前菜にすらならない。

 

 だから。だからこそ。

 お前を相手取るのに最適なのは、俺なんだ。

 

 ガコン、という音がして、背後の隔壁の作動音が、した。

 もう少し、もう少し、もう少し………今だっ!

 

「ぅっ…ぉぉおぉおぉおおおおおおおお!!!!」

 

 あああああああっぶねぇ! 腹掠った! 太ってなくてよかった! 足あるよな? あるよな?? 千切られてないよな???

 ていうかなんだよここの隔壁! S.H.I.E.L.D.の最新鋭の隔壁だって上下からせり上がるタイプだったぞ! なんなんだよ菱形状に積み上がってるみたいな隔壁! アレもヴィブラニウム工学ってやつか!?

 だ、だが…だが! 賭けには勝った! 勝った、俺は勝った(生き残った)

 

「無事か」

 

「ッカァ──あ、ああ、あ゛──…喉、焼げだ、ガラガラだ」

 

 悪ィ、流石にキャプテンの肩借りねぇと、歩くのもおぼつかねぇ。

 視界もグラグラしてやがる…脱水、脱水だ。典型的な脱水症状。それに、極度の疲労。

 キャプテンに連れられてモニタールームに戻ると、連中が慌ただしく動いてやがった。

 

「第二、第三隔壁閉鎖! 流動ヴィブラニウムによる補強開始、対象A、隔壁からの分離成功!」

 

「ヴィブラニウム粒子最大散布! エネルギー緩衝帯展開!」

 

「室内積層装甲再展開確認、反射角調整! ヴィブラニウム粒子空間充填濃度40…50%突破!」

 

「冷却装置起動! 室内温度モニタ低下確認!」

 

 ……霞む視界の中で、ベンディが悶えているのが見える。苦しんでる。悲鳴を上げてる。

 ざまぁみろ、ワカンダの科学力をナメんな…お前を抑えられるかも、わからねぇけどな。

 銀粉が舞い、冷却装置から噴出される白煙の冷気がベンディを苦しませる。逃れようとのたうち回る動きも緩慢になって……パキパキと、明らかに何かが凍り付いた音が響いて、ベンディは止まった。

 大口を開けて吼えるように。鋭い爪を携えた両手を広げて威嚇するように。

 

 ベンディは、再停止した。

 

炉心(インクマシン)温度、マイナス400℃を突破」

 

「……対象A、完全に沈黙しました」

 

 ハァ。やっと、おわった、か。

 もう、勘弁だ。二度と関わるか。頼まれようが副王特権で、全力拒否してやる。

 

「……ア、さけ、酒、くれ。口、乾いてんだ」

 

「よく生きて帰ってきた…だが酒はダメだ、その様子なら一瞬で酔いが回るぞ。待ってろいま水を用意する。キャプテンも、まだ動かない方がいい、立ってるのもやっとだろう座っててくれ」

 

「……ああ」

 

 ああ、俺、いま、クソ王子に、背負われてんの、か?

 クソ、クソ、でも身体、動かねぇ…クソが。

 

 副王権限で、3週間有給もぎ取ってやる。

 

 ……2週間にしてやるか。

 

 

 

 

 

 Chapter 122

 

 

 

「なんでだレイニー……僕が、許せないのか? 憎んでいるのか? 裏切ったと、そう思ってるのか…?」

 

「心中お察しする。バーンズは治療次第で回復するだろうが、レイニーの方は少々複雑化してしまったようだな」

 

「……陛下」

 

「そう気落ちするな。それに、まだレイニーが死んだわけでも、憎しみに呑まれた訳でもないと思うぞ」

 

「どういうことだ?」

 

「私から説明するわね。幸い私はレイニーのソコヴィア事件の状態を隅々まで調べ尽くしたから、その時のデータを持ってる。で、今日の実験の時の検査結果と比較したんだけど…違うのよ、()()()

 

「重さ? ……皇女殿下、お言葉ですが、レイニーのインク総量であればかなり変動するからあまりそのデータは参考にならないのでは」

 

「インクじゃないわ、(インクマシン)の方。先の実験で炉心融解しなかったのは本当に運がいい、そのおかげで(インクマシン)の重量を計ることができたんだけど…軽くなってる。明らかに、パーツが不足してる。

 (インクマシン)は今まで胸部の中心にあったんだけど、さっきの検査では頭部に配置されてた。そんなこともできたのは初耳だけどね。で、彼女顔面半分欠けてたでしょう? ()()よ」

 

「エニシ・アマツに狙撃されたと思われる部位だ。キミと別れて、ローズ中佐を救った際の負傷でな」

 

「…あのとき、そんなことが」

 

「多分そのエニシって人、ヴィブラニウム製の武器で本当に狙って当てたのよ。ベンディの、ではなくレイニーを構成する部位と思われる部分を。そのせいで、インクマシンからレイニーの…そうね、魂と呼んでも差し支えない部位が、弾き飛ばされた。分離させられた。だから、あのベンディにはレイニーの意思が、魂が無いんだと思う」

 

「彼女は、まだどこかで生きている、ということだ」

 

「……その、根拠は」

 

「できれば、S.H.I.E.L.D.やアベンジャーズ本部で収集したデータが無ければ証明しようがないんだけど…でも、レイニーが生きているって証明できるものが一つだけある。

 この映像を見て。いま、リアルタイムで映し出されてるここの地下の映像よ」

 

「これは……サーチャー? レイニーが統括していた、インクの住人。動いてる…働いてる? 何を作ってるんだ?」

 

「その通り。彼女は、私たちのある願いと引き換えに条件を出したの。()()()()を作るための場を用意してくれと。で、サーチャーたちは彼女の命令に従って、いまも動いている。

 ここが重要。彼女の命令を継続している──つまり、さっきみたいな理性を失った化け物としてのベンディではなくて、ちゃんと命令を受信して規則正しく活動を続けているサーチャーってこと」

 

「だから、我々はまだ彼女が生きているという仮説を立てた。それに、アベンジャーズが有するデータに関してはアテがある」

 

「アテ?」

 

ぇ、ぇっと──やぁ、キャプテン。数年ぶり、ですね。壮健そうでなにより」

 

「──貴方は、フィル・コールソン? 生きてたのか!?」

 

「あぁ。まぁ、ね。私も危ない橋を渡ったものだ。そしてすまない、すぐに伝えられなくて。娘は私の生存を知ってたが、口止めしていたんだ。S.H.I.E.L.D.でも私の生存を知る者はセキュリティレベル7以上の者に限られてた。こうしてまた会えて、嬉しいよ」

 

「……すまない。レイニーを、娘さんを、こんな目に」

 

「ああ、いいんだ。別に気にしていない訳じゃない。ただ、いつかはこういう風になる予感もあった。虫の知らせ、というヤツだな。今回の騒動は私の耳にも入った。そして、先回りしてワカンダへ入国したんだよ。

 私は今でもS.H.I.E.L.D.のエージェントだ。だから、S.H.I.E.L.D.に残されていた当時の記録も、アベンジャーズに保存されている記録も、すべて引き出すことができる」

 

「それは──心強い」

 

「それに、助けになりたいという者もいたのでね、道すがら拾って連れてきた」

 

「キミが、アースキン博士に選ばれた男、スティーブ・ロジャースか。初めまして、ハンク・ピムだ。ピム博士でいい……空港ではアントマンが世話になったな。勝手に引き抜きおって」

 

「いいじゃないの。私の命の恩人からの助けなんだから、きっと貴方に連絡が行ったとしても了承してたわよ。初めましてスティーブ・ロジャース、ハンク・ピムの妻のジャネットです。よろしく」

 

「よろしく…そうか、(スコット)のスーツ開発者はあなた方だったのか」

 

「ああ、私が初代アントマン。で、あの男が二代目アントマンだ」

 

「彼は以前お宅(新アベンジャーズ基地)に侵入しちゃったせいでレイニーに絞られてしまって…でも、そのお陰で私は彼女に助けられたの。以来、たまに研究室に顔を出すことが多かった。S.H.I.E.L.D.の頃からの友達にもよく会いに来ててね」

 

「……なるほど、たまにレイニーの姿が見えないと思ったらそういう用事でもあったのか」

 

「彼女には返しきれない恩がある。幸い、二代目アントマンの彼の元には娘のホープとビルの奴、あとエイヴァがいる。また何か変なことをしでかされても困るからな」

 

「私たちにもレイニーのインクに関する、量子学の観点から研究したデータが残ってる。だから共同研究に一枚噛ませてもらったのよ。レイニーのインクの研究、そしてレイニーがいまどこにいるのか捜索するのに役立つと思って」

 

「その申し出は有難い。研究者居住区に彼らの家も用意しよう」

 

「やったやった! 量子学って私あまり専門じゃないから興味あるんだ~!」

 

「──と、いうことだ。いやぁ、私の娘は顔が広いな。そして、ちゃんと信頼できる人脈も形成してる。こうして、危機に直面したら駆け付けてくれる人がいる。父親としては嬉しい限りだ」

 

「……此度の件は、僕に責任がある。本当に、娘さんには、彼女には顔向けできない…」

 

「なら、キミは積極的に世界中を回ってくれ。きっと、彼女も君を待ってるはずだ。その時に、面向かって謝るといい。きっと許してくれるだろうさ」

 

「…そう、だろうか」

 

「きっとそうさ。娘は、許せないことにはお冠になるけど、誠意を込めた謝罪であれば受け入れる。娘を、頼んだよ」

 

「……はい」

 

……ぁー緊張した。ああ、私はまたS.H.I.E.L.D.の任務に戻らねばならないんだが、一つ伝えておきたいことがあってね。イヤ……取るに足らないことだとは思うんだが、このメンバーがここに集ったことには、何か意味があると私は思う」

 

「伝えたいことだと? そんな前置きいいからスパッと話したまえコールソン」

 

「お父さん」

 

「……すまない」

 

「ハハハ、そうかもしれませんね。ま、聞き流して貰っても構いません。ただ、先の実験で言ったベンディの発言で思い出したのですがね………

 

 実は、娘は見えなかったんですよ。〝星〟が」

 

「……星? 夜空に浮かんでる、あの?」

 

「ええ。決して目に異常があったわけじゃない。医者に見せたけど、特にこれといった障害は確認されなかった。恐らく先天的な脳の障害なのかもしれないがね。別に、星が見えなくても照明の明かりは見えるから夜中に困ることはなかったんだが。

 ……だが、もしかしたら娘のその体質が、悪魔を引き寄せてしまったのかもしれないと思ってね」

 

 

 

 

 

 Chapter 123

 

 

 

 地球は自分の所有物だと言い張り、ドルマムゥと交わした契約。

 地球の悪意は全て啜る、故に暗黒次元のモノが侵入する余地はない。ただし、自分が死ねば地球を所有する悪魔は消える。そうなれば代わりにドルマムゥが地球を好きにしていい……まったく、馬鹿げた契約だ。

 だが、その馬鹿げた契約に助けられていたことは事実だ。お陰でとんだとばっちりを喰らったがな

 

「…幸い、サンクタムは無事。しばらく、地球を攻め入る勢力はいないはずだ」

 

 ドルマムゥの討伐には、多大な犠牲を強いられた。

 寄生主であるエンシェント・ワンからドルマムゥを引き剥がそうとしたマスター・ハミヤは重症。ドルマムゥをミラー次元に引き込むのに一役買ったカエシリウスの門下のゼロッツは全員死亡。

 

 そして、ドルマムゥを道連れに死んだカエシリウスと、エンシェント・ワン。

 

「……くそ」

 

 そもそも地球は、この宇宙は、文明の発展と共に着実に悪意が芽生え、溢れる宿命にあるらしい。加速膨張する宇宙と同じように。

 どこかの宇宙では、その悪意を抑制するために悪意を〝半減〟させる独裁者がいると、エンシェント・ワンは言っていた。つまりレイニーは、その独裁者の代わって、地球を半減化させることなく悪意のバイパスになって、地球に悪意が溢れ出すことを防いでいた。

 

 ……『欲望(デザイア)()(ストーン)』という新たなインフィニティ・ストーンを生み出す、人柱になることと引き換えに。

 

 蔵書の一つに、「あらゆる秘術を行使できる伝説の触媒」に関する記述があった。

 ()()エンシェント・ワンでさえも語ることを憚られた物質。『サバティエル』『第五実体』『大いなるエリクシル』『天上の石』『赤きティンクトゥラ』など、様々な呼び名を持つ神秘の触媒、『賢者の石』。

 数多の生きた人間から魂抽出し凝縮した高エネルギー体、つまり人間の生命エネルギーを利用して現実世界を歪めるに足るエネルギーとして行使する、禁断の秘石。要はそれとほぼ同等のものと言っていい。

 地球上に人類種が繁栄し続ける限り生み出される欲望のエネルギー。感情と心を持った人間だからこそ引き起こせる原動力、その強い思いを濃縮したレイニーは、『欲望(デザイア)()(ストーン)』になる、という条件を満たしていた。満たしてしまった。

 

 ガキのクセに、一丁前に背負ってるなよ。お前が、お前が無責任に契約を結んだから、こんなことに…いや、違う。そうじゃない。

 普通子どもは大きくなるまで、大人の庇護下で自由気ままに遊んでればいいんだ。

 

「……彼女は、〝普通〟で在ることを赦されなかった」

 

 遊ぶ、という権利すら、彼女は奪われた。不慮の事故によって。悪魔の悪戯によって。

 その不幸を、盾にしていいものか。人は不幸を比べたがるよな、私だってそうだ。神の腕にも等しいこの両手を失ったことは私にとって最大の不幸だ。そう思ってるしこれからもそう思い続ける。だが、

 

 不幸は、自慢するために振りかざすものじゃない。

 

 「自分はこんなに不幸なんだ」と不幸を盾に振りかざすような不遜な輩もいれば。

 「お前よりも不幸な奴は、お前よりも頑張ってるぞ」と不幸を格付けたり赦される利権を定めたがる馬鹿もいるだろうな。

 若しくは、人の情動や(しがらみ)を天秤の如く容易く移し替えられるような口ぶりで「行動力を境遇改善に使えばいい」と得意げに語る屑もいる。

 

(これらはきっと、人として当然の反応だ)

 

 例えば、不幸でどうしようも無い前菜(プロローグ)から始まる物語があるとする。私は読書家ではないからなんとも言えんが、それでも読み進めるのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この不幸が絶妙なスパイスとなってくれるであろう、幸福に満たされたデザート(エピローグ)になってくれると、思いたいからだ。

 

 所謂、不幸という名の〝苦しみ〟に対する〝社会保障〟って奴だ。

 

 だから人は訝しむ。それははたして()()()特別な不幸に値するのかどうかと。

 苦への社会保障が絶対ではない限り、どうしたって偏りは生まれる。個人差は生まれる。そうして、どんどん〝普通〟を奪っていく。

 

 だが、それでも。

 

「お前は、救われるべきだ。姉弟子」

 

 ──お前は、誰かを救う英雄(ヒーロー)なんかじゃなくて。

 

 ──英雄(ヒーロー)に救われる人間で、あるべきだった。

 

「ストレンジ?」

 

「あぁ、今行く」

 

 ドルマムゥと共に消える、最後の瞬間。

 エンシェント・ワンは、師は言っていた。

 

「レイニー・コールソンは死んだかもしれませんが。

 ユカリ・アマツは、生きています」

 

「……彼女を探せ、か」

 

 

 

 

 

 ──And(そして、) then(誰も) will be(いなくなる) there none(のか) ~♪

 

 

 

 

 

 





 彼女はどこへ消えた?





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EX Does Her Dream Darker Than Darkness ?
エニシという名の天才





 お気に入り感想評価誤字報告感謝


 3000回愛してます。今まで多くのキャラクター、多くの吹替、数えきれない名台詞を、本当にありがとうございました






 

 

 

 

 Chapter 124

 

 

 

 

Ten little soldier boys ,(小さな兵隊さんが10人) went out to dine(ごはんをたべにいったら)

 One crocked his little self(1人がのどをつまらせて) and then there were nine(のこりは9人)

 

 Nine little Soldier boys(小さな兵隊さんが9人) sat up very late(夜ふかししたら)

 One overslept himself(1人が寝ぼうして) and then there were eight(のこりは8人)

 

  Eight little Soldier boys(小さな兵隊さんが8人) traveling Devon(デヴォンを旅したら)

  One said he'd stay there(1人がそこに住むって言って) and then there were seven(のこりは7人)

 

 

 ウタが、きこえる。

 意識が、浮上する。

 暗闇から浮き上がるように。水面から顔を出すように。

 

 シーラカンス(四足動物の祖先)はこんな風に丘に揚がったのだろうな、とよくわからない感想を抱いた魂は、やがて現実世界の情報を得た。

 

 

Seven little Soldier boys(小さな兵隊さんが7人) chopping up sticks(まき割りしたら)

  One chopped himself in halves(1人が自分を真っ二つに割って) and then there were six(のこりは6人)

 

 Six little Soldier boys(小さな兵隊さんが6人) playing with a hives(ハチの巣をいたずらしたら)

 A bumblebee stung one(1人がハチにさされて) and then there were five(のこりは5人)

 

  Five little Soldier boys(小さな兵隊さんが5人) going in for law(法律を志したら)

 One got into Chancery(1人が大法官府に入って) and then there were four(のこりは4人)

 

 

 水の、中。

 半透明なガラス。

 ガラスの向こう側に広がる、無機質で薄暗い部屋。

 無数の実験器具のような何か。

 人の影はなく、生気もない。

 

 

Four little Soldier boys(小さな兵隊さんが4人) going out to sea(海に出かけたら)

 A red herring swallowed one(1人が燻製のニシンにのまれて) and then there were three(のこりは3人)

 

 Three little Soldier boys(小さな兵隊さんが3人) walking in the zoo(動物園を歩いたら)

  A big bear hugged one(1人が大きなクマにだきしめられて) and then there were two(のこりは2人)

 

 Two little Soldier boys(小さな兵隊さんが2人) sitting in the sun(ひなたに座ったら)

 One got frizzled up(1人が焼きこげになって) and then there were one(のこりは1人)

 

 

 肉体はない。だから身体という感覚がない。

 肉体はない。なのに、見えるし聞こえるし、感覚器があるように感じられる。

 

 魂だけの状態は、事前にカマータージで何度か体験していた。だからか、現在の自分の状態に対して動揺することはなかった。

 仮に動揺してしまえば、その衝撃だけで魂は霧散していただろう。

 

 

One little Soldier boys(小さな兵隊さんが1人) left all alone(あとに残されたら)

 He went out and hanged himself(自分で首をくくって)

 ──And(そして、) then there were none(だれもいなくなった) ~~~♪

 

 

 熱くもなければ冷たくもない、適温と言っても差し支えない水温の中で、肉体も捨てインクの媒体も抜け、魂だけの状態で、存在していた。

 かつてレイニー・コールソンという名を名乗っていた人間の魂が、水の中で揺蕩う。

 

「やぁ、ご機嫌麗しゅう。ワタシのカワイイカワイイ愛娘(レイニー)ちゃん。インク(悪魔の肉体)から解放された気分はどぅー?」

 

 脳もないのにぼんやり、という表現もおかしいものだが、正に薄ぼんやりと、思考を纏めることもままならないレイニーの魂の前に、包帯まみれの女のにやけ顔が突き出された。

 水の中からガラスの壁を経て、その向こう側の空間に立つは、過去現在に渡ってレイニーの前に立ちふさがったエニシ・アマツその人である。

 肉体もない魂だけの抜き身となったレイニーは徐々に自我を思い出し、声無き思考で疑問を表す。

 

(……ここ、どこ)

 

「ここがどこか、ですって? んー……そうね、現状アナタには外部との連絡手段が途絶してる訳だしネタバレしてもいいわね。()()誰も助けに来るようなフラグ立ててないし。というか、フラグ立てられても困るし」

 

 声帯も、当然無い。

 にもかかわらず、思考が電気信号となってエニシの脳に伝わったのか、阿吽の呼吸という比喩では表現できないほど明瞭な意思疎通が成立した。

 どうやら、声がなくとも思考するだけで相手に意思が伝わる、と言うことだけは理解できた。

 

「ここは南極。かつてヴィブラニウム…おっと、正確にはアンチメタルだったかしら? さてはアンチだなオメー……じゃなくて、アンチメタルを採掘できるサヴェッジランドの足掛かりに構えた駐留地ってところね。元々はS.H.I.E.L.D.の前哨基地だったんだけど、少し前にソウロンから譲ってもらったのよねー」

 

(…ソウロン?)

 

「アラ? ラフトで会ってなかったかしら。ソウロン。カール・ライコス。ああ、そもそもラフトに収監された抜け殻にはアナタの意思なんて欠片も残ってなかったわね」

 

(……なるほど。南極はどこの国のものでもないものね)

 

 南極は、1959年制定の南極条約によって自国の領土であることを主張することを禁じられている。

 かつて南極を目指し、到達した探検家を擁する国々は自国の領有権であることを主張することもあった。現時点では条約のもと主張は認められていないが、それでも各国の主張が放棄されたわけではない。

 代わりとして、南極の観測や研究を目的とした基地が設けられており、S.H.I.E.L.D.もこっそり基地を建設していた。

 

 レイニーは、自身を閉じ込める容れ物を眺めた。

 半透明であることからガラスか、それに類するものだと考えていた。だが、たかが貴金属の類で人間の、それも死者の魂を密封するだなんて聞いたことがない。

 もしその技術を可能にするのだとすれば、前提条件として魂の組成と構成要素、そしてそれらに反応する物質の特定がなければ成立しないからだ。

 

(…この、設備は)

 

「ん? ああソレ。ワタシに語らせると長くなるから簡単に済ませるけど、いわゆる『魂の保管瓶』よ。肉体という容れ物から抜け出た魂を黄泉に送られるよりも先に保管して、研究材料にするためのもの。都合上()()使う必要を迫られたのでね。コレはそのうちの1つ」

 

 まあ、アナタに使うつもりはなかったんだけど。と続けて、エニシは愉快そうに笑って室内にあった椅子に腰掛けた。

 

「さて、ワタシのカワイイカワイイ愛娘(レイニー)ちゃん、元気だった? 幸せな夢見れた? ワタシ以外の家族ができちゃったと浮かれてた? 英雄になれたと、誰かを助けられる立派な英雄(ヒーロー)になれたと、浮かばれてた?

