紗夜のBはBitchのB! (本醸醤油味の黒豆)
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本編
Bとの出逢い/童貞を狙う瞳


 童貞? まだそうだけど、そもそもセックスってどうやってするの? そういうことに興味を持ち始めたのは中学生になりたての時だった。その時はそこまで深く考えてなかったっけ。高校生になったら自然と恋人ができて、そういうことも自然とできちゃうんだろうって、そんな感じ。だから全然興味なんてなかったようなものだった。友達とバカやって、ベースってカッコいいよな、なんて話したりして、そんな感じだった。

 ――そして高校生になってもう三年生、そこで、俺は今一度思うワケなんだけど。

 

「……どうやったらセックスってできるんだ……?」

 

 中学生の自分を殴りつけて、顔のカタチをもうちょっと美形にしてやりたいくらいの後悔がそこにあった。酷いもんだ、中学時代友達とバカばっかりやってきた俺にはセックスどころかカノジョすらどうやったらできるのかもわかっちゃいねぇのに。

 

「顔はそれなりだからダイジョウブっしょ!」

「そうか! よかった!」

 

 と、幼馴染に言われたものの、その大丈夫が全然大丈夫じゃねぇってことに気付いた時には、もう手遅れにも程があった。バカ野郎、そもそも女っ気ねぇんだけど。

 モテるらしいというクソみたいな理由でバンドを始めたけど、よかったって言ってくれるような女がいねぇ! 幼馴染には似合わないとか言われるしな。

 

「ああ……童貞卒業してぇ……なんとかして……大人になりてぇよ」

「……でしたら、私が手伝ってあげましょうか?」

「……へ?」

 

 そんな練習スタジオのベンチでのなにげない一言に、俺は首を傾げた。はて、性欲の消費と同じく独り事、ならぬ独り言だったんだが、いつからお相手ができましたかね? そう思って後ろを振り返ると……びっくりするほどの美人が立っていた。

 ウェーブがかった髪は照明に当たってキラキラと輝いていて、顔立ちもスタイルもモデルかアイドルか、というほどで、指先もキレイだった。

 ――そんなとびきりの美人が、なんて? 俺の聞き間違い? 幻聴だな? そうだな?

 

「ですから、セックスがシたいというなら私がお相手します、と言っているのですが」

「えぇ……」

 

 もう一回、今度は目を合わせてハッキリとその美人が口にした。セックス、お相手、しかも顔を赤らめるとかそんな羞恥なんて一切なく、その単語は当たり前に自分の身近にあるような言い方だった。

 

「……えっと、お金、持ってないんスけど……」

「ホテル代等もないようでしたら出しましょうか?」

「ふえぇ……」

 

 思わずそんな声が出た。怖い、このお姉さんめちゃくちゃヤバイヒトじゃないの? そう思うと千載一遇のチャンスは絶体絶命のピンチじゃないのかと思えてならなかった。ピンチはチャンスならチャンスもまたピンチ、そんな感じ。

 

「驚くようなことはありません。私がただ少しタマっているというだけで……」

「な、なんで……?」

「何故? 快感を味わいたい、という欲求に何故だという質問は野暮ではありませんか?」

 

 え? 俺がおかしいの? みんなセックスってそんな感覚でヤるの?

 そんな疑問はすぐに自分の周囲の人間から違うことは明白だった。割とその辺の貞操観念しっかりしてるのに、このヒトは名乗る前にヤる話してるんだけど、頭がおかしくなりそうだよ。

 

「いけませんか……?」

「え、えっと……ど、セ、ええっと、えっち、ってそんな、名前も知らないヒトとすぐするようなもん……じゃないと思うので……それじゃ!」

「あっ、ちょっと!」

 

 逃げるようにして俺はスタジオを飛び出した。未知への恐怖、ほんの僅かにチラついたプライド、そんなちっぽけなものとベースを背負って、あれほど嫌だった童貞を守るために、美人から逃げ出した。

 いや、あれは美人なんかじゃない。敵だ。童貞っていう残念な能力値しか持たない俺には持て余しすぎるラスボス、悪魔だ。ビッチで美人とかどうしたらいいのかわかんないくらいにレベルが高すぎる。

 

「恋人、とかじゃないと……!」

 

 誰に言い訳をしているのかわからないけど、その日は返ってソッコー布団に潜った。

 結局名前もわからずじまい……いや、きっと名乗るつもりもなかったんじゃないかな。そうやってワンナイトの欲求に身を浸してるんだろう。きっと今夜も……どこかで。あの澄んだ声で啼いて、誰かもわからない男にあのキレイな素肌を晒して、腰を振ったり、口で……あ、やば。

 

「……想像しちまったよ……サイアク」

 

 ティッシュと右手で、俺はその最悪な妄想を振り払うように自慰行為に耽った。

 あのヒトとはもう会うことはない。逃げ切ったんだから、ワンナイトの関係を振り払ったんだから。

 ――だから俺は忘れてた。RPGのラスボスといえば、とある共通点があることを、すっかり失念してた。

 ボスからは、逃げられないってことを。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、昨日はどうも」

「……ひえ」

 

 変な声が出た。わざわざ別のスタジオに来たのに、そこにはラスボスが姿を現していた。しかし逃げられなかった、そんなメッセージが頭を駆け巡った。

 ギターを背負った美人の彼女は、何故かまた、俺の童貞を奪うために立ちはだかってきた。

 

「どうして逃げてしまったのでしょうか? 私、いけないこと言いましたか?」

「イケナイことは沢山言ってましたね」

「でも、イキたいのですから」

 

 学校帰りの夕方だってのに、明らかに下ネタぶっぱなしてくるこの美人さん。顔がいいのにそれってなんか色々台無しでは?

 そんな俺の怪訝な顔なんてまるで意に介さず、彼女はふっと薄く微笑んだ。

 

「体験したことない、というのは怖いでしょうけど……大丈夫、すぐに気持ちよくなるわ」

「誘い文句がアブナイんですけど、その辺はどうお考えでしょうか?」

「私がリードしますから問題ありません」

 

 ――そう、だよな。いや勿論このヒトとセックスするワケじゃないけど、するとして、俺は童貞だから、彼女のように経験豊富……雰囲気から察するに多分、な方がリードして、成立するんだろう。手取り足取り、イチイチ教えてもらいながら。それは……なんだか嫌だな。

 

「お断りします」

「……どうして?」

「俺にだって童貞の捨て方には理想があるんです。例えあなたが美しくても、このベースのように、妥協で完成はしたくないですから」

 

 好きな子に告白するかされて、付き合って、手を繋いでデートして、キスして……そうやって手順を踏みたい。好き、と言われながら、名前を呼んで、呼ばれながらセックスをしたい。童貞の妄想だとか、そんなんだからカノジョができないだとか、嗤われても一向にかまわない。俺は俺の理想にまっすぐだから。

 

「……そう、ですか」

「はい。だから、あなたの言葉には――」

「――紗夜、です」

 

 カッコよく断った、と最後の締めくくりをしようと思ったら、遮られた。

 サヨ、その響きが何を意味するのかわからず、俺は頭を捻る。もしかして、このヒトは、と思いながら。

 

「……えっと?」

「氷川紗夜、それが……私の名前です……カンベさん」

「へ? え? なんで?」

「なぜ? あなたはライブハウスでも演奏をするベーシストなのだから、知っていて当然です……本来は私のことも知っていただけると思ったのですが」

 

 そりゃそうだ。俺はバンド仲間を組んで、行きつけのライブハウスではカンベ、って名前で通ってる。本名は違うけど、どうやら彼女、氷川さんは本名らしい。

 ――そして、漸く気付いた。バンド仲間が騒いでたガールズバンドのスゲーギタリストがいるって、Roseliaってプロ顔負けの技術力を持ったバンドのギタリスト……名前は、彼女と同じだ。

 

「ひ、氷川さん……だったんですか」

「ふふ、同い年なのですから、敬語はいらないのではありませんか? それと……もう他人ではなくなりましたし」

 

 いやバリバリ他人です。そんな嬉しそうな顔しないでほしい。知り合いのハードルが低すぎてカタツムリでも飛び越えられそうだよ。いや俺にはムリムリ、カタツムリ以下のノミ野郎だから。あ、ノミの方が飛べるか。

 

「それじゃあ、()()()()()()()、失礼します」

「はい……って、え? おい!」

 

 今このヒト今日のところは、っつったよね? また来るの? てか今更だけどどうやって俺の居場所知ったんだよ! その辺全然聞かされてないんだけど?

 なんかミステリアスなまま去ろうとする氷川さんを追いかけると、振り返り、悔しいけど、めちゃくちゃドキッとする笑顔で……頬にキスをされた。

 

「また、あなたのハジメテの女になりに、会いに行きますね」

 

 ――俺はどうやら、とんでもない女に目を付けられたらしい。品行方正、文武両道、そんな折り目正しい印象の強い氷川紗夜が、ヒトの童貞を奪いにやってくるとんでもないビッチだった、なんて誰も信じてくれるわけない。

 厄介なヒトと()()()()になったせいで、俺の夢見る童貞卒業プランは、音を立てて崩れ始めていたのだった。

 けど、俺はビッチなんかには、負けないんだからっ!

 

 



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Dを守れ/二人の日常

 ――あの衝撃、とんでもない清楚系なビッチと知り合いになってから早一週間、彼女は俺の前に姿を現し続けた。

 ライブハウスで、スタジオで、楽器店でも。いやいやストーカーですよねそれ。

 

「ふふ、こんにちは、カンベさん」

 

 しまいにはここにはいないだろうと思って入ったファストフード店にまで、彼女は俺を見つけるとにこやかに挨拶をしてきやがった。

 なんで嬉しそうなんですかね。俺はあなたに会えることに恐怖しか感じないんだけど。

 

「それにしても……」

「いやその前になんでさも当たり前かのように俺の向かいにいるのか訊いていいですかね」

「それにしても、運命、と言いたくなる日がよもや今日とは」

 

 誰か助けて、人の話を聞いてくれません。遮ったのに繰り返すかフツー。この快楽のホルマリン漬けになった脳内ピンク魔王様は、こうして童貞(ゆうしゃ)である俺にエンカウントすると嬉しそうに寄ってくる。そしてその戦闘で勝利しなければ逃げられない。

 

「ホント……どうやっていつも居場所を把握してるんですか」

「今日は本当に偶々よ。だから嬉しいのですが」

「俺はぜんっぜん嬉しくない」

「それは大変ですね、ホテル行きますか? それともここでイキますか?」

 

 行かねぇしイカねぇよ! と思わず叫びそうになり、すんでのところで堪えた。騒いで居づらくなっちまうのは勘弁だし、なにより今、彼女……氷川さんと外に出るのは非常にまずい気がするしな。

 

「……メシがまずくなる」

「そうですね、食事中に下ネタなんて、私としたことがマナーを失念していました。すみません」

 

 なんだそれ、調子狂うなぁおい。と思ったけど、氷川紗夜さんは花咲川女学園ではなんと風紀委員を務めているらしく、知り合いによるととても厳しいヒトだそうだ。確かにRoseliaの氷川紗夜のイメージも自分にも他人にも厳しくて、ストイックなヒトって印象だったから、すぐに腑に落ちた。けど、それが逆に俺への向けてくる言葉の異常性を際立たせていてもいるんだが。

 

「そうでした。この間のライブ、聴きに行きましたよ」

「え、マジで?」

「マジです」

 

 転換された話題は、俺と氷川さんを唯一、真っ当に繋いでいるはずの話題……音楽だった。

 週末に行われた仲間とのライブは、大成功を収めた。徐々にファンもついてくれていて、今はガールズバンドが隆盛を誇ってることもあり、こうしてライブハウスなんかで活動できるアマチュアが盛んってのは、いい時代になったと言わざるを得ない。

 ――まぁ、その最先端が、目の前でポテトかじってるビッチなんだけど。

 

「とても素敵でした。一人一人の技術も高く、また……楽しい、という気持ちに突き動かされている感覚が、とても」

「……氷川さん」

「これからも精進してください。バンド仲間として、ライバルとして、私の励みにもなりますから」

 

 すっげぇ真っ当な言葉。しかもあのRoseliaのギタリストに、圧倒的な練習量に裏打ちされた正確無比な技術と、まるで冷たい炎を浴びてるような、すべてに挑戦していくあの冷静さとは違った熱に、男女問わずいったい何人が憧れを抱いているのか、わからないようなヒトに、俺たちは褒められた。

 そうだよな。相手は氷川さんだ。ヤリたい云々さえなけりゃ、こうやって知り合えたことを幸運に思ってもいいよな。

 

「よかった、ってことですね」

「はい……とてもよくて、思わず濡れてしまいました」

「……は?」

「ですから……濡れて」

「だから食事中だっつうの!」

 

 今度は我慢できなかった。何かと周囲の視線が俺と氷川さんに刺さってくる。痴情の縺れか、喧嘩か、そんな視線に耐えきれず、俺は立ち上がって残っていたポテトとジュースだけを持ってトレイを片付けて店を出ていく。

 あー恥ずかしい。ああいう目立ち方じゃなくてだな、もっとバンドの技術で目立ちたいもんだ。そんなワケのわからん照れ隠しを自分にしていると、案の定、氷川さんが隣にやってきた。

 

「……なんですか」

「いえ」

「ホテルなら行きませんよ」

「私はイキたいのですが」

「だったら俺じゃなくてもっとヤリ慣れたヒトとかにしてくださいよ」

 

 言ってて、なんか惨めになった。なんだよヤリ慣れたって。自分が童貞で、満足させてあげられなさそうで、それを理由にこのヒトの誘いを断ってるみたいじゃねぇか。

 いや、間違ってはねぇか。技術も熱も足らねぇ俺じゃ、氷川さんを満足なんてさせてあげらんねぇ、誘うだけ、無駄骨ってもんだからな。

 

「――俺じゃ、氷川さんに釣り合わない」

「そんなことを気にしていたのですか?」

「そんなことって」

 

 結構重要な気がするんだが、氷川さんはくすっと笑って俺の腕に自分の腕を絡みつかせた。まるで恋人同士のような仕草、その髪からはシャンプーなのかコロンなのかわからないけどいい匂いがして、腕には氷川さんの身体が押し当てられて……柔らかい。

 

「今、おっぱいのこと考えていませんでしたか?」

「……なんのことやら」

「誤魔化せてませんよ。小さくても、無いわけじゃないんですから」

 

 確かに、スレンダーな氷川さんの胸は控えめだ。けど、そこにはしっかりと膨らみがあって、押し付けられればやわらかさがあって……頭ん中がショートしちまいそうだ。

 女性とこんなにスキンシップを取ったことはないし、ましてやこの距離まで女性が入ってきたこともない。頬へのキスと同時に、また、女性との接触のハジメテを奪われた気分になった。

 

「勃ちましたか?」

「そこまでは」

「……サイズを見ておこうと思ったのに」

 

 いやいや測らんでください。ここで私が見てきたモノの平均よりも小さめとか言われたらいますぐ泣いて走りだしますからね。そのくらい俺は俺に自信がないんですから。

 離れようにも離れがたいその優しく魅惑的な氷川さんと、俺は同じ道を歩く。その横顔からはいつものラスボスっぽさは感じられなくて……ああ、ドキドキする。

 

「それでは、また誘いますね……カンベさん」

「……やめてくださいよ」

「嫌よ。あなたのハジメテの女になるのだから」

 

 今のところ俺にその予定はないんだけど、わかってくれないんだよね。

 どうして、そんなに俺に拘るんですか? そんなことを訊く間もなく、氷川さんはどこかへ去っていってしまった。

 

「……どうして、俺なんだろう」

 

 あのヒトはどうして、俺を構うんだろう。どうして、俺とヤリたがるんだろう。その疑問は、童貞の俺には中々口に出せないものだった。

 モヤっとする。俺が女性に対して魅力的に振舞うことなんてできっこない。さっきも、氷川さんに対して、しどろもどろに話すことしかできない。

 それじゃあどうして、彼女は俺の前に姿を現すんだろう。いや、今日はたまたまって言ってたっけ。

 

「わかんねぇ……わっかんねぇな」

 

 頭をひねっても、わかるはずがない。俺には俺が氷川さんに気に入られる要素を感じないからだ。唯一誉めてくれて、誇れるベースだって、氷川さんの身近にいるベーシストには遠く及ばない。あの朗らかで暖かな音は、それだけで夥しいほどの反復練習と、研鑽によって積み重ねられたものなのだから。

 ――俺は、所詮趣味でやってるだけ。それに対してRoseliaは……マジなんだ。聴けばわかる。あのヒトたちは音楽に、バンドに、全部を賭けてる。氷川さんだってそうだ。

 だから信じられないんだ。氷川さんが、男を欲してるなんて。

 

「それは、ニンゲンだから、じゃない?」

「……そんなもんか?」

「だってさ、アタシたちは音楽をするために生まれたワケじゃないからさ」

 

 幼馴染で俺にベースを教えてくれたそいつは、そうやって笑った。かく言うそいつにも、カレシがいる。真っ赤なベースを構えて弦を弾いたその音は、そいつの気持ちを表しているように、静かに響いた。

 

「アンタはさ、セックスしたいって思わない?」

「思う」

「でしょ? みんなそうなんだって、それが、ニンゲンだからさ」

「それが、お前や氷川さんもそうだってことか?」

「そーゆーこと。イキモノはみんな、そうやって子ども作って、種族を遺したいって本能があるんだよ」

 

 人間の生殖本能だから、それが俺には納得ができるようなできないような、微妙なところだった。

 あんなに音楽に全てを懸けてても、ダメなのか。ヤリたいって欲求には、抗えないのか。女でないと、生きていけないのか。

 

「……でも、なんだって」

「なんで? じゃあアンタは、その辺にいた女の子とアタシ、どっちかだけならどっちとセックスしたい?」

 

 少し考えた。同じくらい美人だとして、道端にいたヒトと幼馴染のコイツ、どっちか。

 答えはすぐに出たけど、それを口に出すのは迷った。いやだって今その二択の後者のやつの部屋で雑談してるわけだし。そこでシたいって、なんかいかがわしくねぇか?

 

「どっち? 別に本気にしたりしないからさ」

「……お前」

「まぁ、そーだろーね……じゃあ、なんで?」

「え、なんでって」

 

 そんなの、決まってる。知り合いの方が性格もある程度わかってるし、一緒にいるのが自然だからだ。そもそも道端にいたヒトとセックスなんてどうだってハナシだよな。誘うのすら躊躇うよ。

 

「そこだよ。アンタは今、アタシの方が安心するからだって思ったでしょ?」

「……うん……つまり」

「誰かわからない男よりは、同じバンドをやってて、気が合いそうなアンタを選ぶ。カンタンな動機だよね」

 

 それが俺に適用された……ってことか。そいつに言われた言葉がストンと腑に落ちて、同時になぜか落胆のようなものを感じた。

 そうだよな、誰でもよかった中に偶々童貞を拗らせた俺がいた。そこに出くわしたから、あの人は俺に目をつけたんだ。

 ――それを聞いた後でよかった。本当に。

 

「それじゃあまた誘ってくれるかい、紗夜?」

「もちろん……ふふ、期待してるわ」

 

 薄暗い路地で、コンビニへ立ち寄った俺が見たものは、男性とキスをして別れる、氷川さんの姿だった。

 そこに俺を構ってくれたあの氷川さんはいなかった。いたのは、男性に裸を晒した後の、充足感に満ちた……男の匂いを纏わせた、一人の女性だった。

 



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Sの心/彼と彼女のこれから

 なんでだろう。そんな疑問と、頭を打たれたような衝撃を受けている自分が、更に疑問につながっていく。

 何故、なんて野暮だと言われたのに、快楽を味わいたい理由はただ一つ、キモチイからだって、あのヒト本人の言葉だったじゃないか。

 ――なのに、なんで俺はショックなんだ? 俺は氷川さんの気持ちよくなりたいって言葉を一度だって受け入れてなかったのに。

 

「……わからねぇな」

「どうしたのですか?」

「……どうも。相変わらず何処にでも現れますね」

「ふふ、私は諦めてなんていませんから」

 

 スタジオから帰る途中に寄った喫茶店で、氷川さんはいつもの調子で俺の向かいに座って、その表情を崩した。

 今日もまた、俺のハジメテを奪うために、清く正しい雰囲気を纏ったまま。

 

「お断りします」

「どうして? オナニーでは味わえない快楽がそこにはあると思うのですが?」

「……氷川さんは飲食中に下ネタを言わないといけない病気にでも罹ってんの?」

「性病には罹っていませんが」

「言ってねぇし訊いてねぇよ……」

 

 毎度思うけど、このヒトは下ネタを言ってる時の会話は微妙にかみ合わない。それに最近のオナホは高性能だからかなり満足できるって話も聞いたことあるんだが、と考えて氷川さんの作り出す空気に引っ張られてることに気づいて慌てて思考から排除した。

 そんな俺の思考は察されることなく、コーヒーを優雅に啜りながら、氷川さんは考え込んでいる様子だった。どうせナニ考えてんだろうけど。

 

「ナニの大きさに自信がないのですか?」

「……そうですね」

「大丈夫ですよ。膣というのは柔軟にできていますから、男性の性器に合わせて大きさを変えることも可能なのです」

「今日はまたぶっ飛んだ下ネタだなぁ……」

 

 真顔でナニ言ってんのこのヒト。知らなかったけどさ。大きいのがいいの、とか寝取られもののAVとかマンガでも良く聞くじゃん。ああいうのって創作上の話ってことなんだろうか。

 

「その辺を説明するのは……ええと、少々面倒なので移動しましょうか」

「待て待て、そうやってホテルに誘導しようたってそうはいきませんからね?」

「ふふ、バレましたか」

 

 なんで楽しそうなんですかね。俺はずっと氷川さんを拒否し続けてるのに、くすくすと笑いながら、まるで恋人にでも語りかけるように、そういえば、と話を音楽の方面に戻してくる。

 ますます謎だ。誰でもいいんじゃないのか、なんて思ってしまうほど。

 

「あのさ」

「なにか?」

「氷川さんって……昨日、男のヒトといなかった?」

「いましたよ」

 

 勇気を出して訊いてみたのに、氷川さんはあっさりと肯定した。その瞬間、身体の奥から何か黒いものが湧き出てくる感覚があった。

 でも、それを何とかすることなんてできない。自分でもなんなのかわからないこの気持ちを、俺は飲み込むことしかできなかった。

 

「ってことは、ホテルですか?」

「そうですね、連絡をいただいたので」

「それじゃあタマってるのは解消されたんですね」

「そうですが、それはそれとして――」

「――だったら、もう俺に構う必要もないじゃないですか」

「……カンベさん?」

 

 氷川さんはそれでいいんだ。アイツが言ってた通り、童貞で女を気持ちよくする方法も知らない、無知な俺なんかよりも、気持ちよくしてくれると知っているそのヒトと会っていた方が有意義に快楽を味わえるんだから。所詮俺は童貞で、氷川さんはビッチで、その間にある溝は俺が簡単に飛び越えられるようなモンじゃないんだ。

 

「今日はついてこないでください……それじゃ」

「待って……!」

 

 慌てて立ち上がる氷川さんと伝票と千円札を置いて、俺は店を出た。

 最悪な気分だ。なんでかわかんねぇけど……すっげぇ嫌な気分なんだ。

 氷川さんに、じゃない。だから童貞なんだって自嘲する自分が、嫌だ。でもどうやって自分を変えたらいいのかもわかりはしないから。

 ――それの解決に氷川さんを使う、なんてもってのほかだから。だから、もう会うのはやめよう。話すのはやめよう。このままじゃ俺は、そのうち、最悪なことを言い出しそうだから。

 

「待ってって言っているでしょう!」

「……っ、なんですか。ついてこないでって、言いましたよね?」

「あなたが話を最後まで聞かないからでしょう? 私の話を聞いてください!」

 

 そう思っていたのに、氷川さんは俺を追いかけて、焦ったような、怒っているような顔で俺の肩を掴んでいた。

 でもそれだけでも、俺は俺が嫌になる。氷川さんにこんな顔をさせてる自分が。

 

「俺じゃなくても……昨日のヒトを構えばいいじゃないですか」

「それじゃあ意味がありません」

「なんで、アンタはビッチなんだろ!」

「私は確かにあなたから見れば軽薄な女(ビッチ)でしょう。昨日はあのヒトとセックスをしました。でも、それはそれとして、私はあなたを追いかけているのです。誰でもいいわけではなく、カンベさん(あなた)とセックスしたいと私は言っているのです」

「――っ」

 

 それは、どこかで俺が言われたかったのかもしれない言葉だった。本当にそう思ってくれたことが、マジで嬉しいと思えた。けど、それでもやっぱり、俺には氷川さんの生き方が理解できない。

 理解できない人に童貞を奪われるのは、()()()()()()()()()()()

 

「どうして? なんで俺なんだよ。童貞で、モテなくて、カノジョなんていたことすらない俺なんだよ」

「そんなこと知りません」

「は?」

「モテないことも、カノジョがいたことないというのも、今知りました。そしてカンベさんが童貞だということも含めてそんなことは()()()()()()()()()

 

 ――どうでもいい。俺のコンプレックスになりつつあるそれを、氷川さんはどうでもいいと言い切った。

 童貞だから俺を誘ったわけでも、モテないことを憐れんだわけでもなく、氷川さんは、氷川紗夜はただまっすぐに俺を見つめて、強い瞳で言い切った。

 

「私は、楽しそうに演奏するあなたに心を奪われたの」

「……それって」

「こういう誘い方しか、知らないのよ」

 

 どういうこと? いやいやもっとあるじゃん。食事に行きませんかとか、好きです、とかさ。なのになんで俺の独り言を拾って手伝いましょうか、なんですかね。もしかしてコミュニケーション能力ないんですか? バカなの? 

 

「ただ好きです、と言ったところで、笑われるだけだわ」

「……笑いませんよ。罰ゲームかとは思いますけど」

「ほら、本気にしない。私を知ってもらうには、インパクトが必要でしょう?」

 

 そりゃモテませんし、そういう経験もありますので。にしたって、不器用とかいうレベルじゃないし。

 そもそも、今でも本当かどうか疑ってるんだけどな? 

 

「……マジですか?」

「ビッチですからね。信じてもらえないでしょうけど」

「そりゃあ、好きとか言いつつ他の男の誘いに乗ってヤっちゃうなんて言われたら」

「……ビッチは嫌いですか?」

「そりゃあ。一途な方がかわいげあるし」

「……そう」

 

 あ、拗ねた。こんな顔もするんだ。

 と言ってもなぁ、今は受験にバンドで、お付き合いをしている暇もねぇし、なにより相手が浮気をしますって言ってるようなもんだしな。

 

「……選べるような立場でしょうか?」

「うるせぇ!」

 

 事実だけどさ! 贅沢に選ぼうとするから童貞なんだってわかってるけどさ! だからって好きになってくれた人を無条件で好きになったら、なんか負けてる気がするじゃんか! 

 がっつく童貞に思われるのも嫌なんです! 

 

「なので、ひとまずオトモダチからで」

「セフレですか?」

「そういうオトモダチじゃないんだけど……氷川さんにはヤるかヤらないかしかないの?」

「ありません。私は異性の友人というものを信じていないタチなので」

 

 いや、あると思うけど。いない俺が言うのもなんだけど、男女が仲良くなったら即セックスじゃ、この国はもっと性行為に寛容になってると思うし。そういうのがないからこそ付き合っていける異性っていると思う。俺の幼馴染との関係だってそうだし。

 

「……それと、紗夜です」

「ん?」

「セフ……オトモダチから、というのなら氷川さんという他人行儀はやめてください」

「名前呼びしろってこと?」

「ええ」

「……紗夜、さん」

「はい」

 

 こうして、俺は紗夜さんとオトモダチから始まることになった。

 恐らくこのヒトはすぐ他の男とヤっちゃうだろうし、付き合うか、ハジメテを奪われるか、なんてわからないし、今の感情としては、もっと本物の清楚系がいいなぁなんて思ってるけど。

 

「それじゃあ、デートに行きましょう、ホテルへ」

「それだと結局セフレなんですけど……嫌ですよ」

「私はイキたいのですが」

「どっちの意味?」

 

 ――紗夜さんとしゃべって、下ネタに呆れたり、音楽のハナシをしたりしてると、割と、居心地は悪くないから、そういうのを考えるのは、後でいいかなって思うんだよな。

 ビッチを卒業してくれたら、少しは考えてもいいけど。

 

 

 



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新たなるD/次のステップへ

 妙な友達ができた。異性だけど音楽とバンドって共通の話題があって年も同じだから過ごしやすい……はずの、トモダチ。

 

「ところで」

「はい?」

「カンベさんは私にヌいてもらうなら手、口、足、どれがお好みですか?」

「……はい?」

 

 ファストフード店で、というか公共の場でするべきじゃない話を平然と、淡々としてくるトモダチ、氷川紗夜さん。

 あ、間違ってもトモダチってセックスするオトモダチじゃなくて普通の……とは言いづらいけどまだ俺は清いままです。

 

「残念ながら胸は無理ですが、まさか……腋とか、そういう特殊な性癖でしたか?」

「……違うし、紗夜さんにヌいてもらう予定ないし」

「えっ?」

「え、じゃねぇ……」

 

 手を上下に振るな、想像しちゃうでしょ。

 紗夜さんは、簡単に言うとビッチ。表向きは風紀の鬼、何事に於いても手を抜くことはできないストイックなヒトなんだけど。

 

「手は抜きませんが手でヌくのはたまに」

「ほんと、黙っててくれませんかねぇ?」

 

 今はただ下ネタを真顔で放つどうしようもない変態ビッチですけど。なにがって鉄面皮で表情を変えないところがひどい。

 

「ギタリストですから、指と手で鳴らすのも、鳴かせるのも得意なんです」

「……勘弁してくれ」

 

 ──しかし、もっとひどいのは、こうして時折微笑むところ。破壊力がすごい。普段はいつも結ばれた唇がふっと緩むもんだから、思わずポテトを食べる手が止まっちゃうんだよなぁ。

 言ってること下ネタだけど。

 

「あ、鳴くのも得意ですからご安心を」

「鳴く?」

「喘ぎ声です」

 

 喘ぎ声? 気持ちい時とかに出るあれ? 得意ってどういうこと? 

 

「……もしかして、あっ♡ とか、あんっ♡ とか、嬌声は感じてるから出てると思ってますか?」

「わざわざ口に出さないでいいから」

 

 声だけは媚びるようにエロく高く、けど顔は一切の真顔で発さないでほしい。心臓と股間に悪い。

 けど、つまり? 紗夜さんの言うことが事実なら、喘ぎ声って……演技ってこと? 

 

「もちろん、気持ちよくなければ喘ぐのも億劫ですが、気分を高める意味があって口にするのよ? 黙っていようと思えば、マグロもイけますから」

「……知らなかった」

 

 女体を知らない童貞、ここで衝撃の真実を知った。

 今度ひけらかしたいくらいの知識でしょこれ。AV女優ってやっぱ演技力すごいんだなって感心してヌけなさそう。やっぱやめよう。

 

「けれど、もちろん男のヒトはマグロよりも、そこもっとぉ♡ とか、奥きもちい♡ と言われた方が燃えるでしょう? そうやって相手にその気を維持してもらうのも、セックスには大事なことよ」

「感心とツッコミが半々でせめぎあってて、コメントしにくい」

 

 顔色を変えずに声色をいちいち変えないでください。近くに通ってたオッサンがすごい勢いでコッチ向いてたし、聞こえてるから。

 

「そこはよし、実践したいからホテルに行こうか、と言うところなのだけれど……」

「さも当たり前のように言わないでもらえます?」

「そろそろ当たり前のように抱いてほしいわ、さぁ」

 

 さぁ、じゃねぇよ! そうやってすぐに俺をオトモダチからセフレにしようとすんな! そうやって抗議を……実際は店内で騒ぎたくないしそんな語調は強くできないからマイルドに伝えると、紗夜さんははぁ、とため息をついた。

 

「カンベさんとセフレになろうなんて思ってませんから」

「……え? あ、うん」

 

 呆れたようにそう言われて、頷いた。

 俺だってそんなつもりないし、という肯定だったんだが、紗夜さんはすごい勢いで睨んでくる。

 さっきまでの真顔はどこいった。

 

「……バカ」

 

 拗ねた口調と逸らされた顔は、恋する乙女の表情なんだろうなってことくらいは俺にもわかった。

 多くは語ってくれないけど、俺はこんな美人な同い年を虜にしてしまったらしい。だからオトモダチからってことなんだけど。

 ──正直、ビッチじゃなきゃ、もうちょっと流されてたかもなぁ。

 

「こうしてストーキングしなくても会ってくれるようになったのはいいことですけど、もう少し構ってくれても、いいと思いませんか?」

「構ってますよ、こうして会ってるんだから」

「ですが私としては、もっとぉ……ココにほしいの♡ という気分です」

 

 やめろっての! 下腹部に手を当てんな! 声色変えんな!

 そんな大声でツッコミをするわけにもいかず、俺は上げかけたトーンをなるべく下げて冷静に対応する。

 

「……ったく、頭がおかしくなりそうだ」

「性欲で?」

「ツッコミが追い付かないんですけど?」

「それなら一度考えることをやめてはいかがでしょう? 人間に大事なものは三大欲求ですから」

 

 食欲、睡眠欲、あとは性欲に忠実になった方がいい、ねぇ。

 それは嘘だろうな。いつもストイックに練習を積み重ねる紗夜さんのイメージじゃないよ。

 

「紗夜さんがそればっかりだとは思えないけど」

「ふふ、そうですね」

 

 お、なんか嬉しそう。紗夜さんはやっぱり内心を言い当てると表情を崩すんだな。素直にかわいいんだよね、こういう時はさ。だからずるいんだけど、紗夜さんはそこには気づいていないみたいで、ご機嫌でポテトを食べてる。

 

「やはりカンベさんは私の思った通りのヒトですね」

「どんな人ってこと?」

「今すぐホテルで一晩中あなたのことだけを考えて溺れていたいくらいのヒト、でしょうか」

 

 そんな夢中になってもらえるようなやつじゃないんだけどなぁ。そもそも紗夜さんが満足できるなんて到底思わないし、やっぱり童貞だしセックスってどういうことなのかなんにもわかってないから。

 

「それじゃあ移動しましょうか、カンベさんと一緒だと、ずっと、音楽を好きになれそうだわ」

「音楽ってなら、俺も紗夜さんの音を聴いていたい」

「嬌声は?」

「それは遠慮しときます」

 

 どんだけ喘ぎたいんですかね。けど、それはきっと俺には聞かせてくれることはないんだろうな。

 こんな風に仲良くなって、経験豊富で、きっとリードしてくれるだろう紗夜さんを俺が拒否し続ける理由。それはビッチであるという以上にもう一つのブレーキがあった。

 ──それは音楽にかける情熱の違い。紗夜さんは本気だ。本気で頂点に立って、そのギターと一生を過ごしていくって覚悟がある。でも、それに対して俺は、俺はあんまりにもその情熱からは程遠い。

 そもそも、ベース(こいつ)を持ったのはモテたかったからだった。そんな始まりから不純な動機の俺は、たぶん今年か、少なくとも大学でやめるだろう。あくまで、俺の音楽は趣味だから。

 

「それじゃあ、今日はここで、また会いましょうね」

「うん、じゃあ」

 

 俺と紗夜さんじゃその情熱すら釣り合ってないから、そのまた、はいつか来なくなる。それが、俺にはブレーキになってた。

 一人になって数十分、そんなことでもんもんと悩んでいると、俺はそこに青いピックが落ちてるのが見えた。バラの意匠がされた、紗夜さんのピック。

 

「……電話するか」

 

 電話をかけると、ものの2コールで、どうかしましたか? と紗夜さんの声がした。透き通った氷のような、ひんやりとしていて、でも優しさを感じる声。

 

「あ、紗夜さん。紗夜さんのピックが落ちてたんですけど」

『……私としたことが、忘れ物なんて……どうしたら』

「え、もしかして練習に使うやつ?」

『はい』

 

 それはまずいよな。スペアもいくつか持ってるだろうけど紗夜さんは多分同じのを使い続けるタイプだよな。

 そうなったら、俺が届けるしかない、か。

 

「明日どっかで会えるタイミングありませんか? 俺が届けるからさ」

『いいのですか?』

「うん」

『ありがとうございます……ですが、明日は風紀委員として仕事もあって』

 

 明日は土曜なのにか、紗夜さんはどうやら生徒会の手伝いもしてるらしいからその兼ね合いなのかな。大変だなぁ。

 そんな感心をしていると、紗夜さんは、そうだわ、と声のトーンを上げてきた。

 

『カンベさん、よろしければ明日、学校まで届けていただけませんか?』

「は?」

『ですから、花女まで届けてほしいのです』

 

 何気なく言ってくれるけど、それ難易度めちゃくちゃ高いからね? 女子校だよ女子校、しかも中高一貫のガチ女子校。それをわかってますかね? 

 

『お願いします……』

「……そこまで言うなら」

 

 ああ、断れない自分が憎い! でも紗夜さんの声は本当に困っているみたいだし、俺としては女子校って敷居の高さよりも紗夜さんが喜んでくれる方がいいに決まってるから。

 ──こうして、オトモダチになってから一ヶ月くらい。俺は紗夜さんが日常を送る花咲川女学園に乗り込むことになった……大丈夫だよな、捕まったりしないよね? 

 

 

 

 



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Fの牙城/青いバラの瞳

 午後四時半頃、俺はラストダンジョンの入口からそびえる建物を見上げた。

 中高一貫なだけに大きめの敷地。部活の掛け声は女性の声しかしない、まぁ、女子校だしな。

 ──そう、女子校。俺は今花咲川の校門にいる。一歩踏み込めばそこは女性ばかりの世界。バラ色に感じるか? でも、バラには棘がある。俺はそこに生身で突っ込む勇気なんてとてもない。

 

『……お願いします』

 

 でも、紗夜さんはお願いします、って言ったんだ。覚悟を決めるしかねぇ……! 幾ら童貞でも、友達のためになら頑張るしかねぇんだよ! 

 

「……そんなに気張らなくても、私から来るに決まっていますよね?」

「ぅわお!?」

 

 気合いを入れていると、後ろから声を掛けられた。

 夏服らしい白のセーラー服という出で立ちの氷川紗夜さん。

 いつもと違うのは服装と、妙に化粧っ気がないことくらいかな。こう見ると真面目で潔癖症な風紀委員、という噂も納得だ。ビッチだけど。

 

「ふふ、わざわざありがとうございます」

「いやいや、紗夜さんが困ってるんだから当然でしょ」

「つまりはようやく身体を開いてくれる気になった、と」

「言ってねぇ……」

 

 でも口から出てくるのはいつもの下ネタ。くすくす笑いながら、つまりはなんだかご機嫌らしい。あとせめて心から開かせてほしい。

 

「はい、ピック」

 

 そんなやり取りはさておき、俺は紗夜さんにピックを手渡そうと取り出した。

 ──しかし、紗夜さんはそれは受け取れません、と毅然とした態度で首を横に振った。

 

「はい?」

「それは言わば学校にとってみれば不要なモノです。そして花咲川には学校生活に不要なモノを持ち込んではいけない、という規則があります」

「……えぇ?」

 

 つまり、このまま手渡して紗夜さんが花咲川の校舎に入ったら校則違反になるってこと……だよな? 風紀委員である以上紗夜さんには立場がある。だから受け取れない、と。

 じゃあ、どうしたらいいんだよ? 

 

「問題ありません。対策は立ててきました」

「お、よかった。その対策とは?」

「コレです」

 

 そう微笑みながら取り出したのは生徒会長と風紀委員、そして教師の連名で出されたであろう、外来の入校許可証……そこには俺の本名、ではなくバンドグループ名と、カンベ、という名前が記されていた。

 

「……えぇ、と? 状況がつかめないんですけど」

「理解と射精が遅いと女の子が苦労しますよ?」

「やかましい」

 

 本気で心配する表情はやめろ! 射精の早さとか大きさとかは参考がないから童貞はみんな不安になるんだからな! それを弄られると童貞は余計に童貞をこじらせるんだよ! 覚えときな! 

 

「つまり、カンベさんに来ていただいて、一緒に帰る際に渡していただければ、校則違反にはならない、ということですよ……ふふ」

「……ハメやがったな」

 

 それなら終わる時間を教えてくれたらよかったんじゃないですかね? あなたはそこを敢えて黙ってて、俺といる時間を確保したってことですよね? 楽しそうな顔しやがって、最初から、紗夜さんはわかっててピックを置いていったんじゃないよな? 

 

「ハメるのはこれからではありませんか?」

「いやそうじゃ、って、あーもう、話を逸らさないでください」

「でも、終わる時間が分からないというのは事実よ? それなら、その時間も一緒にいたい、というのは乙女心じゃありませんか?」

「……勝手にしてください」

 

 それにしても、紗夜さんにしては回りくどいですね。いつも直球勝負、100マイルオーバーの豪速球放ってくる紗夜さんにしては、これはまるでゆったりとして手元で曲がってきたみたいな驚きがある。

 

「それで、何処に連れ込まれるんですかね?」

「保健室です」

「やっぱ帰ります」

「冗談ですよ、それに先生や保健委員がいるのにセックスなんてできませんよ」

 

 ああそう、つまり逆を返せばいなかったらセックスするのか。

 冗談を挟みながら案内されたのは生徒会室。どうやら連名を見るに生徒会長は紗夜さん側っぽいな。多分仲がいいんだろう……一体どんなビッチが出てくるのか。もしかしたら紗夜さんとは対照的な、見るからに肉食系女子か? 

 

「……失礼、します」

 

 鬼が出るか蛇が出るか、そんな心持ちで扉を開くと、そこには、誰もいなかった。

 出払ってるのか? と訝しむと紗夜さんは呆れ顔で白金さん、と部屋の奥まで進んでいった。

 

「言った通り連れて来ましたから、隠れてないで出てきてください」

「……ひ、氷川、さん……でも」

 

 紗夜さんについて奥を覗くと、そこには同じように夏服に身を包んだ、美少女がいた。

 たぶん日本人の男性全員にどう思うかと訊いたら99.9%の男が好意的な感情を抱くだろう美少女。サラサラの黒髪ロング、小さな顔に大きめの瞳、薄桃色の可愛らしい唇。

 ──そして、なによりも目を引くのが、紗夜さんより小柄なのに、人目でわかる巨星。童貞たる俺にはサイズを目で測る技術なんてありはしないからでかい、しか言えないけど、でかい。いや、でかい。というかこの子、めちゃくちゃ見たことあるんだけど。

 

「ひっ……あ、あの……っ」

「カンベさん、滾らせるなら私にしてください。白金さんが困っています」

「滾ってないし」

「視線が胸を見ていますよ」

 

 バレてる。そんな紗夜さんがオドオドとまともに目も合わせられないその子の代わりに紹介してくれた。その名前にやっぱりそうか、と俺は納得した。

 ──白金燐子さん。花女生徒会長は、紗夜さんと同じRoseliaの一員だ。担当はキーボードで、その滑らかな指から放たれる超絶技巧は、わかるやつ曰く、ピアニストのそれなんだと。よくわかんないけど、俺としてはそんなステージに立って凛とした表情をする彼女とは似ても似つかない様子だから、最初は別人かと思ったよ。

 

「白金さん、コチラがカンベさん」

「……あなたが」

「はい、本名は違うんですけど、ベースのカンベって言えば、わかりますか?」

「……はい、名前は良く、伺っています。どんな方なのかも」

 

 紗夜さん……じゃないか。俺のことをペラペラしゃべるのは違うやつだな。まぁ、そんなことはいいんだけど、小さな声で、途切れ途切れにしゃべる彼女は相当な人見知りなんだなってことはわかった。よく生徒会長やってますね。

 

「それでは、私は残った仕事をしてきますので、白金さんも作業を続けていてください」

「は、はい……って、ひ、氷川さん!? か、カンベさんは……?」

「出歩かれては困りますので、そこに置いておきます」

 

 おい、俺はモノじゃないんだけど? あと出歩かれて困るなら敷地に入れること自体ナンセンスなのでは? 

 そんなツッコミをする暇もなく、紗夜さんは生徒会室から出ていってしまった。いやいや、気まずいんだけど。

 お互い知ってる人とは言え初対面、しかも異性となるとハードル高いんだけど。

 

「……あの」

「はい」

「氷川さんと……お付き合い、されてるんですか……?」

「えっ、いやいや、俺なんかがあのヒトとはないでしょう!」

 

 こんなこと聞かれたら、紗夜さんはきっと不機嫌になるだろうけど。そういう自虐がやめられないのが俺が童貞たるゆえんでもあるらしい、紗夜さん曰く。余計なお世話だ。

 

「カンベさんは、知って、いますか……? 氷川さんが、その、複数の……男のヒトと」

「セックスしてること、ですか?」

「せ……っ、は、はい……っ、そうです」

 

 あ、やべ、白金さんがすごく顔を赤らめてしまった。紗夜さんと話してるテンションだとセックス、くらいじゃまだ下ネタとしても序の口の日常会話すぎて口から出るハードルが下がってたっぽい。どうやら知らない間にあのビッチに毒されてるな。

 

「知って、いるんですね……」

「そうですね」

「それじゃあ……カンベさんも」

「いやいや! 俺はまだ清いカラダです! ちゃんと紗夜さんの誘惑から耐えきってますから」

「そ、そうなんですね……」

 

 知っているもなにもそれが出逢い、だなんて言ってもびっくりされるだろうからな。というかRoseliaメンバーは紗夜さんの男遊び知ってるのか。なんだか隠された事実、みたいな勢いだったけど、そりゃあ同じバンドじゃ、有り得るよな。

 ──それにしても、白金さんは俺が求めていたようなヒトだなぁ。紗夜さんとオトモダチになった時にも思ったけど、やっぱり本物の清楚系だよね。

 一部じゃ、黒髪ロングで小柄でナイスバディなんて清楚系ビッチだなんて言われるけど、白金さんに限ってそれはなさそうだし! 

 

「……いいなぁ」

「え? なんて言いました?」

「あ、いえ……なんでも、ありません。お茶出しますね……せっかくですから、ゆっくりしていってください」

「ありがとうございます、白金さん」

「燐子、でいいですよ……カンベさん?」

 

 なんだか意味ありげな流し目をされた気がするけど、気のせいだよな? それともまさか……胸見ちゃってるのバレてる、とか? それは非常に恥ずかしいけど、名前呼びを許してくれたってことは、いい傾向かも? 

 紗夜さんには申し訳ないけど、お近づきになるならこういう子とゆっくり心を通わせたかったんだ。

 ──これでもう、俺はビッチになんか負けないからな! 

 

 

 

 



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Fの牙城/その瞳に宿る感情は

「ミルク、好きなんですね」

「……そうなんです。昔から……ホットミルクばかり、でしたから」

 

 俺は今、童貞がおおよそ不可能だと思われた領域に足を踏み入れているッ! 

 ──と、テンションが最高潮なのを隠しながら表面上は穏やかに会話してる。けど鼻息荒いだろうし、そわそわしてるから完全に変態のソレです。

 

「それにしても、大きなパソコンに、ピアノ……お嬢様みたいですね……見た目的にも」

「そんな……こと」

 

 なんと、現在白金宅のとあるお部屋にお邪魔させていただいています。目の前に座る白金燐子さんの部屋。

 清潔感のあるお部屋からはベッドの上に置いてある芳香剤の良い香りと、また別種の……恐らく燐子さんから発せられる良い匂いが混ざりあって甘い誘惑のような……あ、なんかこれ変態っぽいからやめよう。とにかく女の子っぽくありながら白基調で、部屋には趣味らしいネットゲームをやるための大型のパソコンのモニターと、ピアノ、その隣にはRoseliaで愛用しているキーボードまで。

 それが入って尚、小さな丸机と俺と燐子さんが座ってもまだスペースがある、というのは恐ろしいところだよなぁ。俺んちのリビングくらい広い。

 

「……ごめんなさい。わざわざ、来てもらちゃって……両親もいなくて」

「い、いえっ、燐子さんには花女に入れてもらったって恩がありますから! 困ってることがあるなら、大歓迎ですよ……俺でよければ」

 

 なんで、こんな清楚なお嬢様風の燐子さんのお宅へと上がらせていただいているのか、それはほんの少し前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

「おう、カンベ、今日はなんか予定あんの?」

「んー、さて、今日は紗夜さんもいないし、のんびり家でベースでも触るかぁ」

「相変わらず羨ましいヤツだな!」

「いてぇ!」

 

 学校が終わって、そんな会話を友人とする。

 あ、カンベはバンド活動やってる間にすっかり定着しちまった渾名みたいなものです。毎回言ってる気がするけど本名とは違うよ。

 ──ところで紗夜さんと過ごすのが贅沢? バカを言うんじゃねぇ。あのヒトとの会話中に何回下ネタぶちこまれると思ってんだ。毎度毎度、飽きることなくだぞ! 最近じゃどんどん際どくなってきてそろそろ下半身に悪い。しかも断ると家まで付いてくる始末だからそろそろ警察の厄介になればいいと思います。

 けどそんなオトモダチは今日は別のオトモダチ(セフレ)との予定があるらしく、用事……いえ、情事があるので、ってメッセージを貰った。メッセージでも下ネタなのは流石だと感心した。

 

「なんなんだろうなぁ、紗夜さん(あのヒト)は」

 

 童貞だとか関係なく、ビッチだろうと恋をしたから俺に迫ってる、ってまでは百歩譲って納得できた。でも、でもさ、なんで俺なんだ? それが全然わからない。訊きたいけど、正直、なんで俺のことが好きなの? ってバカっぽいよな。だから童貞なんだ、とか言われそうで相談もできないし。

 安いプライドを抱えた俺は、紗夜さんの気持ちにも宙ぶらりんなままで、放置してる。あ、放置プレイじゃないよ。

 

「……ん? 紗夜さんかな?」

 

 そんな悶々としたままベースを弾きながら悩みを抱えていた俺のスマホに、一通のメッセージが届いた。紗夜さんか、と画面のロックを解除すると、そこには、白金燐子さんから、今から電話できませんか、という文字が顔文字と一緒に躍っていた。

 ──り、りりりり、燐子さん!? いや、いや落ち着け! 落ち着けよ、俺ッ! 燐子さんとお知り合いになって連絡先を交換してから早一週間ほど、何回か他愛のない話を……向こうから振ってくれたけどこなしてきたじゃあないかッ! 今更電話だとかなんだとかでビビるこたぁねぇッ! やるぞッ! 

 

「ど、どどどうかしましたか?」

 

 あ、めっちゃテンパった。声が震えすぎてドドドドドドドドドって口で言ってる変なヒトと化してるし、ホント、家でよかった。

 

『か、カンベさん……ごめんなさい、今……大丈夫でしたか?』

「う、ううん、どうしましたか?」

『あの……実は』

 

 そう言って電話が苦手らしい燐子さんはつっかえながら状況を説明してくれた。どうやら道端で声を掛けられたらしく、断って家まで逃げてきたんだけど、怖いから話を聞いてほしい、ということらしかった。両親もいないから家に一人で心細いんだと。

 

『……で、でも……迷惑、ですよね……わたし』

「いえっ、そんなことないです!」

 

 燐子さんが怖がってるなら、俺はなんとかしたい! って正義感とちょっとは距離を縮められるかなっていう下心を持って、俺は提案をした。

 ──それならば俺が傍にいきます、と。我ながらなんて難易度の高いことを言ったんだと思うんだけど、吐いた言葉は声帯に戻ることなく、燐子さんの鼓膜を震わせる。後には退けなくなった。

 

『本当……ですか? もし、カンベさんがいてくれるなら、心強いです……』

「ええ! ご両親が帰るまで、俺がいます!」

『それじゃあ、家の場所を送りますから……お願いします』

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 ──こうして今に至るわけだ。勢いとは言え、燐子さんの部屋に通されて俺は心臓がバクバク言ってる。そして燐子さんもやっぱりまだ面と向かってすんなり、と言うわけにはいかないようで、俺から視線を合わせずに、ミルクを見下ろしてる。

 

「……あの」

「はい、なんでしょう?」

「……氷川さんのこと、カンベさんは……どう思っているん、ですか?」

 

 そんな気まずい沈黙を破ったのは燐子さんの質問だった。ある程度は覚悟をしていた、共通の知り合い、紗夜さんのこと。

 確かに、誰の目から見ても紗夜さんと俺の関係は中途半端だ。紗夜さんはどうやら恋人、なのか知らないけど、俺の童貞を奪おうとアプローチをかけてくるけど、俺はそれを拒否し続ける。だけど、だからってそんな言葉よりも単純な関係じゃないんだ。

 

「……悪い気はしません。紗夜さんは美人ですし、笑ったり、拗ねたりすると、とってもかわいいところもあって」

 

 これなんだ。俺の気持ちが中途半端なんだ。

 紗夜さんに好かれて、童貞でモテたことのない俺は、どうして俺がと自虐しながらも、浮かれてるんだ。その関係が楽しくて、いつもカフェやファストフードで面と向かって話す時間が楽しくて、だから宙ぶらりんにしちゃうんだ。本当は、さっさと断るなり、腹を括ってあのヒトにリードされるなり、すればいいのに。

 

「笑ったり……拗ねたり……ですか、氷川さんが……」

「え、はい……なんか、おかしいですか?」

 

 けど、燐子さんは俺が予想した反応とは全く違うリアクションをした。

 瞬きをして、口を小さく開けて、驚いてることがわかる表情。それが、俺にはわからなかった。

 

「氷川さんは……あまり、感情を表に出すヒトじゃ、ないから……」

「あ、そうなんですか……」

「……でも、やっぱりそれだけ……心を、開いているんですね……カンベさんには」

 

 心を開いている、か。俺は紗夜さんが何を考えてるのか、何を思って俺にアプローチをかけてるのか、必死で読み解こうとしていた。わからないから、理解しようとしていた。

 ──けど、もしかしたら、もっと、もっと単純なことなのかもしれない。そうやって好きとか好きじゃないに理由をつけるのは、少し、いけないことなのかも。

 そんなことを考えていると、燐子さんが、薄く微笑んだ。

 

「羨ましい……です」

「え? 紗夜さんが?」

「はい……そうやって、想う相手がいる紗夜さんが……そんな紗夜さんのことを、考えている、カンベさんが」

「え、俺も?」

 

 すっと近づかれて、距離が縮まって、俺は思わず背を反らした。え、なに、なになにこの雰囲気、もしかして……もしかして俺、今脱童貞チャンス? いやいや、でもまだお付き合いどころか両想いかもわかんないし、俺としてはもうちょっとゆっくり関係を進展させてからじゃないと、心の準備が……! 

 

「……この一週間、カンベさんと連絡を取って、すごく……すごくドキドキしました……こんなヒトと、お付き合いできたら、そう……考えて」

「り、燐子さん……マジっすか」

 

 はい、と蠱惑的に微笑みを浮かべる燐子さんからは、清楚系で引っ込み思案ながら、そこはかとないエロスを感じる。おずおずと距離をつめてくる燐子さんに、俺は目が離せなくなってしまっていた。

 

「り、燐子、さん……でも、俺たちまだ、過程が、色々っ」

「……やっぱり、わたしじゃ……ダメ、ですか?」

 

 いやいや、ダメでしょ! やっぱりまだ付き合ってないのにこういうのは、なんか違うよ! 俺としては付き合って、デートしたり食事に行ったりして、手を繋いで、キスして、とか順番に、スモールステップでいきたいわけよ! いい雰囲気になったからってヤれちゃったりできるほど、俺は大胆にはなれません! 

 

「ま、まだ早いです……! そういうのは……っ」

「でも……わたし、身体、熱くて……お願いします……っ、どうしたら、いいの……コレ……はぁ……んっ」

 

 首に手を回され抱きしめられ、脳天にしびれる程の嬌声が叩きこまれた。当然こんな状況だというのにそのエロさに俺の息子がズボンを突き破らん勢いで膨らんでいた。違う! お前の初陣はこんなところじゃない! そんな、呼んだかい? みたいな勢いで出てくるな! 

 

「ま、待って……! 電話! スマホ!」

「……はい」

 

 着信音によって理性が取り戻され、慌てて燐子さんから離れて電話に出る。画面はよく見なかったけど、誰だろうと、もしもし、と控えめに声を出す。

 

『カンベさん』

 

 その相手は紗夜さんだった。わかってて邪魔したんじゃないかってタイミングでなんとも言えない気持ちになったけど、今は助かったって気持ちの方が大きい! ありがとう紗夜さん! 

 

「……カンベさん」

「あ、ちょっと待ってて、燐子さん」

『……今、もしかして白金さんの家にいますか?』

 

 ええそうです、と言いながら燐子さんの部屋から出て、家の外で電話をする。情事、もとい用事はどうしたんだろうか。そんな疑問は紗夜さんの方から返事をしてくれた。

 

『今日は夜からの用事なんです。お相手は社会人ですから……って、そうじゃなくて!』

「え? なんですか?」

『本当に白金さんの家にいるのですか?』

「え、あ、はい」

『あなたがまだ清い身体でいたいなら今すぐ、逃げてください』

 

 ──はい? 紗夜さんに呆れ半分、焦り半分でそう言われた瞬間、後ろに気配を感じた。ぞわりと、まるでライオンを見つけたキリンのように、本能的な危機を察知した。

 とろんと蕩けた瞳、小ぶりな唇から見える、綺麗な舌。そこから吐き出される息は、情欲を伴って、俺を見つめてる。

 

「カンベさん……わたし、もう我慢できなくなっちゃって……今夜は両親が帰ってくるまで、一緒にいてくれる、って……言いましたよね? だったら、()()、傍にいてくれますよね?」

 

 あ、そういうこと? 俺でも流石にわかっちゃいましたよ、紗夜さん。

 なるほどね、やっぱり紗夜さんがそう簡単に自分がビッチだってことを打ち明けるわけないと思ったんだよ。

 そして知ってたとして、それに対して、本当の清楚系は口にすら出さないよな、本当の、だったら。

 

「ふふ……カンベ、さん」

『──白金さんは、私の同類(ビッチ)です』

 

 天空を仰ぎ、この時ばっかりは俺の運命をもてあそぶ神を恨みたい気持ちでいっぱいになった。なんで俺がお近づきになれる女性は、そればっかりなんですか、おお、神よ! 

 

「カンベさん……わたしが、ハジメテのお相手、シますから♡」

 

 ──白金燐子さんは、清楚系の皮を被った、めちゃくちゃ普通に肉食系のビッチだった。俺、もう女性不信になりそう。

 

 

 



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狙われるD/不本意な贅沢

「大丈夫ですか、カンベさん!」

「……おかげさまで」

 

 襲われそうになり、情けなく近くの喫茶店に逃げ込んだ俺は、紗夜さんが来るのを待っていた。相手の方との用事をキャンセルしてくれてまで俺を助けに来てくれた紗夜さんにちょっとときめいた。まぁその用事ってのはセックスで、本人も言ったけど襲ってきた相手の同類なんだけどさ。

 

「……そんな、逆レイプなんて、しませんから……わたしはいつだって、同意の上でしかセックスはしません……!」

 

 そしてその喫茶店の席の向かいにはたった今俺を誘惑し、童貞を奪う一歩手前で同類(さよさん)に邪魔をされたビッチ、白金燐子さん。

 いやそんな力強い目でそんな宣言にしないで、ここ一週間のあなたは何処へ行ったの? 

 

「私もですが、白金さんも勿論、隠れビッチですから、カンベさんに近づくために隠していたのでしょう」

「カンベさん……ビッチ、嫌いそう、でしたから」

 

 たった今大嫌いになりました。というかそろそろ女性を信用できなくなりそうになりそうだよ。

 寄ってたかって童貞いじめて楽しい? ねぇ楽しい? 

 

「それにしても、白金さんにしては珍しいですね」

 

 どういうこと? と首を傾げると、紗夜さんは私はいつでも氷川紗夜、として援助交際をしますけど、と切り出した。おいおい。

 

「白金さんは、基本的に……なんて言ったらいいんでしょう? 専門が違うんです、二次元と三次元、と言ったところでしょうか?」

「ええっと……ごめん、わかりません」

「……つまり、わたしは、基本的にゲームやSNSのオフ会で、ユーザー名でセックスをしてることが多い、ということです」

 

 んーっと? つまり、紗夜さんは援助交際、例えばそういう系のサイトに登録して、募集を募ったり、駅前で暇でお金を持ってそうなヒト、または紹介でセックスをする。

 それに対して燐子さんは、その、所謂オフパコ、ってやつが活動の中心ってことか。

 

「コスプレとか……ゲーム関連なので」

「N.F.Oのベルさん、と言えば界隈ではそこそこ有名なオフパコレイヤーさん、だそうです」

「ベルさん?」

「それがわたしです」

 

 どうやら、そのネットゲームではRin-Rinというユーザーネームなんだけど、そのユーザーネームで活動すると一発で出会い目的なのがバレるから警戒されるってのと、あとはその名前が長いからよくオフ会をするメンバーから愛称で呼ばれるようになったらしい。

 リンリン、でベルが鳴ってるみたいな擬音だから、ベルさんね。納得。

 

「……裏切りましたね?」

「ごめんなさい……でも、わたしも、味見……じゃなくてカンベさんと仲良くしたくて……仕方なく」

 

 全然同情誘われませんけどね? サラっと味見って言ったよねあなた! ある意味手の広げ方は紗夜さんよりひどいところあるでしょ! 

 

「手の広げ方じゃなくて、できるプレイもわたしの方が多いんです……! パイズリ、3P、イマラ、耳舐め、言葉攻め、ドМもドSもイケますから……!」

 

 いやそこ今誇るとこじゃないから。なに性癖暴露してんの? ココ喫茶店なんだけど。

 

「耳舐め言葉攻めは私もできます」

「対抗しないで……マジで」

 

 下ネタがステレオになった。勘弁してくれ、今のこの状況が俺にとっては軽い言葉攻めだよ。興奮するどころか萎えるからやめてほしい。別に興奮する方も求めてないけど。

 

「それで、なんで俺なの?」

「それは……わたし、すごく人見知りで」

 

 は? ビッチなのに? しかもついさっき下ネタでヒトを殴ってきておいてそんなこと言う? 

 

「コスプレしてたり、オフ会でないと……まともにヒトとしゃべれなくて……」

「それで、カンベさん、というわけですか」

 

 ごめん紗夜さん。わかった雰囲気出さないで、俺はなんの理解もできてないからね。なんなら燐子さんの言葉が日本語とは別の言語に聞こえるレベルだからさ。

 

「臆病で、人見知りな自分を変えたくて……でも、白金燐子、じゃ……まだまだ……変われなくて……」

 

 つまり? オフパコを始めたきっかけは臆病な自分が一歩踏み出すためであった。でも、結局ベルさん、という一つの人格、みたいなものを作り出すだけで、白金燐子さんとしてはなにひとつ成長できてなかった、と。

 ──ということは、最初の出会いでオドオドしてたのも、燐子さんで、引っ込み思案で清らかな印象があったのも燐子さん。でもとある側面ではビッチだった、と。さてはかなりややこしいヒトだな? 

 

「でも、カンベさんは……そんなわたしに、白金燐子に話しかけてくれて、ありのままの氷川さんを知っていて……もしかしたら、って思ったんです」

 

 もしかしたら、の先は自分を変えられる、とかじゃなくて、白金燐子のままヤれる、なのはどうかと思うんですよ。

 

「だから……部屋に男のヒトを上げたのも、ああやって二人きりになったのも……初めてで、すごく……濡れちゃって」

 

 はいアウト。そこでドキドキしちゃって、だとかまだ甘さの残る言葉だったらときめいたかもしれないけど、濡れちゃって、はわざわざアウトな言い方ですよね? それでよく俺が堕ちると思いましたね? 

 そんな呆れ顔をしていると、紗夜さんがまずいいですか? と燐子さんにお説教モードに入った。いいぞ紗夜さん! 今日は紗夜さんが味方だ! 

 

「そもそもカンベさんの童貞は私のモノです。既に予約済みです」

 

 おいコラそこのビッチ! キレイ系のビッチ! 何当然でしょう、みたいな口調と表情で虚偽の宣言してんの? 俺は紗夜さんから童貞を守ってる立場なんですが? 

 

「……二ヶ月近く、奪えてないのに、ですか?」

「ぐっ……言ってくれますね」

 

 対する燐子さんは的確に急所を突いていた。そうだそうだ、俺が予約されてないことを証明する明らかなものじゃないか! 燐子さん、そろそろこのヒトの鼻を折ってやればいいんだ! 

 

「わたしは……氷川さんから、そんな未練がましい連絡がなければ……今頃は……ふふ」

 

 待って、そこで俺に対して猛獣の目をしないでほしい。おっとり系清楚(りんこさん)からおっとり系肉食ビッチ(ベルさん)に早変わりするのはやめろ。でもきっとこんなモードチェンジが見られるのは俺だけなんだよね、やったぜ。知りたくなかった。

 

「そんなのだから今井さんに、ベル(Bell)のBはBitchのB~、とか言われるんですよ」

 

 お、口調を真似した。似てる似てる。でも、紗夜さんは他のメンバーにビッチだってことはバレてないって言ってて……まぁ、知っていて燐子さんだけなんだろうけど、燐子さんのビッチはRoseliaでは当たり前のことなんだね。

 

「……BitchのBサイズは、どっちですか」

「っ! 言うに事を欠いて、胸の話をしますか? 大きければいいというものじゃないんですよ?」

「男の子はBよりFの方が好きに決まってます」

「偏見です」

「実際、カンベさんは、わたしの胸を……見てました、けれど……紗夜さんの胸は全然見てませんでした」

 

 なんか俺の取り合いが始まってしまった。不本意ながらどっちも辞退させていただいていいですか? 俺はセックスまでにステップを踏めるヒトがいいです。あなたたちみたいに出会って即合体なビッチさんとは勘弁願いたいです。

 

「とにかくっ、私のカンベさんには今後そういったアプローチを控えていただきたいのです! カンベさんは私のリードで童貞を卒業して、ゆくゆくは恋人として、セックスを重ねていくんです!」

 

 誰のカンベだ、誰の。

 あと順序逆じゃない? 恋人になってから、ゆくゆくは童貞を卒業してセックスを重ねてほしいところである。あ、ビッチだから我慢できないのか。

 

「カンベさんは、わたしと一緒に……少しづつ性感帯を覚え合って、ねっとり、じっくり……童貞を卒業するんです」

 

 そこは少しづつ関係を深め合って、ゆっくりじっくりと童貞を卒業するんじゃないんですね。ああきっとその前に燐子さんが我慢できなくなるからか。ほんとにビッチしかいねぇな? 

 

「私が!」

「……わたし、です……!」

 

 ──俺は中学生の頃、ただ漠然と、童貞を卒業するとは何か、みたいなのを考えたことがあった。ある日下駄箱にラブレターがあったり、メッセージで呼び出されたり、そうやって二人きりの空間で真っ赤になった清楚そうな女の子が、俺に言うんだ。

 

『……好きなんです、あなたのことが……好きなんです! どうか、お付き合い、してもらえませんか?』

 

 なんてさ。そしてデートしたり、放課後に一緒に帰ったり、そんな風に過ごしていくうちに、自然と手を繋いで、キスをして、どっちかの家でそういう雰囲気になって、そうやって童貞って卒業すんのかな、ってさ。その理想は、俺の中にまだ輝いてる。なんでもいいから今すぐ童貞を卒業したい、なんてプライドのないことは言わない。今は、特に。

 

「というか、氷川さん……用事、あ、いえ情事があったのでは? だから今日がチャンスだと……思ったのに」

「白金さんがカンベさんを狙っていることなんてわかっていましたから、その情報はブラフです! 尻尾を出すまでしばらく控えていたのです。おかげでタマってますけど」

「わたしだって……」

 

 この肉食獣たちに狙われてる限り、俺は自分のプライドは捨てるつもりはないな。捨てればついでに童貞とも一瞬でおさらばできるけど。けどさ。

 ──それで終わり、ってのは、悲しいし。それなら、どうせ童貞じゃなくなってこの時間が終わるくらいなら、この疑似モテ期を体感させてもらいたいところではある。

 

「さぁカンベさん、今すぐホテルに行きましょう? 私はイキたくてしょうがないの」

「……今からでも、遅くないから……わたしの部屋に、戻りませんか? お好きなプレイ、なんでもしますから……ね?」

 

 とりあえず今のところの問題は、どうやったらこの二人から脱兎の如く逃げ出せるか、ではある。

 俺は、絶対に、ぜーったいに、ビッチなんかで童貞は卒業しないからなっ! 

