けものフレンズR あるトラのものがたり (ナガミヒナゲシ)
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Tale of a tiger
現代編1 「はなばたけ」


まえがき

 けものフレンズ二次創作のである『けものフレンズR』をもととした三次創作です。けものフレンズプロジェクトの関連商品、関連人物を傷つける意図はありません。

 作品色としては、「シリアス寄り、独自設定が多い、SF要素が強い」です。逆に、動物の生態をほのぼのと描くというスタンスからは、離れてしまっています。

 1期、2期含め、アニメに登場したフレンズと、オリジナルのフレンズが混在して登場します。

つたない文章ですが、読んでくだされば幸いです。



前回までのあらすじ

 

 ともえ達は「セントラルエリア」への道を開くと言われる、四つの「オーブ」を求めていた。

 そして、四つのオーブの一つである「白銀のオーブ」を、緑豊かな森と川を臨む「けいこくちほー」にて見つけることができた。

 しかし、白銀のオーブを手に入れようとした矢先、以前から幾度となく、ともえ達の行く手に姿を現していた恐ろしい怪物「ビースト」に遭遇した。

 ビーストの追撃を振り切ることにはなんとか成功したが、そのさなか、白銀のオーブもどこかにいってしまった。

 

 失意のともえ達は、道すがら、森の中に小さな家を見つけた。そこは「リャマ」というフレンズが営むレストランだった。

 リャマは何かに悩んでいる様子で、ともえ達は一夜の宿を提供してもらう代わりに、悩みの解決に協力することになった。

 リャマの悩みを無事解決したともえ達は、家に上げてもらい、静かに眠りについた。

 

 

 

 

__________はなばたけ__________________

 

「・・・すぅ」

 

 ともえは夢を見ていた。今よりだいぶ幼いともえが、背の高い人間におぶわれていた。

 ともえは、その人の、お日様のにおいのする大きな背中が愛しいと感じた。

 しかしやがて、自分の足で歩きたいと思ったともえは、その人の背中を降りて駆け出し、自分と同じ年ぐらいの子供たちに声をかけて回った。

 みんな笑顔で答え、ともえを遊びに誘ってくれた。夢中で遊んでいる時、ふと背中を

振り返ると、お日様のにおいのあの人が、自分を見て笑っていた。

 ・・・もう少ししたら、あの人の所へ帰ろう。そしてまた明日、ここにいるみんなと遊ぼう。ともえは、そんな幸せな時間が永遠に続くと感じた。

 友達の一人がボールを蹴った。ともえは、明後日の方向に転がっていったボールを追いかけた。

 ボールはいっこうに見つからなかった。ともえは、友達に相談しようと振り返った。しかし、今まで近くにいたはずの友達は、一人もいなくなっていた。ともえは声を上げて

みんなを探した。だんだん怖くなってきたともえは、今度は「あの人」のことを探した。

しかし見つからなかった。

 ともえは泣き出した。誰かに見つけてほしかった。だけど、誰もいなかった。

自分の泣き声だけがいつまでもこだましていた。

 

「・・・!!」

「(はぁ・・・はぁ・・・夢、夢か・・・また、ヒトがたくさん出てくる夢だったな・・・この前見たのとは、また違う夢・・・よくわからないけど、とても寂しくて、怖かった・・・なんて嫌な目覚めなんだろう)」 

 

 ともえは気分転換に、家の外に出た。そこは森の中でありながら、木々の生え方にむらがあり、隙間の大きい所に立つと、眩しい朝日が木々の輪郭に縁取られながら、ともえを照らした。

 

「(気持ちのいい朝だ・・・嫌な夢のことなんて、忘れよう・・・オーブを手に入れられなかったのは残念だけど・・・また一から情報を集めよう)」

 

【・・・トモエ、ドケ・・・ソコ ニ タタレルト タイヨウコウ ガ ジュウブン ニ アタラナイ】

 

「・・・えっ? ・・・わあ! ラモリさん! どうしたの? なんか色が変だよ!」

 

 ラモリと呼ばれた声の主は、ともえの膝丈ほどの大きさだった。ともえが見知っているラモリの姿は鮮やかなマゼンタカラーの体色だった。しかし、今のラモリは、隙間なく真っ黒な姿で、ところどころ光を反射して、ガラスのようにチカチカと光を放っていた。

 

【タイヨウコウ デ ジュウデン ヲ シテイル。タイヒョウ ヲ ソーラーパネルモード ニ ヘンカ サセ タイヨウコウハツデン ヲ オコナッテ イル 】 

「じゅう、でん? 」

【・・・コレ ガ オレ ノ ショクジ ダ】

「そうなんだ、ラモリさんって、やっぱりすごいね、色々・・・」

 

【ソレヨリ トモエ、オーブ ノ テガカリ ヲ ミツケタ ゾ

「えっ、本当?」

【オーブ ハ コユウ ノ パターン ヲ モツ デンジハ ヲ ハナッテイル。オレ ノ センサー デモ ソレ ガ タンチ デキル】

「そ、それでオーブはどこにあるの?」

 

【ザンネン ナガラ セイカク ナ イチ ハ ワカラナイ。ワカルノハ オーブ ガ アル ダイタイ ノ ホウガク・・・ニシ ダ・・・ニシ カラ オーブ ト オボシキ デンジハ ガ ケンシュツ サレテイル】

「わたし達が、手に入れられなかった、あの白いオーブかな?」

【ソレ ハ ワカラナイガ・・・ オーブ ハ ゼンブ デ 4コ アル・・・マタ チガウ オーブ カモ シレナイ】

 

「・・・ありがとうラモリさん。どんな手掛かりでも、今はすごくありがたいよ」

【トモエ、ナニカ アッタ カ?】

「う、うん・・・また、変な夢を見たの・・・たくさんのヒトがいて、あたしも、その中で楽しく暮らしてた。・・・でも、突然、みんないなくなって、あたしはひとりぼっちになってた。夢の中のあたし、すごく、寂しかった」

【ソウカ・・・】

「変だよね。あたし、今、別に寂しくないもん。イエイヌちゃんもロードランナーちゃん

も、ラモリさんもいてくれるし。行く先々で、色んなフレンズに会えるし・・・でも・・・セントラルエリアに行けば、あたし以外のヒトに会えるっていうなら・・・やっぱり・・・会ってみたいなって」

【・・・・・・】

 

≪ともえさ~~~~ん!≫

≪おーい、ともえー!≫

 

 ともえを呼ぶ二人の声の主は、旅の仲間、イエイヌとロードランナーだった。

 

「あ、おはよう! 二人とも、起きてたの?」

「ともえが一番ねぼすけだぞー」

「起こしに行ってみたら、いないんで、心配しましたよ。」

「えへへへ・・・ごめん」

 

「みんなぁ~~~あ 朝ごはん出来てるよぅ~~~う! 早くおいでぇ~~~え」

「はーい! 行きましょう、ともえさん!」

 

 レストランの主であるリャマに招かれ、朝食の席についた。食卓に並ぶのは、バスケットに盛られた、鮮やかな色とりどりのジャパリまん。イエイヌが用意した紅茶

 そして小皿に盛られた、見慣れない、クリーム色の物体・・・

 

「こ、これはもしかして・・・」

「そうだよぅ~う・・・昨日、みんなが探してくれた、「白トリュフ」だよぅ~う」

「もんのすげぇーいいにおいがするぜー!」

「イエイヌちゃんも手伝ってくれて、塩加減や、付け合わせのソースやら今考えられる、一番いい具合に仕上がってるよぅ~う。わたしも鼻は利くほうだけどイエイヌちゃんには敵わないものぉ~お」

 

「へー、イエイヌちゃんも手伝ったの?」

「はい、すごくおいしそうなにおいがするから、ぜひ、ともえさんに食べてもらいたいって思って」

「ありがとう! いただきます!」

 

「パクッ!」 

「う、うンめぇーーー! 口の中に天国を感じるぜー! 天使が大合唱してるぜー! パクッ! パクッ! パクッ! サイコォーーー! おかわりーーー!」

「・・・おかわりはないよぅ~う、白トリュフは、貴重だものぉ~お・・・おかずばっかりじゃなくて、主食も食べてにぇ~え、ほら、ジャパリまんも美味しいよぉ~お」

「えー!? もっと白トリュフくれよー!」

 

「もぐもぐ・・・ごくん・・・」

「ともえさん・・・どうですか? どうですか?」

「・・・うわー、ちょっとこれ、本当に美味しいね・・・食べるのが、もったいなくなっちゃう」

 

「紅茶は・・・どうですか?」

「コクッ・・・果物みたいな甘い香りがする・・・いつものと全然違うけど、とっても美味しいよ」

「そう! そう! わかりますか? リャマさんに教えてもらったんですよ。いつも使っている葉っぱに、このあたりで取れた果物の皮を混ぜて、紅茶を淹れてみたんです」

「イエイヌちゃんは本当にセンスがいいにぇ~え! うちで働いてほしいぐらいだよぉ~お」

 

____バタンッ!

 

 ともえ達が、和やかに朝食を楽しんでいると、突如勢いよく、レストランの扉が開かれた

 

「あれまぁ~あ、いらっしゃい~」

「はぁ、はぁ・・・あなたが店主なのですか?」

「そうですよぉ~お」

「・・・すごく良いにおいがするので、気になって降りてきてしまいました・・・」

「店主! あなたは何を作っていたのですか! 今すぐわたし達に振る舞うのです!」

「わ、わかりましたぁ~あ。それでは、ただいま調理するんでぇ、待っててにぇ~ぇ」

 

「(おー、おー、こりゃまた変な奴らが来たなー)」

「(ちょっとロードランナーちゃん、聞こえるよ)」

 

 リャマの店に押しかけてきたのは、翼の色がそれぞれ白と茶であることを除けばそっくりな見た目をした、二人の鳥のフレンズだった。

 

「はい、どうぞぉ~お、どうぞぉ~お」

「パクッ! モグモグ・・・」

「ほう・・・ほう・・・においが重厚かつ華やかですが・・・この味は、キノコ類の一種でしょうか」

「博士、このソースもなかなか見事なものなのです。このソース、数種類の野菜を煮詰めてペーストにしたものでしょうか? オリーブをベースに、カブ、パプリカ、タマネギ・・・」

「辛みの後に、上品な甘みが尾を引きます。食材が持つ旨味を引き出しているです!」

「博士、わたし達が得意としている香辛料で、この素材に合わせるならどうでしょうか?」

 

「(すごいなぁ、この人達、何言ってるのかわからないけど、すごく料理が好きなんだろうな)」

 

 その後も、二人組の鳥のフレンズは、一口食べるごとに、感想をもらし、考察を深めながら、ゆっくりとリャマの白トリュフ料理を食べ終えた。

 

「わたしの料理にぃ、こんなに深い考察をした人、はじめてぇだよぉ~お・・・もしかして、あんた達も料理人かにぇ~え? 」

「ふふふふ、まあ、そうですね・・・その界隈では、一流にいる自負はあるのです。あなたは、かなりの腕のようですが、それでも、あなたに負けない自信はありますのです。」

 

「店主、この食材は何なのですか?」

「これは、白トリュフって言ってにぇ~・・・土に埋まってる変わったキノコなんだぁ~あ」

「ほう・・・どこで採れたものですか?」

「場所は教えられないよぉ~お、企業秘密だものぉ~」

「も、もったいぶらずに教えるのです!」

「ええ~、そんにゃこと言われてもぉ~お・・・」

 

「博士、落ち着くのです。今は料理のことに没頭している場合ではないのです。もう行かなくては・・・」

「・・・そうでしたね、助手。わたし達には大いなる使命がある・・・料理は好きですがあくまでも余暇活動なのです。店主、ごちそうさまでしたのです・・・これは、代金なのです。」

 

   ドサッ

 

 二人の鳥のフレンズは、どこからか、こぶし大の麻袋を取り出し、テーブルに置いた

 

「・・・ええ! こんにゃにぃ~い!? 申し訳ないよぉ~お!」

「構いません・・・あなたの腕前を正当に評価したまでのことなのです。こんな辺境の地に、わたし達に匹敵する腕前の料理人がいたとは・・・」

「・・・それでは失礼」

「あ、ありがとう! また来てにぇ~え!」

 

___ガチャン! チリン・・・チリン・・・

 

「なんか、個性のキョーレツな二人組だったなー。大体、代金っつっても、なんだこの袋、何が入ってんだよー。代金っつったらよー、ジャパリまんだろーよ」

 

「これは胡椒だよぉ~お! こんなにいっぱい、スゴイよぉ~!」

「こしょう? って何?」

「うん、これを見てにぇ~」

 

 リャマは、後ろから皿を一枚取り出すと、先ほどもらった麻袋の留め紐をほどき、小さじで袋の中身をすくい、少量を皿に乗せた

 

「黒くて小さな木の実?」

「ゴマにしては大きいなー?」

「ゴマとは違うよぉ~お、これはにぇ、魔法の実なんだよぉ~。胡椒はにぇ、どんな食べ物にも合うのよぉ~、もちろん、この料理にも使ってるよぉ~、でもにぇ、一番すごいのは・・・この粉をかけておくと、時間が経っても食べ物が腐らないのよぉ~お! ジャパリまん以外の食べ物・・・野菜やキノコは時間が経つと腐っちゃうから料理人たちの頭を悩ませていたのにぇ~え。でも、胡椒があれば、その心配がなくなるにょ~!」

 

「食べ物の保存か・・・あたし、料理のことはよくわからないけど・・・毎日料理をする人達にとっては、食べ物が腐りにくくなるっていうのは、すごく便利なことだね!」

「紅茶の葉っぱみたいに、お日様に干してカラカラにする方法以外に、食べ物を保存する

方法があるなんて、知らなかったです・・・」

 

「しかも、ジャパリまんみたいに、代金に使えるんだよね。それって本当にみんなが胡椒の価値を認めてるってことだよね」

「まあ、代金に使えるのは、料理人の間でだけ、だけどにぇ~え・・・えへへ、もう白トリュフも手に入って、胡椒もたくさん手に入って、幸せ~!」

 

「へぇー、この黒い木の実、そんなに美味しいのかよー? ・・・はむっ・・・ぱりっ、ぽりっ」

 

 ロードランナーは、皿の上に散らばった胡椒を何粒かつまみ、口に含んだ

 

「あっ! ちょっとぉ~!」

「・・・ぐえっ! んがががっ! なんじゃこりゃー! 口の中が、痛い! むせる! けほっ! けほっ!」

「ロードランナーちゃん、だ、大丈夫?」

「胡椒は、そのままじゃ食べられないよぉ~、すり潰して粉にしてから、他の食べ物に振り掛けるんだよぉ~!」

 

 ともえ達は、朝食の後片付けをしていた。ともえは、今日の予定のことを考えた。ラモリが示した方角は具体的にどこに向かっているのか、今のうちに何か情報が手に入らないかと漠然と考えていると、店の壁に貼られた絵画の一枚に目が行った。

 灰色の雲に覆われた薄暗い空、それとは対照的に、明るくきらびやかに輝く大地・・・その絵画には、地平線の向こうまで続く白い花畑が描かれていた。

 

「わぁ~、きれいな絵だな・・・どこの風景だろう? リャマさん、これ、どこの風景か、わかる?」

「う~ん・・・そうだにぇ・・・・・・この絵、白い花の間からぽつぽつ、岩が突き出てるにぇ。この森を抜けると、こんな感じの、岩がまばらに生えてる草原にでるよぉ~お」

「えっ!? ・・・この絵の場所って、ここから近いの?」

「でも、そこには、白い花なんかないよぉ~、岩の他には、草ばっかり生えててぇ・・・だからぁ~あ、きっと違う場所だよぉ」

「そうなんだ・・・その場所の、方向ってわかる?」

「・・・西だよぉ~、森の出口からお日様が出てぇ、草原の向こう側に沈んでいくよぉ」

「ありがとうリャマさん! ねえみんな、今日はとりあえずそこに行ってみようよ!」

「はい!」

「なんか、あてがあんのかー?」

「うん・・・ラモリさんもね、西のほうにオーブがありそうって言ってた」

「ともえさん! もう荷造りは済んでますよ、いつでも行けます」

 

 ともえ達三人は、今すぐにでも出発しようという空気でまとまった。しかし、リャマが口を挟んだ。

 

「待ってよぉ~お、あそこに行くのは危険だよぉ~」

「わふっ・・・危険っていうと・・・セルリアンですか?」

「いやぁ~・・・セルリアンは、この辺は少ないよぉ~・・・危ないのは、ビーストだよぉ」

「・・・ビーストだとー!?」

「つい2、3月ぐらい前からなんだけど、あの草原を縄張りにしているんだよぉ~」

「いつも、いつも、そこにビーストがいるってことですか?」

「一日の内で、あの草原にいることは少ないけど・・・休む時は必ず、あそこに戻ってってるって話をきくよぉ~~。だから、最近のあの草原は、ビーストの縄張りって知られてて・・・みんなそれを怖がって、あの草原には近寄らなくなっちゃったぁ~あ。おかげで、お客さんも、さっきのお二人さんみたいな、空を飛べる鳥のフレンズしか来なくなっちゃったにょ・・・」

 

「(おい、ともえ・・・これって・・・)」

「(うん、辻褄が合うよ・・・最近よく出くわすのは、ビーストがこの近くを住処にしてたからなんだね・・・)」

「危ないところに行くのはやめて・・・違う道を行きなよぉ~」

「そうした方が・・・いいのかな・・・」

 

 ともえの気持ちが揺らいだ。ビーストは恐ろしい存在だった。今まで偶然出くわして無事に済んでいたのが奇跡的だと思っていた。

 正直、会わずに済むなら会わないに越したことはない。自分一人だったらいい。自分には危険を冒してまで、オーブを求める理由がある。しかし、仲間は善意で自分に付いてきてくれているのだ。

 危険だとわかっているところに仲間を連れていくのはどうなのか。自分の都合で、仲間達をも危険に巻き込むのは身勝手ではないのか。

 

「行きましょう、ともえさん。」

「イエイヌちゃん?」

「わたしに遠慮は、いらないですからね。わたしは、ともえさんのやりたいことを手伝いたいんです。ともえさんが、ヒトの仲間に会うために・・・そのために、オーブを探しているんだから・・・その目的を、一番大事にするべきだと思うんです」

「もちろんオレ様も行くぜ。多少の危険なんかでビビってられるかってーの。オレ様はもっと色んな所に行って、色んなことを知りたいんだ。だからともえに付いていくんだからなー」

「二人とも・・・」

       

「なんだかよくわからないけど、決意が固いんだにぇ・・・行っちゃうんだにぇ~え・・・」

「心配してくれてありがとう、リャマさん」

「ううん、こっちこそ、三人が来てくれて、とても助かったよぉ~・・・目的を果たせるといいにぇ・・・そして、よければ、またここに来てよぉ~」

「うん、絶対に来るよ」

「ここの料理、プロングホーン様やチーターさんにも食べてもらいてーなー・・・」

「リャマさん、また、お料理や紅茶のことを教えてください!」

「了解だよぉ~」

「うふふふ、それと、これ、持ってってぇ~」

「これは・・・」

 

 リャマは、手の平に隠れるサイズの小さな巾着をふたつ、ともえに手渡した

 

「ひとつは、白トリュフ、もうひとつは胡椒だよぉ~」

「うぉぉ! 太っ腹じゃねーか!」

「悪いよ、泊めてくれて、ごちそうまでしてくれただけで十分だよ」

「白トリュフは、みんなの取り分だよぉ~、みんなが見つけてくれたんだからにぇ~え。胡椒はね、本当に便利だからぁ、料理が出来るイエイヌちゃんに使ってもらえると嬉しいなぁって。使いやすいように、すり潰して粉にしてあるよぉ~お」

「ありがとー! 大事に、大事に使います!」

 

 リャマのレストランを出発したともえ達は、太陽が空の真ん中に登る頃には、森を抜けていた。

 森を抜けた先には、フレンズの背丈ほどの岩がそこかしこに点在する、まさにリャマが言っていた通りの草原が広がっていた。風がゆっくりと、しかし片時も途切れずにそよぎ、草を揺らしていた。

 

「静かな場所だ・・・ラモリさん・・・オーブの位置はどう?」

【ホウガク ハ アッテイル・・・シカシ マダ ハンノウ ガ ビジャク ダ。コノ エリア ヲ ススンダラ マタ ナニカ ワカルカモ シレナイ】

 

「・・・みんな、気を付けてください。やはり、いるようです・・・この丘のどこかに・・・。風から、ビーストのにおいが流れてきます」

「・・・まさか、こっちもすでに見つかっているってことはないよなー?」

「大丈夫、こっちが風下に立っています、こちらのにおいは・・・ビーストにはわかりません。岩に身を隠して、風下に回り続ければ、きっと見つからないですよ・・・」

 

「でも、なんかおかしいな・・・」

「え、何がー? 」

「ここ、荒らされた形跡なんてない。リャマさんの話だと、2,3か月も前からビーストが目撃されてるっていうのに・・・綺麗なままだ・・・」

「そーか、あんなに暴れる奴がいたら、周りの様子ですぐにわかるよなー」

「ビーストは、常に暴れているってわけじゃないのかも・・・」

「気を付けて、ビーストも少しずつ場所を変えています・・・!」

 

 ともえ達一行は、辺りに細心の注意を払い、岩から岩へと移動した。日は高く、天候が

安定しており、風の向きが変わることもなかった。

 一行は、この辺りで一番高い丘の上に来ていた。においだけでなく、ビーストを視認できればと思い、いったんそこに身を落ち着けた。

 

「においはあっちから流れてきてます・・・ビースト、いますか?」

「うん、見てみるよ。えっと・・・あれ、おかしいな、ここに入れといたのに」

「おー、借りてんぜ」

「あー! ロードランナーちゃんが持ってたの?」 

「これ面白いよなー、双眼鏡・・・って、おい・・・ビースト・・・いたぜ、結構近くだ」

「あ、あたしにも見せて!」

 

 三人は岩陰から頭を出し、辺りの様子を双眼鏡で探った。距離にして2、300メートルほど離れた、双眼鏡がなくても十分視認できる場所に、ビーストらしき姿を見つけた。

 草と岩しかない、見晴らしのいいこの場で、鮮やかな橙色の体を持つビーストは、視認性がとても高かった。

 

「ビースト・・・何をしてるんだろう?」

 

 ビーストは、下を向いてゆっくりと歩いていた。両手を合わせて、大事そうに何かを

持っていた。

 やがてビーストは、足を止めた。静かに膝を折ると、合わせた両手を下へと傾けた。

 

  パチャパチャパチャ・・・

 

 水だ。ビーストは、手に溜めた水を、下にこぼしていた。水が零れ落ちる先には白い花がたった一輪、草原の中に咲いていた。

 

「お花に、水をあげている・・・? 白い花、リャマさんの店にあった絵と、同じかな?」

「・・・本当ですね・・・あんな所に、一輪だけ、花が咲いてますね」

「あの絵では丘一面に花畑が広がっていたけど・・・ここにはあの一輪だけなのかな? ビーストは、あの一輪を枯らさないように、世話をしているの?」

「フレンズもセルリアンも見境なく襲う奴が、花の世話ねぇ・・・よくわかんねーな」

「うん・・・思えば、ビーストのことを、あたし達は何も知らない。」

 

 ともえは今まで、ビーストは見境なく暴れる怪物という認識しかなかった。しかし花の世話をする姿を見て、ビーストとは何者なのだろうという疑問を覚えた。

 ここでたった一人、何をしているのか、何を思い生きているのか、今まで何があったのか。

 ビーストはしばらく白い花の前に立ち尽くしていた。やがてその場で横になり、そのまま眠りについた。

 

「ビースト、なんだかとても疲れているみたいですね」

「無理もないよね、昨日、ビーストは川に落ちているんだもの。川に落ちたオーブを追いかけて、どれくらい流されたのかわからないけど、川に落ちて体が冷えたら体力なんてろくに残らないよ。」

「好都合じゃねーか、奴が寝てる隙に、ここを抜けられそうだな」

「そうですね。これならきっと安全に通れますよ」

 

 ≪きゃーー! 誰か助けてェーー! ビーストですゥ!≫

 

 ともえ達が道中の安全を確信し、移動を再開しはじめようとした瞬間、何者かの悲鳴が聞こえた。

 

「えっ!? 何!?」  

 

 ふたたび、双眼鏡で周囲を観察すると、深緑色の小柄なフレンズが、ビーストから数十メートルほど離れた地点にいるのを見つけた。

 

 ≪ビーストに、食べられちゃいますゥーーー!!≫

 

 深緑色のフレンズの悲鳴が、ビーストを覚醒させた。ビーストは、不意に上半身を起こすと、声のする方、深緑色のフレンズをゆっくりと見据えた。風がそよぐ静かな草原に、不穏な空気が立ち込めはじめた。 

 

「あのままじゃ、あのフレンズが危ない・・・!」

「あのフレンズ、何やってんだよ・・・大声なんて出したら、ビーストが起きちまうだろーに」

「・・・ともえさん、どうしましょう?」

「どーするったって、選択肢は二つしかないよなー。ひとつ目は・・・オレ様達がビーストを引きつけて、あのフレンズを逃がす・・・もうひとつは・・・知らんぷりして通り過ぎることも出来るぜ・・・なんせ、こっちはまだ奴に見つかってないからな」

 

「・・・・・・そんなの、やだ! あのフレンズを助けたい!」

「だよな!・・・ともえはそー言うと思ったぜ、じゃー助けよーぜ!」

「もう、ロードランナーさんったら! ともえさんをからかってるんですか!」

「へへっ わりー、で、どーする?」

「うん、イエイヌちゃん・・・お願いがあるの」

「はい、言ってください。ともえさん」

 

≪(さあ、ビースト! こっちに来るのですォ!)≫ 

 

 悲鳴を上げていた深緑色のフレンズは、ビーストの様子をうかがった。ビーストは体を起こしながらも、ゆっくりとこちらに注意を向け始めていた。すべては予定通りに運んでいる・・・と深緑色のフレンズは思った。

 しかし、その時

 

・・・アオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン・・・

 

 途切れのない、高く大きな声が辺り一面に轟いた。

 

≪な、なんなのですかァ~~~!? 何者なのです、あの三人、一体どういうつもりで・・・≫

 

 声は真東の方向、ちょうど、この辺りで一番高い丘、そこの頂点に生えている岩の傍に三つの人影があった。

 

_____ウゥゥ・・・

 

 ビーストは小高い丘の上の三人を観察した。天を向き遠吠えを張り上げる者。両手を

振り上げて挑発するような動きをする者。静かに、こちらを見つめて来る者・・・。そうだ、この三人には、つい昨日会ったばかりだ。

 ビーストと呼ばれるフレンズ、アムールトラの表情がゆっくりと、歪み、殺気に満ちていった。立ち上がり、丘の上の遠吠えに呼応するように、咆哮を返した

 

_____ウゥゥゥッッ・・・ガアアアアアアッ!

 

「・・・ビーストがオレ様たちを見てるぜ! すぐにこっちに来る!」

「あのフレンズが逃げる時間を稼いで・・・その後、あたし達が逃げる方法を考えなきゃ! えーと、えーと・・・」

「ともえ、とりあえず火をつけよーぜ! あいつ、火が苦手だったよな!」

「うん、わかった!」

 

_____シュッ・・・ボウッ・・・

 

 ともえはショルダーバッグから松明とマッチを取り出し、左手に松明とマッチ箱を持ち、右手で手早くマッチの一本を取り出すと、擦り付けて松明に火を灯した。

 

「よし、火が付いた・・・後は・・・・・・」

 

 松明の火があれば、ビーストはともえ達に肉薄するのを躊躇するはず・・・しかし、それだけでは安全に逃げ切るのには、とてもじゃないが不十分だと、ともえは感じた。

 

【トモエ、ヒトツ ダケ カクジツ ニ タスカル ホウホウ ガ アル】 

「え!? どうしたらいいの?」

【ソノ タイマツ デ ソウゲン ニ ヒ ヲ ハナテ】

「火を放つ・・・?」

【オレタチ ハ カザシモ ニ イル。ホノオ ハ オレ タチ ノ ホウ ニ モエ ヒロガル。ソノママ コウタイ スレバ ホノオ ガ オレタチ ヲ マモッテ クレル・・・ビースト ガ ホノオ ヲ ノリコエテ オレタチ ニ チカヅク コトハ デキナイ カラ ナ】

 

 ともえは確かに、ラモリの言うことが、今一番現実的な、防衛手段だと思った。

しかし・・・

 

「ごめん、ラモリさん・・・あたし、それはやりたくないよ。」

【・・・シカシ、ホカ ニ アンゼン ヲ カクホ スル ホウホウ ハ ナイ ゾ】

「ラモリさん、火の他に、何かビーストの弱点ってあるかな?」

【アノ カラダ ニ コウゲキ ガ ツウジル バショ ガ アル ト シタラ・・・ソレ ハ 「メ」ヤ 「ハナ」 ナド ノ カンカクキ ダ カンカクキ ニ ナニカ ツヨイ シゲキ ヲ アタエラレレバ・・・】

「目や、鼻に、強い刺激かぁ・・・うん・・・ありがとうラモリさん・・・それで行こう」

 

_____ウォォォォッ!!

 

 ビーストは、丘の上を目指して駆け出していた。その速度たるや、十数秒後にはともえ達のところへ到達する勢いだった。

 

「ともえさん、もうビーストが来ます! 」

「イエイヌちゃん! ロードランナーちゃん! 聞いて! あたしが、松明でビーストの注意を引くから、二人はビーストの死角に回り込んで・・・(ゴショゴショ)」

「ほ、ほー、そーいう作戦で行くのか」

「・・・はい、じゃ、これ、お願い!」

「わ・・・わふ!」

「やるしかねーか!」

 

    ダァァンッ・・・

_____ドシィィィンッ!!

 

 ビーストはゆうに数十メートルはジャンプすると、丘の上のともえ達のすぐ近くに着地した。着地の衝撃で砂埃を巻き起こした。砂埃の中から、金色に輝く光を二つ、ともえ達は見た。

 つい昨日ぶりの、恐ろしい敵との相対だった。

 

「ウゥゥゥッ・・・」

「・・・あ、あたしが相手だ!」

 

 ともえは、松明を両手で前方に掲げながら、ビーストに対峙した。そのままゆっくりと円を描くように距離を取って歩いた。 

 ビーストの目線は完全に松明に向いており、ともえと反対方向に回ったイエイヌとロードランナーにはまったく注意が向いていないようだった。

 

「ウゥ・・・」

「(イエイヌ、作戦通り、先に体当たりして、ビーストの体勢を崩してくれ、そしたらオレ様が、こいつを使って奴を・・・)」

 

「(はい! もうすぐ、完全にビーストの後ろに回れます!)」

 

 イエイヌとロードランナーは、今にも飛び込まんと、ビーストの隙を伺っていた。ともえが掲げる松明に注意を引かれ、他のことに気を回せないビーストを見て、こちらがつけ入る隙は十分にあると思った

 

「(位置はこれで十分です、もう、仕掛けますか!?)」

「(・・・いや、待て! あいつなんかする気だぞ!)」

「ウォォッ!」

 

   ブォン!  ジャリィッ!

 

 ビーストは、突如、体を翻して一回転させながら後ろ回し蹴りを放った。蹴りはただ放たれただけでなく、地面から土と草を削り取っていた。

 

   バサバサバサッッ!

 

「わあっ! あっ・・・」

  

   シュゥゥ・・・

 

 虎の剛脚に削り飛ばされた土と草が、猛烈な勢いでともえに降り注いできた。

 突然のことに思わず瞳を閉じたともえが再び前を見た時、覆い被さった土と草によって眼前に掲げた松明の炎は、いとも簡単にかき消された。

 

「ま、まずい・・・」

「ウゥゥッ・・・」

 

   ダダッ!

 

 見るだけで注意を乱される、鬱陶しい赤い光が消え去ったことを確認すると、ビーストの神経は再び研ぎ澄まされ、目の前の獲物への集中力を取り戻した

 

「ウァァッッ!!」

「きゃあっ!」

 

 ビーストはあっという間にともえとの間合いを詰め、その爪牙を射程に収めた。

 

「や、やべーぞ!」

「ともえさん!」

「ガァッ!! ・・・ウッ?」

 

   ガシィッ

 

 かぎ爪を打ち下ろさんと踏み込んだビーストの片足を、突如草むらに隠れた何者かが掴んだ。ビーストが足元を見やると、赤い機械の腕がビーストの足首を押さえているのを

見つけた

 

【・・・ニゲロ!】

「ラモリさん!?」

「今しかない! 行きましょうロードランナーさん!」

「わーった!」

 

 ビーストの動きが止まったのを、二人のフレンズは逃さなかった。

 

「ガウウウッッ! ともえさんは絶対に、絶対に、傷付けさせない!」

「・・・ガァッ!!」

 

 イエイヌは、全速力でビーストに走り寄った、しかしビーストはそれを察知し、振り返りざまに右足を蹴り出した。ラモリの腕を遠心力で振りほどき、そのままイエイヌに向かって弾き飛ばした

 

  ドガァッ!

 

「ぐふっ!」

 

 ラモリの体が、イエイヌの腹部に直撃した。強い衝撃でイエイヌは昏倒した。しかしビーストは、イエイヌの後ろに控えていたもう一人の姿がないことに気付いた

 

「(オレ様はここだぜ! くらいな!)」

 

   ブワァァァ・・・

 

 ロードランナーは、イエイヌが作った一瞬の隙をついて飛び上がり、ビーストの真上を取ることに成功していた。そして、下にいるビーストめがけ、ともえから渡された巾着袋を開け放ち、中身を振りまいた。黒い煙が重力に従って舞い落ちていった。

 

「胡椒で目と鼻を潰す作戦だ! ・・・って、あれ・・・?」

 

 しかし、黒い煙が舞い落ちる先に、すでにビーストはいなかった

 

「・・・へっ? ちょっと・・・まさか・・・」

「・・・ガァッ!」

 

 後ろから刺すような殺気を感じ、ロードランナーは振り返った。殺気をみなぎらせた表情のビーストが、ロードランナーの後ろに回り込んでいた。コショウが下に落ちるまでのわずかな間に、ビーストはロードランナーのいる高さまで、跳躍していた

 

「(しくったぜ・・・目の前まで近づかなきゃ、こいつはかわしちまうのかよー! ・・・上から胡椒をばら撒いて浴びせよーって思ったが・・・考えが甘かったぜ!)」

   

   ブゥンッ! ベッシィィッ!!

 

「ぎゃああああっ!!」

 

 宙に浮いていたロードランナーはビーストの一撃を受け、丘の下まで吹き飛ばされた

 

「ロードランナーちゃん! ・・・あっ」

「ウゥゥゥッ・・・」

 

 邪魔者をすべて排除したアムールトラは、ともえに向き直り、迫った。ともえ達の連携も、ビーストの異常なまでの戦闘能力に、いとも簡単に打ち破られた。ともえはもはや万策尽きたことを悟った。

 イエイヌは痛む体をやっと起こすと、少し離れた所から、追い詰められた仲間の姿を見た。

 

「うう・・・ともえさん・・・逃げて・・・逃げて・・・」

 

 ビーストは、無防備なともえの喉元に、鋭いかぎ爪を添えた。ひとたびビーストが手を握りこめば、ともえの喉は容易に裂かれてしまうだろう。もはや逃げることは不可能だった。

 ともえは心臓が凍るような恐怖を感じた。しかし、それを払拭するぐらい、頭にこびりついて離れなかった疑問を、口にした。

 

「あ、あなた・・・本当はこんなことしたくないんじゃないの? 」

「・・・ウゥ?」

 

 ビーストは、伸ばした腕のすぐそこにある顔を見た。生殺与奪を握られてなお、自分と対話しようとする、その瞳を見た。敵意や恐怖以外の感情を向けられたのは、一体いつぶりだっただろう

 

「あなたが・・・暴れたくて、暴れているなんて、どうしても・・・思えないの・・・花を愛する優しいあなたが、どうしてこんなに暴れてしまうの?」

「・・・・・・ッ」

 

 ビーストは、ともえの左右異なる光を湛える双眸を見ていると、不思議な気持ちになった。自分の長い人生の、遠い記憶をずっと遡った過去にある、懐かしさを感じた。懐かしさの正体が何なのか、言葉にすることは出来なかった

 

「教えて・・・あなたは誰なの?」 

「・・・アッ・・・グッ・・・?」

 

 ビーストの表情から力が抜けていった。瞳から放たれ続けていた、金色の殺意の光が急速に失せていった。

 

   スッ

 

「え・・・?」

 

 ビーストは、ともえの喉にかけていた手を外した。両手を落として立ち尽くし、完全に戦闘態勢が解かれたように見えたその時

  

   ヒュン!  カンッ

 

 どこからか飛んできた小石が、ビーストの頭に当たった

 

「・・・ウゥ?」

≪・・・こっちだーーービーストーーー! こっち来いやーーー!≫

「ロ、ロードランナーちゃん!?」

「ウゥゥゥ・・・」

 

 先ほど吹き飛ばされたロードランナーが、丘の下から大声で叫んでいた。その声を聞き、ビーストはゆっくりと後ろを振り返る。瞳には再び野生解放の光が宿り始めロードランナーを注視した。

 

(ギロリッ)

「(・・・やっべぇーーー! こんなの、マジでビビるじゃねーか! だが、やるしかねー!)」

「ガァァァッッ!!」

 

 アムールトラは、丘の下のロードランナー目掛けて突進を開始した。それを確認してからロードランナーも、背を向けて身をかがめると、全力で駆け出した

   

_____ドドドドドド!!

______シュタタタタ!!

 

 ロードランナーは、自慢の俊足を使い、ひたすらに駆けた。道はなだらかな下り坂であり、平地以上の速さが出ていた。しかし、獲物を仕留めにかかるビーストの足には敵わず、その差は縮まる一方だった。

 

「(無茶だ・・・! ・・・ロードランナーちゃんの足でも、ビーストは振り切れない!)」

 

 二人の距離はさらに縮まり続け、ビーストは、飛び掛かればロードランナーを仕留められる位置にまで近づこうとしていた。飛び掛かる直前のビーストの走るスピードは、まさに最高速度にまで達していた。

 

「・・・かかったなー!」

   

 今にも追いつかれる瞬間、ロードランナーは、走り幅跳びの要領で、地面から大きく飛び上がった。そしてそのまま翼をはばたかせ飛行状態に移行した。

 

「(ロードランナーちゃん、何をする気・・・? あ、あれは・・・?)」

 

 ロードランナーとすれ違うようにして、草むらの下から、2人の鳥のフレンズが草むらから飛び出した。

 フレンズたちは手に捕獲網を持っており、数メートルの間隔を空けて飛び、空中に網を広げた。

 さらにもう2人、これも鳥のフレンズが、空中に広がる網を、地面から引っ張って支えていた。

  

「・・・ウガァッッ!?」

 

 今までビーストは、ロードランナーを追跡せんと、下り坂をひた走っていた。坂でついた勢いを減速出来ないまま、猛烈な速度で捕獲網へと突っ込んだ。そのまま手足が網に絡め取られながら、転倒した。

 

「・・・グゥッ・・・?」

≪・・・・・・上手く網にかかりました。しかしここからが本番です・・・・・・皆さん! 打合せ

 通りにお願いします!≫

 

 岩陰から現れた白い体色のフレンズが、網を持った鳥のフレンズ四人に指示をだしていた。

 鳥のフレンズ達は、向かい合った二人が、低空飛行しながらすれ違い、網を互い違いの方向へと引っ張った。網はビーストの体を包むように収束し、四人分の飛ぶ力がビーストの体を一層強く締め付けた。

 

「ウゥゥゥッ・・・」

 

 ビーストは全身にかかる圧力と同時に、周囲に渦巻く敵意と恐怖を感じ取った。その感情に呼応するように、ビーストの内側から、どす黒い、理性を覆い隠す殺意が沸き立ってきた。

 

  (こいつらは敵だ・・・私の前に立つ者は・・・みんな敵だ・・・)

 

 殺意が具現化したように、紫色の禍々しいオーラが炎のようにビーストの全身から立ち上った。絡め取られ、自由を奪われた手と足に、再び力が漲っていくのを感じた。

 

   キシッ・・・キシッ・・・

 

≪・・・・・・皆さん! いざという時は逃げる準備をしてください・・・≫

「お、お、おい、マジかよー!」

≪・・・・・・この網を力任せに破ることは不可能なはずなのです・・・・・・大昔、ヒトが「クジラ」を捕えるために使った網なのだから・・・・・・しかし、あのビースト相手に甘い想定は命取りです・・・!≫

「ウアアァァァッッ・・・!」

 

 ビーストは、さらに止めどなくあふれ出る殺意に塗りつぶされていった。もう少しすれば、一切の理性が消滅していくように思えた。

 しかし、その時

 

  ・・・もう、やめるのだ・・・

 「・・・ウ、ウゥッ!?」

 

 ビーストは、突如、自分の中から語り掛けてくる、自分ではない声を聞いた。その異変が、急激にビーストの理性を現実へと引き戻した。

 

  ・・・今のお前は、本当のお前ではない・・・

  (な、なんだこの声は・・・)

 

  ・・・思い出すのだ、お前が何を大切にしてきたのか・・・

  ・・・お前がかつて何者であったのか・・・

  ・・・何のためにその力を身に着けたのか・・・

  ・・・何のためにその力を発揮してきたのか・・・

 

「ウ、ウ、ウ・・・」

 

 謎の声は、繰り返し、ビーストの中から語り掛けてきた。その声を無視して力を籠めようとしても、もう、ろくに力が入らなかった

 

≪・・・・・・ビーストから感じる圧力が、急激に落ちた? なぜ? ・・・・・・いえ、理由はどうでもいい・・・・・・フクロウの皆さんは、全力で網を引っ張り続けてください! ・・・・・・デグー、オオミチバシリさん、ビーストを押さえてください!≫

 

≪はいですゥ!≫

「まかしとけー!」

 

 ついさっき、ビーストの傍で大声を上げていた深緑色の小柄なフレンズが、返事をした。ロードランナーもそれに続いた。

 

「ウッ・・・ウアア・・・」

 

 深緑色のフレンズと、ロードランナーは、ビーストに馬乗りになると、ビーストの右腕を網の上から押さえつけた。

 目の前の状況よりも、自分の内側からの声に翻弄されていたビーストは二人分の体重を振りほどくことも出来ず、右腕を地面にほぼ固定されてしまった。

 

≪・・・・・・ありがとう、そのまま・・・≫

 

 白いフレンズは、ダボダボの上着の内ポケットの中から、「小さな透明の容器が付いた細い針」を取り出すと、毛に覆われたビーストの右腕の上にそれを刺し、容器の中の液体を注入した。液体を一本分注入し終わるとさらにもう一本取り出して、液体の注入を続けた。

 

「な、何・・・何が起こってるの・・・? あの人達、誰?」

 

 ともえは、丘の下で起こっている出来事を呆然と眺めた。

 

「何か、ロードランナーちゃんもごく自然な感じで混ざってるし・・・」

「ともえさん・・・大丈夫!? 大丈夫!?」

「わたしは、何ともないよ、イエイヌちゃんこそ・・・」

「へ、平気ですよ、これくらい・・・それより、ともえさん、下の様子が気になりますね」

「うん、行ってみよう」

 

 ともえとイエイヌは、丘の下に集まったフレンズたちの元に駆け寄った。

 

「すいませーん、あの、これは一体?」

≪いやーーー、皆さんも無事でよかったですねェ!≫

 

 深緑色の小柄なフレンズが、ともえ達に駆け寄ってきた。

 

「あ、あなたはさっきの・・・」

 

「はい! わたし、デグーと申しますゥ! あちらのハツカネズミ博士の助手ですゥ!」

 

   プツッ・・・

 

 デグーに手で示された、ダボダボの上着を着た白いフレンズは、ビーストの右腕から注射針を引き抜くと、向き直ってともえ達に挨拶した。

 

「・・・・・・はじめまして・・・ハツカネズミという者です」

 

 ハツカネズミと名乗るフレンズは礼儀正しかったが、陰気で底知れない空気をまとっていた。

 周りのフレンズたちが、ビーストを前に浮足立っているのとは対照的にハツカネズミはまったく物静かな表情をしていた。ハツカネズミの右目は黒目だったが、左目は血が透き通ったかのような赤だった。

 

「は、はじめまして、わたし、イエイヌです」

「ともえです。はじめまして・・・。あの・・・皆さんはここで何をしているの?」

「・・・・・・わたし達は、ビーストを捕獲するために・・・ここで罠を張っていたのです・・・・・・ビーストがいることで、このちほーに暮らすフレンズたちが、皆不安になっていましたからね・・・」

「そこに偶然通りがかったアナタたちと、出くわしたってわけですゥ! そして、こちらのオオミチバシリさんに、協力していただきましたァ!」

「そっちの名前で呼ばれるの久しぶりで、どうにも慣れねーな・・・まあ、さっきオレ様がビーストにぶっ飛ばされた時、デグーから協力するように言われたんだよー。この、捕獲作戦にな」

「そうだったんだ・・・」

 

「・・・・・・オオミチバシリさんの協力で・・・想定以上に上手く行きました・・・・・・走ることと飛ぶことを・・・両方こなす稀有な特性・・・・・・そして土壇場で一歩も引かない胆力・・・お見事でした・・・」

「ホントホント! 最初はわたしがおびき寄せるつもりでしたけど、やっぱりビーストは怖いですからァ!」

「へへっ、もっと褒めていーぜ! あと、タンリョクって何だー?」

 

「ところでェ! 皆さんも、ビーストを捕まえるつもりだったのですかァ?」

「クゥン・・・いえ・・・わたし達はただここを通りたかっただけです」

「デグー、あんたが襲われそうだと思って、助けよーとしたんだからなー」

「えェ! そうだったんですかァ! 悪いことしちゃいましたねェ。でも、たった3人でビーストを相手にしようとするなんて、皆さんとっても勇敢ですねェ!」

 

「・・・グゥ・・・ウグ・・・」 

 

 網の中でうずくまっているビーストを、ともえは見た。動きは次第に緩慢になり、瞳は少しずつ閉じられ、その意識は消失しようとしていた。ともえは思わず尋ねた。

 

「・・・あの、ビーストはどうなったの? これから、どうするつもりなの?」

「・・・・・・薬で眠らせました・・・寝ている間に、わたしの住処に運びこもうと思います。・・・・・・空を飛べる友人たちに・・・速やかに運んでもらう予定です・・・・・・ほら」

 

 

_____フワ~~ッ

______スタッ    スタッ

 

 ハツカネズミが空を指差すと、太陽に照らされた二つのシルエットが、寸分違わぬ動きをしながら舞い降りてきた。お互いにそっくりな見た目をした、二人の鳥のフレンズだった。その姿は、見覚えのある・・・というか、つい先ほど見たような・・・

 

「さすが「ヒトの道具は何でも修理できる」と評判の、ハツカネズミ博士です。私達の注文通り「注射器」を見事に修理しましたですね。」

「おかげでなんとかビーストの捕獲に成功しましたのです。あなたに任せて正解だったのです。」

「・・・・・・いえ・・・あなた達が上から指揮してくれたおかげです。・・・・・・そして、手を貸してくれた・・・優秀なお弟子さん達のね・・・」

「あなた達、よく頑張りましたですね! 鼻が高いのです!」

 

 ハツカネズミの後ろに控えていた、4人の鳥のフレンズは、空から降りてきた二人を見て、一様に安心した表情になった。白い鳥のフレンズに声をかけられて、それぞれの反応を返した。

 

≪ やべーw博士に褒められちゃったしww ≫(メガネフクロウ)

≪ とととと、とっても怖かったです!! ≫(アナホリフクロウ)

≪ 今日の課外活動は、学問史に名を残す偉業になるでしょう・・・ ≫(メンフクロウ)

≪ しんどい・・・ゼミ生の活動が、こんなに、体を張るものだったとは・・・ ≫(アオバズク)

 

「あっ、ねえ、あなた達は・・・ついさっき、リャマさんのレストランにいたよね!?」

「・・・・・・もしかして、すでにお知り合いですか?」

「いやー、知り合いではないんだけれどよー・・・」

「ん? そういえば、朝餉をしに立ち寄ったレストランに、先客がいたような・・・料理に夢中で、気にも留めませんでしたが、あなた達もあのレストランにいたのですか?」

「うん、そうなの! 短い間にまた会うなんて!」

「こっちはよーく覚えてるぜ、なんせ、あんたらはインパクト強いからな」

「そんなに褒められると照れるのです」

「褒めてねーし」

 

「・・・・・・ふむ・・・では、こちらのお二人を紹介しましょうか・・・・・・オオコノハズク博士と・・・ワシミミズク助手です・・・・・・南の大陸の「オサ」と言われている・・・高名なお二人です」

「わふっ? ・・・オサってなんですか? お二人は一流の料理人って言ってましたよね?」

「ふっふっふ、その両方ですよ。我々は、多方面の才能を持つので・・・」

 

「ハツカネズミ博士・・・こちらの皆さんは?」

「・・・・・・こちらの三人は、偶然出会ったのですが、ビーストの捕獲に協力してくれた方々です・・・」

「ほう、私達のほうからも、お礼を言わなくちゃですね。」

「ありがとうございますのです。」

「あっ、あっ・・・いや・・・」

 

   ジーッ・・・

 

 会釈した頭を上げると、二人の梟は、ともえの顔を大きな瞳でしげしげと眺めた。ともえは自分のすべてを見透かされたような気分になり、気おくれした。

 

「あ、あの・・・どうしてそんなにあたしを見るの?」

「これは失礼。よく見るとあなた、ずいぶん個性的な見た目ですね。興味深いのです。良ければ教えていただけますですか? あなたが何のけものなのか」

「あの、あたしは、多分、ヒトじゃないかなって思ってるんだけど・・・」

「ほう、ヒトですか」

「・・・でも何も確信が持てなくて、だから・・・自分のことを知るために、旅をしているの」

「旅というと、何か目的地があるのですか?」

「はい、あたし、セントラルエリアっていうところを目指していて・・・そこにいけば、あたし以外にもヒトがいるらしいの。」

    

「(聞きましたか、博士・・・)」

「(・・・ふむ・・・)・・・セントラルエリア・・・行ったことはありませんが。そこにヒトがいる

なんて、そんな話は、聞いたことがありません」

「えっ・・・?」

「あなたは、その話を、どうやって知ったのです?」

「ラモリさんが、そう言ってて・・・あ、ラモリさんっていうのは、あたし達の仲間なんだけど・・・」

「らもり? ヤモリの一種ですか?」

 

「あっ! ともえさん! そういえばラモリさんがいません!さっきわたしとぶつかって、壊れちゃったのでしょうか? どうしよう! どうしよう!」

「本当だ! ラモリさ~ん! 返事して~!」

 

【トモエ ヨンダ カ?】 

≪ わあああ! ≫ 

 

 ともえ達のすぐ目の前で、何の前触れもなく、マゼンタカラーの小さなボディが草むらから顔を出した。

 

「もう! ラモリさんって、いつも前触れなく登場するんだから!」

「こ、これはラッキービースト! しかし、こんな色や出で立ちをしたラッキービーストは始めて見たのです!」

「ラモリさん、やっぱり珍しいのかな? 確かに他のラッキーさんと色が違うけど・・・」

「あなた達は、ラッキービーストも連れて歩いてるのですか?」

「・・・連れて歩いているというか、あたし達が連れられているというか・・・」

 

「やはりあなたたちは、興味深いのです・・・」

「博士、あの話を、聞かせてあげるのはどうですか?」

「そうですね・・・ビースト捕獲に協力してくれた礼です。」

「えっ! 話って何!?」

「ヒトに関する情報ですよ。」

「・・・わたし達、昔、ヒトのフレンズに会ったことがありますのです。」

「えっ、えっ、えっ・・・・・・えーーーーーーーーーーーーっっ!!」

「ともえー、落ち着けって! でも、本当なら、すげーなこのお二人さん」

「クゥン・・・(確かにこの二人、いろんなことを知ってそうな感じがする・・・只者じゃない)」

「聞きたいですか? 」

「うん! ぜひ、聞かせて!」

 

「・・・・・・お待ちを・・・・・・今は時間がありません・・・・・・今行うべきは、ビーストが目を覚まさないうちに・・・私の「ラボ」に搬送することです・・・・・・積もる話は、またの機会に・・・」

「あ、そうだね・・・ごめんなさい」

 

「そうですね・・・みんな、ごくろうでした、そしてもう一仕事、お願いしますのです」

≪ ちーすwビースト運ぶっす ≫

≪ いいい急がなくちゃ! ビビビビーストが目を覚ましちゃう! ≫

≪ 仕留めた獲物をその手に、大空の凱旋・・・これはまさにワルキューレの騎行 ≫

≪ ああ、まだ休めないなんて、ゼミ生をこき使いすぎ・・・ ≫

 

 4人のフクロウたちは、二手に分かれ、網の端と端を掴み、意識を失ったビーストの体を括り上げた。ビーストが目を覚ます気配はなく、網に囚われた体はそのまま宙に浮いた。

 ハツカネズミは、オオコノハズクとワシミミズクに体を預けた。

 

「さて、あなた、ともえさんと言いましたね。さっき言った通り、後ほど、私達が知り得る、ヒトの話を聞かせてあげるのです。」

「うん! お願いします!」

「・・・・・・では皆さん、改めてお伝えしますが、わたし達は、ビーストをわたし達の住処へ移送します・・・一刻を争うので、すぐにここを去ります。・・・・・・皆さんは後から付いてきてください・・・・・・デグー・・・皆さんを案内してください」

「はーい博士ェ! 任せてください!」

 

   バサッ バサッ・・・

 

 ビーストを捕えたハツカネズミとフクロウたちは、空の向こうへ飛び立っていった。騒動が去った後の草と岩の丘には、静かな風がそよいでいた。

 

「ともえさん! 旅の手がかりが見つかりましたね! やった! やった!」

「ありがとう! 楽しみだよ!」

「ビーストもいなくなったし、目的地も決まったし、万事OKだなー! ところで、デグーちゃんよー、その住処ってーのは、近いのか?」

「近くはないですねェ、ですが、遠いって程でもないですゥ!」

「えー? まーいーや・・・行くか」

 

 ともえ達は、足取りを立て直し、草と岩に覆われた丘を歩いた。歩き始めてすぐ目の前に、先ほど見た物をともえは見付けた。

 白い一輪の花だった。ついさっきまでビーストが寄り添っていたそれは、ただぽつんと、そよ風に揺れていた。

 

「あ・・・」

「なんだよともえ、さっきのテンションはどこ行った?」

「ともえさん、何か気になることがあるんですか?」

「うん・・・ビーストが、ちょっとかわいそうって思って、ビーストは、ただ、ここで休んでいただけなのに、こっちから刺激して、捕まえる必要があったのかな」

「何言ってんだよ、ともえ・・・今まで、何回もビーストに襲われてるじゃんか」

「うん、だから、向こうから襲ってきたら、身を守るために戦うけど、こっちから手を出す必要があるのかなって思ったの。」

 

「・・・ハツカネズミ博士も、自分たちから戦いを仕掛けるようなことはしたくないって言ってましたァ・・・だけど、ビーストがいたら、このちほーに暮らす皆が安心できないから捕まえるしかないって」

「それに関しちゃ、オレ様もそのとーりだと思うぜ」

「うん、デグーさん達は正しいよ。正しいって思うけど・・・でも、ビーストとは本当に争い合うことしかできないのかな?」

「なんで、そー思う?」

「聞いて、さっきのビースト、様子が変だったの・・・」

 

 ともえは、ビーストが、自分の言葉に反応して、一瞬正気に戻ったように見えたことを話した。あの時ビーストは、自分を襲うことを、やめたように見えた。

 

「ビーストにこっちの言葉が通じたってーのか?」

「にわかには信じがたいですねェ・・・」

「イエイヌちゃんは、傍で見てたよね? ビーストの様子を見てどう思った?」

「わ、わたしは、ともえさんが危ない目に遭うのは絶対に嫌です・・・だから、ビーストはいないほうが安心です」

「だろー?」

「・・・でも、でも、あの時のビーストとは、お話が出来るのかもって思いました・・・。」

「うん、そうだよね、イエイヌちゃん・・・・・・あ、そうだ! ビーストとお話してみようよ! ビーストの考えや事情が分かれば、他のみんなと仲良く暮らせるようになるかもしれない! デグーさん、ハツカネズミさんの住処で、ビーストとお話、出来ないかな!?」

「ええ!? それはァ、博士に相談してみない事には・・・後、フクロウのお二人さんにもォ。」

「よし・・・何とかお願いしてみよう! みんな、ごめんね! 足を止めたりして」

「良いですけど・・・じゃあ、行きましょうかァ?」

「ともえ、ヒトのフレンズの話と、ビーストと、どっちに興味があるんだよー?」

「クゥン・・・(ビーストと、お話が出来る・・・? わたし、何を言っているの? ・・・ビーストに近づいたら、また、ともえさんが危ない目に遭うかもしれないのに・・・ともえさんを守ることが、一番、一番、大事なのに・・・何であんなことを言ったの・・・?)」

 

 ともえ達はひたすらに、草と岩だけの、風邪がそよぐ静かな丘を進んだ。視界が開けた丘は、進むごとに、背の高い木が多くなり、やがてひと際大きな丘を越えると、

眼下には森林が広がっていた。

 森の向こうには深い霧が立ち込めており、視認できる範囲は、入口の周辺の限られた範囲だけだった。

 

「わふっ、何かいきなり景色が変わりましたね」

「うへー、森に入るのか、なーんか霧も出ちゃってるし」

「あ、でも見て。ここ、ちゃんとした道だよ」

 

 ともえは、地面を見ると、草や落ち葉の隙間から、アスファルトがのぞいていることに気付いた。それは遠い昔、舗装された道であることを示す証拠だった。

 

「そうですゥ! ここからは、この道なりに歩いていけば、わたし達の住処に着きますよォ! しかも後は下り道だけだから、楽ですしィ!」

「おっ、そーか!」

「・・・」

 

 ともえは、今まで歩いてきた丘を振り返った。

 

「(あの白い花・・・結局、あの一輪しかなかったな・・・ここが昔、花畑だったとしたら・・・あの白い花は、その最後の一輪なのかな? あの一輪が枯れたら、昔、ここにたくさんの白い花が咲いていたことなんて、最初からなかったことみたいになっちゃうのかな・・・ビーストとあの花、どっちも、一人ぼっちなんだな・・・ビーストは、あの花に自分のことを重ねてたのかな・・・?)」

  

 太陽は空の真上から少し西に傾き、今は午後だった。リャマのレストランで目覚めてから、まだ5~6時間程度しか経っていなかった。にも関わらず・・・

 ヒトのフレンズを知っているという、オオコノハズク博士たち、ビーストと和解できるかもしれないという可能性・・・この数時間で手に入れた情報が多すぎて、ともえの頭の中はいっぱいになっていた。今はまだ、わからないことだらけ・・・しかし、行く先にはきっと自分が求める真実が待っていてくれる・・・そんな、希望をともえは感じていた。

 一行は、森の中の道に足を踏み入れていった。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
 
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ラクダ科・リャマ属 
「リャマ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・げっ歯目・デグー科・デグー属 
「デグー」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メガネフクロウ属 
「メガネフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コキンメフクロウ属 
「アナホリフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メンフクロウ属 
「メンフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・アオバズク属 
「アオバズク」
 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット
「ラッキービーストR-TYPEー01 通称ラモリ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Materials________________

チャワンタケ網・チャワンタケ目・セイヨウショウロ科・セイヨウショウロ属
「英名トリュフ 和名セイヨウショウロ」
双子葉植物綱・コショウ目・コショウ科・コショウ属
「コショウ」
単子葉植物綱・ユリ亜綱・ユリ目・ユリ科・オオアマナ属
「オオアマナ」

用途:灯り、神事など 素材:スギ、ヒノキ、松脂、枯れ草など 発明時期:紀元前十万年以上前
「松明」
用途:容器、または生物の捕獲 素材:天然繊維または合成繊維 発明時期:紀元前一万年頃
「網」
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴
 


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現代編2 「ちぇっくいん ていくつー」

 あるトラのものがたり第2話です。



 森の中の道を、ともえ達は歩き続けた。道の向こうには深い霧が立ち込めており目の前の道しか確認することが出来ず、距離の感覚はなかった

 唯一はっきりしているのは、この道がかなり急な下り坂であるということだけだった

案内役のデグーがいなければ、かなり不安な道のりだった。しかしイエイヌが持ち前の嗅覚で、違和感に気付いた

 

「クンクン・・・そういえば、なんだか、しょっぱいにおいがします。これは・・・海?」

「そう! この道を進めば、海に付くんですよォ!」

「ちょっと待てよー、住処はどうしたんだよ」

「フフフ、行けばわかりますってェ!」

 

 ともえ達は、霧の向こうに続く坂道を下り続けた。イエイヌでなくとも感じ取れる潮のにおいが立ち込め始め、確実に海に向かっていることを予感させた

 一行は、さらに下り続けた。木々の向こうまで立ち込める霧の、そのまた向こうから、うっすら昼下がりの空が覗いていた。そして完全に森を抜けると・・・

 

   ザァーーーーーー・・・

   ザッパーーン・・・

 

「マジで海に付いちまったぜ・・・」

 

 波が打ち寄せる浜辺が、右から左までずっと続いていた。立ち込める霧で水平線が隠れてしまっていたが、完全に、陸地が消え、海になっていた

 デグーは水平線のある一点を指差した

 

「見てください! あれがわたし達の住処ですゥ!」

 

 霧の中で黒く浮かび上がる、巨大な建造物があった。ひときわ異様だったのは建造物の上方にはまり込むように、大きな「魚」が形取られていたことだった

 海にそびえ立つ黒い大きな影は、恐ろし気な、異様な雰囲気を放っていた

 

「・・・すげーとこ住んでんだな」

「クゥン・・・わたし、なんだか怖くなってきました」

「たまたま、霧が濃くて、怖く見えるかもしれないけど、全然そんなことないですよォ!」

「でも、でも、なんで海の上にあんな建物があるんでしょう?」

 

「・・・イエイヌちゃん、ロードランナーちゃん、地面を見てみて・・・アスファルトの舗装が、海の中まで入っていってる・・・昔はこの先も陸地で、道が続いてたんだよ・・・でも、何で海に沈んじゃったんだろう? ラモリさん、何かわかる?」

【カイテイカザン ノ フンカ ト ヒンパツ スル ジシン・・・オソラク、ソレラ ノ エイキョウ デ チケイ ガ ムカシ ト カワッテ シマッタ ノ ダロウ】

「へぇ・・・じゃあ、昔と今で、そんなに環境が変わっているんだね・・・そしたらやっぱり、あの丘は昔白い花畑だったのかも・・・」

 

「そ、それよりよー、あそこまでどうやって行くんだ? 泳いで行けってーのか? オレ様は飛べるけど・・・あの距離はきつそうだわ」

「そんなわけないじゃないですかァ・・・ほら、あれ・・・」

    

 デグーは少し行った所の浜辺を指差した。なだらかな形の物体が浜辺に乗り上げていた

 

「わふっ! あ、あんなところに船がありますね。」

「あれは、デグーさんの船なの?」

「わたしの物ってわけではないんですけどォ、あれ、おっかしィなァ・・・」

 

 デグーの手招きで、一行は船に近寄った。質素な木造の船で、船体後部にオールが備え付けられており、手動で動かせるものだった。デグーは、船の上によじ登ると何者かに向かって話しかけた

 

「ちょっとォ! サボりですかァ?」

「デグーさん、そこに誰かいるの?」

「むにゃむにゃ・・・あ、デグーだ・・・ふわ~~~~~~~~っ」

 

 舟床に寝そべっていたフレンズが、気だるげに体を起こした。涼し気な青い上着を

身にまとった海生哺乳類のフレンズだ

 

「だってー、ビースト騒ぎと、この深い霧で・・・お客さんなんか、来ないもん・・・」

「お客様なら、わたしが連れてきましたよォ! ほら、こちらの三人を見てください!」

「へっ!? あ、あ、い、いらっしゃいませ! ジャパリホテルのご利用ありがとうございます! わたしは船頭のマイルカです!」

「はじめましてマイルカさん・・・えーと、ジャパリホテルって? 何のこと?」

 

「えっ?」

「あァ、お客様って言ってもォ~、ホテルのじゃなくてェ、博士のお客様なんですよォ」

「あ~、はいはいはい・・・最近は、そっち関係のお客様ばっかり来るね、まあお客様には違いないけど・・・それでは、どうぞ~! 船に乗ってください! ホテルへご案内します!」

「待てよー、ホテルだのお客だのってーのはどーいうことだー?」

「ふふ、向こうについたら説明しますねェ。」

「えぇ? なんだかわからないけど、お邪魔します」

「ともえさん、揺れますから、慎重に、慎重に・・・」

「そういやー、船なんかに乗るの、はじめてだぜー」

 

 ともえ達を乗せたマイルカの船は、悠々と海面を進み「ジャパリホテル」に近づいていった。近づけば近づくほどに、海面からそびえたつ建物は、異様な巨大さを感じさせた。

 ほどなくして、建物のすぐそこまでたどり着いた。目の前には、これもまた、海の下まで続いていると思しき、石作りの大きな階段が海面から姿を見せていた。

 

「着きましたよお客さま! どうぞ階段を上っていってください!」

「へぇ、すごいな~、海の下からこんな階段が続いているだなんて嘘みたい」

「ふふ、この先に行くと、もっと驚きますよォ!」

 

 ともえ達は波に揺れる船を降り、階段を上り始めた。デグーは導くように先頭を進んでいた

 そして階段を上り切ると・・・

 

「いらっしゃいませ! ジャパリホテルへ、ようこそお越しくださいました!」

「へっ?」

 

 階段を登った矢先、深々と頭を下げ、明るい声で歓迎するフレンズが姿を見せた。そこはある程度の広さがある中庭であり、潮風に晒されているとは思えないほど清潔に手入れされていた

 

「わたくし、当ホテル支配人のオオミミギツネでございます。」

「あ、こ、こんにちは」

「へー、やっぱ、マジにホテルなんだなー、ここ」

「支配人、この三人はねェ、博士とフクロウさん達の客人なんですよォ。博士たちはもう、ここに帰ってきてるはずですよォ、ビーストを捕まえて、ここに戻ってきたんですゥ!」

「まぁ! そうだったの!? もう、ハツカネズミさんたら、いつも何も言ってくれないんだもの。今回のことだって、わたくしは蚊帳の外だったんだから・・・」

「博士は、支配人には、迷惑をかけたくないって言ってましたよォ、だから何も言わなかったんじゃないですかねェ・・・とりあえず、こちらの三人を案内してくださいィ~」

「そ、そうだったわね。それでは、お客様! どうぞこちらへお越しください」

「うん、お邪魔します」 

「クゥン・・・こんな海の中に入ったら、溺れちゃうんじゃないですか?」

「ご安心を! 当ホテルは海の中でも、陸の上みたいに快適に過ごせますのよ」

「へぇ、楽しみ」

  

 ともえ達がホテルの内部に入ると、さらに驚かされた。海に沈んだホテルは、ガラス張りの窓から海の中の風景を鮮明に映し出していた

 

「うわ~、海の中ってこんな風になってたんだね・・・あ、あれは何ですか? あの綺麗な木みたいなもの・・・」

「あれは珊瑚でございますよ」

 

 ロビーでは、哺乳類、鳥類、海生生物など多種多用なフレンズが客としてくつろいでいた。盛況と呼べるほどではないが、決して閑散としているわけではなかった

 

「へー、結構いいとこじゃねーの」 

「あれ、お客さんが全然来ないって、マイルカさんが言ってたけど・・・」

「今いらっしゃるお客様は、以前から滞在していただいている方々ですわ。ビーストや霧のせいで新しいお客様はこのちほーに来なくなってしまいました。逆に、以前からいらっしゃるお客様は、ここを発つことが出来ないでいる状況なんですの」

 

 海に沈んでいることの他にも、このホテルには異様な点があった。人工物が外界とは比べ物にならないぐらい多く存在することだ。台の上で玉を打って遊ぶ遊具や、電気の力で動く体をもみほぐす椅子など、使い方がわかりやすく図で示され、使用に興じるフレンズたちが見かけられた。

 

「こんなにたくさんの、ヒトの時代の機械が残っている場所があるなんて・・・」  

「これらの機械はすべて、ハツカネズミさんが修理したものなんですのよ」

「えっそうなの? どういうこと? ハツカネズミさんも、このホテルで働いているってこと?」

「マジかよ、あんなネクラっぽい人が客商売なんて、とーてい無理そうじゃねーか?」

「もォ~、オオミチバシリさんったらァ、思ったことそのまま言う人なんですねェ」

「うふふ、当ホテルが繁盛するまでに、色々ありましたのよ」

 

 ホテルの支配人オオミミギツネは、今までの経緯を語った。オオミミギツネと、その仲間のフレンズであるハブとブタがこのホテルを見つけ、立ち上げた頃は、建物の半分が海に沈んでいることもあって、ほとんど客の入らない場所だったという。そして、このホテルにたくさん残っていた「ヒトの機械」も、何なのかよくわからないまま、ただ埃をかぶっていた

 ある日オオミミギツネは、外のちほーから流れてきたハツカネズミと出会い、宿を提供することになった。ハツカネズミは自分が何者なのかもわからず、他に行くところもなかったという

 オオミミギツネは、ハツカネズミをホテルの従業員として住まわせることにした。ハツカネズミは不器用で陰気なため、接客や雑用などの仕事は、どれもろくに出来なかった

 

 しかしある時、ハツカネズミはホテルの隅で埃をかぶっていた機械を触りはじめた。そしてその機械を完璧に修理してみせたのだった。それはハツカネズミの天性の特技だった。ホテルにある物でハツカネズミに修理できない物はなかった

 

 アイデアマンのハブが、修理した機械を見世物にすることを思いついた。そしてそれは大当たりし、かつてのさびれ具合からは想像も出来ないほどに、ホテルを繁盛させることに成功した

 事業の拡大に伴い、ホテルのスタッフのフレンズや、海からホテルまで客を送迎する海生生物のフレンズを何人も雇い、ハツカネズミのお手伝いとしてデグーもスタッフの一員となった

 ハツカネズミは、自分の特技でホテルに貢献できることを喜び、さらに機械や道具を修理することに精を出した。そしてハツカネズミの名前も知れ渡り、いつの間にか博士などと周りから呼ばれるようになった

 

「ハツカネズミさん、ホテルのために頑張ってくれているのはわかるんだけど、最近はわたくし達に顔も見せないで、一日中自分の仕事場に籠り切りなんですのよ。今回だって、外のエリアから来たフクロウの皆さん達と、何やら色々相談してるみたいだけど、わたくしやハブさん、ブタさんには、ビーストのことは自分が何とかするからって、それだけなんですの・・・。ホテルやお客様のためと言うなら、わたくし達全員の問題なのに・・・」

 

 ともえ達は、オオミミギツネが熱心に語る様子を、じっと聞いていた・・・。

 

「あ、ご、ごめんなさい。お客様を相手に喋り過ぎてしまったようですわね」

「ううん・・・ここの皆さん、とっても仲が良いんだね!」

「・・・こ、こほん・・・。ところで、お客様方は、これからどうなさいますか? すぐに、ハツカネズミさん達に会われますか? お休みになられる場合は、お部屋とお食事の用意をすぐにいたしますが。」

 

「・・・どうします? ともえさん・・・疲れてるなら、もう休みますか?」

「とりあえず話だけでも聞いておかねーか? 大事なよーじは、すぐに片づけるに限るぜ」

「そうだね、二人さえ良ければ、オオコノハズクさん達に、会いに行こうよ」

「了解いたしました・・・では、ご案内いたしますわ」

 

 オオミミギツネが一行を案内しようとしたその時

 

 ≪しはいに~~~ん、お客様対応お願いします~、わたし手が離せなくて~≫

 

「あら、ブタさんの声だわ。どうしましょう」

「大丈夫! ともえさん達はァ、わたしが案内しますよォ! 支配人は、お仕事に戻って下さァい! 元々わたしが、博士に言いつけられた仕事ですからァ」

「そう? じゃあお願いするわねデグー。それと、ハツカネズミさんに言っておいて。”あんまり無理しすぎないように”って・・・」

 

 オオミミギツネと別れたともえ達は、再びデグーに案内され、ホテルの通路を進んだ。通路は段々薄暗くなり、やがて客の気配も全くしない静かな一角にたどり着いた。他の場所とはおよそ雰囲気が違った。その通路の突き当りには、物々しい金属の扉があった。デグーは、金属の扉の横にあるボタンを押した。

 

   ウィィィィン・・・キューン・・・

 

 ボタンを押してから何秒か経って、金属の扉が、自然の中ではおよそ聞けないような音を立てて開いた。扉の開いた先には、部屋とはおよそ言えない、フレンズが10人くらい入れる程度の無機質な空間があった

 

「えーっ、今どうやって開けたんだよー、その扉」

「ともえさん、なんだか似てますね・・・その・・・」

「うん、あたしが目を覚ました建物に、そっくりな感じがする」

「さァ、この先に博士とフクロウの皆さんがいますよ、後、ビーストも・・・」

「この小さな部屋、なんもねーじゃねーか」

「大丈夫だよロードランナーちゃん。この小さな部屋が、あたし達を違う所に運んでくれるの。これはその・・・乗り物の一種だよ」

「そーなのか? 本当、ともえと旅してると、次から次へと珍しいモンが見れるよなー。オレ様、ひょっとして田舎者?」

「クゥン・・・田舎とかはあんまり、あんまり、関係ないと思いますよ」

 

 ともえ達4人が入った「小さな部屋」の扉が、部屋の中にあったボタンを押すことで再び閉じられた。密室になった部屋が、音を立てはじめた。そしてともえ達の体に響く振動と体の中の血液が上のほうへ引っ張られるような、妙な感覚・・・

 

「マジに動いてんだなー、この部屋はよー」

「うん、下に向かって行ってるよ、つまり、深い海の底に向かってるんだよ・・・」

「うへー・・・」

 

【・・・・・・トモエ、キケ】と、先ほどからしばらく黙って着いてきていたラモリが口を開いた

「うん、どうしたの、ラモリさん」

 

【オーブ ノ ハンノウ ガ キュウ ニ トテモ ツヨク ナッテ キタ。マチガイナク コノ チカク ニ オーブ ガ アル】

「・・・! つまり、ハツカネズミさん達の所に、オーブがあるの?」

【ワカラナイ、ウミ ノ ソコ ニ アル ノ カモ シレナイ】

 

「そっか・・・あ、デグーさん、ちょっと教えて欲しいんだけど、なんか最近、玉のような物を見かけたことはない? これくらいで・・・急に光ったりするの・・・色は白で・・・あ、白じゃないかもしれないけど」

「いやいやいや・・・そんな漠然としたこと言われてもォ~わかりませんよォ! でも、光る玉なんて、そんな珍しい物があったら、すぐにわかりそうなものですけどねェ・・・」

「どうしよう、海の底にあるものなんて、手に入れようがないですよ、ともえさん」

 

「つーかよー! この小さな部屋はまだ止まらないのかよー! 一体どこまで下に降りてるんだよ! めっちゃこえーよ! 早く出たいよー! プロングホーンさまー!」

 

   ・・・・・・チーン! キューン・・・

 

 小さな部屋はようやく動きを止め、扉が開かれた。その先は、無機質な灰色の壁と床、天井に辺り一面が覆われていた。天井に最低限の灯りが備えつけられ、前方が確認できる程度の道が、姿を現した。小さな部屋を出た先に、薄暗い狭い道・・・

 ロードランナーは、床にへたり込んだ

 

「オレ様、もうここやだ・・・」

「わふっ、ロードランナーさん、大丈夫? 大丈夫? 肩、貸しますよ」

「オオミチバシリさんはァ、狭い所がとっても苦手みたいですねェ、ちなみにわたしは落ち着くんですが、まァ、フレンズって千差万別なんですねェ」

 

 ともえ達は、灰色の薄暗い道を進んだ。やがて道は行き止まりになり、突き当りには周りと大差ない壁が存在するように思えた。しかしデグーが壁に近寄ると、壁が勝手にスライドし、奥にある空間につながった。デグーは小走りで先へ進んだ

 

「博士ェ! フクロウの皆さん! いますかァ!? ともえさん達をお連れしましたァ!」

 

「フフ、来ましたのです」

「博士、思ったのですが、博士と呼ばれるフレンズが二人いたのでは、ややこしいのです。博士は、生物学、地史学の博士・・・ハツカネズミ博士は、工学、理学の博士ですから、専門領域が全然違うのです・・・そもそもブツブツ・・・」

 

「ここは・・・」

 

 ともえ達が訪れたその部屋に、オオコノハズク博士達が待っていた。そこは、上のホテルよりもさらに人工的な、白く直線的な空間があった。調度品は、ガラスのような、プラスチックのような半透明の物質で作られていた。透ける本棚には、隙間なく本が並べられていた。

 しかし、テーブルには書類や、食べかけのジャパリまんや、空のコップが乱雑に置いてあった。床には、急遽運び込んだであろう寝袋が、無造作に敷いてあった。数人のフレンズがここで生活している様子がありありと感じられた。

 ロードランナーは、広さのある空間に着いて、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

「ともえさんとやら、急いでここに来たようですね、関心なのです」

「あの、オオコノハズクさん、ワシミミズクさん・・・ビーストは、どうなったの?」

「この先を行ったところに、ビーストを閉じ込めています。そして、私・・・助手・・・ハツカネズミ博士の三人で交替で見張ることにしましたです。学生たちにも、順番に私達の供をさせます。デグー、おまえもそれに加わってもらいますのです。」

「はいィ、了解しましたァ!」

 

「ハツカネズミ博士達からつい先ほど定時連絡が入りましたが、まだ「ますいやく」の効果で眠りから覚めていないようなのです。何かあればすぐまた連絡が入るでしょう。」

「さて、では、ともえさん、あなたが聞きたかった話ですが・・・、これ、学生諸君」

 

 オオコノハズクは、傍にいる学生たちに声をかけた。フクロウの学生は三人いた。残りの一人は、どうやらハツカネズミに付いているらしい。学生たちは話の場を大急ぎで設け始めた

 

「どどどどうぞ! ここここちらに座ってください!」 ストンッ! ストンッ!

「お二人が、ジャパリパーク最高峰の頭脳と見識を披露される・・・刮目せよ・・・それはまさに芸術の領域なのだ・・・・・・。あ、これどうぞ、のど渇いたでしょ?」 スッ、トクトクトク・・・

「アアアアオバズクさんも、ててて手伝ってください!」

「ZZZ・・・」

 

 フクロウの学生たちが用意した椅子に、ともえ達は座った。渡されたプラスチック製の

コップには、冷たい水が注がれていた

 

「わ、わふっ、これはご丁寧に、ありがとうございます。ありがとうございます。」

「なんか、上のホテルみてーなノリを引きずってねーか? ゴクッゴクップハッ あー水うめー」

 

「さて、ヒトのフレンズの話ですが・・・そもそも、あなた達は、我々フレンズがどうやって生まれるか知っていますですか?」

「え、えーと・・・サンドスターっていうのと、動物が融合して、フレンズになるんだよね?」

 

「それだけでは、だいぶ情報として不十分なのです。サンドスターが融合するのは、なにも生きている動物である必要はないのですよ。」

 

 オオコノハズク達は語り始めた。サンドスターと呼ばれる謎の物質は、体毛などの遺物さえあれば、そこからフレンズを誕生させてしまうことが出来るのだという

 そのため、古い世界では絶滅してしまった動物であっても、この世界でフレンズとして見かけることは珍しくないのだという

 

「私達が知る、ヒトのフレンズ・・・彼もそんな経緯で生まれたフレンズの一人なのです。彼は、大昔のヒトの髪の毛にサンドスターが融合して生まれた存在なのです。」

「髪の毛・・・」

「もう一つ・・・フレンズとは、そもそもどのように定義される生物だと思いますか?」

「それは、えーと、ヒトの姿をした、動物・・・?」

 

「そこの所を整理するのです。フレンズは、ヒトのように二足歩行を行い、会話で意思疎通を行い、他の個体と自由意志で群れを作って暮らしています。一方で、元となった動物の性質を受け継いでいます。」

「たとえばイエイヌ、おまえは鋭敏な嗅覚を持ち、寒さに強いのです・・・そしてオオミチバシリ、おまえは速く走れる一方で、飛ぶことはあまり得意ではない。乾燥したちほーを好む、などがありますですね・・・」

「言われてみりゃー、そこら辺のことは、当たり前のことだよなー?」

「わふっ、ヒトの特徴はなんですか? なんですか?」

 

「ヒトの最大の特徴は、道具を作り、使うこと・・・このジャパリホテルのような巨大な建造物さえ、ヒトはすべて一から作り上げてしまうのです」

「やっぱり! ともえさんも、色んな道具の使い方を良く知っているんですよ。」

 

「何か危険なことあっても、変なことひらめいて、道具を使って何とかしちまうもんなー」

「いや、何とか出来るのは、二人が協力してくれるからだよ・・・」

 

   コクッ・・・コクッ・・・

 

 オオコノハズク博士は、ゆっくりとコップの水を飲み干すと、ともえを静かに見据えた。ともえは緊張した面持ちで博士たちの話に耳を傾けた

 

「さて・・・と、ここまでは前置きで、ここからが肝要なのです。フレンズは元となった動物の性質は受け継ぎますが・・・動物だった頃の「記憶」は引き継がないのです。」

「つまり、良いですか? 元が何の動物であろうと、フレンズとしてどう生きるかということには関係がないのです。」

「何が好きか、何がしたいかっていうのは、後天的な経験で決まっていくのです。我々は、知識を究めたい・・・上のホテルで働くフレンズ達は、ホテルという場で客を持て成したい、というふうに・・・フレンズは皆、生きていく途中で「生き甲斐」を見つけるのです。」

 

「生き甲斐・・・」

 

「ですが、我々が知るヒトのフレンズは、そうではありませんでした。最初に「彼」と出会った頃、我々は彼が「ヒト」であることを教えたのです。しかし彼は、その後もヒトの痕跡を追い求め続けた。他のフレンズは、自分が何者かわかった時点で満足し、自分らしく、フレンズとしての人生を生きはじめるのですが・・・彼は、自分の居場所や、自分が生まれてきた理由に固執し続けました。まるで、そうしなければ自分という存在が保てないかのように・・・それを探すことが、最初から定められているかのように・・・」

 

「ともえ、あなたはどうなのです? 多分、今話した「彼」と同じような気持ちでしょう? これからも、ヒトの痕跡を追い続けるつもりでしょう?」

「あの・・・・・・うん。あたしはやっぱり、あたし以外のヒトを、探したい・・・」

「やはり、そうなのですね。これは、ヒトに共通の特徴なのですかね。ヒトにとって、自分以外のヒトに会うことは、生まれ持った根源的願望なのですかね・・・あるいは、何か、もっと深い理由があるのかもしれませんが・・・」

 

「・・・あの、その「ヒトのフレンズ」は、その後どうなったの? ヒトの痕跡を探し続けてそれを見つけられたの?」

「・・・わかりません。我々が、最後に彼に会ってから、もうずいぶん経ちますです。今もまだ、探し続けているのかも・・・あなたも彼と同じようにヒトを探し続けるのだとしたら、いつかどこかで彼と出会えるのかもしれませんね」

「つまり我々が言いたいのは、自分以外のヒトを探し続ける以外にも、あなたには違う生き方もあるということなのです。そこの仲間たちと一緒に、どこかで楽しく暮らすとかね。」

 

「あまり、ためになる話ではありませんでしたかね? あなたは多分、具体的なヒトの手がかりが欲しかったのでしょうが、そういう話は、我々は知らないのです。」

「・・・・・・ううん、ありがとう、オオコノハズクさん、ワシミミズクさん。とてもためになった」

「ともえさん・・・」

「それは良かったのです。我々が話せるのは、それぐらいですね・・・。もう上に戻って、休むがいいです。」

 

「待って、あたし達、もうひとつ用事があってきたの・・・。ビーストに会わせてもらうことって出来ないかな?」

 

≪え、今なんて・・・≫

 

 ともえがその言葉を発した瞬間、博士たちフクロウは途端にざわついた。ともえは構わず説明を続けた

 草と岩の丘で、ビーストに言葉が通じたように見えたこと。会話が出来れば、ビーストと和解できる可能性があるかもしれないこと

 

「ビーストと、和解する・・・? あなたはそんなこと考えているですか? 理解不能なのです」

「ビーストって呼ばれてるけど、見た目はフレンズと同じに見えるの。フレンズとビーストは違う生き物なの?」

「いえ、おそらくビーストだってフレンズと変わりありません。サンドスターと融合した元動物だと思うのです。それが何かのきっかけで、目の前のものを無差別に襲う凶暴な怪物に変化したのです。原因が何なのか・・・今からそれを突き止める研究を始めます。・・・そこに部外者を入れるのは、無理な相談なのです。」

「あうう、そこをなんとか・・・」

 

   “・・・・・・皆さん・・・報告があります・・・”

 

 突如、どこからか声が聞こえた。ビーストを見張っているはずのハツカネズミの声だ。

何かの機械を使って、離れた所から、オオコノハズク達に連絡をよこしていた。

 

   “・・・・・・ビーストが、目を覚ましました・・・”

≪・・・!≫

 

「ハツカネズミ博士、ビーストの様子は? 暴れ出しそうな気配はありますですか?」

 “・・・・・・いえ、そんな様子はまったく・・・開眼し、体を起こしはしましたが・・・身動きひとつ取る様子はありません・・・オオコノハズク博士たちも、ひとまずこちらに来ていただけますか? この後どうするか、話し合いましょう・・・”

「わかりましたのです、助手。行きましょう」

「行くのです」

 

 部屋の奥へと振り返り、歩き始めた二人に、ともえはまた声をかけた。

 

「あの・・・・・・」

「あなた達まだ居たのですか! 何度頼まれても無理なものは無理なのです!」

「ビーストを離れて見るだけでもダメかな・・・?」

 

「・・・しつこい人なのです・・・そうですね、じゃあこういうのはどうですか? 我々を感動させるような料理をあなた達が振る舞ってくれたら、考えてあげてもいいのです。・・・今朝食べた、あのレストランのような・・・・・・まあ無理でしょうが」

 

「わふっ! それ! 多分できます!」

「え、出来るって言いましたですか? あのレストラン並の料理ですよ」

「はいっ!」

「イエイヌちゃん!?」

 

 イエイヌはともえに近づき、ショルダーバッグを開けて中をまさぐると、小さな巾着袋を取り出した。

 

「わふっ、この袋には、白トリュフが入ってます。今朝リャマさんにいただいた物です。それにわたし、あの料理のお手伝いをして、作り方は覚えてます・・・調理場があれば、この料理と同じものをきっと作ってみせます・・・・・・だから、だから、ともえさんのお願いを聞いてください!」

 

「ちょ、ちょっと、見せるのです」

 

 オオコノハズクは、イエイヌの手にある巾着をひったくり、そっと開いた。ワシミミズクと顔を見合わせ、もう一度巾着の中を見つめた。二人の梟は、普段の様子からは想像も出来ないほど、動揺した表情を見せた。大きな目が、普段より一回り以上大きくなっていた

 

「いえ、お、おまえが料理をする必要はないのです・・・」

「こ、この食材を、我々に譲るのです・・・」

「おいおい、タダで譲れってーのかー?」

「ああもう、わかりました! 我々に付いてきたければ、勝手に付いてくればいいです!」

「(これ、公私混同ってやつじゃねーか? この人ら、それなりに偉い人なんだよなー? それでいーのかよ・・・)」

 

    ・・・ウィィィィン・・・

 

 部屋の奥の扉がスライドし、さらに細長い廊下が、姿を現した。梟の二人組が、奥へと

進み始めた。ともえ達もそれに続くように歩き出した

 

「やった、ともえさん! ビーストに会えますよ!」

「う、うん。イエイヌちゃんの機転で、助かったよ!」

「機転・・・?」

「多分、イエイヌは全部本気だと思うぜ」

 

「あなた達! 付いてくるんだったら、さっさと来るのです!」

「はぁ~~~い」

 

 ともえは、細長い廊下を進みながら、先ほど聞いた話を反芻した。

「フレンズはみんな、生きていく途中で生き甲斐を見つける」その言葉が、一番印象に残った。ヒトにとっての生き甲斐は、やはり、自分以外のヒトがいなければ成り立たないのだろうか。そして、ビーストにも生き甲斐があるのだろうか?

 

 ともえは、とても大事な話を聞いたと思った。しかし今のともえには、その大事な話を、自分にどう当てはめればいいのかさえ、わからないのであった

 今はただ、目の前の出来事に向かい合うだけで精いっぱいだった

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」


哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・げっ歯目・デグー科・デグー属 
「デグー」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コキンメフクロウ属 
「アナホリフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メンフクロウ属 
「メンフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・アオバズク属 
「アオバズク」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・マイルカ科・マイルカ属 
「マイルカ」
 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-01 通称ラモリ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Materials________________

花虫綱・イシサンゴ目・ミドリイシ科・アワサンゴ属
「ニホンアワサンゴ」

用途:人・物を乗せて水上を渡航する 素材:木材・金属など 発明時期:紀元前四千年頃
「船」
用途:宿泊・飲食の提供・物流など 素材:さまざま 発明時期:西暦700年頃
「宿泊施設」
用途:人・貨物の上下・水平方向への運搬 素材:木材・金属など 発明時期:西暦1889年
「電動機式エレベータ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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現代編3 「しずかなよる」

 あるトラのものがたり第3話です。

 海に沈んだジャパリホテルにたどり着いたともえ達。


____・・・ジャラッ・・・ 

  

「ウゥ・・・」

 

 自分の体が眠りから目覚めたことに気付いた。ここはどこだろう? 狭くて冷たくて、何もない場所だ。自分以外には誰もいない。寝ている間に、首に鎖が付けられている。つくづく鎖に縁がある人生だ

 最後の記憶は、あの草と岩の丘だ。あそこで私は、何者かに捕えられた。私をここに連れてきたのもその者たちだろう

・・・だが、その者たちを責める気持ちはない。こういうことになったのは、私のせいだ。私はなるべく人目を避けて隠れ住んできたつもりだった。フレンズに遭遇すれば、自分の意志と関係なく私の体は暴走をはじめる

 なのに、なぜ私は、誰かと遭遇してしまうかもしれないような場所をうろついたのか・・・なぜ同じ場所に長期間留まってしまったのか・・・最近の私の行動は異常だ。そんなことをしていたら、こういう目に遭っても仕方がない

 自由のない檻の中・・・だがしかし、ここは私にとって、悪い場所ではないのではないか? ここに閉じ込められ続けていれば、誰も傷つけずに済む。私はいつも、そういう場所を探していた。誰にも知られずにいられる場所を・・・そうだ、この場所に留まり続けよう・・・そうするより、他にない・・・

 どうせ、私の心はすでに死んでいる、後は肉体がそれに追いつくのを待つだけだ・・・

 

「・・・・・・(ついにビーストが覚醒した・・・心拍数、血圧、血中酸素飽和度ともに正常値・・・)」

「あ、あの~・・・?」

「・・・・・・はい?」

 

 ビーストを入念に観察していたハツカネズミの後ろから、声をかける者がいた

 オオコノハズク達の弟子の一人、メガネフクロウだ。オオコノハズク達とは交替でビーストを見張ると決めた。そしてそれの補佐をする弟子たちも同じだ。今はハツカネズミとメガネフクロウがビーストを見張っていた

 仕事上偶然一緒になっただけの、お互いを良く知らない二人同士、特に会話もなく、沈黙のまま時間が経っていた

 

「いや、自分喋んないの苦手でしてww ハツカネズミ博士とちょっとお話出来ないかって思ってww? 」

「・・・・・・そうですか。それで・・・何の話をすればいいのですか?」

「何の話ってww えーとww疲れたっすねww」

「・・・・・・私は別に疲れていません」

「そっすか。それにしても、ビーストって怖いっすよねーww?」

「・・・・・・どう思おうが・・・やるべきことをやるだけです」

「はは、そうっすよね・・・ww(うわぁ・・・アタシこの人苦手だしwwビーストより苦手だしww)」

 

    ウィィィィン・・・

 

 噛み合わない会話が交わされていた密室の扉が突如開かれた。先ほど呼び寄せたオオコノハズク博士、ワシミミズク助手の後ろから、本来ならここにいるはずのない三人の人影が・・・

 

「待たせたのです」

「わ~~~んww博士~~~ww」ガシィ ブンブン

「一体なんなのですメガネフクロウ! 落ち着くのです! ・・・ハツカネズミ博士、状況を教えるのです」

「・・・・・・先ほど・・・無線で連絡した通りです。ビーストは動く様子を見せません・・・ただ起きただけ・・・それより・・・あなた達こそ・・・説明してください・・・なぜ・・・部外者がいるのですか?」

「・・・そ、それは・・・」

「(食い物に釣られて部外者入れたなんて、言えるわけないよなー)」

「ビ、ビーストの調査に必要と思い、ここに招いたのですよ・・・ともえ、ほら、あなたの見解を述べるのです!」

「あ、う、うん・・・あたしは・・・かくかくしかじかで・・・」

 

「・・・・・・なるほど・・・・・・ビーストと会話し・・・和解する・・・ですか・・・ビーストにこちらの意志が通じる可能性があると・・・。・・・それと関係あるのかはわかりませんが・・・ビーストを捕獲する時に・・・ある違和感を感じました」

 

 ハツカネズミは説明した。ビーストを捕鯨網の中に捕え、相対した刹那、ビーストの中から膨れ上がる殺気を感じたことを、そしてその殺気が、突如薄れていったことを

 

「・・・・・・ビーストを無事捕獲できたことは・・・幸運でした・・・私はあの瞬間・・・作戦は失敗したと思いました。ビーストの威勢が・・・何らかの原因で削がれたことで・・・捕獲することが出来ました・・・あの時・・・ビーストに何が起こったのか・・・それは・・・解明する価値があるでしょう・・・」

「ほう、ほう・・・わかりました。やはり私達は、間違っていなかったのです。そうですね、ともえ」

「・・・あ、いや、それはわからないけど」

 

「博士、ハツカネズミ博士、とりあえず当初の予定通り、ビーストに何らかの刺激を与えて、反応が変化するかどうかの実験を行いましょう・・・メガネフクロウ、仕事の時間なのです」

「ひぇ・・・! な、なんっすかww? ワシミミズク准教授ww?」

「ビーストに餌をやるです」

「あの、餌ってなんすか・・・ww?」

「餌といえばジャパリまんと水に決まっているです。さあ、下に行って、ビーストに与えてくるのです。あらかじめ話した通りにやれば、危険はないのです」

「あ、ああ・・・wwそうっすねwwジャパリまんと水、ビーストにあげてくるっすww」

 

 メガネフクロウは、小走りで部屋の隅に走った。部屋の隅には、小さな階段があった

そしてあっという間に階下へと消えていった。

 

「あの、この部屋、どうなっているの? ビーストは一体どこに?」

「・・・・・・どうぞ・・・ここへ来てください」

 

 ハツカネズミがともえ達を部屋の奥の壁へ手招きした。薄暗くてよくわからなかったがそこはガラスになっており、その奥の空間が透けて見えた。しかしガラスの向こう側にはただ無機質な壁が見えるだけ・・・

 

「・・・? 何も、ないけど」

「・・・・・・下を見てください」

「・・・あ!」

 

 言われた通りに下を見下ろすと、そこにはある程度の広さの部屋があった。その部屋の隅っこに、見覚えのある橙色の姿が、壁を背にひっそりと、胡坐をかいて座っていた

 ビーストの首元には、大きな首輪と、それにつながる鎖が付けられていた。開かれた目は遠くを見ているような、何も見ていないような、虚ろな様子だった

 

   コンッ・・・コンッ・・・・・・スススッ

 

 下の空間の、ビーストがいる側とは反対側、ともえ達が見下ろしている側から小さなトレイが出てきた。トレイの上には数個のジャパリまんと、水の入ったコップが乗せられて

いた

 トレイは細長い棒で押されながら、ゆっくりとビーストの方へ近づいていった。ビーストに与える食料だ。食料を押し出しているのは、たった今下に降りていったメガネフクロウだろう

 やがてトレイは、ビーストのすぐ前で止まった。メガネフクロウが持つ棒は、急いで部屋の奥へ引っ込んだ。ビーストは、目の前にある食料に見向きもしなかった。ただ、微動だにせず座っていた

 

「ほう、何も反応しないです。」

「・・・・・・おそらく空腹と思われますが・・・反応、しない理由は・・・?」

「博士、ハツカネズミ博士、少し様子を見るのです。ビーストは明らかに警戒しているです。時間が経てば、警戒心が薄れてくる時があるはずなのです。」

 

「あの・・・」

 

学者たち三人の会話に、ともえは口を挟んだ。

 

「あの、ビーストが元々フレンズだったって教えてくれたけど、ビーストは何のフレンズだったの?」

 

「ん・・・? ああ、ビーストは元々「アムールトラ」のフレンズと思われるです。様々な文献で集めた情報と、身体的特徴が一致します。まず間違いないのです」

「アムール、トラ・・・? 文献で集めた情報?」

「かつて極寒のちほーに住んでいたといわれる、最大のトラなのです・・・というかそのあたりは、すでに知っていると思っていましたが? そこの、あなたが連れているラッキービーストに教えてもらわなかったのです?」

 

「ああ、ラモリさん、フレンズのこと、あんまり詳しくないんだって。ね、ラモリさん」

【・・・ソウダ。フレンズ ノ セイタイ ジョウホウ ハ オレ ノ メモリー ニ キロク サレテ イナイ。ホカ ノ ラッキービースト ト オレ ノ ヤクメ ハ チガウ】 

 

「フレンズに詳しくないラッキービースト・・・? 見た目といい、ますます妙なのです」

「うーん、他のラッキーさんを良く知らないけど、そうなんだ? でもラモリさんは、ヒトの道具の使い方とか、歴史とか、ちほーの気候風土とか、すごく詳しいんだよ」

 

【ソレヨリ トモエ、コレカラ ドウスル キ ダ?】

 

「う、うん・・・あの、オオコノハズクさん、ワシミミズクさん、ハツカネズミさん・・・もしよければ、あたしが、アムールトラさんに、声をかけて見ても良いかな?」

「ともえよー、それは、さすがにOKしてくれないんじゃねー?」

「いや、いいでしょう、特別に許可してやるです。いいですね、助手、ハツカネズミ博士」

「異論はないのです」

「・・・・・・ビーストの反応を調べるためには・・・有効・・・かもしれません・・・」

「えっ、意外とすんなり」

「私達が躊躇したのは、部外者に私達の研究を知られることです。知られてしまったからには、特に気に留めることはないのです」

 

___タッタッタッ! ピョン!

 

 部屋の下に降りていたメガネフクロウが、大急ぎで階段を駆け上り戻ってきた

 

「ヒェ~~ww あ~まじ怖かった~ww」

「ごくろうです。しかし、何もそこまで恐れなくても・・・あの檻なら、ビーストが暴れてもまず安全なのです。」

「ですけど~ww ビーストを、間近で拝むと、やっぱ迫力スゲ~ッすよww」

「あの階段を下りればビースト、じゃなくてアムールトラさんに会える・・・よし、あたし行ってみる」

「わふっ、待ってください! ともえさん、わたしも、わたしも一緒に・・・」

「・・・・・・いいえ・・・行くなら一人でお願いします・・・多人数で押しかけても・・・ビーストを無駄に刺激するだけですので・・・」

「でもっ・・・」

「イエイヌちゃん、大丈夫だよ。心配しないで」

「はい・・・」

 

  コツン・・・コツン・・・

 

 ともえはゆっくりと、狭くて暗い階段を下りていった。そして一番下にたどり着いた。灯りは上の部屋からしか当たらない。何の音もしない。そして、何も物がない・・・なんて寂しくて冷たい感じのする場所だろう、と思った。ともえは牢屋のすぐ前まで近寄った

 一本一本がともえの腕と同じような太さの鉄格子を掴み、暗い空間の奥に浮かび上がる姿を見つめた

 

「あの・・・」

 

 アムールトラの側からも、ともえの姿は確実に見えているはずだった。しかしアムールトラは相変わらず俯き、その瞳に何も映そうとしなかった

 

「はじめまして、って言うのも変だよね・・・あたし達、何度か会ったよね」

「・・・」

「あたしの名前、ともえっていうの。あなたは、アムールトラさんだよね?」

「ッ・・・」

 

 アムールトラは、長らく呼ばれていなかった自身の名前を聞き、一瞬だけともえの方を見やり、目が合った。しかし、そのすぐ後には視線を外した

 

「あなたとお話がしたいの・・・あの時の続き・・・。だから、その・・・あなたのことを、もっと教えて欲しくって・・・」

 

 ともえは息を押し殺しながら、アムールトラの反応を待った。恨み言でもいい、気持ちを言葉として吐き出して欲しかった

 

「・・・ナ・・・」

「え?」

「・・・ハナシ、カケルナ・・・」

 

 アムールトラは、絞り出すように、喉を振るわせて声をだした。何の感情も感じない声

だったが、明確にコミュニケーションを拒絶するという意志を伝えた。

 

「ア、アムールトラさん、あたしはあなたの敵じゃないよ。お話がしたくて、ここに来たの!」

「・・・キエテ、クレ・・・」

 

 ともえは、今この場で、これ以上話すことは無理だと悟った。微動だにしないアムールトラの姿が、より一層かたくなに思えた

 

「うん・・・ごめんね。あたし、帰るよ」

「・・・」

 

   コツン・・・コツン・・・

 

「あ! ともえさん・・・」

「はは・・・なんか、全然ダメだった」

「いや、やはりあなたを呼んで正解でしたです」

「怪我の功名というやつなのです、博士」

「え? 何も話せなかったよ?」

「・・・・・・いえ・・・話しました。ビーストが言葉を発しました・・・つまり・・・ビーストとはコミュニケーションが出来る・・・というあなたの仮説が実証されました・・・」

「あ、そうか。確かに、アムールトラさんが喋ってるの、はじめて聞いた・・・ところで・・・アムールトラさんをここから外に出してあげるには、どうしたらいいの?」

「ビーストがフレンズを襲う原因と、防止策が明らかにならない限り、外には出せないのです。そのためにももっとビーストを研究する必要があるです。だから、ともえ・・・もっと話しかけて、ビーストの発語を促すのです」

 

「うん、わかった・・・けど、普通に話しかけただけじゃ、アムールトラさんは何も話してくれないと思う。だから、何かやり方を考えなきゃ・・・・・・・・・あ、そうだ!」

「? 何なのです?」

「オオコノハズクさん、さっき言ってたよね。文献で集めた情報でアムールトラさんのことを知ったって。その文献を見せてもらえないかな?」

「ほう、何か考え付いたですか? ・・・まあ、見せるだけならただです。メガネフクロウ、アレとアレとアレとかその辺を研究室から急いで取ってくるです」

「ま、またパシリっスか~ww? 」 

 

 メガネフクロウは勢いよく部屋を飛び出すと、ものの数分であっという間に舞い戻ってきた

 