 アナタってほんっっっっとうに頭お気楽極楽トンボの極みね。馬鹿じゃないの?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(………そう、ね)

 

 ──確かに、その通りだと、レイニーは自嘲した。

 そもそもあのメッセージを残したのは、自分で自分を守れなくなるだろうという、未来で愚かな判断を下す自分を予期してたからだ。

 誰かを助けるだけの人間は、英雄ではない。

 誰かを助け、そして自分も助ける(生き残る)

 自己の生を手放す人間が、英雄として称えられることはない。例え誰かを助けたとしても自分が死んでしまえば結局はプラスマイナスゼロなのだ。人はそれを只の自己犠牲と言う。

 

 だから、自分は英雄ではない。

 ただ、力もないのに誰かを助けようと空回りし続けただけの、亡霊だ。

 

 するとガラスの向こうで、エニシが、さもおかしなものを見るように首を傾げ、唸っていた。

 

(なによ、その反応)

 

「いやぁ? 別に? ただワタシが予想してた反応と違ったものだから、少し意外だっただけ。もっと、そのガラスをバンバン叩いて憤慨して怒り狂って「ふざけんな! お前にそんなこと言われる筋合いはない!」って、一端の英雄気取りの背筋も凍るような薄ら寒い名台詞でも吐くのかと思ったけど、そういう様子もないし……おかしな娘ねぇ」

 

(……いい加減、娘扱いするのはやめてよね。()()()()()()()()()

 

 

「───へぇ」

 

 

 道化のような態度が、剥がれ落ちた。

 にやにやと人を嘲るような笑みはそのままに、内心の驚愕と歓喜の色は隠すことなく、エニシはガラスの表面を指先で撫でた。

 

「ホゥ、ホゥ、ホゥ。へぇー、なぁに? ()()()()ちょっと鋭いわね? ワタシ、そこまでヒント与えたつもりはなかったんだけど? それとも数千分の1の確率を引き当てたってところかしら? じゃあ、答え合わせでもしてみましょうか」

 

(……最初に、違和感を感じたのは、家で見つかったエニシの資料だった)

 

 魂に刻み込まれた記憶を呼び起こすように、意識を過去に遡行させる。集中しなければ自我すら保てないような状態の中でも、生前の思考能力は逸脱したものだった。

 普通の人間であれば、自分が誰であるかを思い出すことすら困難。それが魂だけの状態。

 

(内容が…というか、クセのようなものが、違ってた。私の中でお忍びで家に来てたエニシと、過去の研究資料のエニシの人物像の結びつきが、できなかった)

 

 レイニーは過去、父親(フィル)の目を盗んで訪れたエニシから教育の手解きを受けていた。内容は言語から暗号解読まで様々なものばかりだが──教育とは、ものを教えるとは、その人の気質を肌で感じるものである。数年という短い期間ではあったが、それでもレイニーはエニシの気質を理解していた。

 だからこそ、家に遺されていた過去の資料の記述が、既存のエニシに対する印象と合致しなかった。

 

 建築物や創作物の類には、創造主の個性が滲み出る。

 

 レイニーは、其処に違和感を感じていた。

 はたして、過去のエニシと今のエニシは同一人物なのだろうか、と。

 

 確かに、年を重ねるごとに書き方を変えていくことはあるだろう。しかしそれは連続性(シーケンシャル)を保ったものであって、突然変わるものではないし、変えられるものでもない。

 

 馬が、進化の過程で走ることに特化した生物になったように。

 キリンが、進化の過程で高い位置の餌を捕食できる生物になったように。

 生物の跳躍進化は有り得ないのだ。それが一個体の人間であるならば尚更。

 進化はする。進化はするが、それは漸化的(リカーシヴ)なものでしかない。

 

(次に違和感を感じたのは、私のコントロール下から離れて自律したボリス)

 

 過去、レイニーのコントロール下から離れて生活するインクの住人は何人かいた。しかしそれはあくまでもベンディとの相談の末に承諾した個体のみだ。

 万が一、問題が生じた場合に連絡が取れなければ話にならないし、インクの住人の解放もレイニーの目標であった以上、手綱をそう易々と手放していいものではない。従って、定期報告の約束事も取り付けていた。

 しかし。

 

(2年以上も報告の連絡がないなんて有り得ない。だって、私かベンディ以外にインクの住人の命令権を持つ者はいないはずだから。でも、そう…()()()()()()()()であるなら、インクの住人はきっと命令に従うでしょうね)

 

 要は、相手がベンディという大本の悪魔か、レイニー・コールソンという人物であればいいのだ。

 そもそも、インクの住人は人を外見では判断しない。今のレイニーのように抜き身の魂をインクでコーティングしただけの存在であることから、生来の人間の感覚器官を持ち合わせていない。

 人を見た目ではなく、魂で視る。

 

 奇しくもそれは、マインド・ストーンの力を得たレイニーだからこそ理解できる景色であった。

 

(だから、未来の、でも過去の、でもなく…別の次元から来た私と考えた。私の未来はあの空港で途切れてることは分かってたし、ベンディと融合しなかった場合の私、というケースであったとしたら、ボリスにバッキーの監視を任せるという命令を下すことは不可能なはずだから)

 

「……ブラボォ~ブラボーブラボーキャプテン☆ブラボー! 手にはピストル心にゃ花束、口に火の酒注いで背中で人生背負いたくなっちゃうわ! これが試験だったら100点満点をプレゼントしてたわね!

 そういえば実際の試験って120点くらい取る気持ちじゃないと100点なんて取れないっていうわよね。100点目指したって80点しか取れないっていうジレンマ。アレなんなのかしらねー!」

 

 ちょっとテンションおかしいな、コイツ。

 元から挙動がおかしい奴だとは思っていたレイニーも、脊髄反射を凌駕するリアクションには絶句した。

 イヤ、絶句する口すらないのだから『絶考』というのが正しいのか。

 

「イヤイヤホントホント! 素晴らしいわね! いくら唯我独尊なワタシであっても誰かと協力してそこまで情報を集めることはできなかったわ! 素晴らしい!」

 

 お世辞にも褒めてるとは思えない、寧ろ小馬鹿にしてるのかと思いたくなるような賛辞、拍手喝采。とてもじゃないが、淑女がやる仕草とは思い難い。

 げらげらげらと、聞く耳を不快にさせるような哄笑が部屋中に響き、ガラス越しのレイニーでも不快感を感じざるを得なかった。

 

「その通り、お察しの通りワタシは別の宇宙(ユニバース)からきた『レイン・Y・コールソン』ご本人よ。

 そして()()()『ユカリ・アマツ』でもある」

 

(……最初の?)

 

「ああ、その辺りまだ全然話してなかったわね。じゃあ真相に辿り着いたお礼として、隙(あらば)自(分)語(り)でもしましょうか。御褒美、ボーナスとしてね。光栄に思っていいわよ? ワタシのことを私に話すのはアナタが初めてだから」

 

 エニシは──いいや、別次元から来たと自称するレイニーは喜悦の笑みを浮かべて、語り始めた。

 エニシ・アマツという女の一生を。

 

 

 

 

 

 Chapter 125

 

 

 

 むかーしむかし。といってもそこまで昔ではない昔。

 極東の国ニッポンの名家にある女の子が生まれましたとさ。

 名前はエニシ・アマツ。

 ニッポンの機密を持ち出し海外に亡命して、後のHYDRA創始者であるレッドスカルの右腕となるアバズレの名前です。

 

(……悪意のある紹介ね)

 

「自己紹介に善意も悪意もないでしょう? おっと茶々入れないでよ、語るのヤメたくなっちゃうデショ」

 

 諸外国との戦乱の只中で生まれた彼女は、目の前で生まれて兵器という圧倒的な力の前に無意味に死んでいく人間たちを見て、こう考えましたとさ。

 

 「なんで人間は死んでしまうんだろう」と。

 「自己が死んでも、世界は廻り続けるのだろうか」と。

 

(……どういう意味?)

 

「簡単に言えば、「人は生きて死ぬけど世界は廻る。じゃあ自分が死んでも世界は廻るのか? 止まるのか?」ってところね。眼球地球論って知ってるかしら? 自分の見ている世界は自己の眼球の中の光景でしかなくて、世界は私たちの外側ではなく()()()在る……まぁ、あくまでもたとえ話だけどネ」

 

 アマツ家という名家の御令嬢でもあった彼女は国の蔵書を読み漁って、自分の疑問が解消されるまで気の赴くままに調べました。そして、その探求心に果てはなく、わずかでも可能性があれば試さずにはいられない類い稀なる行動力も持ち合わせていました。

 

 でも、ニッポンでその探求心は満たせなかった。

 

(……ニッポンでは、実行できないような実験をしようとしたから?)

 

「ニアピン。確かに彼女が考えてた研究は推測でしかないけど、かつて『解体新書』を書き綴ったゲンパク・スギタとその門下生だって拒否したくなるような研究であることは明白よね。だから彼女は、未知の可能性が広がる外界に踏み切った。自分の知的好奇心を自らの手で満たせるような、そんな理想郷を求めてネ」

 

(…その理想郷が、HYDRAってワケか)

 

「当ったり~その通り。まぁ、HYDRAは『HYDRAの神(ハイヴ)』っていう遠宇宙に追放された超能力者(インヒューマンズ)を連れ戻す目的で創設されたのだけどね」

 

 その研究を行う上でも、彼女にとってはとても()()()()()組織だったのでした。

 

(…レッドスカルも、それを見越した上でエニシを迎え入れたのね)

 

「そうね。その時点でも現段階での人間には『HYDRAの神(ハイヴ)』の元への到達が不可能って判断したでしょうから、人間の質を向上させる手法としてエニシの研究は有意義なものになると判断したのでしょうね」

 

 そして彼女は、気の赴くままに自己と世界の探求を人体実験という手段で進めたのでした。人間という生物の解明をしつつ、片手間に超能力者(インヒューマンズ)宇宙人(クリー人)の研究も忘れずに。

 幸いにも、戦時下にあり各国の中枢に潜り込んでいたHYDRAにとっては検体の1000人や2000人を仕入れることに困りませんでした。

 死刑囚には減刑を引き換えに。

 民衆には人身売買という身柄の買取を。

 軍人には二階級特進という殉職の報奨を。

 身元不明の宇宙人には、当然貴重な検体として丁重に扱われました。

 

(クリー人…以前、キャロル・ダンヴァースを捕らえたっていう野蛮な連中)

 

「ああ、その機密文書(ペガサス計画)も解読済みだったのね。じゃあクリー人とスクラル人とのめくるめく対話と研究の物語については省くわ」

 

 エニシは、時間も忘れるほど研究に没頭していたのでした。そう、()()という時間を忘れるほどに。

 

 手足は萎びて。

 頬は痩せ。

 力は衰え。

 それでも、脳の回転は冴えたまま。

 

 そこで、彼女は無数ある研究テーマからいくつかピックアップしました。()()()()()その研究に全力を注ぐという触れ込みで。

 

(……『代替』と『半恒久的な人類の継続』)

 

「だーいせーいかーい」

 

 彼女は、己という誰よりも優れた人間が失われる『世界』を哀れんだのです!

 仮に、人類の科学を10年進歩させる功績を残した人間がいたとしましょう。では、その人物が死んでしまったらどうなるのか? 彼女はこう考えました。

 

 「死んだら10年分進歩が遅れてプラスマイナスゼロになる」と。

 

 『寿命』という避けようもない運命を今更ながらに自覚した彼女は、この2つの研究テーマに全力を注ぎ、いままで研究成果だけを提供していたHYDRAの部下をも巻き込んで強制的に研究に参加させたのでした。なんて横暴なんでしょう。

 

(……機密漏洩の可能性もあったでしょうに。しかもその言い方、まるでHYDRAメンバーも研究材料にしたみたいな言い分ね)

 

「それも間違っちゃいないわね。バッキー・バーンズだってエニシの研究の一部を使われたし、アーニム・ゾラはその研究の実験台になってたわけだし」

 

 『代替』と『半恒久的な人類の継続』。

 この2つのテーマを実行するための研究としては、まず人間というものを深く研究する必要があるのでした。

 すると? あら不思議、なんということでしょう。彼女の研究はすべてがすべて、この2つの研究テーマを完遂するためにあったのです!

 彼女はこれを天啓と考えました。神が自分に与えた啓示だと。自分はこのために生まれこのために生かされているのだと。

 

 そう、「世界は自分に生きろと言っている!」と感極まったのでした。実に滑稽。

 

(……やっぱり、あの時「3割正解」って言ったのって)

 

 

()()()()()()()()()()──そんなスパイになること。それがあなたの研究だった。つまり、あなたは〝母親〟という代替になろうとした。違う?」

 

「…クスクスクス、半分正解半分不正解。いいえ? 3割程度ってところかしら? それでも凄いわぁ〜あんなヒントにもならない雑談からそこまでくっだらない妄想を膨らませて、偶然にも真実の切れ端に漕ぎ着けたなんて。赤ペン先生で花丸付けてあげる♦」

 

 

「そ。『自分が誰かになる』代替ではなくて、『誰かが自分になる』という代替。決してエニシが万物への代替可能なスパイになれる、という意味での研究ではないってこと。だから3割」

 

 彼女は元々、平たく言えば『不老不死』を実現させるための手段を複数考えていました。

 1つ目は、『不老不死』を継続させる環境の特定。

 

(環境?)

 

「かつて極東にも『死なない研究』の基礎理論を構築した人がいたらしいわ。曰く、ストレスを与えることが進化と老化に直結するのだとすれば、24時間365日まったく同じ環境でまったく同じ食事内容でまったく同じ生活サイクルを送っていれば、理論上死ぬことのない人間を生み出すことができる、とかなんとか」

 

 しかし、彼女には刺激のない無味乾燥の人生を歩むことは主義に反するとのことで研究は頓挫したのでした。

 他にも、超低温下でも生体活動の凍結による()()、特殊な培養液の開発による細胞の劣化予防という研究もありましたが、いずれも研究の将来性は見込めず研究は中断されました。

 

 2つ目は、自己と同じ思考を行える存在の確立。

 自身と近似値の思考回路を持つ人間を選別し、囲み、育て上げ、それぞれ専門分野という名の『括り』を与えることによって『エニシ・アマツ』と同一存在になる『集団』を生み出す、人間社会特有の『集団』を『個』とする集合的無意識の性質を利用した手段です。

 しかし、この研究は欠点がありました。

 

(……それは()()()()。1人1人が辿ってきた人生が決定的に異なってる限り、いくら()()たって、同一にはなれない)

 

「その通り」

 

 集団が産み出す思考の配線図が近似値であったとしても、同一に辿り着くことはできなかったのです。幸い、彼女は研究の中で培ってきた技術で他者の記憶を挿げ替えることはできましたが、それでも成果は芳しくなかったのです。

 

 自分は天才であり万能であっても、被験者である対象が足を引っ張るゴミである限り、全能者として君臨することは不可能だと悟ったのです。

 

(…酷い、傲慢)

 

「結局は、個々人の人間に手掛けられる手が足りなかったということね」

 

 彼女は複数人で研究を進めてきましたが、誰一人として彼女と同等の理解に到達することはなかったのです。従って、いくらHYDRAの手で無数に被検体を搬入できたとしても、処置できる人間が1人である限り効率としては最悪だったのです。

 加えて、個々の経歴(パーソナルデータ)を把握する為に要する時間が、あまりにも膨大だったのです。

 

「費用対効果ってやつね。研究の成果を出すためのコストが多過ぎたから」

 

 それでも、検体の数に比例して数多の研究者と並列して研究を進めてきたことで、HYDRAという組織の中では、生活行動や態度といった思考回路が脳の電気信号によって形成、強化、増強されるという一定の成果を得ることに成功したのです。

 後にバッキー・バーンズ軍曹ら捕虜に施す洗脳の土台(ベース)となる技術となります。

 脳片移植による配線図の強引な書き換えは、脳と肉体のミスマッチによって自壊する個体もありましたが、奇跡的に成功する検体もみられたため、この研究は別部署に引き継がれることとなりました。

 

 なにはともあれ、脳の配線図を、その全容を掴むことに成功した彼女は、別の手段を考えました。

 

(……代替存在の確立。写し替え…? え、じゃあまさか、アレは段階ではなくアプローチの鞍替えの流れってこと…?)

 

「んんッ、何を言ってるのかなあ?」

 

 3つ目は、人間の脳の別媒体への移植。

 元々劣化しやすい肉体で構成されている人間は、彼女が考える記憶媒体としては不適格であると考えたのです。金属よりも経年劣化しやすく、野犬より長命であっても亀より短命な人間という種族は、彼女のお眼鏡に叶う媒体ではなかったのでした。

 人間とは、多細胞生物として生まれてしまい、自己と同一の遺伝子を継承することができないというメカニズムに縛られた可哀想な生物。唯一自己(エニシ)という人類を次のステージにランクアップさせる可能性を見出す天才を生み出せたことだけが人類の功績であると理解した彼女は、より一層研究に励むのでした。

 

(自分を生み出すため、ね。ここまでくるともう何も言えないわ)

 

「そう言ってやらないでよね。これでもエニシは人類の可能性を信じてたのよ?

 鼠算式、って言葉あるわよね。人間以上に個体を増やす鼠。繁殖能力じゃ哺乳類の中では随一だと悟ったエニシも、「人間はそこまで節操無しにセックスしない」って結論で済ませたし。繁殖率が高いってことは、それだけ個体が死にやすい生物であることの証明に繋がったしね。

 それが、気紛れで調べたベニクラゲの研究で心へし折られそうになるとは思わなかったでしょうね。地球上に現存する多細胞生物の中でも唯一iPS細胞の自己生産ができる不老不死の究極生物。ま、()()()()()()解明できただけ、まだ人間はマシだと思ったんデショ」

 

 苦悩し、挫折し、それでも諦めなかった彼女は、遂に個人の『脳の配線図』を別の媒体に移し替えることに成功したのです!

 丁度、人類(サイド)も集積回路の発明やネットワークという現実世界とは異なる世界の構築に漕ぎつけたことにより、この研究は加速することとなりました。

 

(……それで、アーニム・ゾラみたいな媒体移植の成功例が出たのね。『魍魎の匣』の脳バージョンみたい)

 

「『魍魎の匣』は脳ではなく他の部位、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓……脳だけを活かすための臓器を代替した装置が『匣』だったもの。でも…きっと彼女も思ったと思うけど、それって不毛じゃない?

 脳という臓器を代替できるような科学があるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃない。ってね」

 

(それはあくまでも、脳機能そのものの代替案がわかってる人だけに許された特権でしょうに)

 

 問題は、誰が施術者(執刀医)となって実行するかということでした。

 この時期には既にレッドスカルはキャプテン・アメリカの手で宇宙の彼方に消え去りHYDRAは一時的に崩壊、ぺーパークリップ作戦による大量の技術者の亡命が行われた後だったこともあり腕のある技術者は消え、S.H.I.E.L.D.によって研究施設のいくつかは潰れてしまい、最早研究継続が不可能な状態に追い込まれました。運の悪いことに、半恒久的な存在を保持する触媒も見当たりませんでした、なんということでしょう。

 

 しかし、彼女は諦めが悪い女だったのです。そう、()だった。

 

 そこで彼女は自身が女であり、生殖機能を持っている性であることを利用しました。

 移植媒体のベースを、自分の子に選んだのです。

 

(……それで、私ってわけ)

 

 遂に4つ目、最後の手段。

 人-人間の脳移植による存在の相続。

 

「アナタ、少し前にHYDRAに乗っ取られたS.H.I.E.L.D.を托卵って比喩したわよね? 鳥の巣に別種の鳥の卵を植え付けて、親の違う親鳥に育てさせる種の保存。アレはいわばエニシの研究のオマージュよ、アプローチは違えど考え方はほとんど同じ。

 HYDRAという本体が死に絶えようと、代替存在となるものが手を変え品を変え、組織の頭を挿げ替えて新しい血を全身に生き渡らせてしまえば、HYDRAという存在はS.H.I.E.L.D.という組織の皮を被って永遠に世界に存在し続けられる。つまりはそういうこと。

 ま、元々は白血病治療として用いられることになる骨髄移植が発想のきっかけだったけどね。悪い血を追い出して新しい血に入れ替える。当然、移植片対宿主病(GVHD)みたいに入れ替えた血が宿主を攻撃してしまうなんて例もあったけど」

 

 当然、血液型は愚か人種さえも異なる二者間での脳移植は成功しませんでした。

 幸い、個の複製が不可能である人間でも比較的親と近似値にある遺伝子配列を持った子を生み出すことが可能で、加えて数ある人-人間移植の実験を行った中でも親個体から子個体への脳移植は適合率が高かったのです。

 

(……同物同治って薬膳、あったわね)

 

「え? まさか脳味噌を食せば知識を継承できるだなんて考えてるの? すっごーい、正に初期のエニシの研究には同物同治(ソレ)も含まれてたわ。人間に別の人間の脳味噌を食わせたら記憶や知識を継承できるのかどうか。結果は散々だったけどね。

 同物同治って、元々は調子の悪い部分を治すために同じ部位を食べる治療法でしかなくて、馬鹿の頭を良くするなら同族の脳味噌よりもマグロにあるDHAで脳を活性化させた方が遥かに有意義。血液サラサラになるEPAもあるしね」

 

 実年齢は70歳を超えているにも関わらず、様々な研究に着手していたせいか外見年齢だけなら20代と変わりない容姿であった彼女は、S.H.I.E.L.D.から派遣された1人の男を捕まえて強姦し、種子をその身に宿しました。おお、女に押し倒されてしまうとは情けない。

 

(父さんを悪く言うのはどうかと思うけど)

 

「うむ、それは同意ね! でも強姦される男って情けないとは思わない? 30年童貞貫いた魔法使いの方がまだマシよ」

 

 実年齢だけであれば既に出産適齢期を大幅に逸脱していたにも関わらず、彼女は幸運にも子を授かりました。お腹の中ですくすくと育つ胎児を見て、彼女は大事に大事に撫でました。

 

 レイン・Y(ユカリ)・コールソンという、新たな名前を考えて。

 

 輝かしい未来の、新たなる自分の器になるだろうと夢見て。

 

 

 

 

 

 Chapter 126

 

 

 

(……ん? ちょっと待って。その説明の仕方おかしくない? まるで()()()()()()()()()()()…)

 

「残念ながら」

 

 重く。

 先ほどまでの、物語調の軽口とは異なり、ガラリと人格が変わったかのような変貌を遂げたエニシ──否、包帯のレイニーは、椅子から立ち上がってコートを脱ぎだした。

 

「誠に残念ながら、この次元(ユニバース)ではその本懐が為されることはなかったんだよ。アナタを出産したエニシは産褥期が過ぎて肉体のポテンシャルが元通りになった時期を見越して施術しようとした。

 でも、それは暗殺によって終わる。脳天にヴィブラニウム製の拳銃で一発。再利用不可能なレベルまで脳漿は粉微塵に砕けてしまい、この次元(ユニバース)におけるエニシ・アマツは死亡した」

 

()()()()()()…?)