 



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Rが来たりて/ある夜の始まり

「カンベさん。大変なことになりました」

 

 白金家の一室にて、何故か俺は呼び出され、紗夜さんのその一言から、今回の問題は始まった。

 沈痛な面持ちの紗夜さん、何かをこらえるような燐子さん。

 ──あんなことがあったのになんでノコノコ着いてきたのかって? 俺だって危機管理能力は決して悪すぎるわけじゃない。コトが起こらないと知っていて燐子さんの部屋にいるんだ。

 何故なら紗夜さんがいるから。この二人は俺を取り合ってるから、揃うと逆に安全だったりする。気づいた俺すごいだろ。

 

「大変なこと?」

「……実は、この間、わたしと氷川さん、あと今井さんで、カンベさんについて話していたんです……」

「そうしたら、湊さんが……興味を持ってしまって」

 

 湊さん? ミナトさんって、まさかと思うけど……湊友希那だったりしますか? 

 興味……興味、ね……前回と前々回で興味の方向が著しく間違ったお二人がその顔ってことは……まさか。また味見目的か!? 

 

「自惚れがすぎますね」

「……童貞、なのに……それは、身の程知らず、では……?」

 

 なんなの? そうやって童貞いじめて笑うのか! 第一あんたらはその童貞にことある事に迫ってくるじゃんか! なのにその、何言ってんのお前、みたいな顔は納得いかないからな!? 

 

「湊さん曰く、面白そうなヒトね……紗夜と燐子がそこまで惚れ込むなんて……興味が湧いたわ、だそうです」

「……ん?」

 

 変な言い回しだ。まるでその言い方だと、誰か知らないけれど、紗夜さんと燐子さんが惚れ込むほどの音楽センスを持ってるから興味が湧いた、みたいじゃないか。

 

「合ってる……と、思い、ます……」

「いやそれはおかしいよ」

 

 そう、それはおかしいんだ。

 ──俺のベースの師匠は()()()のアイツだから、その幼馴染で、一番仲の良かった友希那も、俺のことを知ってるはずなんだから。

 

 

「そう……なんですね」

「うん。俺は友希那のことを知ってるし、なんならついひと月前に一緒にメシ行ったよ」

「……おかしい、ですね、それは……」

 

 三人で久々にメシに行って、ちょいちょい話したはずだし、俺がベースやってることも知ってるはずなんだけど、どういうこと? 

 

「確かに、不思議ですね……カンベさんのことを知らないわけがないのに」

「……あ、それだ」

「……それ、とは……?」

「名前だ」

 

 友希那は確かに俺を知ってる。だけど知ってるのは俺の本名だけだ。

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なるほど……湊さんらしいと言えば、そうなのかもしれませんが」

「……まぁ、俺のことなんて大した興味にもなってないし」

 

 俺はあくまで趣味で音楽やってるからな。友希那からしたら、バンドマンとしての俺なんて眼中にすらない、路傍の石ころってわけだな。

 

「それはさておき、友希那はなんて?」

「バンドで顔合わせをして、しかるべき実力があるならば、対バンでもどうか、と」

「……マジか!」

 

 血が滾った。マジかよ、あのRoseliaと、俺らが対バンだって!? ワクワクする提案だな! 

 テンション上がってきた。相手にとって不足はない。俺たちだってライブハウスではかなり人気バンドなんだ、それこそ紗夜さんが知ってる程度にはな。不釣り合いとは言わせない知名度があるからこそ、紗夜さんや燐子さんも俺に話を振ってるんだろうし。

 

「ふふ」

「ん? どうかした?」

「いえ、カンベさんは本当に……音楽に情熱を持っているのね」

「当たり前でしょ!」

 

 モテたいからって不純な動機から始まってるけど、今じゃ立派な俺のアイデンティティだからな。

 なんだか最近、最初の動機も達成され始めたけど、不本意ながら。

 

「それでは、ほかのバンドメンバーにも話をしておいてくださいね」

「わかりました、たぶんみんな飛びつきますよ」

 

 前々から紗夜さんと知り合ったことで散々言われてきたからな。その辺は大丈夫だろう。早速連絡を送って、そして、気づいた。

 バンドのことで夢中になっていて気づかなかった。俺は今、袋小路に追い詰められてるのでは? 

 

「どうかしましたか?」

「……顔色、悪いみたい……ですけど」

 

 この後の俺の選択肢は二つ。

 その一、荷物をまとめ始めた紗夜さんと同じタイミングで帰る。その結果はもちろん、夜道を二人きりで帰ることになる。紗夜さんは比較的道中はまともだけど、完全なる夜道は未経験だし、送っていってほしいとか言われた場合、どうなるかわからない。ちなみにこの状況で女の子を放置して帰る度胸もない。

 その二、理由をつけてタイミングをずらして帰る。この結果はもう目に見えてるしなんなら目線を感じる。憐れな草食獣はおっとり肉食獣にゆっくりねっとり食べられてしまうのがオチである。危険度は高い。

 さて、まぁこの場合、逃げられる可能性のある紗夜さんとだよな。

 

「それじゃあ燐子さん、お邪魔しました」

「……はい、次もまた、待ってます」

 

 次なんてないです。恐らく紗夜さんかアイツが一緒じゃないと絶対にあなたの部屋にはあがりません。

 

「おやすみなさい」

 

 けれど、落胆はしてもそうやって手を振って微笑みながら見送ってくれるところは控えめに言って天使である。あの子にならビッチでもいいからお近づきになりたいヒト、結構いるんだろうな。実際、SNSでは若干姫扱いされてるらしいし。

 ──と、それよりも、だ。燐子さんの家から離れた瞬間に、少し険のある表情をしているお隣の美人さんの方が俺は気になるってか怖い。

 

「……よかったのですか?」

「はい? なにが?」

「あのまま留まれば、白金さんは多分、あなたの望みに答えて、ゆっくり進んでくれると思いますよ」

 

 ええっと、紗夜さんは何を言ってるのだろう? ちょっと翻訳しないとわからない迂遠な言葉だけど、なんか怒ってる? 

 訊いたら絶対怒りが増すなんてことはわかりきっているから、俺は正直に言葉を紡ぐ。

 

「いや、燐子さんで童貞は、どんなに進んでも遠慮しとこうかな……って」

「何故、ですか?」

「なんでって……俺が燐子さんの望みに応えられてないから、かな」

 

 燐子さんが俺に興味を見出したのは、あくまで俺が白金燐子を知った上で、紗夜さんがビッチだと知ってなお、一緒にいたから。言っちゃ悪いけど、それは自己顕示欲や承認欲求から生まれる興味で、俺のことを見てくれてるわけじゃない。前の一週間は、たぶんその俺を見ていたんだと思うけど、それでも、最初にその欲求が来てる以上、俺と燐子さんは恋人とか、セフレとか、そういう関係にはならない。燐子さんには、応えられないから。

 

「そう、ですか」

「うん」

「本当に、童貞なのにプライドは高いのね」

「うん?」

 

 俺なりにちゃんと考えての行動だったのになんで今煽られたの? 流石にムカッとして、あのですねぇ、と紗夜さんに抗議しようとした瞬間だった。

 腕を掴まれ、ふに、と頬に何かを押し付けられた。柔らかくて、少し湿っていて、俺が知らない、けれど例えるならマシュマロみたいな、甘い感触。

 

「──残念、振り向いたら、キス、できると思ったのに」

「な、な、なに、やってんで──っ!?」

 

 それが唇だってことに気づいた驚きとパニックで頬を抑えながら紗夜さんの方を見た、見てしまった。それが今回の選択肢一で起こりうる、最悪の行動だった。

 リセットしてやり直したいくらいに、俺ってヤツはミスをする。さっき、紗夜さんは振り向いたら何をするか、言ってたのに。なのに振り向いたら、いいです、って言ってるようなもんじゃないか。

 ──ああ、さよなら、俺のファーストキス。夢見た恋人とのファーストキスは、叶わないらしい。

 

「っ、はぁ……ごめんなさい」

「な、なんで……紗夜さんが、謝るの?」

「気が、昂ってしまって……」

 

 暗がりの、頼りない街灯に照らされた紗夜さんの表情は、とてつもなく綺麗で、吸い込まれそうな瞳を潤ませていた。

 ほぼゼロ距離に、恐ろしく整った顔がある。気の強そうな目、生真面目そうな顔立ちに反して、クセのある髪は、まるで紗夜さんの性格そのものだ。

 でも、なんで、なんでそんな顔をするんだよ。別に俺は何もしてないのに。むしろ、紗夜さんを落胆させることばっかり、してるのに。

 

「このところ、あなたが白金さんばかり構うから……もう私は、以前のようにカンベさんと過ごすことができないのでは、と、思って……」

「え」

 

 それってもしかして、構ってもらえなくて……妬いてたってこと? ウソでしょ? 紗夜さんが? 

 

「なんで信じられない、という顔をしているの? 私の気持ちは……知っているのに」

「いや、いやいや! だって、だってさ!」

 

 だって、氷川紗夜さんだよ? Roseliaのギタリストで、その正確無比な演奏はプロ顔負けで、おまけに学業もスポーツもトップクラスの、あの氷川紗夜さんが、俺の演奏に惚れちゃって、追いかけてきた、なんて信じられるわけがない! それは気のせいだろ、別の誰かと間違えてるって今でも信じてるのに。

 

()()()()()()()と言ったはずよ」

「でも」

「これ以上口答えをすると舌を入れます」

「……うぐ」

 

 それは勘弁願いたい。夜道とは言えこんな道端でディープキスなんてそれこそ俺は恥ずかしくて死んでしまいそうになるから。

 それはそれとして、そうだね。なんだかんだで最近は燐子さんの話を聞いていたことの方が多かったから、そのせいで紗夜さんは拗ねてたんだ。だから、あんなことを。

 

「……俺が燐子さんに頼んで童貞を卒業したいって言ったら、紗夜さんはどうするの?」

「泣きます」

「えぇ……強がらないんだ、そこ」

「当たり前です。カンベさんのハジメテの女は私だと決まっているのですから、忘れないでほしいものです」

 

 ふい、とそっぽをむいて、止まってた歩みを進めだす紗夜さんに、俺は思わず笑いがこぼれてしまった。

 あんまり意識しすぎると、紗夜さんの思惑通りになりそうで悔しいから、やっぱり記憶の片隅に留めておくけど、改めてわかった。

 ──このヒトは、俺をまっすぐ見てくれてるんだ。

 

「紗夜さんがこれでもし、男遊びもしたことがない処女だったら、一発で惚れて、紗夜さんについてホテルでも行ってたかも」

「実は私、処女なんです。今までの男遊びも全部嘘ですし、前戯もしたことありません」

「……ダイナミックに嘘つくね」

「嘘ではありません、ペニスどころか男のヒトの裸も見たことないです」

「うんもうわかってるから、帰ろうか」

「そんなっ! 折角のチャンスなのに!」

 

 事実を捻じ曲げようとするな。

 星がキラキラ光る夜空、俺と紗夜さんは()()()()()()()()()()()()()、俺はきちんと紗夜さんを家まで送り届けていった。

 うん、甘い顔しすぎたから、()()()()()()()、厳しめにツッコミを入れていこう。

 どうせ紗夜さんも今日のことで浮かれて、下ネタを放ってくるからな。

 

 

 

 

 

 



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Rが来たりて/理想の違い

 そして、念願のRoseliaと、俺のバンドWonderersの顔合わせは、それからすぐ行われた。場所はSPACEが閉じられた今、新たなガールズバンドの聖地と囁かれる、CiRCLEのテラスの喫茶。言うならば向こうのホームってことだな。

 招かれた以上、俺たちが先に着くとあんまりよろしくないだろう、というメンバーの言葉に従い、ピッタリになるように行くと、そこには見知った顔が二人。

 本来なら緊張するところも、あんまり緊張しなくて済むな。

 

「来ましたね」

「……こ、こんにち、は」

「どうも~っ!」

 

 燐子さんの隣にいるのは初顔。まぁ消去法と見たことがあるからすぐに誰かは分かるんだけど。Roselia最年少にしてドラマーの宇田川あこさん……んー、印象的にはちゃん、の方が正しいかも。確か今年で高校一年生だったはずだけど、ロリ体型のロリボイス。燐子さんと仲がいいことも知っているけど、並べるとより凹凸がハッキリするね。

 というかそれより、三人しかいないけど? 紗夜さんに友希那は? と問いかけようとしたところで、その後ろ、CiRCLEのドアをくぐって、冷ややかで良く通る声が響いた。

 

「揃ったようね」

「ごめ~ん、まりなさんに無理言わせてもらっちゃってさ~」

 

 銀の髪を靡かせてモデルもかくや、というまっすぐで芯の強い歩き方でこちらへとやってくるのが、ボーカルの湊友希那。そして隣にいる茶髪のギャルが、ベースの今井リサ。共にRoseliaの根幹でリーダーとサブリーダーのような雰囲気がある。まぁ、友希那はガチのリーダーだけど。

 

「無理って?」

 

 と、ウチのギタリストが首をひねった。彼に対してリサは少しだけ弾んだ声で、砕けて事情を説明する。

 

「ほら、ここってガールズバンドオンリーじゃん? スタジオで今日だけでもキミたちを入れられないか~ってさ」

 

 顔見せのために、リサはそんなことまでしてたんだな。相変わらず気が利くというかなんというか。そもそも俺らの集まる丁度いいところにあるスタジオがここくらいしかない、って問題もあるんだけど。

 

「それじゃあ、お互いに自己紹介からで、いいですね?」

「ええ、いいわよ」

 

 おお、今日は紗夜さんがきっちりモードだ。冷ややかな友希那に負けず劣らずの冷ややかさとキリっとした雰囲気である。あれが俺の前だと下ネタを食事中にガンガンぶっ放してくるビッチだって言っても絶対に信じてもらえないレベルだ。

 

「ドラムのアイスです、よろしくお願いします」

 

 まずは、淡々と自己紹介していくアイス。コイツは割と無口だからな。淡々としててドライだから名前もドライアイスからとってアイスだし。

 

「ふっふっふ~、わらわは闇の女王あこ! 今宵……えーっと」

 

 中二病真っ盛りというよりはもはやRoseliaの宇田川あこ、と言えばこういうキャラとして成り立ってるから、それでいいんだろうな。ただ語彙力が足りないのか途中で頭を捻って燐子さんに語彙を補填してもらってる。

 

「ギターのトーマです」

「同じく、ギターの氷川紗夜です」

 

 トーマの短い自己紹介の後に、紗夜さんが短く続く。トーマはサバサバしてるしあんまり人付き合いは得意じゃないらしいし、ただ、とあるヒトに影響されて頑張って見た目を変えて、そのとあるヒトの隣を歩いても変じゃないように思われるようになりたいって一途さのあるバイト戦士の主人公くん。

 

「キーボードのランスです」

「白金……燐子……です」

「よろしくねっ」

 

 ランス、カッコいい名前とは裏腹の少年のような快活さに女装してもかわいい160センチ前半の身長に女顔のお目目パッチリのランス。

 ただコイツはセフレ含みで九股ヤリチン野郎なんで割愛。俺の敵。だから(ランス)だし。

 

「ボーカルのタイクーンです! 本日は友希那さま、えっと湊さんに会えて光栄ですっ!」

「……そう」

 

 タイクーン。本名に君付けが略されてできた文字通りウチの大君(リーダー)。そもそもこのバンドはタイクーンと俺が立ち上げたものだからな。

 俺はモテたくて、コイツは、湊友希那に近づきたくて。ただ友希那様呼びはやめようね。友希那も若干引いてるし。

 

「ベースのカンベです」

「リサでーっす☆」

「適当だな、自己紹介なのに」

「そっちこそ~」

 

 リサは、俺の幼馴染の一人でベースの師匠。普段はリサ、なんて呼ばないしなんならお前かアイツ、くらいしか呼ばないけど。それはリサも一緒だよな。名前呼ばれた覚えがない。

 

「嫌な予感はしたけれど……あなただったのね」

「文句ならそこのギャルに言ってほしいけど」

 

 自己紹介が終わったところで、友希那がそうやって口を開いた。そして、何かを考えるような仕草をする。

 ──そして、友希那はたった一言、ごめんなさい、と謝った。

 

「あなたたちとは、一緒に演奏できないわ」

「え!?」

「湊さん?」

 

 タイクーンと紗夜さんがほぼ同時に反応した。声に出したのが二人、というだけで、その全員が驚きの表情をしている。

 そりゃそうだ。実力を聴いてから、そういう約束だったはずだ。だから俺たちも十八番を持ちだしてきて、やる気十分だったのに、その前に友希那は首を横に振ったんだからな。

 

「ちょ、友希那~?」

「私たちは、頂点を目指しているの。遊びや趣味なんかでRoseliaはやってない。だから陽太のいるバンドとは、無理よ」

 

 それは無慈悲な宣告で、俺たちの誰もが口を閉ざしてしまう言葉だった。

 向上心はあるし、最近はファンも増えてきたから、プロ意識みたいなものも当然ある。でも、それでも俺たちのバンドは部活やサークルの延長線上にしかない趣味だ。友希那の言うことは正しいんだ。

 ──そう間違ってないんだ。

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 その日の夜、俺は紗夜さんからいつになく真剣そうな声色で連絡をもらい、リサ同伴の上でそれを許可した。夜に二人きりにはならないと決めているので。

 

「ごめんね、友希那が」

「まぁ、こうなるかも、とはトーマが先に言ってたしな」

「そっか」

 

 まぁ確かに、勝手にその気にさせといて趣味でやってるようなバンドとは一緒にできない、って言うのは身勝手なところもある。けど、友希那はその辺が無頓着だからな。

 アイツは歌に囚われてるから。歌以外の全てが疎かになってるんだよな。ストイックの鬼である紗夜さんですら、多面性を持ってるのに。

 

「理想が違うんだよ、アイツが目指す理想と、俺たちがやってることは、あんまりにもさ」

「理想、ですか」

 

 俺たちは短い青春時代に相応しいことをやってやろう。思い出を作ろう。そんな勢いでやってきてる。大学でもやるかもしれないけど、バラバラになるからな、あんまり確実にとは言えないし、プロなんて目指してすらない。頂点じゃなくて俺たちは今しか見てないから。

 

「しかも友希那の方は期待してたのに、出てきたのはモテたいのと趣味でバンドやってるって公言してる俺だからな」

「カンベさんの女性のタイプは白金さんだったのに、中身は全然違ってビッチだった、というような感じですね」

「例えがわかりにくい」

 

 合ってるけど。ちなみに紗夜さんも同レベルの落胆がありますからね? 自分のことは棚に上げないでね。

 

「でも、アンタは悔しくないの?」

「いいんだよ。口で何て言われても悔しくない。俺にはコイツがいるからさ」

 

 口ではモテたいから、なんとなく、そんな趣味と惰性の集まりでしかなくても、研鑽した時間とその時間にこめられた情熱は俺と相棒(ベース)だけが知ってること。

 そしてその研鑽と情熱が生み出した結果は、聴きにきてくれたヤツだけが知ってることだ。

 

「むしろ俺とタイクーンはアイツには感謝してるくらいだし」

「感謝、ですか」

 

 最後に、あのバカは言い切ったんだよね。じゃあ次は、友希那様が聴いてもいいって思えるまで頑張ろう、ってさ。

 友希那信者であるヤツは湊友希那がモチベーションだし、それ絡みならなんだって目標に一生懸命なバカだから。そしてその熱に衝き動かれてマジになっちゃうようなバカがアイツの作ったバンド、Wonderersだから。

 驚異の意味のワンダーと、売れたら札束の、なんて贅沢は言わないからたった百円でもいいから積み上げていきたいって意味の一ドルを掛け合わせた放浪者の集まり。バカしかいないからこのバンドは成り立ってるんだよ。

 

「次のライブは、それが目標かな」

「うんうん、それでこそアンタだよね~って、紗夜? どした?」

 

 そんな謝罪をする必要がないことを伝えたところで、紗夜さんが驚きの表情のまま固まっていた。

 なに、俺そんな凍り付くようなことなんか言った? 

 

「いえ……やはり、カンベさんは情熱的だな、とおも──」

「──思わず濡れたとかやめてね」

「……先に言わないでください」

 

 こちとらそろそろ三ヶ月近くもあなたの相手をしてるんですからね。慣れがあるんだよ慣れがさ。

 

「なんで二人は付き合ってないの?」

「カンベさんが童貞を拗らせてるからです」

「紗夜さんがビッチだからです……」

 

 いやどっちも原因としては合ってる気がしなくもないけど、なるべくヒトのせいにしたいじゃん、こういうの。自分があやふやな理想で童貞を卒業したくて紗夜さんを断ってるなんて言いたくないじゃん。

 

「最近はちゃんと自重してます」

「そうなの?」

「おかげで部屋で自慰をすることが格段に増えました」

「おい」

 

 隙あらば下ネタを放り込んでくるな。

 でも、それは知らなかった。あ、前のやつは確かに燐子さんが尻尾を出すためのブラフって言ってたな。つまり? そろそろ二ヶ月くらい、シてないの? 

 

「最近、ムラっとしたりはしますが、どうしても気分が乗らないの」

「それは、なんで?」

「訊きますか? そこで理由を?」

 

 うわ、めっちゃ睨まれた。そうですね、はいはい、俺がいるからって言いたいのね。よーくわかったからこの話は終わりにしようか。

 

「けれど相手がカンベさんだと思うと、ココが疼くんです」

「いやぁ、愛だね~」

「愛で済ませていいのか、この下ネタを」

 

 だから下腹部に手を当てるなっての! 愛おしそうに擦りながら微笑むな! まだ俺は清い身体です! そこに何も注いじゃいないどころか使ってすらないからね? 

 

「そろそろ認知してほしいわ」

「違う意味に聞こえるからやめてください……マジで」

 

 紗夜さんが俺を好きだって、信じられてないからってそういう言い方で脅すのはよくない。しかも下腹部に手を当てながらだと本当に違う意味になるから、やめてほしい。童貞なのにパパにはなりたくないです。

 そんなやり取りはさておき、ライブの目標も決まったんだし、頑張ろうと思う。幸いとRoseliaに味方が多いことがあるから、友希那をライブまで引っ張るのは案外簡単そうだ。今日だけは、紗夜さんと燐子さんに感謝しとくかな、今日だけね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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闇の女王はA/崩壊は突然に

 湊友希那を見返そうライブ、という頭の悪い目標を掲げて一層のモチベーションアップを図った俺たちは、順調にライブの準備を重ねていた。一方でなんとか友希那を騙して引きずっていく、とリサが報告をくれたことで、その熱は最高潮だった。そんなある日のこと。

 

「コンビニでなんて、偶然ですね」

「偶然って……どうせ来るだろうと思ってたんだけど?」

「ふふ、それでは、愛ゆえの以心伝心ですね」

 

 どこに愛故の以心伝心があったんだよ。とツッコミを入れたくなるライブ前の熱とはまるっきりかけ離れた日常を、紗夜さんと過ごしていた。連絡しなくたってどうせ紗夜さんは俺のところにやってくるだろうと時間を見計らってコンビニのイートインで座ってたら、案の定、ギターを背負った紗夜さんが嬉しそうに隣に座ってきた。

 

「しかしまぁ、どうしてこう毎度毎度俺のいる場所がわかるんですか?」

「愛の力です、ふふ」

「あーわかりましたから下腹部に手を当てるのだけは勘弁して」

 

 そんなところに愛の結晶は詰まってませんし、そもそも注いでません。そうやって俺が守ってるはずの童貞から勝手に遠ざけないでください。

 

「大丈夫ですよ。盗撮、盗聴と言った犯罪は犯していませんから」

「やってたら警察に突き出します」

 

 紗夜さんがそんなことをしてるとは思わないけど、万が一してたら自首しといてほしいところだよ。

 相も変わらず冗談と下ネタを入り交ぜた会話をしていると、紗夜さんはそうでした、と話題を転換した。

 

「今日は、カンベさんをお誘いしようと思っていまして」

「ホテルなら断るけど」

「ホテル……もいいけれど、普通に、近くの喫茶店でお茶でもしませんか、という誘いです」

 

 さ、紗夜さんがホテル意外の場所に自分から行こうと言い出すなんて……何を企んでいるんだろう。そんな疑いの目で見ていると、違います、と唇を尖らせた。今までしてきたことを思えばおかしくないんだけどな。

 

「わかりましたもういいです。家に帰って自分でも慰めていればいいのでしょう?」

「拗ね方が微妙に同情を誘われにくいんだけど……」

「……はっ、それを撮影してカンベさんに送りつけます」

 

 はっ、じゃないよ何名案思いついたみたいな顔してるのかなこのビッチ。それは同情じゃなくて脅迫だよって教えてあげないといけないのかな? 紗夜さんはそこまでバカじゃないと思うんだけど、いや、思いたいからきっと最初から脅迫する気だったと思っておこう。

 

「わかりました、行きましょう」

「ホテル?」

「今さっき自分でどこ行くって言いましたかねぇ?」

「ホテル、だったかしら?」

「喫茶店!」

 

 俺をからかって遊んでるのか、わかっていますよ、とくすくす笑う紗夜さん。納得いかない、何が一番納得いかないかって、楽しそうに笑う紗夜さんの顔がとんでもなくかわいいことだと思う。普段は表情を変えない彼女が、こんな風に笑ってくれる、うん、今のうちに優越感出しておこう、ふふん……虚しいけど。

 

「実は、ここは妹の後輩のお宅でして、よく店員さんもやっているのです……あ、惚れてはいけませんよ?」

「ダメなんですか」

「私がいるのですから」

 

 そんな説明を受けながら、羽沢珈琲店、と名前が書かれた商店街の一角にある喫茶店のドアを開く。紗夜さんの行きつけだけあって、とても和やかで、けど騒がしくない静けさがある、いい雰囲気のお店だった。ちょっとしたレトロ感も、コーヒーの香りも、落ち着く要因かな。

 

「いらっしゃいませー、あ、紗夜さん! と、そちらの方は?」

「つぐみさん。こちらは私の──」

「──バンド仲間です。ベースやってる……えっと、カンベです」

 

 紗夜さん、今私の、の続きになんて言おうとしましたかね? カレシになった覚えもセフレになった覚えもないですからね? オトモダチ、ってのも誤解を生むので今回は控えてくださいね? そんな不満そうな顔はやめて。

 

「え、もしかしてWonderersの?」

「知っているんですね」

「はいっ! こう見えて、わたしもバンドやってるんですよ!」

 

 そうなんだね。しかも結構地元じゃ有名どころらしい。アマチュアのガールズバンドはRoseliaくらいしか知らないんだよね。なんだか最近ものすごいガールズバンドのグループが結成したのは知ってるんだけど、そっちは半分以上プロだし。

 

「ふふ、やはり有名人のカレを持つと大変だわ」

「はい?」

 

 何充実感と幸福感に浸ってるんですかね? フツーに紗夜さんの方が有名人ですからね? あとやっぱりカレシって紹介するつもりだったんですね?

 ──とは言え、ここではどうやら紗夜さんの本性は隠しているようで、下ネタは飛んでこない。いつもこれだったらいいんだけど。

 けど、着席したところで、近くの席から、少しだけ舌足らずな高い声が俺と紗夜さんの耳朶を打った。

 

「あ~! 紗夜さんにカンベさんだ~!」

「う、宇田川さん?」

「……ということは」

 

 パンクな服装をしたロリっ娘、宇田川あこちゃんが俺と紗夜さんのところに駆け寄って、まるで大好きな飼い主を見つけた犬のように純粋無垢な笑みで跳ねていた。キミ、本当に高一だよね? 

 そして、あこちゃんいるところには、彼女がいるだろうとさっきまであこちゃんが座っていたであろう席に目を向けると、あ、もう一匹犬がいた。

 

「カンベさん……!」

「燐子さん」

 

 わかりやすく表情を明るくした白金燐子さんのご登場です、拍手でお迎えください。俺としてはうげ、って声をなんとか堪えるので精一杯なので。

 俺はどうしてこうビッチに懐かれてしまうのか。でも、あこちゃんはそうじゃないと信じたい。

 

「ねぇねぇ、カンベさん! もしかしてこれから練習?」

「え、うん。自主練習しようと思って」

 

 何せランスがデート、トーマがバイト、タイクーンは家の手伝いがあるからな。割と一番最初のクソ野郎意外は忙しいヤツが多い。

 

「聴きたい! カンベさんの演奏!」

「え、ええ?」

「だってリサ姉の弟子なんでしょっ? きっとカッコいい演奏なんだろーなぁって思って!」

 

 ぴょんぴょん跳ねて自分の思いを伝えてくれるあこちゃん。いやホントにマスコット的かわいさあるな。二歳差なのを疑うレベルだよね。

 コーヒーを飲んだらどうせ移動しようと思ってたんだし、まぁ、こうやってファンがついてくれるのは嬉しいよね。

 

「……私とのデート」

 

 盛り上がっていると、ぽつりと紗夜さんがショックを受けたようにつぶやいた。そんな顔しないでよ。紗夜さんとはまた幾らでも機会があるんだからさ。

 二人から四人になった席で、あこちゃんが明るく話を振って、燐子さんと俺がそれに返事をする。時折はゲームの話をするから、それが分からない時は燐子さんが相槌を打って、俺がそれを見守るって形だった。ちなみに隣があこちゃんで向かいが燐子さんと紗夜さんである。この二人は隣にしたら狙ってくるからダメ。俺は学んだ。

 

「カンベさんっ、カンベさんも一緒にN.F.Oやろうよ!」

「ん~、あんまりネット環境とかよくないしなぁ」

 

 思い浮かべるのは燐子さんの部屋。あのネット環境はゲームをするためのものってのは聞いたから、サクサクやってくにはお金がかかるってイメージがあるよね。

 それにしたって、あこちゃん……ち、ちょっと距離が近くありませんこと? なんでヒトの腕を抱いて、いーじゃんと甘えてくるんだけど、まさかこの子もビッチ? 燐子さんとコンビでオフパコとかやってるんじゃないよね? 

 

「おふ……? なにそれ?」

「カンベさん……っ! あこちゃんに、そういうのは、教えちゃ、ダメ……です……!」

 

 え、違うの? なのにこの子こんな風にスキンシップ多いの? それはそれで苦手なんだけど。胸とか押し付けてくるよ? 小さいけどはっきりと柔らかな感触が腕に伝わってくるのに、この子は無自覚なの? 

 

「……ロリコンだったんですね、カンベさん」

「違うね!?」

「道理で私や白金さんには反応しないわけです」

 

 反応してますー! 必死で初の出番待ちしてる息子を理性で抑えてるんですー! 特に燐子さんの部屋に行った時は危なかったし、紗夜さんとキスした時なんて……あ、これは秘密にしておかなきゃなんないヤツだった。

 

「……キス? 氷川さん……?」

「カンベさん……アレは秘密です、と約束したのに」

「え、やっぱりカンベさん……紗夜さんと、付き合ってるのっ!?」

 

 近い近い! 顔を近づけてこないで、このロリ無自覚ビッチ怖い。ある意味紗夜さんや燐子さんより怖い存在になりつつある! 

 そして誤解です! 紗夜さんとお付き合いはしてないです。あとめちゃくちゃ燐子さんの視線が怖い。

 

「わたしも、カンベさんと、キスしたいなぁ……」

「りんりんまでっ!?」

 

 燐子さん、ビッチの本性出てるから。そんなもの欲しそうに唇に指を当てないでください。絶対あなたは舌入れる気でしょう。俺は童貞だからそんなことされた瞬間に股間が準備万端、発射五秒前になるから。

 ──だいたい、燐子さんはただの興味でしょう? 

 

「あ……カンベさん、それは」

 

 そんな直接は言わなかった。せいぜい、燐子さんとしてなら、割とランスが興味を持ってましたよ、って伝えただけだった。紗夜さんが瞬間的に制止の声を放って、それを上書きするように、燐子さんが下を向いて、小さな声で呟いた。

 

「……ひどい、です」

「……燐子、さん」

「……っ! 失礼します……!」

 

 肩を震わせたと思ったら、素早くお金を置いて、立ち上がって、俺に表情を見せないまま、立ち去ってしまった。

 ポカーンと自分が何を失言したのかわからないでいると、隣から小さな手が俺の頭を思いっきり叩いてきた。

 

「いたっ!? あ、あこちゃん?」

「カンベさんっ!」

 

 あこちゃんは、それはもうご立腹だった。

 無理もない。俺はあこちゃんの親友を、傷つけたんだから。

 そして、それは紗夜さんも、同じだと言うことは雰囲気でわかった。

 

「……白金さんだって同じです。勿論、私や彼女がやってきたことがそれで正当化されるわけでも、美化されるわけでもないことはわかっています、けど……それにしても、今のカンベさんの言葉は、それらも加味しても、とても女性に対して許せるような言葉ではありません……今日は私も失礼します」

 

 失望したように、悲しむように、紗夜さんも俺の前からいなくなった。

 俺は、あの二人に何をあげられていたのか、何を返せるのかわからず、その関係がいたずらに続くと信じていた。そんなわけないのに、俺のちょっとした無神経な一言が、燐子さんを、傷つけた。

 

「……カンベさん」

「ごめん……あこちゃん」

「っ、まだ、大丈夫! 怒ってるってことは、まだ大丈夫だもん!」

「そう、かな」

「うんっ!」

 

 あこちゃんに励まされなかったら、多分俺はダメになってただろうな。やっぱ俺は女心のわからないモテない童貞クソ野郎だ。プライドと理想だけは高くて、そのくせ中身が伴ってないふわふわした野郎。

 

「あこに任せて!」

 

 だから今は、あの楽しい日を取り戻すには、この小さな闇の女王に頼るしか道はなさそうだな。

 よろしく、あこちゃん。

 

 

 

 

 

 

 



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Dの罪/伝わらないもの

 俺は、いつの間にかあの日常を、当たり前に転がってるものなんじゃないかなんて勘違いをしていたらしい。紗夜さんが当たり前のように俺の傍に来て、からかい混じりに下ネタを言って、楽しそうに笑って、燐子さんの熱っぽい視線に汗を掻きながら、それでも人見知りしてしまう彼女を笑わせようとしてみたり。でも、そんな日々はたった一言のミスで壊れるんだってことを突きつけられた。

 ──人間は、いつだって大切なものの価値を、失ってから知るもんだ。

 

「放心してるね〜」

「放心してるなぁ」

 

 夏休みが始まり、コンビニのイートインで涼んでいると、知り合いの二人がコンビニの制服に身を包んで立っていた。

 幼馴染で師匠の今井リサと、ウチのバンドにいる内面がイケメンすぎるギタリスト、トーマ。

 

「……カップル揃ってでなんか用ですかね」

「失礼な弟子だな〜? 見たら仕事中ですってわかるでしょ?」

「リサ、コイツは今恋愛にアレルギー反応するんだから、許してやって」

 

 わかってんなら二人揃って出てくんなよ。

 ってかさ、なんだかんだ言ってキミたちイチャイチャしてるからね? 無自覚にイチャイチャされると余計に肌が痒くなるっての。

 

「やっぱコイツのことはほっとこうよ、とーま。モテない男の僻みに付き合っても無駄だって」

 

 酷い師匠だな? 

 ちなみにトーマは本名だったりする。本名がカッコいいからそのまんまでいいだろっていうタイクーン理論である。

 

「なぁカンベ。俺としてはそこで逃げたら意味ないと思うんだよ」

「だからなんだよ、逃げなくて向き合ってたらこうなったんだからな」

「そうじゃなくてさ──」

「──いいんだよ。こうやって俺が何もしなきゃ、なんともならないんだからな」

 

 なんで向き合って、傷つけて、傷ついて、それなのにまだ向き合わなきゃなんないんだよ。イミわかんねーよ。逃げてちゃなんも変わんないって言われても、なにも変えたくなかったんだよ、最初から。

 

「ほら、だから言ったじゃん」

「リサ、カンベみたいなヤツは突き放すだけもよくないの。大体、リサや湊さんが突き放したからこうなってるワケでしょ?」

「……確かに」

 

 けど、そんな腐った俺にも、トーマは厳しい目でそれじゃダメなんだよ、って言ってきた。

 それじゃあまた、今度は離れた俺と紗夜さんたちを繋ごうとしたあこちゃんを傷つけるんだぞ、と脅しを加えて。

 ──それは、ダメだな。あの子を傷つけるようなことをしたら、それこそもう、紗夜さんや燐子さんとは何をしても修復不可能になるから。

 

「お前、結構えげつないこと言うな?」

「ダチだからね」

 

 ニコっと笑ってそんな事言うなよ! カッコいいやつだな! カッコよすぎて男なのにきゅんとしたよ! ダチだからって言葉をカッコよく言える選手権あったらお前は審査員のレベルだな! 自分でも言ってる意味わかんなくなってきたよ! ちくしょう! 

 

「とりあえず、ココで逃げるのはNG。きちんと、あの子と一緒に精一杯考えろ、いいね?」

 

 トーマが指で示した先には元気いっぱいのあこちゃんがそこにはいた。

 その明るさに、俺もほっと息を吐くレベル。あこちゃんの元気は世界を救えるな、多分。

 

「カーンベさーん!」

「あこちゃん、わざわざありがとう」

「大丈夫! あ、リサ姉とトーマさんもいるー! 二人とももしかして……チーム闇の女王!?」

「いや、そんなチームに入った覚えはないよ?」

 

 苦笑いをするトーマに、リサがトーマがいちおーは味方? と補足していた。やっぱりお前は味方してくんないのね。

 

「あったりまえじゃん! そもそもアンタが悪いんだから」

 

 恋する乙女的には味方にはなれないな~、とおどけて笑いながら仕事に戻っていくリサに、トーマがはいはい、と苦笑いをして、それからもう一度俺とあこちゃんの方を見た。

 

「あこちゃん、そのバカのこと、よろしく」

「まっかせて!」

「カンベはあこちゃんの言葉を、とにかく素直に言葉のまま受け取ること。お前の主観とか、感情とか、プライドとか、そういうものは今は関係修復を遠ざけるだけだからな」

「お、おう」

 

 それを最後のアドバイスとしてトーマは優しく笑いながら仕事に戻っていった。なんか難しいことを言われた気がするんだが。まぁ、やれるだけやろう。

 一人じゃ正直何も考えられなくて終わってた。けど、たまたまあこちゃんがいて、そのあこちゃんが燐子さんや紗夜さんじゃなくて俺のところにいることが、奇跡みたいなものだから、これを機に変わるしかなさそうだ。

 

「それで、まずはどうしたらいいんだろう?」

「んーっとですね~、まずは、謝らないと! 悪い悪くないは別として、ケンカしたらごめんなさいしないとダメだもん!」

 

 なるほど、あこちゃんのお姉さんは割と男勝りでケンカが多かったのだとか。それで彼女たちのお母さんはそうやって口をすっぱくして教えていたらしい。悪い悪くないは、謝った後、か。

 

「でも、謝るには悪いって思う気持ちがないとダメじゃない?」

「ううん! カンベさんはりんりんや紗夜さんがなんで怒ったのか、それを考えないと、ですよ!」

 

 つまり、今回の解決に至る道は、相手が何で怒ったのかを考える。つまりは相手のことを考えるってことだな。俺は悪くないと思っても相手が怒ってることを考えて理解できれば、自然と謝罪する言葉が出てくるってことだ! さて、やっぱり難易度高いな? 

 

「ちなみに……自分で気づかなくちゃいけないところだと思うんだけど」

「うん」

「燐子さんは、なんで怒ったの?」

 

 俺にはいまいちそれがわかってない。俺が吐いた言葉たちが燐子さんを傷つけたことはわかってる。それについて気づいてないことを紗夜さんが怒ったってことはわかった。でも紗夜さんにも燐子さんにも、俺が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってこと。一番大事なのは燐子さんを知ることなんだ。そういう意味じゃマジであこちゃんが味方で助かった。

 

「わかりません?」

「考えたよ? 考えたけど……」

 

 童貞には難しい。なんとなく俺に経験がないから、セックスじゃなくて恋愛とか異性と関わる経験ね、それがないから、わからない気がする。前にクソ野郎……ランスが、女の子は男と感覚が違うから、それを切り替えるのが大事、みたいなことを言ってたし。その切り替えがよくわかんないのも、俺がピンと来てない理由、だよな? 

 そんな風に自信なく、考えたことを伝えると、すっと手が伸びてきて小さな手が俺の頭を撫でた。

 

「あこはね、まずそこが大事だと思うんです」

「そこ?」

「考えること! カンベさんは、あんまり考えておしゃべりするタイプじゃないですよね?」

 

 なんか優しく、慈愛に満ちた表情と仕草のあこちゃんにドキドキしながら、その言葉に同意した。思ったことをそのまま口に出すタイプだね、俺。

 

「りんりんも……多分紗夜さんも、考えて考えて、やっと言葉にするんじゃないかな~って」

 

 考えすぎもよくないことになっちゃうけど、と八重歯を見せて笑うあこちゃん。そっか、思考と感覚のバランスが大事、ってことなんだろうか。それが簡単にできたら恐らくコミュニケーションに阻害なんて起きないだろうけど、それは俺の勝手な主観だから放り投げるとして、思考と感覚をバランスよく働かせるのが、理想の会話ってわけだね。

 

「俺は考えがなさすぎで、燐子さんは考えすぎ、ってことかな」

「うんうん!」

「それじゃあ……えっと」

 

 多分、トーマのヤツが最初にあこちゃんの言葉を素直に聴くことって言ったのはこれをわかってたから、なんだろうな。

 今の俺はあこちゃんの言葉を通して、燐子さんや紗夜さんのことを考えて言葉を選んでる。あとは主観と感情、プライドを入れるなってのは俺に無駄な否定をしないように、だな。流石ダチ。俺の自己肯定感の低さをよく知ってる。

 

「燐子さんは、俺がランスのことを言ったら、あの表情をした」

「うん」

 

 ランスが気に入らなかったわけじゃない。じゃなきゃ燐子さんもただ嫌な顔をするだけで留まるはずだから。燐子さんが傷ついたのは、それが別の意味を持ってるのだと考えたから。

 ──えっとつまり? 燐子さんは自分を白金燐子として知ってくれるヒトを求めてるわけじゃないってこと? 

 

「んーっとね、そうなんだけど、そーじゃなくてぇ……なんて言ったらいいんだろ~?」

 

 あこちゃんが自分の語彙力のなさに苦戦してる。そうなんだけど、そうじゃない。完全に正解じゃないってこと? そうやって頭を捻っていると、上から涼し気な声が響いた。

 

「惜しいですね、そこにもう一つの事実を加えれば、正解に辿り着けますよ」

 

 ──なんで、今頃になって。いや、今頃になったから出てきたのか。俺がちゃんと燐子さんと向き合おうとしたから、紗夜さんに向き合おうとしたから、それを知って……多分暇そうにレジにいたあのギャルだな。アイツが連絡したんだろう。

 駆け付けてきたんだ。俺に審判を下すために。

 

「……さ、紗夜さん……?」

「どうも」

 

 氷川紗夜さん。俺が間接的に傷つけたヒト。

 紗夜さんは至っていつものあまり働かない表情筋を放棄して、淡々と、それでいて当たり前のように俺の隣、あこちゃんとサンドイッチする形で俺の横に座った。

 

「紗夜さんも、チーム闇の女王に?」

「いえ、私は言うならばスパイです」

「自分で言っちゃうんだ」

「捕まえて性的な尋問でもしていただいて結構ですよ?」

 

 しません。あくまで平静を装う紗夜さんは、それで? とスパイらしく諜報に徹しようとする。

 

「何が足りないかはわかりましたか?」

「……一つ、事実が抜けてるってやつ?」

「はい。それは、宇田川さんはわかっていると思います」

「……そーですけど」

 

 わかってるけど、口に出せない、いや、出せないってよりは俺がきちんと気づいていなくちゃいけないことで、ホントは俺も知ってないといけない事実なんだ。けど、全然わからなくて俺がうんうんと頭を悩ませていると、紗夜さんは溜息をついて、それから、まぁ仕方ありませんね、と優しい顔をした。

 

「紗夜さん?」

「私や白金さんにも、悪いところはあるのです。私は、それを伝えるのが怖かったから……ままならないものです、ヒトの、感情というものは」

 

 それは間違いなく、紗夜さんの本音であり、俺に対して思わず放った、極大のヒントだった。ままならないヒトの感情、燐子さんに同調した紗夜さんの気持ち、それを覆い隠した俺の主観と感情、それらが重なったから、それらに誰も向き合おうとしなかったから、この事態になった。

 

「わかった。わかりましたよ……紗夜さん」

「カンベさん……」

 

 確かに、燐子さんにも悪いところはあるんだろう。でも、人間が思ったことを素直に、ストレートに言葉にできたのなら、そもそも、あのヒトが俺の言葉に傷つくことすらなかったはずなんだから。

 わかったなら、俺は燐子さんに謝りに行こう。それがきっと、正しい人間関係ってヤツだから。

 

 



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Dの罪/ただまっすぐに

 紗夜さんやあこちゃんと一度別れて、俺は燐子さんと()()会う約束をした。おそらく燐子さんにそんなことをするほどの気力もないだろうけど、念には念を入れとかないと、童貞は守れないからね。これは紗夜さんに学んだこと。

 

「……お話、って、なんですか……」

 

 最初は返事すらしてくれるか怪しかったけど、きっとりんりんも仲直りのきっかけが欲しいって思ってますよ、というあこちゃんの言う通りこうやって俺の前に姿を現してくれた。あの子はスキンシップが小悪魔のそれだけど、マジで俺にとっては天使のような子だと思う。天使で天然ビッチって逆に怖いけど。

 

「この間のことです。ごめんなさい、俺、バカだから……燐子さんに甘えてた」

「……カンベ、さん」

 

 燐子さんは、俺にめちゃくちゃ気を遣ってくれてたんだ。そりゃ最初の一週間は味見がしたい、もとい興味があって、迫ってきてたんだろうけど、それが露見してからはすごく、気を遣ってるフシがあった。俺が燐子さんから逃げてたから。

 素直に言葉を伝えてくれなかったのも、それが理由なんだ。俺が迷惑がると思って、この日常が崩壊すると思って、口に出せなったんだ。

 

「だから燐子さんの……燐子さんの……あー、ダメだごめん」

「え……?」

「やっぱり、俺から口にするのは、なんか、自信満々みたいで……違ったらって思うと、言えない」

 

 その答えはリサからもあこちゃんからもお墨付きをもらったけど、それでもモテない童貞にこれを口にするってのはハードルが高い。そもそも未だに面と向かって伝えてくれたのは紗夜さんだけなんだから、しかも紗夜さんも、俺が思ってたのとは全然違うし。

 

「……わたし、カンベさんの……そういうところ、嫌いです」

「うぐっ」

 

 少しの沈黙の後、燐子さんはゆっくりと、動かない、動けない俺の肌にナイフを沈みこませ、刺すように、痛い言葉を紡いだ。

 やべ、もう泣きそう。

 

「本当は、心のどこかで……わかってるクセに、知らない、フリして……あんなこと、言ったん、ですから」

「……うん」

 

 そうなんだよ。紗夜さんもそうなんだ。俺が勝手に蓋をしてただけで、ホントは気づいてるんだ。それについては紗夜さんからもたった一言、頂いているからね。

 ──私は、軽薄な女です。けれど、誰でもいいわけじゃないんです、ってさ。それはホテルに行くとか、セックスするとかじゃなかった。

 ビッチだけど、()()()()()()()()()()()()()誰もいいわけじゃないんだ。

 

「わたしは……ビッチ、かもしれません」

「うん」

「性行為をした人数は年齢を、とっくに超えています……倍以上です」

「……そ、そうなんだ」

 

 それって40人近くなんだけど、盛り過ぎじゃない? え、こんなところで盛らなくていいよ? 

 とツッコミたいけど、今は我慢しよう。大事なハナシの最中だし。

 

「けど……だからって、わたしにとって……カンベさんは、その名前も顔も曖昧な誰かと、一緒じゃないんです……わたしは、あなたが、好きなんです」

 

 別に、その男が好きだからセックスをしていたわけじゃない……ってまぁ、どっちみちその行為が褒められたものでも、美化されるようなものでもないことは、本人達が一番わかってる。それ以上に多分、俺が現れたことで突き付けられたんだ。

 

「……こんな、たくさんの男のヒトに、嘘の名前で、裸を見せて、抱かれたわたし、ですけど……この気持ちだけは、本物です。わたしは……カンベさんと、お付き合い、したいんです……!」

 

 こんな風に、まっすぐ告白されたのは、生まれて初めての経験だった。紗夜さんは恥ずかしがって、察してくださいって言うから、本当にまっすぐ、付き合いたい、好きだって言われたのは、燐子さんがハジメテだ。

 きっとすごく怖かったんだろう。まっすぐ俺を見つめる瞳は水が揺れていて、だから、俺もちゃんと向き合わなきゃいけない。

 

「……ごめんなさい。俺は、燐子さんとは、付き合えない」

「──っ!」

 

 その気持ちが嫌だったわけじゃない。素直に、こんな魅力的なヒトに好かれて浮かれる気持ちもあるし、ビッチとかそんなの関係なく、きっと俺はこのヒトといて、楽しい気分になれると思う。直してほしいってのも、伝えてくれたら、わかってくれると信じてる。

 ──それでも、俺は、白金燐子さんの恋人には、なりたくないと思った。だから、これで、燐子さんとの関係を、おしまいに、しようと思う。

 

「……せん」

「──え?」

「諦め、ません……!」

「え」

「一度の告白で、フラれて、それで諦められるような、気持ちじゃ……ないんです」

 

 でも、燐子さんは涙を浮かべながら、そう言い切った。こんな辛い思いをして痛い思いをして、それでも、燐子さんは俺との繋がりを、継続しようとしてくる。

 正直、羨ましい。俺は一度拒絶された人と繋がりを継続しようだなんて、思えないから。

 

「……敢えて、敢えて燐子さんの気持ちを知って、それでも傷つけますね」

「……はい?」

「俺じゃなくてもよくない?」

 

 やっぱり、そこが俺の中でずっと引っかかってる。

 燐子さんの俺を好きになった理由って、そんなの俺じゃなくても大丈夫なんじゃないのか、って。それは紗夜さんにも言えることだけどさ。それこそ、その条件に当てはまるヤツなんて、いくらでもいるし、燐子さんなら引く手数多だと思うから……選びたい放題で俺を選ぶイミって、なんだろう。

 

「……ひとつ、いいですか?」

「……うん」

「わたしは、条件に合えば誰でもいい……なんて、()()()()()()()()()

 

 それは、もっと俺には理解できない言葉だよ、燐子さん。

 俺がベストアンサーで、理由なんて後付けで、なんて言ってもわからない。俺には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 世の中の男たちがどうやってモテてるのかわからない。

 世の中の男たちがどうやって童貞を捨ててるのかわからない。

 世の中の男たちが……一体どうやって自分を肯定して、恋をして、生きているのかが、わからないから。

 でも、このままの日常が楽しいし、ビッチとかそんなのは関係なく、燐子さんがいてくれたことでわかったことがあるのも事実だから。

 

「……カンベ、さん?」

「ごめん、俺は燐子さんに応えられないけど、燐子さんが諦めないっていうなら、これからもよろしく……ってことになりますかね?」

「そう……ですね」

 

 女性ってのは、何を考えてるのかよくわからない。未知だから俺はずっと怖がってたんだ。モテたいモテたいと言いながら、童貞を捨てたいと言いながら、まるで女性に関わってこなかった理由が、それだった。

 俺には、カノジョとか作るの、向いてないな。そりゃモテないわけだ。実は逃げてたことを、こんなところで突き付けられるなんて。

 

「それじゃあ、また」

「……はい、また」

 

 そうやって、別の道を歩いて行く。俺は俺の道を、燐子さんは燐子さんの道を、そうやって進んでいくのが、正しいってことなんじゃないかな。

 ただまっすぐ、寄り道なんてしなきゃ、俺はあの子と道が交わることはもうないから。

 

「さて、練習しなきゃな」

「そうですね、日々精進、上達するにはそれしかありませんから」

「だよね」

「はい」

 

 ん? おかしいね? 俺は一人で歩いてるはずだもんね? 会話が成立するはずないよね? 

 不審に思い、というかほとんどわかってたけど、横を向くといつの間にか、紗夜さんが同じ方向を歩いていた。

 ──正直気まずい。燐子さんを、俺が、俺なんかがフって、その後に紗夜さんに会うのは、というか女性に会うこと自体にビクついてしまうけど。

 

「……紗夜さん」

「その顔は……そう、結局カンベさんは、そういうヒトですよね」

 

 顔見ただけで察しないでいただけますか? 俺は紗夜さんの胸中とか、表情の変化とか、何もわからないんだから。今のその悲しそうな顔の理由も、わかってあげられないんだから。

 

「大丈夫よ。私は、変わらずあなたの近くに現れるわ」

「大丈夫じゃないですね、それって」

「カンベさんのハジメテの女に、まだ私はなれてませんから」

 

 紗夜さんは、俺の内心を見抜いているんだろう。見抜いていて、敢えてそうやって笑って、さりげなく俺の手を握ってみせるんだな。すごいヒトだと思う。俺には、できないよ。

 そして燐子さんをフった手前、こんなのは卑怯だと思う。別に紗夜さんとも付き合うつもりはないのに、燐子さんと紗夜さんは同じなはずなのに、こんなことをしたらダメだとわかってるのに、このヒトの笑顔には、抗えない何かがあるよ。

 

「紗夜さんの手、あったかい」

「ナカはもっと温かいですよ、アツアツです」

「そっちは遠慮します、ほら今、夏だし」

 

 指全体に伝わる熱は、振り払うにはあまりにも優しい力が籠められていて、俺は思わず空を仰いで、立ち上る雲を見つめた。

 ──雨でも、降ってくれればいいのにな。

 

「今度のライブ、頑張ってくださいね」

「……頑張るよ」

「また、私が濡れてしまうような演奏をしてください」

「それはやる気を失うからやめてほしいな」

 

 俺と紗夜さんの関係は、回っていく。

 正直、こんなに恋愛が面倒な気持ちだなんて、俺は知らなかったよ。本音を隠して、言いたいこと、壊してしまいたいことを沢山、沢山抱えて生きていくことが、こんなにも面倒だったなんて、知らなかった。

 ──これから先、俺と燐子さんはきっと、もう二度と話すことはないんだろうけど、俺にはまだ、紗夜さんがいる。

 氷川紗夜が、本音を隠して、近づいてくるんだ。

 



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Dの受難/チェリーキラーは目の前に

 ──ライブは大成功に終わった。具体的な目標ってのはここまでモチベーションになるのかと驚くと同時に、その達成感に打ち震えた。積み上げたものをファンに見せて歓声が上がるたびに、会場の一体感が出るたびに、やっぱり、俺はモテたいとか関係なしに、音楽が、バンドが好きなんだって、実感した。

 

「うん、よかった」

「そっか」

 

 今井リサの部屋で、俺はベースの弦を弾きながら、ソイツの微笑みに、また大成功だったんだな、という実感が湧いてきた。

 

「……まぁ、趣味だから私たちに見合わない、と言ったのは訂正せざるを得ないわね」

「お、マジか!」

「けど、やはり一緒に、というのは無理よ。私たちは、頂点を目指しているのだから」

 

 リサの部屋には、友希那もいた。アイツの焼いたクッキーに頬を染めながら言われても、全く威厳を感じないんだけど。あとコイツが来ると出てくる女子力の暴力、手作りクッキーは甘めなんだよな。友希那向けすぎる。

 

「頂点、か」

「なに?」

「いや、なんでもない」

 

 頂点を目指すってのは、どれほどの覚悟なのかすらわからない俺には、その言葉の本当の重みがわからないけど、そこまで目指せる仲間がいるってのは、単純に羨ましいかな。

 

「それじゃあ、俺は帰るよ」

「お疲れさまー、ま、これからも精進あるのみだよ?」

「わかってるよ」

 

 何かはわからないけど、俺には求めてるものがある。それをこのお師匠サマはわかってて、敢えてそう言ってるんだろうな。そうだよな、迷ってる暇なんてない。あのメンバーでバンドができる時間はないんだから、考えるくらいなら音楽を奏でよう。

 

「陽太」

「……どした?」

 

 友希那に呼び止められ、振り返る。ちょっと反応に時間がかかったのはその名前で呼ぶヤツが極端に少ないのと、それが友希那だってことが意外すぎたからだった。

 

「紗夜や燐子と、何かあったの?」

「お前にはカンケーない」

「そうね」

 

 そんな眉を顰めないでほしい。触れてほしくないことをずけずけと言えばそうやって返されるに決まってるでしょう。

 紗夜さんからも燐子さんからも、連絡が来てない。すっかり俺はまた、幼馴染なんていう異性とは思えない二人だけの女性だけになった。この方が気楽でいいけど、正直、こういう心持ちが童貞たるゆえんなのかもしれない。

 ──そう。気楽でいいんだ。だから、別に意味もなくファストフード店に行ったりなんかしない。俺はもう、関わり合いにならないんだから。ただ小腹が空いたから、ポテトとドリンクだけ買う、それだけのこと。

 

「持ちかえればいいんだろうけど」

「それは……どっちを、ですか?」

「いやポテトとジュースのほかに持って帰れるものないけど?」

 

 期待通り……じゃなくて、何故か俺が席を確保していたそこには、既に彼女がいた。

 氷川紗夜、俺の、オトモダチ。

 会いたかった、わけじゃない。会いたいわけあるか、このヒトは美人だけど決していいヒトじゃない。ましてや惚れる要素なんてどこにもないから。

 だってこのヒトはビッチで、色々な男に淫らな、女の顔を振りまくようなヒトだから。

 

「私を持ち帰るのです、さぁ」

「うん無理」

「なぜ?」

「なぜ? 親がいるからね?」

「……なるほど」

「理解してくれた?」

「はい。私が部屋にいたら堪らず襲ってしまう、ということはよくわかりました」

 

 全然理解してないだろそれ。大体辛抱できずに襲ってくるのは紗夜さんの方だと思うんだよね、普通に考えて。女の抱き方がわからない童貞をナメんなよ。まずセックスに至るまでの導入が想像できないんだからな! 

 

「もういいよ……食べます?」

「いいのですか?」

 

 男を食べるのは見境ないのにそんなところで良心の呵責を起こさないでいただきたい。だいたい、見てればわかるけど、ポテトが好きなんでしょう? 

 好物を独り占めしたりなんかしませんよ。

 

「いただきます」

 

 さっき遠慮してた割にひょいひょい食べるね、まぁいいけどさ。

 表情をあまり動かさないまま、それでもおいしそうに食べてるところは、なんだか俺としてもほっとするんだよね。

 

「白金さんをフった良心の呵責に耐えかねてそうやって安心感を求めるのはよくないと思いますよ」

 

 ──と、思ってたのに、前言撤回。このヒトむかつく。俺の心境を察した上で詰ってくるなんてホント、Sっ気ありますよねあなたは。

 

「カンベさんはドMでしょう?」

 

 誰がドMだ。そういや燐子さんはMっ気あるから強引な方が興奮しますって教えてもらったな。なんで俺に期待したの? バカなの? と、思ったけど、絶対にその言葉を受けて詰ったと思われるから黙ったけどな。

 

「ところでさ、俺のポテト……もうほとんどカラなんだけど」

「まぁ、不思議ですね」

「このビッチ!」

 

 なんでそうまるで自然消滅したみたいに言えるんだ!

 そして、なんでそこで平然とお金が出てくるんだ……って、一応払ってはくれるのね。

 

「……でも俺に買いに行けと?」

「……? カンベさんはドMですから」

「喜ばないからね!?」

 

 もうやだこのヒト。けどまぁ、だからと言ってさ、ジュースも足らないし、紗夜さん一人に買いに行かせるのも忍びないから言われなくても俺が行くんだけどね。

 

「私が先にイってもいいんですが」

「ニュアンス違うな?」

「よくわかりましたね……ふふ」

 

 あーもう。かわいいなぁ! 

 紗夜さんのまるでビッチとはわからない素直な笑みには弱いこと知っててやってるんじゃないだろうな? 

 童貞の純情を弄ぶんじゃないよ、全くさ。

 表向きは仕方ないなぁ、とばかりに大仰にため息をついて、紗夜さんの分と俺の分のポテトとジュースを買うために店員さんに向き合った。

 かわいらしく、けど同い年くらいの店員さんに注文をして、お金を出す。やっぱりこういうビッチじゃなさそうな子とお近付きになりたいよなぁ、なんて考えてたら、指がそっと触れ合った……いや、触れてきた。

 

「──キミ、紗夜ちゃんと仲良しなんだあ、ふふ」

 

 寒気がした。

 これは防衛本能だ。舌なめずりをする、肉食獣(ビッチ)の気配を感じ取った、紗夜さんによって身につけられた童貞を守る悲しい本能。

 その本能が、目の前の女性を危険だ、と叫んだ。

 

「えっ……と、あなたは……?」

「教えてあげてもいいですけど……ホテルで、でもいいかなあ?」

「……ええー」

 

 見た目は凡そ清楚でおっとりとした……ってこれ燐子さんと同じだな。けど、おっとりだけど、髪はクセっ毛で、ふわふわとした雲みたいな印象がある。胸は燐子さんほどふわふわしてないけど紗夜さんよりはあるね。あのクソギャル幼馴染と同じかちょっと大きいくらい。

 でも白くて細い腕、ファストフード店の制服の袖から見える引き締まった二の腕、括れた腰は、どことなくエロティックで、そう前のめりになられると目のやり場に困って前のめりになっちゃうから。

 ──ただ。

 

「バイトももうすぐ終わりだから、ね?」

「……松原さん、ですか」

「ふえぇ……? な、なんで……?」

 

 いやなんでもクソも名札にバッチリ松原花音って書いてあるけど。なにこの子、そこは天然なんです? 天然ドジっ子でビッチってなにそれ笑えねぇ……誰が笑えよ。

 

「ま、まぁね……でもでもっ、名前以外にも、いっぱい知りたい……な?」

「仕事してください」

 

 何おもむろに胸元のボタン空けてんすか。なんか、こう直接誘ってくるビッチって初めて出逢ったから新鮮な気分で賢者タイム発動できる。

 また紗夜さんに感謝しちまうじゃんか、悔しいことに。

 

「……松原、さん……? なにを、しているんですか……?」

 

 そこで助け舟がやって来た。

 いつも通りゴシックで、でもガーリーなモノトーンの服装に身を包んだ、そして全く包み隠せないFサイズを装着した、二次元ビッチ。

 そして俺がフってまだ日の浅い、白金燐子さんだった。その形相は……怒りを宿していた。

 

「り、燐子ちゃん……?」

「……彼は、わたしが……ハジメテをもらうん、です……!」

「え、童貞なの?」

 

 ええはい。童貞ですがなにか? もしかして紗夜さんのセフレだと思ってましたか? そうですか。

 その情報を得た松原さんは、んー、とかわいらしく唸った。いや仕事しろよ。

 

「童貞かあ……ふふ、いいよ、私、結構童貞も食べちゃってるから」

 

 遂に出てきたな……! 

 ここまで、紗夜さんと燐子さんは共通して、経験者が多い印象があった。紗夜さんは援交も兼ねてるから、燐子さんはオフパコだから、必然的に童貞は引っ掛けにくいみたいだ。

 でも、松原さんはチェリーキラー。いたいけな童貞の筆下ろしを手伝ってくれるエッチなお姉さん、ってところか。つまり、俺の天敵ってわけだ。

 

「聞き捨てなりませんね、松原さん。カンベさんのハジメテの相手は、私です」

「……わたしも、候補です」

「キミ、モテモテなんだね……興味あるなあ」

 

 こうして、俺は三人目のビッチ、俺の天敵となるDサイズのビッチが現れた。

 はぁ、一難去ってすらないのにまた一難……俺は清楚な天使みたいな子と初体験をしたいってのにさ。

 

 



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Dの受難/二度目のボスダンジョン

 花咲川学園生徒会室にて、その事件は起こった。

 燐子さんと密室で二人きり、荒い吐息で燐子さんは俺を見上げてきた。

 

「お願いします……ガマンできないんです……触って、ください」

「こう?」

「んっ、あ……もっと、揉んで、ください……いっぱい」

 

 艶かしい声、揉む度に、燐子さんの身体がピクン、ピクンと跳ね、吐息が漏れる。

 

「コリコリですね……タマってたんですか?」

「……や、そうじゃなくて……」

「だったらどうしてこんなに……」

 

 正直ドキドキするけど、とあるビッチから助けてもらったから燐子さんには恩もあるしね。

 ──でも、心臓に悪い声はださんでください。

 

「強くします、よっ」

「あっ、んん、だめ……そんな、はげしく、しちゃ……ぁん」

「どういう状況ですか!?」

 

 紗夜さんが焦って闖入してくる。うーん。説明が長くなるけど、元はと言えば、紗夜さんのせいなんですからね? そこんとこ、自覚してほしい。

 ──そう、あれはほんの少し前のこと。

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

「は?」

『ですから、文化祭の出演の手続きのためにカンベさんに来校をしてほしい、と言いました』

 

 いや意味わかんないし。

 なんで文化祭出なきゃならないの? OKいつ出した? 

 

『それはタイクーンさんから』

「じゃあ来校もタイクーンでよくない?」

 

 しかし、紗夜さんは毅然とした声でダメなんです、とそれを否定した。

 そ、そこまでってことはなにかやむを得ない事情があったりするのか……? 

 ──ちなみに、今年の花咲川学園文化祭はリサや友希那が通う羽丘学園と合同らしい。

 

『それじゃあ私がカンベさんに会えないじゃないですか!』

「120%の職権乱用だな?」

『そもそも生徒会長権限もあるので』

「燐子さんまで!」

 

 二人揃ってダメなやつだな? というか教師は? 素行不良二人に任せていいと思ってんの?

 まぁ、冷静に考えれば優等生で通ってる紗夜さんと燐子さんだもんな。信用されてるよな。

 

『ええ、それに身体の関係もありますから』

「は?」

『冗談です』

「いや冗談に聞こえないからやめて」

 

 どうやら事前アンケートの中に少なくない数のワンドルの名前があったらしい。だから紗夜さんと燐子さんがゴリ押ししたらしい。

 

『というわけで明日よろしくお願いします。タイクーンさんにも了承済みですので』

「……アイツ」

 

 恨んでやるタイクーン。てめぇは許さない、絶対だ。どうせ対価に友希那関連あっただろ。釣られちゃったんだな? 

 

『というわけで、頼みましたよ、カンベさん』

「ちょ、ちょっと──」

 

 プツ、という音の後にプープーと無慈悲な音が鳴り響いた。俺の意思は無視かよ! 

 そんなこんなで、俺はもう二度と来るまいと思ってた花咲川学園へとやってきた。

 紗夜さんの出迎えを待っていると、カンベさん、と俺を呼ぶふわっとした声が後ろから聞こえてきた。

 

「ふふ……どうしたんですかあ?」

「──!?」

 

 振り向く前にふーっと耳に吐息をかけられ、背中に柔らかく暖かい感触がした。もしかしなくても、このヒトは……松原さんだね。

 

「な、なんで……ここに」

「それは……私だってここに通ってるからだよ?」

「……あ、そっか」

 

 松原さんも花女のヒトなんだった。ちくしょう、なんで紗夜さんはそれを知ってて俺を呼んだんだよ! さてはなにも考えてなかったな! おかげで俺が大ピンチだよ! 