「へー、俺様ほどじゃねーけど足の速い鳥類だな」

「はぁ・・・はぁ・・・これでいいっすかww」

 

~~~~「野生ネコ大百科」~~~~

~~~~「密林の帝王 トラの不思議100」~~~~

~~~~「虎に関する史話と伝説民俗」~~~~

~~~~「阪神タイガース その挫折と栄光」~~~~

~~~~「令和の虎」~~~~

 

「ありがとうメガネフクロウさん! やっぱりそうだ、動物図鑑みたいな本だ! この5冊、ちょっとあたしに貸してくれないかな?」

「ごくろうメガネフクロウ。で、その本をどうするですか?」

「うん、ちょっとひらめいたことがあって・・・ふむふむ」 ペラペラ

「さすがにヒトのフレンズは、苦も無く字が読めるようですね・・・それはともかく、ここで読書に耽られては困るです」

「今日のところは、上に戻って休むです」

「え、ここで何かお手伝いすることは出来ないの?」

「・・・・・・ここには・・・食料も寝床も・・・我々の分しかありません。だから・・・上で、食事と・・・休息を・・・」

 

____グゥゥゥッ・・・

 

「やっべー、そういえばリャマさんところで朝食食べたきりじゃねーか、今、夕方ぐらいか? めっちゃ腹減ってんな」

 

____グゥゥゥッ・・・

 

「クゥン・・・わ、わたしも」

「ほう、ははは、イエイヌもロードランナーも、中々大きな腹の虫なのです」

 

____キュルルッ・・・

 

「え、な、何です今の音は?」

「あたしの・・・腹の虫だよ」

「変な音なのです」

「変過ぎるです」

「ほ、ほっといてよぉ」カァァァッ

 

 ともえ達3人が、アムールトラの監視部屋を出て、その先の研究室を通り過ぎ、上へと向かうエレベーターの前まで来ると、後ろから呼び止める声が聞こえた

 

「・・・・・・私も・・・上に戻ります・・・」

「あ、ハツカネズミさん」

「・・・・・・ちょうど交替の時間ですので・・・上での仕事をしようかと・・・」

 

 エレベーターにてホテルの階層へと戻ると、窓ガラスから覗く海の中もすっかり暗くなっており、太陽が沈んでしまったことを示していた。ホテルはすっかり夕食時で、宿泊客はみんなどこかで食事をとっているのか、ロビーでは人影をほとんど見かけなかった

 ともえ達とハツカネズミが4人で歩いていると、どこからか言い合う声が聞こえた

 

≪いくら頼んでもダメです! そんな危険なことを許可するわけないでしょう!≫

≪で~も~! 本当にスゴかったんだから! あれを持ち帰れたら、良い客引きになるよ~! ねっ支配人お願い!≫

 

「おー? 何だ何だー?」

「あれは、オオミミギツネさんと、マイルカさん? それと頭にヒレのあるフレンズの人達が数人・・・」

「あ、お客様! お戻りになったんですか? ・・・すみませんお見苦しい所を・・・ハツカネズミさん、仕事は一段落したんですか? 今日はもう休む?」

「・・・・・・いえ・・・最近、あまりこちらで仕事できてなかったから・・・それより今、何の話をしていたのですか・・・?」

「あ、ハツカネズミさんも聞いて!」

 

 海生哺乳類のフレンズ達は語り始めた。つい先日のこと、船頭を務める彼女たちは、いつものように、仕事帰りに集まって海中を泳いで遊んでいた。普段は、暗闇である夜の海中を"ソナー"頼りに泳ぎ回っていたが、ある時"眩しい青い光を放つ何か"が海底にあるのを見つけたという

 彼女たちが不思議に思って近づいてみると、青い光の近くを"船みたいな大きな影"がゆっくりと動いているのを見つけた

 彼女たちはその影が怖ろしく思えて、岩陰や、海底に沈む古代の建物に隠れてやり過ごした

 影がどこかへ消えた後で、再び青い光を探してみたものの、光は失われており、見つけることは出来なかったという・・・

 

「だから、明るい昼間のうちに、青い光の正体を探してみたいの! あれ絶対すごい宝石か何かだよ!」

「・・・・・・それは・・・ウミホタルや、クラゲなどの・・・水中で光る生物とは違うのですか・・・?」

「ああいうのとは全然違うよ! 太陽みたいに眩しかったもの!」

 

「わふっ、ともえさん、聞きました? 突然光ったり、消えたりする何かって、もしかして、もしかして・・・」

「もしかしなくても、オーブだよなぁー?」

「うん、ラモリさんが言ってたこととも一致するよね・・・白じゃなくて、青いオーブか・・・あ、オーブっていうのはね、かくかくしかじかで・・・」

「・・・・・・つまり・・・あなた達が探している物なんですね・・・それをすべて集めれば、セントラルエリアへの道が開かれ、他の“ヒト”に会えると・・・」

 

「そ、それより、動く大きな影って何なんです!? ホテルに危険が及ぶような物なら支配人として看過できませんわ!」

「・・・・・・フレンズよりずっと大きくて、動く生物・・・といえば・・・セルリアンしか該当する

ものがありませんが・・・」

 

 ハツカネズミの口から出た単語に、その場にいる全員がざわついた

 

「・・・・・・しかし・・・海中で活動するセルリアンなど、聞いたこともありません・・・セルリアンの体表が水分に触れると、体の組成を維持できずに溶けてしまう・・・と、オオコノハズク博士達から聞きました・・・だからこのホテルには、セルリアンの危険が及ぶことはないと・・・だから支配人、ひとまずセルリアンの線は薄いです・・・」

「そ、そう・・・? あなたがそう言うのなら、信じるけど・・・」

「支配にーん! お客様がどうしても欲しい物なんだってさ! だから、やっぱり探しに行かせてよー!」

「あなた達・・・お客様の事情にかこつけて、探検ごっこがしたいだけなんじゃないの?」

 

「うん、ここはオオミミギツネさんが決めるべきだよ。ホテルのみんなが危ない目に遭うかもしれないんだもの・・・あたしだって、無理は言えないよ」

「ともえー、そんなこと言ってる場合かよー、つい先日だってオーブを手に入れそこなったんだぞー」

「えぇ、でも・・・関係ないホテルの人達を巻き込むのは・・・」

「だからよぉー、オレ様もそこに付いていくぜー! それならフェアだろーよ?」

「ろ、ロードランナーちゃん?」

「え? どこに行くかわかってんのー? 海ん中だよ? アンタ鳥じゃん」

「そ、それはよー、何か手があんだろぉー?」

「えー何それー、泳げない子は連れてけないからね」

 

「・・・・・・スキューバ・・・自給気式水中呼吸装置・・・つまり、水中に適応していない生物でも、長時間水中での活動が出来るようになる道具があります・・・ロードランナーさんには・・・それをお貸ししましょう・・・」

「えっ、マジで! よ、よっしゃ、決まりだぜー! ともえはビーストの研究を手伝う。イエイヌはともえの傍に付いて守る、でーオレ様はオーブ探し! これが明日の予定っつーことで!」

「わふっ・・・ロードランナーさんはいつも、ごーいんぐまいうぇい、ですね」

「ちょっと、ハツカネズミさんも、後押しするようなことを言わないでください」

「・・・・・・すいません支配人・・・オーブは何やら、未知の物質らしいので・・・私も見てみたいと思って・・・」

「もう・・・。いいわ、わかりました。明日、そのオーブとやらを探しに行くことを許可します・・・あなた達、もう、今日は帰りなさい」

「「「はーい! おつかれさまでしたー!」」」

 

「はぁ・・・気苦労が絶えないわ。あ、お客様、お夕食がまだお済みでないなら、食堂へご案内しますわよ? ハツカネズミさん、あなたもまだでしょう? 一緒に来なさい」

 

 ともえ達がオオミミギツネの指差した先へ向かおうとしていた矢先、通路の向こうから声をかけてくるフレンズがいた

 

≪はぁ、はぁ・・・あ、ハツカネズミさん、ちょうどいい所に!≫

「・・・・・・ブタさん・・・どうかしましたか・・・?」

「はぁ、はぁ・・・ほら、あの機械、自動で洗濯物を乾かしてくれるアレ、調子が悪くって・・・お部屋のアメニティが準備できなくて困ってるの、ちょっと、見てみてください」

「・・・・・・乾燥機が故障したのですか・・・わかりました・・・・・・では、皆さん・・・失礼します・・・」

「ま、待ちなさいブタさん、ハツカネズミさんは休憩中なんですのよ?」

「・・・・・・構いません・・・支配人・・・食事は仕事をしながらでも出来ます・・・では」

 

 ハツカネズミはブタに招かれ、一足先に去って行った

 

「へぇ・・・仕事熱心な人なんだな」

「ええ、仕事ばっかりじゃなくて、遊んだり、美味しい物を食べたりしないかと言っているのですが、まるで興味がないようなのですの。まあ、珍しい物とか、機械の仕組みとかには興味があるみたいですけど」

「わふっ、あの、オオミミギツネさん、ハツカネズミさんは、このホテルで働く前、どこで何をしていたんですか?」

「私も、それはわかりませんわ。何しろ自分のことは話さない子だから」

「そ、そうですか・・・」

 

 オオミミギツネの案内を受け進むと、赤絨毯にシックな木製の柱が立ち並び、高い天井からシャンデリアが垂れ下がる、ひと際豪華な内装の広間に出た。宿泊客のフレンズ達が談笑しながら食器をつつく音で賑やかな場所だった。オオミミギツネはウェイターに話しかけ事情を説明した

 承ったウェイターが、ともえ達を空席に案内した。オオミミギツネはともえ達に笑顔で会釈すると、食堂を後にした。少し経つと、料理が次々と運ばれてきた。海鮮野菜サラダ、ナスとジャガイモがたっぷり入ったチーズドリア、海に面したちほーでしか作られていないという黒いジャパリまんetc・・・

 

「ガツッモグモグッ ゴックン・・・プハーッ、生き返るぜーこいつはよー!」

「ともえさん、美味しいですね!」

「・・・うん」

「・・・ともえさん?」

「・・・アムールトラさんは、ちゃんとご飯、食べたかな・・・」

「・・・あ・・・はい」

「食べなかったの、何か理由があんのかなー? ぜってー腹減ってるだろーにな」

 

 ともえは食事に集中できず、味もよくわからなかったが、とりあえず腹は満たされた。明日までに、博士たちから借りた本を使ってやることがある。そのために、早くどこか落ち着ける場所に行きたい・・・そう考えていると、一人のフレンズに声をかけられた

 

≪カッカッカ! よう! 楽しんでるか!?≫

 

「あ、あなたは?」

「オレはハブってんだ。このホテルの副支配人だが・・・まあ実質、ホテルで一番偉いフレンズだ」

「ハブさん? はじめまして。あたし、ともえ。こっちはイエイヌちゃんで、こっちはロードランナーちゃんだよ」

「カッカッカよろしくな。ところで、このオレが直々にこのホテルを案内してやってもいいぜ」

「おー? マジかよー?」

 

「あの、あの・・・ともえさん、ロードランナーさん・・・私、ちょっと行きたいところがあって・・・」

「カッカッカ、案内してやっから言ってみな」

「あ、いえ、良いんです。わたし一人で行こうと思ってて・・・ともえさん達とは、すぐ合流します」

 

 それだけ言うとイエイヌは、足早にその場を立ち去って行った

 

「どうしたんだろイエイヌちゃん」

「あー、あれじゃねー? ・・・その、お花を摘みにさ。イエイヌはそこらへん恥ずかしがるからなー」

「えぇ? そんなことかな? あ、ところで、あたしもこの本を早く読みたくて、ホテルの案内はまた次の機会に・・・」

「おいおい、案内してやるっつってんのに、次々いなくなるなよ」

「ともえー、行って見よーぜ。このホテルには、ヒトの機械とか色々あんだろー? 絶対なんかタメになるもんがあるって」

「それはそうだけど・・・わ、わかったよ」

「さあ付いてきな、まずはこのホテルで一番流行ってる所に案内してやんぜ!」

 

 _____・・・キュッ キュッ・・・カチャン

 

 場面は変わって、ここはホテルの“りねんしつ”。ブタに呼ばれたハツカネズミが目の前の、フレンズの背丈ほどの機械の修理に取り掛かっていた。機械の背面からドライバーをねじ込み、外装を取り外して中身を観察した

 

「・・・・・・これは・・・」

「ハツカネズミさ~ん、どお? かんそうき直りそお?」

「・・・・・・ええ・・・ブタさん・・・バックフィルターに異物が絡まっていました・・・これなら簡単です・・・」

「そお? 良かった~」

「・・・・・・すぐに動かせるので・・・今の内に洗濯物を集めてきてはどうですか・・・」

「は~い! 良かった~、これで洗濯物がサラサラのホカホカになるわ~!」

 

______コン、コン・・・

 

「・・・・・・ん・・・?」

 

 ブタが踵を返して仕事を始めようとした瞬間、渇いた音が鳴った。普段なら忙しく従業員が出入りするだけのリネン室の扉に、丁寧なノックをして訪ねる者がいた

 

≪わふっ・・・あの、あの、すいません≫

「はい~どなたです~? 道に迷われたんですか? ここはお客様が来るところでは・・・」

≪入っても、いいですか?≫

 

______ガチャン・・・

 

「わふっ、わたし、ハツカネズミさんに少し用事があって・・・」

「・・・・・・あなたは・・・イエイヌさん・・・ともえさんと一緒だったのでは・・・」

「あなた、ハツカネズミさんの知り合いですか? えーとつまり、今から、なんか難しい話をする感じ?」

「・・・・・・大丈夫・・・仕事は遅らせませんよ・・・ブタさんは・・・早く洗濯物を・・・」

「え~? そう・・・?」

 

 ぽかんとした表情のまま、ブタはリネン室を後にし、イエイヌとハツカネズミが2人きりで対面した。パイプを伝う水の音や、換気口を通り抜ける空気の音・・・様々な音が両者の沈黙を際立たせた

 

「ごめんなさい、お仕事してる所にお邪魔しちゃって」

「・・・・・・私に用事とは・・・何ですか・・・?」

「あの、ハツカネズミさん、あなたとわたし、なんだかよく似ているって思って・・・」

 

 イエイヌとハツカネズミは、互いの体を見比べた。二人とも、体中ほとんどの部分が白かった。手先、足先、髪色や耳などが灰色だったり、黒かったりすることや、手袋や履物など身に着けた装飾品に違いがあるだけだった

 そして一番の共通点は、左右異なる色の光を湛える双眸・・・

 

「・・・・・・あなたはイヌ科・・・私はネズミ科・・・どうして似ていると思うのですか・・・? 白い体色のフレンズなら・・・他にいくらでもいる・・・目の色だって、確かに珍しいですが・・・時々そういうフレンズを見かけたりします・・・」

 

「わふっ・・・わたし、あなたみたいに頭が良くないから、上手く説明できないんですけど・・・フクロウのお二人から、気になる話を聞いたんです。フレンズには、元となった動物の記憶はないって、だからやりたいことは“後から決まる”って・・・でもわたしのやりたいことは、最初から決まっているんです。“ヒトの傍にいて、その人を守る”って・・・でも、どうしてそう思うようになったのか、自分でもよくわからなくて・・・理由が分からないような気持ちは、いつか消えてしまうんじゃないかって、不安なんです・・・それで、ハツカネズミさんに聞いてみたいことがあるんです」

「・・・・・・と、言うと・・・?」

「ハツカネズミさんは、機械いじりが得意ですよね? それは、誰から教わったんですか? 機械のことなんて、ヒトじゃない限り、わからないと思うんですが」

「・・・・・・なるほど・・・」

 

_____カチャ、カチャ・・・

 

 ハツカネズミは、乾燥機の方へ向き直り、修理を再開した。そのままのイエイヌの質問に答え始めた

 

「・・・・・・私は、生まれつき機械をいじるのが得意です・・・誰かから教えられたわけではありません・・・・・・イエイヌさんは・・・・そのことにヒトが関係しているのではないかと言いたいのですね・・・?」

「は、はい。ハツカネズミさんは、わたしと同じ“生まれつきヒトのことを知っているフレンズ”なんじゃないかと思って・・・わたし、自分のことが良くわからないから、仲間がいたら、何か教えてもらえるかなって・・・」

「・・・・・・私は・・・具体的にヒトのことを憶えているわけではありません・・・ですが・・・多分・・・どこかでヒトに影響を受けているように思います・・・」

「影響・・・どんな影響ですか?」

 

_____カチャ、カチャ、コン・・・

 

 ハツカネズミは話しながら作業を続けた。みるみるうちに乾燥機のパーツが分解され、それをひとつひとつ床に置いていた。

 

「・・・・・・あなたが“ヒトを守りたい”と思うように・・・私にも、生まれた時から持っている気持ちがあります・・・それは・・・“知りたい”という気持ち・・・フレンズや機械、この世界の仕組みを知りたいという気持ちを抑えられないのです・・・その気持ちが一体どこから来たのか・・・これは推測ですが・・・この気持ちは、ヒトから受け継いだものではないのかと思っています・・・」

「ヒトから、気持ちを受け継ぐ・・・?」

 

「・・・・・・遥か昔、この世界を支配していたのはヒト・・・私達フレンズは、ヒトと様々に関わりながら生きていた・・・そしてイエイヌさんと私はそれぞれ、ヒトと違う形で関わっていた・・・その名残が今もそれぞれの心の中に残っている・・・そう解釈することはできませんか・・・?」

「あの、でも、他のフレンズさんはどうしてヒトのことを憶えてないんですか?」

「・・・・・・それはやはり・・・あなたの推理通り・・・イエイヌさん、あなたと私が、ヒトと特別に関わりの深いフレンズだったからかもしれません・・・・・・やりたいことに裏付けがなくても・・・自分が本当にそうしたいと思っているなら・・・それは揺るぎないもの・・・そう思いませんか・・・?」

「わふっ・・・ハツカネズミさん、ありがとう・・・その話を聞いて、少し楽になりました」

 

 白い体にオッドアイを持つ、奇妙な二人のフレンズの邂逅は、これでひとまず終わった

 

_____〖てんじしつ〗

 

「カッカッカ! どうだ、ここがこのホテルの一番の目玉だぜ!」

「うわ、すごいな・・・」

 

 ハブに連れられたともえとロードランナーは、ホテルの中でもひと際広い部屋を訪れていた

 そこには見たこともない、何のために使っていたのかもわからない機械の数々がライトアップされ飾られていた

 

「見な、これが“れじ”だ! ヒトはこれで通貨のやり取りをしていたんだぜ! で、その隣のショーケースを見てみな・・・」

「なんだこりゃー? 変な模様が掘られた石?」

「これが通貨だぜ! つまり今のジャパリまんなんだよ! まあ、食うことは出来んけど」

「わあ・・・これがヒトの通貨なんだ! すごいなあ、はじめて見た! これは茶色い・・・これとこれは銀色で、こっちは紙で出来てる! ねぇハブさん、こんなに種類があるのはどうして…?」

「カッカッカ、そりゃあな、ジャパリまんにもいろんな色があるのとおんなじだよ」

「え? 本当に? 何か意味があるんじゃ」

 

【カズ ノ オオキサ ガ チガウ】

「ラモリさん?」

【タトエバ コノ チャイロ ノ ツウカ ガ 10コ アツマル ト コノ ギンイロノ ツウカ 1コ ブン ニ ナル・・・コマカイ キンガク ヲ ヤリトリ スル タメ ニ ツウカ ノ シュルイ ヲ ワケタ ノダ】

「へぇ、そうなんだ! ラモリさん、他の通貨のことも教えて!」

【コノ カミ ノ ツウカ ハ コノ ギンイロ ノ ツウカ 10コ ブン デ・・・】

「カ、カッカッカ・・・おい、次行くぞ次!」

 

____〖あんてな〗___

 

「カッカッカ! この奇妙な形の棒を使って、“でんぱ”を受信していたんだぜ・・・でんぱにのって、色々な音や映像を楽しんでいたって聞くぜ」

「へぇ! でんぱっていうのは、どれくらい遠くから届いているの?」

「すごい遠くから届いているぜ」

【デンパ ノ トドク キョリ ハ アンテナ ノ シュルイ ヤ シュウハスウ テンコウジョウキョウ ニ ナド ニ サユウ サレ・・・】

「次だ! 次!」

 

____〖へりこぷたー〗__ 

 

「わー! でけー! なんつー化け物だよこれはよー!」 

「カッカッカ! 中々迫力あんだろ? これは乗り物の一種だぜ、ヒトはこいつを使って空を飛んだんだぜ、この頭に付いたデカい羽でな!」

「後ろのほうの、尻尾みたいなのはどういう働きがあるの?」

「頭でっかちだとバランスが取りにくいから、尻尾でバランスを取っているんだぜ」

【ヘリコプター ノ メインローター ハ ヨウリョク ダケデナク キタイ ヲ カイテン サセル チカラ モ ウミダシテ シマウ。ソレ ヲ ウチケス タメ ニ コノ テールローター ガ・・・】

「おい、コラ! そこのラッキービースト! さっきからオレの仕事に茶々入れてんじゃねえ!」

「あ、ごめんなさいハブさん。ラモリさんもきっと悪気はないから」

「ま、まー・・・ラモリさんの解説に比べると、ハブさんのはちょっとシンプル?かもよ・・・? しかし、あれだな・・・こんなもんに乗って空を飛んじまうんだから、やっぱヒトってーのはすげーよな」

「うん、ところでこの“へりこぷたー”・・・今も飛べるのかな・・・?」

「おー、飛んだらすげーよな・・・オレ様も自分の羽以外で飛んだことはないからよぉー。こいつがどんなふうに飛ぶのか、全然想像もつかねーぞ」

 

 その後も、ともえとロードランナーは、様々な“ヒトの機械”を見て周り、楽しんだ

 そして次にハブに案内された所は、海生哺乳類の顔が模された大きな入口だった。その暖簾をくぐると、そこには実に多種多様な“物”が整然と陳列されていた

 

「さあ! ここは“みやげものこーなー”だぜ! ゆっくり見ていってくれ!」

「すげー! ともえ、何か買って行こうぜー!」

「だ、ダメだよロードランナーちゃん。ジャパリまんは無駄遣い出来ないんだから」

「いや、支配人から聞いてるぜ、アンタたち、ハツカネズミの仕事を手伝ってるんだろ? だから、ホテルからのお礼だ。一人一個ずつ、この店のもん、何でも好きなものタダでやるよ」

「マジでー!? タダ? ちょー太っ腹だな!」

「へへっ、だろ?」

 

 ロードランナーは目を輝かせながら、陳列された品々のひとつひとつを見て回った

 

「わー! 色々あんなー! ん、何これ? ハブさん教えてよ」

 

 ロードランナーが手に取ったのは、色とりどりの細長い筒が入った透明な袋だった

 

「おう、これは・・・これは・・・見せてみな」

 

 ハブは透明な袋をひったくると、それを必死で観察した。正直、こんな袋のことなど、自分が扱う商品の中にあることすら知らなかったが、それを客に知られるわけにはいかなかった

 そして袋の後ろ側にイラストが描かれているのを見つけた。その絵は、ロウソクの火にヒトの子供がこの“細長い筒”を近づけているものだった。そしてその下のイラストでは、筒からいろんな色の光のようなものが出てきていた

 

「あ~! カッカッカ! これはな、松明の一種だぜ」

「松明? 松明ならオレ様たちも持ってるぜー? しかも袋の中に、こんなに何本も松明を入れる意味がわかんねーぞ? 一本ありゃ十分だろーよ?」

「チッチッチッ・・・普通の松明とは違うんだよ。いろんな色に光るんだ」

「何それー! すっげーじゃねーか! なあなあ、オレ様、もうこの松明もらうことに決めたから、試しに一回火を付けさせてくれよー!」

「カッカッカ! いいだろう!」

 

 ハブは快諾すると、透明な袋を束ねる紐を解き、中から無造作に一本“松明”を取り出すと、ロードランナーに手渡した

 

「ともえー、火付けて、火!」

「い、いいのかな? 屋内で松明なんか・・・どこかに燃え移ったり・・・」

「カッカッカ! 松明だぞ? 物に押し当てでもしない限り、火はつかねえさ」

「えぇ? 大丈夫かな・・・」

 

_____シュッ ボウ・・・・・・・チリチリ・・・バチバチバチバチ!!!

 

「うわー!」

 

 松明から勢いよく、色鮮やかな光が飛び出した。光だけでなく、けたたましい炸裂音が辺りに響いた。あまりのことにびっくりしたロードランナーは、松明を投げ捨ててしまっていた・・・床に落ちた“松明”の光が床の絨毯に当たり・・・

 

「ちょっとロードランナーちゃん! ハブさん! これすごく危ないよ! 後やっぱりこれ、松明なんかじゃなかったよ!」

 

_____パサッ

 

「わふっ! ともえさん、ロードランナーさん、お待たせしました!」

「お連れ様をご案内差し上げましたわ! ・・・って・・・きゃああああ!! 何!?」

 

 床に燃え移った火は、居合わせた数人が必死で絨毯を踏みつけたり、水をかけたりすることで、何とか燃え広がる前に消すことができた

 イエイヌを案内してきたオオミミギツネは、ハブのことをこっぴどく叱った

 「松明」に火をつけた当人であるともえも謝ったが、もう一人の当事者であるロードランナーは、ただただ透明な袋に何本も詰められた“松明”に見入り、興奮していた

 

「やべーシロモノだぜこいつはよー! 多分、ヒトが使っていた“へいき”だぜー! これがありゃ、この先の旅できっと役に立つぜ!」

「もう、ロードランナーちゃんったら全然反省してないんだから・・・!」

「いえ、お客様が反省することはありませんわ。このことの責任は全部、軽率な言動をした副支配人にありますの」

「わ、悪かったよ・・・」シュン

 

「さて、ハブさんへのおしおきは後で考えるとして・・・ともえさんとイエイヌさんも何かひとつずつ、いただいていってくださいな」

「うーん、そうだね・・・イエイヌちゃんは何をもらう?」

「はい、わたしは・・・」

 

 イエイヌは、特に自分が欲しいと思う物などなかったが、ともえと一緒に遊べる物があればいいなと思った。投げてもらう玩具「フリスビー」はすでに持っていた。後はどういう物があるだろうか? 

 曖昧な自分の記憶を掘り起こした・・・ヒトと自分は色々な所を一緒に旅して歩いたが、常にお互いが繋がっていた。繋がり・・・心だけでなく、目に見えて自分たちは繋がっていた・・・そう、紐のようなもので・・・

 ヒトが紐を握り、その紐に自分が繋がっている姿を思い浮かべた。それはイエイヌに

とって、とても心が安らぐ光景だった

 

「わふっ、紐・・・太くて丈夫な紐、ありませんか?」  

「はい、太くて丈夫な紐ですか・・・? 知ってます? ハブさん」

「あいよ、んー・・・えーと・・・こんなかな? 紐っつーか、ロープだけど」

 

 ハブが店の一角から取り出したのは、鮮やかなオレンジ色をした繊維で編み込まれた、節々が光沢を放つロープだった。束ねられてはいたが、両手に収まらないほどの大きさであり、ほどいた時の長さは数十メートルに達するのではないかと思しきものだった

 

「わふっ! それすごく良いです! 特に、先端にフックが付いているのがイメージ通りです!」

「イエイヌちゃんは、どうしてそのロープが欲しいの?」

「これでともえさんと「おさんぽ」したいんです!」

「? 散歩にロープが必要なの? 散歩って、高い山とか、そういう所に行くの?」

「ふふふ・・・」

 

 ともえは、イエイヌの考えはよくわからなかったが、満足しているようなのでまあいいかと思った。次は自分がみやげものを選ぶ番だ。正直、興味を引かれるものはたくさんあって、とても決められないと思った

 とりあえず店の中を見て回っていると、とある一角で足を止めた。動物や植物、星や太陽などの、さまざまな形を模した飾り物が陳列された棚がそこにあった

 

「これは・・・」

「ああ、そりゃブローチっていってな、服に身に着けるもんだ。場所はまあ、付けられるならどこでもいいが、胸元辺りがいいかな。この金具をずらしたら針が出てくるだろ? 針で服に穴を開けて、針にもう一回金具をかぶせて留めるのさ・・・・・・な、なんだよ、これは適当な情報じゃねえからな、俺はこういう物には詳しいんだ」

「え・・・い、いや何も言ってないよハブさん。それと、決めました・・・このブローチをください!」

 

 ともえが選んだのは、銀色の装飾が縁取られた、七枚の花弁を持つ白い花の

ブローチだった

 

「へー・・・」

「な、何? ロードランナーちゃん」

「いや、意外だなと思ってよー・・・ともえがそんな、普通に可愛い感じの物を選ぶなんて・・・もっとこう、ヘンテコな何かを選ぶと思ってたぜー」

「えぇ・・・失礼しちゃうなもう!」

 

 ともえは白い花のブローチ、イエイヌはロープ、ロードランナーは透明な袋に何本も

入った松明(花火セット)をそれぞれもらった

 時間はすっかり夜となり、ホテル内も最低限の灯りがともるだけとなった

 ともえ達三人はオオミミギツネに、寝室へと案内された。そこは水色の壁に、貝や珊瑚など海産物をモチーフとする調度品が並ぶ部屋だった

 極めつけは、窓際が一面ガラス張りになっており、海底の景色が一望できた。まさに海の中で眠るような気持ちになれる部屋だった

 しかし、今のともえには、居心地の良い部屋でゆっくり休息を取る余裕などない。ともえは部屋を見回すと、部屋の中央にある大きなダイニングテーブルに荷物を置き、その近くに一人用の椅子を近づけ、腰かけた。そして、オオコノハズク博士たちから借りた“トラにまつわる文献”を読み始めた

 

「ふわ~~~~・・・ともえー、その本で何をしようってんだよー?」

「うん、明日また、アムールトラさんと話すから、その時のために必要な準備をするんだよ」

「準備ねぇー・・・何か手伝えることある・・・か・・・?」コックリ・・・コックリ・・・

「ううん、大丈夫。ロードランナーちゃんは先に休んでて。ロードランナーちゃんは明日、海の中でオーブを探すんだから、それに備えて体力を付けておかなきゃ」

「そーか? わりぃな・・・じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・むにゃむにゃ」

 

_____スタスタスタ・・・ポスン! ・・・ZZZ・・・ZZZ・・・

 

 ロードランナーは、ふかふかのベッドに飛び込むと、うつ伏せのまま、数秒で眠りに付きはじめた

 ともえは読書を進める傍ら、ショルダーバッグからスケッチブックを取り出すと、画用紙を何枚か破きはじめた

 

「ねえ、イエイヌちゃんももう休みなよ、あたしのことは気にしないで・・・・・・って、あれ、イエイヌちゃん、どこ?」

 

____カチャン

 

「ともえさん。どうぞ、これ」

「イエイヌちゃん?」

「どうぞ、飲んでください。コーヒーっていって、紅茶とは違うんですけど、頭が冴えて作業が捗る飲み物だって聞きました」

「あ、うん・・・」

 

 イエイヌが差し出したマグカップを見つめた。夜の海のように深い闇の色をした飲み物だ。一口飲むと、口の中全体にお湯の熱さと、何とも言えない苦味を感じたが、同時に安堵感が広がっていった。確かに、作業をしながら飲むのには最適だと思った

 

「ふぅ・・・ありがとう、美味しいね」

「・・・」

 

 コーヒーを片手に本を調べ上げるともえを見るイエイヌの表情は、なぜだか曇っていた

 

「あの、あの・・・ともえさん・・・わたしは、どうしたらいいのかわかりません」

「え・・・?」

「ともえさんのやりたいことは、応援したいし、手伝いたい・・・でも檻から出てきたビーストが、もしまたともえさんを襲ったらと思うと・・・」

「・・・イエイヌちゃんは、アムールトラさんがずっとあそこに閉じ込められていればいいって思ってるの?」

「・・・ビーストが誰かを襲わずにはいられないんだったら、あそこに閉じ込めているのが一番いいのかもしれません・・・ここにはハツカネズミさんが居ます。あの人ならビーストのことを気にかけて、何かと良くしてくれると思うんです。だから、ここは決して悪い場所じゃないと思います」

「そのビーストっていうのやめてよ・・・あの子はアムールトラさんだよ・・・イエイヌちゃんだけじゃなくて、みんなそう呼ぶけど・・・そういう相手を差別するような呼び方をするから、相手のことが何もわからなくなるんだよ・・・相手のことを良く知りもしないのに、相手の自由を一方的に奪うのは、絶対に間違ってるよ」

「でも、でも・・・」

「もういい! あたしは、アムールトラさんと話して、あの子と分かり合うの。イエイヌちゃんがわかってくれなくても、そうするって決めたんだから・・・だから・・・もう、黙って!」

「・・・はい・・・わかりました・・・」

「あ・・・」

 

 ともえは本に視線を戻しながら、気まずい気持ちになった

 “黙って”  相手の存在を否定する冷たい言葉・・・

 ともえは、再びイエイヌの顔を見ることも出来なかった。今自分がしている作業に集中するしかなかった・・・でも、自分だって悲しかった。イエイヌなら、自分の気持ちを一番に理解してくれるって思っていた

 本を読みながら、画用紙を置き、そこに色鉛筆で下書きを走らせた・・・夜のホテルは静かだ・・・何の音もしない。本をめくる音、色鉛筆を走らせる音が鮮明に聞こえた

 コーヒーを一口飲んだ。コーヒーはもう冷めていた・・・

 

_______ペラッ、シュッ、カリカリカリ・・・ペラッ・・・

_______・・・・・・ペラッ、カリカリ・・・・・・カリ・・・

_______・・・

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」
爬虫綱・有鱗目・クサリヘビ科・ハブ属
「ハブ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・イノシシ科・イノシシ属
「ブタ」

哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メガネフクロウ属 
「メガネフクロウ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・マイルカ科・マイルカ属 
「マイルカ」

自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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現代編4「ほのおのらんなー」

 あるトラのものがたり第4話です。

 ロードランナー、オーブを求めて深海の冒険に挑む。



「ともえさん、おはようございます! ほらっロードランナーさんも起きて!」

「・・・あ、うん・・・」

「んあ・・・プロングホーン様・・・もう食べられないよ・・・・・・はっ! ・・・・・・お、おーイエイヌ! おはよーさん・・・!」 

 

 三人の中で一番早起きなイエイヌの、明るい声で目が覚めた。いつもと同じ目覚めだ。イエイヌは昨日のやり取りを、何も気にしてないように思えた。

 ともえは作業をしながら寝落ちしてしまい、机にそのまま伏して寝ていたはずだったが、頭の下には枕が敷かれ、布団をかけられていた。ダイニングテーブルには色鉛筆やメモなどの道具を散らかしたままのはずだったが、それらはすべて几帳面に整理され、机の上に並べられていた

 イエイヌがしたことだろう。イエイヌはともえが寝るまで待っていて、ともえが眠りについてから、さりげなく、そっと身の回りのことをしてくれたのだ

 

「イエイヌちゃん・・・」

「はい」

「今日もがんばろうね」

「・・・はい」

 

 ともえは“昨日はごめん”と言うことは出来なかった。謝ったところで、これから自分がやろうとしていることを中止する気はない・・・そんな形だけの謝罪など不誠実だ・・・だから普段通りに接するしかないと思った

 

 ともえ達三人が身支度を整え、ロビーに向かうと、すでに海生哺乳類のフレンズ数人が

ロードランナーを待ち受けていた

 

「おーい、ロードランナー! 準備が出来てんなら行くよー!」

「おはようアンタら! オレ様は準備OKだ!」

 

【トモエ、オーブ ヲ サガス ナラ、オレ モ ヤク ニ タテル ハズ ダ】

「ラモリさん? でも、あたしは行かないよ? 他の子とは話せないのに、オーブの場所をどうやって知らせるの?」 

【カイワ イガイ ノ ホウホウ ダ】

「じゃーオレ様、ちょっくらオーブ取ってくるからよー! ともえとイエイヌは安心して待ってるといーぜ。・・・え? ラモリさんも行くって? わかったぜ! 一緒に行こうじゃあねーかよぉー!」

 

 ロードランナーは、ラモリを担ぎ上げながら、颯爽と海生哺乳類のフレンズの中に駆けより輪に入っていった。振りかえってともえ達に向かって親指を立てた

 

「ロードランナーちゃん、ラモリさん、気を付けてね」

「まかせとけー!」

 

____ザァァァァァ・・・

 

 ロードランナーは、マイルカ達とともに、ホテルの入り口となる中庭の石造りの階段の目の前に来ていた

 昨日と変わらず、辺りは深い霧に包まれていた。しかし、真上の空の色は深い群青色だった。今は間違いなく朝だ。日が昇ってから数時間と経っていない・・・そして今日の天気は快晴・・・冒険びよりだ・・・ロードランナーの胸が躍った

 階段の入り口に座り込み、何か機械のようなものを点検するフレンズがいた

 

「おー、おめーデグーじゃあねーか、おはよっ!」

「オオミチバシリさん、おはようございますゥ! これから、例の“光る球”を探しに行くんですよねェ! ほら、こちらへどうぞォ“水中でも呼吸が出来る機械”を装着しますよォ!」

 

 デグーはロードランナーの上半身に黒いベストのような上着を着せると、ベストの背中側についたベルトやラックに金属の容器を取り付けた。金属の容器は、透明なバケツのような物体と繋がっていた。ロードランナーはそのバケツをすっぽりと、頭から首回りまで被った

 

「うへー、変な感じだぜー、背中めっちゃ重いし」

「やだー、こんな変な物付けて海に潜るなんて、アタシ達だったら絶対やだなー」

「失礼しちゃいますねェ!これは水中でも呼吸しながら会話もできる優れものなんですよォ! あ、でもひとつ注意してほしいのは、ずっと潜ってられるわけじゃないってことですゥ・・・時間が経つと、この金属の容器の中の空気がなくなって・・・息が出来なくなって・・・」

「そ、そっか・・・(ゴクリ)で、いつまで空気が持つのか、どーやって知ればいいんだー?」

 

 デグーはロードランナーの左手に、黒いバンドに付いた小さな丸いレンズを取り付けた。このレンズもチューブによって金属の容器と繋がっていた

 

「良いですかァ? 難しい理屈は抜きにして説明しますよォ。このレンズの中を見てくださいねェ・・・このレンズの右側は緑色、真ん中は黄色、左側は赤になってますねェ。そしてこの針・・・今は右側の緑色の一番端っこにあるけど、時間が発つごとに半時計周りに動いていくんですゥ、最初は緑色だけど、次は黄色、次は赤に針が傾いていって、左側の端っこに針が届いたら、それで中の空気がなくなったってことになりますゥ・・・。行きと帰りを考えたら、針が赤のエリアに入る前に引き返さないと危険だと思いますゥ」

「アタシ達が“青く光る眩しい何か”を見つけたのは、ここからそんなに遠くない所だったよ。あんまり時間はかからないと思う・・・すぐ見つかればだけどね」

「もうわかったと思いますけどォ、本来は陸で暮らすフレンズが海に潜るっていうのは結構大変なことですよォ・・・だから危なくなったら、無理せず引き返してくださいねェ?」

「お、おー、わかったぜ・・・」ドキドキドキ

「さてと、じゃあ行こ? ああ、このラッキーさんも連れてくんでしょ? アタシがこの子持ってるよ」

「ありがとよ、マイルカ」

 

______バシャン! ブクブクブク・・・

 

 自分がいまだ足を踏み入れたことのない場所に、ロードランナーは入っていった・・・鮮やかな珊瑚が生い茂る海の花畑・・・地上でもあまり見られないぐらい大きな岩棚・・・そしてジャパリホテルの周囲にあったと思しき、海に沈んでしまった珍妙な建造物の数々・・・

 それらはすでに、ホテルの窓の中から見ていた光景ではあったが、実際にそれらの近くを動き回ってみると、窓から眺める風景とは比較にならないぐらいに、高低差と奥行きがどこまでも広がっていた

 陸とは違う、もうひとつの世界だった

 

「すっげー! これが海ん中かよぉー! アンタらいつもこんな所泳いでんのかよぉー、いいなー! めっちゃうらやましいぜー!」

「そう? ありがと! そうやって感動してるの見ると、なんか嬉しいね。アンタってけっこー素直で良い子だよね・・・そうそう、アタシ以外の自己紹介がまだだったっけ・・・みんな、ロードランナーに名前教えてあげてよ」

 

「うちはスナメリだよ。うちもうみのなかだいすき。あんたをあんないしたげる」

「あたいはミンククジラだ、鳥類のツレは始めてて緊張してるぜ・・・シクヨロ」

「ピース! ピース! おいらゴマフアザラシだよ! なんかアンタとおいら似てない?」

 

 ロードランナーはもちろんのこと、泳いだことは一度もなかった。そのためスナメリとゴマフアザラシに両腕を引かれる形で海に潜っていった。4人のリーダー格のマイルカがラモリを腕に抱えながら全体の指揮をとっていた。副リーダーのミンククジラが先行してオーブの手がかりを探っていた

 ロードランナ-は見様見真似で、マイルカ達のように足をバタつかせようとしたが、泳ぎの邪魔になるからやめろと言われた。せっかくここまで来たのだから、何か役に立たないとつまらないとロードランナーは思った

 引かれるまま深く潜っていくと、海面からの日光がだんだんと届かなくなり、ほどなくして夜とそう変わりない暗さになっていった。きっと地上も霧に包まれていて、日光が乏しいことも関係しているのだろう

 

「だめだマイルカ。この先も何も光るものなんてない、真っ暗だ」

 

 先行していたミンククジラが、暗闇の中から舞い戻ってきた

 

「うーん、困ったな・・・これじゃあの夜と同じじゃない・・・アタシ達は“ソナー”で、周りの地形は把握できるけど・・・“光る球”みたいな小さな物なんて、目に頼らなきゃ探せないわ・・・」

 

【ピコーーーーーン・・・・・・ピコーーーーーン・・・・・・】

 

「え、何このラッキービースト! 急に音が鳴り始めたよ」

「おー、ラモリさん・・・話せるともえがいないから、話す以外の方法で何かを伝えようとしてんだなー?」

「ロードランナー、何かわかんの? 」

「いやー、わかんねー。だが、もうちっと進んでみよーぜ」

 

 すでに暗闇と化した海の中をロードランナーたちは進み続けた。海生哺乳類達のソナーにより迷いなく進んではいたが、オーブが見つかる気配は一行になかった

 ロードランナーは海中において目も耳も聞かなかったが、なんとなくの感覚で、辺りがどんどん狭くなっていることに気付いた

 おそらく、辺りは海底から隆起する岩に囲まれて、入り組んだ迷宮のようになっていた・・・マイルカ達に連れられていなければ、自分は間違いなくここから生きて出ることは叶わないだろう・・・目を凝らして、自分の左腕にあるレンズを見つめた

 レンズはちょうど“緑色”から“黄色”に針が切り替わろうとしているところだった

 

【ピコーーーーーン、ピコーーーーーン、ピコーーーーーン】 

「もうイラつくな、このラッキービースト! さっきよりうるさい・・・」

「(ラモリさんの、この音は何なんだー? 何か意味があんだろぉーよ?)」

「マイルカ、どうする? もうここが海底だ・・・海底をしらみ潰しに探すか? あたいらはともかく、ロードランナーは危ないんじゃないのかい?」

「そうだね・・・ロードランナー、誰か一人付けるから、もう上に戻って・・・ついでに・・・」

 

【ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン・・・】

「このラッキービーストも・・・どんどんうるさくなってるし、悪いけど連れて帰ってよ」

「いや、まだ帰らねえぜ・・・わかったんだ・・・ラモリさんが発する音の意味が! 多分だけどよぉー、この音・・・オーブが近づけば近づくほどうるさくなるんじゃあねーか? オーブが光らないなら、このラモリさんの音が唯一の手掛かりだぜ! マイルカ、ちょっとラモリさんを放してみてくんねーか? ラモリさん、頼む・・・海底に降りて、オーブの位置を案内してくれよ」

 

 ラモリはマイルカの腕を離れ、底まで沈んでいった・・・もはや暗闇の中でラモリの姿は見えない・・・しかし・・・

 

【ピコ、ピコ、ピコ、ピコ、ピコ、ピコ・・・】

「やっぱり! またうるさくなったぜー! 音のする方に行ってみようぜ!」

 

 ロードランナーはほどなくして、自分の足が地面に付く感覚を感じた。自分は今海底に立っている。周りにいるマイルカ達も泳ぎではなく、海底を蹴って進んでいる・・・そうだ、この辺りの海底にオーブがある・・・

 

【ピピピピピピピピ・・・】

「ここだ! もうその辺にオーブがあるぞ! みんな、辺りの地面を探ってくれねーか?」

「「「わかった!」」」

 

_____ザッザッザッ

 

 海底の地面は、陸の上の砂浜のように、細かな砂が堆積していた。地面を手当たり次第に探っても、動かした分だけ砂の重みが手の平に乗り、そしてすぐに霧散していく

手ごたえを感じるだけだった・・・

空気は後どれだけ持つ? さっき確認してから、ずいぶん時間が経ったのではないか・・・?

 

_____ザッ・・・・・・コロンッ・・・

 

「何だー・・・? 今なんか丸っこいのが手に触れたような・・・なんも見えねえけど、この辺りか?」

 

_____ガシッ・・・

 

 五本の指に収まるこぶし大の球体をロードランナーはその手に掴んだ・・・これがオーブなのか? 暗闇では何もわからない・・・ただの丸い石かもわからない・・・ロードランナーが疑心暗鬼に陥りそうになっていた時、突如目の前を光が照らした

 

「お、お、ラモリさん!?」

 

 オーブが光ったのではない。光源は自分の前にあった。ラモリの体の中央にある“レンズ”から放たれた、サーチライトのような細く鋭い光が、目の前のロードランナー、そしてその右手に握られた球体をもはっきりと光の中に捉えた

 球体は、自然物ではあり得ないほど滑らかな表面を持つ、完全な球だった。球の表面は水のようにつややかな半透明だった。しかしよく見つめてみると、複雑な紋様が360度すべてに走っていた。その模様のひとつひとつが、ラモリのサーチライトを反射して、きめ細やかな光の点を作っていた

 そして球の一番中央は、光が反射する部分が集中していた。反射光が結び合わさる形はなんとなくどこかでみたような形を思い起こさせた。それはジャパリパークを象徴する“の”の字に似たシンボルだった

 ロードランナーは、手にした球のあまりの異様さに一瞬思考を停止してしまった

 

「・・・おっと、いけねぇ・・・これが、オーブなんだな。そうだろぉー? ラモリさん?」

【・・・・・・】

 

 ラモリは何も答えなかった。だがその場を微動だにせず、ロードランナーを照らし続けた

 

「・・・いぃぃよっしゃーーーーっ!!」

「ピース! ピース! オーブって綺麗だなー、おいらにも見せてよ!」

「うちもうちも!」

 

 ロードランナーは見事に目的を達成し、来た道を引き返した・・・早く帰ってともえとイエイヌにオーブを見せてやろう、二人がどれくらいびっくりするのか想像しただけでもウキウキする・・・そんなことを考えていると、辺りは再び海面から指す日光に照らされ始めた

 

「待って! ・・・皆、そこで止まって!」

 

 日光を遮る巨大な影があった。黒く浮かび上がる“船のような形の何か”が左右に付いた“胸ビレ”を悠然と動かしながら、海中をゆっくりと移動していた

 

「・・・あのでけーのが、アンタらが先日見たってヤツかよぉー?」

「そうだよ・・・あれ、本当何なんだろう? ハツカネズミさんはセルリアンじゃないって言ってたけど・・・もし、仮にセルリアンだったら、あんな大きいのに見つかったら、アタシ達全員ここで“元に戻る”ことになるよね」

「やだ、うちそんなのやだ・・・」

「いやー、それよりもヤバいのはよぉー、ここでオレ様達が見つかったら、もうホテルに戻ることは出来ねぇっつーことだぜ・・・オレ様達の後を付けられて、ホテルに奴が来ちまったら・・・」

 

「・・・あの時みたいにやり過ごすしかない。みんな、一人ずつ散って、岩陰に隠れてアタシが良いって言うまでじっとしてて」

「わりぃ、マイルカ・・・オレ様、じっとしてるのは無理みたいだぜ」

「ロードランナー、あんた・・・」

 

 ロードランナーの左腕に付けられたレンズの“残気量”は、今にも左端に到達せんとしていた。それは、ほどなくしてロードランナーが呼吸できなくなることを意味していた

 

「なあ、あの“船もどき”も海の中を泳いでるんだからよぉー、アンタ達みたいに、暗い海の底でも物の位置を見分けられる能力があるはずだろぉー? その能力ってのはなんなんだ?」

「“音”だよ・・・アタシ達は音を出して物の位置を探るの。音が物に当たると跳ね返ってアタシ達の耳に返ってくる。その音が物の位置や動きを知らせてくれるんだよ・・・だから、視界に入らなくても、音を立てたり、身動きとったりするだけで見つかる可能性があるわ」

「そ、そっかー・・・ヤバい能力だなー・・・マジでずっけーだろぉーよ、そんなの」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ・・・どうすんの?」

 

 ロードランナーは辺りを見回した。岩陰に隠れてじっとしてはいられない、しかし動いて海面に出るわけにはいかない・・・ならば・・・

 海に沈んでしまったヒトの時代の建築物が、辺りに軒を連ねていた。その中に、苔に覆われた細長い柱が垂直に突き立っていた、見た感じ、柱は海面まで伸びていた

 

「なあ・・・あそこ、あの柱まで、連れてってくれねーか?」

 

 思った通りだ、この柱は、ロードランナーの体がちょうど隠れる分だけの幅がある

 この柱を背にすれば“船の怪物”から完全に姿を隠すことが出来る。後は、動かずに上に上がる方法があれば・・・

 ロードランナー達が動いたことで生まれた小さな泡が、海面に向かって浮いていた。そして、よく見ると、柱に生える小さな苔も、ちらほらと上に向かって登っていくのが見えた。それを見てある考えが脳裏によぎった

 

「なあマイルカよぉー、海の中のことはよく知らねーが・・・軽くて小さな物って、浮いたりするのか?」

「・・・そうだね、浮くよ。体の力を抜けば、アタシ達の体だって・・・」

「なら、オレ様・・・浮いて海面まで上がることにするぜ」

 

 ロードランナーは、左腕に付けられたレンズを見た。もう針は左側に傾ききっていた

 こうなったらもう、自分が身に着けているものはただの重しだ・・・ロードランナーは、レンズを外し、さらにベストに手をかけ始めた。そして急いで自分の考えを伝えた

 

「はー・・・お願いがあるぜ・・・スナメリ・・・」

「え? うち?」

「はー・・・おまえは、オレ様より体が小さいから・・・この柱に隠れて、オレ様と一緒に浮いてってくれねーか・・・この柱から、オレ様の体が離れたりしないように、支えて・・・あの化け物から・・・見えないように・・・たのん・・・・・・・・・」

 

 言い終わるやいなや、ロードランナーは“頭にかぶったバケツ”を外した。デグーが取り付けてくれた機械は、全部体から外れた。ロードランナーはゆっくりと目を閉じ、四肢の力を抜いて、その体を水中に投げ出した

 

「え? でも、うち、うち・・・」

「スナメリ・・・怖いと思うけど、覚悟を決めて。あんたがロードランナーを上まで連れて

帰ってあげて。頼んだよ」

「マイルカねえちゃん・・・」

「さあ、アタシ達は隠れよ。あいつがどこかに行ってしまうまで隠れてるの」

 

 スナメリ以外の三匹は、手際よく静かに散り、すぐに姿が見えなくなった

 

「うう、こわいよ・・・」

 

 スナメリはロードランナーを抱きとめると、柱を背にして、自分の体の一切の力を抜いて、浮くことに専念した・・・

 ロードランナーの無事を考えるならば、すぐに海面に上がりたいのだが、そうすることは敵わず、息を押し殺して、しかし柱から体がはみ出ないように、微妙に体の向きを調整しながら浮力にまかせて少しずつ上昇した・・・それは激しく泳ぎ回るよりもはるかに大変な動きだった

 

「・・・カハッ・・・」

「あっ・・・ロードランナー・・・」

 

 スナメリの肩に手を回していたロードランナーの腕の力が抜けた。そしてその体は一瞬前までよりもさらに、浮力にまかせるまま急激に浮きはじめた

 ロードランナーの意識が失われたことは明白だった。スナメリはただひたすら息を押し殺し力なく四肢が投げ出されたロードランナーの体を抱きとめながら、柱の影に身を潜めた

 日の光が直に自分の体を照らしているのを感じた。しかしスナメリには、海面までの距離がはるか遠くに感じられた

 

「(がんばれ、スナメリ・・・! ・・・あの化け物、いい加減どっかに行ってよ・・・)」

 

 マイルカは“船の怪物”を見上げた。依然として海面近くをゆっくりと泳いでいる・・・自分たちを見つけた様子もなければ、何かを探している様子もない・・・

 いったい、あんな物がなぜここにいるのか、検討が付くはずもなかった・・・黒い巨大な影は、移動したことで陽射しの当たり方が少しずつ変わっていた。やがて陽射しを真下ではなく、斜め方向から受けるようになった。その姿が少しずつ光に露わになった。そのなだらかな胴体の表面には、無数の無機質な“目”が蠢いているように見えた

 

______ブクブクブク・・・_________________________

______・・・・・

 

「う~ん・・・プロングホーン様・・・もう、マジでちょっとお腹いっぱいなんですけど・・・・・・・・・はっ! こ、ここは!」

「寝言ですかァ? ・・・ホント、大した人ですねェ・・・」

「・・・お、デグー! つーことはよぉー・・・もう、ここ海ン中じゃあねーのか?」

 

 ロードランナーは、ホテルの入り口である中庭で目覚めた。座りこんで、あきれたようにため息をついているデグーが目に入った

 

「わりぃーなー、お前に借りた機械、海ン中に置いてきちまったぜ」

「まあ、別にいいですけどォ・・・そんなことより、目的の物は手に入ったんですかァ?」

「おう・・・て、あれ? マイルカ達は?」

「アタシ達はここだよー!」

 

 石畳みの階段を静かに登ってくる4人の姿を目にした。スナメリは階段を登り切るやいなや、ロードランナーに一直線に飛び込んできた

 

「わーん! ロードランナー! こわかった! うちすっごくこわかったんだから!」

 

____ドサッ

 

「わっ! スナメリ! ・・・へへっ! おまえ、オレ様の命の恩人だぜ、よくあんな無茶ぶりに応えてくれたもんだ、ありがとな!」

「びえ~~~~~~~ん!」

「スナメリは本当よく頑張ったよ・・・でね、アタシ達、アンタを中庭まで運んでから“船の怪物”を探してたんだ・・・で、大丈夫だった。あの化け物、この近くにはいない。近づいてくるような物もない・・・アタシ達は見つかってないよ」

「やったぜ! オレ様達、うまく奴を撒けたんだなぁ!」

「ピース! ピース! おいら達大勝利~!」

「で、よぉー・・・オーブなんだけど・・・」

 

 マイルカは、右手をロードランナーの前に掲げた。手の平には青く透き通る球が・・・

 

「オレ様にくれねぇーか・・・? それ、必要なんだよ・・・オレ様、アンタ達の世話になりっぱなしだし、お礼もなんもできないし・・・虫のいい話とは思うんだけどよぉー」

 

 ロードランナーとマイルカは、青いオーブ越しに、静かに視線を交わした。マイルカの真一文字に結ばれた唇が、次の瞬間、大きく開かれた

 

「あははは! OKー! 全然いいよ! ほら持ってって!」

 

 4人の海生哺乳類のフレンズは皆一様に明るく笑い転げた。マイルカはオーブを、まるで大したことのないガラクタのように、ロードランナーに放ってよこした

 

「おっと! いいのかよぉー?」

「アタシ達、冒険がしたかったんだもん! そんな石ころなんて口実だよ! こ・う・じ・つ!」

「おいおい、そんな遊びみたいに思ってたのかよぉー・・・オレ様、途中からかなり命がけだったんだぞー? アンタ達だってマジで危ない所だったじゃあねーか」

「あははは、マジな冒険だからいいんじゃない! おかげで楽しかった! アンタのおかげ!」

「それで納得してんだったらいいけどよぉー。ま、そういうことならオーブはありがたく頂戴するぜ!」

 

「なあ、ロードランナー・・・」と、突如ミンククジラが、ロードランナーに重苦しい口調で話かけてきた

「おう、何?」

「アンタのことを“炎のランナー”って呼んでもいいかい?」

「何だそれ?」

「あははは! ミンククジラはね、仲間に変なあだ名を付けるんだよ! “ヤンキーぶんか”っぽいやつだよ!」

「あだ名じゃねえってマイルカ! “二つ名”だよ! これはあたいの美学なんだ! ロードランナー・・・さっきのアンタの命がけの行動を見て思ったよ。アンタは、燃え盛る炎のような情熱を持った奴だってね・・・あんたは何かやるって決めたら“やってやる!”って感じで、情熱を真っ赤に燃やして、全力で行動する奴だ・・・だから“炎のランナー”・・・カッコイイだろ? あ、“ロード”を省くのは、ちょい長いからだよ」

「ま・・・まあ、いいんじゃあねーの?」

「そうかい! 良かった! この異名と共にあんたの活躍を触れ回ることにするよ!」

 

「あははは! じゃあ冒険ついでにもうひと泳ぎしようよー!」

「ピース! ピース!」

「ちょっとォ! オーブ探しが終わったんだからァ、仕事に戻ってェ! 大体アナタ達4人は、いつもノリと勢いばっかりですゥ!」

「・・・まあよ、アンタら、本当に助かったぜ、デグーもな」

「まってロードランナー! うち、もっとロードランナーとあそびたい!」

「へへ、わりぃーなスナメリ、今度オレ様に泳ぎ方を教えてくれよなぁー!」

「やれやれ、アナタとは昨日会ったばかりだけど、本当に忙しい人ですねェ・・・オオミチバシリさん、いいえェ・・・“炎のランナー”?」

「ちょ、デグー、おまえもそれ乗っかるのかよぉー」

 

 この二つ名が、後にジャパリパーク中に轟くことになる・・・かどうかは定かではない・・・ロードランナーは青いオーブを手に、ホテルに戻っていった

 

【・・・】

 

 ホテルに入ったすぐ先の廊下で、ラモリが佇んでいた。ロードランナーが傍によると、それを待っていたように体を反転させ、前に進み始めた

 

「はははは、待てよ、急かすなよラモリさんよぉー!」

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________

鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ 二つ名“炎のランナー”」


哺乳綱・げっ歯目・デグー科・デグー属 
「デグー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・マイルカ科・マイルカ属 
「マイルカ 二つ名“さざ波のマイルカ”」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属 
「ミンククジラ 二つ名“偏西風のミンク” 」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ネズミイルカ科・スナメリ属 
「スナメリ 二つ名“しおしおのスナメリ”」
哺乳綱・ネコ目・アザラシ科・ゴマフアザラシ属 
「ゴマフアザラシ 二つ名“大漁祈願のゴマフ”」

自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」


_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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現代編5 「とらととら」

 あるトラのものがたり第5話です。

 ようやく今章の主役アムールトラの話が書けます。



「・・・・・・」

 

 アムールトラは、昨日からピクリとも動かずに、牢獄に座していた・・・ここに入れられてから二度、ジャパリまんと水が目の前に出された。しかしこちらが何も反応しないことがわかると、ほどなくして引っ込んでいった

 自分は上にいる連中に注意深く見張られている・・・連中は自分を放置したり、無暗に危害を加えるつもりはないようだ・・・と、アムールトラは理解した

 自分が一人ぼっちであることは、外と変わりない・・・しかしここには優しい風も、穏やかな陽射しも、自分を包み込むような木々もない・・・アムールトラは、外の世界に思いを馳せた・・・

 こんなにも自然を愛おしむ気持ちが、自分のなかにあったのかと思った

 限りなく無に近い冷たい空間の中で、アムールトラは思考に耽った。ここには自分を“ビースト”に引き戻すようなものは何もない。だから、本来の自分のまま物を考えていた・・・

 それは随分と久しぶりの経験だった

 

________コツン・・・コツン・・・

 

「・・・こんにちは・・・アムールトラさん」

「・・・ッ?」

 

 それは昨日、自分が無下に追い返した“ともえ”と名乗るフレンズだ。自分に話しかけてくるフレンズは、昨日も今日もこいつだけ・・・一体こいつは何がしたいのか

 

「ねえ、聞いて、アムールトラさん・・・こんな寂しい所だから、せめて気がまぎれる話をしようと思って、今日は来たんだ」

 

______コンッ、コンッ・・・

 

 食事用のトレイが、棒に押されて前に出てきた。しかし乗っていたのはジャパリまんではない・・・一枚の絵だ

 その絵には、隙間なくびっしりとたくさんの木が描きこまれていた。そして木の隙間にはアムールトラと思しきフレンズが描かれていた。自分の似姿が、木の中に紛れるように・・・いや、包まれるように、森の中に佇んでいた

 

「タイガって知ってる? 寒くて、尖った木がたくさん生えてる森のことなんだって。アムールトラさんの仲間は、そういう寒い森の中で生きていたんだって。森の中を一日中、とても長い距離を歩き回っていたんだって・・・アムールトラさんは、森は好き? こういう場所のことを知ってる? ・・・それと、森の他にもね・・・」

「・・・」

 

 正直、あまり上手とは言えない絵だった。しかし、自然へ思いを馳せる今のアムールトラには、絵が示す情景が、ありありと脳裏に浮かんできた

 そして森の他にも、アムールトラが憧憬を馳せる自然の姿がともえの口から語られた

 上にいる連中が自分を監視するために、自分の周りは灯りで照らされていた。しかし鉄格子の向こう側にいるともえの姿は、薄暗闇の中で、ぼんやりとシルエットが視認できるだけだった

 唯一、はっきりと感じ取れるともえの声に注意を向けた

 淡々と語り続けるその声からは敵意も恐怖も感じられなかった。しかし、何らかの強い意志をもってこの場に来たことはアムールトラにも感じ取れた

 

_____スススッ

 

 絵が乗ったトレイが、紐に引かれて鉄格子の前まで引っ込んでいった。ともえがまた違う絵をトレイに乗せ、棒で突いて押し出してくるのがわかった

 こいつは、こんなことを何の目的でやっているんだ? アムールトラのともえに対する感情が、嫌悪ではなく警戒、そして関心へと少しずつ変わっていった

 2枚目の絵には、風景はなかった。白いキャンバスに自分と同じような縞模様の動物の絵が数体描かれていた。ひとつひとつの絵に統一性はなく、極端にデフォルメされているものや筆で描かれたようなぼんやりしたものが混在していた

 

「その絵はね、あたしの絵じゃないの。色んな時代の、色んなヒトが描いた“虎”の絵を模写してみたんだ・・・ヒトはね、虎を“強さ”や“勇気”の象徴としてたみたいなの・・・だから、自分たちの“縄張り”を示すデザインとして、虎を良く使ったみたいなんだ。ヒトは虎にとても関心を持っていたみたいなの。アムールトラさんは、ヒトのことを何か知ってる? ヒトと話をしたことはある?」

 

 ともえの言葉が、そのままアムールトラの思索へと直結していった。ヒトの知り合いが自分にはいたのだろうか・・・思い出そうとすればするほどに、自分の記憶は薄もやにつつまれ、曖昧になっていることに気付いた

 2枚目の絵が引っ込み、3枚目の絵が押し出された

 次の絵では、紅白模様の明るい背景の中央で、自分の似姿が高台に上がり、手を広げて片足立ちになり、ポーズを決めていた。そしてその左右には、ゾウやサルなどのフレンズが立ち並び、球に乗ったり、楽器を演奏したりするなどの芸を披露していた

 天井からは紙吹雪が舞い降り、フレンズ達の芸が喝采を浴びていることが明確に表現されていた

 

「これはね、サーカスっていう所なの。動物とヒトが集まって、色んな芸を披露して観客を楽しませる場所だったんだって・・・いろんな動物がサーカスにいたらしいんだけど、その中でも、トラもその中の花形スターの一角だったんだって・・・自然の中で生まれたトラが、後からヒトの中で暮らすのは難しかったみたいだけど、赤ちゃんの頃からヒトに育てられたトラは、ヒトととても仲が良くて、色んな芸を覚えることも出来たんだって・・・アムールトラさんは、自分が生まれ育った場所を憶えてる? 自然の中だった? それとも、ヒトが傍にいたりした?」

「・・・・・・ウ、ウマレ・・・?」

 

 アムールトラは、俯いた頭を両手で抱え込んでいた。ともえの問いかけが繰り返し頭の中を反響した。考えても何も答えが出なかった。自分はこんなに大切なことをなぜ忘れてしまっていたのか? 忘れたことさえ気にしないでいたのか?

 

「ごめん。なんだか、質問責めしてるみたいだね・・・少し話を中断するね・・・ねぇ、アムールトラさん、ここに来てから、食事してないんじゃない? お願いだから、何か口に入れて・・・ジャパリまんも、水も、普通の物だから安心して」

 

 サーカスの絵が乗ったトレイが暗闇の中に引っ込み、そのトレイの上に、ジャパリまんと水が乗せられて出てきた・・・すでに空腹と、喉の渇きは限界に来ていた

 今までで一番強い逡巡が頭をよぎった

 差し出された食べ物を受け入れるということ・・・それは、“食べ物を差し出した人物を全面的に信用する”ということだ

 鉄格子の向こう側にいる、ともえというフレンズが、自分に敵意も恐怖も持っていないことは半ば確信できた。だがそれでも、誰かを“信用する”ということは、今のアムールトラにとって、他の何よりも難しいことだった

 アムールトラは誰のことも信じることは出来なかった・・・そして、この世で一番信じられないのは、自分自身だ

 

「お願い・・・アムールトラさん、食べて」

「・・・」

 

 アムールトラは、この場を切り抜けたいと思った。差し出された食べ物のうち、水が注がれた杯を手に取り、一息に飲み干した

 渇ききった喉に、水が染み渡ってきた。それは考えていたよりもずっと、気持ちの落ち着きと、安心感をアムールトラにもたらした

 だが、受け取るのは水だけだ。空になった杯と、手つかずのジャパリまんが乗ったトレイを、静かに前方へと押し出した。“もういらない”という意志を体で伝えた

 これでいい、差し出された物のすべては受け入れない

 

「わかったよ、ありがとう・・・もし、ジャパリまんが食べたくなったらいつでも言ってね」

 

 トレイが静かに鉄格子の方へ引き込まれて消えていった

 

 イエイヌは、ともえとアムールトラのやり取りを、牢獄の上の監視部屋から静かに眺めていた。正確には、ここからはアムールトラの姿しか見えなかった。だが音響設備によって二人の会話は克明に聞こえていた

 

「・・・・・・ともえさんは・・・上手くやっているようですね・・・」

「ハツカネズミさん」

 

 ハツカネズミに後ろから声をかけられた。オオコノハズクとワシミミズクもすぐ傍に控え下の様子を固唾を飲んで見守っていた。学者たち三人は議論をはじめた

 

「・・・・・・ビーストは・・・ともえさんの話に深く聞き入っている・・・そして・・・私達の手からは受け取らなかった食べ物を受け取った・・・短い間に・・・ともえさんとビーストの間で着実に信頼関係が築かれている・・・」

「それだけではないのです。“感覚遮断”という言葉を聞いたことはあるですか? ビーストは丸一日、何も見えない、何の音もしない場所に閉じ込められているです。感覚が制限された場所では、逆にすべての感覚が研ぎ澄まされるです」

「今のビーストは、ともえの話も、ともえが見せる絵も、数少ない刺激として、過剰に反応せざるを得ないのです。狙ってそうしたわけではないですが、あの牢屋に閉じ込めたことが、思いもよらぬメリットを産んだです」 

「・・・・・・後は・・・ビーストの側から・・・何らかの表出が得られればいいのですが・・・」

 

 学者たち三人は“ビースト”という存在の謎を注意深く探ろうとしていた。決して危険は冒さずに、慎重に・・・一方でともえは、ビーストをあの檻から出して自由の身にすることを目的に、精いっぱい知恵を振り絞って行動していた

 学者たちとともえの思惑は全く違うものだ。しかし共通しているのは、今この場においておのおのが何をすべきかを明確に決めていることだ

 イエイヌは、自分だけが、何も決められていないと思った。ただただビーストが怖ろしかった。ともえから遠ざけたかった。しかし自分の気持ちを押し通すことも出来ず、ただ流されるまま、ここに足を運んでいた。自分の情けなさが腹立たしかった

 

 アムールトラは、ともえの言葉に導かれるまま、思索にふけっていた。曖昧な記憶の暗闇の中を手探りで進んだ

 タイガの森の中を歩いている自分、サーカス小屋の中で喝采を浴びる自分・・・どれも心惹かれる風景であったが、決定的に自分の心の中に残っているものではなかった

 

「今日は、あたしの方から勝手に色々話しかけちゃってごめんね・・・最後に、受け取って

欲しいものがあるの。別に、なんてことはなくて・・・ちょっとしたプレゼントだよ」

 

 最後にトレイに乗って運ばれてきたのは、白い花が象られた飾り物だった

 

「つい昨日、上のホテルでもらった物なんだけど・・・ブローチっていうんだって・・・アムールトラさん、あの草と岩の丘で、たった一輪だけ咲いてた白い花のお世話をしてたよね? あのお花、アムールトラさんには大切なものだったんだよね・・・でも、あたし達があのお花と引き離すようなことをしちゃって・・・アムールトラさんには悪いことをしちゃったと思ってる・・・だから、お詫びってわけじゃないんだけど、アムールトラさんに“白い花”をプレゼントしたかったの。本物のお花じゃなくてごめんね・・・」

 

 アムールトラは、白い花のブローチを拾い上げ、見つめた

 ともえの言葉通り、自分はあの丘で、白い一輪の花の世話をしていた。理由は分からない・・・苦しくて、一人ぼっちで、寂しくて・・・そんな時に、あの一輪の花を見つけた・・・

 あの白い花を見つめていると、“自分自身”すら自分の居場所ではない“完全な孤独の世界”の中で、唯一自分の居場所がここにあると思えた

 ・・・白い花は、自分の中に、穏やかで優しい気持ちを呼び起こす・・・それはなぜなんだろうか? 

 アムールトラは手の平の上のブローチが、自分の中に残った最後の希望であるかのように思えた

 しかし・・・

 

________ビチャリッ___

_____・・・ポタッ・・・ポタッ・・・___

 

「・・・!?」

 

 アムールトラは異常な光景を見た。手の平の上のブローチが、突如赤く染まったのだ。そして赤黒い液体がブローチから染み出てきた。そして瞬く間に、アムールトラの右手を走り、染み渡っていた

 ・・・血だ・・・白い花から血が溢れてきた・・・止まらない・・・止められない・・・気が付けば自分の周りの地面すらも血まみれだった

 アムールトラは嫌悪と恐怖に襲われ、たまらずブローチを床に投げ出した。それでもなお、ほとばしる鮮血が体を覆いつくしていった

 すでに視界は血の赤に染まっていた。四肢は感覚を失い、口も鼻も、血に塞がれて自由が利かなかった

 私の居場所・・・そんなもの、やっぱりなかったんだ・・・

 

「アムールトラさん!? ・・・何やってるの・・・やめてよ! やめて!」

「ウワァァァァァッ!!」

 

_____ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 

 アムールトラは激しく何度も、床に頭を打ち付け始めた。上の監視部屋まで、その振動が響きわたった。学者たち三人は、窓ガラスに顔を押し付けて、突如起こった異変を必死に観察した

 

「ビーストは何をしているです!? また暴走を始めたですか? ここから出ようというのですか?」

「・・・・・・違う・・・これは・・・自傷行為です・・・ビーストは“自分自身を”傷つけています・・・なぜ? ・・・つい一瞬前まで落ち着いていたのに・・・」

「止めるのです! このままではビーストが!」

「・・・・・・ですが・・・止める方法なんて・・・こんなことは想定していなかった・・・ビーストが“自殺を図る”なんて・・・」

 

_____ガンッ! ガッガッ! ゴンッ・・・ゴシャッ!

 

「やめて! アムールトラさん! やめてぇ! なんで、なんでこんなことを・・・」

「ウウウッ・・・! アアアッ・・・」

 

 アムールトラは、目の前の悪夢から逃れたくて仕方がなかった

 辛かった、もう何も感じたくないと思った・・・

 すべてが辛い・・・すべてが私を苦しめる・・・自分を覆いつくす鮮血は、いっこうに消えなかった・・・消し去るためには、自分自身が消えるしかないと確信した

 

≪・・・おぬしは、それでよいのか?・・・≫

「・・・ウッ・・・ウッ?」

 

 自分の中から、自分ではない何者かの声が聞こえた

 この声を聞くのははじめてではなかった

 自らの手で、死に向かおうとしていたアムールトラの意識が、いくらか引き戻された

 

≪・・・顔をさわってみよ・・・己の顔をさわるのじゃ・・・≫

 

 謎の声に言われるまま、顔に手を当てた。触ったところから、鈍い痛みが走った

 

≪・・・己の手を見てみるがいい・・・何が見える?≫

 

 アムールトラは、言われた通りに手の平を見つめた・・・目の前にあるのは、うっすらと

手の平にへばりつく生暖かい血液・・・そうだ、これは自分自身の血だ・・・

 では、今まで自分を覆いつくしていた、溢れんばかりの血だまりはどこに消えた・・・?

 アムールトラは、謎の声によって現実に引き戻された。薄暗い牢獄へと意識が戻ってきたそして、必死に自分の名を呼ぶ声が聞こえた・・・

 

「アムールトラさん! 聞こえる? ねえ、返事をして!」

「ウウッ・・・」

「アムールトラさん・・・」

「・・・モウ、ヤメテクレ・・・」

「・・・え?」

 

 アムールトラは、鉄格子の向こう側の影を見つめた。体の輪郭がぎりぎり視認できる程度の暗闇の中で、小さな影が鉄格子に張り付くようにして、息を凝らしているのがはっきりとわかった

 その影に、静かに自分の意志を告げた

 

「・・・話スノヲ、ヤメテクレ・・・辛クナルカラ、ヤメテクレ・・・モウ、来ナイデクレ・・・」

 

 ビーストが自傷行為をやめたことは、上の監視小屋からもしっかりと確認できた。学者たち三人は安堵した

 イエイヌは窓ガラス越しにビーストの顔を眺めた。そしてビーストの頬を、透明な雫が、いくつも伝っているのを見た

 

「泣いている・・・ビーストが、涙を流している・・・」

 

 ほどなくして、ともえが階段を登り監視部屋へと戻ってきた。部屋にたどり着くなり、ともえは床にへたり込み、うずくまった。両手で自分の頭を抱え込むと、そのまま黙り込んだ。その背中が静かに震えている

 イエイヌはともえに近寄ったが、かける言葉を見つけることができなかった

 

「・・・ダメだったよ。あたし、イエイヌちゃんに偉そうなことを言って、自分がやりたいようにやった・・・でも、ダメだった。結局、アムールトラさんを・・・ますます・・・傷付けただけだった」

「・・・ともえさん・・・」

 

______ポコ、ポコ、ポコ、ポコ・・・

 

 ともえは、聞き覚えのある音が近づいてくるのを感じた

 

「ラモリさん?」

【・・・】

 

 ラモリではなかった。マゼンタではなくシアンのボディカラーを持ち、親しみやすいつぶらな瞳とふさふさな質感の尻尾を持つ、一般的なラッキービーストが、牢獄の監視部屋に姿を現していた

 ともえの傍を通り過ぎ、オオコノハズク達の所へと近寄った。心なしかオオコノハズクとワシミミズクの表情が曇ったように見えた

 

「・・・?」

「これから、我々三人だけで今後のことを話し合うです・・・ともえとイエイヌは先に研究室に戻っているです」

「え・・・うん・・・」

 

 ともえとイエイヌが細い通路の中に入ると、自動ドアの扉が静かに閉じられた。監視部屋には、オオコノハズク、ワシミミズク、ハツカネズミの三人・・・そしてつい先ほど部屋に入ってきたラッキービーストが向かい合い、卓を囲む形となった

 押し黙る梟の二人組とは対照的に、ハツカネズミは動揺していた

 

「・・・・・・このラッキービーストは何ですか・・・?」

【やあ、君はハツカネズミさんとか言ったよね?】

 

 ラッキービーストがつぶらな瞳を発光させながら、声を出し始めた

 その声は砂嵐のような雑音が混じっていた。そして不規則に揺らいでいた

 しかし、喋り方はラッキービーストが発する機械的な音声ではなく、生きているフレンズそのものの肉声だった

 

「・・・・・・? ラッキービーストが・・・私に話しかけている・・・?」

【気にしないでいいよ。僕は、こいつをただの無線機として使っているだけだから】

「・・・・・・じゃあ・・・あなたは誰ですか・・・?」

【そうだね・・・僕は“園長”と呼ばれているよ】

「・・・・・・園長? ・・・あなたは何の用事でここに来たのですか・・・?」 

【用事も何も、今回、ビーストを捕える作戦を立てたのは僕なんだ。オオコノハズクさんとワシミミズクさんは、君を誘ってそれを実行しただけだよ】

 

「・・・・・・話が呑み込めません・・・」

【そうだね、一から説明してあげるよ。僕には、大事な役目があるんだ。“ジャパリパークを浄化し、正しい方向に導く”という役目がね・・・そのために、今、僕の所で働くフレンズを集めている所なんだよ】

「・・・・・・オオコノハズク博士と・・・ワシミミズク助手は・・・あなたの仲間ですか・・・?」

【まだ、正式な仲間じゃないよ。ビーストを捕まえるという、僕の下したオーダーを二人が達成できたら、仲間に加えてあげる・・・そういう約束なんだ】

 

「・・・・・・何故です? なぜ二人は・・・あなたの仲間になりたいと思ったのですか・・・?」

「我々は、さらなる知識が欲しかったです」

「園長と最初に会話をしたのは、2つ前の夏なのです。彼は、今のようにこうしてラッキービーストを操って、自分の素性を明かさず、我々に接触してきたです」

「とある研究に行き詰っていた我々は、突如現れた園長の助言によって、研究を完成させることが出来たのです。その後も、我々だけでは解けない数々の謎に、園長は答えをくれたです」

「我々は賢いのです。しかし、悔しいことですが、園長は我々以上に・・・我々の遥か上の賢さを持っているです」

「我々には目標があります。サンドスターとフレンズの関係、フレンズが誕生する仕組み

を完全に解き明かすことです」

「目標を達成するために、園長のもとで知識を深めたい・・・我々はそう思ったです。だから我々は、園長の仲間になることを決意したです」

 

【ふふ・・・聞いた? つまり、そういうことなんだ。僕の仲間になったフレンズには、その子が望むものを与えてあげる・・・まあ、僕の仲間になるためには、それに値する能力があると僕に示す必要があるけどね】

「・・・・・・園長・・・あなたは一体・・・・」

【・・・ハツカネズミさん、何で君にこんな話をするかわかる? 君も、僕の仲間にならない? 君も、いろんなことを“知りたい”フレンズだよね? その頭脳を僕のために使ってよ・・・その代わり、君が知りたいことを何でも教えてあげるからさ】

 

 ハツカネズミは考えた。園長と名乗る謎のフレンズの知識は本物だ・・・ラッキービーストを操って、無線機の代わりとして使用する・・・それだけでも、自分をはるかに上回る頭脳と技術を持っていることはわかる

 確かに園長ならば、自分の知りたいことを何でも教えてくれるのかもしれない・・・それは自分にとってどれほど幸福なことだろう・・・

 しかし、知識と引き換えに、園長が自分に何を要求するのかわからないのは気がかりだった

 そして何より、オオミミギツネ、ハブ、ブタ、デグー・・・ホテルの仲間の顔が思い浮かんだ

 園長の下に付いたら、今の仲間から離れなければいけなくなるのではないかと思った

 

「・・・・・・私は・・・まだあなたのことが信用できません・・・」

【そう・・・まあ仲間になるかならないか、ゆっくり考えてくれればいいよ・・・それより・・・問題はビーストだ・・・さっきの様子を見てたよ。このままだとビーストが自殺しちゃうかもね。それは少し困るんだ・・・だから、ビーストのことは、こっちで預かることにするよ】

 

 “園長”の突然の言葉に、そこにいる学者たち三人は一同に驚愕した

 

「え、園長・・・それはあまりに突然なのです! 預かるといっても、こちらにもビーストをあなたに引き渡す準備が必要なのです! 今ビーストを閉じ込めている場所は、入ることも出ることも容易には敵わないのです」

【準備なんて必要ないよ。後はこっちで全部やるから、余計なことはしないでいい・・・君たちは早くそこから立ち去ってくれ。そして邪魔が入らないように、ビーストに誰も近づかないようにしてよ】

「し、しかしなのです!」 

「・・・・・・説明してください・・・あなたはどうやってビーストをここから出すつもりで・・・」

【今、僕の“使い”がそこに向かっている・・・後はそいつが、全部やる】

「・・・・・・使いとは・・・」

【使いの名は“フォルネウス”】

「・・・・・・フォルネウス・・・? 何ですか・・・? そういう名前のフレンズですか・・・?」

【ふふ・・・まだ正式な仲間ではない君たちに、これ以上教えることはないよ。ともかく、ビーストには誰も近づけないでね。頼んだよ・・・】

 

______ブツッ!

 

【ジーピーエス シンゴウ ガ ショウシツ、ココハ ジュンカイ エリア デハ ナイ。アワワ、アワワ・・・】

 

 ラッキービーストは突如、ビクリと体を振るわせると、明後日の方向を向き、ぎこちなく部屋の中をあちこち歩き回り始めた。“園長”との通話は、一方的に打ち切られた

 顔を伏せるオオコノハズクとワシミミズクを、ハツカネズミは見据えた

 

「・・・・・・これから・・・どうするつもりですか・・・?」

「“園長”は命令したです。ここから立ち去ること・・・そしてビーストに誰も近づかせないことを・・・それに従うです。彼は、このジャパリパークで一番偉いフレンズなのです。逆らうことは出来ないです」

「ハツカネズミ博士、あなたが納得できないのはわかるです。今まで園長のことについて話さなかったことを申し訳ないとも思っているです」

「我々、自慢じゃないのですが、パーク内で自分たちが一番賢いと思っていたです・・・その自信を“園長”はいとも簡単に覆してしまったです。我々が自分で考えることなど、たかが・・・」

「・・・・・・その先は言わなくて結構です・・・わかりました・・・ここを出ましょう・・・」

 

________________________________________

 

 

 アムールトラは、牢獄の上の気配が消え去ったことを感じた。今、自分を見ている者は誰もいない・・・だがそんなことは、もはやどうでもいい

 天井を見上げた視線を、再び虚空に投げ出した。うずくまり、膝を抱いた

 ともえはもうここには来ないだろう。せっかく歩み寄ってきてくれたのに、私はあの子を二度も拒絶した。三度目はない

 あの子は、忘れ去られた私の過去を掘り起こそうとしてくれた。ビーストではない本来の自分を思い出すきっかけをくれようとしていた

 だが・・・過去にも私の幸せはなかった。思い出そうとするだけで、凄惨な血だまりの幻覚を見るような出来事を、かつて私は体験したのだ

 私が過去のことを思い出せないのは、ビーストになってしまったからなのか・・・あるいは、自らの意志で記憶を封じ込めたのか、それはわからない

 ひとつ確かなのは、過去にも現在にも、絶望しかないということ

 やはり、私の心はすでに死んでいる、後は肉体がそれに追いつくのを待つしかない

 

「・・・」

 

 アムールトラは、考えることをやめようとした

 そのうち、優しい風も、穏やかな陽射しのことも忘れるだろう

 自ら死ぬことすら叶わないならば、一切を感じない生ける屍になればいい

 瞳を閉じ、眠りに落ちようとした

 ・・・しかし

 

≪・・・目を開けよ・・・≫

「・・・?」

≪ようやく、こうして姿を現すことができたわ・・・≫

 

 自分一人しかいないはずの牢獄に、見知らぬフレンズが立っていた

 その体色は雪のように白かったが、アムールトラと同様に、トラのフレンズであることを示す黒い縞模様が全身に走っていた

 金色と青という左右非対称な色合いの、神秘的な紋様が刻まれた装飾品を、両手首と両腿にそして両方の横髪に身に着けていた

 その体は、後光が指すように白く輝いていた。そしてその足元には、影がなかった

 アムールトラは、突然の異常に立ち上がり、身構えた

 

「・・・ッ!」

≪・・・我が名はビャッコ・・・≫

「・・・誰ダ、ド、ドコカラ、デテキタ・・・?」

≪出てきたとな? それは違う・・・おぬしがこの牢に入れられた時から、儂はおぬしの傍におった・・・つい先ほども、おぬしに声をかけたであろう≫

「・・・ウウッ オ、オマエハ、アノ・・・コエ・・・」

≪無理して声を出す必要はないぞ。まだ思うように喋れまい。言いたいことを心で念ずるがよい・・・儂にはそれで伝わる≫

(お前は私の傍にいると言ったな・・・どういうことだ?)

≪儂は今、おぬしの“体の中”におる。おぬしと一体となっておる・・・≫

(・・・言っている意味が分からない)

≪・・・これを見よ≫

 

 ビャッコの体がひと際眩しく光った。同時に体の輪郭が薄くぼやけると、ビャッコの胸元に白い光が集中していった・・・

 そして、拳大の白い球が出現した

 

≪これが儂の実際の姿じゃ。フレンズの姿は、見せかけにすぎぬ・・・どうじゃ? この姿の儂も、見覚えがあるであろう?≫

 

 目の前にある白い球は、つい2日前、けいこくちほーで見た物と同じだった

 白い球を見つけた瞬間、衝動に駆られて白い球を追いかけた。そこには、ともえ達もいた

 ともえ達も白い球を求めているようであった。そして先に手中に収めたのはともえ達だ

 私は渓流を渡るともえ達に襲いかかり、白い球を奪い去ろうとした。そして、奪い取った白い球もろとも、渓流に流されていった

 それだけではない。以前から、私は異常な行動を取っていた。人目を忍んで隠れ住んでいたつもりが、誰かと遭遇してしまうかもしれないような場所を何日もうろついていた

 フレンズやセルリアンに遭遇する度に、ビーストに支配され暴走してしまっていた。それでもなお、何かを探し求めるように各地を徘徊した

 

≪おぬしが探し求めていた何かとは、儂のことじゃ・・・儂はずっと前からおぬしに呼びかけていた。儂には、遠く離れた相手に念を送る能力がある。おぬしは儂の呼びかけを察知して動いていたのだ・・・そして、おぬしが儂を手にして渓流に落ちた時、儂はおぬしの中に入らせてもろうた・・・それから次の日、草と岩の丘で、おぬしが戦いの中で殺意に呑まれそうになった時があったであろう? あの時も、おぬしを引き止めたのは儂じゃ≫

 

 ビャッコの話を聞いて、アムールトラはうろたえた・・・今まで自分が取っていた不自然な行動、そして直面した奇怪な現象のすべてに、説明がついたのだ

 

(お前が私のことを遠くから操っていたというのか・・・私にお前のことを探させるために・・・私が、ビーストとして暴れまわることなど、お構いなしに)

≪そうじゃ・・・強引なやり方で、申し訳ないと思っておる≫

(なぜだ? お前は何がしたいんだ?)

≪おぬしに頼みがある≫

(何の頼みだ? なぜ私に頼む?)

 

≪昔話をしよう・・・遥か遠い過去の話じゃ・・・かつてこの世界で、大きな戦があった・・・世界を呑み込まんとする“虚無”との戦いじゃ≫

(虚無?)

≪おぬしもよく知っておろう、セルリアンと呼ばれる怪物たちのことじゃ・・・奴らは、この世界を支配していた“ヒト”という種族、そしてそれに協力する我々フレンズと激しい戦いを繰り広げた・・・奴らは大地を汚染し、生命をむさぼった・・・大地はヒトの住めない所になった。ヒトはこの世界から消え去った・・・フレンズは大地に取り残され、それぞれに己の生を育んだ。いつしかヒトのことを知る者もいなくなった・・・よいか・・・この世界は一度滅びている。滅びの後に再生した世界・・・それが現代じゃ≫

 

(ヒトとフレンズは、セルリアンに負けたのか?)

≪いや、我々は、何とか戦いに勝つことは出来た。虚無を完全に滅ぼすことは出来なかったが、奴らの頂点に君臨する“女王”を倒すことには成功した・・・そして奴らは女王という統制を失った。目的もなく彷徨い、暴れるだけの存在となった。そうなってはもう、セルリアンなど、ただの天災のようなものにすぎぬ・・・出てくるたびに対処すればよいだけだ。その場を凌げれば、後には何も影響せぬ・・・この世界には、一応の平和が訪れた。大地に取り残されたフレンズ達は平和を享受して幸せに暮らしてきた≫

 

 アムールトラは、ビャッコが話した内容をうっすらと体感した。脳裏に膨大な時間が流れているような感覚を覚えた

 ビャッコが語る内容は、確かに現実味を感じるものだった。しかし、それを真実だと信じるには、あまりにも空白が多すぎた

 頭の中を真実と空白が混ざり合い、ひしめき合っていった。アムールトラは自分が立っていることすら曖昧になり、虚空を漂っているような気持ちになった

 

(わからない・・・お前の言っていることは、何もわからない・・・私には、過去の記憶がない・・・ビャッコと言ったな。お前は、私が何者なのか知っているのか?)

≪無論じゃ・・・≫

 

 ビャッコの体から発せられる光が弱まり、白い球の姿からトラのフレンズへと戻っていった。光に照らされていた牢獄が、再び元の薄暗さを現わしていった

 アムールトラは、自分の足が地面に付いている感覚を取り戻した

 

≪・・・おぬしはかつて、フレンズの中でも卓越した戦士だった。虚無との戦いの時、多くの命を救うために奮戦した“英雄”・・・それがおぬしよ。おぬしだけではない、おぬしと肩を並べる者たちが何人もおった。皆、素晴らしき“もののふ”だった・・・だがもう、彼らはいない・・・この時代に生き残っているのは、おぬし一人だけ・・・≫

 

 ビャッコは、懐かしい過去を見つめるように、遠い目をして語っていた。しかし、今一度アムールトラの顔を見据えると、静かに言い放った

 

≪アムールトラよ・・・この世界のために、もう一度、虚無と戦ってくれ。儂には、おぬしの他には頼めるものがおらぬのじゃ・・・!≫

(話が矛盾しているぞ・・・セルリアンは女王とやらを失って脅威ではなくなったのだろう?)

 

≪そう・・・そのはずであった・・・じゃが、状況が変わった・・・ここ数年、虚無どもは何かの目的を持って動いている。儂にはそうとしか思えぬ≫

(どういうことだ)

≪虚無どもに“統制”が取り戻された・・・かつての女王・・・あるいは、それに近しい何者かが奴らに命令を下しておる・・・このままでは、再び虚無が世界を脅かすであろう・・・アムールトラよ、重ねて申すぞ。もう一度この世界のために戦ってくれまいか? 虚無に命令を下している存在を探し出して、倒すのじゃ。この世界の生きとし生ける者たちを、おぬしの手で救うのじゃ≫

(・・・そんなこと・・・私には無理だ)

 

 アムールトラは顔を伏せ、ビャッコの視線から目をそらした

 

(かつては、誰かを守るために戦っていたのかもしれない・・・だが、今の私はビーストだ・・・セルリアンも、フレンズも、目の前の物をすべてを破壊するだけの存在だ。守ることなんて、出来っこない。壊すことしか出来ない・・・私は、セルリアン以上に、この世界にとって害悪なんだ・・・私なんて、いないほうが良いんだ・・・)

 

 思いを口にするたび、自己嫌悪に押しつぶされそうになった。だが、これは紛れもない真実だ

 ビャッコがどれほどに重い使命感を持って、心から懇願しているのかは理解した

 だが、ビャッコの思いに応えることなど、ビーストと化した自分には到底無理な相談だ

 

(すまない・・・私には出来ない)

≪今のおぬしは、恐怖に支配されておるな・・・己自身への恐怖に・・・≫

(・・・私は人前に出ると、いつも誰かを傷つけてしまうんだ・・・自分でも止めることが出来ない・・・体が言うことを聞かないんだ・・・それが、怖い。こんな体でなければ・・・ビーストなんかでなければ・・・) 

 

≪・・・己にまとわりつく恐怖を消し去りたいか?≫

(それが出来ればな・・・)

≪じゃが、そうやって消したいと願えば願うほど、恐怖は大きくなり、おぬしを支配するであろう・・・恐怖とはまこと厄介なものじゃ・・・これは儂の推測じゃが、おぬしが恐怖を抱けば抱くほど、おぬしの中に潜むビーストはその恐怖を糧にして、強大になっているとしたら、どうじゃ?≫

(結局・・・私にはどうしようもないじゃないか)

 

≪儂の経験から言わせてもらうとな、恐怖とは“消す”とか“乗り越える”とか、そういう風に捉えるものではないぞ・・・なぜなら、恐怖自体は、悪いものではないのだから・・・恐怖とはただの心の移り変わりにすぎぬ・・・よいか、恐怖を消そうと思うな。恐怖は“ただそこにある”と認めるだけでよい≫

(・・・それで何が変わるんだ?)

≪恐怖を認めることが出来れば、恐怖に支配されなくなる・・・おぬしが見つめるべきは恐怖ではなく”己が大切にする価値”じゃ・・・己が何を大切にしているかを、今一度考えよ。それこそが、おぬしが向かうべき真実じゃ・・・大切なのは、結果ではない。真実に向かおうとする、今この瞬間のおぬしの在り方なのじゃ・・・≫

 

 ビャッコは、不意に牢屋の中を歩きはじめた。己の影を映さないその体からは、光の中心だけが動き、位置を変えていった。そして、ビャッコが放つ白い光が、床に落ちているある物を照らし出し、影を作った

 白い花のブローチだ。ついさっき、血を噴き出して地面を赤く染めていたブローチは穢れなきまま、そこにあった

 アムールトラは目を背けた。すべては恐怖が生み出した幻だとわかっていても、直視することは出来なかった

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」

哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」

自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービースト M‐TYPE-サンナナヨンゴ」

四神獣・西方の守護者・白銀の御霊(オーブ)
「ビャッコ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」
????????????????????? 
「通称園長」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編6 「でじゃびゅ」

 あるトラのものがたり第6話です。

 ともえ達一行とアムールトラが海底の牢獄で再び向かい合う。
 そして平和だった海上のホテルに不穏な影が迫るのだった。



 ともえとイエイヌは、監視部屋から閉め出され、その先に続く研究室へと訪れていた 

 そこにいたフクロウの学生たち4人から遊びに誘われたが、それを断り、静かに佇んでいた。フクロウたちは気にせず遊びに興じていた

 ともえは先ほどから変わらず、頭を伏せて黙り込んでいた。イエイヌはともえの傍で遠い目をしながら、何か考え込んでいた

 

「6を四枚、革命、あがり」

「こ・・・これでアオバズクの5連勝・・・アナホリフクロウが2位、私が3位

 チョンボのメガネフクロウがビリで連敗中・・・ふ、運命の女神は時として嗜虐の愉悦を求める・・・」

「メメメ、メンフクロウ・・・なんかカッコいいこと言っても、顔が引きつってますよ」

「アオバズクなんでこんなに強いのwww絶対イカサマしてるっしょwww」

「これは才能だよ。早く“賭けジャパリまん”ちょうだい。2位から一個、3位から二個、

 ビリから・・・五個・・・そういう約束だったよね」

「ちょwwwアタシこれでおけらやぞwww今日一日水だけで過ごせってかwww」

「勝って取り返してみなよ」

「ももも、もしまた負けたら・・・」

「メガネフクロウは明日も水だけの生活かな・・・どうするの? もう一戦やるの? 降参するならそれでもいいよ。あたし、お腹が空いたから、上のホテルで一番高いごちそう食べて来るよ。“海の幸五つ星フルコース”が、確か35JP(ジャパリまん35個分)だったかな? そしたらメガネフクロウに返すものがなくなるけど、それでいいんならこれで終わりにするよ」

「こいつwwwリアルで鬼畜wwwねえ、ともえとイエイヌwwwアンタ達も参加して一緒にアオバズクを成敗しよwwwね、お願いwww」

「せこいね・・・参加者が増えればが何とかなるとでも・・・? ま、いいけどね。ともえさんと、イエイヌさんだったっけ、アナタ達、参加するの?」

「・・・・・・・・」

「ちょwww聞いてる? ともえ?」

 

「え! ・・・あ・・・ううん。ごめん、あたしは良いよ」

「わふっ・・・わたしも、今は遊ぶ気持ちじゃなくて・・・」

 

「・・・だってさ、残念だったねメガネフクロウ」

「うっさいwwwもうひと勝負じゃボケェwww」

「おお、試練に打ち勝った時、明星が暗雲を切り裂き、我を照らすであろう・・・」

 

 フクロウたち4人は、カード遊びに再び興じ始めた。ともえ達はただ沈黙していた

 音のない海底の研究室といえど、耳を凝らせば様々な物音が響いていた。どこかから空気が循環する音。そして、海底の圧力を受けて、部屋全体がわずかに軋む音・・・

 

_______ウィィィン・・・

_________タッタッタッ・・・ポコ、ポコ、ポコ、ポコ・・・

 

「ともえー! イエイヌー!」

 

 研究室の自動ドアが開かれ、新たな闖入者が二人、姿を現した

 

「ロードランナーちゃん! ラモリさん!」

「わふっ、良かった。無事に帰ってこられたんですね」

「へへっ、見ろよこれ・・・噂に聞いた通り、海の底に沈んでいたぜー。ま、オレ様にかかればよぉー、ざっとこんなもんだな」

 

「青い・・・オーブ・・・」

 

 ロードランナーの右手に掲げられた青いオーブは、研究室の薄灯りを反射し、なだらかな表面を複雑に煌めかせていた

 

「ありがとう。手に入れてくれたんだね・・・」

「ともえさん・・・良かったですね・・・」

「うん・・・・・・」

「い・・・・・・・・・いやいやいや・・・ともえもイエイヌも、なんだってそんなテンション低いんだよ・・・オーブだぜ? なんで、もっと喜ばねぇんだよぉー?」

「わふっ、あの、ロードランナーさん・・・聞いてください・・・かくかくしかじかで」

 

 イエイヌから事情を聞いているうち、ロードランナーの高揚する気分は冷め、いつしか

ともえ達と同じように顔を伏せていた

 

「・・・おー、そっか・・・そんなことがな・・・ビーストがそんなことしたのか・・・」

「ねえ・・・アムールトラさんのこと、もうあきらめるしかないのかな?」

 

 イエイヌとロードランナーは黙って顔を見合わせた。ともえのその問いを肯定することも、否定することも出来なかった

 

_______ウィィィィン・・・

 

 監視部屋にこもっていた学者たち三人が、研究室に戻ってきた。三人の表情は一様に暗く、神妙だった

 

「あれwww三人お揃いじゃないっスかwww」

「じじじじゃあ、ビビビビーストは今放置状態? あ、あ、危な・・・」

「みんないるですね・・・良いですか、よく聞くです。もう、ビーストの研究は終わりなのです。すぐにここを出るです。そして、キョウシュウに帰るです・・・ともえ・・・お前たちは自分の旅を続けるがいいです」

 

「待って、なんでいきなりそんな事に?」

「我々が三人で話し合って決めた事なのです」

「じゃあ、アムールトラさんはどうなるの?」

「こことは違う所に移されるです。きっと、悪いようにはされないです」

「こことは違う所・・?」

 

____“大変ですゥ! 誰か出てェ!” 大変なことが起こりましたァ!

 

「・・・・・・デグー・・・!?」

 

 突如、大きな声が研究室に鳴り響いた。ハツカネズミは壁面に走りよると、そこに備え付けられた金属の杯のような物体を引っ張り出し、そこに耳を当てた

 

「・・・・・・デグー!・・・聞こえますか・・・私です・・・!」

 

_____“あ、博士ですかァ!? 聞いてくださいィ! ホテルを、巨大なセルリアンが襲っているんですゥ! セルリアンがホテルのガラスを砕いて・・・ホテルが浸水し始めましたァ!

_____“お客様たちも大混乱で・・・避難誘導もままならないですゥ!

「・・・・・・セルリアン・・・!? そんな・・・バカな・・・」

_____“博士ェ! みんなァ! そこにいちゃダメですゥ。そこが・・・海の底が一番危ないですゥ! 早く上に戻ってきてェ!早くしないとエレベーターが止まってしまうかも・・・そうしたら、海の底に閉じ込められてしまいますゥ! あっ、やばっ・・・水がそこまで・・・もう切りますゥ! 博士! みんな!ともかく早く来てくださいィ!

 

「突然現れた巨大なセルリアンが、ホテルを襲っているのですって? そんなことありえないのです。このホテルは海に囲われているのです」

「最近各地で目撃されている、空を群れで飛び回る小さなセルリアンなら、海を渡りホテルを襲うこともできると思うです。ですが、巨大なセルリアンが一匹でここに来るなんて・・・」 

 

_____ギ・・・ギギギ・・・! ゴォォォォッッ・・・

 

「・・・!!」

 

 研究室に、鈍い震動音が響きわたっていた。それはただの音に過ぎなかった。海底の圧力や波の揺らぎで部屋が静かに軋む音なら、いつも響いていた

 しかし、それらとは明らかに異なる、断続的で不規則な音だ。この海の上で何か異常な出来事が起こっていることを、研究室にいる全員が実感した

 

「ともかく、早く上に戻ったほうがよさそうなのです」

「もとより、ここから立ち去るつもりだったのです。これ、お前たち、1分以内に荷物をまとめるです。特に机の上の書類は全部かばんに詰め込むです」

 

 フクロウたち4人は手に持ったカードを放りだして、弾かれたように動き出した。さっきまでふざけ合い、遊びに興じていた表情はとうに消え失せていた

 

「ハツカネズミ博士も急ぐです。もうここには戻ってこないのだから」

「・・・・・・ええ・・・早く上の皆と合流しなければ・・・」

 

 ともえ達は、せわしなく動くオオコノハズク達の様子を、呆然と見ていた

 もう、ここから出るしかない・・・そんな空気に呑まれていた

 

「よし、もう準備はできたですね。さあ、行くです」

「・・・ね・・・ねえ、あの、アムールトラさんは?」

「・・・ともえ、お前はまだそんなことを言っているですか? もう我々がビーストをどうこうすることは出来ないのです。・・・実際、お前が時間をかけてビーストを説得しても、あの怪物の心を動かすことは出来なかったのです」

 

 ともえは、心が折れそうになった。もうアムールトラのことは、本当にあきらめるしかないのかもしれない

 そうだ。これは運命なんだ。自分はやるだけのことはやった・・・けど、ダメだった

 自分の無力さから逃げたい。そんな気持ちが膨れ上がっていった

 研究室を出ようとしていたオオコノハズク達に、ともえは続こうとした

 しかし、歩き出したともえの手を、後ろから掴む者がいた

 

「あきらめちゃダメです、ともえさん・・・行きましょう・・・もう一度ビーストに、いえ、アムールトラさんに会いに」 

「い・・・イエイヌちゃん!?」

 

「・・・わたし、今までずっと、アムールトラさんのことを、セルリアンよりも怖い怪物なんだと思ってました。だから、ともえさんをアムールトラさんから引き離したかった・・・でも、それは間違いでした・・・見たんです・・・アムールトラさんが涙を流しているのを・・・あの涙を見た時、実感したんです。あの人も、フレンズなんだって・・・そして、ただ一人ともえさんだけが、あの人に寄り添おうとしました・・・ともえさんがやろうとしたことは、絶対に間違ってなんかないです。だから・・・だから、あきらめちゃダメです!」

 

「でも、あたしが行ったら、アムールトラさんは余計に苦しむ・・・」

「アムールトラさんは、ともえさんと話していて、何かを思い出したのかもしれません。それは、思い出したくない辛い出来事だったのかも・・・でも・・・だったら、アムールトラさんの過去には触れなければいい。今、現在のあの人に寄り添えばいいんですよ」

「だけど・・・」

「そして今、アムールトラさんのことをあきらめたら、彼女は誰にも理解されないまま、たった一人で消えていってしまいます・・・それはとっても悲しいことだと思います・・・だから行きましょう、ともえさん」

「・・・・・・イエイヌちゃん」

 

 不安、恐怖・・・そして無力感が、変わらず自身の中に渦巻いていた、しかしそういった負の感情に勝る強い気持ちが自分の中にあることを確信した

 それは自分が正しいと思うことに向き合いたいという気持ちだった。そしてイエイヌが自分の気持ちに賛同してくれている

 そう思うと、勇気が静かに湧き上がってくるのを感じた

 ともえは、静かにイエイヌの手を握り返した

 

「うん・・・行こう」

「ば、バカなことはやめるです! 」

「そうなのです! お前がもう一度ビーストに会いに行って、それで何か変わるですか? 何も変わりっこないのです・・・」

「ビーストに襲われるのがオチなのです。いいえ・・・仮にビーストと和解出来たとしても、海の中から出られなくなるです」 

 

「おー、無茶だよな・・・マジでよぉー」

「ロードランナーちゃん・・・」

「成功する見込みはちょっぴり・・・失敗したら、ここで終わりなんだぜ?」

「うん・・・そうだよね・・・だけど」

「でも・・・無茶だろーが、なんだろーが、やるって決めたんだろ? 良いぜ、オレ様も行くよ」

「くっ・・・わかりましたのです。好きにすればいいです。お前たちのことなど、もう知らないのです」

 

 オオコノハズク達がエレベーターに向かおうと踵を返す中、ハツカネズミだけが一人、ともえの傍に近寄り、右手を突き出した

 

「・・・・・・これを・・・あなたにあげます・・・これは・・・あの牢の扉を・・・そして、ビーストを縛る鎖を解き放つカギです・・・構いませんね・・・? オオコノハズク博士・・・ワシミミズク助手・・・」

「ええ、そのカギはもう私達に必要ない物なのです。“どこで、誰が”拾おうが、関知する所ではないです」

「・・・・・・私達だけ先に逃げるようなことをして・・・すまないと思います・・・」

「ううん、それは違うよ。上には、ハツカネズミさんのことを待っている仲間がいる・・・急いで行ってあげて」

 

 オオコノハズク達は今度こそ、エレベーターの方向へ、一糸乱れず歩き出した

 ともえ、イエイヌ、ロードランナー、ラモリは、それを見送るやいなや、反対方向に向き返った。ラモリはイエイヌの両腕に抱きかかえられた

 

 

_______________________________________

 

「・・・」

 

 アムールトラは、その鋭敏な感覚によって、異変を感じ取っていた

 この牢獄全体が絶え間なく震動している。不自然な圧力によって軋み、歪んでいる・・・

 上で何かあったのだろうか? 自分を監視する連中がいなくなったことと、何か関係があるのだろうか? 

 

≪ アムールトラよ、聞けい。おそらくここはもう、長くは持たぬ・・・虚無じゃ。奴らの尖兵が、上の建物を襲っておる・・・≫

(セルリアンが? ・・・何故だ?)

≪ 儂にもわからぬ・・・まさか・・・いや、何でもない。ともかくここを出るのじゃ≫

(・・・何度も言うが、再び戦士として戦うなんて私には無理だ。それに、私はフレンズ達から疎まれる怪物だ・・・誰からも必要となどされていない)

≪仮に、おぬしを必要とする者が現れたらどうする・・・?≫

(・・・何?)

 

 ビャッコは無言のまま鉄格子の方へ向き直ると、その先を指差した

 

_______ガチャンッ・・・ギギィィッ・・・

 

 鉄格子の錠前が解き放たれ、重い鉄格子がゆっくりと内側に開かれた

 ともえがみたび、アムールトラの前へと姿を現した。そして今度は見覚えのあるフレンズ達も一緒だ。ともえはすぐにアムールトラの目の前まで駆け寄った

 

「アムールトラさん!」

「・・・ともえー、こんなタイミングで悪いんだけどよぉー」

「ロードランナーちゃん、何?」

「オーブが突然光り出したんだ」

 

 ロードランナーの手に握られた“青いオーブ”が、淡く弱弱しい光を放っていた

 しかし牢獄の薄暗闇の中では、それでも十分な存在感があった

 

「ほ、本当だ・・・」

「お? 何か光が一瞬強まったような」

 

 ロードランナーはまたしても異変に気付いた。オーブを掲げた右腕を、何かを探るように動かしてみた

 間違いない。オーブの光は、ある方向を向いた時だけ強くなっている。そして動かしているうちに、その方向がわかった

 ロードランナーは、その方向へとオーブを突き出し、歩を進めた

 青い光は、みるみるうちに、眩しいとさえ感じるほどに強くなっていった

 

「これは・・・一体どーなってんだ?」

 

 青い光が指し示す先には、それと同じくらい強く輝く“白い光”があった

 その白い光は、アムールトラの体から放たれていた

 その異様な光景を、光を放つ当人であるアムールトラも、ただぽかんと見ていた

 

≪・・・セイリュウよ、遅かったではないか。この儂を待たせるとは何事じゃ≫

(ビャッコ、お前は誰と話している?)

≪ ああ、我が同胞(はらから)じゃよ・・・あれも儂と同じように、今や自分一人では動けぬ玉っころじゃ・・・だが、我々はどこにいても、通じ合うことができる・・・そして儂らは、同じ目的のもとに動いていたのじゃ・・・≫

(私に女王を倒させることか?)

≪ それはあくまで最終的な目的じゃ。我々は・・・おぬしと、おぬしの味方になってくれるフレンズを引き合わせたかった・・・そして、その目的は果たされた≫

(だが、私は・・・私には・・・)

 

≪ のう、アムールトラよ。生きておる限り、やりなおす機会は巡ってくるものであるな・・・いや・・・正確には生きてさえおらぬ、こんな体の儂にさえ機会が訪れた・・・そして儂はその機会をものにしたぞ・・・さあ、次はおぬしの番じゃ。おぬしを助けるために命を賭してきた彼らの気持ちに応えるか? それともここから動かず、すべてから目を背け続けるか? 好きに決めるがよい・・・≫

(待て・・・待ってくれ、ビャッコ)

≪随分と疲れたのう・・・おぬしの中で、少し休ませてもらうとしよう・・・≫

 

 まばゆい二つの光は、急速に消え失せていった。上から差す薄灯りだけが、四人の

姿を頼りなく浮かび上がらせた

 

「おー、何だったんだ? 今の・・・」

「アムールトラさんが光ってた。まるでオーブみたいに・・・青じゃなくて白、あたし達が最初に見つけたオーブの色・・・」

「わふっ、それより、早くアムールトラさんを!」

「う、うん! 見て、アムールトラさん・・・今からこの鍵で、鎖を外すからね・・・だから、一緒に逃げよう」

「・・・」

 

 以前までのアムールトラならば、ともえに牙を剥いて威嚇して、拒否しただろう

 だが、今はもうどうしたらいいのかわからなくなっていた

 ともえにされるがまま、無抵抗となった

 

______カシャンッ・・・ズシッ・・・

 

「よし、首輪が外れた・・・次は腕だ・・・あ、あれ、カギが合わない・・・ていうか、鍵穴がない・・・」

「あの、ともえさん、アムールトラさんの両腕の鎖は、はじめて会った時から付いてたものですよ。その鎖はどことも繋がってないですし、もう逃げられます」

「あ、そっか・・・アムールトラさん・・・立てる?」

「・・・」

 

 アムールトラはその場に座り込んだまま、ともえを静かに見つめた。謝辞でも述べて素直に歩み寄れれば、どんなによかっただろうか

 消すことのできない、自分自身への恐怖・・・それは、自分に近づいてくる他者をも恐怖の対象へと変えていった

 ともえ達のことが、怖かった

 

「・・・いいよ、あたし達と一緒に来なくたっていい。そんなこと、強制しないから・・・でも、ひとつだけお願いがあるの。ここから逃げて・・・生きて欲しいの。そして、あなたの行きたいところに行ってほしい・・・・・・あたし達は、もう行くよ・・・」

 

 アムールトラは座したまま顔を伏せていた

 ともえはすでにわかっていた。アムールトラを強制することは出来ないのだと。後はアムールトラが自分の意志でここから出てくれるのを願うしかないと

 いくらかの沈黙の後、ともえ達は振り返り、牢獄を後にしようとしていた

 

______ゴゥゥゥゥゥン・・・!! ズシャアッ!!

 

「わぁっ!」

 

______ブツッ・・・

 

 ひと際大きな震動が牢獄に響き渡り、ともえはバランスを崩して地面に膝をついた

 なんとか立ち上がろうと顔を上げた時、異常に気付いた。ともえの視界は、真っ暗闇となっていた。牢獄の上から差す薄灯りが消えていた

 

「みんな、大丈夫!?」

「は、はい! みんな無事です!」

「ともえー! 灯りだ! 灯りを・・・そうだ、ラモリさんに頼んでくんねぇーか? 光ってくれってよー」

「え? うん・・・ラモリさん、光れる?」

・・・ゼンホウイ ショウメイ キドウ

 

 イエイヌに抱かれたラモリの体が、火のように辺りを照らしはじめた

 アムールトラも含めた4人の姿と、周囲の床を照らしはじめた。しかし光の及ばない範囲は、相変わらず一切の視認が敵わない暗闇だった

 

「参ったな、これじゃ海の底とかわんねーぞ。まあでも、これで一応足元はわかるし、上に戻れるよなー?」

「うん、早く“動く小さな部屋”に戻らないとね」

 

・・・ダメダ・・・ モウ ウエ ノ エレベーター ハ ウゴカナイ・・・】

「え、ラモリさん、どういうこと?」

ウエ ノ アカリ ガ キエタ・・・ツマリ ハイデン ガ トマッテ シマッタ ノダ。デンキ ガ ナケレバ エレベーター ハ ウゴカナイ・・・トモエ、ホカ ノ デグチ ヲ サガセ。イソガナケレバ テオクレ ニ・・・】

 

______ガキィンッ! ・・・ギギギギ・・・

 

「こ、こんどは何だー!?」

「わふっ! 冷たい・・・足が冷たい」

 

 ラモリの話を遮るように、大きな震動が牢獄を揺るがした。金属音が轟いた一瞬後、ともえは、足元に違和感を感じた。空気よりも冷たく、抵抗を与える存在が足首にまで纏わりついていた

 

「浸水してきてる・・・」

「ともえさん! 早く階段を上がりましょう! アムールトラさんも・・・お願いです、一緒に来てください・・・」

「ま、待てよイエイヌ・・・階段を上がって監視部屋や研究室に行ったって、ここらは全部海の底なんだぜ? 意味ねーよ・・・それよりラモリさんが言う他の出口とやらのことを考えるべきじゃあねーか? 何か手掛かりはねーかな?」

 

 ともえの心臓が早鐘のように鳴っていた。もはや一刻の猶予もない。ロードランナーの言う通り、闇雲に動き回っても意味はない

 ともえは情報を整理しようとした。自分達がはじめてホテルに来た時、自分達よりも前にオオコノハズク博士達が到着し、アムールトラをこの牢獄に運び込んでいた

 しかしオオミミギツネ支配人をはじめとするホテルの従業員は、アムールトラが運び込まれたことはもちろん、博士が出入りしていたことさえ知らなかった。そしてあのエレベーターは、ホテルのロビーがある階の廊下へと直接通じていた

 あのエレベーターを使った場合、誰にも見つからないように出入りすることは不可能だ。つまり、あのエレベーター以外の、誰にも見つからずに外から出入りできる出口が存在するはずなのだ

 

「出口はあるよ・・・きっとある・・・でも、どこに・・・? 何で、博士たちはその出口を使わずに、止まってしまうかもわからない“動く小さな部屋”を使ったんだろう?」

「と、ともえさん、ここに来た時に少し気になったんですけど・・・この牢屋、結構上のところまで続いているみたいですよね? 上に監視小屋があるから高いのかなって思ったけど、監視小屋よりもさらに上まで続いてるような気がしたんです・・・なんか、不自然です」

 

「上・・・? も、もしかして・・・ロードランナーちゃん、お願いがあるの。ラモリさんを持ちながら飛んで、この牢獄の天井を探ってきてくれない?」

「天井? なんだってそんな・・・まあいーや、けどよ。探るだけならもっと手っ取り早い方法があるぜ、ラモリさんに頼もうぜ・・・違う光り方をしてくれってなー」

「え、どういうこと?」

「ラモリさんはよぉー、こういう松明みたいな光り方じゃなくて、まっすぐに、陽射しみたいに光を出すこともできんだぜ・・・ともかく早く言ってみなって」

「わかった! ラモリさん、陽射しみたいに光を出してみて!」

サーチライト キドウ

 

 満遍なく周囲を照らしていた光が消え失せると、鋭い一筋の光が天井へと照射された

 ともえ達の周囲は再び暗闇に包まれ、お互いの姿も見えなくなったが、代わりに天井は眩い光に照らし出された。イエイヌが言った通り、天井までの高さは結構なものであるように感じた

 そして天井の様子は、少なくとも下から観察する限りは、自分達が今いる場所と変わらない様子の壁面があるだけに思えた

 ともえの口から落胆のため息が漏れようとしたその時

 

「と、ともえー! カギだ! カギを貸してくれ! 早く!」

 

 ロードランナーが堰を切ったように騒ぎ出した。ともえは暗闇の中、ロードランナーの声のする方を探った。そして自分の手が、小さな手と触れあったのを確認すると、その手に牢獄のカギを手渡した

 

_____パタパタパタ・・・

 

「オレ様、目が良いからよぉー、バッチリ見えたぜ!」

 

 ロードランナーが、サーチライトの照らす先へと飛び上がり始めた。他の鳥類には劣る拙い飛行であっても、ただ上昇するだけなら容易かった

 そして数瞬の後に、天井に触れることが出来る距離に達していた

 天井は一面に錆びた鉄色だったが、その中に一か所、不自然な穴が空いていた。そしてすぐ近くには、四本指を引っかけられそうな凹みまであった。これらが自然に出来たものではないことは明白だった。そしてその穴に牢獄のカギを差し入れた

 

「ビンゴ・・・」

 

 カギを開け、凹みに指を引っかけて横へとスライドさせてみた。凹みは重量がありながらも引いた分だけスムーズに開かれていった。凹みを引ききると、その奥から鉄格子が姿を現した

 鉄格子の向こうから、生暖かい空気が漏れてくるのを感じた

 

「見つけたぜ! ここがもうひとつの出口だ!」

 

 ロードランナーは鉄格子のノブをねじり、開いた。鉄格子と合わせ口の間にほんの少しの隙間が空いた。しかし、そこから先の手ごたえはなく、出口が開かれることはなかった

 

「な、何ぃ・・・ふぬぬ、ふぬぬぬ・・・!」

 

 ロードランナーは両腕を支点にして、天井に両足を付けた。重力をも利用して思い切り鉄格子を引っ張った。しかしビクともしなかった

 

「ロードランナーちゃん! 鉄格子が開かないの!?」

「ち、違うぜ・・・開いたんだけどよぉー・・・動かねーんだ・・・!」

 

 度重なる衝撃によって、区画全体の骨組みが微妙に歪んでしまっていた。そしてそのわずかな歪みによって、本来なら開いたものが開かなくなっていた

 ともえは歯噛みしながら、ライトに照らされる天井を見つめた。浸水は、すでに太ももにまで達していた

 

_____ザバァッ! タンッ・・・! ヒュンッ・・・!

 

「・・・え?」

 

 ともえの脳裏に絶望が浮かんだその時、ラモリのサーチライトに一瞬、視認できないほど素早く動く何者かの影が映った

 

_____ガシィッッ

 

「どいていろ」

「わ、わ、わぁああああああっ!! ビーストぉ!?」

 

 ロードランナーの目の前に、突如アムールトラが姿を現した。牢獄の壁面を蹴り、三角飛びの要領で天井近くまで駆け登ってきていた。そして天井にある鉄格子を掴み、ぶら下がったのだった

 アムールトラも、ロードランナーが今までそうしていたように、両足を天井に付けて鉄格子を下へと思い切り引っ張った

 

_____メキメキメキメキ・・・バキャンッ!!

______・・・・・・ドシャァンッ!!

 

 アムールトラは天井から落下し、再び牢獄の床へと降り立った。ラモリはサーチライトの向きを修正し、アムールトラの姿を捉えた

 その右腕には、針金のようにひん曲がり、引きちぎられた鉄格子の束が握られていた。そしてアムールトラは鉄格子の残骸を静かに投げ捨てた。大きな着水音が鳴った

 

「・・・アムールトラさん、一緒に来てくれるの?」

「ああ、外まで・・・お前たちを逃がすまで・・・それまでは」

「ありがとう・・・」

「ともえさん・・・でも、わたし達はどうやって天井まで行きますか?」

「大丈夫! 昨日、イエイヌちゃんが良いもの貰ってくれたじゃない!」

「良いものって・・・ああ! あれのことですか?」

 

 ともえはショルダーバッグの中をまさぐった。目当ての物は、目が見えなくとも、手触りだけですぐに探し当てることができた

 そしてバッグから取り出したオレンジ色の塊をアムールトラに手渡した。それは昨晩、ハブのおみやげコーナーでイエイヌが貰ったロープだった

 

「アムールトラさん、早速お願いがあるんだけど、上の出口からこれを垂らしてくれない? それで、上からロードランナーちゃんと一緒にあたし達を引っ張り上げて・・・」

「・・・わかった」

 

 アムールトラは再び、三角飛びで壁を登っていった。滞空しながら下の様子を呆然と見守っていたロードランナーと再び接近した。アムールトラは片手で鉄格子の合わせ口に掴まるともう片方の手をロードランナーに突き出した

 

「これを持って、上に行け」

「お、お、おう!」

 

 ロードランナーは羽をはばたかせ、天井裏へと入った。暗くて辺りのことはよくわからなかったが、ある程度の高さと、どこかから伝わってくる生暖かい空気を感じさせた

 ・・・ここなら上にまで続いていたとしてもおかしくない、そしてここがオオコノハズク博士達の隠し通路だとしたら納得がいく。空を飛べる鳥のフレンズでなければ、ここを出入りするのは不可能だ

 そして博士達が脱出にここを使わなかったことも納得がいく。アムールトラのいる牢獄の中に再び入っていくわけがないからだ。ともえのここ一番の洞察力はさすがなものだと感心した

 だが、そんなことよりも・・・と、ロードランナーはおそるおそる向き直った。アムールトラは穴の淵にしがみついていた

 

「よ、よー・・・オレ様が引き上げてやるよ・・・て、手ェ貸しな・・・」

「さがれ」

「わっ!」

 

 アムールトラは両手に力を籠めると、握力だけで体を上に引きよせ、その勢いのまま跳ね上がった

 

_____ズガンッッ!!  ・・・パラパラッ・・・

 

 次の瞬間、アムールトラの右腕は、“天井裏の天井”にめり込んでいた。右腕を支点に体を持ち上げ、難なく天井裏に入り込むことに成功していた

 

(や、やべぇーーーー! コイツやっぱり、マジの怪物じゃあねーか!)

「ロープを貸せ」

「ひゃ、ひゃ、ひゃい・・・」

 

 アムールトラは、ロープをほどくと、その一端を下の牢獄へと放り投げた。すぐにロープがピンと張り詰めた

 アムールトラは、ともえとイエイヌ、そしてラモリの重量が乗ったロープを、微動だにせずに手繰り上げた

 

「ありがとう、アムールトラさん」

「さっさと進むぞ」  

 

 ラモリはサーチライトで辺りを見回した。天井の低い空間には、上にも下にも、いくつも金属製のパイプが張り巡らされていた

やがてサーチライトは壁にまで伸びた。パイプが散在する壁面に一か所、二本の金属柱が縦に伸びている場所があった。そして金属柱の間には、横棒が等間隔で配置されていた

 

「ねえ、あれ・・・きっと梯子だよ!」

「わふっ、あそこからたくさん空気が入ってきています!」

「みんな、梯子の所へ行こう!」

 

 一行は梯子に近寄った。サーチライトで梯子の上を照らした。梯子が続く天井には、フレンズが一人通れる程度の穴が空いていた。梯子はその穴を貫き、ライトでも照らしきれないぐらい上へ上へと続いていた

 

「ここから先は、一列に進むしかないね」

「お前・・・トリ」

「と、トリじゃあねーって! ロードランナーって呼べよなー!」

「ロードランナー、お前が先頭だ。何かあったら、飛べるお前が周囲を探れ・・・私は一番後ろだ。行くぞ」

「お、おー・・・」

 

_____ガシッ・・・ヒタッ・・・ヒタッ・・・

 

 暗くて狭い梯子を、一行は登り始めた。先頭を進むロードランナーは、本来ならこういう閉所は恐怖の対象とすら思える苦手な場所だった

 しかし、今は弱音を吐くことすら許されない極限状況だ。高鳴る心臓を押し殺し、一段一段梯子を登っていった

 ロードランナーは、恐怖に耐えるため、自分でも気づかないうちに、目を閉じていた

 そして四肢の感覚だけに注意を向けた。一体どれくらい登ったろう? すでに時間も距離も曖昧になっていた。唯一、後ろにいるともえ達の気配だけが意識に残されていた

 

「わふっ! ろ、ロードランナーさん、止まって! 上見て! 上見て!」

 

 自分のすぐ下にいるイエイヌの声が聞こえた

 

「あー? なんだよー、?」

 

_____ゴチンッ

 

「痛っ! うううっ、な、なんだぁ?」

 

 梯子はそこで終わっていた。ロードランナーのすぐ頭上は行き止まりだった。だがここまで梯子が続いていて、行き止まりであるはずがなかった

 ロードランナーは、辺りを探りまわってみた。ほどなくして、梯子のすぐ前にある持ち手らしきものがあることを認識した

 持ち手を捩じると、思い切り前へと突き出してみた

 

_____ブォォォォォ・・・!!

 

 風がロードランナーの顔を通り抜けるのを感じた。そして眩い光が差し込んだ

 ロードランナーは光の先へと頭を出した

 霧の合間から降り注ぐ日光を見た。一行は海底を脱出し、地上に戻ることに成功していた

 

「・・・・・・よっ!」

 

 ロードランナーは、穴から身を乗り出して下を観察していたかと思うと、そのまま飛び降りて姿を消した

 ロードランナーの突然の行動に、すぐ下にいたイエイヌは驚き、大急ぎで穴から顔を出して安否を確認しようとした

 

「ロードランナーさん! 返事してください!」

「おー! ここだ! ここ! ここ! 下を見てみなって!」

「あ・・・!」

 

 イエイヌが真下を見やると、そこには石畳の庭園があった。ここと似たような場所を、つい先日見かけたばかりだ。ホテルの入り口に当たる海に面した中庭・・・ちょうどあそこと似たような広さと間取りの場所だった

 一行は庭園に降り立つと、周囲の観察を始めた

 

「ここは海面よりもかなり高い場所にあるみてーだな・・・見ろよ、海があんなに下に見えるぜ・・・いつの間にかこんな高い所に来てたのか」

「わふっ、ここ、手入れされてないみたいです。使われていないんでしょうか?」

「うん、そうかも。思えば昨日、あたし達が案内を受けたのも、海の下だけだ・・・海の上は、誰も立ち入っていないのかもね」

「どっかから下に降りられねーかな? 博士達と合流して一緒に逃げられたらそれが一番だよな? お? あそこに扉がある・・・行ってみよーぜ」

 

「・・・待て」

「アムールトラさん?」

「動くのは、周りをもっとよく観察してからだ。ここは視界も足場も良い・・・他にこういう場所はないかもしれない」

「あー? そんな悠長なことを・・・」

「ま、まーまー・・・アムールトラさんのほうが、あたし達よりも、こういう“荒事”にきっと慣れてるはずだから・・・そういう人が言うことは、的確だと思うよ」

「・・・ちぇ、わーったよ」

 

「わふっ・・・あの・・・」

 

 イエイヌは、顔を伏せながらアムールトラの傍に近寄った。そしてアムールトラの黒いかぎ爪が生えた手を、両手で握りしめた。伏せた顔を上げ、アムールトラの双眸を見つめ

 

「何だ?」

「あの、自己紹介がまだでした。アムールトラさん、わたしイエイヌっていいます・・・一緒に来てくれて嬉しいです・・・ここを出たら、ゆっくりお喋りとかしたいなって・・・その、アムールトラさんが良ければですけど」

「・・・」

「ああ、えーと・・・オレ様はロードランナーだ・・・って、ついさっき名乗ったか。オレ様も、アンタのことアムールトラって呼ぶことにするよ。あ、勘違いすんなよ、オレ様はまだ全然アンタのこと信用してねーぞ」

「わかっている、ロードランナー」

「だ、だがよぉー、アンタがオレ様の名前をきちんと呼ぶならよぉー、オレ様もアンタのことをきちんと呼ばなきゃだろー? それが筋ってもんだからなー」

 

「うん・・・うん、いいね・・・あたし達・・・すごく良い仲間になれそう! アムールトラさん、一緒に来てくれてありがとう! ・・・そうそう、この赤い色のラッキーさんは、ラモリさんっていう名前なの! この子のこともよろしくね!」

「・・・勘違いするな。お前たちをここから逃がすまで、一緒に行くだけだ。私を助けにきたばかりに、お前たちが命を失くす・・・そんなバカな話はないからな」

「うん、それでも、ありがとう・・・ねえ、ところでアムールトラさん、ちょっと失礼なことを聞くけど、つい昨日よりも、だいぶ自然に話せているよね?」

「お前たちが来る前、おしゃべりな奴とずいぶん話した・・・たぶん、それで話し方を思い出すことが出来たんだ」

「え、あの牢屋に誰か来てたの?」

「・・・いや、何でもない。それより観察に集中しろ。四方に散って辺りを探るんだ。イエイヌ、いいかげん手を放せ」

「わふっ、ごめんなさい・・・でも、きっとここを一緒に出ましょうね」

 

 

_____________________________________

 

 

 オオコノハズク達は、エレベーターから出て、ホテルの廊下にたどり着いていた

 すでに足元は海水に浸っていた

 廊下も、ロビーも、まったくの無人だった。しかし、少し道を進むと、混乱の喚声が響き渡っていることがすぐにわかった。一行は声のする方向へ駆け寄った

 ホテルの入り口である中庭に続く一本道の階段、そこにホテルの宿泊客である数十名のフレンズ達がひしめき合っていた

 中庭に続く扉は閉鎖され、扉の前には、オオミミギツネ達ホテルの従業員が立ち塞がっており、興奮する宿泊客達を何とか宥めようとしていた

 

〈ちょっと! 何で通してくれないの! 出して! 出してよーーーー‼〉

〈なんなのこのホテルは! 客を溺れさせるつもりなの!?〉

「お、お客様方! 今少しお待ちを! 外の様子が確認できてません! 安全のために外にお出しするわけにはいきません!」

〈じゃあ早く確認してきてよーーー!〉

 

「・・・・・・オオミミギツネさん・・・!! 大丈夫ですか・・・!!」

「ハツカネズミさん! フクロウの皆さんも!」

「はいィ! 通してェ! 通してェ!」

 

 デグーが宿泊客がひしめき合う隙間を縫い、階段を駆け下りてオオコノハズク達に近寄ってきた

 

「・・・・・・デグー・・・状況は・・・? 巨大なセルリアンはどこですか・・・?」

「はいィ・・・それが・・・」

 

 デグーが言うには、巨大なセルリアンは、今はどこかに姿をくらませているのだという

 セルリアンは客室や廊下、ロビーなどの数か所に現れては、その巨体で、窓ガラスや壁面に攻撃を加えたとのことだ

 だが、逃げ回るホテル内のフレンズを襲うことはなく、別の所へ向かったらしい。それきり暗い海の中で姿を捉えることは出来ていないとのことだ

 それでも、セルリアンが加えた散発的な攻撃は、ホテルに甚大な被害を与えていた

 元々海底に沈んでおり、奇跡的ともいえる均衡の上に成り立っていた建造物だった

 そしてその均衡が衝撃によって打ち崩された。その結果、連鎖的に建造物が崩壊をはじめたのだった。セルリアンがいなくなったところで、このホテルが完全に倒壊するのは、もはや時間の問題だった

 宿泊客は、ホテルから一刻も早く逃げようと大混乱に陥っていた。だが、外にセルリアンがいるかもしれない状況の中で、冷静さを欠いた客達を外に出すわけにはいかないと判断した従業員たちは、出入り口を封鎖した

 そして従業員達と、宿泊客の間で押し問答が起きていた

 

「なるほど、正しい判断なのです。そうですね、助手?」

「そうなのです、博士。こういう状況でこそ、パニックになったらまずいのです。何とかして宿泊客を落ち着かせる必要があるのです」

「なので、一芝居打つのです、助手・・・これをやるのは久しぶりなので気が滅入るですが」

「・・・・・・お二人とも・・・何か考えが・・・?」

 

 オオコノハズクとワシミミズクは静かに目を閉じた。心なしか二人の周囲の空気が重苦しくなったように思えた・・・数秒、十数秒、息を殺していた二人の目が開かれた

 

______「野生解放!」____

______ブォンッッ!!____

 

「・・・・・・な・・・!?」

 

 裂帛の気合が、二人のフクロウから突風のように放たれた。その場にいるフレンズ全員がそれを認識した。二人の瞳は、金色に輝いていた

 

「北方の民よ! 聞くのです!」

〈・・・な、なに? あの二人は?〉 

「我々は南方のオサ・・・! 群れを率いるフレンズなのです!」

「我々が来たからには安心なのです! 今この時だけ、我々は群れになるのです! 群れで危機に立ち向かうです!」

「我々の指示に従ってここを出るのです! 危機に対して、群れで乗り越える・・・それがフレンズというものなのです!」

 

 金色の双眸を輝かせ、毅然と語りかける二人のフクロウの威容は、その場の何物をも圧倒する存在感を放っていた

 そして本能的に、二人に服従することが最適な行動であると思わせた

 

〈そうだ・・・そうよ・・・あの二人の言うことを聞こう!〉

 

 今まで、従業員たちの前を押し破らんとしていた宿泊客は、みんな一様にオオコノハズクとワシミミズクの方に向き直り、じっと見つめた

 

「よし、今から少人数で外の様子を探るのです! 脱出の手段も確保するです! ここで働く船頭のフレンズは返事をするのです!」

「はーい! あたし達4人が船頭だよー! 船を動かすんだね!」

 

 マイルカたち4人が歩み出て返事をした

 

「船舶はどこにあるですか?」

「ここからすぐ行った所に停めてあるけど、みんなが乗るためには、中庭の海に面した階段に乗り付ける必要があって・・・それには少し時間がかかるよ」

「いや・・・脱出に船は使いません。ある物を大急ぎで取ってくるのです。ある物とは・・・網です」

「え? 網?」

「あるはずなのです。船倉を調べてくるです」

「ここでお前達が使っている船は、ヒトが生きていた時代、海の生き物を捕えるための船だったとハツカネズミ博士から聞きましたです。実際につい先日、ここの船の中にあった網の一つをビーストの捕獲に使ったです」

 

 オオコノハズク達が提案した脱出方法はこうだった

 ここを襲ったセルリアンが今どこにいるのかはわからないが、ともかく海の中にいることだけは確かだった。それならば、どのみち海上を船で渡るのは危険なのだ

 なので、鳥のフレンズが、飛べない者たちを空輸して陸まで運ぶという方法が一番安全だという結論だった。だが、鳥たちが他のフレンズを直接背負っていたのでは時間がかかり過ぎるために、網でフレンズ達を包んで運ぶのだ

 しかしそれでも、何往復もしなければ全員を助けることはできないことは明白であり、救助が完了するまでの間にホテルの倒壊に巻き込まれる危険は否めなかった

 だが海を渡れない以上は、この方法に賭けるしかないと判断した

 

「わかった。網を探してくるよ! ミンククジラ、スナメリ、ゴマフ、行くよ!」

 

「さて・・・おまえ達の中で、鳥類と海生哺乳類、そして他にも泳げるフレンズがいたら挙手するです」

 

 宿泊客の中からまばらに手が上がった

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・鳥類が3人、泳げるフレンズが7人・・・思ったよりいたのです。鳥類は我々を手伝うです。そして泳げるフレンズを運ぶのは後回しにするです。飛べない、泳げないフレンズを優先して救助するです」

「泳げるフレンズが7人いるということは・・・それに合わせて、一度に運ぶ人数も7人が良いと思うです。網を使うには、四隅を1人ずつ持つ必要があるです。鳥類4人で7人を運ぶ・・・ちょうどいいのです。ギリギリ飛行速度も高度も安定するのです」

「よし、お前達・・・近くにいるフレンズと7人ずつグループを作るです! 同じグループのフレンズと一緒に行動するですよ!」

 

 オオコノハズク達は階段を上がり、扉の前に固まっていたオオミミギツネをはじめとする従業員たちに近寄っていった

 7人ずつグループを作った宿泊客達は、階段の左右に寄り、オオコノハズク達が通る道を開けた。静まり返った宿泊客達が固唾を飲んでこちらを注視する視線を感じた

 

「ああ! あなた達が来てくれて助かったわ!」

「・・・・・・すごい統率力ですね・・・さすがキョウシュウエリアのオサといわれるお二人・・・それに・・・野生解放というものを始めて目の前で見ました・・・」

「キョウシュウは昔からセルリアンが多いのです。我々は今まで何度もフレンズを指揮して戦ってきたです。キョウシュウのフレンズは皆戦い慣れしているし、野生解放だって別段珍しくもないのです」

「それに比べるとホッカイのフレンズは全然戦い慣れしていないようなのです。それだけ平和だったのですね・・・そんな平和なエリアで、明らかに異常な事態が起こっているです」

「・・・・・・巨大なセルリアンは・・・なぜこのホテルを襲ったのでしょう・・・?」

 

 ハツカネズミは不可解な点に気付いた。本来なら“なぜ”などと考えること自体おかしい。セルリアンはフレンズに対して反射的に捕食行動を行うだけの存在のはずだ。そこに理由なんてない。そういう存在であるというだけだ

 ここでもう一つおかしな点に気が付いた。デグーの話によれば、巨大なセルリアンは誰も襲わずにどこかへ消えたということだ

 セルリアンがフレンズを捕食するだけの存在であるならば、これほどに多くのフレンズが密集している場所を見つけたのなら、真っ先に襲ってくるはずなのだ。それをしないのは、何か他に優先すべきことがあるからではないのか? 

 

「ともえ達はどうなったと思いますですか? 博士、ハツカネズミ博士? 今思えば、無理やりにでも連れ出すべきだったのかもしれないのです」

「無理なのです、助手。この状況で、我々の指示に従わないフレンズを連れていくなんてことは、我々の命まで危うくするのです。ともえ達は、ビーストと運命を共にすることを選んだです」

 

「・・・・・・そういえば・・・さきほど・・・園長が言っていましたね・・・ビーストを回収しに“使い”を向かわせたと・・・“フォルネウス”という名前の・・・しかしフォルネウスとやらはどうやって海底の牢獄に入るつもりなのでしょうか・・・もう・・・エレベーターは動かない・・・そして・・・牢獄に直通する抜け道のことを仮に知っていたとしても・・・私達の手引きなしで出入りするには難所すぎる・・・お二人は・・・フォルネウスと呼ばれる者について・・・何か知りませんか・・・?」

「皆目見当がつかないのです。園長には何人かの仲間がいると聞いたことはあるですが」

 

 園長はこう言っていた。“後は僕の使いが全部やる”と・・・彼の口ぶりは、明らかに自分達の協力を拒否していた。それどころか、これ以上ビーストに関与すること自体をやめさせようとしていた

 ビーストを捕獲するように仕向けておきながら、なぜ今さらあんなことを言いだしたのか?

 園長の言動はすべて不自然で、得体の知れないものだった。彼は自分の要求だけ一方的に伝えながら、こちらの知りたいことには何も答えなかった

 園長と名乗る謎のフレンズ、そして突如ホテルに襲い来た巨大セルリアン・・・なぜこうも立て続けに、異常な存在がホテルに現れるのか

 そしてハツカネズミは、ある仮説にたどり着いた

 

「・・・・・・もし・・・もしここを襲っているセルリアンが・・・園長の使いだとしたら・・・?」

「ハツカネズミ博士? 何を言っているですか?」

「・・・・・・園長は・・・セルリアンを操ってビーストを探しているのではないですか・・・? ・・・それで全部辻褄が合います・・・お二人はどう思いますか・・・?」

「冷静になるです。セルリアンを操ることの出来るフレンズなどいるはずがないのです。そんなことを考える時点でだいぶパニックに陥っているです」

「・・・・・・私は冷静です・・・」

 

______ガチャン

 

 目の前の扉が開かれ、マイルカが顔を出した

 

「網を持ってきたよ! セルリアンにはまだ見つかってない・・・どうする?」

「よし・・・皆、一歩ずつゆっくりと階段を上がって外に出るです」

 

 ホテルの宿泊客達は、オオコノハズク達に誘導されながら、ホテルの中庭へとゆっくりと歩を進めた

 そして階段の近くに集まった。海に面する石造りの中庭の、手前と奥に一か所ずつ、すでに網が広げてあった。これならばすでに避難をはじめることができるだろう

 

「これは準備が良い・・・上出来なのです」

「先ほど作った7人グループで、まとまって動くです」

 

 7人グループが二組、奥と手前のそれぞれの網の中央に集まった

 奥の網をフクロウの学生4人組が

 手前の網をワシミミズクと、宿泊客の中にいた3人の鳥類を加えた4人が、それぞれ四隅を持つために駆け寄った

 ハツカネズミら従業員は、後方に待機して避難の様子を見守っていた

 

「ねえ、ハツカネズミさん」

「・・・・・・オオミミギツネさん・・・」

「さっき、フクロウのお二人と話していたことはなんだったの? あなたはここを襲っているセルリアンに心当たりがあるの? ねえ、教えてちょうだい」

「・・・・・・それは・・・」

「一人で抱え込むなよハツカネズミ・・・そりゃあ、頭の良いお前からしたら、オレたちなんて随分頼りないのかもしんないけどさ!」

「そうですよ~、いままでみたいに4人で助け合いましょうよ~」

 

「・・・・・・ごめんなさい・・・オオミミギツネさん、ハブさん、ブタさん・・・今はお話することができません・・・」

「どうして? 私達4人、ホテルを切り盛りしてきた仲間でしょう? どうしてそんなに一人で抱え込もうとするの?」

「・・・・・・あなた達が何も心配することなく・・・やりたいことをやれるために・・・面倒事は全部私が引き受けるつもりでした・・・全部自分が解決しようと考えていました・・・」

「なんでそんな寂しいことを言いますの?」

「・・・・・・許してください・・・私は思い上がっていました・・独りよがりでした・・・これから先・・・何かあったら一番先にあなた達に話すようにします・・・でも・・・それでも・・・今このホテルを襲っている異常事態のことは・・・簡単に話せることではないんです・・・」

「わかりましたわ。あなたが言いたくないならそれでもいい・・・わたくし達があなたを信じていることには変わりないわ」

「・・・・・・オオミミギツネさん・・・」

 

 オオミミギツネは、静かにハツカネズミの手を取った。二人は手を繋いで見つめ合った

 

「あ、あのォ・・・お取り込み中悪いんですけどォ、そんな話をしている場合ではないかと思いますよォ・・・?」

 

 避難はスムーズに続いていた。フクロウの学生4人組が網を掴んで飛び立ち始めた。網に包まれた7人の宿泊客の体が、ゆっくりと宙に浮き始めた

 

「・・・何でこんなことに・・・本当なら今ごろ海鮮フルコースを食べてたはずなのに・・・もうマジで嫌・・・ぐうううっ、上がれえええ!」

「賭け事で得たゼニなんか結局身になんないんだって、アオバズクwwwひぃ、ひぃ」

「そ、そ、そ、そうですよ! い、い、命あっての物種ですよ! フンヌーッ」

「おお、いかなる言葉もこの状況を打開してはくれない・・・んぐぐぐっ」

 

 フクロウ達4人組は、無駄口をたたき合いながらも懸命に羽ばたいていた

 それぞれに癖のある4人であったが、共に寝起きし勉学に励み、幾度も危機を乗り越える中で本物の絆で結ばれていた

 そして、この場においても完璧に息が合っていた。4人組は交差しながらそれぞれの位置を変え網を閉じた。これで網による移送の準備は整った

 4人組は網を掴みながら飛び立ち、ゆっくりと中庭を離れようとした

 

「ねえwwwひょっとして皆サボってる? 網が動かないんだけどwww」

「ち、ち、ち、違います! 重い! 網がすごく重たくなってる!」

 

 4人が抱える網は、中庭から数メートル離れたところで動きを止めた

 それ以上はどんなに引っ張っても動かなかった。まるで下から何者かに引っ張られているような・・・

 

「・・・友人たちよ、あれを見たまえ。あれは何かの冗談かな?」

 

 メンフクロウは顎で3人に合図した。網の一部に、いつの間にか、一本の黒い触手が巻き付いていた。触手は海面から伸びていた

 触手はまるで海面に根を張っているかのように、ぴくりとも動かずに網を拘束していた

 

_____シュル・・・ガシッ・・・ガシッ・・・

 

 直後、同じような黒い触手が2本、3本と海面から飛び出し、網へと巻き付き始めた

 網の中にいる宿泊客達は、恐怖のあまり声を上げることも出来ず、ただ身を寄せ合った

 

「あれは・・・まさか!」

 

 異変に気付いたオオコノハズクが猛スピードで飛び立ち接近したが、すでに遅かった

 4人組が掴んだ網は、猛烈な力によりなすすべもなく海面へと引き寄せられた。4人組と宿泊客達は、そのまま海面に叩きつけられた

 海面から飛沫が巻き上がり、泡が立ち昇った。海面から顔を出したフレンズ達が手足をバタつかせて必死に逃げようとしているさなか、近くの海面が異様なほどに盛り上がった

 押し上げられた海水が重力に引かれ、轟音を立てて零れ落ちた。それと同時に、その中にいる存在が露わになった

 海水を割って現れたそれは、フレンズがはるかに見上げるほど巨大だった。そして体の大きさを格段に上回る体長を持っていた。体の上からは段になった直線的な突起物が現れていた。そして体の左右両端には、魚の胸鰭のような、長大な一対のヒレが伸びていた

 

「ついに現れたですね・・・! セルリアン!」

 

_____プロロロロロロロ・・・

 

 セルリアンがいなないた。無機質な、背中がざわつくような、フレンズのそれとはかけ離れた声だった。セルリアンの黒い体表が蠢いた。そして体表を裂くようにして、夥しい数の“目”が現れた。無数の無機質な目が、中庭に集まったフレンズ達を見下ろした

 

「いやぁぁぁっ!」

「たすけてぇぇ!」

 

 その場に居合わせたフレンズ達は、たちまち大混乱に陥った。フレンズ達は各々がバラバラな行動を取り始めた。中庭から海に飛び込む者、その場にうずくまって震える者、ホテル内に戻るために来た道を逆走する者・・・

 オオコノハズクとワシミミズクは、フレンズ達に必死に呼びかけた

 

「ダメなのです! 落ち着くのです!」

「後ろで一か所に固まるのです! 孤立したら奴の餌食なのです!」

 

 呼びかけに応えるものは誰もいなかった。あちこちから悲鳴が響き渡っていた

 もはや完全に指揮系統が崩壊したことを悟った。

 二人は顔を見合わせると、静かに頷きあった。自分達だけでもセルリアンに立ち向かい他のフレンズが襲われるのを阻止するしかないと思った

 オオコノハズク達は後方の状況を確認した。逃げ惑うフレンズ達の中に、身構えて立っているハツカネズミの姿を見つけた。この状況においても冷静さを失っていないのは、自分達の他には彼女ぐらいだろうと思った

 

「ハツカネズミ博士! 後の指揮はあなたが取るのです!」

「網はもう一本残っているのです!」

 

 ハツカネズミは頷いた。そして近くにいるフレンズに呼びかけ、後ろに下がらせ始めた

 セルリアンは、左右一対のヒレを威嚇するように広げた。中庭に、セルリアンが作る巨大な影が広がった。セルリアンは、広げたヒレを今にも打ち下ろさんと巨体をゆがませ、振りかぶった

 

「我々が相手になってやるです!」

 

 2人のフクロウが音もなく飛び立った。風を切りながら上昇する2枚の翼は、同じ高さで身を翻すと、セルリアンへと急降下を始めた

 2人の姿はそれぞれ“青と赤”に光る鋭い矢と化した

 

「野生解放!!」

 

_______シュバッ! ヒュンッ! バシュッ!

 

 青と赤の爪の連撃がセルリアンの体表を縫うように幾度も交差した。2人は視認できないほどのスピードで飛び回り、攻撃の軌跡だけが幾度も閃いた。攻撃はすべて命中していた

 

「くっ・・・この感触は・・・!」

 

 セルリアンの表皮は硬く、分厚かった。自分達の爪ではまるで歯が立たないことを実感させられた。二人は、過去の戦いを思い出した。フレンズの攻撃を容易には通さない堅牢な装甲、そして異様な大きさと禍々しい存在感・・・

 このセルリアンは、かつてキョウシュウで戦った“4本足”に似ていると思った。こいつが4本足に近しい存在ならば、二人で戦うには荷が重すぎる相手だ

 4本足を倒すことが出来たのは自分達だけの力ではなかった。キョウシュウに住まう頼もしいフレンズ達が総力を結集したからこそ成し得たことだった

 何より、4本足は海水を弱点としていた。海に誘導することにより無力化することが出来た。しかし、この船型巨大セルリアンはそれとはまるで違う

 こいつにとっては、海は弱点であるどころか、自分の庭場に等しいのだろう。あの時のようにはいかない・・・万にひとつの勝機もない

 ・・・だが、それでいい。セルリアンの気を引くことさえ出来ればいい・・・

 2人の攻撃に注意を逸らされたセルリアンは、振りかぶっていたヒレを元の位置に戻していた。自分達が戦っている限り、他のフレンズに危険が及ぶことはない

 オオコノハズクとワシミミズクは、セルリアンの体の上半分に当たる、段になった突起の近くを飛んでいた。この位置ならばセルリアンの胸鰭の攻撃は届きにくいはずだった。ここで敵の様子を伺い、再び攻撃に転ずるつもりだった

 

「まったく厄介な相手なのです。我々、いつも苦労ばかりなのです」

「我々、偉いから仕方がないのです、博士」

 

 いつか読んだ本に出てきた言葉のことを思い出した。優れた能力を持つ存在は、そうでない存在を守る責任がある。なんという言葉だったか・・・ワシミミズクの脳裏に一瞬そんな思考が浮かんだ

 

______ビュンッ! 

 

「おっと!」

「この触手のことを忘れていましたのです!」

 

 セルリアンは、胸鰭が届かない位置に陣取った2人のフクロウに対して、体のあちこちから生えた触手による攻撃を放ってきた。言葉を交わす余裕もなくなった2人は、お互いに背中を預け、回避に専念した

 触手の攻撃の中に間隙を見つけた2人は、攻撃の機会が巡ってきたことを確信した

 再び2人は、まったく同じタイミングで急降下を行おうとした。しかし突然、オオコノハズクの動きが急激に遅れた

 

「博士・・・!?」

 

 オオコノハズクの足首に、セルリアンの触手が巻き付いていた。オオコノハズクが触手を掴んで外そうとしても、万力のごとくびくともしなかった

 ワシミミズクは、攻撃のことも忘れて触手に近寄った

 

「博士を放すのです! 化け物!」

 

 ワシミミズクはその場で滞空しながら、オオコノハズクを掴んでいる触手に幾度も爪を浴びせた。触手は少しずつ削られ、やがて引きちぎることに成功した

 

「すまないのです、助手」

「これぐらい、なんてことは・・・・・・うっ!?」

 

 今度はワシミミズクの胴体に、幾本もの触手が巻き付き、完全に拘束していた。そのまま触手は体表へと戻り始め、ワシミミズクの体がみるみるうちにセルリアンへと引き込まれた

 

「助手! 助手ッ!」

 

 ワシミミズクの体が、セルリアンの体表へと埋まっていった。オオコノハズクはワシミミズクの手を掴むと、必死に引き上げようとした

 しかし無駄な抵抗であった。足首から腰、胴体に至るまで、ワシミミズクの体は沈んでいった

 

「もういい・・・逃げるですよ、博士」

「バカを言うなです、助手!」

「バカは博士の方です! このままでは博士まで手遅れになるです!」

 

 オオコノハズクの体も、わずかに沈み始めていた。底なし沼のような、へばりつく溶けたゴムのような体表に、足裏が埋まっていく気配を感じた

 

「早く飛び立つのです博士! 今ならまだ逃げられるですよ!」

「・・・嫌なのです・・・助手と一緒じゃないと・・・私はひとりでは何も出来ないダメなフレンズなのです・・・助手と一緒に行くのです・・・」

 

 ワシミミズクの肩から下が、セルリアンの体内に沈んでいた。ほどなくして頭まで沈みきってしまうだろう・・・ついに“元に戻る”時が訪れたことをワシミミズクは実感した

 

「助手ぅぅぅぅ!! いやぁぁぁ!! わぁぁぁっっ!!」

 

 聞いたこともないような声を上げてオオコノハズクが泣き叫んでいた

 オオコノハズクと過ごした日々の記憶が消えてしまうと思うと、ワシミミズクは寂しさとやるせなさを感じざるを得なかった

 

「ありがとう、元気で・・・」

 

 オオコノハズクと出会ったのはいつの頃だっただろう。今思えば、実りのある幸福な人生だった。こんなに充実していたのは、オオコノハズクと一緒だったからだ。最後に胸の中に去来した感情は、寂しさよりも、悲しさよりも、言葉に尽くせぬほどのオオコノハズクへの感謝だった

 そしてそれが自然に口から漏れ出ていた

 自身で発しておきながら、いつかどこかで聞いたような台詞だとワシミミズクは思った

 誰かの言葉だったのかもしれないが、今この瞬間、他の誰でもない自分自身の言葉になっているとワシミミズクは思った

 

______ガシッ・・・!!

 

「グゥゥゥゥッ・・・」

 

 観念し、静かに生を終えようとしていたワシミミズクの体を、何者かが引き止めた

 力強い両手が、ワシミミズクの襟首を掴んでいた。その手の主をワシミミズクの視点からでは見ることが出来なかったが、目の前にいる、涙に顔を腫らしたオオコノハズクが、呆然と前方を見ていた。一体、自分の後ろに何がいるのだろうとワシミミズクは思った

 

______ブチッ・・・ブチッ・・・ズリュッ・・・

 

 ワシミミズクの体が、尋常ならざる怪力によってセルリアンの体表から引き抜かれていった

 そして指一本動かすことが出来なくなっていた体が、急激に軽くなったことを感じた

 

_______ブォンッッ!!

 

 ワシミミズクは、猛スピードで視界が回転していくのを感じた。飛んでいる時よりもはるかに強い空気抵抗を全身に感じた。それでもなんとか翼をはばたかせ姿勢を整えると、自身の身に何が起こったのか確認しようとした

 つい一瞬前まで自分が埋まっていたセルリアンの体が、眼下にあった。オオコノハズクがそこに立っていた。そしてそのすぐ傍にもう1人、オオコノハズクより頭2つ分近く大きな上背が、橙色の長髪を逆立たせながら立っているのを見つけた

 ワシミミズクの視点から見えるオオコノハズクは、突然の異変を理解することが出来ず、口をぽかんと開けて狼狽していた。おそらく自分も博士と同じ顔をしているとワシミミズクは思った

 セルリアンの体に降り立ったフレンズは、両腕を振り上げ、力強くいからせた

 その手には5本の黒く禍々しいかぎ爪が生えていた。手首に巻き付いた鎖がジャラジャラと音を立てていた

 

「なんで・・・どうやってここに来たのです」

「お前がなぜここにいるのです・・・ビースト!」

 

______ウオオオオオオオオオオッッ!!

 

 海底の牢獄で拘束していたはずのビースト・・・アムールトラがそこにいた

 逃げ惑うフレンズ達の悲鳴を打ち消すような怒号が、辺りに響き渡った

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」
爬虫綱・有鱗目・クサリヘビ科・ハブ属
「ハブ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・イノシシ科・イノシシ属
「ブタ」

哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・げっ歯目・デグー科・デグー属 
「デグー」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メガネフクロウ属 
「メガネフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コキンメフクロウ属 
「アナホリフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・メンフクロウ属 
「メンフクロウ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・アオバズク属 
「アオバズク」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・マイルカ科・マイルカ属 
「マイルカ」
 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット
「ラッキービーストR-TYPEーゼロワン 通称ラモリ」


四神獣・西方の守護者・白銀の御霊(オーブ)
「ビャッコ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」


_______________Enemies date________________


「船型巨大セルリアン(仮称)」
特殊能力:??????


_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編 7 「へりぽーと」

 あるトラのものがたり第7話です。
 
 ともえ達に同行し、海底の牢獄からなんとか抜け出したアムールトラ。
 突如海面から襲い来た、謎の船型巨大セルリアン。
 両者がついに相まみえる時が来た。


「どうしよう・・・このままじゃ博士達が危ない!」

 

 海底の牢獄から脱出し、海面を下方に望む場所に辿りついていたともえ達はその場所から今現在ホテルに起きている状況を観察していた

 ほどなくして、ともえ達の位置からでも、海を割って現れた巨大セルリアンの存在を一目瞭然に把握することが出来た

 ホテルの入り口である中庭は、ともえ達がいる場所のはるか右下方に位置していた。そこには豆粒みたいに見えるフレンズ達が大勢ひしめいていた。しかしセルリアンの異様な大きさは、高所から見ても十分に把握することが出来た

 フレンズ達が蜘蛛の子を散らしたように大混乱に陥っている様子を見た。このままではあの場にいるフレンズ全員がセルリアンの犠牲となるのは火を見るより明らかだった

 

「何とかこっちに注意を逸らせねーかな!? いっちょオレ様が飛んで行ってあの化け物を挑発してこよーか!?」

「ねえ、それよりも、またラモリさんに光ってもらって、あのセルリアンに光を当ててみるっていうのはどう? この位置からでもすぐに届くよね?」

「わふっ、どっちにしても、都合よくこっちだけを狙ってくれるはずがないです・・・下にはあんなにたくさんのフレンズさんがいるんだから」

 

 アムールトラは、眼前で焦っている3人を後目に、胸の中で繰り返し言葉を念じた。今、自分の中には、自分ではない者の意志が宿っているのだ。その者の声を聞こうとした

 

(ビャッコ、ひとつ教えてくれ)

≪おぬしの聞きたいことはわかっておる。あの巨大な“虚無”の狙いは何かということであろう?≫

(そうだ、お前は言ったな、セルリアンに統制が取り戻されたと・・・そう断言するお前にはあのセルリアンについて、何か推測できるはずだ)

≪虚無どもを率いているのが“かつての女王”だったなら、一番最初に狙うのは、己の脅威となり得る存在・・・数多くの虚無どもを倒した不倶戴天の敵・・・つまり、今も生き延びているおぬしをおいて他にはおらぬだろうな・・・繰り返すようだが“かつての女王なら”の話じゃがのう≫

(そうか、狙いは私か・・・)

≪おぬし、どうするつもりじゃ・・・≫

(奴の狙いが私ならば、他の者を巻き込むわけにはいかない)

 

 アムールトラはそこまで聞くと、ビャッコとの声なき会話を打ち切り、今度は眼前のともえ達に声をかけた

 

「おい、聞け。今から私が奴の注意を引きつける。奴の注意を逸らして・・・あの場から引き放す・・・」

「え・・・? でも・・・どうやって・・・?」

「今から私一人で、あそこまで降りる・・・私の身体能力なら一瞬だ。お前らとはここでお別れだ。お前らは何とかして下まで降りて中庭へ辿り着き、下の連中と合流して陸へ逃げるんだ。お前らが付く頃までには、セルリアンを引き放してみせる・・・」

「待てよアムールトラよぉー、何とかして下まで降りろって言われても・・・どこからどうやって・・・」

 

 ロードランナーは、悪態を付きながら辺りを見回してみた。そして壁面にただひとつだけある、さっきから気になっていた扉を開けてみた。扉の向こうには、上にも下にもどこまでも続いてそうな螺旋状の階段が現れていた

 

「お、おー・・・ここから降りられるっぽいなー・・・」

「お前らはそこから下に降りろ。今すぐだ」

 

 ともえ達一行は、アムールトラの有無を言わさぬ硬い意志を感じ取った。そして決断の速いロードランナーは、すぐに扉の中に入っていった。それに続いてラモリも小さな歩を進めていった。ともえとイエイヌはしばしアムールトラの傍に残った

 

「せっかく一緒に行けると思ったのに、ここでお別れなの?」

「わふっ、あの・・・そんなことないですよね? きっとまた会えますよね?」

「他人のことを気にする前に、自分達が生き残ることを考えろ・・・そうだ、これを返しておく」

 

 アムールトラは、左胸にあるポケットから何かを取り出した。それは海底の牢獄でともえからプレゼントされた、白い花のブローチだった

 

「・・・ブローチ、捨てないで持っていてくれたんだね」

「ああ、お前のプレゼント、気に入ったよ・・・だが、このまま持っていると落としてしまいそうだからな」

「き、気に入ったなら、返したりしないでちゃんと受け取ってよ。ほら、こうすれば落としたりすることなんてないんだから」

 

 ともえは、アムールトラの手からブローチをひったくると、花びらの裏側にある針を取り出した。そしてアムールトラの左胸の内ポケットに差すと、針を留めて固定した

 アムールトラは無言で、自身の左胸にある白い花をしばし撫ぜた。そして誰にもわからないぐらい、わずかに口元を緩ませた

 

「わかった。受け取ろう・・・じゃあな、私はもう行くぞ」

「アムールトラさん! また会おうね! 絶対に! これで終わりだなんて・・・」

 

 アムールトラはともえの声に答えずに後ろに振り向き、そのまま飛び降りた。後ろから聞こえる声が急激に遠ざかっていった

 

______ガギギッ! ドッ・・・!

 

 アムールトラは壁面に爪を突き立て、壁面にまばらに突き出た小さなでっぱりに着地した。このホテルの壁面にはこのようなでっぱりが無数にあった。これらはおそらく客室の窓枠であると思われた

 そして、鉄に覆われた海底の牢獄と違い、このホテルの壁面には爪を突き立てることが出来た。このような条件が揃えば、垂直な壁面であっても容易に移動することが可能だ

 

 アムールトラは自分の肩ごしに、眼下の状況を確認しようとした。海面に浮上した怪物の姿は、想像以上に巨大であった。禍々しく蠢く瞳のひとつひとつに無機質な敵意が感じられた。フレンズ達の悲鳴のひとつひとつがはっきりと聞き取れた

 一番驚かされたのは、船型巨大セルリアンに抵抗する者がいたことだ。それはたった2人の鳥のフレンズだ。小さな体で必死に飛び回り、セルリアンの注意を引いていた

 おそらく、他のフレンズを守るために必死に時間を稼いでいるのだろう。だが、このままではあの2人に真っ先に危険が及ぶことは自明の理だった

 

(なんて無茶なことを・・・)

 

 アムールトラは壁に突き立てた片手を支点にして身を翻すと、もう一方の手を壁に再度突き立て、後ろを向いていた体を前方へと向けた

 飛び下りて中庭に降り立ち、セルリアンの注意を引きつける・・・アムールトラは自身の体に命令を刻み込み、それに従って動き出そうとしていた

 しかしその刹那、激しい焦燥が胸の中でざわつきはじめた

 

(もし、また私の中のビーストが目覚めてしまったら・・・下にいるフレンズ達はいったいどうなる?)

 

 交錯する敵意、途切れることのない緊迫感・・・これらの要素はすべて、己の精神をビーストへといざなう事を、アムールトラは経験則で理解していた。そのような状況は出来る限り避けたかった

 今まで片時も離れずに纏わりついていた己への恐怖心が、再びアムールトラの心で存在感を増していた

 

 アムールトラが動かずにいる間にも、船型巨大セルリアンの猛攻が2人のフクロウを襲い続けていた。2人のフクロウは、船型巨大セルリアンの体表を滑るように攻撃を繰り出しながら、真上へと回り込んでいた。しかしそこも2人にとって安全地帯などではなかった。巨体から伸びる無数の触手が2人を休む間もなく追い立てていた

 そして2人の内の1人、褐色のフクロウが無数の触手に捕らわれ、セルリアンの体表へと引きずり込まれた

 白い体のもう1人が、沈んでいく相棒の体を必死で引き止めようとしていた。しかしそれは無駄な足掻きであった。ひとつの輝きが奪われる瞬間が間もなく訪れようとしていた

 

(行くしかない・・・!)

 

 アムールトラは、恐怖で動けなくなっていた体を、がむしゃらに動かした。突き立てた爪を外し、壁を蹴って飛び出した。中庭ではなく、眼下で猛威を振るう巨大セルリアンへと一直線に落下していった

 

_______ドチャリッ・・・

 

 アムールトラが飛び下りた船型巨大セルリアンの体表は、泥の膜を張った硬いゴムのようであった。特異な感触の体によって、落下の衝撃は吸収されていた

 セルリアンの体表の上半分は、平たい突起物が段になって重なっていた。段の中ほどに着地したアムールトラの存在に、2人のフクロウはまだ気付いていなかった

 2人は、突起が生えている根本である一番広い所にいた。アムールトラは、段を駆け下りて2人の所へ向かった

 そしてアムールトラは、セルリアンの体に飲み込まれそうになっていた褐色のフクロウの体を掴んだ

 

「ッッ!!」

 

 白い体のもう一人が、弾かれたようにアムールトラの方を向いた。突如現れた闖入者を前に、驚きのあまり声をあげることも出来ない様子だった

 アムールトラはそれを無視し、両腕にあらん限りの力を込めた。セルリアンの体から褐色のフクロウを引き抜き、投げ飛ばしてその場から離脱させた

 

「そんな・・・どうやってここに来たのです」

「お前がなぜここにいるのです・・・ビースト!」

 

 褐色のフクロウは、宙へ投げ出された体を持ち直すと、再び羽ばたいてセルリアンの上空へと浮上した。白いフクロウともども、驚愕と敵意が混ざった表情でアムールトラを見た

 

「ウオオオオオオオオオオッッ!!」

 

 アムールトラは、体を振るわせて出せる限りの大声を張り上げた

 その様子を警戒した白いフクロウは、すぐさま真後ろに飛び退いた。そして翼をはばたかせて上昇し、自身の相棒と合流した

 アムールトラはフクロウ達の姿を一瞥した。二人のフクロウが船型巨大セルリアンから十分に離れたことを確認すると、目の前のことに集中した

 

______ビュンッ

 

 アムールトラの頭上を、風切り音が通り抜けた。セルリアンがアムールトラの存在に気付き、触手による攻撃を仕掛けてきたのだ

 次の瞬間、鞭のようにしなる触手が四方八方から襲い来るのが分かった。アムールトラは側方から伸びてきた触手を打ち払った

 アムールトラは、船型巨大セルリアンが予想以上に恐ろしい能力を持っていることを理解した。こうして懐に入ったところで、触手によって迎撃してくるのだ。隙も死角もない相手だと思った

 

 アムールトラは触手をいなすことで手一杯になり、その場から動けずにいた。フレンズ達の中ではかなりの長身であるアムールトラでさえ、このセルリアンが相手では小虫も同然だった。アリ地獄に落ちたアリのようであった

 ほどなくして、反応し切れなかった触手の一本が、後方からアムールトラの体を打ち据えた。橙色の体が宙を舞った

 そして再びセルリアンの体表に落ちる間もなく、次の一撃がアムールトラを捉えた。衝撃で全身が打ち震えた

 

「がはっ・・・!!」

 

 アムールトラは、セルリアンの体表から叩き落された

 落下した先は、元々の目的地である中庭だった。脱出するために中庭に集まった数十人ものフレンズ達は、最初は混乱し各々が自分勝手に逃げていたが、ホテルの従業員の避難誘導によって、なんとかホテルの入り口の扉の前で固まっていた

 フレンズ達の恐怖と混乱は、落ちてきたアムールトラの姿を見て、再び火が付いたようにぶり返し始めた

 

〈な、何あの子! さっきの大きな声はあの子が出したの?〉 

〈あたし見た事ある! あれはビーストよ! 何で? 何でビーストまでここにいるの!?〉

〈もうおしまいだ・・・!〉

 

“セルリアンだけでも絶望的なのに、さらに怪物がもう一匹現れた” アムールトラはフレンズ達のざわめき声を聞き、自分の存在がそういう風に認識されたことを知った

 フレンズ達の予想通りの反応に対して、アムールトラは何の感情も沸かなかった。そういう風に思われて当然の存在であるということは自分でもよくわかっていた

 

 アムールトラは、フレンズ達のざわめきを後目に、痛む体を何とか立ち上がらせると、船型巨大セルリアンの方へ向き直った。アムールトラは、生物とも無機物ともつかぬ異形にあらためて戦慄した

 セルリアンの体表が蠢き、大小さまざまな大きさの“目”が現れた。そして、アムールトラに視線を返すかのように、白目の中の黒い瞳が一斉に動き、アムールトラを見据えた

 船型巨大セルリアンが放つ殺意は、遠目から感じた無機質な印象とは打って変わって、生々しく明確なものであるように思えた

 

______プロロロロロロ・・・!

 

 セルリアンは、どこから出しているのかもわからない咆哮を上げると、左右の胸鰭を威嚇するように広げた。アムールトラよりも何倍も大きな体が、さらに再現なく広がっていくように感じた

 アムールトラはその様子を見て、だんだんと体が熱くなっていった。煮えたぎる溶岩のような闘争心が体から湧き出てくるのを感じた。自分の口から、自分が考えてもいない言葉が出てきた

 

「・・・じょう・・とう・・・だ・・・か、かって・・・こい・・・」

 

 熱くて、熱くて、この熱を誰かにぶつけなければ居ても立っても居られないと、アムールトラは感じた。自分自身に纏わりつく恐怖は、いつの間にか戦いへの渇望にすり替わっていた。それは恐怖と同等か、それ以上に、あらがうことが難しい感情だった

 

「・・・ろしてやる・・・殺して・・・やる・・・バラ、バラに・・・引き裂いてやる・・・」

 

 うわ言のように暴力的な言葉をつぶやくたび、アムールトラの心が麻痺していった。それらの言葉はいつの間にか、自分の心からのものであるように思えた

 アムールトラは両腕をいからせて、戦いの構えを取った

 

≪うつけ者が! 冷静になるのじゃ! おぬしは己自身で言うとったであろう・・・虚無をここから引き離すと! おぬしの目的は戦いではない・・・陽動じゃ!≫

 

 ビャッコの大声が頭の中で鳴り響いた。しかし内容を聞き取ることは出来なかった。いよいよ体がビーストに乗っ取られる、自分の心が消えていく、とアムールトラは思った

 

≪このままでは誰も助からぬぞ! ともえ達もじゃ! おぬしはそれでもよいのか!≫

「・・・と、もえ・・・?」

 

 その言葉だけがやっと聞き取れた。その言葉は、意識の大穴の中へ転げ落ちていくアムールトラの心に引っ掛かり、繋ぎ止めた。そうだ、こんなことをしている場合ではない・・・

 アムールトラは両手で頭を抱え込んだ。そして、溢れ出るビーストの意志を押さえつけるかのように、頭蓋を圧迫した

 

「グゥゥオオオオオッッ!!」

 

______キシッ・・・キシッ・・・!

 

 アムールトラの額を鮮血が伝った。ぼんやりと泳いでいた瞳に光が戻った。己が己に与えた激痛によって、アムールトラの意識はギリギリのところで現実に引き戻された

 

≪戻ってきおったか・・・≫ 

「・・・・・・すまない・・・ビャッコ・・・私はなんてことを・・・」

≪詮無きことじゃ・・・さあ、一刻も早くこの場から動くとしようぞ≫

 

 今この場においては、何とかビーストを押さえつけることに成功したが、戦いを求める熱気が依然ヒリヒリと五体から発せられていた

 アムールトラは踵を返し、海に面する場所の反対側であるホテルの入り口側へと走りだした

 全速力で自分達の方へ向かって駆けてくるビースト、アムールトラの姿を目にしたフレンズ達は、阿鼻叫喚の悲鳴をあげた

 

______ダァンッ

 

「いやあああ!! ・・・えっ?」

 

 フレンズ達の目の前から、アムールトラが突然姿を消したように見えた。しかし動体視力に優れるフレンズの一人が、すぐにアムールトラを発見した

 

「ビーストは上よ! 上の壁! ほら、あそこ!」

 

 アムールトラは中庭から飛び上がり、再び垂直な壁面に爪を突き立てて貼り付いていた。手近にある、壁面から突き出た窓枠に足を乗せると、次に行けそうな足場を見定めた。そしてさらに隣の窓枠へと飛び移った

 動きながら、船型巨大セルリアンの出方を観察した。アムールトラが狙いであるなら、アムールトラを追跡するために中庭から離れるはずだった。そのまま中庭から出来るだけセルリアンを遠ざけることがアムールトラの狙いだった

 見たところ、セルリアンはまだ動いていなかった

 しかし、セルリアンの様子がおかしいことにアムールトラは気付いた

 

(あれは・・・あれは一体何なんだ?)

 

 船型巨大セルリアンの黒い体表が、沸騰した湯のようにブクブクと泡立ち始めた

 そのまま体の輪郭が歪み、泥のように溶けだしたかと思うと、その巨体が一回り、二回り、どんどんと縮んでいった

 左右一対の胸鰭も、芯を失った蝋燭のようにグズグズと溶け落ちて、体の中心に垂れていった。そしてセルリアンの体は、ゆっくりと海面に沈んでいった

 セルリアンはここから離れるつもりなのか? それとも何かの原因で動けなくなったのか? アムールトラは必死に考えを巡らした

 セルリアンの体は海面へ沈みきり、その位置からは泡だけが立ち昇った

 

≪気を付けよアムールトラ・・・何か非常にまずい予感がしよるわ≫

 

______グバァァァッッ!! 

 

 泡の中から、黒い触手が次々と飛び出した。1本、2本、3本・・・合計8本、左右4対の触手だった。いや、それは触手などではなかった

 触手よりもはるかに強靭で長大な、芯の通った8本の足が海面から生えていた

 

______ズズズズッッ・・・

 

 8本足に持ち上げられるように、セルリアンの体が海面を割って姿を現し、さらに海面を越えて宙へと浮き上がった。8本の強靭な足がセルリアンの体を完全に支えていた

 セルリアンの姿は、今までの“船”とは別の形に変わっていた

 その体は、ついさっきまでの船の姿の半分程度の大きさしかなかった。扁平な船の姿とは打って変わって、台形の上半身と楕円形の下半身に分かれており、その間が細くくびれ、8本の足を台形の上半身から放射状に生やしていた。胴体が小さくなった分、その容積が足に回されたものと思われた 

 

 セルリアンは、長大な8本の足を上下左右、波打つように動かしながら前進した

 やがて、一番手前にある一対の前足をホテルの壁面に突き刺した。それに続くように、一本、また一本と、足を壁にめり込ませていった

 そして、足に合わせるようにして胴体が向きを変えた。海面から、ホテルの壁面へ、直角に90度の方向転換を果たした

 8本の足がすべて壁面に突き刺され、巨体が垂直な壁面をよじ登りはじめた。セルリアンは再び、アムールトラへと肉迫しようとしていた

 

≪2つの姿を持つ虚無・・・厄介極まりない相手じゃ・・・用心せよ≫

 

 ビャッコに言われるまでもなく、アムールトラは相対した怪物に全神経を集中した。アムールトラが当初考えていたのは、横方向へ逃げることだった

 セルリアンが“船の姿”のままであれば、海面に浮いたまま、壁伝いに横方向へアムールトラを追跡するしかなかったはずだった。しかし、セルリアンは“8本足”へと変貌を遂げた。壁すらもよじ登ってアムールトラに追いすがってきた

 もう、横へ逃げた所で意味はない。上だ、ともかく上へ逃げるんだ、アムールトラは咄嗟に判断すると、斜め上方向にある窓枠を見据えた

 幸いに、8本足が壁を登るスピードはそれほど速くなかった。これならアムールトラが追い付かれることはない

 このまま上へ上へと逃げれば、当初の予定と同じく、セルリアンを引き放すことが出来るはずだ・・・

 

 アムールトラは、窓枠から窓枠へ飛び移り、壁面に爪を突き立てながら上に進んだ

 そして、8本足はそれを一歩一歩確実に追跡していた。足を壁面に突き刺し、破壊しながら、ゆっくりと、しかし大股な一歩で壁を登っていった

 アムールトラははるか上を眺めた。壁面はまだ続いていた。しかし、その先は立ち込める霧によって視認することができなかった

 

 このホテルがどんなに巨大であったとしても、天にまで届くわけではない。いずれ登り切るはずだった。では、登り切った先には何があるのだろう?

 このホテルは遠い昔、ヒトの作った建物のはずだ・・・それならば・・・と、アムールトラはあやふやな記憶を掘り起こした

 ヒトの作った建物は、自然に生えている樹木とは異なり、平たい段を積み重ねたような構造をしているはずであると、うっすら記憶に残っていた

 登り切った先にある物・・・それは積み重なった段の一番上だ。つまり、開けた平らな地形があるはずなのだ。そう推測した結果、アムールトラは一つの考えに思い至った

 

 このままセルリアンを建物の一番上に誘導すれば、こちらも存分に動ける平らな地形でセルリアンを迎え撃つことが出来る・・・一対一でセルリアンと戦うことが出来る

 今この状況において、建物の一番上に近寄るフレンズなどいないはずだ。つまり、誰にも危害が及ばない。たとえアムールトラが何をしたとしても・・・

 考えをまとめたアムールトラは、再び壁面を登り進むことに集中した。8本足が壁を這いずる音、そして震動をすぐ後ろに感じながら・・・

 

(そうだ・・・私を追ってこい・・・化け物同士、最後までお前に付き合ってやる)

 

____________________________________________

 

 

 中庭にいた数十人のフレンズ達は、一様にホテルの壁の上を眺めていた

 壁をよじ登るビースト、それを追う8本足のセルリアン・・・二つの影が、みるみる遠ざかり、そして立ち込める霧に覆い隠されて見えなくなっていった

 フレンズ達は、つい先ほどまで命の危険すら感じる恐怖に晒されていた

 しかし、それらは突然に去っていった。誰もが、目の前で起こったことをスムーズに受け止めることが出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた

 オオコノハズクとワシミミズクが、ゆっくりと地面に降り立った。その姿を見つけたハツカネズミは2人に声をかけた

 

「・・・・・・お二人とも・・・ご無事で何よりです・・・」

「・・・かなり危ない所だったです」

 

 2人のフクロウは、肩で息をしていた。ハツカネズミは2人の疲労を慮った。あんな恐ろしいセルリアンにたった2人で立ち向かい、あまつさえワシミミズクの方は“元に戻る”一歩手前まで追い詰められたのだ

 ハツカネズミは、海に面する階段の方を見た。そこには、セルリアンに海に引きずり込まれたフクロウの学生4人組と、網で運ばれようとしていた最初の7人が、水浸しの体でへたり込んでいる姿があった。どうやら運よく難を逃れたようだった

 見た所、犠牲者は一人も出ていなかった。ハツカネズミはそっと胸をなでおろすと、思考を切り替え、周囲に訴えかけた

 

「・・・・・・ともかく・・・セルリアンは去りました・・・海面の安全が確保されました・・・船を使いましょう・・・船頭の皆さんは・・・この近くにある船を動かして中庭に接舷してください・・・」

 

 ハツカネズミは人ごみの中にいる船頭達に声をかけた。リーダー格のマイルカはハツカネズミの声に反応しつつも、黙って動かなかった。隣のミンククジラは俯いて黙っていた。そして残り2人、スナメリとゴマフアザラシは、あろうことか、地面に突っ伏して大声で泣いていた

 

「・・・・・・なぜ泣いているのですか・・・? ・・・わけを話してください・・・」

「う、うちたちが、みんなうちたちがわるいの! セルリアンがやってきたのは、うちたちのせいなの! ・・・うっ・・・うっ・・・うああ・・・」

「おいら・・・おいら・・・もう一生ハッピーな気持ちになれないよぉ」

 

 2人は泣きじゃくりながら、嗚咽を飲み込みながら答えた。そして、冷静ではあったが顔色の悪いマイルカが、それに付け加えるように説明した

 

「・・・つい今日の朝なんだけど、あたし達、ロードランナーと一緒に“青く光る球”を探しに行ったんだ・・・その時、あの“船のセルリアン”に出くわしたんだ。その時は、あたし達はあのセルリアンには見つかってないと思ってた・・・でもやっぱり、見つかってたんだ・・・だから・・・だから、あの化け物はこのホテルにやってきたんだ・・・!」

 

「何それ? アンタ達のせいなの!?」

「こんなことになって・・・どうしてくれんのよ!」

 

 宿泊客達からの非難が轟轟と上がった。マイルカ達4人は釈明する言葉もなく、ただ俯いて耐えていた

 危機から逃れるためにまとまっていた皆の心が、今また簡単に崩れ去ろうとしている様子を目にした

 

「お、お客様! 今は言い争っても仕方ありませんわ!」

「うるさいっ! あたしが住処に帰れなかったらアンタ達のせいだ!」

 

 オオミミギツネら従業員が何とか宿泊客をなだめようとしたが、誰も聞き入れはしなかった

 ハツカネズミは静かに決意した。皆が一つにまとまるために、今こそ自分が知り得たことをすべて話さなければならない、と。たとえそれがどんなに恐ろしいことであっても・・・

 

「・・・・・・いいえ・・・マイルカさん達のせいではありませんよ・・・・・・皆さん・・・よく聞いてください・・・あのセルリアンがどうしてここに来たのか・・・私は知っています・・・」

 

 宿泊客のフレンズ達は一様に、唖然とした表情でハツカネズミを見た。そして、ハツカネズミの一挙一動に注目をはじめた

 視線が自分へと向けられるのを確認し、ハツカネズミはゆっくりと語りはじめた

 

「・・・・・・あのセルリアンは・・・最初からこのホテルのことを知っていました・・・そして・・・私達のことなど・・・最初から相手にすらしていません・・・あのセルリアンの目的は・・・ビーストただ一人です・・・あの化け物は・・・ビーストを捕食する最良のタイミングを見極めて・・・ここに姿を現したんですよ・・・」

「適当なこと言わないでよ! セルリアンがそんなに色々考えたり出来るもんか!」

「・・・・・・そうです・・・セルリアンが自分で考えているわけではありません・・・あのセルリアンは・・・ある一人のフレンズに操られています・・・」

「ハツカネズミ博士っ・・・!」

 

 オオコノハズクが、その先を言わせまいと声を荒げた。しかしハツカネズミはそれを無視して話し続けた

 

「・・・・・・すべては・・・そのフレンズが引き起こしたことです・・・そのフレンズは・・・自分のことを“園長”と言いました・・・園長が何のけものなのかはわかりません・・・ですが・・・セルリアンを操って何かをしようとしていることだけは間違いないようです・・・皆さんは・・・セルリアンの異常な動きに心当たりはありませんか・・・?」

 

 ハツカネズミの突拍子もない話に、宿泊客のフレンズ達は一様に腑に落ちない表情をしながらざわめいていた。しかしその中に一人、青ざめた表情で自分の頭を抑えるフレンズがいた。そのフレンズは大声で語り出した

 

「ねえ・・・聞いて・・・! あたしの住処・・・あたしは今まで“フラノ”っていう所に住んでいたの。そこは大きな湖と、たくさんの花と木があって、今までずっと平和だったの。でも、少し前に、何匹ものセルリアンが襲ってきたの・・・まるで嵐みたいだった。もしかして、それってあなたの言う“園長”のせいなの!?」

「・・・・・・その可能性はあります・・・ともかく用心してください・・・皆さんが今やるべきこと・・・それは・・・ここから生きてそれぞれの住処に帰ること・・・そして・・・住処に戻ったら・・・共に暮らすフレンズさん達に伝えてください・・・今日起こった出来事を・・・“園長に気を付けろ”・・・と・・・」

 

 ハツカネズミはすべてを言い切った。宿泊客のフレンズ達は、それぞれの“住処”に思いを馳せていた様子であった。そして、ともかくこの場から早く逃れようという意見でまとまった。そしてマイルカ達への非難を取りやめ、押し黙った

 

 マイルカは、その場にへたりこんで泣きはらしているスナメリとゴマフアザラシをなんとか立ち上がらせた。4人の船頭達は、肩を落としながらも歩きだし、船を取りに行くために海へ飛び下りていった

 中庭に残されたフレンズ達は、霧が立ち込める薄暗い海面を眺めながら、船頭達が戻ってくるのをじっと待った。宿泊客のフレンズ達は何も話さなかったが、命の危機を脱したことで、その表情は幾分か落ち着き、明るくなっていた

 

 安堵するフレンズ達を後目に、オオコノハズクとワシミミズクは、先ほどよりも明らかに意気消沈した様子だった

 2人は“園長がセルリアンを操っている”というハツカネズミの主張を、最初は妄想であると切り捨てた

 しかし、あまりにも状況証拠が出そろってしまった現状においては、もはや妄想ではなく真実であると認めざるを得ない、しかし認めたくない・・・2人はそんな感情の板挟みに苦しんでいる様子であった

 ハツカネズミは、オオコノハズクとワシミミズクの賢さ、勇敢さ、統率力に、尊敬の念すら抱いていた。しかしそんな2人でさえ、園長のこととなると、これほどまでに判断が鈍ってしまう・・・そのことに戦慄を憶えざるを得なかった。園長と名乗る謎のフレンズの影響力は、それほどのものなのか・・・

 

「・・・・・・それにしても・・・なぜビーストが中庭に現れたのだと思いますか・・・?」とハツカネズミは、2人のフクロウに気を遣ってか、別の話題を切り出した

 

 3人は、自分達が見た事を冷静に思い起こし、共有しようとした

オオコノハズク達がセルリアンと戦っている最中、いつの間にかセルリアンの体の上にビーストが飛び乗っていた

 ビーストは、セルリアンに飲み込まれそうになったワシミミズクを引き抜いて投げ飛ばした。明らかに、ワシミミズクの命を救おうとしたとしか思えない行動だった

 そして、中庭に姿を現した後も、フレンズ達に一切の危害を加えることなく、速やかにその場から離れていった。ビーストの行動の意図はわからなかった。しかし結果だけ見れば、ビーストはセルリアンからフレンズ達の危機を救ってくれたのだ

 

 もう一つの疑問は、どうやって海底の牢獄から抜け出したのかということだ。上から現れたのだとしたら、出入り口は一つしかない。しかしそこは、たった一人で出られるような場所じゃない。ビーストが、いかに驚異的な肉体を持っていようともそれは不可能だ

 3人はしばし黙り込み、考え込んでいたが、ほぼ同時にある考えに思い至り、驚嘆の声をあげた。その声に、近くにいるフレンズ達が驚いて振り返った

 

「ともえ達が絡んでいるです!」

「ですね、博士・・・!」

「・・・・・・ともえさん達・・・ビーストと協力してあそこから脱出したのですね・・・ビーストと心を通わせることが出来たのですね・・・」

 

_______ザザァァァァ・・・ガゴンッ・・・

 

 3人が会話に集中していると、ほどなくして霧の中から船が姿を現した。2隻の木造船だ。船は中庭から海面まで下りた石畳の階段を、左右から挟み込むようにして接舷していた

 左右それぞれの船体から2人のフレンズが姿を現した。スナメリとゴマフアザラシだ

 2人は両手に縦に細長い物体を抱えていた。それは木製の梯子だった。2人は梯子を、船体に立てかけるようにしながら石畳みの階段に下ろし、即席のタラップとした

 右の船の船尾にいるマイルカが、中庭のフレンズ達に呼びかけた

 

「さあ! 梯子を登って! 一人ずつゆっくりとだよ!」

 

 フレンズ達は落ち着いて左右二列に並び、一人、また一人、着実に梯子を登り始めていた

 ハツカネズミも、フレンズ達が作る列の最後尾に並ぼうと歩き出した。ふと後ろを振り返ると、オオコノハズクとワシミミズクの二人は、先ほどから一歩も動かずに中庭に佇んでいた

 

「・・・・・・お二人とも・・・どうしました・・・? ・・・ここから逃げないのですか・・・?」

「我々、やることが出来たので、ここに残るです」

「・・・・・・ともえさん達を助けに行くつもりですか・・・?」

 

 2人のフクロウは、先ほどまでとは打って変わって活気を取り戻していた。一見無表情に見える大きな瞳が、使命感と決意に燃えている・・・ハツカネズミにはそんなふうに見えた

 

「あの時は状況が状況だったから置いていくしかなかったですが、賢くて優しい我々は、誰かを見捨てるようなことは基本的にしないのです・・・では、行くですよ、助手」

「ええ、博士・・・善は急げなのです。そして、ハツカネズミ博士、後のことはまかせたですよ、ここにいる皆が無事に避難できるように、あなたが指揮を執るですよ」

「・・・・・・あっ! ・・・待って・・・!」

 

 2人のフクロウが、音もなく中庭から飛び立った。小さな2つの影は、壁面に沿って垂直に上昇していった。そしてみるみるうちに霧の中に吸い込まれ、見えなくなっていった

 ハツカネズミは、霧の向こうに消えていった2人のフクロウに、もはや届かないとわかっていながらも声をかけた

 

「・・・・・・どうか・・・どうか無事に帰ってきてください・・・!」

 

_________________________________________

 

 

______ガッ! スタッ

 

 アムールトラは、8本足のセルリアンをだいぶ引き離したまま壁面を登り切り、その先に降り立った。予測していた通りの平らな地形がそこにはあった

 ほどなくして到着するであろう8本足を迎え撃つために、アムールトラは目を凝らし、地形を観察した。立ち込める霧で辺りがぼやけており、全体をはっきりと視認することは出来なかったが、ホテルの巨大さを考えると、ここも相当の広さがあると思われた

 思い切り走り、跳ね回ったりしたところで、何の問題もない・・・存分に戦うことが出来る・・・とアムールトラは確信した

 平らな中央部を、一段下がった高さの外縁部が囲んでいた。外縁部の先端には、巨大な海生哺乳類の頭部がかたどられていた。アムールトラがいる場所からは先端しか確認できなかった

 アムールトラは、地形の一番中央へと近寄った。中央の地面には、大きな二本の縦線と、その真ん中に走る横線が、白い塗料で引かれていた。その線の意味はよくわからなかったが、特に興味も沸かなかった

 さらに後端の方へ視線をやった。海生哺乳類の背びれをかたどったと思われる三角形の突起が地面にそびえ立っていた。その突起の根本には、出入り口と思われるドアがあった

 アムールトラはその場所を見て驚愕した。よく見ると、ドアが開け放たれており、そのすぐ近くに3人のフレンズの姿を見たからだ

 

「何故だ・・・! 何故お前らがここにいる・・・!」

 

 ともえ、イエイヌ、ロードランナー・・・3人は、アムールトラの声のする方向へと、弾かれたように向き直った

 

「あ・・・アムールトラさん!?」

「お前らは下に向かったのではなかったのか・・・?」

「聞いて・・・あたし達、下に行く事は出来なかったの」

 

 ともえの口から、アムールトラと別れてからの事が語られた。3人と、そしてラモリは、螺旋状の階段を駆け下りていたが、ある所まで降りると、階段が崩れ落ちており、そこから先に降りることは叶わなかった

 その時、3人はラモリからある指示を受けた。“階段を登り、建物の一番上へ行け”という指示だ

 そしてラモリはこうも言った。“脱出の手段を用意して3人を迎えに行く”と。直後、ラモリはとんでもない行動を取った。自ら崩れ落ちた階段の先へと飛び込み、落ちていったのだ

 ラモリが何をするつもりなのか、3人は皆目見当がつかなかった。しかし、ラモリのことを信じていた3人は、とにもかくにも階段を登ることにした。そうしてここへ辿り着いたのだ

 

「ねえ、アムールトラさん、それで・・・下にいたセルリアンはどうなったの?」

「・・・・・・。」アムールトラはともえの質問を無視した。答えなくても、嫌でもすぐにわかることだからだ

 

_______ガシィンッ・・・ガシィンッ・・・ベキィッ!!

 

 ともえ達の視線の先、屋上の淵に、黒く長大な足が先端を覗かせた。足先が1本、2本・・・次々と屋上を踏みしめた。それに持ち上げられるように、上半身と下半身でくびれた異形の存在が屋上に姿を現した

 黒い体のあちこちで見開かれた瞳がせわしなく蠢いていた。やがて、たくさんの瞳はある一点を見据え、ピタリと動きを止めた

 

「お、おいアムールトラよぉー! あのキモいのはどこから湧いて出たんだよー!? 船の化け物はどこ行った!?」とロードランナーが目を白黒させながら怒鳴った

 

「“あれ”が、それだ・・・奴は姿を変えた」

「・・・んだとぉー? そ、そんなんありかよ・・・」

 

 セルリアンの8本の足が、すべて屋上に上がった。放射状に広がる足を、前から順番にゆっくりと踏みしめ、まっすぐに前進を始めた

 セルリアンの異容を見たともえ達は狼狽した・・・だが、それで逃げ出すようなことはなかった。互いの顔を見合わせると、呼吸を合わせるようにして向き直り、身構えた。その様子を見たアムールトラは、一層絶望的な気持ちになった

 

「早く逃げろ・・・あれはお前らがどうこうできる相手じゃない。命が惜しいなら、あれに近づくな・・・」

「一緒に戦いましょう・・・きっと大丈夫です。ともえさんも、ロードランナーさんも、わたしも・・・これでも、結構セルリアンとは戦い慣れてるんですよ!」とイエイヌが元気づけるような優しい声で返した

「お前らがいたら・・・私は戦えないんだ・・・! さっさとここから失せろ・・・!」と、アムールトラは顔を伏せたまま、拒絶の怒声を上げた

 ともえは、アムールトラの様子から、彼女がこれから何をするつもりなのかを悟った

 

「ビーストになって、あのセルリアンと戦うつもりなんだね・・・だから、あたし達を巻き込まないためにそんなことを言うんだね・・・」 

「・・・好きでビーストに戻るんじゃない。戦うことで、私の中のビーストが目を覚ますんだ・・・私はそれに逆らうことができない。どうしようもないんだ・・・」

「なんとかして、アムールトラさんのままでいられるように頑張ってみようよ。あたし達も協力するよ・・・みんなでここを出ようよ!」

「無理だ・・・お前らとはここまでだ」

 

「無理なんかじゃない! あたしは絶対にアムールトラさんのことをあきらめない! ここでお別れなんていやだ!」

 

 ともえはアムールトラの胸倉を掴んで怒鳴った。普段はめったに声を荒げることなどないともえの気迫に、イエイヌとロードランナーは唖然とした 

 アムールトラは間近でともえの顔を見た。見開かられた緑と赤の瞳から透明な雫が滲んでいた

 この目は見覚えがある、とアムールトラは思った。嫌悪も恐怖もない、ひたすらに、自分と対話しようとする強い意志を持った目だ

 

≪のう・・・出来る出来ないの話はさておき、おぬし自身は何がやりたいのじゃ? このままビーストであり続けることがおぬしの望みか?≫とビャッコの問い詰める声がアムールトラの頭の中に響いた

 

(私は・・・変わりたい・・・怪物ではなく、誰かを守るために闘う戦士に戻りたい)

 

 アムールトラは答えた。それでもなお、そんなことが出来るわけない、と否定的な思考が頭の中で反響していた。自分のことを信じられなくなったアムールトラには、すべての可能性が閉ざされているように思えた

 再びともえのまっすぐな目を見た。自分と違って、ともえは可能性を信じていると思った。可能性を信じる心に基づいて行動し、そしてビーストであった自分と今こうして和解を果たしてみせたのだ

 

(そうか、信じることからすべてが始まるんだな・・・)

「わかった・・・なんとか、私自身のまま戦ってみせる・・・」とアムールトラはつぶやきながら、自分の胸倉を掴むともえの両腕に触れた

 その言葉を聞いてともえの表情がにわかに明るくなり、アムールトラを掴んだ手を放した。アムールトラは言葉をつづけた

 

「ともえ、イエイヌ、ロードランナー・・・お前らに、頼みがある」

「何でも言って!」「わふっ!」「もったいぶんなよー!」3人は息を飲んで頷いた

 

「見ていてくれ。私のことを信じて、この戦いを見届けてくれ」

「えっ・・・?」

「さあ、下がれ・・・! 奴が危険なのは本当だ! お前らは手を出すな!」

 

 アムールトラはひとしきり思いを告げると振り返った。8本足の怪物の影は、すでにアムールトラの頭上にまで伸びていた。アムールトラは背後にいる3人を庇うように両腕を広げ身構えた

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」


哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・マイルカ科・マイルカ属 
「マイルカ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属 
「ミンククジラ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ネズミイルカ科・スナメリ属 
「スナメリ」
哺乳綱・ネコ目・アザラシ科・ゴマフアザラシ属 
「ゴマフアザラシ」 

自立行動型ジャパリパークガイドロボット
「ラッキービーストR-TYPEーゼロワン 通称ラモリ」

四神獣・西方の守護者・白銀の御霊(オーブ)
「ビャッコ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Enemies date________________


「船型巨大セルリアン、8本足(仮称)」
特殊能力:2つの姿に変身する(「船型」「蜘蛛型」)


_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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現代編 8 「えいゆうのふっかつ」(前編)

 あるトラのものがたり第8話です。
 
 アムールトラVS巨大蜘蛛型セルリアン。一対一の真っ向勝負。
 底知れない能力を有する強敵に、そして今までの己自身に、アムールトラは打ち勝つことが出来るのか。


「うおおおっっ!!」

 

 ホテルの屋上、立ち込める霧の中、自然界ではおよそ存在しないと思われる完全に真っ平な地形にて、戦いの火ぶたが切って落とされた。アムールトラは、8本足のセルリアンに向かって敢然と駆け出し、みるみるうちに距離を詰めていった

 理由はふたつ。ひとつはともえ達からなるべく離れた所で戦うため、もうひとつの理由は、肉薄するほどの接近戦に持ち込むためだ。触手による迎撃があったとしても、巨大なセルリアンに対して小柄な自分が体格差を活かすためには、なるべく近づいて戦うしかないからだ

 ほどなくして8本足の間合、放射状に伸びる黒い足の内側に入り込んだ。しかしアムールトラはここで違和感を覚える

 

(遠い・・・どこまでも・・・)

 

 8本足の体は、船の姿の時よりも2回り以上小さくなっていた。だが、長大な足に持ち上げられる体の高さは、船の姿の時の倍以上だった。フレンズの視点から見た巨大さの印象は、船の姿をはるかに上回るものだった

 しかし、そんなことは遠目からでもわかりきっていたことである。問題は、高さではなく距離だった。放射状に伸びる足は、遠目から見るよりもはるかに広い範囲に広がっていた。近づけば近づくほどに、間合がつかめなくなっていった

 そしてアムールトラの頭上に広がる影の形が、一瞬変わったような気がした

 

______ズドッッ!!

 

「くっ!?」

 

 黒い足の一本が、アムールトラ目掛けて打ち下ろされた。足先が地面にめり込み破片を巻き上げた。なんとか反応して脇に飛んだアムールトラは、姿勢を立て直す間もなくただ上を仰ぎ見た

 アムールトラが見たセルリアンの足は、天にまで届くほど高く振り上げられていた。黒く湾曲した足先は、日光を浴びて輪郭がぼやけていた。そして轟音を上げて再びアムールトラへと降ってきた

 セルリアンの踏みつけ攻撃が、いくたびもアムールトラの頭上から襲い来た。天から雷が降り注いでいるかのごとく、アムールトラの周囲の地面を何度も抉った

 

(近づいてはダメだ! 一方的にやられる!)

 

 アムールトラはしゃがんだ姿勢から四つん這いで飛び出すと、空中で身を翻して体勢を立て直し着地した。そして脱兎のごとく放射状の足が覆う範囲から逃げ出し、十分に距離を取ってからセルリアンの様子を観察した

 セルリアンは扁平な楕円形の下半身を地面に着くほどに低く落とし、ずんぐりとした台形の上半身をツンと逸らせていた。体を支えているのは、8本の足のうち、後ろ半分の4本だけだった。前半分は、いつでも攻撃を仕掛けられるように、高く掲げられ広げられている

 アムールトラは歯噛みした。手数も射程距離も高さも、戦いを有利に展開する要素は、何もかもセルリアンのほうが上・・・冷静に考えれば、わかりきったことだった。ついさっきまで、そんなことにすら考えが及んでいなかったのだ。アムールトラは、己の愚かさを呪った

 長い間、アムールトラはビーストに支配されていた。こと戦いという場面において、アムールトラはただビーストに身を委ねていただけだったのだ。己自身のまま戦う術など、遠い昔に忘れ去っていた

 

≪弱気になるでない・・・頭で思い出せなくとも、体は存外に覚えているものぞ?≫と、ビャッコの励ます声が脳内に響いた

≪ともかく動け、どのみちあれは、おぬし以外の手に負える相手ではない・・・≫

 

 わかっている、と言わんばかりにアムールトラは再び駆け出した。今度は円を描くように、8本足のセルリアンの側面へ回り込もうとした。高い位置から見下ろすように、いくつもの蠢く目がアムールトラの動きを追っていた

 どこから仕掛けても、あの目がこちらの動きを捉えてくるだろう・・・だが、あの巨体である以上、反撃しづらい角度は存在するはずだ、とアムールトラは推論した

 足による攻撃をかいくぐり、そして触手に迎撃されるよりも前にこちらの攻撃を当てることが出来れば・・・数瞬の思考を巡らせ終わる頃には、セルリアンの真後ろにまで回り込むことに成功していた

 セルリアンの背中を割って現れた瞳がアムールトラを凝視していた。しかしアムールトラの俊足に反応できたのはセルリアンの目だけだった。その巨体は先ほどから一歩も動かず、明後日の方向へ悠然と威嚇のポーズを取っていた。これを機と見たアムールトラは、助走を付け勢いよく地面を蹴り、セルリアンの体を上回る高さまで飛び上がった

 放物線を描いて落下するアムールトラの体は、セルリアンの胴体目掛け、矢のように一直線に接近した

 

「くらえっっ!!」

 

 アムールトラは空中で身をよじり、右腕を振りかぶった。落下による加速が加わったアムールトラの渾身の一撃が、セルリアンを捉えようとしていた

 その時、明後日の方向を向いていたセルリアンの足の一つが、180度向きを変え、鞭のようにしなりながらアムールトラを打ち据えた

 

______ドシャァッッ!!

 

 橙色の大柄な体が、木の葉のように宙を舞い、ゴミのように地面に叩きつけられた

 ついに直撃をくらったアムールトラは立ち上がることも出来ず、地面に這いつくばった。口腔内に血の味が広がっていくのを感じた

 

(そうか・・・角度なんて、奴には関係ないのか・・・あんなに柔軟性のある体のセルリアンがいるとは・・・)

 

 8本足のセルリアンがゆっくりと威嚇姿勢を解いた。上半身を降ろし、高く掲げていた足をすべて接地させると、それらを波打つように動かして向きを変え、アムールトラを再び正面に捉えた

 よろよろと立ち上がったアムールトラに向かって、山のような距離感を掴めない体が、轟音を立てて直進し始めた

 

(・・・私は、こいつに勝てるのか・・・? このままでは、自分自身を保ったまま戦うとか、そんなことを考えている次元ですらない・・・)

 

「わふっ! ともえさん! このままじゃアムールトラさんが!」

「・・・あのセルリアン・・・これまで見てきた中でダントツにやべーぞ!」

 

 ともえ、イエイヌ、ロードランナーの3人は、屋上の一角、海生哺乳類の背びれを象った青い三角形の根本で、アムールトラの戦いを見守っていた

 

「もー見てられねー! 行ってくるぜ! オレ様が奴の注意を引いてよぉー、アムールトラが攻撃できる隙を作るんだ!」と、ロードランナーは居ても立っても居られない様子で言い放ち、身構えた

 

「だめ、待って・・・!」

「ともえさん?」

「アムールトラさんが言ってたでしょ・・・“信じて見ていてくれ”って・・・アムールトラさんとの約束をちゃんと守らなきゃ・・・」

「だ、だけどよー・・・」

 

 ロードランナーは肩を落とした。3人は再び、歯がゆい気持ちで視線を一対一の死闘へと向けた。アムールトラは、セルリアンの攻撃の的を絞らせまいと再び走り出したところだった。黒く放射状に伸びる足が幾たびもアムールトラの近くの地面を踏みつけていた

 

「・・・読みが当たったですね、助手」

「ええ、博士、やはりともえ達はビーストと共にいたのです」

 

 背後から突如、見知った声が聞こえた。驚いて振り返ったともえ達の視線の先には、白と茶のフクロウの姿があった。2人は音もなく、ともえ達の背後に降り立っていた

 

「オオコノハズクさん、ワシミミズクさん!」

「わふっ! お2人とも無事だったんですね!」

「それはこっちの台詞なのです・・・まったくお前達ときたら、命知らずにも程があるのです」

「ですが、我々が来たからにはもう安心です。さっさとここから逃げるのです。ともえとイエイヌは、一人ずつ我々に掴まるです。ロードランナーは自分で逃げられるですね?」

 

 そう言うと2人のフクロウはそれぞれ、ともえとイエイヌの腕を掴んだ。後は全部任せろと言わんばかりに真顔で頷いた。だが、ともえ達はその申し出を受けるわけにはいかなかった

 

「ごめんなさい・・・あたし達は、まだ逃げるわけにはいかないの」

「・・・やはり、ビーストと運命を共にするつもりなのです?」

「アムールトラさんは、今はもうビーストなんかじゃないよ・・・見て、あの戦いを」と、ともえは振り返って、がむしゃらに走り回るアムールトラを指し示した

 

「なぜ、そう言えるのです?」オオコノハズクは首をかしげながら、大きな瞳でともえを見つめた

 

「あたし達、3人とも、以前からアムールトラさんのことを知っているの。最初に出会った時も、アムールトラさんはあんな風に大きなセルリアンと戦ってた。あの時のアムールトラさんは、今とはまるで違ってた・・・」

 

 そう遠くない過去の話を、ともえはオオコノハズク達に語って聞かせた

 ともえ達が“にじのらくえん”を目指して、砂漠の真っ只中をセルリアンの大群から逃げていた時・・・アムールトラは突如現れた。彼女は今と同じように、大型セルリアンと相対していた・・・あの時のあれは戦いなどではなかった。アムールトラはビーストの本能に従うまま、圧倒的な暴力でセルリアンをいたぶり、完膚なきまでに破壊した

 しかし今、目の前で起こっているのは、それとはまったく違うと断言することができた。今のアムールトラは、セルリアンを相手に必死に逃げ回り、耐え忍び、わずかな攻撃の機を伺っていた・・・それは、紛れもなく理性のあるフレンズの戦い方だった

 

「確かに、今はビーストにも自我があるようなのです、博士。自我がなければあんな風に己の身を守ったりしないのです」

「そうですね、助手・・・では、今しばらく様子を見てみるですよ」

「2人とも、ありがとう・・・」

 

「ただし・・・!」安堵するともえにかぶせるようにして、2人のフクロウは厳然と言い放った

「あれがビーストに戻ったら、もうあきらめるのです」

「そうなったら我々はすぐにお前達を連れてここから脱出するです」

 

 ともえ達とオオコノハズク達のやり取りがひとまずまとまったのを後目に、アムールトラは先ほどから変わらず、防戦一方の立ち回りを繰り広げている

 セルリアンがまた、振り上げた足を地面に叩きつけた。ギリギリでかわしたアムールトラは、やぶれかぶれな気持ちで、地面にめり込んだ黒く太いそれに爪を突き入れた

 

______ビキィッ・・・ミジィッ・・・バツンッッ!

 

 爪がセルリアンの足にめり込んでいく。アムールトラがそのまま力を籠めると、硬いゴムのような感触の肉を引き裂き、振りぬくことができた。セルリアンの足は、アムールトラの攻撃の軌跡を示すように、生々しい亀裂が走った

 再び、別の足がアムールトラに降ってきた。アムールトラは後方にとんぼを切ってかわした。今までよりもあきらかに大ぶりな一撃であり、避けることは容易だった。そしてセルリアンは、傷ついた足を庇うようにして後方に引っ込めた

 

(そうか、足にも攻撃が通るのか・・・)

 

 セルリアンの長大な8本足は、苛烈にして俊敏であるだけでなく、鞭のように流動的に動くことが出来る。だがその動きも、地面に突き立てられてから、引き抜かれるまでの間だけは停滞せざるを得なかった。アムールトラは、攻撃の糸口をやっと見出した

 

「そこだっっ!!」

 

 アムールトラは、セルリアンの踏みつけ攻撃に対して、今度は確実なタイミングを見計らって全力の攻撃を繰り出した。右腕の爪がセルリアンの前足に深々と突き立てられた。足の一本でも切断することが出来れば、敵の機動力を大幅に削ぐことができる・・・そう判断したアムールトラは、セルリアンの足に己の爪を貫通させるために、さらに渾身の力を籠めた

 

(このまま引き裂いてみせる!)

 

 アムールトラは、ここではじめて“敵よりも己が優位に立った”と思った。劣勢から優勢に転ずる瞬間の歓喜・・・当然の感情だった

 

______“・・・気持ちいい・・・もっと壊したい・・・もっと殺したい・・・”

 

 突如、アムールトラの脳内に息が詰まるようなおぞましい唸り声が鳴り響いた

 そして体中が火のように熱くなった。己の爪によって、セルリアンの足の筋繊維が一本一本引き千切れていく感触に異常な心地よさを感じた

 

(・・・ビー・・・スト・・・!? ・・・やめろ・・・こんな・・・時に・・・)

 

 アムールトラの中に、戦慄するほどの膨大な殺意がなだれ込んできた。“敵の優位に立った”という意識はいつの間にか、ビーストがアムールトラを支配する温床へとすり替わっていた

 自分の中に湧きたったビーストの意識を押しとどめようとしたアムールトラは、目の前のことに意識が向けられなくなった

 

______ドシャッッ!

 

 相対する敵が見せた隙を、セルリアンは見逃さなかった。別の足が側面からアムールトラの体を薙ぎ払った

 

______ゴキャッッ! ビキビキッ・・・

 

 大の字に地面に叩きつけられた橙色の体を、間髪入れずに黒く長大な足が何度も踏みつけた

 

「アムールトラさんっ!!」

「ともえ・・・! 見てみるのです・・・ビーストの体を・・・」

 

 悲痛な叫び声をあげたともえの肩を、オオコノハズクが掴んだ。ボロ雑巾のように踏みしだかれるアムールトラの体から、黒色の炎が立ち昇っていた

 ともえはその炎の正体に勘づいた。同時に、青ざめる気持ちを覚えて息を飲んだ

 

「我々もビーストがあんな風になっているのをつい先日見たです。お前達なら、無論知っているですね。あの黒い炎は、ビーストが本格的に暴走しかかっている証しですね?」

 

 セルリアンの足の一本が流動的にしなり、アムールトラの胴体に巻き付いた。そして、そのまま弄ぶようにアムールトラを軽々と空中へ持ち上げた

 

______ミシィッッ!!

 

「うぐうううっ・・・!?」

 

 太くて硬い足が、万力のような力でアムールトラの全身を締め上げた。アムールトラの全身に激痛が走った。指一本動かせなくなり、肋骨に覆われた肺すらも押さえつけられ、まともに呼吸をすることが出来なくなった。セルリアンが、自分にとどめを刺しに来た・・・とアムールトラは悟った

 一方で、アムールトラの内側からは、どす黒いビーストの意志が今にも溢れ出しそうな勢いで燃え盛り、アムールトラの自我を押し破ろうとしている

 外側と内側、双方から襲い来る猛烈な暴力に、アムールトラの精神は今にも吹き飛ばされそうになっていた

 

「いやぁぁ! アムールトラさんっ!」

「アムールトラッ! 起きろよ! 頼むから起きてくれよ!」

 

 イエイヌとロードランナーは、必死にアムールトラに呼びかけた

 アムールトラがそれに応えることはなかった。セルリアンの足に持ち上げられた四肢は、だらりと力なく垂れ下がっていた。もはや意識を失ってしまったかのように、ぴくりとも動かなかった。しかし、アムールトラの全身から噴き出す黒い炎は、意思を持っているかのように激しく揺らめき続けていた

 

「ともえ、残念ですが、もう限界なのです」

「ビーストをあきらめて、ここから逃げるです」2人のフクロウが淡々と、重苦しい口調で告げた

 

「そんな・・・」

 

「ビーストはもう助からないのです・・・じきにあのセルリアンの手によって“元に戻される”に違いないのです・・・万が一あの状況を脱したとしても、その時は理性を失った怪物と化していると思うです。そしてそれを我々の手ではどうすることもできないのです」

 

 オオコノハズクとワシミミズクが、ともえとイエイヌに向けて己の手を差し伸べ、今度こそここから脱出することを決断するようにと、無言でともえ達に迫った

 

「いやだ・・・アムールトラさん・・・戻ってきて・・・戻ってきて・・・!」ともえはフクロウ達の申し出をやはり受けることが出来ず、悪あがきのようにうめき声をあげた。イエイヌとロードランナーも、それに続くようにアムールトラへと叫び続けた

 

(ああ・・・ともえ達の声が聞こえる・・・)

 

 風前の灯火になっていたアムールトラの意識は、もはやまともに物を考えることが出来なくなっていた。目の前の物事を何の感情も介さずに、ただ受け止めていた

 アムールトラはおもむろに、己の“呼吸”に意識を向けた。意味などなかった。強いて言うならば、今の状態では呼吸しか出来ることがないからだった。鼻腔から吸い込んだ空気が、咽頭を通って肺に向かおうとした。だが、肺は硬く締め付けられ、空気の行き来が止められていたので、すぐさま鼻先へと戻っていった

 呼吸としての用をなしていない、無意味な空気の往復・・・吸い込む空気は冷たい。吐き出す空気は温かい・・・アムールトラは、そんなつまらないことを考えた

 しかし、ここで不思議な感覚を覚えた

 

(・・・なぜ私はこんなに静かな気持ちでいられるのだろう?)

 

 セルリアンがもたらす外側からの痛み・・・ビーストがもたらす内側からの狂気・・・後ろから聞こえるともえ達の悲痛な叫び声・・・アムールトラ自身の苦しさ、無力感、恐怖・・・

 アムールトラの体に起こっているすべての感覚・思考は、受け止められる許容量をはるかに超えるものだった。しかしアムールトラは、莫大な情報量の感覚・思考をまともに受け止めるのではなく、単なる現象として俯瞰していた

 アムールトラは自分自身でも驚くほどに冷静な心境のまま、今の自分に出来ることを考えていた。そして、今の自分が会話できる唯一の相手、己の内側に巣くう実体のない幽霊のような“戦友”に向けて声なき声を発するのだった

 

(ビャッコ・・・私はここまでのようだ。もういい・・・私に構わず逃げてくれ・・・)

 

 ビャッコからの返事はなかった。すでにいなくなってしまったのだろうか? 

 アムールトラがそう考えた一瞬後に、妙な音が聞こえてくることに気付いた。甲高い音、空気を切り裂いているような音だ

 

(これは、風・・・? こんなに強い風が一体どこから・・・)

 

______ズガァァッッ!!

 

 得体の知れない豪風が止むと同時に、けたたましい炸裂音が鳴り響いた

 目に見えない何かが突然、セルリアンの体に勢いよく衝突した。“それ”がぶつかった場所を中心に、周囲に立ち込める霧が吹き飛ばされた。目に見えなくとも、明らかな攻撃の痕跡がその場に残された

 謎の衝撃によってセルリアンの体が大きく後退した。浮き上がったその巨体は8本の足でもバランスが取ることが出来ず、轟音と土煙を巻き起こしながら転倒した。セルリアンの足から放り出されたアムールトラの体が、そのまま地面へと真っ逆さまに落下していく

 しかし、地面に激突せんとするその瞬間、アムールトラの体から、まばゆいばかりの白い閃光が噴き出した。そして光の中心が、あたかも実態があるかのように濃い輪郭を描き出し、形を成していった

 

「・・・光が・・・アムールトラさんを守ってくれた・・・?」ともえは見た。黒い炎を全身から噴き出しているアムールトラの体を、白く輝く何者かが優しく抱きとめているのを

 

「あれは何なのです・・・ビーストの傍に誰かいるのですか・・・?」オオコノハズクとワシミミズクも、突然の事態に絶句していた

 

「・・・かはっ! ・・・ひゅう・・・ひゅう・・・」

 

 自由になった肺が酸素を求めて拡張と収縮を繰り返し、空気が喉元を激しく何度も往復している。アムールトラは、己の意志と関係なく行われる呼吸を自覚することで、体が拘束から解放されたことと、なんとかまだ生きていることを知る・・・しかし、再び動こうにも、五体全てが鉛のように重たく、指一本動かす力すら湧いてこないことをも同時に悟った

 まぶたの内側ごしにまばゆい光を感じ、瞳をうっすらと開いた。ぼやけた焦点が少しずつ定まっていくと、そこには自分を見下ろす静かな表情のフレンズがいた。アムールトラによく似た縞模様の走るその体は影を作らず、逆に全身から白い光を放ち、周囲を照らし続けていた

 

(ビャッコ、お前なのか・・・? お前が助けてくれたのか?)

 

 アムールトラは思いがけない加勢に、少なからず安堵する気持ちを覚えた

 だが、そんな感情はすぐに打ち消された。白く輝く体の向こうに、静かに起き上がる異形の姿を見たからである

 

「・・・ビャッコ・・・また奴が来る・・・!」

 

 息も絶え絶えな体を振り絞ってアムールトラは叫んだ。アムールトラが言い終わるか否かといった頃には、黒く長大な足が2人の虎のフレンズの頭上に目掛けて振り下ろされていた

 しかし、勢いよく叩きつけられたはずのセルリアンの足は、アムールトラ達に直撃する手前で動きを止めた

 

_____ゴオオオオッッ!!

 

 2人の虎のフレンズとセルリアンの間を、目に見えない壁が遮っていた。壁は轟音を立てながら、立ち込める霧を押しのけアムールトラの周りを駆け巡っていた

 

(さっきと同じだ・・・ものすごく強い風が吹いている・・・何が起こっているんだ・・・)

 

「・・・儂の力よ。儂は風を自在に操ることができる。先刻も見ていたであろう? 奴に儂の風をくらわせてやったのをな・・・」と、ビャッコが口を開きアムールトラの疑問に答えた

「じゃが・・・どうやら足止めすることが精いっぱいのようじゃ・・・こんな残りカスのような力ではな・・・」

 

 ビャッコの周囲を駆け巡る突風が、堅固な盾となってセルリアンの攻撃を押しとどめていた。セルリアンは止められた足を引っ込めると、前方4本の足を振りかざし、風圧の障壁を打ち破らんと、執拗に何度も叩きつけている

 セルリアンの猛攻を背にしながら、ビャッコはアムールトラに語り続けた。よく見ると、光によって形作られた体の輪郭がぼやけ、薄まりはじめている

 

(ビャッコ・・・お前・・・?)

「・・・儂にはあの虚無を倒すことは出来ぬ・・・それが出来るのはただ一人、おぬしだけなのじゃ」

(・・・無理だ。もう動けない・・・ビャッコ、私のことはもういい。それより、何とかしてともえ達をここから救ってやれないか?)

 

「同じことを何度も言わせるでない・・・おぬしだけが、彼らを救うことが出来るのじゃ・・・」ビャッコはそう静かに言い放ち、抱きかかえたアムールトラの体を地面に下ろした

 地面に着いたアムールトラの足は、もはや体重を支える力もなく、がくがくと震えている・・・両手を膝に乗せて、倒れないように踏ん張るのがせいぜいであった。下を向いた自分の顔から地面に向かって、鮮血がポタポタと滴り落ちているのが見える

 

(もう・・・立って・・・いられない)足元に血だまりを作りながら、アムールトラは、再び意識が薄らいでいくのを感じた。しかし、視界が再び白い光に包まれるのを感じたアムールトラは、何とか顔を上げて前を向こうとした

 アムールトラの目の前で、白き虎のフレンズは体の輪郭を失い、再び光球の形となった。光はいっそう眩しく輝き、アムールトラの視界を覆い尽くした

 白一色の世界の中で、己の五体から噴き出る黒い炎だけが静かに揺らめいている

 

(・・・!?)アムールトラは光に包まれながら、自分の体に異常な感覚が起こっていることに気付いた。裂けた皮膚の痛みが、そして疲れ切った筋肉の重みが、時間が巻き戻ったかのように収まっているのだ

 

≪アムールトラよ・・・聞こえるか?≫と、光に包まれた空間の中で、頭の中に直接響くような声が聞こえてきた。そしてアムールトラも声なき声によって返答する

 

(ビャッコ・・・これは一体?)

≪儂の魂を構成するサンドスターを、おぬしの肉体に溶かし込んでいる・・・さすればおぬしの傷は癒え、今ひとたび全力で戦うことが出来よう・・・儂は、完全におぬしの一部になるのじゃ・・・≫

(私のために犠牲になるというのか?)

 

≪おかしなことを言いよるのう・・・儂にはもともと、命などないのじゃぞ? ・・・・・・さて、無駄話はこれぐらいにして、本題に入るとしようぞ・・・≫と、ビャッコの声色が急に重苦しくなったのを機に、アムールトラも身構える

 いつの間にか体中の出血が収まり、嘘のように体が軽くなっていることに気付く

 

≪・・・今ここで“野生解放”を行うのじゃ・・・≫

 

(・・・野生解放だと・・・?)アムールトラは、活力が取り戻されてもなお、狂おしい熱が五体を跳ねまわるのを感じていた。黒い炎が、止めどなく己の体表のあちこちから発せられていた。このおぞましい狂気が自分の野生なんだとアムールトラは思っていた

(そんなことをしたら、今度こそ完全にビーストに・・・)

 

≪・・・違う。ビーストに呑まれろと言っておるのではない。平静を保ったまま、おぬし自身の意志で野生解放を行うのじゃ・・・そもそも“おぬしの”野生解放をビーストごときと一緒にするでないわ≫

(どういうことだ?)

 

≪・・・大戦期の戦士たちの野生解放は、現代のフレンズのそれとはまるで違う・・・膨大なサンドスターを消費する代わりに、桁外れの力を発揮する強力な切り札なのじゃ。しかし、ブランクによって体が錆び付き、ビーストまでその身に宿した今のおぬしが行えば、命に関わるほどの危険な代物でもある・・・だが、たった一度だけならば、儂のサンドスターを糧にすることで・・・≫

 

(・・・まさかお前は・・・最初から自分を犠牲にして、私に野生解放をさせるつもりだったのか・・・?)

 

≪ふっ・・・本当は“女王”を倒すために温存しておきたかったのだが、そうも言っておられぬようじゃ・・・さあ、おぬしの本当の力を発揮してみせよ・・・今のおぬしならば大丈夫じゃ・・・≫

 

 アムールトラはビャッコの言葉にすぐには応えず、おもむろに自分の体を見回してみた。ビャッコの言葉を信じたかった。しかし、今もなお狂熱に晒されている己の不自由な体を信じることはどうしても抵抗があった

 

 そう思っているうちに、ある一点に目が行った。左の内ポケットに留められた白い花のブローチだ。アムールトラはブローチを見て、はっとした気持ちになった。黒い炎に包まれた体の中で、ただ一か所、そこだけが無垢なままであるように思えた

 

 アムールトラはついこの前まで、草と岩の丘に咲いていた一輪の下へと足を運んでいた。狂気に苛まれている最中でさえ、白い花への憧憬を忘れることはなかったのだ

 白い花にまつわる記憶を思い出すことは、今はもう出来ない。しかし、何か特別な意味があることだけは確かだ。そしてそれは、今も変わらずに己の中にあるものだ

 なつかしくて、穏やかで、優しい・・・そして、誇らしい・・・アムールトラは、白い花がもたらすイメージに意識を集中してみた。具体的な記憶を思い出すことは出来なくても、イメージによって、遠い昔の自分を呼び戻していった

 

(そうだ・・・私の心はここにある)

 

 アムールトラの心中に、言葉が浮かんできた。それは遠い昔の自分の思考だった

 

(・・・どんなに怖くても、どんなに不安でも・・・すべての感情は、ただの心の揺らぎでしかない。それは本質じゃない。大事なのは、揺らぎに振り回されることなく、今やるべきことをやることだ。それをやろうとする自分自身の在り方だ)

 

 もやもやと渦巻いていた思考が、すっきりと腑に落ちていく様子をアムールトラは感じた

 

(・・・思い出した。“究極の冷静さ”をもって戦う・・・それが“私”だ・・・)

 

 アムールトラは、何かを決意したような表情で顔を上げた。そしてゆっくりと喉を震わせて、静かにその言葉を口にした

 

「・・・野生・・・解放・・・っ!」

 

≪ほう・・・良い顔じゃ・・・儂が知っているおぬしがようやく・・・戻って・・・きた・・・もう・・・安心・・・し・・・・・・≫と、ビャッコは途切れ途切れに別れの言葉を告げた。視界を覆う白い光が急速に減衰し、アムールトラの体に染み込んでいくのと同時に、霧に覆われた平坦なホテルの屋上の地形が視界に広がり始める

 やがて目前には、風の障壁目掛けて攻撃を続ける8本足のセルリアンの猛威が、少し前までと変わらず姿を現した

 

 白い光が完全に収束し無に帰すと、吹きすさぶ豪風もぴたりと止んだ。突然の事態に、セルリアンも怪訝そうに攻撃を止める

 セルリアンと再び一対一で対峙したアムールトラの体から、狂気の奔流を示す黒い炎がかき消え、血と埃にまみれたボロボロの姿だけを静かにさらしていた。その様子は、糸の切れた人形さながら、狂気だけでなく、一切の精気をも失ってしまったかのようであった

 

 アムールトラは波ひとつ立たない水面のごとき冷静さを保ちながら、これからどう戦うか考えた。ビャッコのおかげで体中の傷は癒えたが、かといって力がみなぎるわけではなかった。しかし、やがて己の体にかすかな変調が起こったことに気付く

 アムールトラはじっと両手を見つめてみた。左右10本の指には、自身の最大の武器である禍々しいかぎ爪が生えていた。そして突如、爪の付け根からしびれるような痒みが走りはじめたのだ

 

(なんだ・・・? 手が・・・)

 

 やがて痒みが頂点に達した瞬間、10本の黒いかぎ爪が、ぽろぽろと土くれのように指からこそぎ落ちた・・・アムールトラは怪訝そうに、悪魔的な異形からただのフレンズの形に戻った掌を動かした。今この瞬間まで、ただ振り回し、突き刺すものとしか認識していなかったそれに、違う使い方があるように思えた

 

 そして、おもむろに5本の指を折り畳んだ。小さく、力強く掌がまとまっている。この形、この感覚・・・これこそが、自分の手の形だとアムールトラは確信した

 “こぶしを握る”という動きをきっかけにして、アムールトラの全身に膨大な情報が流れ込んでいた。それは遠い昔に培った“技の記憶”だ

 

 呼吸、立ち方、足の運び方・・・己の一挙手一投足が、すべて間違っていると思った

 吸い込む空気の冷たさと、吐き出す空気の温かさを感じながらゆっくりと深呼吸した。攻撃のために前かがみになっていた上半身の力を抜き、両腕をゆっくりと下に向けた。そして踏み込んでいた左足を元に戻した

 アムールトラの姿勢は、足先から頭頂部までまっすぐな棒立ちとなった

 

_______ズガァァァンッッ!!

 

 セルリアンは、アムールトラめがけて勢いよく足を振り下ろした。戦意を失くしたとしか思えないアムールトラの動きを挑発と受け取ったかのような、怒りすら感じられる渾身の一撃だった

 

「アムールトラさんっっ!!」と、悲痛に叫ぶともえを後目に、セルリアンが叩きつけた足先から勢いよく土煙が巻き上がった

 ともえ達は目を凝らして土煙の中を見ようとした。アムールトラは今の一撃から逃れることが出来たのか・・・もしあれをくらってしまっていたら、傷ついたアムールトラの体はひとたまりもない・・・ネガティブな想像がともえ達の中で広がった

 

「おいみんな! あれを見ろ!」と、ロードランナーが叫び、ある一点を指差した。ロードランナーが指し示した先に、アムールトラの姿はあった。先ほどと同じく、無防備な立ち姿で、ただただセルリアンに向かって歩を進めていた

 セルリアンは間髪入れずに、アムールトラへと攻撃を加え続けた。長大な足を上から下に振り下ろすだけでなく、鞭のように横薙ぎに振り回わす動きも織り交ぜて、縦横無尽な攻撃によってアムールトラを打ちのめそうとした

 しかし、そのすべてが空を切り、足が振り回される轟音だけが辺りに響いていた。アムールトラは平然とした様子で変わらず歩き、セルリアンとの距離を詰めた

 

「な・・・なあ、あれ、何が起こってんだ?」ロードランナーは呆然とした様子で、アムールトラの異様を見やった

「アムールトラのやつ、幽霊にでもなっちまったのかよぉー?」

 

「おそらく、ビーストのかわす動きが速すぎて見えないのです・・・」

「で、ですが博士、私にはゆっくりと歩いているようにしか見えないのです」2人のフクロウも驚きを隠せない様子で慌てふためいた

 

「・・・ともえさん」イエイヌが、息を飲みながら、ともえに目くばせした。ともえも、イエイヌに合わせるようにうなずく

「うん、今のアムールトラさん・・・さっきまでと様子が違う・・・」

 

 アムールトラは、セルリアンの胴体の真下にまで接近すると、まっすぐな姿勢のまま、ぶら下げた両腕をゆっくりと動かした。右腕を高く掲げ、手の平をセルリアンに向かってかざすように広げた。左腕は腰の高さのまま無造作に前方に突き出した

 見たこともない、それでいて一分の無駄もないように見える動きにともえ達一行は絶句した。相対するセルリアンすらも動揺しているように見えた

 

_______プロロロロロロッ!

 

 セルリアンは動揺を振り払うように甲高い声で嘶き、今ひとたび真下のちっぽけな橙色の敵を叩き潰そうと、天高く足を振り上げた

 しかし、その足先を打ち下ろすよりも前に、セルリアンの動きがピタリと止まった。敵の姿が突然に見えなくなったことに気付いたからである

 ・・・いつの間にか、セルリアンの台形の頭部の上に、アムールトラが音もなく飛び乗っていた。決して速い動きではなかった。だが、セルリアンは、アムールトラが動いていたことさえ視認できていなかった・・・事の起こりがわからない“消える動き”に、セルリアンは完全に翻弄されていた 

 アムールトラは、右手を引き絞るように後ろに引いたまま、足を広げて深くしゃがみ込んだ。セルリアンの巨体が、恐怖に怯えるようにわずかに震えた

 

_______リュッ・・・・・・ピタリ・・・

 

「あ、当たった・・・?」ともえは一連の動きを見ていたが、それでも何が起こったのかよくわからなかった。アムールトラは、こぶしをセルリアンの頭部に打った・・・いや、ただゆっくりと押し当てた・・・ように見える

 アムールトラは、こぶしを押し付けたまま動かない。セルリアンも、遠くから見守っているともえ達も、わけもわからずただ絶句するしかなかった

 

________ドバァッッ!! 

________・・・ビチャビチャビチャ・・・ 

 

 突如、セルリアンの腹部が勢いよく膨れ上がり、破裂音と共に裂けた。体と同じ黒い血液が噴き出し、巨体が作る影よりも広く飛び散っていく

 セルリアンの腹部に、えぐり取られたような巨大な空洞が現れた。ほどなくして、上半身から生えていた8本の足から急激に力が失せ、巨体が音を立てて崩れ落ちた

 勢いよく落下したセルリアンの胴体にしがみつき、なんとか着地の衝撃をこらえたアムールトラが、ゆっくりと地面に降り立った

 

「ビ、ビーストがさわったらセルリアンが爆発したです。たださわっただけなのに!」

「一体ビーストは何をしたのです! まったく理解の範疇を越えているです!」2人のフクロウが非難めいた声を上げている

 

「・・・ともかくよぉー、勝ったんだ! アムールトラが勝ったんだぁー!」

「わふっ! やった! やった!」イエイヌとロードランナーが歓喜の声をあげた。ともえの心中にも安堵の感情が芽生え、胸をなでおろそうとした

 イエイヌとロードランナーは小躍りしながらアムールトラに駆け寄ろうとした。しかしその2人を後ろからオオコノハズクが大声をあげて制止した

 

「いいえ! まだです! まだ奴は生きています!」

「わふっ・・・確かに、まだ“ぱっかーん”ってなってないです!」と、2人はキョトンとした表情で立ち止まり、横たわるセルリアンを注意深く観察した。セルリアンはピクリとも動かず、生きているなどとは到底思えなった。だが、セルリアンの周囲に何か異様な気配が蠢いている気がした

 ・・・そして何より、対面するアムールトラが、まだ直立不動の戦いの構えを解いていないのだ

 

_______シュゥゥゥー・・・

 

 ・・・霧だ。辺りに充満していた霧が突如動き始めた。空気の流れに乗って、霧がセルリアンの周辺へと集まっていた

 身動きひとつ取らずに横たわる巨体と、その周辺に飛び散った肉片のひとつひとつに、霧が引き寄せられ、とめどなく吸い込まれていっている・・・

 セルリアンの周囲の空間から霧が消え去り、抜けるような空の青色が断片的に現れた

 

 霧を呑み込み続けるセルリアンの胴体が、そして噴き出た黒い液体が、ミチミチと音を立てて蠢きだした。辺りに広がった黒い血だまりの一滴一滴が、互いを吸い寄せ合うように収束していった

 血が集まってかぼそい筋となり、筋と筋が結びついて肉となる・・・合間に絶え間なく周囲の霧を吸い込みながら、セルリアンの胴体に開いた大穴はゆっくりと元の形を取り戻していった

 

 やがて何事もなかったかのように再生を果たしたセルリアンの上半身が弾かれたように震えると、地面に力なく投げ出されていた8本の足が力を取り戻し、横たわっていた黒い巨体を元の高さへと持ち上げた

 セルリアンの体表から、いくつもの瞳が水音を立てながら開かれると、真下にいるアムールトラを、再び生々しい殺意をみなぎらせながら凝視している

 

「くっ! やはり奴も“4本足”と同じだったのです!」オオコノハズクが吐き捨てるようにつぶやき、頭を抱えた

 

「えっ? どういうこと?」ともえはオオコノハズクの言葉に食いついた

 

 2人のフクロウは語った。かつてキョウシュウエリアで、目の前の8本足によく似た、黒く巨大なセルリアンと戦ったことがあることを

 そのセルリアンは、戦いで傷ついても、周囲から“黒いサンドスター”を吸収することで瞬時に傷を癒す能力を持っていた。そのためキョウシュウのフレンズ達の力を結集しても倒すことは出来ず、弱点である海に誘導することで無力化するしかなかった

 

「しかも・・・目の前のアイツには、4本足にあったような弱点はないのです。海の中から現れたアイツには、当たり前ですが海水なんて効果がないです。そして何より、おそらくアイツは“石なし”なのです・・・体に大穴を開けられてもいっさい石が見当たらないのですから」

 

 セルリアンには“石あり”と“石なし”がある。これまでの旅路で、ともえ達もそのことは承知していた。そして、石の有無によってセルリアンの性質が大きく変わってくることも知っていた

 石ありのセルリアンは、ほぼ例外なく大型で強靭な肉体を持ち、単独で活動していた。頑丈な外皮によってフレンズの攻撃を寄せ付けなかった。しかし体のどこかに“石”と呼ばれる急所があり、そこへの攻撃ならば致命傷を負わせることが可能だった

 そして石なしはというと、石ありに比べて小型な個体が多かった。その体に特定の急所はないものの、肉体そのものが脆弱であり、どこを攻撃しても一様に有効打となりえた。しかし、個々の力の弱さを補うように常に集団で活動し、数の暴力によってフレンズを襲ってくるという厄介さがあった

 石ありも石なしも、それぞれに異なる性質を持ちながらも、どちらも油断のならない相手であるとフレンズ達は思っていた

 

「“石”がセルリアンにとってどんな働きのある器官なのかはわからないのですが、おそらく石ありは、大きく強くなった代償に、石という急所を抱えたです。石なしは、小さくて弱いままだったから、急所もなかったのです・・・・・・我々はそう思っていたのですが・・・」

 

「わふっ・・・目の前のセルリアンは、大きくて強いのに石がないんですね・・・」と、イエイヌがオオコノハズク達の講釈に相槌を打つように言葉を続けた

 

「そう・・・つまりあの個体は、石ありと石なしの良いとこどりなのです。そして黒いセルリアンに特有の再生能力を持っており・・・きわめつけに“8本足”と“船”いうふたつの姿を持ち、陸でも海でもフレンズを襲うことが出来る・・・正直、我々が見てきた中でもいちばん恐ろしい個体かもしれないのです」

 

「ねえ、ひとつ気になったんだけど・・・」と、ともえが青ざめた顔で口を差しはさんだ

「ただの霧にしか見えないけど・・・あのセルリアンはこの霧を吸って傷を癒したんだよね・・・? この霧は、一体何なの? わたし達が吸い込んで平気なものなの?」

 

「そ、それは・・・」

「博士、ありえないのです。ここは海の上なのだから」2人のフクロウは、小声で何か言葉を交わした後、ともえに返答した

「これはただの霧です・・・お前が心配するようなことはないのです。あのセルリアンが異常なだけなのです」

「本当にそうなのかな・・・? 異常っていう言葉で括るなら、この霧だってじゅうぶん異常だよ・・・やっぱり、セルリアンと霧には何か関係があるんじゃないの?」

 

 ともえは、今までの出来事を思い返した。ここ最近、セルリアンの増加と活発化が各地で確認されていた

 そして周囲に立ち込める霧は、ジャパリホテルだけでなく、このちほー一帯を何日も前から覆い尽くしていた。こんなに深い霧は見たことがない、とジャパリホテルで働くフレンズ達は口を揃えて言っていた

 セルリアンだけではなく、ジャパリパークの自然そのものが、かつてない異常な状態に変貌しつつあるのではないか・・・ともえ達の脳裏に目の前の出来事への疑念と絶望が広がっていく

 

「うわあああああっっ! ちくしょおおおっ!」ロードランナーが、ひときわ冷静さを失って頭を振り乱し叫んでいた

「ジャパリパークにいったい何が起こってるってんだ! セルリアンのくそったれ共が、なんでこんなに好き勝手してやがるんだよぉー!」

 

「ロードランナーちゃん・・・」ともえは、ロードランナーが錯乱するのも無理はないと思った。彼女の故郷である“さんたふぇちほー”は、つい最近セルリアンに滅ぼされたばかりなのだ。プロングホーンとチーターと共に難を逃れることが出来たとはいえ、多くの仲間がいまだに安否不明であると聞く。ともえは、ロードランナーのセルリアンに対する敵意と恐怖は、記憶のない自分とは比べ物にならないと思った

 

______大丈夫だ!

 

「・・・えっ!?」ロードランナーの耳に突如、凛とした声が聞こえた。頭を抱えて泣き叫んでいたロードランナーは、声が聞こえた方向へと顔を上げた

 ロードランナーの目線の向こうには、アムールトラの落ち着き払った双眸があった

 アムールトラは今この瞬間、一番の危険に対峙しているにも関わらず、それから背をむけ、離れた位置にいるロードランナー達の方を向き、大声で語り掛けていた

「・・・あ、アムールトラ・・・後ろ・・・後ろぉぉーーー!」

 

 取り乱したままのロードランナーがアムールトラに喚声を返すも、アムールトラは変わらず落ち着き払った様子で動かずにいた

 

「終わらせる・・・今すぐ・・・」

 

 アムールトラはそれだけ言うと、ゆっくりとセルリアンの方に向き直った。直前までの、背筋をまっすぐに伸ばした姿勢を折り畳むように、深く腰を落とし、身をかがめた

 左手を、地面に着きそうなくらいにだらんと下した。それとは対照的に、右手を顔のすぐ横で構え、力強く握りこんだ。他のすべてが力なく弛緩しているのとは対照的に、右手にだけ全精力が集中してるかのようだった

 

「一体・・・ビーストは何をやるつもりなのです?」

「あの不死身のセルリアン相手に勝算があるですか・・・?」

 

 その場にいる誰もが、アムールトラの動きの意味を理解できなかった。右手だけ構えた低い姿勢から、パンチでも打つ気だろうか? しかし、そんなものは目の前の巨大な敵に届くはずがないのは言うまでもなかった。そして仮に命中したとして、いかにすさまじい破壊力の攻撃でも、再生能力を持つセルリアンに致命傷を与えることは出来ないのだ

 傍から見れば、アムールトラは相手の力を見誤った無謀な行動を取っているようにしか思えなかった

 

_______プルルルル・・・・・・

 

 セルリアンはその場から動かずに、8本の足を広げ、深く胴体を落として前傾姿勢を取った。絶対的優位な状況であるにも関わらず、あきらかにアムールトラの動きを警戒していた。目の前のちっぽけな相手が、何か底知れない力を持っていることを本能にて察知していたようであった

 アムールトラとセルリアンは、至近距離で静かに対峙した。セルリアンの前方一対の足が今にも攻撃を仕掛けんとばかりに、じりじりと、虫が止まるような遅さを維持したまま持ち上げられる

 一方のアムールトラは、低い姿勢で構えたまま、固まったようにピクリとも動かなかった

 ちっぽけなアムールトラ、山のような巨体のセルリアン・・・明らかな体格差がありながらも、両者が放つ存在感の大きさはまったくの互角だった。にらみ合った一人と一匹の間に流れる空気が、時間が止まったかのように張り詰めていく・・・

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」

四神獣・西方の守護者・白銀の御霊(オーブ)
「ビャッコ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Enemies date________________


「船型巨大セルリアン、8本足(仮称)」
特殊能力:2つの姿に変身する(「船型」「蜘蛛型」)
    :霧を吸い込んでダメージを修復する


_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編 9 「えいゆうのふっかつ」(後編)

 あるトラのものがたり第9話です。
 
 アムールトラと巨大蜘蛛型セルリアンの熾烈な勝負の行方は。
 ともえ達は崩壊するジャパリホテルをどうやって脱出するのか。
 状況は極限をきわめていく。
   
 私事ですが、転職して新生活を始めていたりしたのでまた期間が空いてしまいました。
 これから更新ペースを早めていきたいと思うので良ければお付き合いください。



 

 アムールトラと8本足のセルリアンは、先ほどから変わらずに、至近距離で向かい合ったまま動かずにいた

 両者から放たれる膨大なプレッシャーが、空気を媒介にして対面する相手に向かって伝播している・・・そして互いの気迫が重なり合い、周囲の空間をぐにゃりと歪ませている

 

「・・・なんなんだよ、これ・・・」ロードランナーが誰に言うでもなくつぶやいた。当事者がほとんど動いていないのにも関わらず、見ているだけで、これほどまでに圧倒されるような戦いがあるのか、とロードランナーは思った

 

_______ブワァァッッ!!

 

 先に動いたのはセルリアンだった。足だけではなく、山のような巨体がその全身ごと前に倒れ込み、アムールトラ目掛けて圧し掛かってきた。動かないままのアムールトラの頭上に、セルリアンが落とした影がみるみる広がっていく

 

「・・・あ、あれはまずいのですっっ!」と、オオコノハズクが雷に打たれたように叫んだ

 

 セルリアンは、大穴を開けられても再生できる体を活かした、確実かつ最も強力な攻撃を繰り出してきたのだと、ともえ達は悟った

 あの攻撃ならば、たとえアムールトラに反撃されても、その反撃ごと押しつぶし、己の体の中に取り込むことが出来るだろう・・・そうなってはもう、アムールトラの助かる術はない

 

「逃げてっ!!」と、ともえが金切り声をあげた

 雪崩のごとく押し寄せる巨体に今にも飲みこまれんとするその時、アムールトラはようやく動いた。まったく臆することなく真正面へと踏み込み、こぶしをセルリアンに打ち込んだ

 だが、その動きには何の意味もなかったかのように、こぶしがずるりと漆黒の体表にめり込み、アムールトラの五体すべてがセルリアンの胴体に覆い隠され、あっという間に見えなくなった

 

_______ドッシャアアアアアッッ!!

 

 地面に激突した巨体が引き起こした震動が、ともえ達の足元にも伝わってきた。アムールトラが立っていた場所には、おどろおどろしい漆黒の巨躯が鎮座している

 潰されたのか、飲み込まれたのか、アムールトラの存在を示す痕跡は一切なくなった

 

「あ、ああ・・・・・・」ともえ達は絶句した

 ともえの目の前にいる2人のフクロウは、すでにセルリアンに向かって身構え、臨戦態勢を取っていた。ロードランナーは地面に膝をつき、ぽかんとうなだれている。その隣でイエイヌが声にならない嗚咽を漏らしている。ともえは沈黙のまま、ただ目の前のセルリアンを見据えた

 

_______ボコッ・・・ボコボコッ

 

「・・・?」ともえは異変に気付いた。地面に伏したセルリアンの体表が泡立ち、火に焼かれているかのような灰色の硝煙を巻き上げている

 やがて、煮え湯のように泡立つ体表の一点がひと際大きく弾けると、光を通さない暗い影のような体表の中から、眩い光が覗いているのにともえは気付いた

 

「あの光は・・・見た事がある・・・」

 

 ともえは気付いた。漆黒の体表から覗く光は、サンドスターが輝く時のような、色とりどりの虹色をしていることを

 そして思い出した。今まで見てきたセルリアンが倒される時も、例外なく虹色の光を放ちながら消滅していたことを

 一か所、また一か所と、小さな虹色の光点が、セルリアンの黒い胴体のあちこちに現れている。セルリアンの体は、あたかも焚火の中の炭のようになっていた。留まることなく広がり続ける虹色の光が、セルリアンの漆黒の体表を節々から食い破っている

 

_______プロロロッッ!! 

 

 セルリアンが苦痛に悶えるように甲高い声をあげ、長大な8本の足を激しくバタつかせていた。その間にも、虹色の光が留まることなく溢れ出ている。セルリアンの体は、漏れ出た光の周辺から溶けるようにグズグズと白熱化していっている

 

「な、な、何だよっ! 今度は何が起きてるってんだよーっ!」

「わふっ! ともえさんっ、あれってまさか・・・!?」

「うん・・・アムールトラさんが・・・セルリアンの体の中で・・・なにかやってる!」

 

 煮えたぎる溶岩のように泡立つセルリアンの全身から、黒い肉片が絶え間なくポタポタと零れ落ちる。その雫は地面に落ちた後もボコボコと泡立ち、やがて煙になって空中に霧散していっている

 

「・・・あれは・・・炎? なのかな? アムールトラさんは、セルリアンの体の中で炎を、いや高熱を起こしているのかな・・・? それでセルリアンの体が燃え出しているの?」

「・・・でもともえさん、アムールトラさんはどうやってそんなことをしているんでしょう?」

 

「我々、本で読んだことがあるのですが・・・その昔、ヒトのいた時代には、海を二つに裂いたり、大地を砕いたり・・・そんな信じられないようなことが出来るフレンズ達がいたみたいなのです・・・もしかしたら、ビーストもそんなフレンズの中の一人だったのかもしれないのです」

「そーだな、ついさっきも、軽く触っただけでセルリアンの体に大穴を開けてたし・・・アムールトラのやつ、どう考えても並のフレンズじゃねーよ」

 

「・・・ともかく今のビーストには、セルリアンを倒す秘策があるに違いないのです。セルリアンが再生能力を持っていると知った後でも、なお己の勝利を確信していたのです・・・だから、飲み込まれる直前まであんなに落ち着いていたと思うです」

 

「そ、そしたら・・・アムールトラさんは、わざと自分から飲み込まれていったっていうの・・・? セルリアンの体を高熱で溶かすために・・・」

「そ、そーか・・・さすがの不死身野郎も、溶けて消えちまったんなら、生き返りようがねーもんな! よっしゃー、アムールトラ! そのままそのセルリアンの体を全部溶かしちまえ!」

「くぅん・・・頑張って、負けないで、アムールトラさん・・・」

 

_______プルルルルルォォォォ・・・・・・!

 

 セルリアンは、体内から発せられる虹色の灼熱に悶え苦しみながらも、8本の足を踏ん張らせて何とか胴体を持ち上げようとした。しかし、力を込めようとするたびに体表を弾けさせながら体勢を崩しており、もはや再び立ち上がることは叶わないように見えた

 8本の足のうち、まともに動くのはすでに2~3本になっていたが、それらの足を動かして、胴体を引きずりながら地面を這いずっていた。立ち上がることは叶わなくとも、セルリアンはしぶとく健在であった

 セルリアンが向かう先は、ホテルの屋上の隅、遥か下方にある海面の波の音すらほとんど聞き取れないほどの断崖だった。セルリアンは少しずつ、しかし確実に屋上の隅へと這いずっていっていた

 

「まさか・・・」と、ともえがはっとしてつぶやく「セルリアンは、このまま下に飛び下りる気なんじゃ・・・熱いのを、海水で冷まそうとしているの?」

「ま、待てよーっ! そしたらセルリアンの腹ン中にいるアムールトラはどうなるんだよー!」

「わふっ! この高さから飛び降りたら・・・とても無事には・・・」

「ま、まずいよ! セルリアンを止めないと!」

「あ、ともえさん! 待って!」

 

 ともえは我を忘れてセルリアンの近くへひた走った

 やがて、一番手近にある、胴体に引きずられるままのセルリアンの足のひとつに近寄ると、グズグズと泡と煙を立てるそれを両手でがしっと掴んだ

 

「・・・・うわあああっっ!! あつ、熱い!」しかしともえは、手の平に伝わってきた高熱にたまらず手を放し、後ろに飛び退いた。己の手のひらを見つめてみると、手の薄皮が何か所も焼けただれ、赤くなっているのが見える  

 

「ともえさんっ!」イエイヌは、呆然と立ち尽くすともえの肩を後ろから掴んだ

ともえの火傷を気遣うよりも先に、己自身すらもセルリアンの体から放たれる異様な熱気に晒されていることに気付いた。そして肉が絶え間なく焼けただれる鼻をつくような臭いを感じ取った

イエイヌは、今目の前で起こっている出来事がいかに凄惨で、常軌を逸しているかを思い知った

 

「止めなきゃ・・・このままじゃ、アムールトラさんが・・・」と、ともえがうわ言のように呟きながら、再び熱気を放つセルリアンの肉体に近づいていく

 しかしイエイヌはすぐさま、ともえの体を後ろから羽交い絞めにして押さえつけた

 

「ダメです! ともえさん!」

「イエイヌちゃん離して!」

「ともえさんっ! ・・・きっと・・・わたし達には・・・何も出来ません・・・」

「・・・・・・」

 

 ともえも、イエイヌと同じ無力感をすでに感じ取っていたようであり、後ろから押さえつけようとするイエイヌに対して抵抗することなく、動きを止めた

 セルリアンは、呆然とする2人には目もくれず、その体を引きずって少しずつ断崖への前進を続けている

 

 やがてセルリアンの足が屋上の淵へと引っ掛かり、その漆黒の巨体を眼下の虚空へと引き込んだ。体表の節々から硝煙を立ち昇らせながるセルリアンの体ががくんと傾き、重力に引かれるまま、ホテルの水平な屋上から姿を消した

 

______・・・ズガガガッッ! ・・・ズシャアッッ・・・ゴゥンッ・・・

 

 轟音が何度もともえ達の耳に聞こえた。セルリアンの巨躯がホテルの壁面を擦りながら落下していく音だ。音は、聞こえる度に小さくなり、あっという間に聞こえなくなった

 

 ともえとイエイヌは、今しがたセルリアンが消えていった場所へと走り寄り、断崖から身を乗り出した。眼下には立ち込める霧がただ広がるばかりであり、セルリアンの姿は見えなかった。そして霧の隙間から覗くはるか向こう側には、日光を受けて輝く水平線がわずかに垣間見えている・・・

 もう危機は去った。はるか下方の海面へと落ちていったのだ。ともえは、何かを考えようとするたび、それがとてつもない無力感によってかき消えていくのを感じた

 

「・・・ともえ、お前の気持ちはわかるです・・・ですが、もういい加減に逃げないと我々の身も危ないですよ。おそらく、このホテルは近いうちに倒壊するです」

「我々に掴まって、陸の上まで飛んでいくです」

 

 後ろから近づいてきたオオコノハズク達が、厳しい口調ながらも、せいいっぱい気遣うようにともえに避難を促してくる

 

「いやだ・・・こんなのが終わりなんていやだ・・・アムールトラさんを見殺しにするなんて・・・命がけで、あたし達を守ってくれたあの人を・・・」

「わかるですよ。ビーストは・・・いいえ“アムールトラ”は我々全員の恩人なのです。ですが、この状況で我々に何ができるというです? もう、アムールトラが生きているかどうかさえ・・・」

 

 ともえは、自分の無力と、それを認めたくない気持ちの板挟みにあって歯噛みした。自分の言っていることがただの我儘に思えた。しかし、ここであきらめたらすべてが終わってしまうようにも思えた

 

「わふっ、あの、ともえさん・・・バッグが、バッグが光ってます・・・」

「えっ・・・?」

 

 ぽつりと発せられたイエイヌの言葉を聞いたともえは、慌ててショルダーバッグに手をかけ、マジックテープをバリバリと引きはがすと、その中身をまさぐった

 雑多な感触の中にひとつだけある、なだらかな丸い物体を手に取ると、それを取り出して眼前に掲げた。それは、ロードランナーが海底から探し出した“青いオーブ”だった

 

「オーブが光ってる・・・」

 

 そしてともえは気付いた。オーブはそれ自体が光るだけでなく、そこからさらに、眼下に立ち込める霧を一直線に貫くようにして、青い光の筋を発していることを

 ともえはまるで、その光が絶望の中に残ったたったひとつの希望のように思えた

 

「イエイヌちゃん、ロードランナーちゃん・・・」

「わふっ、この光は、牢獄で見たのと同じですね!」

「あー、オレ様も覚えてるぜ。アムールトラのやつもこのオーブに反応するように光ってたよな。つーことは・・・」

「この光の先に、アムールトラさんはいる・・・まだ、無事でいる・・・」

 

 ともえ達3人が何かに合点がいったように頷き合っているのを、オオコノハズクとワシミミズクは怪訝な表情で見つめる。その視線に気が付いたともえが、2人のフクロウを見返した。状況が理解できなくても、3人の意志がひとつの方向に固まっていることを雰囲気で理解した

 

「お前達、まさか・・・」

「うん・・・あたし達は、アムールトラさんを助けに、下に降りるよ・・・」

「バカな・・・どうやって?」

「オレ様、ともえとイエイヌの二人を抱えて飛ぶことは出来ないけど、ゆっくりと降りることぐらいなら出来るぜ!」

「わふっ、アムールトラさんの居場所も、この光が教えてくれるから迷うことはありません」

 

「お前達は、どこまで命知らずなのですか・・・」と、2人のフクロウはともえ達の愚かな返答に対し、嘆くやら呆れるやら、頭を抱えて悲嘆にくれているようだった

 

「・・・我々が何度手を差し伸べても、まったく言うことを聞こうとしない・・・だいたい、お前達に何が出来るですか? あの恐ろしい8本足相手に、アムールトラを救い出す手立てはあるですか?」

「アムールトラはきっと、こうなることを覚悟していたですよ。自分の命を犠牲に、お前達を救おうとしたです・・・アムールトラの気持ちを無駄にしないためにも、お前達は早くここから逃げるべきなのです・・・!」

 

 2人のフクロウが正論でもって、ともえ達を責め立てる。言い返すことも出来ないともえ達は顔を俯けながら耐えるように、フクロウ達の正論を黙って受け止めていた

 

「・・・本当に、本当に、ごめんなさい・・・勝手なことばかり言って・・・」と、ともえは目に涙を浮かべながら、絞り出すように思いを告げる

「でも、このままお別れなんていやなの・・・アムールトラさんはもうあたし達の仲間だから、仲間が自分のために命を懸けてくれたなら、自分も同じようにしたい・・・」 

 

 今度は2人のフクロウが、その言葉を聞いて黙り込む。大きな2対の目でともえ達を見つめ続ける2人は、やがて考え込むようにともえ達から視線を逸らした

 

「・・・きっと我々も、お前達と同じようにすべきなのですね」

「・・・え? それってどういう・・・」

 

「難しいことを考えたりせず、ただ素直にやりたいことをやる・・・それが本来のフレンズらしい在り方なのです」

「でも、我々は何をするにも頭で色々考えてばかりで、普通の在り方とは随分離れてしまっていたのです」

「たまには考えることをやめて、やりたいようにやるのも必要かもしれないです」

「我々も、アムールトラを助けたいのです。我々も一度アムールトラに命を救われています。受けた恩はきっちり返さないと、オサの名がすたるです」

 

「・・・じゃあ、オオコノハズクさんとワシミミズクさんも、あたし達と一緒に来てくれるの?」

「だからそう言っているですよ」

「わふっ! ありがとーっ!」

 

 ともえ達はオオコノハズクから指示を受け、飛び立つための準備にかかった

 体重の軽いともえがイエイヌにおぶさると、オオコノハズクとワシミミズクは、イエイヌの両腋下から頭を入れて抱え上げるように持ち上げ、そのまま翼をはためかせて飛び上がった

 そして最後に、後から追いついたロードランナーがイエイヌに接近すると、宙ぶらりんになったイエイヌの足を、自身の首の付け根にまたがらせて両肩で担ぎ上げた

 

「よっしゃ! これでかなりラクに飛べるぜ! 二人抱えても余裕だな! 下でアムールトラのやつを助けた後でも、だいぶ余裕がありそーだ!」

 

「当然です。我々フクロウは猛禽類なのです。最も速く、もっとも力強く飛べるフレンズなのですよ」と、ワシミミズクが鼻で笑いながら答える

「飛ぶことが走ることのおまけになっているあなたとは、違うのです」

 

「なんだとてめー!」

「2人ともやめるです! 飛行が乱れるでしょう!」

「わふっ、な、なるべく安全運転でお願いします・・・」

 

 3人の鳥のフレンズと、2人の飛べないフレンズは、ひと塊になってバランスを保ったまま、ホテルの屋上から離れた

 ともえの手のひらに握られた、青いオーブが放つ一筋の光を唯一の手掛かりに、霧に包まれた眼下の空間へとゆっくりと下降していった

 

(そういえば・・・)と、ともえはイエイヌの背に身を預けながら、上方に遠ざかっていく断崖の淵を振り返って思索した

(ラモリさんはどうなったんだろう? 屋上まであたし達を迎えに行くって言ってたけど・・・結局何をするつもりだったの?)ともえには、ラモリの考えは到底読めなかった。ただ信じられるのは、ラモリの言動はいつも確信に満ちていて、嘘や適当なことを言ったりすることは決してないということだった

(ごめんねラモリさん、屋上で待っていることは出来なかった。でも、きっとあたし達のことを見つけて・・・)

 

______ゴゴゴゴゴゴゴ・・・

 

 空気を震わせながら巨大なホテルの壁面が轟音を上げる。そして真上からともえ達の下へ、崩れたホテルの瓦礫がまばらに降り注いできた

 

「やべぇー! よけなきゃ!」

「落ち着くです! 3時の方向に避けるです!」

「あー? 何言ってんだ!?」

「右ですよ! 右!」

「わふっ! 危ない! 危ない!」

 

 3人の鳥類のピッチは今ひとつ合わず、ともえとイエイヌの体はグラグラと不安定に揺さぶられ続けた

 それでも何とか一つの方向に向かい始めたともえ達の眼前を、いくつもの瓦礫が通り抜け、そのまま吸い込まれるように眼下に消えていった。しかし瓦礫が着水する姿も、落下音すらも感じ取ることが出来なかった。ともえ達は肝を冷やしてしばし放心する

 

 我に返り、再び青い光の導くまま舞い降りていくともえ達が見たのは、ホテルの壁面がどてっ腹をえぐられるように削り取られている、見るも無残な破壊の痕跡だった

 引き裂かれた柱や床に仕切られた細かな空洞が露わになり、建造物の骨組みを寒々しく外気に晒している

 

______ギギギギ・・・ギギギギ・・・

 

 ひしゃげた鉄骨が少しずつ重力に押しつぶされ、軋んでいく音が絶え間なく鳴り響く。音がするたび、細かな瓦礫が海に向かって零れ落ちていっている

 

「わふっ、どうしてこんなことになっているんでしょうか?」

「・・・あの8本足が落っこちた跡なのですね。あの大きな体が、ホテルの壁面と思いっきりぶつかってこすれ合ったに違いないです。これでホテルの崩壊はますます早まったのです」

「もちろん、8本足も無事ではすまなかったと思うです。全身がバラバラになっていてもおかしくないのです」

「そしたらよぉー、アムールトラのやつは、セルリアンの腹ん中から抜け出してっかなー?」

「ええ、運が良ければ・・・です。しかし抜け出したところで、この高さから落ちたことには変わりないです」

(アムールトラさん・・・)

 

 一行は不安を胸に、再びホテルの壁面に沿って下っていく。やがて打ち寄せる波の音が間近にまで聞こえ、ざわめく水面をたたえる海上にたどり着いた

 視線を上げればすぐ眼前には、細かな瓦礫を吹きこぼし続ける半壊した巨大なホテルの壁面が、霧の向こうまでそびえ立っている。翼があれば多少の時間で降りられる高さだが、やはり天を衝くような大きさであることには変わりない

 再び視線を海面に戻すと、オーブが放つ青い一筋の光はホテルの壁面のすぐ近くの海面に伸びており、ともえ達からは視認できない暗き海中にまで達していた

 

「・・・海に落ちたとは思っていたけどよー・・・」と、ロードランナーが息を吞みながらつぶやく「アムールトラのやつ、沈んだホテルの中に入ってんじゃねーのか」

 

「気を付けるですよ・・・もともと海に沈んでいた部分は、海上に出ていた部分よりもさらにボロボロになっていると思うです。浸水して、たくさんの水が入ることによって、今も壊され続けていると思うです。アムールトラがホテルの中に入っているなら、簡単には助けられないと思うです」

「あたりまえですが、ホテルの下が崩れたら、そこから上もすべて倒壊してここに降ってくるですよ。もし、アムールトラを助けだすよりも先にそうなったら、私達は一貫の終わりなのです」

「それよりも先に、一緒に落ちた8本足が襲ってくる可能性も高いのです・・・」

「・・・おいおい、ネガティブなことばっかり言うなよー!」

「コホン・・・ともかく、素早くアムールトラを救助して、素早く立ち去ることです。そういう方法を考えるですよ」

「あ、あの! だったらこういうのはどうかな?」

 

 フクロウ達の話を黙って聞いていたともえが、緊張した面持ちで上ずった声をあげる。ひと塊になった不自由な姿勢のまま、一行はともえの声に注意を向けるのがわかった

 ともえは、緊迫した雰囲気の中、早口で自分の考えを周囲に伝えた

 

「・・・なるほど・・・ロープを使うですね」

「うん・・・どう?」

「現状では最善だと思うです」

 

 ともえが話した考えはこうだ。空を飛べないともえとイエイヌが、ロープを持って海の中に潜っていき、そしてロープの片一方をロードランナーとフクロウ達が持って待機する

 ともえ達がアムールトラを見つけ次第、ロードランナー達に合図し、ロープを引っ張って海面へ引っ張りあげてもらう・・・と、そういう算段だった

 

「では、早速とり掛かるですよ」

 オオコノハズク達が、ともえとイエイヌを波立つ海の上に降ろした

 ともえはバッグの中から束ねられたオレンジ色のロープを取り出し、勢いよくほどくと、その片側一端を高く掲げた

 

 ロードランナーが下降してともえのそばに近寄り、ともえの手からロープの端を受け取ると、再び元の高さまで飛び上がり、後ろに控えていたオオコノハズクやワシミミズクに満遍なく行き渡らせるために適当な位置を掴ませた。3人は、しっかりとロープを握りしめながら、首から上だけを海面から覗かせたともえとイエイヌを心配そうに見下ろしている

 

「じゃあ、もう一回確認するよ」と、ともえが3人の鳥のフレンズ達に声をかける

「アムールトラさんを見つけたら、ロープを“2回”引っ張って合図するから、そうしたらあたし達を引っ張り上げて欲しいの」

 

「わかったぜ。けどよぉー、もしアイツを見つけられなくても、危なくなったら無理せず合図しろよな。息が出来なくなったら、マジでやべぇーからな・・・」と、ロードランナーが心配そうに声をかける

 

「わふっ、はい。気を付けます・・・」

「じゃあ、行ってくるね」

 

 ともえとイエイヌは念を押すように頷くと、高い所で滞空している鳥のフレンズ達もそれに返すように首を縦に振るのだった

 準備が整ったともえとイエイヌは、海の中に潜るために、なるべく肺の中に空気を取り込もうと深呼吸をはじめた

 

「・・・ハーーッ スーーーーッ ハーーッっ」 

「わっぷっ!」

 

______バシャン! ブクブクブク・・・

 

 ともえとイエイヌの視界が一瞬で暗闇に包まれた。2人は、霧に包まれた薄暗い海面から、さらにいっそう暗い水の中へともぐっていった

 こうなっては、青いオーブから放たれる一本の光の筋だけが唯一の手掛かりだった。二人は光の筋の示す先へと、一心不乱に水を掻き進んだ

 

 やがて、海面がフレンズの体10人分ほども遠ざかった時、手掛かりである青い光は突然に途切れた。いや、光が途切れたのではない。青いオーブからは先ほどから変わらず、唯一の道しるべである一筋の光が放たれている

 そう、途切れたのは空間だった。一筋の光はホテルの壁に突き当たり、それきり見えなくなっていた。おそらくは、壁の向こう側には変わらず青い光が伸びている、そして光の先にはアムールトラが・・・

 

(どうしよう・・・なんとかしてこの先に行かないと・・・どこか、抜け穴は・・・)

 

 ともえとイエイヌは、暗闇の中で青い光に照らされるお互いの顔を見合わせ、同時に同じ考えに至った。二人は静かにうなずき合い、壁伝いに再び水を掻いて進みはじめた

 壁伝いに動くともえ達に合わせて、オーブから出る一筋の光も角度を変え、相も変わらず壁に突き当たっている。光が示す情報は常に直線的だ。アムールトラの位置は教えてくれても、周囲の地形まで教えてくれるわけではないのだ。自由に動けない海中で、先に進む術は自分達が見つけ出すほかはない

 しかし、闇雲に壁を伝っても、抜け道のようなものはどこにも見当たらず、ともえ達はただただ右往左往して時間を消費していた

 

______ゴボッッ!!

 

 突如、ともえの口から大きな泡が飛び出し、海面へ上がっていった。ともえの肺の中の空気がすでに尽き始めているのだ。ともえの胸の中から全身へと、耐えがたい痛みとだるさが広がっていく。そして眠りに落ちるように、その手足は少しずつ動きを止めていった

 

(ともえさんっ!)と、イエイヌが心配そうに近寄る。その間にもともえの口からは泡が漏れ続け、手足は力なく弛緩し続けていた

 ともえは平気な風を装ってイエイヌを見返したが、ほどなくしてその目から力が失われ、視線があらぬ方向へと逸れる。ともえの意識は酸欠によってゆっくりと失われようとしていた

 

 ともえだけでも海面に戻すしかない、と判断したイエイヌは、片腕でともえを抱き寄せると、もう片方の手に握っていた、海面へと伸びているロープを勢いよく引っ張ろうとした

 だらりと力なく垂れ下がったともえの手から、青く光るオーブが零れ落ちた。オーブはそのまま重力に引かれて深く暗い海面に落ちて行く

 イエイヌは悔しい気持ちを覚えながらも、遠ざかっていく青い光を見下ろした。青いオーブをなくしてしまっては、もはやアムールトラへの手がかりは何もなくなってしまう・・・

 

______カァッッッ!!

 

(わふっ!? これはっ!?)

 

 イエイヌの眼前で、一瞬何も見えなくなるほどの眩い光がほとばしる。驚いて目を背けたイエイヌが、やっと薄眼を開いて光の元を見やると、青いオーブがついさっきまでとは比べ物にならないほどの眩しい光を放出していることに気付いた

 そしてイエイヌはもうひとつの違和感に気付く。ともえの手から零れ落ちていったはずのオーブが、重力に逆らうように、空間の一点で静止しているのだ

 

(・・・いったい、何が起こってるの?)

 

 あまりの異様に、イエイヌは思わず彼我の状況も忘れてぽかんと動きを止める。オーブが放つ閃光の意味は理解できなかったが“何らかの意味がある”ということを本能で悟った

 考えるよりも先に、意識を失ったともえを抱きかかえながら、オーブに近寄るために水を掻いて下降した。そして探るように動くイエイヌの手が、先刻から張り付いたように海中に静止しているオーブに触れた

 

(・・・わふっ・・・温かい、なんて優しい光なんだろう・・・)

 

 イエイヌは、まばゆい光に包まれながら安堵する気持ちを覚えた。オーブを掴んだ手の平の先から、体の芯にまでぬくもりが伝わってくる。それと同時に、呼吸が出来ない海中において、避けることの出来ない息苦しささえも和らいでいくように感じた

 

(う・・・はあっ・・・はあっ・・・)

(と、ともえさん! 大丈夫ですか!)

 

 突如、ともえの四肢が弾かれたように震え、動きを取り戻した。イエイヌがあっけにとられたようにその様子を見つめていると、ともえもぽかんとした表情でイエイヌを見返した

 そう、息苦しさが和らいだように感じたわけではなく、実際に和らいでいたのだ。今この瞬間、海中において、イエイヌもともえも、息苦しさを感じることなく呼吸することが出来ているのだった

 もしかして、青いオーブが自分達に力を貸してくれているのではないか、とイエイヌはぼんやりと考えた。しかしその思考は、あまりにも現実離れしているように思えて半信半疑のままであった

(ともえさん・・・! 行きましょう・・・)と、イエイヌは頷いてともえを元気づける

(・・・うん!)

 

 イエイヌと、意識を取り戻したともえは、再び壁伝いに泳ぎ始めた

 

≪・・・そうよ・・・あきらめないで・・・≫

(え・・・?)

 

 イエイヌは、ともえとは違う声が聞こえたような気がして、不意に辺りを見回した。しかし当然のことながらイエイヌの傍には、再び活気を取り戻して暗闇を泳ぎ続けるともえ以外には誰もいない

 

≪助力するわ。あなた達に勇気と優しさがある限り・・・≫

(あのっ・・・! 教えてください・・・あなたは・・・)

 

(イエイヌちゃん! こっち!)と言わんばかりに、ともえがイエイヌを手招きしている。近寄ったイエイヌの目線の先には、ホテルの窓枠が水圧によってひん曲がり、フレンズ一人がやっと通り抜けられるほどの穴が空いていた

 

 片方の手にオーブを掲げ、もう片方の手にロープを握りしめながら二人は穴を通り抜け、水没したホテルの中へと入っていった。障害物を乗り越えた青い光の筋は、再び真っ直ぐに目標へ向かって伸びていっている

 

 オーブの庇護により、水中でも息苦しさを感じることなく活動できる・・・そのことを知っってか知らずか、ともえとイエイヌは幾分か気持ちに余裕を持ちながら周囲を見回した

 オーブの光によって周囲の暗闇が少しずつ露わになっていく。そこは、散乱する瓦礫や、複雑な形に砕かれた隔壁など、様々な障害物が姿を現していた

 水没した建造物の中に入っただけあって、茫漠たる海水が広がっていた今までとはうって変わって、狭苦しく乱雑な場所に足を踏み入れた

 そして・・・

 

(・・・いた! アムールトラさんっ!)

 

 ともえ達は、ひしゃげた隔壁の傍に、力なく四肢を投げ出して漂っているアムールトラの姿を見た。オーブから放たれる光の筋が、アムールトラの胸元に刺さって収束し、そこで止まっている

 アムールトラの体は、ゆらゆらと漂いながらも、拘束されているようにその場から動かずにいた

 怪訝に思いながら近づいたともえ達には、すぐにその理由を理解することが出来た。アムールトラの右腕に巻かれている腕輪から出ている鎖が、崩れ落ちた隔壁の内側からはみ出た鉄骨に巻き付き、完全に絡まってしまっていたのだ

 

(わふっ・・・こ、こんな鎖なんて、わたしがっ!!)と、イエイヌが勢いよく飛び出し、アムールトラの右腕から出る鎖に噛みついた

 イエイヌは、光沢を放つ金属の輪の連なりを己の牙で挟み込むと、顎に渾身の力を込めて鎖を引きちぎろうとした。しかし、イエイヌがいくら力いっぱいに頭をよじっても、鎖も鉄骨もその場からびくともしなかった

 イエイヌは、硬く瞳の閉じられた生気のないアムールトラの姿を間近で見た。つい先ほどまで死闘を繰り広げていた勇壮な姿からは程遠い青白い顔貌を見て、血の気の引く思いになった

 

(イエイヌちゃん! 落ち着いて・・・)と、ともえが後ろからイエイヌの肩を叩いた。ともえの冷静な様子に安心感を覚えたイエイヌは、いったん後ろに引き、己がいた位置をともえに譲った

 

 ともえは、今までずっと握りしめていたロープの先端を手繰り寄せると、その先端を注意深く己の眼前に掲げた。ロープの先端は、アムールトラの腕輪と同じような光沢を放つ金属の輪であった。ともえがその輪の一か所を親指で押すと、その部位が抵抗なく折れ曲がり、間隙が生まれたのだった

 ともえは、その間隙をアムールトラの右腕に巻かれている腕輪に通し、親指で押さえていたところを放した。折れ曲がった金属が元の位置に戻り、再び輪の形を成した。するとロープは、鎖のようにアムールトラの腕輪に繋がれたのであった

 

(さあ、上の皆にも合図して、全員でロープを引っ張ろう!)と、ともえはイエイヌに目線で促した。一人の力ではどうにもならない拘束ならば、全員の力で何とかするまでだ

 イエイヌもともえのいわんとすることを理解し、たわんだロープを手繰り寄せて、海面の上で待っているロードランナーたちに知らせようと、海面へ向かって伸びたロープを2回、くいくいっと引っ張った

 

______シュルルル・・・ビィィィィン!

 

 たわんでいたロープが海面に向かって急激に張り詰めた。ともえ達は、ここからでは見えない海の上で、翼を羽ばたかせた仲間たちがすぐさま合図に答えてくれたことに一抹の安堵を覚えた

 張り詰めたロープの震動が伝わり、脱力したアムールトラの全身が一度だけビクリと震えるが、意識が戻る気配はまったくみられず、再び力なく海中に四肢を投げ出した

 

 ともえとイエイヌは、アムールトラの腕輪が絡まっている抉れた壁面に近づき、それを足場にしてつんのめるようにロープを引っ張った

 5人分の引っ張る力が腕輪に集中し、鎖と鉄骨がそれに引かれてキシキシと音を立てはじめたが、ある程度動くと、それきりびくともしなくなった

 次第にともえ達の間に不安と恐怖がよぎってくる

 

(わふっ、こんなに強く引っ張っているのに・・・)

(このままじゃ、あたし達も、上の皆もあぶない・・・)

 

______ゴゴゴゴゴ・・・ズシャャャッッ

 

 突如、ともえ達の近くの壁の一部が音を立てて崩れ、瓦礫が真横から飛び出てきた。瓦礫はあっという間に推力を失って底に沈んで見えなくなった。その瓦礫自体は大した危険もなかった、しかし・・・

 

(・・・まずい!)と、ともえは腕輪を引っ張ることもやめて崩れた壁の近くを必死に観察した。壁面は重力で崩れ落ちたわけではない。外部から突き破られたのだ。ともえは新たな危機を察知した。今、このような状況を説明できる要因はたったひとつしかない

 

______ゴシャッッ!! ガキャッッ!!  ゴウンッッ!!

 

 何者かが、崩れた壁の周辺を、さらに穴を広げるように何度も殴打している。そしてフレンズが3~4人通れる程度の穴が空いた時、長大な黒い触手が穴の外から侵入し、建物の内壁にめり込むようにひっかかった

 触手に引き寄せられるようにして、どろどろと不定形な塊が穴から内部へと入り込んできた

 

(・・・やっぱり、あのセルリアンは生きてた!)

 

 姿形は一変していたが、そのくすんだ黒い巨体は紛れもなく、アムールトラと共に落下した巨大セルリアンだった

 落下しながらホテルの壁面に肉体が削り取られて、その体表の半分以上と自慢の8本足も何本も失い、さらに細かい瓦礫の破片が至る所に突き刺さっていた。もはや”船”でも”蜘蛛”でもない、いびつな肉塊に足が生えているだけのアメーバのような姿になり果てていた。再生能力を持っているとはいえ、削り飛ばされて分断された肉片を元に戻すことは出来ていない様子であった

 

 そのような無残な姿とはいえ、依然として恐ろしい脅威であることには変わりなかった。いびつに伸ばした足のひとつを前方に伸ばすと、手近な鉄骨に巻き付けて、肉塊をともえ達の近くにまで引き寄せてきた

 

 ロープは依然として、海面に向かって力いっぱいに張り詰めているが、アムールトラの右腕の拘束を破るには至っていない。ともえとイエイヌは、眼前に脅威が迫っているこんな状況でも、ロープを引っ張ることをやめるわけにはいかなかった

 不定形な肉塊から生える一本の触手が、目的であるアムールトラを、近くにいるともえ達ごと屠らんと言わんばかりに、大降りにしならせた横薙ぎの一撃を繰り出してきた

 

(きゃああああっ!)

 

 衝撃音と共に、海中に震動が伝わってくる。セルリアンが放った一撃はともえ達の位置から幾分か逸れ、近くの壁面に叩きつけられただけだった。しかし

 

______ゴゴゴゴゴ・・・

 

 巨体から打ち出された一撃の破壊力は命中した部分のみならず、その周辺に甚大な衝撃を与えた。その結果、ともえ達の周囲四方から瓦礫が音を立てて崩れ落ちはじめた。ともえとイエイヌは、気を失ったアムールトラに身を寄せ、息を殺して目の前の状況に耐えた。轟音が鳴りやむことはなく、このままこの場所が崩壊してもおかしくないと思わせるほどだった

 

(ともえさん! 見てください! ロープが・・・)と、イエイヌがともえに合図する。ともえ達が見た物は、力を失って垂れ下がりはじめたロープの姿だった

 

 この場所のみならず海の上も崩壊が始まっているものと思われた。上にいるロードランナーたちも、もはやロープを引っ張っていられる状況ではないのだろう

 かろうじてロープの先端は海面に向かっており、ロードランナーたちがロープを手放していないことだけは推測できたが、海の上ですら危険な状況では、彼女達がロープを手放さざるを得ない状況がいつ来るかもわからなかった

 

 そしてセルリアンはというと、アムールトラの姿を見失ったかのように明後日の方向に漂っていた。落ちてくる瓦礫を避けることもせず、無軌道に漂って周囲を探っている

 しかし、大きめの瓦礫が本体にぶつかりそうになった刹那、瓦礫の接近を鋭敏に察知し、触手の一本を突き出して瓦礫を打ち砕いた。だが、それ以後は変わらずアムールトラの姿を見つけられていない様子だった

 ヘリポートにいた頃、黒い体表のそこかしこから現れていたギロギロと動く目は今はすべて閉じられており、まるで目で物を見ることを忘れてしまったように見えた

 

(どうして・・・? セルリアンにはあたし達のことが見えていないの? でも、こうして見つけてきたわけだし・・・)

 

 息を押し殺して瓦礫を耐え忍ぶともえは、セルリアンの動きの意味がわからずに思考を張り巡らせた。そして、ある仮説にたどり着くと、すべての辻褄が合ってしまうことから、それが真実であると確信する

 

(そうだ・・・音だ。きっとあのセルリアンは、海の中では目が見えないんだ。だから、その代わりに耳で辺りを探っているんだ。だから、動かない、音を立てない物のことは見つけられないんだ・・・)

(海に落ちた後、アムールトラさんは気を失ってしまったから・・・だから、あたし達のほうが先にアムールトラさんを見つけることが出来たんだ。でも、あたし達が色々と動き回ったおかげで、後を付けられて見つかってしまった・・・)と、思考しながらも、自分達の行動が不幸を招いたことに落胆するように頭を抱えた

 

(でも今は、周りが崩れてそこら中から音がしているから、あたし達のことがまたわからなくなった・・・だったら・・・)ともえは何かを決意したように再び顔をあげた

 

(あの、ともえさん・・・?)と、イエイヌが心配そうにともえを見やる。ともえは、イエイヌのことを確信に満ちた強い瞳で見返した。言葉の聞こえない海中でも、ともえがこれから何か危険な事をやろうとしているということを、イエイヌは直感で理解した

 

(こうなったら、あたしがセルリアンを引きつけるから・・・アムールトラさんのことをお願いね・・・!)

(そんな! 無理です! 何をする気ですか!)

 

 ともえは制止しようとしたイエイヌをかわして、壁面を蹴って飛び出すと、零れ落ちる瓦礫の一つを掴み取り、それを近くにある壁に向かって打ち付けた。コツンコツンと、硬い物質が打ち合う音が断続的に鳴り始める。それは騒然とした海中の中でも、ひと際異質な音だった。ともえは音を鳴らしながらも、壁伝いに泳いでアムールトラ達の位置から離れていった

 

 それまで無軌道に漂っていたセルリアンが、一旦弾かれたように動きを止めると、ゆっくりと向きなおって、異質な音の主へと狙いを定め、己の足すべてを投げ出すように伸ばしてきた

 水の中を突き進む触手が、一瞬でともえの所まで到達した。ともえは違う方向へと壁を蹴って飛び出し、いくつかの触手をかわすが、最後の一本に掴まり胴体に巻き付かれてしまった

 手ごたえを得たと思ったセルリアンは、すぐさま残りの触手も一か所に引き寄せ、ともえの体を包み込むように取り囲んだ

 

(やめてええっっ!!)と、イエイヌが悲鳴をあげるも、もはやセルリアンは眼前のともえに専念しておりイエイヌに注意を向けることはない

 

(どうしよう! このままじゃ! このままじゃ! )

 

 イエイヌは泣き叫びながらしばらく混乱していた。このままではここにいる全員が命を落としてしまうことを確信し、それを受け入れられない絶望で頭がいっぱいになっていた

 

(・・・わたしが行ったって、あのセルリアン相手に何も出来っこない・・・だいたい、わたしまでここから離れたら・・・アムールトラさんが・・・)と、そこまで考えてから、イエイヌははっとした

(・・・そうだ、アムールトラさんに起きてもらったら・・・いや、もう何とかして起きてもらうしかありません!)

 

 そこまで考えたイエイヌは、近くで変わらず意識を失っているアムールトラの肩をつかんで揺さぶりながら呼びかけた

 

(アムールトラさん! 起きてください! お願いだから! このままじゃあなたも! ともえさんも! みんな助からない! だから・・・だから起きて!)

 

 肩から上を揺さぶられて、アムールトラの顔ががくがくと震えるが、相も変わらず瞳は固く閉じられ、力なく垂れ下がった四肢を海面に投げ出している

 それでも必死に声をかけ続けるイエイヌの口から、肺を伝って出てきた泡がブクブクと立ち昇っていた。イエイヌはここではっと違和感に気付く

 もう幾ばくかの時間を海に潜っているが、不思議なことに、あたかも自分が海生哺乳類のフレンズであるかのごとく息をすることが出来ていた。今こうして声を出すことで息を消費しても、無尽蔵に空気が体内から湧き出てきているのだ

 イエイヌは冷静に状況を整理しながら、凍り付いたように力なく動かないアムールトラの様子を再び観察した

 

(・・・アムールトラさんは、さっきからまったく息が出来てません・・・だから気を失っています。けど陸で暮らすフレンズなら、それが当たり前です。・・・でもわたしは、青いオーブのおかげで息が出来ています。そう・・・わたしの中にはたくさん空気がある・・・!)

(だから・・・これが、今わたしに出来ることです!)

 

 イエイヌが思いついたのは、意識を失ってうなだれたアムールトラへと“自分の空気を与える”ことだった

 海水の中でも構わず、思い切り息を吸い込むと、新鮮な空気で肺が満たされるのを感じた。イエイヌはアムールトラの閉じられた口に指を入れ、ガバっとこじ開けると、噛みつくように己の唇を重ねた

 そしてイエイヌはアムールトラの口腔内の奥へと空気を吹き入れていく。己の肺の中の空気が尽きると、再び唇を放し、上半身をのけぞらせて限界まで息を吸い込んでから、覆いかぶさってアムールトラに己の息を与え続けた

 

(ガハッ! ガハッ! ガハッ!)

 

 そんなことを何順か繰り返した矢先、アムールトラの全身が電気ショックを受けたかのごとく震えだした

 アムールトラは頭を抱えてうずくまりながらむせこみ、口から大量の空気を吐き出していた。そんなふうにしてしばらくむせこみを繰り返した後、やがて四肢に力が戻り、俯いていた頭をゆっくりと持ち上げた

 

(アムールトラさんっ!)

(・・・お前はイエイヌ・・・? ・・・ここは一体・・・)

 

 アムールトラは、安堵の表情を向けるイエイヌの顔の先に、ついさっきまで自分が戦っていた強敵と、それに飲み込まれんとしているともえの姿を見た。卓越した戦士の本能により、覚醒した直後から、すぐさま彼我の状況を察知し、再びみなぎる闘志がその相貌にみなぎっていく

 

(・・・私はここだあっっ!! かかってこいっっ!)

 

 アムールトラは海水ごしに、勇壮な雄叫びを上げる。その声自体は水にほとんどかき消されていたものの、刺すような闘気が辺りに広がっていく

 探し求めていた標的の気配を察知すると同時に、セルリアンの足から力が抜け、己の腹の中にしまいこもうとしていたともえの体をいとも簡単に手放した。ばたつく三本の足に引かれながら、セルリアンの黒い不定形な体がアムールトラの気配へと向かって、探るように進み始めた

 

(行け、イエイヌ! ともえの所へ!)と、闘争的な表情を保ったままのアムールトラがあごでイエイヌに合図した

 

(はいっ!)と、イエイヌはアムールトラの腕輪から伸びるロープを持ったまま、セルリアンに投げ出され沈んでいくともえの傍に泳いで近寄って抱きとめた

 

 イエイヌがともえの安全を確保した様子を一瞥すると、アムールトラはいよいよ眼前の標的へと向き直る

 セルリアンがすぐ近くにまで接近して来るのを待ってから、アムールトラは鉄骨に絡まった右手を支点として利用し、近くの壁面を駆け上った。己の右肩が外れないギリギリの高さまで上がると、そこから飛び降りるようにセルリアンに蹴りを浴びせた

 

______ドガァァッッ!!

 

 強烈な飛び蹴りでセルリアンを後方に弾き飛ばすと同時に、アムールトラの体が無防備に海中に投げ出される。アムールトラは体勢を立て直すために、壁に繋がれたままの右腕の近くまで己の体を引き寄せた

 しかし、アムールトラが体勢を整え終わる頃には、セルリアンも衝撃から立ち直り、再び何事もなかったように前に進み始める

 ともえとイエイヌは、少し離れた場所から見守りながら、状況が変わらず絶望的であることを理解した。自由の利かない水中にて、右手を拘束されたまま戦うなど、いかにアムールトラといえど万にひとつの勝ち目もない

 しかし突如、異変が起こった

 

______グイィィィィンッッ!!

 

 アムールトラの右手の鎖につながったまま垂れ下がっていたロープが、弾かれたように海面に向けて一直線に張り詰めた。先ほどまでとは比べ物にならないぐらい強い力がロープを牽引しているのだ

 

(わあああっ!!)

 

 まずはともえとイエイヌの体が急激に引き寄せられた。二人はロープに体ごとしがみつき、反動でロープから弾き飛ばされそうになるのを必死に耐えた

 次にロープの後端にあるアムールトラの腕輪が猛烈に引っ張られ、鎖に巻き付いていた鉄骨がねじ切れた。それと同時にアムールトラの体が、抵抗なく勢いに任せるまま引きずられていった

 

______ゴオオオオオッッ・・・!! ザッパーーン!!

 

 ともえは周囲のことが何もわからなくなり、ただ己の体がすごい速さで動いていることだけを肌で感じ取った。濁流が立てる轟音だけが耳を打っていた。しかしひと際大きな炸裂音が鳴り響いた後、濁流の音はぴたりと止んだ

 

「みんな大丈夫かよーっ!! 返事しろよー!」

 

 呼びかける声に応じて、ともえが恐る恐る目を開けると、血相を変えた表情のロードランナーがともえの顔を覗き込んでいるのが見える

 

「・・・無事で良かったぜー! よっしゃー!」と、ロードランナーが腕をわなわなさせながらガッツポーズを取った

 

 ともえのすぐ下には、イエイヌが震えながらロープにしがみついているのが見える。そしてロープの後端には、吊り下げられているアムールトラの姿も確認できた

 尋常ならざる力によって真っ直ぐに海面に引き上げられた3人の体は、そのまま海上に引き上げられ、宙に浮いているのだ

 

「まったく、もうダメかと思ったのです」

「こんな危ないことは二度と御免なのです」と、オオコノハズクとワシミミズクもともえの傍に近寄ってきた。2人とも手に何も持っていなかった

 

「え・・・ちょっと待って・・・じゃあ、このロープは誰が引っ張っているの?」と、当然の疑問が思い浮かんだともえは、ロードランナーたちが握っていたはずのロープの先を見上げる

「こ、これは・・・! まさか・・・」

 

______バララララララララ・・・

 

 視線の先には、奇怪な音を立てて飛ぶ巨大な鉄の鳥がいた。その鳥はずんぐりと角ばった濃紺の胴体を持ち、その天辺から生えている翼を目にもとまらぬ速さで回転させていた。一直線に伸びる長い尾の先には小さな回転する翼を生やしている

 左右には楕円形の腕のような物体を備え付けており、その腕を支える太い鉄管に、ともえ達のロープが巻きつけられていた

 

「ともえー! 忘れたのかよー」と、ロードランナーが得意げに答える

「つい昨日、オレ様と一緒に見たばかりじゃあねーか。ハブさんに案内してもらった、あのてんじしつで・・・そうさ、コイツはてんじしつにあった“へりこぷたー”だぜ!」 

 

「・・・! ま、まさか、あれがここまで飛んできたっていうの? ・・・でも・・・いったい誰が動かしているの?」

 

【トモエ ブジ カ・・・】

 

 ともえの耳に平坦で無機質な、それでいて安心感を与える電子音声が聞こえた。その声の主は、先ほどホテルの中で別れた、大事な仲間のものだった

 

「ラモリさん! それじゃあ、この“へりこぷたー”はラモリさんが運転しているんだね!」

「オレ様もマジでびっくりしたぜー! ラモリさんのやつ、いきなりこんな物に乗り付けて来るんだもんな!」

【マモナク ホテル ガ トウカイ スル。イッコク モ ハヤク ダッシュツ スルノダ。イソゲ 】 

「さあ、3人とも我々に掴まるのです」

 

 ロードランナー達は、ロープに揺られる三人の体を、ヘリコプターの腹部にぽっかりと空いた空間に運び入れた。最後にアムールトラを収容すると、ラモリが操るヘリコプターは姿勢をほとんど変えないまま、高度だけを上げて海面から離脱しようとした

 

______プルルルルルルォォォォォォ・・・!!

 

 しかし、突如海面から黒い物体が顔を出すと、薄気味の悪い雄叫びと共に触手を空に向かって伸ばし、今にも上昇せんとしていたヘリコプターの鉄で出来た短い足に巻き付けた

 触手に捉えられたヘリコプターの胴体がガクリと揺れ、中にいるともえ達も衝撃で転倒した。しかし、飛行にはさしたる問題もなく、何事もなかったかのように姿勢を整えた

 ヒトに作られた機械の翼が生み出すすさまじい揚力は、その腹に収めた総勢6人のフレンズもろとも、セルリアンの巨体をじりじりと引きずり上げていった

 ついにセルリアンの巨体が海面から離れる。ボタボタと海水が垂れ落ちる黒く不定形な体表から、再び無数の瞳が見開かれ、ヘリコプターの腹部にいるフレンズ達を片時も視線から外さないように凝視している

 

「絶対にあたし達を逃がさないつもりなんだ・・・」と、一人ごちるともえは、無機質な瞳から感じ取れる徹底的な執念に、身の毛がよだつ感情を覚えた

 

「今こそ奴をたたくチャンスなのです。助手」

「ええ、博士。足一本でやっとぶら下がっているあの状態なら・・・」と、2人のフクロウがヘリコプターの腹部から飛び立った

 

「野生解放!!」

 

______シュバッ! シュバババババッッ!! 

 

 二頭の猛禽類が虹色の粒子を放ちながら、ヘリコプターにしがみつくセルリアンの触手に爪の連撃を浴びせ始めた。圧倒的なスピードで動く2人を視認することは出来ず、攻撃の残像だけが煌めいている

 太い木の幹のような触手は、同じ箇所にのみ執拗に何度も攻撃を受け続けたことで少しずつ削り取られ、さらにセルリアン自身の体重にも引っ張られることでミチミチと千切れていく

 

「オレ様だって・・・やってやらぁー!」

 

 2人のフクロウが何十回も攻撃を加えた後で、やっと追いついたロードランナーが、千切れてか細い筋のようになった足にダメ押しの一撃を加えた

 

______ブチンッ! ・・・・・・ザブーーーーン!!

 

 掴む場所を失った巨体は、そのまま海面へと墜落した。ヘリコプターは重石が外れたことによって瞬く間に急上昇し、その場から離脱することができた

 

______ズゴゴゴゴゴゴゴ・・・

   ガシャアアアアアン・・・!!

 

 そびえ立つホテルの全体から、今までにないほどの震動と轟音が巻き起こり、霧に包まれて見えない上方から、建造物の横幅よりも大きな鉄塊が、壁面を削り取りながら落ちてきた

 それは、先ほどまでその上で死闘が繰り広げられていた、青い海生哺乳類の姿を模したヘリポートだった。海面へとヘリポートが叩きつけられると、海面が山のように盛り上がり、やがて視界を覆い尽くすほどの水しぶきを巻き上げた

 それからワンテンポ遅れて、上から下へと折り畳まれるように、建造物が粉々に砕け散り、一斉に海面へと飲み込まれていく

 

______プルルォォォ・・・!!

 

 雨あられと降り注ぐ巨大な瓦礫が、絶え間なくセルリアンへ覆いかぶさっている。長い断末魔さえも、ホテルの崩壊が引き起こす轟音に一瞬でかき消された

 

「・・・や、やべぇーな。もし逃げ遅れてたらと思うと、ゾッとするぜ・・・」

「長居は無用なのです」

 

 崩れ落ちるホテルを後目に、3人の鳥は素早く翼をひるがえし、ヘリコプターの中に戻ろうとした。その途中、セルリアンの残骸である触手がまだヘリコプターに巻き付いているのを見つけると、3人がかりで苛立たし気にそれを引っ剥がし、海へと放り捨てた

 

「わふっ、ロードランナーさん、博士さん、助手さん! 大丈夫ですか!?」

「ぜ、全然大したことなかったぜ!」

「これで奴を退治できたと思うですか? 博士?」

「わかりません、ですがひとまず、我々は助かったと考えていいと思うです・・・」

 

 ヘリコプターの急上昇により、あっという間に高度が上がり、霧に包まれていた一体の空域を抜けることに成功していた。一望する水平線の彼方はすでに茜色の夕暮れに染まっている

 ヘリコプターの腹の中、鉄色の直線的な狭い空間の中で、ともえ達は放心状態のまま雄大で静かな景色を眺めた。眼下には、ホテルの崩壊で発生した水しぶきが、今も雨のように宙を舞っている

 

「・・・あたし達、助かったんだよね・・・全員助かったんだよね・・・!?」と、いち早く我に返ったともえが感慨無量な声をあげる。そのまま背後に向き直ると、すぐ後ろに佇む橙色のフレンズの所在なさげな手を取った

「アムールトラさん! あなたのおかげだよ!!」

「・・・」

 

 アムールトラは答えなかった。ともえはここで違和感に気付いた。彼女の手のひらが信じられないほど冷たかったのだ。ともえはおそるおそるアムールトラの顔を覗き込んだ

 だが、アムールトラが目線を合わせてくることはなかった。夕陽に当てられて深い影を落とす眼窩の奥には、もはや何の光も宿っていない

 

______ドタッ

 

 アムールトラは声も上げずに、鉄の床の上に崩れ落ちた

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」

自立行動型ジャパリパークガイドロボット
「ラッキービーストR-TYPEーゼロワン 通称ラモリ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Enemies date________________


「船型巨大セルリアン、8本足(仮称)」
特殊能力:2つの姿に変身する(「船型」「蜘蛛型」)
    :霧を吸い込んでダメージを修復する
    :バラバラにされた破片がそれぞれ自立行動を行う

_______________Materials________________

「UH-60J 救難ヘリコプター」
開発時期:西暦1972年
概要:アメリカ合衆国のシコルスキー・エアクラフトが開発したUH-60 ブラックホークを日本が救難目的に独自改良したヘリコプター。1988年度予算から調達を開始し、2020年現在も航空自衛隊と海上自衛隊に制式配備されている

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編10 「ちぇっくあうと」

 あるトラのものがたり第10話です。

 危機を乗り越えてジャパリホテルから脱出したともえ達。
 一足先に脱出し、避難活動を続けていたハツカネズミ達。
 分断された仲間達が再び一か所に集う。
 そして瀕死のアムールトラを救うために奔走するのであったが・・・
 



「・・・・・・突然大勢で押し寄せて申し訳ありません・・・受け入れてくださって・・・ありがとうございます・・・」と、ハツカネズミは、いつも通りのぼそぼそと陰気な調子を崩さずに謝辞を述べた。

 

「いいよぉ~お、困った時はお互い様だよぉ~。でみょ、あのジャパリホテルでそんなことが起きたなんてぇ~え、最近物騒なんだにぇ~」独特の間延びした口調で返事をするのは、森の中のレストランの店長であるフレンズのリャマだった。

 

 船に乗って海岸まで渡航し、ジャパリホテルから避難したハツカネズミとその仲間たちは、ホテルの宿泊客を誘導しながら、なんとか身を落ちつけられる場所を探して丸半日歩きつづけた。

 潮の香りが漂う山道をのぼり、草の生い茂る中にまばらに岩が点在する丘を抜け、木々の間から空が見えるのどかな森の中に足を踏み入れた。

 ともえ達がホテルに向かった道のりを逆行するように森の中を歩んだ一向は、やがて赤レンガの壁に丸太で組まれた屋根を持つ小さな家屋を偶然見つけ、そのドアを叩いたのであった。

 

 誰もかれもが疲労困憊の、しかしピリピリとざわついた緊張感を漂わせる数十人ものフレンズ達を見たリャマは、一瞬呆気に取られたものの、何か尋常ではない出来事が起きたことを察知し、快く大勢のフレンズ達を中に招き入れた。

 宿泊客達はやっと一息つけたといわんばかりに、緊張の糸がゆるんでその場にへたり込み、中にはうつらうつらと眠りに落ちる者もいた。

 

 今しがたリャマに簡単に事情を説明し終えたハツカネズミは、これから先のことについて思案を広げる。

 彼女のそばには、ホテルで共に働いていたオオミミギツネ、ハブ、ブタが同じように神妙な面持ちで腰を下ろしていた。

 

「もう日が暮れるぜ・・・今日のところは休もうや。夜の森はあぶねえし、お客さん達には明日、ゆっくり家路についてもらおうぜ」

「ハブさん落ち着いてますねー、わたしなんかまだ頭の中混乱してます~」

「・・・・・・オオミミギツネさん・・・大丈夫ですか・・・?」

「え? ええ・・・ごめんなさい。平気よ」

 

 オオミミギツネはその場にいる者たちの中でもとりわけ憔悴しきっていた。心ここにあらずといった様子でハツカネズミの呼びかけに返事をする。

 ホテルを切り盛りするという生きがいを失ったオオミミギツネの心中を察したハツカネズミは、今はそっとしておこうと思い、それ以上話しかけないようにした。やがて沈黙が訪れる。

 

 ハツカネズミにはもうひとつ気がかりなことがあった。ホテルにて別れたオオコノハズクとワシミミズク、そしてともえ達3人の安否がようとして知れないことだ。

 自分が迎えに行けるものならすぐにでも迎えに行きたい。しかし今の自分には何もできることはないし、自分にとってはお客様の避難こそが一番の優先すべきことなのだ。ハツカネズミは己自身にそう言い聞かせながら、沸き立つ不安を鎮めようと目を閉じた。

 今、外の空ではフクロウの学生4人組が懸命にオオコノハズク達の行方を捜索し続けている。何かあればすぐに知らせが来るだろう・・・

 

 ハツカネズミは昔から、寝る時以外は忙しく動き回っていることを好む性分だった。何も出来ない、待っているだけの現状は、逆に気疲れして仕方がなかった。すぐそばに、落ち込んだ顔の仲間がいるならなおさらである。

 

______・・・バルルルルルルルルルルル・・・・・・

 

 遠雷か何かだろうか。風が建物に吹き付ける音とは明らかに違う。生き物の鳴き声とも全然違う。何かが空気を高速で打ち鳴らしているような異質な振動音が外から聞こえている。

 レストランの中でひしめき合う避難民たちは、安堵した空気から一転ざわめきだした。

 

「・・・なんですか~? この変な音・・・」と、ブタが沈黙を破った。

「もう、何も起こらないでちょうだい・・・」と、オオミミギツネが独り言ちる。

 

 音は少しずつ大きく聞こえるようになってきており、音の発生源が近くに来ていることを予想させた。

 狭いレストランの中に一層張り詰めた緊張が走る。

 

「・・・・・・わ、私が見てきます・・・どうか・・・皆さんはここで待っていてください・・・」と、内心誰よりも落ち着かないハツカネズミが立ち上がって名乗り出ると、佇むフレンズ達は黙ってじっとそれを見つめることでそれを肯定した。

 

「博士ェ~! 自分もお供しますゥ!」と、ざわめくフレンズ達の間を縫って、後ろから声をかけて近づいてきたデグーがハツカネズミの後ろに着いた。

 デグーは陽気で大雑把であり、ハツカネズミとはまるで違う性格をしていたが、ネズミのフレンズ特有の落ち着かない気質を持つという点ではよく似ていた。

 

 2人がレストランの外に出ると、謎の震動音がいっそう明瞭に聞こえた。

 だが辺りは木々の隙間から夕暮れの光が差し込むのみであり、音の発生源のようなものは何も見当たらなかった。

 下を見れば足跡や草のよじれなど、辺りの道筋を示す手掛かりはいくらでもある。しかし、上を見上げると、ただひたすらに変化のない木の枝と葉っぱがひしめくばかりであり、空の上にある物を探すのはとても無理なことように思われた。

 

 とりあえず、視界が開けた場所に行って辺りの空を見回すしかない、と考えたハツカネズミとデグーは、先刻この辺りを歩き回った記憶を頼りに駆け出し始めた。

 木々の間を駆け抜けること数瞬、やがて枝と葉っぱの緩衝が途切れ、夕暮れの鮮やかな光が降り注ぐ空間に躍り出た。

 そこはまだ森のただ中であったが、地面には木の代わりに雑草が生い茂り、枯れ草がさらに横たわっていた。自然の中には偶然このような空き地が出来ることがある。

 

______ピキュピキュピキュピキュ・・・・・・!!

 

 謎の震動音は耳をつんざくばかりに大きくなり、生い茂る雑草は、上から吹き降ろす風に激しくなびかされていた。

 ハツカネズミとデグーは、夕陽の眩しさに顔を覆いながらも、上から近づいて来る異質な存在を注視しようとした。

 やがて夕陽を覆い隠すほどに近くまで迫ってきた影の正体に息を飲む。

 

「は、博士ェ~ッ! あれ、博士がむかし修理した機械ですよねェ!? なんてったっけ・・・へ、へ、えーと・・・ヘリコバクターとか言ったっけェ!?」

 

 ハツカネズミは、上から近づいて来る物のことを他の誰よりも良く知っていた。

 かつて自分が、偶然ホテルの一室にて発見したその残骸を、好奇心が赴くままに、その外観も内部も、当時の姿そのものへと復元しようと試みたことをよく覚えている。

 

「・・・・・・ヘリコプターです・・・まさか本当に動いているのを見る日が来るなんて・・・」

 

 回転する翼で空を飛ぶヒトの時代の遺物は、翼の動きを徐々に緩慢にさせながら、草むらへとゆっくりと降り立った。

 ハツカネズミ達は巻き起こされる風が全身に吹き付けるのを感じながら、その様子を見つめていた。

 翼の回転が完全に止まったヘリコプターの腹部がスライドし、内部に開いた空間を外に晒すと、辺りを警戒するようにふたつの人影が姿を現した。その姿を見て2人は尚更絶句する。

 

「あ、博士ェ! 見てくださいィ~! オオコノハズク博士とワシミミズク助手ですよォ~! おーい2人共~!」デグーは、ヘリコプターから降りてきたオオコノハズクとワシミミズクの無事な姿に感極まった声をかけた。

 

「・・・! その声はデグー・・・ハツカネズミ博士も一緒なのですね。さっそくあなた方に会えるとは運がいいのです」と、2人のフクロウからも返事があったが、その声色に再会を喜ぶ気配はなく、先ほどホテルの中で危機に瀕していた時と変わらない重苦しい空気を湛えていた。

「あなた達は今、この森の先にある民家に避難しているですね?」

 

「・・・・・・はい・・・。なぜそれを知って・・・」

「ここに来る途中、弟子たちに会って聞いたです。あの子らには今すこし海岸近くの警戒を命じたです。それより、我々を急いでその避難場所に案内してほしいです」

「・・・・・・勿論です・・・ですが・・・話を聞かせてもらえませんか・・・?」

「重傷者がいるです! 危険な状態なのです!」

「・・・・・・重傷者・・・?」

 

 怪訝に思ったハツカネズミとデグーは、ヘリコプターに近寄り、直線的に切り抜かれた空洞に身を乗り出して覗き込んだ。

 

______っ!!

 

 ヘリコプターの中にいた者たちが、ハツカネズミ達の突然の来訪に驚いて身をすくめる。ハツカネズミの目線の先には、ともえとイエイヌ、ロードランナーがその場にへたり込み身を寄せ合っていた。

 そしてイエイヌの膝を枕にしながら、一切の身動きをせず昏睡しているフレンズの姿を見た。

 デグーは素っ頓狂な声を上げながら、腰を抜かして後方に倒れ込んだ。

 

「・・・・・・なるほど・・・重傷者とは・・・」と、中の様子をじっと見つめながらハツカネズミは独り言ちる。ともえ達は声も出さずに、絶望やら哀願やらが混じった視線を送り返してきた。

 

「ハツカネズミ博士。いろいろ考えることはあると思うですが、どうかアムールトラを助けるために力を貸してほしいです」と、オオコノハズク達がハツカネズミに後ろから声をかける。

 なるほど、ともえ達だけでなく、2人のフクロウにとっても、もうビーストは”アムールトラ”になったのだ。とハツカネズミは得心がいった。

 

「・・・・・・案内しましょう。こちらです・・・避難場所は・・・すぐ行ったところです・・・」と、ハツカネズミは振り返って森の一点を指さした。

 

「(は、博士ェ・・・いいんですかァ? ビーストをあそこに連れて行ったらまずいような・・・)」

「(・・・・・・それでも・・・見捨てることなどできません・・・)」 

 

 救難ヘリの中に備え付けてあった折り畳み式の担架にアムールトラを乗せる。担架を揺らさないように、しかし極力急ぎ足で森の中を歩き始めた。道すがらオオコノハズクとワシミミズクが現状の説明を始める。

 

「アムールトラは海に落ちたまま気を失ってこうなったです」

「我々、ヘリコプターの中でも思いつく限りの処置はしたのです。まずはうつ伏せにして水を吐かせました。かなりの量を吐いたです」

「それから、心臓マッサージと人工呼吸を行ったです。キョウシュウエリアの戦いで、何回かやったことがあるので、手順に間違いはないはずなのです」

「しかし、あまり効果がないようなのです。アムールトラの呼吸がまったく回復しないのです」

 

「でも、アムールトラさんは海の中で一度起きてくれたよ・・・あたし達のために戦ってくれた」と、ともえが反論するように口をはさんだ。

 

「それも奇跡だったとしか思えないです。8本足とあんなに激しく戦って、ただでさえ体力の限界だったと思うです・・・」

「そんな・・・」

 

 ハツカネズミは、会話には混ざらずに担架に近づき、だらりと垂れ下がったアムールトラの手首に指をあてる。氷のような冷たい感触の先に、脈動を感じることは出来なかった。

 何か手立てを探すにしても、アムールトラの状態がよくわからないことには・・・と、重い溜息をついた。

 

______ポコ、ポコ、ポコ、ポコ・・・

 

 ともえ達の後ろから、ラッキービースト特有の玩具のような足音が近づくと、マゼンタカラーの体を滑り込ませるように、アムールトラの体が揺れる担架の下に潜り込んだ。

 

「おっ・・・? ラモリさん、何してんだぁ?」と、ロードランナーがきょとんとして尋ねる。

 

 ラモリはサングラス越しに目から赤い光を照射すると、アムールトラの頭頂部から足先までなぞるようにそれを走らせた。その後も赤い光はアムールトラの体表を往復するように動き続けている。

 さらに、腹部のレンズからもプロジェクター映像を放ち、雑草や木の根ででこぼこの地面によって画像が波打ったり不鮮明であるものの、映像がともえ達の前方の地面に表示される。

 映像の中には、一定の間隔で点滅しながら姿を変える折れ線が描きだされ、その下にいくつかの文字が映し出されている。

 

【KT:25.3℃_BP:65/52mmHg_SpO2:79%_HR:19_RR:5_・・・】

 

 ともえ達は、地面に描き出されたその映像をきょとんとして見つめる。2人のフクロウとハツカネズミは、何か合点が言ったように深々と相槌を打っている。

 

「な、なんだこれはよー? おまじないか?」

「・・・・・・いいえ・・・これは今のアムールトラさんの体の状態を示しています・・・アムールトラさんは・・・まだ生きています・・・しかし・・・かなり危険な状態です」

 

 そんなことを話しているうちに、木々の葉の向こうから、木枠に赤レンガを連ねた質素な家屋が見えてきた。

 

「・・・・・あの家が避難場所です・・・早くアムールトラさんを搬送しましょう・・・本当はあそこの主人に一言断りを入れたいところですが・・・・・・そんな暇はないですね・・・」と指示を飛ばすハツカネズミは、後ろのともえ達がぽかんとした表情でいることに気付いた。

 

「・・・・・・皆さんどうかしましたか? ・・・何か気になることでも・・・?」

「う、うん。またリャマさんのレストランに戻ってくることになるなんて・・・って思ったの」

「あそこは我々とともえ達が最初にあった場所なのです。といっても、つい昨日ですが・・・やれやれ、おそろしく長い一日なのです」

 

「・・・・・・私に会うよりも前に顔を合わせていた場所とは、あそこのことでしたか。なるほど・・・さて・・・そんなことよりも・・・」

「うん、早くしなきゃね」と、ともえは氷のように冷たいアムールトラの肩の上に手を置いた。

 

 一行は、リャマのレストランのドアを軽くノックだけすると、返事がかえってくるのを待たずに押し入った。

 中にいるフレンズ達がざわつく中で、カウンターの向かいにいるリャマの姿を見つけると”重傷者の手当てをしたい”と最低限の事情だけを説明した。

 リャマは厨房の奥にある自身の寝室を貸すことを提案してくれた。

 

 一行がフレンズの背丈の半分ほどのスイングドアを押し開け、厨房の中へとアムールトラを運ぼうとした矢先、担架で運ばれる半死人の正体を、避難客のフレンズの一人が看破した。

 

「・・・あの縞模様・・・どこかで見たことあると思ったら・・・あ、あいつは・・・あいつはビーストだっ! 間違いないよ!」

 

 一人がそう叫んだ直後、他のフレンズ達も次々に声を上げ始め、あっという間にレストランのリビングが大混乱に陥った。オオミミギツネら従業員が必死にそれを宥めようと試みる。

 

「なんでよ! なんであの連中はビーストを助けようとしているの!」

「お、お客様落ち着いてください! 意識がないのだから安全ですわ!」

「目を覚ましたらどうするのさ・・・!」 

「もう危ない目はこりごりなのよ!」

「化け物をつまみ出せ!」

 

 フレンズ達の罵声が厨房を歩くともえ達にも聞こえてきた。

 

「くぅん・・・アムールトラさんがかわいそうです・・・」

「ホントだよ。命の恩人に向かって言う言葉かっつーんだよアイツら」

「みんな何も知らないんだから仕方ないよ。言って聞かせる暇もないし。それより今は・・・」

 

 ともえ達は、小ざっぱりとした寝室の隅にある、足付きマットレスに毛布が敷かれただけの簡素なベッドに近寄ると、そこに担架ごとアムールトラをゆっくりと降ろした。

 本来の持ち主よりも一回り以上大きな体躯を受け止めて、ベッドがギシリと歪む。

 アムールトラは変わらず全身がぐったりと脱力しており、口を締まりなくぽかんと開けたきり空気の行き来はない。

 

【KT:24.4℃_BP:60/49mmHg_SpO2:73%_HR:12_RR:4_・・・】

 

 ラモリが先ほどからアムールトラの体に赤いスキャン光を当て続けている。それと同時に出現するプロジェクターには、振れ幅の小さな心電図と、刻一刻と低下するバイタルサインが示されている。

 

 一行は早速アムールトラの処置に取り掛かった。まずはアムールトラの冷え切った体を温めることが提案された。

 家中からかき集めてきたタオルを使って、アムールトラの体をぬぐい続けた。想像していたよりもはるかに多量の海水がアムールトラの全身から染み出し、タオルを濡らしていった。

 

 リャマの部屋には、古ぼけた小さな暖炉が備えられていた。季節はまだ秋の半ば、多少肌寒くなったばかりの時分にはまだ入り用でない暖炉の中には、ひとつ前の冬の終わりに焼け残った燃えカスが散乱していた。

 それらを急いで取り去り、新鮮な薪を積み上げて、さらにその上に枯れ枝や松ぼっくりなどを投げ込むと、ともえのバッグの中にあるマッチで火を付けた。

 すす煙が立ち込め始めた薪の中心にフイゴで風を送ると、ぱちぱちと音を立てながら火が薪に浸透し、火勢が安定し始めた。

 狭い部屋の中にあっという間に暖気が立ち込め、忙しく動き回るともえ達には蒸し風呂のように思えるほどの環境となった。

 

「この暖炉、本当に寒い時にしか使わないんだよにぇ~え・・・」と、リャマがつぶやいた。

 

【KT:22.1℃_BP:62/51mmHg_SpO2:71%_HR:9_RR:4_・・・】

 

「ねえ・・・! 次は、次はどうしたらいいの?」と、数字の意味はわからなくても、だんだんと値が小さくなっていることを悟ったともえが声を上げる。

 

 ともかく、心肺蘇生法を根気よく続けるしかないという結論になり、経験者であるオオコノハズク達が、横たわったアムールトラの体の真横に座り込むと、ワシミミズクがアムールトラの胸に両手を押し付けて心臓マッサージをやり始めた。

 

 オオコノハズクはアムールトラの顎を持ち上げて空気を少しでも通そうとしている。

 ワシミミズクの両手の圧力に押されるまま、アムールトラの上半身がガクガクと揺れ続ける。

 熱気に当てられて上気した顔色のフクロウ達と、顔面蒼白なアムールトラが対照的だった。

 

 手持ち無沙汰になったともえ達とハツカネズミ、デグー、そしてここの主であるリャマは、アムールトラの体をさらに温めるための準備を始めた。

 ハツカネズミいわく、脇の下や内ももには血管が多く通っているとのことであり、そこを集中的に温めることが出来れば体が効率的に温められるのだという。

 

「わふっ、ハツカネズミさん。どうやって温めればいいんですか?」

「・・・・・・聞けばここはレストランなのだとか・・・。・・・それならば、ヤカンや鍋などがあるはずですね・・・それにお湯を注いで、アムールトラさんの体に当てれば・・・」

「わかったぜ! リャマさんよぉー、ヤカンや鍋を貸してくれよ!」

「いいよぉ~! 厨房にしまってあるよぉ~お」

「・・・・・・直接当てると火傷してしまうので、布などでまくのも忘れないでください・・・」

 

 一行は、ヤカンや鍋を集める組と、お湯を沸かす組に分かれた。ともえは裏口から出て井戸水を桶いっぱいにくみ出すと、再び厨房の中へと入っていく。

 

 イエイヌとハツカネズミの手早い作業により、厨房のレンガ造りのかまどにはすでに火が灯り、その上にはリャマが常用する大釜が置かれている。

 ともえは大釜の中に汲んできた井戸水を注ぎ入れた。火の熱が水に伝わるまでしばしの間、3人でかまどの前に立ち尽くしていた。

 

「わふっ、ハツカネズミさん! 色々知恵を貸してくれてありがとうございます!」

「うん、本当に助かるよ。あたし達だけだったらどうしたらいいかわからなかった」

「・・・・・・いいえ・・・大したことはやっていません・・・」

 

 ハツカネズミは謙遜ではなく、本心でそう思っていた。仮にここが自身の根城であるジャパリホテルの地下研究室だったら、アムールトラにもっと適切な治療が出来ていたはずだった。

 今のアムールトラに一番必要なものは、心臓マッサージでも、体を温めることでもなく、栄養補給だと思っていた。点滴針を差し、生理食塩水を輸液することが出来れば、生存率は飛躍的に上がるはずなのだ。

 しかし当然だが、今ここにはそんなことが出来る設備はない。だから結局はアムールトラ自身に残された生命力に賭けるしかない。

 ハツカネズミは歯がゆい思いに苛まれたが、それを目の前のともえ達に吐露するわけにもいかず、ただ押し黙っていた。

 

 ちらりと見やるスイングドアの向こうには、先ほどから変わらず声を荒げる避難者たちと、従業員の押し問答が続いている。

 

「お客様! どうか落ち着いてください! 今日はここでお休みになってください!」

「うるさい! ビーストなんかと同じ屋根の下で寝られないよ!」

「ビーストを追い出さないっていうなら、こっちが出て行ってやる!」

「アタシも出ていくわ! こんな危険な所にいられない! 自分の住処に帰るんだから!」

「ま、待ってくださいお客様!」

「もう客でも何でもないやい!!」

 

 避難民のうち、八割方ものフレンズ達がレストランの扉を押し開けて、日が暮れた暗い森の中へぞろぞろ歩き出していった。

 残ったのは従業員たちと、避難民の中でも疲れ切っていたり、ここから出ていく決心がつかない者たちが少数いるだけだった。レストランの中ににわかに閑散とした空気が立ち込める。

 立ち去るフレンズ達の後ろ姿を口惜し気な表情で見送るオオミミギツネは、彼らが森の薄暗闇に消えてしまうのを見届けると、尚更深いため息を付いた。

 

「しはいにん・・・そんなに落ち込まないでくださいよ」と、ブタがオオミミギツネの肩に手を置きながら励ます。

「ともかく、今日はもう休みましょうよ」

 

「・・・あいつらの言ってることも間違っちゃいねえけどな」と、ハブはつっけんどんな態度を崩さずに、意外な言葉を口にした。

 

「え? どういうことですの・・・?」

「ホテルが消えて無くなっちまったんだから、客だの従業員だの関係ねえだろ。あいつらを引き止める義理も権利も俺たちにはねえっつーことさ」

「・・・そ、そんなこと良く言えますわね! ハブさんあなた、悲しくないんですの? わたくし達の大切なジャパリホテルが・・・」

「悲しいよ」

「・・・え?」

「悲しいに決まってんだろ」

 

 それきりオオミミギツネ達は立ち尽くしたまま黙り込んだ。

 

 厨房の向こう側から聞こえる会話に気が逸れていたハツカネズミは、はっとして目前のかまどに意識を戻す。大釜に差し込んでいた温度計の赤い目盛りが上昇を始めており、ちょうど60℃くらいを指していた。

 

「・・・・・・そろそろ火を弱めましょう・・・これぐらいの温度を維持します・・・」

 

「みんにゃぁ~あ、ヤカンとか鍋とか、あるだけ持ってきたよぉ~お」と、厨房の入り口から声が聞こえた。

 リャマと、その後ろにはロードランナーとデグーが、いくつも積み重なった金属の容器を両手に抱え、ガチャガチャと音を立てながら歩いてきた。

 持ってきた中からちょうど良い大きさのものをいくつか選び出すと、釜のお湯を移し入れて、リャマの寝室に持ち寄った。

 

 狭い室内にはすでに異様な熱気がこもっており、2人のフクロウ達は滝のような汗を流し、肩で息をしながら心肺蘇生法を続けていた。

 オオコノハズクがアムールトラの鼻をつまみながら、断続的に己の息を吐き入れている

 アムールトラの肺がそれに押されて何度も膨らむが、オオコノハズクが顔を放すと空気が即座に吐き戻され、何事もなかったかのように元に戻るのだった。

 肩で息をする2人のフクロウは、それを見て憤るように深いため息を付いた矢先、再び心臓マッサージを再開するのだった。

 

「だ、大丈夫かにぇ~? 2人とも一息付いた方がいいんじゃないにょ~お?」

「はぁ、はぁ・・・ダメなのです。・・・今は一分一秒が惜しい・・・はぁ・・・はぁ・・・」

「じゃあ、水だけでも飲みにゃよぉ~。このままじゃ2人が倒れちゃうからにぇ。今汲んでくるよぉ~」

「あ、それならァ、全員分用意したほうが良いですねエ!」

 

 リャマが水を汲みに部屋の外へ出ていった。その手伝いにデグーも後を追う。

 ともえ達は、ちょうどいい温度のお湯で満たされたヤカンを、アムールトラの両腋と内ももに押し当てた。熱気に満ちる部屋の中で、今もなおアムールトラの体は芯々と冷たかった。

 ともえは、心臓マッサージでガクガクと揺れるアムールトラの手をおもむろに握りしめた。今出来ることをすべてやり終えたともえには、もはや祈ることしか残されていない。

 

【KT:24.2℃_BP:59/41mmHg_SpO2:69%_HR:7_RR:4_・・・】

 

 アムールトラの蒼白な顔貌には、一切の痛みも苦しさも浮かんでおらず、どこまでも深く心地よい眠りに落ちているように見える。

 初めて見るアムールトラの安らかな表情に、ともえははっとする。

 

(何か、幸せな夢でも見ているの? ・・・きっとそうなんだね。アムールトラさんにとっては、辛いことばっかりのこの世界よりも、夢の中の方がいいんだね・・・)

 

(でも、それでも、もう一度こっちに戻ってきて欲しい。アムールトラさんは、この世界でだって幸せになれるんだよ。絶対にそうだよ・・・だから、お願い・・・)

 

to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(雑種)」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」
爬虫綱・有鱗目・クサリヘビ科・ハブ属
「ハブ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・イノシシ科・イノシシ属
「ブタ」

哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・げっ歯目・デグー科・デグー属 
「デグー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ラクダ科・リャマ属 
「リャマ」

自立行動型ジャパリパークガイドロボット
「ラッキービーストR-TYPEーゼロワン 通称ラモリ」
 
????????????????????? 
「通称ともえ」



_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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過去編前章1 「さいしょのかぞく」

 あるトラのものがたり第11話です。

 時をさかのぼり、アムールトラの過ぎ去りし日々を描きます。
 アムールトラとはかつて何者であったのか?
 いかにしてフレンズの姿を得たのか?
 なぜビーストに身をやつしてしまったのか?


 高くなだらかな天井に吊り下げられた、色とりどりの照明が星のように眩しく輝き、舞台を照らし出している。絶え間なく舞い散る紙吹雪が、空間を一層華やかに、騒々しく彩っている。

 舞台の上では、奇抜な衣装のヒトや動物たちが協力しあって多彩な芸を披露している。客席からはひっきりなしに喝采が巻き起こり、熱狂が渦巻いている。

 ヒトはその場所を“サーカス”と呼んでいた。

 

 一方で、巨大なカーテンに仕切られて照明の当たらない舞台裏は薄暗く、遠くに聞こえるだけの喝采は一層静寂を強調させた。掘っ建ての柱の周囲には乱雑に小道具が置かれ、その間を縫うように、神妙な面持ちのヒトたちが通りすぎていく。

 それと同じように、出番を待つたくさんの動物たちは、簡素に設置された鉄の檻の中で息を殺すようにたたずんでいた。

 

 私の記憶が始まるのは、そんな場所だった。

 私は舞台裏の静寂の中でうずくまり、カーテンの隙間からわずかに見える照明をぼんやりと眺めていた。賑やかな舞台も他人事のように思えた。

 やがてカーテンの向こう側の照明が消えて喧噪が聞こえなくなると、疲れた顔のヒト達に連れられて、同じように疲れた顔の動物が歩き、また檻の中へ戻っていった。

 

 私がいた檻の中にも、私と同じ橙色と黒の縞模様を持ったトラ達が戻ってきていた。檻の隅で佇む私に一瞥もせず、各々が決めたスペースに座り込むと、気だるそうにあくびをしてその場に寝そべった。

 檻の外で、数十人のヒトがなおも忙しそうに後片付けに勤しんでいる。それらが終わると、その中の何人かが銀色の荷車を押し、檻の前にやってきた。

 その姿を見ると、檻の中のトラ達は皆弾かれたようにざわめきだす。

 

「餌だ。食え」と、簡潔な指示と共に、檻の中に等間隔に銀色の皿が並べられていく。大きな皿は成体用、小さな皿は仔供用だった。どの皿の上にもどっさりとピンク色の生肉が乗せられている。

 成体も、仔供も、トラ達は我先にと皿の傍まで駆け寄り、生肉にむしゃぶり付き始めた。

 成体たちは一日の疲れを癒すように、舌鼓を打ちながら黙々と各々の皿の肉を食んでいる。私もそれに遅れて仔供用の皿のひとつにありつこうと近寄った。

 

 だが、誰かが後ろから私を突き飛ばし、私が目を付けていた皿を横から奪い去って口を付け始めた。私と同じぐらいの幼いトラ、私の兄弟のうちの一匹だった。

 あきらめて別の皿を探す私が右往左往していると、すでに手付かずの皿は無くなっていた。

 成体たちが大人しくひとつの皿にありついているのに比べて、仔供たちは皿をひっくり返して、散らかしたりしながら餌を奪い合っている。

 私も、遅ればせながら奪い合いに参加すれば、まだいくらかは生肉にありつけそうであったけど、私は兄弟たちが食べ散らかすのをただ眺めているだけだった。

 

「お前、食べないのかよ」と、別の兄弟が満足そうにゲップをしながら私に問いかける。

「うん、お腹空いてないから」と、私ははにかみながら答えた。

 

 兄弟たちは皆血気盛んで、やんちゃだった。私はそんな兄弟たちをいつも後ろから一歩引いて見ていた。私は兄弟の中で一番年少であり、同時に一番気弱で体も丈夫ではなく、上の兄弟たちに遠慮ばかりしていた。

 

 私たちアムールトラの七匹兄弟は、まだ幼くてサーカスに出演することはなかったが、いずれ近いうちに大人のトラ達に混ざってあの舞台に上がることは明らかだった。

 そうすることで餌をもらい、生きていく。それが当たり前なのだろうと思っていた。それ以外の生き方は知らなかった。

 

 ある日、私たち兄弟は芸の練習に駆り出された。サーカスのトラの花形芸である火の輪くぐりの練習があった。最初のうちは火をつけていないただの輪を兄弟たちと一緒にくぐっていた。

 やがて慣れてきたと判断され、本番同様に火が灯った輪をくぐることをヒトに命ぜられた。赤々と燃える輪を前に、兄弟たちはみんな躊躇する様子を見せるが、やがて意を決した兄弟のうちの一匹が果敢にも火の輪の中に飛び込み、通り抜けてみせた。

 最初の一匹に続くように、他の兄弟たちも次々と火の輪くぐりを成功させていった。

 

 みるみるうちに、輪の向こう側に、私以外の兄弟全員が辿り着き、こちら側で動けないでいるのは私だけになった。

 トラの兄弟たちも、近くで指示をするヒトたちも、私が動けないでいるのを怪訝な表情で見ている。私は私で必死に自分を奮い立たせようとするが、火の輪の眩しさや近くから感ぜられる熱さを見ていると、どうにも怖くてたまらず、足が動かないのだった。

 

「・・・さっさと行け! 後はお前だけだぞ!」と、近くにいたヒト達の中でもひと際立派な出で立ちをした若い男性が私の近くで鞭を振るった。ピシャリと甲高い音が鳴り響く。

 それでも動かないでいる私を見てなおさら苛ついた様子で、若い男性は私の近くで鞭を打ち鳴らし続ける。私はだんだんと近づいてくる鞭の音に恐怖してすっかりうずくまっていた。

 

「団長、こいつらは今日がはじめての訓練ですから、あんまり根を詰めないほうが・・・」と、その場にいたもう一人が、団長と呼ばれた若い男性をいさめた。

 

「・・・ふんっ!」と、団長は鞭を放り出してその場を後にした。私は去っていく団長の後ろ姿を見てほっと胸をなでおろし、その日はそれで終わった。

 

 しかしその後も、他の兄弟たちが訓練をうまくこなしていく中で、私だけが怖がったり、ミスをしたりと、そんな状況が続いた。いつしかサーカスのヒトたちも、トラの兄弟たちも、私のことを出来損ないとみなすようになった。

 私も自分のことを、周りより劣っていて、十分に餌をもらったりする資格のない存在なのだと思い始めた。芸の出来ない動物など、サーカスには必要ないんだ。

 

 何度目かの火の輪くぐりの練習があった。他の兄弟たちはもう慣れたものであり、縦一列に並んで、流れるような軽快さで次々に輪を飛び越えていった。

 ただの一度も輪をくぐれていない私は、下を向いて震えている。

 

 調教師は私のことを半ば無視するように、兄弟たちに次の指示を飛ばした。兄弟たちは、芸が上達していく達成感に高揚しながら、新しい芸に挑んでいく。

 何で私だけがこんなに劣っているのだろう。みんなと同じように出来ないのだろう。この頃の私は、生活のすべてがつまらなかった。

 

「アムールトラの七匹兄弟ですか? 良い調子です。かなり覚えがいい奴らですね。やはり血統がいいですから」

「でも、末っ子のアイツだけは・・・てんでダメですね。団長、いっそのこと、六匹兄弟として売り出せばいいんじゃないですか?」

「まだ体が大きくなるまでには時間があるだろう? ウチは動物の芸を一番の目玉にしてるんだ。そんな簡単にあきらめるなよ」

「そうは言いますがね。アイツは本当に劣等生ですよ」

「もういい。それならこの俺が直々に調教してやる」

 

 ある時、兄弟の中で私だけが首根っこを掴まれて訓練場に連れていかれた。団長が鞭を握りしめながら、私の前に佇んでいる。幾度か体験したように、前方に火の輪が現れた。

 

「さあ、くぐってみろ」と、団長は冷淡な口調で命令する。

「わかるか? この輪は、お前ら仔供の練習用なんだぞ? 本当ならもっとずっと高くて狭いんだぞ? こんな簡単なことを、何でお前だけ出来ないんだ? お前の兄弟はみんな出来ているのに」

 

 団長の言葉はわからなくても、私に伝えたいことだけはわかる。

 私だけが兄弟の中で劣ってしまっている。完璧主義の団長には、それが許せないのだ。

 

「お前の親は、このサーカスでも一番の人気者だったんだぞ? その仔供であるお前達に、どれほどの期待が寄せられていると思う? お前たち兄弟は次の花形なんだぞ? わかるか?」と、団長は淡々と語りながらも、鞭を力強く握りしめて私に近づいてくる。

 

 団長は、部屋の隅に灯っていた松明のひとつを引き抜くと、己の眼前に掲げた。赤々と灯る松明の炎を掲げると、それを私に見せつけるようにしながら向かってくる。

 うずくまっている私のすぐ近くで、威嚇するように松明を振るい続けた。

 

「さあ! 飛べ! 松明が嫌なら! 火の輪を飛び越えてみせろ! さあ、早く!」

 

 前方もからも後方からも火に照らされて、すっかり恐怖にあてられて縮こまってしまった私に、団長はなおも近づいて来る。

 松明は、いよいよその熱が肌に感じられるほどの距離にまで来ていた。

 団長が額にしわを寄せて苛ついている表情がはっきりとわかる。私の近くで足を踏み鳴らして、その音でも私を威嚇している。私は今にも団長に蹴飛ばされるのではないかと思った。しかし、逃げ場はない。

 

「なんて強情な奴だ・・・いっそ、一回火の熱さを体験してみるか? 別にどうってことはないぞ? なんせお前はトラだ。自分がどれだけ大きくて強い体になるか、考えたこともないだろうな」と、団長がぶつぶつ呟きながら近寄ってくる。

 

 松明がじりじりと、恐怖で縮こまった私の体をあぶろうと近づけられる。

 私はそれを自分に与えられた罰なんだと思った。私は出来損ないだから、価値がないから、こんな風に虐げられるのだ。

 

「やめてください!」

 

 突如、火の熱さではなく、やわらかなぬくもりが、私の小さな体をすっぽりと包み込んだ。暗闇に包まれた視界の中で、私はその心地よさに違和感を覚える。

 

「坊ちゃま! この仔が可哀想ですよ!」と、私を包み込んだ違和感の主が言葉を発した。声の高さや話し方から察するに、年を取った女のヒトであることがわかる。しわがれてこもっているような、それでいて優しい声だ。

 

 私と同じく、団長もその声に驚いた様子であり、松明を引っ込めてばつが悪そうに佇んでいる。

 

「お前、サツキか? どうしてここにいるんだ?」

「お久しぶりでございます。今はこの近くで暮らしています。一座が公演をしていると知って、懐かしくなって来てみたんです。今日は公演はお休みでしたけど・・・元関係者だから、入れてもらえたんです」

「そうか。お前、親父が倒れたのと一緒にやめたんだったな。俺が大学を出た頃だったから・・・もう十何年も前の話になるか。それはともかく」

 

 どうやら団長と、サツキと呼ばれた老女とは旧知の間柄のようであり、身近な空気をまとわせながら挨拶を交わしたが、仕事の邪魔をされた団長の声色は再び不機嫌なものとなっていく。

 

「何で訓練場に入ってきた? 昔話がしたければ控室で待っていろ」

 

「ごめんなさい。つい懐かしくなって入ってきてしまいました・・・それで、差し出がましいのですが、少し厳し過ぎるのではないでしょうか?」と、老女は私の体の上からどくと、皺が寄った痩せた腕で私のことを抱きあげた。

 私の体はまだ小柄な老女の両腕に収まる程度の大きさしかなかった。

 

 老女は、私の頭を優しく撫でている。生まれて初めて感じる心地よさに、恐怖でこわばった体がほぐれていくのを感じる。

「すっかり怯えてしまっています。この仔はまだほんの赤ん坊なんです」

 

「赤ん坊なのはちょっとの間だけだ。あっという間に大きくなる。下手に甘やかして、何も出来ないまま成長したら、不幸になるのはこいつ自身だ」

「ですが坊ちゃま、動物だって、ヒトと同じなんですよ。一匹一匹違うんです。大きくて強くても、繊細な仔だっているんです。お父上は、もっと一匹一匹に寄り添って、その仔の身になって芸を教えることを常に心がけていましたよ」

 

「・・・うるさい! やめた人間が口出しするな!」と、“お父上”という言葉を聞いた途端、団長が突如冷静さを失って怒声を上げた。

「親父が何だって言うんだ! ウチは今や日本最大級の人気サーカス団なんだよ! 親父やお前がいた頃とは動物の数だって比較にならない! 動物一匹一匹に時間をかけていられないんだよ!」