 

 包帯だけになったエニシはしゅるしゅると結び目を解き、右手の包帯を捲っていく。

 

「ワタシは、レイニー・コールソン」

 

 無かった。

 腕が。包帯を解いて露になった肉体は──存在してなかった。

 ただ、薄黒い(モヤ)があるだけで。

 血肉は愚か、骨すらない。

 

「私は、エニシ・アマツ」

 

 腕時計が巻かれた左腕以外の包帯が、解けていく。

 目も。耳も。鼻も。頬も。口も。

 頭も。首も。肩も。胸も。腹も。背も。手も足も。

 何もない。空虚で伽藍洞な幽霊(ゴースト)に成り果てた存在が、其処には在った。

 

「初めまして。私が始まりのレイン・Y(ユカリ)・コールソンであり、全次元(ユニバース)においてエニシ・アマツの脳を継承した唯一の人間よ。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 

 





 彼女は〝彼女〟と邂逅した




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ユカリという名の旅人





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 Chapter 127

 

 

 

(なに、それ)

 

 なんだ。

 なんなんだ、その身体は。いや、魂だけになってる私が言えた義理じゃないけど。

 それにしたって、異常が過ぎる。

 ガラスの向こう側で人型の靄はくつくつと嗤って再び包帯を巻き戻す。

 

「──ああ、貴女は本当に驚いているのね」

 

(どういう、いや、普通驚くでしょ)

 

「いいや、別にこの姿に狼狽えた演技をしているのかを疑っている訳じゃないわ。本来肉体と言う枷から解き放たれたアストラル体は()()()()()()のよ、つかないんじゃなくて。偽りを演じるための肉の皮がないから、ありのままの感情がアストラル体に反映される。だから貴女の驚きは本当に驚いている、と評価できるのよ。それがあらゆる次元における共通であり不変の真理だから。

 ──だから余計、おかしくってね」

 

 無重力空間を彷徨うように揺れる包帯がユカリの身体へ還っていく。文字通り時間を巻き戻したような逆再生。まるで、タイム・ストーンの力のような、綺麗で鮮やかな逆再生。

 

「さて、こんな身体になってしまったことを懇切丁寧に説明するには、〝エニシ〟を受け継いだ(ユカリ)の話をしなければならないわね」

 

 ?

 ……エニシという脳を移植されたことと、その身体になってしまったことは別ということ? エニシという天()の脳を受け継いだ上での()()()がその姿、ではない?

 

「母親たるエニシの頭脳の移植に成功した私はクイーンズの家で、S.H.I.E.L.D.のエージェントである父の目を盗み、或いは利用してHYDRAの研究員の1人として不老不死の研究を継続した。だってそうでしょう? あくまでも子どもの身体に移り変わったのは緊急避難であって、不老不死を完全に実現させたわけではないもの」

 

 確かに、そうだ。

 結局人から人に乗り移っただけであって、恐らくエニシが望む不老不死の理想形に到達したわけじゃない。だって、結局人間という器である以上定命であることは変わらないから。

 

 でも、それでは満足できなかった?

 仮とはいえ、脳移植による半恒久的な肉体の新生に成功したのであれば、それはもう不老不死と言い換えてもよかったのに。

 

「だって結局、殺されてしまっては意味ないでしょう? 人間は血を流し過ぎても死ぬし銃で撃たれてもナイフで切りつけられてもショックで死ぬ。病気で死ぬこともあれば事故でも死ぬ可能性はある。

 だから、そういう致死の可能性を排除するために私は()()に乗り出した」

 

(……何の?)

 

「魔法の」

 

(……つまり、怪しげな術とか、非科学的なもの?)

 

 すると、包帯姿のエニシがゲラゲラと嘲笑う。何よ、別に真っ当な反応でしょ。

 

「アッハハハハハハハ、貴女面白いこと言うわね。他でもない貴女が。きっと私と同位体である貴女ならトニー・スタークにこう説教したのではなくて?

 「科学が万人に優しく在るとは限らない」とか、「科学って説明することではなくて、ありのままを認知・理解して創意工夫する文化性みたいなもの」とか」

 

(っ……)

 

 その、通りだ。

 悪魔(ベンディ)と邂逅し、至高の(エンシェント)魔術師(・ワン)の元で魔術の存在を知った私には、世界中で周知されている科学という法則では証明できない存在もあるのだと、知った。

 さも、世界の真理に触れたことがあるんだぞ、と得意げに。

 

「科学と魔法の違いって何? 多分いまの貴女なら「誰もが扱える法則が科学」で「誰かしか扱えない法則が魔法」と思ってるのではなくて? ()()()()()()。取るに足らない常人の多数派が、自分たちの知る技術の延長線上に想像できるのが科学。

 では魔法は? 私はこう考えたわ。「常人がそれが世界の法則の一つであると()()()()()()()蔑称が魔法」である、と。

 だってそうでしょう? 誰もが使える特別な法則を『魔法』という特別な呼称に当て嵌めたくないもの」

 

 それは…そうだ。

 銃を知らない人からすれば、遠くから一方的に人を蹂躙する筒なんて魔法だろう。だって、知らないから。知らないから、使えない。使えない未知の法則はそれこそ『魔法』。

 逆に、誰もが使える、なんの特別性もなく特殊性もなく誰もが使える法則は『魔法』と飾る価値がない。『科学』って常識の言葉に置換できる。

 それほどまで、『魔法』って単語には特別な要素がある。

 或いは、()()()()()()って言えばいいのか?

 

「20世紀後半あたりから話題になる『魔法』とか『超能力』とかはオンリーワンだから注目されてる。まぁ軍事利用できると目を付けたのは各国の軍部だけどね、あくまでも民衆の話よ。

 そういうのを欲してる浅ましい連中は自分もその唯一性を獲得したい、()()()()()()()()()()()()()()()()()()っていう屈折した劣等感(コンプレックス)という疾患を患ってるのよ。自分だけができるという()()()()()()()()()()。だってできるようになれば一目置かれ、羨望の眼差しを向けられ、感心され、褒められる。気付かない? 率先して『魔法』や『超能力』を得ようとする連中ってのは大抵勉学やスポーツなどの当たり前の努力を厭う奴等ばかりだって」

 

 それは、()にはわからない。

 だって、だって私の周りにいたみんなは、そういう不純な動機で力を手に入れた訳ではないもの。

 ある人は国を守るために、ある人は戦争を根絶するために、ある人は科学の可能性を証明するために、ある人は迷える人々を導くために。

 また、ある人は…事故で、偶発的に望まぬ力を得て。

 それでも皆が皆、自分勝手な欲求を満たすためのエゴイズムに浸った人は一人としていない。そういう人たちにしか特別には、唯一性を獲得することはできないんじゃないか、という仮説もできちゃうけど。

 

「くっふふふふふふ」

 

(……何、その変な笑い)

 

「ああ、ちょっとした()()()()()()というヤツよ。いまの話とは関係ないから気にしないで頂戴。

 それで、私が魔法の解明を始めた話だったかしら。要は魔法って、その時代の水準の科学では解明できない現象の類なわけでしょ? 当時はS.H.I.E.L.D.に奪われたテッセ(四次元)ラクト(キューブ)だって21世紀の科学では解明できないものだし。そのエネルギーを流用しようとするS.H.I.E.L.D.の過激派には驚いたけどね。

 で、幼年期を脱してモラトリアムを飛び越え成長した私はある噂話を耳にした。『とあるアニメスタジオには悪魔が住んでいる』『そのスタジオから戻ってきた人はいない』」

 

(それって…)

 

「そう、ベンディよ」

 

(……天才の頭脳を受け継いだ女が、まさか噂話をアテにするなんて)

 

「『魔法』の話だからこそ噂話なのよ。当たり前の『科学』を秘めやかに吹聴する物好きはいないわ。逆に『魔法』の話を公衆の面前で堂々とひけらかしたりはしない。その『噂』という媒介を通して生まれる『魔法』もあるみたいだしね?人伝にその噂話を聞いた私は調子に乗ってそのスタジオの探索に乗り出したわ。

 エニシという天才の脳を移植した(ユカリ)に解明できないことはない、手の届かぬ天上に輝くあらゆる『魔法』さえ『科学』という地に墜とせる……飛ぶ鳥落とす勢いとでも言えばいいのかしら、寿命の超克という難題を乗り越えて()()()に満ち溢れていた未熟な私はスタジオの調査に赴いた。近所だったことが増長に繋がったのよね、「まずは身近な『魔法』を解明してやろう」ってね」

 

(……それで?)

 

()()()()()()()

 

 ………は?

 何を。

 何を、言ってるんだ、この人。

 でも、包帯に浮かぶ表情はいつものにやけ顔をやや歪ませた形だ。まるで、苦渋を飲まされた、みたいな。

 ………本当に?

 

「ああ()()()。誇張も比喩もない。正真正銘世界は終わっちゃったのよ、私のせいで。

 まさか世界を終わらせるに足るだけの存在がご近所さんだったなんて考えもしなかった。しかも地区踏破第一歩目で、正に10000分の1の貧乏籤を一番最初に引いてしまったような、そういう事故だった」

 

 で、こうなったと。

 意味が、分からない。まず原因がわからないし、そうに至るまでの過程がわからない。これが、誰もが感じる『魔法』って感覚なの?

 

 ……いや、まて。

 ヒントは、ある。

 いままでの経験に、その結果に至るまでの要素は、ある。

 

 まず、ベンディのアニメスタジオ。

 この次元(ユニバース)では幼少期の私が事故に巻き込まれて存在が世間に出たようなものだけど…ユカリの世界では違う。幼少期は研究に没頭していたし、その話からするとユカリ自身が調査に赴くまでは誰も干渉してなかったということになる。

 

 次に、トニーやソー、師匠が見たという、地球滅亡の未来。

 もし…もしその未来が、この次元の未来ではなくて、別の次元で起きてしまった光景だったとしたら?

 

 それが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だとしたら?

 

「警戒はしていた。準備は怠らなかった。今考えうる万全の策を用意して挑んだとしても、あの結末は変わらなかった。一番のベストは『放置』でも『隠匿』でもなく『未知』だったんでしょうね。私が知り興味を持ってしまった時点で、その時点で世界の終わりは確定してたのよ。

 スタジオに踏み込んだ私はベンディという存在に触れ、汚濁に呑まれ、ベンディという悪魔がスタジオの外、つまり現実世界を自由に闊歩するための容器になり、無尽蔵の悪意(インク)は地球を飲み込んだ」

 

 そして、地球は滅んだ。

 ユカリの言葉が信じられないと否定する一方で、それもできないことはないと思う私がいる。

 確かに、私がいるこの次元では未成熟な私がベンディの容器に加工されかけてたし、それにユカリの話が正しいなら、私の脳に母親の脳は移植されてない。決定的な違いが多過ぎる。現実世界に進出する器にされるよりも先に師匠(エンシェント・ワン)が駆け付けて交戦したことも、大きい。だから疑問が浮かぶ。

 

あの人(エンシェント・ワン)が、世界の終わりを予期できないはずがない)

 

「そう──至高の魔術師であり過去と未来、あらゆる時間軸を覗き見することができるエンシェント・ワンなら防げたかもしれない。でも、あのスタジオにはタイム・ストーンでも精密な時間操作なしには侵入できない結界が張られていた。それに延々と閉じた時間を繰り返すだけであれば放置することが正しいと判断していた。

 だってエネルギーは無限でないものね、供給もままならない『閉じた時間軸』では、繰り返すにもエネルギーを悪戯に浪費するだけだから放置しておけば勝手に消滅してくれる。だから見逃した。見逃してしまった……ま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はそれだけじゃないんだけど」

 

(?)

 

「そもそも、『閉じた時間軸』から出れない存在が引き起こす未来はタイム・ストーンでは予知できないのよ。干渉する余地がないから、外側の世界の時間軸に起こす影響を予知できない。タイム・ストーンが見せる未来はあくまでも()()()()()()()()()()()()()()に限定されているし」

 

(……そうなの? 師匠は、自分が死ぬ瞬間までって言ってたけど)

 

「単にスペックの問題ね。タイム・ストーンの予知能力は()()()()()()()()()()()…ありていに言ってしまえば、過去と未来に存在するストーン同士で交信することができる携帯電話みたいなものだから。

 タイム・ストーンという楔がその時間軸における延長線──つまり、未来に存在している限りはその未来を見ることができる。けど、それはあくまでもタイム・ストーンの扱いを極め、()()を上げなければできない」

 

(出力?)

 

「その話はまたあとでね。

 だから──言ってしまえば、エンシェント・ワンにとってはベンディが『閉じた時間軸』から出て世界に侵食するまでのタイムラグが生命線だった。『私』という世界の一部が『閉じた時間軸』に介入することで生まれる間隙──そこから流れ出す破滅の未来。現実、ベンディに呑まれた彼女も直前で予知できたらしいのよね、世界の終わりを」

 

 つまり…私の場合、最悪の世界滅亡フラグに巻き込まれていながら、幸運にも様々な要素が重なって防げた、ってことでいいかしらね。ベンディとの対話時間が、師匠(エンシェント・ワン)が対処するまでの時間稼ぎになった、と。

 でも、私が出会ったベンディにはそういう悪意は…いやどうなんだそこんところ。友好的になったとはいえ悪魔は悪魔。そこを人の思考の枠組みに嵌めて考えるのは危険な気がする。

 

 でも、仮にその話が正しいとして、

 

「この身体になった説明がつかない──と考えているでしょう?」

 

 ……その通り。

 たとえそれが現実に起きてしまった悲劇だとして、いまのユカリの状態に繋がらない。そもそも世界が滅んでしまったなら、もうそれで終わりじゃないの?

 

「世界を守るS.H.I.E.L.D.と言う名の『科学(常識)』も

 HYDRAと言う名の『科学(常識)』も

 地球の守護者たるエンシェント・ワンの『魔法(非常識)』も

 ……そのどれもが、抵抗することもできず地球はインクに呑まれた。そして地球すら腹に収めたベンディは宇宙という平原に燦然と輝く煌めきを、輝きを欲して星々を喰らっていった」

 

(……星を?)

 

 ……なんだろう。ちょっとわからない点が散見してる。

 何故外の世界に出たかったのか、は分かる。だってずっと閉じ込められてたらつまらないし、外に新たな世界があるなら、知りたいと思う。冒険したいと思う。その好奇心はどんな生物だろうと胸に抱くものだと思う。

 

 The frog(井戸の) in the well(中の蛙は) knows nothing(大きな海について) of the(なにも) great ocean(知らない) .

 

 ニッポンでは、このことわざに続きがある。

 

 But he(されど) knows(空の) the depth(青さを) of the sky(知る) .

 

 でも、地球や銀河の星々を喰らう理由が、動機が分からない。そんな手の届かない遠いものに馳せる思いが、恨みが、憎しみがわからない。

 

「当然ね。だってベンディは人気者になるどころか世界に生まれることすら叶わなかったインクの悪魔だもの。あらゆる輝きを羨み、妬み、奪いたくなるのは悪魔の(さが)でしょう。その強欲さこそベンディという悪魔の本質であり、同時に弱点でもあった。せめて、太陽系で満足していればよかったものを。ベンディはあろうことか『神々の国(アスガルド)』にも手を出した」

 

 あっ。悲しいほどに展開が読めた。

 

「知恵の神にして9つの世界の守護者でもある王者オーディン、そしてその息子ソー、ついでにお笑い枠のロキが悪魔(ベンディ)討伐に乗り出したのよ。オーディンは母星(アスガルド)の危機ということもあって死の女神(ヘラ)の封印を解いてアスガルドの死者を戦列に加えて抵抗、ソーとヘラ両名の犠牲と引き換えにベンディの討伐、消滅に成功した」

 

(ロキの扱い雑なのなんで)

 

「あいつが一番神の傲慢さと悠長さを体現してる馬鹿だから。そのくせ悪運にはめっぽう強い」

 

 なるほど納得。

 そういえば、オーディンおじさんも私を見たときすごい怯えてたっけ。あれってもしかして、別次元(ユニバース)でベンディの脅威を目の当たりにしてたからなのかな。ていうかヘラって誰。

 

 …ん? 待てよ。

 

(……ベンディが消滅したなら、()()()は何なの?)

 

 口が、三日月を象った。

 それは全身包帯だから、とか、そういうのではなくて。

 元はとはいえ人間が浮かべる種類の笑みなんかじゃ、ない。

 悍ましささえ、疎ましささえ感じる、生理的嫌悪というレベルを超えた、何か。

 人を嘲笑したとか、そういう方向性のものではない。

 

 運命を。宿命を。そして自分を。

 そういうものへの、憎悪を恩讐を湛えた、笑み。

 

「そもそも、なぜベンディがそこまで強大になったのかという疑問が思い浮かばないかなぁ?」

 

(それは、地球を飲み込んだから)

 

「その通り。より正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

 

 ……あ、あああああああ。

 そうだ、地球には、インフィニティ・ストーンが、いくつかあった。

 

(まって。ロキの、チタウリの侵攻は)

 

「起きた後」

 

 じゃあ、S.H.I.E.L.D.…じゃなくてHYDRAに確保されてたセプター(マインド・ストーン)に、師匠が所持してたアガモットの目(タイム・ストーン)に……あれ? 2つだけ? いや2つだけでもやばいけど。

 

「リアリティ・ストーンはオーディンがアスガルドの地中深くに封印していたんだけど…惑星直列について知識はあるかしら? 太陽系の惑星が一直線になるアレよ。当時ロンドンでは惑星直列の影響で重力異常が頻発していてね、ソーの元カノがアスガルドに飛ばされてリアリティ・ストーンを手に入れちゃうんだけど、運悪いことにリアリティ・ストーンを取り込んだ元カノも吸収しちゃってね」

 

 ……つまり、その時点でベンディはマインド、タイム、リアリティ・ストーンの3つを手にしてた訳か…なんで、なんでインフィニティ・ストーンなんてトンデモ厄ネタの塊を1ヶ所に、いや1ヶ星に置いておいたのよ。しかも()()

 そういう点では、ある意味私がインフィニティ・ストーンの光に触れる機会があったのは、必然だったのか…?

 

「もし、チタウリ侵攻の()だったら最悪だった。あらゆる場所に転移できるスペース・ストーンまで吸収していたらその瞬間宇宙のあらゆる星の輝きを吸い上げてたでしょうね」

 

 どっちにしても最悪やんけ!

 でも、幸いにもスペース・ストーンはチタウリ侵攻後はソーとロキとアスガルドに転送された筈だから…間一髪、ってところなのかな。複雑だけど。

 惑星直列…そのタイミングを狙って、ベンディは目覚めた? 流石にそれは()()()()じゃないか…?

 

 ん、あれ、まって。

 

(じゃあ、タイム・ストーンは…? 時間軸に干渉できてしまうなら、過去未来に渡って自由に星を貪り喰らうことができたんじゃないの?)

 

「それが、ベンディがアスガルドの連中に負けた敗因であり原因でもある。

 マインド・ストーンによって高度の知能を得たベンディはそれでも、吸収したはずのタイム・ストーンを扱うことができなかったし、その原因もわからなかったのよ。思い出しなさい? タイム・ストーンを守護していたのは、()()エンシェント・ワンなのよ?」

 

(まさか……ベンディに喰われても尚、タイム・ストーンを守ってた…?)

 

 エニシの首肯が、その予想が真実だと悟った。

 まじかー……すごいな、師匠。喰われてもタダでは死なないと思ってたけど、まさか消化されずにタイム・ストーンの主導権を握り続けてたのか。やっぱウチの師匠おかしいわ。

 

「大捕り物ってのは、餌で釣り上げて殺すのが定石よね。オーディンがベンディを釣り上げたのはスペース・ストーンだった。当然、アスガルドの輝きよりも美しい石の力に取り憑かれたベンディは隙を狙われて、頭脳中枢の役割を担ってたマインド・ストーンを打ち砕くことで殺せたけど、陽動であったソー諸共スペース・ストーンを喰った事実は変わらない。で、ベンディそのものが消えて、()()石の所有者は誰になったと思う?

 身体を失った私よ」

 

 かちり、と。エニシが左腕の時計を操作した。

 くるりと回った文字盤から現れたのは、赤、青、緑の宝石。

 リアリティ、スペース、タイム。

 

 でも、()()

 この石は、この次元由来のストーンなんかじゃない。

 何より、ストーンが放つ鈍色の輝きが、いままで私が見たストーンとは、違う。霞んでる。

 

「インフィニティ・ストーンは未知のエネルギーを生み出す永久機関であり存在の昇華、覚醒といった様々な影響を与える神秘の秘石。こう聞くと、()()()()()()()という印象が強いけど、インフィニティ・ストーンには()()()()()という特性もあった。

 討伐されたベンディの存在は消滅しても、吸収した石は存在し続けたし容器にされた私は、肉体こそ失ったけれど世界に現界し続けた……し続けてしまった。

 スペース・ストーンとタイム・ストーンが時間と空間に干渉して存在崩壊する(ユカリ)という自我を固定して、リアリティ・ストーンでアストラル体である私を現実世界に繋ぎ止め、現実への干渉能力を得た。その結果がコレ」

 

 ウソ、でしょ。

 それが。

 その結果が、コレなの?