 

「ねぇ……どう?」

「どう、とは?」

「燐子ちゃんには負けるけど……私も結構、おっきいんだよ?」

 

 胸の大きさを押し売ってくるし押し付けてくるね。ただ童貞だから大きい大きくないじゃなくて、純粋に柔らかさと甘いいい匂いがするから、反応しちゃうんだよな、無条件で! 

 

「ホントに慣れてないんだ、ふふ……かわいい」

 

 いやぶっちゃけて言えば松原さんの方がかわいい。くすくす笑うと更にエロかわいい。童貞が靡くのもわかるエロさ。押しつけがましすぎずに、でも確実に男の欲を刺激してきてる感じだ。なんで冷静にレビューしてんだ俺はよぉ! 

 

「あは、コーフン……してますか? よかったら、私が剥いてあげますよ……?」

 

 うわぁぁ、やめろぉ! 吐息多めに囁くなぁ! む、ムスコが、ムスコがぁ! 全然お前の出番じゃないから! 落ち着いてくれ! 

 童貞キラーを前に俺の逃げ道がどんどん失われていくんだけど!? 紗夜さん助けて!

 

「残念だけど……紗夜ちゃんは今弓道部の活動中だから、助けは来ないよ」

「嘘だ!」

「でもお、学校に用事があるんだよね?」

「そう! だからお誘いにはノれません」

「うふふ、それならあ……私が案内して上げるね」

 

 そう言って松原さんは俺の手を引いて、校門を潜った。抵抗しないと……って力強いな!? なんで俺が引きずられてんの!? 怖いよこのヒト! 

 

「ドコに案内すればいい? 保健室、空き教室、体育倉庫?」

「いや松原さんのイキたいトコじゃなくて生徒会室でお願いできます?」

 

 ははーん、さては案内する気なかったな? 

 すると、松原さんは不満げに唇を尖らせた。いやいや、おかしいでしょその顔は。

 

「うーん、ガード硬いんだねえ、カンベさんって」

「まぁね」

 

 こっちだって伊達にあの氷川紗夜とかいうビッチから実に約五ヶ月もの間、童貞を守ってないから。

 今更多少の揺さぶりに本能がムクムクしても、理性と童貞をかなぐり捨てるほどじゃないんだよね。

 

「もっと、柔らかく考えた方がいいと思うんだけどなあ……」

「柔らかく、ですか?」

「うん、アソコは硬く、思考は柔らかく、ね?」

「一言余計ですね?」

 

 御生憎様、俺はそこまで性交渉に柔軟になれないな。誰かの恋人として、俺は俺のペースで童貞を卒業したいんだよ。恋人いないのにセフレや流された経験だけあったって、なにもないのと、童貞と同じじゃんか。

 

「んー……よく、わかんないや」

「……わかりませんか」

「うん。カレとのえっちはえっちでまた違うコーフンもあるし、セフレはセフレで、色んな性格や性癖の男のヒトが知れるし、デートはフツーに楽しいよ?」

 

 松原さんはそう、あっけらかんと言い放った。相変わらず、なんというかこの人種とは意見が合わなさすぎる。

 それ以前の問題なんだよ、そうじゃなくて、そもそもセックスを恋人意外とすることそのものが、俺にはまるで理解の外なんだけど、きっと松原さんはもうその辺の貞操観念が壊れてる。男友達とはセックスをするもので、浮気とか、罪悪感とか、そんなものは宇宙の彼方に飛んでってる。

 

「俺……楽しいとかそういうのでセックス、したくないってか、カンタンだったら、イミないって……ああもう、何言ってんだろうな」

「カンタンだったら……イミない?」

 

 ほら、やっぱりキョトンとしてらっしゃる。最近俺の貞操観念が間違ってんのかと思うくらいなんだけど。

 でも、俺にはわからない。松原さんの感覚が、ちっともわからない。

 

「……か、カンベ、さん……だ、大丈夫……ですか……?」

「燐子さん!」

「ま、松原さん……あ、あんまり、カンベさんに、くっつかないで……ください」

 

 その空白の間にやってきた燐子さんに助けられ、俺は普段は見ることのない、僅かな苛立ちを含んだ歩幅で手を引かれ、松原さんから離れていく。

 

「……っ」

 

 その時の松原さんの表情は、ふわふわとしたものとは違った、怒りの感情が瞳に映し出されていて、俺は思わず目を逸らした。何か言っていたような気がするけど、聞こえない。ただ明らかに、また面倒な糸に絡め取られてる感覚だけが、首元に張り付いて、息が苦しかった。

 

「……ありがとう、燐子さん」

「いえ……よかった、です……なんともなくて」

「うん」

 

 生徒会室に連れ込まれ……もとい避難し、俺は燐子さんに向き合った。あんな酷いフリ方したのに、燐子さんは変わらないどころか、こうやって、笑顔を見せてくれる。ホント、俺には勿体なさすぎる子に惚れられたよね……ビッチじゃなきゃ。

 

「あ、し、仕事……しなきゃ……っぅ!」

「り、燐子さん!?」

 

 突然、燐子さんが肩を抑えた。多分、無理に俺の手を引いたから痛めたっぽい。

 おそるおそる触ると、眉間に皺を寄せてびくっと跳ねた。

 

「……わたし、肩凝り、ひどくて」

「ああ……なるほど」

 

 胸がね、重いもんね。

 涙目で顔を赤らめた燐子さん……うん、慣れてなかったらやばかったな。

 だが、燐子さんはなにを思ったか椅子に座って、俺に背を向けて来た。もしかして……もしかして? 

 

「カンベさん……お願い、します……マッサージ、してほしい、です。普段はあこちゃんにやってもらうんですけど……」

「俺が……」

「お願いします……ガマン、できないんです……触って、ください……」

 

 こうして、悶える燐子さんの声に理性を破壊されそうになりながら、紗夜さんが来るまで、俺は燐子さんの肩をマッサージしましたとさ。

 髪、めっちゃサラサラだったし、上目遣いエロいしでなんどムスコを握り潰してやろうと思ったことか……

 

 



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カンベのR/紐解かれる過去

 何故か袴姿にポニーテールの紗夜さんにあらましを説明し、落ち着いてもらった俺は、燐子さんに貰った用紙にペンを走らせていた。出演依頼を受ける側として、破格の待遇をしてもらえるらしい。やったね。

 

「ですが、男性……しかも同年代ということもあり、先生方の反応は芳しくありません」

「そりゃあ紗夜さんみたいなのがいるもんね」

「……言うようになりましたね?」

 

 貞操関連ならあなたに負ける気はしませんとも。なんならこの出演依頼を受理する代わりに二度と迫ってこないと脅した。

 そうすると、仕方ないですね、というため息とともに不可解なことに紗夜さんと燐子さんが唐突にじゃんけんをし始めた。なになに? 

 

「私の勝ちです、よってハジメテは私ですが、きちんとセカンドヴァージンは譲ります」

「……むう、でも……贅沢は、敵、です……」

 

 は? はいはい? このヒトたち何言って、と思ったら紗夜さんが素早く生徒会室の内鍵を閉めだした。

 そして燐子さんがポーチから……とんでもないものを取り出した。

 

「……避妊は、しましょう、ね……?」

「ちょっと待って!? ハジメテを奪う争いどこ行った!?」

「考えたのです……私と白金さんが争っている場合ではない、と」

「……氷川さんの、言う……通りです。敵は、他にいます」

 

 そう言って紗夜さんと燐子さんは逃げ場を塞ぐように俺の左右にやってきた。

 挟撃!? 話が見えないんだけど!? 

 

「松原さんのことを甘く見ていました……そのせいで、危うくカンベさんの貞操を、あの節操も貞淑もないビッチに奪われるところでした……!」

「いやおまゆう」

 

 節操も貞淑もないビッチ? よくその口で言ったな!? 

 そして燐子さんも同罪だからね? あんたら三人纏めて俺には同じに見えるんだけど? 

 

「なので、私は燐子さんと同盟を組みました。出演を無条件で了承していただけないのなら、私と白金さんのスマートフォンにカンベさんが密室で女体を貪る動画が保存されます」

「汚いだろ! 脅迫でしょそれ!」

「……背に、腹は……」

 

 いやかえれるよ!? なんでそんな切迫してんの!? 

 勘弁してくれ! ちくしょう、松原さんから助けてもらった恩が吹き飛んだよ! 

 

「と、いうわけで、童貞と社会的地位を引き換えにしてまで、出ない理由はありますか?」

 

 いやないけど。それって打ち合わせとかリハでココ来なきゃダメじゃん。ケダモノ三人が通うこの学園(ラストダンジョン)に何度も何度も足を運びたくない。学校って案外密室多いしいつかは食われる。引くも地獄、押しても地獄の三途の川おひとりさま観光コースまっしぐらよ。

 

「……カンベさん」

 

 するりと燐子さんが豊満な胸を腕に押し付けてくる。それに驚いて仰け反ると、紗夜さんが反対の掌を掴んで、自分の胸に押し当ててきた。そしてトドメは逃げられない状況での、燐子さんとのマウストゥーマウス。ああ、二度目のキスまで。

 ──でもわかった。マジだ。このヒトたちはマジに俺の童貞を奪った上で、脅迫材料にしようとしてきやがってる。

 

「んっ、優しく……揉んでくださいね」

「はぁ……ふふ、カンベさんの、おっきくなってる……どう、シたいか、言ってください」

 

 ステレオで責められ、頭がクラクラする。熱い、二人の熱に当てられたのかあまり考えがまとまらなくなってきた。

 あれ、でも妙に寒い。熱いのに寒いってなんだよ、イミわかんねぇな。

 

「……紗夜、さん」

「はい」

「俺、なんか……」

「か、カンベさん!?」

 

 やっべ、意識が朦朧とする。あれだな、風邪引いたな? どうしよ、燐子さんとキスしたから感染(うつ)しちゃってるかも。

 紗夜さんが焦った声出してて、俺の体調不良に気づいたらしい。帰らないと、やばくね? なのに、足が、覚束無い。

 

「すごい熱です。白金さん、私一人では無理です。保健室まで運ぶのを手伝ってください!」

「は、はい……!」

 

 両脇から燐子さんと紗夜さんがサンドイッチしてきて、肩を抱き合う格好で俺を、運んでくれる。

 やっぱ、なんだかんだ言って、二人は優しい、よな。ビッチってだけで、ホントは、俺だって、もっと言いたいことが山ほどあるんだよ。

 

「紗夜さんといると、考えると、俺の中でサイコーの音が、出るんです。いつだって、俺のサイコーの音は、紗夜さんですから」

 

 とか。

 

「……燐子さんが楽しそうにしてくれると、まっすぐ俺を見てくれると、ああ、俺には人見知りしてなくて、それが嬉しいって、思うんです」

 

 とか。

 いつも恨み言やツッコミばっかな俺だけど、ホントは感謝してもしきれないくらいだよ。

 言えないけど、伝えられないけど。

 

「ありがとう──これからも、二人は二人のままで、いてほしい」

 

 俺は二人に──救われてるんだから。

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 俺の高校デビューは、華々しく散った。別に金髪に染めたわけでも、キャラ作りをしたわけじゃない。

 ──単純に、俺はクラスの中心には合わない性格をしてたからだ。

 

「この間のテレビに出てたあの人のギャグさ──」

「わかる! めっちゃウケた! あれサイッコー!」

「そう? なんかさ、あそこでチョイスするネタじゃなくないか?」

 

 これ、俺の言葉である三番目。ダメだって明らかにわかるレベルだろ。コミュニケーションの円滑さのために必要な、同意ってヤツが、俺には決定的に欠如してた。

 合コンに大事なさしすせそ。さすが、知らなかった、すごい、センスある、そうなんだ、にも共通してる、話題への同意。俺はコレが壊滅的に下手だ。今でもね。

 

「カンベー、空気壊すなよー」

「い、いやでもさ……」

「マジ、そういうのいいから」

 

 代わりに頭につくのは、いや、でも、とかそんな言葉

 ばっかり。中学ん時は女子を混じえておしゃべりとかしたことすらなかった俺にとって、この同意の欠如が、クラスで孤立、まぁ悪目立ちを作る原因になった。

 

「お前は中学んときから言葉が下手くそだからな」

「……でも」

「はいでもっつった。ジュース一本な」

「お、お前……」

 

 タイクーン、いや当時はまだ大樹(たいき)って読んでたか。とにかく大樹、そしてトーマが、そんな俺の傍に、中学からずっと、いてくれた。

 

「でもお前のセンスはマジだからなあ」

「そうか?」

「だってお前がおもしれーって言ったら、絶対おもしれーもん」

 

 ニカっと笑う大樹に、トーマはだよなぁ、と同意しやがった。

 俺はそんな二人に支えられ、なんとかクラスから完全には取り残されずにいた。親友だった。

 夏が始まる頃、俺はそんな親友に、唐突に誘われた。

 

「バンドしようぜ!」

「は?」

「突然だよ」

 

 聞けば、元々音楽に関心があった大樹は、その歌姫に心を奪われたらしい。

 ──湊友希那。俺の幼馴染。そして、俺やリサを不要と断じていった冷たいヤツ。

 その歌声に魅了された大樹は、流行り始めたバンドを立ち上げようとしていた。

 

「カンベはベース! トーマはギターかドラム、キーボードだな!」

「どれも出来ないって」

「練習すりゃあいいんだよ! メンバー募りながら、カンベが教えるんだ!」

「俺かよ」

 

 ノリ気じゃなかった。けど、大樹にバンドはモテると聴いて即手のひらを返した。我ながら早すぎる変わり身だった。

 幸い、メンバーはすぐに集まった。トーマとランスが未経験だったけど、トーマは愚直に、ランスも陰ながらだが恐らく相当な努力を重ねてきた。

 タイクーンは友希那ため、俺はモテたかったから、トーマはなにかに本気になるため、アイスは誰かと演奏がしたくて、ランスはなんとなく面白そうだったから。そうやってバカどもは集まった。

 最初はお客さんもいなかったけど、どんどんファンが増えて、俺はクラスでもある程度受け入れられるようになってきていた。

 

「なあカンベ、音楽っていいよな」

「なんで?」

「言葉が下手くそでも、音楽ならお前のまっすぐな気持ちが伝わるんだぜ?」

「……タイクーン」

 

 同意も否定もいらない。掻き鳴らせばいい。その世界はあまりにも、俺を惹き付けて離さなかった。

 ──俺は、音楽に、救われたのだった。

 



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カンベのR/傷だらけの本心

 見知らぬ天井を見上げて目を覚ます。これほどに違和感があるもんなんだな、と、生まれてこの方、一度も病院のお世話になってない俺は初めての体験を噛み締めながら、身体を起こした。

 ──でも病院じゃなくてそこは、花咲川の保健室だ。

 

「……あー、やらかした」

 

 朦朧としてたけど、紗夜さんと燐子さんに運ばれたことはよく覚えてる。焦った紗夜さんの声、まるでもう死ぬんじゃないかってくらい必死な燐子さんの顔、迂闊なことで迷惑と、松原さんの件とは比べ物にならない恩をもらった俺は、頭を抱えた。

 そして、今誰もいなくてよかった。懐かしい夢を見たせいで、少しだけセンチメンタルだ。紗夜さんでもいようもんなら、今日は甘えてしまいそうだよ。

 

「あら、起きたのね」

「……さ、紗夜さん」

 

 そう思ったらいたよ。黄色いカーテンを開けながら、今度は制服姿の紗夜さん。その顔は安堵に包まれていた。

 

「今日、体調が悪かったの?」

「んー、少し、かな?」

「……そう」

 

 朝からいつもと違うのはわかってたんだけど、ほぼ病気とは無縁の健康良児である俺はその辺の危機感ないからなぁ。

 そんなふうに笑うと、紗夜さんはふっと笑みを浮かべてから。眉を吊り上げた。

 

「まったくもって認識が甘すぎるわ」

「……さ、紗夜さん?」

「いい? 今回はたまたま私や白金さんがいたからいいけれど、もしそれで一人だったらどうするつもり? たかが風邪だけれど、それで足を縺れさせて後頭部でも強打すれば、どうなるかわからない年齢ではないでしょう?」

 

 相当なお怒りだった。

 ここは、素直に謝ったほうがいい、そうしよう。

 

「ごめん……」

「……白金さんにも、そうやって素直に謝りなさい。先生に頭を下げて保健室に寝かせておいてくれたのも、看病したのも、白金さんなのだから」

「……そっか」

 

 燐子さんが……それは、感謝してもしきれないよね。後でお礼を言っておこう。

 それより、漸く怒りが収まった紗夜さんは、ベッドで上半身を起こした俺の隣に椅子を置いて座った。

 

「紗夜、さん?」

「本当に、よかった」

 

 何を思ったか、紗夜さんは俺に抱き着いてきた。雰囲気が安全な時のだったから完全に油断してたんだけど。顎のすぐ下に紗夜さんの髪があってめちゃくちゃいい匂いがする。華奢で、でも決して弱くはない、ってレビューしてる場合じゃない! 

 

「な、なに、してるんですか!? 感染(うつ)しちゃいますって!」

「……やっぱり」

「え?」

 

 けれど、顔を上げた紗夜さんはどうしてか、すごく真剣な表情だった。いつもの俺ですら蕩けてしまいそうな熱い表情じゃなくて、ギターを弾いてる時の顔。

 

「ドキドキは、当然しているけれど……どうしてそこまで、触れ合うのを拒絶するの?」

「……だ、だって、紗夜さんは、ビッチで──」

「──そろそろ、お互い胸襟を割る、いい機会ね」

「え、何を」

 

 そう言うと、紗夜さんはICレコーダーを取り出した。燐子さんのらしく、うなされている時の声が入っているらしい。気になるところがあって録音したから、という燐子さんの伝言と共に、紗夜さんの手によって音が再生され──

 

『じゃあ、ベルさん、スカート捲ってみせて』

『……はい、み、見えますか……?』

『言われた通りちゃんと剃ってくれた──』

「再生するものを間違えたわ」

「いやそこは間違えちゃダメでしょう」

 

 そういうプレイも可なのね燐子さん。かなり攻めてるけどこれに録音してるってことは後で何かされても自衛する目的もあるのかな……ってそうじゃなくて。

 これだったわ、ともう一回再生した先には、寝言を言う俺の声が入っていた。それは、間違いなく懐かしい夢を見ていた時と、言葉が同じだった。

 五人が揃って、クラスでもバンドやってるって認知されて、そしてクラス替えがあった二年生の春、俺にあった出来事。

 その言葉は涙声で謝罪を繰り返す、俺の声だった。

 

「……知りたいの」

「知って、どうするんですか。紗夜さんにはわかりませんよ、俺が何に傷ついたか、なんて」

「わからないわ」

「なら」

()()()()、知りたいと思うのが……恋なのよ」

 

 その言葉に、俺は口を開ける格好になった。

 それが恋、か。相手のことを知りたい、知って、それを知っていることを知ってほしい。そうやって共有して、心を繋いでいく。

 

「どうして、俺なんですか」

「わからないわ」

「え?」

「理由があったら、人は恋に堕ちたりはしないわ」

 

 ふふ、と吐息交じりに笑って、でも、今日は襲われる危険性はない、という予感がして、紗夜さんとかなり近距離で見つめ合ってしまう。その瞳の中には、確かにまっすぐ、俺が映っていて、俺は安堵と一緒にゆっくりと身体をベッドに預けた。

 

「……俺、実は、好きな人がいたんだ」

「そう、なのね」

 

 そんな顔をされてもな、別に悲しい話じゃなくて、どこにでもある、失恋話だ。しかも片想いも片想い。俺に告白する勇気なんてないことくらい、紗夜さんだって知ってるだろうし。

 

 

 

 

 

 

 ♪ 

 

 

 

 

 

「ねぇ、赤坂(あかさか)ってなんでカンベ、って呼ばれてるの?」

 

 きっかけは、進級してすぐ。一年も同じクラスだった近くの席の男子としゃべっていたところで、そう話しかけてきたこと。

 

「さぁ? オレも知らね」

「えー、みんな知らないけど、カンベなの?」

「そーなんだよ。バンドでも、そう呼ばれてるよな」

「そう、俺はカンベ」

 

 理由なんて、そう大したことじゃない。小学生の時に兵庫県神戸市のことを、間違えてカミベって呼んだのが始まり。それ以来、それをいじられてカミベって呼ばれたのがやがて呼びにくいからってカンベって、ちょっとカッコよくなっただけ。だから本名の赤坂とも陽太とも関係がないってワケだ。俺としてはこの渾名は気に入ってるからいいんだけど。

 

「じゃあ、あたしもこれからカンベって呼んでもいい?」

「え、い、いいけど」

「やり、じゃあ、よろしくね、カンベ!」

 

 たったこれだけ、たったこれだけで女性免疫がまるでない俺は、恋に堕ちた。後付けするなら、明るく笑う、その顔が素敵だったこと。

 

「おお、ついにカンベにもカノジョができるのかぁ?」

「黙れランス」

「うへぇ、カンベってホントさ、僕には冷たいよねぇ、アイス?」

「……当然だろう」

「アイスも冷たい!」

「そりゃアイスだからな」

 

 その子とは順調に仲が良くなっていった。何人かのグループでカラオケとかも行ったし、メシも行った。ワンドルのライブにも来てくれて、めっちゃよかった、って笑ってくれた。もう告ってもいいんじゃない? と茶化してくるランスの言葉も、受け入れがちになってしまうくらいには、俺は浮かれていた。

 

「ん、でも美鈴ちゃんかぁ、あんまりいい噂聞かないんだよね~」

「ランスに比べればマシじゃない?」

「僕はそれでもいいって子しか食べないからいーの」

「クズ死ね」

 

 そんなわけないだろ、って俺は笑い飛ばした。そもそもなんでそんなヤツが俺を構うんだよって、まぁ、それがミスだったんだろうな。出逢いからほぼ一年くらい経ったある日、忘れ物をして、夕暮れの教室に向かった時、俺はその子と男女二人の三人組が残って、何か話してるのが耳に入った。

 

「みっちゃんカレシと別れたの?」

「うん、まぁ、いい加減ウザかったし、いっかなぁって」

「ありゃ、美鈴ちゃん、ケッコー付き合ったり別れたりするよな」

「あはは、これで17人目です」

「自慢か!」

 

 それは俺が知らない顔だった。17人って年齢と同じだろ。多すぎだろ。そもそも俺と初対面の時から何人と付き合って別れたんだよって思いながら、入るタイミングを逃して壁に背を押し当てて、盗み聞きの格好で、三人の会話が続いていくのを待っていた。

 

「次の候補は?」

「赤坂?」

「カンベ? ないない。だってアイツ、偶にめっちゃ地雷踏んでくるし」

「なのに付き纏われてるよなー、美鈴ちゃん、よく我慢してるよ」

「そなの、褒めて褒めてー」

「よしよし」

「えへへー」

 

 なんだよそれ。付き纏われてるって、俺にはそんなつもりないのに、地雷? 何のことかまるで覚えがない。とにかく俺は、笑ってもらえるように、俺なりに頑張ってたのに、そんなこと言われなくちゃいけないのかよ。じゃあなんだって、あんな顔してたんだよ。

 ──俺はもう、その日は忘れ物を諦めた。諦めて、恋も諦めて、その日はひたすらにベースを掻き鳴らした。

 

「……っ、クソ!」

 

 でも、いつもは俺を救ってくれたベースの音は、なんにも応えちゃくれなくて、虚しさと、涙だけが募ってさ。

 楽器やってても、モテないことは半年くらいで既に気づいてた。でも、それでも楽しくて、やりがいがあるから続けてたのに、急にそれが意味を成してないんじゃないかって思い始めた。今日はもうやめよう、と俺はスタジオのベンチに座り込んだ。

 

「がっつき方がさ、童貞なんだよね、カンベって」

「うわ、ヒクわー」

 

 童貞? まだそうだけど、そもそもセックスってどうやってするの? そういうことに興味を持ち始めたのは中学生になりたての時だった。その時はそこまで深く考えてなかったっけ。高校生になったら自然と恋人ができて、そういうことも自然とできちゃうんだろうって、そんな感じ。だから全然興味なんてなかったようなものだった。友達とバカやって、ベースってカッコいいよな、なんて話したりして、そんな感じだった。

 ──そして高校生になってもう三年生、そこで、俺は今一度思うワケなんだけど。

 

「……どうやったらセックスってできるんだ……?」

 

 中学生の自分を殴りつけて、顔のカタチをもうちょっと美形にしてやりたいくらいの後悔がそこにあった。酷いもんだ、中学時代友達とバカばっかりやってきた俺にはセックスどころかカノジョすらどうやったらできるのかもわかっちゃいねぇのに。

 

「顔はそれなりだからダイジョウブっしょ!」

「そうか! よかった!」

 

 と、幼馴染に言われたものの、その大丈夫が全然大丈夫じゃねぇってことに気付いた時には、もう手遅れにも程があった。バカ野郎、そもそも女っ気ねぇんだけど。

 モテるらしいというクソみたいな理由でバンドを始めたけど、よかったって言ってくれるような女がいねぇ! 幼馴染には似合わないとか言われるしな。

 

「ああ……童貞卒業してぇ……なんとかして……大人になりてぇよ」

 

 それ以上にきっと、もしかしたら、もっと女心とか、付き合い方をわかってたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって後悔が、俺に押し寄せてきた。

 そんな時に出会ったんだ。今の傷を語ってる相手と、そんな俺と会話するきっかけを探していて、挙句の果てに手伝いましょうか、とか言ってくる、とんでもないビッチに。

 ──救いの手を差し伸べられたんだ。

 

 

 

 

 

 

 



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二人のR/裸のままで

 身の上語りは、あんまり好きじゃないんだけど、ついつい、全てを伝えてしまった。主観だし、きっとあの子にも色々考えがあって、その方がいいから俺を構ってたんだろうなって、今なら思うけど、なんだかめちゃくちゃ悪者にしちゃった気分だ。

 

「……その子は、今は?」

「最後の話に出てきたヤツと付き合ってるよ。あの子にしては長く持ちこたえてる方らしい」

 

 そもそも、付き合う前から、それこそ俺の話に出てきた頃にはとっくに、身体の関係は出来ていたことを、ランスが教えてくれた。つか調べてくれたっぽくて、そこを言わないところもランスらしいというか、なんというか。

 

「カンベさんは、そんなにも……傷だらけだったのね」

「やめてよ」

 

 確かにそうだったよ。傷だらけで、ベースすら手が止まった。だけど、そんな時、俺の音楽を褒めてくれて、俺に迫ってきて童貞を奪おうとしてきたヒトがいた。

 たったそれだけだけど、下を向いてたはずが、いつの間にか前を向かされていたんだから。

 

「出逢ったタイミングは、最高だった、ということね」

「まぁ……ね」

「そして、カンベさんが私を拒絶する理由も、知ることができたわ」

 

 そりゃよかった。根本から理解できないってのも、もちろんあるんだけど、なによりも失恋した相手がビッチだったことが、原因なんだよな、やっぱり。我ながら女々しい。でも、話していて、紗夜さんは違うんだってことも、思うわけで。

 

「紗夜さん」

「はい」

「最近、シてる?」

「いいえ」

 

 そうだよね。そもそもRoseliaの練習が休みの合間に予定を入れてただけで、その時間は今、俺に費やしてるから。

 

「他のヒトに抱かれながらカンベさんのハジメテの女になれる、なんて甘い覚悟はしていないわ」

「俺、恋人がセフレ作ってるのも許せないんだけど」

「それはセフレの分まで、マンネリ化しない程度に」

 

 週何回でしょうねそれ。そもそも男性側がイクのを一回として、一回で足りますかね? 

 まぁ、紗夜さんみたいなヒト相手で一回で済むほど、性欲がないわけじゃないけど。

 

「……カンベさん、私……」

「紗夜さん」

 

 仰向けになった俺に、紗夜さんは顔を近づけてくる。ゆっくり、唇を触れ合わせるために、ゆっくりと近づいていく。

 

「……ひ、氷川……さん……!」

「し、白金さんっ?」

 

 あと少し、というタイミングで、燐子さんがやってきた。生徒会の仕事が終わったみたいで、まだメガネを掛けてる。うん、燐子さんがメガネ掛けるとそういうプレイの一環にしか見えない。紗夜さんもだけど。

 

「抜け駆けは……ダメ、です……」

 

 必死の形相の燐子さん。このヒトはこのヒトで本気なんだなぁ、って思えるようになったあたり、大分染まってきてるな。気をつけよう。ただ、こうなるとまた二人で喧嘩とかされると見てて気持ちのいいものじゃないんだけど。

 

「わかりました」

「は?」

 

 なんでそこで素直に引き下がるの? 俺、なんか気持ち的には紗夜さんと付き合ってもいいのかもって思い始めたのに? そこ台無しにする? 

 

「私が複数の女性に手を出すことを拒絶すると?」

「あ、無理ですね、ですよね」

「……わたしも、氷川さんの、次でいいですから……」

 

 そこは自分は複数の男に抱かれても、恋人には自分だけでいてほしいって思ってほしかった。確かに俺だってまだ煮えきれてないところあるからね? そこも悪かったんだろうけど、それはそれ、これはこれだよね? 

 

「そ、そもそも……俺、燐子さんとはもうあれっきりのつもりで、傷つけたのに……」

「カンベさんの嘘は……優しすぎます。きっと、傷ついたことが、あるから……ですよね?」

 

 くしゃ、と頭を撫でられ、わたしは大丈夫です、なんて言われて、嘘もない心を見せられて、俺は胸が苦しくなった。

 

「……それに、カンベさん、言ってくれましたよね? 二人のままで、って」

「……言った?」

「うわ言のように、だけれど」

 

 あー、あれ、口に出てたんだな。うわ、最悪。恥ずかしいんだけど。

 でも、俺なんかのために自分を曲げるくらいなら、そのままでいいと思うのは本音だ。俺は、そのままの二人といるのが、楽しいと思えたんだから。

 

「だから……わたしは前と、変わらずに……カンベさんに、えっちな誘惑を、します……」

 

 後ろに小さく、もうキスもしちゃいましたし、と付け加えて頬を染める燐子さん。風邪が感染(うつ)ってても知らないからね。

 

「どうかしら? ココでハジメテ……というのも忘れられない体験では?」

「あの、一応健康体ではないので勘弁して」

「それじゃあ……今日のところは引き下がるとしましょう」

「お大事に、してくださいね……カンベさん」

 

 これでいいのかなんて、俺にはわからない。だって未だにどうしてこんな美人で魅力的なヒトたちが俺を構ってくれてるのか、まるで理解できないから。でも、理解できるできない以前に、そもそも二人はハッキリと、俺を好意的に見てくれる。それを否定するのは、間違ってる気がしたから。

 もう、この二人に鎧はいらない。武装しなくても、この二人は俺を傷つけたりしないって、わかったから。

 

「ありがとう、二人とも」

「はい」

「……また、何かあれば」

 

 素直な気持ちで接していればいい。まだまだ童貞を彼女たちで卒業するつもりなんてないけど。

 そこは強気でいかなきゃね。俺にはちゃんとした理想があるんだから。

 

「あ、今回のお礼は、デート一回ずつ、ということで手を打ちます」

「は? ま、まって! デート!?」

「……楽しみに、してますね」

「詳細は追って連絡しますので、それでは失礼します」

 

 いや紗夜さんの言葉が事務的すぎて冗談かと思うんだけど。でも冗談じゃないことは、母さんが迎えに来てくれて家のベッドに寝転んだ後で、嫌というほど思い知った。

 

「日取りと行先……か」

 

 燐子さんからは映画と、彼女がハマってるオンラインゲームのコラボカフェ、こっちはあこちゃん同伴なので割かし安心。映画はあこちゃんを間に置いてコラボカフェじゃ多分おしゃべりすればクリアだ。問題になる要素は薄い。

 問題は紗夜さん。あろうことか、テーマパークでの一日デートを要求してきた。

 

「チケット等の費用は私持ちで構いませんので……か」

 

 いや、俺そういうとこ行ったことないんだけど。不安すぎる。しかも紗夜さんと、夜まで二人きり……事件の予感しかしないんだけど。

 ──肝心の日程は、文化祭準備が落ち着いてから、ということになった。最悪12月になるかも、と。

 

「三ヶ月後かぁ……気が早いな」

 

 まずは、文化祭だな。タイクーンたちも盛り上がってるし、目の前のイベントに集中しよう。

 しかも、文化祭イベントにはAfterglowや、もしかしたらRoseliaが出てくるかも、ということらしい。ゲストは他にもバンドや漫才も来るらしいけど有志の方が豪華ってどうなの。

 でも、いい機会だよ。同じステージに立ったことのないRoseliaと、同じステージに立てる。

 それは、突っぱねられた前回への雪辱を果たすための機会だからな。

 

 

 



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Tは頑張り屋/もうひとつの生徒会

 とある喫茶店にて、俺は紗夜さんと向き合っていた。

 中央にはポテト。いつもの涼風が流れるような表情で、それをもぐもぐと食べてるの、仕草だけはまるでレストランでナイフとフォークを手にしてるような美しさがあるよね。フライドポテトだけど。

 

「それで、今日はここで集まった理由は?」

「……んっ、ふぅ、そうでした」

「そうでしたって……」

 

 ここのポテトは特においしいんですよ、なんて言いながら結局また口に運んでる。相変わらずポテトには目がないですね。

 

「そうそう、今週末に羽丘学園で合同の打ち合わせがあるのです」

「うん、それで?」

「そこに、カンベさんも同行していただければ、と思いまして」

 

 予想はしてたけど、いやなんでだよ。俺たちワンドルって有志じゃなくてゲストだったハズなんだけど、なんでそうなるのよ。

 

「言ったでしょう? いくらガールズバンド時代と言って、イメージがクリーン化し始めているとはいえ、それはあくまで()()()()()()()なのですよ」

「教師陣の懸念、ですか」

「はい」

 

 信用なさすぎだね。まぁ先生からしたら大事な生徒が淫行なんてやってられないか。しかも女子校とあれば余計に敏感になってもおかしくはないよね。事実、うちにもランスみたいなやつもいることだし。

 

「つまり、打ち合わせに顔を出して、なんとか信用を獲得しろ、と」

「その通りです。あとは……」

「はぁ」

 

 だと思った。まだ理由があるよね。前回は燐子さんと紗夜さんが個人的に会いたかっただけだったもんね。羽丘に知り合いなんて幼馴染二人組とあこちゃんしかいないんだけど、どうなの。

 

「白金さんの付き添いをお願いしたいのです」

「燐子さん?」

「今回の出席メンバーに、彼女の知り合いがいなくて……」

 

 ふむふむ、なるほどね。忘れがちだけど燐子さんって超がつくほどの人見知りだったね。特に昨日の夜中にタマってるようでしたら、オカズに一枚いかがですかって言われて全力で断ったところだったし。これは紗夜さんには黙っておこう。知られたら紗夜さんは無言で爆撃してくるに違いないし。童貞には刺激が強すぎる。

 

「わかりました。日頃助けてもらってばかりの燐子さんのためにできることならば」

「ありがとうございます……ですが、あちらの生徒会、特に生徒会長には気をつけてくださいね」

「……へ?」

()()()は、クセが凄いから……」

 

 どうやら、言葉通りなら、かなり一筋縄ではいかない、紗夜さんの知り合いらしい。どんなヒトなのかはさておくとして、まぁ、紗夜さんやら燐子さんやらを相手にしてて、あんまり怖い性格のヒトっていない気もするけど。

 

「紗夜さん! カンベさん! おかわりはいかがですか?」

「つぐみさん、ではいただきます」

「あ、俺もおねがい」

「かしこまりましたっ!」

 

 ──閑話休題の静かな雰囲気を破ったのは、羽沢つぐみさん。一つ年下で、ここの珈琲店の看板娘でもある。短めの茶髪と小柄な身体をパタパタと動かす、なんともかわいらしい子だ。

 

「……カンベさんは、ああいう子が好きそうですね」

「まぁね」

 

 かわいらしくて、愛らしくて、何よりビッチからは遠く離れた存在でもあるからね。

 でも、でもなぁ……こう、紗夜さんにかわいらしく拗ねられるとクラっとしかねないところはあるよね。ギャップ萌えってやっぱりあるよね、今のように。

 

「あれ? 自分はビッチだから独占欲は出さないんじゃなかったっけ?」

「い、いいじゃないですか……ちょっとくらい」

 

 頬をほんの少しだけ染めてそっぽを向きながら唇を尖らせて拗ねてきた。ぐはっ、めっちゃかわいい。何せ凛としてて、キレイとかカッコいいって方が似合う紗夜さんが、かわいいんだ。これは世の男が放っておかないわけだよなぁ。

 

「ちなみに羽沢さんの理想の男性像は頼りがいがあって落ち着いた大人な雰囲気のヒトだそうです」

「なんで知ってるの!?」

 

 ぐはっ、自分からは程遠い理想を持ち出されて軽くダメージ受けた。あれだな、腹いせだな? ふん、と鼻を鳴らす紗夜さんの表情がそれを物語ってる。

 

「ふふ、いつも通り仲良しですね!」

「すみませんつぐみさん。イチャイチャしてしまって」

「してない、断じてしてない」

「大丈夫です! お似合いだと思いますよ!」

 

 ただ、紗夜さんがまだまだ余裕のある表情なのはこの調子だから。外堀を埋められてる気がしなくもないけど、俺にはその辺の駆け引きはこれっぽっっっっちもできないので一方的に殴られてる勢いだ。

 

「コーヒーが苦く感じる……」

「甘いひとときを過ごしているから、かしら」

「勘弁してよ……」

 

 これが周囲から見たらイチャイチャを見せつけてるリア充に見えるってことなのか。外からじゃ優雅にきゃっきゃうふふとキャッチボールしてるように錯覚してもらってるところ悪いけど、これは会話のドッジボールって言うらしい。コミュニケーションで殴ってくるな。

 

「ふふ、それでは、白金さんをよろしくお願いしますね」

「俺になんとかできるなら」

「けれど、ハジメテは私のモノだということを、忘れないでくださいね」

 

 予約しないでください。その卒業進路は俺が決めることです。

 とはいうものの、最近じゃそれ云々を除いて、こうして紗夜さんと過ごす時間にときめいたり、ドキドキしたり、そんな自分もいるんだけど。

 それでも、紗夜さんじゃダメな理由ってなんだろう。俺は、恋をするってこと事態、やっぱりわかってないんだなって突き付けられた。

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。あこちゃんは、ダンス部の練習で来れないから……無理を言って」

「いいよ、ワンドルにも関係あることだし、知り合いが困ってるって言うなら、助けるのが、人間関係でしょ?」

 

 そうやって羽丘学園の敷地に足を踏み入れる。花女と対をなす大きな女子校、つまりは俺にとってラストダンジョン並みの緊張感を孕む場所でもあるんだけど、今日は燐子さんが一緒だから心強い。

 当の燐子さんは既に青い顔をしてるけど、本当に人見知りなんだな。

 

「よくオフ会は平気だよね」

「オフ会は……わたしじゃないから、大丈夫、なんです」

 

 俺にも本名とは別でカンベって呼ばれる。でも、カンベって愛称も、赤坂陽太って本名も、どっちも俺だから、その気持ちはよくわからないけど。

 燐子さんにとって、白金燐子じゃないってことは、人見知りって本性を隠す上で大事なことなんだなってことだよね。

 

「ところでさ」

「はい」

「紗夜さんに、生徒会長には注意しろ、みたいなこと言われたんだけど……」

 

 そうそう、うっかり忘れるところだった。紗夜さんの知り合いってことは燐子さんも多少は知り合いって可能性はあるから、そう問いかけてみた。あんまり得意じゃないことは俺がココにいるって時点で察してるけど。

 

「あ……あのヒトは」

「あ~! 燐子ちゃん! いらっしゃ~い!」

 

 わ、っと声を上げて、俺が一歩横に避けた、その隙間にその子はするりと入ってきて、楽しそうに燐子さんに抱き着いた。

 その後ろ姿に、俺は首を傾げる。なんか、キャラ違うね。

 

「紗夜さん?」

「え?」

「あ、か、カンベさん……そのヒトは」

 

 あれ、紗夜さんと同じ髪色、顔立ち、でも身長がちょっと低い? いつもヒール履いてるから気のせいかも、と思ったけど、雰囲気も別人、でも紗夜さんの顔。どういうこと? 

 

「ふ~ん、おねーちゃんの知り合いなんだ?」

「おね……え?」

 

 紗夜さんが、姉? ということはこの瓜二つの彼女は、紗夜さんの妹!? 

 え、姉妹がいるなんて初耳なんだけど。そんな驚愕の顔をした俺をよそに、紗夜さんの妹は自分の胸に手を当てて、上体を逸らした。おお、自信に満ちた感じだ。

 

「あたし、氷川日菜! おねーちゃんの双子の妹なんだ!」

「双子?」

「そ! 顔もそっくりの正真正銘の一卵性双生児だよ!」

 

 ああ、燐子さんが苦手なわけだ。性格は全然似てない。めちゃくちゃパワフルだ。紗夜さんにもパワフルさは感じるけど、こっちは動のパワフルさ。落ち着きが全くない。

 

「で? なんで男の子がココに……あ、ちょっと待って、言わないで!」

「え、ええ……なんで?」

「推理するから!」

 

 推理って、探偵さんかなにかですか? 

 そうやって呆気に取られていると、日菜さん……うん、氷川さんだと紗夜さんと被るから日菜さんでいいか、日菜さんはわかった! と瞳を輝かせた。え、何も言ってないのに? と思ったけど、男がここに来る用事なんて限られてるから、わかってもおかしくないか。

 

「おねーちゃんに頼まれたんじゃない? 人見知りな燐子ちゃんが一人になっちゃうから」

「え?」

「当たってる?」

 

 そっちの理由を見抜かれてたんだ。しかも紗夜さんに頼まれたことまで。

 そんな考察ができるような行動をしてたかな? 少なくとも、燐子さんと一緒に歩いてただけで、後、紗夜さんの名前を口に出しただけ。なんだろ、やっぱり燐子さんが苦手な理由が、少しわかった気がした。

 ──そして、紗夜さんが気を付けろ、って言ったのは生徒会長のこと、まさかとは思うけど。

 

「もしかして……羽丘の生徒会長って」

「うん! あたしだよ!」

 

 やっぱり。確かに紗夜さんが忠告するほどのクセのある人物なんだろうな。

 でもそれが本当の意味でわかるのは、その後の会議で、なんだけど。今はただの不思議なヒトってくらいの認識だった。

 

 



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Tは頑張り屋/頼れる先輩になろう

「以上で会議を終了します……」

 

 そう、羽沢さんに締めくくられ、会議は滞りなく……うん、滞りはなく終了した。

 ──なにせ、羽丘生徒会長の爆走を、誰も止められないのだから。滞りがあるわけないよね。

 

「いや、えげつないな、あの会長」

「確かに! 頭の回転がすげーよ」

「あはは〜、ヒナは特殊だからね〜」

 

 羽丘の空き教室で、俺の他にはリサ、トーマ、タイクーンがいた。どうやら日菜さんは俺を紗夜さんのポジションに据える気だったらしく、トーマとタイクーンを呼んでたみたい。いや、その通り俺は燐子さんのサポートになったんだけど。

 

「燐子さん……大丈夫かな?」

「ヘーキだって、あこもいるし、ああ見えて燐子ってきちっとしてるじゃん?」

「まぁね」

 

 男に関してはだらしないけど。それ以外はしっかりしてると思う。人見知りさえなければね、人の上に立つって才能と求心力は、あると思う。

 ──それは、日菜さんも。

 

「でもさ、あの会長と白金さんとじゃ、タイプが違うよなぁ」

「燐子さんはリーダーシップだけど、日菜さんは……」

「確かにね〜、ヒナは独裁タイプだ」

 

 皇帝とか王様とか、そういう気質だよね。王の素養を持った女子高生ってパワー強い。

 でも、だからこそ余計に、その傍にいた大臣(はざわさん)が可哀想だった。

 

「苦労人だよ、あの子は」

「トーマみたいなもんか」

「自覚あるならちゃんとしてくれると嬉しい」

 

 俺たち三バカの良心だもんね、トーマって。因みに他人事のように笑ってる我が幼馴染も、トーマと二人きりだとめちゃくちゃ甘えてくるし振り回してくるらしい。知らなかった幼馴染の本性に俺はコメントを失う衝撃だったよ。

 

「アンタ、つぐみに手出さないようにね?」

「……なんで俺に」

「だって、バッチリ好みのタイプじゃん」

 

 なんで知ってるんだろうね!? 俺、長くキミと付き合ってきて女の子の好みを一言も漏らした覚えないけどね? 

 

「アンタが小学生の時に好きになった子の名前、言ってあげてもいーけど? みーんな清楚な見た目でおっとりタイプだよね〜?」

「わーわー!」

 

 ホント、そういうのよくない! 俺が耳を塞ぐと中、高の恋愛を知ってるトーマとタイクーンが確かにな、と頷いてきた。ムカつく! コイツらの恋愛……ダメだ、トーマもタイクーンもバカみたいに一途だ! 

 

「あ、あの……カンベさん」

「はいっ!」

 

 そんな弄られムードの俺を助けてくれたのは、噂に上がった羽沢つぐみさん。ひょこっと顔を出してくる仕草がもう癒されるし愛らしい。

 しかし、そんなヒーラー羽沢さんの口から出たのは、俺の背筋を凍らせるものだった。

 

「生徒会室に、来て、もらえませんか?」

「……理由、は?」

「か、会長が……」

 

 天使の裏に、悪魔はいるらしい。俺は今日ほどあの子と同じ髪色と顔立ちをしたあのヒトが傍にいてくれたら、と思うことはないだろう。いたら吊り橋効果で付き合ってたかも。そのくらい、日菜さんにはいい印象を抱いてないよ。

 

「……ごめんなさい。会長は、言い出すと聞かない、頑固なところありますから」

 

 でも、羽沢さんが漏らした日菜さんを形容する言葉からは、俺のよく知った彼女の性格に合致するもので、強ばってた肩の力が抜けるのを感じた。

 

「そっか」

「あ、あはは……余裕ありますね」

「いやいや、余裕はないよ」

 

 クセは強いって言っても、なんと向こうはアイドルもやってるらしい。アイドル業界全然詳しくないから知らなかったけど、生徒会長やりながらアイドルやりながらって、やっぱり紗夜さんの妹だよね。

 そして、アイドルってことは、幾らなんでもビッチはないでしょ。

 

「そういえば、ワンドルの夏のライブ、観に行きましたよ」

「ありがとう」

「はい、ひまりちゃん……友達がファンで、特に自分と同じベースのヒトは、凄い刺激になるからって」

 

 ……ん? べースって、俺じゃん。リアクションと気付くのがワンテンポ遅れたのがツボだったのか、羽沢さんはくすくすと楽しそうに笑った。からかわれたっぽい、のかな。

 

「カンベさんが、少し羨ましいです」

「羨ましい、って?」

「そうやって肩の力が抜けてて、会長……日菜先輩を見てても、わたしって空回りしてるのかなぁって思うことも多くって」

 

 羽沢さんは、確かに肩肘張ってる、って感じするよな。頑張り屋なんだなってのは俺に見えるごくわずかな範囲でも分かるし、頑張り過ぎてるような気もする。大体、生徒会長があんなんなのが悪いよね。

 

「他の役員さんは?」

「会長には、ついていけないって」

「だよね」

 

 流石、独裁者。本人も無自覚の間にヒトを離れさせてる。先生方も手を焼いてるらしいのだが、これまた厄介なことに、その自由人本人が、羽丘の基本理念、文武両道を体現できる人物らしい。

 

「凄いんですよ! テストでは当たり前のように満点を取るし、スポーツも、経験者が手も足も出ないくらい凄くて」

「……すげ」

「芸術のセンスもあって、この間の美術なんて、先生よりもすごいの描いちゃってて」

 

 とにかく、話題性、というか才能の塊みたいなヒトらしい。天才ってみんなは日菜先輩のことを呼びます、って羽沢さんは少しだけ寂しそうに言った。なるほどね、それが他者を無意識に遠ざける要因ってわけね。

 

「だから、一昨年までの先輩は、とっても退屈そうでした」

「じゃあ、今は違うんだ?」

「はい。パスパレの仲間ができて、生徒会長やり始めて、紗夜さんとも仲直りできて。前よりもコミュニケーションもちゃんと取れるんですよ?」

 

 待って、色々気になることはあるけど、今はまだマシってこと? 以前の日菜さんを知りたいような……いや、やっぱりいいや。絶対知り合いになりたくないし関りあいたくない。マジで無理。

 

「カンベさん」

「ん?」

 

 想像して苦い顔していたら、羽沢さんが足を止めて、改まって俺の顔を見上げた。真剣な表情に、俺も羽沢さんの顔を見つめる。

 そうして数秒、羽沢さんは勢いよく頭を下げてきた。

 

「は、羽沢さん!?」

「お願いします! 日菜先輩、ホントはとっても優しくて、頼れるヒトなんです!」

「い、いきなりどうしたの?」

「だから……あんまり、離れていかないであげてください」

 

 羽沢さんが一人でヒートアップし始めた。これがリサの言ってた、ツグってる、ってヤツなんだろうか。案外突っ走りがちなところがあるらしい羽沢さんは、きっと俺がここで日菜さんを邪険に扱うんじゃないかって思ってるってことだよな。

 

「羽沢さん」

「……はいっ」

「あんまり自信はないけどさ、任せてよ」

「……カンベさん」

「クセのあるヤツなんて俺の周り、結構いるからさ」

 

 いつもつるんでるのは個性的なバカばかり、挙句は紗夜さんに燐子さんだ。今更多少性格がぶっ飛んでようが、俺は動じない……はず。やっぱり自信ないけど。

 すると、不安げだった羽沢さんの顔がみるみるうちに笑顔に変わっていく。花が咲くように、明るく、満面の笑みで。

 

「よかった……!」

「それにさ、文化祭の間限定だけど、多分燐子さんとか紗夜さんに呼び出されて花女にいるだろうから、なんかあれば言ってくれればいいよ」

「い、いいんですか……?」

「もちろん」

「じゃあ、頼りにしちゃいますね!」

 

 うわー、なんか俺、先輩してる感じ。むず痒いけど、悪い気はしないよね。

 特に羽沢さんは問題のある性格してないし、他のヒトの評価を認めるようなもんだからあんまり言いたくはないけど、タイプなのは事実なんだよね。だから思わずカッコつけちゃうんだけど。

 

「よかった、カンベさんがいいヒトで本当によかった……」

「おおげさだからね、それ」

「おおげさじゃありません!」

 

 ホント、羽沢さんは頑張りすぎというか、いいことなんだろうけど、もうちょっと。

 せめて俺がいる時くらいは、肩の力を抜いてほしいな、なんて思ったりする。

 カッコつけてるのも、あんまり変わらないような気もするけど、そこは逆に。俺は普段はほぼまったくと言っていいほど、肩の力入ってないからな。

 ──そのあとは拍子抜けで、日菜さんに紗夜さんの様子をあれこれ訊かれるだけで終わった。彼女曰く、おねーちゃんが特定の男性に興味を持つなんて一体どんなヒトなんだろうってずっと気になってたらしい。

 もしかしたら……日菜さんは、なんだか秘密に包まれてる紗夜さんをちゃんと知る、きっかけになるかも。俺はそんな暢気なことを考えていた。

 



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Bの逆襲/静寂から始まるリベンジ

「私の好きな人がモテはじめて困ってます」

「……は?」

 

 何言ってんのコイツ。そう思うしかない始まりかたをしたのが今日のハイライト。

 いつも通り、ファストフード店において、俺は紗夜さんの下らない冗談を聞かされているらしい。あなたの想い人は、一応俺ですよね? 

 

「最近、つぐみさんとも頻繁に連絡が来るようですし、白金さんは言わずもがな……松原さんに、実のところ宇田川さんともそれなりに交流があり、また今井さんや湊さんという線も捨てきれない……困ったことです」

「困りましたね……」

 

 あなたの頭がね。

 というかこの人恋愛方面に、というか俺と二人きりになるとポンコツになるのなんなの? 実はキリっとしてる紗夜さんのが好印象だって伝わってないのかな? 

 

「もうおわかりでしょうが、カンベさんのことを言っています」

「回りくどいですね」

「……直接、好きなヒト……というのは少々、気恥ずかしくて」

 

 あーもうかわいいなちくしょう! 好印象の紗夜さんは一位がキリってしてる紗夜さん、二位が照れてる紗夜さんだ。カンベ調べによると。

 ただね、ただ、この上がった好感度を帳消しにするのが、氷川紗夜さんの真骨頂なんだよな。

 

「私がハジメテの女だというのに」

「なってないかな」

「なって」

「ならないよ!」

 

 なって、じゃねぇよ! 一瞬とは言え、普段の口調や仕草からかけ離れた声だすのやめて! 

 ほらね、こうやってわざわざ帳消しにしてくのが、紗夜さんと俺が未だにこの距離の所以な気がしてきた。

 

「それにしてもリサはないでしょ。トーマいるんだし」

「わかりませんよ。うっかり昔の恋を思い出すかもしれません」

「……なんで知ってるの?」

「今井さんは嘘をつくのが下手ですから、嫌でも察しがつきます」

 

 怖いな、というか怖いと言えばそれ以前になんで羽沢さんやあこちゃんとの連絡してる頻度知ってるの? 冗談抜きでそこが怖いよ。

 というか昔は昔……ってできないから、あいつは恋愛になると俺に対して当たりが強いんだけどね。

 

「もう、私の気苦労も知ってください」

「うん、その前に俺の苦労を知れ」

「そうでした」

 

 お、素直に認めてくれた。もしかして、俺の想いが伝わったのかな? だとしたら、ついに、言葉が通じるようになったと言っても過言ではないのでは? 

 

「激しいと、腰が痛くなってしまうものね」

「なんでそうなるのかな?」

 

 だから事実を捏造すんなっての! まだ童貞です、清い身体です! 

 やっぱり紗夜さんにその辺を求めるのは間違っていたのかもしれない。

 

「やはり、既成事実を作るのは急務ね」

「黙ってもらえます?」

「黙りません、誰かに寝取られるくらいなら、いっそ逆レイプしてでも──」

「やめてね?」

 

 それだけは勘弁してほしい。二度と女性の前に姿を晒せる自信がなくなるから。と、言っても紗夜さんもそれはする気はない、と思う。なんだかんだで、紗夜さんはそういうところは、ちゃんとしてるし。燐子さんや松原さんとは違うよね。

 

「それでは、今日の性講座ですが」

「そんなコーナーを設けた覚えはない!」

 

 ためにならないか、と言われればフツーに知識になるようなことだけどさ! でもそれって紗夜さんが言いたいだけなところあるよね? そう指摘すると、まぁ……そうですね、と目を逸らしてきた。なんだこのヒト。

 

「と、とにかく、私としては、これ以上、というか今の時点でもカンベさんの周囲に女性がいる、というのは困りものなのです」

「……自分が原因のクセに」

「それはそれ、これはこれよ」

 

 最低なこと言い始めた! 事実でしょ、全部紗夜さんから始まった交友関係の広まりなのに。そんな抗議に、紗夜さんはため息をつき、それから少しだけ頬を染めて、やっとその言葉を口にしてきた。

 

「……妬いてしまうわ。最近、こうして二人でゆっくりもできないし、触れあうこともない。それがこんな苦しいことだなんて、思いもしなかったの」

 

 最初からそれを言ってくれればまだかわいげがあったんですけどね。それでも、俺としては、まるでその恋人みたいな思考をまずは捨ててほしい気もする。ほら、一応、俺たちまだオトモダチじゃないですか。

 

「まぁ、最近忙しいし、紗夜さんも俺も」

「だからと言って、他の女性に鼻の下とちん──」

「下半身も鼻の下も伸ばしてませんし、それだけはやめてね?」

 

 それだけは、あれだよ、言わせねぇよ、ってやつ。

 いくら紗夜さんがフリーダムなヒトだって言っても、お店で特定の部位を口にするのはダメだと思うの。

 

「んん……失礼しました」

「ホントに失礼してますからね」

「失礼するのは跨る時くらいで充分ですね」

「は?」

 

 捻じ込んでくるね? 隙あらば捻じ込んでくるし隙がなくても無理やりこじ開けてくるね? いつも通りの紗夜さんと言えばそうだけどね? 

 

「では本日のレッスンは、女性に口でシてもらっている際の注意事項ですね。より実践向きな内容ですが、ついてきてくださいね?」

 

 レッスンワンからついていけてないんですよ、実は。気付いてほしかった。あとその手の位置と動きは勘弁して。いけませんお客様って言われますよ、いい加減。

 でも注意事項なんてあるのか。精々、口の中に出すと苦いからやめてとかそんなもん? 

 

「今、口の中に出すと苦いとかその程度だと思いましたね?」

「……エスパーですか」

「その短絡思考こそが童貞だと言う証ですね」

 

 やかましい。言い返せないことが余計にやかましいと言いたいところである。だいたい、口で……って言われても想像したところ俺が注意するところってなんですかね。俺、手も足も使うところなくないですか? 

 

「甘いですね」

「甘いのか」

「もちろん苦いですよ」

 

 そっちの味のハナシはしてないから。苦いとか甘いとか俺が味わうこと一生ないからいいんだよそんな汚い食レポ、聞きたくない。

 

「シている時のカラダの向きにもよりますが、手持ち無沙汰になると、前戯の勢いで胸やお尻を触りたくなるものです」

「そ、そうなんだ」

「そうなんです」

 

 想像したけど、全然そんなことなかったんだけど……ってか店内で行為を想像してる自分の異常性に今気づいたよ。もうやめよ。この話も無視することにしよう。

 

「しかし、自分がシている最中に性感帯を触られるのは、ヒトにはよりますが、大抵の女性は鬱陶しく感じてしまうのです」

「へぇ」

 

 あ、しまった。全然想像もつかない感想だったからつい相槌を打ってしまった。ここが俺のダメなところなんだよな。

 ほら、紗夜さんが若干ドヤ顔で、そうなんです、とか言い始めた。

 

「しかし、頭は平気なんです」

「紗夜さんだけじゃなくて?」

「いいえ、頭、というのはコミュニケーションにおいて好意を抱いた相手に触れられると嬉しくなるものです。また、シている最中には、快楽を感じている、という指針にもなりますし」

「あ、じゃあ、髪とかってこと?」

「そうです。声の出ない女性側にとって、コミュニケーションとして触れることは大事なんです」

 

 ついつい、話に乗せられてこんな店の中でしちゃいけないような会話をしてしまった。隣の席の男子高校生二人がめちゃくちゃガン見してきた。うるせぇ、俺だって釣り合ってるとは思ってないよ! 

 

「ですから……」

「ん?」

「その、触ってくれても、いいんですよ?」

 

 くるくる、髪をいじいじしながら紗夜さんは頬を染めて斜め下を見て言った。そこで乙女の顔はずるいんじゃない? 俺に選択肢をくれない交渉術とかさ、そういうのはやっぱりズルだと思う。せめてイエスかノーか選ばせて。

 

「今日は……遠慮しときます。ひ、ヒトの目も、ありますし」

「……そう、ですか」

 

 ああもう、そんなあからさまにしゅんとしないでよ。俺が悪いみたいじゃん……って俺が悪いのか、実際問題。

 でも、あの場で男子高校生が二人、から増えて四人になったその衆人環視の目に晒された状況で紗夜さんの髪に触れるって、俺には超ハードルが高いんですよ。そこもわかってほしい。

 その後はまた、楽器の話やら文化祭の話という健全な話をして、紗夜さんはそろそろ帰りましょうか、と立ち上がった。微笑んでいたけど、その顔はどこか寂しそうな気がして、俺はまた罪悪感で胸が痛んだ。

 

「今日も、楽しいお話だったわ」

「……なら、よかったけど」

 

 外に出て、紗夜さんは俺の方をあまり見ることなく、淡々と歩き始める。

 その瞳に映っているのが何なのか、俺にはわからない。わからないけど……このままにしておくのは、なんだかやな予感がする。このままだと、紗夜さんはいなくなってしまうような……そんな恐怖感。

 

「さ、紗夜さん……!」

「……はい、っ!?」

 

 手を握って、引き寄せて、思った以上に力が強かったようで、ヒールの音を鳴らしてバランスが崩れてしまった。ヤベ、と思ったけどなんとかコッチの方に倒れてきたから、全力で、普段ベースを弾く時に使う筋力とエネルギーを支えることに費やす。幸い、紗夜さんは驚く程軽くて、細身で……でもまぁベースよりは確実に重いんだけど、だから、苦労することなく、支えることには成功した。

 

「ふぅ……ご、ごめん紗夜さん、タイミング最悪だった……」

「いえ……最悪だなんて、とんでもないですよ、カンベさん」

「え? あ、ちょ、まったここ外──っ!?」

 

 遅かった。俺はそのまま紗夜さんの腕に首を絡め取られ、唇を重ねてしまった。

 丁度出てきた、さっきの男子高校生の四人、からなぜか六人に増えてるそいつらにバッチリ見られてるし、最悪すぎるよ……でも、紗夜さんにはもう、俺以外の人間は見えていないというような瞳の色で、見上げてくる。

 

「ソトとかナカとか……関係ないわ。ほしい時に、ほしいの」

 

 甘い声、危うく抱きしめかけるくらい蠱惑的で、俺の心にするりと入り込んでくる。

 ──やっぱり、紗夜さんは危険、危険すぎるよ。このままじゃオトモダチのまま、いつ間違いが起こるかわからないことを、俺はこの日、確信した。

 しかし、俺は知らなかった。嫉妬に燃える紗夜さんの攻勢が、これで終わりではなく、ここからが始まりだということに。

 

「どんなにカンベさんがモテようと……メインヒロイン(こいびと)になるのは……私よ」

 

 これは、元祖ビッチによる、とてもビッチとは思えないくらい、まっすぐに俺を狙った、静かな逆襲の狼煙となっていた。

 ──というかキス、これで何回目か数えなくなってきた。何回目だっけ? 俺も毒され始めてきた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Dの逆襲/喧噪から始まるリベンジ

 紗夜さんに紹介されて以来、コーヒーが美味しくて通い始めた場所、羽沢珈琲店に俺は自主練習終わりがてら足を運んだ。

 カランコロンというレトロなベル。店を手伝っている看板娘。そんな彼女に名前を呼んでもらえるという優越感。

 

「カンベさん! いらっしゃいませ!」

 

 ──まぁ、渾名ですけど。渾名なんだけど!

 コホン、取り乱した。そもそも本名、しかも下の名前で俺を呼ぶやつなんてそれこそ湊家の愛想のない一人娘くらいなもんなんで、これは実質陽太さんって呼ばれてるようなもの! これでメンタルリセット! はい勝ちー! 

 

「? どうかしましたか?」

「ああ、いや、もう一人のボクとの激しいデュエルしてただけ」

「えーっと?」

 

 わけのわからない理論をぶっぱなされてきょとんとする羽沢さん。かわいい。かわいいね。眉上までしかない短い前髪、好き。首が見えるくらいの茶髪だけど、ボーイッシュさは微塵も感じないくらいくるんとした大きな瞳、好き。それとは対照的に小さな唇、はいかわいい。小柄ながらパタパタと一生懸命働く姿、はいもう好き。と、こんな感じ。彼女に対する評価がクソみたいに甘いのは確実にとあるビッチのせい。

 

「……この間のも、言ってしまえば自業自得なんだけどね」

「モテた途端に強気ですか」

「ぶふっ!」

「汚いですよ、カンベさん」

 

 そんな独り言……そう独り言だったはずなのに声をかけられてコーヒーを噴き出した。後ろを振り返ると見覚えのある、というか完全に紗夜さん。それと同席してるのはあこちゃんと燐子さんは苦笑い気味。

 

「いつの間に……」

「ついさっきだよ〜!」

「……あ、あこちゃん、それは……」

 

 なるほど、つまりヒトの後ろをストーキングしてきた、ということね。天下のRoseliaのメンバーのうち三人が童貞のケツ追いかけるストーカーって、シャレになってないから。

 

「あんまり言うと白金さんの家に連れて行きます」

「真顔で言うことじゃない!」

「今、両親いないので……できますよ……?」

「シたくないです!」

 

 そうやってすぐ脅してくる。この同盟組んだビッチ二人を相手にするつもりはないですからね。しかも二人とも律儀に最近は誰ともシてないらしく、しばしばタマった欲求を満たそうとあの手この手で迫ってくるし。

 

「りんりんのウチでなにをするの? ゲーム?」

「ある意味ゲームですね、プレイですから」

「ゲーム感覚やめろ、全然違うから」

「紗夜さんもゲームするんですか? 意外すぎます……」

「プレイしますよ。流石に白金さんには負けますが」

 

 あこちゃんをそういう躱し方するんだ。というかあこちゃんも高一だから知っといた方がいい気がするんだけど、なんでこんな純粋なの? 燐子さんのせい? 

 

「わたしや、氷川さんが……教える、というと、あこちゃんの未来によくないと……思います」

「……自覚あるんだ」

 

 よくないけど自分たちはヤっちゃったわけね。度し難いですね、本当に。

 度し難いついでにしれっと俺の席にやってくるのやめてもらっていいですかね。せめてあなたたちは向かい、隣はあこちゃんだけに許可します。

 

「それで、次の来校の予定を立てたいのですが」

「……また俺なのね」

「私が会いたいので」

 

 しかも大して何かをするわけじゃないところあたりが本当にただ会いたいだけってことを後押ししてる気がする。

 心なしか、以前より紗夜さんの鉄面皮の下の感情がわかるようになってきた……気がする。若干前のめりで期待した表情、紗夜さんって案外、ペットで言うと犬みたいなところあるよね。

 

「え? ペットプレイがいいんですか?」

「……は、初めてで……それは……流石に、変態かと……」

 

 なに言ってるのキミたち。なんで俺がドン引きされなきゃいけないの? 誰もそんなこと一言も言ってないよね? 

 

「で、でも……わたしは、好きですよ……! やったこと、何度もありますし……」

 

 そしてそのフォローは下手くそ過ぎて笑うんでやめてください。燐子さん大人しいキャラだから似合いそうだし、控えめで従順そうだけど──って、違う、そうじゃない。思考がビッチどもに引っ張られてる。

 

「しかし、そういった一方的なベクトルのあるプレイではある程度の技術が必要になりますリードする方がリードを握るわけですから、必然的にこの場合はカンベさんに技術がないとイケるものもイケません」

「……しれっとダジャレ挟みますね」

 

 というかこんなところで無駄過ぎる性講座はやめてほしい。あこちゃんいるのにあんたら段々見境なくなってきてるなさては。

 

「あと……拘束具等の初期投資が、結構するので……」

「白金さんくらいでないとハジメテでは難しいでしょうね」

「もうやめよこの会話」

 

 頭がおかしくなりそうだし、あこちゃんは難しい話だと思って聞き流してるからそれはそれで助かるけど。

 というか今更下ネタで会話を回そうとしないで。キミたち貞淑を一体どこに置いていったの? 