「・・・何匹居たって、動物はサーカスの大事な仲間ですよ。あまりかわいそうな扱いをしては・・・こんな、火で炙ろうとするなんて・・・」

「・・・くっ!」

 

 団長は苛立ちを必死に抑えながらも、老女の指摘に痛い所を突かれたようであり、反論せずに俯いて歯噛みしている。

 

「・・・今日の所は、年長者の顔を立ててやろうじゃないか」

「いえ、出しゃばるような真似をして申し訳ありません」

 

 その場はひとまず収まったようであり、団長は踵を返して訓練場を後にしようと歩きはじめた。老女は私を抱えながら団長の後に付いていった。

 私はすっかり居心地が良くなって老女の胸に顔をうずめていた。

 老女の腕の中は、干し草と石鹸が混ざったような、嗅いでいると眠くなってくるような匂いがした。こんなに温かくて安心する気持ちを、物心がついてから初めて知った。

 しかし、私がそう思っているのもつかの間・・・

 

「ここにそいつを戻せ」と、団長がトラの檻のカギを開けた。金属音を立てて開かれた向こう側には、兄弟たちがじゃれ合っている音や、骨を休める成体たちの寝息が聞こえる。

 

 老女は枯れ枝のような両手を伸ばし、私の小さな体を檻の中に差し出した。

 団長が檻を閉め、錠前に再びカギをかける。

 トラの檻から遠ざかっていく老女の姿を見上げていた私は、檻に前足をかけて立ち上がり、老女を呼び戻そうと何度も叫んだ。

 しかし、すでに暗い廊下の向こう側に行ってしまった老女が私の声に気付くことはなかった。

 このままサーカスの建物の外に行かせてしまったら、もう二度と会えないような気がした。でも、そんなのはいやだ。またあのヒトに会いたい・・・優しく撫でてほしい・・・

 

「何おまえニャーニャー情けない声出してんだよ」

「前から思ってたけど、本当はトラじゃなくてネコなんじゃねえの?」と、後ろから兄弟たちがあざけっている声が聞こえる。

 私は、あらがいがたい強い衝動が体中を駆け巡っていくのを感じながら、兄弟の方へ向き直った。

 

______グルルルルッッ・・・

 

 私の顔を見て、兄弟たちはびくっと驚いた。牙をむき出しにして目元口元を吊り上げ、怒気を漲らせるその表情は、相手にあきらかな敵意を向けていると取れるものだった。

 

「なんだお前? ケンカ売ってるのかよ! 生意気な顔しやがって!」

「ネコって言われたのが悔しかったのかよ!」と、兄弟たちが私と同じように牙を剥いて威嚇し返した。

 

「わたしだって、トラなんだっ!!」

 

 大声でそう叫ぶと、兄弟たちに向かって一直線に駆け出し、その中の一匹の胸元に躊躇なく噛み付いた。なんでこんなことが出来たのか自分でもわからない。

 胸の中にあるのは、老女に再び会いたいというおさえられない強い気持ちだ。

 

「うわあ! いてえぇっ! ちくしょう!」

「ふざけやがって! ボコボコにしてやる!」

 

 私は6匹の兄弟達を相手に取っ組み合いを始めた。私は地面を転げまわりながら手近な兄弟の体にまた牙を立てた。

 兄弟たちは私を取り囲み、ある者は引っ掻き、ある者は噛み付いた。私の体はあっという間に生傷だらけになり、血がにじんでいった。

 

「やめろお前ら! ケンカだけはするな! 人間からひどい罰を受けるぞ!」と、ただの仔供のじゃれ合いではないことを悟った成体達がいさめようと近寄ってくるが、時すでに遅かった。

 

______ガチャンッ!

 

 トラの檻が勢い良く開け放たれ、飼育員達が何人も入ってきた。金属のさすまたや捕獲網などをたずさえながら、ケンカしているトラの仔共達に近寄ってくる。

 

「もうダメだ、お前らが悪いんだからな!」と、成体のトラ達は、巻き添えを食わないためにそそくさと檻の隅に退いた。

 成体のトラ達は皆、小さくてか弱いヒトのことなど何で恐れているのかわからないぐらい、強靭な体と、鋭い牙と爪を持っていた。

 だがサーカスで生きる動物たちは、ヒトに逆らうこととはすなわち、生きる場所を失うことであるということを理解していた。

 いかに大きかろうが、強かろうが、そんなことは何の意味も持たないんだ。

 そんな成体たちを見てきた仔共たちは、成体たちの考えはわからないまでも、何の疑問も抱かずにそれに倣うようになっていた。6匹の兄弟たちは飼育員達の姿に恐れをなし、すぐさまケンカを中断し、腹這いに寝そべって服従の姿勢を示した。

 

 しかし私だけは、待っていたといわんばかりに、全力で開け放たれた扉へと走り出した。その場にいた飼育員もトラも、一瞬何が起こったかわからないという様子であっけに取られていた。

 

「おい、トラが一匹逃げたぞ!」

「何やってんだ捕まえろ!」

 

 私は、追いかけてくる飼育員達が繰り出すさすまたをかいくぐり進み続けた。今まで愚鈍そのものだと思っていた自分の体は、想像よりずっと俊敏だった。

 

 暗い廊下に、干し草と石鹸が混ざったような老女の残り香は、まだ十分に残っている。一歩一歩進むごとに匂いが強まっていくことに期待を躍らせた私は、兄弟とのケンカで痛む傷のことも気にせず、いっそう力を漲らせて走るペースを上げた。

 従業員たちは肩で息をしながら私に追いすがっているが、もはや追いつかれる気がしなかった。

 

 残り香を頼りにいくつもの角を曲がり、建物の奥に進んだ私は、やがて廊下の突き当りにたどり着いた。老女の匂いが強く漂うその場所には、簡素な装飾が備え付けられた木製のドアがあった。

 後ろ脚で立ち上がってドアノブにぶら下がろうと試みるも、私の前足がドアノブに届くことはなく、むなしく空を切り続けた。

 

 そうこうするうちに、追いついた飼育員たちの一人が私に覆いかぶさって羽交い絞めにしてきた。必死に抵抗して振りほどこうとするも、大の男に圧し掛かられては、今の私の力ではどうすることもできない。

 

「うるさいぞ! 一体なんの騒ぎだ!」

 

 扉が内向きに開け放たれ、中から苛立った顔の団長が姿を現した。そのすぐ後ろには、老女も控えている。

 私は老女の姿を見つめながら、飼い猫のように媚びる声を上げた。

 

「まあ、この子、ここまで追いかけてきたっていうの?」

「何があったんだ」

 

 団長に詰め寄られて、従業員たちはばつが悪そうにいきさつの説明を始めた。

 私はその場で従業員が持っていた捕獲網の中に押し込められながらも、他のことを一切気にせずに老女を見つめている。

 

「ふうん、そうか」と、話を聞き終わった団長は、今一度深い溜息をついて呼吸を整えると、何かを決断したように顔を上げる。

「やっぱり、こいつはこのサーカスでやっていくのは無理だな。先に兄弟に噛みついたのはこいつなんだろ? だったらもう、他の兄弟と一緒に仕事はさせられない。こいつがいたらまたケンカの原因になるかもしれないからな」

 

「団長、こいつをどうしますか? 他のサーカスか、動物園にでも売りますか?」

「それも難しいだろ。本来なら大切な商品であるはずのトラの仔共をウチが手放す理由なんて、業界人なら簡単に察してしまうさ。こいつは他のトラとうまくやれない問題児なんだってな」

「うーん、困りましたね」

「いや、考えがある・・・」

 

 団長は、突如視線をずらして、傍らで聞いていた老女に目配せした。老女は突如自分に視線が向けられたことに驚き、わずかに体を震わせた。

 

「サツキ、お前がこいつを連れて帰れ」

「そんな・・・トラを引き取ることなんて私には無理ですよ」

「ああ、勘違いするな。無理なのは重々承知だ」と、団長は上機嫌そうにふんぞり返りながら言葉を続ける。

「いいか? お前はこいつの“転売”をするんだ。いったんお前の所有物ということにして、サーカスとの繋がりを絶つんだよ。そうしたらどこかに売ることだって難しくはないはずだ」

 

「でも・・・」

「もちろんお前から金は取らない。お前はこいつを売った分だけ丸儲けするのさ。生後半年の健康なアムールトラの仔供だ。6、700万はいくだろうな・・・サツキ、お前は一人身で、貯金とアルバイトで食いつないでいるんだろ? お前にとってもいい話のはずだぞ?」

 

 困惑し黙り込む老女をよそに、団長は自分の都合だけで話をさっさと進めていく。団長に何事か命じられてそそくさと出ていった従業員は、数分後、何枚かの書類とペンを持って戻ってきた。

 つい先ほどまで話していた応接室の、黒漆のテーブルに書類を広げ、老女の眼前に差し出す。

「この売買契約書にサインしたら、この仔トラはお前の所有物になるんだ。さあ・・・」

「は、はい・・・」

 

_______矢車 皐

 

 いつの間にか、団長の提案を受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまった老女は、反論もせずに書類に名前を書き入れた。

 

「よし、それでいい。でかくなる前に、さっさとどこかに売っぱらえよ・・・適当な話を作るのも忘れるな。そうだな、縁故でトラの仔供をもらったけど、生活に困って売らざるを得なくなったとかはどうだ? その手の話をすぐに信じるお人よしは世の中多いぞ?」

 

 話がまとまり、老女は会釈をして応接室を後にした。私は小動物用のキャリーケージに入れられて、従業員に持ち運ばれながら老女の後に続いた。

 振りかえると、ソファーにふんぞり返ったままの団長と、側近の従業員が何事か小声で話をしているのが見えた。

 

「・・・でも、ちゃんと売れますかね。元業界人とはいえ、俺たちみたいなコネのないサツキさんに、動物を転売できるとは思えないんですが」

「ははははっ、そんな真面目に考えるなよ。あんなのは体の良い言い訳だよ。売れようが売れまいが、権利関係は全部サツキに渡したんだ。もうこのサーカスには関係のない話だ。うちはもうじき海外進出もする。落ちこぼれの動物や辞めた職員のことなんてどうでもいいのさ」

 

 従業員が気だるそうな顔で運転する自動車が、たくさんのヒトや乗り物が行きかう星の海のような街中を走り、やがて人影もまばらな、鉄とコンクリートをつぎはぎしたような建物が立ち並ぶ小道で足を止めた。

「着きましたよ」と、従業員がぽつりとつぶやいた。

 

 老女は車を降りると、私が入ったキャリーケージを引き寄せた。

 

「ありがとうございます。団長にもよろしく伝えてください」と、老女は従業員に向かって会釈したが、従業員は視線も合わせずに気のない返事だけを返し、再びアクセルを踏んで走り去っていった。

 

 都会の片隅、すっかり日が暮れて街頭にうっすら照らされるばかりの街角に、どこもかしこも赤さびに晒されている小さな集合住宅があった。

 老女は両手で私の入ったキャリーケージを持ち運び、やがて無数に並んだ扉のうちのひとつの前で足を止めた。蝶つがいを軋ませながら、節々が錆びた扉がゆっくりと開かれる。

 

「狭い所でごめんなさいね」と、キャリーケージの留め金が外された。私は胸をわくわくさせながら、ケージの外へ降り立った。

 

(緑色のお部屋だ・・・)

 

 タンスの上や、キッチンと冷蔵庫の隙間など、ちょっとしたスペースには、余すところなく観葉植物が置かれていた。それらは狭い中でも十分に葉を茂らせている。

 手近な植物の一つに鼻を突っ込み、匂いを嗅いでみた。生まれて初めて味わう安らぎで心が満たされていった。

 

 ちょこちょこと走り回る私を他所に、老女は肩を落としながらため息をついている。

 私はそんな老女の顔を見上げた。彼女は私を歓迎していないのだろうか? と思うと、何もわかっていない幼い私の脳裏にも不安がよぎる。

 

 老女は不安な表情のまま、懐から取り出した小さな金属の板を触っていた。

 しばらくすると、金属の板を耳に当てて、独り言を言い始めたのだ。私には何をしているのか全く理解できなかった。

 

「あ、もしもし、遅い時間にごめんなさい・・・ええ・・・ええ・・・ありがとうございます。元気でやっています。それで・・・その、ひとつ相談したいことがあるのだけれど・・・その、以前お茶をした時に聞いたのだけれど・・・その、園の飼育動物が足りないって・・・」と言ってから黙り込む老女の苦しそうな双眸は、私から片時も逸れることがなかった。

 

 私は老女に問いかけるように、にゃあんと甲高い鳴き声を発した。老女の口元が、苦痛に耐えるように一層しわくちゃになった。

 

「・・・いえ、なんでもないわ。また今度お茶でもいかがかと思って」と、言いながら金属の板を耳元から下ろした。

 

 老女は膝をついて、私の小さな体を持ち上げた。相変わらず苦しそうな顔で、すすり泣きをしているけれど、私のことをしっかりと抱きしめてくれている。

 それは、老女・・・サツキおばあちゃんが、私の家族になってくれた日だった。誰からも必要とされなかった私に家族が出来たのだ。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________

「矢車 皐(やぐるまさつき)」
年齢:62歳、性別:女、職業:フリーアルバイター
「津島 洋二郎(つしまようじろう)」
年齢:35歳 性別:男 職業:ツシマジャパンサーカス代表取締役

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編前章2 「うまれたひ」

 あるトラのものがたり第12話です。
 
 まだフレンズの姿を得る前のアムールトラ。
 愛するヒトとのかけがえのない日々、そして訪れる運命。
  



 次の日の朝、おばあちゃんが、眩しい朝日に照らされたガラス戸を開けた。

 その先に飛び出した私が見たものは、ヒトが数人でもいたら、すぐに身動きが取れなくなってしまいそうな狭い庭だった。

 庭にはおばあちゃんが座るためのリクライニングチェアと、その周りを取り囲むように余すところなく白い花が植えられていた。ヒトの腰丈ほどの壁の上を見上げると、立ち並ぶ建造物の隙間を縫うように、陽射しが降り注いでいる。

 

「ま、待って!」と、おばあちゃんは勢いよく花畑の中に突っ込んだ私を制止しようとした。

「まあ、この子ったら・・・」

 

 花の間に抱きくるまるように寝転がる私の姿を、おばあちゃんが優しく見下ろしている。

 

「あなた、花や植物が好きなのね。この家を気に入ってくれたようでよかったわ」と、私の首元やお腹を撫でながらつぶやいた。

「待っててちょうだい。今朝食を作るわ。動物のごはんも作り慣れているから安心してね」

 

 おばあちゃんが振る舞ってくれた、一口大に切られた鶏もも肉をむしゃむしゃと食べた。細かく散りばめられた青野菜が肉の味を引き立たせていて美味しい。

 こんなに落ち着いた食事はいつぶりだろうか・・・と思いながら、すでに空になった皿をペロペロ舐めていると、おばあちゃんがそそくさと身支度を始めていることに気付いた。

 

「ごめんなさい。これからアルバイトなのよ。日が暮れる頃には帰ってくるから、大人しくしていてね」

 

 言葉が通じていなくても、おばあちゃんにはおばあちゃんの暮らしがあることはすぐにわかった。ヒトは常に忙しく何かをしている生き物なんだ。

 私は白い花が生える狭い花畑の中にうずくまって彼女の帰りを待った。壁の向こうの外の景色を見上げてみると、高く上った太陽を目指すように、無数の摩天楼が並んでいた。

 その中でも他を圧倒するように高くそびえたつ銀色の槍のような建物は、太陽の動きに合わせて色合いが変化していき、見ていて飽きなかった。そして太陽が沈み、暗闇が訪れる頃には、星空よりも明るい光の柱になるのだった。

 

 やがて、おばあちゃんがくたびれた顔で帰ってくると、また作り立ての美味しいごはんを与えてくれた。そして私が食べ終わるまで、おばあちゃんは片時も離れずに私を撫でていた。やがて私は白い花畑に包まれて、満腹感と安心感の中で眠りにつくのだった。

 

 ある朝、私は夜明けとともに目が覚めた。ベランダの壁の向こうには、銀色の槍のような建物が、日の出の光を反射してその根元をきらめかせていた。そして、いまだ光が届かない槍の穂先には、夜の名残のような明かりが灯されていた。

 私は、あの銀色の槍をもっと近くで見てみたいという好奇心に引かれるまま、ベランダを乗り越えてアパートの外へ飛び出していった。

 

 朝早い時間でも、すでに街中を多数の人々が行きかっていた。忙しく往来する人々は、足元を走る私のことなど目もくれない。

 見上げると、銀色の槍はアパートで見た大きさと何も変わらず、地平線の向こうに鎮座していた。いかに足を速めても、まったく近づいているように思えなかった。

 

「ねえ、あなたはどうしてそんなに急いでいるの?」と、後ろから誰かが声をかけてきた。ヒトではなく“動物の言葉”で話しかけられたことに驚いた私は、びくっとして振り返る。

 

「うん、あの一番高い建物に行ってみたいんだ」と返事をしながら、相手の姿を観察した。相手は私とよく似た姿をしているが、体が一回り以上も小さく、全身がまっ黒で縞模様がなかった。

 

「スカイツリーのことを言っているの? 無理に決まっているじゃない。何日かかるかわからないわよ。ていうかあなたは、どこかから逃げてきたの? あなたはネコじゃなくてトラよね? まだ小さいけど、体がとてもがっしりしてるもの」

「うん、トラだけど・・・」

「トラがこんなところをうろついていたら、ヒトに捕まってしまうわよ」

「どうして?」

「トラはヒトにとって身近な動物じゃないからよ。動物園やサーカスで遠くから見る分にはいいけど、イヌやネコみたいにヒトのそばで暮らすことはできないのよ」

「そ、そうなの?」

 

 親切な黒猫の言葉を聞いて、サーカスのトラ達のことを思い出した。成体達があんなにヒトのことを恐れていた理由がやっとわかった気がする。

 

 急に不安になって、来た道を振り返ると、血相を変えた表情であたりを見回しているサツキおばあちゃんの姿を見つけた。

 私は急いでおばあちゃんものところへ走り寄った。それに気づいたおばあちゃんは、私を強く抱きしめてうずくまった。おばあちゃんの腕がぶるぶると震えていることに気付いた。

 私は自分がとてもいけないことをしたのだと理解した。

 

「なんだ。あなた、飼われてたのね」と、黒猫が私の後ろでつぶやいた。

「勝手に出てきたりしちゃだめよ。そのヒトに迷惑がかかるからね」

 

 それからの日々は、アパートだけが自分の居場所になり、おばあちゃんの帰りをほとんど身動きせずに待つ日々が続いた。おばあちゃんは“狭い所に居させてごめんなさい”と毎日のように謝っていた。

 

 時が経ち、すくすくと育っていった私の図体は、狭いベランダの中で体の向きを変えるだけでも難儀するような有様になった。

 おばあちゃんは、私がなるべく狭い思いをしないようにと、家の中の物を次々と処分していった。

 植えられていた花はすべて取り除かれ、リクライニングチェアもなくなり、ベランダはただ雑草がまばらに生えるだけの場所になった。

 おばあちゃんが長年愛用していた家財や観葉植物も捨てられてしまい、緑に溢れていた部屋は、四角い殺風景な空間になってしまった。

 私はようやく、自分がおばあちゃんに迷惑をかけていることに気付くのであった。

 

 私は今日も、ベランダに腹ばいになって、ぼんやりと過ごしていた。

 外から私の姿が見えないようにと、安物のすだれでベランダが覆い隠されていたため、暇つぶしに外の景色を眺めることももう出来なくなった。

 成体のトラとほぼ変わらない大きさに育った私は、体の内側に抑えがたいエネルギーが沸き立っているのを感じていた。

 それがもはや叶わないことと知っていながら、外に飛び出して思い切り動き回りたいという衝動にひたすら駆られていた。

 

 私はイライラした気持ちを紛らわせようと、おもむろに自分の腕の毛をむしり取ってみた。露わになった皮膚に同じように牙を立ててみると、血がしたたり落ちてきた。私は自分でもわけがわからずにその行為をつづけた。

 

 日が暮れて、アルバイトから帰ってきたおばあちゃんが見たのは、血だまりを作りながら自分の腕を噛み続けている私の姿だった。

 おばあちゃんは手に持った買い物袋をぱたりと落とすと、今や一回り以上も大きい私の体に縋りついて泣き出した。そこで私ははっと我に返った。

 

「ごめんなさい・・・やっぱりあなたを苦しめることになってしまった」と、おばあちゃんが私の腕を手当しながら語り始める。

「頭のどこかでは、団長の言う通りにするしかないってわかってたの。でも、出来なかった。あなたが私に懐いてくれたのがうれしくて・・・私も一人ぼっちで、寂しかったから」

 

 私がトラだというだけで、私もおばあちゃんもこんなに苦しい思いをしている。ただ一緒にいたいだけなのに。

 私はきっとトラじゃなくてネコに生まれてくればよかったんだ。

 

「・・・今度こそあなたが幸せに暮らせる場所を見つけなきゃね」と、私の背中をさすっていたおばあちゃんが意を決して立ち上がると、服の中から金属の板を取りだした。

 それが遠くにいるヒト同士が話すための機械であることはすでに知っていた。

 

「もしもし・・・東京動物愛護センター様でよろしかったでしょうか?」と、おばあちゃんが機械の向こうの誰かと話し始めた。

「少し、相談に乗ってもらいたいことがあるのですが・・・」

 

 おばあちゃんは話している間、終始寂しそうな表情で私のことを見つめていた。電話の内容はわからなくても、もうこの生活が長くは続かないのではないか、と薄々思った。

 

 それから何日か経って、またいつものようにおばあちゃんが夕暮れのアパートへと帰ってきた。

 横たえていた体を持ち上げておばあちゃんにすり寄った私は、おばあちゃんが手にたずさえていたある物に目が行った。

 

「プレゼントよ。あなたがこの家に来て、今日でちょうど1年経ったからそのお祝いね」と、私の眼前に差し出されたそれは、小さな鉢に植えられた花だった。一本の幹から何本もの茎が枝分かれして、先端には6枚の花びらを付けた大きな花がいくつも咲いていた。

「オオアマナ。ベランダに植えていた花よ」

 

 私は夢中になってオオアマナの鉢植えに顔を近づけてみた。匂いを嗅ぐと、この部屋に来たばかりの頃の気持ちが戻ってくるようだった。まだそんなに昔ではないのに、ずいぶん懐かしく感じた。

 

「・・・もうすぐ、この部屋ともお別れだから、少しでも楽しい思い出を作って欲しくって。ベランダいっぱいの花のようにはいかないけれど」

 

 横たわってぼんやりと鉢植えを見つめながら、私は幸せな気持ちに浸っていた。すぐ向こうのキッチンでは、またおばあちゃんが電話をしている。

 

「え? 延期ですか?」と、答えるおばあちゃんの声色には怪訝な様子が混じっていた。

 

≪ええ、テレビを付けてみてください。つい数時間前から墨田区一体が厳戒態勢になっているんです。交通規制も敷かれていて、解かれるまではお宅にお伺いすることが出来ません≫

 

「一体どうしてそんなことに?」

 

≪ひと月前ぐらいにあったでしょう? アフリカの大都市が一夜で更地になってしまったとかいう、あの・・・宇宙生物とか化学兵器テロとか言われてるアレですよ≫

 

「・・・はい。真相はまったくわかっていないんですのよね。それが一体どうしたのですか?」

 

≪それがね、日本でも出没したらしいんですよ。警察の発表ではスカイツリーの近くで姿が目撃されたみたいなんですって。警察や機動隊が大勢出動してまして・・・今は私どもも動くことができません。騒ぎが収まったら、すぐにそのトラの子供を迎えに行きますので≫

「はい、ありがとうございます・・・」

 

 電話を終えたおばあちゃんが私の方へ向き直る。優しく微笑むおばあちゃんを、私はきょとんとした表情で見上げる。

 

「世の中の流れにすっかり疎くなってしまったわ。世間では色んなことが起きているのね。でも、いいわ。残されたあなたとの時間を、この部屋で思う存分過ごすことにするわ」

 

 おばあちゃんはキッチンに立って、夕飯作りに取り掛かり始めた。トントンと小気味いい音を立てて野菜を切っている。

 妙な胸騒ぎがした私は、鉢植えから離れて、料理をしているおばあちゃんの足元まで歩いていき、甘えるように寝そべった。

 

「大丈夫よ。私たちには何も関係ないことだわ」と、料理をしながらおばあちゃんが話し続ける。

「動物愛護センターの方はね、あなたを静岡県のサファリパークに預けたいって言ってたわ。広い動物園みたいなところよ。あなたはヒトに慣れているから、野生に返すよりもそういう所がいいだろうって」

「人懐っこくて優しいあなたは、きっと人気者になれるわ」

 

 おばあちゃんは、いつものように私に優しい言葉をかけてくるが、その言葉の節々からは、こらえようもない寂しさが漂っていた。

 私はおばあちゃんの足元にくるまって、低い声でゴロゴロと唸る。私はおばあちゃんから離れて生きていく自信はないし、この狭いアパート以外に私の居場所があるなんて想像もできなかった。

 

「私もこれから大変だわ。まずは、このことを警察に話さなくてはいけないもの・・・そしたら牢屋に入るかもしれない・・・でも、いつか絶対にあなたに会いに行くからね」

「新しい場所で、幸せに生きるのよ・・・」

 

「しあ・・・わせ・・・に・・・」

 

 トントンと一定のリズムで刻まれる包丁の音が、突如鳴りやんだ。

 聞きなれた音が突然途切れたことに一層の不安を覚えた私は、はっとしておばあちゃんの姿を見上げた。

 

_______ガチャァンッッ

 

 突如、おばあちゃんの体から力が抜け、崩れるように床に倒れた。

 手に持った包丁がまな板に叩きつけられた勢いで飛び跳ね、近くのフローリングに突き刺さった。まな板がひっくり返り、そこに乗せられていた野菜が辺りに散らばった。

 

 顔面蒼白なおばあちゃんは、地面を這って床に落ちている金属の板を拾い上げ、それを震える手で必死に操作した。

 何回か指で板を触ると、遠くの誰かと話をするために板を耳元に近づけようとしたが、おばあちゃんは再び大きなうめき声を上げ、ついに板をも投げ出してうずくまってしまった。

 

 私は気が動転し、何度も何度もおばあちゃんの体を前脚で揺すった。

 小刻みに浅い呼吸を繰り返し、土気色の皮膚から滝のように汗を噴き出す彼女からは何の返事もない。

 地面に落ちた板から“もしもし、もしもし”と呼びかける声が聞こえた。おばあちゃんは、助けを呼ぼうとしたのだと理解した。

 

_______バキャッッ!

 

 意を決した私は、アパートの扉に向かって全力で体当たりをかました。

 おばあちゃんを背に乗せながら、紙くずのように打ち破られた扉の外におどり出ると、街灯だけがわずかに行く先を照らしている暗い道が広がっていた。

 その薄暗さと人気のなさに思わず息を飲む。

 

 たくさんのヒトが住む都会の街は、夜になると数えきれないほどの星のような光が灯って、昼よりもさらに賑やかな喧噪に包まれることを知っていた。

 だが今のこの街には光がほとんど灯らず、紙くずなどのゴミだけを残して、行きかうヒトの姿は忽然と消えていた。何か異常な出来事が起きていることが一目でわかる有様だった。

 

 なおも苦しそうに呻くおばあちゃんを背に乗せてヒトの姿を探して回った。ヒトに会うにはどうしたらいいのか、ひとつだけ心当たりがあった。

 光だ。ヒトがいる所には必ず光がある。

 

 いくつも道路を走り抜けた先で、ようやく光を放つ場所を見つけた。

 そこは高い建物に囲まれた、だだっ広い交差点だった。そして交差点の中央では、辺りの様子を覆い隠してしまうかのような眩しい光がいくつも輝いていた。

 光の中心から、さらにいくつもの光の筋が飛び出して、周囲をにらむように動き回っていた。私は光の正体を見極めるために目を凝らした。

 

 岩のように武骨で大きな車が、まばゆい光を放ちながら、広い交差点を占拠するように何台も立ち並んでおり、その周囲には縞模様の柵がいくつも敷かれていた。

 

 そして、策の周囲を見張るようにして、男性らしき影がいくつも光の中にあるのを見た。

 緑色の生地に茶色や黒の斑点をちりばめた服の上から防具を着込み、その手に金属の筒を携えた屈強な男性たちは、緊迫した空気を放ちながら周囲を警戒していた。

 

 生まれて初めて味わうような物々しい雰囲気・・・そこにある物のすべてが、戦いに備えて一分の隙もなく身構えている。それは今まで見てきた平和な世界とはまるで違うものだと感じた。

 その様子に圧倒されながらも、ついに見つけたヒトの姿に向かって、おそるおそる歩いていった。

 

___あそこに何かいるぞっ!

 

 不用意に近づいた私に向かって、まっすぐに伸びる光の筋がいくつも伸びてきた。

 目を開けていられないほどの眩しさと同時に、刺すような視線と金属の筒の先端が次々と私に向けられた。

 

「ただの動物のようです。でも、デカい」

「大型犬どころじゃないな。クマ? ・・・いやあの体の模様はトラか? なんでこんな都会に?」

「威嚇して追っ払いますか?」

「待て、トラの背中に人間がおぶさっているぞ」

 

 おばあちゃんの体をやさしく道路に横たえると、そのまま後ろに下がり、かつてサーカスで、他のトラ達がやっていた服従の仕草を思い出すように、腹ばいになった。

 それを見て私に敵意がないことを理解したのか、彼らのうちの何人かがゆっくりと近寄ってくると、地面に横たわるおばあちゃんを観察した。

 

「息はあるな。特に外傷はないし、あのトラに襲われたってわけじゃなさそうだな。だが重篤な状態のようだ・・・よし、救急搬送しろ」

 

 立ち並ぶ岩のような車両の隙間から、それらの半分以下の高さしかない救護車が走り寄り、おばあちゃんのすぐ横でブレーキをかけた。

 何人かの兵士が彼女を担架で抱え上げて手早く車体後部に運び込むと、再びエンジンを吹かせて救護車を走らせ、あっという間に薄暗い道路の向こうへと消えていった。

 

 後は彼らが何とかしてくれる。私にできることはない。

 そしてヒトに見つかってしまった以上は、もうおばあちゃんと一緒に暮らすことは出来ない。

 そう思うと、心にぽっかりと穴が開いたような気分になり、急に体が重たくなって、動くことすら億劫になってきた。

 

「あのトラはどうしますか?」

「どうもこうも、脱走動物の捕獲なんて俺たちの仕事じゃない。警察署に連絡したら後は放っておけ。ああやって大人しくしている限りは問題あるまい」

 

 武装した兵士が依然として周囲の警戒にあたっていた。私はうなだれたまま、その場から少しも動かなかった。

 

「トラなんてガキのころ動物園で見たっきりですよ。でもこいつ、ずいぶん人間に慣れてるみたいっスね。ほら、こんなにおとなしいですよ」と、兵士の1人がおもむろに私のそばに近寄り背中を撫で始めた。

 

「作戦中だ。気を抜くな」

「あ、すんません。でも本当に現れるんスか? あの全身青色の化け物・・・自分はライブラリー映像しか見た事ないんスよね」

 

「わからん。だが“国連対Cフォース”の連中が、政府を通して自衛隊に出動要請をしてきたんだ。この作戦もすべて彼らの指示によるものだ。化け物が光に集まるという習性を利用して、都市部の電力供給を制限、交通封鎖して、ありったけの光で化け物をおびき寄せる・・・とな」

 

「・・・すごい権限ですよね。マジでCフォースって何者なんですかね。しかも、連中が所有する“特殊生物兵器”っていうのもこの作戦に投入されてるんですよね?」

「ブリーフィングではそう聞いた・・・。俺もかれこれ30年自衛官をやってるが、理解が追いつかないことばかりさ」

 

 2人の男は、張り詰めた緊張の糸がほどけてしまったように会話に興じていた。若い男は変わらず私の背中を撫でさすっている。

 その後、私の傍にまた違う男が近寄ってきた。

 

「すいません。車両が一台故障したかもしれません。ほら、あそこ・・・あの一台だけ、ライトが消えそうなんです。バッテリーは全車両とも満タンのはずなのに」

 

「マツモト、お前が点検してこい」と、再び表情に緊張を取り戻した年配の男が、私を撫でているもう一人の若い男に指示を出した。

 

「は? 俺っすか?」

「お前は整備科の配属経験があるだろ。車両が一台でも故障していたら作戦行動に関わる。早く行ってこい」

 

「へい。了解」と、マツモトと呼ばれた若い男は気だるそうに返事をすると、もう一度私へ向き直って呼びかけてきた。

「・・・あ、そうだ。お前、トラなら肉食うだろ? 後でコーンミートの缶づめ分けてやるよ」

 爛々と開かれた瞳からは、私へのまっすぐな好意がうかがえた。この若い男はきっと動物好きなのだろう。だが私はその視線を鬱陶しく感じて、頭を伏せたまま無視した。

「ははっ、つれねーな」

 

 マツモトは私から離れると、小走りで去っていき、やがて密集している車両の中の一台の前で足を止めた。

 車両の後端にある小さな端末を操作すると、後端の一部がスライドしてヒト一人が通れるだけの空間がそこに現れた。

 マツモトがその中に入っていくと、また異様なほどの静寂と緊張にあたりが包まれる。

 

「どんな感じだ? 直せるか?」と、年配の男がポケットから取り出した機械で車両の中のマツモトに呼びかける。

 男が数回呼びかけた後で、ようやく機械から返事と思しき音声が聞こえてきた。

 

≪~~~ッ!! あwせdrftッ!!≫

 

「何だって? 聞こえんぞ?」

「様子が変です!」

 

 男の一人が、今しがたマツモトが入っていった車両の出入り口を指差した。

 出入り口と地面の隙間から、ポタポタと血の雫がしたたり落ちていることに男たちは気付いた。

 

_______ビチャリ・・・

 

 地面にしたたる血を追うように、アメーバのような真っ青な塊が車両から漏れ出てきた。

 地面に広がったそれは、やがて重力を無視して膨れ上がり、円形の塊となって宙に浮いた。そして塊の中心から、虚空を見つめるような黒い瞳が見開かれた。

 

 屈強な兵士たちが弾かれたように身構えた。私も驚いて兵士たちの視線の先を追う。黒い瞳に浮かぶのは、すべての命を拒絶するかのような冷たい意志・・・

 それは、私が生涯をかけて戦う相手に、はじめて出会った瞬間だった。

 

「敵だっ! 敵がすぐ傍にいるぞ! 総員戦闘配置!」と、年配の男が辺りに響き渡るような怒声を上げた。その声を聞くや否や、兵士たちが眼前で構えた金属の筒が次々と火を噴き、炸裂音が絶え間なく辺りに轟いた。

 

_______ドガァァァンッッ!!

 

 兵士たちの嵐のような一斉射撃によって、アメーバの背後にあった巨大な車両が爆炎を吹きながら真上に飛び上がった。

 車両はひっくり返りながら、轟音を立てて地面に落下した。燃え盛る炎がなおも車両の残骸から噴き出し続けている。

 兵士たちは射撃をいったんやめて、炎の中の様子をうかがった。

 

「う、うぎゃあああっ!」

 

 しかし、炎上する車両とはまた違う方向から、断末魔の叫び声が聞こえた。

 だだっ広い交差点はいつの間にか、どこから現れたのかもしれない無数の青いアメーバたちに取り囲まれていた。

 兵士たちは、その表情に恐怖を浮かばせながらも果敢にアメーバに応戦したが、その意気もかなわず、次々となぎ倒されていった。

 

 私はあまりの出来事に恐怖で身がすくみ、思わずその場から逃げ出したくなった。しかし、逃げた所で、自分にはどこにも行くところがないことに気付いた。

 だったら・・・私もアメーバと戦おう。兵士たちに加勢しよう。彼らはサツキおばあちゃんを助けてくれた。その恩を返すんだ。

 そう決心して、炎に包まれる交差点の中心へと駆け出していった。

 

「なんで、なんで弾が効かないんだよ!」と、兵士の一人が叫びながらアメーバを攻撃し続けた。アメーバは攻撃をものともせずに接近すると、頭頂部から生えた細長い触手を彼に向かって繰り出した。ぎりぎりで危機を察した兵士が伏せて身をかわすも、彼の右腕は手にした武器ごと切り飛ばされた。

 

「うぐっ・・・くそバケモンが・・・子供の落書きみたいな見た目しやがって・・・」と、激痛に悶え苦しみながらうずくまる兵士に向かって、アメーバが触手を振り下ろした。

 

___ガァァウウウッッ!!

 

 私は兵士を庇うように横から割って入り、自分でも驚くくらい野太い咆哮を上げながらアメーバに飛びついた。

 バランスを崩して地面に落下したアメーバに全力でしがみつきながら、ぶよぶよした青い体に牙を立てると、そのまま顎に全力を込めて噛みちぎった。

 

 アメーバは真っ黒な瞳を微動だにせずに地面に横たわったままだ。私はアメーバの反撃に備えて、牙を剥きながらじりじりと距離を詰めた。

 

_______パッカーーーーンッ!!

 

 だが、アメーバは私の眼前で虹色の光を放ちながらはじけ飛んで消滅した。細かい光の粒子が空中を漂ったが、それすらもあっという間にかき消え、存在の痕跡がすべてなくなっていた。

 

「こ、このトラ・・・もしかして、俺のことを助けてくれたのか?」と、私の後ろで右腕をもぎ取られた兵士があっけにとられた表情をしている。

 どうしてヒトの武器でも倒せないアメーバを倒すことが出来たのか、理由はわからなかったが、ともかくこの場でも私に出来ることがあるとわかった。

 

 炎と血を掻い潜りながら、兵士に襲いかかるアメーバを何体か蹴散らしたが、その数は増え続ける一方だった。

 反対に、兵士の大半は傷つき倒れており、すでに息絶えている者も何人もいた。

 

 今までサツキおばあちゃんと平和に暮らしていただけの私が、何でこんな恐ろしい戦いに身を投じているのか。こんなに強そうな兵士たちが、どうしてこんなに簡単にやられてしまうのか・・・

 何もわからないまま、気が付くと私だけがアメーバと奮闘していた。

 

 そして炎の向こうで、角ばった巨大な影が動き出すのを見た。交差点の中央から離れたあんな場所にも、兵士たちの車両が止めてあっただろうか? と、怪訝に思った私はその影を見つめた。影は炎を乗り越えて、猛スピードで私に近づいて来た。

 

 炎を突っ切って姿を現したのは、アメーバの化け物が車両の姿形を真似たとしか思えないような、全身が余すことなく鮮やかな青色の怪物だった。

 一瞬のうちに、もはや避けようがない距離まで近づかれてしまっていた。

 

 ふと、サツキおばあちゃんの優しい笑顔が頭に思い浮かんだ。きっと私の体はゴミのように吹き飛ばされて、おばあちゃんとの思い出も全部終わってしまうんだ。

 

 しかし、何かがとてつもない速さで私の眼前に降り立ち、青い巨体から私を守るように両手を広げた。鈍い衝突音とともに、青い巨体の突進がピタリと止まった。

 

___なかなか度胸あるな

 

 正体不明のそれは、ヒトの形をしていた。黒い長髪に茶色い服を身にまとうその姿は、屈強な兵士よりも幾分細身な、若い女のように見える。

 しかし全身から放つ異様な殺気と、ヒトが持っていないような野性的な佇まいが、尋常な存在ではないことを示していた。

 

___だが“ただの動物”の出る幕じゃねえ

 

 黒い長髪の女は、自身の数十倍も大きな相手を押しとどめながら、余裕の態度を崩さなかった。

 そして両腕を怪物の青い体表にめり込ませ、非現実的にさえ思える怪力を発揮して、軽々と持ち上げた。

 

___せりゃっっ!!

 

 女は地面にめり込むほどに強く足を踏み込ませ、車両の怪物を炎の向こう側まで投げ飛ばした。

 轟音を立てて墜落した怪物は、その勢いのまま地面を削り取りながら転がった。やがてその動きが止まると、地面に横たわる巨体が虹色の光片を巻き上げて消滅した。

 

 長髪の女は、あっけに取られて見ている私に一瞥もせずに、周囲に蠢くアメーバの真っただ中にゆっくりと歩を進めていった。

 気だるげな後ろ姿からは、まるで取るに足らない用事を済ませているに過ぎないといったような、底なしの余裕が見て取れる。

 

 女は四方八方から飛び掛かってくるアメーバを、ある物は投げ飛ばし、ある物は殴り倒し、一体に一秒もかけないような勢いで屠り去っていった。

 なすすべもなく追い詰められていた絶望的な状況が、たった一人の手によって、いとも簡単にひっくり返されていく。

 

「な、なんだあれは?」と、その場にいる誰もが絶句している中でやっとつぶやいたのは、最初に私に近づいてきた年配の男だった。

 

「あれが我がCフォースが所有する特殊生物兵器ですよ。陸上自衛隊第55普通科連隊隊長、アキヤマ陸佐」

 

 アキヤマと呼ばれた男の背後に、およそその場に不釣り合いな、小ざっぱりとしたスーツを身にまとう男達が現れた。自分たちとは明らかに異なる装いのヒトを見て、アキヤマは目を丸くして驚いた。

 男たちは、その両手に武器すら掲げていない。

 

「Cフォース・・・あなた方が!?」

「到着が遅れて申し訳ありません。被害がだいぶ出てしまっているようですね」

 

「・・・援軍に感謝します。では、共に奴らをせん滅しましょう!」と、アキヤマは手にした無線機に顔を近づけて、まだ動ける兵士たちに檄を飛ばそうとした。

 

「いえ。通常兵器しか持たないあなた方が戦う必要はもうありません」と、Cフォースの男がアキヤマを制止した。

「後はすべてあれに任せればいい。特殊生物兵器ナンバー11・・・個体識別名称“クズリ”・・・あれに任せておけば、この程度は5分以内にカタが付くでしょう」

「あなた方は車両のライトを切らさないようにしてもらいたい。引き続き奴らの注意を引いてもらいたい」

 

「我々は、奴らをおびき寄せる餌に過ぎないというのですか?」

「重要な役目です。我々Cフォースは人員も少なければ、土地勘もない。入り組んだ都心部において迅速な包囲網を展開することは、あなた方自衛隊にしか出来ないことですよ」

 

「くっ・・・総員! 手近な車両の防衛にあたれ! こちらからは化け物に一切手出しするな!」

 

 自衛隊員たちがアメーバから距離を取ったおかげで、クズリと呼ばれた女の猛攻は一層勢いを増し、目に見える範囲にいるアメーバをあらかた片付けてしまっていた。

 一切の傷を負わず、呼吸さえも落ち着き払ったままのクズリは、生き残りを探して、周囲を射殺すような目つきで見回しながら悠然と闊歩している。

 

 車両の周囲を警戒する兵士たちは、クズリが近くを通ると、息を押し殺して視線を逸らし表情には見せないものの、味方であるはずのクズリに対して完全に恐怖していた。

 彼女から放たれる殺気のうずが、場のすべてを支配しているのがわかった。

 

「お前もこっちに来いよ」

「そこにいたらあの女の巻き添えを食うぞ」と、あっけにとられたまま道路のただ中に立ち尽くしていた私に、とある車両の近くに陣取った兵士たちが手招きしている。

 

「助けてくれてありがとな」

「あの女とお前と、どっちが猛獣なのかわかんねえな」

 

 親しみを込めた表情で私に呼びかける兵士たちの様子を見るに、私も少しは彼らに恩を返せたのかもしれないと思った。

 暗い気持ちが晴れてきて、呼ばれるままに近寄って行った。

 

 しかし、兵士たちが佇む車両の陰から、生き残りのアメーバが一匹だけ、無機質なその姿を覗かせているのが見えた。宙に浮いているその体を活かして、一切の物音を立てずに、集中の糸が切れている兵士たちの背後を取っていた。

 

___ガァオオッッ!

 

 私は兵士たちを守りたい一心で駆け出した。彼らに私の意図が理解出来るはずもなく、その様子に驚いて穏やかな表情を一変させていた。

 これ以上近づいたら、私は彼らに撃たれるだろうと思った。だが、これしか方法はない。兵士たちは私に向かって武器を構えた。

 

___バカどもが! 後ろを見やがれ!

 

 遅れて気付いたクズリが、怒声を上げながら走り出していた。だがその距離は遠く、間に合わないことは明白だった。

 

 兵士の一人が引き金を引き、放たれた火花が私の足元で弾けた。

 走り出した勢いのまま跳ねた私は、兵士の頭上を飛び越えて、背後にいるアメーバに伸しかかった。はっとして後ろを振り向いた兵士たちは、私とアメーバが地面を転げまわりながら格闘している様を見た。

 

 激しく揺れ動くアメーバの体表の中心に狙いを定めて、私は牙を振り下ろそうとした。

 

_______ドシュッッ・・・!

 

 しかしそれよりも一瞬早く、アメーバの触手が私の胴体を貫いた。

 一瞬何が起きたのか理解できなかったが、遅れてやってくる痛みによって、脇腹から侵入した触手が背中を通り抜けていたのがわかった。

 触手がゆっくりと引き抜かれると、私の縞模様の体から鮮血が噴き出た。前脚にも後ろ脚にも力が入らなくなった私は、そのまま四肢を地面に投げ出して倒れ込んだ。

 

 私の視界に映るコンクリートの道路が、横から縦に90度回転した。そんな中に、クズリと呼ばれた女が猛然と降り立った。

 着地と同時に繰り出されたクズリの攻撃によって、アメーバは一瞬で爆散した。

 虹色の光片をその身に浴びながら、クズリがゆっくりと立ち上がった。彼女に比べると、私はなんて無力で、みじめなんだろう・・・

 

「お前、やっぱり俺たちを守ろうとしてくれてたのか!」

「すまない・・・わかってやれなかった」

 

 兵士たちが膝をついて私の顔を覗き込んでいる。彼らの呼びかける声が次第に遠のいていくのがわかる。視界も灰色になってぼやけていく。

 腹部に走る猛烈な痛みも、倒れ込んだ地面の硬くて冷たい感触も、すべての感覚がなくなっていった。

 

___幸せに生きるのよ・・・

 

 

 気が付くと、際限もなく広がる暗く冷たい空間を漂っていた。そこには重力すらなく、ふわふわと漂い流されていく己の意識だけがあった。

 

 私には大切なヒトがいた・・・でも、もうその顔も名前も思い出せない。寂しさだけが自分の中に残っている。その想いだけが私の自我を保っている。でも、それも長くはないのだろう。私はもうじき、この暗い流れの中に溶けて消えていくのだ。

 

 ・・・その時不思議なことが起こった。

 無数の光の粒子が、どこからともなく現れて、私の体を覆い始めている。

 全身を焦がすような熱が全身に広がっていくのを感じた。それらは、今にも消滅しそうな私の自我を呼び戻した。

 意識だけになっていた私の体に、再び形が取り戻されていく。それはあたかも、光が新しい命を私にさずけてくれているかのようだった。

 

 やがて私は、流れの中に重力を感じた。重力の終点にむかって、形を得た肉体がまっすぐに落ちて行った。

 

_______タンッ!

 

 地面に降り立った私は、己の体の異様さに驚いた。

 4本の脚で地面を踏みしめていたはずなのに、今は後ろ脚だけで体重を受け止めている。

 宙ぶらりんの前脚を、おもむろに眼前に掲げてみた。左右五本の指が意のままに動いている。握ったり、開いたり、内側に向けたり、外側に向けたりしてみた。

 私の前脚は、こんなに自由に動くものじゃなかったはずなのに。これじゃ、まるで・・・

 

 周囲を見回してみた。それは、眠りから覚める前と大差ない、薄暗くて狭い場所だった。

 草や木などの自然物が一切ない直線的な床と壁の合間に、むき出しになった機械の基盤が立ち並び、その周囲に金属の管が張り巡らされていた。随所に散りばめられた緑色の電球が、足元がわかる程度に空間を照らしている。

 

 人工物だけの空間という意味では、ヒトが大勢暮らす都会も同じようなものだ。だが決定的に違うのは、そこに生きている者の息遣いや痕跡がまったく感じられないということだった。

 

 だんだん怖くなってきた私は、最後に天井を見上げてみた。張り巡らされた機械の基盤の中心に、金属の大釜が逆さ吊りに垂れ下がっている。

 大釜の中からはまばゆい虹色の光が覗いている。

 間違いない・・・私はあの光の中から出てきたんだ。

 

 ここはどこなんだ? 一体なにが起こったんだ? 

 混乱したままの私は、無機質な廊下を走り出した。二本足で立つことに慣れなくて、また四つん這いに戻っている。

 

 こんな薄気味の悪い所には一秒だっていたくない。ここ以外だったら、どこにいてもいい。檻の中で意地の悪い兄弟たちにいじめられてもいい。団長に折檻されてもいい。

 でも、もし叶うなら、私が一番行きたいところは・・・

 

 だんだんと記憶が蘇ってきた。寂しさと切なさと、そして温かさが脳裏に焼き付いて離れない。途切れることのない暗い空間の中で、たかぶった気持ちを押さえられなくなった。

 

「サツキおばあちゃんっ! どこっ! どこにいるの! 一人にしないで!」

 

 そこでまた驚いた。私の口から“ヒトの言葉”が出てきている・・・喉を震わせて、器用に口から色んな音を出している。

 この体は何なんだ。今までの私と、何もかもが別物になっている。

 

___お目覚めかな? 予定より早かったが、どうやら体調は良好なようだ

 

 ヒトの言葉がどこかから聞こえてきた。声の太さからいって、大人の男のようだった。

 そして、暗い廊下の向こう側から、黒い球体が降りてきた。宙に浮いた球体から光が放たれると、光の中に白衣を着た中年男性が現れた。

 

___君は今、さぞとまどっているだろう。だが、どうか落ち着いてくれ

 

 男の話している言葉がそのまま理解できた。

 私は眼前に浮いている黒い球体を振り払った。球体が地面に叩きつけられ、そこから浮かぶ男の映像が激しく波打った。

 

 黒い球体から逃げるようにして私は再び走り出す。やがて閉じられた金属の扉の前にたどり着くと、自由に動かせる己の前脚でドアノブをねじって扉を開いた。

 ドアの向こう側には明るくて広大な空間が広がっている。床には芝生が生えている。だが、生活感のない不気味な場所であることには何も変わりがない。

 

「・・・ふうん。トラっていうのは、そんな姿に変わるんだな。さすがにでかいな」と、突如現れた人影がぶっきらぼうにつぶやく。

「俺のことはおぼえているだろ? ついちょっと前、同じところにいたもんな。改めて自己紹介してやる。俺はクズリだ。まあ、ここではお前の先輩ってことになるな」

 

 クズリ・・・そうだ。こいつはあの交差点で、圧倒的な強さでアメーバを倒していた女だ。こいつは一体何者なんだ? なぜアメーバと戦っていたんだ? そもそもあいつらは何だったんだ?

 

「何も知らないんなら、考えるだけ無駄ってもんだぜ・・・なあ?」

 

_______バシィィンッ!

 

 呆然として立ち尽くす私の視界から、突如クズリが消えたかと思うと、いつの間にか私の背後を取り、強烈な足払いで私の姿勢を崩した。

 クズリは前のめりに倒れ込んだ私の背中に飛び乗って、万力のような力で拘束してきた。いや、力だけではない。一部の無駄もない動きによって、私のことを完璧に押さえつけてしまっている。それでも必死に足掻こうとする私に対して「取って食いやしねえよ」と唸るような声でつぶやく。

 

___クズリ、あまり乱暴なことはしないでくれ

「逃げられたら面倒だろうが。いいからアンタはさっさと要件を済ませろ」

 

 金属のドアから飛び出てきた黒い球体が、再び光を放ち、中年の男の姿を映し出した。やせ型で姿勢が良く、声色よりも若々しい印象の彼は、映像越しに私の瞳を覗き込み穏やかな笑顔を向けて来た。

 

___紹介が遅れたね。私はここの責任者を務めるヒグラシという者だ。みんなからは単に所長と呼ばれることが多いがね。私の話を聞いて欲しい。私もクズリも敵ではないから安心してくれ

 

 ヒグラシと名乗った男の態度は一貫して誠実であり、少なくともその点においては信用が置けるように思えた。

 

「ようやく落ち着いたか?」と、クズリが私の上から飛び退くと、手を貸して立ち上がらせてくれた。荒っぽいのか優しいのか良くわからないやつだ。

 クズリの身長は、私より頭一つ分ほども小さかった。小柄な体のどこに、あんな恐ろしい力を秘めているのだろう。

 私は再び黒い球体へと向き直ると、ヒグラシの言葉に耳を傾けた。

 

___見たまえ。これが今の君の姿だ

 

 直前までヒグラシの姿を映し出していた光は、あたかも鏡に変わったかのように、対面している私の全身を映し出した。

 見知らぬ若いヒトの女がそこに立っていた。

 ・・・これが、私?

 

___君は“動物”から“フレンズ”へと進化したんだ。今から君のことは“アムールトラ”と呼ばせてもらう

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ネコ属
「イエネコ(未フレンズ化)」

_______________Human cast ________________

「矢車 皐(やぐるまさつき)」
年齢:62歳、性別:女、職業:フリーアルバイター
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:47歳 性別:男 職業:Cフォース日本支部所属 生体兵器研究所所長
「秋山 大吾(あきやまだいご)」
年齢:54歳 性別:男 職業:陸上自衛隊2等陸佐 第55普通科連隊隊長
「松本 明紘(まつもとあきひろ)」
年齢:26歳 性別:男 職業:陸上自衛隊3等陸曽 第55普通科連隊隊員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編中章1 「つよくなりたい」

 あるトラのものがたり第13話です。
 
 愛するヒトと別れ、新しい姿に生まれ変わったアムールトラは、今までとまるで違う生活を送っていた。
 戦うために、強くならなければならない。その前途は多難だった。だが、やがて己の目指すべき道を見つけるのだった。



 人工的な照明に照らされた正方形の台座が地面から競り上がっている。

 台座の角にあたる4隅には金属の柱が立ち、それを視点にして台座をぐるりと取り囲むように、三本のロープが張られている。

 私はその台座の隅で、緊張した面持ちで佇んでいた。一切の毛が生えないつるりとした顔が天井の光を反射している。

 

 自分の体を改めて見回してみた。

 手足はヒトと同じ形になったが、橙色と黒の縞模様であることは昔と変わらない。しかしそれを生やす体にはひらひらとした衣服が着せられている。

 頭からは上半身を覆い隠すほどのボリュームがある縞模様の長髪が生えている。その左右両端には黄色いリボンが結わえ付けられ、長髪を二又に分けていた。

 服もリボンも、自分で身に着けたわけでもないのに、最初からそんな様子だ。今の自分の体は、何度見ても無駄なものが多いように思える。

 

 クズリのやつに、その肩にかけているだけの茶色い上着を着ないのか? と聞いたことがある。

 これは俺の体の一部だ、わけのわからないことを言うな、と彼女は答えた。

 私やクズリの格好は衣服なのか、体の一部なのか、どうしても判然としない。

 

 やがて台座の中心が光り輝いた。私は余計な思考をやめて目の前の出来事に集中しようとした。

 光の中から筋骨隆々の男が一人姿を現した。男は上半身をさらけ出し、太い腕の先端には風船のような赤いグローブを付けている。

 下半身にはダボッとした半ズボンと、足首まで覆うごてごてした運動靴を身に着けている。

 

 その男が能面のような顔の前に両腕を掲げると、それにならって私も同じ構えを取った

 男が素早く踏み込むと、上半身をしならせて目にもとまらぬ速さのパンチを放ってきた。頭を守ろうとする私の両腕に、何発もパンチの衝撃が降ってくる。

 

 たまらず右に回り込んだ私は、やぶれかぶれな反撃を試みたが、大降りに振り回したこぶしは男にやすやすと避けられてしまい、次の瞬間にはカウンターパンチを鼻っ面に入れられていた。

 それを皮切りに、体重とタイミングが乗った強打が何発も何発も私の顔面や腹部に突き刺さる。そのひとつひとつが、骨を砕き内臓に響くように思えた。

 

「だあああっっ!!」

 

 頭がくらくらしてきた私は思わず構えを解き、反射神経だけで男の腕を掴むと、もう片方の手で思い切り殴りつけた。

 私とほぼ変わらないぐらい大きな男の体が後方に吹き飛んだ。

 リングの隅にあるロープを飛び越した体は、そのまま落ちて見えなくなり、どしゃり、と鈍い落下音が響いた。

 私はあわててその音の方に駆け寄り、リングの下の男を確認しようとした。思ったよりも遠くに飛ばされていた男の体は大の字に横たわり、ピクリとも動かなくなっていた。

 

___VR type:B、LEVEL31、Mission Failed___

 

 よくわからない電子音声がどこからか聞こえてくると、世界の輪郭が歪みはじめて、隅の方から細かくちぎれ飛びはじめた。

 男の体が光りはじめると、足先から粒子状に分解していき、やがてその場からかき消えてしまった。同じように私がいた台座も、細かなブロックと化して崩れ落ちていく。

 最後に私自身の体さえも、ぼやけてその実在をなくしていった。この場には最初から何もなかったのだ。現実に見せかけた偽物の世界だ。

 

「はあっ・・・はあっ・・・」

 

 基盤に包まれた黒い棺桶の中で私は目を覚ました。棺桶の重いふたが煙を噴き出しながら開かれた。その中からゆっくりと起き上がると、体じゅうに付けられていた機械のチューブがプチプチ外れていった。

 偽物の世界から目覚めた私は、身を乗り出して棺桶の外に出た。私の姿だけは偽物の世界と何ら変わらない。殴られて出来たはずの生傷はすっかり消えていたが。

 

 現実の世界は、機械まみれの直線的な空間だ。私が最初に目を覚ました場所と同じく、人工的な灯りだけが辺りを照らしている。

 

___ごくろうだったな、アムールトラ。食事を用意してあるから居住区に移動するんだ___

 

 ねぎらいの言葉と共に、黒い球体が私の目の前に降りてきた。球体ごしに穏やかな口調で私に話しかけているのは、ヒグラシ所長というここの責任者だ。

 今の私の飼い主といったところだろうか。私は浮かない顔で彼に返事を返した。

 

「・・・今日も上手くやれなかったよ、所長」

___さすがの腕力だ。パンチ一発であんなことになるとは、な___

「相手に追い詰められると、ただがむしゃらにやり返してしまう・・・教わったように動けなないんだ。でも、それじゃダメなんだろう?」

___大丈夫さ。少しずつやっていけばいい___

 

 ヒグラシ所長に励まされながら、私は狭い廊下の奥に向かって歩き出した。

 新しい姿に生まれ変わった今の私は、機械に囲まれた建物の中で、ひたすらにトレーニングに励む日々を送っている。

 

 暗闇の中ではじめて目を覚ましたあの日、ヒグラシ所長から詳しい説明を受けた。

 ここは“Cフォース”という世界中に根を張る巨大な軍隊が運営する施設なのだという。

 この広くて人工的な空間は、東京都心の地下深くにあるのだとか・・・多分、私が住んでいた所とそう離れてはいないと思う。

 

 あの交差点でヒトを襲っていたアメーバの怪物は“セルリアン”と呼ばれる謎の生命体らしい。

 セルリアンの出現が世界各地で確認され、各国の軍隊が駆除にあたろうとしたが、奴らには“ヒトが持つ一切の兵器が通用しない”という恐ろしい性質が備わっていたらしい。

 確かに、自衛隊員たちの攻撃もまるで効いていなかった。

 

 時を同じくして、ヒトの姿をした動物“フレンズ”の存在が確認された。その数はセルリアンよりもはるかに少なかったが、出現地域はセルリアンをなぞるかのようだったらしい。

 

 そして話の肝はここだ。ヒトがいかなる方法でも倒せなかったセルリアンを、フレンズはパンチやキックのような原始的な攻撃で倒してみせたとのことだ。

 今の所、セルリアンに唯一対抗しうるのはフレンズだけ・・・その事実を知ったヒトは、大急ぎでフレンズの研究に取り掛かった。

 

 やがてヒトの手でフレンズを作り出す試みが行われた。私やクズリはその成果のひとつらしい。

 死んで間もない動物に対して、ある特別な手術を施してフレンズに生まれ変わらせているのだという。手術の成功率は低く、また莫大な費用がかかるということで、その数はとても少なかった。

 この研究所で今までに育て上げたフレンズは、指を折って数えられる程度の数しかいないという。今この研究所にいるのは私とクズリだけだ。

 

 ヒトの手で造られた私たちは、日本では“特殊生物兵器”という名で呼ばれていたが、ヒグラシ所長はその言葉を嫌い、私たちの前で使うことはなかった。でも、戦うことがすべてなのは変わりないと思う。

 特殊生物兵器は、その能力を限界まで高めるために、徹底的に鍛えられる。前例があまりにも少ないこともあって、まだそのやり方が十分に固まっているわけではないが、所長をはじめとした優秀な研究者たちが日々試行錯誤を繰り返していた。

 

 訓練は大きく二つに分かれている。筋力や体力を付けるための基礎トレーニングと、戦闘技術を身に着けるためのVRトレーニングだ。

 “VR”・・・あの偽物の世界のことだ。仕組みはわからないが、機械の棺桶の中で眠った私は、いつも夢の中でかりそめの敵と戦っている。そして私が見た夢の内容を、所長たちも離れた所で、起きたまま観察しているのだ。

 ヒトの世界では、何十年も前からこういうトレーニングをやっているらしい。それをフレンズにも使っているのだ。

 夢の中で戦う相手は、さっきのようなヒトの時もあるし、セルリアンの時もある。すべては所長たちのさじ加減だ。現実でも夢の中でも、ヒトはあらゆるものを作り出してしまうのだと、今さらながら感心する。

 

 ヒトの歴史は戦いの歴史であるとヒグラシ所長は言った。ヒトは武器を使うことで他の大きくて強い動物を倒し生態系の頂点に立ってきた。

 その一方で、武器を使わない“格闘技”もひたすら貪欲に生み出してきたのだという。私はその格闘技をVRで覚えようとしている。

 

 ヒトをはるかに上回る身体能力を持つフレンズが格闘技を身に着けることが出来れば、桁外れの強さを持つことが出来る。セルリアンを倒すためのもっとも重要な戦力になる・・・と所長は言った。

 

 そして、クズリがそれを証明している。あいつは一見がむしゃらに戦っているように見えて、いくつもの格闘技を高いレベルで習得しているのだ。

 クズリの技は、敵をつかんで投げることに特化している。どんなに大きな相手でも、簡単に投げ飛ばしたり組み伏せたりすることが出来る。

 レスリング、柔道、サンボ・・・それに相撲と言っていたか。あいつは、そういった「組み技系格闘技」をひたすらに覚えたらしい。

 

 そして私は、クズリとはまったく異なる技術を教わっている。パンチやキックで相手を打ち倒すことを目的にする「打撃系格闘技」だ。ボクシング、空手、テコンドー、ムエタイ・・・などをVRのプログラムに組んでいるとこのことだ。

 だが、そのどれもが、まったくと言っていいほど身に付かない。がんばって格闘技を真似ようとしても、追い詰められると動物の頃のままの動きで戦おうとしてしまうのだ。

 私とクズリと、何が違うんだろう。

 

 と、そんなことを考えていると、頭の中にいた相手が姿を現した。

 クズリは食卓に足を投げ出して、すでに何枚ものステーキを平らげて、乱雑に皿を重ねている。私に一瞥して不敵に笑いながら「いつ見ても飯がまずくなるツラだな」と毒づいてきた。

 

 無視して席に着いた私は、眼前に置かれたステーキにフォークを差して食べ始めた。表面だけ焦げた肉塊の内側から肉汁がこぼれ落ち、口の中に広がっていく。

 この姿になってからというもの、私の体は成長することもなければ衰えることもなかった。だが、申し分のない量の食事を日々口にすることで、体内には爆発的なエネルギーが蓄えられていくことを実感している。訓練付けの日々を送ってもなお有り余るほどだ。

 

 肉を咀嚼しながら、ふとサツキおばあちゃんが台所に立って料理している姿が思い浮かぶ。

(___私はおばあちゃんの料理の方が好きだな)

 少しずつ食べる私の横で、皿を十数枚も重ねたクズリが満足そうにゲップをしながら「もう少しうまそうに食いやがれ」とつぶやく。

 

「・・・ところで、予定よりも早くここを出るって聞いたんだけど」と、私は話題を変えようとした。

 

「ああ、お前とはじめて会ったあの日・・・あの交差点での戦いぶりが大いに評価されたって話だ。俺が行くのは一番セルリアンが多くてやべえ場所らしい。楽しみで仕方がねえよ」

「そんなにセルリアンと戦いたいのか?」

「お前は違うのかい? お上品なアムールトラちゃんよ」

 

 クズリは私に、戦っている時と同じような鋭い視線を向けてくる。生まれてこのかた野生を知らない私にとって、こいつははじめて出会った野生そのものだ。

 

「俺たち二人とも、一度セルリアンにぶっ殺されてるんだ。奴らは俺たちの仇じゃねえか」

「そうだけど・・・」

 

「忘れることは出来ねえ。アイツらは俺が住んでた森の仲間をみんな殺しやがった。俺はアイツらの中の一匹に食われて、胃袋ん中で何日もかけてゆっくり全身を溶かされていったんだ。気が狂うかと思ったぜ。ヒグラシのクソオヤジに生き返らせてもらったのはマジに幸運だった」

 

 クズリは眼前に掲げた拳を、ミシミシと音を立てながら握りこんでいる。

 

「奴らには同じ気持ちを味わわせてやる・・・最後の一匹まで絶対にぶっ殺してやる」

「・・・私は、アンタのように強くなれるかな」

「そんなの知るかよ。俺たちはセルリアンと戦うために生き返らせられたんだぜ。強くなれなかったらもう一回やつらに殺されるだけだ。それだけは確かだろうぜ」

 

 やがてクズリは研究所を出ていった。ここで訓練にはげむのは私だけとなった。

 あいつが戦場で大活躍しているという噂を、研究員たちから小耳にはさんだ。自分達が育てたフレンズの中でも一番強いと鼻たかだかな様子だった。

 焦りがつのっていく。クズリのように激しい憎しみを燃やせば強くなれるだろうか。それとも、サーカスにいた頃と同じで、私はここでも出来損ないになってしまうのだろうか。

 

 基礎トレーニングは、現実の世界で、広い運動場で行っている。走り込むための円形のグラウンドがあり、その内側には数々のトレーニング器具がある。

 私は簡素な寝台に横たわり、頭上にある巨大な重りが付いた鉄棒を掴むと、それを何回も上げ下げしていた。格闘技はてんでダメな私も、基礎トレーニングは得意だった。

 

 白衣の研究員たちが、私の様子をガラス張りの窓の向こう側から見ていた。その顔付きは一様に重たく、中にはため息を付いている者もいる。

 

「所長、これが先日測定したアムールトラの身体能力のデータです」と、ある研究員がヒグラシ所長に近寄り、バインダーに挟まれた紙を一枚手渡した。

「ベンチプレス5トン、100mは6秒8、走り幅跳びは21m32㎝・・・瞬発力を必要とする数値のいくつかはすでにクズリを越えています。しかもこれらの記録は日々伸び続けている」

 

「身体能力の成長に、格闘技の習得がまるで追いついていない・・・VRプログラムの見直しが必要ですかね」

 

「いや、プログラムは完璧だ。これ以上改良の余地はない」と、ヒグラシ所長が研究員に言う。

 

「なぜクズリのように上手くいかないのでしょうか?」

「クズリの場合は、体格と格闘技の組み合わせが良かったのだ。小柄な体格で組み技を覚えるという組み合わせが・・・。格闘技、それも組み技において体格は絶対のアドバンテージだ。いかに身体能力の差があろうと、クズリの体格で体重百キロ超えのレスラーや力士を相手にするのは半端なことじゃない。だからVRでも十分に訓練させることが出来たのだ」

 

「では、アムールトラの場合は?」

「大柄な体格に、すさまじい腕力と瞬発力・・・ヘビー級ボクサーをはるかに超えている。彼女に打撃を教えようとした場合、人間には少々手に余るのは否めない」

「そもそも、なぜ打撃しか教えないのですか? 彼女はセルリアン相手に戦うのだから、何でもありで戦わせればいいのでは?」

「ヒトとフレンズは違う。フレンズはヒトと違って得意不得意がはっきりしている。彼女は瞬発力に優れるが持久力はない。長所を最大限に生かせるのは打撃技だ。組み技は明らかに向いていない」

 

「・・・体格とスタイルの相性だけが問題ではないと思うのですが」と、一人の研究員がポリポリ頭をかきながら会話に割って入った。

「クズリはとにかく好戦的でした。我々が与えた課題に対してどこまでも貪欲に食らいついてきました。それに比べてアムールトラは、どうもおとなしいというか・・・格闘技の習得に乗り気じゃないように見えます。彼女なりに一生懸命やっているとは思いますが」

「それは・・・」

 

 所長は黙り込む。その指摘に痛い所を突かれたといった様子だ。研究員たちの間に若干きまずい空気がただよい始める。そしてまた一人が話題を変えようとした。

 

「プログラムの数値をいじって、ヘビー級ボクサーの体格にフェザー級のスピードを備えさせるというのはどうですか?」

「いや、だめだ。もしそれをやったら、プログラムは体格とスピードのギャップを補うために、人間ではありえない動きをするようになるだろう・・・つまり格闘技を使わなくなるということだ。もちろん、アムールトラに格闘技を教えるという目的は達成できなくなる」

「そうですか・・・」

 

 ヒグラシ所長と研究員は再び深いため息をつく。八方ふさがりという感じだった。机に顔を伏せた所長は、再び何かを決意したように顔を上げて、目の前の端末を操作しはじめた。

 

「あきらめないぞ・・・彼女たちフレンズは今や世界の希望なんだ。彼女に格闘技を教える方法がきっとあるはず」

 

 それから何日か経ったある日、私は運動場の中央に呼ばれた。

 普段はそこに置かれているはずのトレーニング器具がすべて片付けられ、ただの広場という感じになっていた。

 

___アムールトラ、今日はあそこで格闘訓練を行うんだ___

 

 黒い球体が天井から降りてくると、そこからヒグラシ所長が声をかけてきた。

 

「格闘訓練? VRじゃないのに?」

___今日は特別講師を呼んである。生身の人間が相手だ___

「大丈夫なの? 相手を傷つけてしまうかもしれない」

___そうなりそうだったら、我々が止める。安心して、本気で戦うんだ___

 

 所長に言われるまま、運動場の中央で相手を待った。私が入ってきた入口の反対側から出てきたのは、銃を構えた兵士たちだ。

 まだら模様の服がかつて見た自衛隊員たちと違い、青や灰の斑点を基調にしている。持っている銃も小ぶりだった。ああいう格好をしているのはCフォースの兵士たちだということはすでに知っている。

 兵士たちはぞろぞろと隊列を組んで運動場の中に入ってくる。その数は3、40人と言ったところか。ちょっとした部隊と呼べる数の兵士たちは、あっという間に運動場を物々しい空気で支配してしまった。

 

「まさか、この兵士たちが相手?」

___そうではない。見ていればわかる___

 

 運動場を占拠するように各所に散らばる兵士たちは、フォーメーションが完全に整ったことを確認すると、向きなおって自分達が入ってきた方へと銃を構えた。

 いくつもの銃口が向けられている入口の中から、ヒトの背丈ほどの鉄でできた四角い箱が姿を現した。箱は金属の腕を持つ運搬車に抱えあげられるようにして、ゆっくりと運動場の中央へ進んでいった。

 兵士たちの銃口もそれを追うように動いている。箱の中にいる何者かに対して尋常ではない警戒が行われているのがわかった。

 

 運搬車の金属の腕がまっすぐに下降し、箱が静かに地面に下ろされた。緊張した面持ちの兵士が数人近寄ると、箱の前面に複数付いている留め金を外していった。

 

 開かれた箱の中から姿を現したのは、ぼろぼろの黒い衣服を身にまとう一人の男だった。その腕には頑丈な手錠がかけられている。

 

 何より目を引くのは男の頭だった。顔の周りから、ボサボサの髪と髭が無造作に炎のように広がっている。それはまるで立派なたてがみを生やしているかのようだった。

 ヒトというのは、男も女も、毛が少なくてすっきりした頭をしているものと思っていたけど、この男の頭は獣より獣みたいだ。

 

 顔に刻み込まれた皺の多さからいって、高齢のようだった。だが傍目にはそれがわからないぐらいに、スラリと姿勢よく立っている。そしてぼろぼろの服からのぞく肩や二の腕には岩のようにごつごつした筋肉が付いていた。

 落ちくぼんだ眼窩は影に隠され、その目がどこを見ているのかわからなかった。

 

「手錠を外すぞ」と兵士の一人が離れた位置から、手に持ったリモコンを掲げた。それを聞いた他の兵士たちが息をのんで、男に向けた銃口に意識を集中する。

 

______ピッ・・・カシャンッ

 

 手錠が乾いた音を立てて地面に落ちると、謎の老人はけだるそうに手首を動かし、ゆっくりと顔を上げた。己を取り囲む兵士たちを無表情な目つきで見回すと、口元をにやりと歪ませた。

 

「・・・こんなジジイ一人に、臆病すぎやしねェか?」

 

 四方八方から銃口を向けられながらも、彼はそれをまるで気にしていないかのように自然体のまま佇んでいる。

 

「そこのけったいな娘っこに稽古を付けろってぇ話だったよなァ?」

___そうだ。そのために今日ここに呼んだのだ___

 

「こんな大げさな歓迎をして、無理やり出稽古やらせるたぁ、まったくとち狂った連中だ」と、文句を垂れながらも、謎の老人は運動場の中央にゆっくりと歩み寄った。その眼光が私を射すくめる。

 

(な、なんだこの男は・・・)

 

 老人から放たれている凄まじい圧力にあてられて、私の全身が総毛立つのがわかる。今までVRで戦ってきた格闘家とはわけが違う。圧倒的な強さを持っている・・・

 私は自然とクズリのことを思い出していた。クズリが放つ殺気は、さながら吹き付ける強風のようであったことを覚えている。

 しかし、この殺気は強風とは違う。一面に広がる海・・・または大きな樹のようだ思った。途方もなく巨大な圧力に、静かに押しつぶされていくようだった。

 

「・・・こねェのか? 娘っこ」と、老人は構えも取らないまま言い放つ。

 

 私は必死に自分を奮い立たせ、巨大な殺気の中心へと飛び込んでいった。全速力で間合を詰めると、振りかぶった右手を全力で老人に打ち込んだ。

 

「は、速えっ!」と、近くにいた兵士の一人が驚愕した声を上げる。

 

 完全に先手を取ったと思った私のこぶしの上に、老人の手甲が添えるように重ねられた。すると私の全身が突然鉛のように重たくなり、走り込んだ勢いのまま地面に倒された。

 投げられた? いや違う。彼はその場から一歩も動いていない。

 ただ私のパンチを払っただけだ。

 

「何が起きた?」と、倒れ込んだ私に驚いて後ろに下がった兵士たちが状況を観察している。

「なんでこいつのほうが倒されてんの?」

 

 すぐに立ち上がった私は、向き直って次の攻撃に取り掛かった。パンチが通用しないのなら、と踏み込んだ軸足と反対の足をしならせ蹴りを放とうとした。

 

______パンッッ

 

 だが、踏み込んだと思った瞬間、老人の正拳が私の喉元をとらえていた。まるで、相手の攻撃に自分から当たりに行ったかのようだった。

 宙を舞った体が、ぐるりと一回転して地面に落ちる。それは攻撃されてからはじめてわかる速さだった。

 いや、速いのではない。意識の外から攻撃が飛んできたような感じだ。

 

 VRとは比べ物にならない激痛が、喉元から顎にかけて走った。私はゲホゲホとむせながら老人の様子を見た。

 彼は背筋をまっすぐ伸ばしたまま、深く踏み込んで体を沈みこませ、軸足とは逆のこぶしを突き出している。

 何をされたのかはわからないが、あんな姿勢で放つ技をVRでも見たことがある・・・これは空手の“中段突き”だ。この謎の老人は・・・空手家だったのか。

 老人は沈みこませた上体をゆっくりと持ち上げると、再び私と距離を取った。

 

「おめぇは・・・戦士とはとても言えねェな」と、老人が静かに言い放つ。

「弱いだけじゃねェ。それ以前の問題だ」

 

 なんとか再び立ち上がった私は、息をのんで老人の言葉に耳を傾ける。

 

「おめぇには殺気がねぇ。ただ勉強がしてえってだけのように見えるぜ。そして、自分の身を俺という危険から守る気すらねぇ。どうせ、そこで見てる連中が自分のことを守ってくれるとでも思ってるんだろ?」

「そ、それは・・・」

「そんなぬるま湯みてェな気持ちで何をしようってんだ? 俺から何を学ぼうってんだ?」

 

 老人は言葉を言い終えると、後ろを向いて出口に向かおうとした。

 ヒグラシ所長が黒い球体ごしに近づいて呼び止める。

 

___どこに行く気だ!?___

「帰らせてもらうぜ。こんな意味のない遊びに付き合わせてんじゃねェ・・・」

「う、うおおおおおっ!」

 

 私は老人の背後から飛びかかり、再びパンチを繰り出した。今度は確実にとらえられたと思った刹那、こぶしはまたも空を切った。

 そして鈍い衝撃音と共に、伸びきったこぶしが上下から強烈な力で挟まれるのがわかった。私のこぶしを挟んでいたのは、老人の膝と肘だった。

 

 数瞬の後、閉じ切った膝と肘が離れると、その間からは節々から血を噴き出しながら、肉だけがだらしなくクラゲのように垂れ下げっている私の右手が出てきた。

 指の骨が、全部砕かれてしまっていた。

 

 私は砕けた右手を左手で支えながら、倒れそうになるのをやっと踏みとどまった。

 激痛よりも恐怖よりも、今までの自分の弱さと甘さを嘆く気持ちでいっぱいになっていった。このままじゃダメなんだ。もっと死にもの狂いにならなきゃ・・・

 

「私は絶対に強くなるんだあああっっ!」と、砕けた右手を、左手を使って押し固め、なんとか握りこませてこぶしを形づくった。右手の感覚がなくなっている。

 

「・・・なんで強くなりてェんだ?」と、老人が不意に投げかけてきた。

 

「私はそのためにここにいるんだ! そうするしかないんだ!」

 

「よくよくアホウだな、おめぇは」と、老人は呆れかえった様子で言葉を続ける。

「おめぇが言ってるのは、ただの状況だろう・・・状況は理由にはなんねェ。どこにいたって、他人から何を言われたって、てめぇのやりてェことは、てめぇの頭で考えて決めるもんだ」

「わ、私は・・・けものだ。ヒトじゃない。ヒトの世界で、けものは、ヒトの言うことを聞いて生きていくしかないんだ! 」

「言い訳してんじゃねェや・・・動物だのヒトだの関係ねェ。この世界に生きてるモンは、だれもかれもひとり残らず不自由だ・・・不自由な中で、てめぇに出来ることを精いっぱい考えて生きてンだよ。おめぇは、誰かのせいにして考えるのをやめてるだけだ」

 

 老人の強さと同じように、その言葉にも気圧されて動けなくなっている自分がいた。彼は、先ほどと同じ殺気を再びその身にまとわせながら静かにつぶやいた。

「おめぇのアホウさ加減には呆れかえったぜ・・・だから、それに付ける薬になってやるよ。事前の約束の分だけ、今日一日だけな」

 

 そこから先も結果は同じだった。

 老人には私の動きが手に取るように読まれてしまっているが、私には彼の動きが全く読めない。どこから始まってどこで終わるのかすらも・・・子供と大人どころではない。天と地ほどの実力差が両者の間にはあった。

 

 老人の方からは一切手を出してくることはなかった。先に仕掛けた私のあらゆる攻撃を受け止め、さばき、たった一発だけ反撃してくるのだった。そんな攻防が何度も何度も繰り返された。

 やろうと思えば、追い打ちしてすぐに終わらせられるだろうに、なんでそうしないんだろう。

 

 戦いの様子を見ていたCフォースの兵士たちにもざわめきが広がっていた。彼らの中には、老人に向けていたはずの銃口を無意識に下ろしてしまっている者さえいた。

 

「すげえ・・・なんていうか、完璧な立ち回りだろ。きれいすぎる」

「俺も空手習ってたことあるけど、あんなの演武でしか見た事ないですよ」

「でもあの生物兵器も、かなり強いだろ。全身バネみたいなキレッキレのありえない動きしてるよ。俺なら銃がなかったら勝てないわ」

「もうずっと昔ですけど、トラを素手で殺した空手家がいたらしいですよ。あの男もそのレベルの“超達人”なんだと思います。まあ、あの男は殺すつもりはないようですけど」

「噂通りの、いや噂以上の男だったってことか。・・・あんなことをしでかした男の戦いとは思えない」

 

___もういい! もう無茶しないでくれ! アムールトラっ!__

 

 たった一発ずつの反撃を何度も食らい続けるだけで、私の全身には痣と生傷ができ、鮮血がしたたり落ちる満身創痍の状態になっていた。

 そんな姿を見かねて、ヒグラシ所長が戦いを止めようとした。

 

 私は所長の声を無視して、変わらずに老人に攻撃を仕掛けようとした。

 いつの間にか、老人の強さと、正々堂々とした戦いぶりと、そして底が見えない技の数々に、尊敬の気持ちさえ抱いていることに気付く。

 この時間がずっと続いて欲しい・・・戦っていてこんな気持ちになるのははじめてだった。

 

 だが、踏み込もうとした足の感触がなくなり、地面が目の前に起き上がってくるのがわかった。

 いや、そうじゃない。私が倒れていっているのか・・・もう終わりだなんて・・・

 老人が静かな表情のままその場から立ち去っていく後姿を最後に、私の意識は途切れた。

 

・・・・・・

 

 数時間後、私は自室にて目を覚ました。体には治療が施され、包帯や絆創膏がいくつも貼り付けられている。骨を砕かれた右手は石膏で固められ、石のように不自由な塊と化していた。

 自由に動く左手で体を何とか起こし、立ち上がった。そんな簡単な動きをするだけで全身に痛みが走っている。

 命を落としたあの夜をのぞけば、こんなにボロボロになったのは生まれてはじめてのことだ。

 

 私の自室の壁には写真が無数に貼り付けられていた。サツキおばあちゃんの写真だ。

 フレンズになる前・・・私がただの動物だった頃、私を愛し寄り添ってくれた一番大切なヒト・・・

 おばあちゃんの周りには、同じような年ごろのお年寄りたちが笑って佇んでいた。また違う写真では、年若い療法士に支えられながら、杖を突いて一生懸命に歩く練習をしていた。

 私の部屋には、月に一度サツキおばあちゃんの近況を示す画像ファイルが送られてきている。

 

 フレンズになって間もない頃、ようやく気持ちが落ち着いた私は、ヒグラシ所長におばあちゃんのことを尋ねた。所長は、私と別れた以降の彼女の動向を調べ上げ、教えてくれた。

 

「くも膜下出血」

 

 あの日、サツキおばあちゃんはそういう名前の重い病気にかかってしまったらしい。それからというもの、体の右半分は麻痺してしまい、言葉を話すことも自由に出来なくなってしまったという話だ。

 身寄りのないおばあちゃんは、最初の数か月は病院でリハビリテーションに励み、やがて東京都が運営する老人ホームに移っていった。

 そこで不自由な日常を繰り返す毎日を送っていることが写真から伝わってくる。

 

「おばあちゃん・・・会いたい」と、私は壁に左手をついて、情けなく涙をぼろぼろとこぼし続けた。あのあたたかい日々のことを忘れることなど出来ない。戻れるものならあの頃に戻りたいと今でも思う。

 でもおばあちゃんは、こんな変わり果てた姿の私のことはわからないだろうな・・・

 

___そんなぬるま湯みてェな気持ちで何をしようってんだ?___

___てめぇのやりてェことは、てめぇの頭で考えて決めるもんじゃねぇのかい___

___おめぇは、誰かのせいにして考えるのをやめてるだけだ___

 

 私を完膚なきまでに叩きのめした老人の言葉が、今なお胸に刺さっている。そしてようやく実感したのだ。生まれてこの方、ずっとヒトに守られて生きてきたことを・・・

 サツキおばあちゃんは言うまでもない。ヒグラシ所長もそうだ。厳しい訓練を課しながらも、私のことをとても気にかけてくれているのがわかる。

 

 クズリとの違いはそこだ。野生で生まれ育ったクズリは、自分の力だけを頼りに生きていた。だから自分の命を脅かす存在に対してあんなにまっすぐに怒りを燃やせるんだ。

 それに比べて私は、生まれてこの方ずっとヒトに命を預けてきた。だからクズリのように怒ったりはできないのだ。

 本当は戦いたくない。私は、私を殺したセルリアンのことさえ、そんなに憎んではない。ただ大切なヒトのそばで、穏やかに平和に暮らしたかっただけだ。

 自分でも嫌になるくらい、私は甘ったれている。こんな私が、一体何をよりどころにして強くなろうというのだろうか。まったくもってあの老人の言う通りじゃないか。 

 考えて見つけ出すしかない。クズリとは違う、私だけのよりどころを。

 

 目を閉じて、老人の動きを思い出してみた。

 格闘技とは、相手を倒すための技なのだと思ってきた。でも彼のは違う。倒すことよりもずっと先にある、何かすばらしい目的に向かうための技のように思える。

 そのすばらしい目的に向かって一心に進み続けているかのような気高い精神をあの老人からは感じる。

 胸の高鳴りに、全身が熱くなっている。体の痛みのことなんかもうすっかり忘れていた。

 

___アムールトラ、大丈夫か?___

 

 突如、部屋の隅っこから、申し訳なさそうな顔をしたヒグラシ所長の映像が現れた。今にもねぎらいの言葉を私にかけてきそうな感じだ。

 所長はいつだって誠実で、やさしくて、信頼できるヒトだ。でもそのやさしさに甘えていたら、きっと私は出来損ないのままなんだ。

 

「ああ、すぐに訓練に戻れるよ」と、所長から目を逸らしながら私は答えた。そして、所長が何か言い始める前に、聞きたいことを聞いてしまおうと思った。

「あのヒトは何者だったんだ? 空手を使っていたけど・・・」

 

___そうだ。空手家だ。名前は“サクツキ ゲンシ”という___

「なんで手錠をはめられたり、兵士たちに銃を向けられたりしてたんだ? どう見ても様子が変だった」

___あの男は、死刑囚なんだ___

「しけいしゅう・・・?」

 

 所長は言葉の説明から始めた。つまりあの老人は、過去に何かとても悪いことをしたそうだ。そして死を持って罪を償うしかないと国から言い渡され、国によって殺される日を待っているんだとか・・・私には何だか想像もつかない話だ。

 

___名のある格闘家の情報をかたっぱしから調べ上げてあの男のことを知った。そして上層部や各方面に働きかけて、一日だけここに呼びよせたのだ___

「所長は、なんであのヒトを呼んだんだ?」

___君に今までVRで戦ってもらったのは“表の世界の格闘家”だ。だがそのいずれも君に合わなかったようだから、それとは正反対の存在に目を付けたのだ。あの男は“裏の格闘家”・・・その名前は表の歴史には刻まれていない・・・だが、死刑囚となるまでに、数々のすさまじい逸話を残しているという話だ___

「やっぱり、すごいヒトなんだな」

___彼と実際に戦ってみて、どうだった?___

「とても強くて、そして偉いヒトだと思った。もっと彼と稽古をさせてくれないか?」

___そうか! それを聞いて安心したよ・・・今から彼の資料を集めて、新しいVRプログラムを作るとしよう。アムールトラ、君専用のプログラムだ___

「・・・違うんだ。聞いてくれ」

 

 ホッとして回線を切ろうとした所長が、私の返事を聞いてはっと向き直った。

 

「VRじゃなくて、生身のあのヒトからもっと教わりたいんだ」

___いや・・・それは無理だ。一日呼び付けるだけでも大変だった。彼は死刑囚・・・普段は自由がない所に閉じ込められている___

「何とかならないか?」

___一応、君の意向を上層部に伝えてみるとしよう。だが、あんまり期待しないでくれ___

 

 所長の歯切れの悪い回答で、会話が終わってしまった。それから数日は、居住区や運動場などの施設内を歩き回ってみたり、座りながら映像を見て格闘技の勉強をしたりして過ごした。

 

 だが、フレンズの体は常識外れに傷の治りが早い。裂けた皮膚も、砕けた骨も、わずか数日で元通りになっていた。傷が癒えた私はまた本格的な訓練に戻った。

 

 機械の棺桶の中、偽物の世界に意識を移した私の目の前には、胴着に黒帯を巻いた男がいた。

 “サクツキ ゲンシ”のVRプログロムの完成には数週間かかると言われたが、今用意できるプログラムの範囲内で、VR訓練は空手一色になっていた。

 

「えいぃぃぃぃっ! えあああああっ!」

 

 黒帯の男が力強く交差させた両腕を腰元までゆっくりと下げると、腹に響かせるような怒声と共に突きや前蹴りを繰り出していく。

 今日はプログラムと戦うのではなく、一定の距離を保ったままプログラムの動きを真似するという訓練だった。

 VRの空手家も、無駄のない術技立てられた動きをしていると思う。だが“サクツキ ゲンシ”に比べると、どうにもゆっくりしていて、動きのすべてを目で追うことが出来るのだった。

 そして彼から感じた、他にたとえようもない気高さが、VRからは感じられない。同じ空手でも、こんなに違うように感じるのはどうしてなんだろう。

 

 どうにも手ごたえを掴めないまま、私は棺桶から起き上がった。

 そして、棺桶の傍に黒い球体が浮いていることに気付いた。様子から察するに、私が訓練を終えるのを待っていたのだ。私は息を呑みながら球体に話しかけた。

 

「所長、どうだった? またあのヒトと稽古できそうか?」

___結論から言うと、死刑囚である“サクツキ ゲンシ”を、長期間この研究所で拘束することは出来ない。法律上の問題をどうしてもクリア出来ないのだ___

 

 私はその言葉を聞いてがっくりとうなだれる。ようやく見えた光明が閉ざされてしまったような気分だ。

 しかしその直後、所長は信じられないようなことを口にし始めた。

 

___だが、彼と会う手段がまったくないわけではない___

「どうしたらいい? 教えてくれ」

___その前に聞いておく。君はどんな危険な目にあっても、あの男にまた会いたいか? ことと場合によってはセルリアンと戦うよりも危険だ。だからこの話を先に進める前に、君の意志を確認しておきたいと思う___

 

 黒い球体の向こう側からに、重く真剣な雰囲気が醸し出される。所長としても、どうしたらいいのか迷っているような感じに見えた。私は今の正直な気持ちをはっきりと伝えた。

 

「・・・きっと、私のめざすべき目標はあのヒトなんだ。ぜひともあのヒトから学びたい。あんな風に強くなって、セルリアンと戦って、所長に受けた恩を返したいんだ。そのためには何でもやる」

 

 私の言葉を聞いて、所長が深いため息を付くのが球体ごしからでも感じられた。だがいよいよ観念した様子で、わかった。と話を続け始めた。

 

___あの男を呼び寄せるのではなく、こちらから会いに行くのだ___

「どうやって?」

___裏取引をして、彼が収監されている施設に君を送り込むのだ。そして用事が住んだら誰にも見つからずに出ていく・・・そういう方法なら、許可が降りそうなのだ。とても信じられない話だが・・・___

 

 ・・・私の方からあの老人に会いに行く。彼がいるのがどういう場所かわからないけど、所長の口ぶりからいって、相応の覚悟は決めたほうがいいのだろう。

 でも、私はやっと自分が進むべき道を見つけた。その道を進みきってみせる。

 たとえ、どんな目に遭ったって。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:48歳 性別:男 職業:Cフォース日本支部所属 生体兵器研究所所長
「朔 原始(さくつきげんし)」
年齢:74歳 性別:男 職業:福島第1特級拘置所 受刑者番号S-6805番

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編中章2 「とっきゅうこうちしょ」

 あるトラのものがたり第14話です。

 アムールトラ、生涯の師と仰ぐ存在と出会う。



 

 

 ここは福島第1特級拘置所。本州では最大規模の敷地面積を持つ本施設は、福島県沿岸部近海に位置している。

 この施設と陸地を結ぶのは、全長3キロメートルを越える一本の鉄橋のみ・・・

 

 特級などといっけん大げさな名前が付けられているのは、普通の拘置所とは異なる役目を持つ場所だから。同様の施設は、ここの他には日本にはたった3か所しかない。

 通常の拘置所との唯一にして最大の違いは“死刑囚しかいない”こと。ここを生きて出る収容者は誰一人としていない。

 そして・・・脱獄した者もいない。ここに来た時点で、それが不可能であることを誰もが知るから。

 どのようにして刑が執行されるかというと・・・まあ、それはいずれ知ることでしょう。

 

 ネットや書籍なんかでも、ここのことはよく取り沙汰されている。「地獄島」とか「天国に一番遠い場所」とか、ここに来たこともないくせに、ずいぶんと的確に言い表すものだと感心する。

 

 自己紹介しましょう。私の名前はハザマ。漢字のフルネームは“羽佐間葉子”

 私はここの代表を務めている。責任者としての業務と、収容者の健康管理、メンタルケアなどが私の仕事・・・

 私が女であることを知ると驚く人間もいるが、ここの施設の性質上、男の収容者に接するのは女のほうが適任だと思う。

 男が本音をすべてさらけ出せる相手は、やはり女なのだろう。私のことを母親なり、娘なり、配偶者なりに重ねはじめる収容者は多い。

 彼らの一番の話し相手になること。それがおそらくこの仕事でもっとも大事なことなのでしょう。

 

 最後の瞬間を待ち続ける死刑囚たちは、実にさまざまな表情を見せる。

 必死の形相で命乞いする者、世間への恨みつらみを大声で叫び続ける者、心が壊れて幻聴や幻視を体験する者・・・

 いさぎよく覚悟を決められる者など、ほんのわずかしかいない。

 人生最初で最後の、もっとも恐ろしい出来事を前にして、すべての可能性が閉ざされた人間の苦悩は、どのような言葉をもってしても言い表すことは出来ない。

 

 私はその昔、臓器移植専門の外科医として、人の命を救おうと奮闘していた。でもある手術で取返しの付かない失敗をしてしまい、医者としての人生を絶たれてしまった。

 そんな私の行きつく先が、医者とは正反対の、関わった人間を死なせ続けるこの仕事だった。

 自分のことを責めない日はない。仕事をしている間はまだいい。最悪なのは眠りに落ちる瞬間だった。

 決まって悪夢を見る。大勢の亡者の怨念に手足を掴まれて、泣き叫びながらどこまでも暗い地獄の底に引きずられていく・・・地獄の底にたどり着いた私は、亡者たちに繰り返し折檻を受け、最後には・・・

 

 話を戻しましょう。ここを生きて出る者はいないと言ったけれど、最近めずらしいことがあった。数日前、ここの収容者の一人が、一日だけ外出していった。

 呼称番号S-6805番「朔 原始」・・・

 

 国連対Cフォースという、近年急速に台頭している世界規模の巨大な軍事組織の要請を受けて、超法規的措置で一日だけ彼を外出させた。

 丸一日経って拘置所内に帰ってきた彼は、それまでと何も変わらないケロっとした様子で自分の持ち場に戻っていった。

 

 そして今日、ふたたび6805番をこの医療棟に呼び寄せることとなった。定期健診の日以外で、私の方から収容者を呼び寄せることはない。

 

 そう・・・またしてもめずらしいことが起こったのだ。私は外部の人間からある仕事を依頼された。

 

 仕事の依頼者は、またもやCフォースの人間だった。“日暮 啓”と名乗る、人のよさそうな顔をした長身痩躯の男だ。

 その名を聞くのは、実ははじめてじゃない。外科医の仕事をしていた時に聞いたことがある名だった。

 かつて医者としての将来を嘱望されていた彼は、ある日突然に生物学者に転向して、若くして遺伝子工学などバイオテクノロジーの第一人者となったという。

 彼のことを数十年に一度の天才だと呼ぶ声もある程だった。だが実際に会った印象は天才とは程遠く、典型的な学者といった感じの文弱な中年男だった。

 

 おおよそ外部との交渉事など不向きであろうその男は、朴訥で不器用な語り口で思いがけないことを私に話してきた。

 今日は彼に頼まれた仕事をしなくてはいけない日だった。

 

 私の執務室には、医療棟のありとあらゆる部屋の映像が映し出されている。

 その中のひとつ、壁も床も、調度品すらも真っ白なもので揃えられた面会室の中に、黒くてボロボロな服をまとう筋骨隆々の老人が入ってきた。

 

 まるで自分の部屋であるかのような自然体な態度で、白い椅子の上にどっかりと座り込むと「何の用でェ」と不敵な表情をカメラに向けてきた。

 私はその映像を指で叩いて拡大し、6805番との会話をはじめた。

 

「調子はどうかしら?」

「アンタの顔を見て悪くなった。“女王サマ”よ」

「それは気の毒ね。今日は頼みがあってあなたのことを呼びました」

「・・・またどこかに行けってか? 今度は給料でも貰いたいもンだ」

 

 6805番・・・この老人のような死刑囚は他にいない。その態度にも言葉遣いにも、一切の恐怖が感じられない。悟っているというか、人生のすべてに対して覚悟を決めている。

 私は胸に秘めていた要件を彼に向かって切り出した。

 

「同じような頼みです。でも今度は外出ではない。その反対・・・外から来た客人を出迎えて欲しい」

 

 それを聞いた6805番の表情がはじめて曇る。私のこの言葉だけである程度の事情を理解した感じだ。

「聞くだけは聞いてやらァ」と、彼が渋々同意するのを確認すると、手元にあるキーボードを使ってパスワードを入力した。

 

_______ゴゥゥゥン・・・!

 

 私がエンターキーを押すと、真っ白な面会室の入り口から向かって右の壁がスライドし、同じような間取りの面会室がまた現れた。

 白い壁がかき消えた代わりに、二つの部屋は透明な防弾ガラスによって仕切られていた。

 

 そして・・・新しく現れたその部屋には、少女が一人佇んでいた。

 少女はすらりと背が高く、しなやかさと逞しさを兼ね備えた、まるで欧米人の女性アスリートのような体つきをしていた。

 でも面構えは幼い子供のように無垢で一途なように見える。成熟した体にはまるで不釣り合いと言わざるを得ない。

 これが“特殊生物兵器”と呼ばれる存在・・・

 

 その出で立ちも奇妙だった。白いブラウスに黒いVネックのセーター、チェック柄の黄色いスカート・・・この言葉が適当かはわからないが、まるでそこらにいる女子高生だ。

 だがそれとは対照的に、髪も手も足も、橙色と黒の縞模様で、おおよそ一般的な女の子の風貌とはかけ離れていた。極めつけに、同じような縞々の耳と尻尾まで生やしている。

 動物のコスチュームプレイをした女の子にしか見えない彼女は、元々は正真正銘の動物・・・とあるサーカスで生まれたトラだったと聞く。

 

 予想外の相手に向かって、さしもの6805番も「・・・おめぇは」と、言葉を失った様子だった。

 

 この何もかもが異様な出で立ちの少女こそが、Cフォースが私に寄越してきた客人だ。

 コンテナに詰められて、遠く東京から運ばれてきた特殊生物兵器アムールトラを少し前から面会室に待機させ、6805番と示し合わせたのだった。

 言葉を理解し、従順な態度を示す彼女には、特別な拘束など何も必要なかった。

 

「このガキの面倒を見ろってか」と、6805番は吐き捨てるように呟いた。少女の姿を目にして、彼は早々とすべての事情を悟った様子だった。

 

「お願い・・・です! 私にカラテの技を教えてく、ください!」

 少女はガラス越しに6805番に近寄ると、その長身を折り畳むように土下座して懇願しはじめた。

 そのチグハグな言葉遣いから察するに、敬語は使い慣れていないのだろう。

 6805番は舌打ちをして少女から目を逸らし、再びカメラごしに私へ事情の説明を求めてきた。

 

「あなたもご存知でしょう、海外の都市を壊滅させた未知の危険生物のことを・・・そして、それに唯一対抗できるとされている“特殊生物兵器”のことを・・・今や彼女を強くすることは国家的な急務になっています」

「その急務とやらに協力して、俺にはなんか見返りがあんのかい?」

「この話を呑んでいただけるのなら、あなたのことを特例模範囚として扱いましょう。この医療棟の一区画、シェルタールームの一室にて生活させることを約束するわ」

「断った場合は?」

 

 彼の表情がいっそう渋くなっていくのがわかる。私は、当然とも言えるその問いに対して、用意していた回答を告げた。

 

「・・・どうもしません。これは“命令”ではなく、あくまで“頼み”なのだから。あなたが断った場合は、その子は元いた場所に送り返します。そしてあなたには今まで通り服役してもらうだけよ」

「それでいいのかい? お上の命令を突っぱねたってんなら、あんたの首も飛びかねないんじゃねェのかい?」

「関係ないわ。物事には道理があります。あなたはすでに国から死刑を言い渡されている。であるならば・・・その日が来るまでは、他のことを強制される筋合いはありません」

「じゃあ、好きにさせてもらおうか」

 

 私と6805番の会話を傍で聞いていたアムールトラは、その雲行きが怪しくなっていったことを察し、表情に隠し切れない不安を浮かべていた。

「お願いします! お願いします!」と白い床に頭をこすり付けるようにして懇願を続けている。

 

 特殊生物兵器の彼女は、言葉を話すことは出来ても、人間のようにたくさんの選択肢の中から言葉を選ぶことなど出来ないのだろう。

 たった一つの願いを胸に抱いて、それをまっすぐに突き出す他には、何の手段も持っていない。

 その愚直さは、見ていて痛々しくなるほどだ。

 

 6805番は、モニターから視線を外すと、アムールトラに歩み寄り、防弾ガラス越しに見下ろした。その後ろ姿には、見る者を圧倒するような威圧感が漂っている。

「あ、あの・・・」

 地面に両手をついたままの少女は、許しを請うような、叱られる子供のような表情で6805番を見つめ返した。

 

 至近距離で見つめあう少女と老人・・・一見まったくかけ離れている姿の2人が、とても近しい存在であるように思えた。

 アムールトラに負けず劣らず、6805番の風貌も人間離れしている。身にまとう黒い道着は、何年着ているかわからないぐらいにぼろぼろであり、破けた袖からは老人とは思えない鋼のような筋肉が覗いている。

 そして彼の頭部から首元まですっぽりと覆い隠すボサボサの長髪と髭は、まるでライオンのたてがみのようだった。

 アムールトラが少女に扮した若いトラなら、6805番は年老いた黒き獅子とでもいうべき姿だ。

 

「おめぇは何で強くなりてぇ? この質問をするのは二度目だ」

「・・・わ、私はヒトの役に立ちたい。強くなって、ヒトの世界を守りたい・・・だから、私にカラテの技を教えてください」

 

 とつとつと語るアムールトラの言葉からは純粋なかがやきが感じられる。己の言葉を心から信じきっている者しか持ち得ない光だ。その眩しさは6805番も感じているはず。

 彼はどう答えるのだろう。

 

「・・・技じゃねェ」

「え?」

「空手は技じゃねェ。道だ」

「・・・道?」

「てめぇの人生を全部ささげるってぇ意味だ。それが出来ねぇ奴には空手を使う資格はねぇ・・・おめぇに出来るかい?」

 

 アムールトラは答えなかった。立ち上がって、6805番にまっすぐと向かい合い、そのまま彼のことをじっと見つめ続けた。言葉で上手く伝えられないトラの少女から、言葉よりも雄弁な態度が示される。

 6805番もアムールトラから片時も目をそらさなかった。

 

 物言わぬアムールトラと6805番が、沈黙の中に幾千幾万もの言葉を交わしているかのようだった。まるで2人の間には言葉など必要ないといった様子だ。

 普通、そんなやり取りは親子、兄弟、恋人といった限られた関係の中でしか成立しないはずなのに、たった二度顔を合わせただけの2人は、すでにその領域にいるかのようだった。そこには“他人”である私など到底立ち入ることが出来ない空気が流れている。

 

 6805番は先ほどまでの迫力を引っ込めて再びイスに座ると「まいったねぇ」と、独り言ちた。沈黙の中で答えが出されたようだ。

 

 人生の最後を一人で静かに迎えようとしていた6805番にとって、縁もゆかりもない誰かの世話をすることなど、とうてい聞き入れられるはずもない酷な頼みだと思うのだが・・・

 一体彼の中でどのような心境の変化が起きたのであろうか。

 

「そろそろ返事をいただきましょうか」

「・・・イエスだ」

「感謝します。私も出来る限りのことはさせてください」

「アンタに感謝されるいわれはねェさ、女王サマ」

 

 アムールトラはというと、手を膝について深々と6805番に頭を下げていた。首を垂れた顔のその瞳からは光るものが見えている。

 

「では約束通りに、あなたをシェルタールームに案内しましょう。アムールトラと共同の生活になりますが、あの部屋は走り回ったりしても十分な面積があるわ」

「いや・・・そっちはお断りだ。俺は今のすみかが気に入ってる・・・住めば都ってやつさ。こんな辛気臭い所には一秒だっていたくねぇ」

 

 ここに来て6805番の意外な回答が返ってきた。シェルタールームに入れば“今よりも確実に長生きできる”のに、この提案を断る意味がわからない。

 これでは彼にとってのメリットなど何もない。

 けど・・・ひとまず彼の意志を尊重するのが筋というものね。

 

「では、アムールトラをあなたのすみかに連れていくといいでしょう」

「・・・正気かよ? ここがどういう所か、アンタが一番良く知っているだろうが。このガキに防護服でも着せるつもりかい?」

「その子に防護服は必要ありません。Cフォースの人間から聞いた話によれば、その子の細胞は放射性物質を運動エネルギーに変換することが出来るそうです。だから、ここの環境はむしろ快適なのだと」

「はっ・・・なんだいそりゃ。まるでガキの頃に見た怪獣映画みてぇだ」

「私も信じられないわ。だけど事実よ」

「あ、あの・・・」

 

 アムールトラは再び困惑の表情を見せていた。私と6805番の会話の半分も理解できていないといった様子だ。

 

「このガキにはどこまで話してんだ? ここのことを」

「何も説明してないわ。Cフォースからは“余計なことを知らせず、訓練に集中させて欲しい”と言われたのでね」

「こんなところに送り付けておいて、ふざけたことをぬかす連中だ・・・」

「でも、あなたがこの子のことを預かることになった以上は、あなたがその子に何を話しても構わないと思います。すべておまかせするわ」

 

 6805番は、それ以上の説明はいらない、といったふうにかぶりを振って深いため息をついた。

 

「私の話はこれですべて終わりです。迎えの車を手配しましょう」

 

 6805番はイスから立ち上がると、気だるそうに踵を返して歩き出した。

 それを見てアムールトラも動き出す。モニターの向こうの私の顔を見やり、律儀にも会釈をした後、6805番の後ろに付いていった

 そして執務室に映し出される映像から完全に2人の姿が消えた。

 

 はじまりに向かう少女と、終わりに向かう老人。

 この世の地獄とも呼べる場所で、まったく異なる2人の道がひとつに合わさったのだ。

 たぶん、2人は運命的なめぐり合わせによって出会わされたのだ。私はその仲介をしただけ。後は結末を見届けることしか出来ない。

 少女の多望な前途と、老人の幸福な終焉を、ひたすらに願う。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________

「羽佐間葉子(はざまようこ)」
年齢:36歳 性別:女 職業:福島第1特級拘置所総監、また施設内専任医師
「朔 原始(さくつきげんし)」
年齢:74歳 性別:男 職業:福島第1特級拘置所 受刑者番号S-6805番

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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過去編中章3 「たつこと いきをすること」

 あるトラのものがたり第15話です。

 師匠と弟子、二人きりの修行の日々。


 ヒトは、死んだら天国か地獄に行く。

 

 以前、ヒグラシ所長が教えてくれたことだ。

 良い行いをしたヒトは天国に行って、永遠の幸福の中で過ごすことが出来る。

 悪い行いをしたヒトは地獄に落ちて、終わることのない痛みや苦しみをその身に受け続ける。それは生きている時に犯した罪に対する罰なのだと。

 本当かどうかわからないけど、そんな考えを信じているヒトが世界中にたくさんいるらしい。

 

 動物も、ヒトと同じように天国や地獄に行くのかな? 

 私は一度死んだことがあるけど、その時見たのは天国でも地獄でもなかった。

 暗くて冷たい川の中を、どこまでも流されていたことを憶えている。

 何もなくてただただ寂しい場所だった。その寂しいって気持ちさえも次第に無くなっていくのを感じた。

 

 今にして思えば、あそこは天国か地獄に行く途中の通り道だったのかもしれない。

 あの道を渡り切る前に、私は今の姿で生き返った。

 

 そして今、生きているはずの私が居る場所は・・・

 

「アムールトラ・・・付いてこいや。俺の家に案内してやらァ」

「は、はい、師匠!」

 

 あの白づくめの不気味な建物の中で、ゲンシ師匠は私に空手を教えることを約束してくれた。

 

 あの後、師匠と私はトラックの荷台に詰められて、どこかへと運び出された。

 しばらく走ったトラックがどこかで足を停めると、天井を覆う金属の屋根が突然に切り開かれて、師匠と私は外に下ろされた。

 

 私はまぶしさから目をかばうように手をかざしながら、おそるおそる暗闇の外へと一歩を踏み出した。

 そこにあったのは、想像だにしない景色だった。

 

 数えきれない瓦礫やゴミで埋め尽くされた鉄さび色の大地・・・いつ果てるともない荒野が地平線の向こうまで続いている。

 一歩踏みしめるごとに、細かな瓦礫の中に足が取られて沈んでいく。

 臭いもひどい。埃っぽくて、むせ込みそうなぐらいしょっぱくて・・・それになんだかよくわからないけど、とても嫌な感じがする。

 

 見れば見るほどに、想像を絶するひどいありさまだ。この世界にはこんな場所もあったのか。

 こんな所には、ヒトは絶対に住めない。ヒト以外のあらゆる動物にとっても、ここは生きられる場所じゃない。

 

 ゲンシ師匠はいつの間にか、どんどん先に進んでいっていた。

 細かな瓦礫が降り積もる道は波のように細かい勾配を形作っており、少し進むだけでも登ったり下ったりしなければいけなかった。

 私も師匠に置いていかれない必死に足を運んだ。

 

「ここのことはどこまで知っていやがる?」と、振り返りもしないまま師匠が尋ねてきた。

 

「ここは死刑囚が集められる場所って聞きました。師匠も、その・・・」

「死刑囚がここでどんな風に死ぬか、知ってるかい?」

「・・・いえ」

「やれやれ、ドクターハザマの言う通り、本当に何も知らねェンだな」

 

 ゲンシ師匠がここのことを色々と説明してくれた。

 死刑。国が与える罰として、罪人の命を奪う行為のこと。

 日本では数十年前まで、ロープで首を絞めたまま高い所から落として死刑を行っていたらしい。

 外国では、銃で撃ち殺したり、毒を体に注射したりと、色んなやり方があったとのことだ。

 

 でも、現在ではそういったやり方は全部なくなったらしい。

 残酷であるとか、倫理観に反するとか、ヒトの考え方が進歩していくのと同時に、段々と時代遅れになっていったから、とのことだ。

 世の中の流れは一時期、死刑を完全になくそうという意見に傾いていた。

 

 だけど死刑はなくならなかった。

 死刑になるかもしれないという恐怖が、犯罪をやめさせるブレーキとして必要だからと考えられているかららしい。

 

 死刑の次に重い罪は終身刑といって、囚人が寿命で死ぬまでずっと刑務所に閉じ込めてしまう刑罰があるらしいのだけれど、何十年もの間ヒトを一か所に閉じ込めておくのはとても難しいことらしい。

 そして犯罪をやめさせるブレーキとしての効果は、死刑に比べるとあまり期待できないとのことだった。

 

 だからと言って、直接的な方法で囚人の命を奪う今まで通りの死刑もためらわれた。

 そうして考え出されたのが“直接的には殺さない死刑”だった。

 

「この拘置所にいるだけで、誰もかれも遠からず死んじまうのさ。一か月後か、あるいは一年後か・・・そりゃあそいつの生命力次第だな」

「どうしてなんですか?」

「ここがひどいのは見た目だけじゃぁねェ。ここは放射能に汚染された島なんだ」

 

 ほうしゃのう・・・そういう名前の、すべての生き物の体を壊してしまう恐ろしい毒があるらしい。この島のどこにいても、放射能が囚人の体を蝕み続ける。

 時間が経てば経つほど囚人の体は放射能に侵されていって、やがて死に至る・・・

 

「だが、おめぇの体には放射能が効かないらしいんだと」

「そ、そんなこと聞いてません・・・」

「俺もついさっき聞いただけだ」

「所長は何も言ってませんでした」

「あの男はおめぇに余計なことを話して、不安にさせたくなかったんだろうぜ。ともかくおめぇは安全だ。そうでなければ、おめぇに対して過保護ともいえるあの男が、おめぇをこんな所に送り付けるわけがねェやな」

 

 確かにそうだ。私にはセルリアンと戦う使命がある。その使命を果たせないまま死なせることなど、ヒグラシ所長は絶対に望まない。

 でも、だからと言って何も教えてくれないのはあんまりじゃないか。

 

「そういうことだからよ、おめぇに空手を教えるとは言ったが・・・あんまり時間はないと思えよ」

「・・・・・・はい」

 

 瓦礫の砂漠の合間に無数の朽ち果てた建物が軒を連ねている。様々な大きさの・・・元々はビルだったり普通の民家だったりしたであろう廃屋だ。

 

「・・・し、師匠。あれは何ですか」

 

 私が指差したのは廃屋の中のひとつだ。その入口から、金属の光沢を放つ“こけし”のお化けみたいなのが出てきたのだ。

 寸胴な体の下には球体があり、それがボールのように転がることで瓦礫の上を移動している。

 ヒトの背丈よりも少し大きいほどの得体の知れない物体が動いているのを見て、私は思わず身構えた。

 

「安心しろや。ありゃあガードロボットさ」

「がーどろぼっと?」

「囚人を野放しにするわけねェだろ。見張る人間が必要だ。だが放射能が降り注ぐ中を生身の看守が歩き回るってわけにもいかねェ。そこで遠隔操縦のガードロボットが使われてるってェわけさ。よく見てみな、あそこにも、あそこにもいる」

 

 なるほど、こけしのお化けの向こうから、あのハザマっていう女のヒトやその部下たちが見ているってことなんだ。ちょうど、ヒグラシ所長がいつも黒い球体ごしに私に話しかけてくるのと同じようなものだ。

 

 そして、私にはもう一つ気になることがあった。

 

「師匠、さっきから私たち以外には誰もいませんが・・・他の囚人はどこに?」

「みんな建物の中さ。穴を掘っている。そしてそん中で怯えて縮こまっている」

「あ、穴ですか?」

 

 穴を掘るのは、放射能を少しでも避けるためらしい。汚染が一番ひどいのは地面の上であり、地面に穴を掘って、少しでも地下に潜れば、それだけ放射能が薄くなるのだとか。

 一日でも長く生き延びるためにここの囚人は穴を掘り続けている。

 

「ガードロボットの仕事は見張りだけじゃねェ。食料や水の配給もやるし、日ましに悪化する囚人の健康状態も記録してる。だから囚人は穴掘りに専念できるってことさ」

「・・・師匠は穴を掘らないんですか?」

「やらねェ。そンなことよりも大事なことがある」

 

 私は頭の中に入ってくる情報を整理しきれないまま師匠に付いていった。

 しばらくすると瓦礫の島の終わりが見えてきた。

 

_______ザァァァ・・・ザッパーン・・・

 

 陸地が途切れた向こうには、途方もない広さの海が広がっている。

 実際に海を見るのは始めてだ。映像では何度か見た事があるけれど・・・でもこの海は、映像の中で見たような、胸がおどるような青くきらめく透明な海とは全然違う。

 日は高く、さんさんと陽射しが降り注いでいるのに、海面がその光を反射することはなかった。海面は見渡す限り、真っ黒に濁っている。

 そして海面の上には、良くわからない形のおびただしい量のゴミが漂っている。

 あたりまえだけど、陸地だけじゃなくて海もすっかり汚れてしまっているんだ。囚人がこの海を泳いで逃げることは出来ないだろうな。

 

「着いたぞ・・・ここが俺の家だ」

 

 家・・・どこに家が。私が辺りを見回すと、瓦礫の中にまっすぐな坂道を見つけた。

 地中へと延びる坂の終点には、扉すらない四角い穴が開いていた。

 道の幅から考えると、たぶん車が出入りするような道だったんだ。

 

「あ、あそこですか?」

「あの地下駐車場が一応、俺の家ってェことになる」

「・・・?」

 

 ゲンシ師匠はそれ以上答えなかった。

 打ち寄せる波の音だけが繰り返し鳴り響いている。これだけ汚れていても、音だけは正真正銘の海だった。

 困惑したまま師匠のことを見ていると、突如彼から放たれる空気が変わった。

 

 研究所ではじめてあった時と同じだ。

 目の前にある海と同じくらい巨大な存在感を放ち始めた師匠を前に、私も必死に雑念を振り払い意識を集中させた。

 

「さあ、さっそく稽古しようじゃねェか・・・まずは打ってきな」

「はい!」

 

 最初に師匠に見てもらうのは、この技しかない。VRでも何度か学んだ技だ。

 まっすぐな姿勢で下半身を深く踏み込ませて、握り込んだこぶしを突き出す、空手の基本にして要の技・・・!

 

「それで中段突きのつもりかい」

「・・・ッッ」

 

 ゲンシ師匠の腹部めがけて中段突きを打とうと思った瞬間、いつの間にか師匠の手刀が私の首元に添えられていた。

 これだ、この感じ・・・意識の外から攻撃が飛んで来る。この謎がわからない限りはどうしようもない。

 

「今ので大体わかった」

 師匠は早々に構えを解いて、殺気を引っ込めてしまっていた。私の最初の稽古はいともあっけない形で終わってしまったのだ。

「空手の真似事をしているつもりかもしれんが、そんなものおめぇにはまだ早ェ」

 

「おめぇは筋力も体力も人間よりはるかに上だ。そんなおめぇが、どうして俺みたいな老いぼれの病人に後れを取るのかわかるかい」

「・・・そ、それは・・・」

「答えは簡単だ。おめぇのその恵まれた体が・・・空手の邪魔をしているからさ。空手は・・・いや、すべての格闘技は、力で振り回すもンじゃねェ」

「一体どうしたら?」

「体の使い方を一から全部変えるンだ」

 

 言葉の意味を理解出来なくて困惑している私をよそに、ゲンシ師匠は歩き出した。

 黒く汚れた海の波打ち際で足を停めた師匠は、振り返りもせずに私に手招きをした。

 

 師匠と私は、瓦礫で出来た砂浜の、陸地と海の境界線に立っていた。

 遠い目をして、居心地良さそうに汚れた海を眺めていた師匠が再び私に話を始めた。

 

「アムールトラよ、ひとつ質問をしようじゃねェか。“生きるために絶対やらなきゃいけないこと”ってなあ、何だ?」

「え、あの・・・」

「なぞなぞじゃねぇぞ。当たり前のことを答えろ」

「食べることですか?」

「食事すらしていない時にやっていることはなんだ? ちょうど今の俺たちみたいにな」

 

 今の私たちがしていること? 稽古もしていないし、ただ海を眺めているだけだと思うけど・・・食べること以外に、生きるために絶対やらなきゃいけないことって一体なんなんだろう?

 

「良いか? 俺たちは今ここに立っている。そして、息をしている。違うか?」

「・・・?」

「ピンと来ねェか。まあいい・・・“立つ”ことと“息をする”こと。これが生きることの根っこだ。体の使い方を全部変えるってのは、この根っこから変えていくってェことさ」

 

 ゲンシ師匠が最初に私に教えてくれたのは、立つことだった。

 真っ直ぐに立った姿勢から、肩幅に足を開き、片方の足を踏み出し、さらに上半身を横にしながら足を前後に大きく開いて腰を落とす。

 それが終わったら今度はその動きを反対の手順で行い、また元の真っ直ぐ立った姿勢に戻る。

 そして同じ動きをもう片方の足で行う。

 

 止まっているに等しいゆっくりとしたペースで、単純な動きを何度も何度も繰り返していく。ひとつの動きを終える間に、汗が何滴も零れ落ちて瓦礫の砂浜に吸い込まれている。

 

 足の開く幅や、重心の移し方、つま先の向きなどに、わずかな間違いすらあってはならない。

 ゲンシ師匠は何時間もの間、寸分の狂いもない動きで立ち方を変えていっている。ごく自然体に、それが当たり前であるかのように。

 

 それに比べて、ぎこちなく無駄な力が入ってしまっている私の体ときたら、師匠の真似をしようとしても、とても同じようには出来ないのだった。

 思えば、自分の体の動かし方に対して、ここまで神経を使ったことなんてない。自分の体は自分が思う通りに動いてくれるものだとばかり思っていた。

 

 師匠の伝えたいことがなんとなくわかってきた。

 私は体の動かし方がまるでなってなかった。生まれ持った強い体にすっかり甘えて、ただ力任せに動かしていただけだったんだ。

 

・・・・・・

 

 立つことの稽古に没頭することまる半日・・・真上にあったはずの太陽が、汚れた海の水平線の向こうに消えて久しい。

 瓦礫の島にも夜が来たのだ。暗闇の砂漠の中にまばらに光る点が動いて見えるのは、ガードロボットたちなのだろう。

 

「さァて、この辺にするか」と、息も切らさぬゲンシ師匠が今日の稽古の終わりを告げた。

 

「___はあっ・・・はあっ・・・はあっ・・・」

 

 研究所でもトレーニング付けの毎日だったけど、それと比較にならないぐらいに全身が疲れ切っているのを感じる。

 今までやったこともないような体の使い方をしたからだろう。でも、これが当たり前に出来るようにならないといけないんだ。

 

「付いてこいや。メシにすンぞ」

「・・・はい」

 

 私は師匠に付いて、海辺のすぐそこにある地下駐車場の中へと入っていった。

 暗闇の中に古ぼけた輪っか型の蛍光灯がひとつだけぽつんと輝いている。それに向かって小さな虫がコツンコツンと体当たりを繰り返している。

 

 狭い駐車場の中には段ボール箱がいくつか積み上げられている。師匠は手近な段ボールを開けて中身を取り出した。

 師匠が手に持っていたものは、紙に包まれた丸っこい何かと、ペットボトル詰めの水だ。

 

「ハンバーガーとミネラルウォーターだ。そら、おめぇの分だ」

「・・・あ、ありがとうございます」

「まともな食事でびっくりしたかい?」

 

 正直、すごく驚いた。社会から切り離された瓦礫の島で、都会のヒトが食べているような食べ物が当たり前のように出てくるなんて夢にも思わなかった。

 そして、獣よりも獣みたいな風貌のゲンシ師匠がハンバーガーに舌鼓を打っていることも、見れば見るほどにチグハグでおかしな光景だ。

 こんな失礼なことは口に出せないけれども、本当にそう思う。

 

「こんなメシが食えるのもドクターハザマのおかげだ。あの人は食事の配給には一番心を砕いてるンだ。何があっても囚人を餓えさせないようにってな。拘置所の治安を守るためさ」

 

 一足先に食事を終えたゲンシ師匠は、満足そうにゲップをしながらハンバーガーの包みとペットボトルを、地面に穴を掘っただけの簡素なゴミ箱に捨てていた。

 今日はこの地下駐車場の中で眠りに付くのかな、と私が思っていた矢先、師匠が立ち上がって外へと続く坂道へと歩きだして行った。

 

「師匠、どこに行くんですか?」

「眠るのさ。おめぇも来い」

 

 眠る? 外で?

 ここで雨風をしのげるというのに、どうして?

 

 あわてて追いかけていった私が見たのは、ゲンシ師匠が汚れた海の波打ち際で座り込んでいる姿だった。

 

「アムールトラ、俺の真似をして座れ。結跏趺坐(けっかふざ)てェ、ずっと昔の偉いお坊さんが考えた座り方さ」

 

 ゲンシ師匠は体の前で両足首を組んで、左右の足を一本の輪にするようにして座っていた。背筋はまっすぐと伸びていて、立ち方の稽古をしている時と遜色ない緊張感のままだった。

 その座り方の意味はわからなかったけど、師匠の動きのひとつひとつには、考え抜かれた深い意味があるということだけは今日一日で痛感していた。

 

「師匠、これはどんな稽古ですか?」

「昼間の話だが・・・生きるために必ずやらなくてはならないことがまだある。立つこと、息をすることの他にも、後ひとつだけな・・・もうわかンだろ?」

「・・・・・・眠ること、ですか」

「横になって眠っても何の稽古にもならねェ。だから俺はいつも座って寝てるンだ」

 

 両足首を組んだ結跏趺坐の座り方は、息をすること、眠ること、ふたつの稽古を一度に行うとても重要な修行なんだそうだ。

 

 息をすることの稽古は、何も動かない睡眠の時間に行うのが一番効果的だ。

 正しく息をすることで気持ちを落ち着けて、雑念を取り払い、目の前のことに意識を集中する・・・そうやって感覚を研ぎ澄ませることが、実戦でも修行でも一番大切なことだと師匠は言う。

 

 こういう修行を“坐禅”とか“瞑想”とか言うのだとか。もっと現代的な言葉でいうと“精神統一”だと。

 精神統一を完全に身に着けたならば、意識を保ったまま、横になって寝るよりもずっと深い眠りにつくことが出来るらしい。

 

 眠ることは、起きて修行することと同じぐらい大事なんだそうだ。その役目は、体を休めることだけじゃない。

 今日一日、起きている間に学んだことは、眠っている時に体に刻み込まれる。そしてそれが明日へと続いていく。

 起きることと眠ること・・・生きていく限り繰り返される循環・・・それをより良くしていくことこそが、すなわち修行の本質だ、と師匠は言った。

 

 暗闇に染まった海の波打ち際、師匠の隣に足を組んで座った私は、師匠の真似をしてゆっくり深呼吸をしようとした。

 

「すぅー・・・はー・・・すぅー・・・はー・・・」

 

 だけど、いざ心を落ち着かせて深呼吸をしようとすればするほど、気持ちが焦ってきてしまって、逆に息苦しくなってくる。

 足を組んで座るのも慣れなくて、体の節々が痛い。とてもじゃないけど休むことなんてできそうになかった。

 

「そンな力任せな呼吸じゃダメだ。大事なのは力を入れることでもねェ、考えることでもねェ、ただ観察することだ」

「観察?」

「まずは温度を感じろ。吸い込む空気は冷たい、吐き出す空気は温かい。その温度の差をじっくりと観察するンだ・・・・・・次に、空気の流れを感じろ。てめぇの体が、ただの空気の入れ物になったつもりでな」

「あ、あの・・・」

「理屈はこれ以上考えンでいい。俺の言った通りにやってみな」

 

 吸い込む空気は冷たい。

 吐きだす空気は温かい。

 私の体は、空気が流れるだけのただの入れ物・・・。

 

 ・・・師匠に教えられた言葉をお経のように頭の中で念じるけど、言葉の意味もわからず、集中して呼吸ができているとは言い難かった。

 自分はこれほどまでに集中力がなかったのか。立つことといい、きょう一日で自分がどれだけ未熟だったのかをほとほと思い知らされる。

 

 師匠はどんな風に精神統一しているのだろう・・・ふと気になって、横目でちらりと見てみた。

 

(・・・・・・ッッ!)

 その姿には心臓が止まりそうなぐらいに驚かされた。

 地面に根を張った植物のように、まるで最初からそうであったかのように、辺りの景色と完全にひとつになっていた。

 一切の雑念のない静寂そのもの・・・精神統一という言葉をあらわすのに、これ以上のものはないと思う。

 

 そして、静かに休んでいるように見えて、一切の隙がないようにも思える。

 仮に今この瞬間、どこかから攻撃を仕掛けられても、すべて見切ってしまうだろう。理屈はよくわからないけど、師匠は周りのことが私よりもはるかによく見えている。

 本当に、どこまですごいヒトなんだろう。

 

・・・・・・

 

 夜が明けて、太陽が再び姿を現し、汚れた海と瓦礫の大地を照らしはじめた。

 私は結局一睡も出来ずに、ぎこちなく座ったまま過ごした。

 

「稽古だ。新しい立ち方をいくつか教えてやらァ」と、師匠がぽつりとつぶやいた。夜は景色と一体化していた彼は、またひとつの存在に戻っている。

 

 日が出ている間はひたすらに立つことの稽古をして、日が暮れれば座って眠りにつく。そんな時間が幾日か過ぎた。

 まともに眠れないまま何日か経って、私は立っていることすらままならないほどに疲れ果てていた。頭の中は猛烈な眠気とだるさでいっぱいだ。

 

 朦朧とした意識で、ゲンシ師匠の立ち姿の真似を繰り返していく。

 まともに力の入らない足を、静かにゆっくりと瓦礫の中に沈みこませる。

 

(・・・あれ? なんか、おかしいな)

 

 違和感に気付いた。今まではただただつらいと思っていた空手の立ち方が、妙にしっくりと体になじんでいるのだ。

 安定感があって、信じられないほど楽に立てている。まるで地面が下から私の足を持ち上げてくれているような感じだ。

 明らかに、今までとは違う体の使い方をしている。疲れているがゆえに、余計な力が抜けているからだろうか。

 これまでただ筋力だけで立っていたのが、いかに頼りないものであったのかとすら思う。

 

 違和感は足元の安定感だけじゃなかった。気を抜けば倒れてしまいそうなぐらい疲れているのに、感覚だけはどんどん鋭くなっているのだ。

 ずっと離れた所で動いているガードロボットの駆動が、まるで目の前にいるかのように感じ取れる。ガードロボットの球体の足が転がることで弾き飛ばされた細かい小石の、ひとつひとつの落下の軌跡すら・・・

 

「師匠、あの・・・」

「なんでェ、稽古を勝手にやめんじゃねェ」

「風の様子が変なんです。ずっと向こうで、急に風向きが変わりました。空気の匂いもなんだか湿っぽいような・・・」

「何が言いてェ?」

「もう少ししたら、きっと大雨が降ります。だから今夜は地下駐車場で眠ったほうがいいんじゃないかって・・・」

 

 なぜか急に鋭くなった感覚で感じたことを、そのまま口にしてみた。

 

 台風が来てるのに外で寝たりなんかしたら、風邪を引いてしまうとか、そんな次元の話じゃない。この汚れた大地に降る雨には、空気よりも数十倍濃縮された放射能が含まれていると聞いた。

 そんな雨が、口や鼻から体の中に入ったら、師匠の体は・・・

 だから思わず、未熟な弟子の分際でおこがましいとは思いつつも、はじめて師匠に意見してしまったのだ。

 

 師匠はボサボサの黒いたてがみに覆われた顔を持ち上げて、雲ひとつない真っ青な空を仰ぎ見た。

「・・・俺もちょうどそう思ってたところだ」

 

_______ビュオオオッッ!  バチャバチャバチャ・・・

 

 その夜、予想した通りに台風がやってきた。師匠と私は、地下駐車場で坐禅を組んで、嵐が去るのを待つことになった。

 

 錆び付いたシャッターに向かって強風と雨水が打ち付ける轟音が鳴り響いている。外では恐ろしい死の雨が瓦礫の砂漠に突き刺さっていることだろう。

 

「・・・アムールトラよ、またひとつ質問をしようじゃねェか」と、静寂そのものと化していた師匠の口が突然に開かれる。

「この世界で“一番強くて偉大なもの”はなンだと思う?」

 

「ヒトです。私はずっとヒトに育てられてきました。今も師匠に・・・」

 

「人間なんざァ・・・質問の答えからは最も遠い存在さ。一番強くて偉大なもの、それは自然だ」

「自然?」

「おめぇは、この汚れきった土地や海をどう思う?」

「・・・ひどい場所だと思います。ここじゃ誰も生きていけない」

「だが、この土地が望んでそうなったわけじゃねェ、すべて人間のしわざよ」

 

「自然は、どンなに汚されても、壊されても、人間のことを恨みもしねェ、やり返しもしねェ、何があっても自分の在り方を変えることがねェ・・・これ以上の強さがあるかい?」

 

「いいかアムールトラ、自然に耳を傾けろ。この世界で一番強いものを味方につけるンだ。そのためには常にてめぇを研ぎ澄ますことだ・・・だから、立つこと、息をすること、眠ることの稽古が大切ってェことだな」

「はい・・・」

 

 師匠の言っていることは、ついちょっと前までの自分だったら理解できなかったと思う。

 でもこの数日間、稽古に励むことでようやくわかってきた。師匠の空手の根っこにある、大事な考え方が・・・

 

 いろいろなことが腑に落ちてすっきりした私は、坐禅を組んで、絶え間なく打ち付ける台風の雨音を聞きながら、意識のある深い眠りについた。

 

・・・・・・

 

 あくる朝、ゲンシ師匠が錆びついたシャッターをこじ開けると、地下駐車場の薄暗い密閉空間の中にまぶしい朝日が差し込んできた。

 

 地面へと続く短い坂道を登っていく師匠のすぐ後ろに、私もついて行った。足取りが嘘みたいに軽く、体にも頭にも充実した気力が取り戻されている。

 たぶん、うまく眠ることができたんだ。

 

 嵐は一晩で去ってしまい、快晴の空の間を穏やかな風がそよいでいる。打ち寄せる波も、昨日の昼までと同じリズムを刻んでいる。

 なんだか周りの様子が今までよりも鮮明に感じられるようになったように思う。

 

 だが、そんなうららかな空気の中に一点だけ妙な揺らぎがあることに気付いた。その揺らぎは、私のすぐ前を歩くゲンシ師匠の周りから発せられている。

 揺らぎはどんどん濃くなって、やがて稲妻のようにするどく私に向かってきた。

 

________パシィィッッ!!

 

 師匠は突如、目にもとまらぬ速さで振り返り、私に正拳を打ってきた。師匠の動きは先ほどから見えている稲妻をなぞるようであった。

 頭で感じるよりも前に体が動いて、そのこぶしを手で受けとめた。

 

「・・・し、師匠! いったいどういう!?」

「アムールトラよ、はじめて俺の技を防いだじゃねェか・・・」

 

 踏み込んでこぶしを突き出した姿勢のまま、師匠が満足そうに口角を吊り上げる。

 

「今のがわかってただろ? 俺が動く前に、俺の“意”を感じただろ?」

「はい・・・感じました」

「おめぇ、昨日あたりから様子が変わったよなァ。台風が来るのもわかったし、立ち方もサマになってきた。体の使い方を、だいぶ変えられたみてェだな」

 

 自分でもうすうす気付いていたことだけど、師匠が認めてくれたことで、本当に成果が出てきたことを実感する。

 

「・・・今日から、実戦の稽古を始めンぞ」

「はい!」

 

to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________


「朔 原始(さくつきげんし)」
年齢:74歳 性別:男 職業:福島第1特級拘置所 受刑者番号S-6805番

_______________Materials________________

「空手」
発生年:不明(西暦13世紀~15世紀)
概要:琉球王国(沖縄)にて生み出された打撃系格闘技。中国から伝来した拳法を独自に発達させたと言われている。世界でも知名度が高い格闘技のひとつであり、数多くの流派に分かれている。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編中章4 「ししょうのうんめい」

 あるトラのものがたり第16話です。

 師は死に向かい、弟子は飛躍する。


 

 太陽が汚れた海の中から顔を出してからいくらかの時間が経ったというのに、私はゲンシ師匠と一緒に、日が登る前と同じ姿勢のまま微動だにせず向かい合っている。

 

 私たち2人は、利き足を踏み込ませながらも、重心は反対側の足に乗せる “後屈立ち”で立っていた。師匠との組手はいつもこの立ち方からはじまる。踏み込んだ足腰とは対照的に、両腕はただ力を抜いてぶら下げているだけで何の構えも取っていない。

 

 ゲンシ師匠は言った。空手の構えは相手を映す鏡だ。構えを取る前に、相手のことを見ろ。しっかりと立って、息をして、己を研ぎ澄ませて相手の動きを感じろ。

 相手の動きを読み切った後に、はじめて正しく構えることが出来る。

 

 やがて太陽が海の上に登り切って、完全な球体を空の上に現した。

 朝陽に照らされて輪郭をあらわにするゲンシ師匠の姿は、登ってくる太陽と同じくらい静かで、おごそかなように思えた。

 私は逆光に目を細めながら一心に師匠を見つめ続ける。

 

「行くぞ」

「はい・・・」

 

_______ビシィッッ! カッッ! 

 

 光のような速さで打ち込まれる師匠のこぶしを、私は同じ速さで受ける。今度は私が打って、師匠が受ける。

 実体と影がくっ付くように、互いの攻撃と受けが完全なタイミングで重なっていた。

 相手の“意”を前もって読み取ることで、はじめて出来る芸当だ。

 

“意”を読み取るには、心を研ぎ澄ませて周囲の空気を感じることだ。

 空気の流れがわかれば、相手から放たれる“揺らぎ”がわかる。空気の流れを感じるには、生きることの根幹となる動き・・・すなわち、立つことと息をすることを極めなければならない。

 攻撃することも受けることも、根幹の動きが出来ていなければ身に着けることはできない。

 

 正拳、掌底、手刀、猿臂・・・。

 掛け受け、払い落とし、小手受け、回し受け・・・。

 多用な打撃技と、それと同じだけの受け技を教わった。

 

 打撃と受けはふたつでひとつ。打てない技は、受けられない。受けられない技は、打てない。空手というのは、何もかも理屈が通っていて、完璧な調和の中にある技術なんだとしみじみ思う。

 

_______パンッッ! 

 

 間合の外から伸びてきた師匠の回し蹴りを、私はとっさに腕を下ろして払い受けた。だが回し蹴りを手で受けたのは間違いだった。

 師匠は蹴り足が打ち落とされた反動を活かして素早く前進している。私には師匠の次の動きに対応する時間も間合も残されていない。

 

 次の瞬間には、がら空きになった顔面に師匠の拳が打ち込まれた。

 完全に重なっていた攻防のタイミングも、わずかなズレによってあっけなく崩れてしまう。師匠に近づけていると思っても、実際はまだまだ遠く及ばない。

 

「まいりました!」

 私の顎を打ち抜いたとばかり思っていた師匠の拳は、首元で寸止めされていた。

 当たるイメージがあまりにも鮮明で、実際に打たれたに等しいような衝撃が体に走っている。

 師匠と私は互いに相手の目を見ながら会釈し、再びまっすぐに向かい合った。それが終わりの合図だ。

 

「今の蹴りは足で受けるべきだったぜ。なぜ手で受けた?」

「・・・手のほうがしっかりと受けられると思って」

「なんでもかんでも手技に頼っちまうのは、足技がおろそかになってるせいだ」

「す、すいません」

「おめぇは手技のスジが良い。それは確かだ。だが、せっかくの長所を、短所をかばうのに使ったンじゃもったいねぇ・・・逆だ。長所を活かすために、短所を磨くンだ。精進せェ」

 

 瓦礫に埋もれた島で、めくるめく凄まじい稽古の数々が待ち受けていた。

 二十四時間ずっと体が悲鳴をあげていた。

 

 ある時は組み手をやって、師匠との実力差を思い知らされた。

 ある時は攻撃や防御の流れがいくつも内包されている型の稽古を、目をつぶっていても頭に浮かんでくるぐらいに繰り返した。

 ある時は、打撃に耐えられる体を作るために、じっと立ち尽くしたまま師匠の突きや蹴りの滅多打ちに何時間も耐え続けた。

 

 そして夜が来れば、汚れた海の波打ちぎわで、座禅を組んで眠るのだ。

 

「師匠、明日は何を教えてくれるんですか?」

「はっ・・・大したガキだ。まだしごかれ足りねェか」

 

 私は日々磨かれて、強くしてもらっている。

 そう思うと心地よいとすら思える情熱が全身を駆け巡っていくのがわかる。今この瞬間に自分のすべての想いが注がれている。

 他のことは何も考えられない、何も考えなくていい。そんな気持ちがずっと続いてほしいとすら思う。

 まるで“あの夜”に戻ったみたいだ。

 

「アムールトラよ、そろそろ東京に帰れ」

「今、なんて?」

 

 穏やかに微笑んでいた師匠の口から、想像だにしないような一言が聞こえた。

 私は思わず組んでいた足を解いて立ち上がり、隣で坐禅を組んでいたゲンシ師匠の姿を見下ろして問い詰めた。

 師匠は静寂そのものの姿をぴくりとも動かすことなく座っている。うっすら目を開けて日が落ちた海の向こうを見つめている。

 

「もう卒業だ。明日ドクターハザマに話して、東京に戻れるように話を付けてやる」

「どうして? 突然じゃないですか」

「おめぇには空手の“根っこ”を教えた。根っこがしっかりしてりゃ、後はてめぇの力で育つことが出来る」

「・・・もっと師匠に教わりたいです!」

「ダメだ。ここから先は俺の空手だ。おめぇに俺の空手を教えるつもりはねェ。最初からそう決めていた」

 

 師匠から突然に告げられた拒絶の言葉によって、目に見えないへだたりが私たち2人の前に現れる。私が師匠を尊敬しているのと同じように、師匠は私のことを受け入れてくれたと思っていたのに、なんでそんなことを言うのだろう。

 

「私の何がダメなんですか? もっと頑張ります」

「おめぇの問題じゃねェ。俺の問題だ・・・俺は本当なら空手を続ける資格なんてねぇ人間なンだ」

 

 ゲンシ師匠の坐禅から、静けさが消えた。

 見かけはまったく変わらないけど、何かにうろたえて、心を乱されている様がはっきりと感じられる。

 

「俺の空手はてめぇの命と一緒に消えるべきなンだ。ましてや誰かに継がせるなんて許される事じゃねェ」

 落ち着かない師匠は、ついに坐禅を解いて立ち上がり、波打ち際とは反対側に歩きだして私から離れていった・・・・・・まるでそれ以上何か話すことから逃げるように。

 

「師匠、どこへ!? 話はまだ・・・」

「小便だ。付いてくンな」

「は・・・はい」

 

 一人取り残された私は、坐禅を組みなおして、心を研ぎ澄ませて周囲の様子に注意を向かわせた。

 夕方から夜に向かおうとする空が、夕陽に照らされた雲を闇に染めていく。潮風が、無数のゴミが漂う海の上から鼻に突くにおいを瓦礫の砂浜に運んでいる。

 

 私の心は空の中に溶けている。私の体は潮風が通り抜けるだけの空っぽな入れ物になっている。

 住めば都とは良く言ったものだ。

 放射能に汚染された、この世の地獄みたいな砂浜と海も、今や大切な修行の場だ。空手の言葉を借りるなら、ここが私の道場だ。

 でもその道場には、今は弟子の私しかいない。辺りがすっかり夜になっても、ゲンシ師匠はまだ戻らない。

 

 私はたまらず立ち上がって、師匠を探しに歩き始めた。

 本当ならこんなことをするのは失礼なんだけど・・・いくらなんでも帰りが遅すぎる。なんだか様子がいつもと違う感じがしたし、心配になってしまう。

 

「師匠・・・いますか?」と呼びかけながら、海岸沿いの地下駐車場に入って室内の電気を付ける。この砂浜以外で私たちが行く場所なんて、食料が置いてある地下駐車場ぐらいのものだ。

 

 頼りない電球の明かりに室内の様子が照らし出される。

 穴を掘っただけのゴミ箱にはハエやウジがうごめいている。埃まみれのゴザに古びた机とイス。壁一面に積み重ねられた段ボールなど、その様子は普段見知った地下駐車場と変わりない。

 外の風景よりも閑散とした空気が漂っているだけだった。

 

_______・・・ビチャ・・・ 

 

 だが、どこからか一点、水が繰り返し滴り落ちるような音が聞こえた。

 この地下駐車場には、確かに水洗トイレがある。

 放射能に汚染された水が流れるから、手を洗ったりするにはペットボトルの持参が必要だったけど、普段の用を足す場所として私と師匠が使っている場所が、駐車場の隅の積み重なった段ボールの向こうにあるのだ。

 

 積まれた段ボールの間を縫うようにして歩き。トイレのドアの前にたどり着き、ノックを繰り返した。

 ドアノブを回すが、向こう側からカギがかけられてしまっている。ゲンシ師匠がトイレの中にいることは確かだ。

「師匠! 返事をしてください!」

 ドアを叩き、ドアノブを繰り返しまわそうとするが、何の返事もなく、液体が断続的に滴り落ちる音だけが返ってくる。

 ドアの向こうから得体の知れない圧力がのしかかってくる。何かひどいことが起こっている気がする。

 

_______ガキンッッ! 

 

 意を決した私はドアノブを握りしめて、あらん限りの力を込めて押し回した。

 甲高い金属音と共に、かかったカギが破壊され、ドアノブは力なくポロリと下を向いた。つかえのなくなったドアがゆっくり開かれた。

 

ごふっ・・・ごふっ・・・

 

 便座に顔を突っ込むようにしてうずくまっている師匠がそこにいた。師匠は体を振るわせてせき込み続けている。

 

 そして、恐ろしい光景が目の前に飛び込んでくる。

 師匠が体をあずける便座も、トイレの水たまりの中も、真っ赤な血しぶきで染まっていた。

 彼がせき込むたびに、口から血が噴き出している。

 

「・・・ゲンシ師匠っっ!!」

 

 頭の中が空っぽになって、胸の奥に冷たくて重たい鉄の塊があらわれて、何も考えたり動いたりできなくなった。

 

 大切なヒトが目の前で倒れているのに、私には何も出来なくて、ただうろたえて・・・最後には大切なヒトが私の目の前からいなくなってしまうのだ。

 こういうことは、私の人生の中で二度目だった。サツキおばあちゃんが倒れてしまったあの夜と同じだ。

 でも、ひとつだけ決定的に違うことがある。あの夜、サツキおばあちゃんは何の前触れもなく病気になってしまった。それまで普通に生きていたおばあちゃんがあんなことになるなんて、きっと誰にもわからなかった。

 

 今度は違う。ゲンシ師匠の体が病んでいるのは、前もって知らされていたことだ。

 死刑囚である彼は、汚染された大地の放射能にさらされて、少しずつ死に近づいていったんだ。ここはそういう場所なんだ。

 

 私はそのことを知っていたのにも関わらず、師匠の健康に気を遣うことがなかった。

 いつかこんな日がくることは、考えればわかるはずなのに、無意識に考えないようにしてしまっていた。

 修行を積んで強くなりたいという己の都合だけ優先して、師匠のことを考えられていなかった。

 

「しっかりしてください!」

「・・・う・・・がはっ!」

 

 私は師匠の前へと回り込み、背中に彼を担ぎあげながら呼びかける。返事はなくうめき声しか返ってこないが、かろうじて意識はあるようだ。

 

 外に出ようと、師匠を背負いながら地下駐車場の入り口の坂を上ろうとした瞬間、坂の終点の暗闇から突如まぶしい光が差し込んできた。

 光を発していたのは、球体の上に円柱を括り付けたような奇妙な出で立ちのガードロボットだ。

 さいわいなことに、拘置所の職員が早くも私たちを見つけてくれたようだ。

 

「彼をこちらへ、早く」と、ガードロボットごしに聞き覚えのある女のヒトの声がした。私がここに来た時に初めて聞いた声だ。

 師匠の話にもたびたび上がっていた、ここの責任者のドクターハザマだ。 

 

 彼女の案内を受けて、師匠を背負いながら地下駐車場の外に出ると、すぐ目の前に、全身真っ白な大きなトラックが止まっていた。

 ヒトが数百人は入れそうなぐらいの大きさの車体は、薄汚れた瓦礫の野原の中でくっきりと浮き上がるようだった。車体の真ん中には赤い十字が描かれている。

 車体の後部がスライドして、平らな坂道が地面に向かって伸びてきた。

 

「そこに彼を乗せて」とドクターハザマが私に指示した。

 よく見ると、トラックから伸びる金属の坂道の上には、布で出来たヒトの背丈ほどの担架が備え付けられている。

 言われた通りに担架の上にゲンシ師匠を横たえた。

 すると師匠を乗せた担架が坂道を滑り上がり、トラックに飲み込まれるように消えていった。

 

「あなたはここで待ちなさい」

 あわてて師匠の後を追おうとした私に向かって、ドクターハザマの冷淡な声がピシャリと浴びせられた。

 私はあえなく立ち止まり、トラックの外でゲンシ師匠の安否を待つことになった。

 

・・・・・・

 

 ゲンシ師匠が運ばれていった白い医療トラックの外で、彼を待ち続けていくらかの時間が過ぎた。空が少しずつ白み始めて、瓦礫の砂漠が光に当てられて面影を露わにしていく。  

 私は移り変わっていく風景に目もくれず、頭を伏せて師匠のことだけを考えていた。

 無事に戻って来てくれるだろうか? また話せるだろうか? もしこのまま二度と会えなかったから・・・

 

「お聞きなさい。アムールトラ」と、トラックを降りてきたガードロボットごしに、くぐもった声でドクターハザマが話しかけてきた。

「あなたの先生はまだ生きているわ」

 

「ほ、本当ですか! 良かった!」

「でも・・・もう長くはないでしょう」

 

 彼女は、ロクな学もない私に理解できるように、専門的な言葉とかを色々と噛み砕きながらゲンシ師匠の容態を話してくれた。

 

 師匠の体には“放射線障害”と呼ばれる、放射能に体中を侵され続けた生き物に特有の症状が現れているのだという。

 放射能は外側ではなく、内側から生き物を傷つけていく。

 師匠の体の内側、胃や腸には、すでに末期レベルのガンが見つかっているのだという。大量に血を吐いたのは、内臓が傷ついて出血しているからだ。

 

 そして、放射能によって一番傷付けられるのは、内臓ではなく骨だという。

 骨の役割は、体を支えることの他にもうひとつある。“血を作る”ことだ。ゲンシ師匠の骨は、もうまともに血を作ることが出来ない。

 正常な働きを失った血が作られ続け、体中を巡っている。これは“白血病”と呼ばれる血液のガンなのだという。

 白血病になると、生き物が本来持っている傷を治す力が失われてしまう。体がどんどん弱っていって、他の病気が進行していき、やがて・・・

 

 ドクターハザマの言葉を、半ば絶望的な気持ちで聞き続けた。

 ゲンシ師匠の体は、もはや元通りに治すことはできない。そして、治すことはこの拘置所の目的ではない。彼は死刑囚なのだから。

 

「彼は本来なら、終末期病棟に入るべき状態だわ。でも彼は前々からそれを拒否している。何の治療もいらないってね」

「じゃあ・・・じゃあ、どうするんですか?」

「彼が拒否することを、私たちは強要できないわ」

 

 ガードロボットごしに聞こえるドクターハザマの返事は、事務的で冷淡だった。でもその中に堪えようがない苦悩やくやしさが混じっていることがわかる。

 彼女は私を見据えていたメインカメラを180度回転させて、トラックを視界に見据えた。

 

「開けなさい」と、彼女の命令を待つや否や、トラックの後端が開かれた。先ほどと同じく地面に向かって金属の坂道が走っていく。

 

 トラックの後端に現れた入口には、応急処置を終えたゲンシ師匠が、車いすに乗せられながら佇んでいた。

「・・・迷惑かけたな、女王サマよ」と、これまで聞いたこともないぐらい弱った師匠の声がした。

「あんたもだいぶ疲れてンだろうに、すまなかった」

「いいから早く帰りなさい」

 

「・・・帰るって?」

 2人の間にはすでに何か了解が得られたような空気が流れていることに釈然としなかった私は、たまらず呆けた質問を返した。

 

「あなた達の家に帰るのよ」

 

 私とゲンシ師匠は地下駐車場に戻ることになった。彼はガードロボットに車いすを押されながら、地下駐車場まで戻って来ていた。

 師匠の体がゴザの上に丁重に横たえられた。

 彼の体には、栄養や抗生物質を流す点滴とか、よくわからない管がつなげられている。

 

 ドクターハザマは、数日は安静にして置くようにと師匠に告げた。

 大量に血を吐いた直後に動き回ったりしたら、多臓器不全とかいう怖い病気になって、突然死してしまうかもしれないから、それだけは避けるべきだと言った。

 でも体調が落ち着いたら、後は自由にしていいとの言葉も残していた。

 

 ガードロボットたちが駐車場の外へと出て行ってしまうと、また師匠と私の2人だけになった。

 私は師匠のそばで正座をして黙って座っていた。師匠と話したいことが山ほどあるのに、今は何の言葉も出てこなかった。

 師匠のやつれた顔は静かにコンクリートの薄暗い天井を見つめている。

 

「アムールトラよ・・・」

 いくらかの沈黙が過ぎると、師匠がかすれた声でポツリと話かけてきた。私は思わず身を乗り出して「はい!」と返事をした。

 

「俺の体のことはドクターハザマから聞いただろ?」

「その、はい・・・」

「俺は近いうちに死ぬが、おめぇはどうすンだ?」

「もう稽古はいいです。でもまだ東京に帰りたくないです。師匠のそばにいたいです」

 

 あふれ出しそうな言葉の中から、師匠に一番言いたかったことを選び出した瞬間、私は頭を地面にこすり付けて土下座をしていた。

 

「俺を“看取りたい”ってか・・・・・・そンなことして何になる?」

「お願いします! そばにいさせてください!」

「トラっていうのは皆、おめぇみたいに頑固でしつこいのか?」

「たぶん違います。私は兄弟と上手くやれなくて、ひとりぼっちでした」

「・・・・・・なら俺と似たようなモンだ」

 

 昔、サーカスで一緒に過ごしたトラの兄弟たちよりも、師匠はよっぽど私に近い存在に思える。

 サツキおばあちゃんのように、優しい愛で私を包んでくれるわけでもない。

 厳しくて容赦がないけど、進むべき目標を示してくれるヒトだ。

 

 彼は私の新しい居場所だった。でもその居場所ももうすぐ消えてしまう。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________

「朔 原始(さくつきげんし)」
年齢:74歳 性別:男 職業:福島第1特級拘置所 受刑者番号S-6805番
「羽佐間葉子(はざまようこ)」
年齢:36歳 性別:女 職業:福島第1特級拘置所総監、また施設内専任医師


_______________Story inspired by________________

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過去編中章5 「ほんとうのつよさ」

 あるトラのものがたり第17話です。

 最後の修行、魂の継承。


 瓦礫の砂浜に、無数のゴミの浮かぶ真っ黒い波が寄せては返していく。

 穏やかな波音だけは普通の海と変わりない。放射能に侵された海岸。かけがえのない私の道場。

 

 私は波打ち際に立つと、両腕を静かに交差させて、頭の高さで肩幅に開いた。

 左右の手を交互に、円を描くように動かした後、ゆっくりと空気を吐きながら前に突き出した。

 空手のもっとも基本となる型のひとつ“転掌”だ。

 

 すぐ後ろで、坐禅を組んだゲンシ師匠が私を見ていた。容体が安定して外出を許された彼は、今まで通り波打ち際に座り坐禅をして過ごしていた。

 

 彼はもう自分の力で立つことも出来なくなっていた。

 岩のような筋肉は見る影もなくしぼんでしまい、土気色の肌はたるんで重力に引かれている。顔面を覆っていた黒いたてがみがところどころ抜け落ちて、頭皮をさらしてしまっている。

 

「こっちに来い」と、彼が私に呼びかけた。

 私はゆっくりと両腕を下ろして転掌を終えると、師匠の隣に坐禅を組んで座った。俯いた顔には影が差し、その表情をうかがい知ることは出来なかったが、なんとなく普段よりも調子がよさそうに見えた。

「なかなかの転掌だったな。手足の動きと呼吸のブレが一切ねぇ」

「いえ、まだまだです」

 

 二人で汚れた海をしばし眺めていた。師匠の坐禅は今までと何ら変わることない静寂そのものだ。

「アムールトラよ、おめぇには感謝してる。ありがとうよ」と、師匠が静寂の中に溶け込んでいるような穏やかな声で語り掛けてきた。だが思いがけない言葉に、私の集中はすっかりほどかれた。

 

「あ、ありがとう? 何でですか?」

 師匠に感謝されるようなことなんて、ついぞした覚えがない。感謝しても足りないのは私のほうだ。

 身勝手な都合を押し付けて来た私に、彼は残された貴重な時間を費やして稽古を付けてくれた。

 私が師匠に返せるものなんて何もない。最後まで身の回りのお世話をして、安らかに旅立てる手伝いをするぐらいしか出来ない。

 

「おめぇが思い出させてくれたンだ。一番大切なことを」

 師匠の話し声が、静寂を破り強い語気をまとう。まるで己のすべてをさらけ出すかのように言葉を続けた。

 

「一番大切なこと、それは問い続けることだ。空手はもちろん人生もな。おめぇがいなかったら、俺はてめぇの空手も人生も、過ちだと決めつけたままだった」

「私は何も」

「おめぇは日々努力し、問い続け、成長した。今も成長し続けている・・・・・・。おめぇを見て思ったのさ。こんな俺にもまだ出来ることがあるってな」

 

 師匠はうつむいていた顔をこちらに向けた。

「おめぇが最後まで俺に付き合ってくれるってンなら、俺もそれに応えるべきだよな」

 腫れぼったいまぶたの中の、うっすらと消えかかった光が私を見つめている。だけど消えかかった光の中に、揺るぎない強い意志を宿していた。

 

「良く聞け。あの地下駐車場には、俺が数十年かけて学んだ技術を記した大量の書物がある。全部持っていけ・・・・・・あれらは、俺にとっては過ちだった。だがおめぇならあるいは、もっと別の結果を生みだせるのかもしれない。自分なりの答えを探せ。問い続けろ」

 

 それは遺言だった。一度は“継がせない”と拒否した彼自身の空手を、今まさに私に託そうとしてくれている。自分のすべてを誰かに託すなんて、生半可な覚悟で出来ることじゃない。

 今まで聞いた中で、他の何よりも重い言葉が私に伸しかかっていく。

 

「さて、長話はこの辺にしようじゃねェか・・・・・・今からおめぇに、最後の稽古を付けてやる。組手は出来ねェが、技をひとつ教えてやろう」

「そ、そんな。もう無理しないでください」

「黙って見てろ。今から教える技は、記録には残してねぇ。てめぇの体で教えるしかねぇ」

 

 ゲンシ師匠はそう言うと、膝の上に乗せていた右手をおもむろに掲げ、ゆっくりと地面に下ろした。

 彼が目を閉じて全神経を集中させていくのと同時に、地面に置かれた右手から異様な圧力が放たれるのがわかる。

 

 巨大な何かに押しつぶされていくような感覚・・・・・・このプレッシャーは紛れもなく師匠のものだ。死の一歩手前だというのに、初めて会った頃と何ら変わることがない。

 

「なンとかやれそうだ。あの流木を見てろ」と、師匠が指し示したのは、私たちから少し離れた所にある、海岸に打ち上げられた流木だった。

 ヒトの背丈より数倍も大きな幹が横倒しになっている。渇ききった木目には、緑色のコケがびっしり蒸していた。ここに流れ着いてから大分時が経っているのだろう。

 

 わけもわからずに流木を見つめる私の横で、とつぜん師匠から“意”が放たれる。

稲妻のようなイメージが地面を走り、流木に触れた。

 

_______パカンッッ!!

 

 渇いた音と一緒に、私たちの数メートル前にある流木が弾け飛び、その破片を砂浜の上に晒した。

 師匠の“意”が流木を打った。触れてもいないものを、まるで正拳で打ったかのように破壊したのだ。いや、一撃で木を粉々にしてしまうなんて、正拳よりも強力に見える。

 

「今のが見えたな?」

「はい。だけど信じられません・・・・・・意だけで物を打つなんて」

「打てるさ。“勁脈”を見切ることが出来ればな」

 

 勁脈(けいみゃく)。それは万物の揺らぎだという。

 生き物が呼吸をするように、太陽が沈んでは登るように、波が寄せては返すように、すべての物には揺らぎがある。

 朽ち果てた流木にも、最初から物言わぬ鉄のかたまりにも、すべての物質に勁脈はある。

 

 勁脈を打つとは、己が打とうとする対象に対して完全に揺らぎを合わせた後に、その揺らぎへ己の意を打ち込んで崩すことだ。

 それはちょうど水面に波を起こすようなもの。波が大きければ大きいほど、強烈な破壊力が生まれる・・・・・・理屈だけ聞いただけでは何もわからないのだけれど、言葉で伝えられるのはざっとこんなものだ、と師匠は言う。

 筋力や速さ、タイミングに頼った打撃とは別の次元に存在する技だ。

 

「これも空手なんですか?」

「日本の空手じゃねェ。だが、空手には家族がいっぱいいる。空手の親は中国拳法だ。そしてインドやタイの格闘技は兄弟と言っていい。これもその中のひとつ・・・・・・俺がその昔、チベットの坊さんに教わった技だ」

 

 師匠は地面に当てていた右手を膝の上に戻すと、おっくうそうに背筋を伸ばして姿勢を戻した。

 

「同じようにやってみろ。まずは目標を決めて、そこから放たれる揺らぎを感じろ」

「・・・・・・はい」

 

 真っ黒い波が打ち寄せる砂浜には、数えきれないほどの瓦礫が打ち寄せられている。

 師匠と同じように、坐禅を組んだまま右手を砂浜に付けると、まずは打つべき目標を見定めた・・・・・・そうだ。あれにしよう、あれならわかりやすい。

 

 私が見据えたのは、砂浜に対して縦に突き刺さっている角材だ。

 さっき師匠が粉々にした流木と同じくらい、砂浜の中でもひと際目立つ物体だった。

 

 今まで教わった通りの呼吸で、心を研ぎ澄ませて辺りの空気を感じる。

 そして次第に風景の見え方が変わってくる。打ち寄せては砕ける波のひとつひとつが見え、そよぐ風がどこから吹いてきてどこに抜けていくかがわかるようになる。

 

 しかしいくら波のまたたきがわかったところで、動くことのない角材の揺らぎなんて見えてはこない。

 右手を押し当てた砂浜も同じだ。手の平の向こう側に広がるのは物言わぬ暗黒だけだった。

 見えないものをどうやって打てばいいのか、その糸口すらつかめない。

 

「もっともっと集中しろ」と、私が悪戦苦闘しているのを読み取った師匠はアドバイスを付け加えてくれた。

「相手の意を読み取るほどの集中力であってもまだ足りねェ・・・・・・あの角材を目標にしたンなら、この世界におめぇとアレ以外は無いものと思え」

 

 助言に従って、さらに意識だけを深く暗闇の底へと潜らせていく。

 閉じた瞳の内側に、自分の手のひらと、数メートル向こうにある角材の表面が触れているイメージを思い描いた。

 

 だけど、他のすべてをなくすことなど出来なかった。

 手の平と角材の間には砂や無数の瓦礫が隔たっているし、潮風は鼻を伝わっているし、穏やかな波の音も絶え間なく聞こえる・・・・・・そして私のそばにいるゲンシ師匠の、一見なんともないように見えるけど、かつての面影もないほどに弱り切った気配も伝わってくる。

 私の研ぎ澄まされた感覚は周囲からあらゆる情報を無制限に受け止めていた。

 

「・・・ふっ、はっはっはっは・・・」

 

 高まった緊張感を打ち壊すように、師匠が渇いた声で笑った。笑い声を吐き出すたびに、ヒュウヒュウとか細く息を吸い込む音が聞こえる。

 集中が途切れて、我に返るように目を開けた私はあっけに取られて師匠のことを見つめた。

 

「まったくおめぇはクソ真面目だな。最初っから根を詰め過ぎだ」

 

 彼はしばらく笑っていたが、やがて沈黙し、うろこ雲でまだらに遮られた青空を見上げていた。

 はるか遠く空の彼方を薄目で見つめると、満足そうにため息をついた。

 

「今すぐ出来なくたっていい、問い続ければいいンだ・・・・・・気を・・・長く持つのも・・・大事だ」

 

 師匠の呼吸が荒く小刻みになっていた。坐禅を組むこともままならず、段々と上半身を折り畳み、首を垂れてしまっていた。

 断続的に小さな唸り声を発しているのは、きっと末期ガンによって内臓に激痛が走っているからだろう。

「しっかりしてください!」

 私は思わず近寄って、崩れそうな師匠の体を抱きとめた。力なく私の肩に顔を持たせかけた彼は「すまねぇが体を起こしてくれ」とかすれ声で訴えてきた。

 

 言われた通りに師匠の上半身を押し戻して、おそるおそる彼の肩から手を放した。

 彼は苦悶の表情を浮かべながらも、膝に置いた両腕を踏んばって、まっすぐに背筋を伸ばして坐禅を組みなおした。

 横になってしまえば、もっと楽になれるだろうに、彼の中にはそんな選択肢は最初からないかのようだった。

 彼は額に汗をにじませながらゆっくりと瞳を閉じた。

 

「これが俺の人生最後の稽古だ・・・・・・おめぇも付き合うか?」

 

 息もたえだえで、なんとか姿勢を保っているだけに見えた師匠の坐禅が、段々と静寂を取り戻していった。

 彼のか細い息遣いが聞こえる。心臓の鼓動もぼんやり感じ取れる。彼の体はまだ生きてここにある。

 

 でも、彼の心の居場所がわからない。“意”を感じない。

 

 私も坐禅を組みなおして、ついさっきの続きをやるように意識を集中させた。空気の流れ、波のまたたき、陽射しの照り付け、すべての情報を手繰り寄せて、その中に師匠を見つけようとした。

 それでも師匠は見つからなかった。これが今生の別れになってしまうのかと思うと、急に取り残されることへの恐怖が頭をもたげてきた。

 

(行かないでください!)と、私は思わず顔を伏せて、心の中で叫んだ。言い終えると、背筋が震えて、顔が熱くなってきた。

 大粒の涙がぼろぼろと頬を伝っていた。いっこうに涙は止まってくれず、歯を食いしばって嗚咽を押さえるのがやっとだった。

 

 寂しさと情けなさで頭がいっぱいになった私は、そのうち師匠との思い出にすがっていた。

 最初に浮かんだのは、研究所で初めて師匠に会った時のことだ。

 手も足も出ずに打ち倒されたあの時、私は彼の空手に感動を覚えた。それは、敵を倒すことよりも、もっと先の素晴らしい目的に向かっているような気がしたからだ。

 

 次に思い浮かんだのは、ここに来てから何日か経った台風の夜。

 師匠は私に教えてくれた。この世で一番強いものは自然なのだと。自然は何があっても自分の在り方を変えない。それ以上の強さはないと・・・・・・だけども、その自然と同じぐらい、師匠は強いと思う。自然が自分の在り方を変えないように、彼もまた在り方を変えなかった。

 死刑囚で、病人で、死を待ち続けるだけの余生だったのに、それでも彼は空手家としての生きざまを貫いた。

 その強さを支えていたのは一体なんだったのだろう? 強さって何なんだ?

 これから先どれだけ技を磨こうとも、永久に彼の足元にも及ばないような気がするのはなぜなんだ?

 涙を流しながら、一晩問い続けても答えは出なかった。

 

 やがて日の出が水平線から顔を出し、私の隣にいる師匠を照らし出した。

 坐禅を組んだまま朝日に顔貌を晒す彼からは、もはや息遣いも心臓の鼓動も感じられなかった。

 だけど、生きていた頃と同じくらい、いやそれ以上に静かで、厳かだった。

 

(あなたはこれを目指していたのですか)

 

 ゲンシ師匠は、流れる風と、海と、太陽に溶けていた。

 天国も地獄も、最初から存在しなかったんだ。命はただ、偉大なる自然に帰るだけなんだ。

 師匠は死ぬ前からそれを知っていて、死ぬ前から自然とひとつになるために心を研ぎ澄ませていた。それが師匠の目指した空手道だった。

 彼の空手は、たったいま完成した。

 

 一晩中涙を流した後に残ったのは、悲しみではなかった。

 私には想像も及ばないような、途方もない高みにたどり着いた彼への尊敬の気持ちだけが溢れていた。

 彼はもう私にものを教えてくれることはない。これからは自分で問い続けなければいけない。

 

「ありがとうございました」と、私は師匠の亡骸に向かって首を垂れた。

 

 ほどなくして白く巨大な医療トラックが、瓦礫の道の向こうから、静寂を打ち破るような駆動音を鳴らしながら現れた。

 その手際の良さは、師匠が血を吐いた夜にすぐに駆け付けてきたのと同じだ。どうやら彼らは、囚人に何が起こったのか、離れた場所にいてもすぐにわかるらしい。

 

 中から現れた数体のガードロボットが彼の亡骸に黒い布をかぶせて丁重に回収し、さらに私のことを招き入れると、またどこかへと走っていった。

 

・・・・・・

 

 医療トラックに運ばれるまま私が辿り着いたのは、拘置所の医療棟だった。海を挟んで本土に向かい合う場所に建てられたここは拘置所の唯一の入り口であり、出口だ。

 最初に足を踏み入れたのはここだった。そして今度は、出ていくためにここにいる。

 

 ここは医療棟の物資搬入室だ。縦にも横にも広い直線的な部屋の左右両方の壁は、無数の金属の骨組みで仕切られており、その骨組みの上に無数のコンテナが天井高くまで積み上げられている。

 中央の道はただただ広く、奥の方は暗くなっていてよく見えない。

 

 私を出迎えたのは、異様な出で立ちをした数人のヒトの姿だった。

 分厚くてツルツルの生地で作られた上下一体の真っ白な衣服をまとうそのヒトらは、同じ配色の手袋や長靴、そして顔から首元まですっぽりと覆い隠す透明なバケツのような帽子まで身に着けており、傍目からは年齢も、男なのかも女なのかもわからない。

 

 その中の一人が私の目の前に歩み寄ってきた。透明なバケツの向こう側に見えるのは、整った理知的な表情をした女性の顔だった。

 

「今まで本当にお世話になりました」と私は目の前の女性にお辞儀した。彼女がここの責任者のドクターハザマであることはすでに知っていた。

 彼女は外部から私を出迎え、師匠と引き合わせてくれた。そして師匠の気持ちを汲んで、最後まで自由を許してくれた。

 彼女とは今までガードロボットごしにしか会話したことがなかったけど、これでやっと直接お礼が言える。

「師匠も、最後までお礼を言ってました」

 

 全身を白い衣服に包んだドクターハザマは、視線をこちらに合わせることもなく、直立不動のまましばらく沈黙していた。

 そして彼女はお辞儀をしたままの私の眼前に、静かに何かを差し出した。

 彼女の手元には、真っ白な封筒が握られていた。

 

「彼からあなたへ、これを渡すように頼まれていたの」

 

 私はおずおずと封筒を受け取り、中に入っている手紙を取り出した。

 一枚の紙の中に、びっしりと隙間なく文字が並んでいるが、その内容を理解することは出来なかった。

 思えば生まれてこの方、読み書きなんて習った試しがない。

 文字の中から師匠の気持ちだけは伝わってくるのに、私に出来ることは手紙を胸に抱いて落胆することだけだった。

 

「あなたの帰りを待っている人に読んでもらうといいわ」と付け加える彼女の声色は、今まで聞いたことがあるそれと同じように、薄皮一枚の冷淡さの中に温かさと実直さを隠している。

「私がその手紙を読むわけにはいかないもの」

 

_______ゴウゥゥゥン・・・・・・!

 

 私の背後に金属のコンテナが降り立った。

 コンテナの腹部が切り開かれると、ドクターが「そこにお入りなさい」と指差しながら促した。

 もう一度彼女に頭を下げてから、踵を返して真っ暗なコンテナの中に入ろうとしたその時。

≪急患です! 早く戻ってきてください!≫

 けたたましい声が、壁の向こうから電気を媒介にして物資搬入室に鳴り響いた。それを聞いた彼女は、白いブカブカの全身をひるがえしてさっそうと来た道を戻り始めた。

 

「あ、あの」とあっけにとられて間抜けな声を出した私に、彼女は一瞬だけ振り返って、光が反射するバケツ頭の中から視線を合わせてくれたように見えた。しかし次の瞬間には迷いのない後ろ姿が遠ざかっていた。

 だいぶ前に、ゲンシ師匠が彼女のことを“めったにいない立派なヒト”だと褒め称えていたのを思い出した。彼がそこまで言った気持ちが、今さらながらなんとなくわかる。

 

 彼女もまた、師匠に負けないぐらい強いように思えた。

 戦う術を持っているわけでもない普通の女性なのに、そんなことは関係なしに、直感でそう思うのだった。

「強さって何なんだ」と、先日考えていたことが、また頭をよぎった。

 

 ゲンシ師匠は死を待つだけの余生だった。

 ドクターハザマには、これからもヒトを死なせ続けなきゃいけない毎日が待っている。

 

 死んでしまっても、生きていても、恐怖とか悲しみとか後悔とか・・・・・・人生はそういうものでいっぱいなんだ。それでも迷いなく進む一筋の軌跡が彼らを貫いている。

 きっとそれが強さだ。強さっていうのは力じゃなくて、心だ。

 

 私を乗せたコンテナが、トラックに乗せられて運ばれ始めた。そこには一切の光がなく、車体が揺れる震動と、エンジンが響かせる音だけが感じられる。

 暗闇の中で、師匠が残した手紙を握りしめた。

 私は強くなれるかな? これから先、何があっても強くいられるかな?

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________

「朔 原始(さくつきげんし)」
享年75歳 性別:男 職業:福島第1特級拘置所 受刑者番号S-6805番
「羽佐間葉子(はざまようこ)」
年齢:37歳 性別:女 職業:福島第1特級拘置所総監、また施設内専任医師

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過去編後章1 「ふぁーすとぶらっど」

 あるトラのものがたり第18話です。

 修行を終えたアムールトラは遠い異国の地へと旅立つ。
 そこで待っていたのは思いがけない出会いと、最初の戦場だった。


 東京の研究所へ戻ってきた私を待っていたのは、Cフォース上層部からの命令だった。

 ついに私は実戦に投入されることになったのだ。この姿に生まれ変わった時から宿命づけられた敵との戦いにおもむく時がやって来た。

 

 私は今、空の上にいる。

 Cフォースが所有する巨大輸送機に乗り込んで、セルリアンの待つ戦場へと向かっている。窓の外を見やると、生まれ育った東京の高層ビル群があっという間に遠ざかり、さらにしばらく飛ぶと地平線すらも途切れ、代わりに水平線が現れていた。

 こんなとてつもない速さの乗り物に乗っていたら、世界中どこへでも飛んで行けるんだろう。

 なぜだかそれをとても怖いと思った。世界に素晴らしい場所がいくつあったとしても、私が知るようなアテはひとつもない。この輸送機は、二度と戻っては来られないこの世の最果てに向かって飛んでいるような気がする。

 

 聞いたところによると、輸送機の目的地はブラジルという国らしい。私はこれからブラジルで戦っていくことになる。

 この世界の東の果てにあるのが日本であるならば、ブラジルは西の果て・・・・・・広大なアメリカ大陸の南側にあるという。

 ブラジルはCフォースにとって大事な拠点であるとのことだ。というのも、アメリカ大陸の北側にはCフォースの本拠地であるアメリカ合衆国があり、ブラジルが落とされれば合衆国にまでセルリアンが侵攻して来ることになるからだ。

 

 セルリアンの発生源はアフリカ大陸であるといわれている。

 世界の中心に位置するというアフリカ大陸は、セルリアンが最初に発見された場所だ。そして今もなおアフリカを中心に、円を描くようにしてセルリアンが世界中に拡散している。

 この世界をセルリアンから守るためには、発生源であるアフリカを何とかしなければならない。いずれCフォースは総力を結集してアフリカを攻めようとしているとのことだ。

 けど今は各地のセルリアンに対処するのに手一杯で、その目途は立てられていないらしい。

 

 私の赴任先であるブラジルは、大西洋を挟んでアフリカと向かい合うような場所にあるため、南北アメリカ大陸の中でもセルリアンの脅威に一番さらされている場所だという。

・・・・・・どれもこれも、私にはスケールが大きすぎてピンと来ない話だった。

 

 気分転換しようと思って機体の内部をじっくり見回してみると、思っていた以上に広いことに驚かされた。

 ここは輸送機の貨物室で、乗組員の座席と物資置き場に分かれている。

 貨物室の前方には、青色の迷彩を着込んだ何十人ものCフォースの兵士たちが、壁に備えつけられた座席に座っていた。向かい合うように座る彼らの間には、なおもトラックなんかが間を通れそうなほどの間隔が開いている。

 後方にある物資置き場には、無数のコンテナが天井近くまで積み重ねられ、その上からワイヤーを被せられて固定されていた。

 輸送機と呼ばれているのだから当たり前なんだろうだけど、兵士も物資も一度にたくさん運べるみたいだ。

 

 そして私は物資置き場の一番奥の、分厚いガラスで出来た檻の中で息を潜めていた。両手足は金属の拘束具に張り付けにされていて身動きが取れない。

 

 私がこういう扱いを受けるのにはちゃんとした理由がある。

 フレンズの体には放射能の毒が効かない。以前そう教わったけれど・・・・・・それは事実とは少し違った。

 実はフレンズの体からも、ある程度の放射線が絶えず出ているらしいのだ。だからヒトと同じ場所で過ごすことは出来ない。短時間なら問題ないけれど、あまり長く一緒にいると、ヒトの健康を害してしまうといわれている。

 ガラスの檻は、私の体から出る放射線をさえぎって外に漏れないようにするための物だ。

 

 思えばヒグラシ所長は、いつも黒い球体ごしに映像を通して私と会話していた。フクシマ特級拘置所のドクターハザマは白くてぶかぶかの防護服を着ていた。

 さえぎるものなしで私と直接触れ合ってくれたヒトは、亡きゲンシ師匠だけだ。

 師匠は放射能に汚染された拘置所で、日に日に病に侵されていき、ついに死んでしまった。師匠を殺した毒と同じものが私からも出ている。私の体はもうまともじゃない。セルリアンと変わりない化け物になってしまったんだ。

 

 ヒグラシ所長は、私の体のことをつい最近まで隠していた。そのことを彼に問い詰めても「君を不安にさせたくなかった」の一点張りだった。

 化け物ならそれでもいい。そうなった結果、今こうして生きていられるのだから。でも前もって教えて欲しかった。事実を受け止める準備をさせてほしかった。

 彼の優しさは、都合の悪いことから目を逸らして、自分が悪者にならないためのものなんじゃないか?

・・・・・・色々な言葉を思い浮かべた後で、それを頭の奥に引っ込めた。ヒグラシ所長のことは好きだし、彼は彼なりに果たすべき役割があるし、責めたってしょうがない。

 ため息を付くと、目の前にあるガラスが白く曇った。

 

「悩みがあるようだな“シベリアン”」と、ガラスの檻の前に近寄って落ち着き払った声を私にかけてくるのは、この輸送機の機長を務めるジョン・ドーン軍曹だ。彼は土気色の肌に青い瞳を持ち、周りの兵士より頭一つ近く背が高かった。それは海の向こうのヒトが持つ特徴らしい。

 後ろの座席にたたずむ兵士たちも色んな姿をしている。あるヒトは全身が髪の毛と同じくらい黒く、またあるヒトは堀の深い褐色の肌に長い髭を生やしている、私の一番見慣れた平べったい顔立ちの日本人もいる。

 Cフォースが世界的な組織であることが彼らの見た目からもよくわかる。

 

 シベリアンっていうのは私の新しい呼び名だ。Cフォースに所属するフレンズは基本的にアメリカの言葉で呼ばれるのが決まりだ。私は日本ではアムールトラだけれど、アメリカの言葉ではシベリアンタイガーっていうんだとか。長いからタイガーは省略されることになったらしい。

 

「今はもの思いにふけるのもいいが、あっちに付いたら切り替えろ。死神は目を合わせない奴を好んで襲うからな」

 そう告げるドーン軍曹の面構えは一見穏やかに見えて、内側に刃物のような鋭さを秘めていた。数えきれない戦いをくぐり抜けた者だけが持つ説得力がそこにある。

 

_______ガキンッ

 

 金属音を立てて機体が不自然に揺れた。

 輸送機はそれまで風景が後ろに吹き飛ぶほどの速さで進んでいたというのに、今はそれが止まって見えるぐらいに遅くなっている。

 どうしたんだろうと思って、檻の中からきょろきょろと辺りを見回してみたが、兵士たちは誰も何も気にしていないようだった。

「問題ない」と、軍曹が静かな表情のまま告げる。彼が言うには、輸送機が空を飛んだまま燃料補給を受けているらしい。

 今の揺れは友軍の空中給油機がこの機体に近づいて、給油ホースを接続したことで起きたものだと。

 

「今はちょうど折り返し地点だ。燃料補給を終えたら、後は現地までひとっ飛びだ」

「後どれくらいかかるんですか?」

「ざっと残り6時間だ。日本からブラジルまで、民間の旅客機を使えば丸一日以上かかるが、この機体なら半日で行ける」

 

 輸送機はブラジル東海岸にあるバイーア州サルヴァドール市という街に降りるらしい。

 現地で一番大きな空港といわれるルイス=エドワルド空港に着陸したら、私が入っているガラスの檻は他の積み荷と一緒に現地の車両に移し替えられて、またそれぞれの行き先に運ばれる。

 他の積み荷っていうのは、食料とか燃料とか医薬品とか、ヒトが生きていくために必要なありとあらゆる物だ。

 すでにサルヴァドールは危険区域に指定されて、住民の緊急避難が始まっているらしい。避難民の命をつなぐために輸送機は飛んでいる。

 

「サルヴァドールには50人のフレンズが配属されている。リーダーの名前はメガバットだ」

 私の行き先は、フレンズたちが集められたとある建物らしい。ヒトが持つあらゆる兵器が効かないセルリアンから街を守れるただひとつの戦力ということになる。

 体から放射線をはなつフレンズたちが、ヒトの部隊と共に過ごすことはない。少し離れた場所からヒトの指示を受けながら、自分たちだけで戦っているとのことだ。

 

「メガバットは頭が回るし部下の面倒見もいい。奴のチームは統率が取れている・・・・・・だが1人だけ要注意なフレンズがいる。ウルヴァリンだ」

「どんなフレンズなんですか?」

「敵じゃないことを神に感謝したくなるような奴だ。早死にしたくなければ、あんまり関わらないほうがいい」

 味方である軍曹からそうまで言われてしまうウルヴァリンっていうのは、よっぽどひどいフレンズなんだろう。名前の響きからしてトゲトゲしくて危なそうな感じがする。

 他のフレンズのことも気になる。なんせこれから一緒に過ごす仲間たちだ。

 フレンズたちのなかで、野生知らずの私が上手くやっていけるだろうか・・・・・・これから戦いに行くというのに情けないのだけれど、そんなことばかり考えてしまう。

 

「あいつらの姿も今のうちに確認しておけ」と言いながらドーン軍曹がポケットをまさぐり始めた。端末か何かを取り出してフレンズたちの写真を見せてくれるつもりなんだろう。

 サルヴァドールに着けばそれっきり会わないかもしれない私にここまで丁寧な説明をしてくれるなんて、いかつそうな第一印象からは想像も出来ないぐらい親切なヒトだと思った。

 

≪軍曹! コクピットまで来てください!≫と、機内をつんざくような大声が響き渡った。軍曹はポケットに入れた手を元の高さに戻し、振り返って去っていく。するとそれまで他愛もない会話に興じたり、端末をいじったりしていた兵士たちが血相を変えてざわめき始めた。何かおそろしい事態が起きたことが私にもわかった。

 コクピットに入った軍曹の帰りをその場の誰もが待ち続けること数分・・・・・・彼が貨物室に戻ってくることはなく、代わりに押し殺すような肉声が機内に響き始めた。

 

≪たったいま連絡があった。サルヴァドール市内でセルリアンが出現したとのことだ≫

「我々はどうするので? 着陸場所を変えますか? サンタナかバレンサに降りるなら輸送は遅れますが安全かと」

≪危険な状況ではあるが航路に変更はない。“ボニータ・セレスタ”は予定通りルイス=エドワルドに着陸する≫

 今まで通りの冷静さを変えないドーン軍曹の声に、いっそうどよめき立つ兵士の1人が「セルリアンに襲われたら我々は全滅します!」と抗弁する。 

≪そうならないためにフレンズがいる。メガバットの部隊がすでに出動し応戦している。まさにフレンズは俺たちCフォースの“命綱”だ・・・・・・・ここにも1人いるな≫

 

 軍曹の声を聞いた兵士たちの視線が、ガラスの檻に閉じ込められた私に注がれる。助けを求めるような、見ていて息が詰まるような、不安に満ちた視線が。

 

≪よく聞けシベリアン。戦闘が始まってしまった以上、お前にもいち早く行ってもらわなければならん。サルヴァドールに着いたら、お前を空中投下で降ろす≫

「何をしたらいいんですか?」

≪なんてことはない。鳥になった気分で風に身を任せていればいい、すぐに下に降りられる・・・・・・だが問題はその後だ。地上に降りたらなんとか自分の足で仲間たちに合流してくれ。彼女たちと一緒に街を守れ。これがお前の初陣だ≫

「は、はいっ!」

 私は思わず大声で返事をしていた。状況をろくに飲み込めておらず、頭の中は混乱と緊張でぐるぐる回っているけど、それを打ち消すような強いガッツが不思議と胸の奥にこみ上げてくるのだった。

 

・・・・・・

 

 兵士たちがせわしなく動き回り、広い貨物室の積み荷を動かしていた。まんべんなく並べられていた積み荷が左右に分けるように積み上げられると、貨物室の真ん中を縦に貫くような道が出来ていた。

 開かれた道の上に私の檻だけがぽつんと残っている。

 

≪まもなく市内上空です! 天候状態も良好!≫

≪ハッチ開け!≫

 貨物室の後端が折れ曲がり、強風と共に外から機内を覆い尽くすような光が飛び込んで来た。あまりのまぶしさに一瞬顔を背けるが、すぐに目が慣れて外の景色が見えてくる。

 坂道の向こう側にある眼下の景色は、高層ビルがジャングルみたいに大地を埋め尽くしている大都会だった。

 

≪よし、投下せよ≫

 兵士たちが唸り声を上げながらガラスの檻を押し出すと、檻がひとりでに床をすべり始めた。

 床には滑車のようなものが付いていて、ひとたび動き出したら、後はハッチまで自動ですべり落ちるようだ。檻はみるみるうちに速度を増していく・・・・・・よく見ると、左右に積み上げられた貨物のそばに佇む何人かの兵士たちが、まっすぐ開いた手の平を額に当てながら私を見送っていた。

 そのポーズの意味はよくわからない。だけど彼らが仲間として私を心配してくれている気持ちが伝わってくる。

 彼らに同じポーズを返そうと思ったけど、手足が縛られて動かせないことに気付く。

≪たのんだぞ! シベリアン!≫

 後ろからドーン軍曹の大声が響いたと思ったやいなや、私の体は空に向かって放り出された。

 

「うわあああっっ!」

 手足を縛られたままの体が、大地を埋め尽くす高層ビルの隙間に向かって真っ直ぐに落ちて行く。密閉された檻の中で、ものすごい振動が全身に響き渡り、内臓が上に引っ張られるような気持ち悪い感覚が走る。

 少し経つと檻に取り付けられたパラシュートが開いて、ふわふわと漂うように落ち始めたけど、檻ごしにのぞく建物の窓ガラスが猛スピードですれ違っていくのを見るに、結構な速さで落ちていることには変わりない。

 とちゅう何度も建物にぶつかりそうになったけど、私に出来るのは目を閉じて無事を祈ることだけだ。

 さっきまで私がいた空は、もはや高層ビルの隙間からしか見えなくなっている。

 

_______ガコンッ!

 

 檻が地面に落ちた衝撃で小さくはずむと、今度こそピタリと落ち着いた。

 ようやく降りられたのかと思った矢先、檻の前面を覆うガラスがひとりでに前に飛び出して行ってびっくりさせられた。私の両手足を縛っていた金属の枷もいつの間にか解けている。

 この檻の拘束は、地上に着いたらあらかじめ外れるようになっていたのだろう。

 

 それにしても、落ちている時の心地と来たら、思っていたよりずっとひどいものだった。地面をこんなに愛おしく思う日が来るなんて・・・・・・と心の中でつぶやきながら、およそ半日ぶりに自由に動く体をガラスの檻の外に乗り出した。

 外に出るとすぐに空を見上げて、輸送機の行方を探そうとした。だが機体の姿はすでに無く、あの甲高いエンジン音もまったく聞こえない。もう遠くに飛んで行ってしまったのだろう。ドーン軍曹たちの無事を祈るよりほかはない。

 

 サルヴァドールの街並みは東京とはずいぶん違うものだった。水色やピンクといった派手な色に塗られた建物が多くを占めている。

 この鮮やかなパステルカラーのビル街には、本当ならたくさんのヒトが行き交っていたのだろうけど、今は不気味なぐらい人気が無く、電気も灯っていなくて薄暮れ時のような影を落としていた。

 いくつかの建物は焼け焦げて無残な姿になり、空に向かって細長い煙を立ち昇らせているけど、それでも街としての外観はほぼ保たれているといっていい。こんな有り様になってから、まだ時間が経っていないように思える。

 ここに暮らすヒトたちが大急ぎで避難していった証拠だ。

 

 静かだ・・・・・・ヒトがいないのはわかるけど、フレンズとセルリアンがこの街で戦っているはずなのに、そんな気配がまったくしないのはなぜ?

 怪訝に思いながら、手近なビルの物陰に隠れて辺りの様子をうかがってみた。色とりどりのビル街を見回していくらかの時間が過ぎる。

 

 そしてはるか向こうのビルの隙間にひとつだけ、あきらかに街並みにそぐわない異常な物体を見つけた。

「な、なんなんだあれは?」

 それは馬鹿げたほどの存在感を放ちながらも、動くことなく静かに佇んでいた。地面を突き破って、周囲の建物をいくつも押しのけながら、天に向かってそびえ立っていた。

 謎の物体はビルの横幅よりも太い胴体を持ち、それが上に向かうにつれて細くなって、てっぺんが鋭くとがっていた。

 あんな形をした物を見た事があるような・・・・・・いつかヒグラシ所長が、花が好きな私が喜ぶだろうって植物図鑑をモニター越しに読み聞かせてくれたことがある。図鑑に出てきた植物に確かあんな形のものがあったような・・・・・・“タケノコ”っていったか。あれにそっくりだ。タケノコみたいに鋭い頭で地面をつらぬいて出てきたのだろうか?

 

 よくよく見ると、謎の巨大タケノコの胴体の一部が切り開かれて、そこから細い枝が触手のように何本も伸びているのがわかった。うねうねとうごめく触手の先端は球体になっており、その中心には、凍り付いたように虚ろな黒い瞳が見開かれていた。

 やっぱりあれがセルリアンか。あんな大きな奴が相手だなんて。

 あの触手に付いている目で周囲の様子をうかがっているのだろうか? 奴もまだフレンズ部隊を見つけられていないのだとしたら、彼女たちはいったいどこにいるのだろう?

 

「ちょっとアンタ、まだ隠れてろって言われて」

「ッッ!?」

 とつぜん後ろから聞こえた声に驚いた私は、背後の何者かが近づくよりも先に身構えて、手刀を相手ののどに突きつけた。

 ゲンシ師匠が私に教えてくれた“生き方”である空手が反射的に私を動かしていたのだ。

「うわッと! 何すんスか!」

 

 手刀の先にいたのは、鮮やかな金髪を耳元で切りそろえた身軽そうな恰好をした女の子だった。

 くりっとした大きな瞳を白黒させながら後ずさる彼女の腰からは、髪の毛と同じくらいに明るい金色をした長い尻尾が生えていた。尻尾は真っ直ぐに上に張り詰めていて、顔と同じくらいに感情を表しているように思えた。

 

「フレンズ・・・・・・?」

「ほかに何に見えるッスか!」 

 女の子が押し殺した声で非難する。やっと彼女が敵じゃないことを理解した私は、あわてて構えを解くのだった。

 

「ご、ごめん。たった今ここに着いたばかりで何が起きてるのかよくわからないんだ」

「新入りが来ることは聞かされていたけど、アンタのことだったんスか」

「うん。私を仲間に入れてほしい、頼むよ」

 短い金髪の女の子はなおも警戒した表情で私をじろじろと見ていたが、やがて疑う気持ちを懐にしまうように隠して「付いてくるっスよ」と手招きをしてきた。

「ここじゃセルリアンに見つかるから場所を変えるっス」

 

 女の子に案内されるまま、色鮮やかなビルの隙間の路地裏に入っていった。

 彼女の動き方はすごかった。四本の手足にくわえて長い尻尾を自在に操って、建物に張り巡らされた配管とか、古ぼけた看板の支柱とか、狭い道の中にある様々な“取っ掛かり”につかまって、地面に降りることなく宙を舞うように狭い道を通り抜けていた。

 私はそんな彼女を走って追いかけるのがやっとだ。

 尻尾っていえば、私の縞々のやつも結構長いけど、練習したらあんなふうに動かせるのかな?

 

「ねえ! 君はなんていうフレンズなの? 私はアムール・・・いや、シベリアンっていうんだ」

「アタシのことは“スパイダーさん”って呼べっス! 後輩なんだからさん付けは絶対っスよ! それにしても、シベリアンって見た目はでっかくて強そうなのに、話し方はすげーおとなしめっスね。育ちがいいんスか?」

「・・・どうなのかな」

 

 スパイダーと名乗るフレンズと一緒に曲がりくねった狭い路地裏を駆け抜けると、突き当りにある建物に行きついた。何かの柱に巻き付けた尻尾を支えにクルっと一回転して着地したスパイダーは、建物の古ぼけたドアを小刻みに叩き出した。

 内側からドアがゆっくりとひかえめに開かれると、したり顔で手招きする彼女の後ろに付いて、建物の中へとおそるおそる入っていった。

 

_______ざわ・・・・・・

 

≪なに、あの子?≫

≪例の新入りだって≫

 入ると同時に、いくつもの視線に射すくめられるように見つめられているのがわかって思わず身じろぎしてしまう。

 

 そこは見た事もないような建物だった。広々とした部屋には左右前後に規則正しく長椅子が並べられていて、その先には大きな机があり、木彫りの古ぼけた十字の飾り物が置かれていた。

 十字の飾り物は、室内のどこにいても見えるぐらい大きく目立っていた。

 

 長椅子に腰掛ける何人ものフレンズたちが、振り返って私のことを見ていた。彼女達の姿はいくつもの大きな窓から降り注ぐ陽射しに照らし出されている。

 あるフレンズは頭からするどい角を生やし、あるフレンズは羽ばたくための翼を生やしている。体色も1人1人まったく違う。彼女たちの姿の多様さはヒトの比じゃない・・・・・・もともとはそれぞれ違う動物だったのが見た目から伝わってくる。

 

「ようこそ、よく来てくださいましたわ」と、落ち着き払った鈴のような声が、上の方から聞こえてきた。

「ほら、あそこに隊長がいるっスよ」

 スパイダーにうながされて高い天井を見上げると、そこにはひと際驚かされるような見た目のフレンズがいた。

 その子は陽射しの届かない薄暗い天井にぶら下がって、逆さまの後ろ姿を周囲に見せつけるように佇んでいた。背中に生えた大きくて黒い翼で全身を覆い隠していて姿がよくわからない。

 

「あなたの心臓、大きくて強い音がしますのね。でも早鐘のように小刻みで・・・・・・ずいぶん緊張されている」

「あ、あの?」

「もっと良く聴かせてくださいまして?」

 

 ふわっといい香りがしたかと思うと、黒い翼を持つフレンズが私の目の前に音もなく舞い降り、翼の中に隠されていた姿があらわになった。

 彼女は翼とコントラストになるような白のベストに灰色のスカートを身に着け、手足をぴったりとした薄紫の布に包んでいた。

 腕を組んで物憂げにたたずむその姿は、思わず見入ってしまうぐらいきれいだ。

 だけど彼女の顔を間近で見ると、ある違和感に気付くのだった。整った顔立ちに揃うふたつの瞳は、硬く閉じられている。こんなに近くにいるというのに、目で相手を見ていない。もしかしてこの子は、目が・・・・・・

 

「あなたがメガバット隊長?」

「いかにも」

「さっき外でとんでもなく大きなセルリアンを見た。あなた方はここで何をしてるんだ? 早く戦わないと」

「たしかに戦いの時はすぐそこまで来ていますわ。でも今この瞬間ではありません・・・・・・さあ、皆さんも自己紹介を」

 

≪あたしはブラックパンサー。アンタと同じネコ科よ≫

≪ファルコンって呼んでくれ。空中戦ならまかせろ≫

 

 メガバットにうながされて、長椅子に座るフレンズ達が次々と名乗り始めた。彼女たちはみんな緊張した感じだったけど、不安とか恐怖とかに飲まれているわけじゃない。戦いの前にただ気持ちを張り詰めさせている様子だ。

 彼女たちはきっと自分たちが勝つことを信じて、力を存分に振るう時をじっと待っているのだろう。見るからに頼りになりそうな子たちだ。

「メガバットのチームは統率が取れている」と、ドーン軍曹は言っていたけど、その言葉は本当だった。

 

 その場にいるフレンズ達の名乗りが終わると「後はあなただけですわよ」と、メガバットが振り返って呼びかけた。彼女が指し示した先は、長椅子の最前列だった。

「そいつに自己紹介はいらねえ」

 メガバットの美しく透き通る声とは正反対の、地面に響くような低い唸り声が聞こえたかと思うと、長椅子に寝そべっていたと思しきその声の主がゆっくりと体を起こした。

 私はその姿を見て腰が抜けそうなぐらい驚いた。

 

 その者は黒い長髪と、肩に羽織っているだけの茶色い上着を宙になびかせていた。上着に施された白い炎の模様は、まるで存在そのものをあらわしているかのように良く似合っている。

 私は知っている・・・・・・小柄な体格に恐ろしい力を秘める彼女のことを。

 私と同じ研究所にいた先輩であり、まだ私がただの動物だった頃に最初に出会ったフレンズ。

 ヒトの手で育てられた私とは正反対の、野生で育った根っからの猛獣。

 こんなところで彼女に再開することになるなんて思ってもみなかった。

 

「クズリ? クズリなの?」

「久しぶりだな。“お上品なアムールトラちゃん”よ・・・いや、今はシベリアンってのか」

 

 身を起こしたクズリがぶっきらぼうな足取りでこちらに近寄ってくると、周囲にいたフレンズたちが息を詰めたまま一歩引くのがわかった。

 なかでもスパイダーは完全に怯えきっており、しゃがみこんで長椅子の背もたれから恐る恐る顔をのぞかせてクズリを見ているありさまだ。

 ただひとりメガバットだけが落ち着きはらった物腰で、腕を組んだままクズリを見つめていた。いや、目が見えていないのだとしたら、気配を感じ取っているのか。

 

「すでにお知り合いでしたのね、ウルヴァリン?」

「そうさ、隊長ちゃん」

 

 ウルヴァリンとはクズリのことだったのか。彼女は相変わらず元気そうだ。いや、私が知っている頃よりもさらに・・・・・・

 “敵じゃないことを神に感謝したくなる”という評判がCフォース中に知れ渡るぐらいの戦いを積み重ねてきたことが、彼女の様子からも、周囲の反応からも伝わってくる。

 

「あの夜を憶えてるかい?」と、クズリが今にも私を殴りつけてきそうなほどの鋭い目つきでにらみながら問い詰めてきた。

「お前が何も出来ずに、セルリアンにぶっ殺されたあの夜だよ」

「・・・ああ、もちろん」

 私は押し黙りながらクズリを見つめ返す。

 動物としての私が死に、フレンズとしての人生が始まったあの夜のことを忘れることなどできない。セルリアンに体を串刺しにされた時の絶望が、今も体の中にそのまま残っているような気がする。

 クズリの戦いぶりもよく憶えている。彼女はセルリアンをあっという間に蹴散らして、それまで絶望的だった状況をたった1人でひっくり返していた・・・・・・それに比べて私は弱くてみじめだった。

 

「なあ、仇を討ってやれよ」

「仇? 誰の?」

「お前自身のだよ。セルリアンのクソ共にお前の痛みを思い知らせてやれ。奴らに復讐してやるんだよ」

 

 クズリの瞳に炎のような光が宿っている。そう、クズリの強さの根源はセルリアンへの復讐心なんだ。敵への激しい憎しみを燃やすことで彼女は強くあり続けている。

 クズリとの差に悩んでいた時期もあった。同じように憎しみを燃やせば強くなれるのだろうかと思った時もあった。だけど、いくら探しても憎しみは私の中にはなかった。私は彼女と同じようには憎めない。

 そしてそんな私に、今は亡きゲンシ師匠が憎しみとは違う強さを教えてくれたんだ。何が起きても自分のあり方を見失うことなく、自分がやるべきことを貫く心の強さを。

 

「復讐なんてどうでもいいよ、クズリ」

「なんだって?」

「私はヒトを守るために戦いたいんだ」

「・・・ふーん」

 

________ブォンッ! ガシィィッッ!

 

 納得したように静かにうなずいたクズリだったが、直後思いがけないことをしてきた。

 いきなり私の胸倉につかみかかり、ものすごい力で引っ張ってきたのだ。くっつきそうなぐらい近くにあるクズリの一見おだやかな顔には、今日見た中でもっとも激しい殺気が込められていた。

 その場にいるフレンズ達が戦慄の声を上げている中で、ただひとりメガバットだけがすずしげな表情で私たちを静観している。

 

 私はいつクズリが仕掛けてきても身を守れるように、背筋をまっすぐ伸ばしたまま、ゆっくり足を運んで後屈立ちで身構えた・・・・・・だが、私が予想したようにはならなかった。

「そのでかい口と同じぐらい強くなれたのか?」

 クズリはただそれだけつぶやくと、つかんだ手を放して私を解放するのだった。

 

「すぐにわかることですわ」と、その場を取り成すように告げるメガバットの声に私とクズリは向きなおった。

「あちらをご覧になって?」

 メガバットが指さしたのは、陽射しが注ぐ大きな窓のひとつだった。割れた窓ガラスを通って、黒くて丸い球体が侵入して来たのだ。

 

 かすかな駆動音を鳴らしながら室内に入ってきた球体は、東京の研究所でヒグラシ所長が操っていたものと同じだ。

 あれはヒトが離れた所からフレンズに指示を出す時に使うナビゲーション・ユニットとかいう機械だ。ここにいるフレンズならそれを知らない者などいないだろう。

 ユニットは長椅子が並ぶ広い室内に立ち尽くす私たちフレンズを見下ろすように、一段高い所に浮いていた。

≪・・・こちら作戦本部・・・≫

 ぼそぼそと波打つような声が聞こえはじめたのと同時に、ユニットの中から放たれた光がヒトの姿を投影した。青い軍服を身にまとう恰幅のいい初老の兵士だ。

≪準備はすべて整った。これより貴様らに出撃命令を下す≫

 

 どくん、と心臓がはねるような気がした。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「洋名シベリアン・タイガー 和名アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「洋名ウルヴァリン 和名クズリ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「洋名インディアン・フライングフォックス(俗称メガバット) 和名インドオオコウモリ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「洋名ジェフロイズ・スパイダーモンキー 和名ジェフロイクモザル」

_______________Human cast ________________

「ジョン・ドーン(John James Dawn)」
年齢:41歳、性別:男、職業:Cフォース航空団一等軍曹 第8特殊作戦支援群指揮官

_______________Materials________________

「C-17 グローブマスターⅢ」
開発時期:西暦1991年
概要:アメリカ空軍が現役で配備している大型長距離輸送機。軍用輸送機の中でも最高クラスの巡航速度とペイロードを持つだけでなく、短滑走距離での離着陸能力をも兼ね備えている。

_______________Location________________

「サルヴァドール(Salvador)」
成立時期:西暦1549年
概要:ブラジル北東部大西洋岸に位置する港湾都市。ブラジル有数の大都市であると同時に主要な輸出港でもある。ブラジルにおけるキリスト教信仰の中心地でもあり、歴史ある旧市街には数百もの教会が軒を連ねる。その名前はポルトガル語で「救世主」を意味する。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章2 「からてにせんてなし」

 あるトラのものがたり第19話です。

 サルヴァドール防衛戦の火蓋が落ちる。
 アムールトラのはじめての戦いと、はじめての仲間たち。


≪作戦開始にあたって、これより手身近にブリーフィングを行う≫

 

 陽射しが降り注ぐおごそかな雰囲気の建物の中で、宙に浮かぶナビゲーション・ユニットが投影する光の中に映し出された初老の兵士が威厳に満ちた表情で私たちを見下ろしている。

 首元までパリっと締められたコバルトブルーの上着をまとい、扇型に角ばった派手な帽子をかぶっていた。その装いは他の兵士たちと比べて明らかに特別な感じがした。

 彼は自分のことを”ジフィ”と名乗った。階級は大佐であるという。大佐というのは戦いの場に直接出てくるような兵士の中では一番上の立場にいると聞いている。

 スパイダーがこっそり耳打ちしてくれた話によると、ジフィ大佐はブラジル東海岸一帯に駐留するCフォース南米支部の司令官であり、彼がこの作戦の指揮を執っているとのことだ。

 

 私はフレンズ部隊の51人目として、その場にいる50人のフレンズ達と一緒に大佐のブリーフィングに耳を傾けていた。

 

≪標的はここより北西4キロメートル先に出現したディザスター級セルリアン・・・通称“ハーベストマン”だ≫

 ユニットに映し出されるジフィ大佐の姿が、つい先ほど外で見たタケノコみたいな形の巨大セルリアンに切り換わった。高層ビルを押しのけるようにそびえ立つ馬鹿げた大きさが映像からでも伝わってくる。

 

 ハーベストマンが餌としているのは都市に蓄えられた膨大な量の電力なのだという。

 日本語に言い換えれば「収穫者」となるその名前は、ヒトの文明に欠かせないエネルギーである電力をあっという間に食い尽くすことを皮肉って名付けられたのだ。

 ああやって地面に静かにそびえ立っているように見えて、地面の下では触手を長く広く伸ばして地下の都市電力を吸収し続けているらしい。

 あれが1匹いれば数日足らずで辺り一帯の電力がすべて吸い尽くされてしまう。それは再びヒトが住むことが出来なくなってしまうほどの被害を都市にもたらすのだとか。

 

 そしてその強さも、並みのセルリアンとは比べ物にならない。

 Cフォースはハーベストマンのことを“ディザスター級”に分類しているが、その等級は「一匹で都市を壊滅させてしまう」セルリアンにだけ付けられるものだ。

 奴は規格外の大きさを誇るだけでなく、その体から無数の幼体を生み出して小さい標的をピンポイントに迎撃する能力まで持っているらしい。

 幼体は生まれた時点でヒトやフレンズの数倍は大きいらしく、一匹だけでも厄介なのにそれが数十、数百の数で襲ってくるんだとか。

 

≪貴様らの任務は幼体を倒し続けることである。ハーベストマン本体に手出しはならん≫

 

 ジフィ大佐の言葉に、その場にいるフレンズたち全員が怪訝そうな反応を返す。

「手出しもせずにどうやって倒せとおっしゃいますの?」と、メガバットが私たちの疑問を先取りするように質問を投げかけた。

 

≪いくら奴とて無制限に幼体を生み出せるわけじゃない。身を削って作った我が子を貴様らに倒され続ければ、じきに消耗していく。そうすれば奴は新しい電力を素早く蓄えるために、より都心部へと動きはじめるはずだ・・・・・・奴が向かうと思われる地点に、我々は罠を仕掛けたのだよ≫

「罠とは何でして?」

≪大量の爆薬である。ハーベストマンが接近したら一斉に起爆する≫

 

「待ってください! そんなもので何をするんですか!?」

 私は思わず大声で大佐を問い詰めていた。

 ヒトの武器ではセルリアンは倒せないという、今まで聞かされていた常識とはあまりに食い違っていたからだ。

 

≪貴様がジャパンから来たという例の新入りか? あっちは教育がなっておらんようだな≫

 ふん、と鼻を鳴らしながら私を見下ろすジフィ大佐の表情には焦りとイラ立ちが表れていたが、その眼光にはらんらんとした闘志が宿っている。

 敵に追い詰められた今の状況にストレスを溜めているのは間違いないようだが、戦うこと自体は生き甲斐と呼べるほどに好きな生粋の軍人・・・・・・きっと彼はそういうヒトだ。

 私のすぐ隣にいるクズリが、大佐と同じような目つきをしながら、両腕の指をポキポキと鳴らしている。

 

≪爆発そのものでハーベストマンを倒すわけではなく、二次的な破壊に巻き込むのだよ≫

 大佐が言うには、爆薬はサルヴァドールの中でも一番大きなビルが立ち並ぶ通りに仕掛けられているという。起爆されれば、辺り一面の高層ビルが破壊され、巨大なビルの破片がハーベストマンに降り注ぐ。  

 ヒトの武器そのものはセルリアンには効果がない・・・・・・だがそれらによって破壊された物体はセルリアンにダメージを与えられるというのだ。なぜそうなるのか理屈は明らかにされていない。

 これまでたくさんの戦闘をセルリアンと繰り広げる中で、Cフォースが発見した戦術だ。

 

 しかしこれは、いわば捨て身のやり方だ。守るべき街を破壊することになるのだから、本来なら取るべき方法じゃない。フレンズでも倒せないセルリアンが現れた時の最後の手段だ。

 

≪わかったか新入り? この方法でしかハーベストマンを倒すことは出来んのだよ≫

「・・・はい。すみません」

≪よろしい。他に質問のある者はいるか?≫

 

「ここにいるぜ」

 その場にいるフレンズたちの誰もが納得したように押し黙る中、クズリが気だるそうに手の平を天井に向かって突き出していた。

「オレたちの仕事は奴を“疲れさせる”だけか? 大佐ちゃんよ、あんたオレたちの力を軽く見過ぎなんじゃねえの?」

≪貴様があの有名な“狂犬ウルヴァリン”か・・・作戦に文句でもあるのか?≫

「大アリだね。フレンズをこんなに集めたくせに、それでも爆薬なんかに頼ろうとするなんざ臆病者のやることだぜ。ハーベストマンはオレたちに殺らせてくんない?」

≪正気で言っているのか?≫

「オレたちに任せれば街も爆破しねえで済むぜ? その可能性を最初から捨てんのかよ?」

≪可能性では困るのだよ。確実に奴らを駆除しないことにはな≫

 

 クズリが映像の向こうにいるジフィ大佐とにらみ合っている。

 こうやって再開してみて改めて思うのは、彼女は何か気に食わないことがあれば誰が相手であろうが徹底的に噛みつく性格なのだ。

 セルリアンだろうが、フレンズだろうが、ヒトだろうが・・・・・・

 

「いくらデカかろうが、石を砕いてやりゃいい」

≪そんな甘い考えなど通用せぬぞ。奴の核は体内にある≫

 

 眉毛を吊り上げたまま表情をこわばらせるジフィ大佐が、ダメ押しのように語る。

 セルリアンの急所であるところの“核”は体の表面に露出している・・・・・・それがフレンズたちにも教えられている常識的な情報だ。

 弱点をわざわざ体の外に露出させる理由は、核の温度を体内より低く保つためとか、常に外気に触れさせるためとか、色んな仮説が立てられているけど、本当のところは良くわかっていない。

 しかしハーベストマンぐらい大きな体になると、他の小さな個体が抱える問題は克服してしまっており、核を安全な分厚い皮膚の中に隠してしまっているのだとか。

 それが本当なら、奴にとっては豆粒みたいな大きさしかないフレンズが太刀打ちできる相手じゃない。Cフォースが爆薬を使いたがるのもわかる話だ。でも、そんな説明を聞かされた後でもなおクズリが退くことはなかった。

 

「だったら奴の腹を引き裂いて石を探し出してやるよ」

≪き、貴様は話を聞く頭すらないのか・・・・・・≫

 

 まったく聞き入れようとしないクズリの態度に、ジフィ大佐の我慢も限界のようであった。

 大佐は多少の被害を出しても確実な方法でハーベストマンを仕留めようとしている。

 クズリは確実じゃなくても被害を出さない理想的な方法を提言している・・・・・・本当はただ自分の手で敵を倒したいってだけなのだろうけれど。

 いずれにせよ2人の言い分にはそれぞれの正しさがあった。

 

 2人の話を聞いて、他のフレンズ達の意見も割れ始めてしまっていた。大部分のフレンズは大佐の命令に従うべきだと思っていたし、私もそう思った。

 だけど、何人かの子はクズリに同調していた。彼女たちもまた、自分がセルリアンを倒せるCフォースの切り札であることに誇りを持っており、活躍できる晴れ舞台を望んでいるのだろう。

 それにしても、これから一緒に戦うヒトとフレンズの間にこんな空気が流れているのはまずいんじゃないか?

 

「これは困りましたわね」

 にらみ合う大佐とクズリの間に、メガバットが茶化すように口を挟んだ。彼女は口元に手を当ててクスクスと笑っている。

 その美しい顔はまるで鉄で出来ているんじゃないかってぐらいに冷静だ。瞳を閉じているせいもあって、表情から何を考えているのか読み取るのは難しい。

「同じ敵を相手に、出来る、出来ない・・・・・・話がまるで噛み合っていませんわ。こういうのを“水掛け論”って言うのですわよね?」

 

≪なにを他人事のようにぬかすかメガバット! 貴様の部下が隊の規律を乱しておるのだぞ!≫

「大佐が心配されることは何もありませんわ。私たちはベストを尽くすだけ。そしてウルヴァリンは我々の中で最もそれに貪欲ですわ・・・・・・あなたもご自身のベストを尽くされればいいことよ」

≪期待した通りの働きを見せてくれるのだな?≫

「もちろんですわ。爆薬は予定どおりに起爆していただいて構いませんことよ」

≪・・・・・・よかろう、その言葉を信じるぞ≫

 ジフィ大佐が苛立ちを腹に収めるように低く唸ると、光の中に投影された姿がかき消え、ナビゲーション・ユニットは何も映さないただの球体に戻った。

 そしてそのまま割れた窓ガラスへ向かってフワフワと上昇し、外へと出て行ってしまった。

 

 メガバットは腕を組みながら歩を進めると、広い部屋の一番奥にある十字の飾り物が置かれた机の前で足を止めた。そこは部屋の中でも陽射しが一番よく当たってまぶしい場所だった。

 彼女の姿が、動物だった頃の私の記憶を呼び起こす。サーカスで生まれて間もない頃、舞台裏でヒトや他の動物達の芸を眺めていた時の思い出だ。

 陽射しというスポットライトを浴びる彼女は、まるでサーカスのスター役者のようにその場の注目を一心に集めている。

 フレンズたち全員がメガバットの指示を待っている。クズリですら例外ではない。

 私にもなんとなくわかってきたのだ、メガバットが命を預けるに値するリーダーであることが。

  

「さあ、ベストを尽くす時が来ましたわ」

 

・・・・・・

 

 十字を祀る建物から出た51人のフレンズ部隊が、狭く入り組んだサルヴァドールの裏路地を進んでいる。

 フレンズ達は途中で1人、また1人と違う方向に散っていき、その数は見る間に少なくなっていった。どうやら彼女たちには前もってあてがわれた持ち場があるようだ。

 作戦の直前で合流した私には当然のこと持ち場などなく、あらかた散ってしまったフレンズ達から取り残され、メガバットの後ろに付いていくことしか出来なかった。

 

 私とメガバットは裏路地を抜け出て、カラフルな高層ビルが色鉛筆みたいに軒を連ねる大通りに出ていた。

 日が傾き始めており、明かりの灯らないビル街にいっそう暗い影が立ち込めている。せっかくの色鮮やかな建物が台無しなぐらいに暗い雰囲気が漂っていた。

 ここは私が輸送機から投下された辺りから近い。そして・・・・・・さらに西に進んだ辺りにはハーベストマンがいるのもすでに知っている。

 

「どうやって戦うつもりなんだ?」と、私は思わずメガバットに質問を投げかけていた。

「51人しかいないのに、こんなにバラバラに散ってしまっていいのか?」

 

「逆でしてよ。51人しかいない私たちが一か所にまとまったりしたら、セルリアンに的を絞られてすぐに全滅してしまいますわ」

「いったいどうするの?」

「ゲリラ戦術を取りますわ。この街中はそれにうってつけなの」

 

 ゲリラ戦術・・・・・・物陰に身を潜めて、現れた敵に奇襲をかける。そして敵が反撃する前に姿をくらます。それを繰り返すことでジワジワと敵を消耗させていく。

 少数で多勢の敵を相手にするために、大昔からヒトが行ってきた戦術のひとつだ。

 

「そ、そうか!」

 小さな私たちならビルの隙間に隠れることが出来る。巨大なハーベストマンが私たち51人の位置を突き止めることは難しいはずだ。

 私たちの任務は幼体を倒し続けてハーベストマンを疲れさせることであり、奴に真っ向う勝負を挑んで倒すことじゃない。

 ならばゲリラ戦術をやるのが一番いい、というかそれしかない。

 

「理解が早くて嬉しいですわ。シベリアン・タイガー」

 納得して深くうなずく私の顔を、メガバットが閉じた瞳で覗き込むようにして見つめていた。

 私は照れくさくなって思わず顔を背けるが、彼女は私の顔に手を回して無理やり真正面に向き直らせてきた。

 

「な、何をしているの?」

「じっとなさって」

 メガバットの細くしなやかな指が、あろうことか私の耳の中をほじくっている。こんな所を他人に触られるのは初めてだ。

 そして、それ以上は進まないってぐらい奥まで入った彼女の指が、勢いよく引き抜かれた。右耳の奥にかすかな異物感が残っている。

 

「今あなたの耳に小型通信機を入れましたの」と、突然のことに言葉を失っている私にメガバットが今までと変わらぬ人を食った態度で言葉を続けてくる。

「それで指示を飛ばすから従っていただけまして? あなたにはこの大通りを任せますわ。ここに現れたセルリアンは一匹残らず倒してくださいね」

 

 メガバットは颯爽と振り返ると、自身の体よりも大きな黒い翼を広げて、今にも飛び立とうと力を込めるように前のめりに片足を踏み込ませている。

 私はハッとして彼女を呼び止めるように手を伸ばす。

 

「何か?」と、声をかけたわけでもないのにメガバットが私の動きを察して動きを止めた。

「いやその・・・・・・ごめん、何でもない」

「私の目のことが気になるんですわよね?」

 

 私の余計な動揺をズバリと言い当てたメガバットが振り返らないまま静かに答えた。その表情はわからないけど、例の落ち着き払った微笑みを浮かべているように思える。

「安心なさって。自慢ではありませんが、私の目は誰よりも良く見えている自信がありますの」

 それだけ言うとメガバットは音も立てずに飛び立ち、ビル街が形作る影の中に吸い込まれるように消えていった。

 取り残された私には彼女の姿は見えないけれど、彼女の方はきっと私を見ていてくれているのだ。 

 

・・・・・・

 

 私は大通りでメガバットと別れてから、急いでその場を離れた。

 今いるのは、この辺りで一番高い建物だ。

 高くそびえたつ外壁に、色んな絵とか文字が鮮やかに描かれた広告が継ぎはぎみたいに貼り付けられている。

 ビルの外壁と広告の間にはちょうど私が隠れられそうな隙間が空いていたので、そこに身を潜めることにした。

 

 大通りからでは密集するビルに隠されてわからなかった街の様子も、ここからなら随分遠くまで見渡せる。

 相変わらず不気味に沈黙したままのハーベストマンの巨体が、沈もうとしている夕陽に被さって禍々しい存在感を放っている。

 

 そして見た。オレンジ色に染まる空の中へ味方の1人が躍り出るのを。

 刃物みたいに横長の翼を持った鳥のフレンズだ。メガバットの扇形に広がる翼とはまるで違うシルエットをしているのが遠目からでもよくわかる。

 ついに仕掛けるというのか。

 

_______ヒュンヒュンッ! ドガシャアアアッッ!

 

 躍り出た鳥のフレンズ目掛けて、ハーベストマンの腹部から大砲みたいな塊が打ち出された。

 その狙いは大雑把であり、急旋回した鳥のフレンズはこれを難なくかわす。そして目標を外した謎の塊は彼女の背後にあったビルに轟音を立ててめり込んだ。

 都合3つもの大穴が壁面に開けられ、そこからは土煙が立ち昇っている。

 遠くから見下ろす私が、うまくかわせた味方の無事に安堵するのもつかの間、ビルに開いた3つの穴の中からそれぞれ、太くて長い二本の脚が伸び出てきた。

 

「ま、まさかあれが」

 つんのめるように壁面を踏みしめる二本の脚に引っ張られて、黄褐色の体を持つ楕円形のセルリアンたちが姿を現した。そのまま地面に飛び下りると、器用に着地して石畳みの道路を闊歩し始めるのだった。

 

≪幼体がおいであそばせましたわ≫と、右耳の奥からメガバットの声が響く。

 

 あれがハーベストマンの幼体、つまり赤ん坊。

 生まれたばかりのセルリアンにあんな立派な足が生えているなんて・・・・・・と、私は今までの常識がひっくり返される気持ちになった。

 東京の研究所で教わった話によれば、セルリアンは成長する過程でそれぞれの形を獲得していく。逆に生まれたばかりのセルリアンはアメーバみたいに不定形で、せいぜい触手を生やすぐらいしか出来ない。

 赤ん坊に足なんて生えていないはずなんだ。

 

≪進化を続けるセルリアンに、それまでの常識は通用しないということでしょうね・・・≫

 メガバットがまた私の思考を先読みしたかのような事を言ったかと思うと、その鈴のような声が凛と張り詰めて51人のゲリラ全員に号令をかけていた。

≪A班は本体の注意を引いて幼体を吐き出させてください。他の班は自身の持ち場に幼体を引きつけて各個撃破を。ただし深追いはダメ、己の持ち場で処理できなければ後衛にまわしなさい≫

 

 A班、と飾りっ気のない名前で呼ばれた数名のフレンズ達は、部隊の中でもトップクラスに素早い者たちだ。

 彼女達は最前線でハーベストマンを翻弄し、奴が迎撃のために打ち出した幼体のことごとくをかわし続けている。

 生まれ出てきた幼体がフレンズを探すために街中に入り込むと、物陰に潜む後衛の班が死角から襲いかかりとどめを刺していた。

 すでにいくらかの虹色の光が戦場に瞬いている。ゲリラ戦術が功を奏している証拠だ。

 

 だが街中を動き回る幼体の数は増えていく一方だ。無数の幼体が入り組んだ街の中をあちこち歩き回っているために、バラバラに散った私たちでは対応しきれないのだ。

 次第に戦線が広がって来ているのがわかる。

 

 私の持ち場はどうやらハーベストマンから最も離れた後衛らしく、幼体にはまだ入られていない。たぶん私が新入りであることに気を遣って、激しい戦いが予想される前線から外したのだろう。

 出番を待つ私は、高い所からじっと様子をうかがうことしか出来ない。

 でも、こんな所で動かないでいていいのだろうか? 明らかに人手が足りていない前線に加勢したほうがいいのでは?

 

 思い淀みながら戦場と化したビル街を見下ろしていると、幼体が他よりも段違いに密集している場所があることに気が付いた。幼体はひしめき合うようにしながら、大股な一歩で同じ方向に歩を進めている。

 そして幼体の群れが進む先に、1人のフレンズがいることに気付く。金色の短い髪と長い尻尾を揺らしながら走って逃げている。

 

「あれはスパイダーか!?」

 

 スパイダーは仲間から完全に孤立して、街中を右往左往するように曲がりながら逃げている。幼体の移動スピードがけっこう速いために振り切ることも難しい様子だ。

 味方は現れないのに、彼女を追いかける幼体の数はどんどん増えてきている。

 

「助けに行かなきゃ!」

≪あら、持ち場を離れるつもりでして? シベリアン≫

 

 どこにいるのかもわからないメガバットが、私の動きを察知して通信機ごしに呼び止めてきた。彼女ときたら、目が見えないどころか、百個も千個も目があるような感じすらする。この辺りのビル一帯のことならどんな些細なことすら見通している。

 私だけじゃなくて他の49人の動きもすべて把握して、それぞれに指示を飛ばしているんだろう・・・・・・まったく底知れない隊長だ。

 

「スパイダーが大変なんだ。誰か味方を向かわせてくれ」

≪それは出来なくてよ。みんな持ち場を守るのに手一杯ですわ≫

「なら私が行くよ! 指示をくれ!」

≪あなたは大人しいタイプだと思いましたが、意外と熱くなりやすいんですのね? 焦りに飲まれた新兵ほど死にやすい者はいませんのよ?≫

「確かに新入りだけど・・・・・・でも、私だってみんなの力になりたいんだ」

 

 クスっと笑う声が耳の奥に響いたかと思うと、それから数瞬の後に“良いでしょう”と彼女ははっきりそう答えてくるのが聞こえた。

 

≪ビギナーズラックという言葉もありますわ。幸運か不運か、あなたがどちらを引くのかは存じ上げませんが≫

「私はツイてるよ・・・・・・だって、たまたま入った部隊のリーダーが君だった」

≪おじょうずですのね。ではお互いに幸運が訪れることを信じましょう≫

 

 メガバットから許可をもらった私は、広告の隙間から這い出し、ビルの壁面を蹴って飛び下りた。スパイダーに追いつこうと、ビルからビルへと飛び移るように移動した。

 あちこち曲がり道をしてビル街を縫うように逃げるスパイダーと、高い所から一直線に駆け付ける私の距離はみるみるうちに縮まっていった。

 スパイダーを追いかける幼体の数は、狭い道を埋め尽くすほどにまで増えている。

 

_______はあっ、はあっ

 逃げ疲れて肩で息をするスパイダーの足が止まった。彼女がたどり着いたのは、辺りを高い壁で囲まれた路地の行き止まりだった。

 私はスパイダーから何十メートルか離れたビルの屋上で、追い詰められた彼女を成す術もなく見つめていた。今からいくら急いだところで、私よりも幼体のほうが先にスパイダーに追いついてしまうだろう。

 

 唯一の通り道である彼女の来た道はすっかり幼体に包囲されてしまっている。行き止まりの壁を背にした彼女に、フレンズ達の数倍は大きい体を持つ幼体が今にも襲い掛からんと距離を詰めていっている。

 スパイダーは恐怖と敵意が混ざった瞳でハーベストマンの幼体たちを見上げている。追い詰められた彼女は幼体たちの格好の的となっていた。

 

 私はスパイダーを助けるための方法を必死に考えあぐねた。

 今この場にいる幼体たちの注意はすべてスパイダーに向いている。まだ見つかっていない私ならば奴らに奇襲を仕掛けることが出来るだろう。

 いや・・・・・・ちがう。それで何匹かの幼体を倒したとしてもスパイダーが先にやられてしまう。やるべきは奇襲じゃない。

 

 私は意を決すると、全身にあらん限りの力を込めて叫んだ。

________うおおおおおおおっっっ!!

 地面を震わせるほどの大声を張り上げながら、幼体たちがひしめき合う道路の上に飛び降りていった。

 何十何百もの漆黒の殺意が弾かれたように動き、私の姿をうつろな瞳の中心に見据える。そして数メートルはある高さから見下ろす目はそのままに、大股な黄褐色の二本足をぐるりと回転させて私のほうに向きなおった。

 スパイダーも私に気付いて、幼体たちが密集する隙間から唖然とした表情を見せている。

 

「し、シベリアン!? アンタ何でここにいるっスか?」

「スパイダー! 私が囮になるから逃げてくれ!」

 

 辺りを埋め尽くす幼体の群れが道路を踏み鳴らしながら私の方へ向かって来た。私はそれを見つめながら重心を後ろに乗せ、利き足をまっすぐ踏み込んだ後屈立ちで構えた。

 

「突っ立ってないでアンタこそ逃げろっス!」と、スパイダーが金切り声を上げた。

 確かに傍から見たら無防備に立ち尽くしているようにしか見えないだろう。だけどこれこそが私の構えだ。

 まず相手のことを見ろ。しっかりと立って、息をして、己を研ぎ澄ませて相手の動きを感じろ。

 空手に先手なし。後手が空手のすべてなり。

 亡きゲンシ師匠の言葉が頭の中を駆け巡る。

 そう・・・・・・奇襲を仕掛けて相手を倒すなんてことは、師匠の教えに反している。だから私はこうするんだ。

 

________ズォォォッッ!!

 

 一番前に躍り出た幼体が、長い片足を振り上げて私を踏みつぶそうとして来た。

 数メートルはある幼体の体が深々と沈み込み、その足が私に触れるや否やといった瞬間、私は始めて前に出た。

 すり抜けるようにして敵の懐に潜り込むと、その黄褐色の胴体の内側に一点だけ、黒っぽく濁った結晶が目に入った。この間合いで、このタイミングならば・・・・・・と、頭の中に動きのイメージを走らせる。何千回何万回と練習し、完全に体の一部になった動きだ。

 

「せりゃッッ!!」

 イメージの通りにまっすぐに突き出した拳が、黒っぽい結晶を打ち砕いた。急所を砕かれた黄褐色の体が、虹色の光をばら撒いて爆散する。

 

 光の破片が消えるよりも先に、また別の幼体が横から割り込むように私を蹴り付けてきた。だが横から入ってきたために攻撃の角度が浅く、重心が前のめりになっている。

 私は敵の長大な足による前蹴りを頭上すれすれでかわしながら飛び出すと、その蹴りを支える反対側の軸足にあしばらいを食らわせた。

 一本の足で体を支える幼体はたやすくバランスを失う。倒れこんでくる幼体の腹部に見える結晶めがけて、矢尻のように尖らせた貫手を突き刺した。指が結晶をつらぬき、その先の粘土みたいな肉体に深々とめり込む。

 だが、硬さと柔らかさが混ざり合ったその奇妙な感触も、虹色の光の明滅と共に一瞬で消え失せるのだった。

「すげっ、あっという間に二匹やっちゃった」と、スパイダーが呆気に取られた感想を漏らす。

 

 私はその後もスパイダーの逃げ道を確保するために、雨あられと降り注ぐように激しい幼体たちの攻撃をかわし、反撃を命中させて奴らの石を砕き続けた。

 幼体たちはフレンズの数倍は体が大きいし、数も圧倒的に多いけれど、一匹一匹は大した相手じゃなかった。来ると言ったら来る・・・・・・そんな単純な意思のままに攻撃してくるだけだ。

 繊細な”意”の読み合いとか、何重にも交差する駆け引きとか、そんなものは持ち合わせていない。

 だが問題はスパイダーのほうだった。彼女が逃げるだけの隙はもう十分作ったと思うのに、壁を背にしたままその場を動こうとしないのだった。

 

「早く逃げてくれ!」と、戦いながら呼びかける私の声が聞こえないわけでもないだろうに、彼女は困ったように頭を抱えているだけだ。

 

「た、助けに来てくれてありがとうっス。でもアンタが来る必要は・・・・・・」

 どうにも要領を得ない態度のスパイダーが、ふうっと息を吐いた後にこう答えた。

「これも作戦のうちだったんスよ。ほら、後ろ」

「えっ!?」

 

________ズガァァァンンッッ!!

 

 スパイダーに言われて後ろを振り返ろうとするやいなや、近くの石畳の道路がすさまじい音を立てて爆発した。

 謎の爆発はその場にいた幼体数匹を消し飛ばしながら、辺りをおおい隠すほどの土砂を宙に巻き上げる。

 爆発の跡には地面に開けられた大穴が残っていた。それはまるで、トラックが一台まるまる埋まってしまうんじゃないかというほどの深さと広さだ。砲弾でも降ってきたのだろうか? でもヒトの兵器で直接セルリアンを撃つはずはないし・・・・・・

 

「よっこらせっ・・・と」

「クズリ!?」

 能天気な掛け声を出しながら、大穴の中心からクズリが這い上がってきた。

 黒い長髪と、白い炎の模様があつらわれた茶色い上着をなびかせた彼女の全身から噴き出す殺気は、そこにいるだけで場を支配するほどの強烈な存在感を放っている。

 

「囮を逃がすためにてめえが囮になるとか、何やってんだアムールトラちゃんよ」

「お、囮って?」

「スパイダーが囮になって、幼体どもを入り組んだビル街の行き止まりに誘い出す・・・わんさか集まった幼体どもをオレが皆殺しにする・・・」

 

 クズリが言葉を言い終える前に、近くにいた幼体が勢いよく蹴りつけた。

 幼体の丸太のような足を真正面から軽々と受け止めた彼女が、ニヤリと笑いながら「そういう作戦だったんだよ」と続けた。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「洋名シベリアン・タイガー 和名アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「洋名ウルヴァリン 和名クズリ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「洋名インディアン・フライングフォックス(俗称メガバット) 和名インドオオコウモリ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「洋名ジェフロイズ・スパイダーモンキー 和名ジェフロイクモザル」


_______________Human cast ________________

「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:64歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章3 「さきにあるちから」

 あるトラのものがたり第20話です。

 サルヴァドール防衛戦もいよいよ山場を迎えようとしていた。
 奮戦を続けるアムールトラと仲間たちの運命はいかに。




「伏せるっスよシベリアン!」

 

 後ろから飛んできたスパイダーの指示に従って地面にしゃがみこんだ私が見たのは、クズリというたった一人の強者が多数の弱者をいたぶるように破壊する一方的な戦いだった。

 

「・・・・・・てめえは今から俺の”味方”な」

 クズリは受け止めた幼体の足をがっちりと脇に抱え直すと、地に響くような唸り声を上げながら、自身よりも何倍も大きな敵の体を垂直に持ち上げた。そのまま投げ飛ばすのかと思いきや、あろうことか腕に抱えたまま振り回し始めた。

 

 数メートルはある体が、フレンズの中でも小柄なクズリにされるがまま、猛烈な勢いで風を切り、立ち並ぶ建物や辺りに群がる他の幼体など、近くのあらゆる物に激しく叩きつけられた。

 そこら中の建物の外壁に叩き付けられ、何体もの仲間たちと激突させられ・・・・・・そんな風に扱われているうちに、幼体は全身バラバラに千切れ飛んでしまった。

「チッ、つかえねー」

 

 先だっての攻撃で重なるように転倒してもがいている近くの幼体たちに向かって、歓喜の表情を浮かべるクズリが突っ込んでいき、一匹の腹の上に飛び乗ると、力任せに核を引っこ抜いた。

 クズリの凶行を後目に、立ち直った幼体のうちの一匹が再び彼女に向かって攻撃を繰り出すが、さっきと同じように彼女の”味方”にされてしまうのだった。彼女の近くにある物のすべてが、なすすべなく破壊されていく。物言わぬ幼体たちが悲鳴を上げながら絶命していくように見えた。

 クズリの戦いぶりは過去に一度見ているけど、あの時よりもさらに容赦なく圧倒的だった。

 サルヴァドールに来る道中、輸送機の中で聞いた“敵じゃないことを神に感謝したくなる”という評判はまさしくその通りだった。神っていうのが何なのかは知らないけど。

 

 クズリと私は、とことん違う。

 空手という私なりの戦い方を身に着けた今、あらためてそう思うのだった。

 私は「先手なし」だけど、クズリは「先手必勝」だ。先手を打ち続けて、さらにその中に新しい先手を作り出すように戦っている。彼女の中には後手に回るという選択肢はない。

 

「あ? 何のつもりだ?」

 クズリによってみるみる数を減らされているとはいえ、まだ半数以上も残っていた幼体たちだったが、彼らは予想だにしない動きを見せ始めた。

 生き残った個体が一斉に後ろに下がり始めたのだ。

 前進から退却へ、彼らすべての意志が、あたかも同じタイミングで切り替わったように見える。

 それを見たクズリの表情が、歓喜から憤怒へと切り替わる。

「つまんねえことしやがる!」

 怒気をみなぎらせるクズリが後退していく幼体たちを追いかけ、最後尾にいる個体に飛びついて転ばせ、その腹に腕を突き入れて核をえぐり取った。だがその間にも他の個体にどんどん距離をはなされていくのだった。

 恵まれた体躯の幼体たちに逃げの一手を打たれてしまうと、クズリほどの実力をもってしてもどうにもできない様子だった。

 彼女は自身の手の中にある、持ち主を失った核を、腹立ちまぎれに握り潰した。

 

 来た道以外を建物に囲まれた路地裏の行き止まりが、元の寒々しいまでの静寂を取り戻すのに時間はかからなかった。私とクズリとスパイダーの3人がそこにぽつんと取り残されている。

 

「・・・・・・何が起こっていやがる?」と、追撃をあきらめたクズリが静かにつぶやいた。自身から噴き出す烈火のごとき怒りを引っ込めて、早くも冷静さを取り戻した様子だ。

「セルリアンが戦いから逃げるなんてあり得ねえ。奴らは自分の命を惜しまねえんだからな」

 

 私はスパイダーの方を見てみたが、やはり彼女も何が起こったかわからないといった様子でかぶりを振っていた。私もクズリもスパイダーも状況が飲み込めずに立ち尽くしていた。

 だが、予想だにしない声が静寂を切り裂いて、私たち3人の耳朶を打った。

≪・・・・・・こちらメガバット。皆様、聞こえていて?≫

 右耳の奥から、落ち着き払った涼やかなメガバットの声が聞こえてきた。

 私は思わず右耳に手を当ててその声を聞き漏らすまいと耳を澄ませた。クズリもスパイダーも同じようなポーズを取っている。

 私たち3人だけじゃない。きっとこの戦場にいるフレンズ全員が息を呑んで彼女の声を聞いているだろう。

 

≪たったいまハーベストマン本体が動き始めましたわ≫

 メガバットが現在の状況を語り始めた。

 それまで高層ビルを押しのけるように屹立していたハーベストマンの巨体が、ゆっくりと地面を揺るがすように移動し始めたという。

 爆薬が仕掛けられているという、サルヴァドール随一の高層ビル群へと真っ直ぐに進んでいるとのことだ。

 それはつまり、作戦が成功したことを意味する。

 このまま行けばハーベストマンは爆薬で破壊された高層ビルの下敷きになって仕留められるだろう、とメガバットは述べた。

 フレンズ部隊が幼体を倒し続けたことによって、ハーベストマンは“ガス欠”となった。それを裏付けるように、新たな幼体の発生も止んでいるとのことだ。

 

≪さて、皆様に新しい指示をお出ししますわね≫

 メガバットが私たちに告げた指示はふたつあった。

 ひとつめは”これ以上は深追いしないこと”

 そしてもうひとつは”ハーベストマンの動きを把握出来る場所で待機すること”だった。

 フレンズ部隊には爆薬の正確な加害範囲が知らされていないため、無暗に深追いしたら巻き添えを食ってしまう可能性があるのだという。だから今は離れた場所で成り行きを見届けるのが最善であろう、と。

 

「ふええ、なんとか今日も生き延びたっスよ~!」

 メガバットの指示を聞いて、スパイダーは安堵の表情を浮かべて胸をなで下ろした。

 それとは対照的に、クズリは明らかに不満そうな顔で歯噛みしている。そしていよいよ気持ちが抑えきれなくなった様子で、舌打ち混じりに、離れた場所にいるメガバットへと質問を投げかけた。

「幼体どもはどうすんだ? アイツら逃げていきやがったぜ?」

≪それは私のほうでも把握していましてよ。けれども今は放っておいて問題ありませんわ。本体さえ倒せれば、幼体たちのことは後でどうとでもなりますもの≫

「ふーん、あっそ・・・・・・」

 クズリはなおも不満を見せていたが、いったん折れたようであった。

 

 私たち3人はメガバットの指示通りに、薄暗く狭い路地裏を出て、このあたりで一番高い建物の屋上に身を潜めるために、立ち並ぶカラフルな建物の壁を登っていた。

 先陣を切るのはスパイダーだ。

 クモザルのフレンズである彼女にとって、壁を登ることなど朝飯前といった様子で、ビルの壁にあるわずかな取っ掛かりに器用に手足や尻尾を引っ掛けて、地面を走るのと大差ない様子で進んでいる。

 そしてクズリもスパイダーのすぐ後ろに問題なく付いて行っている。

 彼女には取っ掛かりすらも必要ではなく、硬いコンクリートの壁に5本の指を深々とめり込ませて力づくでよじ登っていた。

 セルリアンの核を軽々と引っこ抜くほどの凄まじい握力を持っているからこそ出来る芸当なのだろう。

 

「待ってくれ!」と私が呼びかけると、クズリとスパイダーはやれやれといった感じで動きを止めて、高い所で私を待ってくれていた。

 

「さっさと来いよウスノロ・タイガーちゃん」

「まあまあ、アタシ達と同じ速さで登るなんて無理っスよ」

 

 私は壁をよじ登ることが出来なかった。

 というのも、私は高い所が苦手なんだ。それはつい何時間か前、輸送機から落とされた時に自覚したことだった。足が地面を離れているのは恐ろしくて耐えられない。

 野生のトラなら木登りも得意だって聞いたことがあるけど、私にはとても無理だ。

 なので代わりにジャンプして、低い建物の屋上とか、あるいは建物の壁面からせり出した非常階段とか、そういった足場になりそうな場所を探して飛び移っていくことにした。  

 幸いジャンプだけならひと跳び数十メートルは跳べるので、何とか置いてけぼりにならずに済みそうだ。

 

 そんなこんなで、何度か2人に待ってもらいながらも、この辺りで一番高い建物の屋上にようやくたどり着いた。

 辺りを一望できる高さの屋上が、太陽が西に沈もうとする直前の鮮やかなオレンジ色の光に覆われていた。私たち3人は屋上の隅まで駆け寄って、ビルの下に広がる街の風景を眺めた。

 

 南国サルヴァドールの濃い夕焼けが、天を衝くような高層ビルを等しく照らし出し、すべてを光と影の中に切り取っていく。電力が吸い尽くされて明かりが灯らなくなった都市は、まるで漆黒のジャングルのようであった。

 光と影が、一枚の完成された絵みたいな調和した静けさを描いている。

 だが、たったひとつの異常な存在が、その調和を台無しにしていた。高層ビルの影と遜色ない大きさを持つ巨大な異形が、それらの中を掻き分けるようにして動いているのが見える。

 それが前に進むたびに、地鳴りのような腹の底に響く轟音が、何秒か遅れてこっちにもやってくるのを感じる。

 

「・・・・・・やっぱさ、あんなのアタシたちじゃどうしようもないっスよね?」と、スパイダーが絶句交じりに感想をこぼした。

「さっさと爆弾でやられちゃえっスよ、もう帰りたいっス」

「おいおい、早速気ィ抜いてんのかよ? まったく図太いエテ公だぜ」

 クズリは皮肉交じりの笑みを浮かべながらスパイダーにやんわり釘を刺した。

 

 意外なことに、2人の間にはそれなり以上の信頼関係が築かれている様子だった。スパイダーはクズリの性格に引き気味だけど、たった一人で囮役を引き受けることに何のためらいもなかったのは、相方を心から信じているからだろう。

 そしてクズリも、あきらかにスパイダーに一目置いている様子だ。私は彼女の意外な一面を見たような気持ちになった。

 私のイメージするクズリは、自分の力のみを信じ、他人のことなど一切あてにしない・・・・・・そんな孤高の価値観を持って生きていると思っていたけど、別にそういうわけでもないんだな。

 

________ゴウンッ・・・・・・ゴウンッ・・・・・・

 

 再び街中を突き進む巨大な影に視線を戻す。

ハーベストマンは、さっきまで垂直に屹立していたはずの巨体を、やや前のめりに傾けて前進していた。

 あのタケノコみたいな円錐形の体が地面をまっすぐに移動しているなんて、実際に目の当たりにしたところで、非現実でバカバカしい光景だった。

 奴の根本には、一体どんな足が生えていて、どんな風に歩を進めているのかだろうか? 夕暮れ時の薄暗闇と、立ち並ぶビルの影に隠されていて視認することは叶わない。

 

≪皆さま見ていまして? まもなく爆薬のスイッチが押されますわ≫

 その時を待っていたかのように、メガバットの知らせが飛んで来た。

≪私の方で合図いたしますわね。起爆まで残り30秒前、29、28・・・・・・≫

 

 ハーベストマンの進行方向は、開けた幅広い大通りだった。

 奴の左右にある超高層ビル群は、建てられている間隔が空いていくのと反比例するようにして、ひとつひとつの建物の高さが格段に高くなっている。

 ついさっきまでは建物にも劣らない大きさで存在感を示していたハーベストマンの影が、その中にすっぽりと隠れていた。

 

≪10秒前、9、8、7、6・・・・・・≫

 メガバットの声が”0”を告げようとするや否や、白くするどい閃光が瞬いた。恐ろしくなるぐらい眩しい光が、爆心地から離れている私の視界をも一瞬奪い去る。

 クズリとスパイダーも手で顔を覆いながら身を伏せていた。

________ガカァッッ!! ズドォォォォンッッ!!

 だが光は一瞬で過ぎ去った。

 少し遅れてから、赤々とした爆炎が広範囲から飛び出し、複数の超高層ビルの外壁を打ち砕いた。

 爆破されたのはビルの中腹から頂上にかけて上1/3程度の範囲に過ぎず、根本部分へのダメージはほとんどなかったので、ビルそのものの倒壊は起こらなかった。

 ジフィ大佐が言っていた通り、この爆破はビルの上部を破壊して、落下していく巨大な構造物の破片をハーベストマンにぶつけるためのものだった。

________ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

 炎をまとった無数の巨大な瓦礫が、雪崩のような勢いと密度で落下していった。

 轟音が絶えることなく鳴り響き、それと共に立ち登った噴煙が、辺りの様子をよくわからなくしていた。

 

「す、すっげえっ! これで決まりっスよ!」とスパイダーが小躍りして喜んでいる。

 そんなスパイダーを後目に、私とクズリは爆破された超高層ビル群の方をじっと見つめている。

 今は煙によって様子がよく分からないが、あの煙の向こうでハーベストマンが消滅するのを確認するまでは戦いは終わりじゃない。安心するのはまだ早いんだ。

 

 無限にも思えるほどに長かったが、実際にはごく短い時間が経つと、立ち込める噴煙が消え去って、爆心地があらわになった。

 すっかりリラックスしてその場に座り込んでいたスパイダーの表情が一瞬で青ざめる。

 

「ウソっす・・・こんなの絶対にあり得ないっスよ!」

 ハーベストマンは健在だった。

 今までは超高層ビル群に隠れていたが、爆破によって小さくなった複数のビルの合間から、円錐形の巨体が見えるのだった。

 

「なんで無傷っス!? あれだけの瓦礫を浴びたくせに!」

「スパイダー、あれを見てくれ」

「な、なんスか? シベリアン」

 私はスパイダーに指さしながら、もう一度目を凝らしてハーベストマンの体を見つめた。夕日に照らされた体表のあちこちから、かぼそい光の粒子が漏れ出ているのがわかる。

 その全身に、多少なりとも傷を負った証だ。

「攻撃はちゃんと効いてるよ・・・・・・でも、致命傷じゃなかった。ハーベストマンの体内にある核には届かなかったんだ」

 

「・・・・・・足りてねえんだよ。”距離”が」

 クズリが割って入るように語り始めた。彼女はスパイダーとは打って変わって、これを待ち望んでいたと言わんばかりの生き生きした顔をしている。

「威力を出すために一番大事なのは距離だぜ? ビルも高いが、奴も高い。高い所から高い所に物を落としたって、大した威力は出ねえだろ」

 

「クズリの言う通りだよ。でも、倒せなかった理由はもう一個あると思う」

「あ? 聞かせろよアムールトラ」

「ハーベストマンのあの体、あの形・・・・・・上に行くほど細く尖っていて、表面が丸いだろう? きっとあの形が、落ちてきた瓦礫の衝撃を斜めに逸らしてしまうんだ。体の上の方で衝撃を逸らしてしまっているから、下の方には届かないんだよ」

「ふーん、いい指摘じゃん。ともかく、奴に上からの攻撃は効きそうにもねえわな。さて、それも踏まえて・・・・・・」

 

 クズリはひとりでに納得したようにうなずくと、不意に私から目を逸らし、右耳に手を当てながら「で、次はどうすんだ?」と押し殺すような声で呟いた。

 彼女が話しかけている相手は私ではなく、耳の中から指示を飛ばしているメガバットだ。

 

≪ハーベストマンは進行方向を変えていませんわ。このまま行けば都市の最深部に辿り着きます。今の爆破を数段上回る量の爆薬が、サルヴァドールで一番高い建物に仕掛けられているのだとか・・・・・・おそらく、今の爆破よりも、それが本丸なのでしょうね≫

 

「はははっ、また爆薬かよ」と、笑い声を出したクズリだったが、その顔は全然笑っていなかった。

「やめさせろ」

 

≪あら? よく聞こえませんでしたわ≫

「爆破をやめさせろって言ったんだよ。ハーベストマンには通用しないって今のでわかっただろうが・・・・・・あの髭面の大佐に掛け合って来いよ、アンタなら出来んだろメガバット」

≪やめさせて、どういたしますの?≫

「オレたち51人で奴をブチ殺そうぜ? アンタの命令がありゃすぐだよ」

 

 クズリの意図は結局そこだった。

 自分の手でセルリアンを始末したいという、個人的な執着に任せて物を言っているようにしか思えない。

 だけど、確かにクズリの言う通り、このまま爆薬に頼って傍観していてもハーベストマンを倒せるとは思えない。  

 彼女の思惑は別にしても、私たちにはまだやるべきことがあるんじゃないかと考えざるを得なかった。

 

≪無理ですわ。私たちフレンズはCフォースにとって爆薬と同じ・・・・・・思い通りに動く兵器でしかないんですのよ? 兵器の物言いを彼らが聞くとお思いで?≫

「知らねえよ・・・・・・確かなのは、今のままじゃ負けるってことさ。大佐どもがそれに気付いてねえんなら、そんなアホの命令はもう聞きたくねえな」

≪ウルヴァリン、あなたいったい何を?≫

「もうアンタに話すことねえわ」

 

 クズリは一方的にメガバットとの会話を打ち切ると、己の右耳をほじくり始めた。そして小石のような粒を取り出して、握り潰してしまった。

 あれと同じものが私の耳にも入っている。メガバットの声を遠くから私たちに届ける小型通信機だ。

 

「ウルヴァリン、やっぱやるつもりなんスね?」

「いいかげん覚悟決めろやスパイダー? で、アムールトラ、仕方がないから、てめえも仲間に入れてやるよ・・・・・・今からオレたちだけでハーベストマンを殺りに行こうぜ?」

 

 私は思わず耳を疑った。

 クズリのその天井知らずの自信は一体どこから湧いてきているのだろう? そしてスパイダーは例によって、すでに何かを了承しているような感じだ。 

 

「クズリ、何か作戦があるのか? 君が強いのはわかるけど、力任せで何とかなる相手じゃ」

「んな事ぁわかってんだよ」  

 

 クズリは苛立ちながら己の耳元をトントンと叩いて見せた。作戦を聞かせてやるから早く通信機を捨てろと、合図しているのだ。

 スパイダーもあきらめたような表情で通信機を取り出し、ビルの下に放り投げていた。

 通信機を捨てるということは、メガバットや、さらにその上にいるCフォースの指揮から外れるということだ。

 もう誰も助けてくれなくなる。何が起こっても自分たちで何とかするしかない。

 

「どうした? 早くしろよ。言っとくが、怖けりゃ逃げてもいいんだぜ? もともと俺とスパイダーの2人だけでやろうとしてたことだからな」

「いや・・・・・・私も行く」

 

 私はクズリを見つめたまま、勢いよく通信機を右耳から引き抜き、そのまま真横に放った。通信機が地面に落ちる微かな音が少し遅れて聞こえた。

 そう、私はたったひとつのことを成すためにここにいる。

 やるかやらないか、進むか止まるか。ふたつにひとつと言うのなら、どちらを選ぶかは迷うまでもない。

・・・・・・クズリは私が答えを示したのを見て、我が意を得たり、と得意げな笑みを浮かべた。

 

「ま、作戦っていうほどのものでもないんだけどな。スパイダーの”力”でハーベストマンの懐に飛び込んで、俺の”力”で止めを刺す・・・・・・それだけだ」

「何だい、その力って?」

「俺たちフレンズの力っていったら、アレしかねえだろ。野生解放だよ」

 

 野生解放のことなら、東京でヒグラシ所長に教えてもらったことがある。

 セルリアンとの戦闘経験が豊富なフレンズに時折見られる眼球の発光現象・・・・・・それが起こったフレンズは、短時間だけ力もスピードも普段の倍以上になり、戦闘能力が桁違いに上がると言われている。

 もちろん私はまだ出来ない。

 

「・・・・・・いくら野生解放したって、結局力押しじゃないか。奴に通用するとは思えないよ」

「てめえは知らねえか? ごくひと握りのフレンズは、野生解放の先にあるすげえ力を持ってんだよ。何がすげえって、普通じゃあり得ないことが出来るんだ」

「普通じゃあり得ない? いったいどういうことなんだ?」

「それを今から見せてやるよ」

 

 私は彼女が話していることがさっぱりわからなくて、にわかに不安になってきた。

 クズリやスパイダーの大真面目な態度から、言っていることがデタラメじゃないことはわかるが、その言葉だけで何かを察しろと言われても、どだい無理がある。

 

「さーて、スパイダー。てめえの大一番だぜ? バッチリ決めろよな?」

「・・・・・・わ、わかってるっスよ」

 

 クズリとスパイダーが駆け寄って、お互いの手を取り合った。そしてスパイダーは空いているもう片方の手を私に向けてきた。

「シベリアンもアタシの手を握るっスよ」

「あ、ああ」

 

 半ばヤケクソみたいな気持ちのまま、スパイダーの手を取った。

 サルヴァドールの空はすでに日が暮れており、今いるビルの屋上にも薄暗闇が立ち込めている。そんな中で、クズリが彼女の右手を掴み、左手を私が掴んで、三角形を作るように立ち並んでいる。

 スパイダーは先ほどから目を閉じて深く精神を集中させている。私はそれを間近で首をかしげながら覗き込んだ。よく見ると、彼女の唇がわずかに動いて、何かをブツブツとつぶやいていた。

________死にたくない、生きたい。死にたくない、生きたい。死にたくない・・・・・・

 謎の文言を口にし始めたスパイダーに思わず戦慄した。そして、何か尋常ではないような気迫が少しずつ彼女に宿っていくのがわかる。

 

「生きたいッッ!」

 やがてスパイダー大声を出しながら、興奮気味に眼を見開いた。

 彼女の目は、彼女自身の体よりも鮮やかな、まばゆく輝く金色の光を宿していた。あたたかく、それでいて力強い閃光が、薄暗い屋上を照らしている。

「奴の懐に飛び込むっス!」

 スパイダーは眼下に望むビル街の向こうにいるハーベストマンを睨み付けながら叫んだ。

 

________ズルリッ

 

「なっ! なんだこれは!?」

 私の足が地面に埋まっていた。

 コンクリートで出来た屋上が底なし沼のように手ごたえをなくして、どんどんと私たち3人の体を飲み込んでいる。

 想像を超えた異常な事態を前にして私の頭はパニックになっていた。

 

「沈んでる! 地面に体が沈む!」

「落ち着けバーカ。スパイダーの手を絶対に離すんじゃねえぞ」

「・・・・・・まさかこれは君のしわざなの?」 

 思わずスパイダーに話しかけたが、集中しきっている彼女からは返事はない。私の体は彼女に引っ張られるようにして、屋上を満たす”影”の中に沈んでいった。

 

to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「洋名シベリアン・タイガー 和名アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「洋名ウルヴァリン 和名クズリ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「洋名インディアン・フライングフォックス(俗称メガバット) 和名インドオオコウモリ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「洋名ジェフロイズ・スパイダーモンキー 和名ジェフロイクモザル」

_______________Enemies date________________

「ハーベストマン」
身長:およそ93メートル
体重:およそ1、870トン
概要:超弩級の肉体を持つ”ディザスター(都市殲滅)級”セルリアン。その円錐形の体を活かして、普段は地中を移動し、糧である電力を捕食する際は地表を貫いて浮上する。自身からは攻撃を仕掛けず、外敵に反応して無数の幼体を生み出して迎撃させる。それ以外には特筆すべき攻撃手段を持たないが、その耐久力は圧倒的であり、撃破することは非常に困難である。
   

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章4 「のこっていたかだい」

 あるトラのものがたり第21話です。

 サルヴァドール防衛戦が終局を迎える。
 果たしてアムールトラと仲間たちは、極限状況に打ち勝つことができるのか。 

 


________ドサッ!

 

 私の体が、突如かたい床の上に投げ出された。

 ろくに受け身も取れずに倒れた体をゆっくりと起こしながら、辺りの様子を伺ってみた。

 そこは、どこかの立体駐車場のようであった。広く直線的な部屋の、あちらこちらに自動車が停められているが、ヒトの気配はなく、寒々しい雰囲気を醸し出している。

 そこには壁という壁はなく、コンクリートの柱や鉄骨が建物を支えているだけであり、屋内とはいっても、外の景色とひと続きになった開放的な空間だった。

 

 私はなぜこんなところにいるのだろう? ついさっきまで高層ビルの屋上にいたというのに。

 スパイダーに引っ張られて影の中に沈んだことまでは覚えている。影の中は、視界がいっさいの暗闇に閉ざされて、手ごたえのない感触だけが広がる虚ろな空間だった。

 重力すらなく、上下左右の区別すら付かなくて、左手で掴んだスパイダーの手のひらだけが唯一確かなものだった。

 

「これがアタシの・・・・・・野生解放っスよ」と、私を謎の空間に引き込んだ張本人であるスパイダーが答えた。

 スパイダーは、腫れぼったい眼をしながら、息も絶え絶えにへたり込んでいた。

 彼女はこれまでの戦闘で特に傷を負ったわけでもなく、先ほどまで元気そのものだったのに、見るからに疲労困憊になっていた。

 

「はぁ、はぁ・・・・・・アタシは、影に潜って、影がつながっている別の場所へ・・・自由に移動することが出来るんっス」

「な、なんてすごい力なんだ」

「・・・・・・メチャクチャ疲れるから、ここぞって時にしかやらないっスけどね」

 

 ごくひと握りのフレンズは、野生解放の“先にある力”を持っている。その力を使えば“普通ではあり得ないこと”が出来る、と先ほどクズリから説明された。

 スパイダーが見せたこの力は、確かに普通ではあり得ない。

 彼女が囮役に選ばれたのも頷ける話だ。いざとなれば影の中に逃げ込めるのだから、どんなセルリアンに襲われても逃げられるだろう。

 

「スパイダー、てめえ何のつもりだ? こんな建物の中に移動しやがって」

 私と一緒にスパイダーに連れられてきたクズリは、すでに彼女から手を放して立ち上がっていた。疲れ切って動けないでいるスパイダーを仁王立ちで見下ろしながら、腹立たし気に文句を言っている。

「ハーベストマンになるべく近づくんじゃなかったのかよ? 影の中で外の様子がわかんのはてめえだけだってのに、ハンパな仕事してんじゃねえよ」

 

「ごめんっス、ウルヴァリン。でも無理だったんス。奴には近づけなかった」

「あ? どういうことだ?」

「そと・・・・・・外を見てみるっス」

 

 クズリは舌打ちしながら後ろを振り返り、立体駐車場の隅に駆け寄って、鉄骨の隙間から身を乗り出した。

 私もそれに倣うようにして、彼女のすぐ隣から頭を出して下の様子を伺った。

 立体駐車場は、地上から数階分程度の高さしかなかった。ここでは街を見下ろすことが出来なくなった代わりに、眼下の様子がよくわかる。

 そこは車が何台も並んで通れそうな、風通しのいい大通りだった。本来ならば絶えることなく交通が行き交う都会の中心部と思しき場所だ。

・・・・・・だが、今の様相はそれとは変わり果てていた。

 

 ハーベストマンの幼体が、びっちりと隙間なく、大通りを埋め尽くしていた。

 やはり幼体たちは逃げたわけじゃなかったのだ。むしろその逆で、自分たちの本体を守るために一か所に集まったんだろう。

 ひしめき合う黄褐色の体の密度はいっこうに薄まることなく、視線の向こう側まで続いている。

 その先には、見ていて距離感が狂いそうになる巨体が、轟音を立てて直進していた。その音は少しずつ近づいてきている。

 ちょうどこの立体駐車場は、ハーベストマンの進行方向に真正面から向かい合った位置にあるのだろう。

 

「しくったぜ!」

 さしものクズリも明らかに焦った表情をしている。

 スパイダーの力で接近し、クズリの力で倒し、すぐに撤退する・・・・・・それが当初の作戦だったはずだ。

 先ほどまでのクズリは自信に満ちていた。スパイダーならば一瞬で接近出来ると信じていたことだろうし、自分ならば一撃でハーベストマンを倒せると自負していたからだと思う。

 でも、それは予定通りにハーベストマンに接近出来た場合の話だ。

 幼体たちが作る“肉の壁”がこちらの作戦を台無しにしてしまっていた。

 一瞬でカタを付けられなければ、今度は自分たちの身が危険にさらされる。ハーベストマンの進行方向にあるビルのどれかに仕掛けられた爆薬がいつ起爆されるともわからないのだから。

 命令に背いて通信機を捨てた私たちに、メガバットの声はもう聞こえない。

 

「ウルヴァリン、シベリアン。アタシ達ももう逃げたほうがいいっスよ・・・・・・いくらなんでもマジで死ぬっス。ビルの下敷きになってペシャンコっス」

「てめえ、ハナっから逃げるつもりなら、なんでここに来やがった?」

「勝手に逃げ出して、後でアンタに恨まれたくなかったっス。でもこれで納得したでしょ?」

「クソッたれ! てめえは逃げることばっかだな!」

「だ、だったらウルヴァリンは戦うことしか頭にないじゃないっスか!」

 

 一刻も早くここから逃げ出したいスパイダーと、闘争心に陰りが見え始めたクズリが言い争っている。ついさっきまで息の合ったコンビだった2人は見る影もない。

 

「さあ早く手を握ってくれっス。アタシ、後もう1回ぐらいなら影に潜れるから」と、スパイダーが両手を私とクズリに向けて、この立体駐車場から逃げることを促してくる。

 彼女の“後もう1回”は、本当ならクズリがハーベストマンを討った後に使うはずだったんだろう。彼女の手を握ることは、あきらめることと一緒だ。

 そうすれば、この街は落とされる。

 さっき見た通り、爆薬を使ったビルの崩落ではハーベストマンを倒せないのだから。

 

「・・・・・・ダメだよ。逃げちゃダメだ」

「し、シベリアン!? 」

「私たちは戦うべきだよ」

 

 私がそう答えると、スパイダーはあっけに取られた表情で、非難するようにこちらを見つめてきた。クズリも私がそう答えるとは思っていなかったようで、意外そうな顔をしている。

 

「スパイダー、君みたいにすごい力が使えるフレンズが、簡単にあきらめちゃダメだ。まだ出来ることがきっとあるはずだよ」

「な、なんでそこまで命を張りたがるんスか? アンタもウルヴァリンと同じで、バトル大好き系なんスか?」

「・・・・・・私はヒトの世界を守りたいんだ。今の私があるのはヒトのおかげだから」

 

「新入りが格好つけやがって」と、クズリが私に悪態を付くと、不機嫌そうな顔をしながら、頭の高さにかかげた拳をミシミシと握りしめていた。

 筋肉がきしむ音からはその力の強さがうかがえる。気持ちが高ぶった時、ああやって拳を握りしめるのは、クズリの癖なのだ。

「戦うべき、だと? そんなことは言われるまでもねえんだよ」

「クズリには言ってないよ。君はまだあきらめてないだろ?」

 

 何故だか彼女は私に腹を立てている様子だった。その怒りの理由を問い詰めている場合じゃなかったので、無視して話の本筋に切り出すことにした。

「ところで気付いたことがあるんだけど、話してもいいか?」

「チッ、さっさと言えよ」 

 

「まずはあれを」と、私は身を乗り出しながら外を見上げ、ある一点を指さした。

 それは、大通りを挟むようにしてそびえ立つ高層ビル群の中でもひときわ巨大な、空を埋め尽くすような存在感を持った鉄塔だった。

 

「メガバットは“一番高い建物に爆薬が仕掛けられている”と言っていたけど、あの鉄塔がそうなんじゃないか? 爆発が起こるとしたら、あれの真下にハーベストマンが来た時だと思うんだ」

「まだ少しは時間があるってことか? ・・・で、アムールトラ、てめえはどうするつもりだよ」

「奴があの鉄塔の真下に来るまでに、私が何とか幼体たちの動きを引き付けて、ハーベストマン本体から引き離してみるよ。奴を取り囲む肉の壁を出来るだけ薄くするんだ」

 

「ふーん、今度はてめえが囮になるってか?」 

「ああ、幼体たちはあの通り結構素早いから、上手く誘導すれば時間はそんなにかからないはずだ・・・・・・その隙にクズリが本体に近づいて、やっつけてくれ。その後でスパイダーがクズリを影の中に連れて逃げてくれ」

「敵の数はさっきの比じゃねえぞ。てめえは“ただの”野生解放だってまだ出来ねえんだろ? かなりキツいんじゃねえのか?」

「何とかやってみる、信じてくれ。だからクズリは本体を」

「ま、オレはハナっからそのつもりだぜ。てめえがしくじろうが、“オレの”野生解放が必ずハーベストマンを仕留める」

 

「2人ともおかしいっスよ。なんでもっと自分の命を大事にできないんだか」と、スパイダーが頭を抱えながらゴネていたが、やがて観念したように、神妙な顔つきで深いため息をついた。

「わかったっスよ。今だけアンタらに付き合うっス。今後はもうゴメンっスけど」

 

「あ、ありがとう!」

「でも、一個だけ納得いかないっス。アタシにウルヴァリンを連れて逃げろって言ったけど、じゃあシベリアンはどうやって逃げるっスか? 言っとくけど、アンタとウルヴァリンを両方助けるのはアタシには出来ないっス」

「私は何とか逃げてみるよ。ハーベストマンに近づくクズリのほうが絶対に危険なんだ、クズリの方を優先してくれ」

「その“何とか”っていうの、アンタの口癖っス? 生き残りたいなら、行き当たりばったりはNGっスよ」

 

 スパイダーのするどい追及に、私は思わず言葉を失う。今の彼女は、第一印象とは随分ちがうと思った。

 最初は、少し臆病な所がある子なんじゃないかと思った。だがそれは間違いだ。命がかかったこの状況で、こんなにも冷静で強かでいられる彼女が、臆病であるはずがない。

 彼女は戦うことには消極的だけど、生き残ることには貪欲だ。自分のことだけじゃなく、仲間が無駄に命を散らすことだって我慢ならないのだろう。

「頼む、これしかないんだ」

 だけど、彼女を納得させるほどの勝算や戦術は、今の私にはない。気持ちを言葉にして、まっすぐに突き出すことしか出来ない。

 いつもそうだ。ひたすら頭を下げて、相手に無茶なことをお願いする。

 ゲンシ師匠に弟子にしてもらった時もそうだった。師匠は私のことを“頑固でしつこい”と評した・・・・・・私はまさにそういう性格なんだって今さらながら実感する。

「もうアンタの好きにしろっス」と、私のしつこさに根負けしたスパイダーがついに折れた。

 

「じゃあ、行ってくる。2人とも頼んだよ」

 私はそう告げると、立体駐車場の柱と柱の間をじっと眺めた。飛び降りるのに良さそうな場所を探すためだ。

 そしてほどなくして見つけた一点に向かって、踏み込んで助走をつけようとした。

 

「待てよ、アムールトラ」

「なんだいクズリ?」

 後ろから声をかけてきた彼女を背中越しに見やった。

 クズリは例によって拳を握りしめながら、射殺すような目つきで私を睨み付けている。

 

 私は彼女のことを“ウルヴァリン”ではなく“クズリ”と呼んでいる。何となくそっちの方がしっくりくるからだ。

 だけど彼女も同じように“シベリアン”ではなく“アムールトラ”と呼んでいることに今さらながら気付いた。

 東京から遠く離れたこの地で、偶然私たちが再開したのは、何とも奇妙な巡り合わせだ。

 

「てめえには絶対に負けねえぞ。オレのほうが上だ」

 唸るようにつぶやくクズリの目の奥に、今まで見たことがないような光が宿っているのを感じた・・・・・・ものすごく攻撃的な態度なのに、何故だか悪い気はしなかった。

 私のことを鼓舞してくれているように思えたのだ。

 

 私はクズリに小さくうなずくと、今度こそ助走を付けて、柱と柱の間を縫うように飛び出して、立体駐車場を後にした。

 

「ウルヴァリン、なんでシベリアンにあんなことを言ったんスか?」

「なあスパイダー、さっきてめえが手を握れって言った時、オレもさすがにビビって、逃げちまおうって思ったんだ・・・・・・で、てめえの手を握ろうと思った」

「え? そうだったんスか?」

「なのにアムールトラのやつは全くビビりもせず、戦おうって言いやがった。オレはアイツに負けたような気がした。それが心底イラついたのさ」

「張り合うつもりなんスか? エースのアンタが、新入りのシベリアンと?」

「かもしれねえな・・・・・・今までにないくらい、メチャクチャに血がたぎりやがる」

 

 

 地上数階分の高さから飛び降りて、薄暗い大通りの上に音もなく着地した。

 視界は良好だ。日が暮れてしまったとはいえ、薄紫色の空には十分な光が残っている。何よりここはだだっ広くて、光を遮るものが少ない。

 

 数えきれないほどの数の幼体が、日暮れの空にうごめいている。そしてその向こう側には、押し寄せる大津波のようなハーベストマンの禍々しい巨体が見える。

 大通りの向かって右側に、天を貫くような巨大な鉄塔がそびえ立っている。ハーベストマンがこのまま真っ直ぐ進めば、後もう少しで鉄塔の真下に到達するだろう・・・・・・そうなる前にケリを付けなくてはいけない。

 私の役目は、クズリがハーベストマンへ攻撃を仕掛けられるように、幼体たちをおびき寄せ、片付けることだ。

 

「かかってこい」と、静かに告げながら、後屈立ちをして真っ直ぐに身構える。

 私を目にしたおびただしい数の幼体たちが、殺意を弾けさせながら、濁流のような勢いでいっきになだれ込んで来る。

 奴らの動きはかなり素早い。思った通り、おびき寄せるのに時間はいらないようだ。

 一匹が私を射程内にとらえ、長く伸びた片足を振り上げて、叩きつけてきた。

 あらかじめ敵の“意”を読み取っている私には、その攻撃の軌道や、命中するタイミングが、手に取るようにわかる。

 それを躱して反撃に転じようとした瞬間。

 

________ゴキャッッ!!

 

「うぐっ!?」

 まったく別の方向から、違う幼体の蹴りが私を打った。数メートルもある足から繰り出される打撃が、私の腹部を捉えた。

 とっさに両腕を交差させて急所をかばった私の体が、後方に吹き飛ばされる。

 そして空中で衝撃を散らしながら思うのだった。

(一発でもまともにくらったらヤバい!)

 

 何とか姿勢を保ったまま着地したが、間髪入れずに別の幼体が私を蹴り付けた。

 読み取った“意”が教えてくれる命中までの猶予はあまりにも短く、躱す余裕が残されていないことを知る。

 予知した通りに炸裂する衝撃を、掛け受けの動作で横に払った。

 

________ドシャアアアッッ!!

 蹴りを捌かれた幼体は、体勢を立て直すことも出来ずに、そのまま勢いよく倒れこんだ。そうさせた張本人の私ですら驚くほどの派手な転びっぷりだった。

 私はやむなく受けただけだ。

 反撃に転じるならば、受けるよりも躱す方が絶対にいいと思っていた・・・・・・だが、幼体たちに対しては、受け技が予想以上に効果的だったようだ。

 

(これは、あの時の私と同じなのか?)

 私はゲンシ師匠との最初の組手を思い出していた。あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。

 まだ空手を知らなかった私が繰り出した全力の拳を、師匠はただ払いのけた。すると私は、ものすごい力で投げ飛ばされたように転んだのだ。

 そのカラクリも後で教わった。

 打撃とは、前に進もうとする力や勢いが強ければ強いほど、わずかな力で大きく横に逸らされてしまう。その性質は何者も逆らうことが出来ないんだ。

 

 きっと幼体たちは攻撃を横に逸らされることに弱いのだ。

 その長い脚から繰り出される攻撃は強烈だったが、その攻撃を支えるバランスに著しく欠けている・・・・・・というのも、蹴りとは足だけで出来るものじゃないからだ。足を前に出した分だけ、頭と腕とでバランスを取らなくちゃ、前のめりになってしまう。

 だが奴らの体には頭も腕もなく、長い2本の足と楕円形の胴体があるだけだ。

 バランスの欠如・・・・・・私はそこに攻略の糸口を見出したような気がした。

 

(もう躱さない。全部受ける!)

 私は両腕を引き絞るように内側に回しながら、手のひらを開いて前へと突き出した。

________前羽の構え

 この構えは、両腕を突き出した姿勢からあらゆる受け技を最速で繰り出して、上下・前後・左右から来る攻撃に対応するためのものだ。

 どんな動きにも柔軟に変化できる後屈立ちに比べて、受け技へと完全に重きを置いた構えだといえる。1対1の戦いでは、受けた後に反撃することも出来るだろうが、敵の数がこれほどまでに多い状況では、反撃することは不可能だ。ひたすら受けに専念するしかない。

 でも、思えば私が反撃する必要はなかったんだ。

 反撃はクズリに任せたのだから。

 

________バチィンッッ! シュパパパンッッ!!

 攻撃が命中する瞬間、筋肉は伸びきって硬直する。最大のインパクトを与えようとするならば必ずそうなる・・・・・・その瞬間こそが受け技の領分だ。タイミングを見切ったら、後はその時を狙いすまし、最適な受け技を重ねるだけだ。

 四方八方から降り注ぐ幼体たちの攻撃を、自分でも驚くほどのスピードで、完璧なタイミングで打ち払っていた。

 わずかな力で横に逸らされるだけで、彼らはバランスを取り損ねたまま、後方へと吹き飛ばされるように転倒していく。

 

 気が付くと、私の周りで無数の幼体たちが、折り重なるようにもんどりうって転げ回っていた。こうなると数の多さは完全に裏目に出ていた。起き上がろうにしても互いの体が邪魔をして、自由な動きを妨げてしまうからだ。

 一匹として止めは刺せていなかったが、かなりの数の幼体を無力化したと思う。

(クズリ! まだなのか!?)

 ごくわずかな瞬間、目の前の敵たちから視線を逸らし、大通りの向こうを見やった。轟音を立てながら押し寄せるハーベストマンが、例の鉄塔の真下までもう少しで達しようとしていた。

 

 この位置からでは周囲の様子がさっぱりわからない。

 私の目的は、クズリがハーベストマンに接近するための通り道を作ることだった。それを果たすことは出来たのだろうか?

 クズリがあの巨大なセルリアンをどうやって倒すのかはわからない。

 わかっているのは、彼女が自分の力に絶対の自信を持っていること・・・・・・そして、誰が相手であろうが全力でぶつかっていく凄まじい闘志を胸に秘めていることだけだ。

 

________ドクンッ!

「っっ!?」

 真後ろから、爆発的な勢いの“意”が突如現れ、私の体を突き抜けた。

 たったひとつのそれは、私を取り囲む無数の幼体たちの“意”を簡単に吹き飛ばしてしまうほどに強烈だった。

「来たかクズリ!」と、誰に言うでもなく、思わず私は叫んだ。そして真後ろを見やる。

 ひしめき合う幼体たちの隙間から、金色の火の玉が燃え盛っているのが見える。それは一直線に、猛烈な勢いでこちらへ近づいて来ていた。

 フレンズは野生解放する時、その瞳の中に金色の光を宿らせる。だがあれは瞳だけじゃなくて、全身が光っているようにしか見えない。

 

 突き進む火球の前に、私が倒し損ねた何匹かの幼体たちが立ち塞がった。だが彼らが火球に触れた瞬間、その体は粉々に消し飛ばされてしまった。

 まるで竜巻に巻き込まれた木の葉のようだ。力の桁が違いすぎる。

 

________ブォンッッ!!

 勢い止まない火の玉が、私のすぐ横を通り抜けて、そのまま一直線にハーベストマン本体へと近づいていった。

 火の玉と化したクズリがいかに猛烈な勢いと力を持っていようとも、巨大な敵に近づけば近づくほどに、そのあまりにも頼りない小ささが浮き彫りになるように思えた。

(な、なんてやつだ君は)

 地面の高さからハーベストマンを見上げると、今さらながらに思い知るのだった。

 大地を飲み込む津波のような巨体に、自分から突っ込んでいくなんてマネは、並大抵の気持ちで出来ることじゃない。死への恐怖を超越する強い意志がなければきっと無理だろう。

 

________ズッガァァァンッッ!!

 全力疾走で走るクズリが、ハーベストマンの根本に激突した。その瞬間、衝撃で砂煙が巻き上がり、クズリの姿が覆い隠されて見えなくなった。

 しかしハーベストマンは健在だった。

 クズリは、幼体を触れただけで消し飛ばすほどの強烈な体当たりでハーベストマンを仕留めるつもりだったのだろうか? だとしたら、失敗したのか?

 不気味なまでの静寂がその場に立ち込めた。

 私はここで違和感に気付いた。ついさっきまで絶え間なく鳴り響いていた轟音が止んだからだ。それは、ハーベストマンの足音だ。

 

(ハーベストマンが、足を止めただと?)

 砂煙が収まり、ハーベストマンの根本が露になった。そこには、依然として金色の炎を全身にまとう、豆粒のようなクズリの体があった。

 クズリは、自身の数百倍もの体重を持った相手を力づくで止めてしまったのだ。あまりに現実離れした光景に私は思わず息を飲んだ。

(普通では、あり得ない力・・・・・・)

 

 驚かされるのはそれで終わりじゃなかった。ハーベストマンの巨体は、前進するために若干前のめりにはなっていたが、ほぼ真上に天を衝くように屹立していたはずだったのだ。  

 それが今、少しずつ、斜めに傾き始めていたのだ。

(ま、まさか!)

 私が空手を習ったように、クズリもいくつかの格闘技を習得している。相手を掴んで投げることに特化した組み技系格闘技だ。投げ技こそがクズリの本分だ。

 彼女は私と違って、VR訓練を受けただけであそこまでのレベルに達してしまっていた。

(ハーベストマンを投げるつもりかっ!?)

 

「っっろすぞあああっっ!!」

 クズリが雄叫びを張り上げると、その凄まじい気迫に呼応するように、彼女が全身にまとう金色の光がいっそう強く、弾けるように激しく燃え上がった。

 ブチブチと、繊維が何本も千切れるような音が聞こえた。それはハーベストマンが地中に張っていた根だ。自身の重量と、クズリの怪力によって、体から根がもぎ取られているのだ。

 根を失ったタケノコのような体が、明らかにバランスを崩しているのがわかる。もはや立て直すことが不可能に思えるほどに傾いていた。

 

________ドッシィィィィィィンッッ!! 

 ハーベストマンはそのまままっすぐに倒れこんだ。真下にいる無数の幼体が下敷きになり、地面を揺るがすほどの衝撃が巻き起こった。

 

「ま、まずい!」と私は思わず叫んだ。

 クズリがハーベストマンを投げ倒した方向は、奴の進行方向と同じだった。つまりその先には爆薬が仕掛けられている鉄塔がある。

 そして横倒しになったその体は、ちょうど例の鉄塔の真下に到達してしまっていたのだ。

 私は鉄塔を見上げて、心臓が凍るような気持ちになった。

 

「スパイダー! クズリを頼む!」と、どこにいるかもわからないスパイダーに向かって呼びかけながら、私は急いでその場から走り去ろうとした。

 

________カッッ!

「うっ!?」 

 強い閃光が一瞬視界を焼き尽くした。私は必死に走りながら、背後で爆発が起こったことを悟った。

 爆発音は聴こえず、代わりに甲高いキンキンとした音が耳の中で響いていた。きっとあまりにも大きな爆発音を聴いたことで、耳がバカになってしまったのだ。

 爆破された鉄塔の破片がそこらじゅうに降り注いでいる。この足を一瞬でも止めようものなら、それで一貫の終わりだろう。

「・・・・・・あっ」

 だが、私は思わず足を止めてしまった。破片と呼ぶにはあまりにも巨大な鉄塊が頭上にあるのがわかったからだ。

 横に飛ぼうにも、別の破片が落ちてくることは目に見えている。私は本能で万策が尽きたことを悟った。目の前の現実を受け止めきれず、頭の中が真っ白になった。

 スパイダーの言った通りだった。“行き当たりばったり”じゃ、生き残れない。

 

________ヒュンッッ!

 背後から目にも止まらぬスピードで近づいてくる何者かの“意”を感じた。

 爆発の閃光で白く明滅する地面の上に、放射状に広がる翼の影が伸びてきた。

 その瞬間、その実体が私を背後から抱きかかえ、勢いを止めずに飛び去った。

 

 翼の主は、私を抱きかかえたまま、降り注ぐ瓦礫の隙間を縫うように飛んだ。

 その翼は、あらゆる方向に一瞬で方向転換をしていた。それは“跳ね返る”としか形容できないほどに鋭く、変幻自在だった。

 翼の主は、瓦礫の雨を難なく抜け出すと、地上に降り立ち、私を下ろしてくれた。そして自身の体よりも大きな黒い翼を折り畳み、マントのようにして胴体に覆い被せた。

 

「・・・・・・あ、ありがとう、メガバット」と、私は彼女を見上げながら感謝を述べた。

 彼女は相変わらず感情が読み取れない閉じた瞳で私のことを見下ろしている。

 

「でも、なんで私の居場所がわかったの?」

「ウルヴァリンの様子を見ていれば、あなた達が何か無茶な行動に走るであろうことは一目瞭然でしたわ」

 メガバットが、整った顔立ちに微笑を浮かべながら語り始めた。

「それに、あなたとウルヴァリンとスパイダーの3人でどうやってハーベストマンと戦うか・・・・・・それも予想が付きましてよ。私は隊長で、部下の能力はすべて知っていますもの。新入りのあなたを除けばね。ともかく、あなたは1人で逃げることになるだろう、と事前に思いましたの」

 

 言っていることにはすべて理屈が通っていたが、それでも釈然としない部分が多かった。そもそも、私が1人で逃げることがわかっていたところで、あんなに完璧なタイミングで救出することなんて不可能では・・・・・・

「私にはわかりますのよ」

 と、メガバットは例によって私の思考を先取りするように答えをかぶせてきた。

 

「わかってて、わざとオレたちを泳がせたってわけかよ」

 どこかからクズリの声がした。

「まったくアンタにはかなわねえよな。このクサレ腹黒コウモリが」

 

________ズズズッッ

 私のすぐそばの地面から、クズリとスパイダーが、あたかも水面から浮上するように生え出てきた。スパイダーが影に潜る能力を解除して、影の中から地面に出てきたのだ。

 そしてクズリはスパイダーに背負われていた。

 

「2人とも無事だったんだね! 良かった! ・・・あっ・・・」

 笑顔で駆け寄った私が見たのは、全身に血が滲んでズタズタに傷ついているクズリの姿だった。特にその両手は、折れた骨が手の甲から飛び出している有様だった。その痛々しさに思わず息を飲む。

「だ、大丈夫かい?」

「バーカ、こんなもんはただのかすり傷なんだよ」

 ハーベストマンを投げ倒すほどの力を発揮したことで、彼女の体にも相応のダメージが返ってきたに違いない。

 重傷を負っても、相変わらずドギツい悪態が付けるのはさすがと言ったところだ。

 

「で、ハーベストマンはどうなったんだよ?」と、スパイダーに背負われたままのクズリが尋ねる。

「アイツをブン投げた瞬間に、このおサルに影の中へ引きずり込まれたから何も見えなかったぜ」

「へへっ、ジャストタイミングだったっスよね?」と、クズリをおぶったままスパイダーが誇らしげに微笑んだ。

 

「あれをご覧遊ばせ?」と、メガバットが大通りを指さした。

 巨大な鉄塔が破壊されたことで、広々とした大通りが丸ごと瓦礫に埋め尽くされてしまっていたのだ。

 そして私たちは見た。瓦礫の隙間から、虹色の光の細かな粒子が巻き上がり、どこまでも天高く登っていくのを。

「あれがハーベストマンの最期ですわ」

 

 初めて目にする光景だった。小型のセルリアンは一瞬で爆散するが、あれほどまでに巨大なサイズの個体は、ああいう風に消滅していくのか・・・・・・

 

「それにしても、横に倒した状態で建物の崩落に巻き込むとは、考えましたわね」

 

 私はメガバットに指摘されて、初めて気づいた。

 最初の崩落の時、ハーベストマンは立ったままだった。そのため建物との高低差が少なく、威力を出すための十分な高さが得られなかった。またそのタケノコみたいな形状によって上から落ちてくる衝撃を受け流してしまっていた。

 しかし横倒しになった状態で崩落に巻き込まれれば、立っている時よりも高低差がずっと大きくなる。そして形状を生かして衝撃を受け流すことも出来なくなるのだ。

 つまりは、立っている時よりもはるかに甚大なダメージを受けるということ。

 降り注いだ破片の一つが、ハーベストマンの核に届いたのだろう。奴が立っている時にはきっと叶わなかったであろうことだ。

 

「すごいなクズリ! 君はそこまで考えて、あえて鉄塔の真下にハーベストマンを投げたんだな!?」

「んなこと知るか・・・・・・チッ、オレの投げ技で死んだんじゃねえのか。結局爆弾のおかげかよ」

 

 クズリの返答を聞いて、その場にいた全員がぽかんと黙り込んだ。あのメガバットですらも驚きと呆れを隠せない様子だ。

「ま、まあ、結果オーライということですわね」

 

≪やったわ!≫

≪わたし達は勝ったんだ!≫

 

 それぞれの持ち場を守っていたフレンズ部隊の仲間たちが、周囲の建物の隙間から続々と集まり、勝ち鬨を上げていた。

 それを見て、いよいよ戦いに勝ったことへの充足感が胸中を満たしていった。

 

≪貴様らの戦いぶり、とくと見せてもらったぞ≫

 フレンズ部隊たちに混ざって、ナビゲーションユニットが浮遊しながら私たちのそばに近づいて来た。

 いくら見慣れているとはいえ、真っ黒い球体が放つ無機質な存在感は、パッと見ただけではセルリアンに近いものがあるので、一瞬気持ちがざわついてしまう。

 

≪ウルヴァリンよ、貴様に詫びておくことがある≫

 ユニットごしに、ジフィ大佐がクズリに呼びかけている。Cフォースでも最高の地位にある軍人が、一兵卒、あるいはそれ以下の立場であるフレンズ個人に自分から声をかけるのは、あまりにも異例なことだ。それも“詫びる”とは。

 さしものクズリも驚いた顔でユニットを見つめていた。

 

≪ウルヴァリン、貴様の言った通りであったわ。貴様らのような強力な味方を得ていながら、儂はあまりにも消極的であった・・・・・・貴様らさえいれば、爆薬なぞ必要なかったやも知れぬな≫

「ようやくわかったのかよ大佐ァ? だったらご褒美をよこせよ」

≪何が望みだ?≫

「もっとオレを使えよ。オレたちフレンズをもっと前に出せ。セルリアンどもをガンガンに攻めまくってやるんだよ」

≪あくまで戦いだけを望むか・・・・・・よかろう! 貴様には常に最高の出番を与えてやろう! 次に備えて今はその傷を治すがいいぞ≫

 

 ユニットのホログラムからジフィ大佐の体が投影される。

 青白い光で形作られた髭面の強面が、全身傷だらけでスパイダーにおぶわれているクズリと向かい合い、視線を交えながら不敵な笑みを浮かべていた。

 クズリと大佐、戦いを心から愛し欲する者同士が共感し合っているようだ。

 戦いを嫌うスパイダーが、クズリの下で何とも言えない顔で苦笑していた。

 

「ふふふ・・・・・・」

 仲間たちが勝利の喜びを分かち合いながら騒いでいる中で、メガバットは1人で、例の腕を組んだポーズで静かに佇んでいた。

 私は彼女と話したくなって「ねえ」と思わず近寄った。

 

「何かしら? シベリアン」

「いや、なんだかお礼が言いたくて、君たちみたいな頼もしい仲間に出会えて、本当に私はツイてるよ」

「あなたの戦いぶりも中々のものでしたわよ。ヒトの格闘技をあれほど高いレベルで、忠実に使いこなせるフレンズはそうそういませんわ。いくら格闘技を習ったところで、フレンズの戦い方は、身体能力まかせの我流になりがちですもの」

「・・・・・・私には素晴らしい師匠がいた。ぜんぶ彼が教えてくれたんだ」

「そうでしたのね」

 

 ゲンシ師匠のことをメガバットに話すと、誇らしいような、胸が熱くなるような気持ちになった。

 師匠の技は、私の体の中にしっかりと刻み込まれ、今も生き続けている。ひとつ戦いを経験しただけでも、それをはっきりと実感できた。

 

「でも私なんかまだまだだよ。野生解放も出来ないし、その“先にある力”のことだって知らなかった」

「あなたはもう“ただの野生解放”なら出来ると思いましてよ。ひょっとしたら“先にある力”もすでに見つけているのかもしれませんわ」

「え? どうしてそう思うんだ?」

 

 メガバットは語った。

 野生解放を発動する条件・・・・・・それは自分のあるがままの在り方を認識し、信じることだと。“在り方”を決めるのは、動物として生まれ持った特性と、後天的な経験だ。

 そうか、私にはもう空手がある。立ち方も、呼吸も、睡眠も、生きることの根っこがすべてゲンシ師匠直伝の空手になっている。これこそが私の“在り方”だと自信を持って言うことが出来る。

 

 そして“先にある力”とは、自分の在り方の中で一番強くて揺るぎない気持ちが形になったものだという。

 “先にある力”がフレンズの体に宿るのは、一番強い気持ちを徹底的に磨き上げた時だ。

 

「ウルヴァリンも、スパイダーも、自分の中で一番強い気持ちが何なのか知っていますわ。その結果、あの異能を手にしました・・・・・・そして、あなたもすでに何かを見つけている気がしてならないんですのよ」

「う、うーん。そうなのかな」

 

 メガバットにそう言われると、本当にそうなんじゃないかと思えてくるけど、やっぱりよくわからない。

 スパイダーが影に潜ろうとした時、そしてクズリがハーベストマンを投げようとした時、彼女たちの中で気勢が膨れ上がったのを感じた。

 きっと2人は、それぞれの一番強い気持ちで心の中を満たしていたに違いない。

 

 私にとって一番強い気持ちとは何だろう? ヒトの世界を守りたいとは常々思っているけど、守ることは、私の使命であり目的だ。そういうのとは少し違う気がする。

 もっと根本的な、戦いの最中に一瞬で心の中を満たすようなものでなければならないと思う。 

 そもそも、戦いの場では強い感情を出すなとゲンシ師匠に教わっている。感情は心を研ぎ澄ませることの邪魔をする。集中力こそが一番大事なんだ。

(・・・・・・待てよ、じゃあつまり?)

 

≪大佐! 緊急事態ですっ!!≫

 もう少しで何かが掴めそうだと思っていたが、突如ナビゲーションユニットから聞こえた大声に邪魔されて、その考えは霧散してしまった。

≪何ごとか!?≫

 ユニットの中で、ジフィ大佐の声と、別の兵士の声が問答をしている。そして別の兵士が次に語った一言で、その場にいた全員の空気が凍り付いた。

 

≪敵です! ハーベストマンが・・・・・・先ほど倒された物とは別の個体が出現しました! 場所はルイス=エドワルド空港の近くです!≫

≪あ、あり得ぬっ!  ディザスター級がこんなに短時間に続けて出現するなど、これまで聞いたこともないぞ!≫ 

 

 さっきまで喜びに打ち溢れていたフレンズ部隊の多くが、絶望した表情で固まっていた。中には膝を落としてしまって泣きわめいている子もいる。

 メガバットや、それにスパイダーは冷静だったが、明らかに苦い表情をしていた。

 一方クズリはというと、さっきの戦いで重傷を負ったにも関わらず、先ほどまでと変わらない闘志を瞳に宿し始めていた。

 

 そして私は、兵士の報告のなかにあった“ルイス=エドワルド空港”という地名が耳に引っかかり、思わず問い詰めるように近づいていた。

 

「あそこには、私をここまで運んでくれたドーン軍曹の部隊がいるはずです。彼らを助けなきゃ! 彼らは避難民のために物資を運ぼうとしているんです!」

 

≪そんなことはわかっておるわっ! ぬぅぅぅぅッッ・・・・・・!≫

 ジフィ大佐は、声が裏返るほどに悔しそうな唸り声を発すると、彼にとって最も屈辱的であろう一言を告げた。

≪・・・・・・全軍、サルヴァドールから撤退せよ! 今すぐ準備にかかれ!≫

 

 大佐が再び戦いを指示することはなかった。

 新たに現れたハーベストマンに向かっていけば、幼体の群れがまた出現することだろう。そうしたら街中は再び戦場となる。もちろん爆薬などは、もうどこにも仕掛けられていない。

 私達フレンズ部隊も、見た感じクズリのように重傷を負った子が何人かいて、他の子も疲れ切っていた。

 戦うための準備もなく、余力もない。確かにこの状態ではあきらめざるを得ないというのが道理なのだろう。

 だがこうして何もできないまま仲間の命をあきらめなきゃならないのは、とてつもなく悔しい。

 きっとジフィ大佐も同じ悔しさを味わっているのだと思うと、黙って彼の指示に従うしかないのであった。

 

≪メガバット、フレンズ部隊の指揮は引き続き貴様が取れ。サルヴァドールから撤退後、追って指示を出す≫

「了解いたしましたわ」

 

 ナビゲーションユニットはそのまま宙高く浮遊し、ビルの隙間へと消えていった。

 残されたフレンズ部隊は意気消沈したまま敗走の路を辿ろうとした。だがそんなフレンズ達の中で、やはりクズリだけはまだ闘志が折れていなかった。

 

「おい、まだ終わっちゃいねえだろ? 見た感じ半数以上は無傷だ。まだまだ戦えるだろうが・・・・・・オレもこんなかすり傷は今すぐに塞いでやるよ」

 自分の足で歩くことも出来ず、スパイダーにおぶわれているクズリがまくしたてる。

 それは決して虚勢などではない。彼女は本気でそう思っているのだ。

 

 クズリの強弁を聞いて、疲労困憊のフレンズ部隊に困惑の色が差し始める。それを諌めるために、メガバットがクズリに近づいて話しかけた。

「いいえ、今のあなたではどんな戦いにも勝てやしませんわ。さっきまでのあなたは無敵のエースでしたが・・・・・・今はただの負け犬ですもの」

 それは“諌める”というにはあまりにも攻撃的な語り口だった。

 

「怪我したからか? こんなの大したことねえって言ってんだろうが」

「そんなこと問題ではありませんの・・・・・・勝つためにはね、自分が勝つ瞬間を具体的に思い浮かべる必要がありますのよ。感情だけで相手に向かっていけば、必ず負けますわ。それがさっきまでのあなたと、今のあなたとの違いでしてよ」

「じゃあ何か? 作戦を立てればアンタは納得するのかよ?」

「もちろんですわ。今の状態で出来る、と私が判断すればね」

「・・・・・・チッ、そうかよ」

 

 論破されたクズリが、不貞腐れて黙り込む。

 セルリアン相手ではほぼ無敵のように思えるクズリが、メガバットにはおとなしく従っている理由がよくわかる。

 口喧嘩では、メガバットには逆立ちしたって敵わないのだ。

 クズリが黙ると、仲間たちは一様に重たい足取りで、廃墟と化した薄暗い大通りをとぼとぼと歩き始めた。

 

 私は歩きながら考えた。

 ハーベストマンを1体だけでも倒すことが出来たのは、奇跡としか言いようがない。クズリの投げ技だけでは倒せず、それに建物の崩落が重なったからこそ出来たことだ。

 フレンズの攻撃では、あの強靭な装甲を貫いて、核に攻撃を届かせることなんて無理だ。

 たとえば、装甲をすり抜けて核だけを攻撃する方法でもない限り・・・・・・

 

「あっ!」と思わず声を上げた私を、周りの仲間たちが怪訝そうに見てきた。「ごめん」と謝り、何事もないように歩みを進めてごまかした。

 だが本当は、驚きのあまり、心臓が早鐘のように鳴っていた。

 

 気付いてしまったのだ。たったひとつだけ、2体目のハーベストマンに通用するかもしれない攻撃を。

________勁脈打ち

 離れた所にある目標を“意”だけで狙い撃つ、正拳突きをはるかに超える破壊力を持つゲンシ師匠の奥義だ。

 師匠は亡くなる直前に、それを私に授けるために見せてくれた。だが、習得することは出来なかった。

 習得には“己と相手以外をすべて無だと思いこむ”ほどの集中力が必要だと言われた。

 私にはそれが出来なかった。集中すればするほど、周囲のすべてのものがよく感じられてしまうという矛盾を解決することが出来なかったからだ。

(勁脈打ちを使うことが出来れば、この状況を何とかできる。軍曹たちを助けられる・・・・・・)

 

「もし? シベリアン?」

「ど、どうしたんだい、メガバット」

「“どうした”はこちらのセリフですわね。あなた、さっきから心臓の音が早すぎますわよ? 何かとても色んなことを考えていらっしゃるのね?」

「い、いや、それは」

 

 私はメガバットに心臓を握り締められたような気持ちなった。彼女は異常に勘が鋭くて、とても頭が良い。

 そんな彼女に隠し事なんて不可能だ。だったらいっそ、思ったことを正直に白状してしまおう。

 

「ねえメガバット、私がいま“2体目のハーベストマンに勝つ瞬間”を具体的に思い浮かべているとしたら、君はどう思う?」

「あら、それは・・・・・・とても興味深いですわね」

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「洋名シベリアン・タイガー 和名アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「洋名ウルヴァリン 和名クズリ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「洋名インディアン・フライングフォックス(俗称メガバット) 和名インドオオコウモリ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「洋名ジェフロイズ・スパイダーモンキー 和名ジェフロイクモザル」

_______________Human cast ________________

「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:64歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「シャドウシフト」
使用者:スパイダー
概要:どんな状況でも絶対に生き残ってみせるという、スパイダーの“極限の生への執着”を糧にして発動する能力。直射日光が当たらない日陰の中へ体を潜り込ませ、また別の日陰へ移動することが出来る。陽射しが当たっている所では発動できず、移動することも出来ない。影の中は物理法則から遮断された一種の異空間となっており、外界のあらゆる破壊から身を守ることが出来る。彼女の体に触れている仲間をも影の中に引き込むことが可能。ただし状況を認識できるのは本人のみ。スタミナの消費が激しく、一日にせいぜい数回しか使えない。

「グランドグラップル」
使用者:クズリ
概要:どんな強敵が相手でも勝利してみせるという、クズリの“極限の闘志”を糧にして発動する能力。クズリの手のひらと足の裏を、それに接した物体に完全に固定させる。作用としてはそれだけであるが、足場を木の根のように安定させ、一度掴んだものは離さない力をクズリに付与することを意味するため、ただでさえ強烈な投げ技の威力を無尽蔵に倍加させることが出来る。ただし、力を振るったことで生じた反動はそのまま肉体に跳ね返ってくる。
   
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章5 「ぎぜんしゃ」

 あるトラのものがたり22話です。

 ひとつの戦いが終わり・・・・・・
 ある弱い男の物語も始まろうとしていた。 



「もうすぐ着きますわよ、シベリアン」

「わかってる!」

 

 私は再び、空の上にいた。

 メガバットと一緒に2人だけで、新たに出現したハーベストマンの所へ向かっているのだ。

 彼女の翼に乗って、どこまでも広がる天空の闇の中を進んでいた。

 月明かりが彼女を照らし出し、鋭さと美しさを兼ね備えたシルエットを描いている。夜空こそが彼女の居場所であると言わんばかりにサマになっている。

 私とはえらい違いだ。空の上では私の橙色の手足は、不恰好にぶら下がることしか出来ないのだから。

 

 私はトラだ。オオコウモリの彼女と違って、空は私の居場所じゃない。それどころか、恐怖そのものとしか思えないぐらい苦手だ。

 そんな私が、これから狂気の沙汰としか思えない行動に臨もうとしていた。

 

 話は少し前にさかのぼる。

 私はメガバットに問い詰められ、やむなく打ち明けたのだ。2体目のハーベストマンを倒せるかもしれない方法が思い浮かんだ、と。そして戦うのは私一人で、後はハーベストマンに近づくために、飛べるフレンズを誰か一人だけ付けて欲しい、とお願いしてみた。

 それは私自身が一度として成功させたことはなく、成功したとしても思った通りにいく保証はない方法だった。

 普通なら一も二もなく突っぱねられて当然だ。ジフィ大佐に撤退を命じられた私たちは、これ以上ハーベストマンと戦ってはいけないのだ。

 明らかな命令違反である上に、その内容はあまりに絵空事じみていた。

 

 だがメガバットは、首を縦に振った。例によって腕を組んで瞳を閉じたまま、私のすべてを見透かすような佇まいで。

 それだけでなく、隊長である彼女自らが協力を申し出てきたのだった。 

 私にとっては願ってもない話だった。この一か八かの賭けに挑むなら、彼女と一緒がいい。

 つい今日の昼間に出会ったばかりだというのに、私のことを深く理解してくれているように思えてならなかったからだ。

 

 もちろんフレンズ部隊の他の仲間たちからは反対された。

 無理もないだろう。新入りが訳のわからない世迷言を抜かして、それに隊長が乗っかって、一緒に命令を破りに行こうと言っているのだ。部隊が崩壊してしまうほどのできごとだ。

 だが、思いがけない賛成者が現れた。

「行かせてやれよ」と、クズリが後ろからみんなを諌めているのだ。

 彼女が賛成してくれるのは本当に意外だった。彼女の気性だったら、自分の意見は突っぱねたくせに、なぜアムールトラの意見は支持するんだ、とメガバットに怒り出しても不思議ではないのに。

「お前ら思い出してみろ。メガバットがここ一番でしくじったことがあるか? この腹黒コウモリはよ、なんか知らねえけど”ツいてやがる”んだよなァ」

 こうしてただ話すだけでも、重傷を負ったクズリの体からは出血が止まらない様子だ。

 クズリをおぶっているスパイダーが心配そうに見上げているのもどこ吹く風で、気分が良さそうに言葉を続けている。

「おいアムールトラ」

「なんだい」

「くたばったなら、笑ってやるよ」

 クズリの態度は相変わらず、私を嘲っているのか、鼓舞しているのかよくわかない。だがともかく、彼女の説得でみんなの表情が変わった。

 メガバットが”ツいている”という言葉には、部隊の誰もが身に覚えがあるようだった。他ならぬ隊長がやろうとしてることなら・・・・・・と、渋々折れるしかないような空気になっていった。

 

「ありがとう。絶対に成功させてみせるから」と、私は部隊のみんなに向かって今一度頭を下げた。

「さあ、善は急げといいますわ」

 メガバットはいきなり後ろから私を羽交い絞めにすると、そのまま翼を広げて急上昇を始めた。地面が離れ、心配そうに見上げる仲間たちを真下に見据えながら、私はすでに戦いが終わった大通りを後にした。

 ひらひらと舞うように優雅に飛ぶ黒い翼は私を抱えたまま、その見かけからは想像もできないほど速く、ビルよりも高い空の上を突き進んだ。 

 電気を奪われた高層ビル群が、月明かりに照らされる下で、廃墟そのものの寒々しい立ち姿をさらしていた。

 

 しばらく進むうちに、眼下の景観は様変わりしていった。

 地平線の向こうには、月明かりを反射する美しい夜の海が臨んでいる。港湾都市サルヴァドールの、ちょうど海岸線の部分に飛んできたのだ。

 だが明らかに異様だったのは、あたりの建物に電気が灯っていることだった。建物に灯る明かりが、夜の暗闇の中でも地形の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。

 どこまでが大地で、どこから海になっているのか一目瞭然にわかる。

 電気が吸収し尽されたサルヴァドールの都心部と違って、ここにはまだ電気が残っている・・・・・・正確には”まだ”残っている。

 

「っっ! 見つけた!」

 禍々しく天を衝く異形が、未だ残る街の明かりに照らされて浮かび上がっていた。

 2体目のハーベストマンが、海岸線沿いのいくつかの建物をその屹立だけでなぎ倒し、大地と海の両方を突き破って姿を現しているのだ。穏やかな波がその体の後ろ半分に打ち付けている。

 

「さて、そろそろ高度を上げなくてはいけませんわね」と、落ち着き払ったメガバットが翼を一層すばやくはばたかせ、上空を漂う雲に近づきそうな高さにまで上昇していった。

 最初に2人で話し合った筋書き通りだ。

 ハーベストマンには上空から近づくのだ。低い所から近づけば、きっと見つかって、幼体を放出されてしまう。そうなったら作戦は失敗だ。

 だけどハーベストマンは真上からの攻撃には反応しない。それは1体目のハーベストマンが証明していることだ。奴は建物の崩落を2度もまともに受けた結果、撃破された。

 あの巨大さと、上からの攻撃に圧倒的に有利な体型を持っているために、上には意識を向けていないんだ。

 

「シベリアン、怯えていらっしゃいますの?」

「まあね。さっきも言ったけど、一度も出来たことがないんだ」

 

 メガバットには先だってすべてを打ち明けていた。

 私にとっての”一番揺るぎない気持ち”っていうのはきっと”集中”することなんだ。気持ちとは違うけど、集中することをいつも大事にしていて、それが一番強くなった時に出来る”普通ではあり得ない力”のことも知っている。

 他の物体をすり抜けて目標物だけを攻撃する技”勁脈打ち”。それでハーベストマンの核だけを狙い撃つことが出来れば・・・・・・

 

「ぜんぶゲンシ師匠のものなんだ。自分で得たものなんて何もない」

「いいえ。心の底から信じているなら、誰かのものでも、あなたのものでしてよ。まして、あなたがそんなにも尊敬してやまないヒトの技ならば」

「ありがとう・・・・・・タイミングは君に任せるよ」

「わかっていますわ。その時が来れば、手を放して、あなたを下に落とします」

 

 空気が薄く、凍えるように冷たい高所で、足元がただ重力でぶらぶらと揺れる感覚に身の毛のよだつ思いを覚える。

 真下にはハーベストマンがいた。あの巨体も、もはやそんなに大きく見えない。あのタケノコのような姿は、ここからだと歪な円の形に見える。 

 私は今から真っ逆さまに落ちて、あいつの所まで近づくんだ。今この瞬間から、この世界にあるのは私とあいつだけ・・・・・・正確にはあいつの腹部に埋まっている核だけだ。

 

 意識を呼吸に集中させ、おなじみの文言を胸の中で繰り返し念じた。

(吸い込む空気は冷たい。吐き出す空気はあたたかい。私の体は空気が流れるだけのただの入れ物・・・・・・)

 にわかにすべての感覚が研ぎ澄まされ、見える景色が2倍にも3倍にも拡大されていく。広がり続ける視野が、目指すべき一点の目標への集中を邪魔している。

 ここまでは今までの失敗と同じだった。何か違うことをやらなければ、勁脈打ちを成功させることはできない。

 違うことをやる、今がその時だ。

 

「音が聴こえますわ。音は来るべき時を告げる。とも綱を解いて、定められた路へと舳先を向けるその時を」

 メガバットがさざ波のような美しい声で、何か意味深なことをつぶやいている。私の集中を少しも邪魔せず、いっそう深く落ち着けてくれるような不思議な声色だ。

「ご武運を。シベリアン」

 そう静かに告げる声と一緒に、背中ごしに私のおなかを抱き抱えていた手が放された。

 

________ビュオオオオッッ!!

 

 拠り所を失った肉体が、想像を絶するスピードで下に落ちていく。

 押し寄せる風圧は、私の体を打ち砕いてしまうんじゃないかってぐらいに強烈だ。避けられない死の運命が迫ってきて、頭のてっぺんから足先までを絶望に震わせているみたいだ。

 翼のない生物が高い所から落ちるということは、これ以上ないぐらいに最悪な状況だ。

 輸送機から投下された時にすでに味わっている。あの時は身を守ってくれるガラスの檻とパラシュートがあったけど、それでも頭が真っ白になりそうなぐらい怖い思いをした。そして今は何もない。体だけがある。

(ああ、やっぱりそうだ)

 私は確信した。この状況にこそ、勁脈打ちを完成させる手がかりがある。

 どんなに感覚を研ぎ澄ませて、鋭く張り巡らせても、落ちているという状況がそれを塗りつぶしていく。拡張された感覚が、自分の中へと強制的に押し戻されてくる。

 こんな状況では、たったひとつの目標に意識を向けるのがやっとだ。

 自分と相手以外のすべてを無にする・・・・・・私はようやくその感覚を掴んだ気がした。

 

________ドクンッ!

 

 とつぜん、私の目に見える世界が変わった。

 打ち付ける風圧と、内臓を押し上げる気持ち悪い感覚が消え去って、時間が凍り付いたかのように寒々しい暗黒の空間に、私は入り込んでいた。

 ついさっき、1体目と戦っていた時にスパイダーが連れていってくれた影の中みたいな様相だ。だがあれとも明らかに違う。暗闇の中にはきちんと重力が残っている。

 依然として、一直線に落ちて行っている。何の抵抗もなく、すべらかに、吸い込まれるように。

 

(・・・・・・見つけた)

 近づいてくる重力の終点に、頼りなく漂う虹色の光があった。きっとあれがハーベストマンの核が放つ揺らぎだ。

 今、目に見えているこの空間は、まさしく自分と相手以外が無になった世界。より正確に言うなら、自分と相手の”揺らぎ”しか存在しない世界なんだ、と直感で悟った。

 己が打とうとする対象と完全に揺らぎを合わせて、調和した水面のごとき静けさの中に波を起こす・・・・・・かつて師匠にそう教えられた。

 もう波は起こった。後は相手にぶつけるだけ。

(いまだ!)

 重力に身を任せながら、光に向かって一心に手を伸ばした。

 

 

 アムールトラへ

 君がブラジルに行ってからまる1年が過ぎました。君がすごくがんばって、たくさんのセルリアンを倒している知らせは東京の僕にも届いています。君の活躍を、僕も誇らしく思います。

 でも無理はしないでください。いつか君が無事に戻ってきてくれることを祈っています。 

 ところで君に伝えることがあります。君の育ての親の______

 

「いや、やめよう」

 にわかに躊躇した僕は、キーボードのバックスペースキーを叩き「ところで」から始まる文面を消した。

 簡素な挨拶だけになった文章の最後に”ヒグラシより”と付け加えてエアメールを送信した。

 電波に乗っている最中にエアメールは音声化され、字が読めないアムールトラのところに届き、ナビゲーションユニットなどを介して音声が再生される仕組みだった。

 あの子に伝えなければいけないことがあった。エアメールなどで済ませるのが憚られるような内容だったが、さりとて他の方法もなく、この件を己の胸にしまうことしか出来ないでいた。

 そもそもアムールトラは僕の言葉など聞きたくもないだろうから、エアメールを開かないことも考えられた。

 相手にきちんと届くかどうかわからない言葉など、みだりに話してはいけないのだ。

 

 僕の名は日暮 啓(ひぐらしけい)。Cフォース日本支部、生体兵器研究所の所長をしている。

 アムールトラを動物からフレンズへと変えた張本人だ。

 

 アムールトラとは、かつて良好な信頼関係を築けていたはずだったが、彼女が一人前に育って戦場へと発つ頃には、僕はひどく嫌われてしまっていた。

 彼女は僕を責めた「どうしてもっと早くこの体のことを教えてくれなかったんだ」と。

「こんな体はセルリアンとおんなじだ」と。

 他の子は気にも留めないようなことだった。人間と自分の世界が隔たった所で、べつだん何も気にならない、と考える子がほとんどだった。フレンズの姿でも、自分は動物であるというアイデンティティがあるからだ。

 だがアムールトラは、動物として生きた時間の中で、動物としてのアイデンティティを見出すことが出来ずに育った子だ。人間のそばで、人間に愛されることだけが彼女のすべてだった。

 そんなあの子にとって、人間と隔絶されることは、きっと生きる意味を失うようなショッキングな出来事だったに違いない。

 

 僕の配慮が足りなかった・・・・・・いや、違う。彼女がショックを受けることがわかっていたから、わざと黙っていた。

 思えば今までそうやって生きてきた。誰かに嫌われることが怖かったから。

 僕は今年で51歳になる。れっきとした中年で、もう数年したら初老なんて言われるのかもしれない。怯えるように仕事をこなして、気付けばこんな年だ。

 じつにくだらない人生だ。

 

 ここ最近の時間の流れは特に早いと感じる。アムールトラの卒業を境に、この研究所も繁忙期を迎えていた。

 今この研究所で育てているフレンズは総勢18名だ。アムールトラやクズリだけがいたころとは比べ物にならない大所帯だ。

 フレンズを生み出し、訓練を施して、セルリアンに対する戦力として成長させる。それがこの研究所の仕事だ。

 

 ひとつ前提を述べておくと、フレンズには「天然」と「人造」がいる。Cフォースの手で生み出されたフレンズはもちろん後者だ。

 天然フレンズは、今から20年ほど前に、アフリカでセルリアンと一緒に発見されたのを皮切りに、希少だが現在も発見例が続いている。

 彼女たちの出現は、ある意味セルリアン以上にこの世界を震撼させた。

 生物学史上まれにみる大発見であり、謎に満ちた研究対象であり、セルリアンに唯一拮抗しうる存在であり・・・・・・世界中の研究者が虜になっていた。

 天然フレンズをどう扱うかという問題に関しては、かなりのゴタゴタがあって、とてもここでは語りつくせないのだが、ともかく容易に手を触れていい存在ではなかった。

 

 そんなゴタゴタの中で生まれ、急速に台頭したのがCフォースだった。天然フレンズの代わりとして、人為的にフレンズを生み出して、セルリアンと戦わせることを目的とした軍事組織だ。

 人造フレンズ・・・・・・彼女たちはグレーな存在だ。対外的には、彼女たちは生き物ではなくあくまで兵器であると公言されている。そうすれば外部からのあらゆる追及を躱すことができるからだ。

 

 兵器である彼女たちは、非人道的な扱いを受けていた。

 人造フレンズを作るために必要な「フレンズ化施術」はその最たるものだ。

 死後間もない動物の亡骸に、ある特定の波長をもった放射線を浴びせ続けることで、細胞を変質させ、フレンズとして蘇生させる。

 施術の成功率は、いまだ研究が進んでいないこともあって、よくて半々といったところだった。

 蘇生しなかった亡骸は、そのまま火葬場に送られて破棄される。

 まれに、体に何らかの障害を抱えたまま蘇生するフレンズもいた。だがセルリアンと戦う兵器として作られた以上は、失敗作とみなされ、破棄される運命が待っている。密室で毒ガスを浴びせられ、息の根を再び止められて火葬される。

 人間の都合で勝手に生き返らせられて、また殺されるのだ。

 

 僕にも経験がある。何も知らないまま混乱している蘇生したての人造フレンズめがけて毒ガスのスイッチを押す瞬間は、何度経験しても自尊心が壊れてしまいそうになる。

 もうずっと前の話だけど、ストレスに耐えかねて、妻と子供に当たり散らした時期があった。その結果・・・・・・中学校に上がった娘を連れて、妻は家を出ていった。

 

 失礼、話が脱線した。ともかく、フレンズ化施術に倫理的な問題があるのは確かだ。

 施術の成功率をもっと高めていくべきと何度か提言しているのだが、上層部や他の研究者はまるで関心を持っていないようであった。

 半分の確率で成功するならば十分であると判断しているようだ。もともとがただの動物の死骸なんだから、資金が続く限り施術を繰り返せばいい、失敗作は廃棄すればいいと言わんばかりだった。Cフォースには、セルリアンから人類を守るという目的があるのだから、動物の命など物の数ではないと。

 崇高な目的のために、あらゆる手段を当たり前のように正当化する・・・・・・人間がしばしば陥る傲慢さの暴走状態であるというほかはない。

 

(・・・・・・さて、みんなどうしているかな)

 嫌な気持ちを引きずりながらも、僕はなんとか仕事に戻ろうと思った。

 ため息まじりに、自分専用のナビゲーションユニットの操作システムを起動すると、多面型ディスプレイの中に、ユニットのカメラ越しの視界が映し出される。

 カメラの先には、フレンズ達が体を鍛えるための運動場があった。

 東京の地下深くにあるこの研究所は、普段は地上と見まがうくらい明るく広々としていたが、今は意図的に照明が絞られ、薄暗くなっていた。

 

 今は映像学習の時間だ。

 天井に設置された3Dプロジェクターが、何もない空間に巨大なスクリーンを投影している。

 うちに所属する18人のフレンズ達は、普段は個別に組まれたプログラムで訓練にはげんでいたが、映像学習の時間だけは一堂に会するのだった。

 彼女たちはマットとかベンチプレス台とか、運動場の中でめいめい好きな場所に座り込んで、スクリーンをじっと見上げていた。

 

 スクリーンに映し出されていたのは、セルリアンの大群が街中を闊歩している映像だ。

 中には数十メートルに達する個体も数体いた。ディザスター級に分類される個体に比べればまだ小型だが、たくましい4本の足で縦横無尽に街を踏みしだく迫力は、この世の終わりのような絶望感を醸し出していた。

 フレンズたちの何人かはスクリーン越しに身震いしていた。VRの中でしかセルリアンと戦ったことがない彼女たちにしてみれば無理もない話だ。 

 

 だが次の瞬間、信じられないような出来事が起きた。

 数十メートル級のセルリアンの一体が突如動きを止めたのだ。4本の足のうち1本が、地面に張り付いて固まってしまったかのようだ。他の3本の足をつんのめらせて足掻くが、まるで底なし沼に落ちたかのように身動きが取れなくなっていた。

 セルリアンの足元が拡大されると、小柄なフレンズが足元にしがみ付いている様子が映し出された。

 長い黒髪を振り乱し、白い炎の模様があしらわれた上着を肩に羽織ったそのフレンズは、僕がよく見知った子だ。

「クズリ・・・」

 彼女が気合いの掛け声を発しながら体を折り曲げると、それと一緒に、セルリアンの数十メートルの巨体が弧を描きながら宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。

 コンクリートに全身を深々とめり込ませたセルリアンが、光をばら撒いて爆散した。

 まったく恐ろしい子だ。小柄な体で、どんな大きな相手をも投げ飛ばしてしまうのだから。しかも”どんな”という形容に含まれる範囲の広さが尋常ではない。

 投げ技は、相手が大きければ大きいほど天井知らずに威力を増していく。巨大なセルリアンを倒すのに強力無比であると言う他はない。

 

 クズリの活躍に感心していると、映像が別の場面に切り替わった。

 別の数十メートル級が眼下の建物を踏み荒らしながら歩いていた。

 しばらく経つと、その巨大な胴体の上に1人のフレンズが飛び乗るのが見えた。

 あまりに静かで、何の前触れもなかったので、飛び乗られた当のセルリアンですら気が付いていない様子だった。

 すらりと背が高く、二つに結んだ豊かな髪を風になびかせる体は、橙と黒の縞模様をしていることもあって、灰色の都会の中では際立ってよく目立つのだった。

「アムールトラ・・・・・・」

 僕が息を飲んで映像を眺めている間も、アムールトラは中々行動を起こさずにじっと立っていたが、やがておもむろにしゃがみ込むと、数十メートル級のセルリアンの体にそっと手を触れた。

 するとセルリアンがビクリと震えて、気を失ったように力なく崩れ落ちた。動かなくなった体からアムールトラが飛び降りて立ち去ろうと歩き出すと、それを後目にその巨体が四散した。

 あれを初めて見た時は、心臓が飛び出しそうなぐらい驚いたものだ。触れただけでセルリアンを絶命させてしまうのだから。

 彼女がどうやってあんな力を身に着けたのか、僕には想像もつかない。

 

 その後もクズリとアムールトラは、大小様々なセルリアンを蹴散らし続けた。

 クズリは力任せにセルリアンの核を引っこ抜いたり、手近な車両や電信柱などの重量物を振り回して敵を叩きのめしていた。相変わらずの凄まじい戦いぶりだ。竜巻のように、近づいたものをすべて弾き飛ばしてしまう。

 一方でアムールトラは、攻めてくるセルリアンの攻撃を最小限の動きで回避し、あるいは受け流して、狙いすました一撃で確実に敵を仕留めていた。その戦いぶりを見ていると、山のように大きな岩のようなイメージが思い浮かんだ。何者にも揺るがすことが出来ない静かなる巨岩だ。

 

 映像を見る限り、クズリとアムールトラ以外のフレンズは映っていなかった。あれほど大量のセルリアンを相手に、たった2人だけで戦わされているのだ。

 彼女たちは同じ部隊に所属している。

 2人の上官である南米支部司令官ギレルモ・ジフィ大佐は「敵が森に逃げ込んだら森ごと焼き払う偏執ぶり」と揶揄されるほど、戦闘における不確定要素を排除したがる人物と言われていた。当初はフレンズの能力も疑問視していた様子で、極力自分の部隊に入れることを避けていた。

 そんな彼がこれほどまでにフレンズを重用しているなんて、彼の中でフレンズに対する認識が完全に変わったとしか思えない。

 

 たった2人でセルリアンの大群を見る間に全滅させると、画面が2分割されて、クズリとアムールトラをそれぞれ近くに映し出した。

 この映像を撮影した人間にとっても、凝った映像を編集する余裕があるぐらい、大した戦闘ではなかったようだ。

 ガッツポーズを取って勝利の雄たけびを上げるクズリ、静かに立ち尽くしたまま一息つくだけのアムールトラ。

 最後まで対照的だった2人を映像に収めながら、画面が暗転した。

 運動場の明かりがすべて灯り、スクリーンは何もない空間へと戻っていった。

 

 映像学習の時間はこれで終わりだ。

 激しい戦闘の様子を息を飲んで眺めていた18人のフレンズが、一様に興奮した様子で

互いに感想を言い合っていた。

≪やっぱりクズリさんは最強だ!≫

≪アムールトラさんもすごい・・・・・・何やってるのか全然わからないんだもん!≫

 

 この映像はうちだけじゃなく、世界中のCフォース各施設に出回っている。訓練中の人造フレンズに、先輩が活躍する映像を見せて、モチベーションアップを図るのが目的だ。基礎カリキュラムのひとつとして映像の視聴が義務付けられていた。

 確かに効果的だとは思うが、僕は好まなかった。

 アクション映画なんかを見せて、戦いへの心理的抵抗をなくさせるという、紛争地帯で少年兵を洗脳する時にしばしば行われている方法に酷似しているからだ。

 確かに、戦わせるために彼女たちを育ててはいるが、こんなやり方が良いとは思えない。洗脳などは、彼女たちがそれぞれ持っている個性を曇らせてしまう愚策だ。

 そう言ってやりたかったが、上層部の命令に意を唱えるわけにもいかず・・・・・・胸の内にしまうことしか出来なかった。

 

 こんな映像を繰り返し見せられて育ったフレンズたちは、どの子も「2人みたいに強くなりたい!」と口にしながら訓練に励むようになっていた。

 もちろん他の強いフレンズたちの戦闘映像も出回っては来るが、最近はクズリとアムールトラの映像が半数以上を占めていた。

 

 クズリとアムールトラ・・・・・・正式な登録名称に倣うならば、ウルヴァリンとシベリアン・タイガーは、今やCフォースが誇る英雄だ。

 2人とも僕の手によって生み出されたフレンズで、奇しくもこの東京の地下研究所で同時期に居合わせて、育ったのだ。

 早熟なクズリは、見る見るうちに力を付けて一足先に戦場に向かい、セルリアンを相手に死に物狂いの狂騒の中でさらに実力を付けていった。

 逆にアムールトラは、研究所の訓練だけでは思うような成果が出ずに伸び悩んでいたので、一か八か非合法な方法で、ある1人の死刑囚のもとへ送り込まれた。その男を師と仰いで技を磨き、今の強さを手に入れた。

 幼馴染として育った2人が、それぞれまったく逆の生い立ちを送り、戦闘スタイルすらも正反対でありながら、共にCフォース屈指の戦力として成長を遂げた。

 誰が言い出したのか「無敵の野生」と「最強の養殖」なんてキャッチコピーまで付けられている。早熟で、実戦の中で叩き上げで成長したクズリが野生なら、人間の手でじっくりと育てられた遅咲きのアムールトラは養殖ということか。

 

 2人の英雄の存在は、訓練中の後輩たちだけでなく、Cフォース全体のモチベーションをも上げていた。

 第3、第4の英雄を一刻も早く生み出すべきだ、と誰もが口々に息巻いていた。

 高まり続ける人造フレンズの需要が、今ここに極まったような感じだ。

 

 近々、大規模な予算案が満場一致で可決される予定だった。フレンズ化施術の件数を現在の3倍近くまで増やすというのだ。罪なき屍の数も3倍に増えるだろう。

 施術を行える研究施設を世界中に増設するというプロジェクトもそれに付随してくる。まるで人造フレンズの粗製乱造だ。

 絶対にやるべきではない。出来ることならやめさせたい。

 だけど僕には、99%に反目する1%になる勇気がない。この51年間の人生で、そんなことをやったためしがない。思いを胸にしまって、なかったことにする努力をしてばかりだった。きっとこれから先も・・・・・・

 

「ねえ、ヒグラシ所長」と、呼びかけられて、僕は物思いから我に返った。

 他の子が映像の感想をワイワイ言い合っている中で、僕が操作するナビゲーションユニットを見上げて声をかけてくるのは、白くてふかふかした髪の毛に、丸く湾曲した2本の角を生やしたフレンズだ。

 彼女の名はメリノヒツジ。

 のんびりとした佇まいとは裏腹に、僕が今育てている18人の中では一番実力がある子だ。頭の角を象った二又の槍を自由自在に振り回して敵を倒す槍術の名手だ。

 白髪の間からのぞく眠そうな瞳はいつも通りだったが、その表情はいつになく不安気だった。

 僕はその理由をよく知っている。彼女はもう十分に成長したために、近日中にここを出て戦場に送られるのだ。いくらマイペースな彼女とはいえ、どんなに不安な気持ちでその日を迎えようとしているか想像に難くない。

 

「所長にお願いがあるの」

「言ってごらん。僕に出来ることなら」

「ぼくが戦場に行っても、ぼくにご本を読ませてほしいの。だから、ご本を送ってほしいの」

 

 メリノヒツジは読書が趣味だった。

 アムールトラがここを卒業してから少し後に始めたことだけど、僕独自のカリキュラムとして、ここのフレンズには簡単な読み書きを教えることにしていた。彼女達に本を読ませるためだ。

 食堂や運動場の片隅など、広い場所には本棚を設置して、そこにある本をフレンズたちが自由に読めるようにしていた。絵本とか、漫画とか、ファッション誌とか・・・・・・とにかく雑多な書籍だ。ほとんどはうちの職員がいらなくなった私物からかき集めたものだ。

 これには僕なりのきちんとした理由がある。その子がどういう本を好むかということは、その子を知る手がかりになり得るからだ。

 訓練プログラムにも直結する重要な情報だ。

 

 メリノヒツジは、童話や児童文学を取り分け好んだ。

 彼女が普段よりもぼんやりとした顔をしている時、それは物語に思いを馳せている時だった。物を教えるときも、物語を例にして示せば、がぜん食いつきが良かった。

 他のフレンズとつるむよりも、本を読んでいるのが性に合うみたいだった。

 もしこの先アムールトラと会う機会があるなら、大人しい性格をしているフレンズ同士、良き友人になれるかもしれない。

 

「お安い御用だよ。食料や嗜好品を送ったりしたら問題になるだろうが、本ぐらいだったら許されるだろう。君が配属される中国支部にさっそく了解を得てくるよ」

 

 僕の返答を聞いたメリノヒツジの顔つきが、にわかにパッと明るくなる。彼女はご機嫌な様子のまま言葉をつづけた。

「ヒグラシ所長、ぼく昨日”泣いた赤鬼”を読んだよ」

「ほーお・・・・・・」

 

 泣いた赤鬼。僕も幼いころに読んだことがある、とても有名な童話だ。

 人間と仲良くなりたい赤鬼のために、親友の青鬼が一芝居うって、赤鬼の念願が果たされるという筋書きだ。だがその代償に青鬼は赤鬼の所から去ってしまう。

 子供心に胸が痛くなるような悲しい話だったと記憶している。

 

「ぼく、青鬼に勇気をもらったよ」

「どういうことかね」

 

 メリノヒツジの読書評は思わぬものだった。悲劇の物語に勇気をもらうとは一体? 

 それも、1人孤独に消えていった青鬼に。

 彼女はじっと目を閉じて、眉間にしわを寄せていた。彼女の脳裏に物語の情景が鮮明によぎっているであろうことを感じ取る。

「赤鬼は、村人とも青鬼とも仲良く暮らしたかった・・・・・・でもそんなの無理。両方選ぶことなんて出来ないの。でも青鬼はそれをわかってたから、きちんと選んだの。だから偉いの。ぼくもこれから先、何かを選ぶ時、きちっと自分の頭で選ばなきゃって」

 

 メリノヒツジの言葉は、僕の痛い所を突いているような気がした。語り継がれる物語っていうのは、いつの時代にも、誰の心にも刺さる普遍的な内容に違いない。

 

「さすが読書家の君だ。いいことを言う」

「所長?」

「ひとつだけを選ぶ勇気か。本当に大事なことだね」

 今度は僕が、言葉の意味を噛みしめるように、じっと目を閉じた。何を選んで、何を捨てるか。

 僕がするべきことはなんだろう。

 かけがえのない友人たちのために今僕が出来ることは。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「洋名シベリアン・タイガー 和名アムールトラ 二つ名“最強の養殖”」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「洋名ウルヴァリン 和名クズリ 二つ名“無敵の野生”」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「洋名インディアン・フライングフォックス(俗称メガバット) 和名インドオオコウモリ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「洋名ジェフロイズ・スパイダーモンキー 和名ジェフロイクモザル」

哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォース日本支部所属 生体兵器研究所所長

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「勁脈打ち」
使用者:アムールトラ
概要:アムールトラが亡き師から授けられた奥義が、先にある力として開花したもの。己と相手以外を意識から完全に消しさるほどの“極限の集中力”を糧にして発動する。他の物体をすり抜けて目標物のみを破壊する恐るべき技であり、成功すれば巨大なセルリアンをも一撃で倒すことが出来る。筋力やスピードではなく、生命力を威力に還元する性質を持つため、ヒトを凌駕する生命力を持つアムールトラは、師が使っていたそれを遥かに上回る威力で放つことが出来る。ただし、経験不足のために発動までに時間がかかり過ぎるため、使用できるタイミングが極端に限定される。

「??????」
使用者:メガバット
概要:メガバットが未来予知とおぼしき能力を持っているであろうことを、仲間たちの何人かはすでに察しているが、具体的にどういう能力で、糧となる感情が何なのかは誰も知らない。彼女自身が意図的に秘匿しているものと思われる。
   
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章6 「ちのはてのさいかい」

 あるトラのものがたり23話です。

 強き獣も、弱きヒトも、等しく運命に翻弄される奴隷だった。




 人造フレンズの増産計画を中止させるため、自分が取りうる方法で周囲に訴えることにした。

 増産に使う予算をフレンズ化施術の成功率を上げるための研究費に回すべきだと主張したのだ。

 まずは上層部への意見書の提出を行い、さらに日本政府や各国の関係者各位にはメールにて直接連絡を取った。

 またCフォースのホットライン上にて賛同者を募るための動画も流した。

 

 だが、結果は惨憺たるものだった。「現実からかけはなれた理想論」「時勢を無視した不穏当な発言」などの冷たい言葉しか返ってこなかった。

 それでも親しい間柄の研究者仲間の何人かは味方してくれるのではないかと思っていたが、彼らは一様に沈黙し、僕のことを避け始めた様子だった。

 今のCフォースは軍部も研究者も、人造フレンズを一刻も早く戦場に大量投入したいという考えが趨勢を占めており、そのなかで僕だけが異を唱えた形だった。

 かなりの反発が返ってくることは予想していたが、それにしても・・・・・・と思うしかなかった。

 

call.call

 

 所長室のデスクに顔を伏せて途方に暮れていると、無数のディスプレイの中のひとつが白く点滅しコールサインが鳴り響いた。Cフォース関係者の誰かが僕にビデオ電話をかけてきているのだ。

 ディスプレイをタッチし回線を開いた。

 

≪調子はどうかね? ヒグラシ君≫

 刻み込まれた皺を愉快そうに歪ませた老紳士がディスプレイに現れた。片目にかけられたモノクルからは冷たい光が反射している。

 小ざっぱりとした洋装の上に白衣をまとった姿勢の良い佇まいは洒脱であり、冷徹さにも似た気品が漂っていた。

 彼の名前はグレン・ヴェスパー。

 Cフォースの本籍地があるアメリカはアトランタ研究所の所長であり、Cフォースの研究者の中ではもっとも上の地位にある人物だ。僕にとっては駆け出しの時期から世話になった先生でもある。

 だが彼は人造フレンズ増産計画の主導者でもあり、フレンズに対して非人道的なスタンスを貫く人物であったため、最近は距離を置かせてもらっていた。

 そんな彼がこのタイミングで僕に連絡を寄越してくるとは、嫌な予感しかしなかった。

 蛇に睨まれた蛙のように沈黙した僕に向かって、彼は告げた。

 

≪残念ながら、君には日本支部の所長の座から下りてもらうことになった。先ほど決定したことだ≫

「・・・報復人事ということですか」

≪情勢を理解せず周囲の足を引っ張るような発言をする人物に、責任ある立場は任せられん・・・・・・それに、君のことについて極めてよくない噂が流れている≫

 

 場の空気は完全にヴェスパー教授に握られている。彼が猛獣ならば、僕は仕留められる瞬間を待つ無力な草食獣だ。合間合間に訪れる沈黙の中でもてあそばれているような気分になりながらも、返答を返すしかなかった。

 

「よくない噂? それはどういう」

≪君が“パーク”の人間と内通しているんじゃないか、という噂さ≫

 

 パーク・・・・・・それはセルリアンとのみ戦う軍隊Cフォースが、唯一敵対している民間組織の名前だ。

 話は二十年前、アフリカにて天然フレンズが発見された時に遡る。発見されたフレンズの扱いをめぐって、研究チームの意見が真っ二つに割れてしまったのだ。

 片方は、フレンズをセルリアンに対する対抗力として最大限に活用するべきだと主張した。

 もう片方は、フレンズを尊重するべき生命であるし、保全に努めるべきであると主張した。

 フレンズ活用派と保全派の論争は、やがて世界中の政財界や有識者の間にも波及し、互いに一歩も譲らぬ状況となっていった。

 僕もそこにいた。当時から活用派の中心人物として影響力を発揮していたヴェスパー教授の教え子の1人だった。

 発言力のない駆け出しの若造だった僕には黙って状況を見守ることしかできなかった。

 同じ研究チームとして苦楽を共にした仲間たちとの間に徐々に亀裂が走り、やがてそれは消すことの出来ない禍根として顕在化していったのをよく覚えている。

 僕には保全派の道を選ぶ未来もあった。しかし結局はヴェスパー教授の弟子としての義理や、セルリアンから人類を守る大義を重視して、活用派に籍を置き続けた。

 

 最終的にはフレンズ保全派が勝利した。

 熱烈な動物愛護主義者だった時のアメリカ大統領夫人が上げた声明を皮切りに、人間社会に出現してしまったフレンズを是非とも愛護しようという流れが全世界に波及したためだ。

 そうして天然フレンズは保全派のもとで庇護されることになった。

 

「いつかフレンズが幸せに暮らせる楽園(パーク)を作りたい」

 この時の保全派の代表者だった人物が残した言葉だ。

 楽園という場所は現実には存在しない。彼らが思い描く概念の中にあるだけだ。

 この言葉がいつしかフレンズ保全派の名称として定着していった。彼らは自分たちのことをそう名乗った。そして彼らを嫌う者たちも、頭の中に楽園を思い描く空虚な理想主義者、と侮蔑的なニュアンスを込めてその名で呼んだ。

 二十年前の論争の勝利者であった“パーク”だったが、彼らは今や地下に潜伏して久しく、得体の知れない草の根的な活動に勤しんでいる様子だった。天然フレンズの所在も彼らの手で完全に隠蔽されている。

 彼らは人知れず、フレンズのための楽園を本当に作ろうとしているのかもしれない。

 

 一方で当時の敗北者だったフレンズ活用派は、人為的にフレンズを作り出す技術を完成させ、それによってセルリアンに対するフレンズの有用性を世界に示した。

 各国の政財界や軍部が無視できない存在感を持ち始めた活用派は、それらから急速に人員を吸収併合することで世界中に影響力を持つ巨大組織へと変貌を遂げた。

 Cフォースの誕生だ。

 

「僕がパークの人間と内通していると? どこからそんな話が・・・・・・ヴェスパー先生、あなたも僕が裏切り者だとお思いで?」

≪そんなことはありえないと思っているよ。そうだろう? ヒグラシ君≫

「僕はこの20年間、Cフォースの大義を信じてきました。それは今でも変わりません。ですが人造フレンズの扱いについて見直すべきではないかと思い、具申したのです。彼女たちはCフォースのかけがえのない仲間ではありませんか」