 悪魔に乗っ取られて、星を喰らいつくして、退治されて、身体を失って、残り滓みたいな存在になって。

 その末路が、コレ…!?

 

(インフィニティ・ストーンって、人智を超えた力を秘めてるんでしょう!? なんで…なんでそんな形に、元の人間の姿にはなれなかったの!? 戻れなかったの!?)

 

()()ベンディに汚染されたのよ? それこそ人間の思い通りにストーンの力が発揮されるワケないでしょ。悪魔の(はらわた)から取り出された秘石はたった1つの例外もなく呪われてた。1つ1つのストーンの性能は維持したまま、歪んだ形で実現するエラーを残して。

 ま、期せずして不老不死に成ってしまったわけよ。至るまでの過程や要素は様々であれど、結果としては成功も成功、大成功。次元の一つを犠牲にしてしまったけれど、それでも()()()()()()()()()()()。私がストーンを使うのではなくて、3つの汚染されたストーンの総体として私が使われる構図になってしまったのは気に食わないけど、まぁ些事よね、それくらい」

 

(誤魔化さないで!)

 

 違う、違う!

 エニシの野望が正しいだなんて認めない。正しいはずがない。不老不死だなんて、そんなものは人間が手にするような代物ではないから。

 いつかくる終わりまで切磋琢磨するその生き様こそが人間であって、死という失敗(おわり)を迎えるまでなら、何度だって無限に挑戦して、高みを目指せるからこそ人間は輝くのであって…!

 

 それでも、それでも!

 あなた(ユカリ)が! 夢に向かって突き進んだのであるならば! 努力と苦しみの末に掴むのなら!

 

(そんな、そんなものが! 不老不死であるなんて! 私だったら、()()()()()()()()()()()()()! 不老不死だなんて認めない!)

 

()()()()?」

 

 それは、吐き捨てた泥に含ませたような口調だった。

 せめて、逆上して、怒ってくれれば、まだ人間らしさがあったのに。

 そう糾弾した私を、責められたのに。

 

「もう一度聞くわね。()()()()()()

 知識の神オーディンでも殺せないと匙を投げられ、無謬の輝きが煌めく宇宙だろうが光の届かぬ深海だろうが存在し続けられる私が、不老不死でなくて何なのかしら?

 首を切られた。でも死なない。

 全身を引き裂かれた。でも死なない。

 一片も余すことなく潰された。でも死なない。

 「いま死なないから不老不死だ」というその場凌ぎの見苦しい言い訳とは違う。老いることもなければ死ぬこともない存在になったのならば、それは不老不死でいいんじゃないの?」

 

 それ、は。

 

「……まぁ、別にいいわよ。不老不死でない人に不老不死を理解できる筈もないのだし。で、まぁ不老不死という研究にピリオドを打った私は()()研究を始めた。『不老不死殺し』という研究を」

 

(……自分、殺し?)

 

「そうとも言えるわ。でも私はもう一つの可能性を考えた。

 私という天才に実現できたなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。難しくはあるし、実現困難な夢であるのだけれど、それでも現代なら不可能ではないんでしょうねって。

 ……ああ、そうそう。その頃からよ、私が次元を旅し始めたのは」

 

 次元を、旅。

 そうだ、彼女(ユカリ)は、別の次元の私。であるならば次元を渡り歩くという手段なしには存在することが、まずあり得ない。幸い──とも言うの? 彼女(ユカリ)は、汚染されたとはいえ空間を司るスペース・ストーンを所持しているんだから、できなくはない、か…?

 

「次元渡航はスペース・ストーン単体では無理。タイム・ストーンという可能性過去、可能性未来を視ることで、それを糸口に自己の座標を転移させることで漸く可能になるものね。さっき言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()って。

 元々インフィニティ・ストーンって全部集めらた次元を掌握する力を手にできるって謳い文句があったけど、強ち間違いでもないのよね。理に叶ってはいるから。時間、空間、現実、精神、魂、力…それらを自由にできるエネルギーを持つストーンを手にしたなら可能よね。なんせかつて存在した特異点のエネルギーが込められているのだから。

 ……手にした者が()()()()使えるかどうかは別問題として」

 

 ……いくら高性能の内燃機関(エンジン)を手にしたところで、搭載する車体(ボディ)が凡庸ならそりゃ使いこなせないわよね。最初は上手く走れるかもしれないけど結局見せかけ、いずれは内に宿る熱に焼かれて燃え尽きる。

 

「……さて、これで最初のユカリが生まれた次元の末路と不老不死に至るまでの(みち)は終わり。次なる研究『不老不死殺し』の術を得るための(みち)を歩むわけだけど……ここで少々、蔓延る()()に足踏みした」

 

(……雑草?)

 

「ああそうとも、有象無象の雑草。放置しておいても問題ないけど、そのまま進むには足を高く上げなければ絡め取られる。とはいえ引き抜けないほど強い根を張ったものでもない、少し力を込めれば根元から()()()()と引き千切れる。

 

 不運な死を乗り越え、(カミ)に掬われた殉教者(マルティール)

 宿主の魂を喰らって潰し、我が物顔で踏ん反り返る憑依者(ベゼッセンハイト)

 借り物の恩寵を賜り、生まれ堕ちた世界を思うがままに蹂躙する破壊者(デストロイヤー)

 

 私は彼らを『異次元の旅人』と称してる。私も同様に他の次元を渡り歩く『旅人(ガリバー)』であることに変わりはないもの。でも彼らは()()()()()()()()()()()()()()()()()を持ってる。そして(カミ)に選ばれた彼らは自らをこう呼ぶ。

 

 転生者、と」

 

 

 

 

 





 彼女は不老不死の真実を憂いた



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レインという名の生贄



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 Chapter 128

 

 

 

「なぁ兄上、マリオは知ってるか?」

「何の話だ?」

「いや、ゲームの話だ。私がハマったゲームにはマリオという赤帽子の配管工がいるんだが、そいつには弟がいる。ルイージって奴だ」

「へぇ」

「ルイージってのは、正に永遠の二番手というヤツでな。兄に勝る弟などいない…これを克明に突き付けられたような存在だよ」

「ハッ、それはそうさ。兄より優れた弟はいない。義弟(ロキ)よりも俺様(ソー)の方が優れてるなんて最初から分かりきったことだろう?」

「ああ。だから私は義弟(ルイージ)を辞める。私は、ゲムヲになる」

「……は?」

「知ってるか? ゲムヲの登場は1980年に発売された『Mr.ゲーム&ウォッチ』、マリオの登場は1981年のしかも初登場題名(タイトル)は『ドンキーコング』! 自分の名前ですらない! ゲムヲは唯一、マリオよりも先に登場したキャラクターなんだよ! つまり、つまりだ! マリオより先輩で、強いって、優秀ってことなんだよ!! 少なくとも決定打にすらならないへなちょこ必殺技しか打てないマリオなんかよりはマシさ! 所詮運ゲーなんだ、ジャッジ9で完封してやる…!」

「何を言ってるんだお前は!?」

 

「……ホゥ、私を前に悠長なことだ。ンン?」

 

「ほれ見ろ、真のゲムヲ(ヘラ)が現れたぞ。お前よりも真っ黒だ」

「…ああ、なんてこった」

 

 

 

 

 

 Chapter 129

 

 

 

「さ、て、と…それじゃ次の話に行きたいところだけど……ね、貴女の疑問に答え続けるのもフェアじゃないでしょう? 少しは私の質問にも答えてもらってもいいかしら。ちなみに拒否権はないから」

 

 もう恒例行事となってしまった問答でもしましょうか。

 いつの時代だって対話による解決は必要よね。下手に突いて火傷を負わされては堪らないもの。何事も平和的解決に手を伸ばさなきゃ、損をするのはいつだって私。

 まぁ、火傷程度で死ねないのは、ねぇ?

 それでも私は知っている。火傷を負った過去を持つ人が炎を見て恐れるように、対話を挟まない解決が生む面倒事を知っている。

 

「貴女は、M(マーベル)C(・シネマティック・)U(ユニバース)という単語に聞き覚えはあるかしら?」

 

(…知らない)

 

「ふむ…次の質問。貴女は転生者という存在を知ってる? 若しくは、貴女は転生者?」

 

 『魂の保管器(フラスコ)』の中の魂は否定の色を示した。

 ……これも無い、か。勘違いだったみたいね。あまりにも過去に見た同位体とは違う傾向が強く見えたから、()()()()()と思ったけど。

 そもそも、私は異次元の旅人共とは致命的に相性が悪いから、憑依の(規格)に適していないのよね。その点ではこの仮説が立証された。

 

「最後の質問…というよりこれは数当てに近いのかしらね。『14,000,605』…この数字は何を指しているでしょうか」

 

(せんよんひゃくまん…? ………まさか、)

 

「アラ? やっぱり貴女は今までのよりも鋭いわね?

 正解は、私が見送ってきた同位体の個数よ。同時に私の『不老不死殺し』の実験台になった検体(サンプル)の数、実験の試行に使用された同位体の数でもある」

 

 ああ、魂が震えているのがわかる。

 私は歓喜に。貴女は恐怖に。

 覆しようもない事実に打ち震えて、生きる力さえも撓ませているのがよぉくわかる。

 それでも──霧散しないのは、魂の強度が高いからでしょうね。今までの同位体の半数以上は、この事実を聞いて自壊してしまったから。

 この同位体は、とても()()がいい。

 

(……うそだ)

 

「嘘じゃない。言ったわよね? ()()()()()()()()()()()()()。悪魔に肉体を奪われ、ユカリ・アマツとなった私は抜き身のアストラル体。3つのストーンの呪縛で現世へ過干渉できるに足る不老不死に成り下がったわけだけど…それでもアストラル体の基本原則は変わらない。同様に私も嘘をつけない。

 残念ね、私の言ってることはすべてが真実よ。これまでの話も、そしてこれから私が言うことも」

 

──まぁ、半分嘘なんだけど。

 あくまでもアストラル体に成り立ての魂が嘘をつけないというだけで、アストラル体という状態に慣れれば如何様にも虚偽の皮を被れる。私がこの状態になって年換算だと…××××年くらい?

 流石に鋭い洞察力を持った変異体であっても、私が以前嘘をついてたことは思い出せないみたいね。ドリアン・グレーの絵画、偽りの不死の秘術。その場で考えた思い付きだし、アレ。

 でも、研究者としての矜持にかけて、虚偽の研究結果の報告をするつもりはないわ。

 

(…さっき)

 

「ん?」

 

(さっき、言ってた、持ち込んではいけないもの、って…)

 

 ああ、それ。

 

「彼らはあろうことか、前世の記憶を持ち込んでたのよ」

 

(……そんなの、いいじゃない。あなただってエニシの脳を移植されてるんだから、同じ穴の狢でしょうに)

 

 ええ。

 そうね、そうなんでしょうね。貴女にはそう聞こえるしそう思えるんでしょうね。

 でも違うのよ連中は。

 

「そうね、その記憶が『マーベル』という次元由来のものであれば私も頓着しなかったわ。歯牙にもかけなかった。

 でも連中はあろうことか、『マーベル』という次元が創作物として存在している()()()()からやってきた。そして、この次元の過去と未来を正に神の視点と言わんばかりに客観視し、その次元に降り立っては正史(原作知識)を思うがままに活用して己が欲望を満たす箱庭に仕立て上げた。

 言うなれば『マーベル』という次元そのものを貶めたのよ、連中は。いま生きる人間を『登場人物(キャラクター)』に、思い出や出来事を『記録(イベント)』にすり替えて」

 

(…なん、で)

 

 なんで?

 ああ、お決まりの常套句ね。同位体の中でも一際誰かに優しい貴女は、彼らへの慈悲の心を持ち合わせているのね。行動には必ず信念と、それに付随する理由があると、そう信じてる。善人だろうが悪人だろうが英雄だろうが悪党だろうが、影響の大きさに比例して想いも大きいはずだって、心の底から信じてる。

──吐き気がするわ。

 

「だってそうした方が気持ちいいから。自分が気持ちよくなれるから。

 子どもって幼少期は砂を集めてお城を作るわよね? それと同じよ。

 大人って欲求を満たすために他者と交わるわよね? それと同じよ。

 正義感を肯定したい。息をするのに適した環境にしたい。

 振るった力で蹂躙される様を見たい。世界が思い通りになる様を見たい。

 そういうエゴを孕んで生まれ堕ちた連中は、(カミ)から知識を、力を賜るのよ。そして子どもの癇癪のように突き崩し、或いは勝手気ままに世界を揺り動かして理想の世界に仕立て上げる。そこに良心の呵責も無い」

 

(…どう、して、そこまで、)

 

「だって自分は一度死んだのだから。

 死という生物最大の不幸と遭遇してしまったのだから、見返りとして好きにさせろと、世界を寄越せと。あろうことか訪れる旅人は皆口々にそう言うのよ。だから私は言い返してやった。

 そんなことを言うなら、生まれ変わってくるべきじゃなかった。新生するべきではなかった。蘇るべきではなかった。不老不死になるんじゃなかった。(カミ)に選ばれるべきじゃなかった。

 死者(敗者)死者(敗者)らしく、地獄に這い蹲って未来永劫苦しんでいればよかったのに」

 

 本当に。

 本当に、何故(カミ)は、愚かな魂を黄泉から掬い上げて。救済と称して異次元に送り込むのでしょうね。一度死んだ人間の魂なんて、歪んで捻じれて狂ってるに決まってるでしょうに。(不老不死)を生み出しておいて、まだわからないのかしら。

 

「一方私の方はというと、幸いにも次に渡った次元でも同位体(レイン)は見つかった。条件は同じ。

 それでまず手始めにやったことは──母親(エニシ)の殺害よ」

 

(……なるほど、脳の継承をしなければ、そもそも不老不死(ユカリ)は生まれないという)

 

「ぴんぽーん大正解」

 

 それが、『マーベル』という次元でたった一人エニシの脳を継承したという証明でもある。

 私が言えた義理じゃないけど、エニシの脳が生み出す無限の探求力は加速度的に世界を滅ぼしかねない。私一人でさえ世界を滅ぼす事故に遭遇したんだから、いくら無限に膨張を続ける宇宙であっても、多分その増殖スピードを上回る勢いで枯らす。

 

「でも殺したところで私という存在は消えなかった──まぁ、物は試しだからね? とりあえず次元を渡ったら(エニシ)を殺すことは日課にしてるの。100万回殺して変化がなくても、100万1回目に変化があるかもしれないから。きっとゲームみたいに称号を習得できるかもしれないし?

\パッパパー/って

 それに……わざわざ私が不老不死になるところまで過保護に見守って、最初の次元のルートを守らなくてもよくなったのよね」

 

(……なんで? 『不老不死殺し』が研究であるなら、『不老不死』の存在は必須なんじゃないの?)

 

「簡単な話よ、必要なくなったの。不老不死の存在は()()()から来てくれた」

 

 異次元の旅人が不老不死というケースもあったけど、それはかなり稀だった。でも異次元から旅人が来るということは、死者を蘇らせて次元と次元に梯子を掛けた超常存在がいるということでもある。

 

「実験の前提として同一の検体(サンプル)がなければならない。だから初期の私も同位体(レイニー)が不老不死に至るまで見守ろうとはしてた。肉体を蹂躙されて悪魔に取り憑かれて、地球を滅ぼして銀河に遍く星々を喰らう化け物になって。

 でもね、別次元から来た異端分子が率先して同位体を排除するようになったのよ。世界を終末に導く者を排除するのは、いつだって転生者(せいぎのみかた)だから」

 

(それが…転生者。

 でも、わからない。エンシェント・ワンですら予見できなかった地球滅亡の災厄。それを、転生者とやらは容易く見抜き、災禍が芽を出し萌芽するよりも先に始末したと?)

 

「別に滅亡の未来を予知しなくたっていいのよ。連中は、連中の知る正史(原作)とやらに存在しない同位体を疑い、始末にかかったの。だって、()()()()()()()()がいたら、おかしいでしょう? 真っ白なシーツに汚れ(インク)が付いてたら、洗って綺麗にしたくなるのが人間の潔癖症じゃない。

 ま、確かにそれは正しい。同位体が存在している以上悪魔(ベンディ)との接触は避けられない。終末は避けられない。同位体も含めて、私はそう宿命付けられた、星の元に生まれた運命の奴隷だから」

 

(……でも、彼らが異次元から来たという証拠は? そもそも転生者だってどうやって見分けるの? この銀河に数多の種族がいるならその内の一人だって思うじゃない。前の次元にいなかったからと言って、いままで注目していなかったかもしれないじゃない。貴女だって全能ではないのだから。

 なんで、なんで貴女は彼らを見つけられるの…?)

 

 おっと、割と鋭い点突いてくるわね。

 なるほど、認識の空白領域(デッドスペース)なら私にもある。私は万能でも全能でもなくただの天才に過ぎないから。でなければ実験で悉く失敗しないし。

 でも、その発想に至るということは、ある程度予想もついてるってことよね? マインド・ストーンの力を吸収し、人の精神が見えるようになった貴女なら。

 

「異次元から来た連中にはいくつか共通点がある。

  ①親の存在がない、若しくは不自然な出生歴がある

  ②真っ当な人間が付けたとは思えない奇妙な名前

  ③肉体と魂の()()

 

(……ズレ?)

 

「根本的に、異次元の魂とこちらの次元の肉体は規格が噛み合ってないのよ。そのあたりは(カミ)の仕事がズボラなのかマヌケなのか、それともそれが限界なのかわからないけど。でも、次元由来の魂でないからこそ次元に張る根は他よりも短い。だから間引けば簡単に引っこ抜ける。

 (カミ)曰く、転生者の魂と魂、それらに付随して与えられる『特典』とやらはなんであれ自然な形には成れないらしいの。そして私は──いや、私たちはそれを『色』として見分けられる。

 

 まず、本来こちらの次元にいる連中は『』。

 グリーンカラー、グローバリズム、自然色。つまり次元由来のクリーンな色。

 

 対して異次元、あちらの世界からやってきた連中は『』。

 デンジャラスカラー、警戒色(シグナルレッド)、白地赤枠劇薬注意、異物混入、添加物1000%の粗悪品。醜悪なエゴから生み出され劣悪な(カミ)の悪戯で放り込まれた、赤よりも紅い悪夢」

 

 緑と赤。あら、まるで3D眼鏡みたい。

 

「でも連中って気付かないのよねぇ…それとも人間だからこそなのかしら? 不都合なことには目を背ける。自分だってその正史とやらの世界には存在しない異物であることには変わりないのに、同じ穴の狢であるにも関わらず同位体を排除する……ねぇ、これって矛盾してるわよね? 正史(原作)とやらを取り戻すなら……

 まず自分(お前たち)が死ね! 首にナイフを突き立てろ! 脳天に銃弾ブチ込め! 心臓を抉れ、脳蓋を砕け!

 

 この世界に新生した己を呪い、速やかに自害しろ!

 

 私だったら嫌よ。二度目の人生を歩もうだなんて思わない。

 幼少期の恥ずべき記憶も、学童期の色褪せた青春も、成人期の退廃した研究生活も、抱えた過去のなにもかも忘れて、まっさらな人生を歩みたい。明日を掴みたい。

 連中は…『強くてニューゲーム』って言ってたかしら? 一度目の人生の経験を引き継いだまま二度目の人生を迎える……ああ、ああ!

 

 なんて()()()()! なんて不真面目!

 

 同位体(レイン)も言ってたけど、未知の経験をしてこそ人生だというのに自らその未知を投げ捨てるとはなんと度し難いことか! なるほど、確かに過去の経験無くして到達できない高みもあるでしょう、それこそ人類史を塗り替えてしまうような偉業を成すために…しかし、しかし!