 

「そういえば、あれから松原さんには会っていませんか?」

「え? うん」

 

 いや、ただ引っ掻き回したいだけの松原さんだし、前回の絶好のチャンスで逃したんだから、もう大丈夫でしょ。そう思ってたんだけど、燐子さんは無言で首を横に振るだけだった。

 

「あの目は、そんな簡単なものじゃ……ないと思います」

「え? そうなの?」

 

 あ、でもそういえば、なんとなく覚えがある。首元に、そう、因果といえばいいのか、そういう感情みたいなものを巻き付けられる感覚。

 あれは、軽い感情じゃなかった、と思う。あんまり自信ないけど、今の燐子さんや紗夜さんから感じるもの。それらから優しさとかそういう感情を抜いたもの……みたいな。なに言ってんのか俺もわかんなくなってきた。

 

「とにかく、気を付けてください」

 

 じゃあ花女に呼ばなければいいのでは? そう指摘するとそう上手くはいきません、と返された。面倒な感情を抱えてますね、本当に。そんなまた和やかになってきたところで、後ろから視界を塞がれた。

 

「だーれだ♪」

「……え、え?」

「カンベさん、離れて!」

「待って、状況が把握できてないんだけど?」

 

 後頭部に柔らかな感触、フローラルのいい匂いがする。でも、その香りはどこかエロティシズムもあって、二人の反応から視界を塞いだのは誰か、わかった気がした。

 

「松原、さん?」

「ふふ、せーかい……ご褒美は童貞卒業? 筆おろし? それとも皮むき?」

 

 実質一択しか選択肢ないんだけどそれ。拒否権をください。そして助けて、さっきはまたビッチどもに捕まったとか思って本当ごめん、だからこの俺に害をなすビッチをひっぺがして。

 ──あ、でもふよふよの後頭部は離れがたい。枕にしたら寝心地いいんだろうな。

 

「おっぱい、もっと味わってくれてもいいんだよ?」

「それは遠慮しときます。これを機にオーダーメイド枕なるものに手を出そうかな、くらいなんで」

「なんでそんな冷静なの……?」

 

 そりゃあ、鍛えられちゃったからね。そこの無駄に一途なビッチさんはことあるごとに俺を誘惑してくるし、なんだかんだで胸部を押し付けてくるし、隣の変態性癖に理解のあるビッチさんはもっとひどいからね。Fサイズの暴力を体感したことのある身としてはねぇ。

 

「……浮気者」

「誰から見ての浮気でしょうね?」

「うるさいわ、私という女がありながら浮気ってどういうことなの、しかも胸! そんなにDやらFやらがいいのでしょうか、ああそうですか! どうせBに人権なんてありませんよ!」

「……さ、紗夜ちゃん?」

 

 松原さんが引いてるけど大丈夫紗夜さん? 大丈夫じゃないよね俺も引いてるからね。あー、えっとつまり? 紗夜さんは案外その控えめでありながらきちんと女性らしさを主張するお胸を気にしてらっしゃった、ということか。まるでいつものキャラはどこへ行ったのかというくらいに涙目で悔しがってるし……なんか、ごめん、紗夜さん。

 

「……大きい方が好きな男性が、ほとんど、ですよ……氷川さん」

「──わかってます……ええ、痛いほどわかってますとも」

 

 一体あなたの過去になにがあったんですか。気になるけど、つついたとしても下ネタしかでてこないからやめよう。

 でも俺としては大きさよりも感触の心地よさが重要、みたいな? だから腕を抱かれたときのあの感触は紗夜さんも十分に魅力的だと思いますけど……と口には出さないよ。童貞だもん。しかも感触なら後頭部のふわふわ感触が一番だし。

 

「ああ……カンベさんってかわいいね。このまま調教したい……」

「目が怖いんで勘弁して」

 

 あと言葉も怖い。調教て、あんたは監禁凌辱とかいうエロ同人みたいなことでもするつもりですか。

 そんな非難の目で見ると松原さんは誤解だよう、と笑った。

 

「私のおうちで一晩、ねっとり、女の子がどうされたらきもちいのか教えてあげるだけ……♪」

「燐子さんレベルか」

「……ひどい、です」

 

 ひどい? 出会って一週間経ったときのこと、俺は今でも恨んでますからね。

 そうやって今度は燐子さんを非難の目で見ていると、頭をなでなで、優しく撫でられて上を見上げた。

 

「でもやっぱりカンベさんってガード固いから、作戦変更しようかなと思って」

「強姦から何になるのさ?」

「それを相手に訊く余裕のあるカンベさんに、私は少々教育方向を間違えたことを察知しました」

 

 そりゃあね。普段一緒にいるのが紗夜さんに燐子さんだよ? ここで無駄に抵抗して犯されるよりは冷静に訴えかけるほうが得策でしょ。

 ──まぁ、ムスコは出番と勘違いして張り切っちゃってるんだけど。

 

「……ものすごい、理性と本能の、解離……ですね」

「童貞はこじらせるとこんな芸当もできるんですか」

 

 やかましいよ。特に紗夜さん、童貞をバカにしちゃいけない。なにせこの年になるまで女体に触れたことすらなかったんだ。そのくらい朝飯前なんだよちくしょう。

 

「私も、じっくり責めてみようかな……って」

「ここの二人は攻めあぐねてるだけだけどね」

「ふふ、だからそのレースに参加するのも、面白そうだなって」

 

 そんなことを言って、ぎゅむ、と俺の後頭部に胸を押し付けてくる松原さん。空即是色、色即是空。心頭滅却すれば火もまた涼し。

 動揺なんてする余地はない。

 

「めちゃくちゃ動揺してますね」

「……童貞、ですから」

 

 わかってるなら助けて。実はただ動けてないだけなんだから。あとそういえば思ったけど、松原さんってカレシいませんでした? 

 

「あ、うん。別れちゃった」

「軽いですね……」

「だって嫉妬すごいんだもん。誰と会ってたんだー、ってそればっかり。それでセックスは独りよがりなんだもん、飽きちゃった」

 

 あっけらかんと、松原さんはそう言い切った。そしてそのあと、だから今フリーなんだよ、とぞっとするくらいの蛇の眼光を降らせてきた。蛙は俺、捕食されてしまいそうなくらいの悪寒がする。

 

「それじゃあ、今日はそれだけ、また会おうね、カンベさん♪」

 

 それだけ言って、松原さんは俺たちから離れた席に座って、何やら友人としゃべっていた。友人にも隠す気なしってどういうことなの。本当に価値観も何もかも理解できないヒトだ、松原さんってヒトは。

 それが特に紗夜さんや燐子さんを理解できかけているからこそ、思うことなんだろうな。その日は、一応、と燐子さんとあこちゃんと一緒に帰ることになった。男女逆な気もしないけど。

 

 



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Dの逆襲/向きあうという決意

 松原さんの攻勢は、本当に驚くほどゆったり俺に押し寄せてきた。最初は、打ち合わせや機材の話をしているところに親し気に手を振ってきたり、二言、三言くらいしゃべる程度だった。それが急激に変化したのがつい一昨日のこと、俺は生徒会室に大量の汗を掻きながら飛び込んだ。

 

「ど……どうしたん、ですか……?」

「松原さんに、犯されかけた」

「……はい?」

 

 マジなんだって! と言いたいところだけど、これには語弊がある。って自分で言うのもおかしいけど。

 実際は不意を突かれて空き教室に連れ込まれただけ、まぁその後がまずいんだけど。

 

「え……っと、カンベさんは、順序を踏んで、じゃないと童貞卒業したくないん……だったよね?」

「あと順序を踏めないヒトで卒業はしたくないってのもあるね」

「ふんふん、じゃあやっぱり私が筆おろし、ってできないよね」

 

 この時点でこのヒトは理解あるのでは? と警戒心を緩めてしまった。緩められてしまった。警戒心を緩めついでに松原さんは制服のリボンを緩めて、胸元を全開にしたうえで、俺の股間に手を這わせてきた。

 

「じゃあ……口で、ならどうかなあ? えっちしてるわけじゃないから、セーフだよね?」

 

 全然アウトです、と言いながら俺は前かがみに逃げ出してきたわけで。緩めようとしてきたのは貞操観念らしい。そこはなんとか死守した。まぁ元気になっちゃったムスコを触られた時点でアウトな気もしなくもない。

 

「油断、しすぎでは……?」

「おっしゃる通りで……」

 

 ちょっと穢されちゃった気がしてすんすん鼻をならしていると燐子さんが頭をなでなで。優しい燐子さんのおててにまた警戒心が緩んでいく。だから、燐子さんが純粋に優し気な表情をしていなかったことに気づくことができなかった。俺の頭を自分のやたらと主張の強い胸に誘導した。

 ううん、松原さんのD枕もよかったけど、燐子さんのF枕もなかなか……ただ柔すぎるんだよなぁ。

 

「カンベさん……随分贅沢ものになりました……ね?」

「ヒエッ……」

 

 おかしい、虹彩が仕事してない。ハイライト入れ忘れって作画崩壊的にどうなのよ。

 まぁ薄々自覚してたけど、女慣れしてない童貞がおっぱいマクラソムリエなんておこがましいか。燐子さんが魔力を放っている。氷結しそう。

 

「童貞たるもの……貞淑を、持つべきでは、ありませんか……?」

「燐子さんに貞淑云々はマジで言われたくないけどその通りです……」

 

 ふっとその空気が緩んで、燐子さんはまた自分の胸に俺の頭を乗せて撫でてくれる。あ、なにこれ、落ち着くんだけど。

 

「でも、ちゃんと逃げてこれて……えらいですね。よく頑張りました……」

 

 なるほど、これが母性(バブみ)ってやつか。これは確かに一種の暴力だね。強制的な癒しがそこにはあって、俺は抗えずにそのままの体制に落ち着いていた。

 しかし、燐子さんはその母性にたった一滴の毒を垂らしてくる。

 

「わたしが、安全だと思われているのは……少し、そのですね……ムラっとしてしまいますね」

「なんで?」

 

 ねぇなんでそこでイラってするとか、ムカっとするかじゃなくてムラってしちゃうの? だから俺にFサイズの方のビッチとかいう不名誉な渾名もらうんだよ? わかってる? 

 胸から顔を離してマジでわからんという顔をしていたら、燐子さんはツヤツヤの黒髪をかき上げて、俺の視線を髪、指から肩、胸、そして腹……と誘導していく。誘導されてしまうのが男の性。悲しきかな。

 

「今日はですね……実は、タイツだけどタイツじゃないんです」

「どゆこと?」

「この辺りで、切れてるんです」

「そっか、だから?」

 

 だからとは言いつつも、指が行く先から目が離せない。燐子さんの手はついにスカートに到達し……っておいおいおいおい何してんの? なんでスカートをゆっくりめくりあげて太ももを露出させてんの!? 

 

「勇気を出したんです、だから……見てほしくて」

「見るって何を?」

「えっと、タイツと……ついでに今日のパンツも♡」

 

 しまった、なんか知らないけど地雷踏んだくさい。完全に燐子さんがベルさん(ヤりたい)モードなんだけど、助けて紗夜さん。お願い、今日だけは紗夜さんだけが頼りです。愛しいから早く。

 

「今カンベさんに愛しの紗夜さんと呼ばれた気がしました!」

 

 燐子さんがスカートをめくり、もう少しでタイツの切れ目に到達するかどうか、というタイミングでバン、と生徒会室の扉が勢いよくオープン。地獄耳どころか口にすらしてないのに聞きつけて呼ばれて飛び出て氷川紗夜さん。あと愛しの紗夜さん、とは言ってません。

 

「……これはどういう状況ですか?」

「見ての通り……カンベさんと楽しい、気持ちいプレイの真っ最中……です」

 

 にっこりとベルさんモードの燐子さんがブリザードスマイルで先制攻撃。あんたら同盟破棄するの早くない? そんなんだと第三次大戦もまったなしの勢いですね。間に挟まれる俺のことも考えて、俺のために争わないで。

 

「ふっ、スカートめくって見られてきもちいだけとは……笑いますね」

 

 おおっと紗夜さんここでカウンターパンチ。完全に同盟なんて忘れ去ったままついに両者手を出した! どんだけ薄氷の上で同盟組んだんですかね。しかも紗夜さんの方が有利な条件なのに紗夜さん自身があっさりと放棄する始末だし。

 

「ちなみに今日の私は青色です。見ますか?」

「見ないです」

「ずるいです……わたしは、緑です、清楚系です」

 

 やったね美少女二人の下着の色が同時に知れたぜ。わっはっは、全然嬉しくないんだねこれ。なんだ清楚系って、見せようとしてる時点で説得力が欠片もないんですけどね? 

 と思ってスカートを両手に持つ二人に囲まれて童貞として最大のピンチを迎えた俺に救いはないので、カンベさんの次回作にご期待ください。

 

「あ、私は水色だよう?」

「──え、あ、松原さん?」

 

 余計なカミングアウトをしながら、生徒会室に三人目のビッチ、Dサイズの方のビッチがやってきた。予想外の闖入者に呆気にとられる二人を置いて、松原さんはコッチだよ、と手を引いてきた。わー、また拉致される、と思ったけどいつもの捕食者然とした雰囲気はなくて、茶道部の部室の扉を閉めて、松原さんはふぅ、と一息をついた。

 

「あの二人、暴走しちゃってたねえ」

「そ、そうですね」

「……それだけ、キミのことが好きなんだね……二人とも」

 

 それを素直に頷くのは恥ずかしいし自惚れてる気がするから沈黙しておいた。沈黙は肯定ともいうけど。本人たちは全力で肯定してくれるからね。

 

「なんで……松原さんが助けてくれたんですか」

「花音」

「……ええ、なんで」

「花音って呼ばなきゃ犯して調教しちゃうよ?」

 

 わー斬新すぎる脅し文句だね。そうやって虜にしてきたんですね、松原……えっと花音さんは。

 喧騒からかけ離れた茶道部の部室で、花音さんは俺を見ることなく、膝を抱えてぼうっと畳を見ていた。えっと、なんでこう真面目な雰囲気なの? 

 

「いいな……私も……私にも」

 

 そんな弱々しくて、寂しそうな声が部室に木霊する。花音さんも、そんな風に悩んでたんですね。ビッチだなんだと思ってたけど、花音さんは花音さんで、色々な事情があったんじゃないかな。

 すり寄ってきた花音さんを拒否できずにその水色の髪を撫でる。カンベさん、という声がやけにかわいいな、と思ったその瞬間、花音さんは俺の唇を奪ってみせた。

 

「──な、なにして」

「思うんだ……どうしたら()()()()()()って」

「か、花音さん?」

「うふふ、引っかかった?」

 

 飽きないか……だって? つまり、羨ましがってたのは、センチメンタルな感情じゃなくて、同じ人を何か月も何か月も好きで……この言い方は俺にとって嫌なんだけど、セックスをしていてマンネリ化せずに夢中になれるか、ってことだったのか。このヒト、度し難いビッチでしょう。カレシもセフレも変わんないじゃん。

 

「その辺は違うんだけど……まぁ、童貞くんにわかってもらおうとは思わないからいいや」

「じゃあ、なんでわざわざ、こんな手のこんだことするんですか?」

 

 でも、だからこそ俺は、純粋に知りたいことがあるんだ。

 自分に厳しく人に厳しく、厳格で正確な音楽を奏でる彼女、ポテトが好きで、俺といる時間はいつも楽しそうに笑ってくれる彼女。でも、たくさんの男と関係を持っていたという経験を持つ、彼女。

 ──ビッチの思考回路が知りたい。紗夜さんの思考回路が知りたい。俺は、それを本人に問う勇気がなかった。でも、花音さんなら。そう、思った。

 

「知ってどうするの?」

「まぁ教えてくれたら、もう少し構ってあげますよ……って言ったら?」

「ふうん?」

 

 品定めをするような瞳で俺を見下ろしてくる花音さん。でも、俺はどうしても知りたいんだ。自分で言うのもなんだけど、正直、隙はいくらでもあった。でも、俺はまだ童貞でいられてる。それが俺の意志でもあるけど、それ以上に紗夜さんにはさっきのようなどうしても我慢できない暴走状態があるはずなのになんでまだ俺が童貞でいられるのか。

 

「じゃあねえ……デート一回でいいよ?」

「セックスは計画に抜いといてくださいね」

「うん、いいよ」

 

 くすくすと笑って余裕そうな花音さん。悪魔との契約に他ならない気がするけど、それはこの環境や、紗夜さんに感じる未知と、それゆえの恐怖を克服するためなら。

 ──俺は、この時初めて、天敵(ビッチ)と戦う道を、向き合う道を選び始めていたのだった。

 

 



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Fは揺れる/帰り道の一幕

 向き合う決意。したはいいけど、その方法にデートってのはもしかしたら大きなミスをしたかもしれないと思いつつ、花音さんと連絡先を交換した。紗夜さんのような暇さえあれば連絡が来るタイプでないことに安堵しながら俺は練習に学校、そして合同文化祭の打ち合わせと大忙しな日々を過ごしていたある日のこと。

 羽丘へ燐子さんのお付きをしていた俺は、生徒会室の机にぐでっと突っ伏していた。いや流石に疲れますよ。ハードスケジュールだもん。

 

「カンベさん……大丈夫ですか?」

「う、うん……なんとか……」

「わたし、お水買ってきますね!」

 

 ああ天使、めちゃ健気だし、マジ天使。魂の五七五も疲労感のせいかIQと語彙力とセンスも枯れてるな。

 羽沢さんも忙しいはずなのにパタパタと自販機まで小走りしてくれるんだもんなぁ。マジぱねぇ、マジ天使。

 

「ふぅ〜、ありがとう羽沢さん。助かったー」

「いえ、いつも頑張るカンベさんのためですからっ」

 

 数分後、水の入ったペットボトルを机に置きながら羽沢さんの笑顔に癒される。文化祭の準備も佳境に入ってきて、より燐子さんがコッチに出張することが多くなってるし、だんだんと学校の外装とかも変わってきていい感じだ。ウチの学校は春に終わってるから、被ってなくてよかったと本当に思う。

 

「ワンドルの文化祭ライブ、見に行きましたよ」

「え、ホント?」

「はい!」

 

 そういえば羽沢さんはファンらしい幼馴染のヒト、確か上原さん、だっけ。その子に連れられたのが最初だったんだっけ。なんか一回声掛けられた気がする。なんで記憶ないんだ? そんな嫌な印象だったっけ? 

 

「……カンベさん」

「燐子さん、おかえり」

「燐子さん! お疲れ様ですっ」

「あ、はい……おつかれ、さまです」

 

 ステージの打ち合わせが終わったらしい燐子さんがやってきて、名残惜しいけど天使に別れを告げた。歩きながら今日あったことを話したり、進捗を共有するのも仕事です、と言われてる。人使いが荒いよ、紗夜さんは。

 

「じゃあステージの予定決まったんだ?」

「大体の、スケジュールは……これです」

 

 見せてもらったスケジュールには物凄く有名バンドが集まっていた。文化祭なのに豪華。

 俺たちのほかにも羽沢さんたちのAfterglow、そして俺たちの当面の目標であるRoselia、その外にもサーカスみたいなパフォーマンスと明らかに採算の合ってない演出で有名なバンドとか、ポップでかわいく、でもカッコいいと評判のバンドとか、羽沢さんやリサを始めとしたメンバーが文化祭のために組んだバイト応援バンドなど、目白押しとはこのことだよ。

 

「正しくお祭りですね」

「……はい。こんな大きなことになるなんて……びっくりです」

 

 スケジュール予定の入った、何やらドラゴンやら魔法陣が描かれたファイルで口許を隠しながら、燐子さんはふふ、と笑ってみせた。びっくりだけど楽しそうに見えて、ちゃんと変わっていってるんだなとわかった。

 

「どうか……しましたか?」

「ううん、どうもしてない」

 

 紗夜さんも、燐子さんも、短い間に変わってる。じゃあ俺は? ただ逃げ続けてるだけじゃないのか、そんな風に思う。

 そういえば、紗夜さんは俺に出逢ってからずっとセックスは我慢してるって言ってたっけ。きっと燐子さんも、そうなんだろうな。

 もう、逃げてるだけじゃダメなんだよっていうのも、わかってるつもりだ。一度フッた相手に甘い顔を見せているのがどんだけ残酷なことか、なんてそれは、俺自身が一番知ってる。

 

「……そう、いえば」

「ん?」

「わたしは……まだ、カンベさんの恋の、結末の先を……知りません」

「……誰にも、話してないからね」

 

 うわ、タイミングばっちり。今思い浮かべていたのも丁度、その結末の先の話だよ。一度フった相手、ってわけじゃないけど、あんな本音を持っているあの子も、俺にはまだ甘い顔をする。勘違いしてしまいそうなくらい、女をまき散らしてくる。

 

「名前を呼ばれる度に、ホントは少し……痛くなる。前の俺だったらそこで思わず叫ぶくらいバカだったかも」

 

 なんで、俺のことホントは嫌いなんだろ? なんでそんな近づいてくるんだよこのビッチ、くらいには言うだろうね。デリカシーもクソもなく。

 でも、それを冷静に()()()()()()()()()()()って思えるようになって、フツーに接していけるようになったのは、間違いなく二人が誘惑してくるせいだ。

 

「燐子さんみたいにスカートを捲ったりしないし」

「……好きなヒトには、見られたい……から」

 

 それはそれで危ない性癖ではないでしょうか? あとスカートをつまむのやめてね? ここ羽丘の廊下だから、まだ生徒さんいるから。

 

「見られるのも、撮られるのも録られるのも捕られるのも……ゾクゾク、します」

「ホント燐子さんの性癖は歪んでるね?」

「童貞に……性癖の歪みは、指摘されたく……ありません」

 

 めちゃくちゃ酷いことを言うんだ。あとトられる三回言われても意味が分かりかねるので、童貞だし。たぶん撮影と録音は入ってるよね、あと一つはホントにわからんから。

 羽丘を出てもまだネタで済んでるのかどうか怪しい……と思ってる時点で汚染されてる気がする会話を繰り広げていると、燐子さんが俺の指に触れてきた。

 

「……えっと」

「ひ、氷川さんとは……手を繋いだことが、あると……聞きました」

 

 紗夜さんだな。すぐ燐子さんにはしゃべるんだから。でも紗夜さんとは違って控えめに指にそっと触れるというアピールは、不覚にもドキっとさせられる。本当に、このヒトは恋愛には慣れてないんだよね。

 

「……カンベさんも、氷川さんも、わたしも……恋愛は下手、ですから……」

「そう……だね」

「恋愛もせずに……セックスばっかりして、そのせいで……いざ見つけたヒトに、どう接したらわからなく、なって……」

 

 わたしも氷川さんも同じです、なんてことを言う燐子さん。俺はそんな燐子さんに掛ける言葉なんて見つからない。そのいざ見つけられた側からすれば接し方が合ってるとは言い難い。でも、俺はそんな二人のおかげで、助かってる部分もたくさんあるから。

 ──だから、俺は手を握ります。感謝を伝えられるなら。

 

「……カンベ、さん?」

「帰りましょう、花女に。きっと紗夜さんがそわそわしてますよ」

「……はい」

 

 燐子さんは、ふわりと笑顔を浮かべてくれた。暖かな手を包む感覚がすごく落ち着かないけど、笑ってくれるんだからそれくらいは我慢しよう。

 電車での移動も慣れたもので、隅にいる燐子さんを隠すように向き合っているのが定番で、俺はいつも燐子さんには目線を向けないようにスマホを触ってるんだけど、今日はその手が燐子さんに掴まれていた。何故かいつの間にか指の間に燐子さんの指があるし。

 

「……ここで」

「ん?」

 

 頬が赤く染まってる。なんかアレな雰囲気だ。事前にキスとかしないでくださいよ、と釘を刺すと、案外素直にわかっています、と返されてしまった。やっぱり紗夜さんより燐子さんの方がまだ貞操観念がマトモだよね。

 ──そう思っていたら、燐子さんは揺れに合わせて狙ったように……いや確実に狙って、俺に抱き着くようにして倒れこんできた。

 すぐ近くに香る、燐子さんの甘い匂い。みぞおち辺りにある、柔らかすぎる感触。やばいと思った時には既に遅く、密着している燐子さんの腰当たりがむくむくと膨らんでいってしまった。

 

「……り、燐子さん。離れてほしい」

「……キスはしません。けど……ここで、痴漢されても、わたしは無抵抗で……いますから」

 

 この変態! そんなこと考えてたのか! 本当に妄想に浸ると紗夜さんより頭の中真っピンクですね!

 どうやら俺が反応したせいでスイッチが入ったようで離れるどころかさりげなく身体で刺激してくる。わー、痴漢されてるの俺です! このヒト痴漢ですう!

 

「いやなら……突き飛ばしても、いいんですよ?」

「……しないと思って、言ってるよね」

「はい」

 

 やけに明るく言葉を出すね。俺に燐子さんを力で突き飛ばす勇気なんてない。うっかりケガさせたりしたら困るし。だからと言って俺が痴漢されてますと叫んでも、事情聴取を受けるのは燐子さんではなく俺だろうし。男女差って怖いよね。

 

「それじゃあ……着くまで、楽しみましょうね♪」

「最悪……絶対紗夜さんに言いつけてやる……」

「ヤったもん勝ち……ですよ」

 

 親指を人差し指と中指の間に入れてのグーに、俺は顔を引き攣らせることになった。燐子さんって、燐子さんって本当にこうなると強いよね。

 揺れるたびに体勢が崩れそうになって、慌てて背中に手を入れて支えた。すると、なんということでしょう。俺が燐子さんを隅に押し込めてる感じになるじゃありませんか。

 

「……いいんですよ、誰にも見れないココで……なにもかも、奪って……」

「そ……そんなことしません」

「……好きだから」

「燐子さん……」

 

 わかってますよ。燐子さんがただビッチで、男が食べたくて俺に迫ってるわけじゃないこと、わかってますから。だからそんなふとした時に寂しそうな顔をしないで。

 いつもは楽しそうに揺れる黒髪が切なそうで、俺はその密着感のまま、今更何を失うこともない、とばかりに燐子さんを抱きしめた。

 

「……カンベ、さん……?」

「ごめんなさい。俺にはまだ、なんの覚悟もないから……紗夜さんに対しても、燐子さんに対しても」

「……はい。理解、してます」

「なのに、こうやって隙を与える俺を……許して」

 

 俺の誰に向けてるのかよくわからない謝罪に対して、燐子さんはただ無言で、俺に体重を預け続けていた。

 それ以上、誘惑とかはなく、ただじっと燐子さんは俺に体重を預けたまま電車に揺られ続けた。

 



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向き合うD/薄暗い建物の中で

 待ち合わせ、俺はなんだかんだで三十分前にはその集合場所にいた。髪にも服にもいつも以上に気をつけた。相手のことをなんとも思ってなくても、それくらい気を付けないと相手に失礼だからね。相手がどんな格好をしてくるのか、なんて知らないけど。

 スマホを触りながら紗夜さんから散々メッセージが届いてくる。何かあればすぐに連絡してほしい、と。まぁ、最初からそうするつもりですけどね。

 

「ふうん、デートするのに他の子と連絡取るんだあ、ふうん」

「……花音さん。おはよう」

「うん、おはよう」

 

 何せデート相手はこのヒト。童貞キラーのDサイズのビッチさんこと松原花音さんだから。からかうような口調はスルーしておく。俺はあなたのカレシでもセフレでもないんで、誰と連絡しようが勝手だと思うんだ。

 

「でもデートする女の子ほうっておいて連絡取ってたら、はいさよならされちゃうよ?」

「お付き合い相手だったら、注意します」

「……そうじゃあないんだけどなあ」

 

 まるでわかってないなあとばかりにため息をつかれた。そして俺の腕を取りながら、花音さんはにっこりと俺に現実を突きつけて、刺し殺そうと言葉を紡いでくる。

 

「だから童貞なんだよ、カンベさんは」

「は?」

「大体今日はそういうのを直すためにデートするんだから」

「へ?」

 

 いや聞いてないし。どういうこと俺に問題があるってこと? 俺がモテない理由についに触れられるのか。

 さっそくダメ出しモードに入った花音さんは、まず、と右手の人差し指を俺に向けてきた。仕草はいちいちかわいいですね。

 

「もうちょっと楽しそうな顔してほしいなあ」

「花音さんじゃなきゃ」

「私でも、だよう」

 

 もしこれが羽沢さんだったら俺はマックステンションだし、終始ニコニコしていられる自信があるけどね。花音さんかぁ……花音さんなぁ。

 だって花音さんだしなぁ。

 

「なんでそんな難しい顔してるの……?」

「警戒してるんです」

「大丈夫だからね? よしよし」

 

 頭をなでなで。ほんわか雰囲気でこう、優しくされるとわかるけどこのヒトも燐子さんに負けないくらいの母性(バブみ)を秘めているらしい。相手がビッチの危険人物じゃなきゃ赤ちゃんになれそう。

 

「それで、どこに行くんですか? 俺、聴いてないんですけど」

「水族館」

「……え、やっぱ帰っていいですか」

「ダメ」

 

 だって! 水族館と言えば、暗い! 暗いと人目につきにくい! するといちゃいちゃしやすいからデートスポットに最適! と、花音さん相手だと危険な香りしかしないじゃん! 俺、まだ清い身体でいたいんです! 

 

「なんか偏ってるし、勘ぐりすぎじゃないかなあ?」

 

 紗夜さん知識です。あ、偏ってる気がしてきた。だって脳内ピンクの紗夜さんだもんね! 

 でも、それじゃあ水族館を選んだ理由ってなんだろう。女の子の扱い的な講座に便利だからとかその辺の理由? 

 

「私が好きだから、水族館」

「……えぇ」

「それがフツーのデートだよ。好きなところに行って、好きな人と過ごすこと」

 

 特別なことはなくていいよ、と笑う花音さんに、俺は思わず口に出して成程って言ってしまう。いわば紗夜さんといつも喫茶店やファストフード店に行くようなノリでデートってことでも大丈夫ってことかな? 

 

「そうそう。そうするとカンベさんって結構デート上級者ってことだよね」

「そう……なのかな」

「ほら、試しにどんな会話をしてるのか、私でやってみよ?」

 

 なるほどね! うんうん、それなら俺も上級者なんだ! なんか他の童貞に一歩進んでやった気分だぜ、ふふん。

 えっと、紗夜さんとの普段の会話か、とりあえず直近の会話を思い出していこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カンベさんは漫画は読まれますか?」

 

 それは燐子さんとあこちゃんが羽丘でゲームの話をしていたことを説明していた時だった。いつも通り羽沢珈琲店でポテトをつまみながら、紗夜さんはそんな切り口で俺に問いかけた。

 

「読みますよ」

 

 少年誌は好きだよ。海賊が様々な人間に触れあって大冒険したり、魔法使いがスタイリッシュに闘うようなバトル物も、嘘の恋人関係から始まったのがどんどん距離が縮んでいったり、ひょんなことから美少女たちに勉強を教えることになったりする恋愛ものも読むからね。

 

「なるほど、つまりエロも読むのね」

「断定するね?」

 

 読むけどさ。そりゃ健全な男子高校生ですし、もう18歳ですし。

 ただ最近ビッチに搾られる的なヤツが読めなくなったんですよ。誰のせいですかね? どうお思いでしょうかビッチの紗夜さん。

 

「それはさておき、ありがちなネタですが、ここで童貞にはつらい事実を伝えなければなりません」

「うん、もうツッコむのも疲れたから続けていいよ」

 

 どうせ止めても続けるもんね。だったら聞き流しながら相手をした方がマシだということに気づいた。

 紗夜さんはだというのに全く気にした様子はないようにカランカランとグラスの氷を揺らしながら今日のタメにならない知識を植え付けていく。

 

「断面図ってありますよね」

「……うん」

 

 あれね。詳しいことは言わないけどあれね。

 流石に俺だって見えないことはわかってますよ。それが見えたらファンタジーすぎる。

 

「あれでよくある描写といえば?」

「よくある……?」

「そう、膣内射精(なかだし)描写ですね」

 

 何も言ってないし思いつかなかったんだけど。しかし紗夜さんはそんな俺のリアクションを完全無視した状態で、話を続けていく。実はさっき流したこと怒ってますね? 紗夜さんは感情を表に出さずに言葉で反撃してくるから厄介だ。

 

「ただ、あの描写には明確な問題があるんです」

「この会話にも問題あると思うんですよ」

「それは射精している場所にあります」

 

 場所? と俺は今度こそ意味がわからずに首を傾げた。何か悪いところがあるんだろうか、と俺は思わずその描写を思い浮かべた。それを素早く見抜いた紗夜さんはそこに疑問文を差し込んでくる。

 

「どこに出してますか?」

「どこって、子宮?」

「はい、そこが問題なんです」

「えっと……わかんない」

「実は、どれだけ奥に挿入しても、子宮に直接は精子を送り込めないのです」

 

 え、そうなの? と俺は驚きの声を上げた。あげちゃった。紗夜さんはふふんと俺がノってしまったことを確信し、少しだけ嬉しそうにトーンを上げて解説を続けてくれた。ううん、内容が内容じゃなきゃ好感が持てるんだけどなぁ。

 

「女性器の内部構造は断面図ほど単純ではないのです」

「えっと、じゃあ……奥まで、とかは何処に当たるの?」

「それはポルチオですね。この子宮口のちょっと飛び出たところですね」

「そうなんだ」

 

 紗夜さんのスマホに映し出された、エロというよりは完全に医学的な断面図を示され、素直に感心してしまった。なるほどね、子宮は柔軟だから奥の飛び出たところに引っかかって、それが開発されると快楽になる、らしい。紗夜さんの説明によると。

 

「……タメになりましたか?」

 

 なった、とは言いたくないけど、知らなかったことではある。もしも誰かと初めてセックスをした時に勘違いしていたかもしれない。奥にコツコツと当たる感触はあるからそれで男のヒトは勘違いしやすいみたい。

 

「正直Pスポットは開発に時間がかかりますから、お手軽ならやはりGスポットですね」

「それなら聞いたことある単語だ」

「この辺りにありますね」

 

 先ほどの断面図を使って説明される。まぁ酷い会話だけど、紗夜さんの表情が分かりやすくてかわいいな、と思えるのがこの瞬間だから、やめられないのをなんとかしたいところだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪♪ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──というあらましを、ちゃんと小声でしました。今は水族館内部なのであまり通行人の皆様には聞こえてないかと思われます。

 さて、同族ビッチの花音さんの反応や如何に。

 

「……それが、普段の会話?」

「はい」

「……えと、うん……なんていったらいいのか、わかんないや」

 

 困ってしまわれた。どうやらやはり俺は紗夜さんに調教済みらしい。ガッデム。

 そんな困り顔の花音さんはけれど、なるほどね、と呟いた。何かわかるんだ、すごい。俺は何にもわかってないのに。

 

「何かわかりましたか?」

「うん。紗夜ちゃんって、もの凄くカンベさんのことを想ってるんだなあって」

 

 それでわかるもの? え、俺がおかしいの? 

 そう戸惑っていると、だってそれは性知識で、童貞くんに足りないものでしょ? とごもっともなことを言われた。そうですね、足りてないものです。不本意ながら補充されちゃってますけど。

 

「カンベさんにはハードルを下げてほしいんだと思う」

「ハードル?」

「うん。ハジメテのえっちでも、それを知ってればいいんだってこと、それと、セックスは怖いものじゃないよってこと」

 

 少し直接的すぎるけど、と付け加えられて苦笑いだけど、あれは紗夜さんなりの優しさでもあるだろうか。それにしては強引で直接的だけど。

 そこで直接的にしかできないのは紗夜さんが紗夜さんだからなのかもしれない。あのヒト、実はとんでもない不器用な気がするから。

 

「いいなあ、私もカンベさんのカノジョに立候補しちゃおうかな?」

「やめて」

 

 これ以上ビッチを抱えるのは流石にキャパオーバーです。俺は羽沢さんみたいな子がいいの!

 抗議すると花音さんは更に俺に纏わりついてきた。

 

「私は実技担当になってあげるから……ね? イチからジュウまで、手取り足取り」

「それヤってますよね」

「実技だから」

 

 意味ないし。というか当初の目的から逸れてる気がするんですよ、俺は。

 そして俺は誰かのセフレになるつもりは毛頭ないから。俺にとってセックスは本当に大切なヒトとする大切な行為だと信じてるから。

 

「そんなことより、紗夜さんのこと、というか花音さんの思考回路を教えてくれるんじゃないんですか?」

「紗夜ちゃんと私は違うよ?」

「それでもいいから」

「……じゃあ、移動しよっか」

 

 花音さんは俺の腕を引いて歩きだす。おどけた仕草は消えて、でも余裕な微笑みだけは残っていて、俺は暗闇を奥へ奥へと進んでいく。

 その先にあるものが、たとえ受け入れがたいものだったとしたら、俺は……その時は、きちんと覚悟を決めなきゃ。

 



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向き合うD/好きになる理由

 水族館の奥へと花音さんに手を引かれてやってきた先は、ガラスケースの向こうで光を浴びながら泳いでるってよりは浮いてる印象のある軟体動物(クラゲ)の前だった。もっと二人でしゃべれるところかと思いきやクラゲという事実に俺の中に疑問が嵩んでいく。

 

「……なんでクラゲ?」

「私が好きだから」

 

 うっとりした表情でクラゲに魅入られるヒト、俺初めて見ました。こころなしかそこはかとないエロスを感じる。

 ──と、そんな感想はさておき、花音さんは目線はクラゲに固定したまま、あのね、と声だけを俺に向けてきた。

 

「好きって、なんだと思う?」

「はい?」

 

 唐突にわけのわからない質問をされてしまった。

 好きってなにと言われても、俺にその答えは見つからない。すると花音さんは私は今日は二回、好きだからって言ったよと補足される。

 

「水族館とクラゲ、ですか?」

「うん。水族館が好き、じゃあ、なんで好きなんだと思う?」

「……ええ」

 

 知らないよ、そんなの。別に花音さんが何を思って水族館が好きなのかと言われても、俺にわかるわけないし。

 でも、クラゲが好きってのとつながってるから、クラゲが見られるから水族館が好き、とか? 

 そう言うと、花音さんはふふ、と微笑みを零した。

 

「正解」

「なんなんですか」

「大事なことなんだよ? だからちゃんと聞いて、ちゃんと答えて」

 

 その声は真剣そのものだった。というかまだ質問は続くってことだよね。

 俺の予想通りに、じゃあ、と花音さんは再び声を俺の方に向けてくる。これであなたのことを知ってほしかった、なんて言ったら流石に帰りますからね。

 

「なんでクラゲが好きでしょうか?」

「……それは、難しいね」

「ふふ、そうだね」

 

 なんでクラゲが好きか、なんてそれこそ本人じゃなきゃわからないような質問だ。でもちゃんと答えて、ってことはちゃんと考えてってことだろうから、一応思考を巡らせる。うねうねがエロかった、とか言ったら犯されそう。でも、そんな突っ込んだ理由じゃなくても、当たらずとも遠からずってところじゃない? 

 

「見た目、ですか?」

「うん、そうだね。水族館で初めてクラゲを見た時に、かわいいなあってなって」

「かわいい、ですか」

 

 ううん、女の子のかわいいの基準はよくわかんないけど、どうやら正解はできたらしい。けど、それが今、俺がしたい話となにか関係があるんだろうかと待っていると、それじゃあ、とまた質問をされた。

 

「別れたカレシが好きだった理由は?」

「いやそれこそ知りませんよ」

 

 それはクラゲやら水族館やらの好きとはまた別種の好きでは? 

 甘い食べ物が好きだとか、ポテトが好きだとか、ホットミルクが好きだとか。人間関係の好きとそれは全くの別物だと思うんですけど。

 しかし、花音さんはそれを違うよう、と否定した。変わらないと言った。

 

「じゃあなんで好きだったんですか?」

「顔が好みで童貞だったから♡」

 

 うんこのヒトダメだ紗夜さんに連絡しよう。

 そう思ってスマホを取り出したら微笑みながら襲うよ? って言われた。理由がクソな上に脅し方もクソとかもうこのヒト信用する要素がどこにもないんだよなぁ。

 

「でも、顔の好みとか童貞ってさ、言うなら味の好みと同じなんだよね」

「同じなんですか……」

「だって、嫌いなものを食べろって言われても、おいしいとは思えないでしょ?」

 

 性癖と食べ物の好みを一緒にされても、と思ったけど、肉食系草食系とか、意外と性的な表現を食事として表現する言葉って多いよね。紗夜さんが前に性欲と食欲は近いところにあるって言ってたし、本能的にそういうことなのかも。うわ納得しちゃった最悪。

 

「だからね、あんまり好きに理由を求めすぎるのはよくないよ」

 

 変なものを好きだったとして、そこを理由に心を閉ざしちゃうの? と問われて俺は少しだけバツの悪い顔して花音さんから視線を逸らした。

 俺も、好きに理由を求められたら困る側だから。あの子を好きになった理由も、あんまりにもふわっとした理由だし、ベースも、ただ幼馴染がやってるのを見てカッコいいと思ったからだ。

 

「好き、なんてふわっとしたものだよ? あやふやで曖昧で、それなのに理由を問い詰めて……それってすごく、鬱陶しいよ」

 

 暗い表情で、怒ったように、そんな冷や水を浴びせてくる。恋愛初心者、未経験者が陥りやすいんだけど、と前置きして花音さんは俺の間違いを指摘してくる。

 

「好きに執拗に理由を求めちゃダメだよ。なんで、どうして? そんな言葉、好きなヒトから問い詰められたら、やだよ」

「それが……俺だと」

「だってそうでしょ? 紗夜ちゃんが好きって言ってくる理由が知りたくて、私を頼ってきたんだから」

 

 理由がちゃんと言えるなら恋人、ちゃんと言えなかったらセフレ、みたいな線引きをすること自体が間違い、と花音さんは言った。

 だからあの時に花音さんはその辺を童貞くんにわかってもらおうと思ってないからいいやって言ったのか。

 

「言葉にはできない。でも確実に存在するの……セフレとカレシの線引きって。私はあんまり特別にカレシ作っちゃうと途中で飽きちゃうんだけど」

 

 つまり、花音さんが飽きる理由は、束縛が嫌いでセックスがワンパターンになるのが嫌ってだけ? そう問いかけるとあっけらかんとそうだよ? と首をかしげてきた。

 確かにセフレにはない悩みだよね、一緒じゃないわけだ。

 

「わかってもらえた?」

「……納得はしたくないけど、理解はできました」

「うん、ならオッケーだね」

 

 ふふ、と花音さんは母性ある微笑みで俺の腕に自分の腕を組んできた。デートなんだから、と言われて、力も強いし俺はしぶしぶ抵抗をやめる。やっぱり燐子さんほど肉厚じゃないけど紗夜さんよりは確実にあるな。

 ところで、俺はひとつ気づいたんだけど。

 

「花音さんも……なんだ」

「なにが?」

「セフレじゃなくて、カレシ候補なんだなって思って」

「……うふふ、いい、いいねえ。わかってきたよ」

 

 正直、このヒトにも俺は童貞を奪われてもおかしくないタイミングがいくらでもあったし、なのにこうして優しく接してくれる。さっきの花音さんの行動原理からすると、別にセフレに困ってるわけじゃないけど、花音さんはこうして一緒に水族館に行って、カフェで一緒にお茶して、ホテルに行くような相手が欲しがってるってことでしょう? 

 

「なんでそこまで?」

「オナニーじゃ気持ちよくないもん」

「あのねぇ……」

「それに……実は、私、方向音痴だから」

「え?」

 

 水族館に一人じゃいけないんだ、という言葉に俺は物凄く同情した。時折学校に行く際も迷子になるらしく、クラゲを見ようにもまず電車を乗るために駅に行くことすら一苦労、あまりにも残念すぎる。

 

「だからカレシ? セフレは?」

「セフレだとすぐセックスセックスってそればっかり、暗がりに来ただけで発情するんだもん」

「……ものすごい悩みですね」

 

 花音さん的には水族館では純粋に海の世界を楽しみたいらしい。燐子さんだったらおそらくウェルカムでしょうと思ったけど、本当に純粋に水族館に行く理由が違うのか。

 花音さんは一度襲われて以来、絶対にやめようと心に誓ったらしく、だから童貞くんのほうがいいんだよねえと笑った。

 

「あんまりヤりすぎちゃうとダメだけど……ほら、こんなに密着しても、セックスするならホテル行くでしょ?」

「まぁ、こんな人のいるところでシたくはないですね」

「ほら、じゃあホテル行こっか」

「セックスは計画に入れないでねって釘を刺したはずですが?」

 

 さすがに冗談だったようで花音さんはそれからセックスしたいと一言も発することなく、水族館を楽しみ、そして家まで送った。本当に方向音痴でびっくりした。駅から家までの道把握してないとかマジでありえないと思ってたのに。

 でも楽しかったななんて思ってしまった自分を律するように歩いていると、目の前にアイスブルーの仁王と漆黒の夜叉が現れた。

 

「……ずいぶんと、お楽しみのようでしたね……カンベさん?」

「さ、紗夜さんに……燐子さん」

「私の連絡も無視して、よくもまぁ腕を組んでいちゃいちゃと……」

 

 なんで知ってるのかな? まさか後をつけてきたんじゃないですか? 

 ものすごい怒りのオーラ、これが嫉妬ってやつですね。まさか俺がこんな迫力に晒されるなんて思ってもなかった。

 

「さて、これからカンベさんのお宅にお邪魔させていただきます……じっくりと成果報告をしていただきましょうか」

「……じっくり、しっぽり……ですね」

 

 二人のビッチに引きずられて、俺は自宅に強制お邪魔されてしまうことになった。仁王と夜叉のダブル訪問は、もしかしなくても俺の貞操にとって過去最大のピンチでは? 頼むから今日は誰か家にいてくれ。夕方だけど母さんくらいいてほしいな、と淡い望みを抱きながら、俺は帰路へ着き始めた。

 

 

 

 



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Wは涙する/決意は刃のように

 拝啓、天国にいるおじいちゃんへ。俺は今、男性として途轍もなく羨ましくもあるピンチに陥っています。それはなんと、美人な女子高生、まぁ同期なんだけど……しかも二人が俺の家にやってきているんです。

 羨ましいんだろうか。代われるものなら誰か代わってほしいです。切実に。

 

「お、お茶です……」

「あ……ふふ、とてもいい、香りですね……」

「お客様用のだからね……はは」

 

 しかもそういう時に限ってお母様もお父様も不在である。まぁ父さんはこの時間に帰ってくることなんてないけどさ、母さんがまさか友達と飲み会だなんて……やめてくれよ。俺はおかげでこの二人をたった一人で相手しなきゃいけないんだけど。

 しかも二人して猛獣だよ猛獣。

 

「さて……なにからお話しましょうか?」

「とにかく……今日、あったことを、包み隠さず教えてください」

 

 紗夜さんがあくまで厳しく、燐子さんは優しく、これぞビッチコンビによる飴と鞭戦法。これにより隠し通す気概を失わせる高等話術である。あと俺の貞操は死ぬ。

 そんなコンビネーション攻撃だけど、やっぱり俺相手だと勝手が違うようで隙がある。だからまだ余裕のある感じで冗談を挟む余裕もあるよ。

 

「ちなみに隠したら?」

「その時は隠したこと一つにつき、一発です」

「なんなりとお聞きください」

 

 一発ってなに、ああいい言わなくていいから。言わなくていいからごめんなさい、まだ清い身体でいたいです。

 やっぱりこの二人には勝てません。だって脅しに貞操持ちかけてくるんだもん! ずるいや! 

 紗夜さんは机にカップを置いて、組んでいた足を組み替えながら、ソファーに背を預けてため息をついた。

 

「……それで、どうしてスマホを手放したの?」

「危険がないと思ったから」

「暗がりなのに?」

 

 それは紗夜さんの考えすぎだということが花音さん本人から口にしてましたけどね、と思いながらも弁明をする。

 花音さんは別にヤりたい目的で水族館に行かないということ、他に諸々、ちゃんと花音さんは貞操の危険性なんて感じなかったことを説明した。少なくとも今のあなたたちよりはよっぽど危なさなかったんですよ。これは口が裂けても言えないけど。

 

「……そう、なんですね……なら、よかった」

 

 と、これは燐子さん。紅茶を飲みながら本当に安心したように息を吐いた。まぁ、心配かけたことについては申し訳なかったとは思う。今後は気をつけよう。

 ──けど、その隣に座って腕を組んでる方のヒトは、眉根を寄せてる。まだ納得できてないらしい。

 

「どうして、そう簡単に信用してしまうのですか……」

「いや、だって大丈夫だって」

「それが、あなたを誘うブラフかもしれない、ということを何で考慮しないの、と言っているのよ」

 

 うわぁ……めちゃくちゃイライラしていらっしゃる。組まれた腕に指先がトントンと往復する。なんでそんなに怒るのかわからないけど、俺はそれだったとしても、きちんと俺にヒントをくれた花音さんを悪く言うつもりはないと弁護した。

 

「俺にとっても花音さんにとっても利点があったからだったし、リスクがなかった。だから連絡が必要だとは思わなかったよ」

「──っ! そう……その結果が腕を組んで、あんな至近距離で……」

 

 やば、なんかますますイライラしだした。紗夜さんだって大概では? と思うんだけどどうだろうか。燐子さんに視線を向けるとものすごいおろおろしていた。どうやら燐子さんもここまで怒り心頭になるとは思っていなかったらしく、パニック状態だ。

 

「楽しそうにしていましたけど、松原さんが苦手ではなかったのですか?」

「うん。まだ苦手だよ、あのヒトの恋愛観は俺には異次元すぎるし」

 

 でも、楽しかった。水族館に通い詰めてるだけあって慣れてるし、解説とかしてくれるとただ眺めてるよりも沢山心に残るような感じだった。それに純粋に楽しそうにしてくれる花音さんの前で難しい顔を保ってられるほど、俺は意地の悪い人間じゃないから。

 それを伝えたら、紗夜さんは眉間の皺を解すことなく何かを言おうと口を開いては閉じ、そして、ため息をついて立ち上がった。

 

「……そうですか」

「氷川さん……?」

「紗夜さん?」

 

 ──その瞳は、何も映していなかった。燐子さんのことも、まだ湯気を出している紅茶のことも……向かいで正座をしてるはずの、俺のことも。

 びっくりするほど冷たい目をして、さっきまであったはずの怒りも感じさせない、というかなんの感情も感じさせない表情をしていた。

 

「帰ります」

「……え、ひ、氷川さん……?」

「お邪魔しました」

「待っ……!」

 

 何を言ったらわかんなくて、何も言えなかった。紗夜さんは足早に立ち去っていってしまい、俺と燐子さんだけが残されることになった。以前、燐子さんが泣いて立ち去った時とは違うのは、燐子さんも悲しそうな顔をしていることだった。

 

「俺……ミスりましたかね?」

 

 おそるおそる問いかけると燐子さんは首を横に振った。

 ミスはしてない。ただ、完全に悪くないかというと、そうでもない。傷つけたのは事実だから。

 

「今回、カンベさんは半分くらいしか悪くありません」

「半々、か」

「はい。カンベさんは……氷川さんのことを、考えて行動、した……んですよね?」

「まぁ」

 

 紗夜さんを理解したくて。それが間違いだったことを花音さんには思い知らされたけどさ。でも、それでも紗夜さんのことを考えて行動したことは、間違いじゃないと燐子さんは俺の頭を撫でてくれた。なんか、ほっとする。あこちゃんは結構してもらってるらしいね、これ。羨ましい。

 

「ですが……だからこそ、氷川さんの、ことを傷つけてしまったんです……」

「……だからこそ」

 

 眉尻を下げて、燐子さんは悲しそうにつぶやいた。

 自分のことを考えてくれた。それは喜ぶことかもしれなかったのに、俺は花音さんに近づきすぎたことで、どうしたらいいのかわからなくなったんだな。だから、あんな反応をしたんだ。

 

「わたしも、少しだけ……痛くなりました」

「燐子さんも?」

「……氷川さんのために、向き合おうとしたことも……そのために松原さんと、デートをしたことも……二番目に甘んじているのも……本当は、嫌ですから」

「……そうだったね」

 

 待ってこんな状況で泣かないでほしい。女を泣かせたくないとかそんなんじゃなくて、俺がフリーズするからやめてほしいってだけで、あとそんな告白めいた言葉で泣かないで罪悪感で俺は押しつぶされそうだよ。

 

「絆されてくれないかな……とは、思いました……なんて」

「心臓に悪いので」

「ふふ、やめません」

「……あっそう」

 

 こんなことしてたらますます紗夜さんが意固地になりそうだね。でも、今絆されてしまうところだったけどさ。

 あのヒトのリップがついたすっかりぬるくなったカップが、凄く怒ってるみたいだから。今日はハグもキスもナシの方向で。あとこの完全に二人きりは危ない。燐子さんが正気を失う前になんとかしないと。

 

「送ってくよ」

「狼さんですね」

「……フツーに送ってくだけです」

「なら夜道は怖いから、腕を組んでくれると……嬉しいです」

 

 それは組まないとここで襲う、というのと同義では? と思ったけど燐子さんはふふふ、と蠱惑的に微笑むだけ。ああもう無駄に健全な男子高校生の性欲を弄ぶような笑顔はやめようね! 

 

「……こんなの、ズルいってわかってますけど……」

「いいんじゃないですか……って俺が言うのは違う気がするけどさ」

 

 腕を組んでわざと押し付けてくるFサイズという究極の暴力(おっぱい)に心臓を跳ねさせながら、燐子さんの言葉に俺は極めて平常心を保ちながら投げ返していく。色即是空、空即是色、心頭滅却すれば火もまた涼し。

 

「でも、恋はしちゃったんだから、しょうがないでしょ?」

「……はい」

「痛くても、痛くても……結局好きなんだから」

 

 好きに理由はいらない。無理に理由を探して、それを否定して嫌いになるのなんて、もっと間違ってる。俺は、花音さんに好きの理由を聞いて、そう気づいたんだ。

 ──俺、まだあの子のことが……美鈴のことが、好きだ。

 

「……そう、ですか」

「って言っても、告白するつもりもないけどね」

 

 なにせ向こうにはカレシもいるし、それを引いても俺はこの気持ちを抱えながら紗夜さんとも、燐子さんとも、花音さんともキスをしてしまって、デートの約束をして、恋人みたいに手を繋いだり腕を組んだりしちゃってるからね。あの時点でがっついてる童貞って言われてるから、大分その友達付き合いとしての一線は後ろだったし、丁度いいと思うよ。

 

「でも……やっぱり好きだからさ」

「……はい」

「ごめん……こんな近くまで許しといてさ……俺って最低だよな」

 

 別のヒトを好きなのに、家の前についても下を向いてる燐子さんを慰める方法を、抱きしめてあげる以外に思いつかないなんて最低だ。

 別のヒトを好きなのに、カンベさんは最低なんかじゃないです、って泣きじゃくりながら言わせるなんて最低だ。

 別のヒトを好きなのに、嫉妬と怒りと悲しみで、きっと今も苦しんでる紗夜さんに会いたい、会って助けたいと思ってしまう俺は、本当に最低だ。

 ヒーロー気どりの俺を、許さなくてもいいから。俺なんかのために、傷つかないで。

 ──もう、泣かないで。泣かないでよ、燐子さん。

 



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Bを追え/ズレた日常の中で

 ぱったりと紗夜さんからの連絡が途絶えて、早三日。俺は燐子さんの要請を受けて羽丘へと向かった。

 それまでは毎日のように顔を合わせていただけに、どこに行っても紗夜さんがいないというのは、なんだか日常じゃないような居心地の悪さがあった。

 

「……カンベさん」

「ごめん燐子さん。お待たせしました」

「いえ……大丈夫、です」

 

 そして燐子さんとも。ちょこっとだけ顔を合わせにくかったけど、俺を見つけてぱっと笑顔を咲かせられると、どうにも気まずさを引きずってるのもダメな気がしちゃうよね。

 ──しかも、連絡でストレートに会いたいなんて言われたらさ。

 

「こちらこそ……ごめんなさい、忙しく、なかったですか?」

「大丈夫だよ」

 

 ホントは、美鈴のグループに帰りに寄り道しようって誘われてたけどね。これは燐子さんには内緒にしておいたほうがよさそうだし。いくら好きな相手って言っても、嘘を塗り固めて無理に俺を誘ってくるヒトより、こうやって俺の存在に泣いたり笑ったりしてくれるヒトを優先するよね。

 

「……それじゃあ、わたしは……打ち合わせに、行ってきます」

「うん、俺はここにいればいいのかな?」

「はい! 留守番で申し訳ありませんけど、ここからはわたしに任せてくださいね!」

 

 名残惜しそうに生徒会室から出ていく燐子さんと、俺に向かって元気いっぱいの笑顔を向けてくれる羽沢さんを見送って、俺はひとりになった。

 スマホを見ても、紗夜さんからの連絡はなし。何か送ろうかとも思ったけど、文章が思いつかずに結局、俺が心配そうにメッセージをくれた紗夜さんを無視しっぱなしだ。

 

「なんだかなぁ……」

「おねーちゃんとケンカしたの?」

「──うわっ!? ひ、日菜さん?」

 

 そんなため息をついていたら、机からひょこっとアイスブルーの髪とキラキラした瞳が俺の視界に入ってきた。

 羽丘の生徒会長さんがこんなところでなにやってんすか。

 

「ここ生徒会室、あたしの城でしょ!」

「違うと思うし、打ち合わせとかは?」

「サボった!」

 

 うわこのヒト最低だ! 堂々とサボったはダメでしょう。つぐちゃんにも言ってあるもん、とか言われても、俺は羽沢さんがぐるぐる目を回してる姿しか思い浮かばない。そんなことになったら燐子さんもパニックになるからやめてほしいんだけど。

 

「それでそれで? おねーちゃんとケンカしてるの?」

「なんで嬉しそうなのさ……」

「興味あるだけだよ~」

 

 嬉々として話すことじゃないので勘弁してもらえませんかね。

 ──と、思ったけど、日菜さんはもしかしなくても紗夜さんの様子を知ってるんじゃないだろうか。

 

「んー、イライラしてる。最初は生理かなーって思ったんだけど、周期あたしと同じだし」

「そんなめちゃくちゃプライベートな情報はいらない」

 

 双子だからってそこまで似なくてよくないですかね。ってそうじゃなくてさ、とツッコミをしていると、日菜さんは少し考える素振りを見せてから、あ、でもね、と言葉を続けた。

 

「ちょっと前みたいになったかも」

「前って」

「あたしとロクに話をしてくれなかった時のおねーちゃん」

 

 それは、所謂狂犬のようにとげとげしさだけを持っていた紗夜さんでしょうか。俺は知らない時代なんだけど、紗夜さんはRoseliaで友希那に会うまで、バンドブレイカーだったらしい。周囲と合わせる気が全くなく、ただ暴力的に自分の実力だけを信じてきた時代の紗夜さん。今じゃそんな様子はないけど、なるほど、今の紗夜さんは周囲を寄せ付けない雰囲気ってことだね。

 

「それで、その紗夜さんを見て、俺をからかいに来たの?」

「うーん、からかいに来たわけじゃないよ」

 

 あはは、と日菜さんは明るく笑った。どうやら状況としてはピリピリはしてるけど、別に以前のように日菜さんにも冷たく当たってるわけじゃないということがわかった。

 そうじゃなかったらこのヒトは烈火の如き怒りを俺に向けてくる。そんな気がする。

 

「少しだけ、キミにヒントをあげようと思って」

「……ヒント、ですか」

「そ、おねーちゃん攻略のヒント!」

 

 紗夜さん攻略、と聞くと一も二もなく飛びつきたくなるけど、この小悪魔の尻尾と角が幻視できる彼女に頼り切るのは何か嫌なので警戒はしておこう。

 そんな警戒心に気づいてるのか気付いてないのかわからないような仕草で、日菜さんは生徒会長のデスク……なんでそんな校長みたいなデスクあるの、と毎度思う席に座って、昔話をしてあげると目を細めてチェシャ猫みたいな笑顔を浮かべた。

 

「おねーちゃんの初恋の話」

「初恋……」

 

 昔話って言っても、全然昔じゃないよと日菜さんは語り始めた。思い出しながらだから全然整然としてなかったから、後でまとめた感じだと始まりは二人が中学二年生の時にまで遡った。当時も弓道部だった紗夜さんは、その年からやってきた顧問の先生に恋をしたらしい。

 どんなヒトだったんだろう、と首を捻った俺に対して、日菜さんは虚空に視線を彷徨わせた。

 

「んーっとね、なんか大人~って感じのヒト」

「ざっくりすぎません?」

「あは、とにかくね、落ち着いてて穏やかな若いセンセーだったよ」

 

 キミとは大違いだね、なんて言われてちょっとダメージを負った。落ち着いてないし穏やかじゃないしどうせ子どもっぽいですよ、俺は。

 ──けど、その先生に対して、紗夜さんは猛烈にアタックを続けて、なんとその年の夏には紗夜さんは処女を奪われるという形で恋が実った。根負けしたんだろうか。

 

「結構際どい誘惑もしてたみたい」

「なんというか、紗夜さんらしくない」

「それはたぶん、今のおねーちゃんはケーケンホーフだからだよ」

 

 そこで、俺は疑問を挟み込む形になった。その恋は終わってしまうにしろ続いたにしろ、紗夜さんが俺に近づいた要因を構成する中に、あのヒトは援助交際を頻繁にしていたビッチ、ってのがあるよね。今聞いた情報が、それにどうつながるのか、俺はそれが知りたかった。というか昔話と聞いてそれを期待してたよ。

 

「おねーちゃんは、遊ばれたんだ」

「は?」

「たくさんえっちなことをされて、愛してるって口先だけでおねーちゃんを騙して、借金を押し付けてどっか行っちゃった」

「……え、ちょ、ちょ、ちょっと待って!?」

 

 完全に理解が追いつかないくらいの衝撃の事件が起こったのは三年生終わり、つまり一年半以上、紗夜さんを弄び、貪り、その男は紗夜さんの卒業と同時に急にいなくなった。

 高校生になってない、まだ働けない紗夜さんにとても払える額じゃない借金、日菜さんは詳しくは知らないみたい。

 

「それを稼ぐために……おねーちゃんは身体を売ったんだ」

「なんとかならなかったの?」

「誰かに相談できると思う? 真面目で堅物のおねーちゃんが」

「……確かに」

 

 紗夜さんはそういうヒトだ。普段がビッチで忘れそうだけど、本当は風紀委員をしちゃうくらいに真面目で規律に厳しい、まぁたぶん中学の出来事があるから余計に、何事にもキッチリしたヒトなんだなって思う。

 

「バンドを始めたのも、もしかして」

「理由の一つ、かな? それはわかんない」

 

 でも、バントの出演料とかを返済に充ててたのは確かだよね。どうやら機材とかはお得意様に買ってもらったらしい。中には事情を知って紗夜さんを本気で心配して……ってまぁヤってはいるんだけど、協力してくれたヒトもいたって日菜さんは言った。きっと一度だけ見かけたヒトも、その内の一人ってことだよな。

 そしてその返済は、高校二年生の夏になるまで続いたらしい。そのころにはもう日菜さんもアイドルやってて、紗夜さんも固定客とRoseliaがあって、なんとかなったと日菜さんは言った。

 

「あたしも途中から手伝ったし、Roseliaは物凄く人気だったし、そんな沢山の協力で、なんとかなったんだ。でもね、おねーちゃんは壊れちゃったんだ」

「え?」

「……疼くんだって、今でも時々……おねーちゃんは、いつの間にかセックスが目的になってたんだ」

「……そんな」

 

 最初の男が遺したものは、巡り巡ってそういう形で、今もなお紗夜さんを傷つけているらしい。毎日のようにあった快楽と脳内麻薬に溺れて、紗夜さんは高校三年生になるまで、借金がなんとかなった後も、援助交際を続けた。それが、紗夜さんの今につながる傷。

 

「なんとかしてほしいわけじゃない。でも……おねーちゃんはやっと、フツーに恋をできるようになったってことを、知ってほしかった」

「知っても……俺にはなにもできませんよ」

「そんなことないよ」

 

 日菜さんは目にうっすら涙を浮かべているように見えた。あたしはまだえっちとかしたことないから、おねーちゃんのことをわかってあげられない。おねーちゃんの言う痛いも気持ちいも、わかってあげられない。日菜さんはそう言って、また笑顔を作った。俺だってわかってあげられないのは同じだよ。俺だって童貞だし。

 ──でも、紗夜さんが怖かったんだというのはわかった。無邪気に恋をして傷ついてしまったから、怖くなってしまったんだ。俺が美鈴の本性を知って、極端に恋に理由を求めすぎていたのと同じように、花音さんと俺が楽しげに歩いていたことで、紗夜さんは傷つけられた過去と今までの自分の過ちという後悔が一気に押し寄せて、動けなくなって。だから、あんな風に怒ってるとも泣いてるともわかんない表情をしてたんだ。

 

「おねーちゃんのこと、よろしくね」

「よろしくって……」

 

 俺、どうしたらいいのかわからなくて途方に暮れてたんだけど、と唇を尖らせる。日菜さんはそんな事情は知ったことではないとばかりに立ち上がり、さっさと生徒会室からいなくなってしまった。

 ──結局、得られたのは紗夜さんの過去だけ。今の紗夜さんを俺がなんとかする方法は見つからないまま。俺は呆然と燐子さんと羽沢さんの帰りを待たされることになった。

 



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Bを追え/残酷で醜い恋の果てに

 燐子さんと日菜さんが会議中ということで、暇な俺は羽沢さんの手伝いをしていた。小柄で茶色の短い髪の襟足を左右に揺らす羽沢さんの後ろをついて歩きながら癒されていると、会議室の前で声を掛けられた。

 

「あ、カンベさん。こんにちは」

「へ、あ……花音さん? どうしてここに?」

 

 見間違えようのない松原花音さん。いつも通りキャラメル色のセーラー服に身を包んだDサイズのビッチさん。前みたいな警戒心はあんまり出さないで済むのは、ここなら花音さんなら大丈夫だと思ったからです。

 

「あれ、言ってなかったっけ?」

「なにが?」

「私、こう見えてドラマーなんだあ」

 

 え? マジで? 見た目ほんわかかわいい系の花音さんがドラム? 想像できない。どうやら俺が知らなかっただけで、バイト応援バンドを含めて二つのバンドに出るらしい。その事実に驚いていると、花音さんはにこやかにカンベさんも打ち合わせに出る? と問いかけてきた。

 

「俺が参加してなんになるの?」

「うーん、隣にいてくれたら机の下で脚とか触らせてあげるよ?」

「か、花音さん!?」

「遠慮します」

「カンベさんもどうしてそんな冷静なんですか!?」

 

 それは日頃紗夜さんに鍛えられた成果です。というか会議中にそんなリスキーなことしない。しかも会議のメンバーに幼馴染いるんですよ。しかも俺に対して妙に冷たいなんちゃってギャルがね。

 

「な、慣れてるんですね……すごいなぁ」

「感心しちゃダメなとこだから、これ」

 

 寧ろ貶されても文句は言わない。あでも羽沢さんにドン引きされたら俺の癒しはどこへ行ってしまうのってなるからやっぱりいいや。というか羽沢さんをそんなノリに巻き込んでごめんという罪悪感と同時に花音さんに視線を向ける。

 

「つぐみちゃん、その童貞くんだけはやめといた方がいいと思うよ?」

「花音さん?」

「ほら、こうやって視姦されちゃうんだから」

 

 ひどい誤解ですね! そうやって憤慨していると羽沢さんは、しかん……? と疑問符を浮かべていた。かわいい。やっぱり守るべきはこの子の天使のような純粋さ。花音さんみたいな悪魔の囁きをこれ以上聞かせるわけにはいかない。俺は羽沢さんと花音さんの間に立ち、余計なことを言わないでほしいことを視線で訴えた。

 

「ふふ、そんな必死になっちゃって、かわいいんだあ……食べていい?」

「勘弁してください」

「んん、残念……はやく紗夜ちゃんと仲直りしたら、私ともシてね?」

 

 シません。俺は花音さんのカレシになるつもりもないですから。そもそも、そもそもあなたは付き合ったとしても男遊び絶対止めないじゃん。嫌ですよ初のカノジョがセフレいっぱいの遊び歩くビッチなんて。

 そうやって言うと、束縛されるのが嫌でカレシさんと別れた花音さんは微妙な反応をするだろうなと思いながらも口にすると、意外なことにそっかあ、とフラットに返事をされてしまった。

 

「あ、カレは最初はいいよって言ったクセに、ってことだから」

「別に束縛されるのが嫌だったわけじゃない、と?」

「そもそも、私が付き合いたいって思うのは……全部を独占したいから、だから」

 

 おっと、ハイライトが消えた感じ。全部を独占したい、か。むしろ花音さんの方が束縛がえぐい。

 ──でもやっぱり、どんなにセフレとかがいる花音さんでも、ただセックスがしたいのと恋人として過ごしたいのは違うんだなってことはわかった。わかるくらいには俺も考え方が変わってきてるようだ。

 

「カンベさんのそういうところ、好きだなあ」

「からかわないでください」

「本気だよう……紗夜ちゃんと上手くいかなかったら、私が慰めてあげるね?」

 

 それはお願いしようかな。けど慰めるの意味が下にまで及びそうだから流石に断っておいた。花音さんに甘えてちゃ紗夜さんは納得しないだろうしさ。

 廊下でそんな雑談をしていたら、リサと灰色の髪の……ん、なんかリサとトーマが働いてるコンビニで見た覚えがある子と巷で噂のアイドルバンドのボーカリストの丸山彩さんがやってきた。おお、芸能人だ。

 

「それじゃあね、頑張ってね?」

「頑張ってください……って言っても、わたしにはなんのことかわかりませんけど……あはは」

「アンタは不器用で鈍感のバカ童貞なんだから、あんま小賢しいこと考えない方がいいと思うな、アタシは」

 

 知り合い三人にそう声を掛けられ、やってきた日菜さんには無言で手を振られ、俺と燐子さんだけが残された。本日の業務はこれにて終了。後は燐子さんを花女に送り届けて帰るだけだ。はぁ、今日の電車も痴漢されるのか……なんか女の子が電車に乗りたくない理由がわかる。

 

「……何か、ありましたか?」

「え?」

 

 夕暮れの駅までの道で、燐子さんはポツリとそう零した。何か顔に出てたんだろうかと燐子さんの方を向くと……彼女はもの凄く珍しい表情をしていた。

 眉根をほんの少しだけ寄せて、心なしか柔らかそうな頬が膨らんでるように感じる。指を絡められ、恋人繋ぎという抗えない状況で握力も少し籠められている。

 

「えっと?」

「スッキリした……みたいな表情、してます……まさか、松原さんと」

「シてないから! それは、断じて!」

 

 スッキリしたの意味が全然違うねそれは。何度も重ねて言いますけど、俺は、未だ清い身体です。童貞です! 