≪君は状況をわかっていない。自分がどれほどセンシティブな発言をしているか≫

 

 違和感のあるやり取りだった。僕個人に対しては別段怒りや不信を見せず、かといって僕の言い分は門前払いし、あまつさえ有無を言わせぬ態度で所長の職を辞するように強要してくる。ヴェスパー教授がそうまで言う理由は何なのか。

 

≪知っているかね? 我々と、パークの争いが再び激化しようとしていることを。二十年前どころではない。今度は言葉ではなく、銃弾でもって雌雄が決せられることになるやもしれぬ≫

「地下組織と化した彼らに、何か目立つ動きがあったというのですか?」

≪奴らはどうもここ最近、我々の近辺を嗅ぎまわっているようだ・・・・・・我々の努力が身を結んでいるのが気に入らんらしい。天然フレンズのみならず、我らが人造フレンズまでも手中に収めようとしている可能性がある。まったく汚らわしい強盗どもだ≫

「・・・・・・そんなことが」

≪このご時世に君の発言は極めて不穏当だった。パークの連中を彷彿とさせるような、フレンズに過度に温情的な物言いをしたことで、Cフォース内での君の信頼は地に落ちてしまった。私とて君をかばい切れぬ≫

 

 ヴェスパー教授は、懐から年代ものの葉巻をおもむろに取り出すと、封を切りジップライターで火をつけた。立ち上る紫煙越しに、うろたえる僕の姿を見つめている。

 持ち前の洗練された洒脱な動きから、彼の真意はまるで読めなかった。ただひとつ言えることは、言葉とは裏腹に、僕に温情をかける気など毛頭ないだろうということだ。

 彼にとっては自分以外の人間は盤上の駒でしかないことはよく知っている。今では人造フレンズも駒に加わった。

 

≪君に失った信頼を挽回するチャンスを与えたい。君は私の二十年来の教え子であり、優秀な科学者だ。再び返り咲いて見せろ≫

「チャンスというと?」

≪ある重要なプロジェクトに参加してもらいたい。これが成功すれば、我々の勝利は確実なものとなるだろう・・・・・・さて、入ってきなさい≫

 

 ヴェスパー教授が僕から目を逸らして真横を向くと、視線の先にいる何者かに手招きをした。

 見切れた空間からディスプレイの中へ人影が割って入ると、教授の前で足を止め、僕に向きなおり会釈した。

≪お目にかかれて光栄です。ヒグラシ先生≫と、下げた頭を戻して僕を見つめてくるのは、豊かな金髪をゆったりと後ろにまとめた容姿端麗な女性だった。

≪私はイヴ。イヴ・ヴェスパーといいます。このたび父の仲介で、あなたと仕事をさせていただくことになりました≫

 

 ヴェスパー教授の娘と名乗るその美人は、見た目は20代そこそこという若々しい容貌だった。

 すでに70を超える教授と見比べると、いささか若すぎる気がしないでもないが、僕の知る限りでもプレイボーイで有名だった教授が、中年期になって新しい妻を迎えて生まれた子供がいたとしてもなんら不思議ではない。

 その金髪碧眼は父親譲りだったが、顔立ちはあまり父に似ていない。面長な美形の父に比べると、小動物のように柔和な顔立ちだ。フレームレスのメガネの中に覗かせる大きな瞳は年齢よりさらにあどけない印象を与えている。だがこれはこれで、人を引き付ける非凡な魅力があるのは間違いない。

 

≪私、ヒグラシ先生にずっと憧れていました! ウルヴァリンとシベリアン・タイガーを育てあげた功績は素晴らしいです! 先生こそがCフォースで一番フレンズの教育に秀でていると思っています!≫

 

 イヴ女史は会うなり僕のことを褒めちぎった。ついさっきまで教授に締めあげられていたというのに、いきなりそんな言葉をかけられては面食らう他はなかった。

 それにクズリとアムールトラのことに関しては、僕の功績ではないと弁解したかった。彼女たちが生まれ持った才能と努力で必死に勝ち取った、彼女たち自身の功績だ。

 この場においては余計な口を挟めるような空気ではなく、黙って相手の出方を伺うことしか出来なかったが。

 

≪そんなヒグラシ先生に協力して欲しいんです。私と一緒に“最強の人造フレンズ”を作ってくれませんか!? 先生と私ならばきっと出来ます! セルリアンから人類を守るためには一番の急務です!≫

「それがプロジェクトの主旨ですか?」

≪それだけではないがな・・・・・・まあ、このように落ち着きのない我が娘だが、優秀さは折り紙付きだ。いずれ私の後を継いでもらおうと思っている。今回君に与える仕事は、イヴの補佐をすることだ≫

 言葉の節々に感嘆符が付くくらい鼻息が荒い娘に、落ち着き払った父が割って入った。

 イヴ女史は見た感じ、若さゆえの情熱が少々先走り過ぎている印象だったが、Cフォースの繁栄を至上の命題とするヴェスパー教授が後を継がせたいというぐらいなのだから、単なる身内びいきではなく、本当に優秀なのだろう。

 優れた才覚と、美貌と、父親の後ろ立て・・・・・・三拍子そろった彼女の前途は希望に満ちていることだろう。僕なんかとは比べ物にならない。

 

「ご息女の補佐が、僕などでよろしいのですか?」

≪イヴたっての希望だったのだよ。とりあえず、今月中に身辺整理をして、来月一日にアトランタに来たまえ。プロジェクトの詳細を追って伝えよう。この場ではこれ以上は話せない。長時間の通話は盗聴を受ける危険があるからな≫

 

 有無を言わせぬ態度のヴェスパー教授が立ち上がると、画面の外へと去って行った。それに遅れてイヴ女史が今一度こちらに会釈すると、満面の笑みを浮かべながら≪お待ちしていますね≫と告げた。

 それを最後に、ディスプレイの映像がブツリと途切れて、元の暗黒に戻った。

 重苦しい静寂の中で僕は再び頭を抱えた。心臓がうるさいぐらいに跳ね回る音が聴こえる。

 僕が一から立ち上げた東京研究所を離れなければならない日がくるなんて思ってもいなかった。

 ヴェスパー教授は後任人事のことについては何も言及していなかったから、少なくとも後任は僕が選べるということだろうか。それならば副所長の彼に、いや第一主任の彼女か? 僕の考えをもっとも理解してくれる人物に後を託さなければいけない。

 ここにいる18人のフレンズたちにも別れを言わなくてはいけない。彼女たちは少なからず不安を覚えるだろうが、何も言わずに去るわけにはいかない。

 数年前から別居している妻と娘には何と言えば良いだろう。仕事しか取り柄のない男が、失言ひとつで左遷させられるなんて無様な話を・・・・・・妻からは今度こそ完全に離縁されるかもしれない。

 

 ふと思考の中に引っかかるものを見つけた。そうだ、失言ひとつで左遷というのは、どう考えても不自然だ。いくら不穏当な主張であっても、正当な手続きを踏んでのものなのだから、一方的に罰せられるのはおかしい。

 やはりヴェスパー教授が権力にものを言わせて強引な人事を? 僕を助手に付けたいと希望した愛娘のために? だがいくら彼でも、巨大組織の中で、こんな短期間に右から左へと物事を運ぶことは不可能だ。

 あらかじめ何らかの仕込みをしていたのなら別だが・・・・・・

 

 さまざまな事柄が頭に圧し掛かって処理できなくなり、思考の中でもっとも重く純度の高い事柄が頭をもたげてきた。

______今のCフォースは間違っている。 

 イヴ女史は“最強の人造フレンズを作る”と豪語した。だが最強などという言葉からして、僕に言わせれば既に見当違いを起こしている。

 フレンズはもともとは動物だ。野生を生き延びるために進化した彼らには、最強なんて概念はない。それぞれの適材適所があるだけだ。僕らに出来ることがあるとすれば、その適材適所を磨きあげる手伝いをすることだけなんだ。

 最強なんて言葉は、人間のエゴが作り出した妄想だ。20世紀初頭、妄想に突き動かされた人間は“最強の爆弾”を作った。爆弾は人間を救ってくれたか?

 救いがあるとするならば、失敗から学ぶことが出来た時だ。

 動物が生存確率を上げるために、適材適所を進化させていったのと同じだ。よりよく生きるためには、失敗から学んで進化しなければいけない。進化できない種族に待っているのは淘汰の運命だけだ。

 

 イヴ女史のフレンズに対する考えは、おそらくは父親とそう違いがないものなのだろう。これから彼女の下であてがわれる仕事のことを思うと、嫌な予感しかしない。

 僕の気持ちを洗いざらいあの父娘に言ってやりたい。言いたくても言えない自分が情けない。

 

 なぜだかふと、アムールトラの姿が思い浮かんだ。このところ戦闘映像で目にする機会が多いからだろうか。それに、彼女に伝えようとして伝えられないでいる“要件”があることも重なっているからかもしれない。

 大人びた端正な顔立ちに無垢な瞳を輝かせるその顔を思い浮かべると、まだあの子がこの研究所にいたころが昨日のことのように思い出される。

 結果が出なくて悩んでいるあの子に声をかけると、彼女は決まって何かを見つめるように遠い目をしていた。それは己が思い描く目標だったのだろうか?

 それから彼女は努力して、言葉に尽くせぬぐらいの努力を重ねて、あれほどまでの力を得た。

 本当に強い子だ。

 アムールトラに比べて、この僕のなんと弱いことだろう。

 

 

「わあ、すごい・・・!」

 窓ガラス越しに眼下の景色を眺めながら、その素晴らしさに思わずため息をついた。

 照り付ける太陽に黄色く照らされる大地も、木々も、果てしなく終わりがない。どこまで行ってもその豊かさが途切れることなく広がり続けている。

 生い茂る樹木の間を、宝石みたいな鮮やかな色をした無数の鳥が飛び交っている。あの中からフレンズになる子がいたら、どんな姿になるんだろう・・・・・・考えてみたらあんまりよくない想像だ。一度死ななければフレンズにはなれないのだから。

 

「クズリも見てみなよ」

「うるせえぞバカトラ・・・・・・ガキみてえに騒ぐな」

 クズリは赤い絨毯に大の字に寝転んだまま、冷たく私をあしらった。外の景色なんてまるで興味がないといった感じで目を閉じている。

 まあ彼女らしいか、と思って黙りながら、再び視線を外に戻した。

 

 私とクズリは今、Cフォースが所有する小型ジェット機に乗せられて、新しい赴任先に向かっている。

 行き先は「Cフォースアフリカ支部研究所」だ。機体はすでにアフリカ大陸に到着し、果てしない黄金の大地の上を飛んでいる。

 

 この命令を最初に聞かされた時は怪訝に思った。

 アフリカはセルリアンの発生源で、Cフォースが手出し出来ないでいる危険地帯であると聞いていたのに、研究所があるなんて、それまでの話とまるで矛盾している。

 でもそれ以上詳しいことは教えてもらえなかった。詳細はすべて現地で聞くようにと告げられて、後はなしのつぶてだった。

 もうひとつ意外だったのは、アフリカがブラジルに負けないぐらい美しい土地だったことだ。

 てっきり、地獄みたいな所だろうと思っていた。あの特急拘置所みたいな場所だとばかり。だってセルリアンの巣窟だってことしか知らなかったんだから。

 

 つい最近、私がまる1年所属していたブラジルのフレンズ部隊に大規模な配置替えがあった。最初は51人だった部隊が、ここのところ300人に達しようとしていた。

 冷静な戦術眼を持つジフィ大佐は、大所帯を一か所にまとめるよりも、その300人をいくつにも分散させて、ブラジルの国土を手広く守らせた方がいいと考えて、配置換えの命令を下した。

 隊長のメガバット、じつは副隊長格だったスパイダー。エースと呼ばれているクズリと私は、ブラジルの部隊から外されて、違う場所で任務を与えられることになった。

 

 これで世話になった2人とはなればなれだ。彼女たちぐらい優秀だったら、どこに行ってもうまくやっていくんだろうから、別に心配はしていない。

 逆に自分の今後が心配だ。2人の助けなしで、果たしてどこまで戦えるのだろうか。

 他の仲間たちと離れるのも寂しかった。

 彼女たちと知り合う前は、他のフレンズと仲良くやれるか不安で仕方がなかった。でも、いざ仲間になってみればみんな優しくて、私のことを受け入れて友達になってくれた。

 

 ブラジルで過ごした一年間が思い出される。

 大半はセルリアンと戦ってたけど、そうじゃない時だっていっぱいあった。ジフィ大佐がフレンズを交代制できっちり休ませてくれていたからだ。疲れや負傷で使い物にならない者を戦場に出すことを嫌ったからだろう。

 

 私たちが主な任務としていたのは、大西洋の向こうから襲い来るセルリアンから海岸線沿いの都市を守ることだった。だから必然的に海の近くで過ごすことが多かった。

 戦いの合間の休暇では、仲間たちにビーチに連れてってもらって、そこで遊んだ。

 ゴム製の玉を使ったサッカーって遊びはみんな大好きで、戦う時でさえ休暇のサッカーのことが頭から離れないフレンズがいたぐらいだ。

 

 私が一番熱中したのは海で泳ぐことだった。最初は体が水に浸かることが怖かったけれど、慣れてしまうと全身で水の感触を感じるのが気持ちよくて、時間を忘れるぐらいに楽しんでいた。

 私に泳ぎを教えてくれたのは、ブラックパンサーという同じネコ科のフレンズだった。彼女が言うところによると、ネコ科にはトラも含めて泳ぎが上手な種が結構多いんだとか。

 中でもパンサーに近い種であるジャガーっていうネコ科は、魚と同じぐらい泳ぎが上手いって言ってたけど、本当ならすごいことだ。ネコ科にもいろんな子がいるんだな。

 

 メガバットと過ごした時間も忘れられない思い出だ。

 私はゲンシ師匠との修業以来の習慣で、夜眠るときは横にならずに、座禅を組んで瞑想にふけることにしていた。メガバットとはそういう時間によく一緒に過ごした。

 海の近くにはヤシの木以外にも、ガジュマルっていう、枝が四方八方に広がるとても大きな木があちこちに生えていた。ガジュマルの木は私たちのお気に入りの場所だった。

 私は木陰で座禅を組んで、メガバットは枝に逆さまにぶら下がって、2人で一緒に寄せては返す波の音を聴いていた。彼女とそうしていると、1人で瞑想している時よりも落ち着いて、不思議な感覚だった。

 色んな話もした。私は自分が好きな花や植物の話を、色や形の見た目を語って聞かせた。目が見えない代わりに色んなものが見える彼女は、自分には花や木がどんな風に見えているか聞かせてくれた。

 もし今メガバットが隣にいて、一緒にアフリカの大自然を眺めていたとしたらどうだろう? 

 私は目で見た景色の美しさを話し、彼女は耳で聴こえたものを話し、それを言い合って、共有して・・・・・・とても楽しいんだろうな。

 

 今隣にいるのはクズリだけだ。彼女だけが私と同じ場所への赴任を命令され、変わらず一緒だった。

 彼女とは一番付き合いが長いのに、今でもあんまり仲良くなれてない。

 ブラジルでの共同生活でも、彼女は1人でいることが好きなようで、みんなと遊んだりしなかった。戦い以外の時も、何かに取りつかれたようにトレーニングに励んでて、近づきがたい雰囲気を出していた。戦っている時は心底楽しそうなのに、それ以外の時はつまらなそうにしていた。

 スパイダーなんかはクズリに何気なく近づいて行って軽口をたたき合ったりしてたけど、私が話しかけると、決まってスパーリングを挑まれて、どっちかが怪我をするか、周りから数人がかりで止められるまでは終わらないのだった。いつ実戦になるかわからないのにそこまでする意味がわからない。

「“ワンキルパンチ”でオレを打ってみろ」って、勁脈打ちを使うようにせがまれる時もあったけど、さすがにそれは全力で拒否した。あれは味方に使っていい技じゃない。

 そんなことが重なると、さすがにむやみに話しかけなくなっていた。

 

(もっと仲良くなれないのかな)と、内心独り言ちながら、すぐそばの座席に腰を下ろした。風景を愛でる気持ちも萎えてしまって、代わりにジェット機の内装を見回してみた。

 クズリは相変わらず床に寝そべって、気怠そうにあくびしていた。

 この部屋には私とクズリしかいないのに、2人が寝転んでも有り余るぐらいのスペースがあって、手触りの良い赤絨毯が敷かれていた。

 絨毯の上には体が沈み込みそうなぐらいにゆったりとした座席がふたつに、綺麗な細工が施された大理石のテーブルが備え付けられていて、まるで王様やお姫様のお部屋みたいだった。

 テーブルに置いてあった飲みかけのグァバジュースを飲み乾した。舌がしびれるくらいに甘ったるい。これはもう飲みたくないな・・・・・・さっぱりとしたヤシの実ジュースで口直しがしたい。

 

 この機体はプライベートジェットっていうのを改装したものなんだとか。ヒトの中でもお金持ちが少人数で乗っていたものらしい。

 この広い部屋と操縦席までとは一続きだったけど、放射能避けのために分厚いガラスで仕切られていた。フレンズを運ぶために、こんな機体にまで手が加えられるんだな。

 貨物と一緒にガラスの檻に閉じ込められていた時とはずいぶんちがう。

 

「ちょ、ちょっといいかな?」と、防護服に身を包んだパイロットの1人が、操縦席を立って部屋の中に入り、ガラス越しに私たちを見ていた。

「2人を撮らせてくれよ」

 許可を求めたのか何なのか、言葉を言い終える前には端末から光が放たれていた。椅子に座りながらドギマギする私と、絨毯に寝転んだまま無視しているクズリを写真に収めたのだろう。

「これでダチに自慢できる!」と、パイロットが機嫌よく踵を返して操縦席に戻っていった。

 ここのところ、Cフォースのヒトたちは私とクズリのことを英雄とか言って持てはやして、今みたいに写真を撮ったり、戦闘中でもナビゲーションユニットを使って戦いの様子を撮影していた。

 このジェット機みたいな豪華な乗り物に乗せてもらえるのもその一環だろう。

 

「クソだりぃ・・・・・・早くセルリアンと戦わせろよ」と、クズリは横になったまま天井に向かって手を突き上げると、ミシミシと拳を握りしめた。

「アフリカのセルリアンが一番ヤバいんだろ? 楽しみだよなァ・・・・・・思えばブラジルもセルリアンの数は多かったけど、強えのはそんなにいなかったよな。あのハーベストマンとかは結構良かったけどよ」

 握りしめた拳の中に、クズリの思い出が蘇っているようだった。彼女が愛するのは、強いセルリアンと戦って勝つことだ。

 最初は自分を一度殺したセルリアンを憎んで“復讐したい”と言っていたけど、今やセルリアンとの戦いがかけがえのない生き甲斐になっているようにしか見えない。

 

「ねえクズリ、セルリアンを全部倒した後のことを考えたことってある?」

「急になに言ってやがんだ?」

「このまま戦い続けていれば、戦わなくていい日が来るかもしれないじゃないか」

「・・・・・・まずはてめえとの決着を付ける。オレのほうが上だって周りに証明してやるのさ。どうも最近“2人は互角”とかってヒトが騒いでやがって鬱陶しいんだよな」

 

 楽しそうに語るクズリを見ながら「あーあ」とため息をついた。聞くんじゃなかった。やっぱりそう来たか。本当に言うことがブレないやつだ。

「私なんか君に勝てっこないよ」

「てめえのそういうノリ悪い所うぜえんだよ・・・・・・ていうか、てめえこそどうするつもりだアムールトラ?」

 

 クズリに質問を返された形になったけど、うまく答えられなかった。

 いくつかやりたいことはあった。

 まずは東京の研究所に帰って、ヒグラシ所長と色々話がしたい。気まずいままの別れになっちゃったから、仲直りがしたい。ヒトとフレンズの隔たりはあるにしても、彼が私の恩人なのは間違いないのだから。

 そしてサツキおばあちゃんがいるっていう老人ホームに行かせてもらいたい。対面が無理でも、車の中とかから、遠目でおばあちゃんの姿を見せてもらいたい。

 それが終わったら、ゲンシ師匠が残してくれた修業の続きがしたい。東京の研究所には、師匠の遺言と一緒に私宛に送ってくれた大量の書物がある。それには師匠が一生をかけて極めた空手の技が記されてる。所長に頼めば書物を音声化してくれるだろうから、字が読めなくても修業は出来る。

・・・・・・でも、そういうこととは違うんだよな。それらは私にとって大事な用事ではあったけど、この先の人生そのものじゃない。

 

 にわかに不安になってきた。戦いが終わったら、私に何が残るんだろう。

 セルリアンと戦うために動物からフレンズに生まれ変わらせられた私は、用無しになってしまうんじゃないだろうか? 

 まるであのサーカスにいた時みたいに、誰からも必要とされない存在に・・・・・・。

 サツキおばあちゃんは私に無償の愛を与えてくれたけど、でもそうしてくれるのは特別な相手だけなんだって、今では思う。

 この世界で生きていくためには、何かの役目を果たさなければならない

 

 私は今まで「ヒトを守りたい」と思って戦ってきた。

 その気持ちが最初に芽生えたのは、私が一度死んだあの夜だ。

 まだただのトラだった私は、セルリアンに成す術もなく殺されていく自衛隊員に加勢した。彼らはまだ言葉も通じない私に向かって、感謝の気持ちを示してくれた。

 初めて誰かの役に立てたと思った。それがとてもうれしかった。生まれてはじめて「私に出来ること」を見つけたように思った。

 フレンズとして生き返ってからは、なおさらそれが私の役目なんだと信じた。役目を果たすための力もゲンシ師匠が授けてくれた。

 

 私はクズリと違って、戦いは好きじゃない。でも戦うことは間違いなく私の居場所なんだ。

 英雄とか呼ばれてヒトに褒めてもらうのも悪い気分じゃない。お前はそこにいていいんだよ、って言ってもらってるような気がした。

 居場所がなくなったら、私はどうなるんだろう。

 

「・・・・・・ていうか、戦いが終わるのなんてだいぶ先のことだろ。セルリアンはそこらじゅうにワンサいやがる。いくらぶち殺してもキリがねえ」

 不安げに黙り込む私に、クズリがそう言ってきた。

 確かに彼女の言う通りだった。いまだに戦いの終わりは見えない。定かでない未来の話なんて、考えるだけ無駄でしかない。

 今後も数えきれないぐらいセルリアンと戦っていくんだろう。きっと隣にはクズリがいて、どんな強い敵が相手でも2人で勝ち抜いていくんだ。

 

「ねえ、クズリ」

 これからも一緒にがんばろう、と言おうとした時だった。

______ピッピッピッピッ・・・ピピピピピピ・・・!!

 けたたましい警告音が機内に鳴り響いた。断続的に鳴っていたその音は、やがてその間隔がわからなくなるぐらいに短く反響した。

 

「うぎゃあああっっ!!」

 ついさっき私とクズリを写真に収めていた、ひょうきんな感じのするパイロットが、阿鼻叫喚の悲鳴を上げた。

 絶叫を包み込むようにして、爆風が操縦席を貫いて、炎で覆いつくしていた。

 私たちがいた部屋の赤絨毯が裂けて、お姫様の部屋みたいな豪華な機内が跡形もなく砕け散った。

 何が起こったのか、まったくわけがわからない。

 

「くっ!?」

 とっさに腕を交差させてうずくまり、迫りくる爆炎から身を守る。チリチリと身を焦がす熱から抜け出したと思った瞬間には、私とクズリは空中に投げ出されていた。

 

 それまで猛スピードで飛んでいた機体から落とされた体には、ジェット機の勢いがそのまま残っていた。まるで斜め下に向かって滑空しているみたいだった。

 地面までは大した高さはなかった。だがこのままでは猛烈な勢いのまま地面に叩きつけられるのは確実だ。

 眼下にあるのは草原ではなく、大きな広葉樹がまばらに生えている林だった。森というにはほど遠く、地面の輪郭はしっかりと垣間見えている。

 

「クソがっ!」と、後ろからクズリの怒声が響き渡ったかと思うと、彼女は空中で私のことを後ろから羽交い絞めにしてきた。

(な、何をする!?)

 私はクズリの行動の意味がわからず愕然とした。これじゃ2人分の重みで落ちる分だけ余計に危険じゃないか。

 やめさせたいところだったが、この状況では何も出来ずされるがままにするしかなかった。

 

 重なり合いながら、すぐ近くにあった大きな樹の中に突っ込んでいった。バキバキといくつも枝をへし折りながらも、落下の勢いは止まらない。

 もう地面がすぐそばに見えた・・・・・・だが、今にも衝突すると思ったやいなや、真っ逆さまの姿勢のまま体が真上に引っ張られた。

 反動で体がガクンと跳ねると、振り子のように揺られ続けながらも、落下はそこで止まっていた。二つに編まれた私の長い髪がゆらゆらと風になびいているのが見える。

 

「ひとつ貸しだからな」と、クズリが私を羽交い絞めにしていた手を離した。今度こそ落ちる体を着地させると、真上にいるクズリの様子を確認した。

 クズリはまるでメガバットみたいに、太い木の枝に逆さまにぶら下がっていた。でもメガバットみたいに足を曲げて枝に引っ掛けているんじゃない。クズリの両足が枝の表面に貼り付いているのだ。まるでそこが地面であるかのように。

 それを見て納得した。あれはクズリの能力“グランドグラップル”だ。

 グランドグラップルは、両手両足を触れたものに固定する。重力とか摩擦とか、そういうものを無視して完全にくっつけてしまえる。

 クズリは私を抱きかかえながら、同時に能力を使って木の枝に体を固定したんだ。落ちる勢いをくっつける力で打ち消したということか。

 ぶっつけでそんな荒業を成功させるなんて、さすがとしか言いようがない。どんな状況でも能力を最適な方法で使いこなす度胸と技量がある。

 それでも足には相当な負荷がかかったと思うけど、彼女はまったく気にすることなく宙返りをしながら音もなく地面に降り立った。

「ありがとう! ・・・・・・足、大丈夫かい?」

「あぁ? オレを誰だと思ってやがる」

 

 私はもういちどクズリに目配せしながら頷いて感謝の意を伝えると、視線を辺りの様子に移した。

 嫌な予感に導かれるように周囲を見回していると、それはすぐに見つかった。

 生い茂る背の高い草むらと、いくつもの広葉樹の向こう側にある地面から黒煙が立ち昇り、その根本からは赤々とした炎が揺らめいている。

 ついさっきまで私たちが乗っていたジェット機の成れの果てだった。あんなことになっては乗組員の命はもう・・・・・・

 

「派手に落ちやがったなァ」と、クズリが他人ごとのようにつぶやく。さっきまで気怠そうだった顔がにわかに生き生きとし始めている。

「早速セルリアンのお出ましか?」

 

「・・・って、これは違う感じだな」

 私とクズリは同時に違和感に気付いた。辺りにセルリアンの気配はない。その代わりに、流れてくる空気の中から、鼻にツンと来る焦げ臭さが充満しているのを感じ取った。

 火薬のにおいだ。

 このにおいを放つ元がジェット機を落としたのだとしたら、私たちを攻撃してきたのはセルリアンじゃない。ヒトだ。

 何がどうなっているのかわからないが、相手が明らかな殺意を持っているのは間違いない。現にもう死人が出てしまったのだから。

 

 私とクズリは背の高い草むらに身を隠すようにしゃがみこむと、風下に回り込むように移動しながら、においの痕跡を辿った。

「あ・・・・・・あれは誰?」

 ずっと向こうの草むらの中を、1人の人影が、覚束ない足取りで必死に逃げていた。薄汚れた白衣の間から、コバルトブルーの迷彩服が覗いている。

 あの色合いは、Cフォースの兵士が着ている制服と一緒だ。今までに何度も目にしているから見間違えるはずはない。

 背はすらりと高いけど、体はまるで痩せぎすで、兵士という感じじゃない男だった。白衣を着ていることから、研究者なのだろうか。

 

 逃げる白衣の男を、背後から別の男たちが追いかけていた。

 髪の毛みたいに黒い肌を、Tシャツやジーンズみたいなラフな服装で包んでいた。数は4人だった。肌の色から言ってアフリカの現地人なのだろう。

 兵士ではなく民間人にしか思えないけれど、その両手にはゴツゴツとした銃を携えている。

 

 覚束ない足取りで逃げる白衣の男に、健脚を誇る現地の黒人たちは余裕で追いついた。1人が男を蹴飛ばすと、男は手折られるように草むらに倒れ込んだ。

 黒人たちが白衣の男の襟元を掴んで乱暴に引き起こすと、そこでようやく白衣の男の顔がはっきりと見えた。

 

「なあアムールトラ」と、クズリが私のすぐ後ろで囁いた。

「あれ、オレたちの知ってる顔だよな?」

 

 私はクズリの声が耳に入らないぐらいに狼狽えていた。知ってるどころじゃない顔がそこにあったからだ。優しさと頼りなさが同居した、いつも困ったように笑っていたその顔を忘れるはずはなかった。

_______ヒグラシ所長・・・・・・?

 なんで彼がアフリカに? どうして銃を持った男たちに追いかけられている?

 

 黒人たちは、ヒグラシ所長に罵声を浴びせながら再び蹴り倒した。

 何度も何度も蹴りを浴びせると、やがてうずくまる所長に向かって、銃を構えた。

「やめろっっ!!」

 考えるよりも前に、私は叫んだ。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォース日本支部所属 生体兵器研究所所長
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:73歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「イブ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:24歳 性別:女 職業:Cフォースアメリカ本部所属 アトランタ研究所職員

_______________Information ________________

◇Cフォースの組織形態について
:セルリアンとの直接の戦闘要員である人造フレンズに比べて、それを支えるCフォース職員の数は、一万倍を優に超える人数であるが、これは決して多すぎる数字ではない。
:セルリアンに被害を受けた地域の避難活動や物流支援、さらには治安維持も請け負っているため、人造フレンズとセルリアンが戦っている背後で、常に火の車のような激務に追われている。
    
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章7 「みえないくびわ」

 あるトラのものがたり24話です。

 アフリカ編その2。
 アムールトラとクズリが、武器を持ったヒトの集団と激突する。
 そしてヒグラシ所長が語る、フレンズの体に隠された真実とは。
  



「やめろっっ!」

 考えるよりも前に、私は叫んだ。胸に湧き上がる爆発的な感情が、自然と喉を震わせていた。

 離れた位置にいる4人の黒人たちが、その声にハッと驚いて、ヒグラシ所長へと向けていた銃口を、私がいる方向へ構えなおした。

 

 彼らのうちの1人と、早くも目が合った。

 橙と黒の縞模様をした私の体を見て呆気に取られた様子だったが、一瞬で気持ちを切り替えて、表情に殺意を覗かせているのがわかる。

 彼らがどういうヒトたちで、なぜ所長を殺そうとしていたのかは知らないが、ひとつ確かなのは、私の敵になったということ・・・・・・何とか気持ちを落ち着けて、感覚を研ぎ澄ませて、彼らから放たれる”意”を探ろうとした。

 

「大声出しやがってバカトラが・・・・・・見つかったじゃねえか」と、後ろにいるクズリが呆れたように声をかけてくる。

「あの4人だけってことはねえだろ。それなりの人数で、それなりの武器を持ってるはずだ。ジェット機を落とすような連中なんだからよ」

 

「だけどヒグラシ所長を見殺しには出来ないよ!」

「まあ、そいつは賛成だけどよ」

 所長の安否しか考えられない私と違って、クズリは冷静に先のことを考えていた。ジェット機が落とされた以上、私とクズリだけで、どこにあるのかも知れないCフォースの研究所に辿り着くことは不可能だ。この広大なアフリカで行き倒れることになってしまうだろう。そうならないために道案内が必要だ。

 所長がなぜアフリカにいるのかはわからないが、彼もCフォースの一員なのだから、研究所の場所を知っているはず。

 

「私があの4人を何とかするから、クズリは他の敵の様子を探ってみてくれ」

「だりぃが仕方ねえなァ・・・!」 

 

______ガガガッッ!! ヒュンッッ

 黒人たちが構えた銃口が火を吹き、私のすぐそばの草むらを薙ぎ払った。

 クズリは横に飛びのき、私は前に駆け出した。

 全力で走って草むらを掻き分ける私の横を、弾丸の風切り音がいくつも通り抜けていく。この距離ならそう当たりはしない。最悪当たっても、セルリアンの攻撃より痛いってことはないだろう。

 

 勢いを保ったまま数十メートル上空にジャンプした。黒人たちの銃口は私の姿を追うように上を向いていたが、銃撃はパタリと鳴りやんだ。

 照り付ける黄金の太陽が彼らの視界を奪っていたからだ。

 丸まって宙返りしながら男たちの1人の背後に着地し、首元に腕をまわして締め上げた。

「がひゅっっ!」と、突然に呼吸を止められた男が発した奇声で、他の男たちは私にいつの間にか接近されていたことを知った。

 だが仲間の体を盾にされているために、私を撃つことは叶わない。

 

 頸動脈を締めながら、男の体を持ち上げた。足元が宙に浮き始めた男の口元から泡が吹き出し、その真っ黒い両腕がだらりと下に降ろされた。

 力をなくした手から、鉄で出来た黒い銃が手放される。銃が地面に落下して、ガチャリと重たい金属音を立てた。

 

 それと同時に、意識を失った男の体を、別の男に向かって蹴り飛ばした。

 2人が折り重なって倒れこむ前に、私は余ったもう2人を仕留めに動いた。

 片方の黒人の顎を横から打ち抜き、もう片方の後頭部、首の付け根の延髄を裏拳で叩いた。顎も延髄も、セルリアンの核よりも脆くて狙いやすいヒトの急所だ・・・・・・ここを打てば一撃で意識を奪うことが出来る。

 スピードはそのままに、命中する瞬間は拳先の力を思いきり緩める。脱力しきった拳には、命を奪う威力はない。でも、気絶させるだけならこれで十分だ。

 

 瞬く間に3人を無力化した。

 多分彼らは私が何をしたかまったく見えてないはず。自慢じゃないけど、相手の”意”を見切ってから動く私の動きを、普通のヒトが目で追うことは不可能だ。

 意識の外から攻撃が飛んできたようにしか思えないだろう。

 

 拳を引き戻して残身を取りながら、最後の1人へと注意を向けた。

 残った1人が、倒れこんできた仲間の体を押しのけてようやく立ち上がった所だった。この間合いでは、まだ銃を持った相手に利があるだろう。

 そう思いながら、基本の構えである後屈立ちで、相手の出方を伺おうとしたその時・・・・・・

「アァアアッッ!」

 真っ黒い顔を恐怖で歪ませた男は、甲高い悲鳴を上げながら身を翻し、真後ろの草むらへと転げまわるように逃げ出しはじめた。両手は手ぶらだ。銃はその辺に投げ捨ててしまったようだ。

 

(まずいっ!)

 脳裏に言葉がよぎった。

 私はヒトがどう戦うかを十分知っている。

 一年間をブラジルのジフィ大佐が率いる部隊で過ごし、ヒトの兵士たちと一緒に何回も戦ってきたからだ。

 ヒトはセルリアンと違って、味方への報告連絡相談を怠ることはない。大佐は常に詳細な命令をフレンズ部隊に下したし、私たちからの報告を常に求めてきた。報告をわずかでも怠る者は、ヒトでもフレンズでも容赦なく叱り飛ばした。

 

(逃がしちゃダメだ! 追いかけて、倒さなきゃ!)

 この男を逃がしたら、私たちのことがすべて筒抜けになってしまう。

 こちらの正確な位置も、私とクズリのたった2人しかいないことも、傷ついたヒグラシ所長を連れていることも知られてしまう。

 相手が銃を撃った時点で、その音を聞きつけて他の仲間がやってくることは決まっているだろうけど、それよりもはるかに厄介なことになる。

 

 追いつくのは別に難しいことじゃない。私の足なら簡単だ。そうして背後から後頭部を叩けばそれで終わりだ。

 頭の中に動きのイメージを走らせる。相手の後頭部めがけて、拳を振り下ろす自分の姿を思い描いた。

 だがイメージの中の自分を見た瞬間、無視できない葛藤が頭をもたげた。

(私は、なんてことをしようとしているんだ)

 理性よりもはるかに強い葛藤が、体をその場に縛り付けていた。

 逃げる敵を後ろから攻撃するなんて、たとえ殺さなくても、気絶させるだけでも、絶対にやってはいけない。

 ゲンシ師匠が私に託してくれた空手は、技ではなく道だ。道に外れた行いをすることは、師匠が歩んだ気高い道を汚すことと同じだ。

 

 2つの考えに板挟みにされて身動きが取れなくなった。

 道を外れても、男を後ろから襲って安全を確保すべきか。それとも、やはり師匠の教えを守るべきなのか。

 私がやるべきなのはどっちなのか。

 

「くっ・・・・・・!」

 結局、ただ茫然と立ち尽くしたまま、男が逃げていくのを見送ることしかできなかった。

 男の姿が景色の中に隠れてしまうと、近くにうずくまっているヒグラシ所長に視線を移した。

「所長! ヒグラシ所長!」

「・・・・・・ううっ・・・・・・あ、アムールトラ? 君なのか?」

 うずくまったまま、おそるおそる向きなおる所長の横顔と目が合った。怯えきって見開かれた瞳孔をさらに大きくさせて私のことを見ていた。

 今しがたの黒人たちに暴行を受けていたために、片方の目を腫れぼったく膨らませ、口元にはアザを作っていた。土で汚れた白衣にも所々うっすら血をにじませていた。

 だけど表情には十分な生気が宿っていて、命には別状ないようだ。

 それを見てひとまずは安心できた。

 

「もう大丈夫だよ」と所長にいまいちど告げると、すぐそばの広葉樹の上にいるクズリの気配を感じ取り「敵はどんな感じだい? 数は?」と声をかけた。

 

「その前にオレに言うことがあるよなァ? アムールトラ」

 クズリが溜息交じりに木の上から飛び下りて来るなり、不機嫌そうな顔のままズカズカ近寄ってきて、胸倉を乱暴に掴んできた。

 私よりも頭一つ分低い瞳が、私を鋭くにらみ付けてくる。

 やっぱり目ざといクズリは、敵を偵察しながらも、私がやったことも見ていたんだ。

「なんで敵をわざと逃がしやがった?」

 

「・・・・・・逃げる敵を攻撃なんてしたくないよ」

「逃がしたらどうなるか全部わかってんだろうが! いつまでお上品ぶるつもりだてめえは!」

「それでも嫌なものは嫌だ」

「ふざけろバカが!」

 

 クズリは憎々しげに私を突き飛ばすと、話にならないといった風にかぶりを振った。

「車が何台もこっちに向かって来てんぞ? 背中には重機関銃を乗っけてやがる。それにもっと向こう側には、迫撃砲がいくつも見えやがる・・・・・・てめえのクソみたいなプライドのおかげでちとヤバいことになったぜ」

 

 重機関銃に、迫撃砲。

 私もクズリも、それらが何なのか知っていた。

 重機関銃とは、恐ろしい威力の弾を嵐のように撃ち出す強力な銃で、手持ちの小銃なんかとわけが違う。当たったらフレンズでも死ぬかもしれない。車両の上にも乗せられるから、機動力も申し分ない。

 そして迫撃砲は、爆発する砲弾を発射する大砲だ。あなどれない破壊力を持っているのに、少人数で簡単に持ち運べてしまう。

 砲弾は斜め上に飛んでから下に落ちてくるから、こういう木が生い茂った見通しの悪い場所でも、お構いなしにこっちに飛んでくるだろう。機動力は低いし、狙いは甘いだろうけど、射程と加害範囲でそれを補ってしまえる。

 

 ブラジルにいた頃、ジフィ大佐が、部隊のフレンズ達の前で、ヒトが扱う一通りの「通常兵器」と、それが実際に使われている様子を、説明を交えながら見せてくれたことがある。

 大佐いわく、ヒトの武器を知ることで、フレンズとヒトがよりよく連携出来るようにしたかったらしい。

 

 セルリアンには効果がない通常兵器にも、大事な役割がある。

 フレンズはセルリアンからヒトを守り、通常兵器は「人災」からヒトを守っている。

 セルリアンに破壊された都市では、ヒトが生きるために必要な食料やエネルギーが十分に行き渡らなくなって、普段通りの暮らしが行えなくなってしまう。

 するとそこには略奪や暴動みたいな、ヒトがヒトを傷つける人災が起きてしまうのだ。それらが与える被害はセルリアンそのものの被害より深刻だとも言われている。

 被害を食い止め街の治安を守るために、Cフォースが出動していた。時間が立てば地元を守る警察とかが役目を引き継ぐけど、セルリアン災害で一番早く動けるのはCフォースだった。

 

 ・・・・・・それにしても、アフリカが一番のセルリアンの巣窟だと聞かされていたのに、まだ一匹たりとも出くわさないのは何故だろう?

 代わりに兵器を持ったヒトの集団がうろついているだなんて。

 彼らも人災を起こしているのだろうか。

 

 ともかく、あの時に見聞きしたことのおかげで、次の敵の動きが読める。

 重機関銃も迫撃砲も、たった2人の戦士と1人の怪我人を攻めるには、あまりにも大げさな装備だ。

 私が逃がした男が、私のことを報告したからだろう。敵は並外れた素早さと腕力を持っていると・・・・・・だから全力で叩き潰すべきだ、とでも言ったのだろう。

 

 多分だけど、もう間もなく迫撃砲が私たちに向かって降り注いでくる。

 それが命中しなくても、私たちは爆発から逃げようと、その場から動かざるを得ない。そうやって私たちをあぶり出して、重機関銃でトドメを刺しに来るつもりだろう。

 隙のない堅実な戦い方だ。

 

「選手交代だ。てめえにゃ任せてらんねーよ。奴らの相手はオレがしてくる」

 クズリはそうぶっきらぼうに告げると、己の眼前で拳をミシミシと握りしめた。彼女の戦いのスイッチが入ったのだ。

 セルリアンを相手にする時と、なんら変わりない気迫がこもっている。

「思い知らせてやるぜ。ケンカ売る相手を間違えたってことをよ」

 

______待つんだ。

「あァ?」

「・・・・・・行ってはいけない。人間を傷つけては駄目だ、クズリ」

 向かい合って口論していた私とクズリが、その声に驚いて向きなおった。

 声の主はヒグラシ所長だ。よろよろと立ち上がった彼は、生傷を作った顔に冷や汗をかきながら、しかし瞳に強い意志を宿していた。

 

「会うなり指図すんのかよ? クソオヤジ」と悪態を付きながらも、クズリの高圧的な態度が少し和らいだような感じがした。

 東京の研究所で、私よりも先にフレンズになったクズリは、私よりもヒグラシ所長との付き合いは長い。言葉には出さないけれど、久しぶりに再会出来て、彼女なりに思うところもあるのだろうか。

「アンタを助けるためだぜ? オレとアムールトラだけなら逃げようはいくらでもあるが、お荷物のアンタは無理だ。死にてえのか?」

 

「それでも駄目だ。君たちに刷り込まれた”オーダー”のことを忘れたのか?」

 クズリの抗弁に一歩も引かないヒグラシ所長が、落ち着き払ったまま言葉をつづけた。

 

「オーダー」と聞いて、クズリは黙りこんだ。

 Cフォースのすべてのフレンズは、潜在意識の中にオーダーと呼ばれる洗脳を受けている。

 それはヒトがフレンズを従わせるために必要不可欠な、根本的な原則のことだ。

 オーダーが命令するのは ”フレンズはヒトを殺傷してはいけない”ということ。

 あたかも、生まれつき自分が持っていた本能であるかのように、Cフォースのフレンズはそれに従っている。

 

 オーダーを刻み付けるのは、VRを用いた睡眠学習だった。

 かつて東京の研究所でも、あの機械の棺桶の中で、起きたら内容を忘れてしまうような、すべてがあいまいで判然としない夢を何回も見せられた。

 目覚めると、なんとなく不快な気持ちだけが残っていることだけは覚えていた。

 どういう仕組みで、あの意味不明な夢が洗脳に結びつくのかは良くわからない。

 それはヒグラシ所長ら研究者しか知らないことだろう。

 

「オーダーに背くようなことをすれば、君の体に計り知れないダメージが跳ね返ってくるぞ」

 

 フレンズが、オーダーに反してヒトを傷つけようとするのは、翼のない生き物が高い所から飛び降りたり、泳げない生き物が海に潜ったりするようなものだという。

 生き物が本能に反した行動を取ることは、強い意志があれば、やれないことはないけれど、普通やろうとは思わない。

 

 私としては、今までオーダーのことを別段意識するようなこともなかった。

 それを刷り込まれはしたけれど、ヒトを傷つけてはならないことなんて、私はそれ以前から刷り込まれている。

 サーカスで成体のトラ達がそうしていたように、野生知らずの身には、昔からヒトの言うことがすべてだ。

 そして、おばあちゃんや師匠のような、愛すべきヒトに出会ってからは、なおさらそれが揺るぎないものになっていた。

 

 またクズリにとっても、オーダーに背く機会はなかっただろう。ヒトに従ってさえいれば、彼女がもっとも求める物を与えてくれるのだから。

 セルリアンとの戦いをだ。

 

「ダメージってなんだよ? ていうか、どうしてアムールトラはピンピンしてるんだ? ついさっきヒトをぶん殴ったぜコイツ?」

「そ、それは・・・・・・」と、ヒグラシ所長が一瞬口ごもったように見えた。だが、そこから先に続ける言葉を告げようと口を開いたように見えたその時。

 

______ズドォォォォンッッ!!

 高い音を立てながら降り注ぐ砲弾が、近くの草むらに直撃し、粉塵を巻き上げた。迫撃砲がさっそく炸裂したのだ。

 地面を揺るがすような爆風と轟音を、私もヒグラシ所長も顔を覆いながら耐えしのいだ。

 ただ1人クズリだけが、気だるそうな立ち姿のまま、変わらぬ闘志を瞳に宿らせてそれを正面から受け止めていた。

 

「もう話してる時間はねえ・・・・・・」

「待つんだ!」

「うるせえ下がってろ! 奴らをぶち殺して来る!」

 

 クズリは引き留めるヒグラシ所長の声を無視して、小柄な体を、さらに低く深く、草むらの中に潜るようにして、ずっと向こう側にいる敵の所へと走っていった。

 所長はおぼつかない足取りでそれを追いかけようとしたが、新たに間近に降り注いだ迫撃砲の一撃によって、歩みを止められてしまった。

 

「ここから逃げよう所長」と、爆煙の向こう側を茫然と見つめるヒグラシ所長に呼びかけた。納得してない表情の所長が私に振り返った。

「・・・・・・このままじゃクズリがまずいんだ、アムールトラ」

「でも、もう止められないよ」

 お互いにため息をつくと、やむなく連れだって動き始めた。

 

 迫撃砲が近くの草むらを何度も何度も抉り飛ばす中を移動して、手近な広葉樹の幹に身を預けた。相も変わらず爆音が響き渡る中、私と所長は木陰から身を乗り出して、向こう側の様子を伺おうとした。

 

 そして、驚くべき光景を目にした。

 木だ。一本の木が飛んでいた。

 縦にも横にも10メートル近くある大木が、並び立つ林の中から抜きんでるように空に飛び出した。

 それを見て、クズリの攻撃が始まったことを察した。

 車とか、電柱とか、はたまた敵の体そのものとか、重量物を敵に投げつけるのは、彼女がもっとも多用する得意技だ。

 木はすぐに放物線を描いて落下した。

 すると怒声と銃声とが、蜂の巣をつついたようにドッと沸き起こった。

 

 目を凝らして、クズリの戦いの様子を伺った。

 私は生まれ持った視力で、ヒグラシ所長は懐から取り出した端末を目の前に掲げて、望遠鏡の代わりにして遠くを見た。

 

 クズリは草むらから突如飛び出して、落ちた大木の傍で慌てふためいている黒人たちに突進した。

 応戦しようと銃を構えた黒人の腕を掴むと、スポンジのようにクシャッと握り潰し、そのまま持ち上げて、別の男に向かって投げ飛ばした。

 

 だが、黒人たちもそれで終わりじゃなかった。

 逃げるようにクズリから距離を取った男たちに代わって、前半分が普通の車で、後ろ半分がトラックみたいな荷台になっている車両が何台もその場に到着した。

 荷台の上には、ヒトの体よりも大きな重機関銃が載せられていた。車が足を止めると、機関銃の砲身が猛烈な勢いの掃射を始めた。

 小柄なクズリは、草むらに身を潜めて姿をくらませていたが、機関銃の掃射は草むらを見る間に丸裸にしていった。

 

 隠れていたクズリが次に姿を現したのは、とある車両の荷台の上だった。重機関銃を掃射する黒人を背後から抱きすくめると、引き金を握りしめているその男の手に上から手をかぶせた。

 背後を取られた男はその場から逃げ出そうとするが、クズリに押さえつけられた両手をピクリとも動かすことが出来ず、己の意に反して引き金を引き続けてしまっていた。

 クズリは、荷台に取り付けられた砲座を、引き金を引かせている男ごと真横に動かした。

 火を吹き続ける機関銃の銃口が、別の車両へと向けられた。

 

______ズガガガガッッ・・・・・・ドォォォォンッ!!

 甲高い悲鳴が聞こえたかと思うと、車両は見る間に穴だらけになり、爆発しながら横転した。車両を運転していたヒトも、荷台の上で機関銃を撃っていたヒトも、一瞬で命を奪われた。

 クズリが殺したのだ。あきらかに、自分の意志で。

 

 その後もクズリは、男を使って、四方八方に重機関銃を撃ち続けた。辺りを焼き尽くすような勢いの弾丸が吐き出され続けた。

 狙いなんてなく、ただ銃身を振り回していただけだったけど、何発かは逃げ回る黒人に命中した。一発当たっただけで彼らの胴体が真っ赤に破裂し、上半身と下半身が二つに分かたれてしまっていた。

 見ているだけで気分が悪くなる。セルリアンと同じくらい簡単にヒトを殺している。

 

 弾切れを起こす頃には、辺りにいた黒人たちはパニック状態になって退散していた。

 事が済むと、引き金を引かせていた男を解放した。男は恐怖のあまり、白目を剥いて気絶していた。

 クズリは気絶した男を荷台から蹴り落とした。いとも簡単に、武器を持ったヒトの集団を制し、戦闘を終わらせてしまった。

 

「終わったぜ。お2人さんよ」

 荷台の上に踏ん反りかえったクズリが、余裕の笑みを浮かべながら、駆け付けた私と所長を見下ろしていた。

「なぜ人間を殺した! やめろと言ったのに!」

「オレなりの考えがあってのことだぜ」

 

 激高するヒグラシ所長に、クズリは悪びれもせず答えた。

 逃げるよりも、相手を追い払った方が、この先ずっと安全に行動出来る。

 追い払うためには、相手を恐怖に陥れる必要がある。派手なやり方でこちらの恐ろしさを示さなければならなかった。

 そのために必要な犠牲だった、と。

 

 今度はヒグラシ所長が黙り込んだ。完全に論破された様子だった。

 私だったら考えつかないし、考えついてもやろうとは思わない残酷な戦い方だったけど、所長を守るためには、理屈の通ったやり方だったのかもしれない。

 クズリの性格は、凶暴っていうのとは違う。確かに戦いを楽しんでいる節はあるけど、その本質は勝利への冷徹な執念だ。

 勝つための方法を、常に冷静に考えている。はっきり言って私なんかよりずっと頭が回る。

 そして私みたいに葛藤することがない。

 

 敵を見逃した私の行動は、正解だったのだろうか。所長を守るために、クズリみたいに冷徹に行動するべきだったのか?

 これから先、ヒトと戦う機会がまたあるのだとしたら、いつか道を外れなければいけない時が来るのかな・・・・・・

 

「いいからさっさとずらかろうぜ? クソオヤジ、こいつを運転して、オレとアムールトラをCフォースの研究所まで連れてけよ」

 と、黒人たちが乗り捨てた車の運転席を指さしながらクズリが言った。

 だが、所長はそれに応じることなく、その場に佇んでいた。その表情は明らかに何かを警戒している様子だった。

 そして一言、こう告げた。

 

「体は何ともないか?」

 

「あ? ダメージがどうとかって話か? 見ての通り・・・・・・ぐっ! な、何だァ? ・・・・・・オレの体が・・・?」

 何の前触れもなく、突然にクズリの顔が青ざめ、喉を押さえて苦しそうにうずくまった。

「うううっっ・・・・・・かはっ! ・・・ひゅう・・・ひゅう・・・」

 にわかに体中が震えだすと、荷台の上に倒れて、そのまま意識を失った。

 うつ伏せになった体がなおもビクビクと痙攣している。

  

「クズリ! どうしたの!?」と、驚いた私は荷台に飛び乗って彼女を抱き起すと、体をゆすって呼びかけた。

「アムールトラ、そんなに頭を揺らしちゃだめだ!」

 

 ヒグラシ所長が私の横に入って、クズリの頭を抱えると、手を使って彼女の目を見開かせた。明るい茶色の眼球が激しく揺れ動いている。

 所長はそれをじっと観察しながら、吐き捨てるような深いため息をついた。

「まずい・・・・・・」

「所長! クズリはどうなったの!?」

「てんかんに酷似した症状・・・・・・オーダーに背いたことによる拒絶反応が起きたんだ」

 

 クズリはヒトを殺した。そのことが原因でオーダーが発動してしまった、と所長は述べた。意識を失ってしまうほどの心理的ストレスが、クズリを襲ったのだと。

 オーダーの役割は、フレンズにヒトを殺傷してはいけないという本能を抱かせるだけではない。本能を踏み越えたフレンズの行動を強制的に止めることも目的にしている。

 

 あのVRの夢の中では、無意識下に「条件付け」を刷り込んでいる、という。

 言葉の意味はわからないのだけれど、ヒトを傷つけたという認識が、心の中で過大なストレスに結びついて、体調不良を起こさせる仕組みになっているらしい。

 

「じゃあ、私はどうして何ともないんだ?」と、当然の疑問が頭をよぎり、そのまま所長に投げかけた。

「私、ヒトを殴って気絶させたよ。殺してはいないけど」

「君がオーダーを踏み越えてはいないからだよ、アムールトラ」

 

 所長が言うには、オーダーが反応するのは、ヒトを傷つけるという意図そのものだという。確かに私は、傷つけるつもりはなかった。

 無傷で気絶させるつもりだったし、それが当然だと思っていた。だからだろうか。

 

「君の心の中にはもともと、オーダーよりもつよい、ヒトを傷つけることへの抵抗感がある。クズリとの違いだ」

「そうなんだ・・・・・・」

 

「さて、ともかく移動だ。アムールトラ、クズリの頭を揺らさないように寝かせてやってくれ。しばらく安静にさせて様子を見るしかない」

 所長は荷台から下りると、運転席に入って車のエンジンをかけた。もともと乗っていた黒人が、キーも抜かずにそのまま逃げだしていったのだ。

「右ハンドルか。日本製のピックアップトラック・・・・・・このロゴはトヨタか」

 

 車が、草むらの中の道なき道を走り出した。私は荷台にクズリを仰向けにして膝枕をすることにした。痙攣はおさまった様子で、今はぐったりと四肢を投げ出している。意識はまだ戻らない。

 あの無敵のクズリがこんな状態になってしまうなんて・・・・・・

 私のすぐ隣には、弾切れになった重機関銃がガチャガチャと金属音を立てながら揺れていた。

「所長、研究所に行くの?」

「いや研究所はここから遠い。近くで安全に休める場所を探すつもりだ」

「ところで聞きたいことがあるんだ。その、いろいろ・・・全部」

「道すがら説明するよ」

 

 ここは南アフリカ共和国という、アフリカ大陸の一番南にある国の領内らしい。

 ヒグラシ所長は少し前からアフリカのCフォース研究所で勤務していると。なんでも、日本の研究所から左遷されてしまったとのことだ。

 セルリアンの発生源であるアフリカの地質調査をするために、兵士を連れて現地を回っていたが、今しがたの黒人たちに襲われて部隊は壊滅。

 1人からがら逃げ延びていた所を私たちと出くわした・・・・・・とのことだ。

 

 あの黒人たちは、現地の武装勢力のひとつだという。

 アフリカは元々ヒト同士の争いが絶えない紛争地帯が数多く存在していたけど、この所ああいう集団が大陸中にはびこっているのだという。

 原因はもちろん、セルリアンだ。

 

 エジプトのカイロ、ナイジェリアのラゴスといった感じに、アフリカには、東京に負けないぐらいの大都市があった。

 しかしそれらの都市は、セルリアンに襲われて、とうに崩壊していた。

 大都市が崩壊することで、アフリカ大陸全体が影響を受けてしまっていた。経済や流通が立ちいかなくなることで、人災がよりいっそうの激しさを増した。

 なお悪いことには、セルリアンの本拠地と言われているアフリカには、Cフォースの大部隊は展開されていない。

 人災を食い止められる存在といえば、現地の弱体化した政府や警察ぐらいで、ほとんど頼りにならないとのことだ。

 

「でも、どうしてここらには、セルリアンが見当たらないの?」

「君の今までの戦いを思い出してみるんだ。セルリアンは必ず都市部に現れていただろう? それは何故だと思う?」

「なるほど・・・・・・都市部と違って、セルリアンのエサになる電気とか燃料とか、この辺りにはそういう物が無いのか」

「そういうことだ。アフリカの都市部は紛れもなくセルリアンの巣窟だ。だが、アフリカの大部分はこんな自然に溢れている。自然はセルリアンにとっては不毛の土地なんだ。奴らは腹を満たすために都市部に密集している。もっとも、発生源である以上は、決して油断は出来ないが・・・・・・僕の仕事は、セルリアンの発生源を突き止めることなんだ」

 

 私はクズリを膝に寝かせながら、再び意識を緊張させた。今の状況はかなり危険なんだ。またヒトの集団が襲ってくるかもしれないし、やっぱりセルリアンが出てくる可能性もあるのか。

 普段は背中を預けている相棒のクズリはこの状態だし、私だけでヒグラシ所長を守らなくちゃいけない。

 

 車は広葉樹と背の高い草むらが生い茂る林の中を抜け出して、膝丈程度の草が生い茂る大草原に出ていた。広葉樹はまばらにポツポツ生えているぐらいだ。

 それにしても、地面の高さから見て改めて感じるのは、アフリカのとてつもない広大さだった。車をどこまで走らせても、いっこうに景色が変わる気配はない。木と草と、地平線と空が広がるだけだ。

 ジェット機の窓からは美しいと見とれていた風景が、今や恐怖の対象になっていくのを感じた。

 

 ふと後ろを見やると、車両の後部ガラスごしに、車を運転する所長の後ろ姿が目に入った。普段は身なりに気を遣う所長のオールバックの後ろ髪が、今は埃まみれでボサボサだ。

 その姿を見ていると、ふと別の不安が頭をもたげた。

 

「所長、体は大丈夫?」

「ああ。あちこち痛むけど、別に撃たれたりはしてない」

「そうじゃなくって、私たちのそばにいるのに、防護服とか着なくていいの?」

「・・・・・・そっちの話か」

 

 私と所長の間に、にわかに気まずい空気が立ち込めた。

 かつて東京の研究所を発った時と同じ空気だった。放射線を体から放つフレンズは、ヒトと一緒にはいられない。

 そのことを所長が黙っていたことを知った時、私は所長に裏切られたような気持ちになって、彼を責めた。

 

「本当にすまなかったな、アムールトラ」

「もう済んだことだからいいよ。それよりも・・・・・・」

「君たちフレンズの体から出ている放射線の正確な数値を知っているか? およそ200mSv(ミリシーベルト)だ。それぐらいの数値は、僕は気にしなくていいと思ってる」

「数値のことを言われても、わからないよ」

 

 所長は言った。200mSvというのは、確かに人体への影響が出てもおかしくないような数値だ。でも、必ず影響が出るとは証明できないような、微妙な数値でもある、と。

 それでも可能性があると判断された時点で、Cフォースはフレンズの放射線への防護対策を万全にしてきた。

 ヒトとは今までずっとナビゲーションユニットを使って会話してきたし、やむおえず近づく必要がある場合でも、防護服や分厚いガラス越しだった。

 

「・・・・・・バカバカしい話だ。現代の人間は様々な毒の中で生きている。そんな中で、放射線だけを特別に恐れるなど、ナンセンスでしかない」

「でもゲンシ師匠は、放射能で死んじゃったんだよ?」

「君が”朔 原始”に修業を付けてもらった被爆死刑施設の放射線量は、3000から4000mSvに達しているという話だ。さすがに桁が違う。あそこは生き物の生存がどだい無理な環境だ」

 

 やっぱり私は納得できなかった。所長が気にしないと言っても、他のヒトは気にしているんだ。

 ヒトとフレンズの世界が隔たっているのは変わりない事実だ。

 

「君には今までさんざん嫌な思いをさせてしまった。すまない」と、ヒグラシ所長は私が気を落としているのを察して、もう一度詫びを入れてきた。

 久しぶりに会った所長は、やっぱり優しくて、フレンズを思いやってくれるヒトだと思った。

 所長も、サツキおばあちゃんやゲンシ師匠みたいに、私を愛して寄り添ってくれる相手なのかもしれない・・・・・・だけど、放射能のことと言い、オーダーに隠された効果といい、彼がいろいろと隠し事をしてきたのも事実。

 まだ他にも隠し事があるかもしれないと思うと、何も知らなかった頃のような信頼を寄せるのに抵抗感があった。

 

 思えば、フレンズにすべてを打ち明けなければいけない義務なんてヒトにはない。フレンズはヒトに使われる存在なんだから、ヒトは自分たちに都合のいいことだけフレンズに伝えればいい。

 ヒトとのそんな距離感にもようやく慣れてきたと思っていた。

 たとえばブラジルのジフィ大佐だ。彼は、フレンズは兵器であると明確に線引きをした上で、兵器として大切に扱ってくれた。

 彼は怪我を負ったフレンズが戦場に出ることを許さず、傷が癒えるまで休むことを厳命した。故障した銃火器を部下が使うことを許さないのと同じように。

 だからと言って、平時でもフレンズと会話なんかをしたりせず、任務を淡々と下してくるだけだった。

 そういう線引きの中で扱われるのは、こっちも気が楽だった部分もある。相手に余計な感情を求めなくて済むからだ。

 

 だから、ヒグラシ所長との距離感がわからない。このヒトはフレンズに対してどういう線引きをしているんだろう? 彼自身、距離感を測り兼ねている部分もあるんじゃないだろうか?

 フレンズを訓練し戦場に送り出す所長と、私に優しい言葉をかけてくれる所長とが、まったく別人みたいに思えるのだった。 

 

「・・・・・・」

 

 所長との間に気まずい沈黙が訪れてしばらく経った。相も変わらず大平原を走る車を、雄大な夕陽が赤く染めていた。

 アフリカの大地は、まるで海のように太陽の光を反射するんだなと思った。昼間は黄金色に輝いていた。今は溶かしこんだような朱色だ。

 私は寂しさを埋めるように大地を眺めた。

(・・・・・・あっ! あれは)

 風景のなかにふと、動く黒い点を見つけた。この有様では一目瞭然に良く分かる。

 

「所長、車を止めてくれ!」

「どうしたアムールトラ?」

「ヒトだ、ヒトがいる。何人も!」  

 その言葉に反応して、驚いたように車が急停止した。それで荷台が激しく揺れたから、私はクズリの体を抱きしめて守った。

 

「また武装集団か?」

「ここからじゃ良くわからないよ、少し見てくる」

 

 クズリの頭をそっと荷台の上に寝かせると、車から降りて、草むらに身を隠しながら夕日に包まれる平原を進みはじめた。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォースアフリカ支部職員(元日本支部研究所 所長)

_______________Materials________________

「M2 ブローニング重機関銃」
開発時期:西暦1933年
概要:第一次世界大戦末期にアメリカにて開発された重機関銃。50口径の弾丸を毎分1000発近くの速度で発射し、陸海空の全局面において性能を発揮する。開発から一世紀近くの月日が流れても、信頼性や運用コストの面において、他に勝る重機関銃が存在しないという傑作中の傑作。

「L16 81mm 迫撃砲」
開発時期:西暦1965年
概要:冷戦期にイギリスにて開発された迫撃砲。4分割構造を採用したことや、同じ規格の迫撃砲の中では軽量であることから、他種と比べて取り回しの良さで圧倒的に優れていることが特徴。西側諸国に加えて、日本も含めた西側アジア諸国や中東・アフリカにまで広く導入されている。

「トヨタ ハイラックス 170」
開発時期:西暦2004年
概要:1968年からトヨタ自動車にて開発されているスポーツピックアップトラックの7代目モデル。このモデルを境に、市場および生産拠点が日本から海外に委託されている。世界中の紛争地帯において「素早く、頑丈で、パワフルである」という信仰に近いブランドが確立されており、そのブランドがゆえに、どの紛争地帯でも修理や部品交換が可能、という実用性をも手に入れている。

_______________Location________________

「南アフリカ共和国(Republiek van Suid-Afrika)」
成立時期:西暦1961年
概要:アフリカ大陸最南端に位置する共和制国家。古く大航海時代には、希望峰と呼ばれる香辛料貿易の重要な中継地点として栄えた。その後も常に欧米諸国からの搾取に晒されながらも、それらを乗り越えて多民族多言語が並立する経済大国として成長を遂げたが、現在も差別や格差などの問題を抱えている。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章8 「アフリカのせんしたち」(前編)

 あるトラのものがたり25話です。

 アフリカ編その3。
 最果ての地にて、アムールトラを新たなる出逢いが待ち受けていた。
  


 南アフリカの、飲み込まれそうなぐらいに広い大地に、夕暮れが溶かされている。

そんな中で砂粒のような大きさの人影が垣間見えた。

 距離はざっと3~4キロメートル先・・・・・・私の視力で見えるギリギリの距離だ。向こうからはまず見えていないはず。

 

 先ほどと同じく、武器を持った危険なヒトの集団かもしれない。もっと近づいてみないと詳しいことはわからない。

 私は人影の正体を見極めるために、ヒグラシ所長が運転するピックアップトラックの荷台から降りて、こっそりと近づこうとした。

 クズリは未だ目覚めず、荷台の上で凍り付いたように寝そべっている。

 

「ああ、ちょっと待ってくれアムールトラ」と、所長が運転席から身を乗り出して呼びかけてきた。

「偶然だけど、ダッシュボードの中に良いものが入ってた。これを使って偵察してくれ」

 

 そう言った所長の片方の手には、先端から細長いアンテナが伸びた黒い端末が握られ、もう片方の手には、指先程度の大きさしかない黒い小石がつまんで掲げられていた。

 所長は小石の方を私に放ってよこした。

 受け取った小石を手の平の上で一瞬眺めると、何も言わずにそれを右耳の中にはめ込んだ。すでに何度も目にした馴染みの物体だったからだ。

 この小石は小型通信機だ。これが耳に入っていれば、所長とかなり遠くまで離れても、あの長いアンテナを持った親機を通じて話をすることが出来る。

 

「特に説明は必要ないようだな」

 互いに了解した空気で頷き合うと、今度こそ私は踵を返して、途方もなく広い夕暮れの大地を進み始めた。

 

 地平線の向こうには、無数の岩山が折り重なってどこまでも広がり、大地と空の境界を形作っていた。

 この地形は、そんな美しい山の連なりのふもとだった。一見平地に見えるけど、完全にまっ平ではない。本当にわずかだけど勾配があって、私はなだらかな丘を下っている。

 草むらはまだらにしか群生しておらず、石や砂が半ば以上も露出する荒野だった。後は数メートルぐらいのちょっとした木や植物が乱雑に、あちらこちらに散らばっている。

 身を隠せるような遮蔽物さえ満足に見つからない見晴らしのいい場所だったが、こうやって腰を落として少しずつ進めば、遠目からはかなりわかりにくいはずだ。

 

≪進みながら聞いてくれ≫

 トラックから何百メートルか離れると、通信機ごしにヒグラシ所長の声が聞こえてきた。

 彼は私に指示を告げた。

 もし人影の正体が、先ほどみたいな武装集団だったら、見つからないうちにすぐに帰ってくるように、と。

 逆に、特に武器を持っていないような現地人だったら、そのヒトたちを追跡して、居住地を突き止めて欲しいと。

 

 今は夕暮れ時で、もうじき夜が来る。こんな時間帯に人里外れた自然の中をうろついているヒトの動きが意味することはひとつ・・・・・・一日の用事を終えて、自分の住処に帰ろうとしているに違いない。

 もしそんなヒトらの居住地があるのなら、今晩はそこにお邪魔して一夜を明かそうと言うのだ。

 食料も土地勘もなく、武装集団の襲撃に怯えながら車中で夜明かしするのは正気の沙汰じゃない。意識を失ったままのクズリの容態も危うくなる。

 

 ヒグラシ所長はいくつかの国の言葉を話すことが出来て、この南アフリカ共和国に住んでいるヒトとも会話が出来るという。村人に交渉して一夜の宿を貸してもらうことは可能だ。

 私もクズリも恰好は変わっているけれど、黙っていれば、傍目からはヒトの女の子にしか見えないから、所長のそばでじっとしていればいい。

 後は、与えられた宿でしばらく身をひそめてクズリの看病が出来れば・・・・・・と彼は言うのだ。

 私もそれに異論はなかった。

 

「わかった。ところで、この辺りのことについてもう少し教えて」

≪ここは南アフリカ共和国のもっとも北西にあたる地域だ。さらに北に進めばナミビアとの国境線に着く。それと、この近くには「オレンジ川」という、大西洋にまで続いている巨大な河川が流れている。その流れに面する形で、現地人の村落もいくつかあるようだ・・・・・・だが正確なことはわからない≫

 

 この時代、ヒトが端末をいじれば、世界中だいたいのことはわかる。しかしそれは文明が及ぶ範囲のことでだった。

 電気も電波もろくに通っていないような未開の地のことは、ちょっとやそっとじゃわかるような物じゃないという。

 

≪ここからおよそ80キロ南に「スプリングボック」という、この地域の主要都市があるんだが、セルリアンの大群に襲われて、数か月前に壊滅しているそうだ・・・・・・そこの住民たちは、この近辺に散り散りになって逃げ延びているはず。生きるために、武器を取って略奪に走る者も少なくなかっただろう≫

 

 なんだか嫌なことを聞いた気がした。きっと先ほど私たちを襲ったヒトたちも、ただ必死に生き残ろうとしていただけだったんだ。

 たまたまヒグラシ所長を襲って、偶然私たちと鉢合わせて・・・・・・

 

≪そろそろ僕の位置からは君が見えなくなる。どんな些細な事でも報告してくれ≫

「わかってる」

≪ところで、君の後ろ姿は野生のトラそっくりだな。トラが身を潜めてじっと獲物に近づいてるみたいだ≫

「え? だって私はトラだよ」 

≪はははっ・・・そうだな。アフリカ大陸にはライオンやヒョウはいるが、トラは生息していない。君だけだろうさ≫

 

 所長ったらこんな時に何を呑気な事を言ってるんだろう。

 野生のトラみたいだって言われても良くわからない。私は狩りだって生まれてから一度もしたことがない野生知らずなんだから。

 まあ・・・・・・こうやって呼吸を落ち着かせて何かを観察するっていうのは、ずっとやってきたことではあるけれども。

 感覚を研ぎ澄ませて相手を観察し、相手の意を読む。ゲンシ師匠が教えてくれた戦いの基本。

 私はトラだったから師匠の空手に惹かれたのかな? それとも空手を教わったから、野生のトラに近づいたのかな?

 もうどっちが自分のルーツなのかもわからない。

 

(・・・・・・余計なことを考えてる場合じゃない)

 雑念を振り払って、目の前の景色を観察することに意識を集中させた。研ぎ澄まされた感覚によって視界が拡大され、遠くの景色をより鮮明に映し出した。

 

(川だ、川がある)

 乾いた大地の隙間から、夕陽の光を反射して宝石のように輝く水の流れが見える。川は向こうの地平線の岩山の隙間から出てきていて、反対側の地平線の彼方に消えて行っている。

 あれが所長が言ってたオレンジ川なのだろうか? 私がジャンプすればひとっ跳びで向こう岸に渡れる程度の、意外に川幅が細い川だった。他の流域ではもっと広いのかもしれないが、少なくともここから見えるのはそれくらいだ。

 こんな細い流れがずっとずっと続いて、海にまで届いてしまうっていうんだから信じられない。 

 

 そして、川の流れに沿うようにして無数の人影が移動しているのが見えた。

 歩いているヒトの列の中には、子供から老人、赤ん坊を抱いた女のヒトもいる。みんな荷物を背負ったり、荷車を引いたりしている。

 一様に肌がまっ黒な現地のヒトたちだった。

 

 その列から少し離れた位置には、銃を携えた男たちが張りつめた空気を放ちながら立っている。

 見た目はTシャツとかポロシャツにジーンズ履きのラフな格好で、正式な軍隊に所属している兵士ではないように見える。それこそ、ついさっき戦った武装集団と同じような風体だ。

 彼らは、歩くヒトの群れを守っているのかな? それとも、武器で脅して歩かせているのかも?

 

 見聞きしたことをさっそく所長に伝えると、もう少し観察してみてくれ、と返ってきた。

 私はまた進みながら、川の流れが向かう先や、武器を持った男たちの位置や人数を把握するために、視線を横に流した。

 

(あ、あれは!)

 川に面した茂みの中に1人、異様な風体の人影を見つけた。辺りを警戒する男たちと同様に、その後姿に緊張感を漂わせながら凛と立っている。

 ヒトによく似た、しかしまるで異なる気配を放つその立ち姿は・・・・・・

 

「所長・・・・・・フレンズだ、フレンズがいる!」

≪なんだって!?≫

「Cフォースの仲間かな? 声をかけてみるよ」

≪ま、待てアムールトラ! もう戻って来るんだ! そのフレンズは恐らくCフォースじゃない・・・・・・パークだ!≫

 

 パーク? パークってなんなんだ? 

 初めて聞く単語に困惑したが、ヒグラシ所長の声色からただ事ではない緊迫感が伝わってくる。きっと私たちにとって好ましくない遭遇なんだろう。

 

 言われた通りに、気配を殺しながら後ずさろうとしたその時、私が遠くから見つめているそのフレンズが動いた。

 豆粒みたいな後ろ姿がゆっくりと向きなおり、遠くにいる私の方を向いた。

 そしてその鋭くも落ち着き払った瞳が、こちらをまっすぐに凝視していた。

(ま、まずい・・・・・・) 

 見つかった。気配を殺して風下から近づいていたのに、距離もまだまだあるはずなのに、いとも簡単に発見されてしまった。

 

 その子は均整が取れた体つきの、大きすぎず小さすぎない、中くらいの背丈のフレンズだった。その橙色の体も、こめかみ近くから生えた三角形の耳も、なんだか私に似ている。同じネコ科なんだろうか?

 でも縞模様の私と違って、その体には黒い斑点が無数に散りばめられている。髪の毛は肩の高さで生えそろってて、私の髪よりもだいぶ短めだ。

 あんな姿のフレンズを、どこかで見たことがあるような、ないような・・・・・・

 

 そんなことを考えていると、突如その子が片手を天に掲げた。

 それが何かの号令を飛ばすように振り下ろされるのと同時に、稲妻のようにするどい殺気が頭上からまっすぐ降り注いでくるのを感じた。

 

______覚悟ォォッッ!!

 甲高い掛け声と共に落ちてくる攻撃を、私はあわてて後方にバク転して身を躱し、間合いを取りながら様子をうかがった。

 私がいた位置に、鋭い二又の槍が深々と突き刺さっていた。

 あのネコ科のフレンズの仲間が、さっそく攻撃を仕掛けてきたんだ。あの号令はその合図ということか。

 

「貴様ッ! コソコソと近づいてきてどういうつもりですか!」

 その子は苛立たし気に二又槍を引き抜くと、それをまっすぐ私に突きつけてきた。

 流れるようにまっすぐな長髪をなびかせる薄茶色の体のフレンズだ。体つきは一見細いけれど、全身がバネのようなしなやかさを持っている。

 頭には手にした槍と同じぐらい鋭い二本の角を生やし、今にも刺し貫かんと言わんばかりの殺気を向けてきている。

 それにしても・・・・・・わからないことがひとつある。真上から襲ってきたから、てっきり鳥のフレンズなのかと思ったけど、彼女の体のどこにも翼などない。こんな平坦な場所に、空を飛べない生き物がどうやって真上から現れられるというのだろう。

 

「ここのみんなは自分が守ってみせる! かかって来なさい!」

「ま、待ってよ。私は戦う気は・・・」

「問答無用!」

 二又槍のフレンズは強硬な姿勢を崩さない。

 どうやら私はすっかり敵だと見なされてしまったようだ。向こうにいる銃を構えた男たちと一緒に、ここに近づこうとする者をずいぶん警戒していたことがうかがえる。

 

「槍の錆びにしてあげます!」

 彼女は槍を腰の高さで短く持ちながら、上下に大きく揺れる奇妙なフットワークをはじめた。

 あの動き方は、上に跳ぼうとしている予備動作なんだろう。ジャンプして、あの長い槍で真上から攻撃を仕掛けてくるつもりだ。

 何をしようとしているかは見え見えの動きなのに、放たれるプレッシャーは尋常じゃなかった。彼女は自分の戦い方に絶対の自信を持っているに違いない。

 

 そうか・・・・・・と、つい先ほどの疑問が解けた気がした。

 ジャンプだ。彼女はとんでもない高さまでジャンプして、私の所まで降ってきたんだ。まるで迫撃砲の砲弾のように。

 

 これまでの経験からいって、真上からの攻撃っていうのは厄介だ。避けることは出来ても、反撃することは容易じゃない。

 そして、逃げることも多分難しい。ここら一帯はあまりにも見通しが良すぎるし、土地勘がある相手から逃げたって、追い詰められるのは時間の問題のように思える。

(・・・・・・ヒトの次は、フレンズ?)

 やむなく後屈立ちで臨戦態勢を取ったけれども、心の中は迷いでいっぱいだった。セルリアンと戦うためにアフリカにやってきたはずなのに、戦いを挑んで来るのは違う相手ばかりだ。

 守るべきヒトと戦うなんて嫌だ。仲間であるはずのフレンズと戦うのは、同じくらい嫌だ。

 

 二又槍のフレンズが上下に跳ねる周期が、だんだんと大きくなっている。そのたびに伝わってくる殺気も鮮明になっていくようだった。

 もうじき彼女のジャンプ攻撃が襲い来る・・・・・・と、確信した瞬間だった。

 

「何ですって? はい、はい」

 あろうことか、彼女は突然に飛び跳ねるのをやめて、耳に手を押し当てて誰かと会話をし初めた。

 なるほど彼女も小型通信機を耳に入れているのか、世界中どこのフレンズも同じようなことをやってるんだ。

 

「おい貴様ッ!」

「な、何だい?」

「たった今、貴様の仲間のヒトが見つかったようです・・・・・・貴様は斥候なんでしょう? なら耳に通信機を入れているはず。早く仲間に伝えなさい。両手を上げて車から降りて来いと。さもなくば銃で撃ってやるぞ、と」

 

 その言葉を聞いた瞬間、心臓をわしづかみにされたような悪寒が走った。ヒグラシ所長の居場所さえ簡単に突き止められてしまうなんて・・・・・・

 完全に相手のことを侮っていた。針すら通さないような強固な監視網に、私は不用意に侵入してしまったんだ。

 

 さっきあのネコ科の子が、絶対に見つかりっこない位置にいる私を難なく見つけたのも腑に落ちる。彼女の他にもいくつかの”目”が周囲を見張っていて、通信機を使って連絡を取り合っていたに違いない。

 なんとなく、パークっていうものが何なのかわかってきた。

 軍隊だ。Cフォースとそう変わりないぐらいに、ヒトとフレンズが連携して戦っている強力な集団だ。

 人質を取られてしまった私は、あきらめて相手の言うことを聞いた。

 

「・・・・・・所長」

≪だ、大丈夫かアムールトラ!? 無事に逃げられたのか?≫

「ダメだ、パークの連中に見つかった。所長も銃で狙われてる」

 

 所長の絶句交じりのため息が耳の奥から聞こえた。

 そうして私たちはあえなく縛につくことになった。

 

 

 十数人ほどの男たちが、無言のまま私たちに銃を突き付けている。

 私とヒグラシ所長は後ろ手に手錠をかけられて、地面に跪かされていた。

 そして未だ意識のないクズリは、私のそばで無造作に寝かされている。

 手錠は分厚い金属の板が重なったような形状で、頑丈な電子開錠式のやつだ。全力を出せば引きちぎれないこともないだろうが、所長まで捕まってしまった今の状況で、手荒な真似はもうできない。

 

 ふと向こうを見やると、夕暮れの川沿いに、黒人の老若男女たちが相も変わらず列をなして移動していた。

 そのヒトたちも、こちらの不穏な空気を感じ取っているようで、不安そうな顔つきでチラチラと様子をうかがっていた。

 

 先ほど相まみえた二又槍と、ネコ科のフレンズもその場にいる。彼女たちも敵意と警戒に満ちた目付きで私たちを見下ろしている。

 そういえば、彼女たちはヒトの傍にいるというのに、近くの兵士たちは特に防護服とか防毒マスクとかの類を身に着けていない。

 彼らもフレンズの体から出る放射能を気にしてないんだろうか? 

 

「もうすぐアタシたちのボスが来る。アンタらのことはボスが決める」と、ネコ科のフレンズが、ぶっきらぼうな口調でそう告げてきた。

 

「私たちは休める所を探してただけなんだ。戦うつもりはないし、手錠を外してくれ」

「ただの行き倒れにこんなことしないわよ。でもアンタたちはCフォースでしょ? アタシたちの敵だよ」

「君たちのことなんか知らないよ」

「あっそ・・・・・・でもアタシはアンタのこと知ってる。アンタはシベリアン・タイガーで、そっちの寝てる奴はウルヴァリンってんでしょ? 映像で見たもん。”最強の養殖”と”無敵の野生”なんでしょ?」

 

 ネコ科のフレンズの言葉を聞いて、ますます青ざめるような気持ちになった。何でこっちのことを当たり前のように知っているのだろう。

 私たちが戦っている映像なんて、Cフォースの内部にしか出回ってないはずだ。

 このパークっていう集団は、Cフォースから映像とか色んな情報を盗み出してるっていうことか? いったい何のために?

 

「Cフォースで一番強いアンタら2人がここにいるってことはさ、ついに本気でアタシたちを潰しに来たって解釈していいんだよね?」

「私が戦うのはセルリアンだけだよ。どうして君たちと戦わなきゃいけないんだい?」

「そっちのオッサンに聞いてみたらいいんじゃない?」

 

 そう言われて、傍にいるヒグラシ所長の顔を見つめてみた。

 所長は私の視線を避けるように俯いて、苦虫を噛み潰したような表情のまま黙っていた。明らかに何か思い当たる節があるようだった。

 やっぱり、彼はまだまだいっぱい私に隠し事をしてるんだ。

 

 跪いたまま不穏な沈黙に耐えていると、それを破るようなエンジン音が鳴り響き、一台の車がその場に駆け付けてきた。

 タイミングからいって、この集団の「ボス」が到着したのだろう。

 そうして車のドアの向こう側から現れたのは、数人の兵士を引き連れた若い女性だった。

 

(・・・・・・日本人?)

 その肌の色も、顔立ちも、近くにいる黒人たちとはまるで異なる、私が一番見知ったパーツで構成されていた。

 黒いタンクトップにストレッチジーンズという服装の上から、土埃で汚れた白衣を羽織っている。後頭部で留めた長い黒髪が、夕陽に照らされて深い緑色のように見える。

 端正な切れ長の目には豊かな知性を宿していて、埃をかぶった顔でもすぐにわかるぐらい、とてもきれいな女のヒトだ。

 

 日本人女性は私たちの傍に近寄ると、まずはヒグラシ所長の目の前に立った。黙ったままじっと見つめてくる女性を、所長も怪訝な顔で見つめ返した。

 

「まさかあなたは、ヒグラシさん?」

「君は誰だ? なぜ僕の名前を」

「私です。カコです。わからないでしょうね、もう20年も前・・・・・・あなたは皺が増えた以外はほとんど変わらないけど、私はまだ幼児だった」

 

 所長の瞳が丸く見開かれて、驚愕に打ち震えている様子だった。

 彼はこの瞬間まで、恐怖も焦りも想定の中といった感じで平静を装っていたというのに、今はじめて想定外の事態に出くわした様子だった。

 会話から察するに、このカコって女性とヒグラシ所長は知り合いっていうこと?

 

「あなたが今もCフォースで働いていることは知っています。この南アフリカに来たおおよその目的も・・・・・・私は今、NGO団体パークの一幹部として、現地の住人をセルリアンや武装集団から守る仕事をやっています」

「君のお父上、パークの創設者である”遠坂 重三”氏の下で働いているということか?」

「父は3年前にセルリアンに襲われて亡くなりました。私も今は結婚して、遠坂の姓ではありません。久留生(くりゅう)って言います」

「そ、そうだったのか・・・・・・」

 

 お互いに訳を知った感じの会話を交わす所長とカコさん。

 私はぽかんとしたまま、2人の会話に耳を澄ませていた。カコさんがどんなヒトかはわからないが、話しの行き先次第ではこの場を無事に切り抜けられるのでは?

 そんな淡い期待を抱き始めた頃だった。

 

 後ろからカコさんに近づいてきた黒人兵士が、彼女に何事か耳打ちした。彼女は私が聞き取れないアフリカの言語で返答していた。

 カコさんの返答を聞いて頷いた兵士は、頷きながらそそくさと後ろに戻っていった。

 彼女はもう一度所長に向きなおると、こう告げた。

 

「話をしている場合ではなくなりました。セルリアンが近くに出没したようです。正確な位置は不明ですが、計器がレッドゾーンの反応を示しています。もう急いで避難しなければいけない。あなた達を私たちのキャンプに連行します」

 

 セルリアンと聞いて、カコさんの後ろにいる2人のフレンズの表情に俄かに闘志が宿り始めた。 

 二又槍の子が、ジャンプ攻撃を得意とする実力者であろうことはもう知ってる。ネコ科の子も、雰囲気からいって相当の場数を踏んでいるような感じがする。

 2人がどこでどんな戦いをしてきたか知らないけれど、多分Cフォースのフレンズと遜色ない戦力を持っているに違いない。

 

「セルリアンの相手は私たちにまかせておけば問題ありません。立ってくださいヒグラシさん・・・・・・そしてシベリアン・タイガー。どうかあなたも今は私のことを信用してほしい」

 

 カコさんがここで初めて、私の方を向いて話しかけてきた。

 私は彼女の目をじっと見つめてみた。見た感じ、かなりクールそうなヒトだ。感情をほとんど表に出さずに、言うべき言葉だけを選んで簡潔に言う・・・・・・そんな感じだ。

 でもそんな冷たい態度のすぐ裏側には、誠実さとか優しさとか、他人を惹きつける暖かい気持ちが感じられるような気がする。

 

 カコさんを見ていると、私が前に出会ったあるヒトのことが思い出された。

 そうか・・・・・・このヒトは「ドクターハザマ」に感じがそっくりなんだ。ドクターは、かつて私がゲンシ師匠との修業に励んだ特急拘置所の責任者だ。

 関わった死刑囚を死なせ続けなければならない辛い立場に身を置きながらも、真摯に職務を果たし、死刑囚に最後の安息を提供し続けていた。

 師匠からも、めったにいない立派な人物だと称えられるほどの女性だった。きっと今も変わらず誇り高く仕事を続けているのだろう。

 

 このパークっていう集団のことは何も知らないし、どうやら私たちCフォースは敵だと思われているようだし、はっきり言って素直に言うことを聞くのは憚られる。

 でも、ドクターハザマによく似たカコさんのことは、一目見ただけで好感を持つことが出来た。

 それに、敵である私に、手錠を嵌めて自由を奪っているにも関わらず「信用してほしい」と頼むような口調で話してきた。だからこのヒトは立場にものを言わせて乱暴なことをやったりはしないはずだ。ドクターハザマと同じように、物事の道理を大事にしているからだ。

 

 私は、彼女に完全に信頼をゆだねるための最後の交渉に打って出た。

「お願いですカコさん。今すぐ手錠を外してください」

 信用してほしいなら、彼女にも私のことを信じてほしい。お互いに相手を信じてこその信頼関係だと思う。

 私の言葉を聞いて、カコさんは呆気に取られた表情を、後ろにいる2人のフレンズは警戒のまなざしを向けてきた。

 特に二又槍の子は、またも私に槍の穂先を向けてきている。

 

「セルリアンが来てるんですよね? 私にも戦わせてください。きっと役に立てます」

「貴様・・・そんなこと言って! 手錠を外したら襲い掛かってくるんでしょうが!」

「そんなことしない! パークとかCフォースとか関係ない。セルリアンからヒトを守るのは私の役目なんだ。君らの手伝いをさせて欲しいんだ」

 

 カコさんは納得したように頷くと、端末を取り出して何かの操作を行った。

 私を縛っている両腕の手錠が、電子音を立てて地面にこぼれ落ちた。

 

「わかりました。シベリアン・タイガー、私たちと一緒に戦ってください」

「ボス! こいつを自由にするつもりですか!」

「この子は信用して大丈夫だと判断しました。2人とも、彼女とスリーマンセルを組んで、セルリアンの掃討にあたってください」

 

 さっそく立ち上がった私を、跪いたままのヒグラシ所長が不安そうな表情で見上げている。私はそれを見つめ返して、静かに頷いた。

「行ってくるよ所長。クズリを頼む」

 

「・・・・・・くっ!」

 二又槍の子はカコさんの判断に納得いかない様子で、私に目も合わせずに走り去っていった。

 それとは逆に、ネコ科の子は私に近づいてくると、あろうことか私に握手を求めてきた。

「自己紹介するよ、アタシはパンサー。あの気が短いのはスプリングボックだよ。さっきは悪かった。ボスがアンタを信じるなら、アタシもアンタを信じる」

 

 このパンサーというネコ科の子は、気持ちの切り替えが早くて社交的な子らしく、先ほどは敵扱いして疑いの目を向けていた私に、ごく自然に友好的な態度で接してきた。

 それに比べると、あの二又槍のスプリングボックは、良くも悪くも一本木で真面目な性格なんだろう。一度敵とみなした相手と気安く話すのはプライドが許さないようだ。

 

 パンサーからおおまかな事情を聴いた。彼女もスプリングボックも、元々はこの南アフリカ共和国生まれの野生動物らしく、自分の地元を守るために日々必死に戦っているとのことだ。

 特にスプリングボックは、ここから南にあるという自身と同じ名前の街が生まれ故郷らしく、最近そこがセルリアンに滅ぼされてしまったというので、かなり気が立っているらしい。

 

 そして、もうひとつ気になったことをパンサーに聞いてみた。先ほど、最初に彼女を見た時から気になっていたことだ。

「君によく似たフレンズを知ってるよ。ブラックパンサーっていって、体が真っ黒なこと以外は君と瓜二つなんだ」

「へー、ブラックなアタシ? そいつ強いの?」

「うん強いよ。私の先輩で、泳ぎの先生でもあるんだ。今もブラジルのCフォース部隊で戦ってる・・・・・・君は強い?」

 

______ブォンッッ!!

 軽い気持ちで「強い?」と尋ねた瞬間、パンサーの上半身が弾かれたようにのけぞり、円を描くようにして片足を蹴りあげてきた。

 彼女のつま先が、私のこめかみの横でピタリと止まった。稲妻のように鋭いハイキック・・・・・・の寸止めだ。

 彼女の胴体は見えても、足先はまるで見えない。目で見てたらこんなすごい蹴りはまず躱せないんだろうな。

「どう?」

「つ、強いね」

 パンサーは蹴り技の使い手ってことか。それも一級品の。

 

「ぷっ・・・あははっ! シベリアン。なんかアンタってトボけてて面白いね。本当に”最強の養殖”なの?」

「いやそれは・・・・・・誰かが勝手にそう呼んでるだけだよ」

 パンサーは蹴り足をもとに戻すと、俊敏な足取りで走り出した。少し打ち解けられたような彼女に連れられて、セルリアンが出現したというエリアに向かっていった。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォースアフリカ支部職員(元日本支部研究所 所長)
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:25歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章9 「アフリカのせんしたち」(後編)

 あるトラのものがたり26話です。

 アフリカ編その4。
 アムールトラと、謎の女性カコが率いるパークの戦士たちとの共闘戦線。


 川のほとりを歩いていた避難民たちが、急いでそこから退避している。銃を持ったパークの兵士たちがその先導をしていた。

 

 私はパンサーと一緒に避難民の間を縫うように走り、雑多な木々が立ち並ぶ林の中に入っていった。木が生えていても、地形は変わらず下り坂だ。

 林を抜けると、静かな川のほとりに突き当たった。ここもオレンジ川の一部なんだろうけど、先ほどとは違って川幅はかなり広い。

 ここだけ切り取って見ればちょっとした湖みたいな広さがある。

 

「遅かったですね」と、スプリングボックが憎々し気な瞳で私を一瞥すると、再び川の方へと視線を戻した。

 私たち3人は、セルリアンの反応が出ているという川のほとりで散会し、まだ見ぬ敵の気配を探り始めた。

 広い水辺を3人で探るのは並大抵のことじゃないな・・・・・・と思いつつ、目線を川と陸地の間に走らせていると、私たちと同じように川ぞいを探っている黒人兵士がざっと20人くらいいることに気付いた。

(な、なんでヒトがここに!?)

 

「彼らを下がらせてくれ!」と、近くにいるスプリングボックに急いで伝えた。彼女は鼻息を荒くしながら、どこにいるかもわからないセルリアンを威嚇するように、槍の穂先をあちこちに向けている。

「ヒトがここにいたら危ないよ!」

 

「何を言ってるのです? 故郷を守るのにヒトもフレンズも関係ありますか?」

「だってヒトの武器じゃセルリアンには効果がないんだよ。知らないの?」

「ふん。どうやらCフォースの技術は遅れているようですね? 我々パークは、ヒトでもセルリアンに対抗できる武器をすでに持っているんです」

「な、なんだって・・・・・・? それは本当?」

 

 あわてて黒人兵士たちが携えている銃を眺めてみた。太い金属の筒が縦に2本重なったように見えるあれは「散弾銃」って言ったっけ?

 歩兵が一番良く使ってる「突撃銃」とは違う武器なのは知ってるけど、散弾銃だってごくありふれた通常兵器のはずだ。セルリアンに効くはずがない・・・・・・今までの常識とあまりにもかけ離れている。

 まあ、このスプリングボックがそんなウソをつくわけがないから、本当なんだろうけど。

 

 私は無理やり自分を納得させると、スプリングボックへの物言いを切り上げて、己の持ち場である川岸へと戻っていった。

 深く集中を張り巡らせながら、夕陽を反射するオレンジ色の川の水面へと注意を向けていると、その中から、氷のように冷たくて無機質な、しかし刺すように鋭い”意”が近づいてくるのを感じた。

「あそこだっっ!!」

 と、私は川面の一点を指さしながら大声を張り上げた。パンサーたちも、黒人兵士たちも私が指さす先へと急いで向きなおった。

 

______ズズズッ

 その場にいる誰もが息を飲んで見つめる中、水面と同じくらいにきらびやかな反射光を湛えながら、液体が命を成したような不定形な塊がいくつも無数に川の中から浮かび上がってきた。

 まだ決まった形を持っていない、生まれたての幼体セルリアン・・・・・・それも割とよく見かけるオーソドックスなタイプだ。

 頭頂部には他の部位よりも赤みがかった触手を生やし、その体には核が見当たらない。全身に攻撃が通用する「石なし」だ。

 一体一体ならば大した相手じゃないし、フレンズならば難なく蹴散らせるけど、この手の幼体セルリアンは一匹見かけたら百匹はいると思ったほうがいい。典型的な、数で押してくる相手だ。

 

______「Skiet!!」

 

 黒人兵士の1人が、野太い声で何ごとか叫んだ。

 それを聞いた他の兵士たちが散弾銃を構えると、幼体セルリアンの群れめがけて一斉に引き金を引いた。

 私はその様子を固唾を飲んで見守った。銃がセルリアンに効くなんて、まだ半ば以上信じることが出来ない。

______ダァンッ! ダンダンダンッ!

 火薬が爆ぜる破裂音とともに銃口の先から撃ちだされたのは、セルリアンが死ぬときに見せる光によく似た虹色の粉塵だ。

 撃ちだされたいくつものそれが、末広がりに広まりながら、普通の弾丸と変わりない勢いで直進すると、群れの中の何匹かに降りかかるように命中した。

 虹色の煙をかぶった幼体セルリアンは、その透明な水っぽい体が石のように硬質化してしまい、ただの無機物と化したように川面に落下した。

 そのまま沈黙し、川の中へと姿を消していった。

 

 信じられない。まさか本当に銃でセルリアンを倒してしまえるだなんて。

 散弾銃から発射された虹色の弾丸・・・・・・あれは普通じゃない。セルリアンを倒すために作られた特別な武器だ。

 あんなすごいものはCフォースだって持っていない。あれが世界中に広まれば、どれだけヒトにとって心強いことだろう。

 

 だが私が感心しているのもつかの間、何匹も何匹も、広い川面を埋め尽くすような数のセルリアンが現れていた。

 アフリカの大地を流れる穏やかで美しいオレンジ川の中に、どうやってこんなに紛れ込んだというのだろう。

 蜘蛛の子を散らすように、セルリアンの群れが四方八方へと飛び出してきた。

 もはや完全に、戦闘開始だ。

 

 兵士たちに背中を預けるようにして、スプリングボックとパンサーもセルリアンの群れの真っただ中に突撃していた。

 

「貴様らの好きにさせませんよっっ!!」 

 スプリングボックのジャンプ力は、想像をはるかに超えていた。

 私だって十分な助走があれば数十メートルは跳べるけど、彼女ときたら、助走なしの垂直跳びでその倍近くの高さまで跳んでいるように見えた。

 空の上、雲を掴めそうな高さまで飛び上がった彼女は、叫び声を上げ続けながら落下し、セルリアンの一匹を真上から二又槍で刺し貫いた。

 そしてセルリアンが消滅する直前に、その体を踏み台にしてまた飛び上がり、落下攻撃を繰り返してセルリアンを仕留めていた。

 反撃が難しく、威力も高い真上からの攻撃。それを何度も連続して繰り出せるなんて、とても頼もしい味方だ。ついさっきまで敵だったのが恐ろしくなるぐらいだ。

 

「故郷はアタシらが守るッ!」

 パンサーの蹴り技は、威力もさることながら、技のレパートリーが尋常じゃなかった。

 機関銃のごとき勢いの前蹴りを連射して一瞬で何匹ものセルリアンを仕留めたかと思いきや、軽く飛び跳ねて体を捻りながら、体重の乗った跳び後ろ回し蹴りを放った。

 それを食らったセルリアンは後方に吹き飛んで、別の個体を巻き込みながら消滅していた。

一番驚いたのは、パンサーの背後からセルリアンの一匹が襲い掛かってきた時。

 彼女は地面に倒れこむようにして両手を付くと、それを軸にして逆立ちしながらセルリアンに後ろ蹴りを食らわせて撃破し、その勢いのまま素早く立ち上がってみせた。

 逆立ちの状態から繰り出すあんな蹴り技なんて、見たことも聞いたこともない。パンサーは、何か私が知らない格闘技を使っているに違いない。

 

 思わず感心するぐらい見事なパンサーの蹴りを見ていると、私の方にも何匹かのセルリアンが向かって来ていることに気付き、慌てて向きなおって後屈立ちで身構えた。

 最適の間合いにセルリアンが近づいてくる瞬間を狙いすまして、内側から両腕を引き絞るように裏拳や手刀を繰り出し、一番後ろのセルリアンには低く踏み込んでからの中段突きを命中させた。

 

(おめェは手技の筋が良い。だが手技に頼り過ぎちまって、足技がおろそかになっている)

 仕留めたセルリアンたちが断末魔のように放つ光を浴びながら、かつてゲンシ師匠に言われた一言を思い出していた。

 私はその課題をいまだに克服出来ていない。攻撃のほとんどすべてを手技に頼ってしまっている。蹴りを打とうと思ったら、片足立ちにならなきゃいけないから、その不安定感がどうも性に合わないんだ。しっかりと2本足で立って、安定した姿勢で放つ手技が一番しっくり来る。

 受け技は足でも結構やっているけど、速さも正確さも手に比べればお粗末なものだ。

 

 つい手技ばかりになってしまうのは、私がトラだからだろうか? 

 いつかヒグラシ所長が、野生のトラが狩りをする時の映像を見せてくれたことがあった。

 映像の中のトラは、獲物に牙で噛み付くよりも、前足で叩いたり引っかいたりすることの方がずっと多かった。噛み付くのは最後の止めの瞬間ぐらいだ。

 

 フレンズの戦闘スタイルは、元々の動物としての個性と、後天的な経験が混ぜ合わさることで固まっていく、と聞かされてきた。

 いかに野生知らずの私だって、生まれ持った肉体の個性は持っている。トラというのは、手技が根本的に性に合う生き物だということだろうか。

 だからと言って、手技に偏ってばかりの不完全な戦い方じゃ、これから強いセルリアンと戦う時にきっと困ったことになる。

 なにより私が未熟なばっかりに、師匠の教えを腐らせてしまっているのがくやしい。

 

 そんなことを思いつつも、やっぱり得意な手技を使ってセルリアンを撃破していった。足技を使いたいと思ったって、今すぐできるものじゃない。

(ともかく今は自分のできることをやろう) 

 

 虹色の弾丸を撃つ20人足らずの兵士たちの戦いぶりも中々のものだった。

 各々が川沿いの木陰などの安全な位置に陣取りながら、確実にセルリアンを仕留めていた。

 遠距離からの射撃を行っているにも関わらず、セルリアンと至近距離で戦う私たちと絶妙に息を合わせながら、的確に援護をしてくれていた。

 普段からフレンズと一緒にセルリアンと戦っている証拠だ。

 

 私たち3人のフレンズと兵士たちの奮闘によって、この川面の戦場においては安定して敵を迎え撃つことが出来ているように思えた。

 だがそんな有利な状況でも、大量のセルリアンの中には、撃ち漏らされて戦場から抜け出してしまう個体が出てきてしまっていた。

 逃がした敵を追いかけることは、ここの戦力では無理だ。持ちこたえることは出来ても、この場で完全に封じ込めることはできない。多勢に無勢が過ぎる。

 

 私は自分の働きどころについて今一度考え直した。

 ここを抜け出したセルリアンたちが、まるごしの避難民に襲い掛かるかもしれない。

 ならば私がやるべきことは一つだ。

 

「貴様、戦いの最中にどこへ!? やっぱり逃げるつもりですか!?」

「後ろに下がらせてくれ。私は避難するヒトらを守る!」

「か、勝手なことを!」

「オッケー、ここはアタシらで十分! 後ろの皆を頼んだよ!」

  

 未だ私を信用していないスプリングボックに代わって、パンサーが相の手を入れてくれた。

 私は急いで走り出しながら「ありがとう!」とパンサーに返事をかえした。

 来た道を戻って短い雑木林の中を駆け抜けると、すぐに元居た丘へと戻ることが出来た。

 

 セルリアンの湧き出る川から逃れるように、なだらかな丘の上へ上へと遠ざかっていくたくさんのヒトがいた。

 下っている時にはほとんど平地にしか思えなかったこの荒野も、登るとなると見え方が随分違ってくる。勾配がしっかりと付いていることを感じた。

 大人ならなんてことない道だけど、子供やお年寄りが周りに付いていくのは難しい。ちらほらと、周りから足並みが遅れ始めたヒトたちがいるのだった。

 

 そして私たちが倒し損ねた何匹かの幼体セルリアンが、宙に浮く体を活かして、逃げ遅れ始めた避難民たちに素早く追いすがっていた。

(・・・・・・あ、危ない!)

 子供が1人、道端の石につまづいて勢いよく転んだ。近くにいた大人たちはそれに構うことなく逃げ続けて、その子だけが孤立してしまっていた。

 

 うずくまったまま悲痛な叫び声を上げる子供に向かって、空中からセルリアンの赤黒い触手が振り下ろされた。

「せりゃッッ!!」

 私は鋭く低く跳躍すると、着地しざまに手刀を繰り出してセルリアンを真っ二つに切り裂いた。

 間一髪のタイミングでなんとか子供を助けることが出来た。

 

「大丈夫!? さあ早く逃げて!」

 その子の手を握って起こそうとした時、ある違和感に気付いた。その子は片方の手がなかった。

 傷口は丸くふさがっていて、血などは出ていない。今どうこうしたわけじゃなくて、ずっと昔に片手を失っているんだ。

 黒人の女の子だった。男の子みたいな恰好をしているけれど、ちぢれた長い髪をかわいいピンク色のゴムで後ろに留めていた。

 女の子は丸くて愛らしい瞳に涙を浮かべながらも立ち上がって、また逃げて行った。彼女を見ているとなんだか胸の奥に重たい塊が引っかかるような気持ちになった。

 

 私のいる位置から少し離れた所で、またヒトが襲われていた。

 セルリアンは無機質な殺意を宿しながら、逃げ遅れたヒトとの距離をみるみる詰めていっている。 

 私はそれを見て再び駆け出すが、今度はもう間に合わないような距離だった。

 

______ズドォンッッ!

 まばらに生えた茂みの一つから散弾銃が火を吹くと、輝く粉塵がセルリアンに降りかかった。物言わぬ石と化した体が地面に落下すると、砂のように粉々に砕け散った。

 さっき川面にいた兵士たちと同じように、この丘の辺りにも兵士たちが配置されていたんだ。

 

「あなた、なんで戻って来たの?」と、押し殺すような声がしたので振り返ってみると、小さな木の横から深緑色の髪を揺らしながら、カコさんが顔を出していた。その両腕には手慣れた手つきで散弾銃が握りしめられている。

 彼女はここの集団のボスだというのに、自らも銃を取って前線に出ているんだ。

 

「あっちは人手が足りてた。こっちを手伝わせてください」

「なるほど・・・・・・助かるわ」

 カコさんは腰のポーチからアンテナが伸びた黒い端末を取り出すと、私の知らない言葉で部下たちに何ごとか指示を飛ばした。

 

「我々はより広い範囲を守るために後方に下がります。シベリアン・タイガー、あなたにはセルリアンの出現地に近いこの位置で、しんがりをつとめて欲しい」

「はい!」

 

 私は向きなおって、雑木林の向こう側から飛び出してくるセルリアンを倒していった。私がカバーしきれなかった個体は、後ろに控えるカコさんたちが虹色の弾丸で仕留めてくれていた。

 すごくいい感じで戦いを進められている。この調子なら逃げるヒトたちをみんな守ることが出来るだろう。

 

 そう思いながら戦っていると、襲い掛かってくるセルリアンが少しずつ減っていき、やがてパタリといなくなった。

 川のほとりで戦っていたパンサーたちが、セルリアンを倒し切ってくれたんだ・・・・・・そんな安堵感でほっと胸をなで下ろした時だった。

 

 後ろの方にいるカコさんが、何やら難しい顔つきで端末を握りしめて会話をしている。会話が終わった後も、その表情からは緊張感が漂っている。

「あの、どうしたんですか?」と、私は思わず彼女に向かって詰め寄った。

 

「向こうで戦っている者から報告があったわ。セルリアンが何やら異常な動きを見せている、と」

 

 カコさんはセルリアンの出現地点に向かうために、例の雑木林の中へと足を踏み入れていった。現場に赴いて直接指示を下すためらしい・・・・・・なんというか、ボスなのに、前に出ることに全く躊躇がないヒトなんだな。

 カコさんの護衛には、屈強そうな兵士が2人くっ付いてきているだけだった。そんな中、私も彼女に頼み込んで、同行させてもらうことにした。

 二度目の行き来になるこの雑木林だったが、大した広さもないから、もうすぐさっきの川のほとりに到着するだろう。それに、やはりセルリアンの気配はもう近くにない。

 

 私はさっきからずっと気になっていたことを、今のうちにと思ってカコさんに尋ねた。

「どうしてヒトの武器でセルリアンを倒せるんですか? その銃はいったい?」

「銃はただのショットガンよ。特別なのは弾丸。この弾丸は”SSアモ”と呼ばれるものなの」

 

 カコさんは、複雑な仕組みとかの説明は抜きにして、SSアモがどういうものかを簡単に教えてくれた。

 サンドスターと呼ばれる、セルリアンの体を流れるエネルギー。

 SSアモにはそのエネルギーの隙間に不純物を食い込ませて、流れをせき止めてしまう働きがあるらしい。

 だから撃たれたセルリアンは石みたいに固まってしまうんだ。

 

「す、すごい・・・・・・Cフォースだってそんな武器は持ってないのに」

「実用化したのはつい最近よ。研究に研究を重ねて、ようやくショットガンのシェルに収められるサイズにまで小型化できた」

 

 カコさんと一緒に雑木林を抜けて、さっきまで戦っていた川のほとりに戻って来た。

「こ、これは・・・・・・!」

 私たちが目にしたのは、川面にそびえ立つ、とんでもなく巨大なゼリー状の塊だった。

 その巨大な一体以外には、一匹たりともセルリアンはいなかった。さっきまでウジャウジャと溢れかえっていたのが嘘みたいだ。 

 

 私は良く知っている。セルリアンとは、経験則が通用しない敵だ。

 戦うたびに、今まで知らなかった新しい行動を取って、こっちの常識を覆してしまうんだ。今回もその例に漏れなかったということだろう。

 目の前のアイツはどんな新しい手口を使ってくるのか・・・・・・どうしたらそれに対応できるのか、今一番重要なのはそれだ。

 

「あっボス! それにシベリアン!」

 パンサーが私たちを見つけて声をかけてきた。彼女は川の流れの際で、何人かの兵士と一緒に、なすすべもないといった感じでセルリアンの塊を見上げていた。

 

「どうしようボス!? アイツ、攻撃がまるで効かないんだよ!」

 パンサーは言った。兵士たちがSSアモであの塊を何度も撃ったけど、表面を固めただけで、体の奥の方には攻撃が通らないという。そして時間が立てば、固まった所を埋めるように新しい体が再生し、より大きくなってしまうんだと。

 

「SSアモでは小型のセルリアンを倒すのがせいぜい・・・・・・あのサイズのセルリアンを倒すのはかなり厳しい」

 カコさんは言った。「石あり」のセルリアンをSSアモで倒そうと思ったら、核を正確に狙わなきゃならない。石以外の装甲は分厚くてまず歯が立たない。

 逆に「石なし」のセルリアンはその全身が弱点になり得るが、標的が巨大になればなるほど、表面の薄皮一枚削ったところで致命傷にはなり得ない。どてっ腹に風穴を開けるような強力な一撃がなければ、倒すことは出来ない、と。

 

「こっちに向かってきたんならアタシでも相手できるけど、川のど真ん中に居られたんじゃ手出しできない!」

 パンサーが苛立ち紛れに吐き捨てた。その気持ちはよくわかる。手技も足技も、それを支える足場がなければ意味をなさない。「立ち技」って呼ばれてるんだから、立つことが大前提だ。

 水場に足を取られたりしたら、もうまともに戦うことは出来ない。

 ましてやこんなに幅が広い川は、水深もそれなりに深そうだ。泳ぐか潜るかしなければ川の真ん中に行くことは出来ないだろう。

 

______ダンッ!

 空の上から大きな着地音を立てながら、スプリングボックがすぐ近くに降り立った。

「くっ! あれは何だというのですか!」と、悔しそうに吐き捨てる彼女の瞳には金色の燃えるような光が揺らめいている。

 彼女は野生解放を行い、持ち前のジャンプ力をさらに強化させて、真上からの全力の一撃を見舞ってみたらしいが、槍が体に飲み込まれていくばかりで、全く手ごたえがなかったという。

 それであきらめて戻ってきたものの、闘志はまったく収まらない様子で、威嚇するように槍を巨大セルリアンに向けて掲げている。

 

 SSアモでは倒せず、フレンズの攻撃も通用しないとくれば、もはや打つ手がないように思えた。

 川のほとりで私たちが歯噛みしている間にも、セルリアンはどんどんとその巨体を膨れ上がらせていた。

 あんな体で体当たりでもされたら、こっちはひとたまりもない。

 

 カコさんは近くにいる部下の兵士たちと、アフリカの言葉で何ごとか話しあっている。たぶん目の前の巨大セルリアンをどう倒すかの作戦を立てているんだろう。

 その内容を聞きたいと思っても、言葉がわからない私には無理な相談だった。

 

「ボス達はこういう話をしてるよ」 

 困惑している私を見かねたのか、現地生まれのパンサーが通訳をしてくれた。

 カコさん達は、目の前のセルリアンの行動で不可解な点が2つあることに気付き、それの謎を解こうと話し合っているのだという。

 

 ひとつめの謎は、目の前にいる巨大セルリアンのエネルギー源についてだ。

 SSアモで撃たれた傷を修復するのにも、巨大な体をさらに膨らませるのにも、何らかのエネルギーが必要だ。その源が何であるか見当がつかないという。

 

 そしてもうひとつの謎は、つい先ほどまで大量発生していた幼体セルリアンと、目の前の巨大なセルリアンとの関係性についてだ。

 両者はまったくの別物なのか、あるいは同一の存在が異なるパターンの行動を取り始めたのか。両方の可能性が考えられるけど、どちらかに断定することが出来ていないという。

 

「ありがとうパンサー。言葉がわからないことがこんなに不便って思わなかったよ」

「べつにお安い御用なんだけどさ・・・・・・アンタはアタシとは話せるのに、ヒトとは話せないって意味わかんない」

「うん、そうだね」

 

 フレンズは動物から生まれ変わった瞬間から、生まれた国の言葉を理解し話すことが出来る。

 私はこの姿になってすぐに、日本語を喋っていた。他の子も同じだろう。

 フレンズはヒトと同じように様々な国に生まれて、様々な言葉を話している。

 

 でもフレンズの言葉っていうのは不思議なんだ。

 フレンズだって生まれた国が違えば、お互いの言葉がわからないはずなのに、たとえどこの国の生まれでも、当たり前のように会話出来てしまう。

 お互いに違う国の言葉を話しているのに、自分の国の言葉のように理解できてしまうという一種のテレパシーみたいな能力をすべてのフレンズが持っていると言われている。

 そして、Cフォースのヒトがフレンズとのやり取りに使う黒い球体「ナビゲーションユニット」も、そんなテレパシーを人工的に再現しているらしい。

 ユニットを使っているヒトが日本語を話していても、英語を話していても、フレンズには同じように理解できるって仕組みだ。

 

「ところでさ」と、パンサーが会話を続けてきた。まだ終わる様子がないカコさん達の話し合いにしびれを切らしたようだ。

「アンタならあのデカいセルリアンを倒せるんじゃない? 例の、わけのわからないすごいパンチを使ってさ」

 

 パンサーは「勁脈打ち」のことを言っているんだ。さすがにCフォースから盗んだ映像を見ているだけあって、私の手の内を良く知っているようだ。

 確かにあの技だったら、どんなに大きなセルリアンが相手でも倒せる可能性はある。「石あり」の巨大な相手の体内に隠された核を探し当てて砕くのは、何度もやったことがある。

 特定の急所がない「石なし」が相手だったら、技そのものが持つ威力にものを言わせて、胴体を吹き飛ばせば倒せるかもしれない・・・・・・巨大サイズの「石なし」には出会ったことがないから確実なことはわからないけれど、試してみる価値はある。

 

「でも、相手に触れないとあの技は出来ないんだ」

「そこでスプリングボックの出番だよ。アンタ、もっぺんジャンプして、シベリアンをアイツの頭の上に運んであげなよ」

「くっ! なんで私がCフォースの奴なんかを手助けしなくちゃいけないんですか。パンサー、そいつに簡単に気を許し過ぎです」 

 言葉とは裏腹に、パンサーの口利きで、スプリングボックも私と共闘するのにやぶさかではないような空気を出し始めていた。自分の相棒であるパンサーの言うことには全面の信頼を寄せている様子だ。

 

 未だカコさんから下される指示を待っている段階ではあったけれでも、この3人がその気になれば、いつでも巨大セルリアンに打って出れる。そんな連帯感で固まろうとしていた時だった。

「待ちなさい。あれを攻撃しても意味はないわ」

 兵士たちと話し合いを続けていたカコさんが、私にもわかる言葉で制止してきた。

「・・・・・・先ほどのふたつの謎に答えが出ました」

 

 カコさんは言った。セルリアンはどこか違う場所から湧いて出てきたわけじゃない。オレンジ川を流れる水そのものが、セルリアンを生み出す根源だと。

「ど、どういうことなんですか? 川の中にセルリアンのエネルギーなんかあるんですか?」

「このあたりの土地は、ダイヤモンドが良く採れることで有名なの。このオレンジ川の底にも、砂粒のようなダイヤの原石が数多く眠っている。仮説だけど、あのセルリアンは体内にそれを取り込んで、エネルギーに変換しているのでしょう」

 

 なんでも、ヒトが用いる最新技術の中には、ダイヤモンドを使った電池っていうのがあるんだとか。原子力発電の一種で、放射性廃棄物からダイヤモンドを生み出して、それを電気に変換する発電方法があるらしい。

 

 フレンズと同じように、セルリアンの体にも放射能が混じっていると言われている。

 オレンジ川のダイヤ原石は、放射能とはまったく関係ないけれど、セルリアンの体内で、自身の放射能と外部から取り込んだダイヤモンドを混ぜ合わせて、即席の原子力電池に加工してしまっている可能性があるというのだ。

 

 セルリアンは電気とか石油とか、ヒトの文明が用いるエネルギーを糧に活動している。

 当たり前のことだと思っていたけれど、それだって大変なことだ。奴らの体内には、それぞれ全く違う物質をエネルギーに変換出来る仕組みが備わっているということなのだから。

 ダイヤモンドから電気を取り出せるセルリアンがいたとしてもまったく不思議ではない。

 やっぱりセルリアンは、いつもこっちの想像を超えてくるんだ。

 

「しかし、電気や石油と違って複雑な行程のエネルギー変換であることは事実よ。ある程度体の大きなセルリアンでなければ出来ない。先ほどまで発生していた小型セルリアンではそんな真似は不可能。つまり・・・・・・」

 

 セルリアンの本体は川底にいる、とカコさんは言った。

 あの大量の小型セルリアンは、その本体が生み出していたものだったんだ。かつてブラジルで戦ったハーベストマンのように、一部の大型セルリアンには小型セルリアンを生み出す能力がある。

 本体は、体内で発生させた電気を、自分が生み出した小型セルリアンを動かす燃料にしていた。そして、小型セルリアンではこちらに通用しないことを悟って、より強力で大きな子供を作ろうとしているんだ。

 その結果生み出されたのが、目の前の川面にそびえ立っている巨大な塊だ。

 

 良く見ると、川面に接するセルリアンの胴体が、水を吸い上げているように見えた。川の水を吸い上げて、風船みたいにどんどんと巨大化していっている。

 

「奴の体はまるでクラゲのよう」と、カコさんは言った。クラゲというのは、薄い皮一枚張った下は全部水で出来ているような生き物らしい。

 川の底にいる本体は、水を材料にして、クラゲのような体の子供を作れてしまうのだろうか? 自分の体をすり減らすのはほんの少しでいい。皮だけ用意すればいいのだから。

 だとしたら、目の前の塊に勁脈打ちをお見舞いしたところで、まったくの無意味だ。

 

______ズドォンッ! ドウッ! ドウッ!

 カコさんが周囲の兵士たちに号令をかけると、巨大なゼリー状の塊への射撃が再開された。

 狙いは川面に接している胴体の部分だ。

 中身は川の水でも、表面はセルリアンの体組織だ。SSアモを浴びせられて、表面が石化するのが見て取れる。

 倒すことは出来なくても、石化している限りはそれ以上大きくなることは出来ない。

 でも時間が立てば新しい体組織が出来てしまって、石化した部分も覆い隠されてしまうから、一時的な効き目しかない。

 

「もうこの方法しかありません」と、カコさんが静かに言い放つ。

「私たちはSSアモで時間を稼ぐ。その間にあなた達3人で、水中にいるセルリアンの本体を仕留めてほしい。相手は地中のダイヤモンドを吸収するために、おそらくは川の底にへばり付いているはず。何とか見つけ出してください!」

 

 川の底と聞いて、パンサーとスプリングボックが青ざめていくのがわかる。

「い、いいでしょうボス。私の槍で川底のセルリアンを仕留めてご覧にいれましょう」

「適当な強がり言わないでよ。無理でしょ。スプリングボックは泳いだことなんてないじゃん。アタシもだけど」

「パンサー、君は泳げるんじゃないの?」

「あ、アンタの友達が泳げるってだけでしょ。同じヒョウでも、アタシは違うの」

 

 彼女は言った。ヒョウは、世界中色んな所に住める適応力があるけれど、逆にいったん住んだ場所にはとことん合わせるから、他の地域の同種とはまるで違う生き方をするのだという。

 南アフリカ共和国生まれの彼女は、水辺の少ない所で育ったから、泳ぐことはついぞ経験がないらしい。

 

 生まれ育った場所で得意不得意が決まるのは、何もヒョウに限った話じゃない。

 生きるために泳ぐ必要があるなら、泳げるようになる。必要がなければ泳ぎは身につかない。ただそれだけの話だという。

 

「シベリアン。アンタは泳げるって言ってたよね?」

「うん、泳げるけど・・・・・・」

 

 私はただ”楽しむ”程度に泳ぐことが出来るだけだった。水中で戦うことなんて経験もないし、とてもできそうにない。

 それ以前に、川底にへばり付いているという情報だけで、どこに潜んでいるかもしれないセルリアンの居場所を探ることだって難しい。

 川の底はきっと、まともに日の光が当たらない暗闇のはずだ。

 近づいて相手の体に触れなければ、頼みの勁脈打ちだって打てないし・・・・・・

 

(待てよ。本当にそうか?)

 私はふと、自分が考えていることがおかしいことに気付いた。触れなければ打てない? 私が教わったのは、そんな技だったか?

 ゲンシ師匠が勁脈打ちを教えてくれた時のことを思い出してみた。

 師匠が亡くなる寸前に見せてくれたのは、座禅を組んだまま砂浜に手を触れて、離れた所にある流木を触れもせずに破壊する様だった。

 必ずしも相手に触れている必要はないんだ。揺らぎを完全に相手を合わせることが出来れば、離れた所にいる敵が相手でも打つことが出来る。そういう技だったはずだ。

 がんじがらめになった思考が、頭の中でほどけていき、やがて一本の糸になっていくような気がした。

 

「パンサー、頼みがあるんだ」と告げながら、その後の言葉は彼女の耳元で、他の誰にも聞こえないように囁いた。

「わ、わかったよ。それぐらいやってあげる」

「貴様ッ! パンサーに何を吹き込んで・・・・・・? いったい2人で何を始める気なんですか!?」

 

 スプリングボックの制止を無視したパンサーが私の傍に近づくと、後ろから手と足をまわして抱き着いた。

 私がパンサーをおんぶしたような形になった。

「ありがとう。協力してくれて助かる」

「アタシ、水はマジで怖いから、ちゃっちゃと終わらせてよね」

 

 私はパンサーを背負いながら川の中に足を踏み入れると、そのまま進み続けた。

 パンサーはじっと私にしがみついたまま動かず、彼女を背負った私の体は水に浮くことが出来ず沈んでいった。1人で川の中に入っていっても体が浮いてしまうから、彼女に重りになってもらったんだ。

 あの巨大なクラゲがそびえ立っている川の中腹に近づくよりも前に、私たちは深い川底の暗闇の中に辿り着いた。

 もう目には何も映らない。水の中だから鼻も利かなければ、耳もほとんど頼りにならない。私に抱き着きながらじっと息をこらえるパンサーの腕の力と体温と、そしてその場に留まるのが容易なぐらい穏やかな川の流れだけが感じられる。

 

(よし、もうここらでいい)

 私はパンサーを背負ったまま、おもむろにしゃがみ込むと、右手を川底に押し付けた。開いた手のひらに全神経を集中させて、そこだけが世界のすべてだと思い込んだ。

 手のひらの向こうに広がる暗黒には、川の流れに身を任せるまま水中を漂う、細かな無数の石粒の揺らぎが感じ取れる。

 時たま、素早く動く小さな揺らぎがあるのは、川に住んでいる魚か何かかな?

 そしてそんな中に一点・・・・・・無機質な殺気を宿しながら、ピクリとも動かずに川底に鎮座する、冷たくて巨大な何かの揺らぎが感じ取れた。

 

(アイツだ。あれを打つ!)

 この川底を通じて、私の”意”を走らせれば敵を打てるはずだ。それこそが勁脈打ちの真髄だったはず。

 目標を見定めた瞬間、川底を漂うそれ以外の揺らぎを、意識の中から消去していった。自分と相手以外の存在を無にするための”意識の引き算”だ。

 

______ドクンッ!

 引き算が終わった瞬間。

 水中の圧迫感も、密着して重りになってくれているパンサーの温もりも、すべての感覚が失われていき、凍り付いたような静けさだけが残った。

 極限の集中の果てにある世界。

 ここには何度も入ったことがあるけど、この冷たさに慣れることは決してないんだろうな。

 

 不定形な揺らぎと化した私は、同じように形のない相手に向かっていった。

 稲妻のようなスピードで相手に激突した瞬間、互いが一緒くたになって弾け飛び、冷たい世界を構成するすべてがかき消されていった。

 

 

「・・・・・・はっ!?」

 先ほどまでの景色が夢だったかのように、私は地上で目を覚ました。

 慣れ親しんだ自分の体。その形が意識にくっ付いているのを確認すると、横たわった体を持ち上げて辺りを見回した。

 パンサー、スプリングボック、カコさん、黒人兵士たち。先ほどまで一緒に戦っていたみんながそこにいた。

 兵士たちはお互いに肩を組みながら雄たけびを上げたりしていた。スプリングボックは不機嫌そうにそっぽを向いている。

 そしてカコさんとパンサーが私に近づいてきた。パンサーは私と同じようにずぶ濡れだ。

 

「本当に感謝するわ。シベリアン・タイガー。あなたが本体を倒してくれたおかげで、戦いに勝つことが出来ました。幸いにこっちの死傷者も出なかった」

「アンタ、あれっきり気を失っちゃうんだから焦ったよ。アタシが陸まで引き上げてあげたんだから感謝してよね? ・・・・・・でもやっぱりアンタはすごいね。最強って呼ばれるだけあるよ」

 

 ふと、川の方を見てみた。先ほどまで巨大なゼリー状の塊や、大量の幼体セルリアンが出現していたオレンジ川。

 元の穏やかな雄大なる姿を取り戻して、その美しいせせらぎを夕陽に反射させていた。それを見て、ようやく安堵することが出来た。

「ううん。パンサーのおかげ、みんなのおかげだよ」

 

 勝利の余韻に浸るのもつかの間、その場にいた全員が川のほとりを引き返して、雑木林の中を進み始めた。

 戦いが終わったとはいえ、緊迫した状況は依然変わりなかった。

 カコさんが率いるパークの兵士たちは、大勢の避難民たちを、急いで安全な所に避難させないといけなかったんだ。

 危険なのはセルリアンだけじゃない。ヒトの武装集団だって現れる可能性がある。

 

 雑木林を抜けて丘の上に到着すると、避難をつづけるヒトたちはすっかり遠くに行ってしまった様子で、辺りにはカコさんの部下と思しき兵士たちがちらほらと待機しているだけだった。

 そんな中でただ一点、異様な人だかりが作られている場所があった。

 

 人だかりを形成する兵士の1人がカコさんに呼びかけると、彼女は急いでその場に駆け寄っていき、アフリカの言葉でやり取りを始めた。

 不信に思った私も、カコさんに付いて行って、人だかりの中心にある物を見ようと顔を乗り出した。

 

(そんな・・・・・・なんで?)

 みんなと協力してセルリアンに勝利して、避難するヒト達を守ることが出来た・・・・・・そんな気概と充実に満ちた気持ちが、いっぺんに吹き飛んでしまうような光景が、そこにあった。

「所長っ! クズリっ!」

 人だかりの中心には、地面に横たわる2人の姿があった。ついさっきの戦闘で心を通わせたパンサーたちとは違う。私のもともとの仲間だ。

 

 クズリは相変わらず、意識がないまま倒れているだけだった。

 問題はヒグラシ所長だ。さっきまで元気だったはずの彼が、地面をのたうち回りながら、苦しそうなうめき声を上げていた。

 うずくまる所長が両手で抱えているのは、自身の右足だった。彼の右足の膝から先はひどく傷ついていて、グズグズになりながら血だまりを作っていた。

 

 私は思わず人だかりを押しのけて、うずくまる所長に近寄って抱きかかえた。

「所長! どうしたんだよ!」

 いくら必死に呼びかけても、苦しそうに呻く彼からの返事はかえってはこない。

 代わりにカコさんが私に声をかけてきた。

 

「落ち着いて。彼はどうやら、地雷を踏んでしまったようね」

「・・・・・・じ、地雷?」

「私たちは、この辺りにあらかじめ地雷を敷設しておきました」

 

 カコさんらパークは圧倒的に人員が不足しており、その不足を補うための準備を周到に行っているという。

 セルリアンだけでなく、武装勢力がここに踏み込んできても対処できるように、様々な対人用の罠を仕掛けているというのだ。

 そのひとつが、踏んだら爆発する爆弾。地雷だった。

 

「もちろん私たちは地雷原の場所を把握しているから、避難民がそっちに行かないように誘導を行っていた」

「・・・・・・しかし部下が言うには、ヒグラシさんは我々が誘導する方向とはまるで反対方向へ、部下の制止を無視して走り出して行ったそうよ。そのウルヴァリンという子を背負いながら、ね」

 

「ふん、卑劣ですね・・・・・・。そのCフォースの男、手下のシベリアンに戦わせておきながら、自分はどさくさに紛れて逃げ出そうとしたというのですか? 意識のないウルヴァリンを背負っていたのは、後々自分の身を守らせるため? まったく、油断も隙もない男です」

 

 スプリングボックが溜息交じりに所長を罵っている。周りにいる兵士たちも、心配しているというよりは、どちらかというと軽蔑に近い眼差しを所長に向けてきている。

 どうして彼はこんな無茶なことをしたのだろうか? パークのヒトたちの言うことを聞いて避難しておけばこんな目に遭うこともなかったのに。

 何かよっぽど都合が悪いことでもあったのだろうか?

 

(・・・・・・所長、いったい何を隠しているの?)

 所長の身を案じる気持ちと、晴れることのない疑い。ふたつの感情が双方譲らずに膨れ上がっていき、絶句してしまった。

 

「救護班を呼びました。我々のキャンプでヒグラシさんの傷を手当します」

「しょ、所長は助かるんですか!?」

「大丈夫よ。地雷というのは、ヒトを殺すための兵器じゃない。命を落とすことはまずない・・・・・・それに私としても、今彼に死なれるわけにはいきませんからね」

 

 白いワンボックスカーが車体を揺らしながらその場に到着すると、担架を持った数名の兵士たちが降りてきた。

 グズグズの右足から血を滴らせながら苦しむ所長と、意識のないクズリをそれぞれ担架で車内に運びこみ、カコさんが最後に乗り込むと、また勾配の付いた坂道を走り出して行った。

 私は茫然と立ち尽くしながらその様子を見送った。

 

「・・・・・・シベリアン」と、パンサーが私の肩を叩きながら呼びかけてきた。

「気持ちはわかるけど、今は立ち止まってる場合じゃないよ。キャンプに案内するから付いてきて。早くしないと夜が来ちゃうよ」

 

 雄大な夕陽が、連なる岩山の隙間に今にも飲み込まれてしまいそうだった。

 目の前の出来事に言葉を失った私は、ともかく足だけを動かして、消えそうな夕陽にすがるように歩き始めた。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:25歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________Enemies date________________

「ゼリーフィッシュ・セルリアン」
身長:不明
体重:不明
概要:ダイヤモンドを媒体に電気を生み出すという、これまでに目撃情報がない動力器官を備えたセルリアン。
自身では攻撃を仕掛けず、幼体を生み出して攻撃を仕掛けさせる戦法を取るが、状況に応じて幼体のサイズや産出数をコントロールしていることから、ある程度の知能を持っていることがうかがえる。
水中で活動し、生み出された幼体は体組織の大部分が水分で出来ていることから「ゼリーフィッシュ」とカコ博士に名付けられた。

_______________Location________________

「オレンジ川(Orange River)」
概要:アフリカ大陸南部を流れ大西洋にそそぐ大河川。全長はおよそ2090㎞に達し、下流部は南アフリカとナミビアの自然的国境を形成している。19世紀後半、流域内にて大型ダイヤモンドの発見が相次いだことにより、ダイヤモンドラッシュと呼ばれる一大採掘事業の舞台となった。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章10「たたかうりゆう」

 あるトラのものがたり第27話です。

 アフリカ編その5。
 目覚めるクズリ、生じる亀裂。



 あのクラゲみたいなセルリアンを退治した後、私は、パンサーやスプリングボック、それに黒人兵士たちと一緒に、カコさん達パークが集まっている難民キャンプを目指すことになった。

 

 どれほど歩き続けようとも、あたりの景色は先ほどとそう変わることはない。砂と石ばかりの乾いた大地があり、地平線の向こうがわには岩山が連なっているだけだ。

 そんな代わり映えのしない景色を何時間も進み続けるうち、すっかり夜のとばりが降りた。天空が無数の星々に照らされているのとは対照的に、大地は深い暗闇が広がるだけだ。大地も岩山も真っ黒な輪郭しかわからない。

 

 だがそんな何もない暗闇の中に、流れ星のように付いたり消えたりする不審な光を見つけた。

「安心して、あれはアタシたちの仲間」と、私のすぐ前を歩いていたパンサーが溜息交じりに告げる。

「あの光で居場所を知らせてるってわけ」

 近くを歩いている黒人兵士たちが、それまで張りつめていた緊張がいっぺんに解けてしまったように、疲労困憊の色をどっと覗かせている。そして疲れた体に鞭を打つように、明滅する光信号に向かって再び歩き出すのだった。

 

 そうしてようやく「パーク」の難民キャンプに辿り着いた。

乾いた平野の上に、何台もの山のような大型トレーラーが間を開けて駐車していて、その間を縫うように小さな車やテントが軒を連ねていた。

 広い場所に、かえって心細さを浮き彫りにさせるように、たくさんのヒトが息を潜めて身を寄せ合っている気配がする。

 

 足元を最低限に照らす程度の明かりしか灯されていないから、だいぶ近づかなければここが難民キャンプであるとはわからなかった。

 でも彼らは敢えてそうしているんだろう。

 こんな平野で明かりを付けたりしたら、遠目から目立ってしょうがない。武装集団に簡単に見つかってしまうだろうし、セルリアンだって光に引き寄せられる性質があるんだから、明かりを付けなくて正解だ。

 

 疲れ切った兵士たちが、それぞれの休む場所へと散っていく中、私は一台のトレーラーの前に連れて行かれた。

 パンサーが背後から私の肩を叩きながら話しかけてきた。

「シベリアン、悪いけど今日はあの中で寝て」

 切り開かれた車体の後端から階段が伸びていて、そこから光が漏れている。車体の入口は、一本一本がヒトの腕のように太い鉄格子に仕切られていた。

 

「それとね、気を失ってたアンタの友達だけど、目を覚ましたらしいよ」

「え? クズリが!? 彼女はどこにいるの?」

「それは教えられないよ。あれとは別のトレーラーの中に閉じ込められてるってさ」

 

 それを聞いて安堵する反面、不安も込み上げてきた。

 クズリは自分が寝ている間に起きたことを知らない。そんな状況で目を覚ました彼女が、何も行動を起こさないわけがない。

 分厚い鉄で出来たトレーラーの車体も、腕みたいに太い鉄格子も、クズリを閉じ込めておくには到底足らない。あんな鉄格子、彼女の腕力なら針金みたいに折り曲げてしまえるはずだ。野放しと一緒だ。

 

「仲間が言ってたよ。目付きがメチャクチャ怖いって、見ているだけで殺されそうだって。”無敵の野生”のウルヴァリンは・・・・・・アンタとは違うタイプみたいだね」

「暴れたりしてないかい?」

「薬を使って動けなくしてるらしいよ」

 

「シベリアン、アンタも一応これ付けといて」と、言いながらパンサーが手に持っているのは、重ねた板の形をした電子手錠だ。

「ごめんね、後で食事も持ってく。あのCフォースのオッサンのことも、何かわかったら教えるから」

「親切にしてくれてありがとう、パンサー」

 

 黙って差し出した両腕に、再び手錠が嵌められた。

 申し訳なさそうに私を見つめるパンサーや黒人兵士たちに見送られながら、トレーラーの階段を上がり中に入っていった。すると鉄格子がひとりでに電子音を立てて、再び閉じられた。

 

 トレーラーの内部、直線で構成された殺風景な部屋の中には、簡素なベッドに机。奥にはトイレにつながっていると思しき扉があった。

 一晩を過ごすのには上等すぎる場所だ。外でテントとかで寝ているヒトたちに申し訳なくなるぐらいだな・・・・・・そう思いながら部屋を見回していると、机の上に置かれた妙な機械が目についた。

 ヒトが手に持って操作する端末の、ちょっと大きめな感じのやつだ。机の上に、小さな台に支えられて斜めに立てかけられている。

 端末の画面には明かりが点いていて、何かの映像を映し出している様子だった。 

 

「クズリっ!」

 私はとっさに映像の中に映っている彼女に向かって声をかけた。

≪アムールトラ!? ・・・・・・てめえ今までどこにいやがった? ここは一体どこだよ≫

 ベッドに横たわるクズリが私の声に反応して、画面の向こう越しに視線を合わせてきた。彼女のいる所にも同じような端末が備え付けられているのだろう。

 凍ったように眠っているのを見た時は、もう起きてこないんじゃないかと心配したものだけれど、ひとまず心配はいらないようだ。

 

 クズリの右腕には三つの点滴が繋がれている。透明のパックと、オレンジ色のパック。そしてそれらよりも一回り以上小さい、牛乳みたいに白く濁ったパックだ。

 多分あの中のどれかが、クズリを動けなくしている薬なんだろうな。残りは水分と栄養なのかな? よくわからないけど。

 

≪首から下が全然動かねえ、感覚がねえんだ。何なんだよこれは!≫

「お、落ち着いて。これには色々と事情があるんだ」

 

 私は彼女が寝ている間に起きたことを打ち明けた。こうやってわざわざ端末越しに会話できるようになっているということは、事情をすべて話しても構わないってことだろう。

 あるいはそれがパークのヒトらの狙いなのかもしれない。クズリを落ち着かせられるのは、仲間である私の言葉だけだろうから。

 

≪オレがぶっ倒れている間に、ヒグラシのクソオヤジは勝手にヘタこいて重傷を負って、あげくにオレら全員ワケわかんない連中にとっ捕まっただと?≫

「仕方がないんだよ。成り行きに任せてたらこうなっちゃったんだ」

≪・・・・・・いっぺん頭ン中整理させてくれ。いろいろ起こり過ぎだろ≫

 

 クズリは目を閉じながら、しばらく何かを考え込んでいる様子だった・・・・・・そして再び目を開けた時には、疲れ切ったような表情で深いため息をついた。

 こんなに弱った様子の彼女を見るのは初めてだから、私も思わず不安になってしまった。

 

「大丈夫かい?」

≪敵がオレをふん縛るのはわかるさ。捕まったらそうなって当然だ。問題はオーダーだよな・・・・・・何なんだこれは? こんなモンが体に仕組まれてるなんて思ってもいなかったぞ? オレ達の体は一体どうなってるんだよ?≫

 

 フレンズに刻まれた“オーダー”に逆らったことによる拒絶反応に体を蝕まれて、クズリは今まで、およそ半日間もの間意識を失くしていた。

 オーダーは、クズリほどの強靭な体でも問答無用で眠らせてしまうほどに強烈だ。そばで見ていただけの私ですら、頭が真っ白になるぐらいびっくりしたんだもの。実際に自分の体で効果を味わったクズリの不安と驚きはどれほどのものか図り知れない。

 

≪一度セルリアンに殺されてからこの体を手に入れた時、オレはなんてラッキーなんだと思った。奴らと互角以上に渡り合える強い体で、思う存分復讐できるんだものな。そしてセルリアンを殺せば、その日のメシにあり付ける。殺すことと食うことの繰り返し・・・・・・ずっとそれが続いていくモンだと思ってたし、それに何の不満もなかった≫

≪だが今となっちゃ、オレをこんな体にしやがったCフォースの言うことを素直に聞くべきなのかどうか、わかんなくなっちまったよ≫

「クズリ・・・・・・」

≪まあ、冴えない愚痴ばっか叩いてても仕方がねえ≫

 

 彼女はとつとつと自嘲気味に嘆いていたが、しばらくすると気持ちを切り替えた様子で、いつも通りの鋭い殺気を瞳の中に宿らせはじめた。

 ひとまずは落ち着いた様子だったが、落ち着いた分だけ、自分が今何をすべきかを冷静に考え始めたようだ。

 

≪まずはこの状況をどうやって切り抜けるか考えねえとな。オレをこんな所に閉じ込めやがったパークとかいう奴らには、相応の落とし前を付けさせてやる≫

「ちょっと待ってよ。オーダーのことはどうするんだよ? ヒトに手を出したら、君はまた・・・・・・」

≪だからヒトの相手はてめえがするんだよ。てめえの”不殺カラテ”なら、オーダーも反応しねえんだろ? オレはその間にアイツらの車やら武器を全部ぶっ壊してやる。オレら2人なら、まあ楽勝ってとこだろ≫

 

 彼女はいったん敵とみなした相手には容赦することがない・・・・・・数多のセルリアンしかり、あの武装集団しかり、跡形もなく徹底的に叩き潰すまで追い詰めるだろう。

 

 パークが本当に私たちの敵であるならば、私もクズリの提案に乗るべきなのかもしれない。でも彼らのことを、どうしても敵だとは思えない。

 いちど一緒に戦ってみてわかった。セルリアンを相手に、無力な避難民を庇いながら、少ない手勢で必死に戦うパークの戦士たち・・・・・・彼らのやっていることは、私たちと同じじゃないか。 

 

「待ってくれ。相手のことを知りもしないうちに揉め事を起こすのはよくないよ」

≪あ? 奴らの方がオレらを敵って言ってんだろ? 揉めるのにそれ以上の理由がいるのかよ?≫

「きっと何か事情があるんだ。私たちが知らない事情が・・・・・・」

 

 私はクズリに、ヒグラシ所長が何かを私たちに隠している件について、相談をしようかしまいか迷った。それはおそらく、パークがCフォースと敵対している理由にも関係しているんじゃないのか?

 もやもやとした疑念を口にしようとしたけど、何もかも不確かで、はっきりとした言葉にするのは難しかった。

 

≪敵の事情なんか知るかよ≫と、口ごもっている私を見かねたようにクズリがぴしゃりと言い切った。

≪お人好しのてめえが、さっそく奴らにホダされたってだけだろうが≫

 

 画面越しに私を睨み付けるクズリとの間に、冷たくて重たい壁がはっきりと現れていくのを感じた。今これ以上話しても、余計にこじれてしまうだけだ。

 

 そう悟った私は、彼女から逃げるように視線を外して「もう休もうよ。お互いに疲れてる」と一言だけ告げると、ベッドの上で足を組んで座り、トレーラーの壁に背を持たせかけて呼吸に意識を集中させた。

 私はいつも坐禅を組んで眠るんだ。そうする習慣が完全に身についている。体を横にして眠ることなんて、やり方すら忘れてしまったし、今後もやることはないだろう。

 せっかく上等なベッドを用意してくれたのに申し訳ないけれど。

 

 坐禅で気持ちを落ち着けたことによって、今この瞬間まで頭の中に浮かんでいた不安や疑念が客観視され、グチャグチャに絡まった不定形な塊として、私の脳裏に現れているような気がした。

 この塊にどう向き合ったらいいか・・・・・・そんなことを考えながら、意識のある深い眠りの中で体を休めた。

 

 そうして幾らかの時間眠っていた私は、誰かが鉄格子をノックする音で目覚めさせられた。

 兵士が鉄格子を開けて中に入ってくると、部屋の中央にある机に食事が乗ったトレイを置いた。私は軽く会釈をして、出ていく兵士を見送った。

 鉄格子の向こう側からは太陽の光が覗いている。そんなに眩しくなくて、青っぽい感じがする光だから、おそらく今は早朝なんだろうな。

 

 机に置かれた端末の向こう側を見やると、クズリのいるトレーラーにも兵士がやってきていて、点滴を交換していた。

 クズリは兵士のことを鋭く睨み付けていたけれど、やはり体はベッドに横になったままピクリとも動かない。

 兵士はクズリの視線に怯える様子もなく、てきぱきと点滴を交換すると、さっさと出て行ってしまった。

 

≪アムールトラ、てめえはオレと比べてずいぶんと扱いが良いみてえじゃねえか?≫

 気まずい沈黙を破るように、クズリが画面越しに声をかけてきた。

 彼女は私の手元にある金属のトレーを眺めていた。私には食事が出されたのに、彼女には薬入りの点滴だけっていうんじゃ、さすがに申し訳ない気分になる。

 

≪オレに遠慮すんな。ちゃんとメシ食ってリキつけとけ。その、気色悪い物体をよ・・・・・・それ、うめーのかよ?≫

 

 トレイの上にはペットボトルの水と、ビニール詰めにされた、ピンクや水色の派手な色をした丸いパンが乗せられている。

 これは何だろう? こんな食べ物は初めて見る。ひとつ手に取ってビニールから取り出し、おそるおそるかじってみた。

 

「変なパンだ。ステーキみたいな味がする。それに一口食べただけで結構おなか一杯になるよ」

≪まともなご馳走で良かったな。ステーキねえ・・・・・・ブラジルじゃ毎日のように出されて飽き飽きしてたが、やっぱまた食いたいぜ≫

「じゃあ私はハンバーガーが食べたい。トマトとレタスを挟んだやつが好きなんだ」

≪はっ、てめえはトラの癖しやがって、ヤギみてーな舌をしてやがんだな≫

「だってお肉は野菜と一緒に食べるのが一番美味しいんだよ」

≪オレは野菜なんて絶対食わねえぞ。腹下しちまうからな≫

 

 私とクズリは、昨日までの険悪な雰囲気がウソのように、他愛もない会話で盛り上がった。昨日はあんなに意気消沈していたのに、今は何ごともなかったように機嫌を直している。

 だがそれが却って不安になる。今まで一緒に過ごしてきたから、彼女の考えていることがなんとなくわかるんだ。

 彼女は今、オーダーのことや今後の事や、そういう自分を嫌な気持ちにさせる考えを振り払うために、目の前の出来事に意識を集中させようとしているんだ。

 この状況をどうやって切り抜けるか、その一点だけに。

 

「クズリ、早まらないでくれよ」と、私は念を押すように再び告げた。

「まずは落ち着いて情報を集めよう。その上でもう一度、今後どうするかって話し合いをしよう。お願いだ」

≪いいぜ。オレの相棒のお願いだもんな・・・・・・だが、望むような展開になる保証はねえぞ?≫

 

______ガチャンッ!

 

 私とクズリ、それぞれのトレーラーの鉄格子がほぼ同時に開かれる音がした。

 情報を探るチャンスが早速めぐってきたことを、お互いに確認して頷き合うと、それぞれの部屋の鉄格子の向こう側へと向きなおった。

 

「貴様、そんな上等な寝床でさぞかし良い夢を見れたでしょうね?」

 私が見つめる先には、薄茶色の真っ直ぐな髪をなびかせるスプリングボックの冷たく整った双眸があった。

 

 不機嫌そうに私を見下ろすスプリングボックに手招きされるまま、トレーラーの外に出た。太陽はもう真上近くまで登っている。

「いったいどうしたの?」と、その眩しさに思わず顔をそむけながら、私は彼女に要件を問いただした。

 

「うちのボスが、お前とウルヴァリンを呼んでいます。色々と今後のことで話があるそうです」

「・・・・・・ヒグラシ所長は無事なの?」

「さあ? でもボスはあの男を助けると言ったはずです。彼女は約束を違えない」

 

 スプリングボックはそれだけ言うと、私に構わずに歩き出した。

 夜の闇の中ではよくわからなかったけど、この難民キャンプは相当な広さがあって、少なくとも目に見える範囲はテントやら車やらがひしめき合っている。

 私が今歩いている辺りは、意図的にスペースを空けてあるようで、大通りさながらの広い道になっていた。

 避難民たちの様子は夜とほとんど変わりない。ちらほらと往来する人影が見える以外は、誰もがテントに身を潜めて不安そうな表情で外を覗いている。

 

「あの、昨日はよく眠れた?」と、気まずい沈黙を破るようにしてスプリングボックに話しかけた。

「・・・・・・私は貴様となど無駄口を聞きたくありません。私をパンサーと同じように友好的だと思わないでください。」

「そうか、ごめん。パンサーはどこ?」

「彼女はウルヴァリンを迎えに行っています。もうすぐ合流します」

 

 スプリングボックに取りつく島もないといった感じで冷たくあしらわれてしまったので、やむなく黙り込んで彼女に着き従って歩いた。

 

 顔を伏せて歩いていると、横から何者かの気配が近づいてくるのを感じた。

 私の腰の高さぐらいの背丈しかない小さな影が、私の目の前で足を止めた。

「あ・・・・・・君は!」

 つい先日のオレンジ川の戦いでセルリアンに襲われていた、例の片腕のない女の子だった。真ん丸な愛らしい瞳にあどけない笑みを浮かべながら私を見上げている。

 差し出した右腕には一輪の花が握られている。

「えっ? これを私にくれるの?」

 女の子から花を受け取ると、彼女はそそくさと立ち去って、無数にひしめき合うキャンプの人混みの中に身を隠してしまった。

 

「わぁ、きれいなガーベラだ」と、受け取った花をうっとりとした気持ちで見つめた。

 鮮やかな黄色の花びらが、真ん丸な玉のように隙間なく生えそろっている。まるで手のひらサイズの太陽みたいだ。見ていて思わず明るい気持ちにさせてくれる。

 

「あの子は貴様に、助けてくれたお礼がしたかったようですね。ところで貴様は花の名前なんてわかるのですか?」

「私、花が好きなんだ。少し勉強もしてる・・・・・・スプリングボック、あの子のことを知ってる?」

「あの子はアマーラといいます」

 

 アマーラという名のあの子は、元々はこの地方の主要都市スプリングボックに住んでいたけど、数か月前のセルリアンの襲撃で住処を失い、家族とも離ればなれになって、パークのヒトらに保護されたらしい。

 親なし子・・・・・・だからセルリアンに襲われそうになった時も、庇ってくれる大人がいなかったんだな。命がかかっている局面で、自分の子でもない子供を助けるはずがないもの。

 

「ああいう子はたくさんいます。頼れる大人もいないで、どんなに心細い気持ちでいることか・・・・・・でも私が絶対に守ってみせます。みんな我が愛すべき故郷の仲間なのだから」

「スプリングボック、やっぱり君は良いやつだな」

「な、わかったようなことを言わないでください!」

 

 素直に感心してスプリングボックを褒めたつもりだったが、彼女は何故だか機嫌を悪くして、私に距離を置くようにいっそう足早に歩き出した。でもその後ろ姿には、今まで見られなかった柔らかさが見えるような気がする。

 彼女は私を嫌っていても、私は彼女のことが好きになれそうだと思った。

 

「おーい、2人とも」と、遠くからでも良く通るきれいな声が聞こえた。

 パンサーが大通りの向こう側から歩いて来ていた。彼女は両方の腕にそれぞれ異なる物を持っていた。片方の腕には点滴を吊り下げた細長い点滴台が、もう片方の腕には車椅子の押し手が握られていた。

 

「よう、アムールトラ。花なんか持ってどうした?」

 車椅子に座っているのはクズリだ。先ほど聞いた話通り、彼女もカコさんに呼ばれたのだ。

「てめえもフレンズのお出迎えを受けたのか? そちらさんは何てフレンズだ?」

 クズリは私を一瞥すると、私の隣にいるスプリングボックを、お得意の射殺すような視線で睨み付けはじめた。

 攻撃的な視線を受けて、スプリングボックもにわかに苛立ちを取り戻し始めた。

 

「・・・・・・私に用でもおありで?」

「ほんの挨拶さ。こちとら、アンタらが打ってくれた薬のおかげで首から下が動かねえんだ、何も出来やしねえから安心しろよ」

「だったら私に不快な視線を向けないでください!」

「いやなに、アンタ、オレと気が合いそうだと思ってよ。ずいぶんと血の気が多そうだからなァ」

 

 クズリは明らかに、スプリングボックの逆上を誘うつもりの言葉と態度だ。

 それに釣られたスプリングボックは、車椅子に座ったまま動けないクズリに近寄り、その胸倉を掴みあげた。完全にクズリに敵意と怒りを向けている。

 

「クズリ、やめろよ」と、私はあわてて一触即発の2人の間に割って入った。

(早まらないでくれって言ったばかりじゃないか!)

 私は言葉には出さずに、視線でクズリをそう問い詰めた。すると彼女は落ち着き払った不敵な目つきで私を見返してきた。

 こういう表情をしている時の彼女は、考えを巡らせた上で、何かを狡猾に狙っているんだ。それぐらいのことは今までの付き合いでよくわかっている。

 

「やめなってスプリングボック。アタシも同じようなこと言われたよ。おおかた、アタシたちを怒らせて、逃げる隙を伺おうって腹なんでしょ」

「ふん! そうですね!」

 苛立ちが収まらないスプリングボックが、パンサーの説得を受けてクズリから離れた。

「・・・・・・じゃあ行くよ。今からボスに指定された場所まで案内するから」

 

 

≪シベリアン・タイガー。昨日はよく眠れたかしら? そして、はじめましてウルヴァリン。私はここの代表を務めるカコという者です≫

 

 細長い台に備え付けられたプロジェクターが、何もない空間にカコさんの姿を映し出している。

 パンサーたちに案内されて辿り着いたこの場所は、難民キャンプの中でも一番人気のない隅っこの辺りに建てられた小さなテントの中だ。

 薄暗く狭いテントの中は、パンサー、スプリングボック、そして私とクズリの4人のフレンズがいるだけで、外には銃を構えた少数の兵士が見張っているだけだ。

 明らかに人目をはばかるような雰囲気を出している。

 

 カコさんの面構えは、昨日までと変わらず、クールで隙が無く、緊張感に満ちている。

 だがその端正な切れ長の目の下には深い隈が刻まれていた。

 よく見ると、体がごくわずかだが小刻みに上下に揺れていて呼吸が乱れている。ひどく疲れている様子だ。

 

「カコさん、もしかして昨日寝てないんですか? ヒグラシ所長の手当てをしてたから?」

≪その他にも用事がいろいろありました。眠る暇がないことは、今に始まったことじゃないから気にしないで・・・・・・さて、今日はあなたがた2人に色々と話すことがあって、ここに来てもらいました。まずは≫

 

 プロジェクターが、カコさんの上半身から別の映像に切り替わった。

「し、所長・・・・・・!」

 ヒグラシ所長と思しき、痩せ型の黄色人種の男性がベッドの上に寝ている姿が映し出された。映像に光が映り込んで全体が白っぽくなっているので、彼の寝顔とか詳しい様子はわからない。

 だけどその体には点滴やら色んな管が繋がっていて・・・・・・驚いたことには、隙間なくぎっちりと包帯が巻かれた彼の右足は、膝から下が無くなってしまっているのだった。包帯には血がうっすらと滲んでいる。

 そんな痛々しい彼の映像を映したまま、カコさんの声がまた聞こえた。

 

≪あなた達の連れ合いである日暮博士ですが、地雷を踏んだことにより右下肢を著しく損傷したため、やむなく膝関節から下を切断しました・・・・・・でも命は無事よ。もう数日すれば起きて食事をしたり出来るようになるでしょう≫

 

 所長の命が助かったのは良かったけど、とても手放しで喜ぶことは出来なかった。

 右足を失ってしまったなんて大変な事だ。今まで普通に歩いていたのに、これから先の彼の人生はどうなってしまうんだろう。

 

≪日暮博士のこれからの処遇についてですが、何ごともなければ国連に身柄を引き渡します。そのまま国際法に乗っ取って手続きが取られて、元々の所属であるCフォースに戻ることが出来るでしょう。そしてあなた達も、Cフォースの”特殊生物兵器”として正式な登録番号が存在しているために、彼について行くことになります≫

 

「オレが聞きたいのはそんなことじゃねえんだよ」

 クズリが動けない体はそのままに、顔をふんぞり返らせて威圧的な態度でカコさんを問い詰める。会話の主導権はこっちにあるんだぞと言わんばかりだ。そうすれば会話を有利に進めることが出来ると思っているからだ。

「アンタらは何もんだ? 目的は? 何でCフォースを敵扱いしてやがる? 答えろ」

 

≪すべてお話しします≫

 カコさんはクズリの剣幕にびくともせず、冷たい緊張感を保ったまま淡々と語り始めた。その時私は悟った。このヒトは脅しや威圧に屈するようなタマじゃない。こちらが会話の主導権を握るのは不可能だ、と。

≪私たちパークも、セルリアンから人類を守るために存在する組織です≫

 

「だ、だったら!」と、私はかぶせるようにカコさんの言葉を遮った。

「Cフォースと一緒に戦えばいいじゃないですか。敵になる理由なんかないはず!」

 

≪いいえ、今のCフォースと手を結ぶわけにはいきません。Cフォースは、フレンズを生み出してセルリアンと戦わせているからです。私たちはいずれ、フレンズが何者にも縛られず、動物の頃のように自由に生きていける楽園を築きたい。だからあなた達のような子を、Cフォースから解放したいと思っています≫

 

「解放、だとォ?」

≪ウルヴァリン、そしてシベリアン・タイガー、あなた達は自分たちの立場を疑問に思ったことはないですか? 自分たちの意志に関わらず、命がけでセルリアンと戦う毎日を強制されている。オーダーなどという洗脳まで施されて・・・・・・あなた方は、Cフォースに自由を踏みにじられている。それが当たり前だと思ってはいけません≫

 

「ぐっ・・・・・・!」

 クズリがカコさんの言葉に明らかに動揺している。

 Cフォースに不自由を強いられていることも、オーダーという見えない首輪を嵌められていることへの不信も、彼女が昨日思い悩んでいた内容を、ズバリそのまま言い当てられた形になったからだ。

 言葉を失ったクズリに代わって、私が質問を続けた。

 

「じゃあ、もしセルリアンと戦いたくなかったら、戦わなくても良いってことですか?」

≪そうよ。パンサーとスプリングボックは、あくまで善意で私たちに協力してくれているに過ぎない。この南アフリカを守るために≫

 

 カコさんの言及を受けて、2人が誇らしげに相槌を打っていた。

 そういえば、昨日知り合ったばかりだけれど、彼女たちの口から短い間に何度も「故郷を守る」という言葉を聞いた。

 その言葉を口にする時、瞳の奥が激しい情熱で燃えているような感じがした。そうしたいと心から思っているんだろう。

 私も含めてCフォースのフレンズは、上から言われるがまま世界中あちこちに飛ばされて戦うのが当たり前だと思っていた。だけど私と違って、彼女たちは自ら望んで生まれ故郷を守るために戦っているんだろう。

 

「でもフレンズ抜きでセルリアンに勝てるんですか? 昨日、セルリアンを倒せるSSアモの威力を見せてもらったけど、やっぱりフレンズの方が強いと思います」

≪そうね。たとえSSアモを1万発製造しようとも、フレンズ1人分の力にすら及ばないでしょう・・・・・・しかし、あなた達フレンズは元は動物です。尊重すべきひとつの命なんです。命を兵器として扱うのは間違っている。Cフォースの過ちは誰かが正さなければなりません。セルリアンと本格的に戦うよりも、過ちを正す方が先よ≫

 

「それ以上喋るなオバサン、黙りやがれ」

 動揺して押し黙っていたクズリが、突然に態度を一変させて、カコさんの言葉を打ち切った。

「聞いてりゃふざけたゴタクばかり並べやがって・・・・・・オレらがそんなに可哀想か? 救ってあげたいか?」

 

 ここでカコさんの話に水を差したところで意味はない。話はまだ途中だっただろうから、聞けることはすべて聞いておくのがこの場での最善の行動のはずなのに。

 そんなことがわからないクズリでもないだろうに、彼女の言葉が止まることはなかった。

 

「セルリアンは半端な覚悟で勝てる相手じゃねえ。使えるモンを使って勝とうとすることの何が悪いんだ? ・・・・・・Cフォースは何も間違ってねえ! 間違ってるのはてめえらだ!」

≪ウルヴァリン、あなたが突出して強いフレンズなのは知っている。そんなあなただからこそ、力の使い方をよく考えて欲しいのです≫

「ああ、考えた結果さ。てめえらパークは気に食わねえ。だからぶっ潰してやることに決めたぜ」

 

______バキィッッ!!

 興奮気味に語るクズリの顔面を、とつぜん後ろから近寄ってきたスプリングボックが殴りつけた。クズリの体が前のめりに車椅子から転げ落ち、それに引っぱられて点滴台も倒れた。

 

「貴様なんかにパークを潰させてたまるものですか!」と、スプリングボックが握りしめた拳をわなわなと震わせながら、頭に血が上って赤くなった顔で叫ぶ。

 先ほどからのクズリの敵対的な言動に、故郷を心から思う彼女は我慢がならなかったようだ。

 彼女はさらに追い打ちに足蹴でも食らわそうと、うつ伏せに倒れたクズリに再び近づこうとした。それをパンサーが後ろから羽交い絞めにして制止した。

 

「やめなって! アンタ動けない相手に何やってんの!?」

「止めないでください! こいつは生かしてはおけない!」

 

 私はその隙に、クズリを担ぎあげて車椅子に戻した。

 薬で動けなくされている彼女の体は力なく弛緩しきっていたが、彼女の目つきはそれとは対照的に不敵な殺気に満ちていた。

 

≪今日の所はこれまでにしましょう・・・・・・まだまだ話すことはたくさんあります。落ち着いて話を聞ける時に、改めてお話を。それとスプリングボック、あなたも頭を冷やしてください≫

 カコさんがそう言うと、プロジェクターの光がかき消えて、元の薄暗いテントの中に戻った。

 

 私とクズリはそれぞれ、元いたトレーラーの牢屋の中に戻されることになった。机の上には昨日と変わらずに端末が置かれていて、画面越しにクズリと会話できるようになっていた。

「いったい何をやっているんだよ!」

 私は早速クズリにさっきの出来事を問い詰めた。

「あんな態度を取ったら向こうに警戒されるだけだ。情報も得られないし、こっちが損するだけじゃないか!」

 

≪だが・・・・・・オレの腹は決まったぜ。オレはやっぱりCフォースに戻ることに決めた。確かに首輪を付けられちゃいるが「殺してメシを食う生活」に嘘はねえ。それだけがオレが唯一信じられるモノだ。戦いにきれいごとを持ち込もうとする奴はオレの敵だ・・・・・・ここを抜けるぜ≫

「薬を打たれて動けないのに、どうやってここを出る気?」

≪おいおい、このオレが何の考えもなしに無駄なケンカを売るとでも思ったのかよ?≫

 

 そう言いながら、彼女はおもむろに。動かないはずの右手を、自身の顔の高さまで掲げた。その手のひらには、点滴の透明な管がくっ付いていた。それを画面越しに私に見せつけると、拳を力強く握りしめてミシミシと音を立ててみせた。

 

≪あの二本角のバカにぶん殴られて地面に倒れた時、偶然オレの手にコイツが挟まっていやがった≫

 

 クズリは自身の計略を告げた。彼女は自身の能力「グランドグラップル」を使って脱出を図るつもりだったんだ。

 例え体が動かなくても、彼女の能力は活きている。いったん手のひらや足の裏で触った物は何でも固定してしまえる。点滴の管がくっ付いたなら、その中を流れる液体の流れを止めることさえ出来るという。

 動きを止める薬の流れが押しとどめられて、彼女の体はだんだんと動きを取り戻して来たというのだ。

 

≪自分じゃ動けねえから何も掴みようがねえ・・・・・・だからわざとアイツらを怒らせて、危害を加えてくるように仕向けたのさ。予想以上に上手く行ったぜ。あの二本角のバカには感謝しねえとな≫

 

 拳を握りしめる動きが目覚めの合図であるかのように、クズリは左手で右腕の点滴を引き抜くと、ベッドから勢いよく跳ね起きた。

 

≪ふうっ・・・・・・だいぶシビれるが、何とか動けるぜ≫

「所長の道案内も無いのにここを出たって、どこへも行けるもんか」

≪いーや、アテはある。ここらにもセルリアンが出没するんだろ? なら奴らを探して狩り続ければ、いずれCフォースの方がオレのことを見つけてくれるだろうぜ・・・・・・で、アムールトラ。てめえはどうする? てめえは薬も打たれてねえし、そこから出るのは簡単なはずだが≫

「わからない。カコさんは良いヒトだと思う。だけどCフォースだってセルリアンから多くの命を救っているのは事実だ。どっちが正しいかなんてわからないよ。だけど」

≪だけど?≫

「ここにはセルリアンと戦う力のないヒトが大勢いるんだ。彼らを巻き込んじゃいけない。考え直してくれ・・・・・・手荒な真似はよせよ」

 

 私は懇願するように説得を試みたが、クズリはそれを小馬鹿にするようなため息で一蹴し、自由になった体で歩み始めた。

 彼女が画面から消えると、画面の外から声だけが聞こえてきた。

 

≪オレを止めたきゃ、殺して止めろ≫

 

≪______ガキキキッッ!!

 画面から鈍い金属音が聞こえた。きっとクズリが鉄格子を腕力で捻じ曲げているんだ。彼女が外に出たら大変なことになる。オーダーのせいでヒトに手が出せないのはわかっているはずだけれど、それならそれなりの戦い方を考えるのが彼女だ。

 

 ふと、端末の隣の花瓶に差された黄色い一輪のガーベラが目に入った。先ほどアマーラという女の子にもらったこの花を、トレーラーの牢屋の中に持ち帰らせてもらったんだ。それを見ていると、居ても立っても居られなくなるような衝動が胸の奥を突き抜けるのを感じた。

(やめろ! クズリ!)

 衝動に身を任せるまま、両腕に全力を込めて体の横へと引き絞った。すると嵌められていた電子手錠がひしゃげて真っ二つに千切れ飛んだ。

 手刀を繰り出して鉄格子を切断し、トレーラーの外へと躍り出ると、クズリの所在を求めてひた走った。

 

______ガシャアアンッ!!

 山のような大型トレーラーが突如上から降ってきて、頭から地面に突き刺さった。車体からはガソリンが漏れ出て炎が噴き出し、爆発寸前の様相を呈していた。

 それを見た避難民たちは恐怖でパニックを起こし、危機から逃れようと我先に逃げ出していた。

 

 その様子を見て、半ば確信を得た私は、避難民たちの間を縫いながら炎上するトレーラーへと近づいていった。

 車体後部、地面に突き立っている側の先端には案の定、クズリが立っていた。

 白い炎が縁取られた上着を身にまとった彼女が、炎よりも純粋な殺気の化身のように見える。

 

「逃がすものかァァッッ!!」

 私のすぐ近くで、駆け付けたスプリングボックが槍を掲げながらジャンプし、矢のようにクズリへと突っ込んでいった。

 だがそんな一撃も余裕で受け止められ、スプリングボックは手にした槍に宙ぶらりんに吊り下げられる形になった。

 

「悪かったな。今日の所はてめえを利用させてもらったぜ」

 クズリは不敵な笑みを浮かべながら、自身が宙吊りにしているスプリングボックに告げた。

「次に会った時は小細工抜きで殺してやるよ」

「貴様ァァッ・・・・・・どこまでも私をバカにして!」

 クズリは受け止めた槍の穂先を投げ棄て、スプリングボックは槍ごと地面に叩きつけられた。

 

「おやおや、誰かと思えば」と、クズリが炎上するトレーラーの上から私を見つけると、挑発するような眼差しで見下ろしてきた。

 今すぐ飛び出して行って、クズリを止めるために戦いを挑むべき場面だった。

 でも私の頭の中を、いくつもの考えが邪魔をして、その場に縛り付けていた。

 

 クズリは恐らくここからすぐに逃げるつもりだ。黙って逃がせばこれ以上の被害は出ないはず。逆に引き止めて戦えば、この難民キャンプに集まる無力なヒト達を巻き込んでしまう。

 なにより、苦楽を共にしてきた戦友である彼女と戦いたくなかった。

 ・・・・・・こんな迷いだらけの私では、迷いを捨てた彼女にはおそらく勝てないだろう。戦う前から負けているっていうのは、こういうことを言うのか。

 

 クズリはまるで私の考えを見透かしているかのようにほくそ笑んだ。

「あばよ・・・・・・お人好し」

 彼女がそう告げるやいなや、地面に突き立ったトレーラーが爆発し、噴き上がる爆煙が視界を覆い隠した。

 炎が収まった後、トレーラーの残骸の上からクズリの姿は消えていた。

 何も出来ないで立ち尽くす私だけがその場に残された。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:25歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「アマーラ・アモンディ(Amara Amondi)
年齢:8歳 性別:女 職業:南アフリカ北ケープ州市民
    
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章11「はなばたけ ていくぜろ」

 あの後、クズリはすぐに行方をくらませてしまった。

 

 パークが率いる難民キャンプは、何ごともなかったかのように移動を再開した。

 目的地は「ナマクアランド」という場所らしい。

 南アフリカでも最大の自然公園であり、国際的に定められた非武装地帯でもあるので、武装集団も簡単には入ってこれないそうだ。

 もちろんセルリアンはそんなのお構いなしだから、遭遇しないのを祈る他はないけれど。

 

 ナマクアランドには今、国連の難民支援チームが派遣されているから、そこで難民たちの身柄を預かってもらえるらしい。その後順々に、国外のより安全な地域への避難が開始されるというのだ。

 私やヒグラシ所長の扱いもそれに漏れることはない。Cフォースに所属している私たちでも、今の扱いはただの避難民だ。必要以上に束縛されたり拷問を受けたりするようなことはない。敵である私たちを、だまって送り返してくれるというのだ。

 カコさんがそれを約束してくれた。

 

 ナマクアランドに到着するまでの間、私はせめてものお礼にと、難民キャンプの移動のお手伝いをすることを願い出た。

 野営をするための荷物の積み下ろし、水や薪の調達、そしてセルリアンや武装集団がいないかどうかの偵察・・・・・・そんな仕事が私に与えられた。

 傍らにはいつも、パンサーかスプリングボックが付いてきた。彼女たちの目が届く範囲なら、もはや私は手錠すら嵌められずに自由に行動することができた。

 

 難民キャンプが長蛇の列をなして、果てしない荒野をゆっくりと移動しているのを見守るだけで終わる日々が一週間ばかり続いた。意図的に人里を避けているのが幸いしたのか、セルリアンにも武装集団にも出くわさなかった。

 

 一日のうちに、手持ち無沙汰になる時間が多少あったので、そんな時は決まってどこかで座禅を組んで、ぼんやりと物思いにふけった。

 今は難民たちの行列にほど近い岩陰に座り込んでいる。

 木がまばらに生える地平線を眺めていると、スプリングボックの同族と思しき二本角のすらっとした動物が群れをなしてせかせかと走っているのが見える。また向こう側には、とても大きな鼻の長い動物が悠然と大地を踏みしめている。

 セルリアンや武装集団の脅威に晒されている南アフリカだけど、ここに暮らす動物たちは本当に幸せそうだ。パンサーたちが大事な故郷って呼んでいるのもよくわかる。

 

 大自然を眺めて穏やかな気持ちに浸っていたのもつかの間、嫌な気分が胸からせりあがってきて、私に深いため息をつかせた。

 クズリと決別したあの日から、気持ちが沈みっぱなしだった。

 別にクズリとはこれが今生の別れというわけじゃない。

 カコさんが私たちをCフォースの元に送り返してくれると約束してくれた以上、いずれクズリと再開する時だってくるだろう。

 でも、前までのように彼女と同じ方向を見て、同じものを信じて、互いに命を預け合うことは、きっともう出来ない。

 

 Cフォースとパークは敵同士。片方を選んだら、もう片方の敵に回らなきゃいけない。

 クズリはCフォースだけが正義であると決断し、パークに敵対することを決意した・・・・・・それに比べて私はいくら考えても、どっちが正しいのか決められないでいる。

 

 このままだと、心の中に迷いを抱えて、それを押し殺したままCフォースに帰ることになる。

 果たしてそれでいいんだろうか? 

 でもそうするより他に、私に何が出来るっていうんだろうか。

 

「シベリアン、また1人で考え事?」と、瞑想に沈んでいた私の意識に割り込んで来るように、パンサーが声をかけてきた。

「思ったんだけどさ、アンタってちょっと根暗だよね。ウジウジ悩んでても何にもならないんじゃない?」

 ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に、ここ数日私に何かと気を遣ってくれる彼女の存在はとてもありがたかった。

 パンサーは私だけじゃなくって、ここにいる色んなヒトたちに気を遣って間を取り持っていてくれている。あの気難し屋のスプリングボックも彼女には絶対の信頼を置いている。

 私と同じネコ科で、姿も結構似てるのに、私と違ってコミュニケーション能力がとても高い。まあ私が低すぎるだけなのかもしれないけど。

 

「パンサー、何か仕事があるんなら手伝うよ」

「ううん、今日はもう何もないって」

 

 辺りを見てみると、確かに難民キャンプの歩みが止まっていて、各々が荒野に散らばってテントを張ったり荷物を積み下ろしたりしていた。

 随分と妙だ。日はまだ十分に高いし、天候も悪くはないし、これから歩いて移動距離を稼ぐのが普通だろうに、今日はもうここで野営する気なのだろうか?

 

「アタシたちね、実はもう目的地に着いてるんだ」

「じゃあ、ここが例のナマクアランド?」

 

 辺りにはそれを示すような目印は何もない。ここ数日と変わりない乾燥した土っぽい野っぱらが広がるばかりだ。

「まあ目印とかはないけど、南アフリカってそういう所だからさ。ナマクアランドも、とっても広い公園なの」

 

 今、カコさんらは難民の受け入れ手続きを行うために、ナマクアランドに滞在する国連のスタッフに会いに行っているとのことだ。手続きにしたがって難民を随時それぞれの避難先に振り分けていく。

 それが終わるまでは何日もここに滞在することになるらしい。果てしない旅路だと思っていたけど、案外あっけなく終わってしまった。

 私も後はCフォースに戻るだけなんだな。気持ちの整理は何も付いていないけれど。

 

「そうだ。仕事、ひとつだけあるよ」

「・・・・・・何だい?」

「子供のお守りとか、どう?」

 

 パンサーが私の手を掴んで立ち上がらせると、そのままどこかに引っ張って連れて行こうとしてきた。

 私はされるがまま、テントや車が密集する平地を抜けて、小高い丘を登らされた。

 

 今、パークのスタッフや難民たちは一斉に食事の準備に取り掛かっているらしい。この場にいる全員で食事を取ろうというのだ。

 移動中だったら、少人数のグループごとに、各自が取れるタイミングで食事していたけれど、目的地に着いた今となってはそうする必要はない。

 

「この先の場所でね、お手伝いも出来ない小さな子供たちを遊ばせてるんだよ。その子たちが危ない目に遭ったりしないように一緒にいてあげるの」

「どこに向かっているの?」

「いいから早く。ゼッタイ驚くよ」

 怪訝に思いながらも、勿体付けるパンサーに連れられて丘を登り切った。

 そして、なだらかな勾配に隠されていた向こう側の風景があらわとなる。

 

(あ、あ、これは)

 その景観を見た私は、一瞬で心を奪われてしまった。

 この世のものとは思えない美しさ・・・・・・そんな言葉ですら足らない。理屈抜きで、感動で胸がいっぱいになる。

 

「どうすごいでしょ? ここがナマクアランドの”奇跡の花畑”だよ・・・・・・て、アンタ、まさか泣いてんの?」

「え? あ、本当だ・・・・・・」

 

 気付かないうちに涙でぼやけていた視界をぬぐって、辺りを一望してみる。

 奇跡の花畑と呼ばれるこの場所は、一年のうちにごく短い期間だけ、荒野の中に突然に現れるらしい。

 赤、ピンク、オレンジ、紫、ありとあらゆる色彩が咲き乱れて辺り一面を埋め尽くしている。どれも満開で、太陽に向かって元気な笑顔を見せているみたいだった。

 

(あ、この花は)

 6枚の花弁を持つその花は、色とりどりの花の中にあって、よりいっそうその白さを際立たせているように思えた。

(これはオオアマナ・・・・・・アフリカにも生えているんだな)

 思わずしゃがみ込んで、撫ぜるようにオオアマナに手を触れてみる。よく見るとオオアマナは他の七色の花たちに比べても、花畑の中で占める割合が結構高かった。

 ちょっと向こうの地面なんて一帯がオオアマナで真っ白になっていた。

 

 初めて来た場所なのに、ずっと知っていたような、ひどく懐かしいような気がするのは、きっとおばあちゃんと一緒に暮らしたアパートのベランダを思い出すからだ。

 あそこもオオアマナでいっぱいだった。こことは比べ物にならないぐらい狭かったけれど、かつて私の幸せのすべてだった。

 にわかにあの日々のことが思い出されて、私はぼんやりとオオアマナの群生に向かって歩き出していた。

 そんな私をパンサーが「ちょっとどこ行くの?」と、呼び止めた。

 

「あ、ごめん。子供のお守りをするんだったね」

「・・・・・・まあ、ここがそんなに気に入ったんなら、しばらくブラブラしててもいいよ? アタシはあっちに行ってるから。ほら、スプリングボックがあそこにいるでしょ?」

 

 示された方向を見やると、スプリングボックが黒人の子供たちと手を繋ぎながら花畑の中を歩いていた。

 私に向けてくる鋭い表情からは想像も出来ないぐらい満面の笑みだ。子供のお守りというか、一緒になってはしゃいでいると言ったほうが正しい。

 あんな彼女を見るのは初めてだけど、あんまり意外だとは思わなかった。敵には容赦がないけど、守ると決めた者にはとことん優しい子なのはすでに知っている。

 

 何人かの子供たちが、見知った顔のパンサーを見つけると、手を掴んで一緒に遊ぶことをせがんできたようだった。

 

 子供たちに引っ張られるまま離れていくパンサーを後目に、私は改めてオオアマナが咲き並ぶ白い地面に足を踏み入れた。

 そしてその場に寝転んだ。無性にそうしたくなったからだ。

 

 地面の高さからオオアマナが真上に咲き誇る様を見上げていると、フレンズになる前の、赤ん坊のトラに戻ったような気持ちになった。

 すると途端に、今の自分が嘘っぱちに思えてくるのだった。

 あんなに恐ろしいセルリアンたちを相手に毎日のように戦って、たくさん傷ついて、死ぬような思いも何度かして・・・・・・でもいつの間にか慣れちゃって。なんでそんな風になったのかわからない。自分のことなのに。

(こうやって、花を眺めているのが一番いいや)

(もう戦いたくない)

 

 白い花弁に埋め尽くされた視界に、突如影が差してきた。

 黒くてまん丸い顔が私を覗き込んでいる。縮れた長い髪をピンクの髪留めで結んだその愛らしい顔を見るのは、これが最初じゃなかった。

 彼女はアマーラ。私に一輪のガーベラをくれた片腕のない女の子だ。

 

 あわてて起き上がった私の上半身よりも少し高い背丈の彼女が私に近寄ると、その右腕を私に向かって真っすぐ突き出した。その手に握られていたのは、オオアマナを使って編まれた真っ白な花輪だった。片腕だけでこれを器用に作り上げたのだろうか? 

 彼女は私の頭の上にそっと花輪を乗せると、にっこりと微笑んでくれた。

 

 辺りを見回すと、私の近くにはアマーラ以外にも何人かの子供たちが近寄ってきていた。

 よちよち歩きの子たちが、二つに編まれた私の長い髪の毛を引っ張ったり、縞々の尻尾をがっしりと掴んだりしてきた。たぶん、特に理由はないんだろうな。元気を持て余しているから、目についた物にちょっかいをかけているだけなんだ。

 アマーラぐらいの子ですら、子供たちの中では年長である様子だった。

 

「や、やめてよ。くすぐったいよ・・・・・・あははっ! はははははっ!」

 無邪気な子供たちにじゃれ付かれていると、私もなんだか愉快な気持ちになっていって、されるがまま、仰向けになって地面を転げ回った。

 子供たちはいっそう調子に乗って、私に飛びつくようにまとわりついてきた。

 わけがわからないまま大声で笑っていると、そのまま楽しい時間が過ぎて行った。

 

「なーんだ。シベリアンって意外と子守りも上手なんじゃん」

「貴様なんかに子供たちを横取りされるとは・・・・・・屈辱です」

 パンサーもスプリングボックも、子供たちと一緒になってはしゃぐ私を呆れたように見ていた。

 ばつが悪いような気分になって、照れ隠しのように彼女たちを一瞥しながら微笑んでいると、丘の上を登ってやってくる新たな人影が見えた。

 

「カコさん! ・・・・・・あっ」

 彼女は車椅子を押しながらその場に現れていた。

 車椅子に乗っているのは、憔悴しきった顔で俯いているヒグラシ所長だった。

 

 カコさんは、丘の下のキャンプで食事の準備が整ったというので、子供たちのことを迎えにきたというのだ。

 子供たちがカコさんの姿を見つけると、私のことなんかほっぽり出して、我さきにと彼女に近づいて抱き着いていった。

 カコさんは両腕を広げて優しく子供たちを出迎えた。まるでその姿は子供たちを慈しむ母親か先生のようだった。彼女にはこんな一面もあるんだな。部下たちと一緒に体を張って戦うクールな女リーダーだと思っていたばっかりに、思わず唖然としてしまった。

 

 カコさんは、四方八方から子供たちに纏わりつかれながら、そのまま踵を返して花畑から立ち去ろうとした。

 パンサーたちもそれに付きしたがって歩き出している。

 

「ようやく外に出られるくらいに回復されたので、気分転換にと思って、日暮博士をこの花畑にお連れしました・・・・・・2人きりで、積もる話でもするといいわ」

 子供たちを連れて丘の下へ去ろうとしていたカコさんが振り返って、最後にそれだけ告げた。

 

 あたかも示し合わせたかのように、私とヒグラシ所長だけがその場に取り残された。

 彼はコバルトブルーの軍服を脱がされていて、代わりに灰色のガウンを羽織っていた。包帯が分厚くまかれた右足の膝から下は、もちろん無くなってしまっている。あの映像越しに見た惨状が本当だったことを今さらながらに思い知らされる。

「・・・・・・」

 所長の土気色の顔は、今までより一層やせこけて、活気がなく疲れ切っている。右足を失うという重傷を負って、数日間寝込んでいたのだから無理もないだろう。

 でも元気がない理由がそれだけじゃないのは知っている。

 

「無事でよかったよ所長」

「・・・・・・」

「カコさんはこのまま私たちを返してくれるってさ。もう何も心配いらないよ」

「・・・・・・」

 

 思いつく限り、所長への労りの言葉をかけてみるけど、彼からの返事はなく、気まずい空気だけがとめどなく充満していくようだった。このまま当たり障りのない言葉をかけても、互いの気持ちに蓋をしたまま意味のない時間だけが流れていくように思えた。

 

 彼が右足を失ったのは、セルリアンのせいでも、ましてパークのせいでもない。自らが抱えた秘密を隠すために逃げ出そうとして、勝手に地雷を踏んだからだ。

 自業自得で重傷を負った彼は、パークのおかげで一命を取り留めることが出来た。

 さらには秘密を吐かせるために拷問を受けるようなこともなく、安全にCフォースに送り返してもらえる。カコさんが道理に外れた行いを嫌う高潔なリーダーだからだ。

 所長からしてみれば、不慮の負傷以外は都合のいい出来事しか起きていない。

 

 本来ならば、してやったりと安堵に浸るのが普通のはずなのに、彼の表情は今まで一番苦しそうだった。耐えがたい葛藤に今にも押しつぶされそうになっているのが伝わってくる。

 ・・・・・・それを見てようやく理解できた。自分を押し殺して、流れに身を任せようとしているのは私だけじゃない。所長もなんだ。

 

「このままでいいの?」と、ついに私は本音で彼を問い詰めた。

 

「・・・・・・僕にどうしろと? アムールトラ」

 俯いた顔に深い影を落としながらも、ヒグラシ所長がようやく重たい口を開きはじめた。

「Cフォースの機密をパークに吐けとでも言うのか? そんなことをしたら僕は職を追われて、社会的立場も失う。それに上司からどんな報復がもたらされるかわからない。そう思うと怖くてしょうがない・・・・・・卑怯者と思ってくれていい。自覚しているよ、今までそうやって生きてきた。自分を押し殺して、強い者に巻かれて・・・・・・僕はくだらない最低の人間だよ」

 

 ヒグラシ所長は、自分自身のことを責めて、卑下して、殻に閉じこもろうとしていた。そのまま今の状況が過ぎ去るのを待つ気だろう。

 そんな彼を見ていると、なんだか無性に悔しい気持ちになった。彼には下を向いたままでいてほしくないと思った。

 これまで私とヒグラシ所長の間には色んな軋轢があって、今や彼のことをすべて信頼できるわけじゃないけれど、それでも結局、私は彼のことが嫌いになれない。

 

「自分のことを最低だなんて言わないでよ!」

 私が怒ったような口調になると、ヒグラシ所長はやっと顔を上げて、私の顔を直視してきた。

 

「あなたは最低なヒトなんかじゃない! 死んだ私をフレンズとして蘇らせてくれた。劣等生の私に優しく寄り添ってくれた。今の私があるのはあなたのおかげだよ・・・・・・私にとってあなたは、サツキおばあちゃんとゲンシ師匠と同じぐらいに大事なヒトなんだ」

「・・・・・・それは君をセルリアンと戦わせるためだ。僕は君に戦いの人生を強制して、つらい思いをさせてきただけだ。僕に感謝なんてするな」

「でも、あなたは自分でそれを割り切れてないんだ。フレンズを戦わせることに罪悪感を持っているんでしょ? だからそんなに苦しそうなんだ。違うかい?」

 

 私は何か上手いことを言えるようなタチじゃないし、言葉巧みに説得することは出来ないから、思いの丈を不器用にぶつけてみた。

 

 それが通じたのかどうかわからないけど、所長は返す言葉を失ったようで、再び黙り込んだ。

 腕を組んで私から目を逸らしながら、車椅子に深く座りなおした。今までとはまた別の葛藤が頭をもたげたかのように、落ち着かない様子で視線を泳がせていた。

 

「所長、どうしたの?」

「君に前から言おうと思っていたことがある・・・・・・つい言いそびれてしまっていたのだけれど、今言うしかないのかもな」

「何だよ。言ってよ」

「君の育ての親である矢車皐月さんのことだ。彼女はもうこの世にいない」

「え・・・・・・おばあちゃんが?」

 

 それは今から三か月くらい前のことだという。

 その頃私はまだブラジルにいて、メガバットやスパイダーなど頼もしい味方と一緒にセルリアンと戦う毎日を送っていた。もちろんクズリも一緒だ。彼女とお互いの背中を預けて助けあった日々が遠い昔のように思える。

 

 ヒグラシ所長は東京の研究所で、今までと変わらずにフレンズの育成に励んでいた。

 所長は私がいなくなった後も、律儀にサツキおばあちゃんの近況を調べ続けてくれていた。

 東京のとある場所にある老人ホームで、不自由ながらも穏やかに暮らしていたおばあちゃんが、突然に体調を悪化させて息を引き取ってしまったらしい。正確な理由までは所長も調べられなかった。赤の他人である彼には知る権利がないからだ。

 彼女の遺骨は、東京の郊外にある緑豊かな無縁墓地に埋められたらしい。

 

「おばあちゃん・・・・・・」

 フレンズになってしまった私が、おばあちゃんと再び会うことは二度とないだろうと思っていた。

 セルリアンとの戦いを終えて東京に帰ることが出来たら、遠目でもいいから彼女の姿を見させてもらうことが出来たらいいなって、ぼんやりと、いつかの楽しみのように考えていた。

 でも、それももう叶わない。

 

「す、すまないアムールトラ。今まで黙っていて」

 涙を浮かべながら顔を伏せた私を見て、ヒグラシ所長があわてて弁解を始めた。

「君に知らせるべきかどうか迷った。君の邪魔になってしまうのではないかと思って・・・・・・それだけじゃなくて、僕にはこのことを話す勇気がなかった」

 

「私に所長を責める資格なんてないよ」

「それは、どういう」

「おばあちゃんのことは、出来るだけ思い出さないようにしていたんだ。前に進めなくなってしまうような気がしたから、目の前の戦いだけに集中してきた」

 

 私はおもむろに、アマーラからもらったオオアマナの花輪を頭から外すと、それを握りしめてうずくまった。

 花輪の上に自分の涙がポタポタと零れ落ちていっている。

 

 おばあちゃんのことを忘れるなんて無理だ。

 パンサーやスプリングボックがこの南アフリカを故郷だと言うなら、私にとってはサツキおばあちゃんと過ごしたあの狭いアパートがそれなんだろう。

 二度と戻ることが出来ないとわかっていても、それでも一生心の中に深く残り続ける。故郷っていうのはそういう場所なんだと思った。

 

 この花畑を訪れて、自分のことがよくわかった。

 

「いくじなしで、甘えたがりで、戦うよりも花を眺めている方がいい・・・・・・私は昔のままだ。強くなったつもりだったのに」

「それが本当の君だ。別にいいじゃないか」

 

 今の今まで落ち込んでいたヒグラシ所長が、初めて私に笑顔を見せてくれていた。

「何があっても、いくら変わっても、変えられない部分っていうのがあるのかもな。ヒトにもフレンズにも」

 

「じゃあ所長は? 所長にも変えられない部分があるの?」

「ふふふっ、僕か・・・・・・僕は」

 

 所長は自嘲気味に口元を歪ませながら、遠い目で花畑を見つめながら何かを考えている様子だ。

 きっと自分の人生を思い返しているのだろう。彼は私よりもずっと年上だから、その分多くの思い出を重ねて今まで生きてきたはずだ。

 今みたいに自分を押し殺してやり過ごしたことだって、きっと一度や二度じゃない。そのたびに彼の中の本当の彼が傷ついて、小さく縮こまって息をひそめてしまったのだとしたら、本当につらかっただろう。

 所長の気持ちがなんとなくわかるのは、今の私も同じような状況だからだ。

 

「僕は若い頃は医者をやっていた。病める人を救うために生きたいと思っていた。仕事に誇りを持っていた」

「医者の職を辞して、フレンズを研究する仕事に就いたのも、医学の発展に寄与出来るのではないかと思ったからだ」

 

 ヒグラシ所長が研究していたのは「再生医療」だったという。

 ヒトの体は、傷を癒すことは出来ても、失った機能を元通りに戻すことは出来ない。手も足も、内臓も、一度失ったら元通りには取り戻せない。それがヒトの回復能力の限界。今までの再生医療の限界と言われていたそうだ。

 

 所長はその限界を超えるためにフレンズに目を付けた。

 フレンズはヒトとほぼ同じ体の構造を持ちながらも、ヒトの数十倍の身体能力と回復能力を備えている。

 所長のような医療関係者にとっても、フレンズは未来への希望だったという。

 

「だが、事は僕の思っていたようには運ばなかった。フレンズがセルリアンに唯一対抗できる存在だと判明してから、フレンズを兵器として利用する動きばかりが活発化していった。いつの間にか医者の道に戻ることが出来なくなっていた」

「上司に逆らえないままに今の仕事を続けているうちに、誰かの命を救いたいという自分の夢もすっかり忘れて、自分の身を守ることしか考えられない卑怯な男になっていた」

 

 所長が昔話を終えると、再び黙った。過去の苦悩を再び味わっているかのように、痛みをこらえるように手で顔を覆いながら頭を伏せている。

 私も彼も2人してひどい有様だった。成す術もなく暗い所に沈んでいくように思えた。

 

「・・・・・・所長はずっと後悔しながら仕事してきたの? 私たちにフレンズに、いやいや関わってきたの?」

 余計に空気が悪くなるようなことを私は尋ねた。二人ともこれ以上気分が沈むことはないだろうし、言ってしまえ、と思ったからだ。

 

「そういう気持ちもあった」

「・・・・・・そう」

「だが嫌な事だけじゃなかった。君たちフレンズと接するのは楽しかった」

 

 所長の声色が変わった。絶望を思い出してすすり泣くのではなく、何か楽しい気持ちになれる思い出を探すように、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 

「君たちは人間と一緒だ。十人十色・・・・・・好き嫌いも、得意不得意もそれぞれに違う。それに寄り添った時、君たちはみんな答えてくれた。・・・・・・特に君だよ、アムールトラ。僕が育てた中で、君ぐらい個性的なフレンズは他にいなかった」

 

 東京の研究所で、ヒグラシ所長の下でトレーニングを積んでいた時のことが思い出された。

 所長はいつも私のことを考えてくれた。サツキおばあちゃんの足跡を調べてくれたり、植物の図鑑を読み聞かせたりしてくれた。

 ゲンシ師匠と出会うことが出来たのも、所長が彼を見つけてきてくれたからだ。

 

「君は今まで本当に頑張ってきた。努力を重ねて、クズリと互角と呼ばれるほどの強いフレンズになった。でもどれほど強くなっても君は君だった。出会った頃と同じ、優しいアムールトラのままだ・・・・・・それがわかって、なんだか僕もうれしいよ」

 

 そう言って顔を上げた所長の顔は、何かを振り切ったようにさっぱりとした表情をしていた。車椅子の車輪に手を回して、グルリと180度方向転換した。

 咲き乱れる花畑から、カコさん達がいる難民キャンプの方角へ、車椅子をこいでゆっくりと前進し始めた。

 

「君が変わらなかったなら、僕も変わっていないかもしれない。こんな僕でも、まだやり直すチャンスがあるのかもな」

「所長? どこへ?」

「カコくんの所へ・・・・・・僕が知っていることを彼女に全部話しに行く」

 

 それはつまりCフォースを裏切るということ。その結果何が起ころうとも、所長はそれを受け止めるだけの覚悟を決めた様子だった。

 所長がこぐ車椅子が、勾配の頂点に達しようとしていた時、私は思わず彼を追いかけて、車椅子の持ち手を掴んで彼を引き止めた。

 

「アムールトラ、僕を止める気か」

「違うよ! この先は下り坂になってるんだ! 車椅子じゃ勢いが付いて、止まらなくなっちゃうよ。だから私が連れてくよ」

「そ、そうだったな・・・・・・じゃあ頼む」

 

 一生思い出に残るような美しい花畑を後にして、元来た道、なだらかな丘を下りはじめた。両手には車椅子に乗る所長の重みが伝わってくる

 眼下に広がる難民キャンプの雑踏を、彼の後ろ姿がじっと見つめている。

 

「そうだアムールトラ。一応断っておくが、僕はもう所長じゃないぞ。その立場を追われてヒラの研究員に降格させられたのだからな。所長って呼ばれると変な感じだ」

「でも、私にとっては、所長は所長なんだ。今後もそう呼んでいい?」

「やれやれ・・・・・・変な所にこだわりが強いのも相変わらずだな」

 

 ヒグラシ所長。私を動物からフレンズへと生まれ変わらせたヒト。

 優しいけれど気弱で、隠し事ばかりするヒト。

 今まで、彼のことが信じられなかった。

 けれども、もう一度彼のことを信じて、一緒に歩んでみたいと思った。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォースアフリカ支部職員(元日本支部研究所 所長)
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:25歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「アマーラ・アモンディ(Amara Amondi)」
年齢:8歳 性別:女 職業:南アフリカ北ケープ州市民

_______________Location________________

「ナマクアランド(Namaqualand)」
概要:南アフリカ北西部からナミビアの国境付近にかけて広がる国立公園。半砂漠地帯であり、荒涼とした平野が広がるばかりの場所であるが、夏の間ごく短い雨季に見舞われることで、乾いた大地にばら撒かれた花の種子が一斉に開花することがある。荒野一帯に出現する広大な花畑の面積は50万平方キロメートルにも達し「神々の花園」「奇跡の花畑」として知られている。
    
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章12「あるトラのきぼう」

 ヒグラシ所長が、ついにCフォースの機密を話す決意を固めた。

 私は彼を車椅子に乗せながら、カコさんに会いに行こうとした。

 

 しかし彼女は難民受け入れの手続きやら何やらで、日がな一日激務に追われている様子だった。とても話しかけられる雰囲気ではなく、ようやくお目通りが叶ったのは、夜もすっかり更けた頃だった。

 銃を携えた黒人兵士たちが、カコさんが休むトレーラーの前で見張りをしていたが、私と所長の姿を見つけると、何かの事情を察したようにあっさりと通してくれた。

 

 そうして後部からトレーラーの中に入っていくと、パソコンに向き合って一心不乱にキーボードを叩いているカコさんが私たちを出迎えた。

 

 簡素な部屋だった。ここのリーダーが休む寝室であっても、特に華美でも何でもなかった。私が前に入れられた牢屋とそう変わりない内装だ。

 ただ物がたくさんあって、デスクの上には乱雑に書類が積まれて、さらにその上に食べ終わった食器やコップなんかが乗せられている始末だった。昼も夜もない激務に追われていることが伝わってくる。

 壁には動物や自然を映した写真が何枚も貼られていて、カコさんへのそれらへの愛情が伝わってくるようだった。

 

「このような場所で申し訳ありませんね、日暮博士」

「いや僕のほうこそ。君はとても忙しいのに、時間を作ってくれて恐縮だ。ところでここで話しても大丈夫かね? 外には兵士たちが・・・・・・」

 

 所長は怯えたように振り返ってをドアの方を見た。そんな彼に向かってカコさんは表情ひとつ変えずに答えた。

「私たちは日本人。母国語で話せばいいでしょう。そうすれば彼らには何もわかりません」

「そ、そうか」

 

「さて、日暮博士。あなたは必ずパークの理解者になってくれると思っていました。Cフォースに籍を置きながらも、フレンズを倫理的に扱うことを動画や論文で主張されてましたものね」

「・・・・・・そんな主張をした結果、スパイの疑いをかけられて、南アフリカへ左遷させられた。そして今まさに密告者になろうとしている」

 

 張りつめた空気で会話を始めた所長とカコさんを後目に、私はトレーラーの外へ出ようとすごすご歩き出した。

 話の内容にとても興味があったけど、2人きりで、大事な内密な話をはじめようというのに、それを脇で立ち聞きするのも気まずくて、この場にいない方がいいような気がしたからだ。

 立ち去ろうとした私を、カコさんが「どこへ行くのですか?」と引き留めてきた。

 

「シベリアン・タイガーもこの話を聞く資格が十分にあるはず。そうですね博士?」

「アムールトラ、君にも真実を知ってほしい・・・・・・奇しくもこの南アフリカの地ですべてが始まったのだ」

 

 その時初めて知った。フレンズには「天然」と「人造」がいることを。

 私やクズリなどの人造は、セルリアンと戦わせるために動物の死体から作られた。

 パンサーなどの天然は、野生動物がある日突然にフレンズの姿を得た存在。そもそもの生まれた経緯からして全然違うんだ。 

 

 今から20年前、私が生まれるよりもずっと前に、南アフリカで世界で一番最初の天然フレンズが発見された。

 ヒグラシ所長は医者をやめて生物学者に転向して、研究者の一員として南アフリカを訪れていた。その頃の彼には再生医療の発展という夢があった。

 カコさんはまだほんの幼い子供だったけれど、研究者である父親母親に連れられてこの地で暮らしていたらしい。

 

 最初はすべて上手く行っていた。希望と発見に満ちた研究の日々だった・・・・・・と、あの頃同じ出来事を経験した者同士、2人は目を伏せてあの時に起こった出来事に思いを馳せていた。

 

 すべてのはじまりはセルリアンだった。

 フレンズしかセルリアンに対抗できる存在がいないことがわかった瞬間、研究者たちの意見が真っ二つに割れてしまった。

 フレンズをセルリアンを倒す兵器として使おうと主張したのは「グレン・ヴェスパー」。今のCフォースの頂点にいる、ヒグラシ所長の上司にあたるヒトだ。

 それに反対し、フレンズが自由に生きる権利を保護しようと声を上げたのは、カコさんの父親「遠坂重三」さんだったという。

 

 2人を旗印にして研究者チームは二つに分かれ、互いに相手を憎み合い否定し合う間柄になってしまった。

 その諍いは今も水面下で続いているという。グレン・ヴェスパーの派閥はCフォースとして。遠坂重三が興し、今はカコさんが受け継ぐ組織はパークとして。

 Cフォースは世界中に影響力を持つ巨大な軍隊に発展し、パークは存在を悟られずに活動する地下組織として、真逆の道を歩んでいった。

 

 今まで同じものを信じて歩んできた仲間が、ある日突然に敵になってしまう。相手との間に埋められない溝が出来てしまう悲劇・・・・・・なんとなくわかるような気がした。

 脳裏にチラリと、クズリの姿が思い浮かんだ。

 

「昔話はこのあたりにして、さっそく本題に入ろう」

「でしたら日暮博士、まずは私から話させてください。私たちが何者なのか、数日前もシベリアン・タイガーとウルヴァリンに話そうとしていました。結局ウルヴァリンに話すことは出来ませんでしたが、あの時の続きを今」

 

 カコさん達パークは、人造フレンズをCフォースから解放することが目的だと言った。

 Cフォースからの解放は、すなわち”オーダー”からの解放に他ならないという。

 

 Cフォースが人造フレンズに刷り込んだオーダーは「ヒトを殺傷してはならない」の他に、さらにもうひとつ大事なものがある。それは「脱走してはならない」という命令だ。その命令を本能レベルで刷り込まれているだけでなく、本能を踏み越えて逃げようとした場合は、やはり強制的に意識を失わさせられてしまうらしい。

 パークがCフォースに勝利した暁には「脱走してはならない」オーダーを人造フレンズから消去し、生きたいところで自由に生きられるようにしてあげたい、というのだ。

 

「オーダーを消すことなんて出来るんですか?」

「ええ、今すぐには出来ないけれど、私たちの本拠地に行けば可能よ」

「・・・・・・待ってくれカコくん。オーダーは全て悪というわけではないぞ。”脱走禁止”はともかく”殺傷禁止”は消去すべきではない」

 

 あわてて口を差し挟むヒグラシ所長に、カコさんも合いの手を挟むように頷いた。

 

「もちろん私たちも、うちで保護している天然フレンズにもオーダーとは違う形でのブレーキはかけています。というのも、フレンズが肉体に秘める潜在能力はあまりにも強大で、何らかのブレーキがなければ制御が利かなくなって暴走してしまう恐れがある」

「暴走・・・・・・?」

 

「理性をなくして、自分の意志とは無関係に、周りを傷つけてしまう怪物になってしまうかもしれない、ということよ。あくまで可能性の話で・・・・・・私が知る限りそんなフレンズはいませんが」

 

 自分の意志とは無関係に周りを傷つける怪物・・・・・・何だかその言葉を聞くだけでゾッとするような気分になる。そんなのセルリアンと同じじゃないか。私たちは考える頭と言葉を持っているはず。それが無くなってしまうことなんて想像も出来ない。

 

 仮にクズリみたいに強いフレンズがそんな怪物になってしまったら、止めることなんてきっと誰にもできない。

 まあ彼女はフレンズの中でも取り分け頭がいいから、理性をなくした怪物なんかになるとは思えないけれど・・・・・・私なんかもっとあり得ないはずだ。根っからの野生知らずの私には、刷り込まれるよりも前に、自前のオーダーがすでに染み付いてしまっている。

 

「ところで、シベリアン・タイガーは今のところオーダーの影響が何も出ていないわね。Cフォースから逃げたいとはこれっぽっちも思っていないようね」

「だって、Cフォースが間違っているとは思えないんです。私は今までCフォースのヒトと一緒にセルリアンと戦ってきました」

「Cフォースがセルリアンから人類を守るためになくてはならない組織なのは認めるわ。でもそれは最前線で戦う「軍部」のことよ。私たちの敵はCフォースの「研究部」なの。彼らを解体して無力化するのが当面の私たちの目的よ」

 

 Cフォースは大きく分けて「研究部」と「軍部」に分かれている。研究部はフレンズを研究し、生み出して訓練している部署だ。ヒグラシ所長もそこに勤めている。

 そして軍部は、セルリアンの出没地域に赴いて、フレンズに指示を下して戦わせたり、後方で人災の鎮圧を行ったりしている。私が元いたブラジルの部隊などがそれにあたる。

 

 でも、そこから先のことは良く知らなかった。

 Cフォースは最初、ヒグラシ所長も含めた数十人の学者で構成される研究部があるだけで、軍部っていうのは、組織が膨れ上がる中で後から加わったヒトたちだという。

 力関係は明らかに、最初からいた研究部の方が上。軍部は研究部の命令に半ば従っている形だ。

 

「つまり君たちパークの目的は、Cフォース研究部と軍部の分断なのだな。全面的な戦争を望んでいるわけではないと」

「そうです・・・・・・矢面に立って戦っている軍部の中には、安全な所から指示を飛ばしてくるだけの研究部に不満を持つ人間も多いはず。私たちはそこを突きます。軍部と交渉して私たちの味方に付け、研究部を孤立させます。その後に、フレンズに頼らずにセルリアンと戦う新組織を作り上げてみせる」

 

 あまりにもスケールが大きくてピンと来なかったけれど、カコさんの表情からはそれが冗談でも何でもないことが伝わってくる。

 セルリアンを倒す虹色の弾丸「SSアモ」はその交渉材料の一つだという。

 前線でセルリアンと向き合いつつも、戦闘はフレンズに任せるしかない軍部のヒトからしてみれば、SSアモは喉から手が出るほどに欲しい代物のはずだろう。

 

「CフォースがSSアモみたいな兵器を開発してこなかったのは、フレンズこそがセルリアンに対する最大の対抗手段であると信じているからよ。そこに私たちが付け入る隙がある」

「でも、SSアモだけでセルリアンと戦えるんですか?」

「資金不足で実用化できないというだけで、兵器はSSアモの他にもあるのよ。Cフォース軍部と同盟を組んで潤沢な資金を手に入れることが出来れば、十分にセルリアンを撲滅し得る組織になるわ」

 

「・・・・・・よくわかったよ。君たちパークの目的、そして展望が」

 

 ヒグラシ所長は神妙な表情で深いため息を付くと、車椅子の手すりを握りしめながら「今度は僕の番だ」と、土気色の肌を上気させながら顔を上げた。額には冷や汗が浮いてきていた。

「この南アフリカでCフォースが何をしようとしているのか、全部話そう」

 

「・・・・・・まず、Cフォースは最強の人造フレンズを開発しようとしている。そのためにアムールトラとクズリ、現時点での最強候補である2人が南アフリカへ呼ばれたのだ。研究所では君たち2人からあらゆるデータを採取することが計画されていた」

「所長、データって?」

「君たちの戦闘パターン、遺伝情報、さらには”野生解放の先にある力”の謎・・・・・・それとフレンズの潜在能力をすべて引き出した”暴走状態”のことも調べるつもりだった」

 

 最強の人造フレンズがどのようなものかはまだ解明できていないという。

 ただCフォースが望んでいるのは、それを安定して生み出し、制御することだと言った。

 

 同じ姿形をした、同じ強さのフレンズを何体も生み出すなんて、それはもうフレンズじゃない別の何かなんじゃないだろうか、という寒気にも似た嫌悪感が胸の中に沸き起こる。

 今まで色んなフレンズと助け合って戦ってきたからわかる。私たちには個性がある。強みもあれば弱みもあるんだ。同じフレンズなんて1人としていない。

   

「解せませんね。Cフォースは何故この南アフリカを実験場に選んだのですか?」

 カコさんが、当然とも言える疑問をぴしゃりと投げかけた。

 確かに、私とクズリのデータを集めるだけなら南アフリカまで呼び寄せる必要なんて何もない。Cフォースは世界各所に大型の研究設備があるのだから、そこに呼べばいいはず。

 

「Cフォースの目的は、最強の人造フレンズ開発の他にもうひとつある・・・・・・ふたつの目的を同時に、秘密裏に成し遂げられる場所は、南アフリカを置いて他にはないのだ」

 ヒグラシ所長の顔が一層青ざめる。これから自分が発しようとしている言葉に恐れおののいているのが伝わってくる。

 

「もうひとつの目的・・・・・・それはセルリアンを研究し、支配下に置くことだ」

 

 静かだった室内が一層冷たく張りつめた。

 聞き捨てならない言葉を聞いたと言わんばかりに、カコさんは机に身を乗り出して覗き込むように所長を見つめている。

 所長は真っ青な顔で下を向きながら、カコさんの視線に耐えるのがやっとといった様子で浅く頻回な呼吸を繰り返している。

 

「南アフリカにはセルリアン発生の謎を解く鍵が眠っている。フレンズだけでなくセルリアンもまた、南アフリカにて初めて存在が確認されたのだから」

 そういえば所長はセルリアンの発生源の調査を行っていたんだっけ。その時に武装集団に襲われて、1人で逃げていた所を、私とクズリと再開を果たしたんだった。

 

「セルリアンをどうやって支配するつもりなのですか?」

「君も知ってのとおりだと思うが、上位のセルリアンは下位の個体を生み出し、従わせる力がある。それはあたかも、女王アリが働きアリを従わせるように」

 

 かつてブラジルで最初に戦った難敵ハーベストマン。つい最近オレンジ川のほとりで倒したゼリーフィッシュ・セルリアン・・・・・・両者とも自分では戦わず、幼体を生み出して戦わせるタイプの相手だった。

 幼体は親を守るために死力を尽くして立ち向かってきた。

 感情がないはずの彼らが、どうしてあんなに必死に自分の親を守ろうとしたのかはわからない。

 しかし彼らを突き動かしている何かがあることは、戦っていてなんとなく感じていた。

 

「我々はこう結論した。すべてのセルリアンを従わせる”女王”を人の手で生み出すことが出来れば、セルリアンを支配できると・・・・・・後は簡単だ。女王を介して人間に従わせれば、世界中のセルリアン災害を収束させることが出来る」

 

「それで終わるはずがないでしょう」と、カコさんがきっぱりと断じた。

「あなた方Cフォース研究部は明らかに暴走しています。仮に研究部がセルリアンを手中に収めたとしたら、今度はフレンズに代わる己の尖兵にする可能性がある・・・・・・その時こそ人類の、いえ、すべての命にとっての真の危機が訪れます・・・・・・そんなことはパークが絶対に阻止してみせる」

 

 あのカコさんが、彼女らしからぬ相手を責めるような剣幕でまくしたてた。

 ヒグラシ所長は返す言葉もないといった風に黙り込む。思い当たる節がいくらでもあるといった感じだ。

 所長はここに来て意外な落ち着きを取り戻し始めた様子だった。

 

 今まで所長は一人で秘密を抱え込んで、上司への恐怖と良心の呵責との間で苦しんでいた。

 勇気を出して秘密を打ち明けた今、彼は自分の中の壁をひとつ乗り越えたんだ。そのことが彼に、傷つくことをも厭わない勇気と覚悟を持たせたようだ。

 

 彼のことを偽善者だと思っていた。優しいけれど、自分が悪者にならないように隠し事をしてばかりのヒトだった。でも目の前にいる彼はもう偽善者じゃない。傷ついても自分の善を貫こうとする覚悟を決めた善者だ。

 

「・・・・・・ここからが肝要なのだ。このことは、君の部下にもみだりに口外しないでほしい。信頼できる人間だけに話してほしい。どうやって”女王”を生み出すかについてだ」

 

 所長がまたとんでもないことを言おうとしていることを悟り、私もカコさんも同時に息を飲んで身構えた。

 衝撃の事実の上に、さらにそれを超える情報が盛られていく。

 カコさんほどのヒトであっても冷静を装うことが不可能である様子だった。

 

「女王を生み出すためには、素となる”完璧なセルリアンの遺伝子”が必要だ。今Cフォースアフリカ支部研究所では、セルリアンの体組織を採取して培養を行っている。南アフリカほど多様なセルリアンの体組織が手に入る場所は他にないからな・・・・・・そうして培養したセルリアンは、フレンズと戦わせることで能力の試験が行われる」

 

「すべて合点がいきました。Cフォース研究部は、最強の人造フレンズ開発と、セルリアンの遺伝子研究を並行して行うつもりなのですね」

「そうだ」

 

 強いフレンズと強いセルリアンを、実験の名のもとに戦わせる。フレンズのデータも、セルリアンのデータも同時に集められるって寸法だ。

 研究して生み出されたセルリアンを相手に、私とクズリは戦わされる予定だったんだ・・・・・・。

 

(何で行ってしまったんだ、クズリ!)

 クズリがこの場にいてくれれば、この話を聞くことが出来ていれば、一緒にあらがうことが出来たかもしれないのに・・・・・・Cフォースを探すために出て行った彼女を待ち受けているのは、実験台としての扱いだ。

 最強の人造フレンズとやらを完成させるために、どんなひどいことをされるかもわからない。

  

 ヒグラシ所長が私の苦悩を察したかのように、車椅子の高さから心配そうに私を見ていた。

 あらゆる覚悟を決めた所長には、私のことを気遣う余裕すら生まれているようだ。

 そんな彼の邪魔をしたくないと思って「それで」と、彼に言葉の先を促した。

「どうやったらセルリアンの女王が生まれるの?」

 

「南アフリカの地中奥深くには、セルリアンの発生源と思しきコロニーがいくつか存在する・・・・・・アリの巣を想像してほしいのだが、コロニーの一番奥には、無尽蔵にセルリアンを生み出す卵管とも呼ぶべき場所があるはずなのだ。それを元に”女王”を作り出す」

 

「私たちもセルリアン・コロニーの存在は勘付いていました。ですが最奥に人間が到達することなど不可能です。ましてや卵管の回収など」

「回収などする必要はないのだ。女王の遺伝子と、育てるための栄養分を一緒にして、地下深くの卵管に向けて送り出せばいい。栄養分・・・・・・それは核だ」

 

「バカな!」

 ついにカコさんが椅子から立ち上がって、真っ青な顔でデスクを叩いた。積まれた書類や食器がいくつか音を立てて床に落ちた。

「核兵器を地中に向けて撃つつもりですか!?」

 

 カコさんの追及に、ヒグラシ所長は沈黙で答えた。

 核兵器のことは私も聞いたことがある。放射能を使った爆弾のことで、ヒトが使う武器の中では最も強力なものだと。

 その強力なエネルギーと、完璧な遺伝子を材料にして、地下深くの卵管に女王を生ませるというのだ。どんなに強力な兵器であっても、ヒトの兵器でセルリアンが傷つくことはないのだから。

 

 核兵器がもたらす被害は、地上を生き物が住めない世界に変えてしまう程のものだと聞く。

 にわかにゲンシ師匠と空手の修業に励んだ特急拘置所のことが思い出された。果てることなく瓦礫で埋め尽くされ悪臭を放つ大地。ゴミが浮かぶ黒く濁った海。

 師匠とのかけがえのない思い出の場所ではあるけれど、あんなにひどい風景は後にも先にも見ることはないだろうと感じたのも確かだ。

 そういえばあの拘置所は、ヒトの所業のせいで汚れた島の上に建てられたものだと師匠が言ってたっけ。

 

 この美しい南アフリカが、あの奇跡の花畑が、核兵器によって拘置所のように汚れきった場所に変えられてしまうのだとしたら・・・・・・

 

「なんで」

「なんでそんなひどいことをするの?」

 

 考えたことがそのまま口に出ていた。

 Cフォースとかそういうことは関係なしに、この世界に生きているのに、どうしてそんなことを考え着くのか、実行できてしまうのか不思議で仕方がなかった。

 

「・・・・・・きっと、前しか見えていないからだ」

 ヒグラシ所長はいくらかの沈黙の後、まとめきれない言葉を何とか形にするように答えた。

「周りのことも、過去も未来も見えていない。自分たちの進む先しか見ていないから、他のすべてを蔑ろに出来てしまうんだ」

「・・・・・・」

 

 ヒグラシ所長の密告がすべて終わり、狭いカコさんの寝室に今度こそ深い沈黙が訪れる。私も所長もカコさんも、三者三様に疲れ切って黙り込んでいた。

 机に手を付いて立ち上がっていたカコさんが、再び椅子に腰かけると「なんてことを・・・・・・」と顔を手で覆いながら嗚咽交じりに呟いていた。

 

「日暮博士、ともかく、あなたの情報提供に感謝します。よくぞこれほどの機密を話してくれました。あなたの身の安全は我々が保証します。どこかでしばらく身を隠せる手配を・・・・・・」

「断る。密告をしたのは、身の安全を買うためなんかじゃない」

 カコさんの気遣いを一蹴するように、所長が言葉を被せてきた。

「僕はグレン・ヴェスパーの狂った計画を潰したい。あの男から人造フレンズ達の自由を、そしてCフォースの本来の在り方を取り戻したい。そのために君たちパークに協力を申し出たのだ・・・・・・保護ではない。君たちと共同戦線を結びたい」

 

 ヒグラシ所長はそう言いながら車椅子を漕ぎ出すと、カコさんのデスクの前に止まって、おもむろに片腕を突き出した。

 カコさんが驚いたように顔を上げた。目の前にいる傷ついた痩せぎすの男が、身の安全を求めてすり寄ってきた弱者ではないことを、むしろ自分自身が戦いの中心に向かおうとしている覚悟を秘めていることを感じ取ったようであった。

 

「いいでしょう。日暮博士、私たちに協力してください」

 カコさんが所長の手を取り、力強く握手を交わしながら答えた。

 ついに所長はCフォースから袂を分かつ覚悟を決めてしまった。

 これからどうなるのかわからないという不安を抱きつつも、事態が進行していくのを黙って見守ることしか出来なかった。

 

「2人とも、今日はお引き取りください。明日、連絡が取れる仲間を集めて緊急会議を行います」

 

 

 夜が明けて、私とヒグラシ所長は難民キャンプが所有する中でも一番大きくて広いトレーラーの中に呼び出された。

 中央には大きな金属製の丸いテーブルがあり、それをグルリと取り囲むイスが無数に備え付けられている。一見して集まって話し合いをするための部屋だとわかる風情だ。 

 椅子に座っていたのはパンサーとスプリングボック、そして何度か顔を合わせたカコさんの側近とおぼしき屈強な数名の黒人兵士たちだった。

 

 難民キャンプの中心的なメンバーが集結している中に、カコさんが颯爽と現れた。

 その場にいる全員の視線が注がれる中、カコさんが颯爽と部屋の中心に向かって歩いていくと、小脇に抱えていた何かを円形テーブルの上に置いた。

 Cフォースが使っているナビゲーションユニットにそっくりな黒い球体だった。あれよりも一回り以上小さかったけれど。

 

「あれは全天周囲型ディスプレイだ」と、ヒグラシ所長が言い終える前に、黒い球体の全身から眩い光が放たれ、広いトレーラーの中を照らしつくした。思わず顔を伏せて光から目を逸らした。

 

 眩しさに光が慣れて目を開けると、今まで少数のヒトとフレンズが集まるだけだったトレーラー内部が、見渡す限りの人影に埋め尽くされていた。

 実体はなく、あくまで光の中に投射されただけの映像だったが、その数は半端じゃなかった。

 大多数は黒人だった。その中に白人も黄色人種も少なからず混じっている。

 さらにはヒトとまったく異なる外見をした、一目でフレンズだとわかる少女達もその中に映り込んでいた。

 

 カコさんは映像の向こうにいる大勢のヒトとフレンズに向かって、神妙な表情で高らかな声で、アフリカの言葉で何かを話し始めた。私には聞き取れない言葉だけれど、何について話しているかは考えるまでもない。

 昨日ヒグラシ所長が密告したCフォースの機密を、ここにいる全員に伝えているんだ。

 映像の向こうにいる誰もが、静かにカコさんの言葉に耳を傾けている。

 

 パークとは想像以上に大規模な集団のようだった。

 多数のメンバーを、少数のグループごとに分けてアフリカ大陸中に散らばらせているんだそうだ。彼らはそうすることでCフォースから見つかりにくくしている。

 さらに皮肉なことだけど、セルリアンがCフォースからパークの所在を隠してくれている。アフリカ大陸はセルリアンの本拠地と見なされ恐れられているがゆえに、Cフォースの監視の目が行き届いていないからだ。

 

 やがてカコさんが話し終えて一呼吸つくと、映像の向こうにいる多数のヒトとフレンズが背を向けて立ち去り始めた。

 このトレーラー内にいるカコさんの側近たちとパンサーたちも、それに続くように出口に向かって歩き始めた。

 一目散に解散する空気に従うままに、私もヒグラシ所長が乗る車椅子を押しながらトレーラーの外へと歩き出した。

 

 ちらりと後ろを見やると、カコさんがぽつんと見上げる映像の向こうには3人の男女が残っていた。それはパークの中枢にいるメンバーたちだという。彼らは広大なアフリカ大陸を4つに分割して、それぞれのエリアの指揮にあたっていると聞いた。

 

 西には「リベリアの将軍」。北には「エジプトの聖母」。東には「モザンビークの長老」と呼ばれる各エリアのリーダーがいるらしい。

 そして南エリアのリーダーであるカコさんは「南アフリカの新星」と呼ばれていると。

 パークの代表者たち4人だけで、何か内密な話し合いを行おうとしているようだ。

 

「彼らは核兵器のことについて会議を行うようだ」と、ヒグラシ所長が小声で耳打ちしてきた。

「核兵器のことを誰彼かまわず話してしまえば、きっと混乱が起こってパークの指揮系統が崩壊してしまう。君も口外するのは控えてくれ」

 

 トレーラーの外に追い出されたパンサーや側近たちが暗い表情でうなだれている。スプリングボックは苛立った目付きで私と所長を一瞥すると、やり場のない怒りに振り回されるようにその場から去っていった。

 核兵器の情報を除いても、最強の人造フレンズ開発とセルリアンの遺伝子研究の話を聞かされただけで混乱をもたらすには十分だったようだ。

 

「それにしても、カコくんは若いのに大したものだな」

 ヒグラシ所長は感服したようにため息を付いた。知識や行動力が並外れているだけでなく、他人を引き付ける天性のカリスマを備えている、と賛美の限りを尽くして彼女を褒めちぎった。

「彼女は僕なんかとは器が違う。歴史に名を残す可能性すらある・・・・・・僕は残りの人生を彼女に賭ける。Cフォースの過ちを正し、セルリアンという危機を乗り越えてヒトとフレンズが共存できる世界を目指すために」

 

「うん、そうだね。私も所長とカコさんの下で戦うよ、ヒトを守るために」

「・・・・・・アムールトラ、君が戦う理由がどこにある?」

「え? どういうこと?」

「僕に義理立てする必要はもうないのだぞ」

 

 所長から放たれる空気がガラリと変わった。それまでさっぱりとした穏やかな表情だった彼が、私を遠ざけるような厳しい顔つきになった。

「もう君に戦いを強制するものはない。平和に暮らすこともできる」

 

 私には戦いを捨てる選択肢もある・・・・・・ヒグラシ所長はそのことを私に言ってきているんだ。

 パークの本拠地に行けばオーダーを消すことが出来る。

 昨日カコさんが言っていたことだ。その言葉にしたがってオーダーを消し去り、自由の身を手に入れた後は、パークの庇護のもとで安全な生活を送ることもできるそうだ。

 実際にパークが保護している天然フレンズの中にはそういう子が何人かいるらしい。

 

「僕は過去を清算するために命を懸けると決めた。パークは己の理想のために、そしてあの2人の天然フレンズは愛する故郷を守るために戦っている」

「私だってヒトを守りたい」

「アムールトラ、君は人間のために犠牲になって当然なのか? なんで自分の命を、幸福を一番に優先しないのだ?」

 

「なんだよ、それ」

 私は所長が何を言っているのかわからなかった。言葉の意味はわかっても、心の底でそれを理解することを拒んでいた。

 今までの自分を否定されたような気持ちになった。

 私はヒトの命を守るために戦ってきた。それが当たり前だと思っていたし、そうすることだけが自分の役目だと思っていた。その役目さえなくなったのなら、私には何が残るんだ? 生きている理由なんてないじゃないか。

 

 目頭がぼうっと熱くなり、言葉にできない激しい感情が頭の中を回った。どうやって立っているかもわからないぐらい足元がぐらぐらしてきた。

「あなたが・・・・・・!」

 気が付くとヒグラシ所長の胸倉を掴んで持ち上げていた。のけ反るように宙に浮いた彼の体を、私の顔の高さで止めた。

 

「あなたが私にそうさせてきたんじゃないか! 今さら何を言ってるんだよ!」

 その場にいる誰もが振り向くような大声で、私は所長に怒鳴った。

 ヒトを超えた膂力で成すすべもなく宙吊りにされた所長は、恐れも驚きもせず、ただ強い意志を湛えた目で私を見つめていた。

 

「君のことだ。僕が戦うと言えば、なし崩し的に僕に付いてきて、当然のように命を懸けてしまうだろう・・・・・・それじゃ今までと何も変わらない! 人造フレンズの自由を取り戻すと決めたのに、さっそく君の自由を奪っていることになる」

「私は戦うしかない。それしかないよ・・・・・・帰る場所もない。待っていてくれるヒトもいない!」

「これから見つければいい。君なら出来る」

 

 所長は私を見つめたまま、胸倉を掴んでいる私の両手に、そっと自分の手を重ねてきた。ひんやりとした彼の体温が伝わってくる。

 まるで私が知っている所長じゃないみたいだ。優しくされたことはあっても、こんな風に言葉を尽くされたことはない。こんなに強く見つめられたこともない。

 

 いよいよ惨めな気持ちになってきて、所長を車椅子に降ろすと、今度は私自身がその場にへたり込んだ。熱くなって力が抜けた顔面から、涙がぼろぼろ零れている。

 

 やっと自分のことがよくわかった。

 今までヒトを守ることをお題目のように掲げてきたのは、善意からでも理想からでもない。私にはそれしかないって思ってたからだ。その言葉に依存していたんだ。

 それこそが私を縛るオーダーだった。他のオーダーなんか効かなくなるぐらいの強烈なものだ。だから言われるがまま、疑問にも思わずに戦ってきた。

 Cフォースとパークの間で揺れ動いた時も、クズリのように自分で選ぶことが出来なかった。そしてヒグラシ所長が覚悟を決めた今、例によって考えなく彼に付いて行こうとしていた。

 本当に私は、自分っていうものが何もない。

 

 地面にへたり込んで項垂れている私の肩に、所長が手を置いた。情けなく泣きじゃくる私のことを、優しく穏やかな顔で見下ろしている。

 

「・・・・・・私、何にもない」

「いや君には希望があるぞ」

「希望? 希望って何?」

「花の種みたいなものだ。地面に埋まっている時は見えないけれど、いつか美しい花になるんだ」

 

 

 それから数日経って、難民たちの避難が少しずつ始まった。難民の振り分けはおおよそ国連に委託できるようになったらしい。その後のキャンプの運営はカコさんの部下だけで回せるようにしたらしい。

 

 カコさんは、核兵器を地中に打ち込んでセルリアンの”女王”を生み出すというグレン・ヴェスパーの野望を打ち砕くために、精鋭のメンバーを集めて極秘裏に動き出すことに決めた。

 行き先は「ケープタウン」と呼ばれる南アフリカ有数の大都市だそうだ。

 そこはセルリアンが20年前に出現してから、最初期に落とされた死の街・・・・・・未曽有のセルリアンがひしめき合う危険地帯らしいのだけれども、都市の機能はまだいくらか残っていると。

 目的はふたつ。核兵器が落とされる具体的な地点の情報を入手すること。その情報をもとに、世界中の放送をジャックしてグレン・ヴェスパーの企みを白日のもとに晒すこと。

 そのふたつを行えるのは、この近くではケープタウン以外には考えられないとのことだ。

 

 実働班には、カコさんとその側近が数名。パンサーとスプリングボック、情報提供者としてヒグラシ所長も加わる。目的はあくまで戦闘ではなく情報収集なので、これぐらいの少人数で動くのが望ましいとのことだ。

 後々にはCフォースと一戦構えることになることも想定して、アフリカ大陸中から少しずつパークのメンバーや協力者である天然フレンズ達が南アフリカに集結するとも聞かされた。

 

 そして結局、私もカコさん達に付いていくことになった。

 所長は最後まで私が来ることに反対し、カコさんもそれに同意していたけれど、部下からの反発がすごかったらしい。

 オレンジ川での私の戦いぶりを見ていた彼らは、戦力として私を使わないことはあり得ない、とカコさんに意見をぶつけたそうだ。彼らの声のおかげで私は戦列に加わることが出来た。

 

 今日は私たちがキャンプを発つ日だ。ナマクアランドを出て、南アフリカ西岸から海に漕ぎ出すらしい。海路は陸路よりも追跡されにくいという利点があるからだ。

 

 私は見納めにと思って、奇跡の花畑を訪れていた。ここに来ればいつでも優しい思い出に浸れる。嫌なことを全部忘れて、サツキおばあちゃんに撫でられていたあの頃に戻れる。

 今の自分を見失っている私にとって、最早すがれる物といえば過去しかない。

 

「おーい! アムールトラ!」と、私の感傷を打ち消すように、ヒグラシ所長が丘の下から大声で呼びかけていた。

 何ごとかと思って丘を降りて所長に近づくと、車椅子を漕いでいる彼の膝元には一冊の分厚い本が乗せられていた。花の写真が表紙になっている。

 

「これは植物図鑑だ。あの花畑に咲いている花も全部載っている」

「・・・・・・いきなりどうしたの?」

「アムールトラ、君は花が好きだろ。この図鑑を自分で読みたいとは思わないか?」

 

 所長は私に読み書きを教えたい、と言ってきた。本を読めば自分の世界を広げられると、それが希望になると言った。

 彼は私が研究所から去った後、後輩の人造フレンズ達に読み書きを教えていたんだそうだ。中にはそれを喜んでくれた子がいたらしくって、私にも同じようにしたいんだと。

 

「別に読めなくていいよ」と、所長を冷たく突き放してその場を後にした。彼の気遣いも、今はうざったかった。

 どうせ私は戦うだけの存在なんだ、本なんか読めるようになったって何の意味もない。

 

 卑屈な気分のままキャンプの雑踏を歩いていると、目の前に見知った姿が現れた。美しく長い亜麻色の髪の隙間から、不機嫌そうな相貌で私を睨み付けている。

 腕を組んで仁王立ちで立ちふさがって、いかにも私に物申したいような空気だ。

 

「スプリングボック・・・・・・ごめんね。君は私が嫌いかもしれないけど、これからもよろしくね」

「そんなことはどうでもいいです。シベリアン、貴様は今日ここを発つというのに、アマーラに挨拶をしていかないのですか?」

「え、アマーラに?」

「あの子は貴様のことを友達だと思っています。別れの一言ぐらいあってもいいはず。この近くに彼女が暮らすテントがあります。付いてきなさい」

 

 スプリングボックの意外な申し出に呆気に取られてしまった。

 何というか、感情表現が真っ直ぐすぎるぐらい真っ直ぐな子だ。相手に憎しみも100%ぶつけるし、優しさも同じようにぶつけてくる。その両極端な感情が矛盾なく同居していて、バランスが取れてしまっているんだから不思議なもんだ。

 

 確かにアマーラに会っておきたいと思った。私に花や笑顔をくれた彼女の気持ちに対する友情を感じた。

 だけど、ここで一つ困ったことになった。私は彼女に挨拶が出来ない。アフリカの言葉で話せないからだ。それを聞いてスプリングボックも同じように首をかしげてしまった。

 

「貴様の言葉も、私たちの言葉も、区別がつかない」

「そうだよね。フレンズは違う言葉が同じように聞こえてるだけだもんね」

「おーい! ここにいたのかアムールトラ!」

 立ち往生していた私たちに、後ろからヒグラシ所長が車椅子を漕いで近づいてきた。先ほど私に冷たくあしらわれたのを全く気にしていないようだ。

 

 彼は私に耳を貸すように手招きすると、耳元である言葉を囁いた。私はそれにうなづくと、スプリングボックの案内を受けてアマーラがいるというテントの中に入っていった。

 

 狭く薄暗いテントの中で、アマーラは台所に立って仕事をしていた。片手しか無くてもやっぱり彼女は器用で、まな板の上に乗せたジャガイモの皮を包丁で剝いていた。

 そうして丸裸にされたジャガイモがボールいっぱいに乗せられている。

 

 突然にテントの暖簾をかき分けて、光りを取り入れながら中に入ってきた私を見て、アマーラがビクリと振り返った。

 私はその場に膝を付いて、恐る恐る両手を差し出した。

 彼女も包丁をまな板の上に置くと、おっかなびっくりな顔で、それでも私の手を取ってくれた。

 

 跪いた私と、立っている彼女の目線は丁度おなじ高さだ。真っ直ぐに見つめ合う彼女に向かって、私は用意していた一言を告げた。

「タータ!」

 ヒグラシ所長に耳打ちされて教えられたこの言葉は、アフリカの言葉で「さようなら」「またね」みたいな意味なんだそうだ。

 他にいくつも同じ意味の言葉はあるけど、これが一番簡単で、言い間違いがないらしい。

 

 アマーラは笑みを絶やさないままキョトンとした瞳で、私に向かって何かを話し始めた。聞き取れない言葉に向かって私は「タータ、タータ」と繰り返し応えた。

 

「アマーラは貴様の名前を聞いているんですよ」と、後ろからじれったそうにスプリングボックが助け船を出してくれた。

 私の名前、そうか・・・・・・名前を名乗ることなら、言葉が通じなくたって出来る。

 

「私は、アムールトラ」

「・・・アム・・・アムルトラ!」

 

 アマーラが弾けるような笑顔で、私の名前をたどたどしく復唱してくれた。彼女が今見ているのは、Cフォースのアムールトラじゃない。ただのアムールトラだ。

 

 私は今日から、ただの私として生きていく。

 空っぽな自分を埋めるために戦うことに依存するんじゃない。新しい自分を手に入れるために戦うんだ。自分の中にある希望を信じて。

 新しいことを知れば・・・・・・たった一つの言葉でも知ることが出来れば、そこから新しい世界が広がっていくのだから。

 

 

「日暮博士、ここにいたのですか、シベリアン・タイガーと、スプリングボックもそこにいるのですね」

「すまない。もうすぐにここを発てるさ」

「別にかまいませんが・・・・・・あなたに大事なことを聞き忘れているのに気づきました」

 

「何だね、それは」

「Cフォースアフリカ支部研究所とやらの所在についてです。私たちはCフォースの大概の施設は把握している・・・・・・ですがアフリカ支部研究所というのは、いくらハッキングを行っても情報が手に入らないのです。セルリアンの培養実験も、核兵器を搭載することも、並みの規模の研究所に出来ることではありません。かなり大規模な施設でなければ・・・・・・しかしそんな施設が存在するならば、私たちに見つけられないはずがないのです」

 

「見つけることは不可能だ。なぜならアフリカ支部研究所は、地上には存在しないのだ」

「・・・・・・地上にはない? ではどこに?」

「アフリカ支部研究所は、地上数十キロメートルの高さを移動する、成層圏プラットフォームなのだ。センサー対策も完璧で、地上から行方を補足することは極めて難しい。そこから無数の輸送機や爆撃機を発進させて地上に送っている。だからセルリアンのサンプル回収も容易に行える」

 

「成層圏プラットフォーム!? そんなものを維持運営することなんて、国家レベルの予算でもなければ・・・・・・」

「出来るのだよ。Cフォースには、グレン・ヴェスパーには」

「敵は遥か空の上・・・・・・いいでしょう。彼らが巨象ならば、私たちはアリです。アフリカのサスライアリは、ゾウをも倒すことが出来るのです」

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ(シベリアン・タイガー)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:51歳 性別:男 職業:Cフォースアフリカ支部職員(元日本支部研究所 所長)
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:25歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「アマーラ・アモンディ(Amara Amondi)」
年齢:8歳 性別:女 職業:南アフリカ北ケープ州市民

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章13「クズリとヒツジ」

 あるトラのものがたり第30話です。
 
 現実とまどろみの狭間を足掻く、弱き獣がいた。
 もう一人の主人公が、始まりの途を静かに歩き出す。
 


 一番最初の出来事。

 遠い記憶の彼方に過ぎ去った、それでいて目蓋の裏に今も焼き付いている過去。

 

 春も半ばを過ぎ、新緑が力強く大地から芽を吹き始めた頃、僕はいつものように草原を駆け回っていた。遊び仲間の間では一番体が大きくて、足も速かった僕は、南から吹いてくる暖かい風の中へ飛び込むように走り抜けた。

 

 そんな僕の高揚した気分を、目の前に立ちふさがる行き止まりが食い止めた。

 苔生した木材で作られた柵が、緑が芽吹く草原の向こう側までずっと並んでいる。この柵の内側だけが僕たちの世界だった。

 この柵の向こうには出るな、とお母様からいつも口を酸っぱくして聞かされていた。

 

 僕はヒツジ。中でもメリノ種と呼ばれる品種だ。分厚くて暖かい体毛がヒトに重宝され、世界中で家畜化されている。

 

 僕はまだ子供だけど、自分の一生はたかが知れていると思っている。この柵の中で草を食み、その代わりに排泄して土を肥やしながら大人になっていく。

 そうしたら今でさえ鬱陶しいぐらいに重たい体毛をヒトに差しだすんだ。気の遠くなるぐらいに何回も刈られて、まともに毛が生えなくなるぐらいの年寄りになった頃、僕はシチューの具にされるのかもしれない。あるいはただ年老いて死ぬだけかも。

 なんてつまらないんだ。片田舎の牧場で飼われながら、自分の人生の意味を問うこともなく、可能性を試すこともなく・・・・・・

 

 柵を背にして振り返ると、後から追い付いて来た仲間たちの笑顔が目に入った。彼らは何が面白いんだろうか。

 いや、あるいは彼らもヒツジの一生のつまらなさに気付いているのかもしれない。それを口にしたら一遍にしらけてしまうから、あえて黙っているのかも。

 

「今度は反対側の柵まで走ろうよ」と、僕は用意していたつまらない一言を告げる。仲間たちもその提案に面白そうに乗ってくれた。

 本心ではつまらないと思っているのかもしれないけど。

 

_______ガァァウウウッッ!!

 いちにのさん、で反対側まで駆け出そうとしたその瞬間、地獄の底から聞こえるような野太い叫び声が僕たちの合いの手を打ち消した。

 ヒツジの白くて分厚い間抜けなそれとは異なる、黒光りするギザギザの体毛。大人のヒツジより一回り以上も大きい体躯、血走った赤黒い瞳。

 

 オオカミだ。オオカミが牧場に入ってきた。

 大人たちから柵の外に出てはいけないと聞かされてきた一番の理由。僕たちヒツジを襲って食べてしまう猛獣だ。

 僕のひいじいちゃんや、親戚の叔母さんもオオカミに食い殺されたらしい。牧場を守るヒトが銃を持って何度も彼らを撃退しているから、なんとか僕たちは生きながらえることが出来ている。彼らはヒツジにとって絶対的に恐ろしい存在だった。

 

 遊び仲間たちが声にならない悲鳴を上げながら一目散に逃げだした。最初に見つけた一匹だけじゃなく、何匹ものオオカミが柵を乗り越えて牧場内に侵入してきていた。

 

 オオカミの俊足が、逃げ惑う鈍足の仲間に追いついた。

 一つの命が終わる瞬間だった。この世のあらゆる色彩を織り交ぜたような鮮血と内臓が飛び散って、仲間の一人が息絶えた。

 僕はそれを見て、自分の想像を超えた景色がこの世界にあることを知った。

 

 逃げられっこないと思って、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。

 そのまま目を閉じて最後の瞬間を迎えようとしていた瞬間、オオカミではない生き物が僕に覆いかぶさってきた。

 お母様だった。僕にたくさんお乳を飲ませてくれた。寒い夜は寄り添ってくれた。柵の中で僕を立派なヒツジに育てようとしてくれた、世界で一番大好きなお母様・・・・・・だけどお母様も所詮はか弱いヒツジの中の一匹だった。オオカミのたった一噛みで絶命させられて、肉塊と化して地面に横たわった。そうして目の前に現れたのは、隙間なく僕を取り囲むオオカミたちの姿だった。我さきにと僕を食い殺さんとする視線を向けて迫ってくる。

 

 悲しかった。怖かった。でもそれ以上に、これから自分が死ぬことを受け入れようという諦めの感情の方が強かった。

 だってそうだろう。オオカミっていうのは、こんなに強くて凶暴で、自由奔放な存在なのだ。こんな奴らに見つかったら、ヒツジみたいな弱い生き物は、命を差し出す他はない。

 オオカミとヒツジ、食らうものと食らわれるもの。その関係が変わることはない。

 ヒツジに生まれた時点で遅かれ早かれこうなる運命だったのだ。

 

 観念して閉じた目蓋の裏側に、赤い光が突き抜ける。痛くもない、苦しくもない。ただただ眩しい。赤一色に世界が染まって、他の全てがわからなくなった。

 

 僕はそれで終わりのはずだった・・・・・・。

 

 

「・・・・・・メリノ? そんなにボーっとして何考えてるっスか?」

 僕が窓ガラス越しに外を眺めていると、後ろから誰かが声をかけながら近づいてきた。

「スパイダーさん」

 見知った姿の方を向いて僕は軽く会釈した。

 彼女は僕のすぐ傍で足を止めて柵に手を付くと、同じように窓ガラスの向こうを見やった。

 

 窓ガラスに反射して、僕とスパイダーさんの姿が映り込んでいる。

 

 彼女は愛嬌のあるクリっとした大きな瞳を眩しそうに瞬かせている。鮮やかな短い金髪と、同様に金を基調としたシンプルで身軽な軽装に胴体を包んでいる。何より目を引くのは、臀部から生えている彼女自身の身長よりも長い尻尾だ。

 彼女は元はジェフロイクモザルという、南米に生息するサルの一種だったそうだ。

 

 僕はといえば、相変わらず白くてブカブカの毛に全身が覆われていたけど、顔や手先、太腿なんかはつるっとした地肌が露出している。左右のこめかみからは、昔は生えていなかった大人のヒツジの証である渦巻き状に湾曲した角が生えていて、ちょうどそれが変な形の横髪みたいに見える。

 ふわふわの前髪から覗く瞳は、自分でいうのも何だけど、気だるげで覇気が感じられない。

 

 僕もスパイダーさんも、それぞれに全く異なる身体的特徴を持っていたけれど、それでもいくつかの部分が不自然に一致していた。

 直立二足歩行をすること。両手が自由に使えること。言葉を話したり考えたりする知能を持っていること。

 そんな特徴を持っている動物は世界中にただ一種しかいない。ヒトだ。

 

 フレンズはヒトに似た姿の中に、ヒトと同等の知能と、数十倍の身体能力とを兼ね備えた元動物であるとされる。

 オオカミに食い殺されて死んだはずの僕は、そんな奇妙奇天烈な生き物になって甦ったんだ。

 新しい姿を得たのと同時に、新しい役目もあてがわれた。それは柵の中で守られて生きてきた安穏とした前の人生からは想像も出来ないものだった。

 

 役目・・・・・・それは世界を蝕む未知の危険生物セルリアンを倒すために戦うこと。

 セルリアンはすべての命を食らいつくす存在。食物連鎖という辻褄から外れた、繰り返される命のバトンを断つ存在。

 

 何が起こったのかすらわからない状況で、生き返るなりそんな説明を受けて、最初はただただ混乱していた。だが納得が得られるまで繰り返しの説明を受け、同じように一度死んで生き返った動物たちと一緒に厳しいトレーニングや、仮初めの夢の中で戦う訓練を積まされていく内に、セルリアンと戦うこと以外に生きる道がないことを段々と自覚するにいたった。

 

 死ぬ前はか弱い子羊ではあったが、この姿になってからは、あの頃と比べ物にならないパワーとスピードが体に宿っていることを知った。

 螺旋状に絡まりながら伸びる、ヒツジの角を模した二又槍を手元に自在に出現させられるようになってからは、槍を操る訓練にひたすらに励んだ。

 いつの間にか、訓練生の間でも有望株と目されるようになっていった。

 

 それでも僕の心は長らく晴れなかった。

 生き返ったことを喜ぶ気にもなれなかった。オオカミに食い殺されたあの瞬間、間違いなく死んだと思っていたし、それを受け入れてもいた。

 そんな僕が不自然の産物で無理やり生き返らされて、終わったはずの命の続きを、セルリアンと戦うという第二の人生を歩まされるのだ。

 冷めない悪夢を見させられている気持ちになる。

 

 僕の体にはまだ十分にヒツジの特徴は残っているのに、柵の中で安穏と守られながら生きることはもうないのだ。あの頃の僕と今の僕が同じ存在には到底思えない。

 僕は何者なんだろう。これから何者として生きて行けばいいんだろう。そんなことばかり考えてしまう。

 

 僕をフレンズとして生き返らせたのはヒグラシ所長という、ヒトの良さそうな顔をした、小ざっぱりとした身なりの長身痩躯の中年だった。

 僕に無理やりに第二の人生を歩ませた男ではあったが、彼自身のことは憎からず思っていた。僕がフレンズに生まれ変わった時の混乱も、これから戦いに行かなくてはならない不安も丁寧に受け止めてケアをしてくれたからだ。

 

 ヒグラシ所長はこれまでにも僕みたいなフレンズを何人も育てあげていて、特に「無敵の野生」「最強の養殖」と呼ばれる2人は、英雄視されるほどに強いことで有名だ。

 

 2人が夥しい数のセルリアンをいとも簡単に屠り去っていく映像も見たことがある。

 ”無敵”は猛烈な勢いで敵の群れに突っ込み、竜巻のごとき激しさでセルリアンを引きちぎり、食い破り、あまりにも一方的に破壊の限りを尽くしていた。

 ”最強”はセルリアンの攻撃をことごとく受け流して、狙いすました一撃で返り討ちにしていた。その静かな立ち姿からは海のように巨大な圧力が感じられた。

 対極的な戦闘スタイルの2人だったが、共に何者をも寄せ付けない力を持っていた。次元の違う強さを前にして、ただただ畏怖と驚愕の感情が湧き上がったのを覚えている。

 

 ・・・・・・それほどまでのフレンズを育てたヒグラシ所長だったが、彼は僕をただ鍛え上げただけではなく、文字の読み書きも教えてくれた。

 そして今の僕にとって、人生の慰めとなるかけがえのない物とも出会わせてくれた。

 

 本だ。物語だ。

 日本語のごく初歩の読み書きを覚えると同時に、僕は何冊かの本を手に取って読んだ。

 

 本の中に記された物語が、僕にとっての救済のように思えた。

 何がいいって、物語には必ず結末があることだ。登場人物はそれぞれに自分の意志や目的を持っていて、それに向かって突き進んだ結果、各々の結末に辿りつく。それが勝利でも敗北であっても、彼らが歩んだ道筋には違いないのだ。

 信念を持って歩み、結末に辿り着く。物語が作り出す過程の美しさに僕はすっかり魅了されてしまった。

 

 僕はフレンズとしての第二の人生を、信念もなく流されるままに生きている。どのような結末が待ち受けているかなど想像もつかない。

 ふわふわと形のない、道筋がまったく定かでない今の自分が嫌だった。だから物語の登場人物の中に自分の道筋を探すように、取り憑かれたように本を読みふけった。

 

 やがてヒグラシ所長の元を卒業し、現実にセルリアンと戦う日々がやってきた。恐ろしい敵を相手に、死なない程度には戦える実力が備わっていたので、何とか生き延びることが出来ていた。

 だが言われるがまま戦う日々の中に、これだと思える自分の道筋を見つけることは、やはり出来なかった。

 僕はますます本の虫になっていった。所長が東京から送ってきてくれる本を欠かさず目に通し、本の中にいる知らない他人が結末に向かっていく様を自分に重ね合わせた。虚構の中よりも情熱を注げない自分の本当の人生を、どこか他人事のように思いながら過ごした。

 

 ・・・・・・そういえば、ここのところ所長から本がパタリと送られてこなくなってしまったのは何故だろう。こちらから所長に連絡を取るすべはないし、普段僕と関わっているCフォース中国支部のヒトも何も言ってこなかった。

 

 そんなことを考えながら戦いの日々を送るうちに、つい最近、配置換えの命令が下された。今までは中国でセルリアンと戦っていたが、今度はアフリカに飛ぶように言われた。

 Cフォースアフリカ支部研究所と呼ばれる拠点に召集されて、そこで新たな任務に当たらされるのだ。世界中から集められた総勢40余名のフレンズが、Cフォースが所有する大型輸送機に乗せられて目的地に向かっていた。

 

「すげー景色っスよね。こんな高い所には鳥もやってこれないって聞いたっス」

「そうですね。高いとか低いって概念すらもはや曖昧に思えてきます。本で読んだ、地球の底に広がるという海底もこんな感じなのかもしれません」

「読書家のメリノの言うことは難しくてよくわかんないっスよ」

 

 僕たちは今、はるか空の上の成層圏にいる。地球の大気と宇宙空間の境界。そこに根付く命は存在せず、どこまでも真っ青な虚空が広がるだけの空間。

 下を見やれば分厚い雲が何層にも絶え間なく広がって、地球の輪郭を完全に覆い隠してしまっている。

 地上に縛られているだけのちっぽけな命には決して見ることが出来ない、あらゆる命の息吹を寄せ付けない冷たい輝きに満ちている。

 

「見ろよ、逃げの天才と読書バカが2人でなんか話してるぜ?」

 後ろの方の暗闇から僕ら2人を嘲る声が聞こえた。それに合いの手を打つように周囲から笑い声が響いた。

 その中心にいる茶色くて大柄なフレンズは僕の以前からの顔見知りだった。

「脱走の相談でもしてんのかな?」

 彼女の名はディンゴ。中国のCフォース部隊で一緒に戦っていた同期だ。今この場においても、その威勢でもって早くも数人の取り巻きを得ているようだ。  

 

 ディンゴは僕とは違って、フレンズとして強い肉体を得たことを心から喜び、日々の戦いにのめり込み、中国の仲間たちの中でも押しも押されぬエースとして君臨していた。 

 彼女の目からは、いまいち情熱を見せないまま、死なない程度に戦いをこなしていく僕のことがさぞかし不愉快に映っているのは明らかだった。

 

 ディンゴからは暴言や暴力などのいじめを日常的に受けていた。

 僕が読んでいたお気に入りの本を取り上げられて破かれた時も何度かあった。一度だけ本気で怒って、彼女と殴り合いのケンカをしたこともある。

 それ以降は直接的な嫌がらせは鳴りを潜めて、今のような聞こえよがしの侮蔑を向けてくる程度だったので、何とか無視していたけれども・・・・・・今のは見過ごせないと思った。

 

 僕には何を言っても構わないが、スパイダーさんを面と向かってバカにするような物言いは明らかに不適切だ。彼女は今ここに集まったフレンズたちのまとめ役、僕やディンゴの新しい隊長になる存在なのだから。

 

 スパイダーさんは元はブラジルの部隊の副隊長として、数多の戦いで活躍してきたベテランだ。そんなに強くないけれど、ある異常な能力を使いこなすことで有名だった。

 それは「影に潜って姿を消す」こと。一度潜ってしまえば、いかなる相手でも彼女を捕まえることが出来なくなる。

 便利極まりないその異能を用いて、どんな苛酷な戦場でも生き残り、一緒に戦った仲間をも必ず生かしてきたという。

 フレンズの中でも限られた超一流の者たちは、おとぎ話の魔法のような異能を持っていると聞く。スパイダーさんもその1人なのだ。

 

 ・・・・・・しかしディンゴのような腕っぷし至上主義者の目には所詮「逃げるしか能がない臆病もの」として映っているらしかった。

 

「言わせときゃいいじゃないっスか」

 スパイダーさんはディンゴたちの軽蔑交じりの視線を背中で受けながら、どこ吹く風と言った感じで変わらずに成層圏の空を遠い目で眺めていた。血気盛んさとは無縁の華奢な印象の彼女だったが、それを補って有り余るほどの余裕が感じ取れる。

「可愛いモンっスよ。あの手のタイプは」

 

 まったく堪えていないスパイダーさんの態度に逆上したディンゴが、ズカズカと近寄ってきてスパイダーさんの胸倉を掴みあげた。2人の背丈は一回り以上違う。

 スパイダーさんはディンゴにされるがまま、逃げようともせず、足をぶらりと宙に浮かせた。

 

「小物が大物気取ってんじゃねえ! アンタはツいてただけだ! ”無敵”と”最強”と一緒にいたから生き残れただけだ!」 

「・・・・・・まったくアイツらも有名になったモンっスね。どこに行ってもその異名を聞く」

 スパイダーさんは、やれやれとため息を付きながら、間近で睨み付けるディンゴを無視するように、懐かしさに浸るように独り言ちた。

 

「ディンゴとか言ったっスか? 確かにウルヴァリンもシベリアンも強いっスよ・・・・・・でもアイツらだって、たった1人でなんでも出来るぐらい強くはないっス」

「な、何が言いてえ」

「アタシたちフレンズは弱い。逆にセルリアンは絶望的なぐらいに強いっス。フレンズは一人一人が長所を最大限に発揮して助け合わないと、簡単に死ぬっスよ・・・・・・だからもっと仲間を尊重するっス。自分1人だけで何とかなるっていう幼稚な考えは捨ててほしいっス。死にたくないなら、ね」

 

 自分が見下しているはずの相手に説教を受けて、ディンゴの肩がわなわなと震えているのがわかる。いよいよ暴力沙汰が起きそうな予感がして、止めに入ろうと身構えた刹那、ディンゴがスパイダーさんの体を下ろして解放した。

 

「やめだやめ! ザコをぶん殴っても仕方ねえ!」

「わかってくれて嬉しいっス・・・・・・ついでと言っちゃ難スけど、席に戻って欲しいっス。そろそろ目的地に着くみたいなんでね」

 

 スパイダーさんの言葉で、めいめい好きな所に集まって過ごしていたフレンズ達は各々の座席に戻ってシートベルトを締めた。

 

 成層圏を漂う真っ青な空を行く輸送機が突然に振動が沸き起こり、空間を切り裂いて一直線に明滅するガイドビーコンをなぞるようにゆっくりと下降し始めた。

 程なくして眼下に現れる異様な景色に、その場に着席する全員が息を飲んでざわつき始めた。

(こ、これが、アフリカ支部研究所・・・・・・)

 

 冷たく広がる虚空の中に、それはあった。

 余すところなく銀色の凹凸が敷き詰められた、棺のように扁平で巨大な塊が悠然と鎮座していた。それはまるで、栄華を極める地上の都市を、そのまま成層圏に浮かび上がらせたような風情だ。

 

 ちょっと前に読んだ旧約聖書という本には、大昔のヒトが神に挑戦するために、天にも届く巨塔を築いたと記されていた。それが今現実に目の前に現れているような気がした。一つ決定的に違うのは、この巨大な都市は天を目指すのではなく、天そのものに存在しているということだった。

 

 銀色の地平に降り立たんと接舷した輸送機が、徐々にその速度を緩め、やがて完全に宙に静止すると、その真下にある辺りが突然に消失して、ぽっかりと大穴を開けていた。

 その穴に向かって機体がゆっくりと垂直に下降していき、ほどなくして視界が暗闇に包まれた。

 

______プシュウッッ!

 

 輸送機が完全に着陸し静止した後、気圧が吹き戻される音が小気味よく響きながら、僕たちがいる輸送機の格納庫のガラス扉がゆっくりと開かれた。

 フレンズの体からは放射能が出ているから、それを避けるための防御が万全に施されているのだ。

 

 僕たち40人のフレンズは何が何だかわからないままに輸送機の後部出口を駆け下りて、アフリカ支部研究所内部を歩き始めた。

 鏡のように光を反射する平な床だったが、しかし機械の基盤のような複雑な紋様が走っていた。

 外観の巨大さからわかり切っていたことだが、内部の広さも相当なものであるようだ。天井も壁も見当たらない空間で、床の下で等間隔に点灯する冷たく青白い光だけが僕たちを照らしている。

 そこに働くヒトの姿は1人としてなく、ナビゲーションユニットの姿も見えない。

 ここは天の宮であるはずなのに、地の底に来てしまったような寒々しさだ。

 

≪ようこそ、Cフォースアフリカ支部研究所へ≫

 落ち着き払った鈴の音のような声がどこかから聞こえると、突然に暗黒空間の一点が光輝いて、その中に形を描き出した。

≪歓迎するわ、あなた達を≫

 

 光の中に現れたのは、豊かな金髪を後ろに束ねた白衣の女性だった。銀縁メガネの向こうの大きな瞳が友好的な笑みを向けている。

 

≪うふふ♪ はじめまして。世界中から集められた精鋭のフレンズさん達。私はイヴ。イヴ・ヴェスパー。責任者よ、このアフリカ支部研究所の≫

 

 笑いながら自己紹介するイヴという女性の姿は、大きさも厚みも実体としか思えない存在感があったが、それはしかし光によって形作られた虚像でしかなかった。この研究所のどこかから、映像を飛ばして僕たちに語り掛けているのだ。

 

 暗黒の中から突如現れた彼女に、40余名のフレンズ達は呆気に取られてしまっていたが、ただ一人隊長のスパイダーさんだけが「それで」と落ち着いて口を差し挟んだ。

 

「アタシ達をこんな空の上に集めて何をさせる気なんスか?」 

≪うふふっ・・・・・・とっても大事なお仕事、よ≫

 

 どこか浮ついた、冗談めかした態度のイヴという女性がおもむろに片手を振り上げると、その手をぱちん、と打ち鳴らした。

 すると、僕たちが集合している一帯の床が浮き上がり、僕たちを乗せたまま天井の見えない虚空に向かって上昇しはじめた。

 誰もが言葉を失ってその場に固まる中、彼女はしたり顔で静かに語り始めた。

 

≪私たちは勝ちたいの。一秒でも早く平和を勝ち取りたい。そうすればあなた達フレンズを戦わせなくても済むようになるし・・・・・・じゃあ、どうすればいいと思う? 勝つためには≫

「強けりゃ・・・・・・強けりゃ勝てる!」

 

 ディンゴが熱に浮かされたように即答する。それを受けてイヴ女史は「そうよ」と上機嫌に微笑みを返した。

 

≪あなた達1人1人が、今よりもずっと強くなれば、平和をもたらすことが出来る。それが目的、この施設の≫

 

 僕たちを乗せた床が浮遊したまま、上下左右へと、迷宮を漂うように移動を続けた。

 通り過ぎていく直線的な景色は透明なガラスみたいだったが、そのすぐ内側には複雑な基盤が走っていた。それはまるで生き物の毛細血管のようだった。

 無機質そのものの冷たい空間ではあるが、巨大な生き物の体内にいるような錯覚も起こさせる。

 

「ここは現代に蘇ったバベルの塔なのですか?」

≪へえ、フレンズなのにそんな感想が言えるだなんて・・・・・・あるのね、それなりの教養が≫

 

 思わず独り言ちるように漏らした僕の感想に、イヴ女史は感心したように相槌を打つと、機嫌が良さそうに何かを考え始めた。

 

≪・・・・・・あ! この施設にはまだ名前がなかったけど、閃いたわ! ぴったりの名前を!≫

 

 イヴ女史は一人で納得して、笑い声を上げながらそう告げた。彼女は見る見るうちに、付いていけなくなるぐらいにテンションが高くなっていた。

≪聞いて! 今日からここはアフリカ支部研究所あらため、スターオブシャヘル! 天を目指すバベルではなく、大地を下にきく明けの明星なのよ! 神でさえも不可能! シャヘルを落とすことは! そもそもここを浮上させている反重力パルスシステムはっ・・・・・・!≫

 

 彼女は長広舌でその場にいる誰もが理解できない説明を始めた。僕も話の内容に興味がなくなったので、黙って聞き流すことに決めた。

 

 ところで、イヴ女史について一つ気が付いたことがある。彼女の喋り方のクセについてだ・・・・・・彼女は言葉の節々に不自然なぐらいに「倒置法」を織り交ぜて話している。それが奇妙な迫力と、芝居がかった感じを出させている。

 

≪あ・・・一人で盛り上がってごめんなさいね。そろそろ着くわ、彼女のいる所に≫

「いや、誰のことっスか?」

≪すぐにわかるわよ、ほら≫

 

 イヴ女史の立体映像が、僕たちフレンズからそっぽを向いて、飛んでいる床の隅に向かって歩き出し、眼下の一点を指さした。

 

 僕たちも彼女に付いて行って、恐る恐る下に広がる光景を見下ろした。

 無機質な基盤の地面の上を、黒く生々しい物体が蠢いている・・・・・・それはこの場にいる全員が見慣れた、吐き気を催すほどに醜い死神の眷属たちの姿だった。

「おい・・・・・・! あれはセルリアンじゃねえか! それもあんなに大量に!」

 ディンゴが大声を上げながら、実体のないイヴ女史に掴みかかるように詰め寄った。他のフレンズたちも口々に抗議の声を上げた。

 

≪安心して・・・・・・奴らは数分以内に全滅するから。”彼女”が皆殺しにしてくれるから≫

 

 イヴ女史はフレンズたちの混乱を治めるように両手を広げると、僕たちの視線を誘導するように目配せしてきた。

 

______グチャッッ! ドキャッッ! ミチィィッ!

 

 僕たちが目を凝らして下を見るよりも先に、生々しい液体の落下音や鈍い打撃音が耳を汚すように鳴り響いてきた。眼下を埋め尽くすセルリアンの海を掻き分けるように、小さな人影がたった1人で応戦している。

 

 腕の一振りで数体のセルリアンを吹き飛ばしている。数の差を物ともしない圧倒的な暴力で、多数のセルリアンを蹂躙している。

 それは僕が前にも見たことがある光景だった。あの頃は映像の向こう越しだったけど、今は隔てる物は何もなく、眼下に現実としてそこにあるのだった。

 

 腰に届くほどに長い黒髪と、ただ肩にかけているだけの上着に縁どられた白い炎。小柄な体からは想像もつかない程の腕力。

 彼女を一度でも見たことがあるならば、見間違えることは決してないであろう、深く印象に刻まれる強烈な特徴だった。

 

「すげー! マジかよ!」と、ディンゴが興奮して大声を上げた。彼女の取り巻きも同じように狂喜している。

「無敵の野生とナマで会えるなんてよ!」

 

 イヴ女史の宣言通りだった。いや、数分どころか数十秒だったかもしれない。

 セルリアンの大群は見る間に皆殺しにされて、虹色の断末魔の光をばら撒いて爆散し、辺りには最初から何もなかったように、無機質な基盤の地面が広がるばかりになった。

 

 眼下が静かな安全地帯になったのを見計らったようなタイミングで、僕たちを乗せる床が真っ直ぐに下降していった。

 程なくして地面に着陸すると、つい先ほどまで僕たちを乗せて飛んでいたはずの床が、繊維がほどけるように分解されて、周囲の床と同化してしまった。

「ゆ、床が溶けちまいやがった・・・!?」

≪シャヘルの主な建材は、ナノ分子加工が施された形状記憶合金なのよ。だから出来るの。自在にくっ付いたり離れたりすることが≫

 

 今しがた戦闘を終えたばかりの、無敵の野生ウルヴァリン・・・・・・いや、僕と同じ東京の研究所出身の先輩であるクズリさんが、上からやってきた40人のフレンズの姿を、振り返りもせず肩越しに睨むように見つめている。

 こうして相対するだけでも、クズリさんの尋常じゃないプレッシャーが伝わってくる。ただ一人でそこにいるだけなのに、それだけで場の全てを支配する存在感がある。

 まるで竜巻が部屋中に吹き荒れているような、またはいつ爆発するかわからない爆弾がそこに落ちているような・・・・・・ともかくこの場から真っ直ぐ後ろに走って逃げ出したくなるような気分になった。

 

「・・・・・・あ、あ、あの・・・」

 ディンゴは何かを口ごもりながらも、その場から一歩も動けないでいた。ディンゴは以前から「無敵の野生」の活躍に強い憧れを抱いており「いつかあんな風になりたい」と公言して憚らないほどだった。

 そんな彼女だから、クズリさんに今すぐ挨拶に行って知遇を得たいだろうと思うのだが、眼前の突風のようなプレッシャーに威勢の火が吹き消されてしまったようで、すっかり大人しくなってしまっていた。

 

 ディンゴだけでなく他のフレンズたちも右往左往するばかりだった。

 クズリさんに対する畏怖だけでなく、床が飛んだり消えたりする「シャヘル」内部の奇妙奇天烈さに圧倒されてしまっており、借りてきたネコのように動くことが出来なくなっていた。

 

「腐れ縁ってヤツっスかね?」

 スパイダーさんだけが、何の気なしの軽い足取りでクズリさんに歩み寄っていった。2人は共にCフォースのブラジル支部出身で、旧知の間柄なのだとしたら何もおかしいことはないが、僕たちの目からしたら、恐ろしい殺気の渦の中心に、スパイダーさんが無防備に突っ込んでいくようにしか見えなかった。

 

「てめえ、誰かと思えば・・・・・・」

 クズリさんもようやくこちらを向いて、ズカズカと気怠そうに歩き出すと、スパイダーさんの傍で足を止めた。

 至近距離で向かい合う2人。背丈は若干スパイダーさんの方が高い。剣呑とした相対を、その場にいる誰もが息をひそめて見守っていた。

 

______ガシィッッ!

 クズリさんとスパイダーさんは、どちらからともなく歩み寄って互いの手を取り合った。にぎりしめるように握手しながら互いの目を見つめて、その視線の中に多くの言葉を交わしているようだった。

 

「スパイダーよォ、またブラジルの時みたいに大暴れしようぜ?」

「暴れてたのはアンタだけっスよ。アタシはアンタに振り回されてばかりだった」

「そう言うなよ。オレが暴れて、てめえの影潜りでずらかる・・・・・・こんな凶悪な組み合わせは他にはねえぞ」

 

 そのやり取りを聞いて、2人は互いに一目置いている関係だ、と思った。

「無敵の野生」と「逃げの天才」では全然タイプが違うけど、それゆえに一緒にいても衝突せず、長所短所をジグソーパズルみたいに噛み合わせてカバーし合える間柄だったのだろう。

 親友・・・相棒・・・あるいは別の言葉なのかもしれないが、命を預け合ってきた信頼関係で結ばれているのは明らかだった。

 

 思えば僕にはそんな相手はいない。誰に対しても心を閉ざしている。自分自身からさえも。

 

「暴れるより先に、事情を説明して欲しいっスよ。何でこんな所にセルリアンの大群が? それに・・・・・・アンタ、腕に何を付けてるんスか?」

 

______ジャラリッ

 クズリさんの両手首には、一対の頑丈そうな丸い手錠が嵌められていた。それらを繋ぐ鎖が、彼女が着ている黒い長袖の背中ごしに通されていた。

 鎖は彼女が両腕を広げた長さよりも若干長かったので、動きの邪魔にはならなさそうだったが、こんな物を付けられているフレンズなんて見たことも聞いたこともない。そもそも鎖につなぐまでもなく、オーダーという洗脳がフレンズの自由を奪っているはずなのだ。

 

≪消去したの。ウルヴァリンの体から、オーダーをね≫

 

 後ろにいるイヴ女史の虚像が説明を始めた。

 この「シャヘル」では、フレンズの能力を限界まで高めるための実験が行われていると聞く。その実験体第一号に選ばれたのが、現時点で一番強いフレンズと目されるクズリさんだ。

 肉体の潜在能力を100%引き出す準備をするために、体内にブレーキとして存在しているオーダーを消し去ったのだ。

 

 だから今のクズリさんには、オーダーによって禁止されている行為である「殺人」も「脱走」も可能だ。

 だが本当にそれをやられては困るので、代わりにあの手錠を嵌めているというのだ。

 あの手錠はクズリさんの怪力をもってしても絶対に破壊出来ない物質で作られているらしい。

 そして何かあれば、イヴ女史が遠隔操作で彼女の動きを封じることも出来るとも言っていた。

 

「で、あのセルリアン達は何だったんスか?」

≪このシャヘルで培養したのよ、人工的に≫

 

 目的は勿論フレンズと戦わせるためだ。潜在能力を引き出すための調整は、VRよりも実戦で行う方が正確で手っ取り早いそうだ。

 そしてもうひとつの理由は・・・・・・

 

≪平和を勝ち取るために一番の方法は、セルリアンを絶滅させることではなく、支配すること。そう思わない? だから研究しているのよ、セルリアンを支配する方法を≫

「脱走でもされたらどうするっスか?」

≪大丈夫。ここで生み出した子たちは、体をいじってあるの。水に溶けちゃうように≫

「み、水?」

 

 水に溶けるという性質は、野生のセルリアンには無いものだ。万が一にも流出を防ぐための予防策として、あらかじめ施された処置らしい。

「シャヘル」内部には緊急時用のスプリンクラーがほぼ全域に設置されていて、それを作動させれば施設内のセルリアンを瞬時に始末できる。

 ・・・・・・であるならば、確かに備えは万全と言えるだろう。

 

 それに、外から野生のセルリアンが襲ってくる心配もいらないそうだ。

 なぜならば成層圏の空には彼らの栄養となる物など存在しないから。そう考えるとここは地上よりはるかに安全な場所と言える。

 

 セルリアンとは大地から沸き立つ怪物。中には空を飛べるセルリアンもいるが、矮小な個体に限られる。

 巨大で強力な個体になればなるほど、強靭な足を持っていたり、地面から生えてきたり、大地に根差した生き物としての性質を備えるようになる。

 このあたりのことは、今までセルリアンと戦ってきて、確かにそうだと実感する部分だった。

 

≪最後にお知らせがあるわ・・・・・・とても大事な≫

 それまで笑みを絶やさなかったイヴ女史が、その表情を不快そうに歪ませながら、相変わらずの倒置法で勿体付けるように告げた。

≪セルリアンだけじゃないの、私たちの敵は・・・・・・私たちの崇高な目的を邪魔する、野蛮で下劣な人間たちがいる≫

 

≪パーク、それが奴らの名。アフリカ大陸中に細かく散らばっているゲリラ組織よ・・・・・・残念ながら、ここの職員であるミスター日暮と、ウルヴァリンと一緒にここに来るはずだったシベリアン・タイガーは、捕まってしまった。パークに≫

 

「ヒグラシ所長が!?」「シベリアンが!?」

 僕とスパイダーさんが、ほぼ同時に驚きの声を上げた。それを聞いたクズリさんが初めて僕の方を向いて怪訝そうな一瞥を向けてきたが、すぐに興味を失ったように目を逸らして、イヴ女史の言葉に口を挟んだ。

 

「捕まったんじゃねぇ・・・・・・寝返ったんだ。確証はねえが、ほぼ確実にな」

「どういうことなんスか? だいいちアタシたちはオーダーの影響で脱走すらできないのに、敵に寝返るなんて無理に決まってるっス!」

 

≪オーダーは結局、精神に作用する洗脳であり、物理的な拘束は出来ないわ。もし仮にシベリアン・タイガーがCフォースから逃げるのではなく、歯向かおうとしているのなら“脱走禁止”のオーダーが顕在化しないことが考えられるわ。意外な盲点があったということね≫

 

「だ、だけど、シベリアンがアタシたちを裏切るはずが!」

「エテ公、てめえもアイツの性格は良く知ってんだろ。アイツは、綺麗ごとばかり抜かすパークの連中に、すっかりホダされちまったのさ」

 

 スパイダーさんが、心当たりがあるような顔をして黙り込んだ。

 最強の養殖ことシベリアン・タイガー、またの名をアムールトラ・・・・・・彼女のことは、映像の中で戦っている姿しか見たことがない。

 しかし彼女を育てたヒグラシ所長から、何度か話を聞かされたことがある。

 戦いに向いていないぐらいに、優しくて穏やかな性格をしていると。それでも真面目で頑張り屋だから、苦労して今の実力を身に着けたと。

 僕と似通う部分も多いから、もし会うことがあればきっと友達になれる、と。

 

 ・・・・・・僕はその話を聞いて、何故だか嫌な気持ちになった。

 ヒツジの僕が、トラと友達になんてなれるものか。

 トラといえば、オオカミと並ぶ肉食獣の代表格のはずだ。相手の命を躊躇なく奪える冷酷さがなければ肉食獣なんてやっていられないはずだ。

 優しいトラだなんて、字面だけでも矛盾が起きているじゃないか。

 

≪ここら辺でやめましょう。キリがない、今この話をしても・・・・・・ともかく今日はお疲れ様。休みなさい、ゆっくりと。明日からお仕事よ≫

「アタシたちもここでセルリアンの相手をするんスか?」

≪いいえ、地上に降りてほしい。回収してきてほしい。新しいセルリアンのサンプルを≫

 

 イヴ女史はそう告げると、光で描かれた自身の虚像を消滅させた。

 僕たちはまた宙に浮かぶ床に乗って、巨大なシャヘルの体内を移動させられた。

 

 そうして辿り着いたのは、余すところなく銀色の、流線形の金属で作られたベッドや机が並ぶ、まるでSF小説の宇宙船の中のような宿舎だった。

 あの手の物語さながらの、虚無感と未知への好奇心が表裏一体になったような光景だったが、今の僕は全く別のことに気を取られていた。

 ヒグラシ所長がCフォースを裏切ったとは、どういうことなのだろうか・・・・・・クズリさんにそれを問い詰めたかったが、彼女に話しかける勇気はないし。

 

 机の上にはすでに食事が並べられていた。肉食のフレンズ達にはビーフやチキンなど肉の盛り合わせを、僕のような草食には、果物や野菜で作られた料理を。

 クズリさんとスパイダーさんは早速席について、それぞれステーキと一房のバナナを頬張り始めたが、下っ端の僕らは遠慮したようにその場に佇んでいた。

 

「あ、あ、あの!」と、額に汗を浮かべて緊張しきったディンゴが、食事を始めていたクズリさんとスパイダーさんの前に詰め寄って頭を下げていた。

 

「ウルヴァリンさん、オレはディンゴって言います! ずっとアンタに憧れてました! 一緒に戦えて光栄です。これからよろしくお願いします! ・・・・・・それからスパイダーさん、さっきは失礼なこと言ってすいませんでした! 許してください!」

「別に気にしてない、今後も仲良くやろうっス。さあ早く座ってメシを食うっス、みんなも」

 

 僕はいじめっ子のディンゴのことが嫌いだったが、一心に頭を下げている彼女を見て、少し感心する気分になった。

 スパイダーさんがクズリさんと想像以上に懇意な関係だったと知り、早く謝罪しなければ不味いことになることを悟って、打算でそうしているのか、それとも心から反省して謝っているのか。

 ディンゴの真意はわからなかったが、すぐに態度を改めて謝るなんて中々出来ることじゃない。

 

 穏やかに対応するスパイダーさんとは対照的に、クズリさんはディンゴを品定めするように睨んでいた。

 真っ青な表情のディンゴが背筋を硬直させたまま彼女の出方を伺っている。

 

「な、何かまずかったですか?」

「・・・・・・毒気のねえ奴だ。まあいい、おら食えよ」

 

 クズリさんはディンゴに向かって、手のひら大のフライドチキンを差し出した。ディンゴはそれを丁重に受け取って「いただきます!」と叫ぶと、正座してガツガツと食べ始めた。

 その空気に押されて他のフレンズたちも少しずつ席について食事にありつきはじめた。

 

 ディンゴに倣って、クズリさんに1人ずつ自己紹介をしていく流れになった。程なくして僕の番になった。

「・・・・・・メリノヒツジです。ディンゴと一緒に中国の部隊から引き抜かれてきました。出身は東京の研究所で、あなたと同じです」

「知ってるぜ」

 

 黙って後輩たちの自己紹介を聞いていたクズリさんが、僕の自己紹介を遮って話し始めた。

 

「さっき動揺してたもんな・・・・・・気になるか? ヒグラシのことが」

「はい、僕たちを裏切るなんて思えません。優しくて仕事熱心なヒトだった」

「その優しいってのが問題なんだよなァ。あのオヤジはオレたちフレンズに余計な世話を焼き過ぎる。挙句の果てに変な気を起こしちまったんだ」

 

 クズリさんは告げる。シャヘル独自の監視網が掴んだ情報によれば、ここ最近、南アフリカ領内に所属不明の船舶や車両の密入国が相次いでいる。

 ヒグラシ所長がパーク側に寝返った確証はまだないが、謎の密入国者たちがパークの関係者であり、シャヘルの動きを警戒して集まってきたと仮定するならば、こちら側の情報が漏れるのが早過ぎる、と。

 

「パークの奴らに拷問を受けて、無理やり口を割らされた、と考えるのが自然では?」

「いいや、連中のボスに一度会ったことがあるが、口を開けば綺麗ごとばかりほざくムカつく女だった。あの女が拷問なんてやりそうにねえ・・・・・・きっとヒグラシも、アムールトラとおんなじで、情にホダされたに違いねえ。2人して血迷いやがって・・・・・・まったく、優しい奴ってのは始末に負えねえよ」

 

 クズリさんの物言いはあまりにも直裁だったが、的確に本質を捕えようとする冷静さがあった。

 彼女には凶暴で恐ろしいイメージしかなかったが、実際に会って話してみると、かなり理知的なフレンズであることがわかるのだった。

 

「その点、あのイヴってイカレ女はわかりやすくていいぜ。あの女・・・・・・オレ達を見る目と、セルリアンを見る目がおんなじなんだ。多分だが、自分以外のすべてを道具だと思っているようなタチだぜ」

「でも、あなたはヒグラシ所長よりも彼女を選んだ」

「利害の一致ってやつさ・・・・・・あのイカレ女がオレを利用するつもりなら、オレも同じようにする。アイツを利用して、今よりも強くなってやるんだよ」

 

 クズリさんは、自身の両腕につながっている鎖をおもむろに掴むと、砕かんとばかりに強く握り締めた。鎖はギチギチと音を立てて軋んでいた。

 

「どうしてそんなに、迷いがないのですか?」

 思わず脳裏に浮かんだ言葉を口走ってしまっていた。

 ずけずけとクズリさんに抗弁を続ける僕に向かって、ディンゴをはじめとして何人かのフレンズが冷たい視線を向けている。それでも、クズリさんがどうしてそんなに頑ななのか、理由を知りたかった。

 

 彼女は全部わかっている。自分の置かれた立場も、リスクも。

 だが自分がやろうとしていることは絶対に正しいと信じて譲らない。

 

「メリノヒツジよォ」

 クズリさんが初めて僕の名前を呼んで、例の品定めする目つきで覗き込んでくる。

「ずいぶんと眠たそうなツラだな。てめえ、起きてんのか?」

 

 彼女を支えているものが何なのかわからなかった。

 自信っていうのとはまた違うような、もっと根底にある確信、あるいは信念? ・・・・・・そんな揺るぎない強い気持ちが彼女の中心にあるような気がした。

  

 それが僕とクズリさんとの出会いだった。

 今この瞬間こそが、僕にとって本当の、一番最初の出来事だった。

 

 to be continued・・・ 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:24歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章14「まどろみのなかで」

 鋼鉄の廃墟。すべての命が息絶えた死の街。

 巨大な墓標のように冷たく立ち並ぶ摩天楼が、人気のない通りに影を落としており、昼間だというのにどこもかしこも薄暗かった。

 そして天候も優れない。灰色の雨雲が辺り一帯を覆い尽くして、汚れた空気を溶かし込んだ雨をアスファルトに打ち付けている。時たま雷鳴が閃光と共に鳴り響いている。

 

 僕は雨が大嫌いだ。僕のブカブカの体毛が水を吸うと、いつもの倍ぐらい重たくなってさらに鬱陶しくなる。姿形もボロ雑巾みたいになって格好悪くなる。

 ヒツジに生まれた我が身を呪いたくなるシチュエーションのひとつだ。

 

 ここは南アフリカの東海岸沿いにある港湾都市ダーバン。

 この街の支配者は今やヒトではない。すべての命を食らいつくす怪物セルリアンだ。

 Cフォースアフリカ支部研究所あらため「スターオブシャヘル」に集められた40余名のフレンズ達の、最初の任務がここで行われているのだ。

 

 僕たちが命じられたのは、ダーバン市街に潜むセルリアンの大群の中から、指定されたサンプルを入手すること。

 入手が済み次第、あらかじめ決められた脱出地点に戻り、迎えに来たCフォースの輸送機に乗って離脱して、成層圏の空に浮かぶシャヘルまでサンプルを持ち帰る。

 

 いつものようにメンバー全員の外耳道の中には小型通信機がはめ込まれている。

また、何人かのフレンズはバックパックを背負っていた。中に入っているのは、セルリアンの細胞を採取するための小型カプセル、迎えの輸送機を呼ぶための信号弾などだ。

 フレンズが知りたい情報に答えてくれる簡易的な端末も入っている。文字が読めないフレンズのために、音声認識だけで反応してくれる代物だ。

 

 今回、ナビゲーションユニットを介して随伴してくる軍人の姿はなく、フレンズたちの現場判断だけで作戦を遂行しろとのお達しだった。

 フレンズを命令によって動かすのではなく、独自判断のもとに行動させる・・・・・・それは新しい試みだった。

 今まで僕らはCフォースの部隊に正式に配属されていたけど、今は立場が違う。あくまで一研究所でしかないシャヘルに召集された「私兵」でしかない。ゆえにCフォースの組織体系に従わせる必要もない。

 ヒトの命令を受けて動かすよりも、現場判断で動かしたほうが、面倒な手続きをせずに酷使出来るだろう、とでも思っているに違いない。

 集められたフレンズは皆それなりの場数を踏んでいるから、自己判断で動く能力があるだろうし、いざとなればオーダーで自由を制限できるから問題ない・・・・・・そのような判断の下、Cフォース初のフレンズだけの作戦行動が展開された。

 

 セルリアンのサンプル回収は、シャヘルが建造されてから今まで、そこに勤務するヒトが行っていた。

 彼らには直接セルリアンと戦う術がないため、爆薬などを使った二次的な破壊に巻き込んでセルリアンを倒し、それに乗じて遠隔操作の機械を使ってサンプルをこっそりと採取するという面倒な段取りを踏んで、命からがら持ち帰っていたとのことだ。その過程で機械を破壊されたり、死者が出たりしたこともあったと聞く。

 

 僕たちフレンズを招集したことによって、シャヘルはついに本格的なサンプル回収作戦が行える運びになったというのだ。

 

 今僕たちは4つの班に分かれている。40名を、AからDまで10名ずつに分けて、4つの方角に散らばって偵察に出ていた。

 残りの2名、スパイダー隊長と、隊長よりもみんなに恐れ敬われているクズリさんは、どこかに身を隠して指示を飛ばしていた。

 

 クズリさんはシャヘルにとって、替えが効かない重要な実験体であり、今回の作戦のメンバーには加えられていなかったが、そこはやはり彼女だ。戦場に赴かない選択肢など最初からない。

 シャヘルを支配するイブ女史に作戦への参加を打診したらしい。イブ女史にも何か思う所があるようで、あっさりと承諾したそうだ。

 

 しかしクズリさんは、わざわざ自分から作戦に参加したというのに、4つの班のいずれにも混ざらず、スパイダー隊長の傍で待機していることを希望した。

 おそらく、これから一緒に戦っていくメンバーの力量を見定めるためなのだろう・・・・・・ある者は奮い立ち、ある者はその表情に不安をにじませていた。

 

≪A班、そっちはどうなってるっスか? 敵の数は? どんなタイプのセルリアンがいるっス?≫

 耳の奥の通信機ごしに、スパイダー隊長が、親機を使って状況確認を求めてきた。

 

「こちらA班。14番通り付近はどこもかしこもセルリアンだらけです。見た所“Eランク”の幼体ばかりですが・・・・・・」

 

 他のフレンズたちが不機嫌そうに黙り込む中、僕は隊長に応答した。

 僕とディンゴ、その他8名のフレンズからなるA班は降りしきる雨の中、手近なビルの物陰に息を潜めながら偵察に勤しんでいた。

 

≪了解。繰り返すようだけど、敵に見つかっても交戦はNGっス。さっき伝えた合流地点にすぐ向かうっス。お互いにカバーし合って絶対に死傷者を出すなっス≫

 

 隊長の真意が良くわからなかった。この作戦は、彼女の独断で考えられたものだ。

 行きの輸送機の中で、ダーバン市街のマップを見つめながら、敵の位置も数も把握しないままに仲間を四方に散らばらせることを命令してきた。

 

 今の状況ではセルリアンに見つかるのは時間の問題だ。

 それこそスパイダー隊長のように影に潜る能力がない限りは、多すぎる敵の目をやり過ごすことなんて不可能に近い。

 こんな指示は「敵を引き連れて戻れ」と言っているようなものだ。

 まさか本当に敵をおびき寄せて迎え撃つつもりなのだろうか? 確かにこちらにはクズリさんもいるから、一か所に集めて殲滅することも出来なくもないのかもしれないが・・・・・・そんな杜撰なやり方で、狙ったセルリアンのサンプル回収なんて出来るように思えない。

 

_______ピチョ・・・・・・

 

 打ち付ける雨よりもずっとゆっくりと、水粒がしたたり落ちてきた。

 僕たちはその違和感を察知して、弾かれたように上を向いた。そこには頭上からフヨフヨと音もなく近づいて来る幼体セルリアンの姿があった。

「シュッ!」

 襲い来る幼体を一早く察知したディンゴが、目にも止まらぬジャブで粉々に打ち砕いた。

 

 案の定、セルリアンに見つかってしまった。今の一匹だけでなく、無数の幼体たちが次々と、僕たちが身を潜めるビルの隙間へ縦横から入り込もうとしてきた。

 僕たちは降りしきる雨の中、アスファルトの水たまりをバチャバチャと踏み鳴らしながら大通りへと踊り出た。

 

 僕らめがけて、幼体の大群がワラワラとストリートへと集まってくる。

 こうなったら後は命令通りに、一目散に合流地点へと逃げるだけだ。だが僕以外のA班の眼光に、にわかに闘志が宿りはじめていた。

 

「ここで逃げるなんてクソダセー真似が出来っかよ。みんなもそう思うだろ?」

 ディンゴがそう言いながら、上下にステップを踏んで左右のパンチを素早く交差させている。他のみんなも得物を取り出したり、指を鳴らしたりしている。

 誰もが敵と一戦交える気まんまんの有様だ。どうやらA班はディンゴだけじゃなく、全員が武闘派であるようだった。

 

「今すぐ逃げたって、ちょこっと暴れてから逃げたって、何も変わりゃしねー・・・・・・いや、ここで良い所見せれば、ウルヴァリンさんの目に留まるかもしれねー! 腕が鳴るぜ!」

 

 命令に逆らってセルリアンと一戦を交えようとしているA班を制止する声はなかった。スパイダー隊長は今おそらく、別の班と交信中だから、僕らの状況が把握できないのだ。

 

 かつてブラジルの部隊で、クズリさんやスパイダー隊長、そしてあのアムールトラの上に立っていたフレンズの噂を聞いたことがある。

「メガバット」という名のそのフレンズは、バラバラに散った部下の状況を瞬時に把握し、別個に指示を飛ばす神がかり的な統率力を持っているという話だが・・・・・・もちろんスパイダー隊長にはそんな能力はない。4つの班からそれぞれ話を聞いて、指示を飛ばすことしか出来ない。

 つまりは必ずタイムラグが発生するということ。隊長に知られないことを良いことに、ディンゴ達は命令違反に踏み切ったのだ。

 

「待てディンゴ! みんなも! 戦えとは命令されてない!」

「だったら1人で逃げろやメリノヒツジ! お前いらねーんだよ!」

 

 僕はあわてて仲間たちを引き止めようとするが、仲間たちはディンゴの言葉に同調するように僕の言葉を黙殺し、一丸となって突進し始めた。

 

 やむなく僕も応戦する覚悟を決めた。

 意識を集中させ、頭の中にイメージを思い描いた・・・・・・こめかみに生える角が、どこまでも鋭く尖っていき、敵を刺し貫いている姿を脳裏に浮かべた。

 するとイメージが実体化されたように、虚空の中から螺旋状の二又槍が現れるのだった。

 それを腰の高さで構えると、ディンゴ達に続く形で雨の中を走り出した。

 

「行くぜ行くぜ行くぜ!」

 ディンゴは大柄な上半身を折りたたんで弾丸のようにセルリアン達に突進すると、体を左右に揺らして敵の攻撃をかわしながら素早いカウンターパンチを何発も突き入れた。

 彼女の戦技はボクシングだ。相手と肉薄しながら一歩も下がらずに戦うことを得意とするインファイトスタイル。恵まれた体躯から繰り出される剛腕は、セルリアンの幼体程度ならどこに当てても一発で沈めることが出来る。

 クズリさんに認められたい一心で戦うディンゴのテンションは最高潮だった。

 

 他のメンバーの実力も申し分なく、叩いても叩いても押し寄せてくる幼体の群れをほぼ完全に押し返していた。

 ・・・・・・僕はといえば、たまに討ち漏らされて近づいてくる幼体を槍で串刺しにしながら、何とか彼女たちに付いて行くことに終始していた。

 

「ぐわああっっ!」

 

 だが突如、勢いよく前進する仲間たちの1人が後方に吹き飛ばされた。あわてて他の仲間たちが足を止めながら身構える。

 眼前に現れたセルリアンは、一目で幼体とは訳が違うとわからせるに十分な風体だった。

 幼体の中でも限られた個体だけが、成体へと変異を遂げる。

 宙に浮く不定形なアメーバではなく、決まった形を持ち、ほぼ例外なく足と呼べる器官を備えるようになる。

 

 その個体は屈んだ上半身から、鋭いかぎ爪を生やした長い腕を引きずるように、短く筋肉質な二本足で歩いていた。頭部と呼べるような部位はなく、首元からわずかに隆起したふくらみの中に虚無の瞳を覗かせている。

 無機質なセルリアンの中にあって、ずいぶんと有機的な形をしていると思った。それがかえって生理的な嫌悪感を掻き立てさせる。

(・・・・・・猫背のセルリアン、か)

 僕はその個体を見て、内心勝手にそんな命名をするのだった。

 

「だからどうしたんだコラァッ!」

 強敵の出現に、ディンゴはいっそう闘志を激しく燃やし“猫背”に向かって早くも切り込んでいった。勢いもタイミングもすべてが揃ったストレートが猫背の胴体を捕えようとする瞬間、しかしその拳もむなしく空を切った。

「は、速えッ!?」

 猫背はディンゴの一撃を見切ったように躱すと、そのまま鋭いかぎ爪を横薙ぎに振り回してきた。今度はディンゴが身をかがめて何とかこれを回避する。今の攻防だけならディンゴと猫背はまったく互角といえる内容だった。

 一体でも侮れない戦力の猫背が、着々とその場に集まって来ていた。

 

 猫背の一体が、僕にも襲い掛かってきた。

 するどく飛び跳ねると、着地ざまに爪を振り下ろしてきた。

 僕は手にした槍で、背筋に衝撃が走るほどの一撃を何とか受け止め、穂先でそれを絡め取り、真っ直ぐに突き返した。

 しかしそれも後方に飛びのかれて難なく躱されてしまう。

 フレンズより2~3回り大きい程度の、成体セルリアンとしては大した体格ではない相手だったが、それを補って余りある俊敏さを持っていた。

 

 猫背のセルリアンたちが、廃ビルに囲まれた通りを跳ねまわるように縦横から襲い掛かってきた。長い腕に生えそろった鋭い鉤爪の振りは速く、一撃が重い。

 他の仲間たちも一進一退の攻防を繰り広げるのが精いっぱいである様子だった。

 

 ディンゴはフットワークを駆使して猫背の懐に潜り込んで連打を繰り出すが、決定的なダメージを与えられずにいた。そして息切れした瞬間に爪の一撃を入れられて吹き飛ばされてしまった。

 仰向けに転倒した彼女に向かって、猫背が素早く追いすがる。

「クソッたれ!」と、体勢を立て直せないディンゴが悔しそうに叫ぶ。

 しかし、鋭い爪がディンゴを捉える寸前に、仲間の一人が体当たりで猫背を突き飛ばして彼女を救った。

 クロサイと言う名の子だ。その名に違わぬ黒光りする鎧に身を包んだ重量級のフレンズで、背丈はディンゴにも勝る。

「おうサンキューな!」

「当然のことをしたまで!」

 

 僕は振り返ってその様子を確認すると、再び槍を構えて自分が相対する猫背に向かっていった。

 

≪A班は何をやっているっスか! 今すぐ合流地点に戻るっス! 他の班はもう集まっている!≫

 

 ついにスパイダー隊長に知られ、お叱りを受けてしまう始末だった。

 しかしディンゴを始めとして武闘派が揃っているA班は、誰もが敵を前にして逃げの一手を打つことに納得していない様子だった。

 僕は命令に従うべきだと今も思っているが、ここで逃げればディンゴに後で何をされるかわかったものじゃない。

 

「スパイダー隊長! 逃げてどうするってんですか!? オレ達は戦える!」 

 ディンゴがついに不満を爆発させたように抗弁を上げた。クロサイはじめ仲間たちも相槌を打って同調している。

 

≪・・・・・・文句があるなら、オレが聞いてやるよ≫ 

 通信機の向こうから別の声が聞こえる。落ち着き払った、しかし有無を言わせぬ迫力が籠った声に、ディンゴの顔色がいっぺんに青ざめる。

 

「い、今すぐ戻ります!」と裏返った声で即答すると”猫背”から背を向けて脱兎のように走り出すのだった。

 

 鶴の一声、いやクズリさんの一声でA班は命令違反を取りやめ、一斉にその場を離脱する流れになった。

 強敵の猫背たちと相対していた方向の反対側、合流地点のショッピングモールがある方角へと走りだすが、そこもすでにセルリアンの大群に包囲されてしまっている。

 だが幸いにも、ひしめき合っているのは不定形なアメーバ状の幼体だけだった。

 

「・・・・・・こうなりゃ強行突破しよーぜ!」

 先頭を突っ切りながら、ディンゴが大声を上げる。

 何か思いついたことを察した仲間たちがディンゴの背中に視線を注ぐと、彼女はそれに応えるように後ろを振り向きながら「野生解放だ!」と告げる。

 

「なる程! 合点いたした!」

 先ほどディンゴを助けたクロサイがディンゴと並走すると、どちらともなく肩を組んでスクラムをはじめた。他の仲間たちも2人の傍に駆け寄ると、息を合わせて共鳴するように気勢を高めていった。

 

 彼女たちの意図は明らかだった。一斉に野生解放を行って体当たりを仕掛け、敵の包囲を突破するつもりだ。

 A班のメンバーは全員、野生解放を体得しているようだった・・・・・・僕一人を除いて。

 

______ブォンッッ!!

 

 僕を除く9人のフレンズの気迫が高まり続け、ついに金色の大火となって燃え上がった。ひと固まりになって進むA班のフレンズたちが、圧倒的な数の差を物ともしない、爆発的な推進力を生み出していた。

 その勢いのままに、押し寄せる幼体の包囲を吹き飛ばし、一直線に突き進んだ。

 僕はその後ろをただ走って付いていった。

 

 9人がかりの野生解放のスクラムが、セルリアンの大群の包囲網を見事に打ち破ってみせた。包囲を潜り抜けた先には、雨が打ち付けるだけの元の寒々しい廃墟が広がっていた。

 背後から追跡してくるセルリアンたちを肩越しに見やりながらも、ほっと一息ついたA班のメンバーは野生解放を解き、走るスピードを落とすのだった。

 

「一か八かであったが、何とか突破することが出来たな・・・・・・なかでもディンゴ! お主の胆力は見事だな!」

「おめーもなクロサイ! オレらA班はマジでイケてるって!」

 

 協力して危機を乗り越えた者たちがお互いの健闘をたたえ合っている。

「1人をのぞいてな」

 その中心で笑顔を振りまいていたディンゴが表情を一変させ、嘲るような表情で僕を見てきた。

 

「メリノヒツジ、まだ生きてたのかよ? てっきり、さっきの鉤爪ヤローにやられたんじゃないかと思ってたわ」

「だが、彼女の槍さばきもなかなかであったぞ? あのセルリアンとも渡り合っておった」

「メリノヒツジに騙されんなよクロサイ。コイツはな、死なねー程度に適当にやってるだけなんだよ・・・・・・いつだってマジになれない半端モンなのさ。その証拠に野生解放もまだ出来ねえし」

 

 野生解放・・・・・・戦いに慣れたフレンズなら誰にでも起こり得る現象。ごく限られた時間だけ身体能力を極限にまで引き出すことが出来る肉体の強化スイッチ。

 

 確かに僕はまだ野生解放をやったことはない。だがそのやり方は何となく掴めていた。これまでにも何度かそれの前兆とおぼしき状態に入ったことがあった。

 戦っている最中、どうしようもなく感覚が研ぎ澄まされる瞬間があった。頭のてっぺんから足先まで、すべてが思い通りに動かせていると思うほどだった。その勢いを信じて、肉体のギアを高めていけば、いずれ野生解放に至ることは間違いないと思った。

 ・・・・・・だけど、それが怖かった。

 僕はヒツジだ。戦う生き物じゃない。戦いの昂揚感に身をまかせたが最後、僕は自分が知らない僕になってしまうような気がした。

 自分でも理由がよくわからない躊躇に僕はいつも引き留められていた。それが「マジになれてない」と言うのなら・・・・・・その通りだ。

 

 ディンゴに何も言い返せないまま、雨でずぶ濡れになった体を引きずるように、ただ黙って走り続けた。

 

 

「A班! さっさとこっちに来るっス!」

 薄暗闇の中、普段の温厚さと打って変わった激しい口調で叫ぶスパイダー隊長の声が聞こえる。

 

 僕らA班が辿り着いたのは、あらかじめ定められていた合流地点。広く通りに面した場所にあるショッピングモール・・・・・・の廃墟だ。

 外では降りがますます激しくなっている。

 時たま閃く雷光が屋内を照らし出すと、商品がごっそり抜き取られた陳列棚が、骸骨のオブジェみたいな不気味な存在感を醸し出しているのがわかる。

 

 スパイダー隊長は、所々割れた窓ガラスから雨風が入ってくる広い室内のちょうど中央、建物の中でももっとも薄暗い一角にいた。

 そして「シャヘル」に集められた今回の作戦メンバーも全員、隊長の周りに肩を寄せ合うように密集していた。

 

「10人全員無事っスね・・・・・・だったら早くこっちへ!」

 スパイダー隊長がまたも集合を呼びかける。

 目を凝らしてよく見ると、フレンズたちが集まっているその床には、どこかから拾ってきたと思しき泥まみれのブルーシートが敷かれている。

「この上に乗るっス!」

 

 体に纏わりつく雨粒を払いながらスパイダー隊長の元へ駆け寄るA班だったが、その表情は一様に不満げだった。

 

「隊長、アンタは何がやりたいんだよ!? いまやオレ達は袋のネズミだ! 全員で玉砕でもする気か!?」

 

 ここでも一番に声を上げたのはディンゴだった。

 A班を追いかけてきているセルリアンが、やがてこのモールの中にも侵入してくる。A班だけじゃなくて、他の班も見つかっていると考えるのが当然のこの状況では、ここは袋小路も同然だ。

 陣形も取らずに一か所に固まることが、自殺に等しい愚行であることは、誰の目にも明らかだ。

 

 ・・・・・・だが、ディンゴはまたもすぐに黙らせられることになった。

 外から入り込んだ雷光が室内をまた照らし、その場にいる者たちの輪郭を精細に描き出した瞬間のことだった。

 スパイダー隊長のすぐそばに、腕を組んで佇んでいるクズリさんがいた。周囲のフレンズがうろたえているのとは対照的に、落ち着いてじっと目を閉じていた。

 隊長に強い信頼を寄せており、彼女に身を委ねているのが伝わってくる。

 

 クズリさんがゆっくりと顔を上げ目を見開くと、静かだが鋭い瞳でディンゴを睨み付けた。

 ヘビに睨まれたカエルのようにディンゴは口をつぐみ、他のA班共々急いで隊長の下へ走った。

 そして言われた通りに、他のフレンズ達が肩を寄せ合って集まるブルーシートの上へと踏み入るのだった。

 

「よし、これで全員そろったっスね」

(ジロリ・・・・・・)

 この場にいる誰もが、クズリさんに逆らうことなど考えてもいない。

 だが、スパイダー隊長に向けられる視線は冷ややかなままだった。

 まるでトラの威を借るキツネ。大した戦闘能力もないくせに「無敵の野生」の威光を傘に着て、まるで見当違いな命令を飛ばしてくる新米隊長、とでも言いたげな軽蔑の眼差しだった。

 

______ゴゴゴゴ・・・

「セルリアンだ!」

「もうすぐここに攻め込んでくる!」

 

 地鳴りのような振動がモール内に響いてくるのを察して、仲間の誰もが緊迫した顔つきで外に向かって身構えた。

 そしてスパイダー隊長の次の指示を催促するように、苛立ち交じりの視線で睨み付けた。

「そろそろっスかね」

 自身に向けられる視線などどこ吹く風のスパイダー隊長がそう独り言ちると、その小柄な体をさらに深くかがめて、地面に手を付いた。

 その姿勢のまま、誰にも聞こえないような声で、何事かを呟いている。うずくまったスパイダー隊長の背中からは、これから野生解放を行おうとしているフレンズに特有の、静かに張りつめる気合いの高まりが感じられるのだった。

 

______ピシャァァンッッ!!

 先ほどから断続的に起こっていた雷鳴の中でも、ひときわ大きい音が鳴り響いた。音よりも早く到着する稲光がショッピングモールの屋内を眩く照らし出した。

 

 その瞬間、僕は自分の身に起きている異常に気が付くのだった。

 稲光によってすみずみまで白く照らし出される室内で、あまりにも常軌を逸した僕らの姿が克明に浮かび上がった。

 

 黒・・・・・・僕らの体が黒一色になっていた。

 普通ならば、周囲の背景と一緒に光で照らされるはずなのに、僕らフレンズの体だけが、指先の一本一本に至るまで、まるで闇に塗り潰されたように漆黒のシルエットと化していた。 

(こ、これがスパイダー隊長の影潜りなのか・・・・・・!?)

 真っ黒な己の体を見つめながら、あっけに取られて独り言ちた。影に潜ったのではなく、僕らが影その物と化したと言った方がより正確だろう。

 影潜り、正確には「シャドウシフト」と呼ばれるこの技のことは、噂に聞いただけで半信半疑だった。こんな異常な有り様は、実際に自分で体験してみるまでは、信じることの方が難しい。

 しかし噂は確かに真実だったのだ。

 

 僕らの真っ黒な体が、霧状に分解されてその場からかき消されていった。

(まるでランプに吸い込まれる魔人みたいじゃないか)

 そんな感想を抱いたのもつかの間、僕の体は影も形も判然としない暗闇に落ちた。重力も方向感覚も次第に失われていき、何かに強い力で引っ張られる感覚だけを感じ取って、それに身を任せるまま進んでいった。

 

______バチャッ!

 僕も含めて、無重力空間の中で足掻いていた仲間たちの体が、突然に重力の上に投げ出された。

 水に濡れた硬いコンクリートの上にもんどりうって転げ回る僕たちが、自分と他人の体の境目を少しずつ認識して立ち上がろうとしていた頃、クズリさんとスパイダー隊長はすでに立ち上がっており、向かい合って何かを話していた。

 

「エテ公、今の技は何だ? オレの知っている影潜りじゃねえな・・・・・・乗り心地の悪さは相変わらずみてえだが」

「最近使えるようになったっス。準備は必要だけど、一度に多人数で影に潜れるっス。いちいち影を探さなくても、お日様の真下でもやれるし」

「てめえ、まさか”先にある力”を進化させやがったってのか・・・・・・!? オレのグランドグラップルにも次の段階が? ・・・・・・だが、進化させるにはどうすれば?」

「うーん・・・・・・アンタの技のことは、アンタしかわかんないっスよ」

 

 クズリさんはブツブツと呟きながら己の手のひらを眺めていた。

 スパイダー隊長はクズリさんとの会話を打ち切って踵を返すと、ようやく立ち上がることが出来た僕たち部下の方へと近寄ってきた。

 

「みんな、偵察してくれてありがとう。ここでセルリアンに出くわすことはまずないから、安心して欲しいっス」

 

 激しい雨を体に浴びながら、周囲の風景をぐるりと見回してみた。

 僕らは全員、どこかの高いビルの屋上に辿り着いていた。廃墟の大都会を一望することが出来るほどの高さだ。

 ついさっきまで、薄暗いショッピングモールの中に集まっていたはずなのに。

 

 スパイダー隊長のシャドウシフトが、部下たち全員を別の場所に瞬間移動させていた。

 噂に聞いていた通りの、いや噂以上の異能を実際にその体で味わってみて、その場にいる誰もが言葉を失っていた。

 

「この場で体制を立て直すっスよ、さっそく情報を聞かせて欲しいっス・・・・・・敵の数、密度、強さ。みんなが体を張って調べてきてくれた貴重な情報をね」

 

 この作戦で採取する目標とされているサンプル。それはこのダーバン市街のセルリアンを生み出している、いわばこの街のボスともいうべき存在だ。

 当然帰結される考えとして、ボスの近くは守りが硬い。敵の数も多ければ、強い個体が集まっていると思ってまず間違いがないであろう。

 スパイダー隊長はそういう考えのもとに、部下たちを強行偵察に出させたというのだ。

 多少の危険はあっても、隊長の能力があれば全員を安全に避難させられると考えての事だった。

 

「最初にみんなに聞いてもらいたいことがあるっス」

 

 そう言いながら隊長がバックパックから取り出したのは、ナビゲーションユニットを数周り小型化したような、両手に収まる大きさの球形の端末だった。

 隊長はそれを床に置くと「今日の天気予報は?」と、端末に呼びかけた。

 

≪ただいまの時刻、13時半・・・・・・11月16日、南アフリカ共和国、クワズール・ナタール州、州都ダーバンの天気をお知らせします≫

 

 音声認識で動く仕組みになっている端末はその声を聴いて、球体の体の節々に光を走らせ、電子音を立てながら起動した。

 球体から発せられた光の筋が、空間の中に映像を投影する。

 それはアフリカ大陸南部を俯瞰する地図だった。画面の右奥には、巨大な白い渦巻きが描かれている。

 

≪太平洋沖をゆっくりと北上していた台風が、偏西風の影響を受けて急速に方向を変え、南アフリカ東海岸へと向かっています。夕方から夜にかけて暴風雨がダーバン市街に吹き荒れるでしょう≫

 

「聞いての通りっス・・・・・・急に天気が変わったみたいっス。空の上のシャヘルから、この街へ降りてくる数時間の間にね」

 スパイダー隊長は告げた。あと数時間もすれば、今この街に降り注いでいる雨は台風と化すであろう、と。台風が来てしまえば、輸送機はダーバン市街に近づくことが出来なくなり、僕たちはシャヘルに戻ることが出来なくなる。

 ・・・・・・それはすなわち部隊が全滅することを意味する。セルリアンの巣窟と化したこの街で、僕たちが一夜を耐え忍ぶことは不可能なのだから。

 

「本当なら、こういう天候になった時点で作戦を中止した方が良いと思うっス・・・・・・でも、何もしないで帰るっていうんじゃ、みんなも納得いかないっスよね? それに、イモを引いてばかりの隊長の言うことなんか、そのうち誰も聞かなくなる・・・・・・」

 

 その場にいる誰もが「当然だ」というメッセージをギラギラとした瞳の中に宿らせていた。それを知ってか知らずか、スパイダー隊長は絶妙に勿体つけるような態度で言葉を続けた。

 

「日没まで、およそ後4時間って所っすね・・・・・・いいっスか? 日が暮れるまでにアタシたちは絶対脱出しなくちゃならない。それまでに絶対に作戦を終わらせるっス。さもなくば全員死ぬ」

 

 スパイダー隊長が、今までに見せた事もないような険しい表情で告げる。

 生き残ることが何よりも重要だ。そのためには、最短の手順で作戦を終わらせなきゃならない。そう言わんばかりの強い意志が彼女から伝わってくる。

 

 そのために隊長が考え付いたのが今回の作戦だ。

 多少のリスクはあっても、短時間でボスの居場所に当たりを付けるための強行偵察を行う。しかる後にボスの居場所に総攻撃を仕掛けて目的を達成する。

 仲間を生き残らせることに定評があるスパイダー隊長らしい、慎重を期した作戦だった。

 

 40人の部下たちは誰もが納得し、東西南北に散ったA~D班が見聞きしたことを口々に隊長に伝えるのだった。

 

「なるほどっス。話を総合すると、どの方角もセルリアンの数は大して変わらなかった。だけど、鋭い鉤爪を持った二足歩行の成体セルリアンがいたのは、A班が向かった東エリア方面だけ、それも何体も・・・・・・つまり、一番ヤバいのは東エリアだってことっスね」

 

 スパイダー隊長はまたも球体端末に呼びかけて、辺りの地図の映像を描き出させた。空間に浮かび上がる地図を眺めながら、隊長はまたも何かを考えている様子だった。

 

「東エリアの街並みは、ピッタリ二分されているようっスね。かたや高層ビルが立ち並ぶ、だだっ広いビル街。もう片方は迷宮のように入り組んだスラム街・・・・・・この街のボスがいるのは、ビル街かスラム街か」

「・・・・・・まあ、スラムだろ」

「アタシもそう思うっス」

 

 スパイダー隊長と、割って入ったクズリさんが、同じ意見を口にして頷き合っていた。

 長年セルリアンを狩ってきたベテランである2人は、示し合わせたかのように同じ結論に達していた。

 配下のセルリアンを生み出す役割を持つ”ボス”は、その地域でも最も住みよい場所をねぐらにしている。それは見つかりにくく、身を守りやすく、食料を得やすい場所のことだ。

 

 見通しが良すぎるビル街は、その時点で、ボスの住居の候補から外れる。高層ビルの中に巣食うことも考えられるが、ああいう屋内は空間的に閉ざされ過ぎているので、いざという時の身動きが取りづらい。

 セルリアンの楽園と化したこのダーバンで、ボスが好きこのんで屋内に身を隠すことも考えづらいだろう・・・・・・という経験則に基づいた判断だ。

 

「聞いてくれっス。アタシたちは今から全員で東エリアのスラム街を攻める。しらみ潰しにボスの居場所を調べて、総がかりで倒してサンプルを回収したら、すぐに退散するっスよ・・・・・・ただ、ひとつ問題があって」

 

 スパイダー隊長が、ある懸念事項について話してくれた。それはスラム街とビル街が隣接していることだ。

 ビル街に巣食うセルリアンたちが、スラムに侵入した僕たちの存在を察知してボスの救援に向かったとしたら、僕たちフレンズは挟み打ちにされてしまうだろう、と。

 

「挟み打ちだけは絶対に避けたいっス・・・・・・攻めている内は逃げることも出来る。だけど守りに回ったら、数で劣るアタシたちはヤバいことになる。だから、ビル街にいるセルリアンの注意を逸らして、スラムから遠ざけてくれるフレンズが必要っス」

 

 敵の注意を逸らして、他の仲間たちを守る。普通の言葉でいえば陽動。

 悪い言葉でいえば囮、盾役だ。

 もっとも危険な役回りであろうことは言うまでもない。

 

「そこでウルヴァリン、ビル街のセルリアンの陽動を頼んでもいいっスか? アンタ1人だけでやってほしい。スラム街の探索には人手が必要だから、ビル街の方に割くことは出来ないっス・・・・・・逆に、陽動には人手はいらないっス。それこそ、圧倒的に強い1人さえいれば事足りる。アンタにしか出来ない役目っス」

 

 1人で囮をやれ。

 戦術的な理屈は非の打ち所がないぐらいに通っている。それに2人は友達同士であり、少々の無理は頼める間柄なのかもしれない。

 だがそれでも、あまりにも非情な命令であることは間違いない。その場にいたフレンズたちが、自分が受けた命令ではないと知りつつも、言葉を失って愕然としていた。

 命令を受けた当人であるクズリさんは、怒りも恐怖もなく、例によって落ち着き払ったままスパイダー隊長に対峙していた。

 

「スパイダーよォ、よくオレにそんな無茶振りが出来るな?」

「自信がないなら断ってくれてもいいっスよ。アンタですら無理なら、他の誰でも無理・・・・・・作戦は続けられない。だったら、やっぱりアタシたちは今ここで信号弾を撃って撤退するしかなくなるっス。撤退なんかしたら、後でお偉方のアゴとりを受けることになるだろうけど・・・・・・“無敵の野生”ですら無理と判断したって言えば、お咎めなしで済むんじゃないっスかね?」

 

 スパイダー隊長は、クズリさんが役目を引き受けなければ、ここで作戦を終わらせることを暗に示してきていた。

 

 敵を前にして引くことは、隊長にとっては恥でも何でもない。彼女にとって一番大事なのは、部下を生き残らせることだからだ。

 ・・・・・・逆に無敵の二つ名を売りにしているクズリさんにとっては名折れ、恥だ。しかも自分の言葉が身を守るための方便に使われるとなれば、その恥はいよいよ極まった形になったと言っても過言ではないだろう。

 互いの立場と、戦いに対する価値観の違いを突いた、絶妙な殺し文句であるに違いない。

 

「いいぜエテ公。てめえの無茶振りを受けてやる」

「ありがとう、恩に着るっスよ」

「しかし・・・・・・てめえも段々メガバットに似てきやがったなァ? 部下使いが荒いことも、減らず口が達者なこともよ」

「メガバット姉さんと似てるだなんて、嬉しいことを言ってくれるっスね」

 

 毒を交えながらも、クズリさんはスパイダー隊長の申し出に対して首を縦に振った。

 しかしその表情には、感情が伺い知れない深い影が落ちているような気がした。

 

「ひとつだけ条件がある。1人だけでいい、オレの傍に付けろ」

 

 1人よりも2人の方が、生存確率は格段に跳ね上がる。戦いの基本だ。

 視野は2倍になり、考える頭はふたつになる。互いのミスをカバーし合えるようになる・・・・・・と、人数がたった1人増えることで、受ける恩恵は数知れない。

 

 さすがのスパイダー隊長も、それに対しては異論を差し挟む余地はなく、承諾せざるを得ないようであった。

 予定の人数からたった1人欠けるだけに過ぎない。無茶な役目を引き受けさせた対価としては、あまりにもささやかな要求だ。

 

 隊長が、クズリさんに付いていく1人を選び出すために、部下たち40名に視線を流した。

 クズリさんほどの戦力と二人組を組ませてうまく機能させるためには、隊の中でも一番実力のある者を選ばなければならない。

 ・・・・・・きっとそんなことを考えているであろう彼女が、頭を捻って黙り込んでしばらく経った時。

 

「お、オレに行かせてください!」

 早くもディンゴが名乗り出た。

「そうだ」「ディンゴがいい」と、先ほど一緒に戦ったA班のメンバーも、ディンゴに合いの手を送っていた。

 強く勇敢で、やる気に満ちている・・・・・・無敵の野生ウルヴァリンとツーマンセルを組む栄誉には、ディンゴこそがふさわしい、と誰もが思っていた。

 

「いや、もう決めてる。てめえじゃねぇ」

 クズリさんがディンゴの申し出を一蹴し、その場に集まっているフレンズたちの中からある1人を指さした。

 真っ直ぐに掲げられた指先が、鋭く胸に突き刺さる感じがした。

「メリノヒツジ、オレと来い」

 

______何でっ!?

 僕とディンゴが、同時にそう答えた。

 どうしてメリノヒツジなんだ。あの消極的で意欲のない、今一つ冴えない臆病者なんかが、なぜオレを差し置いてウルヴァリンさんに指名される!?

 茫然と立ち尽くすディンゴの表情からはそんな言葉が伝わってくるようであった。

 

 だがディンゴは、不満が今にも爆発しそうな表情をしながらも、三度までも同じ轍を踏むことはなかった。

 口から漏れだしそうな言葉を堪えて「そうですか」と一言告げると、そのまま後ろに下がるのだった。

 

「ウルヴァリン、なんでメリノを選ぶのか聞いてもいいっスかね?」

「オレもメリノヒツジも東京の研究所出身だからな。同郷のモンに花を持たせてやりたいんだよ・・・・・・まあ、身内びいきってやつだ」

「そうっスか」

 

 本音を明かしていないことが見え見えのやり取りだったが、無茶な役目をクズリさんに背負わせた負い目のあるスパイダー隊長としては、これ以上しつこく難癖を付けるわけにもいかず、静かに承諾するしかないようだった。

 僕のような並のフレンズがクズリさんと組んだ所で、まともに機能するはずがないことは隊長も承知の上だと思うが、それでもこの話はこれで終わりにするしかない、そんな苦渋が見え隠れする表情をしていた。

 

「メリノ・・・・・・お前はそれでいいっスか?」

 隊長は最後に僕に確認を求めてきたが、形だけのものであることは明らかだった。他ならぬクズリさんからの指名を、仲間たちの冷たい視線が突き刺さる中で拒否するなんてことは出来るはずもない。

 

「わかりました。頑張ります」 

 僕は返事をかえした。だが自分の言葉じゃなくて、あらかじめ決められていた言葉を誰かに言わされているような感じだ。

 口にした言葉とは反対に心臓の音は跳ね上がり「嫌だ」「逃げ出したい」といった類の単語に満たされていくような気がした。

 

「さて・・・・・・これで作戦の大筋は決まったっス。作戦エリアはダーバン市街の東地区。ウルヴァリンとメリノヒツジの2人はビル街の大通りで敵の陽動をやる」

「そして残り全員でスラム街のボス級セルリアンを捜索、これを掃討した後にサンプルを採取。その後、開始位置に戻って信号弾を撃ち、作戦エリアから離脱・・・・・・以上を可能な限り最短の時間で終わらせるっス」

 

 クズリさんの申し出がスパイダー隊長に認められ、僕が承諾したことで、いよいよ僕は正式に、クズリさんと二人きりで陽動に駆り出されることになった。

 

 スパイダー隊長は、僕たちに手を繋いで円陣を組むことを命令してきた。

 彼女はもう一度「シャドウシフト」を行うつもりだ。僕ら全員で東地区のとある高層ビルの屋上に瞬間移動し、そこで今度こそ本当に作戦を開始するのだ。

 

 隊長の指示を聞いて、部下たちが黙々と円形に散らばり、隣り合ったフレンズたちと手を取り合った。

 いっそう激しく振り続ける雨の中、手を繋いで輪になった仲間たちの顔が一人残らず良く見える。対角線上にいるディンゴが、恨みがましい目つきで僕のことを睨み付けている。

 ・・・・・・そしてクズリさんは無表情のまま、遠い目で暗雲立ち込める空を見上げていた。

 

「さあ、みんな。もう後戻りは出来ないっスよ、互いを信じて絶対に生きて帰ろうっス」

 

 スパイダー隊長の双眸に、闇を切り裂くような金色の光が宿りはじめた。

 

 影の中に、僕の足元が沈んでいく。

 暗闇が視界を満たすよりも前に、僕は目を閉じた。悪い夢ならいっそ醒めてくれ、と思った。

 

 おもむろに、昔読んだ本のことを思い出すのだった。死刑を執行される日を待つ捕虜の話だ。捕虜はその後なんとか命を拾って、愛する家族が待つ故郷に帰れるという結末だったが・・・・・・肝心なことが思い出せない。

 捕虜はどうやって生き残ったのだろうか。彼に倣えば僕は生き残れるだろうか。そんなふうに考えると、思い出せないことが我慢ならないぐらい悔しくなってくるのだ。

 気が付くと僕は、脳裏に薄っすら残る物語の記憶を手繰り寄せようと、思索の海の中で必死に足掻いていた。

 

 間近に迫りつつある危機を前にして、架空の物語に逃避しようとする僕の努力もむなしく、虚構も現実もすべてが一緒くたになって、暗闇という絶望に塗りつぶされていった。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
哺乳綱・奇蹄目・サイ科・クロサイ属
「クロサイ」

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「セカンドシャドウ」
使用者:スパイダー
概要:シャドウシフトが進化したこの技は、影に潜るのではなく、自身の足元にある影を拡大し、効果範囲にいる味方を覆い尽くして引きずり込むという効果を持っている。従来の弱点であった「光が差す所では発動できない」「自分自身と、手を繋いだ味方にしか使用できない」の二点を克服しており、場所を選ばず多人数を緊急避難させることが可能。なお、発動するためには、意識づけのための簡易的な目印が必要。大量のスタミナを消耗することは変わらずであるが、代わりに旧来のシャドウシフトは連発が可能なまでにスタミナ消費を抑えることが出来るようになった。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章15「あかきめざめ」(前編)

 ここは影の世界。スパイダー隊長のみが自由に出入りすることが出来る異空間。

 音もなく、重力もない暗闇の向こう側に、ピントがずれたレンズで映したような世界が見える。いくつものぼやけた景色が現れては遠ざかっていく。

 

 隊長の影潜りに引っ張られた40人のフレンズ達が、ものすごいスピードで影の世界を移動している。自分では指一本たりとも自由に動かせない異空間の中で息を押し殺しながら、戦いの時を待っている。

 

 やがて、過ぎ去っていくだけだった向こうの景色の一点が拡大された。映像がにわかに鮮明になっていき、激しく降り注ぐ雨音が聞こえてくる。

 そこが影の世界の終わり、現実への帰還だった。どれほどの距離を移動したのかもわからないが、僕にとってはあまりにも短い旅路だと思った。

 

______バチャンッ!

 

 無重力空間にいた体に、急激に重力が取り戻される。

 その場にいる誰もがタイミングを見計らったように着地すると、コンクリートの地面の上に溜まった水たまりが一斉に弾け飛んだ。

 ついさっき、最初に影潜りを体験した時はバランスを取り損ねて転倒してしまったが、短い間に二度同じ体験をした今となってはもう慣れっこということだろう。

 

 影の世界の出口であったこの場所は、先ほどとは違う高層ビルの屋上だった。さっきと比べると低いが、それでも地上100メートル近くもある。同じような高さのビルが近くに何軒も森のように乱立している。

 ここはダーバン市街の東エリアに位置する高層ビル街の一角だ。隣接するスラム街には、この街のセルリアンを生み出し支配する「ボス」がいる可能性が極めて高い。

 

 スパイダー隊長率いる部隊が、ボスを探しに今からスラム街に攻め込む。

 しかし僕とクズリさんだけが違う役目を命じられた。隊長たちがボスを仕留めるまでの間、たった2人でセルリアンの大群と戦って注意を逸らし続けなければならない。

 

 なぜだか僕はクズリさんたっての希望で、無敵と呼ばれ名高い大先輩である彼女のたった一人のパートナーとして駆り出されることになってしまったのだ。

 

 この屋上は作戦の開始地点であり脱出地点だ。

 タイムリミットは夕方5時半。その時刻を過ぎれば台風がやってきて、僕らはこの街を脱出することが出来なくなる。

 移動時間を勘定に入れれば、5時までにボスを倒してサンプルを採取する必要があるという。

 5時を過ぎれば作戦の成否によらず、スパイダー隊長の影潜りでここに戻り、信号弾を撃って脱出する・・・・・・それがあらかじめ隊長によって定められた作戦の概要だ。

 

「班の振り分けはさっきと同じA~D班でいくっス。で、アタシはA班に入れてもらうっス、また跳ねっ返られても困るんで、近くで見張らせてもらうっスよ」

 

 40名のフレンズが、先ほどと同じ10人のグループに分かれた。

 武闘派のA班達がいきり立つ中で、ディンゴだけが不機嫌そうに肩を落として黙り込んでいる。相変わらず敵意と怒りを湛えた瞳で僕のことを見ている。

 

「他に質問のある奴はいないっスか? ないなら作戦を始めるっスよ」

「質問があります!」

 仲間たちの1人が、手を高々と上げながら隊長に質問を投げかけた。

 

「スパイダー隊長はどうやってそんなすごい能力を身に着けたんですか?」

「ちょー待てっスよ。今はそんな話をしている場合じゃ・・・・・・」

 

 明らかに作戦と関係ない質問を真顔でされて、さしもの隊長も面食らったような表情でかぶりを振った。だがその直後、取り囲む部下の誰もが、自分に興味津々の瞳を向けてきていることに気が付いたようであった。そして何かを思い付いたように顔を上げた。

 

「まあ・・・・・・みんなには話しておいてもいいかもしれないっスね、これから一緒にやっていく仲間な訳だし。アタシにとっちゃ忘れたい過去なんスけどね」

 

 隊長は髪の毛の間に挟まった雨粒を長い尻尾でワシャワシャと払いながら、あらたまった表情で語り始めた。

 

「知っての通りだと思うけど、アタシは戦いが嫌いっス。フレンズとして生き返させられた頃は、セルリアンと戦わされるのが嫌で嫌で仕方がなかった。だからCフォースの研究所から脱走したっス。何度も、何度も・・・・・・ざっと100回を超えるか超えないかぐらいはやったと思うっス。」

 

「あの頃のアタシは、生まれ故郷に帰りたい、戦いのない平和な生活に戻りたい・・・・・・そんなことばかり考えていた・・・・・・でも脱走は一度たりとも成功しなかったっス。どんだけ上手く逃げても、最後にはオーダーに邪魔される。頭ン中に電気が走って気を失ったら、また研究所に戻されてる。そんなことの繰り返しだった」

 

「で、研究所に戻ったら、アタシがまた脱走しないようにってオーダーの再調整が施されるっス。より強烈なオーダーを頭ン中に入れられる・・・・・・それでもアタシはあきらめなかった。さらに脱走を繰り返して、逃げるのがどんどん上手になっていった・・・・・・しまいには”影に潜る”なんてマネが出来るようになったっス」

 

 周囲から口々に驚嘆のため息が漏れている。

 ”逃げの天才”を鍛え「影潜り」を発現させたのは、セルリアンとの戦闘ではなく、都合100回近くにも及ぶCフォースからの脱走行為だったのだ。

 1度や2度失敗すれば、あきらめてもうやらなくなるのが普通なのに、100回近くも繰り返すなんてどう考えても常軌を逸している。

 

 脱走が生き甲斐になってしまったような筋金入りの問題児。それがスパイダー隊長の過去だったのだ。

 フレンズが研究所から脱走するなんて話は、割とよく聞く話ではある。生まれ故郷や親の顔が懐かしくて忘れられない気持ちは、誰にだってある。

 隊長は100回も脱走するぐらい故郷に帰りたかったのだ。

 その気持ちは痛いほどよくわかる。僕だって懐かしい。

 遊び仲間と一緒に走った、あの狭くて退屈な牧場が。あの穏やかな風が吹く原っぱが・・・・・・

 

「今はもう脱走はやめたんですか?」

 さっきの子がなおも質問を続けた。隊長に対して少々不躾かもしれないが、尤もな質問だと思った。100回やって諦められないようなことは、200回やっても1000回やっても同じだろう。

 

「もう脱走はしないっス。ていうか、出来なくなった」

「なぜ?」

「どこに帰ったらいいのか、わからなくなっちまったっス」

 

 かたくなに脱走をやめようとしなかった隊長に対してCフォースが取った最後の手段。

 それは生まれ故郷など、過去に関する記憶を消去することだった。

 帰る場所がなくなってしまえば、脱走する理由もなくなる。根本的な解決策だったに違いない。

 

「動物だったころ、どこでどんな風に暮らしてたのか、どんな死に方をしてフレンズに生まれ変わったのか・・・・・・全然、何も思い出せないっス。わかるのは自分がクモザルだってことだけ」

 

 スパイダー隊長は誰に言うでもなく遠い目をして一人ごちる。

 質問をした部下は返す言葉もなく申し訳なさそうに下を向いている。

 

「はははははっ!!」

 そんな空気を打ち破るように、クズリさんが大声で愉快そうに笑っている。その声に驚いた周囲が彼女に視線を注いだ。

 

「胸のすく話じゃねえか。エテ公、てめえはつくづく幸運な奴だよなァ」

「ふふっ・・・・・・その通り、アタシはめっちゃツいてるっス」

 

 クズリさんが「幸運だ」と言ったことも、隊長がそれに当然のように同意したことも、やり取りの意味がまったくわからなかった。

 困惑する部下に対して、ふたたび隊長が「みんな聞くっス」と呼びかけた。

 

「アタシは考え方を変えることにした。Cフォースから逃げられないんだったら、自分に降りかかってきた運命から逃げてやればいいってね・・・・・・セルリアンとの戦いが終わるその日まで、徹底的に逃げ切ってやろうって思ったっス。幸いなことに便利な技も使えるようになったし」

 

 部下たちは誰もが神妙な顔で黙って隊長の話を聞いている。今までどこか隊長のことを軽んじている部分があった自分を恥じるような面持ちだった。

 

「ま、人生なんてのは、考え方ひとつ変えるだけでなんとかなるもんス・・・・・・さあ、アタシの昔話はこれで終わり! みんな! 今度こそマジで作戦を始めるっスよ!」

「「「はいっっ!!」」」

 

 部下たちが一斉に力の籠った返事をかえした。

 それはスパイダー隊長が部下たちの確かな信頼と尊敬を獲得した瞬間だと思った。

 影潜りという能力の凄まじさを身をもって教えてくれただけでなく、己の暗い過去を腹を割って話してくれた。

 そのことが好感度を跳ね上げる一因になったのだろう・・・・・・おそらく隊長は、そういうことも計算に入れて、作戦の真っ最中に昔話を始めたのだと思う。

 

「ウルヴァリン、メリノ・・・ビル街にいるセルリアンの陽動は任せたっスよ」

「任せろ。オレたちはもう少しここにいる。タイミングを見計らって下に降りる」

「アンタのことは心配してないけど、くれぐれもメリノに無理をさせないでくれっス」

「わかってるぜ」

 

 スパイダー隊長がクズリさんにもう一度頷くと、自身が率いるA班のフレンズ達を引き連れて、屋内へと続く扉を開け放って屋上を後にした。

 他の班も隣のビルに飛び移ったりするなどして、それぞれの方向に散開していった。

 

 ・・・・・・ほどなくして、ビルの屋上には、僕とクズリさんだけが残るだけになった。

打ち付ける雨の音が一層うるさく聞こえる。

 

 クズリさんは表情がうかがいしれない静かな佇まいで、豪雨を受け止めながら眼下の街を見下ろしている。

 雨に濡れた彼女の後ろ姿は、まるで得体の知れない恐ろしい影のようだ。その長い黒髪も、炎を縁取った上着も、すっかり雨粒を吸って、真っ直ぐ重力に引かれていた。

 両腕に嵌められた腕輪と鎖だけが、形を変えずに鈍い光を放っている。

 オーダーの代わりにクズリさんを制御するための拘束具・・・・・・それはまるで、強者だけが身に着けることを許された装飾品のようにも見える。

 

「・・・・・・おい」

「はい」

「そんな後ろに突っ立って何してやがる。下の様子を偵察しやがれ」

 

 言われるがままクズリさんの隣に立ち、柵越しに下の景色を見やった。

 僕の心臓の音は雨の音にも負けないぐらいに大きく高鳴っている。自分に与えられた任務が怖いだけじゃない。こんな僕なんかを敢えてパートナーに選んだクズリさんの意図がまったくもってわからない。

 

 クズリさんは、数々の恐ろしい噂よりもずっと理知的で、落ち着いた雰囲気での会話を好むフレンズだと思うけど・・・・・・それは僕が勝手にそう感じているだけで、もしかしたら、言葉じりひとつ間違えただけでも、ひどい目に遭わされてしまうのかもしれない。

 心臓の音を、恐怖心を彼女に悟らせないために、吐息を噛み殺すように浅い呼吸を繰り返した。

 

 ふとクズリさんの方を見やると、彼女は偵察などまったくしておらず、僕の方をまっすぐに向いて睨み付けてきていた。

「ッッッ!!」

 僕はあわてて彼女の方に向きなおり、わずかに後ずさった。精いっぱい平静な表情を装ってはみるものの、僕の緊張感も恐怖もすでに見透かされているように思える。

 

「・・・・・・気ィ抜けよメリノヒツジ。どうせ大した任務じゃねえ」

「何故そう言い切れるのですか?」

「わかんだろ? シャヘルの奴らは、てめえらに簡単に死なれたら困るんだよ。この最初の任務で、どんだけの素質があるかを見定めようとしてるのさ・・・・・・使えねえ奴を間引いて、使える奴だけを残す。そんなところだろうぜ」

 

 言われてみれば納得のいく話だ。

 Cフォースが所有する成層圏プラットフォーム「スターオブシャヘル」はあくまで研究施設であって軍隊ではない。したがって研究することが一番の目的となる。

 ヒトを守るためにセルリアンを撃退するのは軍隊にまかせればいい。シャヘルは研究のために、戦いたいセルリアンとだけ戦えばいい立場なのだ。

 

 シャヘルの最重要課題のひとつは、最強のフレンズを作り出すこと。実験体第一号はクズリさんだが、それに続くのは僕らだ。

 最強に成り得る有望株の中の1人として、曲がりなりにも僕は選ばれてしまったのだ。己の身を守るために必死に戦っていただけで、目立った戦果を挙げたわけではないけれど。

 

 ・・・・・・もしかすると、僕がクズリさんやアムールトラさんと同じ、東京支部出身だったことも理由の一つなのかもしれない。

 シャヘルのヒトたちは、2人の英雄を輩出した東京から「3人目」が生まれることを期待しているのだろうか。だとしたら僕にはとんでもなく荷が重い話だ。

 

「・・・・・・シャヘルの意図はそうなのかもしれませんね。では、あなたの意図は?」

 

 僕は気が付くとクズリさんに質問を投げかけていた。

 まるで昨日の続きのようだ。怖いのに、言葉が出てしまう。本当なら言うべきでない言葉もべらべらと話したくなってしまう。

 クズリさんは恐い反面、異常に話しやすい、会話が弾む相手なのだ。それはきっと、僕が言ったことに対して、常に考え抜かれた鋭い返答をかえしてくれるからだ。

 心地よい会話のキャッチボールが成立する。その事実が恐怖心をいとも簡単に凌駕してしまう。

 

「オレもまずはてめえらのことを見定めたい・・・・・・中でもメリノヒツジ、てめえが最初に目に留まった」

「僕が“使える奴”に見えましたか?」

「逆だ。40人の中じゃてめえが一番最初に死にそうだ。ていうか今まで生き残ってきたのも信じられねえ、そんな眠そうなツラでよ」

「・・・・・・そうですか」

 

 やっぱり、という失望のような感情を胸に沸き立たせながら、吐き捨てるように相槌を打つ。

 おそらく彼女も僕のことが気に入らないのだ。

「眠そう」と言ってくるのはその気持ちの表れだ。ディンゴが「マジじゃない」と言ってくるのと同じ。

 戦いの中で生きる才能がある彼女は、僕のような異物が戦場にいるだけで鬱陶しいのだろう。

 

「僕はヒツジです。爪も牙もない。本当なら戦う生き物じゃない・・・・・・あなたや、それにアムールトラさんのような強い肉食獣ではないのです。牧場の中でただ平穏に暮らしていたのに、ある日オオカミに食い殺されて、気が付いたらこんな姿で生き返って、セルリアンなんかと無理やり戦わされてるんです」

 

 草食獣として生まれながらも、戦う役目を背負ってしまった僕の苦悩など、クズリさんにわかるはずもない。

 そんなメッセージを言外に織り交ぜる僕の身の上語りを、クズリさんは黙って聞いていた。

 聞き終わってから、ぽつりと口を開いた。

 

「てめえは戦いが嫌いか? じゃあ、今はひたすら耐えてるってわけか?」

「耐えてるのは僕だけじゃない。たとえば、スパイダー隊長だって、先ほど戦いが嫌いだと言っていました」

 

「そうだったな・・・・・・だが、あのエテ公はてめえとは違うぞ。アイツは強い」

「確かに、隊長はとても立派なフレンズです。つらい過去にもめげずに、前向きに、自分に出来ることをやって、周りに貢献している。その心構えは僕も見習わなきゃいけないと思います」

 

「・・・・・・ぷっ、くくくっ、はははははっ・・・・・・!!」

 

 クズリさんが僕の答えを聞いて、体中から弾けだすような高笑いを始めた。

 ディンゴとかにバカにされて笑われるのは慣れているけど、今のクズリさんはそれとはレベルが違う、心からの侮蔑の嘲笑だと思った。

 怒りよりも恥よりも、何がそんなにおかしいのだろう、という困惑が勝るのだった。

「くくくっ、眠たそうな奴は、言うことまで眠たいってか?」

 

「何か間違ったことを言いましたか?」

「ああ、全部まちがってるぜ・・・・・・”辛い過去にもめげずに”、”自分に出来ることを”だと? それじゃまるで、アイツが可哀想な奴みたいじゃねえか? オレがアイツを強いって言ったのは、そういうことじゃねえんだよ」

「じゃ、じゃあ、どういう・・・・・・?」

 

 クズリさんは「フン」と侮蔑の籠ったため息を付いた。そんなこともわからないのか、と呆れかえっているようだった。

 

「いいか? 敵を殺すことだけが戦いじゃねえんだよ。勝ち負けのルールなんて自分で決めればいい。スパイダーにとって勝つことは勿論「逃げること」だ。そしてアイツが逃げられなかった相手といえば、オーダーぐらいのモンだ。後は負け知らず・・・・・・アイツは、オレやアムールトラにも引けを取らねえ最強の一角だ」

 

「あのサルは脱走を繰り返すことで、てめえでもそうとは知らず、自分にとって一番の修業を積み続けてきたんだ。その結果ラッキーなことに、てめえの目的を実現させる最強の能力を手に入れることが出来たのさ・・・・・・大した奴だぜ。フレンズはこうあるべきって生き方をしてやがる」

 

 クズリさんの言葉は確信に満ちていた。己の言葉を信じ切ることで得られる説得力があった。

 それでも色々と突っ込みどころはある。たとえばスパイダー隊長が現状を幸せに思っているかどうかは別問題じゃないかということだ。故郷の記憶を消され、動物だったころの人生をすべて奪われて、好きでもない戦いを強制させられるだなんてどう考えても不幸だ。

 

 だがクズリさんの言葉に気圧されて、会話のイニシアティブを握られた僕がそれを口にすることはなかった。

 

「フレンズはこうあるべき・・・・・・どういうことですか?」

「やりたいことを徹底的にやる、それがフレンズの生き方だ。そうすりゃ強くなれる」

「じゃあ、クズリさんはどうやってそんなに強くなったのですか?」

「単純だ」

 

______メキメキメキッッ!!

 クズリさんが顔の高さで拳を握りしめる音が、降りしきる雨音の中でもはっきりと聞こえたような気がした。

 彼女の両腕に繋がれた”絶対に破壊できない”と言われているはずの鎖を、今にも引きちぎってしまいそうな気迫すら感じられる。

「生きるために勝つ・・・・・・今も昔もオレはそれだけだ」

 

 かつて動物だった頃、クズリさんはセルリアンに命を奪われたと聞く。フレンズとして生を受けてからは、自分自身の仇であるセルリアンを地上から絶滅させるために全身全霊をかけている。

 最初は憎しみから、次第に生き甲斐に変わり、果てることなく戦いを求め続けていると。それが己の生きる意味だと信じて、欠片も疑わない。

 

「段々とわかってきたぜ、メリノヒツジ。てめえが弱い理由がな」

 

______グワシッ!!

「うっ!? な、何を!?」

 クズリさんが、突如僕の胸倉を掴みあげてきた。

 あまりにも前触れがなかった。今まで僕の口答えに微塵も苛立ちを見せず、冷静に受け答えを続けてくれていたのに。

 彼女の表情は今までと変わらず穏やかなままだ。だがそれが却って、身も凍るような恐怖を覚えさせた。

 

「なあヒツジ、今のてめえは何者なんだ?」

「僕はフレンズです!」

「フレンズであるてめえが、今の命でやろうとしていることは何だ? 運よく生き返った命をどう使いたい?」