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それこそ詭弁。それこそ戯言。

 当たり前を楽に済ませるのが上策? 嘘を言え、羞恥心を隠しているだけだろう。当たり前であろうと四苦八苦して乗り越えて経験を積むことが『人』が『生』きるということだと、理解できないのか。一回人生を謳歌したくせに。

 私は不老不死だが、それでも不真面目に生きたことは一度として無いぞ。気が狂いそうになるほどの永劫であったとして、『不老不死殺し』という研究を完遂するための、失敗を繰り返してもめげずに真面目に取り組んでいるぞ。

 

 

 だから私は赦さない。不真面目を赦さない。転生者を、異次元からの旅人を赦さない。

 

 

一 切 鏖 殺

 

一 切 滅 殺

 

 転生者死すべし、慈悲はない。

 

 

「──連中は、意気揚々と幼い同位体を手に掛け、喰らって殺し、犯しては殺し、或いは謀略で殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺し続けた。まるで自分が行うことが正義であると微塵も疑わず、その行為こそが世界を救うために為す偽善であることを信じて。

 不思議ね…何千回と生と死を体感し生き続けてる私でさえ早々殺人なんていう非行には走らないわ、命の大切さを理解してるから。連中には、生命冒涜の特権でも与えられたのかしら?」

 

 ある転生者は、何十回と転生し続けて生死の価値観がおかしくなったとか嘯いてたけど、流石にそれはおかしい。

 元からその転生者には生命を軽んじる傾向があった、というのが私の仮説だ。現にそういう連中を虱潰しに捕えて記憶を覗くと、現代社会に馴染めず他者を害することを願望に抱いていた。或いは()()()()傾向の人間ほど向こうの世界では死に易く、転生という加護を受け取りやすい社会構造なのかね。『あなたの望む世界へ飛び立てます! さぁ車に轢かれましょう!』とか。集団社会に馴染みにくい人間であればあるほど独善的で自己中心的な考えに陥りやすいとか。

 上下関係が厳格だったり犯罪抑制を掲げた管理社会における民衆の間では処理できない不満を解消するための施策としてはアリ、か? 統治する立場になったことがないから何とも言えないが、反旗を翻す民衆の母数削減としては上等か。クソね。

 

「嗚呼、いい見世物(ショー)だったよ。同位体にもこんなに弱くて愚かで淫らではしたない、ありふれた脆弱性を有していたなんて。

 何せ娼婦としては最高級の器であったし、性処理道具としても申し分のない肉体だった。強い牡を見れば浅ましく腰を振って子種を強請る淫売はまさしく大淫婦(バビロン)に他ならない。

 愛玩動物として首輪をつけて飼い慣らすに足る毛並みもあったし、憂さ晴らしとして嬲り甲斐のある心も兼ね備えてた。いたぶられても何度だって立ち上がって見せる生贄はまさしく贖罪(スケープ)の山羊(ゴート)に他ならない。

 でも哀しいかな、その程度では『不老不死殺し』はできなかった。私には届かなかった。何千、何万とあらゆる手段を試しても、それが(ユカリ)を殺す手段に成り得なかった。だから悟った。『異次元の旅人程度では私を殺すには役不足だ』」

 

 とある次元の同位体は全宇宙を元締める娼館のオーナーに成り上がってたわね。タイム・ストーンによる自己の年齢操作であらゆる年代にも対応、インクの肉体を利用してどんな異種族だろうと満足させられる肢体にも変化可能。インクによる自己増殖で同時に100人を相手にしてたっけ。両刀(バイ)気質があったから異性も同性も顧客にしてた。

 性欲と言う切っても切り離せない生物の欲求を満たし、宇宙を支配する在り様は正に大淫婦(バビロン)と呼ぶに相応しかった。元よりそういう淫蕩の素養があったってワケだけど、特定の分野を特化して突き抜けると()()なると分かった、実に意義のある実験だった。

 

「だから、ポップコーン片手に連中の羽虫が如き足掻きを見るのは辞めたのさ。どうせこの続きを見たところで私の思い描く不老不死殺し(エンディング)は見れないんだろうなって。マナー違反上等で、スタッフロールが流れるよりも早く席を立ち、映画館(連中の箱庭)から出た。で、何をしたんだと思う?」

 

 そもそも、私が眺めてるのは連中の自慰(オナニー)でしかないからね。延々と性器を慰めて自慰に耽る様子を眺めるのは流石に飽きた。

 

「ちょっと寄り道をした。研究を進める上でそれが必要か否かを確かめるために。そのために『魂の保管器(フラスコ)』なんて大層なものを拵えて──異次元の旅人共を捕まえて解体し、分析を始めた。異なる次元、『マーベル』と冠されるこの次元を俯瞰することができる明らかに上位の次元からの旅人…興味がないといえば嘘になるでしょう? だから調べた。ホラ、だってよく言うでしょう? ()()()()()()()()()()()

 

 初期は何度も返り討ちにあって殺されてたけどね。10回殺しても死なないとか、一方的に攻撃が通される鎧とか、未来視に似た攻撃回避とか、死の線を見通す眼とか。

 でも、攻略法はあった。その方法がねぇ。

 

「ただ、いい意味でも悪い意味でも誤算があった──この世界で(カミ)を殺すことは不可能じゃなかった」

 

(えっ…神って、全知全能なんじゃないの? そもそも、神っているの…?)

 

「いるわ。そしてこの次元の神は殺せる──それはアスガルドの歴史を見ても明らかよ。

 連中が『マーベル』と呼称するこの次元では、神は絶対の存在じゃないの。いくら魂を黄泉から引き摺り上げて、恩寵を授けられる絶大な存在であっても、不老不死であったとしても、(カミ)は殺せる。この次元に関わった以上その法則から抜け出せなくなった。捕まったのよ、『マーベル』という次元の法則に。

 だから殺せた。だから殺した。そうしてこの次元に旅人共を送り出す不遜なる(カミ)を皆殺しにすれば、力の源流であり供給源でもある(カミ)の恩寵は止まる。

 結果、異次元の旅人はその魂にはあまりにも不釣り合いな力を宝の持ち腐れの如く抱えた卑しい盗人に成り下がった。そういう連中を鹵獲し、尋問し、時には実験の貴重な検体(サンプル)にして有効活用させてもらったの。彼らの言う原作、とやらにも興味あったし」

 

 まぁ、中には手を掛けるのも躊躇う(カミ)がいたことは事実。

 

 酒豪で宴会芸しかできなくて胸だけはご立派な駄女神とか。

 PAD仕込みの胸だけど性格は善くて品のある女神とか。

 同族を救う為に自らを対価に宇宙法則を書き換えた女神とか。

 円環の理を奪って堕天し世界改変を行った女神とか。

 

 そういう(カミ)とは対話をもって解決することもあった。やっぱ平和的解決最高! 今後は控えてねってお願いしてくれたら納得してくれたし。代わりに来る(カミ)はロクでもない連中ばかりだったけど。

 (カミ)の多様性と言えばいいのかね。一神教を掲げる連中なら卒倒間違いなし。まるで特定の信仰を持たない多宗教国家の考え方をなぞる様な(カミ)…そこに意図を感じないと言えば嘘だけど、まだ結論付けるためのデータが足りない。

 

 …やっぱり、()()調()()したいわ。向こう側の次元、『マーベル』を創作物として俯瞰できる上位世界。

 向こう側から何千何万と侵入してきてるのだから、さぞ通りやすい(次元路)ができてることでしょう。まさか散々旅人を送り出しておいて、逆に来るのは困ります、なーんて都合のいい言い訳が通じると思ってるのかしらね?

 よし、決めた。次の(カミ)は素材にしないで捕虜にしよう。そして上位世界の視察に行こう。

 

「ここからの話だけど──聞きたくないなら、拒否していいわよ? 口にしてほしくないならそう言えばいい。だって貴女にはそう意見するだけの最低限の資格があるのだから。その意見が叶えられるかどうかは別として、だけど」

 

(……ぇ)

 

「見たくないなら目を瞑ればいい。聞きたくないなら耳を塞げばいい。目立ちたくないなら口を噤めばいい。そうして受け入れ難い現実から逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて──ひたすら己という硬い殻に籠って微動だにしなければいい。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 別に私は人間のそういう弱い部分が嫌いじゃないわ。むしろ愛しいとすら思えてくる。人間にはそういう弱い側面もあるからこそ結束できる、強くなれる。弱さは生物由来の生存本能みたいなものだし、その弱さが今日の人類の繁栄に繋がった。

 共依存と言う形に溺れることもあれば、共生という形で恋や愛や友情を育むこともできる。ああ、()()というお情けや寵愛を受けることもできるしね? 憐憫の庇護対象にされるのは病み付きだもの、人間という生物は」

 

 正しいことは激痛を伴う。だって、苦しみを我慢するということだから。

 正しいことは激痛を伴う。だから、人は最も痛みの少ない楽な選択肢を選ぶ。

 

 世の中には優しい逃げ道を用意してくれる。目を閉じれば正しい現実は見えない。耳を塞げば正論は聞こえない。口を噤めば反論は帰ってこない。

 何事にも、限度(リミット)というものはある。そしてその限度(リミット)には個人差がある。あらゆる痛みを享受して突き進む英雄や聖者もいれば、痛みを恐れてすべてから逃げ出す悪党や愚者もいる。

 

 逃げることは悪いことではない。逃げたければ逃げればいい。誰もその背を追いはしない。

 だって、そんな敗者に大した価値は無いのだから。

 

 言うべきことは言った。最低限の警告はした。でもこの同位体は。

 

(……ッ)

 

 何も、言わない。

 拒絶しなければ拒否もない。如何なる真実だろうと受け止める、そういう覚悟が決まった眼を見せてる。溶液の中で動けず、それでもガラス越しに、真実を受け入れようとしてる。

 

 だから、おかしいのよねぇ。

 

 この同位体は、私が今まで見てきた同位体とは頭一つ抜きんでて()()。エニシのような狂気も、(カミ)のような無責任さも、異次元の旅人のような悪性とも、一線を画している。

 何より、己が世界の主人公であると言い張らない。自律性の欠如か? 単なる達観か? それとも諦観か? いや違う。

 ……私という同位体の総体から溢れ出た欠陥品(エラー)とでも言えばいいのか。それとも変異体(バグ)か? でも、それはそれで使()()()はある。

 

「ああそう──なら、これから貴女に行う実験を教えてあげるわね。少し前に思いついた『不老不死殺し』の手段なんだけど、貴女で()()()()しようと思うの。それが私という不老不死を殺すに足る毒になるかを試すために、ね」

 

(試し、書き…?)

 

「なんで貴女をわざわざ『魂の保管器(フラスコ)』なんてVIP待遇で迎え入れたと思ってるの? もちろん実験の検体(サンプル)にするためよ。そして実験の下準備でもある。貴重な同位体の魂に刺激を与えてしまっては、正しいデータが取れないから」

 

 過度な情報(ぜつぼう)は与えない。それでも適度な刺激なしにはできない。

 まるで酸塩基平衡の実験で試薬を垂らす瞬間のように、ギリギリの分水嶺を見極めていく。

 ああ、同位体を甚振る連中の嗜好がよぉくわかる。確かにこれは病み付きになりそうだ。

 

 

「実験名『Bad Apple』──別名『星隷計画』」

 

 

(腐った…イヤ、『Bad(黒い) Apple(林檎)』…? 『代替計画(план суррогат)』にあった…)

 

 あ──なるほど、そういうことか。

 どういう経緯か、この同位体は(エニシ)の頃の資料を入手したらしい。なるほど、確かに()()()()到達できた同位体は初めてだ。だから、か。

 

「『The(たった) Bad(一個の) Apple(腐った林檎が) injures(周りの) its(林檎を) neighbor(腐らせる)』──これは(ユカリ)ではなく、(エニシ)の頃に考えていたものではあるのだけどね。不老不死の研究の際に行った実験の副産物よ。元々『半恒久的な人類の継続』の実現における外敵…つまり、地球外からの侵略による人類滅亡を想定した対応策として用意された計画でね。

 この実験にはいくつかの条件が存在する。前提条件としてだけど、この星がたった一つの存在によって滅びるという未来が確定していなければならない」

 

(……え、星の、滅亡? 地球が?)

 

 ああ、そういえばまだそのことは話してなかったっけ。

 

「いままで漂流してきた次元では、インフィニティ・ストーンを集めきったサノスが全宇宙の生命体の半数の消滅、という野望を成し遂げたわ。名付けて『指パッチン事件』。でも、8回ほど前だったかしら…なんとも興味深いデータが取れたのよ。

 何がきっかけだったかは知らないけど、遠くない未来で宇宙の救済者として崇め称えられるサノスは、宇宙の中でも地球だけは()()()()させた。5年後の反撃の芽を摘むために、過去未来に渡って起こりうる復讐(アベンジ)を防ぐために。で、サノスが地球を破壊する未来が確定した瞬間『星隷計画』が自発的に発動し──同位体が、砕け散る地球の身代わりとして召し上げられた」

 

 アレはちょっとした奇跡だった。

 まさに救世主らしい手技には関心するところもあったけど、結局は騙して殺しただけだから、あまり見ていて気持ちいいものじゃない。『G.I.ジョー』みたいな後味の悪い末路(エンディング)だった。

 

「やったのは私じゃないんだけどね。そこそこの友情を結んだ転生者に騙される形で体のいい生贄にされてたわ。地球という星を守る上で、同位体を排除する上で都合のいい絶好のシチュエーションだった。結果としてサノスによる星の破壊を、存在丸ごと捧げて防いだおかげで、地球という星は守られた。

 何が言いたいかっていうとね、一つの存在によって世界を滅ぼすことができたなら、『逆説的に』一人の人間によって世界を救うことも、何ら矛盾してはいないのよ。

 確かにたった一個の腐った果実は周囲の果実までも腐らせるでしょう。でもそれなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだって──あるとは思わない?」

 

 抑止力(カウンター)…若しくは、人理の守り手とでも言えばいいのか。つまり、一人の人間の手で地球が滅亡するという未来がタイムスタンプとして残ることで、逆説的に一人の人間が地球の滅亡を阻止する理論も成立する。よく言う1-1互換、というヤツね。

 

「この場合、同位体(レイン)という魂を星に捧げることによって全能抗体(マクロファージ)となり、星の命が尽き果てるまで永遠に同種族を守り続ける奴隷…つまり、星隷になることで防げたらしいの。言わば、星が命の危機を感じ取り引き起こした自己防衛措置ね。

 そもそも、一番最初に一人でも地球を消滅させることができたのだからそこに気付けよって話なのだけれど…でも、その頃の私という要素には悪魔(ベンディ)という付属品(アタッチメント)もあったから、考え付かなかった。思い至らなかった。

 でも諦めなかったから気付けた。考えられた。嗚呼、やっぱり人間って素晴らしいわね。不条理の塊よ。勇気と気力と夢さえあれば、諦めなければ可能性は切り拓ける」

 

 本当に。正しく。

 信念と努力と日々の弛まぬ研鑽は、如何なる不可能を可能にしてくれる。

 努力は限界を乗り越え、あらゆる偉業を成し遂げる。それは、人間が歩んできた歴史で証明されてる。

 

 でもその正道を突き進む人は()()()()()()()()()いない。何故って? ()()()()()()()

 正道を突き進む聖者であればあるほど、己が身を削ってガリガリに痩せ細りながら苦しみの内に死んでいく。

 いつだって肥え太るのは邪道を選ぶ狡猾な連中。利権を、旨味だけを蛇蝎の如く貪り喰らう恥知らず。彼らは手にする物に見合うだけの、それこそ()()()()()()()()()()()を厭う。だってそうでしょう? ほら───

 

 転生者(彼ら)だって、そういう連中じゃないか。

 

 『あらゆる武器を創造する能力』

 『あらゆる技能を模倣する能力』

 『あらゆる科学を超越する能力』

 『あらゆる魔法を行使する能力』

 『あらゆる想像を実現する能力』

 『あらゆ『あら『力『を現実『清め『■『簒奪す『あ『不変『時を『らゆる『神秘『ベクト『■■■『る能力』

 

 ──いずれも、一生涯を生贄に捧げなくては手に入らないような能力(しろもの)だと分かる。だから真の担い手であるならば、その能力をみだりに使うものではないことは明白だ。だって生涯を捧げて生み出されたものは、決して見世物市(フリークショー)に出るような能力(しろもの)ではないから。

 

 でも連中は躊躇なく使う。葛藤も、良心も、責任も考えず。

 

 その能力に込められ想いも汲み取らず、まるで暴力の象徴とばかりに振り回す。後に残るのは『自分がそれを成した』という充足感と、影響を考えなかった馬鹿の杜撰な後処理だ。

 『あればあるほどいい』のは、私の持論だ。故に『考えれば考えるほどいい』に行き着くのは自然の流れとも言える。だから──行き過ぎた能力が世界に与える影響を鑑みれば、そこでは『使わない』という選択肢を選ぶべきだ。

 人命救助の為に? 止む無く? そういう状況(シチュエーション)もあるでしょうね。

 

 なら質問するが。()()()()()()()()()()()()

 考えて考えて、考えて考えて考えて考えて考えていれば──そういう状況にはならなかった。だって未来を知ってるなら、『マーベル』という正史(原作)を知ってるなら──()()()()()()()、考えられない方が悪い。

 

 だから私は言う。『考えれば考えるほどいい』。

 

 あって損することは、なくて損することよりも圧倒的に少ない。実験の回数が多ければ多いほど法則性や規則を見出す指標になるし、手段が多ければ多いほど解決への糸口が見つかる。

 

 宝の持ち腐れは、なんとも看過し難い。

 

 スタートラインが周りよりも突き抜けてる。50m走で一人だけゴール1m手前でスタートできるようなアドバンテージを持っていて、それを活かせないようでは話にならない。

 分不相応なものを背負うべきじゃない。受け取るべきじゃない。強請るべきじゃない。だって、目の前にいる(カミ)は残酷なまでにそれを実現してしまうから。

 価値の知らない赤子であっても、慈悲深き万能の(カミ)はそれをお与えになる。赦す。叶える。だって(カミ)だから。転生と言う名の(カミ)の不条理は、いとも容易く世界を壊す。

──哀しいね、嘘だけど。

 

(…で、私を材料に地球の代わりの生贄にして実験を成功させるわけね)

 

「いいえ? 逆よ逆。むしろこの実験は()()()()()()が肝要なの」

 

(………は?)

 

(エニシ)は不老不死の研究で魂を人から別のものへ移し替える実験を行ってたでしょう? 元の魂を如何に崩すことなく、最適な触媒に移植させることで自己の連続性を保つことを目的として。

 じゃあその逆は? 魂では適合することもできない、人間という魂では到底耐えられないような強大な(規格)に移植させてしまえば、(規格)は愚か魂さえ木っ端微塵に砕け散るのは道理だと思わない?」

 

 着想は、数多の不出来な転生者を見て思い当たったものだ。

 無数の転生者の中には、その身に宛がわれた神の恩寵で自滅する連中もいた。与えられた能力の推察をすれば、本来の持ち主であれば自滅することはない仕様になってる。なのに自滅──この場合、()()って言ったらいいか。内側から\パーン/と破裂する様は、ケツに爆竹詰めた蛙のような有り様で見てて滑稽だったけど、考えれば考えるほど興味深い。

 

 つまり、その魂と不等価な物を融合させてしまえば存在崩壊を引き起こす──自発的に『不老不死殺し』が成立するんじゃないか?

 

「そこで考えたの。私という自己を砕くに値する(規格)を。

 異性()? いいえTS(性転換)程度では自己の連続性は保たれるでしょう。

 動物()? そうね、脳の規格もごちゃ混ぜになって、人としての理性を失って、それでもみせかけの高潔な意志だけは残るでしょうね。

 鉱物()? 物言わぬ物質を容れ物にしてしまえば──意思の喪失、人間性の欠如、精神は纏まらずに事実上の死を迎えそう。

 じゃあ、特大級の規模にしてみてはどうかしら? 例えば『地球(ほし)』、とか」

 

 壊すなら相応の一撃を。

 開幕ぶっぱ、想定しうる限りの最大限(マスト)を検証してしまえば、実験の成否がはっきりする。

 だから『星隷計画』を採用した。不老不死における研究のノウハウが活かせる。こういう未来があるからこそ、過去の経験は大事ね。

 

「人間って、急に身体が犬や猫にでもなれば戸惑うわよね。それでも常識の範疇だから、そこそこの大きさだからなんとか耐えられる。でも昨日まで人間だった器が、急に全長30mの鯨にでも変貌したらどうなると思う? ()()()()()()()()()、魂も肉体もあっけないほどに死を迎えたわ」

 

 件の異次元の旅人の魂を使ってだけどね。

 別次元から別次元へ転移しても無事な強度の魂は貴重なものだから()()()()耐えられると見積もってたんだけど…あまりにも期待外れだったわ。

 

()()()()()()()のよ──同位体は地球(ほし)と合一する直前で結局サノスに殺されただけだから今までとあまり変わらなかったのだけれど…でも、地球(ほし)に触れた瞬間、未知の感覚を感じた。もしかしてこれが死というものなのかもねって」

 

 ああ、今思い出すだけでもゾクゾクする!

 あの圧倒的な存在に呑まれる瞬間! 地球という一個体の巨大な存在と同一化する感覚! 同位体(レイン)を通して流れ込んできた星の息吹が、まるで風船を破裂させるまで膨らませるように入ってきて!

 きっとアレが、魂の死という感覚なのかもしれない…!

 

「安心して頂戴? 直接的であろうと間接的であろうと、(ユカリ)同位体(レイン)を殺せないのよ。じゃなきゃ、わざわざ『魂の保管器(フラスコ)』に容れておいたりしないでしょうに。

 257回目と、361回目と、1121~1128回目だったかしら…似たようなシチュエーションで同位体(レイン)を殺そうとしてみたらあらま吃驚! 世紀の英雄(ヒーロー)キャプテン・アメリカが白馬に乗った王子様の如く同位体(レイン)を助けに来たのよね。どういう運命が働いてるのやら。

 ああ、長官(フューリー)幼馴染(スパイダーマン)が助けに来るパターンもあったわよ。他にもいろいろ試してはみたけど、どうあがいても同位体(レイン)(ユカリ)の手で殺すことはできないのよね。だから『別次元の同位体を始末することはできない』っていう世界の法則は読み解けた」

 

 これに関しては、最早()()()()法則で成り立っているとしか言い様がない。試行回数だけであれば2000は下らないけど、それでも殺害には至らなかった。別次元の自分殺しは依然不可能だってことなのかね。

 でも『逆説的に』考えれば、殺害しようとしなければ誰かが同位体(レイン)を助けるというフラグは立たない。

 

「だから貴女を殺すのは私じゃない。今まで身を粉にして守り続けてきた地球が、世界が貴女を殺すのよ。いい皮肉ね、いい未来ね、いい絶望ね。でも……これくらいの絶望では『レイン・Y(ユカリ)・コールソン』という存在を殺すことは、不老不死を殺すことは叶わないでしょうね。

 そうそう、ある人は『恐怖というものには鮮度がある』と言ってたらしいけど…なら、絶望には何があるんでしょうね?