 その否定が伝わったようで、燐子さんはよかったと息を吐いた。今のは、燐子さんのヤキモチか。最近はずっと燻ぶらせてる気がする嫉妬の炎。

 

「日菜さんに紗夜さんの過去を聞いて、花音さんや燐子さんの態度を見て、俺なりに向き合う答えが出た気がするんだ」

「……そう、ですか」

 

 どうしたらいいんだろうね。紗夜さんが前に言ってたみたいに、そしてランスのように複数人と付き合う? 俺はアイツのように器用じゃないから、こうやって誰かを悲しませるのがオチだ。なによりランスが平然とやってる女の子たちに不満を抱かせない方法が俺には全くと言っていいほどヴィジョンがわかない。

 助けてあげたい。小さな頃に見たヒーローのように、手の届くところにいる大切なヒトの涙を拭ってあげたい。そんなヒロイックに憧れても現実は当たり前のように残酷だ。

 

「……帰りたく、ない」

「え?」

「……帰りたく、ありません……このままずっと……カンベさんと一緒に……いたい」

 

 男なら誰だってモテたいと願うさ。俺だってモテたくてバンドやってるんだしさ。だけど、ランスやトーマの言う通りだった。

 ──モテるってのは、女の子の涙や嫉妬を踏みにじれるヤツの特権なんだって。俺は無駄に優しくて、善人であろうとするから、モテて後悔するのは俺自身だ、なんて言われた。当時はその言葉の意味をなんにもわかっちゃいなかったけど、確かにその通りだ。俺は今、小さな後悔をしてる。

 弱ってたとはいえ、あの日、救いを求めて紗夜さんと関わりを持ってしまったこと。それによって、今までにないくらい女の子と関わって笑って、好きになってもらったこと。全部なかったことにできれば、いっそよかったのに。

 

「ごめん……俺は」

「……わたしは、魅力がありませんか……?」

 

 そんなことない。燐子さんは引っ込み思案で怖がりなヒトだけど、自分を変えるために今、懸命に努力してる。そんなヒトを間近で見て、魅力がないなんて嘘でも言えない。

 十分すぎるほどだよ。もうビッチだからって無意味に傷つけたりできないくらいに、俺は燐子さんと話した時間が大切だなんて思えるから。

 

「それでも俺には、好きなヒトがいるんだ……俺は俺の気持ちを裏切れない」

「……カンベさん」

 

 デートの約束はちゃんと履行するよ。でも、俺は前に進むって決めた。進みたいって思えるようになったんだから。

 俺は、ヒーローにはなれない。だから幻滅してもいいんですよ。

 

「幻滅、なんて……しません。今も、好きです……わたしは、やっとわたしのまま、満たされることが、できましたから……」

「うん……」

 

 それ以上は電車内でも駅から花女までの道でも何も話すことなく、けれど手だけはしっかり繋いだままだったけど、燐子さんは図書室の前でその手を離して室内へと向かっていった。

 ──下手すると、失恋よりキツいよこれ。これならフられた方がまだマシだと思えるレベルの胸の痛みがする。嫌われた方が、何十倍も楽だ。

 そんな胸の痛みを味わいながら、俺は生徒会室へと向かった。そこには燐子さんからの報告を待っている紗夜さんがいる。扉を三回ノックし、そしてキチっと失礼しますと声を出してから部屋へと足を踏み入れた。

 

「……カンベさん」

「紗夜さん」

 

 開いた窓に手をかけて、紗夜さんは夕焼けを眺めながら長い髪を揺らしていた。画になる、ってこういうことを言うんだろうなという感想をなんとか押し込めて、俺は紗夜さんに対して謝罪をした。

 

「ごめん紗夜さん……」

「何を……謝るのですか」

「それはこの間の花音さんとのことを……」

「いいのよ、もう」

 

 よくない。紗夜さんのその言い方はよくないヤツだ。俺はビッチから、紗夜さんから逃げるのはもう嫌なんだから。

 そんな紗夜さんが笑ってくれないなんて、いいわけがない。

 

「私は……カンベさんにとって、()()()()()()()()()()()()()()。でも、もうダメなの……」

 

 それが、紗夜さんの本音だった。紗夜さんの好きは、やっぱりなんだか色々間違ってる。でもそれを日菜さんから過去を聞いた後では間違ってるよ、なんて偉そうなことは言えない。きっと、初恋の時に都合のいい存在でなかったら嫌われるかも、という体験をしたからこその言葉だ。紗夜さんを縛り付ける、重い鎖。

 

「どうしてダメなの?」

「嫉妬してしまうの。あなたが他のヒトと仲良くしていると胸が痛くなる。私が全てそのポジションに収まりたいと思ってしまうの……こんな気持ちを抑えられないわ」

 

 でも、紗夜さんはその鎖が簡単に引きちぎれてしまって、戸惑ってるんだ。春に出逢って、一緒に過ごしてきた短くて濃いこの時間が、紗夜さんの重かったはずの鎖を断ち切りつつあった。

 紗夜さんにはたくさん教えられてきた。余計なことも必要なことも、たくさん、たくさん。だから俺は無駄な性知識があるし、美鈴に向けている気持ち悪さにも向き合えた。

 ──今度は、俺の番だ。

 

「知ってますか、紗夜さん」

「……え?」

「好きに理由はいらないんですよ。なんとなくでいいですし、それに独占したいって思うのは何も間違ったことじゃないです」

 

 重いとかヤンデレとか思うけど、好きになった相手を独占したい、なんて本当に原始的な欲求でしょう。だいたい、恋人がビッチで他の男と寝てるは完全にアウトだし、それじゃなくても浮気はされたらショックだし、経験してないからなんとも言えないけど怒るとおもう。だから、それでいいんだ。例え紗夜さんがセックスしたくてたまらないビッチで、援助交際をしてたとしても、好きになったヒトに独占欲を出しても、いいんだよ。

 

「紗夜さんのそれが嫉妬だと知った時に、俺は一瞬、嬉しいと思いました」

「……うれ、しい」

「うん」

 

 だってさ、美鈴はきっと、そんなことを想ってはくれない。嫉妬なんてせずに他に女がいるのに迫ってきてキモイ、くらいなもんだろう。

 そして同時に、人間には本能的に複数の異性に惹かれることがステータスとして感じることを知った。それがモテるってことだし、俺はそんな人間を目指していたわけだしね。

 だから、俺は紗夜さんの嫉妬に、嬉しいと思ったんだ。複数の女性に好意をもって貰ってるという、モテてるという実感。つまり俺は燐子さんと紗夜さんがビッチだから選ばなかったんじゃなくて、この状況が優越感だったから、放置してたってことだ。無意識に、けど確実に。

 

「俺は、紗夜さんに好きになってもらって、嬉しいんです。だから紗夜さんも、そんな風に自分を責めないで……言いたいこと言ってよ」

「……カンベさん」

 

 ──ああ、やっぱり俺はモテるの、向いてないや。こうして紗夜さんと二人きりで、窓を閉めたせいで、冷たかった空気が温くなっていく。抱きしめて密着して、頭を撫でると紗夜さんは甘えるようにすり寄ってくる。見上げられた期待にこもったその眼に吸い寄せられるように、俺は自分から、紗夜さんと唇を重ねた。けど、俺の脳裏にあったのは紗夜さんとの甘い時間に対する幸福感じゃなくて、図書室にいる燐子さんの泣き顔と花音さんの顔、そして美鈴の顔。とことんまで俺は甘くて、バカなんだなって思う。

 キスまでしてるのに、今更後には引けないだろうに。俺は、暮れていく夕陽を浴びながら、まるで恋人同士のように肩を寄せ合い、キスをしながらこれまでのことを話し合っていった。

 

 



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Cは問う/後悔しない選択肢

 前略、これを見ている善良な方々へ。俺はまだ清い身体です。

 今回の場合は皆さま方から嘘だ、という詰りも受ける所存でございます。ええ、明らかな朝チュンだもんね。でもなんにもなかった。多分両手で数え切れるかどうかって数のキスしたし、めっちゃ良い雰囲気になった。なったけどなんにもなかった。説得力がないけどなんにもなかったのは事実なんだ! 信じてくれよ! 

 

「アンタのポリシーとやらもその程度だったってことね~」

「……いやだから、ヤってないって」

「でも恋人みたいにちゅっちゅしちゃったんでしょ?」

「うぐ……その通りでございます」

 

 なんとか耐えきった俺はすぐさま幼馴染のコイツ、今井リサに連絡をした。俺が恋愛方面で最も信頼している人物と言えば師匠でもあるコイツ以外に選択肢がない。業腹ながら。

 ちょうど今日はトーマもいたので、モテる男と女という心強い味方に囲まれることになった。ううん、味方かどうかは怪しい。

 

「まぁ、カンベは気になるとこ直すか気にならなくなればフツーに優良物件だからな」

「気になるとこ……」

 

 というわけで現在は今井家のリサの部屋。トーマはフツーに話を聞いてくれるが、部屋主であるこのクソ幼馴染はベッドでごろんと、しかもトーマの膝枕でスマホを触りながら俺の話を聞いていた。いやもうそれ聞いてねぇだろ。

 

「お前がモテないのは単に固定観念が強すぎるからなんだよ」

「……そうなの?」

「だからその子……えっとミスズちゃんだっけ? に嫌われるんでしょ~?」

 

 言い方キツ……でもまぁコイツが当たりが強いのはいつものことなのでスルーする。そうしたらそんな幼馴染の頬をトーマが親指と残りの指でサンドイッチした。

 リサは割とアヒル口だけどひょっとこみたいになってジロリとトーマを睨んだ。だが、トーマは怯むどころか逆に叱るような表情をしてリサを怯ませていた。カレシ強い。

 

「リサ」

「……ん」

「そろそろ素直になれ。俺はそこがずーっと引っかかってんだからな」

「……ん」

 

 なんの話? と首を傾げるとリサは起き上がり、項垂れてそろそろ清算しとかなきゃとーまに悪いからと顔を上げた。

 ──あ、これ、また同じパターンか。少しだけ泣きそうになってるコイツの顔が燐子さんと重なった。

 

「アタシは、アンタがずっと好きだった」

「……知ってる」

「知ってても、直接言ったことないから」

 

 小学生の頃の恋愛なのに、と思ったけど、ずっとって言うからには相当長い間だったんだろうな。

 俺がそれを知ったのはクラスの共通の友人から、リサってお前のこと好きらしいよって言われたんだっけ。それで俺はアイツはないわ、って返した。それが伝わって、リサは俺に対して妙に冷たくなったってわけだ。今じゃそんなこと口が裂けても言えないのにな、小学生の俺はある意味無敵だった。

 

「俺は、お前のことをあの時……いや今もだな。あんまり女の子として見れてないんだ」

「……うん」

 

 今でこそトーマのカノジョだからまだマシになった方だと思う。じゃなきゃ俺がこうやって何度も何度もコイツの部屋を訪れたりしないし。今も、寝間着の短いパンツから伸びる脚や大胆に開けられた胸元にも、反応はしない。これが紗夜さんや燐子さんだったら、俺は寝間着で来た時点で逃げ出すレベルなのに。

 

「……ごめん、リサ」

「いいよ、アタシはとーまとラブラブだもん」

「俺、今嫉妬でどうにかなりそうだけどな」

「……慰めて」

「後でな」

 

 昔は昔ってできなかった小学生のあの時から、トーマと出逢って、恋をして付き合って……こうして言葉にするまで、リサはどれだけあの痛みを味わったんだろう。それは巡り巡って、美鈴の件で俺が胸を痛めてるのよりもずっと長い時間だ。

 そうやって痛みを抑えていると、リサはいつの間にやらトーマの膝の上で後ろから抱きかかえられながら、よーた、と俺の名前を呼んだ。めちゃくちゃ久しぶりにリサからその名前を聞いたよ。

 

「宙ぶらりんが、一番キツいよ」

「そうだな」

「よーたはもう、童貞を捨てる過程がどうとか、言ってちゃダメなんだよ」

「……そう、なんだろうな」

 

 前までの俺は全然モテなくて童貞卒業がどこか他人事のような気がしていた。だから理想と妄想で過程を生み出して、自分を正当化していた。

 けど、今の俺にとって童貞卒業は他人事でも遠い未来のことでもないんだ。全然覚悟は決まってないけど、もう、俺を好きだと言ってくれるヒトがいて、俺に好きなヒトがいるなら、逃げてちゃダメなんだ。

 

「……とーま」

「だな、俺もいいと思う」

「……何が?」

 

 そんな覚悟の確認をしてると、リサとトーマがアイコンタクトで会話し、そして俺に伝えなきゃいけないことがある、とトーマが切り出してきた。

 神妙な表情で、何、うっかりデキちゃった? と茶化すことはせずにもしかしてそうなのか、と思いながらトーマの言葉を待った。あ、なんかリサの目がそんなわけないでしょって言ってる。違ったらしい。

 

飯倉(いいくら)の話だ」

「美鈴?」

「ああ、俺とタイクーンがずっとランスに口止めされてきたことがあるんだ」

 

 美鈴のこと、と言われ俺は身構えた。

 このタイミングでランスから口止めされてきたことの暴露、というと不安しかない。けど、リサはまぁ、ご褒美みたいなもの? ビミョーだけどね、と口添えをしてくれた。

 

「……飯倉は最初、マジでお前のことが好きだったんだよ」

「は──ええ!?」

 

 とても信じられない言葉だった。というかあの時カレシが……ってなんかもう上手くいってなかったんだっけ。それで俺が同じクラスになっていいなって思ったわけか。

 そんな納得をしているけど、前までの俺だったら納得すらしなかったんだろうな。だからこのタイミングってことなんだということも理解できた。

 

「でも、俺が美鈴を好きになったことで態度が変わって……それが嫌になったと」

「そういうことだな」

「アンタなにやったの?」

 

 リサにそんな風に呆れられて、俺は肩を竦めた。俺は何を置いても美鈴だったんだろうな。事あるごとにあの子の傍にいたし、距離が近過ぎてなんかカレシ面っぽいこともしてたせいで噂にでもなったかな。そりゃキモがられるわけで、それよりも裏表でちゃんと関係を保ってくれる男の方が、美鈴には合ってるってことだ。

 

「正直、飯倉は男癖が悪いからカンベと付き合っても長続きしなかっただろう……ってのはランスとアイスの言葉だ」

「俺もそう思う」

 

 それが納得できるのも、俺が成長した証らしくトーマに褒められた。

 ──だが、同時にそれでも俺の気持ちが変わらないこともまた事実だった。幾ら長続きしなくても、今嫌われていても、俺は美鈴が好きだって気持ちに変わりがない。

 

「……紗夜じゃダメなの?」

 

 納得と少しの痛みがさざ波のように広がって、静かになったところでリサはそんなことを言い出した。ひどい言葉だと思うよ、それ。俺は美鈴と上手くいかないからって紗夜さんで妥協する、みたいな付き合い方はしたくないんだけど。

 

「そんなつもりで言ったんじゃない」

「じゃあなんで」

「その方が幸せじゃないのってこと」

 

 その方が、か。リサにとってみれば俺は遠回りをしているように見えるんだろうか。紗夜さんを選べば、近道だと言われているようだ。

 でも、それが近道なら、俺は余計に違うなって思う。

 

「近道でも妥協でもなくて、アンタは紗夜が嫌いじゃないでしょって言ってるんだけどな~?」

「……そうだね」

 

 でも、あんなこと(キス)までしておいてアレなんだけど、俺は紗夜さんと恋人同士になるってビジョンがこれっぽっちも湧かない。それこそ不思議なくらいに。

 嫌いじゃないし、なんなら好きかもってくらいの感情だけど、俺の中でそれと紗夜さんとお付き合いをするってものはイコールになってないから。

 それを伝えたところ、この幼馴染は頭を抱えてため息をついた。なにそのどうしようもない男だなコイツ、みたいな反応。さり気にトーマもおんなじような反応だし。

 

「ドーテーの次はそれ?」

「それ……とは?」

「理想のドーテー卒業の次は理想のカノジョの作り方」

 

 いや理想の童貞卒業の方も諦めきれてないんだけど。あ、それで言うならやっぱり紗夜さんとか燐子さんじゃなくてってのがいいんだけど、逆に美鈴と仮に付き合えたとしてもそれはなんか果たされそうにないよね、たぶん。

 

「ともかく、アタシはハンパに手を出したら最後までって覚悟を持てってハナシをしてるの」

「まあ、俺からはどっかのバンドじゃないけど、全てをかける覚悟があるか、ってとこだな」

 

 全てをかける覚悟を、か。重たい言葉だね。

 でも、俺は紗夜さんの想いを認めちゃったんだ、そのくらい重たいことなんだよね。

 重たくて、一生を懸けてでもきちんと掬ってあげないといけないことを、俺はしたってことなんだよね。

 そんな話をしていると、俺のスマホのバイブがズボンのポケットで震えだした。この時間に連絡してくるヒトは二人しか知らないからぱっと見てから少し待ってほしいとメッセージを送った。

 

「紗夜?」

「うん」

「……はぁ、なんで紗夜もこんなヤツに」

 

 それ、ブーメランじゃないのと思ったけど、明らかに藪の中に手を突っ込むようなもんだからやめておこう。ここで修羅を引きずりだすのはよろしくない。

 好きに理由はない、らしいからなんでかわからないけど好きになることもあるんじゃない?

 

「もしもし」

「遅いです。浮気ですか」

「違います。本命でもないですけどね」

 

 そう言うと紗夜さんは、そうですね、とやや鋭さのある声で肯定した。なんだかすっかり紗夜さんがかわいくなってしまわれた。ビッチさもなくただの恋する女の子だよ。

 それでも、忘れないでください、と紗夜さんは微笑み交じりの声で囁いた。

 

「……私が、カンベさんのハジメテの女になるんですから」

「俺のハナシ、ちゃんと聞いてました?」

「聞いたうえで、です」

 

 俺は美鈴が好きって言ってあったはずなんだけど、紗夜さんはそうやって攻勢を緩めるどころか増々激しさを増している。ちなみに燐子さんも同じく。あんだけ泣かしちゃって、あの日は先に帰ります、だなんて言ったのに、変わらないどころか密着してくるようになったしさ。

 

「いよいよ文化祭、それが終われば約束のデートがあるのですから……ここで挫けるはずがありません」

「……そんなもんかな」

「そんなもんです」

 

 紗夜さんは笑ってくれて、だから俺は肩に乗っかってる恋愛関係の重みが少し楽になった気がした。リサはすごく重く捉えてくれるけど、俺は俺のペースのまま、紗夜さんや燐子さんに振り回されてれば、いいかな。

 ちなみに、その日の電話は紗夜さんが電話越しでもセックスはできます、と言いきったところで終了となった。なんでもエロい方面に話をもっていかないで、おかげで調べちゃったじゃんか。

 

 



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Fとのデート/今日だけのカップル

 わくわくドキドキ心臓に悪いおでかけが、今始まろうとしています。今日のお相手はFサイズのビッチさんこと白金燐子さん。わー、緊張でどうにかなりそうだー。

 一応精一杯にオシャレに気を遣って、というかライブ行く時みたいにランスとトーマにダメ出しを沢山してもらって選んだ、選んでもらったし、髪もいつもより念入りにするためにトーマと一緒にいつもの美容院で整えてもらったし、セットもトーマに見てもらった。トーマくんマジイケメン。

 

「あ……か、カンベさん……」

「おはよう、燐子さん」

「はい……おはよう、ございます……」

 

 先に待っていた俺に向かってたゆんと……じゃなくてペコリとあいさつをしてくれる燐子さん。こうやってただ対峙すると大人しそうなお嬢様で、凡そ性的なものとは無関係に生きてそうだよね。まぁ中身はオフパコ上等のコスプレ大好きビッチさんなんですけど。

 

「文化祭、以来ですね……」

「そうだね、ってそんなに経ってないけど」

 

 秋の風がすっかり吹きすさぶこの時期、既に文化祭は終わりました。はい、多くを語る必要がないのですから致し方ありませんとも。

 ただ、燐子さんを始めとして紗夜さんにも振り回されて、時折女性としての魅力を総動員されてドギマギしたってだけでいつも通りですね、はい。

 そうそう、ただあこちゃんの動員は勘弁してもらった。あの時よりも心境とかいろいろ変わったし、二人でゆっくり話したかったし。

 

「それじゃあ……行きましょうか」

「うん」

 

 燐子さんとのデートは予定が変わらず映画館に行くことになっていた。最初はあこちゃんも行く予定だったし、もしかしたらアニメ系かなと思ったら、ガッツリ恋愛ものだった。しかも純愛。

 

「こういうの……観るような友達、いませんでしたから……」

 

 なんて言われたら、それじゃあ俺がって思っちゃうよね。そうやって許可を出した時の燐子さんの表情は、本当に抱きしめたくなるくらいにかわいかった。そもそもいつもはちょっとだけ距離のある燐子さんが甘えてくるとどうなるかって破壊力すごいから。めちゃくちゃだよ。

 そんな燐子さんの隣を歩くために移動すると、自然と燐子さんは俺の腕に手を添えて、もにゅんと……じゃなくてそっと、まるでそうすることが決まっているように腕を組んだ。

 

「……今日は、わたしの……カレシとして、ふるまってくださいね……カンベさん」

「難しい注文だね」

「デート……ですから」

 

 カレシって言われても、俺はまだ本物のカノジョすら作ったことないんだけどね。だから戸惑ってるんだけど、燐子さんは首を横に振って、カレシのように、というのを強調してくる。今日の燐子さんは甘えん坊で、ちょっとだけ頑固だ。

 

「でも、それにしたってくっつきすぎじゃない……?」

「そんなこと、ありません……カノジョですから」

 

 あの、だからってそれを免罪符にするつもりじゃないよね? なにしてもカノジョだからって言われて押し切れると思ったら大間違いだからね? 

 と思ったけど既に腕は柔らかな感触に覆われて何も言えなくなった。押し切られてるきがする。

 

「……映画館でなら、触っても……いい、ですよ」

「触りません」

「声……なら、我慢しますから……ね?」

 

 ね? じゃなくてさ。

 というか、そもそもさ、燐子さんは触ってくるのを我慢するほうでは? 

 そんな言葉に燐子さんは手を上下に振って、そんなことありませんと否定してきた。いやそれ否定してない肯定してる。

 

「お口でも構いませんから」

「でもってなに?」

 

 妥協したみたいにならないでほしい。全然妥協してないし、なんなら手の方がバレないまであるよ。あ、だからって手もやめてね? 純粋に映画鑑賞させてください。

 そんな下ネタ、なんだかそれすらもいつも通りな気がする恐ろしさを抱えながら映画館へとやってきた。キャラメルポップコーンの匂いと独特の雰囲気、いつもココに来るとわくわくするよね。子どものころのことを思い出すせいかな。ヒーローや好きだったキャラクターたちに大きなスクリーンで会えるってわくわく感が、今でも俺を衝き動かすんだよね。

 

「……カップルシートとか、ないんでしょうか」

「いやネカフェじゃないんだから」

 

 思わずツッコミをしてしまう。ネカフェはそういうのあるけどさ、と思ったらなんと、そういうのがあるらしい。どんなものなのか逆に気になってきた。

 燐子さんと顔を見合わせる。どうしよう、って感じだ。いざあると困ってしまう。だってカップルじゃないわけだし。

 

「……どうしますか?」

「じゃあ……燐子さんの要望、なら」

「いいん、ですか……?」

 

 いいもなにも燐子さんは期待してるじゃん。俺が頷くと燐子さんはパァっと花が咲いたように微笑みを浮かべた。あ、カップルシートは許可しましたけどおさわり禁止は守ってくださいね。

 

「……がんばり、ます」

「頑張らないといけないんだ……」

 

 ポップコーンはいらないらしく、燐子さんと俺はドリンクだけ購入した。俺はポップコーン食べたい派なんだけど燐子さんは静かに観たい派らしい。そこは疑似カノジョを立てておくとしようかなと黙っておいた。

 ──同時に、紗夜さんはポテト買ってたなぁ、という思い出も封印した。一度だけ出くわして犯されるか選べって言われたことあるんだよね。と、そんな忘れたい思い出話は置いといて、案内に従ってスクリーンに入っていく。

 

「……これが、カップルシート……」

「ええ……」

 

 いや語彙力消滅した。なにこれ、まさしくカップルシート。席の間にあるはずの仕切りのようなものがない状態の長い椅子が並んでる。これは思う存分くっつきながら映画観れるね、カップルならね! 

 ただ、俺としてはこの暴走Fビッチを止めながら100分を耐えなきゃならないわけで、なにそれ観る拷問では? 

 

「膝枕も、できちゃいますね……♪」

「しないから、それはバレるから」

 

 そんなことを言ったらカンベさんが、わたしの膝に来るんですよ? と言われた。なにその楽園。ユートピア!

 ──じゃなくてさ、それでもダメ! ダメです! 俺はまだ清い身体でいたいんだ! 

 

「ふふ……♪」

 

 と拒否したものの、燐子さんが取り出してきたのは大きなブランケット。ちゃんとくっつけば二人の足がすっぽり覆われる大判の……ってそれどっから出したの? と思ったけどツッコまないでおく。

 そうしておいて、燐子さんは俺の肩に頭を乗せて、ブランケットの中でそっと手を握ってきた。握り返すと嬉しそうにもにゅんと……じゃなくて、えっと、ダメだ変わりの擬音が思い浮かばないけど、とにかく甘えてきた。めちゃちゃ柔らか……もといかわいいんだから困るよね。

 

「……ねぇ、カンベさん?」

「ん?」

「気分が盛り上がったら……その……止めて、ください」

「……うん」

 

 もう既に俺の理性はピンチの連続なんだけど、鋼の理性がほしい。このまま燐子さんの言う通り今日はカノジョのつもりでって甘言に甘えていちゃいちゃしてしまいたいくらいだ。

 そう思っていたら、燐子さんは始まる寸前の暗くなったところで、小さな声で俺の名前を呼んだ。くっついてないとわからないくらいに小さな声で、弱々しく。

 

「なに?」

「……すき、です」

 

 そうやって燐子さんは俺から唇を優しく奪っていった。ほんの一瞬だけ、時が止まったかのように、まるで恋愛物語のクライマックスのように。

 ──いやいや、まだ始まってすらないんだけど最初からクライマックスにも程がないですかね。

 

「今日は……たくさん、キス……しましょうね」

「もう……勝手にしていいですから」

「そんなこと言ったら……コッチも、ほしくなっちゃいます……だから」

 

 それはダメですね、がっちりと指と指を絡め合って固定しておく。股間に手を伸ばそうとしないで、確かにブランケットがあれば見られる危険性は限りなく低いかもだけど、何度も言うが俺はまだ清い身体でいたいんですー! 

 抵抗をしていると、燐子さんは何を思ったか、俺の股間とは逆方向へと手を持っていって、すべすべもちもちの感触が俺の手の甲を襲った。

 

「え、え……なんで」

「いいですよ……今日はカンベさんのお好きなように……触って、ください」

 

 スカートはどうしたんでしょう、と思ったら燐子さん左手でスカートを捲っていらっしゃるのが見えた。おおっとカンベ選手の理性にヒビが入ったぁ! これはマズイ! 燐子さんの太ももの極上感触が最高すぎるうえに引けば今度は自分の愚息が危ない! これは進退窮まった! 

 

「え、映画、映画に集中……したい、な?」

「できますか……?」

 

 ええできませんとも。今は脳内会議が繰り広げられてるよ。押して触っちまえ派と引いて触ってもらいたい派の二つに分かれて戦争中でございます。触りたいと触られたいの狭間で揺れ動く俺の理性……ってどっちも映画に集中してねぇじゃん! 

 ──そんな中、脳内議長が重い腰を上げた。彼の発言力は絶対、この論争にもきっと片がつくはず。

 その結論は……手を離して触り合いっこ、という頭悪いことこの上ない結論だった、ほんと、ほんと俺の理性は紙くず同然だな! 

 

「き、キス……俺からもしますから……触るのは、やめたい、んだけど」

「……それじゃあ、いっぱい、ください」

 

 狙ったように微笑まれ、俺は天を仰いだ。ああ、もうダメ、燐子さんの手のひらの上な気がしてきた。

 何度彼女のキレイな唇に吸い込まれながら、時折開いて触れてくる舌を懸命に制しながら、俺の100分の拷問は過ぎていった。愚息がギンギンすぎてしばらく立てなかったです、はい。俺の理性は完全敗北していましたが、童貞という知識のなさが逆に功を奏する結果となったことをここに報告いたします。まぁ燐子さんはすごく幸せそうだし、最後のキスシーンに合わせて舌と舌が完全に絡み合って触れ合ったような気がするのは記憶から抹消しておこう、きのせいきのせい、これは勝ったな、ガハハ! 

 

 



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Bとのデート/溢れて止まらない

 テーマパークに最後に行ったのはいつだろう。確か高校一年生の時にノリでワンドルで行ったのが最後だったか。ランスがやたらと女の子に話しかけに行ったり、アイスが無言でどこからか買ってきたスイーツくれたり、タイクーンがやけに興奮してパレードで手を振りまくったり、トーマが途中で当時から既に両片思いだったリサからの電話ににやけたり、バカ騒ぎしまくった男五人の楽しい小旅行だった。

 ──けど、今日はそんな何も考えずに楽しむことは、到底できなさそうだよね。なにせ相手が相手だから。

 

「おはようございます、カンベさん」

「お……おはよう」

 

 おいおいおいおい、おかしいな俺は20分前に来たはずなのに既にお相手様がいらっしゃるのですが。

 こちらの氷川紗夜さん。こんなんですけどビッチです。普段はキリっとしているんだけど、今日は妙に口許が緩んでる。どうやら相当楽しみだったらしい。

 

「ごめん、待たせた?」

「いえ……集合時間には早すぎるくらいですから、問題ありません」

 

 口調と仕草が全然一致してない。キリっとしてるのにずっとそわそわしてたし、今はすごく嬉しそうに俺の隣にやってきた。

 文化祭以前、あんなことがあったらしょうがないとは思うんだけど、紗夜さんは最近ただの乙女になってきてる。恋する乙女。

 きっと、以前のビッチ然として俺を誘惑していたのは、そうすることが自分と俺の距離感だという思いもあったんだろうな。

 久しぶりの二人きりだし、移動しながらしゃべることにする。

 

「白金さんとは、とても素敵なデートをしたようですね」

「素敵な……ステキな、ねぇ……」

 

 燐子さんとのデートは我慢してることが多くて家に帰って即……おっとなんでもありません。とにかく燐子さんの恋人のように、という条件は無事あれで達成できたらしい。

 そんな回想をしていると、紗夜さんは俺の腕を抱き込んで、肩の辺りに自分の唇をくっつけてきた。

 

「……私も、今日は」

「わかってます……そう言い出すんじゃないかって思ってたし」

「最近のカンベさんは……少し調子に乗ってます」

 

 いや乗らせてるのは紗夜さんや燐子さんだからね。

 そんな燐子さんとのデートに対して唇を尖らせたいのを俺の肩で必死に誤魔化してる紗夜さんとか、二人きりになった途端にすぐキスしてほしいですとか言っちゃう燐子さんのせいで俺は調子に乗っちゃうんだからね。

 

「乗るのは私です」

「は?」

「騎乗位、意外と人気ありますから」

 

 なんの話をしているんだろう? あれですね、惚れた弱味でマウントを取られるなら童貞相手に性知識でマウントを取ろうと、そういう浅はかな考えですね? やめてここ電車、電車内だから! 

 

「なにせジムのロデオで鍛えましたし、乗馬の経験もあるので」

 

 似合うー! ジムでトレーニングしてる姿も乗馬してるカッコいい紗夜さんも容易に想像できるくらいに似合うー! でも到達点が全く宇宙の方向なのはホントになんなんでしょうね! 

 

「恋人との猥談……電車内でムラムラが抑えきれなくて……はっ、今日はそういうプレイですか?」

 

 今日()ってなに? いつも何かしらのプレイをしているような発言はやめて、近くの部活に勤しもうと電車に乗ってる学生に聞こえるように言ったでしょ今。すごい顔してたからね今。

 

「さて、やはり定番はお尻からでしょうか」

「しません」

「えっ?」

「ええ……」

 

 なんでそう意外そうな顔ができるの? 大体燐子さんにも思ったけど紗夜さんは恋人というものをなんだと思ってるの?

 紗夜さんはコホン、と咳払いする。それでしたら、と紗夜さんは手を俺の股間にって待て待て待て待て待って! 

 

「待ちません」

「いやいや、そもそもしませんからね?」

 

 紗夜さんの細くてキレイな指を必死で抑え込む。何をしてるんですかあなたは。そんな残念そうな顔されても知らないんだけど。今からテーマパークに向かうデートなのに全てをすっ飛ばしてクライマックスになるのやめましょうよ。

 

「ガードが堅いですね」

「俺は好きなヒトとセックスがしたいんで」

「……そう、ですね」

 

 しかし、返した言葉に悲しい顔をされてしまい、しまったと思った。そうだ、少なくとも今日は俺は紗夜さんの恋人のつもりで挑まないといけないのに。

 反省して力が緩んだところで、紗夜さんはふふ、と笑った。笑いながら、抑えていた俺の手を自分の臀部に押し当てた。小ぶりできゅっと締まった……ってレビューしてる場合じゃない。しかも今日の紗夜さん、よりにもよってスカートだし、明らかに感触が下着しかないんだけど!? 

 

「……もんでも、撫でても、いいのよ? どうせですから、下着の中にもご案内しましょうか?」

「え、遠慮します……っ」

 

 久しぶりにこのモードの紗夜さんに出くわした。なんでそんなスイッチ入っちゃってるんですかね。と。そこで下着がずれて指が入っていく感覚がして、流石にまずいと俺は敢えて紗夜さんを抱き寄せた。おしりではなく腰に、そして背中に手を回してこれ以上触れないし触らせないように近づいた。

 

「これで……勘弁して」

「……やっぱり、最近のカンベさんは……調子に乗っています」

「そんなこと言われても」

「キスして」

 

 わお、唐突。紗夜さんはすっかり、俺からキスをするということに幸福感があるらしく何かある度にキスして、と言う。まだ背に何かを背負った制服の男の子がガン見してるから。今の状態でも結構、うわこいつら、みたいな顔されてるから。

 

「あとで……でお願いできますか?」

「ええ……いいわよ、今日中に一度、お願いしますね」

「りょーかい……」

 

 やっぱり俺は紗夜さんが苦手です。かわいいところあるし、同い年で演奏者としてめちゃくちゃ尊敬できるところあるけど、俺は紗夜さんのペースがどうにも苦手です。

 というかその約束したなら離れてもよくない? 

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 テーマパークについた紗夜さんはさっきまでのセックスしたいモードは何処へ行ったのか、とため息をつきたくなった。

 いや実際にため息が出た。というかこのヒト誰ですか? 妹さんと入れ替わりのドッキリかと思った。

 

「カンベさん、次、次に行くわよ」

「えぇ……」

 

 すっごい元気。普段のクールな感じなんてどこへ行ったのかわからないくらいに笑顔で俺を振り回してくる。ああもう、こういう紗夜さんはギャップがありすぎて俺の心臓が持たないよ。

 

「ふふ、楽しいわね」

 

 ええ、かわいいわねこのヒト。なんなんですかあなたは。いやまぁめちゃくちゃ楽しそうで安心はしてるけど。

 そうじゃなくて、キャラ崩壊もいいとこすぎてコメントに困る。かわいいなぁくらいしか言いようがない。

 

「紗夜さんってさ……」

「ん?」

「なんでもない、ほっペにアイスついてますよ」

「あ……ふふ、恥ずかしいわ」

 

 いちいち仕草も口調も普段の紗夜さんからはかけ離れてる。

 でもここに行くのが純粋に楽しみだった、ってことなのかな。楽しみたくて、Roseliaも、妹も誰もいない中でこんな風にはじけてみたかったんだろうか。

 ──そう思うと、悪くはないよね。それに選ばれたのが俺なんだから、素直に喜んでおこう。

 

「次はどの絶叫に乗りましょうか?」

「絶叫縛りなんですか……」

「ジェットコースターが楽しいんです」

「よかった」

「カンベさんと一緒だから……もっと楽しいのかも、しれないわ」

 

 紗夜さんはずるいよ。そんなこと言われたらさ……俺だってくらりときちゃうわけですよ。いやほんとずるい。

 俺は、美鈴が好きなのに、好きなのにさ。その想いが揺れるわけじゃない。けど、そんな顔をされたら、微笑む紗夜さんを見たら、このヒトとこうやって純粋にデートに行ける相手のことが()()()()って思うじゃんか。

 

「紗夜さん……ごめん」

「──え」

 

 その世界が二人きりになる。

 道行く人がひゅうっと口笛を吹いた。そんなのも気にならないくらい、人目なんて関係ないくらいに俺は紗夜さんとのその一瞬の唇の触れ合いに全てを奪われた。俺からしたはずなのに、なのに。

 

「……カンベ、さん?」

「ごめん……ごめんね、紗夜さん」

「なぜ……泣くの?」

「だって……俺は」

 

 好きとか嫌いとか、もう俺にはわからなくなったよ。カノジョとか恋人とか、セフレとか、なんにもわかんなくなった。

 俺がしてることは、かつて紗夜さんのセフレがしたことと何が違うんだろう。いくら紗夜さんの気持ちの有無があったとしても、恋人になるつもりもないのに、紗夜さんの唇を奪って、手を繋いで、今日だってそもそもチケットとかは紗夜さん持ちだ。それって、不純じゃないのかな。

 

「……わかんなくなっちゃった」

「どうしたの?」

「俺……燐子さんともキス、してるんですよ」

「……ええ」

「カップルシートで、身体をくっつけ合って……たぶんそれを見て俺と燐子さんの関係を疑うヒトいなかったと思います」

「そう、でしょうね」

 

 でも俺と燐子さんの関係は恋人でもなんでもない。なのにあんな恋人()()()をして、満足そうな燐子さんを送って最後にまたキスをして別れた。付き合うつもりもないのに、そのすぐあとに、同じようなことを紗夜さんとも。

 ──それでいいわけがない。俺の言葉と、やってることはめちゃくちゃだ。最低だよ。

 

「カンベさん……」

「ごめん……俺、自己嫌悪でどうにかなりそう」

「優しいのね……」

 

 優しいなんて場違いでふわっとした言い方、しないでほしい。

 俺が優しいなんてありえないでしょ。だって、俺はこうやって思い出を更新し続けて縛り付けてるだけなのに。

 

「謝るのは私の方よ……傷つけてしまって、ごめんなさい」

「そんなこと……嬉しいよ、紗夜さんの気持ち、めちゃくちゃ嬉しい」

 

 それは本心だ。自慢したいくらいに嬉しいし、なんならタイクーンには自慢してるくらいだよ。

 だけど、俺がこうやって返してあげられないだけなんだ。縛り付けることでしか、返すことができないって状況が、俺は嫌いだし、紗夜さんが誘ってきたときになによりも苦手だと、困ったと感じた理由も、きっと近いところにあるんだと思う。

 

「こんな風なのに、美鈴が好き……だなんて、言っていいんでしょうか」

 

 ああもう、限界だ。燐子さんには吐き出せなかった。けど、紗夜さんにはどうしても止められない。

 溢れて止まらない。溢れて止まない。それは美鈴が好きって想いと同じくらい強い真実が、紗夜さんにはあるからだった。吐き気がするほどの真実が。

 

「──好きです。美鈴もそうですけど……燐子さんが、好きです。紗夜さんが、好きなんです……」

 

 やっぱり、俺は最低な童貞クソ野郎だ。

 向けられたハジメテの好意にあっちへふらふら、こっちへふらふらした挙句、ハジメテの相手も見分けられない、蝙蝠なんだから。

 

 

 

 

 



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Dとのデート/覚悟の決め時

「ふうん、それで、泣いて泣いて、紗夜ちゃんの楽しいを台無しにしたんだあ」

「……その言い方やめてください」

 

 紗夜さんへ最低な告白をして、それから少し経ち、俺は羽沢珈琲店にいた。ことのあらましを説明したら女性になじられることが多い気がするのは気のせいでしょうか。俺はそういう性癖じゃないんだけど。

 お相手は松原花音さん。なんだかんだ頼ってるけどこのヒトも俺を好きだと公言してる。モテ期って本当に相手の感情が怖くなるよね。経験した。

 

「しかも私は入ってないんだあ」

「……あ、うん。それは……ごめん」

「謝らなくていいよう」

 

 とは言ってくれるけど、正直好意を振り切れない俺としてはこれ以上、自分の言葉で傷つけたくないんだよ。

 花音さんはふふ、と笑みをこぼした。

 

「いいよ。えっちもそうだけど、恋って、今しかできないんだもん」

「そんなもんなのかな」

「すごくエネルギー使うでしょ? 恋するのも、えっちしたいなあって思うのも」

 

 後半には同意しかねますけどね。恋をするってすごくエネルギーを使うのはわかる。きっと大人になったらこういう感情に時間やエネルギーを割けなくなっていくってことが言いたいんだろうな。

 女の人はそれが特に顕著ってことだよね。男っていつまでもそういうエネルギーを持っていられるけど。

 

「それでも、大人になっても性欲を失わないヒトって素敵だと思うけどなあ」

「花音さんの感覚ならそうなんでしょうね」

「うん」

 

 そこが花音さんは好意を無碍に、というか未だに断れるところなんだと思うよ。

 花音さんはなんていうかすごくあっさりしてる。というかしすぎてる。今も俺の言葉に悲しむ素振りすらないもん。

 

「浮気相手に立候補しようかなあって」

「セックスだけしたいと」

「ううん。デートも」

 

 複数関係を持って俺のサイフの中身をすっからかんにしようたってそうはいかない。と苦笑いで冗談交じりに言うと花音さんはサイフから壱万円とかかれたお札を取り出し……すいません待ってください。

 

「え?」

「え、じゃないんだけど……?」

「カンベさんのサイフの中身が心許ないって話じゃなかった?」

「違うよ?」

 

 このヒト怖い。なんでこう簡単にお金出てくるの? キミたちの経済事情どうなってるの? 

 戦慄していたら花音さんはサラっと普段は貢がれるほうだからと笑う。いや笑えねぇ。

 それも笑えないけど貢がれたお金横流しはもっと笑えない。しかも身体で払ってもらったお金って。

 

「あ、今汚いお金とか思った?」

「……いやまぁ、うん」

「汚いお金って、なに?」

 

 花音さんの目は笑ってない。うわ地雷踏んだ。

 瞬間的に謝ろうかと思ったけど、花音さんは何かを言いたいのかなと思って黙っておくことにしよう、素直にお説教されるのも手だよね。

 

「い、違法なことして集めたら、汚いんじゃ?」

「私、別にこれが援交で集めたお金って言ってないよ?」

 

 フツーにバイト代だよう、と言われて俺は全身に汗をかいた。うわ、やらかした。暖房がめっちゃ熱く感じる。

 金銭はやっぱり問題があるから基本的にはプレゼント、という形で収まっているらしい。しかも任意。花音さんは自分が実際に出逢ったヒトの中で気に入ったヒトとしかセックスはしないと聞いて、反射的に土下座しそうになった。

 

「……そういうトコだよ?」

「え?」

「私や紗夜ちゃんとか燐子ちゃん、他にもリサちゃんやお友達がカンベさんのことを放っておけない理由」

 

 カンベさんはカンベさんの世界の中にいる女の子しか見えてないから、と言われて、俺は

 胸に切り傷がついたような痛みに襲われた。

 俺にとっての女の子像は、確かにみんなあそこで頑張ってる羽沢さんみたいな子、なのかも。でも現実には色んな人がいる。タイクーンみたいなお調子者、トーマみたいなイケメン、ランスみたいなクズも、アイスみたいななに考えてるかわかんないヤツもいる。みんながみんな同じところって言ったらそれこそ、人間ってとこだけだ。

 

「もう、目を瞑っちゃうのはやめよう? 現実は全然、キレイにできてないかもだけど……それでも私たちが生きてる世界は、キレイじゃないんだから」

 

 犯罪はなくならない。戦争はなくならない。人間はエゴの塊。それが現実。

 女の子もセックスが好きでしょうがない子がいたり、集団で一人に暴力を振るうヤツもいる。男をすぐに乗り換えたり、傷ついて傷を埋めるために身体を求めたり、自分を変えたくて自分じゃない自分を演じたり、恋をして欲を満たすヒトがいる。

 

「ヤなことばっかりじゃないと思うけどなあ」

「……それは、そうだね」

 

 でも少なくとも、その現実にはダチがいる。一緒にバカをやって楽しい仲間がいる。本当に困ってしまうくらいに俺を好きでいてくれるヒトがいる。

 理想に溺れて現実という流れに逆らうのが決してカッコいいわけじゃない。時には流される弱さ(つよさ)も必要ってことだね。

 

「少なくとも、俺は花音さんに好きでいてもらえたの、良いことだって思えるし……好きには、なれそうにないけど」

「……ん、ざんねん」

 

 物足りなくなったら連絡してね、と花音さんは流し目を送ってくる。物足りないってなに。俺はまだ清い身体でいたいって一応考えてるんだけど。

 でも、残念と呟いた花音さんは本当に残念そうで、俺はまた胸が痛むのを感じた。ごめんね、花音さん。俺は器用じゃないから、浮気はできなさそうだよ。

 

「あ、そうだ……もう一つだけ、私から言いたいことあるんだけど」

「な、なんですか?」

 

 改まった花音さんにそう前置きをされ、俺は居住まいを正した。何があるんだろう、何をされるんだろう、という疑惑が漠然と浮き上がる。

 けれど、その眼は真剣だった。花音さんは俺を真っ直ぐに見て、まるで俺のこれからの行動を見透かしたように言葉をくれた。

 

「カッコよくなくていいんだよ?」

「カッコよくなくて……ですか」

「うん。みっともなくていいから……カンベさんがこうありたいと思ったように恋をしていけばいいんだよ」

 

 失恋の傷やそれを慰めてくれるヒトの身体に溺れるのもまた、恋の一つだからと、花音さんは物凄くアダルトな一言を付け加えてくれた。ちょっと花音さんの恋愛歴が知りたいよね。あったのかな、そういうこと。気になるけど聞いたら戻ってこれない気がするからやめとこう。

 でも、そうだよね。好きになって付き合うだけが恋の形じゃないってことだよね。振られるのも恋で、振るのも恋。その恋から生まれた新しい関係だって、恋なんだ。恋愛に決まったカタチがないなら、俺は俺のカタチで恋愛をしていけばいい。

 ──みっともなく、ただ純粋に不純な、俺たちの音楽のような恋愛を。

 

「……ありがとう、花音さん」

「浮気する気になったら……いつでも相手するからね」

「それは……童貞卒業したらにします」

「楽しみにしておくねえ」

 

 会計を終えた俺に向かって、ふわりと、まるで清らかな美少女のような微笑みを浮かべた。そうしてから一人で帰ろうと俺から背を向ける。

 ──そんな花音さんにたった一言、告げるのだった。

 

「帰り道、反対方向だけど」

「……あれ?」

 

 流石方向音痴な花音さん。一人では帰れそうにはないだろうから、並んで歩くことになった。

 本当はさ、ここで別れて一人悶々としようとでも思ったわけだけど、仕方ないか。

 必然的にする予定のない会話を繰り広げていく。

 

「それで、どっちで童貞卒業予定?」

「ごめんなに言ってるかわかんない」

「どっちとえっちするの?」

「うんわかんないなぁ!」

 

 なんで下ネタに持っていこうとするんですか。そんなの決めてたとしても花音さんに言うわけないでしょ。

 花音さんはまるで年上のお姉さんなんじゃないかと思うような表情でくすくすと笑って、かわいいなあと呟いてきた。なにこの童貞キラーみたいなヒト、あ、童貞キラーだった。

 

「あ、電車に乗るんだよね、今から」

「行きもそうだったからね」

「じゃあ──」

「痴漢プレイはしませんよ」

 

 その反応には二度ほど覚えがあったので先回りさせてもらった。三度はない。二度もあんなに理性が危うくなったのに三度めはね、と苦笑いをしていたら、花音さんはきょとんとしてから、二秒後、完全に捕食者の瞳で俺を捉えてきた。

 

「へえ、その反応は……シたことあるんだあ」

 

 シたことないです。ええ、なかったことになってます。

 なかったことになったので迫ってこないでください。はい腕を組むのもナシですからね。

 そんな冷たい態度をとると、これは珍しく花音さんはむう、と頬を膨らませた。さっきまでお姉さんだったのに急に子どもにならんでください。

 

「私は挿れてもいいから……ね?」

「なんでそれでいいと思ったの?」

 

 シませんってば。と拒否するとやあだあと首を横に振り始めた。なんなんですかホントに。

 どうやら花音さん的には触ってくれないと嫌だそうで、ぎゅうっとヒトの腕を自分の身体に抱き込んで見上げてきた。ええ、なにこのリアクション。急にかわいいモードに入ってこないで息するの忘れそうだから。

 

「花音さん……」

「最近セフレとも喧嘩しちゃったからタマってるんだもん」

「だもんじゃなくてね……?」

 

 セフレとまで喧嘩したんですかドンマイ。というか花音さんセフレさん何人いるのか知らないんだけど、いやまぁ知りたくもなかったからなんですけどね。

 

「今は一人だよ」

「足りますか、一人で」

「ううん」

 

 足らないんだねやっぱり、なのにその一人とも喧嘩しちゃって今はセックスできてないと。

 それはそれは……ん? それって俺は今ハラペコ肉食獣の檻に入れられた生肉と同じなのでは? お、犯される……! 

 

「見えないところで見えないようにならいじっていいよ……私も、イジってあげるから♡」

 

 わざと甘めの声をあげて俺を誘惑してこないで。最近特に俺の愚息は堪え性がなくなっちゃってきてるんだから、俺を清い身体のままでいさせてください!

 そんな攻防をしながらの電車内で、俺は悶々と考えるの意味が変わってしまった。花音さんのわざとな気がする! 帰り際の満足げな顔がそれを物語っていた。

 



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覚悟のD/未来への第一歩

 夜が明けた翌日、俺はとある決意をした。花音さんに言われたこと、紗夜さんに言われたこと、燐子さんに言われたこと、いろいろな言葉が俺の中に流れては去っていった。

 コンディションは良好、思ったよりも自分の中でこの決意と覚悟を受け入れてるな。不思議な感覚だ。

 今日は平日、ちゃんと学校に行かないとね。

 

「おはよ」

「おはよ……って、なんでそんな清々しい顔してんの?」

 

 そりゃあいろいろ覚悟はできたからね。そんなことを言うとトーマはそうかとわかってるのかわかってないのかよくわからない笑みを浮かべた。

 ひとまず、今日で俺の気持ちに一旦、整理がつくと思う。

 

「あんまり一人で抱え込むなよ、ダチだろ」

「わかってる、ダチなんだしさ」

 

 そもそも一人でなんでも抱え込めるほど強い人間になった覚えはないからね。

 残りの会話は冗談半分の、いつものバカ話とバカ騒ぎ。いつものノリってのもやっぱりいいよなとなんだか感慨に耽る自分を感じながら、トーマとタイクーンとしゃべってると、そこにおはよ、と明るい、それでいて控えめな声が聞こえてきた。

 

「おはよ、美鈴」

「おは、飯倉」

「おはよう飯倉さん」

 

 俺、トーマ、タイクーンの順番であいさつを返した。美鈴、俺の恋する相手でもある飯倉美鈴は、三人の、多分俺の反応があんまりにもフラットだったせいで、目をパチクリとさせてそれから首を傾げた。いやいや、そんな俺ってわかりやす……かったわ。

 

「カンベ?」

「んー?」

「……なんかあった?」

 

 あったあった。あなたが俺を見ていない間に俺には目まぐるしい変化がありましたとも。そんなことは言わずに、ただ一言、極めてフラットに美鈴をもう一度呼び止めた。

 ──驚いて振り返る美鈴の反応がちょっと面白い。俺は、こんなわかりやすいヤツの反応が今まで見えてなくて空回りしてたと思うと、成長を感じざるを得ない。

 

「今日の放課後さ、時間ある?」

「え……ない、けど」

 

 チラリと別の男、同級生であり今のカレシであるヤツの方に視線をそらした。俺がまだ知らなくて無邪気に誘ってると思ってるのか、知っててそういうことをしてると思ってるのか。そこまでエスパーじゃないからわからないけど、美鈴は目に見えて迷いの表情を浮かべた。そんな悪いことはしないけどね。痴漢プレイを慣行しようとしたり座ってる横でうっとりした表情で太腿触ったりしません。そんなことをするヤツは知り合いに三人しか知らない。

 

「寄り道でもどうかなーって、ほら、最近してねぇじゃん?」

「……んー、どーしよっかなー」

 

 ここで断られるならそれまで、断られなかったら決めた覚悟をそのまま実行するだけ。俺はもうどっちでもいいと思ってるところがあるからきっと平静で、だからこそ美鈴も真意を計り兼ねているように感じられた。これでまた美鈴や周囲のヤツが陰口を垂れ流しても別にどうだっていいし、それ込みの覚悟ってヤツだからね。

 

「……ん、わかった」

 

 迷いに迷いを重ねて、ようやく美鈴はそれだけを言った。ごめんね、美鈴。俺の青春ってヤツにもう少しだけ巻き込むけど、それだけは謝っておく。

 自分の席へと戻っていく美鈴の後ろ姿を眺めながら、トーマとタイクーンが少しだけ驚いた顔をしてきた。

 

「お前、すげーな」

「後ろの視線、気づいてただろ?」

「うん」

 

 男の嫉妬も十分怖いな、なんてタイクーンが茶化して、トーマがそりゃそうだろう、と俺に意味深な視線を送ってきた。冗談でもそのハナシは終わったんだから蒸し返してこないでよ。

 ──さて、そんないつものノリはさておき、俺は今日の美鈴との寄り道に何を話そうか、何処に寄り道しようか考えておかないとね。

 気怠そうにやってくる担任教師を合図にそれぞれの席へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 ♪ ♪ ♪ 

 

 

 

 

 

 ベースを背負い、俺はスタジオを後にした。寄り道もあってすっかり暗くなったし、今日はゆっくり帰ろうかな、といつもよりもペースを遅めて帰り道を歩いていく。

 反対方向へと向かうヒトの中に、仲睦まじい姿のカップルがいて、俺はそれを少しだけ横目に見ながら、素直な言葉を漏らした。

 

「いいなぁ……うん、羨ましい」

 

 誰かと恋人になる、カップルになるということは見た目以上に大変なことの連続なんじゃないかと思う。けれど、外に見せるのはそんな汚い部分じゃなくて、みんなみんな幸せそうに笑顔で歩くヒトばかり。どれだけ遠回りをしても、傷ついても、そうやって誰かと手を繋いでいられるヒトたちを、俺は素直に羨ましいと思う。

 

「──私でよろしければ、お手伝いしましょうか?」

 

 ふと、そんな振り返った俺が視線を戻したときに、そのヒトは目の前にいた。ギターを背負い、アイスブルーの長い髪を靡かせる。氷属性系の美人さん。

 キリっと直立してひんやりした態度を感じさせるそのヒトの本当なら耳を疑いたくなるような言葉に俺は、やっとほっとしたような顔で笑うことができた。

 

「何を?」

「それはもちろん、ああいうカップルのようにこれからホテルへと向かい、朝までじっくりねっとりと愛を語らうお手伝いです」

「いやそんな不純な目で見てないからね?」

 

 彼女は勿論、いつも俺に付きまとうビッチさん。こんな童貞を拗らせた俺のことを好きだと言ってくれる世にも珍しいビッチさんの氷川紗夜さん。あの、どうでもいいんですけど丸を作って人差し指をそこに通して抜いてを繰り返しながら語らうとか言わないで、そういう意味なのも知ってるけど他人のフリをしたくなっちゃうからね。

 

「……紗夜さん」

「傷心に、付け込みにまいりました」

 

 参ったな、どこまで知ってるんだろう。俺は誰にもなにも言ってないんだけどさ。

 そんな風に苦笑いをしたらトーマさんです、と紗夜さんは俺の、もちろん口に出してないはずの疑問に答えてくれた。

 

「トーマさんが今井さんに連絡したそうです」

「俺が特攻するつもりかも、と」

「ええ」

 

 そりゃずいぶんと連絡網がしっかりしているようで……というかやっぱり、紗夜さんのストーカー行為の情報源は、あのバカップルだったんだね。基本的にはトーマが俺の居場所を把握しているから、それをリサに送って、それを紗夜に横流ししてた、と。ホントにしっかりした連絡網だね。

 

「カンベさんの反応で確信しました……フラれたのですね」

「そりゃそうでしょ、なにせ向こうはラブラブイチャイチャ、それこそホテルで朝まで語り合えるカレシがいるわけだからね」

「そうでしたね」

 

 ずいぶんあっさりしたものだったよ。コンビニに寄って、美鈴の好きだったアーティストのグッズがたまたま売ってて、それを貢ぎながらの好きです、というたった短い四文字の告白、それに対する美鈴は怪訝な顔をして、それから険しい顔で一言、どこまで知ってるの? と問いかけてきた。

 

「全部知ってる」

「全部?」

「美鈴が俺を好きだったことも、俺が好きになったせいでイヤになったことも、それを愚痴ってたことも、カレシがいることも、全部」

「……なのに?」

「だってさ……そうじゃないと、ケジメがつけらんないから」

 

 俺はバカで不器用で、その上空気が読めないとんだクソ童貞だからさ。こうでもしないと美鈴を諦めきれなかったんだから。

 晴れやかな顔でそれを言いきったら、美鈴はそっか……とちょっとだけ悔しそうな顔をした。

 

「今のカンベがもうちょっと前だったら……喜んでたかも」

「美鈴が嫌ってくれたから、今の俺がいるんだけど」

「なにそれ、変」

 

 言い方が変だけどそういうことになる。俺がこうやって美鈴と、ヒトを好きになるってことに向き合えたのは、あの日、紗夜さんに出逢ったからだ。紗夜さんに出逢ったのは、偶然、俺がむしゃくしゃしてスタジオに飛び込んだから。だから俺は納得できてるんだろうな。

 

「……ごめんね、カンベ」

「いいよ」

「お、ヨユーじゃん。まさか本命がいる?」

「いやいや、グサっとはきたよ」

「……ふーん?」

 

 なんかこういう距離の近いやり取りもずいぶん久しぶりな気がする。やっぱり美鈴はこうやって異性との距離が近いタイプだったんだなってのも今になってわかった。かわいいとは思うけど、好きだった、とは思うけど、もうそれだけ。俺は美鈴への気持ちも特別な感情も全部、過去に置いてきた。やっと、置いてこれた。

 

「──というわけでバッサリフラれてきたよ」

「そう……ふふ」

「ええ、笑わないでもらえます?」

 

 ──それから場所が移り、いつものファストフード店へ。今日は花音さんがシフトにいて、急に遅くまでって言われたんだあとポテトをサービスしてくれた。いや心配なんでそのくらいの時間までいますからねと言ったらさらに一個増えた。花音さんも諦めてはくれない。まぁ今は二番目以降狙いだし、図太くもなるのか。

 

「いえ……否定しなかったのね」

「……うん?」

「本命がいるか、という問いについてよ」

 

 ああ、うん。確かに避けたけど否定はしなかったね。イエスって言ったら悪い気がしたし、なによりノーっていうのは厳密にはウソになっちゃう気がしたからね。

 でもそうは思いませんか? 紗夜(ほんめい)さん? 

 

「白金さんじゃなくて、いいのね?」

「ここで燐子さんに会ってたら、俺は燐子さんにこれと同じことを言うつもりでした」

「とても優柔不断だわ」

「そりゃあ、どっちも本命でしたから」

 

 まさに運命に全てを委ねる感じだった。美鈴にフラれて、最初に会った方に、俺はこの話をしようと。最低な選び方だけど、どちらも選べなかった俺なりの納得のいくコイントスって感じだ。その結果が紗夜さんだったってだけ。けど、そこで紗夜さんがいたってのが重要なんだよね。

 

「大学」

「──え?」

「紗夜さん、共学の音楽学校に通うって言ってましたよね?」

「え、ええ」

 

 その私立大学では昨今のブームと需要を受けて、ちょっと前に新設されたギターやベースといった現代楽器も専攻できるところ。紗夜さんからそこに通うことを聞かされていた俺は、紗夜さんの前で宣言した。

 

「俺もそこを受けるから……受かったら、その時は……俺のハジメテのカノジョに、なってほしい」

「……受かったら、なのね」

 

 あ、ちょっとしょんぼりした。かわいい。

 じゃなくて、俺だってこれは背水の陣でもあるわけでさ。つまりは紗夜さんと同じ大学に通えなかったらマジに俺は相当カノジョも童貞卒業も遠のくわけですよ。俺だってそれは避けたいから目の前にエサをぶら下げよう作戦、バイタイクーン。

 

「それに」

「それに?」

「今付き合ったら……受験にもバンドにも集中できなくなりそうだしさ」

「……そう」

 

 それなら、と紗夜さんは承諾してくれた。この期間の間もついに予約済みとなった紗夜さんだけでなく、燐子さんも花音さんも、俺のことを狙って虎視眈々と目を光らせるだろう。俺の高校生活は、そうやって賑やかに、バカとビッチに囲まれて終わっていく。そうやって終わらせる。

 ──それでも、紗夜さんは笑って許してくれるんだろう。でもきっと最後に絶対に念を押してくるんだ。ビッチらしい、けど純情を込めて。

 

「覚えておいてください……私が、あなたのハジメテの女になるのだから」

 

 俺はきっと、俺のためにたくさん変わってくれたあなたにとってのハジメテになります。そして、そんなあなたにハジメテを奪ってもらって、きっと。

 もう()()のことをBサイズのビッチなんて呼ばないように気を付けるよ。

 

「当然です、最近成長してCになりましたから」

「台無しにしていくね!?」

 

 

 ──紗夜のBはBitchのB! THE END 

 

 

 




ご愛読ありがとうございました
ドタバタのまま、終わらせてもらいました。短い間ですが、この作品を愛してくれたヒト、童貞でも非童貞でも処女でも非処女でも、すべてのヒトに捧げます。



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Bアフター
彼女はBではなく/変化と成長


 めでたく、今年の春から大学生活が始まることになった。やったぜバラ色の大学生活。しかも、素晴らしいことに音楽系のせいか男女比率が3:7で全体的にレベルが高め、ランスがめちゃくちゃ羨ましがっていた。いやお前更に偏差値のいい文系行くじゃん、そこで正しくヤリすぎな性活……もとい生活でも送っていてください。

 

「そんなことを言いつつ……カンベこと赤坂陽太、彼は彼で美人でかわいくて、その上セックスがとっても上手なカノジョと爛れた性活を送っているのだった」

「送っていません、捏造です」

 

 失礼な俺はまだ清い身体です! そもそも勝手にモノローグを変えないでね? しかも多分に自画自賛のようなものが含まれていた気がするのですがいかがでしょうかその美人でかわいいのは事実だけどいざという時には臆病になるカノジョさん? 