「僕は、僕のやりたいことは! ・・・・・・それは・・・・・・」

 

「どうした? 答えられねえのかァ?」

 

______ガコンッッ!! ガンッ! ガンッ!!

「ぐはっ!!」

 当たりまえのようにクズリさんの暴力が弾けた。

 尋問を続けたまま僕の首根っこを鷲掴みにすると、そのまま屋上の鉄柵に叩きつけられた。背中全体に激痛が走る。

「痛っっ! やめ・・・・・・やめてください!」

 

 何度も叩きつけられているうちに、後ろにある薄い金属板で出来た柵が衝撃でひしゃげ、僕の周囲だけが砕け散って隙間が出来てしまった。

「ぐっ・・・・・・な、何を!?」

 クズリさんが僕を持ち上げたまま、その隙間に向かって身を乗り出した。僕の両足は地面から離れて、宙ぶらりんになっていた。

 

 ここがどれほど高い場所かをまざまざと思い知らされる気分だ。

 昼過ぎだというのに、灰色の雨雲に覆いつくされた明かりの灯らない街並みは、どこもかしこも薄暗い。それでも屋上みたいな高い場所には陽の光が届くからまだいい。高層ビルの下に広がる景色は、ほとんど暗闇に等しい。

 

「お、落ちる!! 下ろしてください! 何でこんなことを!」

「・・・・・・聞いてるのはオレだぜ? もう一度考えてみろ。てめえのやりたいことは何だ?」

 

 気だるげな表情のクズリさんが屋上の淵で、僕の必死の呼びかけを無視するように、先ほどと変わらないトーンで言葉を続けてきた。

 僕は彼女の言葉を、宙ぶらりんの足先から背筋までを恐怖に硬直させながら、死刑宣告のような気持ちで聞いていた。

 

(僕のやりたいことって、なんだ?)

 頭の中にある無数の物語、星の数ほどもひしめき合う言葉。それらをすべて掻き分けて、僕の一番根源にある感情を覗き込んでみる。

 だが、いくら覗きこもうとも、深い暗闇が立ち込めるばかりで何も見えはしなかった。

 

 身も凍るほどの恐怖が半分、何でこんな質問にも答えられないんだ、という己への失望が半分だった。

 でも、そうか。答えられないのも当たり前だ。考えたことがないのだから。

 やりたいことを考える以前に、自分に出来ることを探そうともしていなかった。

 

「答えられねえなら質問を変えてやるよ。そんなザマで今後どうやって戦っていく気だ?」

「・・・・・・ぼ、僕はヒツジだから、どのみちクズリさんほどには強くなれません。そ、それでも周りに迷惑をかけないように最善を尽くすつもりです!」

「あーあ、もういいや。オレまで眠たくなってきた」

 

 クズリさんは吐き捨てるようなため息を付いて会話を打ち切った。

 もう尋問を続ける気もないようだ。

 

「これだけは言っておく。肉食獣とか草食獣とか、生まれを言い訳にしてるようじゃ、てめえは永遠に負け続けるぜ。そもそも、てめえがオオカミに殺されたっていう話だって、ヒツジが弱いんじゃなくて、てめえ自身が弱かっただけだと思うぜ? なんせ、生きるも死ぬも全部自分の責任なんだからよ」

 

 今から僕は、底知れぬ深い谷底に落とされようとしている。

 いじめや悪ふざけの類じゃない、クズリさんの言葉も行動も、一から百まで本気だ。本気で僕のことを・・・・・・

 

「この世界は、強くなろうともしない奴が生き残れるほど甘くはねえ・・・・・・そんじゃ、あばよ」

「あ、あなたは本当に、僕を殺す気なんですか!?」

「ごまかすなよメリノヒツジ。てめえは今この瞬間だって、生きちゃいねえだろ」

 

 クズリさんはあくまで静かに、諭すように優しい口調で話しながら、まるで小用でも済ますような自然さで、その手を離した。

 

______うわあああああっっ!!!

 

 自身が発した絶叫が、頭の中にこだまする。

 誰も聞いていないであろう叫び声を、降りしきる雨に向かって吐き出しながら、寄る辺を失った体が真っ直ぐに落ちて行った。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章16「あかきめざめ」(後編)

(死ぬんだな)

 

 クズリさんに高層ビルの上から突き落とされてコンマ数秒ほど経った後、僕はようやく思考を現実へと追いつかせることができた。

 

 風圧が突き抜け僕の全身を震わせている。

 どこまでも、自分ではどうすることも出来ずに、強い力に引かれるまま、死の運命へとまっすぐに向かっている・・・・・・それはまるで僕の人生そのもののようだ。いっそのこと、このまま眠るように消えてしまいたい。

 そんなことを無意識に思いながら目を閉じた。

 

______ガッ!

「ぐっ!?」

 地上に落ちるよりも前に、ビルの外壁と擦れて弾かれた。肩越しに鈍い痛みが走る。

 その痛みが僕を覚醒させ、あきらめの境地から恐怖へと舞い戻らせた。

 

(嫌だ! こんな死に方はしたくない!)

 

 咄嗟に頭の中にイメージを描き出し、螺旋状の二又槍を手元に出現させると、ビルの外壁にめがけて楔のように突き刺した。

______ガリガリガリッッ!

 二又槍の穂先で外壁を削り取りながらも、落下はなおも止まることがなかった。穂先の鋭さに比べてビルの建材が脆すぎるのか、落下の勢いを止めるブレーキにさえならないようだ。

 

「止まれ! 止まってくれ!」

 空中で身をよじり、片手で突き出していた槍を両手で抱え込むと、穂先を外壁により深くめり込ませるために全体重をかけた。

 体を振り子のように何度も何度も揺らした。慣性を生み出して突き刺す力に変換するためだ。

 落下を止めようという一心で、足掻くように体を動かし続けた。

 

______ギャギギ・・・ギ・・・

「・・・・・・はあっ、はあっ」

 全身から滝のような汗が湧き出している。それを洗い流してくれる雨がひんやりと心地よく感じられるほどだ。

 外壁に突き刺さって動かなくなった己の得物から視線を逸らして、眼下の景色を肩越しに見やると、アスファルトの地面がもう目と鼻の先にまで見える。

 僕は思わず生唾を飲み込んだ。それと同時に鼻から安堵のため息も出てきた。

 

 辺りにセルリアンがいないのを確認すると、二又槍を壁から引き抜いて、雨が打ち付けるストリートの上に静かに着地した。

(これからどうしよう・・・・・・)

 今しがた落ちてきた建物の柱の陰に身を隠し、これからのことを考えた。

 

 僕がもともと言いつけられていたのは、ビル街のセルリアンたちと戦って注意を引き付けることだ。

 そうしなければ、スラム街へ向かったスパイダー隊長や他の仲間たちが挟み撃ちにあって、作戦が失敗してしまうからだ。

 

 本当ならクズリさんと一緒にそうするはずだったけど、彼女にはもう期待できない。

 今すぐ降りてくるのかもしれないし、降りてこないのかも。もしくは、僕がセルリアンに殺されたのを確認してから降りてくるのかも・・・・・・

 

 僕に取れる選択肢はふたつ。

 1人でセルリアンの大群と戦うか、作戦を放り出して隠れているか・・・・・・ 

 

 僕1人で戦えば間違いなく死ぬ。万にひとつの勝ち目もない。

 逆に、隠れて生き残ったとしても、Cフォースから脱走することが出来ない以上、仲間たちの下に帰ることになるだろう。

 当然、僕が命令に背いて逃げていたことが他の仲間に伝わることになる。

 

 そんなことになったら、まずディンゴに何をされるかわかったものじゃない。今の彼女はなおさら僕のことを憎んでいるのだから。

 クズリさんとパートナーを組む機会を僕に取られた恨みを晴らすために、今まで以上のいじめを仕掛けてくるであろうことは想像に難くない。

 

 ・・・・・・そして、クズリさんとも一緒に過ごすことになるのだ。今を生き延びたとしても、またいつ同じようなことをされるかもわからない。

「お前は今だって生きてはいない」

 クズリさんはそんなことを言いながら僕を奈落に突き落とした。僕のことを見定めたいと言っていた、その結果がこの仕打ちなんだろう。

 強くなる見込みがない。このさきも生き残るとも思えない。僕のことをそう評したのだ。言外に「お前は死ぬしかない」と言われているような気がした。

 

 クズリさんに僕への悪意があるようには思えなかった。

 相手を痛めつけながら、理路整然とした会話も同時に行う。暴力性と知性の両立、それが彼女なのだ。暴力を振るうことに怒りも憎しみもいらない。あんなことは平常運転で行えるのだ。

 ほんの少し言葉を交わしただけで「意外と話せるフレンズだ」なんて気を許してしまった僕が甘かったのだろう。

 

(・・・・・・僕が何をした? なんでこんな目に遭わなきゃならない)

 ここから出て戦いに行く勇気もなく、かといって身を潜め続ける覚悟も決まらずに、その場で立ち往生していた。

 

(この世界に救いなんてない。少なくとも僕には・・・・・・)

 シンデレラや小公女みたいに、苦労した末に救いを手に入れる物語が世の中には山ほどある。

 それは逆説的に、現実の世界に救いがないことの証明なのかもしれない。

 救われたいのに救われない。そんな思いが救いの物語を生み出すのだろう。同じように救いを夢見るヒトが物語を愛し、語り継いでいくのだ。

 そして僕も物語が好きな1人だ。その理由が今はっきりとわかったような気がする。

 

(シンデレラには、ガラスの靴を見つけてくれる王子様が現れた・・・・・・いっぽう僕を待ち受けるのはセルリアンか)

 

 しばらく虚構と現実の間をぼんやりと行き来していたが、やがて焼けっぱちな気持ちでビルの陰からストリートへと歩み出た。

 雨のしずくに交じって、熱い液体が顔を伝っている。今の僕はきっと、帰る場所をなくした迷子のような顔をしているのだろう。

 今の僕が生きていないと言うのなら、この絶望は何なんだろう。

 

「・・・・・・出て来いよセルリアン! 早く僕を殺しに来い!」

 立ち並ぶビルの中、ちっぽけな自分の存在をアピールするように大声で叫んだ。

 僕の大声を聞きつけて、ビルの隙間の闇から早くもいくつもの影が飛び出してきた。

 

 セルリアンはいつでも変わらない。ひたすら実直に「命を奪う」というたったひとつのことを為そうとしてくる。迷わない、悩まない、そもそも考えることすらしない・・・・・・羨ましいとすら思えるほどのシンプルさだ。

 僕は、僕の期待に応えてくれる唯一の存在にめがけて走りだした。

 

 手にした槍の一突きで一匹の幼体を仕留める頃には、辺りはすっかり幼体の大群に取り囲まれていた。

「わあああっっっ!!」

 技術も何もなく、幼体の群れを掻き分けるように、めくらめっぽうに槍を振り回して抵抗した。

 しかし僕の攻撃など物ともしないセルリアンたちの攻撃が一撃、さらに一撃と加えられ、ずぶ濡れになった僕の分厚い体毛を鮮血で染めていった。

 

______ザシュッッ!

 幼体たちのそれとは比べ物にならぬ程に鋭く重い攻撃が、僕の脇腹を抉った。

 吹き飛ばされた体がビルの壁に叩きつけられ、そのまま前のめりに倒れこんだ。

 

 何とか顔を起こして前を見ると、幼体の群れに交じって、長い両腕を引きずるようにして二足歩行で歩く成体セルリアンの姿を何匹か目にするのだった。

(あれは”猫背”だ・・・・・・するとやはり、この辺りが奴らの根城なのか)

 

 幼体と戦うだけなら、僕1人でも持ち堪えることが出来るかもしれない。でもあの猫背が相手ならば、どう足掻いても勝ち目はない。

 

 猫背の一体が、のっそりとした足取りで僕のすぐそばに近づくと、かぎ爪が生えそろった片腕を、それがあたかも処刑人の斧であるかのようにゆっくりと振りかざした。

 

(ここまでなんだな)

 オオカミに食い殺されて一度死んだ僕は、今度はセルリアンに殺されて二回目の生を終えるのか・・・・・・いや、クズリさんに殺されると言った方が正確だ。彼女がセルリアンを利用して、己の手を汚さず間接的に僕を殺そうとしているのだから。

 

 ・・・・・・まあどっちでもいいか。ヒツジなんて弱い生き物は、生まれた時点から、他の強い存在に命を奪われる運命が確定している。

 生まれを言い訳にするなとクズリさんに言われたばかりだけれども、やっぱり僕はそう思わずにはいられないのだ。

 

 オオカミやトラ、それにクズリさんみたいな強い肉食獣でなければ、この奪い合いの世界で自由に生きることは出来ない。

 もし生まれ変われるなら、肉食獣に生まれたい。ヒツジなんて、もうこりごりだ。

 

(ああ、この風景は・・・・・・)

 

 辺り一面が余すところなく赤色に染まっていく。

 目を閉じても、目蓋を貫いて視界を支配するほどの強烈な赤。

 それはかつて僕がオオカミに殺される直前に最後に目にした景色だった。あの時とまったく同じように見える。

(走馬灯というやつか?)

 

 ひどく懐かしいそれを、最期にもう一度よく見てみたいと思って、僕は目を開けた。

 眼前には先ほどと変わらず”猫背”の姿が見える。赤一色の背景に立ち、かぎづめを振りかぶって、今にも僕を殺そうと迫っている。

 

 目の前の猫背が、かつて僕を殺したオオカミの姿と重なるように思えた。

 

______トクンッ・・・・・・

 胸の奥に甘く痺れるような感情が湧き上がる。この気持ちは何なんだろう?

 これから僕は二度目の死を迎えるというのに、一度目の死のことをかけがえのない思い出のように回想していた。

 

 こういう時は普通、親の顔を思い出すものではないのか? 僕にだって優しいお母様がいたのに、なんでオオカミに殺された時のことなんかを懐かしんでしまうのだろう。

 僕が動物として生きた時間は決して長くはなかったが、思い出すだけで暖かい気持ちになれるような出来事が他にいくつもあったはず。

 だがそれらをすべて押しのけて、ただひたすらにオオカミの姿を愛おしいと思う気持ちが胸の奥に去来していた。

 

 僕は生まれ持ったヒツジという定めがずっと嫌だった。鬱陶しい毛に包まれた鈍重な体。食われるか毛を刈られるかしか出来ない、弱さという名の宿命そのものだ。

 

 それに比べてオオカミのなんと素晴らしいことだろう。

 力強く俊敏な体、鋭い牙と爪、血走った恐ろし気な瞳・・・・・・それらすべてを併せ持つ、この世界で一番美しい獣。命を奪うことを天から許された、生まれついての純粋な強者。

 彼らのことを思い浮かべると、胸が高鳴ってしょうがない。

 崇拝にも近い、恋焦がれるような、物理的な熱を帯びるほどの強い感情だった。

 

______ブォンッッ!!

「くっ!」

 猫背がかぎ爪を振り下ろした。その軌跡がはっきりと見える。

 突然に生まれた意味不明な感情への戸惑いが、死への恐怖をいとも簡単に凌駕してしまった。そのとたん僕の思考は、自分でもわけがわからないほどに冴え始めた。

 

 絶望的とも思える一撃に対し、予知したように槍を構えて、これを何とか受け切った。それでも衝撃を殺すことは出来ず、僕の体は真横へと弾き飛ばされた。

 

(まずは引かなきゃ・・・・・・!)

 攻撃を受けて吹き飛ばされながらも、あくまで冷静に今後のことを考えるようにした。

 空中で身をよじって体勢を立て直し、何とか地面に着地すると、辺りの様子をキョロキョロと見まわした。

 

 僕のちょうど真後ろにあるビルとビルの間に、フレンズ1人分が通れるほどの幅しかない細い裏路地が開けているのが見える。

 

(あそこだ、あそこに逃げよう!)

 頭に言葉を思い浮かべるより前に地面を蹴って駆け出し、襲い来る幼体たちを槍で掻き分けて、何とか裏路地に潜り込んだ。

 傷ついた体を引きずるようにして、狭くて深い、そして想像以上に入り組んだ小道を、我も忘れてひた走った。

 行き止まりでないことを祈るばかりだ。

 

 あの”猫背”のガタイでは、この狭い道には容易に入ってこられないだろう・・・・・・体の小さな幼体には追跡されるだろうけど、狭さゆえに襲われる角度は限定されるはずだ。

 生き残る確率は、これでぐっと上がるはず。

 

 肩で息をしながら移動を続けてしばらく経つと、さらに入り組んだ一角へと辿りついていた。最早足元すらぼんやりとしか見えない、真夜中に等しいほどに暗い路地裏だ。

 雨のしずくが染み込むように降ってくる他は、何の存在も感じ取れない程に静かだった。

 

 セルリアンの大群をようやく撒いたと思った僕は、深いため息を付きながら、その場にへたり込むと、壁にもたれかかってため息をついた。

 

______ザァァァァ・・・・・・

 

 狭い路地裏にもお構いなしに降り注いでくる雨を、シャワーを浴びるように受け止めながら瞳を閉じた。熱い体を冷やしてくれる雨が心地いい。

 黒一色であるはずの目蓋の裏に、先ほどから変わらずに鮮烈な赤色がチラつき続けていている。赤い衝動が絶えず僕の内側から湧き出て、体を今にも突き破ってしまいそうだ。

 

(これが本当の僕なのか・・・・・・)

 

 今まで無意識のうちに抑圧し否定して来たけれど、もはやそれも不可能だった。

 僕がずっとやりたかったこと。それは、脳裏にチラついて仕方がない赤一色の光景へと飛び込むこと、オオカミに憧れる自分の気持ちを肯定することだ。

 つまりそれは・・・・・・

 

(僕はヒツジであることをやめたい。オオカミになりたい)

 

 僕はずっとオオカミに憧れていた。

 あの鋭い牙を体に突き立てられ絶命した瞬間から、その強さと奔放さへの憧憬が、拭い去りがたい熱として残っていた。

 

 セルリアンと戦っている時も、槍で貫いた敵が絶命する瞬間に、胸の中に仄かな歓喜が生まれることが何度かあった。

 胸の高まりを信じて突き詰めて行けば「野生解放」に至るのは間違いないと確信しながらも、無意識のうちにそれを否定して、ヒツジとしての己を保とうと意固地に踏みとどまってきた。

 怖かった・・・・・・いや、申し訳ないと思った。ヒツジとして生きた自分の半生を、お母様から生まれ育ててもらった命を否定してしまうような気がしたからだ。

 

「やりたいことを徹底的にやれば強くなれる」とクズリさんは言った。

 僕はその言葉をだんだん信じたいような気持ちになっていた。

 

(心から願えば、ヒツジでもオオカミになれるのかな?)

 我ながら、考えた傍から「バカなことを」と否定したくなるような世迷言だ。動物であろうがフレンズに生まれ変わろうが、持って生まれた体を別物にするなんてできっこない。

 

 しかし、今の僕には世迷言を否定するだけの確信を持つことも出来なかった。

 ついさっきスパイダー隊長のシャドウシフトを実際に体験したばかりだ。100回もの脱走を実行するほどの桁外れの執念が、隊長に影に潜る能力を与えた。

 

 強く願い、それを実現するために行動し続ければ、もしかしたら僕だってあり得ない力を手に入れることが出来るのかもしれない。もちろん保証はない。むしろ無様に死んでいく可能性のほうがはるかに高いだろう。

(それでも、僕は)

 

 最後に一度だけでも、僕は僕のやりたいことをやってみたい。

 結果が手に入らなくても「やりたいようにやった」という事実だけは残るはずだ。それさえ残れば、今の僕にとっては上出来な結末のはずだ。

 

(そろそろ、行かなきゃな)

 

 もう迷いも恐怖もなくなった。

 僕は再び立ち上がって路地裏の暗い小道を歩き出した。

 

 セルリアンの大群相手に陽動を行うという、最初に与えられた任務を遂行しなければならない。

 それに何より、今はともかく戦いたい。体から湧き出る激しい熱に身を任せたい。

 ヒツジでありながら、心にオオカミの強さと残酷さを宿していることを知らしめてやりたい。

 

(ん? これは・・・・・・)

 薄暗闇の中、傍らの壁にある錆びついた鉄のドアを見やった。

 おもむろにドアノブを捻じって、軋んだ音と共にドアをこじ開けると、建物の中に頭を突っ込んで覗き込んだ。

 にやり、という擬音が感じられるぐらいに、思わず僕の口元が歪んだ。

(おあつらえ向きの場所があるじゃないか)

 

 

「かかって来いよセルリアンども! 僕はここだ!」

 再びビル通りに抜け出た僕は、ひしめき合うセルリアンの幼体たちを挑発すると、その場では戦わずに脱兎のごとく後方に走り去った。

 

 僕が行く先には、偶然にも見つけることが出来た立体駐車場がある。

 車が二車線分行き来出来るほどの幅しかない狭い道を、後ろから幼体の大群が迫ってくる気配を感じながら急いで駆けぬけた。

 

 多勢に無勢を跳ね返すためには、地の利を得るしかない。

 ビル通りで正面からセルリアンたちと戦えば、360度上下左右から襲われて、一瞬でお陀仏だ。だがこの場所ならば襲ってくる方向を真正面だけに限定できる。

 僕にとっては逃げ場のない袋小路だが、奴らにとっても身動きのとりづらい閉所だ。 

 完全な行き止まりというわけではなく、いざとなれば錆びたドアから裏路地へと脱出することだって出来る。

 まあ・・・・・・そうなる前に死ぬ可能性の方がよほど高いのだろうけど。

 

 屋内駐車場の中ほどに辿り着いた僕は、振り返りざま、埋め尽くさん勢いで迫ってくるセルリアン相手に怒声を浴びせた。

 

「僕を追い詰めたと思ったか? 逆だ、お前らは誘い込まれたんだ・・・・・・僕の狩場にな!」

 

 小悪党が好んで吐くような、威勢がいいだけの中身がない言葉。当然嘘っぱちだ。

 僕は相変わらず絶望的な状況にいるし、それを覆せるような力も策もない・・・・・・だから、言葉だけでも強い風を装うのだ。そうすれば気持ちは後から付いてくるはず。

 ただ虚勢を張っているだけ。俗っぽい言葉だと「いきがる」って言うんだろうな。

 別にいいじゃないか、いきがったって。

 

(さあここからだ!)

 

 言葉を解さないセルリアンたちに虚勢が通じるはずもなく、屋内の狭い一本道をただただ突っ込んできた。

 僕は落ち着いて螺旋状の二又槍を構え、一番先に近づいてきた幼体の一体に向かって真っすぐに突き刺し、虹色の光燐が瞬くよりも速く穂先を引きもどした。

 正面に穂先を構えたまま、わずかに後退すると、また別の一体に突きを命中させる。敵との距離を保ったまま、こちらの間合いから攻撃を仕掛ける。

 ただそれを繰り返すだけの戦術だ。

 

 そして後ろに下がり切った先には、裏路地へと続くドアがある。退路を確保しながら戦い、いよいよ危険になったら逃げる。

 僕一人で戦って生き残るにはこの方法しかないだろう。

 

 突いて引くのは槍術の基本にして要、槍という武器の有利さを存分に発揮することが出来る。

 突く速さだけではなく、引手の速さこそが肝要だ。引手の速さで相手との間合いを保ち続けることで、攻防一体の立ち回りが出来る。

 幼体程度の相手ならば槍の引手の速さには付いてこれまい。数の暴力で押しつぶすことが難しいこの閉所なら尚更だ。簡単に殺されたりはしない。

 ・・・・・・そう、相手が幼体だけであるなら。

 

______ズシャアアアンッッ! ドッドッドッ!

(くっ! もう来たのか!)

 

 一匹の”猫背”が、大きな音を立てながら駐車場の中に入ってきた。仲間であるはずの幼体の群れを弾き飛ばしながら僕に向かってくる。長い前脚を地面に降ろし、4足で俊敏に駆けている。

 後ろ脚で二足歩行をするだけだと思っていたのに、あんな風に動くこともできるのか・・・・・・いよいよもって、動物みたいじゃないか。

 

 正面から突っ込んでくる猫背が、僕の間合いに入り込む瞬間、全身が恐怖で硬直した。

(だ、だめだ、アイツが相手じゃ)

 猫背は幼体とはわけが違う。突き一辺倒の戦法が通用する相手じゃない。アイツは頑強な体を持った「石あり」だ。石を正確に突かなければ倒せない。

 一撃で倒すことが出来なければ、自慢の素早い動きに接近され間合いを崩されてしまう。

 そうなったら終わりだ。地の利も槍のアドバンテージも失った僕に”生き目”はなくなる。

 

(逃げなきゃ!)

 猫背を迎え撃つことが困難であるなら、後ろのドアから逃げ出して体勢を立て直すしかない。

 そう考えて後ろに引こうと判断した僕だったが、体がその場から動くことはなかった。

 

(逃げる? なぜ僕が逃げなきゃならない? 僕がアイツより弱いから? 死にたくないから?)

 

 理性で下した命令が、胸の奥から湧き上がる強い思いに押しとどめられ、かき消されていくのを感じた。

 脳裏に染み付いた熱が現実世界に溢れだし、視界を真っ赤に染めていく。

 今の僕には死への恐怖よりも、抑えようがない激情がはるかに勝っている。

 

(僕はオオカミだ! オオカミは決して敵から逃げない! あの猫背の方こそ僕の獲物だ!)

 僕の中にもう一人の僕がいて、囁きかけてくるような気がした。僕と同じ脆弱なヒツジの姿なのに、その表情は禍々しいほどの殺気を湛えている。

 その子が口を開くたび「戦え」「殺せ」「引きちぎれ」「踏みしだけ」なんて、ありとあらゆる暴力的な言葉が飛び出してくる。

 血走った瞳で猛り狂う猛獣。僕はそんなもう一人の自分に、一切身を任せてしまおうと思った。

 

「死ぬのはお前だッッ!!」

 激情に任せるまま威勢のいい言葉で己自身を鼓舞すると、猫背に向かって槍を振りかぶり、思考をかなぐり捨てるように突撃した。

 

 互いに駆け寄って急接近する僕らの体は、今からほんの数秒で正面衝突するだろう。4本足で走る猫背が、片腕を振り上げて攻撃の予備動作を取ろうとしていた。

 もしこのままかち合えばどうなるかは考えるまでもない。

 一撃で殺されるか、運よく槍で受け止めることが出来ても、体格も馬力も勝る相手に吹き飛ばされて終わりだ。

 すなわち体勢を崩されてしまうということ、この一対他の状況でそうなることは、確実な死を意味する。

 

(イチかバチか、やってやる!)

 つい数瞬前、死なないための策をひとつだけ考えついていた。

 僕は走るスピードを維持しながらも、偶然思いついたそれをぶっつけ本番で実行に移した。

 

 それは武器をしまうことだ。

 僕はイメージした。僕の頭に生えている角が、どんどん短くなって、やがて消えてしまう瞬間を、なるべく具体的に・・・・・・。

 すると手にした槍が一瞬でかき消えて、僕は素手へと戻るのだった。

 得物を一瞬で手元から消滅させるのは、特別な技でも何でもない。武器を持って戦うフレンズなら誰でも出来ることだ。

 フレンズの意志によって具現化された武器は、取り出したり消したりすることが一瞬で行える。

 

 僕が丸腰になっても、猫背の勢いはとどまるところを知らない。

 後ろ脚で力強く地面を蹴って跳躍すると、鋭い鉤爪が生えた前脚を真上から叩きつけてきた。

 

______ゴシャアッッ!!

 

 剛腕がコンクリートの床に深々とめり込み、衝撃の中心から亀裂を走らせた。しかし僕は猫背の攻撃から間一髪で逃れていた。

 奴は間合いを見誤ったのだ。そうなるように僕が誘導したからだ。

 

「・・・・・・かかったな!」

 

 猫背は巨体に似合わぬ俊敏で正確な動きを持った相手だ。槍を持ちながら走ってくる僕に攻撃が届く完璧なタイミングで動いたことだろう。

 僕はそれを利用してやった。

 奴が動いたのを確認してから、敢えて槍をしまうことで、奴との間合いを外してやったのだ。

 槍と素手では間合いが違う。素手の僕に攻撃を当てるならば、奴はもう一歩踏み込まねばならなかった。

 

 一歩間違ったらこちらが死ぬ、命がけの賭け。

 我ながらこんなことをよくぶっつけ本番で躊躇なくやれたものだと思う。

 あらがいがたい強い衝動が、今までの僕では決して出来なかったことをいとも簡単に実行させているのだ。

 

(早くコイツを倒さなければ・・・・・・石はどこだ!)

 

 片腕をコンクリートの床に突き刺したまま体勢を崩しているが、それを引き抜くのに何秒とかからないだろう。そうなったらもう勝ち目はない。今この一瞬で止めを刺すより他に手はないのだ。

 僕はそう思い、猫背の体を急いで観察した。

 顔のない胴体の首根っこにあたる場所には、歪な出っ張りが前方に隆起している。奴の目はその出っ張りの中心にある。

 そして出っ張りの下方、いわば奴の「喉元」にあたる部分に、他の体表とは質感も色も違う物質が覗いていた。

 

「そこッッ!!」

 石を見つけるや否や、僕の体は稲妻のように素早く跳ね、奴の急所めがけて、空間からふたたび取り出した槍を真っ直ぐに突き刺した。

 

______ザシュッッ!! 

(な、何!?)

 だが攻撃が石に到達する直前、穂先は別のものに阻まれた。

 猫背のもう片方の腕だ。地面に刺さっていない、自由が利くほうの腕で咄嗟に己の急所をかばったのだ。

 さらにはもう片方の腕を地面から引き抜いてしまい、僕の槍を掴んで押し返そうとしてきた。

 

「・・・・・・くそ! 入れ! 入れェェェ!!」

 僕は負けじと、槍を持つ両腕にさらに全力を込めた。だが腕力で上回る猫背には通用せず、槍の穂先がみるみるうちに押し戻されてしまっていた。

 僕のたったひとつの得物がこんな風に防がれてはどうしようもない。

 

(せめて、槍があともう一本あれば・・・・・・)

 

 そこまで考えてから、僕は何かを見落としていることに気付いた。

(僕の頭には二本の角がある。槍は角という概念が具現化した、いわば僕の角そのものだ・・・・・・であるならば、槍だって二本あるはずじゃないか) 

 

 僕はもう一本の槍の存在を心の底から信じ、僕の手元に現れる瞬間をイメージした。

 すると猫背の片腕に突き入れている槍が金色に光り出した。

 

(そうか、わかったぞ!)

 僕の槍は、二本角が絡まってドリルのような螺旋を描き、穂先が二又に分かれた形をしている。

 何故そんな形をしているのか気になっていたが、今になってようやくその理由が今わかった。

 僕は二本の槍をすでに出していたのだ。

 

(やるべきは作り出すことじゃない! 分けることだ!)

 

 金色の光が消える頃には、槍の形が変わっていた。今まで使っていた物より一回り以上細い、穂先が一つだけの槍が僕の手元に残った。

 螺旋状の二又槍を形作る半身、つまり片方の角というわけだ。

 そして細い槍を握りしめて猫背と押し合いをしている僕の手元には、金色の光の粒子が滞留している・・・・・・

 

(来いっ! 僕のもう一本!)

 半ば確信した気持ちで槍を手放してから、低くしゃがみ込んだ姿勢で駆け出し、猫背の腕の中へ潜るように肉薄した。

 

 片腕に穂先が刺さったままの猫背は、まさか僕が槍を手放すとは予想出来なかったようで、反応が一瞬遅れていた。

 

「死ねよッッ!!」

 生まれた隙を逃さんと、僕は猫背の喉元に向かって食らいつくように腕を突き出した。

 その手にまとった光の粒子が槍と化し、喉元から生え出た“核”に勢いよく突き刺さる。一筋の穂先が勢いを保ったまま猫背の後頭部を貫通した。

(や、やった!)

 両腕をガクリと落としたまま立ち尽くしていた猫背の体が、虹色の光芒をばら撒いて消滅した。

 強敵の最期を見届けると、全身から歓喜が湧き上がってきた。セルリアンと戦ってこんな気持ちになることは初めてだ。

 

 勝利の喜びに酔いしれるのも束の間、眼前には新手が早くも立ちはだかっていた。

 数体の猫背、そして数えきれない程の幼体が、狭く薄暗い駐車場内を埋め尽くしている。当たり前だ。一体にかかりきりになるような体たらくでは、この地獄から生還することは叶わない。

 

 僕に呼吸を整える暇も与えないセルリアンたちの進撃が始まった。

 一体の猫背が僕に躍りかかってきた。僕は左右の手に一本ずつ持った槍を交差させて、爪を激しく振り回してくる乱撃を何とか凌いだ。

「あっ・・・」

 しかし、側面から回り込んできた別の個体による一撃を防ぐ手立てはなかった。剛腕に生えた鉤爪が、僕のブカブカの体毛の下にある肉を抉り取った。

 

「う、うぎゃあああっっつ!!」

 痛みを自覚する前に、また別の方向から攻撃が飛んできた。

 そこから先はよく覚えていない。何回切り裂かれたかわからない、もはや痛みとそれ以外の区別すら付かない。

 まるでシチューの具にされているような気分になった。熱く煮えたぎる鍋の中で、粉々の肉片になって掻き混ぜられている、それはそれは絶望的な風景だ。

 

 僕の思考は意外なほどに落ち着いていた。

 死への恐怖よりも、絶望よりも、無念さがどこまでも募っていく。

 ようやく見つけることのできた、ようやく向き合うことのできた僕の夢、目的、生きる理由。

 それを追いかける喜びが、こんなに早くに終わってしまうだなんて。

「生きたい」

 動物だった時間を含めても、生まれて始めて、心の底からそう思った。

 それから僕の意識は無残に途切れた。

 

 

「うっ・・・・・・」

 眠りは永遠ではなかった。

 僕はどこかの建物の中で目を覚ました。

 全身に走る激痛が、相も変わらず命が繋がっていることを自覚させる。自分の体を見やると、あちこちに止血や包帯なんかの応急処置が施されていた。

 

 屋内でも、一層激しく降りしきる雨の音と、時折閃く雷光が、先ほどと変わらぬ天候であることを知らしめている。

 ここはどこだ、と思って寝たまま辺りを見回すと、1人のフレンズが僕に向かって近づいてくる気配を感じた。

 

「よくぞ無事だったな、メリノヒツジ」

 穏やかに僕をねぎらう声の主はクロサイ。つい先ほど同じ班のメンバーとして戦った、黒光りする鎧をその身にまとう重量級だ。 

 もっとも今はご自慢の鎧の上に包帯を巻きつけた痛々しい姿であり、激しい戦いを切り抜けた直後であることを匂わせている。 

 

「クロサイ・・・・・・ここはどこ? 作戦はどうなった?」

 

 彼女は僕の質問にひとつひとつ答えた。

 ここは作戦の開始地点にして脱出地点であるビルの中だ。最上階であり、この廊下をまっすぐ進めば屋上へとつながっているのだと。

 

 そして、言うまでもなく作戦は成功したようだ。

 スラム街方面の奥まったとある場所に、予想通りこの地区を支配するボス・セルリアンがいたという。

 スパイダー隊長が率いる40人のフレンズ達はスラム街に攻め入り、短時間でみごとボスを討ち果たし、その肉片を採取するという目的を果たしてみせた。

 その後、予定通り脱出のためにビルに戻り、屋上で信号弾を撃ってシャヘルの輸送機を待っているというのだ。

 作戦の過程で何人かの負傷者が出たので、屋内にて応急処置を施して休ませているようだ。

 見回すと僕と同じように寝込んでいるフレンズを数人見つけた。

 

「・・・・・・どうして僕は助かった?」

「隊長殿がお主を助けてくれたのだ」

 

 スパイダー隊長は、僕が一人でビル街で戦っていることを知るや否や、シャドウシフトを使って僕のことを探し、助け出してくれたのだという。

 信じられないことに、そのことを隊長に教えたのはクズリさんだという。

 

 クズリさんは、僕を突き落とした後も屋上から動かずに、作戦を果たして屋上へと戻って来た隊長たちを出迎えたそうだ。そして己のしたことを悪びれもせずに告げたらしい。

 

 よく隊長が僕の所在を突き止められたものだと思ったが、彼女の能力を体験した今となっては頷ける話だった。

 隊長は影の世界を自在に動き回りながら、影の先へと繋がる幾つもの場所の様子を同時に探ることが出来る。おまけに移動スピードは”瞬間移動”と呼べるほどの圧倒的な速さだ。

 僕が東地区のビル街のどこかにいることは予め知っていたから、さほど難しい探索でもなかったのかもしれない。

 

 隊長は地下駐車場で気を失い今にも殺されてしまいそうな僕を見つけ出し、影の中に引き込んで助けてくれたのだ。

 そうしてこのビルの屋上まで連れて行き、他のメンバーと一緒に応急処置を受けさせて休ませてくれている。

 部下想いで、仲間が死ぬことを極端に嫌う隊長の優しさのおかげで、僕は生きながらえることが出来たのだ。

 

(へえ、やっぱりスパイダー隊長は立派だな)

 僕は事の顛末を聞きながら、素直に感心した・・・・・・逆に言うと、それ以外の感想は特に浮かんでは来なかった。

 まるで本を読んでいる時のような心持ちだ。いかに胸を打つ物語であっても、外側から俯瞰する他者のような距離感で物を考えていた。

 

 隊長への申し訳なさとか、己の不甲斐なさを責める気持ちとか、本来であればそれらの感情に塗りつぶされて萎縮してしまうはずなのに、おかしいぐらいに感情が麻痺してしまっている。

 

「そうだったのか」と、クロサイの説明に最低限の相槌を打つと、痛む全身に力を込めて立ち上がった。開いた傷口から染み出した血液が包帯を貫通し、何滴か地面に零れ落ちるのがわかる。

 

「こ、こら起きちゃいかん! 寝ていろ!」

「ほっといてくれ」

 僕を気遣うクロサイを無下に押しのけ、そのまま一瞥もせずに歩き出した。

 何だかとても眠い。起きているんだか夢の中なんだかわからない。全身に傷を負って疲れ切っているせいもあるのだろうけど、何も考えられないぐらいに頭がぼーっとするのだ。

 

「・・・・・・どこ? どこですか?」

 何かに取りつかれたようなうわ言を呟きながら、満身創痍の体を引きずるように歩きはじめた。

 

 雨音を響かせる薄暗い廃ビルの中を歩いていると、クロサイ以外の仲間たちの姿も見え始めた。健在な者も、負傷して寝込んでいる者もいる。

 だが意識のある者は一様に、傷だらけの僕が当たり前のように歩いているのを不可解な顔つきで眺めていた。

 

 誰にも視線を合わせずに歩みを進めていたが、寝込んでいるフレンズの中に、無視することが出来ない1人を見つけ、思わずその場で立ち止まった。

「スパイダー隊長・・・・・・」

 隊長からの返事はない。華奢な手足と、身長より長い尻尾を床に投げ出したその体に目立った負傷は見当たらなかったが、意識を無くして泥のように眠っている。

 まるで呼吸すらしていないように見える静けさだ。

 

「隊長がそうなったのは、おめーのせいだ」

 

 足を止めている僕に向かって、ディンゴが背後から告げてきた。

 嫌というほど見慣れた、いつもの目つきで僕を睨んでいる。

 冷たく蔑むような、不愉快な物をいやいや見ているような目だ。

 

 ディンゴは、大柄でしなやかな体を泥で汚し、さらにいくつもの生傷を作っていた。目立った深手はなかったものの、奮戦の痕跡がありありと伺える。本来の希望ではない役目も精一杯やり遂げたことを物語っている。

 ディンゴは基本的に真面目で実直な性格をしており、フレンズに課せられた戦いの使命にも忠実だ。まごうことなき優等生だからこそ、僕のような異物が嫌いなのだろうな。

 

「・・・・・・どういうこと?」

「隊長は、おめーを助けるために自分の限界以上の能力を使っちまった」

 

 彼女はむき出しの敵意を覗かせたまま僕の質問に答えた。

 スパイダー隊長のシャドウシフトは便利極まりない反面、体力を大幅に消耗してしまうという難点があり、休まずに使える回数は限られている。

 隊長は己の力量を正確に推し量り、能力の使いどころをあらかじめ決め、その作戦通りにきっちり使える回数を使い切って屋上に戻って来たのだが・・・・・・。

 

 その後僕に起きたトラブルを知ることになり、僕を助けるために己の限界を超えた回数の能力を行使せざるを得なくなってしまったというのだ。

 結果、隊長は意識を保っていられなくなるほどの疲労に襲われ、昏睡状態に陥ってしまった。

 

「さっさと死ねばよかったのに」

 憎々し気に歯ぎしりしながら、ディンゴが言葉の暴力を投げつけてくる。

「隊長にこんな迷惑をかけてまで助かる価値がおめーにあんのかよ? そりゃあ原因を作ったのはウルヴァリンさんだけどさ・・・・・・そもそもおめーがウルヴァリンさんをムカつかせたのが悪いんだ。あの人の気持ちはオレにはよくわかるぜ。おめーみたいな役立たずはいらねーんだよ」

 

「・・・・・・」

 

 やっぱり感情が麻痺してしまっている。

 僕を助けるために倒れたスパイダー隊長の無惨な姿を見ても、ディンゴの罵詈雑言を聞いても、自分とは関係がない物事のように思える。

 

(そんなことよりも)

 僕は早くもスパイダー隊長に興味をなくして視線を外し、辺りの様子をキョロキョロと見回しはじめた。

 

______ピシャアアンッッ!

 

 雷鳴がとどろき、ビルの最上階の薄暗い廊下を照らし出した。

 ガラス張りの窓の淵でポツンと1人、彼女が立っていた。

「クズリさんっっ!!」

 相変わらず不敵な後姿で眼下の街を見下ろすその姿を見つけると、嬉しくて仕方がなくなって、思わず大声を上げてしまった。

 

 ついこの瞬間まで何の感情も湧かなかったのが嘘みたいだ。頭の中で感情が爆発している。薄暗かったはずの視界が、またも赤い光に埋め尽くされていった。

 

「何無視してんだコラァ!」

 クズリさんに向かって駆け寄ろうとした僕を、憤慨した様子のディンゴが後ろから取り押さえようとしてきた。

(うるさいなあ)

 

______ビュンッッ!!

 ディンゴを心の底から鬱陶しいと思い、振り向きざまに槍を具現化させ薙ぎ払った。穂先は何にも触れることはなく、ただ風切り音を立てて振りぬかれる。

 抜くのが早すぎたか・・・・・・もう少し距離を詰めていれば、聞くに堪えない言葉しか吐かない頭を胴体から切り離せたのに。

 

「・・・・・・こっ、な、何しやがる!」

 顔を青ざめさせながら飛び退いて憤慨するディンゴ。そして得物を抜いた僕の姿を見て周りのフレンズたちも唖然としている。

 

「僕の邪魔をするなら殺すよ」

 

 それだけ告げると、槍を背中に担いだまま踵を返して再びクズリさんの方へ歩き出した。

「ついにイカれたのかよ」とディンゴが後ろから感想を漏らす声が聞こえたけど、残念ながら僕の思考はまったく正常だ。むしろ今までがおかしかったのだと思う。

 

 クズリさんは周りの喧騒などどこ吹く風で、相変わらず街を見下ろしている。呼びかけながら近づく僕を無視するように、一瞥すらくれない。

 

 僕のことを殺そうとしてきた相手であるにも関わらず、クズリさんのことを恨んだり憎んだりする感情は僕には微塵もなかった。

 もう一度彼女と話がしたい、ついにやりたいことを見つけられたという報告がしたい。僕の考えを聞いてもらいたい。はたしてなんと答えてくれるだろう。

 しかし・・・・・・今は話すことよりも、もっと優先すべき用事がある。

 

「ねえ、僕と勝負してくださいよ」

 

 僕はそう言いながら、クズリさんの後頭部に槍を突きつけた。

 無視するようにそっぽを向いていた彼女が、ようやく振り返って僕を見てくれた。 

 僕の行動に驚くことも怒ることもなく、突きつけられた穂先ごしに僕の目だけを見ている。また僕のことを見定めているに違いない。

 彼女の目に、今の僕はどう映っているのだろう。

 

「あなたは僕をビルから突き落として殺そうとした。僕には報復する権利があるはずだ」

「いやだと言ったら?」

「・・・・・・今後もあなたの命をつけ狙います。寝込みを襲ってもいいし、食事に毒を盛ってもいい。僕をここで殺さないと、安心して眠れる夜は二度と来ませんよ」

 

「みんな! メリノヒツジを取り押さえろ! あのバカ錯乱してんぞ!」

 後ろからまたも鬱陶しい声が聞こえて、僕たちの会話に水を差してくる。ディンゴが仲間たちに指示して僕を止めようとしているのだ。

 

 動けるフレンズが続々と集まり僕の背後を取り囲むが、得物を構えたまま殺気をのぞかせる僕に飛びかかるのは躊躇われるわれるようで、僕の間合いに踏み入ることはなかった。

 

「オレとコイツの問題だ。てめえらは引っ込んでろ」

 クズリさんが僕の真横をすり抜けて、集まってきた仲間の方へ躍り出ると、制止するように両手を広げた。

 

「そんなバカの相手なんてしなくていいですよ!」

「いいや、メリノヒツジの言う通りだ。オレは復讐されても仕方のねえことをコイツにした。だったら売られたケンカは買ってやるのが筋ってもんだ。止めんなよ。スパイダーは寝込んでるし、今この場でオレに命令出来る奴はいねえはずだ」

 

 クズリさんの返答を聞いてディンゴたちが一層ざわつくが、彼女の断固たる返答を否定することは出来ず、黙って引き下がるしかないようだった。

「さすがはあなただ。そう答えてくれると信じていましたよ」

 僕はしたり顔で口元を歪ませながら、わざとらしく慇懃に一礼した。

 

 フレンズたちはざわつきながらも左右に退いて道を開けた。

 僕とクズリさんはその間を通って、ガラス張りの廊下の突当りにある、屋上へと続く大きな扉へと歩き出した。

 ここでは手狭であるため、雨ざらしの広い屋上に出て戦うのだ。

 

 仲間たちが僕らを見送っている。クズリさんには純粋な畏怖が、僕には蔑みと憐れみが混ざったような目が向けられている。

 

「誰が相手だろうが、オレは手加減なんかしねえぞ」

 僕の先を進むクズリさんが、振り返りもせずに話しかけてきた。

「オレにケンカを売った以上、てめえは確実に死ぬわけだが・・・・・・せっかく助かった命をどうして無駄にするんだ?」

 

「あなたの言葉が僕を突き動かすのです。これが僕のやりたいことです」

「・・・・・・フッ・・・・・・そうか。ここで殺すことになっちまうのが残念だな。やっとてめえの目が覚めたっていうのによォ」

「いいえ、僕は生きます。生きるためにあなたと戦います」

 

 そう、こうするしかない。

 頭の内側に広がる赤一色の世界の中心に、鬼のような形相のもう一人の僕がいる。

 彼女はすっかり目覚めてしまったようだ。眠ることはもうないだろう。ずっと求めてきた救いへの道標を見つけてしまったのだから。

(これだけが僕の道)

(自分自身から逃げるな)

(逃げるくらいなら、今度こそ本当に死ね)

 彼女が命令してくる。今まで押し込められていた分を取り返すかのように、饒舌に、片時も黙ることなく、僕を急き立ててくる。

 彼女は今、この世界へと生れ落ちようとしているのだ。

 

 わかってる、わかってるよ。ずっと君のことを無視してしまっていてごめんね。

 大丈夫。今から君に、僕の体をあげるから。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳網・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
哺乳綱・奇蹄目・サイ科・クロサイ属
「クロサイ」

_______________Enemies date________________

「ハウンド・セルリアン」
身長:およそ2メートル半
体重:およそ200キロ
概要:前後2対の脚を持つ、地球上の生物として極めてオーソドックスな外観を備えた成体セルリアン。後ろ脚で2足歩行を行い、鋭いかぎ爪を備えた前脚で激しく敵と戦う。
フレンズやヒトと比べて数回り大柄な程度であるに過ぎず、成体セルリアンとしてはかなりの小柄である。
体格と引き換えに、フレンズと互角以上の俊敏性を獲得しており、接近戦の戦闘能力は侮れない水準に達している。
常に前かがみで歩行し、無機質な眼光を下に向けていることから「猫背」とメリノヒツジに名付けられた。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章17「オオカミをかるもの」

 メリノヒツジVSクズリ


「卵は世界だ。生まれようとするものは、一つの世界を破壊しなくてはならない」

 

 ある詩人が残した詩だ。

 昔パラパラとめくった程度に読んだ詩集の一説が、何故だかふと頭に浮かんだ。詩には物語が付与されていない分だけ、普遍的にそれを読む者の血肉になってくれるような気がする。  

 僕は一つの卵、一つの世界なのだ。

 今僕はまさに創造のための破壊を行おうとしている。

 新しく生まれ変わるために、今の自分を殺す。

 

______うおおおおおッッ!!

 

 豪雨と雷鳴に彩られた天を仰ぎながら、僕は頭が割れそうになるような絶叫を上げた。胸の奥で滞留していた熱が、全身から噴き出した。

 金色の光と共に、血の巡りが爆発的に早まり、力が漲ってきた。全身を締め付けていた包帯が所々ブチブチと弾け飛び、鮮血が滴り落ちた。

 

 金色の気迫を全身に滾らせながら槍を構え、穂先をクズリさんへと向けた。いっぽうの彼女は構えることもなく気怠そうに立ちながら僕を待ち受けている。

 本日2度目となる、僕とクズリさんの2人きりの対峙だ・・・・・・さっきと今では、その意味合いがまるで違うけれど。

 

「メリノヒツジのやつ、野生解放なんて出来なかったはずなのに!」

 僕と一番付き合いの長いディンゴが、僕の有様を見て驚いている。

 彼女の言う通り、僕が野生解放をするのはこれが初めてだ。今まではそうするのを避けてきていたから・・・・・・実際に体験してみて実感する。

 野生解放とは確かに、尋常ではない力をフレンズにもたらすものだ。

 

 先ほどの戦いでセルリアンに切り裂かれて出来た裂傷が、もう癒えはじめている。包帯がなくても出血を止めることが出来ている。

 もちろん傷が完全に塞がったわけではないけれど、動くこともままならない状態というほどでもない。

 つい先刻、あれほどの戦いをしたというのに、もう動けるなんて・・・・・・

 フレンズの体は普通の生き物の数倍も傷の治りが早く、野生解放を行えばさらに早まることは知っているけど、我ながらこんな様は化け物じみているなと思う。

 

「お待たせしました。参ります」

「ああ、来いよ」

 

 高層ビルの屋上に吹きすさぶ暴風雨は、なおも激しさを増していて、台風が着実に近づいてきていることを予感させる。

 このダーバン市街での作戦はすでに完了し、シャヘルの輸送機が僕らを回収しに来るのを待機している段階だ・・・・・・だが僕の本当の戦いはこれから始まろうとしている。

 

 屋上の出入り口付近には、ディンゴの他にも、僕らの戦いを見守らんと集まったフレンズたちが固唾を飲んで視線を注いでいる。

 仲間同士で私闘に及ぼうとしていることに対する戸惑いの感情だったり、報復と称してクズリさんに戦いを挑んだ僕に対する呆れや軽蔑が彼女たちの目から感じられる。

 だが今の僕には彼女達のことなどまったく意識に上らない。

 せいぜい指を咥えて見ているがいい。外野に僕とクズリさんの勝負を邪魔する権利はないのだからな。

 

 それにしても、クズリさんの迫力はさすがだ。

 身構えることもせずその場にいるだけなのに、残酷な死の運命そのものと相対しているかのような絶望感が垣間見える。

 今から僕は満身創痍の体であの”無敵の野生”に挑むのだ。

 

 己の殻を破るために、新しい自分になるために決して避けては通れぬ道。

 殻を破れなければ、卵の中で息絶えるだけ。「卵の詩」は、痛快なほどにこの世の真実を言い表しているな、と思った。

 

 槍を腰の高さで構えたままジリジリと摺り足で接近しながら、これから取るべき作戦に思考を巡らせた。たとえ僕が全力を出したとて、実力はあっちがはるかに上。生半可な小細工も通用しないだろう。

 

(・・・・・・あの攻撃に賭けるしかない)

 たったひとつだけ、もしかすれば彼女に通じるかもしれない攻撃を考え着いた。あくまで可能性でしかなく、まったく通用しないかもしれない。 

 そしてそれが行える状況は限られている。僕が生きてその状況に持っていける可能性からして極めて低い。

 分の悪い賭けをやって、2回続けて大当たりを引かなければ、クズリさんには勝てない。

 だが仕方がない。どうせ生きるも死ぬも自分の責任・・・・・・その責任の中で僕が出来ることをやってやるまでだ。

 それに、別に死んだっていい。このまま生きてたって良いことは何にもない。最後に見つけた死と隣合わせの希望だけが、僕の寄る辺なのだ。

 

「だりゃあああっっ!!」

 怒声を張り上げなら、自分の全存在をぶつけるように突進した。野生解放状態であるために、走るスピードも普段の倍近く出ている。

「へえ、リキ入ってんじゃん・・・・・・いいなァ」

 みるみる間合いを詰める僕を見て、やっとクズリさんが動いた。

 そしておもむろにその場にしゃがむと、顔だけを上げて、戦慄すら覚えるほどの目付きで僕を睨んだ。 

 

______ボゴオンッッ!!

「なっ!?」

 僕とクズリさんの間に突如、巨大な塊が隆起した。それはこの屋上のコンクリートの床そのものだった。

 彼女が持ち前の怪力で地面を破壊し、それをめくり上げてしまったのだ。しかし、勢いの付ききった今の僕の攻撃を食い止める盾としては若干心許ないように思える。

 あんな脆弱な盾などを避けるために、せっかく付いた勢いを止めるのは愚の骨頂だ。なぜなら、あれを避けた所で次に来るのはクズリさん本人なのだから。

 ここで取るべき動きは一つしかない。

 

「くらえっっ!!」

 めくれあがった床に最高速のまま接近し、渾身の槍の一撃を繰り出した。分厚いコンクリートの床が衝撃で粉々に砕け散り、視界を覆うものが取り除かれた。

 ・・・・・・しかし、その先にいるはずの姿がなかった。僕が破壊した床は盾などではなく、クズリさんが身を隠すための目くらましの意図があったのだ。「まずい」と全身が総毛立つのがわかる。

 

「おい」

 辺りの気配を探りながら槍を構えなおそうとした瞬間、いつの間にか僕の背後を取っていたクズリさんに声をかけられた。

 反射神経で振り向きざまに薙ぎ払おうと試みるが、僕が踏み込むよりも先にクズリさんに懐に潜り込まれてしまった。

(は、速いっっ)

 ここまで肉薄されて初めて実感した。

 彼女はその怪力や存在感からは信じがたいほどの小柄だ。こんな小さな体で、数多の巨大なセルリアン達をなぎ倒してきたというのか。

 

 下からやってくる剛腕が僕の襟首を掴み、流れるような動きで僕に背を向けながら密着してきた。一連の動作の正確さは、神がかり的な完成度だ。

______ピシッッ・・・・・・

 彼女の背中が僕の胴体に触れ、予備動作からインパクトに入る直前、時間が止まったような感覚を覚えた。

 それはひとつの完成された作品のようであった。投げる者と投げられる者が作り出す完璧な技の形。作品の構成要素に過ぎない僕に、調和を崩すすべはない。 

 

 その予感通り足元が地面から離れ、視界がぐるりと一回転した。天と地が入れ替わり、地が僕に向かって落ちてきた。

 クズリさんの18番とも言える技、山のような巨体のセルリアンをも投げ飛ばす強烈な背負い投げが僕に炸裂したのだ。

(し、死ぬ!)

 僕は直観した。この勢いで地面に叩きつけられれば、僕の体は比喩でも何でもなく、本当に「こなごな」になるだろう。策を弄することも叶わない。

 矜持を見せつける機会もなく、ただ惨殺される・・・・・・

 

(まだだ、まだ終われない!)

 投げ飛ばされた体が地面に叩きつけられるまでコンマ数秒と言ったところか。僕は己に残された時間を使って、最後の悪あがきを試みた。

 

 弧を描いて仰向けに地面に叩きつけられようとしている肉体、そして投げ出された四肢を動かすことはもはや叶わない・・・・・・しかしイメージを働かせることは可能だ。

 僕はその手に持った槍をいったんイメージの中にしまうと、出来る限りの早さで再構成し、手のひらの中から逆手で突き出した。

 

______ガッ!!

 再び実体を伴って現れた槍の切っ先が地面に突き立ち、つっかえ棒のように、叩きつけられようとしている僕の体を食い止めた。

 間一髪で間に合った。僕のほぼ唯一の取り柄は、得物の出し入れが早いことだ。

 普段から虚構の世界にかまけている僕は、イメージを描く早さだけなら誰にも負けない。

 

 僕が地面に叩きつけられることはなかった。

 地面に叩きつける瞬間が最大の威力を生むのが投げ技だ。途中で勢いを殺されれば、いかにクズリさんの膂力を持ってしても一撃必殺にはなり得ない。

 

 しかしそれでも、つっかえ棒にした槍の柄から、それを握る手のひらに向かって絶大な衝撃が伝わってくる。

 槍を持っていられなくなった僕は、なすすべもなく弾き飛ばされ、屋上のコンクリートの床を何メートルも転がった。

 

(つ、強過ぎる!)

 たった一度の攻防を終えただけで、絶望的な力の差を身をもって痛感させられる。こちらの攻撃はまるで通用せず、あちらの攻撃はどれも致命傷となり得るのだ。

 一瞬の判断の遅れも命取りになる。そう思った僕は、うつ伏せに倒れた体を急いで起こし、向きなおって身構えた。

 

「面白えなァ・・・・・・」

 背負い投げの動作を終えた小さな巨人が、ゆっくりと立ち上がった。必死に動き回る僕とはまるで正反対の余裕が見て取れる。

 悠然と僕を眺める様は、無限にある選択肢の中から、次はどんなどうしようもない攻撃を繰り出そうとしているのか思考を巡らせているかのようだ。

「オレの投げ技をそんな風に躱す奴に会ったのは初めてだ。褒めてやるよ」

 

 クズリさんはすぐ近くにある、床に突き刺さった僕の槍を引き抜くと、それを掲げてしげしげと眺めはじめた。

 

「こんな棒っきれも、使い方次第で侮れないモンだな・・・・・・そうか。てめえは頭を使って戦うタイプだな。ひょっとして、相手の裏をかくのも得意なんじゃねえのか?」

「どうですかね。それを返してもらいますよ」

 

 僕はクズリさんの手の内にある槍に向かって念じるように手を伸ばした。すると槍は金色の粒子と化し、クズリさんの手をすり抜けて再び僕の手元で具現化した。

 僕のイメージで作られた得物は、たとえどこにあろうとも僕と共にあるのだ。

 

 おそらくクズリさんは、僕の企みに勘付き始めている。戦いを長引かせれば隙を突くことも困難になるだろう。 

 僕は再び槍を構えて突進しはじめた。絶望的な攻防であっても、その中に活路を見出す他に手はないのだ。

 

「ちょっと待てメリノヒツジ、てめえにハンデをやるよ」

 クズリさんはその場から動かず、あろうことか僕を制止して意外な申し出をしてきた。

 

「どういうつもりです? 誰が相手でも手加減はしないと言ったではないですか」

「気が変わったのさ、もう少してめえで遊びたくなった。だから一発で殺すようなことはしたくねえ・・・・・・いいか? 今からオレは投げ技を使わない。打撃だけでてめえと勝負してやるよ」

「後悔、しますよ」

 

 表面上では強がって見せたが、実際はかなり有難い申し出だった。

 彼女の投げ技は一撃必殺。さっきは咄嗟の思いつきで躱すことが出来たが、同じ手口は二度と通用しないだろう。

 打撃だけでも脅威には違いないが、投げに比べれば、しのぎようはある・・・・・・もう一度クズリさんが僕の槍を潜り抜けて接近してきた時、その時こそ勝機が生まれる。

 

______リュボボボッッ!!

 全身の筋肉をフル稼働させて、己に出来る限りの速さで突きを連射した。クズリさんはそれを嘲笑うようにことごとく躱している。身のこなしもまったく隙がない。

 

 だが、彼女は槍の穂先を掴んで受け止めるようなことはしなかった。槍を受け止めて僕を投げ飛ばすなんてことは、やろうと思えば造作もないはずだ。

 投げ技は使わないという先ほどの宣言に偽りはないということか。

 

「一発くらい当ててみろよ? ハンデをやったんだからよォ」

「くっ!」

 

 ただの突き攻撃などがクズリさんに命中するとは最初から思っていない。

 僕は彼女が距離を詰めてくるのを待っているのだ。しかしそれを悟られるわけにはいかない。

 むしろ、必死に距離を保とうとしているように見せかけなければ、作戦を読まれてしまうに違いない。

 そのためには全速全力の攻撃あるのみ。

 

(早く! 早く仕掛けて来い!)

 全身が重くなっていく。連射のサイクルも見る間に落ちて行った。

 もとより負傷していた体に残された体力はわずかだったのだ。それを野生解放で誤魔化していただけだ。

 

______ブバッ!!

 突如、体の全身数か所から血が噴き出した。先ほどのセルリアンの戦いで負傷した傷が開いてきている。

 野生解放の力によって筋肉を締め付け出血を防いでいたが、それも限界に来ていた。時間が経てば経つほど、出血に体力を奪われて不利になっていく。

(それが・・・どうした!!)

 今さらわかりきったこと、そんなものに恐怖して攻撃を躊躇しているような段階は、とうに過ぎているのだ。

 

 僕はさらに踏み込んで、目の前の強大な敵に対して全力を込めた一撃を繰り出した。

「・・・・・・な、何だとっ!?」

 その場からようやく動いた思った彼女の姿が、霞のように消えていた。隠れる場所なんてどこにもないはずなのに。

 

「根性だけじゃオレには勝てねえよ」

「ッッ!」 

 

 クズリさんが立っていたのは、僕が突き出した槍の先端だった。

 足場とは到底呼べぬその場所に、まるで大地に立っているかのような安定感を醸し出しながら佇んでいる。

 そうか・・・・・・映像でも見たことがある。これがクズリさんの”先にある力”というやつか。彼女は手のひらと足の裏に触れた物体を、根が生えたように固定する能力を持っている。

 どのような場所でも足場にしてしまえるし、そこから踏み込んで全力の攻撃を仕掛けることも出来てしまう。

 

 スパイダー隊長のシャドウシフトに比べればシンプルで限定的だが、その分どんな局面にでも応用が可能な、強烈極まりない能力・・・・・・身をもって実感させられる。

 

「今度はこっちから行くぜ」

 クズリさんは足裏に張り付いた槍を踏み台にして、勢いよく僕に飛びかかり圧し掛かってきた。

 なすすべもなく仰向けに押し倒された僕の上に、クズリさんが馬乗りになっていた。

 いわゆるマウントポジションだ・・・・・・ヒトの格闘技でも、この状態に陥ったら「奇跡が起こらない限りは詰み」だと言われている。

「もうダメだろ」と、誰かが呟く声が聞こえた。

 

(これでいい)

 僕は一つ目の賭けに勝った。ようやくクズリさんが仕掛けてきた。生きたまま彼女に密着することが出来た。

 マウントポジションは絶対的に有利だが、相手の手元が見えなくなるという弱点がある。相手が凶器を隠し持っていたら防ぎにくくなる。そして僕にはすぐに取り出せる凶器がある。

 間合いも構えも必要ない、今の僕に出来る最高の技だ。

 

(行けっ!)

 イメージを手のひらの中に走らせ、僕に馬乗りになっているクズリさんめがけて具現化させた。

 

______ガランッ・・・・・・

 しかし・・・・・・僕の手から出現した槍が彼女に届くことはなく、むなしく地面に投げ出された。

 

「これを狙ってたんだよな?」

 不敵にほくそ笑むクズリさんが、僕の右手を握りしめていた。強く手首を握ることで、僕の手のひらを無理やり開かせていた。

 これでは槍を持つことなど出来ない。不意打ちで具現化させたところで意味をなさない。

 やはり・・・・・・読まれていた。

 

「てめえはオレの裏をかいてくるだろうと思ってた。こうやってマウント取ったら、てめえお得意の”出し入れ攻撃”をしてくるだろうってな・・・・・・」

 クズリさんは、僕の右腕を握りしめて槍を握れない状態にしたまま、空いたもう片方の手を顔の高さでゆっくり丸めて拳を形作ると、表情一つ変えずにそれを振り下ろした。

「で、次はどうすんだァ? どうやって切り抜けんだよ?」

 

______ドンッ!! ドンッ!! グチャッッ!! メキャッッ!!

 

 攻撃に使っているのが片方の腕だけであっても、一発一発が絶望的だった。息つく暇もなく繰り出される強烈な拳に、僕はなすすべもなく蹂躙されていった。

 口と鼻の中が鉄くさい血でグズグズになっている。激痛と衝撃でだんだん意識が遠のいてくる。 

 一発撃たれるたびに、手足がガクガクと電気に打たれたように震えた。

 ・・・・・・僕という世界が、圧倒的な暴力によってひび割れていく。

 

「ウルヴァリンさん、もうそれくらいにしませんか!?」

 屋上の出入り口で観戦していた仲間のフレンズが1人、暴風雨を浴びながらクズリさんの下へ駆け寄ってきた。

 それにつられて1人、もう1人と決闘の場に近づいてくる。

「こ、このままじゃメリノヒツジを殺しちゃいますよ・・・・・・別にそこまでしなくたって」

 

「そうですよ」

「味方を殺したらいくらなんでもマズいって」

「ねえ」「だよね」

 

 フレンズたちが口々に戦いの中止を促してくる。クズリさんは僕の顔面に叩きつけた拳をゆっくり引き抜くと「そうか」と呟いた。

 

「じゃあ、代わりにてめえらがオレの相手をしてくれんのか?」

「待ってくださいよ・・・・・・どうしてそんな風に」

「だったら失せろ」

 

______ドキャッッ!!

 フレンズたちの制止を無視するように僕へと視線を戻したクズリさんが、さらに鉄拳を一撃加えてきた。鼻っ柱が破裂するような痛みが走る。

 クズリさんの拳に僕の鼻血がべっとり付いている。彼女の有無を言わさぬ態度を見たフレンズたちは、言葉を失い青ざめた顔で後ずさっていった。

 

「・・・・・・戦いを終わらせる権利があるのは、戦ってる当人だけだろうが」

 

 僕の視界はつい先刻から赤一色の幻覚が見えていたけど、それが今や僕の血で物理的に赤くなっている。

 命を奪い合う残酷な世界。この世の真実の姿。その中心に座す台風の目のような存在・・・・・・あの日僕を殺したオオカミ以上の獣がここにいる。

 

(やはり、名前の通りだったな)

 

(彼女はオオカミを狩る者(ウルヴァリン)・・・・・・)

 

 見込んだ通りだった。彼女こそが僕を殺してくれる。僕を産んでくれる。

 そう思うと、今までで一番の凄まじい闘志と、得も言われぬ多幸感が混ざり合った素晴らしい感情が湧いてくるのだった。

 死ぬことなど大した問題じゃない。大事なのは今だ、今をすべて出し切ることだ。僕にとってかけがえのない相手へ向けて。

 

 一瞬本当に意識が飛んで、リアルな幻覚を見た。

 懐かしい景色だ。暖かな春風に緑豊かな牧草がそよぐ、僕の生まれ故郷・・・・・・僕はそこに立っている。

 目の前には、玉のように純白で無垢な一匹の子羊が、恐怖に染まった瞳で僕を見上げている。

 子羊の無垢な瞳に映る僕の体は、想像を絶するひどい姿をしていた。毛が一本もない赤黒く焼けただれた痩せぎすの巨体は、どこもかしこも刃物のように鋭利に尖っている。黒い外套からのぞく両手からは、自分のものではない鮮血が滴り落ちている。

 これが僕の中にいた、もう一人の僕? オオカミっていうより怪物だ。セルリアンよりも醜くて、そしてカッコいい。

 

(やあ、昔の僕・・・・・・いいや、まだ今の僕かな?)

 僕と子羊の間には境界線が引かれていた。

 子羊の側には若草色の、緑豊かな豊穣の大地が広がっている。そして僕の側には荒れ果てた錆色の荒野が広がっていた。よく見ると、その上で何匹ものヒツジたちが血だまりを作りながら息絶えている。

 ひょっとしてあのヒツジたちは僕が殺したのかな? すると目の前の”僕”が、最後の一匹か?

(殺さなきゃ)

 僕が子羊を追い詰めれば追い詰めるほどに、僕の周囲にある荒野が牧草地を侵食し飲み込んでいった。若草色の草むらの半径がみるみるうちに狭まっていき、やがて逃げ場をなくした子羊は命乞いをするようにうずくまって震えていた。

(・・・・・・この世界に君の居場所はない。さようなら)

 僕は子羊の上に覆いかぶさると、大口を開けて一息に噛み砕いた。

 

______あぐうううっっ!!!

 

「くくくっ・・・・・・てめえは、いったい誰だよ?」

 幻覚の子羊を噛み砕いたと思ったら、それはクズリさんの拳だった。僕は無意識のうちに彼女のパンチを口で受け止めていた。衝撃で歯が何本も折れたけど、構わずに顎に力を込め続けた。

 そして目を見開いて、真っ直ぐにクズリさんを睨み付けた。彼女は心底楽しそう口角を吊り上げて笑っている。

 

 雨と血に塗れた愚鈍なヒツジの体を捨て去って、真っ赤に燃えたぎる激情の化身が現実世界に飛び出した。念願の瞬間だった。

 残念なことに、夢の中の怪物の姿ではなく、まだヒツジの原型を保ってはいたけれど。

 

(これが最後の賭けだ)

 僕は意識を失う直前まで考えていた思考を取り戻し、即座に行動に移した。

 自分でも信じられないけど、この体はまだ動く・・・・・・肉体の痛みすら超越してしまうほどの闘志によって突き動かされている。

 

______ザキュッッ!! 

 

(・・・・・・これなら、どうですか?)

 クズリさんに握り締められた右手ではなく、自由な左手の中から槍を出現させ、彼女の後頭部、延髄めがけて突き刺した。ここをやられれば彼女とて命はないはずだ。

 

 いくらクズリさんでも躱せまい。何故なら僕が槍を二本出せることを知らないのだから。

 そしてすでに一度同じ手口を見破っているのだ。一度破られた技を再度繰り出してくるとは思うまい。二重の意味で相手の裏をかける必勝の策だ。

 最初からこれを狙っていた。万策尽きたと見せかけておいて、彼女に一矢報いるこの瞬間を。

 ・・・・・・穂先が肉を穿つ手ごたえを確かに感じた。僕は血走った眼を思わず歓喜に歪ませた。

 

「ッッぐっ!! いってえなァ・・・・・・」

 

 しかし僕の確信は外れ、クズリさんは健在だった。よく見ると彼女は自身の後頭部を片手で庇っていた。彼女の手のひらを貫通した穂先は「固定する能力」で食い止められ、延髄に達することはなかったのだ。

 またしても読まれていた。今度こそ絶対に読まれないと思っていたのに。

 

「な、なじぇ?」

「・・・・・・てめえのツラを見て、ギリギリで察することが出来たぜ。その”してやったり顔”のおかげでな」

 

 そうだったか。あまりにもバカバカしい理由だ。

 こんな経験をしたことが今までになかったから、表情筋につい油断が生じてしまったということか・・・・・・次からは気を付けないとな。

 まあ、次はないけどな。

 

「・・・・・・まけまひた。ころひて、いいでひゅよ」

 

 今度こそ万策尽きた。すべてを出し切った。

 そう確信した瞬間に、張りつめていた気迫の糸が一気に切れてしまい、代わりにやってきたのは耐えがたいほどの激痛だった。特にズタズタになった口元は、雨に打たれただけで割れてしまいそうなぐらいだ。

 息をするのも辛い。早く楽にしてほしい。

 

 もうこの体は動かないし、あと一発でも拳をもらえば命が尽きるだろう。後悔はしていない。誰もが認める無敵の戦士に真っ向から挑んだ。それどころか手傷を負わせた。 

 上出来だ。最後の最後で、僕は本当の自分に辿り着くことが出来たのだ。

 僕はヒツジじゃない。間違いなくオオカミに生まれ変わったのだ。この充実感、この歓喜・・・・・・僕が戦う生き物である何よりの証拠じゃないか。

 

「満足してんじゃねえよ」

 僕の腹の上に乗ったままのクズリさんが、胸倉を掴みあげて無理やり引き起こしてきた。まともに前が見えない視界でも、殺気を湛えた恐ろしい眼光に見つめられているのがはっきりとわかる。

「本当は、まだまだ、もっとヤリたいんだろ?」

 

______はい・・・・・・

 血まみれの唇を震わせて何とか声を絞り出した。

 全然満足なんてしていない。クズリさんが僕をもし生かしてくれるのなら、ヒツジではなくオオカミとして、命を奪う強者としての第二の人生を生きてみたい。

 そして、僕に戦う喜びを教えてくれたクズリさんと、何度だって殺し合いたい。

 

 鉛のように重たい両手を持ち上げて、僕の胸倉を掴んでいる彼女の手の上に重ねると、それを強く握り締めた。

 この手を永久に離して欲しくない。僕を殺し、生まれ変わらせてくれた、力強き手を。

 

 朦朧とした意識で懇願する僕の視界が暗転し、やがて暗闇の帳が降りてきた。

 

 

______ゴボッ・・・・・・

 肺の中から出てきた空気が、泡となって口から飛び出し、上に登っていく。その音で僕は再び意識が呼び戻された。

 どうやらここは死後の世界の類ではないようだ。それが証拠に僕の精神にはまだ肉体がくっ付いている。生来持っている鬱陶しく分厚い体毛が、液体の中をゆらゆらと漂っている。

 

 死んでないなら、ここは一体どこだというのだろう。僕の全身は得体のしれない液体に浸されている。どこからか光が降り注いでいて、液体がそれを反射して虹色の光を放っている。

 どうやら川の中や海の中ではない、クジラかなんかの胃袋の中でもないようだ。

 

≪ふふふっ・・・・・・どうかしらメリノヒツジ? サンドスター溶液槽の湯加減は? そこにいれば癒えるわ。数日中に、どんな重傷も≫

 

 一度聴いたらしばらく耳に残る、芝居がかった倒置法で喋る女の声がどこからか聞こえてくる。

 あの女だ。イヴ・ヴェスパーが僕に呼びかけている。そうか・・・・・・

 ここは「スターオブシャヘル」の内部か。意識を失っている間に、輸送機に運ばれて、地上を遠く離れた成層圏の要塞に戻ってきたというわけか。

 戦いの後、結局クズリさんは僕のことを殺さなかったというのか。

 

≪ここに運ばれてきた時、あなたは酷い状態だった。全身の血液の半分近くを失っていた。頭蓋骨ほか全身数十か所の骨に亀裂が入っていた・・・・・・それでも簡単には死なない。フレンズの体は≫

 

≪それより、面白いものを見せてもらったわ。さすがに予想できなかった。あなたがウルヴァリンに決闘を挑むなんて。それどころか手傷を負わせるなんて≫

 

 訳を知った様子のイヴ女史が得意げに語り始めた。ぼんやりと思考が定まらない頭で受け止めることが難しい情報が飛び込んでくる。

 

≪今回の作戦のすべては、最初から私が仕組んだこと≫

 

 替えの効かない実験体であるクズリさんが、シャヘルの支配者である彼女に作戦への参加を許可された理由。

 それは集められた40人のフレンズの中から、最強のフレンズ作成計画における「2番目の実験体」を選出することだった。

 

 2番目の実験体。それは計画を進めるうえでなくてはならない手駒だという。

 クズリさんだけを被験者にするよりも「控え」として別のフレンズのデータも収集した方が、効率的に妥当性の高い情報を蓄積できる。

 そして実戦におけるクズリさんの補佐役としての役割も期待されることから、実際に彼女を戦場に向かわせて視察を行わせたのだ。

 

 セルリアンのサンプル回収は、今回に限ってはその副産物であったに過ぎないという。ダーバンが作戦地域に選ばれたのは、さほど強いセルリアンが生息していないことが確認されていたことと、電波状況が良好なことから、シャヘル側からの観測がしやすいという二点からだった。

 

≪メリノヒツジ、あなたで決まりよ。2番目は≫

「・・・・・・ぼく、が?」

≪私としては、もう少しデータを収集したうえで、慎重に「選りすぐり」たかったのだけれど・・・・・・当の1番目があなたのことを強く推挙してきたのよ≫

 

≪あなた、ウルヴァリンにいたく気に入られたようね。あなたの他には考えられないとまで言ってきたわ・・・・・・己に戦いを挑んでくるような豪胆さがお気に召したのかしら? まったく意外だわ。他人とのなれ合いを嫌うあの個人主義者が≫

 

「ベラベラうるせえぞ」

 

 イヴ女史の饒舌な言葉を遮って、突き刺さるように鋭い声が僕の耳元に去来した。

 液体に浸かった体を回転させて、声のする方向へと振り向いてみるけど、視界は最悪だ。虹色に怪しく光る溶液が詰まった試験管の中から見えるのは、ぼんやりと灯る照明の光だけだ。

 

「しょこに、いるのでひゅか?」

 

______バァンッッ!!

 

 何者かが試験管を強く叩いた。

 分厚い試験管が割れることはなかったが、そこから伝わってくる振動ごしに感じられるプレッシャーが、その手の主を悟らせる。雄弁な答えだ。

 試験管の表面に血塗られた手のひらがべちゃりと張り付いた。付着した真っ赤な手形の真ん中には、鋭利な刃物で貫かれたような穴が開いている。

 

「くじゅり、しゃん、ほんとうに・・・・・・ぼく、なんかで」

「締まりのねえ顔をしてんじゃねえ。あの凶悪なツラはどこに行った? あれがてめえの本性なんだろうが」

 

 先ほどの戦いの記憶が蘇る。クズリさんの拳に噛み付いた時、そして脳天に槍を突き刺してやろうと思った瞬間の興奮と高揚が。

 あの時の表情を、彼女は褒めてくれた。命を奪って当然だと思っている”殺し屋”の顔だと。

 対峙した敵を絶望に突き落とすそんな表情が出来る者こそ、自分の傍に置くにふさわしいと・・・・・・

 

「そんなとこでマヌケにプカプカ浮かんでる場合じゃねえだろ。てめえのような奴にお似合いの、この世の地獄みてえな場所に連れてってやるよ」

「・・・・・・たのひみ、でひゅ」

 

 僕はズタズタの口に満面の笑みを浮かべながら答えた。

 2度目の生まれ変わりを果たした、今の僕の顔だ。

 

 to be continued・・・ 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:24歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章18「であいとさいかい」(前編)

 僕が「最強のフレンズ作成計画」における2番目の実験体に選ばれてから、いくらかの月日が流れた。

 あの日以来、地上のセルリアンのサンプル回収に行かされることはなくなった。

 もっぱら「スターオブシャヘル」の内部で、培養され生み出された実験体セルリアンを相手に戦わされる日々を送っている。

 もちろんのこと、1番目の実験体であるクズリさんも一緒だ。

 

≪これより実験体C-27型を投下します≫

 どこからかアナウンスが聞こえる。

平坦なトーンの声が、今日も定刻通りに戦闘実験が開始されることを知らせてくる。

 

 戦いの時を待ち受ける僕とクズリさんがいるこの場所は、起伏に飛んだ岩場だった。

 歩みを進める足元からは小石が飛び、土埃が舞っている。成層圏に浮かぶ機械じかけの要塞にいることを忘れてしまいそうな、まるで地上にいるのかと勘違いしてしまいそうな空間だ。

 

 だが僕たちがそれを見て狼狽えることはなかった。

 この岩場の正体は、ただの人工物。自然界の風景と見まがうこの有様は見せかけだ。

 実体はシャヘルの他の区画とそう変わりない、半透明なガラスの中に基盤が透けて見える無機質で直線的な部屋に過ぎないのだ。

 

 最新鋭のテクノロジーを結集して作られたというこの実験室は、現実でありながらもVRに匹敵するほどに自由な環境設定が行えると聞く。

 ある時は岩場になり、ある時は草原や川、氷河なんかにも変化することが出来る。

 要は地上のあらゆる地形を人工的に再現することが出来る。集めたいデータに応じて地形を変化させ、そこでフレンズとセルリアンを戦わせるというのだ。

 

 この空間はフレンズではなく、むしろ実験体セルリアンの戦闘データを収集するために作られたらしい。当たり前だが、意思疎通の出来ないセルリアンにVRを受けさせることは出来ない。そこで地上のあらゆる環境を再現できるこういう場所が必要だというわけだ。

 最強のフレンズだけでなく、すべてのセルリアンを総べると言われる”女王”を生み出すのがシャヘルの目的。それを実現するための実験室だ。

 今日はどんなセルリアンが相手なのだろう。

 

 クズリさんは、地面から突き出た偽物の岩の上に、腕を組んでふんぞり返りながら座っている。

 僕はその傍らで、具現化させた槍を肩に立てかけながら、直立不動で身構えている。

 そのツーショットは、端から見たら、玉座に君臨する暴君と、それにかしずく忠実な近衛兵みたいな絵面なんだろうな。

 ・・・・・・中々にいい気分だ。クズリさんのような凄まじい戦士に付き従っている自分が誇らしい。彼女のことを心から尊敬している。

 

 しかし僕はクズリさんの手下になったわけではない。序列としての上下関係はあれど、そんな立場に甘んずることは許されない。

 僕は2番目の実験体。計画に欠かすことが出来ないピースという意味では、僕は彼女と同格だ。

 

 その証拠に、いま僕の両腕には彼女と同じ、鎖で繋がれた腕輪が嵌められている。

 他のフレンズの例に漏れず、僕の中にも見えざる首輪”オーダー”が仕込まれていた・・・・・・しかしそれも過去のこと。

 オーダーは消去された。その代わりに、決して破壊できないと言われる拘束具が付けられた。

 この腕輪こそが、クズリさんと並び立つ強者であることの証。これを身に着けている限り、僕は力を試される存在として強くあり続けなければいけない。

 

(腕輪にかけて、どんな敵が相手でも・・・・・・勝つ)

 

 沈黙しながら意気込んでいたのも束の間、目の前の地面が音もなく割け始めた。

 割れている場所だけ、岩のテクスチャーが剥がされて、基盤が覗く元のガラス状に戻っている。

 出現した裂け目から、下の様子が何もわからない暗黒が垣間見える。その裂け目から押し上げられるようにして、今日の相手である実験体セルリアンが姿を現した。

 

「おや、2匹だけですか」

 ぼそりと呟きながら、敵の様子を観察してみる。2匹の成体セルリアンで、共に体長は7~10メートル級の中大型といったところか。6本の直線的で長い脚が、楕円形の体を支えている。体も足も、節々が尖っていて硬そうな印象を受ける。

 足は腹部から放射状に生えており、根本と膝とで2か所の間接を備えている。  

 あの姿を何に例えたらいいものか。虫? ・・・・・・いや甲殻類か。

 いつか図鑑で読んだことがある。海の底には足の長いクモみたいなカニがいるらしい。あれは何というカニだったか? 図鑑なんて文学に比べればつまらないから、ろくに思い出せやしない。 

 

 2匹のセルリアンは、姿かたちは兄弟のように似通っているが、体色がそれぞれ全く違う。片方は鮮血を頭からかぶっていると見まがうほどの鮮やかな赤色をしている。

 そしてもう片方は影が形を成したような黒一色の体をしていた。良く見れば、黒い個体の方が赤色よりも体格が一回り近くも大きかった。

 

「あの2匹を赤ガニと黒ガニと呼ぶのはどうです?」

「殺すだけの相手に名前はいらねえと思うがな」

「そうですか。では僕の好きにします」

 

 体の色や体長の他にも、無視できない決定的な差異が一点だけあった。

 赤ガニには「石」があった。6本の足が生えている付け根に取り囲まれるようにして、腹部の中央には緑色の結晶体が飛び出ていた。

 それに対して、黒ガニには一見してそのような部位は見当たらない。

 

「赤ガニは石あり、黒ガニは石なしですか。体格に反して小さい赤ガニの方が格上なのですね」

「いや・・・・・・あの黒いのは”石かくし”だ」

 

 クズリさんは座り込んでいた岩から跳ね起きると、気怠そうに首をコキコキと鳴らしながら解説を続けてきた。

「あんなに硬そうな見た目じゃあ、石なしって線はまず考えられねえ。それに姿形が同じなら、でけえ方が育ってるに決まってる・・・・・・黒い方は石を腹ん中にでもしまってやがんのさ」

 

 なるほど・・・・・・僕自身は今までにそのような特徴を備えたセルリアンに出会ったことはないが、クズリさんが言うことなら間違いないだろう。

 石ありと同等以上の強靭な体を持ち、急所を隠してしまっている”石かくし”は、石ありの純粋な強化版とでもいうべき種なのだろう。であるならば、赤ガニよりも黒ガニの方が、数段強いと見るべきか。

 

「あの黒ガニは僕に任せてください」

「笑えねえんだよ。もっと冗談のセンスをみがけ、メリノヒツジ」

(冗談を言ったわけではないのですが、仕方ないですね)

 

 溜息交じりに会話を打ち切ると、僕とクズリさんは示し合わせたかのように、それぞれ違う方向へと走り出した。

 クズリさんは黒ガニの方へ、僕は赤ガニの方へ。

 ・・・・・・美味しい部分を常に1番手に持っていかれると言うのは、2番手のやりきれない所だな。

 

 だが、クズリさんのパワハラによって余り物を押し付けられた結果とはいえ、あの赤ガニも中々の獲物だと思っていいだろう。

 外部に無防備に露出した急所、奴の石は生えそろった長い足の付け根に囲まれるようにして、腹部の中央に位置している。体高もこちらの背丈の数倍以上は有にあり、尋常な攻撃が届くような高さではない。踏みつけてくる6本の足を躱しながら、あんな所にある石を狙い撃つのは容易なことではないだろう。

 

 ああいう大物は、ダメージを与えて怯ませてから石を狙うのがセオリーだが、あの分厚い外殻に果たして攻撃がまともに通るだろうか。

「さて、どうしたものかな」

 赤ガニの間合いギリギリで足を止め、手にした槍をそびえ立つ巨体に向けて構えた。

 むこうも僕を敵だと認識した様子であり、6本の足を岩場に突き立てて、大地を揺るがしながら接近している。

 

______グパァァッッ・・・・・・ 

 虚無の殺気を輝かせる単眼の下、その体の胸元に当たる外殻が、有機的な音を立てて左右に切り開かれる。それはあたかも大口を開けて獲物を捕食しようとしているかのようだ。

 

 そして、赤ガニの体から、その見た目からは意外とも思える攻撃が飛び出してきた。

(・・・・・・あ、あれは!)

 真横に開かれた異形の口の中から、奴の舌が飛びだしてきた。細長く鞭のように素早く伸びてくる舌の本数はざっと5~6本程度だ。その様相は舌ではなく「触手」と言い換えた方が適切かもしれない。

 いまひとつ有効な手が浮かばずに攻めあぐねていた僕に向かって、赤ガニの方から先手を仕掛けてきたのだ。

 

 僕はあわてて飛び退いた。触手の何本かは僕が寸前までいた岩場を穿ち、何本かは避けようとする僕に追いすがってきた。

 素早くてリーチが長く、手数も多いこの攻撃は厄介だ。躱し切るのは難しい・・・・・・空中でトンボを切りながら咄嗟にそう判断し、直前までと異なるイメージを脳内から指先に向かって走らせた。

 いったん虚空の中に還った1本の二又槍が、2本の直槍へと変形を遂げ、再び手元へと戻るまでの時間はコンマ数秒といったところか。

 

(やはり簡単な相手ではないな)

 二刀流の得物を用いて、左右から襲い来る触手を打ち払いつつ着地したが、赤ガニの口から放たれる触手の猛攻はとどまるところを知らない激しさを見せる。

 

 防戦一方で後退する僕を、敵が捉えるのにさほど時間がかからなかった。

______ガッ・・・・・・

 鞭のようにしなり四方から襲ってくる触手の一本が、片手に握っているドリル状の直槍に巻き付いた。

「・・・・・・くっ!」

 もう片方の槍で触手を切り裂いて取り返すことを思案したが、それをすれば今度は自分自身が捕まってしまうであろうことは想像に難くなかった。

 

 仕方なく片方の槍を手放して、脱兎のごとく後ろに下がった。

 敵に押されてしまっている事実に、腹の底が憤怒で煮えくりかえる思いだったが、あくまで冷静を保とうとする僕の思考は、屈辱の選択肢を瞬時に選び取った。

 

 近くに突き出している岩陰に体を潜り込ませると、そこから上半身だけ乗り出して、奪われた槍を取り返そうとイメージの再形成を試みた。突き出した片腕の先に、奪われた槍の行方を捜した。

 落ち着きなく右往左往させる瞳孔の向こう側に、予想だにしない光景が待ち受けていた。 

 赤ガニは僕から奪った槍を食べ物であると勘違いしたかのように、触手で引き寄せて、左右に開かれた大口に収めようとしていた。

 

(槍を食べる気か?)

 確かにあれは僕の一部で、美味しそうな肉の匂いでもするのかもしれない・・・・・・だからと言って、あんな鋭く尖った物を口の中に入れても痛い思いをするだけだ。まったく、思考力のないセルリアンはやることが愚かと言うほかはない。

 

 ・・・・・・だが、待てよ。

 愚かなのはこちらも一緒だ。どうしてこんなことに気付けなかったのだろう。強固な外殻を持つあの赤ガニにも、たった一か所だけ攻撃が通じそうな場所がある。今まさにそれを無防備に展開しているところではないか。

 

 反撃のチャンスが巡ってきた。

 そう確信した僕は急いで岩陰から抜け出て、槍を大口の中に取り込まんとしている赤ガニに向かって身構えた。

 手元に残ったもう一本の槍を、弓を引き絞るような動作で後ろへと引き、片手を添えながら穂先を赤ガニの口元へと向ける。慎重に狙いを定めて、必殺の一撃を見舞ってやるためだ。

 視界を凝らした先には、柄の大部分が呑み込まれてしまい、赤ガニの腹に収まりそうになっている自身の得物があった。

 

「・・・・・・ふふっ」

 思わず口元から愉悦が漏れ出たが、まだ早い。本当に楽しいのはこれからだ。

 

______ブォンッッ!!

 

 狙い澄ませた一点へと向かって、視界が弾け飛ぶ程のスピードで飛び出した。自身が稲妻と化したような感覚を覚えたのも束の間、僕は一瞬で赤ガニの口元まで移動していた。

 足が宙に浮いてしまっていたが、僕の体は空中に留まり続けていた。その手に握った槍が赤ガニの喉元にまで食い込んでいるからだ。

 

 跳ねたのでもなければ、もちろん飛んだわけでもない。僕の体ではそんな芸当は出来ない。イメージの力によって、2つに分かたれた得物を再結合させた結果だ。どちらの槍を基準にして結合させるかは自由。

 僕は、赤ガニが呑み込もうとしている槍に向かって、自身が握っている槍をくっ付けたのだ。それを握っている僕の体ごと・・・・・・

 

「食ってみろよ」

 結合させた2又槍を再び分離させ、左右それぞれの手に握ると、金色の気迫を解き放った。抑えがたい程の殺意と歓喜が胸に溢れてくる。

______ブチブチブチッッ

 野生解放によって強化された腕力で、左右の槍をテコのように交差させながら真横に開いた。二本の槍を使ってセルリアンの顎を無理やりこじ開けさせ、限界を超えてもなお広げさせた。

 

 黒い液体が鮮血のように赤ガニの口元から噴き出した瞬間、僕はそこからの脱出を試みた。一本の槍を手放し、その柄頭を踏み台にしてもう一本を引き抜き、空中にその身を放りだした。

 数メートル下の地面に着地した僕の上に、尚も赤ガニの口元から迸る液体が降ってくる。かざした手で液体から顔を庇いながら、その先にある物を垣間見ようとした。

 ここはちょうど赤ガニの胴体の真下だ。放射状に広がる6本の足がドーム状に僕を囲んでいるのがわかる。ここからは良く見えるのだ。腹部のちょうど真ん中にある奴の急所が、鮮やかな瑠璃色の結晶体が・・・・・・

 

 赤ガニからの反撃はない。奴ときたら、与えらえた激痛を堪えるのが精一杯で、僕がすでにチェックメイトをかけていることにも意識が及ばないようだ。

 

______ヒュンッッ

 野生解放がもたらす馬力に任せて、槍を真上に向けて放り投げた。穂先は一直線に吸い寄せられるようにして結晶体に突き刺さった。

 びくりと震えた巨体が、虹色の光燐となって爆散する。僕の真上で爆散した命が降り注ぐさまは、まるで勝利を褒め称える花吹雪のようだ。僕はそれを得意満面の笑みで仰ぎ見て受け止めた。

 

「やるねえ、メリノヒツジ」

 勝利の余韻に浸る僕を冷やかすような余裕たっぷりの声が聞こえた。声がした方向を見やると、離れた所からクズリさんがニヤニヤと笑いながら僕を見ていた。しかしその後方には黒ガニが未だ健在だ。

 彼女ときたら、自身の敵との戦いをほっぽり出して、今の今まで僕を観察していたとでもいうのか。まったく食えない性格をしている。  

 

「そちらはまだ敵を倒せていないようですね。加勢、いたしましょうか?」

「クククッ・・・・・・うるせえよ。そこで見とけ」

 

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 

 クズリさんは不敵に笑いながら黒ガニの方へ向き直った。そして意味ありげに両腕を突き出すと、何かを念じるように黒ガニと真正面に相対した。

 両腕を突き出した構えからどんな攻撃を仕掛ける気なのか、皆目見当がつかない。まさか魔法か念力の類でも使うつもりでは・・・・・・と、思わずくだらない想像をしてしまったが、それがあり得ないことだと否定し切る自信もなかった。

 

 開かれた両手から尋常ではない殺気が放たれている。

 まるで彼女のシンボルである白い炎が、全身から噴き出して燃え盛っているかのようだ。後ろから見ているだけの僕でさえも熱に当てられてしまいそうなほどだった。

 殺気を推し測る術を持たない黒ガニが、お構いなしに距離を詰めてくる。やがて射程距離にクズリさんを捉え、その胸元の口を展開し、赤ガニと同様の触手攻撃を放ってきた。

 一方の彼女は先ほどの姿勢のまま一歩も動かない。

 

______グッッ!!

 殺気が最高潮に達した瞬間、動かないままのクズリさんが自身の両手を握りこんだ。

 が、しかし、その両手には何も掴んではいない。まるで意味があるとは思えない動きだ。案の定、上下左右から襲い来る触手に絡め取られてしまった。

 

「・・・・・・な、何故動かない!?」

 クズリさんは一切の抵抗を見せずに、敵に成されるがまま触手に引き寄せられ、そのまま黒ガニの大口の中に飲み込まれてしまった。

 

「まさか」と脳裏に広がった感情を抑えつつも、槍を携えて全力で駆け出した。信じたくない。彼女が何もせずに一方的にやられてしまうなどあり得ない。

 だがクズリさんを飲み込んだ黒ガニは、相も変わらず悠然と巨体をそびえ立たせている。

 

 さっきと同じ要領で口をこじ開けてやれば、クズリさんを助けられるだろうか?

 そう思いながら身をよじって、分割した槍の片方を投げつけてやろうとした瞬間だった。

 

______ドチュ・・・・・・!

 突如黒ガニの胸元が膨れ上がり、生々しい水音を立てながら破裂した。どす黒く弾ける鮮血の中から、今しがたまで無事を願っていた姿が飛び降りてくる。

 クズリさんが着地するやいなやの瞬間に、黒ガニの巨体は爆散し無に帰してしまった。

 

「大丈夫ですか!?」

「ああ・・・・・・」

 

 セルリアンの胃液に浸されて皮膚があちこち焼けただれたクズリさんの右手には、鮮やかな結晶体が握られていた。

「チィとばかしやられちまったぜ」とつぶやきながら、土産物だとでも言わんばかりに、セルリアンの核をおもむろに僕に放ってよこした。

「あなたらしくもない」

 僕は足元に転がってきたそれを一瞥もせずに踏み砕きながら、思わずやれやれと溜息をついた。

 

 クズリさんが推理した通り、黒ガニの核は体内にあった。それをもぎ取るために自ら体内に飛び込むまではわかる。だがそれならそれでもっとうまいやり方があったはず。触手に自由を奪われたまま飲み込まれたことで、彼女は手傷を負ってしまった。

 そして、直前に見せた「両腕を握りこむ動き」は何だったというのだろうか? どう考えてもあの動きに意味があったようには思えない。しかしあの尋常ならざる殺気は嘘偽りのないものだった・・・・・・確実に、何かをやろうとしていたのだ。

 

 怪訝そうに問い詰める僕に目もくれず、クズリさんは己の手のひらを見つめていた。何かを問うような表情で、握ったり開いたりを繰り返している。

 

「もう少しで何か掴めそうなんだが、なかなか上手く行かねえなァ」

「・・・・・・”野生解放の先にある力”のことを言っているのですか?」

 

 そうか、クズリさんは、あの黒ガニが大した相手ではないことを看破して、自身の修業の練習台にしたのだ。

 あの両手を突き出して握り締める動きの意味は、その能力を掴まんとしているクズリさん本人だけが知っているということか。ならば僕が見ても理解できるはずがないのは当たり前だ。

 

 クズリさんやスパイダー隊長、そしてあのアムールトラなど、ごく一部の卓越したフレンズには「先にある力」と呼ばれる謎の異能力がある。

 それは野生解放を磨き上げた先に存在すると言われている。 

 そして異能力には、もう一段回先の進化形があることが判明している。スパイダー隊長はすでにそれを体得し、ダーバンでの作戦において披露してみせた。

 あれ以来、クズリさんは自身の能力の先を見ることに執心している。僕も一度味わったことがある強力無比な「固定する能力」の先・・・・・・一体どのようなものなのであろうか。

 

 今のところ、僕には「先にある力」の発現の兆候すらまだ現れていなかった。

 槍を2本に分けたり、出したり引っ込めたりして戦う術を体得しているが、これは異能力とは呼べない。武器を持って戦うフレンズならば、言うなれば標準的に備わっている能力に、あれこれ工夫して変化を付けているに過ぎない。

 もっとも、セルリアンの眼前で得物を出したり引っ込めたりするようなことは、手間もかかるしリスクも伴うわけで、それを戦闘中に敢えてやろうとするフレンズは他にいないらしい。ほぼ僕のオリジナルだ。

 イメージを思い描く力、本を読みふけることで培われたそれが今の僕の戦いを支えている。

 まあ・・・・・・今はこれでいい。これを続けた先に新たな力が手に入ることを信じて、戦い続けるだけだ。

 

≪本日の模擬戦は終了です。お疲れ様でした≫

 簡素で平坦なアナウンスが流れ、今しがたの戦場であった岩場の輪郭が光と共に歪みだす。視界が一瞬光で覆いつくされたかと思うと、実験室がもとの姿に戻っていた。

 半透明のガラスの下に基盤が透けている「スターオブシャヘル」の内装はいつ見ても不気味だ。冷たく機械的ながらも、どことなく生き物の胃袋の中にでもいるような気分にさせられる。

 

「帰りましょう」

「・・・・・・」

 

 返事はなかった。クズリさんは先ほどから手のひらを見つめながら、己の技の完成に向けて思索を続けているようだ。

 僕は一度だけ呼びかけて、後は構わずに出口に向かって歩き出した。

 あの自問自答の果てにどんな能力を会得するのかは知らないけれど、それを最初に味わわされる相手は僕であってほしいものだ。

 

 逆に僕も、自身の先にある力に目覚めたら、真っ先にクズリさんに披露するとしよう。その瞬間が待ち遠しい。己の中にある分かちがたい熱情が沸き立って胸の中で弾けている。

 僕はメリノヒツジ。草食獣の体に肉食獣の魂を宿すフレンズだ。

 

 to be continued・・・ 




_______________Cast________________
 
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「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
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過去編後章19「であいとさいかい」(中編)

 培養して生み出された人造セルリアンとの戦闘やその他諸々のトレーニングを終えれば、サンドスター溶液の中に入れられて眠りにつく時間が待っている。

 血を流さない日はなかったが、溶液内で一晩眠れば肉体の負傷はたちまち全快してしまう。そうしてまた戦いの場に赴いていく。

 僕とクズリさんはそういう毎日を送っている。

 しかし、逆に言えばそれだけだ。実験体とはいえ、何か肉体に改造手術が施されるとか、そういった類のことは今の所なかった。

 

 詳しいことは説明されていないが、サンドスター溶液には特殊な薬物が混入されているようで、それによってフレンズの中に眠る野性の本能が次第に引き出され、肉体が作り変えられていくというのだ。それが極限にまで至った時、フレンズはもう一段階上の存在へと進化を遂げるという。

 僕やクズリさんは、その進化への道筋を確立するための実験体だ。

 

 そんな毎日の成果が出てきているのか、僕は少しずつ、そして確実に変わっていった。

 今の僕は、自分でも驚くほどに、どうしようもないぐらいに凶暴で好戦的だ。心の片隅には常に暴力を振るいたいという衝動があって、それを抑えられない。

 まるで麻薬であるかのように、暴力を求める気持ちが心に刻み付けられている。目を閉じれば、いつでも真っ赤な幻覚が脳裏に広がっている。

 精神面だけでいえば、すでにヒツジの本来の在り方を軽く踏み外していると思う。

 

 そして凶暴な精神に影響を受けるようにして、肉体にも変化が起きていた。

 背が伸びて、全身の筋肉が固く強靭になり、同時にしなやかさも獲得してきている。それとは逆に、ブカブカの鬱陶しい体毛が薄くなって、無垢な白色に若干赤みがかってきた。

 筋肉はわかるが、毛の色が変わるなんて一体どういうことだろう? 鮮血の汚れが落ちなくなったのか? それとも僕の脳内の景色が肉体に溶けだしてきたとでもいうのか?

 

 フレンズの体は謎が多い。最終的にこの体がどうなってしまうのか、まるで予想もつかない。

 

______ふぅ・・・・・・。 

 

 ある日僕は、多少ばかりのスケジュールの空きを使って、憩の時間を満喫していた。やることはもちろんひとつしかない。読書だ。

 慣れ親しんだ紙の冊子ではなく、ヒトが使う手のひらサイズの端末の画面に触れて、それをスクロールさせて文章を追っていた。最初は味気ないと思ったが、文章が脳に入ってしまえば紙も端末も変わりない。

 

 この端末はイブ・ヴェスパーから僕に貸し出されたもので、休憩時間だけ持ち歩くことを許可されている。

 彼女が何か欲しいものはないかと聞いてきたので、僕は本が読みたいと所望した。そうして彼女が手渡してきたのがこれだ。2番目の実験体として、多少の贅沢が許される身となった結果と言えるだろう。

 

 機械で出来た生き物の体内であるかのような他の場所とは違って、フレンズたちの居住区は区画や階層が分かれており、衣食住を行う場所としておおよそ常識的なものだった。

 直接顔を合わせることはないが、このシャヘルで勤務しているヒトらも同じような空間に住んでいるに違いない。

 

 壁も床も、まるでSF小説の宇宙船の中のようになだらかな曲線で形作られており、そこには銀色の丁度品が規則正しく並べられている。他のフレンズがどう思っているか知らないが、僕の美的感覚としては中々居心地がよいと感じている。

 

 中でも僕にはお気に入りの場所がある。食堂と居住区とを繋ぐ螺旋階段の中腹にある踊場だ。この階段を使用するフレンズはほとんどいない。エレベーターが数か所もあり、あえて階段などを使う必要がないからだ。

 僕がこの螺旋階段を気に入っている理由は、上から下まで貫くようにして縦長の巨大な窓ガラスが貼られていて、そこから絶景が見られることだ。

 下をみれば成層圏の雲海がどこまでも広がり、上を見れば空気の薄い紺碧の空にただひとつ浮かぶ孤独な太陽が見える。

 地球上では到底味わうことが出来ない静謐さと壮大さだ。

 

 この絶景を肴に読書をするのは、僕にとってこの上ない贅沢だった。

 凶暴性に目覚めたからといって、本を愛する気持ちが色褪せることはない。物語の世界は、今でも変わらずにかけがえのない友として己の傍にあり続けてくれている。それどころか、今の方がより深い友情を結べているとすら思える。 

 今までは自分の人生の道標が見えていなかった。だから結末が約束された物語の世界に逃避していた。だが今は自分の価値観を持ちながら本と向き合っている。

 

 本に依存するのではない、共感できる言葉、そうでない言葉、それらを己の物差しという相対的な目線で測ることで、一層豊かな時間を味わうことが出来るのだ。

 

 今画面をスクロールしながら読み進めているのは、ユダヤ人の文豪フランツ・カフカが生み出した名作「変身」だ。

 以前読んだことがある作品だったが、今はこれを猛烈に読み返したい衝動に駆られていた。

 物語の主人公、貧しい家族を支えるために真面目一途に働いていた青年を突如襲った運命・・・・・・

 青年の悲劇的な顛末に思いを馳せるのでもない。彼を孤独に追いやる世界に絶望するでもない。僕が読みたいと感じていたのは、彼が醜い虫に「変身」していく様、その描写の一つ一つだ。

 まともに動けなくなり、寝返りさえ打てなくなる。すべての人間関係から断絶され冷たい部屋に押し込められる。

 幸薄い人生の中で、それでも己の尊厳を保っていた誇りや幸せ、それらをすべて手放さざるを得ない現実に直面していく。

「今まで当たり前であったことが、当たり前でなくなる」

 その過程こそが「変身」の骨子だと思う。

 

 彼の身に起きた出来事を僕に置き換えて考えてみる。

 僕にとって決定的だった出来事はまずひとつ。動物からフレンズに生まれ変わったことだろう。体が別物になっただけじゃない。人生の全てが変わった。

 しかしそんなことは比ではないと思えるぐらいに、今の僕は以前と変わった。当たり前だと思っていたことの多くが、当たり前でなくなった。

 ・・・・・・そう、生きている限り「変身」はいつでも、誰にでも起こり得る。

 

「でさー、この前やり合ったセルリアンときたらよ」

「ああ、あの時は危なかった」

 

 心地よい静寂に浸っていた耳に、どよめきが入り込んでくる。視線を向けると、階下の食堂から食事を終えたであろう様子のフレンズが7~8人階段を上ってくる姿が見えた。

 

 地上に下りていたフレンズたちも、作戦を終えてここに帰ってきていた時分だったか。

 実験体としての生活が始まってからは別スケジュールで動くことになり、ほとんど顔を合わせることもなくなったから、彼女達の顔を見るのは久々だ。

 

「・・・・・・チッ」

 

 フレンズたちの中心にはディンゴがいた。それまで笑顔で談笑していた彼女が、踊場の隅っこで読書にふける僕を見た途端、不機嫌そうな顔で黙り込んだ。他のフレンズたちも気まずそうに喋るのをやめた。

 ディンゴは戦闘能力に優れているだけでなく、明るく周囲のフレンズに思いやりがある優等生だ。シャヘルに来てからそう経たないうちに、多くの仲間たちから信頼と友情を寄せられているようだ。

 さすがの社交性といったところか。ディンゴのルーツは、家畜化されたイヌが再び野生化してオオカミの亜種と分類されるようになった、いわばオオカミの紛い物だ。その性根は慣れ合うことに重きを置くイヌそのものだな・・・・・・

 

(早くどこかに消えろ)

 無視して端末に視線を落としながら、彼女らが階段を通り過ぎるのを待った。が、彼女らは踊場で足を止めたまま進もうとしない。

 

 彼女たちの意図がわかった。この踊場にたむろしたいと思っているのだろうな。ならば、僕がいたらさぞ邪魔だろうな・・・・・・しかしここをどくつもりはない。先に居たのは僕だ。たまり場が欲しければ食堂や広間にでも行けばいい。

 

「いこうよ」

「ああ」

 

 僕から言外に発せられるメッセージを察したのか、何人かのフレンズはその場から立ち去ろうとした。

 クズリさんに戦いを挑み生き残ったたあの日から、周囲の見る目が変わった。怒らせたら何をやるかわからない危険な奴として恐れられはじめた。そして僕自身も周囲を遠ざけるために、そう見られることを良しとしていた。

 ・・・・・・だが、ディンゴだけは僕を睨みつけたままその場から動こうとしなかった。

 そうだよな。ここで引くなんてことは、君には出来まい。今までバカにして踏みつけてきた相手を恐れて引くなど、屈辱極まりない話だろう。

 

「ディンゴ、僕に何か用事があるのか?」

「・・・・・・くっ」

 

 素直に「どけ」と言えばいいのに。そうしてこないのはやはり僕を恐れているからだろう。

 クズリさんに戦いを挑む度胸もない時点で、ディンゴは精神的な面で僕に大きく負けている。

 

「黙っているということは、特に用事はないのかな? ・・・・・・けど、僕のほうはたった今、君に用事が出来たよ」

 

 端末を踊場の手すりの上に丁重に置くと、踵を返してディンゴの方へ歩み寄っていく。

 近づいて来る僕を見る彼女の目の中には、怒りと焦りが入り混じって瞳孔が落ち着きなく震えているのがわかる。

 

______ボグゥッッ!!

 目と鼻の先までゆっくりと近づいた瞬間、僕は表情筋をピクリとも動かさないまま、胸先三寸に留めていた衝動を弾けさせた。

 素早く踏み込んでディンゴを殴打した。振りぬいた拳が、あっさりと芯を捉える。衝撃が逃げにくい鼻っ柱を殴られて、鮮やかな真紅の弧を描きながらディンゴが転倒する。

 

 なんとも情けないものだ。彼女はボクシングを使うくせに、こんな大振りなパンチを簡単に食らってしまうとは・・・・・・確かに思いきり不意打ちさせてもらったし、力もスピードも以前の倍以上になった体で放った代物ではあるけど。

 

「ディンゴ、僕の憩いの時間を邪魔した罰だ。死ねよ」

 

 倒れたディンゴに間髪入れずに馬乗りになって、顔面を繰り返し殴り続けた。

 クズリさんのそれに比べたら、足元にも及ばないぐらいヌルい攻撃だ・・・・・・だのに、ディンゴは手も足も出ないのか? こいつには今までイヤな思いをさせられ続けてきたが、なんで僕はこんなザコにやらせたい放題させていたのだろう。我ながら不甲斐ないばかりだ。

 僕はもう弱いヒツジなどではない。あの血まみれの幻覚の中で、昔の弱い自分を食い殺し、強大なオオカミに生まれ変わったのだ。

 紛い物に過ぎないディンゴごときが、本物のオオカミである僕に勝てる道理などない。

 

「や、やめろ!」

「いきなり何するんだ!」

 

 僕の突然の乱暴狼藉に驚いて、仲間たちが慌てて後ろから羽交い絞めにしてきた。そして僕はされるがまま拘束を許した。

 まあ・・・・・・さすがに彼女たちにまで暴行を加えるのはフェアじゃない。ディンゴと違って、最初から僕と目を逸らして、ここから去ろうとしていたのだから、敵とみなすことは出来ない。

 言うなれば、その場に存在していないのと同じ、空気のような存在だ。

 

「ぐっ! ・・・・・・ご、ごのやろう!」

 

 顔面を腫らして血を流すディンゴが立ち上がり、羽交い絞めにされている僕の前に近寄った。その拳は怒りでわなわなと震えている。まあ当たり前だな。

 今なら僕も自由が利かないし、彼女に仕返しされれば避ける術はないだろう。

 

「で、これから君はどうするのかな」

 怒り狂うディンゴを先ほどと変わらない無表情で見つめた。

 相手を恐怖させるのに、怖い顔で凄んだり、強い言葉を使う必要などどこにもない。たったひとつのシンプルなメッセージを、瞳に含ませて伝えればいい。

「いつでもお前を殺せる」「一切躊躇しない」と・・・・・・それが本当のことであるという態度を相手に示せばいい。

 わずかでも躊躇がある相手ならばそれで終わりだ。

 

 案の定、ディンゴが僕に殴り返してくることはなかった。ここで僕にやり返そうものなら、今後も僕に因縁を付けられて、命の危険を伴うほどの手ひどい報復を受けることを危惧したからだ。

 この場で殺してしまうか、最初から一切関わらないかのどちらかでなければ、僕という危機からは逃れられない。

 ようやくわかったか。僕と事を構えるということがどういうことなのか、出来の悪い脳みそでも理解できるように心を砕いた甲斐があったというものだ。

 

「ディンゴ、僕を怒らせない方法を教えてあげるよ・・・・・・僕を見るな。僕の視界に入るな、隅っこでコソコソと怯えていろ。なに簡単なことだよ。以前までの僕と同じようにしてればいいのさ」

 

 額に青筋を立てながら悔しそうに震えるディンゴが、やがて瞳を伏せ、完璧に僕から顔を背けた。その瞬間に僕は彼女に永久に勝ったことを確信した。

 さて、こちらの用事は済んだことだし、読書に戻らせてもらおうか。今の僕にとっては一分一秒が惜しいのだからな。

 

「君たちも僕に用があるのか? ないなら・・・・・・放せよ」

 後ろで羽交い絞めにしている数人のフレンズに向かって振り返らずに凄んだ。ぐうの音も出ない彼女たちは僕を解放した。

 

 しかし、招かれざる来客はディンゴたちだけではなかった。

 端末を取りに戻ろうと歩き出した僕の目の前に、1人の小柄なフレンズが肩で息をしながら階段を駆け上がってくるのが見えた。

 ・・・・・・そうか、ディンゴたちが帰ってきているなら、彼女ももちろんいるはずだものな。誰かが呼びに行った声に応じて、大急ぎで揉め事の現場に駆けつけてきたのだろう。

 

「メリノ! 何をやってるっスか!」

「これはこれは、お久しぶりですね」

 

 つぶらな瞳の上の眉毛が逆八の字に吊り上がっている。あらゆる危機に対して冷静でいられるタフさがあり、常に穏やかな物腰を崩さない彼女が本気で怒っているのをはじめて見た。

 スパイダー隊長、あなたの顔を久しぶりに見ることが出来て嬉しい。これは本当だ。

 

「大丈夫っスかディンゴ?」

「は・・・・・・はい」

 

 隊長はディンゴの傍に駆け寄ると、血を流している額に手を当てて、素手でそれを拭った。そして他のフレンズたちにディンゴを医務室に連れて行くように命じた。

 仲間たちに支えられながら螺旋階段を跡にする彼女が、僕の方を見てくることは最後までなかった。まさしく”負け犬”だ。その哀れな後姿をほくそ笑みながら見送った。

 そのまま永久に消え失せろ。また僕の前に現れるなら、今度こそ本当に殺してやる。

 

「メリノ、話があるっス」

 僕はスパイダー隊長と2人きり、踊場に残った。彼女は先ほどと同じくしかめっ面の中に静かな怒りを覗かせている。

 さすがに隊長のことを他の奴らと同じように扱うわけにはいかない。彼女は自らの身を投げ打って僕の命を助けてくれた恩人だ。お叱りの言葉があるならば、まずは聞くしかないだろう。追従するかどうかは別としてだが。

 

「お前・・・・・・いったいどうしちゃったんスか?」

 スパイダー隊長は口元を震わせながら、絞り出すように僕に問うてきた。そのしかめっ面は怒りで出来ていたのではない。僕に対する失意と悲しみで作られていたのだ。

 

 さしもの僕も言葉を失った。怒りに任せたお説教の類であれば、いくらでも抗弁をして言い負かす自信はあった。だがこのような態度に出てくるのであれば、どんな言葉を返しても無粋になってしまうだろう。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、彼女は返答を待たずに僕から目を逸らした。踊場の手すりに身を乗り出し、重ねた腕の上に頭を乗せて外の風景を見つめはじめた。

 

 こんな光景は前にも見たことがある。シャヘルに来る前、輸送機の中の出来事だ。そんなに前のことでもないのに、もう随分昔のことに感じられる。

 あの時、スパイダー隊長は隅っこで卑屈にうずくまっている僕に声をかけてくれた。

 僕はあの頃から随分変わったが、彼女は何も変わらない。

 

 隊長だけは、最初からずっと僕の味方だった。

 そしてたった今、ディンゴにも同じような優しさを見せた。初対面の時に無礼を働いてきた相手であることなど全く意に介していない。

 何者をも許し、共に生き残ろうと優しく歩み寄る意志がある。その意志を寸分のブレもなく示してくる・・・・・・まったく、体は小さいのに、度量が大きいフレンズだ。

 あのクズリさんに、己に互する存在として一目置かれているのもよくわかる。

 

「お前だけじゃない・・・・・・ウルヴァリンも変わった。アイツがアンタをビルから突き落としたって聞いた時は驚いた。昔から強い奴には全力で噛み付いてたけど、自分より弱い後輩を痛めつけるような奴じゃなかった」

 

 スパイダー隊長は相変わらずの悲嘆にくれながらそう独りごちた。

 僕はその時悟った。隊長とクズリさん。片や地上のフレンズ部隊を率いる隊長。片や最強に至るための実験体。

 隊長は、今や別々の道を行く戦友と、ロクに意思疎通が出来ていないのだ。それがすれ違いを生みかねない要因になっている。

 

「隊長、もしこの後お暇でしたら、僕に付き合っていただけませんか?」

「どこに行くっスか?」

「もうじき、今日の戦闘実験が始まります。ぜひ見学していってくださいよ。実験が終われば、クズリさんと話す機会もきっとあるでしょう」

 

 やはり、スパイダー隊長だけは今後とも僕の味方に付けておくべきフレンズだ。そのためにも今の僕のことをしっかりと理解してもらいたい、どれほどの覚悟や矜持を胸に秘めて戦っているかを、その目で見てもらいたい。

 そしてクズリさんとも話し合いの場を持ち、昔と変わらぬ知己を保ち続けるべきだ。

 

 実験の部外者である隊長に立ち合いの許可が下りるかは確信が持てない。だが許可される可能性も捨てきれない。序列においては、隊長はシャヘルにいるフレンズの中で最も上なのだ。

 

「うん・・・・・・いいっスよ」

「決まりですね。では、付いてきてください」

 

 

 スパイダー隊長を連れ添って、居住区の出入り口であるゲートを訪れた。

 この無機質な門にはノブなどない。フレンズの方から開けることは不可能だ。何らかの指令がヒトから下される時のみ、遠隔操作で開かれる仕組みだ。

 

 門の前に立った瞬間、それが溶けるように消失し、通り道が現れた。定刻通りに戦闘実験に赴こうとする僕の姿を、監視カメラか何かが捉えたのだろう。

 そして僕の後ろにいるスパイダー隊長が先に進むことについても特にお咎めはないようだった。このまま付いてきていただこう。

 

 といっても、足で歩くのはこれで最後だ。扉の先に道らしい道はない。ここから先には区画という概念はない。

 基盤が内側に透けて見えるガラス状の迷宮が、縦にも横にも複雑に入り組みながら広がっている。この有様を見ていると、いつも同じ感想が胸に去来する。巨大な機械のクジラの腹の中にいるようだ、と。

 さしずめ僕は巨鯨モンストロに飲み込まれたピノキオと言ったところか。

 

 行き止まりの床が周囲から切り取られたように浮き上がり、僕たちを運び始めた。唯一の移動手段だ。あとは実験室まで自動で僕らを運んでいってくれる。

 

 ここまではいつもと何も変わらない・・・・・・だが、何かがおかしい。

 宙に浮かぶ床の上に乗ってしばらくしてから違和感に気付いた。

 僕は今まで何回も実験室に連れていかれているのだ。たとえ区画の概念がない機械仕掛けの迷宮だとしても、床がどのタイミングでどの方向に進むかは、何となく覚えてしまっている。

 それが今回は、見知ったパターンとはまるで違う動き方をしているのだ。

 

 やがて僕らを乗せた床が、おおよそ他と区別が付かない迷宮の一角に降り立ち、最初から何もなかったかのように周囲と同化して消え失せた。

 目の前に現れた細いトンネル状の一本道を進んだ。

 

「メリノ、この先に実験室があるんスか?」

 僕の動揺を察したように、スパイダー隊長が不安そうに尋ねてくるが、それには答えなかった。僕自身が答えを探すように歩を進めることしか考えられなかったからだ。

 

 突き当りに辿り着くと、そこにあった壁が生きているかのように蠢いて消滅した。

 この異常な建物には常識が通用しない。壁や床が勝手に動く程度の様相はもう飽きるほど見ているので驚くほどではない。問題はこの先がいつもの実験室なのかどうかだ・・・・・・僕は早足になって空いた穴を潜り、その先にある部屋へと押し入った。

 

「ここは・・・・・・?」 

 案の定、見たこともない部屋が目前に飛び込んできた。おおよそ戦闘なんて出来そうもないほどに狭く、何とか足元がわかる程度の照明しか灯っていない。

 部屋の中心には棺桶のような大きさの四角くて黒い機械が鎮座している。壁や床には銀色の筋が血管のように複雑に走査しており、それらはすべて機械に向かって集まっていた。

 

「これって、アレっスか」

「ええ、VRマシーンのようですね」

 

 Cフォースのフレンズならば誰もがお世話になったであろうその機械を見て、僕らは互い目配せしながら怪訝そうにそれに近寄った。

 棺桶の頭側には、楕円形の分厚いガラスが蓋のように覆いかぶさっている。その内側から怪しい緑色の光が漏れ出ている。

 その光に吸い寄せられるようにしてガラスの蓋の中身を覗き込んでみた。

 

「な、なんで!?」

 予想だにしない光景を見て、思わず平静さを失った。

 棺桶の中にはクズリさんがいた。意識を失ったまま大の字に横たわっている。

 

「へえ、戦闘実験ていうのはVRを使って行われてたんスか。ウルヴァリンのやつは、一足先に実験に取り掛かっているみたいっスね」

 僕とは対照的にスパイダー隊長は別段驚いてもいない様子だ。彼女が知りうる情報の範囲で、予想とおおむね合致するような光景だったからだろう。

 

「い、いえ。違うんですよ隊長。シャヘルに来てからVRなんて一度もやったことはない。こういう機械を見るのも初めてです」

「・・・・・・え? だったら、なんでウルヴァリンはこの機械の中に?」

 

______カッッ!

 

 取り乱しながら問答する僕らの目の前を、突如まばゆい光が照らした。

 突然の閃光に目が慣れると、その正体が何であるかをすぐに察することができた。

 映像だ・・・・・・空中に映像が投影されている。

 

≪うおおおおっっ!!≫

 

 映像の中からはち切れんばかりの雄たけびが聞こえ、二つの影が激しく交錯している。

 一方はクズリさんだ。激しく動き回る小さな体のあちこちから血が噴き出し、顔面を腫らしている。その表情からは余裕が消え、研ぎ澄まされた刃のような鋭い殺気を相手に向けている。

 

 そしてもう一方がクズリさんに向かって歩を進めている。表情がうかがいしれない不気味なその姿が足を止めると、殺気を弾けさせるクズリさんとは対照的な、静かな佇まいで彼女と対峙した。

 映像の中の思いがけないその姿を見て、僕もスパイダー隊長も驚いて目を見開いた。

 

 実際に会ったことはない、けれども良く知っているその姿。

 巨岩と対峙しているのかと錯覚させるような、相手を静かに押しつぶしていくプレッシャー。

 無敵と呼ばれるクズリさんと対になるあのフレンズが、なぜここに?

 

「アムールトラ・・・・・・!?」

 

 肺の奥から激情を絞り出すように、僕はその名を告げた。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編後章20「であいとさいかい」(後編)

 クズリさんが、VRマシーンが描き出した仮初の夢の中で戦っている。僕はそれをスパイダー隊長と一緒に現実世界から俯瞰視点で眺めていた。

 彼女の両腕には、例の腕輪が嵌められていなかった。僕の両腕にもあるそれと全く同じ、決して外すことが出来ない強者の証が無くなっている。

 ・・・・・・それは目の前の映像が現実ではないことを証明する決定的な証拠だ。VRの中では再現する必要がない情報だからだ。

 

 相手はあのアムールトラだ。”最強の養殖”の二つ名で名高い、もう一人の英雄。クズリさんが動ならば、アムールトラは静。荒れ狂う竜巻と動かざる巨岩。とことん対極的な存在感を放つ2人が対峙している。

 といっても本物のアムールトラではなく、それを模倣して作られたVRプログラムにすぎないのだろうが。

 

 本物がこの「スターオブシャヘル」にいるはずはない。当初はクズリさんと一緒にここに送られてくる予定だったらしいが、奴はCフォースから離反し、敵対勢力であるパークとかいう地下組織に寝返ったと聞かされている。

 所在は不明だが、おそらくは南アフリカのどこかで、Cフォースに反抗するための企てに携わっているのだろうという話だ。

 

 そして、奴の生みの親である日本支部研究所の元所長ヒグラシもアムールトラと共に組織を出瓶した。

 何の因果か、僕とクズリさんもアムールトラと同様にヒグラシによって作られたフレンズだ。同じヒトの手で生み出されたフレンズ同士が今や敵味方に分かれている。

 ヒグラシには恩がある。あの男は死んだ僕をフレンズとして生き返らせ、戦う術と読み書きを教え、本という友を与えてくれた。過ぎ去りし過去に思いを馳せていると、何か感傷的な感情が一瞬脳裏をよぎった。

 ・・・・・・しかし、そんなことは最早どうでもいい。問題は今、目の前で起きていることだ。

 事前の通告もなく、いつもと違う場所でVRでの模擬戦が行われているのはどういう理由があってのことだろう? なぜ僕には声がかからずクズリさんだけが戦わされているのか? 

 そしてその相手にアムールトラが選ばれた理由とは?

 

 クズリさんは体のあちこちから血を流しており、息も上がっているようだ。その有様が戦いが始まってからすでにいくらかの時間が過ぎていることを示している。

 ・・・・・加勢したくても、この狭い部屋にVRマシーンはひとつしかなく、あの中に入っていくことすら出来ない。  

 今の僕には、答えの出ない問いを顔面にいくつも張り付けて、茫然とした表情で立ち尽くし、目の前で行われている1対1の戦いを眺めることしか出来ないのであった。

 

≪っっろすぞあああァッッ!!≫

 両足を大きく開き前かがみになって金色の炎を全身にまといながら、クズリさんが吠えている。

 その顔つきを見て驚いた。尋常ならざる殺気の薄皮一枚下には、この瞬間にすべての情熱を注いでいるような歓喜が垣間見える。

 僕が今までに見たことがない、本気のクズリさんがそこにいる・・・・・・それもそのはずだ。本気に値する相手が目の前にいるのだから。

 

 VRで作られた虚像とはいえ、アムールトラの姿をここまで間近で見るのは初めてだった。

 黒い稲妻のような縞模様を全身に走らせる大柄な体躯は、ただその場にいるだけで威圧感がある。2又に分かれた豊かな長髪をなびかせながら、一分の隙もない鉄のような姿がクズリさんに向かってジリジリと距離を詰めてくる。

 異様なのはその構えだ。スラリと長い手足を自然体に下ろして、構えらしい構えを取らずにただ歩いているようにしか見えない。

 

 2人の身長は数十センチ近くも違う。低く身構える小柄なクズリさんと、真っ直ぐに立っている長身のアムールトラは、そのファイティングポーズの違いも相まって、子供と大人が対峙しているかのような体格差を感じさせる。

 アムールトラがクズリさんに向かって歩を進める度に、見ているだけで息が詰まりそうな圧迫感が映像越しに伝わってくる。

 

 とうに互いの間合いに踏み込んでいる2人が限界ギリギリまで近づき、張りつめた空気がピークに達した瞬間、殺気が弾けた。

 先に動いたのはクズリさんだ。目にも止まらぬ速さで鋭く低く跳ね、アムールトラの胸元に下から潜り込んだ。それは僕の脳裏に一撃必殺の投げ技の炸裂を予感させた。

 

______パンッッ!!

 しかし結果は予想とは真逆だった。飛びかかったはずのクズリさんの体が後方に吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。一方のアムールトラは、いつの間にか腰を落としながら拳を前に突き出していた。

 何物を見逃すまいと瞬きすらせずに凝視していたはずなのに、いつの間にか一連の攻防が終わってしまっていた。まるで時間が消滅し、結果だけを見ているような気分にさせられる。

 

 この有様には既視感があった。かつて東京の研究所で見た映像と一緒だ。クズリさんやアムールトラの戦闘記録は、Cフォース中に広く出回っているのだから。

 奴の攻撃を言い表すのにしばしば使われる言葉がある。「何をしているのかわからない」というものだ。

 何をしているのかはわからないが、奴に攻撃を仕掛けたセルリアンがひとりでに爆散している様だけは何度も見たことがある。あの時と同じなのか・・・・・・クズリさんの強烈な攻撃をもってしても、アムールトラを制することは出来ないのか。

「無敵の野生」が「最強の養殖」の前に敗れ去ってしまうというのか。

 

 すかさず立ち上がり、果敢に攻撃を繰り出そうとするクズリさんだったが、足を一歩前に踏み出した瞬間に、血を吐いてよろめいた。認めたくないことだが、彼女はすでに満身創痍といえるほどにダメージを負っている。

 そして、クズリさんが見せた隙をアムールトラは見逃さなかった。例によって事の起こりが見切れない程のスピードで接近し、クズリさんの脇腹に回し蹴りを打ち込んだ。

 鈍い音と共に小柄な体が宙を舞い、横方向にきりもみ回転しながら落下した。

 

「違うっっ!!」

 突如、僕の横で一緒に映像を見ていたスパイダー隊長が憤慨したように怒鳴った。

 

「隊長、何が違うのですか?」

「シベリアンはあんな戦い方はしないっス。あのVR、動きとかはかなりよく真似てると思うけど、全然本物と違うっスよ」

 

 クズリさんとアムールトラ、またの名をウルヴァリンとシベリアン・タイガー。

 スパイダー隊長は、かつてCフォースブラジル支部フレンズ部隊の同僚として、2人の戦いを一番近くで見てきたフレンズだ。そんな隊長が言うには、アムールトラは自分からは決して攻撃を仕掛けないと言うのだ。仕掛けるのは自らが襲われた時か、あるいは誰かを危機から守る時の二つに限られると。

 

「怯んだ相手の隙を突いて攻撃するなんて、シベリアンは絶対にやらないっス」

「どうしてそんなことが」

「本人から聞いたことがあるっス。自分は”先手なし”がモットーなんだって、実際アタシが知る限り、あの子はそのモットーを貫いてた」

 

 先手なし・・・・・・その言葉は全くもって理解不能だった。

 アムールトラというフレンズは、敵の隙を突くことが卑怯だとでも思っているのか? 

 敵に隙があればそこに付け込んで叩かなきゃ、こちらが負けてしまう。殺し合いというのはそういうものじゃないのか。

 奴が争いを好まない温厚な性格であることはすでに聞かされていたが、命のやり取りの場においても不条理極まりない生ぬるいルールを持ち込んでいたというのか。

 

 しかし、そうか。だとしたら目の前のVRは、本物のそういった弱点を修正し、より効率的な行動を取るようになった、いわば強化版とでも言うべき存在なのではないだろうか。だからクズリさんがあんなにも苦戦を強いられているのだ。そうに違いない。

 だが、僕とスパイダー隊長の見解はここでも食い違った。

 

「あの偽物は、本物の足元にも及ばないっス」

「クズリさんがあれほど追い詰められているのにですか?」

「シベリアンは”先手なし”だからこそ強いんスよ。あのVRはそこんとこを履き違えてる・・・・・・それに、純粋な殺し合いってなったら、ウルヴァリンの方が絶対に有利っス」

 

 映像から片時も目を逸らさないまま、スパイダー隊長がそう断言する。その自信は一体どこから来るのだろうか? 認めたくないことだけれど、どう見てもクズリさんはアムールトラ相手に一方的に押されてしまっているのに。

「アイツも、もう気付いてるはずっス・・・・・・目の前の偽物が、自分のよく知るシベリアンとは別物なんだってね」

 

______ザキュキュキュキュッッ!!

 

 映像に視線を戻すと、アムールトラはまたしても防戦一方のクズリさんに強烈な一撃を見舞っていた。いや、正確には四撃・・・・・・

 指を真っ直ぐに伸ばした平手で、クズリさんの喉元、胸元、みぞおち、下腹部を一瞬で刺し貫いてみせた。思わず背筋がぞくりと震えるほどの情け容赦ない攻撃・・・・・・奴の鍛え抜かれた手は、僕の槍なんか歯牙にもかけぬほどに研ぎ澄まされた凶器だ。

 

「くそっ! ここまでなのか!」

 胴体から血を噴き出すクズリさんの膝下がついに崩れ落ちる。致命的とも思える攻撃を食らった彼女を見て、いよいよ敗北を確信してしまう。

 しかしアムールトラは攻撃の手を緩めない。万にひとつも勝ち目を残さんとばかりに、仰向けに力なく倒れこむクズリさんに向かってダメ押しの正拳を振り下ろした。

 

______ゴゴゴゴ・・・・・・

 無慈悲な拳がクズリさんを捉えようとする刹那、彼女の目に今までより一層激しい殺気が宿ったような気がした。

 刹那、場の空気が一変する。アムールトラの巨大なプレッシャーに今にも押しつぶされそうだったクズリさんの気迫が弾け、画面中を覆いつくしていくように見えた。

 

(な・・・・・・!?)

 クズリさんは仰向けに倒れながら、アムールトラの拳を足の裏で受け止め”固定”すると、それを踏み台にして勢いよく後方にバク転を決めた。そしてそれに引っ張られるように、アムールトラの長身が宙を舞った。

 クズリさんの足の裏に拳を固定されたままのアムールトラは、クズリさんの体重と、己の攻撃の勢いに引っぱられるように空中で回転し、まっ逆さまに地面に叩きつけられようとしていた。

 

「やった! クズリさん!」

「まだっス」

 

______ダンッッ!

 やはりアムールトラの動きは並のフレンズと一線を画している。そのまま投げられるのを良しとせず、持ち前の身体能力により空中で身を翻し、足から先に落ちることで投げを堪えてみせた。

 ・・・・・・しかし、僕もスパイダー隊長もこの瞬間にアムールトラの敗北を確信した。

 

「さ、さすが」

 

 アムールトラは今もなお、何とか踏ん張って立っていた・・・・・・が、しかし、必死に耐え忍ぶ奴に対して、クズリさんの恐るべき追撃がすでに仕掛けられていた。

 

 クズリさんは両膝でアムールトラの首を前後から挟みこみながら、奴の右腕に抱き着くようにして空中に制止していた。

 あれは格闘技でいう所の「三角締め」だ。相手の腕を固めながら、両足で首を絞める技だ。

 アムールトラをバク転で投げた直後、互いの上下が入れ替わり、奴が地面に落ちるまでのわずかな間に空中で三角締めを完成させてしまっていたのだ。

 投げ技だけではなく、絞め技も間接技も、組み技全般がクズリさんの領分であることを改めて思い知らされる。

 

______グギュウウウウッッ・・・・・・

 骨と肉が軋む鈍い音が聞こえる。

 完全に極まった三角締めが、アムールトラの息の根を強烈に締め上げる。奴はそれから逃れようと拘束された右腕を振り回して足掻くが、クズリさんの腕力や”固定する能力”がすべての可能性を奪い去る。

 そうこうしているうちに、万力のごとき両膝で首を絞められ続けたアムールトラの長身がガクリと崩れ落ちる。

 データ状の存在に過ぎない偽物の肉体であっても、リアルを忠実に模倣しているのがVRだ。セルリアンと違ってフレンズは呼吸をしなければいけない。息の根が止められれば、意識を失うのが道理というもの。道理から外れた動きは出来ないのだ。

 何ともあっけない決着だった。

 

 だが、まだ終わりじゃない。ルールのある格闘技の試合だったら、これで終わりかもしれないが、セルリアンと戦う兵器である僕らフレンズの戦いはそうではない。

 あとひとつだけ、やることが残っている。

 

 クズリさんはうつ伏せに倒れたアムールトラの背中に流れるような手際で馬乗りになると、奴の頭部に生えそろう縞模様の長髪を引っ張って頭を持ち上げ、両腕で鷲掴みにした。

「・・・・・・っ!」

 スパイダー隊長が始めて映像から目を逸らした。見るに堪えないものが眼前に去来するのを見越しているかのようだ。

______ゴグッッ・・・・・・

 硬質で耳障りな異音が聴こえたと思った瞬間、アムールトラの頭部が180度捻じ曲がった。奴の全身が雷に打たれたように一度だけビクリと震えると、それきり動かなくなった。

 

 クズリさんはアムールトラの背中に乗ったまま、動かなくなったその顔と真正面から見つめあっている。先ほどの歓喜に満ちた表情はどこへやら、静寂を張り付けたような冷たい眼差しの奥に何を想っているのだろうか・・・・・・

 

 

 戦いの終わりと共に、眼前の映像がかき消された。

 冷たい部屋の中央に坐する鋼鉄の棺桶から煙が吹き出し、分厚いガラスの蓋が開かれた。

「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」

 VRマシーンの中にいたクズリさんが、ゆっくりと上体を持ち上げた。それに引っ張られるようにして彼女の全身に纏わりついた端子がプチプチと音を立てて外れた。

 

「大丈夫ですか?」

 思わず駆け寄って声をかける。

 今しがたの激闘を制したクズリさんの体には、当たり前だが傷一つついていない。だが肩で息をする彼女の顔からは冷や汗がびっしょりと吹き出ており、視線はぼんやりと宙を泳いでいる。

 VRは仮初めの体験に過ぎず、したがってそのダメージも幻に過ぎない・・・・・・だが、脳はその幻を現実にあったものとして認識し、脳が出した指令に従った全身が悲鳴をあげているようだ。

 

「メリノヒツジ・・・・・・いたのかよ」

 息も絶え絶えなクズリさんが力なく放心した視線をゆっくりと動かして僕の方を見ると、舌打ち交じりに毒づいて来る。

 

「オレ一人に戦わせて・・・・・・てめえはのんきに見学か」

「すいませんね。お呼びが掛からなかったもので、出遅れてしまいましたよ。それとね、見学は僕一人だけではありませんよ」

 僕の後ろにいる意外な姿を見て、クズリさんは少しハッとしたような顔をした。

 

「メリノに誘われて見に来たっス。まさか、シベリアンと戦ってるとは思わなかったけど」

「・・・・・・そう、かよ」

 それきりクズリさんとスパイダー隊長の間に沈黙が訪れる。久方ぶりに顔を合わせた2人がいきなり対面して話すには少々気まずいシチュエーションだったということか。

 

______パチパチパチ・・・・・・

 沈黙を破るようにして、乾いた拍手の音が聞こえる。その音に向かって僕とクズリさん、スパイダー隊長の3人が振り返ると、何もない空間の中に2人のヒトの姿が投影された。

 1人は見知った姿だ。

 後ろに結んだ豊かな金髪の下の眼鏡越しに、冷徹で端正な表情を覗かせる若い女。「スターオブシャヘル」の所長イヴ・ヴェスパーが、背筋を伸ばして凛と立っている。

 

 ・・・・・・だが、その隣にいる人物は初めて見る顔だ。

 その金髪碧眼はイヴと同じだったが、年齢は倍以上も違うであろう老人が、豪奢な椅子に座り込み、クズリさんに向かって高らかに拍手を続けている。

 

≪紹介するわ。我が父にしてCフォースの最高指導者、グレン・ヴェスパーよ≫

 イヴが老人の横に立ち、僕らの方を見て、芝居がかった手つきで指し示しながらそう告げた。

 老人は己の姿を誇示するように椅子から立ち上がると、説明を続けようとする娘を手で制止し、自らの口で自己紹介を続けた。

 

≪私がグレン・ヴェスパーだ。ウルヴァリンよ、見事な戦いぶりだった。やはり君こそがフレンズの次なる可能性を開く個体だ≫

「はっ・・・・・・そりゃどうも」

 

 高らかに笑うグレンの映像と、未だマシーンの中で上半身だけをやっと起こしているクズリさんの疲労困憊な顔が向かい合う。

 物腰穏やかなグレンの堀の深い端正な顔からは、年齢に見合わぬ貫禄と、説明しがたい底知れぬ迫力が伝わってくる。

 

 なるほど”業が深い”とはこういう風貌のことを言うのか。

 実際に、数多くのフレンズやヒトがこの男の一声で動かされ、命を散らしていっている。この男の剛毅な態度からはそれになんら呵責を感じることもなく、己の欲望や目的のためには他人が犠牲になって当然だと思っている傲慢さが見て取れる。

 

 世界中のCフォースを束ねる立場にあるグレンが、「スターオブシャヘル」に姿を現した理由は、最強のフレンズを作り上げる計画の進捗をその目で確かめることだった。

 アムールトラのVRプログラムは、グレンの配下が作成しこの場に持参した物らしい。最強に至る第一候補であるクズリさんをそれと戦わせることで、仕上がり具合を確かめにきたというのだ。

 そしてクズリさんは、奴が課してきた試練を見事クリアしてみせた。

 

≪それにしても、ウルヴァリンの働きは見事だったが、我々の方に手ぬかりがあった可能性が否めないのが残念なところだ≫

 機嫌が良さそうにクズリさんを称賛していたグレン・ヴェスパーだったが、やがて口角を真一文字に下げ、苦虫を噛み潰したような表情で椅子に再び座り込んだ。

 

≪そこで見ていた君・・・・・・確か、スパイダーモンキーだったか? 君の推察は実に的確だったな≫

「どういうことっスか?」

≪君が言った通り、あのVRプログラムはシベリアン・タイガーの行動パターンを忠実には再現していない。本物のシベリアン・タイガーはいかなる時も自分からの攻撃を行わないのだが、我々はそれを甚だ非効率的と判断し、状況に応じて自発的な攻撃を行わせるようにプログラミングし直したのだ・・・・・・だがその結果が、このザマだ≫

 

≪ウルヴァリン、君もスパイダーモンキー同様に、シベリアン・タイガーの動きを読んでいたのか? わざと無防備な姿をさらして相手の大振りな攻撃を誘発し、それに反撃することで勝利を収めた、ということか?≫

 

 クズリさんは未だVRマシーンの中から自力で降りることも出来ずに、グレンの詰問をぼんやりとした表情で聴いていた。

 数瞬黙りこくっていたが、やがて深いため息を付いてからその口を開いた。

 

「・・・・・・ぶち殺すぞ、てめえ」

 

______ドガンッッ!!

 ぶつぶつとぼやきながら、クズリさんの怒りが前触れもなく爆発した。上半身を弓のようにしならせて、自身の体を覆っているVRマシーンを思いきり殴打した。 

 分厚い金属の外殻が粘土のように歪み、砕け散った内部の基盤がバチバチと電撃を放った数瞬の後、周囲のいくつもの電灯が消えて、部屋が一層薄暗くなった。

 あれだけの戦いをした後で、まだこんな力を残しているとは・・・・・・

 

「このオレにつまらねえ戦いをやらせてんじゃねえッッ!!」

 

 クズリさんはグレン・ヴェスパーを燃えるような目つきで睨み付けながら、我を忘れたように怒鳴った。彼女が本来持っているクールさや知性がまるで失われている。

 

≪君が怒るのも無理はないな・・・・・・だが安心したまえ≫

 竜巻のような殺気を画面越しに受け流しながら、グレン・ヴェスパーがポツリと返答を返した。

 まったく信じられない有り様だった。クズリさんのそれに負けない程の迫力が、グレンの静かな佇まいから感じられるのだった。これほどのプレッシャーが、か弱いヒトから発せられているのか? それも老境に達したこの男から・・・・・・。

≪もうじきここに本物のシベリアン・タイガーを連れてきてやるぞ。思う存分にライバルと競い合うがいい≫

 

「・・・・・・な、何だとォ?」

≪シベリアン・タイガーの奪還は現状の最優先課題だ。そして我々はすでに動き出している≫

 

 グレン・ヴェスパーが、有り余る覇気を五体に纏わせたまま静かに語り始めた。

 敵対組織パークの手にアムールトラとヒグラシが寝返り、行動を共にしている現状。それは、Cフォースにとって途轍もなくまずいことなのだという。

 

 言わずもがな、アムールトラはクズリさんと互角の強者。つまりはフレンズの次なる進化形態にもっとも近い一体である。

 そしてヒグラシは、グレン・ヴェスパーの弟子として長きにわたってフレンズの研究と育成に第一線で携わってきた、Cフォースの最先端技術の粋を知り尽くした人材だ。

 

 最高の実験材料と、最高の技術者が、同時に敵の手に渡ってしまった。

 その状況から、あるひとつの可能性が懸念されている。

 Cフォースの念願であるフレンズの進化形態、究極の戦闘生物が、敵対勢力パークの側から生み出され、その技術が確立されてしまうかもしれないということを。

 

≪もしそれが現実になった場合、Cフォースは窮地に立たされるであろう。我々がいかに兵力的にも物量的にも優位であっても、パークを排除することは容易ではなくなる・・・・・・すでに奴らは、ヒグラシの口から我々の機密を知り得ていることだろうし、我々の寝首を的確に掻きに来るだろうから尚更だ≫

 

≪お父様・・・・・・どうかお許しください。愚かな娘を≫

 突如、イヴがグレンの前に立ち、神妙な態度で首を垂れた。その目には光る物が浮かんでいる。

≪今回の責任はすべて私にあります。私がヒグラシの叛意を見抜けず、地質調査になど向かわせてしまったばかりに、このような事態を招いたのです。本当に、本当に申し訳ありません≫ 

 

≪親子ともども、人物を見る目が足りなかったようだな≫

 すり寄って許しを請う娘に視線もくれないグレンの表情に影が立ち込めると、顔面に刻まれた数多の皺が歪み、般若のような怒りの形相を形作った。

≪ヒグラシめ・・・・・・医者崩れの凡愚の分際で、長年目をかけてやった恩を仇で返しおって! あの裏切り者だけは私がこの手で直接八つ裂きにしてやる! いや奴だけじゃない・・・・・・パークの首魁である”あの男の血を受け継ぐ小娘”もだ!≫ 

 

「で、最高指導者さんよォ、具体的にどうすんだ?」と、怒りに震えるグレンとは対照的に落ち着きを取り戻したクズリさんが嘲笑するような声色でそう尋ねた。

 

≪シベリアン・タイガーとヒグラシを捕え、それに随伴する連中を始末するための刺客を、すでに南アフリカ国土に放っているのだ。人間とフレンズの混成部隊をな≫

「ケッ、どんなフレンズを向かわせたんだか知らねえが、アムールトラと戦えるような奴がオレの他にいんのかァ?」

≪無論いるとも。おそらくは君すらも凌駕する実力者が1人・・・・・・私の腹心として様々な汚れ仕事を任せている故、実験体としては登用していないがな≫

 

 思いがけない回答を聞いて、クズリさんの眉毛がピクリと動いた。

 横にいるスパイダー隊長が「ま、まさか」と口をパクパクさせながら声にならない感想を漏らしている。

 どうやら2人には共通の思い当たりがあるようだった。クズリさんすらも凌駕する実力者とはいったい誰のことだ?

 

≪もうひとつ大事な知らせがある。時期は未定だが、君たちの出番もやがて回ってくるぞ≫

 僕があっけにとられていたのも束の間、刺客の名を明かす気もないグレン・ヴェスパーが新たな話題を続けた。

≪そう遠くない内に、アフリカ大陸全土に散らばるパークの賊共を根絶やしにする大規模侵攻作戦を展開する予定だ。君たちには私の手勢に加わってもらわなければならん≫

 

「ちょっと待ってくださいよ! アタシはそんなことやりたかないっス!」

 意外にも、声を荒げたのはスパイダー隊長だった。最高指導者の命令を当然のように切って捨て、投影された彼の映像に向かって猛然と詰め寄った。

「セルリアンと戦うのがアタシらの仕事だったはず! ヒトやフレンズと戦わされるなんてゴメンっス! 話聞いてっとアンタの口からはパークのことばっかじゃないっスか!」

 

≪スパイダーモンキーよ、我が娘から話を聞かされているはずだが≫

「・・・・・・女王とかいうのを生み出して、セルリアンに言うことを聞かせるって例の話っスか?」

≪その通り、すでに我々の方針はセルリアンの根絶にあらず。支配だ・・・・・・それこそがこの世界を次なる繁栄に導くための最良の選択なのだよ。その崇高な目的を妨害するパークをこそ最優先で排除しなければならん≫

 

 事態はすでに抜き差しならない方向に向かっていた。今、グレン・ヴェスパーの頭の中を占めているのはパークを滅ぼすことだ。

 Cフォースとパークとの戦争がすでに勃発していることを思い知らされる。

 

「ひとつ聞いていいっスかね」と、スパイダー隊長が間髪入れずに追及の姿勢を見せる。 

 グレン・ヴェスパーの弁にすっかり圧倒されてしまっている僕と違って、隊長はまだ心が折れていないようだ。

 

「アンタの言ってることを、他のお偉方は承知してるっスか? アンタまさか独断で動いているんじゃ? 自分の娘とか、言いなりになる手下だけを使って」

≪・・・・・・何が言いたいのかね≫

「Cフォースには、フレンズたちと一緒に体張ってセルリアンと戦ってきた兵隊さんがいっぱいいる。たとえばアタシの元いたブラジル支部の司令官だってその1人っス。アンタがどれだけ偉い立場だろうと、あのヒトたちが”セルリアンともう戦わない”なんて馬鹿げた命令を素直に聞くはずないっス。最悪、組織が真っ二つに割れてしまうかもしれない・・・・・・そうっスよね?」

 

≪ほう、組織というものに理解があるな。君にはリーダーの素質があるようだ≫

 グレン・ヴェスパーは、一兵士どころか所有物に過ぎないフレンズにしつこく詰め寄られて、不機嫌になるどころか、感心したように舌を巻いていた。

 

≪察しの通り、現段階ではこのプロジェクトは公にしていない。頭の固い軍閥共は、こちらが結果を見せぬ限りは納得せぬ・・・・・・だが案ずるな。女王の力を見せつけてやれば奴らとて首を縦に振らざるを得なくなるだろう≫

「そ、そんなに何もかも上手くいくはずが」

≪物事の是非は我々が判断すること。スパイダーモンキー、君に出来ることはひたすらに役目に励むことだけだ。君のその五体に”オーダー”が刻まれていることを忘れるな≫

「・・・・・・くっ!」

 

 まるで聞く耳を持たない態度で無慈悲な言葉を被せてくるグレンに対して、ついにスパイダー隊長はついに反論する言葉をなくした。

 その表情には堪えようのない口惜しさと困惑が滲み出ている。

 

≪ではまた会おう。君たちの働きに期待している≫

 ありきたりな挨拶の中に、自身への従属を強調させるような一言を告げると、グレンがゆっくりと立ち上がって画面の外へと出て行った。

 

 イヴは父親が消えたのを見送った後で、申し訳なさそうに垂れていた彫像のような顔をゆっくりと持ち上げた。

______ニヤリ・・・・・・

 彼女の口元が、静かに、だが確かに笑みを形作っていた。その意味を推し量る術もないが、ただひとつわかるのは、眼鏡越しの瞳の中に、身の毛もよだつほどの邪悪な意志が感じられるということだ。

 この女は、怒りに身を焦がす父親の傍でいったい何を考えている?

 

≪ご苦労様。今日はもう解散でいいわ≫

 まじまじと見つめる僕に気づいたように視線を合わせてきたイヴが、例の笑みを浮かべたままそう告げると、光で作られた幻影が消失した。狭く冷たい部屋に暗黒が再び取り戻される。

 

「なんでこんなことに・・・・・・」

 スパイダー隊長は相変わらず頭を落としてうなだれている。望まぬ相手と戦わなければいけないと言われたことが、その運命が避けられないことが余程ショックだったようだ。

 僕にはよくわからない。隊長は何をそんなに悩んでいるのだ。

 

「元気を出してください。今の話は僕らにとって確実に朗報ですよ」

 僕はスパイダー隊長を励ますために、彼女がまだ自覚していないであろう事実を強調することにした。

「パークを駆逐すれば、僕らの戦いも終わりです。Cフォースの長がそう明言したのだから絶対です。ようやくあなたは、戦いの運命から”逃げ切る”ことが出来るのです。あなたはCフォースのために記憶まで失くさせられて、それでも今まで頑張って戦ってきたのでしょう? その苦労が報われるチャンスがついに巡ってきたのですよ?」

 

「だからってヒトやフレンズと戦うなんて間違ってるっス」

「なぜですか? あなたほどの優れた能力を持ったフレンズが遠慮することなんか何もないでしょう。強者は弱者からすべてを奪う権利がある。最早帰ることのできない故郷よりも良い住処をパークの奴らから奪い取って、第二の故郷にしてしまえばいいじゃないですか」

「め、メリノ、お前・・・・・・?」

 

 僕が精一杯の言葉で励ましたというのに、隊長は元気を出すどころか、目を見開いて絶句し、軽蔑するような空気を醸し出してきた。

 どうしてそんな顔をする? 僕が何か間違ったことでも言ったのか。

 

「スパイダーよォ、ここはメリノヒツジの言うことが正しいぜ」

 壊れたVRマシーンの中にいる満身創痍のクズリさんが、そう言いながらゆっくりと立ち上がり、ひび割れた棺桶の敷居を跨いで冷たい部屋に降り立った。両腕から垂れ下がる鎖がジャラリと音を立てる。

 未だに額から冷や汗を吹き出し肩で息をしている有様だったが、その覇気は早くも万全な時とそう変わりないまでに戻っていた。どんなにダメージを負っても、現実には存在しない仮初の傷だ。回復するのに時間はかからないということか。

 

「パークの奴らは敵だ。四の五の言わずに叩きつぶしてやりゃいい。アムールトラもそうだ。アイツはもうオレたちの仲間じゃねえ」

 

 クズリさんにまで真っ向から否定されたスパイダー隊長の顔が青ざめる。彼女はこのまま黙り、話はそれで終わると思っていた。

 しかしそうはならなかった。

「・・・・・・ふざけんなっス」

 苦痛に耐えるような顔で俯いていたスパイダー隊長が、ゆっくりとした足取りクズリさんに近づくと、その胸倉を勢いよく掴みあげた。

 まるで信じられない光景だ。隊長がここまで純粋に怒っているのを初めて見た。器用で賢く、常に冷静にふるまう彼女にこんな一面があったとは。

 

「シベリアンは今でもアタシたちの友達っス。敵とか味方とか、んなモンは全部あのグレン・ヴェスパーの独りよがりな都合なんスよ!」

 

「だからなんだ? てめえがどう言おうが、オレはアムールトラと決着を付けるぜ」

 胸倉を掴みあげられたクズリさんが、その手を振り払いもせずに殺気を覗かせながら抗弁する。

 しかしまるで恐れない様子のスパイダー隊長が、クズリさんと額がくっ付きそうな近さまで顔を近づけて、被せるように答えた。

「だったらアタシはそれを止めてみせる!」

 

「アタシの望みはこの地獄みたいな境遇から抜け出すことっス! でもそん時ゃあ、アンタもシベリアンも一緒だ! アタシは大事な友達みんなと一緒に自由になりたいんスよ!」

「くっ・・・・・・夢みてえなことばっか言ってんじゃねえ!」

 

 意外なことに、クズリさんは隊長の剣幕に押されてしまっていた。戦闘能力において天と地ほどの開きがあることなど、この2人の間には全く関係がないのか。

 彼女たちの間には想像以上に深い絆があるようだ。その厚い信頼と友情は、もはや互いに対する敬意と言っても差支えないレベルのように思える。

 凶暴凶悪なクズリさんであっても、そんな相手に手を出すことは出来ないのか。

 

 額をくっつけてしかめっ面で睨み合いながらも、2人はどこか遠い目をしていた。その瞳の向こう側には共通のものを見ているようだ。

 おそらくは、アムールトラと一緒に過ごした日々のことを。

 

 真っ向から意見が対立しつつも、信頼しあう2人が議論の決着をどう持っていくのか全く分からない。

 その結末を見届けたいところだったが、僕にもどうしても言いたいことがあった。今の状況であればそれを口にすることが出来る・・・・・・ここは是非とも一枚かませてもらおうか。

 

「それにしても、わからないんですよねぇ」

 僕はあからさまに水を差すような声色で2人に割って入り、まったく違う話題を振った。

「クズリさんは何故、アムールトラのような弱者をそこまで高く評価するのですか? 敵の隙も突けないような奴なんでしょう? あなたは思い出を美化しているだけで、実際のアムールトラは、あなたに遠く及ばないようなザコだと思いますよ」

 

「なんだァ?」

 クズリさんがスパイダー隊長と向かい合ったまま、横目で僕を睨み付けてきた。まるで自分自身が侮辱されたかのように怒っている。

 僕はそれを小ばかにするようなニヤけ顔で受け止めた。

「メリノヒツジ、てめえごときがアムールトラを見下してんじゃねえぞ!」

 

 さすがに、ライバルを侮辱されたら怒るに決まっているよな。

 どこにもかしこにも飛び交うありきたりな言葉が、これほどまでに重みのある物であるとは思っていなかった。

 ライバルに打ち勝つことこそが人生の目的、自分の在り方すら決めてしまうほどに巨大な存在と言っても過言ではないだろう。

 クズリさんにとってのアムールトラは、そういうものだ。

 

「まあ本当の所はわからないですよ。僕は奴に会ったことがないのだから・・・・・・しかし、話を聞く限り、全然大した奴に思えませんね」

 

 クズリさんを挑発するためにこんなことを言っているわけではない。僕は本音でそう思っていた。戦いには向かないと言われる心優しい性格、先手なしを旨とする勘違いしたフェアプレー精神・・・・・・そんな甘っちょろい奴が強いはずがない。

 優しいまま、甘いまま強くなれるなんてあり得ない。アムールトラはかつてヒツジの世界に留まっていた僕同様に、この奪い合いの世界では生きていけない弱者に決まっているのだ。

 優しくて強いトラなど絶対に認めるものか。そんな奴のことを、クズリさんが最高のライバルとして恋焦がれることなど到底看過できない。

 

「アムールトラは僕に殺させてくださいよ。あんなザコ、あなたが相手にする価値はない」

 胸に去来した強い意志を、せき止める間もなく口にした。アムールトラをこの手で殺して、その命ごと奴の価値観を否定してやる。

 証明してやるのだ。残酷さこそが強さの本質であることを。

 そしてアムールトラを殺した後は、僕がクズリさんのライバルの座に付く。

 

「・・・・・・てめえも懲りねえなァ、また死ぬような思いがしてえのか? いい加減オレのことを舐めてんじゃねえぞ」

「やめろ! 頼むから仲間同士で傷つけあうのはやめてくれっス!」

 一触即発の空気を纏い始めた僕とクズリさんの間に、スパイダー隊長が慌てて割って入る。身を挺して諌めてくる友の姿を見て、クズリさんはギリギリで怒りを抑えている感じだ。

 隊長の体を貫通して、刺すように鋭いクズリさんの殺気が伝わってくる。だがこれでもまだ彼女は本気じゃない。VRのアムールトラに向けていた殺気はこんなものじゃなかった。

 

「クズリさん。あなたの方こそ僕を舐めているのではないですか?」

 僕は殺気に怯みもせず、それを跳ね返すつもりで言葉を続けた。

「僕がアムールトラを殺すと言った所で、あなたがそれをとやかく言う権利はないはずだ。なぜなら、たとえ何者であろうと獲物を独占する権利などないのだから。獲物とは早い者勝ちで奪い合うもの・・・・・・それが弱肉強食のルールのはずだ。違いますか?」

 

 クズリさんは悔しそうに歯噛みしている。”獲物は早い者勝ち”それは少なくとも野生の肉食獣にとっては共通普遍の真理だ。それを否定することはクズリさんの信条に真っ向から反する。実に返答に詰まるはずだ。

 

(あなたには何も出来まい)

 僕と2人きりならば、暴力で僕を黙らせるのは簡単だろうが、今はスパイダー隊長が間に入っているのだ。

 生意気な後輩に論破されたからといって、五分の兄弟分ともいうべき親友の目の前で、暴力を行使して論戦の負けをひっくり返すような恥晒しなマネは、誇り高いクズリさんには出来るはずがないのだ。

「・・・・・・さあ、どうするのですか?」

 最初から僕のことなど相手にしなければ”安い挑発”と一蹴出来たものを・・・・・・僕が売ったケンカを言葉のはずみで軽々しく買うからこういうことになるのだ。

 うすうす気づいていたことだが、クズリさんはその戦闘能力に反比例するように、口喧嘩がまるで弱い。良く言えば筋が通った、悪く言えば直情的な思考をしているがゆえか。

 

「もういい。この話はこれで終わりっス」

 間に入っていたスパイダー隊長が、クズリさんに完全に味方するような態度で、僕の前に正面から立ちはだかった。まるでこの場を引き受けたかのようだ。

 確かに隊長なら、クズリさんよりはるかに弁が立つだろうな。

 彼女は例の悲しそうな瞳で僕を見ている。何でそんな顔をするのかわからない。

 

「メリノ、お前のことがよくわかったっス」

「何がわかったのですか?」

「お前は別に変わったわけじゃなくて、元々今みたいな性格をしていたんスね。でも今までずっとそれを隠して我慢してきた・・・・・・それが今になって爆発して、タガが外れちまってるんスね」

 

 素晴らしく心地よい言葉だった。他人に自分の内面をズバズバと言い当てられることがこんなに気持ちのいいことだとは思わなかった。

 やはり隊長は僕のことを一番深く理解してくれているのだ。

 

「でもね、限度っていうのを知るべきっスよ。自分のことを抑える術を知らない奴には、破滅しか待っていない」

「そうですか。肝に銘じておきましょう・・・・・・では失礼」

「どこに行くっスか?」

「広い場所を探して自主トレーニングでもやりに行こうかと思います。イヴ・ヴェスパーには今日は解散と言われましたが、体を動かさずに終わる一日など気持ち悪いのでね・・・・・・ご安心を、もちろんトレーニングは1人でやりますよ。あなたの部下を巻き込んだりはしません」

 

 僕は隊長が出してくれた助け舟に便乗するように、その場を足早に立ち去りはじめた。

 さしもの僕も自殺願望があるわけじゃない。一度目は感情を抑えられずに必死だったけど、二度目の今なら冷静に状況を推し量ることができる。今の僕の実力でクズリさんにケンカを売って生き残れる道理なんてないのだ。

 ・・・・・・だから隊長の存在を利用して、言いたいことだけ言わせてもらった。アムールトラを横取りしてやるという宣言をな。

 

 クズリさんはライバルであるアムールトラと決着を付けたい。

 スパイダー隊長は友達同士が殺し合うのをやめさせたい。

 そして僕は、アムールトラを否定して己の信念の正しさを証明したい。

 

 3人ともやりたいことがまったく違うのだ。いずれ衝突は避けられないだろう。それでも僕は譲らない。

 なぜならば、やりたいことを徹底的にやるのがフレンズの生き方なのだから。

 クズリさん。あなたが教えてくれたことだ。あなたの言葉のおかげで今の僕がある。僕は命が絶えるその瞬間まで、この言葉を忠実に守り続けるだろう。

 

 to be continued・・・ 




______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「ヒツジ(メリノ種)」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」

_______________Human cast ________________

「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章1 「ゆめのために」

 
 物語は再びアムールトラの視点へ。
 
 Cフォースの中枢にて、セルリアンの女王を創造するために暗躍し、すべてを支配せんと目論む「スターオブシャヘル」。
 その野望を食い止めるために水面下で奔走する非政府組織「パーク」。
 南アフリカの地において、二つの組織の争いは最早避けられない段階に達していた。
 
 Cフォースを裏切り、パークの下で己の信じる道を進まんとするアムールトラ。
 彼女の前に、宿命の好敵手クズリが、赤き魔狼メリノヒツジが、さらに予想だにしない敵が立ちはだかろうとしていた。

 心優しき静かなる虎は、なぜビーストと呼ばれるようになったのか?
 パークとCフォースの争いの果てにあるものは?
 在りし日のアムールトラの、最後の戦いが今始まる。
 


 ひっそりとした夜。星空に照らされる穏やかな水面。さざ波が寄せる砂浜。陸を振り返れば、雲に届きそうなほどに高い崖が海沿いにどこまでも続いている。

 

 ここは南アフリカ最南端にあるケープ半島。なかでも「喜望峰」と呼ばれる歴史ある場所だ。

 遠い昔ヨーロッパから来た船乗りが喜望峰を発見した時から、近代の南アフリカ、ひいてはアフリカ大陸の歴史が始まったと言っても過言ではない。

 奴隷貿易だったり戦争だったり、ありとあらゆるヒトの営みの舞台として南アフリカは発展してきたという。

 多くの時間の中で流された血と涙を、広大で荒涼とした自然が受け止め、今も変わらずにそこにあり続けている。

 

「この世界で一番強くて偉大なもの、それは自然・・・・・・どんなに荒らされても、汚されても、自然は自分の在り方を変えることはない」

 

 砂浜の上で、かつてゲンシ師匠から教わった言葉をしみじみと反芻しながら、体の芯に刻まれた記憶を呼び起こす。

 砕ける波の飛沫が、引いていく波に取り残された無数の砂浜の上の水滴が、まるで自分自身の一部であるかのように近しく感じられる。

______ドキュッ! シュッ! パンッ!

 下半身を深く沈みこませ、右足、左足、また右足・・・・・・絶え間なく軸足を入れ替えながら踏み込む。そして下半身に連動させるように、半身に構えた胴体を動かし、様々な受け技と突き技を無心のまま繰り出す。

 これはセイエンチンと呼ばれる空手の型の1つ。テンショウの次に私が得意としている型だ。

 型稽古をしていると、師匠との確かな繋がりが感じられるような気がする。彼がまだ生きているかのような気持ちになれる。

「こおおおっ」

 最後に、真っ直ぐに立ちながら交差させた両腕をゆっくりと下ろし、肺の中の空気を引き絞るように吐き出した。

 

______ザァァァ・・・・・・

 型が終わった瞬間、穏やかな海との距離感が途端に大きく感じられた。

 今しがたまで意識を完全に一体化させていたというのに、信じられない程に他人行儀な表情を見せてくれるものだと思う。

 星空に照らされる沈黙の水平線を、寂しげな瞳で眺めた。

 

「わ~、ぶちカッコええダンスじゃね!」

 突如、静けさを破るような陽気な声が聞こえた。

「こんな感じかね~、えいっ! ほっ!」

 声の主は小走りで近寄りながら私に声をかけると、今しがたまでの私の動きを見様見真似で模倣し始めた。黒いミトンを嵌めているような可愛らしい両腕をバタバタ動かしている。

 

「見て見て! これがケープのダンスぅ~っ!」

「・・・・・・あのね、これはダンスじゃなくて型って言うんだ」

 私は溜め息を付きながら声の主へと振り返った。

 

 この子は、ケープペンギンという名のフレンズだ。

 ペンギンという、海を泳いで暮らす鳥類のうちの、南アフリカの海岸沿いに生息している種族がフレンズ化した子だ。黒い両腕と白い胴体。その鮮やかなコントラストは見る者を思わず引き付けるような愛嬌が感じられる。

 

 ペンギンと言えば氷に覆われた極寒の地に住んでいるイメージしかなかったけど、実際には、暖かい南米やこの南アフリカの海岸沿いなど、幅広い所に彼女たちの仲間が住んでいるらしい。 

 彼女たちは様々な環境に適応できる強かな生命力を持った種族なんだそうだ。

 

 ケープペンギンはパークの庇護を受ける天然フレンズのうちの1人だ。

 彼女とは海の上で知り合った。

 パークのリーダーであるカコさんが率いる少数部隊の乗る船舶が、ナマクワランド沖からここケープタウン側の海岸を目指していた際に、彼女は善意で協力に駆けつけて来てくれたのだ。彼女が道案内をしてくれたおかげで比較的安全な船旅をすることが出来た。

 

「それッ!」

 最後に両手を伸ばしながらピョンと跳ねて決めポーズを取った後、彼女は少し寂しそうな顔でその場にへたりこんだ。

 私は彼女の様子が気になって、近くに座って話を聞くことにした。

「・・・・・・うち、寂しい海は嫌いじゃよ」

 

「この海岸なー、うちがフレンズになる前は賑やかな場所だったんよ。うちと仲間たちのダンスを見るために、世界中からニンゲンのお客さんが集まっとった。毎日がお祭りみたいでぶち楽しかった・・・・・・けど」

 

 アフリカ大陸中に蔓延したセルリアンが、ケープペンギンの生き甲斐と生きる場所を奪った。元は観光名所として賑わっていたケープ半島ももはや無人の廃墟だ。

 都市部ではないからセルリアンに狙われることはあまりないのが不幸中の幸いだったが。

 

「でも、このままヘコんでなんかおれへんもん。うちには夢があるんじゃけえ」

 膝を抱いたまま座っている彼女の遠くを見つめる瞳に強い光が見えた。

「いつか平和になったら、同じペンギンのフレンズをたくさん集めて・・・・・・歌って踊れるペンギンのアイドルグループを作っちゃろ思うとる。うちらのダンスで大勢のお客さんを笑顔にするんよ!」

 

「その夢、きっと叶えなよ。私も応援する」

 真っ直ぐな瞳で未来を思い描くケープペンギンを見て、思わずこちらも胸が暖かくなる。こういうフレンズが夢を叶えられる世界を作るためにパークのヒトらは戦っているんだと思う。

 Cフォースを離れた時は自分の選択が正しかったのかどうか不安だったけど、今は間違っていなかったと思える。

 

「ところで、アムールトラの夢は何なん?」

 私の返答に笑顔で頷いたケープペンギンが、ふと気付いたようにそんなことを聞いてきた。だが私の中にはそれに即答できるような言葉がなかった。

「私は・・・・・・」

 前にヒグラシ所長にも「戦うことしか出来ない人生を歩むな」と言われたことがあるし、今後の自分の人生をどうしていくかについて考えていないわけでもなかったけど、これといって具体的な展望はまだ見えてこない。

 

______おーーーい!

 

 質問に答えられないで沈黙していると、それを破るような声が後ろから聞こえた。砂浜の向こう側の森の中から2人のフレンズが顔を出す。

 1人はパンサー。均整の取れた橙色の体に黒のまだら模様を散りばめた、トラの私とも姿が良く似ているヒョウのフレンズ。

 もう1人はスプリングボック。茶色と白のしなやかな細見の体。そして頭部に鋭い2本角を持つガゼルに近い見た目をしたウシ科のフレンズ。

 2人ともパークの戦闘要員として、私と一緒に戦ってくれる頼もしい仲間だ。

 

「どうだった?」と、私は2人に向かって神妙な表情で尋ねると、スプリングボックが苦虫を噛み潰したような表情で「特に進展は・・・・・・」と苦々しくつぶやいた。

 

 にわかに辟易するような重苦しい雰囲気がその場に立ち込める。私とスプリングボックはしかめっ面で黙り込み、ケープペンギンはキョトンとした困り顔でおろおろしている。

 そんな中でパンサーだけが早くも気持ちを切り替えた様子で、マイペースな溜め息をひとつ着くと「ま、とりあえず食事にしよ」と私たちに促してきた。

 

 パンサーを先頭にして私たち4人のフレンズは砂浜を後にし、海沿いの森の中へと足を踏み入れていった。

 

 

 森の中にポツリと点在するテントに入ると、パンサーは中に積まれていた段ボールのひとつを持ち上げて私たちの目の前に置き、中を開けた。

 4人のフレンズは段ボールの中に入っていた袋詰めの色鮮やかなパンを手に取りながら、その辺に座りこんで、ため息をかみ殺すように黙々と食事を始めた。

 

 明るい顔が出来ないのも無理はない。

 私たちは今、八方塞がりな状況に置かれている。

 カコさんが率いる少数精鋭が、南アフリカでも最大の都市のひとつケープタウンを目指して、ナマクワランド沖から出発してからすでに数か月が経過していた。

 

 このケープタウンで私たちが達成するべき目的。

 それは都市部のどこかに残されている「スーパーコンピューター」を乗っ取って、Cフォースのデータベースにハッキングをかけて機密情報を入手することだ。

 情報というのは、ヒグラシ所長がパークにもたらした「グレン・ヴェスパーが、すべてのセルリアン従わせる性質を持った”女王”という名の個体を生み出そうとしており、そのために南アフリカ国土にて核実験を行おうとしている」という情報の裏を取ること。

 さらに「核兵器が、いつ、どこで、どのぐらい使われるのか」という詳細な情報を得ることだ。

 

 スーパーコンピューターというのは、普通の端末よりもずっと早く複雑な情報処理が出来る機械なんだそうだけど、何でそれが必要なのかと言うと、鉄壁を誇るCフォースのデータベースにハッキングをかけるのに、通常のコンピューターでは時間がかかり過ぎてしまい、情報に辿り着くまでにハッキングを探知されてアクセスを切られてしまうだろうというのが理由だ。

 

 今回盗もうとしている情報は、Cフォースでもごく限られた人員しか知らない最高機密だ・・・・・・とヒグラシ所長が言っていた。

 彼をもってしても、最高機密レベルの情報に触れることは容易ではない。

 ましてや今の所長は裏切り者。彼が知り得るパスコードの類はすべて削除されてしまっていて、まったくアクセスが出来なくなっていると考えて間違いない。

 そういった様々な可能性を考えた結果、スーパーコンピューターを使って総当たりでハッキングを仕掛け、無尽蔵な情報の中から最高機密を解析し特定するしかない、というのだ。

 

 手に入れた機密情報は、すぐさまネットを通じて世界中に公開すると言っていた。

 情報そのものをファイル化して配布するだけでなく、カコさん自らが顔を出して動画配信という形で直接訴えかけるのだという。そうすることで、世界中の多くの人々が「耳で聞いた」という、決して消すことのできない真実が残るというのだ。

 

 セルリアンの女王を生み出すための核実験が行われる前に、その情報を世界中に知らせることで世論を味方に付け、実験を中止に追い込むことが目的だ。

 グレン・ヴェスパーの独断専行を白日の元に晒すことでCフォースの分裂を促し、彼に反抗しようとする勢力が現れれば、後々パークの仲間に引き入れることも視野に入れている。

 

 ・・・・・・正直、ハッキングだのなんだの、私にとっては意味のわからない言葉ばかりだったけど、ともかく難しいことはカコさんやヒグラシ所長らヒトが全部やってくれる。

 彼らが目的を達成するまでの間、あらゆる危険から守りぬくのが私たちフレンズに課せられた役目だ。

 

 スーパーコンピューターを求めてのケープタウン市街への潜入は、すでに3度も繰り返されていた。

 大規模な工場だったり、かつてはIT企業の本社だった高層ビルの地下深くなど、都市のあちこちにスーパーコンピューターは散財していたが、そのいずれもがすでにセルリアンによって破壊され機能しなくなっていた。

 ああいう機械の動作には電力などのエネルギーが必要であり、エネルギーはセルリアンの食糧でもあるから、考えてみれば当たり前の話だったが。

 

 ひとつのアテが外れたら、撤退する以外の選択肢はなくなる。都市に巣食うセルリアンだったり、もしくは武装勢力の襲撃を受けるリスクを考慮すれば、すぐさま脱出しなければこちらの身が危うくなる。

 そんな具合で、潜入してはすぐに撤退する・・・・・・ということを私たちは繰り返してきた。そして、ケープ半島の海岸線に身を隠しながら、また失敗するやも知れぬ潜入の機会を伺っているというのが現状だ。

 

 カコさん達はここ数日、ドローンという空飛ぶ小型カメラを飛ばして市街の様子を探りながら、次の潜入のプランを立てていた。

 私はヒトの兵士に混じって交代で見張りをしたり、後方にセルリアンや武装勢力が迫っていないか見張りや斥候を行っている毎日・・・・・・それが予想以上に長くなってしまった。

 

 今さらナマクワランドに引き返すわけにもいかない。カコさんが率いていた大規模なキャンプも、難民を避難させるために一時的に集まっていたものであり、一仕事を終えた部下たちはまた散り散りになってしまっているという。

 グレン・ヴェスパーの野望を打ち砕くために、ここから一歩も引くわけにはいかなくなったというのが現状だ。

 アマーラ・・・・・・私の友達になってくれた、あの片腕のない女の子の安否が気になる。何事もなければ、今頃は国連の難民支援チームに連れられてどこかに逃げているはずだけど。

 

 ケープ半島に隠れ住むようになってから、私の身の上にも実に様々な変化が起きた。

 まずは私の名前だけど、最初は”シベリアン”と呼ばれていたけど、今はほとんど誰もが”アムールトラ”と呼ぶようになった。

 私としてはどっちの名前が良いとかは特に意識したこともないが、Cフォースでの登録名ではなく、生まれ育った日本での呼び方を彼らが使ってくれるのは、私のことをパークの仲間として認めてくれた証のように思える。

 

 何よりも大きな変化だったのは、私の体から”オーダー”が除去されたことだ。

 オーダーは人造フレンズがCフォースに都合の悪い行動を取った時に自動的に発動し、肉体を強制的に動けなくさせる一種の洗脳であり、私の場合は”脱走してはいけない”というオーダーに引っかかりそうな状態だった。

 なぜか発動することはなかったが、それは私がCフォースに対して脱走ではなく対立という意志を抱いているからだろう、とヒグラシ所長が教えてくれた。

 

 それでも、いつ顕在化するやも知れない洗脳をずっと体に残しておくのは不味いという話になって、海の向こうから支援物資と共に、オーダーを除去するための機械が届けられた。

 見た目はVRマシーンそのものとしか思えない機械の棺桶に入れられて、かつてと同じように、何となく気分の悪い内容の判然としない夢を一昼夜見せられた。

 目覚めた後で一言「処置は無事に済んだ」とだけ聞かせられたが、正直こちらとしては前と後とで体が変わったという実感は何も湧かなかった。

 

 処置が終わってから、カコさんから神妙な態度である指示を受けた。

「これから先は決して肉を食べてはいけない」と。

フレンズが動物であった頃の食性のまま過ごしていると、本能が強まり過ぎて体に不調をきたす可能性があるのだという。

 今までは何を食べようとも、オーダーというブレーキが強制的に本能を抑制していたので心配はいらなかったが、それが無くなった以上は自分自身で体調を管理する必要があると。だから体に悪い物を入れてはいけないというのだ。

 狩りこそしたことはないものの、トラとして生まれ、ヒトに与えられるがまま肉を食べてきた私に、肉食を禁じられる日が来ようとは思っていなかった。

 

 オーダーの代わりに、食事制限という名の新たなブレーキが課せられることになった。

 それがいま仲間のフレンズたちと一緒に食べている、この派手な色のパンだ。もちろん私だけではなく、パークの庇護を受けるフレンズは全員、このパン以外の物を食べることは基本的に許されていない。

 

 このパンにはフレンズの本能を抑制し、体内のサンドスターの濃度を一定に保つ働きがあると言われている。

 それに加えて、味自体も申し分がないものだった。飽きが来ないように、色ごとに味が異なっている。赤いパンはステーキのような味がしたし、黄色いパンはリンゴやパイナップルのような甘い味がした。

 しかもどんなに空腹でも、このパンを3~4個も食べれば一日動き回れるぐらいにお腹がいっぱいになった。まさに文句の付けどころがない完璧な食べ物だと思う。

 まあ・・・・・・それでも同じ物ばっかり食べてると少し寂しい気持ちになってくる。肉はダメでも、果物や野菜は食べられないものかな? 今度カコさんに聞いてみよう。

 肉以外を食べたがるトラなんて私ぐらいだし、これは本能っていうのとは違うんじゃないか? 

 

「それにしても、Cフォースのフレンズは何でも食べたいものを食べられたというのは本当なのですか?」

「何でもっていうか、肉食の子には肉が出されたし、草食の子は野菜や果物が出されてたよ・・・・・・でもいつも色々違ってて、火が通ってたり、生だったりしてた」

 

 スプリングボックが突然に訪ねてきたのを、私はあらかじめわかっていたかのような口ぶりで返した。顔を突き合わせて食事していると、どうしたってこういう話題が出てきそうなものだ。

 このスプリングボックというフレンズは、白黒の判断がはっきりした直情的な性格をしている。敵には容赦がないが、いったん心を許した相手にはとことん信頼と友情を示してくれる。彼女と一緒にいて、冷たく当たられていた最初の頃とは私に対する態度がまったく違うのがよくわかる。

 

 質問に答えながら、今まで食べた美味しい食べ物のことが頭をよぎった。そして一番思い出に残っている食べ物の姿形が浮かび、思わずそれを口にしていた。 

「そうそう、皆はハンバーガーって知ってる? パンでお肉と野菜を挟んだ食べ物なんだけど、私あれが大好物なんだ。野菜がお肉の味をすごく引き立てていて・・・・・・」

 

「やめてよアムールトラ!」

「・・・・・・え?」

 突如パンサーが不機嫌そうに叫び、和やかな雑談を打ち切った。

 4人の中でも一番冷静で、いつも周囲に気配りを忘れない、私に近い種とは思えないぐらい他人との会話が上手な彼女が、こんな風に突然怒り出すなんて珍しい。

「アタシの前でそんな話しないで! そんな・・・・・・お肉が美味しいだなんて! そのお肉が何で出来ているか考えたことあんの!?」

 

「落ち着きなさいパンサー。私が話題を振ったのが悪いんですよ」

「くっ・・・・・・!」

 

 パンサーはばつが悪そうな顔でそっぽを向き、そのままテントを出て行ってしまった。

 あわてて彼女を追いかけようと立ち上がった私に向かって「聞いてください」とスプリングボックが呼び止めた。

 

「あの子も、動物だった頃は一匹のヒョウとして、草食獣を狩って生活していた。でもそれが今の彼女の負い目になっているのですよ」

「・・・・・・お、負い目って?」

 

「あの子には夢があるんです」

 パンサーの相棒として付き合いが長いスプリングボックが告げる。

いつか平和が訪れた時、世界中を旅して回り、各地にいる色んなフレンズと友達になりたい・・・・・・パンサーはそんなことを常日頃から言っているのだという。

 

「うちもそれ知ってる。うちがフレンズになった時、最初に世話してくれたのはあの子だったんよ・・・・・・うちが浜辺で1人で泣いてた時に、パンサーがやってきて、パークに誘ってくれたんじゃ。あん時あの子が「友達になって一緒に生きよう」って言ってくれた時はぶち嬉しかったわ」

 

 パンサーは世界中の肉食獣と草食獣と、さらには陸や海や空、さまざまな場所に住むフレンズと分け隔てなく友達になりたいというのだ。それが彼女の夢。

 そんなあの子にとって、友達になりたいと思っている相手を獲物として狩っていた過去は、思い出したくないことなんだ。

 

 そうとも知らず、彼女の前でずいぶん無神経なことを言ってしまった。

 私は今まで、食べ物といえばヒトから与えられるのが当たり前だったから、そこら辺のデリカシーが欠けていたんだ。

 

「気にしなくてもいいのに」

 スプリングボックが、大したことじゃないと言わんばかりに寂しそうににそう呟いた。

「肉食獣が生きるために肉を食べることは悪いことでも何でもない。当たり前のことなんです。それを責めたりする草食獣はいませんよ。まあ、確かに自分が食べられたくはないけれど」

 

「そうやよ、うちだって魚食べたいの我慢しとるんやけん、仕方なかよ」とケープペンギンが明るい声でフォローを入れると、スプリングボックはそれに優しく頷く。

「こういう特別な物を食べて生きている私たちフレンズの方こそ、生き物の常識から外れた存在なのかも知れません」

 

 ・・・・・・確かに、この派手な色のパンは、元肉食だろうと草食だろうとお構いなしに、あらゆるフレンズが美味しく食べることが出来る。それってものすごいことなんだ。

 いつかこのパンを食べることが当たり前の時代が来たら、肉食や草食っていう垣根がなくなって、両者が何のしがらみもなく暮らせるようになる。

 パンサーの夢は、この奇跡の食べ物の存在が前提に成り立つんだ。

 

「あの子と私は、いずれ別れることになるんでしょうね」

 親友の夢を明かしたスプリングボックが、今度は自分の夢を打ち明けた。それはいかにも彼女らしい、改めて言われなくても察することが容易な内容だった。 

「私は一生をかけてこの南アフリカを、我が愛する故郷を守り続けるつもりです。ここを離れることはありえません」

 

 聞いた話によれば、彼女の種族であるスプリングボックは、南アフリカのシンボル的な動物として昔から愛されてきたらしい。彼女と同じ名前の街があるのは知っていたが、他にもスポーツチームだったり、色んな団体の名前に使われているそうだ。

 自分が受けてきた愛を返そうという意図があるのかどうか知らないが、彼女は生まれ故郷への強い愛着を本能レベルで持っている。

 故郷に人生を捧げる。それが彼女の生き方であり、夢なんだ。

 

 

 食事を終えたら今度は私が見張り番をすることになった。銃を持った味方の黒人兵士たちが夜も白む森の中を巡回している。私はそこから少し離れた場所で、高い木に登って辺りの様子を伺っていた。

______カツン、カツン・・・・・・

 私の背後に、不規則なリズムを刻む足音が近づいてくるのを感じる。この独特の足音の主の姿を、気配を探るまでもなく、耳で聞いた瞬間に思い浮かべることができる。

「出歩いてていいの?」と、木の真下まで近づいてきた足音の主を見下ろしながら声をかけた。

 

「パソコンと向き合ってばかりいたら息が詰まってしまうよ」

 足音の主、ヒグラシ所長が悪びれもせずに私を見上げてそう告げる。

 彼はカコさんらと一緒にドローンの遠隔操作や、得られた映像の情報解析を行っていたのだが、どうにも疲れたので自主的に休憩を取っているというのだ。

 私の知る限りひ弱な彼だったが、何か月も今の生活を続けていたせいか、それなりに逞しい印象になり、物言いにも若干ラフさが感じられるようになった。

 

「少し話でもしないか?」

「急にどうしたの? まあいいけど」

 私は所長の誘いに応じて木の上から飛び降りて、彼の隣に立った。

 かつて地雷で右足を失ったはずのヒグラシ所長が、何事もなかったように二本足で立っている。

 

 彼の失われた右膝から下には義足が取り付けられている。

 それもただの義足ではなく、筋電義足という機械仕掛けの足で、走ることは難しいが、身の回りの一通りの動作は行えるらしい。

 カコさんが無償で所長に提供してくれたものだ。所長が元通り歩けるようになると聞いた時は本当に嬉しかった。

 アマーラの片腕にもこういう物を付けてあげられないのか、とカコさんに聞いたことがあるが、彼女はこれからまだ体が大きくなる子供で、成長に応じた義手を用意し続けるのは大変なことなのだそうだ。さらに彼女は片腕だけで器用に生活をこなせているので、無理に義手を付けて現状を変えさせることもない、とのことだった。

 

「まったく参ったよ・・・・・・こんなに進展がないとは」

 所長はびっこを引いて歩きだすと、近くにあった切り株に座って深いため息を付いた。開口一番に私に愚痴を吐きたくなるぐらいにストレスや疲労を抱えているんだろう。まあそれはここにいる皆が同じだけど。

「どうだ、君や仲間たちはくじけずにやれているか?」

 

「パンサーたちのことは心配いらないよ。なんたってあの子たちには大事な夢があるんだ」

「ほう」

 所長が私の話に興味を持ったように疲れた顔を持ち上げて一瞥を向ける。

 

「どんなに辛くても、みんな自分が叶えたい夢のために頑張ってる。所長が前に言ってた”希望”って、夢を持つことだったんだね」

「・・・・・・ひとくちに言うことは難しいが、それで殆ど正解だと思う」

 

 所長やカコさんが作ろうとしている世界に思いを馳せてみる。

 カコさんが思い描いている計画は、パークとCフォースの軍閥とで同盟を結び、パークが設計した対セルリアン兵器を、Cフォースの資金力で大量生産することで、ヒトの兵力だけでセルリアンと戦える組織を作り上げるというものだ。

 それが成功すればフレンズがセルリアンと戦う必要はもうなくなる。

 

 私も生き残ることが出来れば、いずれ戦いから解放されて、自分だけの人生を生きることになる。そんな時に、やりたい夢や目標が見つかっていなかったら、他のフレンズたちから置いてけぼりをくらってしまうような気がした。

 

「アムールトラ、君にも夢が出来たか?」 

「それがまだわからなくて・・・・・・でも、私はみんなの夢を守りたい。それが大事なものだってわかるから」

「多分それが君の夢なんだな」

 

 ヒグラシ所長の疲れた顔が俯きながらしんみりと笑いながらそう言う。目を合わせていなくても、見慣れた親しさがその瞳に宿っている。

 

「他人の力になる事こそが君の生き甲斐なんだ。そうして皆から感謝される・・・・・・実に君らしい生き方じゃないか」

「夢ってそんなものでもいいの? なんか、自分って物がないような気がするけど」

「関係ない。要はそれで生活が回れば良いんだ。つまり自分がしたことに対して収入を得るということだ。世の中には仕事なんて無数にあるぞ」

「たとえば?」

「そうだな・・・・・・君だったら、その空手の腕を活かして、道場でも開くというのどうだ?」

 

 所長が突拍子もないことを大真面目に語り始めたが、全然理解が追いつかない。

 この私がヒトと同じように仕事をして、お金をもらって生きるだなんて。

 空手道場か・・・・・・確かに私がゲンシ師匠から学んだ空手の技や精神は、金を払ってでも学ぶ価値は間違いなくあるし、それに魅力を感じるヒトさえ集まれば、道場っていうのがやれないこともないかもしれない。

 道場の運営やら何やらも全部私自身でやって生活を成り立たせれば、それが私の人生ということになる。

 

「・・・・・・やっぱりダメだよ」

 

 所長の提案を聞いて一瞬明るい気持ちになったが、すぐにそれを打ち消す考えが頭を過ぎり、思考を固めてしまった。

「私は師匠の空手を完全には継げていないんだ。不完全なものを誰かに教えたりしたら師匠に申し訳ない。それに私の体からは放射線が出てるし、ヒトなんか寄ってこないよ」

 

「前者の言い分は分かるが、後者はどうかと思うが?」

 暗い顔でお断りの意志を示した私を、所長はなおも食い気味に詰め寄ってくる。今の彼からは暑苦しさと言っていいような情熱が感じられて、思わず呆気に取られてしまう。

「アムールトラ、ここでパークのメンバーと何か月も暮らしてて、彼らから体のことで差別されたことがあったか?」

 

「いや、それはないけど」

「パークの人間たちはフレンズの体のことは気にしていない。これは事実だ。考えてもみたまえ、ここは南アフリカなんだぞ?」

 

 南アフリカは、もともと抱えていた貧困や治安の悪化という問題にくわえて、今はセルリアン災害による社会情勢の混乱という様々な問題に見舞われている国だ。

 簡単にいえば、いつどこで命を落としても不思議ではないという環境であること。そこに住む人々は死なないために周囲の危機に常に気を配っている。

 

 だからフレンズの体から出る放射線なんかいちいち気にしないと言うのだ。フレンズの体から出ている放射線の線量は「人体への悪影響があるともないとも言い切れない微妙な値」であると前に聞いたけど・・・・・・確かにそれなら納得できる。

 

 私が生まれ育った日本だったら、私の体は多分避けられてしまうけど、この南アフリカみたいな場所ならそうでもないのか。

 こんな私でも、ヒトに混じって生きていける可能性があるのかな。

 

「アムールトラ、君はまず世の中のことをもっと知る必要がある。生き方を決めるのはその後だっていい。どうだろう、僕にその手伝いをさせてくれないか」

「え?」

 

 ヒグラシ所長の瞳がにわかに生き生きとし始めた。

 彼にも新しい夢があるという。フレンズが自由に生きていける世界を作った後、フレンズが各々やりたいことを支援する仕事を始めたいというのだ。

 フレンズがヒトに混じって生きていくなら読み書きも出来た方がいいし、より専門的な教育も受けられる場所があって然るべきだと。

 

「なんだか所長らしいね」

 彼は今までCフォース日本支部の所長としてフレンズを兵器に仕立て上げる立場だった。

 冷酷な訓練を課してフレンズを鍛え上げることが彼の仕事だったけれど、それをずっと苦に思っていたからこそCフォースを裏切ったんだ。

 フレンズの支援と教育は、彼が望まぬ道を歩む中で見つけた、本当に自分自身がやりたいことなんだと思った。

(・・・・・・もう一度所長の下でやっかいになるのも悪くないな)

 

call.call

 和やかな会話を打ち切るようにして、所長の胸元にある端末が甲高い音を立てた。それを聞いて、近くを歩いていた兵士たちが驚いたように視線を向けてくる。

 

「どうしたの?」

「カコ君からの連絡だ。何か動きがあったようだ」

 

 

 巨木の根本に空いている天然の洞窟の中、いくつもの機材がひしめき合う狭い空間に、十数名の兵士が集まっている。

 ここはパークのゲリラ達のアジトのひとつだ。ケープ半島の海岸線沿いに広がる密林の中を、いくつかの拠点ごとに分散して滞在している。最初の頃に比べると、アジトの人員もずいぶん増えた、最初は少数精鋭だったけど、追加で何人も船に乗ってやってきたんだ。

 

 集まった兵士たちが地面に座り込みながら輪を作り、ある一点を見上げていた。その中に、私とヒグラシ所長も混じるように足を踏み入れた。

 

 人だかりの視線の先に、宙に浮く奇妙な物体があった。

 ここに来てはや数か月、もちろん私もその物体を見るのは初めてじゃない。

 あれはCフォースがフレンズに指示を出すのに使っていた黒い球体”ナビゲーションユニット”を、パークの技術で再現した、いわばナビゲーションユニットのコピー品と言うべき物体だ。

 

 遠隔操作で空中を自在に移動し、ヒトにもフレンズにも指示を出せるナビゲーションユニットがあれば便利に決まっているので、パークでも採用したというわけだが、Cフォースのユニットとの誤認を避けるために、その見た目はオリジナルとまったく別物になっている。

 その丸い胴体は派手な青色に塗装され、円錐形の耳と尻尾みたいな突起物が取り付けられている。さらに目を引くのは、胴体に外盛りで付けられた楕円形のふたつのセンサーが、まるで生き物の瞳みたいに見えることだ。

 ・・・・・・私としては、こっちの見た目の方が断然好きだ。何といっても”目”が二つあるというのが、普通の生き物に近い親しみやすさを醸し出している。オリジナルの黒い球体は、パッと見セルリアンと見間違えてしまうぐらい無機質で気味が悪かったもの。

 

≪ただいまよりブリーフィングを始めます≫

 

 青いナビゲーションユニットから投射された光の中、緑がかった艶やかな黒髪の間にあるカコさんの整った顔が映し出される。誰もが疲弊し切っている状況下で、彼女の態度は鋼のように冷たく強靭だ。それが頼もしくもあり、並のヒトとは桁が違うという距離感も感じさせる。

 

≪つい先刻、新たなスーパーコンピューターの所在がわかりました。ケープタウンへの潜入作戦を新たに開始したいと思っています≫

 カコさんが私にもわかる言葉で告げる。実際はアフリカの言葉を話しているのだろうけど、ナビゲーションユニットを通しているために、フレンズに理解できるように変換されているのだ。

 

≪ドローンの映像を映します≫

 青いナビゲーションユニットから投影されるカコさんの姿が右にスライドし、左側に新たな映像が映し出される。

 そこにあったのは、広陵とした高い山に囲まれるようにして存在する古めかしい建物だった。赤レンガの三角形の屋根を立派な大理石の柱で支えた無数の館を、同じように大理石が立ち並ぶ石畳の廊下が繋いでいる。まるで古代の宮殿のように優雅で重厚な建物だ。

 ・・・・・・これはどういう場所なんだ? こんな古そうな建物のどこにスーパーコンピューターなんかが? 周りも都心部と離れた緑豊かな郊外って感じだ。

 

≪ここはケープタウン大学です。南アフリカでも有数の設備を誇るこの大学の校舎内には、学生や教授が研究に使用していたと思われるスーパーコンピューターが存在しています。それを使ってCフォースへのハッキングを仕掛けます≫

 

 淡々と語るカコさんの声に、黒人兵士たちは溜息を付いたり、荒っぽい声で文句を投げつけたりしていた。

 言葉はわからなくても、彼らの気持ちが伝わってくる。3度にわたる失敗を経て、彼らの士気はとことんまで下がってしまっている。私だって気持ちは同じだ。3回も失敗したようなものが4回目に上手くいくなんて思えない。

 

≪ケープタウン大学は、前回までの目的地に比べて、比較的都市部から離れた場所にあり、スーパーコンピューターの所在も校舎内の地下深くに確認されています。つまり、セルリアンからの被害を受けている可能性が低い・・・・・・現状考えられる中で、ここが最後のアテになります≫

 

 最後、と聞いて兵士たちが目を白黒とさせる。カコさんは一旦沈黙し、彼らの呼吸を読んだかのように間を取ってから再び話始めた。

 

≪成否に関わらず、今回の作戦をもって私たちはケープタウンから撤退します。現在、私たちの友軍である”モザンビークの長老”が率いる部隊が、ナミビアとの国境線付近に集まりつつあります。彼らと合流し、一旦体勢を立て直す手筈です≫

 

≪・・・・・・ですが≫

 その言葉に明らかに安堵した表情になる兵士もいたが、カコさんはすかさず付け加えた。

 

≪今回の作戦を成功させなければ、グレン・ヴェスパーが行おうとしている核実験を阻止することが恐らく出来なくなる・・・・・・泣いても笑っても、これが運命の分かれ目になります。ギリギリのところで頑張ってくれているみんなには、本当に感謝しています。ですが、どうかもう一度だけ力を貸してください≫

 

 カコさんが言葉を言い切った後、しばらくの間重苦しい沈黙が流れる。私はその様子を見て不安になった。

 彼女はいつだって、部下に対して「~してください」とお願いをするような口調しか使わない。命令口調というものを嫌っているヒトだ。

 彼女と兵士たちを繋ぐのは上下関係ではなく、ただ信頼関係があるのみ・・・・・・彼らがカコさんの言葉を拒否すれば、それを止めることは出来ないのだ。

 

「Doen.」

 やがて苦虫を噛み潰したような表情の兵士の一人がゆっくりと立ち上がると、周りを鼓舞するように静かに声を上げた。

「Werk hard ja!」

 それに呼応するように、それぞれの瞳の中に静かな覚悟が宿り、口々に言葉を発してお互いを励ましはじめた。

 

「大丈夫。みんな気持ちは一緒だ」

 ヒグラシ所長に言われるまでもなく、兵士たちのそれぞれの悲壮な覚悟が伝わってくる。ここにいる誰もが、この最後のチャンスに命を懸ける覚悟を持っている。

 

≪ありがとう。本当にありがとう・・・・・・≫

 カコさんが画面越しに兵士たち一人一人の熱く激しい気概を感じ取るように、一心に頭を下げていた。彼女の華奢な体が、責任と重圧に押しつぶされてしまうんじゃないかと思えた。

 それでも彼女は自身に伸しかかる重みを跳ね除けるように再び背筋をピンと伸ばし、画面越しに凛とした視線を仲間たちに向けた。

 覚悟を決めた兵士たちが一斉に息を飲み、彼女の言葉を待ち受ける。

 

≪作戦の開始は20時間後。それまでに準備を完了してください≫

 

 

 カコさんが指定した時刻が刻一刻と迫ってきている。

 一度登った太陽が再び沈み、歴史ある雄大な喜望峰を闇に染めていく。そんな中、兵士たちは大急ぎで荷物をまとめて、波打ち際に浮かぶ船舶に積み込んでいる。

 

 作戦が成功しようがしまいが、ここで隠れ住む生活は今日で終わりだ。作戦が終われば再び南大西洋に出て、ナマクワランド方面に向かって北上することになる。

 今から私たちは2つの班に分かれる。

 

 まずは作戦の実行部隊。少数精鋭で夜の闇に紛れてケープタウン大学に潜入し、手筈通りに機密情報を入手したらすぐにここに戻ってくる。

 もう片方の後方待機組は、辺りを警戒しながら船舶を発進できる状態に保ち、実行部隊がいつ戻ってきてもすぐに脱出できるように退路を確保するのが役目だ。

 

「アムールトラ・・・・・・」

 ヒグラシ所長が私の肩の上に手を置きながら、何とも言えない辛そうな表情で見つめてくる。足の不自由な彼は、当然のこと実行部隊に入ることはなく、後方待機組と行動を共にすることになったのだ。

 沈黙する瞳の中から、私を案ずる気持ちや、待つことしか出来ないことへの申し訳なさが伝わってくるようだ。

 私はただ黙って頷き、心配しないで、と目線で答えた。

 

「後ろの守りはうちに任せたって!」

「わっ!?」

 私の背中を叩きながら呼びかけてくる明るい声。振り返るとケープペンギンがそこにいた。

 

 私たち4人のフレンズの中で、彼女だけが唯一後方待機組に残ることになった。

 彼女もフレンズである以上、それなりには戦えるのだろうけど、そもそも戦いが本業ではない生活を送ってきた子であり、その力量は私やパンサーたちとは比べるまでもない。

 確かにこの喜望峰で待機するだけなら、セルリアンや武装集団に襲われる可能性は低いし、いざとなればパークの兵士たちには応戦できる備えはあるが、やはり心配になってしまう。

 

「このオッちゃんのことも守ったるけえ、バシッと決めてきんさいや~!」

「ははは・・・・・・君に命を預けるぞ、ケープペンギン」

 それでも陽気にカラカラと笑う彼女を見ていると、理屈抜きで気持ちが楽になってくる。

 この子は他人の気持ちを明るくさせる一種の才能でもあるのかな。だとしたら彼女が抱いている夢は、これ以上ない程の天職のように思える。

 

「・・・・・・さあアムールトラ、そろそろ出発します。ヘリに乗ってください」

 砂浜の上に、今にも飛び立たんとする勇姿を見せつける一機のヘリコプターが鎮座している。

 このヘリコプターは、作戦を行うにあたって、幾つかに分割された部品を船で密輸し、それを一から組み立て直すことで秘密裏に持ち込んだ機体だ。

 

 ヘリのハッチの中から顔を出して私に声をかけるカコさんは、見慣れた白衣姿から、周囲の兵士と変わりない野戦服へと着替えていた。

 肩にはSSアモを発射するショットガンをぶら下げ、胴体に身に着けたベストには弾薬や護身用の拳銃、通信機など、必要なありとあらゆる物を取り付けている。

 

 カコさんは今回も当然のように前線に赴こうとしている。パークの指導者であり、何かあったら替えが効かない立場なのにも関わらずだ。

 彼女のそんな徹底した現場主義のことを周りの部下は承知していたし、私も短い付き合いの中で知っていたので、今さら反対の声は上がらなかった。

 

 カコさんいわく「現場には空気がある」とのことだ。その空気の流れを読んで、瞬間瞬間に最良の判断を下すことこそが、リーダーである自分の役割であると彼女は言う。

 後方にいたら現場の空気を感じられず、判断に遅れが生じてしまう。だから何が何でも前線に出て行かなければならないのだ、と。

 なんでも、カコさんの現場主義のポリシーは、今は亡き彼女の父にして、パークの創始者である”遠坂重三”さんから受け継いだものらしい。

 

「行ってくるよ」

 ヒグラシ所長とケープペンギンに向かって今一度頭を下げてから、ヘリコプターの貨物室の中に入っていった。

 カコさんや緊張した面持ちの側近の兵士たち、それにスプリングボックの視線が私を捉える。実行部隊のメンバーは本当に少数精鋭だ。人員も必要な機材も、ヘリ一機に何とか詰め込めるほどだった。

 

「あ・・・・・・」

 その中にいたパンサーと目があった。

 彼女もまた実行部隊の1人としてヘリに乗り込んでいる。貨物室の壁面に革張りになった座席に、兵士たちに混じって座っていた。

 

「あ、あの、アムールトラ、昨日はゴメンね。アタシ、アンタに酷いことを言っちゃった。まるで肉食獣が悪者みたいな・・・・・・でも違うの。あんなこと言うつもりじゃなかった」

 

 気まずさを避けるように私から目を逸らしながら、それでも彼女は不器用な謝罪の言葉を続けた。彼女自身うまく言葉には出来ていないけれど、本当に申し訳ないと思っている気持ちが伝わってくる。

 

 スプリングボックが教えてくれた通り、確かにパンサーは、自身が肉食獣に生まれた事へのコンプレックスのような感情を抱えているようだ。

 草食の友人たちへの想いが募れば募るほど、自分の過去を責めたくなる気持ちに苛まれている・・・・・・でも、一方でそんなことを考えてしまう自分にも嫌気が指しているんだ。肉食獣とも草食獣とも仲良くすることが彼女の夢なんだから。

 彼女は自分の中で生まれた矛盾に苦しんでいる。

 

 パンサーにどんな言葉を返せばいいのかわからない。

 野生を知らずに育った私なんかじゃ、何を言ったところで、薄っぺらい同情にしかならないような気がする。

 それでも、一つだけ言えることがあるとするならば。

 

「・・・・・・一緒に頑張ろう」

 私はやっとそれだけ言うと、足りない言葉を付け加えるようにして、頭を垂れるパンサーの前に立ち、手のひらを差し出して握手を求めた。

「この作戦を成功させて、フレンズもヒトも、みんなが夢を叶えられる世界を作ろうよ」

 

 泣きそうな顔をおずおずと上げたパンサーが、静かに私の手を取った。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
鳥綱・ペンギン目・ペンギン科・ケープペンギン属
「ケープペンギン」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:52歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章2 「ふぉーるだうん」

 無数の星々が輝き、その中心には満月がたたずむ雲一つない空。

 私たちを乗せたヘリコプターが、ケープタウンの都市部上空を飛んでいる。

 いやに明るい夜だ。どんなに高い所を飛ぼうとも、機体の姿がくっきりと浮かび上がってしまっているんだろう。

 

 眼下に広がる廃墟の都市には無数のセルリアンが蠢いているだろうし、荒れ果てた大地に生きる武装集団がどこかで目を光らせているかもしれない。私たちはそのいずれにも見つかってはならない・・・・・・そう考えると、この天候の良さが憎らしいとさえ思う。

 ヘリのローター音だけが甲高く鳴り響くなか、私たちはキャビンの窓から入り込んでくる夜空の光を避けるように息を殺している。

 

 外の様子が気になったので、少しだけ顔を窓枠に寄せて景色を眺めてみる。

セルリアンによって電気が食らいつくされて一切の明かりが灯らなくなった暗闇の街の中でも、夜目が効くネコ科の私の目ならば、この星明りだけで十分よく見える。

 

 窓から見える、立ち並ぶビルの密度はまだまだ薄れることを知らないが、ずっと向こうの方には雲に届きそうなぐらいの高さの山々が連なっている。

 中でも一番高い山は、まるで広野がそのまま天へと隆起しているのかと思うぐらいに、山肌が水平に切り立っている・・・・・・あの山の名前は「テーブル・マウンテン」。 

 なるほど、まさに名は体を表すって言ったところか。

 

 あのテーブル・マウンテンの麓に、今回の作戦における目的地であるケープタウン大学がある。敷地内の地下深くに隠されたスーパーコンピューターを求めて私たちはそこに向かっている。

 今宵がグレン・ヴェスパーの企みを阻止するための最後のチャンスだ。

 カコさんは、自身が擁する中でも精鋭中の精鋭を選び抜き、最後の賭けに出ようとしている。

 

 狭いキャビン内に備え付けられた、左右のドアに向かい合うようにして内側に並んでいる座席は、ドアガンのガンポートも含めて合計10席。

 その中にわずか8名の精鋭が並んで乗り込んでいる。

 まずはパンサーとスプリングボック、そして私・・・・・・それぞれが一騎当千の戦力とみなされている戦闘経験が豊富なフレンズが3名。

 

 そしてカコさんの側近を勤める”チームジョーカー”と呼ばれる優秀な部下が5名。

 カコさんの護衛である、南アフリカの少数民族ツワナ族出身の屈強な双子の巨漢バズ・チャラとギル・チャラ。

 元アメリカ海兵隊所属であり、今は金でどんな仕事も請け負うといわれる雇われの白人スナイパーのカイル。

 サブリーダーにして、英語、フランス語など世界の主要な6言語や日本語にも精通するナビゲーターでもある女傑シガニー。

 ・・・・・・最後に、この作戦の鍵を握ると言われている男が1人。

 

「テンテテン、テンテテン♪ テンテテン、テンテテン♪」

 派手な黄色いアロハシャツに膝丈のジーンズというラフな衣装に、レゲエミュージシャンのそれのように、落ち着きなく揺れる編み込まれた細長い長髪。そして極め付けに、おふざけとしか思えないハート形のサングラスを掛けている。

 ・・・・・・まったく周囲と装いを合わせる気がない30そこそこの派手な見た目のその男は、仲間たちが息を飲んで戦いに臨もうとしているのもどこ吹く風で、耳にヘッドホンを付けて何ごとか口ずさみながら手指を空中で細かく上下させている。

 ヘッドホンから、甲高いピアノの音が少し漏れている。男は音楽を聴きながら、ピアノを演奏する真似をして遊んでいるように見える。

 そんな意味不明な行動を、他の仲間たちは咎めることもなく、ただ黙殺している。まるでこれが当たり前だとでもいわんばかりだ。

 

「・・・・・・な、何やってるんだい”ウィザード”?」

 私と同じ側の一番後部に座っている派手な見た目のその男に、以前から知っている名前を口にしながら尋ねた。

 魔術師(ウィザード)・・・・・・それは単なる仇名だ。端末ひとつあれば、いかなるセキリュティも瞬時に突破してしまう伝説的なハッカーであることからそんな名が付いたらしい。

 アフリカのどこか出身の黒人であること以外、本名や経歴は誰にも明かしていない。

 その昔、表社会で取り返しの付かない失敗をして本名を名乗れなくなったらしく、食いぶちを求めてパークに接触してきたらしい。

 何から何まで胡散臭い、しかしハッキングの腕前は表社会、裏社会の両サイドにおいて勝てる者がいない、というのが彼の評判らしいのだが、はたして・・・・・・

 

「アウチッ! アムールトラ、練習の邪魔しないでヨ!」

 ウィザードは、話しかけてきた私を不機嫌そうに睨むと、英語交じりの片言の日本語でたしなめてきた。

 ふざけていたのかと思いきや意外にも大真面目な態度だ。

 彼もまた日本語がわかるので、私とも直接会話することが出来る。

 何でも日本のアニメや漫画が好きで、日本人とネット上で口論をするのが趣味なんだとか。

 

「ご、ごめん。でもなんで今ピアノの練習を?」

「ノー、これはね、ハッキングのイメージトレーニングなんだヨ。一仕事する前の準備運動ってやつヨ」

「よくわからないんだけど」

「ユーにわかりやすく言うと、カラーテの”フォームトレーニング”と一緒ヨ」

 

 彼に言わせれば、ハッキングというのは、楽器の演奏とほぼ同じようなものらしい。

 正しい知識さえ身に着けていれば、特別な発想とかがいるわけではなく、決まりきった手順を寸分の狂いなくなぞるだけ。

 しかしひとつひとつの手順の完成度をどこまでも高めていかなければ、一流の領域には辿り着けないという。

 ・・・・・・なるほど、だったら確かに空手の型の考え方と同じだ。型というのは、ひとつひとつの動きを分解して、動きの意味を自分なりに解釈することが求められる。空手家が百人いれば百通りの解釈がある。

 それぞれの解釈に基づいて、己が理想とする完成系を探っていくんだ。その道に終わりはない。

 

「もーウ、ユーに邪魔されてイメトレが台無しヨ? せっかくショパンの名曲を弾いてたのに・・・・・・気を取り直してドビュッシーでも演ろうかなァ」

 

「ウィザード、イメトレはもうその辺にしておいてくれませんか?」

 カコさんの声が操縦席の方から聞こえた。キャビン内で騒いでいるウィザードに、いつも通りのやんわりとした口調で注意を促している。

「間もなく目的地に着きます。着陸の準備にかかってください」

 

 驚いたことに、このヘリコプターを操縦しているのはカコさんだ。

 私の座席はガンポートのすぐ後ろなので、そこに座って機関銃を外に向けて構えているチャラ兄弟の体ごしに、ヘリを操縦している彼女の姿が良く見える。

 右手に操縦桿を、左手に出力桿を握り、それらを手慣れた様子で別々に動かしてヘリを自在に操っている。隣の副操縦士席では、補佐役のシガニーが計器類を絶えず細かく弄って操縦をサポートしている。

 

 ヘリを操縦する技能を持った兵士は、他にも何人かいるらしい。

 だがカコさんは、自分こそが仲間の中で一番ヘリの操縦が上手いと豪語している。だから自分が操縦するのが道理だと言うのだ。

 聞いた話では、カコさんはヘリコプターだけでなく、小型の軽飛行機や、オートジャイロとかいう簡易プロペラ機など、複数の航空機を操縦することが出来るらしい。

 

「どうしてそういう技術を覚えたんですか? やっぱり、パークの活動に必要だから?」

「いえ、これは単に私の趣味なの」

 

 ヘリを操縦しながら、カコさんが独り言ちるように私の質問に答えた。

 幼い頃、カコさんは「宇宙飛行士」っていうのになりたかったんだとか。スペースシャトルに乗って宇宙に飛び出すことを十台半ばぐらいまで夢見ていたと。

 しかし、パークの創始者の娘として生まれた運命がそれを許さなかった。運命に従って父の後を継いだものの、スペースシャトルを操縦してみたいという欲求が抑えられず、それを発散させる捌け口として、暇さえあれば他の色んな飛行機の運転にのめり込む”飛行オタク”になったらしい。

 それが結果としてパークの活動にもプラスになっているだけとのことだ。

 

「そういうことだったんですね・・・・・・」

「ふふ、昔話はこの辺にしておきましょうか」

 

______カチャ、カチャ・・・・・・

 ガンポートにいるチャラ兄弟たちや、私とは反対側に座っているカイルが、手にした銃を点検して動作を確認してみたり、弾薬の数を確認したり、ベルトの留め具合を直したりと思い思いの準備にあたっている。

 ウィザードもそれに倣って、膝下に置いた自身の唯一の荷物であるリュックサックにヘッドホンをしまってから神妙な顔で姿勢を正し「もう準備万端ヨ、ボス」とおどけたようにカコさんに返事をした。

 

 五体で戦うだけの私たちフレンズには、特に荷物はない。

 耳の穴に、いつも通り小型の通信機を嵌めているぐらいだ。

 

「ねえ、あの建物だよね、アムールトラ」

 私の隣にいるパンサーが、窓の外を指さしながら私に声をかけてきた。言われるがまま下の様子を眺めると、映像で見たままのケープタウン大学の外観が遠くに見えてくる。

 

 都市部とは数本の道路で繋がっているだけのテーブル・マウンテンの麓、辺りにはちらほらとしか建造物が存在しない森の中、月明かりにぼんやりと照らしだされる古めかしい洋館が数十軒も密集して立ち並んでいる。

 目を凝らして見れば、電線が張り巡らされていたり、近代的な鉄筋コンクリートのビルも混ざっていたりと、見慣れた現代の建物であることは一目瞭然だったけど。

 

 もちろんだけどヒトの気配は一切ない。だからといってセルリアンに侵入され破壊されたような痕跡も見受けられない。

 ある日突然に誰もがいなくなり、そのまま何者も立ち入らずに時間だけが過ぎたような風情を感じさせる。一言でいうならば、完全な廃墟だ・・・・・・セルリアンで溢れかえる見慣れた戦場とは程遠いとはいえ、その静寂がかえって不安を煽る。

 月明かりに怪しく照らし出されていることも相まって、まるでお化け屋敷みたいな、一度入ったら抜け出せなくなる迷宮のような、底知れぬ不気味さを醸し出している。

 

 こうして外観を遠くから一目しただけでは、内部の広さがどれほどのものか推し測るのは難しい。これから先、どれほどの危機が待ち受けているのだろう。

 優秀なメンバーが揃っているとはいえ、この少人数でスーパーコンピューターに辿り着き目的を達成できるのだろうか・・・・・・

 

「上手くいくかな?」と、私の気持ちを代弁してくれるかのようにパンサーが告げた。

 拭い去りがたい不安と一緒に、真っ直ぐな信頼の瞳をこちらに向けてくれている。

 昨日までの私とのわだかまりがすっかり解けた様子だ。

 

「いつも通り全力を出すだけです」

 私がパンサーに返事を返す前に、目前に迫る戦いに意気込むスプリングボックが、外の景色を見つめながら言葉を挟んだ。

 彼女の目には、薄緑色に光る機械仕掛けのサングラスが付けられている。

「スプリングボック、目の調子はどう?」

「気味が悪いくらい良く見えます。これなら昼間と変わりはない」

 ウシやシカの仲間であるスプリングボックは、ネコ科の私たちと違って暗闇での視界が効かない。それを補うため、今回の作戦では、彼女はヒトと同様に「暗視装置」と呼ばれる装備を身に着けているんだ。

 そのために表情は良くわからないのだけれど、私やパンサーとは違って、いつも通り彼女には不安も迷いも一切ないことだけは伝わってくる。

 

「頼りにしてるんだからね。アムールトラ」

「出会った頃はともかく、今は貴様がいてくれて本当に良かったと思います」

「パンサー、スプリングボック・・・・・・私もだよ。みんなでがんばろう」

 

 誰もが準備を終え、後は着陸を待つのみとなった。窓の向こうに、ケープタウン大学がどんどん近くに迫ってくる。

 狭いキャビンの中に、息を殺すような緊迫感が立ち込めていく。

 

「Ha ouens.」

 突如、副操縦士席に座るシガニーが、カコさんよりもやや野太い声で私たちに語りかけ始めた。

 それと同時にキャビンの天井に仮説された立体プロジェクターが光を放ち、左右のドアに立体映像を投影する。

 操縦で手が離せないカコさんの代わりに、作戦前の最終確認としてブリーフィングを行おうということらしい。私にはわからない言葉だけど、同じ内容を事前にカコさんから聞かされているから問題はない。

 

 立体映像は二つに分割されている。ケープタウン大学内の見取り図と、目的地である建物の外観だ。周りの他の建物よりも明らかに近代的な、むしろ未来的な印象さえ与える、曲線を描く銀色の円柱形のビルが映っている。

 

 事前に聞かされた話では、あれは「メディカルタワー」という、医学を研究するための建物だ。

 ケープタウン大学は、アフリカ大陸中でも最も医学に力を入れていた大学だったらしい。先進国と比べ、アフリカの国々は医療従事者の数が圧倒的に足りていないため、1人でも多くの医師や研究者を育てて、疫病に苦しむヒトの命を救おうとしていたのだと。

 あのタワーの地下深くに、お目当てのスーパーコンピューターがある。

 さまざまな疫病に対するワクチンや、癌などの細胞疾患に対する治療薬を開発するための研究を助けるために使われていたとのことだ。

 

 ヘリの着陸地点はメディカルタワーの間近だ。最短距離、最短時間で目的を達するためには余計な移動に手間を取られるわけにはいかない。

 見取り図によれば、ヘリが一機降りれそうなぐらいの空間が他の建物との間に空いている。そこへ向かって、針の穴を通すような精密さで着陸しようというのだ。

 

 ヘリコプターとは、前に進むからこそ動きが安定する乗り物なのだと前に聞いたことがある。狙った場所にピタリと停止することは、一人前のパイロットでなければできないのだと。

 趣味で覚えたカコさんの操縦技術だったが、自家用車の代わりにヘリや飛行機を使っているらしい彼女は、そんな条件を易々とクリアしているとのことだ。

 

 遠目からでもタワーと思しき建物が見え始め、ヘリがそれに向かって一直線に進もうとしている瞬間だった。

 

______ドクンッ・・・・・・

(な、なんだ?)

 心臓を冷たく射抜かれるような悪寒が脳裏に走る。何者かの殺気がどこかから向けられているような気がする。

 私の表情を間近で読み取ったパンサーが「どうしたの?」と訝しげに訪ねてきた。

 

「敵が・・・・・・敵が近くにいる!」

 

 熱に浮かされたように答える私の日本語を、それが理解できないメンバーも空気を通して読み取ったようにビクリと震えて振り返った。

 

 すぐさまカコさんがアフリカの言葉で、右側のガンポートに座るバズ・チャラに指示すると、彼はすぐさま席を立って私に手招きしてきた。

 私よりもさらに背が高い、2m近い恵体のバズと入れ替わるようにして、右側のガンポートに座って外に身を乗り出すと、猛烈な空気の勢いに頭が打たれるのを感じた。

「うっ! すごい風だ!」

 二股に分かれた私の長髪が宙に投げ出され、綱のように後方に引っ張られている。

 

「アムールトラ、敵の位置がわかったのなら、すぐに知らせてもらえませんか?」

「な、何か敵を探すための道具をください。双眼鏡、とか・・・・・・」

「いいえ、おおまかな方角もわからない状況で双眼鏡などを使っても意味はありません。あなたのその優れた感覚で敵の位置を探し当てるのが一番かと」

 

 カコさんは私に全幅の信頼を寄せて、無茶を全振りしてくる。

 信じられないような気持ちになって絶句しながらも、私は凄まじい気流の流れに身を投げ出して敵の気配を探った。

 

 こうして顔を外に出していると、双眼鏡など意味がないというのは尤もな意見だと思う。

 夜目を凝らして見つめようにも、暗い視界の中、目に見える範囲をすべて探ろうと思ったらどれだけ時間が掛かるかわからない。

 そんな状況で双眼鏡を使えば、見えている範囲が肉眼より狭くなるから、さらに効率が悪くなるのは言うまでもない。

 目で探せないなら、と耳を済ませても、空気の炸裂音に遮られて、他の音は何も聴こえない。

 

 目も耳も頼りにならない。だったら一か八か、あの方法に賭けてみるしかない。極限の集中の果てにある世界・・・・・・あの冷たく暗い場所に入り、敵の”意”を探るんだ。

 そう思った私は、目を閉じて呼吸を落ち着かせ”勁脈打ち”を放つ時の状態にまで意識を持って行こうと瞑想をはじめた。

______ブォンッッ

 視覚も聴覚も、すべての感覚から感じられる情報を引き算して捨て去っていく・・・・・・しばらくすると、己の意識が”意”以外の全てが消え去った無の世界に没入したのがわかる。

 そして見つけたのだった。

 途方もなく広がる暗闇の中、赤い殺気の塊が、煙を噴き出しながらこちらに向かって流星のようなスピードで向かってくるのを。

 

「ミサイルだッ! 後ろから来る!」

 すぐさま意識をこちら側の世界に戻し、警告の声を張り上げる。私の声を聞いたカコさんは、すぐさま操縦桿に無数に取り付けられたボタンのうちの一つを押した。

______バシュウッッ!

 すると機体から花火のような閃光が無数に飛び出して、機体の左右に扇形にゆっくりとばら撒かれる。

 その数秒後・・・・・・今しがた”意の世界”で予見したミサイル2発がヘリに向かって飛来する。しかし事前にばら撒かれていた閃光の壁に阻まれて、こちらに衝突する前に爆散し、耳をつんざく轟音と閃光だけがこちらにもたらされた。

 

 間一髪で助かった。今カコさんが機体から発射したのは「フレアー」だ。

 昔Cフォースのブラジル支部にいた頃に、ヒトが使う兵器を一通り見せてもらったからわかる。

 ミサイルは目標物が発する熱を探知して、それに向かって飛んでくるから、囮の熱源であるフレアーをばら撒くことでミサイルの狙いをそっちに逸らしたんだ。

 

「あなたがいなければ即死している所でした。感謝します」

 怖いぐらいに冷静なカコさんがお礼を言ってくる。言葉と態度がまるで噛み合っていない。

「さて、もう一仕事頼みましょうか。敵の正体を探ってください」

 

「Ha-Ja.」

 地鳴りのような声で呼びかけられたので振り返ると、私のすぐ後ろにいるバズ・チャラが私に向かって何かを差し出した。

 双眼鏡だ。彼は、その大きな手のひらに収まりきらない程のゴツくて大型のそれを見せながら「使いなよ」と言わんばかりに顎をくいっと動かした。

 敵が後方にいることがわかったのだから、今こそ双眼鏡の出番だ。「ありがとう」と礼を言いながら双眼鏡を手に取り、再びガンポートから身を乗り出した。

 

 爆発したミサイルの煙が後方に散って視界が晴れると、それを見計らって双眼鏡を覗き込んだ。

 申し分ない性能の双眼鏡だ。地平線の向こうですら拡大されてくっきり見えるほどだ。さすがこんなゴツい見た目をしているだけのことはある。

 ・・・・・・そして案の定、敵の姿もこれ以上ないぐらいに良く見える。

 

「ヘリが3機・・・・・・まだ距離は遠いですが、ぴったり後ろに付かれてます。機体の左右に大きな翼があって、ミサイルポッドが付いてます」

 見た物をすぐさま報告し、それがマルチリンガルのシガニーによって訳され仲間たちに伝わると、驚嘆の声や舌打ちが聞こえるのがわかった。想像を絶する深刻な事態に誰もが冷静を保っていられないのが伝わってくる。

 

 ああいう、翼にミサイルを取り付けた出で立ちのヘリコプターはいわゆる「攻撃ヘリ」で、戦車や戦闘機なんかと同じ純粋な兵器だ。ミサイルの他にもバルカン砲なんかも付いてる。

 こちらの機体も軍用ではあるけれど、ただの輸送用ヘリであり、武装といえばガンポートに取りつけた機関銃ぐらいしかない。

 攻撃ヘリが相手じゃ、この機体では逆立ちしたって勝てっこない。それも3機を相手に・・・・・・

 

「わかりました。アムールトラ、急いで席に戻ってください。ただいまより本作戦を”プランB”に変更します」

 

 カコさんの隣にいるナビゲーターのシガニーが、機内の通信機を使って、後方待機組にカコさんの命令を伝えているのが見える。

 本作戦はプランBに変更されたと、だから今すぐ逃げろ、ということを言っているのだろう。

 

 ブリーフィングであらかじめ聞かされていた内容を思い出す。

 何事もなかった場合は、当初の予定”プランA”を実行するはずだった。情報を入手した後、ヘリで即座に帰還し、喜望峰で待っている後方待機組に合流して、船で脱出する流れだった。

 だが緊急事態が起こった今、本作戦はプランBへと移行した。

 後方待機組には、こちらの帰りを待たずに、すぐに喜望峰から脱出してもらう。そして機密情報を入手後、データだけを仲間に送信し、私たちは別ルートでナマクワランドまで向かうんだ。もうこれでいよいよ退路を断たれたことになる。

 

 あの攻撃ヘリに乗っているのは、まず間違いなくCフォースの手の者だ。現地で生き抜くのが精一杯の武装集団に、あんな代物が用意できるはずはない。

 そして私たちが見つけられてしまった以上、喜望峰に残っている仲間たちにも危害が及んでいる可能性がある。

 

(ヒグラシ所長、ケープペンギン・・・・・・どうか無事でいて)

 

 心臓が焦りと不安で高鳴りながらも、他にどうすることも出来ずに急いで座席に戻った。

 鋼のような冷静さを失わないカコさんは、部下たちに向かって、ただちに荷物を固定して、自分のシートベルトも固く結んで衝撃に備えるように指示を出した。

 そして最後にアフリカの言葉で静かに何かを告げると、それきり黙り込んだ。

 

「カコさんは何て言ったの?」と私が小声で隣の座席にいるパンサーに尋ねると、彼女は青白くひきつった顔でこう返した。

「み、みんなの命を私にください・・・・・・って言ってるよ」

 

 プレッシャーすら感じさせるカコさんの静かな後姿が、急に挑みかかるように前かがみになり、操縦桿を勢いよく真横に倒した。

______ガクンッ

 機体が激しく揺れ、操縦桿と同じように私の視界も横に倒れると、やがて上下左右の区別もわからなくなるほどに回転しはじめた。

 機体がグルグルと回転しながら落下しているのだ。

 

「ママーーーッ! パパーーーッ!」

 ウィザードが素っ頓狂な悲鳴を上げている。そして他のメンバーも回転しながら落ちる機内の中で、ただ座席に身を預けていることしか出来ない。

 まだ撃墜されたわけじゃないのに、カコさんの意図的な操縦でこんなことになっている・・・・・・おそらくは、撃墜されたように見せかけることで攻撃されないようにしているのだろう。

 カコさんの曲芸飛行に私たち全員の命が掛かっている。みんなの命を私にください、という言葉に嘘偽りはなかった。

 

(私、また落ちてるのか・・・・・・)

 下手をしたら死ぬようなその状況で、変に落ち着いた気持ちになった。

 翼のない生き物にとって、高い所から落ちるのは最悪な体験のひとつだ。座席に固定されていても、体の自由がなくなって内臓が上に押し上げられる気持ち悪さは変わらない。

 

 昔も味わったことのあるその感覚が、それにまつわる記憶を呼び起こす。

 私が高い所から落ちるのはこれが最初じゃない。まるで何かに呪われているかのように、行く先々でそういう出来事に出くわしてしまうんだ。

 そしてその後、私の人生は今までとは違う方向に向かっていく。まるで落下することが人生の節目であるかのように。

 

 一番最初の落下は、ブラジルのサルヴァドールで、輸送機から投下された時だった。

 そのすぐ後、ハーベストマンとの戦いで、今度は自分の意志で、私の元上司である隊長のメガバットに頼んで空の上に連れて行ってもらい、ハーベストマンに向けて落としてもらった。

 メガバット・・・・・・元気にしてるかな。一緒にいると気持ちが安らぐ不思議なフレンズだった。出来ることなら、もう一度彼女と会って話がしたい。

 

 最後に落下を経験したのは、この南アフリカにはじめて降り立った時だ。

 クズリと一緒にCフォースのジェット機に乗ってたら、機体が武装集団の手で撃墜されて、空中に投げ出された私のことをクズリが間一髪で助けてくれたんだ。あの時は彼女のことを、一生背中を預けられる最高の相棒だと思ってた。

 そんなクズリと敵味方に分かれることになるなんて思ってもみなかった。彼女ともう一度友達になることは、もうできないのだろうか。

 

______グンッ! 

 カコさんが操縦桿を元の位置に戻し、左手の出力桿を力いっぱい上に引っ張った。

 すると機体はただちに体勢を立て直し、先ほどと変わらぬまま地面と水平に飛び始めた。

(・・・・・・はっ!)

 落下にまつわる思い出を走馬灯のように思い返していたが、ヘリが制動を取り戻し落下の感覚がなくなったことで、私はようやく正気に戻った。

 ここで生き残らなければ何事も成し得ない。別れた友と会うことだって出来やしないんだ。

 

 外を見ると、そこはもうケープタウン大学の敷地内だった。

 機体は、立ち並ぶ洋館のギリギリ数メートル上のあたりをホバリングしている。それは私にとって落下よりも恐ろしい光景だった。

 

______ガキュキュキュキュッッ!!

 近くの洋館の赤レンガの屋根が、銃撃で土くれのように吹き飛ばされている。

 後ろから迫る敵の攻撃ヘリが、こちらが健在であることを知り、遠くからバルカン砲で攻撃してきているのだ。

 

「カコさん、どうするんですか!?」

「胴体着陸をします!」

 

 私たちを乗せた機体が、バルカン砲を避けるように、洋館が立ち並ぶ石畳の道の上をフラフラと飛び続ける。

 やがて正面に見えたのは、等間隔に並ぶ数十メートル近い大理石の柱によって支えられている、敷地内の中でも一番巨大で、古めかしい作りの立派な建物だった。

 それが何なのか、最初にブリーフィングを受けた時点でもう知っている。このケープタウン大学のシンボルでもある「サラ・バートマン・ホール」だ。

 その名前は、南アフリカの人種差別問題の象徴とも言うべき、悲劇の人生を送った実在の黒人女性に由来しているんだとか。

 

(ぶ、ぶつかる・・・・・・!)

 カコさんは疑うこともなく、ホールに向かって機体を直進させ続けている。

 このままじゃ、あの大理石の柱に正面衝突して機体はバラバラだ。

 

 今から機体の向きを変えても間に合わないほどの距離にまで接近した時、私はカコさんの意図を察した。

 巨大なホールを支える大理石の柱は、それぞれの間隔が数メートルほど空いている。

 彼女はその間をヘリで通り抜けるつもりなんだ。

 そんな芸当、ヘリを自分の手足のように扱えるレベルでないと無理では? 趣味で操縦を覚えただけのカコさんに出来るのか? いや、たとえ操縦のプロフェッショナルでも出来ないような気がするけど・・・・・・

 いよいよ頭の中が真っ白になっていくような気がした。

 

「アムールトラ」

 隣にいたパンサーが、放心していた私の手を握り締めて呼びかけてきた。

「ボスを信じて」

 

 パンサーたちはカコさんのことを「ボス」と呼ぶ。ヒトもフレンズも、パークのメンバーは自分たちのボスのことを心から尊敬し信頼している。そのボスが「命をください」とお願いしているのだから、それはもう絶対のことなんだ。

 私も信じよう・・・・・・カコさんと、彼女に向けられているその信頼を。

 

 一瞬の出来事だった。

 空を飛ぶ乗り物とは思えない地面スレスレの低空を進むヘリが、飲み込まれるようにして柱と柱の間を通りぬける。

 大理石の柱が窓越しに、質感や細かな傷までわかるほどの距離にまで接近し、猛スピードで通り過ぎていった。

 

 柱の間を潜り抜けた機体が、ホールの入り口を覆う大きな木製の扉を体当たりで破壊し、そのまま建物の中に侵入した。

______ギャギギギギギギッッッ!!

 だが通り抜けたのは”機体そのもの”だけ。

 機体の数倍の直径があるローターは大理石の柱に引っかかり、すでに機体からもぎ取れていた。

 動力源を失った機体は、どてっ腹を地面と擦りあわせて、火花を散らしながら滑るようになおも進み続ける。機体が砕け散ってしまうんじゃないかと思うほどの振動がキャビン内の私たちにも伝わってくる。

 

 カコさんは”胴体着陸をする”と言っていた。

 ヘリの足に当たる折り畳み式の3つのタイヤがあったはずだが、敢えてそれを折り畳んだ状態のまま、胴体を擦るように下りることで、地面との抵抗をブレーキにして止まるつもりなんだ。

 

 ホールの中は、外観から想像できる通りにだだっ広い空間だった。

 だが敵の攻撃を避けるためにある程度のスピードのまま胴体着陸を行った機体は、中々止まることがない。もし何かにぶつかってしまったら、このヘリが私たちの墓場になる。

______ギギギッッ・・・・・・ギッ

 機体が大きく揺れ、反動で体がコクピット側に投げ出されそうになるのを、シートベルトが締め付けて受け止める。

 そして反動が収まった瞬間、ヘリがようやく停止できたことを感じ取った。

 額から冷や汗を滝のように噴き出しながら、無意識のうちに深い安堵の溜息が漏れた。

 

 カコさんは見事に、プロ顔負けの曲芸飛行を成し遂げた。

 さしもの彼女も肩で息をしながら茫然自失になっている。そんな様子を見ると、数々の技能と超人的な精神力を持った彼女も、やっぱりただのヒトなんだと思う。

 

 しばらく、といっても5~6秒ほどの間動けないでいたカコさんが、やがて落ち着きを取り戻すと、シートベルトをはずし、誰よりも早くコクピットから外に降りたった。

 そして部下たちにも急いで降りるように促している。

 

 いまだ危機が迫っていることには変わりない。メインホール内で着陸できたとはいえ、外にいる敵の攻撃ヘリがミサイルを撃ってくれば、建物の生き埋めになってしまうかもしれない。

 1、2発ならともかく、何発も撃たれればこの巨大な建物でも倒壊しかねない。飛べなくなったヘリはここに置き去りにして、一刻も早くこの場から移動しなければならないんだ。

 

 部下たちも無言でそれに応じ、てきぱきと荷物をまとめ出した。

 さすがはチームジョーカー、カコさんが選んだ精鋭中の精鋭たちだ。こんな状況であっても、誰一人として疲れや恐れの色を見せていない。

 まったくすばらしいタフガイ揃いだ・・・・・・ただ1人を除いては。

 

「ウィザード!? 気絶してるの?」

「隣で見てましたが、このヒトは、最初の落下の時にはもう意識をなくしてました」

「どおりで静かだと思ったよ・・・・・・でもこんな怖い目に遭ったんだからしょうがないよね。ウィザードは私が負ぶっていくよ、スプリングボックはそのリュックを持ってって」

「ええ、しかしこれ意外と重いですね。一体何が入ってるんでしょう?」 

 

 私は意識のないウィザードを背負いながら、建物の奥へ向かって、カコさんとチームジョーカーが先行しているのを追いかけるように走り出した。

 

 サラ・バートマン・ホールの内部は、その外観よりもはるかに雅やかだ。

 複雑な紋様の格子にはめ込まれた、数十メートルにも及ぶ七色のステンドグラスが、月光に照らされて怪しくきらめいている。

 赤絨毯の上には一本一本に複雑な装飾が施された柱が立ち並び、二層の吹き抜け構造の大理石のアーチが壁の役割を果たしている。

 こんな状況でもなければ、ゆっくり見て回ったりしてみたいものだけれど・・・・・・

 

「急いで!」とカコさんが私たち3人に呼びかける。

 彼女とチームジョーカーは、広間のある一区画の中に佇んでいる。天井は同じ高さで続いているけれど、床はそれきり途切れているように見える。

 ・・・・・・そうか、あの先には吹き抜けになった階段があるんだ。カコさんたちは建物の地下に潜るつもりだ。

 万が一建物が敵に破壊されても、地下に逃げれば難を逃れることが出来る。そしてすでにケープタウン大学の間取りは把握済みだ。目的地であるメディカルタワーに行くためのルートがあるんだろう。

 

______ドガァァァンッッ!!

「くっ!」

 爆音が響き渡り、振動がホール内を揺るがす。案の定、さっそく敵が攻撃を仕掛けてきたんだ。

 ミサイルの衝撃で崩落した建物の一部が高い天井から落ちてきた。そして今しがたまで乗っていたヘリの上に、いくつもの塊がドサドサと降り注ぎ、原型をとどめないほどのスクラップに変えてしまった。

 こちらを確実に亡き者にしようとする、敵の絶対的な執念が伝わってくる。きっと奴らは、私たちがどこまで逃げても追ってくるんだろう。もう完全に戦闘開始だ。

 

 私の役目はカコさんを、私の背中の上で気絶してるウィザードを、みんなを守ること。

 己に課せられた使命を反芻しながら、カコさん達が呼ぶ方に向かって全速力で駆けだした。

 

 to be continued・・・                                                            




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:元アメリカ国防総省ホワイトハッカーチーム職員(本人談)
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「ギル・チャラ・カーター(Gil Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「カイル・ファウスト(Kyle Faust)」
年齢:37歳 性別:男 職業:民間軍事会社アダムズインターナショナル構成員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章3 「つきよのけっせん」(前編)

「ねえ起きてよ」

「ノー! アイアムデッド!」

「・・・・・・いや生きてるでしょ」

 

 背中におぶさっているウィザードに呼びかけると、いまだ混乱はしているが、とりあえず元気そうなことだけはわかった。

 

 カコさんとチームジョーカーの後ろに付いて、月明かりすら届かない「サラ・バートマン・ホール」の地下深く、一切の光がない真の暗闇の中を移動している。

 

 私やパンサーの目にも予備の暗視装置が装着されている。

 この暗闇ではネコ科の夜目すら通用しないからだ。

 なんでもネコ科用に特別に調整されている代物らしい。私たちの目は、光を取り入れる感受性がヒトよりも数倍優れているので、ヒト用に調整された暗視装置では眩しすぎて、かえって何も見えなくなってしまうからだとか。

 ・・・・・・おかげで視界は良好だ。目に映る物すべてが緑がかっていて奇妙な感じだけれど、地上と変わりないぐらい鮮明に、豪華な調度品が立ち並ぶ広い廊下の姿形がはっきりと見える。 

 

 あれから何度かミサイルの爆音が背後から炸裂したが、しばらくするとそれがピタリと鳴り止み、今は代わりに不気味な程の静寂が地下を支配している。

 

 カコさんの背中を追いかけるがまま、長い廊下のつき当たりにあるドアをくぐると、そこは豪華さとは無縁の、金属製の本棚が立ち並び、紙が床一面に散乱する何かの資料室と思しき狭い部屋だった。

 

 暗視装置ごしに、部屋の奥まった所にある作業机の前にチームジョーカーが集合している姿が浮かぶ。

 作業机にはこちらが予め持ち込んだタブレットが置かれている。画面にはケープタウン大学内の見取り図が映されており、彼らはそれを緊迫感が張り付いた顔で見下ろしていた。

 とりあえずの危機が去ったので、ここで一息ついて今後の作戦を練ろうと言った風情だ。

 

 カコさんがアフリカの言葉で部下たちに呼びかけ始めた。その内容を、例によってパンサーが私にわかるように翻訳して教えてくれた。

 

 まずはメディカルタワーまでの道筋について。

 このサラ・バートマン・ホールは、地上も地下も、敷地内のほぼすべての区画に通じており、目的地であるメディカルタワーにも地下からアクセスすることが出来る。

 

 施設内のすべての電源が落ちているためエレベーターは使えないが、それでも北側のE階段を上って外に出れば、後は数十メートルの距離にメディカルタワーがある。徒歩でも15分以内に到達する道のりだ。

 

 しかし、それは何もトラブルがなかった場合だ。今の私たちには最早それはあり得ない。

 攻撃ヘリで私たちを追跡してきた敵・・・・・・Cフォースの、たぶんグレン・ヴェスパー直属の手駒が今も血眼になってこちらを探していることだろう。

 

「敵の軍用ヘリが3機という情報から、乗員はざっと2、30名程でしょう・・・・・・しかしおそらくは、その中にフレンズも混ざっていると思われます」

 

 カコさんが話し、パンサーが訳してくれたその言葉は、あらためて言われるまでもなく当たり前の内容だった。

 敵はこちらのことを知っているんだ。

 フレンズも行動を共にしているということを・・・・・・Cフォースにとっては裏切り者である私が新たに加わっていることも。

 

 基本的に、フレンズに対抗することはヒトには不可能だ。どんなに強力な武器を持とうとも、数倍から十数倍に達する身体能力の差を覆すことは出来ない。

 それにサンドスターの働きで強化された私たちの体は、銃で撃たれても急所じゃない限りまともなダメージは通らないほどに頑丈なんだ。

 

 だから敵はこちらに対抗するための準備してきているはず。

 フレンズと拮抗し得る戦闘能力を持っているのはセルリアンか、もしくは同じフレンズのみ。 

 

「・・・・・・まさか、ウルヴァリンがここに?」

 スプリングボックがそう独り言ちながら、拳をわなわなと握りしめて奮い立ち始めた。

 凶暴とかとは違うが、彼女は敵を倒すことにとことん貪欲な好戦派だ。

 すべては仲間や故郷を大切に思っているがゆえ。愛するものを守るために、敵には容赦

がなく残酷な顔をみせる。その一本筋が通った性格は、どこまで行ってもブレることがない。

「もし奴がここに来ているのなら、あの時の雪辱を晴らしてみせます!」

 

 スプリングボックとクズリの間には因縁がある。

 私とクズリが初めてパークのキャンプに来た時、パークに敵意を抱いたクズリは、拘束から脱出するために、彼女の直情的な性格を利用したのだ。わざと危害を加えてくるように周囲を挑発し、それに彼女が乗ってしまったことでクズリは見事に逃げおおせてみせた。

 その時の一件を、彼女は己の一生の不覚みたいに恥じている。名誉を挽回するためには、クズリを倒すしかないと思っているのだ。

 

「待ってくれよ。クズリがいると決まったわけじゃないだろ」

「アムールトラ、敵は貴様がこちらにいるのを知っているんですよ? だったら貴様に対抗できる存在を用意してくると考えるのが自然では?」

「・・・・・・そ、それは」

 

 スプリングボックの言葉を否定できない自分がいた。クズリがいる証拠はない。逆にいないとも限らない。

 ナマクワランドで最後に別れた時のことを思い出す。

 トレーラーの爆発に紛れて行方をくらませたクズリの姿は、まるで炎の化身のように凄まじい迫力だった。

 

 事ここに及んでも、やっぱり私には覚悟が足りなかったのかもしれない。いつクズリと戦うことになってもおかしくないのに、そのことを考えないようにしていた。

 クズリが来るなら、わずかでもこちらに迷いが残っていれば勝ち目はない。相手がそうするように、こちらも迷いを捨てて全身全霊で迎え撃たなければならない。

 さもなくば、自分の命も、カコさんや皆の命も守ることが出来ない。すべてクズリに殺し尽くされてしまうんだ。

 

 今一度覚悟を決めなおした私は、汗が滲む手のひらをぎゅっと握りしめながら「君の言う通りだよ」とスプリングボックに答えた。

「たとえクズリが相手でも、みんなの命は絶対に守ってみせる!」

「おお! その意気です!」

 

「・・・・・・戦うことが今回の目的ではないのよ?」

「そーだよ、2人して鼻息荒くしちゃってさ」

 カコさんがたしなめるような口調で、パンサーが呆れたように私たちに注意してきた。

 今回の目的はハッキングしてからすぐに退散すること。すでに敵に見つかってはいるが、交戦は極力避けなければいけない。

 もしクズリがここにいて、襲い掛かってくるようならすぐに逃げろ、ということだ。

 

「さて、私たちは今から二手に分かれます」

(・・・・・・え?)

 カコさんの提案を、チームジョーカーの面々は全てを受け入れるような神妙な顔で聞き入っている。しかし私はその話の進み具合について行けず、ぽかんとした驚きの隠せない顔をすることしか出来なかった。

 彼女は改めて誰にでもわかるように噛み砕いて説明を始めた。

 

 敵に見つかっている以上、こちらの動きが敵に補足されるよりも前に、スーパーコンピューターの前に辿り着きハッキングを完了させるということが求められる。

 もし敵に先回りされて、スーパーコンピューターが破壊されでもしたら作戦は一貫の終わりだからだ。

 

 敵の今後の出方としては、地下に潜った私たちを仕留めるために、攻撃ヘリを降下させて地上に降り、我々の行方を追跡しながら攻撃を仕掛けてくるだろうと思われる。

 それも正面からぶつかるのではなく、闇夜に紛れて忍び寄り、死角から襲ってくるだろう、と・・・・・・セルリアンではあり得ない、知能を持ったヒトの戦い方だ。

 

 状況は完全に変わった。

 出会い頭に追い回されるのを逃げ切るだけならば話はシンプルだったが、今度は私たちも敵と同じように、相手に存在を悟られず、その前に相手を見つけて裏をかかなければいけない。

 そのために最も大事なのは、相手の居場所を掴むこと。スカウト(斥候)の腕が作戦の成否を分けるといっても過言ではないと言うのだ。

 

 二手に分かれる作戦の詳細はこうだ。

 本隊は予定通り北側のE階段からメディカルタワーへと直行する・・・・・・そして別働隊は、近場の階段から一足先に地上に出て、斥候として相手の居場所を探り本体に知らせる。

 別働隊のメンバーは敵に見つかることなく、斥候の役目を果たし、本隊の第二の目として機能し続けなければならない。

 

 別働隊のメンバーにまず選ばれたのはカイルだ。

 チーム内で唯一の白人である彼は、元はアメリカ海兵隊所属のスナイパーという経歴を持つ傭兵だ。雇われた立場でカコさんに精鋭として抜擢されるのだから相当な実力があるのだろう。

 彼が別働隊に選ばれた理由は明らかだ。スナイパーである彼は、スカウトのプロでもある。気配を消しながら相手を見つけだす技術にチーム内で最も長けているんだ。

 

 カコさんからの指名を受けたカイルはまったく顔色を変えずに頷いた・・・・・・何というか、死神みたいな風貌の男だ。

 黒いスカーフからのぞくスキンヘッドの白くて丸い頭が骸骨みたいに見える。そしてその背中に背負っている木製の使い古された長銃身のライフルは、まるで命を刈り取る大鎌みたいだ。

 暗視装置を顔に付けているので表情は良くわからないが、凍てつくような無感情さが何となく伝わってくる。

 

 カイルは見るからに他のメンバーとは放つ空気が違う。

 カコさん始めパークのメンバーの瞳は、己の理想への情熱に燃えている。必死に任務を果たそうとする悲壮なまでの決意を胸に秘めている。

 だがカイルにはその手の感情的なものを一切感じない。まるで工場とかで流れ作業をしているヒトみたいな無機質な佇まいだった。

 彼にとっては、この命がけの作戦もただのメシの種。あらゆる私情を挟まずに、もらった金の分の仕事をこなす事だけを考えている・・・・・・プロの傭兵というのはここまでクールなのか。

 金の繋がりがある限りは信頼できる仲間だと思っていいのかな。

 

「そして、もう一人の別動隊は・・・・・・」と、カコさんが私を見つめながら、勿体つけるように一呼吸置いた。

 

「アムールトラ、あなたよ。カイルと2人で敵の行方を探り、私たちに知らせてください」 

「っ!? は、はい。わかりました」

 

 私が選ばれたことに一瞬驚いたが、何となく納得できる人選だと思った。

 

 3人のフレンズの中で、斥候の役目を一番上手く果たすことが出来るのは多分私だ。

 野生のトラは、物陰から獲物の隙を伺い、死角から忍び寄って一撃必殺で仕留める生まれつきのスナイパーだ。

 そして、今までの戦いでわかっている・・・・・・いかに野生知らずの私でも、種族としての性質は変わることがないということを。何より私は相手の”意”を読んで戦うことが体に染みついている。敵を観察することなら誰よりもやってきた自信がある。

 

 スナイパーのカイルと、トラの私。納得の人選だと思う。

 一方で、どうしても腑に落ちない問題がひとつ心に引っかかっていた。

「私とカイルさんは言葉が通じません。2人しかチームがいないのにそれはまずいんじゃ?」

「ええ、それは」

 

 カコさんが答える前に、突然カイルが動き出した。

 カイルが進む先にはあの男がいる。未だ白目を剥いて気絶したまま、壁にもたれ掛かって足を投げ出しているウィザードが・・・・・・

 彼をここまで運んできた私としては、もうとっくに目を覚ましているんじゃないかと思っているけれど。

 

「”起きろクソ野郎”」

 ゆっくりとウィザードに近づいたカイルは衝撃的な行動を取った。

 ウィザードの襟首を乱暴に掴みあげると、あろうことか腰に差した拳銃を抜いて、銃口を彼の口の中にねじ込んで何やら物騒な雰囲気で凄み始めた。

「”それとも2,3発ブチ込んで本当にオネンネさせてやろうか? こちとらそっちの方が手っ取り早いんだがな?”」

 

 ・・・・・・? 何て言ってるんだろう。彼の話しているのはやっぱり英語かな? 意味がわからないのは同じだけど、アフリカの言葉に比べると鼻がかかっていて、抑揚のタイミングも違うからまるで別物に感じる。

「アガアアアッッ!」

 やっぱり起きていたウィザードが、銃口がねじ込まれた口で声にならない悲鳴を上げた。そして銃口が彼の口から引き抜かれると、同じように英語で何やら弁明を始めた。

「”お、おい! ずいぶんと乱暴じゃないか? 俺は約束は守る男だし、それ以上にアンタに得をさせてやれるぜ? ここで殺すのは損ってモンだ”」

 

 尋常ではない2人の様子を見ていても、どういうやり取りをしているのかさっぱり意味がわからなかった。

 説明を求めるようにカコさんの方を向いた。

 カコさんはカイルの凶行を黙って見ているだけで、どうやら止める気もないようだ。そんな彼女からは「2人の間には込み入った事情があるのよ」と、なにやら意味深な解説が返って来るだけだった。

 

「ともかく、あなたとカイルのサポートはウィザードがやるわ。彼なら2人の間の通訳もできる」

「でもウィザードは戦えるんですか? 私とカイルさんに付いて来るなら、せめて自分の身は自分で守ってくれないと・・・・・・」

「アムールトラ、ボクのことを舐めてもらっちゃ困るヨ?」

 

 荒い息を吐くウィザードが、日本語で私に返事を返してから、自身に突きつけられているカイルの銃口を払いのけると、足元にあるリュックサックを開いて中身を取り出した。

 その中から出てきたのは、鮮やかな青色に塗装された丸い機械。二つの目と耳、そして円錐形の尻尾を持つナビゲーションユニットだった。

 

「ボクは頭脳労働担当なんだヨ」

 彼はそう言いながらナビゲーションユニットの背面にあるスイッチを押した。

 すると二つの目のようなセンサーが薄緑色に発光し、パーク製の青いボディをフワフワと宙に浮かせて完全な起動を果たし、自我を持っているかのように辺りをグルグルと旋回し始めた。

 

「もしかして、ウィザードがそれを動かしてるの?」

「むふふ、そう。コイツを使ってサポートしてやるヨ」

 

 自慢げなウィザードは腕に平べったい四角形の時計を嵌めていて、それに人差し指を押し付けて何やら操作している。

 さらに良く見ると、彼が掛けているハート形のサングラスの黒いレンズの節々から細かい光が精査している。そういえば彼は暗視装置を付けていないのにまるで不便を感じていないようだ。

「このスマートウォッチとサングラスは特注品でネ。合計でざっと300万ドルぐらいしたかナ。天才のこのボクにふさわしい一品なんだヨ」

 

 そう言ってウィザードは自身の持ち物を得意そうに解説してきた。

 一見してただの時計にしか見えない彼のそれは、ナビゲーションユニットの他にも、様々な機器の操作をこなす小型のコントローラーなんだとか。

 そしてハート型のサングラスは、暗視装置としての機能だけでなく、操作している機械の視界をも映し出すことができるらしい。

 ・・・・・・仕組みはよくわからないけど、ウィザードの名前にふさわしい魔法みたいな品物を身に着けているということか。

 ナビゲーションユニットを着の身着のまま、思うがままに操れてしまうんだ。

 

 ともかくウィザードが、ナビゲーションユニットを遠隔操作して私とカイルをサポートしてくれることになった。戦闘要員ではない彼は、自身の役目であるハッキングを始めるまでは手が空いている。だからこそ可能ということだろう。

 さっきとは打って変わって騒ぐウィザードを、他のメンバーは呆れ顔で見ており、特にカイルは敵を見るような目つきで睨み付けている。

 

「・・・・・・それでは出発しましょうか」とカコさんが仕切り直すように言いながら、タブレットをしまおうと手を伸ばした時。

 タブレットの画面が暗転し「CALL」という文字と、電話を象ったマークが画面に浮かんだ。

 

 カコさんはそれを予見していたような表情でタブレットに手を伸ばし、電話のマークに人差し指をそっと重ねた。

 

≪”おい、そっちは大丈夫なのか? 返事をしてくれ!”≫

 すると、アフリカの言葉で何か興奮した様子の男の声が聞こえてきた。内容はわからないが、この声の主は私にもすぐにわかった。

 

「・・・・・・ヒグラシ所長!? 無事なの?」

≪アムールトラ、そこにいるのか? 皆は?≫

 

「私が代わるわ」

 たまらずノートパソコンに向かって食い入るように呼びかける私を、カコさんが横から肩を叩いて頷きながら静かに制止してきた。私はあわてて退き彼女に後を任せた。

「こちらカコです。みんな無事ですよ、今の所はね」

 

 その後はカコさんとヒグラシ所長がアフリカの言葉で互いの現状を確認し合った。

 

 パンサーから訳されて聞いた話では、ヒグラシ所長やケープペンギンがいる後方待機組は、すでに船舶に乗り込んで喜望峰を出発し、南大西洋を北上しているとのことだ。

 カコさんが先だってヘリの上で発した”プランB”の命令通りに動いている。

 そして今のところ敵からの攻撃を受けてはいないということらしい。

 

 船舶を先導しているのは、周囲の海域を知り尽くしているケープペンギンだ。彼女のおかげで、船がギリギリ乗り上げないような浅瀬を選んで航行しているとのこと。

 そんなところを船で襲ってくるような連中はいない。そしてエネルギー源がない海上にはセルリアンはまず現れない。

 それでも、Cフォースの攻撃ヘリなんかが襲ってきたらひとたまりもないと思うが・・・・・・やはり無事でいてくれることを祈るしかない。

 

 そして、カコさんからヒグラシ所長へ、実行部隊である私たちの身に降りかかってきた状況が説明されると、彼の絶句交じりのため息がタブレットから漏れ出した。

 私たちへの心配と、自分たちに迫る危機への懸念が伝わってくる。

 

 ヒグラシ所長は私たちがスーパーコンピューターを押さえるのを後方で待ち続けているんだ。彼にも大事な役目がある。ウィザードがハッキングを始める前に、パスワードを知っている彼がCフォースのデータベースに通常のアクセスを試みる必要がある。

 ・・・・・・もちろんのこと、裏切り者である彼のアクセスは弾かれる。だけどその時にサーバー上に残った痕跡が、ウィザードのハッキングの進入路として使えるんだそうだ。

 

≪・・・・・・頼んだぞ、みんな≫

 

 ヒグラシ所長が名残惜しそうに最後にそう告げると、それきり通話が切れた。

 そしてカコさんは今度こそタブレットをバックパックにしまい込み、銃を構えて部下たちに合図しながら先陣を切って資料室を後にした。

 

 不気味なほどの静寂に包まれた暗闇の地下通路を、私たちは無言のまま物音も立てずに進み続ける。チームジョーカーたちの重装備がカチャカチャと小さな金属音を立てている。聞こえる音はそれだけだ。

 さしものウィザードもふざけた態度は鳴りを潜めて、一言も発さずに最後尾に付いてきている。彼に操作されているナビゲーションユニットが、私たちの頭より少し上の空間を浮遊している。

 どうやら本当に思い通りに操っているみたいだ。

 

 いくつかの角を曲がると、ほどなくして左右の壁にいくつかの扉が取り付けられた広い廊下に辿り着く。ここは確かいくつかの教室が密集している場所だと聞かされている。

 

 見晴らしのいい廊下に進入する前に、私たちは物陰から周囲を観察するために一時足を止めた。

 廊下の突き当りは二つに分岐している。一つはスーパーコンピューターのあるメディカルタワーへと繋がる道だ。そしてもう一つの道を行くとすぐに、地上へと通じる階段が現れる。

 

 このまま行けば私はあそこでカコさん達と別れて別行動ということになる。

 一緒に行動するのは雇われスナイパーのカイルだけ・・・・・・私はふと気になってカイルを見ようとすると、彼も私の視線に気づいたようで目があった。

「あの、よろしく」

 気まずそうに頭を下げた私に対して、彼は表情をぴくりとも動かさずにただ「ふん」と鼻を鳴らした。

 

「ねえ、あそこにヒトがいるのかな?」と何かに気付いたパンサーが仲間たちに呼びかけた。

 つられて指差された方向を見てみると、ガラス張りになった教室の窓のひとつに確かに不自然な黒い人影が立っているのが見える。

 何秒か見つめていると、その影がゆらりとしゃがみ、教室の入り口をくぐってその姿を現した。

「・・・・・・っ!」

 

 姿を現した異形に、その場にいた全員が凍り付く。人影に見えたのはセルリアンだったんだ。

 二足歩行型で、両腕に生やした鉤爪で攻撃してくる奴らだ。確かCフォースの登録名称では「ハウンド・タイプ」と呼ばれていたと思う。

 すばしっこくてかなりてこずる相手だ。小型だけど「石持ち」で、顎の下に弱点の石が生えているのだけれど、これが中々狙いづらい。

 

 電気が落ちているケープタウン大学のこんな地下にセルリアンが生息しているとは・・・・・・セルリアンのことだから、電気じゃなくて別の物を食べていることも考えられるけど。

 

 双子の巨漢チャラ兄弟が、SSアモを装弾したショットガンを構え、カコさんを守るように前に出ようとした。

 しかしカコさんは2人を制止して後ろに下がらせる。そしてパンサーとスプリングボックに目配せすると「あなた達に頼めるかしら?」と、彼女らしいお願い口調で命令をした。

 

 そうか。銃声など立てようものなら、私たちを探しているCフォースに気付かれかねない。そうせずにセルリアンを排除するにはフレンズが戦うしかないんだ。

 ここでセルリアンの様子を伺っている暇はない。

 なので、パンサーたちが戦っている間に急いで廊下を通り抜けるという作戦だ。

 

「・・・・・・行きましょう。パンサー」

「うん」

 

 スプリングボックの高く掲げた片腕が一瞬金色に光ると、その手には愛用の鋭く長い二又槍が握られていた。彼女はそれを腰の高さで構えながら、殺気に満ちた瞳でゆっくりと息を吐いた。全身がバネのような彼女は、あの静かな構えからだって、瞬間に最高速の槍技を繰り出すことが出来るんだ。

 

 そしてその横でパンサーが小刻みに体を上下させて筋肉をほぐし、左右に大きく体を揺らしながら軸足を交互に入れ替える独特の構えを取り始めた。あの動きから変幻自在の足技が繰り出されることはすでに知っている。前に本人から聞いた話だと、パンサーは「カポエイラ」というアフリカで生まれた格闘技の使い手なんだとか。

 

 カコさんに答えるまでもなく戦闘態勢に入った2人が、長年連れ添った相棒の意志を確認するように無言で頷き合う。

 その数瞬の後、2人は勢いよくその場から飛び出した。

 

 スプリングボックが自慢のジャンプ力を存分に発揮し、走り幅跳びのように天井の低い廊下を跳ねた。パンサーがその後ろから凄まじい俊足でぴったり追走する。

 全速力で奇襲をかけた2人だったが、やはりハウンドセルリアンは一筋縄ではいかない相手だ。彼女たちの攻撃を事前に察し、その両腕で受け止めてしまった。

 程なくして、その気配を察して教室の中から何体かのハウンドが這い出してきた。

 

「・・・・・・ふ、2人に加勢しなきゃ!」

「ダメよアムールトラ、ここは2人に任せて、あなたも早くここを出るのよ」

 

 カコさんに促され、やむなくチームジョーカーと一緒に廊下を駆けだそうとした瞬間。

「これ持っててヨ」と、ウィザードが何かを放ってよこして来た。ざっと数キロぐらいの重みが、受け止めた私の両手に伝わってくる。

 ウィザードから投げ渡されたのは、今しがたまで彼が操作していたナビゲーションユニットだ。青いボディの電源はいつの間にか切られている。

 

「ちょっと、これをどうしろって言うんだい?」

「だって走りながらソイツを動かすことなんて出来ないヨ。後で起動するから壊さんように持っててヨネ!」

 

 そう言うと、彼はさっさと走りだした。編み込みの長い髪がブラブラと勢いよくめちゃくちゃに揺れている。

 ウィザードのやつ・・・・・・言ってることに理屈が通っているのはわかるけど、当たり前のように他人に無茶を押し付けてくる態度はどうかと思う。とことんマイペースで調子のいい性格だ。

 こんな変わり者にはヒトにもフレンズにも出会ったことがない。

 

 数体のハウンドと交戦するパンサーとスプリングボックの真横を、チームの中でも最も俊足のカイルがさっそく走り抜け、突き当りに到達しようとしていた。

 その後ろにカコさんたちが続いている。ウィザードも意外に足が速い、そりゃ他のメンバーと違って重そうな装備は何も付けてないから当たり前だけど。

 そして私は、せめてしんがりを勤めようと、最後尾を敢えてゆっくりめに走ることにした。

 

______グゥゥオオオッッ!

「ぐうっ!」

 骨が軋むような衝撃が背中を突き抜け、足先にまで伝わってくる。

 他のメンバーより数メートルも後ろを進む私に、ハウンドセルリアンの一体が剛腕を振るってきたのだ。

 急いで足を止めて応戦したが、ユニットを持っていることで片腕がふさがっている私は、敵の一撃を手で受け止めることしか出来なかった。

 私に腕を掴まれたハウンドが、それを払いのけようと、もう片方の腕を振り上げてくる。どうやって切り抜ければ・・・・・・片手で戦うにはかなり厄介な相手だ。

 

「そのまま押さえてて!」と、私に呼びかけるパンサーの声が背後から聞こえた。

(パンサー、どこだ?)

 

 声がした直後、ハウンドセルリアンを見上げている私の視界の下から、パンサーの斑模様の足が伸びるように素早く飛び出した。

 いつの間にか敵の足元に飛び込んでいた彼女が、お得意の逆立ち蹴りを炸裂させたのだ。

 私に相対するハウンドの顎を的確に捉えて石を打ち砕いた。

 

「そこぉッ!!」

 そしてすぐ向こうでは、低い天井を縦横無尽に跳ね回るスプリングボックが別のハウンドの頭上を取っている瞬間が見えた。

 ジャストなタイミングで真下に向かって突き出された二又槍が、ハウンドの頭部を貫通し、そのまま石を串刺しにしていた。

 

 パンサーは真下から、スプリングボックは真上から、それぞれが最も得意とする攻撃を繰り出し、一撃で見事にハウンドを仕留めてみせた。

 そして爆散したハウンドの残滓が消えてなくなるよりも前に、新たな敵へと踊りかかっていくのだった。

 

「アムールトラ! ここはアタシたちに任せて早く行って!」

「そうです! ここにウルヴァリンが来ているなら、こんな奴らは準備運動にもなりません!」

 

 ・・・・・・やっぱりこの2人は強い。

 私がこれまでに出会ってきたフレンズの中でもトップクラスの実力者だ。

 彼女たちなら、数体のハウンドセルリアンが相手でもまず心配ない。

 そして、この後Cフォースのフレンズと戦うことになったとしても、決して遅れを取ることはないはずだ・・・・・・仮にクズリが襲ってきたとしても、上手く逃げの一手に徹することが出来れば、簡単にやられたりしないはず。

 

「たのんだよ」と、今一度2人に頷くと、こんどこそふりかえらずに廊下をひた走った。

 前を見ると、一番先につき当たりに到達したカイルが、分岐路を右に曲がっていくのが見えた。

 そしてカイル以外のメンバー、カコさん達は左へ曲がろうとしている。1人、また1人と曲がり、やがて最後尾にいるシガニーが消えると、残すは私だけになった。

 

 分岐路に辿り着くと、左から聞こえてくる複数人の足音を後目に、カイルの消えた右側へと急いで進んだ。

 右側の道からすでにカイルの足音は聞こえない。

 静かな一本道の廊下をしばらく進むと、また道が分かれていた。

 

 何の道案内がなくても、もう迷うことはない。

 道の片方は今まで通りの暗闇だった。しかしもう片方は、月明かりに照らされて僅かに明るくなっていた。

(なんだか、眩しいな)

 月明かりがする方へと進む中で、次第に視界が光で焼き付いてくるのを不便に思って、暗視装置を目から外した。

 なんでも、光を何倍にも増幅するのが暗視装置という物の仕組みらしいから、月明かりだけで十分見える私の目では、本当の暗闇でもない限りこれは必要ないということか。

 また必要になるかも知れないのでスカートのポケットにしまっておくことにした。

 

「・・・・・・あ、カイルさん」

 月明かりがぼんやりと差し込む、地上へと続く階段・・・・・・その入口にある大理石の柱の陰に、カイルが立っていた。一足先にここに来て、私のことを待っていてくれたんだ。

 

 彼の姿を改めて肉眼で見るとなると、やっぱり印象が鮮明になる。

 月明かりで照らされている彼の青白い禿頭も、首元をすっぽり覆う黒いスカーフも、やっぱり死神の恐ろしげなシルエットそのものだと思う。

 彼から発せられる、無表情のまま命を刈り取ることが骨の髄まで染み付いている凄みが。私にそう感じさせるんだ。

 この夜を戦い抜くのに、これ以上頼りになる仲間は他にいないのかもしれない。

 

 彼は柱にもたれ掛かった体を起こすと「さっさといくぞ」と言わんばかりに、私に顎で合図してきた。

 私もそれに頷いて、2人で息を殺しながら階段を登り始めた。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:52歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:元アメリカ国防総省ホワイトハッカーチーム職員(本人談)
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「ギル・チャラ・カーター(Gil Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「カイル・ファウスト(Kyle Faust)」
年齢:37歳 性別:男 職業:民間軍事会社アダムズインターナショナル構成員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章4 「つきよのけっせん」(中編)

※残酷な表現がかなり多くなってきているので、苦手な方はブラウザバック推奨です。(今さらな注意書きで申し訳ありません)


 カイルと2人で地下から続く階段を抜けると、私の目には眩しいとさえ思えるぐらいの月明かりが辺りを青白く照らしているのがわかった。

 ここケープタウン大学は、見晴らしの良いテーブルマウンテンの麓に立てられている。夜の山から聴こえてくる様々な鳥や虫なんかの囀りが、辺りの静けさを一層強調させる。

 

 どうやらここは大学内のどこかの屋外通路だ。

 広い石畳の道の中側には、並木が等間隔で植えられている。

 通路の左右には、それぞれ同じような高さの校舎がずっと立ち並んでいて、さらに突き当りにも同じように建物が立っている。

 現代的な鉄筋コンクリートの建物もあるけど、全体的にはやっぱり赤レンガや石を使って建てられた古めかしい建物が多い。あちこちに植物の蔦がからんでいたり、コケが生していたりと、建てられてから相当な年月が経過しているのが見て取れる。

 

 ともかく、見晴らしがいいとは到底言い難い、建物の密集地帯だった。

 建物の隙間には細かい道や、ヒトや車が通るために1階部分をトンネル状にくりぬいた建物があるけど、こんな迷宮のような場所を闇雲に進んだところでラチがあきそうにない。

 一体どうすれば敵の居所をカコさんたちに教えられるだろうか。

 今の私のたった一人の味方、雇われスナイパーのカイルは、いったいどうする気なのだろうか。

 

______ジャキンッ・・・・・・!

 私が思いあぐねているさなか、カイルは銃を構え、コッキングレバーを引いて初弾を込めた。

 背中にある愛用の狙撃ライフルではなく、横幅5、60センチぐらいのサブマシンガンだ。一見して何の変哲もない対人用の武器だった。

 思えば彼は、カコさんやチャラ兄弟とは違って、対セルリアン用の装備をまったく身に着けていない。彼が相手にするのはあくまで同じヒトだけ、ということなのか。

 もしセルリアンが校舎の地下だけでなく地上にも出てくるようなら、彼を守れるのは私だけだ。

 

 カイルはそのまま木製の屋根で覆われた階段の出口を出て、手近にある向かって左側にある建物へと進んだ。

 その建物の2階部分より上は横にせり出しており、1階部分の外周には、くりぬかれたようにして柱に支えられる回廊が通っているので、身を隠して進むにはもってこいだろう。

 私もあわてて彼の後ろに続いた。

 

 2人して中腰で、音を立てずに、しかし早歩きで急いで進む。

 そして何メートルか前方、今私たちが進んでいるビルの外縁部にある開け放たれた扉が、風に吹かれてギシギシと乾いた音を立てているのが見える。

 ・・・・・・あのドアは元々開いていたのか、それとも何者かが開けてそのままになっているのか?

 私とほぼ同時に足を止めたカイルも、同じことを考えているに違いない。

 

 カイルは後ろにいる私に、片手を上げて「そこで待て」と伝えると、一歩ずつ、抜き足差し足でドアの前に近づき、顔だけをゆっくりと乗り出して中の様子を伺い始めた。

 緊迫の空気が辺りに張り詰めた一瞬、彼はついに銃を構えてビルの中に押し入った。

(ど、どうなる?)

 

 息を飲んで成り行きを見守る私に数秒の沈黙が訪れた後、カイルの白いスキンヘッドがドアの中から生え出て「入れ」と私に目くばせした。

 やっぱり・・・・・・このカイルという男は戦場のプロだ。動作にまったく無駄がないし、言葉のわからない私相手に、瞬間でわかるボディランゲージしか使わない。それでいて伝えてくるメッセージには何の不足もない。一緒にいて何の不自由なく背中を預けられる相手だと思った。

 

 彼に招かれて閑散とした廃墟の中に入った。

 入ってすぐに目に入ったのは、ダイニングキッチンや食事をするための机なんかが立ち並んでいる様だった。あちこちに置かれた食器から食べ物の腐敗臭が漂っている。

 

 ここは校舎とかではなくて、ヒトの生活空間だったのかな?

 大学の校舎内ってことを考えると、学生寮っていうやつか? ここに住んでいた学生が、食事も何もかもほっぽり出して逃げ出さざるを得なくなるような出来事が起こったんだろうな・・・・・・

 

 私がぼんやりと、克明に残っているヒトの痕跡に思いを馳せている中、やはり冷徹なプロのカイルはそんなものに注意を取られることもなく、床にしゃがみ込んで手にしたスマートフォンで何かを調べていた。

 案の定、画面に映し出されているのは、この大学の見取り図だった。彼はここから先どこへ向かえばいいのか調べているようだ。

 

 たった2人の別働隊である私たちの任務は、敵を偵察しカコさんたちに知らせることだ。

 そして偵察をするためには拠点が必要だ。なるべく見晴らしのいい、それでいて敵に位置を悟られにくい拠点が。

 彼はそれを見定めようとしているんだ。

 幸いと言っていいのか、建物の密集地帯であるケープタウン大学内には、隠れ潜む場所ならいくらでもある。

 しかしそれは敵も同じ・・・・・・もしすでにCフォースの刺客たちどこかに潜んでいて、私たちの行方を物陰から探ろうとしているなら、その目をかいくぐって動くことは困難を極める。闇雲に進んでも敵の返り討ちに遭うだけだろう。

 食い入るように拠点を探すカイルを、私はただただ息を飲んで眺めることしか出来なかった。

 

______フッ・・・・・・

「ッ!?」

 カイルのスマートフォンの光だけが輝く室内の暗闇の中に、別の明かりが点灯しはじめた。

 光の出どころは私の腕の中、先ほどから左腕に抱えていた、青色の耳と尻尾を持つナビゲーションユニットだった。

 ボディ中央に付けられた二つの楕円形のセンサーが、薄緑色の光を発している。私は光が建物の外から見えないように、あわててユニットを抱きしめて光を隠した。

 ユニットが突然に起動した・・・・・・ということは。

 

≪ハーイ、アムールトラ。言われた通りにユニットを大事に持っててくれて、ありがとサン≫

「ウィザード!? そっちはどうなっているの?」

 

 ユニットから聞こえる腹立たしくて能天気な声が、今しがた別れた味方たちの近況を告げる。

 カコさんたち本隊は、どうやら無事に危機を脱したようだ。「サラ・バートマン・ホール」の地下道を、目的地のメディカルタワー目指して問題なく進んでいるらしい。

 ・・・・・・でも、パンサーとスプリングボックはまだ合流出来ていないとのことだ。

 彼女たちはたった2人で地下に生息していたハウンドセルリアンの群れを引き受けた。すべては2人の戦闘能力を信頼してのこと。

 

≪さあさあ、これから超・天才のこのボクが2人をサポートするヨ。まずは”耳ん中の通信機”を出してチョウダイ≫

「通信機を?」

≪そうだヨ、早く。ここに入れてくれヨ≫

 

 ウィザードがそう言うと、ナビゲーションユニットの円錐形の右耳が「カポン」と蝶つがいの要領で開かれた。

 そうしてあらわになった耳の付け根には、何やら小さな窪みが空いている。

「・・・・・・」

 カイルが立ち上がり、不機嫌そうな顔で耳から小型通信機を引き抜くと、その窪みの中に通信機を差し入れた。

 ウィザードが何をしようとしているのか不明だったが、私もしぶしぶカイルに倣うことにした。

 

 2つの通信機を収納し終えると、ユニットの目がチカチカと明滅をはじめる。

 そしてその状態が何秒間か続いた後≪もう取ってええヨ≫とウィザードが伝えてきた。

(何だ? いま何をやったんだ?)

 いぶかしく思いつつも、言われた通りに通信機を引き抜いて、元通り自分の耳の中に収めた。

「”よう”」

 同じように通信機を付け直しているカイルが、改まった表情で私を見てきた。

 

「”はじめまして、と言うのはおかしいか?”」

「なっ・・・・・・どうして」

 

 聞き間違いじゃなければ、いま確かにカイルは私に日本語で話しかけてきている。

 彼は日本語が話せないし、私も彼の英語は理解できない。話す言葉が違えばコミュニケーションはできない。それが言葉というもの。

 

 例外はフレンズ同士のやり取りで、たとえお互いに違う言葉を話していても、自分の国の言葉のように理解できてしまうというテレパシーのような超感覚がすべてのフレンズの間に働いている。 

 また、その超感覚を人工的に再現したのがナビゲーションユニットで、使用するヒトがどんな言葉を話していても、フレンズが理解できるように置き換える機能がある。

 

≪べつに、簡単なことだヨ≫

 ウィザードが言うには、カイルが発した言葉が、ナビゲーションユニットを中継することで、私が理解できる言葉に変換されて耳の中の通信機に届いているというのだ。

 そしてもちろん私の言葉も同様に加工されている。

 だから今の私とカイルは何の不自由もなく言葉を交わすことが出来る。

 ウィザードがさっき通信機に細工を施したのはそういう目的があったのか。

 

 私が感心してポカンとしていると、カイルが横から「”そんなことより”」と話題を変えてきた。

「”いきなり手詰まりだ、今の俺たちには目がない。情報支援もなしに、敵が待ち伏せしているかもしれない場所に闇雲に突っ込むわけにはいかない”」

 

≪これはこれは「ダマスカスの悪夢」と呼ばれた伝説の狙撃手の言葉とも思えないネ?≫

「”・・・・・・俺は慎重主義者だ。お前みたいなバクチ狂いの詐欺師とは違う。で、お前は何をしに来た? 打つ手があるなら早くやれ”」

 

 話し始めるなり剣呑な雰囲気が漂い始めるカイルとウィザードだった。

 カコさんが「2人には込み入った事情がある」と話してたけど、実際のところ何があったんだろう? まあ私が気にすることではないのだけれど。

 彼らについてわかるのは、個人の都合はさておいて、目の前のことに集中できる冷静さを持った大人だということだけだった。

 

≪もちろん手はある。ボクが特別にカスタムしたこのユニットの機能を舐めてもらっちゃ困るヨ・・・・・・というわけでェ≫

 自慢げに鼻で笑うように告げるウィザードが、また何か始めようとしている空気を醸し出した。

 

≪アムールトラ、ユニットをちゃんと持っててネ。落としたらノーよ≫

______キィンッッ!

「なっ・・・・・・こ、これは?」

 私が腕に抱えているナビゲーションユニットが、急に甲高い駆動音を立てたと思ったら、

姿が一切消滅してしまった。

 いや消滅したのではない、機体の重量は未だに私の手の上に残っている・・・・・・そうか、体の色が変わっただけなんだ。

 全身が透明なガラス玉みたいになっている。ユニットごしにあたりの様子が透けて見える。

 

「”光学迷彩か、見た目の割にごたいそうなモンだな。だがセンサー対策は?”」

≪そっちも完璧ヨ。特殊なステルスコーティングを施してるからネ≫

 

 透明なガラス玉と化したユニットが私の手から離れ、フワフワと宙に浮きはじめた。

 ユニットの輪郭線あたりは空間が歪んでおり、機体のシルエットが浮かびあがっているので、完全に透明というわけではない。

 しかしそれは近くで目を凝らせばの話だ。遠くからこんな物を見つけることはまず不可能なように思う。

 

≪今からボクがコイツを使って外を見てくるヨ。カイル、君のスマホを見てごらんヨ≫

 

 カイルの手の中にあるスマートフォンの画面には、今しがたと変わらないケープタウン大学内のマップが表示されている。中央に映されているのは、いま私たちがいるビルの見取り図だ。

 そしてその中には、不自然に明滅するいくつかの光点があった。中でも目立つ点がふたつ。

≪それはネ、二酸化炭素センサーなんだヨ。あらかじめ君のスマホにインストールさせて

おいた≫

 

 ウィザードが簡単に説明してくれた。

 二酸化炭素。それは生き物が息を吐く時に必ず生じる物質だ。センサーはそれを検知して光点として画面に表示する。吐いている二酸化炭素の量が多いほど、光点は大きく濃く表示される。

 ヒト以外にも動物がいれば光点として表示されてしまうけれど、ネズミなどの小動物とヒトの呼吸を見間違える心配はない。

 センサーを確認しながら移動すれば、敵兵の居場所を見極めながら安全に進むことが出来る・・・・・・ということだ。

 

「”こんな便利な代物、敵も使ってくると考えていいだろうな”」

≪まあそうだネ。だけどそれはアンタら2人の腕でおぎなってくれヨ? そんじゃ、センサーを確認しながらボクの後ろに付いてきナ≫

 

 ウィザードはそれだけ言うと、透明なユニットを動かして、開け放たれたドアの隙間からさっさと外に出て行ってしまった。

 ユニットの移動を追いかけるようにしてスマートフォンの中のマップも動き始める。ネズミや野鳥かと思われる小さな光点が明滅している。敵兵と思われるような目立つ光点は未だ現れない。

 

≪言い忘れてたけど、ボクはアンタらのいる所から半径200メートルぐらいしか離れられんから、急いで付いてきてネ≫

 通信機ごしにウィザードが付け加えてきた。彼がそう言う理由は、電波を発することで敵から見つかることを恐れてのことだった。

 今ユニットは、カイルのスマートフォンに、二酸化炭素センサーから得られた情報を送り続けている。そして私たち2人の会話の”中継”の役割も担っているんだ。そして距離が離れれば離れるほど、強い電波を出さなければこちらと通信することが出来なくなる。

 当然ながら電子機器を装備している敵にとっては、こちらの居場所を探る格好の手がかりになってしまうだろうということだ。

 

「”こっちも行くぞ”」

 カイルが腰に付けたポーチに手をやり、半透明の細い紐を2本取り出した。あれは確か「結束バンド」っていうヒトの手首や足首を縛るための紐だ。

 彼はそれを使って、手早い動作で自身の左手首にスマートフォンを括り付けて固定すると、サブマシンガンを構えてドアの前に立った。

 

「”準備はいいな?”」

「はい!」

「”アムールトラ、お前はセンサーじゃ見えない脅威を探れ”」

 

 最低限の要件を簡潔な言葉で告げるだけ。

 言葉が通じるようになっても、カイルは変わらず寡黙だった。

 センサーじゃ見えない脅威・・・・・・敵が同じようにナビゲーションユニットやらドローンを飛ばしているなら、その位置を見つけて知らせろと言うのだ。

 そしてもうひとつの脅威は、どこかに潜んでいるかもしれないセルリアンだ。呼吸をしないセルリアンは、当然ながら二酸化炭素センサーには映らない。私にしか対処出来ない相手だ。

 

 月明かりに照らされる迷宮のようなケープタウン大学の敷地内を、カイルは手首に取りつけたスマートフォンの画面を垣間見ながら進み続けた。

 物陰から物陰へ、流れるように、まったく隙のない最小限の動きで。

 素早く動きながらも、虚空に向けられた銃口が注意深く全方位を警戒しているのがわかる。

 

 私は見よう見まねで彼の後ろに付きながら、感覚を研ぎ澄ませて敵の気配を探った。今この場で私に求められているのは、そういうことだと思った。

 目で敵を探ることは、カイルがこれ以上ないぐらい完璧にやっている。だから私は視覚以外の感覚を補完するんだ。

(”あの世界”に入ることが出来たら良いんだけれど)

 ふとそんな考えが脳裏に浮かぶ。

 勁脈打ちを放つ時に入る、相手の”意”だけが見える冷たい世界を覗くことが出来れば、隠れ潜む敵の位置なんて一目瞭然に良くわかるんだけど、あいにく今は無理な相談だ。

 こんなに激しく動き回りながら、呼吸を落ち着けて瞑想状態に入ることは不可能なんだ。私の修業が足りないせいでもあるのだけれど・・・・・・

 

「”これを見ろ”」

 細長い路地裏を進んでいたカイルが、そこを抜け出る前に突如足を止め、私に振り返り、手首にあるスマートフォンを見せてきた。

 画面には5つの濃い光点が点滅を始めている。敵が近くにいる、数は5人・・・・・・瞬間でそう悟った私は、思わず青ざめて息を飲んだ。

「”あの建物だ”」

 

 指差された先にあったのは、路地裏の出口から向かって左側。周囲の建物よりも突き抜けて高い、曲線的な金属の支柱に支えられる未来的な建物だった。

「”あそこはマズい。放置してたら俺たちが負ける”」

 カイルが物陰から建物を見上げながら、悔しそうな顔でつぶやく。

「”逆に、手に入れることが出来れば・・・・・・有利だ”」

 

 カイルがそうまで言う気持ちはわかる。

 あんなに見晴らしの良さそうな場所から見張られたんじゃ、メディカルタワーに向かおうとしているカコさん達の動きがいずれ悟られてしまう。

 そして、私とカイルの役目は、敵を偵察して仲間に知らせることなんだから、それを成し遂げるために、まずは見晴らしの良い場所に陣取らなければならない。

 

「”あの建物を手に入れるぞ。敵は5人、やれない数じゃない”」

「・・・・・・わかりました」

「”作戦はこうだ”」

 

 私とカイルはさっそく襲撃の準備に取り掛かった。

 カイルはそこら辺に捨てられている木箱や雑誌を積み上げて、その上に柔らかい土嚢を置き、そこに狙撃ライフルの銃身を乗せて構えた。

 そして銃身の先に例の建物を見据えながら、ボルトを操作して初弾を装填した。

 一撃必殺にかける殺気が、彼の暗視装置ごしの眼光に伝わってくる。すでに狙撃の準備は万端といった所だ・・・・・・だが、まだ狙いが定まっているわけではない。

 

 二酸化炭素センサーの弱点は、相手がいる場所の高さがわからないことだ。

 センサーは上から見た図から光点を表示するだけ。敵が一階にいても、屋上にいても、同じように表示することしか出来ない。

 

 だから、これから私がカイルに敵の正確な位置を教えるんだ。

 動いていない今なら”あの世界”への扉が開かれている。

 物陰にしゃがみ込んだまま、目を閉じて静かに呼吸を落ち着ける。自分の体の輪郭さえ忘れ、呼吸しか感じられなくなった頃、私は”意”の世界への没入を果たした。

 

 普段とはまったくものの見え方が違う”意”の世界。一切の明かりが灯らない真の暗闇の中で、建物の輪郭が、走査する光の線として表されている。

 建物のような無機物もどことなく流動的で、生きているかのように見えている。

 そして生き物は、その形が一切わからなくなり、魂だけが色鮮やかに光り輝きだすんだ。大概の生き物は青や緑っぽい光を放つ。しかし敵意や殺意を持っている相手は、赤黒くてまがまがしい、嫌な感じの色になるんだ。

 色で敵かそうじゃないか見分けが付けられるなんて、我ながら便利な感覚を身に着けているもんだと思う。

 

(・・・・・・見えた)

 

 建物の中ほどの高さに揺らめく5つの赤色の魂が、それぞれ四方に散って、息を潜めるように動かないでいる。

 私はてっきり、敵は一番見晴らしのいい屋上にいるんじゃないかと思っていたが、そうとも限らなかったようだ。安全な屋内に身を隠し、電子機器で周囲を探っているのかもしれない。

 

「敵を見つけました。建物の、えーと・・・・・・6階の高さに全員います。こっちから見える窓ガラスの近くにも1人。あそこです、あの窓の近く」

「”ここからじゃ見えん。アムールトラ、敵を窓の真ん前におびき出せ”」

 

 おびき出せって言われても、いったい何をやれば? 

 当然のように告げてくるカイルに視線で詰め寄るが、彼はスコープから片時も視線を逸らさないまま何も答えない。

 

(だったら自分で考えなきゃ・・・・・・)

 私は己の五体のみを使って戦うフレンズだ。機械を自在に操るウィザードや、無数の銃火器を使いこなすカイルとは違う。

 私に取れる方法なんて、そういくつもないはずなんだ。

 

 おもむろに辺りを見回した私が見つけたのは、地面に落ちている、何てことない石ころだった。

 それを拾いあげてカイルに見せると、彼は私の意図を悟ったように頷いた。

「”・・・・・・そういうのでかまわん”」

 

 私は今から石を投げる。

 カイルによれば、目標の建物はざっとここから200メートル先にあるらしい。つまりウィザードが操るユニットの旋回範囲に、運よくギリギリ収まっているということだ。

 200メートルは、ヒトが物を投げて届く距離なのだろうか? もしかしたら、野球選手とか、ボールを投げる訓練を日常的にしているヒトだったら出来るのかもしれない。でもあいにく私はそんなことやったことがない。

 それも狙った一点に当てなければならないんだ。

 窓の真ん前に敵をおびき寄せるといっても、石を窓ガラスに当てるのはまずい。

 もし石が当たって窓ガラスが割れでもしたら、その音で敵はこちらの存在を悟り、おびき寄せるどころではなくなる。

 だから、窓ガラスの近くにある壁に当てて、何気ない物音を立てるだけに留めなければいけないんだ。

 

「あの、カイルさん、ひとつ聞いてもいいですか?」

「”何だ”」

「狙った所に一発で当てるコツって何ですか?」

「”・・・・・・イメージすることだ”」

 

 狙い通りの所に当てている自分のイメージを思いえがく。そしてそのイメージをとことん信じぬく。克明にイメージを思い描けば描くほど、体はそれをなぞってくれる。

 伝説のスナイパーと呼ばれているらしいカイルが語る、狙撃の鉄則だ。

 

「それって、なんだか空手と似てるような気がします」

「”お前なりに納得できたならそれでいい”」

 

 ゲンシ師匠の教えが蘇る。

 空手にだってイメージは欠かせないものだ。敵だけじゃなく自分の動きも完璧にイメージしなければ、あらゆる動きはデタラメになり、完璧に構築された技術からは程遠いものになってしまう。

 もっとも、肉体をイメージ通りに動かすためには普段の鍛錬が欠かせないわけだが。

 

(ともかく・・・・・・自分を信じるしかない)

 経験不足を補うために、自分自身に先入観を刷り込むことにした。

 物を投げるという動作を、正拳突きや回し受けと同じように、気の遠くなるほど練習した動きであると錯覚させ、余計な不安や緊張を取り除くんだ。

 

______ブォンッ!

 脳裏に、瞬間に何十回何百回と石を投げる動きのイメージを繰り返すうちに、踏み込むタイミングと角度、全身それぞれの筋肉の力の入れ具合がなんとなく掴めてきたような気がした。

 それを愚直なまでに信じて、弓なりに全身をしならせ、手にした石を前方に放り投げた。

 

 月明かりが照らす闇夜の中、放った石がどんな軌道を描き、どこに当たるのか皆目わからない。

 後は祈るように、ひたすらに狙った一点を凝視する。建物の6階、こちら側から見える窓ガラスと窓ガラスの間にあるコンクリートの支柱を・・・・・・

(当たれ! 当たってくれ!)

 

______カンッッ・・・・・・

 乾いた音が聴こえた。何気ない、すぐに静寂に紛れてしまいそうな小さな音。

 石が狙い通りの場所に当たったかどうか正直良くわからない。だが、狙いを誤って窓ガラスを割らなかったことだけは確かだと思う。

 

 後はこの音を聞きつけて敵が窓ガラスの前に出てきてくれれば・・・・・・いよいよカイルの狙撃の出番だ。

 チラリと後ろを振り返って彼を見た。

 片膝を付いた姿勢で、土嚢の上に乗せたライフルを構えたまま石のように動かないでいる。

 わずかな体動が何十センチもの着弾点のズレに繋がる。そうさせないために呼吸を止め、全身を固く緊張させているようだ。

 見ているだけで冷や汗が出てきそうな極限の集中力が、銃身の先のただ一点に向けられている。一瞬に全てを懸けるスナイパーの真髄をまざまざと見せつけられる気持ちになった・・・・・・そしてその姿に共感をも覚える。

 私も今まで、彼と同じようにして戦ってきた。きっと私も、勁脈打ちを使う瞬間はあんな感じになっていると思う。

 

______ガシュンッ!

 ハンマーが落ちる甲高い金属音とともに、銃口が火を吹いた。

 火薬の爆発音はほとんど聴こえない。銃身の先に取り付けられた減音器によって遮られているからだ。

 固唾を飲んで見守る中、銃口のおよそ200メートル先の、地上6階にある窓ガラスに亀裂が走り、建物の中にいた影が鮮血を吹き出しながら倒れた。

「フー・・・・・・」

 今しがたまで呼吸を止めていたカイルがゆっくりと息を吐いている。

 手慣れた手つきで次弾を装填しながら、なおも目をスコープから外しておらず、その姿からは微塵の油断も感じられない。

 

「”早く行け”」

 カイルの指示を聞き、返事もかえさずに全速力で駆け出した。 

 あらかじめ打ち合わせをした通りだ。彼が狙撃を成功させたのを見計らって、私は一階から建物に進入し、敵に奇襲をかける。その騒ぎに乗じて、後からカイルが追いつくという算段だ。

 

______ヒュンヒュンッ!! チュインッ!

 私の頭上で、カイルの援護射撃と、撃ち返す敵の銃弾とが風を切って交錯しているのがわかる。

 200メートルという距離は、狙撃でもない限り簡単に弾を当てられる距離ではないそうだ。

 今、敵はカイルの銃撃に応戦するのに手一杯で、真っ直ぐに突っ込んでくる私の姿を捉えることは出来ないだろう。

 ヒトの足で200メートルもの距離を詰めようと思ったら、その前に見つかって蜂の巣にされる可能性もあるが、私なら一瞬で到達する距離だ。

 

 瞬く間に、5名の敵が占拠する廃ビルに正面から進入することが出来た。

 屋内に入り込んだ瞬間、当たり前だが月明かりが遮られてしまったので、懐から取り出した暗視装置を再び両目に引っ掛けた。

 

 階段を駆け上がるたびに、敵の殺気が増していくのを感じる。

 そして目標である6階に辿り着くと、耳を澄ませて銃声の音を聴こうとした。

 敵もカイル同様に武器に減音器を装着しているようで、遠くから聞き取れる程の物音は立てていない。それでも複数名で銃を連射すれば、同じフロアにいれば一目瞭然に居場所がよくわかる。

 

 この建物は何か大掛かりな発表をするための講堂のように思える。

 四方を窓ガラスに囲まれた見晴らしの良い広い場所に、放射状に備え付けのテーブルとイスが数百個も並べられ、中央の一段高い場所には教壇があった。

 

 気配を消しながら静かに講堂に押し入った。

 今しがた”意”の世界で垣間見た兵士たちが4人、講堂の向かって正面側に固まり、撃ち殺された1名の傍らで、外にいるカイルに応戦して銃を撃っている。

 あれで全員ならば、どうやらフレンズはここにはいないようだ。

 

 奇怪な装いの兵士たちだった・・・・・・Cフォースのシンボルカラーである濃紺色ではあったけど、見慣れた野戦服ではなく、全身にぴったりと張り付くゴムのような質感の装束を身にまとい、胴体や肘などを黒く角ばったプロテクターで保護している。

 そして頭部を顎までカバーするヘルメットで覆っており、恐ろしささえ感じられる異質さを醸し出している。

 銃弾すら防ぎそうなプロテクターとヘルメットだったが、見た感じ、ヘルメットの目の周りの部分は半透明なプラスチックで作られており、防御力が落ちるような気がする。

 カイルはさっき、200メートル離れた場所から、ヘルメットの防護の隙間である、敵の眉間を狙撃したということか。あんなに狭くて動く的に向かって・・・・・・

 神がかり的な腕前としか言いようがない。

 

 カイルの作ってくれたチャンスをものにするために、猛然と敵に向かって駆け出した。

 こんな広い場所では、四方に散らばって距離を取られれば、銃を持った敵の方が絶対に有利だっただろうが、私に気付いていない彼らには、そんなアドバンテージはない。

______ダンッッ

 近くにあった机を踏み台にして飛び上がり一気に距離を詰める。

 物音に気付いた紺色の兵士たちが気付いて振り返った瞬間、私はすでに己の間合いに敵を捉えていた。

 

 着地しざまに、ヒトの反射神経を超える速度で、2名の敵兵の体に一撃を食らわせた。  

 鍛え上げた私の拳が、頑丈そうな防具を物ともせずに打ち貫く。

 1人の敵兵の顎を掌底で砕き、もう1人には、みぞおちに正拳を打ちこんで内臓を破裂させた。

 それぞれの体が弾かれたように震えたと思った一瞬、ほぼ同時に意識を失って崩れ落ちた。

 殺してはいない。だが戦闘不能になるほどの重傷は負わせた。この2人が起き上がって、私や味方を脅かすことは、もはやないだろう。

 

 前々から、Cフォースの兵士と戦う時が来たならば、こういう具合に倒そうと決めていた。

 気絶させるだけではダメなんだ。敵が再び目を覚まして、味方に危害を加えてくることがないようにしなければならない。

 でも殺すことだけはしたくない・・・・・・敵であろうと彼らはヒト。セルリアンとは違う。

 すでに体内のオーダーが取り除かれているとはいえ、最後の一線を越えることへの抵抗はまだ残っている。決して消すことが出来ない自分自身の気持ちが私にそうさせるんだ。

 

 それに、今の私の技量なら、微妙な力加減でギリギリ相手を殺さずに重傷を負わせるに留めることが出来る。だからこれでいいんだ。

(さあ、次だ)

 拳を引き戻して残身を取り、呼吸を落ち着けながら前を見る。

 着地ざまの攻撃で仕留められたのは、4人のうちの2人だけだ。もう2人は健在のまま、襲い掛かってきた私に気付き、応戦しようと銃口を向けると、躊躇なく引き金を引いてきた。

_____シュカカカカカッッ!!

 2人の敵が手にした減音器付きのアサルトライフルの連射が私を襲う。

 木製の机や椅子を穴だらけにしながら近づいて来る火線を、間近にある机の影にしゃがんで躱しながら、敵の出方を探った。

 

 耳を澄ませると、2人の足音が遠ざかっていくのが聴こえる。よくよく見ると、弾の狙いも無茶苦茶だ。

 そうか、敵兵は私がフレンズだと気付いた時点で、敵わないのを悟って逃げの一手を打っているんだ。銃撃はただの牽制だ。

 

 油断した。かなり出来る連中だ。200メートル先に気を取られていたのに、突然に接近してきた私に対処して撃ち返してきただけでなく、瞬間に不利を判断して撤退を始めるとは・・・・・・

 Cフォースの兵士の中でも精鋭が揃っているに違いない。

 

 敵をこのままにしておけば、どうなるのかは目に見えている。

 もし逃がさなくても、わずかな隙を与えれば仲間に連絡を取られて増援を呼ばれる。

 または、私とカイルしかいないことから、カコさん達が別行動していることを見抜かれてしまうかもしれない。

 とにもかくにも、この作戦が失敗する可能性が倍増することだけは間違いない。

 

(くそっ・・・・・・これじゃ、あの時と同じじゃないか!)

 クズリと最後に共闘した、あのオレンジ川付近での戦いを思い出す。

 あの時、私が逃げる敵に情けをかけて手を出さなかったせいで、敵の大群をおびき寄せてしまった。ヒグラシ所長を守るために、クズリが敵を殺さざるを得ない状況を作ってしまった。

 その結果クズリの身にオーダーが発動してしまい・・・・・・私は彼女と袂を分かつことになってしまった。

 私と彼女とでは、もともとの物の考え方に大きな違いがあることはよくわかっている。それでも私の不手際が、彼女が暴走する原因のひとつを作ってしまったことは間違いないと思う。

 そう考えると後悔が止まらない。

 

(今度こそ逃がしちゃだめだ!)

 私が未熟なばっかりに、敵を逃がし味方を危険にさらしてしまう。

 同じ失敗を二度も繰り返すぐらい無様なことは他にない・・・・・・そんなことになったら、自分で自分を許せない。

______ベコンッ!

 自責の念に堪え切れず、頭がカッとなった私は、近くにあった床に備え付けられた机の脚を掴み、力任せに引っこ抜いた。

 

「わあああっっ!!」

 後退しながら銃撃を浴びせてくる敵に向かって、地面から引き抜いた机を思いきり投げつけた。

 今しがたまでクズリのことを思い出していたからだろうか。彼女の戦い方を真似するような動きを自然と選び取っていた。

 重量物を敵に投げつけるという、とことん力任せで原始的なこの攻撃は、ほぼ全く手加減が出来ない。100%の殺意をぶつけているに等しい。

 

______ガシャアアンッッ!!

 敵兵の1人が、投げつけた机に巻き込まれるようにして、ガラス窓を突き破って外に飛び出し、そのまま地上6階の高さから下に落ちていった。

 

 残る敵はたった1人、私の姿を銃口に捉えながらも攻撃は止んでいる。どうやら頼みのアサルトライフルは弾切れを起こしたようだった。

 しかしまたも冷静に状況を判断し、全力でこの場から逃げ延びようと、私から背を向けているのが見える。

 

「逃がさない!」 

 敵が走り出すよりも速く踏み込んで距離を詰め、狙いすました一撃を放った。

 己がもっとも得意とする正拳突きを、ヘルメットに覆われた後頭部めがけて・・・・・・

______バシュウッッ!!

 私の拳を受けた敵兵の頭部が、まるで内側から爆発したかのように弾け飛び、辺りに鮮血をばら撒いた。

 動作を終えた後でようやく、力加減を誤って全力を出してしまったことに気付く。

 速さも、タイミングも、力みも、セルリアンを相手にする時となんら変わりないものだった。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・」

 ひしゃげたヘルメットが地面に転がり、崩れ落ちた首なしの死体が床に血だまりを作っている。

 ヒトを殺してしまった。紛れもなく自分の意志で、1人のかけがえのない命を無惨な肉塊に変えてしまった。

 

 殺さずに重傷を与えるだけだと前もって線引きを決めていたのに、冷静さを失った私は、いとも簡単にそれを忘れてしまった。

 想像もできなかった。今の私の全力でヒトの体を打つと、こんな有り様になってしまうなんて・・・・・・

 

 罪悪感に耐えられず、力なく膝を付き、跳ねまわる心臓を落ち着かせようと深呼吸をした。

 でも、いくら空気を吸い込んでも、胸の奥にある冷たくて気持ち悪い塊がつっかえて喉を押し上げてくる。吐いてしまいそうだ。

    

≪”アムールトラ、聞こえるか”≫

 吐き気を堪えながら座り込んでいる私に、通信機ごしにカイルが声をかけてきた。

 

≪”敵の攻撃が止んだ。1人は上から落ちてきて即死した・・・・・・他はどうだ? 作戦通り全員を倒せたのか?”≫

「は、はい。倒しました」

 

 カイルは相変わらず最低限の言葉で尋ねてくる。

 私は出来る限りの平静を装って返事を返したが、どうにもチグハグな沈黙が残る感じになってしまった。

 

≪”どうした? 撃たれたのか?”≫

「なんともないです」

≪”・・・・・・すぐにそっちに行く”≫

 

 ただ事ではない私の様子を見抜いたらしい彼が一言だけ安否を尋ねてきたが、それきり何も訊かずに通信を切った。

 それきり、広い室内を耐えられないほどの沈黙が圧し掛かってくる。

 

 ふと自分の右手を見やると、指先から手のひらにかけて赤黒い血液で染まっているのがわかる。その上、細かい肉片があちこちにこびりついている。

(・・・・・・ひどい、ひどすぎる)

 血の匂いも感触も、耐えられないぐらい気持ち悪くて、右手を床に擦り付けて必死に拭うと、なおも上がってくる吐き気を押さえつけるように自分の首を締めて息を堪えた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」

_______________Human cast ________________

「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「カイル・ファウスト(Kyle Faust)」
年齢:37歳 性別:男 職業:民間軍事会社アダムズインターナショナル構成員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章5 「つきよのけっせん」(後編)

 後書きがネタバレになるこの形式もうやめたほうが良いのかもしれない。


 油断のない足音が、すばやく階段を駆け上がってくる。

 頭蓋骨そのもののように滑らかな首を生やした恐ろしげな人影が銃を構えながら、こちらに向かって近づいて来る。

 それはこの絶望的な状況で、私が唯一背中を預けられる者の姿だった。

「・・・・・・」

 カイルはその場にへたり込む私の姿を見つけると、無言で一瞥し、次にすぐ傍の血だまりの中にある首なし死体に銃口を向け、注意深く何秒か観察した。

 その視線に責められているような気分になって、彼の視線が早く他の所に行くように願った。

 いくら観察したところで「それ」が再び起き上がってくることなんて、絶対に有り得ない。

 

「”全員殺したのか?”」

「い、いえ。奥にまだ2人倒れていますけど、そっちは生きています」

 

 あいも変わらず冷淡な最低限の言葉だったが、別に私のことを責めているわけじゃない。彼はあくまで状況を的確に把握しようしているだけだ。

 

 私の返事を聞いて、カイルは無言のまま講堂の奥深くへ進んだ。

 周囲の様子を見まわしながら進み、私の手によって重傷を負わされ気絶したまま倒れている2人の敵兵に気付くと、銃を構えながら近寄っていった。

 そして2人の様子をあらためている。

 片方は顎を砕き、もう片方はみぞおちに拳を打ち込んで、横隔膜のあたりを破裂させて仕留めた相手だ。

 

「”・・・・・・どうやらこっちは話が出来そうだな”」

 カイルが、内臓破裂で倒れている方の兵士に近づくと、馬乗りになって上半身を押さえつけ、顔にかぶっている顎まで覆うヘルメットをもぎ取った。

 中から現れたのは、浅黒く彫りの深い顔に短髪の、中東系の若い男の顔だ。

 

 無機質な仮面の中の素顔が明らかになると、なおさら生身の存在感が感じられる。私は間違いなくヒトを相手に戦っているし、すでに2人も殺してしまったんだ。

 

______ボグゥッ!

 カイルは腰から抜いたナイフの柄で、中東系の兵士の顔面を殴打した。すると何秒か経ってから、その男の瞳がぼんやりと見開かれる。

 

「”5秒やる・・・・・・質問に答えろ”」

 男の鼻先わずか2~3センチぐらいの距離に、ナイフの切っ先を突き付けた。そしてナイフ以上に鋭い殺気が眼光から放たれている。

 それに気付いた男が、顔面に冷や汗を吹き出しながら「ヒッ・・・ヒッ・・・」とえづくような息継ぎをしはじめた。

 たぶん私にやられた傷のせいだ。息をするたびに腹部に激痛が走っているに違いない。

 

「”お前らは何人でやって来た? 人間は何名? フレンズは? 5、4、3・・・・・・”」

 

 男は苦しそうな呼吸の後に、私にはわからない言葉でカイルの質問に答えているようだった。

 カイルと敵は、おそらくは同じ言葉を話しているだろうけど、ユニットに中継されていない言葉はもちろん私には聞き取れない。

 

「”そうか。じゃあ次の質問だ”」

 カイルは男の返答に無表情で頷くと、さらに畳み掛けるように新たな質問を投げかけようとしていた。

 ナイフを突きつける右手とは反対側の左手に括り付けたスマートフォンを相手に見せている。

 画面に映っているのは、ケープタウン大学内の見取り図だ。大学全体を広域で上から見下ろしている画面がそこにある。

 

「”仲間の居場所を吐け。どの位置に何人隠れている?”」

「・・・・・・!」

 敵兵は苦しそうに息を吐きながら押し黙った。

 人数はあっさりと吐いても、この質問に答えることには逡巡があるようだった。居場所をこちら側に知られることが致命的な痛手であることを悟っているからだろう。

 

「”どうした? 5秒しか待たないと言ったはずだが”」

 カイルは脅しの言葉を続けながら、ナイフの切っ先で敵兵の褐色の頬をゆっくりと撫でている。頬から一筋の血が流れ落ちて地面に滴り落ちている。

 横から見ているだけでも、恐ろしいほどに無駄がない尋問だと思った・・・・・・たぶん、彼にとっては狙撃と同じぐらい手慣れた場面なんだろう。

 

 兵士は絶望と焦燥とを瞳の中に滲ませている。このまま黙秘を続ければ、目の前にいる無慈悲な死神の手によって、5秒後には確実に命が奪われることを悟ったようだった。 

「・・・・・・ア」

 ナイフの痛みに呻いたのか、何か喋ろうとしたのか、敵兵はついに口を開いた。それを見たカイルの能面のような顔が、一度だけまばたきして動揺を覗かせたように見えた。

 その直後、私の目に思いがけない光景が飛び込んできた。

 

______サグッッ

 カイルは自身で宣言した5秒を待つことすらしなかった。

 開かれた敵の口の中へ、ナイフを勢いよく突き込んでいた。

 まったく躊躇がない、何かに裏打ちされた強い意志を叩きつけているかのような一撃だった。

 鋭く研がれた刀身が、飲み込まれるように口の中に入っていき、一瞬後には切っ先が後頭部から飛び出すと、床に当たってその動きを止めた。

 

「カッ、ガガッ・・・・・・」

 ナイフで口腔内から脳天までを貫かれた中東系の若い男が、驚いたように目を見開く。

 その後コンマ何秒か経つと苦しそうにあえぐのだった。

 最初は自分の身に何が起こったかすらわからなかったが、後から遅れてそれを認識し、同時に痛みがやってきたという感じだった。

 その後カイルが、ねじ込んだ時と同じぐらい勢いよくナイフを引き抜くと、兵士の首から下の全身がビクリと痙攣した。そして口から噴水のように血を噴き出しながら、白目を剥いて絶命してしまった。

 

 カイルはこと切れた兵士の腹の上で、刀身についた血糊を敵の衣服に擦り付けて綺麗に拭き取ると、ナイフを腰に収めつつ、無表情のまま立ち上がった。

 

「・・・・・・ど、どうして!? そのヒト、何かを話そうとしていたんじゃ?」

 混乱してたまらず横から抗議する私の声を聞いても、カイルは相変わらずふてぶてしく、微塵も感情が動いていない様子だった。

 

「”奴の奥歯に、不自然な突起があった”」

「突起?」

「”むかし戦場で同じものを見た”」

 

 それはカイルが傭兵になる以前、アメリカ海兵隊にいた頃の話だった。

 海兵隊きっての優秀なスナイパーだった彼は、シリアという国の紛争地帯に何度も派遣され、その度に地獄のような経験をして生き延びたらしい。

 敵は古くからその地と宗教に根付く、死を恐れずに戦う過激派のテロリスト集団だったそうだ。

 地の利を活かしたゲリラ戦術によってあちこちから襲い掛かってくる敵を相手に、数で勝るはずの海兵隊は常に苦しめられていたと。

 

 仲間の居場所を吐かせるために、テロリストを拷問にかけることも日常的に行っていたらしい。

 だがテロリストたちは海兵隊に情報が漏れるのを良しとしなかった。

 そんな彼らがしばしば取った手段のひとつに「奥歯に異物を仕込む」というのがあったそうだ。

 それは体を縛られ口しか動かせない状態になっても、敵に一矢報いるための備えだった。

 ・・・・・・異物っていうのも色々あるらしくって、ほとんどは自殺をするための劇薬だったけど、中には何かを動かすスイッチを仕込んでいるテロリストもいたようだ。

 そのスイッチは、仲間に自分の位置を知らせる通信機だったり、一番ひどい時には体に隠し持った爆薬に繋がっていたんだと。

 

「”昔、同じ手口で仲間が死んだ。俺をかばったんだ。ガキの頃からつるんでた兄弟のような男だった”」

「それは・・・・・・辛かったですね」

「”だが俺の感情などどうでもいい。あの経験のおかげで、今を生き延びたというだけだ”」 

 

 カイルは個人的な感情など一切この場に持ち込んでいない。何が起きても、目的を達成しようとする強く冷徹な意志で動いているだけだ。

 ・・・・・・それに比べて私は脆すぎる。今までに多少なりとも培われた自信が内側から崩れ去っていくようだった。

 しょせん私は、セルリアンを狩るのが上手かっただけなんだ。

 

 今しがたの出来事を思い返す。

 正拳突きで敵の頭を粉々に打ち砕いた時、鮮血と肉片とが拳にびっしりとこびりついていた時の感触が。己の手でひとつの掛け替えのない命を奪った重みが。

 自我のないセルリアンに比べて、ヒトには自我も感情もある。歩んできた人生も、関わってきた他人もいる。ヒトを殺すことは、それらを一瞬でまるごと奪い取ることなんだ。

 それがこんなに恐ろしくて、心が壊れそうになる体験だなんて思わなかった。

 

 ヒトを守るためにセルリアンと戦ってきたのに、結局ヒトを殺すことになるなんて・・・・・・私は今までいったい何のために戦ってきたんだろう。

 

「”おい、アムールトラ”」

 カイルが振り返りもしないまま私に話かける。

 見ると彼は、今しがた殺したのとは別の兵士に近づいて腰を下ろしていた。私に顎を割られた奴で、今となってはこの場の唯一の生き残りだ。

 話すことが出来ない相手を拷問しても仕方がないと思ったのか、手慣れた素早い動きで意識のない兵士のヘルメットや装備を引っぺがし、手首と足首に拘束バンドを取り付けていた。

 

「”おまえは運が良い”」

 敵を縛り上げる作業を続けたまま、振り返りもせずにカイルが言葉を続ける。

 

「どういうことですか?」 

「”はじめてを済ませておけば、次からはもっと冷静になれる”」

 

 すべては慣れだ、とカイルは言った。

 何十回何百回と繰り返せば、ヒトを殺すという恐ろしい所業にだっていずれは慣れる。セルリアンと同じように考えられるようになる。

 現にそうしてきたであろう彼が言うのだから、紛れもない真実なんだと思う。

 いったい彼は、眉ひとつ動かさずにヒトを殺せるほどの非情さを身に着けるまでに、どれ程の地獄を味わってきたんだろうか・・・・・・

 

 今この場面において正しいのはカイルだ。

 誰が相手であっても、何が起きても、最善を尽くすためには彼のような非情さが必要なんだ。

 私だって相応の覚悟を決めてこの場に臨んでいるつもりだった・・・・・・だけど、本当に心の底から覚悟を決めている者を目の前にして、そんな浅はかな気持ちも見事に砕かれてしまうようだった。

 

(私は、私はいったいどうしたら・・・・・・)

 

 いま私の心の中には、ふたつの考えが互いに譲らずにせめぎ合っている。ふたつの強い気持ちに引っ張られて、心が真っ二つに裂けてしまいそうだった。

 

 ひとつは正義。

 私には「フレンズもヒトもみんなが夢を叶えられる世界を作りたい」という理想がある。

 ヒグラシ所長も、パンサーも、スプリングボックも・・・・・・みんながみんな、自分の夢を叶えて幸せになってほしい。彼らの幸せのために戦うのが私の正義なんだと思っている。

 だから私はカコさんの下で戦っていくと決めた。その決意は絶対に間違っていないはず。

 

 もうひとつは倫理。

「ヒトを殺してはいけない」という、他のすべてと天秤にかけても負けることがないような普遍的な規範だ。

 

 どちらを選ぶべきかは考えるまでもない。

 相手だって自分を殺そうとしているのだから、事ここに及んでは、倫理だの何だのと言っている場合じゃない。

 目的を達するために、そんなものは一刻も早く捨てなきゃいけないんだ。

 でも、それでも私は・・・・・・

 

「”行くぞ。見晴らしの良い場所を見つけて敵の位置を探る”」

「は、はい」

「”・・・・・・”」

 

 気のない返事をした私に、必要最小限のことしか喋らないカイルが言葉を続けることはなく、静かに立ち上がって銃を構えるだけだった。

 だがそれでも、私の迷いや恐れなんかはとっくに見抜かれてしまっているような気がした。

 

≪モシモシ! ウィザードだヨ! 2人とも聞いてる!?≫

 その場から動き出そうとしていた私とカイルの耳を、突如けたたましい声がつんざいた。

≪ヤバいヨ! ミーたち、敵に見つかってるみたいなんだヨ!≫

 

「そ、そんな!」

 ウィザードがいつものお道化た態度ではなく、本気で泣き叫んでいるような声で告げてくるのは、顔面が青ざめるほどに絶望的な知らせだった。

 

 カコさん率いる本隊がサラ・バートマン・ホールの地下から外に出ようとしていた矢先、どこかから敵の銃撃を受けたらしい。死者はいないが、先行していたチャラ兄弟の弟ギルが肩ごしに弾を食らい負傷してしまったという。

 

 ホール内の出口はまだ他にもあったため、迂回して別の場所から出ようと思ったが、案の定そこでも敵に補足され攻撃を受けているという。

 物陰に隠れながら、肉眼では捉えられないほど遠くにいる敵の銃撃を耐え忍んでいるが、それもいつまで持つかわからない状況らしい。

 

 どういうことなんだ。

 敵が私たちに向かって攻めてくるならまだわかる。すでに地上に出ていて、どこで姿が見られているかわからないのだから。

 だけど、地下に潜みながら動いていたカコさん達の動きを読んで攻撃してくるなんて、いったい何が起きてるっていうんだ。

 

 考えられる可能性が二つある、とウィザードは言った。

 ひとつは、監視カメラの類でこっちの動きが筒抜けになってるのか。

 もしくは最初から待ち伏せされてたのか。

 

≪でも、どっちもあり得るはずないんだヨ≫

 彼は可能性を示唆しておいて、早くもそれらを自分で取り下げてしまった。

 まず監視カメラについてだが、この施設内の電源は最初から落ちており、そういった電子機器の類は動かすことすら不可能であると。

 それに待ち伏せの可能性も低い。敵は最初、戦闘ヘリでこちらを追い回してきたのだから。

 はじめから自分たちの存在を教えてしまっては、待ち伏せをする意味なんて全くない。

 

「だったらどうして!?」

≪全然見当も付かないヨ、どうしてこうもこっちの動きが・・・・・・!≫

 

「”簡単なことだと思うがな”」

 狼狽える私とウィザードをよそに、あくまでも冷静なカイルが言葉を差し挟む。

 

「”どうやら敵に恐ろしく優秀なスカウトがいる”」

≪優秀って、何がどう優秀なんだヨ?≫

「”単に目や耳が冴えてるのか、はたまた何か特殊なセンサーを使っているのかはわからんが”、俺たちの想像を超えてるのは確かだ”」

 

 スカウト・・・・・・隠れ潜みながら敵の居場所を探り、仲間に教える者。つまり今の私たちと同じ。

 カイルが言っているのは実に単純なことだった。

 私たちよりも敵のほうが上手だったから今の事態を招いてしまっている。ただそれだけ。

 

「”スカウトを見つけ出して始末する・・・・・・他に手はない”」

 そう静かに告げるカイルの黒づくめの背中には、これまで見た中で一番の、まるで凍った炎のような殺気と覚悟が立ち上っているようだった。

 

≪ああ早いとこ頼むヨ! この状況はアンタらにしか打開できないヨ!≫

「”・・・・・・ところで、お前が動かしていたユニットはどこにある?”」

 

 私もカイルと同じことが気になった。こうして私たちが会話出来ている以上、まだユニットの中継は生きている。姿が見えないが、壊れたりしていないのは確かだろう。

 

≪ああ・・・・・・悪いがアンタらがいる建物の屋上に置き去りにしちゃってる。操縦する余裕がないモンでね、ユニットのセンサー類を使いたいならアンタらが回収してくれヨ≫

 

「”屋上に向かうぞ”」

 そう言うと、彼は再び足音も立てずに走り出す。覚悟を背負うその背中が、後ろにいる私のことなんか放ったまま、みるみるうちに遠ざかっていくような気がした。

 

 ジレンマに引き裂かれそうな体を引きずるように足を動かし、何とか彼の後に続いた。

 縛りあげた兵士が1人と、三つの死体とが横たわる広い講堂を抜け、暗闇に包まれた廊下から階段へと抜け出た。

 

「あの、カイルさん・・・・・・!」

 カイルは重そうな銃を背負いながらもまるで疲れを見せずに階段を駆け上がっていく。その後ろ姿を追いながら声をかけてみる。

 

「さっき敵の人数を聞いてましたよね? 敵は何人いると?」

「”人間は総勢91名・・・・・・フレンズは1人だけだそうだ”」

 

 91名というのは、軍事的な単位で言う所の、おおよそ2小隊程の人数で襲ってきたということになる。

 私たちが5人減らしたから、今は86名になった。

 それでもカコさんとチームジョーカーは合わせて6人しかいないから、まだ全然敵の方が多い。カイルはこうして別行動を取っているし、ウィザードは非戦闘員だから実質4人だ。

 たとえジョーカーの1人1人が強いにしても、20倍以上もの人数差で攻め込まれたらひとたまりもないのは想像に難くない。

 

 だが逆にフレンズはたった1人だけなのか。

 散り散りになっているとはいえ、こっちには私も含めて3人ものフレンズがいることを考えると、拍子抜けするような気持ちになる。

 だいいち、パンサーもスプリングボックも百戦錬磨の強者なんだ。2人と力を合わせることさえ出来れば、どんなフレンズが相手でもまず負けないような気がする。

 

 ・・・・・・いや、侮ってはいけない。たった1人ということは、その1人さえいれば十分だと向こうが判断しているからなんだ。

 たった1人いれば事足りるような圧倒的な戦力を持ったフレンズに違いない。

 じゃあやっぱり、ここに来ているのは・・・・・・クズリ? それとも私が知らない物凄い奴がいるんだろうか?

 

 いくつもの回廊を通り過ぎ、月明かりが差し込む薄暗い階段を登り切った先、風が吹きすさぶ講堂ビルの屋上へと辿り着く。

 辺りに立ち並ぶ背が低い建物を一望できる高さだ。建物の向こうに生い茂っている木々や、テーブルマウンテンを中心とした壮大な山脈が、月夜に照らされて黒いシルエットを形作っている。

 ここからなら、ケープタウン大学の敷地内の全てを見渡せる。スカウトをするのにも、カイルが狙撃をするのにも打ってつけの拠点だ。やっぱりこの建物を手に入れて正解だった。

 

「”屋上に着いた。ユニットの光学迷彩をオフにしろ”」

≪わ、わかったヨ!≫

 

 ウィザードが返事をした途端、私たちの十数メートル先にある、何の変哲もないコンクリートの地面の一部が歪み、ガラス玉と化して周囲に溶け込んでいた青い機体が姿を現す。

 電源は付いているが、まったく操作されずにただ床に横たわっていた。

 

「”低く進め”」

 そう言うとカイルは、膝が地面に着きそうなぐらい中腰に丸まって前進を始めた。そうするのはもちろん敵から身を隠すためだ。

 屋上をぐるっと取り囲むフェンスから体がはみ出ないようにさえしてしまえば、辺りで最も高いこの建物にいる私たちの姿を目で捉えるのは不可能だった。

 

 ユニットが落ちている所まで辿り着くと、2人して地面に膝をついたまましばし沈黙した。一刻も早く辺りを偵察しないといけないとは思うけど、そのためにはフェンスから身を乗り出す必要がある。

 もし敵が、カコさん達と同じように私たちの居場所にも勘付いているなら・・・・・・今の私がやるべきことはひとつだ。

 ふたたび”意の世界”へと潜り込んで、相手の位置と出方を読んでやるんだ。

 己に命じるように念じながら、呼吸を落ち着かせて目を閉じた。

 

「”待て、先に確かめることがある”」

 その矢先、私の意図を察したカイルが声をかけて止めてきた。そうしてどこからともなく何かを取り出して、受け取るように顎で促してきた。

 手のひらに余る大きさのそれは、重たくはないが決して軽くもなく、固くゴツゴツした感触を手に伝えてくる。

 

「こ、これは・・・・・・」

 私が受け取ったのは、カイルが先ほど敵から剥ぎ取ったフルフェイスのヘルメットだった。

 そして彼自身の手にも、もうひとつ同様のものが携えられていた。

 

「”合図したら上に掲げろ”」

「わ、わざと見つかる気ですか?」

「”もう見つかっている。だから敵のお手並みを拝見させてもらう・・・・・・落とすなよ”」

 

 有無を言わせぬ態度で告げるカイルに流されるまま「いちにのさん」の掛け声に従って、しゃがんだ姿勢のままヘルメットを真上に突き上げた。

 

 もし敵がこちらを見張っているのなら、ふたつのヘルメットがフェンスからはみ出ているのが見えるだろう。それを私たちの頭だと見間違うはず・・・・・・その後何が起きるかは考えるまでもない。

 心臓をバク付かせながら、その時が訪れるのを静かに待った。

 

______・・・・・・ガィィンッッ!!

 頭の上で火花が弾け、手にしたヘルメットから電流のような衝撃が伝わってくる。

「くっ!」

 思わずヘルメットをその場に落としそうになってしまうのをギリギリで堪える。予想はしていたものの、やっぱり肝を冷やさずにはいられない。

 ・・・・・・どうやら、ヘルメットごしに敵の銃撃を食らった右手は無事なようだ。振動以外の感覚は伝わってはこない。

 ヘルメットの内側に右手がすっぽりとおさまるように、首に留めるバンドを握って持っていたから当たり前なのかもしれないが。

 

「”見せろ”」

 再び手を下ろすと、そのままカイルと顔を突き合わせ、それぞれの手に持ったヘルメットを見比べてみる。

 黒く滑らかな表面からは、ほんのり焦げ臭い火薬の匂いがした。そしてたった一か所だけ、明らかに弾痕だとわかる凹みが出来ていた・・・・・・でもそれだけだ。ヘルメットの原型はまったく保たれているし、このまま身に着けることだって問題なく出来るだろう。

 

「”どう思う?”」

「・・・・・・こんな頑丈に出来てるとは思いませんでした」

「”お前が強すぎるだけだ”」

 

 最新式の軍用ヘルメットは、数種類の強化繊維を何層にも編み込んで作られており、弾丸を当たり前に防いでしまうという。それを粉々にするには対物ライフルでも使わない限りは不可能だと。

 じゃあ、私の拳は対物ライフルと同じぐらいの威力があるってことか・・・・・・つくづくヒトに向けて放っていい代物ではなかった。

 

「”そんなことより弾痕の位置を比べてみろ”」

 言われた通りにふたつのヘルメットを見比べてみる。私のヘルメットには、丁度こめかみにあたる側面に弾痕が付いている。

 一方でカイルのそれには、額のど真ん中に跡が残っている。

 

「”・・・・・・いつの間にか、袋のネズミだ”」

 

 私たちはふたつのヘルメットを、同じタイミング、同じ角度、同じ高さで掲げた。敵はほぼ同時にそれらを狙い撃ってきた。

 たった一発だけ、狙い済ました一撃を・・・・・・にもかかわらず、ヘルメットの着弾位置はまったく違う。

 別々の場所に潜む別々の敵から狙い撃ちされたんだ。

 

 複数の地点にいる敵に、私たちの動きが読まれている。

 それに同時に仕掛けてきたことを考えると、私たちがどのタイミングでどう動くか、別々の場所にいながら、細かいことまで共有し合っているんだろう。

 

 例の「恐ろしく優秀なスカウト」が指示を出しているってことか・・・・・・一体何者なんだ。

 ヘルメットを掲げてから撃たれるまでほんの数秒ほどだったのに、複数の地点にいる仲間に指示を出して狙い撃ちさせるなんて、辺り一帯で起きていることをすべて把握していない限りは出来ることじゃない。

 まるで百個も千個も目が付いているような相手だ。

 

 それに、こっちの動きがあまりにも読まれ過ぎている。

 例のスカウトは私たちの今の動きを読んでいるだけでなく、未来に起こることまでも予知しているんじゃないか・・・・・・そんなあり得ないことすら考えてしまう。

 

≪まったく、ミーたちと同じことになってるじゃないかヨ!≫

 ウィザードが言うには、カコさん達もまた、物陰から顔を出してはすぐにどこかから攻撃を受けてしまっており、動こうにも動けないジリ貧状態に陥っているという。

 今は敵も離れた所から牽制してくるだけだが、このままでは距離を詰められて本格的な銃撃戦になってもおかしくない、と。

 

≪言っちゃ悪いけど、アンタら全然役に立ってないヨ!≫

 

 ウィザードの物言いは腹立たしかったが、彼の言う通りだから口答えすることは出来なかった。

 スカウトとして敵の位置を見つけて知らせるのが私たちの役目だったのに、まったく情報をつかめず、逆に見つけられてしまっている有様だ。

 

「”これから役に立ってやる”」

 表情一つ変えないカイルが、手首に括り付けたスマートフォンを外して何やら操作を始めた。

 

≪何をしようってんダ?≫

「”ウィザード、ユニットの電波の出力を最大にしろ、なるべく広い周波数帯域でな」

≪・・・・・・あ! その手があったカ!≫

 

 床に横たわるナビゲーションユニットの、緑色に光るふたつの目がチカチカと明滅している。

 カイルの意図を読み取ったウィザードが何らかの操作を始めたようだ。

 

 さっぱり訳が分からずにカイルのスマートフォンに目を移すと、先ほどまで周囲を上から見た地図を映していた画面が別のものに切り替わっていた。

 何とも言えない変な映像だ。複雑な光の揺らぎが波のように絶えず画面の中で揺れ動いている。

 

「”周囲の電波を可視化した。これでスカウトを見つけ出す”」

 簡単にいえば、これは音波の代わりに電波を使ったレーダーなんだそうだ。

 ユニットから強い電波を放ち、それに共鳴した他の電波の位置を探っているらしい。

 スカウトは常に仲間と通信し、指示を出している・・・・・・つまりは敵の中で一番多く電波のやり取りをしている存在と考えて間違いない。

 だから電波レーダーでおおよその位置が割り出せるだろうとのことだ。

 

≪こんなデカい花火を上げてたら普通はマズいんだけどさ、もう見つかってるから関係ないんだよネ。むしろこっちが有利だヨ≫

「どういうこと?」

≪ヒソヒソ声で相談してる奴らの耳元を、大声で塞いでやれるんだからネ!≫

 

 スマートフォンに映る光の波は、相変わらず生き物みたいにうねり続けている。

 カイルはしばらくそれを息を飲んで見守り続けていたが、しばらくして「”あっちだ”」とつぶやき、しゃがんだまま体の向きを変えて指を差した。

 ・・・・・・といっても、他と変わらずにフェンスに囲まれた夜空があるだけで、眼下に何があるかはわからない。

 

「”このレーダーでわかるのは大まかな方向だけだ”」

 そう言いながらカイルは私に目配せしてきた。寡黙な彼は、身振りで済む内容を言葉にすることはない。

(私の出番だ)

 彼に倣って無言で頷いて目を閉じ、意識を深く虚空の中に潜らせた。

 

 ”意”だけが走る冷たくて音のない世界は、さっきスマートフォンに映っていた無数の光の波を思い起こさせる。

 こうして見ると、電波と”意”はよく似ていると思う。

 目に見える決まった形はなく、どこにでも存在しており、どんなに離れた場所にも瞬時に届いてしまう・・・・・・そんな性質が両者には共通して備わっている。

 

 かたやヒトの文明を根底から支えているテクノロジーの産物。

 かたや「揺らぎ」などと曖昧にしか言い表せない、私が修業によって獲得した概念。

 まったく別物であるはずなのに、こうまで似ているのは何故なんだろう。

 

 もし電波のことに詳しい学者か何かに会うことが出来たなら、そのヒトに聞いてみたい。

 電波とは何なのか? その成り立ちや仕組み、ヒトはそれをどうやって認識し生活に役立てているのか? そういったことを根掘り葉掘り尋ねてみたい。

 

 そう思うのは、私自身の修業のためだ。

 電波のことが理解できれば”意”のことも、まったく別の切り口から理解することが出来るかもしれない。

 この冷たく音のない”意”の世界がどういう法則で成り立っているのか何もわかっていない。ただ偶然に入れるようになっただけ。

 そんな私がここで出来ることと言えば、立ち尽くして感覚を研ぎ澄ませることと、ひとつの目標に狙いを付けて、自らを体当たりさせる”勁脈打ち”を放つことしかない。

 

 でも、この世界のことを今よりも深く理解したならば、他のことだって出来るようになるかもしれない。

 もしかすると”勁脈打ち”を超える技を身に着けることだって可能なんじゃ・・・・・・?

 

______ドプンッ

 底なし沼を思わせるような深く暗い場所に、余すところなく光が走査して不定形な地形を描き出すと、直前まで脳裏にあった思考や感情がすべて途切れた。

 この世界での私に思考はほとんどなく、他のすべての”意”を探る感覚しか持ち得ていない。

 

 ・・・・・・そして光を見た。カイルが指さしていたはずの方向に、あらゆる障害物を透過して、赤黒い殺気を走らせる敵の”意”が、たったひとつだけ浮かび上がっていた。

 

「はあ・・・はあ・・・」

「”スカウトはどこだ?”」

 

 現実に意識を戻すと、待ちかねた様子のカイルがスマートフォンを差し出してくる。

 額から出る汗をぬぐいながら、画面に移されている俯瞰図と、今しがた”意”の世界で見た映像を照らし合わせるように指でなぞってみる。

 カイルは私の指の動きに合わせて画面を動かし、図を拡大して範囲を少しずつ狭めていった。

 

「ここ! この建物です!」

「”・・・・・・そうか”」

 

 そこは礼拝堂だという。宗教建築であることを示す、屋根の頂点にある巨大な十字架が”意”の世界でも印象的に映っていた。

 辺りに比べて特別大きな建物ではなく、スカウトが偵察に使う場所としては考えにくかったが、今しがた私が赤黒い”意”を見たのはこの場所に違いなかった。

 

「”ここから南にざっと1キロ弱。かなり遠いが、俺なら当てられる。あっちの弾に当たらなければだが”」

≪あー・・・・・・はいはい、わかってるヨ!≫

 カイルが横たわったナビゲーションユニットに近寄り、意味ありげにジロリと見下ろすと、籍を切ったようにウィザードが返事をした。

 

≪ボクに囮をやれって言うんだロ? 確かにこのマシンなら出来るヨ≫

「でもウィザード、今は敵から逃げてて操縦が出来ないんじゃなかったの?」

≪・・・・・・それが行き止まりに追い詰められちゃっててネ、これ以上は逃げることも無理そうヨ。だったら最後の大博打をやるのも悪かないサ≫

 

 大出力の電波を発している今、ナビゲーションユニットは敵のセンサー上でとても目立つ存在になっている。そんな状態で敵が待ち受けている場所に飛び込めば格好の的になってしまう。

 だがそれは逆に言い換えれば、敵から注意を逸らし、カイルが狙撃をする隙を作ることが出来るということ。

 さらにユニットは透明になる機能もある。いくらセンサー上で目立っていても、目で見えなくてはそうそう弾は当たらない。

 

「”最後まで付き合わなくていい。ある程度敵を引き付けたらユニットを離脱させろ”」

≪・・・・・・そんなんでエエの?≫

「”ユニットの電波攪乱で本隊を支援しに行け。後のことは自分で何とかする”」

 

 カイルはその言葉を最後に会話を打ち切り、ライフルの薬室に弾を込めはじめていた。

 ウィザードはその様子を見て溜息交じりに「OK」と返事をする。2人の中では完全に、最後の攻勢に打って出る覚悟が決まったようだった。

 

 ・・・・・・2人の覚悟に置いてけぼりにされそうな気持ちになる。いまだに命を奪うことへの恐怖心が拳と心臓とに染みついている。

 私は2人よりも確実に真剣さが足りていない。この場にいる資格さえないような気がする。

 いいかげんに私は変わらなきゃいけない。迷いに囚われている場合じゃない。

 たとえ師匠から受け継いだ空手をヒトの血で汚すことになったとしても、今この場にいる以上は目の前のことにベストを尽くさなきゃいけないはずだ。

 

「待ってください・・・・・・スカウトは私が倒しに行きます。カイルさんは私を援護してください」

 口にしてしまえば事態が動き出す。気持ちが追いつかなくても、後から追い付いてみせる。

 今の私にはそうするより他に前に進む方法はないような気がした。

 

「”捨て鉢になってるのか? 死ぬぞ?”」

「信じてください! そうした方が良いはずです」

 

 なんの考えもなしに言ってるわけじゃない。

 ウィザードが囮になり、カイルが狙撃をする作戦では、私はただ持て余されているだけ。今は3人の能力をフルに発揮するべき局面なんだから、接近戦しか能がない私は前に出るべきなんだ。

 

 いかに神業のようなカイルの狙撃でも、万一失敗したら後がない。

 しかし、私が仕留めに行って失敗したとしても、カイルの狙撃がカバーしてくれる。二段構えで攻めることで成功率を少しでも上げられるはずだ。

 それに、接近して襲ってくる私の姿を目にすれば、敵はそっちに注意を向けざるを得ない。透明なユニットよりも遥かに目立つ囮になる。

 ・・・・・・私ならきっと大丈夫だ。銃なんかじゃこの体を貫けやしない。

 

「”いいだろう”」

 すっかり準備を整えたカイルが、愛用の狙撃ライフルを腕に携えながら答えた。鬼に金棒、死神に鎌。そんな絵面だ。

「”噂に高いお前の力を見せてみろ”」

 

 そう。私はセルリアン相手なら”最強の養殖”とまで呼ばれたフレンズなんだ。

 例えヒトが相手でも、絶対にしくじったりするもんか。

 

 ナビゲーションユニットを小脇に抱えながら、フェンスを乗り越えようと手を掛けた。ウィザードの操縦で地上に降りるよりも、私が持って飛び降りた方が早いからだ。 

 後ろで待機しているカイルの鋭い視線を感じながら、ゆっくりと息を吐く。

 

「あの、カイルさん」

 集中力が高まっていく一方で、後ろ髪を引かれるような気持ちが生まれ、振り返らずに彼に話しかけた。

「あなたは何を信じて戦っているんですか?」

 純粋な疑問だった。理想のために人殺しに手を染めるしかないのが私の運命だとしたら、その道の先輩である彼の考えを是非とも知りたかった。

 

「”俺には夢や信念などない。お前みたいにピュアじゃないし、ミセス・久留生のような育ちの良いお嬢様とも違う”」

 長い会話にはならないことを察したカイルが気前よく質問に答えてくれた。

「”・・・・・・そんな俺でも、ただひとつだけ確かだと信じていることがあるとすれば”」

 

「なんですか?」

「”戦争がこの世界から無くなることはない。力の足りない奴は、金で力を買ってでも戦争をしようとする。だから俺は、食いっぱぐれたことがない”」

 

 カイルの生き様がその言葉にすべて現れていた。

 彼は傭兵。理想も感傷も持ちえない。ただ金だけを対価に求めて己の命を銃火に晒す。まるで野生動物みたいにシンプルな生き方だ。 

 肉食獣は己が食べるために得物を狩る。カイルは報酬を得る為に戦場で敵を殺す。

 そこに何も違いはない。傭兵という生き方は、ヒトの原始的なあり方に近いのかもしれない。 

 ・・・・・・動物として生まれた私が、ヒトに野生を感じることになるとは、いよいよ動物失格、なのかもしれないな。

 

(でも、待てよ・・・・・・そうか、そういうことだったんだ)

 

 苦笑で話を終えようとしていた私の脳裏に、突然に糸がほどけるように一本筋が通った考えが去来した。

 生きている限り、ヒトも動物も殺すことからは逃れられないんだ。

 長年の疑問が解けた。

 野生知らずの私が、今ようやく「野生」とはなんなのかを理解できた。

 

「行ってきます。参考になりました」

 そうカイルに答えるや否や、勢いよく屋上から飛び降りた。

 地面から離れた足とは対照的に、ふわふわと寄る辺なく漂っていた私の心が、強固な足場に乗ったような気がした。

 

 

______ズシィィンッッ!!

 講堂ビルの屋上から飛び降りると、眼下にある古ぼけた建物のひとつに着地した。

 瓦で出来た屋根を突き破り、フローリングの床に深々と両足がめり込んでいた。屋根も床も、衝撃を和らげてくれるありがたいクッションだ。

 地面にそのまま落ちるよりもダメージははるかに少ない。

 

≪ヘイ、大丈夫かアムールトラ? 何十メートルも落ちただロ?≫

 小脇に抱えたナビゲーションユニットから、私の身を案じるウィザードの声が聞こえる。彼もまたユニットのモニターごしに、さぞ怖い落下映像を見たことだろうな。

 

「落ち方にもコツがあるんだ、私は落ちるの慣れてるし。あ、でもヒトがやったら死んじゃうからマネしちゃだめだよ」

≪するワケねーダロ・・・・・・で、これからユーはどーすんノ?≫