 私はこう考えるわ。『絶望というものには質量がある』。だって、絶望は人が背負うものだから。軽い絶望(モノ)なら背負って歩き出せるでしょうし、重い絶望(モノ)なら圧し潰されて死ぬでしょう。

 さて、貴女はこの絶望さえも背負える変異体(バグ)かしら? それとも絶望の重さに耐えきれず潰れる同位体(レイン)かしら? さぁ、実験を始めましょうか」

 

 絶望に力は要らない。

 ただ淡々と、粛々と。

 いままで誰もが見て見ぬふりをしてきた世界の真実を、水面に一滴一滴インクを垂らすように伝えればいいだけ。

 軽いのであれば、水面で浮かび上がり。

 重いのであれば、水底に沈殿して積もる。

 インクが水にとって重いか軽いかは、水の素質が左右してくれる。

 

「その信念を貫いてもいいわよ

それでも宇宙は貴女を救わない

 その人生に胸を張ってもいいわよ

それでも世界は貴女を救わない

 その優しさを大事にしてもいいわよ

それでも英雄は貴女を救わない

 その生き様を誇りに思ってもいいわよ

それでも悪党は貴女を救わない

 その矜持を立派だと自負してもいいわよ

それでも運命は貴女を救わない

 でも、貴女は()を救ってくれる。英雄(ぎせい)になってくれる。

 嗚呼忘れるものか、()()()()()()()。今まで英雄(ぎせい)になった人を、たった一人さえ忘れはしない。私の背中に、この胸に、一つとなって生き続ける。多くの英雄(ぎせい)を悼み、それでも私は前へ歩み続けよう」

 

 今まで死んでいった連中を正真正銘の無意味な存在にさせないためにも、私は止まらない。止まることなどありはしない。

 『不老不死殺し』──『自己の殺害』という到達点に達するまで。私は、止まらない。

 もし私を止めてくれる人がいるのなら──それは、私にとっての運命(不老不死)の殺戮者だ。

 

 

 待ち遠しい。恋焦がれる。

 私の運命()は、いつ訪れるのだろうか?

 

 

「それじゃ私野暮用あるから抜けるわね。ああ大丈夫、ちょっと遠くの娯楽星(サカール)でライブに呼ばれててね。私この次元じゃ宇宙でも人気の売れっ子歌手だから。なんとRedboneの『Come and get your love』をカバーするのよ。チョット前に遭ったアウトロー(スター・ロード)に聞かせて貰ってピーンと来てね、歌ってたら路上スカウトされてそのまま即採用!

 イヤーこういうのもいいわね、人生なのがあるかわかったもんじゃないわ。マルコム博士っぽいグランドマスター(恐竜に追われる人)とお近づきになったけど、意外と馬の合う人だった。きっとご兄弟のコレクターさんもいい性格してそう、次の次元ではもっと積極的に関わるのもアリかしら」

 

(……最後に、聞かせて)

 

 ん?

 

(……あなたは、この、『マーベル』に住まう人々を(グリーン)と。異次元から来た彼らを(レッド)と称した。

 じゃあ…私は? 私たちは、なんなの?)

 

 ああ、そうね。

 (グリーン)(レッド)。信号機なら本来危険信号(シグナルイエロー)が在るべきだけど、残念なことに私たちにその色は合わない。強いて言うなら、

 

「強いて言うなら…そうね、『黒』かしら。

 マイナスカラー、敗色(黒星)、混色の末路、(世界)の対極、現世に落とす幻影、遍く光を貪欲に喰らい塗り潰す罪。不可避の死、(クレプス)悪性(マリグナント)腫瘍(チューマー)、物語に蔓延る自滅因子(アポトーシス)

 連中が『マーベル』だのなんだのと名付けるこの次元(ユニバース)は、この物語は、既に『(インク)』という病が巣食っていた。寄生したインク──いいや、この場合はインクマシンか。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 私たちの人生を物語のように名付けるには、お似合いの題名(呪い)ね」

 

 

 

 

 






 彼女は祭壇に焚べられた




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オブシディアの瞳



 FGO5周年おめでとうございます記念小説
 と言う名の、コラボ回です

 お気に入り評価誤字報告感謝






 

 

 

 1999/**/**

 

 

 

「世界は、カラフルなんです」

 

 橋の上に。

 一人の少女と一人の男が、いた。

 眉目秀麗という言葉が似合う男に目もくれず、少女はただただキャンパスに筆を押し付ける。拙い手つきで、芸術も知らぬ幼子が、気のままに絵を描くような、そんなイメージさえ想起させるほど。

 

「世界は、こんな絵の具だけで表しきれるほど単調ではなくて。でも、人は絵を通して色鮮やかな世界を想起する」

 

「……つまり、あくまでも絵は風景を連想させる媒体でしかなく、人が思い描く風景はすべて自分の中にある、と?」

 

 こくり、麦わら帽子の少女は頷く。

 真っ白いキャンバスに白と黒の濃淡が残る。

 赤、青、緑、黄色。色どり鮮やかな絵の具はすべて未開封。キャップがこじ開けられ、中身が著しく減っているのは白と黒。

 たった二色…否、キャンバスの下地の色を除けば黒だけで表現された絵は、あまりにも現実味がある。

 写実的、と表現すればいいのか。

 中世に日ノ本の国から伝来した水墨画のような趣とは異なる、西洋風の筆致。モノクロの写真とも類似している。

 

 だが、ちがう。

 

 決して上手い、訳ではない。

 見た風景を受け取る感受性、脳に記憶した風景を絵に映し出す技術、それらすべてが統合されてこそ絵はより現実に近いものになる、が──

 

「…なるほど。それが、キミの見ている世界、ということか」

 

「みんなが、本当は見えるものなんです。ただ…何と言ったらいいか。人は生きるといろいろな経験を積んで、無意識に見る景色にフィルターが掛かってしまう…んだと、思います。本来誰にでも見えるものなのに、体験や経験、辿ってきた道のりが、その規定値をずらしてしまって…えーっと、世の中を、真正面に見られないっていうか……」

 

「そう、か。人の営みそのものが、世界を見る目を曇らせてしまうのだね」

 

「あ、ああ──えっと、その…比喩です! そう、比喩! ポエム! 詩! わかります? 詩! ナウでヤングなボーイ&ガールズが特に考えもせず呟いちゃうポエムですよ! いやぁお恥ずかしい」

 

「ある意味、()()も人の世の弊害か。要らぬしがらみが蔓延るせいで、真に的を射た言葉も安易に口にできず、公言すらも憚られる…全く、時計塔の人外共に聞かせてやりたいくらいだ。魔術の研鑽に明け暮れて根源を目指すばかりでなく、もっと心から世界を見てもいいのに」

 

「あはは、まぁ人という種族に生まれ、社会で育つ以上は与えられた役割(ロール)ってものが宛がわれますから。それはお天道様に授けられた運命とも、生まれたお家の役柄にも左右されますけど。人には人の乳酸き…じゃなかった、人には人のやるべきことがあるんですよ。あくまでもそういうことを生業としてるひとがいるってだけで、他の役まで背負うのはお門違いと言うか、なんと言うか」

 

 エヘヘ、と困ったように少女は笑う。

 人は、生まれる家を選べない。生まれる家庭を選べない。

 特に、魔術師の家に生まれた人間が辿る末路はだいたい同じ。脈々と受け継がれてきた魔術刻印を継承し、根源に至るまでその生涯を捧げて研究に没頭する。

 未来を選べるなんて嘘っぱち。

 生き方を選べるなんて絵空事。

 根源に至るための研究を続けることこそが至上の喜びであると教育を施され、己が人生さえもその一族の到達点に至るための糧とする。

 決して不幸なわけではない。本人にとっての喜びは即ち幸福だ。如何に他人に後ろ指を差されようと、不幸だの不憫だのと罵られようと、最終目標に到達できればいい。

 一族の悲願が叶えば、それでいい。

 言わば積み石だ。

 一個一個の石は何の価値もないが、バランスを維持して積み上げれば天上に届く。無価値な石も、天上に至るための礎となれるのであれば望外の喜びだ。

 下に積まれた者(過去の一族)の意思を受け継ぎ、根源に至らなければ上に積み上げる者(次の世代の一族)の礎となる。

 

 魔術師とは、そういう種族だ。

 そういう、宿痾にある。

 

 ならば───

 

「なら、キミに宛がわれた役割とは何だ?」

 

「………」

 

「だんまり、か。嘘は言わない、だが正しいことを言うことはできない…口にできない、ということか?」

 

「……()()()、です。

 二度目です。生まれて、その問いかけを投げられるのは。もし、彼と出会うよりも先に貴方と出会っていたら…貴方が、私の運命になっていたのかもしれません、なんて」

 

 麦わら帽子の奥で、少女は笑う。

 笑う、嗤う、哂う、ワラウ。

 それは蔑んでいるようで。

 それは諦めているようで。

 それは嘲ているようで。

 それは、それは、それは。

 

「……ただ」

 

 少女は、続けて。

 

「ただ、必ずしもありのままの景色を認知する必要性はないと思うんですよ。だって、目の前の光景をありのままに受け止めるのは知性を持ち始めた人間などではなくて、野生に生きる動植物であるだろうし…なにより、多種多様。人の数だけ()()の余地があるからこそ、単一の原風景は無限大の()()の元に如何様にその姿形を変える。

 時に豪華絢爛な桃源郷を映し出すこともあれば、時に簡古素朴なあばら屋に見えることも。時に蠅が集り腐敗臭漂う屍山血河な地獄の様相になってることだって、あるかもしれませんし」

 

 物事がたった一つの側面しか持ち得ないという事態は、人間社会ではまずもって有り得ないものだ。

 何故なら原因が不特定多数のファクターを含んでおり、同時に観測する側も不特定多数かつ、一個体として同じ考えを持ち合わせない()()だからだ。

 それ故に、無数の()()が生まれる。

 だから人はその解釈に、時に共感を覚え語り合い、時に反感を生み解釈の不一致…()()()()という名のもとに争い合う。

 

「人という群れの織り成す班目な模様に趣を感じられるというものです。その趣という感性自体…人間にのみ搭載された機能の一環なんですけどね。要は、人間の自己満足です」

 

「人間が失った利点を、新たに得た利点で補完し利とする、か。まるでマッチポンプだな」

 

 人が人であるが故に失ってしまった単一の観測眼。

 単一の生物でなくなったが故に、一個体の生命ではなくなったが故に、永遠に失われてしまった眼ではあるが、失ったことで得た感性を満たすことができる。

 それは喪失してしまったものよりも大きな利を得たのかもしれないし、人間は未だに喪失してしまった欠損を補完できていないのかもしれない。それは、最早比べようのないものだ。

 

 たった一人、原風景の観察を可能とする存在を除いては。

 

 

「此処にいたのか、ユカリ。レフが探していたよ」

 

 

 少女と男の逢瀬は、そこで終わる。

 

「マリスビリー。ごめんなさい、少し外の景色を眺めたくて」

 

 少女が最後に浮かべた感情は。

 (魔術師)と同じ、そのすべてを受け入れた()()の感情と同じものだ。

 

 この時点で、彼女は一般の人間ではなく。

 魔術師の人生に身を委ねた、虜囚に成り下がっていた。

 

 

 

 

 

 2017/**/**

 

 

 

 人理継続保障機関フィニス・カルデア。

 既に魔術王に施された人理滅却の術式はカルデアの尽力によって破壊され、正真正銘正しく、人類の未来を守った後の世界。

 かといって、人類史を脅かす特異点の全てが消失したわけではなく。かの魔術王がカルデアに遺した置き土産として、4つの特異点が残っていた。

 新宿。アガルタ。下総国。そしてセイレム。

 亜種として観測された特異点に関しても、人類最後のマスターたる藤丸 立香を中心に乗り越え、人理焼却の危機を回避してきた。

 

 話は、変わるが。

 

「………」

 

「アレは…よく見かけるシャドウサーヴァントとやらかにゃん?」

 

 カルデアでは、レフ・ライノールの企てによって高いマスター適正を持っていたAチームメンバーを含む、多くの人間が殺害・ないし事故死、致命傷に至る傷を負っていた。つまりは、組織として機能するかどうかも危ぶまれるほどの致命的な人材不足に陥っていた。しかし、立香が召喚したサーヴァントの中には、組織運営する上で欠かせない能力を持つサーヴァントがいた。

 それもその筈、座に登録された名だたる英雄は誰もが一騎当千にして万夫不当の英雄。戦闘に秀でた者もいれば、一万人もの軍勢を率いるカリスマを持つ者、あるいは人類の進歩に貢献し人類史を塗り替える偉業を成し遂げた者もいる。

 

 そして勿論、家事全般──特に、料理に関して優れた者も、英霊の中には存在していた。英霊エミヤ、タマモキャット、そしてこの場にはいない、または当番ではないがブーディカ、パールヴァティー、エレナ、マルタ、源 頼光、紅閻魔らがこれに該当する。

 本日の食堂を担当していたエミヤ、タマモキャットは朝食の準備に着手しようにも、気難しそうに眉根を寄せて食堂の一角を睨み、手を止めていた。

 そこに、カルデアのマスターたる立香が腹を空かせてやってきた。

 

「どうしたの? エミヤ、キャット」

 

「あ、ああ…マスターか。イヤ、食堂にシャドウサーヴァントらしきものが居てな…どうしたものかと対応に困っている」

 

「今朝からずっとあの様子なんだにゃん。マタタビか猫缶で釣ろうと思ったがしかししかぁし! キャットはフィッシングよりハンティングの方が憧れる! しからば、餌で釣るより我が肉球の餌食にしてしんぜようと思っていたんだワン!」

 

「…と、若干暴走気味な彼女を宥めつつ、相談していたんだが」

 

「え、シャドウ、サーヴァント?」

 

 エミヤが睨む方向には、確かにいままで訪れた特異点で見かける英霊の残滓、シャドウサーヴァントに酷似した人影が、食堂の椅子の一つに腰かけていた。

 辛うじて。

 辛うじて、頭部、胴体、脚部が判別できる程度のものであり、当たりかまわず襲ってくるシャドウサーヴァントとは些か異なる印象だ。

 まるで、落ち込んでいるような。

 呆然と、放心しているような。そんな様子さえ感じさせる。

 それくらいなまでに、ぐったりと項垂れていた。

 

「あ、おいマスター」

 

「大丈夫。多分、敵意は無いと思う」

 

 シャドウサーヴァントらしき影に歩み寄ろうとした立香を、エミヤが引き留める。しかし立香は何でもないように手を振るが、万が一ということも考えエミヤも同行して人影との接触に踏み切った。

 いつでも、首を刎ねられるように、後ろ手に使い慣れた夫婦剣の一振りを投影して。

 

「すこし、いいかな?」

 

………?

 

 近付いた立香の声に反応したのか、項垂れていた人影はゆっくりとその頭部らしき部分を上げた。

 目らしき部分は、なかった。

 鼻は愚か、口さえも暗闇に塗り潰された人影は立香の存在を認めると、小さく頷くような仕草をした。

 

「よかった、意思の疎通はできそうだね。えっと、キミは一体誰なのかな。どこから来たの?」

 

……■イ■■・■■■ソ■

 

「ん、ごめん、聞き取れなかった」

 

………

 

 立香の耳には、鼓膜を掻きむしるような雑音に阻まれて聞こえなかった。それはエミヤも同様で、名前らしき言葉を聞くことは叶わなかった。立香が申し訳なさそうに顔を歪めて再度聞くが、人影は項垂れて押し黙ってしまった。

 これはまずい、と焦るが。

 

「…そうも黙られては貴様が敵か味方か判別できん。が…先程そちらが名乗ったのであれば、こちらも名乗り返さねばな。私は英霊エミヤ、ここカルデアのマスターに召喚されたサーヴァントの一人だ」

 

(えっ、なんでエミヤが自己紹介を? ていうか、私の紹介は?)

 

(自重しろマスター。己の名は敵か味方かもわからぬ相手にみだりに伝えるべきではない。仮に英霊だったとして、マスターにとって害となる可能性も捨てきれんのだ。それが悪意があろうと、無かろうと、英霊にとっての常識がマスターを傷付けてしまうことだってある)

 

(……な、なるほど)

 

 そういえば、かつて立香は第四特異点において魔術王・ソロモンによって一時的に呪いに掛けられていた。他にも、特異点において呪いと言う概念は珍しいものではなかったし、相手を指さすことで体調を崩す典型的な呪い【ガンド】や、遠方からでも名前だけで呪いを与える呪法だって存在した。

 エミヤは人影が敵であるかわからない以上、不用意にカルデアの生命線ともいえるマスターの名前を口にすることは避けた。

 そも。

 特異点でもないカルデアに、シャドウサーヴァントがいること自体、おかしいのだ。

 予測を超えた何かが起こっている。英霊エミヤとしての直感が、警鐘を鳴らしていた。

 

■ル、■■?

 

「む、伝わった…のか? そうだ。ここはカルデア、人理継続保障機関フィニス・カルデアだ。まさか知らなかったのか?」

 

 英霊は、聖杯の力で呼ばれる際に現代の知識を入力(インストール)される。

 だが、この人影にはその知識が無いように見受けられる。

 と、思ったのだが。

 

 

()あ、()()()()()南極()()

 

 

「え」

 

「なっ───」

 

 なぜ。

 どうして、それを。

 聞こえた単語。南極。

 それは、英霊エミヤはおろか、立香でさえも知らなかったことだった。

 その時だ。人影の様子が、劇的に変化した。

 

 

 椅子を蹴り倒しテーブルを蹴飛ばす(───ガタッ、ガガンッ)

 

 

「わ、わぁあああ!?」

 

「離れろマスター! 奴は敵だ!」

 

 咄嗟にマスターの安全を最優先したエミヤは、呆然とする立香を抱きかかえて飛びのく。エミヤの弓兵として優れた目は突如暴れた人影が、食堂の入り口で仁王立ちしていたタマモキャットを飛び越えてカルデアの廊下を疾走したことを確認した。

 

「誰かっ、奴をッ」

 

 立香をタマモキャットに預けたエミヤは、両の手に弓矢を投影しながら、吼える。

 

 

「奴を止めろォオオオオオオオオオ!!」

 

 

「む」

 

 廊下を這いずり回る様に疾走する人影の前に、男とも、女とも見える美しき剣士。

 偶然食堂の前を通りかかったのは、羽帽子を被り腰にレイピアを掛けたる華麗なる剣士、シュヴァリエ・デオン。

 目の前に迫りくる謎の人影と、その背後から必死の形相で追いかけるエミヤを見て察したデオンは、即座に状況を推察し抜刀し剣を構えた。

 

「ここから先は通さん。踏み越えるなら」

 

 黒い鱗粉を撒き散らす、人影が迫る。

 デオンは警告と牽制を含めて、どんなに素早かろうが命中を約束された人体の中央に剣先を定め、突く。

 

「私の剣戟を、越えて」

 

 ──しかし、異変はそこで起きた。

 剣の重みが、消えた。

 否、実際には消えてはいない。だが慣れ親しんだレイピアの重さが軽くなったのだ。

 正体は、次の瞬間に分かった。

 

「な──」

 

 レイピアの柄から数十センチほど先。

 そこから先が、ぽっきりと折れてなくなっていたのだ。

 

(い、ま、のはっ、武器破壊!? イヤ違う、脱刀術!!)

 

 人影は確かに人体でいうところの二の腕らしき部位が、デオンのレイピアの折れた先を掴んでいた。そして、無残に折れたレイピアの剣先をぞんざいに投げ捨てた人影は、驚愕に目を見開いたデオンの横を通り過ぎた。

 

「セイバークラスはダメだ! 剣を取られるぞ!」

 

「なんじゃあ! そんならわしの剣にまかしとき!」

 

 乱痴気騒ぎかと、野次馬にでもなろうと面白半分で駆け付けたのは、幕末の人斬り・岡田 以蔵。己が愛刀・肥前忠広を鞘から抜き放ち、朝っぱらから騒ぎ立てる下手人を成敗すべく天井の光を反射し輝きを放つ。

 しかし、首筋に吸い込まれるように振り下ろされた刀は──

 

「──は?」

 

 刀は、消えていない。

 刀ではなく、刀が斬ろうとしていた相手が、姿は愚か影さえも消え去った。まるで、煙に巻かれたように。狐にでも化かされたのかと思うような、そんな現象。

 

「き、消え──」

 

「馬鹿! 真下だ!」

 

「はぁ───!? ああああっぶなぁ!」

 

 ひゅ、と股間の辺りに鋭い一閃が走り、以蔵は刀を中途半端に振った体制のまま器用にジャンプした。

 股下を、エミヤの矢が通り抜けた。

 その前に、以蔵の目の前にいた人影が、既に股下を潜り抜けていた。

 

「股抜きとかそんなのアリかっ」

 

「いいから追うぞ! 奴は危険だ!」

 

「おまん、わしの何処射貫こうとしとんじゃあ!?」

 

「五月蠅い。長い袴のせいで狙いを外した! もう少し股下のサイズに合った袴に履き替えろ!」

 

「んじゃとぉ!?」

 

「口喧嘩は後だ! いまは奴を止めないと!」

 

(…この人影、考えなしには移動していない。どこか目的地となる場所がわかっているのか?)