 

「セックスは積極的ですよ」

「そういう話をしてるんじゃないから!」

「試してみますか?」

 

 だからそういう話じゃなくて……となんとか振り払う。この事実として美人な女性は氷川紗夜。普段は聡明で生真面目で清楚な雰囲気を漂わせるギタリストだけど、今の紗夜にはそんなオーラは皆無の元Bサイズのビッチさん。最近成長したので今はCサイズのビッチさんです。

 

「一途なのに」

「そういう意味でのビッチじゃないから」

「ひどいわ」

「今の会話のどこに擁護する要素があるのかな?」

「美人で聡明」

「ふざけんな」

 

 こんなどうしようもなく下ネタを放つ、どうしようもないビッチだけど、実は俺の恋人だったりする。というわけでピカピカの童貞だった俺もついにハジメテのカノジョができたわけだった。

 

「ところでカンベさん?」

「ん?」

 

 紗夜は未だに俺のことをカンベさんと呼ぶ。そっちのが呼びやすいから、と言われるとそうかとしか言いようがないけど、うーん、俺だって本名に愛着くらいあるんだけどね。

 けど、紗夜が呼ぶカンベさん、は特別だから許してる。って今はそこよりもっと大事なことがあるんだった。

 

「いつになったらセックスしてくれるの?」

「……まだ付き合って二ヶ月だよ」

「両想いになったのはもっと前よ」

「でも二ヶ月しか経ってないから」

 

 そう、俺と紗夜は二ヶ月前に付き合ったばっかりだ。そりゃお互いの気持ちを確かめ合ったのはその更に二ヶ月か三ヶ月前だけどさ。でも、俺はやっぱり付き合ってから二ヶ月、ゆっくり進めていきたいよね。それを紗夜は不満に思ってるんだとしてもさ。

 

「シたい」

「デートならしてるよ」

「セックス」

「口だけみたいになってるからね?」

「口だけじゃなくてちゃんとコッチでも──」

 

 はい出た紗夜のいつもの下ネタスイッチ。ソファに座ってのんびり人気スイーツとやらのテレビを見てたのに、紗夜は脚を開いてスカートをめくってくる。いやいやパンツ見えてますよお姉さん。ジト目で指摘すると、紗夜さんは唇を尖らせた。

 

「……前はパンツ見たら赤くなって慌てふためいていたわ」

「何回も同じものを見せられたらそりゃフツーは慣れるから」

「新品の勝負下着なのよ?」

「色柄の問題じゃないからね!?」

 

 いや確かにバラをあしらった鼠径部を覆う黒のレースとか、光沢のある紫のショーツはドキリとはするけど、パターン化された誘いは飽きちゃうからね。もっとも同じヒトに同じパターンの誘いなんてやったことのない紗夜さんは唇を尖らせてソファの上で脚を折りたたんで拗ねていた。

 

「紗夜?」

「しゃべりかけないでください」

「紗夜」

「……ふん」

 

 余裕のない顔を見せてくれるようになったのはそんなに前のことじゃない。前はもっと鉄面皮でセックスをスポーツか何かのように、愉しむために男と寝ていたのだと思っていた。けれど、今はこうやって俺と同い年らしい顔を見せてくれる。それが俺は好きだった。

 

「紗夜ってば、こっち向いて」

「なんですかもう……っ!」

 

 だからこういう時は俺からスキンシップを取ることを決めている。こっちに向いた隙に肩を抱き寄せて唇を重ねる。あんまり長くすると舌を入れられるので短めに。キスはもう何度かしちゃってるから、俺の中でハードルが低くなってるのが最近の悩みだったりする。

 

「……バカ」

「ごめん……でも俺はまだその覚悟ができてないんだ」

 

 紗夜はまだ少しだけ、昔の傷を引きずってる。だからこうやって俺がゆっくりとしてることに不安にさせてるんだってこともわかってる。

 でもいざカノジョができても、童貞たる俺は何をどうしたらいいのかわかんなくなっちゃうんだよね。紗夜は紗夜で、どうやらリードするんじゃなくて俺から誘ってほしいみたいで、いつもこうやって引き際はいいんだよね。拗ねちゃうけど。

 

「白金さんと、先にシてないわね?」

「紗夜がハジメテ、でしょ。そもそも燐子さんと浮気なんてしないから」

「私の後なら、いいわよ」

 

 燐子さんとの交流は続いてはいる。俺としてはいくらキスをしたり、好きになってしまった過去があるとはいえ、不誠実かなとは思ってる。けれど紗夜が燐子さん本人に付き合ってからのスキンシップの許可を出している以上断れぬまま、実は何回かキスをしていたりもする。ただしきちんと毎回報告している。キスは平気なのにおっぱいの話をするとちょっとだけ不機嫌になったりもする。

 

「今日は泊まりでもいいかしら?」

「ダメ、送ってくからちゃんと帰って」

「どうして」

「紗夜が襲ってくるかもしれないからさ」

 

 そんなの、もちろん嘘だ。俺が紗夜を襲いかねないからだった。いくらチキンでヘタレでクソ童貞な俺だって、隣で常に準備万端(オールオッケー)を公言する紗夜が寝てたら迸る劣情を抑えられるわけがない。俺は健全な男子なわけですよ。紗夜ならそれでもと言うだろうけど、俺としてはまだまだ、クソ童貞の理想の童貞の捨て方は捨てられないままだった。

 

「そんな顔をしないでよ、紗夜」

「だって」

「紗夜は俺のハジメテの女になるんでしょ? 心配しないでよ」

 

 時折、こんな言い合いはするけれど普段は結構ラブラブカップルしてると思う。紗夜は紗夜で結構甘えてくるし、俺は俺で紗夜に自分の気持ちを伝えていたいから言葉にしていく。帰り際に玄関で抱きしめて、紗夜は俺の胸に顔を押し付けてはぁと息を吐いた。

 

「ずるいわ。そんな風に言われたら、もう帰るしかないじゃない」

「ん? うん?」

 

 なんのことだろう。時々考えのない俺の言葉は紗夜に意図しない効果を与えていくようで、いや基本的には紗夜の眉が厳しく吊り上がってしまうことばっかりなんだけど、今は逆に下がっていた。

 

「それじゃあ、泊まっていいと言われる時を……楽しみにしているわ」

「え……あ、そういうこと」

「……ええ」

 

 逃げ場を塞がれ、ついでに唇も塞がれた。やっぱりこのヒトには勝てる気がしない。今まで通りの静けさとその表情を変えないままの妖しさにこんな風に頬を染められ、恋をされたら俺はもうキャパオーバーだよ。

 

「あ、それともう一つ」

「なんですか……」

「あなたと同じところに通えること、堪らなく幸せに感じるわ」

 

 そうやって紗夜は自分の家へと帰っていった。どっちがずるいんだか、仕返しのつもりだったなら間違いなく成功してるよそれはさ。

 いつも、俺はこのヒトに振り回されている。あっちこっちに幸せ手の鳴る方へ。

 ──けど、これで終わりだったら、幸せで終わりだったらこんなこと語る必要もないんだ。ただただ紗夜とイチャイチャするだけの物語なら、きっと未来への第一歩の時点で終わっていてそれ以上のものはないはずなんだから。

 

「うう……寒っ、早く帰ろ」

 

 風はまだ冷たい空気を運んでくる。きっとすぐにこんな寒さを忘れたように、風は上着を一枚脱ぎたくなるような熱を運んでくるだろうけど、それはまだまだ先のことのように思えた。そしてその風は、厄介な熱も運んできたらしい。

 スマホが震えて、俺はそのディスプレイに表示されている名前に目を見開くことになった。てっきりブロックされてると思い込んでたから。ああ、いやちょっと前に和解したことになるから大丈夫なのかな? ()()()()()()()()()()()()()んだから、結局気まずいままだったし。

 

「……もしもし?」

 

 けれど、そんな気まずいであろう相手にわざわざ電話を掛けてくる、しかももうクラスメイトでもなんでもない相手に、ということは何かがあると判断し、俺は警戒をしながら電話に出た。

 

「……カンベ?」

「うん、カンベだけど」

 

 その相手は、俺の初恋相手、飯倉美鈴だった。鼻を鳴らす声が聞こえる。いったいどうしたんだろうと首を傾げた。

 そして次の瞬間、美鈴は少しだけ迷った素振りを見せてから、やがてゆっくりと息を吐きながら言葉を紡いできた。

 

「……別れた」

「え?」

「カレシと……別れちゃった」

 

 それが、今回の始まりの合図だった。

 高校三年生の時、俺と美鈴との間に亀裂が走った時に比べればほんの些細で小規模だけど、紗夜と付き合ってすぐの頃に起こった事件の、始まり。

 



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Dは惑う/小さな問題

「ふーんなるほどねぇ」

「あ、ちゃんと伝わりました?」

「うん、まだセックスもできない童貞くんの分際で贅沢言ってることは伝わったよぉ」

 

 いきなり毒を吐かれた。美鈴の話で迷いに迷って相談相手に選び、それじゃあ喫茶店でと待ち合わせをした相手は松原花音さん。童貞(DT)食いで、DサイズのD×Dビッチさん。いつもはほんわか優しくて、時には肉食系女子なのに今日は毒タイプ持ちだった。草食系で笑いの種になる俺は草タイプなので効果抜群です。あと冷たいのも効果抜群です。草タイプは弱点が多すぎるのは問題だよね。

 

「そもそもさぁ、なんでフった相手に別れたこと電話してくるの? カンベくんに隙があったからじゃなくて?」

「……それは、実は事情がありまして」

 

 もしもね、これが実はの事情がなかったら即紗夜に相談してるよ。でもその事情があったから紗夜じゃなくて花音さんにしているのであって、あ、決して浮気ではありませんので紗夜には言いつけないでね。後で今日の喫茶店のお相手の話と一緒にするから。

 ──ということで、寒い風を吹かせた夜にまで時間を巻き戻すことにするよ。

 

『カレシと……別れちゃった』

「え……そう、なんだ」

 

 反応にも困るって。だって相手にはもうフられていて、以前は好意があったことを聞かされているとはいえもう俺も美鈴にもそんな気持ちはないことは確認済みだった。なのに突然涙交じりにそんなこと言われてしまえば俺は戸惑ってしまう。

 そもそもなんで俺に電話掛けてきたんだろう、それが気になっていると。美鈴はごめんと間をおいて謝罪してきた。

 

『電話掛ける相手……間違えた』

「あ、そっか……なるほど」

 

 つい最近美鈴から電話あったばっかりだったことをそこでようやく思い出した。内容はライブのチケットがあるかどうかだった。友人にファンがいるらしくその話を紗夜に聞かれながらした記憶がよみがえった。あの時の紗夜は氷タイプだった。やっぱり効果抜群。

 

「えっと……電話、切ったほうがいい?」

『……突然、別れるって言われた』

「そっか」

 

 あ、続けるんだとは言わなかった俺を褒めてほしい。前までの俺なら平然と口にしてた、やったぜ俺成長してるよ。

 成長してる原因は間違いなく夜が名前に入ってるくせに好きという名の太陽光を浴びせてくる恋人のせいだけど。女性は、ましてや俺に寄ってくる悪い虫タイプさんは基本的に同意と同情を以てすれば結構愚痴とかを満足できるらしい。そういう時に俺に必要なのは解決法を考えることじゃなくて聴いて、相槌を打つこと、と教わった。悪い虫タイプさんで真っ先に恋人の顔を見てしまったことには謝罪した。どっちも効果抜群だよ。

 

『意味わかんない、ちゃんと構ってたし、お金だって貢いでたのに』

「あ、構って貢ぐの美鈴の方なんだ」

『……うざ』

 

 あ、つい。まだまだ修行が足りぬようです紗夜せんせー。でもそれって、あんまり仲良くはなかったけど男の方に問題があるのでは? と考えていた。

 多分そいつ飽きたし卒業したから新しい女見つけただけだと思う。ランスがそんなようなこと言ってた気がするよ。

 というかこう恋愛方面の話を聞かされること自体が初めてだから今更なんだけど、俺と美鈴って本当に恋愛観が違うんだな。

 

「ごめん、口が滑った」

『だろうね、カンベだもんね』

「それで諦められるのはちょっとなぁ」

『それをなんとかするのは、ウチじゃないから』

「そりゃそうだね」

 

 すると、美鈴ははぁ、とため息をついてきた。なんだよと思ったけどやっぱり涙交じりの声で、少し静かにしておく。

 すると美鈴はやっぱりそうなんだ、と妙な納得をしてきた。

 

「なんの話?」

『……やっぱ本命いたんじゃん。今付き合ってるんでしょ?』

「えっ……なんで」

『バレないと思った? ウチは結構カンベのこと、見てるから』

 

 わかりやすいよとまで言われ俺は言葉を失った。確かに紗夜とは卒業前に付き合い始めたけど、それにしたって態度だけでバレてたとは。紗夜せんせー、今度その辺も伝授していただきたいです。浮かれ野郎にはなりたくないんです。

 

『でもうまく隠せてたよ、カンベにしては』

「褒めてない」

『貶してるもん。片想いかと思ってたのに、付き合ってたなんてわからなかったけど』

 

 三学期始まってから見てたといわれたけどそりゃそうだ。その時は紗夜からの猛攻を避けながら勉強とベースにかかりきりだったんだから。正直紗夜を相手にしてる時間も余裕もなかったんだけどね。

 

『ごめん……今外ってことは、カノジョ送ってた?』

「美鈴ってすごいな」

『ナメんな。ウチはそういう力で男を引っかけてきたんだから』

 

 気づいてあげられる力ってことか。確かにこう先回りされると気分がいいのは事実だよね。特にそこまでされると俺みたいな童貞は気があるのかとすら思えるくらいだ。美鈴の距離が近いってのと合わせると特に男受けがしそうなコンボだ。

 

「まぁ、でもアレだよ。逆に俺は安全だから、またなんかあったら話聞けるってことで……あ、メッセージでもいいから」

『……そんな気も回せるんだ、カンベのくせに』

 

 ん? 気を回したって、なんのこと? 俺は紗夜に怒られる理由を作りたくないだけですけどね? だから紗夜にもちゃんとこのことを伝えるつもりだし、電話じゃなくてメッセージの方が拘束されなくてありがたいから言っただけなんだけど、美鈴はプラスの解釈をしてくれたらしい。ごめん、俺全然美鈴に気を回せてないや。

 

『でも言ったなら、ちゃんとウチの話聞いてね?』

「わかった、じゃあね」

『うん』

 

 ──というのが先日夜にあった出来事でありました。とスカイブルーのおねーさんに包み隠さず全部話した。これ、紗夜にどうやって話せばいいかなという相談付きで。すると花音さんは改めて冒頭と同じことを口にしてきた。

 

「童貞くんのくせに変なことばっかり考える」

「うんひどくない?」

「ひどいのはカンベくんでしょ?」

 

 激しい理不尽を感じた。俺のどこがひどいの、優しく地雷を踏まないように頑張ったのにそんなことを言われないといけないなんて、と俺が勝手に憤慨していると、花音さんは呆れ交じりにこれだから童貞くんは、ともう一回童貞って言いやがった。

 

「もうそれは浮気だよぉ」

「えっ?」

「紗夜ちゃんに言ったら絶対怒るから、覚悟した方がいいよ?」

「待って」

「私は待っても紗夜ちゃんは待ってくれないと思うなぁ」

 

 そんなバカな。いくら紗夜といえど、たったそれだけのことで怒るなんてことがあるのか。俺は美鈴のことなんとも思ってないのに? 

 そう問いかけると花音さんはまるで自分が浮気されたかのようにそういうのがダメなんだよ? と認識の甘い俺に厳しい言葉を向けてくれた。

 

「カンベくんはもう、紗夜ちゃんのカレシなんでしょ?」

「……うん」

「だったら、前以上に紗夜ちゃんに対して誠実でいなくちゃダメだよ。具体的に言うと、私より先に紗夜ちゃんにこのことを伝えるべきだよ」

「そう、なんだ」

 

 俺自身もあんまり話の整理がついてなかったせいでひとまず花音さんに相談に乗ってもらったとこなんだけど、それがダメなことらしい。紗夜を信じてるなら、紗夜に信じてほしいなら、それ相応の対応をしなくちゃいけないのか、とつぶやくと花音さんはダージリンを飲みながら微笑んだ。

 

「うん……ふふ」

「なんでそんな笑うの? まだ貶すの?」

「ううん、私もカンベくんのこと好きだってこと、忘れちゃった?」

「……う」

 

 忘れてはいませんとも。でも最近セフレさんと仲直りしたって聞いてじゃあ俺はもういらねぇなとか思って油断していただけです。そんな股間に悪い顔をしないでほしい。最近特に出番を渋ってるせいで堪え性なくウォーミングアップし始めるから。

 

「そんなカンベくんには罰ゲームです」

「なに?」

「はい」

「……はっ、ちょ、まって!?」

 

 スマホにメッセージが送られると、そこにはかわいい系の花音さんには似つかわしくないような……けどとても似合っているようにも見える、水色で、レースとストライプが黒の下着姿のご本人様が……言いにくいんだけど、なんともエロい表情で写っていた。ベッドの上で脚をM字に開いて、なんかピンク色の紐みたいなのが伸びてるんですがあのその。よく見たら太ももにリモコンが括り付けられてた。

 

「感想は?」

「ええ……」

「オカズになりそう?」

「そりゃあ……ってしませんから! すぐ消すから!」

「ダメ。罰ゲームだから、保存してそれでヌいてね?」

 

 あ、花音さんってそういうの好きなんだと思わされた。さすが童貞キラー。徐々にこうやって短絡的にエロい姿を見せて、身体的接触でその姿を思い起こさせて、そうして何気ないお誘いで堕とすって手法だね。紗夜が要注意と言っていたパターンですね。

 

「ちなみにヌいたって報告したらどうなりますか?」

「私のオカズの種になるかな?」

「最低」

「カノジョさん以外の知り合いのえっちな画像でシちゃうようなヒトに言われたくないよぉ」

「いや最低ですねほんとに!」

 

 そうしてその日は紗夜に、このことを含めて全部洗いざらいしゃべって電話越しに謝罪した。花音さんの予想通りに、紗夜はなんで私じゃなくて松原さんに頼るのよと怒られた。ごめん、今日Roseliaの練習あるし、迷惑かなと。

 ──そして最後の罰ゲームに関しては。

 

「それは許せないので、また夜に電話をしたいのですが、よろしいですか?」

「うん……って待ってなにする気?」

「以前言った、アレを実行する日が来ましたね、それなら松原さんの罰ゲームをしても、ヤキモチを妬く程度で許します」

 

 その日は紗夜の悩ましい嬌声をイヤホン越しにたっぷりと聞かされることとなった。電話でもセックスはできますよという言葉の通り、童貞は電話越しと自分の右手とはいえカノジョである紗夜にたっぷり搾り取られることになった。

 ところで、ここまで計算ずくだったら、本当に花音さんは恐ろしいビッチさんだと思う。もうあのあどけない笑顔もえへへとかはにかむ姿も全部黒く見える。さすが悪女属性持ちは一味違うよね。

 しかも後で見たらボイスメッセージまで追加されていて、画像と一緒にどうぞ♡ と文章が添えられていた。中身? 聞く? ここから先は18歳以上立ち入り禁止なのでごめんなさい。一応ギリギリレーティングの線は越えないように頑張ってるんです勘弁してください。俺の周りはセックスに知識と能力の有り余ってる女性しかいらっしゃらないようなので。

 

 

 

 



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Fとの日常/一段と変わっていく

 美鈴の件は一旦保留になった。

 と言っても連絡は時折来るからそれに答える形になった。紗夜はそれに対してカンベさんのことはそれなりに信じてますからと言ってくれていた。それなりってところがちょっと気になるけど、まぁいいや。恋人からの信頼には応えたいよね。

 

「そんなことが……あったん、ですね」

「うん、まぁまだ続いてますけど」

 

 今日は練習の帰りに羽沢珈琲店に寄ったら偶々白金燐子さんに出くわした。今日も手作りらしいゴシックで露出が抑えめなのに、なんていうかこう、童貞には厳しいところのあるよね。そんなこと言ったら引かれるから言わないけど。

 

「……そんなに、見られたら……その」

「あ、つい、ごめん」

「……興奮、しちゃいますから、ね?」

「うんさっきの謝罪取り消させて」

 

 引かれなかったけど惹かれてくれたらしい。相変わらず燐子さんはなんというか物凄く花音さんといい勝負で童貞を殺してくるよね。ただ残念ながら本人がエロに振り切れてるのとなんだか一年ですっかり慣れを発動し始めたせいでこのくらいの返しはできるようになった。人間は成長するんだよね、ふふん。

 

「カンベ……さん?」

「ん? ってなにしてんの!?」

「なに? って今日は……タイツに遊び心を入れたので、見て欲しくて」

 

 そうですね。黒のタイツかと思いきや太腿の辺りで色が変わっていて境目に猫の耳が見えてるかわいらしいタイツですね? 

 だ、だからってスカートそんなに捲らなくても見えるからね? 焦る俺に向かって燐子さんはくすくすと笑ってきた。

 ──成長してないですね、はいはいわかってたよこんちくしょう。

 

「えっちですね……ふふ、カンベさんはいつも……」

「そっちが見せてきたんでしょう」

「黒色を、ですか?」

「いや今日は──」

 

 確かに黒レースとリボンだったけど白だった、と言いかけて燐子さんはまたくすくすと微笑みを浮かべた。騙された、ハメられた。

 見ちゃいましたよええ。見せてきたんでしょう、そっちもわざと。そうやって文句を言うと、燐子さんはどこかで聞いた発言を振りかざしてきた。

 

「ハメるなら……移動しないと」

「ホテルにはいきませんよ」

「わたしの家でもいいですよ……」

 

 防音バッチリですからね。知ってますよピアノある部屋だもんね。そこは予想済みですとも。俺は断固として拒否させてもらうからね。

 けれど燐子さんは俺の言葉なんてわかっているとばかりに微笑みを崩さない。相変わらず俺が不利なことに変わりはないんだよね。

 

「……そういえば、まだ、童貞なんですか?」

「やめて、聞かないで」

「童貞……なんですね」

 

 連呼しないで心にずっしりくる。童貞は卒業なのに処女は喪失だから云々、みたいな意見を目にすることがあるけど、どのみち童貞は童貞でなんだか喪失感があると思うんだよ。俺はその喪失感をあっさり終わらせたくないんだよね、なんかぱっぱと捨ててひゃっはー、みたいになりたくないし? 

 

「……ふふ、カンベさんは、変わらずにカンベさん、ですね」

「それは褒めてる?」

「もちろん」

 

 わーいやった褒められた。燐子さんはかわいいなぁと案外チョロいという称号を恋人の紗夜様から賜っている俺はぬか喜びをしていた。何がぬか喜びって後で紗夜に指摘されたんだけど変わらずにカンベさんってそれいつまでたってもクソ童貞根性が抜けないんですねって貶されてるわよと言われたのだった。燐子さんまで毒吐くなんて! 

 

「はい……わたしはカンベさんのために、もっとかわいくなって……みせますね……」

 

 だけど、こうして心境が変わった燐子さんの成長は凄まじいもので、胸囲……は全然変わってないというかそれ以上の成長はあるのかと……じゃなくて話それた。脅威の成長を遂げていた。まず自己肯定感が強くなった。俺限定だけど。

 そしてあんまりおどおどした態度をとらなくなった。俺限定だけど。

 更に素の、白金燐子の状態のままなんだか大胆になった。俺限定だけど。

 ──と俺にしか伝わらない成長の目白押しです。それを少しでも外に向けてくれればいいんだけど。

 

「わたしは……全部見せられなくて、怖がりで……だから、氷川さんには勝てない……二番ですから……本気で、変わりたかったんです……」

「俺ってそこまでするほど?」

「はい……もちろんです」

 

 すごいね。自己評価だと燃えないゴミもいいところのクソ野郎って認識なんだけど、どうやら燐子さんから見るとそこまでして手に入れたかったものらしい。悔しくて、変わりたくて、変えてしまえるくらいに燐子さんは、ちゃんと俺を想ってくれてたんだ。

 そんなことを感じていると、燐子さんは今まで聞けなくて、勇気がでなかったんですけどと前置きをして、少しだけ期待したように俺に問いかけてきた。

 

「……もし」

「ん?」

「……もし、カンベさんが、フられた日に……わたしが待っていたら……」

「待ってても……俺は紗夜の恋人になってたと思う、ごめん」

「です……よね……」

 

 しゅん、と燐子さんは肩を落とした。

 ごめんね、あの時はどっちも好きだと思ってたけど、というか今も燐子さんに抱いてる感謝とずっと一緒にいれたら、なんていう想いは変わってない。けど、同時に思うことがあるんだ。

 ──俺は最初から紗夜を待ってたんだって。いつも弱ってた時に来てくれたのは紗夜だから。ストーカーまがいに行く先々に現れて、俺を笑わせてくれたのは、他の誰でもなかったから。

 

「ごめん……」

「謝らないで……ください。会えないわけでは、ないんですから……」

「燐子さん……」

「……それに、二番でも、変わったことで……カンベさんの二番に、なれましたから」

 

 本当に、燐子さんはかつてベルさんって名前でオフパコを繰り返してきたビッチさんとは思えないほど、キラキラと熱のある恋愛感情を俺に向けてくる。熱すぎて困る時もあるけど、炎タイプも効果抜群だよ、俺なんて。

 

「……それに」

「ん?」

「大学も一緒ですから……チャンスはあります、よね?」

「え?」

「え……?」

 

 なんか聞き捨てならない言葉が聞こえた。え? なんて? 大学も一緒だからチャンスが……チャンス? 大学が、一緒? 

 なにそれ聞いてないんだけど? 俺、てっきり紗夜と俺くらいだと思ったのに燐子さんも同じところ通うの? 

 

「はい……よろしくお願いしますね……これからは、同じ大学の、同期として……ね?」

 

 ね、じゃなくて……ああもうかわいいなぁちくしょう! 燐子さんと紗夜は向き合ってるだけで顔面偏差値の攻撃力が尋常じゃない。美しい系の理想形が紗夜でかわいい系の理想が燐子さんなんだよね。向き合うと下ネタがガンガン飛んでくるからそっちの攻撃力も尋常じゃないけど。

 

「実は……わたし、通う大学について、もっと知りたくて……カンベさんにとっても、有意義な情報を……仕入れてきたんですよ……」

「なになに?」

 

 例えばとりやすい単位とか? 大学は音楽活動に専念したいところもあるからなるべく楽ができるならそれでハッピーだと思うしね。

 そんな期待を、燐子さんはにっこりと俺が惚れてしまうほどの満面の笑みでスマホを見せてきた。

 

「……この、ハートマークは、一体?」

「校内でセックスができる場所です」

「……は?」

「校内でセックスをしてもバレない場所です」

 

 燐子さんとは思えない流暢で淀みもない早口が聞こえた。何言ってるのかわかんないんですけど。

 そして違うんですよと燐子さんは俺に弁明してくれた。曰くこれから一緒に通っていく上で紗夜、もしくは燐子さんがどうしても襲いたくなった場合、バレない場所は知っておいて損はない……ってアホですかあなたは? 襲いたくなってもフツーに我慢してね? 

 

「ちなみに……氷川さんにも、協力、していただきました……」

「手遅れだなこの二人……」

 

 どうやら大学には余計に俺の安息はないらしい。このマッピングデータ貰っておこう。この近くで紗夜か燐子さんに呼び出された場合は断固拒否する姿勢で臨ませていただく所存であります。俺はまだ清い身体でいたいんだ。

 

「……楽しみです、わたし……こんなに、新しい生活が、楽しみだと思うの……生まれて初めてです……♪」

 

 そんな燐子さんとは裏腹に、俺は早速ピンチの予感がした。俺、つまりこの美女二人に挟まれて登校するの? バカなの死ぬの? いやいや両手に花も限度がある。バカみたいにいい匂いのするバカみたいに大輪のキレイな花束両手で俺って潰れて死にますって。

 ひとまず俺は、その贅沢な悩みをなんとかするために友人たちを頼ることにさせてもらった。頼むぞ三バカの残り二人!

 連絡したところ二人から快い了承がいただけた。対応とノリがイケメンのタイクーンと黙って立ってればイケメンのトーマ、腐れ縁のお前たちがいてくれればビッチたちの誘惑なんかにも負けるわけないしね。余裕で勝ち申したな、ガハハ! 

 



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始まりのA/最初の事件

 四月になりすぐに念願の大学生活が始まった。制服じゃなくて私服で通うというむず痒さ、それよりなによりほぼこれから毎日のようにベースを背負って通えるんだという実感に、俺はなんだか背伸びをして高いところから景色を見たようなわくわく感が胸に広がっていた。

 これから頑張ろう、と家を出て、そして俺はその目の前の景色に思わずUターンをしてしまった。

 

「忘れ物……でしょうか?」

「さぁ、時折カンベさんは私の予想もつかない突飛な行動をするので」

 

 あなたには言われたくないんですー! と叫びたい気持ちをぐっとこらえた。入学式の日から少し経ったついに講義初日、俺は家の前で待ち構えていた二人の女性と通うことを余儀なくされていた。

 

「あんまりのんびりしていると遅刻しますよ、カンベさん」

「わかってるよ」

「これが毎日、だと思うと……嬉しくなってしまいますね……」

「うん、そっか……あの、トーマとタイクーンは?」

「面白いから先に行く、だそうです」

「あのバカども!」

 

 せっかく両手に花を回避しようとしたのに裏切りに遭ってちゃ意味ねぇじゃんか!

 ──何を思ったかRoseliaはまだ高校生のあこちゃん以外の全員が同じ大学に通うことになっていた。友希那……どうやって合格したんだ、と思ったがそこはスルーしておく。イマドキは自己推薦とかあるしね。

 そしてワンドル(うちのバンド)からは俺を含めた中学からの腐れ縁三人が通うことになった。タイクーンが友希那と同じ大学を通うという事実を知って天に拳を突き上げて目を閉じたのは記憶に新しい。

 

「あなたは気にし過ぎだと思うのだけれど」

「紗夜が気にしなさすぎなんだよ……」

「わたしも、大丈夫だと……思います」

「……そうかな」

 

 紗夜だけ、燐子さんだけ、ってことならまだなんだか釣り合ってねぇカップルだなって印象で済むかもしれないけど、それが両方だよ。見目麗しいお嬢様二人に囲まれてるダサ男って構図がもう心臓に悪いし胃に悪い。トーマになりたい。

 

「大丈夫よ」

「なにを根拠に」

「カンベさんは見た目的に中途半端に軽そうな印象があるのだから」

「それヒドいね、フォローしてなくない?」

 

 紗夜がさして気にした様子もなくそんなを言ってくる。電車に揺られて、紗夜と燐子さんは座って俺は立ったままの構図。意外にこれが安全なんだよね。俺と二人の両方が立ってると触らせられるし、逆に両方座ってたら触ってくる。どっちも痴漢コースなんだよね。そして通報された場合警察のご厄介になるのはどっちにしろ俺。ひどいよね。

 

「……ん」

 

 ──と思ったら何やら燐子さんが顔を赤らめてもじもじしだした。この顔は下ネタ警報だって俺学んだから聞かないフリをすることに決定した。反応するからからかわれる。反応するからもっと下ネタがステレオになる。やったね俺成長してる。

 

「この、距離感だと……視線がどうしても……カンベさんの、おち──」

「──ごめんね時間と場所と状況を考えてね?」

「全く、朝から発情しないでください、カンベさん」

「俺じゃないよね? 燐子さんに言うべきだよねそれはさ」

 

 全然ダメだった。でも誰だって朝の混みあってる電車で下半身をじっと見ながら部位を口にされるのは止めなきゃと思うじゃん。しかもそんなうっとりと舐めるように見られると童貞の俺は妄想力豊かだから反応してしまいそうになるんだよ。いやだからこそ紗夜は俺にそうやって冷や水を浴びせたのくらいはわかってるんだけど。

 

「カンベさん……の、えっち」

「言いたいだけでしょう、燐子さん……」

 

 ふふ、と微笑み胸の前で手を組んで、吐息交じりに一言。わぁ仕草だけで童貞だけじゃなくて世の男性の約七割くらいは殺されそうな破壊力があるね。ただしやっぱりシチュエーションは選んで欲しい。

 ──と、そんな風に一応はまだじゃれあっている範囲で収まっている会話を繰り返していると、紗夜がじっと俺を見上げてきた。

 

「……紗夜?」

「どうかしましたか?」

「妬いてる?」

「それはもう」

 

 だったら会話に入ってくればいいのに、と思ったけどどうやらそれだけが理由じゃない気がした。これでも最近は紗夜に対してだけは妙に気付くことが多くなった。たぶん二度目の告白をしてから二ヶ月間、紗夜に散々試され、振り回されたからだな。

 今一度紗夜の感情のベクトルを考えて状況を整理してみよう。楽しく会話をしていた燐子さんと俺のベクトル、ちゃんと俺が紗夜に向いてることも理解してるはず。紗夜の向き……ああ、なるほどね。

 

「言えば気づくのね、ちゃんと」

「紗夜に鍛えられたからね」

「そうです、ちゃんと腰を痛めないピストンの方法があるのだから」

「うんそっちは全然鍛えてないから安心して」

「やたらめったらに腰を振ると果ては日常生活に支障をきたすのよ?」

 

 その話は一切してないしそんな爛れた状況も二ヶ月間一切ありませんでした。なんなら気持ち悪い童貞だからキスした回数とハグした回数数えてるくらいだから。まだ清くて気持ち悪い童貞です。

 

「……これで大丈夫そう?」

「ええ、流石は私の恋人です」

 

 どうやら隣のおにーさん……ギリギリおにーさんがキレイで麗しい紗夜のことをガン見していたっぽい。そこまでは気付かなかったし、なんなら紗夜より燐子さんのが危ないと思ってたから反対側ばっかり気にしてたよ。

 だからこうして紗夜に下ネタを振って、俺がツッコむ……下の意味じゃないよ、ツッコミを入れることで間接的に俺と紗夜の関係を明確にする、という紗夜の作戦。流石策士系ビッチですねと言ったら頬を膨らませながら脛を蹴られた。かわいいけど威力がかわいくない。

 

「……わたしのことまで、守ってくれてたんですね……うれしい……」

「いや燐子さん俺が言うのはなんだけど絶対男の人に狙われやすいタイプだし」

「だからって恋人を放っておくのはひどいわ。今日はもうナマ禁止よ」

「シたことないんだけど」

 

 電車を降りて、堰が切れたようにそんな話を始めた。やっぱり燐子さんも紗夜も見た目が良すぎるのは問題だよね。

 けど講義室でもやっぱり一部には遠巻きに見られてる。だって燐子さんが俺の腕を持ってるのに紗夜と恋人だってことをアピールしてるんだもんね、おかしな光景だよね。

 

「燐子さんって見られるの好きじゃないの?」

「……コスプレを、している時と、カンベさんにだけです……」

「うーん、ありがとう?」

 

 コメントに困った。そしてこの空気にも困った。というかなんでトーマとタイクーンと幼馴染二人がいないのか不思議でしょうがないんだけど。先に行ったんじゃないのか。なんか居心地が悪くて、それは自分のせいだとしても、あんまり遠巻きに見られるのは好きじゃないんだよね。

 結局、その日はトーマたちが来るまで嫌な雰囲気が続いた。どうしたらいいんだろうな。

 

『そんなの、カンベが気にしすぎなだけじゃん?』

「紗夜も……ウチのカノジョもそう言ってたけど、それは楽観的じゃない?」

『はぁ……』

 

 愚痴相手は丁度、連絡が来ていた美鈴になっていた。その際にまぁやましいと言えばそうだけど美鈴ならいいかと思って全部、燐子さんのこととか紗夜のこととか全部話した。紗夜も美鈴の相談を聞いている以上、こちらからもある程度距離を詰めるような情報が必要と言われたし。

 俺の言葉を聞いた美鈴はこれみよがしに溜息をつき、バカだねと言われた。

 

『そのサヨちゃん、だっけ? カンベのカノジョの言ってることのが正解。気にしすぎてるから、そう見られるだけだからね』

「そんなもん?」

『当たり前でしょ』

 

 ヒトは案外ヒトの向いてる方向には敏感な生き物だって、それは花音さんが前に言ってたなぁと思い出した。

 俺が周囲にびくびくとどう見られてるかを気にしすぎているから、三人の関係が異様だってことが伝わるんだと美鈴に指摘された。

 

『ま、モテなかったカンベにはわかんないハナシか』

「うるさいな」

『そんで、意外とリンコって子も、そういうのに敏感過ぎるよね』

「……確かに」

 

 燐子さんはヒトの視線に怯えることが多いって言ってたからね。紗夜と花音さん、後リサのヤツもそういうベクトルを受け流すスキルを持ってる気がする。トーマと友希那は気にしてないというか鈍感だけど、タイクーンもそういや上手いよね。あとランスか。この手のスキルでランスより凄いヤツにはもう一生会えないんじゃないかって思うよ。

 

「ありがと……って違うな、ごめん。美鈴の話してたのに、いつの間にか俺の話しちゃってて」

『別にいい……カンベもちゃんと、そういうこと考えれるようになったんだって思うと、ウチもいい加減切り替えないとって思うし』

「美鈴……」

 

 男女では恋愛の切り換え方が違うらしい。リサがそんなことをドヤ顔で話していた。女性は割とスパっとするタイプで、男性は別途保存する。思い出に浸ったり、ふとした時に好きって気持ちが蘇るのは男性に多い恋愛感情の動きらしい。

 ──だから、少し美鈴と話しているのが怖い。俺は紗夜を裏切ってるんじゃないか、また美鈴のことをうっかり好きになったらどうしてようって思っちゃうんだよね。

 

『これだから恋愛初心者は』

「付き合って別れてを繰り返せば上級者なの?」

『は? なにあんた喧嘩売ってんの?』

 

 やっべ、つい口から爆弾吐き出しちゃったよ。今週のびっくりドッキリ地雷ワードのコーナーでした。しかも特に別れてる間に言うべきじゃないよねこれ。思ったのは既に遅く、覆水は盆に帰っていかないわけですよ。

 

『いいけど、ウチはカンベのこと、そんなに器用だと思ってないから』

「不器用だね」

『自己申告するものでもないよ』

「ごめんなさい……」

 

 美鈴はそこでようやく、ふっと笑った気がした。少しずつ、ずっと鼻を鳴らしていた頃よりは改善したみたいだ。

 俺は余計なことだとは思いつつ、思った素直なことを口にした。

 

「美鈴が笑ってくれると嬉しいな」

『なんで?』

「なんでって、泣いてるの聞くのは嫌だから」

『……あっそ』

 

 なんか冷たい反応をされて、その日の電話は切れた。今のところ一週間に一回くらいの頻度で電話が来るけど、美鈴は大丈夫なんだろうか。

 そんなのんきなことを考えていた俺だったけど。あまりにそれはのんき過ぎたことを俺はすぐ知ることになった。人のことを心配している暇なんてないくらい、実は今の状況はあまり良くない方向に進んでることに、俺は気付かないまま、初講義から一週間経った。

 異変の始まりは燐子さんがモテだしたことだった。本人は困惑していたけど当たり前だよとは思ったよね。なにせ小柄で、白く透き通った肌、伏し目がちだけど大きくて丸い目、黒く艶やかな髪、そして何よりも気弱な女性らしさは男の庇護欲や、また逆の、加虐心のようなものをくすぐるんだと思う。これはトーマの言葉だった。

 

「彼女のこと守りたかったら、気を付けた方がいい」

 

 それは予言のような響きがあった。でも、燐子さんは俺よりもずっと強くて、守ってやる、なんて無責任であまりに確実性のない言葉、俺なんかがサムいんじゃないかって恥ずかしさから、そんなボディーガード紛いのことはやめておいた。あと、俺は紗夜の恋人だからっていう自制も働いた。いやそもそも、俺が童貞であまりに自分の状況に対して現実が見えてなさすぎた。それが今回の出来事を引き起こした気がする。

 

「……え」

「どうしたの?」

「あ、いや……気のせいかな」

 

 紗夜とスタジオで自主練習をしていた帰り道、遠目に燐子さんが見えた気がした。いつもより地味な服をして、服を入れるような紙袋を手に持って、男性に声を掛けられて一緒に歩く。

 ──別人だと思った。だって燐子さんはもう、アレはやらないって聞いたのに。

 

「……カンベさん?」

「あ、ごめん。寄り道するって話だよね」

「ええ……けれど」

「いやいや、なんか知り合いかと思っただけ、大丈夫」

 

 あっちは、確か一年くらい前に紗夜が男といた場所、ホテルがある場所だ。そうすれば俺にだって行く先、目的くらいはわかる。でもそれが燐子さんだったとしたら、俺はわからなくなるようで、でもわかることもあった。

 きっと俺は、飽きられたのかな。紗夜の恋人で、燐子さんはまたオフパコでもしたくなったのかも。第一に、こんな音楽だけが取り柄のクソ童貞を構ってたこと自体、あり得ないことだったから。

 

「知り合いって、この先はホテルくらいしかないところよ?」

「知ってる。紗夜ともバッタリ会った場所だもん」

「……カンベさん」

 

 躱せているつもりだと思ってたら、腕を掴まれて睨みつけられた。隠すな、全部話せ。そういう圧力を感じる視線だった。けれど、ここで俺が嫉妬したり嫌だと思うのは間違ってるでしょ。ましてやストーカーのようにコソコソとして、あの時ホテルに行ってた? なんて言いたくない。

 ──そんな迷いを紗夜が見逃すはずはなく、スマホを取り出した。

 

「なにしてるの?」

「白金さんに連絡を」

「え、な、なんで……」

「……あなたが男とホテルに行った、という相手で不審がるのは、私か彼女でしょう」

 

 会話のテンポを上げて話をされた。俺はなんで燐子さんにって意味も込めたはずなんだけど、なんでわかったの、という意味を最初に拾われた。

 それはさておき、別に燐子さんだって確定したわけでもないのに電話を掛けるのはどうかと思ってたんだけど、と言おうとしたら、紗夜が物凄く怪訝な表情をした。

 

「繋がらないわ」

「……忙しいってこと?」

「電源が切れているの」

 

 でもそれだけで燐子さんと確定するわけにはいかず、俺と紗夜はなんだかモヤモヤした気分を抱えたままファストフード店を訪れた。

 紗夜は燐子さんが俺がいつまでも振り向かないから飽きたんじゃないのという言葉にあり得ないと首を横に振った。

 

「どうして?」

「カンベさんは自己肯定感が低すぎるわ」

 

 紗夜曰くあんな風に俺に感情を見せてきた燐子さんが急に冷めるなんてあるはずがないと。それは、どうなんだろう。美鈴もそうだけど、女性ってあっという間に冷めて前に好きだった男のことはキレイに割り切れるものでしょう。

 

「あなたは、まだそんなことを言うのね」

「……え」

「悪いクセよ。それで白金さんや私のことを泣かせたの、もう忘れてしまった?」

「……でもこれとそれは」

「──違わない。あなたは白金さんの……私の抱えている好きを軽くみてる。自分が軽い存在だから、好きも軽いだなんて傲慢なことを考えているでしょう?」

 

 紗夜は、自分で言っていて嫌じゃないのだろうか。俺は燐子さんの気持ちを宙ぶらりんにしているのに、燐子さんが他の男と歩いていたと思って嫌だと感じてしまったのに、紗夜はそれについて責めることはしない。責めないどこか、白金さんの好きをもっとちゃんと受け止めて、なんて言われてしまう。

 

「紗夜は、嫌じゃないの?」

「いいえ」

「なんで?」

「どうして? そんなに複数の女性に思われる自分が嫌いなら、私を理由にしないで」

 

 ピシャリと言われて、俺は押し黙ってしまった。

 紗夜と一緒にいたいと思った瞬間に、俺はまるで前の俺に戻ったみたいだ。何が成長してるんだろう、むしろ高校三年の時より退化してる気までするよ。

 俺の恋人は、俺に対していつも優しくもあって、厳しくもある。自分の感情を他人に押し付けるなと叱ってくれる。

 

「白金さんは、あなたに出逢えて変わったし、あなたも白金さんがいたことで変わったわ。それを証明するのが今の状況よ」

 

 あまりに不誠実だとは思うけど、紗夜は燐子さんがいないと俺が紗夜と付き合おうとする気持ちは芽生えなかったはずと問いかけてくる。

 確かに、そうかも。紗夜だけだったら付き合う気にもならなかった気がする。燐子さんが来て、紗夜が嫉妬して、そこで初めて紗夜がちゃんと俺を見てくれてることを知った。

 

「……わかったよ、紗夜の言いたいこと」

「それならいいわ……さて、状況を整理しましょうか」

 

 ポテトをひょいひょいと口にしながら、紗夜は言葉通りに整理するためにルーズリーフにペンを走らせた。

 まずは結果から、燐子さんらしき人が男とホテルに入っていく姿を見かけた。それは確かに燐子さんにしては地味な服装だったけど、黒髪と雰囲気が燐子さんだった。じゃあなぜだろう、という矢印が引かれる。燐子さんはもうビッチとして性に奔放なのはやめたと明言していた。紗夜と同じで、過去がそうでも好きな人には誠実でありたいというのが燐子さんの望みだったから。だからあり得ないんだ。

 

「やっぱり、別人?」

「少し待って……」

「そういえばさっきからなにしてるの?」

「調べているのよ」

 

 スマホを触っている紗夜に何を? と首を傾げていると、紗夜はその画面を見せてきた。燐子さんがオフパコ用に使っていたSNSサイトのキーワードを調べていた。大学の名前と、ベル、というワード。紗夜は鋭い探偵の如く、彼女がもう一度他の男とセックスをする状況を推理していたのだった。

 でも待って、紗夜の推理が正しいとしたらソイツやばいやつだしなんならそんな間抜けでいいの? 

 

「……あったわ」

「あるんだ」

 

 どうやら間抜けは見つかったようだぜ、ということで同じ大学の名前と一年生ということがプロフィールに記載されているとあるアカウントの呟きにベルさんとヤれるかも、という言葉を見つけた。つい最近の呟きだ。

 

「ええと、紗夜の推理が何かわかったけど、これってヤバくない?」

「ええ、でも白金さんが押せばヤれそうな雰囲気なのは事実でしょう?」

「……あの、俺そんなこと感じたことないんだけど」

「童貞なのに?」

「一応ね」

 

 気弱そうでおどおどしていて、かつ身体がえっちな子は総じてそう見えるものよ、と紗夜は言い放った。だからこそ燐子さんはコスプレをするだけで自分の欲求を満たしてこれたのだから。それはそのツケを払わされているから、本来は助ける義理も必要もない、と冷たく。

 

「……嫌だよ、それでも」

「そう言うと思っていたから、探したのよ」

「だって過去は過去だもん。燐子さんだって紗夜だって、それはそう言うでしょ?」

「ええ」

 

 そんなことを言ったら、今回の件は紗夜にも起こりえることだ。そういった場合紗夜ならすげなく断るだけの力があるだろうけど、燐子さんにはない。それに、俺がその場にいればまだよかっただろうに、俺が燐子さんを放置したことが原因にあるんだ。

 

「そう、思えってことだよね? 紗夜」

「そうよ。カンベさんがいれば、きちんと過去は過去で区切ることができた。でもあなたはあくまで氷川紗夜のカレシであろうとした。だから相手に付け入る隙を与えたのよ」

 

 ビッチは変わることのないビッチ、だとしたら人間は成長なんか、変わることなんかできないってことになる。俺はいつまでたっても自分が好かれてることに気づけず道化のようなサムい言葉を繰り返す地雷野郎のままだし、紗夜も誰かに身体を売ることが止められないただのクソビッチになってただろう。でも紗夜はその傷を俺に預けて、誰かを純粋に愛したいと思ってくれた。燐子さんも、燐子さんのまま変わりたいと俺を頼ってくれた。俺だって、そんな二人と、花音さん、いろんなヤツに背中を押されて今、ちゃんと幸せに恋人と過ごせてる。

 

「過去は過去なんだ……大事なのは今はどうなのかってこと」

「それだったら、カンベさんはどうするの?」

「燐子さんに事情を訊こう。あと紗夜、これは立派な浮気だけど、力を貸して」

「忘れないでくれたらそれでいいわ」

 

 ──あなたのハジメテの女は私だから。と紗夜は微笑んでくれた。

 やっぱり俺もちゃんと変わらなくちゃ。そっと、俺は別の人物にも連絡をすることにした。

 小さな事件、でも俺の中では大きくなったその事件は、こうして始まり、俺の意識を変えていく。

 ちゃんと照明しなくちゃ、燐子さんは決して、ただのビッチじゃないってことを。

 

 

 

 

 



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伸ばした腕をFに/救出作戦

「燐子さん」

「……カンベ、さん?」

 

 それから数日経ち、俺は燐子さんに声を掛けた。あれほど俺と一緒に通えるのが楽しみと言っていたのに、燐子さんは最初の一週以降、ほとんど一緒に通うどころか一緒に過ごすことがないくらいになってしまった。

 だから探すのにも苦労した。やっと見つけた燐子さんは一人で黙々とご飯を食べているところで、俺はその向かい側に座ってみる。なんて切り出せばいいんだろうか。なんでこういう時ばっかりは紗夜の信頼度が高いんだ。頑張ってきてくださいってなんだそれ、紗夜も来てよ。

 

「ひ、久しぶり、だよね」

「……はい」

「うん……」

 

 ──会話が終了しました。あれ、なんでこんなに気まずい、というか会話が続かない? なんか燐子さん戻ってる気がするんだけど? そう思いながら下を泳いでいる合わない視線に向かって話を続けていく。

 

「あのさ……燐子さん」

「はい……」

「最近、あんまり話せなかったからさ」

「……そう、ですね」

 

 壁を感じる。まるでベルさんという本性を隠してた昔の燐子さんだ。それでも俺はめげずに話しかけようとする。正直紗夜に助けてほしいところでもあるけど助けに来てくれないだろうなと、孤軍奮闘していた時に、俺はソイツに出逢った。

 

「白金さん……って、あれ? 誰キミ」

「どうも」

「白金さん」

「……彼は、知り合い……です」

 

 誰はコッチのセリフなんだけどおいおい、ってならなかったのはひとえにその男を見たことがあったからだった。この間見かけたやつ。燐子さんに似た相手と一緒にホテル方面へ消えたのは間違いなくコイツだった。

 

「そう」

「そうなんだよー、俺は赤坂陽太って言うんだ」

「おう」

 

 なんか警戒されてるけど俺は敵対するつもりはないよ全く、これぽっちもね。俺は基本的に誰とでも仲良くがスタンスだから。そりゃあ俺のことを苦手にしてるだろう人は何人かいたけど、俺は機会があればソイツらとも仲良くしたかったくらいなんだから。

 だがしかし、確定してしまった情報をどうしようか悩んでいると、電話がかかってきた。紗夜からだ。

 

「ごめん……出ていい?」

「はい、どうぞ……」

 

 困惑した様子の燐子さんに許可をもらって電話に出る。ここでカノジョがいるっぽい雰囲気を出せば流石に相手の警戒も薄れるだろうといつものノリでどしたの? と電話をした。その返しは見えていますから状況を、とのことだった。どっから見てるんですかストーカーさん。

 

「ああ、うん今ね、燐子さんに会って話をしてたんだ」

「……氷川さん、ですか……お相手は」

「うんそうなんだ……ん、ああでもさ、そしたらお邪魔だったみたいでさ、うん、うん今どこ?」

 

 会話で、現状を伝えていくと、どうやら伝わったみたい。紗夜はそう、ときっと顔を顰めているような声を出した。

 ──それにしても、紗夜の考えてることは正しかったみたい。燐子さんは、いわばツケを払わされている状態なんじゃないだろうか。それは過去のツケ。自分の変わりたいという欲がいつの間にか泥沼のようになってしまったというツケ。それによって燐子さんはまた殻を閉ざしてしまっているんじゃないだろうか。

 

「……カンベさん」

「ん、それじゃあ燐子さん、()()()

「……え?」

 

 取り敢えず今のところは撤退だよ。偵察みたいなもんだし、何より紗夜の判断を俺は信じてるから。

 またね、ってことはまた来るってこと。本当はあんまりこういう自信たっぷりな言葉は使えない俺だけど、燐子さんを変えたのは俺なんだ。だから俺は、燐子さんを変えたって責任は取る。無責任に過去を詰るようなやり方じゃなくて、今、紗夜が笑ってくれているような前に進むやり方で。こういう時くらいはカッコつけてもバチは当たらないよ、って花音さんも言ってくれたしね。

 

「あ、そうだ燐子さん」

「なん、でしょう……?」

「訊きたいことがあってさ」

「は、はい……?」

 

 なんだか男の方がイライラしだした。燐子さんはゆっくりペースが好きなんだって知らないなんてかわいそうに。会話もセックスも、あんまりガッツかれちゃうと疲れるんだって俺は知ってる。体験したことはないけど。

 だから俺は燐子さんのペースに任せてゆっくりと言葉を選んでいく。因みに言葉選びはド下手くそすぎて花音さんにホンットカンベくんってヘタクソな童貞くん♡ なんだねって言われた。悪意のある言い方だった。

 

「去年の文化祭手伝いで言ってたことあるじゃん? 俺がフラれた先の話をした時のこと」

「……はい、まだ、覚えて……ます」

 

 よしよし、何せFは揺れる、でのできごと……はて、今変なことを口走ったな。

 ええっと去年の秋口に入る頃の話だから覚えてないかと思ったけど、燐子さんが記憶力よくて助かった。

 

「あの時に教えてくれたこと、まだ俺だけ?」

「……あ」

 

 そうそう、ちゃんと気付いてくれる。燐子さんは俺にだけ教えてくれることが多すぎるから、その辺の確認作業が楽だって、これは紗夜の入れ知恵だけど、どうやら燐子さんもその意図に気づいたっぽい。

 

「……はい、ずっと」

「あ……なんかごめん」

「いえ」

 

 ──ただし訂正が怖かった。まだ俺だけじゃなくてずっと俺だけね、了解。それが訊ければいい。それが俺にとっての燐子さんからのSOSとして捉えられるから。同時に燐子さんが少し前の調子に戻ったことも大きな成果だ。

 

「それじゃあ、今度は紗夜も一緒で、そうだないつものところで」

「……待ってます」

「たぶん俺たちのが早くなるかな、またね」

 

 そう言って俺は燐子さんから離れていった。正直なところは今すぐにでも燐子さんを奪還して逃げ帰りたいところではあるが、紗夜がもっと慎重にと言うから。ああでもここで背を向けるのなんか燐子さんを置いて行くみたいで胸糞悪いなーと思っていたら、カンベさんと燐子さんに呼び止められ、振り返った。

 視界が燐子さんでいっぱいになって、俺は反射的に手を出して彼女を受け止めることに成功した。えっと、結構周りに人がいるんで目立っちゃってるし男の方が唖然とした顔してるんですけど。

 

「──なに、やって……?」

「助けて……ください」

「燐子さん……」

「一緒に逃げて、ください……」

 

 ──わたしの王子様。

 そんなことを耳元で呟かれた。なんか燐子さんの妙なスイッチが入ったみたいだと考えながら、後に引くわけにもいかずに手を取って取り敢えず入学前に燐子さんが送ってくれた人気のないところリストで近いところを選んでいく。役に立って嬉しいような、あいやでもやっぱり複雑だ。

 

「はぁ……ここまでくれば大丈夫でしょ」

「……カンベさん」

「え、えっと……んぐっ!?」

 

 漸く辿り着いた先にはピアノの自主レッスン室だった。そこで一息ついた瞬間に首に腕を回され、俺は燐子さんの熱烈な愛情を受け取ることになった。いや押し売りでしょうとツッコミを入れる暇もないくらいに舌が入ってくるんだけど。ぎゅうっと肢体を押し付けられ、燐子さんはキスの合間に俺の耳にひたすら好きを連呼してくる。

 ま、前々から思ってたけど、燐子さんの好きはなんだか激しいよね! 紗夜の好きはもっと、なんだろう……涼しい風と鈴虫の声を聞きながら月を見上げてるような好きだけど、燐子さんは真夏の太陽の下で大合唱をするアブラゼミな感じ。七日間しか生きられない中、恋をしているみたいな、熱を感じるよ。

 

「はっ、はっ……ちょ、りん、こさん……すとっぷ、すとっぷってば……」

「止めないで……ください。もっと、もっと……わたしを見て、わたしを……愛して」

「……これは、一体……?」

「何やってんのよーた。心配してきたのに?」

 

 なんで紗夜は困惑でとどまってるのにリサが怒ってるのかわかんないけど、取り敢えず助かった。Roselia四人と一緒、ということはトーマとタイクーンも一緒なんだってことは察しがつく。流石紗夜、ちゃんと頼れるメンツを素早く呼んでくるなんて俺は増々紗夜のことが好きになりそうだ。

 

「なんとなく予想はできましたが……一応、ことのあらましを説明してください」

「あ、えっと……それは」

「……ごめん、なさい……!」

 

 俺が説明しようとしたら唐突に、燐子さんが頭を下げた。え、なんのこと、と俺だけでなく全員が頭の上に疑問符を浮かべた。

 えっと、なんで燐子さんが謝罪してるんだ?

 

「……え?」

「え、はこっちのセリフよ、白金さん」

「あの……わたしに、怒ってるんじゃないん……ですか?」

 

 これまた全員が頭の上に疑問符を浮かべた。なんで? 燐子さんに対して怒るようなことなにもないんだけど。

 そう思いながらも俺たちは燐子さんのことをじっと見つめていた。

 

 

 



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伸ばした腕をFに/追い詰められたカンベ

 ピアノのレッスン室から場所は燐子さんの家に移動し、俺と紗夜が代表で残った。幼馴染様はこれからカレシくんのデートがあるらしい。友希那とタイクーンは何かリサたちにくっついてどこかに行ったらしい。

 それはさておき、燐子さんによって紅茶を淹れてもらい、茶葉の香りが部屋に広がった。

 

「え……っと、何から……話しましょう、か……?」

「そもそも……本当、なのですか?」

「俺も、あんまり信じられないんだけど」

「そこから……ですね」

 

 燐子さんはお茶を出しながら、先週からの出来事を説明してくれた。

 ──スタート地点は少し前のことに遡るらしい。最初の一週間は俺と一緒に通学できて自分の中で幸せ絶頂だったらしい。でも、その内に気づくことがあった。

 

「紗夜」

「なに?」

「そろそろ自分のイヤホン出してよ」

「嫌」

「なんで」

「そうするとカンベさんと繋がっていられるのよ……ね?」

「さするな! またありもしない既成事実を」

「……認知してくれないの?」

「シてないのに?」

 

 受け入れられてるというのに、その通学空間に燐子さんの居場所はなかった。俺がいくら燐子さんが男性からの痴漢に遭わないようにと気を張っているのに気づいていても、じゃれあう俺と紗夜の会話に、燐子さんは壁を感じていたらしい。

 それから燐子さんは一緒に通わなくなった。あのままいたら、嫉妬してしまうことが嫌で、そしてなにより嫉妬してしまう自分が嫌で。

 

「そんな時に……あのヒトに声を掛けられ……ました」

「そっか」

 

 俺が対面した男にはそんな悲しみに暮れた燐子さんにとっての光になったらしい。燐子さんの過去を、ビッチの燐子さんを知る人がそこで話かけてきたらしい。

 ──キミって、オフパコしてるベルってひとだよねって。

 

「それで……?」

「わたしは……こうしたら、カンベさんは振り向いてくれるんじゃないか……って」

「それで白金さんは、あの男性と」

 

 それで、俺が振り向く? そんなわけないと俺は肩を怒りで震わせた。燐子さんが短絡的な思考を巡らせたことじゃない。それも少しはあるけど、それよりも短絡的な思考に走らせた俺自身に怒りが湧いてきた。

 俺が燐子さんを蔑ろにしてしまったから、俺がちゃんとしていれば燐子さんがもう一度誰でもいいからと身体を預けなくて済んだのに。

 

「わたしは……あの男性を使って……嘘をつきました」

「……ん?」

「あれ?」

 

 嘘ってなに? と俺と紗夜は顔を見合わせた。

 そこから先に語られた真実は、すごく単純なものだった。燐子さんは妬いてほしかったけれど、それでセックスをしてしまうと逆に俺にとってはマイナスポイントなんじゃないかと。そこで燐子さんは下心で近づいた男に、逆に脅迫を持ち掛けたらしい。

 

「脅迫」

「脅迫て」

「……だって、わたしのこと、知ってるんですよ……カノジョさんいるのに」

 

 あーそういうことなんだ。だから自分に下心を出して近づいたことをバラす、と言ったわけですか。

 そうして形勢逆転したのがこの間のホテル前での出来事。そうしてまず燐子さんはその場面を目撃されていることを確認して更に脅迫。かわいそうに、と同情してしまった。ワンチャン感じたらノーチャンだったどころか利用されたのか。不憫すぎる。いや浮気してなかったらこんなことにはならなかったのか、なら因果応報ってやつか。

 

「……そして、ちょっとしたら……カンベさんが焦って、迎えにきてくれたら……と思ったら……」

 

 そうしたら俺が偶々最初の場面を目撃して、そして燐子さんの予想よりも遥かに早く、俺が燐子さんを迎えにきたのか。彼女にとってそれは誤算で、同時に自分のやったことを後悔し、また幸せと愛情を感じてしまったってわけね。納得した。

 

「……ごめん、なさい……わたし……」

「確かに、白金さんがしたことはよくないことです……けれど」

「けど、元は俺のせいだ……ごめん」

「そんな……」

 

 俺は約束したんだ。燐子さんのことも、ちゃんとするって。安易な約束をしたんだ。

 そんな安易な約束すら守れずに燐子さんを強硬手段を取らせた俺にも責任があるんだ。

 だから、燐子さん。俺は迷うのをやめたらいいんだって学びました。

 

「紗夜がどんだけ許可を出しても、燐子さんがどれだけ俺のことを想ってくれてても、俺はどっかで怖がってたんだ。二人を両脇においてると、二人がどんな目で見られるかってそればっかり考えてた」

 

 だから俺は紗夜ばっかりを構ってた。燐子さんを蔑ろにしたんだ。

 だから俺は燐子さんの異変に気づけなかった。

 だから……俺は燐子さんの幸せを考えていきます。紗夜のことも燐子さんのことも、俺はちゃんと約束した通りに頑張るから。

 

「燐子さん」

「……はい」

「俺、燐子さんのこと()、ちゃんと好きです。信じてもらえないかもしれないけど……それでも」

「わかって、ます……あの時のわたしの、手を引いてくれたあなたは……素敵でした」

 

 もう紗夜の許可はいらないと思った。紗夜はきっと最初から全面的に、とある一点を除いて許可を出してくれているから。

 ──両手を広げて、俺は燐子さんを今度はしっかりと自分の意志で抱きしめた。童貞には過ぎた贅沢だ。紗夜を選んでおいてこれは、あまりに蛇足にすぎるだろうと思う。

 だけど言わせてほしい。これがたぶん、俺にとって一番な気がするんだ。紗夜との関係も、燐子さんとの関係も。どっちもあるから俺だって言えるから。

 

「まだ……セックスして、ませんか?」

「それはもう。カンベさんはとんでもないヘタレクソ童貞、略してヘタクソ童貞なので」

「めちゃくちゃヒドい略しかただね?」

「ふふ……わたしもいるので……覚悟を決めるなら、早めに、ですよ?」

「え……あ……本気?」

「カノジョ……は紗夜さんの称号ですから、セフレ……ということで、よろしくお願いしますね、カンベさん?」

 

 セックスをしないセフレができました。あっはっはっは、俺はどうなってしまうんでしょうか。取り敢えず、俺の状況はもう抜き差しならないところまで差し迫っているということを改めて感じた。これはもう、童貞の理想の捨て方なんて頭をお花畑にしてる場合じゃない。

 

「抜き差しならない状態なので抜き差ししてしまいましょうね、カンベさん」

「言うと思った!」

「うふふ……今のうちに、ホンバン前に練習……しますか?」

「ええ、それってホンバンって名前の練習だよね!?」

「ダメです! 練習も本番も私です!」

「なら、早く……わたしが、我慢できなくて……襲ってしまう前に」

 

 あれー、昔レイプはしませんとか豪語してなかった燐子さん? そうやって首を傾げると、セックスをする前提のオトモダチなので、もう合意しているも同然でしょう? と妖しく微笑まれた。ひえぇ、肉食の目だ。ライオンと豹が睨み合ってる。

 

「カンベさん! そろそろ私たちは決めるべきです!」

「待って……」

「そうです……待てません」

「ええ」

 

 急展開だ。まさかまさか、こんなことになるとは。これも俺が燐子さんを蔑ろにしていたせいで、俺は断れない。

 間接的に、紗夜の思い通りに事が運んでいる気がするよこれは! 

 

「──次のデートをするわよ。私がエスコートします、異論はなし、わかった?」

「……はい」

 

 もう一度言おう、まだ美鈴の話も完結してないのに、ここで俺は次のデート先を決められないという状況にまで、追い詰められてしまった。

 そして、待っている結果はただ一つだ。紗夜が指定することと言ったら、あれしかない。前からずっと冗談で名前だけは出ていた、アレ。

 ──俺はこうして大学入学から三週目が終了した時点で、ラブホテル行きが確定したのだった。

 一難去ったら、とんでもない難点が訪れた。というかさり気なくフレ作っちゃった。あんだけ高校生の時はセフレなんてどうのとか言ってたのにね。

 

 

 

 

 

 

 



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失われるD/誘うのはいつだって

 デートそのものは何度目だろう。映画に行ったり、遊園地に行ったり、俺は色んなところを提案して彼女とその時間を共有した。

 けど、これはそれとは違う緊張感にそわそわしてしまう。おかげで俺は寝れ……ないことはなかったけど早起きして集合時間の遥か前に来てるよ。

 

「……おはよう、カンベさん」

「おはよ、紗夜」

「あなたが私より早いなんて、珍しいわね」

 

 確かに、だって二十分前に行ってもいるもんね。そうやって言うと私はいつもこのくらいの時間で待っているわと言われた。三十分前か、そんなこと言われると待たせた時間を数えてしまうくらい申し訳ないよね。

 

「気にする必要なんてないわ、私がそうしたくてしていることなのだから」

「そっか」

 

 いいのか悪いのか、紗夜はいつも通り自然体だった。はしゃぐこともなく、かといって口許は緩んでいる。

 今日はそんな紗夜にデートプランを丸投げ状態だ。知ってるのは最後に行く場所だけ。

 そのせいか俺も意識して服装もパンツも選んでしまったしね。紗夜がいつもと変わらない恰好なのが悔しい。

 

「それで、どこに行くの?」

「ショッピングよ」

「わかった」

 

 服とかを見ることってことなのかなと紗夜の横顔を眺めながら思った。

 こうしていると紗夜だって変わることがあるんだ。ギターばっかりだったなんて俺には想像もできない紗夜の姿だけだけど。

 燐子さんやギャル幼馴染サマはよく紗夜の最初の印象を語ってくれた。傷ついて群れからはぐれた狼。そんな感じだったって。

 自分が向き合えるのはギターだけだと信じていた。裏切られたから、その傷はまだ紗夜の胸に刺さったままだけど。

 

「アクセサリー?」

「ええ、好きな人の前では着飾りたいものだから、選んで」

「紗夜なら基本的になんでも似合うと思うなぁ」

「それなら、カンベさんの色で染めてみて?」

 

 そんな紗夜に再び恋をするきっかけになったのが、俺だった。今ではよく笑うようになったし、むしろしかめっ面の紗夜の方は知らない。フラットな真顔の紗夜はいつものことだけど。俺にとって紗夜は口を開けば下ネタばっかりで、俺をからかうように笑って、そのくせに俺のことが好きでしょうがない、ただの恋する乙女だ。別に全部知りたいわけじゃないし、今の紗夜が幸せなら、それでいいかなって思う。

 

「紗夜ってあんまりアクセサリーつけないよね」

「風紀委員ですから」

「関係なくない?」

「ふふ、見せたい相手がいたら別よ?」

 

 俺は贅沢をしている気がするよ。紗夜がどう? と髪を分け、ノンホールピアスを耳に当ててちょっとだけ流し目気味に微笑む。こんなのカレシでもなきゃ見られない姿だもんね。

 悩みに悩んで、俺は紗夜にブレスレットを買った。紗夜はお揃いの指輪を紗夜が中指に、俺が人差し指につけた。バンドマンだからジャラジャラつけるのはなんかデフォルトみたいなところあるよね、俺の見栄的に。

 

「カンベさんは、なんだかピアス、似合いませんね」

「ひど……卒業した時にノリとテンションで怖々開けたのに、これからつけるのやめようかな」

「ふふ、でも指輪はとっても似合うわね」

「それ言わなくてもちゃんとつけるから」

 

 そのためにわざわざピアス貶したでしょ今。そうやって言うと紗夜はくすくすと笑ってきた。いたずらごころ溢れる恋人を持って俺は幸せですよ、まったくもってさ。

 わざわざ釘を刺さなくても、紗夜との繋がりを大事にしないわけないじゃないか。

 

「紗夜、映画でも観に行こうよ」

「いいけれど、珍しいわね」

「なんと、ここってカップルシートがあるんだ」

「そうなのね」

 

 紗夜はあんまり映画に興味があるわけじゃないから知らなかったんだね。燐子さんとは何回か行ったよ、カップルシート。ホントにカップルシートだからきっと紗夜も驚くだろうなと俺は小説で話題になっていた恋愛ものをチョイスした。

 

「すごいわね……」

「でしょ」

「これなら、フ……んっ、膝枕とかできそうね?」

「うわー燐子さんと同じリアクション」

「む、それはいけないわ……やはり、口で」

 

 残念、その辺も一通り燐子さんとのデートで会話に上がったよと言ったら、紗夜は頬を膨らませてきた。

 ──嫉妬してしまう自分が嫌だった紗夜はもうどこにもいなかった。当たり前のように俺に好きと呟いて、当たり前のようにヤキモチを妬いて、当たり前のように微笑んでくれる。

 俺はそれが幸せだよ。

 

「紗夜」

「なに?」

「甘えてくるのと……キスくらいなら」

「……なら、そうさせてもらうわね」

 

 そう言ったらまだ映画館にすら入ってないのにもうキスをされた。

 ──映画やってる暗い間だったらって意味だったんだけど、まぁ、紗夜だからいっか。

 俺はポテトを注文する紗夜の後姿を見ながらそんなことを思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カップルシートでの紗夜は本当にやばかった。借りてきたブランケットがあることをいいことに攻めて攻めての超攻撃特化型になっていた。

 更にひどいことに他には聞こえないように配慮しながらも耳元にたっぷりと嬌声を響かせるもんだからタチが悪い。

 

「勃ちは悪くなかったじゃない」

「そういう言葉遊びいらないから」

 

 字が違う。そして恥ずかしい。なんだかんだでズボン越しにあんな風に手の平で包まれたのはハジメテの経験で、とてもじゃないけどここでは説明できない心地よさがあった。ごめんよ童貞仲間のみんな……俺、先に行っちゃうね。

 

「イッたの?」

「イッてない」

「びっくりしてしまったわ」

「その発言に俺がびっくりだよ」

 

 そうよねイッたらズボンを替えないといけないわよね、なんて呟き出して、俺は思わずコーヒーを噴き出しそうになった。なんてことを言うんだあんたは。ここはショッピングモールの中にある喫茶店だよ? フツーに隣に別のお客さんいるから。なにかしらの誤解を受けるの俺だからやめてね? 