「もちろん、すぐに行くよ」

 

 今しがた屋根に空けた穴から月明かりが降り注ぎ、そんなに広くもない建物の中を頼りなく照らしている。

 薄暗闇の中、目を凝らして室内を見回してみる。散乱する机と椅子。食べ物の腐敗臭・・・・・・例によってヒトの生活の痕跡がありありと残る廃墟だった。窓がいくつかあるようだったが、内側にあるブラインドが閉じ切っており、外の様子は何もわからない。

 ほどなくして、木製の古ぼけたドアらしき物が目に映る。 

 どこをどう進めば辿り着くかはすでにシミュレーション済み。あそこをくぐれば後は礼拝堂を目指すだけだ。

 

「ここからは別行動だよ」と、言いながらユニットを床に置き、緑色に光るセンサーごしに私を見ているウィザードに呼びかける。

 今のユニットは透明にもなっていなければ、電波も出していない。それらはバッテリー消費が激しいから、今後の役割のことを考えると無駄遣いは出来ないという理由からだ。

 

「私が出てからこっそりと動いてくれ。そして早くカコさん達のところへ」

≪そのドアを開けた瞬間、ユーねらい撃ちされちまうヨ・・・・・・≫

「大丈夫だから」

 

 そう言うやいなや、躊躇なくドアを開け放ち建物の外に踊り出た。

(・・・・・・思った通りだ)

 無数の鋭い殺気が空間を歪ませる揺らぎとなり、刺すように私を貫いている。

 ひどく直線的なそれらは、どこから来てどこに抜けるのかを前もって伝えてくれるようだった。

 

≪危ないッ!!≫

______ヒュンヒュンヒュンッ!

 

 ウィザードの悲鳴に覆いかぶさるように弾丸の風切り音が飛来する。数発の弾丸が、先刻見た揺らぎを寸分も違わずになぞりながら飛んでくる。

 まずは足、その次は胸に数発。最後に頭。

 全部食らえば、私でも致命傷を負うかもしれないな・・・・・・だが、しかし。

 

≪た、弾がすり抜けた!? どうなっとんノ?≫

 

 すり抜けた、とは大袈裟な言い方だ。彼の目からはそう見えたのかもしれないけど、飛んでくる所がわかってたから最小限の動きで躱しただけだ。相手の”意”を読むのは私の基本なんだから。

 ・・・・・・だけど、ここまではっきりと読めたのは初めてかもしれない。

 

≪アムールトラ、ユーってマジでめっちゃんこ強いんやな! まるでケンシロウみたいジャン!≫

「・・・ケンシ・・・誰?」

≪ケンシロウは日本の超フェーマスなコミックの主人公で・・・・・・ま、それはともかく、ここはもう全部任せるヨ。ユーとカイルにネ!≫

 納得した声で返事をしながら、透明なナビゲーションユニットが建物から飛び出し、そのまま闇夜に溶けるように消え去っていった。

 

 私は私で、あらかじめ決めていた道のりに向かって全速力で駆け出す。

 石畳の道を走る私を、入り組んだ建物の密集地帯に陣取った敵兵が銃撃してきた。上から、あるいは側面や背後から狙ってくる無数の殺意が鮮明に感じ取れる。

 速度を落とさないまま、あらかじめ読んだ弾道に合わせてジグザグに走行し、ことごとくを躱しながら走り続ける。

 

 そして私のはるか後方、ビルの屋上からカイルが援護してくれている様子もわかる。

 すでに何人かの敵兵が彼に狙撃されて倒されている。冷酷な一撃でもって敵を狙い仕留める殺気は、他よりも際立って強烈でまがまがしい。

 カイルの異名は”なんとかの悪夢”だってウィザードが言ってたっけ。まさしく敵対する者にとっては悪夢のような男だ。金次第では彼が敵に回っていたかもしれないと思うと恐ろしい。

 

 ただ前だけを見て走る私は、見もせずに、聞きもせずに、周囲で起きていることが手に取るようにわかる。

 今までにないぐらいに感覚が冴え切っている。

 たぶんそれは、殺すことに向き合い始めたから・・・・・・生き物が発する殺気というものの本質がわかったからだ。

 

 立つこと。息をすること。食べること。寝ること・・・・・・生き物の基本的な営み。殺すこともそれらに連なるひとつ。

 その事実を自覚できた今、私は確実に前よりも成長することができた。

 

 殺すことは、本当なら善悪で語れるようなことじゃないんだ。

 それでもヒトは考える頭があるから、殺すことに倫理や法といったブレーキを駆けるようになった。ヒトの中で生まれた私も当たり前にそれに従ってきた。

 もちろん倫理や法は大事だ。野生から進化したヒトがその中で勝ち取ることが出来た、まさしく掛け替えのない財産だと思う。

 

 だけど・・・・・・いかに発達した文明でも、生きている限りは、殺すことと無関係ではいられない。

 肉食獣が草食獣を狩るように、また草食獣が草を食むように。命はどこまでも廻るように出来ているのだから。

 

 パンサーの悩みだって、今なら心の底から共感できる。

 元は野生の肉食獣として、本能のまま草食獣を狩って暮らしていたが、フレンズ化を境にヒトの倫理の中で生きるようになり、倫理と本能との間で苦しんでいるんだ。

 ・・・・・・じゃあパンサーに比べて、今までの私はどうだった?

 私がヒトから与えられてきた食糧は、どこかで誰かに殺された命。

 それを自覚しないまま、美味しい美味しいと、何も考えずに頬張ってきた・・・・・・そっちの方がよっぽど残酷で、命に対して不誠実だ。

 今こそ本当に命の重みと向き合わなくちゃいけない。生き物として正しくあるために。

 

 決意を胸に秘めたまま狭い路地を走り抜け、開けた広場のような一角に踊り出た。礼拝堂はもう目と鼻の先にある。

(・・・・・・なんでこんなに静かなんだ) 

 敵の攻撃がピタリと止んでしまっている。さっきまで私を執拗に狙い続けていた銃口ごしの殺意がひとつも感じられない。

 

 本当なら、戦術の要であるスカウトが潜んでいる礼拝堂を守るために、今まで以上に敵兵が集まっていて、いっそう激しい攻撃を浴びせてくるはずなのに、1人もいないなんておかしい。

 カイルが何人か倒してくれたとは思うが、いかに彼の狙撃でも数十名もの敵兵をこんな短時間で仕留められるはずがない。

 

 まさかスカウトに逃げられたのか、と頭の中に疑念が広がらざるを得なかった。

 礼拝堂はもはや目と鼻の先。せっかく辿り着いたのにお目当てがいないんじゃ、作戦も台無しだ。引き返して作戦を立て直すしかなくなる。

 

 スカウトが今も礼拝堂の中にいるかどうかは、ここからじゃ確かめようがない。今の研ぎ澄まされた感覚をもってしても、殺意を向けて来ない相手の居場所はわからないんだ。

 なぜならば、スカウトは仲間に連絡をするのが仕事なんだ。本当に自分の身に危険が及ぶまでは敵に銃を向けることもないはず。

 

(クソ・・・・・・考えるのは後だ)

 今はともかく礼拝堂に突入するしかない。中に押し入ってスカウトがいれば仕留める。いなければカイルに報告してすぐに立ち去る。私にできるのはそれだけ。

 

 赤レンガで作られた十数メートルぐらいの礼拝堂。

 三角形の屋根のすぐ真下に、複雑な模様が彫られた楕円形のガラス窓が見える・・・・・・あそこなら突入するのにちょうどいい。

 

 ジャンプして、ガラス窓を突き破り、中にいるスカウトに拳を叩きこむ。

 カイルが狙撃をする時のように、これから自分がやろうとしている動きのイメージを脳裏に何回も焼き付ける・・・・・・後はその通りに動くだけ。

 私はトラ。密林に潜んで狙いを定め、獲物を狩るために一瞬にすべてを賭ける肉食獣。銃は使わないけれど、生まれついてのスナイパーだ。

 

______パリィンッッ!!

 

 イメージに従うまま、あらかじめ決めていたタイミングで地面を蹴って飛び出そうと踏み込んだ瞬間、それは起こった。

(な、何だと!?)

 私が狙いを定めていたガラス窓が吹き飛んだ。

 ガラスの破片が建物の外にパラパラと飛散している。そのことから、カイルが窓を狙撃したわけじゃないのは一目瞭然だ。

 礼拝堂の中から”何か”が飛び出してきたんだ。

 

「はっ!?」

 

 黒い影が、目にもとまらぬ速さで私の真上を横切って飛び去っていくのを感じた。

 急いで足を止めて後ろを振り向き、立ち並ぶ背の低い建物の上を飛翔する影を目で追った。

 

(そんな・・・・・・まさかあれは)

 

 放射状に広がる大きくて美しい黒い翼は、この明るい月夜の支配者であるかのように、これ以上ないぐらいの存在感を放っている。

 かつての戦いの日々で、常に私を導き続けてくれた、傍にいると誰よりも安心できたその姿。

 

 懐かしい記憶と、今しがた見ているシルエットが完璧に重なる。

 私にはそれですべての合点がいってしまった。

 敵方のフレンズは1人だと聞いている。90余名の敵兵に交じって、彼女はたった1人この場に召集され、スカウトとして私たちを追い詰めていたんだ。

 

 こちらの動きがことごとく読まれてしまうことも、いま私がこうしてドンピシャなタイミングで出し抜かれたことも、彼女が相手であるならば当然そうなると思った。

 恐ろしく優秀なスカウト・・・・・・本当にカイルが言った通りだった。彼女以上のスカウトなんて、私は他に知らない。

 

 ネコ科の夜目で何百メートルも先の夜空を鮮明に捉えた先には、黒い翼が一直線で後方に向かっている姿が見えた。

 ついさっきまで私がいた、辺りの建物より図抜けて高い講堂ビルの屋上を目指している。

 

 屋上から、いくつもの火線が薙ぎ払うように夜空に向かって打ち上げられる。

 カイルが、空から襲い来る敵の接近に気付き、狙撃ライフルからサブマシンガンに持ち替えて迎撃を試みているようだ。

 

 しかし黒い翼は、飛翔する速さはそのままに、跳ね返るように激しく軌道を変えて銃撃をすべて躱した。

 そのまま屋上に勢いよく接近すると、黒づくめの人影を抱えあげて、すぐさまゆっくりと浮き上がるように再び上昇を始めた。

 

「やめて・・・・・・そのヒトを殺さないで」

 

 広い夜空の中央で、宙吊りにされたカイルが手足をばたつかせて足掻いているのが見える。

 まるでその場にいない私に見せつけているように、その絶望的な有様が月明かりに照らし出されている。いかに悪夢のごとき腕前のスナイパーでも、空中で羽交い絞めにされては手の打ちようがない。

 勝負はもうついてしまった。

 

「メガバット! やめろおおおおっっ!!」

 

 割れるような大声を夜空に響かせてその名を呼び、猛スピードで来た道を戻る。翼のない生き物に生まれたことをこんなに恨めしく思ったことはないかもしれない。

 必死に走る私を嘲笑うかのように、メガバットは躊躇なく、羽交い絞めにした手を離した。

 

 真っ逆さまに、月明かりすら届かない奈落へ落ちていく影。

 耳を澄ませると、砕けちるような液体の落下音がうっすらと聴こえるような気がした。

(カイル・・・そんな・・・)

 私のせいだ。下に降りるなんて言い出さなければ、今も屋上に残っていれば、こんなにことにはならなかった。

 

 絶望的な気持ちでふたたび夜空を見上げる。

 放射状の翼を広げて大空に佇むその姿が、今度こそはっきりと良く見える。彼女もまた、真正面から対峙するように、高い空の上から、閉じられた瞳で私を見下ろしている。

 

 メガバット・・・・・・かつての私の上司。

 目が見えないながらも、異常に鋭い聴覚と優秀な頭脳を持ち、その場に起きている出来事を瞬時に聞き分けて把握する能力を持っている。

 あのクズリすらも完全に従えてしまうほどのフレンズ。

 

 彼女は私の命を何度も救ってくれた。ためになるアドバイスをいくつもしてくれた。静かな夜、二人で語り明かし、世界の美しさを共有し合った。

 これまで出会ったフレンズの中で、もっとも信頼と親愛とを感じていた・・・・・・ずっと再会したかった友達。

 そんな彼女が、最大の敵として立ちはだかっていた。

 

 to be continued・・・

 

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」

_______________Human cast ________________

「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「カイル・ファウスト(Kyle Faust)」
享年37歳 性別:男 職業:民間軍事会社アダムズインターナショナル構成員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章6 「ひょうへん」

 月明かりが差す暗がりの中を、無我夢中で走った。

 倒れそうなぐらい前のめりになって、激情を叩きつけるように足を踏み出して。

 立ち止まってしまったが最後、立っていることさえ覚束なくなってしまいそうな気がした。

 何かを考えたり感じたりする余裕はまったくない。

 メガバットが敵として現れたことへの驚きも、カイルが殺されたことへのショックも、これから待っている戦いへの動揺も、跳ねまわる心臓の音にすべて打ち消されていた。

 

 必死に地面を走る私とは打って変わって、メガバットは冷徹な静けさを放ちながら空中に佇んでいるように見える。

 ・・・・・・そして今、その落ち着き払った端正な姿が、ようやく動き始めた。

 黒い翼が、月明かりを避けるように、建物が作る影に溶け込むように、ふわりと斜め下に急降下した。

 どうやら私との正面衝突を避けて、どこかに身をくらませるつもりらしい。

 

「待て! メガバット!」

 

 道を曲がり、翼が旋回した方へと追いかけた。

 ・・・・・・もし曲がらずに真っ直ぐ進んでいたら、やがて無惨な姿に成り果てたカイルの亡骸を見たことだろう。

 あの冷徹で頼もしい銃撃が、ビルの上から私を援護してくれることはもうない。ポツンと1人残されてしまった孤独を肌で感じる。

 この地獄のような夜を、彼なしで戦い抜く自信がない。すぐさま私も彼の後を追うようにして物言わぬ肉塊に変えられてしまうんじゃないか。

 そう思うと、悲しいとか悔しいとか思う余裕すらなく、ただただ恐ろしかった。

 

 曲がりきった先に新たに見えてくる景色の中、目に見える範囲をくまなく見回してもメガバットの姿は見つからなかった。

 つい一瞬前までその姿を目で終えていたはずなのに、忽然とどこかに消え去ってしまっている。

 

「どこにいるんだ!」

 やけっぱちな気持ちで、大声を出しながら物陰から飛び出して、道の真ん中に己の姿をさらしてみる・・・・・・案の定、胸が痛くなる静寂だけが私を待っていた。

 月明かりに照らされる迷宮のような回廊に立っていると、まるで彼女の庭場に誘い出されてしまったみたいだ。

 

 彼女だけでなく、他の敵の気配も全く感じ取れない。四方八方から私を蜂の巣にしようと狙っていたはずなのに、今や誰もかれもが別の獲物を求めて移動した後のようだった。

 

(くっ、だったら!)

 この夜だけでもう何度目かになる”意”の世界への没入を試みる。

 今の私なら、やろうと思えばいつでもどこでも出来ると思って目を閉じた・・・・・・だが、あの世界が見えてくることはなかった。色々な感情がひしめき合って、静寂の境地がずっと遠くに感じられる。焦りに飲まれた今の私では心を研ぎ澄ますことは無理なんだ。

 

「シベリアン、ご無沙汰ですわ」

 私のもうひとつの名を呼ぶ声が聞こえる。

 その高く澄んだ声を聴いていると、頭の中をのぞかれているような気分になる。

 まるでお姫様みたいに上品めかした独特の喋り方もよく覚えている。こんな風に喋るフレンズは他に1人もいない。

 すべての記号が懐かしく、そして恨めしく耳に響く。

 

「あなたの鼓動が聴こえましてよ。仲間が1人死んだだけでこんなにも乱れている・・・・・・

脆くて純粋で美しい音色。あなたは私が知るままですのね」

 

 メガバットが建物の柱の影から静かに通りに歩み出てきた。

 両腕を組んで、その上からマントのように折り畳んだ両翼で体を包んでいる、在りし日とまったく同じ佇まいだった。

「くっ」

 突然目の前に現れた姿に、ギョッとして後ずさる。

 こんなに近づかれるまで気付かないなんて・・・・・・彼女が空にいるとばかり思って、下に注意を向けていなかったとしてもお粗末すぎる。

 どうやら今の私は、目で物を見ることすらまともに出来ていないようだった。こんなザマでは、死んでいったカイルに申し訳が立たない。

 

「私が相手だ!」

 

 虚勢を張るように叫ぶと、骨の髄まで刻み込まれた”後屈立ち”で身構えながら真っ直ぐにメガバットと対峙した。

 こんな精神状態でも日ごろの鍛錬だけは自分を裏切らない。

 体に引っ張られる形で、心も少しは落ち着きを取り戻していくようだった。

 そう・・・・・・たとえ彼女が相手でも戦うしかない。

 今のメガバットは、Cフォースの総帥グレン・ヴェスパーが、敵対組織パークと裏切り者である私を始末するために放ってきた刺客。和解の余地はないんだ。

 

「落ち着いて。少し話でもしましょう」

 

 しかし戦いの火ぶたが落ちることはない・・・・・・肝心のメガバットは、腕を組んだままピクリともその場から動こうとせず、私に何かを告げようとしている。

 随分といやな予感にさせる態度だった。

 

「今さら君と話すことなんてない!」

「そう? とても大事な話なのだけれど・・・・・・まあ、それよりこちらをご覧になった方が早いでしょう」

 

 メガバットが青白い唇を妖しく歪めながら、スマートフォンを見せてきた。

 画面の中に映っていた映像は、私に絶望を叩きつけるものだった。

「・・・・・・か、カコさんッ!?」

 彼女は手錠を後ろ手に嵌められて、その場に両膝を付かされていた。埃にまみれた美しい顔に無念の表情をのぞかせながら、苦しそうに頭を伏せている。

 そして彼女の後頭部には、暴力的な意志をにじませる黒い銃口がこれ見よがしに突きつけられていた。

 

 Cフォースの部隊にとって、カコさんを確保するのは赤子の手をひねるより簡単だったと言う。

 80余名でたった数名を攻める数の優位性だけでなく、相手がどう動くかもメガバットが暴いてしまっているのだから。

 

「日本には、将棋という歴史の長いボードゲームがあるそうですわね? 私は目が見えないから経験はありませんが、王手をかけられたら”詰み”といって、負けが確定するらしいですわ」 

 

 メガバットの言いたいことがわかった。

 カコさんを人質に取られている今の状況で抵抗することは出来ない。黙って縛に着く以外の選択肢がなくなってしまったんだ。

 映像に映っているのはカコさんだけで、他のチームジョーカーの様子はわからない。でも、大将である彼女が捕まったということは・・・・・・同じようにされているか、あるいは殺されてしまったか。いずれにせよ無事ではないということ。

 

「・・・・・・」

 歯噛みしながら、手首を並べてメガバットに差し出す。

 彼女は板のような形の手錠を懐から取り出し、それがぱちんと閉じられて私の両腕を拘束した。

 

「話が早くて嬉しいですわ。では参りましょうか」

 再び翼を大きく広げたメガバットが、後ろから私を羽交い絞めにして夜空に舞い上がった。

 

 まるであの時と一緒だ。

 寄る辺のない空を、力強い翼で掻き分けてどこまでも進む。自分の体では決して味わえないこの浮揚感・・・・・・

 心とは無関係に、肉体が無意識のうちに懐かしさを感じてしまっていた。

 

 私の初陣。ブラジルの港湾都市サルヴァドールで、身長100メートルに達するディザスター級セルリアンと戦ったあの日。

 あの時もこんな月夜だった。メガバットは私をその翼でディザスター級の所まで連れていき、ここぞというタイミングで落としてくれた。彼女の導きがあったからこそ、初めて”勁脈打ち”を成功させることができた。

 

 今にして思えば、ブラジルでの一年間はとても幸せだった。

 メガバットがまとめる部隊の中にはクズリもいて、スパイダーもいて、本当に最高のメンバーが集まっていた。

 セルリアンとの戦いばかりだったけど、頼れる仲間たちと一緒にベストを尽くした。あの頃はただそれだけで時間が回っていた。

 Cフォースもパークも、天然も人造も、フレンズとして生まれ持った宿命のことなんて知らずに生きていられた。

 今はもう戻れない私の居場所・・・・・・それは間違いなく、メガバットが作ってくれたものなんだ。彼女が支えてくれたから、あの日々を生き残ることが出来た。

 

 メガバットは私のことを「知っているまま」だと言った。成長していないという意味ならその通りだと思う。いつだって私は頑固で不器用で、悩みながら進むことしか出来ない。たぶん一生そんな感じだ。

 そしてメガバットの方も、あの頃となんら変わってないように思える。賢くて勘が鋭くて、話していると心を見透かされそうになる・・・・・・逆に言えば、こっちの気持ちを全部わかってくれそうな、不思議な包容力を持ったフレンズだ。

 

 2人とも変わっていない。

 それでも、あの頃とは何もかも変わってしまった。

  

 

 メガバットに吊り下げられたまま、未だ明ける気配がない真夜中の空を飛んでいると、やがて眼下には見覚えのある景観が見えてきた。

 石畳のだだっ広い中庭の中央に、無数の大理石の柱に支えられる巨大で荘厳な建物がそびえ立っている。柱の向こうにある木製の扉は突き破られて大穴が空いており、赤レンガの屋根からは何ケ所か火の手が上がっている。

 

 Cフォースの部隊は、サラ・バートマン・ホール前の広場に集結していた。突入口として選んだこの場所を、敵に捕まるという形で逆戻りすることになってしまうなんて・・・・・・

 

 だが、敵はただ集まっているというわけではなさそうだった。

 80名近くの兵士たちが、ホールの入り口付近を扇型に散らばって取り囲み、銃口を入り口に向けて構えていた。

 

 包囲は地上だけじゃない。明るい夜空には数機のヘリがやかましいローター音を轟かせながらホバリングしている。

 無骨で威圧的な大きさの機体には、四角く箱型に張り出したコクピットと、ミサイルポッドを備えた両腕が取り付けられている。あれはまさしく私たちを攻撃してきたCフォースの戦闘ヘリだ。

 号令さえあればミサイルや機銃を嵐のように撃ってくるだろう。

 地上に空に包囲を展開する敵の準備は万端だ。おびただしい量の殺気が、ただ一点へ、ホール内に向けて注がれている。

 

 普通に考えれば、ホール内に立てこもっているのは私の味方だ。

 でもいったい誰が? カコさんが捕まっている状況でも降参せずに戦かおうとしているなんて信じられない・・・・・・彼女が殺されてしまったらいっかんの終わりなのに。

 

 メガバットは私を吊り下げながら、敵兵ひとりひとりの挙動がわかるぐらいの低空を飛び続け、包囲網を上から通り抜けていった。

 そんな彼女の姿を兵士たちは一瞥もせずに、ただホールの方を睨んで銃を構えていた。

 

 どうやらこいつらは数が多いだけじゃなくて、統率が完璧に取れているようだった。

 ついさっきまでは私やカイルを狙うためにあちこちに散らばっていたというのに、今や一か所に集まって、別の目標に狙いを定めてしまっている。

 集団で隙のない動きが出来る証拠だ。

 

「着きましたわよ」

 メガバットは包囲網からいくらか離れている中庭の隅っこに降り立ち、私から手を離した。

 そこには一機の戦闘ヘリが着陸しており、それを取り囲むようにして少数の人だかりが見えた。

 

「ああ、そんな・・・・・・」

 ヘリのタラップにもたれかかるようにして、カコさんやチームジョーカーのメンバーが縛り上げられ座らされていた。ついさっきメガバットに見せられた画面とまさしく同じ状況だ。

 

 カコさんの隣にはウィザードがいた。力なく両足を地面に投げ出してぐったりと俯いている。どうやら気絶してしまっている様子だ。

 ナビゲーションユニットごしにサポートしてくれた彼と別れてから、まだそんなに時間が経っていないはずなのに、短い間に何があったんだろう・・・・・・あの様子だと操縦していたユニットは破壊されたか、どこかに置き去りにされてしまったんだろうな。

 

 そしてチャラ兄弟とシガニー・・・・・・他のメンバーも全員同じように拘束されている。ギル・チャラの左肩からは鮮血がどくどくと流れており、その傷口を押さえることすら許されない。

 その場にいる全員が銃口を頭に突き付けられ、見せびらかすように並ばされている。彼らの表情には、己の無力への悲嘆と、敵への憎悪が入り混じっている。

 

 カコさん達もまた、メガバットに連れられて空から現れた私の姿に気付いた。

 ハッと目を驚いて見開き、片時も目を逸らさずに、私の顔を見続けている。私までもが捕まったことで、置かれた状況がより絶望的になったと思っているのだろう。

 そして私と一緒にいるはずのカイルがいないことで、彼の身に何が起きたかを悟ったようだ。

 みんな本当にごめん・・・・・・私、何の役にも立てなかった。仲間も死なせてしまった。

 

「私の前に立たない方がよくってよ」

 

 仲間たちに無意識に歩み寄ろうとした私を、メガバットが静かに、そして凄みのある声で呼び止め、立ち止まった私の横を静かに通り抜けた。

 その後ろ姿からは只ならない威圧感が伝わってくる。今の私にできることは、彼女の言う通りに後ろから付いていくことだけだった。

 

「ただいま戻りましたわ」

 メガバットがヘリの傍で立っている1人の男の前に歩み寄ると、静かに一礼した。

 それは他の兵士とは明らかに身なりが違う、この部隊の指揮官と思しき男だった。

 

 ゴムのような装束の上からフルフェイスヘルメットと黒色のプロテクターを身に着けた他の兵士とは違って、飾りの付いた軍帽をかぶり、丈の長い紺色の外套を風になびかせている。

 Cフォースでも一握りの上級幹部の装いだ。私がブラジルで世話になったジフィ大佐も同じ格好をしていたことを覚えている。

 だけど変なのは、身なりこそ覚えのあるものだったが、仰々しい防毒マスクをかぶっていて、素顔が全く見えなかった。

 あれはたぶん、メガバットから出ている放射線を防ぐために付けているんだろう。

 パークと行動を共にしてからというもの、ヒトがフレンズの放射線を避ける様をずいぶん久しぶりに見た。やっぱりCフォースはそういう考えが普通なんだな。

 

「××××××」

「はい、シベリアン・タイガー本人です。ご覧の通り拘束いたしまして・・・・・・反抗の意志は見えませんわ」

「××××××」

「了解しました。それで、例のフレンズ達はまだ投降して来ませんの?」

 

 メガバットとガスマスクの指揮官とが何事かを話している。

 フレンズであるメガバットの言葉だけなら、私にも問題なく理解できるけど、実際には何語で会話しているのやら見当もつかない。

 

 ただメガバットが「例のフレンズ達」と言ったことから、状況が少しずつ見えてきた。

 そう・・・・・・サラ・バートマン・ホールの中に立てこもっているのは他でもない。

 パンサーとスプリングボックだ。

 

 2人を最後に見たのは、ホールの地下でハウンド級セルリアンの群れと戦っていた時だったけど、やっぱりハウンドごときにやられる彼女たちじゃなかった。

 どういう経緯でホール内に立てこもることになったのかは定かではないが、仲間を人質に取られている状況でも彼女たちの戦意は衰えることがないようだ。

 

 だけど、2人はこれからどうするつもりなんだ? こんな手強い奴らに包囲されて、戦闘ヘリにも狙われて、一体どうやって切り抜けるつもりなんだ?

 しかもカコさん達が人質に取られてしまっているというのに。

 

「フレンズ達は放っておいて、今すぐ撤退するべきかと存じあげますわ」

 

 ヘリの傍でふんぞり返っている自信満々の指揮官に、メガバットが静かな口調で意見を述べた。

 確かに、パークの指導者であるカコさんを捕まえたのだから、彼らの目的は達成されている。ならばこの戦場に留まる理由はもうない。

 

 だがガスマスクの指揮官の考えとしては、パンサーたちのこともどうしても手に入れたいと思っているようだ。人造フレンズとは違って、彼女たちは希少な”天然”種だ。Cフォースとしては貴重な研究材料になる。

 捕まえることが出来れば、この指揮官にとっては素晴らしい戦果となるのだろう。

 

 だからこうやって部下たちをホール前に集結させて、カコさんたちを人質にしてパンサーたちが投降するように脅しをかけているのだ。

 私が無抵抗で捕まったように、彼女たちもそうすると思っているんだ。

 

「××××××!」

「もし例のフレンズ達が脅しに屈さなければ、実力行使しかなくなりますわ。敵の出方次第では、味方に犠牲者が出るでしょう」

 

 ガスマスクの指揮官が荒い口調でメガバットと口論を続けている。

 指揮官はカコさんという人質を得たことで勝利を確信して強気になっており、すべての戦果をモノにしてみせると意固地なんだろう。

 逆にメガバットは、実力のあるフレンズを多く部下に従えていた経験から、どんなに有利な状況でもフレンズを侮るべきではないと慎重になっているようだ。

 

 パンサーとスプリングボックは、私が見てきたフレンズの中でも指折りの強者だ。

 確かに2人の実力なら、たとえ80人以上の敵兵に包囲されていようと、始末することは造作もないと思う。

 でも今はカコさん達パークの仲間が人質に取られているんだ。それを無視して下手な抵抗をしたら仲間に危険が及んでしまう。

 

 2人がどう出るか・・・・・・それは私にもわからない。

 特にスプリングボックの方が心配だ。あの子はかなり頭に血が登りやすい。カッとなったら後先考えずに暴れそうな感じがする。

 冷静なパンサーが上手く抑えてくれればいいんだけれど。

 

「どうか撤退のご検討を。必要以上の深追いをすべきではありませんわ。それに、何か嫌な予感がいたしますの」

「×××!」

______バシィィッッ!

 

 怒声を上げる指揮官が、メガバットの顔を平手で打って無理やり黙らせた。

 彼女が理路整然と抗弁を続けることに苛立ったように見える。フレンズごときが口答えをするな、と言わんばかりの態度だ。

 

「・・・・・・言葉が過ぎましたわ。申し訳ありません」

 メガバットが、打たれて真横に向かされた顔を正面に向きなおしながら返事をすると、頭を下げて後ずさり、それきり私のすぐ目の前で黙り込んだ。

 その背中には、しょせんは使われている身に過ぎない立場の哀れさが現れているようだ。

 

 それにしてもこの指揮官、顔もわからないけど、大した人物じゃないことだけは良くわかった。

 ブラジルのジフィ大佐に比べたらまるで小物だ。

 大佐は癇癪持ちで良く怒鳴る人物だったが、たとえフレンズに口答えされようと、最後まで相手の言葉を聞いて、言葉で返す誠意があった。

 クズリなんかは口を開けば反抗しかしていなかったが、大佐はそんなクズリを一番気に入っていた節があるほどだった。

 こんな程度の人物が指揮する部隊に追い詰められるとは・・・・・・それだけメガバットの存在が大きいということか。

 

 だけどこの指揮官が相手ならば、まだ付け入る隙があるのかもしれない。

 勝ちを確信して慢心しているようであり、メガバットの進言を聞き入れようともせずに、部下にパンサーたちを包囲させている。

 そしてメガバットをのぞいて、部下たちにも彼の慢心が伝播しているように見える。未だ銃を構えて敵に備えてはいるけど、もはや自分たちが負けることはないと言わんばかりに、張りつめた緊張の糸を緩めてしまっているように見える。

 

 今この集団が、予期しないトラブルに出くわしたらいったいどうなる? 

 まったく対応できずに、総崩れになってしまうんじゃないか?

 

 たとえば、あの指揮官の隙を付いて人質に取ってみるとか。そうすれば戦況は五分に戻る。

 パンサーたちが上手く動いてくれれば、カコさんや他のメンバーを助け出すチャンスが回ってくるかもしれない。やってみる価値はあるんじゃないか? 

 上手く行くかどうかは完全に賭けになるけど、今の私に打てる手はそれしかない。

 

 さりげなく両腕に力を込めて、手首を縛る手錠に負荷をかけてみる。

 思った通りの手ごたえだった。この手錠は私が全力を出せば一瞬で引きちぎれる程度の強度しかない。

 後はいつ動くかだ。チャンスは一度しかない。敵の注意が逸れている瞬間を見計らって・・・・・・

 

「シベリアン、下手なことを考えるのはおよしなさい」

「ッ!」

「さもないとあの女の命は保障できなくてよ」

 

 目の前に佇むメガバットが、カコさんに向かって殺意の籠った一瞥を投げかけながらそう言い放った。

 振り返りもしない後姿からは、こちらを見透かして来るかのような例のプレッシャーがゆらゆらと放たれている。

 今か今かと飛び出す機会をうかがっていた私は、それを見て血の気が引く気持ちになった。

 どうして私が動こうとしていたのがわかるんだ? 怪しい挙動をしたわけでもなければ、表情に出したわけでもないのに。

 

「何もやろうとなんかしてないよ」

「そう、あなたもごまかすことを覚えましたのね」

 

 ・・・・・・たしかに、指揮官を人質に取ろうというアイディア自体は、状況から考えれば読める事だとは思う。それでも、メガバットの反応の鋭さは異常だ。こっちが考えたことをドンピシャで察しているとしか思えない。

 いったいどういう理屈なんだ? 彼女は未来を読むことが出来るっていう噂を聞いたことがあるけれど、まさか本当にそんなことが?

 とにかく、考えることすらアウトという事がわかった時点で、今度こそどうすることも出来なくなってしまった。 

 

「あなたのことも傍で見張らせていただきます。付いてきなさい」

 

 メガバットが再び翼を広げ、Cフォースの兵士たちが立ち並ぶ包囲網の最前線、サラ・バートマン・ホールの入口付近へとゆっくり飛んでいった。

 彼女がガスマスクの指揮官から新たに仰せつかった役目は、パンサーとスプリングボックとの交渉人。そして、2人が反抗してきた場合に先頭に立って戦うことだった。

 

 私は両腕を縛られたまま、周囲の兵士に銃を突き付けられ、小突かれたりしながらメガバットの後を追わされた。

 彼女に追いついた後も、常にいくつかの銃口が私に向けられており、思考すら読み取ってくる彼女の傍で、ひとつも身動きが取れない状態を強いられている。

 

 メガバットが宙に浮いたまま、立ち並ぶ兵士たちの脇を通り抜け、ホールへと接近しはじめた。

 一方の私は、銃口で静止させられてしまい、それ以上彼女に付いていくことは出来なかった。兵士たちの包囲より前に進むことは許さないようだ。

 

「パークのフレンズ2名にお取次ぎいたします」

 やがてメガバットは、巨大な大理石の柱が並び立つサラ・バートマン・ホールの何十メートルか手前で、ようやく翼を畳んで地面に下り立ち、良く通る澄んだ声で呼びかけはじめた。

 その口調からは彼女らしさが薄れ、ひたすら冷たさだけを感じる丁寧な言葉づかいになっている。部隊の代表として降伏勧告をする立場だからだ。

 

「この一帯は我々Cフォースが包囲しています。あなた方2人をのぞいて全員の拘束が完了しています」

「あなた方の仲間同様に、無駄な抵抗は止めて投降することをお勧めします。その場合、捕虜として丁重に扱うことをお約束いたしましょう」

 メガバットの呼びかけは続く。実際には何語で話していようとも、フレンズ同士ならば伝わっているはず。

 パンサーたちはメガバットの言葉にどう応えるつもりなんだろう。

 従うのか、抗うのか、その結果何が起こるのか。私も息を飲んで見守った。

 

 だが、ホールの入り口からは静寂しか返ってこない。

 つい数時間ぐらい前に、私たちを乗せたヘリの突入によって空いた大穴が寒々しい姿を晒しているだけだ。

 

「沈黙を続けるのであれば、あなた方にとって好ましくないことが起きるでしょう」

______パチンッ

 メガバットが意味深な一言を告げながら指を鳴らすと、数人の兵士が包囲網を抜けて彼女の横に近寄っていった。

 

 兵士たちは数人がかりで何かをメガバットの傍まで運んでいった。

 それはチームジョーカーの1人、肩を撃たれて負傷したギル・チャラだった。

 とても乱暴に、頭も胴体もかまわず鷲掴みにして引きずられ、何の気遣いもなく地面にどさりと投げ降ろされた。

 屈強な彼もさすがに激痛に耐えかね、声にならない悲鳴を上げている。

 

 横たわる丸腰の巨漢に向かって兵士が銃を構えた。そして引き金に指をかけようとした瞬間、メガバットが手で銃を制止した。

「あなた方にも彼が見えているでしょうか? 彼の置かれている状況が理解できますか?」

 

 ・・・・・・なんて卑劣なんだ。

 これもあのガスマスクの指揮官の指示か。捕虜にしたチームジョーカーをいたぶってパンサーたちを脅して投降させようとしているんだ。

 彼女たちが脅しに屈するまで、それを延々と続けるつもりなんだ。

 

「や、やめろ」

 棒立ちのままポツリと呟いた私を見て、銃を突き付けていた兵士の一人が、顎を使って後ろを見るように合図してきた。

 その通りにすると、ヘリコプターの前に並ばせられたカコさんたちそれぞれのこめかみに銃口が押し当てられているのが見えた。

 私が何か怪しい動きをした瞬間に引き金が引かれるのは想像するまでもない。

 Cフォースにとって最重要のターゲットであるカコさんが殺されることはまずないのだろうけども、ウィザードたちの命は今まさに天秤にかけられていると知る。

 

(どうする・・・・・・どうすれば)

 歯噛みしながら、他にどうすることも出来ず、サラ・バートマン・ホールの方へ向き直る。

 だけども状況は変わりない。ギル・チャラに銃を向けさせて冷静に脅しをかけるメガバットと、沈黙を保ったままの大穴の姿があいもかわらずにあるだけだった。

 

 見ていることすら重苦しい静寂が過ぎていくこと数瞬・・・・・・メガバットが「ふう」と溜息を吐き、用意していた言葉を告げるために顔を上げた。

「どうか私たちを恨まないでいただきたい。なぜならば、あなた方がすべて悪いのだから」

______スッ

 メガバットが手を引き、兵士が携えた銃が制止から解放された。

 自由を許された兵士はもう一度銃を構えなおし、今度こそ止められない殺意の発露をその一点に求めるかのように引き金を引ききった。

 銃口からはじけた火花が闇夜を照らす。

 火薬が弾ける轟音の次に耳にやってきたのは、水風船が弾けるような液体の落下音だった。

 

 やりようだったら、他にいくらでもあったと思う。

 撃たれていない方の肩を撃つとか、太腿とかでもいい。殺さずに痛めつける方法はいくらでもあったはずなんだ。それでも十分脅しにはなるはずだった。

 でも、彼らはそうしなかった。 

 いきなり頭を撃った。鮮血を巻き散らかしながら、物言わぬ肉塊になったギル・チャラの遺体が地面に横たわった。

 飛沫が飛び散り、すぐ近くにいたメガバットの美貌を赤く汚した。少し離れた所にいる私にも降りかかってくるような気がした。

 

「アアアアアッッッ!!」

 後ろの方から、どこまでも途切れない野太い慟哭の声が聞こえた。

 たったいま殺害されたギルの双子の兄、バズ・チャラの声だ。

 2人は幼い頃から何をするにも一緒で、同じ理想を抱いてパークに入ってからは、カコさんの護衛として背中を預け合うことで生き残ってきたと聞いている。互いが他の誰よりも大事な存在だったんだ。

 己の半身をもがれた痛みは、自分が死ぬ瞬間まで続いていくだろう。こんなに残酷なことが他にあるだろうか。

 

______パチンッ

 物を言わなくなったギルを気にも留めずに、メガバットが再び指を鳴らした。

 それを合図に、チームジョーカーの中から新たな人質が引きずり出されようとしている。

「やめてくれっっ!!」

 ・・・・・・もういやだ。またなすすべもなく仲間が殺される。これで3度目だ。

 この局面でパンサーたちが何も反応することがなければ、仲間の中で三人目の被害者をだしてしまうということだろう。

 

______ゾクリッ

 どこかからほとばしる巨大なプレッシャーが肌を震わせる。

 私は驚いて、絶望に伏せていた顔をとっさに上げた。

 そして察した・・・・・・ついにパンサーとスプリングボックが姿を現したことを。

 ホールに空いた大穴の中から歩み出てくる2人の姿が、まるで陽炎のように揺らめいている。可視化されるほどに凄まじい殺気が周囲の空間を歪めているんだ。

 彼女たちの顔は静かな怒りに満ちていた。非道な行いによってパークの仲間を惨殺されたことに対して、ついに我慢の限界を超えた様子だった。

 

 殺気に呼応するように、周囲を取り囲んでいる兵士たちが1人残らずパンサーたちに銃を突きつける。

「要求に応じていただき感謝いたします」

 包囲の先頭に立つメガバットが両手を広げて、兵士たちを制止させながら出迎えた。

「・・・・・・しかし、穏やかではないご様子ですね」

 

 メガバットが殺気を隠す気もない2人の様子を見咎める。

 あくまでも冷静なメガバットと、今すぐにでも怒りを爆発させてしまいそうなパンサーたちの様子は対照的だった。

 

「無駄な抵抗をされるようですと、こちらも約束を守りかねますが」

 

「だまれよ」

 パンサーが最初に口を開いた。

 怒気と殺気に満ちた声と口調。平静を装いつつも、肩で息をしながら血走った目で敵を睨み付けている。殺すことしか頭にない猛獣そのものの鋭さを感じる。

 あんな一面がパンサーにあったのか。

 私の知る彼女は、明るく社交的で、周囲への気遣いを常に忘れない優しい子だ。私がパークに身を寄せた頃から、彼女は何かと良くしてくれた。

 なのに、今はまったく別人に豹変しているように見える。あれじゃあまるで・・・・・・

「アタシ今、マジでキレてんの」

「だからアンタら全員ぶっ殺すことに決めたわ」

 

「・・・・・・右に同じく」と、スプリングボックが続く。愛用の槍は持っておらずに手ぶらだったけど、抜き身の殺気にその身を浸しきっている。

「追い込まれたのは貴様らの方です。絶対に許しませんよ」

 意外だったけど、スプリングボックの方はいつもと変わりない。どこまでも一本気で直情的、言葉づかいだけは変に丁寧。私が知る彼女のままだ。

 パンサーの激変ぶりに比べたら、彼女の方が冷静さを残しているような感じさえした。

 

「おふたりとも、ずいぶんと鼻息が荒いようですが、状況がわかっておいでですか?」

 メガバットは2人の殺気を正面から受け止め、背後にいるカコさんら人質の存在を見せつけるようにチラリと後ろを振り返った。

「仲間をこれ以上死なせたくないならば、下手な考えは起こさないことをお勧めいたしますが」

 

「だまれって言ってんじゃん」と、パンサーが静かな怒気を震わせる。

「状況がわかってないのはアンタのほうだよ”黒づくめ”」

 

 パンサーの瞳がたまりかねたように見開かれると、その中から黄金の光が漏れだした。

 野生解放を全開にした彼女は今にもメガバットたちに襲いかかりそうだった。

 いくらなんでもマズい。気持ちはわかるけど、怒りで我を忘れてしまってるんじゃないのか? 

 どんなに暴れようが、向こうで兵士が引き金を引く方が早いのに。

 

 カコさん達の安否が気になって後ろを振り向いてみる。

(あ、あれは?)

 

 カコさん達が並べて座らされている、停止したヘリの足元。

 そのすぐそばで、今も数人の兵士たちが、人質から銃口を片時も逸らさずにいた。鉄壁の守りの中、どうあがいても手出しができない状況が完成されているように見えた。

______スクンッ

 だけど、闇の中から”何か”が現れて、状況を正面から破壊した。

 わずかな音だけを立てて、己の姿すら曝さない程のスピードで降り立ち、1人の兵士の胴体を頭から両断すると、また闇の中に消えた。少し遅れてその男の体が前後に切り開かれて崩れ落ちた。

 突然の異変に驚く兵士が1人、また1人。ある者は首を刎ねられ、ある者はどてっ腹に大穴を開けられて、己の身に何が起きたかを知る前に絶命した。

 今あの場で何が起きたのかわからない。

 わかるのは、およそ言葉では説明できないような事態が起きたということだけ。

 

(まさかセルリアン?)

 怪異の正体を暴こうと、必死に目線で追ってみたけど、闇そのもののように黒っぽい何かが目にも止まらない速さで動いていることしかわからない。

 私ならもっと近づけば見切れるかもしれないけれど、たぶんヒトじゃ見切れない。

 

______ズガガガッッ!!

 予想外の事態に混乱した兵士の1人が銃を乱射すると、他の兵士もそれに倣って夜空に向かって弾丸をばら撒き始め、たくさんの銃火が闇をぼうっと照らした。

 

 光によって怪異の姿が月夜に浮かび上がる。

 それはセルリアンなどではなかった。奴らの普遍的な特徴である一つ目がどこにも見当たらない。かといってヒトやフレンズの形もしていない。

 ・・・・・・あれは動物そのものだ。4本足の肉食獣で、昔の私と同じような姿だ。

 ただし、体の大きさはトラやクマなんかより一回りも二回りも大きい、自然界ではあり得ないような巨体だった。

 

______ガァオオオッッ!!

 謎の猛獣が、自身の存在を見せつけるように地面に降りたち、勇ましい野生の咆哮を上げた。

 敵の兵士たちが、今度こそ見つけた確かな目標に向かって狙いを定めてありったけの弾丸を浴びせた。上空の戦闘ヘリからは地面を吹き飛ばすほどに強烈な機銃が掃射された。

 嵐のような攻撃を一身に受けた猛獣の姿かたちが細かく砕け散った・・・・・・だけど、ここから先の光景こそが、本当に怪異そのものだった。

 

 私はその目で見た。粉々になったはずの猛獣の体が、ほんの一瞬で何事もなく元通り再生していくのを。苦も無く破壊出来るのに、それが全く意味を成していない・・・・・・まるで霧か何かで体が出来ているみたいだ。

 その有様が、私の中にひとつの結論を連想させた。

 

(あれはひょっとして、野生解放の先にある力なのか?)

 

 ごく一握りの強力なフレンズだけが持っている「先にある力」は、それを使うフレンズごとに異なる性能を持っている。

 私の勁脈打ちも、クズリのグランドグラップルも、スパイダーのシャドウシフトも、それぞれ出来ることはまったく違う。

 ・・・・・・だけど、唯一にして絶対の共通点がある。

 先にある力は「現実ではあり得ない現象」を引き起こすものなんだ。

 

 実体のない謎の猛獣。言うなれば幻。真っ黒い影が形を成した存在。

 しかし幻でありながらも、生々しい存在感を放ちながら縦横無尽に跳ねまわり、兵士たちを惨殺して回っている。物質世界に向かって破壊をまき散らしている。そんなことは普通はあり得ない。

 だからあれはフレンズが「先にある力」を発動させた結果に違いないんだ。

 

 あの謎の猛獣は、パンサーが生み出したものなんじゃないかと思う。

 なぜならば、ネコ科の大型肉食獣そのものの姿をしているからだ。しかし私とは異なる種族。近い存在だからこそ、小さな違いがよくわかる。

 トラのように大柄で筋肉質ではない。逆に、あの地上最速で有名なチーターのように、走ることに特化した華奢な体とも違う・・・・・・実際にチーターを見たことはないけれど。

 

 太すぎず細すぎず、均整の取れた、数あるネコ科の中でもっともバランスに優れた肉体。

 あれはまさしくヒョウだ。

 パンサーの”先にある力”は、己の分身を生み出して、離れた所にいる敵を攻撃させる能力だったのか・・・・・・

 

(じゃあ、本体は何を?)

 思考を走らせるのと同時に、弾かれたようにパンサーがいた場所へと向きなおる。

 ホールの入り口には既に誰もいなかった。パンサーもスプリングボックも、どこかへ忽然と姿を消してしまっていた。

 

 そうか・・・・・・2人の考えが読めた。分身に敵の注意を引き付けさせて、カコさん達を救出しようとしているんだ。

 パンサーの分身体は敵兵士にとっては正体不明の怪異でしかない。パンサーたちの考えを読むことは出来ず、人質を使って制止しようなんて発想にも至れないはず。

 さすがはあの2人だ。

 どんな状況でも捨て鉢にならず、持てる力で打開しようとするガッツがある。

 

 案の定、ヘリの傍で座らされているカコさん達の方を見やると、味方のもとへ上空から馳せ参じようとしているスプリングボックの姿を夜空に見つけた。

 彼女のジャンプ力ならばひとっ跳びの距離だろう。

 

(いいぞスプリングボック! みんなを助けてくれ!)

 

「そんな奥の手があったとは・・・・・・やられましたわね」

 私とほぼ同時に状況を認識したであろうメガバットが独り言ちる。希望が胸に湧いたのも束の間、さっと血の気が引いていく。

 メガバットの出方次第ではまだまだ敵が有利だ。彼女なら生き残っている兵士に的確な指示を出して状況を立て直すことが出来る。いざとなれば実力で私たちに立ちはだかってくるだろう。

 彼女の戦闘能力は未知数だ。私が知っているのは、後ろから指示を飛ばすリーダーとしての彼女だけ。けれども侮っていい理由なんて一つもないだろう。

 

「まあ、かえって身軽になれたと思うことにしましょう」

 メガバットは仲間の兵士たちの混乱をまるで無視するように、笑みさえ感じられるような声色で呟いた。

______ファサッッ

 直後に彼女が取った行動は予想だにしないものだった。

 仲間たちを見捨て、傍で見張っていたはずの私をも放り出して、翼を広げて1人夜空へと飛び出していってしまった。

 全速力で飛翔する彼女の向かう先にはスプリングボックが滞空している・・・・・・さらに先には縛られているカコさん達がいる。

 目ざといメガバットは、スプリングボックにカコさん達が奪還されるのを阻止するつもりなんだろう。

 

 しかしいくら彼女の翼でも、先に動き出しているスプリングボックには追いつけない。

 見るとスプリングボックはすでにカコさん達の傍に着地しているところだった。

 

 持ち場にいる兵士は全員殺され、生き残りたちはパンサーの分身の相手をするのに精一杯。

 今の状況ならスプリングボックがみんなを連れて逃げることも出来そうだった。

 それでもメガバットただ1人だけが迷いなく一直線に近づいている。このまま行けば2人の激突は必至だ。

 

(行かなきゃ! 加勢するんだ!)

 そう思い両腕に力を籠め、手錠を引きちぎろうとした瞬間だった。

 

「す、スプリングボック・・・・・・?」

 またしても私の予想通りにはいかなかった。

 スプリングボックはメガバットから逃げるように、すぐさま飛び上がった。

 その両腕にたった1人だけ、最重要人物であるカコさんだけを抱えあげて、迷うことなく逃げの一手を打った。その手際の良さからいって、最初からそうするつもりだったんだと知る。

 ウィザード、バズ・チャラ、シガニーの3人は手錠を嵌められたまま、身動きも取れない状態でその場に取り残された。

 パンサーとスプリングボックの2人では出来ることに限界があり、カコさんを優先して3人を切り捨てることしか出来なかったんだ。

 

 やはりメガバットもカコさんだけを標的にしており、取り残された3人には目もくれず、すぐさま翼を方向転換してスプリングボックに追いすがった。

 

 そうして翼を持つ者と持たざる者との追走劇が始まった。

 みるみる内に2人の姿が遠ざかっていく。

 スプリングボックはジャンプと着地を繰り返し、建物から建物へと飛び移って移動している。

 そのスピードはメガバットの飛翔とも遜色ない。助走なしで100メートルもの高さを跳ねる凄まじい脚力を持つ彼女もまた、空中を庭場にしているフレンズの1人なんだと実感する。 

 それでも、ヒト1人抱えている分だけ不利は否めない。彼女の脚をもってしても、遠からずメガバットに追いつかれてしまうんじゃないか・・・・・・? そんな感想を抱く頃には、す2人の姿は闇夜に紛れて見えなくなってしまった。 

 

 

 メガバットとスプリングボックが去ってから、サラ・バートマン・ホール前の広場は血で血を洗う戦場と化していた。

 銃撃をものともしない無敵の肉体を持つパンサーの分身体が、今この瞬間にも敵兵士に突っ込んで鋭い牙や爪で引き裂いている。

 

 あの統率の取れていた敵集団も、メガバットに見捨てられた今となっては、もはや指揮も何も無くなっている。めいめい勝手に応戦するだけの烏合の衆だ。 

 そして空にいる数機の戦闘ヘリなどは、戦いに参加することすら出来ないただの木偶の坊だった。地上にいる兵士すら攻撃を当てられない相手に、空から狙いを付けられるはずもない。下手に攻撃したら味方を巻き込む恐れすらある。

 

「・・・・・・あっ! パンサー!」

 

 分身に気を取られている兵士の背後から、低い姿勢でパンサーが駆け寄るのが見える。

 足音に気付いた兵士が振り返るがすでに遅く、片足を軸に倒れ込みながら、敵の頭部めがけてもう片方の足で蹴りを放っていた。

 低い姿勢から真上へ伸びる彼女の蹴り技は、ヒトの死角を完全に突いている。

______ボンッッ

 下から勢いよく蹴り付けられた兵士の顔面が胴体から千切れ飛び、夜空に天高く打ち上がる。

 そしてパンサーは生首が地面に落ちてくるよりも早く走り去り、闇の中へ身を隠していた。

 

 分身体に暴れさせて敵の注意を引きながら、自分は背後から奇襲して一撃離脱で敵を仕留める。それを繰り返すことで確実に敵を皆殺しにする。

 なんて恐ろしい戦い方なんだろう。

 今のパンサーは殺戮の猛獣へと豹変している。敵にとっては闇から忍び寄る絶望そのものだ。

 

 そんなことより、このままでは取り残された3人の命が危ない。

 銃撃戦の流れ弾に当たるか。パンサーの狙いに気付いた生き残りの兵士に再び人質にされてしまうかしかない。

 パンサーが地上の敵を皆殺しにしたところで、上空には戦闘ヘリだって控えているんだ。味方が全滅したと知れば、今度こそ攻撃を躊躇うことはないだろう。

 

 今なら3人の元へ向かうのは簡単だ。

 敵はパンサーに応戦することで頭がいっぱいで、手錠を嵌められたまま棒立ちでいる私に気をまわす余裕はないようだ。

 けれど、3人の安全を絶対に確保するのであれば、私がただ行ったところでどうしようもない。

(どうすればいい・・・・・・)

 仲間を救うためには、敵が絶対に危害を加えてこないようにするしかない。そのために必要な条件は何だろう?

 地上も空も、この場にいる敵を確実に黙らせる方法は。

 

 そこまで考えて私はハッと気付いた。

 さっき考えて、一度あきらめてしまっていたことを今こそ実行に移せばいいんだ。

 メガバットは去った。私の動きが読まれて封じられることはない。

 

(あのガスマスクの指揮官はどこだ?)

 敵の様子を見ても、あの男がろくに指揮も取っていないのは丸わかりだ。メガバットに指揮を任せきりの無能・・・・・・だけどこの部隊の指揮権を持っているのは確かだ。

 あの男を捕まえることさえ出来れば、この戦いは終わる。

 

(・・・・・・いた)

 数名の部下に身を守らせながら、建物の柱の陰で息を殺していた。

 指揮官らしく指示を飛ばすわけでもなく、ただひたすら逃げるタイミングを伺っているように見える。

 もう間もなく、あの男は逃げるために柱の陰から移動するだろう。その時こそが狙い目だ。

 目を凝らし呼吸を整えて指揮官の”意”をうかがった。

 

 距離が離れていようとも、私が辿るべき道はひとつ。

 最初の加速で指揮官をさらい、再度の加速で仲間がいるヘリの前に辿り着く。

 チャンスは一度きり。それにすべてを賭ける。

 

 これは私が人生で初めてやる「狩り」だと思った。

 野性のトラの狩りは、ようは狙撃と同じだ。使うのがライフルではなく自分の体そのものだという違いしかない。

 カイルが教えてくれたように、自分がどう動くか鮮明にイメージし、それを繰り返し反芻した。

 彼はもう死んだ。だけど彼が教えてくれた野性は私の中で今も生きている。

 

 何人かの部下に先行させた後、ガスマスクの指揮官が動いた。

 ゆっくりと周りをうかがいながら、恐る恐る柱の陰から一歩を踏み出すのが見える。

 予想していた通りの光景が視界におとずれた瞬間、頭から五体すべてに向かって「今だ」という指令を電流のように走らせた。

 

______パァンッッ! 

 まるで自分が本当に弾丸と化したようだった。

 手錠を引きちぎって走り出した体が一瞬で最高速に達した。

 足元の地面が砕け、視界が吹き飛ぶと、あっという間に何百メートルもの距離を移動し、指揮官を目の前へ捉えていた。

 その場の誰もかれもが私に気付かない。止まった時間の中を自分だけが動いているように感じる。実際には相手の反応速度を上回るスピードで動いているだけなんだろうけど。

 

 動かないままの指揮官の首根っこを掴むと、そこで体に急ブレーキをかけた。

「ヒィッ!」

 ようやく相手側の時間が流れ出す。私に捕えられた指揮官の素っ頓狂な悲鳴と、それに気づいた敵兵たちが銃口を向ける金属音とが聴こえた。

 

 私はそれに構わずにふたたび動いた。

 ヒト1人の重みを抱えた今度は、最初のような速度は出ないけれど、兵士たちに狙いを付けられるよりも先にその場を去り、取り残された3人の待つヘリコプターの前へと辿り着いた。

 

「みんな! 大丈夫?」

 ウィザードは変わらず気絶していて返事がなかったが、シガニーとバズ・チャラは私を見上げて頷いてくれた。

 それを見て安心した私は、すぐさま体を反転させながら、ガスマスクの指揮官の体を盾のように真正面に抱えあげた。

 

「聞けよッ! コイツがどうなってもいいのかッッ!!」

 

 割れんばかりの大声で、周囲にこちらの様子を喧伝する。私の言葉は伝わっていないのだろうけれど、この様子さえわかれば言葉はいらないはずだ。

 実際に、指揮官に付いていた何人かの兵士は銃口を向けてきているが、一発たりとも弾丸が発射されることはなかった。辺りに鳴り響いていた銃声もにわかに少なくなっている。

 

 このまま敵が降参してくれれば・・・・・・と思った矢先、見ると向こうではパンサーがまだ敵を襲っていた。

 敵が動揺して攻撃を躊躇い始めているのに、なおもお構いなしに鋭い蹴り技で敵の体を引き裂いている。いったいどれだけの返り血を浴びたのやら、その美しい斑模様が赤く染まってよくわからなくなっていた。

 

「パンサー、もう終わったんだよ!」

 指揮官の体ごしに彼女に呼びかけるが、彼女は止まろうとしない。

 状況がわかっていないわけでもないだろうに、本当に1人残らず殺すつもりなのか。確かにそう言っていたけれど。

「やめてくれ! 無駄に殺しちゃだめだ!」

 

「アムールトラぁ・・・・・・アンタ甘いよ!」

 ようやく止まったパンサーが、怒りに身をわなわなと震わせながら答えた。

 

「こんなクズども、全員殺しちゃえばいいじゃん!」

「・・・・・・ど、どうしちゃったんだよ。君らしくないよ、パンサー」

「だって、だってコイツら、アタシの仲間をあんなに酷い目に・・・・・・特にソイツだよ!」

 

 パンサーがこっちに向かってきた。

 金色の瞳の中の殺気はなおも膨張している。彼女が見据えている先はただひとつ。私が目の前に抱えあげている敵の指揮官だ。

(や、やめろ)

 今この男に死なれたらまずいんだ。コイツには人質としての役目が・・・・・・

 

「君は優しい子じゃないか!!」

 

 自分でもわけがわからない言葉を、ひたすら懇願するように叫んだ。

 すでにパンサーは技の間合いに入っている。全速力で走るのをやめて、軸足を低く深く踏み込ませているのがわかる。

 

 もう間に合わない。

 コンマ何秒も経たないうちに、あの蹴り技が指揮官の首を刎ねてしまう・・・・・・そう実感した時だった。

 

 パンサーは止まった。上半身を地面に付くほどに屈めた姿勢のまま動かず、蹴り足を振り上げるのをギリギリの所で踏みとどまっていた。

「・・・・・・アタシが優しいだって?」

 顔を真下に伏せている彼女の表情はよくわからない。それでも瞳から放たれる金色の光が弱まって、やがて消えていく様子だけははっきりと見えた。

「そんなの、ウソだよ」

 

 そこから先は簡単だった。

 指揮官は半狂乱で泣き叫び、命乞いのために部下にあっけなく降伏命令を出した。

 生き残った兵士たちもそれに従ってすぐさま銃を手放した。

 結果オーライだったけど、パンサーが凄まじい暴れっぷりを見せたことで、敵を恐怖のどん底に陥れることが出来た。

 

 仲間たちの手錠は外された。

 私に代わってシガニーが指揮官に拳銃を突き付けて脅しをかけている。

 バズ・チャラが、弟が殺された恨みを押さえつけながら、淡々と敵兵士に手錠を嵌めていっている。なんて偉いヒトなんだろう。

 

 上空にいた戦闘ヘリが次々と着陸し、中から怯えきった様子の兵士たちが両手を上げながら降りて来るのが見える。

 彼らが抵抗してくることは最早あり得ないはずだ。野生解放の光を引っ込めたとはいえ、今もなおパンサーが般若のような形相で睨みを効かせているのだから。

 

 いつの間にか、彼女の分身体である影の猛獣は消えてしまっていた。そうなるのも当然だ。

「野生解放の先にある力」と呼ばれている通り、すべてのフレンズは野生解放を行わなければ能力を使うことは出来ない。

 

「・・・・・・さっきのが本当のアタシなんだ」

 パンサーが振り返りもせずに私に尋ねてくる。

 自分を責めるような卑屈な口調。話しかけられているのに、内側に閉じこもって見えない壁を作られているようだった。

「アタシみたいな奴が”世界中のフレンズと友達になる”なんて、笑っちゃうよね」

 

 パンサーの口から自身の過去が手短に語られる。

 動物だった頃の彼女は、ちまたで”人食い”と恐れられた凶暴なヒョウだったという。生きる為ではなく、楽しいから殺すことの方が多かったと。

 けれども、天然種として偶然にフレンズ化を果たし、流れ流れてカコさんらパークのヒトと知り合って、生まれて初めてヒトの優しさに触れた彼女は、自分の半生を死ぬほど後悔したらしい。

 それからの彼女は過去の罪を償うために、ヒトのため動物のために優しく生きることを決意したんだという。

 

「でもダメなの。カッとなったら自分を抑えられない・・・・・・アタシ、アンタとは違うんだよ。アムールトラ」

「アンタみたいな、本当に優しい子とはさ」

 

「パンサー、私・・・・・・さっき初めてヒトを殺したんだ。自分の意志でね」

「それでも私は優しいかな? だったら君も優しいよ」

 

 本当のパンサーがどんなに残酷で凶暴であろうとも、私に親切にしてくれたことは事実だ。

 それにケープペンギンや、その他にも行き場のない天然フレンズをパークに引き入れて救ってきたんだろう?

 だからパンサーは優しい子だと信じてる。私はそんな彼女が好きだし、友達だと思ってる。

 だいたい、優しさって何なんだ? 誰かが点数を付けて決められるようなものなのか? 

 ・・・・・・そんなことを漠然と考えて言葉にしてみたけど、どうも微妙な感じになってしまった。私みたいな口下手が、上手いことなんて中々言えるもんじゃないな。

 

「・・・・・・ありがとうね」

 パンサーは、私がそれきり何も言えなくなってまごついているのを察したかのように、お礼を言って会話を切り上げた。

 私の言いたいことをわかってくれたかどうかわからないけれど、なんとなくさっきよりも心を開いてくれた様子で、縛り上げられていく敵を淡々と見張る役目に戻っていった。

 

「ヨー、またしても助けられたネェ、アムールトラ」

「う、ウィザード!?」

 

 気絶していたはずのウィザードが、いつの間にか目を覚まして、当たり前のように私の肩に手を乗せて話しかけてきた。

 まさか、例によって気絶したフリをしてたのか? ・・・・・・すでに2人の仲間が死んでいるというのに、いったい何を考えているんだ。マイペースにも程がある。

 正直、彼のことを張り倒したくなったけど、なんとかその気持ちをギリギリで抑えた。

 

「気絶してたのはマジだヨ。ユーがあのコウモリちゃんに連れてこられた頃には、目を覚ましてて”フリ”をしてたンだけどね・・・・・・カイルもギルも死んじまったのは、ミーだってわかってるヨ」

 

 ウィザードが弁解するには、私と別れてからすぐ、ナビゲーションユニットを操ってパンサーたちに合流したんだそうだ。

 そして彼女たちに現状を伝えて、作戦を立てるように勧めたと。

 むやみやたらに突っ込むのではなく、確実な作戦を立てて、カコさんだけを最優先に助けるように進言したそうだ。

 ・・・・・・そうだったのか。ウィザードが知らせてくれたおかげで、パンサーもスプリングボックもあれだけ計算づくで立ち回れたのか。

 

「そこまでは良かったんだけど、奴らミーたちに向かってフラッシュバンを投げてきやがってサ。それっきり気絶しちまって、気付いたらこんなザマだヨ。ユーやパンサーが何とかしてくれなかったら、きっと今頃は全員死んでたネ」

 

 ウィザードたちの今後の予定はもう決まっているそうだ。

 敵兵士を一通り縛り上げたら、予定通り「メディカルタワー」に向かい、その地下にあるスーパーコンピューターを起動してハッキングを始めるという。

 安全を確保するために、ガスマスクの指揮官も人質として連れていくらしい。

 ケープタウン大学内の電気は落ちてしまっているけれど、スーパーコンピューターを動かすための予備電源が地下に残されているのはすでに確認済みとのことだ。

 

 色々な困難に見舞われはしたものの、作戦は当初の予定通りに進められる。

 ・・・・・・そう、たったひとつだけ、取り返しの付かないほどに重大なトラブルをのぞけば。

 

「悪いんだけど、ユーにもう一仕事お願いするヨ」

 ウィザードはそう言いながら、手に持ったスマートフォンを差し出してきた。

「これは」

 受け取ったその画面には、周囲の地形を俯瞰したマップが映されており、その中にただひとつだけ、動かない光点が明滅していた。

 

「この光はカコさん!?」

「そうサ。どうやらまだ敷地内にいる。アムールトラ、ボスを助け出してくれ。スプリングボックに加勢してやってくれヨ」

 

 カコさんはまだメガバットの手に落ちたわけではない。

 スプリングボックが持ちこたえてくれているからだ。一流の戦力を持つフレンズ同士の戦いであれば、簡単に決着が付いたりはしないはず・・・・・・だけど、いくらスプリングボックでも、ヒト1人守りながらメガバットを退けることが出来るとは思えない。

 

「わかったよ、ウィザード」

 スマートフォンを握りしめ、己に課せられた使命の重みを反芻するように顔を伏せた。

 カコさんは私が絶対に助けてみせる。

 この月夜に散っていった命を無駄にしないためにも。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「ギル・チャラ・カーター(Gil Challa Carter)」
享年29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「ガスマスクの指揮官(本名不明)」
年齢:不明 性別:男 職業:Cフォースグレン・ヴェスパー親衛隊「オーバーロード」第4隊隊長

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「プリミティブチャイルド」
使用者:パンサー
概要:パンサーが、かつて動物だった頃の自分自身(ヒョウ)を召喚して戦わせる能力。実体のない幻でありながら物体に干渉することが可能。また本体であるパンサーから完全に自立しており、本能のまま敵に襲いかかるが、敵味方の区別や攻撃の優先順位などは本体と共有している。パワーもスピードも本体と遜色ないものであり、本体との連携によって恐るべき戦力を発揮する。その正体はパンサーが生まれ持った凶暴性そのものが形を成した物であり、普段は理性によって抑圧されている本能が解放された時のみ能力が発動する。己の過去を忌避しているパンサーは、よっぽどのことがない限りこの能力を使いたがらない。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章7 「とけいとうのあくむ」

 アムールトラ&スプリングボック VS メガバット


 この作戦が始まってから、いったいどれだけの時間が経っただろう?

 もう夜が白み始めてもおかしくないような気がするのに、夜の闇はいっこうに動かない。降り注ぐ月光はいっそう妖しい存在感を放っている。

 早く朝が来て欲しい。太陽が愛おしい。

 

 同じような高さの建物が立ち並ぶ石畳の道を、私は一心不乱に駆ける。

 メガバットのような翼はなく、ジャンプ力はスプリングボックの半分もない。だから急ぐなら走るしかない。

(カコさん、どこだ!)

 不意に立ち止まって、ウィザードから受け取ったスマートフォンの画面と、目の前のビル群を交互に見比べてみる。

 カコさんの位置を示す光点はこの辺りのはずなのに、このあたりの区画は建物がひしめき合っているから、いったいどの建物に突入すればいいのかわからない。

 今は”意”の世界に入る必要はない。

 スマートフォンという確かな手がかりがあるのだから、それを活かすことを考えるべきだ。

 

______ボオオオン・・・・・・

 とつじょ、闇夜の静寂を打ち破る鐘の音が響き渡る。

 音のした方を見てみると、建物の中から抜きんでるようにして伸びる、針のように細長い建物があった。

 三角形に伸びる屋根の真下には、円形の飾りが取り付けられている。あれは時計の文字盤だ。

 あの建物は、道行くヒトに時間を知らせる時計塔ってことか。

 良く見ると文字盤の一部が崩れて中の歯車が覗いており、針の動きは完全に止まってしまっているようだ。

 

 朽ち果てた時計塔が、闇の中で今も律儀に時を告げている。針を刻めなくなったのに、その鐘の音を聴く者は誰もいないのに。

 見ていて心が寒くなる、寂しくて不気味な風景だった。

 

(あそこだったりするのかな?)

 あの時計塔のことが気になって、おそるおそるスマートフォンの画面に触れてみる。

 ・・・・・・ええと、確かこうやって指を2本当てて少し間を広げるんだったよな。

 ヒトがやっているのを見様見真似で操作しただけだったが、なんとかマップを拡大させることが出来た。拡大された分だけ周囲の地形のひとつひとつが鮮明に区別できるようになる。

 時計塔の位置は、建物の密集地帯の中では少し他の建物から間隔が空いた場所に立っている。

 そして案の定、画面の中の光点は時計塔の位置から発せられていた。

 

 急いで走り出し、時計塔の入り口の前に立って、両開きの扉の取っ手を握りしめる。

 だが扉には鍵がかけられているようで、押しても引いてもビクともしなかった。

 良く見ると扉からパラパラと埃がこぼれ落ちていることに気付く。どうやら長いこと使われていないようだ。

 

 そうだよな・・・・・・スプリングボックもメガバットも空中を移動していたんだから、地上にある扉を使うわけがない。どこかの窓を破って中に入ったってことだろう。

 けれど、私はここを押しとおるのが一番早い。

「・・・・・・ふんっ!」

 力を振り絞り、取っ手を思いっきり引っ張ると、分厚い木製の扉があり得ない程にたわみ、やがて亀裂が走って砕け散った。

 

 時計塔の中に足を踏み入れると、ハッとするような光景が待っていた。

 まず床から天井までが吹き抜け構造になっているのが目を引く。さながら巨大な空洞だ。

 その空洞の中を、上から下までを貫くように金属のシャフトが数本立っており、その間で時計を動かすためにパイプに通された歯車が複雑に絡み合っている。

 さらにその間を縫うようにして、階段が何度も向きを変えて上へ上へと向かっていっている。

 

 やっぱり時計塔なだけあって、普通の建物とはずいぶん作りが違うんだな。

 ヒトが使う色んな機械の中身もこんな風になっているだろうか。

 ここにある物は何もかも、機械の部品と呼ぶには巨大すぎて奇妙な感じがするけど。

 

 一階はほとんど暗闇だけど、上に行けば行くほど窓が増えていっているようで、月明かりを取り込んで明るくなっているのがわかる。

 この入口付近からだと上の様子は詳しくわからないけど、場所を少し変えれば天井まで見通すことだって出来そうだ。

 

「覚悟ぉぉッッ!」

 勇ましい怒声が上の方から聞こえてきた。

 塔の内部は吹き抜けになっているので、音が減衰せずに繰り返し反響しながら私の耳に入ってきている。

 声の主は考えるまでもない。私は急いで上の様子が良く見える位置に移動した。

 

 スプリングボックとメガバットの姿が視界に飛び込んでくる。

 部品が複雑に絡み合う時計塔の内部で、2人の空中戦が繰り広げられていた。

 窓から差し込む細い月明かりの中で、2人の姿が幾度も交錯している。

 スプリングボックは亜麻色の長髪を振り乱しながら、階段や壁を蹴って飛び上がり、声を張り上げながらメガバットに突っ込んでいる。

 

 二又槍の一閃がメガバットに触れようとする瞬間、彼女はひらりと身を翻しそれを難なく躱す。

 攻撃をよけられたスプリングボックは、勢いあまったまま反対側に着地し、間髪入れず跳ね返るように飛び上がって槍を突き出すことを繰り返している。

 全身がバネのような身体能力を存分に生かした矢継ぎ早の連続攻撃だった。

 けれど、いずれの攻撃もメガバットを捕えることは叶わない。

 

「貴様ッ! ちょこまかと!」

「・・・・・・むだ、ですわ」

 

 メガバットは攻撃を躱しざまにふわりと上昇してスプリングボックの真上を取ると、彼女めがけて片翼を鞭のように振り下ろして殴打した。

「ぐはっっ!!」

 空中で打ちのめされたスプリングボックが、張り巡らされた障害物に何度も打ち付けられながら、なすすべもなく落下してきた。

 

「スプリングボック!」

 彼女が地面に衝突しようとする瞬間、私はなんとか手を伸ばして抱き止める。その体は生傷やアザだらけだった。どうやら、すでに何度もこんな攻防を繰り広げているようだ。

 

「大丈夫かい!?」

「・・・・・・あ、アムールトラ? 貴様が来たということは」

 スプリングボックはまるで自分の傷のことなんかお構いなしに、押しのけるようにして私の腕から抜け出し、真上にいるメガバットに向きなおりつつ尋ねてきた。

「皆はどうなったのですか!?」

 

「うん、ウィザードたちは無事だよ。パンサーがひと暴れして敵を降参させた。だから私はこっちに加勢しに来たんだ」

「なら何よりです・・・・・・ボス1人のために皆を置き去りにしたことを後で詫びねばなりませんね」

「カコさんはどこ?」

「・・・・・・」

 

 スプリングボックは私の質問に答えないまま、苦渋交じりの表情で上を見上げ続けている。

 なにか妙だと思いながら私も彼女の視線の先を追った。

 やがてそこにあるものを見つけた時、自分たちが今これ以上ないぐらい絶望的な状況にあることを思い知るのだった。

 

「か、カコさん!?」

 

 時計塔の天井には鐘が吊り上げられている。

 そのすぐ下には時計の文字盤がある。巨大な歯車をいくつも通したシャフトが、壁にはめ込まれた文字盤の中心を真っ直ぐ貫いている。

 裏側から見るガラス製の文字盤からは、見るもまばゆい月光が取り入れられており、時計塔の内部を照らしている。

 

 その光の中にカコさんの姿があった。

 彼女は手錠をかけられていて、文字盤に繋がるシャフトに手錠の鎖を通すようにして、宙ぶらりんに吊り下げられてしまっている。全体重を支えている両手首にはうっすらと血が滲んでいた。

 どうやら意識はあるようだ。常人離れした精神力を持つカコさんが泣き叫ぶことはなく、ただ冷静に苦痛に耐えているように見える。その口にはテープが貼られていて、言葉を発することが出来ないようにされていた。

 そしてどうやら下にいる私たちの存在に気付いたようだ。

 

「ボス! 必ずお助けします!」

 

 スプリングボックが天を仰ぎながら、カコさんに向かって叫ぶ。

 事情を聞くと、カコさんを連れて逃げ出したはいいものの、やがてメガバットに追いつかれ彼女を奪い取られてしまったそうだ。

 そしてメガバットは彼女をぶら下げたままこの時計塔の中へ飛び込んで行ったと。

 スプリングボックが追いついた頃には、今のような状況になってしまっていた。

 

 なぜだ? メガバットがこんなことをする意味がわからない。どうして時計塔なんかに立てこもる必要がある? 

 スプリングボックからカコさんを奪ったのなら、そのままここから飛び去ってしまえばいいじゃないか。そうすればメガバットの目的は達成される。

 自分で「王手をかければ詰み」だと言ってたのに・・・・・・今の彼女のやっていることは、王手をかけられる局面だったのに、わざと違う一手を差して相手に攻め入る隙を与えているようなものだ。

 

「ふふふっ、やはり来ましたわね・・・・・・シベリアン」

 反響する美しい声がした先を見上げると、飛んでいたメガバットが、カコさんがいるすぐ隣のシャフトに足を付けているのが見えた。

 そして翼を折り畳み、体を逆さまにしてぶら下がり始める。

 コウモリがもっともコウモリらしく見える姿。月光を浴びる不気味なその佇まいからは、まるでこの夜のすべてを支配しているかのような威圧感すら感じられる。

 

「あなたが来ることは最初からわかっていました。だからここでお待ちしていたんですのよ」

「なぜなんだ!?」

 どうして逃げずに私を待っていたのか? 味方を見捨ててまで、カコさんを餌に私をおびき出すような卑劣な真似をしてみせたのか?

 

「もちろん、あなたをCフォースに連れ帰るため」 

 

 私の疑問すらも前もって察しているかのようなメガバットが答える。

 今回の戦いにおいて、グレン・ヴェスパーは敵対勢力パークの中でも、3人の最優先目標を指定していたという。

 1人はもちろんカコさんだ。彼女を手中に収めればヴェスパーの勝ちが確定することは考えるまでもない。

 問題は残りの2人だった。

 

「パーク南エリアの代表カコ・クリュウ。そしてCフォースを裏切ってパークに付いた実検体候補のフレンズ、シベリアン・タイガー、同様に元Cフォースアフリカ支部研究所の職員ケイ・ヒグラシ・・・・・・以上3名が、今回の作戦における”S級ターゲット”に指定されているんですのよ」

 

 最初から危惧していたことだけれど、やっぱりヒグラシ所長もグレン・ヴェスパーに目を付けられていたんだ。

 所長は今は後方待機組の一人として、大西洋を北上してナミビアへと逃げている真っ最中だ。彼の所にも刺客が差し向けられていて、私たち同様に激しい攻撃を受けているのだとしたら・・・・・・

 皆の無事を祈るばかりだ。今の私にはどうすることも出来ない。

 

「”S級”にカテゴライズされる意味がわかりまして? 捕獲のためにはあらゆる犠牲を払っても構わない、ということですわ」

「だから味方を見捨てたっていうのか? 大勢死んだよ・・・・・・私たちが殺した。それに、あの指揮官は人質にあずかってる」

「別にかまいませんことよ。私のマスターはあの男じゃない。足を引っ張るだけの無能が消えてくれた事はむしろ好都合ですわ。あなたを捕えることぐらい、私1人いれば十分ですもの」

 

 それ以上の会話はもはや意味がないと思った。

 メガバットがかつてどれだけ世話になった友達であったとしても、今は抜き差しならない状況で立ちはだかってくる敵でしかない。私がCフォースに戻ることはあり得ないし、パークの一員としてカコさんは必ず助けだしてみせる。

 

「・・・・・・君を倒す」

 槍を上に向けて構えているスプリングボックのすぐ横に立ち、戦いの始まりを宣言するように告げた。

 それを聞いたメガバットはクスっと笑いながら翼を広げ、逆さまにぶら下がるのをやめて再び滞空し始めた。彼女にしたって、私がカコさんと同格のターゲットである以上、実力でもって私を捕まえるしかないはずだ。

 

「よし! いっきに決めますよ、アムールトラ!」

 

 横にいるスプリングボックと互いの呼吸を合わせて、ほぼ同時に跳び上がったはずだった。

(くっ、高さが足りない!) 

 しかし、気が付くとスプリングボックがずっと上に行ってしまっていた。

 私の体が上へ向かおうとする勢いはすぐに弱まり、手近にある階段を踏み台に再度ジャンプするしかなかった。

 なんてこった。スプリングボックならひとっ跳びでメガバットの所まで跳んでいけるけど、私のジャンプ力では中継地点が必要になってしまうようだ。

 

 2人がかりで連続攻撃を仕掛けるはずだったのに、無駄な間が空いたことで、どちらの攻撃もやすやすと避けられてしまった。

 薄々わかっていたことだけれど、縦に長いこの地形は私にはあまりに不利だ。逆に空を飛べるメガバットには全てにおいて有利に働くように出来ている。

 彼女はそう言った事を想定してこの時計塔に立てこもったということか。

 

 弱点をカバーするためには、さっきのスプリングボックと同様に、数少ない足場を頼りにして高所に留まるより他にない・・・・・・そう考えて歯車の上に着地し、メガバットのいる所にほど近いパイプに飛び移ろうとした時だった。

 

「アムールトラ!? どきなさい!」

「う、うわ!」

 

 違う方向からスプリングボックが跳んできて、そのまま体をぶつけ合ってしまった。

 彼女も私と同じように、メガバットを攻撃するために有利な場所に陣取ろうとしたんだ。

 

 同じタイミングで同じ足場に乗ろうとしていた私たちは、意図したわけでもないのに互いの体を弾き飛ばしてしまい、2人して地面へと落下していった。

 この地形において、空を飛べない私たちが使える足場はあまりにも少ない。

 1人きりならばともかく、2人で分け合うのには到底足りなかった。だからこういうバッティングが起きても無理はない。

 

______ガィンッ! バキンッ!

「わああっ!」

 地面に落ちるまでの間に、階段や壁にぶつかったり、最後には歯車を通したパイプに叩きつけられたりした。

 ズキズキと痛む全身を持ち上げてもう一度メガバットの方を見上げる。

 私の傍で同じようによろよろと立ち上がるスプリングボックの姿も見える。

 

「あらあら、私はまだ何もしていませんわよ?」 

 メガバットは余裕綽々な態度で空中に佇んでいる。

 その近くにはカコさんが吊り下げられていて、手錠が擦れることで傷ついた手首からは赤い血のしずくが少しずつ垂れているのが見える。

 

「この卑怯者め!」

 完全に頭に血が上った様子のスプリングボックが吠え、またも槍を掲げて飛び上がろうと身構えている。彼女の頭の中は、カコさんを守りたい気持ちと、メガバットへの怒りでいっぱいになっているようだった。

 

「・・・・・・あなた、勇猛果敢は結構ですが、もう少し冷静になることをお勧めいたしますわ」

「貴様! 何が言いたい!?」

 

「このまま考えなしに暴れたら、あなたのご主人に被害が及んでしまうかも」

 メガバットが愚弄するように指を左右に振りながら、スプリングボックに言い放つ。

 彼女が言いたいのは、私たちが飛び上がっては落とされるのを繰り返すことで、時計塔の内部が少しずつ破壊されていくことだった。

 

 実際に、私たちの落下に巻き込まれる形で、壁の一部が崩れたり、いくつかのパイプがひん曲がったりしているのが見える。

 このままこんなことを続けていたら、カコさんの体を吊り下げているパイプが折れてしまってもおかしくない。

 もしカコさんが下に落ちてしまったりしたら命の保証はないだろう。ヒトとフレンズじゃ体の頑丈さが違い過ぎる。フレンズなら何てことないことでも、ヒトには致命傷になり得る。

 

「スプリングボック・・・・・・確かに今のままじゃマズい」

 私も彼女を引き留めるように声をかける。

 また同じように攻めてもメガバットには通用しない。それどころかカコさんの命は徐々に危険に晒されていく。

 何か違うことをしなければ今の状況は打開できそうにない。

 

「くそッ!」

 スプリングボックが、行き場のない口惜しさを発散させるように床に槍を突き立てて、反撃に出たくてしょうがない自身の気持ちを必死で押しとどめた。

 

(聞いてくれ)と、スプリングボックの耳元で囁く。

 そんなことしたってメガバットの地獄耳には聞かれてしまうかもしれないけれど、作戦を立てないことには始まらない。

 

(詳しいことはわからないんだけれど、メガバットにはこっちが何をするか事前にわかるみたいなんだ)

(何ですって? そんな奴を相手にどう戦えば?)

 

 未来予知・・・・・・おそらくはそれがメガバットの”先にある力”だ。

 今までの経験から、彼女が並外れた先読み能力を持っていることは知っている。それは単純に賢いとか勘が良いとかでは説明が付かない程のレベルだ。

 さっきだってそう。パンサーたちが出てくる前に、私だけで指揮官を捕えようと考えた時も、私の思考を先読みしてきた。

 私が実際にそうする未来を見たということなんだと思う。

 それだけじゃない。かつてブラジルにいた時分から、メガバットが未来を読むことが出来るという話は、部隊のフレンズ達の間でまことしやかに噂されていた。クズリはそれを「なんか知らんがツいてる」という言葉で表現していたっけ。

 

 ともかく、何かの選択を迫られた時、彼女はすべて的中させてきた。 

 あのハーベストマンとの戦いで、私が土壇場で無茶振りをした時もそうだった。

 部隊の誰もが反対する中で、メガバットだけが私に協力してくれた。私は結果オーライで勁脈打ちを成功させて戦いに勝つことが出来た・・・・・・今にして思えば、あの時メガバットは私が勝つ未来があらかじめ見えてたんじゃないだろうか?

 

 でも生き物である限り限界はあるはずだ。神様でもない限り、未来のすべてを見通すことなんて出来っこない。

 なぜならば、未来なんてものがすべて見えてしまったら、その情報量に思考が追いつかなくて、押しつぶされてしまうはずだからだ。

 

 その証拠がさっきの攻防だ。

 メガバットはパンサーたちの反撃を許した。パンサーがひと暴れして敵の注意を逸らし、スプリングボックがカコさんを奪取する作戦を見抜けなかった。

 それ以前に、未来が見えていなかったからこそ、指揮官に撤退を勧めたんだと思うし・・・・・・。

 

 わからない。メガバットはどうやって未来を読んでいるんだ?

 読める未来と読めない未来・・・・・・その違いを分けるものは何なんだ?

 

「もし、ずいぶんと長考されてるんですのね?」

 上の空間を飛んでいるメガバットが、待ちかねたような声色で茶化してくる。

 

「シベリアン、あなたが考えていることはわかりましてよ。私の”先にある力”の謎を解こうとしているんでしょう?」

「・・・・・・なっ!」

 

 メガバットがまたもドンピシャで言い当ててくる。

 だがこれは「未来予知」じゃないだろう。ただ単に、こちらの様子から察しただけに過ぎない。この局面ならそのことを考えるのは当然だ。

 

「知りたいなら、教えてさしあげてもよろしくてよ」

 メガバットの口から発せられた衝撃の言葉に思わず驚く。

 自分の能力を自分でバラすだと? 最早こっちのことを完全に弄んでいるみたいじゃないか。

 

「貴様ッ! バカにするのもいい加減に!」

「ちょっと待って。わかったよ・・・・・・話したければ話せばいい」

 メガバットの態度にはいよいよ私だって苛立ちを覚えるほどだ。それでも怒り心頭のスプリングボックの肩に手を置いて諌めながら話の先を促した。

 

「すでにご存知の通り、私は目が見えない代わりに聴覚が異常発達していますわ。音・・・・・・つまりは振動。私の耳はあらゆる振動を聴き取って、その距離や形、動き方を察知することができますの。目よりもよほど優れたセンサーですわ」

 

 それはもちろん知ってる。メガバットはその聴覚を駆使してブラジルのフレンズ部隊を指揮してきた。彼女の的確な指揮には何度も命を助けられた。

 そして今回だって”恐ろしく有能なスカウト”として私たちを苦しめた。

 

「・・・・・・と、これは単に感覚の話をしているだけ。私の”先にある力”はその聴覚に付随するものですのよ。シベリアン、ひとつ質問いたしますわ。物体が発する音の中で、生物にあって非生物にない音とは何だと思いますか? 今もあなた方2人の中から、ドクドクとせわしなく脈打っていますわね」

 

 質問に答える前から答えを言ってくれているような問答だった。

 そこまで聞いたら私にだってわかる。

 生物にあって非生物にない音・・・・・・それは心臓の鼓動だ。今思えば、メガバットは私の心臓の音を良く聴いていた。その音を聴いて色々な感想を話してくれた。

 ブラジルで初めて会った時も、そして今日のぞまぬ再会をした時だって、第一声がそれだった。

 

「私にとって、心臓の鼓動は相手を知るための重要な情報源ですわ。心身の状態だけでなく、おおまかな思考だって推し測ることが出来る・・・・・・目が見えない私は、相手を知る手がかりとして、鼓動を必死に聴き取って生きてきた。そんな私にある日、相手の”未来の鼓動”を聴き取る能力が発現いたしましたの」

「み、未来の鼓動・・・・・・?」

「それさえ聴き取ることが出来れば、私にとっては相手の未来を知ることなど容易い」

 

 そうか。メガバットが知ることのできる「未来」とはそういうことだったのか。

 まさしく彼女の聴覚と密接に結びついた能力だ。

 その能力に彼女の優れた頭脳が合わさることで、鼓動というただひとつの情報から相手の行動を読み切ってしまえるということか。

 

 だけど疑問がまだ残っている。

 未来の鼓動を聴くといっても、まずは現在の鼓動が聴きとれていることが前提のはずだ。

 

 彼女はさっきの戦いで、私の行動は読んできた。しかしパンサーたちの行動は読めなかった。

 それは単純に、パンサーたちとは距離が離れていて、鼓動が聴き取れなかったからだろう。事態が変わるまでは私のことを警戒して傍に置こうとしてたのもそのためだ。

 いかにメガバットの聴力とて、ある程度相手に近寄らなければ鼓動を聴きとることは出来ないんじゃないかと思う。

 

 ・・・・・・じゃあ、今はどうだ?

 この巨大な空洞みたいな時計塔の内部では、声はよく反響するけど、私たちの心臓の鼓動も聴き取られてしまっているのだろうか?

 地面にいる私たちと、天井にほど近い空間に滞空しているメガバットとでは、ざっと7、80メートルもの距離が空いている。

 今は能力の間合いの外なのか内なのか、どっちなんだろうか。

 

(アムールトラ、考えてもラチがあきません。動きましょう)

(どうするつもりなの?)

 

 スプリングボックは今まで、溢れんばかりの激情を抑えるのに精一杯だったはずなのに、いつのまにか冷静な声色になって、思考の海に溺れそうになっていた私を引きもどした。

 その後、彼女はいっさい言葉を発さずに、目線や手振りだけで自分の考えを説明しようとしてきた。メガバットに作戦を読まれないための破れかぶれの工夫だ。

 

 まずはカコさんを見上げ、その後に自分自身を指さすと、指を上から下へと振ってみせ、最後に出口の方向を指し示してみせた。

 つまりスプリングボックはメガバットを攻撃するのではなく、カコさんの救出を始めようということか。

 

(でも、どうやって?)

 スプリングボックはその質問にも身振りで答えた。

 私を指さし、その後にメガバットを見上げると、自分の耳元に手を当てて、叩くような仕草をしてみせた。

 そこから読み取れるメッセージはこういうことだろう。

「メガバットの耳を潰せ」と。

 

(どうやるかは貴様に任せますよ)

(わ、わかった)

 

 今この瞬間だってメガバットに鼓動が聴かれているのかもしれない。私たちがしようとしていることが全部読まれて、無駄な足掻きに終わる可能性がある。

 だけど、行動を起こしてみないことにはカコさんの命は救えない。

 

 メガバットの聴覚を封じるためには、何か大きな音を聴かせて、他の音を聴こえなくさせてしまうのが一番だ・・・・・・おあつらえの物があるな。

 私が見上げる先にあったのは、この時計塔の内部でも最も上部にある物。時を告げるための釣鐘だった。

 メガバットが滞空している場所からも近い。周囲にまで響き渡る鐘の音を間近で聴かされたとしたら、彼女の耳はかなりのショックを受けるはず。

 スプリングボックがカコさんを救い出す一瞬の隙を生むぐらいのことは出来るんじゃないか?

 

 地面にいる私が、7、80メートルは上方にある釣鐘を打ち鳴らすにはどうしたらいい? 

 石でも投げるか? 当てることはわけないと思うけど。

(・・・・・・いや、それじゃだめだ)

 石なんか投げてもメガバットに気付かれるだけだ。投げた石が発する風切り音を彼女は明瞭に聴き取るだろう。石がどこに当たるかだって察してしまうはずだ。

 

(だったらやっぱり、これしかないよな)

 思い至った私はおもむろに歩き出し、時計塔を上から下まで貫く数本のシャフトのうちのひとつに手を触れた。

 

(・・・・・・あの釣鐘を打つ!)

 私に残された選択肢はたったひとつ。勁脈打ちしかない。

 たとえ目標の物体と離れていても、手のひらごしに私の”意”を伝えることさえ出来れば勁脈打ちを放つことは可能だ。

 この巨大な時計塔の中にひしめき合う部品のひとつひとつが、時計という機械を構成する部品なんだ。すべては繋がっており、たがいに影響を及ぼしあっている。

 ならば私もそこに繋がればいいだけだ。

 

 手のひらに意識のすべてを送り込み、自分の体の輪郭さえわからない冷たい世界に降りていく。今の私にとっては慣れたものだ。

 次第に歯車のひとつひとつ、軸の一本一本が、意識の揺らぎの中に克明に感じられるようになっていく。見るよりも鮮やかで、聴くよりも確かなものだ。

 

 私の脳裏に、この作戦が始まった時から付いて回っている疑問がまたも頭をよぎる。「揺らぎ」と呼ばれる物の正体は何だ? 

 すべての感覚が失われたはずの世界で私が感じ取っている物とは? 

 聴覚だけで未来すら見通してしまうメガバットの能力を知ったことで、私の中の疑問がなおさら深まっていく。

 

 ・・・・・・けれど、そんな思考もやがて消える。この世界に降りてしまった以上、物を考えていられる時間はほんの一瞬だ。

 

 私の”意”が物質の揺らぎの中に溶け込み、波紋を起こす。目標に定めた釣鐘に向かって一直線に波が伝っていく。

 いつもなら全力で波を当てるけど、今はギリギリまで手加減して、ゆっくりとした勢いの波を起こすにとどめた。それは思考が消え去る以前から決めていたことだ。

 全力でやれば釣鐘をこなごなに破壊してしまう。今はただ打ち鳴らすだけのいいのだから。

 

______ゴオオオンッッ!!

「・・・・・・くっ!」

 自らの手で引き起こした爆音に意識が引き戻される。

 時計塔の鐘の音は、外から聴けば情緒のある美しい音だったが、内部で聴くとなるとこうも違うのか。もはや音じゃなくてただの振動だった。内臓にまでビリビリと響いてくる。

 メガバットの耳には、こんなの堪らないと思うんだが。

 

「上出来です!」

 釣鐘の音を合図にスプリングボックが動いた。

 文字盤の傍で吊り下げられてしまっているカコさんを救うために、自慢のジャンプ力を持ちうる限りに発揮して飛び上がる。

 

 音でメガバットの耳を塞いでいられるのはごく短い時間だけだろう。けれどスプリングボックのスピードならば、その隙を逃すこともないはずだ。

 そうしてカコさんを救出したら一目散にここから逃げる。メガバットが追いかけてくるならば外で迎え撃つ。

 とにもかくにも、この場所から一刻も早く立ち去るべきなんだ。飛べない私たちが圧倒的に不利なこの地形で、メガバットを相手に戦い続けるのはまずい。

 

 だけど、想像だにしない出来事が起こった。

(・・・・・・ス、スプリングボック? 何を!?)

 スプリングボックは一直線にカコさんの元へと向かっていくはずだったのに、まるで見当違いな方向に向かっている。

 ・・・・・・彼女のジャンプの到達点の先にはメガバットがいた。

 何でまた攻撃を仕掛けに行くんだ?

 自分で言ってたことと違うじゃないか。それとも私がスプリングボックの身振り手振りのメッセージを誤って解釈してしまったのだろうか?

 

「ボス、ボスーーッ!」

 ボスだって? そいつはメガバットじゃないか。

 遠目でもよくわかる。スプリングボックの様子は敵に相対するそれじゃない。敵意も警戒もなしに、無防備なまま距離を詰めていっている。

______フォンッッ

 そしてメガバットのすぐ傍で、手にした槍を一閃させる。何も切ってはいない。ただ空振りしただけだ。

「よし! もう大丈夫です・・・・・・さあ逃げましょう!」

 スプリングボックは安心した表情でメガバットを抱き締めると、そのまま下に降りようとした。

 

(・・・・・・間違いない)

 どういうわけか知らないが、今のスプリングボックの目には、メガバットがカコさんに見えてしまっているようだ。一瞬前の空振りの意味は、彼女の中ではカコさんを吊り下げている手錠を切ったつもりなんだろうか。

 

「スプリングボック! そいつはカコさんじゃない!」

「おそい、ですわ」

______ザシュッッ!

 スプリングボックの胸に抱かれるメガバットが、巨大な翼をまとめる付け根である「親指」を、自身の体の中で最も固く鋭いであろう部位を、スプリングボックの腹部めがけて打ち込んだ。

 

「・・・・・・どう、して?」

 痛みにつられてメガバットを放したスプリングボックが、力なく真っ逆さまに落ちてくる。

 腹部から血を吹き出しながら、自分に何が起きたかもわからないまま。

 

「おバカさんね・・・・・・私がなぜ自分の能力をばらしたか、その意図を考えなかったんですの?」

 メガバットが再び翼を広げて、空中に佇みはじめた。

 落ちていくスプリングボックと、それを見ていることしか出来ない私を、光を映さない白い瞳で蔑むように見下ろしている。

「あなた方の行動を誘導するためですのよ」

 

______ガシィッッ!

 地面に落ちてきたスプリングボックをなんとか受け止めた。

 ひどい重傷だ。腹部の傷は深く、どうやら背中を貫通してしまっているようだ。出血がひどい。今もボタボタと地面に垂れている。そして息も絶え絶えになっている。

 

「メガバット! いま何をしたんだ!」

 

 焦りと混乱を吐き出すように声を上げた私に、月光に照らされたまま空中で石のように動かないメガバットが答えた。

 

「・・・・・・私には、能力が二つある」

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章8 「くらやみのきおく」

「メガバット、何をした!?」

「・・・・・・中々いい作戦だったとは思いますわ。たった今まで、大音量により私の聴覚は封じられていましたわ。ですが”未来を聴く”力によって、あなた方がどう出るかはすでに読めていた。私ではなくカコ・クリュウの奪還を優先するということも」

 

「耳が聴こえなくなったなら、君にはスプリングボックの接近がわからないはずだ! いったいどうやって攻撃を!?」

「ええ、だからもうひとつの力を使って罠を仕掛けていましたのよ・・・・・・その二本角の子は見事にそれに引っかかりましたわ」

「そんなバカな・・・・・・”先にある力”がふたつあるなんて聞いたことないぞ!」

「ふふふっ。シベリアン、どうやらあなたは、まだ”ひとつ目”止まりですのね」

 

 かつてメガバットの下で戦っていた頃、彼女は野生解放のことも”先にある力”のことも詳しく教えてくれた。当時は野生解放すら出来なかった私にとって、それは非常にためになるアドバイスだったことを覚えている。

 

 今だって一言一句思い出せる。

 フレンズは戦いを繰り返すうちに、自分の体のリミッターの外し方を自然に覚えていく。自分の体がどうしたら一番よく動くかを理解し、それを信じることでリミッターは外れる。それが野生解放と呼ばれる現象だ。

 そして”先にある力”と呼ばれる超常の力・・・・・・それがフレンズの体に宿るのは、己の動きの根幹となる一番強い感情を悟り、それを徹底的に磨き上げた時だと。

 

 言葉にすると難しいけれど、数多の戦いを経て自分なりに成長した今になって思い返すと、的確に真実を捉えた内容だったと感じる。

 メガバットは私が知る限り、フレンズに秘められた能力の仕組みに関しては他の誰よりも深い造詣を持っている。

 

「そう・・・・・・フレンズの”先にある力”は進化しますのよ」

 

 そんな彼女の口から今、新たな真実が告げられた。

 最初に発動した”ひとつ目”の能力は、使うたびに成長していく。それがある段階に達した時、幹から枝が分かれるようにして、より高次の能力である”ふたつ目”が分化するというのだ。

 ひとつ目の能力を下敷きにして発現したふたつ目は、ひとつ目の純粋な上位互換であるか、もしくは密接に関連した内容になるという。

 その言葉を信じるならば、私の勁脈打ちにも進化形があることになる。

 今回の作戦でも薄々感じていたことではある。あの冷たい世界の中で、何か別のことが出来るんじゃないかって。

 

「あなた、スパイダー・モンキーを覚えていますわよね」

「・・・・・・あの子がどうした?」

「聞いた話では、彼女もふたつ目の能力をすでに習得しているそうですわ。いっぽうでウルヴァリンはあなたと同じで、まだひとつ目で止まっていると聞きます。私が思うに、フレンズにとって大事なのは、腕力や戦闘技術ではなく、己の活かし方を心得ているかどうかなんですのよ・・・・・・先にある力もそれに付随する。まさしく彼女がいい手本ですわね」

 

 そうか。スパイダーがそんなにも成長しているのか・・・・・・あの子、ノリは軽いし腰も低かったから、いっけん頼りないように見えたけれど、実際はメガバットに匹敵するほどに賢くて、かなりの度胸と行動力がある子だった。

 彼女の有能さにはクズリも一目置いていて、爆弾のように暴れるクズリと奇妙なコンビを組んでいたのを覚えている。

 そして私もずいぶん世話になった。

 今思うと、あの子は意図的に自分を弱く見せていたように見える。その方が面倒が回ってこなくて、生き残る確率が上がるって考えたからなんだろうな・・・・・・。

 

 だけど、そんなことは最早どうでもいい。スパイダーの名を聞いて懐かしさに浸っている場合じゃない

 昔の仲間は今はもうみんな敵なんだ。スパイダーもそのうち恐ろしい敵として立ちはだかってくると思った方がいいだろう。望まない再会が今後も私を待っている。

 

「後はまかせて、スプリングボック」

 私がやるべきことは、敵から今の仲間を守ることだ。

 そう頭に何度も刻みながら、腕の中で浅い呼吸を繰り返す血まみれの彼女を地面に降ろそうとしたその時。

 

「まだだぁぁぁっっ!!」

 私の腕の中で、息も絶え絶えだったはずのスプリングボックが吼えた。

 そして私を突き飛ばすようにして地面に転がると、槍を地面に突き刺して、それにしがみ付きながら、満身創痍の体を持ち上げるようにゆっくりと立ってみせた。

 腹部の出血はなおも止まっていない。傍目からはとても戦いを続けられる状態とは思えない。

 それでも彼女は今までよりもいっそう激しく闘志を燃やしていた。

「まだ戦えるゥゥッ!」

 

「む、無茶だ! スプリングボック!」

「うるさいッ、うおおおおっっっ!!」

 

 私の制止を振り切って絶叫するスプリングボックの目が、眩い金色の炎に覆われる。いったいどうするつもりなんだ?

 野生解放をしてみせた所で、メガバット相手に有利になれるわけじゃないだろうに、彼女の怒気は一歩も引かないどころか、さっきよりもなお強固な意志をもって、猪突猛進に前に進もうとしている。

 

______ジュウウッッ・・・・・・

(あ、熱い!?)

 炎に炙られているような高熱が、周囲の空間に広がり始めるのを感じた。両腕を交差させて熱から体を庇いながら、皮膚を焦がすようなそれの出どころを探る。

 その中心にいるのはスプリングボックだった。

 彼女の体は全身が白熱化していて、輪郭さえ定かじゃなくなっていた。

「何をしてるんだ!?」

 

 野生解放の勢いが一定のレベルまで高まると、瞳を満たす金色の光が漏れ出してフレンズの全身を覆うようになる。戦闘慣れしたフレンズに稀に見られる現象だった。

 ・・・・・・だけど今のスプリングボックの様子は、それとは似て非なる物のように見える。

 なぜなら、野生解放の光はただ眩しいだけなんだ。今のスプリングボックのように実際に高熱を発することはあり得ないはず。

 

「はあっ、はあっ」

 炎と熱とが急速にかき消えていった。すると途端にスプリングボックが肩で息をする姿が露になった。

 だいぶ息は上がっているものの、先ほどと変わらない気勢を取り戻し、ふたたびメガバット目掛けて槍を突き上げて構えた。

「・・・・・・どうだ!? 貴様の攻撃など私はまったく効いていない!」

 

「だ、大丈夫なの!?」

 彼女の腹部から吹きこぼれていたはずの流血がピタリと止まっている。先ほどメガバットに負わされた傷を完治させたように見える。

 たしかに野生解放はフレンズのあらゆる能力を高めることが出来る。傷を癒す早さだって、何もしていない時の数倍にはなるだろう。

 だがそれでも、あんな深手を一瞬で塞ぐことは出来ないはずだ。

 ・・・・・・そういえば、さっきから肉が焦げたようなにおいがツンと鼻をついている。

 もしかすると、今の高熱はスプリングボックの能力なのだろうか? 熱で傷口を焼くことで出血を止めてみせたということなのか?

 

______パチパチパチ・・・・・・

 空中から私たちを見下ろすメガバットが「すばらしいですわ」と、スプリングボックに向けて賛辞を送っていた。乾いた拍手の音をしばらく空洞の中に響き渡らせると、やがて拍手をやめて静寂をその場に作り出した。

「あのネコ科の子といい、あなたといい、すでにひとつ目の能力は手にしているようですわね。あなた方はきっと、パークが擁するフレンズの中ではトップクラスなのでしょう・・・・・・さすがはカコ・クリュウの護衛に選ばれるだけのことはありますわ」

 

「それで、その炎の能力で私を攻撃はしませんの? 傷を塞いだだけで終わり?」

「うるさい! 卑劣な手品など私には必要ない!」

「そう・・・・・・どうやらあなたはまだ能力を自在に使えないようですわね。確実に形になりつつあるのに、あと一歩の掘り下げが足りないのかしら・・・・・・あのネコ科の子、あなたの相棒は能力を自在に使いこなしていたというのに」

 

 スプリングボックの能力は結局謎のままで終わった。おそらくは熱や炎に関係したものなんじゃないかということしかわからない。

 彼女は能力をまだ使うことが出来ないのか、あえて使わないだけなのかも不明だ。

 パンサーと同じように一発逆転ができるような切り札を持っているんじゃないかと思ったのに、アテが外れたような気持ちにならざるを得なかった。

 

 なお悪いことに、今のスプリングボックは完全に冷静さを失っている。

 メガバットの目論見通りに、張り巡らされた謎の罠の中にふたたび無為無策で突っ込もうとしているようにしか見えない。

 

 メガバットの二つ目の能力とは?

 どうやってスプリングボックにカコさんの姿を自分だと誤認させたのか?

 その謎を解かないことには、また同じことが起こるだけだ。

 メガバットは短絡的に突っ込んで勝てるような相手じゃない。

 一刻も早く上にいるカコさんを助けなきゃいけないのはわかっている・・・・・・だけど今の私たちには、頭を捻って打開策を考えるしかないんだ。

 

「スプリングボック、ともかく落ち着いてもう一度作戦を考えるんだ!」

「くっ! 貴様はそれしか言えないんですか!? 私はあのコウモリが許せない! ものすごくムカつく奴です! 私を嘲笑うように、余裕ぶっこいて歌なんて歌っていやがりました!」

「・・・・・・待って。メガバットは歌っていたのか? 鐘の音のせいで私には聴こえなかったよ」

「ええ確かに聴きましたとも! おまじないみたいな奴の声が耳に響いてきました。まったくバカにしている!」

 

 メガバットについてひとつだけ良く知っていることがある。

 それはこの世の物とは思えないぐらい美しい声をしていることだ。その声を聴いていると、なんともいえず心が落ち着いたことを覚えている。

 かつてブラジルで一緒にハーベストマンを倒した時もそうだ。

 あの声で、謎の呪文みたいな言葉を耳元で囁いてくれた。それを聴いていた私は、恐怖も不安も忘れて、自分の勝利を信じて集中することが出来た。

 ・・・・・・確証はないけれど、メガバットの声には何か特別な力があるんじゃないだろうか? その声を聴く者の心に働きかける力が。

 

「わかったぞ! メガバットの二つ目の力・・・・・・それは声なんだ! スプリングボック、君がメガバットをカコさんと見間違えたのは、メガバットが声の力で君に幻を見せたからなんだよ!」

「何ですって? そんな夢みたいなことが!」

 

「正解ですわ」と、上の方で、またも逆さまになってぶら下がっているメガバットが私に答えた。

 

「さすがにシベリアンは、一年も私と一緒にいただけあって察しがよろしいようね? 未来を”聴く力”と”聴かせる力”は表裏一体のもの・・・・・・むしろ、聴かせる力の方こそが私のひとつ目の能力なのでしてよ」

「聴かせる力だと・・・・・・? でも鐘の音のせいで他の音を聴くことも聴かせることも出来なかったはずだ」

「あなたは音という物の性質をわかっていませんわ。確かに、大音量でマスキングすれば、他の小さい音を隠すことは可能ね。しかし音そのものが消えるわけじゃありませんのよ? そして私の”特別な声”は、たとえ聴き取れていなくても、耳に入った時点で脳に作用する・・・・・・そっちの子が聴いた”歌”の正体はそれよ」

 

「・・・・・・くっ!」

 立ち尽くし、歯噛みしながら思考を走らせる。

 メガバットの技の正体はもうすっかりわかった。だけど、これからどうしたらいい? 謎を暴いた所で、攻略する手立てがなければどうにもならない。

 

「アムールトラ、私はもう一度行きます。貴様は例の技で、また鐘を鳴らしなさい!」

「無茶だ。鐘の音でメガバットの耳は塞げても、声は封じられないよ」

「・・・・・・考えがあるんです!」 

 謎の自信に満ちたスプリングボックが、私の言葉を打ち切るように、我が意を得たりと大声で叫んだ。

 その直後、彼女は驚きの行動を取る。己の両耳に人差し指をねじ込んでみせたのだ。

 

「スプリングボック、まさか!?」

「声が聴こえないようにすればいいだけでしょうがッ!!」

______グチュッ

 躊躇なく突き込まれた指が、やがて引き抜かれると、スプリングボックの指先にはべっとりと血が付いていた。

 彼女は鼓膜を破ることで、自らの聴覚を封じてみせたのだ。

 

「ぐうッッ!」

「な、なんてことを!」

 

 自らが与えた激痛に、スプリングボックはたまらず前かがみになってしゃがみ込む・・・・・・しかしその数秒後には真っ直ぐ立ち上がり、強い闘志と決意を秘めた瞳で上にいるメガバットを睨み付けてみせた。

 このアフリカの猛戦士は、どんなに傷ついても、自分が絶命するその瞬間まで戦意が折れることなどないのだろう。

 

「さあッ! これでもう卑劣な手品は効きません。勝負です!」

「どこまで扱い易い子なのかしら」

 

 時計塔の頂点を目指して、三度スプリングボックが飛び上がった。 

 そして上の方にある数少ない足場を飛び移りながらメガバットに攻撃を繰り返しているが、もちろんすべて躱されてしまっている。

 

 状況は私がこの時計塔に足を踏み入れた時と一緒だった。まったく振り出しに戻ってしまったように見える。

 ・・・・・・いや、それよりもずっと悪い。傷口を焼いて塞いだとはいえ、何度も何度もダメージを負わされたスプリングボックの体力は限界に近いだろう。気力と根性で何とか持たせているようだけど、いつ倒れてしまってもおかしくない。

 

 スプリングボックも自分でそれがわかっているから、体力が尽きる前にメガバットを倒そうと我武者羅な攻撃を仕掛けている。

 攻撃が躱されるたび、空振りした槍の穂先が、辺りに張り巡らされたパイプとか色んな部品に当たっていた。それによって歯車なんかの細かい部品がバラバラと宙を舞った。

 この戦いが続けば続くほど、時計塔の内部が破壊されていく。

 このままでは、カコさんを吊り下げている文字盤の傍のパイプが壊れるのもそう遠くないはず。

 

 それにしてもメガバットの飛行のなんと器用なことだろう。

 スプリングボックの攻撃をヒラヒラと躱しながら、部品が複雑に張り巡らされる空間を縫うように飛び回っている。

 ・・・・・・ただ、広げた翼が巨大すぎるせいで、時折こすれるぐらいに部品と接触したりはしているようだった。

 

(もう、勁脈打ちに賭けるしかない)

 そう決心した私は、先ほどと同じように、上から下まで通じている時計塔の要である金属のシャフトに手を触れた。

 

 スプリングボックにはまた鐘を鳴らすように言われたし、確かに鳴らせば有利になれるけど、この期に及んで満身創痍の彼女に戦いを任せっきりにすることは間違っている。

 いま私が打つべきなのは鐘なんかじゃない。メガバットだ。

 

 これまでで一番当てるのが難しい目標であることを直感した。

 自分の技だからわかる。勁脈打ちは決して万能の必殺技なんかじゃない。桁違いの破壊力を持ってはいるが、同時に無視することのできない致命的な弱点をも抱えている。

 それは空中にいる相手には当てることが出来ないということだ。 

 勁脈打ちは物質が持つ揺らぎの中に”意”という波を起こして調和を打ち砕く技だ。しかし物質の中を伝搬する”意”にとって、空中はただの無であり、行き止まりでしかない。

 だから今のメガバットのように、空中にいる相手を”意”で打つことは叶わない。

 

 メガバットに勁脈打ちを当てられるのは、ヒラヒラと飛び回る彼女の翼ないし体の一部が、時計塔内部の部品に触れた瞬間だけだ。

 その時ばかりは”意”を通すための道が開かれるだろう。

 チャンスはいつ訪れるかわからない。狙えるタイミングは一瞬・・・・・・でもきっとやってみせる。あるかなしかの刹那の時を打ち抜くことに全てを賭ける。それこそが私の真髄。

 

 思えば、このケープタウン大学での戦いは私を大きく成長させてくれた。

 

 いままで私は、ゲンシ師匠が授けてくれた技と思想だけを頼りに戦ってきた。野生を知らずに育ったせいで、トラとしての自分に自信が持てなかったからだ。

 ・・・・・・しかし私はついに一線を越え、自分の意志でヒトを殺害してしまった。

 それは師匠の面影に依存する私のヤワな内面を打ち砕くのに十分過ぎる経験だった。

 

 そんな私を救ってくれたのは、孤高の狙撃手カイルとの出会いだった。

 彼の生き様と言葉が、野生とは何なのかを、命を奪いながら生きている生き物の元来の在り方を自覚させてくれた。

 

 ヒトに与えられた物、トラとして生まれ持った物・・・・・・私を形作るふたつの核が、完全にひとつに合わさっている。

 今の私なら、これまでで最高の一撃が放てる。なんとなくそんな予感がする。

 

______ドプンッ

 

 深い暗闇の中に意識が潜っていく。

 形のある物体のすべてがいったん分解され、揺らぐ輪郭を暗闇の中に描き出す。

 この世界は有と無の連なりによって出来ている。有の形がわかれば、それに切り抜かれるようにして、無もまた姿を現す。

 

 広がる無の中を、ふたつの形無き魂が素早く交錯している。

 スプリングボックとメガバットの戦いは、目で見るのとそう変わりない様相だった。

 

 まず目に映ったのは、まるでスプリングボックそのものであるかのように、真っ赤な炎を纏わせながら白くかがやく魂だ。

 火の玉は激しく眩く燃え盛りながら、メガバットを討ち取るために、ひと時も休むことなく直線的に動き続けている。

 

 一方のメガバットは、魂の形になっても変わらず軽やかで曲線的な動きをしていたが、魂の色彩がスプリングボックとはまるで異なるものだった。

 光がまるで感じられない、得体の知れない影のような塊だった。それは黒いようでもあり、紫や深緑のようにも見える・・・・・・ずっと前に見た、放射能に汚染された海の色によく似ている。

 

 この醜い塊が、あの美しいメガバットなのか? どうしてこんな色をしているんだ・・・・・・? いったいどんな人生を送ったりすれば、魂はあんな闇色を宿すようになるんだろう。

 思えば私はメガバットのことを何も知らない。

 彼女がどこで生まれて、何をして生きてきたのか。どんなことを考えてこの先を生きようとしているのか。

 

(・・・知りたい・・・)

 

 この世界に入れば、論理的な思考はやがて途切れる。

 私の”揺らぎ”は直前まで考えていた行動を実行することしか出来なくなる。

 メガバットを狙撃することだけを考えていたはずだったのに、いつの間にか別のことに思考がすり替わってしまった。

 彼女のことをもっと知りたい、と・・・・・・それが思考が溶ける前に最後に考えたことだった。

 

(し、しくじった!?) 

 私としたことが、無意識のうちに雑念を入り込ませてしまった。

 こうなったら勁脈打ちはもう失敗だ。波を起こすことは叶わず、強制的に現実に引き戻されてしまうだろう。

 

______フォンッッ

 

 しかし、自分でも想像だにしていない方向へと”揺らぎ”が向かい始めた。

 現実に戻るどころか”意”の世界の奥底に、いっそう潜航していった。深く深く潜った先、やがて有と無の境界へと辿り着いていた。

 

 異変はそれだけにとどまらなかった。

 有と無の連なりで形づくられる世界において、本来ならば有の中だけしか動けないはずの揺らぎが、境界をすり抜けて無の中へ降り立ち、さらに魂のように浮上を始めていた。

 これはもう勁脈打ちじゃない。技の理から外れた別の何かだ。

 

 禍々しくうごめくメガバットの魂めがけて、私の揺らぎが一直線に登っていくのがわかる。彼女との距離がどんどん近くなる。

 ・・・・・・私は何をやろうとしているんだろう。自分の行動なのにまったく先が読めない。

 ただひとつ「知りたい」という意志だけ、それだけが私のすべてになったみたいに、最初からそうすることを決めていたように、闇色の彼女の中に溶けていった。

 願いがかなった瞬間、私の揺らぎは意志さえも消えて完全な無となった。

 

______ザァァァァ・・・ザプンッ・・・

 

「シベリアン? こんな夜更けに何か用かしら?」

≪ちょっと気になってさ。メガバット、君も海が好きなの?≫

 

(・・・なんなんだ・・・これは)

 とつぜんに意識と思考が取り戻された。そこは私の理解と想像をはるかに超えた世界だった。 

 視界は暗黒そのものだった。だけど、その代わりに耳から聴こえる情報量は、それを補って余りある豊かさだった。

 砕ける波の一つ一つが、そよ風に揺れる木の枝の一本一本の動きと形が耳の中に感じ取れる。目で見るのと代わりないぐらい鮮明で美しい情景が思い浮かぶ。

 

 ・・・・・・そう、これは確かガジュマルという樹木だ。

 ブラジルの西海岸沿いによく生えていたもので、私はこの大きな樹の根本で座禅を組むのが好きだった。音しか聴こえないのに、記憶の中の姿形とピタリと重なるようだった。

 

「ふふっ、会うなり妙なことを訊きますわね」

≪君はいつも海の近くの木にぶら下がって寝てるでしょ。どうしてなのかなって思ったんだ≫

 

 私らしき声が外から聴こえてきて、それに対して私自身が言葉を返している。

 だけど、私の口から放たれる声も口調も、すべてメガバットのものだった。話す言葉の一言一句さえも、あらかじめ自分の考えであるかのようにごく自然に出てきている。

 メガバットの思考も感情も・・・・・・彼女の心のうちにしかないはずの情報が絶え間なく流れ込んでくる。

 それを何の疑問も持たずに自分の物だと認識できてしまっている。

 まるで自分がアムールトラであることさえ忘れてしまいそうだった。

 

 メガバットの体を借りた私は、ガジュマルの樹の枝に逆さまにぶら下がりながら、根本に座っている”シベリアン”と会話を続けている。

 どうやらこの体は指一本たりとも私の自由には動かせないらしい。彼女の自我をなぞることしか出来ないようだ。

 

「まあ、確かに好きですわ。海から聴こえる数えきれない程の音は、地球が生命を育んでいる現象そのものですもの。心が洗われますわね」

≪やっぱりそうなんだ。目で見ても、耳で聴いても、海はきれいなんだね≫

「あなた・・・・・・前から思っていましたが、きれいって言葉を乱用しがちな傾向がありますのね」

 

(この会話、知ってる)

 情報の濁流に翻弄されながらも、なんとか自我を保つために一旦冷静になって思考を働かせた。

 ブラジルの部隊にいた時分、私とメガバットはよく2人でガジュマルの樹のそばで夜を過ごした・・・・・・私は樹の根本で彼女を見上げて話しかけていた。

 いま私はメガバットの視点から、ブラジルの思い出を追体験しているというのか。

 

(間違いない。いま私は、メガバットの記憶の中にいる)

 

______ドクンッ!

 とつぜんに海辺の情景が消し飛ばされた。

 それといっしょに粉々になった私の意識が、まるでガジュマルの樹のように複雑に入り組んだ神経回路の中を、分散と集合とを繰り返しながら登っていった。

 

 知らない記憶と感情が早回しに巻き戻されていく。

 私の意識はいま完全にメガバットと同一化を果たした。

 

(ネオ・ワン。おまえに新たな指令を下す。全身全霊で遂行するのだ・・・・・・果たせぬ時は、わかっているな?)

 

 男の声が聞こえる。

 頭の中に埋め込まれた機械を通して、いつでもどこででも絶えず命令してきて”私”を思うがままに操ろうとする声だ。

 男は”私”の創造者、マスターだった。ただのオオコウモリからフレンズへと生まれ変わった瞬間から”私”の血も肉もすべてを支配する存在だった・・・・・・生命活動のすべては、あの男の利益へと還元されるように仕組まれている。”私”はマスターの道具、いや部品として作られた。

 僅かな自由も、それを願う意志すらも許されていなかった。

 

 生きててもいいことなんか何もない、とマスターの声を聞くたび思った。

 彼を憎み、己の運命を呪った。

 命ぜられるがまま常に何者かと戦わされていた。セルリアンだけじゃなく、ヒトも大勢殺した。すべてはマスターの利益のため。

 それを可能にするだけの英才教育も詰め込まれるだけ詰め込まれた。

 絶望の中で生きるうちに、だんだん感情が色褪せてきて、自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなっていた。

 与えられた役目をどうやって果たせばいいか、ただそれだけを考えようとした。

 

 そんな”私”にもたったひとつだけ、人生の喜びと呼べるものがあった。

 それは戦いの中で、敵を「詰ませる」こと。それにいたる手順を見つけた瞬間だ。

 

 将棋やチェス、ヒトが生み出したボードゲームは”私”にとって理想の世界だ。

 目が見えないから実際に体験したことはなく、その概念を人づてに聞いて知っていただけではあったが・・・・・・ 

 作戦を立てて駒を動かし、思考が及ぶ限り相手の出方を先読みして妨害し、最後には相手を詰ませる。目的と行動、そして結末までが一貫して繋がっている。

 極限まで無駄がない、美しい思考の世界。

 

 いつしか”私”は自分自身を盤上の駒になぞらえて、人生のすべてをボードゲームのように考えるようになった。

 戦いの中で「詰み」だけを偏執的に求め続けた。

 こちらの読み通りに状況が動き、敵が詰んだ瞬間”私”の心は歓喜で高ぶった。

 

 やがてそんな”私”の精神性に呼応するように、フレンズの”先にある力”が発現した。

 最初に手にしたのは、特殊な音波を聴かせて相手の思考に働きかけ、こちらに都合のいい行動を誘発する「偽りの未来を聴かせる」力だ。

 その後しばらくしてから、相手の心音を聴き取ることで、相手が近い未来にどのような行動を取るかを予測する「未来を聴く」力も手に入れた。

 

 ふたつの能力の発現によって”私”の戦闘能力は極限まで高められた。Cフォースが擁する特殊生物兵器フレンズの中でも、最高級の実力があるとの太鼓判を押されるに至った。

 

 やがて”私”の頭脳や能力は、近接戦闘要員ではなく、むしろ指揮官向きであるとマスターによって判断され、だんだんと他のフレンズの指揮を命ぜられる機会が増えていった。

 案の定、そこでも”私”の能力は多いに役立った。

 それぞれに性格も能力も違う部下を動かして敵を「詰ませる」のは、本当にボードゲームみたいだった。まさしく指揮官こそが”私”の天職なのだろうと思った。

 

 戦いに勝つたび、頭の中からマスターの新たな指示が下される。

 いつか命を落とすその瞬間まで”私”が盤上から降りることはないのだろう。

 

(そうか・・・・・・これがメガバットの半生だったんだね)

 

 メガバットの記憶の中から、何とか”アムールトラ”の自我を寄せ集めて思いにふける。彼女の気持ちが自分の物であるかのように感じて、寂しくて空しくなってくる。それでもすべてを知ったわけではない。

 だって「頭の中から声が聞こえる」なんておかしいじゃないか。メガバットの体はどうなってるんだ?

(マスターとは何者だ? メガバットの、創造者・・・・・・とは)

 

 考え事をする間もなく、寄せ集めた自我が光になって分解され、また枝分かれする回路の中を走るようになった。

 より深淵へと光が潜っていく。近い過去ではなく、さらに遠い過去へと記憶がさかのぼる。

 Cフォースの人造フレンズは、どこかから集めた動物の死体を材料にして研究所で生み出され、セルリアンと戦える実力が身に付くまではそこで訓練を受けるんだ。

 メガバットにも研究所で過ごした時期がある。それが今から見るものだろう。

 

______ゴウンッッ・・・・・・

 

 それまで音によって形成されていた暗闇の世界に、突如光が現れる。

 耳ではなく目で見て認識する世界がそこにあるのだった。

 

 銀色の人工的な照明が照らし出すのは、あちこちに複雑な基盤が走る不気味な部屋。

 その中央にある台座に、黒い翼を背中に生やした”私”がいて、いくつもの拘束に縛り付けられていて身動きが取れなくなっていた。

 

「やめて! やめてください!」

≪ネオ・ワン、お前に拒否する権利などない≫

 

 男の立体映像が”私”の傍に現れる。

 白衣を着た金髪碧眼の男は、老年だが背が高く整った容姿であり、その片眼鏡の奥の眼光は得体のしれない迫力に満ちていた。

 この男こそが”私”のマスター。Cフォースの最高指導者であるグレン・ヴェスパーそのヒトだ。

 

≪安心するがいい、シミュレーションの結果、90%以上の確率で成功と出ている≫

 

 あらかじめ聞いていた内容についてもう一度説明を受ける。

 フレンズの肉体はヒトをはるかに凌駕する可塑性を持っている。脳細胞もその例に漏れない。

 脳を変異させるための手っ取り早い方法として、ひとつの感覚を遮断することが挙げられる。

 ある感覚が失われれば、それを補うために別の感覚が異常発達するというのだ。

 そして”私”の場合は、視覚を犠牲にして聴覚を発達させるというプランニングが成された。

 

 そう・・・・・・”私”はオオコウモリのフレンズ。

 元々は目が見えていたのだ。

 視覚に頼らず聴覚でのエコーロケーションを行うのはココウモリであり、オオコウモリは他の多くの哺乳類と変わらず、視覚に頼って生きている動物だ。

 それでも遺伝的に共通する部分が多いために、後天的な施術によってココウモリに近づけることが可能と考えられた。

 

 オオコウモリは、エコーロケーションが出来ないのを補うために、ココウモリに比べて飛翔速度や旋回能力が格段に優れているという。

 つまりマスターはオオコウモリの飛行能力とココウモリの聴覚の良いとこどりをしようと目論んでいたのだ。

 

 しかし・・・・・・そんな説明を受けた所で、納得することなど出来るはずもない。

 ただただマスターのことを恐ろしく感じた。

 彼は”私”を見ているようでいて見ていない。自分の頭の中にある段取りと会話しているだけだ。それだけがこの世で唯一価値のあるものだと思っている。

 そして彼にとっては、その段取りを確立することの方が重要だったのだ。

 何故ならば”私”はネオ・ワン・・・・・・数多の失敗作を経た後で、はじめて生み出された、Cフォースの人造フレンズ第一号なのだから。

 マスターは”私”を人体実験の材料にすることで、後々に活かせるデータを取ることを目的にしていた。その結果”私”が死のうが構わないのだろう。

 

 残虐な施術を行うのにあたって、マスターが人間的な躊躇を覗かせていたのなら、どれだけ慰めになっただろう。

 ところが彼には何もない。”私”にとって、不純物のない絶望そのものだった。

 

(ああ・・・・・・何であの時、ご主人様と一緒に死ねなかったのかしら?)

 

 絶望に直面しながら、動物だった頃の幸せな記憶を思い出す。

 かつて”私”はヒトに飼われていた。

 ご主人様は世界的な作曲家として知られた女性だったけど、同時にかなりの変わり者であり、数人の召使いだけを傍に置き、世俗を避けて田舎の豪邸に隠れ住んでいた。

 彼女はいつもだだっ広い私室でピアノを弾くことだけに明け暮れていた。それを天井の片隅で聴くことが”私”の動物時代のほぼすべてだった。

 

 オオコウモリは、ヒトに飼育されることなど滅多にないと聞いた。

 しかしご主人様の独特な美的感覚は、数ある動物の中でも取り分け奇妙な、逆さまにぶら下がって生きている”私”の姿を見初めたらしい。

 さまざまな絵画や陶芸品などの美術品と同じように”私”のことを大金を払って購入し、私室の調度品のひとつとして扱っていた。

 

 ご主人様は”私”の世話などは、すべて召使いに任せっきりだったけど、それでも確かな幸せを教えてくれた。美しいピアノの音色を聴かせ続けてくれた。

 そして”私”という存在もまた、彼女が作り出した美しい世界の一部なのだと思った。

 美の中で生き続ける幸福を享受していた。

 ・・・・・・思えばフレンズになってからの”私”がボードゲームに関心を示し、戦いの中に「詰み」を求める暗い衝動を見出したのは、ご主人様が弾き鳴らしていたピアノの音色を思い出していたからかもしれない。相手を「詰み」へと誘う戦術は、まるでピアノの譜面のようだ。一切の無駄のない完全な美しさを宿している。

 

 だが、そんな”私”の生活は、ある日屋敷を襲った火災によってすべて破壊し尽された。

 ご主人様の死にざまは壮絶だった。屋敷が崩れ落ちていくのも構わずに、最期の瞬間までピアノを弾き続けていた。それは己の美しい世界を守ろうとしているかのようであった。世界の一部である”私”を膝元に乗せながら・・・・・・

 彼女の傍で美しいまま死ねる”私”はとても幸せだと思った。

 

 しかし安らかな死が訪れることはなく、むしろそこからが生き地獄の始まりだった。

 一夜明けてから、焼死した”私”の遺体は、焼け跡と化した屋敷の中からCフォースの手の者に見つけ出されてしまった。

 グレン・ヴェスパーは”私”を人造フレンズとして蘇生させた。

 

______キュイイイ・・・・・・

 薄暗い部屋の天井から、細長い金属のアームが降りてくる。

 アームに取り付けられているのは、白い液体を充填した注射器だった。針の先端がゆっくりと、しかし確実に”私”の眼球に近づいてくる。

 拘束された”私”には、顔をわずかにそむけることすら叶わない、そして。

 

______いやああああああっっ!!

____・・・・・・

 

(はっ!?)

 割れるように大きな悲鳴が脳内に響き渡ると、それがきっかけであるかのように、目の前のすべての姿形が消失し、また別の形へと構成しなおされた。

 

 目の中にふたたび光が宿り、月明かりを取り入れる薄暗い時計塔の内部を映しだした。

 世界のすべてを描き出すほどに鋭敏だった聴覚は、ただその場の音を拾うだけの平凡な耳に戻っていた。

 そして手も足も胴体も、一番見慣れた”アムールトラ”の形になっていた。

 

(な、なんだったんだ。私は何をしていたんだ?)

 勁脈打ちを打とうと思っていたのに、私の”揺らぎ”がひとりでに漂い始めてメガバットの中に入り込み、彼女の記憶や感情を自分の事のように体験するという謎の現象を、自らの意志で発動させてしまった。

 あまりにも異様な光景を見たせいで、自分が現実に戻って来たという実感すら湧かなかった。

 

(そうだ! 2人はどうなった!?)

 

「いやああああああっっ!!」

 慌てて上を見上げると、メガバットが頭を抱えながら絶叫しているところだった。その悲鳴は私が今しがた、彼女の記憶の中で最後に聞いたものとまったく同じもののように思えた。

 あの長く苦しい苦痛の時間から、ほんのわずかな時間しか経過してないことを悟った。

 

「くらいなさいっ!」

 今まで一分の隙も見せなかったメガバットが突然に錯乱をはじめた瞬間を、スプリングボックは見逃さなかった。

 前後不覚になっているメガバットに接近し、さっきの仕返しとばかりに腹部を二又槍で串刺しにすると、そのまま垂直に落下した。

 

______ドシィィンッッ!!

「ぐふっっ!」

 数秒の後、穂先を突き刺されたままのメガバットの体が、張り巡らされたパイプや階段をへし折りながら地面に勢いよく落ちてくるのだった。

 

「・・・・・・うう、シベリアン・・・・・・あなた、いったい私に何をしましたの・・・・・・!?」

 仰向けに倒れたメガバットは、私の姿を見つけると、口元からゴボゴボと血を流しながら必死の形相で詰問してきた。

「・・・・・・とつぜん私の頭の中に入ってきて・・・・・・おぞましい、誰にも知られたくない記憶を・・・・・・根こそぎ掘り返して・・・・・・!」

 

 そうだったのか。メガバットもまた、私の”揺らぎ”が侵入していたことに気付いていたのか。

 おそらくは私と一緒に己の過去を追体験し、トラウマがフラッシュバックして、それで・・・・・・

 

「わ、分からない。自分でも初めて出来た事なんだ」

「・・・・・・なるほど・・・・・・あなたの”ふたつ目の能力”の発現がはじまったということね・・・・・・あなた自身すら意図していなかったことを、私が読めるはずもない・・・・・・見事にやられましたわ・・・・・・」

 

 メガバットは自分の身に起こったことに納得すると、やがて穏やかな自嘲的な笑みを浮かべながら天を仰いだ。

 彼女の真上には槍を握りしめたスプリングボックが仁王立ちしているままだった。

 

「・・・・・・あなたも、大したガッツでしたわ。私の部下に欲しいぐらいね・・・・・・」

「ふん」

 完全に負けを認め健闘を称えてくるメガバットに対して、スプリングボックは一言も答えない。

 自ら鼓膜を破ったので声が聞こえていないだろうし、そもそも敵であるメガバットと交わすような言葉など持ち合わせていないのだろう。

 

「ふふふっ・・・・・・殺していいですわよ」

 

 スプリングボックはその一言を気配で察したように、槍の穂先をメガバットの腹部から引き抜き、円を描くような巧みな槍捌きで、彼女の翼を両方とも付け根から瞬時に切断してみせた。

 メガバットを万が一にも逃がさないという執念が感じられる追い打ちだ。

 そして頭上に天高く槍を構えると「かくご」と低く唸った。

 

 穂先が狙う先は明らかだった。メガバットの頭だ。

 たとえフレンズであろうとも頭を破壊されれば即死するしかない。

(・・・・・・これでメガバットも終わりか)

 かつての友が今の友に殺される瞬間を見るに絶えず、目を伏せて事が済む瞬間を待とうとした。

 

 だけど、胸の中が嫌な気持ちでいっぱいで耐えられなかった。

 ついさっきまでメガバットを一刻も早く排除しなくてはならないと思っていたのに・・・・・・カイルやギルを殺した、にっくき敵のはずなのに。

 それでも、それでも私は・・・・・・

 

「やめてくれっっ!!」

 気が付くと体が前に出ていて、メガバットを庇うように覆いかぶさっていた。ひゅうひゅうと今にも途絶えそうな彼女の浅い息遣いが耳元で聴こえる。

 

 何でこんなことをしているのか自分でもよくわからない。理屈ではない熱が脳裏に走って私を突き動かしている。

 メガバットに死んで欲しくない。それはかつての友だからというだけじゃない。

 今となっては、彼女のこれまでの痛みも苦悩も、まるで自分のことのように感じられるからだ。

 

「・・・・・・アムールトラ!? 貴様、何をしているんです? まさかそいつを庇おうというのですか?」

「も、もうこれ以上やる必要ないだろ・・・・・・勝負は付いてるよ!」

「言い訳をしたって、今の私には聞こえませんよ!」

 

 耳の聞こえないスプリングボックを説得するには・・・・・・と、一瞬思案したが、すぐに方法をひらめくことが出来た。

 今の私たちには敵を倒すことよりも最優先の目標があるのだから。

 

「早くカコさんを助けようよ!」と、文字盤を貫くパイプに未だ吊り下げられている彼女を指さしながら叫んだ。

「・・・・・・ふん!」

 

 さしものスプリングボックも、その提案には納得せざるを得なかったようだ。

 憎々し気にそっぽを向くと、カコさんが吊り下げられている場所までひとっ跳びで飛び上がり、手錠を切り裂いて彼女を救出した。

 そしてカコさんを抱えて地面に降りてきた後、スプリングボックは彼女の口元に貼られていたテープを剥がすのだった。

 

「ボス! しっかりしてください!」

「・・・・・・ええ。スプリングボック、アムールトラ、2人とも本当にありがとう。私なら平気よ」

 カコさんは大変な目に遭ったというのに、すぐさま気丈な笑顔を見せてくれた。

 しかし彼女の手首から先は、長時間手錠で吊り下げられていたことで、紫色にうっ血しており、いくつも擦り傷を負って血を流していた。

 

「カコさん!」と、彼女の無事が嬉しくて、私もそばに駆け寄ろうとした。

 ・・・・・・しかしスプリングボックがそれを阻んだ。

 まるでカコさんを守るように立ちはだかっている。その目には、ついさっきまで私に向けてくれていた友情も信頼も無くなっていた。

 

「す、スプリングボック?」

「アムールトラ、私は貴様のことを見損ないましたよ。仲間を殺した奴を庇うなんて、正気の沙汰じゃない・・・・・・! まだCフォースへの未練があるということですか? ともかく、もう貴様に背中を預ける気にはなれません」

 

「おやめなさい」

 しかしカコさんが仲裁に入った。スプリングボックの肩に紫色の傷だらけの手を置いて、嗜めるような表情で顔を横に振った。

 

「な? ボス!?」

「スプリングボック、あなたにいつも言っているはず。無駄に殺してはならないと。私たちは殺すのではなく救うために戦っているのだと・・・・・・だからここはアムールトラが正しいわ」

 

 カコさんが私に同調していることを察したスプリングボックは、やり場のない怒りを堪えるように拳を握りしめてそれきり黙り込んだ。

 

「何とかまだ息があるようね」

 カコさんは仰向けに倒れているメガバットに近づくと膝をついてしゃがみ、メガバットの額にそっと触れた。

 クールで表情に乏しい彼女の目には、メガバットを慈しむような暖かい光が宿っている。ついさっき、自身をあれほどまでの危機に陥れた相手だというのに、恨みや敵意はまったく持っていないようだ。

 彼女の強い意志はいかなる時でも揺らぐことがないということだろう。

「この子は捕虜として連れ帰ることにします」

 

 メガバットの処遇が決定され、スプリングボックはいよいよ機嫌を損ねた。

 戦いに勝ったことも、カコさんを無事に助けられたことも、すべて帳消しになるぐらいの不快感を持て余しているようだ。

 無理もないよな・・・・・・スプリングボックは他の誰よりもパークの仲間を想っている。メガバットを許せと言われても簡単に許せるはずもない。

 

 それでもボスであるカコさんへの忠誠心は変わらないのだろうけど、元Cフォースの私に対しては同じように思えないだろう。

 私が彼女から失った信頼を取り戻すことは、かなり難しいことなのかもしれない。

 

 メガバットには手錠だけがかけられ、私が彼女を負ぶって運ぶことになった。

 カコさんとスプリングボックは一足先に時計塔の出口へ、私がここに入る時に破壊した扉へと向かっていた。

 

 メガバットも含めて、今宵私たちを襲ってきたCフォースの刺客はすべて排除することができたはずだ。

 後は当初の目的であるメディカルタワーの地下に潜入し、スーパーコンピューターを使ってCフォースのデータサーバーにハッキングを仕掛けるだけ。すでにウィザードたちが先行してハッキングを始めている頃だろう。

 私たちも一刻も早く彼らに合流しなければならない。

 

「ボス! 早く乗ってください!」

「え、ええ。頼むわ。スプリングボック」

 

 時計塔の外へ出た後、いら立ちが収まらないスプリングボックは、ぶっきらぼうな態度で、カコさんに背中に乗るように促した。

 複雑な表情のカコさんを抱え上げた後、チラリと私の方を振り返り、疎んじるような瞳で一瞥すると、その場からあっという間に跳び去ってしまった。

 

 私もすぐにスプリングボックたちの後を追い、粉々になっている扉をくぐって外へと出た。

 永遠にその場から動かないように思えた夜の闇が段々と白み始めている。

 もう夜明けが近いのか・・・・・・ケープタウン大学の敷地の向こうにある、雄大なテーブルマウンテンが、朝靄に切り抜かれて空との境界線を形作っていた。

 

「シベリアン・・・・・・なぜ今さら私を庇ったりしたのかしら?」

 私の背中に力なくその身を預けるだけになったメガバットが耳元で囁いてくる。

 彼女は自分の命が助かったことを別段に嬉しく思う素振りもなく、ただ冷めた口調で私のことを非難しているようだった。

「・・・・・・仲間の信頼を失うことぐらいわかっていたはず。あなた、せっかくCフォースから離れて、自分の居場所を見つけることが出来ましたのに・・・・・・」

 

「それでも君に生きていてほしいと思ったから」

「・・・・・・あなた、変わらないんですのね」

「ああ、そうさ」

 

 けっきょく私は、必死に迷いながら、正しいと信じられる道を探すことしか出来ない。

 ようやく選ぶことが出来た道だって、合ってるかどうかなんてわからない。

 だけど、間違っていないことを証明したいから・・・・・・いまの自分に出来ることを精一杯やろうと思うんだ。

 

 夜明けの近い空を見上げながら溜息をひとつ付くと、メガバットを背負う腕に力を込めながら、まっすぐに走り出した。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「エコー・オブ・アルファ」
「エコー・オブ・オメガ」
使用者:メガバット
概要:ふたつの音の能力は、対を成す性質を持っている。アルファはそれを聴く者の中枢神経に作用して、感覚の鈍麻もしくは鋭敏化を自在に引き起こす幻惑音波。オメガは近距離にいる対象の近い未来における心拍音を観測する能力であり、優れた頭脳と組み合わせることで相手の手を先読みすることが可能となる。オメガは強力無比な未来予知能力であるが、メガバットは決して能力頼りにはならず、己の思考を補完する程度にしか解釈していない。また彼女が部下のフレンズを従えるようになってからは、周囲にいる対象に無差別に作用してしまうアルファの使い勝手は低下することになり、オメガだけを多用するようになるのであった。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章9 「こころをしんじて」(前編)

 捕虜にしたメガバットを背負いながら、朝焼けに染まるケープタウン大学の敷地内を、あらかじめ教えられた道順通りに駆け抜けた。するとほどなくして、当初の目的地が見えてくる。

(・・・・・・あれがメディカルタワーか)

 曲線を描く銀色の円柱形という、遠目からでも一目でわかるその異容を見上げていると、ようやく辿り着くことが出来たという気持ちと、ここまで来るのに多くの血が流されたことへの悲嘆が同時に浮かんでくるのだった。

 

 タワーの入り口はドーム状の屋根に覆われていて、外からでは良く見えないようになっていた。

 とはいっても何か障害物があるわけでもなかったので、私は走るスピードを落とさずにその中に入った。

 

 ちょっとした広場とも言うべきドーム状の屋根の中には、ハッとする光景が広がっていた。

 生き残りの数十人ほどの敵兵士たちが一同に会していたからだ。

 誰もが武器を取り上げられ、後ろ手に嵌められた手錠の鎖を、屋根を支える支柱に引っ掛けられて自由を奪われていた。

 指揮官と思しき紺色の外套を纏った男も一緒だ。あの印象的なガスマスクの下に隠されていた顔は、特に印象に残りそうもない白人系の中年だった。私の背に乗っているメガバットを見て、テープを貼られた口を何やらモゴモゴ言わせていた。

 

「あ・・・・・・!」

 座らされている数十人の捕虜に交じって、立ったまま私を見つめてくる2人の視線があった。パンサーとバズ・チャラだ。

 

「おつかれアムールトラ。ボスを助けてくれてありがと」

「うん、君も」

 今のパンサーはヒョウじゃなくてクロヒョウみたいな姿だった。

 先ほどの戦いで何人もの敵兵を殺害して、体の模様がわからなくなるほどに大量に返り血を浴びていたけど、今やそれが乾いて黒ずんだ感じになっていたからだ。

 それから血を拭う間もなく、捕虜をここで見張り続けていたことがうかがえる。

 

 捕虜たちにとっては、同朋の血で全身を覆うパンサーは死への恐怖そのものだろう。

 油断なくその手にショットガンを携えている巨漢バズ・チャラと合わせて、場を支配するのに十分すぎるほどの威圧感がある。

 

「それでカコさんとスプリングボックは?」

「つい何分か前に来たよ・・・・・・ソイツが生きてるってことも聞いた」

 

 そう言いながらパンサーの視線は、私の背中に力なく全身を預けるメガバットの方を向いている。彼女はいま何を想っているのだろう。スプリングボックと同様に私を責めるだろうか。

 同じようにしてメガバットを見ているバズの大柄な体が一瞬震えたような気がした。彼にとっては弟の仇だ。

 ・・・・・・私は気まずくなって、2人と目を合わせることが出来なかった。

 

「アムールトラ、早く行きなよ」と、パンサーはあくまで感情を抑えた冷静な声で、突き当りにあるメディカルタワーの入口を指さした。

 事前に教えられた話では、お目当てのスーパーコンピューターは地下9階にあると聞く。ここにいない仲間たちは全員そこに集まっているのだろう。

 

「医療キットはシガニーが持ってる・・・・・・ソイツ、手当てがいるでしょ? 下で作業してるシガニーに手当てする余裕があるかはわからないけど」

「いいの? パンサー」

「いいとか悪いとかアタシは決められないもん。そうしろって言われてるだけだから」

 

 そうか。捕虜にも治療を施す・・・・・・パークとはそういう組織だった。メガバットは捕虜にする、とカコさんの口から宣言された時点で、メガバットの安全は約束されたも同然だったんだ。

 かつてヒグラシ所長が地雷で右足を失った時もそうだった。所長が今も生きていて、義足で歩けているのもその恩恵を受けたからだ。

 私はパークから与えられる無償の善意に救われている。その恩に報いるばかりか、今もこうして甘えてしまっている。そう思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。

 

「ごめん」と絞り出すように告げてから、2人の視線を避けるように俯いて、メディカルタワーの入り口へと向かった。

 ガラス張りになった入口は、私が目前にまで近づくと勝手に開かれた。この建物には電気が通ってることを示す動かぬ証拠だ。

 ・・・・・・そういえば、タワーには専用の予備電源があるって話だったっけ。一足先に到着したウィザードたちがそれを復旧させたということか。

 

 タワー内部の直線的な廊下にも明かりが灯っていて、夜明け前だというのに日中と変わりない明るさを保っていた。

 真っ直ぐに進むと、やがて突き当りには無機質な金属の扉が姿を現していた。扉のすぐ横の壁には「↑」と「↓」という矢印を指し示した紋様のボタンが取り付けられていた。

(・・・・・・これが、エレベーターというやつか)

 内部の電源が生きているなら、この仕掛けも作動するはず。

 そう思いながら「↓」のボタンを押すと、目算通りに金属の扉がひとりでに開かれるのだった。

 

 扉の向こうの狭い空間に入り、その中にまた備え付けられた無数のボタンの中から「B9」のボタンを押した。地下9階を表す記号はこれで合っていたはずだ。

 金属の扉が閉じ、エレベーター内部に振動が響き渡る。ごく短いようで長い時間を、狭い空間の中で目的地への到着を待つだけになった。

 

「・・・・・・シベリアン、私のことはもういいですわ」

 メガバットが、息も絶え絶えだというのに、沈黙を割くようにして話しかけてくる。

 私が気まずい思いをしてまで彼女のことを助けようとしていることに対して、まだ納得がいっていないようだ。

「生きてたって所詮マスターの道具でいることしか出来ない・・・・・・私に情けをかけてくれるなら、このまま死なせて」

 

「そんなのいやだよ」

 やっとそれだけ言葉を返した。

 たしかにあの時メガバットのことを見捨てることだって出来たし、彼女の言う様にそうするのが普通なのかもしれない。でもやっぱり私には無理だ。メガバットの痛みも苦しみも、今やこうして頭に刻まれてしまったんだもの・・・・・・それを無視することなんて出来ない。

 

 他人の中身をのぞくことが、こんなにも自分の内面に影響を及ぼすことだったとは思ってもみなかった。気を抜いたら自分自身の記憶だと錯覚してしまいそうになる。

 なんで私はあんなことが出来たんだろう。あれが勁脈打ちの進化形・・・・・・私の二つ目の能力だというのか。

______ガコンッ 

 答えの出そうにない問いに耳を澄ませていると、やがてエレベーターの動きが止まり、金属の扉が左右に開かれて、その先に広がる光景へと私をいざなった。

 

「こ、これは!」

 辿り着いたその部屋は、これまでに見たこともないような異様な空間だった。

 電気が付いていても薄暗くて、辺りすべてを見通すことは出来なかったが、開けた広い場所であることが空気の感じでわかる。

 

 向かって正面の壁には、あちこちに無数のディスプレイが散らばり、わけのわからない文字列が左から右へと川のように流れていっている。

 床は金網になっていて、下のフロアがそこから見えるようになっている。

 そこには長方形に角ばった黒い基盤が、何十個も何百個も整然と並べられていて、どれも赤や緑の光をチカチカと不規則に点滅させている。

 

 そこにある一切が無機質ではあったけど、物言わぬはずのそれらが、あたかも生き物のようにせわしない息遣いを見せてくる。

 ・・・・・・これが私たちが目当てにしていたスーパーコンピューターなんだな。なんていうか、他の機械とは根幹のスケールが違う。何か特別な能力と役割があるものなんだって、フレンズの私から見ても一目でわかる。

 

 すぐ目の前は下り階段になっていて、そこを進めば部屋の全容がさらによく見えてくる。

 突き当りには幾つものデスクがあって、下のフロアにあるスーパーコンピューターに命令を与えるためであろうパソコンが十数台ほど設置してあった。

______カタカタカタカタ・・・・・・

(あれは、ウィザードか?)

 他のすべての電源が入っていないというのに、たったひとつだけ起動して動いている機器があり、それを動かしているであろう人影も一緒に目に入る。

 

「・・・・・・フンヌヌヌヌッ! ユーサノバビッチ!」

 ウィザードが編み込みの長髪を落ち着きなく揺らしながらパソコンの画面に向かっている。その背中から鬼気迫る迫力を感じさせながら、キーボードを片時も途切れることなく親の仇のように叩き続けている。

 魔術師と呼ばれるハッカーが、その腕前を今まさに発揮しているということか。彼は兵士でもないのに、この時のためだけに何度も命の危険をくぐり抜けてきたんだもんな・・・・・・

 カイルとギルは死んでしまったけれど、ウィザードが生きてここに辿り着けたことで、まだ私たちの命綱は繋がっている。後は彼に任せるしかないだろう。

 私にできるのは、彼がCフォースの最高機密を盗み出してくれることを祈るだけだ。

 

(さて、どうしようか)

 今のウィザードはとても声をかけられる様子じゃないと思って、彼の気を散らさないようにと静かに後ずさって部屋の様子を探ってみる。

 シガニーの姿は見えないけれど、もし可能ならメガバットの手当てをお願いしたいからだ。

 

「アムールトラ、こっちよ」と、後ろから静かに私を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返るとカコさんが、私が降りてきた階段の物陰にちょうど隠れるような場所に佇んでいた。

 いつも通り鋼鉄のような冷静さを崩さないカコさんだったが、明らかに息が上がっている様子で顔色も悪いように見えた。

 

 そしてそのすぐ横に、丸まって横たわっているスプリングボックの姿もあった。

 すかさず歩み寄って「大丈夫!?」と呼びかけたが、彼女からの返事はなかった。外側はこげ茶で内側が白いスレンダーな体が、弱弱しい呼吸と共にわずかに上下しているだけだ。

 地面に投げ出された長い亜麻色の髪に隠されて表情がうかがい知ることも出来ない。腹部には先ほどの戦いで負った深い刺傷があって、出血がない代わりに焦げくさい臭いを放っていた。

 彼女はやっぱり体力に限界が来ていて、気力だけであんなに激しく戦っていたんだな・・・・・・

 

「大丈夫。スプリングボックはまだ生きているわ。ただ手当てと休息は一刻も早く必要ね」

 カコさんは静かにそう言うと、私が背負っているメガバットにちらりと目をやり「その子も」と付け加えた。

 

「そうだ。シガニーさんは? 彼女が医療キットを持っていると」

「ええ、うちのサブリーダーは・・・・・・」

 

 カコさんはそう言いながら視線を下に落とす。

 つられて同じ方を向き、金網の床ごしに見える下のフロアをよく見てみた。すると、スーパーコンピューターの基盤の合間をせわしなく動いている人影が1人見つかるのだった。

 シガニーはノートパソコンを手に持って操作しながら、基盤の調子を一基ずつ確かめて回っているように見えた。

 

「すでに7割ほどの基盤が彼女によって適正化されているとのことよ。しかし事にあたるのならば10割で挑むのが必定でしょう」

 

 そうか・・・・・・薄々わかっていたことだけれど、ハッキング作業は体がいくつあっても足りないぐらい忙しいみたいだ。負傷者の治療をしている余裕はとてもじゃないけど無いだろう。

 スプリングボックは特に何の処置もされず寝かされているだけだし、カコさんだって、先ほど人質に取られたことでズタズタに傷ついた手首はそのままだ。

 

 ここにもう少し人手がいれば話は違ったのだろうけれど、今はウィザードとシガニーしかいない。上にいるバズは見張りの役目があるし・・・・・・こんな時、戦うことしか能がないフレンズの自分が恨めしくなる。

 

「アムールトラ、ちょっとお願いが」と、カコさんが何気ない様子で頼みごとをしてきた。何ごとだろうと思って振り向くと、彼女は傷だらけの両手に何かを持っているのが見える。右手にはチャプチャプと水音を立てるカーキ色の容器を。そして左手には透明な小瓶を・・・・・・。

 どうやら右手にあるのは水筒だ。でも左手にある小瓶が何なのかは、てんで検討がつかない。

 

「言ってくださいカコさん、私に出来ることならなんでも」

「別に大したことじゃないのよ。このふたつを開けてほしいのよ」

「・・・・・・?」

「ごめんなさいね。腕に力が入らなくて、そんなことも自分じゃ出来ないの」

 

 言われた通りに、水筒と小瓶の口を捻って開封する。

 小瓶の中には錠剤やらカプセルやら、色々な飲み薬がぎっしり入っている。これらは抗生物質やビタミン剤で、傷口の悪化や体力の消耗を抑える効果があるらしい。

 カコさんがもしもの時のために所持していた”気付け薬”だ。効果が強いぶん副作用も強いと聞く。ヒト用の薬だからフレンズが飲んでもまともな効果は望めないという。

 

 彼女はこれからそれを服薬するつもりらしい。手当てが出来ないなら、せめて薬を使って自分の体を持たせようというのだ。

 

 カコさんは小瓶を口元にあてて、それをまっ逆さまに傾けて中身を流し込んだ。

______ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ・・・・・・

 口の中いっぱいに薬剤が詰められると、こんどは震える手で持ち上げた水筒の中にある水を使って、ゆっくりと、しかし一息も付くことなく、それらを流し込んでしまった。

 土気色だった彼女の顔色は、なおさら血の巡りが悪くなり、青みがかった色に変わっていくように思えた。

 

「カコさん、あんまり無茶なことは・・・・・・」

「いいえアムールトラ、あなた達の頑張りに答えられるぐらいのことはやるわ。こんな体でも出来ることはきっとあるはず」

 

 青白い顔に冷や汗を浮かべるカコさんが、誤魔化すように微笑みを向けながらそう答えると、手首から血を滴らせながら歩き出した。

 やがてウィザードが座っているすぐ横の席に腰を下ろし、パソコンの電源を起動して真っ暗な画面に明かりを灯すと、それに向かい合いながら血まみれの手でマウスを握りしめるのだった。

 

「ヘイボス、そんな体で何する気だヨ?」

「私なら平気よ。ウィザード、何か手伝いをさせてください」

「・・・・・・だったら、データの送り先の準備をしておいてもらおうかナ。盗んだ情報は、パークが所有する複数の暗号化クラウドストレージに分散させて送る予定だったよネ。そこにいつでも入れるようにしといてくれヨ。パスワードは全部頭に入ってるんでショ?」

「もちろんよ、わかったわ」

 

 メガバットをそっと床に寝かせてから、カコさん達の後姿を固唾を飲んで見守っていたが、正直なところ私には何が起きているのやらさっぱりな光景ばかりだった。

 壁にいくつもの画面がひっきりなしに現れては、ウィザードがひっ叩くキーボードがあっという間にそれを文字記号で埋め尽くしていく。

 一方のカコさんは震える手でゆっくりパソコンを操作し、ハッキングとは別の作業に勤しんでいる様子だった。

 

「あれがカコ・クリュウ? ・・・・・・あれがパーク? なんて愚かなヒトたちなの」

 メガバットは光を映さない白い瞳で天井を仰ぎ見ながら、うわ言のようにぶつぶつと独り言をつぶやいている。その声色はどこか自嘲的で、嗚咽交じりで、まるで彼女らしくないと思うほどに感情的になっている感じがした。

「Cフォースへのクラッキング行為など上手く行くはずがありませんのに、どうして命がけで無茶なことをやろうとするのかしらね・・・・・・?」

 

 メガバットが口にしているのは侮蔑でも嘲笑でもなく、ただただ自分が理解できない物への困惑であるように思えた。

 先ほどの戦いで垣間見た彼女の記憶に思いを馳せてみる。

 今まで彼女は物事を頭だけで考えてきた。そうすることで常に判断を誤らず、今日まで生き残ってきたんだ・・・・・・逆に言えば、そうする以外に彼女が生きる道はなかった。

 己に不自由を強いるグレン・ヴェスパーへの憎しみに満ちた半生。やがてそれさえも色褪せてしまった後に、彼女には絶望だけが残されていた。

 

「愚かなんかじゃないよ!」

 心の中に何とも言えない衝動が巻き起こって、たまらずメガバットに話しかけていた。

「聞いてくれ。ヒトがみんなグレン・ヴェスパーのようだと思わないで欲しいんだ・・・・・・パークのヒトはフレンズの幸せを望んでいる。心からそう思っているからこそ、今回みたいな無茶なこともやるんだよ! 損得は抜きにして、心のままに一生懸命行動しているんだ!」

 

「ふふふ・・・・・・すべてが無意味」

 メガバットは、私に返事をしている風でもなく、自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。相変わらず自嘲的な笑みを浮かべたまま、白い瞳で天井を見つめながら・・・・・・

 こうして話は出来ているけど、彼女の意識はすでに朦朧とし始めているのかもしれない。

 これ以上話しかけるのは良くないと思って、カコさんとウィザードが決死の作業に臨んでいる後姿へと視線を戻した。

 

 メガバットが「上手く行くはずがない」と断じたのとは裏腹に、ハッキング作業は滞りなく成功に向かっているように見えた。作業の進捗状況なんて何もわからないけれど、今のウィザードを見ていると素直にそう思う。

 ハッキングは楽器の演奏と似ていて、決められた手順を正確に高いクオリティで再現するだけ・・・・・・ウィザードは自身の言葉を体現するように、ものすごい集中力で、何一つ迷いなくキーボードを操作しているように見える。

 やがて文字だらけの無数の画面を覆い隠すように、中央にポップアップが出現した。

 

「ビンゴ!」

 するとウィザードはタイピングを一旦やめて、もったい付けるような動きで右手を振り上げ、エンターキーを一度だけ叩いた。

 

______ブンッッ・・・・・・

 ウィザードのその動きがきっかけであるかのように、青が基調だった画面が赤っぽく変色し、不穏な感じを醸し出した。

「ガハハハッ、これで潜入完了だゼ! どんなもんかと覚悟してたけド、Cフォースのセキュリティも全然大したことないネ!」

「ウィザード、こっちも準備は出来ています。早く最高機密を探してください」

「OK・・・・・・ここからがこのモンスターマシンの見せ場ヨ! こいつにかかれば例えウォール街の証券取引だって一瞬で筒抜けサ!」

 

 ウィザードはあろうことか、椅子の背もたれに寄り掛かって、高みの見物みたいな態度で壁いっぱいに広がった画面を眺めはじめた。彼の仕事はもう終わったということだろうか?

______ウィンウィンウィン・・・・・・!!

 下のフロアから聴こえる基盤の駆動音がよりけたたましく、高鳴りを続けている。下の様子が気になって金網ごしに覗いて見ると、作業をしていたはずのシガニーが隅っこで一息付いているのが見える。基盤の動作をひとつひとつ確認するという彼女の仕事がひと段落したのだろう。

 つまり、今このスーパーコンピューターは100%の能力が発揮できるようになったということになる。

 

「ヒュー、もんのすげえ・・・・・・」と、ウィザードが今にも小躍りを始めそうな声色でつぶやく。

 彼が見つめるのは、星の数ほどの画面から、何百何千ものバーが伸びていく様子だ。

 バーは画面の左から始まり、右端まで伸び切ると消滅する。するとまたあらたに別のバーが伸びてきて・・・・・・というサイクルが、一瞬の間にものすごい速さで何度も繰り返されている。

 

 作戦開始前から聞かされていた内容を思い出す。

 Cフォースのデータベースの中にある無尽蔵の情報の中から、ごく短時間でパークが求めている最高機密を特定するには、スーパーコンピューターの演算能力を使って総当たりでハッキングを仕掛けるしかないと。

 今まさに、完全に起動を果たしたスーパーコンピューターが、想像を絶するようなスピードでCフォースのデータベースの中身をさらい、文字通り丸裸にしているに違いない。

 

 その場にいる誰もが目を見開いて画面を見つめていると、また別のポップアップが現れるのが見えた。

「ガッチャ!」

 ウィザードは待っていましたと言わんばかりに跳ね起きてそれをクリックした。

 

 しかし、そうして現れたのはたったひとつの、何もない真っ黒な画面だった。

「・・・・・・ホ、ホワッツザファック!?」

 それまでテンションが上がりに上がっていたウィザードの声色がすっとんきょうに裏返る。何か予想外の出来事が起きたことがその声で分かった。

 

「ウィザード、どういうことですか!?」

「どうもこうもないヨ・・・・・・お目当てのデータを掘り当てたはずなのに、中身がカラッポなんだヨ! 何も出てきゃしない! 手順は完璧だったのにおかしいヨ!」

 

 ウィザードがうろたえていると、今しがた現れた黒い画面が、何の前触れもなくひとりでに閉じるのが見えた。

「・・・・・・な?」

 それを皮切りにして、壁いっぱいに開かれていた無数の画面の中の文字列が消え去り始めた。各々が自分の意志を持ち、ウィザードのハッキングに反旗を翻しているかのように、文字が無くなった画面から次々と閉じられていった。

 それはあたかも時間が逆戻りしているかのようだった。

 

「ノオオオッ!!」

 ウィザードが悲鳴を上げながら、抵抗するようにタイピングを再開するが、いっこうに消滅の流れを止めることは出来ず、ついにすべての画面が閉じられ、何もない初期画面だけがその場に残された。

 それと同時に、下の方でけたまましく鳴り響いていたスーパーコンピューターの駆動音がピタリと鳴りやんでしまった。

 

 失敗したのか、と思わずウィザードを後ろから問い詰めたくなったが、答えを聞くまでもなく、真っ白に燃え尽きた彼の背中がすべてを物語っているように見えた。

 

「上手く行くはずがないと言ったはず・・・・・・」

 まだ意識のあるメガバットが、何の感情も籠らない声で冷たく言い放った。

 彼女はこうなることがわかっていたのだろうか? 

 確かに彼女なら、ウィザードが失敗する未来を予知することだって出来るのだろうが、そういうことではなくて、むしろ最初から結果がわかっていたとでも云うような態度だ。

 

「・・・・・・そこにいるハッカーの方」

 メガバットが突然ウィザードに声をかけた。そして腹から血を流しながら、仰向けになった体をなんとか起こそうとしている。

 私はあわてて彼女の上半身を抱えあげてウィザードの方を向かせた。

 

「・・・・・・あなたは根本的に誤解されていましてよ。あなたがいくら巧みにクラッキングしようとも、Cフォースの最高機密を盗み見ることなど最初から不可能なのですわ」

「な、何だとォ!? 素人が知った風な口聞くなヨ!」

「いいえ。私はそれをもっともよく知っている内の一人・・・・・・」

 

 さっきまで朦朧とした様子で喋っていたメガバットが、いつもと変わらないような冷静で底知れない空気を纏いはじめたのがわかる。自分が負った重傷のことなどまるで気にも留めていないその様子は、いっそ不気味にさえ思えた。

 いったい彼女はどういうつもりだ? ウィザードに何を話そうっていうんだ。

 

「いいこと? Cフォースの最高機密は生体認証によって守られているんですのよ」

「ハンッ! チャチな生体認証なんかでミーのクラッキングを防げるもんかヨ! 大体プログラム上にそんなもんが仕掛けられている痕跡はなかったヨ!」

 

 ウィザードが信じられないといった風にかぶりを振った。

 生体認証っていうのは、指紋とか目の虹彩といった個人の身体的特徴を、セキュリティを開けるための鍵にするシステムのことで、今や世界中に普及している技術らしい。

 しかし、いまどき個人の指紋などはいくらでも偽造することができるし、大元のシステムの正体がわかっていれば、認証プロセス自体を誤作動させることも出来るという。

 自分ほどのハッカーであれば生体認証を突破することなど容易い、とウィザードは言うのだ。

 

「・・・・・・あなたの想像を超えるような生体認証があるとしたら、どうかしら」

「いったい何のことを言ってんだヨ!?」

 

「答えはここにありますわ」

 ウィザードの追及に対してメガバットは、己の額をトントンと指で叩き、指し示すような動作をしながら答えた。

「私の大脳皮質には、通信用マイクロチップが埋め込まれていますの」

 

「な、なんだってそんなモンが?」

「私は長年マスター・・・・・・グレン・ヴェスパーにとって都合の悪い存在を始末するための刺客として活動していましたからね。指示は常にこのチップを通して伝えられましたわ。誰にも知られることがない極秘の指令がね」

 

「まさか、Cフォースのフレンズってのは皆そうなのカ!?」

「フレンズではおそらく私だけでしょう・・・・・・もっとも、ごく少数のヒトは私と同じ物を埋め込まれていると聞きますわ。彼らは私と同じく、グレン・ヴェスパーの指示を秘密裏に受け取り、彼の走狗として暗躍している」

 

 それを聞いたウィザードが思わず息を飲み、隣にいるカコさんが口元を手で覆うのが見えた。

 そして私も驚きで言葉を失っていた。メガバットの言っていることは、先ほどの戦いで垣間見た彼女の記憶とまったく符合するものだった。

 そうか・・・・・・頭の中から声が聞こえる、とはこういうことだったのか。

 

「通信用のチップがなんで生体認証と関係あるんだヨ!?」

「ええ。ここからが答え・・・・・・私も含めて、チップを埋め込まれた者はグレン・ヴェスパーの側近中の側近。つまりは最高機密へのアクセスが許された存在なんですのよ。もっともフレンズの私にはアクセスの手立てなどありませんが」

 

______ガタッ!

 座ったまま話していたウィザードが、何か得心がいったという風に席を立ち、メガバットの方へと近づいて来た。

 私に抱えられて横たわる彼女を立ったまま見下ろすと、彼のトレードマークであるハート型のサングラスに手を当てながらしげしげと観察しはじめた。

 サングラスの表面に細かな光が交錯し始める。あのサングラスの中には暗視装置やさまざまなセンサーの機能が内蔵されてるとか言ってたっけ。きっとそれでメガバットの頭の中にあるチップのことを調べているんだろう。

 

「オウ、ジーザス・・・・・・」

「何かわかったのですか?」

 

 カコさんが遅れてやって来て、後ろからウィザードに問い詰めると、彼はぽかんと立ち尽くしたまま「おおよそのカラクリがわかったヨ」と答えた。

 

「体に機械を埋め込んでも、それ単独で動くなんてことは無いのサ。そういうバイオハイブリッドデバイスはすべからく、生体組織と連動するように出来てるんダ」

「そういえば、私も医学論文で読んだことがあります。重度身体障碍者が、脳内に埋め込んだマイクロチップを使って、さまざまな電子機器に信号を送信して日常生活を送れるようにするという研究のことを・・・・・・チップを埋め込んだ直後は信号の送信が出来ず、何度も練習することで可能になるという話です。チップに合わせて脳細胞が変成を起こして、独特の神経配置を形作るプロセスが必要なのだとか」

「そこだヨ、ボス。その神経配置は、健常人には決して存在しない、チップを埋め込まれた者だけが持ち得る身体的特徴なのサ・・・・・・つまり同型のチップを埋め込まない限りは、絶対に偽造が不可能な生体認証の完成ってワケだ」

「なるほど・・・・・・鍵穴を体内に埋め込むことで、唯一無二の鍵が作られる、ということですか」

 

「ねえ! つまりどういうことなの?」

 2人して納得し合いながら難しい会話をしていたが、私にはさっぱりワケがわからなくて、今一度の解説を求めた。

 

「そのレディの体を使えば、今度こそ最高機密が盗み出せるかもしれないってことだヨ」

 ウィザードはぽつりとそう答えた。

 サングラスごしのギラ付いた瞳で、メガバットの顔を見つめながら、一度は燃え尽きた彼の心身にもう一度気合いの火が灯っていくように見えた。

 

 よくわからないけど、言いたいことは大体わかった。

 ウィザードはこれからもう一度ハッキングに挑もうとしているらしい。手順や方法は彼が考えることだし、彼の中でそれが組み立てられたからこそ、あんな風に奮い立ってるんだろう。

 

「ボス、これからどうするヨ?」

「・・・・・・まだ納得がいきません」

 

 カコさんがウィザードの脇を通って前に出ると、そのまま膝をついてしゃがみ込み、私に上半身を抱えあげられているメガバットと顔の高さを同じにした。

 そして間近で覗き込むように顔を近づけると、私の腕の中で浅い呼吸をするメガバットに問いかけるのだった。

 

「何故あなたはそんな機密を私たちに漏らしたの? Cフォースを、グレン・ヴェスパーを裏切ろうとでもいうのですか?」

 

 当然の疑問だった。

 そもそもCフォースの機密情報をベラベラとカコさん達に喋っていること自体、すでに裏切りになってしまっているのだけれども、メガバットが急にそんなことを喋り始めた意味がまったくわからないのは私も同じだ。

 

「私たちに恩を売ることで身の安全を得ようと考えているなら、そんなことは気にしないでも良いのよ? パークの代表者として、捕虜であるあなたの安全は保証します」

 

 カコさんが言っていることが嘘ではないことは、Cフォース出身だった私が、今こうしてパーク側で活動していることからも一目瞭然だろう。そのことがわからないメガバットじゃないはずだ。

 しかし、彼女は質問に答えなかった。まるで答えに詰まっているかのように、薄ら笑いの中に真意を隠して押し黙っていた。

 

「・・・・・・わかりました、答えなくてもいいです。では話を変えましょう。たったひとつだけ、この質問にだけは答えてください」

 カコさんは質問の答えが容易には得られないことを悟ると、ひとつ溜息を付いて、あらたに別の質問を切り出した。

 

「グレン・ヴェスパーという男は裏切り者を許さない。それを防ぐための手立てをも抜かりなく用意しているはずです・・・・・・あなたはそのリスクを承知していますか?」

 

 思えばCフォースのフレンズには、脱走や反抗を防ぐためのだオーダーだって仕込まれているんだ。オーダーのように特定の条件で発動する仕掛けのような物はないかと・・・・・・そういうことをカコさんは聞いているんだ。

 

「・・・・・・ふふふっ、あはははっ!」

 メガバットは自嘲的な甲高い笑い声を発して、カコさんの問いかけにズバリ痛い所を付かれたのような態度を見せた。

 そしてついに口を割った。

「私がマスターを裏切ったらどうなるかですって? ・・・・・・まあ、おそらく死にますわね」

 

「し、死ぬ!? そんなオーダーがあるなんて聞いたことないよ!」

「これはオーダーではありませんのよ。マイクロチップを埋め込まれたメンバーだけに発動する自壊装置ですわ」

「・・・・・・じかい装置? 何だいそれ」 

 

「言葉の響きからして、だいたい想像は付くヨ」

 私が目を白黒させていると、ウィザードが口を差し挟んで解説してくれた。

 最高機密を奪取するための最後の望み。それはメガバットの脳内に埋め込まれているマイクロチップだという。

 ウィザードはまずマイクロチップが発する信号を解析し、それを新たなアクセスポイントにすることで、再びCフォースのデータベースに潜入するつもりだというのだ。

 

 だがそうすると、Cフォースのデータベース上に、メガバットのマイクロチップを使って不正アクセスが行われた記録が残ってしまう。

 当然何事も起こらないはずはなく、それを察知したCフォースのセキュリティが、メガバットのマイクロチップに向けて、不正アクセスをやめさせるための信号を送信するだろう。そして信号を受信したマイクロチップが、メガバットの肉体に仕込まれた自壊装置を作動させ、最終的に息の根を止める・・・・・・おそらくはそういう類の出来事が起こるだろう、とウィザードは語った。

 

 最高機密へのアクセスが許されているのは、メガバットも含めて、脳内にチップを埋め込まれたグレン・ヴェスパーの側近たちのみ。

 グレンは、万が一にも最高機密が流出することがないようにと、自壊装置という、死をもって裏切りを抑止する仕組みをメガバットら側近の体内に仕込んでいるというのだ。

 

「ありえない! 死ぬことがわかっているのにどうして!?」

 カコさんが、私と同じくらい感情をむき出ししながら、メガバットの肩を血まみれの手で掴んで問い詰めた。メガバットは間近にあるカコさんの顔を白い瞳で見つめながら、なおも冷たい笑みを浮かべている。

 

「まさかあなたは、自ら死を選ぶつもりなのですか?」

「カコ・クリュウ・・・・・・何か勘違いしてらっしゃるようですわね。私自身はもう何もしませんわ。後はそっちの好きにすればいい、ということですわ」

 

 メガバットはカコさんに選択肢を突き付けている。

 私もそのことをようやく理解した。

 ハッキングを諦めたらメガバットは助かるけど、実行すれば死ぬ。

 

 仲間の犠牲の上についに成功まで漕ぎ付けた、掛け替えのない最後のチャンス。

 今あきらめてしまえば、グレン・ヴェスパーの核実験を阻止することが出来なくなる。それでは死んでいった仲間に対してあまりに申し訳が立たない。

 しかし、そのために、1人のフレンズの命を奪っていいのか? フレンズの自由のためにCフォースと戦っているパークの行動として、そんなことが許されるのか?

 道はふたつにひとつ・・・・・・当然ながら、その判断を下すのはリーダーであるカコさんだ。

 

「・・・・・・ッ!!」

 見開かれたカコさんの切れ長の瞳が血走り、ギリギリと歯を鳴らしはじめた。顔からは絶えず冷や汗が噴き出していた。

 自身に突き付けられた選択肢の重さ、彼女がパークの長として背負い続けてきた重圧が傍目から見ても痛々しいぐらいに感じられた。

 

「カコさん・・・・・・」

「ボス、アンタの言う事を聞くヨ」

 

 私とウィザードが固唾を飲んで見守る中、カコさんの姿は石のように動かなかった。

 まるでそのまま動かなくなってしまうんじゃないかと思うぐらいに、一瞬が永遠に感じられた。

 

「やりましょう」

 

 カコさんは聞き取れないぐらい小さな声で呟くと、メガバットから手を放してスッと立ち上がった。その表情からは迷いも苦悩もすべて消えていた。私の良く知るままの、鋼鉄のように強い彼女の姿だった。

 

「ウィザード、ハッキングを再開してください。手順はあなたにお任せします」

「OK。今度こそやってやるゼ!」

 

 ウィザードは燃えるような背中を見せつけながら、颯爽とパソコンの席に戻った。

 そして下のフロアにいるシガニーに何やら連絡を取っている。また2人でスーパーコンピューターを動かすための段取りをしているのだろう。

 

 私は頭が真っ白になりながらその様子を見ていた。

 もちろん文句なんて言えない。カコさんが断腸の思いで下した決断なんだもの。私は黙って言うことを聞くだけだ。

 ・・・・・・自壊装置という物がいつ発動するのかわからないが、私にはただ彼女が死んでいくのを黙って見ていることしか出来ないんだ。

 

「アムールトラ、あなたにも仕事を頼みます」

「・・・・・・え?」

 仁王立ちのカコさんが私を見下ろしながら、神妙な態度で言葉を投げかけて来る。瓶の蓋を開けろとか、そんな小事ではないのは明らかだった・・・・・・だけど、今さら私に出来ることなんてあるのだろうか?

 

「あなたの”勁脈打ち”を使ってこの子を助けてあげて欲しい」

「そ、それはどういうことなんですか!?」

 勁脈打ちのことは、前にカコさんに一通り説明してある。

 物体の中に特殊なエネルギーを伝わらせて、離れた目標物だけを狙って破壊する技だということは彼女も知っている。

 

 カコさんの命令は、ウィザードのハッキングが済み次第、メガバットの脳内にあるマイクロチップを勁脈打ちで破壊して欲しいというものだった。

 自壊装置を作動させるのはマイクロチップに送られてくる信号だ。だからチップさえ破壊すれば信号を止められるはず・・・・・・それはもう願望にも近い推測でしかなかった。それ以前に、ハッキングが終わるまで彼女の体が持つ確証もない。

 

「アムールトラ、どうかお願いします。もうこの手に賭けるしかない」

「か、カコさん・・・・・・!」

 

 理屈の上では可能なのかもしれない。似たような事ならば今までに何度もやってきた。

 しかし大型セルリアンの体内に隠された核を探して砕くのと、メガバットの脳内にあるマイクロチップを探して砕くことは、似ているようでまったく話が違うように思う。

 

 まずターゲットの大きさが違いすぎる。マイクロチップというのはどれだけ小さいのだろう? 小指の先よりもずっとずっと・・・・・・まともに見えないぐらいの大きさを想像してみる。そんなに小さい物など、私はこれまでに見た事も聞いたこともない。

 そして、セルリアンの体組織と違って、メガバットの脳細胞にはわずかな傷すらも付けてはならない。手元が狂えば私自身の手で彼女を殺してしまうことにもなりかねない。

 ・・・・・・今までの戦いで、これほどまでに精密さが求められる局面なんてなかった。

 こんな無理難題が果たして私に出来るのか。そもそも勁脈打ちとは、そんな繊細な力加減が出来る技なのだろうか・・・・・・

 

「シベリアン、いっそ私の頭を吹き飛ばしてくださいな。そっちの方が苦しまなくて済みますわ」

 メガバットはなおもそんなことを言っている。彼女は間違いなく死を望んでいる。生きることに絶望した結果、死こそが唯一の救いだと思っているのだろう。

 だけど、いやなんだ。死ぬことしか救いにならないなんて悲しい生きざまを認めたくない。

 このうえメガバットに不幸な生を押し付けるのは、単に私のわがままなのかもしれない。でも私は彼女に生きてて欲しいんだ。そのうち良いことだってあるかもしれないじゃないか。生きている限りは、新しい幸せが見つかるかもしれないじゃないか。

 ・・・・・・具体的なことなんか何も言えやしないけれど、私がそう思うことを許してはくれないか? メガバット・・・・・・

 

「準備はオールコンプリートしたヨ。ゴーサインをちょうだいナ」

 

 ウィザードの呼びかけにすぐさま答えるようにして、カコさんが血まみれの手のひらを握りしめながら叫んだ。

「これより最後のクラッキングを開始します! リミットタイムは300秒! それまでに退避活動を始めます!」

「OK! まあ、その3分の1もかかんないと思うけどネ!」

 

(やるしかない!) 

 頭の中で大声で叫んで自分に言い聞かせながら、目を固く閉じて、私の腕の中で浅い呼吸を繰り返すメガバットの額に手のひらを押し当てた。

 みるみるうちに、私の意識は暗い呼吸の中へと潜っていった。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章10 「こころをしんじて」(後編)

※話の区切りが上手く出来なくて、普段よりもかなり短くなってしまいました。


「ウィザード、進捗状況は?」

「ああ、思った通り生体認証を突破したヨ。”ブラックボックス”はすでに丸裸サ! 後はここのデータを”シグマスリー型プロトコル”に読み込ませてクラウドに放り込めばゲームセットだゼ。カウントを表示するから見といてくれヨ!」

「了解。感謝します・・・・・・後は」

 

______後は・・・・・・

 カコさんとウィザードが熱心に話している気配がなんとなく感じられるけど、今の私にはそれを気にする余裕はまったくなかった。

 形のない揺らぎと化した私は、有と無の境界が形作る冷たい世界で、ただひとつの目標を・・・・・・メガバットの脳内に埋め込まれているといわれるマイクロチップを、目を凝らしてひたすら探し続けていた。

 

 メガバットの脳内は複雑怪奇な様相だった。ガジュマルの樹の枝のように、いくつもの管が分かれては繋がり合うことを繰り返している。

 生き物の脳の中なんて覗くのは勿論これが初めてだ。

 ただ目で見ているのではなく、揺らぎと化した意識の中で観測しているわけなのだけれども。

 

 これからここでやることは決まっている。

 チップを見つけ出し、意識の引き算を行ってそれ以外の物を消し去る。

 やがて無二の存在となったチップと揺らぎを完全にシンクロさせてから、急速に調和を崩して波を起こす。つながりさえあれば、有機物も無機物も関係なく、波を伝わらせて破壊することが出来る。

 勁脈打ち。私の”一つ目”の能力だ。

 ひとつの揺らぎとして物質の境界に留まるしかない私には、これだけが唯一の攻撃手段になる。

 

 ・・・・・・それにしても、あの”二つ目”は、後から思い返しても異常の極致みたいな体験だった。

 あの時計塔の中で、私は間違いなく物質の境界を踏み越えていた。

 あの時の私は揺らぎですらない、ただの意識体みたいな存在と化していた。あれをもう一度やろうと思っても、その方法すらわからない。

 二つ目の能力の正体が判明して、自由に使いこなすことが出来るようになるには、まだまだ時間がかかるんだろう。

  

(どこだ、どこにあるんだ)

 当たり前だけれども、メガバットの脳細胞は生きている。心臓から送られてくる血液によって絶えず脈動している。

 有機物と無機物を分ける物はただひとつ。脈動があるかないか・・・・・・この絡まり合う樹の枝のような視界の中で、まったく脈動しない揺らぎを見つけることができれば、それがマイクロチップである可能性が高い。

 

(なるほど、セルリアンの核を砕くのとは全然違うな)

 核はセルリアンの体組織の中で一番強く脈動していて、存在感がある物体だった。一番目立つ物を見つければ、後はそれに意識を集中させればいいだけだった。

 しかし今回はまったく逆だ。

 脈動する無数の組織の中から、もっとも目立たない、動きの乏しい物を見つけ出す・・・・・・それが今私に求められている課題だ。

 

 もつれ合う無数の管を、それらが放つ揺らぎの微細な違いを、感じ取れる限りをひとつひとつ吟味していく。しかし、動きの多寡はあれど、どれも大差ない物のように見えた。

 やっぱり私には、マイクロチップという極小の目標を見つけ出すことなど出来ないのだろうか。

 

 今こうしている間にも、現実世界にいるカコさんからの合図が来るかもしれないのに。

 五感がほぼすべて使えなくなるこの世界でも、聴力だけは少し残ることがわかってる。あの時計塔の鐘の音ほどに大きな音だったら、こっちの世界にも届く。

 だけど彼女の声が聞こえてきても「まだ見つかってません」なんて返事をこちらからすることは出来ないんだ。

 

 途方にくれながら”揺らぎ”を右往左往させていると、やがて少しだけ周りと違うような箇所を見つけた。

 樹の枝の連なりのような空間の中で、他のと比べてやや小ぶりで、直線的な質感の管が一本だけ、ごく自然に周囲と混ざり合いながら生え出ていた。

(あれなのかな)

 脈動の有無によってマイクロチップの居所を見極めようとしていた私の目算は、まったくもって見当違いだったことを悟る。

 すべての管が絡み合うこの空間では、例えそれ自身が動いていなくても、周りが動けばそれに合わせて動くだろうから、結局大した手がかりにもならない。

(あれじゃなかったら、どうしよう)

 やっと見つけた微かな違和感。周囲と際立って違うというほどでもなく・・・・・・さりとて他にあてはなく。

 

(ここまで来たらやってやる! 私は絶対にメガバットを助けるんだ!)

 

 何の確証も持てないまま、細い糸を手繰るようにして集中を高める。

 いつものように意識の引き算が始まり、他の一切が消え去って、例の直線的な枝と私以外は存在しない暗闇の世界が目の前に広がっていく。

 出来る。やろうと思えば、もういつでも波が起こせる。

 勝負は一瞬。チャンスは一度きり、後はカコさんによって号令が下されるのを待つだけだった。

 まるで自分の体が、限界まで引き絞られた弓になったみたいに、全身に緊張が走る。

 

______シベリアン・・・・・・最後に少し話をさせて。

 

(な、何!?)

 それは耳で聴く声じゃなかった。己の内側から、まさに頭の中から、鈴のように美しく静かな声が私に呼びかけて来る。

 私のことをシベリアンと呼ぶ者は、この場には1人しかいない。

 まさかまた私は、二つ目の能力を意図せずに発動させてしまったのだろうか? 私は彼女の心の中を覗いて・・・・・・?

 

 いや、違う。ここは相変わらず暗闇の中だ。

 体は緊張し切ったまま、一撃を放つ寸前の状態で止まっている。

 メガバットが、彼女の方から私に呼びかけてきているんだ。

 

(私があなた達に手を貸すのは、自ら死を選ぶためじゃない。ましてグレン・ヴェスパーに復讐がしたいからでもない)

 

 形のない光になって暗闇の中に差し込んできた彼女が、淡々と語り始める。

 脳内に埋め込まれたマイクロチップの存在をカコさん達に漏らし、ハッキングが成功するように促す。Cフォースに対する明確な裏切り行為。

 自壊装置という、裏切りが死へと直結する仕掛けを体に取りつけられながらも、そんな無謀な行動に踏み切った意図を。

 

(シベリアン・・・・・・私は今ごろになって、あなたのことが羨ましくなってしまったんですのよ)

 光の中に佇むメガバットの声が笑っていた。自嘲的に微笑む彼女の顔が目に浮かぶようだった。

 

(知っての通り私は、なまじ未来が読めてしまうばかりに、ずっと自分の心を無視して生きてきました・・・・・・ピアノの譜面をなぞるように、あらかじめ定められた選択をすることしか出来なくなってしまっていました)

(それに比べてあなたの生き方は、まるで不調和で非合理なノイズの連続ですわ・・・・・・かつても今も、生真面目に迷いながら戦い続けている。それが辛く険しい道であると知りながら・・・・・・でもそれは、あなたが何よりも自分の心を大切にしている証なのね)

 

 目が見えない代わりに鋭い聴覚を持つメガバットらしい、物事を音に例えた言い回しだった。

 彼女がこんな風に自分の内面を語ってくれるのは今までにないことだった。そのことが私を不安にさせる。

 まるで別れの挨拶みたいだった。別れる間際にすべてを打ち明けて、そうして綺麗さっぱり心残りを拭い去ろうとしているように思えた。

 

(最後に一度ぐらいは、私もあなたみたいに、自分の心を信じて行動してみたい・・・・・・生きることとは、心と共に歩むこと、不調和で非合理なノイズを奏で続けることなのだと・・・・・・それこそが美しき命の音色なのですわね)

 

 澄み切ったその声色には一切の恐怖もなく、自分に起きようとしていることのすべてを静かに受け入れる覚悟だけが感じられた。もはや私が何を言っても彼女の意志を止めることは出来ないように思えた。

(さようなら、シベリアン)

 どこからともなく差し込んできた光が、出てきた時と同じように何の前触れもなく消滅していく様子が見える。

 

(これから先、どんなに苦しいことがあっても、あなたはあなたらしく、不器用に、美しく生きてくださいね)

 

「待ってくれよっ!!」

 必死に呼び止めるも、やがて光は完全に消滅し、また耐え難い静寂だけが暗闇の中に溢れた。

 私は彼女の言葉を噛みしめながら、勁脈打ちを放つ瞬間を待ち続けた。

 

(悲しいこと言うなよ・・・・・・これが最後じゃない。これから先もずっと、君は君のやりたいことをやっていいんだ)

(だって、だって君は・・・・・・今まで辛いことばかりだったじゃないか)

 

 メガバットを救いたいという気持ちが、失敗への不安を上回った瞬間、目の前の獲物への私の集中力はより完全な物となった。

 

______今よ! アムールトラ!

 

 カコさんのノイズ混じりの叫び声が、遠い所からやっと聞こえてくる。

 それを待ちかねていたかのように、暗闇の中で自身を解放し、狙い澄ました極小の目標へと一心に進んでいった。

 先ほどから狙いを付けていた「他より少し小さくて直線的な枝」に体当たりをかまし、一緒くたになって弾け飛ぶと、そこから先は何もわからなくなって、私の意識は急速に現実世界へと引き戻された。

 

「聞こえますか。アムールトラ」

 私を心配そうに見下ろすカコさんの声で目を覚ます。

 彼女は変わらず私の傍に立っていて、向こうではウィザードが鬼気迫る様相でキーボードを打ち鳴らしている。

 周囲の状況は、私が揺らぎの世界に潜る直前と変わらないようだった。

 

「カコさん、あれからどれくらい経ったんですか?」

「ほんの少しの間よ」

「そうだ! メガバットは!?」

 

 私はハッとして、今も触れ続けているメガバットの額から手を離した。

 彼女はあいかわらずコンピュータールームの壁際で、私に上半身を抱きかかえられながら横たわっていた。

 青白い美しい顔の瞳は固く閉じられ、穏やかな表情はピクリとも動かない。

 やがて彼女の首から下へと視線を移すと、目の前が真っ暗になるような様相が視界に飛び込んできた。

 

「・・・・・・あ、あ、そんな・・・・・・」

 メガバットの体は、自壊装置とやらによって既に酷い有様に変えられてしまっていた。 

 あろうことか彼女は両手両足を失っていた。肘の先と膝から下が、もぎ取られるように欠損してしまっていた。

 その傷口からは、セルリアンを倒した時に見るそれに酷似した虹色の光が吹きこぼれ、上の空間へと立ち昇っている。

 抱きしめた胴体は力なく私にもたれ掛かるのみで、呼吸もまったくしていないようだった。

 失敗したというのか。私は彼女のことを助けることが出来なかったのか。

 

 カコさんが言うには、私が揺らぎの世界に潜ったすぐ後には、もうメガバットの肉体の崩壊が始まっていたと言うのだ。

 その様子からいって、自壊装置とはおそらくメガバットの体内にあるサンドスターの構成自体を破壊する作用がある物だったのだろうという。

 ヒトと違って毒物などの類が効かないフレンズを始末するための仕掛けなのだと。

 

「メガバット! 起きて、起きてくれよ!」

 動かない体を揺さぶりながら必死に呼びかけるが返事はなく、安らかに眠る顔がガクガクと揺れるだけだった。

「ま、まさか本当に、死・・・・・・」

 結局助けられなかった。何もしてあげられず死なせてしまった。

 生きてさえいれば、もう一度友達としてやり直せたかもしれないのに・・・・・・

 私は壁際に腰を下ろしたまま背中を丸めて、物言わぬ彼女を抱きしめながら嗚咽を堪えた。

 

「落ち着いて、彼女はまだ生きています」

 カコさんが感情を出さないいつもの冷静な声でそう告げる。

 私は我に返り、カコさんの神妙な顔を縋るように見上げると、彼女は私を安心させるように静かに頷いてから言葉を続けた。

「フレンズが死を迎える時、普通であれば肉体は元の動物の姿へと戻ります。しかしその子の肉体はまだ形を保っている・・・・・・アムールトラ、あなたが頑張ってくれたおかげよ」

 

 自壊装置はメガバットの四肢をもぎ取ったが、それ以上の肉体の崩壊は止まっている。

 私がマイクロチップを破壊したことで、自壊装置へと送られる信号が停止しからだ、とカコさんは述べる。

 

「・・・・・・じゃあ、メガバットは助かるんですか?」

「まだ可能性はあるわ。この子を連れていきます」

 

 カコさんは「助かる」とは断言してくれなかった。そのことが再び私の心に重たく圧し掛かかってくる。しかし一縷の望みに賭けようと自分自身に言い聞かせて、なんとか己の体に鞭を打って立ち上がった。

 

「ボス、準備できたヨ」

 向こうでパソコンの前で作業を続けていたウィザードが、振り返ってカコさんに呼びかける。

 パソコンの電源はすでに落ちていて、コンピュータールームには照明だけが灯っていた。 

 荒い息を吐く彼の表情からは、疲れ切った苦笑と一緒に「すべてを出し切った」と言わんばかりのさっぱりとした達成感のような物が感じられた。

 聞くまでもなく彼はハッキングを成功させたのだと思った。

「後でCフォースの奴らにここを調べられても大丈夫なように、データが全部ブッ飛ぶウイルス仕掛けといたワ」

 

 少ししてから、シガニーが下のフロアから急いで駆け上ってきた。

 カコさん達3人が互いの顔を見合わせて頷き合うと、手早く荷物をまとめてコンピュータールームから立ち去る準備を始めるのだった。

 

「アムールトラ、力持ちのあなたに、スプリングボックのこともお願いしていいかしら?」

「・・・・・・はい」

「頼むわね。さあ、行きましょう」

 

 カコさんは、様々な表情が入り混じった静かな瞳で私を一瞬見つめると、すぐに視線を外して踵を返して歩き出した。

 私は言われた通りに床に横たわっていたスプリングボックを背負う。彼女もまだ目を覚ます気配がないけど、背中越しに息遣いがしっかり伝わってくる。

 

 エレベーターのドアが開くと、カコさん達3人が続々と中に入っていった。

 私はメガバットを抱き、背中にスプリングボックを乗せながらその後に続いた。

 

 ケープタウン大学での作戦は終わった。

 多くの犠牲を払いながらも、ついに悪夢のような夜が明けたのだった。だけど、私はそれを喜ぶ気にはちっともなれなかった。

 

 感情の濁流に思考が追いつかない。涙さえ出てこないのは、私の中にあるのが悲しみばかりじゃないからだろう。

 悔しさと怒りが、同じくらい胸の中からとめどなく溢れ出てきている。

 

 ムチャクチャに利用され尽くして、不幸という言葉さえ生ぬるい絶望の中を生きて、一切報われることなく死に向かっているメガバット。

 彼女に対して何もしてあげられないことが悔しくてしょうがない。

 

 そして、メガバットに不幸をもたらした元凶・・・・・・彼女だけじゃない。フレンズもヒトも、己の欲望のために自分以外のすべてを巻き込んで、今こうして南アフリカの地で核実験を目論んでいる悪魔のような男。

(グレン・ヴェスパー・・・・・・!)

 その名前を思い浮かべると、どす黒い怒りと憎しみの感情が胸の内に沸き起こるのがわかる。

 私の中に、こんな気持ちがあったんだ。

 

 to be continued・・・




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「スプリングボック」

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「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代

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過去編終章11 「おとずれぬあんそく」

 早朝の眩しい太陽が照らす空と海の間を、私たちを乗せたCフォースの軍用ヘリコプターが飛んでいる。

 ケープタウン大学での辛く苦しい作戦を終えてから、敵が乗ってきた機体を一機頂戴することで、ようやく私たちは脱出を果たすことが出来たのだった。

 

 今このヘリコプターが向かっている場所は、南アフリカとナミビアとの国境沿いにある「アレクサンダー・ベイ」という入江なんだそうだ。

 私も見たことがある、あの雄大で美しい「オレンジ川」が流れに流れ着いた先、大西洋へと抜け出る出口となっている場所らしい。

 

 後方待機組のみんながそこで待ってくれている。

 喜望峰で私たちと別れた彼らは、数隻の船で大西洋を北上し、何事もなければ今頃はそこに到着しているはずだ。

 作戦を終えた私たちがまずやるべきことは、彼らと合流することだ。

 ヒグラシ所長もケープペンギンも、みんな無事でいてくれるといいのだけれど。

 

 私たちを待っているのは彼らだけじゃない。

 Cフォースとの決戦に備えて、アフリカ大陸中に散らばるパークの友軍たちが南アフリカの地に集まりつつあるという話だが、早速そんな中のひとつが駆け付けてくれているらしい。

 たしか「モザンビークの長老」と呼ばれるヒトが率いる部隊が、ナミビア国土側から南アフリカへと南下し、私たちと合流する手筈だと聞かされている。

 

 モザンビークの長老・・・・・・何回か聞いたことがある名前だ。

 パークにはカコさんを含めて、リーダーと呼ばれるヒトが4人いる。広大なアフリカ大陸を東西南北に分けて、各エリアの指導者としてパークの活動を仕切っているという話だった。

 

 まず南エリアの代表が私たちのカコさんだ。あんまり呼ばれることはないけど「南アフリカの新星」という異名もある。

 西のリーダーが「リベリアの将軍」で、北には「エジプトの聖母」がいると聞く。

 そして、この後アレクサンダー・ベイにて私たちと合流しようとしているのが、東を統べる「モザンビークの長老」だ。

 彼らの姿は、前に立体映像でチラっとだけ見た事があるけど、本当に一瞬のことだったからよく覚えてない。

 

 いっこくも早く味方と合流したいところだけど、残念なことに時間はまだまだかかる。

 ここケープタウン近海からアレクサンダー・ベイまでは、およそ600キロメートルほども離れているそうだ。

 このヘリコプターでは、燃料をギリギリ使い切って行けるか行けないかぐらいの、実に微妙な距離だという。

 予備の燃料は確保しているが、給油するためには一旦どこかに着陸しなくてはいけない。そうなると私たちはかなりの足止めを食らうことになる。

 それを避けるためには、一回の飛行で出来る限り長距離を移動する必要がある。そのために、荷物はギリギリまで軽くしなくてはいけない。

 

 余計な人員や荷物を乗せる余裕はないため、ケープタウン大学での戦闘で捕虜にした敵兵士たちは、あのガスマスクの指揮官も含めて、全員メディカルタワーの入り口であるドーム内に縛り付けたまま放置することになった。

 あの指揮官を人質に連れていく考えもカコさん達にはあったようだが、味方にも切り捨てられるような立場の男は、大した人質にもならないだろう、と捨て置かれることになったようだ。

 

 そんな中で、ただ1人の例外がメガバットだった。

 たとえ一命を取り留めた所で、彼女はもうCフォースに戻ることは出来ない。

 失態を演じただけの他の兵士と違って、明確に組織を裏切ってしまったのだから。

 フレンズを保護して自由に生きられるようにするパークの理念により、カコさん以外のメンバーもメガバットを連れていくのには異論がないようだった。

 

 ヘリを操縦できるのはメンバーの中でカコさんだけ。

 したがって今も彼女がコクピットにいる。傷ついた腕で操縦桿を握りしめるために、彼女は再び無茶な応急処置を体に施すことになった。

 彼女がコクピットに乗り込む直前に、副官にして衛生兵でもあるシガニーは、彼女の手首に止血消毒して包帯を巻くと、最後に注射を打っていた。その注射は「モルヒネ」とか言って、痛みを感じにくくする効果がある劇薬らしい。だが感じにくくしただけで、傷を治す効果があるわけじゃない。体には相も変わらずに負担がかかっているそうだ。

 

 代えの効かないリーダーであるカコさんは、いつだって当たり前のように自分の体を酷使している。部下のみんなも黙ってそれに従っている。どうやらそれが彼らにとっては当たり前らしい。

 いまや私だってカコさんを尊敬も信頼もしているけど、こういう部分だけは理解できない。

 いつだって部下のことを労わっていて、命令する時もお願い口調だというのに、自分自身に対する扱いがそれと真逆なのはどういうわけなんだろうか。

 まるでわざと自分を痛めつけているようにさえ思える。

 

 ヘリの機内には重苦しい空気が漂っていた。

 操縦を担当するカコさんだけではなく、生き残ったチームジョーカーのメンバーには全員それぞれやることが残っている。

 誰一人として作戦の成功を喜ぶこともなく、言葉を発さないまま、自分にあてがわれた役目に一心に打ち込んでいた。

 

 手持ち無沙汰になったのは私とパンサーだけだ。

 私たちに出来るのは、疲れた体を静寂の中で休めることだけだった。

 互いに言葉を交わす余裕はなく、だからと言って黙っていると、いっそう自分の中の嫌な気持ちに向き合わなければならなくなる。

 

「・・・・・・なんで」

 突如、私の隣のシートに座っているパンサーが呟いた。

 動かないメガバットを見つめながら、乾いた返り血をいまだに拭えていない体を丸くうずめている。今の言葉は誰かに向けて発せられたものではなく、独り言のようだった。

「コイツは敵だったのに、どうして?」

 

 本当ならパンサーがそんな風に落ち込む理由なんてないはずだった。

 だけど私たちがタワーの地下から出てきて、メガバットの無惨な姿を見て、事の顛末を知らされた時から、彼女はひどく動揺していた。

 敵として憎んでいた相手が、自分たちの危機を命がけで救ってくれた事実は、彼女にとって信じられないほど衝撃的な出来事だったんだと思う。

 

 パンサーにも色々思う所があるんだろうけど・・・・・・今の私には、彼女を慮って言葉をかける気分にはなれなかった。

 私の気持ちはメディカルタワーから出た時のままだ。わずかな時間が過ぎただけで変わるはずもない。どす黒い怒りの感情が、炎になって体から吹き出すんじゃないかと思うぐらいに煮えたぎっている。

______キシッ・・・・・・!

 気持ちを静めるために、あらんかぎりの力で拳を握りしめると、手のひらの骨だけが甲高く音を鳴らした。

 

「woo~foo~foo」

 ウィザードが変な鼻歌を歌いながら、しかめっ面でノートパソコンを操作し続けている。

 彼は今、この戦闘ヘリに搭載された「識別信号」というものを書き換える作業をしているとのことだ。

 私たちがヘリを奪って逃げたことは遠からずCフォースに伝わるだろうから、この機体から発せられるCフォースの識別信号を辿られれば、追跡を受ける可能性があるという。

 識別信号をそのままにしていては、仲間のもとへ向かうことさえ出来ない。

 さすがのウィザードも今はおふざけをする気にもならないようで、今やそのレゲエミュージシャンみたいな恰好だけが浮いてしまっている。

 

 そしてシガニーは額に汗しながらメガバットの手当てをしている。

 彼女の黒い顔と、ピクリとも動かないメガバットの青白い顔が非現実的なコントラストを形作っている。

 この場ではただ1人、本格的な治療技術を持っているシガニーだったが、彼女はスプリングボックの手当てを後回しにすることに決めたようだ。明らかに予断を許さない状況のメガバットへの処置が優先されるからだという。

 

 メガバットに付きっきりのシガニーの代わりに、バズ・チャラがスプリングボックを看ることになった。その丸太のような腕で手早くスプリングボックの全身の傷口を止血消毒し、包帯を巻いている。

 彼も兵士として簡単な手当ての心得はあるようだ。本職のシガニーと違って傷口を縫ったりすることは出来ないが、何もしないよりマシなのは言うまでもない。

 彼は一見手当てに集中しているように見えたが、その無表情の瞳が赤く腫れているのがわかる。戦いの緊迫感から解き放たれたことで、弟を昨晩の戦闘で失った悲しみが本格的にやってきているのだろう。

 

 一方で、シガニーの手によるメガバットへの処置は、スプリングボックのように消毒したり包帯を巻いたりといった常識的な内容とはかけ離れたものだった。

 シガニーが手に持っているのは、手のひらに収まるサイズの赤い円柱形の物体・・・・・・ショットガンの弾薬だった。

 彼女はナイフで弾頭に切り込みを入れ、円柱形の弾頭の上部を丁寧に切り取ると、それを逆さまにひっくり返して、水筒の中の水と混ぜ合わせていた。

 弾頭の中に入っていた物体は、セルリアンが放つそれのような虹色の光を放つ砂粒だった・・・・・・そう、弾薬は普通の物ではなく、対セルリアン用の”SSアモ”だったのだ。

 

 何個かの弾薬の中身を水に混ぜ終えると、次に彼女はガーゼを取り出し、SSアモの中身が混ざった水をそれに染み込ませた。

 そしてメガバットの欠損した四肢の断面に、消毒をするかのようにピンセットを使って丁寧にガーゼを押し当てていた。

 

「・・・・・・あの、何をしているんですか?」

「このコのタイナイからサンドスターがウシナわれるのを、フセいでいる」

 

 たまらず気になって声をかけた私に、シガニーは処置を続けたまま気にもせずに答える。先ほどから私がじっと見ている気配に気付いていたのだろう。

 そういえば、このヒトと直接口を利くのはこれが初めてかもしれない。いくつもの国の言葉を話せるって話だけど、日本語もやや片言気味ながら問題なく話せるみたいだ。

 

 シガニーは言う。

 出血したりするだけの尋常な負傷なら、フレンズもヒトと同じように処置をすればいいし、そもそも体内にサンドスターを宿すフレンズは、脳や心臓などの重要器官を破壊されるなどの致命傷を負わない限り、時間さえあれば自己治癒能力で大概の傷を癒してしまえるという。

 しかし今のメガバットのように体からサンドスターが漏れ出ている状態は、フレンズが持つ自己治癒能力が失われている証拠だから、非常に危険な状態であると。

 

 サンドスターの流出が止まらなければ、遠からず確実に死に至る。そして流出を止めるための応急処置が、彼女が今ガーゼから傷口に塗り込んでいる「SSアモパウダー混合水」だというのだ。

 

 SSアモの成分は、火薬で撃ち出して体内に炸裂させれば、小型のセルリアンならば体内のサンドスターの流れを完全に停滞させて活動を止めることが出来る。フレンズに向けて撃ったとして、セルリアンと違って動物の肉体という外皮を持っているフレンズが簡単に死ぬことはないが、一時的に完全に動きを止められるほどの効果は現れる。

 しかしこうやって水と混ぜて傷口に塗り込めば、成分がゆっくりと浸透し、傷口付近のサンドスターの流れだけを止めることが出来るのだと。

 

 メガバットのもぎ取れた四肢の断面を見てみると、ついさっきまで絶えずそこから立ち上っていた虹色の煙がピタリと止まっている。シガニーの処置が適切である証拠だ。

「た、助かりそうですか?」 

「セイゾンカクリツは・・・・・・よくてゴブゴブ。おそらくはそれイカ」 

 

 そもそもメガバットの肉体は損傷がひどすぎる、とシガニーは溜息交じりに語る。

 自己治癒能力が失われた状態で、ここまで重傷を負った肉体がいつまで持つかわからないと。死にはしなくても、このまま植物状態と化して目を覚まさない可能性も大きいというのだ。

「せめてサンドスターチョウセイソウでもあればイノチはタスけられるのだけれど」

 

 シガニーの口から出た「サンドスター調整槽」という設備のことは私も知っている。

 Cフォースの研究所などの大型の施設にはほぼ備え付けられていて、それに浸かることが出来れば、外部から供給されるサンドスターによってフレンズの自己治癒能力を最大限に引き出すことが出来る。フレンズにとっては最上の治療設備だ。

 

 でもパークの世話になりだしてからは、ついぞ目にしたことはなかった。

 屋外でのゲリラ生活ばかりだったから、そんな物があるとすれば、それなりのパークの拠点ということなるんだろう。

 私たちがこれから向かう先に調整槽があるのだろうか? それまでメガバットの体は持つのだろうか?

 

「ホイ、おしまい」

 ウィザードが小用でも済ますようにエンターキーを押した。ヘリの識別信号とやらの偽装が終わったのだろう。

 

「ウィザード、さっそく仲間と連絡を取ってください」

「その前に機器のセッティングをしたいんだけド、良いかいボス?」

「・・・・・・機器とは?」

「ヘヘヘっ、まあまあ」

 

 ウィザードはもったい付けるように言葉を濁しながら足元にあるリュックを開いた。

 驚いたことにその中からは、表面にいくつもの焦げ跡や傷を付けたナビゲーションユニットが出てくるのだった。

 てっきり昨晩の戦闘で失われてしまったものだと思っていたけど、いつの間にか回収されていたんだな・・・・・・おそらくは私がメガバットと時計塔の中で戦っていた時か。

 彼にとっては大事な持ち物だもんな。

 

「コイツを起動させとけばフレンズたちの言葉の問題はなくなるゼ。アムールトラやパンサーの耳の中の通信機はコイツとリンクさせてるからナ。誰が何語で喋っても話がわかる・・・・・・そっちの方が不便を感じさせないで済むだロ?」

「ありがとうウィザード。むしろ私が配慮すべき点でした。あなたがいてくれて助かるわ。本当に頼りになる」

 

 カコさんにベタ褒めされたウィザードが、照れくさそうに頭を掻きながら、ユニットの背中から引っ張り出したコードをノートパソコンに繋げ、それからキーボードを何回か叩いた。

「実はちょっと前からアッチの方から通信が来てるんだヨ。ご丁寧にビデオ通話サ。機内のモニターとリンクさせるヨ」

 するとコクピットの上面に取り付けられた画面に光が灯り、どこかの映像が映し出された。その場にいる誰もが、各々がやっている作業をしたまま、モニターへと視線を向けるのだった。

 

≪おお、みんな・・・・・・!≫

≪おーい! おーい! ウチの声聞こえとるんね!?≫

 

 画面の向こう側から、ヒグラシ所長が心配そうにこちらを覗き込んでいた。そのすぐ後ろでケープペンギンが飛び跳ねながら存在をアピールしている。

 その他にも見知った顔の兵士たちが何人もいて、私たちを見ながら手を振ったりガッツポーズを取ったりして歓喜していた。彼らにとっては、自分たちの大将であるカコさんが無事に帰ってくることが何より嬉しいのだろう。

(・・・・・・良かった、本当に良かった)

 後方待機組のみんなが無事でいる姿が見られたことで、ひとまず胸の奥のつっかえが取れて、ついさっきまでの嫌な気持ちが脇に押しやられていった。

 

 画面に映るその場所は、でこぼこに隆起する黒っぽい岩棚に、荒波が打ち寄せる海岸だった。あそこがアレクサンダー・ベイなのだろう。

 そこにいるのは後方待機組のみんなだけではないようだった。

 モザンビークの長老が率いる部隊が、すでに彼らと合流を果たしているようだ。画面に映っているだけでもかなりの数の兵士がいて、武装も申し分ない。

 画面の奥の方には、迷彩が施された厳つい軍用車両が何両も立ち並んでいる・・・・・・中でも目を引くのは、戦車と船が合体したような異形の車だ。Cフォースにいた頃にも見たけど、あれはたしか水陸両用車とか言うやつだよな。

 

(すごい・・・・・・大軍団じゃないか)

 彼らが仲間になってくれるなら、こんなに心強いことは無い。つい昨晩までたったの数人で戦っていた心細さが嘘みたいだ。

 そう思っていたのは私だけじゃないようで、カコさんもパンサーも、その場にいる全員が静かに溜息をつくのが見て取れた。

 

≪アムールトラ、よく無事でいてくれたよ≫

 ヒグラシ所長が、画面の中にいる無数のヒトの中でただ一人、私とだけ確かに目を合わせようとしているのが見える。

 彼のハの字型の眉毛がふわりと持ち上がって剽軽そうに緩んでいる。

 見慣れた親しさを感じさせるその顔を見ていると、私は自分の中にある嫌な気持ちを、洗いざらい所長に話してしまいたい気持ちに駆られた。

 そしてグレン・ヴェスパーのことも聞きたい。何年もあの男の下で働いていた所長だもの、私がメガバットの記憶の中で知り得なかった情報も、彼なら良く知っているはずだ。

 

≪だ、大丈夫か? ずいぶん元気がないようだが≫

「平気だよ。所長・・・・・・それより後で話がしたいんだ」

 私の様子を見て不安に思った彼が口元を強張らせたが、すぐさま平静を装うように微笑みなおし、わかった、と相槌を打ってくれた。

≪ともかく早く戻っておいで≫

「うん」 

 

 安堵の溜息を付きながら、先ほどまで握りしめていた拳を緩めて膝の上に置いた。

 ひとまず戦いは終わった。所長が待っている所に帰れる。今はそれだけでいい。メガバットのことは心配だけれど、それ以外の余計な感情はようやく捨てておくことが出来そうだ。

 

 しばらくして、画面に映っている兵士たちに動きがあった。

 それまではてんでんばらばらに佇んだり、集まって談笑したりして適当に時間を潰していた彼らが、突如弾かれたように動き出した。

 小走りで左右にさっと別れ、手に持った銃を肩に掛けて直立不動で整列を始めたのだ。

 長老の部下であろう兵士たちに混じって、カコさんの部下である見慣れた後方待機組の仲間達も同じようにしている。

 所長やケープペンギンも見様見真似で彼らと同じポーズを取っている。

 

 映像の向こう側に、あっという間に重苦しい緊張感が立ち込めはじめた。

「見ろヨ、東の大将のお出ましだゼ」

 ウィザードがそれを見ながら解説するように呟いた。

 なんだかあっちの部隊は、カコさんの所とは空気感がまるで違うな・・・・・・規律や上下関係を重視する、古典的な軍隊その物って感じだ。

 この集団を指揮するモザンビークの長老っていうのはどういう人物なんだろう。

 

「ヒュー・・・・・・モンのすげえ。ありゃ”バイオハザード”のコスプレか?」

 岩棚に打ち寄せる波の音だけが聴こえる静寂の中、整列する兵士たちの間から、その男は歩いてきた。

 周りの兵士たちよりも、頭ふたつ分ぐらい背が高い禿頭には無数の傷跡が走っている。数多の戦場を渡り歩いた生々しい証だ。その腕や脚は、野戦服の上からはっきりとわかるぐらい肥大した筋肉が詰まっているようだった。

 フレンズに混じって素手でセルリアンと戦えるんじゃないかって思ってしまうぐらいの怪物的な見た目の老人。それがモザンビークの長老だった。

 周りを威圧するようにのそりのそりと歩き、やがて映像越しに私たちの目の前に立って、カメラを間近で覗き込むためにその巨体を折りたたむと、いよいよ圧迫感は極まる形となるのだった。

 

≪カコよ、そなたが敵に襲われたと聞いて、私は気が気ではなかったぞ。無事な顔をもっとよく見せておくれ≫

 しかし長老が口を開くと、その怪物じみた印象は途端に薄れた。画面越しにカコさんに呼びかけるその顔には、親愛と慈しみを込めた柔和さがあった。それはまるで、ヒグラシ所長が私を見ている時のような表情だ。

 

「長老、心配は無用です。私は宿願を果たすまでは死ぬつもりはありません」

≪やはり血は争えんな。さすがはあの男の一人娘だ。彼奴にかわって、そなたのことは命に代えても守ってみせるぞ・・・・・・とは言え昨晩のことは、本当に申し訳なかった≫

「とんでもありません、予定通り私の仲間を受け入れてくださって感謝しています」

 

 カコさんと長老が画面越しに、互いのことをねぎらい合うように話している。おそらくはアフリカの言葉による会話なのだろうけれど、私にも問題なく理解できる。

 フレンズにも理解できるように、ユニット内部の言語変換回路が私の耳にある通信機に作用しているからだ。彼らが話すたびに、パソコンに繋げられたユニットの、目のような二つのセンサーがチカチカと発光している。

 

 カコさんと長老はどうやら昔からの知り合いのようだった。

 私の知らない、パークという組織の勃興から今に至るまでの、苦難に満ちていたであろう歴史を一緒に生き伸びてきた戦友・・・・・・たぶんそんな感じだ。

 そんなヒトが指揮する部隊と合流出来るなら、私たちは安心して休むことが出来るだろう。

 

「では一旦通信を切ります。私たちがそちらに着くのはまだ2,3時間ほどかかります。Cフォースが攻めて来るかも知れないし、確率は低いでしょうがセルリアンと遭遇する危険もある。十分に気を付けてください」

≪案ずるな。見ての通り備えは万全だ≫

 

 長老はそう言うなり振り返って、周囲で直立している部下たちに「休め」と手で合図する。

≪・・・・・・新しき友よ≫

 それを見た兵士たちが姿勢を崩してリラックスする中、長老は画面の隅で所在なさそうにしていたヒグラシ所長に歩み寄り、親密そうに背中から手をまわして肩を掴んだ。

 巨大な腕に自身の肩周りを丸ごと抱きとめられたヒグラシ所長が照れくさそうに微笑んでいる。

 

≪そなた達が来るまでは、彼と積もる話でもするとしよう。今までの出来事と、これから成すべきことを≫

≪長老さんはとても親切な方だ。知り合えてよかったよ・・・・・・最初は少し怖かったが≫

 

______ズルリッ・・・・・・

 見るだに安心感をもたらすような光景を最後に通信が終わろうとしていた時、それは突如として起こった。

 

「・・・・・・な、なあ、なんか変じゃネーか? その、2人の身長が?」

 ウィザードが自分でも理解が追いついていないような素っ頓狂な感想を漏らした。

 つられて画面を凝視してみる。

 確かに彼の言う通り、固定された視点でカメラ越しに映っているヒグラシ所長と長老の姿が、妙に小さくなっているような気がした。

 

 さっきまでは突き抜けるように大きかった長老の巨躯が、今は周りの兵士たちと変わらない背丈にまで縮んでいる。そして普通ぐらいの背丈だった所長は、子供と見まがうくらいに小さくなってしまっていた。

 2人の背丈は尚も小さくなりつづけ、足から腰、その次はお腹と、下から順番に画面から見切れていった。

 その時ようやく理解するのだった。彼らの体が小さくなっているのではなく、地面に向かって沈んでいるのだということを・・・・・・

 

「長老ッ!! ヒグラシ博士!」

「ファック! いったい何が起きてるってんだヨ!」

 

 自身に起きた異変に気付いた2人が、底なし沼と化した地面から這い上がろうと必死に両手をばたつかせるが、そんな抵抗もむなしく、なおも体は地面に飲み込まれ続けていった。

 彼らを引き上げようと駆け寄った数名の兵士たちも、同じように巻き込まれて沈んでいるのが見える。

 慌てふためく兵士たちの阿鼻叫喚の叫びが響き渡るなか、やがて2人の肉体は完全にその場から消え去ってしまった。

 

 少し遅れてその場に到着した兵士たちが突っ伏して、地面の下に姿を消した長老たちに呼びかけるように下を向いて叫んでいる。

 さらにはナイフを突き立てたりして地面を掘り返そうともしていたが、地面はすでに底なし沼ではなく、元の硬くゴツゴツした岩棚に戻っており、まったく無駄な徒労に終わっていた。

 彼らももはや自分たちにはどうしようもないことを悟ったようで、次の瞬間には絶望を自覚するかのような嗚咽の声がそこらじゅうから上がるのだった。

 

「いったい何が? 新種のセルリアンでも現れたというの?」

 突然に起こった謎の異変に、その場にいる兵士たちも、それを離れた所で見ていたカコさん達も言葉を失い途方にくれていた。

 

 しかし私には心当たりがあった。

 地面に飲み込まれていくヒグラシ所長たちの姿を見て、それと同じ光景をかつて目の当りにし、それどころか自分自身でも体験した記憶がありありと蘇るのだった。

 私の記憶違いじゃなければ、あんなことが出来るのは世界中にたった1人しかいない。

 

「・・・・・・スパイダー、まさか君なのか?」

 在りし日の記憶と照らし合わせれば、目の前の出来事すべてに辻褄が合ってしまう。

 そんな事実に突き当たるのが恐ろしかった。メガバットの次はあの子が相手だなんて・・・・・・かつての友が、またしても私に立ちはだかってくる。過酷な現実がどこまでも私の喉元に迫ってくる予感に体が震えた。

 

「アムールトラ、心当たりがあるの?」

「はい・・・・・・きっと、私の昔の仲間がやったことです」

「・・・・・・! ということは、長老とヒグラシ博士は、Cフォースの手に落ちてしまったのね」

 

 カコさんは今までにないぐらい意気消沈してしまい、ヘリの操縦桿を握ったまま黙りこくってしまった。

 その場に気まずい沈黙が流れる。ヘリの機内は張り付いたような静寂に満ち、外で回転するローターの音だけが甲高く鳴っている。

 

「・・・・・・ボス、アンタが気落ちしている場合ではないだろ!」

 副官であるシガニーが、今や片言ではない流暢な言葉でカコさんに苦言を呈した。女のヒトらしからぬ荒っぽいべらんめえ口調だ。彼女がこういう話し方をする人物だったことは、ナビゲーションユニットの翻訳回路ごしに初めてわかる事実だった。

「長老がさらわれた今、あいつらに指示を下せるのはアンタだけなんだよ!?」

 

「そうですね」と、カコさんは虚空に泳がせていた瞳をしばたたかせながら答える。

 次の瞬間には普段と変わらぬ強く冷徹な意志を目の中に湛えながら、次の瞬間に大声を出すために空気を吸い込むのが見えた。

 

「・・・・・・モザンビークの長老旗下全軍に通達します!」

 

 カコさんは画面の向こうの兵士たちに向けて高らかに宣言した。

 長老はCフォースの手の者によって拉致されたということを。実行犯がまだ近くに潜んでいる可能性があり、引き続き敵の襲来を警戒してほしいということを。

 そして最後に、現時点をもって部隊の指揮権は長老に代わって自分が引き継ぐことを。

 

「私が到着ししだい、部隊を再編成し、拉致された長老たちの奪還作戦を実行し・・・・・・!」

______待ちたまえ。

 

 突如、見知らぬ男の声が割って入りカコさんの言葉を押しとどめた。熱のこもったカコさんとは打って変わって、落ち着き払った様子の冷たい声だった。

 それと同時に、いまだ混迷を極めるアレクサンダー・ベイとは別の映像がコクピット正面のモニターに映し出された。

 どこかの薄暗い室内の中に男が一人佇んでいる。ヒグラシ所長でもない、モザンビークの長老でもない、私の知らないヒトだった。

 

「あ、あなたは・・・・・・」

≪ミセス・ノヴァ。その命令は不適切だ、考え直したほうがいい≫

 

 この男のヒトは誰なんだ?

 彼の顔を見るなり、周囲の空気が妙に刺々しくなっていくのがわかる。ウィザードなんかあからさまに嫌そうな顔をしている。

 

「・・・・・・将軍、私たちの会話を盗聴していたのですか?」と、カコさんが眉間にしわを寄せながら尋ねた。

 どうやら彼は、パークの西エリアのリーダー”リベリアの将軍”であるようだ。

 間違いなく味方であるはずなんだけど、皆の反応を見る限り、あんまり評判のいいヒトではないのかな。

 

 リベリアの将軍・・・・・・年齢はカコさんやウィザードに近い青年で、将軍という異名には似つかわしくないと思うような線の細い男だった。見た目だけならば、あの長老の方がよっぽど「将軍」っぽいだろう。

 肌の色は他の黒人よりも少し黒みが薄く、髪の毛は金色であり、目鼻立ちも白人の特徴がある。白人と黒人のハーフみたいな感じだった。 

 高そうなスーツを皺ひとつなく着込み、金色の髪をオールバックにしてまとめている・・・・・・およそ汗臭さとは無縁の装いは、荒野で戦い続けているパークのメンバーには似つかわしくないと思えるほどだ。

 

≪ノヴァ、僕は今回の作戦の一部始終をモニターしていたんだよ≫

 あくまで訳知り顔の将軍が、カコさんの疑念を鼻で笑うように答える。

≪おかしなことなど何もないだろう? そこにいる胡散臭い男を雇い入れ、君の下に送りこんだのは僕だ≫ 

 将軍はそう言ってウィザードへと視線を向ける。そしてウィザードはバツが悪そうにそっぽを向いた。

 

≪その男が掛けている滑稽の極みみたいなサングラスから、すべての情報が送られてきたよ。僕がそうするように命令していた≫

「うるせー・・・・・・アンタはいちいち嫌味なんだヨ」

≪ウィザード、僕には君を見張る義務がある。依頼が正当に遂行されているかどうかをね・・・・・・何せ君の本職は、ハッカーではなく詐欺師だ。まともに信用してもらえるなどとは思わぬことだ≫

 

 どうやら将軍とウィザードが裏で繋がっていたのは事実のようだった。

 チームジョーカーのうち、シガニーやチャラ兄弟はカコさんの元々からの部下だけど、ウィザードと、そして今は亡きカイルは外部から雇われたヒトであることは、私も前々から聞かされていたことだった。

 

≪今回、僕はこの無謀極まりない作戦を成功させるために八方手を尽くして人材を探した。そしてようやく裏社会屈指のハッカーと、最強の狙撃手を雇うことに成功し、君たちの下へと派遣することが出来た。しかし、カイルは死んだのか・・・・・・あれほどの男が命を落とすとは残念だよ≫

 

 将軍は涼し気な表情のまま瞳を閉じ、過ぎ去った凄惨な夜への想いを馳せているようだった。よく見ると目にはクマが出来ていて、本当に私たちの様子を傍で見続けていたことをうかがわせた。

≪さて、それよりも今後のことだが≫

 しかし無念そうな顔も一瞬のこと、将軍はふたたび鉄のように冷たい眼差しで私たちを見据えるのだった。

 クールそうで内側は熱いカコさんと違って、この将軍というヒトは根っからクールそうな感じだ。そんな彼の口からどれほど冷たい一言が放たれるのか、否が応でも覚悟しなければならないような気持ちになった。

 

≪ノヴァ、仲間との合流はひとまずあきらめたまえ。長老を連れ去った敵がまだアレクサンダー・ベイに潜んでいるとしたら? 君までもが拉致される可能性があるぞ? せっかく犠牲を払ってまでCフォースの最高機密を手に入れたというのに、台無しにするつもりか?≫

「し、しかし、前のアジトはもう引き払っているんです。私たちに他に行く場所はありません」

 

≪・・・・・・そこで、だ。僕の所に君たちをお迎えしたいのだが≫

 

 将軍からの意外すぎる申し出に、カコさんが返答に詰まった。

 彼の考えとしては、長老がさらわれたとは言え、部隊の大部分が健在なのだから、次の作戦まで各自避難させ、待機させておけばいいと言うのだ。カコさんが直接その場に赴く必要はなく、遠くから指示を飛ばしてさえいればいい。

 それよりも優先されるのは、今の状況に対して早急に善後策を考えることだ。そのためにいっこくも早く合流したいと。

 

 確かに将軍の言うことにも一理あった。

 スパイダーは一切の無駄もなく、長老とヒグラシ所長だけを拉致していった。ターゲットを完全にしぼり、その動きを読んでいたからこそ出来ることだ。

 カコさんが到着することまで読まれているとしたら・・・・・・

 

「おっしゃることは尤もですが、将軍。あなたと合流しようにも、居場所がわかりません」

 将軍の申し出を受け入れざるを得ないことを悟ったカコさんは、深いため息を付いて、当然とも言える問いを投げかけた。

「もっともそれがあなたの常ですが・・・・・・何せあなたは、仲間からも身を隠して、どこかから指示だけを飛ばしてくる謎の人物なのだから」

 

 そしてカコさんらしくない皮肉めいた物言いで将軍を批判した。

 何が何でも部下と一緒に戦おうとする現場主義のカコさんと、この秘密主義者の将軍とは、反りが合わない間柄なのであろうことは、今のやり取りだけでも薄々察することが出来た。

  

≪今回ばかりは居所を明かすとしよう。ケープタウン西岸から約60キロ沖・・・・・・どうだ、君たちからかなり近いだろう? より正確な位置は後でシグナルを送るので解析してくれたまえ≫

「・・・・・・沖? あなたはいったい何を言って」

≪君たちがCフォースに襲撃されたのを知り、作戦の成否に関わらずすぐに適切な対処が出来るようにと、一晩かけて大西洋を南下してきていたのだよ≫

 

 将軍の所在について、ある程度の予測が付いたらしいカコさんが黙りこくる。そして後ろを振り返り、横たわったままピクリとも動かないメガバットの体へと視線を落とした。

 

「最後に質問なのですが、あなたのアジトに重傷者の治療設備はありますか? 人間ではなく、フレンズの・・・・・・」

≪当然だ。僕の部下にはフレンズもいるのだから≫

「わかりました。将軍、あなたの所にお世話になることにしましょう」

 

 将軍との通信が終了し、モニターが完全にブラックアウトすると、カコさんは外を見ながら操縦桿をゆっくりと横に倒した。ヘリコプターの機体がぐるりと方向転換し、今まで飛んでいた方向とはまったく違う方へと進みだした。

 

 私は黙りこくったままカコさんの操縦を茫然と眺めていた。

(なんで、なんでこんなことに・・・・・・)

 心臓が早鐘のように鳴っている。手足がぶるぶると震えている。短い間に色々なことが起こり過ぎたのに耐えられなくて、私は過呼吸気味になって狼狽えていた。こんなことは初めてだ。自分で思っているより精神的に限界が近いのかもしれない。

 だって、嫌だよ。このうえ所長までいなくなってしまったりしたら・・・・・・

 

「アムールトラっ! ねえ! ねえったら!」

 隣に座っていたパンサーが、私の体の震えを抑えるように肩に手を置いて呼びかけている。思えば撤収を始めてから、彼女と視線を合わせるのはこれが初めてだった。

 お互いに何となく気まずさがあったからだ。

「・・・・・・きっと大丈夫だよ。みんな頑張ってるんだから、アンタなんか、一番頑張ったじゃない。だから、大丈夫」

 

 パンサーが何とか私をなぐさめようとしてくれている気持ちは伝わってきたけれど、私はそれに返す言葉を持たずにただ黙っていた。私の気持ちを変えられないことを悟った彼女は、私の肩に手を置いたまま、やがて窓の外に視線を向けるのだった。

 

 しばらくぼんやりと外を見ていたパンサーが、やがて海の向こうの一点を見つめながら「何あれ」と呟いた。

 つられて同じ方を見てみる。

 風にたゆたう紺碧の海がどこまでも広がっている。

 そんな中に一か所だけ、水面を勢いよく掻き分けながら浮上する物体を見つけた。その大部分は海の中に沈んでいるけど、海面ごしに見える黒いシルエットから察するにかなりの大きさだ。

 あれはもしかして「クジラ」かな? 地球上で一番体が大きい動物だって聞いたことがあるけど・・・・・・いくら何でも大きすぎるんじゃないか?

 

「ありゃア、原子力潜水艦だヨ」

 ウィザードがあっけに取られている私たちに説明してくれた。将軍との繋がりが明かされたせいなのか、若干気まずそうな態度だった。

「あの船は数か月に一度ぐらいしか姿を現さねエ・・・・・・あの引きこもりファック野郎にピッタリのアジトってわけサ」

 

「アンタ、自分の雇い主をそんな風に言っていいのかい?」

「・・・・・・シガニーさんはミーへのアタリがキツイってばヨ」

 

 メガバットの体に虹色の薬液を塗る手当てを続けながら、シガニーがウィザードに突っ込みを入れている。

「アタシも将軍は好かないけれど、今は渡りに船って感じさね。アムールトラもそう思うだろ?」

「・・・・・・え、シガニーさん、それはどういうこと?」

「わかるだろ、あの潜水艦に降りれば、ようやくこの子にちゃんとした治療が受けさせられるんだ。予定の通りにアレクサンダー・ベイに向かうよりも全然早かったよ」

 

 そうか。フレンズの治療設備。つまりサンドスター調整槽があることをリベリアの将軍は断言していた。

 だからこそカコさんも将軍の提案に乗ったんだものな。それはこのどうしようもない状況下で、唯一の朗報かもしれなかった。

 

「5分後に着艦します。各自荷物をまとめてください」

 カコさんが凛とした声でそう宣言すると、次なる目的地、リベリアの将軍が待つ原子力潜水艦を眼下に見据えて、ヘリコプターの機首をガクリと傾けた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳網・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
鳥綱・ペンギン目・ペンギン科・ケープペンギン属
「ケープペンギン」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)通称”南アフリカの新星”」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:52歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)通称”リベリアの将軍”」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 リベリア・ギニア事業所代表
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)通称”モザンビークの長老”」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 モザンビーク事業所代表

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章12 「ひとりのうみ」

 潜水艦が水しぶきを上げながら海面へと完全に浮上を果たし、そのクジラの王様のように巨大な姿を表した。

 

 水の抵抗を受け流すためなのか、トサカのように突き出た船橋以外は一切の突起物が存在せず、余すところなく丸くなだらかな楕円形の船だった。

 見た限りヘリコプターが着陸出来るような場所なんか全くなさそうだが、これからどうやって下に降りればいいのだろう・・・・・・そう思っていると、眼下にある船体の、中ほどにある装甲がパカっと割れて、さらにその中にあった丸いハッチが外開きに開いた。

 

 ハッチの中から、レインコートを被った乗組員たちが十数名近く姿を現した。

 互いの胴体を命綱によって繋げた彼らは一列になって、なだらかな船体を滑り落ちることなく一歩ずつ着実に進んでくる。 

 そしてある程度まで列が伸びると、その先頭にいる者が私たちのいるヘリに向かって両手を振って合図をしているのが見えた。

 

「準備ができたようね・・・・・・さあ、下で彼らに受け止めてもらいましょう」

 カコさんはその巧みな操縦技術で、機体の飛行速度を艦の航行と少しずつ合わせ、やがて完全に静止したようにホバリングすると、開閉スイッチを押してヘリの扉を開いた。

 

 機体の中に水しぶきと潮風を勢いよく吹き込む扉の前に、まず最初にバズ・チャラが立った。脇に束ねられた縄梯子を抱えたまま、恐る恐る下の様子をうかがうと、縄梯子を下へと放り投げた。

 ばらばらと空中で解けながら垂れ下がっていった縄梯子が下の潜水艦まで届くと、先頭で手を振っていた乗組員がその端っこを掴んだ。

 

 それから私たちはラックに固定された縄梯子を伝って順々に下に降りることになった。

 パンサーがスプリングボックを背負いながら降りていくのを見送ると、次はメガバットを抱えた私が降りる番になった。

 操縦士であるカコさんは当然一番最後だ。

 

「カコさんはどうやって降りるんですか?」

「駆動系をロック状態にしてから最後に降ります。数分はそのまま飛ぶはずよ・・・・・・さあ、アムールトラ、その子を早く下へ」

「は、はい」

 

 下に降りた私たちは、一列になって待っていた兵士たちに胴体を掴まれて、バケツリレーの要領でハッチまで引っ張られていくことになった。

 途中、ウィザードが足を滑らせて海に落ちそうになったが、乗組員の一人が彼の襟首を掴んでさっと引き上げた。まったくなんの危なげもない様子だ。

 どうしてこんな足元でも彼らが安定して立っていられるのか不思議に思ったが、彼らの足元を見やると、みんな一様に妙にゴテゴテした複雑な造形の靴を履いているのが目についた。

 あの靴には、磁石か吸盤のたぐいが仕込まれているのかもな。

 

 カコさんを受け止めたのを最後に乗組員たちはハッチへと撤収を始めた。

 今や無人のまま飛び続けるヘリはどうするんだろうと思っていた矢先、ハッチの一番近くにいた男が、背負っていた深緑色の筒を肩越しに構え、ヘリ目掛けて引き金を引いた。

 

 筒から発射された飛翔体がヘリに衝突すると、猛烈な轟音とともに機体から爆炎が上がった。

(あれは・・・・・・対戦車ミサイル)

 どうやらヘリを撃ち落としてしまうつもりらしい。やっぱりと思ったけど、潜水艦にはヘリを搭載する機能なんてないようで、ここで破壊するしかないようだった。

 

 しかしミサイル一発では完全に撃墜というわけにはいかず、ヘリは機体から黒煙をたなびかせ、ゆっくりと横回転しながら滞空し続けていた。今にも潜水艦の上に落ちてきそうだ。

 彼らはそれも想定していたようで、空になった発射筒を仲間に手渡すと、すかさず新たな発射筒を構えて二発目を打ち込んだ。

 さしもの戦闘ヘリも今度は耐えられず、空中で真っ二つに割れながらあさっての方向に墜落していった。

 勢いよく着水するヘリを後目に、カコさんが「丁重なお出迎え感謝します」と礼を述べると、乗組員たちは敬礼を返した。

 

 ハッチの中の金属の梯子を下り、潜水艦の内部へと入っていく。

 降り立った場所は、ヒトがギリギリすれ違って歩くことが出来そうなほどの幅の通路だった。どこもかしこも配管や機器が設置されていて、その間にやっと道が通っている感じだ。

 いるだけで体が押しつぶされていくんじゃないかって錯覚するぐらいの猛烈な狭苦しさだ。

 においも変だ。潮と鉄、そして油が混ざった独特のにおいが狭い空間に充満している。

 

 思っていた以上の居心地の悪さに辟易しながら周囲を見回していると、すぐ近くの壁には二つの担架が畳んだまま立てかけてあるのを見つけた。きっと乗組員たちが私たちを迎える前に持参した物なんだろう。

 彼らの中の数名は、メガバットとスプリングボックを担架に乗せると、狭い道を苦も無く進み、さっさとどこかへ立ち去ってしまった。

 私はそれを見送ることさえ出来ず、また別の兵士の案内を受けて違う道を進むことになった。行く先は言うまでもなく、この潜水艦の艦長である”リベリアの将軍”の所だろう。

 

「・・・・・・パークって凄すぎない? こんな乗り物まで持ってるなんて」

 カコさんを先頭にして狭い道を一列になって進んでいると、私のすぐ前を歩くパンサーが誰に言うでもなく感想を述べた。

 

(アタシも驚いたよ。まったく将軍って男はどこまで物騒なんだか)

(ねえシガニー、よくわからないんだけど、将軍は味方なんでしょ? なんでボスも皆もあのヒトのこと露骨に嫌ってるの?)

(パークもデカい所帯になっちまったからね、色々あるのさ。組織の軋轢ってのがね)

 

 パンサーとシガニーのコソコソ話は、おそらくアフリカの言葉だと思うが、私にも内容が理解できた。おそらくはウィザードが背負っているリュックの中のナビゲーションユニットが起動しっぱなしだからなんだろう。 

 私は静かに会話に聞き耳を立てた。

 

 シガニーいわく、リベリアの将軍はアフリカの裏社会で広く名が知られた人物らしい。傭兵の斡旋や武器の密売を行うマフィア組織の中心人物と言われている。

 そんな将軍もパークの中では比較的新参者だったが、今や他の3人のリーダーを凌ぐ絶大な影響力を持っているようだ。

 彼が持つ裏社会の人脈や物資は、Cフォースと敵対しながら水面下で成長し続けたパークにとって極めて重要な支援だった。

 そして実際に戦争に突入した今となっては命綱にも等しいほどだ。

 

 しかし、創始者の娘であるカコさんや、組織の立ち上げの時からいるモザンビークの長老、その他の古参メンバーは、どうしても将軍への不信感が拭えないという。

 パークとはフレンズを保護し人間社会の中で生きられるようにすることを目的とした集団だ。未来においてもその目的が変わることがあってはならない、と。

 

(Cフォースと戦争してる今はいいよ。でも戦いが終わったらその後はどうすんだい? 元通りのフレンズ保護団体に戻れんのかい? いつの間にかアタシたちもマフィアの一員にされちまってるなんてことはないだろうね?)

 

(・・・・・・俺は将軍のことは信用してる)

 熱弁を振るうシガニーに対して、寡黙だったバズ・チャラが口を開き異を唱えた。

(敵はCフォースだけだ。あの男は頼りになる味方だ)

 

(バズ、あの男が魅力的に見えるのはアンタが後先考えない若造だからだ。もっと大人になりな)

(俺には今の戦いしか考えられない、ギルの無念は絶対に晴らしてやる)

 

(やめてください。どこに耳があるかわからないのよ)

 カコさんが振り返らず歩きながら、今にも口論に陥ろうとしていた2人に釘をさした。

(私たちはここではただの客です。黙って出迎えられるしかない)

 

 多くの乗組員たちとすれ違いながら、入り組んだ細長い道をいくつも曲がり、さらに何回か梯子を上り下りするうち、薄暗い艦内は暗闇と見まがうほどいっそう暗くなり、代わりにそこらじゅうに配置された機器や計器の明かりばかりが目立つようになっていった。

 

「ここが指令室です。どうぞお進みください」

 きびきびと私たちを先導していた兵士が突然立ち止まり、突き当りにある扉を指さすと、それきり案内の役目は終わったと言わんばかりに、脇の小道に入って姿を消した。

「・・・・・・さあ皆、先に進みましょう」

 取り残された私たちチームジョーカーは、扉の向こうから只ならぬ緊張感を感じながら、息を飲んで中へと踏み入った。

 

 狭く薄暗いその部屋では、数人の乗組員が席に座りながら、無数の計器や画面と睨めっこをするように作業にあたっていた。双眼鏡のような覗き口が付いた機械の柱に、立ったまま頭をくっ付けているヒトもいる。

 各々が忙しく動いているその部屋の中央に、堂々と腕を組んだまま佇む1人の男がいた。およそ戦場に似つかわしくないパリッとしたスーツ姿のあの男が。

 

「よくぞ来られた、諸君」

 将軍は私たちが指令室に姿を現すなり振り返ってこちらを向き、右手を胸元に添えて役者のように気取ったお辞儀をしてみせた。

「わざわざご足労させた非礼を詫びよう。僕は滅多なことではここを離れられないものでね」

 

「我々の方こそお招きいただいて感謝します。まさかあなたが原潜を本拠地にしているとは思いませんでした」

「ミセス・ノヴァ、君はいつ見ても蓮の花のようだ。泥にまみれても尚美しく咲いている。そしてその旗下のお歴々、昨晩の戦いぶりは見事だったよ・・・・・・それとウィザード、今回の成功報酬は君の借金の返済に充てておいた。命が繋がってよかったじゃないか」

「ヘッ! そりゃどうもありがとサン!」

 

 その場にいる全員に対して、各々の立場に合わせて挨拶する将軍。そんな彼のにこやかな表情が一転、ヘリの中で見たのと同じように冷徹で狡猾そうな様相に一変した。

 

「諸君らに暖かい食事と休息を差し上げる用意がこちらにはある・・・・・・しかしその前に、緊急で話し合うべき事項がある」

「もちろんです。私たちもそのつもりでここまで来ました」

「ではまずは場所を移すとしよう。この部屋では何かと落ち着かないだろうからね」

 

 将軍に招かれて指令室を後にし、さらに奥まった一室へと辿り着く。

 狭いその部屋に私たち全員が入るのを確認すると、彼は出入り口の水密扉を閉め、ハンドルを回して密閉した。

(・・・・・・ここは?)

 部屋の突き当りには、壁一面を埋め尽くさんばかりの数のモニターが取り付けてあった。そこには周囲の地形を映したマップや、何かの波形図だった。こんなにたくさん、何を調べることがあるんだろうと思うほどだ。

 

 そして椅子に座ってモニターに向かい合っていた2人の人影に思わずハッとした。

 少女のように華奢な2人の背中は、片方は全身が白っぽく、もう片方は真っ黒だったが、ヒレのような形の器官が生えている頭と、露出の多いセーラー服のような服装は共通していた。

(・・・・・・あれ、フレンズだよね)と、パンサーが私の耳元で囁く。

 それと同時に、私たち同族の気配を察した2人が椅子に座ったままこちらを振り向いたが、すぐに興味を失ったようにモニターの方へ向き直った。

 

 2人は突然に闖入してきた私たちのことなどまるで意に介さず仕事に打ち込んでいた。

 彼女たちは両方とも、胸ビレのような形の耳に分厚いヘッドホンを付けていて、それに意識を集中させているようだった。

 

「ここはソナー室だ。機密性が高く、話し声が外に漏れることは一切ない。そしてここにいるのは我が艦のソナー係、シロナガスとオルカだ・・・・・・深海を本来の生息地とする2人は、人間の数倍から数十倍の聴力を持っている。したがって人間なら十数名も必要なソナー係も、この2人で十分代役出来るというわけだよ」

 

「まさかここで話し合うつもりですか? この子たちの邪魔になってしまうのでは? 潜水艦のソナー室といえば索敵の要。雑音があってはいけないはずです」

「心配ない。多少の雑音程度で、この2人の索敵の精度が落ちるなどということはあり得ない」

「わかりました・・・・・・では、ここでいいです」

 

 無数のモニターの光だけが灯る、薄暗く密閉されたソナー室で、カコさんをはじめとする私たちチームジョーカーと、リベリアの将軍との会合が始まった。

 カコさんと将軍が、お互いに立ち尽くしたまま対面し、腹の底を探り合うように視線を交わしているのがわかる。

 

「さて、昨晩君たちが手に入れた最高機密についてだが」

 グレン・ヴェスパーが計画している、セルリアンの「女王」と呼ばれる存在を生み出すための核実験。それが行われる場所、日時、使われる核兵器の詳細。

 私たちが苦労して手に入れた最高機密には、そういった情報が記されていると聞いている。

 それを世界中に公開すれば、世論のバッシングの力で核実験を中止させることができる。

グレン・ヴェスパーは私欲で核兵器を使用しようとした悪人として糾弾され、Cフォース総帥の座から引きずり下ろされる。

 あの男にとっては最大の急所であり、パークにとっては起死回生の一打となる切り札だ。

 

「ノヴァ、君はあれをどうする気かね? 事前の話し合いでは、入手し次第ネット上で公開するという取り決めになっていたが・・・・・・今もそのつもりかね?」

「状況が変わりました。モザンビークの長老が敵の手に落ちてしまった。今こちらが強硬手段に出れば、報復で長老が殺害される恐れがあります」

「その通りだ。だから僕としては、最高機密は奴らとの交渉材料としてキープすべきだと思っている・・・・・・しかし困ったことに、北の”マリア”の意見は僕と真逆だ。彼女は長老の命を犠牲にしてでも核実験を確実に阻止しろと言ってきている」

 

 エジプトの聖母(マリア)。パークの北エリアを統べるヒト。私がまだ見たことがない、4人のリーダーの最後の1人だ。

 パークという組織は、4人のリーダーが共同して仕切っている。4人の意見の合致なくして、1人が独断で動くことは出来ない。

 カコさんやシガニーが組織の軋轢でピリピリしているのが何となくわかるように思えた。

 

「ノヴァ、君の意見はどうだ? 機密の公開を強行するか、ステイするか。道はふたつにひとつだ」

「申し訳ありませんが、少し考える時間をください」

「まあいい。どのみちマリアも交えねば決められないことだ・・・・・・それよりも急を要する事項があるね」

 

 あくまで場のイニシアチブを握る将軍が、今の話題に一段落を付けるように頷くと、予めタイミングを見計らっていたかのように違う話題を切り出した。

 

「目下最大の問題は、我らが同志イブン長老が、いとも簡単にCフォースの手に落ちたことだ・・・・・・まずは彼を拉致した実行犯について、現時点で一番正体に迫っている者の意見を伺うとしよう」

 将軍はそう言って、今までカコさんを見ていた目を私に向けてきた。

 私はその視線にプレッシャーを感じながらも、気後れしないように真っ直ぐに彼を見据えた。

「・・・・・・君だ。元Cフォースのフレンズ。教えてくれ、敵はどんな能力を持っているのかな?」 

 何となく彼の手のひらで踊らされているような気持ちになるのは何故だろう。

 それはきっと将軍が、議論を知らず知らずのうちに自分の望む方向に誘導しているように感じるからだ。

 

「あの子、スパイダー・モンキーは、影に潜る能力を持っているんです」

 それでも自分の知る限りを話すしかないと思って口を開いた。

 スパイダーが使いこなす「シャドウシフト」は、日陰の中に体を潜り込ませて、離れた地点にある別の日陰へと移動する能力だ。「影の世界」とかいう、彼女にしか入ることが出来ない異空間を経由して、日光が当たらない所であれば、どこでも瞬間に移動することが出来る。

 彼女が触れてさえいれば、他のフレンズやヒトを影の世界に引き込むことが出来て・・・・・・

 

「おいおいおい、マジで半端ねえナ!」

 私の説明を聞いて、ウィザードがお手上げみたいな大袈裟なポーズを取りながら感想を漏らす。

「アムールトラの”遠当て”や、パンサーの”影分身”もすげえけどヨ・・・・・・そのワープ技はチートじみてるぜ!」

 

「チートって何?」

「ズルしてるって意味だヨ! そんな技使ってくる相手からどうやって逃げりゃいいんだヨ!」

 

「コホン・・・・・・君は少し黙っていたまえ」

 将軍が興奮気味のウィザードを睨み付けて諌めると、口元に手を置いて思考を凝らし始めた。

「だが確かに、極めて厄介な能力であることは異論の余地がないな。影の中に入りさえすれば追っ手を撒けるのだから、今回のように要人を誘拐するには最適だ。ところでその能力について、ひとつ気になることがあるのだが」

 

 将軍が聞きたいのは、シャドウシフトには地形の制限があるのかないのか、ということだった。

 地面にある日陰から影の世界に入り、空の上の飛行機に移動することは? またはこの潜水艦のように、水中にある施設に乗り込むことは出来るか?

 影の世界に入れば、移動先の地形に関係なく、日陰でさえあればどこでも行けてしまうのか?

 もしそうであれば、この艦の中でさえもスパイダーの技の射程になり得るのだから、確かに気になるところだった。

 

「わからない。地面から地面への移動にしか使っていなかったと思うけど・・・・・・」

「ふむ、君自身の能力ではない以上、詳細がわからないのも無理はないか」

 

 それだけじゃない。私の持っている情報はもう古いんだ。

 メガバットが私に教えてくれた。スパイダーの能力はすでに”二つ目”にまで進化している、と。昔は出来なかったことが、今は出来るようになっているかもしれない。

 

「現時点の情報では、敵の侵入経路や逃走先を特定するのは困難だな。確かなのは、影に引き込めるのは接触している相手ということだけ・・・・・・ともかくそのスパイダーとかいうフレンズはどこかから現れ、イブン長老と、元Cフォースのヒグラシ博士を同時に拉致していった」

 

 周りが言葉を失う中、将軍だけが変わらぬ調子で話しつづけ、状況を淡々と整理していく。

「まったく奇妙なことばかり起こるね。昨晩、君たちが敵の襲撃を受けたことも、ついさっきアレクサンダー・ベイにいた長老たちが拉致されたことも、こちらの動きがあまりにもCフォース側に筒抜けだ。しかし逆に、奴らの動きはことごとく我々の目を掻い潜っている・・・・・・これはどういうことなのだろうね」

 

「あなたは」

 広長舌を続ける将軍に対して「結局何が言いたいのですか?」と、カコさんが多少苛立った様子で口を挟んだ。

 

「答えはひとつだよ、ノヴァ。どうやら我々の中にスパイがいたようだ」

 

 その一言に場が凍り付くのがわかる。

 カコさんは一瞬目を見開いて驚いたが、やがて瞳に怒りを宿らせながら「ありえない」と将軍の言葉を真っ向から否定した。

 

「私たちは今まで、どんなに苦しい時でも心をひとつにして戦ってきた。私と仲間は家族同然の絆で結ばれている。あなたはその仲間を疑えと言うのですか?」

「そうさね。失礼を承知で言わせてもらうけど、アタシたちが一番信頼できないのはアンタよ」

 

 シガニーも混じって将軍を責め立てるが、彼は例によって涼しい顔のままに、どこ吹く風で批判を受け流している。

「サウスエリアのお二方。僕が常日頃から君たちに良く思われていないことなど承知しているよ・・・・・・だが、今回に限ってはどうかな? 僕など比べ物にならないぐらいに、決定的に怪しい人物が1人いると思うのだが」

「いったい誰のことです?」

 

 その場に張りつめた弓のような緊張感が走る。

 自分の一挙一動に注目が注がれていることを確信した将軍が、カードを切るようにあらかじめ懐に忍ばせていたであろう一言を告げた。

 

「ヒグラシ博士だ。彼はCフォースを裏切ったと見せかけて、実はまだグレン・ヴェスパーと繋がっていたんじゃないのかね?」

 

(ふざけるな)

 その言葉を聞いた瞬間、カッとなって体が勝手に動いていた。

 将軍の胸倉を掴み上げて黙らせてやろうと詰め寄り、右手を振り上げた。

______ザンッ!

 しかし私から将軍を庇うために立ちはだかる者がいた。

 ソナー係のフレンズだった。白と黒のクジラのフレンズのうちの、黒い方だ。

 今の今まで、我関せずといった風にモニターに張り付いていたというのに、目にも止まらぬ速さで席から飛び出し、私と将軍の間に割って入っていた。

 

 その子は瞳をすっかり覆い隠すほどに長い前髪をしたフレンズだった。

 前髪のせいで表情がよくわからなかったが「将軍に手を出したらただじゃおかない」と嘘偽りない本気の殺気で私を威嚇しているのが感じられた。

 この子と一戦交えることになったとしても、将軍に一言言ってやらなければ気が済まないという気持ちが内側から弾けそうになった瞬間「落ち着くのよ」と後ろから呼びかけるカコさんの声で我に返った。

 

「将軍、どうか部下の非礼をお許しください」

 カコさんが後ろから私の肩に手を置き、黒いクジラのフレンズから私を引き離すと、この場を引き受けると言わんばかりに前に立った。

 場が収まったのを確認したクジラのフレンズは、私をその隠れた瞳でするどく一瞥すると、そそくさと元いた席へと戻っていった。

 

「しかし、あらぬ疑いを掛けるのは止めていただきたい。ヒグラシ博士は勇気を持ってCフォースから離脱し、私たちに情報をもたらしてくれました。今や私のかけがえのない仲間の一人です」

「ああ・・・・・・確かに途轍もない情報だったな。我々の動きを誘導するのに十分な”釣り餌”だった。今にして考えれば、話が出来過ぎていたな」

 

 将軍がカコさんの眼前に立って見下ろしながら、鬱憤を吐き出すようにこれまでの経緯を振り返った。

「情報がもたらされて以降、話はトントン拍子で進んでいった。今回の無謀な作戦もそうだ。僕は最後まで反対していたのに、僕以外の3人が全面的に推進したために実行されることになった」

「猪突猛進な君は、敵が用意していた狩場に自ら足を踏み入れ、案の定襲われた。僕は嫌な予感がして、イブン長老に君との合流をあきらめるように申告した。だが彼が君を見捨てるはずもなく、大部隊を引き連れて進軍した結果、あんなことになってしまった」

 

「・・・・・・あなたの言っていることは全て結果論です。ヒグラシ博士もグレン・ヴェスパーのターゲットにされていました。だから長老と一緒に攫われた。それだけが事実です」

「ではなぜ彼は海上での逃亡中に攫われなかった? なぜ長老との合流まで無事だったのだ?」

 

 将軍の主張は一応の筋が通っていた。

 Cフォースならヘリコプターやら戦闘機やらをたくさん所持しているはずだから、海の上を船で逃げていた後方待機組を空から襲うのは造作もなかったはずだ。

 陸に比べて海の上は逃げ場も隠れ場もない。空から襲えば苦も無く誘拐出来るはず。

 私たちをまるで待ち伏せでもするように襲ってきた連中ならそうするのが自然だ。

 

「あろうことかスパイダーとやらは、2人が至近距離まで接近した瞬間を狙ってきた・・・・・・そこまでこちらの動きが筒抜けだった理由はひとつ。ヒグラシ博士がCフォースに自分の居場所を逐一知らせていたからだろう」

 

 理路整然とした主張にカコさんが黙らせられるのを確認すると、将軍は畳み掛けるように持論を展開し始めた。

「ヒグラシ博士は無力な亡命者を装って君に近づいた。君が困っている者を見捨てられない性分であることも織り込み済みでね。そのあと情報をエサにパーク全体を動かし、Cフォースに君や長老を狙わせた。そして自分は疑いを掛けられることもなく、攫われた風を装って元鞘に戻る・・・・・・と、今回ヒグラシ博士が書いた絵図はそんなところではないかな?」

 

「将軍、あなたのお考えは良くわかりました。しかしどれも確実な根拠に欠けています」

「もちろんだとも。すべては可能性の話だよ。考え得る中で一番可能性が高い事象を述べたまでだ。ノヴァ、君はもっと他人を疑うべきだと思うよ。リーダーには必要な資質だ」

 

 私は怒りに拳を震わせながら、将軍の的外れな推理を我慢して聞いていた。

 こんなヒトにヒグラシ所長の何がわかるっていうんだ。

 私は所長の今までを知ってる。彼は長年、己の立場と良心の呵責との板挟みに苦しんできたんだ。悩みに悩んで、ようやく良心に従う覚悟を決めて、パークの門を私と一緒に叩いたんだ。

 彼がそんな薄汚い策謀を巡らせるはずがない。未だにグレン・ヴェスパーと繋がってるなんて有り得ない。

 

 ・・・・・・でも、いいさ。将軍なんかにいくら疑われようが、所長を知らないヒトが状況だけを見て勝手に物を言ってるだけだ。

 カコさんは、チームジョーカーは所長の人となりを知ってる。何があっても所長を信じてくれるはず。

 

「Cフォースの奴なら、やりかねないかもな」

「・・・・・・え?」

 

 耳を疑うような言葉を口にしたのは、バズ・チャラだった。

 彼の他には将軍に言葉で賛同する者はいなかったが、不気味な静寂の中に、将軍が言う可能性について考えを巡らせているように見えた。

 ヒグラシ所長に対する疑いの芽が、彼らの心の中に芽生えている。

 

 最後にカコさんを見てみた。

 大きく見開かれた彼女の切れ長な瞳は、一見毅然とした風を装ってはいたが、その裏側には猛烈な葛藤が見え隠れしているように思えた。

 カコさんの性格なら、仲間を疑うようなことは極力したくないはずだ。しかし将軍の巧みな弁によって、普段ならすぐさま否定するような疑いの気持ちを引きずり出されてしまっていた。

(もし、仮に、万が一、将軍の推理が当たっていたとしたら・・・・・・)

 彼女の瞳が、そんな疑心暗鬼に怯えているように見えた。

 

(なんだよ、それ)

 

 それを見た瞬間、私の中で何かが音を立てて壊れるような気がした。

 少なくともカコさんは私と同じ考えだと思ってたのに、無条件でヒグラシ所長を信じてくれると思ってたのに、そうじゃなかった。

 悔しくてしょうがない。

 

「もういい・・・・・・」

 

 私は振り返ってソナー室を後にしようとした。

 こんなところに一秒だっていたくない。

 扉の前に立った。水密扉にはドアノブの代わりに円形のハンドルのような物が付いている。ハンドルをぐるぐる回して開けるんだったっけ。

 ・・・・・・まどろっこしい。私は早くここから出たいんだ。

 

______ドガンッ!!

 扉に向かって思いきり正拳突きを叩き込んだ。分厚い金属板で出来ていた扉に拳が深々とめり込み、扉はあっけなく横倒しになった。

 通って来た道が目の前に現れる。水密扉を破壊して現れた私を見て、乗組員たちが何事かと驚いた視線を向けてきた。

 

「待ってよアムールトラ!」

 後ろからパンサーが抱き着き私を羽交い絞めにしてきた。私は思いきり胸を張って彼女の両腕を振りほどき、肘打ちを彼女のみぞおちに食らわせた。

 私がそうするとは思ってなかったのか、パンサーはそれをまともに食らい、立っていることが出来なくなってうずくまった。

「待ってったら・・・・・・」

 それでも必死に呼びかけてくる彼女に対して、私は振り返ることもなく前に進んだ。

 

 ここにいたくない。外に出たい。

 もう海の底に沈んでいるだろうから無理なのは頭でわかっているけれど、ともかくそうしたい衝動が沸き立って我慢できなかった。

 構造もまともにわからない潜水艦の中をしゃにむに歩いた。

 

 部外者の私が勝手に艦内を歩き回っているのを見て、乗組員たちがそれを食い止めようと詰め寄ってきた。

 何か大声で話しかけてきているようだけど、彼らの言葉は最早私にはわからない。ウィザードが持つユニットと離れてしまったからだ。

 でも今の私はこれっぽっちも困らない。

 

「どけっ!!」

 私が大声で一喝すると、彼らは驚いて後ずさり私に道を開けた。

 今の私はどんな顔をしてるんだろう。ひとつわかるのは、眉間にも口元にも、今までの人生で一番なぐらい力が入っていることだけだ。

 

 そうやって狭い道をでたらめに進んでいると、やがて周りと雰囲気が違う場所に辿り着いた。

 今まで通り過ぎたどの区画よりも鉄臭く、むき出しの金属の床には太い配管が幾つも通っている。その突き当りには、ソナー室の水密扉より何倍も大きくて頑丈そうな、大袈裟な鉄のゲートが現れた。

______ジャキッッ・・・・・・

 門の前へ進もうとしていた私の前に、拳銃を携えた数名の乗組員が立ちはだかった。一歩も引くことなく私の脳天に狙いを付けている。

 何もせずに通してくれた他の道と違って、よっぽどこの先には行かせたくないんだろうという意図が伝わってくる。

 

 ・・・・・・だけどそんなの関係あるもんか。私はこの先に進むんだ。

 構わずに前進していると、銃口ごしに伝わる殺気がより一層色濃くなってくるのがわかる。私の研ぎ澄まされた感覚が、未だ放たれていない弾丸の通り道と、実際に引き金が引かれるまでの猶予時間をすべて前もって知らせてきた。

______ドウドウドウッッ!!

 予告通りに容赦なく銃火が弾ける。

 しかし、私は弾丸をすり抜けて彼らに接近し、すれ違いざまに彼らが握っていた拳銃を手刀でことごとく切り裂いた。

 拳銃の破片や内部のバネなんかが地面に落ちて乾いた音を立てると、彼らの意識はようやく私の動きに追いついて、いつの間にか私に背後を取られていたのを悟った。

 

 私という怪物を相手に、乗組員たちは悲鳴を上げながら退散をはじめた。だが不幸にもその中の一人が躓いて逃げ遅れてしまった。

 転倒したその男を鷲掴みにして持ち上げると、恐怖に青ざめた顔面を鼻先にまで引き寄せて睨み付け、一言だけ命じた。

「ここを開けろ」

 私が手を放すと、乗組員は床に尻餅をついて落ちた。私の言葉はわからくても意図は伝わったらしく、尻餅を付いたまま急いで後ずさり、ゲートの脇に備え付けられたパネルを操作した。

 

 重い駆動音を伴ってゲートがゆっくりと開かれる。

 その先に待っていたのは、どこもかしこも狭苦しい潜水艦の中にあって、異様なほどに広く見晴らしの良い空間だった。

(なんだ・・・・・・この部屋は)

 いくつもの巨大な円柱が二列になって、規則正しく等間隔に並んでいる。円柱の数はざっと20本ぐらいある。

 円柱は何層もの隔壁によって仕切られてはいるが、上から下までを見通すことが出来た。どうやらこの謎の円柱は、この潜水艦の最下部から最上部までを貫くようにして設置されているようだ。

 

 あっけに取られながらぼうっと歩いていると、ここが他の場所に比べて明らかに人気がないことに気付き、その静けさにようやく気持ちが落ち着いて、我に返ったように足を止めた。

(もうここらでいいや)

 私は手近にそびえ立っていた円柱を背にすると、その場に座り込んで坐禅を組み、静かに目を閉じた。

 すべてに疲れてしまった私は、現実から目を背けるために瞑想に入ることにした。

 

 

 それからどれくらい時間が経ったかな。

 丸一昼夜ぐらいだろうか。何せ潜水艦の中には時間の感覚がない。陽の光なんてありがたいものはなく、乏しい照明だけが薄暗く艦内を照らしている。

 

 座禅を組んで意識のある眠りに付いている私には、周りの気配がいつでも鋭敏に感じ取れた。

 この謎の広い空間もまったく無人なんてことはなく、何かの用事で乗組員たちがひっきりなしに足を踏み入れてきた。

 しかし先ほどの私の狼藉が知れ渡っていたために、触らぬ神に祟りなし、と近づいて来る者はいなかった。

 

 唯一私の傍にやって来たのはパンサーだった。私の名前を一度だけ読んで、私が答えないのを知ると、私の足元に、袋に入った何かを置いて立ち去っていった。

 その食欲をそそる匂いからすると、例の七色のパンだろう。どうやら彼女は私を気遣って食事を持ってきてくれたらしい。

 それでも無視を決め込んで瞑想にふけり続けた。

 

 いったい何時までこうしているつもりだろうか、と我ながら思う。

 でも、もう嫌なんだ。何もする気になれない。何をしたって無駄な気がする。どうせ私は1人ぼっちだ。

 戦いに勝とうが、負けようが、生きようが、死のうが、全部同じじゃないか。

 Cフォースにもパークにも私の居場所はない。昔の仲間は敵になった。今の仲間とも埋められない溝を感じる。 

 逃げたい。全部から逃げてしまいたい。

 

(・・・・・・ゲンシ師匠が見たら怒るだろうな。それとも失望するだろうか)

 この坐禅も師匠から受け継いだ物のひとつだ。

 呼吸を落ち着けて感覚を研ぎ澄ませ、周りの物をより良く感じられるようにするための坐禅なのに、今の私は周りをシャットアウトして殻に閉じこもっているだけだ。

 そんなことのために坐禅を使っている。最低だ。

 

 今さら師匠の偉大さが身に染みてわかる。死を待つだけの日々の中で、たった一人で自分の尊厳を貫いて死んでいった。

 どうしたら彼のように孤独でも誇り高くいられるんだろう。

 

「ワァオ・・・・・・なんか負のオーラ出まくってんじゃねーかヨ!」

 無遠慮な足音が私に近づいて来る。目を開けなくたって簡単にわかる、唯一無二の特徴だらけの喋り方をする男が。

「青春ドラマみてーなキレ方しちゃってサ。ユーもまだまだお子ちゃまだよネ」

 

(何しに来た、ウィザード)

 

「元気だせヨ! ・・・・・・とか言うつもりはねえサ」

 無視を決め込んで答えない私のすぐそばまで近づくと、あろうことか彼は私に向かい合うようにして座り、私と同じ顔の高さで言葉を続けた。

「ユーにとっちゃ、ヒグラシせんせぇは親みたいなモンだって聞いてるヨ。その親をスパイ呼ばわりされたら、そりゃキレるわナ」

 

 ウィザード、そんな同情なんていらないよ。ほっといてくれ。

 だいたいあんたは、パークもCフォースも関係ないんだろう? あのリベリアの将軍に金で雇われているだけのヒトじゃないか。部外者のくせに知った風なことを言うな。

 

「なあアムールトラ、聞けヨ。ミーさあ、ヒグラシせんせぇから、ユーへのプレゼントを預かってるんだヨ。ベリーナイスなサプライズだゼ」

「・・・・・・今なんて?」

「お、やっと目ェあけやがったナ? じゃあチョッチ面貸せヨ、ハリーハリー」

 

 得体の知れない言葉に誘われるまま立ち上がり、彼の後ろに付いていく。

 と言っても歩いたのはほんの数十メートルほどだった。

 ウィザードは、私が今まで座っていたのとはまた違う円柱の前で足を止めると、懐から取り出したカードを円柱の根元にあった機器の中に差し入れた。

______ゴゥゥゥゥゥン・・・・・・

 なだらかな曲線を描く円柱の根本が横にスライドし、隠されていた中身があらわになる。

 中の狭い空間には、壁に積み上げられるようにして基盤が重ねて置かれていた。

 まるでケープタウン大学内で見たスーパーコンピューターの小型版みたいな様相だ。一番下にはそれを操作するための端末が一機だけ置かれている。

「・・・・・・なっ、これは」

 そして一番目を引くのは、積み重なる基盤の間にはめ込まれるようにして屹立している、楕円形の棺桶のような機械だった。

 これまでに何度も見たことがあるそれを見て、思わず絶句してしまった。

 

「なんでVRマシンがここに?」

「ここの乗組員が、訓練&ストレス発散用に使ってるヤツらしいゼ。あのソナー係のフレンズたちも使ってるって話サ・・・・・・で、今回は特別に貸してもらったわけヨ」

 

 ウィザードはそう言いながらさっそく端末を起動した。

 狭い円柱形の空間のなかに、いくつもの基盤の駆動音がひっきりなしに反響しはじめる。

 次に彼はリュックサックを開き、中にあったナビゲーションユニットを取り出すと、そこからケーブルを引っ張って端末に繋いだ。

 傷と焦げ跡だらけのユニットの、目のようなふたつのセンサーが慌ただしく点滅している。

 

「ねえウィザード、所長が私に用意してたプレゼントって何なの?」

「今回ミーたちがCフォースからブン盗ったのは、例の最高機密だけじゃなかったのサ。ヒグラシせんせぇが、ユーのために前々から準備してた特別なプログラムも頂戴してきた」

「特別なプログラム?」

「ユー専用の”特別な戦闘訓練用VR”だヨ。せんせぇはコイツを一年以上も前からコツコツ作ってたらしいゼ」

 

 当たり前のようにウィザードが説明してくるけど、どれもこれも腑に落ちない内容ばかりだ。

 一年前っていったら私もヒグラシ所長もまだCフォースにいた頃だ。私はすでに所長の研究所を卒業して、ブラジルでセルリアンと戦っていた。

 手許から離れた私のために、所長がVRプログラムを作っていただなんておかしいじゃないか。どうやって私に訓練を受けさせるつもりだったんだ? 

 だいたい、そんなものがあるなんて今まで本人から一言も聞かされてない。

 

「せんせぇの話によると、このVRは”ゲンシ・サクヅキ”とかいうヒトが遺した、大量の本やノートなんかを元にしてるらしいゼ」

「な、なんで? なんでそこでゲンシ師匠の名前が出てくるの?」

「思い出してみろヨ。ユー、心当たりがあるんじゃねーカ?」

 

 ・・・・・・そうだ。それはずっと私の心残りになっていることだった。

 私は師匠の空手を完全には受け継ぐことが出来なかった。

 放射能に身を侵されていた彼は、私に根幹の技術と思想、そして勁脈打ちという奥義を授けて、修業の半ばで天に召されてしまった。

 

 でも師匠は死ぬ間際にある遺言を残した。自分が生涯をかけて学んだ技術を記した大量の書物を、私に託すと。

 書物はその遺言通りに、師匠がねぐらにしていた特急拘置所の地下駐車場から、私が住んでいたヒグラシ所長の研究所へと輸送された。

 

 しかし結局、私がそれらの書物に触れることはなかった。

 ゲンシ師匠が亡くなって研究所に戻されてからすぐに、私はブラジルに派遣されたからだ。

 それでも出発する前のわずかな間だけでも、ヒグラシ所長にお願いさえすれば書物を読み聞かせてくれたかもしれないが、当時の私は所長から心を閉ざしており、そんなことをする気になれなかった。

 

 さらに時が流れ、私も所長も共にCフォースを裏切った今となっては、東京の研究所に保管されているゲンシ師匠の書物に触れる機会など永久に失われたと思っていた。

 ・・・・・・だから、所長が秘密裏に書物をVR化していたなんて寝耳に水の話だ。

 

「せんせぇは、ユーに未練を残させちゃったことをズット後悔してるって言ってたヨ。そんでいつかユーの役に立たせたいって思って、このVRをコツコツ作ってたんだってサ」

 

 所長もCフォースから出奔することになり、その時ばかりは彼も今度こそVRを手放すことになったと思ったそうだ。

 しかしそれを取り戻すための最後のチャンスが彼に巡ってきた。それが今回の作戦だった。

 

「せんせぇはボスに直談判してたヨ。ユーのこれからのために、ぜひとも”ゲンシ・サクヅキのVR”を手に入れたいってナ・・・・・・結果は知っての通り、OKサ。ただし極秘事項って事で周りには今まで伏せてたけどナ」

 

(・・・・・・所長ッ!)

 パークで再び行動を共にするようになってから、私は彼と和解できたと思っていた。昔のしがらみを捨てて、研究所にいた頃と同じ、気の置けない私の保護者に戻ってくれたと思っていた。

 しかしそれでもまだ、私は所長というヒトのことを理解できていなかった。

 私が感じているよりも、遥かに彼は私のことを想ってくれていた。私の未来のことを考えてくれていた。

 ずっと昔から、私に暖かい気持ちを注ぎ続けてくれていたんだ。

 

「で、どうすんのサ、アムールトラ。訓練受けるかイ? それともスネモード継続する?」

 感極まって震えている私に向かって、ウィザードが水を差すように訪ねて来る。

 彼は私には目もくれずにパソコンを操作してVRの起動準備を進めていた。

「ミーは別に強制するつもりないヨ」

 

「ウィザード、外はどんな感じになってる? 私、カコさんたちに迷惑かけたよね?」

 

 今さら自分のしたことを反省するような空気を覗かせた私に向かって、ウィザードは「大したことはないネ」と一蹴した。

 騒ぎは起こしたものの、乗組員に傷を追わせたりしたわけではない事から、私が一時的に癇癪を起しているだけで、時間が経てば落ち着いて指示を聞くだろうと判断されたらしい。

 そして予定通り、ヒグラシ所長が作ったVRによって私を強化するためにウィザードを寄越したという・・・・・・あの将軍も、私が今やパークの中核的な戦力であることは認めているようで、快く艦内のVR機器を貸し出す許可を出したそうだ。

 

 今パークは重大な危機に直面している。カコさんたちも将軍も、休養もそこそこに、また話し合いに没頭し始めたようだ。そして近日中に答えを出し、新たな作戦を開始するだろうとの話だ。

 

「もしかたら、ヒグラシせんせぇを見捨てる方向で話が進むかもしれねえゾ。ここは将軍の城だしヨ、どうしてもボスは立場が弱いしナ。ユー、その辺のことは了承しとけヨ?」

「・・・・・・そうだよね」

 

 ウィザードが言いたいのは、これから先戦うかどうかは自分で決めろってことだろう。

 カコさんが私の希望をすべて叶えてくれるわけじゃない。彼女だって、組織のさまざまな思惑の中で動くしかない1人のヒトなんだ。だから今回みたいなことだってまたあるかもしれない。

 大事なのは、それでも私がどうしたいかなんだ・・・・・・なんか、前にも同じようなことがあった気がする。同じようなことで迷って立ち止まってしまうのは、私が成長してない証かな。

 

「やるよ、VR訓練を受けさせてくれ」

「・・・・・・お、吹っ切れたのかヨ?」

「わからない。でも、こんな所で投げ出すわけにはいかないから」

 

 私は一人なんかじゃない。生まれてから一度だって、そうだったことなどないんだ。

 己のすべてを懸けて、自分を愛し見守ってくれるヒトの気持ちに応えなきゃいけない。戦う理由なんか、それだけで十分なのかもしれない。

 このVRで今よりももっと強くなって、必ず所長を助け出してみせる。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属
「シロナガス」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)通称”リベリアの将軍”」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 リベリア・ギニア事業所代表

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章13 「けいしょうしゃ」

「アムールトラ、ちゃっちゃと始めようゼ」

「うん」

 

 VR訓練の準備はすでに整っている。

 黒い棺桶のようなVRマシンが、基盤まみれの壁にはめ込まれるようにして屹立している。

 背中を押し付けるようにして棺桶の中に体を預けると、無数の神経端子が内部から伸びてきて、ピタリピタリと私の体に吸着してきた。

 背筋から首筋にかけて、また腕や脚の付け根など、体の動きの要となる部位にことごとく端子が張り付くと、マシンの蓋が重たい音を立てて閉じられるのだった。

(ああ・・・・・・これ、いやだな)

 視界が暗黒に閉ざされる。

 この狭苦しさも、神経端子の気色悪い感触も、かつて私が体験したものとまったく変わらない。何度経験しても背筋が寒くなる思いだ。

 

 そんな中で最初に感じたのは、視界を覆いつくさんばかりの眩い光だった。

 光の中、体のひとつひとつが粒子状に分解されていく。神経端子から放たれる電気信号が、私を仮想現実の世界へと連れていこうとしているんだ。

 

《やっぱし読み込みに時間かかってるナァ・・・・・・》

 

 肉体の形をなくして意識だけを光の中に預けていると、どこかからウィザードの声が聞こえたので振り返ってみた。

 そこにいたウィザードの姿ときたら、なかなかに恐ろし気なものだった。

 0とか1みたいな記号が集まって蠢き、山のように巨大な彼の顔面を形作って虚空に浮かび上がっているのだ。

 まるで記号のお化けだ。夢に出て来るんじゃないかと思うぐらい妙な迫力がある。

《並のVRの十数倍近く容量使ってるもんナ》

 

「・・・・・・と、ところで、大丈夫なの?」

《あん、何がだヨ?》

「このVRプログラム、Cフォースから盗んだって話だけど」

 

 ウィザードのでかい生首に呆気に取られながらも、すぐさま我に帰って、気になったことを彼に問い詰めてみる。

 このプログラムの存在はすでにCフォース側に知られていて、ひょっとしたら他のフレンズの訓練にも使われてしまっているんじゃないか・・・・・・と。

 

《ノンノン、それは心配いらないネ。ヒグラシせんせぇはそこらへんの対策はバッチリしてたヨ》

 

 ウィザードが生首を左右に振りながら私の疑念を一笑に付した。

 彼が言うには、ヒグラシ所長は自身が秘密裏に作ったVRプログラムを、およそ7000個ぐらいに小分けにしてCフォースのデータベース上にばら撒いていたんだそうな。それらは傍から見れば出所不明のデータの残骸にしか見えない程度の存在だった。

 もちろんのこと、データが互いに関連していることは作成者である所長以外には知る由もない。

 

 そして所長はCフォースにいた時分にプログラムを完全に完成させていたわけではなく、パークに来てからも開発を続けていたらしい。

 ウィザードはこの時に所長と知り合い、依頼を受けて開発の手助けをしていたそうだ。

 彼らが共同して作ったのは、7000個に分割されたファイルを再統合して構築し直すための基幹プログラムだったという。

 パークにて新しく作った「骨組」と、Cフォースに残してきた「肉」が合わさることで、ようやくゲンシ師匠のVRプログラムが完全に仕上がったということらしかった。

 

《つまり半分はミーの作品でもあるわけサ。感謝しろヨ?≫

「・・・・・・うん、ありがとう」

 

______ザァァァァ・・・・・・

 やがて光の鳴動が収まり、仮想現実世界が目の前に姿を現した。

 そこは波が打ち付ける白い砂浜だった。海は闇を深く溶かし込んだような紺色で、表面だけに陽光を湛え、光の粒を無数に散らばらせている。

 陸地には苔むした岩棚が切り立っており、その上には傘のように枝葉を広げた大きなマツの木が何本も生い茂っている・・・・・・見るからに風光明媚な景観だ。

 

 ここは地球のどのあたりの海辺を再現したものなんだろう? 

 私が一番馴染みがあるのはブラジルの海だけど、あそこの海水はもっと淡い水色で、水面が透き通るような感じだったから全然違う。この海の紺色の深さはむしろ、ここ南アフリカに近いものがあるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら歩き出した矢先、自分の体に違和感を感じた。

 歩くたびに変な衣擦れの音がする。お腹周りが強く締め付けられている。何か妙だと思った私は波打ち際に立って水面を覗き込み、映しだされた自分の姿を観察してみた。

(・・・・・・こ、これが私?)

 私の体は今までとは違う姿へと変わっていた。

 まず目を引くのが、トラのシンボルともいうべき縞模様が全身から消えていたことだった。

 両手も両足も気味が悪いぐらいにツルっとした地肌が露出している。縞のない橙色の長髪はただただ艶やかに陽の光を反射するだけだ。

 おまけに尻尾が無くなっている。腰から垂れていたはずのそれが、最初から影も形もないみたいだった。

 

 ヒトに近いどころかヒトその物になった体を覆うのは、おなじみのスカートにブレザー姿ではなく、ダボッとした厚手の生地の衣服を一本の帯で止める道着だった。

 なるほど、いかにも空手家って感じの風体になってる・・・・・・VRで見た目までこんなに弄られるのは初めてだ。けどこれはこれで悪い気はしない。

「コオオオッッ」

 ためしに腹から息を絞り出し、腰を落として構えを取ってみる。しかしここでまたひとつ、私は新たな違和感を覚えるのだった。

 

《ハハハッ、どうだいその格好、なかなか雰囲気があって良いだロ?》 

 

 ウィザードの顔がまだ宙に浮かんでいた。

 しかしどうやら、少しずつ消えかけていっているようだった。

 文字記号で出来たその生首が、ほつれを縫うようにして辺りの景色に同化していっているのが見える。

 もう間もなく仮想世界が完成する。そうすれば現実の側にいる彼が口を出すことも出来なくなるだろう。

 

「待ってよウィザード!」

 彼が消えてしまう前に、急いで詰め寄りながら尋ねた。

「ねえ、この体おかしいよ。いつもより手足が重たくって、全然力が入らないんだ」

 

《そりゃそうサ。今のユーの体力筋力は、人間と同レベルに設定してあるんだからヨ》

「な、何でそんなことしたんだ!?」

《オイオイ、ユーのそのハルクみてえなフィジカルで人間と稽古が出来るわきゃネーだロ・・・・・・ちなみに、その体は女子テニスの金メダリストをモデルに作ったものサ。ちょうどユーと同じ身長体重だったから使わせてもらったゼ。人間の中では間違いなく最高クラスの肉体だヨ。だから心配すんなっテ! じゃ、行ってら~》

 

 早口で説明をし終えるなり、ウィザードの生首はいずこかへとかき消えてしまった。

 それにしてもヒトの体の動きづらさは予想以上だ。いつも通りのパフォーマンスは全く発揮できないと思った方がいいだろう。

 

 ・・・・・・ヒトとフレンズとでは稽古が成り立たないってウィザードが思うのはわかるんだけど、そんなこともなかったんだよな。

 あの頃、確かにゲンシ師匠は私に稽古を付けてくれたんだ。

 私は当時からヒトを超えた身体能力を持っていたにも関わらず、師匠にはまるで敵わなかった。身体能力の差なんか問題にならないぐらいの、天と地ほどの技量の差があったからだ。

 

(まあ、今はこの体の方がいいのかもな)

 せっかく師匠とまた稽古できるのに、技量の差を身体能力で埋めるようなことなんかしたらもったいない。

 ただ純粋に技だけでぶつかるべきなんだ。今まで一日だって休むことなく磨いた技で。

 

 覚悟を決めて砂浜を歩くこと数分、いまだに師匠の姿は見当たらない。

 はやる気持ちを抑えるように立ち止まると、軽く溜め息を付きながら、波の音やそよぐ潮風に意識を向けてみた。

______ピリッ

 その瞬間、虫の知らせとでも言えばいいのか、穏やかな空気の流れの中に一点だけ、刺すように鋭い気配があることに気付いた。

 驚いて振り向いた先にあったのは、何てことはない。いくつもの岩礁が砂浜の上から顔を出している様子だった。こんな風景は先ほどからずっと見ているはずなのに、なぜこんなに胸騒ぎがするのだろう?

 

 謎の気配に呆気に取られて立ち尽くしていると、私の目の前にあった岩のひとつがゆっくりと立ち上がるのが見えた・・・・・・それは岩などではなく、1人のヒトの姿だった。

 恐ろしく静かな、周りの景色と完全に一体化しているかのような佇まいは、動き出すまでは周囲の岩とまったく区別がつかなかった。

 

「し・・・・・・師匠」

 たてがみのように広がる長い髪と髭が、落ちくぼんだ眼窩を除いた頭部のすべてを覆い隠している。袖の破れたボロボロの道着からは分厚い岩のような筋肉が生えでている。

 年老いてもなお、威厳に満ちた黒き獅子。

 記憶の中にあるものとまったく同じその姿を見るなり、目がしらがぼうっと熱くなってくる。

 

「お久しぶりです!」

 涙が滲む顔を俯かせながら深々と一礼する。それがVRの作り物だとわかっていながらも、胸の中から湧き出る感情を抑えることが出来なかった。

「あれから色々ありました。大変な思いもたくさんしました・・・・・・でも、師匠が残してくれた道のおかげで生きてこられました」

 

______ズォンッ・・・・・・

(なっ!?)

 突如、鉛のように重たいプレッシャーが五体に圧し掛かってきた。

 驚いて顔を上げ、ゲンシ師匠を見てみると、彼の静かな立ち姿から途方もなく巨大な殺気が発せられていた。彼を中心にして場の空気が冷たく張りつめている。

 事ここに及んでやることは一つしかないといった様相だ。

 感無量で語りかける私の言葉は容易く跳ね除けられ、それ以上の挨拶は場違いであることを一瞬で悟らせた。

 

「・・・・・・わかっています」

 そう、再会が嬉しいのは私だけ。

 目の前にいるゲンシ師匠は、言葉を持たないプログラム上の存在に過ぎない。私に対してなんら感情を抱くことはなく、ただ与えられた役割を遂行しようとしている。

 そして私がここに来た目的も最初から決まっている。思い出に浸っている場合ではない。

 

「いまいちど、私に稽古を付けてください」

 

 静寂の中、試し合いの火蓋が切られた。

 互いにゆっくりと歩き出して距離を詰め、やがて制空圏が触れ合うと、2人して体を半身に開き、左足に重心を乗せた後屈立ちで身構えた。

 足を開く速さも、重心を移すタイミングも、まるで合わせ鏡のようにピタリと一致していた。

 

______ジリッ・・・・・・

 動かずに向かい合っているだけなのに、早くも全精力を傾けるような局面に陥っていた。

 無数の白い稲妻のような”意”が、師匠と私との間を錯綜している。膨大な選択肢の中からたったひとつの正解を選び出すための駆け引きの時間、一瞬でも気を抜けば致命傷を負わされる予感がひしひしと感じられる。

 

 やがて私は意を決し、錯綜する”意”の中でもっとも色濃く感じられる一つを選び取り、それを寸分もたがわずになぞるように動き出した。

______カッ!

 ゲンシ師匠は私の拳を、まるで実体に重なる影のような完璧なタイミングで受け止めた。

(まだまだ!)

 かつて本当の師匠と稽古をしていた頃さながらの攻防に得も言われぬ懐かしさを感じながらも、攻め手を緩めずに矢継ぎ早の連撃を繰り出した。

 

 やっぱり思うようには動けていない。全身に金属の重りを付けたようなヒトの筋肉では、普段の半分のスピードも出ていない気がする。

 だからそれを出来る限りの技術で補うことにした。ほとばしる”意”を正確になぞり、相手が避けづらい角度を、最小限の動きで狙い打った・・・・・・一撃一撃が、昔とは比べ物にならない程に精密になっていると思う。

 ゲンシ師匠は的確に技を防ぎながらも、反撃することが出来ずにその場から少しずつ退き始めていた。

 

(私の技が師匠に通じてる・・・・・・!)

 その事実に高揚感を覚えながらも、気を緩めずに追撃を行おうと前に出る。

 すでに手技が届く間合いではなくなったため、身を翻して回し蹴りを放った。

 ・・・・・・だが、それは慢心だったのかもしれない。私の足技は、手技に比べれば未だに完成度が低かった。ごくわずかなタイムラグや、角度の浅さがあった。

 師匠は私の蹴りの甘さを瞬時に見破ったようで、蹴りを受けるのではなく、おもむろに私の足首を掴んで圧迫してきた。鈍い痛みが足先に走る。

 

 力任せに師匠の手を振り払い、蹴り足を引きもどして構え直そうとした瞬間、私の体を猛烈な違和感が襲った。

(・・・・・・な、こ、これは!?)

 握り締められた右足が何故だかひどく痺れて、力が入れられなくなっていた。

 左足にしか体重を乗せられないために、バランスを崩しそうになっている私に向かって、今度は師匠の方から間合いを詰めてきていた。

______ドウンッッ!

 目と鼻の先にまで肉薄した瞬間、彼の拳が私の腹部を捉えた。

 見たこともないような打撃技だった。正拳突きのように伸び切った腕を突き出すのではなく、脇腹に拳を添えたまま体当たりを仕掛けてきたと言った方がいいかもしれない。

 

 後方に吹き飛ばされた私は、空中で姿勢を立て直し、再び身構えた。右足の痺れも今は収まっている。どうやら痺れはごく短時間しか持続しないようだ。

「・・・・・・ぶはっ!!」

 鉄くさい塊が喉を押し上げてきて、鮮血が口から噴き出てきた。

 たまらず私は膝を付く。たった一発くらっただけでこんなことになるとは・・・・・・。 

 激痛が腹部に広がっていく。それは外側から力で肉を打たれる痛みではなく、体の内側からダメージが弾けるような感じだった。

 

(いったい何をされたんだ?)

 握り締めるだけで、まるで麻酔みたいに体を痺れさせる技術。そして空手とは異なる肉体の内側への打撃。

 こんな技、私は見たことも聞いたこともない。

(これがゲンシ師匠の本当の力・・・・・・?)

 

 そこから先も想像を絶する技の数々が私に襲いかかってきた。

 師匠はどうやら、握り締めるだけでなく、単なる打撃によっても”例の痺れ”を引き起こすことが出来るようだった。

 もうひとつ驚かされたのが、鞭のようにしなる変幻自在の足技の数々だ。私の手技と互角以上のスピードを持ち、あらゆる角度をカバーする隙のなさだった。死角に回り込んで攻撃を仕掛ける私を、振り返りもしないまま後ろ蹴りで迎撃してくることもあった。

 

 そこから先は防戦一方だった。

 的確に師匠の”意”の読み、動きの起こりを見切ることで攻撃を避け続けた。防御を徹底することで何とか持ちこたえている状態だ。

 逆にこちらからは完全に攻めあぐねてしまっている。相対する師匠の姿からは、私が何をしても通じなさそうな厚みがひしひしと伝わってくる。

 攻めも守りも、技の練度は師匠の方が遥かに上手なんだ。このまま守勢に回っていてもジリ貧になるのは目に見えている。

 

(・・・・・・だったらもう、この技に賭けるしかない)

______ザパンッ!

 打ち寄せる白波が傍らで弾けた瞬間、それがあたかも合図であるかのように全速力で師匠に躍りかかった。

 走りながら目を閉じて意識を向こう側に飛ばす。

 ゆらめく”意”だけになった師匠のシルエットとどんどん間合いを詰めていく。

 ここから繰り出す攻撃も敢え無く防がれてしまうことはわかっている。

 だけどそれでいい。例え防がれようとも、体の一部分に触れることさえ出来れば、急所にダメージを与えることが出来る。そう・・・・・・師匠から授かった奥義、勁脈打ちならば。

 

 しかし、一撃を入れるための最後の踏み込みの瞬間、それは起こった。

 私の拳が師匠に触れるよりも一瞬早く、足元で閃光がひらめき、地面を伝って私の体の中に入ったきた。

______ドッシャアアアッッ!

 まるで足元が爆発したかのようだった。とつじょ襲い来た謎の衝撃によって、私の体は真上へと吹き飛ばされた。

 激痛が五臓六腑をふるわせ、背中から突き抜けていく感触を感じながら、放物線を描いて落下する体が地面へと叩きつけられた。

 

 意識をこちら側に戻した私は、師匠が放ってきた攻撃の正体を探るために急いで顔を上げた。

「あ、あれは・・・・・・ッ」

 師匠はただ構えながら立っているだけだった。ただ、踏み込んだ片足に異様なプレッシャーが感じられた。それを見て私は、自分が何をされたのか悟ったのだった。

 

 私が勁脈打ちを放つために踏み込んだ瞬間、師匠もまた同じ技で反撃してきたんだ。

 足の裏から”意”を走らせ、地面に伝わらせることで私の体を打ったんだ。走って向かってきた私の軸足が地面に触れる瞬間を完全に見切って・・・・・・

(これが勁脈打ちの完成系なのか!?)

 今まで私は、何かに手が触れた状態でなければ勁脈打ちを放てなかった。そういう物だと思い込んでいたからだ。けれどゲンシ師匠は、手だけではなく足からも、その気になれば五体すべてから勁脈打ちを放つことが出来るんだろう。

 

(・・・・・・やっぱりこのヒトはすごい)

 かつてと同じような感動と歓喜が胸の中に去来してくる。

 師匠と最初に出会った時、まったく歯が立たず一方的に叩きのめされたことを思い出した。あの時私は、彼の強さと気高い戦いぶりに魅了され、同時に尊敬の念を強く抱いた。

 そしてこう思ったんだ。

 この時間がずっと続いて欲しい・・・・・・と。

 

 

「アムールトラ、大丈夫かヨ?」

「う、うん・・・・・・」

「しっかしビックリしたゼ。人間並の体になってたっツってもヨ、めっちゃんこ強いユーがまるで手も足も出ねえンだものナ・・・・・・まあ、コミックとかでも師匠キャラって大抵チートだし、それとおんなじ感じなのかネェ?」

 

 師匠との稽古のさなか、私は突然に現実世界に引き戻された。

 己の全身に元通りの縞模様が走っているのを見て、何とも言えず安堵する。

 開かれたVRマシンの天蓋ごしに、ウィザードが私を心配そうに覗き込みながら、意味の良くわからない感想を述べている。

 

「ていうかユー、何をそんなにニヤニヤしてるんだヨ? 手も足も出ずにボッコにされてたってのにヨ」

「私の知ってるままのゲンシ師匠だった・・・・・・それが、嬉しくて・・・・・・」

 

 冷や汗を浮かべながらやっと答える私に、ウィザードは「ふーん」と相槌を打ちながら視線を外し、パソコン作業に戻っていた。

 何やら忙しそうにキーボードを叩いている。

 

「ねえウィザード、もう一回VRの中に入れてくれよ。私まだ大丈夫だから」

「ノー、今日は試運転だからこれでおしまいヨ。それに今忙しくて手が離せねーんだヨ。ユーは水でも飲んで休んどけ」

 

 そう言ってウィザードがペットボトルをほうってきたので、開封して中身を一気に飲みほした。

 喉の乾きが癒されて一息ついている私を後目に、ウィザードはなおもパソコンに向かっていた。手が離せないって、いったい何をやっているんだろう?

 サングラスの中の瞳を血走らせながらニヤニヤと笑みを浮かべ、一心不乱にキーボードを叩き続けている。その不審な姿は、私にとっても思い当たる節があるものだった。

 

「・・・・・・ねえウィザード、まさか今ハッキングとかしてる?」

「イエス! よく分かったナ」

「ど、どうして? 何でそんなことやってるんだ?」

 

 まったくこのヒトのやることは意味がわからない。なんか新しい悪ふざけでも思いついたのだろうか?  

 すばらしい技術を持っているし、どんなにふざけてても決めるときは決めてくれる頼りになる存在ではあるけれど、マイペースな変人ぶりがひどすぎて、多くの美点を打ち消しているように見えるのが惜しい所だ。

 冷ややかな視線でしばらく彼の作業を眺めていると、やがて手を止めて満足げに溜息を漏らすのが見えた。

 

「終わったぜ。ミーは凝り性だからヨ、気になった事はゼェンブ調べなきゃ気がすまねェんだヨ」

「はぁ・・・・・・で、何を調べてたんだい?」

「聞いて驚けヨ。ユーの師匠ゲンシ・サクヅキの個人情報だヨ。知りてェか?」

 

 驚いて目を見開く私にウィザードが悪戯っぽい笑みを浮かべて頷いた。どこまでも冗談めかした態度だったけど、言っていることが冗談じゃないのは伝わってくる。

 

「個人情報だって? ハッキングってそんなことまでわかっちゃうの?」

「まあ、大概わかるけどォ・・・・・・ゲンシ・サクヅキの場合は、一般人よりズット簡単に調べがつくヨ。だってあの男は死刑囚だっただロ」

 

 ウィザードが言うには、死刑囚というのは、一度裁判にかけられて死刑が確定したヒトのことだから、裁判するにあたって個人情報のすべてが公の記録に残されるらしい。

 記録を集積しているのは「検察庁」っていう裁判を執り行う組織で、ウィザードはたったいま、日本の検察庁が管理するデータベースに”お邪魔”してきたんだそうだ。

 

 ゲンシ師匠の過去・・・・・・ぜひとも知りたい。思えば彼は自分のことをほとんど何も語らなかった。なぜ彼が死刑囚になったのか、自分の技を他人に継がせることを恐れていたのか。何もわからないまま逝ってしまった。

 師匠と出会ってなければ今の私はない。彼のことを知ることは、自分自身を見つめ直すことに等しいような気がした。

 

「まさか、私に教えるために調べてくれたの?」

「うんにゃ純粋に好奇心からだヨ。ミーも男の子だからァ、この手の話題だぁい好きなんだよネ。カンフー映画とかよく見るしナ」

「そ、そうなんだ・・・・・・まあ、じゃあ、教えてよ」

「よっしゃ聞いとけヨ。えーと、朔 原始、19XX年X月X日、沖縄県名護市に誕生・・・・・・」

 

 ウィザードがつらつらと文章を読み上げる。

 沖縄の漁村にて、漁師の息子として生まれたゲンシ師匠は、齢8歳の時に空手と出会う。彼が門戸を叩いたのは「剛柔流」という最も歴史がある流派のひとつだった。

 以来めざましい成長を遂げ、18歳から23歳までの間、全日本大会を5連覇するという大快挙を果たしたんだとか。

 当時は数十年に一度の神童と呼ばれ、将来を嘱望される有名な空手家だったらしい。もっとも、後々に犯した罪によって、空手協会での彼に関する記録は全て抹消されてしまったようだが。

 

「じゃあ、私もその、剛柔流の使い手ってことになるのかな?」

「ところがヨ、話はそんなに単純じゃねーんだヨ。ゲンシ・サクヅキは20台半ばの頃、日本から消えたんだヨ」

「き、消えた?」

 

 記録によると、ゲンシ師匠は規則に縛られる競技空手に限界を感じ、己の才能を持て余していたという。そんな彼が家族友人と縁を切ってまで選んだ道は、世界中を渡り歩いて見識を深め、己が理想とする技術を完成させることだった。

 中国、インド、タイ・・・・・・アジア中を放浪した師匠が最後に辿り着いたのは、チベットという土地だった。

 中国国土の奥深くにある、周囲を高山に囲まれた秘境。多くの国にあまり長居しなかった彼だったが、このチベットに関しては話が別で、なんと20年もの歳月をこの土地で過ごしたという。

 

「チベット? ・・・・・・思い出した。確か師匠は、勁脈打ちをそこで教わったって言ってた」

「ああ、情報の中にはナ、ゲンシ・サクヅキがチベットで教わったらしい格闘技の情報もあるゼ」

 

 閉鎖的で外界との行き来が少ない、謎に満ちた山岳地帯チベット・・・・・・仏教信仰が盛んな土地で、一生をかけて山中に籠り、信仰に身を捧げる僧侶もザラにいるそうだ。

 そして、世界の屋根と呼ばれる険しいヒマラヤ山脈の、さらに奥地に存在する高嶺にて、古の時代から荒行に励んできた少数の僧侶たちの間で、門外不出の謎めいた格闘技が受け継がれてきたという。

 その名は「霊山元承拳」。

 ゲンシ師匠もまた、20年にわたるチベット生活の中で、僧侶たちから仏教信仰と元承拳を教わったそうだ。

 

「ところでアムールトラ、ユーは座禅を組んで寝るようにゲンシ・サクヅキに教えられたんだロ? ソイツもたぶん霊山元承拳の教えなんじゃねーカ? どう考えても日本の空手のトレーニング法じゃないわナ」

 

 ウィザードは推測する。

 座禅というのは仏教の中から生まれた修行法で、精神統一の方法としては良く知られたものだが、寝る時にまで座禅を組むような荒行は、現代の格闘技においてはまず考えられないものだとされる。

 だが古代からの仏教信仰を守り続けているチベット僧であれば、そんな古典的な修行を取り入れている可能性があるというのだ。

 

 ・・・・・・仏教っていうのは確か、宗教とかいう、ヒトが神様を信じる思想の中のひとつだよな。

 私自身は何も知らないけれど、師匠が教えてくれた色んな言葉がチベットでの僧侶生活をルーツにしているのであれば、私の中にもいくらか仏教的な価値観が根付いているのかもしれない。

 

「ざっと話を纏めるとヨ、ゲンシ・サクヅキは剛柔流空手と霊山元承拳をミックスした我流の拳法を使ってたってことサ。そんで、それがユーが受け継いだスタイルでもあるんだろうゼ」

(うーん、何か違う気がする)

 

 何となくウィザードの解釈には違和感を感じる。

 ゲンシ師匠はあくまで自分は空手家であると言っていたし、最期の瞬間まで自分の空手を追及しようとしていた。

 多分だけど、師匠にとってはすべての格闘技は空手に通じるものだったんだ。元承拳や仏教を学んだのも、自身が追及する理想の空手の肥やしにするためだったんだと思う。

 だからやっぱり、私が受け継いだのは空手なんだ。

 ・・・・・・いわば「朔流空手」とも言うべき流派を。

 

「さーて、話の続きをするゼ。アムールトラ、しみじみ感慨に浸ってねーで聞けヨ」

 

 数十年にもわたるアジア大陸での修行を終え、齢60を過ぎていたゲンシ師匠は、生まれ故郷の沖縄へと戻って来た。

 すでに親兄弟とも縁が切れて久しかった彼は、自らの修業の成果に対する満足感を1人噛みしめながら、漁や畑仕事で自給自足する隠居生活を送っていた。

 古巣である表の空手界に顔を見せるつもりはさらさらなく、そのまま静かに余生を終えるつもりだったという。

 

「だがゲンシ・サクヅキは、ある男と出会っちまったのサ」

「え? 誰? 誰のこと?」

「弟子だヨ。たった1人のナ」

 

 隠居生活を送っていたゲンシ師匠が出会ったのは、人生のすべてに絶望していた1人の不幸な孤児だった。師匠はその少年の目の中に光るものを感じ、とある思いを抱いたそうだ。

 自分が学んだすべてを彼に伝えたいと。

 弟子は取らぬと心に誓っていた師匠だったが、その思いは抗い難いものだったようで、その孤児を弟子に取り、実の子のように自分の家に住まわせ、手取り足取り技を教えたという。

 師匠の弟子・・・・・・つまり私の兄弟子ってことになるじゃないか。顔も名前も知らないけれど。

 

「その弟子はみるみるうちに強くなったんだト。空手の大会に出ても連戦連勝、若い頃のゲンシ・サクヅキを越えるほどの逸材に育ったそうだゼ」

「それは・・・・・・よかったじゃないか」

「ノー、こっからが不幸の始まりヨ」

 

 ゲンシ師匠がその孤児を育てたのは善意からだった。自身の不幸な生い立ちを跳ね除けて、人生を前向きに歩んで欲しいという願いがあったからだ。

 だが師匠の願いをつゆ知らず、弟子は暴走を始めた。その生い立ちから、世間への恨みと並外れた上昇志向を持っていたために、日本の裏社会・・・・・・暴力団へと足を踏み入れたそうだ。

 

 ゲンシ師匠から授かった力を糧に、その弟子は裏社会でも急速に頭角を現していった。あろうことか、自分の手下にも技を教え、手が付けられない程に危険な組を作ったというのだ。

 何人もの死傷者を出したり、麻薬などの違法な商売に手を染めたらしい。

 

「ひどいよ! その男は師匠の教えを何だと思ってるんだ!」

「ああ、ゲンシ・サクヅキもユーと同じように怒ったようだゼ。だが、弟子はすでに聞く耳を持ってくれるような状態じゃなかった・・・・・・だから彼は、自分がしたことのけじめを付けることにしたんだヨ」

「けじめ?」

 

 良かれと思って育てた弟子が、一般市民を虐げる悪党に成り果てた。その事実が許せなかったゲンシ師匠は、弟子のアジトに単身乗り込んだ。

 そして最愛の弟子とその手下数十名を自らの手で殺害し、アジトに放火してすべてを灰に帰した。自分の技術が今後いっさい悪用されないようにするための、徹底的な後始末だった。

 返り血で血まみれになった師匠は、その足で警察に自首したという。 

 

「そんなことが・・・・・・だから師匠は・・・・・・」

「動機を考えれば情状酌量の余地はあっただろうけどヨ、まあ、普通にやり過ぎだよナ。一審で死刑が確定したヨ・・・・・・いやはや、ものすげー人生だナ」

 

 そこから先の師匠の足跡はもう知っている。

 彼が自分の技を私に継がせたくないと言っていたのは、そんな過去があったからなのか。「自分は本当なら空手を使う資格のない人間だ」という言葉も彼の口から聞いた。

 生涯をかけて磨き上げた技術が、他人を不幸にする物でしかないと知った時の彼の絶望は計り知れないものがある。

 

 それでも師匠は絶望に屈することはなかった。

 彼が人生の最期に自分の空手を完成させた瞬間を、私は傍で見ていたんだ。

 そして私に技を継がせることを宣言してくれた。「俺にとっては後悔そのものだったが、お前なら別の結果を生み出せるかもしれない」という言葉と共に。

 

 あの時ゲンシ師匠は、自分の技を世のために役立てたいという願いを私に託したんだ。 

 絶望に近い後悔を背負っていたにも関わらず・・・・・・それほどまでに私のことを評価してくれていたんだ。

 こんなに嬉しい、誇らしいことが他にあるだろうか。

 

「アムールトラ? もしかしてユー、泣いてんのかヨ? 確かにショッキングな内容の話だったけどヨォ」 

「いや、違うんだ・・・・・・ありがとう。とてもタメになる話だったよ」

「お、オウ。そりゃどーも。これで訓練にも身が入んだロ?」

「ところでさ、ちょっとまた調べてもらいたいことがあるんだけど」

 

 うれし涙を拭いながらウィザードに話したのは、私がケープタウン大学でたった一度だけ発動させた”相手の記憶や感情を読み取る能力”のことだ。

 そしてゲンシ師匠や、もしくは霊山元承拳の使い手の中に、そういった能力を使っていた記録がないかどうかを調べて欲しい、と依頼した。

 二つ目の能力が勁脈打ちの発展形である以上、私の完全なオリジナルであることは考えにくい。ルーツが存在するような気がしてならないんだ。

「オカルトかヨ?」と、彼は若干引きながら話半分な風に聞いていた。

 

「本当なんだ。信じてくれ」

「まあ一応調べとくってばヨ。まったく、ユーもなかなか斜め上にぶっ飛んでる奴だよなァ」

「ウィザードにだけは言われたくないよ」

 

「・・・・・・」

 

 VRマシンの中に入っている私と、傍のパソコンの前にいるウィザードが和やかに会話を続けている所に、外から重苦しいプレッシャーを向けて来る者の気配を感じた。

 マシンを内部に備え付けた巨大な円柱の扉の前に、その者は仁王立ちで立っていた。

 

「き、君は」

「・・・・・・」

 

 例の、前髪で目が隠れている黒いクジラのフレンズだった。

 ソナー室で私からリベリアの将軍を庇おうとした時の素早い動きからいって、かなりの強者であるような予感がする。そんな彼女がいま、ただ事でない空気を纏いながら私の目の前にやってきているのだった。一体何のために?

 

「私に何か用?」

「・・・・・・う・・・・・・」

「う?」

 

 低く唸っただけでそれきりクジラのフレンズは喋ろうとしない。

 気まずい沈黙を保ったまま何秒か過ぎた後、作業服を着た技官風の乗組員が、彼女の後ろから小走りで近づいてきた。

 

「これからここは我々が使用します。ご退室を」

「オウ、もうそんな時間かヨ。わりぃネ」

 

 ウィザードが手をポンと叩きながら技官の言葉に頷くと、ナビゲーションユニットをパソコンから取り外したりするなど、そそくさと後片付けを始めるのだった。

 私にも「早よう出ようゼ」と言ってきたので従うことにした。背中じゅうに纏わりついていた神経端子がプチプチと音を立てて外れていく。

 

 すると私とすれ違うようにして、黒いクジラの子がVRマシンの中に体を預けるのだった・・・・・・なんだ。ここをどいて欲しかっただけなのか。言ってくれれば良かったのに。

 そのまま私とウィザードはマシンを備え付けた円柱の中から出て、巨大な円柱が立ち並ぶ広い部屋を歩きだした。

 

「マシンは貸切ってわけじゃねーのサ、交代交代で使わせてもらう約束なんだヨ」

「うん、わかった・・・・・・ところでこの部屋は何なの? 他の円柱にもVRマシンとかが備え付けられたりしてるの?」

「さーて、この艦の設備の詳細はミーにはわかんねェヨ。噂じゃ将軍のファックヤローが大金つぎ込んでものすげー改造を施してるって話サ・・・・・・ただ、これらの円柱が元々何だったかっていうとナ、核ミサイルの発射管なんだヨ」

「核ミサイル!? 何で?」

「原子力潜水艦に核ミサイルは付き物だゼ。そーいうモンなのヨ」 

 

 ウィザードをさらに問い詰めようとしたが、私たちはすでに部屋の出入り口にまで来ていて、そこに立っていた人影によって会話が中断されることになった。

 

「アムールトラさん、ですね。お待ちしていました」

 私に声をかけてきたのは、ソナー室にいたクジラのフレンズのもう一人。体が白い方の子だった。彼女は目が前髪で隠れているなんてことはなく、柔和そうな笑顔をこちらに向けている。

 背丈も黒い子に比べて長身で、尾びれの形をした後髪が床に届きそうなほどに長かった。

 

「私はシロナガスと申します」

「うん、よろしく・・・・・・ということは、もう一人のあの子がオルカなんだね。あの子は口を聞いてくれなかったからわからなかった」

「うふふ、悪く思わないでください。オルカはとても人見知りな子で、あなたが相手だと緊張して上手く喋れなかったんですよ」

 

 シロナガスと名乗る彼女は穏やかな微笑みを絶やさずにそう述べる。随分と落ち着いた大人っぽい子だ。喋り方も物腰も丁寧でゆったりした印象を受ける。

 先日騒ぎを起こした私に対して、決して良い印象を持っていないだろうに、そんなことはおくびにも態度には出さないのだった。

 

「さて、私はあなたをフレンズ用の寝室に案内するように言い付けられています。どうぞこちらへ」

「ソナー室の仕事の方はいいの?」

「あらあら、神経を使う仕事ですから、あまり長時間は出来ませんの。だからヒトのスタッフと交代で休ませてもらっているんですのよ」

「そうか・・・・・・じゃあ」

 

 彼女が平手を伸ばして指し示す方向へと歩き出す。

 後ろを見やると、ウィザードは反対方向へと立ち去ろうとしていた。どうやらヒトとフレンズとは別の所で休むようだ。

 

「ウィザード、今日は本当にありがとう」

「オウヨ。またすぐにユーを呼びつけるゼ、次の戦いまでどんだけ時間があるかもわかんねーが、やれるだけのことはやるサ。なんせ借金完済がかかってっからヨ! ミーのハッピーライフのために、ユーには頑張ってもらわねーと困るんだからナ!」

 

 私の方を向いたまま後ずさるウィザードが、興奮気味に何か変なことをがなり立てている。

 前を向いて歩かないと危ないんじゃないかと思っていると、案の定わきの通路から出てきた乗組員とぶつかってすっ転ぶのが見えた。

 私は気にせずにその場を立ち去ることにした。

 

 ウィザードと別れてから、シロナガスに導かれるまま狭い潜水艦の通路を移動し続けていると、途中にすれ違う何人もの乗組員が、私のことをじろじろと白い目で見てきた。

 シロナガスに連れられていなかったら、とてもじゃないけど艦内を歩けそうにない。

 ・・・・・・でもこればっかりはしょうがない。私が癇癪を起こして暴れたのが悪いんだもんな。

 

「あの、シロナガス。騒ぎを起こして本当にごめん」

「いいえ・・・・・・私の方こそ、ヒルズ様のお言葉であなたを傷つけてしまったことを、あのお方に代わってお詫びします」

「ヒルズ?」

「将軍の本当の名前です。まったく困ったお方です。いつも歯に衣着せぬ物言いしか出来なくて、周囲から必要以上に反感を買ってしまうのだから」

 

 シロナガスは将軍のことで愚痴をこぼしながらも、異名ではなく本名を親し気に呼んでいた。

 私にとっての将軍は、得体の知れない、とても好感を持てそうにない第一印象の人物だったが、どうやら彼女にとっては全く違うらしかった。

 

「君は将軍のことを慕ってるんだね」

「・・・・・・私もオルカも、ヒルズ様と出会ってなかったら、まともに生きてはいられなかったでしょうから」

「そうか。色々あったんだね」

 

 シロナガスはそれきり黙ってしまったので、私もそれ以上は聞かなかった。

 彼女たちがどんな風にフレンズの姿を得て、どんな経緯があって将軍と出会ったのかは知る由もないが、こんな時代だもの。フレンズが動物の頃のように、自然の中で気ままに生きることなんて出来るはずもない。

 

「さあ、着きましたよ。ここが私たちの寝室です」

 計器と配管に埋め尽くされた狭い通路の突き当り。腰の高さほどの位置に分厚く丸い水密扉が取り付けられていた。

 

「この先には何があるの?」

「我が艦の心臓部。原子炉の整備室です。もちろん放射能は容器の中に封じ込められているので安全ですが、ヒトが長居をするのは好ましくありません。でも私たちフレンズの体なら何も気にすることはありません。多少揺れますが、一般乗組員の寝床よりも全然広くて快適ですのよ」

「そ、そう」

 

 シロナガスが水密扉を慎重に回して開いた先には、中央に穴の開いた四角い足場があった。薄い鉄板で出来た足場は、張り巡らされた鉄骨に固定されているだけだ。室内に響き渡る鳴動に合わせて絶え間なく震えている。その上にはオレンジ色の寝袋が無作為に並べられている。

 穴の周りには、ぐるりと囲むように鉄柵が取り付けられていて、一部には下に降りるための梯子が取り付けられている。

 そうか。どうやらあの穴の下にあるのが原子炉なんだろう。

 

「あ・・・・・・」

 

 パンサーがそこにいた。彼女は私に気付いた途端、鉄柵にもたせ掛けていた顔を上げてこちらを見てきた。

 お互いに見つめあったまま、第一声を掛けられずにしばらく黙っていると、シロナガスが私の横に立って、例の穏やかな微笑みを私に向けながら頷いた。

 

「昨日、私とオルカも、こちらのパンサーさんからこれまでの話を聞きましたの。あなたが何者でどこから来たのか、すべてをね」

「・・・・・・え?」

「いざこざはひとまず水に流して、私たちはあなたを仲間として歓迎したいと思います。よろしくお願いいたしますね、アムールトラさん」

 

 シロナガスは挨拶もそこそこに、震える足場に置いてある寝袋のひとつに潜り込んだ。

「私は3時間後にまたソナー室に戻りますが、気にせずにごゆるりとお過ごしください。では仮眠を取らせていただきますね」

 そう言うなり数秒後には静かに寝息を立て始めた。ゆったりしているように見える彼女だったが、かなりテキパキした一面もあるようだった。 

 

 再びパンサーと2人きりになる。

 彼女の隣で同じように鉄柵にもたれながら、下にある原子炉をぼんやりと見下ろしてみる。

 いくつもの配管や基盤が複雑に張り巡らされた、巨大な鋼の心臓が、ほんのりと熱を放ちながら、片時も休むことなく動き続けている。

 金属の部品同士が打ち付け合って響かせる、密やかだが強く途切れない駆動音・・・・・・それを聴いていると、まるで雄大な自然を前にしているかのように気分が落ち着いてきて、口を開く勇気も湧いて来た。

 

 彼女にちゃんと謝らなくちゃダメだ。そう思い意を決した私は、パンサーの方に向き直って、飛びつくように頭を下げた。

「今までごめん・・・・・・!」

 心臓が痛いくらいに跳ねるのを感じながら、その先の言葉を考えた。

「暴力を振るってごめん。君は色々やさしくしてくれるのに、私は冷たくしてばっかりでごめん。それから・・・・・・」

 

「ちょっと待って」と、パンサーが私の謝罪を制止した。

「アタシの話も聞いて」

 

 折り畳んだ上半身を元に戻して真っ直ぐにパンサーと向き合っていると、彼女は照れくさそうに「アタシも」と口を開いた。

 

「アタシもアムールトラに謝りたいってずっと思ってた」

「いや、君が謝ることなんて何も・・・・・・」

「Cフォースからやってきたアンタが、1人で色々と辛い思いを抱えてるのは分かってた。でもロクにフォローもしてあげられなかった」

 

 パンサー、君は私に共感してくれるのか。

 元Cフォースの私の気持ちなんて、それこそ同じ身の上であるヒグラシ所長しかわかってくれないものだとばかり思っていた。

 

「それだけじゃないの。この間の作戦の時もそう・・・・・・あの子、メガバットは敵だったのに、アタシたちを助けてくれたよね」

 

 確かにパンサーはメガバットのことで何かショックを受けていたのは知っていた。

 私は自分のことで精一杯で、彼女の考えていることに興味を持とうともしなかったけれど。

「くわしく聞かせて」と、私は話しの続きを催促した。今度こそ同じ轍を踏まないためだ。親身になってくれる友達には、自分だって同じようにするのが当然だ。

 

「今までアタシは、Cフォースの連中は敵なんだから、ただ戦って倒せばいいと思ってた。フレンズの未来とか考えるのはボスたちの役目で、アタシはただの戦士だから・・・・・・でも違う。メガバットを見て思ったの。敵だと思ってたのが、実は敵じゃないのかもしれないって。もしかしたら友達になれるかもしれない子と、憎み合って殺し合ってたんだって」

 

 パンサーの目が赤く腫れていることに気付いた。彼女がそれほどまでに思い詰めているなんて夢にも思わなくて、思わず言葉を無くしてしまった。

 

「アンタはメガバットと殺し合う以外の道を探そうとしてた。アタシはそんなこと夢にも思ってなかったのに・・・・・・だから、ごめん。アンタの気持ちを全然わかってあげられてなかった」

 

 嗚咽交じりに顔を伏せて謝罪を続けるパンサーを見て思う。

 彼女は本当に私の身になって考えようとしてくれているんだ。それに比べて私は、彼女も含めてパークの仲間に対して無意識に壁を作っていたことに気付く。

 

「ありがとう、顔をあげてくれ」と、パンサーの両肩に手を置きながら呟いた。今も涙がこぼれている彼女の瞳を覗き込みながら言葉を続ける。

「君ならきっと、敵だったやつを友達にすることだって出来るよ・・・・・・それに、私も君と一緒に頑張る。グレン・ヴェスパーに操られてる可哀想なフレンズたちを絶対に助けてみせる」

 

「アムールトラ、落ち込んでるのに無理してアタシを励まさなくても・・・・・・」

「落ち込んでる場合じゃなかったんだ。もっとちゃんとしなくちゃ」

 

 今の私には確かに辛いことがたくさんある。

 怒りも、不安も、寂しさも、短い間に起こった感情のひとつひとつが心をかき乱している。どれひとつとっても、胸の中がいっぱいになってしまうぐらい強い感情だ。

 でも、だからといって、感情に振り回されて癇癪を起こすようじゃダメなんだ。

 そんなのは本当に恥ずかしいことだ。

 

 なぜなら私はゲンシ師匠の最後の弟子なんだ。

 私が師匠から託されたのは技だけじゃない。技をこの世のために役立てたいという願いをも受け継いでいるんだ。

 後悔に満ちた人生の最後に生まれ落ちた、一筋の光のような尊い願いを。

 それを背負うのにふさわしい生き方をしないといけない。

(希望、夢、願い)

 どれも違う言葉で、どれも同じようなもの。目には見えないけれど、心の芯にぴたりとはまって揺るぎないもの。

 今まであやふやだったそれが、私の心の中で唐突に形を成したような気がした。 

 

「・・・・・・願いを叶えたい。叶えなければいけない」

 静かな息吹を吐き続ける原子炉を眺めながら、私は焦がれるように呟いた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属
「シロナガス」

_______________Human cast ________________

「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章14 「みらいへのねがい」

「聞いてください。私たちの次の作戦が決定しました」

 

 この原子力潜水艦に身を寄せてから何日か経った時のことだ。

 カコさんがとつぜんに仲間を指令室へと呼び集めた。未だ治療中で起きて来られないスプリングボックを除いて、チームジョーカーが数日ぶりに全員そろっている。

 味方の拠点にいるはずなのに、カコさんの表情は戦場さながらに緊迫している。

 指令室内の冷たい照明の下で、いつものように真っ直ぐ伸ばした背筋には、相変わらず途轍もない重荷が乗っかっているように見える。

 

 そして、ヒルズ将軍がカコさんの反対側に立って同様に場を仕切っている。そのすぐ後ろにはシロナガスとオルカが護衛のように連れ添っている。

 

「グレン・ヴェスパーと停戦調停を結びに行きます」

 

「ていせん、ちょうてい・・・・・・? 何ですか?」

「争いを終わりにするということよ。アムールトラ」

「そ、そんなのって!?」

 

 信じられないような言葉だった。

 まだ何にも解決してないのに、人質だって取られているのに、カコさんはどういうつもりでそんなことを決めたんだ。

 

 私以外にも続々と不満の声が噴出した。バズ・チャラが「なぜだ!?」と大声を上げている。指令室にいるヒルズ将軍の側近たちも同じようにざわついている。

 今やパーク内でのCフォースとの徹底抗戦の気運は最高潮に達している。

 せっかく覚悟を決めて前線で戦ってきたのに、ここにきて梯子を外されたんじゃ堪らないと言わんばかりだった。

 

「落ち着きたまえ諸君」と、ヒルズ将軍が鋭い眼光と共に釘を刺し周囲を黙らせる。

 カコさんと将軍。2人のリーダー同士の意見はすでに一致しているようだ。この場はそれぞれの部下たちを納得させるために設けられたのだろう。

 

「我々は今グレン・ヴェスパーの弱みである最高機密を握っているのだ。奴からしてみれば、己の保身のために我々の申し立てを断ることなど出来まい。機密を下手に漏えいさせるよりも、交渉のカードとして使うのが賢い選択だ。そうだろう、ノヴァ?」

「ええ・・・・・・今ここで我々が機密を世間に漏らせば、彼も引っ込みが付かなくなるでしょう。人質が殺され、セルリアンの女王を生み出すための核実験が強行される恐れがあります。それだけは避けなければなりません」

 

 停戦調停の詳細はこうだ。

 カコさんがパーク側の代表として、グレン・ヴェスパーと極秘の会談を開く。

 そして人質の返還と実験用の核弾頭の凍結を要求する。

 向こうがそれを呑むのであれば、最高機密を闇に葬ることと、今後一切の反Cフォース活動を停止することを約束する、と。

 

「そんなにウマく行くのかねェ? 奴ら、またなんか仕掛けてくるんじゃねーノ?」

 

「それを回避するための停戦調停でもあります。なぜならば調停には仲介者が必要なのだから・・・・・・」

 水を差すように言葉を投げかけるウィザードに、カコさんが淡々と答える。

「パークとCフォースとはお互いにNGO団体になります。よって仲介者は世界中のNGOを査察する権限のある国連ということになります。グレン・ヴェスパーが国連の手で設けられた話し合いの場を蹴って攻撃を仕掛けてくるのであれば、国際的な非難を浴び、Cフォースの組織内からも孤立することは間違いないでしょう」

 

「なるほどねェ? で、いったい国連の誰に話を持ってくつもりなんだヨ?」

「もう決めてあります」

 

 そういってカコさんが手前を指さすと、周囲の衛星地図を映しだしていた大型のモニターの画面がパッと切り替わり、見たことがない人物の顔写真が映し出された。

 白人のおばあちゃんだった。私が見た事あるヒトの中で一番お年寄りかもしれない・・・・・・深緑色のドレスを身に纏い、三つ編みにした白髪を後ろにふわりと纏めて、顔をくしゃくしゃにして笑っている。何というか、気品と優しさに満ちた笑顔だ。

 

「彼女の名はイーラ・C・アルマナック。国連の現理事の一人にして、元アメリカ大統領夫人でもあります」

「そ、そりゃジョークかい? そんな雲の上の人間が話を聞いてくれるわけがないってばヨ!」

「いいえ、きっと取り合ってくれます。何故ならば彼女は、いわばパークの生みの親とも言うべき人物なのだから」

 

 それはパークの創設とCフォースとの対立の始まりの話。今から約20年前、始めて天然フレンズが発見された時のことだ。

 カコさんの父である故・遠坂重三さんはフレンズの庇護を唱え、逆にグレン・ヴェスパーはセルリアンと戦わせる兵器として利用することを主張し、互いに全く譲らなかった。そこまでは私も前に聞いている。

 

 フレンズという史上空前の存在に対して人類はどう向き合っていくべきなのか。

 全世界が注目する中、2人の間で繰り広げられた論戦を収束させたのが、当時のアメリカ大統領夫人であり、世界的な動物愛護団体の元締めだった、このイーラというヒトだったらしい。

 彼女は遠坂さんを全面的に擁護した。彼女の絶対的な権力と発言力を前にして、グレン・ヴェスパーは主張を取り下げざるを得なかった。

 しかし外部からの横やりで半ば強制的に議論が終了させられたために、両者の軋轢は拭い去れない物になった・・・・・・そして今にいたると。

 

「イーラ女史ならば必ず停戦調停の仲介者となってくれるはずです。後は私の交渉力次第・・・・・・何としても成功させるつもりです。ですのでどうか納得してください」

 カコさんが諭すように部下たちに告げる。その瞳は静かに燃えているようだ。強い覚悟が伝わってくる。

 

 しかし場の騒ぎはいっこうに収まらない。

「今さら停戦など無理だ」「俺たちは断固戦う」など、部下たちから浴びせられる反対の言葉を、カコさんは無表情のまま、そしてヒルズ将軍は顔を伏せ、溜め息を付きながら受け止めていた。

 

「カコさん!」

 私は周囲の野次を押しのけるようにして、意を決して口を開いた。

 先日の騒ぎの記憶も新しいだろう。未だ信頼されているとは言い難い私が大声を発したのに驚いたのか、それまで非難轟々だった乗組員たちがシンと静まり返る。

 ちょうどいいと思って言葉を続けた。

 この質問だけには、絶対にカコさんの口から答えをもらいたい。

 

「停戦したら、グレン・ヴェスパーをどうやって止めるんですか? あの男の下で可哀想なフレンズが生まれ続けるのをどうやって・・・・・・」

 

 私だってわかっている。核実験の阻止は何よりも大事だ。

 実験によってセルリアンの女王とやらが生み出されれば、グレン・ヴェスパーがフレンズだけでなくセルリアンをも支配下に置くという話なのだから。

 そうしたら、多分だけど、奴がこの世界の支配者になるのだろう。

 絶対にやめさせなくちゃいけないことだ。

 ・・・・・・でも、そのために奴のフレンズへの所業を捨て置くことになるのは我慢できない。

 あの時計塔の中で覗いたメガバットの記憶が、今も私の一部として残っている。彼女が経験したような悲劇を決して繰り返しちゃいけないんだ。

 

 それまで動じなかったカコさんが、私の質問を聞いて、苦痛に耐えるように表情をゆがめた。痛い所を突いているんだ。と思いながらも、彼女が返してくる言葉を待ち望んだ。

 

「今までとやり方を変えるつもりよ」と、辛そうに俯きながらカコさんは続ける。

「停戦調停が結ばれれば、これまでのように敵対することは出来なくなる・・・・・・ですがそれは同時に、Cフォースという組織と正面から付き合うチャンスでもあるわ」

 

 カコさんの考えは、対セルリアンの前線に立ち続けるCフォース軍部に対して、パークがこれまで培ったSSアモなどの対セルリアン兵器の技術を供与するというものだった。

 それらの兵器を時間をかけて世界中に流通させることで、ヒトの手で十分セルリアンに対抗出来るんだという意識をCフォース内に少しずつ植え付けていくのだ。

 

 本来ならその行程は、グレン・ヴェスパーを排除してから行う予定だった。

 あの男の目が黒いうちはフレンズの兵器利用をやめさせることなど出来ないだろう。しかしあの男も高齢だ。あの男が寿命でこの世を去り、その配下の影響力が次第に衰えていくのを待ちながら、ゆっくりと時間をかけてCフォースを改革していくのだ。

 ゆくゆくはフレンズを戦力として使わなくても良い、と多くのヒトが思うまで・・・・・・

 

「かなりの時間がかかってしまうでしょう。何年も、何十年も・・・・・・しかしいつか必ずそうしてみせる。だからアムールトラ、そして皆も、私を信じてください」

 

 そう言うとカコさんは私に向かって、また周りの部下たちに向かって深々と頭を下げた。

 指令室内が段々と静かになりはじめる。

 リーダーがそこまで心に決めている事にしつこく異を差し挟むべきじゃない。納得できなくても首を縦に振るしかない・・・・・・そんな同調圧力が場に広まっていると思った。

 

 私も同じように黙ることにした。

 停戦そのものにはやっぱり賛成できない。でもカコさんの善意を信じたい。どんなに困難な道のりでも、自分の中の善意を貫こうとする彼女の覚悟を信じたい。

 望む結果が手に入るのかどうかはさておいても。

 

「話は以上だ」と、ヒルズ将軍が、収まりかけた場の流れをすかさず畳んでいく。

「ただいまより本艦は高速潜航へと移行する。各員配置に着きたまえ。目的地はマダガスカルだ」

 

 マダガスカル。東アフリカ大陸沖に浮かぶその国は、四方を海に囲まれた島国であることと、都市部よりも豊かな自然環境が面積の多くを占めていたことから、アフリカ諸国の中でもセルリアンの被害を最小限にとどめている国だという。

 その結果、現在ではアフリカ大陸でのセルリアン災害に対する人道支援活動の拠点として、世界中から頻繁にヒトや資材の出入りが行われている場所だと言うのだ。

 

 国連はアフリカ支部の拠点もマダガスカルに置かれている。イーラ女史も現在そこに滞在して業務にあたっているという。アポイントメントもなしの体当たりの訪問にはなってしまうが、今から急いで彼女のもとへと向かうようだ。

 

 ヒルズ将軍の一声で乗組員たちが元の位置へと散らばっていく。一様に表情が暗く張りつめている。この場にいる全員が、後戻りできない道を進むしかない重圧を共有しているんだと思った。

______ゴゴゴゴ・・・・・・

 強い海流にあおられたのか、艦内が軋んで低い金属音が鳴り響いた。

 それはまるで出発を告げる合図か何かのようだった。

 

 

 原子力潜水艦が静かに深海を移動し続けている。

 私はといえば、ここ数日のあいだ、一日のほとんどを修行に費やしている。

 VRマシンを使わせてもらえる時間は限られていたけど、それ以外でも艦内設備のトレーニングルームを使わせてもらって稽古の復習に励んだ。

 パンサーや、例のオルカともスパーリングをした。もっともフレンズ同士が本気で打ちあえば艦が破壊されかねないため、寸止め以外は厳禁だと固く言い聞かされてはいたが。

 

 停戦する予定とはいえ、Cフォースがいつ襲ってくるかもわからないし、そうじゃなくたって、いずれまたセルリアンと戦う時だって来るだろう。

 力を蓄えておくことに越したことはない。師匠の技術のすべてを物にするために、私は食らいつくように修業に励んでいた。

 

「おーいアムールトラ!」

 VR訓練を受けに行くために暗く狭い通路を歩いていると、後ろからパンサーが声をかけてきたので振り返る。何やら興奮気味な、ただ事ではない様子だ。

 

「どうしたの?」

「スプリングボックが目を覚ましたんだって! 例の円柱がたくさんある広間で看病されてるらしいよ!」

「な、何だって!?」

 

 今まさに私が向かおうとしてた場所にスプリングボックがいたとは・・・・・・それに気付かないまま何度も足を運んでいたというのか。

 とにかくこうしちゃいられない。彼女の無事な姿を早く確認しないと。

 

「スプリングボック! どこなのよ!」

「・・・・・・誰かに案内を頼めば良かったね。ウィザードはもう来てるかな?」

 

 パンサーと一緒に急いで例の広間へと向かったが、あえなく立ち往生になってしまった。

 名も知らぬ乗組員たちが数名、なにかの作業に勤しんでいる以外は人気のない広間だ。数十本の円柱が立ち並ぶ様は、何度見ても奇妙で圧倒される・・・・・・しかし円柱はどれも同じような形と大きさで、私には区別が付かない。たしかこれは核ミサイルの発射管なんだってウィザードが言ってたよな。

 

 2人で歩き回っていると、その中の一本がおもむろに振動し、外壁がスライドしはじめた。中から現れたのは、虹色の液体が充填された水槽だった。

 スプリングボックがそこにいた。水槽の中で、口に酸素マスクを付けられた包帯まみれの痛々しい姿がぷかぷかと浮かんでいる。

 しかしそんな有様でも、こげ茶色の揺れる長い髪の間から覗く瞳には、再び燃えるような闘志の光が宿っている。早くここから出せと言いださんばかりだ。これならもう心配はいらないだろう。

 かなりの重傷を負ったはずだったが、やっぱりフレンズの傷の治りは早い。それともこの設備の効果だろうか。

 

 今スプリングボックが入っているのは、まさしくサンドスター調整槽だ。艦内にフレンズ用の治療設備があるというヒルズ将軍の言葉は嘘じゃなかったことになる。

 別の発射管には例のVRマシンが取り付けられている訳だし、他のには一体何が入っているのかわかったものじゃないな・・・・・・。

 

「アンタ大丈夫?」

《・・・・・・ええパンサー、すぐに戦いに復帰してみせますよ》

「本当に良かったよ。心配してたんだ」

《・・・・・・》

 

 スプリングボックは何も答えないまま、水槽を見上げている私のこと鋭く睨み付けて拒絶した。ケープタウン大学の時計塔の中とまったく同じ空気が、私と彼女との間に現れたみたいだった。

 

《アムールトラ、もう一度いいます。私は貴様のことが信用できません》

「ちょっとアンタ、目を覚ますなりそんなこと!」

《パンサーは黙っててください! ・・・・・・アムールトラ、いちどは貴様のことを、故郷を共に守ってくれる仲間だと認めていました。でもそれは思い違いだった》

 

 水槽の中で、スプリングボックが口元からゴボゴボと泡を立ち上らせながら怒鳴り続けている。液体の中にいるというのに、彼女が当たり前に喋れているのは不思議だったが、そういう物なんだと納得することにした。

 

《敵に情けをかけるような奴を、仲間とは認めたくない!》

 私は知っている。スプリングボックは全てを白か黒かで分けないと気が済まない、直情的で純粋な性格なんだ。

 黒と断定した者には苛烈で容赦がないが、白と思う者にはどこまでも優しく尽くしてくれる。そんな竹を割ったような気性が彼女の良い所でもある。

 けれども残念なことに、いまの私は彼女の中で黒になってしまったんだろう。

 

《貴様が見逃した敵が、私たちの後ろにいる力なき者を手にかけるかもしれない・・・・・・そのことが何故わからない!? アマーラを思い出してみなさい! ああいう子を守るために私たちは戦っているんでしょうが!》

 

 そうだよな、と思わず納得してしまい、言い返せないで黙りこくる。

 スプリングボックの言い分も正しい。でも正しさってひとつだけじゃないと思うんだ。そのことをわかってもらうには、どう説明したら良いんだろう・・・・・・

 スプリングボックが私のことをどう思おうが、私は彼女を大事な仲間だと思ってる。すれ違ったままなのは嫌だ。

 

「スプリングボック、ちょっとアタシの話を聞きなよ」

《な・・・・・・パンサー?》

「アンタ、力がない者を守るために戦うって言うけどさ」

 

 調整槽ごしに険悪な空気で向き合っている私とスプリングボックに対して、パンサーがあくまで静かな調子で割って入った。

 酸欠気味で赤くなっていたスプリングボックの顔が少し青ざめた。

 