 

 あまりにも迷いのない動きに、若干の違和感を覚えない訳がなかった。だが、今はそれについて考察する材料も無ければ時間もない。現状、サーヴァントにしか出くわしていないが、個人戦力に欠けたカルデア職員と出くわし、万が一危害に及ぶようなことがあればカルデア全体を揺るがしかねない。

 人類最後のマスターは藤丸 立香だが、マスターの行動を支えるのはスタッフである職員たち。優先順位という点では、マスターに次ぐものである。

 

「なんだなんだ、朝っぱらから」

 

「っ式か! ソイツを止めてくれ!」

 

「あ?」

 

 対丈の着物に男物の革ジャンという奇異な服を羽織る美人、両儀 式。英霊の中でも一際特異な立ち位置にいる彼女は、廊下で騒ぎ立てるサーヴァントたちや謎の人影を視界に捉えると、やれやれと溜息をついて立ち塞がった。

 

「おっと、悪いけどこっから先を行くって言うなら流石にオレも、容赦はしない」

 

 黒瞳から、赤と青が混じる瞳に変貌する。

 直死の魔眼。相手の『死』を補足することを可能とする、類い稀なる魔眼が一対、人影を捉える。

 

(視えた)

 

 その魔眼の力に裏切りはなく、たとえ正体不明の影であろうと存在限界の決定打たる死の線は観測された。

 抜き放ったナイフを逆手に握り、死の線をなぞ───

 

「っ、な」

 

 戸惑いの声は、式の口から。

 なぞるよりも、先に手首を人影に抑えられた。抑えられた──が、式のナイフはしかし、式の狙い通りに人影の死の線をなぞった。

 ぼふ、と空気が破裂する音が響く。

 悲鳴もなく、苦しみ藻掻く様もなく。

 あまりにもあっけなく、サーヴァントを翻弄した謎の人影は、カルデアから消失した。

 

「なんだ…いまの」

 

「ハァッ! ハァ! ざ、ざまぁないわこん畜生めが! 手こずらせおって!」

 

「式、大丈夫か…式?」

 

「……まるで、自分から死にに行ったみたいだった。なんだいまの、切腹か?」

 

「何?」

 

 式は人影が消えた空間をじ、と睨むが、眉根に皺を寄せてウンウン唸る。式の呟きを耳にしたエミヤも、同様に先の人影の行動の不可解な点に気付いていた。

 

 カルデアを知っていたこと。

 どこか目的地を目指し、何かをしようと企んでいたこと。

 そして、式に自ら殺されに行ったこと。

 

 特に最後のやり取りに関して疑問が残る。

 デオンや以蔵ほどの剣の達人を相手に、間合いに入った上で凶刃から逃れられるのは同等の剣士か、対剣士を生業とする専門家のみである。初見の、しかも未知の敵相手に、出方を伺う形で相対したからこそ十全で立ち向かったとは言い難いが、それでも英霊相手に相対できるとなると、

 

「何らかの武術を修得していた、ようにも見受けられましたな」

 

「アサシン・パライソ、どうかしたか?」

 

 いつの間にか、右目に眼帯を嵌めた痩身の女性──アサシン・パライソ。又の名を望月 千代女は、消えた人影が残した僅かな黒粉を睨んでいた。

 

「ああ、先の人影…拙者に近いものを感じた」

 

「それは、蛇としてか? 忍としてか?」

 

「否、どちらでもありませぬ」

 

「何?」

 

 望月 千代女といえば、くノ一の代名詞であると共に伊吹大明神…つまり、蛇との縁に強く結ばれた英霊である。エミヤはそのどちらかの要素が件の人影に近いものではないかと推察していたが、千代女はその両方を否定した。

 

「……巫女、でござる」

 

 

 

 

 

 2018/01/01

 

 

 

『歩き巫女、という伝承を知っているかい?』

 

「…歩き巫女? なんだよそれ、僕の専門に極東の神学は含まれていないぞ。流石に専門家でもない僕に聞くな、お門違いだ」

 

『歩き巫女っつったら──アレだろ? 極東に伝わる戦国時代の古ーい伝承だっけか。日本全国練り歩いてお祈りするんだっけか? ナンマンダブナンマンダブ、ってな!』

 

『確か、極東における伝承の一つよね。信濃国望月城主望月盛時の妻…だったかしら。望月 千代女…くの一としての伝承が色濃く残ってるけど、実際には巫女としての役割を担っていたと聞くわね』

 

『そうね。川中島の戦い以降、武田軍に仕え甲斐信濃二国巫女頭領となり…神道の加護と共に武田軍の情報網の構築、及び忍として諸国を往来し索敵・密偵に寄与していた…そうですよね、キリシュタリア様』

 

『そうだ』

 

『それならアタシも知ってるわよ~でも、歩き巫女ってそれだけじゃないわよね。ね? デイビット』

 

『ああ、巫女という単語には神道として処女性を連想させるが、こと歩き巫女に関しては勝手が違う。天の神を受け入れ、依代となる巫女は性の穢れを持たない清浄な体でなければならない…というのが通説だ。あくまでも、な』

 

「通説?」

 

『…細かいことは省くけど、巫女が処女でなければならないことと、性の交わりが穢れであることは繋がってるわけじゃないのよ。オトコと違って子を産むというオンナの性は神聖視されてたの。ホラ、天照大神とか伊邪那美だって女神じゃない? 子を産んだ彼女たちが穢れ扱いされるのはおかしいでしょ?』

 

『ああ~なるほどねぇ。ま、伊邪那美は割と穢れてる扱いされてるけどな、神話でも今でもよ』

 

『…話を戻そう。巫女は神にその身を捧げるまで処女性を保つことが現代まで継がれている通説だが…歩き巫女はその正反対、巫娼として身を落とし、殿方の穢れを肩代わりすることを巫女としての禊として解釈していた』

 

『……まったく、皮肉なものよね。処女性を守ろうが守るまいが、結局は巫女という名前さえ掲げればどんなことをしたって加護を得られるだなんて。人間は度し難い』

 

『まぁまぁ! そう邪険にしなさんなってヒナコ! で? ありがたーくもない神道についてご教授したことと、今回確保したコイツと何が関係してるんだ?』

 

『知れたこと。彼女もまた、歩き巫女だったというだけだ。ただ、得た加護は神道のそれとは異なるものであるし、規模も異なる』

 

『彼女はレフ・ライノールとマリスビリー・アニムスフィアの要請の元、地球全土を踏破し、歩き巫女の術式を用いて加護を得た。現代の地球を一片も残さず把握し、そして歴史の基準値を把握するために。それは誰にでもできなくはないが、現代において効果を最大限に発揮できる素養を持っていたのは彼女しかいなかった。彼女の眼で、世界を観測する必要があった』

 

「オフェリアみたいな魔眼持ちだったってのか?」

 

『いいえ、時計塔で魔眼指定された者のリストに彼女の名はなかったわ。勿論、封印指定を考えていたかもしれないけど…』

 

「けど?」

 

『……一時期、千里眼と似て非なる眼を持った子を見つけたと時計塔が騒いでる時期があったわね。曰く、観測させれば根源まで到達する()()を観測できる、と。魔術師として根源到達の世代が判明すれば、魔術師としての臨界…つまり、最も魔術師としての質を高めた子を産み出すべき世代を観測できるし、逆に言えばその世代を産み出さないように画策することで、他の一族の根源到達を阻害することもできた、と』

 

「ああ、それなら聞いたことがある。世代視、だったか? 世界や一個人の未来ではなく血族…過去と、のちに刻まれる未来を観測するかもしれないとかなんとか。魔術師として歴史の浅い僕の家には縁のない話だ」

 

『それに関しては急進派・反対派・中立派が対立していたと聞く。急進派はロード・バルトメロイを筆頭に、根源への到達が特定できるのであれば余すことなく利用し、共有財産とすることで時計塔における交渉の手札(カード)として手元に置こうとしていた。

 対してロード・バリュエレータを核とした反対派は、根源への到達がその程度のことで観測されてしまうことが魔術師そのものへの侮辱であると主張していた。最も、反対派がそうも喚きたててしまっては、観測する精度が高いと言ってしまってるようなものだったがな。

 中立派は不干渉を貫くべきだと主張した。もし魔術師を志すようであれば迎え入れるが、そうでないならば極力アプローチは控えるべきだと。確か、アーチボルト家が一番発言力が大きかったはずだ。

 その横槍を入れたのが、どの派閥にも属していなかったアニムスフィアだ』

 

『マリスビリーが?』

 

『マリスビリー・アニムスフィアは、根源到達の観測とは全く異なる利用方法であることを約束し、『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』を持ち出してまで強引に問題の人物を引き取った』

 

「……基準値、観測? ……まさか。シバ、か?」

 

『その推測で、間違いなさそうね』

 

『その通り、疑似地球環境モデル『カルデアス』を観測する近未来観測レンズ・シバ……その生体ユニットとして、彼女を利用していたのさ。過去から現在に至るまでの地球全土の歴史に生まれる歪み…特異点を観測する上で、『カルデアス』に生じた黒点を観測するには、彼女が必要だった。不可欠…という程ではないが、年代と座標、そして範囲を正確に突き止めるには、歩き巫女として地球全土を踏破し、隈なく記憶した彼女を使うには都合よかった』

 

『望遠鏡には二種類のレンズがあったよなぁ。対物レンズと、接眼レンズだっけ。いわば彼女はそのレンズの一部だったってワケか』

 

 第一異聞帯・ロシア。

 

 南極のカルデア本拠地を襲撃した張本人たるカドック・ゼムルプス、アナスタシア、そしてコヤンスカヤはモスクワの拠点でカルデアから奪った()()を眺めていた。

 物品、というよりは。

 生体ユニットとして、レンズ・シバの付属品として機能していた、少女そのものなのだが。

 コヤンスカヤは人の魂を飴玉のように口の中で転がしたようなに、頬を綻ばせて。アナスタシアの手で氷漬けにされた物品を眺める。

 

「で、ワタシはこの悪趣味な死体を第五異聞帯までチャーター便で送ればいいんですねぇ? NFFサービスのご利用ありがとうございまーす♪」

 

「ああ、よろしく頼む。万が一、カルデアのマスターがカルデアスの灯を再び灯したところで、観測するために必要な物品が無ければ機能しないらしいからな」

 

「くくく、頑張って取り戻したところで特異点を観測できなければカルデアの連中もおしまいだなんて…イ~ィ趣味してますねぇ♪ 最高です、大好物です、このコヤンスカヤ滾ってしまいます! あまりに滾り過ぎて…ちょっと()()()()()でもしてしまいそうです…♪」

 

「やめておいた方がいい」

 

 舌舐めずるコヤンスカヤの暴挙を止めたのは、カソックに身を包んだ偉丈夫の神父。殺戮猟兵(オプリチニキ)を率いてカルデアを蹂躙し、英霊召喚成功例第三号──技術局特別名誉顧問たるレオナルド・ダ・ヴィンチの殺害に及んだ下手人、ラスプーチン。

 異星の神に仕えるアルターエゴである以前に、彼は怪僧──つまりは、聖職者だ。

 

「仮にも巫女としての責務を全うした者の遺骸だ、ぞんざいに扱うのは頂けないな。腹を壊す程度では済まんだろう、腹の内から穢れに犯されるぞ。鉄扇公主(羅刹女)の二の舞になりたいのか?」

 

「ンフフ、ご冗談を。人間如きの穢れに犯されるほど私はヤワではありません……ですが、そのご忠告は聞き入れましょう。何よりも契約ですからね、標本にして飾るにしても見栄えありませんし。グローバルでキッチュな営業をモットーに掲げるNFFサービスにお任せあれ」

 

『頼むよ』

 

「で、す、がぁ」

 

 じろり、と。

 女狐を想起させる、獣らしい眼光を纏わせたコヤンスカヤが、通信機越しにキリシュタリアを眺める。

 それは下世話な話を切り出す下女のようで。

 俗っぽく言えば、うら若き青少年がズリネタに話題を燃え上がらせようとする様のようで。

 耳まで避けそうな口角が、がぱりと開く。

 

「この死体にご執心とは、貴方様にいったいどんなご縁があってのことなんでしょうねぇ」

 

『『『………』』』

 

 それは、クリプター全員が気になっていた。

 かく言うカルデア襲撃を一任されたカドックとアナスタシアも、気になってはいた。襲撃するだけならただ暴力を振るうだけだが、カルデアスの地下中枢の物品を回収──という任務(オーダー)は、Aチームの中ではマスターとしての実力に乏しいカドックには難しい注文だった。

 しかし、やり遂げた。意地で、なけなしの意地で、実力以上の力を引き出そうと、懸命に頭を動かし、魔術回路を酷使し、顔の知ったかつての同僚を皆殺しにして、心を擦り減らして。

 その任務(オーダー)は、達せられた。カルデアスをアナスタシアの氷で完全凍結し機能停止に追い込み、Aチームの中でもキリシュタリアのみが知っていたレンズ・シバの中枢コントロールルームへの道を駆け、彼女の遺骸を確保した。

 

 亡骸は、今にでも息を吹き返そうな鮮度を保っていた。

 魔術による措置が施されているのだろう、両瞼には幾何学的な文字が刻まれた呪符が張り付けられている。

 身体は、まだ未成熟なまま。

 女性と呼ぶにはまだ遠く。

 少女と呼ぶには、些か大人びた印象を受ける。

 

 天津 紫。

 

 魔術師としての才も、家柄もない、極東生まれの、ただの少女。

 

 であるにもかかわらず。彼女は、一般人が足を踏み入れることすら叶わぬカルデアの、しかも最重要中枢施設の部品として機能し続けていた。

 

 実のところ、任務(オーダー)の理由は知られていない。ただ、躍起になってカルデアスを取り戻したカルデアの連中に対して絶望を与えるという点は理解できなくもないが、下手をすればカルデアが機能を取り戻すに足る劇物を確保するという暴挙を取ることは、リスクが大きすぎる。

 

 しかし、

 

『何』

 

 キリシュタリアは平然と。

 まるで、予測していたと言いたげに、コヤンスカヤの眼を見返して口を開く。

 

『こちらには、彼女を蘇生できる手立てがある。カルデアスを観測し続けた眼は有効利用できるだろうし、失うには些か惜しい素体だ。それに異星の神にとっても都合のよいものだと考えてる』

 

「ほう、それは興味深い。一体何のメリットが、我らが仰ぎし神にあるというのだね?」

 

『彼女は仮にも巫女だ。地球における穢れとは生死の概念、その闘争の歴史。彼女はレンズ・シバの目としてそれらを観測するために、歩き巫女として短い生涯を捧げた。巫女…つまりは神を降ろす依り代にするには都合がいい素体だろう。

 幸い、こちらには生死を超越する術を施すことができる神霊がいる。()()()()直してやれば、異星の神の眼鏡に叶う供物になる筈だ』

 

「……な、なぁるほどぉ。つまり、すべては我らが神へ捧げる供物にするためなのですね?」

 

『その通りだ』

 

 コヤンスカヤはふっふーんと上機嫌に鼻を鳴らす。

 当然だ、まさか思わぬところで異星の神を降臨させるために必要な供物が転がり込むとは。しかも、かつてはカルデアが秘密裏に利用していた女の亡骸。ともなれば、これから異聞帯を踏破するであろうカルデアの連中にとっては()()()()()になるだろう。

 

「そうですか。そうですかそうですかそうですか! であればワタクシには拒否権も拒否する気もございません! 責任をもってお送りいたしましょう!」

 

 いまにも尻尾を振っている姿を幻視してしまいそうなほど上機嫌なコヤンスカヤはテンションを上げてパチリ、と指を鳴らす。するとコヤンスカヤと傍らに安置されていた、生体ユニットに収納されていた亡骸も忽然と消え、次の瞬間には通信機の向こう側にその姿を現していた。

 

「ならば、私もこれにて失礼しよう。別件があるのでな」

 

 通信機の向こうで嗜虐的な笑みを浮かべ、ハイテンションに飛び回るコヤンスカヤを見遣ったラスプーチンは、カドックの私室を後にする。亡骸の転移を見送った他のクリプターも回線を切り──しかし全員ではなく、何故かカドックの回線はキリシュタリアが接続を続けていた。

 どうしても、魔術師としての直感ではなく、カドックという男の中での直感が渦巻いていたのだ。

 

「……おい、どうなんだ。さっきの話は本当か?」

 

『嘘は言っていないよ。ただ、言葉が少なかったかもしれないがね』

 

「はぁ?」

 

 あれで? あれで、言葉が少ない?

 異星の神に捧げる供物に関しての御高説は見事なものだった。それこそ、神道に関して完全に取得(マスター)してると言いたげな口ぶりで。

 しかし、キリシュタリアは違うという。

 だが、確かに。

 確かに、キリシュタリアは異星の使徒に対して異星の神の供物としてのメリットを開示しただけで、キリシュタリア本人との関係性、縁については何一つ明言していない。話を逸らされた──だろうが、異星の使徒にとっては個人的な関係性よりも損得利害以外はこれといった興味がない。そこは、地球人と異星の使徒との価値観の違いと言えるだろう。

 

『ただ蘇ってくれるなら、見てみたいだけなんだ』

 

「何を」

 

『絵を、かな』

 

 接続は、途切れた。

 それはカドックからではなく、キリシュタリアからだった。

 魔術師でもなく、クリプターでもなく、キリシュタリア個人としての呟きを聞いてしまったカドックは、緊張の糸が緩み、音を立てて椅子に寄り掛かった。

 呻くように、目を覆う。

 

「なんだ、そりゃ。わけがわからん…」

 

 クリプターとなった今でも、カドックはキリシュタリアを理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 



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A.D.2017 The World Stopped Breathing on Earth
零丁孤苦に違いなく


 塵掃除を始めます

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 Chapter 130

 

 

 

 無謬の銀河の彼方にて、避難船ステイツマンは危機的状況を迎えていた。

 ヘラに片目を抉られたオーディンの息子ソー。

 ソーの義理の弟ロキ。

 アスガルドのヘラに立ち向かったヴァルキリー部隊唯一の生き残りブリュンヒルデ。

 虹の橋ビフレストの監視者ヘイムダル。

 崩壊を迎えた神々の国アスガルドから避難した無辜の民。

 サカールから脱出したコロシアムの荒くれ者たち。

 

 彼ら全員が、宇宙へ放り出されようとしていた。他ならぬ、サノスが乗る巨大戦艦サンクチュアリⅡによる過剰攻撃によって。

 サノスの子──ブラックオーダーたちが、息のある乗組員を一人一人検分し、息の根を止める。

 首を刎ね、心臓を貫き、脳天を潰す。

 勧告もなく、警告もなく、一方的な侵略──否、殲滅行為。

 それは、未開の島に攻め入り勝手に植民地に仕立て上げる侵略者よりも容赦が無く、故に手心もない。生かす必要のある人物が一人とて存在しないのだから、当然だ。

 

「アッハッハッ、すごいすご〜い⭐︎ まるで地獄絵図ね」

 

 しかし乗組員の殲滅を請け負っていたのはブラックオーダーだけではなかった。つい先ほどまでステイツマンにて捕虜として軟禁されていた、エニシ・アマツである。

 そも、ブラックオーダーがステイツマンに乗船した時には、サノス襲撃を見計らい脱獄したエニシによって混乱の極みにあった。御膳立ては済んでいた、あとは烏合の衆を横から押し潰すだけ。恐らくいままでのどの侵略よりも手応えのないものだっただろう。

 

「ん〜? あ、いたいた」

「…ゥグッ!?」

 

 時間経過とともに加速度的に増えていく死体の山。ある一点に目をつけたエニシは死体の山から一本の足を掴み、引き摺り出す。

 

「あ~らどうも~ヘイムダル様? ちょっと動かないでもらえるかしら? ()()()()()()が、傷付いてしまうわ♪」

 

 まるで一本釣りされたように死体の山から引き上げられたのは、ヘイムダル。エニシの暴走とサノスの襲来でダメージを負っていたヘイムダルは満身創痍。そうでなくてもアスガルドでヘラの追手から民を逃すべく尽力していたヘイムダルは既に限界に達していた。

 しかしエニシにその辺りの事情など関係ない。過去の次元における歴史の流れを知るエニシにとって、この次元におけるヘイムダルが辿ってきた人生など興味に値しない。

 

 唯一興味あるのは、その(まなこ)

 

 タイム・ストーンやスペース・ストーンとは異なる力で次元の彼方を監視する瞳。

 今回のように眼の摘出が可能な距離、タイミングに邂逅するのはエニシの経験上久方ぶりだった。今後の研究のいい検体(サンプル)になると、エニシは意気揚々とヘイムダルの両眼に手を伸ばす。

 

「かはっ……、……」

「……あら?」

 

 しかし、その手は空を切る。

 ヘイムダルの頭部が、肩から上から綺麗に消えてしまったからだ。

 理由は至極、単純明快。

 ブラックオーダーが一人、コーヴァス・グレイブが自慢のハルバードを振り抜いていた。床には苦悶の表情を浮かべるヘイムダルの首が転がり、やがてサノスの振り下ろした足が挽肉に仕立て上げた。

 

「ちょっとサノス様~なんでカレ(ヘイムダル)殺しちゃったの? 後で私が殺してもよかったのに♡」

 

「そいつは九つの世界を繋ぐ虹の橋(ビフレスト)の番人ヘイムダルだな? 九つの世界の事象を見通す監視者(ウォッチャー)…フン、これからの未来で次元を見通すその目は邪魔だ。だから手ずから殺したまでのこと。

 何より、()()()()()()()()代物だ」

 

「……ふぅん? そう。それは残念☆」

 

 別に、検体確保に失敗したのは今回が初めてではない。

 貴重な検体を失ったにしては前向き(ポジティブシンキング)なスタイルで、エニシは小気味よく笑う。キャッキャッと、年端もいかぬ童のように、甲高く。

 その様を、サノスに首根っこを掴まれたロキが睨む。

 

「下種め、いよいよ本性を現したな」

 

「下種で結構虚仮(コケ)コッコー♪ これから死に征く敗北者の罵倒なんていくらでも聞き流せるわ。

 Auf() Wiedersehen(よーなら)☆ 狡知の神ロキ、ラウフェイ(ヨトゥンヘイムの長)の忘れ形見。(ソー)に阻まれ王にはなれず、何も得ず……! 終いにはサノス様に襲われて、何一つ守るものもなく死ぬ! 実に空虚な人生じゃない? 人も神も正しくなければ生きる価値なし! 弱者に生きる場所もなし!