 

「カンベさんは」

「ん?」

 

 とは言うが紗夜と俺の基本コミュニケーションは相変わらず音楽か下ネタ。特に今じゃ大学という共通の話題があるにも関わらず、紗夜はいつも通り表情を変えることなく下ネタを口から発してくる始末だ。

 

「キス、上手になったわね」

「え……キスに上手とか下手とかあるの?」

「それは、当然よ」

 

 ただ唇を押し付け合うだけがキスじゃないのよ、と紗夜はコーヒーを飲みながら自分の唇に指をあてた。グロスの光が反射している彼女の唇はそれだけで協調され、色香を振り撒いてくる。対象が俺にしか向いていないという優越感はいっそ病みつきになるレベルだよ。

 

「この国ではあまり使われないけれど、キスは感情を表すものでもあるのよ」

「そういえば、海外だと挨拶としてほっぺにキスすることもあるよね」

「そう、親愛のキスと情愛のキス、性愛のキス、意味は沢山あるわ」

 

 なるほど、メモしたいところだけどやめよう。ちゃんと紗夜は憶えるまで実践してくれるタイプだからね。練習あるのみよ、だなんて言いがちなカノジョさんだから。

 そんなストイックな紗夜は、けれどカンベさんは無意識にできてるのよ、と笑ってくれた。そうなんだ。

 

「私とカンベさんがしたことがあるのが、四種類くらいだけれど」

「……そんなにあった?」

 

 フツーのとディープキスくらいの違いしかわかんないんだけど、と言ったら紗夜が俺の隣まで移動してきてちょん、と唇を重ねてきた。

 これは、バードキス、となんだか楽しそうに笑いながら。からかってるでしょ、それ。

 

「他には……」

「待て待て待ってよ紗夜」

「……なに?」

「あのさ、こういうことするなら──」

 

 そこで、俺は自分自身のミスに気付いた。これは誘導尋問だ。だから紗夜はのんびりショッピングと映画と、コーヒーというスケジュールを組んでいたんだ。

 気付いたのはもう手遅れで、俺はもうその言葉を喉奥に引っ込めることはできなかった。なにせ、紗夜が、するなら? と意地の悪い笑顔で俺を覗き込んでくるんだから。

 

「……ホテルで、しませんか?」

「そうね、そうするわ」

 

 最初から紗夜はずっと、俺にホテルに誘ってほしかったんだ。高校時代には何度も何度も回避し続けた誘い文句を、今俺から発した。

 紗夜はまるで何事もないかのように、立ち上がった。ううん、そんなわけない。いくら紗夜がビッチだったからって、それが平気なわけがないんだ。

 

「紗夜、待って」

「カンベさん?」

「一緒に、歩いてくれた方が嬉しいな」

「……ええ」

 

 ──ねぇ、紗夜。俺は最近、紗夜がビッチでよかったな、なんて思うことがあるんだ。紗夜がビッチだったから、あんな出逢い方だった。ビッチだったからあんな距離感だった。だってそうでしょ? 俺と紗夜の関係はいっつも、変な繋がり方をしてたんだから。

 俺は紗夜が好き。愛してる、だなんて思う時もある。これは変わらないよ、どんなに俺や紗夜が変わっても、紗夜がビッチだった過去があるから今こうして紗夜と一緒にいられるなら。変わらないでいてほしい。

 

「……大丈夫よ」

「なにが?」

「こうやってハジメテが終わっても、きっと陽太は童貞のままだから」

「なにそれ」

 

 ベッドに寝転がって、裸の紗夜が俺の頬をつつきながらそんなことを言ってくる。でも、俺もそんな気がする。()()()一度のセックスで何かが変わるわけないんだよね。まぁ、俺がこれでもしも紗夜や、燐子さんともヤりまくっちゃっても、俺は精神的には童貞の域なんだと思う。というか童貞的な性格って感じかな? 自分で言ってて悲しくなってきたよ。

 

「──ともあれ、私が名実ともにハジメテの女になれましたね」

「そうだね」

「あ、次はあそこの玩具を買って、試してみたいわね」

「もう二回目の話するの!?」

「今からするのよ」

 

 ちゃんと行く前に避妊具を買っておいてよかったなと思います。燐子さんも紗夜も常備してるけど、紗夜は今日敢えて持ってこなかったらしい。

 こうして、俺の祝、童貞卒業はなんやかんやで休憩ではなく泊まりになりましたとさ。おしまい。

 

 

 

 

 

 




四十話にして童貞と弄ばれ続けたカンベがついにここまできました。
だがしかし、まだ続きます


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迫りくるF/猛獣と猛獣使いの悩み

 高校の時、ビッチになんて絶対負けないもん! と息巻いていたのが昔に思える。ハジメテを見事その負けたくなかった紗夜(ビッチ)で捨ててしまった俺だけど、紗夜が言う通り俺に何か劇的に変化したわけじゃなかった。

 

「セックスしましょう」

「やだ」

「なぜ?」

「毎日はしないよ? 腰が痛くなるって言ったの紗夜でしょ?」

「そんな!」

「なんでそこで驚きの表情ができるんだよ……俺がそんなって言いたい」

 

 休日の会話はこんな感じ。俺の家で紗夜が俺の頭を膝に置きながらそんな風に抗議してくる。のんびりさせて、俺はそんな毎日ヤりまくり、みたいな爛れたカップルにはなりたくないし、そもそも疲れるからやだよ。

 

「……別にいいじゃない」

「よくない」

「すぐ……これだから童貞は」

 

 もう童貞じゃないんだけど、と言いたいがだったらセックスしましょうと言われるに決まってるから黙っておく。

 俺が理想の性生活を築こうと努力してるのに、紗夜はそれがよっぽど不満らしい。

 

「爛れるとかそういうのはないわよ。ちゃんとお付き合いしてるじゃない」

「いいや、紗夜は絶対にそのうちハードル下げて大学でシたがるからダメ」

「……いいじゃない」

 

 よくないからね。それがバレたら俺は脳内ピンクのモンキーみたいな扱い受けるじゃん。節度と適度、これが重要だってネットで見ました。

 付き合ったからいつでもどこでも合体じゃ長続きしないんだって、みんなも気を付けよう。

 

「陽太」

「……うぐ、その顔は反則では?」

 

 うるうる目を潤ませてもダメです。ダメったらダメ、迫ってこないで。

 さっきまで穏やかな時間を紗夜の膝で過ごせていたのにいきなり肉食獣の餌になりそうな予感がした。

 

「陽太」

「あのさ、名前呼べばいいと思ってるでしょ」

「ダメ?」

「ダメ」

 

 むしろなんでいいと思ったんだ。

 みんなの前ではカンベさん、のままなのに二人きりになると途端に名前で呼ぶようになった。それはそれでなんだか嬉しい感じがあるけど、だからって安易にシないですからね。やっぱりそういうハードルは下げちゃダメだと思う。

 

「けち」

「なんとでも」

「不能」

「おいこら待て」

 

 そっぽを向かれながらそんなことを言われるとさすがにムカっとする。誰が不能だ誰が。全然そんなことなかったでしょう、と紗夜の肩をつかむといつの間にか、唇が塞がれていた。艶めかしい紗夜の吐息が混じって唾液も混じる熱烈なディープキス。覆いかぶさってくる胸元からは、紺色で花があしらわれたブラジャーがチラリと見えた。

 

「……不能」

「違うって」

「じゃあ……ん、確かめさせて」

 

 そのまま紗夜は俺の股間にするすると手を伸ばしてきて、俺は抵抗できずに結局されるがままだった。

 もちろん紗夜が確かめるだけで終わるはずもなく、スカートを脱ぎ捨てて。

 

「──待って」

「なに?」

「なにって、惚気聞かせるためにアタシを呼んだの?」

「愚痴だよ」

「どこが!? アンタ頭おかしくなったの?」

 

 失礼な。俺は愚痴を聞いてほしいってお前を呼び出したんだから、内容は愚痴に決まってるでしょうが。

 幼馴染サマのなんちゃってギャルさん、もとい今井リサは俺の部屋のベッドに寝転がりながらふんふんスマホを触って聞いていたが、急に興奮しだした。いや、リサもそこで食いつくなんて、と言ったら枕を投げられた。おいそれ俺の。

 

「死ね」

「なんてストレートな罵倒」

「愚痴じゃないじゃん?」

「愚痴だよ」

 

 なんで愚痴じゃないと思うのか不思議でしょうがない。結局そのまま俺、二回もシたんだよ? やらないって散々言ってるのに全然聞いてくれないあの性欲まっすぐなビッチに対してなんとかしてほしいから俺はリサに聞いてもらってるんだけど。

 

「……はぁ」

「なんでため息つくのさ」

「まーだ、そんなドーテーみたいなことゆってんの?」

「紗夜みたいなことを」

 

 だってそーでしょー? と呆れ混じりに言われてしまう。俺は全然わかんないんだけど。あと俺のベッドからそろそろ降りてほしい。ここお前んちじゃないんだけど。

 あれですね、リサは俺に対していっつも横柄な態度取るよな。トーマには愛されてんだろと冗談交じりに返された。その愛はお前になすりつけていいんじゃなかろうか。

 

「よーたは、いつもいつも、自分より長いもののことをわかってないよね」

「長いもの?」

「そ、アタシもそうだし、紗夜も、この間の燐子のことだってそうじゃん」

「……それって」

 

 俺はどれだけ紗夜を待たせてきたんだってこと、だろうか。俺は俺で紗夜が単純にセックスにまた溺れてほしくない一心で自制してほしいって願ってるんだけど。

 だってそうでしょ? 紗夜はそれで一回痛い傷を負ってる。だから、紗夜はビッチになっちゃったんだから。

 

「それ、紗夜に知られたら、怒られるからね~?」

「なんで」

「いらない気を遣いすぎ。紗夜はそんなことよりももっと、よーたが欲しいんだよ」

「……それは」

「ただキモチイから、とかじゃなくて、よーただけを受け入れたいってことだからさ」

 

 ま、ドーテーにはわからないカモ? と煽られるとムカっとする。もう童貞じゃないのに! と思うけど、やっぱり俺は童貞な気がする。なにせムカっとしちゃうからな! 悔しいことに! 

 

「それで~? モテるだけのドーテーくんは他になんの悩みがあるのかな~?」

「……なんで知ってるの」

 

 まだなんにも言ってないのに見抜かれてた。なんでさ、と思ったけど俺がリサを頼るなんてよっぽどのことか本当にクソほどにくだらないかの二択なので、前者だと思われたらしい。いやまぁ合ってるんだけどね。

 

「実は──ひっ」

 

 ここでまさかの電話がかかってきた。この着信音に設定してるのは……あれだよ。

 ──Fサイズの二番目に甘んじてる方のビッチさんのだ。そして今まさに幼馴染に相談をしようとした相手でもあった。出なよ、と言われて俺は少しだけ上ずった声でもしもし、と電話に出た。

 

「あ……カンベさん♪」

「り、燐子さん……」

 

 最近ね。燐子さんからひっきりなしに連絡が来るの。困ってるの。助けてほしいの。そう相談しようと思った矢先にこれだ。

 燐子さんは特に用事はなくても、誘いをかけてくる。何ってもちろん童貞が羨ましがるアレである。セックスね。

 

「今……家にいます、よね……?」

「そうだけどなんで知ってるの?」

「……うふふ」

 

 いやうふふじゃないですけど。なんで知ってるの? って訊いたんだからなんで知ってるのか教えてねめっちゃ怖いから。紗夜といい燐子さんといいストーカー化するのだけはやめてほしいところである。俺はもう逃げないから、ストーカーになるんじゃなくて堂々とどこにいるのか訊いてほしいよ。ちゃんと答えるから。

 

「……なんの、衣装がいいですか?」

「うーん、コスプレ前提で来ないで、というかうちでセックスはしません」

「氷川さんとはシてるくせに……ですか?」

 

 ──そう。そうなんだよ。リサに泣いて縋りたいくらいの現象がこれ。怖い、怖いんだよ燐子さんが。なんか焦ってる、というよりは待ちわびてると言った方が正しい。そんなことを言ってるとリサが溜息をついて寝がえりを打って、待ってるんだよ、シてあげれば~? と言い放った。

 

「無責任では?」

「……責任は、取ります」

「あ、ごめん燐子さんじゃない」

「……どこの、女……ですか?」

 

 あなたのバンドのベーシストです。それをどこの女って、キャラ迷子ですよ燐子さん。キャラ作りはオフパコ中にしかしたことないって言ってなかった? 

 スピーカーにしていたので聞こえていたリサも流石にその発言には顔を引き攣らせていた。紗夜じゃないとわかった瞬間にこれだもんな。

 

「アタシなんですケド~?」

「……今井さん。浮気、ですか……?」

「違うって」

「……むぅ」

「疑うならおいでよ燐子」

 

 ちょっと待ておいこらそこの寄せてあげてトーマ相手に勝負に出ることに命を懸けてたCサイズのなんちゃってギャル。お前なんてこと言ってんだと怒ったらアンタ誰に口利いてんのと低い声で怒られた。ごめんなさい、というか俺の幼馴染怖すぎでは? 

 

「……イキ、間違えた、行きます」

 

 何を間違えたのか小一時間問い詰めたい。

 そうして電話が切れたタイミングで、リサはとっとと荷物を纏めだした。と言っても家めちゃくちゃ近いから貴重品だけだけど。じゃなくて、置いてくの? ねぇ? こんないたいけな童貞をあんな肉食系ビッチの前に放置するってもうそれって見殺しにするのに等しいよ? 俺死んじゃうからね? そうしたら恨むからね? だからいて、ここにいてくださいマジで俺まだ死にたくない、死にたくない! 

 

「どーせアタシは見栄張って寄せてあげて見た目がDですよ、ばーか、死ね」

「ひど! 謝るから!」

「吐いた暴言は元には戻らない」

 

 覆水盆に返らず、ということらしい。はい、俺は見捨てられた。

 これは紗夜の時以上に史上最大のピンチがやってきていた。相手は暴走気味のFサイズビッチ。暴走度合いも性欲も正直他のビッチとは一線を画している気がするその見た目はお淑やかおっとり系黒髪清楚巨乳お嬢様は、とてもにこやかで晴れやかすこやかな顔して玄関の前に立っていた。

 

「……カンベさん……会いたかった、です……」

「い、いらっしゃい……」

 

 ──それは紗夜とセックスをしてからほんの一週間二週間したくらいの頃だった。

 いつものゴシックでかわいらしい服装の白金燐子さんが、俺の家に遊びに来た。なんの用事もないのにウチに来るのはそれが初めてのことだったと記憶してる。

 そしてそれによって予想される結末の前に、俺は紗夜に連絡をしておくのだった。返事はどうせ優しくしてあげるのよ、くらいなもんだろうけどね! 

 

 

 



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決意のD/二人への愛情

「どうぞ、燐子さんの口に合うかわかんないけど……」

「……なんでもいい、ですから……気にしないでください」

 

 ああなんでだろう緊張する。紗夜もリサもほら、まるで実家のようにくつろいでくるからさ。あんまり緊張感ないんだよね。だけど燐子さんはまるで借りてきた猫のようにちょこんと椅子に座って微笑むだけ。

 いや、いつもそんな気がする。最近じゃ俺が壁を作ろうと努力してる花音さんですらその壁をぶっ壊してくるのに、燐子さんは壁を作ってるんだから。

 

「さて、こんな勢いでやってきたんだけど……俺は燐子さんの望みには応えてあげられないからね」

「……どうして、ですか?」

「どうしてって……」

 

 それは色んな要因があるけど、やっぱり俺は燐子さんは、どこかで壁を感じると思ってるから。

 ──燐子さんが見せる表情や言葉の先になにかあるんじゃないかと思えてしょうがないから、って言った方が正しいかな。怖いんだよ、とにかく俺は。また前のように……美鈴のように落胆され、失望されたあの時を繰り返すのが、怖い。

 

「……燐子さんは、俺で妥協しようとしてないですか?」

「……え?」

「だって、燐子さんは言動がアレな時もあるけどすっごく女の子じゃん。俺の知ってる他の女の子ってみんなどこかで豪快なとこあるし……」

 

 幼馴染たちも、花音さんも美鈴も……なんなら紗夜も。

 羽沢さんや上原さんにも燐子さんと同じ印象があって、だから引けちゃうんだ。逆に紗夜の妹の日菜さんはある意味紗夜より大胆で豪快だから道端で会ってくっつかれても全然平気だけどね。

 

「それで……カンベさんは、距離を取るんですか……」

「え、いやだって」

「わたしが、去年……伝えてきたことは……無駄だったんですね」

「そんなこと……っ」

 

 カチャ、と紅茶の入ったカップを置いて、燐子さんは俺を見上げた。その表情はいつも穏やかで、けれどどこか乏しい表情が多かった彼女とは決定的に違っていた。

 ──怒ってる。あの燐子さんが、きっと俺にそう伝わってるってことはその何十倍、何百倍も。あるいは以前に怒らせた時よりも遥かに大きな怒りが、燐子さんを包んでいる気がした。

 

「わたしは……怒りました……許せるものでは……ありませんから」

「り、燐子さん……っんぐ!?」

 

 後ずさりをしたけれど、いつもの燐子さんとは比べ物にならないほどの速度で距離を詰められて、首に手を回され、口を塞がれた。

 紅茶の熱と味が伝わるくらいの口づけは、怒り、やるせない怒りと悲しみが伝わってくる気がした。

 

「……っはぁ……んっ、なにを、怖がって、いるんですか……?」

「怖い……のかな」

「わたしには、そう……感じます」

「わかんないんだ……俺だって、燐子さんに抱く気持ちがなんなのか」

 

 紗夜を相手にしてるのとは全然違う気持ちが溢れてくる。濃厚なキスまでしてるってのに、こうして肩に触れることすら躊躇いたくなる。

 それは恐怖なのかな、それともまた別の気持ちなのかな。俺だって俺の気持ちがなんなのかわかったら燐子さんを怒らせたりしないんだろうな。

 

「カンベさんは……無用な気遣いが、多いんです」

「そうなのかな」

 

 まだ怒っているらしい燐子さんは、少しだけ強い語調でそんなことを指摘してくれた。

 とは言うものの、だって燐子さんだよ? 紗夜も十分なんだけどさ、燐子さんってすごくやっぱり女の子なんだよね、突き詰めすぎると何言ってるのか全然わかんなくなってくるんだけど。でもやっぱり女の子なんだよ。もしかしたら俺が中学の頃に抱いていた像よりも更に女の子な女の子だからかもしれない。とにかく、俺には手に負えないくらいの女の子なんだ。

 

「わたしは……氷川さんと、同じ扱いで、いい……のに」

「えっ、俺最近とみに紗夜の扱いテキトーになってきてるって拗ねられたばっかりなのに?」

「はい」

 

 頷かれても、チョトナニイテルカワカラナイデスネー、としか返事ができなくて困るよ。

 ──だって紗夜はホントにテキトーだよ? カノジョだけど、恋人だけど、俺は時折自分で自己嫌悪に陥りたくなるくらいに紗夜に対して強い当たりをしてる時があるもん。

 

「……たとえば?」

 

 例えば、か。

 そうだな、いつものファストフード店で寄り道をしてる時、やっぱり付き合う前と同じで下ネタが多いんだけどさ。やっぱり俺の反応は変わってると思う。あのいつもの紗夜らしい文句から始まる会話ですらさ。

 

「セックスしましょう」

「うん」

「今、うんと言いましたね? 言質取りましたからね? もう今更ナシと言っても取り消しませんから、法廷で会いましょう」

「なんで訴訟する前提なんだよ……いいけど」

「……今日はダメなのよ、アノ日だから」

「あー」

 

 この通りもぐもぐとポテトを食べながら聞き流してること多いよ。因みにこの時のように紗夜が敬語で誘ってくる場合は冗談であるので俺は安全だと思ってテキトーに相槌を打ってるんだけど。これがセックスがしたいわ、とかだったらホテルには行かないからって返事をしてると思う。こんな感じだよ、これで偶に紗夜は頬を膨らませてくるよ。

 

「……羨ましい」

「え?」

「羨ましい……です」

 

 嘘だ……嘘だっ! 

 そう思ってしまうほど、意外な反応だった。もしかしなくても燐子さんって変態? ああいや知ってたけどそれとはまた違ったベクトルの変態を疑った。マゾヒズムあるって言ってたっけ。ソッチ系? 

 

「Mじゃ、ないです……Mですけど、そういうのじゃ、ないんです……」

「あ、ご、ごめん」

 

 ぷくっと頬を膨らませてくる燐子さん。かわいい反応をされると俺も対応に困っちゃうからね。燐子さんってところどころで男を惑わせる妖しさ……こうドストレートに言うとエロさがあるよね。

 

「ムラっと、してませんか……?」

「な、なにが?」

「……えっちな、気配を感じました」

 

 なんで感じることができるのか不思議でしょうがないんだけど。

 そんなことを言っている間に、漸く燐子さんは離れてくれた。今までずっと鳩尾の辺りに大きな果実が押し当てられてたんだ。よく耐えきったよ、俺。

 

「……わかり、ました」

「ん? なにが?」

「カンベさんが……わたしを、ちゃんと意識してくれている……というのが」

「え、あ……うん」

「童貞だから、お誘いがわからないん……ですね」

「うん?」

 

 全然違うね。なにそのなるほどだいたいわかったのノリ。なんにもわかっちゃいないよねそれ。別にゲヘヘ燐子さんかわいいなヤりたいぜって思ったけどどう言ったらわからないってわけじゃないからね? 燐子さんへの対応をどうしたらいいのかわかんないだけだからね。あと童貞って言うのいい加減やめてほしいなぁ! 

 

「……そう、思っちゃう時点で……童貞、です」

「なにその理論」

「精神的、童貞、理論です……」

 

 初めて聞いたんだけどその理論。提唱者は白金燐子さんとか言わないでね。そんなことを言うと燐子さんは提唱者は氷川さんですとのたまった。紗夜かぁ、紗夜なら文句言っておこう。第一、ハジメテのヒトの分際で童貞弄りすんのひどいよね。奪ったのあなたですよね? 

 

「……そう、なんですよね……」

「ん?」

「……カンベさん、氷川さんとセックス……したんですよね?」

「う、うん……」

 

 風向きが怪しくなってきた。だんだん燐子さんのオーラがゆるふわおっとりから猛獣の、肉食の顔が出てきた。

 ソファーに座ってたら、椅子に座ってたはずの燐子さんが後ろにいて、後ろから抱き着いてきた。抱き着いてきた、というよりはそっと寄り添ってくれる感じだけど。

 

「わたし……前に、セフレでも……って言いました、よね?」

「……うん」

「……嘘、つきました」

 

 そうなんじゃないかなとは思った。俺も燐子さんのことをそんな風に見ようと思ったこともないしさ。

 でも、燐子さんがどうしてあんなことを言い出したのかが気になってて、それがきっと壁を作られてる気がした原因なんだろうな。

 

「本当は……カノジョ、になりたいです……」

「だよね」

「……はい、でも……」

「うん……俺には紗夜がいるから」

 

 紗夜がいる。両方好きだとか軟派なこと考えてた俺だけど、結局恋人にしたかったのは紗夜だったことは、後で気付いたことだ。燐子さんでもよかったらもっとイーブンになるような待ち方してたよ。

 ──俺はいつもストーカーしてきた紗夜のことを、タイミングよく来てくれるヒトは燐子さんじゃなくて紗夜だって知ってて、待ってたんだから。

 

「二番でも、構いません……なんなら、カノジョじゃなくても、いいですから……」

 

 傍に置いてください。そんな震える声がして、俺は肩に水滴が落ちているのを理解した。

 ──やっぱり、泣かせちゃってるよね。あれだけ笑っててほしいなんて思っても結局、俺は燐子さんを泣かせてばっかりだ。きっとこれからも、泣かせるんだろうな。紗夜のことも、燐子さんのことも。だって俺は、泣きじゃくる燐子さんの、唇を奪っちゃうんだから。

 

「──ん」

「好きだよ……燐子さんの、燐子のことも」

「……カンベさん」

「俺にとって燐子は、向き合うきっかけなんだ。だから俺はいつも、紗夜と同じくらい燐子を求めてた。燐子が、大事だから」

 

 大事だからこそ、傷つけたくなくて臆病になった。紗夜がいることで傷つけるんじゃないかって無意識に最後の一歩を避けてた。

 ──そんなんだから美鈴にもリサにも嫌われるんだよな。こういう失敗を繰り返さないことが、モテるってことだって、俺はもう知ってるんだ。

 

「セックス」

「……え?」

「その……せっかく、その目的で来たんならさ、いいかな?」

「……はい……!」

 

 こんな誘いをかけちゃって、紗夜は怒るかな。それともやっとね、なんて笑うのかな。とりあえず俺が謝らなきゃいけないのは確実だ。ちゃんとポテト奢って、その上で誠心誠意謝ってから紗夜の要求をなんでも呑んで初めて許してくれる気がする。わざと拗ねたフリしてくるだろうしね。

 

「二番目です……から、氷川さんとじゃできない……プレイをシましょうね……陽太さん」

「燐子のその発言は怖いんだけど……まぁ、お手柔らかにね」

 

 こうして、俺はここで漸く身の回りの問題を片付けることができた。

 これであと残ってる問題は主に二つ、余分なのくっつけると三つだな。

 一つは、美鈴の話。これは時間が解決するようなことだけど、なんだか根が深そうだからね。もう一つは……花音さんだ。あのヒトからもちゃんと真意を訊いとかないと。思いの他単純な気がするけど、その辺はやっぱり本人の口から、だよね。

 

 



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恋するD/三番目というジレンマ

「ねぇ知ってる?」

「なにがですか?」

「ウサギって、一年中発情できる珍しい動物なんだぁ」

「……は?」

 

 突然そんなことを言われて俺はティースプーンを落としそうになった。だからなに、と思うと花音さんはにこにことこちらを見据えてくる。

 ──うん、もしかしなくてもバレてる。紗夜と燐子のこと。

 

「発情できる対象がいるとすぐ腰を振っちゃうんだよ?」

「それが何か?」

「カンベくんと一緒だね」

 

 一緒じゃないですー、俺はウサギのように群れを作らずに生きていけるほど強くないし、興奮してぶうぶう鳴かない。そもそも発情できる対象がいただけで腰を振るほど性欲が強いわけでもないです。

 

「……そういえば、ウサギはプレイボーイのシンボルですよね」

「動物界の中で、最も性欲が強い、って話だよ?」

「俺はそこまで遊んでるわけじゃないんですけど」

「うん、だって私とはシてくれないもんね」

 

 シません。第一紗夜や燐子ですらまだそんなに経ってないんだよ? 俺は花音さんのこと正式に好きになった覚えはないです。花音さんの片想いですー。

 なんて強気に出られればいいんだけど、俺と花音さんの間には越えられない壁がある。力関係がね。

 

「なんで唐突にウサギなんですか」

「私ね」

「……うん」

「キミに食べられたいから」

 

 ぞくっとした。こうやって比べちゃいけないんだろうけど、紗夜は割と不器用だ。まっすぐでだからこそ俺も紗夜の誘い方が好きなんだけど。

 燐子は少し遠回しだ。おずおずと、でもしっかりと目線を合わせて誘われると、どうにも抗いがたいところがある。

 それに対して花音さんは、計算されつくした妖艶さがある。首の角度、目線の合わせ方。それでいて計算外であるような、視線の熱量。

 

「カンベくんも、ここ一月で上手になったんじゃない?」

「確かに、漸く加減がわかってきたところかな」

「ほら……初々しさがないのは、ちょっと残念だけど」

「ホント、童貞好きですね」

「うん……カンベくんは、特に好物かな?」

 

 余計なことは言わんでください、とこらえきれずに視線を逸らした。それをまるで合図にでもしたように、花音さんもくすくすと笑って熱をしぼめていった。この際なんで俺の性事情を詳しく知ってるかまで聞くまい。藪をつつくのは勘弁したいところだし。

 

「花音さんは、なんで俺なんですか?」

「深い理由はないよぉ、フィーリングってやつかなぁ」

「……セフレさんとは?」

「最近、ちょっとだけ忙しいみたい」

 

 花音さんにとってセフレとカレシは大きな違いを持ってる。そりゃ誰だって恋人とセフレって全然違うものを差すんだけど、だからってその両方が欲しいってのは理解できないって思考停止しちゃうものだと思います。

 

「カレシは作らないんですか?」

「作ろうと誘ってるんだけどなぁ……」

「俺ですか、恋人いるんだけど」

「二人もね」

 

 それを言うのはずるい。燐子も花音さんの理屈で当てはめるとそうなるよね。俺もそういう扱いしてるもん。でも他人に説明する時は燐子がオトモダチで紗夜が恋人だよって言うよ。そういう世間体って案外大事なことを童貞で理想に溺れてなんにもできなかった俺は知ってるから。

 

「三人目、ほしくない?」

「子どもはまだ一人も作ってませんけど?」

「まだ?」

「……言葉の綾です」

 

 花音さんはこういうとこあるから嫌いだ。わかっててそういうことを言うからね。わかってなくて言われたらもっと困るけど。

 話を逸らそうとしたら明後日の方向に返された挙句に、カンベくんにならナマでもいいよ、とか言われて苦笑いしかできなかった。

 

「既成事実は強いからね」

「そういう愛のない言い方はやだなぁ……?」

「俺にはない」

「私はあるもん。カンベくんを愛したいって欲求」

 

 それを欲求って名前で表すのはやめなさいっての。ツッコミをすると花音さんはさっきより幾分か嬉しそうな顔をした。その理由を考える間もなく、俺は立ち上がった花音さんを目で追いかけた。そろそろバイトの時間だもんなと思いながら俺も立ち上がった。

 

「んー? 一緒にいたくなった?」

「迷子になったら困るでしょ」

「……うん」

 

 花音さんはそこで最大級にかわいい笑顔を俺に向けてきた。はいはい、恋する乙女ですね花音さんもそういうところは。

 あれだよね、なんでこう女の子って察してくれる男が好きなんだろう。俺はそんな察するセンサーに気を遣ってるとカロリー足らないよ。餓死する。

 

「一般論はよくないなあ」

「今日に限ってはその一般論とやらの枠内じゃんか」

「ふふ、カンベくんだからだよお」

 

 嬉しくないです。その恋する乙女ムーブは適度に摂取しないと死ぬの? 適度に出されると俺が死ぬんだけど、やめようよ。カロリーガリガリ削れる。

 そんな風にげっそりとしていると、花音さんは頬を膨らませるというあざとい仕草で、もっと構ってほしいことをアピールしてきた。

 

「やめて」

「そんな嫌がらないでよお」

「じゃあやめて」

「やめない」

 

 やめないんじゃん! 立ち上がっている間もぎゅっと腕に抱き着いてくる。ああ柔らかいとか思う前に紗夜とかに怒られそうだなって思えるようになったのは成長したに違いないそうに違いないから頼むら煩悩よ去ってくれ、色即是空……空即是色! 

 

「バイト終わったら……迎えに来て?」

「え、なんで?」

「今日、夜まであるから」

「……そんなのいつもセフレさんに頼んでるでしょ」

 

 向こうは車も持ってるし、なんならそのまま車でヤれちゃうからって言ってませんでした? 制服カーセックスとは、恐れ入りますと紗夜がわなわなしてこっちを見たというエピソードを思い出しましたよ。

 

「や、今日はカンベくんがいーんです」

「かわいく言われても」

「かわいい?」

「失言でした」

 

 にこにこしないで。もうホントに花音さんは俺をからかってくるよね! 最近紗夜がこういう立場から普通に恋人になっちゃったバランスを取るように花音さんがからかい上手になってるの許せないんだけど。高校時代じゃなくてよかった! 

 

「行ってきますのキス……ほしいなあ」

「店の前で? 家の前じゃないんだけど?」

「して?」

「振り回してきますね、まるで恋人みたいに」

「……じゃあ、もういいもん」

 

 ふん、と拗ねたようにくるりとターンをして、花音さんは最後に一言だけ、ばか、と呟いて店の事務室の方へと消えていった。

 はぁ、どうしたらいいんだろう、とため息をついた瞬間、俺の前にピンク色の髪が意地悪く揺れてきた。

 

「今の、見ちゃいました」

「……う、上原さん」

「紗夜さんとお付き合いしてるのに……いけないんですよ?」

 

 まずい人に見つかった。俺の人間関係がまだ正常だと思い込んでいた、そして騙し通せていたはずの一人、上原ひまりさんに見つかってしまった。

 どう説明したらいいやらと悩んでいると、説明してあげましょう、とどこからか助け船が出された。

 

「……えっと、紗夜?」

「なんでしょう愛しのカンベさん?」

「いつから俺の傍にいた?」

「初めからです」

「え」

「具体的にはねぇ知ってる? からですが」

「ほぼ最初っからだね」

 

 どうやらこのストーカー行為に定評のある恋人さん、氷川紗夜さまが説明してくれるらしく、ひとまずバイトの上原さんと別れ、俺と紗夜は近くのホテルに入ることになった。うーん計画通り! って感じで非常に納得がいかないわけですが。

 とりあえず燐子が突撃してくるのだけは防げたからよしとしよう。3(ピー)は無理です。俺の身体が持ちませんから! 

 そんな嘆きをしながら、今度の約束を取り付けられて、俺が今実は泥沼に引きずり込まれているんじゃないかということに気づいた。

 あれ、もう手遅れか。あはは、あははは……はぁ。

 

 

 



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最強のF/振り回す幸せ

 大学帰りのとあるデート。ええデートです。何故なら以前にしたデートを大層お気に召した方がいかがですか? と予約していたんだから。

 講義が終わった俺は名残惜しそうにする紗夜と別れて、ピアノのレッスン室まで足を運ぶ。自主練習室の隅っこのドアを三回ノックすると、漏れ聞こえていた優美なメロディーが止まり、彼女が姿を見せた。

 

「お待たせ、燐子」

「……はい、お待ちして、ました」

 

 白金燐子さん。俺としては、一度どころか何度かお付き合いを断ったはずのヒト。でもめげずに、いつの間にかこうして俺に二股を要求してくる張本人。

 嬉しそうに笑ってまだもう少し時間ありますから、とドアを閉めて、俺の服に顔を埋めて甘えてくる彼女にもう、俺はダメです、とか言えなくなってた。

 

「ん……カンベさんの、匂い」

「変態っぽい」

「匂い嗅ぐのは、ふつう、だと思い……ます」

「ちょっと自信無くすのやめようね?」

「でも、カンベさんも、わたしのこと……いい匂いするって」

 

 確かに、でも顔を埋めてスーハ―するのはちょっと違うのでは? 違わないのか。

 そしてあんまり抱き着くのはやめてほしい。紗夜ですら意識しちゃうのにサイズ感全然違うからその感触の違いに何か扉が開きそうだから。

 

「キスも、ほしい……です」

「したら止まらなくなるからやめて」

「……どっちが、ですか?」

 

 正解はどっちも。燐子はもちろん、俺も前かがみになっちゃうからね。第一もうやばいから鎮めてるレベルなのに。

 大学の清廉な女神と称される白金燐子なんだけどね、この子キスしたら最後までシたくなるらしくて。ビッチってかただの性欲の塊ってか、なんかもうそれも含めて燐子だなぁって感じだけど。

 

「慣れって怖いよなぁ」

「でも馴染むと気持ちいのが、セックスですから」

「言いたいことが違うし慣れると馴染むはニュアンスが違う!」

「カップルシート、楽しみです……♪」

「露骨に話を逸らすね?」

「前回より……カンベさんの防御が緩いですから……どこまでできるか……楽しみ、です」

 

 あ、逸らしてなかった。馴染ませ、もとい俺を慣れさせようとする魂胆があるらしい。実はお付き合いというか、ヤっちまって気付いたことだけど、燐子の方が変態度が高い。紗夜って割と恥じらいもあるし、セックスは決まってホテルに行こうとするから。口ではカーセックスだの青姦だの言ってるくせに実はホテル以外ではセックスしたがらない。

 燐子? うん、燐子はダメ。どこでもヤりたいタイプだし。まぁなにせ人目につかないリストを俺の前に持ってくるようなヒトだからね? 

 

「シないからね、映画館では」

「はい、()()()()()

「……俺んち、親いるからね」

「わたしのうちが、あります」

 

 ピアノがあるしボイチャでゲームするから防音バッチリの広い部屋がありますよね、あなたは。正直燐子の両親はこの変態オフパコビッチさんのことをどう考えているんでしょう。いやたぶん隠してる気がするけど。

 

「そんなことより……早くイキたいです」

「行きましょうね」

「……? はい、イキます」

 

 ニュアンス違うね? そっちは俺から手は出さないって誓ってるから。せめて映画見て家まで我慢してほしい。無理か、無理だな燐子だもん。知ってた。

 というかそれを無理か、で済ませられるようになった俺を褒めてほしい。いややっぱりなんか変に慣れたみたいで嫌だからいいよ。

 

「で、カップルシートがあるってことは……」

「ちょっと大人な、恋愛もの……です」

「やっぱり」

 

 狙ったね? 当たり前だけどそういうのを狙ってチョイスしたよねあなた。

 映画館までの道のり、なにか話をしないと、と俺は大学の話題を小出しにしていた。じゃないと電車は危ない。俺の貞操が危ないので。

 

「……そう、言えば」

「ん?」

「松原さんの件……平気ですか?」

「花音さん?」

 

 そこで話題に出たのは意外な人物だった。いや、意外ってわけでもないか。燐子や紗夜からすれば、恋人にちょっかいをかける女だ。多少の感情を持ち合わせなければ嘘だろう。その中でも燐子はまず最初に俺への心配、という感情を向けてくれたことに関しては少し嬉しくなってしまった。

 

「わたしの分まで、とっといてくださいね……出なくなったら、困ってしまいます」

「ごめん、心配してくれてありがとうと思った俺の気持ちを返して今すぐ」

「口移しで……なら」

「やっぱいらない」

 

 直接的はやめようね。見上げてこないでください。

 というかなんでそう燐子は花音さんのことを容認するんだろう。俺にはあんまり理解できてないよ。

 

「単純、ですよ」

「単純か?」

「はい……とっても単純です」

 

 マジか、その単純がわからないのか俺って。ちょっとどころじゃないショックだと嘆いていたら、ふと右手が燐子の温かい両手に包まれた。まだまだ夕方になると冷えるこの時期に、燐子の温もりは優しい気分になれるな。紗夜は割とひんやりだけど。

 

「その方が、カンベさんがもっと、素敵な男性になってくれそうだから……です」

「いや三股クズ野郎になるだけな気がするけど」

「それはその時……きちんとちょうき……んんっ、躾けてあげるだけです」

「言い直したところ申し訳ないけど意味なくない?」

 

 調教と躾けってこの場合何も変わってないよね? なんでそんな刺激的な日本語を覚えてしまったの? あれ? もう一人のビッチさんのせいですかね? 

 そんな割と俺に対して甘々な燐子の恐ろしい発言に怯える暇もなく、電車は目的地の到着を知らせてくれた。

 

「わっ、り、燐子」

 

 燐子は普段の大学の印象からは考えられないほど明るく、キレイな笑顔で俺の手を引いてくれる。

 まだまだ、並べてると思ったけどやっぱり俺が見るのは背中なんだなって思っちゃうよね。敵わない。紗夜にも燐子にも、そしてきっと今も拗ねた顔してるだろう、花音さんにも。

 でもごめん、花音さん。とりあえず今日はあなたのことを考える暇はなさそうです。

 

「ちなみにさ」

「はい」

「……濡れ場シーンがあったりする?」

「もちろ……えっと、わ、わかりません……」

「アウト」

 

 わかりませんって、露骨に嘘ついてくるね。

 あれだね、前よりも攻めたようですね燐子さんって感じ。前は一応キスとかそういうのはあったけど学生カップルも見れるような内容だったじゃん。

 

「恋人……今度はごっこじゃないですから……ね?」

 

 ほら、やっぱり俺は燐子のことばっかりを考えなくちゃいけないみたいだよ。二人だけの世界ってわけでもないけど、みんなが映画に集中するなか、俺は燐子に集中することになるんだろうな。まだ二度目だってのに慣れたようにブランケットを取り出してみせる彼女に対して、俺は盛大な溜息をついてしまった。

 

「あ、ローターとか持ってきたんですけど……使いますか?」

「何しに来たの?」

「映画、ですけど……」

「待ってそのリアクションは俺がおかしいみたいだからやめて」

「やっぱり、駆動音がするのは……ダメですよね」

「うん違う、そういうことを言ってるんじゃないから」

 

 結局、燐子に甘えられるのに弱いんだけど、最近特に弱くなってる気がしてきたな。

 前は断れてた気がするのに暗がりの中、脚に手が伸びてきて、大学でしなかったキスがほしい、なんて言われて自分から顔を寄せてしまうくらいには、弱ってる。

 そのまま燐子の家に行って、晩御飯どころかお泊りしてしまうくらいに弱ってるってか燐子の攻撃に対して耐性がなくなってる。あれか、惚れた弱味ってやつ? あれ、なのになんで燐子はこんなに強いんだろう、理不尽だ。

 ともあれ、翌日大学へ一緒に行ったところを学友の皆様と紗夜に妬ましいと言われましたとさ。

 



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最強のB/不満を解消するために

 俺のカノジョは最強だと思う。惚気てごめんだけど、至極真面目な顔でそんなことが言えてしまうくらいに、俺のカノジョ……え? どっちのこと?

 そりゃもちろん、Bサイズからクラスアップしちゃったビッチさんのことだよ。というかどっちとか思うのやめて、俺もおかしいって思ってるんだから。今日はそんな話をバカ正直に紗夜にした時の話を聞いてもらいたい。

 

「私が最強……?」

「うん、俺はそう思うなって話」

「そもそも他にお付き合いした経験もない童貞がよく吠えるわね」

 

 は? なんだこいつ。その童貞はあなたに一年狙われ続けついにぱっくんされちゃったんですけど。そんな風に文句を言ったらポテトを口に絶えず運びながらこのクールビューティーなファッキンビッチはいつも通りの無表情で毒を吐き出した。

 

「私はカンベさんのセックスに不満があるわ」

「うん、ここ公共の場なんだけど」

「最初は経験がないからと我慢していたけれど、ハジメテから一ヶ月、そろそろお互いの気持ちいセックスのために話し合うべきだと思うの」

「じゃあとりあえず俺の話聞こう?」

 

 相も変わらず食事中に公共の場で他の人が苦い顔をするような下ネタぶっ放すよね。

 でもまぁこれ系の指摘は効果ないし、とりあえず話を進めることにする。そもそも、と厳しい表情をする紗夜。ツンとデレの差が激しい。

 

「私は激しいのが好みなの」

「え、まだ?」

「カンベさんは気を遣いすぎなのよいちいち止まったり、痛くない? と何度も訊くのは冷めてしまうの」

 

 ──と、まるで※個人の感想です。すべての女性が同じというわけではありません、と右下にテロップが出そうなことを言ってくる。俺まだ経験浅いからよくわかってないんだけど、燐子は前にチラっと聞いた時に優しいからきゅんきゅんします的なこと言ってたよ。

 

「は?」

「なんでキレたの?」

「そういうところが童貞なのよね……はぁ」

 

 うざ、なにこいつ今日いつもより三割増しでうざくない? 童貞食っといてカレシを童貞呼ばわりな方が不満あるんですけど。嫉妬! 嫉妬なんですか! とでも叫べばいい? 発狂して八割体力持ってかれればいいの? 

 

「白金さんと私では感じ方が違うことくらい、わかってほしいわ」

「感じ方って、弱いところとか、ってこと」

「性感帯ね」

「あのね、ここ公共の場だから一応オブラートに包んだつもりなんだけど」

 

 なんでわざわざオブラート剥がすの? そのまま咀嚼してくれます? 知ってる? オブラートって口の中で溶けるんだよ? 味はそれほどよいわけじゃないけど昔のお菓子の包み紙にあった時は面白くてめちゃ食っちゃうよね。

 ──じゃなくて、話を戻すと性感帯の違いは確かにあると思う。燐子の方が微妙にフェチズムを刺激する箇所が多い気がする。耳とか、脚とか舌とか。紗夜は王道だよね。

 

「わかってるなら何故違うセックスができないの?」

「ええ……」

 

 無茶言うね。俺はそもそもセックスするだけで手いっぱいなんだけど、紗夜も知ってると思うけど前戯とか割とそっち任せなところあるからね。

 あと行為の好き嫌いはわかるけど。一番大きなのはフェ……じゃなくて口でシてくれる時。燐子は割と好きらしくて一回目と二回目の合間によくする。紗夜はほとんどしない。

 

「……私だって」

「ん?」

「さっきから白金さん白金さんって、私の方がハジメテなのに」

 

 いつの間にか紗夜は拗ねてしまっていた。最強なのにいじいじとしてるし、恋する乙女になると本当に弱くなるよね。それは俺だけの特権なのかなって思うとちょっときゅんとしてしまうというのが最強たる所以だけど。ヤキモチ妬かなくても、燐子もそうだけど、俺は紗夜が好きだからこうして一緒にいるし、紗夜のことを大切に想ってるからさ。

 

「でも……私は、白金さんより……気持ちよくないのでしょう?」

「そんなこと言ってないよ、比べることすらおかしいでしょ。どっちもいいよ」

「そんな決められない優柔不断クソ童貞みたいなこと言うのね」

「……は? は?」

 

 キレちまったよおい。表出ろやこのファッションビッチ!

 誰が優柔不断クソ童貞みたいなこと言ってるだよ! 優柔不断じゃなくて、マジで比べるとかわかんないの! そんなことを叫ぶとそろそろ出禁になりかねないので、黙っておこう。

 

「俺は二人と付き合ったんだけど」

「そうよね」

「……比べていいの?」

「いけないことよ」

「ほら」

「比べていたじゃない、フェラの頻度とか性感帯とか」

 

 比べてる……のか? 確かに対比してるって意味だと比べてたのか。それなのにどっちも気持ちいよ、なんて言うから紗夜が拗ねるってことね。

 そういうことなら、ううん、なんて言ったらいいんだろうか。ありのまま言うしかないな。俺は童貞で、女性経験もほとんどない、そんな男だし。

 

「正直ね、燐子の方が反応いいよなーって考えてた」

「……そう」

「すげー性欲強いみたいでずーっとほしがってくるし、蕩けた顔で何回も名前呼ばれるとめちゃくちゃ好きって気持ちが溢れて、ああ、これが溺れるくらいなんだなって感じるくらいなんだ」

 

 燐子は愛されることに飢えてた。いつもあのオフパコレイヤーベルさんとヤれるっていう身体目的とコスプレでキャラを投影したセックスばっかりで、白金燐子という人格はこれまで無視されてきた。

 だから白金燐子を愛してる俺は、燐子にとってずっとほしかったものなんだ。だから二番目でもいいからってこうして紗夜がいても、傍にいてくれる。そういう存在。

 

「でも紗夜の反応はね、かわいいんだ」

「え?」

「求めてくる時も、全部声が甘くて熱くて、いつもクールな紗夜のそういう一面が出てるのかなって思うくらい」

「……そう、なのね」

 

 それは、俺が紗夜にとって安心できる居場所だかという証拠だ。自分を偽らなくていい、ってのは燐子と同じだけど、何も気にせずに、罪悪感も、お金とかそういう対価もなく、ただ純粋に人を好きになって、好きだという事実を胸に抱いて裸になる。そういうのが紗夜には幸せなんだ。

 

「ごめんね、紗夜。あんまりがっついちゃうとさ、もしかしたら嫌な思い出でも思い出しちゃうのかなって思って」

「……カンベさん」

 

 紗夜がなんで激しいの好きか、ちょっと花音さんや燐子と話し合ってた時があったんだよ。ちょっと気になってね。そうすると二人とも同じ答えだったんだ。

 ──そうすることでしか、従順でいなければいけない状態だったから。借金という負い目、必要とされなければ捨てられるという恐怖。そんな鎖に縛られていたアトなんじゃないかって。

 

「バカね……そんなの、全部陽太が癒してくれたに決まってるじゃない」

「自信あるわけないじゃん。だって俺だよ?」

「そうね、気の回らない童貞にそんな自信あるわけなかったわね」

「そうそう」

「なら……今日は激しくシて、くれるわよね?」

 

 とろんと、それまでの無表情はどこにいったんだろうと思うくらいドキっとする微笑みを浮かべてきた。

 囁くように、甘く高い声で、紗夜は俺を誘う体制に入っていた。紗夜の惜しげもなく晒された生足が俺の足をサンドしてすりすりとさすってくる。手も、腕をずっと触られてる。露骨に誘ってくるね、と思ったらヒールを脱ぎだして、急に……って待ってそこはまずいよ! 

 

「……っ、ふふ、準備万端、なのね?」

「そりゃあね……童貞はちょっと女の子に誘われたら期待しますよ」

「じゃあ期待に応えて、私もイキたい気分よ」

 

 今日は少し遠いところまで行きましょうかと、紗夜が立ち上がった。

 なんで急に遠いところ? と訊ねると紗夜は少しだけ考えるような仕草をしてから、時計を見せて、まだ昼じゃないと言った。

 

「ここ……ポテトが頼めるのよ」

「……うわ」

「なにかしら?」

「ナンデモナイデス」

 

 ほらね、今日も紗夜はこうしてかわいいし、カッコいいところもあって、それでもやっぱり甘えてくるときも、気持ちいとつい爪を立てるところも、無駄に脱ぐし脱がしたがるところも、やたらとキスをせがむところも、全部が紗夜なんだよ。

 ──ちなみに激しくした結果は言いません。紗夜は実は燐子よりМなんじゃないかな~なんて思ってません。ええ断じて。

 

 



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休息するD/ファンとの交流の一幕

 俺の憩いの場、羽沢珈琲店。

 落ち着いたジャズの音色が心を洗い、香しいコーヒーの匂いはさることながら、店主の奥さんが手作りしているスイーツも美味しい。そしてなにより看板娘が清楚。

 ──看板娘が! ビッチじゃない! 大声でアピールしたい。BプラスワンのファッションビッチでもFサイズどこでもビッチでもDサイズのチェリーキラービッチでもありません! ガチのマジで、清楚です! 

 

「カンベさんっ、今日はおひとりなんですね!」

「あ、上原さん?」

「はいっ」

 

 そんな清楚看板娘に癒されにきていると、ひらひらと手を振る羽丘の制服に身を包んだ桃髪のイマドキ娘が……なんか言い方おっさんくさいな俺。

 上原ひまりさん。あんまり関わりはないけど、羽沢さん曰く俺のファンなんですって。文化祭の時もちょっと話しかけられたけど、なんかわたわたしてたし。

 

「たまには俺にも休息がほしいもんでね」

「休息、ですか?」

 

 そう。今日はストーカー紛いの方のカノジョも、隙あらばセックスの方のカノジョも用事、というかRoseliaの練習があるため一人。いつもはタイクーンとリサと燐子と紗夜の思惑が重なるため俺も同じ時間に練習があるんだけど、今日はその肝心のタイクーンが風邪で寝込んでいるため自主練習。俺は久しぶりに紗夜も燐子も花音さんもいない休日を過ごしていた。

 

「へぇ~、恋人と過ごすのが休息とかじゃないんですか?」

「いや、俺の場合はあんまり」

 

 なにせいつも一緒にいるからな。一人の時間ほしい。マジで一人の時間がないとやってられないし。

 贅沢な悩みですね~って言われて上原さんに対して、でも深刻な悩みなんだよなって溜息をついた。

 

「一人の時間って必要になっちゃいますか?」

「そりゃあね、上原さんはそういう人いないの?」

「えー、いませんよ~」

 

 上原さんってすごいなんだろう、カレシとか常にいそうなタイプだと思ってたんだけど違うのか、花音さんがヤバいだけか。

 そのニュアンスが伝わったのか、上原さんはちょっとだけ頬を膨らませて私そんなに軽い女じゃないです、と言われてしまった。申し訳なさすぎて心を痛めてしまった。そして同時によかったと思う。ビッチじゃなくてよかった。

 

「ごめんごめん、モテそうだったし」

「そんなことないですよ、みんな花音さんに持ってかれます」

「あ、そう」

 

 花音さん……何やってるんですかあなたは。というかバイトの子食べてたんですか。罪深いというかどんだけ童貞好きなんですか。

 苦笑いをしていると、そういえば! と話題が唐突に転換させられた。

 

「花音さんとはどういう関係なんですか? 紗夜さんとお付き合いしてるんですよね?」

「ああ、えっとね。花音さんね」

 

 なんて説明したらいいんだろう。迫られてて、それをなんとか躱し続けてる関係って。

 説明に悩んでいると、えっちなことしてるんですか? と再度問われた。いやいや、シてません。花音さんとは全然そういう関係ではありません。

 

「よかった。違うんですね」

「当たり前じゃんか。俺は一応カノジョいるし」

「そうですよね」

 

 二人いるけど、なんてことは口が裂けても言え……ないわけじゃないけど、一応俺からペラペラしゃべるのはよくない気がしたから。

 こんなこと言ったら、燐子は怒りそうな気がする。いや気がしない絶対怒る。燐子は自分がカノジョであること、恋人であることにアイデンティティを感じてるフシがあるからね。

 

「それじゃあそれじゃあ、カンベさん的に、魅力的な女性ってどんな感じですかっ?」

「魅力的、タイプってこと?」

「はい!」

 

 また唐突な話題転換だなぁ。タイプの女性と言えば、やっぱり語ることは多いよね。童貞だしね。

 俺としてはやっぱり清楚さは外せないと思う。雰囲気だけじゃなくて、というか雰囲気だけだったら裏切られた気持ちでしばらく嫌いになる自信ある。いや燐子はなんかその嫌いの壁すらもぶち壊されたけど。

 

「清楚系かぁ」

「そうだね」

「つぐとか、カンベさんの好みっぽそうですね!」

 

 うんそう。単純な話を言うと羽沢さんが好みのタイプなんだよね。紗夜が知ると浮気者、もう知りませんとか言い出すからあんまりおいそれと話題に出せるものじゃないけど。でもこう紗夜や燐子とお付き合いをしても、変わらずに好みのタイプは変わらないものだよね。

 

「あ、ひまりちゃんとカンベさん。なんの話をしてるんですか?」

「羽沢さん」

「今ね~、カンベさんの好みのタイプ聞いてるの」

「好みのタイプ……異性の、ですか?」

 

 そこに我らがエンジェル羽沢つぐみさんがエプロン姿でお店に登場した。清楚かわいい。サラサラのボブカットの髪、丸くて大きな目に小柄で、素朴なかわいさのある少女。ホントこんな子がビッチだったら俺卒倒しちゃうと思う。それか女性不振のどっちか。

 

「カンベさんはきっと、紗夜さんみたいな大人でビューティーで、清楚な方が好みなんですよね!」

「せいそ……うん、まぁ清楚系が好みだね」

 

 言えない。この純粋な瞳の前じゃ、いや紗夜はファッションビッチだからとか言えない。言えないったら言えない。どっちかというと後輩清楚系がいいです。理由? その方がほら、童貞的にリードできそうじゃん? 童貞なのにリードなんてできるわけないでしょう。片腹痛いこと言わないでと脳内紗夜に罵られた。どーせ、いつまで経っても精神は童貞のままですよーだ。

 

「うーん、でも理想のタイプで言うならやっぱり羽沢さんかなぁ」

「わ……わたし、ですか?」

「あ、えっと、あくまで理想のタイプがね?」

 

 あぶな。ついうっかり話題の流れで羽沢さんの名前を出しちゃった。羽沢さんは心底びっくりしたように目を見開いてから、茶色の毛先を指でいじいじしだしてしまった。ああ、やば、絶対引かれた気がする。

 だいたい俺みたいな女性経験ナシのクソ童貞が好みのタイプとか好みの胸のサイズとかドヤ顔で語ることすらおこがましいんですよはい。おっぱいは正義とか童貞の分際で何様だってことっすよ。

 

「あ、あはは……びっくり、しちゃいました」

「ご、ごめん!」

「二人とも真っ赤~」

 

 上原さんがけらけら笑ってるけど、俺と羽沢さんの間には言い知れない気まずさが流れている気がしなくもない。あとこんなのウチのカノジョズに見られたら恐ろしい結末が待っている。カノジョズってなに、サメ? カノジョーズ? 確かに人食いには定評のあるお二人だけど。

 

「そういえばつぐって理想の男性像とかあるの?」

「わ、わたし!?」

「そう!」

「そ、そういうひまりちゃんは?」

「んーっと、背が高くて~、カッコよくて~、お金持ちで~」

 

 うーんテンプレ。上原さんはあんまりそういうことを考えたことがないようで、なんかほっとした。リサを師匠のように慕っているところといい、ちょっと軽めの雰囲気といい上原さんは若干俺の苦手な部類だからな。

 

「わたしは……その、頼れる人、かな?」

 

 対して羽沢さんの回答はいつか紗夜から聞いたような内容が返ってきた。頼れる人かぁ。やっぱり俺の性格からは程遠いよなぁ。いやここでカンベさんが好みですとか言われても割と困る。現状を経てモテたいって欲はもう全然しぼんだよ。

 

「わ、わたし実は、ワンドルはカンベさん推しで……」

「そう? ありがとう」

「いっ、いえ……」

 

 上原さんに続き羽沢さんもかぁ。なんだかこうしてファンが増えると嬉しい。モテてるとかじゃなくて純粋に俺の演奏で心が動く人がいるってのが嬉しいよね。そんな満足感に浸っていると、もにゅん、と後頭部に特徴ある柔らかな感触とその下の固いワイヤーみたいな感触が襲ってきた。

 うん、このフローラルな香りとサイズは……花音さんだな。

 

「やめてください花音さん」

「私の好みは、カンベくん、かな?」

「嘘じゃん」

「嘘じゃないよお、甘えてくれそうで、ぎこちなくて優しいセックスをしてくれそうな子が好みだもん」

「ビッチじゃん」

 

 なんでそんな冷静なんですかと上原さんからツッコミが入るけど、生憎この程度のスキンシップはドキドキはするし頑張って堪えなきゃいけないけどそれを表面上に出さないという謎スキルは備わったよ。

 

「というか、拗ねてたのでは?」

「いつの話?」

「先週の話だよ……」

「忘れちゃったなあ」

 

 女心と秋の空ってやつですか。そうですか。俺が全然構わないから前回からロクに会ってもなかったんだけど、どうやら気が変わったらしい。そしてたまたま立ち寄った行きつけの羽沢珈琲店で俺を見つけて、ビッチスイッチオンってとこですか。

 

「今日紗夜ちゃんも燐子ちゃんもいないなら……私とはどうかな?」

「勘弁してください」

「こら花音」

 

 一応払うと後が怖いので、って後が怖いしか言ってないな。テキトーに構いながら会話をしていると、一緒に来たらしい白鷺さんに連れられていってしまった。保護者白鷺さん。まともなんだよね。割と実は芸能人の彼女に頭を下げられてる回数が多い気がする。すごく罪悪感あるんだけど。

 

「カンベさんって女性慣れしてるんですね~」

「……ん?」

 

 一連の流れを見ていた上原さんにそう言われ俺は首を傾げるしかなかった。いやいや、そんなわけないじゃん。だって俺だよ? 慣れてないから花音さんに振り回されっぱなしだし、紗夜や燐子にはヤキモチついでに説教されるんだから。

 でも上原さんはその日、その認識を改めることはなかった。ううん、俺って主観と客観で印象違う? 

 



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Dは対峙する/愛されたい

「ねえカンベくん、ゴムは付けたい派? 付けられたい派?」

「は?」

 

 なんだこの頭悪い会話からスタートするの……ん、毎回か。毎回ですね本当にありがとうございました。

 というわけで、大学で紗夜を待ちがてらラウンジにいたら水色髪のヤベービッチに補足されたんだけど。いやいや、向かいに座って言うことがそれ? そろそろワンパターンですって星1評価つけられる展開だよ。

 そんな毎度毎度の下ネタスタートだけど、スルーしても追いかけてくるのでテキトーにあしらうことにしよう。

 

「別にどっちでもいいよ」

「じゃあ、実際にはどっち?」

 

 わーんこのお姉さん怖すぎじゃない? 絶対に何があっても答えさせるつもりなので諦めて考えることにする。

 ええっと、燐子はいつの間にかつけてる。口で。絶対口でつけてくる。ていうかあの子は人の指舐めるし、キスしたがるしで、口内なんだと思ってるんだろうって思う時がある。

 紗夜は……あ、まちまちだ。俺からの時は俺だし、紗夜からの時は紗夜って感じで。

 

「燐子ちゃんのそれはちょっと気になるけど……じゃあカンベくんはそれが嬉しい? 興奮する?」

「興奮というか……俺なにも知識なかったからさ」

 

 だってほら、AVとかだとあんまりゴムを付ける描写ってないじゃない? それこそ燐子がするみたいな口で、とかならあるけど。だから燐子以外はどれが特殊でどれが一般的かなんて俺は知らないんだよ。

 

「ふーん……調教されてるねえ」

「言い方おかしいでしょ」

「ところで私が送ったやつ、ちゃんと使ってる?」

「消してます」

 

 あんな卑猥な画像や動画、しかも花音さん自身が被写体とかいうのを送ってくるのはやめてほしいです。あの拗ねた一週間が終わったと思ったら急に今週はやたらと送りつけてきて。固定されたおもちゃに跨ってるやつとか、口でするのとか、しかもやたらと喘ぐからホントに最悪です。

 

「ちゃんと見てるんだ、ふふ……むっつりさんだなあ」

 

 そりゃあ、ちょっとは……中身、見ますけど。すぐ消すから。だってこのデータが俺のスマホに残ってるってことは下手をすると燐子や紗夜にも見られるわけで。そうなった場合あの二人は嫉妬で襲ってくるから大変なんだよね。

 

「……そういえば、花音さんって案外そういうシチュエーション、所謂イチャラブが多いよね」

「ちゃんと聞いてくれてるんだ」

「ちょっとだけだって」

 

 上原さんや、途中でやってきた宇田川さん……あこちゃんと被るな、巴さんから収集した情報によると花音さんはやっぱり童貞食いをしてるらしく、新人男子の何人かは花音さんのお世話になってるらしい。やっぱビッチじゃん。

 そう聞くと、余計に送られてくる動画とか疑問なんだよね。花音さん、基本的に受け身なこと言ってる。もっとちょうだいとか、そこだめとか。基本上じゃなくて下なんだよね。

 

「言うようになったね、カンベくんも」

「実物を散々聞くようになったので、そこは流石に」

 

 無感情に放っただけで興奮するほどじゃないよ。燐子も紗夜も経験上、男が興奮する喘ぎを熟知してるから。その点で言うならたぶん花音さんもそうなんだけど、そこでやっぱり疑問なんだよね。

 

「絶対、初めての相手に使う声じゃないよね?」

「ふふ、そっかそっか」

 

 紗夜の女性経験値を伸ばす極意その一、小さな変化に気づき声に出せ。

 気付いてもらうということは想いを通じ合わせる上で必要不可欠なこと。小さなことに気を回せるかどうかが、女性経験では大事になる。

 純粋な疑問だったけど、花音さんとしてはそれは、気付いてほしいことだったらしい。

 

「推理はしてくれた?」

「んーっと、ヒントは?」

「前に同じようなこと言ったかなあ、なんで俺なのって訊いた時に」

 

 えーっとそれって去年の水族館の話だっけ。セフレと結構仲良かった花音さんに対して、じゃあなんでセフレを誘わなかったの? って訊いた。それに対する答えは、セフレはセックスをする相手で、デートをする相手じゃないから。だった気がする。

 

「……俺、だから?」

「せいかい。カンベくんとは、甘く一晩蕩けちゃうようなセックスがしたいから、その願望かな?」

「俺、三人相手にするのはキツいんですけど」

「……そっかあ」

 

 花音さんの反応を見て、俺は自分が放った言葉の意味を改めて知って、おかしな話だけど自分で驚いてしまった。

 まぁ、そうだよね。俺ってあんまりもう花音さんのことビッチだのなんだのって拒絶できない状況だからね。その上で、花音さんって人間に触れて……まだ触れ合ってないけど、人間性に触れて、こうして向き合って話して、悪くない印象を持つんだから。

 

「でも安心してカンベくん、私の生理周期は二人ともと被ってないから」

「なんで二人の周期知ってるの?」

 

 素早くツッコミをしてしまった。紗夜と燐子が丁度被ってない。だから辛くもあり、棲み分けというか独り占めできる時間が決まっていたりする。そこに花音さんが例えばもし万が一にスケジュールに組み込まれるようなことが起こりうるとするなら、俺は二人を常に相手にし続けることになるんだけど。死んじゃうよ俺。

 

「ねぇ、今日……は?」

「今日は既に紗夜がウチに来る日なので」

「ん、そっかあ……」

「今週末、なら」

「いいの?」

「紗夜が日菜さんと出かけるらしいので空いてるんですよ」

「じゃあデートだ」

 

 嬉しそうに花音さんは微笑んだ。その破壊力といったらこの周囲にいる全ての童貞を一瞬で食べつくすほどの威力だよ。

 でも、俺は条件を突きつける。俺はセフレになるのは勘弁なんで。

 

「童貞食いはやめること」

「だめ?」

「ダメ……別に俺は紗夜と燐子いるんでどっちでもいいんですけど」

「脅しかあ……カンベくんも素敵なことをするんだね」

 

 正直、花音さんの暴走、というかこのアプローチからの逃げ場を失っていたところだったから、もういっそ飛び込んでしまえばいいのでは? と紗夜と燐子からも許可を貰っていた。代償はポテトとネカフェ。お金なんて安いもんだ、特に俺のは、みたいな。

 

「その分、カンベくんは満たしてくれるんだよね……?」

「保障なんてこれっぽっちもありませんよ」

「うん、じゃあ私が教えてあげるね……私の気持ちいを、骨の髄まで♡」

 

 この人は悪魔だ。俺は悪魔との契約をしたみたいだ。たぶんだけど花音さんは依存癖がある気がする、と言っていたのは燐子だったかな。

 前のカレシはその依存とそのくせ男漁りをやめないってところから嫌になったんだ。前はいいと思っていたのに、いざ依存されたら自分の気持ちと花音さんの気持ちが釣り合わなくなった気がして。というか花音さんがある意味一番重いのでは? あれ、俺選択ミスってない? 大丈夫? 