「力がないのはフレンズだって一緒なんだよ。ヒトに保護されないと生きられないんだもん・・・・・・Cフォースの子たちなんて、命令されて無理やり戦わされてるんだよ?」

《な、パンサー、貴様まで何を?》

「アタシたち、このままでいいの? 自分たちの故郷さえ守れれば、よそで不幸なフレンズが何人いても良いって言うの?」

 

 スプリングボックが呆気に取られたような表情をしている。

 そして私も驚いた。パンサーはパークとCフォース、片一方によらない広い視点で物事を考えようとしている。

 フレンズという種が、この世界でどう生きていくべきか・・・・・・とでも言うような視点だ。

 

「ボスに任せっきりにしないで、アタシたちのこれからはアタシたちで考えるべきなんじゃないの? 今すぐは無理でも、Cフォースのフレンズたちと分かり合って一緒に生きることが出来たら、今よりも絶対に良いじゃない」

《・・・・・・そんな絵空事は興味ないですね》

 

 スプリングボックは、怒りを通り越して不貞腐れたようにトーンを落としてつぶやいた。それでも自分の主張は頑なに曲げるつもりはないようだ。

 

《今でも夢に見ます。私が生まれたあの街、スプリングボックがセルリアンによって廃墟と化していくのを・・・・・・何も出来ないで絶望するしかなかった呪わしきあの日を。私にとって、故郷とそこに住むヒトや動物を守ること以上に大切なことなどありません・・・・・・それはパンサー、貴様も同じだと思っていたのですがね。まったく、失望しましたよ》

 

 それを聞いて今度はパンサーがムッとして言葉を失った。

 なんてこった・・・・・・私が責められるだけじゃなくて、助け船を出してくれたパンサーまでスプリングボックと仲違いするだなんて最悪の展開じゃないか。

 

______パチパチパチ

 

 どうにも決着がつきそうにない口論に辟易するような空気が漂い始めた時、乾いた拍手の音が向こうから響いてきて気まずい沈黙を打ち消した。

 音がする方を見やると、奥の方から姿勢の良い歩容でやってくる人影を見つけた。

 その姿が通りかかると、傍にいた乗組員は作業を取りやめて敬礼をしていた。

 

「やあ、サウスエリアのフレンズ諸君。実に興味深い議論をしているじゃないか」

「ヒルズ将軍!?」

 

「現状の維持を最善とするか、現状を捨ててでも新たな理想を追い求めるか。保守と革新。共同体が存続する限り決して避けられない根本的な問題だ。その時々で何が正しいかは変容していき、決まった正解は存在しない・・・・・・そのような議論が出来るということは、フレンズにはやはり人間と同等の知能と社会性が備わっているのだろう」

 

 将軍は私たちの傍で立ち止まると、拍手をやめて手を後ろに回し、落ち着き払った冷たい笑みを向けてきた。そしてまずは私と目を合わせた。

 

「アムールトラ、今日のVR訓練は中止だよ。ウィザードには急遽べつの仕事をやらせている」

「・・・・・・それだけ私に伝えるために、わざわざあなたが来たんですか?」

「そう邪見にするな。一度君たちと話をしてみたかったのだ・・・・・・これから共に戦うのだから、親睦を深めておくのに越したことはない。君たちも信用できない人間に背中を預ける気にはなれないだろう?」

 

 どこまでも見透かしたような物言いが鼻につく。パンサーもスプリングボックも私と同じように不審そうに黙りこくっている。

 

「あなたはナビゲーションユニットもないのに、私の日本語がわかるんですか?」

「そもそも僕が話せるのはリベリアの公用語、つまり英語だけだ。日本語もアフリカーンスもわからない。だからコイツを使っている」

 

 将軍はそう言って己の左手首を顔の高さに掲げた。

 手首に巻かれている腕時計状の黒いバンドは、よく見ると時計の代わりにカメラのレンズみたいな丸いガラスが中央にはめ込まれていた。

 

「ナビゲーションユニットの言語変換回路だけを抜き出した簡易デバイスだ。そして僕の耳にも君らと同じ小型通信機が入っている。僕らの会話はデバイスを通じて常に共通言語に変換され通信機に送られている」

「なるほど・・・・・・で、私たちに何を話に来たんですか?」

「僕がパークに参画している動機についてだよ。それを聞いて、僕が信頼に足る人間かどうかを判断してくれたまえ」

 

 ともかく話だけは聞いておこうと思って黙って耳を傾けた。

 このヒルズ将軍という男は、少なくともオルカとシロナガスとは、恐怖でも強制でもない純粋な信頼関係を築いていることは知っている。

 その理由が何なのかは知っておきたい。

 

「僕はミセス・ノヴァとは考え方が違う。彼女のようにフレンズを守ろう、慈しもうなどとは最初から考えていない・・・・・・なぜなら僕は、フレンズが恐ろしくてしょうがない」

「ど、どういうことですか?」

 

 まったく、べらべらと舌が良く回るヒトだな。最初の語り出しでこちらの関心をがっちりと掴まれたような気がする。

 彼は己が弁が立つのを自覚しているのか、得意そうに言葉を続けるのだった。

 

「パンサー、君はさっきフレンズは弱い存在だと言った。ヒトに保護されなければ生きていけない存在だと。それは何故だかわかるかい?」

「アタシ、こんな体になっちゃったから、元の動物の仲間の所には戻れないだもん・・・・・・ヒトに用意してもらわないと生きていける場所がない。他の子だってきっとそうだよ」

 

「ふむ、だいたい正解としておこう」

 パンサーがひねり出すように答えた言葉を、ヒルズ将軍は素直に称賛しているのか、小馬鹿にしているのか、底が読めないような態度で受け止める。

 

「単純な問題だ。君たちフレンズの立場が弱いのは、君たちの存在があまりにも希少であることに起因する・・・・・・だが、その希少なフレンズの数を、グレン・ヴェスパーは急速に増やそうとしている。すると何が起こると思う?」

 

 何が? 何が起こるって言うんだ? ヒルズ将軍が予想する未来とは、フレンズが恐ろしいと発言する理由は何なんだ?

 私たちは3人とも一様に押し黙りながら、話の続きを熱を帯びた視線でせがんだ。

 

「いつかは人間とフレンズの力関係が逆転するだろう。フレンズは人間にとって、セルリアンに代わる新たな脅威となるであろう」

「そ、そんなことあるわけないです!」

「それはどうかな? たとえ個体数が少なくても、個々のフレンズの力は強大だ。まさに一騎当千の戦闘能力を持っている。その上さらに知能も人間と同等・・・・・・そんな恐ろしい生命体が徒党を組んで人間に牙を剥けば、知能のないセルリアンなどとは比較にならない脅威となり得る」

 

 確かに、フレンズがヒトを殺さないとは限らない。

 先日のケープタウン大学の戦闘で、パンサーは返り血で血まみれになりながら何十人ものCフォース兵を殺していた。

 ・・・・・・私だって2人殺した。直後は辛くてしょうがなかったが、今はもう後悔してない。

 私のもう一人の師匠、伝説の狙撃手カイルが私を立ち直らせてくれたからだ。

 今だって殺しを是とはしてないけど、必要があるならば非とも思わない。

 

 だけど、今ヒルズ将軍が言っていることは、それとは全く次元の違う話じゃないか。

 フレンズがヒト全体に牙を剥くなんて有り得ない。敵も味方も関係ない大量殺戮を好き好んでやろうとするフレンズがいるとは思えない。

 

「フレンズの人類侵攻は、十中八九Cフォースから始まるだろう。Cフォースの人造フレンズが組織内で反乱を起こすことがきっかけでね」

「なんでそう言い切れるんですか?」

 

「僕には人造フレンズたちの気持ちがよくわかる・・・・・・むかし、僕は少年兵だった。僕や仲間は物心ついた頃から自由を奪われ、戦いの道具として使い捨てられていた。それこそ今、彼女たちが受けている扱いと同じさ」

 ヒルズ将軍は突然に声のトーンを落とし、遠い目をして自虐的に笑いながらポツリと囁いた。

「僕や仲間の人生を踏みにじった大人たちに復讐し、自由になることだけを夢見て地獄の日々を生き抜いた。そして計画を立て慎重に機をうかがい、計画通りに奴らを1人残らず殺してやった・・・・・・だからわかる。いずれCフォースのフレンズたちも同じことをやるとね」

 

 想像もつかない事実だった。カメラ越しに最初にヒルズ将軍を見た時、その清潔で金がかかってそうな身なりと、役者のような優雅なふるまいを見るに、私の知らない煌びやかな世界に生きてきたヒトなんだとばかり思っていた。

 そんな血なまぐさい過去を持っていたとは・・・・・・

 

「で、ですがCフォースのフレンズにはオーダーが施されています。反乱なんて起こせるわけが」

「オーダーにも抜け穴はあるだろう・・・・・・それは君自身が証明していることだ。オーダーが発動することなく、運よくCフォースから離れられたのだろう?」

 

 Cフォースが人造フレンズに施したオーダーが発動する条件は二つ。

 脱走しようとするか、ヒトを殺そうとするか・・・・・・実際の行動ではなくて、そうしようと思う意志に反応して発動するんだった。

 私のオーダーが発動しなかったのは、Cフォースから逃げるのではなく対立しようと思ったから。そしてヒトを殺さずに気絶に留めようと無意識に心がけていたから。

 そうこうしている内にパークと出会い、オーダーを取り外してもらうことができた。

 ・・・・・・今にして思えば、単に運が良かったというだけではなくて、確かにオーダーには抜け穴がある。発動条件が大ざっぱすぎるからだ。

 

「後は最後の条件さえ整えば、反乱は必ず起きる」

「・・・・・・条件? 何です?」

「反乱を扇動する”指導者”が人造フレンズの中に現れることだ。このまま彼女らが生み出され続ければ、やがてはそのような存在が現れ得る・・・・・・フレンズの知能は人間と同等なのだ。その中にはリーダーの資質を強く持った個体もいるはずだ。その者こそが、人類にとって最悪の厄災となる」

 

 いつの間にかヒルズ将軍の顔からは笑みが消え、まるで本当に恐ろしい未来に直面しているかのような苦々しい表情で語り続ける。

 

「反乱を起こした人造フレンズ達は、それを阻止せんとするCフォースの兵力と交戦に陥るだろう。徒党を組んだフレンズ達の戦闘能力は計り知れない。Cフォース側には万にひとつの勝ち目はなく、彼らは己が生み出したフレンズ達の手によって壊滅させられるだろう」

「その一件でフレンズの恐ろしさが人間社会に認知されることになり、そうなってはもう、パークの手で人造フレンズを保護することも出来ない」

 

「Cフォースを壊滅させて自由になった人造フレンズの集団は、今度は人間社会全体から排斥される運命が待っているだろう。野生の動物に戻ることは出来ず、かといって人間の中で暮らすことも出来ない彼女達は、人間と戦いを始める道しか残されていない・・・・・・自分たちの居場所を得るための、永遠の戦いだ」

「元々からしてセルリアン災害で疲弊していた人間社会に、新たにフレンズという脅威が加わることになる」

 

 ヒルズ将軍は、もちまえの広長舌で休むことなく己の未来予想を語り切ると、最後に深い溜め息を付き、決定的な一言を告げた。

 

「最終的に、人類は壊滅的な状況に陥る。絶滅するか、あるいはごく少数の生き残りがどこかに隠れ住むような有り様になってしまうだろう」

「・・・・・・それって、つまり」

「人類に代わって、フレンズとセルリアンという二つの種族が地球を支配する時代がやってくる、ということさ」

 

 聞き終わった後、己の心臓がドキドキしていることに気付く。将軍の語り口は、それが決して妄想の類ではないという確信に満ちている。

 そうか、それもあり得るかも知れない未来のひとつなんだ。

 

「お分かりいただけただろうか? そのような最悪な未来が現実のものとならないように、僕はパークで戦っている。フレンズが自身のことを、人間に保護されないと生きていけない弱い存在なのだと錯覚させ続け、パークという檻の中で半永久的に飼い殺しにする・・・・・・それが僕の目的だよ。人類を守るためにね」

 

 なるほど、わかった。将軍なりに筋の通った理屈は持っているようだ。

 カコさんとは物の考え方はずいぶん違うけれど、少なくとも利害は一致している。だからひとまずはこのヒトを信じても良さそうだ。

 

「待ってよ将軍さん!」と、パンサーが困惑した顔で口を差し挟んだ。

「人造フレンズがヒトを滅ぼすって言うけど、その話の中に、アタシたち天然フレンズが出てこなかったじゃない。アタシたちはどうなるの?」

 

「・・・・・・君たちはCフォースの人造フレンズたちと違って、人間に対する直接的な恨みはないだろう。なので君たちの行動は恐らく二つに分かれる。人間に義理立てして人造フレンズと戦う者もいるだろう。しかし逆に、彼女らに感情移入して仲間に加わる者も出てくるはずさ」

 

 将軍の回答を聞いてパンサーの表情が暗く曇った。

 水槽に浮かんでいるスプリングボックの方を見ると、彼女も同じようにして言葉を失っている。

 ヒトに味方するか、人造フレンズに味方するか、用は自身の判断次第。自分の未来に訪れるかもしれない選択肢を想像して、それに恐れおののいているみたいだった。

 ・・・・・・私は、私はどっちも嫌だ。フレンズとヒトが殺し合うなんて未来は考えたくもない。

 

「今からそう思いつめることもあるまい」と、ヒルズ将軍が、自身で招いた重たい空気を一笑に付した。

「重ねていうが、あくまでも可能性の話だよ。天然も人造も、仲良くパークで飼い殺されている幸せな未来が来ることを祈りたまえ」

 

「あの、将軍、ところで聞きたいことが・・・・・・」

 

 このヒトはそう悪いことは言っていないのに、いちいち言葉選びにムダな悪意があるな、と内心憤慨しつつも、場の空気を早く変えてしまいたい気持ちの方が勝った。

 なので私は出し抜けに質問を投げかけることにした。

 

「何かな?」

「教えてください。メガバットもここにいるんですか? あの子もサンドスター調整槽で治療を受けているんじゃないんですか?」

 

 メガバットのことがずっと気がかりだった。

 ここの乗組員たちに担架で運ばれていく姿を最後に彼女の姿を見ていない。

 自壊装置に四肢をもぎ取られるという、スプリングボックとは比較にならない程の重傷を負って、まだ命を繋ぎとめられているんだろうか。

 

 この格納庫に立ち並ぶミサイル発射管には、ミサイルの代わりに様々な機器が詰められているのだろう。

 サンドスター調整槽が、スプリングボックが入っている一基だけとは限らない。

 であるならば、メガバットだってここにいるはずだ。艦内の他の場所はどこもかしこも狭くて、彼女を治療できる設備があるとは思えない。

 

「いいだろう。会わせてあげよう」

 

 俄かにゆっくりと歩き出したヒルズ将軍が、スプリングボックが入れられている調整槽の右隣にある発射管の前に立つと、根本に備え付けられたコンソールに、スーツの内ポケットから取り出したカードを挿入した。

______ゴゴゴゴ・・・・・・

 案の定、先ほども見た光景を目にすることになった。

 発射管が振動を起こしながら少しずつスライドし、中から虹色の液体が充填された水槽の姿が現れるのだった。

 

「・・・・・・ッ」

 横にいるパンサーが辛そうに顔を伏せる。

 私はただただ言葉を失って水槽の中にある姿を見上げた。

 手足も翼もない、頭と胴体だけになったメガバットの体が、力なく静かに浮いている。

 水槽の中から気迫をぎらつかせているスプリングボックとの違いは一目瞭然だ。生気がいっさい感じられない。

 まるで石像か何かみたいに動かない体を、口元に取り付けられた人工呼吸器から送られる酸素だけが、機械的なリズムで揺らしている。

 

「植物状態だ。フレンズ特有の自己治癒能力も働いていないようだ。体内のサンドスターが著しく失われた結果だろう」

 ヒルズ将軍が感情を差し挟まずに淡々と告げる。

「人工呼吸器がなければ呼吸もままならない。調整槽から出した途端に心臓が止まるだろうな」

 

 機械によってかろうじて生かされている状態。もうこれ以上はどうにもならない。

 将軍の説明を聞くよりも前に、メガバットの様子を見て悟るのだった。

 いや、それよりも前から覚悟はしてた。意の世界で、彼女からの別れの言葉を聞いた時から。

 

「おや、もうこんな時間か」

 言葉を失って立ち尽くしている私をよそに、ヒルズ将軍が懐中時計を見やりながら独り言ちる。

「では僕は指令室に戻ることにするよ」

「将軍さん? 突然どうしたのよ?」

「あと10時間ほどでマダガスカル領海に入る。この艦はトゥリアラという港湾都市に停泊させる予定だ」

 

 マダガスカルは国際的な非戦闘地域に指定されているという。

 なのでCフォースとの戦闘が行われることはあり得ない。危険があるとすれば、船舶の貨物に紛れて潜入してくる小型セルリアンだけだという。

「特に何事も起こらんとは思うが・・・・・・気を緩めずにおきたまえ」

 そういって私たちに一礼すると、ここに来た時と同じく整った歩容でツカツカと立ち去り始めるのだった。

 

 私は去っていく将軍に会釈も返さずに、ただメガバットを見上げていた。

 パンサーは私に気を遣っているのか、何も言えずにおろおろとしている。調整槽の中のスプリングボックも不機嫌そうな顔で黙っている。

 私は結局、メガバットに何もしてあげられなかったんだ。悲しいことばかりだった彼女の人生に、新しい幸せが訪れることはもうない。

 

 過去にも現在にも悲しいことばっかりだ。未来はそれ以上に最悪かもしれない。

 グレン・ヴェスパーがこの世を支配しているかもしれない未来。Cフォースのフレンズたちが反乱を起こし、ヒトを滅ぼすかもしれない未来。

 そうなった時、私はどうしているんだろう・・・・・・

 

(あなたはあなたらしく、不器用に美しく生きて)

 メガバットに”意”の世界の中で言われた言葉が、頭の中でもう一度聞こえた気がした。

 わかってるよ、と内心答えながら、深く空気を吸い込んで顔をあげた。

 

「パンサー、スプリングボック、聞いてくれ」

 

 沈黙を突然やぶった私のことを、2人がきょとんとした顔で見つめている。私は静かな熱のこもった瞳で彼女たちを見返し、今一度深くうなずいた。

 

「私は未来を良い物にしたい。フレンズもヒトも幸せになれる世界を作りたいんだ。アマーラたちのことは勿論守りたい。だけどフレンズたちが生きられる居場所も作りたいんだ」

 

 2人の反応は芳しくなかった。

「・・・・・・アムールトラ」

 パンサーが心配そうに私を見つめている。

 君ってば本当に優しいよな。いつも私のことを心配してくれるんだから。でも大丈夫だよ。私はもう挫けないから。

 

《フン、どっち付かずな者の戯言にしか聴こえませんがね。アムールトラ、貴様は望んだことが全て実現出来るとでも思っているんですか?》

 スプリングボックが溜め息まじりに私を冷笑した。

 いつでも抜き身100%の本音をぶつけて来る。彼女のそういうストレートな所が好きだ。

 本音で来る相手には、私も本音をぶつけるだけだ。

 

「出来るか出来ないかじゃないんだ。それが私の願いなんだ・・・・・・私は私の願いをかなえるために戦うだけだよ」

______タンッ

 私はそう言うと、スプリングボックに向かって、お互いの拳を突き合わせるジェスチャーを求めるように、虹色の液体を充填した水槽の表面に拳を押し当てた。

 

「スプリングボック、また私と一緒に戦ってくれ」

《き、貴様?》

 スプリングボックがジェスチャーの申し出に応えてくれることはなかった。

 水槽の中で、ただポカンと口を開けたまま私を凝視している。

 私は今いちど彼女に念を押すように頷いてから、踵を返して格納庫を立ち去ることにした。

 大丈夫、スプリングボックならきっとわかってくれるはずだ。

 

《なんなんですか? アムールトラのやつ、以前とまったく様子がちがう!》

「アンタが寝てる間に、あの子にとって辛いことがたくさんあったんだよ。でもあの子はそれを乗り越えて立ち直った。アタシは全部見てた」

《パンサー、貴様もアイツと気持ちは同じというわけですか》

「うん、アタシはアムールトラを信じる。あの子なら、皆が幸せになれる未来を、本当に掴めるような気がするから・・・・・・」 

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 リベリア・ギニア事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「バズ・チャラ・カーター(Baz Challa Carter)」
年齢:29歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所職員

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章15 「カコのけつい」(前編)

「すんなり謁見許可が下りて良かったよ。でも大変なのはここからさね。ボス、すべてはこちらの受け答えしだいだよ」

「わかっています。必ず成功させなければ・・・・・・アムールトラ、どう? 周囲にセルリアンの気配はあるかしら」

「大丈夫です。今の所は」

 

 ここはマダガスカルの首都アンタナナリボ。

 照り付ける陽射しの下、メインストリートには建物の他にも屋台や露店が立ち並び、ちょっとびっくりするぐらいの賑やかな人だかりを作ってる。

 買い物したり食事したり、思い思いに過ごすヒトたちの営みで溢れてる。

 セルリアンなんてまるでこの世界に存在していないかのような、平和な日常そのものの光景だ。 

 

 私たちを乗せた一台のレンタカーが、渋滞や雑踏に紛れながら、少し走ってはまた止まったりを繰り返している。

 シガニーさんが運転し、後部座席には私とカコさんが座っている。

 

 行き先はこの街にある国連マダガスカル支部の事務局だ。イーラ・C・アルマナックという老齢の女性が局長として駐在している。

 今回の目的は彼女に陳情を行い、Cフォースとの停戦調停の仲介人になってもらうことだ。

 

 今の私たちの拠点である原子力潜水艦が港町トゥリアラへと到着してから、カコさんは早速行動を開始した。

 補佐役であるシガニーさんと、ボディガードである私。たった2人の部下だけを連れて、トゥリアラの空港にて小型機をチャーターし、数時間後にはアンタナナリボの土を踏んでいた。

 トゥリアラに残った仲間たちは、私たちがアンタナナリボから戻るのを待ちながら近隣の警戒や物資弾薬の積み込みにあたっているそうだ。

 潜水艦は、ヒルズ将軍の息がかかったマフィアが管理しているという地下ドックに停泊している。よっぽどのことがない限りは安全に待っていてくれるだろう。

 

 ところで、私はいま人生で初めての体験をしている。

 VRの中でもないのに、別の恰好に着替えているんだ。潜水艦を降りる前に、カコさんからそうするように命じられた。

 フレンズになった時から身に着けていたチェック柄のスカートやブレザーは、今は自分の意志で取り外している。それらが自分の体ではなくただの”衣服”である・・・・・・と強く念じると、虹色の光を放ちながら消滅してしまったんだ。

 スプリングボックや、他の角がある子が、槍なんかを出したりしまったり出来るのと同じだ。なんでもそれがフレンズの体を構成する”けものプラズム”ってやつの仕組みらしい。

 

 代わりに身に着けているのが、膝丈まで隠れる黒一色のワンピースとつま先の尖ったヒールだ。

 何でこんな恰好をしているのかというと、フレンズだってことがバレないようにする意味もあるけど、一番の理由は「ドレスコード」とかいう決まりのためらしい。

 偉いヒトと会うとか、公の用事の時にはちゃんとした服装をしなければならない、というヒトの世界のルールだそうだ。

 耳やしっぽ、そして髪や手足の縞模様は、私がいくら念じても消すことが出来なかったから、長手袋やタイツで隠すことになった。頭にはカツラをかぶり、縞々のしっぽはお腹に巻き付けて無理やり見えないようにしている。

 暑苦しくて窮屈で、二度とやりたくないというのが正直な感想だ・・・・・・トラに生まれた私がヒトのフリをするなんて最初から無理がある。フレンズの姿であっても関係ない。

 

 身に着けている物の中で唯一まともに役に立つと思えるのは、手首に巻いているレンズ付きのバンド。ヒルズ将軍が身に着けている物と同じ言語変換デバイスだけだ。

 艦を降りる直前に将軍が私にくれた。何でもこのデバイスは、パークの幹部や天然フレンズに行き渡るように量産が始まっているらしい。

 これさえあれば言葉の心配はいらないし、ヒトのふりをするわけじゃなくても何かと都合がいい。ありがたく貰っておこう。

 

 慣れない恰好に私が辟易している隣で、カコさんは姿勢よく座りながら、落ち着き払った神妙な顔つきで前を見続けている。

 サイドにまとめた長い黒髪が、窓ガラスから差し込む陽光に照らされて深緑色の艶を出している。薄く化粧した顔の輪郭は雪のような白さだ。

 私じゃ到底不釣り合いになってしまうような正装も、カコさんはとても良く似合っている。

 ヒトのための衣服なんだから当たり前かもしれないけれど。

 

 今まであまり意識してなかったけれど、ちゃんと着飾ると本当に美人なんだな。

 こんなきれいなヒトが、若くして亡くした父親から組織を受け継いで、いつも戦場で埃にまみれながら戦っているんだもんな。

 本当に苦労ばっかりのヒトだ。今この瞬間だって・・・・・・

 

 私が見ているのに気づいたカコさんが「どうしたの?」と微笑みながら視線を合わせてくる。

 神妙な顔で思い悩んでばかりだったカコさんが、そんな風に笑いかけてくれたことに、私はちょっぴり嬉しくなって安心した。

 潜水艦の中では顔を合わせる機会もなかったから、カコさんともっと話がしたくなった。

 

「色々大変じゃないかって、ちょっと心配だったんです」

「ごめんなさいね。頼りないリーダーだわ」

「べ、別にリーダーじゃなくたって、私はカコさんが好きですから」

「アムールトラ・・・・・・」

 

 いつも毅然と振る舞わなくても、私の前で弱い面を見せてくれてもいいですよ、と伝えたかったんだけど、上手く言葉に出来なくて変な言い回しになってしまった。 

 それでも察してくれたのか、カコさんは緊張をほどくように、深いため息をひとつ付くと、観念したように語り始めた。

 

「・・・・・・そうね、ここ最近は特に堪えてたわ。今まで私は、どんなに嫌な事があっても、空さえ飛べれば息抜きが出来てた。でも、海の中じゃそれも叶わないものね」

 

 そう言いながら、窓の外の空を眩しそうに見つめている。まるで檻の中の小鳥が外に出たがっているような感じだ。

 生まれた時から運命の鎖に縛られ続けている彼女にとって、空は自由の象徴なのかも知れないな・・・・・・と彼女のことを良く知りもしないのに、わかったような想像を掻き立ててみる。

 

「私の家には、中古の小型ヘリが2機、自分で組み立てたオートジャイロが3機あるわ。それとね、今の戦いが終わったら、15年ローンで複葉機を購入しようと思っているの。サルムソン2A2・・・・・・気分は星の王子様よ」

 

 興が乗ってきたのか、カコさんも珍しく自分のことを良く話してくれた。

 オートジャイロ? 複葉機? ヘリコプター以外にも、そんなに空飛ぶ乗り物があるんだな。

 飛行オタクを自称するカコさんは、プロ顔負けの操縦が出来るぐらい、暇さえあればそれらを乗り回しているという話だったな。

 

「アムールトラ、よかったら複葉機の初フライトに付き合ってくれる?」

「誘ってくれて嬉しいです。でも実は私、高い所って苦手で・・・・・・」

「あら、食わず嫌いはいけないわ、正面から風を受けながら飛ぶ感覚は、一度味わったら病みつきになるわよ」

 

「・・・・・・ゴホンッ」

 シガニーさんが、緊張感のない雑談を唐突に始めた私とカコさんを、運転席のバックミラーごしに見咎めた。

 しかしすぐに溜息をついて「まあいいか」と視線を外した。自分たちのリーダーは、こんな移動時間ぐらいしか気を抜くことが出来ないんだ、と大目に見てくれたようであった。

 

「はしゃいでいるのを見ると、子供の頃と変わらないさね」

 そんな風に遠い目でつぶやくシガニーさんの声色は、まるで自分の子供に言っているかのような感慨が入り混じっていた。この2人がどれほど長いあいだ背中を預け合ってきたのか、私には想像もつかない。

 

「カコさんとシガニーさんはいつ知り合ったんですか?」

「ざっと20年前さ。あたしゃ駆け出しの看護師だった。ボスとこんなに長い付き合いになるなんて、あの頃は想像もしてなかったねえ」 

 

 20年前、というワードを聞くと、今や反射的に思い浮かんでしまうのが例の話だ。

 セルリアンとフレンズが発見され、パークとCフォースという組織が生まれていがみ合っていった一連の出来事のことを。

 

「ボス、あの写真をアムールトラに見せてやったらどうだい?」

「・・・・・・そうね。私もそうしようと思っていました」

 

 カコさんの表情が一瞬曇ったが、シガニーさんの提案に頷いて、膝に置いたハンドバッグからスマートフォンを取り出して私に見せてきた。

「この写真は私の宝物でね・・・・・・だから実物は実家に飾ってあるの」

 

 画面の中には集合写真が映っていた。古い写真らしく多少色やけしている。

 地平線を臨むどこかのだだっ広い草原で、何十人ものヒトが立ち並んだり座ったりして集まっている。多くのヒトは白衣を着ていて、科学者か医者の集まりのように見える。

 白衣の男たちに交じって女性や子供も何人か写っている。家族なのだろうか。

 

「この写真は?」

「20年前、南アフリカにて始めて発見されたフレンズを研究していたチームの写真よ。まだパークもCフォースもない、すべてが幸せだった頃のね」

「・・・・・・っ!」

 

 その言葉を聞くなり、私は目を凝らして白衣の男たちの顔を1人1人見比べた。

 やがて1人の男に目が留まる。

 ひょろっと痩せた体の上に、困ったように笑う顔を乗せた、いかにも文弱で人が良さそうな青年がいる。別段存在感があるわけでもないけど、私にとっては最もなじみ深い顔だった。

(所長、今とぜんぜん変わんないな・・・・・・)

 そして若かりし頃のヒグラシ所長のすぐ隣に、グレン・ヴェスパーがいた。

 金髪をオールバックにまとめ、知的に光る青い瞳の上にはトレードマークのような片眼鏡が掛けられている。

 写真に写っている者の中でも格別に端正な容姿だが、誰もが笑っている中で1人だけ苦虫を噛み潰したような顔をしており、そこから感じられる印象は、単に神経質そうな男というだけだった。

 メガバットの記憶の中にいた、野望と狂気に囚われた男の片鱗はまだ見えない。

 

 大勢が映り込む写真の中でも一番存在感があったのは、中央でリーダー然とした様子で立っている凛々しい顔つきをした壮年の男と、その前でしゃがんでいる幼女だった。深緑色の髪をした可愛いらしいその子は、弾けるような満面の笑みを浮かべている。

 そしてもう一人、幼女にじゃれ合うにして抱き着いている女の子がいた。

 斑模様の手足と尻尾、頭頂部から生えた三角形の大きな耳、周囲とは明らかに浮いている異様な風体は・・・・・・。

 

「この真ん中にいる子供、カコさんですよね? その隣にいるのって、まさか」

「フレンズよ。南アフリカにて、歴史上一番最初に発見された天然フレンズ、サーバルキャット。チームの研究対象として身を捧げてくれた子よ」

「サーバル、キャット・・・・・・?」

 

 キャットというぐらいだから、私と同じネコ科の子なんだろう。

 体の斑模様はパンサーとかなり似ている感じがする。でも耳がアンバランスなぐらい大きいし、尻尾も私たちの細長いのと違って、箒みたいにフサフサしてて太い。 

 幼いカコさんと抱き着きあって笑う姿は無邪気そのものだ。きっと明るくて賑やかな子だったんだろう。

 

「彼女は研究チームの希望の星だった。私にとっても掛け替えのない最高の友達だった・・・・・・」

 遠い目をして微笑むカコさんが、写真の中の幼女にピッタリと重なるような気がした。

 

「サーバルキャットは今はどうしてるんですか?」 

「わからない・・・・・・多分もうこの世にいないわ」

 

 それは20年前のある日のことだったという。

 研究チームのキャンプをセルリアンの大群が強襲した。本当に想定外の事態だったらしい。キャンプ地があったのは、およそセルリアンは見向きもしないような人里離れた平原だったからだ。

 ずっと後になってわかったことだが、そこはアフリカ大陸各地に複数存在する、セルリアンを生みだす「卵管」が近くにあったらしい。

 

「セルリアン探知機が上手く働いたおかげで、多くの研究者は無事に逃げたそうだけど、私は逃げ遅れてしまったの。父ともはぐれて、気付いたら一人でセルリアンに囲まれてたわ。子供心に死を覚悟した・・・・・・でも、サーバルキャットが私の命を救ってくれた」

 

 辺りを埋め尽くすほどのセルリアンの大群に囲まれ絶望していたカコさんの前に、突如サーバルキャットが助けに現れたという。

 幼いカコさんを守りながら必死に戦う彼女だったが、しかしあまりにも多勢に無勢だった。セルリアンに袋叩きにされ、見る間に全身をズタズタにされていった。それでもカコさんを守るために一歩も引かなかった。

 

「・・・・・・そして見たの。あの光景のことは今でも目に焼き付いているわ」

「な、何を見たんですか!?」

「フレンズがフレンズの枠を超え、何か別の存在に進化した・・・・・・今考えると、あれはきっとそんな瞬間だったんだわ」

 

 満身創痍のままカコさんの盾になっていたサーバルキャットが、奮戦もむなしく膝から崩れ落ちそうになった瞬間、晴れていたはずの空に、とつじょ稲妻が閃いて、彼女の体を直撃したという。

 稲妻に撃たれた彼女の体からは、漆黒の炎のようなオーラが立ち昇った。死の寸前にまで傷ついていたはずなのに、再び活力を取り戻し、腕の一振りで何体ものセルリアンを蹴散らす程の超常的な力で戦い始めたらしいのだ。

 

「稲妻が閃いて、体に落ちた・・・・・・?」

「ええ、あれが何だったのかは今でもわからない。今までサーバルキャットの他に、そんな状態になったフレンズはいない。野生解放とも、先にある力とも違う、それらを遥かに越える強い力を感じたわ・・・・・・そしてそれが、彼女を見た最後の姿だった」

 

 カコさんはサーバルキャットの攻撃の余波で気絶してしまったという。

 そして次に目を覚ました時には、大量発生していたはずのセルリアンがきれいさっぱり消滅していた。静寂につつまれた平原には、無数のクレーターが空いており、まるで軍隊同士で戦争でもやりあった後であるかのように、凄まじい戦いの痕跡が残されていたのだと。

 

「もちろん研究チームはサーバルキャットの行方を捜した。チームがパークとCフォースに分裂した後も、両方の組織が何度も彼女を捜索した。でも未だに体毛一本たりとも見つかってない・・・・・・いまにして思えば、あれがすべての始まりだったのね」

 

 サーバルキャットに対する解釈の違いが、研究チームを真っ二つに割いた。

 カコさんや、そして父・遠坂さんはサーバルキャットの喪失を深く悔やんだ。後から現れるフレンズたちを人類のかけがえのない友として受け入れていく決意を固めた。

 一方でグレン・ヴェスパーは、セルリアンをも倒すフレンズの兵器としてのポテンシャルに魅入られた。奴の最終目標は”あの日”のサーバルキャットを再現することだとカコさんは推測する。

 私とクズリは、そのための候補に選ばれていたわけだ・・・・・・

 

「あのあと私は、ショックで心を病んで、そのせいで声も出せなくなっていました。父ともしばらく別れて、病院で寝たきり生活を送っていました。そんな時、シガニーが私を助けてくれた」

「・・・・・・ちょっとボス、この流れでアタシの話なんかするんじゃないよ!」

「ふふふっ、じゃあシガニーから話してくれますか?」

 

 辛い思い出に表情を暗くしていたカコさんに、にわかに笑顔が戻った。

 シガニーさんは照れるようにかぶりを振っていたが、私が懇願するように話の続きを求めているのを察すると、やがて自嘲的に笑いながら語り始めた。

 

「なーに、気晴らしになればと思って、趣味のスカイダイビングにボスを連れていっただけさね。我ながら何でそんなこと思いついたんだか・・・・・・若くてバカだったよ。おかげであたしゃ病院をクビになり、この子は変な趣味に目覚めちまった」

「シガニーは私に空の素晴らしさを教えてくれた先生なのよ」

 

 狭い車内の中をカコさんとシガニーさんの笑い声がこだましている。私も釣られるようにして控えめに笑う。

 

 縁っていうのは不思議なもんだな・・・・・・と、ふとそんなことを考えてしまう。

 誰が誰と出会うかはわからないのに、ひとつの出会いがその後の人生にずっと影響を与え続ける。ヒトもフレンズもそれは変わらない。

 そうやって辿り着いた今を、誰もが必死に生きている・・・・・・新たな出会いが待っている明日に向かって。

 

 

 車を数十分も走らせてメインストリートを抜けると、街の様相が徐々に変わっていった。

 埃っぽい生活感あふれる雑踏はどこへやら、ホテルのような洋館や高層ビルが、きれいに舗装された道を間隔を広く開けて立ち並んでいた。

 多くの建物の前にはライフルを携えた警備兵がいる。その間をスーツ姿の役人がせわしなく往来している。

 大きなアンテナを乗せた中継車の傍で生中継にいそしむレポーター達も散見された。

 市井の笑顔は消え、代わりに重苦しい緊張感が辺り一帯に立ち込めている。

 

 この辺りは政府関連施設が集中しており、私たちの目的地である国連事務局もこの一角にあるらしい。 

 マダガスカルは今、アフリカ大陸全体のセルリアン災害に対する人道支援の中心地だ。中でもこの場所は政策を決定する中枢であり、その一挙一動に世界中が注目しているという話だ。

 この有様を見れば十分に納得できる話だと思った。

 

 メインストリートの楽しそうな賑わいを見て、ちょっとした観光気分にさえなっていた先ほどの自分の浅はかさを後悔する気持ちになった・・・・・・血は流れなくても、ここも一種の戦場なんだ。

 

「そろそろ着く頃だよ。2人とも準備はいいかい?」

「ええ、ともかく言葉を尽くしてイーラ女史を説得しましょう。そして彼女が20年前と変わらずに、私たちに協力してくれることを願いましょう」

 

 そんなやり取りをしながら辿り着いたのは、警備兵が入口を固める豪奢な洋館だった。

 特徴だけでは他の建物と区別は付かないが、屋根のてっぺんには、世界地図を象った紋章をあつらえた青い旗がはためいていた。あの紋章が国連のシンボルなんだそうだ。

 黒塗りの高級車ばかりが並ぶ庭の隅に、レンタルの安っぽい軽バンを駐車させると、さっそく近づいてきた警備兵たちからボディチェックを受けた。何も出て来るはずもなかったが。

 

 ようやく建物に入ることが許され、カコさん達のすぐ後ろに付いて歩きだした瞬間、私をじっと見つめて来る視線があることに気が付いた。

(・・・・・・な、あれは!?)

 上だ。屋根の上に誰かいる。

 驚きのあまり平静を装うことも忘れて上を見ると、気配の主と目が合った。オレンジ色のクリっとした瞳が私を凝視している。

 その者がいるのは青い旗がはためくポールのてっぺんだ。

 あんな所に突然現れて、人間離れしたバランス感覚で当たり前のように直立している。

 

 言うまでもなくフレンズだ。小柄で身軽な体に短い髪・・・・・・何より特徴的なのは、自身の体よりも長大な尻尾を持っていることだ。

 彼女の姿を見てふと、私の記憶のなかによく似た風貌のフレンズがいたことを思い出した。

 スパイダーだ。ということはあのフレンズも、スパイダーと同じサルの一種なんだろうか? 

 この屋敷を警備するためにここにいるのだろうか、それとも・・・・・・。

 

(いけない、怪しまれる)

 あわてて思考を中断させると、サルのフレンズからさり気なく視線を外してカコさん達の後を追った。

 国連事務局の中は、外装に輪をかけて豪華絢爛だった。しかし殺気だった顔つきの訪問者たちでごった返していて、外よりもなお重苦しい緊迫感が張りつめていた。

 誰もが口々に自分の話を聞いてもらおうと、窓口に座る受付係と押し問答をしている。私たちと同じように抜き差しならない問題を抱えて、ここに助けを求めに来ているのだろう。

 

「・・・・・・やれやれ、腹ごしらえでもしようかね。食堂とかあるんだろ?」

「レストランに来たんじゃないんですよ」

 

 待ち時間が数時間やそこらじゃ済まないであろう予感に、カコさん達が顔を見合わせながらため息を付いていた矢先「カコ・クリュウ様ですね」と呼びかけてきた声が私たちの体を電流のように震わせた。

 

「私はペニーワースという者です。局長からあなた方をすぐに通せと仰せつかっております」

 とつじょ現れた執事風の初老の男が、うやうやしくお辞儀をしながらそう言うと、私たちを手招きしながら先に立って歩き出した。

 他の訪問者たちから「後から来たやつがなぜ一番なんだ」と言わんばかりの恨めしい視線が注がれる中、私たちはロビーの奥に案内される。

 絵画や写真が飾られる美術館のような廊下の先、金細工が施されたエレベーターに乗り込むと、男はパネルの一番右上にある、最上階へと向かうボタンを押した。

 

「実を言えば、イーラ局長は高齢ゆえ実務は執り行っておりません。あの方ほどの大物となると、何もしなくとも、ただそこにいるだけで多大な影響力を持ちますので・・・・・・そんな局長が自ら対談を希望されるとは、あなた方は特別な客人なのでしょうね」

 

 エレベーターの中で、ペニーワースと名乗る男は私たちの素性を訝しむような口ぶりで話しながらも、別段それ以上は追及する素振りは見せなかった。

 ここに勤めて長いのだろう、自分のするべきこととそうでないことをしっかりと弁えている雰囲気だ。

 

 最上階に着くと、アンティーク調の長大なテーブルの周りを、ゆったりとしたソファが取り囲んでいる待合室が姿を表した。

 部屋の突き当りには両開きの扉があった。ペニーワースが扉に近づいていくと、場を支配する重苦しさが輪郭をはっきりと現していくような気がした。

 元アメリカ大統領夫人。アメリカという国に行ったことはないけれど、世界で一番豊かで立場が強い国だってことは知ってる。Cフォースの本部がある国だとも。

 その国のトップっていうのは、世界で一番偉いと考えていいのだろうか? かつてそんなヒトの夫人だったお方との謁見が、いま実現しようとしている・・・・・・

 

 ペニーワースは3回ノックをしてから、扉越しにうやうやしく頭を下げ「お客人をお連れしました」と告げる。

 そうして私たちの方へ振り替えると「カコ・クリュウ様おひとりでお入り下さい」と述べた。穏やかながらも、異論は一切挟ませないと言わんばかりの毅然とした態度だ。

 

「お連れの方はここでお待ちを。その人物の真価を推し量るためには、一対一で話し合うのが最善、というのが昔からの局長のお考えなのです」

「シガニー、アムールトラ・・・・・・心配しないでここで待っていてください」

 言葉とは裏腹に緊張を隠せないカコさんが、無理に笑顔を作って頷くと、ペニーワースが静かに開け放った扉の向こうへと消えていった。

 

 その後どれくらい時間が経ったろう。太陽がほとんど動いていないのを見ると、そんなに経っていないのだろうけれど、無限にも思えるほどの長さに感じた。

 あの扉の向こうでどんな話し合いがなされているのだろう・・・・・・

 

「落ち着きなって」と、ソファにどっかりと腰掛けながら私に注意してくるシガニーさんは、タバコ一箱をすでに空にしていて、さらに二箱目の封を切ろうとしていた。

 私は立ち尽くしたまま「上手く行くんでしょうか」と呟いた。 

「決して楽観はできないね」と彼女は溜息交じりに煙を吐き出した。

 

 Cフォースは今や国際的にかなりの影響力を持つほどの組織だ。Cフォース産の人造フレンズは対セルリアン防衛戦力の要であり、当然ここマダガスカルにも配属されている。

 イーラ女史ほどの大人物が、たとえ内心では私たちに協力したいと思っていたとしても、そうすることでCフォースから目を付けられるリスクは避けたいだろう・・・・・・というのがカコさん達の事前の予想だった。

 それを承知でパークに肩入れする価値があると思わせないといけないのだと。

 

「シガニーさん、そういえばさっき、フレンズの姿を見かけたんです。館に入る直前に・・・・・・」

「な、何だって? ソイツは敵なのかい?」

「わかりません。ただ私たちのことを、品定めするように見てました。何のフレンズかはわからないけど、おそらくはサルの一種で・・・・・・」

 

《ねーねー、それってアタシのこと?》

「ッ!?」

 

 2人しかいないはずの待合室に、どこからか聞きなれぬ声が割り込んで来た。

 ギョッとして声のした方を凝視する。そこは待合室に日光を差し込ませている窓の一つだ。

 地上何十メートルはあるであろう屋敷の最上階の窓に、何者かの影が現れていた。

 

「ひょっとして、アイツのことかい?」

「・・・・・・そうです」

 先ほど屋根の上から私たちを見ていたサルのフレンズが、今度は逆さまの姿勢で窓に張り付いている。おそらくは長い尻尾をどこかに引っ掛けているんだろう。

 

《ねー、窓を開けてよ。こっち側からじゃ開けられないんだよう》

 窓をノックしながら、臆面もなく私に向かってそんなことを言っている。どういうつもりなのか・・・・・・敵かどうかはっきりしない以上は、こちらから敵対的な行動を取るわけにもいかない。

「シガニーさん、私から離れないでください」

 警戒しながらも、仕方なく相手の言う通りに窓を開け放った。

 

 サルのフレンズは、尻尾でぶら下がった小柄な体を振り子のように振り、ふわりとトンボを切りながら待合室へと降り立った。

 なるほど、近くで見ると尚更よくわかる。大きくクリっとした瞳といい、短い髪といい、やっぱりスパイダーとよく似た風貌をしている。

 しかし色味が全然違う。鮮やかな金一色の体をしていたスパイダーと違って、彼女の体は白と黒、二つの色にはっきり分かれていた。縞々の尻尾は私のそれとも似ているけれど、縞の太さが私のより段違いに太かった。

 

「ねー、なんでヒトのフリなんかしてるの? あなたフレンズでしょ?」

「どうしてそれが・・・・・・」

「そんな下手くそな変装、ヒトは騙せてもフレンズにはわかるよう。ねーどうして?」

 

 大きな瞳で凝視しながらグイグイと問い詰めてきたが、まだ敵意らしきものは感じない。私の正体を根掘り葉掘り探ろうとしているようだ。

 ということはこの子は、この屋敷の警護を任されているフレンズだと思って間違いないだろう。高い所から屋敷に出入りする者を見張り、ヒトに扮するフレンズという不審な存在を見つけたから、こうして問い詰めにやってきたんだ。

 

「ボディガードなんだ。私の主人は、色んなヒトに命を狙われているから・・・・・・」

 なんとかその場を凌ごうと説明してみる。パークっていう身元は明かさないにしても、話していることには嘘偽りはない。 

 

「ふーん、あなた何てフレンズなの? あたしはワオキツネザルだよ」

「私は”アモイトラ”だ。よろしく」

 

 咄嗟に偽名を思いついたのは我ながら機転が利いたと思う。むかしヒグラシ所長に教えてもらったトラの種族名の中に、私によく似た名前の種族がいることを覚えていたからだ。確か中国原産の種族だったと聞いた。

 

「えー! あなたトラなの!? 今話題の”シベリアンタイガー”と同じだね!」

 ワオキツネザルが、トラと聞いた途端血相を変え、さらに私の名前を口にしてきたことには思わず背筋が凍った。

 話題の当人が目の前にいると知ったら、彼女は一体どんな行動を取るだろうか。

 

「・・・・・・た、確か、Cフォースを裏切ったフレンズだったよね」と、私はあくまですっとぼけながら、恐る恐る彼女に話を合わせた。

「そーそー、すごく強くて有名だったのに、何とかっていうテロリストの仲間になって、Cフォースの兵士を襲って回ってるらしいよ。そんなおっかない奴がアフリカのどこかにいるんだって。早く捕まって欲しいよう」

 

 ワオキツネザルの返答には少し違和感を覚えた。

 メガバットから聞いた話によれば、たしか私はグレン・ヴェスパーの最優先ターゲットに入っているそうじゃないか。

 賞金首のような扱いになっているはずの私に対して、何というか、すごく他人事くさい反応だ。

 Cフォース産の人造フレンズであることは間違いないはずなのに、グレン・ヴェスパーの意志とは遠く離れた所にいるように思える。

 

「・・・・・・君はシベリアンを捕まえないの?」

「あたしはイーラ様をお守りするのが仕事だよ。そんなことは他のフレンズがやることだよ。大体マダガスカルじゃ戦闘はご法度なんだから」

「守るだけ? セルリアンと戦うために世界中あちこち向かわされたりしないの?」

「やらないよう。あたしはマダガスカル生まれマダガスカル育ちだもん」

 

 生まれた国を出たことがないだって? 天然フレンズならいざ知らず、人造でそんな生い立ちの者がいるだなんて想像したこともない。

 理解が追いつかない答弁に私が言葉を失っていると、後ろからシガニーさんが「あり得ない話じゃないよ」と、口を挟んだ。

 

 彼女が言うには、人造フレンズを生み出し訓練するCフォースの施設が、世界各所に急ピッチで造設されているという。アフリカ大陸の重要な防衛拠点であるマダガスカルもその一つだ。

 それに伴って人造フレンズの数も急速に増えている。私がCフォースにいた頃と違ってフレンズの数に余裕があるから、少数をあちこちに派遣しなくてもいいし、要人を警護するという任務に専任させることもできる、と。

 

 ・・・・・・それは取りもなおさず、たくさんのフレンズ化施術が行われていることを意味する。蘇生しなかった動物の死骸は廃棄され、五体満足に蘇生出来なかったフレンズはガス室で殺される。施術の成功率は低く、数打ちゃ当たるの状態が続いている。

(まったく酷い世の中になったもんだよ)

 シガニーさんは舌打ちしながらそう言い捨てた。

 

「ねー、それであなた達はどこの国の何て組織? アモイトラ、あなたはCフォースのどこの所属?」

「・・・・・・それは」

 

 ワオキツネザルはなおも私たちに問い詰めて来る。

 話題を逸らすのもいよいよ限界なのかもしれない。

 言い訳を考えあぐねていると、シガニーさんが「後は任せな」と私の肩を叩きながら前に出た。

 

「アタシたちはパークっていう団体さ」

 いきなり身元を明かしたシガニーさんに思わず面食らう。

 確かにワオキツネザルは、パークのことを「何とかっていうテロリスト」と呼称していた。こちらのことを詳しく知らないのは明らかだ・・・・・・それにしたって、思いきりが良すぎるような気がするけど。

 

「アタシたちはフレンズを色んなひどい扱いから守るために活動してる。今回はそのためにアンタの主人の力を借りに来たのさ」

「・・・・・・ふーん、じゃあ、いいヒトたちなの?」

「ああそうさ。だから安心しなよ」

 

 疑いの眼差しを向けてきていたワオキツネザルの表情が緩みはじめる。

 危険な賭けではあったけれど、あれこれ誤魔化そうとするより、真っ直ぐな善意をぶつける方が正解だったようだ。

 シガニーさんの捨て身の立ち回り方は、カコさんともよく似ていると思った。2人で一緒に何年も過ごすうちに、どちらからともなくそうなったのかもな。

 

_______ウィィィンッ

 ほっとして胸をなで下ろそうとした瞬間、向こうのエレベーターが開かれた。

 中から現れたのは、拳銃を携えた数人のSPたちだ。

 ただ事ではない様子で勢いよくこちらへ駆けこんでくると、私とシガニーさんに向かって銃口を向けてきた。

 

「いきなり何のマネだい!?」

「NGO団体パーク・・・・・・お前達に国際的な逮捕令状が出回っている。観念して縛に着け」

「逮捕令状? 冗談はよしておくれ!」

「黙れ。警官隊がお前達を逮捕しにこの屋敷へ向かっている・・・・・・我々はお前達を捕縛して警察に引き渡す」

 

 何が起きたか良くはわからないが、SPたちの様子は冗談ではなさそうだった。

 拳銃を真っ直ぐ構えながらジリジリと距離を詰めて来る。そして彼らの中の一人がワオキツネザルに目くばせすると「出番だ」と怒鳴った。

 

「ワオキツネザル! イーラ様の御前から曲者を排除しろ!」

「・・・・・・なんだ。やっぱり悪いヒトたちだったんじゃない」

 そう独り言ちるワオキツネザルの、オレンジ色の大きな瞳に殺気の炎が宿る。抜き差しならない敵意をこちらに向けながら、小さい体をより低く身構えた。

 

 避けられない争いの予感が、私の鼻先をツンと撫ぜる。

「ワオキツネザル。君にひとつ嘘を付いてた・・・・・・私の名前はアモイトラじゃない」

 銃口からシガニーさんを庇うように前に出ると、私は軽く頭を下げて謝罪の意を示しながら言葉を続けた。

 

「私がシベリアンタイガーだ!」

_______バリィッッ

 覚悟を決めた瞬間、それまで身にまとっていた仮初めのドレスが弾け飛んだ。

 けものプラズムが虹色の光を放ちながら再び具現化し、私はフレンズとしての本来の姿を取り戻していった。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・霊長目・キツネザル科・ワオキツネザル属
「ワオキツネザル」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・サーバル属
「サーバルキャット(消息不明)」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「ジェイコブ・ペニーワース(Jacob Pennyworth)
年齢:64歳 性別:男 職業:国際連合 安全保障理事会マダガスカル支部副局長

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章16 「カコのけつい」(中編)

「イーラ様を守るんだから!」

 

 ワオキツネザルが勢い良くこっちに向かってくる。

 SPたちの銃口よりも鋭い眼光が、彼女が仕掛けて来るタイミングと、どこを狙っているかを前もって知らせてきた・・・・・・しかし事前にわかるのはそれだけだ。

 パンチなのか、キックなのか、それは目で見なければわからない。銃を撃つことしか出来ない相手なら、何人いようが物の数じゃないが、フレンズ相手の格闘戦は何が起こるかわからない。

 

_______ブォンッッ!

 ワオキツネザルは低く跳び出すと、空中で体を丸めて体当たり攻撃を仕掛けてきた。白と黒にはっきりと分かれていた体色が、灰一色の球体になっている。

(これが彼女の技か!)

 かなりの速度の体当たりだったが、なんとかこれを躱す。風圧を頬に受けながら振り返ってワオキツネザルを見やると、彼女はなおも勢いを緩めずに直進し、そのまま壁に衝突してしまった。

 

 自爆したのか、と思考したのも一瞬のこと。

 ボールがバウンドする様を見ているかのように、球体と化したワオキツネザルの体が跳ね返り、また別の角度へと進み始めた。

 その勢いは最初とまったく変わらない。いや、むしろ増しているような・・・・・・まさか彼女の攻撃は、ここからが本番だということなのか。

 

_______ガンッ! ガンッ! ガコンッ!

 

 大した広さもない待合室の中を、灰色の球体が縦横無尽に跳ね回っている。遮蔽物に身を隠そうにも、ワオキツネザルの体当たりはぶつかった柱や机を貫きかねないほどの威力だ。

 室内を破壊し続けながらも、攻撃の勢いはまったく収まる気配がない。まるで局地的な竜巻が吹き荒れているかのようだ。

 さっきまで銃を向けてきたSPたちが、いつの間にかエレベーターの傍にまで退避していた。ワオキツネザルの戦闘スタイルを知ってのことだろう。味方の攻撃で巻き添えを食らうわけにはいかないものな。

 

 逃げ場のないシガニーさんは、やむなくその場に身を伏せている。私は彼女を守るように傍に立ちながらワオキツネザルの動きを必死に目で追った。

 

 所狭しと跳ね回るワオキツネザルが、目の前の床でバウンドすると、ふたたび私に向かって飛んできた。

 どんなに威力が高くても、ただの直線運動だ。来ると分かっていれば対処することは難しくない。殴って撃ち落してしまえばいいだろう。

 

(だが、待てよ・・・・・・)

 あの攻撃はそんなに簡単に対処できるような代物ではない気がする。長年の戦いで培った勘がそう思わせる。

 そして次の瞬間には大まかな推論を立てることができた。

 ボールのように弾むワオキツネザルは、何かに体が叩きつけられても、それを己の攻撃のエネルギーに転ずることが出来るんじゃないだろうか?

 だとしたら、殴ったりしてみせたところで、玉突きのごとく彼女の勢いを速めてしまうだけ。

 

 もちろん躱すことは出来ない。ちょうどいま私の後ろにはシガニーさんがいる・・・・・・だったら残された対処法はただひとつ。

 砲弾のごとき勢いで突っ込んでくるワオキツネザルを正面に見据えると、着弾の瞬間を見計らって、両手で受け止めようと手を伸ばした。

 

_______バチンッッ!!

 彼女を押さえつけるために、完璧なタイミングで突き出したはずの両手が、彼女に触れるや否や、まるで電流が走ったかのように弾き飛ばされた。

 直後、勢い止まらぬ体当たりが胴体にぶち当てられ、今度は私がボールのように吹っ飛ばされるのだった。

「ぐあああッ!!」

 大の字のまま体が壁にめり込む。大型セルリアンの一撃にも劣らぬ、全身の骨と肉に響くほどの威力だ。これを何発も食らったら流石にマズい。

 

「アムールトラッ! 大丈・・・・・・うわぁッ!」

 私を心配して声をかけるシガニーさんが、すぐ傍でバウンドしたワオキツネザルの猛威に怯んで再びうずくまる。

 ワオキツネザルは私から先制ダウンを奪いながらも、なおも攻撃の手を緩める様子がない。

 油断や慢心とは程遠いその様子からは、確実に敵を仕留めようとする戦いのプロの気概が感じられる・・・・・・中々の相手じゃないか。

 

 壁にめり込んだまま、次の手を必死に考えた。

 どうして手が弾かれたんだろう? どうしてあんなに跳ね返りながらも勢いを保ち続けることが出来るんだろう?

 

 休みなく動き続けるワオキツネザルの体は、相も変わらず灰一色の球体だ。白と黒にはっきり分かれた体色が、よくあんなに混ざり合うもんだな。きっと物凄い勢いで回転して・・・・・・

(そ、そうか!)

 飛んでくる勢いにばかり気を取られていたが、一撃を食らうことでようやく気が付いた。

 回転・・・・・・それが彼女の技の要なんだ。

 球体と化した体を激しく回転させることで、色んな角度に跳ね返る勢いを付けるための原動力を作り出し、かつ敵の攻撃を弾き飛ばしてしまう防御としているんだ。

 

「早くそこから動くんだ!」

 シガニーさんが叫ぶのを脇目に、ワオキツネザルが再び私に向かって突っ込んで来ていた。私はようやく壁から這い出ながらも、その場から動かずに彼女と相対した。

「アムールトラ、なぜ避けない!?」

 

 今度は大丈夫ですよ、とシガニーさんへと内心で返事しながら、向かってくる灰色の球体に対して意識を研ぎ澄ました。

 見切ってやるんだ、彼女の技を・・・・・・

 凝らした瞳に映る彼女の姿が、だんだんと灰一色から、白と黒が混在した元の状態に見えて来る。肉薄する距離にまで接近を許してから、やっと私は動いた。

_______スパンッ!

 撃つわけではない。受け止めるわけでもない。私はただ、彼女の体当たりを平手で撫でるように払いのけただけだった。

「うぎゃあっ!!?」

 たったそれだけのことで、彼女は球体を保てなくなり、ほどけた手足をきりもみ回転させながら、私のすぐ後ろの壁に向かって縺れるように激突した。 

 

「ぐっ、ううっ・・・・・・シベリアンタイガー、あたしに何したんだよう」

 グロッキーになって足元をふらつかせながらも、ワオキツネザルはなおもガッツを見せて元の前かがみなファイティングポーズを取った。

 お互いにまだ一撃入れただけ。しかしダメージは明らかに彼女の方が大きい。それも当たり前の話だ。何故なら私がやったのは・・・・・・

 

「君の体が回転する勢いを増してやった」

 回転の軸を見切り、同じ軸に向かって私の腕力をさらに乗せることで、ワオキツネザルの回転の勢いを倍加させた。

 自身で制御できる以上のスピードで回転させられたために、彼女の体は球体を保てなくなった。

 普段以上の勢いがついたまま壁に叩きつけられたんだ。普通に技を食らった私よりダメージが大きくなるに決まっている。

 

「ワオキツネザル、これ以上はやめにしてくれ。私たちは戦いに来たわけじゃない・・・・・・それに、君の技はもう私には通用しない」

「え、え、偉そうに! 悪い奴らの言うことなんてあたしは聞かないよう!」

 

 私の言葉に激昂したのか、ワオキツネザルの戦意がますます燃え盛っている。まだまだ終わりそうもない気配だ。

 仕方ない、と思いながら再び後屈立ちで身構えた瞬間。 

_______ギィィィッ・・・・・・

 待合室の奥にある扉が、ゆっくりと静かに開かれた。

 すると場の空気があっという間に変わった。

 再び私に襲い掛かろうとしていたワオキツネザルも、エレベーターの間際で銃を構えていたSPたちも、顔を真っ青にして首を垂れた。

 

「おおっ、何と嘆かわしい有様であることか」

 扉の奥からまず出てきたのは、執事風の男ペニーワースだ。

 彼は車椅子を押していた。そこに座る人物に視線を落としてお伺いを立てるように呟いている。

「修繕に幾らかかることやら・・・・・・局長、いかがいたしましょう?」

 

 車椅子に座る高齢の女性は、周囲すべてがひれ伏す存在感もさることながら、見た目が何よりも目を引いた。

 大きな薔薇の花飾りを乗せた、どぎついパステルグリーンの帽子の下から、耳元でカールした白髪がのぞいている。

 羽織っているコートも、帽子とまったく同じ色合いだ。ど派手にも程がある装いだったが、けばけばしい感じはまったくなく、ただ完成された気品だけを感じさせた。

 イーラ・C・アルマナック・・・・・・写真で一度だけ見た要人。彼女に会うためだけに、私たちは遠路はるばるやってきたんだ。

 

「2人とも大丈夫!?」と、血相を変えたカコさんが、イーラ女史の後ろからあわてて出てきた。

 彼女の所へすぐに駆け寄りたい気持ちがありながらも、私はその場から動かずに、この場を支配するイーラ女史の一言一句に意識を傾けた。

 

「何をしているの・・・・・」と、皺がれた声が、先ほどの戦いがウソのように静まり返った待合室内に響く。

 SPの中の1人が、意を決したようにイーラ女史の前に駆け寄ると、片膝をついて「お目汚しして大変申し訳ありませんでした」と平伏した。

 

「この者たちは大規模なテロの計画者として、国際的に指名手配を受けているようなのでございます。それが発覚したのがついさっきのことであったため、みすみす侵入を許してしまいました」

 

 SPは後ろを振り返って仲間の一人に手振りで合図した。招かれた男も前に出て同じようにひざまづき、どこからともなくタブレットを取り出してイーラ女史に向かって掲げた。

「そ、そんな・・・・・・」

 イーラ女史の隣でそれを見たカコさんが、口元に手を当てながら青ざめた。

 

 タブレットの中には、カコさんとヒルズ将軍の顔写真が映されていた。つまりパークの指導者4人のうちの2人ということになる。

 色やけしてて少しぼやけた無表情が、かなり悪らつな印象を醸し出している。将軍はともかく、カコさんの写真はかなり実物からかけ離れているように思う。

 

「その手配書は本物なのかしら?」

「は、インターポールにて発行された物に相違ありません。警察にもすでに通報済みです。程なくして警官隊が屋敷に到着することでしょう」

「・・・・・・それは、困ったことだわね」

 

 イーラ女史は部下の報告に対して眉ひとつ動かさないまま、カコさんへと視線を向ける。

「何かの間違いです」と、カコさんは冷や汗をうっすらと浮かべたまま必死に弁解するが、イーラ女史は黙ったまま答えない。

 緊迫したこの部屋の中で、彼女の周囲だけ時間がゆっくりと流れている感じがする。

 

「ともかく、まだこちらの御客人との話は終わっていないのよ」

 少し時間が経ってからようやくイーラ女史は答えた。

「たとえ警察であっても、割って入られるのはご遠慮願いたいわ・・・・・・だから今日はもう、暇をいただこうかしら。ペニーワース、後のことは頼めるかしら?」

「もちろんでございます」

 

 その後、驚くべきことが起こった。

 イーラ女史は私たちを逃がすために一芝居打った。私たちに制服を貸し与えてSPに変装させ、あたかも護衛であるかのように装わせたのだ。

 犯罪者を匿ったりしたら罪に問われる、というSPたちの進言にもまるで耳を貸すつもりはないようだった。

 そして主人の意図をすべて理解しているであろうペニーワースに後を任せ、私たちを連れて事務局の外へ出た。

 

 SPに変装したカコさんが、イーラ女史の車椅子を押して進んでいる。カコさんの両サイドを固めるように本物のSPも二名いる。

 その後ろで私とシガニーさんが歩き、さらに少し後ろから、いまだに私を睨んでいるワオキツネザルが付いてきている。

 

 屋敷の入り口近辺は、すでに数十台のパトカーと数百人の警官がすでに待機していた。広い通りにどよめき立つ野次馬を大声で追い返しながら、完全な包囲網を形作っている。

 1人1人が、全身を隠せてしまえそうな大仰な金属の盾を片手に構え、もう片方には銃を携えている。たった3人を捕まえるのには大袈裟すぎる様相だ。

 その中の一人が私・・・・・・フレンズだということを知ってるからなんだろうな。

 しかしその一方で、私たちに関する詳しい情報は知らないように思えた。警官数百人は、確かに結構な人数だけれども、私を相手にするには全然足らない。 

 

 そんな大人数の武装した警官たちも、イーラ女史の姿を見るや否や構えを解き、一斉に頭を下げるものだから、彼女が持っている権力という目に見えない力の大きさが恐ろしいとさえ思えた。

 これほどの人物がリスクを冒してまで私たちに協力してくれるだなんて・・・・・・

 

「ここを通してくれるかしら? 捕り物をやるのでしょう? 危険に巻き込まれるのは、御免こうむりたいわ」

「ごもっともです。我々の方で護衛を用意いたします」

「結構よ。見ての通り、もう間に合っているわ」

 

 困惑し恐縮する警官たちが、左右にサッと分かれて道を開けると、私たちはその間を悠然と通り抜けるのだった。

 抜けた先の道路には、トラックと見まがうほどの巨大な黒塗りの車が姿を現していた。

 

 車体の横から地面に向かってスロープが降りている。カコさんがイーラ女史の車椅子を押しながらそれを登っていくと、後ろの座席にシガニーさんとSP2人が乗り込んだ。

 私もそれに続いてドアをくぐろうとすると、突如後ろから「わたしたちはこっちだよう」と、ワオキツネザルが私の肩を掴んでぐいと引っ張ってきた。

 

 彼女が指し示した先、車の後部ドアを開いた中のトランクは、ガラス張りの水槽のような空間に改造されていた。座席と思しき段も付いている。車自体が大きいものだから、トランクの中もそこまで狭くなさそうだ。

(ああ、そういうことか)と納得しながらガラスの檻の中に入りワオキツネザルの隣に座ると、ドアが自動で締まり、豆電球ほどの薄明りが灯る中で、2人で息を潜めることとなった。

 外の様子は見えないけれど、トランク内が振動し始めたことで、車が発進したことを悟った。

 

「シベリアンタイガー、あなたって色々とヘンだよう」

 私との戦いを無理やり中断させられて、まだ苛立ちが収まっていないのもあるのだろうけど、ワオキツネザルはともかく何か納得が行かないような表情をこちらに向けて来ている。

 

「戦いが嫌いなくせに、どうしてそんなに強いの? それに、どうしてヒトとそんなにベタベタしてるの? あたしたちの体は・・・・・・」

「聞いてくれワオキツネザル。こんなガラスの檻なんて本当は必要ない。私たちはヒトと一緒にいて良いんだよ」

 

 ワオキツネザルは知らないんだ。確かにフレンズの体からは放射線が出てるけど、人体に影響があるともないとも言えない微妙な数値。気にしないヒトは気にしない。

 私はパークの世話になり出してから、放射線のことでヒトに避けられたりしたことなんかない。そんなのはCフォースの中での常識でしかない・・・・・・まあ、ヒルズ将軍の潜水艦では原子炉のすぐ傍で寝起きさせられてるけど、あの狭い艦内ではやむを得ずそうするしかないだけで、別に差別されてるわけじゃない。

 

「そんなウソ信じないよう。私に優しくしてくれるのはイーラ様だけだもん」

 オレンジ色の瞳を伏せながらワオキツネザルが寂しそうにそう呟くと、トランクの隅の暗闇から何かを掴んで私に見せてきた。

 ・・・・・・ああ、これが何なのかは知ってるぞ。

 

「双眼鏡だね。これ、どうしたの」

「イーラ様は私に色んな玩具をくれるの。いつも頑張ってくれるお礼だって。中でもこれが一番好き・・・・・・だって、さびしさが紛れるんだもん」

 

 ワオキツネザルが自分の身の上を話してくれた。

 イーラ女史に仕える者の中で、フレンズはたった1人彼女だけ。ヒトとの接触も、仕事で必要な場合以外は基本的に許されていない。

 そんな彼女のささやかな楽しみは、街中で遊んでいる子供たちを、建物の上から双眼鏡で眺めることなんだという。本当は自分もそこに混ざりたい、という気持ちを抑えながら・・・・・・

 

「ワオキツネザル、パークはフレンズがヒトと仲良く暮らせる世の中を作ろうとしてるんだ。そうしたら君の夢もきっと叶うよ・・・・・・それに、君のご主人も、パークに味方してくれるつもりみたいだしね」

「ほ、ホントに?」

 

 ワオキツネザルの瞳の中にわずかに明るい光が灯り始める。敵として向かい合っていたつい先ほどよりも、確実に良い雰囲気が流れている。

 そう思ったのも束の間「だけど」と、彼女は再び顔をしかめながら不審そうに顔をそむけた。

 言いたいことはわかる。今の私たちを信じるのは流石に無理があるよな。

 

「あなた達パークがそんなに良いヒトたちだったなら、何で指名手配なんてされてるの?」

「わからない・・・・・・何が起こったんだろう」 

 払拭できない疑問を抱きながら、幾ばくかの時間トランクの中で揺られていると、やがて車が留まり、開かれた後部ドアから外の光が差し込んできた。

 トランクから頭を出すと、カコさん達が私と同じように不安を張り付けた顔で車から出てくるのが見えた。

 

 車を降りた先に広がっていたのは、あの雑踏溢れるメインストリートとも、緊迫感に満ちた政治中枢街とも違う。窪地には田んぼや畑が広がり、それを取り囲む丘の上に民家が軒を連ねている。虫の鳴き声や藁の匂いが心地いい。

 イーラ女史の自宅は、のどかな田園風景の中にあった。

 立派なレンガの塀に囲まれているし、周囲よりは明らかに大きな三階建ての建物だったけれど、見た目の印象としてはただの古ぼけた洋館で、特別に贅沢な感じでもなかった。

 

 塀の向こうに入ってすぐ、立派な大型犬が一匹だけ犬小屋の傍で寝ているのが見えた。

 イーラ女史の姿を見るなりゆっくりと起き上がってお座りの姿勢になり、わんと野太い声で吠えた。彼女も車椅子の上から「ただいまアドルフ」と返事をかえした。

「アドルフという子なんですね」と、車いすを押しながらカコさんが語りかけると「私の最後の連れ合いよ」と侘しげに答えた。

 

 アドルフを後目に私たちが門戸を叩くと、玄関先には数人の使用人やメイドが頭を下げて待っていた。しかし今の私たちにはもてなしを受ける暇などはない。

 使用人に案内されるがまま、連れだって屋敷内を進むと、やがて一際広々としたイーラ女史の私室に辿りついた。

 複雑な模様の絨毯や、大理石の暖炉の上に飾られたカーネーションやダリアなど、イーラ女史の服装と同様に色鮮やかな品々が目についた。それでいてベッドやテーブル、ソファなんかは落ち着いたアンティーク長の物で統一され、部屋の雰囲気を引き締めている。

 

 使用人は机の中央へとイーラ女史が座る車椅子を押していき、その後私たちにソファに座るように促すと、机の傍にいたメイドが白いティーカップに紅茶を注いで振る舞ってくれた。

 

「小一時間ばかり人払いを」

 イーラ女史がそう告げると、使用人もメイドも両開きの扉の前でお辞儀をしてから部屋を後にした。事務局からずっと私たちに付いてきていたSP二名もそれに続き、ワオキツネザルだけがたった1人護衛に残った。

 

 カコさんとシガニーさんが、それぞれに息を飲みながらイーラ女史と向かい合っている。

 ワオキツネザルは扉の前でじっと佇んでいたので、私もそれに倣い、ソファには座らず彼女の隣に立ってカコさんたちの様子を見守ることにした。

 やっぱりパークの仲間内以外では、あまりヒトの近くにはいない方がいいのかもしれない・・・・・・少なくとも今は。

 

「さて、先ほどの話の続きをしましょうか。パークの代表者として、私にCフォースとの停戦調停の仲介人を依頼したい、という話だったわね」

「はい。ぜひ貴方様にお願いしたいのです」

 

 緊張した面持ちのカコさんとは対照的に、イーラ女史は紅茶の香りを楽しむようにティーカップを口元で軽く揺らしている。そしてしばらくすると一口だけ音も立てずに啜り、ゆっくりとトレイに置いた。

 とても長く感じられる一連の動作を行った後、イーラ女史は悠然と言い放った。

「謹んでお受けするわ」

 その言葉を聞いた瞬間、シガニーさんも、そしてもちろん私も、彼女に向かって深々と頭を下げるのだった。

 

「ご助力たまわり感謝いたします。しかし、よろしいのですか? 私たちのためにこのような危険まで・・・・・・」

「いいえ、これは私の問題でもあるわ。こんな機会が来ることをずっと待っていた。よくぞ私を訪ねてくれたわね」

 

 イーラ女史は自嘲的に微笑むと、自身の心情を打ち明けてくれた。

 自分もまた、20年前から時間が止まったままなのだと。よかれと思って仲裁をした結果、パークとCフォースの深刻な対立を招いてしまった。そのことを彼女は未だに後悔しているという。

 セルリアンがもたらす社会の混乱により、両者の対立を解決することは一層困難になった・・・・・・彼女に残された道は、自らが築いた権力で社会貢献を続けることだけだった。

 やがてCフォースが支配体制の一角を担うことになると、同じ側にいるイーラ女史はCフォースを押さえつけることが出来なくなり、反体制側であるパークを支援することも、接触すること自体が困難な状況に陥ったという。

 

「フレンズという新しき友を受け入れ、一丸となってセルリアンからこの世界を守る・・・・・・それが今の人類の急務よ。この争いは一刻も早く終わらせるべきだわ。未来を生きる者たちに禍根を残してはいけない」

 そう力強く語りながら、イーラ女史は視線を横に流した。その先にあったのは、壁に掛けられた大きな写真だ。私たち全員もつられて写真を凝視する。

 

 写真にはイーラ女史が、彼女の子供や孫とおぼしきヒトたちと一緒に写っていた。彼女の老け具合からいっても、かなり最近のもののようだ。

 その中にたった1人だけ、異様に目を引く幼い子供がいた。

 顔は泥だらけで、金色の髪の毛はボサボサだった。まるで牧場の子供みたいなオーバーオールを着ている。ドレスや礼服で着飾った上品な男女たちが横並びで笑顔を作っている中で、明らかに浮いた身なりだ。

 幼いのも相まって、性別すらもわからない。良く見ると、オーバーオールのポケットの中にはネズミと思しき小動物が数匹入っていて、それを大事そうに両手に抱いている。

 

「ミセス・クリュウ。そのやんちゃ坊主が気になるかしら?」

「あ、いえ、申し訳ありません」

「それは曾孫のカレンダ。今は7歳で、いちおう女の子なのよ」

 

 と、私たちが注目する先を察したのか、イーラ女史が答えてくれた・・・・・・へえ、カレンダちゃんって言うのか。

「私の血を良く引いているのか、無頼の動物好きで、何匹ものペットと一緒に庭を駆けずり回っているそうよ。フレンズのことにも興味があるみたい・・・・・・ミセス。もしかしたら、将来はあなたのようになるかもしれないわね」

 

 皺くちゃの顔を歪めて笑うイーラ女史の瞳は遠く寂しげだった。

 未だ矍鑠としているけれども、さすがに年齢が年齢だ。カレンダちゃんの成長を見られる時間も残り少ないだろう。

 それでも彼女は、家族の傍で静かに余生を過ごすことを選ばなかった。老骨の身に鞭うって、自分の役目を全うしようとしている。

 

「貴方を頼って良かった・・・・・・」

 突然にカコさんの瞳から光る物が流れる。失礼、と言いながらそれをハンカチで拭き取った。色々なプレッシャーに晒されていた彼女は、イーラ女史の真意や人間性に触れたことで、色々な感情が一度にどっと溢れてきたようだ。

 シガニーさんがカコさんの肩を横からポンと叩いた。

 イーラ女史はそれを目を細くしながら慈しむように見ていたが、程なくして「さて」と表情を切り替えた。

 

「停戦に協力はする。二言はないわ・・・・・・しかしまずは、今のあなた方の内情を詳しく話してもらいましょうか。なぜ国際指名手配などということに?」

「そ、それは」

 

 カコさんとシガニーさんが困惑した顔を見合わせると、シガニーさんが手元のハンドバッグからタブレットを取り出して机の上に置いた。

「私たちも事態を把握できていません。今ここで仲間と連絡を取ってよろしいでしょうか?」

 イーラ女史の承諾と同時にタブレットに光が灯る。人払いはしてくれているようだから、情報が漏れることはないと思いたい。

 

《やあ、そろそろ君たちから連絡が来る頃だと思っていた》

 画面に映る潜水艦の指令室では、ヒルズ将軍が石像のように突っ立ちながら私たちを待っていた。イーラ女史を見やると《お会いできて光栄です》と、慇懃な調子で自己紹介をしてみせた。

 将軍はいつもとまったく変わらない。でかでかと顔が映った手配書が出回っているヒトの落ち着きぶりとは思えない。

 

 しかし周囲の様子が異常だ。ヒルズ将軍の隣には何故かウィザードがいて、口をあんぐりと開けたまま燃え尽きたように呆けている。

 また、画面に映り込む数人の兵士たちは異様に殺気だっていて、ギラついた視線をこちらに向けてきている。

 

「将軍、いったい何が起こったのですか?」

《・・・・・・致命的な事態さ》

 将軍はそれだけ言うとおもむろに瞳を閉じながらため息を付く。少し経ってから見開かれた瞳の中には、彼らしからぬ冷静さを欠いた激情が燃え盛っていた。

 

《パークの裏切り者が誰なのか、ようやく判明したよ》

 

to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・霊長目・キツネザル科・ワオキツネザル属
「ワオキツネザル」
_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 リベリア・ギニア事業所代表
「イーラ・C・アルマナック(Era Chronicle Almanac)」
年齢:83歳 性別:女 職業:国際連合 安全保障理事会特別顧問ならびにマダガスカル支部局長 
「ジェイコブ・ペニーワース(Jacob Pennyworth)
年齢:64歳 性別:男 職業:国際連合 安全保障理事会マダガスカル支部副局長

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章17 「カコのけつい」(後編)

《さて、時間がない。早速本題に入ろうか。ウィザード、まずは君が説明したまえ》

 

 そう言いながら将軍が隣にいるウィザードの肩を叩く。すると放心していた彼は抜けていた魂が帰ってきたようにビクリと震えた。かと思いきや今度は半狂乱で泣き叫びはじめて、まるで何かを話せるような状態ではないように見えた。

 

《終わりだァァッ! もうミーたちは終わりなんだァァッ!》

「ウィザード、おちついて。何があったか私に教えてください」

《ぼ、ボスゥ~・・・・・・》

 

 ウィザードはハート形のサングラスを外して、涙でショボショボになった素顔を晒すと、深く落ち込んだ溜め息を付き《マジでヤベエんだヨ》と、ようやく語り始めた。

 

《・・・・・・”エジプトの聖母”がヨ、殺されちまったんだヨ。死後数日は経ってるみてーなんだ》

「何ですって!?」

 

 パークの4リーダーが1人、アフリカ北方を治める”エジプトの聖母”・・・・・・。

 彼女とはここ数日連絡が取れなくなっていたという。

 そしてウィザードはヒルズ将軍の命令で、現地の部下たちが彼女を捜索するのに遠隔から協力していたそうだ。

 エジプトはカイロ郊外の警備システムをハッキングして、総当たりで監視カメラの映像などを調べた結果、一台のカメラに彼女と思しき人物を映した記録が残されていた。車の後部座席に乗ってどこかへと向かう姿だった。

 

「それで彼女はどこへ?」

《車はスエズ湾沿いのとある貸倉庫に向かってったんだヨ。映像は丁度連絡が取れなくなった日付に記録されてたから”ビンゴ”だと思ったゼ。そンで、早速その倉庫付きの船着場を向こうの連中に探らせてみたらヨ・・・・・・海ン中から、彼女のコンクリ詰めの水死体が出てきやがった!》

 

 ウィザードが泣き顔のまま早口で語り終える頃には、カコさんもシガニーさんも顔が真っ青になっていた。イーラ女史も眉間の皺をさらに深くしている。

《・・・・・・映像に写っていた車は、彼女が私用で使っていた物だ》

 この場で唯一落ち着き払っているヒルズ将軍が、ウィザードに代わって言葉を続けた。

 

《エジプトの”マリア”は、セルリアンやCフォースとの戦闘に備えた厳戒態勢の下、いつも通り慎重な潜伏活動を行っていた・・・・・・事が起こったのはそんな状況だったろう。外部から彼女だけを誘拐の後に暗殺し、それが何日も気付かれないことなど不可能だと思わないか?》

「つまり内部の犯行であると?」

 

 そうだ。と将軍はカコさんの言葉に相槌を打つと、持ち前の巧みな弁舌で推理をはじめた。

《僕はこう考える》

 エジプトの聖母を乗せた車は、ある時点まで予定通りの道を進んでいた。しかし車は突然に違うルートを進み始めた。

 彼女を殺したのは、車に同乗していた数名の彼女の側近たちだ。ある者は平静を装いながら運転を続け、ある者は彼女に銃か何かを突き付けて動けないように脅し、倉庫へと車を走らせた後に殺害、遺体を海に投棄。そして夜が明ける前に忽然と姿をくらませた。

 あらかじめ計画を立て、タイミングを見計らったように行われた暗殺・・・・・・彼らは実行犯に過ぎず、彼らを背後で動かしていた黒幕が存在する。

 

「その黒幕とやらがパークを裏切り、マリアを暗殺し、私たちを指名手配犯に仕立てあげたのですね。それは一体誰なのですか? 実行犯に逃げられたなら、手がかりだって簡単には見つからないのでは・・・・・・」

 

 カコさんが先回りするように問い詰めたが、ヒルズ将軍は意味深に頷くだけで答えなかった。怪訝に思っていると、とつぜん画面が別の物に切り替わった。

 スーツ姿の白人男性が、机の上に肘を乗せて座りながら、今にも何かを話しだしそうな様子で固まっている。画面下部には何やら英語のテロップが表示されている。

 

《3時間ほど前、僕たちが指名手配されたのとほぼ同時に配信された、最新のニュース映像だ》

 

 いったん画面から姿を消したヒルズ将軍がそう言うと、止められていた映像が再生され、白人のニュースキャスターがあれこれと話を始めた。

 私にはよくわからない、どこかの外国の出来事が映像と共に淡々と説明されていく。

 そんなことが何度か繰り返されて、次第に関心も薄れそうになる頃、映像の中に一人の男が現れた。その姿は私たち全員の度胆を抜いた。

 

「長老っ!!」

 カコさんが画面に映る男に向かって呼びかけるように叫んだ。

 モザンビークの長老。パーク東エリアのリーダー。

 年齢を感じさせない筋骨隆々の巨体に穏やかな顔。私も一度映像ごしに見たことがある姿だ。

 それにしても、スパイダーによってCフォース側に拉致されたはずの彼が、どうしてテレビなんかにでているんだ・・・・・・?

 頭から毛布を被って、大きな体を丸く屈めて震えている。怯えきった、ひどく恐ろしい目に遭ったような風情だ。

 

「きっとCフォースから逃げてきたんだよ!」

 シガニーさんがガッツポーズをして喜んでいる。ヒルズ将軍に対しては露にしていた不信感がまったく感じられない。

 確か長老は、カコさんの父である遠坂重三と一緒にパークを立ち上げた一人で、昔から苦楽を共にした仲間だったという話だったよな。カコさんと懇意であるなら、シガニーさんともそうであるのは当前だ。

 組織の古参同士、カコさんと長老は関係が良好だった。逆に新参者のヒルズ将軍とは反りが合わずに対立しがちだった・・・・・・パークの4リーダーの関係図はそんなところだろうか。殺された”エジプトの聖母”がどういう立ち位置だったかはわからないけれど。

 

《今のご心境をお聞かせください》

 怯え震えている長老の口元に、画面の奥から伸びて来る何本ものマイクが当てられる。

 カコさんとシガニーさんが安堵の溜息を付きながらその様子を見つめている。

 ・・・・・・そして私もほのかな期待を抱いた。長老が逃げられたということは、一緒に拉致されたヒグラシ所長も無事なんじゃないだろうか?

 

《今、アフリカの地にて、とある組織が非道を働いています》

 

 画面の内外から注目を集めていた長老が、硬く押し黙っていた口をついに開いた。

《組織の名はNGO団体パーク。元は私が興した団体です。アフリカの貧困問題や難民支援に長年取り組んできました。しかし・・・・・・今や社会の敵と成り果てました》

 

 その言葉を聞いて「え?」と、カコさんが言葉を無くして固まった。

 画面の中で何が起きているのか、まったく理解が追いつかない私たちをよそに、モザンビークの長老は休む間もなく報道陣に向かって迫真の表情で訴え続けた。

 

 長老いわく、今のパークはマフィア組織と癒着して武装し、アフリカ大陸中に根を張る巨大な犯罪シンジケートとして民間人を苦しめている、と。セルリアン災害で疲弊した社会の中で、火事場泥棒のごとく暴利をむさぼっているというのだ。

 その動きを主導しているのがカコ・クリュウとリクタス・ヒルズの2名であると。

 自分は彼らを止めようと言葉を尽くしたが、逆に策略に陥れられ失墜。刺客を差し向けられて暗殺されかかった所を命からがら逃げ延びてきた、と。

 ・・・・・・まったく事実と異なる事をさも真実であるかのように訴え、報道陣もそれを息を飲んで聞いていた。

 

《必ずやパークを無法者たちから取り戻してみせます》

 モザンビークの長老が丸めていた背筋を伸ばし、その巨大な背丈を誇示するように胸を張って立ち上がった。

《私には心強い味方がいる・・・・・・世界中でセルリアンから人々を守る正義の組織Cフォース。彼はその指導者たる人物なのです》

 

 モザンビークの長老はそう宣言した後、晴れ晴れとした様子で後ろを振り返った。

 彼の背後にあった壁一面にプロジェクターの光が当たり、画像が投影される。そこに写っていたのは、長老よりもさらに私たちの度胆を抜く人物だった。

 

「ま、まさか本当に長老が私たちを・・・・・・?」

 

 その人物を見た途端、カコさんが机にがっくりと突っ伏した。シガニーさんは動揺を隠せない様子でカコさんとタブレットの画面に交互に視線を送っている。

《私はパークの代表として、彼と同盟を結ぶことを宣言します》

 画面の中では、モザンビークの長老が、壁一面のグレン・ヴェスパーの胸像を背にしながら報道陣に向かってお辞儀した。

 傷つきボロボロになった被害者が、それでも勇気を出して立ち上がったとでも言わんばかりの構図・・・・・・そんな彼の姿は、途切れることないカメラのフラッシュと喝采によって鮮やかに彩られていた。

 その様子を最後にニュース映像は途切れ、タブレットには再びヒルズ将軍やウィザードたちの姿が映しだされた。 

 

《・・・・・・ボスよォ、長老は多分メガバットと同じだゼ》

 ウィザードが口にした言葉に、私もカコさんも驚いて目を見開く。

《あの子、言ってたじゃネーか。グレン・ヴェスパーは自分の側近の脳内にマイクロチップを埋め込んでるってサ》

 

 そうか、そうだったんだ。

 モザンビークの長老は、マイクロチップを通じて誰にも知られずにグレン・ヴェスパーと連絡を取り合っていた。

 だから誰も気付けなかったんだ。普段から密偵に情報を集めさせているヒルズ将軍でさえも・・・・・・だとしたら、長老はいったいどれだけ前からグレン・ヴェスパーと繋がっていたんだろう? この裏切りはいつから計画されていたのか?

 

《ノヴァ、何を腑抜けているのかね? 長老は敵だ。早く切り替えたまえ》

 

 画面の向こうのヒルズ将軍が無情に檄を飛ばして来る。彼の金髪と黒い肌から、金属的な冷たさを感じずにはいられない。

 一方のカコさんはうなだれたままだ。顔を上げることも出来ず、将軍に返事をすることすらままならなかった。亡き父の時代からの盟友に裏切られたショックに心を打ち砕かれてしまっているようだ。将軍はそんな彼女を見ながらフンと呆れるように鼻を鳴らすと、おもむろに視線を私の方に向けてきた。 

 

《ところでアムールトラ、君に謝罪しなくてはなるまいな》

 今の今まで、部屋の入り口で蚊帳の外みたいな距離感で突っ立っていたものだから、声を掛けられてびっくりしてしまった。

《・・・・・・僕としたことが、的外れな推理を捗らせたあげく、君の大事な人にスパイの疑いをかけ、君に不快な思いをさせた》

 

 彼が言わんとしていることはすぐにわかった。彼は当初、ヒグラシ所長がスパイだと疑っていた。だけど実際はそうじゃなかった。

 私たちの動きがCフォース側に筒抜けだったのは、モザンビークの長老が情報を流していたからだ。スパイダーが長老を影の中に連れ去ったのも、全くの自作自演。前もってグレン・ヴェスパーと示し合わせて行ったことだろう。

 多分だけどヒグラシ所長は、万が一にも長老に疑いが向かないための目くらましとして一緒に攫われたんだ。元Cフォースである所長はどうしたって疑われやすい立場だ。だから長老の策略に体よく利用されてしまったんだ。

 

《本当に申し訳ないことをしたよ》 

 そう言うとヒルズ将軍は私に向かって神妙そうに頭を下げた。彼らしからぬ態度ではあったけれど、なんとなく心からの謝罪であるような気がする。

 彼は目的のためには手段を選ばない悪党だ。でも何故だかある種の誠実さも感じられる。

 少なくとも彼は、出会って間もない私に「最悪の未来を回避するために戦う」という己の目的を打ち明けてくれた。フレンズを道具としか見ていないグレン・ヴェスパーのような本物の外道とは違うと思う。

 

《そして残念ながら、もはやヒグラシ博士の安全は保証されない。Cフォース側にとって、彼は用済みとなっただろうからね》

 

 私にとって残酷きわまりない現実を、立て板に水のように告げてきた。

 それを聞いた瞬間、握りしめた拳がひとりでにギリギリと大きな音を立てた。彼の誠実さが何となくわかるからこそ、発せられる言葉が無慈悲に突き刺さってくるような気がした。

 私の隣に立っているワオキツネザルが「大丈夫?」と心配そうに呼びかけてくれた。

 今の私には、煮えくり返るような怒りを押さえつけながら黙り込むことしか出来なかった。

 

「だいたいの話はわかったわ」

 言葉を無くしていた私やカコさんに代わって、イーラ女史が口を開いた。

 それまでの優し気な表情とは打って変わって、刻まれた皺の一本一本に、遠目からでもわかるほどの迫力が宿っている。元はアメリカ大統領夫人で、何十年も政治の世界で権力を握ってきたヒトの本領が今まさに発揮されているようだ。

 ワオキツネザルが「あんなイーラ様はじめて見た・・・・・・」と呆気に取られている。

 

「あなた方は敵にすべての手立てを潰されたようね」

 イーラ女史が今の状況を今一度まとめてくれた。

 裏切り者の長老は、自分こそがパークの代表だと言っていた。世間もそう受け取った。

 その上であの男はグレン・ヴェスパーと同盟を組む宣言をした。つまり、パークとCフォースの停戦調停は既に成立していることになる。この上でカコさんが停戦調停の打診をした所で何の意味も成さない。

 仮にカコさんが自分の要求を通すためには、モザンビークの長老ではなく、自分こそがパークの代表なのだと世間に証明する必要がある。

 だが世間に浸透したイメージを払拭するためには時間がたくさん必要だ。とうぜん私たちにはそんな猶予など残されてはいない。

 

 そして、グレン・ヴェスパーの最高機密を世間に公表しても十分な効果は望めない。世間がパークの敵に回った今、世論を味方に付けることは出来ない。

 長老を取り戻すための交渉材料にするために、あえて機密の公表をしないでおいたのに、その目論見は最悪な形で破綻することになってしまった。

 

「すべては核実験を行うためなのでしょうね」

 イーラ女史は続けた。モザンビークの長老はグレン・ヴェスパーの走狗。飼い主の意向に背くことは無い。

 つまりはパークはCフォースに全面降伏した状態に等しいのだ、と。そうなってはもうグレン・ヴェスパーの野望を止める障害は何もない。

 

《だ、だったらヨォ、アンタが直々にグレン・ヴェスパーを糾弾してくれヨ! アンタ偉いんだロ?》

「あの男を潰すのは私でも無理だわ」

 

 ため口で無礼に懇願するウィザードにも、イーラ女史は顔色ひとつ変えず答えた。

 20年前ならいざ知らず、今のグレン・ヴェスパーは国連内でイーラ女史に匹敵する権力がある。利権に群がる仲間も大勢作っている。長老との同盟をスピーディに実現させたのが何よりの証拠だという。

 たとえ彼女の発言力を借りて最高機密を発信したとしても、国連の議会にひと悶着を持ち込むのがせいぜいだと。

 何よりもあの男は、自分の野望を実現するために以前から緻密な準備をしてきている。パークを指名手配させたのもそのための布石のひとつにすぎない。核発射を行った後、カコさん達を悪者に仕立てるカバーストーリーを作って真実を闇に葬り去るのは目に見えている、と語った。

 

「・・・・・・さて、もう少し踏み込んだ話をしましょう」

 絶望にうなだれたままの私たちを他所に、イーラ女史はより一層強い調子で言葉を続けた。

 今や彼女に対して陳情を行う役目は、カコさんから将軍に入れ代わったようだった。

「ミスターヒルズ。あなた、私に嘘を付いているわね?」

 

《と、言いますと?》

「暗殺の件よ。あなたは”犯人に逃げられた”と言った。事件の一部始終を、己の推理という体で語った・・・・・・でも本当は違うのでしょう?」 

 

 イーラ女史は断言した。

 決して推理などではない。ヒルズ将軍は情報の裏をすべて取った上で話している。言っていることが具体的過ぎるし、態度が自信と確信に満ちているからだ、と。

「私に悪印象を抱かせないために誤魔化しを効かせたつもりかしら? 見くびられたものね」

 

《・・・・・・さすがは海千山千のお方ですね》

 ヒルズ将軍が参ったと言わんばかりにお手上げしながら真実を語った。

 推察の通り、エジプトの聖母を殺した犯人は捕まえている。そして真実を吐かせるために拷問にかけた。

 得られた情報はグレン・ヴェスパーの最高機密と照らし合わせることで裏を取った。

 

《これがなかなか難儀しました》

 将軍は遠方から拷問を監督していただけ。実際に行ったのは現地エジプトのメンバーだ・・・・・・彼らは自分たちのボスを殺されて怒り狂っていた。暗殺の実行犯は4人いたが、そのうち3人は、現地メンバーが将軍の命令を聞かずに痛めつけ過ぎてしまったことで殺してしまった。残ったたった1人は発狂寸前になって洗いざらいを吐いた。もちろん後でその1人も殺し、仕返しのようにコンクリ詰めにしてスエズ湾に沈めた。彼らの怒りを少しでも鎮めるためだ。

 そんなことを、将軍は涼しい顔で言ってのけた。 

 

「パークがマフィア組織と化したというのは、まったくの出まかせでもないようね」

《僕は組織のために必要なことをやっているまでですよ》

「・・・・・・悪党にありがちな言い訳だこと」

 

 うそぶくヒルズ将軍だったが、イーラ女史は早くも彼の正体を見抜いたようだ。

 何を隠そう彼はアフリカ裏社会の大物なんだ。兵器や資金を横流ししてパークを武装化させている張本人でもある。後ろ暗い話を数えたら両手足の指じゃ足りないだろう。

 

「そんな貴方がこうして話し合いの場に立っているからには、私を恫喝するための情報も用意しているのよね」

《・・・・・・お望みとあらば、さらに踏み込んだ話をすることもできますが》

 

 2人が画面越しに険悪な様子で向かい合っている。

 ヒルズ将軍はあろうことか、イーラ女史に対して暗に脅迫を仄めかすようなことを言っている。自分たちがいよいよ本当に無法者の集まりになったみたいで嫌な気持ちになる。

 このまま交渉を将軍に任せていいんだろうか? もしイーラ女史の怒りを買って警察に突き出されでもしたら・・・・・・カコさんが逮捕されでもしたら、私たちは終わりだ。

 

「まあいいわ。今後はどうするつもりなのか、とりあえず聞かせてもらいましょうか」

 

 こういった輩の相手は慣れている、と言わんばかりに動じないイーラ女史が話の続きを促す。そんな彼女に対して、将軍は《はい》と慇懃に頷いてから、今度は己の考えを包み隠さず話した。

 

《打って出ようと思います》

「武力行使に踏み切る、と?」

《その通りです。今彼らの怒りを抑え込めば、彼らは暴走し、組織は崩壊するでしょう・・・・・・それを防ぐためにも反撃するのです。さすれば統率は保たれる》

 

 元々ヒルズ将軍の配下だった西側の軍に加えて、エジプトの聖母を失った北側も彼に全面的に賛同しているようだ。

 裏切り者の長老が指揮していた東側は、いらぬ衝突を避けるために一時的に距離を置くことに決めたそうだ。後はカコさんがボスを務める南側だが・・・・・・

 

《ノヴァ、今こそ例の作戦を発動する時だ。君の部下に号令をかけたまえ》

「・・・・・・いい加減にしな!」

 未だ黙りこくるカコさんの代わりに、シガニーさんが怒り心頭に発し言葉を荒げた。

 彼女は創立当時の清廉なパークの姿を良しとしている。組織を血生臭い方向に誘導していくヒルズ将軍には良い感情を抱いていないんだ。

 

「ヒルズ将軍、裏切り者はアンタも同じだ! 最初からパークを牛耳るつもりだったんだろう! こんな機会が来るのを待っていたんだ!」

《心外だよミセス・スティッケル。グレン・ヴェスパーを潰すという目的は君たちと同じだ》

「パークはうちのボスの物だ! アンタみたいなヤクザ者に売りわたしゃしないよ!」

《だったらどうするのかね? この非常時に組織を割るつもりか?》 

 

「お黙り」

 味方同士でのっぴきならない口論を始めた2人に、イーラ女史が皺がれた声で一喝した。

「・・・・・・あなた方が嵌められた理由がこれではっきりしたわね」

 

 2人が冷水を浴びせられたように黙るのを横目に、イーラ女史は溜息を付きながら、冷めた紅茶を啜りはじめた。

「正義を成すために悪を抱えるという矛盾。そのジレンマと向き合わず、対立を抱えたまま成長した組織など、どんなに巨大でも脆いに決まっているわ。モザンビークの長老はそこを突いたのね」

《・・・・・・くっ》

「もちろん私も、意思統一が図れていない組織などに手を貸すつもりはないわ」

 

 びしゃりと告げられた最後通告に、さしものヒルズ将軍も気圧され口ごもった。

「さあ、去りなさい。警察には通報しないでおいてあげるわ」

 退室を要求するイーラ女史に対して、シガニーさんが「ほんとうに申し訳ありませんでした」と赤面しながら頭を下げると、放心状態のカコさんを引き寄せて立ち上がらせようとした。

 

(これで終わりなんて・・・・・・)

 私は入口の傍に立ったまま歯噛みしていた。

 イーラ女史の言う通りだ。こんな状態でヒルズ将軍と合流したって、グレン・ヴェスパーと戦うことなんか出来っこない。

「あなたたち、帰っちゃうの?」と、ワオキツネザルが残念そうな顔を見せてきた。「パークはフレンズの幸せのために戦っている」なんて言葉で期待を持たせておいて結果がこれでは、彼女が失望するのも無理はない。

 

「カコさん! しっかりしてよ!」

 私は無意識のうちに、懇願するように叫んでいた。

 長老に裏切られたことがショックなのはわかる。それでもカコさんには私たちが進む道を示してくれないと困るんだ。フレンズもヒトも、彼女を信じて付いて来ている者のたくさんの思いを背負っているんだから。

 ・・・・・・それがとてつもない重圧なのはわかる。でも、重たい物を背負って立ち上がるのがボスの役目じゃないか。

 

_______バチンッ! 

 暗い空気が立ち込める部屋に、とつぜん乾いた音が鳴り響いた。

 見ると、カコさんが自分の頬を思いきり平手で叩いている所だった。隣にいるシガニーさんが思わずギョッと身をすくめるほどの勢いだった。タブレットの中のヒルズ将軍も一瞬目を見開いた。

 そして私は、心のなかでガッツポーズを取った。

 

「・・・・・・もう少々、お話してもよろしいでしょうか?」

 カコさんが頬を赤く腫らし、唇から血を流しながら口を開いた。イーラ女史は紅茶を啜りながら黙って何も答えなかった。彼女流の肯定のサインだと思う。

 

「まず疑問なのは、なぜ私は暗殺されなかったのか、ということです」

 カコさんは推理を展開した。

 モザンビークの長老から見て、ヒルズ将軍の暗殺は困難を極めるだろう。潜水艦に身を潜め、味方にも所在を明かしていないほどの徹底した秘密主義者なのだから。

 だがカコさんを暗殺するチャンスはいくらでもあったはず。普段から連絡を取り合い動きを把握していたのだから。

 

「マリアだけを殺し、私とヒルズ将軍を残す・・・・・・前々から不仲だった私たちが揉めることで統率を失わせる。それこそが長老の、またグレン・ヴェスパーの目論見なのだと考えます」

 

「それで」とイーラ女史が紅茶のカップを脇に置き、組んだ両手に鼻先を乗せながら食い入るように問い詰めた。

「あなたはどうするつもりなのかしら?」  

 

「私たちは今こそ固く結束しなければならない。だから、ヒルズ将軍の意見に全面的に賛同します。私の部下たちにもそう伝えます」

《・・・・・・ほう》

「ぼ、ボス、自分が何を言っているのかわかってるのかい!?」

 

 カコさんの言葉に、将軍は不敵に微笑み、シガニーさんは狼狽えていた。ただ一人まったく動じないイーラ女史が、納得したように深々とうなずいた。

 

「いよいよパークとCフォースの全面戦争が始まるのね・・・・・・」

「せっかく貴重なお時間をいただきましたのに、このような結果になってしまい本当に申し訳ありません。それでは失礼いたします」 

「お待ちなさい」

 

 お辞儀し立ち上がろうとしたカコさんを、イーラ女史は引き留めた。

 カコさんはギョッとした顔で座りなおした。

 

「組織の方針が固まったのでしょう? ならば私も助力しましょう」

「わ、私たちは武力に訴えようとしているのですよ? 国連の要人であるあなた様がそれに加担するというのですか?」

「核実験を止めるためなのでしょう? 例え後の世で犯罪者と呼ばれようとも、あなた達には大義があるわ。そしてそれに肩入れする私にも」

 

 イーラ女史の願ってもない言葉に、私たちも、そして画面の向こうのヒルズ将軍も深々と頭を下げるのだった。

「ワオキツネザル、君のご主人様は私たちの恩人だよ」

「イーラ様があそこまで信用してるんなら、パークは本当にいいヒトたちなんだね・・・・・・あたしもパークを信じるよう」

 どちらからともなく手を差し伸べて、ワオキツネザルと握手した。

 

「さて、そろそろ一番重要な話をしてもらいましょう」

 俄かに明るくなってきた部屋の雰囲気を後目に、イーラ女史がなおも老獪な眼差しを光らせながら言い放った。

「グレン・ヴェスパーの最高機密とやらについて、詳しく教えてもらえるかしら」

 

 最高機密・・・・・・その言葉にカコさん達の表情が固まった。

 そういえば、私も詳しいことは知らされてない。核実験の日時や場所、使用される核弾頭の所在について記録された物だとしか。

 

 カコさんとヒルズ将軍が画面越しに目を見合わせて頷くと「では、私から」と、カコさんが説明を始めた。

 日時は6月7日、今からわずか13日後。場所は南アフリカ首都プレトリア郊外の平原。

 使用される核弾頭は地中貫通型ミサイルに搭載され、地下1800メートル地点で起爆されるように出来ている・・・・・・

 と、具体的な数字を含んだ情報が語られる。

 

「プレトリアというと、歴史上はじめてセルリアンと、奴らを生み出す”卵管”の存在が確認された場所ね」

「はい。グレン・ヴェスパーはまさにその地で核実験を行おうとしているのです」

 

 イーラ女史が怪訝そうに眉をひそめながら「でもあの場所は確か」と思案を巡らせている。

「今はもうほとんどセルリアンが出現していないはず」

 

 セルリアンとは文明を食らう怪物。電力やら石油やら、あらかた食べ終えれば次の獲物を求めて移動する性質を持っている。今までにもさんざん聞かされた話だ。

 プレトリアは南アフリカ最大の都市だったが、そこから得られる豊富なエネルギーを食べ尽くすと、今度はケープタウンやダーバンなどの港湾都市に矛先を向け、その後に海を渡った。

 セルリアンが去ってから、避難して身を潜めていたプレトリア付近の住民たちは、少しずつ元の居場所に戻って生活を再開し始めているらしい。

 電気や石油に頼らない、自然の中で生きる農耕生活だと。そういう暮らしをしている限りはセルリアンに狙われにくいらしい。

 

「しかしごく最近、またもやプレトリア郊外にセルリアンが急増し、住民に危害を加えているようなのです」

「何故かしら? エサとなるようなエネルギーが枯渇した土地のはずなのに」

「・・・・・・人為的な原因によるものです」

 

 カコさんが彼女らしからぬ額に皺を寄せた表情で語った。

 すべてはグレン・ヴェスパーが計画した、セルリアンの女王を誕生させるための核実験が原因だという。

 プレトリア郊外の地下深くに存在するセルリアンの卵管・・・・・・そこに効果的に核弾頭のエネルギーを到達させるために、あの男の配下の手で地盤の掘削工事が行われているらしい。爆薬をふんだんに使った急ピッチの乱暴な工事だ。それによって刺激された卵管が、エサを求めて急激に活性化したそうだ。

 

「さらにもうひとつ、あの男はとある計画を裏で推し進めています。どうやらあの男は、廃墟と化したプレトリア都心部の跡地に新たな街を作るつもりのようです」

「そんなことをする意味が分からないわ。自分の手でセルリアンを増やしておいて何故?」

「曰く、人類がセルリアンを乗り越えた証だと・・・・・・」

 

 グレン・ヴェスパーが取り仕切る都市の開発計画の調印式には、Cフォース軍部の軍人、また国連の要人が多く参列する予定のようだ。

 調印式が行われるのは核実験と同じく6月7日。

 すべてのセルリアンを支配する能力を持つと言う”女王”の誕生と同時に式を執り行うことで、あの男の野望が完全に成就することになるという。

 

「あなた達はどうやってそれらを食い止めるつもり? 核ミサイルの発射基地を襲撃するの? それとも式に乗り込んで行って、グレン・ヴェスパーのことを・・・・・・」

《残念ながらどちらも不可能でしょう》

 

 核ミサイルは地上ではなく、雲の上の高さを飛ぶ成層圏プラットフォームから発射されるという。パークがそこに乗り込む手段はない。

 そして調印式を襲うことも困難を極める。特設された会場周辺は人造フレンズも含めた大部隊によって鉄壁の防御が敷かれているという。パークの戦力ではそれを破ることは出来ない、特にフレンズの数に違いがあり過ぎる。正面衝突は極力避けなければならない、とヒルズ将軍が悔しそうに述べる。

 

「私たちが考えていたのは、ミサイルの進路を妨害することです」

 

 停戦調停が失敗した場合を想定して、カコさんや将軍らは別の作戦をすでに立てていた。

 核実験の妨害・・・・・・それは地中の卵管に向けて発射される核ミサイルの狙いを逸らして別の所に落下させること。

 女王誕生の栄養となる核エネルギーが不足して、女王が生まれなければグレン・ヴェスパーの計画は失敗。パークの勝利となる。

 

「そのためにはジャミング装置を地上に設置する必要があります」 

 

 電波攪乱によってミサイルの誘導装置を狂わせることで狙いを逸らす。理屈はシンプルだが、かなりの賭けになるという。

 上空から発射されるミサイルの弾道は、ほぼ下に落ちるだけとなる・・・・・・地上から発射して、放物線を描いて飛ばすよりも格段に狙いが付けやすいそうだ。地上から電波攪乱を仕掛けた所で、ほんのわずかしか狙いを逸らすことは出来ないだろう、と。

 ・・・・・・さらに、ジャミング装置の設置作業がグレン・ヴェスパーの手先に勘付かれて、刺客が差し向けられる可能性だってある。

 

「また、現地住民の避難誘導も行わなければなりません」

 

 当たり前だけど、核ミサイルの狙いを逸らしたところで、地上が核の炎に焼かれることには変わりない。

 落下予測地点の周辺に住んでいる住民は概算で8千人前後。相当な人数だ。そのすべてを避難させることは恐ろしく難しい事だろうけど、出来る限りのことはやらなきゃいけない、とカコさんが拳を握りしめながら呟いた。

 

「・・・・・・わかったわ」

 途方もない内容の話を聞き終えて、イーラ女史は疲労困憊になったように溜め息をついた。曾孫のカレンダちゃんと一緒に映っている例の家族写真を見やり、そして静かに口を開いた。

「私に依頼したいことを言ってごらんなさい」

 

 カコさん達がイーラ女史に対して要求したのも、また途方もない内容だった。

 まずはミサイルの落下予測地点の周辺地域に対して、増加したセルリアンからの避難という名目で緊急避難勧告を発令することだ。国連からの公の勧告となれば、少なくとも避難民の誘導がCフォース側に妨害されることはなくなる。セルリアンはお構いなしに襲ってくるだろうけど。

 次の要求は、現地に赴くパークの戦闘員たちに、偽造のIDを発行してもらうことだ。でなければ国際指名手配を受けた私たちは身動きが取れないからだ。

 最後は、避難民を乗せて逃げるための輸送機の調達だ。これに関してイーラ女史は、100トン級の輸送力を持った機体を3機用意することを約束してくれた。その機体が潜水艦に代わる私たちの拠点にもなるんだろう。

 

「今の要求は私を持ってしても大仕事よ。どんなに急いでも6日はかかるわ。ミサイル発射までにあなた方が動けるのは7日間・・・・・・それで足りるのかしら」

《十分です。多大なご助力感謝いたします。少ないですが謝礼として100万ドルほどご用意が・・・・・・作戦が成功したあかつきにはさらにその倍額をお支払いしましょう》

 

 ヒルズ将軍がけろっとした顔で報酬の支払いを申し出る。さっきまでの将軍は脅迫することで無理やり言うことを聞かせようとしてたのに、まったく変わり身の早いヒトだ。

 しかしイーラ女史は、大金を貰う資格が十分にあるにもかかわらず「結構よ」と興味なさそうに断った。

「そんな金があったら人命のために使いなさい」

 

 将軍以下、タブレットに映っていた全員がお辞儀した。潜水艦からの通信もお開きという空気を醸し出している。

「・・・・・・将軍、待ってください」

 だがカコさんがおもむろにそれを引き留めた。予想外の成り行きに将軍が眉を細める。

 

「私は潜水艦には戻りません」

《何を言っている?》

 

 将軍だけでなく、私たちも呆気に取られているのを横目に、カコさんはイーラ女史に向きなおり再び頭を下げた。

「最後にもうひとつだけ不躾な願いをお聞きください」

 

 カコさんの嘆願は耳を疑うような内容だった。自分一人で、プレトリアの新都市開発の調印式に潜り込ませて欲しい、と言うのだ。

 イーラ女史が裏で工作して、カコさんのことを調印式に出席する国連の要人を守るSPに紛れさせることが出来ればそれは成る。

「調印式にはCフォースの軍人が数多く出席するという話。私はいちかばちか、彼らに対して物事の是非を問うてみたいのです」

「私の力で潜り込ませることは出来ても、逃がすことは出来ないのよ? あなたはまだ若いのに、どうしてそんなに死に急ぐのかしら?」

「・・・・・・私の考えをわかってくれる人物がCフォースの中から現れて、後の世でパークを盛り立ててくれたら・・・・・・それが今の私に出来る最善の道だと思うのです」

 

《フン、馬鹿げた話だ》

 カコさんの決意の重さを受け取ったと言わんばかりに、イーラ女史が厳かな面持ちで頷いているところに、ヒルズ将軍が鼻で笑いながら異を唱えた。

《今さら連中と話などする意味はない。何故それがわからない?》

 カコさんの兼ねてからの構想は、世界中でセルリアンから人々を守っているCフォースの軍人たちを、グレン・ヴェスパーが主導する研究部から切り離すことだった。

 それを可能にする交渉材料のひとつが、ヒトの手で直接セルリアンに対抗することが可能となるSSアモなどの兵器群だ。対セルリアン戦力をフレンズに一手に任せているCフォースには存在しないはずの技術。

 ・・・・・・だが、パークの幹部であるモザンビークの長老がCフォースに内通していた以上は、パークの技術はすでに漏れてしまっているだろう、と将軍は指摘した。

 

「それはそうだと思います。しかし、私は彼らの善意を信じてみたい。最後に残された可能性に賭けたいのです」

《空しい妄想だな。グレン・ヴェスパーの片棒を担ぐ者どもに善意などあるものか》

「・・・・・・全員が核実験の詳細を知っているとは限りません。新都市開発の構想しか知らされていない可能性だってあります。あるいは、すべてを知っていて良心の呵責に苦しんでいる者もいるかもしれない。あのヒグラシ博士のように・・・・・・」

《君はつくづく学ばないな。ついさっき手ひどい裏切りに遭ったばかりなのに、また根拠なく他人を信じる気かい?》

 

 どこまで行っても平行線を辿るような2人の会話が続いている。

 空を見上げるように理想を追い求めるカコさんと、海の底から冷徹に現実を見定めるヒルズ将軍は、まったく対照的で、互いに相手にない感性を持つ者同士のような気がした。

 

《決戦が迫っているのに、リーダーの君が身勝手な行動を取ってどうする?》

「あなたがいれば指揮は十分です。こうなっては、もはやリーダーは1人でいい。そして戦術指揮官としては、私などよりもあなたの方がよほど優れています」

 

 カコさんがヒルズ将軍を褒めちぎった。一緒に行動してみてあらためて優秀さがわかった、と。

「あなたは叩き上げで今の地位にまで上り詰めた確かな実力があります。それに比べて私は、組織の二代目の看板を頼りに、仲間に支えられて何とかやってきただけ」

 一方のヒルズ将軍は、称賛されているのにも関わらず、額に皺を寄せて不愉快さを隠そうともしない表情になっていった。

 そしてカコさんは、決定的な一言を告げた。

 

「私に何かあったら、パークの一切をあなたにお任せします」

 

《何故だ!》

 カコさんを乗り越えて権力を握りたがっていたはずのヒルズ将軍が、感情をむき出しにしながら激昂している。 

《どうしてそんなに他人のことを信じられる!? 僕は他人を欺くことで生きてきた悪党だぞ!》

 

「この子はそういう子なんだよ、将軍」と、シガニーさんが割って入る。先ほどとは打って変わって、落ち着き払った何かを悟ったような表情を見せている。

「不本意だけど、うちのボスの指名となりゃ、アンタと反目するわけにはいかなくなったね」

 

《疑うことではなく、信じることで人物の真価を推し量る、か・・・・・・ノヴァ、君はどうやら、僕には到底できない生き方をしているようだ》

 画面の中のヒルズ将軍が遠い目をして項垂れている。何かに自信を打ち砕かれたように自嘲的な笑みを浮かべている。

《君のような人間を見ていると、自分がみじめに思えてくるよ》

 

 僕の負けだ、と将軍が最後に言い残した後、タブレットが今度こそブラックアウトした。

 激論が終わり静寂が訪れると、シガニーさんが深いため息を付いた後に口を開いた。

 

「・・・・・・もう心に決めてるんだね?」

「はい」

「アタシが付いて行っちゃだめかい?」

 

 カコさんは静かに目を閉じながら顔を横に振った。

 自分一人で行くことに意味があるのだと。

 Cフォース側も、調印式がパークに襲われる可能性は警戒しているはずだろう・・・・・・だが彼らが想定しているのは、パークが集団で襲い来るシチュエーションのはず。

 カコさんが単独で潜入してくることなんて、万にひとつも考えていないはずだ、と。

 

「シガニー、あなたには私に代わってサウスの仲間たちをまとめて欲しいのです。ヒルズ将軍の下で団結するようにと」

「・・・・・・本当に酷い子だよ」

 

 カコさんとシガニーさんが肩を寄せ合って抱擁を交わしている。

 元々は赤の他人だったのに、数奇な運命に惹かれて、20年間も生死を共にしてきた2人。その固く強い絆は本物の家族に劣らない・・・・・・そんな彼女たちの別れの瞬間だった。

 

「これでお別れなんてイヤだよ、カコさん」

 私の瞳にも熱い物が込み上げてきた。彼女は私の言葉に対して「許して」と彼女らしい優しくさりげない声色で返してきた。

 

「アムールトラ。ヒグラシ博士のこと、さぞ辛いでしょうね」

「うん・・・・・・でも、私のやることは変わらないよ。最後までパークのために、カコさんのために戦い抜くよ」

「あなたは本当に強くなったのね」

 

 違うんだカコさん。私は強くなんかない。

 自分を奮い立たせて何とか前を向いているだけなんだ。叶えたい願いだけが私を支えてる・・・・・・あなたと同じなんだ。

 

「私はきっと帰ってきます。アムールトラ、いつか私と一緒に、飛行機で飛びましょうね。どこまでも広がる自由な空を」

 

to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・霊長目・キツネザル科・ワオキツネザル属
「ワオキツネザル」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:41歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所副代表
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 リベリア・ギニア事業所代表
「ウィザード(本名不明)」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー
「イーラ・C・アルマナック(Era Chronicle Almanac)」
年齢:83歳 性別:女 職業:国際連合 安全保障理事会特別顧問ならびにマダガスカル支部局長 
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 モザンビーク事業所代表

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章18 「めざめのはじまり」

 カコさんと別れてから既に5日経った。今日が6日目だ。

 予定通りならば、今日で戦いに必要な前準備はすべて完了する。明日には私たちはマダガスカルを発ち、南アフリカはプレトリアへと赴く。

 

 そういえば、私たちの組織はもうパークじゃない。名前を変えなければならなくなった。

 世間的にはパークの代表は、裏切り者のモザンビークの長老ということになる。だから私たちはもうパークを名乗れない・・・・・・少なくとも、さまざまな問題に決着がつくまでは。

 

 代わりに付けられた新しい組織名は「JAPARI(ジャパリ)」だ。

 元となった言葉は「SAFARI(サファリ)」という、生き物たちの自然の楽園を指し示す言葉で、パークとほぼ同じような意味らしい。その中のSとFの綴りをもじった造語がJAPARIだそうだ。

 「J」の字は、合流地点を意味するジャンクションという英単語から取ったものらしい。そして「P」の字はパークを意味している。

 今は他の道に逸れていても、いずれ必ずパークに合流する、という意図がジャパリには込められているらしい。

 

 誰も彼もが、決戦の日に備えて黙々と準備に励んでいた。

 原子力潜水艦が停泊している港町トゥリアラの飛行場に、イーラ女史の厚意によって与えられた3機の巨大輸送機が着陸すると、拠点としての機能を潜水艦から輸送機に移す引っ越し作業が始まった。

 今やただ一人のリーダーとなったヒルズ将軍の指揮のもと、兵士たちが輸送機への物資の詰み込みや兵器の点検を急ピッチで進めている。あれほどヒトでごった返していた潜水艦の中がまるで廃墟みたいになっていた。

 

 重要な戦闘要員である私たちフレンズは、潜水艦が停泊する広い地下ドックや、艦内のVRを使って最後のトレーニングに励んでいた。

 私、パンサー、スプリングボック、オルカ、シロナガス・・・・・・もともといた5名に加えて、西と北の軍勢からヒトの兵士に混じって12名程のフレンズが派遣されてきた。ジャパリ側のフレンズは合計で17名だ。Cフォース側には何百人いるかもわからないのに、絶望的な数の差がある。

 Cフォースと違って、ジャパリもといパークには、自ら協力を希望した子しか戦闘には参加させてはいけないという決まりがある。だからそもそもの頭数が少ないんだ。それぞれの支部を防衛しなければならない状況で、こちらに割ける人数はこれが限界なんだろう。

 

 わかってはいるけど、もっとフレンズがいてくれればと思ってしまう。

 最近出会ったワオキツネザルは私に付いて行きたい、と言ってくれたけれど、イーラ女史の護衛という仕事がある上に、大元の所属がCフォースである彼女には無理な話。いつか必ずまた会おうね、と約束を交わしながら別れることになった。

 彼女はCフォースのフレンズでありながらも、最後はパークの考え方に理解を示してくれた。次に会う時は何のしがらみもない友達同士だ。

 ワオキツネザルとは本当に気持ちよく別れることが出来たと思う。

 

 一方で・・・・・・とても不安が残る状態で別れた子が一人いる。ケープペンギンだ。

 彼女はまだ、裏切り者のモザンビークの長老が率いていた部隊と行動を共にしているはず。長老が裏切ったからと言って、部下まで全員裏切り者である根拠はないけど、もはや彼女の安否を確認する術はないんだ。もしCフォースに捕まっていたらと思うと心配でたまらない。

 パンサーは「あの子ならいざとなったら海を泳いで逃げられる」と言っていたが、そうであってくれることを祈るばかりだ。

 

 ともかく、戦力に差がありすぎるCフォースとの正面衝突は避けなければならない。避難民の護衛とジャミング装置の設置。このふたつを奴らから逃げながら行うのが私たちの任務だ。

 

 今までに自分が歩んだ軌跡が思い返される。

 色んなフレンズやヒトと出会った。そして別れた。その延長線上にある今日に辿り着いた。

 いま私の中には、かつてない程に激しい闘志が沸き立っている。

 グレン・ヴェスパーへの怒りも、ヒグラシ所長ともう会えないかもしれない悲しみも、ゲンシ師匠から託された願いも・・・・・・そして最後に、悲痛な覚悟で1人死地に赴くカコさんの力になりたいという気持ちも、すべての強い感情が織り交ざって、この戦いに命を懸けろ、すべてを出し切れ、と私の背中を強く押している。

 

 私は時間が許す限り、VR空間の中でゲンシ師匠との稽古に励んだ。

 何度倒されようとも起き上がって師匠に教えを乞うた。倒したり倒されたりを何百ぺんも繰り返して、彼の技術の数々を体を張って身に着けた。

 ・・・・・・幸いにも時間はたくさんあった。

 現実の時間ではたったの一時間しか経っていなくても、VRの中では何十時間と過ごすことが出来た。

 ウィザードがプログラムをそういう仕様に改造してくれたんだ。時間の感じ方と一緒に、私の体にかかる負担も数十倍になったけれど、そんなのぜんぜん構わない。今が私にとって一番大事な時間なんだ。

 

 師匠から託されたすべてを糧にして決戦に臨まなければいけない。

 そう思ったら、一分一秒も無駄になんかしていられるもんか。

 ・・・・・・それに向こうにはクズリがいる。アイツは私との戦いを望んでる。プレトリアで戦っていれば、いずれ鉢合わせることもあるだろう。

 

_______プシュウウウ・・・・・・

(な、何っ!?)

 荒波が打ち寄せる砂浜で、ゲンシ師匠と全力の稽古に励んでいたのに、あらゆる景色が一瞬で色褪せ、私も師匠も細かい粒子の中に消え失せて形を失ってしまった。

 

「はあっ・・・はあっ・・・」

 現実世界に戻った瞬間、全身から身を焦がすような熱気が発せられていることに気付いて驚いた。心だけじゃなくて肉体も闘志に燃えているみたいだ。

「ヨー、お疲れチャン」

 開かれた金属の天蓋から汗だくになった上半身を乗り出すと、パソコンを操作しているウィザードが手を止めて、私の方を見てニヤリと笑っていた。

 

「今のユーを見てると、まさに鬼気迫るって感じだナ」

「・・・・・・どうして止めたんだウィザード! 私はまだ!」

「ヘーイ落ち着け。いいからミーの話を聞けってばヨ」

 

 ウィザードがVR内での私の戦闘データを解析して報告してくれた。

 私の相手をしてくれているゲンシ師匠は、長年培った技術のすべてを発揮して戦っている本気の状態だ。その強さは想像を絶する。

 最初に戦った時はまったく歯が立たなかった・・・・・・だが今の私は、彼相手に勝率がちょうど50%ぐらいで安定するようになったそうだ。

 もちろん身体能力はヒトと同等レベルに調整された状態でだ。

 

 つまりウィザードは、私がこのVRプログラムで強くなれる限界にまで達したということを言いたいんだそうだ。

 だったらもう、ハードなトレーニングでいたずらに体力を消耗することはない。明日から始まる決戦に備えてゆっくり休んだらいい、と彼は言ってきた。

 確かに自分でも手ごたえは感じているけど、だけど・・・・・・

 

「ウィザード、例の件は何かわかった?」

 それは今の私の一番の焦りの原因になっている事項だ。

 ケープタウンでメガバット相手に一度だけ発動させた、相手の記憶や思考を覗く技。おそらくは私の”ふたつめ”の能力・・・・・・

 未だに正体がまったく掴めない。死にものぐるいでプログラム上のゲンシ師匠と戦っていても発動の片鱗すら見えない。

 

 答えがあるとしたら、師匠が数十年かけて学んだというチベットの「霊山元承拳」だろう・・・・・・相手の思考を前もって読めるなんて能力があれば、どんな相手にも勝てる。

 避難民やジャパリの仲間たちを守るために、決戦が始まる前に、何としても自在に使いこなせるようにしておきたいんだ。

 そんな私の焦りを他所に、ウィザードからは「特に収穫は無かったナ」と落胆させるような返事が返ってくるのだった。

 

「時間がねえ中で色々と調べはしたゼ? チベットの大昔の文献とかヨ。だがまあ、他人の頭ン中を覗く技があるなんて記述は見つかんなかったゼ」

「・・・・・・そう」

「格闘技でなしに、宗教やらオカルト方面じゃあ、西洋でもアジアでも似たような話は聞くけどヨ。それらがでっち上げじゃなくマジモンだって証明できたヤツはいねーわナ」

 

 ウィザードが頭をボリボリ掻きながら何か考え込んでいる。今の彼の髪型はまるで綿菓子みたいだ。彼の編み込み頭はセットしないとあんな風になるんだな。

 八方手を尽くして手がかりがないと断言した彼だったが、ほかにも何かまだ言いたいことがあるようだった。

 

「アムールトラ。実は・・・・・・一個気になった文献があったんだがヨ」

「え!? な、何?」

「ユーも見た事あるヤツだゼ。ゲンシ・サクヅキが、ユーに宛てて書いたって遺書サ」

 

 もちろん覚えている。生前の師匠がそんな物を私に残してくれたってだけで当時の私は胸がいっぱいになった。だけど、内容は分からず仕舞いのままだった。

 ヒグラシ所長に頼んで読んでもらえば良かったのに、私はそうしなかった。当時彼とギスギスしていたことがつくづく悔やまれる。

 

「このVRプログラムにはヨ、ゲンシ・サクヅキが書物に残した技術と一緒に、遺書のデータも入ってんだヨ・・・・・・だが、データ上にあるってだけで、プログラムの挙動に織り込まれてるワケじゃねー」

「どうしてなの?」

「そりゃアもちろん、戦闘技術に関連した内容じゃねーからナ・・・・・・まあ、実物を今から見せてやんヨ」

 

 ウィザードに手招きされるまま、私はVRマシンを抜け出して、彼が操作しているパソコンの画面を覗き込んだ。

 達筆な筆文字が書き込まれた一枚の紙が映されている。もちろん私には読むことは出来ない。ただ師匠の私への気持ちが当時のままに感じられる。

「こんなことが書いてあるゼ」とウィザードの口から内容が読み上げられた。

 

 汝、我が最後の弟子に告ぐ。

 万物は表裏一体の円環をもって全となすなり。

 空を欲するならば地の中に深く根を張るべし。眩い夜明けを目指すならば長き闇夜を進むべし・・・・・・

 

 難解な言葉ばかりだけど、何となく意味がわかる内容だった。

 修行の心構えをあらゆる自然法則になぞらえて語っているんだ。その上でくじけずに精進しろと私のことを励ましてくれている。

 だけど、結びの一文だけがよくわからないのだった。

 

 すべての功が成りし時、その手に大極が握られむ。

 

 そう書かれて手紙は終わっていた。

 

「何なんだろうナ? この大極(だいきょく)ってのは?」と、ウィザードも同じ感想を抱いている。

「このマジな文面で”太極拳”の誤字ってこたァねーだろうしヨ」

 

 ウィザードはこう推測したらしい。

 他の手がかりが見つからない以上、もしかするとこの”大極”という謎の言葉が、私の探している答えなのかもしれないと。

 だとしたら、その意味がわかるのは修業が完成した時・・・・・・今の私にはわからない。

 

「そうか、ありがとう。色々と調べてくれて」

 疑問が再び振り出しに戻ってしまった。

 ゲンシ師匠の手紙にもあったように、焦るばかりじゃ見つかる答えも見つからなくなる・・・・・・頭ではわかっているけど、やっぱり残念だ。

 

 落胆を隠せないでいる私を「自信持てヨ!」と、ウィザードが励ましてくれた。

 

「ユーはこの短期間でものすげー強くなったゼ? 前までのユーがフリーザ編の悟空だったら、今は魔人ブウ編ってトコじゃネーか? ここはまるで精神と時の部屋みてーだナ! ガハハハッ!」

 

 またワケのわからない事を言って笑っている。おおかた漫画やアニメの話なんだろうけど。

 ・・・・・・私は知っている。ウィザードのふざけた態度はいつも通りだが、今のそれは恐怖を隠すための空元気なんだ。

 彼は常人にはない物凄い技術を持ってはいるけれど、兵士じゃないから戦うことは出来ないし、血生臭い状況に耐えられるほどタフじゃない。今回、ジャパリが陥った危機的状況にも人一倍ショックを受けていた。

 だが彼も明日には技術スタッフとして、私たちと一緒にプレトリアに向かうことになっている。

 彼は危険な依頼にも首を縦に振らざるを得なかった。さもなくば借金が返せなくて非常に困ったことになるらしい。

 

「ウィザード、お互い頑張って生き残ろうよ・・・・・・ところで、突然で悪いんだけど、あんたの本名を教えてくれないか?」

「ハァ? やだネ、死亡フラグみてーなこと言わせようとしてんじゃねーヨ」

「そんなこと言わずに頼むよ」

 

 ウィザードには出会ってから世話になりっぱなしだ。

 彼のおかげでケープタウンでの戦いを生き残れたし、亡きゲンシ師匠と再会して修行をやり直すことが出来た。

 戦いが始まったら、こんな風に話す機会もなくなるだろうから、今のうちに恩人の本名を聞いておきたいんだ・・・・・・そう思ったのだけれど、彼は「縁起が悪い」と怒っている。

 しかし、そういう風に思う感性自体を私が理解できていないのを察すると、彼は呆れたように溜息をひとつ付いて「一度しか言わねーゾ」と観念したようだった。

 

「・・・・・・アーサー、アーサー・ブラック。それがミーのクソださい本名サ」

「ありがとうアーサー。これからはそう呼ぶよ」

「勘弁してくれヨ、ミーは超・天才技術者のウィザード様なんだゼ?」

 

 彼は自分の本名があんまり好きじゃないそうだ。聞くところによると、アーサーというのは結構ありふれた名前らしい。平凡な名前は自分にふさわしくない、と考えてウィザードと名乗っているんだと。

 ・・・・・・まあ何というか、さすがは変人だ。私には考えが理解できないや。

 

_______ガタンッ!

 潜水艦内のVR機器は、ミサイルの発射管の中に特設されている。私とウィザードの会話だけが反響していたその狭い空間に、大きな物音を立てて飛び込んでくる姿があった。

「・・・・・・あ、パンサー」

 

「アムールトラ、ウィザードさん、ちょっと来て!」

 ただごとじゃない様子のパンサーが、発射管の外から顔を乗り出してそれだけ言うと、振り返って私たちを手招きしている。私たちも表情を一変させて彼女の後に続いた。

 

「パンサー、いきなりどうしたんだよ!?」

「メガバットが大変なの!」

「・・・・・・メガバットが?」

 

 目的地まではものの十数秒ぐらいしかかからなかった。メガバットの生命を維持しているサンドスター調整槽も、VRマシンと同じくミサイルの発射管の中に取りつけられているのだから。

 薄暗い発射管室の中、始めてここに連れてこられた時と変わらずに、物言わぬメガバットの肉体が溶液の中に浮いている。

「これ見てよ!」

 パンサーが指し示したのは、調整槽の根元に取り付けられた計器だ。

 そこには波のような波形と、何かの数字が常に表示されていたはずだった。しかし今や波形は平坦な線になっていて、数字は消失してしまっていた。

 代わりに計器から「ピー・・・・・・」と甲高い音が鳴っている。

 

「たった今こうなったの! 良くわからないけど! マズい状態なんでしょ!?」

「・・・・・・ああ、こりゃあ心臓が止まっちまってるナ」

「何とかしてよウィザードさん!」

 

 血相を変えて食って掛かるパンサーに「そう言われてもヨ」とウィザードはかぶりをふった。

「もうどうにもならねーんじゃネーか・・・・・・これがメガバットの寿命なんだヨ」

 

 それを聞いた瞬間パンサーは言葉を失い、膝を付いて項垂れてしまった。

 ウィザードはスマートフォンを手にメガバットの急変を仲間に知らせている。

 

 ・・・・・・私はおもむろに目を閉じて意識を集中させ”意”の世界へと潜った。

 いつもなら勁脈打ちを放つ時にしか入らない場所だったが、もちろん今は違う目的で足を踏み入れている。

 ここにいれば、相手の魂の輝きを認識することが出来る。傍目には生きているのか死んでいるのかわからないメガバットのそれでさえも。

 今わの際を迎えようとしている彼女の”意”を見つけ、それが消え去ってしまう瞬間を看取りたい・・・・・・それが友達として、私に出来る唯一のことだろう。

 

(あった!)

 今にも消えてしまいそうな、弱弱しい青白い光が、メガバットの輪郭の中で揺らめいている。

 ここからじゃ遠い。夜空に光る星のひとつを見つけることが難しいように、今にも見失ってしまいそうだった。

 

(もっと近くに行きたい)

 ・・・・・・こんな遠くから看取るだけじゃ、やっぱり寂し過ぎる。

 一度だけ起きた奇跡。それをふたたび起こしたい。

 あの時計塔の中で、私は物質の境界を踏み越え、魂だけを浮かび上がらせてメガバットの魂に溶け合った。そして彼女の悲惨な半生を知った。

 もう一度彼女の魂と溶け合いたい。もう一度・・・・・・もう一度だけでいいから。

 

(行きたい、行きたい、行きたい)

 

 気が付くと頭の中が同じ言葉で埋め尽くされていた。

 それを自覚した瞬間、私の魂は再び形を無くして虚空へと飛び出していた。弱弱しい青白い光に向かって距離を縮めていく。

 私のふたつめの能力がメガバットに・・・・・・まさにあの時と同じ相手に対して発動したんだ。どうして出来たのか自分でもわからない。

 

 風前の灯火のようなメガバットの魂の中は、青白い外観とは打って変わって、赤黒く気色悪い色の液体に満たされた沼地が広がっていた。

 沼地の中心は漆黒の空洞になっていて、赤黒い沼地が渦巻き状に空洞に吸い込まれていっているのが見える。

 この勢いじゃ、まもなく空洞に沼地がすべて吸い尽くされてしまうだろう・・・・・・

 

 空洞に吸い込まれてどんどん水位が減っている沼地の中、私は必死にメガバットを探した。

 そして見つけた。水に浮かぶ落ち葉のように頼りなく、渦巻きに流されるまま吸い込まれようとしている彼女を・・・・・・溶け落ちたはずの手足が揃っている。黒く大きな翼も生えている。

 

 私は本能で悟った。あの空洞の中に吸い込まれてしまったら、その時こそメガバットはこの世から完全に消えてしまう。

(そんなこと、させるもんか!)

 宙に浮く光と化した自身の体を、赤黒い液体めがけてダイブさせ、流されゆく彼女をかっさらって再び飛び上がった。

 

「メガバット! 起きて!」

「・・・・・・」

 どこか上か下かもわからないけれど、ともかくあの漆黒の空洞から遠ざかるんだ・・・・・・そう自分に言い聞かせながら、意識のないメガバットを抱えて、無限に広がる暗闇の中をどこまでも飛び続けた。

 

 やがて目に見える風景が様変わりしていく。

 ここまで来れば大丈夫だろうと思った。何故ならここは一度来たことがある場所だ。

 ガジュマルの樹のような、いくつもの枝が絡み合って無限に枝分かれしている洞窟が広がっている。ここはメガバットの記憶、意識そのものだ。

 

「う・・・・・・ア、アムールトラ?」

 胸元に抱きかかえたメガバットが、朦朧としていた意識を覚醒させた。私は驚いて「大丈夫かい!?」と大声で呼びかけた。

 

「ふふふっ、あなた、またここに来たんですのね。どこまでおせっかいなのかしら」

「良かった・・・・・・!」 

 

 メガバットは盲目の真っ白い瞳をしっかりと見開いて「ありがとう」と、私に向かって微笑みかけてくれた。

 枝分かれする洞窟の前で、宙に浮かびながら互いにしっかりと抱きしめ合った。

 

「大きな戦いが迫っているようですわね。あなたの顔を見ればわかりますわ」

「・・・・・・メガバット、私の顔が見えるの?」

「ええ、ここは現実世界じゃありませんもの」

 

 息がかかりそうな距離で言葉を交わす。

 こんなに暗くて、広くて、寂しい場所で、メガバットは私が来るまで何をしていたんだろう。

 

「ねえ、もう起きてよ。現実世界で君と話したいよ」

「そうしたいのは山々ですわ。でも今の私はここにとどまっているので精いっぱい・・・・・・いつ、あの暗い穴の中に落ちてしまうかもわからない」

「そんなの嫌だよ! さあ、もっと明るい所へ行こう!」

 

 私はそう言いながらメガバットをまた抱き締めて、この無限に広がる回廊の出口を探そうと体に力を込めた。

 ・・・・・・しかし、彼女の体は空間に固定されたようにピクリとも動かない。

 

「良いんですのよアムールトラ。私のことよりも、いま自分がやるべきことに集中して・・・・・・他の誰かを助けて。私にそうしてくれたように・・・・・・」

 メガバットはそう言いながら私から手をはなした。

 すると私は弾き飛ばされるようにメガバットから離され、枝分かれしている洞窟も、すべての景色が急速に遠ざかっていくのを目にした。

 

「・・・・・・はっ!?」

 それまで見ていた物がすべて幻だったように我に返る。

 先ほどとまったく同じように、薄暗いミサイルの発射管室の中で、それまで溶け合っていたメガバットが溶液の中に浮いているのを見上げていた。

 

「ワオ、こいつは信じらんねーナ!」

 いつの間にかパンサーとウィザードは私より前に移動していて、調整槽の計器を食い入るように眺めていた。

「メガバットの心拍が戻ったゼ!」

「じゃ、じゃあ命が助かったってこと?」

「ああパンサー。どーやらそうみたいだゼ。コイツはいわゆるミラクルってやつだナ」

 

(な、何だ・・・・・・何が起こった。まさか、私がメガバットを助けたっていうのか? それも私のふたつ目の能力? だとしたら、この能力の正体は一体なんなんだ)

 

 しばらく経ってから、何人かの医療スタッフがその場に到着した。

 調整槽の前に立ってメガバットのバイタルチェックをしている。

 いったんは心停止したものの、また容態が安定し始めたそうだ。それでも目覚めることはなく、植物状態のままだったけど。

 

 私とパンサーは少し離れた所でそれを眺めていた。

 ウィザードは他の仕事に呼び出されたみたいで、足早にその場を立ち去っていた。

 

「ありがとう、パンサー」

「・・・・・・え、どういう事?」

 

 パンサーが私を呼んでくれたから、土壇場でメガバットの命を救うことができた。

 そう思って礼をしたつもりだったけど、彼女がきょとんとした顔でそう返してきたのを見てハッと我に返った。

 ・・・・・・そうだよな。私が助けたって言ってもパンサーにはワケがわからないよな。だいいち、そうである確証はない。ただ単に自然回復しただけかもしれないし。

 

「あ、いや、君はどうしてメガバットの所に来てたんだい?」

「・・・・・・これが最後になるかも知れないから、挨拶に来てたの。もしかしたら目を覚ましてくれるかも、って思ったし」

「そうか、きっとメガバットも喜んでるよ。本当に君は優しいね」

「そ、そんなことないよ。アタシはただ・・・・・・」

 

 パンサーは膝を抱いて座り込むと、遠い目をしながら語り始めた。

 今度は敵ではなく友達としてメガバットと接したいと。ケープタウンで私たちの命を救ってくれたお礼がどうしても言いたいんだそうだ。

 それだけじゃない。この戦いをきっかけに、多くのCフォースのフレンズをジャパリの仲間にすることが出来れば、と彼女は語った。

 

「だからアムールトラ、一緒に頑張ろうね」

「う、うん」

 

 パンサーの気持ちが嬉しかった。

 メガバットの目覚めを待ち望んでいるのは私だけじゃないんだ。

 

 私とパンサーは同じ考えを持っている。私だってCフォースの人造フレンズは救わなければならないと思っている。メガバットのような目に遭う子を1人でも減らさなければいけない。

 敵はあくまで彼女らを良いように使い捨てるグレン・ヴェスパーだ。

 ・・・・・・でも今の私は何故だか、彼女の言うことにあんまり共感できなかった。

 

「さ、アムールトラ、そろそろ時間だよ」

 2人で発射管室を後にし、今や勝手知ったる艦内を練り歩いて原子力潜水艦の外へ出た。

 潜水艦は今、地下深くに建造されたドックに停泊している。

 天井も高く面積もだだっ広いその場所は今、決戦を前に集まったジャパリの兵士たちでごった返していた。

 輸送機への引っ越し作業は予定通り終わったようだ。

 

 誰もがその場に腰かけたり、コンテナにもたれたりしながら食事を始めている。人ごみの間を縫うように移動しながら食事を配っている兵士もいた。

 決戦の地プレトリアに出発する前の最後の食事だ。

 それが済んだらヒルズ将軍が兵士たちに向けて演説を行い、それぞれのチームに分かれて輸送機に乗り込むという流れになっている。

 

「パンサーさ~ん!」と、私たちに向かって呼びかけてくるフレンズたちの声が聞こえた。

 各地から集められたフレンズたちもまた、一か所に集まって食事をしていた。オルカやシロナガスの姿も見える。

 パンサーはその呼びかけに応えるように彼女たちの下へ駆け寄っていった。

 

「・・・・・・アムールトラ」

 私もパンサーの後に続こうとしたが、とつぜん後ろから声をかけられた。

 振り向くとそこに立っていたのはスプリングボックだった。彼女はどうしてあっちのフレンズ達の集まりから離れているんだろう?

 

 スプリングボックはパンサーのように社交的な性格じゃない。だから集まってきてくれたフレンズたちともあまり関わり合いになっていない。

 ケープタウンでの戦い以来、私は変わらず距離を置かれてしまっているし、この間Cフォースのフレンズとどう向き合うかの件で揉めた時からは、親友のパンサーともギクシャクしてしまっているようだ。

 

「貴様の分の食事です」

 スプリングボックはそう言うと、ヒトの胴体程の大きさもある麻袋を私に差し出してきた。

「あ、ありがとう」

「・・・・・・実は貴様に折り入って相談があるのです。食事の後で聞いてくれますか」

 

 スプリングボックの方から話しかけてくる事自体めずらしいのに、相談があるだって? 

 予想だにしない誘いに私がぽかんとしていると、彼女は「ここじゃ何ですね」と、辺りをキョロキョロと見回し始めた。

 そして一点、周囲で一番高く積み上げられたコンテナのてっぺんに狙いを定めた。

 

「付いてきなさい」

_______フォンッ・・・・・・!

 彼女は巨大な麻袋を手に下げたまま、自慢のジャンプ力でコンテナのてっぺんまでひとっ跳びしていってしまった。その様子に、近くで見ていた兵士たちが何人もギョッと驚いている。

 そこまでして私とサシで話したいことって何なんだろう?

(まあ、行ってみるか)

 考えても無駄だと思い、私も彼女を追うために足に力を込めた。

 

 

「貴様、それで腹が満たされるのですか?」

「大丈夫だよ。とっても美味しいよ」

 

 積み上げられたコンテナのてっぺんで、スプリングボックの横に座って一緒に食事していた。

 ここの高さなら広い地下ドック全体をまるまる見下ろせる。

 

 スプリングボックは例の「派手な色のパン」を食べているけど、私は違う物を食べている。

 バケツ一杯のご飯と、ほうれん草の炒め物、カボチャやナスの揚げ物が大皿に数十個、飲み物としてヤシの実まるまる1個。これだけ食べて、栄養価は派手な色のパン1個分でしかないらしい。

 

 ・・・・・・イーラ女史の館でカコさんと別れて、潜水艦に戻ってきてからすぐのことだ。

 例のパンをとても不味く感じるようになって、体が受け付けなくなってしまった。

 あれだけ美味しいと感じていたはずなのに、どうしてこんなことになったのかわからない。それでも少しの間は無理して食べていたけど、いよいよ気持ち悪くなって、食事中に戻してしまった。

 それがヒルズ将軍らに知られることになると、私の体調面を考えて、野菜や果物、穀物を必要カロリー分食べさせてくれるようになった。破格のカロリー量がある例のパンを食べていた頃は意識してなかったけど、フレンズの体はとんでもなく燃費が悪い。

 とうぜん肉は食べられない。オーダーが無い状態で、肉食獣のフレンズが肉を食べると体調を崩すと言われているからだ。

 

 腹を満たすために食事に手を付けていく。

 不幸中の幸いだけど、私はもともと野菜や果物だって美味しいと感じる変わり者のトラなんだ。ほうれん草はクセがなくてスルスル喉に入るし、ナスなんて野菜であることが信じられないぐらいに脂っこくて美味しい。

 ・・・・・・だけど、やっぱりだめだ。野菜や果物をどんなに食べても腹が満たされない。

 あっという間に、ほうれん草が入ったバケツの底が見えてきた。後2、3口かな、と物足りない気持ちのままフォークでほうれん草をすくうと、バケツの底に一片、小さな赤い塊が見えた。

_______ゴクリッ

 それを見た瞬間、口の中に生唾が溢れて思わず喉を鳴らした。

 ベーコンだ。このほうれん草は元々兵士たちの食事から取り分けた物だ。ほうれん草と一緒に炒めていた物なんだろう。多分それが、私の分を取り分ける時に誤って混入してしまったんだ。

 

(・・・・・・どうしよう)

 肉は食べるなと言いつけられているんだ。それを破っちゃいけない。

 でも、ちょっとだけなら良いか? 黙っていたらわからないよな。

 しばらく葛藤していたが、何日も空腹感に苛まれていた私には自制心より食欲の方が勝った。

 さりげなく横にいるスプリングボックに視線を流し、彼女が下の様子に気を取られているのを確認すると、素早くベーコンを口の中に放り込んだ。

(・・・・・・うっ!)

 それは美味しいとかそういう次元ではなかった。

 痺れるくらいの多幸感が脳裏に走った。あんな小さな肉片ひとつ食べただけで、自分の体が喜びに打ち震えるのがわかった。

(もっとほしい)

 衝動に駆られるまま、何もありはしないバケツの底をフォークで探ってみた。

「・・・・・・大丈夫ですか貴様?」

 しかしスプリングボックが私の挙動に気付き、怪訝そうに見ているのに気づいて我に返った。みっともない様を見せてしまったな。

 

「それで、相談って何なの?」と、食べ終わった食器を麻袋の中にしまいながら、私はあわてて誤魔化すように切り出した。

 

「パンサーのことなんです」

 そう言いながらスプリングボックは、下の方で他のフレンズたちと一緒にいるパンサーを見つめていた。

 私も同じ所に視線を向ける。彼女が仲間たちと楽しそうに笑い合っている。

 

「ねえシロナガスさん。オルカから聞いたんだけど。あなたってばヒルズ将軍に”ホレてる”の?。でもホレてるって何なの?」

「そ」

「ちょっとパンサーさん! プライバシーの侵害ですよ! オルカもべらべらとそんなこと喋らないでください!」

 

 パンサーは、数日前からここにやって来たばかりのフレンズたちとも早くも打ち解けていた。

 不安のなか決戦に駆り出されて、最初は恐れや緊張が解けなかったフレンズたちだったが、パンサーが場を取り持ってくれていることで、いくらか落ち着いて団結することが出来ているようだった。

 

 パンサーのああいう立ち居振る舞いは、内向的な私やスプリングボックには無理な芸当だよな。それでいて彼女は戦闘能力もトップクラスなんだ。

 ヒルズ将軍らもパンサーを高く評価したようで、彼女がジャパリのフレンズ達のまとめ役に抜擢されていた。

 彼女もそれを重荷に感じずに順当にこなしているように見えた。だが・・・・・・

 

「貴様にはわかりますか? 今のパンサーはマズい。あれじゃ戦えない、敵に殺されてしまう」

 

 スプリングボックの言葉を聞いて、私がパンサーに対して薄っすらと感じていた違和感の正体がわかった。

 パンサーはメガバットの一件以来、Cフォースの人造フレンズのことを敵として見ることが出来なくなってしまったんだ。

 しかし現実はそれを許さない。決戦が迫っているし、人造フレンズもまたCフォースの尖兵としてジャパリに襲い掛かってくる敵なのだから。

 

 今やパンサーはすっかり板挟みに合って、どうすればいいかわからなくなって途方にくれているという。しかし彼女はそれを誰にも悟られないように普段通りふるまっていた。

 誰も見抜けなかった・・・・・・長年の親友であるスプリングボックを除いては。

「せめて同じ場で戦えればフォローも出来たものを!」

 スプリングボックが悔しそうに吐き捨てた。

 

 ジャパリの兵士たちは現地で3つの班に分かれることになっている。それぞれの班には役割になぞらえたニックネームも付けられた。

 一つは敵陣深くまで潜入し、ミサイルのジャミング装置を建造する「ソード」。

 一つは広く散らばって避難民たちを救助し、セルリアンから守りながら輸送機へと送り届ける「シールド」。

 最後の一つは後方から補給線や退路の維持を行いつつ、作戦全体の指揮を執る「ブレーン」。

 

 私とスプリングボックは、共にシールド班に振り分けられた。スプリングボックのジャンプ力は避難民の救護にとても重宝するだろう。

 そして私は、対セルリアン戦の切り札として抜擢された・・・・・・なんでもプレトリアでは最近、ディザスター級のセルリアンが多数目撃されているらしい。だが私の勁脈打ちならば、ディザスター級が相手でも一撃で倒すことが出来る。

 

 一方のパンサーは、少数精鋭のフレンズや兵士と共にソード班に振り分けられた。彼女は俊敏で物陰に隠れるのも得意だし、いざとなれば”動物だった頃の自分”を召喚して一体多数でも戦えるから切り込み役に最適だった。

 パンサーが班のフレンズたちをまとめ、オルカがその補佐をするという。オルカはヒルズ将軍の部下の中では最強と言われている。

 

 ソードとシールド、どちらかも物凄く危険な任務であることには変わりない。

 私たちシールドは避難民の救出が完了するまで、何日間もぶっ続けでセルリアンと戦い続けなければならない。

 かたや敵地への潜入が役目であるソードにはそういう危険はないだろう・・・・・・しかし代わりに、Cフォースとの戦闘に陥る可能性が高い。もちろん向こう側のフレンズとも。

 今のパンサーにとっては非常に辛い戦いになるだろう。

 

 班の振り分け自体は、私たちのそれぞれの能力を考慮した最適なものだと思う。

 今さらそれに異を唱えたところで余計な混乱を招くだけだ。

 ・・・・・・理屈ではわかっているんだけれど、とスプリングボックが頭を抱えて嘆く。

 

「パンサーは私にとってただ親友というだけじゃない。今の人生をくれた恩人なんです」

「スプリングボック・・・・・・昔に何があったんだい?」

 

 私がそう聞くと、彼女はポツリポツリと語り始めた。

 聞くところによると、そもそも野生でのスプリングボックという動物は、数百、数千からなる群れを形成して生きる動物なんだという。

 そして群れはとても強い連帯感で結ばれている。一匹が感じたことを、他の個体も瞬時に察する。それは集合体としての意識とでも言うべき物だった。

 反対に一匹一匹に「個としての意識」という概念はほとんどないんだそうだ。下手にそんな物を持ったりしたら、群れからはぐれて死んでしまうからだ。

 ・・・・・・ここら辺、故郷への執着が強かったり、よそ者を必要以上に敵視したりする、今の彼女の性格にも表れているのかもしれないな。

 

「ある日、群れの中の平凡な一匹だった私は、とつぜんにこの姿になってしまったのです・・・・・・でも私はしばらくそのことに気付かなかった」

 

 スプリングボックはフレンズになった後も、気にせずに人型になった体を四つん這いにして走りながら群れの仲間について行こうとした。

 だが彼女の異形にビックリした仲間たちは一目散に逃げ出し、それ以降彼女に近づこうとしなかった。

 ある時は、彼女と同じ名を持つ街「スプリングボック」の住人に近寄ってエサをねだろうとした。動物だった時は気前よく果物を投げてくれたりした住人たちが、代わりによこしてきたのは石や銃弾だった。

 そんな経験をいくつか重ねると、ようやく彼女は何かがおかしくなったことに気付いたのだという。集団の中の自分しかなかったのに、いきなり一人ぼっちになってしまった。

 

「・・・・・・寂しいとか思う以前の問題でした」

 

 個としての意識がまだなかったスプリングボックは、錯乱したまま一人荒野をさまよい、やがて海を臨む崖っぷちにまでたどり着いた。

「ここではないどこかに行きたい」

 はっきりとではないがそんなことを考えて、海に身を投げようとしたんだという。

 

「しかしその時、パンサーが現れて私を引き留めてくれました」

 だがそれで万事解決したわけじゃなかった。スプリングボックは最初はパンサーから逃げたり、反抗して傷つけたりしたという。

 無理もない話だった。もともとは被捕食者と捕食者の関係にある動物同士だったんだから。

 だけどパンサーは辛抱強く語り掛け、スプリングボックが変わっていくのを待った。

 やがてスプリングボックは個体としての意識を少しずつ獲得し、生まれて初めて自分の心で願ったという。

「新しい群れが欲しい。1人は寂しい」と。

 それがスプリングボックがパークという新しい群れを獲得した瞬間だった。

 

「故郷を守るためなら、ジャパリの勝利のためなら、私は死んだって構いません。しかしパンサーにだけは死なれたくないんですよ! お願いですアムールトラ! パンサーを助けてください!」

「でも私も彼女とは別行動で・・・・・・」

「わかってます。だから別れる前に、貴様にパンサーを説得してもらいたいんです。余計なことは考えずに戦うようにと」

 

 スプリングボックは私と真正面から向き合い、懇願するように見つめてきた。彼女の肩がぶるぶると激情で震えている。

「頼みます。パンサーは、今の貴様の言うことなら聞くと思うんです」

 彼女がそう言う根拠はわからない。でもパンサーに死なれたくない気持ちは私も一緒だ。

 期待に応えられるかはわからないが、直感が命ずるままに「わかったよ」と頷いた。

 

「ありがとう、恩に着ます・・・・・・話は変わりますが、ひとつ貴様に報告があります」

「え、何だい?」

「私の”先にある力”についてです」

 

 時計塔でメガバットと戦った時に、スプリングボックが見せた全身の発火現象・・・・・・未完成状態だったその力を、彼女はここ数日間の過酷なトレーニングによってついに自在に使いこなせるようにしたらしい。

 

「自分で言うのもなんですが、相当に強力な技です。ケープタウンの時のような失態はもう晒しませんよ」

「頼りにしてるよ。一緒にがんばろう」

_______カツン!

 私たちはどちらからともなく手を差し出して、互いの拳を突き合わせた。

 ふたたび団結できたことが変に照れくさくて、静かに笑い合っていると、下の方がにわかに騒がしくなったことに気が付いて視線をやった。

 

「将軍が来た・・・・・・!」

「いよいよ演説がはじまるようですね」

 

 この高さから見ると蟻のような大きさでしかなくても、その場の全員が注目しているヒトの存在感は巨大というほかはない。

 奥の方から現れたヒルズ将軍は、小ざっぱりしたスーツ姿ではなく、パーク兵の制服とも言うべき黒い野戦服を身にまとい、その上から膝丈まで届く同色のロングコートを羽織っていた。

 今やジャパリの中で将軍に従わない者はいない。

 カコさんに忠誠を誓っていた兵士たちも、彼女の代理であるシガニーさんが将軍への恭順を表明したことで、滞りなく彼の下でまとまった。

 

 ・・・・・・そういえば何日か前、ヒルズ将軍と通路でばったり出くわして話をした。

 私は前々から気になっていたことを彼に尋ねた。

「この潜水艦には核ミサイルが積まれているのか」と。潜水艦というのは本来は核ミサイルを発射するための乗り物だと聞いてから、そのことがずっと心に引っかかっていた。

 答えは「積んでない」だった。核兵器は「使わない」ことに意義があるんだそうだ。使わなくても、持っていると思わせるだけで十分な脅しになる・・・・・・将軍が潜水艦を使うのはそういう意味もあるんだそうだ。

 それが核の一番の使い道だと。実際に使うのは正気の沙汰じゃない、とも言っていた。

 

「核が落とされたらどうなるか知っているかね」

 将軍はそう言いながら、私にスマートフォンの中の何枚かの画像を見せてくれた。

 核の炎を浴びて酷い姿になったヒトの写真だ。全身の皮膚が赤くグズグズに焼けただれて、抱きあったまま息絶えている母親と赤ん坊・・・・・・全身に包帯を巻いて横たわり、喉に空けた管でやっと呼吸する芋虫みたいな子供・・・・・・見ていて吐きそうになった。

 なんでこんな酷いことが出来るんだろう。

 プレトリアに核が落ちたら、こんなヒトが何人も出て来るんだ。

 絶対に許さない、と私は闘志を一層たぎらせるのだった。

 

(・・・・・・うっぷ!)

 今もまた吐き気が込み上げてきた。

 ヒルズ将軍との会話を思い出し、彼に見せられた画像がふと脳裏に浮かんだからだ。

 せっかく食べた物を吐いてたまるか、とあわてて思考を止め、眼下を進む将軍の姿に意識を集中させた。

 

 休憩していた兵士たちが総立ちになってざわめき、将軍が通る道を開けた。

 彼はその間を闊歩すると、停泊する潜水艦のすぐそばに仮設された演壇へと上がった。

 側近の兵士から拡声器を受け取り、それを口元に構えると、ざわついていた兵士たちが一斉に静まりかえった。

 だだっ広い地下ドック内を沈黙が支配している。

 

「パークあらためジャパリの諸君・・・・・・」と、将軍が静かな語り口で演説を始めた。

「私が総司令官リクタス・ヒルズである。いままで4つのエリアに分かれまとまりを欠いていた組織が、我が下に始めて統一されたのだ」

 

「・・・・・・と、言いたい所だが」

 彼らしい、人を小ばかにしたような笑みで一旦言葉を止めた。

 だが、にやけ顔はそれきり彼の顔面から消え失せた。

「私はあくまで代理に過ぎない。真のボスが帰還を果たすまでの、な」

 そう断言する彼を、ある者は困惑し、ある者はいっそう熱のこもった表情で見つめた。

 

「我らがボス、その名はカコ・クリュウ・・・・・・どうかその名を諸君ら一人一人が胸に刻みつけて欲しい。そして今から私が話すことは彼女の言葉だと思って聞いてほしい」

 

 拡声器ごしに流暢な演説を披露するヒルズ将軍。

 彼の顔はどこか自嘲的ですがすがしかった。カコさんに向かって「僕の負けだ」と言った時の顔と同じだった。

 

「すでに諸君の中の多くが知っての通り、組織は敵の卑劣きわまりない策略の前に壊滅の危機に瀕している。だがカコ・クリュウは絶望に屈せず、我らに先んじて一人死地に赴いた・・・・・・彼女には他者を信じ、他者のために受難を背負わんとする覚悟と気概がある・・・・・・そして私は確信した。カコ・クリュウの輝ける黄金の精神こそが、ジャパリもといパークの精神そのものなのだ、と」

 

 素直な心から発せられる素直な言葉が胸を打つ。

 将軍の言葉の中にカコさんを感じた。

 イーラ女史の館で最後に見た、あの寂しげな、それでいて力強い覚悟を秘めた顔を思い出すと、胸の奥が熱い物で見たされていくのがわかった。

 

「心するがいい。これは決してNPO同士のちっぽけな紛争などではない。世界の命運を左右する決戦なのだ。グレン・ヴェスパーの前に我らが敗北した時、人類史は永遠の闇に閉ざされ、すべての生命にとっての不幸の歯車が回り出すであろう。

 一方で我らがカコ・クリュウが作らんとする世界。それは搾取のない世界である。人間も、動物も、そして”新しき友”たちも、命を等しく慈しみ合える世界・・・・・・それがどれほど遠く、実現困難であろうとも、目指すべき価値のあるものであると私は信じている」

 

 静かに諭し聞かすようだった彼の声の抑揚が段々と激しくなり、それに引っ張られるようにして場の緊張感も高まっていくのがわかった。

 

「諸君らの中には不安があろう。死への恐怖もあるであろう・・・・・・だが今こそ、カコ・クリュウと志を同じくし、気高い誇りで精神の器を満たしてほしい。

 この戦いは決して最後ではない。新しく始める時なのだ・・・・・・さあ共に築こう! カコ・クリュウが目指す世界の礎を!」

 

 将軍は演説の最後に拳を突き上げ、スピーカーや自身の喉が割れてしまうんじゃないかと思うほどの大声を張り上げた。

「立ち上がれ戦士たちよ! 新しき世界のために!」

 

_______うおおおおおおっっ!!

 演説が終わり静寂の中、私は一番に吠えた。

(カコさんのために戦う!)

 空腹や吐き気のことなんて、もうすっかり気にならなくなってしまった。

 思いきり上半身を逸らして天井を喘ぎながら、高まる気持ちを一気に口から吐き出した。

 隣にいたスプリングボックが一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに私に負けじと大声を張り上げた。

 私たちの絶叫が呼び水になったように、地下ドック中が掛け声と喝采で包まれた。

 

 

 地下ドックに隣接する飛行場。

 駐機スペースは四方一キロはあるだだっ広い場所だったが、イーラ女史から提供された3機の巨大輸送機が立ち並んでいるとかなり狭苦しく思えた。

 一番先に出発するのは私たちシールド班だ。

 出発の時は近い。滑走路にはすでにガイドビーコンが灯っている。巨大な両翼に取り付けられたローターが、甲高い音を立てながら回転してエンジンを温めている。

 積み荷のチェックと人員の点呼が済み次第、私たちを乗せる機体は離陸する。

 

 先行するシールド班を仲間たちが見送っている。

 それはヒトもフレンズも同じだった。

 

「アムールトラ、スプリングボック、頑張って! アタシもすぐに行くから!」

 パンサーが普段通りの屈託のない表情で私たちを見送ってくれている。

 

 スプリングボックが不器用にはにかみながら「わかっています」と頷くと、己が無二の親友と何秒も固い握手を交わした。

 やがて踵を返してパンサーから離れると、同じ機体に乗る私の方を見た。

「先に行ってますよ」

 そう私に目配せしてから輸送機へスタスタと歩いて行った。

 

 辛い役目だな・・・・・・爽やかな言葉のやり取りで別れられたらどんなにいいだろう。そう思いながらも、輸送機に乗り込もうとしている仲間たちから一人離れ、逆方向へと歩き出した。

 

「パンサー、すこし話があるんだけどいいかな」

「アムールトラ・・・・・・?」  

 

 私の様子を見てパンサーがすぐさま真顔に戻る。

 そして彼女のすぐそばまで近寄り、耳元で周囲に聴こえないような小声でつぶやいた。

 

「パンサー、たとえフレンズが相手でも容赦しちゃダメだよ」

「え? そんなのわかってるよ」

「嘘だ。スプリングボックから全部聞いた」

 

 君のことを一番よくわかってるのは彼女だ、と証拠を突きつけるように囁くと、パンサーの表情が一気に青ざめていった。

 

「いいねパンサー? フレンズもヒトも関係ない。立ちはだかる敵は1人残らず倒すんだ・・・・・・私はそうするつもりだ」

「ひ、ひどいよアムールトラ! まえ言ってたことと違うじゃない、フレンズが幸せになれる世界を作りたいって言ったじゃない!」

「・・・・・・ああ言ったよ。でもそれは未来の話だ。今私たちがすべきなのは、この戦いにかならず勝つことなんだ」

 

 私はそれきり耐えられなくなって黙り、輸送機へと向かおうとした。

 結局、冷たく突き放すようなことしか言えなかったな・・・・・・ごめんねパンサー。何とか受け止めて、戦いに集中して欲しい。

 でもそれが私の本音なんだ。もはや敵に情けをかけている場合じゃない。

 

「待ってよ!」

 そう思って歩いていると、今度はパンサーが私の手を掴んで引き留めてきた。

「アンタの優しさがメガバットを救ったんだよ!? アタシも、アンタみたいにフレンズを救いたいの!」

_______ドクンッ

 その一言が、胸の奥でくすぶっていた色んな気持ちを掘り起こして、私を激情へと駆り立てた。

 

 私はメガバットを救えてなんかない。救えてたって言うんなら、メガバットは今頃パンサーの隣で笑ってたはずだ。

 現実はどうだ? パンサーの気持ちはメガバットには届かない。彼女はもう、新しい友達を作ることすら出来ず、暗い場所に浮かんでいることしか出来ない。

 こんなに悔しい事ってあるか?

 

「・・・・・・今は戦いの時なんだ。優しいだけじゃ何も救えない!」

「あ、アムールトラ?」

 

 先手なし。自分から仕掛けてはいけない。それがゲンシ師匠の教え。私に課せられた絶対のルールだ。

 しかし敵はもう先手を打ってきた。Cフォースは、グレン・ヴェスパーは、私からメガバットを奪った。ヒグラシ所長を奪った。

 それに飽き足らず、今度は己の欲望のために核を落として何人もの罪もないヒトの命を奪おうとしている。

 これ以上好きなようにさせてたまるか。

 今度は私の番だ。私の全力の”後手”をCフォースの奴らに仕掛けてやる。

 

「絶対に奴らを許さないぞ!!」

 

_______ビシィィィッッ!!

 私の手を握るパンサーの手を振り払うと、そのまま拳を振り上げて、全身から爆発しそうな熱気を発散させるように地面へと打ち込んだ。

 拳がコンクリートを打ち砕き、地面に深々と亀裂を走らせる。

 私の立っている場所と、パンサーの立っている場所の角度が少しずれた。

 

 境界線のようにその場に出現した地割れを、パンサーが乗り越えてくることはなかった。

「・・・・・・そんなのアンタらしくないよ」

 そう言いながら心が折れたように項垂れた。

 

「構うな! 落ち着け! 各自出発の準備に戻るんだ!」

 ヒルズ将軍が、突然の破壊にあわてふためく兵士たちを鎮めて作業に戻らせながらこっちに向かってくる。

 そしてパンサーの隣、地割れの向こう側に立ちながら私を見据えた。

 

「アムールトラ、戦闘のモチベーションが高いのは結構なことじゃないか」

「・・・・・・」

「だがシールド班の役目を忘れないことだ。セルリアンから避難民を守れ。僕が命令するまでCフォースには手を出すな」

 

 将軍のたんたんとした仲裁で何とか冷静さを取り戻す。

 そして深々と頭を下げながら「すいません」と謝罪した。

 

「分かればいい。さあもう行きたまえ。指示は追って出す」

「・・・・・・はい」

 

 これ以上この場にいるのがいたたまれない、恥ずかしさでいっぱいの気持ちになって、そそくさと機体のスロープへと向かった。

 それでも体の中にくすぶる猛火のような熱は変わらない。

 パンサー、私は間違ったことを言ったかい?  

 

「あの子、怖い」

 

 後ろにいたフレンズの1人が私を見てそう呟くのが聞こえた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
    
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属
「シロナガス」

_______________Human cast ________________

「アーサー・C・ブラック(Arthur Charles Black)通称:ウィザード」
年齢:30代半ば 性別:男 職業:フリーランス・ブラックハッカー 
「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)」
年齢:30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI」初代総司令官

______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章19 「ぼくがオオカミであるために」

 物語はふたたびメリノヒツジの視点へ。
 決戦を前に、魔狼はひとり牙を研ぎ続ける。
 呪いの物語の終焉を夢見て。



_______ドドドド・・・・・・

 

 いつ果てるともない戦い。

 南アフリカはプレトリア郊外、埃っぽい平原のそこかしこに血と硝煙のにおいが充満している。

 ディザスター級セルリアンの天を衝くほどの禍々しい巨体が、粉塵を巻き上げながら僕の眼前に迫ってきていた。

 

「メリノヒツジ! 何やってんだ!」

 一目散に逃げる仲間たちが振り返りながら僕を轟々と非難している。

 ・・・・・・それも無理はない。ディザスター級の肉体はそのサイズにふさわしい鉄壁の防御を誇っている。だから正面きってやり合うなと固く命令されている。

 ここから少し行った所にある谷間に奴を誘い込み、両サイドの山を爆破して落石に巻き込んでひるませてから、部隊のフレンズ全員で総攻撃を仕掛けるとかいう作戦だった。ディザスター級を相手にするのに最も確実で使い古された戦術だ。 

 

 で、それがどうかしたか? 

 僕はぜひとも一対一でディザスター級を倒してやりたいんだ。

 くだらない戯言など右から左に抜け、僕は怪物を前に目を閉じて、ある好きな詩の一説を脳裏にそらんじた。

 

 秋だ。

 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、ともづなを解いて、悲惨の港をめざし

 炎と泥の染みついた空を負う巨きな街をめざして、舳先を回す

 

 ・・・・・・やはりランボオは素晴らしい。

 熱く燃える魂の言霊。それこそが孤独な僕の唯一にして無二の友。

 僕もランボオと同じだ。いつでも悲惨の港を、やり場のない気持ちの矛先が指し示す場所を探している。死ぬまで船を降りることはない。

(そろそろ、だな)

 瞳をゆっくりと開いて目前で空気を震わせるディザスター級を見上げると、頭に思い描いたイメージを手のひらに走らせた。

 

_______バシュウウウッッ!

 光と共に螺旋状の二又槍が地面に突き立つ。

 それとは反対に、得物の柄がどこまでも上に向かって伸びていく。それをしっかりと握り締める僕自身の体をも上空へ連れていった。

 

(過去のデータからわかっている。このタイプは真上からの攻撃が弱点だっ!)

 

 そうして僕は山のような円錐形の体を持つディザスター級の体長よりも高い位置に陣取ると、遥か下の地面から僕をここまで連れてきた得物を手のひらの中に一旦かき消した。

 

 戦いを続けるうち、僕の”先にある力”が何なのか見えてきた。

 それは得物をさまざまな形に変形させる力だ。

 はじめは一つの槍を二つに分ける程度しか出来なかった。それぐらいは角持ちのフレンズなら誰でも出来ると思っていた・・・・・・だがどうやらそうではないらしい。

 

 僕の誰にも負けない長所。それは本を読みふけることで培った想像力だ。

 強く具体的なイメージを思い描けば、今のように得物の柄を長く伸ばすことも、鞭のようにしならせることも出来る。板状にして盾にすることも出来るし、鋏のような少々複雑な形状にすることも可能だ。

 真下にいるディザスター級セルリアンに向かって、この変幻自在の得物を使ってどんな攻撃を仕掛けてやるか・・・・・・当然もう決めてある。

 

 体が下に落ちる。風圧で僕の赤みがかった体毛がバサバサと鬱陶しく逆立つ。今の僕は重力という地球上で最強の力を味方に付けている。

 だったらそれを利用しない手はないだろう。

 

(こういうのは、どうかなァ?)

 足から落ちて行く体越しに下を見ながら、胸の前で両手を重ねると、手の平に集束させた光をイメージ通りに具現化させていった。もともとは二又に別れていたはず槍の穂先をひとつに束ねたのだ。二つの穂先が螺旋状に絡まって一点に尖っていく様は、さしずめドリルと言ったところか。

 

 槍の柄を逆手に持って下に突き出しながら、垂直に落ちる体を横方向に錐もみ回転させる。

 回転が手にした得物にも伝わっていく。鋭いドリルの先端に、落下する僕の体重と、回転がもたらす貫通力が加わるのだ。

 これが今僕が出来る最大威力の攻撃だ。データ上は奴の体内のちょうど真ん中に位置する核にまで、この攻撃なら届くはず。

 

「死ねよっ!」

_______ズギャギャギャッッ!!

 ディザスター級のどてっ腹に、全身ドリルと化した僕が突き刺さる。

 どこまでもどこまでも、自身の体が深々と巨体を抉っていくのがわかる。

(いいぞ! このまま、このまま、核をつらぬけええっ!)

_______ギャリッッ・・・・・・

 

 だが、思い通りにはいかなかった。ドリルが途中で引っかかり、それ以上前に進まなくなってしまったのだ。

 想像よりもずっと大きく広いディザスター級の肉体が、回転の勢いを完全に受け止めてしまっている。

 いま僕の全身は奴の体内に留まっている。これじゃ自分で死地に飛び込んだも同然だ。

 手にした得物を一旦しまって、体勢を立て直しながら上を見上げる。

 僕がドリルでこじ開けた大穴から外の光が差し込んできている・・・・・・かなり深くまで抉ったはずなのに、これでも核を貫通出来ていないっていうのか。

 

「だったらもう一度やりなおせば良いんだろうが!!」

 大穴の入り口に向かって鞭のように再形成させた得物の一端を放り投げた。

_______カキンッ

 フック上に加工した得物の先端が、奴の外皮に引っかかる音が聴こえる。後は得物を短縮させて僕の体を引っ張り上げれば・・・・・・

 しかし、セルリアンの再生能力が、こじ開けた穴を見る見る内に塞いでいった。差し込む光がか細くなっていく。

 強酸性の体液が僕の体を焼いていく。底なし沼のようなセルリアンの体内では呼吸もままならない。やがて穴が完全に閉じようとしていた。

(こんなところで、死ねるかああっっ!!)

 

_______ブチブチブチィィィ・・・・・・

「な、何っ!?」

 得物を握りしめた両腕が、強烈な力に引っぱられるのを感じた。

 途方もなく馬鹿げた怪力が、セルリアンの体細胞を押しのけ引き千切りながら、鞭状にしならせた得物を僕の体ごと手繰り寄せていった。

 

「・・・・・・クサレヒツジが」

 

 死地から脱出を果たすと、そこに彼女が立っていた。

 小さな体に無敵の力を宿す獣王が。

 

 クズリさんは”固定する能力”で足裏を固定してディザスター級の外皮にとどまり、剛腕で僕のことを引っ張り上げたのだ。

_______ギュウウッッ

 だがしかし彼女は、穴から顔を出した僕の首根っこを、息が止まりそうになるぐらいの力で握りしめ鷲掴みにしてきた。

 殺気だった不機嫌そうな顔で僕を睨みつけている。

 僕はされるがまま四肢を空中に投げ出しながらも、負けじとクズリさんを睨み返した。

 

「・・・・・・がはっ! あ、アンタともあろう者が、ずいぶんと優しいですねえ!?」

「調子に乗り過ぎだぜ。コイツはてめえごときが捨て身になった所でよ・・・・・・()れる相手じゃあねえんだよ!」 

 

_______ブゥンッッ! ドサッッ!

 鷲掴みにされた体が投げ飛ばされ、地上数十メートル下へと叩き落される。

 僕を投げ落としたクズリさんが、斜めに突き立つディザスター級の外皮に直角に立ちながら、偉そうに腕を組んで僕のことを見下ろしている。

 

「・・・・・・じゃあアンタにはソイツが殺れるって言うんですかッッ!?」

 ズキズキと痛む全身を起こしてクズリさんに猛抗議した。

 僕は知っているぞ、いかにクズリさんだってディザスター級セルリアンを1人で始末することは出来ない。他のフレンズやヒトの兵器との連携が必要だ。

 たった1人でディザスター級を倒すことが出来たのは、あの”最強の養殖”アムールトラだけだ。

 ・・・・・・だから僕の手で何としてもディザスター級を殺りたかったのに。そうしたらクズリさんに一泡吹かせてやれたのに。

 

「あ? 今なんつった?」 

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 クズリさんは組んだ腕を解き、ディザスター級のどてっ腹に棒立ちになったまま、全身から野生解放の光を放って見る見るうちに殺気を高めていった。

 そして僕は見た。クズリさんの体中の殺気が一点だけ、しならせるように空中に掲げた右手に集束されていくのを。

 金色に輝く右手を振りかぶると、拳を作ることもなく平手のまま撫でるようにディザスター級の外皮に触れた。

 とうぜん敵の巨体はビクともしない。

 

(な、何だ!? 何をやる気だ!?)

 僕は呼吸するのも忘れてその様に見入った。

 

 右手を敵の体に押し付けたまま、涼し気に四肢を弛緩させていたクズリさんが、とつじょ表情を険しく歪ませる。

 やがて弾けるように全身の筋肉を震わせ、右手に集中させていた闘気を炸裂させた。それは何らかの攻撃のインパクトの瞬間だ。

 僕にわかるのはそれだけだった。

 

「・・・・・・アイツに出来たことが・・・・・・オレに出来ねえわけがねえっ!」

_______ビキッ、ビキッ、ビキッ・・・・・・

 肉がひしゃげる生々しい破壊音が聴こえてきた。

 だが一体どこからそんな音が出ているというのだ?

 目の前には相変わらずディザスター級セルリアンがそびえ立っているし、そのどてっ腹に取りついたクズリさんは、全身から闘気を発散させながら、阿修羅のごとき形相のまま静止している。

 

 ・・・・・・やがて僕の目にも異変がはっきりとわかった。ディザスター級の肉体に亀裂が走りひしゃげ始めたのだ。

 ずっしりと中身が詰まった質量が、すさまじい外力が加えられることで押しつぶされて縮んでいるようだった。だが何者の手によって? 屹立する敵の周囲にはただ空間が広がるばかりで、豆粒のようなクズリさん以外は触れる者さえいない。

(まさか・・・・・・クズリさんが?)

 そうとしか思えない様相だった。彼女の見えざる巨大な手のひらが、ディザスター級の巨大な全身を握りしめ、自慢の握力で圧殺しているとしか。

 

_______ッッろすぞあぁぁっ!!

 

 クズリさんが怒声と共に肩をいからせながら、押し当てた右手を力任せに握り締める。

 すると「ドチュ」と液体が弾け飛ぶ水音と共に、突然にディザスター級の胴体に、丸くくりぬかれたような巨大な空洞が出現した。

 あの攻撃範囲なら、どう見たって核も巻き込まれているだろう・・・・・・。

 握り締めた彼女の手の周囲には、限界まで圧縮され体液をまき散らす肉片が集まっていた。そしてその最後の一片も握りつぶされ、空中に離散した。

 

「・・・・・・ケッ、まだまだ時間がかかりやがるなァ」

 クズリさんは自身の手でむごたらしく破壊した敵の足元に降り立つと、興味を無くしたようにそっぽを向き、またも握りこぶしを見つめながら自問自答していた。

 そんな彼女の傍らで、ディザスター級の亡骸は全身灰色になってその場に崩れ落ち、空中に向かって虹色の光鱗を巻き上げながら、時間をかけてゆっくりと消滅していった。

 

(つ、ついに発現したのか!)

 クズリさんは前々から自身の能力の進化形を模索していた。

 あんな風に拳を握りしめて、それをじっと見つめて何かを考えていた。まるで「握りしめる」という動作自体に何か特別な意味合いでもあるように。

 そうだったのか、あれがクズリさんの二つ目の能力。「固定する力」が「握り潰す力」へと進化したというわけか。

 いかにも、クズリさんの個性がそのまま現れたような能力だ。

 

(くそっ・・・くそっ・・・)

 僕にも一つ目の力が身について、やっと追いつけたと思っていたのに、また差を付けられてしまった。

 

 

 僕とクズリさんはつい最近まで、成層圏に浮かぶ「スターオブシャヘル」で、培養されたセルリアンを相手に戦闘実験に励んでいたが、今は地上に降ろされて、プレトリア郊外にはびこる野生のセルリアンの掃討にあたらされていた。

 シャヘルが擁するフレンズ部隊とまた一緒に行動している。

 部隊を率いているのはもちろんスパイダー隊長だ。

 

 Cフォースにとって最も重要な「女王誕生」のための実験が6日後に迫っている。セルリアンを生み出す地下深くの卵管に核ミサイルを落とす実験だ。

 実験の前準備として、ヒトのスタッフが爆薬を用いて大規模な地盤工事を行っている。爆破に刺激された卵管が活発に「子供」を生み出し、プレトリア郊外のそこかしこを埋め尽くしている。

 

 フレンズ部隊の仕事は、セルリアンの群れから現場のスタッフを守り、工事スケジュールを滞りなく進行させることだ。

 逆に他のことはやらなくていい。多くのセルリアンが工事エリアから飛び出して四方に散っているが、そいつらのことは放置で良いと言われた。

 この近辺にもいくらか生き残りのヒトが隠れ住んでいるようだが、別に死んでも構わない連中だそうだ・・・・・・だったらどうでもいいさ。僕には良心の呵責なんてない。

 

 ミサイルの弾頭には核だけでなく、シャヘルに集められたあらゆるセルリアンの遺伝子情報を解析してコーディネートされた「女王の遺伝子」も混入されている。

 卵管に遺伝子が混ざり、核爆発のエネルギーを糧にすることで、あらゆるセルリアンを従わせる能力を持つ女王が誕生するっていう話だ。 

 ・・・・・・Cフォースの手で生み出された女王には、あらかじめリミッターが仕掛けられているらしい。セルリアンを従える女王を、Cフォースが従える算段が整っているということだ。

 まあ、僕たちにオーダーや「鎖の腕輪」を付けているのと同じ発想だろう。

 まったく上の奴らはワンパターンなアイディアしかないようだな。

 

 工事は後5日間続く。

 6日目のミサイル投下が行われる前日に、僕らは工事スタッフと共にここを撤退する。

 実験が終わって女王が誕生すれば、Cフォースのフレンズたちは戦いから解放され自由な暮らしが待っていると聞く。

 それを聞いて誰もが色めき立ち任務にあたっていた。

 ・・・・・・だが僕は他のフレンズとは真逆で、焦りばかりが日増しに募っていった。

 

_______バキッ! ボゴォッ! 

 

 作戦が終わり、僕らフレンズ部隊は「ホバー艦」へと帰還していた。

 タンカーほどの巨体を誇りながらも、野も山も水上のごとくスイスイと進むことの出来る機動力に飛んだ要塞だ。

 

 無数の戦車や地上車両が立ち並ぶ格納庫で、防毒マスクを被った筋骨隆々の大男が、鉄パイプを握って僕のことを繰り返し乱打している。

 命令違反を犯した僕への制裁だ。

 オーダーが取り除かれた代わりに「鎖の腕輪」を両腕に付けられている僕は、無抵抗で殴られ続けるしかなかった。

 仲間のフレンズ達がげんなりした表情でそれを見ている。

 クズリさんは隅っこの方で興味がなさそうに胡坐をかいて項垂れている・・・・・・あれはきっと寝ているな。

 

「バカ者めがっ! ヴェスパー様のご上意を何と心得るかっ!」

 頬を上気させながら鉄パイプに込める力を強めているのは、ここ最近僕らの部隊を監督するために出向してきた「カルナヴァル」とかいう大男だ。

 元はCフォースの敵対組織パークにて「長老」と呼ばれていた大幹部だったらしい。

 

 なんでもこのカルナヴァルはパークを裏切って陥れることに成功したらしい。それがグレン・ヴェスパーに気に入られ、今回の工事の監督に抜擢されたそうだ。

 工事が終われば「スターオブシャヘル」の次期責任者になる予定だという。

 現責任者にしてグレン・ヴェスパーの娘、イヴ・ヴェスパーが、正式に父の後継者として推挙されるので、尻上がりに出世する形だ。 

 

「パークは壊滅した。今後二度とCフォースの邪魔をすることはない」

 僕らの上司として就任してきた時、カルナヴァルは自慢げにそう豪語していた。

 この男の裏切りにより、パークは世間的にはCフォースの完全な下部組織という扱いになったようだ。まあそんなことはどうでもいいが。

 ・・・・・・そんなことよりも、パークが滅んだということは、あのアムールトラと会う機会も失われてしまったのだろうか。奴は今どこで何をしている?

 

「反省しているのか! このフレンズが! 家畜の分際で!」

 鉄パイプがしなる。カルナヴァルは額に汗を滴らせながら、僕のことを一層はげしく打ちのめしている。

 ・・・・・・この男、自分のことを強く見せたくて仕方がないようだな。虚勢の裏に自信のなさが透けて見える。しょせんはヴェスパー親娘に媚びへつらう小物でしかない癖に。

 ヒトにしては鍛えた体のようだが、大して痛くもない。

 フレンズの体の強度を何だと思っている? ヒトごときがまともに傷つけられる物だと思っているのか?

 

「反省? してますけど?」

 僕はそう言って口元から血を流しながらカルナヴァルのことを、心底からの軽蔑と「いつでも殺せる」と冷たい殺気を込めた視線で睨み付けた。

 

「・・・・・・どうやらお前は、筋金入りの愚か者らしいな」

 カルナヴァルは僕が視線に込めたメッセージを受け取ったようで、顔をますます赤くしながら深いため息を付くと、鉄パイプを脇に放った。

 そして懐に手をやると、腰のベルトにぶら下げた鞘からナイフを抜き放った。

 

「制裁ではなく、罰をくれてやるわ」

 薄暗闇の中で鈍く光る切っ先が、僕の眼球に向かってジリジリと距離を縮めて来る。

 ・・・・・・ふぅん。確かにフレンズでも粘膜は弱い。眼球ならナイフも通るだろうな。

 別に怖くなどない。恐れる理由がない。オオカミである僕が、カルナヴァルのような「犬人間」を恐れるとでも思っているのか? 僕の恨みを買う覚悟があるんならやればいいじゃないか。

 それにわかっているのか? 自動で発動するオーダーと違って「鎖の腕輪」は作動させるのに音声認識が必要だ・・・・・・だから、カルナヴァルが無防備でいる時間、今日の深夜にでも奴の寝室にお邪魔してやろう。

 最初に奴の喉を潰して・・・・・・後はお楽しみの時間だ。

 

_______ガチャンッ・・・・・・!

 薄ら笑いを浮かべながらナイフを迎えようとしていた瞬間、格納庫の正面の突当りにある昇降台が音を立てて開かれた。

 

「すんません。どうかもう、その辺にしておいてもらえるっスかね」

 

 そう言いながら現れた小柄なフレンズの姿に、その場にいた一同の視線が注がれる。多くの仲間たちは暗い表情をぱっと明るくさせた。

 スパイダーさん・・・・・・シャヘルのフレンズ部隊の隊長にして、クズリさんが五分の兄弟分と認めるフレンズだ。

 

 小さな体に大きな器を宿す彼女は、最初こそ腕っぷしが弱いということで部下に侮られていたが、今や心の支えとも言うべきレベルで慕われていた。

 それに加えて、新しくやって来たカルナヴァルがどうしようもない人物であることが一層スパイダーさんのカリスマを強めている。

 酷い状況だけど皆で助け合って生き残ろう、という彼女の言葉に部下たち誰もが励まされ、彼女の下で団結し合っていた。

 ・・・・・・まあ僕としては部隊の団結なんてどうでもいいが、僕も彼女に命を救われたことがあるし、個人的に尊敬しているのは間違いない。

 

 だが今のスパイダーさんは、部下たちに慕われているというだけじゃない。

 グレン・ヴェスパーにも特別に目を掛けられるフレンズとなりつつある。

 カルナヴァルを誘拐に見せかけてCフォース側へ回収できたのも、スパイダーさんの「影潜り」があったからこそだ。

 

 メガバットという、長年グレン・ヴェスパーの側近として仕えていたフレンズがパークとの戦いで行方不明になったらしい。その代わりにスパイダーさんを重用する腹積もりのようだ。

 そのためか最近は不在なことも多い。

 今だって、カルナヴァルそっちのけで、親か娘かは知らないが、ヴェスパーからの指令を1人で受け取るためにブリッジに上がっていたんだ。

 

「頼むっス。後で自分の方からきつく言って聞かせますんで」

「うぐっ生意気なサルめ! 上官に意見する気か!」

 

《いいえ。それは私の指示。部下を傷物にする権利は無い、あなたには》

 どこからか艶っぽい声が聴こえた。

 倒置法と体言止めを多用する芝居がかった喋り方が。

 ・・・・・・ああ、これは娘の方か。

 

 スパイダーさんは片手に手のひらサイズの円盤を抱えていた。

 そこから数十センチぐらいのイヴ・ヴェスパーの立体映像が現れて、会話に割って入ってきた。

 イヴの姿を見るなり、カルナヴァルはナイフを急いで懐にしまって深々と頭を下げた。まったく変わり身の早い犬人間だな。

 

《カルナヴァル、あなたの努力も水泡に帰したようね、残念ながら》

「と、おっしゃいますと?」

《まだ壊滅していないのよ。パークは》

 

 イヴが淡々とそう告げるのを、カルナヴァルは「そんなバカな」と頭を抱えながら否定した。

「・・・・・・聞かせろ」

 隅っこの方でうたた寝していたクズリさんが突然に顔を上げると、唸るように続きを促した。

 

 イヴは告げる。

 プレトリア郊外に、国連から公式に緊急避難勧告が発令されたと。

 また謎のNGO団体が、国連の重役の指名を受けて派遣され、地盤工事でプレトリア郊外に溢れだしたセルリアンから、地元住民を守り避難させている、と。

 

「そ、その組織がパークですと? あり得ません。カコ・クリュウとリクタス・ヒルズが手を取り合うことなどない。必ずや潰し合って自滅するはずです。それ以前に、奴らは国際指名手配中の身。まともに動けるはずがありません」

《それはただの絵図・・・・・・常に起こり得る、予想外の事態は》

「いえ。で、ですがパークだという根拠も」

 

 イヴは溜息をひとつ付くと、実際に見てもらったほうが早い、と、自身の立体映像を別の画像に切り替えた。

 真上から平原を見下ろす衛星写真だった。

 画質は荒いが、地面を埋め尽くさんばかりのセルリアンが平原を雪崩のごとく移動している地獄のような様相は伝わってくる。

 ・・・・・・一体だけ、周囲よりも桁違いに大きな個体がいる。あれはきっとディザスター級だろう。

 工事で大量発生したセルリアンは、工事エリアを襲う個体よりも、エリアから出て行った個体の方が断然多いと思っていた。

 まさかこれほどとは思っていなかったが。

 

《そしてこれが、同一地点の、およそ30分後の写真よ》

 

 画像が切り替わる。

 同一地点と言うのだから当たり前だが、木々や植物が生えている位置も、地面の凹凸なんかも、何もかもが同じだ。

 しかし画像から受ける印象はまったく別物だった。

 あれだけ大量に発生していたはずのセルリアンが、きれいさっぱり消滅していた・・・・・・いや、微かだが残滓が残っている。

 ディザスター級がいた位置だ。あれは他の個体と比べて極めてゆっくりと消滅するために、衛星写真にも燃えカスのような虹色の噴煙が映りこんでいた。

 

《見てわかる通り、何者かが大量のセルリアンを短時間で殲滅した・・・・・・我々Cフォース以外に、他にいくつもありますか? こんな芸当が出来る組織が? ・・・・・・そして向こうにもいるようね、ディザスター級を倒すほどの強力なフレンズが。

 仮に謎のNGO団体がパークなのだとしたら、奴らがここにやって来た目的は恐らくひとつ・・・・・・阻止しにきたのでしょう、我々の企みを》

 

 イヴが突きつけた事実に、カルナヴァルだけでなく、部隊のフレンズまでもがどよめき始める。

 5日間セルリアンから工事現場の防衛だけをしていれば良いと思っていたのに、新たな敵が現れたという最悪の情報がもたらされたからだ。

 イヴは「ディザスター級を倒すほどの強力なフレンズ」と言葉をぼかしてはいるが、それが意味する存在は恐らくただ一人・・・・・・

 

「はははっ! あははははっ!」 

 混乱の中、たった1人クズリさんだけは、立ち上がって上半身をのけ反らせながら、愉快で堪らないといった様子で笑い声を上げていた。

 

「アイツだ、アイツが来やがったっ・・・・・・!」

 

 両手でわなわなとガッツポーズを取る彼女の顔には一切の殺気がなかった。玩具を与えられた子供のような、歓喜に満ちた無邪気な心からの笑顔だった。

 クズリさんはいつもそうだ。

 普段は見せない表情を、アムールトラが絡んだ時だけ見せるんだ。

 

「・・・・・・ウルヴァリン、話を最後まで聞けっスよ」

 スパイダーさんは興奮冷めやらぬクズリさんをびしゃりと制止し、己が持つ円盤から出るイヴの立体映像に目配せして話の続きを促した。

 どこを見ているかもわからないイヴの青白い顔が頷いて言葉を続ける。

 

《まだ動く時ではないわ。今出来ることはひとつ。静観、様子見・・・・・・》

  

 イヴが言うには「パークかも知れない謎の組織」は、国連の指示に従って、避難勧告が出された地域で避難民の救助を行っているに過ぎないのだという。

 そんな相手に武力行使を仕掛けるだけの正当性がこちらにはない。

 何か明確な敵対行動を取ってこない限りは手出しが出来ない、と彼女は断言した。

 

「そーいうわけで、皆には引き続き交代でセルリアンの駆除にあたって欲しいっス。順々に休んで、次の戦いに備えてくれっスよ。例の組織の動きは逐一監視して、何かあったらまた連絡するから」

 

 スパイダーさんに言われるまま、フレンズ達は各々の寝場所に戻っていく。

 もっとも、昇降機を昇った先はヒトの乗組員が往来するので、格納庫の空いたスペースで雑魚寝みたいな状態ではあるが。

 カルナヴァルは舌打ちしながら昇降機に乗って上に消えていった。

 

《待ちなさい・・・・・・ウルヴァリンとメリノヒツジ》

 そんな中で、スパイダーさんが手に持つ円盤ごしに、イヴが僕ら2人だけを呼び止めてその場に残らせた。

《よもや忘れてないかしら? あなた方に課した役目を》

 

 イヴははっきりと不快感を露にした顔で僕とクズリさんを責めた。

 僕らの本来の役目、それはフレンズの次なる進化形態へ至るための実験体だ。

 そのためにサンドスター培養液に浸けられたまま寝起きして、日々肉体に強化が施されたし、来る日も来る日もシャヘルが培養したセルリアンと戦わされてデータを取らされた。

 ・・・・・・しかし、イヴが望むような成果を僕らは残せないまま、地上に降ろされて再び戦いに駆り出されることになっていたのだ。

 

《ウルヴァリン、あなたはどうして次のステップに上がれないの? それほどの力がありながら・・・・・・! そしてメリノヒツジ、あなたは明らかにステータス不足。ウルヴァリンのカウンターを担うには全然足りない!

 2人とももっとセルリアンと戦うのです! そうすれば開かれるはず! フレンズが次のステージに進むための進化の扉が!

 ここプレトリア郊外においても、戦う相手には事欠かないはず!》

 

 イヴは散々ヒステリックにまくし立てた後で《言いたいことはそれだけ》と、会話を打ちきり、映像をかき消してその場からいなくなった。

 

 にわかに静まり返った格納庫。

 クズリさんは両手を頭の後ろで組みながら、不満タラタラな様子で「うぜえババァだな」と吐き捨てた。

「ディザスター級だって今のオレにとっちゃザコだぜ。もっと強え相手と戦わせろってんだよ」

 

 遠い目をしながら独り言ちるクズリさんが思い描いている相手はたった一人しかいない。

 ・・・・・・アムールトラに執心なクズリさんも、僕のことを劣等生呼ばわりするイヴも、見ていて不愉快でしょうがない。

 

「忘れたわけじゃないでしょうね!? ”獲物は早い者勝ち”ですよ!」

「あ?」

「アムールトラは僕が目を付けた獲物でもあるんだ!」

 

 思わず横やりを入れに行ったが、彼女は笑いながら僕を一瞥しただけだった。

 まるで鼻先を飛び回る羽虫でも相手にしているみたいな態度だ。

 苛立ちがさらに沸き立って「ナメるな」と内心毒づきながら、血走った眼でクズリさんを睨み付ける。クズリさんも不躾な殺気を送られているのが面白くないようで、今度は僕の目を真っ直ぐ見始めた。

 

「てめえはディザスター級にも負ける体たらくなのに、どうしてそんな大口が叩けるかね?」

「・・・・・・僕は今よりももっと強くなるっ! アムールトラも倒すし、いつの日かアンタも越えてみせる!」

「おいおい、オレにはてめえが強くなるまで待つ義理なんかねえんだぜ? そんなにオレと再戦したけりゃ、いま相手になってやろうか?」

 

 見え透いた挑発だったが、完全に頭に血が上っていた僕は「望むところだ!」と吠えながらクズリさんに挑みかかろうと距離を詰める。

 彼女はなおも口元に薄ら笑いを浮かべている。とことんまで僕をバカにした態度を崩さない。

 

 しかし不穏な空気を察したスパイダーさんが「いい加減にしろ」と、素早く僕らの間に割って入った。

「もうそんなことをしている場合じゃないんスよ」

 仲間内での揉め事を何よりも嫌う彼女から、いつものように説教を食らうかと思っていたが、なにやら別ベクトルからの物言いが飛んでくる気配を感じた。

 

「すぐにパークとの戦いになるっス・・・・・・もちろんシベリアンもこっちに向かって来てる。2人とも、もうすぐ念願の相手と戦えるっスよ? つまらない内輪揉めなんかしてないで、ベストコンディションを整えておくのが賢明っス」

 

 確かに、スパイダーさんの言うことはもっともだ。

 パークというのはCフォースと違って、フレンズに戦いを強制するような組織ではないと聞く。

 つまりシベリアン・・・・・・アムールトラは、自分の意志で戦いを望み、このプレトリアに赴いて来ているんだ。僕らを叩き潰すために。

 なら僕らは待っているだけでいい。

 

「エテ公、てめえはオレとアイツを戦わせたくねえんじゃなかったのか?」

「もちろん今だってそう思ってるっスよ。でも、そんなこと言ってる場合じゃない」

 

 クズリさんの問いに対して、スパイダーさんは溜め息混じりに、途方に暮れたように答えた。

 五分の兄弟分のそんな様子を見て、クズリさんは先ほどまでの薄ら笑いを引っ込めて、神妙な顔で立ちすくんだ。

 

「今アタシの頭ン中は、このヤバい状況で、どうしたら部隊の皆を守れるのかってことで、いっぱいいっぱいなんスよ」

「・・・・・・悪かった。てめえに迷惑はかけねえよ」

 

 クズリさんはスパイダーさんの肩をポンと叩いてから、ぶっきらぼうな足取りで格納庫の薄暗がりの中へ歩き出した。

 しばらくして、等間隔に配置される青白い照明の下で今いちど振り返り、僕のことを睨み付けて「メリノ”オオカミ”よォ」と、嫌味たっぷりに呼びかけてきた。

 

「わかってんのか? てめえは今日だけで2回も他人に命を助けられてんだぞ?」

 

 

 その晩、胸の奥のイライラが取れなくて、僕の就寝場所である、装甲車が駐車する脇の空きスペースで身もだえていた。 

 僕用に貸し与えられているスマートフォンを取り出して、唯一アクセスが許されている読書サイトの画面を眺める。

 散文詩でも眺めて気持ちを鎮めようか・・・・・・いっそ長編小説でも読んで夜明かしでもするか・・・・・・

 苛立ちのあまり全身がぶるぶると震えて画面をスクロール出来ない。

 僕は昂ぶる感情に身を任せ、手に持ったスマートフォンを力いっぱい握り潰した。

_______バキンッッ!

 手のひらに残った粉々の残骸を眺めて物思いに耽る。

 嫌な気持ちから目を背けるために読書の世界に逃げるんだったら、以前の僕とやっていることが変わらないじゃないか。

 

(・・・・・・少し、動くか)

 寝屋を抜け出して、薄暗く広い格納庫の中をブラブラと歩き出す。そこかしこからフレンズたちの話し声や寝息が聞こえて来る。

 1人で外の空気に当たりたいところだけど、それは叶わぬ相談だ。適当に歩いて気持ちが落ち着いたら眠りに戻ろう。

 

「お、おい、メリノ!」

 ぼんやりと進んでいると、後ろから上ずった緊張した声で呼び止めて来る者がいた。

「・・・・・・ディンゴ、か」

 

 ディンゴは昔から僕と同じ部隊で戦っていた腐れ縁だ。

 そして僕のことを散々いじめてくれた相手でもある。

 腕っぷしに自信がある彼女は、最初はクズリさんのように周りに強さを知らしめたいと息巻いていたが、僕に下剋上されて夢が破れると、僕にとってはその他大勢の1人と化していた。

 

 振り返って真っ直ぐにディンゴのことを睨み付ける。

 彼女は大柄な体のイヌ科のフレンズで、以前までは見上げるほどの背の高さだったけど、僕の身長は短期間で彼女と同等にまで伸びていた。

 話しかけるな、視界に映るな、と以前あれほど脅して聞かせたのに・・・・・・何で話しかけてきた。 

 

「ディンゴ、僕に何か”用”でもあるのか?」

「や、やめろ。少し話がしてーだけなんだ!」

 

 僕の殺気を感じ取ったディンゴが、あわてて両手を上げて無抵抗の意を示す。僕は溜息をひとつ付きながら「・・・・・・で?」と話を聞いてやることにした。

 

「メリノ、最近のおめーはいくら何でもやってることがムチャクチャじゃねーか? ディザスター級に1人で突っ込んでみたり、カルナヴァルにわざと逆らってみたり・・・・・・死に急いでいるとしか思えねーぞ」

「・・・・・・ディンゴ、君が僕の心配をするなんて変じゃないか?・・・・・・君は今まで僕に何度も”死ねばいい”とか言ってきたじゃないか。僕に死んで欲しいんだろ?」

 

_______ガタンッ

 僕の指摘を受けて、ディンゴは大きな体を折りたたむと、あろうことか僕の前で土下座をしてみせたのだった。

「ゆ、許してくれ! 今までおめーにやったこと、言ったこと・・・・・・本当に悪かった!」

 地面に頭を擦り付けながら尚も謝罪の言葉を続けている。

 そんな情けない姿を見て何だか興が削がれる気分になった。こんな謝罪なんてしてもらわなくたっていい、今の僕にとっては最早どうでもいいことだ。

 

「顔を上げてくれよディンゴ」

「許してくれんのか?」

「・・・・・・許すも何も、君を恨んでなんかない。だって前までの僕は、弱くて、やる気もなくて、読書の世界に逃げ込んでばかり。どうしようもないクズだったよ。そんな奴、君にいじめられても仕方がないと思うよ」

 

 言葉を続けながら「そうさ」と、胸の奥で自分の意志を再確認する。

 僕がこの世で一番嫌いなのは、弱いヒツジである自分。だから僕は前の僕と決別した。

 クズリさんと決闘した時、死を覚悟した刹那。僕は赤一色の風景に包まれた明晰夢を見た・・・・・・その中に一匹のヒツジがいた。僕はそいつを食い殺してやったんだ。

 そうしてオオカミである僕が生まれた。

 

「お、おめー・・・・・・」

 せっかく謝罪を受け入れてやったのに、ディンゴはまだ納得がいかないような顔をしている。

 

「弱い自分が嫌いだから、死ぬような無茶をしてまで強くなろうとしてるってことか? ウルヴァリンさんともいちいち張り合ってんのか?」

「ああそうさ」

「・・・・・・だったら、もう十分強くなったじゃねーか。どうしてウルヴァリンさんのレベルまで求めるんだよ? あの人やシベリアン・タイガーは、並のフレンズとはそもそもの格が違うんだよ。おめー、このままじゃマジで死んじまうぞ」

 

 ディンゴが震える声で諭そうとしてくる。

 ふん。確かに筋が通った主張のようには思えるな。

 でもどうしてだろう、そんなことを言われても全く納得できないし、僕は今の道を引き返す気にはなれそうもない。

 

「僕は何としてもクズリさんに認められたい・・・・・・あの人の目を真っ直ぐ見れずに下を向いた時、弱くて惨めなヒツジに戻ってしまうような気がする・・・・・・そんなことになったら、もう生きちゃいられない」

「い、意味がわかんねーぞ!」

「君にはわからないだろうね」

 

 僕はそれきり会話を打ち切って、自分の寝床に戻ろうと踵を返した。

 ディンゴはまだ何か言いたいような顔でその場に立ち尽くしたままだった。

 

「どうしてそんなに自分のことが嫌いなんだよ!」

 

 後ろから聴こえてくるディンゴの叫び声には嗚咽が混じっているような気がした。

 ・・・・・・ディンゴ、もう僕なんかに構うな。君は自分の弱さを認めた。だから他の弱者と守り合いながら、細々と生き残ればいいだろ。

 でも僕は違う。弱いまま生きるぐらいなら、強者と戦って死にたい。

 それが僕の選んだオオカミとしての生き方だ。他の生き方なんて、もうできないよ。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
_______________Human cast ________________

「イブ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「ディ・フェアヴァントル」
使用者:メリノヒツジ
概要:けものプラズムの具現化によって出現させていた「槍」に可塑性を持たせ変形させる能力。メリノヒツジが抱える強烈な劣等感と変身願望を糧として発動する。優れた想像力によって具体的なイメージを働かせることで、様々な形状の武器を手元に取り出して用いることが可能となる。
 想像力次第で無限の応用力と汎用性を発揮するが、あくまで現実に存在する武器を模倣することしか出来ず、破壊力そのものは並レベルである。

「グラウンド・ゼロ・グラップル」
使用者:クズリ
概要:クズリのふたつ目の能力。「固定する力」グランドグラップルが進化し「握り潰す力」となった。自身の手のひらと、接触した敵の肉体の隙間に超強力な重力場を発生させ、どのように巨大な敵の肉体にも360度あらゆる方向から圧力を加えて握り潰してしまう恐るべき技。
 加害範囲は調節が可能で、敵の肉体の一部を抉り取るといった使い方も出来る。
 他のフレンズの能力と比べても突出した破壊力を誇るが、発動に時間を要するのが弱点。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章20 「ふるきとも、あたらしきとも」(前)

「・・・・・・静かなモンっスね」

「エテ公、まだ行かねえのか?」

「合図が来るまで待つっスよ」

 

 新たな作戦が始まろうとしている。

 僕とクズリさんとスパイダーさんの三人は、岩山の頂上から身を乗り出して眼下の風景を観察していた。

 スパイダーさんはいつものように冷静だったが、どこか物憂げな遠い目をしていた。

 一方のクズリさんは前かがみで肩をいからせながら荒い息を吐いている。差し迫っている戦いを前に、闘志が沸き立ってしょうがないと言った様相だ。

 

 ここはプレトリアから北東、オリファンツ川沿いに広がる荒涼とした平原だ。

 ところどころ岩が露出した大地、地平線の向こうまで敷設された道路、まばらにそびえ立つ山々、申し訳程度に流れるか細い川。

 アフリカ大陸の大部分はこんな風景が広がっているに違いない。

 

 しかし、そんな場所に不釣り合いな建造物がひとつだけ見受けられた。

 切り立った崖のそばに、幅広なビルがポツンとそびえ立っている。

 あれは世界的な大企業が所有する巨大倉庫であるとの話で、水路や陸路を使ってこの地域の物流を一手に請け負っていた場所とのことだ。だがセルリアン災害によってとうの昔に廃墟と化しており、さらに時間が経ってセルリアンからも見向きもされなくなっていた。

 

 どうやら眼下にあるあの建物が、パーク残党が潜んでいると思しき場所のようだ。

 敵は船を使って川べりの巨大倉庫に物資を下ろし、即席の前線基地としているらしい。何かあれば船で逃げてしまえばいいので、立てこもる場所としては最適といったところか。

 

 敵の居場所がわかっているのであれば、空から爆撃して吹き飛ばしてしまえばいい。

 シャヘルが所有する兵力なら十分に可能だ。このエリアは国連で発出された緊急避難地域の範囲外であり、ここを空爆したところで後々問題になることもないだろう。

 ・・・・・・しかし今はそうしたくても出来ない理由がふたつあった。

 

 ひとつは情報の不足だ。パークの残党が何を目論んでいるか、わかっていることが少なすぎる。そのため、是が非でもこの作戦で敵兵を捕虜にして情報を聞き出すべきという判断になった。

 もうひとつの理由はフレンズの研究のためだ。

 Cフォース製の人造フレンズと違って、パーク側には自然的に発生した「天然フレンズ」が兵力として徴用されている。

 極端にサンプル数が少ない天然フレンズの肉体を研究することで、いまだ確実性が低いフレンズ化施術の成功率を上げるための手がかりが得られるそうだ。

 

 さらに状況を込み入ったものにさせている存在がもうひとつある。

 ふたつの組織の争いにまったく関与しない第三の勢力・・・・・・言うまでもない、セルリアンだ。

 ここオリファンツ川沿いの平原にて新種のセルリアンの出現が確認されているという。

 ディザスター級B2型変異種、通称「アンダーテイカー」だ。

 

 アンダーテイカーは地中を移動するタイプ。地上に姿を見せることはない。

 地上にいる獲物を探知すると地面を陥没させ、地中へと引き込んでから食事にありつくという性質を持つ。アンダーテイカーとはその特徴から付けられたコードネームであるようだ。

 奴のエサはおそらくはガソリンや軽油などだと言われている。つまり奴の縄張りの範囲内で戦車や車両を走らせることは自殺行為となる。

 奴がいるおかげで、シャヘルはパークのアジトを叩くために兵器を向かわせることすら出来ない状況に陥っていた。

 

 そんな条件下で考案されたのが、少数のフレンズによる潜入作戦だ。

 選ばれたのはクズリさんとスパイダーさん、そして僕、たった3人ぽっちの精鋭だ。

 今のスパイダーさんの能力なら、数十人単位を異空間に引きずり込んで運ぶことが出来るが、広範囲に異空間を展開するには時間も手間もかかってしまう。

 それに対して、手と手を繋ぎ合った対象だけを運ぶ旧来通りの「影潜り」ならば瞬間的に発動でき、電撃的に潜入を行うことが出来る。

 3人一緒に行動していればもはや敵に捕らえられることは無いだろう。

 

 影潜りによって、パーク側にもアンダーテイカーにも気付かれずに巨大倉庫に3人で潜入する。

 そして僕とクズリさんの手によって敵兵と天然フレンズを最低一人ずつ拉致。その後すぐに離脱する。

 目的の物が手に入ったことが確認され次第、Cフォースの機体が爆撃によって巨大倉庫を吹き飛ばす。たったそれだけの作戦だ。

 

 クズリさんは「昔を思い出すぜ」とバカに上機嫌だった。

 彼女が望むような正面切っての殴り合いではなく、鼻っ面にジャブを入れるぐらいの小手調べの潜入作戦でしかなかったが、往年の相棒であるスパイダーさんと久々にタッグを組めることが嬉しいのだろう。

 スパイダーさんの能力で敵の懐に飛び込み、クズリさんが一気に叩く。それが数々の戦場を渡り歩いてきた2人の十八番だったという。

 

 戦闘狂のクズリさんと、ともかく危険を避けて生き残りたいと願うスパイダーさんの利害は絶妙な所で一致し、2人は最良のパートナーとなった・・・・・・だがしかし数々の戦いを経て、2人はともに出世し別々の道を歩くことになった。

 かたや数多くの部下を率いる隊長、かたや極秘プロジェクトの実験体になってしまった今となっては、2人だけで好きに暴れる機会など二度と来ないと思っていたことだろう。

 

「これで余計なオマケがいなけりゃ文句なかったがなァ?」

「・・・・・・僕だって、やってやりますよ」

 

 皮肉交じりに投げかけられるクズリさんの視線をギラついた目で睨み返す。

 とはいえ僕は多少なりとも緊張していて、とてもじゃないがクズリさんのように上機嫌ではいられなかった。

 潜入作戦とはいえスムーズに事が運ぶ保証はない。敵に見つかって戦いになるかもしれない。

 向こうにはフレンズもいる。いきなりアムールトラと出くわすかもしれない。

 僕の今までの戦いの相手はセルリアンばかりで、フレンズ同士での戦いはそれこそクズリさんとの一戦きりだ。そこがどうしても不安要素だ。

 

 ・・・・・・だが、だからどうだと言うのだ。僕の目標はクズリさんと肩を並べることだ。たとえ奴が相手でも不覚を取るわけにはいかない。

 ましてやそれ以外のフレンズなどに負けてたまるものか。

 意気込む僕を見て、クズリさんは「ふん」と笑いながら鼻をならした。僕のことを、少なくとも足手まといにはならないだろう、ぐらいには思っているのだろうか。

 

「・・・・・・」

 それにしても様子がおかしいのはスパイダーさんだ。

 いきり立つ僕とクズリさんを他所に、下の景色をずっと静かに眺めている。

 もともと好戦的な性格ではないが、自分の感情は抜きにして役目を完璧にこなせる器用さがあるはずなのに、この覇気のなさはどうしたことだろう。

 この3人の中でもリーダーは変わらず彼女なんだからしっかりしてもらわないと困る。

 

 クズリさんもスパイダーさんの様子が気がかりなようで「てめえ大丈夫か」と不機嫌そうに声をかけた。

「前言ってたみたいに、フレンズ相手じゃ気が進まねえってか?」

 スパイダーさんは変わらず浮かない顔をしながら「そうじゃないっス」と返事をする。

 

「考えちまうんっスよ。アタシらァ、これからどうなんのかなって」

「あ? 何だと?」

 

 かつてグレン・ヴェスパーは僕らに宣言した。

 Cフォースがパークに勝利し、セルリアンの「女王」が生まれた暁には、フレンズを戦いの役目から解放すると。

 新たな秩序の担い手は「女王」の能力によって操られるセルリアンと、クズリさんや僕のデータから作られるという「超進化態」のフレンズ・・・・・・ふたつの絶対的戦力が揃ってしまえば、それ以外の戦力はお払い箱になる。

 あの男が律儀に約束を守るとも思えないが、実際問題セルリアンが脅威とならないなら、フレンズが戦いに出る必要がないのも事実だ。

 

「・・・・・・アタシ、生まれ故郷の記憶を消されてっから、どこに帰ったらいいかもわかんないし」

「へっ、故郷ねえ」

「ウルヴァリンはどうするつもりっスか? シベリアンと決着付けて、仮に勝ったとして、その後はまた別のライバルを探すっスか? でも、フレンズともセルリアンとも戦う必要がなくなった世界で、そんな相手が見つかると思うっスか? ・・・・・・他の子らも、これから先どうやって生きていくんだろう。フレンズが普通に生きられる場所がこの世界にあるんっスかね?」

 

 長々と吐露される苦悩を、クズリさんは「知らねー」と冷たく一蹴すると、スパイダーさんに近寄って、彼女の肩の上に手を置いた。 

 息がかかる程の距離で相棒同士が見つめあう。

 

「未来がどうしたってんだよ? オレの知っているスパイダーモンキーは、したたかでズル賢くて、てめえが生き抜くことだけ考えてる一流のワルだったはずだが・・・・・・偉くなって牙が抜けちまったのか?」

 

 クズリさんがスパイダーさんをどれほど信頼しているか、その重みが肩に置かれた手から発せられているようだった。

 スパイダーさんはまだ何か納得がいかないようだったが「悪かったっス」と頭を下げてその場を取り繕おうとした。

 

「へへっ、アタシらしくない弱音を吐いちまった、忘れてくれっス」

「あの・・・・・・ちょっといいですか?」

 

 会話に割って入りスパイダーさんに詰め寄る。

 僕もクズリさんと意志は同じだ。大事なのは今勝つことだけだ。

 だが普通に考えれば、後先を考えようとする感性の方がまともだろうとは思う。まともな考えの者が納得できないまま戦わされるほど不幸なことはないだろう。

 だからスパイダーさんにも戦いの意義を見出してもらいたい。そういうわけで彼女の未来について一言物申しておきたいと思った。

 

「スパイダーさん、前にも言いましたが、失った故郷の代わりに新しい故郷を作ればいいんですよ。失った記憶なんてどうでもよくなるほどの最高の住処をね」

「・・・・・・口で言うのは簡単っスけどね」

「そう、難しいからこそ実現する価値があるんですよ。さらに言うと、ここで重要なのは、スパイダーさんだけの住処じゃないってことです」

 

 僕の話にやっと興味を持ったようにスパイダーさんの眉毛がピクリと動く。

 

「部隊の皆が心配なんでしょう? だったら今後もあなたが面倒を見ればいい。あいつらだけじゃない。それ以外にもたくさんのフレンズを、スパイダーさんの新しい住処に住まわせてやるんです。それはもはや住処という規模ではない・・・・・・ひとつの国です。スパイダーさんは、フレンズの国の王様になるんですよ」

 

「め、メリノ? お前なにバカなこと言ってるっスか?」

「僕は本気です」

 

 そう・・・・・・決しておかしいことは言ってない。

 もしもフレンズがヒトの束縛から解放される日が来るのなら、僕らはヒトのように社会を形成して生きていく必要がある。

 国を作るためには王が必要だ。そして王にとって必要なのは戦闘能力じゃない。

 仮に無敵のクズリさんであっても、畏怖こそされど身をゆだねて付いてきてくれる者は少ないはずだ。

 ・・・・・・だいいち本人だってそんなものになる気はさらさらないだろうし。

 

 そしてスパイダーさんこそが王の役目に最も適していると思う。

 彼女には戦う力はなくても、他者を引き付けて受け入れる器がある。頭も切れる。王者に最も重要な「逃げる」技も持っている。

 

「王国は大きければ大きいほどいいでしょう。そうすればあなたは多くのフレンズを守れるんですから」

「・・・・・・無茶っス。フレンズだけで群れを作ったりしたらヒトが黙っちゃいない。そもそもオーダーはどうするんスか?」

「その辺はおいおい考えていくしかないでしょうが・・・・・・ともかくフレンズたちの自由のためには、ヒトが相手でも戦うべきなんですよ。安心してください。最前衛は僕とクズリさんが担います。僕ら2人で王国の平和を守りますよ」

 

 そう、決して夢物語なんかじゃない。なぜならば、虐げられた民衆が支配から独立するための戦争が歴史上には数多存在する。ヒトが繰り返してきたことをフレンズがなぞるだけのことだ。

 

「あァ? メリノ、てめえ勝手にオレを話に入れてんじゃねえぞ」

 僕の物言いを聞いてクズリさんは不機嫌そうに唸ったが、腹の底で笑いをこらえているのがわかるような息づかいだった。

 

「でも悪い話じゃないでしょう?」

「ああ。てめえの言うことにしちゃあな・・・・・・特にニンゲンにも喧嘩上等ってえのが面白えよ。王国とやらがでかくなればなるほど、揉め事が向こうからやってくるってことだろ? 退屈しなくて済みそうだなァ」

 

 クズリさんにもウケてしたり顔になった僕は、あらためてスパイダーさんの反応を伺ってみた。

 だが彼女ときたら、肯定とも否定とも取れない微笑みを浮かべているだけだった・・・・・・良いセン行っていると思ったが、これも空振りか。いったいスパイダーさんはどうするのが望みだと言うのだろうか。

 

「聞かれたらヤバい会話はそろそろ終いにするっスよ」

 

 そう言って差し出されたスパイダーさんの両手を、僕とクズリさんが片方ずつ掴む。

 待ちかねたとばかりに溜息を吐くクズリさん。

 そして僕もざわつく気持ちを鎮めて瞳を閉じ、頭の中に真っ赤な殺意のイメージを漲らせる。

 イメージの中には変わらずに血走った眼で暴力を求める狂ったオオカミがいた。

(・・・・・・待ってろよ、パーク)

 

_______ガパァァッ!

 何もなかったはずの岩肌に突如出現する漆黒の裂け目。

 スパイダーさんを中心にして現れたそれが、足元から僕ら3人の体を呑み込んで、はるか眼下に位置する戦地へと一直線に突き抜けていった。

 

 

(おい外はどうなんだ?)

(・・・・・・なかなかの厳戒態勢っスね。さーてどう飛び込んだものか)

 

 僕とクズリさんは暫らくの間、真っ暗な異空間の中をスパイダーさんの手に引かれるがまま揺られていた。

 外界から無数の小さな光が差し込み万華鏡のように煌めいている。

 あの光の先を見定めることが出来るのはスパイダーさんだけだ。

 すでに巨大倉庫の中には辿り着いている様子だったが、スパイダーさんは慎重に外の様子を観察し機をうかがっていた。

 どうやら外はかなり多くの敵兵士がいるらしい。

 

 スパイダーさんが慎重になるのもわかる。

 僕らは戦いに来たわけじゃない。兵士とフレンズを1人ずつ拉致することだけが目的だ。他の敵には見つからずに、なるべく短時間で事を済ませなければならない。そのためには初動が肝心だ。

 影の世界に身を潜めている限り、僕らが見つかることはない。

 無策で突っ込んでアドバンテージを捨てるようなことをするのは愚かだろう。

 

(エテ公、さっさとここを出やがれ!)

 

 だがクズリさんがとつじょ痺れを凝らしたように怒鳴った。状況が理解できないわけでもないだろうに何を言ってるんだろう。

 

(焦るなっス。出るのはここの地形と敵の配置を一通り把握してからっス)

(そうじゃねえ、誰かがオレらを見てやがる。何も見えねえが殺気をプンプン感じるぜ! ここじゃオレは戦えねえ。早く出ろ!)

(バカな、見つかるはずが・・・・・・?)

 

 信じられない一言が告げられて、僕らを連れて異空間を泳いでいたスパイダーさんが足を止め、キョロキョロと辺りを見回しはじめた。

(あ、あれは何っスか!? こっちに向かってくる! くっそぉ!)

 何かを見つけたらしいスパイダーさんは狼狽えるや否や、僕とクズリさんの手を強く握り締め、万華鏡のごとく反射する無数の光の一点に向かって僕らを引っ張っていった。

 

 上下左右の区別がつかなかった異空間から、現実世界へと肉体が舞い戻る。

 下だけに体を引っ張ってくれる重力のありがたみを感じる暇もなく、僕はクズリさんとスパイダーさんを背にしながら辺りを見回した。

 

 あたりは薄暗かったが、どうやら広くて天井も高い部屋の中ほどにいるようだった。

 左右に等間隔に並ぶ柱によって空間が仕切られ、柱と柱の間には車やら何やらのスクラップが打ち捨てられていた。

 突き当りの場所がなだらかな坂道になっているのが見える。おそらく巨大倉庫の内部にある駐車場だろう。

 

 隅に寄れば遮蔽物が無数にあるが、中央にいる僕らはそのすべてから遠ざかっていた。

 とつじょ襲ってきた何者かによって、影の世界という安全地帯からこんなところに炙り出されてしまったのだ。

 

「急いで隠れるっス!」

_______ドウドウドウッッ

 スパイダーさんが柱のひとつを指差した。

 僕とクズリさんが彼女の後ろに付いて駆け出す頃には、そこかしこから無数の銃声が轟き、僕らの足元を薙ぎ払うように着弾の火花が弾けていた。

 

 柱を背にしたはいいものの、また別の方向から無数の火線が去来して僕らを襲っていた。

 どうやら四方八方をパークの兵隊に包囲されているようで、後ろ半分の敵からは身をかくせても、前半分からは狙い撃ちにされていた。

 何かがおかしい・・・・・・誰にも見つからないまま潜り込んでいたはずなのに、外に出た瞬間こんな集中砲火を浴びるなんて、まるで敵兵は僕らをここで待ち構えていたみたいじゃないか。

 

「うっとうしいニンゲンごときが!」

 今すぐ蹴散らしに行ってやる。

 殺意を燃やしながら手のひらに意識を集中させ、黄金色に輝く粒子の塊を虚空から取り出した。

 定まった形を持たない僕の能力(ディ・フェアヴァントル)を、いつも通りの二又槍の形に形成しようとした瞬間「待つッス!」とスパイダーさんの檄が飛んだ。

 

「無暗に突っ込むな! アタシらはドンパチやりに来たんじゃないっス!」

「くっ・・・・・・だったら後ろに隠れててくださいよ!」

 

 苛立ち交じりに返事をしてスパイダーさんたちの前に躍り出ると、未だ手のひらの中で不定形なまま滞留している光粒子に思い描くイメージを注ぎこんでいった。

 粒子の塊はみるみるうちに板状に広がっていき、長大な盾として僕の前方に形成された。

 

_______ガインッ! ズガガガッ! 

 銃弾が雨あられのごとく降り注ぎ盾を揺さぶる。

 貫通されることはなかったが、盾の表面には早くも細かな亀裂が走っていた。たかがヒトが使う銃如きにはあり得ないはずの威力だ。

 

 ・・・・・・そ、そうか。これが例の”SSアモ”とかいう武器か。

 裏切り者のカルナヴァルからもたらされた情報によれば、パークの兵士はセルリアンと戦える武器を持っているとのことで、それはセルリアンだけでなくフレンズにも有効打となり得るらしい。この有様ならそれは本当のことなのだろうな。

 ・・・・・・だが、遭遇するなりそんな特殊兵器をお見舞いしてくるとは。

 

「このままでは長くは持ちませんよ! いったん影の世界に戻りましょう!」

「それは危ないっス。影ん中にはヤツがいる」

「いったい中で何を見たのですか?」

「わからないっス。セルリアンとも違う気がした。真っ黒い、影の塊みたいなバケモンだった」

 

 スパイダーさんが脳裏にこびり付いた恐怖を思い出すように言葉を絞りだしていた。

 正体不明の怪物だと? いったいどうしてそんな物が僕らを襲ってきたというのだ。

 影の世界ではスパイダーさんしか自由に動けないはずなのに、どうしてその怪物は動き回ることが出来ている?

 

「あんなのを相手にお前ら2人を連れて逃げる自信はないっス」

「・・・・・・クククッ、じゃあよ、やっぱり道はひとつしかねえだろ」

 

 あわてふためく僕らを他所に、クズリさんが1人だけニヤニヤと機嫌良さそうに笑っている。

 

「オレらだけでアイツらぶっ殺そうぜ?」

「道はもうひとつあるっス。影には潜れなくても、場所を変えて仕切り直すことは出来るっス」

 

 首をかしげるクズリさんに向かって、スパイダーさんは床を指さしてみせた。

「ドンパチやるにしても、こんな見晴らしのいい場所より、下の階の方が入り組んでてアタシらに有利っス。ウルヴァリン、一発頼めるっスか?」

「・・・・・・まかせろよ」

 

 スパイダーさんの意図を察したクズリさんは、拳を顔の前で握り締めて、彼女流の気合いのポーズを取った。ギチギチと拳が軋む音を立てながら、たちどころに黄金色の殺気を燃え上がらせていくのがわかる。

 盾を構えながら後ろ手にそれを見ていた僕も「なるほど、仕切り直しか」と、これから起こることを察するのだった。

 

「っっだらぁぁッ!!」

 

 気合いの掛け声と共に、クズリさんが足元を殴りつけた。コンクリートの地面が爆発したように吹き飛ぶ。

 破壊によって出現した大穴の中に僕らは落ちていった。

 空中に体を投げ出されながらふと思う。

 ずいぶんと派手にやったものだ。この建物中にいる敵に見つかったことだろう。潜入作戦は大失敗だな。

 

_______ズガガ・・・ガッシャアアンッ・・・!!

 崩落する瓦礫と共に辿り着いた階下は、恐らくはこの倉庫の中枢だろうと思われる場所だった。

 仕切りのない広い空間の中、天井近くまで伸びるほどに巨大な金属の棚が、部屋の隅から隅までずっと列を成して立ち並び、その中にコンテナや段ボールなどの物資が隙間なくビッチリと収納されている。

 

「ここなら見つかりづらいはずっス。出会い頭に襲ってくる敵に注意しながら移動するっスよ」

「で、どこに向かうんだよ?」

「この倉庫には正面玄関と裏口があるっス。正面は陸路、裏口は河口に通じてる・・・・・・謎の化け物のせいで影に潜れないってなると、陸には”アンダーテイカー”がいるから、河口に逃げるしかなくなる。途中で捕虜を捕まえて、アタシらァそこに向かう」

「どうやって逃げるんだ? パークの奴らから船でも奪おうってか?」

「幸先よくそう出来ればいいけど、それが無理でもサイアク川に飛び込めばいいっス」

 

 スパイダーさんが向かって右の方向に向きなおる。その表情に迷っている様子はなく、建物の構造はすでに頭の中に入っている感じだった。

 

「逃げ道を確保しながら、パークの軍勢と戦って捕虜もとらえる、ですか・・・・・・なかなかに困難な任務になってきましたね」

「ビビってやがんのかメリノ?」

「いいえ、楽しくなってきましたよ」

 

 クズリさんと睨み合いながら頷き、静まり返る倉庫の中をスパイダーさんに続いて進もうとした刹那。

_______チャキッ

 背後から不穏な金属音が伝わってくる。数は2人・・・・・・

 敵兵の銃口がこちらを狙うよりも早く、僕は虚空から槍を取り出して放り投げた。槍は吸い込まれるように1人に突き刺さり、胴体に大穴を開けて貫通した。

 

「あと一人!」

「・・・・・・うるせえ、俺の分だろ」

 

 クズリさんはいつの間にかもう一人の敵の肩の上に飛び乗っていた。まるで僕が投げた槍と互角か、それ以上のスピードで移動したみたいだ。

 続けざまに両手の指を組んでハンマーのように振り下ろすと、それを喰らった敵兵の脳天から股下にまで衝撃が突き抜けて、体が真っ二つになって崩れ落ちてしまった。

 

 クズリさんがいる足元に血だまりが広がっていく・・・・・・さすが容赦のない戦いぶりだ。

 それにしても敵の流血を見ているといい気分になる。

 僕は赤が好きだ。この世で最も美しい色だと信じている。逆に嫌いなのは白だ。

 生き物が他者の命を奪わずにはいられないのは、獲物の中に流れる赤い血に本能的に惹かれているからなのかもしれないな。

 

 悦に入りながら血だまりを眺めていると、その中に一点、周りの赤とは決して混ざらない透明な水たまりを見つけた。

 目の錯覚なのかもしれないが、水たまりは少しずつ場所を変えているように見える。それどころか、風が吹かない屋内の中で揺らぎ、地面よりも微妙に盛り上がっているような?

 

「・・・・・・生き、てる?」

「あ? 何つった」

 

 皆目見当がつかないが「物はためしだ」と思いながら、ずっと向こうの壁に突き刺さっていた槍を操って手元に引き戻し、クズリさんの足元にある謎の水たまりに向かって投げつけてみた。

 

「おいバカ何やってやがる?」

 クズリさんの非難を無視して目の前の様子をつぶさに観察してみる。

 穂先がコンクリートの地面に刺さった瞬間、敵兵から流れ出た血だまりが飛沫を上げ波紋が起こっていた。べつだん不審な物はない。

 

 ・・・・・・そんな中、透明な水たまりだけがその場から動いていた。

 クズリさんの真正面にいたはずのそれが、いつの間にか背後を取るような位置に陣取っていた。明らかに異常な、意志を持っているとしか思えないその動きに本能的な恐怖を覚える。

「あ、危ない!」

 僕が気付く頃には時すでに遅く、直径1メートルほどのアメーバのような球体が空中へ跳ね上がり、クズリさんに背後から覆いかぶさろうとしていた。

 

「クズリさん後ろだっ!」

「チィッ!!」

 

 僕の声を聞いてクズリさんは一瞬で身構え、揺らぐ水球めがけて振り向きざまに裏拳を繰り出した。拳がジャストなタイミングでアメーバを捉える。

_______ズルリッ・・・・・・

 人体とかなら粉々に粉砕されるしかないような重たい一撃だろう。だが謎の水球にはまるで手ごたえはなく、不定形な塊を保ったままクズリさんの拳に纏わりついてしまっていた。

 

「クソッたれ! なんだコイツは!」

 拳を振り回して逃れようとするクズリさんだったが、水球は頑固にこびり付いたまま離れない。

 

「あの液状の体・・・・・・まさかセルリアンですか!?」

「いや、あれはおそらくパークのフレンズっスよ! アタシらと同じ”能力持ち”っス!」

 

 確かに、この場でこのタイミングで襲ってくるならばスパイダーさんの意見に一理あるだろう。

 体を液状化する能力があるフレンズ・・・・・・。

 液状の体には打撃も刃物も通じない、ならばどうやってクズリさんを助ける?

 考えあぐねている内に、水球はクズリさんの胴体をするすると登り、やがて頭部に到達して鼻と口を塞いでしまった。

 

「が、ガハッ、ゴボッ・・・・・・」

 クズリさんの肩周りから顔面にかけてを完全に覆いつくした水球ごしに、彼女の吐く息が泡となって立ち上っているのが見える。振りほどこうと彼女が水球に手を突っ込むも、当たり前のように手ごたえがなくすり抜けるのみだった。

 

 まさか窒息させる気か。

 力による攻撃でクズリさんを倒すのは至難だろうが、あの攻撃なら難なく効いてしまうだろう。なんて手強い相手だ。

_______ガクンッ・・・・・・

 呼吸を止められ続けたクズリさんがついに力なく膝をついた。水球をかき回していた手がだらりと垂れ下がる。

 

「クソッ! やらせてたまるか!」

 いてもたってもいられず、無策のまま槍を構えて飛び出そうとする僕を、スパイダーさんが後ろから肩を掴んで引き留めてきた。

 

「行かせてくださいよ!」

「あれを見るっス」

 

 スパイダーさんが指さしたのはクズリさんの右手だった。いっけん力なく垂れさがっているようにしか見えないが、良く見ると手のひらを内側に向けて、注意深く何かを狙っている様子だった。

_______ギンッ!

 水球ごしにのぞくクズリさんの瞳が金色に光ったかと思うと、撫でるように水球の表面に手のひらをくっ付け、力づくで引き抜いてみせた。

 水球はクズリさんが何をしようとも手ごたえなくすり抜けるだけだったのに、今や彼女の右手に完全に固定されてしまっている。

 

 そうか、その手があったか。

 クズリさんには「握り潰す能力」がある。それは触れた物体を手のひらの中へと吸い込む能力と言い換えても良い。

 吸い込む力の前には液体すら無力だ。

 水で満たされた器の底に穴が空けば、水はたちまち穴に吸い込まれて外に出ていくだろう。それを防ぐ術はない。誰が決めたわけでもない自然の摂理だ。

 

「ぶはぁっ! ・・・・・・はあっ、はあっ・・・・・・やるじゃねえか。オレ以外だったら殺せてたんじゃねえか?」

 

 呼吸を取り戻したクズリさんは小刻みに荒い息を吐きつつも、右手に掴んだ水球を高く掲げた。

 アメーバ状に波打っていた表面がなだらかな弧を描き、ガラスのボールのような見た目に変わっている。強力無比な「握り潰す力」により、ピクリとも動くことが出来なくなっている証拠だ。

 さらに直径一メートルほどだった大きさが少しずつ圧縮されていっているのがわかる。

 

「お返しだァ」

_______ゴボッ! ゴボボボッ!

 透明な球体から泡が勢いよく噴き出しはじめた。

 体を液体に変えていた何者かが、クズリさんに全身を握りしめられて悶絶しているのが目に浮かぶようだった。

 ほどなくして泡が途絶えた。

 

_______バチャンッ!

 敵が気を失ったことに気付いたクズリさんが手を放すと、液体が本来の大きさを取り戻しながら、コンクリートの地面の上にこぼれ落ちて弾けた。

 粉々になったはずの水滴のひとつひとつが、互いを引き寄せ合うようにして再結合すると、透明だったはずのそれらが一瞬で色づき、一人のフレンズの姿を形作った。

「・・・・・・がはっ・・・・・・あぐっ!」

 全身黒づくめの、頭頂部と背中にヒレを生やした小柄なフレンズが仰向けに倒れ、全身を震わせながら苦しそうに喘いでいる。

 ・・・・・・これがあの不気味な水球の正体というわけか。イルカやクジラのような海獣の仲間のように見えるが、なんていうフレンズなんだ? 

 

「どうする? コイツ殺しとくか?」

「いや、とりあえず捕まえておこう。そしたら後はヒトの兵士1人で足りるっス。さっさと逃げるためにはそっちの方がいい」

「・・・・・・あいよ」

 

《オルカに触るなっ!》

 

 クズリさんが気絶した海獣の首根っこを掴もうとした瞬間、地の底から沸き立つような恐ろしい怒声が周囲に響き渡り、僕らの耳を震わせた。

_______ブォンッッ!!

 すると得体の知れない黒いシルエットが間髪入れずに飛び出してきて、クズリさん目掛けて一撃を浴びせ、瞬く間に暗がりへと消えて行った。

 クズリさんはすんでのところで避けたようだったが、手首に幅広な切り傷を負わされていた。

 

「また”能力持ち”のお出ましか? ったく退屈しねえ日だな」

 

_______グルルルルッ・・・・・・

 フレンズのそれではない。正真正銘の獣の唸り声が聞こえる。

 辺りには何もない。どこを見回しても資材を乗せた鉄骨作りの棚が立ち並んでいるだけだ。

 隠れる場所はいくらでもあるだろうが、恐らく敵は隠れていない。今この瞬間にも僕らを睨み付けて鋭い殺気を向けてきている。

 

「もっと遊ぼうぜ? なァ!?」

 血を流しながらもなお膨れ上がるクズリさんの闘気に触発されたように、姿の見えなかった敵がついに動き出した。

 正体不明のそれは、平坦な地面の上に溶け込む謎の影だった。まるで影その物が命を持っているとしか思えない物体が、音もなく僕らに近づいて来ている。

 その闇の深さ黒さときたら、仄暗い倉庫の中でも尚一層抜きん出ているように思えた。

_______ズズズッ・・・・・・

「な、何なんですか、コイツは?」

 呆気に取られる僕らを前に、平坦な影が立ち上がって立体を形作った。あたかも水面に映った像であるかのように、どことなく曖昧でぼやけている。

 4本足と長い尻尾を持ったしなやかな体つきはネコ科の肉食獣のように見えた。だがその体躯は僕らよりも数回りほども大きく、非現実的な怪物感すらも漂わせている。

 

「あ、アイツっス! さっき影の世界でアタシらを襲ってきたのは!」

 スパイダーさんがそう言うなり頭を抱えながらブツブツと思案を始めた。

「まさか全部最初から仕組まれてて・・・・・・」

 

「どういうことなんですか?」

「アタシらが来ることがパークに読まれてて、影の世界でも動けるアイツがアタシらをここに追い立てたんだとしたら、色々と辻褄が合うっス」

 

 なるほど事態が呑み込めてきた。

 あの怪物は仲間のパーク兵士と連携しているのか。

 最初に僕らを影の中で襲ってきた時から奴らの作戦は始まっていた。僕らを的確に待ち伏せしてSSアモで攻撃してきたのも頷ける。

 僕らはいつの間にか敵の術中にどっぷりと嵌められていた。

 たった3人でこの危機を切り抜けるためには、どうしたら・・・・・・。

 

「難しいことなんかねえ。コイツをぶっ倒してから影に潜ればいいんだろ」

「それしかないでしょうね」

「メリノ、遅れんじゃねえぞ!」

 

 クズリさんが言葉を言い終える前に怪物に躍りかかっていく。

 僕も槍を振りかぶりながらそれに続く。二人の攻撃が続けざまに猛獣の胴体を捉えた。

_______ビュンッッ!

 しかし、いずれの攻撃もむなしく空を切る。間違いなく突き入れたはずの穂先には何の感触も残ってはいない。

(コイツやっぱり実体がないのか? でもさっきクズリさんに傷を負わせたはずじゃ・・・・・・)

 目の前のことに整理が追いつかないまま後ずさると、黒づくめの怪物が僕に狙いを定め、鋭い鉤爪での一撃を加えて来た。

 

_______ガキンッッ!

「ぐはあっ!」

 実体がない敵が僕に触れることなど出来ないのではないか? そんな先入観が僕の一瞬の判断を鈍らせた。

 反射神経に従うまま攻撃を槍の柄で防いだまでは良かったが、ろくに踏ん張ることも出来ずに吹き飛ばされてしまった。

 後方に積み上げられた段ボールに体が思いきりめり込む。

 

 油断した・・・・・・速さも重さも申し分ない攻撃だ。とっさに防いでなかったらタダではすまなかっただろう。

 こちらの攻撃は当たらないのに、あちらの攻撃は当たるだと? 

 どういう理屈だ? そんな卑怯なことってあるか?

 

_______ズズズッ

 見ると黒づくめの獣はまたも立体から平面へと姿を変え、薄暗いコンクリートの地面の上を縦横無尽に這い回り始めた。

「チョロチョロとうぜえよっ!」

 這い回る影を捕まえんとするクズリさんが地面に右手を叩きつけ「握り潰す能力」を展開した。

 周囲の地面がひび割れ、彼女の手の中に発生した重力場の中に圧縮されていく・・・・・・しかし怪物が捕まることはなく、脇にそびえ立つ棚と床の隙間へと身を隠してしまった。

 

「無駄っスよウルヴァリン! 多分ソイツには実体がない! その場に無い物を吸い込むことは出来ない!」

「あ!? じゃあどうすりゃいいんだよ?」

「・・・・・・どこかにバケモノを操っているフレンズがいるはず。そっちを叩かないことには!」

 

《敵だっ! いたぞ!》

 

 程なくして騒ぎを聞きつけた敵兵が何名もその場に到着し、僕らに銃口を向けて来た。

 完全に取り囲まれている。無論それだけでなく、影に潜む怪物も相変わらず僕らのことをどこかから狙っているだろう。

 八方塞がりだ。逃げ場はない。   

 僕ら3人は互いに背を預けながら、迫ってくる敵の方を向いて身構えた。 

 

「ウルヴァリン、この場は任せてもいいっスか? ちょっち考えがある」

 

 スパイダーさんがボソボソと低い声で提案をはじめた。

 いつもは温厚な彼女がこんな風に喋るのは、目的を遂行するための筋道を見出し、それを絶対に実現させようとする強固な意志を固めた時だけだ。

 

「今からアタシとメリノで影に潜る。あの四本足を操っている本体を叩きに行くんスよ」

「ハァ? それが終わるまでオレ一人でここで粘れってか? 無茶振りしやがるぜ」

「アタシの相棒の”無敵の野生”なら大丈夫って信じてるっスよ」

「・・・・・・てめえ、いつもの調子が戻ってきやがったなァ」

 

 クズリさんがニヤリと笑う。

 下手をしたら、しなくても命を落としかねない程の苦しい役目を押し付けられたというのに、何故だか妙に嬉しそうに見えた。

 相手が断らないとわかって無茶を押し付けるスパイダーさんと、そうされるのを喜ぶクズリさん・・・・・・歪なピースが奇跡的に噛み合ったような2人の絆は、命がかかった場面でこそより強固に結びつくようであった。

 

「オラさっさと行けよ!」

 

 クズリさんの小さな背中が黄金色に輝き、その場のすべてを飲み込まんとするほどに巨大な闘気を展開し始めた。

 これでいいのかと思うが、僕の意志など微塵も挟む余地がないほどに2人の意志が固まっているのは明らかだった。

 

「来るッス!」

 スパイダーさんが言うなり僕の手を掴み、深い暗闇の底へと無理やりに引き込んでいった。

 現実世界に残ったクズリさんが足止めをしてくれる以上、影の世界で黒づくめの怪物が僕らを襲ってくることはないだろう。

 納得づくの話とはいえ、僕とスパイダーさんだけで再び安全地帯に戻り、クズリさんをたった1人で危険な場所に置いてきてしまった。

 その事実に怒りと苛立ちを覚えないはずはない。

 

(メリノ、アタシが敵の居場所を暴くから、お前に倒してほしいっス)

(アテはあるんですか? 適当な憶測でこんなことをしたわけじゃないでしょうね?)

(まあ聞くっス。敵はどうやらアタシと似たような”影の能力”を持っているらしい・・・・・・影ン中っていうのは水に似てるんスよ。だから何かが通った跡は、他よりも微かに揺らいでいるっス。あの化け物がアタシらを見つけられたように、アタシも奴がどこから来ているのかわかるはずっスよ)

 

 スパイダーさんはそんなことを言いながら、彼女にしかわからない手がかりを頼りに猛然と突き進んでいた。

 どこに向かっているのかは知らない。そもそも上下左右どちらに進んでいるのかすらも僕にはわからない。ひとつだけ確かなのは、頭脳担当の彼女は戦闘要員としては期待できない以上、ここを抜け出した先で待っている敵と戦うのは僕ひとりだということだ。

 

 クズリさんだって承知の上だ。僕は彼女からこの重要な局面を任された。それは僕にとってこの上なく名誉な事だと思った。

(・・・・・・やってやりますよ!)

 僕はスパイダーさんに凄むように、また自分自身を鼓舞するように吼えた。

 

_______ズルリッ

 暗闇が暗転し、無重力空間から重力空間へと投げ出される。

 そこはさっきまでいた広々とした倉庫とは打って変わって、パソコンや計器類が雑多に配置された狭苦しい部屋の中だった。

 落とされている照明の代わりに、壁一面に敷き詰められた画面が、緑色に光る図形の連なりを投射して仄暗い室内を照らしている。

 ・・・・・・おそらくは周囲の様子を監視するような機能を持っている部屋であろう。経験則からざっとそんな情報が見て取れた。

 

《止まれ! 撃つぞ!》

 

 突然に狭い部屋へと闖入してきた僕らを、殺意を込めた複数の銃口が出迎える。つい一瞬前まではパソコンの前に座って作業していたらしき兵士たちだ。

 携えている銃火器には当然SSアモが装填されているだろう・・・・・・認めたくないことだが、ヒトの兵士の質はCフォースよりもパークの方が断然上だな。フレンズに頼りきりにならずに自分たちで戦おうという意志が感じられる。

 

「もうここを嗅ぎ付けてきたんだ」

 銃を構える兵士たちの中に、素手で僕らに近づいて来るヒトならざる者の気配をひとつだけ見つけた。

 三角形の耳と細長い尻尾を生やした、小柄とも長身ともつかぬ中くらいの背丈のフレンズ。橙色の肌に環状の斑点を並べた鮮やかな立ち姿が、黒づくめの兵士たちの中で際立っている。

「・・・・・・ねえ、アンタがスパイダーモンキーなんでしょ? アタシはパンサー。アンタたちのことはさっきから見張らせてもらってる」

 

「開口一番に名乗るとは礼儀正しいんスね」

 スパイダーさんは、パンサーと名乗る斑模様のフレンズにびしゃりと正体を看破されながらも余裕な態度で返した。それと同時に、後ろで息を荒げる僕にさりげなく平手を向けて(まだ動くな)と合図も送っている。

 

「アタシがスパイダーだって証拠があるんスか?」

「とぼけないでよ。今見せた技が自慢の”影潜り”なんでしょ? アタシはアンタのことをアムールトラから聞いてるし、映像で能力を一度だけ見た事があるもの。どこにでも出入り出来る厄介な能力・・・・・・ウチの将軍が言ってた。アンタはおそらく、敵の斥候として一番最初にやってくるだろうってね」

「そうっスか。で、お前はあの真っ黒い奴の本体ってワケっスね」

「たった3人で来るとは思わなかったけどね・・・・・・もうアンタらに勝ち目はないよ。降参するなら命は助けてあげる」

 

 何だこのパンサーとかいう奴は? 拍子抜けするようなことを言う・・・・・・まさか事ここに及んで、言葉を尽くせば戦いが回避できるとでも思っているのか。

 そんなことを敵の前で言ってのける図太さや覚悟の浅さが気に入らない。ここ最近で一番腹が立ったかもしれない。

 

「勝ったつもりか? 笑わせるなよ」

 僕はスパイダーさんの背中ごしにパンサーを睨みつけながら、首筋に添えた親指を下に向けて、喉を掻っ切るジェスチャーを見せつけた。

「勝つのは僕らだ。お前らはすべてを奪われるんだ。命も、仲間も、故郷も・・・・・・」

 

 真紅の殺意が自身の中に満ちていくのを感じながら、僕はニヤリと笑い前に出た。

 

 to be continued・・・ 




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)
「レプンカムイ」
使用者:オルカ
概要:全身を液状化させる能力。見た目は透明な水そのものとなるために隠密性が高い。液状の体を自在に変形させて戦うことが出来るが、質量を変化させることは不可能。
 液体でいる間は外部からの物理的衝撃を無効化することができるため防御力は極めて高いが、急激な温度や圧力の変化など全細胞が影響を受けるような状況に対しては無防備となる。
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章21 「ふるきとも、あたらしきとも」(中)

メリノヒツジVSパンサー


「動かないでって言ってるでしょ!」

 

 パンサーと名乗るフレンズが怒鳴ると、数名の兵士たちが突きつける銃口からより鮮明な殺意が迸った。

 狭いレーダー室の中には一色触発の緊張感が漂っている。

 このパンサーこそが今の僕らの最大の障害だ。コイツさえ倒せばスパイダーさんは影潜りを使えるようになり、この状況を覆すことが出来る。たった1人で敵を引き受けているクズリさんを助けに行くこともできる。

 

 パンサーを始末する前に・・・・・・まずは邪魔な兵士たちをどう片付けるかだ。

 通常の銃火器相手なら少々の負傷と引き換えに力任せに蹴散らすことも出来るが、フレンズにも効果があるSSアモで武装した兵士は厄介だ。

 

(アタシが先に行く。合わせろっス)

 仕掛けるタイミングを伺っている僕に、同じように身構えるスパイダーさんが小声で告げた。

_______タンッ

 声を出さずに頷いた僕を後目に、小柄な金色の体が跳ねる。

 残像すら残らない程の速さでトンボを切り、兵士の顔面を踏みつけると、それを踏み台にして天井に飛び上がって見せた。

 スパイダーさんは腕力はともかくとして俊敏さならば僕が知る限り最高クラスだ。囮をやらせたら右に出る者はいない。

 

「ここだァ! 撃ってみやがれっス!」

 重力を無視したように天井に張り付きながら、地面を振り返って叫ぶ。

 それは蜘蛛の名を持つ者にふさわしい動きだった。良く見るとスプリンクラーと思しき小さな出っ張りに尻尾を器用に巻き付けて体を固定している。

 銃口が彼女を捉えようと一斉に上へ向けられた。

 

「くくくっ」

 兵士どものザマを見て自然と笑みが零れる・・・・・・迂闊にも僕から目線を逸らしたことをあの世で悔やむがいい。

_______シュパァァッッ

 忍び笑いと共に右手を大振りに振って繰り出したのは「腰帯剣(ウルミ)」。

 インドの古流武術に伝わるという、鞭のように細長く刀身がしなる剣を、僕の能力で再現したのだ。この武器は扱いは難しいが殺傷力も攻撃範囲も優れており、何よりも不意打ちに向いている。

 この局面で使用するのに最適な武器だ。イメージするのに多少時間がかかるが、スパイダーさんが稼いでくれた数秒間があれば十分だ。

 

 しなる刀身が弧を描きながら、狭いレーダー室内のほぼ全域を薙ぎ払う。備え付けられたパソコンやディスプレイが切断されバラバラと崩れ落ちている。

「うぎゃああっ!」

 向かって右側にいる2、3人は仕留めたか。ウルミの一撃をモロに食らって上半身と下半身が分かたれている。ザマぁない姿だ。

 しかし向かって左側の奴らには攻撃が届くまでに猶予があり、すんでのところで身を伏せて躱されてしまっていた。

 その中にはパンサーもいる。

 まあ奴に命中するとは最初から思っていなかった。ヒトを凌駕する反射神経を持つフレンズには、こんな大振りは掠りもしないだろう。

 

 返す刀で今度こそ兵士どもを皆殺しにしてやる。

 左へ振りぬいた持ち手を右へ振ろうと、手首のスナップを利かせながら身をよじった瞬間。

「やめろぉぉッッ!」

 パンサーが怒号を鳴らしながら僕に向かって真っすぐに突っ込んで来た。

 豹といえばトラと同じく単独で狩りをするネコ科の猛獣。とうぜん速いだろうとは思っていたが、異様なのは低さだ。まるで地を這うような低重心のタックルをかましてくる。

 

 すでにウルミに有利な中遠距離の間合いを詰められている。接近されたらこの武器は役立たずだ。別の武器に切り替えて対応するしかない。

 ・・・・・・瞬時にそう判断し、手にしたウルミをやむなく槍へと変形させる。待ち時間なしで変形できる得物は、僕の基本形である槍だけだ。

「しゃらくさい!」

 

 大急ぎで槍を逆手に持ち替えてパンサーへと突き出した。

 だが地を這う奴の体はなおも加速し、僕の攻撃を躱しながら跳ねていた。

_______ドガンッッ!

「ぐふうッ!」

 不覚を取った。どてっ腹に奴の両足を蹴り込まれた。勢いも体重も乗り切った一撃を受けて、たまらず後方へ吹き飛ばされる。

 そのまま背後のガラス張りになった壁を突き破って部屋から退場させられた。

 

 風圧を掻き分ける背中ごしに、高所から落とされているのを感じ取る。

 その感覚によって冷静さを取り戻し、敵にしてやられた怒りを鎮めることが出来た。

 

 今しがたまで居た、あの壁一面にモニターを敷き詰めた部屋は、多分だけど監視室か何かだったように思われる。

 中にいたパンサーや兵士たちはそこを押さえることでCフォースの出方を探っていたのだろう。

 監視室は普通に考えれば高所に建てられるのが道理だ。電波を受信する精度を上げるために、また単純に高所から周囲を見張るために。

 

 ともかく次の行動を決めるのが先決だ。

 まず槍を真横に突き出して壁を削ることで落下の勢いを抑えようとした。

 それと同時に空中で体勢を入れ替えて下を向き階下の様子を観察する。状況を見極めるためには落ちている時間さえ無駄にできない。

 周囲の薄暗さから言ってここはまだ屋内だ。

 落ちれば落ちるほどに暗さが増していったが、やがて部屋の全貌が見えて来る。

 

_______スタンッ!

 頃合いを見計らって槍をかき消し地面に降り立つ。

 だだっ広い部屋の中には、ベルトコンベアが迷路のように張り巡らされていた。

 なるほど、ここは搬送室か。当然こういった設備もあるだろう。

 地域の物流を一手に担うほどの巨大な倉庫ならば、数えきれないほどの物資を運搬するのに人力だけで足りるはずもない。

 もちろん廃墟となった今では作動はしていないようだが。

 

 ・・・・・・兵士の姿は見えないか。クズリさんが暴れているであろう倉庫の方に動員されているのだろうな。そんなことを考えながら辺りを見回していると、上の方から飛び降りて来る気配をひとつ感じた。

 

「ふん、来たか」

 パンサーの奴が早くも僕を追いかけてきた。軽やかな身のこなしで音もなくベルトコンベアの上に降り立つ。

 奴は味方を守るために僕を突き飛ばしたのだろう。この人気のない空間で、誰も巻き込まずにタイマンで僕を仕留めるために・・・・・・敵ながら的確な判断だと褒めてやる。

 

 そして受けて立とう。オオカミ対ヒョウなら、中々の好カードといった所じゃないか。

 肉食獣の代表格であるネコ科は例外なく身体能力に優れており、戦い方もそれを活かした肉弾戦が中心だ。

 さすがに仮想アムールトラというわけにはいかないだろうが、多少なりとも奴を打倒するための経験値が得られるはず。

 

_______・・・・・・ドンドンドンッ・・・チュイン・・・!

 はるか上に臨む監視室からは銃声が絶え間なく聞こえてくる。

 スパイダーさんが敵兵を引き付けてくれている証拠だ。愚鈍なニンゲンごときが彼女に弾を当てるのは至難の業に違いない。

 彼女が兵士の相手を引き受けてくれている今がパンサーを始末するチャンスだ。状況はさっきと何ら変わりない。むしろ敵を分断しただけ僕らが有利だ。

 

「さあ、どこからでもどうぞ?」 

「・・・・・・」

 

 電源の落ちたベルトコンベアの上へあがり、槍を構えながらパンサーと対峙する。

 奴は腹立たしげに眉毛を吊り上げながらも無駄口を叩かずにキッと僕を睨んでいた。2人の間に流れる空気が歪み、激突の予感が近づいて来る。

 

 パンサーが動き出す。随分と奇妙なファイティングポーズだ。

 全身を絶えず振り子のように揺らしながら、軸足を左右交互に入れ替えている。軸足でない方の足をグッと真後ろに引き体を沈み込ませると、それと同時に片手を顔の前に掲げて構えを完成させている。

 ベルトコンベアはヒトがぶつからずにすれ違えるほどの幅しかなかったが、奴はそんな狭所を目いっぱい使って奇妙な動きを繰り返している。

 

 驚くほどに自然体だ。パンサーにとっては骨の髄まで染みついている動きなのだろうと思える。

 ・・・・・・いつかどこかで映像を見たような気がする。この動きは確か「カポエイラ」とかいう格闘技だ。

 Cフォースで育ったフレンズは、訓練時代に自分に向いた戦技を最低ひとつは仕込まれるわけだが、パークの所属であるパンサーもどこかでヒトの格闘技に習熟する機会があったようだ。

 僕は徒手空拳には疎い。カポエイラについて知っているのはその名前と、足技中心の格闘技というだけだ。

 

 あの奇妙な動き・・・・・・こうして相対すると実に理にかなった物であるとわかる。

 低い重心で左右移動を絶えず行うことで、防御にも攻撃にも有利な状態を保っている。

 後ろに引いた足はさながら引き絞った弓だ。いつでも矢を放つ準備が整っているといった殺気を感じる。

 

 リーチなら槍を持つ僕に軍配が上がるのは必然だが、奴の態度からは不利を感じ取っている様子がまったく感じられない。どう動くつもりだ?

 

(見せてもらうぞ!)

 まずは小手調べと思い、手にした槍を遠間から横に一閃、パンサーがいる地面を擦るように穂先を横なぎに払う。

 奴に飛び込まれようとも対処できるだけの間合いは十分に保っている。左右移動では躱せない攻撃に対してどう対処するのか見ものだ。

 

 穂先は狙い通りにベルトコンベアの表面スレスレを薙いだ。

 しかしそこにいたはずのパンサーも姿を消していた。と思った刹那、奴は攻撃を見切ったようなタイミングで飛び跳ねていた。

「甘いよ!」

 避けただけじゃない。奴は体を横に回転させながら前方に飛び出していた。そして間合いに僕を捉えた瞬間、回転の遠心力を加えた回し蹴りを放ってきた。

 

_______ギャリッッ!

 後ろにのけ反ってなんとか蹴りを躱す。鼻っ柱を擦られたと思うほどの距離で奴のつま先が通り抜けた。 

 鮮やかな反撃に思わず背筋が凍る。慎重にも慎重を期して間合いを詰めなかったのは正解だった。あと10センチ、いや5センチ前にいたら、蹴りは僕のこめかみを捉えていたことだろう。

 考えが甘かったことを認めよう。このパンサーはかなりの実力があるようだ。

 とてもじゃないがリーチの有利だけで勝てるような相手ではなさそうだ。

 

 目の前の強敵を叩くためには、野生解放状態で戦う他にはない。

 僕がそう思った刹那、パンサーの瞳にも黄金色の光が灯りだした。

 同じ色の瞳でオオカミとヒョウが睨み合っている・・・・・・面白い。考えていることは同じか、ならば遠慮は一切いらないな。

 

_______ビュボボボボッッ!

 肉体のギアが最高潮に上がった僕は、穂先が無数に見えるほどの勢いで槍を突き出した。

 だがパンサーも負けじと素早く動き、独特な身のこなしで攻撃を躱し続けている。

 リーチの差があるために奴が反撃する機会は限られていたものの、数少ないチャンスを見つけては肝を冷やすような角度からの蹴りを打ち込んできた。

 僕は奴をベルトコンベアから下ろすことさえ出来ないでいる。ただジリジリと後退させているだけだ。

 

 完全な膠着状態・・・・・・オーソドックスに攻めただけじゃ決着は遠い。

 そう思った僕はパンサーに罠を仕掛けることにした。

「くらえっ!」

 怒声と共に大振りな一直線の突きを繰り出した。

 が、奴はこれは難なく躱し、攻撃の隙を的確に見抜いて間合いを詰めてきた。こうなったら奴のターンだ。

 引手が命である槍は、引くスピードよりも先に敵に肉薄されれば反撃を喰らうのは必然。

_______ブォンッッ

 低い姿勢から風車のように振り回すカポエイラの蹴りが僕の顔面に飛んできた。

 ・・・・・・素晴らしい。計画通りだ。

 

「なっ!? ああっ!」

 悲鳴を上げながらうずくまったのはパンサーの方だった。

 苦悶と困惑が混ざった表情で己の右脚を見つめている。奴の足の甲には金色のナイフが突き刺され、足裏まで貫通していた。とうぜん僕の仕業だ。

 

「・・・・・・パンサー、お前は中々やる相手だが、戦い方がまっとう過ぎるな」

「あ、アンタ何を!?」

「能力のちょっとした応用さ」

 

 せめてもの情けにネタ晴らしをしてやることにした。

 ディ・フェアヴァントルはイメージによって武器を自在に形成する能力。武器は僕の体のどこからでも出現させることが出来る。

 とはいえ、ふつう武器は手に持って使うものであるため、手許以外に出現させることにメリットはない・・・・・・しかしたったひとつだけ、手以外で武器を使うことが出来る部位が存在する。

 それは口だ。

 

 僕は罠を思いついた瞬間から、武器を形作る前の原型である不定形な塊の、その小さな一片を口の中に忍ばせていた。

 そしてパンサーが蹴ってくるとわかった瞬間、それをナイフに変化させて口で咥えたんだ。

 ただの刃物、構造は極めて単純。形成するのにかかる時間はコンマ数秒といったところだが、ギリギリ間に合ったようだ。

 

 パンサーは「ぐっ」と呻くと、右脚に突き刺さったナイフをひと思いに引き抜いた。

 鮮血と共に放り捨てられたナイフは空中で金色の粒子に分解され、槍の一部として再び僕の手許へと戻ってきた。

 

「足技を封じられたお前に勝ち目はない、死ねよ」

 

 パンサーを嘲笑いながら槍を振りかざし、とどめの一撃を繰り出そうとした瞬間。

_______ヤメロオオッッ!

 ゾクリと肌を刺すような恐ろし気な声が真上から聴こえて、戦慄して足を止める。

 声の主は、倉庫で僕らに襲い掛かってきた例の黒づくめの怪物だった。獰猛な唸り声を発しながら僕めがけて降ってくる。

 襲い来る突然の脅威に、すんでのところでバク転してこれを躱した。

 

「チッ、厄介な奴が来たな!」

「・・・ユルサナイ・・・コロス」

 怪物がパンサーを守るように僕に立ちふさがる。

 今にも僕に襲い掛からんとばかりに、姿勢を低くして背中を丸めた威嚇のポーズを取っている。

 

 ・・・・・・それにしてもコイツ喋れたのか。地鳴りのように響く片言のドス声だが、良く聴くと声質そのものはパンサーと良く似ている。

 怪物の図体はクマと見まがうほどに大きいが、細くしなやかな体の輪郭は動物のヒョウそのもののように見える。

 声といい黒一色のその姿といい、まさしくパンサーの影といったところか。

 

 スパイダーさんがパンサーのことを「自分と同じ影使い」と推測していたが、その読みは当たっていた。

 彼女が影と一体化して移動を行う「影潜り」の使い手ならば、パンサーは影を己の分身として使役する「影分身」とでも言うべき技の使い手だ。

 

 分身体は倉庫の方でクズリさんと戦っていたはずだが、なるほど、本体の危機を察して守りにやって来たというワケか・・・・・・クズリさんの負担が減ったのは良いことだが、そのぶん僕がピンチに追い込まれたのは間違いない。

 

 分身体は油断ならない戦闘力を持っている。腕力も素早さも申し分ないだけでなく、実体のない影であるためかこちらの攻撃が当たらない。それでいて何故か向こうの攻撃は当たってしまう。

 攻撃を防ぐという形でしか分身体に触れることはできないのだ。

 

 そのうえ、さっき身を持って知った通り、本体であるパンサーの実力も侮れない。

 片足を負傷したとはいえ、まったく無力化出来たと断じるのは早計だろう。分身体と2人がかりで襲いかかって来られたら、今度は僕の方がピンチに追い込まれる可能性が高い。

 実体のない分身体をいくら相手にしたところでキリがない、何とか分身体に邪魔されずにパンサーを始末できればいいが、そのためにはどう動くべきか。

(どうする・・・・・・かなり不利だ) 

 

「キエロォォッッ!」

 攻めあぐねていると、分身体が咆哮を上げながら僕に突っ込んで来た。

 片言で喋れるとはいえ、フレンズである本体と違って、コイツは獰猛な獣そのものだな。考える頭があるとは思えない。付け入る隙はありそうだ。

 攻撃を躱しざまにパンサーに槍を投げつけてやろうか・・・・・・いや、もし躱されでもしたら跡がない。足場が限られるこの地形では、最悪はさみ撃ちを喰らう恐れもある。

 

 あれこれ考えて結論に辿り着く。

 認めたくないことだが、反撃の隙をうかがうためには、一旦退くしかないようだ。

 敵に背を向けるなど恥ずべき所業だとわかっている・・・・・・しかし僕に敗北は許されない。クズリさんと同じく選ばれし強者なのだから。両手首に付けた鎖の腕輪がその証だ。

 ・・・・・・どんな汚い手を使っても必ず勝つ。それがオオカミの哲学だ。負けたら惨めなヒツジに逆戻りだ!

 

_______バシュウウッッ

 決意を固めた僕は、地面に突き立てた槍の柄を伸ばして飛び上がり、パンサーと相対していたベルトコンベアの上から急速離脱した。

 脱兎のごとく背を向け、搬送室中に敷き詰められたベルトコンベアの隙間にある狭い空間へと身を隠した。

 

「ねえアンタ! こんな戦いやめようよ!」

 

 姿を消した僕に、パンサーが大声で降伏を呼びかけてきている。

 他のパーク兵たちは遠慮なくSS弾をぶっ放してきたが、やはりパンサーの言動からはどこからか僕らの命を取る事に対する躊躇を感じる。

 ・・・・・・クソ、馬鹿にしやがって。あんな甘っちょろい奴に背中を見せている自分の不甲斐なさに腹が立つ。

 怒りをたぎらせながらも、物音を立てないようにベルトコンベアの隙間に張り付きながら横歩きをはじめた。跳ね回る心臓の音だけが聴こえる。

 

 この暗闇がどれほどの目くらましになるかはわからない。なんせパンサーの分身体は影そのものが形を成した怪物なんだ。闇の中でも簡単に居場所を嗅ぎ付けられるかもわからない。

 どうやって奴らの隙を突けばいい? 何とかしてこちらが優位に立てる状況を作り出せないものだろうか?

 

 やがて身を隠せるような隙間が途切れた。並列していたベルトコンベアが互いに別方向に別れてしまっている。

 パンサーや分身体の気配がないことを確認しながら隙間から顔を出すと、突き当りには天井まで続く高い壁が広がっていた。

 ・・・・・・行き止まりだ。ここがちょうど搬送室の隅っこに当たるわけか。引き返す他にはないか。

 

 他に入り込めるような隙間はないかと辺りを探っていると、壁の一部分に四角い箱のような機械が設置されているのを見つけた。

 理由はわからないが違和感を感じる。

 別にこんな機械は、こういった施設ならどこにあってもおかしくないだろうが・・・・・・そう思いながら観察を続けていると、違和感の正体に気付いた。

 

 この四角い箱のような機械だけ埃を被っていないんだ。他の場所は廃墟も同然だというのに。

 ヒトの手で弄られてから時間が経っていない証拠だ。

 言うまでもなく、最近ここに出入りしていたのはパークの連中だろう。この機械は何なんだ? 奴らは何の目的でこの機械を弄った?

 

 抜き足差し足で機械の傍まで近寄り、そっと蓋を開く。

 複雑に絡み合い収束する無数の配線。それらの合間に配置される基盤。最上段のパネルから張り出した、下方向を向いている大きなレバー・・・・・・いかにもと思うような内部機構が姿を露にする。

 一見して破損したり朽ちたりしているような印象は見られない。

 

 機械の仕組みなど僕にわかろうはずもない。出来るのは想像を働かせることだけだ。

 ・・・・・・おそらくこの機械は配電盤だ。ただしブレーカーが落とされている。

 ひとつ言えるのは、上にある監視室の電源が生きている以上、ここの通電も生きている可能性があるということ。

 

 廃墟と化していたこの建物の設備を、パークの奴らが基地にするために修理したんだとしたら? 

 この搬送室の設備も奴らが物資を運びこむために利用しているんだとしたら? 

 出来る限り廃墟を装うために、必要な時以外は作動させていないんだとしたら?

 

 すがるように都合のいい憶測をして、その上になお憶測を重ねただけに過ぎないが、こう考えれば一応の辻褄は合う。

 我ながら行き当たりばったりだなと呆れてしまうが、今はこの可能性に賭けるしかない。

(動けええっ!)

 神に祈るような気持ちでレバーを握りしめ、押し上げた。

 

_______ゴウウウウンッッ・・・・・・

 

 だだっ広い搬送室内に明かりが灯り、いままで死んだように停止していた機械のすべてが息を吹き返したように鳴動を始める。

 それを見るやいなや、心の中で高々とガッツポーズを取った。

 ・・・・・・勝った。勝ったぞ。僕の粘り勝ちだ。得意満面の笑みで再びジャンプし、動き出したベルトコンベアの上に飛び乗った。

 

「僕はここだ! さあ第2ラウンドといこうか!」

 

 張り上げた大声によって、すぐさまパンサーと分身体に居場所を知られることになった。

_______ガァウウウッッ

 僕を見るなり、分身体が猛然と駆け出して距離を詰めようとしてくる。

 だが、素早い突進は何もない所で阻まれた。

 踏み込んだ奴の前足が、ベルトコンベアの上を等間隔で照らすライトの光の中に入った瞬間、燃えるようにかき消されたのだ。

 

 思った通りだ。パンサーがスパイダーさんと同じ影を操る能力であるならば、弱点も共通しているんじゃないかという推測は当たっていた。

 スパイダーさんの「影潜り」は光が当たる場所では使うことが出来ない。それと同じように、あの影が形をなした怪物は光の中では活動することが出来ないんだ。

 

 分身体が慌てて後ろに飛び退くと、消え去ったはずの奴の前足は、ライトの光が当たらない薄暗闇の中で再び形を取り戻した。

 今や奴に出来るのは、暗闇の中で唸り声を立てながら僕を憎々し気に睨むことだけだ。

 

 これで厄介な分身体の動きは封じた。

 だがそれだけじゃない。僕にとって決定的に有利な点がもうひとつある。ベルトコンベアが動き出したことだ。

 

「どうだパンサー? その動く足場の上でお得意のカポエイラは使えるのかな? 両足とも健在なら何とかなったかもしれないが」

「・・・・・・アンタ、何してくれてんの?」

「見ればわかるだろう。通電を回復させてやったのさ! これでお前の勝ち目は消えた!」

 

 血相を変えたパンサーが下を向いてわなわなと震えている。僕を恐れているのではない。何か別のことに気を取られているようだ。

 

「今すぐ電気を落として!」

「ほざけバカが! この有利な状況を手放してたまるかよ!」

「バカはアンタだよ!」

 

 パンサーはそう言うなりベルトコンベアから飛び降りて、びっこを引きながら駆け出し始めた。

 分身体がそれに続くと、立体の体を平面に変えてパンサーの足元に潜り込み、それきり自身の本来の姿と思しき、実体に張り付いたただの影へと戻ってしまった。

 何のつもりだ。戦いのことなど完全に放り出してしまっている。

 

「待て! 勝負はどうした!?」

 

 あわてて僕も追いかける。

 奴が向かう先は、さっき僕が動かした配電盤の前だった。

 自分の手で通電を切る気か。何を差し置いてもいっこくも早くそうしなければならない、その理由とはいったい?

 

「奴が来る!」と、脇目もふらずに配電盤へと走り続けるパンサーが金切り声を上げる。

 奴とは誰だ、と僕が答えるよりも前に、まともに立っていられなくなるほどの激烈な振動が地面を揺るがし、そこらじゅうに亀裂が走り始めた。

 

_______ズドドドド・・・・・・!!!

 やがて地面が陥没し、底暗い大穴が姿を現す。

 際限なく広がる暗闇の中に、部屋中に張り巡らされたベルトコンベアも、それらの間に立つ支柱も、形あるものすべてが飲み込まれるように沈んでいった。

「・・・な、何が・・・何だこれはぁぁぁ!?」

 とつぜんの大災害に襲われて、僕もパンサーも脱出は叶わない。

 目の前で何が起きているかも理解できないまま、なすすべなく意識が暗転していった。

 

 

(メリノ! メリノ! 目を覚ませっス!)

(・・・・・・うっ?)

 

 すべてのことに整理がつかない朦朧とした意識の中、聞きなれた声が僕をまどろみから引き戻そうと呼びかけて来る。

(・・・・・・スパイダーさん?)

 あれから何が起きた? 彼女は監視室で兵士たちの相手に囮をしていたはずだ。なぜ僕と一緒にいる?

 僕はついさっきまでパンサーと一対一で戦っていたはず・・・・・・

 

(奴はどこだ!)

 

 パンサーの姿を思い浮かべるや否や、脳裏で燻っていた闘争心に火が付き、瞬間的に僕を暗闇から覚醒させた。

「ぶふっ! ごほっごほっ!」

 勢いよく顔を上げると同時に、猛烈な息苦しさが込み上げてきて思いきりむせ込んだ。鼻や口の中がジャリジャリとして痛い。

 スパイダーさんらしきフレンズの手が「大丈夫っスか」と、僕の背中を撫でさすっている。

 

「しこたま砂を吸い込みゃそうなる。落ち着いて吐き出せっス」

「カハッ! ペッ! ここはどこなんですか?」

 

 スパイダーさんの声は僕のすぐ右隣から聞こえるし、気配も感じられるが、肝心の彼女の姿が見えない・・・・・・というよりいっさいの物が見えない。

 目の前に広がっているのは完全な暗闇だけだ。

 

「ここは”アリジゴク”の餌場だよ。誰かさんがバカなことをしたせいで、奴が起きちゃった」

「そ、その声はまさか?」

 

 あろうことかパンサーの声がした。すぐ近くから奴が話しかけて来ている。

 この暗闇の中でわざわざ居場所を知らせて来るとは・・・・・・

 望むところだ。状況も何もわかった物じゃないが、とりあえず戦いを再開するとしようか。

 だが、暗闇の中で槍を抜き放つタイミングをうかがっていると、スパイダーさんがそれを前もって制するかのように「待て」と肩に手を乗せてきた。

 

「なぜ止めるのですか!?」

「聞けっス。アリジゴクってーのは、Cフォースが付けたコードネームで言うところの”アンダーテイカー”のことらしいっス。どうやらさっき地面が陥没したのはヤツの仕業みたいっスね」

 

 僕とは違って、意識を失うことなく事態を目撃したであろうスパイダーさんが語る。

 あれから兵士たちと交戦していた彼女は、奴らが弾切れを起こしたのを見計らって僕の加勢に向かおうとしたらしい。

 そんな時に建物が陥没し始めたのを目撃したそうだ。

 そして地面に飲み込まれている僕を見つけ、影潜りで瞬間移動して間一髪助けてくれたらしい。ついでにすぐ近くにいたパンサーのことも・・・・・・

 

 どうやらかなりの広範囲が陥没したようだ。広大な敷地面積を誇る倉庫が丸ごと沈んだのかどうかは不明だが、少なくとも僕らがいた監視室から搬送室にかけての区画は全滅だろうと言う。

 クズリさんの行方も知れない。まさか彼女に限って命を落とすようなことは無いと思うが。

 

「アンタのせいよ」とパンサーが恨めし気につぶやく。

 暗闇の中で奴に睨みつけられているような感じする。僕も負けじと額に皺を寄せて、声がする方にガンを飛ばし返す。

 

「アンタが搬送室の電気を付けたせいであんなことに・・・・・・!」

「何だと? アンダーテイカーのエサは電気ではなく石油のはずだ」

「Cフォースは情報が古いんだよ!」

「落ち着いて・・・・・・メリノにはアタシが言って聞かせるっスよ」

 

 スパイダーさんがあくまで冷静に僕らの間に割って入りながら言葉を続ける。

 どうやら僕が気絶している間にパンサーから色々と事情を聴いたようだ。

 

 ごく最近パーク側の技術者が解析した情報によると「アンダーテイカー」は石油だけでなく電気からも栄養を取れるように体構造が変異した可能性があるそうだ。

 ・・・・・・まあ確かにそういった変化が起きていたとしても何ら不思議はない。

 セルリアンは通称「昨日までの常識が通用しない生物」と言われるほど日々変化を続けているのだから。

 

 そしてあれほど大型のベルトコンベアを動かすとなると、莫大な電力を消費するらしい。そんな物を作動させることはすなわち、豊富なエサの存在をアピールしてアンダーテイカーを呼び寄せるに等しい。

 パークの連中は真っ先にベルトコンベアへの通電を切ったが、Cフォースからの襲撃も警戒しなければならないために、いくつかの電気系統は残していたようだ。

 ・・・・・・ふん、そうか。そういうことなら、結果オーライとはいえ、僕の行動にミスはなかった。アンダーテイカーを呼び寄せたことで数多くのパーク兵を始末できたに違いない。

 

「ところでスパイダーさん? 僕が眠ってる間に、パンサーとずいぶん親し気に喋ったんですね? こんな、敵であるパークのフレンズなんかを相手にね?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃない。それにパンサーは・・・・・・アタシらの命の恩人なんスよ」

「・・・・・・何ですって?」

 

 それは僕が目を覚ますほんの少し前、3人で地下に閉じ込められて間もない時、天井の一部が崩落したそうだ。

 スパイダーさんは意識のない僕を庇うのに精一杯だった。しかしパンサーはそれを見かねたのか、眠る僕ごとスパイダーさんを突き飛ばし、そして・・・・・・

 

「両膝から下の感覚がないの」

「・・・・・・見えねえと思うが、パンサーはアタシらを庇って、でけえ岩の下敷きになっちまったっス。何で敵であるアタシらのことなんか」

「借りを返しただけだよ。先に助けてくれたのはアンタじゃない。例の、影に潜る技で・・・・・・」

 

 なるほど。大体の事情はわかった。

 随分と込み入ったことになっているようだ。ついさっきまでの、敵を倒すことだけ考えていられた時間が懐かしい。

 

「メリノ、大岩を砕いてパンサーのことを助けてやれっス。お前の力なら出来るはずっス」

「何故そんなことを? 生かしておくと厄介なだけですよ? このまま生き埋めにすればいい。僕らだけで影潜りで逃げましょうよ」

「ゴチャゴチャとうるせえ! いいからさっさとやれよ!」

 

 やれやれ、スパイダーさんの口調から「ス」が抜けているのは本気で怒っているサインだ。

 僕もクズリさんも彼女には逆らえないんだ。どれだけ腕っぷしに差があろうが関係ない。僕らが好きに暴れていられるのは、彼女がいつも場を仕切りフォローしてくれるからだ。

 その存在の大きさは行動を共にした者にしかわからない。

 納得はまるでいかないが、言う通りにするしかないだろう。

 

_______ガインッッ!

 手探りで岩の位置の探り当ててから、抜き放った槍を一閃。

 固い岩を打ち砕いて突き抜ける感触が穂先ごしに伝わってくる。

 

「つかまって」と、スパイダーさんがパンサーに肩を貸そうとしていると思しき様子が物音でうかがえる。

「アタシにおぶさったらいいっス」

 相手に作った借りを返さずにはいられないのがスパイダーさんの性分なのはわかる。

 ・・・・・・しかしパークのフレンズなどを助けた所でどうする? ヴェスパー親娘の実験台にされるだけだろうに。

 

「メリノ、ひとつ言っておくことがあるっス」

 スパイダーさんが内心毒づく僕を察したように言葉を続ける。

 それは先ほどから僕が一番気になっていることだった・・・・・・影に潜れるはずの彼女が、なぜこんな所にわざわざ留まっているのか? という疑問に対する答えだ。

 

「今は影には潜れないっス」

「一体なぜなんですか?」

「ここにゃあ闇しかない。影がない・・・・・・言葉にするのは難しいんだけど、闇と影っつーのは、似ているようで違うモンなんスよ。光のない所に影は出来ないんス」

 

 思いがけない事実が明かされる。

 光が当たる場所では影潜りが発動出来ない、ということは以前から知らされていたが、その説明では十分ではなかったのだ。

 完全な闇の中でも発動することが出来ない。光と闇の”境目”である「影」の前でなかれば、異空間への扉を開くことが出来ない・・・・・・つまり。

 

「脱出するためには光が必要ということですか」

「そういうことっス」

 

 光を得る手段について考えを張り巡らせる。

 当たり前に思いつくことと言えば、外の明かりが差す場所に出るか、ライターや懐中電灯みたいな光源を見つけるかだ。

 だがそんなことで済むならばスパイダーさんがとうにやっているだろう・・・・・・何かもっと別の方法はないものか。

 

「そ、そうだ!」

 脳みそを絞り込むように思考を張り巡らせていると、ふっとアイデアが湧いて出て来た。この方法ならばバッチリ辺りを照らせるはずだ。

 

「野生解放の光ならどうですか? 今やってみせますよ! ・・・うおおおっ・・・」

 

 得意げに言い放ち、全身に力を込めて気合いの掛け声を発していく。

 戦闘慣れした一流のフレンズにのみ可能な芸当だが、野生解放の出力が限界まで高まった時、瞳だけでなく全身から金色の炎を沸き立たせることが出来るんだ。

 

 しかしスパイダーさんが「そりゃまずいッス」と、冷静な声色で僕のアイデアを一蹴した。

 

「お前自身が光源になったとして、どうやってアタシと一緒に影に潜るつもりっスか?」

「クッ・・・・・・!」

 

 口論の末に重苦しい静寂が訪れる。

 野生解放の光すらも使えないって言うんじゃ八方塞がりじゃないのか。

 地盤沈下によって偶然出来たようなちっぽけな空間など、いつ崩落して埋まってしまうかもわからない。ここはいったいどれぐらい深いんだ?

 アンダーテイカーの動向も不明だ。すぐそばで僕らを狙っているのかも知れない。

 

「・・・・・・じゃあ、アタシがやる」

 スパイダーさんに背負われているパンサーが溜息交じりに沈黙を破った。

 

「アタシが野生解放をやって光源になってあげる。それぐらいのことは出来る・・・・・・2人で逃げていいよ」

「ば、バカ言えっス! ここで生き埋めになるつもりっスか!?」

「スパイダー、アンタはきっとすごく良い奴だから、アタシなんかより生き残る価値があるよ」

 

 パンサーは一体何を考えているんだ? 

 自己否定という言葉だけでは僕も似たような物だが、コイツのは性質が違うような気がする。

 過去を否定することで今の自分を高めようとしている僕と違って、コイツからはともかく自分を罰したいという際限のない自己嫌悪を感じる。

 その理由はなんだ? 敵である僕らにやけに同情的なのも、そこら辺から端を発しているのか?

 

「お前、何でそんな悲しいことを言うんスか?」

「・・・・・・アタシ、本当は生きてちゃいけない奴なんだ」

 

 嗚咽交じりのパンサーの声が、懺悔するように己の過去を語り始めた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章22 「ふるきとも、あたらしきとも」(後)

 ※先日、寝ぼけて未完成原稿を誤って投稿してしまいました。
  いったん削除して完成させたものを再投稿させていただきます。
  お目汚し失礼いたしました。以後気を付けます。


「ほんとうに、アタシぐらい悪い奴はいないんだ」

 

 パンサーの懺悔じみた昔話が始まった。

 ほとんど誰にも明かしていない呪わしい過去だという。

 自分がどんなに「生きてちゃいけない」のかを僕らにわからせることで、脱出のための捨て駒に躊躇なく使ってもらおう、というのが奴の魂胆だ。

 

 正直、僕は今すぐにでもパンサーの申し出を受けるべきだと思っているが、決定権があるのは影潜りを使うスパイダーさんだ。

 どうやら彼女は親身に話を聞こうとしている。

 仕方がないので僕も耳を傾けることにした。はてさて、一体どんなすさまじい過去を持っていることやら・・・・・・

 

「むかし、まだ動物だったころ、アタシはいつもライオンの赤ん坊を獲物にしてた」

「ら、ライオンだと?」

 

 かつてヒョウの中でも生まれつき抜きんでて強い個体だったらしいパンサーは、生と死のスリルを味わうことに喜びを感じる血に飢えた真正の猛獣だったという。

 ライオンの赤ん坊を狙ったのは、幼くて弱い個体ほど仕留めやすい、という野生のセオリーに則った理由などではなかったようだ。

 子供を取り返すために怒り狂って向かってくる母ライオンの群れと戦うこと。それが奴の目的だったという。

 百獣の王ライオンは一般的に、体格差からいってヒョウが勝利することは困難な相手と聞いている。さらに多勢に無勢だ。

 

 だが奴はたった一匹で複数のライオンを相手に出来るぐらいに圧倒的に強かった。

 母ライオンたちを皆殺しにすると、周囲にむせ返る血の匂いを肴に、死の恐怖に怯える子ライオンの肉を貪るのが最高の贅沢だったという・・・・・・生きるために狩るのではない。快楽のために狩りをしていたのだそうだ。

 

「ふん、今とずいぶん違うじゃないか?」

「黙って聞いとけっスよ。メリノ」 

 

 次第に地元のライオンたちはパンサーのことを恐れるようになったそうだ。

 襲われないために、自分たちの子供を生贄として差し出すようなことさえしてきたという・・・・・・百獣の王と呼ばれる種族でさえ、奴の退屈を紛らわす相手にはなり得なくなったのだ。

 

「アタシは退屈に我慢できなくなって、ヒトを相手に同じことをやった」

 

 ヒトの子供が30人、40人、と奴の毒牙にかかる頃には、近辺で暮らすヒトたちの間で「人食いヒョウ」として悪名が知れ渡ることになり、史上まれに見る悪獣を駆除するためにと、複数の自治体が総出で「山狩り」を行うことになったという。

 

 パンサーは待ち望んでいた戦いに全力で臨んだ・・・・・・だが、銃火器で武装したヒトの集団にはさすがに敵わなかった。

 たちまち何発も銃弾をくらって、生きているのが不思議なくらいの状態で敗走することになったそうだ。

 自分を確実に撃ち殺そうと追跡してくるヒトたちの気配を感じながら、出血多量でまともに動けなくなった体を草むらに隠していた。

 

 いよいよ死ぬと思ったそうだ・・・・・・だが数奇な運命がパンサーを死から救った。

 突然に天から降り注いだ虹色の光が、血まみれで横たわる奴の体を包みこみ、フレンズとして生まれ変わらせたそうだ。

 程なくして山狩り隊の面々に発見されたが、彼らがまったく別の姿と化したパンサーを自分たちのターゲットだと認識することはなかった。むしろ子供を専門に狙っていた奴の手で誘拐された憐れな被害者の1人だと認識し、奴を麓の街で治療することにしたのだ。

 

 パンサーを引き取ったのは1人の修道女だった。

 地元の教会が運営する孤児院で数多くの孤児たちを育てているヒトだった。

 善良な人物で、重傷によって床に伏せていたパンサーを親身に世話してくれたという。また孤児たちの中にはパンサーの犠牲になった子供もいたようで、修道女はその子の遺影を見ながら毎日泣いていたらしい。

 ・・・・・・だがその時のパンサーは修道女の気持ちなど全く理解していなかった。早く怪我を直して、自分を撃ち殺そうとしたヒト共に復讐することばかりを考えていたようだ。

 

「そのまま何日か過ぎた時・・・・・・奴らが襲って来た。セルリアンが」

 

 セルリアンは見る間に街を破壊していった。パンサーが床に臥せている孤児院にも手が及んだ。

 火の手が回った部屋で動けないでいるパンサーは「当たり前のことだ」と思いながら死を覚悟したのだという。

 かつて自分より弱い連中を散々殺して回った奴からしてみれば、強い者が弱い者の命を奪う事実を受け入れるのは簡単だったろう。

 

「・・・・・・でも、ママはアタシを助けてくれた」

 

 そう言うパンサーの声色に、途端に嗚咽が混ざりはじめた。

 火の回る部屋にやって来た血まみれの修道女は、横たわるパンサーを抱えあげると、這う這うの体で密かに作られていた地下壕へ連れていったのだという。

 

 地下壕にはすでに孤児院の他の子供たちが集まっていた。

 修道女はその中にパンサーを放り込むと、地下壕の金属で出来た重い扉を閉じた。

 

「あなた達は私の子供です。命に代えても守りたいんです」

 それがパンサーが最後に聞いた修道女の言葉だったという。

 何日か経って、地下壕に隠れていた子供たちが助け出される頃、パンサーの傷も癒えていた。

 教会は焼け落ちていて、周囲の街も一切が廃墟になって、街を守ろうとした大人たちは一切いなくなっていたという。 

 

 親たる者の愛を知った時、始めて自分が今まで犯してきた罪の重さを理解したという。

 奴はすでにヒトに復讐しようという気がなくなっていた。

 それは同時に気が狂ってしまうんじゃないかと思うぐらいの罪悪感にさいなまれた償いの日々の始まりだった。

 

 しばらくは動物だったころと同じように野で過ごしたという。

 フレンズと化してもヒョウはヒョウ。獲物を仕留めることは勿論できただろうが・・・・・・奴はそうしなかった。

 罪悪感に苛まれるあまり「狩り」という生存のために当たり前の行為を忌避するようになってしまっていたのだ。

 仕方なく屍肉を漁ろうとするも、過酷な自然の中で食事にありつける機会は極端に少ない。飢餓はあっという間に限界に近づいて行く。

 このまま飢えて死ぬのなら、別にそれでもいいと思って草むらで倒れていたそうだ。

 ・・・・・・そんなパンサーに声をかけたヒトがいた。それが奴とパークとの出会いだ。

 

「アタシみたいな子が他にもいるから一緒に助けにいこうって言われた」

「・・・・・・そして今に至る、というわけか?」

「ママみたいに誰かを助ける人生じゃないと、アタシは生きてちゃいけないって思った。だからしゃにむにパークから与えられる仕事を頑張った」

 

 パークの面々はうすうす動物だったころのパンサーの所業に気付いていたようだ。それでもパンサーを責めず、また他のフレンズに知られたくないという奴の心情にも配慮して口外しなかったようだ。

 そのことがパンサーのパークへの忠誠心をますます高めていった。

 

 パンサーはどうやらパークの中でもかなり初期のメンバーだったようだ。

 奴の声掛けでパークに入って生きる場所を得たフレンズが多くいたらしい。奴の働きは多くのフレンズやヒトに感謝された。

 ・・・・・・だがそれでも奴の罪悪感を払拭するには遠く足らなかったようだ。

 

「いつか天罰が下ると思って生きて来た。今がその時・・・・・・さあ、これでアタシがどんな奴かわかったでしょ? 逃げるんなら早くしてよ」

 

 話すべきことは話した、と言わんばかりに、パンサーが決断を迫ってくる。

 だがスパイダーさんは「待てっス」と曖昧な返事をするのみだ。

 

「もうちょっと話を聞いておきたいッス・・・・・・シベリアンって今どうしてるっスか?」

「・・・・・・や、やめてよ。仲間の居場所を吐くわけないでしょ? アタシから最後のプライドまで奪う気?」

「わりぃ、そうじゃないっス。アイツがCフォース抜けてから、どんなふうに過ごしてきたのか聞かせてもらえないっスか? ダチだったからね、気になるんスよ」

 

 出し抜けにそんなことを言うスパイダーさんの考えがわからない。

 きっと僕だけじゃなくパンサーも目を丸くしていることだろう。

 状況を利用してこちらに有利となる情報を聞き出そうというのではない。ただアムールトラの息災を訪ねただけだ。

 昔の仲間だからといって懐かしんでいる場合ではないはずだ。

 

「・・・・・・あの子はずっと苦しんできたよ」と、パンサーが渋々答える。

 自分の身の上ではなく、今度は他人のことを嘆いているのだ。

 

「アタシはずっと傍で見てた・・・・・・アムールトラは大事な友達だし、それにアタシの憧れでもあるんだ。あの子はママと同じ生き方をしてるって思った」

 

 パンサーの口から、これまでも嫌と言うほど聞いたアムールトラの「良い子ちゃん」エピソードがまたも更新される。

 やはりというか、奴は敵兵1人殺すことさえ躊躇いを覚えていたらしい。

 ・・・・・・あらためてアムールトラの奴は気が触れていると思う。甘ちゃんのくせに今も戦いをやめられず、僕らに迫って来ているのだから。

 

 かつての仲間のことも敵と割り切れず情をかけてしまうようだ。

 グレン・ヴェスパーの側近だった「メガバット」というフレンズを、戦いのさなかに命掛けでかばい、結果として心を通わせたという。

 どうやらメガバットは生死の境を彷徨うような状態でパークに保護されているらしい。

 その名を聞いてスパイダーさんが「・・・・・・姐さん」とポツリと呟いた。

 

 パンサーは償いのために善行を重ねていたとはいえ、パークに命ぜられれば敵兵士やフレンズを殺すことも厭わなかった。昔の凶暴な側面が頭をもたげて、カッとなって殺害衝動に駆られることもあったようだ。それもまたパンサーの自己嫌悪の種だった。

 

 悪獣の性を引き摺り続けるパンサーにとって、アムールトラは自分にはない美徳を持った相手として輝かしく映ったようだ。

 だから今はアムールトラを手本として行動したいと思っているようだ。

 つまり、僕らCフォースのフレンズを助けたいと。

 

 ・・・・・・忌々しい。優しいことがそんなに偉いか? 

 僕を守って食われたお母様より、僕を笑いながら殺したオオカミの方が偉いんだ。それが残酷なこの世の掟だ。

 パンサーは過去を悔やみ払拭しようと足掻いているようだが・・・・・・僕に言わせれば、奴は堕落したのだ。

 強く奔放な人食いヒョウのままでいればいいものを、くだらない罪の意識などに振り回されて、今まさに敵のために命を捨てようとしている。御笑い種にもなりゃしない。

 

 やはりというかスパイダーさんは優し気に傾聴を続けている。何か考えがあってのものである事を願う。

 僕が彼女を尊敬しているのは、どんなに優しくても、己の強さの軸である「逃げ延びるための狡猾さ」がブレないからだ。

 そうでなければ、覚悟のないただのお人好しなどに従うはずもない。

 

「でも、でもね、今のアムールトラは・・・・・・」

 

 パンサーの声のトーンがまた変わる。

 アムールトラの心境に変化が起きているというのだ。

 度重なる苦悩によって精神をすり減らし、またパーク側にいる様々なヒトの思想に影響を受けたことで、今やCフォースを完全に憎み切り、叩き潰す覚悟を決めているのだという。

 ・・・・・・望むところじゃないか。喜ばしいことだ。後でクズリさんに聞かせてやろう。

 

「アムールトラが変わっちゃう。あの子が優しくなくなるなんて嫌だ・・・・・・でも、アタシには何もできない」

 

 パンサーはそう言うなり噛み殺すように声を震わせ始めた。涙をボロボロとこぼしているのが、暗闇の中でも目に見えるようだった。

 

「そうだったんスね。話してくれてありがとうっス」

 スパイダーさんがパンサーの気持ちを受け止めるように相槌を打つと、今度は自分の心境をぽつぽつと語り始めた。

 

「なあパンサー。お前の過去に対して、アタシぁどうこう言えねえっスよ。当事者じゃないし、過ぎちまった事を責める資格なんてねえ・・・・・・でも今のお前は良い奴だと思ったっス。

 だってお前は、シベリアンのことを本当に大切に思ってくれている。アイツが良い仲間に恵まれて良かった・・・・・・一緒にやってた頃から、友達を作るのが苦手なタイプだと思ってたから心配だったんスよ」

 

 パンサーがそれを聞くと「アンタの方こそ良い奴だよ」と泣きじゃくりながらスパイダーさんを称えた。

 2人の間に流れる空気が今まで以上に和やかになっていく。

 賢明なスパイダーさんに限って、情に流されて分別を見失うような愚を侵すとは思いがたいが、だんだんと疑わしい気持ちが芽生えてくる。

 

「・・・・・・もうこんな戦いやめたい。スパイダー、アンタみたいな奴と戦いたくないよ」

「アタシもそうっス。やりたくてやってるワケじゃない。こうするより他に生きる道がないんっス。シベリアンみたいに出来る奴が稀なだけなんスよ」

 

 なんで戦わなきゃいけないんだろう、と共通のキーワードを頭にもたげながら「厭戦派」の2人が溜息を漏らした。

 通常ではあり得ない会話だ。戦場で出会った敵同士である2人が、このように偶然に出来た密閉空間に居合わせてしまったためにこんなことになっている。

 

 ・・・・・・これ以上この2人を喋らせない方がいいと思った。こんな会話に意味はない。しょせん僕らは敵同士。ここを出た瞬間に殺し合う間がらでしかない。

 そもそも僕がここにいることを忘れているのか?

 スパイダーさんの言動は不適切だ。僕やクズリさん。さらには彼女が身を預かっている部下のフレンズたちに対する裏切りに等しい。

 

「いつまでおしゃべりしてるんですか?」

 我慢できなくなった僕は、穏やかな会話の空気をわざと壊すように、脅すような冷淡な声で割って入った。

 

「スパイダーさん、わかっていると思いますが、今僕らがやるべきことは脱出ですよ。早くコイツを犠牲にしてここを出ましょう。他に方法はない!」

「・・・・・・勝手に決めるなっス。3人一緒にここを出る方法を、たった今思いついた」

「な、なんですって?」

 

 梃子でも動かないような確信を声色に覗かせながら、スパイダーさんは信じられないような一言を告げて来た。

 パンサーと会話しながら、一方で脱出の手段を考えていたというのだ。

 

(メリノお前、今回の作戦のことをもう一度思い出してみろっス)

(なるほど・・・・・・確かにそうですね)

 

 ヒソヒソ声で囁くスパイダーさんの意図がなんとなく読めてきた。

 パンサーに温情的に接し心を開かせたのは計算づくであるに違いない。

 過去だけではなく現在のことまで聞こうとしたのは、悪逆な奴の過去には肯定するポイントが見つけられなかったからだろう。

 

 怪我で歩けないとはいえパンサーは危険な存在だ。なぜなら奴の「影」が健在なのだから・・・・・・あの影を何とかしない限りは僕らの身が危うかった。

 だから僕はここでパンサーに生き埋めになってもらいたいと思っていたのだが、スパイダーさんは対話によって奴を無力化しようとしているのだ。

 そうすれば安全を確保するのと同時に、天然フレンズを攫うという僕らの目的をも達成できる。

 己の命を捨ててもいいと思っているパンサーのことだ。捕虜になることだって厭わないだろう。

 さすがはスパイダーさんだ。したたかさでは一枚も二枚も上手ということか。

 

「いいか? アタシら3人の能力を組み合わせてここを出るっスよ」

 

 スパイダーさんの影潜りには2段階目がある。

 手を繋いだ相手だけを瞬時に潜らせる1段階目と違って、2段階目は時間がかかる代わりに、広範囲に異空間への扉を出現させることが出来る。

 

 光と闇の境目である影がなければ扉は瞬時に閉じてしまう。それが影潜りという能力に元から課せられていた制約。

 だが彼女の持てる全力で扉を広げ続ければ、閉じるまでに若干の猶予を持たせることが出来るかもしれないというのだ。

 

「だったら最初から2段階目を使っておけば済んだ話じゃないですか」

「話はそう簡単じゃないッス。扉を広げることと潜ることは同時には出来ない。だから、他の奴に中から引っ張ってもらう必要がある」

「なるほど・・・・・・その手がありましたか」

 

 天文学的な確率の幸運と言う他ないが、ここにはスパイダーさんの他にもう一人、影に潜る能力を持った者が偶然いあわせているのだ。

 というよりも、影その物が形を成した存在が。

 

「パンサー。お前の影にひと仕事してもらいたいっス」

 

 ここでようやく僕の能力が活かされる。得物をロープ状に変化させるのだ。

 それで僕ら3人の体を縛り、パンサーの影にロープを咥えさせて先に異空間に潜らせる。その後に中から僕らのことを引っ張らせる。

 獣の脳みそでも実行できる簡単な仕事だろう・・・・・・だがパンサーは「アイツに出来るかな」と不安げだった。

 

「影はお前の命令で動くんじゃないっスか?」

「確かにそうだけど、でもアイツはアイツで感情があるんだ。またアンタらに襲いかかるかもしれない・・・・・・アイツは昔のアタシなんだ」

 

 いや、違うな。過去はあくまで過去だ。

 現在において意志を持っているのはパンサー自身しかいない。

 

 前に読んだ「フロイト」とかいう学者の著書によると、精神とは単一の物ではなく、いくつかの層に分かれているのだそうだ。

 一番根源的でプリミティブな部分に「本能」があり、中間には個人的な経験によって形成される「感情」がある。もっとも表層部にある「理性」は、物事の善悪を頭で判断して、常に本能や感情にブレーキをかけている。

 

 パンサーの持って生まれた本能は残忍極まりない悪獣。

 だがしかし、フレンズになってから理性があまりにも急成長したために、元々あった本能は抑圧され狭い所に押し込まれる形になった。

 だが本能はそれを良しとせず、自由を求めて1人歩きを始めた。

 おそらくそれがパンサーの「先にある力」の由来なのではないだろうか。

 

 ともかくこの状況で、本能が理性による命令を素直に聞く保証はない。

 パンサーが心の奥底で僕らを敵視していたら、影はその意志によって僕らに襲いかかってくる。

 僕だけなら当然そうなるだろう・・・・・・ここはスパイダーさんが頼みの綱だ。

 

「まあそん時ゃそん時だと思うことにするっス」

「スパイダー・・・・・・アンタ死ぬのが怖くないの?」

「怖いっスよ。でもそりゃ皆一緒だ。死なねえ限りはそう思う資格があるはずだ。アタシから言わせりゃ、自分のことを生きてちゃいけないなんて言ってる奴のほうが信じらんねえっス」

 

 スパイダーさんは下手になだめすかすようなことはしなかった。シンプルだが、それだけに動かしがたい理屈を突きつけた。

「アタシもこんな所で死にたくない」

 泣きべそをかきながら、パンサーが消え入りそうな声でそれだけ答えた。

 

「メリノ、悪いけどそういうことっス。言う通りにしてくれっスよ」

「やれやれ。まるであなたの1人舞台じゃないですか?」

 

 僕は悪態を付きながらも賛同の意をしめした。すると飄々としたスパイダーさんの「よし」という相槌が聞こえてきた。

 それが作戦開始の合図なのだろうと思った。

 

「・・・・・・はあああっ!!」

_______ブォンッ!

 目を閉じて全身に気迫をみなぎらせる。

 肉体を構成する細胞ひとつひとつに、血沸き肉躍る感覚を覚える頃には、僕の中から放たれる金色の光が密閉空間を照らしていた。

 

 視力が回復して辺りの様子が見えて来る。

 偶然に出来た地の底の密閉空間では、鉄骨が複雑に折り重なって土砂を食い止めていた。もし鉄骨が一本でもへし折れたりしたら・・・・・・何が起こるか考えるまでもない。

 僕らは今までこんなゾッとするような場所に閉じ込められているのか。

 

「ちゃっちゃと終わらせるっス!」

 スパイダーさんの気合いも高まっていく。

 パンサーを背負いながらも、地面に両手と片膝を付いてしゃがみ込んでいる。あれは影潜りの二段階目を発動する時の構えだ。

_______ズズ・・・ズズズズ・・・・・・

 彼女の背後に伸びていた影が、僕が放つ光を押しのけるように周囲の地面へと広がり始める。

 

「・・・・・・ママ。アタシもう少し足掻いてみるよ」

 最後にパンサーの泣き腫らした瞳が光り出した。

 これでこの場にいる3人が3人とも同種の光を瞳に湛えていることになる。

_______グルルルルッ

 足元一面に広がった影の中から、猛々しく唸る漆黒の姿が立ち上る。牙を剥き出しにして早くも臨戦態勢といったところだ。

 人食いヒョウの話を聞いた後だと、なおさら禍々しく危険なオーラが感じられるというものだ。

 

「落ち着いて!」と、パンサーが己が分身を制止する。

 分身は唸りながらも「待て」を命ぜられた猛犬のように嫌々腰を落とした。

 いつ均衡が崩れるかわからない理性と本能のつな引きが始まったというわけだ。

 

 内心冷や汗をかきながらも、能力によって生成した金色のロープで3人の体を縛り上げる。

 胴体を縛っただけで手足は自由に動くようにしてあるが、スパイダーさんは能力を展開し続けるため手を地面に付いた姿勢を崩せないし、パンサーはそもそも動けない。

 ロープの末端を人食いヒョウへと差し出すのは、唯一まともに動ける僕の役目だった。

 

 ついさっきまで激しく戦っていた者同士が至近距離で睨み合う。

 当たり前だが、パンサーは僕には気を許していない。その苛立ちと敵意が、激しく唸り声を上げ続ける分身体の様子からも見て取れる。

 

「おい人食い。お前に言いたいことがある」

 不思議なことに僕は、この黒づくめの恐ろしい猛獣に対して、パンサーとは別個の存在として好意を感じ始めていた。

 理性によって自由を奪われた悲しき本能。自分自身の一部としてさえ認めてもらえず、永久に呪われ続ける存在。

 

「僕はお前のことを認める」

 本心から思ったことをそのまま目の前の一匹に告げた。

「同じ肉食獣として、お前の強さと純粋さには敬意を表するよ」

 

「アンタ、何言ってるの?」

「気にするな・・・・・・お前には言ってない。コイツに言っている」

 

_______カプッ

 あたかも気持ちが伝わったかのように、猛獣は唸るのを止めて、僕が差し出したロープを牙が生えそろった口で咥えると、影の中へと音もなく潜っていった。

 ロープがどんどん巻き取られて地中に沈んでいっている。あとほんの少しで僕らが引っ張られる時が来るだろう

 

「うおおおっ! 広がれええっ!」

 

 スパイダーさんが張り裂けんばかりの叫び声を上げる。地面に付けた両手から滝のような勢いで影が流れ出ているのが見て取れる。

 能力のギアは最高潮だ。この勢いならば光源がなくても異空間へのゲートとして機能するのではないか・・・・・・?

 

 そんな期待を抱いていると、たわんでいたロープが張りつめ、縛られた胴体を下へと引っ張る強い力を感じた。

 底なし沼にはまったように足先から地中に嵌っていく。よし、これでこことおさらばか。

 

「ヤバい! しゃがめメリノ!」

 

 安堵していた僕にスパイダーさんから投げつけられる迫真の言葉。

 それを聞いて、地面に沈めば沈むほどゲートの範囲が狭まっていることに気付いた。

 僕という光源が小さくなっていることが理由だ。

 

 やはりスパイダーさんの全力を持ってしても自然法則に抗うことは出来なかったのだ。

 僕は立っていて、スパイダーさんはしゃがんでいる。そしてパンサーはスパイダーさんに背負われている。

 ゲートが閉じきった時、もっとも頭の位置が高い僕が最後にこの空間に残される。つまり死ぬ。

 ・・・・・・そのことに思い至ってももう遅い。ロープが僕らを引きずり込むのは一瞬だ。

 

_______グイッ! 

 とつじょ胸倉を掴まれて引っ張られた。

 掴んでくる腕に縁どられた特徴的な斑模様は、スパイダーさんのそれではない。

 パンサーだ。スパイダーさんの背中に抱き着いたまま、立っている僕を引き寄せて、スパイダーさんに密着させようとしてきた。

 それにより3人の頭の高さがほぼ同じとなる。

 コイツが僕を助けようとするとは・・・・・・そんな風に思ったのを最後に視界が暗黒に閉ざされた。

 

(おい! 2人とも大丈夫っスか!?)

(パンサー、お前)

(礼はいらないよ。勝手に体が動いただけだから)

 

 そうか。他ならぬパンサーの影が僕を襲わなかったということは、奴は本心で僕のことを助けたかったのだろう。

 かつては人食いと恐れられた奴がずいぶんとお優しいことだ。アムールトラの奴に影響された結果だろうな。

 

(どうやら無事切り抜けたっスね。2人とももう能力を解除しても・・・・・・)

(待ってスパイダー! アイツがすごく興奮してる! 何かあったみたいだよ!)

 

 クソ、今度は何だ。

 何も見えない中で毒づいた僕に向かって、スパイダーさんが何か心当たりがあると思しき様子で解説してくれた。

 僕らでも、もちろんパンサーの影でもない何者かが異空間の中を動き回っていると。

 ソイツが影に向かって突然に体当たりをかましてきたそうだ。

 もちろん影には効果がない。しかし、僕らを引っ張るロープを咥えているために、ご自慢の鋭い牙で応戦することが叶わない。

 

(あの一つ目は・・・・・・奴はセルリアンっス!)

(何ですって!? こんなところに?)

(まさか・・・・・・いや、多分アイツがアンダーテイカーなんじゃないっスかね)

 

 また根拠のない事をと思ったが、このタイミングで襲ってくるような奴は、直近で僕らの近くにいた個体だと思うのが自然だ。

 そして驚いたことにスパイダーさんと同じく影に潜る能力を持っている・・・・・・フレンズに出来ることなら、セルリアンに出来ても不思議ではないということか。

 二度あることは三度あると言うが、何という偶然だろうか。

 

(根拠は近くにいたことだけじゃないっス)

 

 アンダーテイカーの縄張りはオリファンツ川沿いの一帯だと言われている。

 通常のセルリアンでは考えられない、馬鹿げた広さの縄張り・・・・・・にも関わらず、僕が倉庫内で配電盤を作動させた瞬間に襲いかかって来た。

 

 その鼻の良さの理由は、異空間に潜って現実世界を偵察しているからだろう、とスパイダーさんは推測した。

 影潜りの強みは瞬時に安全に移動できることだけではなく、極めて広範囲を短時間に観測できる偵察力だという。

 

 確かにスパイダーさんはこれまで、万華鏡のように無数に煌めく外界の光をひとつひとつ見極めて、どこに移動するべきかを素早く判断していた。

 同じ能力を持つ者ものの意見ならば信憑性は高いだろう。

 

 本来ならば電気しか食さないはずの奴が襲い掛かってくる理由。

 それは絶対の安全圏だと思っているこの場所に闖入してきた僕らの存在に気が付いたからだ。

 だから地上に逃げても追ってくる。そしてむしろ地上の方がこちらにとって不利となる。また地盤沈下を起こされてしまったら、今度こそ僕らは助からないだろう。

 この空間でケリをつけなければ・・・・・・3人が3人ともすぐさまその意見で一致した。

 

(影の奴ならば負けないでしょう。奴に攻撃は当たらないのだから)

 

 そう思い、スパイダーさんと手を繋ぎ合ってから能力を解除した。

 胴体を縛っていたロープが消失する。これでパンサーの影は思う存分戦えるはずだ。

 

(敵も負けてねえっス)

 

 唯一この場所で視界の利くスパイダーさんが戦いの様子を実況する。

 アンダーテイカーは昆虫のアリジゴクに類似した姿をしているようだ。パーク側の名称の方が的確だったというわけだ。

 楕円形の胴体の先端には頭部と思しき部位があり、そこには地面を掘り進むのに使うのであろう巨大な大顎があるらしい。

 そして奴の核はちょうど大顎の付け根の、口にあたる部位に付いているのだ。体内に核を隠し持ったタイプじゃないのはせめてもの朗報か。

 

 パンサーの影は何とか隙を突いて核を狙おうと飛び込もうとしているらしいが、大顎によって阻まれてしまっているらしい。

 アイツの性質は戦った僕がよくわかっている。

 実体のない影が形を成した肉体は僕の攻撃を受け付けずすり抜けた。

 だが一方の僕も、槍で奴の攻撃を受け止めることだけは出来たのだ。

 理屈はよくわからないが、それが能力の制約だということだけはわかる。

 ・・・・・・このままでは決着がいつ付くかもわからないということか。

 

(はあ・・・はあ・・・)

(だ、大丈夫っスかパンサー?)

 

 パンサーが俄かに浅く苦しそうな呼吸をし始める。ひどく体力を消耗している様子だ。

 理由は明確だろう。「先にある力」の発動には多大なスタミナを消費するからだ。

 ただでさえ奴は両足を大岩に潰されるという負傷で体力を消耗しているのだ。

 加えてパンサーの能力は利便性が高く強力だ。それだけに燃費も悪いということだろう。

 

 スタミナが尽きれば、当然のこと分身は消える。

 この空間において唯一まともに戦える戦力が無くなるということは、すなわち僕らの命運も尽きることになる。

 

(・・・・・・メリノ、もう一度ロープ出してくれっス)

(何をする気ですか?)

(アタシが行くしかねえっス)

 

 スパイダーさんは既に覚悟を決めている声色でそう告げた。

 パンサーの影がアンダーテイカーの注意を引いてくれている間に、気付かれないように接近して核を破壊してくると言うのだ。

 

 腕力はともかく俊敏さなら一級品のスパイダーさんであれば、一か八か可能なのかもしれない。

 だが僕らという重りを引っ張っている状態では、その長所を発揮することが出来ない。

 僕らのことは置いて行かなればならない。ロープは僕らと繋がっているための命綱として欲しいと言うのだ。

 

 いわく、この異空間は流れの早い川みたいなものだという。しかも流れの向きは一定ではなく、予測不能の不規則さを持っている。

 ここに適応していない者がその中に投げ出されれば、たちまち虚空の彼方へと無限に流されてしまい、スパイダーさんでも見つけることが出来なくなるようだ。

 

(やれやれ僕はとんだお荷物ですね!)

(落ち着けっス、たまにゃアタシに前に出させろ)

(くっ・・・・・・お願いします)

 

 仕方なく能力を発動することにした。

 この空間ではまともに動くことは出来ないが、体が動かなくても僕の能力は発動出来る。

 必要なのは具体的なイメージを思い描くことだけだ。しなやかさ、頑丈さ、編み込まれた繊維の一本一本を余すところなく脳裏に投影するだけ・・・・・・

 すると何秒かの後、スパイダーさんと繋いでない空いている方の手にイメージ通りのロープが握られていた。

 

(パンサー、影の奴にアタシが行くことを伝えてくれっス!)

(・・・・・・う、うん。わかった・・・・・・)

(頑張って持ち堪えるんスよ)

 

 スパイダーさんは僕とパンサーに手を握り合うように指示すると、僕が出現させたロープを握り締めながら飛び出していった。

 残された僕らは前後不覚の暗黒空間へと投げ出されたことになる。

 彼女との繋がりであるロープだけが唯一の寄る辺。まさに命綱だ。

 

(・・・・・・はっ、はっ、ひゅう・・・・・・)

(しっかりしろ!)

 

 先ほどよりもパンサーの呼吸の切迫度合いがひどくなってきている。

 ・・・・・・我ながら無力なものだ。先頭をきって戦いたいのに、この状況では何もできない。頭脳担当の非力な先輩と、ついさっきまで敵だった奴に命を預けることしかできないのだから。

 

(・・・・・・アイツが、スパイダーのことに気付いたみたい・・・・・・)

 

 パンサーがうわ言のように呟く声が聞こえる。

 本体と影とは、いわゆる以心伝心なのだろう。人格は独立しているが、互いの考えてることはすぐにわかるし、本体は念じるだけで影に命令を伝えることが出来る。

 その能力を活かして状況を感じ取っているようだ。

 

(アイツ喜んでる・・・・・・スパイダーが来てくれたことを・・・・・・背中を預けて戦える仲間がいることを・・・・・・)

(おい、あんまり喋って体力を使うな)

(・・・・・・良いやつに、会えたな・・・・・・)

 

 それきりパンサーの言葉が途絶えた。

 握りしめた奴の手を揺さぶって呼びかけても返事がかえってこない。

 これはいよいよまずいと思った。

(起きろおおッッ!)

 半狂乱で叫んだところで、自分が発した声以外には何も聴こえない静寂の深さを思い知るだけだった。

 

(スパイダーさん、まだか!)

 打つ手がなくなった僕は、片手に持ったロープの先にいるはずの彼女に縋るように虚空の彼方を見つめるしかなかった。

 一瞬が永遠にも思えるほどの長さだった・・・・・・そして見た。向こうの方で何かがチカッと煌めくのを。

_______パカァンッ

 虹色の、光の瞬き。

 それが意味するところを僕が察した瞬間に、手にしたロープがピンと張りつめた。

 

 

 ようやく地上へと帰還を果たした。

 だがそれを手放しで喜ぶ気には、あんまりなれない光景が眼前に広がっていた。

 アンダーテイカーが引き起こした地盤沈下によって、巨大倉庫のほぼ全域が崩れ落ち瓦礫と化していた。

 まるで失敗したドミノ倒しのように、倒れた柱や壁の破片が折り重なって埋もれていた。

 あちこちから煙が上がり、真新しい破壊の痕跡を残している。

 

(・・・・・・クズリさん、無事でいるだろうか)

 彼女に限ってそんなことはないとは思うが、この有様を見ていると万が一の可能性を心配せずにはいられなかった。

 

「起きろっス! 助かったんスよ!」

 

 傍らではスパイダーさんが、意識を失って横たわっているパンサーへと呼びかけている。ギリギリだがアンダーテイカーを倒すことに成功したのだ。

 パンサーは途中で気絶したが、影は最後まで消滅することなくスパイダーさんと連携してくれたそうだ。

 気を失っても戦意だけは失わず、影に命令を出し続けていたということか、まるで「源平物語」に登場する、立ったまま討死したというエピソードで有名な「弁慶」のようだ。

 

「・・・・・・うっ」

「パンサー!」

 

 うっすらと目を開けたパンサーとスパイダーさんと見つめあうと、互いに頷きながら微笑みを交わした。

 やがてどちらからともなく両手を差し出して取り合う。

 元は敵同士だった2人が偶然に居合わせ、短い間に心を通わせて、背中を預け合って危機を乗り越えた。

 その結果、彼女らの間には確かな友情が芽生えたようだった。

 

_______ドガンッッ!

 だが、2人の和やかな雰囲気を破壊するような轟音が響いた。

 辺り一帯に埋もれる瓦礫の中のとある一点が、突然に天高く打ち上げられたのだ。

 

「・・・・・・よう。てめえら無事だったか」

 吹き飛んだ瓦礫の下から、ドスの利いたぶっきらぼうな声の主が立ち上がる。

 僕はそれを見て口角をニヤリと上げた。

 

「僕の方こそ、あなたが死んだんじゃないかと心配していました」

「うるせえクサレヒツジ。ていうか、一体全体どうなってやがんだよ?」

 

 クズリさんはあれから敵の兵士やフレンズ相手に1人奮戦していたが、やはりアンダーテイカーが引き起こした地盤沈下に巻き込まれたそうだ。

 だが沈下の中心からは離れた場所にいたために、僕らのように地中深くに閉じ込められることはなかったようだ。

 

「ウルヴァリン、他の連中はどうなったんスか?」

 スパイダーさんはそう言いながら、パンサーからさり気なく手を放してクズリさんの方へ振り返った。

 

「このザマだ。大勢死んでるだろ。だが探せばまだ生きてる奴は見つかるんじゃねえか?」

_______ブォンッッ! ドサァッ・・・・・・

 クズリさんはそう言うなり、足元に転がっていた何かを僕らの方に向けて投げ放った。

 放物線を描いたそれが、僕らのすぐ傍へと勢いよく落下する。

 

「ソイツだけはキープしといたぜ」

 それは倒壊した巨大倉庫の内部にて最初に交戦した、全身を液状化する能力を持つ水生哺乳類のフレンズだった。

 息も絶え絶えだったが、とりあえず生かさず殺さずの状態にしておいているようだった。

 

「お、オルカッッ・・・・・・!」

 パンサーが横になった姿勢のまま、倒された仲間へと悲痛な呼びかけをする。

 その声を聞いたクズリさんが「てめえがいたとはな」とほくそ笑んだ。

 

「ってこたぁよ、アイツもいよいよ近くに来てるってコトだよな!」

「・・・・・・ウルヴァリン! よくもオルカを!」

 

 既に見知った間柄であろう2人が激しく睨み合う。

 危機に見舞われてもなおピンピンしているクズリさん。

 パンサーとの距離はおよそ数十メートルといったところか。クズリさんの攻撃の間合いではないが、一足飛びに詰められる距離ではある。

 その気になればすぐにでも仕掛けることが出来るだろう。

 

 一方でパンサーは下半身を負傷した身であり、スタミナも尽きた満身創痍の状態だ。もはや分身を生み出すことも出来まい。

 こんな状態で2人が戦ったところで、すでに勝負は見えている・・・・・・いや、たとえパンサーが万全の状態だろうと、クズリさんを相手に勝てるはずはないだろうが。

 

「抵抗はするなっス。大人しく捕まってくれ」

「アタシ1人ならそれでもいいよ。でも・・・・・・仲間は守らなきゃ」

 

 無謀きわまりない戦いを挑もうとするパンサーを、スパイダーさんが制止する。

 だがパンサーはスパイダーさんの手を払いのけると、動かない足の代わりに手だけで這いずって移動を始めた。

「やるかァ?」

 クズリさんは余裕の立ち姿を崩さないが、すでに表情には笑みが消えている。

 自分に向かってくるからには、どんなに取るに足らない相手をも全力で迎える・・・・・・戦いに対しては誰よりも生真面目なクズリさんらしい態度だと思った。

 

「そりゃそうなるっスよね」

 

 スパイダーさんは深く項垂れて、這いずりながらクズリさんに近づいていくパンサーを見送ろうとしていた。パンサーを助けたかったんだろうが、こうなってはどうしようもないだろう。

 ・・・・・・しかし、再び顔を上げた彼女は思いがけない行動に出た。

 何気ない足取りで歩き出すと、這いずって進むパンサーを追い越して、クズリさんとの間に割って入るように立ちふさがったのだ。

 親友の不審な行動に「なんだァ?」とクズリさんが首をかしげる。

 

「わりぃなウルヴァリン。もうこうするしかないんっスよ」

 

 飄々とした表情で立ち尽くすスパイダーさんの姿が、遮蔽物のない場所に降り注ぐ直射日光に照らされ、くっきりとした影を地面へと刻んでいる。

 影はスパイダーさんの背後で腹這いになっているパンサーを覆っていた。

 

 スパイダーさんは肩越しにパンサーを見下ろすと、自身の背丈よりも長い尻尾を、パンサーの顔の前にさりげなく垂らしてみせた。

「アタシを信じてくれっス」

 聴き取れないような小声でそんなことを言ったように見える。

 パンサーはそれを聞いて頷き、眼前にある尻尾をそっと握った。

 

「まずいっ!」

 一連の動作の意図を察する頃には、スパイダーさん達は2人とも影の中に潜ってしまっていた。こんなことが起こるのではないかと薄々おそれていたが、現実に起こってしまったのだ。

 

 だがまだ終わってない。

 スパイダーさんが助けたいであろうフレンズがもう一人いる・・・・・・オルカだ。

_______ズザザザッ!

 横たわって動かないオルカのことを、スパイダーさんよりも早くかっさらうために、飛びつくように頭から滑り込んだ。

 だが僕の手が届くよりも先に、地中から伸びてきた影がオルカを沈みこませ、影の中へと持ち去ってしまった。俊敏さでは土台スパイダーさんには及ばなかったのだ。

 

「ちくしょおおっ!」

 元に戻った地面をイラ立ち紛れに殴りつけるも後の祭りだ。

 その場には僕とクズリさんだけがポツンと取り残された。

 まんまとしてやられた口惜しさと、尊敬していた先輩に裏切られた怒りで今にもはらわたが煮えくりかえりそうだ。

 

 クズリさんはただ茫然とその場に突っ立っているだけだ。

 とても信じられないような物をみた直後ではそうなるのも仕方がないが。

「ボサっとしている場合ですか!」

 八つ当たりのように怒鳴りながら彼女の傍に駆け寄った。

 

「わからないんですか!? スパイダーさんが僕らを裏切った! パンサーの奴と一緒にパークの連中の所へ行く気だ!」

「何バカ言ってやがる・・・・・・奴がオレたちを裏切るはずねえだろ?」

 

 目の前で一部始終を見ていたくせに、よくもそんなことが言えたものだ。クズリさんともあろうものが身内にはまるで甘い。本気でそう思っているのか、あるいは自分にそう言い聞かせて思考停止しているのかもしれないが・・・・・・。

 

「良いですか?」と、いっこくも早く事実を呑み込んでもらうために経緯を語った。

 クズリさんが見ていない所で、スパイダーさんとパンサーが短い間に心を通わせたことを。

 ・・・・・・思えば前々からスパイダーさんはフレンズ同士での戦いに否定的な意見を漏らしていた。パンサーはそんな彼女の心変わりの最後の一押しになってしまったのだ。

 

「だがオーダーがあるぜ。スパイダーがCフォースから逃げられるわきゃねえ」

「いや、逃げられますよ」

 

 考えてみればオーダーには明らかな欠陥がある。

 1人で脱走をしようとしてもオーダーによって意識を失わされ失敗に終わるだろう。

 だが気絶したところで、他人に体を運んでもらったとしたらどうだ? 

 今のスパイダーさんがまさにその状態。気絶した状態でも何でも、Cフォースよりも先にパークに発見されれば、それで脱走成功となるだろう。

 

「スパイダーさんは待ち続けていたのかもしれませんね」

「あ? 何をだよ」

「千載一遇の脱走の機会を、ですよ」

 

 ・・・・・・思考を巡らせていると段々と怒りが鎮まってきた。

 かつて記憶を消されるまで、百回以上にもわたる研究施設からの脱走を繰り返していた、筋金入りの脱走の常習犯だったスパイダーさん。

 きっと頭の中で、今が待ち望んだチャンスだと思うにいたり、誘惑にあらがえなかったのだ。三つ子の魂百まで、ということだろう。

 

「ともかく追跡しましょう。捕まえられなくても、痕跡だけでも見つけなければ」

「あ、ああ・・・・・・」

 

 返事をするクズリさんの視線がぼんやりと宙に泳いでいる。まるで覇気がない。デクの坊同然だ。こんな状態の彼女は見たくもなかった。

 舌打ち混じりに彼女から視線を外し、スパイダーさんの動きを推理する。

 この状況で逃げるとしたらどんな逃走経路があり得るか。

 

 崩壊した倉庫は川に面している。前面にはただ荒野が広がるのみ。

 影潜りといえど移動距離には限界がある。いずれ外に出ざるを得ないはずだ。

 隠れ潜む場所もろくにない平地を、怪我人2人連れて逃げおおせるなどスパイダーさんでも困難のはずだ。そうこうしている内にやがてオーダーで倒れてしまうだろう。

 

 ・・・・・・ということは、やはり川に飛び込んだか。

 気絶したところで川に流されるなら移動は続けられる。

 この流域は、パークの部隊が資材を運び込むのに利用していたのだ。奴らと遭遇する可能性は十分にある。

 

「ここから一番近い川辺へ行きましょう! さあ早く!」

 両方の手に槍を出現させ、地面に突き立てた柄を伸ばして前方に飛び上がる。

 それを交互に繰り返すのが僕の最速の移動手段だ。

 

 クズリさんは無言で僕に付いてくるだけだった。

 まだ受け止められないか・・・・・・だが、このまま行けば否が応でもわかるはずだ。無二の親友に裏切られたという残酷な現実を。

 

 程なくして目的地に辿り着いた。

 ところどころヒビ割れ崩落してはいるが、敷き詰められたコンクリートの足場が川に向かってせり出した、いかにも船着き場といった風情の場所だ。

 

「メリノ・・・・・・もう嗅ぎ付けたとは流石っスね」

「スパイダーさん!?」

 

 コンクリートの船着き場の、川に面したほとりに彼女が立っていた。

 彼女だけだ。パンサーとオルカの姿は見えない。

 てっきり奴らと一緒に川に飛び込んだんだとばかり思っていたのに、たった1人残って僕らを待っていたようだ。

 先刻までと同じようにピンピンしていて、もちろん気絶などしていない・・・・・・つまりオーダーは発動していない。

 ということは、最初から脱走を意図した行動ではなかったようだ。

 ただ純粋にパンサーたちを逃がしたかっただけなのか。

 

「・・・・・・てめえ、何やってやがる」

 

 クズリさんが僕を押しのけてスパイダーさんに近づくと、胸倉を掴んで持ち上げた。

 つい一瞬前まで失われていた覇気と殺気がその背中に戻っている。ようやく事態が呑み込めて、遅れて怒りが湧いてきたのか。

 スパイダーさんは逃げようともせず、目を細めて観念したかのように微笑んでいる。

 それを見た僕は、次の瞬間には彼女がクズリさんに殴り殺されてもおかしくないと思った。

 

「わりぃっスねウルヴァリン・・・・・・アイツは、パンサーは良いヤツだった。本当に良いヤツなんだ。だから逃がしてやりたかったっス」

 

「そうじゃねえだろっ! なんでてめえは逃げなかった!? 逃げるが勝ちじゃなかったのかよ!?」

 

 意外も意外だった。クズリさんの怒りは裏切られたことに対してではなかった。

 クズリさんは前々から、スパイダーさんの「強さ」を誰よりも認めていた。

 戦闘能力ではなく、逃げる能力こそがスパイダーさんにとっての強さの基準であり、逃走の成否こそが勝敗を分けるルールであると。

 己が強さを認めた相手が、勝負を捨てたような真似をしたことに対して怒っているのだ。

 

「逃げるわけねえ。アタシの居場所はここだ。お前らを置いてどこへも行ったりするもんか」

「このバカザルが・・・・・・!」

 

 スパイダーさんは迷いのない表情と声色だった。クズリさんはギリギリと歯を噛みしめて痛々しい告白を聞いていた。

 僕は掛ける言葉もなくその場に立ち尽くすだけだった。

 

_______フォォォォン・・・・・・

 どこからか甲高い機械の駆動音が聴こえた。音の聴こえる方に向き直ると、真っ黒い真円状の物体がひとつ、空中を浮遊しながら僕らの方へと近づいて来た。

 連絡用のナビゲーションユニットだ。

 

《作戦はこれにて終了。これから迎えを寄越すわ》

 

 僕らの目の前で静止したユニットから声が聞こえる。

 声の主はイヴ・ヴェスパーだ。感情的な抑揚をいっさい感じさせない淡々とした語り口がかえって不気味さを感じさせる。

 

《・・・・・・分かっていると思いますが、スパイダーモンキー。貴方が犯した重大な軍規違反について、処分を下さなければなりません。ではそのつもりで》

 

 スパイダーさんは目の前のチャンスをわざと放棄した。

 その結果、もはや逃れることが出来ない悲運を自ら招き寄せてしまった。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」

_______________Human cast ________________

「イブ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Enemies date________________

「アンダーテイカー」
身長:およそ10数メートル
体重:およそ8トン
概要:ディザスター級(一体で都市を壊滅させられるレベル)に分類されるセルリアンの中でも、さいきん発見された未知の個体。
 他のディザスター級に比べれば体が小さく純粋な戦闘能力は低く、小型化に際して体内に隠していた核を露出させてしまっているが、それを補って余りある戦力を持った、極めて進化した個体のうちの一体である。
 地中を潜行する能力と、短時間のみ光の乱反射によって開かれる異空間に身を潜める能力を持ち、安全な場所から標的を捕食することに長けている。
 
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章23 「げんかいのないあくい」

※胸糞展開注意

※4.19 内容を一部加筆修正しました。


《諸君・・・・・・戦況は極めて順調に推移している》

 

 無機質で淡々とした声が、薄暗く埃っぽい格納庫に響き渡る。

 声の主は他でもない、グレン・ヴェスパーだ。

 華美な装飾が施された椅子に座り、居丈高に僕らシャヘルのフレンズ部隊を見下ろしている姿がホログラムごしに見える。

 傍らには実娘イヴ・ヴェスパーが姿勢よく佇んでいる。まるで秘書だか召使いの類だ。

 

 その場にいるヒトはあの親娘だけじゃない。

 ホログラムを挟まない僕らと一つところには、ガスマスクを被ったカルナヴァルがいて、さらに左右を囲むようにして数十人の兵士たちが威圧的に並んでいる。

 何人かの兵士たちは、銃の代わりに数十センチほどの長さの警棒を両手に持っていた。

 その中の1人が、左右二本の警棒をおもむろに擦り合わせると「バチッ」と派手な火花を飛び散らせた。

 

 どうやら警棒からは電撃が発せられているようだ。

 まるで僕らを威嚇するかのような様相は、カルナヴァルの意向だろう。

 オーダーを仕込まれて無抵抗になるしかないフレンズを相手に武装はそもそも必要ないはずだが、奴は自分を強く見せることで周囲を威圧し、己の身を守ろうとしているのだ。

 

 作戦を終えた僕とクズリさんは、拠点であるホバー艦に戻るやいなや呼び出しを受けた。

 グレン・ヴェスパーが、シャヘルのフレンズ部隊のメンバーを一か所に集めているのだ。どうやら今後の作戦について奴自ら通達を行おうとしているようだ。

 

 プレトリア郊外の地下深くにあるという、セルリアンを生み出す卵管。

 グレン・ヴェスパーが率いるシャヘルの人員は今、卵管に向けて核ミサイルのエネルギーを最大限に浸透させるための地盤工事を行っている。

 工事には大量の爆薬を用いる。それに刺激された卵管が活性化し、エサを求めて大量の”子供たち”を生み落とした。

 

 そうやって生み出されたセルリアンから工事エリアを防衛するのがシャヘルのフレンズ部隊の役目だった。

 僕がオリファンツ川沿いの巨大倉庫でパークと一戦交えている間も、部隊の仲間たちは引き続き工事エリアの防衛を行っていた。奮戦の甲斐あってか、今やセルリアンのほとんどが工事エリアを抜け出して四方に散っているという。

 それにより工事は程なくして完了し、後は核ミサイルの発射を待つだけとなる。

 

 パークの出方が気になるところだが、それについてもやがて明らかになるだろうとのことだ。

 僕とクズリさんが帰投した後、シャヘルの部隊が入れ替わる形で地上に降り立った。

 そして地盤沈下で倒壊した巨大倉庫の跡地を掘り起し、瓦礫の下で倒れていたパークの兵士を何人か捕虜として捉えることに成功したからだ。

 フレンズも数人見つかったらしい・・・・・・結果オーライだったが、僕らは作戦をこれ以上ない形で成功させたのだと思う。

 

 捕虜を尋問して情報を聞き出し、それを元にパーク残党を殲滅する作戦を立案する。

 それが終わるまで待機せよ、とのことだった。

  

《さて、もうひとつ通達すべき事項がある》

 それまで上機嫌そうに緩んでいたグレン・ヴェスパーの口元が、突如能面のような無表情へと変貌した。

 

《裏切り者スパイダー・モンキーについての処遇だ。本日をもって、奴のすべての任を解く・・・・・・ラボに送り、捕獲した天然フレンズと共に生体実験のモルモットとして扱ってくれよう》

 

 我らが隊長であるスパイダーさんを実験体扱いとは・・・・・・いかに敵をわざと逃がした罪が重いとはいえ、作戦を成功させた立役者でもある彼女に対して、常軌を逸した重い処分であるかのように思えるが。

 それにグレンはスパイダーさんのことを、無きメガバットに代わる側近として抜擢しようとしていたんじゃなかったのか?

 

《私が目を掛けてやった恩を仇で返した罪は重い。死刑よりも凄惨な、自ら死を懇願してくるほどの苦しみを与えてやらねば気が済まぬ!》

 そう告げる奴の青白い口元からは、静かな怒りと揺るがぬ意志が感じられた。何がどうあっても決断を取り下げる意向はないようだ。

 

 ・・・・・・所詮はこれがフレンズの扱いか、と思った。

 僕らはヒトではない。しかし動物でもないグレーな存在。グレン・ヴェスパーがフレンズをどのように扱おうともそれを裁く法はない。

 奴はそれがわかっているからこそ、悪意の向くまま僕らを虐げ、気分ひとつで使い捨てるのだ。

 

 ・・・・・・それにしてもスパイダーさんはどこに連れていかれたのだろう。

 すでに成層圏に浮かぶ要塞「スターオブシャヘル」に収容されてしまったのだろうか?

 作戦終了時、彼女は僕とクズリさんとは別の輸送機に乗せられていった。それきり姿を見かけていないのだ。

  

「聞いての通りだ家畜ども! これより先は私が直々に貴様らを指揮してくれるわ!」

 

 グレン・ヴェスパーの威を借りたカルナヴァルが吠える。

 フレンズたちの表情が青ざめ、身を寄せ合って震えている。

 無理もない。スパイダーさんという精神的支柱がいたから戦って来られたのだ。彼女がいなくなっては立ちゆくはずがない。

 カルナヴァルごときの命令など受け付けるはずがない・・・・・・だから奴は精一杯おどして言うことを聞かせるつもりなのだろうが。

 

「納得がいかねえなァ」