 ロキ、アナタは敗北者として死ぬ! 正にお誂え向きの最後──」

 

I'll to help him

(彼は、殺らせない)

 

 不意に。

 この場に姿のない声が、響く。

 ブラックオーダーは即座に臨戦態勢を取り、一目散にサノスの元へ駆けつける。それは何故か?当然だ。

 

 声の大元は、ロキの喉元から聞こえた。

 

「──は?」

 

 ブラックオーダーが、駆けつけるよりも先に。

 サノスが、ロキの首を潰すよりも先に。

 エニシが、我に返るよりも先に。

 

Had it coming

(ザマぁ見なさい)

 

 ロキの喉元から伸びた黒いインクが、サノスの手中に嵌められたスペース・ストーンに触れた。

 

 瞬きの間、空間は反転する。

 変化は一瞬、効果は劇的。翻った空間はロキを飲み込み、宇宙船から姿を消した。

 サノスの手に残ったのは、どろどろに溶けたインクが力なくぼたぼたと垂れるのみ。怒りを露わにするように、流れるインクを握り潰す。しかしそこにロキはもういない。

 

「今のは、貴様が使役する化生の類か?」

 

「あ、あら? ちょっとアリス~? あなたなんてことしてくれるの! カレ(ロキ)()()()()()()()()()()()()

 

Hi , hihi , Well , well , well her mother . Sorry , but that's not gonna happen ……

(ク、クク、これはこれは我が主の母君。貴様の計算を違えられ、た、よう…で…何、より……)

 

 スペース・ストーンの起動。

 それだけに全力を注いだインクの化け物アリス・エンジェルはエニシを嘲笑い、消失した。

 インクの化け物としての死、それは魂の磨耗に伴う消滅とは違う。魂の概念的な死に近く、輪廻転生の円環にも乗れない。奇しくも、アリソン・コナーはベンディの創造者であるヘンリーと同じ末路を辿った。

 

 

「貴様、裏切ったのか?」

 

「まさか」

 

 サノスが憤るのも無理はない。

 エニシ・アマツとインクの化け物アリス・エンジェル、もといアリソン・コナーは実の娘であるユカリ(レイニー)()アマツ(コールソン)と切っても切れない関係である。関係者としてこれ以上相応しい容疑者はおらず、アリスの言動云々はともかくとしてエニシの主導でロキをこの宇宙から逃がした可能性が高い。

 もっとも、ロキ個人でこの情勢を引っ繰り返せるとは思ってもいないが、何事も万が一はある。

 

 サノスという男は臆病ではなく、かといって自信過剰ではない。

 

 綿密に、かつ冷淡に。道端の蟻を一匹ずつ潰していくように、手の届く反撃の芽を丹念に潰してこそ、大義は為されると信じている。対策は万全に、用意は周到に。如何なることでも一切の手を抜かず、余念も赦さない。故に、()()裏切る可能性があると考えられるエニシを始末しようと、サノスはパワー・ストーンの力を差し向けるが。

 

「奴隷がご主人様に噛み付いた、それだけよ。()()()()()()()()()()()だわ、本当に。

 虐められていた弱き主人公がチートやらレベルアップやらで一発大逆転して、何もかも強くなったと勘違いして見返すような……ありきたりで笑えもしない、逆襲劇(ヴェンデッタ)にもならない三文喜劇(コメディ)()()()()()()()()のよ、()()()()()()()()()()のよ、そんな努力は無価値だから。むしろ頑張られる方が迷惑だから。

 精々、作者のご都合主義に踊らされる主人公を眺めることだけが唯一の笑い要素かしら? 馬鹿の一つ覚えで自分より社会的地位の低い奴隷をヒロインにするとか考え短絡的過ぎて、いと☆あはれ♡

 まぁそれも? 痛くも痒くもない、とんだ犬死で終わってしまったわけだけど? 唯一自由になれる機会で、後先短い寿命を散らすなんて……我が世の春に満足したわけでもあるまいに」

 

 目の前に翳された圧倒的な破壊(パワー)()(ストーン)など怖がる素振りもなく、ただただひたすらエニシは先のアリスの行動に苛立ちを隠すことなく解けたインクを踏み躙る。

 ぐりぐりと。

 ぐりぐりと。

 過去、サノスに取り入り軽薄にも裏切り行為を仕出かした、数えきれないほどの馬鹿で浅慮な転生者共を思い起こして。何度も何度も踏み躙る。

 

(ホントウ、正直言ってこれは計算外だわ)

 

 エニシの予定ではいままでの過去と変わらずロキはこのまま無残にサノスの手で縊り殺される予定であった。無論、ロキ単体で仕出かせることなどたかが知れているが、如何せんサノスの魔の手から抜け出した世界線のロキの行動は未知数。かなりの確率で餌にされたり道化にされたり、なにかとパッとしない活躍しか見せない男だが、それでも神の系譜に名を連ねる男。

 

 予測もしない逆襲撃(ヴェンデッタ)、あるかもしれない。

 

 宇宙船(ボゴンッ)燃料機関(ボン)破裂する音(ボン!)

 

 ついにステイツマンの圧壊が始まった。そうでなくても、サノス率いる巨大戦艦(サンクチュアリⅡ)が対艦砲を止めどなく撃ち続けているのだ、碌な武装を積まない民間船が長時間の砲撃に晒されて耐えられるわけがない。

 

「サノス様、ここは御石の力で避難してくださいまし」

 

「貴様はどうするつもりだ?」

 

「おぉ……かのサノス様が御身を心配してくださるとは何たる名誉! 銀河広しといえど、塵屑のようなわたくしめ如きに目かけて下さるとは恐悦至極……ですがご安心を。サノス様の御手を煩わせるわけにはいきません。この広大な宇宙で、船と命を共にするのも我が宿星の定めでありますが故……!」

 

「ほう。なるほど、スペース・ストーンを使わずとも脱出する手立てがあるというのだな」

 

「……サノス様、そこは「大義である」と一言お褒めの言葉を投げかけてくださいよ~」

 

「邪魔立てさえしないのであれば、貴様の命などどうでもよい。だが、そこで無様に這い蹲っている英雄(ソー)を助けるのであれば見逃すわけにはいかん」

 

 ロキが目の前で殺されずに済んだとはいえど、大事な母星の民を手に掛けられた。

 無機物の操作に特化したエボニー・マウによって拘束されており、文字通り手も足も出ないソー。怒りと興奮に彩られた皮膚は赤く滾り、その内に宿る筋肉は復讐の力を漲らせている。

 復讐、正に報復者(アベンジャーズ)に相応しい。

 

「ご冗談を♪」

 

 エボニー・マウが少しでも力を緩めれば飛び掛かってくるであろうソーを尻目に、エニシはニコリと微笑む。その姿は包帯越しであろうと、ブラックオーダー達でもぞっとするほどに毒々しいものだった。

 思わず、各々の武器を持つ手に力が籠る。

 

娯楽星(サカール)では私のワンマンライブを邪魔し、神の国(アスガルド)ではヘラの陽動に利用して、宇宙船(ステイツマン)では捕虜同然の扱いをしたこの愚図を!

 ……私が助けるとお思いで? できるならば今すぐ殺してやりたいところです♡ で、す、がぁ♪」

 

 その必要は、ない。

 エニシは拘束から逃れようと全身の力を漲らせて蹲るソーに目を合わせ、揶揄う様に、あるいは労うように頭を撫でる。

 さわさわと、赤子を撫でる様な優しさで。

 その行為が意味することを知ってか知らずかソーの瞳が怒りに燃える。全身の関節が嫌な軋音を生み出し、興奮で血管は皮膚を喰い破り血飛沫が吹き出す。まるで拘束を喰い千切らんとする檻の中の猛獣のようだ。

 しかし、エボニー・マウの超能力(サイコキネシス)は強力で、サノスの厳命により一切の行動を封じられている。

 

 そう。

 なにもわざわざ、エニシ自身がソーに何かをする必要はない。

 別にエニシは何かをしようがしまいが、ソーは愛すべき民を一人たりとも救えないし、消えた義弟の行方を追うこともままならない。浅慮な復讐者のように意気揚々と憂さ晴らしするかの如く、殴るだの蹴る打の暴行に及ぶ必要はどこにもない。

 ただ、言葉を口にするだけでいい。

 

「非力な私が力を振り絞ったところでこやつ(ソー)を死に至らしめることは叶わないでしょうけど、この広大な銀河で延々と彷徨い、飢餓に苦しみ、息もできず藻掻き、次第に希望(ヒカリ)を失い朽ち果ててくれるのであれば本望(ホンモー)です☆ 死に征く(アスガルド人)の亡骸に抱かれて死ぬのは王にとって望外の悦びでしょう! ね、そうよねソー?」

 

 武力は要らない。兵力も必要ない。暴力も振るわない。

 己に突き付けられた最悪の未来を、声して伝えるだけでいい。

 避けようがない運命を言葉にして語り聞かせるだけで、その事実に絶望する様を見るだけで、存外復讐心とやらは満たされるのである。もっとも、エニシからすればこの程度の些事は復讐にも怒りにも入らない。過去幾度となく獅子奮迅するアベンジャーズやサノスたち、そして彼らの周りに蠅のように集る転生者共の愚行と比べれば、まだ()()()()ものだ。

 

 罪なき民を殺された。怒っていいだろう。

 親友を殺された。復讐には十分な動機になる。

 ストーンで引き起こされる悲劇を食い止める? 立派な使命感だ。

 

 なるほど、私欲のままに生きる塵屑共とは比べ物にならないほど高潔な意志だ。正当性はある。逆切れだってまだマシなものだ。無から生じる行動など有り得ない。何かしらの出来事と、その出来事に対する聖人らしい感性があってこそ、動機は生まれる。

 エニシの後ろに立つサノスもその一人。すべては銀河を救う為に、彼は戦っているのだ。

 

「貴様の悪趣味に付き合うつもりはないが、そのつもりならば不問にしてやろう」

 

 サノスが手にしたスペース・ストーンが青く輝く。本来であれば小型船を寄越して脱出することもできるが、それよりもスペース・ストーンの力を使う方が遥かに早く、何より効率がいい。加えて、パワー・ストーンの入手時も()()()()ザンダー星を破壊してしまった。

 いくら強大な力を手に入れようとも、その力を上手く制御できなければ意味はない。パワー・ストーンとはまた違ったベクトルの力を持つスペース・ストーン、その力に耐えうるインフィニティ・ガントレットは宇宙に二つとない籠手。ミスも無駄も赦されない、その力で何ができるか、どこまで実現することが可能か、石の力を制御し、モノにするためには力の行使の訓練も必要だ。

 もう、ソーはサノスの眼中にはない。

 スペース・ストーンにより転移したエボニー・マウの超能力の効果範囲が遠ざかり、ソーは漸く拘束から抜け出した。

 

「ま、まて…!」

 

「あーらあら、ちょっとちょっとー」

 

 縋りつこうと伸ばすソーの手を踏み躙る。

 手の甲を捩じるように(げしげしと)

 足元に蠢く害虫を潰すように(ぐりぐりと)

 

「汚い手で、私に触れないでくださる? 民も救えぬ亡国の王様?」

 

 長らくアスガルドを支えていたヘイムダルの亡骸を悼むソーを蹴り飛ばすと、エニシは左手首の腕時計を起動した。藍色の眩い光がエニシを包み、やがて真空が押し寄せる空間から姿を消す。スペース・ストーンの力を以って、爆破する宇宙船ステイツマンから脱出した。

 

 銀河の彼方で、罪なき民が冷たい宇宙(そら)に放り出される。

 深い絶望と憎悪が、ゆっくりと目醒めた。

 

 

 

 

 

 Chapter 131

 

 

 

「……ん? ここは」

 

 避難船(ステイツマン)が爆破した宙域から、少しばかり離れた場所。エニシはそこに転移を果たしていた。

 

(相ッ変わらず思い通りに転移してくれないわねこのポンコツ(スペース・ストーン)。かといって修理方法が分かってる訳でもないし……ワタシの過去の経験を以てしても、石の力を一個人でどうにかできるものではない、か……)

 

 包帯に包まれた指先で三つの石が治められた腕時計をコツコツと叩く。当然、意志を持たない無機物にちょっかいを掛けたところで何のリアクションも帰ってくることはないが。最早人生の九割の時間をこの石たちと共にしているエニシにとって、三つの石は相棒のようなもの。

 リアリティ・ストーンが持つ現実改変能力で宇宙空間に存在を維持したまま、何かが砕け散ったような欠片が浮遊する宇宙空間を睥睨する。その中のいくつかは、ここ最近エニシが目にしたものもあった。

 

(この破片。そう……なるほど、()()()()()()()()か)

 

 中世の北欧を思わせる建造物や構造物。オーディンの威光が描かれた壁画。ロキが拘置されていたと思われる地下牢の格子。アスガルドの戦士たちの装備の数々。この広大な宇宙の好事家であれば喉から手が出るほど欲しいであろう、宝物庫に収められていた宝具。

 それも、ヘラを斃すために利用したスルトの一撃により死の星と化した。

 否、スルトの永久なる炎を纏いたる星砕きの剣(レーヴァテイン)により、星は原型を留めることすら不可能となった。

 

「……あって損はしなさそうね」

 

 一つの星を砕くことが確約された魔剣、レーヴァテイン。

 当然、そんなものは宇宙広しと言えど欲しがる物好きはいない。一つ手元が狂えば星一つが跡形もなく消えてしまうのだから。

 だがエニシは違う。この宇宙の中で誰よりも死にたがりの彼女にとって、人智を越えた威力を持つ兵器・武器は興味の対象である。

 己を殺せればよし。そうでなくても、自身という存在の消失に繋がる手掛かりとなるのであれば行幸。現に、ユカリを星と合一させることで自意識の喪失と魂の破壊を目論んでいるエニシからすれば、万が一星との合一が成功してしまった場合のサブプランとして、レーヴァテインで地球を砕くことも選択の視野には入るからだ。

 

(あ、でも結局サノスが地球ぶっ壊しちゃうからいいんだっけ。うーん、でもなぁ)

 

 転移という現象自体は引き起こせても、座標の指定が運任せであるスペース・ストーン。

 完全ランダムというわけではないだろうが、魔法・科学至上主義にして(トランス)人間(ヒューマ)主義(ニズム)であった過去を持つエニシも、言葉や理論では説明できない縁というものを感じていた。過去、幾度となく失敗してきた実験も、同様に言葉や理論では説明のつかない何かに阻まれていることは理解している。あらゆる次元、あらゆる宇宙において──或いは、『マーベル』と呼称されるこの宇宙には、そういった不確定な要素が表出しやすい宇宙なのだろうと、経験則がエニシへ警鐘を鳴らし続けていたのだ。

 

 縁。

 エニシ。

 

 かつて己をそう名付けた親の顔を、エニシは思い出すことができない。それは単なる経年劣化による記憶の混濁や消失などではなく、正真正銘天涯孤独の身であるからだ。

 親が名付けたこの名には、如何なる願いが込められているのか。それを考察する必要性も意味もありはしない。だが、ただの天才科学者に〝条理を超越した何か〟を気付かせ、解釈の幅を数十倍拡大させてしまったのは、己に名付けられた(エニシ)という名がきっかけであったことは、言うまでもない。

 凡庸の天才に過ぎなかった科学者を、科学だけでは証明できないことも容易く受け入れる狂人にしたのだ。そして、科学で証明しきれない未解明の領域にメスをいれようとしているのも、エニシ・アマツという女なのである。

 

(えーと始動キーは……なんて設定したかしら)

 

 (あく)は急げ。

 悩むという行為は人生の中で最も無駄な遅延行為である。うだうだ立ち止まって研究室であれこれ論を弄するよりも、実験室で手当たり次第実験することの方が遥かに有意義であると知っているエニシは、さっそくタイム・ストーンの起動に取り掛かった。

 だがここで問題が一つ。

 リアリティ(現実)スペース(空間)タイム(時間)の名を冠するインフィニティ・ストーンの中で、特にタイム・ストーンの扱いは未だにエニシでも十二分にコントロールできていない。正確には思い通りに起動することが難しいのだが、それがかつてベンディに飲まれても死守し続けたエンシェント・ワンの遺した置き土産なのか、はたまた他の石同様にベンディの呪いが関与しているかは不明である。

 

(ああ、思い出した)

 

 しかしエニシには経験がある。何百、何千もの次元を経て蓄積された、膨大な経験値が。

 

 

「〝時間停止モノは九割ヤラセ〟」

 

 

 ──それはまるで、ビデオや映画の巻き戻しをしているような光景だった。

 宇宙を彷徨っていた無数の破片がピタリと動きを止め、ある一点を目指して集合していく。昨今注目されているタイムラプス動画のように、かつて星の一部を構成していた物々が宇宙の暗闇から吸い寄せられる。

 それはまるで流れ星のように。

 あるいはブラックホールのように。

 鈍色の光を放つ、黒濁のタイム・ストーンは時流の逆転現象を引き起こす。それはやがて星を象り、大地を形成し、絢爛豪華なるアスガルドの都を再構成するに至る。

 

『ヌ、ゥ……? な、なんだこれは』

 

 そして当然、星を砕いたという時間が巻き戻されるということは。

 

「生き……てる……?」

 

 星砕きによって滅んだはずの化け物たちも、生き返るということ。

 逆巻きの時の中で再び命の灯を取り戻した者は二人、スルトとヘラの両名である。

 宙域を漂っていた残骸の関係上、彼等が暴れる前に飛び立とうとしていた避難船やソー、ロキが戻ってくることは叶わなかった。本来のタイム・ストーンであれば()()()()で数時間前の状態に完全に巻き戻すこともできただろうが、そこは歪んだ形でしか実現できない汚染されたタイム・ストーンが実現可能なものではなかった。

 しかし、ヘラはともかくとしてスルトが復活する点まではエニシの望んだとおりであった。

 蛇のように窄められた瞳孔が、炎の巨人スルトの持つ炎剣を睥睨する。

 

「それ、貰うわね」

 

『何者だ貴様ッ!』

 

「エニシ・アマツ。別に覚えなくていいわよ、どうせ返事は聞いてないから」

 

 

  Download(情報読込) Earth-Prime(616)

 

 

 ──剣の柄から生えた邪魔者(スルト)を刈り取るべく、エニシは胡乱な様子で腕時計に仕込まれた石を励起させる。思い起こすは過去の記憶。引き起こすは現実への干渉。望む願い(イノリ)は邪魔者の駆除。エニシの願いを聞き入れた三つの石は、歪んだ形で、しかしエニシの希望に沿う形で現実のものにする。

 崩壊前のアスガルドの上空、ヘラとスルトが仰ぐ天にて、仄暗い粒子がちかちかと瞬く。鉱石のようにも、液体のように見えるそれは、まるで空間から滲み出るように沸々と湧き上がる。

 黒より昏い粒子から形成される武器。その形に見覚えがあるものはこの場に二人。

 ヘラはかつて第一線で敵と戦ってきたオーディンの傍にいた。

 スルトは戦いに挑んだオーディンが己の頸を斬るときに手にしていた。

 いま亡きオーディンの過去の姿を知る、この二人だけがその武器の正体を看破していたのである。

 だからこそ、()()()()()

 

「馬鹿な……」

 

『それはッオーディンの……!』

 

 

  ──Update(顕現完了) Gungnir(運命の槍)──

 

 

 五十万年前、スルトの頸を斬り飛ばし、永久なる炎を宿す王冠を奪ったオーディンが携えていた神槍。

 それを、エニシは時間と空間を操作し、現実のものとして呼び起こした。

 

『グ ゥ ォ オ ォォオ オ オオ オ──── !!』

 

 それは己を絶命させるに至る神器。致命傷足り得る神の槍。一度ならず二度までも振るわれる槍の一撃を阻止すべく、スルトはアスガルドを貫こうとしていた星砕きの剣(レーヴァテイン)を振るう。

 しかし、遅い。

 

「哀しいかな。それ、星を滅ぼす()()なのよね」

 

 星砕きの剣(レーヴァテイン)の一薙に飲まれたエニシはしかし、槍を片手で持ったまま先と全く変わらない空間に浮いていた。周囲の空間が星砕きの剣(レーヴァテイン)によって焼き焦げ、黒色に染まっているにも関わらず、エニシは五体満足でそこにいた。

 

『馬鹿な』

 

「あなた、邪魔」

 

 最初から星砕きの剣(レーヴァテイン)以外興味はない。神さえも殺す権能を有する神槍はオーディンフォースの眩い光を携えて輝き、無造作にもエニシの手から放られる。勢いもなく投げられた槍はしかし、常軌を上回る速度で空間を裂いてスルトに迫る。避けることは叶わぬと悟ったのか、スルトは星砕きの剣(レーヴァテイン)で払い落としにかかるが──

 

 (太刀筋から)(逸れるように)ッ!(槍が撓る)

 

 まるで意思を持つように槍はスルトの一閃を避けた。そして懐に入れば避ける術もなく、神槍はスルトの腹部に深々と突き刺さり、全身の焔を神滅の光が喰い破った。

 

『ガ ァ ア ア ア ァア ア ァァ……』

 

 崩壊寸前のアスガルドに、断末魔が響く。

 まさかスルトの声とは思うまい。その叫びは宇宙まで木霊するほどの波濤であったが、しかしかのムスペルヘイムの王の最後の声を聞き届けられたのは、剣にこびり付いたスルトの指を削り取るエニシと、呆然と佇むヘラだけである。

 それは、予言されたラグナロク(神々の黄昏)を覆したことの証明でもあるのだが。

 

「フ──ゥ……さて、と。状態は……よしよし、ちゃんと星一つ砕くだけの()()はまだ生きてそうね。実験道具(コレクション)に加えとこうっと」

 

 ラグナロク(神々の黄昏)よりも、碌でもない未来の到来を、約束していた。

 

 

 

 

 

 Chapter 132

 

 

 

「ん、ん、ん…えーっとぉ……ああいう時、なんて言うんだったかしら? ごめんなさい? (これ)出すのに集中しててド定番の呪文みたいなの、唱えられなかったわ。惜っしー!

 えーっとえーっと、何だったかしら! とれーすおん、だっけ? 体は剣でできてて、血は鉄分で心は繊細なガラスハートで、負けず逃げず、でも勝てなくて……ろーるあうとした銃弾が、でもソードって剣よね? 語義的に剣よねソードって。ソードがバレルってふるおーぷん…ああもう! なんで転生者共ってあんな訳の分からない呪文ポンポン言えるのよ、そのリソースもっと頭に使ってよね。厨二じゃなくて、賢い方に」

 

「……貴様は、()だ? なんなんだ? その身体は」

 

「あ、オマケで蘇っちゃったのねヘラ。どうも、この次元では初めまして。エニシ・アマツっていうの。よろしくお願いシンデレラ~☆

 で、どうする? アナタに示されてる道は二つ。さっきの炎の魔神みたいにコレ(運命の槍)に貫かれて死ぬか、このあっつい剣(レーヴァテイン)の試し切りに付き合ってくれるか、黙ってワタシについていくか。あぁ、これじゃ三つね」

 

「……」

 

 

 

 

 



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