 

「……これで、三人目。やはりモテるわね」

「嬉しくないよ」

「どうして?」

「わからない?」

 

 帰り道、紗夜と一緒に歩いていて、俺は少しだけ胸に穴を開けられた気分だった。モテるってことの痛さは去年に嫌というほど思い知った。誰かの気持ちを完全に断ち切らなきゃいけない恐怖と痛み、そしてそんなこともできずに甘い顔をして抱きしめてしまう痛み。

 だから俺は紗夜だけでいい、もう紗夜がカノジョなんだからと言い聞かせた。

 けど燐子も花音さんも諦めることなく、結局はこうなった。じゃあ、俺が選択した紗夜の努力って、痛みってなんだったんだろう、なんて考える時がある。結局絆されるなら、こんなに頑張らなくてよかったんじゃないかって。

 

「陽太」

「……紗夜?」

「私の痛みはあなたのものじゃないわ……それに、私はあなたのハジメテの女なのよ?」

「そうだったね、うん」

「それに今のところデートやセックスの頻度に不満はないわ。濃密さは、陽太だけの問題じゃないもの」

「紗夜には敵わないな」

「ふふ、童貞が私に勝てるわけありません」

 

 カノジョになったらなったでこんなに寛大で強いヒトなんだよね紗夜は。俺の手を握って、微笑んで、ちゃんとセックスとかそういうのじゃない幸せを俺にくれる。

 ──こんな顔を見たら、俺はあの日、紗夜と手を繋いでよかったなぁと思うよ。ありがとう、紗夜。

 

 

 



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Dの劇薬/三番目という幸せ

 すっかり花音さんとは定番になってしまった水族館のデート、でも今日はその趣が違うことを、俺は嫌というほど花音さんの立ち振る舞いから、服装から、思い知らされた。

 というかこれまで花音さんは全くそのつもりがなかったことがうかがえるんだから。しょうがない。

 

「ごめん花音さん、待った?」

「ううん、今来たとこ」

「言いたかっただけ?」

「もちろん」

 

 言いたかっただけってなんやねんとツッコミを入れたくなった。なんやねん。こんなこと言ってると本場カンサイジンに怒られそうだから黙っとこう。

 そんなこんなで、俺は花音さんとデートのために、駅で待ち合わせをしていた。わざとらしく駅までの道も迷子になっちゃうかもって言われたけどさすがにそれは拒否、だってそれってどっちかの家で集合でしょ? そのまま引きずり込まれてぱっくんちょは勘弁したいところだから。

 

「そんなことしないよお」

「え?」

「ん?」

「いえなんでもないです」

 

 こーわーいー! このビッチ怖いんだけど。文句言うてたら食い散らかしますえって目が言ってる。なぜかドスが効いてる。

 とは言いつつ、拒絶したらわかったと駅前集合に変えてくれる優しさもある。その代わりなのか知らないけど早速俺の腕をとってかわいらしく行こと微笑んでくるけど。

 

「あんまり密着して電車に乗りたくないです」

「興奮しちゃうから?」

「どっちが?」

「カンベくんが」

 

 いやいや、絶対触ってくるでしょ。

 そう思ったら奇跡的に座ることができたので、今日のお触りタイムはなしになりましたやったね。その代わり肩と胸をこれでもかと押し付けてくるけど。

 

「狭いよ」

「んー? 聞こえなーい」

「今日はまたいつにもましてサドですね」

「いじめてないよお?」

「は?」

 

 そんなに童貞いじめて楽しいかおい。こちとらビッチ上がりの恋人二人に食われても童貞スピリットを失わない名誉童貞だぞおい。なんか涙出てきた。早く脱童貞したい。

 肩に頭を乗せてきてスマホをいじり始め、しかも太ももをわざとこっちに密着させてくるビッチさんは俺にひょいとスマホ画面を見せてきた。

 

「は?」

「……しー、声に出さないで? 恥ずかしいな」

「いや水族館行く気ある? いきなりホテルとか嫌だよ俺」

「あるよお」

 

 このお姉さん、こともあろうか文章でなんか濡れてきちゃったはーとという文章を俺に見せてきやがったんですよ。ビッチじゃん。あ、ビッチだったわ。

 感度良好花音さんは少し熱くなった手を俺に重ねてきて、悩まし気な声を耳元にぶつけてくる。いや性欲で殴ってくるな。性欲煽りデッキ標準装備なのなんでなの? 

 

「こんな気持ち初めて」

「何が?」

「私って今まで恋してたのかなってくらい、今キミにごちゃまぜの気持ちなの」

 

 どういうこと? そうやって言ったらまた花音さんはなにやらパパパとテンポよくスマホの、よりによって俺とのメッセージのところに文を打って、俺に見せてきた。

 食べたいし食べられたい。今すぐセックスしたいしもっとゆっくり水族館で楽しんでからがいい。全部ほしいし全部一緒にできたらいいのに。

 そんな剥き出しで、不器用な文章に俺は冷静に、ダメと返事をした。

 

「だめ?」

「セックスしたいで、そのまま欲望に従ったら今までとおんなじだよ、俺はそんな性欲だけの関係は嫌だよ」

「またそうやって」

「うん、童貞の理想論だ」

 

 そう。結局俺だって花音さんと同じ気持ちがないわけじゃない。発情した花音さんとこのままホテルに進路を変更してしまいたいという欲求が完全にないかと言えばそれは真っ赤なウソになる。触れてる太腿に手を這わせたいともう気持ちもある。でも俺は、それじゃダメなことを知ってるから。

 

「我慢できたら、花音さんの望みに応えるって条件でどう?」

「……うん」

「俺は花音さんの欲も飲み干したいし、花音さんとのデートも楽しみたいから」

 

 だって俺は花音さんのセフレでも、一二回だけの関係じゃない。

 どうにも認めがたいことだけど、花音さんのこと、俺はもうほとんど認めちゃってるんだから。じゃないとこうしてデートにもいかないけど。

 

「でもスカート汚れちゃうし、座席濡れちゃうから、私はちょっと立ってるね」

「うん、俺も立ったほうがいい?」

「ううん、勃ってくれてるならそれでいいよ」

「ニュアンス違うんだけど?」

 

 ひどい会話だと思うけど、俺としては紗夜で慣れているので問題なし。感覚が麻痺しているとも言うけど。

 けれどそれ以上は何もなく、俺と花音さんはすっかり火照りの収まった顔で水族館の前までやってきた。

 

「ホントにいつもいつも水族館だよね」

「だって好きなんだもん」

「クラゲがいるから?」

 

 うん、とはにかむ花音さんは、下心とかなにもなく純粋にクラゲが好きなんだなぁって思わせるには十分だった。なんというかクラゲに見せる視線だけが純情だもんね。

 もうちょっと俺が真正面にいてもあの顔をしてほしいところではある。

 

「今日はイルカショーも見たいな」

「水に濡れるのは嫌だよ?」

「えー、濡れたらいい雰囲気になると思うよ」

「着替えないからね?」

 

 確かにそうだねえ、と笑う花音さん。なんというかいつもより無邪気成分多めだ。こういうところ、紗夜もそうだけどどうしようもなく素の年齢? なんて言ったらいいんだろう、普段より幼い印象になるよね。ギャップに俺は早くもドキドキさせられっぱなしなんだけど。

 

「あ、そうだ。だったら服も買う?」

「そこまで出費はなし」

「そっかあ」

「……また今度ね」

 

 露骨に落ち込まれると、フォローしたくなるんだよね。紗夜とか燐子がいつも拗ねる原因なんだけど、どうにも俺はやっぱり優柔不断のクソ童貞野郎らしく、もう少し毅然とした態度も必要って言われるんだよね。甘いんだって。

 

「ふふ、カンベくんはまた今度って言ってくれるんだあ」

「ん?」

「ううん、ちょっと比べちゃっただけ、ごめんね?」

 

 よしよしとされても俺はなんのことかわかってないので首を傾げることしかできなかった。

 生憎と俺は鈍感歴19年の大ベテランだからな。なんの話かなるべくわかるように言ってほしい。と言ったら別に~と隠されてしまうので意味なし! 割と気になる! 

 

「ふふ、かわいいんだあ」

「そのかわいいがわかりかねますが」

「わかんない?」

「そりゃあね」

 

 めちゃくちゃ楽しそうだよね花音さん。繋いだ手からもそんな気持ちが伝わってくるみたいで、俺は思わず笑ってしまう。

 いつものビッチ感はどこに行ったのってくらい、今の花音さんはその、素直に言うと、かわいい。

 

「花音さんの方がかわいいよ」

「……ありがとう」

「というか今日はめちゃくちゃ気合入ってるよね」

 

 ふわりと香るコロンとシャンプーの匂いはどっちも花音さんの名前にふさわしい跳ねるようなフローラル。春の花の匂いで、髪は黒のリボンで纏められたいつものサイドテールだけど若干巻いてある。しかも固めてあるところはキラキラしてる。そしてピアスは水色の本人のイメージとは違って紅色の小さなもので、それが逆に色気みたいなのを出してる。

 膝上ワンピースは薄い青色で白のストライプ。茶色のベルトがキュートです。六月の現在に合ってるし水族館への気合十分ですごくかわいい。そして足元は白のフリルのついた足首くらいまでの靴下と、歩くことを想定されたあんまり高くないヒール。黄色のカーディガンもかわいらしさのポイントだと思う。

 ──以上、童貞がお送りしました。ちゃんと気合入ってるよね。しかも卸したてとか強すぎない? 

 

「さすが、その辺は紗夜ちゃんから?」

「そりゃあもう」

 

 紗夜からは割と大人ファッションとコロン、シャンプー等を、燐子からは更に厳しく、アクセサリーやヘアアレンジ、ゴシックとガーリーファッションを散々頭に叩き込まれたからね。大変だったよ。

 

「ちゃーんとカッコいい男の子になれるように修行させられてるんだ?」

「目指せ脱童貞らしいから」

 

 付き合ってもセックスしても、童貞は抜け出せてないらしいから。こうやって地道に努力を重ねていくところです。

 そんなことを話していると、花音さんがそれじゃあとまるで春風のようにさらりと、俺から唇を奪っていった。

 

「今度からは私も、その教育に参加させてもらおうかな?」

「……ダメって言っても無駄なんでしょ」

「もちろん」

 

 こうして、俺の三人目のカノジョ、松原花音が完成した。ううん、つくづくまた燐子とも紗夜ともタイプの違う人だよね、花音ってさ。

 ところで俺はもっと余裕があってサドな花音を想像してたんだけど、めちゃくちゃイメージと違ったのはここだけの話に留めておくとします。あの言葉に嘘はなかったんだなぁって思わされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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始まるV/一年越しのリベンジ

 花音さん……花音は俺との最後の一線を越えてから、態度が劇的に変わり始めたことがあった。

 まず花音の俺に対するテンションが変わった。前よりも一段階明るい反応で、俺に手を振ってくれるようになった。

 

「カンベくん、おはよ」

「おはよ」

 

 ちなみにだけど実は花音の家が俺の家に一番近かったりする。だから一番最初に遭遇するのが花音だったりする。だからか知らないけど二人の間にやたらとくっついてくるようになった。

 

「おはよう……ございます」

「おはよ燐子」

 

 その次が燐子と出会う。花音がくっついてるのを見るなり、ちょっと拗ね気味に俺の横にやってくる。ちなみに俺としてはこの状態でかわいいやら困ったやらで感情が朝から追いついてこない。あと圧迫感すごい。

 

「鼻の下と股間が伸びてるわよ」

「おはよう、でしょ?」

「おはようございます」

「待て待て、どこに挨拶してるどこに」

「カンベさんのカンベさん……ですよね」

「今日も元気いっぱいだしねえ」

「誤解を招く言い方はやめてもらえます?」

 

 そして、紗夜。

 ──いつかの頃、俺は好きな女にフラれたことでどうにかして童貞を卒業したいと思うようになった。前はただヤったらそれでいいのかとも思った。童貞っぽさなんて女を知れば簡単に変わるだなんてナメてた。だけどそうじゃないことを知った。モテるってことは、童貞を卒業するってことはなんなのか。彼女たちに教えられてきたから。

 

「さて、今日もカンベくんの脱童貞目指して……襲っちゃっていい?」

「はぁ、これだから身内も見境のないビッチは困ります」

「んん? おっぱいないからひがんでるの?」

「……今のはいくら松原さんでも許せませんよ」

「ま、まぁまぁ……落ち着いて、ください」

「燐子ちゃんは引っ込んでてくれないかなあ?」

「そうです、持つものは持たざるものの苦労はわからないのです」

「……か、カンベさん」

「ごめん、俺もあの二人を止めるのは無理かなぁ……」

 

 バリエーション豊かな、あ、胸の話じゃなくてね。個性豊かなメンバーばかりだけど、俺はこの三人とこれからの青春を過ごしていくことになってしまった。ちなみにここで一番悔しいのはどこぞのランスと同類扱いされてるってこと。くそう、信じられない。何故こうなったのか。

 

「カンベさんが優柔不断クソ童貞だからじゃない」

「まぁ童貞クンにはその程度だよねえ」

「……選べたら、苦労はしませんから……ね」

 

 すごい煽られてめちゃくちゃイラっとしたので今日はリサと友希那とトーマの四人で帰ることとします。女三人寄れば姦しいを地でいくのホントなんなんだろうね。紗夜と花音も仲が悪いってわけじゃなくて、胸襟を割ってるからの言い合いなのは助かるよね。

 

「あ、あの……わたし」

「ああごめん、挟まれた燐子は可哀想だよね」

「……わたしは挟む方が得意、なのに」

「ん? ごめん俺の童貞イヤーじゃ聞き取れなかった」

 

 Fサイズを寄せていらっしゃるところ悪いけどここ往来だから。やめてね? あとサイズアップしたとはいえまだまだコンプレックスらしい紗夜さんが睨んでるからね? あのお姉さんそっちのことになると結構本気で怒るから気をつけてね? 

 

「というかそもそも燐子ちゃん、抜け駆けしてない?」

「して、ません。今日は……わたしの日です」

 

 そんなのあるの? いやないと困っちゃうところは多々あるのか。ちなみに今週は紗夜がアウトなので、花音と燐子の二人らしい。この話をしたらトーマに本気で相談に乗られた。ちゃんとスケジュールに記入しとかないと一歩間違えたら責任問題だから気を付けろよと言われました。変なところで気を遣うよね。

 

「そういえば、カンベくんってもうすぐライブだよね」

「うん、まぁね」

 

 もうすぐ夏休みだし、夏前に一回、それから夏に一回のスケジュールで進めてく予定だ。あと秋の学園祭でも出るし。学祭はまたRoseliaも出るんだよね? 

 確認をすると紗夜がにやりと挑戦的に笑ったのだった。

 

「楽しみにしていてください」

「なにそれ」

「……秘密、です」

 

 燐子にまでそんなことを言われて俺と花音が首を傾げた。

 なにやらRoselia側には秘策があるのかな? ひとまず俺は電車内では燐子の脅威、もとい胸囲の圧力を受けながら大学へと向かっていった。どこでも発情するのはやめなさいってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだか鬱陶しいことが始まる予感がすでにしている。なにやらタイクーンのテンションが無駄に高い。というかもはやウッキウキのモンキー状態。

 こういう浮かれた雰囲気の友人はろくな提案をしてこないことで有名である。タイクーンにとっては花畑でも俺にとっては死神のパーティタイムだよ。死ぬまで踊りたくはないんですよ。

 

「練習前にひとつ! 俺とトーマから報告がある」

 

 浮かれたタイクーンに代わって、トーマがいつも通りのテンションで実は秋の学祭に向けて、思い切った提案をさせてもらいたいんだと言葉を放った。

 ──タイクーンが提案してトーマが調整した。なんだかもうやな予感しかしないし俺がハブられてる理由としても絶対にヤバい。

 

「実は! 対バンすることになった!」

「え、夏休みのほうで?」

「そうだ、夏休みライブと学祭の二ステージだ」

 

 なんと二つステージを跨いでのコラボということで、いよいよ俺の嫌な予感は現実味を帯びてきた。

 ある意味では俺たちの最大の挑戦になるであろうコラボ。完全に相手様方の胸を借りる形になる気がするんだけど。

 

「二人ともそれってさ……まさか去年のリベンジ?」

「そう、相手はガールズバン界の女帝Roseliaとだ」

「……ほう」

 

 ランスがはっとしたように言葉を口にして、肯定の言葉にアイスが興味を示したようにつぶやいた。

 ああやっぱり、そうなるんですね。道理であの二人がにこにこしてたわけだ。

 

「よく友希那がいいって言ったね」

「そりゃ、俺たちの努力の結果だな」

「あの歌姫がコラボしていいと思えるところまでボクたちが来たってことかぁ」

 

 いいことだね。そしてトーマはそのための打ち合わせ係ってことか。俺じゃなくてよかった。安堵していたら、いつも通り運営のスケジュールはカンベ中心と言われて俺は去年の羽丘と花女の合同文化祭の地獄を思い出した。

 

「おいお前ら」

「どうしたバカ」

「なんだ色狂い」

「は? は? なんだお前ら?」

 

 ランスに肩をたたかれた。どうやらいつの間にか俺は完全にソッチ側扱いらしい。ひどいよ俺まだ童貞扱いなのに! 

 そしてその計画でRoseliaへのスケジュール打診が俺なのは完全に何か別の意図を感じるよね。

 

「愛されてるな」

「あはは、トーマでもよくない?」

「うちのは俺が絡むとポンコツになる」

 

 それはうちの紗夜もですけど? あの氷の女王は俺と向かい合うだけで日差しにあてられたスノーマンの如く溶けますけど? 

 だがしかしその俺の文句に対して、トーマは向こうからの要請なんだと諦めたように首を横に振った。

 

「満場一致らしい」

「ふざけてるね?」

「まぁ、人間関係的にカンベ以外ないでしょ」

 

 ランスに言われて考えてみる。まず最初にビッチコンビが俺の名前を挙げて、友希那としては現在一番交流があるのはタイクーンだが話が進まない可能性を考慮して俺を、あこちゃんとしてはかかわりが俺かトーマなので燐子のことを考え俺を。リサはトーマと一緒にいるとうっかり恋人オーラ出すのが嫌だからサンドバッグとして俺を、なにそれ地獄かな? 

 

「……一年、目標にしてきた」

「アイスまで」

「というわけで頼んだカンベ」

「せめてタイクーンとトーマもついてきてよ」

「最初からそのつもりに決まってるだろ!」

 

 そりゃそうだよね、なにせタイクーンは友希那に会いたいだけだもんね。

 トーマはどうするかな、みたいなリアクションだった。あれね、リサ姉の仮面が剥がれるのが嫌なんだもんな。

 でもまとめ役にはトーマ必須だしなぁ。まぁでもとりあえずは俺たちがRoseliaと対バンできるなんていう吉報に胸を躍らせておくとしよう。中身はアレだけど、実力ははっきり言うと俺たちよりも数段上だしね。

 

「楽しみです……カンベさんたちと、一緒に演奏できる、なんて」

「それは俺も楽しみだよ」

「……はい」

 

 帰りに待ち合わせた燐子もさっそくそんな話題を出した。

 俺としてはその前段階に問題があると思うんだけどそれはさておき、楽しみなことが増えたな。そして同時にこの夏は間違いなく問題だらけの予感もしてるよ。

 

「利害の、一致ですよ……」

「紗夜と燐子だけじゃなくてリサとトーマ、そしてタイクーンの思惑は同じところにあるからなぁ」

 

 そこのお互いのバンドで会いたい人がいる連合は強いよ。アイスは純粋にドラムを叩くのに喜びがあるっぽいから拒否はしないだろうし。ランスもどうしようもなく音楽バカだからね。

 

「陽太さんも」

「ん?」

「十分、音楽バカ、ですよ……」

「そりゃあ、俺にとって音楽は特別だから」

 

 仲間とこうやっていつになってもバカなことが言い合えるのはバンドやってるから、俺がたくさんの人と関われたのはバンドやってるから。

 そしてなにより、紗夜や花音、そして燐子に出逢えたのは、バンドやってたからだ。

 俺の思いを汲み取ったように燐子のキレイな手が俺の手を包み込んでくれた。その手の熱は夏が近づいているのに、不思議と心地よく感じられた。

 

 



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Bとの出逢い/もう一つの道筋

 童貞? まだそうだけど、そもそもセックスってどうやってするの? そういうことに興味を持ち始めたのは中学生になりたての時だった。その時はそこまで深く考えてなかったっけ。高校生になったら自然と恋人ができて、そういうことも自然とできちゃうんだろうって、そんな感じ。だから全然興味なんてなかったようなものだった。友達とバカやって、バンドってカッコいいよな、なんて話したりして、そんな感じだった。

 ──そして高校生になってもう三年生、そこで、俺は今一度思うワケなんだけど。

 

「……どうやったらセックスってできるんだ……?」

 

 何も考えてなかった中学時代の自分を殴りつけて、顔のカタチをもうちょっと美形にしてやりたいくらいの後悔がそこにあった。酷いもんだ、中学時代友達とバカばっかりやってきた俺にはセックスどころかカノジョすらどうやったらできるのかもわかっちゃいねぇのに。

 

「顔はそれなりだからダイジョウブっしょ!」

「そうか! よかった!」

 

 と、幼馴染に言われたものの、その大丈夫が全然大丈夫じゃないってことに気付いた時には、もう手遅れにも程があった。バカ野郎、そもそもお前くらいしか俺に話しかけてくる女いないんだっての。

 モテるらしいというクソみたいな理由でバンドを始めたけど、そこから恋には発展しない! なんかちょいちょい女性には話しかけられるけどさ。

 

「セックスってどうしたらいいんだろうな……そもそも恋なんだけど、なんとかしたいなぁ」

「……でしたら、私が手伝ってあげましょうか?」

「……へ?」

 

 そんな練習スタジオのベンチでのなにげない一言に、俺は首を傾げた。はて、性欲の消費と同じく独り事、ならぬ独り言だったんだが、いつからお相手ができましたかね? そう思って後ろを振り返ると……びっくりするほどの美人が立っていた。

 ウェーブがかった髪は照明に当たってキラキラと輝いていて、顔立ちもスタイルもモデルかアイドルか、というほどで、指先もキレイだった。

 ──そんなとびきりの美人が、なんて? 俺の聞き間違い? 幻聴だな? そうだな? 

 

「ですから、セックスがシたいというなら私がお相手します、と言っているのですが」

「えぇ……」

 

 もう一回、今度は目を合わせてハッキリとその美人が口にした。セックス、お相手、しかも顔を赤らめるとかそんな羞恥なんて一切なく、その単語は当たり前に自分の身近にあるような言い方だった。

 あれかな? 援助交際? それにしたってもっと相手にいいヒトいるでしょうよ。

 

「……えっと、お金、持ってないんスけど……」

「ホテル代等もないようでしたら出しましょうか?」

「うげ……」

 

 思わずそんな声が出た。怖い、逆にお金出してくれるとかこのお姉さんめちゃくちゃヤバイヒトじゃないの? ほら詐欺とかそう思うと千載一遇のチャンスは絶体絶命のピンチじゃないのかと思えてならなかった。ピンチはチャンスならチャンスもまたピンチ、そんな感じ。

 

「驚くようなことはありません。私がただ少しタマっているというだけで……」

「な、なんで……俺?」

「……そうですね、タイミング、というやつでしょうか」

 

 そう言うとその美人さんは氷川紗夜ですと名乗った。ああどうりで見たことある気がしたんだ。友希那とリサのバンドのギタリストだ。そうすると当然相手も俺のことを知ってるってことだよな。

 

「それで、氷川さんがどうしてそんなことを?」

「いけませんか……?」

「いけないって言うか、出逢っていきなりそういうコトをするのは、おかしくないかなって思います」

「嫌ですか?」

 

 そりゃもちろん美人な氷川さんに誘われてるんだからホントは小躍りするほど嬉しいよ。でも何て言ったらいいんだろう。裏がある。そんな気がするから俺は折角の申し出だったけれど、氷川さんに頭を下げることにした。

 

「ごめんなさい、それには応えられないよ」

「待ってください、カンベさん」

「なに?」

 

 これ以上は無理だと俺はスタジオを飛び出したら呼び止められた。別にビッチってのが悪いわけじゃないんだけど、なんというか彼女は焦ってる気がする。一応付き合った子がいなかったわけじゃない、というかついさっきフラれたばっかなんだけど、その子に俺がのんびりすぎるって泣かれた手前、言いづらいんだけどさ。

 

「少し、話をさせてください」

「セックスじゃなくて?」

「それもさせてくれたら嬉しいのだけれど」

 

 本音漏れるの早いなぁ。

 でもこうしてリアクションを見ると誰でもよくてワンナイトってわけじゃなくて、ちゃんと俺を追いかけてきたんだよね。おそらくリサ辺りが俺の居場所を教えたんだろう。連絡取ってたし。

 

「俺は知り合ってもない女子と寝る趣味はないから、ごめんそこまで飢えてないし」

「それじゃあ、知り合いませんか?」

「言うと思った、どこかリクエストある? 奢るよ」

「いえそういうわけにはいきません。ホテル代は高いですし」

「は?」

「オプションはお好きにつけていただいて構いません。合わせます」

「待て待て、ホテルは却下だから」

 

 というわけで普通にリクエストされたファストフード店に向かうことにした。途中何度か腕を組もうとしたり手を繋ごうとしてきた氷川さんを回避する。あのね、くっつかないから。というか俺もそんな余裕もないからさ。

 そして、頼むのはエルサイズのポテトを二つとアイスコーヒー。冒涜的で凡そリサから聞いてた氷川紗夜のイメージとかけ離れてるけど、別人じゃないよな? 

 

「本人ですよ、生年月日身長体重BMI体脂肪率スリーサイズ好きなプレイ苦手なプレイ、上向きか下向きかまで完璧に回答できます」

「いらない」

 

 特に後半はこの公共の場で口にされたくないんだけど。超下ネタじゃん。しゃべればしゃべるほど事前情報との食い違いに頭がおかしくなりそうなんだけど。ますます疑いを強めていると、氷川さんは少し下を向いて、実はと事情を説明してきた。

 

「カンベさんの演奏を、聴く機会がありまして」

「ああ、つまりそれをわざわざ言うために呼び止めたってこと?」

「はい。どう話しかけたらと思っていたところで、あのような独り言を漏らすものですから」

 

 うーん、それにしたって言葉がおかしくないかな? そう思ったけど、どうやら俺の言葉に合わせただけだから別に悪い人じゃなさそうだ。

 それに下ネタを話すからと言って人格を疑うのもよくはないよね。美鈴、別れたカノジョは割と通じる方だったから余計にそう思う。

 

「恋人は、いらっしゃらないのですか?」

「あー、うん、別れちゃってさ」

「……それは、それなら」

 

 そこで氷川さんは少し考えてから、頬を赤らめて俺を見つめた。

 楽しそうに演奏する俺に惹かれたこと、けれど今まで男性というものに触れてこなかった手前、どうしたらいいかわからなかったこと。

 ──ん? つまり氷川さんも男性経験ないってこと? 

 

「はい、恥ずかしい話ですが……その、知識だけは」

「耳年増?」

「失礼なこと言いませんでしたか?」

「失礼しました」

 

 咄嗟に謝っておく。すごいオーラを放たれてたじろいだよ。

 それによくよく考えると、俺、今一番望まれてた展開があるってことじゃないか? もともとモテたくてバンドを始めた。バンドをやってれば女の子からキャーキャー言われて、付き合ったりして……なんて夢見てたけど、現実はその先が危うい状態だった。

 そんな俺の前に現れた氷川さんは、なんだかすごく傷つきやすい印象があって、俺はこの時にはもう、惹かれていたのかもしれない。

 

「そろそろ、今日は失礼します」

「あ、ちょっと待って」

 

 傷つけてしまったと去ろうとする氷川さんを慌てて追いかける。謝らないと、そう思って追いかけたところで、氷川さんが振り返り、悔しいけど、めちゃくちゃドキッとする笑顔で……頬にキスをされた。

 

「チャンスがあるというなら、それではまたあなたのハジメテの女になりに会いに行きますね」

「は……え?」

 

 ──俺はどうやら、目を付けられたらしい。品行方正、文武両道、そんな折り目正しい印象の強い氷川紗夜が、自分のイメージを崩してまで恋をしてくれたこと。俺は胸に刻んで別れていった。これから、彼女と会えるのが楽しみだと、素直に俺はそう思えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──という夢を見た。うーん、なんか不思議な夢だった。紗夜がビッチってわけじゃなくてただのむっつり知識があるだけの女の子で、俺が美鈴と別れててなんか思考まで変わってて、それを俺は自分でありながらどこか自分じゃないところで見てるっていうめちゃくちゃ不思議な夢だった。

 

「なんだか童貞感が薄れていて、現実味がないわね」

「……えっと、カンベさんは、今の方が……いいと、思います」

「童貞丸出しだから私はカンベくんだ、って思ったんだよねえ」

「ひどいね特に前後二人」

 

 まぁ現実には紗夜はビッチで、俺は童貞女性経験なしの貧弱野郎で、モテる才能すらなかったせいでこうやって三人に囲まれて縮こまってる生活である。

 花音の言葉に地味に傷ついた。童貞丸出しって、これでも俺、確かな成長を実感してるんだけど? 

 

「わかんないなあ」

「……今日、ゆっくり、一緒に確かめましょう……ね?」

 

 ああもう燐子と花音に両腕を取られて、俺はその柔らかさにドキマギというかもうなんかどうしようもなくなってしまう。語彙力も吸われてしまうよ。

 しかもこの構図、紗夜がヤキモチ妬くだろうなと思っていたら、何も言わずにただ早歩きで前に歩いていくだけ。あれ、もしかしてマジで怒った? 

 

「さ、紗夜──っ!?」

 

 慌てて紗夜のところに駆け寄ったところで、紗夜は素敵な素敵な微笑みを浮かべて俺の唇に自分の唇を重ねられた。

 唐突過ぎるキスに流石の燐子と花音も驚きの声をあげる。あ、やばしかもなんか舌が入ってきたんだけど、ガッチリ首をホールドされてるから逃げるに逃げられないまま、紗夜に襲われていく。

 

「んっ──ふぅ……ごちそうさま」

「あ、あのですね紗夜? ここは往来なんだけど」

「覚えているならいいのだけれど……あなたのハジメテの女になったのは、私なのだから」

 

 んーっとこれは? 後で花音が解説してくれたことには夢とは言え初カノジョが美鈴だったことが気に入らなかったらしい。相変わらずハジメテ、には厳しい人だ。ただマジでキスもなにもかも、俺は紗夜がハジメテなんだよな。あの日、ビッチなんかには負けないと宣言したけれど、そんなかわいくはないヤキモチを妬く紗夜に対して愛おしいと思えちゃうところあたり、俺は紗夜という未知でビッチなカノジョに、完全敗北してるんだよね。

 ──今はもう、それでいいとすら思えてしまうけれど。

 




ついに50話到達してしまいました。
このキャラ崩壊が当たり前になっているこの童貞×ビッチのお話も、いつの間にやら長く続いたものです。


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記念のD/勝てない相手

「さぁ陽太、記念日よ!」

 

 ──前略、紗夜がポンコツかわいい氷川紗夜になりました。ビシっとキメ顔で朝早くから俺のところに来やがったと思ったらそんなことを言い出した。記念日っていつが記念日かわかんないからうんぬんかんぬんって話を確か付き合った時に話したんだけど。

 

「やはり恋人同士のイベントにかかせないと思うのよ、記念日。だから今日が記念日よ陽太」

「やっぱりアホの子になったね紗夜は」

「愛ゆえよ」

 

 恋は盲目なり。紗夜は理知的でクールなところがいいのに。実は俺の理想の女性像は優しくて元気で笑顔の絶えない子だけどそれはそっちの方が知り合えるからであって理知的でクールなのに芯が熱いヒトにドキドキするんだよね。あれこれ紗夜に言っていいやつかな? 

 

「眠くて頭が回ってないのね陽太」

「そうかも」

「それを聞いて私は身体の芯が熱くなってしまうわ」

「ん~、一緒に寝て終わりでいいなら」

「……デートするわよ」

 

 はい、ちゃんと支度するからリビングにいてと促し、俺は眠い頭をゆっくり起こしていく。その間に紗夜は母さんとなにやら談笑してる。いやいやフツーに仲良くなってるよねいつの間に。

 

「それは前にきちんとご挨拶に伺ったのよ?」

「気が早いよ」

「ふふ、それくらいしないと」

 

 気が早いとか言いつつ、たぶんその内母さんにはめちゃくちゃ問い詰められる日が来るんだろうなということは察知しています。いやその前に卒倒するかも。なにせカノジョつい最近三人に増えたからね。不誠実でゴミな息子でごめん母さん。

 

「それで、今日はどこに行くの?」

「たまにはライブでもどうかしら?」

「いいよ」

「それじゃあそれまでは時間潰しに、ショッピングでも」

「了解」

 

 なんだかんだでいつものデートと変わらない流れでスタートした。服やアクセサリーを見る。もうそろそろ本格的に夏だし水着でも探したいわね、なんて言われてドキっとしたけどどうやらデートの時のサプライズにしたいからここでは選ばないらしい。

 

「なんか、浮かれてる?」

「それは……記念日だから、かしら」

 

 記念日と言われても実感ないけどなぁ。でも紗夜にとっては変わりがあるようでいつもより証明明るさ三割増しくらいかな。

 こういう紗夜も俺は好きだなって思えるんだよね。いつものキリっとした雰囲気じゃなくて、恋人と純粋にはしゃぐ年相応の女性だもんね。まぁ、乗ってあげるから。

 

「それじゃあ今日はどこでも付き合ってあげよっかな」

「えっ、じゃあ」

「ランジェリーショップにはいかないからね」

「なぜ!?」

 

 なぜ? わかってるでしょ? 童貞にランジェリーショップのハードルの高さをさ! ちなみに紗夜には散々選んでと言われては拒否を続けている。燐子は燐子で選んでオーラを放つけど大概無視する。あとで酷い目にあったりもするけど下着選びは勘弁してほしい。

 

「陽太の好みを身につけてみたいのよ」

「恥ずかしい」

「あなたの色に染めてほしいの」

「……紗夜」

「からかってるつもりはないの、本気よ」

 

 本気だから恥ずかしいんだってば。俺は紗夜たちにどんどん変えられているけど、基本はただのクソ童貞なんだからさ。下着とか……キスマークとかさ。

 あんまり煽られても俺は引いちゃうから、そこは紗夜も燐子もやきもきしてるらしい。

 

「からかわれてるとしたら、流石に俺でも怒るよ」

「そうね」

 

 紗夜は優しい笑顔を浮かべてくれる。俺が紗夜を幸せにしてるんだ! なんて自信満々なことは言えないけど、一緒に歩いてる中で足跡を踏みしめて遺していくように、紗夜と幸せを積み上げていられたらな、なんて夢を見ていた。

 ──今は、そこに燐子や花音がいて、賑やかで愛おしい日々が流れていく。じゃあその先にあるものって、なんだろうな。

 

「陽太?」

「あ、ごめんぼーっとしてた」

「疲れているのなら、少し休憩した方がいいかしら?」

「ううん、そうじゃないんだよ」

 

 お昼を食べ終わって、紗夜が化粧直しとお花摘みをぼーっと待ってたら、物凄く心配された。疲れてるんじゃなくて、紗夜だけで収まらなかった自分の現状を振り返ってただけなんだよね。

 もちろん嫌なわけじゃない。むしろ毎日楽しくて、幸せでめまぐるしくて。でもそんな幸せを振り返った時にふと思うことがある。

 このままじゃいけなくて、いつかあんなに笑い合って過ごしてる時間とさよならをしなきゃいけないんだろうなって。

 

「いつになくセンチメンタルね」

「いつもはこんなメンタル弱くないから」

「でも陽太はすぐ胃が痛くなるわ」

 

 なるね。とっても胃が弱い人みたいな言い方だけどストレスには弱いのよ俺。ああでも最近はストレスだからってなにからなんでも逃げるのはやめることにしたんだけどさ。

 紗夜に吐き出せばいい、燐子に見せてもいい、花音に聞いてもらってもいい。そんな生活を送ってるから。

 

「つくづく、俺はモテない方がいいなと思うよ」

「そうね、ロクなことにならないわよ」

 

 次のモテ期があったら刺されるかもと言われ、俺は辟易した。普通のカノジョは他の子とセックスするなんて論外だもんね、ホントは。

 そんなことを考えていたら、紗夜が俺の頭を寄せて、唇に吸い付いてきた。触れるとか重なるとかじゃなくて吸ってきた。リップ音すごいしたんだけど。

 

「……大丈夫。私と陽太は、ちゃんと繋がっているのだから」

「紗夜」

 

 ううんかわいいしドキっとするしやっぱ紗夜がこうやって乙女の表情してくれるってのが好きでいてくれるんだなぁって実感するしなんならそこがホントにめちゃくちゃ好きなんだけど、それはさておきね、なんであんなに吸ってきたの? フツーに雰囲気づくりならちょんってよかったよ。

 

「舌入れてもいいのよ?」

「え、そこで脅すの?」

「流石に今日はライブをすっぽかして二人だけのオールナイトライブというのは避けたいのよ?」

「うーんセンス」

 

 言葉選びがバカすぎる。因みにバカと言うとガバガバじゃないわとか言われるから絶対に口には出せない。口には出せないみたいなこと言うと私はアレは苦くて飲めないって言われる。あれ、紗夜ってもしかしなくてもこの辺のコミュニケーションに使われる言語一ミリも成長してなくない? 

 

「ワンサイズ成長しました」

「胸の話はしてねぇ」

「そうよね、私が一番小さいものね」

「んん?」

 

 言葉のキャッチボールをしてほしい。ライブにもコール&レスポンスは必要だと思うんだけど仮にも人気バンドのギタリストとしてそれはどうなんですかね。

 そもそも、俺は胸なんて気にしてない。いや大きいのと小さいのが好きかと問われたら紗夜か羽沢さんくらいのサイズでしゅっとしててお尻とのバランスがいいといい気がする。あれこれ変態っぽいな。

 

「つぐみさんをそんな目で見ていたなんて……最低」

「は?」

 

 一応フォローしたんだけど? 紗夜の胸のサイズが小さいって嘲笑したことはただの一度もありませんよと言ってあげたのに最低ってなんだ最低って。やっぱり二人のコミュニケーションは一ミリも成長が見られないらしい。胸同様成長していてほしかった。

 

「ホテルの予約もバッチリ取ってあるの」

「うんそっか……うん? なんて?」

「ホテルよ」

 

 流石……というか俺お金全然出してないんだけど、それはいいのか。そう言うと紗夜はいいんですよと微笑んだ。大人な笑みでドキっとするんだけど、この表情の紗夜はたいていロクでもないことしか考えてないので俺は引き気味です。

 

「まぁでもとりあえず、俺は紗夜と一緒に楽しめたらそれで満足だよ」

「随分と余裕なのね」

 

 そりゃあね、付き合う前のように貞操を奪われる云々は気にしなくていいからかな。

 前は恋人じゃないと、恋人はもっと貞操観念があって、とか色々考えてたからさ。それがなくなっているからこその余裕だよ。こうなったらもう紗夜にも勝てるかも? 

 

「余裕だって言うなら……そろそろ、誘ってほしいのだけど?」

「う……俺から」

「ふふ、期待しています」

 

 ──前言撤回、やっぱり紗夜には勝てそうにない。いや紗夜だけじゃなくて燐子や花音にも勝てないよ。実は未だに俺からシよう、なんて言えてないからね。期待しているとか言いつつ、まだまだ言わせてくれなさそうな雰囲気の紗夜が俺の腕に触れてくるのを感じながら、今日はいつもよりひんやりしてるなという現実逃避をしていた。

 たぶん、いや絶対、俺の体温が上がってるせいではない、はず。それからはご機嫌な紗夜を隣に置いたまま、一日を過ごすことになった。

 かつてはビッチには負けないと言った手前あれだけど、俺は一生、紗夜に勝てることなんてないと思う。

 まぁ、それでもいいかな。口には出さないけど、俺はめちゃくちゃ幸せだから。

 

 

 

 



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始まるV/歌姫の提案

 すっかり穏やかな日常が流れていたころ、俺は美鈴と電話をしていた。別れて傷心中だった美鈴を癒すにはやはり新しいカレシしかないと俺と紗夜は結論づけてバンド仲間の男を紹介していた。人選に問題はないことはランスが証明済み。アイツは本当になんというかクズ野郎センサーがついてるに違いない。

 

『それでね! 今度ご飯行けるようになってさ』

「お、よかったよかった」

『うん、紹介してくれてありがとカンベ! カノジョさんにもありがとって言っといて』

 

 珍しくテンション高めに電話を切った美鈴に聞こえないところで、俺はため息をついた。紗夜のこと愛想なさそうとか最初は色々文句言ってたくせに。

 なんというか、やれやれという感じだ。花音はその話を聞いて、気を付けたほうがいいよおと言っていたけど、なんだったんだろうか。

 

「んー? 私がどうかしたあ?」

「ううん、いやせっかく家に来てくれたのに黙っててくれてありがとうってことくらいかな」

「大丈夫」

 

 というわけで今日のお相手は花音だったりする。寝間着姿でとろんと甘く笑顔を浮かべるスカイブルーの彼女を俺は受け止めて、甘えられ、甘やかされる。彼女が家に来たり、こうして二人でのんびりするときはいつも甘いミルクティーの香りが寄り添っている。そのせいかミルクティーの匂いで花音のことを思い浮かべるようになってきてるんだよね。あれ? もしかして調教されてない? 

 

「ん、ねぇ陽太くん」

「……先にお風呂入りません?」

「一緒に?」

 

 一緒だったら意味ないじゃん、とは思うけどたぶんそうしないと襲われるのでそうですと言っておく。どのみち襲われるなら同意したいというのが今日の童貞スピリットです。

 ところで現在の状況とはまったく関係ないんだけど。紗夜はお風呂に一緒に入りたがるけどお風呂ではセックスはしたがらない。まぁあのファッションビッチさんはベッドの上以外でシたがらないんだけど。逆にコスプレビッチさんこと白金燐子さんはソーププレイとやらをしきりにしてくる。そういう店って本番なしじゃなかったっけ? 

 そしてこのチェリーキラーさんは意外にも湯舟に漬かりながらイチャイチャすることが好きだったりする。さすが一番セフレと恋人の違いがあるヒト。童貞的に言えば愛のあるセックスをお望みなのです。

 

「そういえば最近セフレさんは?」

「あれ、セフレいてもいいんだ」

「まぁ……俺もこんな状況だし」

「あはは、確かにねえ」

 

 そうなんだよね、大学入ってもしばらくはセフレさんの車で送ってもらってたり、逆に迎えに来てもらってたりしてたんだけど、最近全然その姿を見なくなったんだよね。どうしたんだろうって思ってたから訊いてみたらあっさりと別れたとか言い出した。あれ、不満ないって言ってなかった? 

 

「んんっと、別れたっていうか……その」

「ん?」

「よーたくんがきもちよすぎて、満足できなくなっちゃって」

「……ああ、そういうこと?」

「うん」

 

 俺精神的名誉童貞なのにどうやらチェリーキラーで性欲魔人の花音を独占するくらい相性がよかったらしい。そうだよね、ベッドですると疲れて寝るもんね花音。というかみんなそうなんだけどランスにそのことを話したら、いやそれはないわって言われた。衝撃的だったんだけど。

 

「キスして」

「え、この態勢、首痛くなるんだけど」

「いいからあ」

 

 湯舟で後ろから抱きしめる格好でキスって俺が首曲げなきゃいけないじゃん。だけどそんな文句も浴室があったかいせいか、また別の理由なのか、俺を見上げてきた花音の顔は艶やかで、半身を俺に向けながら左手を器用に俺のうなじ当たりに添えて舌を出してくる彼女に、いやだなんて言えるはずもなかった。キスをしたら触りたくなる。触りたくなって触ると、花音が喘ぐ。そうすればいつの間にかお互いに高まってもう、止まらない。

 

「えへへぇ……好き」

「早く俺の精神的童貞も殺してほしいんだけど」

「むり……だって、襲うんじゃなくて、狂っちゃうくらい愛されたいもん♡」

 

 花音って普段とのギャップがなぁ。ああいやゆるふわ清楚系の見た目からは想像ができないくらいの性欲とビッチの時点でもうギャップなんだけど、俺の前だとかわいくなっちゃうのがどうにも俺に刺さるんだよね。そして燐子も紗夜もそれをわかって俺を誘ってくるんだから、大変なんだよ。

 贅沢な悩みかもしれないけどね。今日はお風呂での行為があったせいか花音にはピロートークをする余裕があったらしく抱きしめているとキスをされながら世間話をされる。

 

「明日ってRoseliaとの顔合わせなんだよね?」

「そうそう」

 

 顔合わせってなんだよってくらい全員知り合いなんだけど。俺とタイクーンがいっつもRoseliaが練習してるところで日程を決めるというもの。アイスとランスに用事があって、トーマは向こうのベースがポンコツ化するのを防ぐため不参加。二対五という構図になっている。

 

「去年は友希那ちゃんに断られたんでしょ?」

「今年は大丈夫だよ。ワンドルだって遊びじゃない。それだけの実力がある……って思ってるから」

「うん、いっつも頑張ってるもんね」

 

 紗夜や燐子、花音は練習に付き合ってくれる時もある。丁度ね、楽器のパート被んないんだよこのメンバー。しかもみんな格上ばっかり。本当に助かってますよ。

 それで、対バン企画の打ち合わせうまく行くといいんだけど。というかもともとワンドルとRoseliaの練習スケジュールって合わせてあるんだよね。この二バンドの人間関係が絡まりすぎてる。

 

「あ! りんりーん! カンベさんたち来たよ~!」

 

 頑張って、と優しいマシュマロスマイルに送り出され……ん? なんでか花音家に残ってたけどまぁよしとして、翌日、さっそくライブハウス&スタジオまでタイクーンの足を運んだ。待合室のソファに座っていたメンバーのうち、入り口で待っていてくれたあこちゃんの声を聴いて燐子が立ち上がり頭を下げた。

 

「わざわざ、お越しくださいまして……ありがとうございます」

「いやいや、企画したのはこっちですから、こうするのが当然というもんですよ」

 

 おお、なんだか久しぶりに燐子のお客様向け対応を見たな。この物腰丁寧でお嬢様な感じ、やっぱり雰囲気と相まって素敵ですよね。そんなことを考えていたら燐子とバッチリ目線があって、え、ちょっとまってなんでずんずん近づいてくるの? 

 

「さ、こちらです」

「よし、行くかカンベ!」

「ごめんタイクーンツッコミ放棄すんなよ、おかしいでしょ!」

 

 腕を組まれてしまった。やっぱりウチのカノジョたちもポンコツ化するじゃないか! 誰ですか、私たちがそんな公私を混同するような節度のない人間に見えるというの? 今井さんじゃあるまいしって幼馴染様を煽り散らしたやつ! そこでそわそわしてるあんたのことだよ! 燐子もうなずいていたんだけどね? 

 

「……燐子、紗夜、そっちは相手側よ」

「はっ、つい」

「……カンベさん。それでは、またあとで」

 

 うーんもうツッコミ入れるのも面倒なんで放置しますね! ついじゃねぇよ。ほらリサの唇がめちゃくちゃ尖がってるよ。あこちゃんはもう燐子がいつものことだからツッコミすることもないし、タイクーンは友希那の前なので舞い上がっていらっしゃる。同じ大学通って多少マシになったけど、結局なぁ……ごめん友希那、やっぱり対バン相手俺たちなの人選ミスかもしんない。

 

「陽太、話が進まないわ」

「俺に言うの」

「あなたの恋人でしょう?」

「そんな飼い猫みたいに」

 

 と言いつつ、紗夜と燐子を友希那たちが座っているソファのほうに座らせる。友希那の真向いが俺、その隣で進行役にリサ、俺の隣がタイクーンで紗夜が友希那の隣、そしてさらに隣にあこちゃんリサの向いに燐子という配置にした。俺が事前にね。

 

「さて、スケジュールを合わせる、と言いたいところだけれど」

「そもそもワンドルさんとの練習日は()()()()重なっていますから、この日の中から練習できるホールを借りるというだけとなっています」

「そちらさんでホールは抑えれますか?」

「んー、だいじょーぶ! アタシが候補バッチリ見つけてきてるから」

 

 話し合いにやってきた意味。まぁコンセプトとか、もしかしたら演奏のコラボとかするかもだし、その辺をどうするか決めなきゃいけないからね。

 ──ただ、同じ舞台に上がるとなると克服しなきゃいけない問題が一つあるんだけど。

 

「私としては、この異色のバンド()()()()()()()()()是非一曲ほしいわね」

「あこもさんせーです!」

「ん、でも男女両方で、片方だけでもパートで分けても映える曲……ってのはなかなか難しい気がするんだけど」

「……確かに、音域も歌い方も、違いますから……」

 

 だからこそよ、と友希那はLOUDERを引き合いに出した。そういえばこの曲は友希那のお父さんがインディーズ時代に歌っていた曲だったんだっけ。けどこれはあの人の歌い方を友希那が真似て始めたからできたことも要因にあると思うんだけど。

 

「それじゃ問題ないよね?」

「はい。タイクーンさんは湊さんをリスペクトしてボーカルをしていると伺い、納得しました」

「……た、確かに、友希那さんを、参考にはしてましたけど」

「なら、考えておいてくれるかしら、()()

「──っ! は、はい!」

 

 大樹? ふーん、なんかいつの間にか距離近づいてるんだ。なんて呑気なことを考えていたらリサがドヤ顔をしていた。ああアンタらね。それに対してタイクーンの態度があんまりにも変わらないから気づかなかったけど、やっぱり結構関わってるんだなこの二人。だからこそ友希那は対バンしてもいいと思って、このコラボの話も持ち掛けたのだろう。

 順風満帆なスタートを切ったこの対バンの計画、だがそこには二つの要因が一つに重なった結果生まれている大きな欠点をなんとかしなければならないということでもあった。俺は、それにはまだ気づいていなかった。

 

 

 

 




今回のメインキャラはタイクーンと友希那。対バン編、始まるよ!


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Tの苦悩/求めるものと望むもの

 燐子がうきうきしてる。すごく楽しそうで、まるで通り道に満開の花でも咲いているような印象がある。それを俺が察することはできなかったけれど……右手にある大きな袋が見えた。

 

「陽太さんとショッピング、とても……楽しみです」

 

 見た感じはあんまり変わらないんだけどな、実はめちゃくちゃ楽しそうだ。もし燐子に尻尾があったならブンブンと高速で揺れてるのを幻視するくらい。ただ俺も燐子の感情の機微に気づけるようになったのはそんなに前のことじゃないからなぁ。

 

「ショッピングなのに……それ最初から持ってなかった?」

「こ、これは……今日のとっておき、です」

 

 その言葉にそこはかとないエロさを感じてしまった俺は末期な気がする。丁度文具店で目の前に末期と同じような言葉のサインペンを見てしまいちょっとツボに入ってるからちょっと待って。

 

「……陽太さん」

「ん、どうしたの?」

「これ……陽太さん、です」

「……めちゃくちゃキラキラした目で何言ってるのかな?」

 

 燐子が手に持っていたのは極太。いや陽太さんじゃないです。シュッシュじゃないから! やめなさいこんなところで! 

 機嫌がいいといちいち単語が刺激的なのもまた燐子の特徴でもある。ロクでもねぇな俺のカノジョ。ところで俺極太なの? いや他人と比べたことなんて、特にその……勃起、しちゃいましてね、の時のサイズなんてもってのほかだからそこんとこ実は気になってるんですけど。

 

「大きさ……は、問題、ないです」

「え?」

「氷川さんに、教わってませんか……? 大きいときもちいは別だと」

「いやそりゃ教えてもらったけど」

 

 紗夜からも確かに大きさは関係なくて、逆に大きすぎると女性の方が大変だってのは教えてもらったけど、それでも、いやだからこそ極太って言われると逆に気になっちゃうんだよ。みんなの負担になってたらどうしようってさ。

 

「……童貞、まだまだ抜けませんね」

「うっ、これも童貞ムーブなのか……」

「わたし……陽太さんとのセックス、とても、とろけている自覚が、ありました……けど、それでも不安……ですか」

「いや、不安ってほどじゃ」

「いいんですよ……? 童貞をヌいてあげるのもまた……カノジョの役目……ですから」

 

 おかしいなぁ。童貞感が抜けないって話してたのに童貞をヌくのニュアンスが果てしなくおかしなことになってる気がするんだけどなぁ? 俺の気のせい?

 ただそこで、すっと燐子が俺の腕を抱き込んできた。ことでそれが気のせいではないことが証明された。誘ってますねコレは。童貞だったら勘違いしそうだったって回避できたけど残念ながら今はもう俺は燐子のカレシだしね。

 

「えっと……ホテル、いく?」

「……はい、いっぱいシましょう……ね?」

 

 天使のフェイスと天使ボイス、放つ言葉は悪魔のよう。いったいどうしたら俺はこの悪魔(カノジョ)に抗えるのだろうか。いや絶対に抗えまい。  

 なにせ燐子はビッチだからね。名誉童貞たる俺に勝ち目なんて最初からあるわけない。敗北の少年ですよ。

 だからそろそろ抗うのはやめて、燐子の満足に向き合うとしようね。

 

「──すっきり、しました……ふふ」

「よ、よかったね……」

 

 搾り取られた。そりゃもうしっぽりと。なにせ右手に持っていた袋の正体は俺の高校の制服だったからね。ついつい、そりゃあついついテンションが上がってしまったんですよ。ホテルに向かう途中で雨に降られちゃったのは予想外だったけど、服を乾かす間、というのもいいスパイスだったんじゃないかと思うんだ。

 

「と、ところで……その制服どこで手に入れたの?」

「……秘密、です」

「言うと思った」

「合法ですから……大丈夫です、よ」

 

 いや他校のはずの燐子がピッタリ似合う制服持ってたら違法を疑いますけど。いや逆にピッタリだから安心できるのか? ちょっとわからなくなってきた。常識が壊れそうだよ。まぁこのビッチさんがたはいつだって俺の中の童貞常識を壊してきてるからね。

 

「そう、いえば」

「はいはい」

「タイクーンさんは、その後大丈夫そうですか?」

 

 あーあいつな。死んだよ、とっくの昔にな。

 現在コラボに向けてああでもないこうでもないって悩みに悩んでるところ。あんまり状態がいいとは思えないってトーマが言ってたけど。タイクーンは一体なんでこんなに苦戦してるんだろう。そうやって悩んでいると燐子にふふと笑われてしまった。なんか面白いこといった覚えはないんだけど。

 

「いえ、勝者の余裕……かなと」

「勝者の?」

 

 俺どっちかというと敗北者だと思ってた。夜の相手が、選り取り見取り三人いるのに? と首を傾げられた。ああそういう意味? そういう意味だったら確実に勝ち組だね。それが羨ましいのかと驚いてしまうけど。

 なんでかって、確かに男の理想であるとは言えるけどそれ以上に一人ひとりにちゃんと俺は彼女たちが満足するくらいの愛情をあげられているのかと思うとね。

 

「……もちろん、あなたはこうして、わたしを必要としてくれます」

「必要」

「同じだけ、あげる必要……なんてないんです……わたしが望むものはただひとつ、ですから……」

「自分が俺であること……だね」

 

 合言葉を口ずさむと燐子は、満開の微笑みではい、と俺にキスをした。

 ──白金燐子が求めるもの、それは同一であることというちょっと怖いことだ。燐子は俺、二人って単位じゃなくて俺と燐子でひとつの単位としてを求める。欠けられない半身ってことだ。

 

「それを陽太さんは、あっさり叶えて、くれました……これ以上、あなたからもらったら、わたしは息ができなくなって……だめになってしまいます」

「燐子……」

「でも、セックスはもっとほしい……から、もう一回……シたいです」

「そ、その格好で普通ってできるの?」

 

 なにせ制服だからねまだ。時間はあるとはいえさ、普通ってなにって感じだよ? 今の燐子のブレザーじゃなくてカッターシャツで、はちきれんばかりの果実とその先端にある突起ががたゆんと主張してくる。着替えた時にはもうブラ着けてなかったもんね。そして下はところどころ破れたタイツと、その先は布がズレてるんだからね。

 

「……嫌ですか?」

「嫌じゃないけど」

「なら……襲ってくださいね。わたしは、愛されるだけじゃ……足りませんから。奪われて、あなたのモノだと、わたしに刻み付けて……犯しつくして、もらわないと」

 

 やっぱり燐子は過激だ。過激に、苛烈に、支配を求めてくる。ドMに見せかけて実は俺を操って悦に浸ってるんじゃないかと最近思うこともあるくらい、いつも燐子に手綱を握られてるもんね。

 

「どうぞ……なにもかも、陽太さんの思うがままです……♡」

「なら……もう一回だね」

「はい……」

 

 燐子とは、こうやって蕩けるような一日を過ごすことが多い。そんな甘く溶けてしまいそうな日はいつだって、燐子の微笑みを望んで頭を悩ませているんだよね。どんなプレイかな、みたいなのだけど。

 

「……ん? これじゃないか?」

「んぅ……なにが、ですか……?」

「ああごめん、起こしちゃった?」

「いえ……少し前に、目を覚ましました、から」

 

 結局あのあとヒートアップしすぎた俺と燐子はホテルを出て燐子の部屋に直行していた。それこそお互い意識を手放すくらいの激しい求め合いを回想していたら唐突にわかったことが、閃いたことがあった。

 ──タイクーンはなにかを気にして、それで必要以上に迷子になってるんじゃないかな? その疑問に、燐子は正解、かもしれませんねと微笑んだ。その相手は、誰なんだろう。決まってますよ、と燐子が続けた声と名前に、俺は驚きの声をあげることになった。

 

 

 

 



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迸るH/情と愛が交叉する時

セックスの意味じゃないよ


 俺は昔、悩んでるとこの曲を聴いた。自分に自信がなくて、モテたいのにモテなくて、そんな自分が嫌な時は決まって、この曲を聴きながらベースを奏でていた。

 そうだよ、下手クソな夢でも、愉快な愛のある夢ならいいんだ。カッコつけてもしょうがないから、俺らしく、バカみたいに夢を語っていければいいんだって。

 

「あら、その曲」

「聴いたことある?」

「ええ、随分昔に流行っていたわね」

「そうそう」

 

 十年くらい前の曲だからね。大学の練習室でベースと共に奏でていると隣に紗夜がやってきて微笑んだ。俺はもう、行き場のない気持ちを抱えることも居場所のない孤独を抱えることなんてなくなった。するといつの間にか、俺にとってもこの曲はノスタルジックなものに変わっていた。少し寂しくもあるけど、それが音楽と共にあるってことなんだろうなって、俺はそう思うんだ。

 

「ふふ」

「どしたの?」

「いえ、音楽のことになると本当に、あなたはキラキラするわね」

「好きだから」

「私も」

 

 それはどっちが、そう言いかけて唇を奪われた。どっちもね。

 紗夜は俺にとって沢山のハジメテをくれたヒトだ。ハジメテ、恋ってなんだろうと真剣に向き合えたヒト、ハジメテの恋人で……もちろんソッチの意味でもハジメテの人。

 

「ねぇ、陽太」

「んー?」

「今日デートしたいわ」

「デートって、練習あるじゃん」

 

 その後よ、って言われても夜遅くまでする予定でしょう。けど紗夜はぐでーっと俺にしなだれかかりながらデートを連呼してくる。

 たぶん紗夜のことを知ってるこの大学の誰もが今のあなたを見たら誰って首を傾げるでしょうね。

 

「どんなデートがいいの」

「ラブホテルでゆっくりするの」

「ゆっくりするの?」

「ええ、スローセックスよ」

 

 言いたかっただけかな? ただこの定期的に下ネタ言いたい紗夜は本当に言いたいだけなのでホテルがいいのと肩に頭を乗せてくる。あの、一応ベース練習してるところだからね? 

 

「家に行ってもいいかどうか聞かなきゃ嫌よ」

「嫌って選択肢あるそれ?」

「白金さんと制服デートしたことをバラされてもいいなら」

 

 脅迫って言うんだからなそれ。わかったわかった。ホテル行けばいいんでしょ、と言うと泊まりでとか言い出した。どんだけガッツリセックスするつもりなのかなこのヒト。あと脚を撫でないで、吐息熱いんだけど? 

 

「……あの、紗夜?」

「なに?」

「もしかしなくても……ムラムラしてる?」

 

 顔が赤いし、熱い。なによりスキンシップが多い。これ今日の夜まで保つの? 無理でしょ。

 うーん、ただなぁ。午後の講義終わってからすぐ練習だからガス抜きもできないし、これが燐子なら実は奥の手をとしてはバレないように音楽かけてココで……ってのもアリなんだけど。なにせ紗夜はどこでもセックスのスキルは持ってない。

 さて、小さなことだけどこれは相当なピンチだよ。どうしたらいいんだろうか。

 

「陽太……」

「ああもう……わかった」

「え」

 

 腹を決めればいい。決意を固めれば俺はなんだってできるんだよ。燐子に電話をかけた。今頃だったらまだどこかでのんびりピアノでも弾いてるだろうからね。演奏の邪魔しちゃってたら申し訳ないけど。

 

『はい』

「ごめん、俺と紗夜、午後の講義休むから」

『え……大丈夫ですか、今日の、練習は』

「練習は大丈夫、よろしくね」

『はい……お任せください』

 

 燐子に連絡は完了、紗夜が何か言う前に決めちゃったよ。サボらせちゃってごめんだけど、これでなんとかなりそうだ。

 俺はベースを背負って、紗夜に手を伸ばした。

 

「行くよ」

「行くって……どこへ?」

「ホテル、は高いから俺んち」

「え……今から?」

 

 今からだよ。というか今しかチャンスないでしょ。そう言うと紗夜は、いいの? と首を傾げた。今日だけだからねこういうの。緊急事態……ってか、こんなの集中できないでしょ。そこで氷川紗夜の、俺が信じた紗夜の音がブレるなんて絶対やだよね。

 

「ガス抜きだよ……今日の練習では最高のパフォーマンスしてもらわなきゃね」

「陽太……」

 

 なにせ今日は合同練習だからね。そこで見せつけてほしいんだよ、紗夜の実力をさ。俺が普段ステージの上でしか味わうことのできない。紗夜の研ぎ澄まされた刃みたいなギターをさ。そのためなら俺が踏み台になってあげるよ。

 

「ほら、俺んち今の時間なら誰もいないし」

「それは……」

「練習の時間まで……俺が付き合っててあげるよ」

 

 このセリフ、本当は覚悟のいることなんだけどね。なにせ紗夜がムラムラしたってのは大抵ロクでもないことになるからね、俺が。

 紗夜は猛獣になるからね。俺が食われないように気を付けないといけないってわけだ。

 

「おじゃま……します」

「うん、先お風呂でも入る?」

「後でいいわ」

 

 そういう紗夜の顔にはもう余裕がないね。だけど俺はそんな紗夜を……この紗夜の傷に向き合うって覚悟を決めて付き合ったんだ。

 俺は違うよ紗夜。紗夜の身体だけが目的じゃない。だから安心して俺にもたれかかってきて、甘えていいから。そんな気持ちをめいいっぱい、両手に込めて広げた。

 

「陽太……っ!」

「いいよ紗夜」

 

 言いながら紗夜のシャツの間に手を差し込んでいく。捲り上げて、お腹に触れて、紗夜の求めるままスキニージーンズのベルトを片手で外して、ボタンを外して……そこから見えた紺色のショーツに触れた。

 

「陽太……私も」

「だからいいってば」

 

 なんでもいいよカモン! というか躊躇わないでほしい! 俺も覚悟を燃料にテンションあげてるんだから。紗夜はそれがもうスイッチだったようで、俺の名前をしきりに呼んで息を吐き、耳や首元にキスをしながらオレの服を捲って触れてくる。

 

「上来る?」

「……いいの?」

「紗夜の好きなように、その代わりホテルは俺のペースでね」

 

 負けないように、紗夜の背中に触ながら笑う。そのままホックまで手を伸ばすとびくっと反応する紗夜がなんともかわいらしいよね。抱き寄せて、抱えてブラのホックを外すと紗夜は自分からシャツとブラを脱ぎ捨てた。そして俺は押し倒され、求めるままの欲望を唇や舌で受け止めていく。

 

「陽太……私の陽太……全部、ココに……注ぎ込んで」

 

 後でちゃんと避妊薬飲んでくれるならね。まったく花音といい紗夜といい……燐子はほら、ゴムつけるプレイ好きだから喜んでシてくれるんだけど。

 ──と、そんな余談はさておき、紗夜は散々俺を貪り、俺が応えるというかたちで何度目かの絶頂でようやく収まった。

 

「汗すご……」

「水分を補給してから汗を流した方がいいわね」

「ツヤツヤしてんねぇ!」

 

 キラキラしていらっしゃる。スッキリできてなによりです。俺が先に入って、紗夜が後から入って、時間がなくて大慌てで重たい身体を引きずってスタジオに向かっていった。

 燐子にはサボってセックスなんてずるいです、とお怒りの連絡が、リサやトーマからも冷たい対応をされてしまったけど、紗夜のギターパフォーマンスが見られるなら安いもんだ。それになにより。

 

「その……陽太?」

「ん?」

「ありがとう、やっぱり私……陽太を好きでよかったわ」

「俺も」

「……そう?」

「うん。紗夜がハジメテの相手でよかった」

 

 カッコいい紗夜も、かわいらしい紗夜も、全部俺は特等席で見ることができる。求めてもらえるし、求められるところにいる。これがなにより嬉しくて愛おしいんだ。

 いつだって、紗夜は俺の憧れでもあるから。

 

「んー、どうしたらいいんだ。このイメージ、イマイチ膨らまないな」

「……でしたら、お手伝いしましょうか?」

「へ? って紗夜……なに今の」

「ですからカンベさんの悩みをスッキリさせてあげようと言うのです」

「言い方おかしいね」

「下の方もスッキリさせた方がいいかしら?」

「それは……この後ね」

「……ええ」

 

 俺と紗夜はこうやって愛して、愛されている。お互いを見つめてるからこうやって弱いのに強く生きていけるんだよね。

 そして、やっぱり今日もダメダメだったタイクーンにも、同じ事が言えるんじゃなかろうか。俺はそれを燐子と紗夜に相談した。

 

「タイクーンさんが……湊さんに、ということ?」

「うん、それだけじゃなくて」

「ゆ、友希那さんも……タイクーンさんを、想ってる……カンベさんはそう考えるん……ですね」

 

 そう、実はこの二人両想いなんじゃねぇの? と思うわけですよ。友希那の方は確信はできないけど、なんとなくよりタイクーンに厳しいイメージがある。けどそのために寄り添うような優しさも……あれだよ、音楽センスを俺に叩き込んでくれた時の紗夜みたいな感じ。

 

「なるほど、愛の鞭ですね」

「わたしは……打たれる方が、好みですけど」

「うんその鞭じゃないね」

 

 サラっとドМ発言はしなくていいからね燐子。友希那の言動は親しい人に対するソレだし、なにより大樹と呼ぶ。プライベートとしては相当仲がいいんだと思うんだけど、どうだろう? 

 

「いえ……わたしは、把握、できていません」

「それがわかるのは当人以外だと今井さんと、トーマさんだけでしょうね」

 

 でも、俺の予想は遠くないところにあるよ。何せタイクーンはおそらく、だけど自分のその憧れや理想と、それとは別に友希那に惹かれてるってことで苦しんでるんだと思うから。

 だから、この練習の場で友希那もほぼ無意識に放つ親しい感情を向けられて、困惑してるんじゃないかな。

 

「つまり解決法は」

「……単純、なことですね……?」

「うん、めちゃくちゃ単純だ」

 

 俺はその確信に近い予想を持ってリサとトーマに話を持っていった。リサとトーマ、俺と紗夜と燐子……なんかあれだな。ワンドルとRoseliaは一体何を目指してるんだろうな? そんなことを考えてしまう一瞬だった。後は割と恋愛に造詣の深いウチの三人目にも相談しなきゃな。実は恋愛ポンコツ勢ばっかりだしここ。

 

「どこが」

「……そんなこと……ありません」

「よーたがソレ言うんだ?」

「悪いが否定はできないと思うが」

「まぁ……うん全員だしね」

 

 この恋愛下手たちにあの恋愛下手たちをサポートするなんて不可能にもほどがある。そうすると残りのキーキャラはウチのバンドの女誑しと花音なんだよなぁ。

 あと、美鈴にも電話がかかってきた際に相談っぽいことをしておいた。こうして、合同ライブに向けてワンドルとRoseliaは大きな作戦に乗り出していたのだった。

 

 




〇情と〇愛
二つの同じHから始まる言葉がこの合同バンドのテーマだったりもします。頑張れタイクーン


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