 怯えるフレンズたちの中でたった1人、クズリさんだけが顔色ひとつ変えず抗議をした。態度の大きさだけならグレンに負けてはいない。

「スパイダーを解放しろよ」

 

《それは無理だ。利敵行為をした裏切り者にお咎めなしというわけにはいかぬ》

「・・・・・・アイツはちょっと血迷っただけだ。裏切り者じゃねえ。アンタにとって使える駒であることに変わりはねえ」

《その駒をどう使うかは持ち主が決めること。無用な口を挟まぬことだ。スパイダーの後を追いたくないのであれば・・・・・・》

 

 まるで話し合いが成立しない。

 当たり前だ。グレンがフレンズの言うことなど聞くはずがない。

 これ以上機嫌を損ねたら「鎖の腕輪」を作動させられてしまうだろう。そうなったらクズリさんでも拘束を打ち破るのは無理だ。

 後ろからさり気なく彼女を諭そうと近づく。

 ・・・・・・だが、一見すると静かに佇んでいるだけの彼女の背中から、まるで可視化されているかのような巨大な殺気が立ち上っていることに気付いた。

 

_______ガシャンッッ!

 まさか、と思った僕が視線を走らせるよりも速く、クズリさんはすでに行動を達成していた。

 目にも止まらぬ動きで兵士たちの頭上を飛び越えると、カルナヴァルを押し倒し組み伏せて、ガスマスクを被った黒い禿頭を鷲掴みにしていた。

 

「は、放せ! 何をするかバケモノめ!」

 万力のごとき力で取り押さえられたカルナヴァルが両足をばたつかせてもがく。

 遅れて気付いた護衛の兵士たちの銃口が、クズリさんをぐるりと取り囲む。

 

「もう一度言うぜ・・・・・・さっさとスパイダー返せや。じゃねえとコイツの頭ツブすぞ?」

 ついに実力行使に出たクズリさん。

 その表情は冷静だったが、それだけに確かな勝算があっての行動だろう。

 

「いちおう言っておくぜ。てめえらが唇を動かすよりも、オレが動く方が速い・・・・・・ためしてみるかァ?」

「や、やめろおおおッ!」

 

 僕とクズリさんの両腕に付けられた「鎖の腕輪」は、音声入力によって作動する。

 権限を持ったヒトが特定のワードを発し、腕輪がそれを認識して作動するのだ。この中ではヴェスパー親娘とカルナヴァルの3人がそれに該当する。

 

 だがクズリさんなら、たかが3人ぽっちの口元を見張るのは容易だ。

 己を人質に取られたカルナヴァルが、さっきとは打って変わって死の恐怖に怯えて泣き叫んでいる。その痛快なザマに思わずほくそ笑む。これで少しは身の程を思い知ったか。

 ・・・・・・それにしても流石はクズリさん。痛快な暴れっぷりだ。僕はこういう彼女が見たかった。

 さあ、奴らはどうでるか。

 

《かまわんよ》

 グレン・ヴェスパーがぽつりと答えた。

 唇を動かすな、と脅されているにも関わらず無視して喋った。

 どこふく風の無表情。なんならクズリさんと画面越しに目すら合わせていない。

 

《・・・・・・その男の代わりなら、いくらでも用意出来るからな》

 

 クズリさんはグレンの様子を見て一瞬固まった。

 彼女ならいくらでも動くことが出来たはずだ。だが動けなかった。脅しが全く通用していないことに動揺を覚えたからだ。

 そしてグレンは彼女の一瞬の隙を見逃さなかった。

 

《ステイ・ワン》

_______ガクンッ・・・・・・

 

 魔法の言葉が奴の口から飛び出す。

 それを認識して「鎖の腕輪」が作動すると、クズリさんは突如として動きを封じられ、四肢を地面に投げ出して倒れ込んだ。

 腕輪が作動するのを見たのはこれが初めてだ・・・・・・聞くところによると、腕輪から飛び出した微小な針が装着者の神経に食い込んでおり、そこから特殊な電磁パルスを放出することで、装着者の手足を完全に麻痺させる効果があるようだ。

 

《私にとってはすべてが替えの利く駒でしかないのだよ。ウルヴァリン、君も含めてな》

「てめえ・・・・・・マジでぶち殺してやる」

《やれやれ、君にも制裁が必要だな・・・・・・おい、やれ》

 

 グレン・ヴェスパーが画面ごしに顎をしゃくって兵士たちに指示をした。

 電撃を放つ警棒でクズリさんを痛めつけろというのだ。

 ・・・・・・だが、兵士たちは二の足を踏んでどうにも動かない。

 無理もないだろう。画面越しに離れた所で話しているグレンと違って、彼らは目の前にいるクズリさんのプレッシャーにじかに触れているのだ。

 いかに拘束されている状態とはいえ、強さの桁が違う存在に対してはどうしても怖気づいてしまうのが生物としての正しい防衛本能だ。

 

「バカ者めらが! 貸せ!」

 

 カルナヴァルが一人の兵士から警棒を引ったくると、うつ伏せに横たわるクズリさん目掛けて突き出した。

_______バチバチバチバチッッ!!

 クズリさんの背中に押し当てられた警棒が白い火花を燦然と放ち、肉が焦げるすえた臭いを周囲に巻き散らかせた。

 

「このおぞましいバケモノめ! 死ね! くたばれ!」

 恐怖を振り切って制裁を加えるカルナヴァルの黒い禿頭は冷や汗でびっしょり濡れていた。

 今さっきクズリさんに殺されかけた恨みだけではない。

 己のご主人様に「替えが利く男」として見捨てられそうになったことが奴を突き動かしていた。

 主に忠実な駒としての存在感をアピールするのに必死な様がうかがえる。

 

「ぐうううっっ! ・・・殺すぅ・・・てめえら全員ぶち殺すっっ!」

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 無抵抗のまま電撃をくらうしかないクズリさんだったがしかし、全身から金色の闘気を突風のように放ち、周囲の空間をビリビリと揺るがしていた。痛みをものともせずいきり立つ怪物の姿に、その場にいる兵士たちはさらに震えあがり距離を取った。

 

《お父様。無意味ですわ。このようなことをしても・・・・・・》

 

 父の傍らに従順そうに立っていたイヴ・ヴェスパーが異を唱えた。

 さしもの暴君も、右腕として重用している実の娘の物言いには聞き入れる姿勢を見せ《やめよ》とカルナヴァルを制止した。

 電撃が騒がしく爆ぜる音が鳴りやみ、辺りには気まずいどよめきだけが残る。

 

《このウルヴァリンを力によって従わせることは不可能です。根っからの野獣を鎖につなぐことなどはね》

《では・・・・・・どのようにして従わせようというのだ?》

《理によって手なずけるのが一番かと。現に私は、今までそうすることで奴を飼い慣らしてまいりましたの》

 

 場の主導権を握ったイヴ・ヴェスパーが一歩前に出て、画面越しにクズリさんを見下ろすと、薄ら笑いを口元に浮かべながら勝ち誇るように話しかけた。

 

《ウルヴァリン、あなたは早くシベリアンタイガーと戦いたいのでしょう? であるならば、私たちに従った方が賢明だと思いませんか?》 

「・・・・・・アイツとやるのは最後の楽しみだァ」

《なんですって?》

「目障りなてめえらをぶち殺す方が先だっつってんだよッッ!」

 

 クズリさんはますます怒りを爆発させている。

 てこでも動かない頑強な態度に、今度はイヴがたじろぐ。

 アムールトラのことをエサにクズリさんを従わせようとしたようだが・・・・・・やれやれ、所詮はこの程度の浅知恵でしか喋れなかったか。彼女がつまらない理屈を突き付けたぐらいで素直に引き下がるようなタマであるわけがない。

 

 こうなってはもう「スパイダーさんを解放する」という要求を呑まなければクズリさんの怒りは収まらない。

 奴らがそれをやらないのであれば、鎖の腕輪を作動させたまま彼女をどこかに閉じ込めるか、このまま電撃で焼き殺すかしかない。

 

 このままではスパイダーさんどころか、クズリさんまで僕の前からいなくなってしまう。それだけは何としても避けなければならない。

 

 ・・・・・・いちかばちか、僕が話をまとめてみせる。

 そう思い「発言してもよろしいでしょうか」と、手を上げて前に出た。

 うやうやしく頭を下げ、従順さを絵に描いたような上目づかいでヴェスパー親娘を見上げる。足を組んでふんぞり返るグレンと、直立不動のイヴが虫けらを見るような目で見下ろしてくる。

 口を開くぐらいは許してやる、と言わんばかりだ。

 念には念をおして、さらに深く頭を下げてから交渉の口火を切った。

 

「このままではパークに勝てません」

《・・・・・・ほう。なぜだ? メリノ・シープよ》

「ご存知の通り、僕は先だってパークの軍勢と戦いました。パークの兵士は、士気も練度も相当に高いものと見受けます。そして何より、奴らが所有するフレンズたちの戦闘レベルは僕らに引けを取らないものでした。

 そのような強敵を相手に、部隊の中核である2人を抜きで戦って勝てるはずがありません。どうか今回ばかりはご容赦をいただけないものでしょうか? せめて、戦いが終わるまでの間は・・・・・・」

 

 反吐が出そうになるのを堪えながらも、何とか一息で言い切った。オブラートに包んではいるが全て本音だ。そして動くことのない正論でもある。

 グレン・ヴェスパーの判断は正気の沙汰ではない。

 勝利を望むならば、スパイダーさんというまとめ役と、クズリさんという最強戦力を自らの手で切り捨てんとするなど愚の骨頂のはずだ。

 

《なるほど・・・・・・お前の考えはわかった》

 冷血な視線はそのままに、若干の寛容さを含ませたような声色でグレンが答える。

《心配することはない。私の判断は勝利への確信に基づいている》

 

「そ、それはどういう・・・・・・」

《私にとってすべては替えが利く駒ということだ。そして我が意に背く駒に存在価値はない》

 

 失敗した。グレン・ヴェスパーは正論すら受け付けなかった。

 これ以上何か話すことはないだろう・・・・・・相手を小馬鹿にした意味深な回答が、奴から僕に用意されたすべての答弁だった。

 

《ウルヴァリンを連れていけ》

 

 話は終わったと言わんばかりのグレンに命令されるまま、兵士たちが動けないクズリさんを両脇から持ち上げて乱暴に引きずり始めた。

 辺りにいるフレンズを銃や警棒で脅して道を開けさせている。

 

(行かせるものか)

《メリノ・シープよ、何をしている? 話は終わったはずだが?》

 

 いつの間にかひとりでに体が動いていて、クズリさんを連れ去らんとする兵士たちの前に立ちふさがっていた。

「・・・・・・ふっ」

 クズリさんとも目が合う。彼女は何も言わず、燃えるような血走った瞳で僕を一瞥し、不敵な笑みを浮かべるだけだった。

 その表情の意味はわからない。ただひとつ確かなのは、今この瞬間、僕の中のオオカミがどうしようもなく奮い立っているということだ。

 

_______ジャキンッ!

「うおおおっ!!」

 

 虚空から槍を取り出して兵士たちに躍りかかる。

 ウルヴァリン(オオカミを狩る者)・・・・・・僕の親であり師であり目標である存在。連れていかせるわけにはいかない。

 我が身かわいさにこの場を見過ごしたりしたら、僕は臆病なヒツジに逆戻りだ。それは死ぬよりも怖いことなんだ。

 その思いだけが僕の体を突き動かし、結果がわかりきった無謀な暴挙へと駆り立てた。

 

「な、何してんだバカ野郎!」

 後ろから僕にそう言ってくるのはディンゴか。

 放っておいてくれ。愚かだと思うだろうが、これが僕なんだ。お前は上に逆らったりしないで賢く生き残ればいい。

 生きる道があるかはわからないが。

 

《ステイ・トゥー》

_______ガクンッ

 画面越しにその言葉が聞こえた瞬間、全身が痺れて力が入らなくなり、いきおいよく前のめりに突っ伏した。

 これが腕輪の効力か。クズリさんが一瞬で動けなくなるわけだ・・・・・・立ち上がろうにも、まるで手足が自分の体じゃなくなったかのように、脳の命令を一切受け付けない。

 

 自由が利くのは首から上だけだ。何とか眼球を上転させて上を見ると、1人の兵士が近づいて来る姿が見えた。

 兵士は僕のすぐそばで膝をつくと、両手に一本ずつ持った警棒を眼前に差し出してきた。

_______バチバチバチィィッッ!!

 直後に青白い雷が眉間に炸裂し、激痛に全身が震えた。

 

 傷みだけなら我慢することは出来るが、この電撃の恐ろしさは別の所にある。

 電撃によって呼吸困難に陥らさせられているのだ。

 腹筋が収縮し続け、息を強制的に吐かされている。逆に息を吸うことが出来なくなっている。

 首から下が利かないということは腹筋も動かせない。自然な呼吸はあっても意識的に呼吸することは出来ない。

 成すすべのない僕はそのまま気を失うしかなかった。

 

 

(・・・・・・ここは)

 

 意識を取り戻して顔を上げる。とりあえずまだ生きているようだ。

 腕輪はまだ作動しているようで、相変わらず首から下はいっさい自由が利かない。

 

 白い床と天井に、強化ガラスで仕切られた狭い部屋を、青白い照明が照らしている。

 独房というには少々こぎれいな印象を受けるそんな場所で、僕はただ透明なプラスチック製の椅子に座らされていた。

 腕輪ひとつあれば他の拘束は一切必要ない。煮るなり焼くなり好きにしろ、と捨て台詞を吐くしかないような状況だ。

 

_______ブゥン・・・・・・

 

 前面にあるガラスの壁に、とつじょ画面が投影される。

《・・・・・・メリノヒツジ、どうかしら? 気分は》

 さっそくお出でなすったか、と画面越しに映った人相を睨み付ける。

 どうやら娘だけだ。父親の姿は見えない。

 

「この内装・・・・・・スターオブシャヘルの中か?」

《その通り、ここは私専用のラボよ。父ですら全容を把握してはいない》

「それでどうする? 僕を改造してフランケンシュタインにでもするつもりか?」

《知的な切り返しね。好きだわ》

 

 もう猫を被る必要もない。だからため口で喋ってやることにした。

 だがイヴは僕のささやかな抵抗を嘲笑するように機嫌が良さそうな顔で受け流している。

 

 イヴの口からその後の状況が語られる。スパイダーさんもクズリさんも、シャヘル内の別の場所に収容されているようだ。

 2人の処分についてはグレン・ヴェスパーが権限を握っている。そんななか僕だけがイヴの管轄になったのだ。

 理由は簡単で、グレンは僕には大して興味がないからだ、と言う。

 

《それにしてもメリノヒツジ、あなたには失望したわ。書物を読み漁って多少の教養を身に着けたところで、結局は他のフレンズと同じね・・・・・・一時の感情で衝動的に動いて身を破滅させる。畜生の悲しき性というべきかしら》

 

「・・・・・・畜生はどっちだよ」

 どのみち僕の未来は閉ざされたのだと思った。

 グレンだろうとイヴだろうとやることに変わりはないはずだ。命が尽きるまで非人道的な実験のモルモットにされるだけだろう。

 ならば、その瞬間までオオカミとしての意地を貫いてみせる。

 

「いや、お前らは親子そろって畜生以下の醜さだ。カマキリのように冷え切った目付きと、蛇みたいにシャーシャーと喋る口を兼ね備えたキマイラだ・・・・・・とてもじゃないがヒトには見えないな」

 

_______バチバチバチバチッッ

「ぐわあああっっ!」

 せいいっぱい罵りの言葉を吐いた瞬間、どこからともなく機械のアームが伸びて来た。

 アームの先端から電撃が放たれ、制裁と言わんばかりに僕を打ちのめす。

《・・・・・・メリノヒツジ、言葉には気を付けなさい》

 少しして電流が止むと、イヴが諭すように言ってくる。

 

《私は父とは違う。あなたにチャンスをあげたいと思ってる》

 

 チャンスときたか。

 嘘八百も甚だしい。都合のいい言葉で僕を踊らせようというだけだろう。

 今回の件でつくづくわかった。この親娘の頭にあるのは、僕らをいかに利用し尽すかということだけだ。

 このイヴはなお腹立たしいことに、父親よりは穏健であるというポーズを装っている。薄皮一枚下には、父親とまったく同じ、自分以外をゴミ同然と見下す尊大さを持っているくせに。

 

 ・・・・・・だが不可解な点もある。

 やることがあまりにもまだるっこしいじゃないか。わざわざ僕を隔離して語り掛けて来る理由はなんだ?

 クズリさんやスパイダーさんと一緒にまとめて収容しておけばいいじゃないか。まさか父親とは別個の思惑があるとでも言うのか?

 

《チャンスが欲しければ、私に覚悟を見せてみなさい》

「この不自由な状態でどうしろと?」

《・・・・・・テイク・トゥー》

 

 その言葉を聞いた瞬間、今の今まで指一本たりとも動かせなかった手や足に力が入り、すくっと問題なく立てるようになった。

 今イヴが発したワードが、腕輪の拘束を解除する合言葉というわけか。

 

《さあ、こっちへ来なさい》

 椅子から立ち上がって、イヴの顔を映しているガラスの壁の前に立つと、壁はドロリと溶けるように消え去り、進む道を僕の目の前に示した。

 

 ひとりでに現れたり消えたりする壁や道・・・・・・ここが「スターオブシャヘル」の内部であるという事実を改めて確信させる様相だった。

 イヴの言うことに従うのは癪だが、ともかく先に進むしかない。

 この迷宮にあっては逃げることも留まることも出来ないのだ。

 

《進みなさい。私たちの計画の全容を教えてあげる》

 どこからか僕を見張っているであろうイヴのアナウンスに従うまま、冷たい風が吹き抜ける一直線の道を進み続ける。

 やがて行き止まりに辿り着くと、またも扉が出現し、僕を新たな場所へと誘った。

 

「こ、ここは?」

 

 かなりの広さがあるであろうこの部屋には、虹色の溶液に浸された水槽が、上下左右に空間を持て余すことなく配置されていた。

 サンドスター調整槽・・・・・・数十、数百、いやそれ以上の数がある。

 調整槽の中にはフレンズらしき姿が浮かんでいた。意識のない人形のような姿を部屋の青白い照明に晒している。

 これほどの数のフレンズがシャヘル内で密かに製造されていたというのか。

 

 だが、良く見ると明らかにおかしい点があることに気付く。

 どいつもこいつも似たり寄ったりの容姿をしているのだ。体色も、耳の形も、尻尾の長さも・・・・・・本来は多種多様であるはずのフレンズにはあり得ない程の没個性っぷりだ。

 

「まさかこいつら、全員おなじ種族なのか」

《良くわかったわね》

 

 これまで人造フレンズは、野生動物の死体に施術を施すことで生み出されたいた。

 だがそれではあまりにも非効率的であるために、ヴェスパー親娘はフレンズの生産方法を一から見直すことにしたのだと言う。

 

 その結果生まれたのが目の前にいる彼女たちだ。彼女たちは2種の動物をもとにして作られているという。

 ひとつはイヌ、もうひとつはネズミだ。

 どちらもこの世界において、ヒトに匹敵するほどに繁栄している種族。入手しようと思えば何匹でも好きなだけ手に入れることが出来る。

 ヴェスパー親娘はそこに目を付けたのだという。

 

 イヌは保護犬を、ネズミは実験用のマウスを、何千何万という個体数を買い取り、ガス室で命を奪ってからフレンズ化施術にかける。

 そうすることで短期間で急ピッチで数を揃える体制を確立したのだそうだ。

 

 天然フレンズをサンプルとして攫ってくるようにと僕らに命じたのは、フレンズ化施術の成功率を上げる研究が早急に必要になったからだという。

 いくら失敗したところで材料はいくらでも手に入る。とはいえ今後のことを考えるとコストは抑えたい。

 コスト削減のためには施術の成功率を高めることが第一だからだそうだ。

 

《まだこのシャヘル内部でしか実用化されてないけれど、いずれ世界中の研究所にこのシステムを広める予定よ》

「くだらないな。イヌやネズミなどが戦力になるものか」

《ヒツジのあなたがそれを言う? ・・・・・・もちろんそこも考えているわ》

 

 製造したイヌやネズミのフレンズは、ほとんど覚醒させることはないのだという。

 睡眠状態のままVR漬けにすることで、短期間で戦闘技術を覚えさせようというのだ。

 これまではコストの問題で、フレンズ一体一体に丁寧な戦闘教育を施すしかなかったが、今後は質より量の考え方で行くのだという。

 個々の戦力は並クラスでも、大量に投入することで戦場を支配するのだ。

 

《およそ500体のイヌとネズミのフレンズを、いつでも戦場に投入可能よ》

 

 なるほど。グレン・ヴェスパーが「勝利を確信している」と言ったのはそれが理由か。

 この”量産型”フレンズ軍団こそが奴の隠し玉か。もしパークに追い詰められても彼女らを投入することで蹴散らすつもりなのだろう。

 僕ら旧態依然とした人造フレンズは精々パークを疲弊させるための前座といったところか。

 

《このプロジェクトには続きがある。あなたやウルヴァリンに関係したことよ》

 

 フレンズの潜在能力を限界まで引き出し、次なる”進化形”に至るための実験体。

 僕とクズリさんに元々あてがわれた役割はそれだった。そのためにオーダーというリミッターが外され、代わりに鎖の腕輪を付けられることになったのだから。

 どうやら僕は・・・・・・グレンから興味すらもたれない状況から察するに、期待値には達さず、半ば見放された状態なのだろうが。

 

《次なるステージへと進化したフレンズのデータを他の個体に移植することで、当プロジェクトは完成することになるわ》

「意味がわからないぞ。僕とクズリさんのどちらかが進化形に至る存在なのだとしたら、僕らのクローンでも作ればいいじゃないか」

《ほう、やはり物知りね。でもクローンはしょせん旧世紀の技術。そんなことは出来ないわ》

 

 クローン技術ではフレンズを複製することは出来ないのだという。

 サンドスターと動物の体細胞が結びついて変異を起こしたのがフレンズという存在だ。ところがクローンのもととなる幹細胞にはサンドスターの情報が保存されないのだ。

 仮に僕の幹細胞からクローンを作ったところで、動物のヒツジが生まれるだけというわけだ。

 

《・・・・・・ではどうするか? 答えは単純よ》

 フレンズのクローンを作れないのであれば、動物の段階から手を加えてしまえばいい。

 それがヴェスパー親娘が出した結論だった。

 

 同一の種族であっても、遺伝子によって個体差が生じる能力がいくつもある。

 筋力、知能、疾病などに対する耐久性etc・・・・・・

 遺伝子操作を行うことで、それらの能力を限界まで高めた個体を作り出し、それを大量に複製。

 しかる後にフレンズ化施術にかけるというわけだ。

 

《究極の遺伝子を持ったフレンズ。私たちはこれを”ハイブリッド”と名付けることにした》 

「・・・・・・つまり雑種ということか」

《ハイブリッドを誕生させるまでには、生物を遺伝子操作とフレンズ化施術という、二段階の振るいにかける必要があるわ。さすがに製造には膨大な手間を要する・・・・・・量産はとうぶん先のことになるでしょうね》

 

 遺伝子操作によって限界まで能力が高められた「ハイブリッド」たちに、僕やクズリさんの戦闘データを移植する。

 そうすることで最強のフレンズ軍団を創造するというのだ。

 

「なぜそこまでやる必要がある? 核実験で”女王”が生まれれば、セルリアンを支配できるんだろう? それで十分じゃないか」

《逆よ。強すぎる力を制御するためには、それに拮抗する力をもうひとつ持つ必要があるの。セルリアンとフレンズ・・・・・・ふたつの力を手中に収めることこそが肝要なのよ》

 

 この親娘の力に対する欲求はまるで留まるところを知らないようだ。

 けっして大袈裟ではなく、こいつらは本気で世界を支配しようとしているんだな、ということを思い知らされる。

 

《あれを御覧なさい》

 とつじょとして、薄暗い部屋の一点にスポットライトが当てられる。

 部屋中に無数に点在しているサンドスター調整槽の中でも、最奥に位置している大き目の水槽を照らし出した。

 

 水槽に近づいてみると、中には全身白色のフレンズが浮かんでいるのが見えた。

 丸い耳と細長い尻尾を持っていることから、イヌではなくネズミと思しき姿だ。

 それよりなにより、彼女の体には奇異な特徴があった。左右で目の色が違うことだ。

 意識のないまま半目開きになった瞳は、片方はごく普通の黒目だったが、もう片方は血のように赤かった。

 

《彼女は記念すべき一体目のハイブリッドよ。ハツカネズミをベースにしている。これ一体を作るまでにおよそ10万匹の実験用マウスが必要だったわ》

「この奇妙な姿は何だ」

《美しいでしょう? これこそが究極の遺伝子を持っていることの証左よ》

 

 どうやらハイブリッドの元となる動物は、遺伝子操作の結果「アルビノ」かつ「オッドアイ」という、自然界では併発することが稀な身体的特徴を兼ね備えるようになるようだ。

 イヌのハイブリッドはまだ完成していないが、おそらく同じような結果になるだろう、とイヴは言った。

 

「で、こんなものを見せてどうする? とち狂った実験の成果を見せつけて、僕が恐れひれ伏す事を期待しているのか?」

 

 奴は僕にチャンスをやると言ってきた。チャンスが欲しければ覚悟を見せろとも言った。

 まったく話が見えてこないじゃないか。

 

《仏作って魂入れず、という諺が日本にはあるわね》

「・・・・・・何が言いたい?」

《ハイブリッドの完成にまで漕ぎ付けたというのに、肝心の”フレンズの進化形”の戦闘データが手に入らないのよ》

 

 お前達が不甲斐ないせいだ、と言わんばかりの非難めいた声色だ。

 僕もクズリさんもいっこうに”進化形”に達する予兆を見せないことを、イヴは以前から不満げに思っていた。

 進化に至るためには戦いの経験値をともかく積むことだ、と口を酸っぱくして聞かされてきた。

 

 今から20年前、たった1人だけ”進化形”に達したフレンズがいたといわれている。

 一撃で地面にクレーターを開けるほどの攻撃力を持ったその個体は、たった一夜で荒野を埋め尽くすほどのセルリアンを殲滅し、そして自分も永久に姿を消した。

 その破壊の様を写真で見せられた時は背筋が凍ったものだ。

 あれがフレンズの限界値だとするのなら、どれだけ僕と隔たっているんだと思った。クズリさんでさえあの領域には遠いだろう。

  

《・・・・・・メリノヒツジ、良く聞きなさい。チャンスというのはね、あなたが”進化形”に至るためのチャンスのことよ》

「な、何だと!?」

《今のあなたではまず無理・・・・・・でも特別なドーピングを施せば、万にひとつの可能性はあるかも》

 

_______フォォン・・・・・・

 甲高い駆動音を発しながら、一機のナビゲーションユニットが舞い降りてきた。

 ユニットが僕のすぐ真上で、存在を見せつけるように静止すると、球状のボディの底面部をスライドさせる。

 内部から飛び出したアームには注射器のような円柱系の物体が握られていた。

 

「それが特別なドーピングとやらの正体か? いったいなんだ?」

《特に名前は付けていなかったわね・・・・・・言うなれば、進化促進薬とでも言うべき代物かしら》

「し、進化促進薬・・・・・・」

 

 完成させたのはごく最近のことらしい。

 進化促進薬には、フレンズの体内に流れるサンドスターの循環を、瞬間的に爆発的に早める作用があるそうだ。そうすることで理論上、肉体のリミッターを外し、限界を超えた能力を発揮させる効果が期待できるのだという。

 

 もともと、地球上のあらゆる生物にはリミッターが設けられている。リミッターがなければ、無制限に発揮される能力に肉体が耐えられず早々に自壊するからだ。

 つまり進化促進薬を打ったが最後、暴走の末に”進化”に至るか、身を破滅させるかの二者択一の運命を辿るしかないのだ。

 ・・・・・・いや、上手く行く確率は5分以下と見ていいだろう。

 治験もロクにされていないような未知の劇薬。そして何よりも、他者の命を顧みることのないこの親娘が発明した代物だ。

 

《父はおそらく、ウルヴァリンとスパイダーモンキーに促進薬を打つつもりなのでしょう》

 

 そうか・・・・・・考えてみればクズリさんだけでなく、スパイダーさんもグレンにとっては魅力的な実験体になり得るはずだ。

 野生解放の”先にある力”。その二段階目にあたる能力をクズリさんよりも先に使いこなしていたのは、他ならぬスパイダーさんなのだ。

 能力の特性が戦闘には向いていないだけで、己の潜在能力を上手く引き出しているという点においては”進化形”に近い存在に違いない。

 

《父にとってあなたは本命ではない。だから私に処分を一任してきた。このまま切り刻むのもよし、促進薬の治験に使うのもよし・・・・・・とね》

「つまり、チャンスというのは・・・・・・」

《察しが良いわね。メリノヒツジ、あなたが進化促進薬の被験者を名乗り出るならば、この場で切り刻むのは止めてあげてもいい。治験の名目で下に送り返してあげるわ》

 

 チャンスと言ってはいるが・・・・・・僕のことなど最早どうでもいいのだろう。実験体としてはクズリさんらがいるわけだし、戦力は量産型部隊がいれば事足りると思っているはずだ。

 促進薬を手渡して、実地で治験を行わせるモルモットとして処分してやろうということか。

 僕には何の得もない。クズリさん達を助けることも出来なければ、僕自身も被験者として犬死をするしかない末路が待っているだけだ。

 

《もしかしたら、あなたの手でウルヴァリンらを救うことが出来るかもしれない。あなたが2人よりも先に”進化体”に至ることが出来れば・・・・・・》

 

 答えあぐねている僕にイブが重ねる。

 その白々しい物言いにはいよいよ耐えかねた。

 

「ふざけるなっ! 今さらそんな言葉を信じるものか! 僕が何をしたところで、グレンがクズリさん達を手放すはずがない!」

《まあ、私も父の意向を完全には把握していない・・・・・・しかし実際問題”進化体”が1人でも出現すれば、そこで今の研究にはピリオドが打たれるわ。どうかしら? 仲間を救いたいのなら、万にひとつの可能性でもかけてみるというのは?》

 

「・・・・・・だったら言う通りにしてやる! それを僕に打て!」

 

 空中に浮かぶナビゲーションユニットめがけて手を伸ばしながら叫ぶ。

 行くも地獄、退くも地獄・・・・・・ならば僕は行く方を選ぶ。オオカミとして生きる覚悟を決めている僕には、退くことは絶対に許されない。

 

 だが、ユニットは僕の手を躱すように一段上へと上昇した。

 

《覚悟を見せなさいと言ったはず。ただで手に入るとは思わないことね》

「この上いったい何をしろと!?」

《まずは、ある人物と会話しなさい》

 

 そう言うなり、ユニットのカメラアイが光り、空間上に画質の悪いホログラムを投影する。

 どうやら随分と薄暗い部屋を撮影しているようだ。

 いったい誰と会わせようというのか。一見してわかるのはフレンズではなく、イヴでもグレンでもないということだけだ。

 

 1人の男が、手首や足首を縛られて椅子に座らせられている。

 薄汚れた衣服のあちこちには血が滲んでいる。

 酷い拷問を受けているようで、パッと見では生きているのか死んでいるのかわからないぐらいにぐったりとしている。

 

《この男を忘れたの? かつてあなたを育てた男よ。トーキョーの地でね》

「まさか・・・・・・ヒグラシ所長?」

 

 どうやら向こう側にもこちらの声が聞こえているようで、自身の名前を呼ばれたヒグラシがびくりと顔を上げる。

 何度も何度も殴られたようで顔面が青痣まみれになっている。

 ・・・・・・そうか。彼はあのカルナヴァルと一緒に、スパイダーさんの影潜りでCフォースに奪還されていたのだった。

 その後どういう扱いを受けて来たのかは気になってはいたが、これが答えのようだった。

 

「機密を吐かせるためにヒグラシを拷問にかけているのか?」

《違うわ。いま彼は父のお気に入りの玩具なのよ》

 

 グレン・ヴェスパーの大昔からの部下であったヒグラシだったが、彼はCフォースを裏切ってパークに出奔した。

 目を掛けていた部下に裏切られたグレンの恨みは凄まじく、こうして日々拷問にかけて憂さを晴らしているんだそうな。

 兵士などの手も介さず、自らの手で直々に痛めつけているようだ。

 拷問にはそれなりの技術が必要だ。素人に出来るものじゃない。勢いあまって殺してしまう可能性だって多いにある。

 グレンにとっては、そのランダム要素がまた楽しいんだそうだ。

 

《せめて核を落とす日まで持ってほしい、と父は言っているわ》

「彼を僕に見せてどうしたいんだ!」

 

_______メリノ、その声はメリノか・・・・・・。

 

 消え入りそうな声でヒグラシが割って入る。僕の顔を見て驚いたように目を見開いている。

 

「お、お久しぶりですね、所長」

《・・・・・・その姿はどうしたんだ? 本当に君なのか?》

 

 驚くのも無理はない。彼が知っている頃の僕とはずいぶん違う姿になっているのだから。

 身長が一回り以上大きくなって筋肉が付き、白くブカブカだった毛は、赤みがかり体の線がわかるほどに短くなった。

 眠たそうだった締まりのない目つきは殺気で血走り、つねに周囲を鋭く睨み付けている。

 

《奴らに何かされたのか。それでそんな》

「違いますよ。これが本当の僕なんです・・・・・・あなたが知っている、あの弱くて惨めな羊は死んだんだ」

《そうか・・・・・・自分を殺すしか生きる道がなかったのか》

 

 ヒグラシは青痣だらけの顔を歪ませ、目元には涙を浮かべていた。

 僕のことを憐れんでいるようだ。今は自分の方がよっぽど酷い状況に置かれているくせに・・・・・・

 

 思い出したくもないのに、彼との思い出が次々に頭によぎる。

 始めて文字というものを教えてくれた日のことを。読んだ本の感想を喋る僕に親身に耳を傾けてくれたことを。僕が研究所を去る日、不安げな寂しそうな表情で僕を見送っていたことを・・・・・・。

 優しくて想像力が豊かな子だ、とたくさん褒めてくれた。今思えば彼だけが、ヒツジのままの僕を認めてくれた唯一の存在だった。

 昔の自分が今にも生き返ってしまいそうな気持ちになる。

 

《どうかしら? いまの彼の姿を見て》

「・・・・・・なんだと」

 

 イヴが鬱陶しく会話にしゃしゃり出て来る。姿は見えないものの、明らかにニヤついているのがわかるような声色だ。

 なるほど、覚悟を見せろとはこういうことか。

 ヒグラシの悲惨な姿を見せつけて、それに僕がどう反応するかを評価しているんだ。

 

 僕にだって情はある。ヴェスパー親娘のようなバケモノとは違う。育ての親のこんな姿を見て心が痛まないはずはない。

 だがそれを悟られたりすれば一貫の終わりだ。促進薬は手に入らず、二度と日の目を見ることのないまま、このラボで切り刻まれる最期を迎えるしかない。

 今の僕に出来ることは、表情筋に力を込めて冷淡さを装うことだけだった。

 

《・・・・・・メリノヒツジ、良いんだ》

 ヒグラシは全てを見透かしたような表情で、静かに諭すように話し始めた。

《僕は君に戦いを強要し、辛い思いをさせた。僕のことを恨んでいい・・・・・・そして、どうか死なないでくれ》

 

「だまれぇっっ!」

 

 追いすがってくる過去を振り払うように叫ぶ。

 ヒグラシはボロボロになってもなお、自分だけを悪者にして僕を庇おうとしている。それを見てイヴ・ヴェスパーは嘲っている。

 今さらながらに思う。これが世界の真実だ。

 

「やっぱり僕の選んだ道は正しかったよ。アンタみたいな優しいだけの弱者は搾取されるしかないんだ。僕はそんなのごめんだ! 食われる側じゃない! 食らう側として生きる!」

 

 ヒグラシは僕の告白を聞きながらいっそう慟哭し《すまない》と繰り返し喘いだ。

 これ以上話すことは何もない。僕は彼から目を逸らし無視を決め込んだ。

_______パチパチパチ・・・・・・

 ホログラムが消失し、空間に拍手の音だけが鳴り響いた。

 

《覚悟を見せてもらったわ。育ての親の酷い姿を見ても欠片も情を見せず、関係を断ち切った・・・・・・見事だわ。その非情さに免じて、あなたにチャンスを与えましょう》

 

 満足げにイヴが感想を漏らすと、ナビゲーションユニットが僕の真上へと降りてくる。

 こんどこそ、と思いながらユニットに手を伸ばし、アームにぶら下がった「進化促進薬」をその手に掴んだ。

 

《これは即効性の劇薬よ。今打っても意味はないわ》

「ならばいつ打てと」

《まさに今こそ、と思った時に使いなさい》

 

 ・・・・・・ふん。我ながら聞くまでも無い事を聞いたものだ。

 フレンズが進化形に至るのは、戦いの最中しかあり得ない。リミッターを取り払うのは、それを行うに値する強大な敵が目の前に現れた時のみ、ということだ。

 ・・・・・・そして僕が想定する相手は1人しかいない。

 

《さあ、下に降ろしてあげましょう。もう間もなくパークの残存兵力を掃討する作戦が開始される頃。下にいる部隊に加わりなさい》

 

 僕がクズリさん達に先んじて”進化体”になることが出来れば、彼女らを救うことが出来るかもしれない。

 わずかな希望だとわかっていせても、育ての親を見捨ててまで掴んだチャンスだ・・・・・・地獄に落ちるその瞬間まで足掻いてみせる。オオカミとしての生き様を貫いてやる。

 

(やってやる! やるしかないんだ!)

 手に入れた”切り札”を握りしめながら、来たる決戦へと思いを馳せた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」

_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:52歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章24 「さいごのゆうじょう」

_______ヒュゥゥウンッ・・・・・・ドォォォンッッ!

 

 僕がスターオブシャヘルから地上へと戻される頃には、すでに状況が一変していた。

 カルナヴァルの指揮の元、シャヘルの地上戦力が結集し、パークの残存戦力を掃討するための戦いが始まっていた。

 

 黒雲に閉ざされた空の下、岩山や土くれで形成されたゴツゴツとした丘陵が広がっている。

 そこに布陣した無数のシャヘル側の戦車やミサイル車両が、山の上へと向かって雨あられと仰角射撃を繰り返している。

 甲高い音を発しながら頭上を通り抜けた砲撃が、着弾と同時に炎と粉塵を巻き上げている。

 地獄というものを的確に言い表す情景があるとしたら、まさにこんな感じだろう。

 

 バトーイェ山脈。

 それが決戦の地であるこの場所の名前だ・・・・・・そして僕にとっては、かなり高い確率で死に場所になるであろう。

 地盤工事が行われていたプレトリア郊外の平原から、南に40キロほどの場所に位置するこの山岳地帯は、アフリカ大陸中でも有名な火山群のひとつであり、絶え間なく吹き出し続ける噴煙のおかげで、昼間にも関わらずあたり一帯が薄暗い。

 特に山頂付近は、空気が悪いためか植物の類は自生せず、そのために動物もヒトも住まうことが出来ない土地として知られているようだ。

 

 パークの捕虜から聞き出した情報によれば、残党兵力はバトーイェ山脈にて最後の抗戦を試みようとしているようだ。

 

 奴らの目的はふたつある。

 ひとつはセルリアンの「女王」の誕生を阻止すること。

 女王誕生の引き金となる核ミサイルのエネルギーを減衰させるために、着弾位置を卵管から外させようとしているらしい。

 そのために、大規模な電波障害を起こさせるためのジャミング装置を建造しているようだ。

 

 当初はアンダーテイカーが破壊したオリファンツ川沿いの巨大倉庫が、ジャミング装置を作動させる場所として予定されていたらしい。

 倉庫の中から装置の残骸が見つかったことからも、捕虜からもたらされた情報が真実であることを裏付けている。

 巨大倉庫が破壊されたことによって作戦を変更せざるを得なくなったパークは、次なるジャミング装置の設置場所としてバトーイェ山脈を選んだ。

 

 もうひとつの目的は撤退することだ。

 もともと奴らはいくつかの班に分かれて行動していたらしい。ジャミング装置を仕掛ける班の他に、地元の住民が核実験の被害に遭わないように避難させる活動も行っていたようだ。

 

 避難民を伴いながらの撤退行動に、奴らが敢えてこの険しい山岳地帯を選んだ理由・・・・・・

 それは勿論、シャヘルの爆撃を恐れているからだ。

 平坦な道を進めば狙い撃ちにされてしまうが、このような天然の要害に対しては空爆も難しい。

 一般的な建造物と違って、ターゲットへの命中率が下がるからだ。

 

 パークの奴らもバカじゃない。ジャミング装置が傍から見て分かりづらいように偽装することが考えられる。

 ターゲットの特定に時間がかかればかかるほど、今度はシャヘル側の爆撃機が撃ち落されるリスクが発生する。

 

 パークの奴らにとっては、まさに至難の作戦内容となっている。

 足場の劣悪な山岳地帯を進む以上は、細く列をなして進むしかない。そのような状況で非戦闘員を伴いながら撤退を行うのがいかに難しいかは、想像するだに容易だ。

 その上ジャミング装置の設置まで同時並行で行おうというのだ。ひとつ歯車が狂えば瞬時に総崩れになってしまうはずだ。

 ・・・・・・そのような無茶な作戦を一糸乱れず行えるのだから、やはり奴らはかなり統制が取れた集団なのだろう。

 

 奴らにとっては最後の生命線。総力を結集して抵抗してくるはずだ。

 アムールトラもここに来ているはず。きっと・・・・・・いや必ず。

 

 シャヘル側としては、空爆に頼れない以上、地上から攻めて制圧するしか手段が無くなる。

 パークの抵抗を蹴散らしながら、バトーイェ山脈のどこかに設置されているであろうジャミング装置を見つけだして破壊すること。それが今回の作戦内容だ。

 

 戦況だけ鑑みればシャヘルの優位は揺るぎないが、一方でこちら側にもかなり厳しい条件が課せられている。

 時間がない。ごく限られた時間で作戦を成功させなければならない。

 

 今日は6月6日。核ミサイルは明日6月7日、正午に投下される予定だ。

 それまでに作戦を完了させて撤退しなければ、核爆発に巻き込まれる恐れがある。

 バトーイェ火山は、核が投下される卵管からは約40キロ離れていて、さすがに爆風の加害範囲からは外れているという話だが、人体が重篤な被爆をこうむるのには間違いない。

 ・・・・・・まああくまでヒトの話で、元から放射能を体に含んでいるフレンズならば、ヒトよりは深刻な被害にはならないとは思うが。

 

 6月7日というのは、グレン・ヴェスパーにとって政治的に重要な意味を持つ日なのだ。今から20年前の同じ日に、奴が少数の研究者たちと共にCフォースを立ち上げた日だからだ。

 

 グレンは記念すべき日のために着々と準備を進めて来た。

 まずはプレトリア都市部のとある一角に会場を建設させた。そこでCフォース中から主要な軍閥を招いてCフォース設立20周年を祝う式典を行う予定だという。

 会場の建設は容易な作業だったろう。セルリアンの手で壊滅させられて久しいプレトリアだったが、エサとなる資源が枯渇したために、巣食っていたセルリアンはとうの昔に去っていたからだ。

 

 ・・・・・・だがグレンの本来の目的は20周年を祝うことなどではない。

 記念すべきその日に改めて己の権力を絶対的なものとするためだ。

 

 世界中でセルリアンと戦う役目を担うCフォースは、グレンが1人で支配するのにはあまりにも巨大になり過ぎた。

 後から参画した外様の軍人たちの権力や発言力も、今やそれなりに高まってしまっている。

 たとえ最高指導者グレンであっても、彼らの意向を無視して好き勝手することは不可能なのだ。

 奴が本当の意味で思いのままに操れるのは実質、このシャヘルという私設部隊だけだ。

 

 軍人たちには様々な意見の人間がいる。中にはグレン・ヴェスパーが支配者として君臨することを快く思わない者もいる。

 奴はそういった反体勢力を内部から一掃することを目論んでいるのだ。

 女王が核爆発によって誕生する様を中継し、それを意のままに操れる様をアピールすることで反対勢力を恐怖に陥れ従わせる。

 と、これがグレンの描いたシナリオだ。

 

 僕にとってはグレンの妄想などただの雑音に過ぎない。

 いや、自分の心の中の言葉以外のすべてが雑音に聴こえる。偉そうに大声で命令するカルナヴァルらの罵声も同じだ。

 ・・・・・・すべて戦場の熱狂にかき消されてしまえばいい。

 

 カルナヴァルは短期決戦を望んでいる。

 奴が取った作戦は、包囲網を形成してパークを殲滅することだった。

 そのために、奴は部隊を3つに分けた。左右に別れた切り込み部隊と、中央に位置するカルナヴァルが直々に指揮する本隊だ。

 

 パークの連中は細く長い列を成して前進し、バトーイェ山脈を突っ切ろうとしている。

 そこを切り込み部隊が左右から挟撃することでパークの行軍を混乱させる。

 本隊は後方に布陣し、砲撃によって切り込み部隊を援護しながら少しずつ前進。やがてパークに追いつき、力押しで押しつぶす。

 

 ・・・・・・良く言えば定石に則った。悪く言えば平凡な戦術といったところか。

 しかし時間がない事を除けば、兵力でも地の利でもシャヘルが圧倒的に有利なのだ。パークを殲滅することは十分に出来ると思う。

 予定通りに事が運べば、の話だが。

 

 僕を含む、元はスパイダーさんが率いていたフレンズ部隊は今、切り込み部隊の一員として、ヒトの歩兵と共に山道を進軍している。

 平坦な道がわずかしかない急峻な上り坂を敢えて進んでいる。敵に見つからない死角から奇襲を仕掛けるためだ。

 

 眼前にそびえ立つ、あの尾根を越えさえすれば、見晴らしはぐっと良くなり、敵を狙い撃つことが可能なポジションに陣取ることが出来るという情報だ。

 しかしまだまだ時間はかかりそうだ。フレンズ達がひとっ跳びで障害物を乗り越えても、後から付いてくるヒトの戦力を待たなければならないわけだから。

 まったく愚かな行軍。とんだ足手まといだ。

 

 ・・・・・・と言いたいところだがそうもいかない。

 このような開けた場所では、奴らの銃火器が無ければパークの軍勢を相手にすることは出来ない。フレンズは基本的に接近戦しか出来ないのだから。

 クズリさんとスパイダーさんが居ないことが本当に悔やまれる。あの2人がいれば一瞬で敵の懐に飛び込んで壊滅させられたものを。

 

 カルナヴァルはグレン・ヴェスパーから”量産型”フレンズ部隊をいくらか借り受けたようだったが、すべてを自分の近辺に本隊として配置させていた。

 あきらかに僕ら旧式の人造フレンズたちを遠ざけている。

 自分でもわかっているのだろう。僕らから信頼も何もされておらず、まともな用兵が出来ないことを。だからこのような役目をあてがうしかなかったのだ。

 

「もういや」

「アタシたちは終わりだ」

 

 兵士たちに先んじて岩壁の上へと飛び上がると、周囲を偵察していた数人のフレンズたちが、互いに背中を預けながらグチをこぼし合っていた。

 パークと違ってこちらの士気は最悪だ。皆心が折れかかっている。

 無理もない。心の支えだったスパイダーさんがいなくなり、後ろから銃を突き付けられているも同然の状況で死地へと突っ込まされようとしているのだから。

 

「・・・・・・ああ、終わりだ。お前らは無駄死にするだけだよ」

 僕はフレンズたちに向かってニヤリと笑いながら悪しざまに暴言を吐いた。

 戦いを直前にしてメソメソと泣き言を言っている者たちに、かつての自分の姿を重ねてイラついたからだ。

「お前らなんか、スパイダーさんがいなければ何もできない弱虫どもなんだろうが!」

 

_______ガシィッ!

 後ろから近づいて来た大柄な影が「ふざけんな!」と怒鳴りながら僕の胸倉を掴みあげる。

 されるがまま顔をのけ反らせた僕は、目線だけをそいつに向けて冷たく見下ろした。

 

「メリノ! 皆の気持ちがわからねーのか! 誰もがおめーみたいに強いワケじゃねーんだ!」

「・・・・・・今はお前が隊長というわけか?」

「オレじゃスパイダーさんにとても及ばないのは分かってるさ・・・・・・けどよ、仲間を守りたいって気持ちは同じだ!」

 

 ディンゴ・・・・・・元は僕に似たような言葉を浴びせていたイジメっ子が、変われば変わるものだ。

 かつてはクズリさんに憧れていて、己の強さを誇示するように振る舞っていた癖に、いまやスパイダーさんを模倣するかのように、仲間に気を配り支えようとしている。

 まあもともと周囲とつるむのが上手い奴だったから、これが本当のコイツらしい在り方なのかもしれないが。

 

「チッ!」

 何秒間か睨み合った後に、ディンゴが僕を放すと、崖っぷちからロープで引き上げられている兵士たちへと視線を向けた。

 紺一色のシャヘル兵の中に交じって、明るい水色のベレー帽をかぶった兵士が現れる。奴がこの切り込み部隊の指揮官だ。

 耳に手を当てて何ごとかブツブツと話している。

 

 どうやら後方にいるカルナヴァルと通信しているようだ。

 パークに奇襲をかけるどころか、まだ敵影すら見つけられていない切り込み部隊の足の遅さにしびれを切らしているらしい。

 電波の向こうの相手にペコペコと頭を下げながら通信を終えると「何を休んでいる!」とフレンズ部隊の面々を怒鳴り、行軍を再開するように顎で促した。

 

「向こうはなんと言っているんです?」

 

 焦る指揮官の命令をわざと無視するように尋ねてみた。

 ガスマスク越しに明らかにイラついている様子がうかがえるが、奴らに僕を咎める権限はない。

 僕はカルナヴァルよりもさらに上の立場である、グレン・ヴェスパーの愛娘イヴの命令で作戦に参加しているのだから。

 

「一刻も早く敵陣を打ち崩せとのご命令だ!」

 

 指揮官が言うには、後方にいる本隊は、パーク側の砲撃によって足止めを受けてしまっているようだ。

 とても撤退を行おうとしている軍隊の仕業とは思えないぐらい密度の濃い砲撃だという。

 カルナヴァルの命令は、本隊を前進させるために、側面から攻撃を浴びせてパークを妨害しろ、という物だった。

 

 だが今の行軍のスピードじゃ今すぐ尾根を越えるのは無理だ。ヒト如きがこの岩山がそこらじゅうに屹立する険しい地形をまともに進めるものではない。

 

「・・・・・・なるほど、では」

 無茶な命令に頭を抱える憐れな指揮官に変わって、ひとつ作戦を考えてやろうかと思った。

 もちろんシャヘルの勝利などどうでもいい。僕自身の目的を果たすための作戦だ。

 

「フレンズだけで突撃させるというのはいかがでしょう?」

「な、何だと?」

 

 それは奴らにとっても悪くない策のはずだった。

 機動力に優れたフレンズだけを先に行かせれば、ごくわずかな時間でパークに迫ることが出来るだろう。

 ヒトの部隊は後から追い付いて戦列に加わればいい。この状況下でカルナヴァルの命令を遂行するにはもっとも確実だと言える。

 ・・・・・・しかし当たり前ながら、僕のことを信用していない指揮官が首を縦に振ることはなく、上司であるカルナヴァルに打診してお伺いを立てはじめた。

 

「オレたちだけで突撃だと!? メリノてめー、なに勝手なこと言いだしてやがる!」

 と、後ろからディンゴの非難の声が飛んでくる。

 振り返ってみると、他のフレンズ達も恨みがましい目で僕のことを睨んできている。

 

「やれやれ、自分で言った通り、お前はスパイダーさんには遠く及ばないな・・・・・・」

「何だとォ!?」

_______グンッ!

 憤慨しているディンゴにずかずかと近づくと、ついさっきの仕返しと言わんばかりに胸倉を掴み顔を引き寄せた。

 

(スパイダーさんの分まで、皆を生かしてみせろ)

(てめーなに考えてやがる?)

(わからないのか? これが最後のチャンスだということが・・・・・・)

 

 周囲に聞きとれない小声でそれだけ囁くとディンゴを突き放す。

 奴はしばらくは鳩が豆鉄砲を食ったように唖然としていたが、やがて瞳にするどい精気が宿っていくのが見えた。

 そして後ろに控える仲間たちへと振り返って叫ぶ。

 

「・・・・・・そこまで言われて引き下がってるほど、オレは落ちぶれちゃいねー! やるぞみんな! 突撃だ! パークに一泡吹かせてやろうぜ!」

 

 嫌われ者の僕と違って仲間に慕われているディンゴだ。彼女がそう言ったことで空気がいっぺんに変わりはじめる。

 フレンズたち一人一人が、なんとか最後の気概を奮い立たせて、いちかばちかの突撃を敢行してやろうという決意を持ち始めた。

 

 ほどなくして指揮官からの返答があった。

 カルナヴァルからの許可が下りたようだ。僕らは正式に、フレンズ部隊だけでの正面突撃を命じられた。

 

「お前らは逃げることも逆らうこともできない。オーダーを忘れるな」

 

 指揮官は最後に、僕らにそう念を押してきた。まんまと僕の口車に乗せられたような口惜しさを滲ませているようだ。

 

_______シュタタタンッ!

 ヒトという重荷から解放されたフレンズ部隊が、急峻な岩の斜面をみるみるうちに駆け上がっていく。

 程なくして尾根に到達すると、おのおのが岩に身を隠しながら向こう側の様子を見やった。

 

 あれほど急だった来た道とは異なり、目の前には程よくなだらかな勾配が広がっている。標高が高いために、辺りには霧が立ち込めてはいるが、見晴らしはかなりいい・・・・・・

 まだまだバトーイェ山脈の中腹といったところか。

 勾配を下りきった先にはまた無数の険しい岩山がそびえ立ってはいるが、少なくともしばらくは劣悪な足場から解放されるだろう。

 

_______ドォォォンッッ!

 

 そしてついにパークの戦力と遭遇するのだった。

 霧に包まれた台地を、爆音と閃光とが照らしている。高台に陣取った無数の戦車や榴弾砲が雨あられのごとく砲弾を撃ちまくっている。

 あの砲撃が遥か下方から進軍してくるカルナヴァルを足止めしているというわけだ。

 真下の敵を撃つことに夢中になるあまり、側面の離れた場所からコソコソと顔を出している僕らには気付く様子はない。

 

「よし、やってやろうぜみんな!」と、ディンゴが仲間たちに発破をかける。

 ここのところ丸くなっていた奴の、本来の武闘派気質が戻ってきているようだ。 

「オレたちにゃ銃は使えねえ! だから皆で野生解放して、全力であの中に突っ込むんだ! 強行突破だ!」

 

「・・・・・・バカ、そうじゃないのさ」

 ディンゴの出ばなをくじくように言葉を遮る。

 必死に仲間を鼓舞しようとしているところ悪いが、僕はそういうつもりで突撃を提案したわけではないんだ。

 真意を説明してやる必要があるようだ。

 

「そんな命がけの突撃をしてみせた所で、グレン・ヴェスパーやカルナヴァルを喜ばせるだけじゃないか。お前らはあんなクズニンゲンどもに命を捧げたいのか?」

「じ、じゃあ、おめーがさっき指揮官に言ってたことは・・・・・・」

「あれはウソだ。奴らを騙すために、まずお前らを騙す必要があったのさ」

 

 そう。僕はつい最近、オーダーの明らかな抜け穴に気付いた。

 パークという敵対勢力の存在が、オーダーにとっての致命的な盲点だ。

 奴らはフレンズの保護を目的としてCフォースに楯突いている連中なのだから、いかにCフォースの手先とはいえ、無抵抗なフレンズを殺すことはしないはずだ。

 オーダーが発動したところで、気絶したままパークの奴らに運んでもらえば済む話。

 

「・・・・・・うっ!」

 

 一人のフレンズが軽く呻くと、意識を失って倒れた。近くにいた仲間がそれを支える。彼女の中のオーダーが発動したようだ。きっと他の誰よりも強く脱走を意識したのだろう。

 ここに来るまで真意を明らかにしなかったのは、脱走を意識に上らせることで、彼女たち全員のオーダーが発動してしまうことを恐れたからだ。

 

 オーダーというのはいま、実際にどれ程の拘束力があるのだろう。

 僕たちがシャヘルに集う前・・・・・・かつて世界各地でセルリアンと戦っていた頃、オーダーはふたつの絶対的なルールを課していた。

 ・・・・・・「殺人禁止」と「脱走禁止」がそれだ。

 

 しかしパークとの戦闘が間近に控えた今、殺人禁止は取り払われたという話だった。

 ふたつのルールがひとつに減らされた分だけ、昔よりも拘束が弱まっているんじゃないか、と勘ぐってしまう。

 

 長時間にわたって脱走行動を行うことは無理でも、今目の前にいるパークに姿を見せて、命乞いをしてみせるぐらいの猶予はあるんじゃないか、と。

 あくまで希望的観測だ・・・・・・そもそも僕自身の体にはオーダーがもう無いわけだから、そう言い切れる材料は何もない。

 

 僕がこう思うに至った理由は、先日スパイダーさんが行った一連の行動だ。

 敵を逃がすというのは、オーダーの琴線に触れかねない、かなりギリギリのグレーゾーンだったのではないだろうか?

 僕らを置いて逃げる気はない、とスパイダーさんは言っていた。それが彼女の意志。しかし心の片隅には逃げたいという欲求だって芽生えていたはずなのだ。

 にも関わらず、彼女は最後まで意識を失わなかった・・・・・・。

 

「逃げる・・・・・・? 逃げてもいいのか・・・・・・生まれてこの方、Cフォースに頭下げるしか生きる道がなかったオレたちが?」

「だが油断しないことさ。ここは戦場だ・・・・・・降伏するのも命がけだと思え」

 

 安堵と不安の間で揺れるディンゴたちに釘を刺す。

 パークの連中はシャヘルを食い止めるために必死の抵抗を試みている。とうぜん気が立っている。目の前に現れる者をすべて敵だと思い銃口を向けてくるだろう。

 

 そんななか無防備に身を晒し、奴らを刺激しないように手を上げてゆっくりと歩き、降伏する意志があることを示すのだ。並み大抵のことじゃない。

 途中で何人かは撃たれるかもしれない。あるいは最悪、シャヘル側の罠か何かだと思われて、降伏が受け入れられず皆殺しになるかも・・・・・・

 

「ディンゴ。お前が皆をまとめろよ。皆を勇気づけて、銃口の前に身を晒すんだ。早くしないと、下にいる連中に追いつかれる」

「メリノ・・・・・・おめーはどうするんだよ?」

「最後までここで戦うさ。やらなきゃいけないことがある・・・・・・お前らとはこれまでだ」

 

 そう言うなり踵を返し、岩陰に身を伏せてゆっくりと進みはじめる。

 僕は最初から、戦う気がない情けないコイツらを戦場から切り離したかっただけだ。そのために一芝居をぶったまでのこと。

 後はパークの奴らに見つからないように、ここから出来るだけ離れるだけ。僕と一緒では、コイツらの降伏が受け入れられることはないだろうからな。

 

「待てよメリノ! オレも行くぜ! おめーにばっかカッコつけさせてたまるか!」

 

 背後から耳を疑う一言が聞こえてきたので思わず振り返る。ディンゴの声色も表情も、どうやら冗談の類を言っているわけではなさそうだった。

 

「もちろん行くのはオレだけだ。みんなにはここでパークに降伏してもらうさ」

「・・・・・・唯一の生きる道を潰す気か? それにお前がまとめなかったら、皆はどうなるんだ?」

「コイツらを舐めんじゃねえ! 自分のケツぐらいは自分で持てる奴らだ! ・・・・・・もちろんオレだってそうだ!」

 

 ディンゴと仲間たちが抱擁を交わす。「生きろよ」「死ぬなよ」など口々に別れの言葉をかけ合っている。

 わずかな間の別れを済ますと、脇目もふらずに僕の後へと迫って来た。

 

「このバカが・・・・・・後悔しても知らないぞ」

 舌打ち混じりに吐き捨てると、僕もそれ以上構うことはなく前を向いて、岩だらけの斜面に身を隠しながら進み始めた。

 

 ◇

 

「それじゃその薬を打てば、おめーが最強になれるってのか? そうしたらグレン・ヴェスパーが、隊長とウルヴァリンさんを返してくれるってのか?」

「・・・・・・どちらの話も、可能性は限りなく低いがな」

 

 ディンゴは僕が懐から取り出した”進化促進薬”入りの金属の筒を食い入るように見つめている。

 この即効性の劇薬を投与したが最後、破滅か進化かの二択が肉体に訪れる。

 最良の効果を得る為には「すさまじい強敵との戦い」に臨むことが必要だ。さすればフレンズの潜在能力は限界まで引き出され”進化態”に達するとの話だったが・・・・・・

 

 そのためにも僕は、アムールトラを見つけ出して戦いを挑まなければならない。

 ながらくクズリさんと互角であると評価され、ディザスター級セルリアンを1人で軽々と粉砕してのけるほどの規格外の存在・・・・・・僕を次のステージに引き上げる相手がいるとするなら、奴の他には考えられない。

 

「ハナっからそんな無謀なバクチを1人でやるつもりだったってのか?」

「他に道はないと思ったのさ」

 

 あれから僕らはパークの砲撃部隊の陣地から遠ざかり、いったん見晴らしのいい場所へと身を潜め、周囲を観察していた。

 肝心のアムールトラの居場所がわからないことには何も始まらない。

 だからまずはパーク側の動きを探るのだ。

 

 あの砲撃部隊は、カルナヴァルたちを近づけさせないことが役目なのだろう。避難民たちが無事に山脈を抜けるための時間を稼ぐためだ。

 逆に避難民たちの傍で護衛を行う兵士たちもいるはずだろう。

 いっぽうで、まったくの別働隊。すなわちジャミング装置を設置するために動いている兵士たちもいる。

 ・・・・・・アムールトラはいずれかのチームに属して、兵士たちと行動を共にしているはず。それはいったいどこなんだ。

 

「おめー前に言ってたよな。ヒツジに戻りたくねー、だからウルヴァリンさんに認められてーってさ・・・・・・オレにゃやっぱり理解出来ねー。どうしてそんなにヒツジなのが嫌なんだ?」

「べつに理解してくれなくてもいいさ。それが僕にとっては命より重い理由ってだけさ。逆にディンゴ、お前にはそういう理由はあるのか? どうして僕に付いて来た?」

「お、オレは・・・・・・」

 

 ディンゴが虚空に視線を泳がせながら言葉を探しているようだった。

 思えばコイツとこうして2人きりで会話をする機会なんてほとんどなかった。元はいじめっ子といじめられっ子の間柄でしかなかった。

 後に僕は力づくでディンゴを一方的に視界から追い出した。絆なんて物はない。

 ・・・・・・それでも、同じところにいた時間だけは長かった。コイツは、今の僕を見て何を思うのだろうか。

 

「オレだってよ、腕力自慢でやってきた中の1人なんだ。おめーに追い抜かされっぱなしじゃ我慢ならねーんだ」

 

 取り繕うようにディンゴがやっと言う。

 何か言いにくい本音を隠しているように見えるが、これ以上追及するのはやめておこう。

 だいたい、昔馴染みのディンゴが何を考えているかは想像がつく。コイツはプライドが高く、周りに恰好いい姿を見せたいと常に思っている奴だ。

 結局のところ、敵に降伏することなどプライドが許さなかったのだろう。

 逃げる恥を晒すよりも、勇敢な姿を見せて仲間たちに恰好を付けてみせたかったのだ。理性よりも欲求を優先した結果に過ぎない。

 残念ながらディンゴは、僕と同レベルの愚か者だった。ただそれだけだ。

 

 もちろん良い所もある。基本的に他の奴には気さくで面倒見がよかった。いつも仲間に囲まれて歩いているような奴だった。

 ただ、僕とだけはこういう関係しか築けなかった。ディンゴだけが悪いわけじゃない。本の世界に逃げて、周りに壁を作っていた僕も悪い。

 もし、僕がこういう性分でなければ、ディンゴの接し方だってきっと変わったことだろう・・・・・・今となっては、過ぎたことだけど。

 

「仲間と共に生き延びる道を選べばよかったのに・・・・・・これで僕と同じだよ。生きるも死ぬも自分一人になった」

「う、うるせー・・・・・・オレは後悔なんかしねーぞ」

 

 それきり沈黙が訪れる。相変わらず両陣営からけたたましい砲撃が鳴り響いている以外に、周囲に変わった様子は見受けられない。

 ・・・・・・いっそのことこのまま待つのも一つの手か、と思った。

 シャヘルが進軍して本格的な衝突が始まれば、いずれアムールトラが向こうから姿を現すかもしれない。

 

「あ、あれを見ろ!」

 

 これからの動きを考えあぐねていた僕に向かって、ディンゴが眼下のとある一点を見つめて耳打ちしてきた。

 パークの砲撃陣地とはまったく違う方向に見えるのは、険しい山の中腹だ。一見すると何の変哲もないように思えるが、たったひとつだけ風穴がぽっかりと口を開けていた。

 幅にしておよそ1~2mほどといったところか。生き物が入ろうと思えば入れるだろうが、狭苦しい思いをするのには間違いない。

 意識しないと見落としてしまいそうな、なんとも言えない大きさだ。

 

 ・・・・・・そして見た。パークとおぼしき歩兵の姿だ。

 十人にも満たない少人数が列をなして、険しい足場を慎重に少しずつ進むと、やがて1人、また1人と風穴の中に入っていった。

 砲撃隊から離れた場所での別行動。明らかに不審なその動きの意味するところとは・・・・・・

 

「まさか、例のジャミング装置を掘っ建てようとしてる連中なんじゃねーか?」

「可能性はあるな」

「行ってみよーぜ」

 

 確かにそうであるとしか考えられないのだが、断定できる証拠はない。

 そもそもジャミング装置とは空に向かって電波を発する物だ。障害物のない屋外に設置するのが道理だ。

 あのいっけん暗闇そのものの風穴に潜っていく行動とは辻褄が合っていない。

 そのギャップを埋め合わせるための理由づけは・・・・・・考えてもわかるはずもない。

 

「良いだろう。ここでこうしていても仕方がない」

 

 パークの奴らはこのバトーイェ山脈の地形を熟知しているだろうが、僕にはわからないことが多すぎる。

 何はともあれ情報を得ることが今の最優先事項だろう。

 そして願わくば、未だに姿を見ることのないアムールトラがあの風穴の中に潜んでいてほしい。

 

 2人して勢いよく岩陰から飛び出す。

 他に兵士たちの視線がないか十分に気を配りつつ、岩から岩へと飛び移り、眼下にある風穴を目指した。

 敵に見つかってはならないが、かといって移動に時間をかけすぎると手がかりを見失ってしまうだろう。

 気を揉みながら移動していると、なんとかトラブルなく目的地へと辿り着いた。

 

 風穴に首を突っ込むと、ひんやりと冷たい風が頬に吹き付けてくるのを感じた。

 この穴がどこか屋外へと通じている動かぬ証拠だ。

 であるならば、ここを進んだ先にジャミング装置を見つけられる可能性だって十分にある・・・・・・

 

 意を決した僕らは、息をひそめ身をかがめて穴の中へと身を投じる。

 意外なことに、目の前に広がっているのは暗闇ではなかった。瞳の中には相も変わらずに光が入ってきている。

 見るかぎり、やはりここは洞窟の類ではなさそうだ・・・・・・言うなれば、裂け目。

 絶壁と絶壁の隙間に生じた細い道のようだ。上を見上げると、はるか頭上からか細い光が降り注いできているのが見える。

 

 元は隣接していた二つの山稜が、長い年月をかけて同化し、ほとんどひとつになってしまった。

 この地形はその残滓といった所か。

 同化は今もなお進んでいる。入り口付近から埋め立てられていき、二つの山の境目は、傍目からは穴ぐらにしか見えなくなってしまったのだ。

 大自然の中に偶然に生じた、奇妙奇天烈な地形というわけだ。

 

 視界が確保されているのはいいのだが、しばらく進むと分かれ道が出現しており、兵士たちがどちらに進んだのかわからなくなってしまった。

 思ったより複雑に入り組んでいて、文字通り一筋縄ではいかないようだ。

 

「こっちだぜ。風に乗ってすこし火薬の臭いがする」

 

 ディンゴが立ち往生している僕の前に立つと、確信を持った声色で方角を指し示した。

 なるほど。自慢の嗅覚というわけか。

 本物のイヌ科動物だけが備えている特質だ。残念ながら、オオカミを”自称”しているだけの僕にはどうあがいても獲得できない。

 

「オレがいて良かっただろ?」

「ふん・・・・・・そうだな」

  

 確かな手がかりを得た僕らは、迷うことなく絶壁の隙間を進んでいった。 

 すると崖の高さはそのままに、道の間隔が段々と広まってくる。

 岩壁に挟まれているような圧迫感が薄らいでいくのと同時に、頼りなかった空からの光が少しずつ強くなり、視界が良好になっていった。

 

(いたぜ!)

 

 ほどなくして、先ほど見かけたと思しきパーク兵たちの後ろ姿を見た。

 裂け目の道のずっと向こうに、豆粒ほどの兵士たちが列を成して進んでいる。

 一分の隙も感じられない、強い目的意識が感じられる行軍だ。

 

 まだ気づかれてはいないが、油断は禁物だろう。視界が良いということは、こちらも見つかりやすくなっているということ。

 近づきすぎてはいけない。距離を保ちつつ、物陰に潜みながら追跡するのが得策だろう。

 ・・・・・・行動を起こした甲斐があった。これでようやくアムールトラの居場所の手がかりを得られそうだ。

 

《貴様ら、何しにきた?》

 

 高揚感に胸を弾ませ、遠くを歩く兵士を食い入るように見つめながら進んでいると、見知らぬ声が耳朶を打った。

 まるで谷間を通り抜ける風鳴りのように静かな、それでいて不気味な存在感を感じさせる声色だった。

 

「おいメリノ、何か言ったか?」

「僕じゃない・・・・・・まずい。どうやら敵に見つかった」

「な、なんだとォ? 向こうの奴らに特に動きはねーぞ」

 

 ビリッとした殺気が腹の奥を震わせている。理屈では説明できないような、とてつもなく危険な気配が感じられる。

 ・・・・・・どこから発せられた声なのか、まったくもって見当がつかない。だが声の主は確実に僕らの命を狙っているようだ。

 

_______スタァンッ!!

 

 絶壁の隙間に存在するこの道に、遥か真上にある空から何者かが降り立った。

 殺気の正体を見極めようと必死に動かした視線が、まったく追いつけないほどの速さだ。

 いつの間にか僕らの真正面に、絶対的な存在感を放ちながら立ちはだかっていた。

 

「・・・・・・誰だ!?」

 

 空の上から突如現れた敵。

 言うまでもなくパーク側のフレンズだ・・・・・・だがアムールトラではない。

 ほっそりとした、それでいて研ぎ澄まされた筋肉を備えた無駄のない体つき。

 長く直線的な亜麻色の髪がなびく頭部には、二本の鋭角がV字に逆立っている・・・・・・その形状は、螺旋状にねじれ下向きに伸びている僕のそれとはずいぶんと違う。 

 しかし、兎にも角にもその二本角が、そのフレンズが僕に近い種族であることを示している。

 

 ずっと向こうを移動していたパークの兵士たちが、喧騒の気配を聞きつけて振り返り、僕らに向けて銃を構えてきた。

 しかし二本角を生やした亜麻色のフレンズは「ここは私にまかせなさい!」と背後を振り返って叫び、兵士たちに先を急ぐように促した。

 それを聞くなり兵士たちは頷き、急いで駆け出してその場を後にしていった。

 

「私の名はスプリングボック・・・・・・」

 

 開口一番に名乗りを上げたソイツは、やはり僕がいつもそうするのと同じように、虚空から二又の槍を取り出してきた。

 奴の角そのものを象ったような、柄の端から穂先まで黒一色の二又槍だ。冷たさすらも感じられるほどに真っ直ぐで鋭利な形状をしており、見るからに威力が高そうだ。

 

 僕も含めたほぼすべての角獣のフレンズは、それぞれ自身の角に似せた槍を武器に用いている。一本角のサイなんかは、西洋でいう所のランスに似た直槍を携えている。

 フレンズの体を構成する「けものプラズム」という物質によって具現化した自分だけの得物だ。

 なぜ角獣だけが槍を備えるのか・・・・・・当事者である僕には何となくわかる。

 爪も牙も持たない僕らにとって、角は体の一部である以上に特別な意味合いを持った部位だ。誇りや自信といった、すべての尊厳が凝縮されていると言っていい。

 だからこそ、その意志がけものプラズムに作用して「角に似せた槍」を形づくるのだ。

 

「Cフォースの賊どもよ。ここを貴様らの墓場にしてあげましょう」

 穂先を僕とディンゴに向けて悠然と構える、嫌味なぐらい正々堂々とした有り様は、まるで中世の騎士か何かのように重厚で自信に満ちていた。

 

 このスプリングボックとやら・・・・・・どうやら、前の作戦で遭遇したパンサーとは違うようだ。

 彼女はフレンズと戦うことにひどく躊躇していた。

 いっぽうで、コイツには一片の迷いも無い。確実に僕らを始末しようという冷徹な気迫をみなぎらせている。

 同じパーク所属とはいえ、色んな考えのフレンズがいるものだ。

 

「あ? たった1人でいきがってんじゃねーよ! オレら2人を相手によぉ!」

 

 ディンゴが威圧を跳ね返すように答える。

 長身を折りたたんで上半身を丸めると、八の字を描くように激しく体を揺らしながらスプリングボックに敢然と間合いを詰めていく。

 近接距離でのボクシングがディンゴの戦闘スタイルだ。その水準は、数多のセルリアンを相手に一歩も引かずに戦えるまでに仕上がっている。

 

_______ボッ!

 振り子状にしならせた上半身から繰り出すフック。

 ディンゴの得意技が渾身のスピードで炸裂するかと思った瞬間、スプリングボックの体は霞のように消え失せてしまった。

 

「出て来いよクソが! 逃げてんじゃねー!」

 

 空を切った拳を持て余すように叫ぶディンゴは、すかさず両拳を眼前に並べてファイティングポーズを取りなおした。

 僕は一歩引いた場所から消えたスプリングボックの気配を探ってみる。

 この狭い場所じゃ下手に槍を構えるわけにもいかない。僕はディンゴのように五体だけでコンパクトに動く戦闘スタイルじゃないんだ。

 

_______ヒュンッ

 甲高い風切り音。引き絞った弓を放つようなそれが耳朶を打った瞬間、まるで心臓を射抜かれたかのような嫌な予感が胸をよぎった。

 本能でわかる・・・・・・スプリングボックは僕を狙っている。

 油断なく身構えているディンゴよりも、立ち尽くしている僕の方が容易く仕留められる獲物だろうと思ったのだろうか。

 

「うおおおっ!!」

 

 なりふり構わず槍を虚空から取り出すと、破れかぶれの抵抗を試みた。

 左右を絶壁に挟まれた地形に穂先が引っかからないように、縦回転の軌道で薙ぎ払おうと振りかぶった。

_______ガギンッッ! ドシャアアッ!

 しかし地面から振り上げた穂先が90度回転して真上に達した瞬間、手にした槍が鮮烈な金属音を発した。

 柄ごしに伝わってくる凄まじい衝撃が、僕の体を弾き飛ばし岩壁へと叩きつけた。

 

 怯みながらも体を起こし、つい数瞬前まで自分がいた場所を見やると、そこには消えたはずのスプリングボックがいた。

 その手には、地面に深々と突き刺さった二又槍が握られている。

「運の良い奴ですね」と、僕のことを一瞥すると、余裕な態度を崩さないまま膝を付き、ゆっくりと槍を引き抜いて立ち上がった。

 

 その様子を見れば、何が起きたのかを察するのは容易だった。

 スプリングボックはいつの間にか上空へと跳び上がっていて、僕の頭上目掛けて飛び降りざまに槍を突き出してきたのだ。 

 そして偶然にも僕の槍とぶつかり、勢いが劣っていた僕だけが弾き飛ばされたのだ。

 本当に運が良かった・・・・・・一歩間違えれば、僕の脳天が串刺しにされていた。

 

「しかし次は外しません」

 

 奴はそう言うと、今度は堂々と見せつけるように、棒立ちの姿勢から浮き上がるかのようなジャンプでゆうに数十メートルは跳び上がって見せた。いったいどれだけの脚力があればあんな挙動が出来るのか・・・・・・

 そういえば本で読んだことがある。ヒツジに極めて近しい動物であるヤギは、険しい岩山をまるで庭場のように駆け上がる脚力があると。

 スプリングボックにも同じような芸当が出来たとしても不思議ではないのだ。

 

 奴はそれきりまた地面から姿を消した。

 ずっと上の方にまで、左右を挟むようにしてそびえ立つ絶壁の間を、自慢の脚力で三角跳びを繰り返しながら昇っている。

 動きを目で追うのがやっとな程の物凄いスピードだ。

 

 ようやく今の状況が理解できた。

 この地形においてはスプリングボックがあまりにも有利だ。安全地帯から一方的に好きなだけ攻撃を仕掛けることが出来る。

 かたや僕らはただの動く的というわけだ。

 

「ディンゴ! いそいで壁に張り付け! そして僕の傍に来い!」

「わ、わかったぜ!」

 

 構えを取りながら真上を見上げているディンゴに呼びかける。

 壁を背にすれば、道の真ん中にいる時と比べて、スプリングボックが攻撃を仕掛けられる射角は半減するはずだ・・・・・・だからといって、僕らの不利が覆るようなことはないワケだが、このまま黙って的にされているわけにはいかない。

 

 そう思った僕は岩壁に張り付いたまま”得物変化能力(ディ・フェアヴァントル)”によって槍を別の形に変えた。

 スプリングボックの攻撃を防ぐ盾だ。ディンゴのやつも身を隠せるようになるべく広範囲に展開させた。

 僕とディンゴを傘のように覆い隠すそれを、岩壁に立てかけるように斜めに倒す。盾と言うよりも、バリケードと言った方が正解だろう。

 どこまで耐えられるかはわからないが、これが今できる最善の防御だ。

 間もなく奴が上から攻撃してくる。それを斜めに倒した盾で受けることで、衝撃のほとんどを受け流せるはずなんだ。

 

「随分と器用ですね、それが貴様の能力ですか・・・・・・だが、どこまで持つか!」

 

 三角跳びを繰り返して絶壁の頂点まで駆け上がったスプリングボックは、僕が出現させたバリケードを見ても顔色一つ変えず、携えた槍の穂先を下に向け、上空から急降下してきた。

 

_______ズガンッッ!! ズドンッ!

 衝撃のほとんどを斜めに逸らしているにもかかわらず、一発受けるたびに強烈な振動がバリケードに伝わってくる。

 スプリングボックは、バリケードに攻撃を防がれても、地面に留まって追い打ちすることはなく、またすぐに上空へと跳び上がっていた。

 執拗に、愚直なまでに、何度も同じ攻撃を繰り返してくる。必死に防ぐ僕のバリケードには、少しずつ亀裂が入り始めていた。

 ・・・・・・どうやら奴は僕らを仕留めるのを焦ってはいない。このまま攻め続ければ自分の勝ちが揺るがないことがわかっているのだ。

 

「チッ! こりゃヤバいぜ! オレにも”すげー力”があればいいのにな!」

 ディンゴがバリケードの下に身を隠しながら嘆く。

 手も足も出せない状況にいら立ち、冷静さを保つのがやっとという様子だった。

 

「ディンゴ、そんなこと考えるだけ無駄だ。それより、今持っている手札で何が出来るか考えろ」

「ああ。さっきから考えてるぜ。いったん退いた方がいいってな」

「なんだと・・・・・・?」

 

 ディンゴは逃げ道がないかどうかを、持ち前の嗅覚によって観察していたようだ。そして見つけ出した。

 日中ほとんど陽がささない湿っぽい空気が滞留する空間の中に、乾いた空気の匂いが吹き込んでいることを。その正確な方角をだ。

 

 開けた場所に出られさえすれば、少なくともスプリングボックに一方的にやられることはなくなる。奴の厄介きわまりない「連続急降下攻撃」は、この絶壁に挟まれた地形があればこそ成り立つものだからだ。

 しかし、この状況だ・・・・・・逃げるにしても簡単にはいかないはずだ。すぐにここを抜けられなければ、スプリングボックに追いつかれて上から串刺しにされてしまうだろう。

 

「その抜け穴は近くにあるのか? 行くのにどれぐらいかかる?」

「遠くじゃねー・・・・・・だが、すぐに行けるってわけでもねー。駆け足で一分ぐらいはかかるんじゃねーか」

 

 一分か・・・・・・たしかに微妙な時間だ。過ぎてしまえばあっという間だが、攻防を何度か繰り返すことが出来る程の猶予はある時間だ。

 僕らが無事に逃げ切れるか、スプリングボックに追いつかれ倒されるか、それは運否天賦だとしか言えないだろう。

(・・・・・・まあ、上等じゃないか)

 どちらにせよ、このままジリ貧状態でやられるよりはマシだろう・・・・・・そもそも僕が挑もうとしているこの戦い自体が、分の悪い賭けなんだ。こんなものは僕の平常運転でしかない。

 

「ディンゴ、さっそく命を懸けてもらうぞ」

「最初からそのつもりだぜ!」

「よし、僕が合図したら・・・・・・」

 

 スプリングボックがまたも上空で槍を構え、穂先を向けて急降下してくる。バリケードはボロボロだ。あと一撃すら耐えられる保証はない。

 だがもう耐える必要はない。最後に別の役目を果たしてもらうとしよう。

 

「いち、にの・・・・・・さん!」

_______ズガァァァンッ!!

 合図とともにバリケードをかき消し、僕とディンゴは左右に飛び退いた。

 スプリングボックはまんまと僕らのフェイントにはまり、何も無くなった地面に勢いよく穂先を突き刺していた。

 周囲が陥没し地割れが走るほどの威力だ。あれをまともに食らったらタダじゃ済まないのは明白だろう。

 

「こっちだ!」

 

 横っ飛びして地面を転がった体を立て直し、ディンゴが呼ぶ方向へと駆け出す。奴はすでに僕の前を走っている。

「小癪な奴らめ・・・・・・!」

 スプリングボックは憎々し気に吐き捨てながら、地面に突き刺さった槍を思いきり引き抜いた。

 わずかな猶予でも作れたのは幸いと言うべきだろう。

 こうなるという確信はあった。

 角獣はすべからく、己の尊厳のシンボルである槍を、戦いの最中にしまったりはしない。

 出したりしまったりするのを戦術に組み込んで多用する角獣は、恐らくはこの僕だけだ。

 

「グレン・ヴェスパーの手先ども! 貴様らは逃がさない! 必ず地獄に突き落とすっ!!」

 

 殺気がピリッと肌を打つ。背を向けて走っていても明確に感じられるほど鋭く強い。

 それまでは冷静な態度を崩さなかったスプリングボックの語気が荒くなっている。どうやら多少の時間稼ぎと引き換えに、奴の怒りに火をつけたようだ。

 

_______ドガンッ! ドガンッ! ドガンッ!

 

 怒り心頭に発するスプリングボックの追撃が始まった。

 必死に逃げる僕らを追いかけながら急降下攻撃を繰り返している。まるで絨毯爆撃のように、僕らが走り去った地面を次々と粉砕していっている。

 少しでも走るスピードを緩めようものなら、即刻やつの餌食になるだろう。

 

「あったぜ! ここだ!」

 

 そう言うなりディンゴが先行して、向かって右にある隙間に体を潜らせた。

 続いて僕だ・・・・・・かなり細い横穴だ。体を横にしてカニ歩きしないと進めそうにない。だがここに入ればとりあえず危機を脱することが出来る。

 こんな場所に逃げ込んだ相手を攻撃することは、いくらスプリングボックでも不可能だろう。

 

「い、急げメリノ! 早く入って来い!」

「無駄です! 死になさいっ!」

 

 矢継ぎ早に急降下攻撃を繰り返していたスプリングボックが、岩壁を利用して体の向きを変えた。攻撃の軌道修正というわけだ。

 はるか頭上から燃えるような瞳で僕のことを見下ろすと、二又槍を胸の前で構えながら突っ込んできた。

 まずい、まだ体が完全に穴に入り切ってない・・・・・・

 

_______ガシャアアンッッ!

 

 攻撃が空ぶった・・・・・・どうやらすんでの所で助かったようだ。先に横穴に入り込んでいたディンゴが僕の片腕を引っ張って引き込んでくれていたのだ。

 スプリングボックの攻撃によって横穴の入り口付近の岩壁が破壊され、道を完全に封鎖してしまっていた。

 幸いなことに、先に進む道は続いている。

 

「メリノ、危ないとこだったぜ」

「・・・・・・ああ、礼を言うよディンゴ」

 

 スプリングボックをひとまずは振り切った。

 どうやら奴はかなり猪突猛進な性格をしている。後先考えず敵に突っ込むことしか考えていないように見える。その思慮の浅さが僕らにとってプラスに働いた。

 封鎖された道を力ずくで破壊するにしても、回り道をするにしても、僕らを追跡するのにひと手間以上かけなくてはいけなくなった。

 僕らはその間に出来るだけ逃げて、奴を迎え撃つのに適している開けた地形を探せばいい。

 

「礼は言うが、次は助けなくていい。あのスプリングボックは恐ろしい敵だ。危なくなったら僕を置いて逃げろ」

 

 狭苦しい岩壁の隙間を、横歩きで進みながらディンゴに話しかける。

 紛うことなき本音だ。このさき平穏に会話が出来るチャンスなど期待できそうもないから、いま言ってしまうしかないと思った。

 僕の先を行く彼女は振り返ることなく「何バカ言ってやがる」と返事をした。

 

「今の状況だって、2人だから何とかなったんじゃねーか!」

「・・・・・・それはそうだが、お前はやはり、自分が助かることを一番に考えるべきだと思う。僕のように、命より優先するに足る理由がないんだから」

「いちいち難しいこと言ってんじゃねー! オレにだって出来ることがある! それでいいじゃねーか!」

 

 憤慨するディンゴの声色は、何故だか妙に機嫌が良さそうだった。それに暑苦しい。

 これが本当のコイツの性格なのだろうか・・・・・・長く一緒にいたのにわからない。思えば今まで、これほどまでに互いに背中を預け合ったこともなかった。

 

「メリノ、おめーが命がけのバクチをやるって言うんなら、それを最後まで見届けてみてーんだ。それがオレの理由だ!」

「・・・・・・やれやれわかった。もう好きにしろ」

 

 横穴を抜けると、またも肝を冷やすような光景が広がっていた。

 切り立った断崖。その中腹に張り出した段の上に僕らはいた。ぎりぎりヒトひとりが通れるほどの頼りない一筋の道が続いている。

 

 足を踏み外せば何者をも落下死は免れないだろう。自然に出来た物なのか、現地のヒトが作った物なのか不明だが、今まで以上に劣悪な地形であることだけは確かだ。

 ・・・・・・だが、その分良い点もある。

 仮に後ろからスプリングボックに追いつかれても、ここには壁が片側にしかないのだから、自慢の脚力で三角跳びをすることは出来ない。

 

「さあ行こーぜ!」

 

 先ほどから暑苦しいディンゴが果敢に一歩を踏み出す。よくわからないが、士気が高いなら結構なことだ。

 僕らに今できるのは、可能な限り距離を稼いでスプリングボックを引き離すこと。一刻も早く前に進む以外にはあるまい。

 ・・・・・・そして地の利を得て奴を倒す。僕の本命はアムールトラだ。あんな奴にてこずっているわけにはいかない。

 

《逃がさない、と言ったはずです》

 

 岩壁に吹き付ける風のようなその声を聞いて、再び背筋に戦慄が走る。

 間違いなくスプリングボックの声だ。

 もう追いつかれたのか、と思い後ろを振り返る・・・・・・だが奴の姿は見えない。だいいち、追ってきている気配は一切感じなかったのだ。

 かと言って前方にもいない。だから回り道をして先回りをしてきたわけでもないようだ。

 ならばどこから話しかけてきている? ここは崖の淵に突き出た一本道。隠れ潜む場所なんてどこにも存在しないはずなのに。

 

《・・・・・・ここですよ。わからないのですか?》

 

 最初に違和感を覚えたのは、温度だった。

 このバトーイェ山脈は標高が高く、それゆえに気温が低い。常に凍てつくような風が吹きすさんでいる。

 だが今この瞬間、頭や肩のあたりが妙に暖かいのだ。まるでストーブの前にいるような、謎の熱波がどこからか放射されている。

 

 上から漂ってくる熱の正体を探ろうと辺りを見回すと、上空からゆっくりと異形の存在が降りて来る様が見えた。

 

「ありえねー・・・・・・あんなの、化け物じゃねーか!」

 と、ディンゴが感想を漏らす。僕もまったく同感だった。

 

 炎だ。赤々と燃える炎を全身に纏った人型の存在が空中に浮いている。

 炎に包まれた体はシルエットしか判別できないが、頭部に生えたVの字の二本角から、それがスプリングボックであることを認めざるを得なかった。

 

 空を飛ぶ角獣なんて現実には存在しない。東洋における麒麟のような、空想上の生物しかいないはずだ。

 ・・・・・・だが、そうか。これがスプリングボックの能力というわけか。

 現実にはあり得ない力を発揮するという”野生解放の先にある力”の定義を、これほどまでにシンプルに体言した能力が他にあるだろうか。

 奴は地の利を失ってなどいなかった・・・・・・それどころか、今この状況こそが奴にとって最も有利なのだ。

 

「・・・・・・どうですか? この燃え盛る炎こそは、我が正義の証なのです! 愛する故郷を、貴様らCフォースの鬼畜どもの手から守りぬいてみせる!」

 

「だまれ! つまらない能書きをべらべらと!」

_______ビュウンッッ

 虚空から二又槍を取り出し、スプリングボックめがけて投げつけた。

 ここに至るまで奴に攻められっぱなしの僕らだ。思わずイラついて手が出た。

 

「いつまでもいい気になるなよ!」

 

 体が燃えているから何だと言うのだ。炎ごと刺し貫いて谷底に落してやる。

 槍を一本や二本そこら避けられたり払われたりしたところで何も問題ない。いつでも手許に戻せるし、なんなら僕の精神力が付きない限り、何本だって取り出すことが出来る。

 

 だが、奴は避けたりはしなかった。

 見事な動体視力で投げ槍の軌道を見切り、身動きひとつ取らず受け止めてみせたのだ。

 投げ返してくるのか、と思った瞬間、奴は思いがけない行動に出た。

 

「いい気になってなどいません!」

_______ゴオオオオッッ!!

 スプリングボックの全身を包む炎が、いっそう激しく燃え盛り膨張する。その様はまるで奴の怒りが具現化されているかのようだ。

 

「・・・・・・ただただ、貴様らが憎いだけです! 先の戦闘で、我が親友までもが貴様らの犠牲になった! 絶対に許さない!」

 

 程なくして、奴の手に握られた僕の槍がグニャリと融解し、赤熱化したまま崩れ落ち、谷底に消えていった。

 想像を絶する程の高熱に戦慄する・・・・・・多分これは奴からのメッセージだ。今から僕らをあの槍のように溶かして殺してやる、という予告に他ならない。

 

_______ブオォォンッッ!!

「これで終わりです!」

 巨大な火球と化したスプリングボックが、上空から真っ直ぐに突っ込んでくる。猪突猛進という言葉がこれほど恐ろしい形で表現されている様はないだろう。

 僕とディンゴは大急ぎでその場から駆け出す。冗談ではない。あんな物にあたったら、熱いと感じる間もなく絶命してしまう。

 

「やべーよ! 避けろ!」

_______ドッシャアアアッッ!!

 命中すると思った瞬間、僕とディンゴは前方にヘッドスライディングで飛び込んだ。

 どうやらまだ体に火は燃え移っていない。間一髪で躱したようだ。

 

 スプリングボックの攻撃に弱点があるとすれば、全力での突撃しか行わないために、直前での軌道修正が利かないことだ。

 つまり、狙いが基本的に甘い。まあそれを威力で補おうとしているんだろうが。

 

「メリノ! 大丈夫かよメリノ!」

「いや・・・・・・あまり大丈夫ではないな」

 

 空振りしたとはいえ、奴の攻撃は甚大な破壊をもたらした。

 空を飛べない僕らにとっては唯一の命綱に等しいこの足場を、広範囲にわたって破壊してしまったのだ。

 僕の前を走っていたディンゴは何とか逃れることが出来たようだ。奴の攻撃が及ばなかった場所に飛び移ることが出来ていた。

 ・・・・・・だが僕は間に合わなかった。何とか岩壁に槍を突き立ててこの場に留まっているだけだ。瞬時に判断できなければ谷底に落ちていた。

 

 ロープか何かを具現化させて、ディンゴの奴に引っ張り上げてもらおうか・・・・・・そんなことを一瞬だけ思案したが、勿論そんな甘くはなかった。

 

「つくづく往生際の悪い奴らですね!」

 体当たりが空振りして、岩壁に全身を深くめり込ませていたスプリングボックが、そこから抜け出して、燃える全身を再びゆらりと滞空させた。

 どうやら、当たらないなら当たるまで繰り返す、というのが奴の信条のようだ。

 

 そしていくら奴の狙いが甘いとはいえ、足場を無くして身動きの取れない今の僕には確実に攻撃を当てられてしまうだろう。

 ・・・・・・どうする? 絶体絶命の窮地だ。アムールトラの顔を拝む前にこんなことになるなんて、我ながら自分の不甲斐なさに無性に腹が立ってきた。

 

「め、メリノォォ! 早く上がって来いよ!」

「・・・・・・ディンゴ、僕に構うな。逃げろ。お前に出来ることはもう何もない!」

 

 生きるも死ぬも自分の責任。クズリさんに教えられた信条だ。

 僕が至らないから死ぬのは仕方がない。すべて承知の上で戦いに臨んでいる。

 だが、ディンゴが僕に巻き込まれるような形で死んでいくのを見るのはどうも忍びない。

 意固地なまでに意地を張って、無理やりに僕に付いてきた真意っていうのもよくわからないし。

 やっぱりディンゴは、仲間と一緒に降伏して生き残る道が一番良かったんだと思う・・・・・・

 

「オレは、オレは」

 

 ディンゴは僕の言葉を理解したようだ。逃げる以外に選択肢が無くなったことをすでに悟っている。

 だがしかし、僕を見捨てて逃げることに躊躇しているようだ。

 ・・・・・・遠慮することなんて何もないのに。付き合いが長いだけで、別に友達というわけでもなかっただろう?

 

「仲良く地獄に送ってあげますよ! 貴様は後です!」

 空中で佇むスプリングボックが苛立ち凄む。僕らのことをいっこくも早くこの世から消したいという意志が伝わってくる。

 

「先に死ぬのは・・・・・・赤い奴! 貴様だ!」

 

 スプリングボックが、僕の体色を見てそんな風に呼称してくる。

 身動きの取れない僕を、優先的に仕留めるターゲットとして認識したようだ。

 クズリさんとアムールトラ以外にも、これほどまでに強いフレンズがいたとは・・・・・・。

 いや、あの2人と比べたらさすがに劣るのだろうが、コイツもじゅうぶんに”凄まじい強敵”の範疇に入るだろう。

 おもむろに懐に忍ばせた”切り札”に手を触れてみる。さあどうする? 進化促進薬を、いま打ってみるか・・・・・・? 

 

_______ゴオオオオッッ!!

 スプリングボックがまたも全身に滾らせた赤熱を膨張させた。それが攻撃の合図のような物だ。

 今度こそ仕留めてやる、という意気込みを感じさせながら、ジェット噴射のごとき様相で、壁に宙吊り状態の僕へと突撃してきた。

 もう逃げられない。今にも業火に全身が焼かれてしまう・・・・・・

 

「うおおおおっ!!」

 

 死を覚悟した刹那、ディンゴの叫び声が聴こえた。まだ逃げていなかったというのか。

 しかし、今しがたまで彼女がいたはずの断崖にはその姿が見えなかった。

 いったいどこで何を・・・・・・?

 

_______ガシィッ!

 

「き、貴様ァッ! 気がふれましたかっ!?」

「うるせーッッ!! 先にオレの相手をしろや!」

 

 僕に向かってきていたはずのスプリングボックが、空中で炎を振り乱しながらごたついている。

 そして信じられない物を見た。

 ディンゴがスプリングボックの体に必死にしがみついていたのだ。足場からジャンプして、空中にいる奴に飛びついたというのか。

 

「な、何をしてるんだ!? ディンゴ!」

 

 炎の化身と化したスプリングボックに触れたことで、ディンゴの全身もあっという間に業火に包まれてしまっていた。

 そしてスプリングボックの体が少しずつ下に落ち始めている。自分一人で滞空することは出来ても、フレンズ一人乗せて高度を維持することは出来ないようだ。

 しかし・・・・・・

 

_______ドシュウッ!

「・・・・・・がふっ!!」

「そんなに死に急ぐなら、望みを叶えてあげますよ!」

 

 スプリングボックの二又槍が、ディンゴの腹部を刺し貫いていた。先ほどまで力強くしがみ付いていたディンゴの手足がだらりと力なく垂れ下がる。

 勝敗は決した。全身が焼けただれ、息も絶え絶えだったディンゴは、何故か僕の方を向いて口を開いた。

 

「メリノ、オレは、おめーの・・・・・・」

 

 その言葉の先を聞くことは出来なかった。

 スプリングボックが、自身の滞空の妨げを早急に排除するために、槍を振り払ってディンゴの体を引き抜いてしまったからだ。

 落ちていくディンゴの体は、信じられない位あっという間に見えなくなってしまった。

 これで本当に一人きりになってしまった。喪失の傷みとは、自ら進んで孤独を選ぶこととは根本的に違うものだと始めて知った。

 

 なあ、なんでだよディンゴ。僕を庇ったのか? 何でそんなことをした? 教えてくれよ、最後までワケがわからなかったよ・・・・・・。

 お前がずっと嫌いだった。いじめられた思い出しかない。

 でも何故だか今、猛烈に後悔している。

 もっと話をしてみたかった。

 

「・・・・・・無駄なことをする!」

 滞りなく宙に浮けるようになったスプリングボックが、再び全身の炎をたぎらせながら上空へと浮かび上がってくる。

 その苛立った声色からは、敵を1人仕留めた事への感慨など微塵も感じさせない。

 ただひたすら”残りの赤い奴”を性急に仕留めんと躍起になっているのがわかる。

  

「仲間を庇ったつもりなのですかね? Cフォースのおぞましい鬼畜どもに、そのような感情があったことに驚きです」

「・・・・・・なあスプリングボック。こんな言葉を知っているか? ”怪物と戦う者は、自らが怪物にならないように気を付けろ”とな・・・・・・」

 

 言葉の海が脳内に溢れる。

 こういう時、僕はいつも自分を救ってくれそうな言葉を探すんだ。

 困難な状況、困難な敵、どうにもならない自身の感情・・・・・・それらに当てはまる言葉が見つかった時、頭も体もすっきりして、とことんまで悪あがきが出来るようになる。

 僕にとって一種の儀式みたいなものだ。

 

「貴様、何をブツブツと言っているのです?」

「・・・・・・ニーチェの言葉さ」

 

 正義の炎に身を焦がし、邪悪な敵を撃ち滅ぼすために突き進むスプリングボック。

 散っていったディンゴの気持ちなんて永久に気にも留めないだろう。この後何人殺そうとも、自身の正義を欠片も疑わないだろう。

 恨み言が言いたいわけではない。奴は敵として当たり前のことをしただけだ・・・・・・

 

 ただ、ニーチェの言うことが、あまりにも的を射ていて、思わず冷笑を口元に浮べたくなってしまう。

 

 この世界の怪物は、類い稀なる悪意を持ったヴェスパー親娘だけではない。

 奴らとは一見真逆の、清廉な精神を持つ善人であっても、正義を拗らせてしまえば、簡単に怪物になれてしまうんだ。

 スプリングボックが正しくそれを体現している。

 

 ・・・・・・言葉が見つかった。

 さあこれで儀式は澄んだ。後は言葉の海をかき消して、自身の中から溢れ出す真っ赤な衝動にどこまでも身を任せることにしよう。

 

「ああそうだ。まだ名乗っていなかったよな? 僕はメリノヒツジ・・・・・・そしてお前がいま殺したフレンズの名は、ディンゴだ」

「・・・・・・一応覚えておきましょう」

 

 岩壁に宙吊りになった無様な恰好のまま名乗りを済ませる。

 スプリングボックは燃える体を空中に浮かせたまま、苦虫を嚙み潰したような表情でうなずいた。

 奴はやはり、騎士道精神のような考え方を重んじているようだ。殺すだけの相手とはいえ、名乗りぐらいは黙ってさせてやろう、というような情け心はあるらしい。

 

 前置きはもういらない。そう思った僕は、瞳に金色の光を宿らせ、スプリングボックに対して嘲っているようなニヤケ顔を向けた。

 虚勢を張っているワケじゃない。極限まで昂ぶると表情筋が緩んでくるのは僕のクセだ。

 

「かかって来いよ・・・・・・怪物同士、とことん殺し合おうじゃないか」

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属・タイリクオオカミ亜種
「ディンゴ」(死亡時年齢:7歳8か月)

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「モト・ヤ・セラヴィ(熾天使の炎)」
使用者:スプリングボック
概要:全身から摂氏3000度超の熱エネルギーを噴射し続ける能力。熱そのものが推力を持っており、噴射する角度を調整することで空中を飛び回ることすら可能となる。 
 全身に纏った炎は何物をも破壊する威力があるだけでなく、並大抵の攻撃を受け付けない強固な防御力をも兼ね備えている。
 また傷を負ったとしても、高熱によって傷口を焼いて塞ぐことが可能。
 熱を発するための燃料は自身の血液であり、一分間におよそ100CCもの血液が失われていく。能力を展開し続ければ、およそ十分前後で命の危険が身に降りかかってくる。
 きわめて強力である一方、短期決戦が求められる能力である。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章25 「ツノにすべてをかけて」

 メリノヒツジVSスプリングボック


 

「殺し合おう? いま貴様はそう言ったのですか?」 

 

 スプリングボックの声色には、激しい怒りよりも、困惑と呆れが入り混じっていた。

 もはや自分が勝利したことを確信しているのだ。

 ・・・・・・そう思うのも無理もない。コイツからしてみれば、どう考えたって負けっこないと思うような状況だろう。

 

 飛行できるスプリングボックに比べて、僕は岩壁にしがみ付くことで、下に落ちないように必死に留まっていることしかできない。

 

「観念しなさい! 今の貴様に出来るのは、ただ私に殺されることのみ!」

「・・・・・・なぜそこまで僕を殺すことにこだわる?」

 

 スプリングボックに焦りが見える。いっこくも早く僕を始末したくて仕方がないようだ。

 ・・・・・・コイツの行動はどこか不可思議だ。なぜ確実に止めを刺すことに執着しているのだろう?

 僕はスプリングボックにとっては、大勢いる敵のなかの1人のはずだ。

 もうほとんど無力化したに等しい状態なのだから、僕のことなど放っておいて別の敵を倒しに行くのが普通なのではないかと思うが・・・・・・どうやらそうしたくても出来ない事情がコイツにはあるらしい。

 僕を生かしておくとまずいと思う理由、それはおそらく・・・・・・。

 

「もしかして、何らかの情報が漏れることを恐れているのか?」

「・・・・・・な、何を!?」

「あの裂け目の中でパークは、何か極秘の作戦を行おうとしていたんだ。だからあの場に訪れた僕を確実に始末したいんだろう? 違うか?」

 

 当てずっぽうの推論をぶつけると、絵に描いたような動揺ぶりを見せる。ビンゴだ。

 ジャミング装置が絡んでいるかどうかはわからないが、奴らにとっては絶対に死守すべき場所なのだろう。

 それにしてもスプリングボックには恐れ行った。性格も戦い方も、ひとつひとつの受け答えですらも・・・・・・猪突猛進もここまで徹底しているのなら見上げたものだ。

 

「・・・・・・そういうことなら、何としてもここから逃げてやるよ。上官にあの場所のことを報告してやる。Cフォースの勝利のためにな!」

「指一本動かせないくせに、寝言をほざくのも大概にしなさい!」

「僕には出来ないと思っているのか? なら確かめてみればいいじゃないか」

「き、貴様ァァッ!」

 

 これっぽっちも本心ではない口から出まかせをうそぶくと、スプリングボックが全身に纏った炎を膨れ上がらせる。

 痛い所さえわかってしまえば、こんな単細胞な奴を手玉に取ることなど容易い。

 

「じゃあな」

 

 これで準備は整った・・・・・・僕がこれからどんな行動を取ろうとも、地の果てまでも追跡してくるだろう。

 さあ、殺し合いのはじまりだ。

 意を決した僕は、唯一の寄る辺である、岩壁に突き立てた槍をかき消し、谷底へと真っ逆さまに落ちていった。

 

_______ビュオオオッ!! 

 

 どれほど高いのだろう。落ちても落ちても、眼下が霧でぼやけて底が見えない。

 高所からの転落。翼のない生き物にとって最も致命的な事態のひとつだろう。重力にただ引っ張られていく感覚の恐ろしさに本能が恐怖している。

 ・・・・・・だが、この危機こそが今の僕にもっとも必要なのだ。

 

 事ここに至ってようやく気付いた。

 まだまだ進化促進薬を使うべきタイミングではない。

 僕の認識はどこかズレていた。アムールトラじゃなければダメだとか、相手の選定ばかりに気を取られていた。

 何よりも肝心なのは、使用者である僕のコンディションであるはずなのだ。

 

 クズリさんとの決闘を思い出す。

 僕が生まれ変わる契機となったあの戦いで、たった一度だけ「精神が肉体を凌駕している」としか言いようがない状態を経験した。

 顔面をグチャグチャになるまで殴られて、死ぬ寸前まで行ったはずなのに、痛みをまったく感じず、頭は冴えわたり、一瞬が永遠にも思えるくらい集中力が研ぎ澄まされていた。

 

 あの時こそが僕にとっての最高のコンディションだったと断言できる。

 進化促進薬の効果を最大限に引き出すためには、再びあの状態になる必要があると思う。だから、徹底的に自分自身を追い込まなきゃいけない。

 ・・・・・・裏を返せば、そのような機会が訪れないまま死ぬのであれば、結局僕はその程度の存在だったというだけ。

 どのみち進化体に至ることは最初から出来なかった、と潔く諦めよう。

 

_______逃がすかぁぁぁッ!!

 

 風圧を押しのけるような絶叫が上の方から聞こえる。

 全身を燃え上がらせながら追ってくるスプリングボックの姿は、まるで地球に落下する隕石のごとき様相だ。

 当然落下スピードは僕よりも速い。僕は自然落下しているだけだが、奴の体は炎という推進剤によって加速を続けている。

 

 みるみる内に距離を詰められていく。このまま行けば落下死よりも奴に焼かれる方が先だろう。

 ここまでの展開は頭で思い描いた通りだ。

 さあ、スプリングボック。僕を限界まで追い詰めてみろ・・・・・・クズリさんのように。

 

 奴をギリギリまで引き付けてから、あらかじめ隠し持っていた得物を岩壁めがけて放り投げた。

 先端がフック状になったロープだ。落ちながらひそかに形成を済ませていたのだ。

_______ガキンッ!

 引っかかったフックによって急速に岩壁に引き寄せられる。両足でつんのめるようにして衝撃を受け止め、ふたたび岩壁に取りついた。

 

《き、貴様ァァ!?》

 

 スプリングボックは、突然に軌道を変えた僕に付いていくことが出来ずに下に落ちていった。

 炎の角度を変えて急上昇しようとするも、慣性という物理法則がそれを許さない。

 あれほどまでに加速していた肉体の勢いを無くすことは、奴の炎を持ってしてもすぐには出来ないのだ。

 結局、僕よりもかなり下の方でやっと空中に踏みとどまったのだった。

 

「この地形で私から逃げられるものですか!」

「逃げるなんて嘘なんだよ・・・・・・最初に言っただろう? 僕はお前と殺し合いがやりたいんだ」

 

 ニヤリと挑発的な笑みを見せつけてスプリングボックを見下ろすと、命綱のロープをかき消し、ふたたび飛び降りた。

 今は僕が上。奴が下だ。この位置関係になるのを狙っていた。

 

「はははっ! こんなのはどうだ!」

 落ちながら槍を出現させると、真下に穂先を向け、両手両足で柄にまたがるようにしてガッチリと固定した。

「己の得意技を存分に味わえ!」

 

 重力に身を任せるまま、スプリングボックに向かって落ちていく。さっき裂け谷にて嫌というほど食らった”急降下攻撃”の意趣返しというわけだ。

 やっと空中を滞空し始めた状態の彼女にこれを躱す術はない。

 ・・・・・・さあどう受ける? 頼むからこんなところで終わってくれるなよ。

 

_______ガシィッッ!!

 

「図に乗るなァッ!!」

 ほう、さすがはスプリングボックだ。

 上から降ってくる僕が繰り出した穂先を、身じろぎひとつせず真っ向から掴んで受け止めてみせたじゃないか。

 

 とても不味い状況だ。降りかかる灼熱が僕の全身を焼いている。眩暈が起きてしまいそうなほどに熱くて痛い。

 スプリングボックが放出する炎というのは、それほどまでの高温なのだろう。

 槍の長さの分だけ奴から離れていなければ、ひとたまりもなかったに違いない。

 

「メリノヒツジ! このまま焼け死ねえええっ!」

 

 受け止めた槍の穂先ごと僕を投げ落とすという行動だってとれるはずだ。

 だがスプリングボックはそうするつもりはないようだ。

 やはり勝負を焦っている。僕を投げ落とした所で、しぶとく生き残ってしまうかもしれない可能性を恐れているのだろう。

 

 全身から溢れ出る火勢がさらに強まっている。どうやら高熱によって二又槍を溶かして破壊しようとしている。

 そして今度こそ僕をじかに火あぶりにしようというのだろう。

 より早く確実に始末できる方法を選んだわけだ。

 

_______ガクンッ!

 

 とつじょ、スプリングボックの滞空高度がみるみる下がりはじめた。

 僕の体重ぶんまで受け止めているのもあるが、もっとも大きな原因は、奴の能力の弱点にある。

 ・・・・・・ディンゴが命と引き換えに教えてくれた、奴を攻略するヒントだ。

 

 炎を噴射することで空を飛べるとはいえ、鳥のように自由自在というわけにはいかないのだ。

 上にいる僕を焼き殺すために、体の上方への炎を集中させた結果、滞空するために下方へ噴出させる炎を十分に確保できなくなったんだ。

 その結果、僕とスプリングボックは、空中で組みあったまま、枯葉のようにゆっくりと谷底へ下降しはじめた。

 

「どこまでもしぶとい奴ですね!」

「フフ・・・・・・根くらべと・・・・・・行こうじゃないか」

 

 スプリングボックは、掴んだ槍の穂先を全力で熱しているにもかかわらず、なかなか融解しないことに苛立っているようだ。

 それもそのハズだ。僕はさっきから能力を展開し続けている。槍が溶かされるそばから即座に再生させているのだ。

 

 もし奴が穂先から両手を放そうものなら、即座に刺し貫いてやる準備がある。能力を発するための気力もスタミナもまだ十分にある。

 ・・・・・・それよりも、至近距離で熱波を浴び続けている肉体的ダメージの方が問題だろう。

 すでに両手両足には火ぶくれが出来ている。吸い込んだ空気の熱さで肺が焼けてしまいそうだ。

 

 けれども・・・・・・まだまだあの時には及ばない。

 クズリさんにマウントポジションを取られて、頭が割れてしまいそうなパンチを何発もくらい続けたあの時には・・・・・・

 

「・・・・・・どうしたァ? もっと僕を追い詰めてみろよ!」

「メリノヒツジィィィッッ!!」

 

_______ガツンッッ!

「ぐはっっ!」

 落ちながら根くらべを続ける僕ら2人を、近くにあった岩壁が擦った。

 不安定に揺らめきながら下降を続けていたのだ。いつこうなってもおかしくはなかった。

 それきり弾かれるようにして離ればなれになり、重力に身を任せるまま、再び急激な自由落下がはじまった。

 

 地面がすぐ真下にまで迫ってきていた。

 槍を突き立てる暇もなく、なすすべなく墜落し、岩肌にしたたか全身を打ち付けた・・・・・・まあ、それ自体は別に大したダメージじゃなかった。

 ほとんどの高さを、スプリングボックという浮遊する足場に取りつきながら降りてきたようなものだ。少しの高さを普通に落ちただけだ。

 

「はははっ、空中では、決着がつかなかったかァ・・・・・・」

 

 火傷でズキズキと痛む体に鞭を打って立ち上がると、辺りを見回してスプリングボックの姿を探した。

 ・・・・・・ことここに至っては認めざるを得ないだろう。お目当てのアムールトラではなかったにせよ、奴もまた申し分のない強敵だ。僕を進化態へと導く可能性が十分にある。

 

「きさ、ま・・・・・・!」

 

 すぐそこの岩の影からスプリングボックが姿を見せる。

 もとより遠くに行ってしまう道理などないのだ。すぐ上の方で別れただけなのだから。

 しかし様相が一変している。奴は僕と違って、特に負傷などしていなかったはずだが、額に汗を浮かべ、荒い息を吐きながら、立っているのがやっとという風に見えた。

 どうやら何らかの原因で、急激に体力を消耗したようだ。

 

 スプリングボックの身に何が起こったのか、だいたい想像はつく。

 強力な能力を使った反動に襲われているのだ。”先にある力”というのは、強力であるほど燃費が悪いものだ。奴の”全身発火”もその法則から外れることはないだろう。

 今しがたの攻防だけでも相当なスタミナを失ってしまったことが予想される。

 全身に火傷を負った僕と比べても遜色ない疲弊ぶりだ・・・・・・勝負の行方は完全にわからなくなったな。

 

「さあスプリングボック、続きをやろうじゃないか」

 

 おおよそ7、8メートルほど離れた場所でにらみ合う。

 僕らは角獣。槍を扱う者どうし、リーチに差はない。やろうと思えば互いに一足跳びで斬りかかれる距離だ。

 しかしここは慎重に行かざるを得ないだろう・・・・・・僕も奴も、互いにかなり消耗している。この状況では、一度のミスが即敗北につながる。

 

_______ゴゴゴ・・・キュラララ・・・

 

 殺気を交錯させながら、戦いを再開させるタイミングをうかがっていた。

 そんな僕とスプリングボックの間に割って入るように耳朶を打ったのは、無数の歩兵や戦車が地鳴りのように響かせる進軍の音色だった。

 

 眼下のなだらかな斜面の向こうから姿を現しつつあったのは、シャヘルの部隊だ。

 遠目からでも一目でわかる。歩兵も兵器も、Cフォースのシンボルカラーというべき紺色を身に纏っている。

 派手すぎず、しかし周囲の自然風景とは決して折り合わない。そんな意志が垣間見える装いは、あたかもグレン・ヴェスパーの冷徹さと傲慢さを感じさせるようだった。

 

 ・・・・・・そうか、深い谷底へと落下した先にあったこの場所は、偶然にもカルナヴァルが指揮する本隊の侵攻ルートに重なっていたのだ。

 

「く、くそぉッッ・・・・・・!」

 

 スプリングボックが真っ青な顔で歯噛みしている。

 奴にとってはもっとも恐れるべき、形勢逆転の事態が訪れたのだ。

 

 今この場で僕が叫び声を上げて、近くを通ろうとしているシャヘルの兵士たちに助けを求めたとしたらどうなる? いかにスプリングボックといえど、蜂の巣にされる未来は免れ得ないだろう。

 だったら兵士たちに見つかる前に僕を殺すか? しかし僕がそう簡単に殺れる相手ではないとすでに理解したはずだ。

 

 自分がまさに絶望的な状況に置かれたことを、スプリングボックは瞬時に理解したようだ。

 直情径行な奴のことだ。このあと取ろうとする行動もおおかた予想が付くというもの。

 ・・・・・・と思っていたそばから、荒い息を吐きながら瞳に金色の光を滾らせはじめていた。

 

「・・・・・・わが命に代えても、奴らを出来るだけ道連れにしてやる!」

「やめろ、はやまるな! 話を聞け!」

 

 今にも”全身発火”を発動しようとしていたスプリングボックを慌てて制止する。

 その技を使われるのはマズい。見た目ももちろん目立つだけでなく、ジェット噴射のような爆音まで発生するんだ。

 遠目からでも一発で居場所が知られるだろう。

 

「奴らが行ってしまうまで隠れてやり過ごせばいいだろう? その後でさっきの続きをするというのはどうだ」

 

 僕の提案に対して、スプリングボックは「ふざけるな!」と憎々し気に舌打ちを返してきた。

 そうだよな。コイツが僕を信じられる材料なんてこれっぽっちもありはしない。

 僕が今すぐにでも大声を出して、シャヘルの兵士に居場所を知らせようとしているものだと思っているだろう。

 ・・・・・・そんなことをするつもりは毛頭ないというのに。

 仕方ない。信じてもらうためには、本当のことを話す他にはないようだ。

 

「いいかスプリングボック? 僕はもうCフォースじゃない。馬鹿なニンゲンどもが起こした戦争などに付き合うつもりはない。好きに殺し合って共倒れになればいいと思ってる」

「・・・・・・なら貴様はなぜここにいるのですか!?」

「個人的な用事だよ。そのために、強い奴と戦う必要がある」

 

 スプリングボックは、顔をしかめ、両肩をわなわなと震わせながら考えあぐねていた。

 迷うのは勝手だが、兵士たちが近くに迫ってきている。そろそろ隠れないと奴らに見つかりかねないことだけは確かだ。

 

「好きな方を選ぶがいいさ。奴らを相手に玉砕するか、僕と一対一の勝負の続きをするか、な」

 

 それだけ告げると、僕はさっさと動き出す。ちょうど良さそうな岩を見つけ、背中をくっ付けて腰を下ろした。

「・・・・・・ぐぅっ!」

 堪え切れない苛立ちを噛みしめるスプリングボックは、やがて観念したように僕に倣った。

 

 轟音ひしめく行軍がすぐ近くを通りぬけている間じゅう、ただ無心になって動かず体力の回復に努めることにした。

 行軍の規模から行っても、あの連中はカルナヴァル直属の部隊ではない。いくつかに別れた分隊のひとつだ・・・・・・通り過ぎてしまうのにそう時間はかからないだろうが、少しでもスタミナを回復しておくに越したことはない。

 

 スプリングボックの方はというと、スタミナを回復させようなどという発想はまるで感じられなかった。

 怒りで顔面を上気させながら、岩の影でわなわなと震えるその姿は、まるで破裂寸前の風船だ。

 敵の侵攻をただ黙って見送るしかないこの状況は、奴にとって耐え難い屈辱であることは言うまでもない。

 ・・・・・・次の戦いに向けて、怒りというエネルギーを溜めているようだ。なるほど、あれがスプリングボック流のインターバルというわけか。

 

「・・・・・・行ったか」

「さあメリノヒツジ、早くかかってきなさい!」 

 

 轟音が来た道からどんどんと遠ざかっていき、やがてほとんど聴こえないほどの大きさになると、スプリングボックは痺れを切らしたように立ち上がり、槍を取り出して穂先を僕に向けた。

 先ほどの体力消耗がまだ響いているようで、肩で息をしているのは変わりない。

 ・・・・・・だが殺気の鋭さは、崖の上での戦いの時以上だ。

 

「貴様の真意がどうであろうと、立ちはだかる敵はすべて倒す! 何故なら私は故郷の命運を背負って戦っているのだから!」

「鼻息が荒いな・・・・・・故郷とやらがそんなに大事か?」

「私のすべてだ!」

 

 出し抜けに質問をした僕に、食い気味にそう答える。

 なるほど、共感は出来ないが理解はしよう。そういう奴なのだ。

 他人にすべてを捧げるスプリングボックと、ただ自分だけを恃む僕と、どちらが勝つかは神のみぞ知るところといった所か・・・・・・。

 

 すでに臨戦態勢に入っているスプリングボックに対して「ここで良いのかい?」と語りかけた。

「少し場所を移せば、人目に付かない所で思う存分やれると思うが?」

「・・・・・・構いませんよ。どうせすぐに終わる!」

 

 素っ気ない返答をしたスプリングボックに対して「なら来いよ」と軽く煽ってみせた途端。

 

「覚悟おおおっ!!」

 

 中世の騎士よろしく、勇壮な掛け声を発しながら、二又槍を抱えて、ただ真正面から突っ込んで来たではないか。

 お得意のジャンプ攻撃や全身発火ではない、輪をかけて単純極まりない攻撃に思わず目を疑う。 

 シャヘル側に見つかることを恐れているのか、あるいは能力が発動出来ないほどにスタミナが尽きてきているのか?

 

「バカが・・・・・・なめるのも大概にしろ」

 

 殺し合いとはつまるところ、相手の嫌がることを、どれだけ想定し実行出来るかに尽きる。

 頭を働かせて有利に立ち回り、隙を突いて相手の急所に喰らいつく・・・・・・そんな狡猾さと冷徹さこそが、戦いにおいてもっとも重要な鉄則であるべきだ。

 そう信じている僕からしてみれば、感情にまかせるままの、知性の欠片もない破れかぶれの突撃など、もっとも忌み嫌うやり方だ。

 

 だが、このような単細胞に対して、もはや策を弄すること自体がバカバカしいとさえ思えてくるのも事実・・・・・・一瞬思索したのち、スプリングボック好みの正々堂々とした茶番に付き合ってやることにした。

 

 奴と同じく真正面に槍をたずさえ、重心を低くしながら猛然と駆け出す。

 穂先が重なり合う瞬間には、全力で踏み込むことで、勢いと体重とを一点に乗せた。

 

_______ガイイイイインッッ!!

 

 互いに穂先を重ね合って火花を散らした瞬間、ものすごい轟音が響きわたった。全身を震わせるような衝撃が、穂先ごしにほとばしって来た。

 ・・・・・・不思議な感覚だ。今までこんな戦いをしたことはない。

 だが、なぜか懐かしいような感じがする。誰かに教わったわけではないのに、体が最初から戦い方を知っているのだ。

 

 ・・・・・・そうか。互いに角と角をぶつけ合って力を比べ合う。

 これは純然たる草食獣同士の戦いなのだ。

 負けたからといって、即座に命まで取られることはないだろう。だが周囲から弱い奴だと見なされて、子孫繁栄の機会を失う。孤立した先にやがて尊厳すらも無くしてしまう。

 死にはしなくても、十分に致命的な事態に陥るのだ。

 

_______ギャリギャリギャリッ!!

 

(ぐうっ!? なんて力だ!)

 2人の角獣が、おなじ二又の穂先同士を重ね、がっぷり四つに組み合う。

 しかし僕はスプリングボックに一方的に押し負けてしまっていた。野生解放状態で、全力で押し返しているにもかかわらず、どんどん後ろへ押しやられている。

 踏み込んだ足が地面にめり込んでしまうんじゃないかと錯覚するほどの力で押されている。

 

 技術も作戦も無いただの力比べなのに、何故こうも差が生じる?

 脚力だけなら、さすがにスプリングボックが上だろう。奴のようなジャンプは僕には出来ない。自慢の足腰を活かした踏み込みが強烈なのはわかる。

 ・・・・・・だが総合的なフィジカルは僕が勝るはずだ。背丈は明らかに僕の方が高いし、見るからにほっそりとした体型の奴に比べて、僕は十分な筋肉量を全身に備えている。クズリさんのような剛力に憧れて、鍛えに鍛えてきたのだ。

 

「貴様のツノには、まるで重みを感じませんよ!」

「・・・・・・な、何だとォ!?」

「私にとってツノは誇りそのもの! だが貴様のそれは、ただの武器でしかない!」

 

 スプリングボックが確信めいた様子で戯言をほざいてくる。

 何が重みだ。カビが生えたような精神論でも持ち出すつもりか。そんな曖昧なもので勝負が決まるものか。

 

「こんな茶番に付き合っていられるか!」

 

 力比べは終わりだ。ここからはこっちのやり方でやらせてもらう。

 そう思った僕は、奴の槍をいなし、側面に回り込むのと同時に反撃を試みた。

 振り向きざまに槍を鞭状に変化させ、スプリングボックの後頭部めがけて打ち下ろしてやった。

 躱せまい。攻撃の軌道が放物線を描く鞭は、槍とは根本から性質が違うのだ。相手の予測できない方法で死角を突く。これこそが僕らしい狡猾な戦い方・・・・・・

 

_______ブォンッ!

 

 だがスプリングボックは、その場から一歩も動かず槍を一閃させ、背後から去来する僕の鞭を切り裂いて防いでみせた。

 驚いたことに、奴が携える槍の穂先が、松明のように炎を赤々と灯していた。

 全身ではなく、穂先のみを発火させたということか・・・・・・槍とは角そのもの。まぎれもなく体の一部である以上、そのような真似が出来てもおかしくはない。

 出す炎の量が格段に減ることから、おそらくスタミナの消費も抑えられているはず。

 消耗した今の奴でも繰り出せるわけだ。

 

 ・・・・・・しかしそのような事より何より、今の奴の挙動はなんだ?

 まるで僕が何をしてくるかをあらかじめ知っていたかのように思えるが。

 

「貴様の攻撃など、もうだいたい先が読めます」

「バカな、そんなことがお前に出来るものか! お前の能力は・・・・・・」

 

 クズリさんやスパイダーさん程のフレンズならば、2種類の”先にある力”を使うことが出来るのは知っている・・・・・・だが、2つの能力は密接に関連している。いわば基本形と発展形の関係であるに過ぎない。

 スプリングボックがいかに発火能力の使い手であるからと言って、相手の動きを先読みする事とはどう考えても繋がっているようには思えない。

 

「これは”先にある力”とは全く関係ありません・・・・・・やれやれ、貴様はどうやら、ツノをぶつけ合う行為の意味すら理解していないようですね!」

「そんなことが何になるって言うんだ!?」

「ツノをぶつけ合えば、相手の力量が大体わかる。どのような戦い方をするのかも・・・・・・我々ツノを持つ獣の体はそういう風に出来ているものです」

 

 スプリングボックが勝ち誇ったようにそう宣言する。

 奴が角と角とのぶつかり合いを仕掛けてきた理由は、僕の力量を探るためだったようだ。

 そんなことで何がわかると言いたいところだが、実際にやってみた今となっては信じられる。

 ・・・・・・なぜなら僕の方もスプリングボックの力量を槍ごしに感じ取ったからだ。いくら押し返してもビクともしない、細見の体からはいっけん信じられない程の、異常な踏み込みの強さを。

 

 何ということだ。まんまと敵に手の内を晒してしまったというのか。

 痛い所を突かれたものだ。牧場で生まれた家畜である僕に、野生の角獣が角をぶつけ合うことの意味なんてわかるわけないじゃないか。

 

「正直に言いましょう」と、スプリングボックが炎を灯した穂先を僕に向けながら言う。

 

「もはや私のスタミナは底を尽きかけています。いつも通りの戦いは出来ない・・・・・・最低限の動きで貴様を仕留める必要があります。そのためにどうしても貴様の手の内を探る必要があった・・・・・・そして確信しました。もはや貴様に負ける気はしない」

「バカな、何の根拠があってそんなことを?」

「私にはわかります。メリノヒツジ、貴様は草食獣の風上にもおけない奴だ!」

 

 ズバリと断定するような声色。それはどうやら挑発の類ではなかった。スプリングボックは確信を持って、ただそう宣言しているのだ。

 

「だまれ! お前なんかに僕のことがわかってたまるか!」

 

 腹立たしい。屈辱だ。こんな単細胞な奴に、こうまで好きなように言われるとは・・・・・・

 肉食のエサになるしかない弱い草食が、偉そうな説教を僕に垂れるな。自信に満ちた態度を見せつけてくるな。

 

 草食獣の風上にもおけないだと? まるでお門違いな指摘だと言ってやる。僕は自分からヒツジであることを捨てて、オオカミに生まれ変わったんだ。

 クズリさんと戦ったあの日から・・・・・・

 

「槍を色々な形に変えるその能力こそが、まさに貴様の弱さを体現していると言っていい!

 なぜならば、槍は我らにとって魂の象徴・・・・・・その象徴をコロコロと違う形に変えるなど、自分に自信がない証拠! そんな奴に勝利など掴めるはずがない!」

「黙れって言ってるだろうが!」

 

 よりにもよって、僕のディ・フェアヴァントルまでこき下ろしてくる始末だ。

 この能力は、クズリさんに並ぶことを目指して鍛えてきた僕が、やっと獲得した強くなった証・・・・・・それを愚弄するとは許しがたい。

 奴だけは必ずこの手で抹殺してやる。

 

_______ガインッ! ギャリィッ!

 

「何という工夫のない攻撃! そんなもので私が倒せるものか!」

「うるさい! うおおおっ!」

 

 すっかり逆上した僕は、聞くに堪えない妄言を跳ね除けるために、能力をフル稼働させて再び攻勢に打って出た。

 投げ槍、投げナイフ、投げ斧・・・・・・ありったけの飛び道具を生成し地面に突き立てると、機関銃のごとき勢いで投げまくった。

 しかしスプリングボックはそれを炎の槍でことどとく打ち払い、そのまま着実に距離を詰めてきていた。

 まさか本当に僕の動きを見切っているとでもいうのか・・・・・・。 

 

(・・・・・・ああ、こんな・・・・・・こんなことって・・・・・・)

 

 肉食獣である僕が、草食獣に負けることだけは絶対に許されない。

 そう思っていたのに、今やスプリングボックに実力でも言説でも圧倒されてしまっている。

 受け入れがたい絶望的な事実に全身が総毛立つ。 

 

(・・・・・・皮肉だよね)

(だ、誰だ!?)

(けっきょく君を倒すのはアムールトラでも、尊敬してやまないクズリでもない・・・・・・軽蔑していた草食獣に、君はやられてしまうんだね)

 

 すっかり頭に血が上り、むきになって我武者羅な攻撃を繰り返していた僕に向かって何者かが話しかけて来る。

 正面にいるスプリングボックではない、その者の声は背後から聴こえてきている・・・・・・そして、耳がバカになったわけでないのであれば、それは僕自身の声のように聴こえた。

 

「やあ、久しぶりだね。僕」

 

 気が付くといつの間にか、赤色の精神世界へと没入していた。

 赤一色の世界の中で僕に話しかけて来たのは、白いブカブカとした体毛を纏った小柄なフレンズだった。

 覇気のない眠たそうな目。見ているだけでイライラする面構え。

 まぎれもなく、かつての僕自身がそこに立っていた・・・・・・ふざけるな。なんで今さらしゃしゃり出て来る? とっくの昔に食い殺してやったはずなのに。

 

「仕方ないよね。あのスプリングボックっていうフレンズは本当に強いもの」

「・・・・・・何が言いたい?」

「彼女は草食獣としての誇りを貫き続けてきたんだろうね・・・・・・それに比べて君は、肉食にも草食にもなり切れない中途半端な存在。どだい勝てる相手じゃなかったんだよ」

 

「だまれ! もう一回食ってやろうか?」

 何も出来ない癖に口だけはいっちょまえの、鬱陶しいヒツジの胸倉を掴んで凄む。

 精神世界での僕は、現実よりも体毛の赤が濃く、指先には鋭い爪、口には牙を生やし、完全なオオカミの肉体になっていた。

 さっさと消え失せろ。この体は僕のものだ。お前の居場所なんてない。今さら口出しをすることなんか許さない。

 

「いい加減にしてくれ!」

 だがヒツジは、生意気にも僕の手を振り払うと、熱を帯びた瞳でキッと睨み返してきた。

 その刹那、赤一色だったはずの世界の中で、奴の周囲だけが白く輝き始める。

 

「もうこれ以上バカなことをするのはやめてくれよ!」

「何も出来ないお前よりはマシだろうが」

「それでも君みたいに他人に冷たくあたるような人生はまっぴらごめんだ!」

 

 白いヒツジは肩を震わせて半泣きになりながら、赤いオオカミである僕へと恨み節を延々とぶつけてきた。

 

「君はまるでドン・キホーテだよ。馬鹿げた妄想にとらわれて暴走してるだけじゃないか! ヒツジがオオカミになんてなれるわけないのに! クズリのような格が違いすぎるフレンズの背中を追いかけて、真似をしようとしたって無駄さ! 

 さっき仲間のフレンズを降伏させた時だって、君も一緒に降伏していればよかったんだ! そうすればディンゴも死ななかった。君があの子を殺したんだよ!」

 

「でも・・・・・・一番ひどいのは”スターオブシャヘル”の中で、ヒグラシ所長にかけた言葉だよ。心にも思ってなかったくせに、何であんな酷いことを言ったんだ? 多分あれが彼との今生の別れだったと思うよ・・・・・・僕は、僕は大好きな所長に素直な言葉をかけたかった! その結果イヴ・ヴェスパーに実験体にされても良かった」

 

 コインの裏と表。もうひとりの僕の言葉は、すなわち僕が考えていたことでもある。しかし僕はそれをずっと無意識に押さえ付けてきた。

 根源にあるヒツジの感情を、後付けで獲得したオオカミの理性で塗りつぶし隠してきたのだ。

 ・・・・・・前の戦いで出会ったパンサーと同じようなものだ。いや、多かれ少なかれ誰もがそういう精神構造を持っている。

 

 白い光が広がり続け、赤い部分を侵食し続けている。

 精神世界で僕が弱くなってきている証拠だ。

 ・・・・・・まさか、もうひとりの僕がやろうとしていることとは。

 

「僕に体を返してくれ!」

「だまれ・・・・・・! いまさらお前の指図など聞くか!」

「どうせもうすぐ殺されるんだから良いだろう? 最後ぐらい本当の僕でいさせてくれよ!」

 

 白いヒツジが発する眩い光が、赤い淀みをたちまち消していく。

 卵は世界だ。生まれようとするものは、一つの世界を破壊しなくてはならない。

 その言葉の通り、奴は僕を破壊して肉体を取り戻そうとしている・・・・・・かつて僕がやってやったことをやり返そうとしているのだ。

 

「・・・・・・僕が間違っていたとでも言うのか?」

「さっきからそう言ってるだろ! 消えてくれ!」

 

 奴が言う通り、ずっと変わらずにいた方が良かったのだろうか? 

 命令されるがまま嫌々セルリアンと戦ったり、ディンゴにいじめられたりしながら、隅っこでコソコソ本を読むことが唯一の楽しみの、眠そうな瞳のヒツジのまま生きていれば・・・・・・

 

(僕は、後悔しているのか)

 

 人生の最後になるかもしれない瞬間に、最悪な感情が頭をよぎったことに戦慄する。

 後悔ってやつは、自分が間違っていたんじゃないかと思ってしまうことは、死ぬことよりもよほど恐ろしいものだ。

 そして僕が一番恐れていたことだ。

 

 ・・・・・・ああ、わかったぞ。

 目の前の白いヒツジは、僕の後悔の化身だ。僕の中でくすぶっていたヒツジへの未練だ。

 普段は完全に心の中に押し込めていたはずのそれが、絶体絶命のピンチを前にして強く顕在化してきたんだ。

 

(間違ってない、僕は間違ってなんか・・・・・・)

 

 今にも白い光に飲み込まれようとしている最中、僕は自然と過去の出来事に思いを馳せていた。

 自分を正当化できるような思い出と言葉とを必死に探るためだ。それは最後の悪あがきとでも言うべきものだった。

 

_______満足してんじゃねえよ。

_______本当は、まだまだ、もっとヤリたいんだろ?

 

 やがて僕の胸中には、かつてクズリさんに言われた言葉が、走馬灯であるかのように鮮明に浮かび上がってきた。

 ・・・・・・この言葉はそう、彼女との決闘が決着した時にかけられた言葉だ。

 僕は死ぬ寸前までボコボコにされたけど、一撃だけ手傷を負わせることが出来た。

 彼女はそのことで僕を認めてくれて殺すのをやめて、自分の”控え”として僕を抜擢してくれたんだった。

 

 ・・・・・・そうだ、そうだったんだよ。単純なことじゃないか。

 僕はそのことが嬉しかった。人生で最高の歓喜だった。救われたと思った。

 その気持ちにいっぺんの嘘偽りもない。後悔などしているはずがない。やはり僕は間違ってなかったんだと確信する。

 ・・・・・・が、それと同時に、重大な考え違いを起こしてしまっていたことに気付くのだった。

 

 もともと抱えていた劣等感と、クズリさんのような強さと奔放さへの憧れの気持ちとを、いつの間にか混同してしまっていたのだ。

 ・・・・・・その結果、強くなることを、劣等感を払拭する手段として考えるようになってしまった。

 違うんだ。強くなることはあくまでも僕の目的であったはずなんだ。

 それは純粋で揺るぎない、前向きな動機だったはずだ。ただ憧れの存在に近づきたいというだけなんだから。

 

「・・・・・・なあヒツジ。確かに僕は間違っていた。それを認める」

「じゃ、じゃあ消えてくれるんだね!?」

「消えるつもりはない。間違っていたというのは、ヒツジや草食獣を蔑んでいたことだ」

 

 劣等感にとらわれるあまり、草食は肉食に食われるだけの弱者だと決めつけていた。

 だがそれは認識違いだったのだ。現に今、スプリングボックという凄まじく強い草食獣が、僕の前に立ちはだかり圧倒してきている。

 

 考えてみれば野生の草食獣は、時には肉食獣から逃げ切るほどの俊足を発揮する。

 そして時には、子孫繁栄を懸けて、同じ群れの個体と角をぶつけ合って熾烈にせめぎ合う。

 厳しい生存競争を生き抜く草食獣は、肉食獣に負けず劣らず強靭だ・・・・・・牧場で生まれた僕には、そのことがわからなかった。

 

 僕がわかっていなかったのはそれだけじゃない。

 クズリさんやアムールトラばかりが強いわけじゃない・・・・・・ほんとうは、この世に弱い種族なんて一つとして存在しないんだ。

 なのに僕は偏った価値観に執着するあまり、自分自身を、そして周りを否定してしまっていた。

 ・・・・・・だから今までこんなに苦しかった。

 

 僕をオオカミから庇って死んでいったヒツジのお母様も、

 酷く傷ついた体でもなお僕を気遣い、イヴ・ヴェスパーから守ってくれたヒグラシ所長も、

 勝てないとわかっていながらスプリングボックに挑み散ったディンゴも、

 

 今までに関わった誰もかれもが、結末はどうだったにせよ、自分の人生を強く生きた。

 強いか弱いかを決めるのは種族じゃない。生き方なんだ。

 

「本当に僕はとんでもない考え違いをしてきた。許してくれ」

「もう遅いよ! 君は愚かな自己否定を続けてヒツジであることをやめたんだ!」

「・・・・・・いや、まだやめてない。なぜならお前がここにいるからだ」

 

 白い光をなおも膨張させるヒツジに近づいた。奴の表情が恐怖で青ざめる。一度僕に食われた時のことを思い出したのだろう。

 だが僕は、奴に牙を突き立てるのではなく、そっと両腕を背中に回して抱きしめた。

 

「たのむ。もう一度ひとつになってくれ」

「・・・・・・いまさら僕を受け入れようっていうのかい?」

「ああ、今度こそ本当の自分になりたいんだ」

 

 呆気に取られた表情のヒツジが僕の赤い腕の中にくるまると、次第に2人の輪郭線が曖昧になりはじめた。

 ・・・・・・その刹那、周囲に赤い光があふれ出す。

 しかしこれまでのような鮮血のごとき真紅ではなく、夜明け前の空のような薄赤色だった。

 

「ヒツジでもありオオカミでもあるフレンズ。それが僕だ・・・・・・そしてお前でもある」

「君は僕、僕は君・・・・・・?」

「そうだ。2人で最後まで足掻こう。強く”なりたい”ではなく、強く”生きたい”・・・・・・それがこれからの僕らの目標だ」

 

_______どうしました? もう終わりですか?

 

 不敵に凄むスプリングボックの声によって、はっと現実世界に引き戻される。

 まるで白昼夢を見ていたようだ。長かった自問自答も、現実世界では一瞬の間の出来事だったのだ・・・・・・しかし、もともと、追い詰められた状況であることには変わりなく。

 

「どうやら先に貴様のスタミナが尽きたようですね!」

「・・・・・・なんだと」

「周りを見てみるといい。よくもまあこんなに無駄に武器を取り出したものです」

 

 スプリングボックに言われて辺りを見回すと、奴によって打ち払われた僕の槍や斧、ナイフなんかが辺りに散らばり、星屑のように金色に輝いていた。

 激情に駆られるあまり、新たな得物を矢継ぎ早に召喚し続けてしまったのだ。

 

 いつもの僕だったら、手許を離れた得物を引き戻して、スタミナの無駄な消費を避けていたはずなのに。

 それほどまでに冷静さを失っていたというのか・・・・・・我ながらバカなことをしたものだ。

 

 手の平の中には、もはや武器とは呼べない金色の石粒が握られているだけだった。

 能力を注ぎ込んで得物を生成せんと試みる・・・・・・しかし、石粒がそれ以上大きくなることはなかった。

 奴の言う通り、僕は完全にガス欠になったようだ。

 

「貴様ごときにこれ以上時間は取れません! 終わりだ!」

 

 あわてて辺りに散らばった得物を引き戻そうと手のひらに念じるも、スプリングボックがそれを許さなかった。

 今度こそ丸腰になった僕めがけて、炎の槍の一突きを繰り出さんと駆け出してきたのだ。

 

 今こそ進化促進剤を使う時か?

 ・・・・・・いや違う。何故なら僕は、こんな状況ではあるが、一つ勝ち筋を閃いた。

 かなり無茶な作戦だ。成功するかどうかはわからない。だが自分に出来るすべての手を尽くしてみたい。

 薬に頼った所で、いちかばちかなのは変わりないのだから。

 

「覚悟しなさいッ!」

 

 素早く鋭い踏み込みで炎の槍が突き出される。

_______ドシュッ!

 疲労困憊の僕に、奴の攻撃を躱す余力はすでになく、脇腹に燃える二又の穂先をあっけなくぶち込まれた。猛烈な痛みで思わず正気を失ってしまいそうになる。

 

「良く戦った! すぐ楽にしてあげましょう!」

「ふ、ふふ・・・・・・まださ」

 

 刺し込まれた穂先が後ろへと引き抜かれようとしている。

 一刺しじゃフレンズを確実に殺すのは難しい。スプリングボックもそれがわかっているからこそ、再び穂先を引き抜いて僕をめった刺しにするつもりだろう。

 ・・・・・・だが、やらせない。

 

「わあああああっ!!」

「く、狂ったか貴様!?」

 

_______ズグ、ググググ・・・・・・!

 僕が咄嗟にとった狂気的な行動。

 引き抜かれようとする槍の柄を握りしめ、手繰り寄せながら前へ進んだのだ。

 奴の槍がさらに深く腹の中に突き入れられる。穂先から発せられる高熱によって、肉が瞬時に焼き切られてしまっているせいか、とても刃の滑りが良い。

 

 あっという間に穂先が脇腹を貫通すると、発狂してしまいそうな激痛が襲い来る。

 だが、この後のことを考えれば耐えられる。

 ・・・・・・どうも僕は基本的に性根がひねくれている。こういう時こそ、最高に燃えてきてしまうんだものな。

 

 スプリングボックは僕のとち狂った行動に気圧されるあまり、反応がいっしゅん遅れてしまっているようだった。僕はその僅かな猶予を逃さず、燃える穂先から柄へと自身の体を貫き通し、奴へと肉薄していた。

 

「ぐっ・・・・・・貴様ぁッ! 離れなさい!」

「あぐうううっっ!!」

 

_______ギリッ・・・ギリッ・・・

 スプリングボックは僕の腹に片足を乗せ、力づくで槍を引き抜こうとしてきた・・・・・・しかし僕を引き離すことは出来ない。

 なぜならば僕は、大口を開けて奴の肩に噛み付いていたからだ。

 紛れもなくオオカミの攻撃手段。ヒツジではあり得ない。

 草食獣としては、僕はスプリングボックの足元にも及ばない。それは認めよう。

 だから見せてやるよ。ヒツジでありオオカミでもある僕にしか出来ない戦い方というやつをな。

 

 大した牙も持ってない僕の顎で噛み付いたって、まともに傷を負わせることなんて出来ない。まとわりついているだけで精一杯だ。

 しかしそれで十分なのだ・・・・・・なぜならば今、僕の両手は自由なのだから。

 

_______パシッ!

 両手を奴の腹部に押し付ける。

 一本のナイフすら作り出せなくなった能力の残滓を、手のひらの中心で凝固させると、心の中で高々と号令をかけた。

(武器よ! 戻れ!)

 

_______ガガガッ! ズドドドドッッ!

 

「なっ!? ・・・がはああああっっ・・・!!」

 

 あちこちに散らばっていた無数の槍やナイフが、僕の呼びかけに呼応するように手のひらへと吸い寄せられた・・・・・・ちょうどその軌道に挟まれる形になったスプリングボックの体を次々と貫通しながら。

 貫かれるたびに奴の体がガクガクと震えるのが顎ごしに感じられた。

 

 やがて僕を貫いていた槍が消滅すると、スプリングボックが立ったままガックリと項垂れた。

 能力をかき消し、奴の全身を貫いた得物を体内にしまい込むと、まさしく蜂の巣のような奴の体から鮮血が噴き出してきた。

 致命傷だ。全身をこんな穴ぼこだらけにされて生きていられるフレンズなどいない。

 

_______ガシィッ!

 

 そのまま倒れてしまうかと思ったスプリングボックがふたたび奮起してきた。僕の胸倉を掴みあげ、ふたたび全身に赤々と炎を灯してみせたのだ。

 ・・・・・・なんて奴だ。死を超越し気力だけで動いているというのか。

 

「貴様ァァッッ・・・・・・勝ったつもりかァァッ!!」

「ああ、僕の勝ちだ!」

 

 スプリングボックの手を振り払うこともなく、灼熱に身を晒し立ち尽くしたままそう宣言すると、奴が発した最後の灯火がパッとかき消えて、今度こそ地面に崩れ落ちた。

 ディンゴ・・・・・・仇は取ったぞ。

 

「わ、私は死ぬのか・・・・・・何も守れないまま・・・・・・」

 

 僕を恨みがましそうに見上げていた瞳がやがて伏せられ、視線がぼんやりと宙を泳いでいる。

 今やつが見ているのは、己が愛してやまない故郷とやらの景色だろうか・・・・・・迷いなく純粋に、大切な物のために全力を尽くした戦士の最後がそこにはあった。

 

「スプリングボック、ひとつだけ言わせてくれ」

 本当は言葉などかけるべきではないのだろうが、無粋を承知でひとことだけ口を開いた。

 奴を称えるための極めてシンプルな言葉だ。

「お前という強者がいたことを、僕は死ぬまで忘れない!」

 

 僕の言葉を聞いて、もはや顔を上げることも出来なくなった奴の体が、一瞬ピクリと動いたような気がした。

 

「ふ、ふふ・・・・・・アムールトラ、後は任せましたよ。パンサー・・・・・・いま、行きます・・・・・・」

 

 スプリングボックが事切れた瞬間、奴の全身が虹色に輝き出した。

 やがて中でもひときわ強い球状の光が肉体から抜け出し、黒雲に覆われた空へと天高く登っていった。

 ・・・・・・あれが奴の魂なのだろうか。

 そしてその場に残されたのは、フレンズだったころに負けず劣らず、彫刻のように美しく細身な体をした、二本角の草食獣の遺体だった。

 

 それにしてもスプリングボックの最期の言葉には驚かされたものだ。知っている名前が二つも出て来たではないか。

 やはりアムールトラはこのバトーイェ山脈のどこかにいる。

 しかし、パンサーは死んだのか? スパイダーさんが川に落として逃がしたはずだ。足を怪我していたとはいえ、あのまま死んでしまったとは考えにくいが。

 

 ・・・・・・まあ、僕にはどうでもいいことだ。

 スプリングボックの亡骸から視線を外し、その場を後にしながら考える。コイツと遭遇した”裂け谷”に戻ったところで、あの場にいたパークの兵士たちはもう別の所へ移動してしまっている可能性が高い。

 つまりアムールトラを探す手がかりはもう無い。状況は完全に振り出しに戻った。

 

「・・・・・・くそっ・・・・・・」

 

 考え事をしながら歩き続けるうち、意識が朦朧としてきた。これ以上立っていることすら危うい感じだ。足を進めるたびに鮮血が地面を滴る。

 勝ったのはいいが、僕もかなりの重傷を負ってしまった。

 この体でアムールトラと戦うことは無理があるだろう・・・・・・スプリングボックに勝つことに必死で、後に体力を温存するなんて余裕はなかった。

 ・・・・・・本当に、ここから先どうしたものだろうか。

 

_______いたぞ! フレンズだ!

 

 一人きりで歩いていた僕の姿を、辺りの岩肌の影から無数の銃口が捕える。

 姿を現した兵士たちは一様に紺色の戦闘服を身にまとっている。

 この近くを通って進軍していたシャヘルの歩兵たちだ。僕とスプリングボックが繰り広げた死闘が発した物音を聞きつけて様子を見に来たのだろうか。

 

「待て、コイツは・・・・・・」

 

 僕が咄嗟に両手を上げて降伏の意を示すと、殺気が迸っていた銃口が一時下に落とされる。

 どうやら僕の姿を知っている奴がいたようだ。味方側のフレンズ相手に銃を向ける必要もないと判断したのだろうか。

 

 しめたものだと思った。一切の手がかりもなく、自力で移動する体力も尽きかけているこの状況なら、シャヘルの奴らに負傷兵として運んでもらうのが一番都合がいい。

 ・・・・・・まあそう上手く行く保証はないが。

 仮にもし、フレンズ部隊をまるごとパークの奴らに降伏させた僕の裏切り行為が発覚していたら一巻の終わりだ。

 

「受け取れ!」

 

 恐る恐る僕に近づいた1人の兵士が、何か小さな物を僕に向けて放り投げてきた。それをキャッチして眺める。

 何のことはない。スマートフォンだ。一体誰に繋がっていると言うんだ? 首をかしげながら端末を耳元に当てた。

 

《メリノヒツジか?》

「ええ」

 

 カルナヴァルの声が端末の中から聴こえてきた。

 シャヘルの地上侵攻部隊を指揮する奴が直々に受け答えするということは、現場の兵士たちだけでは僕の処遇を判断しかねている証拠だ。

 

《さて、お前をどうしたものか。メリノヒツジ、ほかでもないお前の提言を受けて、フレンズ部隊だけでの突撃を命じたわけだが・・・・・・生き残っているのはお前だけなのか? と言うのも、他の連中の所在が突如ようとして知れなくなったからだ》

 

 カルナヴァルの声色にはあきらかに僕への疑いの気持ちが入り混じっていた。

 僕の所業が勘付かれでもした時には不味いことになる。出来うる限り誤魔化してみせるしかないだろう。

 幸いなことに、今の僕には状況証拠というものがある。この酷く傷ついた体こそがそれだ。

「そうです」

 嘘を付きとおしてみせる・・・・・・真実を織り交ぜた嘘を見破るのは容易ではないはずだ。

 

「敵方の戦力は強大でした。部隊はことごとく壊滅し、命からがら僕だけが逃げ延びたというわけです」

《ほう、そうか・・・・・・》

 

 もったい付けるように思案するカルナヴァルの声に肝を冷やす・・・・・・仮にもし、すべてわかった上で知らないフリをしているんだったらマズい。

「・・・・・・この傷では戦えません。どうか応急処置を願います!」

 頭を下げ、従順そのものの態度で助けを乞う。いまの僕に出来るのは猫をかぶり誤魔化すことだけだ。

 

《ステイ・トゥー》

「な、何故です!?」

 

 端末越しにその言葉が聞こえた瞬間、両腕につけられた鎖の腕輪が発動し、体が痺れ力なく崩れ落ちる。

 殺すのでもない、助けるのでもない。カルナヴァルは僕を拘束することを選んだようだ。

 岩肌に倒れ込んだ途端、本格的に意識が遠のいて来る。

 重傷を負った体に、強制拘束という負担がさらに圧し掛かってくる。もはや耐えきれない。

 

《ふん・・・・・・どのみちお前のような、腹の底が読めん手駒はもういらぬ。自由を奪って、必要な情報だけ吐かせて処分してやる》

 

 ぼやけてくる視界の中、端末越しにカルナヴァルがほくそ笑む顔が目に浮かぶ。

 そいつをあたかも睨み付けるように目を見開いていたのも束の間、僕の意識はあっけなく途切れ闇に落ちていった。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・スプリングボック属
「スプリングボック」(死亡時年齢:9歳2か月)

_______________Human cast ________________

「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章26 「ぎゃくてんのきりふだ」


 真打ち、来たる。


 ふわりとした浮遊感を感じながら目を覚ました。

 虹色にたゆたう生暖かい液体に全身が浸されている。

 僕はこの場所のことを知っている。それどころか見慣れてすらいる・・・・・・まちがいない。ここは見るからにサンドスター調整槽の中だ。

 フレンズの自己治癒能力を最大限に活性化させ、最適なコンディションを保つだけでなく、外的な負傷から短時間で回復させることが出来る装置だ。

 

 どうやら僕はカルナヴァルの一声で拘束された後に、この調整槽へと運び込まれたようだ。

 水槽ごしに振動やら騒音やらが響いてくる。それらの情報から、ここが移動中の乗り物の中なのだろうと推測することが出来る。

 このような大袈裟な設備が置いてあることから、おそらく兵員輸送車などではなく、将官クラスが乗るホバー艦の内部だと思われるが・・・・・・

 

 スプリングボックとの死闘で消耗しきった今の僕にとっては、願ってもない最高の環境と言えるだろう・・・・・・まあ、ここから先の処遇については、かなり絶望的な予測しか立てられないわけではあるが。

 

「お前はつくづく幸運な奴よな。メリノヒツジよ」

「そ、その声は!」

「お前が今いる水槽には”量産型”フレンズが入っていた。しかし今その者は出払っている。それに加えて、お前には鎖の腕輪が施されている・・・・・・そして最後に、今ワシはとても気分が良い。これら三つもの条件が揃っていなければ、お前を躊躇なく射殺していたところだ」

 

 どこからか聴こえるカルナヴァルの憎たらしい声。

 それに気づいた刹那、虹色の光がきらめく水槽のガラスの中に、奴の立ち姿が反射して映り込んでいた。

 パークの残党勢力を殲滅する作戦の指揮官という大役を任されているにもかかわらず、何やら随分と余裕のある表情だ。

 このバトーイェ山脈での地上侵攻作戦が滞りなく進んでいるのであろうことがうかがえる。

 

「今からワシの質問に答えてもらう・・・・・・が、その前に戦況をかいつまんで教えてやる」

 

 戦闘開始当初、パークの残党は高所に布陣し、熾烈な砲撃によってシャヘル側を苦戦させていたが、時間が経つごとに勢いが弱まり、今やじわじわと後退を始めているのだという。

 もともとシャヘル側はパークの残党に比べ、兵力において圧倒的に勝っていたのだ。

 したがって長期戦になればなるほどシャヘル側が有利であり、いずれ巻き返すのは自明の理だったということか。

 

 しかし快進撃の理由はそれだけじゃないようだ。

 カルナヴァルの切り札は、戦闘開始直前にグレン・ヴェスパーに貸し与えられた”量産型”フレンズ部隊だ。

 それがいま戦場に放たれ、パークの残党たちを猛烈に追い詰めているらしい。

 

「量産型フレンズ・・・・・・あれはまさに完成された兵器だ。お前ら旧式の人造フレンズなどはもはや”型落ち品”も同然よ」

 

 カルナヴァルがご満悦な表情で豪語する。

 ヴェスパー親子のおぞましい実験によって急速に乱造されたフレンズ達は、圧倒的な数を誇るだけでなく、機械のように命令に忠実。さらには己の命を厭わない。

 ・・・・・・まあ確かに、僕も含めて裏切り者の人造フレンズが続出しているこの状況だ。カルナヴァルやヴェスパー親子にとって量産型フレンズは願ってもない存在だと言えるだろう。

 

「もはや奴ら”ジャパリ”の命運は尽きた」

 

 ジャパリとは、パークの残党勢力が新たに名乗り始めた組織名だという。

 おおやけの手続き上は、パークの責任者はカルナヴァルということになっているために、奴らは別の名を名乗る必要があったようだ。

 

「・・・・・・随分と自信がおありですね」

「お前がいなくなっている間に状況は激変したのだ。奴らの首魁たる”カコ・クリュウ”がプレトリアにて捕えられたと聞いた」

「か、カコ・クリュウですって!?」

 

 会ったことはないが名前だけは知っている。

 若くしてパークもといジャパリの指導者として君臨する女だ。裏切り者カルナヴァルの元のご主人様というわけか・・・・・・

 

「実にバカな女だ。自ら飛んで火に入ってこよった・・・・・・世間知らずだとは思っていたが、まさかあれほど愚かだったとはな。奴と手を切ったワシの判断は正しかった」

「いったい何があったというのですか?」

 

 カコ・クリュウは、プレトリアの式典会場を警護するSPたちの中にたった1人で紛れ込んでいたそうだ。

 そして警備の目をかいくぐって放送設備をジャックして、会場に到着していた軍の重役等、Cフォース関係者に向けて演説をぶったそうだ。

 グレン・ヴェスパーが行おうとしている悪行や、フレンズを保護せんとする己の活動理念について語ろうとしたらしい。

 ・・・・・・だがほどなくして警備の者たちに取り押さえられ身柄を拘束されたようだ。

 他の仲間を引き連れていなかったことと、武器の類をいっさい所持していなかったことから、ひとまず殺されることはなかったらしい。

 

「あの愚かな女は、自ら滅ぶだけでなく、Cフォース内の異端者をも炙り出しおった・・・・・・事ここに至って、少しはワシの役に立ったというわけだ」

 

 カコ・クリュウの言葉に、少数ながらも心を打たれた者たちがいたという。

 Cフォースの軍閥の中でも指折りのポストに在籍する数人の将校たちだ。

 カコの言葉と、寸鉄も帯びずに1人で乗り込んできた態度に感銘を受け、最後まで耳を傾けるべきだと主張したようだ。

 ・・・・・・しかしグレン・ヴェスパーは、その者たちを組織に混乱を招く不穏分子であると断じ、警備兵に命令してカコと共に拘束したようだ。

 

 今までとは異なり、もはや独裁者である本性を取り繕おうともしていないようだ。

 その強気な行動の裏には間違いなく、己の支配を絶対のものとする”セルリアンの女王”が誕生することへの確信があるのだろう。

 フレンズを、セルリアンを、そしてヒトをも・・・・・・この世のあまねくすべてを意のままに隷属させようとする意志が伝わってくる。

 

「あのバカどものことは、後はグレン様が煮るなり焼くなり好きになさるであろう」

「しかしわかりません。指導者カコ・クリュウが捕まったのに、なぜジャパリは抵抗を続けているのですか?」

「簡単なことだ。あの小娘は指導者などではない。本当の指導者はリクタス・ヒルズという小生意気な若造だ。奴を捕えないことにはジャパリは降伏せぬ」

 

 リクタス・ヒルズ・・・・・・

 このバトーイェ山脈においてジャパリ全軍を指揮していると言われる男の名だ。

 高邁な理想主義者だと言われるカコ・クリュウと比べて、手段を選ばない過激派の人物らしく、アフリカ大陸の裏社会と深いつながりがあるとも言われている。

 

「もはやジャパリはあの男がすべて掌握しているのだろう。カコ・クリュウが1人だったのも合点がいく。結局はワシの読み通りの展開になったというわけだ」

 

 カルナヴァルは元はパークの幹部であり組織の内情を知っている。

 そんな奴が立てた推測はこうだ。

 カコとヒルズとでは、思想も思考も何もかもが真逆で噛み合わない。したがって2人が反目し合うのが必然。

 そして権力争いに勝利したのはヒルズだった。

 ジャパリの全権を握ったヒルズは、己の思うがままジャパリを過激なテロ組織として再編成したのではないか、と。

 

 ・・・・・・一方で、カコ・クリュウがたった1人で無謀にも式典会場に乗り込んできた理由。

 それは外部に自分の顔を売ることで、ジャパリの指導者として返り咲くための最後の賭けだった、ということだ。

 

「くだらん内部の権力争いに陥った結果、やつらは共倒れになったのだ。ワシがそういう風に仕向けた・・・・・・グレン様もこの功績を評価せざるを得ないだろう。さらに内部の異端者どもが摘発された今、ワシが大出世する未来が開けたも同然だ! ふふふっ、ははははっ!」

 

 カルナヴァルが得意満面な顔で自画自賛を続けている。

 だが果たして本当にコイツの言う通りなのだろうか?

 僕がジャパリの連中と戦って感じたのは、奴らが極めて統率が取れた集団だということだ。

 どんなに追い込まれようとも、ヒトもフレンズも力を合わせて必死に抗戦を続けている。とても内部の権力争いで荒れているような組織には思えないのだが・・・・・・

 

「・・・・・・おっと。お前のような家畜を相手に、ついつい気分よく喋り過ぎてしまったようだ。そろそろ本題に入らせてもらおうか」

「どうぞ、なんなりとお聞きください」

「聞きたいことはズバリ一つしかない。敵の動向についてだ・・・・・・なぜこうも敵に良いようにやられた? それほど手強かったのか?」

 

 ・・・・・・さて、どうしたものか。まだ僕への疑いは完全に晴れてないと見る。いつ裏切り行為が発覚してもおかしくない。

「はい。おっしゃる通りです」

 何を話し、また何を黙秘すべきか。身の危険を察知した僕は、己の身を守るために頭をフル回転させて情報の取捨選択を行いながら口を開いた。

 

「ジャパリ側には”能力持ち”の強力なフレンズが何人もいました。

 全身を燃え上がらせて火の玉のように突撃してくる者。己の分身を生み出して二体同時攻撃を仕掛けてくる者。全身を液状化させてアメーバのように襲い掛かってくる者・・・・・・。

 数では圧倒的に劣る奴らに対して、僕らは多大な犠牲を払いながら一人一人仕留めていくしかなかったのです・・・・・・まったく、クズリさんとスパイダーさんが戦列に加わっていれば、このような苦戦を強いられることはなかったでしょうにね!」

 

 恨みごとのような声色でまくし立てる。これは「真実を織り交ぜた嘘」などではない。まぎれもなく僕が体験した真実そのものだ。

 ただ時系列を曖昧にして、さらに都合の悪い情報をそぎ落として報告しているに過ぎない。

 

「70名を超えていたお前らが、たった数名と相打ちになったというのか?」

「そうです! 僕らは犠牲を払いながらも役目を果たした。だからこそ侵攻作戦が上手く行っているのではないですか?」

 

「ひとまずは信用しておいてやろう。それでもう一つ聞きたいことがあるのだが・・・・・・」

 ガラスに映り込むカルナヴァルが、笑みを打ち消しながら何度か頷くと、ふたたび顔を上げて質問を重ねて来る。

 一体どう出るつもりだ? 僕の言葉に疑われる要素はまったくないはずだ。

 

「ジャミング装置について何か知らぬか? このバトーイェ山脈のどこかで奴らが密かに建造しているものと思われるが、我々はいまだ情報を得られてはおらぬのだ」

「それは・・・・・・」

 

 確証は無いものの、心当たりならばあった。

 ジャパリの兵士たちが、傍目には小さなほら穴のようにしか見えない”裂け谷”の中を進んでいた様子をこの目で見た。

 人目を忍ぶ彼らの行軍には何か強い目的意識が感じられた。

 ・・・・・・スプリングボックが彼らを守るように立ちはだかってきたおかげで、その後の足取りを追うことは叶わなかったが。

 あの誇り高き角獣は、何らかの秘密を命がけで守ろうとしていたのだ。それを暴こうとする者を確実に抹殺しなくてはならない程の重大な軍事機密を・・・・・・。

 

「いえ。何もわかりません」

 

 僕は敢えて黙っておくことにした。

 それはスプリングボックに対する義理立てのつもりだった。そして奴との命がけの勝負を穢したくない気持ちもあった。

 敵ながら見上げた奴だった。秘密を知る資格があるとすれば、それは奴を倒した僕だけだろう。

 

 カルナヴァルのような、他人に媚びへつらうしか能がない癖に、漁夫の利を得て悦に入っている小物に立ち入られるのは不愉快だ。命がけで想いを果たそうとしたスプリングボックに比べて、コイツのなんと浅ましいことか・・・・・・

 

 戦士としての矜持とか、フェアプレイ精神がどうとか、そんなカビ臭い価値観を持ち出すつもりはないが、端的に言ってコイツの下劣さにはいいかげん腹が立ってくる。

 まあ、元よりもうコイツの言うことを聞くつもりはない。都合のいいタイミングで僕を回収してくれたから、再び利用してやろうというだけだ。

 

「やれやれメリノヒツジよ。お前は何の役にも立たん奴よのう・・・・・・まあよいわ。もはや大勢は決している。間もなく我々は奴らを制圧する」

「な、なんですって・・・・・・!? もうそこまでの局面に来ているのですか?」

「我が軍の侵攻は、もうじきリクタス・ヒルズの喉元にまで手が届くだろう」

 

 シャヘルはこれまで、無数のドローンを飛ばしてジャパリ側の兵力をつぶさに偵察していたのだという。

 そして収集された映像の中に、今現在シャヘルの軍勢と真っ向から撃ちあっている砲撃部隊を指揮するリクタス・ヒルズの姿を確かに捉えたというのだ。

 

 シャヘルとの圧倒的な兵力差に押し返されたジャパリは、ヒルズの指示によって撤退を始めているのだという。

 しかし足場が劣悪なバトーイェ山脈では退路も限られている。

 奴らはあろうことか、山あいの狭まった谷間へと大軍を後退させ始めたのだ。とうぜん全員が通り抜けるためには時間がかかる。

 シャヘルの戦力ならば、そこを叩いて一網打尽にするのは造作もないことだ、とカルナヴァルは鼻息荒く断言した。

 

「・・・・・・何かの罠ではないのですか?」

 

 不可解だ。短時間にあまりにも戦局が進み過ぎている。

 だいいち、大将がそんなに簡単に姿を現すとは思えない。ドローンに映っていた画像とやらも、もしかすると影武者で、シャヘル側を一か所へと誘い込もうとしている可能性だって考えられる。

 

「だから何だ? 罠ごと踏みしだいてやればいいだけのことだ。作戦の期限は今日いっぱいだ。我々には手をこまねいている暇はないのだ」

 

 もはや勝利を確信したカルナヴァルが僕の言葉に耳を聞き入れるはずもなく、強気な態度を崩そうともしない。仮にジャパリ側が罠の類を仕掛けてくるなら、コイツはまんまとそれに引っかかるだろう。

 罠でも何でも勝手に嵌ればいい。むしろさっさとそうなってもらいたいものだが、道連れになるのは御免こうむりたいところだ。

 

 そして、どうやらまだアムールトラは侵攻部隊の前に姿を見せていないようだ。

 カルナヴァルを見ればわかる。何かにてこずっている気配がない。あまつさえ、陣頭指揮すら取らずに僕を相手に油を売っている余裕さえあるのだ。

 仮に奴が立ちはだかっているならば、たとえシャヘル側が何十何百の量産型フレンズをぶつけようと、多数の犠牲が出るのは間違いないはずだ。

 

 ・・・・・・いったいどこで何をしている? 

 敵ながら歯痒くて胸がムカムカしてくる。後を託して死んだスプリングボックの遺志に反するように、いっこうに姿を現さないではないか。

 

「さて、メリノヒツジよ。これでもうお前に用はない」

 槽内に映り込むカルナヴァルの口元が愉快そうに歪む。

 僕はそれを見て奴の考えていることを察し、全身の血の気が引いていくような気がした。

「このまま調整槽の酸素濃度をゼロにしてくれようぞ」

 

 どうやら鎖の腕輪の効果はまだ持続しているようだ。手足には一切の力が入らず、ただ調整槽の中に身を浮かべていることしか出来ない。

「待ってください!」

 当然のこと今の僕に出来るのは、言葉によって抵抗することだけだ。

 

「僕がイヴ・ヴェスパー副総帥じきじきに指令を受けていることを忘れたのですか!?」

「・・・・・・その指令とは」

 

_______スッ

 カルナヴァルの顔前に掲げられた金属の筒・・・・・・僕が持っていたはずのそれを、奴は鬼の首を取ったように見せつけて来た。

 

「この薬物の治験のことだろう? 過大なドーピングを行って、潜在能力を極限まで強化するか、さもなくば命を落とすという、実に荒唐無稽なモルモット実験だ」

「ご存知でしたら話は早い。僕は進化促進薬を任意のタイミングで使うように命令されています」

「ワシが引っかかるのはまさにそこなのだよ。どこまでがイヴ様の命令に含まれているのか、お前に証明できるのか?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 僕が何も言い返せないでいると、したり顔でほくそ笑むカルナヴァルは再び進化促進薬を手許に仕舞い込んだ。

 ・・・・・・まんまとしてやられたと思った。ようやく奴の真意がわかった。

 進化促進薬を質にとって、真意が測れない僕を無理やり従わせようとしているのだ。促進薬が僕にとって残された最後の望みであることは奴もすでに知っているのだろう。

 

「ワシはお前の上官だ。ならばこの薬物を使用するタイミングはワシが判断してやろうではないか。その時が来るまで預かっておいてやる」

「・・・・・・くっ!」

「ふはははっ! せいぜいそこで傷を癒しておくがいい! 最後までワシの役に立つためにな!」

 

 カルナヴァルが背を向けて高笑いしながら遠のいていく。

 そして自動ドアの開閉と思しき音声が聴こえた瞬間、奴は「テイク・トゥー」と呟いた。腕輪の拘束を解除するコードに呼応して、弛緩していた僕の四肢に再び力が戻る。

 

「メリノヒツジよ、出たいならそこから出て戦列に加わってもよいぞ。まあお前がいなくても戦いには勝つがな・・・・・・お前が考えるべきなのは、どうすればワシの覚えがよくなるかということだ。トラの子のドーピング薬を返して欲しくばな」

 

 自動ドアごしにカルナヴァルが振り返り、今にも侵攻部隊の指揮に戻らんとする気配をちらつかせてきている。

 不快なニヤけ顔を見せつけながら僕の返事を待っているのだ。

 

「さあ、どうなのだ?」

 

 なんてザマだ。この僕があんな俗物ごときに良いように手玉に取られるとは・・・・・・

 この状況、これからどう動くべきなのだろうか。

 どうしたらカルナヴァルから進化促進薬を取り返し、どこにいるかもわからないアムールトラに戦いを挑むことが出来るのか?

 

 悪い予感ばかりが頭をよぎる。もしシャヘルがこのままジャパリを制圧してしまったら、アムールトラと会えずじまいのまま戦いが終結したら。

 ・・・・・・僕のやってきたことは、すべてが無意味となる。

 

 ネガティブな気持ちを振り切るようにしてカルナヴァルから目を逸らし、調整槽に浮かぶ自身の体を観察してみる。

 どうやら、一番の深手だった脇腹の出血は止まっている。

 スプリングボックの燃え盛る槍によって貫かれた風穴を塞ぐようにして、虹色に輝く薄い膜が張っている。

 フレンズの自己治癒能力が活性化したことによる瘢痕形成が早くも始まっているようだ。

 

 次は手のひらをじっと見つめてみる。

 意識を集中させ念じていると、ディ・フェアヴァントルの原型たる金色の粒子が、ぼうっと蛍火のように手のひらの上で揺らめいた。

 ナイフ一本すら作り出せなくなったほどに尽き果てていたスタミナに、どうやら回復の兆しが見えはじめている。

 

 調整槽にいることによる回復効果は確かなものだ・・・・・・だがいまだ万全とは程遠い。

 満足に戦えるようになるには、少なくとも丸一日はここで寝込む必要があるだろう。しかしもうそんな時間は残されていない。

 どんな結末が待っているにせよ、このバトーイェ山脈での作戦は今日いっぱいで終わる。

 明日6月7日の正午には、グレン・ヴェスパーがプレトリア郊外に核ミサイルを落とすからだ。

 

「どうした!? 早く答えぬか!」

「・・・・・・お願いです。ここから出してください! どうか僕も戦列に加えてください!」

 

 まだ終われない、行くしかない・・・・・・そう心の中で断じた僕は、怒りで沸騰しそうな顔を上に向け、カルナヴァルへの恭順を誓う屈辱の言葉を言い放った。

 

 

________シュタタタタッ!

 

 再びシャヘルの軍勢に舞い戻った僕は、こんどは”量産型”フレンズ部隊と共に最前線に出ることとなった。

 イヌやネズミの特徴を持った、能面のごとき無表情のフレンズ達が、一糸乱れぬ足並みで荒れた岩肌を駆け抜けている。

 揃いも揃って中々の俊足で、今の僕じゃ付いて行くだけで精一杯だ。

 

 背後にはシャヘルの大戦車部隊が、怒涛の勢いで砲撃を放ちながら進軍している。その傍らには随伴する歩兵たちが、物陰から物陰へと身を隠しながら移動を繰り返している。

 対するジャパリ側の砲撃はごくごく疎らだ。まるで燃え尽きる直前の花火のように、己の光をアピールするのが精一杯といった感じだ。

  

 ・・・・・・なんとも妙な地形だ。このバトーイェ山脈では珍しく、戦闘車両でも問題なく移動が続けられるほどになだらかな道が続いている。

 そして何より、ここは下り坂だ。山を少しずつ下りるような方向に進んでいる。

 

 わからない。ジャパリの奴らは、リクタス・ヒルズは、一体どういうつもりでこんな場所へ軍を動かしている?

 兵力で劣る奴らがシャヘルを相手に戦うには、天然の要害という利を生かす他にないはずだ。元々奴らは高所に陣取っていたのに、なぜ地の利を捨てるような真似をする? 

 やはりシャヘルには勝てないと悟って、核投下を阻止するという目的も達成できないまま尻尾を巻いて退散を始めたというのか? 

 そしてこんな敗色濃厚な状況になってもまだアムールトラは出てこない。

 ・・・・・・もしこのまま最後まで出て来ないんだったら、僕は奴を一生恨むだろう。

 

 情報によればこの先には、細い道の両側に急峻な断崖がそそり立つ、Uの字型の峡谷があるのだと聞く。

 峡谷の間に通った一本道が、この近辺では唯一の抜け道という話だ。

 

「・・・・・・ここか」

 

 ほどなくして情報通りのUの字型の谷間が眼下に見えて来る。向かって突き当りを見上げると、左右両側にそびえ立つ峡谷は空に届かんばかりの予想以上の高さだ。

 逆にその間の一本道は思った以上に狭く、そして出口が見通せないほどに長い。もしあの先に進むなら車両を降りて徒歩で行くしかないだろう。

 

 正直、逃げ道としては致命的な地形だと思う。砲撃によって峡谷が崩落すれば、ジャパリの奴らは岩の下敷きになって一巻の終わりだ。

 あんな場所から撤退を図ろうとしているのならば、ジャパリの奴らは本物のバカか、もしくは恐怖のあまり正気を失ったのだとしか考えられない。

 

 眼下に広がる谷間一面に硝煙が立ち込めている。なんとも焦げ臭いにおいが風に乗って嗅覚を刺激してくる。

 地面には無数の穴が開いており、さらに飛び散った岩石が細かく散らばっている。

 それらの傍らにはジャパリ側の物と思われる戦車が、煙を吹きながら何台も沈黙していた。

 見るも無残な敗北の様相だったが、こうなるのは当たり前だ。先ほどからシャヘル側の仰角射撃をありったけ浴びせられていたのだから。

 

 ・・・・・・そして見た。もはや命運尽きた生き残りのジャパリ兵たちが、狭い峡谷の間へと我先に敗走している姿を。

 いっぽうでシャヘルの戦車や歩兵は、フレンズ部隊に遅れる形で続々と到着し、峡谷の入口付近を完全に包囲しはじめていた。

 ジャパリ側はこれで袋のネズミとなった。

 

≪がっははははっ! 実に愉快だのうっ!≫

 

 勝利を確信したカルナヴァルの笑い声が、拡声器ごしに硝煙立ち込める戦場に広がっていく。

 どうやらカルナヴァルは部隊のさらに後方、旗艦である大型ホバー艦に踏ん反りかえりながら状況を品定めしているようだ。

 

≪愚かなるジャパリの敗残兵諸君に継ぐ! 今すぐその穴ぼこの中から出て来い! そして跪いて許しを請え! ・・・・・・さもなくば生き埋めにしてやるぞ!≫

 

 品定めを終えたカルナヴァルが、すぐさま脅すような口調で降伏勧告を始める。 

 だがジャパリの兵士たちは、奴の言葉をあたかも無視するように、なおも止まらずに峡谷の中へとなだれ込み続けている。

 

≪・・・・・・いいのだな! では死ね!≫

 

 それを受けて「チッ」と腹立たしげに舌打ちしたカルナヴァルの声色が変わった。

≪撃ち方用意ッ!≫

 射撃命令が下されると、立ち並ぶ戦車部隊の砲塔が一斉に上向き、頭上遥か高くにそびえ立つ断崖に狙いを付け始めた。

 

________待ちたまえ。 

 

 今にも砲撃が炸裂せんとする緊張感がその場に走った瞬間、あまりにも落ち着きはらった声がその場に響き渡った。

 拡声器を使った、しかしカルナヴァルのそれではない、もっと若い男の声だ。

 

 その声の主の居場所はすぐにわかった。

 峡谷になだれ込むジャパリの兵士たちがサッと左右に別れ、その間から1人の男が颯爽と前に出て来たのだ。

 黒づくめの軍服にロングコートを羽織り、片手に拡声器を携えているその男は、明らかに他とは別格の佇まいだと思った。

 

≪・・・・・・なんとなんと! ついに現れおったなヒルズ!≫

「お元気そうで何よりだ。”モザンビークの長老”・・・・・・いや今は”グレン・ヴェスパーの飼い犬”とお呼びするべきか?」

 

 ご機嫌な声を上げるカルナヴァルに対して、その男は痛烈な皮肉で返した。

 なるほど、奴がジャパリの総大将リクタス・ヒルズか。

 黒人のような肌と白人のような金髪碧眼を併せ持つその姿は、遠目からでもよく目立っている。風変わりではあるが、その容姿も佇まいも、まるで役者のような美丈夫だと思った。

 

≪・・・・・・無様だのうヒルズよ! ワシとお前と、随分と差が付いた物ではないか。新参者の分際でデカい顔をするお前がずっと気に入らなかった。 

 そしてカコ・クリュウもだ! 親の七光りしか取り柄がない小娘風情が、一番の古参であるワシを差し置いてパークの後継者面だ・・・・・・お前ら2人が落ちぶれて実に気分がいいぞ!≫

 

 カルナヴァルがパークを裏切ってグレン・ヴェスパーに魂を売った理由。

 そのおおよその思惑が本人の口から語られた。

 若くして自分より優れた人物に対する単純な妬み嫉みだ。そんなありきたりな感情が、奴を薄汚い裏切りへと駆り立てた。

 自分を磨くのではなく、相手を陥れることで上に立とうとする。俗物にありがちな行動だ・・・・・・やはりそんな程度の奴だったか。

 

≪さあワシに命乞いをしてみせよ! その生意気な顔を地面に擦り付けるのだ!≫

「いや、その必要はないさ」

 

 敗軍の将リクタス・ヒルズ・・・・・・得体の知れない男だ。いったい何を考えているのか。

 追い込まれたこの状況で、シャヘルの大部隊が取り囲む矢面に身を晒しているというのに、信じられない程に涼しげな表情だ。

 

「最後に勝つのは僕たちジャパリだ。僕は君たちに対して、いわば勝利宣言をするために出て来たのだ」

≪クククッ・・・・・・この状況がわかっていないのか? 恐怖のあまり気でも触れてしまったのか?≫

 

 だしぬけに「勝利宣言」とうそぶくヒルズに、さしものカルナヴァルも高圧的な態度を引っ込め、憐れむような声色で嘲笑をはじめた。

 ・・・・・・しかしヒルズの態度はあくまで本気だ。ハッタリや妄言の類にはどうも見えない。最早いっさいの勝ち目がなくなった詰みに等しいこの状況で、ジャパリの奴らはいったい何を仕掛けてくるつもりだ? 

 

「ああ・・・・・・そろそろだ。カルナヴァル。あなたにも聴こえるはずだ」

 

 ヒルズはそう言うと、涼やかな表情のまま顔を上げ、己の耳元に手を当てて耳を澄ませるような動作をしてみせた。

 カルナヴァルは変わらずバカにしたようにケタケタと笑っている。

 

≪ハハハハッ、何が聴こえるというのだ? 神のお告げか?≫

「まあ、そんなような物だ」

 

________ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・!!

 

 とつじょ岩肌が揺れはじめた。

 ヒルズが意味深な事を口走った瞬間、見計らったようなタイミングで、辺り一帯で地震が発生したのだ。

 そこまで大した揺れではない。地面は細かく震えるように振動しているだけだ。土砂崩れが起きたりするようなことはないだろう。

 ・・・・・・だがその一方で、地鳴りの音が異常なまでに大きい。まるで地中で大量の爆薬が何百何千と爆発を続けているかのように、どくん、どくんと、鳴動を繰り返している。

 

「さあCフォースの諸君、後ろを見てみたまえ」

 

 ヒルズの言葉を聞くなりすぐさま後ろを振り返る。きっとその場にいる全員がそうしたものだろうと思う。

 そして衝撃的な光景を目にした。

 

(な、なんだと? こんなことって・・・・・・)

 

 僕らが来た道の、はるか頭上にあった険しい岩山のひとつから、赤い光が立ち上っている。

 昼間でも薄暗い黒雲に包まれていたはずの空を鮮やかに照らしている。

 

________ゴウンッ・・・・・・ゴウンッ・・・・・・

 

 火山が噴火している。

 急峻な峰のてっぺんから立ち上っている赤い光の正体は、紛れもなくマグマだ。さらに灰色の火山灰が天にまで達する勢いで立ち上っている。

 焔と泥のしみついた空・・・・・・まるで僕の愛するランボオの詩の一説のような情景だ。

 

 この星に宿る夥しいエネルギーの発露は、想像を絶するほどにすさまじいものだった・・・・・・こんなものを見てしまうと、地上の生物がいかに矮小であるかを身に染みて思い知らされるようだ。

 絶望的であると同時に、思わずその美しさと壮大さに目を見張ってしまう。

 何故こんなことになったのかは皆目見当がつかない・・・・・・だが、これだけは直感でわかった。

 地獄の釜の蓋が開いた。何かとてつもなく恐ろしいことが始まったのだ。

 

≪どど、ど、どういうことだぁ!? あれはお前らがやったのかぁ!≫

「・・・・・・そうとも。これが僕の勝利宣言だ」

 

 ずっと離れた山の頂で赤々と噴出するマグマは、なおも勢いを増し空中に四散し続けている。

 そんな物を見せられたカルナヴァルの動揺ぶりは、声だけしか聴こえなくても明らかだった。

 対するリクタス・ヒルズはあくまで冷静に、そして淡々と確信に満ちた言葉を続けてきた。

 

「驚くこともあるまい。元々このバトーイェ山脈はいつ噴火してもおかしくない場所だったのだ。最後に噴火したのはおよそ五百年前とされているが・・・・・・未だにまぎれもない活火山として公に認定されているよ」

≪だがお前らはどうやって火山を噴火させたのだ! たとえ核ミサイルを火口に落としたってそんなことは不可能なはずだ!≫

「それを可能にするのが僕らの逆転の切り札なのさ」

≪ふざけおって・・・・・・き、切り札だと!≫

 

「そう、サンドスターが持つ特殊なエネルギー変換効率を兵器に転用したものだ。破壊ではなく創造のための爆弾・・・・・・名付けてサンドスター・ボム、とでも言っておこう」

 

 ヒルズが得意げにネタ晴らしを始めた。

 サンドスター・ボム・・・・・・それはジャパリ側が密かに開発していたらしい秘密兵器の名前だ。そいつを地中奥深くで炸裂させることで、火山の噴火を誘発させたのだという。

 

 常識的に考えれば、火山の噴火には途方もなく膨大な時間とエネルギーが必要らしい。

 地下深くのマントルが溶けだして超高温のマグマになり、火山に少しずつ蓄積されていく。

 やがてマグマが許容量を超えると火口が開き、空気に触れることでマグマに含まれる水分が蒸発しガスと化す。それによってマグマの体積が急速に膨張し、地中から一気に吹き上がる。

 ・・・・・・というのが一般的な火山の噴火の仕組みだそうだ。

 

 このサイクルを自然に行うのであれば、数百、数千年単位の時間が必要らしい。

 噴火に要するエネルギーを爆弾の類でまかなおうとした場合、たとえ世界中の核兵器をかき集めようとも到底足りないのだそうだ。

 

 だがサンドスター・ボムはまったく新しい着想から作られた爆弾だという。

 一般的な爆薬のように自身が熱エネルギーを発するのではなく、他の物質と特殊な化学反応を起こして熱エネルギーを劇的に増殖させる効果があるらしいのだ。

 他の爆薬が足し算ならば、サンドスター・ボムは掛け算を行うものであると。

 

 ・・・・・・まったくワケがわからないが、とにもかくにも、バトーイェ火山に流れる少量のマグマがサンドスター・ボムに刺激されたことで活発化し、十倍にも百倍にも膨張した。

 そうすることで強制的に噴火させるまでに至ったというのだ。

 

「これで核ミサイルは封じた。グレン・ヴェスパーの核実験はもはや成功しないだろう」

≪・・・・・・な、なんだとォ! どういうことだ!≫

「わからないか? この規模の噴火だ。撒き上がる火山灰もさぞかし遠くまで達することだろう。たちまち大規模な電波障害が起きるはずだ」

 

 リクタス・ヒルズの狙い。

 それは火山灰を空中にまき散らすことで、周辺に電波障害を引き起こすことだったのだ。  

 核の投下予定地であるプレトリア郊外が、バトーイェ火山から数十キロメートルほども離れていようとも、数時間程度で火山灰の影響を受けるようになるそうだ。

 

 火山灰は極めて小さい粒のような物で、どこにでも入り込むのだという。通信機器等の内部に火山灰が侵入すれば、機器がショートし誤作動や電波障害を起こすようになると言われている。

 

 たとえプレトリア上空の成層圏に浮かぶスターオブシャヘルであろうと例外ではない。

 多少時間はかかっても、いずれは火山灰にまみれて通信機器に障害をきたすようになるという。

 そうすれば核ミサイルを狙った所に誘導することが出来なくなる。すなわちセルリアンの女王が誕生するための実験が失敗することを意味するのだ。

 

「出来ればサンドスター・ボムを使いたくはなかったよ。火山の噴火がもたらす周辺への被害は甚大だからね・・・・・・だが君たちに散々追い詰められたことで、もはやジャミング装置では目的を達成することが難しいと悟った。

 だから使用に踏み切った。現地住民の避難を行いつつも、極秘裏に部隊を動かして、時限装置付きのサンドスター・ボムを噴火口内部へと取り付けさせたのだ」

 

 説明を続けるヒルズの粛々とした顔を見て悟る。

 おそらく、スプリングボックが守っていた機密事項とはこれのことだったのだ。奴と遭遇した”裂け谷”の中で目撃した十数人の兵士たちは、サンドスター・ボムを人知れず設置するために動いていたのだ。

 ・・・・・・なるほど、スプリングボックが必死になって襲い掛かってきたのも頷ける話だ。ジャパリにとっては最後の希望である決戦兵器を守っていたのだから。

 

≪・・・・・・こ、このワシを本気で怒らせたなッ!≫

 カルナヴァルが口惜しさを跳ね除けるようにまくし立てる。

≪ヒルズよ! こうなったら、ワシの首を繋ぐためにお前の首を持ち帰らせてもらうぞ! 撃ち方用意!≫

 

 再び砲塔を動かし始めた戦車部隊に向かって、リクタス・ヒルズは薄ら笑いを浮かべながらまた一歩前へと出て「やめた方がいい」と手を掲げて制止した。

 

「死にたくなかったら僕らを撃つなどとは考えない方がいい」

≪ガハハハッ、随分と遠回しな命乞いをするものだな!≫

「・・・・・・やれやれ、後ろを見ればすぐに分かると思うがね」

 

 はるか後方ではバトーイェ火山が変わらず噴火を続けている。

 そして噴き出したマグマが岩肌を赤く染め、下方へと少しずつ流れ出て来ていた。あれは溶岩流・・・・・・火山の噴火には付き物の現象だ。

 マグマの流れる勢いはそれほど速いわけではない。だがあと何十分か経てば、そのうち必ず僕らのいる所にまで届くだろう。

 言うまでもなく、マグマに飲まれればあらゆる生物はひとたまりもない。

 

「お分かりいただけたかな? この付近では、僕たちが今いるこの峡谷が唯一の抜け道となる。

 ・・・・・・ということは、もし僕らを攻撃したことで峡谷が崩落してしまったら、君たちはどうやって溶岩流から逃げ延びるつもりなのかね?」

≪ぐ、ぐぬううっ! 生意気な若造が!≫

「さあCフォースの諸君、武器を捨てて降伏したまえ。そうすれば僕らの後にこの道を通って脱出することを許してあげよう」

 

 ヒルズが意趣返しのように降伏を勧告してきた。

 傍から聞いているだけの僕でも、状況を察することは簡単だった・・・・・・シャヘルはジャパリにまんまと逆転されたのだ。

 核実験を阻止するという「戦略的」な意味でも、シャヘルの侵攻部隊の動きを食い止めるという「戦術的」な意味でも、ジャパリは自分達のすべての目的を達成しようとしているのだ。

 

 やはりジャパリの連中は考えもなしに無茶な作戦を展開していたわけではなかった。

 状況を巧みに予測し、この展開を狙って僕らをここまでおびき寄せてきたのだ。

 愚かなカルナヴァルは功を焦るあまりまんまと罠にはまり、シャヘルの全軍をこの場に投入してしまった・・・・・・もはや引き返すことはできない。

 

「無駄な抵抗はしないことだ。峡谷内には前もって爆薬を仕掛けてある。僕らの安全を確保するためにね・・・・・・むろん君らが武器を捨てるなら使うつもりはない」

≪し、信じられるものか! ワシらを誘い込んでから起爆するつもりだろうが!≫

「信じるかどうかはそちらに委ねよう。もっとも裏切り者のあなたには、それが一番難しいことだろうがね?」

 

 ダメ押しのような一言が告げられる。

 カルナヴァルとしては、砲撃が使えないのならば、銃火器かもしくはフレンズに攻撃させる手段だって取れるのだろうが、今やすべての手が封じられてしまったのだ。

 溶岩流から逃れるためには、ヒルズの言う通り武器を捨てて峡谷に入らせてもらうしかない。

 もしくは砲撃を行って峡谷を崩落させ、奴らを道連れにマグマに飲まれるかだ。

 ・・・・・・降伏か死か、まさに究極の二択が突きつけられていた。

 

(終わりだ!)

(いったいどうすれば!)

 

 危機的な状況を悟ったシャヘル側に動揺が広がっていく。

 それでも降伏勧告を受け入れるかどうかは、現場の司令官たるカルナヴァルにすべてが委ねられている・・・・・・しかし奴からの返事はない。悔しそうに喉を鳴らし、決断しかねている声だけが聴こえて来る。

 そうしている間にも、溶岩流がゆっくりと確実に僕たちの背後に迫ってきていた。

 

________パァンッ!

 

 混迷きわまる空気の中、銃声がひとつ弾けた。

「ぐっ・・・・・・!?」

 撃たれたのはリクタス・ヒルズだった。奴の黒い軍服の胸元が赤く染まり、凛と立っていた姿が膝を付いて崩れ落ちた。

 撃ったのはシャヘル側の兵士の誰かだ。極限まで追い詰められ、恐怖に我を忘れた結果、勝手に体が動いてしまったのだろう。

 

≪だ、誰だァァァッ!! ワシは何も命令しとらんぞぉぉ! ワシの指示なく撃ったのはどこのバカだァッ!≫

 

 状況を悟ったカルナヴァルが弁明するも後の祭りだ。

 ヒルズの近くにいたジャパリの兵士たちが駆け寄って彼を抱き起し、自分達の将が撃たれたことを悟ると、敵意に満ちた瞳と銃口とをシャヘル側に向けてきた。

 ・・・・・・ヒルズがあんなことになってはもう交渉は決裂だ。

 これでシャヘル側は降伏することすら出来ず、マグマに飲まれる瞬間まで悪あがきをする他に道はなくなった。

 

 いつ戦いの火ぶたが落ちてもおかしくない。そう悟った僕は手のひらに念を送り、いつ何時でも槍を取り出して戦いを始められるように身構えた。

 

「・・・・・・だ、ダメだ! 早く逃げたまえ・・・・・・! やり返してはいけない!」

 

 胸から血を流すヒルズが、ヒュウヒュウと浅い呼吸を吐きながらも部下たちに呼びかけていた。

 致命傷を負ってもなお彼はこの場を取りまとめようとしているようだ。

 

 ギリギリの綱渡りをしているのはジャパリ側も同じなのだ。

 両陣営が降伏勧告を出し合うこの極限状況は、微妙な均衡によって何とか血を見ることなく済んでいる。

 その均衡がわずかでも崩れれば、仮に一発でも撃ち返したことによって、シャヘル側を刺激することになってしまい、砲撃によって峡谷が崩落するかもしれない。

 そのことを部下たちに伝え報復を思い留まらせようとしているようだ。

 だがジャパリの兵士たちは感情を抑えきれず、銃口を下ろすことに躊躇がある様子だった。

 

________ヒルズ将軍っ!!

 

 両陣営が一触即発な空気で睨み合う中、峡谷のてっぺんから人影がひとつ顔を出し、当たり前のように高所から飛び降りた。

 ふわりと音もなく着地すると、風のような素早さで、凶弾に倒れたヒルズの傍へと駆け寄っていった。

 異常な身のこなしから、その者がヒトではなくフレンズであるのは一目瞭然だった。

 

(つ、ついに出て来た・・・・・・!)

 

 すらっとした長身、二又に別れたボリュームのある橙色の長髪、そして何よりも体中に走る稲妻のような縞模様が、遠目からでも際立ってよく目立つ。

 その者の姿を見た瞬間、僕は全身が雷に打たれたような衝撃を受けた。

 ずっと探し求めていた相手が目の前に現れたからだ。

 

「大丈夫ですか!?」

「・・・・・・ふふ、よく戻ってきてくれたな」

 

 アムールトラは片膝を地面に付いてしゃがみ、心配そうな表情で己が大将に呼びかけた。

 兵士に抱えられながら答えるリクタス・ヒルズは息も絶え絶えといった様子だ。撃たれた胸からは酷い出血が続いている。

 今しがたまで銃を構えていたジャパリの兵士たちも、思わぬ援軍の登場には面食らったようで、銃口を下ろし固唾を飲んでアムールトラを注視していた。

 

「ご苦労だったなアムールトラ・・・・・・君がいたからこそ、ディザスター級セルリアンがうろつくこの危険地域において地元民を避難させることが出来た・・・・・・だから僕もサンドスター・ボムの使用に踏み切れた。見ての通り作戦は成功したよ」

「でも、将軍がこんなことになって・・・・・・どうしてですか? あなた自らがこんな前線に出る必要はなかったのに!」

「こうする他になかったのだ・・・・・・この状況を取りまとめシャヘルを降伏させるには、僕が交渉役を担うしか・・・・・・だがまあ、ケチな悪党の末路などこんなものか」

 

 アムールトラとリクタス・ヒルズの会話から、おおよそ状況を察することが出来た。

 どうやらアムールトラは今の今まで、ジャパリの布陣の中でも最後方に位置し、避難民の警護に当たっていたようだ。

 通信か何かで味方の危機を聞きつけ、今やっと前線に到着したということなのだろう。

 どうりで僕がさんざん探しても姿を現さなかったわけだ。

 

「・・・・・・あ、アムールトラ・・・・・・最後の命令だ」

 

 虫の息のヒルズが、アムールトラの肩の上に手を置きながら何ごとか語りかけている。

 アムールトラはその手を握り締め、彼の言葉に聞き入っているようだった。

 

「しんがりを勤めてくれ。皆をここから逃がしてやってくれ。君には本当に済まないと思っている。重役を押し付けてばかりでな・・・・・・だが、君にしかできないことだ」

「し、しっかりしてください!」

「君に未来をあずけるぞ・・・・・・君と、カコ・クリュウに・・・・・・」

 

 それきりアムールトラの肩に置かれた手がパタリと落ちた。

 戦場には再び一触即発の、嵐の前ぶれのような静寂が訪れる。

 膝をついて黙りこくっているアムールトラの背中が静かに震えているようだった。将の死に打ちひしがれるジャパリの兵士たちは、その後ろ姿を一心に見つめていた。

 

「全力を尽くします・・・・・・将軍」

 

 やがてアムールトラは近くにいた兵士たちにヒルズの亡骸を託した。

 ジャパリの兵士たちは、しゃがんだままのアムールトラをすがるような顔で一瞥すると、銃口を下ろして1人、また1人と峡谷の中に退散し始めた。

 すでに彼らの表情に戦意はない。ヒルズの遺言通り、アムールトラただ1人にこの場を任せることにしたようだ。

 

 ・・・・・・優れた将に率いられる軍隊は、将が死してなおも統率を失わないというワケか。

 しかしそれだけではなく、アムールトラにならば己の命を預けられると確信しているからこそ、彼らは逃げの一手を打つことが出来るのだろう。

 アムールトラの戦力はそれほどまでに信頼されているのだ。

 音に聞こえたその強さは一体どれほどのものか? 

 仮にクズリさんと互角だとするならば、状況をたった1人でひっくり返してしまうことだって十分にあり得る。

 

(ついにアムールトラと戦う時が来たか・・・・・・!)

 

 乾いた喉を生唾で潤す。僕の心臓が早鐘のように鳴っている。

 唯一の希望である進化促進薬はカルナヴァルに奪われたままだ。

 せっかく奴と戦える時が来たのに、こんなに口惜しいことはない・・・・・・だがここまで来たらもうやるしかない。

 

 撤退する兵士たちを後目に、アムールトラがゆっくりと立ち上がる。

 俯いていた顔が上がり、瞑っていた目がギンと見開かれた。

 

to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」

_______________Human cast ________________

「リクタス・エレクタス・ヒルズ(Rictus Erectus Hills)」
享年30歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI」初代総司令官
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章27 「メリノのちょうせん」


 主人公対決。


 鳴動する火山。後ろから着々と迫る溶岩流。

 そして目の前には探し求めた最強の敵が立ちはだかっている。

 

 今の状況を言い表すのに適切な言葉がはやくも見つかった。

「前門のトラ、後門のオオカミ」というものだ・・・・・・比喩でも何でもなく字面通りだ。まったく上手いこと言えていない。

 

 まだアムールトラが攻めてくる気配はない。あたかも門番であるかのように、峡谷の入り口の中央で仁王立ちしている。

 ・・・・・・まあそうだろう。奴は亡きヒルズから「しんがり」を命じられていた。ジャパリ兵が峡谷を通って逃げるまでの間シャヘルを寄せ付けないのが役目。

 シャヘルが動かない限り、奴から仕掛けてくることはないと思われる。

 

 さて、カルナヴァルはどんな命令を僕らに下す?

 砲撃で峡谷を崩落させて、ジャパリと道連れになるか? それともフレンズ部隊をとりあえずアムールトラと戦わせるか?

 はたまた、いちかばちか溶岩流の隙間を縫って退散するために反転を命じるか? 

 ・・・・・・どうしたって部隊の指揮はすでに崩壊寸前だ。何故ならば既に作戦は失敗したからだ。

 ジャパリがサンドスター・ボムという秘密兵器によって引き起こした火山の噴火が、核ミサイルのレーダー誘導を阻害する。

 今さらシャヘルが何をしようがそれは覆らない。

 

 生き残ることも難しい。仮にアムールトラを退けることが出来たとして、峡谷の先に進もうとしたら、先に逃げていたジャパリ兵たちが峡谷を爆破する可能性がある。

 もし万が一生き延びたとして、重要な作戦を失敗させておめおめと逃げ帰ったカルナヴァルらをグレン・ヴェスパーが許すだろうか?

 カルナヴァル以下おもだった将官には厳しい処罰が下るものと思われる。

 

 兵士たちは誰もが破滅の予感に右往左往している。

 冷静さを保っているのは、感情があるのかどうかも不明な量産型フレンズ部隊だけだ。

 ・・・・・・とうのカルナヴァルからして、すでにまともな命令を下せる精神状態じゃないかもしれないな。

 もしそうであれば、こっちの判断で勝手に動くことも考えなくちゃならないだろう。

 

≪も、もの共聞けっ! たったいま朗報がもたらされたぞ! グレン様からの直々のご連絡だ!≫ 

 

 だがカルナヴァルは予想だにしない言葉を放ってきた。

 そして裏返えらんばかりの上機嫌な声色で、絶望に沈む部下たちを激励しはじめた。

 

 どうやらグレン・ヴェスパーからの通達があったようだ。

 まずひとつはコンピューターの計算の結果、火山灰はスターオブシャヘルの高度にまでは到達しないということだ。

 つまり核実験への影響はなく、核は予定通り明日正午、Cフォースの創設20周年記念式典中にプレトリア郊外に投下されるようだ。

 

 ・・・・・・本当にそうなのだろうか? 計算ならばジャパリ側だってしているはずだ。だからこそヒルズはあれほど自信満々だったと思うのだが。

 

 そしてグレンの言葉はそれだけではなかった。

 前線で戦ってくれたシャヘルの侵攻部隊を何とか脱出させたいと言ってきているらしいのだ。

 だが事はそう簡単にはいかない。溶岩が間近に迫るこの場所に救難機を寄越したところで、部隊を救出する猶予は残されていない。

 そのため侵攻部隊には、何とか自力で峡谷を通ってバトーイェ山脈を降りてほしいのだと。

 

 山を下りた先に広がる平野に、数機の大型爆撃機を向かわせておくとのことだ。

 もちろんジャパリの残党が先んじて平野を進んでいるであろうから、まずは奴らのことを爆撃によって殲滅させておく。

 下山したジャパリの残党を爆撃することはもはや容易だろう。天然の要害という地の利も捨てて、避難民という盾すら失ったのだから。

 そしてその後に、遅れて下山してくる侵攻部隊を出迎えて空路からの脱出を図るというのだ。

 

≪我々のためにグレン様が心を砕いてくださったのだ! 諦めるにはまだ早いぞ!≫

 

 あの冷徹なグレン・ヴェスパーが部下をそこまで目に掛けるとは意外だ。

 正直なところ、カルナヴァルの虚言のようにも聞こえる内容なのだが、奴のこの異様な喜びようは演技には思えない。迫真そのものだ。

 半信半疑の兵士たちとは裏腹に、カルナヴァルはすっかり安堵したようで高笑いを始めている。

 

≪・・・・・・さて、目下の敵はあの裏切り者シベリアン・タイガーだけだ。獣の相手は獣にさせるのが道理というもの。

 家畜共に命じる! シベリアン・タイガーを討ち果たせ! 数の暴力で押しつぶすのだ! そして峡谷に攻め込み、ジャパリの敗残兵どもを捕えるのだ!≫

 

 やはりこういう展開になったか・・・・・・と内心うなずきつつ身構える。

 カルナヴァルからしてみれば、この状況では機動力のあるフレンズ部隊を戦わせる以外にはないだろう。

 峡谷内にはまだ逃げるジャパリ兵たちがいる。奴らが残っている間は峡谷が爆破されることもないというわけだ。

 奴らを人質に取ることで、峡谷を通らなくてはいけない自分達の身の安全を確保するつもりだ。生き残る道は最早それしかないと思っているはずだろう。

 

 ・・・・・・さて、果たして奴の思惑通りに行くかな? 相手はあのアムールトラだ。何人犠牲者が出るかわかったものじゃない。

 だがカルナヴァルはヴェスパー親子同様、フレンズの命を顧みることはない。僕らの亡骸を高笑いしながら踏みつけて峡谷を通るつもりでいるのだろう。

 

「了解しました」

 

「死んでこい」と言っているに等しい冷徹な命令を、量産型フレンズたちはまばたき一つせずに二つ返事で受け止める。

 ・・・・・・こいつらには本当に感情がないのか。生きたいという意志が、死への恐怖がないのか。

 元はただのイヌやネズミだったはずなのに、生まれた頃からVR漬けにして育てられた結果、死を迎えるその瞬間まで盲従させられるしかない操り人形になってしまった。

 

 今後もこんなフレンズたちが作られ続けるのか。何匹ものイヌやネズミたちを犠牲にして・・・・・・いや、この分じゃいずれ他の種族も材料にされてしまう。

 ヴェスパーやカルナヴァルのような人非人にとっては理想の支配体制が確立したというわけだ。

 

________シュタタタタッ!

 量産型たちが一糸乱れぬ隊列で、岩肌をバッタのように飛び跳ねながら、アムールトラに向かって距離を詰めていっている。

 僕はアムールトラの出方を伺いつつ彼女たちの後ろに小走りで付いて行った。

 

「・・・・・・」

 

 向こうの方で対峙するアムールトラも、シャヘル側の動きに呼応するように、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。

 不気味なほどに落ち着いた表情だ。とても1人で大部隊と戦おうとしているようには思えない。

 何も見ていないような、それでいてすべてを見透かしているような・・・・・・まるで神か仏のような顔をしている。

 敵への憎しみも、己の大将を目の前で殺された怒りも感じられない。 

 

 ・・・・・・しかし大したプレッシャーだ。

 まるで体が重圧に押し潰されていくようだ。突風を思い起こさせるクズリさんとは別種の迫力がある。

 奴が一歩踏み出すたびに確実な死が近づいてくる予感がする。開けた場所にいるはずなのに、壁際に追い詰められているような気分になる。

 

 かつて映像の中で見たアムールトラの戦いが脳裏に浮かぶ。

 竜巻のように暴れるクズリさんと対をなす存在。敵のあらゆる攻撃を受け流し、鮮やかな反撃で返り討ちにしてしまう。

 ・・・・・・映像ごしにただただ畏怖するしかなかった、あの静かなる巨岩が、今からこっちに向かって来るんだ。

 

(僕にとってアムールトラとは何なんだろう?)

 

 激突を前にして今さらそんな物思いに耽ってしまう。

 思えば奇妙な縁だ。アムールトラと対面するのはこれが初めて。

 向こうは僕の名前さえ知らないというのに、僕は奴のことをまるで長年の友人であるかのように色々知っているんだ。

 その理由とは、奴がただCフォース内で有名だからというだけではない。これまで僕の行く先々に、巨大な影として存在し続けてきたからだ。

 

 クズリさんが、スパイダーさんが、ヒグラシ所長が・・・・・・僕が関わったほとんどすべての人物が、アムールトラに対して口々に語った。

 最近では、戦場で出会ったパンサーが奴の現状を事細かに教えてくれた。

 奴に関する情報だけが蓄積していく日々の中で、僕は色々と想像を膨らませることしか出来なかった。

 

 トラのくせに命を奪うことに躊躇せずにはいられない、生まれつき病的なほどに優しい気性。

 にも関わらず、クズリさんと互角と言われるほどに強い。

 その優しさが故に、奴にとって戦いとは苦悩の連続だった。それでもなお戦いをやめられずにプレトリアまでやって来た。

 ざっと知っていることを列挙しても、アムールトラがいかに精神的に矛盾を抱えた存在であるかは明らかだ。

 

 僕がアムールトラを気に入らなかったのは一種の同族嫌悪だ。

 その肉食獣らしからぬ甘さや優しさは、イコール弱さであると信じていた。奴はトラのくせに、草食獣に似た精神を持っているように思えた。

 僕は自分の中にあるヒツジらしい部分を否定したかった。

 ・・・・・・と、つい最近まで思っていたのだが、どうやらそうではなかった。

 

 アムールトラに同族嫌悪を覚えたのは、何のことは無い。僕も奴と同じく精神に矛盾を抱えた存在だったからだ。

 ヒツジでありながらオオカミに憧れてしまうという矛盾・・・・・・己の中のヒツジをかなぐり捨てて、完全なオオカミになりたいと思っていた。

 だが強き草食獣スプリングボックとの死闘を通じて、草食獣の強さを思い知らされた。

 だから僕は自分の中のヒツジを受け入れることにした。 

 

 オオカミみたいなヒツジが居たっていい。だから優しいトラがいてもいいはずだ。

 もうアムールトラに同族嫌悪を覚えることはない。奴を否定することで、奴の中にいる僕を否定することはないんだ。

 後はただ余計なことを考えずに、奴と向き合って戦うだけだ。

 

(そうさ、僕にはもう・・・・・・)

 

 いろいろ考えていると、そのうち胸がいっぱいになってきた。

 イヴ・ヴェスパーの口車に乗せられてこのバトーイェ山脈にやってきた。

 だが進化促進薬を奪われた以上、僕が進化態へと成長することは出来なくなり、クズリさん達を救うことは出来なくなった。

 僕の願いはすべて露と消えた。だが逃げることも出来ない。ただ犬死の運命を強要されている。

 

 この絶望的な状況で、いまやアムールトラに会えたことだけが唯一の救いだ。

 待ち望んだ敵との戦いにすべてを出し切って、誇り高く死にたい。それだけが僕の・・・・・・

 

________シュタァァンッ!

 

 意を決した僕は、虚空から取り出した槍を地面に突き立て、能力によって柄を伸ばして上空に飛び上がった。

 宙を舞う僕の体からはいつの間にか金色の光が漏れ出している。無意識のうちに野生解放していたようだ。

 この心も体も、戦いへの渇望に煮えたぎっている・・・・・・僕は戦士だ。そのことに草食だの肉食だの関係ない。

 

「アムールトラァァァァッッ!!」

 

 前方を走る量産型フレンズたちを見る間に追い越して、いの一番に奴へと挑みかかる。

 上空から怒鳴り付け存在をアピールするが、奴は僕を見上げることすらしない。相変わらず何も見ていないような無我の表情だ。

 そうだろうな・・・・・・残念ながら、僕は奴にとっては大勢いるザコの1人に過ぎない。

 

「僕と戦えよッ!」

 

________チュドッッ!!

 

 空中で身を翻し槍を投げつけた。

 ・・・・・・こんな攻撃など簡単に躱されてしまうだろう。それは最初からわかっている。

 ほんの挨拶だ。僕の存在と意志をアピールするための一撃だ。

 

 野生解放で強化された筋肉と、落ちる勢いとを組み合わせた渾身の投げ槍が地面に突き刺さると、大砲もかくやと言わんばかりに岩肌に亀裂を走らせ、あたりに粉塵を巻き上げた。 

 

 槍を追うように着地し、岩肌に深々と刺さった穂先を引き抜く。やはり避けられてしまったようだ。それどころかアムールトラのことを見失ってしまった。

 粉塵が舞ったのはごく一瞬のはずだったが・・・・・・ほんのわずかな間に、奴の姿は影も形も無くなっていた。

 

「どこだ! 出て来い!」

 反撃を警戒しながら咄嗟に槍を構え直す。だが気配がしない。

 不審に思いながら背後を見やると、量産型フレンズたちも同じように奴の行方を捜しているのが見えた。

 

 一体どこに隠れたのだろう? 

 峡谷の手前に広がるこのなだらかな地形には色々な遮蔽物がある。

 シャヘルの砲撃によって破壊され乗り捨てられたジャパリ側の戦車や、その周囲に散乱する大小さまざまな岩石が転がっている。

 どこも隠れ潜むには十分な場所だと思われる・・・・・・しかし、そのいずれにもアムールトラはいないようだった。

 

 ・・・・・・そして、その場に取り残された僕らに痺れを切らしたような空気が広がっていく頃。

 

________ズドォォォォンッッ!

 

「なにっ!?」

 ずっと後ろの方で爆音が弾ける。

 慌てて振り返ると、衝撃的な光景が眼前に飛び込んできた。

 後方で包囲陣を敷いていた戦車部隊の中の一台が垂直に飛び上がっていたのだ。そして何十メートルも上昇した後、重力に引かれてまた落下した。

 

 岩肌に叩きつけられた車体が爆発する。

 ・・・・・・その傍にアムールトラの姿を見つけた。

 炎に包まれる戦車に照らされて、さっきと同じような静かな佇まいで立っていた。

 あり得ない。いきなり姿を消したと思ったら、いつの間にかあんな所にまで移動していたのだ。

 いったい何をした? なぜ誰も奴の動きに気付かなかったんだ?

 

≪こ、こ、殺せええ! 奴を殺せえ!≫

 

 カルナヴァルの絶叫と共に、辺り一帯に蜂の巣をつついたような大騒ぎが始まった。

 人型サイズの敵にああまで接近されては戦車は役立たずだ。歩兵が対応するしかない。しかし兵士たちではアムールトラを照準に捉えることは出来ない。

 

 無数の銃撃音がむなしく空振りするさなか、誰にも捉えられないアムールトラが一台、また一台と戦車を破壊していった。

 手刀で砲塔ごと真っ二つに切り裂いてみたり、ずっと向こうの方まで車体を殴り飛ばしてしまったり、そんなことを一瞬でやってのけているのだ。

 目を疑うほどの様相。現実離れした怪物的な強さ・・・・・・ヒルズが後のことをアムールトラたった1人に託したのもこれなら頷ける。

 

 ・・・・・・時折、奴の姿が目に止まった。

 アムールトラは何もずっと目にも止まらぬ速さで動き続けているわけではない。攻撃と攻撃の合間には小休止があるのだ。

 さっきからそうであるように、ゆっくりとした足取りで歩いているようにしか見えなかった。

 

 だが気が付くとまたどこかへ消えていた。

 目を皿にして注視しているはずなのに、いとも簡単に見失ってしまってしまうのは何故だ?

 そして新たな戦車が爆発するのを目にすることで、ようやく奴が動いたことを悟るのだった。まるで止まった時間の中を奴だけが動いているようにさえ感じる。

 

 アムールトラの動きを見切ることは出来なかったが、奴の進行方向だけなら遠目から見ていても察することが出来た。

 奴は明らかにシャヘルの包囲陣の一番後方に向かって一直線に突き進んでいる。

 包囲の最後尾にはカルナヴァルが座するホバー艦がある。

 

 狙いは一目瞭然だ。アムールトラはカルナヴァルを捕まえようとしているのだ。それによって侵攻部隊を完全に降伏させるつもりだろう。

 峡谷内を逃げるジャパリの仲間たちを守るためにはそれがもっとも確実だからだ。

 

≪か、家畜共ぉぉ! 何をしているか! 早く戻ってシベリアン・タイガーを仕留めろ!≫

 

 己に迫る危機を悟ったカルナヴァルが絶叫する。

 まったくバカな指示をするものだ。量産型部隊を全員戻したりしたら、峡谷内を逃げるジャパリの兵士たちを一体どうやって捕まえるつもりだ?

 せめて部隊を二分割して、半数は峡谷内に攻め込ませたりすればいいものを・・・・・・もはや恐怖のあまり正常な思考が出来ないのだろうな。

 

 だがどんなに愚かな命令にも、量産型フレンズたちは盲従するしかなかった。

 全員が弾かれたように震えると、いっせいに後ろを振り返り、例によって一糸乱れぬ動きで再びアムールトラに向かっていった。

 

≪メリノヒツジ! 進化促進薬がワシの手の中にあるのを忘れていないだろうな! 命を懸けてワシを守れ!≫

 

 従順な量産型フレンズたちとは違って、面従腹背の可能性があると疑っている僕に対しては、カルナヴァルは別途おどしをかまして来るのだった。

(守れだと? ふざけるな・・・・・・お前みたいなゴミは僕がこの手で殺してやりたいよ)

 反吐が出そうになるのを我慢しながら、量産型たちと共に走った。

 

 量産型フレンズ部隊は足が速い。攻撃の瞬間以外はゆっくりと歩いているアムールトラにやがて肉薄していった。

 それに呼応するように、歩兵たちやまだ破壊されていない戦車が一斉に後退し、カルナヴァルのホバー艦を守るようにアムールトラから距離を取り始めた。

 

 今度こそアムールトラと量産型フレンズたちの肉弾戦が始まろうとしていた。

(まずいな・・・・・・)

 予想するまでもなくわかる。アイツらではアムールトラには勝てっこない。数で攻めて何とかなるような相手ではない。

 量産型は命を賭した集団攻撃を仕掛けて散っていくことになるだろう。

 

 さすがの僕も胸糞が悪くなってくる。

 もちろん量産型フレンズたちなどに情はない。行動を共にして間もないし、だいいち会話すら交わしていないからだ。

 だが彼女たちがどのようにして生み出されたかは知っている。

 自分の意志で戦っているわけでもないのに、ワケがわからないまま殺されるなんて、そんな不幸なことがあっていいのだろうか。

 

 だが今さらどうしようもない話。

 量産型フレンズたちからしてみれば、ヴェスパー親子のような存在に生み出されてしまった時点で運の尽きなんだ。

 だったらアイツらに僕が出来るせめてもの手向けは・・・・・・

 

(あわれな人形ども、僕も一緒に死んでやるよ) 

 

________シュタタタタッ!

 

 上方から、また左右から、量産型フレンズたちがフォーメーションを組んでアムールトラに飛びかかっていく。

 その連携は完璧だ。いっけん同時に仕掛けているように見えて、実際は攻撃のタイミングを絶妙にずらしており、敵にとっては防御も回避も難しいコンビネーションを実現させていた。

 それなりの相手には通じる攻撃だろうと思われた。

 

 だがアムールトラは、背後から襲い来る量産型たちに見向きもしないまま、コンビネーション攻撃をことごとく躱し続けた。

 背中に目が付いているわけでもないだろうに、どうしてそんなに何もかも見切ることが出来るのだろう。

 

________ドキャッ! グシャッ!

 

 何度かの攻防の後、量産型フレンズが2人ほど地に伏していた。アムールトラは躱しきれないと思った攻撃だけ迎撃したようだ。

 1人は片足があらぬ方向に折れ曲がり、もう1人は肋骨を砕かれたらしく口から吐血してうずくまっていた。そんな有様だったがどうやら死んではいない。

 戦車を山の向こうまで殴り飛ばしてしまうアムールトラの腕力から考えても、あきらかに手心を加えたものと思われる。

 天と地ほどの実力差があればこそ、手加減することだって自由自在なのだ。

 ・・・・・・奴が本気を出したら量産型たちを一瞬で皆殺しに出来るのだろう。音に聞こえた奴の優しさがいまや恐怖でしかない。

 

 僕も何度か飛び道具を投げつけて量産型たちを援護した。

 奴らのコンビネーション攻撃の邪魔をしないように、しかしアムールトラにとっては躱しにくいであろうタイミングをギリギリまで伺ったつもりだった。

 だがそれも難なく躱されてしまっていた。

 

 掠り傷ひとつ負わないアムールトラは、僕らの攻撃を躱しながらも、カルナヴァルがいるホバー艦へと着実に歩みを進めていた。

 わかっていたことではあるが・・・・・・強すぎる。さすがはクズリさんのライバルだ。まるでゾウに群がるアリになった気分だ。 

 絶望的な気持ちのまま奴に走りより、次なる一手を思案し始めたその瞬間だった。

 

________ドウンッ! ドウッ! ドウッ!

 

 予想だにしなかった轟音が離れた所から鳴り響く。

 アムールトラから距離を取っていたシャヘルの戦車隊から再び砲撃が放たれた。

 フレンズ部隊がいるにも関わらず、奴らはお構いなしに撃ってきたのだ。僕らもろともアムールトラを仕留めようとしているようだ。

 

(糞ニンゲンども・・・・・・! 地獄に落ちろ!)

 カルナヴァルの指示なのだろう。一瞬でもアムールトラの注意を引くための単なる囮として僕らを犠牲にしようというのだ。

 ヴェスパーやカルナヴァルは、量産型たちの命なんてどこまでも安く見ているのだろう。足りなくなったらまた作れば良いと思っているんだ。

 

________ドチャアッッ!

 

 量産型フレンズの中の1人が、鮮血をまき散らしながら僕の目の前で倒れた。

 そいつは腹から下がなかった。戦車砲に貫かれて、上半身と下半身が分かたれてしまったようだった。

 茶色くて大きな三角形の耳をしているが、額は白い。そして長い胴体に短めの手を生やしている・・・・・・ああ、コイツはきっと元イヌなんだな。こういう特徴を持った犬種を写真か何かで見た。

 こんな呪わしい身の上に生まれていなければ、どこぞのヒトに飼われて幸せな人生を送ったのかもしれない。

「い、痛いよ・・・・・・」

 そう断末魔をこぼしてそいつは事切れた。

 

 またも砲撃が鳴り響く。

 ちょうど僕のすぐ横にいる量産型フレンズが、火を吹く砲塔の真正面にいた。

 

「やめろおおおっ!」

 

 僕はたまらずそいつを庇うように覆いかぶさった。

 そして目を閉じる。そいつの盾になって引き裂かれる自分自身の姿が脳裏に浮かぶ。

 僕の人生とはいったい何だったのだろう、なんて諦念を巡らせる余裕すらないぐらい、一瞬ですべてが消えて行くような気がした。

 

「な・・・・・・!?」

 

 だが僕や、僕が庇った量産型フレンズはまだ五体満足のまま生きていた。

 不審に思って顔を上げ振り返る。

 

「あ、アムールトラ!?」

「・・・・・・」

 

 奴が僕のすぐそばに立っていた。

 そして高々と掲げられた奴の片手には驚くべき物体が握られていた。

 こちらに向けて発射されていた、子供の背丈ほどの大きさを誇る円錐形の戦車砲弾を、奴は素手でいとも簡単に受け止めていたのだ。

 

________ブォンッッ! ドッガアアアンッッ!

 

 驚きはそれにとどまらない。

 アムールトラは受け止めた砲弾を戦車に向かって投げ返していた。最早ただの投擲物にしか過ぎないそれは、火薬による推進を超える勢いを持っているように思えた。

 投げ返された砲弾が直撃すると、車体が火を吹いて横転した。

 

________ダダダッッッ!

 

 アムールトラの動きが変わった。

 先ほどまでのゆっくりとした歩調ではなく、カルナヴァルがいるホバー艦に向かって猛然と突進を始めたのだ。僕らフレンズ達との距離がどんどん離れていく。

 ホバー艦を守る戦車隊が雨あられとアムールトラに砲弾を降らせたが、奴は剛腕によってそれらをすべて打ち払ってしまっていた。

 あらゆる攻撃を物ともせず突き進む後姿はまるで雪崩のようだ。周囲すべてを押し潰してしまうかのように巨大で圧倒的だった。

 

「う、うわあああっっ!!」

 

 やがてシャヘルの兵士たちの動きに変化が見えた。

 少数だったが逃走を試みる兵士が現れ出したのだ。奴らは半狂乱で泣き叫び、銃を捨てて峡谷に向かって走り出していた。

 無理もない。前方からはアムールトラが迫り、後方からは溶岩流が迫ってきている状況だ。

 正気を保っているのが難しいほどの恐怖に襲われた結果、ついに心のタガが外れてしまったのだ。

 

≪貴様ら何をしておるか! 敵前逃亡は銃殺刑だぞ!≫

 カルナヴァルがまた面白いことを言っている。

 銃殺刑でも何でも好きにやればいいじゃないか。それでお前を守る兵士が1人もいなくなったらどうするつもりなのか知らないが。

 

 ・・・・・・この戦場はこれ以上持たないだろうな、と思った。

 アムールトラたった1人に良いようにやられて壊滅する未来が見えている。

 その証拠に指揮系統が崩壊し、少しでも後先考える頭がある兵士たちから先に逃げ出しはじめている・・・・・・だが、逃げる自由はヒトだけのものじゃない。

 フレンズだってそうしてもいいはずだ。

 

________バキィッ!

 

「お前ら、いい加減に目を覚ませよっ!」

 健在な量産型フレンズたちは、相も変わらずアムールトラに攻撃を仕掛けようとフォーメーションを組もうとしていた。

 僕はそんな彼女たちに横から割って入り、数名を殴り倒して陣形を崩させると、割れんばかりの大声で叫んだ。

 

「お前らごときではアムールトラに勝つのは無理だ! もう向かっていくな! 峡谷の方へ撤退するんだ!」

「で、でも、敵から逃げてはいけないって・・・・・・」

 

 1人がそう言葉を返してくる。とりあえず言葉は通じているみたいで安心する。

 彼女が言っているのはまさしく”オーダー”が課した逃亡禁止命令だ。VRによってそれが当たり前であると本能に刷り込まれているのだろう。

 ただオーダーを復唱しただけ。それが量産型フレンズと初めてまともに交わした言葉かと思うと、コイツらのことがなおさら憐れに思えて来る。

 

「逃げるわけじゃない! 戦術的撤退だ!」

 

 オーダーによって刷り込まれた逃亡禁止命令の効果は絶大なものだ。

 量産型たちの中に「逃げよう」という意志が現れたが最後、発動したオーダーによってすぐさま意識を失わせられてしまう。

 それを防ぐためには、逃亡とは異なる目的へとコイツらを誘導する必要がある。

 

 そう思った僕は、もっともらしい嘘をつくことにした。

 コイツらは自分で物事を考えたことはない。純粋そのものであり、他人の言葉にもっとも騙されやすい存在であるはずだ。

 ・・・・・・嘘も方便。僕の好きな言葉だ。

 

「先に撤退した兵士を護衛しつつお前らも離脱しろ。次の戦いに備えるために死者をなるべく少なくするんだ」

「そ、それは命令ですか? 私たちに命令するあなたは、いったい誰ですか?」

「・・・・・・僕の名前はメリノヒツジ。今から僕がお前らの隊長だ」

 

 出し抜けに隊長を名乗り始めた僕を見て、量産型たちはキョトンとしている。

 だがこれは嘘じゃない、と少なくとも自分の中では思っている。

 本当の隊長であるスパイダーさんは不在であり、臨時で彼女の後を継いだディンゴは死んでしまった。

 彼女たちの抜けた穴を埋められるのは、もう僕しか残っていないはずだ。

 

「僕がお前らの行動すべてに責任を持つ。まずは撤退だ。命令は後で下してやる」

「わ、わかりました! メリノヒツジ隊長の命令に従います!」

 

 僕のことを食い入るように見つめていた彼女たちは、ようやく合点がいったようにコクコクと頷いた。

 

「さっさと行け。僕は野暮用を済ませてから、後からお前らを追いかける」

 

 僕に向かってお辞儀した量産型たちが、負傷して動けなくなった仲間たちを抱えながらパパッと退散を始めた。足の速いコイツらなら溶岩流からも何とか逃げられるはずだと思いたい。

 カルナヴァルは眼前に迫るアムールトラに恐怖するあまり、量産型たちの動きに気が付いてすらいないようだ。

 ・・・・・・さあ、これでようやくお荷物どもがいなくなった。

 後はたった一人で思う存分アムールトラに挑むとしよう。僕のすべてを出し切り、戦士の生き様を全うしてみせる。

 

 僕は量産型たちに一度ならず二度も嘘をついた。

 後から追いかけると言ったが、本当はそんなことをするつもりはない・・・・・・一緒に逃げることも出来るのだろうが、僕がその選択をすることはあり得ない。

 なぜなら僕は彼女たちとは違って、自分の意志で戦ってきたんだ。最後までその意志を貫かなくてはいけない。

 それが助けられなかった仲間たちと、命を奪った敵に対する、僕なりのけじめってやつだ。

 

________ズドォォンッッ!

 少し離れた所で砲弾が繰り返し岩肌を抉っている。 

 どうやらアムールトラの奴はさっきまでと違う動きをしている。

 ホバー艦に向かって突進していたはずだったが、ある地点から前進するのをやめており、同じ場所でひらりと砲弾を躱し続けているようだ。

 もはやカルナヴァルを捕えるよりも、弾薬を無駄に消費させることでシャヘル側の戦意を削ぐ方が手っ取り早いと思ったのかもしれない。

 

 シャヘル側からはますます多くの逃亡兵が続出している。

 アムールトラは武器を捨てて降伏の意を示す相手には見向きもしない。明らかにわざと見逃している。

 時間が経てば経つほど後ろから溶岩流が迫って来るこの状況では、アムールトラが何もしないでもシャヘルは追い詰められていく。

 どんなバカでもそのうち降伏するしかないことを悟るはずだ。

 

 あれほど大量に配備されていた戦車がもはや半分近く破壊されているようだった。

 火を吹いて沈黙する戦車たちの影から影へと移動を繰り返し、背後からこそこそとアムールトラに近寄っていく。

 

(・・・・・・さて、どう攻めたものだろう?)

 アムールトラの馬鹿げた戦闘能力はすでに拝見させてもらった。

 身体能力も技量も、僕とはまるで開きがある。だが何よりも奴の強さを支えているのは、その異常なまでに鋭敏な”見切り”だろう。

 それによって敵のどんな攻撃をも防ぐか躱すかしてしまう。その後に反撃で敵を仕留めるのが奴の戦闘スタイルってわけだ。

 

 まともに挑んでも掠り傷すら付けられずに秒殺されるのがオチだろう・・・・・・それはさすがに嫌だ。せめて手傷の一つでも負わせてから散りたい。

 そのためには、アムールトラを持ってしても見切れないような攻撃を繰り出す必要があるが、そんなことが果たしてこの僕に出来るのだろうか。

 

 正攻法では敵わない・・・・・・ということは、僕が取るべき手段はひとつ。

 罠を張るんだ。

 クズリさんと戦った時と一緒だ。実力ではるかに勝る彼女に僕が一撃加えられたのは、二本目の槍という罠を懐に忍ばせていたからだ。

 今こそ僕は原点に立ち戻るんだ。狡猾で、卑劣で、意地汚い、もっとも僕らしい戦い方に・・・・・・

 

「僕を忘れるなっ!」

 

 意を決して破壊された戦車の影から飛び出し、降り注ぐ砲弾を回避し続けているアムールトラに向かって叫んだ。

 奴はやはり僕に見向きもしない。

 

≪メリノヒツジ! シベリアン・タイガーを足止めしろ!≫

 

 僕の姿を見つけたカルナヴァルがそんなことを命令してくる。足止めをやらせて、僕ごとアムールトラを撃つつもりなのだろう・・・・・・

 いい加減に黙れと内心吐き捨てる。今さらお前の言うことなんか聞くわけがない。

 これは僕の戦い。誰に命令されたわけでもない。

 

「くらえっ!!」

________シュカカカカカッッ!

 

 アムールトラに向かって投げつけたのは、あらかじめ能力によって生成しておいた無数の投げナイフだ。

 一本として当たりはしない。まるで霧か何かに投げつけたかのようにアムールトラをすり抜けていく。

 そして奴の背後にあった戦車や岩なんかの障害物に刺さって止まった。

 

(くくくっ、そうでなくては) 

 

 予想通りの動きを見せるアムールトラに思わず笑みが止まらない。

 ここからが作戦の第二段階だ。

「うおおおおっっ!!」

 砲弾が落ちる中、アムールトラ目掛けて槍を構えて突っ込んでいく。

 我ながら、まるでスプリングボックを真似したような猪突猛進だと思った・・・・・・なかなか気分がいいものだ。これが生まれ持った角獣の性ってやつか。

 

________ブォンッ!

 大振りな突きを繰り出すが、これも敢え無く避けられてしまう。

 アムールトラは最小限の動きで穂先を躱し、槍の柄スレスレを縫うように前進していた。そして気が付いた時には僕の懐に潜り込んでいた。

(・・・・・・く、来る!)

 命の危険が迫った時、いつだってこんな感覚を覚える。

 世界が灰色になり、時間の進みが急激に遅くなる。死の恐怖に体が硬直し、無意識のうちに感覚が鈍磨してしまった結果だ。

 

________・・・・・・

 

 目にも止まらぬパンチが僕を捉えた。衝撃音すら聴こえない・・・・・・それでも体がものすごい勢いで吹き飛ばされていく感覚だけはわかった。

 

(かかったな!)

 内心思わずほくそ笑んだ。すべて計画通りに行った。

 尋常な攻撃は通用しない。そう思って考え出した対アムールトラ用の武器。

 それは”糸”だ。

 

 限りなく細く、見えづらく、そして切れ味鋭い。そんな糸を能力によって生成していた。

 投げナイフの柄と一体化させた状態でだ・・・・・・つまりあれらのナイフは、糸を周囲に張り巡らせるためのアンカーとして投げたのだ。

 糸の長さには細心の注意を払った。

 ピンと張らせるのではなく、たわんで地面を伝うような長さにしていた。

 

 地面を伝う糸の片隅は、僕が持った槍に繋げていた。

 そんな状態でわざとアムールトラに殴られに行った。位置取りもいい。上手く吹っ飛ばしてくれたものだ。

 

 僕が殴り飛ばされたことで、アンカーと僕との距離が長くなる。

 そうすれば地面を伝っていた糸が立ち上がり、空中で一気に張り詰め、アムールトラを切り刻むはずだ。

 

 アムールトラが相手の攻撃をことごとく見切ってしまうカラクリ。

 それはおそらく攻撃する意志を事前に察知しているからだと考えられる。

 ところが糸に意志なんて物はない。僕が糸を操作したわけでもない。アムールトラが僕を殴り飛ばしたことで勝手に張り詰めたんだ。

 意志を持たない攻撃ならば見切ることは出来ないはず。

 

 どうだアムールトラ・・・・・・これが僕が仕掛けた罠の全容だ。

 少しでも傷を負ってくれたなら、意地を見せつけることが出来たというものだ。

 

________ガシィッ!

 

(な、なにっ!?)

 ・・・・・・とんだぬか喜びだった。

 縞模様の走る橙色の剛腕が、僕の首根っこを鷲掴みにしていた。

 アムールトラは、物凄いスピードで地面と平行に吹き飛ぶ僕を、それ以上のスピードで追いかけ捕まえてみせたのだ。

 そして残念なことに、やはり掠り傷すら負ってない。

 

 奴の一撃を喰らった僕はもう助からないと思ったが、どうやらまだ生きている。

 下腹部に猛烈な痛みと不快感を感じるが、命にかかわるようなダメージではない。

 手加減されてしまった。僕は奴にとって本気に値する相手ですらなかった。

 

 それにしても妙だ。最初から罠を見抜いていたわけではあるまい。だったら不用意に僕を殴り飛ばさず、それ以外の方法で仕留めたはずだ。

 遅れて罠の存在に気付いたからこそ、慌てて僕を追いかけ拘束したのだ。

 

 いったい僕の行動のどこにミスが? ひょっとして、何時ぞやの時のように顔に出てしまっていたか? 

 ・・・・・・今となっては何もわからない。

 どうやったらアムールトラに傷を付けられたのか。そもそもこの僕に、万にひとつもそんな可能性があったのだろうか・・・・・・

 蓋を開ければこんな結果に終わってしまった。

 アムールトラの強さは想像以上のそのまた上を行っていた。正面から、小細工抜きで、完膚無きまでに叩きのめされた。

 

「くくくっ、あははははははっ! アンタには負けたよ!」

 

 バカに愉快になってきて、ワケがわからずケタケタと笑いだす。

 アムールトラに傷を負わせることすら出来なかったが、悔いは残ってない。僕なりにベストは尽くした。けじめは付けられたはずだ。

 すべてを出し尽くした後に残ったのはこれ以上ない満足感だけだった。

 

「・・・・・・何がそんなに楽しいの?」

 

 アムールトラがボソリとつぶやいた。

 鷲づかみにした僕のことを、その静かな瞳で見つめて言葉をかけてきているのだ。

 初めて僕を見て、初めて話しかけてきた。  

 

「ふん、アンタは楽しくなさそうだな?」

「楽しいわけない。終わらせたいだけだよ・・・・・・こんなこと、一秒でも早く!」

 

 アムールトラの返事を聞いて尚更おかしくなってくる。

 戦うことがそんなに嫌いな癖に、どうしてそこまで強くなれたんだ? 

 コイツが抱えている矛盾は僕の比ではない。一挙手一投足がアベコベで馬鹿げている。難解な名著のごとくだ・・・・・・もしかしたら、この矛盾があるからこそ、こんなにも強いのかもしれないな。

 本当に面白い。興味を惹かれるフレンズだ。

 クズリさんがどうしてコイツに執着していたのか、今となってはその気持ちがよくわかる。

 

「僕はアンタに負けた。早く殺してくれ」

「・・・・・・いやだ」

 

________ドシャ

 アムールトラは言うなり僕を放した。

 自由になった体が地面を寝転がる。頭だけ上を向くと、早くも踵を返して僕から遠ざかろうとしている奴の姿が見えた。

「お、おい待て! 僕にトドメを刺していけ!」

「・・・・・・」

 慌てて呼び止めようとしても敢え無く黙殺されるだけだった。  

 

 これじゃ台無しだ。

 武士の情けとか、そういうカビ臭いことが言いたいわけじゃない。

 僕は今の良い気持ちのまま終わりを迎えたいんだ。このまま放置していくなんて残酷にも程があるってものだ。

 

「ふ、ふざけるなよアムールトラぁ! どこまでバカにするつもりだ!」

 

 槍を支えにしながら両足を踏ん張って立ち上がる。

 そして奴の後姿めがけて突進しようとした瞬間、急激に頭がくらっとしてきた。

 ・・・・・・何かがおかしい。どうしてこんなに息苦しい? 体に力が入らない。顔じゅうに脂汗が湧いてきている。

 気を抜いたらまた倒れてしまいそうだ。

 

「・・・・・・君はもう戦えない」

「ぼ、僕に何をした!?」

「少しの間、まともに呼吸できなくさせた。そういうツボを突いた」

 

 アムールトラが振り返らないままネタ晴らしして来た。

 ついさっき僕を吹き飛ばした一撃には、呼吸器系を麻痺させる効果があったようだ。完全に息の音を止めるわけではなく、おおよそ半分くらいの機能しか発揮できなくさせたのだと。

 立って歩いたり喋ったりすることはできても、戦うことなど急激に酸素を消費するような激しい運動はできなくさせたらしい。

 

「ぐうっ・・・・・・! これがアンタの”先にある力”ってわけか!?」

「違うよ。これは私が尊敬している師匠の技。朔流空手だ」

「さ、さくづき、りゅう、だと・・・・・・?」

 

 やはり身体能力に優れたネコ科フレンズの戦い方は徒手格闘に落ち着くらしい。 

 あのパンサーがカポエイラを使っていたように、アムールトラは空手を使うようだ。

 メジャーな格闘技であるわけだし、僕も知識レベルでは知っている・・・・・・しかし「朔流」というのは聞いたことない流派だ。

 空手にはこんな魔術じみた流派があるのかと、にわかには信じがたいが、その技を身をもって体験した今では信じざるを得まい。

 ・・・・・・それにしても、アムールトラの師とはどんな空手家なのだろう。こんな強い弟子を育てるとは、途轍もない達人であるに違いない。

 

 下腹部には猛烈な気持ち悪さが残っていて、激しく動き回ろうものならば、気持ち悪さが全身に回って意識を持っていかれそうになってしまう。

 だがこうして立ち止まっている分にはいくらかラクになってくる。

 

「僕に情けをかけるのか!? やっぱりアンタは甘ちゃんなのか?」

「・・・・・・君を殺す必要はなかった。それだけだ」

 

 アムールトラの思惑は、いかに戦死者を最少に留めながら、手っ取り早く目的を達成するかということだったのだ。

 確かに、圧倒的な強さがあるにも関わらず、ずいぶんと勿体付けた戦い方をしていたものな。

 戦車を何台も破壊してみせたと思いきや、降参する兵士はわざと見逃してみたり、降り注ぐ砲弾に対して回避に徹してみたり・・・・・・

 

 それは甘さとはまったく違う。殺すべき相手は躊躇なく殺す覚悟が奴にはある。

 殺すべき対象をあらかじめ見定めて、目的のためにあらゆる感情を廃して、マシーンのごとく冷徹に行動していたのだ。

 

(・・・・・・な、なんて完璧な戦い方なんだ!)

 

 実力も精神面も何もかも完敗したような気がする。

 もはや僕には力なくうなだれたまま、立ち去るアムールトラの後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 

≪あ、あ、あ、わぁぁぁぁ!! どいつもこいつも役立たず共がぁぁぁ!!≫

 

 カルナヴァルが発狂したようにわめき散らす。

 もはやどう足掻こうとも勝ち目がなくなったことを思い知ったのだろうか・・・・・・おそらく、もう間もなく奴は降伏するだろう。

 あの男は完璧なアムールトラとはまるで真逆の、無能と醜悪の極みであるような存在に思えた。

 弱者とは何なのかを体現するいい見本だ。

 

 この世に弱い種族はいない。ただ弱い生き方があるだけ。

 生きるも死ぬも自分で決められない。薄弱な生き方しか出来ない意志の持ち主こそが、この世で最も軽蔑すべき弱者なのだ・・・・・・ああいう風になったら終わりだな。

 

「た、た、助けてくれぇ!!」

 

 心が折れたカルナヴァルに見切りを付けたかのように、逃亡兵がこちらに向かってどっと押し寄せてくる。

 ザコ共が随分とまあ生き残ったものだ・・・・・・誰のおかげで死なずに済んだかも理解することなく生き延びるのだろうな。

 まあ、僕も奴らと似たようなザマになってしまったが。

 

________ドォォオンッッ!!

(な、あれは!?)

 轟音を放ちながら、何かが地面に落ちてきた。

 砲弾の類ではない。遥か上の空から一直線に降ってきたように見えた。

 目を凝らして見ると、それは数メートルほどの楕円形の物体だった。ちょうどアムールトラと戦車部隊の間に割って入るような位置に落ちていた。

 

________パシュウウッ・・・・・・

 

「よっこらせっ、とォ」

 

 楕円形の物体が二枚貝のように縦に開くと、中に入っていた何者かがそこから這い出した。

 そして地面に降り立つなり気怠そうに立ち上がる。

(ど、どうしてあなたがここに!?)

 そのあまりにも唐突な登場には、さすがに驚き呆気に取られるしかなかった。

 

「・・・・・・」

 

 アムールトラの様子にも変化があった。

 その後ろ姿に力が入り、感極まったように細かく震えているのだ。

 今まであんなに冷静だった奴が、目の前にいる相手を見た瞬間、初めて感情を露わにしているのだった。

 

「よう、元気にしてたかァ?」

 

________メキメキメキィィッ!

 その者はアムールトラが鋭く睨みつけている視線に気づくと、嘲笑うように微笑みを返した。

 そして片手を前方に掲げ、骨がきしむ程の力で握りこぶしを作ってみせた。

 見間違うはずもない。その決めポーズも、小柄な全身から放たれる突風のような殺気も、他の誰の物でもない。

 クズリさんがそこに立っていた。 

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章28 「うんめいのとき」(前編)


 アムールトラとクズリ、宿命の戦い。
 そして・・・・・・


 

「オレがいねえ間に随分と盛り上がってんじゃねえか。あいかわらずツレねえ奴だぜ」

「・・・・・・」

「にしても、この暴れっぷりはすげえな。これを全部てめえ1人でやったのか? セルリアンしか殺せなかった良い子ちゃんが、ニンゲン殺しも随分と上手になったモンじゃねえか?」

 

 遂に対面した念願の相手に向かって、クズリさんがさっそく挑発を始めている。

 おどけた風を装いながらも、いつ爆発してもおかしくないようなビリビリとした殺気を全身から放っている。 

 対するアムールトラは相変わらず無言で、静かに立ち尽くしたまま巨大な存在感を放っている。

 動と静。突風と重圧。性質が真逆の二つのプレッシャーがぶつかり合って、空間をぐにゃりと歪ませている。

 ・・・・・・もう間もなく、確実に、二大巨頭の激突がはじまる。

 

「ま、待ってくれえぇぇっ!」

 

 だが僕はそれを黙って見ておれず、懇願するように叫んで割って入った。

 場をおもんぱかる余裕はない。頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 クズリさんがアムールトラとの戦いを始める前に、せめて話をしておかなければならない。

 

 彼女とこの場で再会できるとは思ってなかった。

 グレン・ヴェスパーに反抗したことが原因で、鎖の腕輪により拘束された彼女は、もはや二度と日の目を見ることなく死ぬまでモルモットにされるものかと思っていた。

 だからこそ僕は彼女とスパイダーさんを助けるためにイヴの誘いに乗ったわけだが・・・・・・

 

「クズリさん! クズリさぁぁんッッ!」

 気を抜けば倒れそうな体をやっと動かして、びっこを引きながら彼女に近寄っていく。

 アムールトラが謎の技術を使って、僕の肺を麻痺させたことが原因だ。これ以上はどう頑張っても速く動けない。心臓が拍動し過ぎて胸に痛みすら感じる。

 

「はあっ、はあっ、はあっ」

「・・・・・・」

 よろよろとモタつきながらもアムールトラを横切った。

 後から奴の燃えるような鋭い視線を感じる。正直生きた心地がしない・・・・・・まあ、背後から僕を攻撃したり、クズリさんとの会話を邪魔したりするような無粋なことをする奴ではないと頭ではわかっているが。

 

「無事だったんですね!?」

「けっ・・・・・・クサレヒツジが。どう見たっててめえの方が無事じゃねえだろ?」

 

 やっとすぐそばにまで近づいて小声で話しかけると、仁王立ちしているクズリさんが、視線をアムールトラに向けたまま溜息交じりで返してくる。

 相変わらずの憎まれ口だ。他人の名前を殆どまともに呼ばない。代わりに悪口みたいな仇名を付けて呼ぶんだ・・・・・・そんなことすら今の僕には安心感の材料だった。

 

「いったい何があったんですか? 今までどこに?」

「オレもよく状況がわかってねえ。ヴェスパーにとっ捕まってから、ずっとVR漬けにされて眠ってた。このカプセルの中でよ」

 

 と、言いながらクズリさんは背後にある上下に割れた球体を振り返る。

 クズリさんはこれに乗って降ってきた。おそらくは成層圏に浮かぶスターオブシャヘルから射出されてきたのだ。

 はるか上空から地表の一点めがけて落とすことが可能な、取り外し式のVRマシーンというわけか。こんな代物を見るのは初めてだ。

 

 僕は今の状況をかいつまんでクズリさんに伝えた。

 アムールトラの手によってカルナヴァルの侵攻部隊がほぼ壊滅させられたことを。

 ジャパリの秘密兵器サンドスター・ボムによってバトーイェ火山が噴火し、溶岩流がすぐ近くにまで迫りつつあることを。

 火山の噴火により核投下を阻止するのがジャパリの作戦だったが、どうやらその目論見も失敗に終わったらしく、グレン・ヴェスパーは核を予定通り明日正午に落とすらしいことを。

 

「ってことはよ、オレが捕まってから一日ぐらいしか経ってねえわけだ・・・・・・体感だと、正味あれから一か月は経った気がするぜ」

 

 グレン・ヴェスパーに囚われたクズリさんはその後、麻酔で強制的に眠らされたそうだ。

 そして今の今まで、一日が一月に感じられるほどにVRを倍速体験させられていたというのだ。

 理由は当然、クズリさんをフレンズの次なるステージへと進化させるためだろう。

 

「まさか、奴に進化促進薬を打たれたんですか?」

「なんだそりゃ? 聞いたこともねえぞ。まあ、寝てる間になんか打たれててもオレにはわかんねえが」

「・・・・・・そうですか」

 

 おそらくクズリさんは促進薬を打たれてない。打ったが最後、進化か破滅の二択をもたらすといわれる劇薬だったが、今の彼女には特別変わったところは見られない。

 理由も何となくわかる。クズリさんは僕と違ってグレン・ヴェスパーの本命だ。いちかばちかの実験をするよりも、確実な手順で進化体に至らせたいのだろう。

 彼女が受けたVRというのは、そのための最終調整というわけだ。

 そして今のこの場こそが、クズリさんに課せられた最後の実験・・・・・・その内容はおそらく・・・・・・

 

「ついさっき起こされてからグレンの野郎に言われたぜ。アムールトラと戦って勝てば、スパイダーを返してやるってよ。んで、カプセルに入れられたままここに落とされたってわけだ」

「・・・・・・どこまでも卑劣なクズめ!」

 

 グレン・ヴェスパーは進化体を生み出すために、どのみち最初からクズリさんをアムールトラと戦わせるつもりだったのだ。

 そして僕がイヴにやられた脅しと同様に、スパイダーさんを人質にして脅しているのだ。

 親娘で同じことをやっている。此の親にしてこの子あり、というやつだ。

 

 ・・・・・・たとえクズリさんが勝ったところで、奴らがスパイダーさんを素直に返すわけがない。

 もういちど脅しの材料に使ってくるかもしれないし、彼女だけは本当に実験のモルモットにされてしまっているのかもしれない。

 

「で、てめえはどうした? まるで別人みてえな、憑き物が落ちたような顔しやがってよ」

 

 いつも通りの調子を崩さないクズリさんが、怒りに震える僕にそんなことを訊いてくる。

 なかなかどうして”憑き物が落ちた”とは強烈な表現だ。

 彼女には今の僕がそんな風に見えているのか・・・・・・

 

 クズリさんと話すことによって、自分がごく短い間にずいぶん変わったことを改めて実感した。

 これまで僕は、彼女に向かってアムールトラのことで張り合ったり生意気な口を叩いて来た。

 一目置かれたかったからだ。僕にとって強さの象徴である存在に認められることで、ヒツジに生まれた劣等感をすべて解消できると思っていた。

 ・・・・・・思えば滑稽な一人相撲を取り続けてきたものだ。

 

 だが僕の草食獣コンプレックスは、ほかならぬ強き草食獣との死闘によって拭い去られた。自分がどれだけ誤った考えに凝り固まっていたのかを思い知らされた。

 もう意地を張り続ける理由がない。素直に非を認め謝罪しよう。それが通すべき筋ってものだ。

 

「見ての通りです。アムールトラに挑んで・・・・・・負けました。完敗です。僕では逆立ちしたって勝てる相手じゃなかった」

「・・・・・・そうか。じゃあよ、もうアイツは”俺だけの獲物”ってことで良いよなァ?」

「はい、今まで身の程知らずなことばかり言って本当にすいませんでした!」

 

 そのやり取りを最後にクズリさんが僕から離れ、アムールトラに向かって歩き出していった。小さくて巨大な背中。僕がいつも見ていた後姿だ。

(クズリさん! 勝ってくれ!)

 僕にはもう2人の間に水を差す資格はない・・・・・・今の僕がやるべきことは、2人の決着を見届けることだ。

 

「よう、待たせちまったなァ? やろうぜ」

「・・・・・・クズリ、何で君は戦うの?」 

 

 アムールトラが出し抜けに口を開いた。

 それまで一言もしゃべらずに、僕らの積もる話が済むのを待っていた奴が、せきを切ったように感情を露にしている。

 

「ただ私と決着が付けたいから? そんなの、あまりにもくだらないじゃないか」

「はっ、じゃあてめえが戦う理由は”くだる”のかよ?」

「私はこの世界をグレン・ヴェスパーの手から守るために戦っているんだ! くだらない目的しかない君が私の邪魔をするな!」

 

 拍子抜けすることに、アムールトラは対話にて戦いを回避しようとしはじめた。

 ・・・・・・だが考えてみれば、アムールトラにとってクズリさんは必ずしも戦う必要のある相手ではない。

 奴がカルナヴァルの部隊を容赦なく叩いたのは、峡谷を逃げるジャパリの兵士たちの安全を確保するためだった。それに比べてクズリさんは仲間の安全を脅かす存在というわけではない。

 

「・・・・・・ねえクズリ、君と別れてから本当に色々あったんだ。そして思い知らされたよ。この世には決して許しちゃいけない悪が存在するんだって」

「へっ、そうかよ。グレン・ヴェスパーが憎くてしょうがねえってか」

 

 アムールトラの声色はなんと嗚咽交じりだ。先ほどまでのマシーンのごとき冷徹な態度がものの見事に崩れている。

 あれがお人好しで優等生と呼ばれていた奴本来の姿なのだろう。

 相手がクズリさんだからか? 往年のライバルにして戦友だった相手には素の自分を曝け出しているのかもしれないな。

 

「あの男は君たち手下にだって酷い扱いをしているはずだ! さっきだって、私に向かってきたフレンズたちを、私もろとも平気で殺そうとしてきたんだ! そっちの”赤毛の子”が上手く彼女らを逃がさなかったら何人も殺されていた!」 

 

 アムールトラが僕を指さしながら怒鳴る。

 ・・・・・・流石は奴だ。降り注ぐ戦車砲を躱しながら、僕と量産型フレンズたちのやり取りまで把握していたとはな。

 

「クズリ! それでも君はあの男の味方をするのか!? 君には良心ってものがないのか!?」

「だ、だまれアムールトラ! こちらの事情も知らないで勝手なことを言うな!」

 

 思わず脇から言葉を挟んでしまう。

 ずっとクズリさんと離れていたアムールトラにはわかるまい。グレン・ヴェスパーを憎むのは彼女だって同じだ。

 あの男が彼女にどんな非道を働いてきたか。

 鎖の腕輪という絶対に逆らえなくなる拘束具を付けられ、骨の髄まで利用されて・・・・・・今は無二の親友スパイダーさんまで人質に取られているんだ。

 アムールトラの奴に、自分だけが被害者みたいな顔をされるのは我慢がならない。

 

「メリノ、てめえは口挟むんじゃねえ」 

「しかしクズリさん!」

「うるせえな・・・・・・これで良いんだよォ」

 

 振り返りもせずに僕のことを制止してくる。

 今ではクズリさんの方がアムールトラよりずっとクールだ。どんなに悪者扱いされても感情を露にせず、弁明の類をするつもりは一切ないようだ。

 悔しいが、それが彼女の意志なら黙って見ているしかない。

 

「まあ、今はオレもグレンの野郎は殺してやりたいって思ってるけどなァ」

「だったら退いてくれ! 私と決着が付けたいだけなら・・・・・・後でいくらでも付き合ってやる!」

 

 アムールトラの言うことも一応の理屈は通っている。

 グレン・ヴェスパーに対する見解が一致しているんだったら、今すぐ決着にこだわる必要はないと言うのだ。

 それどころか奴と手を組んでシャヘルに反旗を翻すことすらアリだろう。

 

「けっ、あいかわらず話にならねえな・・・・・・これはオレとてめえの戦いだ。外野のことなんかどうだっていいんだよ。

 てめえと別れてからオレも色々あったが、ずっとてめえと白黒つけることばかり考えてやってきた・・・・・・それだけがオレの戦う理由なんだぁッ!!」

 

 だがクズリさんはアムールトラの言葉を豪快に突っぱねた。

 アムールトラとの決着こそがクズリさんの人生にとっていちばん大事なんだ。

 この戦いがグレンによって仕組まれたものであったとしても、その意志が揺らぐことは決してないだろう。

 ・・・・・・他人のために戦うアムールトラと、あくまでも戦うためにのみ戦うクズリさんとでは話が噛み合うはずがなかった。

 何もかも対極的な2人だったが、一番の相違点はそこだと思った。

 

「わかったよクズリ。けっきょく君とは、最後の最後まで分かり合えないんだね・・・・・・」

 

 己の意見が否定されて、アムールトラはあっさりと引き下がった。

 遠い目をしながら、苦痛に耐えるような顔で俯いていた。

 しかしその一瞬あとには、僕を屠り去った時と同じように、全ての感情を冷徹に押し込めた”無の表情”へと戻っていた。

 ・・・・・・僕も身をもって知っている。あれこそが奴の戦う時の顔だ。

 

「君もグレン・ヴェスパーと同じだよ。自分の欲望を叶えたいばかりで、他人を平気な顔で虐げる・・・・・・私はそんな奴らを絶対に許さない!」

「ようやくその気になってくれて嬉しいぜェ」

 

 アムールトラの返事に気を良くしたクズリさんが今度こそ身構える。小さな体をさらに前傾させ両肩をいからせた野性的な構えだ。

 対するアムールトラはと言うと、奴のトレードマークとでも言うべき真っ直ぐな立ち姿で敢然と向かい合っている。

 

 対照的なファイティングポーズで相対しながらも、互いに身構えたまま固まったように動かない。まずは読み合いに終始しているのだ。

 見ているだけで息が詰まるような有り様だ。

 

 ふと周囲を見やる。シャヘルの敗残兵たちは武装解除しており、コソコソと足早に峡谷へ駈け込んでいる。

 ご丁寧に両手を上げて降参の意を示しながら走り続けている。アムールトラを万が一にも刺激しないためだろう。よほど奴のことが怖いのだ。

 カルナヴァルが指示を出している様子はない。兵士たちに混ざって逃げているのか、もしくはホバー艦の中で発狂して気を失ったか。

 ・・・・・・どちらにせよ、2人の勝負を邪魔してくるような輩はもういないだろう。

 

 もちろん火山の噴火はまだ続いている。

 轟音が大地を揺るがし、立ち昇る火山灰が天空を真っ黒に染め続けている。

 マグマを塗りたくられて赤く光る大地が、暗い空の下でくっきりと浮き上がっている。

 溶岩流はすでに山稜の中ほどまでに到達してしまっている・・・・・・ここ峡谷前に流れ込んでくるのも、もはや時間の問題といったところか。

 リミットタイムは後どれだけ残されている? それまでに2人の決着は付くのか? 

 

________パァンッッ! 

 

 いろいろな考えをよぎらせながら2人を見つめていると、ついにその時がやって来た。

 鞭を振るうような音が弾けたと思った瞬間、僕の目に映っていたアムールトラの姿が突然にかき消えた。

 一方のクズリさんはまだ動いていない。それが意味することはたったひとつ。

 

(あ、アムールトラが先に仕掛けただと!?)

 てっきり奴はカウンター主体で戦うものとばかり思っていた。

 対話から戦闘へと一瞬でスイッチを切り替えたアムールトラが、容赦のない先制攻撃を放ってきたのだ。

 それにしても、あのクズリさんが相手に先攻を許すとは・・・・・・

 

________ドッシャアアアッ

 だが次の瞬間、またしても予想を裏切られる光景が目に飛び込んできた。

 地に伏していたのは、先に攻撃したアムールトラだったのだ。あらゆる攻撃を余裕で躱し続けてきた奴が、はじめて呆気なくダウンを喫していた。

 

「ははっ! 速えなァ」

 

 いつの間にかクズリさんも動いていた。大きく前に踏み込み拳を振りぬいていた。

 おそらくアムールトラは音速を超えた速度で動いたのだろう。鞭を振るうような音の正体は、奴の突進が引き起こしたソニックブームだ。

 だがクズリさんも負けてはいなかった。僕には視認すら不可能な領域の攻防だったが、様子から察するに、クズリさんはアムールトラの攻撃を見切りカウンターを決めていたのだ。

 ・・・・・・これじゃまるで2人の動きが完全に入れ替わったみたいだ。

 

「今度はこっちから行くぜ!」

 歓喜の笑みを浮かべながらクズリさんが追撃する。

 ダウンしたアムールトラに向かって、流れるような動作で覆いかぶさり首を締めあげた。組技ならばクズリさんのテリトリーだ。アムールトラは早くもピンチに陥った。

 

「ガハァッ! ど、どうやって見切った! 誰に教わった!?」

「面白い事を聞くじゃねえか・・・・・・他の誰でもねえ。てめえが教えてくれたんだよォ!」

 

 苦しそうに息を吐くアムールトラに対してクズリさんが答える。

(そうか! VRだ!)

 僕にも合点がいった。クズリさんが一日じゅう体験させられていたVRというのは、シミュレーション上でアムールトラのデータと戦わされることだったのだ。

 何十倍速もの密度で、気の遠くなるほどの回数を戦わされた結果、誰に教わるでもなくアムールトラと同等の見切り能力を体得してしまったようだ。

 他のフレンズが同じVRを体験してもこうはなるまい。天才的な格闘センスを持つクズリさんだからこそ可能な芸当だ。

 

「・・・・・・あ、甘い!」

________プスッ

 だがアムールトラも一方的にやられるばかりではなかった。

 締め上げられてグロッキーになりながらも、己の首を締めあげるクズリさんの二の腕に向かって貫手を打ち込んだのだ。

 

「なんだとォ!?」

 するとクズリさんの体がビクンと震えのけ反り、アムールトラに対する拘束を解いてしまった。

 どうやらアムールトラは、奴ご自慢のサクヅキ流空手の妙技を発動させたようだ。

 肺でも腕の筋肉でも、それに応じたツボを突けば、任意の場所を一時的にマヒさせてしまう恐ろしい技術だ。

 

________ガシィッ!

 瞬時にクズリさんとの上下関係を入れ替えたアムールトラは、仕返しと言わんばかりにクズリさんの首根っこを鷲掴みにしながら立ち上がった。

 2人の身長差は頭一つ分以上もある。そんな相手に持ち上げられたクズリさんは今や首つり状態となってしまっていた。

 両腕が麻痺させられているために抵抗できず、宙ぶらりんになった足をバタつかせることしかできない。

 

「昔の私を真似ただけじゃ、今の私には勝てない!」

「へ、へへ・・・・・・そいつはどうかなァ」

 

 しかしクズリさんはとことん抜け目がなかった。鷲掴みにされながらも既に手を打っていた。

 いつの間にかアムールトラの腹部に片足を付けていたのだ。

 アムールトラがその動きの意図に気付いた頃にはもう遅い。

 クズリさんには”固定する力”がある。

 次の瞬間には、重力を無視したよう張り付く片足を軸に、もう片方の足を蹴りあげてアムールトラの喉元に押し付けていた。

 

「・・・・・・いい気になるんじゃねえ! オレにとっちゃ、てめえの真似なんざただのオマケだぜ!」

 

 クズリさんの”固定する力”は、シンプルなだけにどのような局面にも応用が利く能力だ。

 アムールトラの喉元に押し付けた片足を、固定した状態で引っ張る・・・・・・するとそれだけで奴の気道が塞がれてしまう。クズリさんにしか出来ないオリジナルの絞め技というわけだ。

 

「く、クズリィィィッッ!」

「ろすぞあぁぁっっっ!」

 

________グギュウウッッ!!

 

 互いに互いの首を絞め合う異常な状況が成立してしまっていた。

 肉食獣の狩りの基本とは、相手の喉元に噛み付いて息の根を止めることなのだと聞く。

 だとするならば、2人はおそらく、遺伝子に刻まれたもっとも原始的な本能によって相手を攻撃しているのだと思われる。

 ・・・・・・こうなっては根比べだ。勝つためには相手が気を失うか窒息死するかまで耐え続けるしかない。一瞬でも力を緩めれば己が絞め殺される。

 

 やがてクズリさんの腕がビクリと震えた。

 麻痺が治ったらしき手をすぐさま動かして、首を締めてくるアムールトラの手の上に重ねた。

 すると睨み合う2人の目に黄金色の光が宿り、今まで一番激しい殺気がほとばしった。

(ま、まさか!)

 今までとは違う、何か恐ろしいことが起こる予兆が、傍から見ていた僕にも感じられた。

 

________バッ!

 しかしその予兆は外れた。

 突然に首の絞め合いをやめて、互いにまったく同じタイミングで飛び退いて距離を取った。それと同時に限界まで高まっていた殺気がいったん収まるのだった。

 2人とも肩で息をしながらその場にへたり込んでいる。猛烈に首を締められ続けたダメージに怯んでいるのだ。

 

「ふうっ、ふうっ・・・・・・てめえ、今オレに”勁脈打ち”を打とうとしてただろ?」

「ガハッ・・・・・・そ、それしか君を倒す方法はないと思った・・・・・・でも君も、何か私の知らない大技を狙っていたんじゃないのかい?」

「おもしれェ、考えてることは一緒ってことか・・・・・・!」

 

 殺気が極限にまで高まっていたあの瞬間、2人は互いに同じタイミングで、己が持つ最大威力の技をぶつけようとしていたようだ。

 アムールトラが巨大なセルリアンを一撃で破壊する必殺技を持っていることは昔から知られている。勁脈打ちというのがその技の名前らしい。

 そして一方のクズリさんにも”固定”の進化形たる”圧殺”がある。いかなる相手をも文字通り握り潰してしまう恐るべき技だ。

 

 互いに一撃必殺の技を持つ者同士、勝負が決まってもおかしくない瞬間だった・・・・・・だがやはり、互いに相手がやろうとしていることが読めてしまい、命の危険を感じて同時に退いたということだろう。

 ここまでの攻防は互角だ。勝負の行方はまったく読めない。

 

「このままじゃラチあかねえ。もっとシンプルにやろうやァ」

「ああ・・・・・・受けて立つ」

 

 ダメージから回復した両雄が再び向かい合った。

 しかし今度はどちらかから仕掛けるわけではない。互いに相手の先手を取ろうという意志は感じられない。防御を捨ててゆっくりと歩み寄っているのだ。

 どうやら2人の間には、すでに何らかの暗黙の了解が得られていたようだった。

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 やがて至近距離で睨み合う。

 共に全身から黄金色の奔流を放っている。野生解放を全開状態にしているのだ。

 肉体のギアを最高潮にまで高めた2人が、示し合わせたように拳を握りしめ、相手に向かって振りかぶり、そして・・・・・・

 

________ドッガアアアンッッ!!

 

 大地を揺るがすような、傍から聞いていても物凄い打撃音が響き渡った。

 向かい合うクズリさんとアムールトラのパンチが同時に放たれ、そして炸裂したのだ。

 

(・・・・・・2人ともどういうつもりなんだ!)

 それは僕の想像とは違う展開だった。クズリさんもアムールトラも豊潤な戦闘技術があるはずなのに、それを相手に発揮することをしない。

 ただ足を止めて、極めて原始的でシンプルな殴り合いを始めたのだ。

 

 どうしてこのような展開になったのか・・・・・・おそらくは、互いに必殺技だけを狙い始めたのだ。

 先ほどの攻防で2人とも察したのだ。あまりに実力が伯仲し、相手の出方が読めてしまうばっかりに、決着が容易には付かないことを。

 2人にとっての最大の懸念は、決着が付けられないまま時間切れになることだ。

 溶岩流が背後に迫りつつあるこの状況では、もはや悠長に戦ってはいられない。

 

 無駄に術技めいたことをしたところで、相手に見切られて反撃されてしまう。反撃に反撃を重ね合った結果、永久に勝負が付かないことだって考えられる。

 そんな状況を打開し得るのが、それぞれに持っている必殺技だ。それ以外の技はもはや2人にとっては陳腐化してしまったようだ。

 

 クズリさんの”圧殺”は威力が桁違いな反面、発動させるのに多少の時間がかかる。

 抜け目がない彼女のことだから、もちろん弱点を放置することなどはしない。僕が知るよりも発動までの時間をぐっと短縮させていることだろう・・・・・・だがそれでも一瞬で、という訳にはいかないはず。アムールトラほどの身体能力と見切りを持った相手に命中させるのは至難であるはずだ。

 そして状況から察するに、アムールトラの勁脈打ちも同じような弱点を抱えているのだろう。技を当てられれば勝つ。しかしクズリさんを相手に当てることが難しいのだ。

 

 だから2人とも同じ結論に達したのだ・・・・・技術を捨てて殴り合い、それに勝った者が、相手を必殺技によって屠り去る。それが勝利の条件であると。

 互角の戦闘能力を持ち、かつ似たような性質の必殺技を持つ両者だからこそ、同じ選択を取らざるを得なくなってしまったのだ。

 

________ドキャッッ! グシャアッ!

 

 互いに一歩も引かずに、相手の全力の拳を正面から受け止め続けている。

 一撃喰らうたびに大きくのけ反りながらも、また2人して全く同じタイミングで振りかぶり、相手に殴りかかっていた。

「はははっっ!! 楽しいぜっ!!」

「クズリィィィッッ!!」

 歓喜に震えるクズリさんと、憤怒に染まるアムールトラ。どこまでも高まるふたつの感情が激しくぶつかり合っている。

 

 それは目を疑う様相だった。

 クズリさんもアムールトラも、互いに全力の打撃を打ちあい、顔面が血まみれになりがらも、ダメージを受けている様子がないのだ。

 それどころか、ますます動きのキレに磨きがかかり、パンチを打つサイクルがどんどん短くなってきている。

 ・・・・・・あり得ないだろう。あの凄まじい打撃音が物語っている。互いに致死的な一撃を打ち続けているはずだ。

 

 殴り合う2人のボルテージが無制限に上がり続けている。どこまで行っても止まる気配がない。

 まるで互いにエネルギーを与え合い、それを相手に返して増幅し合っているかのようだ。

 ・・・・・・僕には想像もつかないような領域に2人で突入していっている。

 

「うっ!? な、何だ!」

 

 どこまでも膨張する闘気が一際激しくぶつかり合った瞬間、眩い閃光が2人の間で弾けた。

「何が起こっているんだ!!」

 たまらず目がくらんで顔を伏せてしまうも、瞳をしぱたたかせながら必死に前を見る。

 2人の戦いを一瞬たりとも見逃したくなかったからだ。

 ・・・・・・しかしそんな僕が目にしたのは想像だにしない光景だった。

 

________ゴオオオオオオッッッ!!

「う、うわああっ!!」

 マグマが地面から噴き上がっていた。ちょうどクズリさん達が戦っていた地点からだ。

 灼熱の奔流が一瞬で2人の姿を覆い隠し、僕の頭上へと降り注いできた。

 

________ガインッ

 瞬時の判断で二本の槍を出現させ、片方の柄を突き立てて伸ばし後方に飛びのいた。

 体が問題なく動いている。どうやらアムールトラの技の効果はとうに消えているようだ。

 

 空中を移動しながら周囲を観察し、やっと安全が確保できそうな足場を見つけると、それに向かってもう片方を伸ばして突き刺した。

 周囲のなだらかな斜面から何十メートルも突き出た巨大な岩塊だ。噴き上がる溶岩もここには達することはないだろうと思われる。

 

「はあっ、はあっ・・・・・・」

 槍の柄を縮めて岩塊へと取りつき一息つく。

 危なかった。この能力がなかったら命を落としていたところだった。

 

 いったい何が起きたというのだ。

 今この場に出現した溶岩は、後方に迫りつつあった溶岩流とはまったく別物だ。突然に地中から噴出してきたのだ。

 確かにここバトーイェ火山の地下奥深くには溶岩が流れていることだろう。それらはサンドスター・ボムによって流れが激しくなっていることと思われる。

 ・・・・・・だがここは火口ではない。いくら火山活動が活発化しようが、ただの山肌から溶岩が噴出することなど、天地がひっくり返ったって物理的にあり得ないはずだ。

 

≪あああああああああっっ!!!≫

≪ぎゃあああああっっ!≫

 

 下から阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。溶岩の犠牲になったシャヘル兵たちの断末魔だ。

 一瞬で消し炭と化したならまだ幸せな方だろう。マグマの雫を体に浴びて、生きながら自分の体が溶け落ちていくのを目撃した者はいったいどんな気持ちで死を迎えるのか。

 

≪ど、ど、どけえっ! どかぬか!≫

 

 聞き覚えのある声が聞こえた。

 カルナヴァルだ。奴は破壊された戦車の上によじ登って生き延びていた。

 そして自分だけが生き延びるために、その恵まれた体躯を生かして、同じように避難しようとした仲間の兵士を溶岩に突き落して足場を占領しているのだ。

 さすがの鬼畜ぶりだ。よくやるよ・・・・・・

 だが戦車など、僕が今いる巨岩の上と比べるとあまりに心許ない足場だった。溶岩流に埋まり続け、今にも飲み込まれようとしていた。

 

「おやおや、大変なことになっているじゃないですか」

「・・・・・・そ、その声はメリノヒツジ!」

「助けてあげましょうか?」

 

 からかうように見下ろして声を掛けると、僕の存在に気が付いたカルナヴァルは驚くのもそこそこに、額に青筋を立てて怒り狂った。

「おのれぇ家畜めが! 最後までワシを愚弄しおって!」

 本当なら見殺しにしてやりたいが、奴には大事な預け物があるのだ。

 それの所在を確認しなくては。

 

「本当ですよ。しかし交換条件がある。それは僕に進化促進薬を返すことだ・・・・・・まあ、もしどこかに落としたりしてしまったのであれば、そこで死んでもらうだけですが」

「ぬ、ぬうっ!」

 

 僕の言葉が本当であると悟ったカルナヴァルは、悔しそうに歯噛みしながらも、懐から銀色の筒を取り出しかかげた。

「本当だな! 本当にワシを助けるのだな!」

(・・・・・・鬱陶しい。お前などと腹の探り合いをしている暇はない)

 

________ビュンッ! ドサァッ!

 そう思った僕はカルナヴァルの言葉を歯牙にもかけず動いた。鞭状に変形させた得物を振り下ろし、奴の体に巻き付けて釣り上げた。

「出せよ」

 そして間髪入れずに、足元に倒れた奴を見下ろして、たった一言そう凄んだ。

 カルナヴァルが震える手で差し出してきたそれを乱暴に奪い取る。

 

「や、約束だぞ」

 無理やり従わせるための担保をすべて失ったカルナヴァルが、青ざめた顔で僕を見上げる。

 もはや鎖の腕輪を作動させることだって出来まい。周囲を溶岩に囲まれた状況では、僕に頼らなければ生還出来ないことはバカでも理解できるだろう。

 

 カルナヴァルを黙殺し目を逸らす・・・・・・僕にはもうコイツを殺す気がなかった。

 死に値するクズではある。だがこうも思うのだ。

 生きることも死ぬことも自分では決められない、底辺の弱者であるコイツには、生きて醜態を晒し続けることの方が真の苦痛なのではないか、と。

 

「さあ、進化促進薬は返したぞ! メリノヒツジ! 早くワシを連れて脱出せんか!」

「黙れよ・・・・・・お前にはもう命令権はない。いつ逃げるかは僕が決める」

「お、お前! 気が狂っているのか!」

 

 僕とは話が通じないと悟ったカルナヴァルが吐き捨て、身を守るように四つん這いで岩にしがみついた。

 何とでも言うがいい。クズリさんとアムールトラの決着を見届ける。そう心に決めた。

 溶岩の噴出に飲まれて消えた2人の姿を確認できてない。あの2人が溶岩などで死ぬとはどう考えても思えない。

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 溶岩の勢いが少しずつ収まっていった。噴出ではなく流出と呼べる程度の勢いになっている。

 それによって覆い隠されていた物がついに露になる。

 

(・・・・・・ああ、やっぱり!)

 想像通りの、しかし想像を超えた光景が目に飛び込んできた。

 相も変わらずに熾烈な打ち合いを続けるクズリさんとアムールトラだったが、驚いたことに、2人とも溶岩を一滴たりとも浴びていなかった。

 

 2人が足を止めて戦っている直径10メートルほどの空間だけが、周囲を埋め尽くす溶岩から円形に繰りぬかれて存在していた。

 まるで2人の体から暴風が吹き出して溶岩を押しのけてしまっているかのようだ。

 限界なく高まり続ける2人の闘気が、何物をも寄せ付けない謎の重力場を形成していた。

 

 打撃の凄まじさもここに極まっていた。

 一方が一方を殴ると、衝撃が後方に突き抜けて、背後にあった溶岩が空中高く破裂していた。

 その様を見て何となく僕には想像がついた。

 何故とつじょ地中から溶岩が噴き上がってきたのか? ・・・・・・それはきっと、2人が発する凄まじいエネルギーに引き寄せられたからなんだ。

 

(こ、これは、神話の領域だ!)

 

 クズリさんもアムールトラも、尋常な生命体では辿り着けない場所に到達している。

 僕は2人の強さを身をもって知っているが、すでに僕の知る2人ではなくなっているように思う。

 

 命を懸けて戦う最大のライバル同士が、互いの潜在能力を100%引き出し合い、さらに際限なく成長を続ける未知の存在へとお互いを書き換えていっている。

 ようやくわかった・・・・・・これがフレンズの進化の瞬間だ。

 

「クズリさん! 負けるなあッッ! がんばれ! アムールトラッッ!」

 

 気が付くと僕は天を仰いで絶叫していた。

 自分でも何を言っているのか。頭がおかしくなったのか・・・・・・クズリさんだけではなく、アムールトラの奴まで応援してしまっている。

「はっ・・・・・・!?」

 目がしらの奥が熱い。いつの間にか大粒の涙が頬を伝っている。

 この究極の戦いの目撃者となれた感動に、無意識のうちに体が打ち震えているんだ。 

 

 おもむろに進化促進薬を取り出して溜息をつく。

 ようやく取り戻したこの薬だけど、もう僕がこれを使う機会は訪れないんだろうと思う。

 こんな薬なんか使ったところで、僕があの2人に並ぶことが出来るとは思えない。

 きっとクズリさんとアムールトラは、何か巨大な運命によって選ばれた特別なフレンズなんだろう。そして僕は違う。

 ・・・・・・悔しいとは思わなかった。ただ寂しくなるぐらい清々しい諦めの気持ちだけが残った。

 

 今まではクズリさんに憧れて追いかけ続けてきたけれど、どうやら僕が歩むべき道は彼女の後を追うことじゃない。生き残ることが出来たなら、自分だけの道を今度こそ見つけだそう。

 ともかく今はこの戦いを最後まで見届けるんだ。フレンズの可能性を示してくれた2人への尊敬と賛辞を込めて。

 

 瞬きすら忘れて2人の戦いを見つめていた時、それは起こった。

 

________カッ・・・・・・

 またも強い光に視界が覆われた。

 だがそれはこの場にいる2人が引き起こした光ではない。閃光はずっと向こうの空から去来していた。

 その場にあるもの一切を白く覆い尽くしてしまう、尋常ならざる眩しさだった。

 

 何秒か経つと、閃光が山々を超えた地平線の上で収束していった。

 謎の光の正体は、天空に達するほどの巨大な火の玉だ。火山灰に覆い隠されたバトーイェ山脈の空でもなお容易に視認できる。

 

________ドオオオオオオオンッッ!!

 

 光から遅れてやって来たのは、途轍もない轟音と爆風だった。

 衝撃波が辺り一帯を薙ぎ払いながら近づいてきて、あっという間に僕のいる所まで覆い尽くしていった。その場のあらゆる物を吹き飛ばしてしまうんじゃないかと思うほどの勢いだった。

 辺り一帯が巻き上げられた土煙で覆い隠されている。槍を岩場に突き刺して何とかその場で耐え忍ぶのが精一杯だった。

 この世の終わりのような未曽有の大破壊が起きている。

 

「た、た、助けてくれええええっ!」

 脇を見るとカルナヴァルが空中高くに放り出されていたので、鞭を巻き付けて救出してやった。

 もちろん情けをかけてやったわけではない・・・・・・コイツには今すぐ問いたださなければならないことがある。

 

「おい! これはどういうことだッッ!?」

________ガシィッ

 やがて衝撃波が通り過ぎ、辺りが静かになったのを確認すると、カルナヴァルの胸倉を掴みあげて怒鳴った。

 

「今の爆発は核じゃないのか!? なぜいま核が落ちたんだ!」

 

 火山の噴火によって火山灰を辺り一帯に巻き上げ、核ミサイルの誘導を疎外する。

 それが敵対勢力ジャパリが切り札として作動させたサンドスター・ボムの効果。

 しかし計算の結果、火山灰は成層圏のスターオブシャヘルにはギリギリで到達しないことが分かった。

 ジャパリの作戦は失敗に終わった。そのために核の投下は予定通り明日正午に行われる・・・・・・

 そう部下に吹聴していたのは他でもないカルナヴァルのはずだ。

 

「カルナヴァル! お前は嘘を言っていたのか!」

「ひいいっ! ちち、違う! 確かにグレン様はそう仰っていたのだ! ワシは言われたままを伝えただけだ!」

「・・・・・・そうか。ではお前も奴に騙されたってワケだ」

 

 納得した僕はカルナヴァルを放してやった。

「・・・・・・そ、そんなバカな・・・・・・」

 ぽかんとした顔で立ち尽くす奴だったが、やがて膝を付き、頭を抱えて取り乱し始めた。その瞳には純粋な絶望だけが浮かんでいた。

 同情の余地のないクズではあるが、それでも同情を禁じ得なかった。

 

 これではっきりした。核が明日正午ではなく、今この時に落とされた理由。

 それはジャパリの作戦がやはり成功していたからだ。

 亡きヒルズが語った通り、天高く巻き上がる火山灰は、核ミサイルの誘導を疎外するのに実に有効な手立てだったのだ。

 時間が経てば、火山灰が成層圏のスターオブシャヘルに到達して、誘導システムに確実な障害を引き起こす。

 

 だからグレン・ヴェスパーはそうなる前に、きゅうきょ予定を前倒しにして、プレトリア郊外の実験予定地に核を落とすことにしたようだ。

 情報統制が完璧ではなくなることを考えると、一日前倒しにするだけでも相当なリスクがあるはずだ。

 

 だが奴はセルリアンの女王を誕生させるために即断した。

 ・・・・・・カルナヴァルには適当なウソをついて、核投下までの時間稼ぎをさせようと目論んだのだろう。

 爆撃機を用意して、山のふもとで侵攻部隊の面々を救出してやる、などという話もすべて嘘っぱちだったのだ。

 

「ぐ、グレン様ぁぁぁッッ!! ワシはこんなにもあなた様に尽くしてきたのに! 何故こんな仕打ちをなさるのですかあああッッ!」

 

 もうカルナヴァルは助からないだろう。

 ここバトーイェ山脈は核投下予定地から数十キロしか離れていない。たとえ爆発そのものに身を焼かれなくても、重度の被爆を免れえない距離だ。

 

 コイツが率いていたシャヘル兵も同じだ。大半が溶岩流に巻き込まれたり、アムールトラにやられたりして死亡しただろうが、それでも峡谷に逃げ込んで難を逃れた兵士だって沢山いたはずだ。

 被爆によって体を病み死んでいく彼らの未来が確定した。

 グレン・ヴェスパーは沢山の部下を犠牲にしてまで核実験の成功を優先させたのだ・・・・・・まったく悪魔じみた、人知を超越した残虐性の持ち主だ。

 

 核の炎が空をまばゆく照らし続けている。

 ずっと向こうの空で、どこまでも、いつまでも、爆炎交じりのキノコ雲が立ち上っていた。既に僕の目に見える範囲よりも大きくなってしまっている。

 一番上の方がどうなっているのかはわからない。

 

 クズリさんとアムールトラの勝負はどうなった、と思いながら下の方を見やる。

 驚いたことに、辺りの風景一帯が先ほどまでと全く様変わりしてしまっている。

 溶岩が黒く変色して、ほとんど動かない半固形と化し、ブスブスと煙を上げている。衝撃波によって空気と激しくかき混ぜられたことにより冷えて固まってしまったのだろう。

 それらの様相は、先ほどまでと打って変わって不気味な静寂感をその場に与えていた。

 

「・・・・・・あああっ・・・・・・うううっ・・・・・・」

 

 アムールトラが倒れていた。力なく四つん這いになってその場にうずくまり、苦しそうなうめき声を上げていた。

 その傍でクズリさんが肩で息をしながら立っていた。

 

(クズリさんが勝ったのか?)

 と、一瞬そう思ったが、すぐに違うと分かった。

 他でもないクズリさんの表情が困惑に満ちていたからだ。自らの手でライバルを倒したのならば、決してあんな顔はしないはずだ。

 

「・・・・・・あああっ! わあああッッ!!」

「て、てめえ!?」

 

 茫然とするクズリさんをよそに、アムールトラがもがき苦しみ続けている。

 考えられる可能性はひとつ・・・・・・奴は1人でにあんな状態になってしまったのだ。

 それまでクズリさんと超絶的な打ち合いを続けていたはずなのに、突然に重大な病でも発症したかのような有様だ。

 

「・・・・・・どうして・・・・・・どうしてこんなことが出来るんだっっ・・・・・・! どうしてぇええええっっ!!」

 

 うずくまりながらアムールトラが悲痛な叫び声を上げ続けている。

 核を落とされたことに対して怒り狂っているのがわかる。

 冷徹に押し込めていたはずの感情を曝け出して、立っていることすら出来なくなってしまうほどの怒りとは、いったいどれほどのものなのだろうか。僕には想像することさえ難しい。

 奴にとってそれは、耐え難い苦痛そのものであるように思えた。

 

「・・・・・・許せない・・・・・・ゆるせない・・・・・・ゆる、せ、ない・・・・・・」

 叫び震えていた奴の声から急速に理性と感情が失われつつあった。

 端的に言うなら、怒りのあまり精神が崩壊してしまったかのような・・・・・・だがどういうわけだか、そんな言葉では到底言い表せられないぐらいイヤな予感がする。

 

________・・・・・・ズォォォン・・・・・・

 

 うずくまるアムールトラの体に異常な変化が起こり始めた。

 それは野生解放の金色の光とはまったく違う有り様だ。

 奴の体からは二種類の物質が立ち上っている。

 一つは虹色の光燐だ。セルリアンが倒された時に生じる物と良く似ている。

 もう一つはどす黒い炎のようなオーラだ。まるで怒りと憎しみが可視化して現れているかのような黒炎が一瞬で膨れ上がり、奴の全身を覆っていた。

 

「・・・・・・ウウウッッ・・・・・・」

 黒いオーラを揺らめかせながら、アムールトラがのっそりと立ち上がる。その顔は、怒りとも苦悶とも取れぬ般若のごとき形相に歪んでいた。

 

「・・・・・・アアアアアッッ!!」

 両腕を振り上げながら、天を仰いで獣のごとき咆哮をあげた。

 すると全身を覆う黒いオーラが、両腕に向かってひときわ凝縮されていった。

 

________ズググ、メキメキメキィッ・・・・・・

 やがて黒色に染まり切ったアムールトラの両腕が変形し始めた。

 普通の”手”だったはずのそれが、一回り以上も肥大化し、指先の一本一本に漆黒の鉤爪が生え出てきたのだ。

 あの鉤爪は動物のトラそのもの。いやそれよりもはるかに鋭利で禍々しい。

 

 まるで理性が感じられなくなった表情といい、あたかもアムールトラはフレンズでありながら動物に逆行したみたいに見える。

 ・・・・・・まさか、あの恐ろしい姿がフレンズの進化態だというのか?

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章29 「うんめいのとき」(中編)


 他者のために生き、他者のために死んだ一人のフレンズがいた。


 

「ウウウウッッ・・・・・・」

 

 核爆発の衝撃波が過ぎ去った直後、アムールトラは謎の変貌を遂げた。

 血走った燃えるような瞳からは抑えきれない怒りが感じられる。歯が剥き出しになった口から不気味な唸り声を上げ続けている。

 

 その立ち姿も今までと全く違う。いつでも姿勢が良かったはずの上半身を折り曲げて前かがみになっている。

 垂れ下がった両腕から伸びる黒い鉤爪は地面に付きそうな位になっている。

 ・・・・・・野性的どころではない、野生の獣そのもののような印象を受ける。

 

「アムールトラちゃんよォ」

 間近で茫然としていたクズリさんが、変わり果てたライバルに向かって気を取り直したように声をかける。

 何はともあれ戦いの決着は付いていない。自分達のやることは変わらない、と言わんばかりだ。

「・・・・・・まだ、やれんだよな?」

 

 アムールトラは答えない。クズリさんの方を見もせず、焦点すら定まらないまま唸り声を上げ続けるばかりだ。

 そしてクズリさんは答えを待たずに戦闘態勢に入る。再び野生解放を全開にしてアムールトラの真正面に立つのだった。

 冷えて固まった黒いマグマに覆われる岩肌の上で、再び2人が対峙する。

 

 ・・・・・・どうにもいやな予感がした。クズリさんとアムールトラとの間の空気が、核が落ちる直前までとは全然違っていたからだ。

 クズリさんが放つ金色の光と、アムールトラの体から立ち上る漆黒のオーラでは、どこまで行っても混じり合うことがない。

 まるで太陽が黒雲に覆い隠されていくような絵面を思い起こさせる。

 

 ついさっきまでクズリさんとアムールトラは、同色の光を発しながら全力でぶつかり合い、際限なく互いを高め合っていたというのに、あの素晴らしかった戦いの面影は今やどこにもない。

 今クズリさんが対峙しているのは互角のライバルではない・・・・・・まったく得体の知れない異質な怪物だ。

 少なくとも僕にはそんな風にしか見えなかった。

 

「再開、させてもらうぜぇ!」

 

 先ほどから気勢がまったく衰えないクズリさんが、小さな体を稲妻のように加速させアムールトラに激突する。

 その場から一歩も動かない奴の腹部を、クズリさんの全力のボディーブローが捉えた。

________ドッ・・・・・・

 土嚢を棒で打ったかのような、乾いた鈍い音が響いた。

 しかしそれだけだ。アムールトラはビクともしない。衝撃が後方に突き抜けることもない。

 不気味な静寂が残る中、クズリさんの表情がいっしゅん青ざめたような気がした。

 

「オラアアアッッ!!」

________シュババババンッッ!

 クズリさんが間髪入れずに追撃を繰り出した。

 機関銃のような怒涛の勢いのパンチを、至近距離で何度も何度も打ちこんでいる。一発一発がソニックブームを生じさせるほどに速く、そして重い。

 ・・・・・・しかし、その強烈な連打ですらもアムールトラには効果がないようだ。

 巨岩が涼風を受けているかのごとく、仁王立ちしたまま、無防備に、こともなさげにパンチをくらい続けていた。

 

 先ほどまでの戦況が嘘みたいな有様だ。

 今のアムールトラが異常なまでにパワーアップしたのか? それともクズリさんの体力が尽きて弱くなってしまったのか?

 僕には何もわからなかったが、少なくともこれだけは言える。

 2人の間に存在したある種の調和のような均衡が、まったく消えて無くなってしまった。

 

「だったらァ・・・・・・とっておきを食らわせてやるよッッ!」

 

 もちろんそこで諦めるクズリさんではない。

 素早くジャンプしてアムールトラの体を飛び越えて空中で身を翻すと、奴の肩に飛び乗って、その橙色の頭部めがけて真上から手のひらを押し付けた。

 その瞳には今までで一番の気迫がこもっている。

 

(つ、ついにあの技を使うつもりか!)

 

 クズリさんのとっておき。

 手のひらに触れた物の全身に、途轍もない圧力を加えて握り潰してしまう能力・・・・・・ディザスター級セルリアンの巨体をも手のひら大に圧縮してしまうあの技ならば、いかなる相手だろうとも無事では済まないはずだ。

 

「アアアッッ!!」

 

 なすがままにされていたアムールトラが初めて動いた。

 それは特に攻撃と呼べるような動作ではなかった。ただ天を仰いで叫んだだけだ。頭を掴んできたクズリさんを振り払おうとでもしたのだろうか。

 のぶとい咆哮と同時に、奴が纏っていた漆黒の炎が激しく燃え盛り膨張した。

 

________バチュッッ

「な、なんだとォ!」

 黒いオーラにクズリさんが晒された瞬間、肉がひしゃげる音が聴こえた。

 だが潰れたのはアムールトラの頭ではなかった。

 攻撃を仕掛けたはずのクズリさんの右手が潰れ、手首から先が無くなってしまっていたのだ。

 まるで”握りつぶす”攻撃がクズリさんに跳ね返ってきたかのような有様だ。

 

 さすがの彼女もそのダメージには怯んだ。

 全身から湧き出ていた金色の光がかき消えてしまい、飛び乗っていたアムールトラの肩から足を踏み外してしまった。

「ウウウッ!!」

 クズリさんが地面に落ちるよりも先に、アムールトラはその鉤爪が生えた黒い剛腕で彼女の胴体を掴みあげた。その表情にはいっそう凄まじい怒気が宿っている。

 ・・・・・・次の瞬間、されるがままだった奴の反撃が今度こそ始まった。

 

________ドォンッ! ドォンッ! ドッガアアアッッ!

 アムールトラは鷲づかみにしたクズリさんの体を右に左に振り回して、何度も何度も地面に叩きつけ始めた。

 技術も何もない暴力そのものとしか言いようがない動きだ。

 一度叩きつけるだけでも地面が揺らぎ、周囲の冷え固まったマグマが巻き上げられて空中に散らばっている。それほどまでの恐ろしい勢いで、何度も、何度も・・・・・・。

 

 まるでアムールトラ自身の中の溜まりに溜まった怒りを発散しているかのようだった。その様にはかつての面影はどこにもない。

 奴ほどの優れたフレンズが、今や知性も技術も捨て去って、殺意のままに暴力を振り回す化け物になってしまっている。

 これが強さを極めたフレンズの行き付く先だなんてあんまりじゃないか。

 

「・・・・・・てんめぇぇええッッ!」

________メキィッ!

 たちまち全身から血を噴き出すクズリさん。

 傍から見ていても震えあがってしまいそうな暴力に晒されているにもかかわらず、彼女はあきらめなかった。

 いつの間にか反撃に打って出ていたのだ。

 叩きつけられ続けていた五体を空中で立て直し、いまだ健在の左手と両足とを用いて、アムールトラの片腕に十字固めを食らわせていた。

 不屈の闘志であると言う他はない。

 

________メキ、メキ、メキ!

 クズリさんはそのまま体を思いきりのけ反らせてアムールトラの腕をへし折らんとしている。 

「ウ、ウ、ウ」

 痛みを感じているのかいないのか、変わらぬ形相のまま唸り続けるアムールトラが、クズリさんを振りほどかんと動きだした。

 信じられないことに、空いている左手でクズリさんの腰を掴み、しがみ付かれた右手から力づくで引き離してしまったのだ。

 

 どう見ても格闘技の動きではない・・・・・・そもそも尋常な腕力で出来ることではない。

 全力でしがみ付いてくる相手を腕の力だけで引っぺがすなどという真似は、子供と大人ほどの力の差がなければ出来ないはずだ。

 あの怪力無双のクズリさんを相手に、同じフレンズがそんな事出来るはずがない。

 

 そしてアムールトラは、クズリさんの上半身と下半身とを左右の手で握りしめ・・・・・・

(だ、ダメだ!)

________ボギンッ

 僕が声にならない悲鳴を上げようとした瞬間には、クズリさんの体をあらぬ方向に折り畳み、背骨をへし折ってしまっていた。

 そして奴が手を放すと、ついにクズリさんが力なく地面に横たわることになった。

 

「も、もうやめろ! ・・・・・・このままじゃクズリさんが・・・・・・」

「ウアアアッッ!!!」

 

________ズドンッ! グチャッ!

 しかし僕の懇願が届くはずもなく、アムールトラの追い打ちは止まらなかった。

 変わることがない憤怒の表情のまま、ボロ雑巾のように横たわるクズリさんを、負の感情を発散させるように何度も何度も踏みつけた。

 ・・・・・・こんなのは戦いじゃない。ただの蹂躙だ。

 もう勝負は終わりだ。今すぐやめさせなければ。

 

________グ、ググ・・・・・・

 不屈の闘志を持つクズリさんはしかし、まだ戦いを続けようしていた。まともに使える左手をゆっくりと上に掲げ、そして拳を形作ったのだ。

 ・・・・・・しかし、アムールトラにふたたび強烈な踏みつけを喰らった瞬間、その手もあえなくガクリと地面に落ちた。

 

 アムールトラはその様を一切変わらぬ憤怒の表情のまま見下ろすと、右手を天高く振りかぶった。鉤爪の生えた手のひらに、奴の周囲を漂っていた漆黒の炎が凝縮されていく・・・・・・。

 遠目からでも明らかにわかる。あれはトドメの一撃だ。

 

「やめろおおおおっ!!」

 

 まるで自分の声じゃないみたいな悲鳴が暗い空に轟いた。

 心臓が凍り付くようだ・・・・・・次の瞬間には引き裂かれる、いや消し飛ばされるクズリさんの姿を想像したその時。

 

________ドキャッッ!

 上空から飛来した何かがアムールトラに激突し弾き飛ばした。まるでクズリさんを庇うようなタイミングだった。

 謎の物体はボールのように跳ね返ると、空中で何度もトンボを切りながら地面に着地した。物凄いスピードの動きだ。

 僕にはどうやらそれが人型をした何かであることぐらいしか分からなかった。

     

「・・・・・・わりぃなウルヴァリン。遅くなったっス」

(あ、そ、そんな!)

 

 ふわりとした金髪に片目を隠した穏やかな顔が、倒れたクズリさんを見下ろしている。 

 小柄で身軽そうな金一色の容姿。身長よりも長いしなやかな尻尾・・・・・・それらの情報が、その者が誰であるのかを一瞬で悟らせてくる。

「スパイダーさんっ!!」

 とたんに驚愕と安堵と、処理し切れない様々な感情が湧き上がってくる。

 この瞳が夢や幻を映しているのでなければ、突如現れてクズリさんを救ってみせたのは、今この場にいないはずの、無事であることを祈り続けた存在だった。

 

「ずいぶん久しぶりっスね、シベリアン」

「・・・・・・ウウウ」

「苦しいっスよね。そんなになっちまって・・・・・・」

 

 スパイダーさんは次にアムールトラへと呼びかける。憐れむような、慈しむような声色だ。

 だがアムールトラは答えずに虚ろに唸り続けるだけだ。目の前にいる相手がかつての友である事すらもわかっていないのかも知れない。

 今の奴にとっては、目の前の動く物すべてが破壊すべき対象にしか見えていないようだ。

 

「なあシベリアン、正気に戻ってくれっスよ!」

「ヴアアアッッ!!」

「・・・・・・お前は誰よりも優しい奴だったじゃないっスか!」

 

 スパイダーさんの呼びかけもむなしく、アムールトラが再び黒いオーラを膨張させながら襲い掛かってきた。

「わかったっス」

 禍々しい鉤爪が振り下ろされるのを見上げながら、スパイダーさんは最後にそう呟くと、憐れむような表情を一変させ、眉間にしわを寄せながら前に出る。2人の激突が始まろうとしている。

 ・・・・・・おかしい、なにか腑に落ちない。

 なぜスパイダーさんは今のアムールトラの様子を見て驚かないのだ? それどころか早々に対話を打ち切って戦闘へと切り替えることが出来ている。

 

________ブォンッッ!

 まるで実体を持たない虚像を攻撃したかのように、アムールトラの鉤爪がスパイダーさんをすり抜ける。

 ・・・・・・次の瞬間には、いつの間にかアムールトラの背後を取っていたスパイダーさんから目にも止まらぬ蹴りが放たれ、奴の後頭部をまともに捉えていた。

 すると無敵にも思えたアムールトラが、初めて敵の攻撃で膝を付いてしまっていた。

 

「これ以上は誰も殺させねえっス! アタシからお前へのせめてもの情けだ!」

 

 言うなりスパイダーさんの体が金色に・・・・・・さらには白く光り出す。体の輪郭すら良くわからなくなるほどの眩さだ。

________ズドドドドッッ!

 光の化身みたいになったスパイダーさんが、漆黒のアムールトラが振るう剛腕をことごとくすり抜けて、目にもとまらぬ手数の攻勢を見せ始めた。

「ウウウウウッッ」

 速さだけでなく威力も申し分ない。一撃くらっただけでもアムールトラは体勢を崩し、後退を余儀なくされていた。

 

 ・・・・・・信じられない有様だ。あのスパイダーさんが、クズリさんでさえ叶わなかったアムールトラを圧倒している。

 もともと彼女は戦闘が苦手なんだ。それでも影潜りという便利極まりない能力と、明晰な頭脳と、周囲をまとめ上げる器の大きさによって、ハンデを補って活躍してきた。

 それが彼女の個性だったのに・・・・・・いったい何が起きたというのだろうか。

 

________ドッガアアアッッ!

 思考を張り巡らせる間もなく、スパイダーさんの決定的な一撃が炸裂する。

低く丸まった姿勢から、バネのように伸縮させた長い尻尾を使って飛び上がり、途轍もないスピードでアムールトラの顔面を蹴りつけた。

(や、やったか!?)

 それを受けたアムールトラはエビ反りの姿勢のまま吹き飛び、ずっと後方にあった岩山に姿が隠れるほどにめり込むと、それきりピクリともしなくなった。

 

「メリノ! 今のうちにズラかるっス! 早くこっちに降りて来い!」

「は、はいっ!」

 

 スパイダーさんは軽く息を吐くと、大岩の上で茫然と立ち尽くしていた僕に振り返って大声で呼びかけた。

 アムールトラが起き上がってこない内に逃げようというのだ。想像を絶する怪物へと変貌した奴が今の一撃で死んだとは考えづらい。

 

 ・・・・・・これで一安心だ。スパイダーさんの影潜りさえあれば、ここを瞬時に離脱してアムールトラから逃れることが出来る。

 いかに奴であろうと、彼女のテリトリーである”影の空間”まで追ってくることは不可能だろう。

 

「ちょっと待て! 後ろのソイツも連れてきてやれっス」

 

 二の口もなく飛び降りようとした僕をスパイダーさんが呼び止める。

 後ろを振り返ると、怯えきった顔のカルナヴァルが、置いて行かないでと言わんばかりに手を伸ばしてきていた。

 

「・・・・・・た、頼む! ワシも一緒に!」

 

 その声を聞くなり、ドス黒い感情が胸の内に沸き起こる。

 カルナヴァルがどのツラを下げて僕に命ごいをしようって言うんだ? 一体どこまで厚顔無恥を晒せば気が済む?

 何人もの量産型たちがコイツの愚かな命令で殺された。瞳を閉じれば鮮明に思い浮かぶ。僕の目の前で砲弾に身を裂かれて死んだ、イヌの量産型フレンズの絶望した顔が・・・・・・。

 コイツはグレン・ヴェスパーに匹敵するほどの外道だ。情けをかけるに値しないクズだ。勝手に死ねとしか思えない。

 僕自身が手を下すのを止めてやっただけで、命を助けてやるつもりなんてさらさらない。

 

「こんな奴を助けて何になるって言うんですか!?」

「うるせぇ! 言う通りにしろっス! ・・・・・・生きたいって気持ちは誰だって一緒なんだ!」

 

 スパイダーさんは一歩も譲らない。いつかも聞いたセリフだ。

 どうしてそんなに誰彼かまわず優しく出来るのだろう? ひょっとしたら彼女は、どんなに酷い目に遭っても、そしてどんなに強くなっても、憎しみや殺意とは無縁でいられる稀有な精神の持ち主なのかもしれない。

 ・・・・・・僕のような性悪にはとうてい理解不能だ。だが、これでこそ彼女らしいとも思った。

「そうですか」

 妙に納得してしまった僕は、スパイダーさんにぶっきらぼうな返事を返し、カルナヴァルを鷲づかみにして大岩から飛び降りた。

 

 カルナヴァルの体を乱雑に引きずりながら、全速力でスパイダーさんに近寄る。

 彼女のすぐ傍にはクズリさんが倒れている。

 その姿を間近で目の当りにした瞬間、己の全身が総毛立つのがわかった。言葉を無くしたまま駆け寄り、ひざを折って項垂れた。

 

「・・・・・・ち、ちきしょうっ!」

 

 虫の息のクズリさんが血まみれのボロ雑巾のような姿で、生気のない瞳で天を仰いでいた。

 遠目からでもアムールトラの圧倒的な暴力によって蹂躙されていたのはわかっていたが、間近で見た痛ましさは僕の想像を超えていた。

 何度も踏みつけられたからなのか、背骨だけじゃなく全身あちこちがへし折れている。腹部からは内蔵が零れてしまっている。

 

「クズリさん・・・・・・起きてくださいよ!」

 懇願するように呼びかけるも返事はない。

 これじゃさすがの彼女も助からないのでは、と認めたくない現実を認めざるを得ないような気持ちになってくる。

 クズリさんはアムールトラに敗れ、ついにその命を・・・・・・。

 

「メリノ、まだ諦めるのは早えっスよ」

 スパイダーさんが泣き崩れている僕の肩を叩いた。

 そして慰めの言葉でもかけてくれるのかと思いきや、意外なことを言ってきたのだ。

「まだ動物の姿に戻ってねえっス」

 

「・・・・・・そ、そうか!」

 フレンズが死ぬ時、その体からサンドスターが放出され、肉体は素となった動物の姿に戻る。

 クズリさんがまだフレンズの姿を保っているということは、完全には死んでいないということ。

 体内にサンドスターが留まり、必死に肉体を生かそうとしている。

 

「ウルヴァリンは強いっス。体の頑丈さも並のフレンズの比じゃねえ・・・・・・簡単に死んだりするもんか!」

 

 静かだが強い口調で告げると、スパイダーさんは膝を付き、物言わぬ親友の左手に手を重ね、そしてもう片方の手を僕に差し出した。

 

「さあメリノ、早くアタシの手を!」

「・・・・・・はいっ!」

________ドプンッ

 唯一の希望にすがるような気持ちで差し出された手を握る。

 刹那、硬くゴツゴツとしていた岩肌が底なし沼のように柔らかくなり、僕らを地の底の暗闇へとを飲み込んでいった。

 僕にとっては見慣れた景観を目の前にして、今度こそ助かったという感慨を覚える。

 

「う、うおお! な、何だここは! ワシは今どこにいるのだ!」

 

 暗闇の中をスパイダーさんの手に引かれながら進んでいる。

 もう片方の手に鷲づかみにしているカルナヴァルが、初めて訪れたであろう異空間に驚愕し鬱陶しい悲鳴を上げている。

 視界が効かないこの世界では、必然的に聴覚に注意が向く・・・・・・クズリさんのか細い息づかいがいつ途切れてしまうかと思うと気が気ではなかった。

 

「す、スパイダーさん、いったい何があったんですか? あの物凄い力は?」

 はたと我に返り、気になっていたことを尋ねる。

 地上に出たらまたどんな危険があるかわからない。だからこの絶対の安全地帯を移動している間に、必要な話を済ませておくべきだろう。

 

「グレンの奴に変な薬を打たされたっスよ」

「進化促進薬のことですよね? つ、つまりスパイダーさんは進化を遂げた存在に!?」

「・・・・・・いや、違う。アタシぁドーピングで一時的に強くなってるだけっス」

 

 スパイダーさんは、息を飲んで問い詰める僕に、軽い溜息を付きながら続ける。

 グレン・ヴェスパーは彼女に”フレンズの進化”に関する詳細な情報を教えていたようだ。

 

「物を考えたり喋ったりすることが出来る時点で、どうやらアタシぁ進化に失敗したみたいっス」

 

 進化態を定義づける条件は今も謎に満ちているが、わかっていることがひとつあるのだという。

 それはフレンズの体内に流れるサンドスターが変質をきたすことだ。

 サンドスターは実に絶妙なバランスを保ちながら僕らの体内で循環を続けているという。

 それによりただの動物だった僕らに、ヒトに近い姿や思考能力など数多くの恩恵を与えている。

 

 だがフレンズの肉体のリミッターが完全に外れてしまった時、同時に体内のサンドスターのバランスが崩れてしまい、すべてが戦闘力の向上に費やされることになるのだという。

 ・・・・・・その結果、それまで持っていた思考・会話能力が喪失し、ヒトに近かった姿は獣に戻ってしまうのだと。

 

「シベリアンは好きで暴れてるワケじゃねえっス。体が突然別物に変わっちまって、抑えが利かなくなっちまったんだ。かわいそうに・・・・・・あんなに優しかった奴が・・・・・・」

 

 変わり果てたかつての友に、スパイダーさんが憐れみの情を募らせる。

 だが僕は相槌を打つことも出来ず、ただただ青ざめていた。

 スパイダーさんは進化促進薬を打ったにもかかわらず、進化することが出来なかった。あの劇薬を打ったが最後、待っているのは進化か破滅の二択であるはず・・・・・・

 

「か、体は大丈夫ですか!?」

「見ての通りっスよ。心配すんな。そんなことより」

 

 スパイダーさんは妙に口ごもった後、まったく別の話題を振ってきた。

 シャヘルの仲間たちはどうした、と聞いてきたのだ。

 確かにそのことも話しておかなくちゃと思い、これまでの戦いの大まかな経緯を説明した。

 彼女が救おうとしていた部隊の仲間たちは、僕が一計を案じてジャパリの軍に投降させたということを。

 だがそれから先の足取りはわからない。難を逃れていて欲しいと思うが、火山が噴火したり核が落ちたりした危機的な状況では何とも言えない。

 ・・・・・・そして唯一、ディンゴだけは僕の目の前で死んだ。

 

「アイツは僕を庇って死んだんです」

「そうか、辛かったっスね・・・・・・なあ、ところでメリノ」

 

 静かに聞いていたスパイダーさんは、最後に相槌をひとつ打つと、感慨深そうに告げてきた。

 

「今のお前はすごくいい顔をしてるっスよ。ひと皮もふた皮も剥けた感じだ」

「・・・・・・クズリさんにも似たようなことを言われましたよ」

 憎まれ口しか叩かないクズリさんと違って、スパイダーさんのストレートな褒め言葉は聞いてて照れくさくなってくる。

 

「もうすぐ地上ですかね」と、ぎこちなく流して会話を終えようとした刹那、予想だにしない異変が起こった。

 僕らの体が突然に急停止してしまったのだ。

 

________ギキィィィッ!

 

「なっ!」

「・・・・・・か、体が動かねえっス!」

 スパイダーさんまでもが想定外と言った風に声を上げる。

 何が起こったのかわからない。暗闇の中を滞りなく進んでいたはずなのに、何者かが彼女の移動を妨害しているのだ。

 

________グオオオオッ・・・・・・!

 急ブレーキによってガクリと前に投げ出されるような感覚を覚えたのも束の間、今度は後ろに向かって吸い寄せられている。

 ・・・・・・まるで影の世界に穴が空いて、そこに向かって全てが流れ出しているみたいだ。

 

「シベリアンの仕業っス! アイツがアタシらを捕まえようとしている!」

「・・・・・・こ、ここまで追ってきたというのですか!? そんなバカなことが!」

「そうじゃないっス!」

 

 この異空間においては、スパイダーさんだけが唯一まわりの状況を把握することが出来る。

 どうやらアムールトラは再び動き出したそうだ。

 だが異空間の中を追ってきたわけではなく、変わらず峡谷前の地形に取り残されたままらしい。

 

 奴がやった事と言えば、僕らがいた辺りにまで戻ってきて、その鉤爪が生えた手を地面に突き刺しただけだと言う。

 ・・・・・・普通に考えれば、そんなことをした所で異空間にいる僕らを捕まえられるはずがない。

 だが現にアムールトラは、現実世界から異空間に干渉して僕らを動けなくしてしまっている。

 

「このままじゃアイツに引っ張り出されるっス!」

 

 進化態と化したアムールトラ。その能力は図り知れない。

 奴が引き起こした異常な現象といえば、思い当たることがもうひとつある。さっき”圧殺”を仕掛けようとしたクズリさんの右手を消し飛ばしてみせたことだ。

 クズリさんの能力を跳ね返したように、スパイダーさんの能力も無効化してしまっているのだとしたら・・・・・・

 

「・・・・・・に、逃げることさえ不可能だなんて!」

「あきらめんな。お前らを絶対に死なせやしねえっス!」

 

 もはや万策が尽きたような気がして絶望しかけていた僕を、スパイダーさんが変わらぬ様子で元気づける。

「アタシぁ、そのためにここに来たんだ・・・・・・うおおおおっっ!」

 そして突如として気勢を高めるのだった。

 何かの確信に基づいた強い意志を感じさせる叫びと共に、彼女から放たれる白い輝きが暗闇を照らし出す。

 

「メリノ! 今すぐ言う通りにするっスよ!」

 

 スパイダーさんが僕に命じたのは、クズリさんとカルナヴァルを両手に抱え込むことだった。

 暗闇の異空間の中で、僕ら3人は球のようにひと固まりになっている。その背後でスパイダーさんが僕の首根っこを掴んで運ぶような形になった。

 

「一体何をやろうっていうんですか!?」

「今からお前の体に、アタシの能力を移す!」

 

 スパイダーさんはそう言いながら、ひと固まりになった僕らに何か念のような物を送り込みはじめた。

 彼女の体から放出される白い光が、僕らの体に伝播し包み込んでいく。

 

「たった一回だけ、アタシがいなくても影の世界を渡り切れるはずっスよ!」

 

 能力を移すだなんて、聞いたことも考えたことすらもない。

 フレンズが各々に習得した”野生解放の先にある力”は、それぞれが生まれ持った個性を徹底的に磨き上げた末に発露するもの。他の誰かが真似できるような物ではない。

 

 ・・・・・・だがスパイダーさんの口ぶりは大まじめだ。

 本気で僕に能力を分け与えようとしている。

 この異空間は不規則に流れる激流に等しい。適応した者でなければ、どこまでも無限に流され続けるしかない。

 そんな場所を自由自在に移動する術を僕に授けようとしているのだ。

 

 徐々に体に変化が現れていった。

 それを自覚するに至った根拠のひとつが視覚の変化だ。

 本当なら僕には何もわからない暗闇のはずなのに、今はこの異空間の様相がよく見えるのだ。

 辺りを流れる闇色の奔流の、ひとつひとつがどこから来てどこへ通じているのか。どこで流れに乗ればいいのか、そんなことまでが手に取るようによくわかる。

 

 そしてスパイダーさんの方へと向きなおり目を合わせる。

 冷や汗を浮かべた青ざめた顔が、僕に向かってニコリと微笑んだ。

 見るからに満身創痍のその様相に驚く。さっきまで、普段通りのひょうきんな喋り方をしていたのは演技だったというのか。

 やはり彼女の体は、進化促進薬によって・・・・・・。

 

「いいかメリノ・・・・・・絶対に2人のことを放すなっスよ」

「待ってください! スパイダーさんはどうするつもりなんですか!?」

「・・・・・・アタシぁ、戻ることにするっスよ。シベリアンの奴が呼んでるからね」

 

 その一言で、彼女の意図をすべて悟った。

 ・・・・・・我が身を犠牲にして僕らを救うつもりだ。自分一人でアムールトラの所に戻り、再び戦いを挑む。

 そうすることでアムールトラの妨害行動を中断させ、その隙に僕らを安全な所に移動させるつもりなのだろう。

 そしておそらく、自分が生き残ることは考えていない。

 

「行かないでください!」

「わかってくれっスよ。これしか方法がねえんだ・・・・・・どのみちアタシぁもう先が長くねえっス。でも、お前らだけは何としても助けたいんだ」

「い、いやだ! こんなのあんまりだ!」

 

 スパイダーさんが、泣き叫び駄々をこねる僕の体にグッと手を押し当てる。最後の一押しといった感じで能力を絞り出しているのだ。

 同時に彼女の呼吸がいっそう切迫してきている。まるで彼女の命そのものを分け与えられている感じだ。

 

 驚くべき感覚だ。まるで背中に羽が生えてきたかのように、水を得た魚になったかのように、この異空間での動き方が直感でわかるのだ。

 ・・・・・・いよいよスパイダーさんと同じ能力が肉体に備わりつつある実感を覚える。アムールトラに吸い寄せられているこの状況でも、自力で短時間は踏ん張れるはずだ。

 

「・・・・・・さあ、これで能力を移し終わったッス。あとはアタシがアムールトラを止めにいくから、それまで持ちこたえおくっスよ」

 

 一仕事終えたスパイダーさんが、浅い息を吐きながら僕の肩を叩く。

 もう行ってしまうつもりだ。

 僕には何も出来ない。スパイダーさんを犠牲にしなくても済む方法も思い浮かばない。出来るのは、無様に泣きじゃくりながら彼女を見送ることだけだ。

 

「ごめんなさい・・・・・・僕は、あなたに何も・・・・・・」

「メリノ、今のお前ならきっと、何があっても乗り越えられる。あきらめず前に進めっスよ」

 

 穏やかな声色で告げられるその言葉はまるで遺言だ。

 あり得ない。これがお別れだなんて思いたくない。出会ってから今日まで、僕は彼女に守られ、助けられ、支えられてきた。だから今まで生きて来れた。

 僕だけじゃなく、関わった者すべてにそうしてきた。敵ですらも救おうとした・・・・・・

 こんなに素晴らしいフレンズが死んでいい理由がどこにある?

 

「お別れっスね・・・・・・ウルヴァリン」

「ッッ」

 死に向かわんとする親友に名前を呼ばれて、僕の腕に抱えられている虫の息のクズリさんが小さく呻いたような気がした。

 

「ウルヴァリン、お前とは色々あったっスね。アタシとお前で組んで、毎日命がけで戦って、そのうち仲間も増えて、楽しかった。

 ・・・・・・なあ、ひとつだけ頼みがあるっス。どうかシベリアンを恨まないでやってくれっス。アタシぁやっぱり、アイツを敵だと思いたくねえ。お前と同じ大事な仲間なんだ」

 

「う、あ、あ・・・・・!」

 今度こそクズリさんは完全に目を覚まし声を上げている。スパイダーさんを呼び止めるように、ボロボロの体を震わせて、声にならないうめき声を。

 

「お前ら、どうか生きてくれっスよ」

________ブォンッッ

 そう言って笑ったのを最後に、スパイダーさんは僕から手を放した。

 アムールトラが引き起こした、地上へと吸い上げようとする濁流に向かって自ら飛び込んでいったのだ。

 ・・・・・・その勢いは想像以上だった。ずっと上の方に吹き飛ぶように昇っていき、一瞬で見えなくなってしまった。

 

「スパイダーさんっ・・・・・・!」

 クズリさんとカルナヴァルを抱えた僕は、歯を食いしばって必死に涙をこらえると、影潜りの力でその場に押し留まり耐えた。

 

 やがて辺りがしんと静まり返ると、アムールトラが引き起こしていた圧倒的な濁流がピタリと止んでいた。

 スパイダーさんが奴の所へと戻った証拠だ。僕らを逃がすために、理性を無くした怪物と力尽きるまで戦う彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

(・・・・・・行くしかない!)

 今なら移動を妨げる物は何もない。影潜りを使って安全な場所へと抜け出ることが出来る。

 彼女から託された命のバトンを胸に抱いて、取り残された暗闇の渦の中を、より深く深淵へと向かってひた走った。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」
哺乳綱・霊長目・クモザル科・クモザル属
「ジェフロイズ・スパイダーモンキー」(死亡時年齢:10歳4か月)

_______________Human cast ________________

「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
年齢:67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「????」
使用者:アムールトラ
概要:肉体のリミッターが外れたアムールトラから発せられる黒いオーラには、他の生体が発するサンドスターの波動を打ち消す作用がある。
 ひとたびオーラを凝縮させれば、フレンズやセルリアン相手に一撃必殺の攻撃力を得るだけでなく、あらゆる”先にある力”の働きを無効化することが出来る。
 個々のフレンズの特性が発露に大きく影響する”先にある力”とは別物と位置づけられる。
 進化態に到達したフレンズのみが扱うことが出来る究極の能力。

「ラストシャドウ」
使用者:スパイダーモンキー
概要:自分と手を触れた仲間を影に引き込むシャドウシフト、効果を広範囲に拡大させたセカンドシャドウに続く、スパイダーの三段階目の能力。一時的に自分と同じ能力を仲間に分け与えることで、自分がいなくても仲間を逃がすことを可能にする。
 三段階目まで能力を開花させたフレンズはスパイダー以外おらず、この先も現れるかどうかわからない。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章30 「うんめいのとき」(後編)


 


________ドスンッ

 

 死の淵そのもののような暗闇の世界を抜け、再び重力が支配する現実世界へと舞い戻る。

 両腕に抱えていたクズリさんとカルナヴァルもろとも、地面へと無様に倒れ込んでいた。

 僕にとっては最初で最後の”影潜り”だ。スパイダーさんのように上手く出来るはずもない。地上に帰還できただけで上出来と言うべきだろう。

 

 辺りを見回してみる。

 空が広い。すぐ真下を霧が漂っている。岩肌に吹き付ける風は凍えそうなほどに冷たい。

 ここはバトーイェ山脈の中でもかなり標高が高い切り立った山嶺だ。さっきまでいた峡谷前の低地とは一目でまったく違うとわかる。

 

 ・・・・・・どうやら狙い通りの場所に降り立つことが出来たようだ。

 スパイダーさんに影潜りを託された僕には、彼女と同じく異空間にいながら現実世界の様子を探る超感覚がもたらされた。

 そして僕はあれこれ考えた末に、山を下るのではなく、再び登ることを選んだ。

 

 遠くに逃げるために異空間に長時間とどまるのは得策ではないと思った。アムールトラが再び謎の力を使って僕らを引き寄せようとする可能性があるからだ。

 そして火山の噴火も未だ収まっていない。核爆発の衝撃波でいったん表層のマグマが薙ぎ払われただけに過ぎない。

 新たに火口から吹き出した溶岩流がじきに辺りを埋め尽くすのは想像に難くないだろう。

 ふたつの危機から逃げ切るには、溶岩が流れて来ないような高所へと避難するしかないだろうと思った。

 

 だが全て上手く行ったとは言い難い。地形を吟味する暇が無かったために、かなり険しい場所に抜け出てしまった。

 まともに立っていられる場所すら限られているほどだ。

 ここから下に降りようと思うなら、三角に切り立った尾根をどこまでも進むしかない。足を踏み外せば転落死は免れないだろう。

 

「ふっ、ぐっ、うううっ・・・・・・」

 

 どうしたらこの場から生き延びることが出来るか、そのことだけを冷静に考えようとしていた。

 だがそんな僕の意志とは無関係に、目の奥から勝手に涙があふれ出てきて止まらなかった。

 窮地を脱したことで緊張の糸が切れたからだろうか? 

 受け止めきれない悲しみが思考を押し潰していく。

 

 やがて耐えられなくなって、仰向けに倒れたまま、暗雲立ち込める空を見上げてむせび泣いた。

 スパイダーさんが助かる道はなかったのだろうか。彼女を死なせないために僕に出来ることは無かったのか。

 ディンゴだけでなく、スパイダーさんまで僕を庇って死んでしまうとは思わなかった。

 

 僕と同じく彼女に命を救われたクズリさんとカルナヴァルに視線を投げかけてみる。

 カルナヴァルは悲鳴を発しながら巨体を丸めて怯えている。呑気なものだ。自分が誰に助けられたのかも理解していないのであろう。

 

 ・・・・・・そして、クズリさんは息をしていないように見えた。

 まだ動物の姿には戻っていないにせよ、もはや生きていることさえ信じられない有り様のように見えた。

 一度は確かに目覚めたはずだった。あの異空間の中で、無二の親友スパイダーさんから別れの言葉を聞かされた時には。

 このままクズリさんが本当に死んでしまったのなら、一体何のためにスパイダーさんは・・・・・・と、考えることさえ許されないような言葉が頭をもたげた。

 

 最後に僕は、地平線の向こうへと視線を移した。

 天に届かんばかりの巨大なキノコ雲が依然として大空に張り付いたように形を保っていた。

 核がプレトリアに落とされてから多少の時間しか経っていない証拠だ。

 

「・・・・・・くそっ」

 あのキノコ雲はまるでヴェスパー親子の悪意を具現化した存在であるかのようだ。

 うねり広がる雲の筋のひとつひとつが、奴らがほくそ笑む表情を描いているように思えてくる。

 あの親子には良心の呵責などない。何千何万もの部下の命と引き換えに核実験を成功させたことに歓喜すらしているはずだ。 

 

 スパイダーさんのような善なる者が死んでいく一方で、奴らという悪魔がほくそ笑んでいられる狂った世界。

 いったいどこに正しさや安らぎがあるというのだろう。

 

(頑張ったところで、どうせ僕らが報われる日なんて来ないんだ)

 

 ・・・・・・茫然とキノコ雲を眺めていると、諦念のような嘆きが胸元から際限なく湧いて出て来るのだった。

 あきらめずに前に進め、とスパイダーさんに言われたのに、彼女の死を無駄にするわけには絶対にいかないのに、もはや体が言うことを聞いてくれない。

 

(あ、あれは何だ?)

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・ゴゴゴゴ・・・・・・

 絶望しかけていた僕の瞳に、新たな異様が映し出された。

 正体不明の何かが、キノコ雲の根元で禍々しく立ち上がり始めたのだ。

 その光景は余りにも現実離れし過ぎていて、最初は夢か幻の類だとしか思えなかった。

 

 恐ろしく大きな植物の根・・・・・・それが僕が感じた第一印象だった。

 核の落下地点から数十キロほども離れているここバトーイェ山脈からも容易に観測し得るほどの大きさだ。

 天に向かって四方八方に伸び散らかる根っこの成長スピードは、あたかも何千、何万倍速のビデオカメラで撮影している映像を見ているかのようだった。

 

 巨大植物は瞬く間に成長し、大地と空とを隔てる稜線を埋め尽くしつつある・・・・・・それはまさに、暴走する生命エネルギーそのものだった。

 僕はきょう一日で、すでに二度も仰天するような物を見ている。

 そしてこれが三度目だ。

 いま目の前で起きていることは、火山の噴火や核爆発にも引けを取らない・・・・・・あるいはそれらよりも恐ろしいことのように思える。

 

 そして僕は謎の巨大植物の正体を察した。

 ・・・・・・あれはセルリアンの女王だ。核爆発を呼び水に、地下深くにある卵管から生まれ出てきたのだ。

 あれこそがまさしく戦争を引き起こした元凶だ。

 女王を生み出さんとするヴェスパー親子と、それを阻止せんとしたジャパリ。

 何人ものフレンズやヒトの命と引き換えに、あのおぞましい化け物は誕生を果たした。

 

 だが、奴らが欲していたのはセルリアンの女王だけじゃない。

 イヴ・ヴェスパーは言っていた。支配をより完璧なものとするために、女王に拮抗し得る力がもうひとつ必要だと。

 ・・・・・・そう、進化態へと到達したフレンズだ。

 結果として進化を成し得たのはクズリさんでも僕でもなく、敵勢力ジャパリに所属するアムールトラだった。

 

 きっとクズリさんとアムールトラが戦うことは、あらかじめヴェスパー親子によって仕組まれていたんだ。

 結果としてすべて奴らの思惑通りに事が運んだ。

 スパイダーさんたちの死もすべて、奴らに利用され踊らされた結果に過ぎないのだ・・・・・・そう思うと俄かに胸の中に熱い物がほとばしってくる。

 

「・・・・・・ふざけるなアアァァッッ!!!」

 

 天に向かって両手を振り上げ、激情にまかせるまま吠えた。

 爆発しそうなほどに激しい怒りと憎しみとが、すべてを諦めそうになっていた僕を再び立ち上がらせた。

 僕にはスパイダーさんのような偉大な精神性はない。

 だから負の感情を糧にするより他に、絶望を跳ね返す術がないのだ。

 

「クズリさん!」

 

 僕もアムールトラみたいに怪物と化して暴れられたらどんなに気が晴れるだろうか。

 だが僕は奴と違って未熟者だ。進化することなんて出来るはずがない・・・・・・だがそれでもいい。

 今の自分自身のまま、この気持ちを何かにぶつけてやる。それより他に出来ることなんてない。

 そう決意した僕は、ゆいいつ僕の傍に残った大切な仲間へと必死に声をかけた。

 

「いい加減に起きてください! 奴らに利用されっぱなしで悔しくないんですか!? この恨みを晴らさなくて良いんですか!?」

「・・・・・・」

「起きろぉッッ! アンタは無敵の野生ウルヴァリンだろうが!」

 

 僕がどんなに呼びかけてもクズリさんが答えることはない。

 まだ動物の姿には戻っていないにしろ、生きているのが不思議なぐらいの重傷をアムールトラに負わされたことには変わりないのだ。

 

(くそっ! 何とかならないのか!)

 頭をもたげる最悪の可能性を振り払うようにして思考を張り巡らせる。

 ・・・・・・そもそも納得がいかないのは、アムールトラが進化出来たのに、なぜクズリさんは出来なかったのかということだ。

 

 核が落ちる直前までは、2人は互角の戦いを繰り広げていた。

 それは間近で見ていた僕が誰よりも知っている・・・・・・あの時僕は、2人は別格のフレンズであり、共に進化を遂げる運命にあると直感で思っていた。

 クズリさんは強さも経験もアムールトラと同等のはず・・・・・・だとすれば彼女にはいったい何が欠けていたのだろう。

 

(はっ!)

 まるで神がかった何かが降りて来たかのように、とつじょ脳裏に電流が走った。

 もしかすればクズリさんの命を救うことが出来るかもしれない手立てを思いついたのだ。

 そう・・・・・・進化出来なかったのなら、これから進化すればいいのだと言うことを。

 

________スッ

 生唾を飲み込みながら、懐にしまっていた鈍く光る銀色の筒を取り出して見つめる。

 僕はこれまで何やかんやと勿体付けて、この劇薬を使うことを躊躇してきた。今こそと思える決定的なタイミングを見つけられなかったからだ。

 

 ・・・・・・だがようやく確信した。今が”その時”だ。

 

 進化促進薬の効果はすでにその目で見た。

 フレンズの体に流れるサンドスターの循環速度を爆発的に速める。それによって限界を超えた能力を発揮させる。

 その謳い文句は確かに嘘偽りのない物だ。

 あの戦いが不得手だったスパイダーさんを、一時的とはいえ進化したアムールトラを退けるほどに強化したのだから。

 

 結局スパイダーさんは進化に失敗したという話だったが、クズリさんならばどうだ?

 と言うのも、フレンズの能力は個体による差がかなり激しい。

 クズリさんの負傷は、並のフレンズならばとうに死んでいてもおかしくないレベルだ。

 それでもかろうじて生きていられるのは、彼女が他に及ぶ者がいない程に強靭な生命力を持っている証拠に他ならない。

 

 同じフレンズなのに、こうもクズリさんが並外れているのは何故なのか・・・・・・単に才能とか遺伝子とか、そう言った個人因子では説明が付かない。

 何故ならば彼女だって生き物には間違いないんだから、死ぬときは死ぬしかないはずだ。

 何か明確に他のフレンズとは異なる点があるとしか思えない。

 

 そう考えた時、ひとつだけ思い当たることがあった。

 それはサンドスターだ・・・・・・フレンズを超常の生命体たらしめる謎に満ちたエネルギー。他の要因では説明が付かない事象であっても、サンドスターならば成立させてしまうかも知れない。

 

 もし仮に、クズリさんの体内に流れるサンドスターが、他のフレンズ達とは違う特別な物だったとしたら?

 それによって別格の戦闘力と生命力を持つに至っているのだとしたら?

 進化促進薬の作用もまた、他のフレンズとは異なる結果をもたらすはずだ。

 

 クズリさんは促進薬によって進化を成し遂げる。それによって戦闘力だけでなく生命力をも爆発的に回復させ、一命を取り留めるだろう。

 根拠は何もないが、僕はそう信じることにした。

 そうさ・・・・・・アムールトラに出来たことが彼女に出来ないはずがない。万にひとつだってそんなことはあり得ない。

 

「・・・・・・さあ、行きますよ!」

 

 クズリさんの体に馬乗りに覆いかぶさると、早鐘のように跳ねる心臓といっしょに進化促進薬を頭上にかかげた。

 この注射器の使い方はすでにレクチャーされている。医療知識がない者でも簡単に扱える機械式静脈注射だ。

 

________ドシッ!

 円柱形のシリンダーをクズリさんの血まみれの首筋に押し付ける。

 すると内蔵されていた針が勝手に飛び出して、彼女の強靭な皮膚を突き破って血管に到達した。

 同時にシリンダーの側面に付いたランプが赤く点灯する。使用準備が整った証拠だ。

 

「うおおおおっっ! 生き返れぇぇぇ!」

 

 ランプの光を確認し様に、柄頭から張り出したトリガーを親指で強く押し込んだ。それによって内容液が少しずつ注入されていく。

 トリガーは途轍もなく硬くて重かった。フレンズの握力でもって目いっぱい力を込めなければ押せない。ヒト用には設計されていないのは明らかだ。

 懇願するように絶叫しながらトリガーを握りしめていると、ほどなくしてランプが消灯し、内容量がゼロになったことが示された。

 ・・・・・・これでまちがいなくクズリさんの体内に促進薬が行き渡った。

 

 クズリさんが再び立ち上がった時のことを想像してみる。

 アムールトラ同様に黒い炎を纏い、両手が鋭い鉤爪と化した魔獣の姿と化すのだろうか。正気を失ってしまい、目の前にいる僕に襲いかかってくるだろうか?

 

 ・・・・・・それでもいい。クズリさんを救うための手立てが他にないのなら、僕は喜んで命を差しだせる。

 それはスパイダーさんのような尊い自己犠牲の精神ではなく、僕が元来持っていた、倒錯した”被食願望”にもとづくものだ。

 僕はクズリさんのことをずっと、僕を殺した思い出の中のオオカミに重ねてきた・・・・・・憧れの相手にもう一度殺されることもまた、僕にとっての幸せの形なのだ。

 

 進化を成し遂げたクズリさんには破壊の限りを尽くし、僕の分まで怒りと憎しみを撒きちらしてくれることを願う。

 ヴェスパー親子でもなく、セルリアンの女王でもなく、そしてアムールトラでもなく・・・・・・僕の憧れである彼女にこそ、この狂った世界を破壊する存在であって欲しい。

 

「・・・・・・」

 

 だが、僕の甘美な妄想にクズリさんが答えてくれることはなかった。

 さっきまでと何ら様子に変わりはない。横たわる血まみれの体は、力なく冷たくて欠片ほどの生気も感じさせない。

 動物の姿には戻っていないものの、再び起き上がってくるとはとても思えない有り様だった。

 

「ああそうか・・・・・・薬が効いて来るのには少し時間がかかるのか」

 

 手元に残った空っぽのシリンダーを谷底に投げ捨てると、クズリさんが目覚めない理由を無理やり解釈し、自分自身に言い聞かせるように口に出した。

 僕もたいがい正気を失ってきているようだ・・・・・・いちいち泣いたり喚いたりするような領域はとうに踏み越えた。

 

 心を意図的に麻痺させた僕は、物言わぬクズリさんを抱き上げて歩き出した。

 彼女の腕にはめられていた鎖で連結された腕輪が、地面に落ちて鬱陶しい金属音を立てた。

 両方の腕に付いていたはずの物が、今や片方の腕にしか付いていない。

 ・・・・・・当たり前だろう。クズリさんはアムールトラとの戦いで右腕を吹き飛ばされたからだ。

 絶対的な拘束具といわれる鎖の腕輪も、はめる腕自体が無くなってしまったんじゃ取り付けようがない。

 

 火山の噴火はいずれ収まるはずだ。そうしたら山を下りよう。

 あの巨大植物に戦いを挑むんだ。その途中で邪魔してくるニンゲンやセルリアンが現れたのなら、返り討ちにしてやる。

 ・・・・・・だが僕が戦うよりも、進化したクズリさんの方が、より多くの気に食わない奴らを血祭りに上げてくれるだろう。だから彼女を連れていく。それだけだ。

 彼女がこのまま死んでしまうかもしれない可能性のことなんて、もはや知ったことじゃない。

 

「ま、待ってくれ! ワシを置いて行かないでくれ!」

 

 急峻な山道を下ろうとした瞬間、恥知らずのカルナヴァルが後ろから声をかけてきた。

 

「・・・・・・生きたいなら自分の足で歩けばいいだろ。それすら出来ないなら・・・・・・まあ、死ぬしかないんじゃないか?」

 

 僕は振り返りもせずボソリと答えた。

 もうコイツのような小物には構っている余裕は無い。この先の戦いのことで頭がいっぱいだ。

 

「・・・・・・お前らフレンズはどうしてそんなに強靭なのだ?」と、カルナヴァルが呆気に取られた口調で訊いて来たので「それは違う」と返してやった。

 

「フレンズだってニンゲンとそう変わりはないはずだ。たったひとつの命を必死に生きようとしているだけだ・・・・・・僕らを犠牲にして当然と思っているお前らにはわからないだろうがな」

「そ、それは」

 

 返す言葉を無くしたカルナヴァルが黙り込む。

 今度こそ奴に構わず尾根を下ろうとしたが、奴はまたもしつこく「待ってくれ」と後ろから制止してきた。

 ・・・・・・だが今度は様子が違った。その声色には僕への懇願ではなく、驚愕と困惑とが入り混じっていた。

 

「メリノヒツジ・・・・・・あ、あれを!」

「チッ! 今度は何だ!」

「あれを見るのだ!」

 

 そう言ってカルナヴァルは暗雲が立ち込める空を指し示した。

 遥かな頭上から迫ってくるのは、宙に浮いていることが信じられない程に巨大な飛翔体だった。

 

「あれは・・・・・・Cフォースの爆撃機!?」

 

 一目見ただけで正体を看破することが出来た。

 Cフォースが莫大な資金に物を言わせて、アメリカ空軍から調達したとかいう機体だ。

 左右に長い翼を持つ二等辺三角形のボディも、おおよそ突起らしいものが見当たらない滑らかな表面も、他の航空機とはあまりにも一線を画する異彩を放っていた。

 

「おーーーいっ! ワシはここだ! 早く助けてくれ!」

 爆撃機を見るなりカルナヴァルは立ちあがり、手を振って野太い声で呼びかけた。

 僕らを助けにやってきたと根拠もなく信じているのだろう。

 

 ・・・・・・だがそんな事はあり得ないはずだ。

 味方もろとも核で大地を焼き払ったヴェスパー親子が、いまさら僕らなんかのために救援を寄越すはずがないし、万が一そうだったとしても、あんな爆撃機をチョイスするはずはない。

 何か別の意図が・・・・・・?

 

 そう思いながら怪訝に見上げていると、爆撃機はやはり僕らの真上を横切って、機体を急速に下降させた。

________ヒュウウウッッ・・・・・・ドンドンドォンッッ!

 そして漆黒の三角形の滑らかな腹部が開くと、霧が広がる眼下に向かって無数の爆弾をばら撒きはじめたのだ。

 瞬く間に山肌に着弾し爆炎を噴き上げている。

 

 派手な絨毯爆撃だったが、いったい何を攻撃しているのかと思わざるを得ない様相だ。

 遥か稜線の向こうにいるセルリアンの女王に向けてのものではない事だけは確かだろう。

 そしてここバトーイェ山脈での戦闘は終了している。シャヘルとジャパリの両陣営とも、戦闘員はあらかた死ぬか逃げるかした後だ。

 

「な、あれはっ!?」

 

________バチイイイイッッ!!

 空爆を続ける巨大な機体をあっけに取られて見上げていると、さらに度胆を抜くような光景が飛び込んできた。

 謎の閃光が谷底で閃いたのだ。

 紫色の稲妻のような細く長い光が、まるで空爆に対する反撃であるかのごとく、天空を薙ぎ払うように照射されたのだった。

 

________ドッガアアアンッッ!!

 稲妻は射線上に存在する爆撃機を貫き、紙屑のようにいとも容易く真っ二つにしてしまった。

 あれほどの巨大な機体がたったの一撃で撃墜されてしまったのだ。

 人知を超えた、遠目で見ていても戦慄してしまうほどの破壊力だ。

 

 紫色の稲妻を良く見てみると、中心部には黒く禍々しい帯状の炎が通っていた。目に覚えのある漆黒の炎を見たことで、光線を発射したのが何者なのかを簡単に察することが出来た。

 

「化け物が・・・・・・」

 

 アムールトラはやはり生きていた。

 峡谷前の地形に残った奴は、スパイダーさんを影の世界から引っ張り出した後、彼女を殺害したことだろう。

 その後ほどなくして溶岩流に飲まれることになったはず・・・・・・しかし奴は溶岩の中でも余裕で生存していただけでなく、ダメ押しで止めを刺しにきた爆撃機を一撃で返り討ちにしてみせたのだ。

 

 今のアムールトラは最強の肉体を持っているだけでなく、あのような遠距離攻撃すらも行えてしまうようだ。

 ・・・・・・奴はこれからどう動くつもりだ? 稜線の向こうにいるセルリアンの女王と、化け物どうし一騎打ちでも繰り広げるのだろうか。

 ヴェスパー親子は、望み通りにふたつの最強の力を誕生させたわけだが、どうやってこの状況に収拾を付けるつもりなのだろう?

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 真っ二つになった爆撃機が空中で左右に分解され、いきおいよく谷底へ墜落していった。

 あれほどの大きさの機体が地面に激突するんだ。さぞかし派手な爆炎を巻き上げるだろう。

 

 ・・・・・・しかし、またしてもここで予想を裏切る事態が起こった。

 墜落した機体から噴き上がったのは爆炎ではなく、雪のように真っ白な煙だった。

 白煙は一瞬で壁のように高く広く肥大化し、眼下の風景を覆い尽くしてしまった。

 

「つ、冷たい?」

 

 どこまでも広まり続ける白煙が、遥か高所の尾根に立っている僕らにも迫って来ていた。

 視界が白み曇っていくなかで最初に感じたのは異常なまでの寒気だった。

 ここは元々寒い場所ではあったが、それをはるかに上回るほどの、全身が凍り付いてしまうんじゃないかと感じるほどの冷たさだ。

 

「く、くそ! なんだこの煙は!」

 まずはこの正体不明の冷気から逃れないとまずい。これが収まらない限りは下に降りることすらままならない。

 そう思い、クズリさんを抱きかかえながら踵を返して尾根を登ろうとした瞬間だった。

 

≪・・・・・・このまま登頂でもする気かね≫

 

 耳に覚えのある声がどこからか聞こえた。

 辺りを見回して声がする位置を探っていると、一機のナビゲーションユニットが駆動音を放ちながら頭上に降りて来るのが見えた。

 

≪現時点をもって作戦の全行程を終了とする。ごくろうであった≫ 

 

 その声は間違いなくグレン・ヴェスパーのものだった。

 機械的と言えるほどに事務的な声色は、きょう一日で引き起こされた死や破壊に対して何ら感情を抱いていないことを思わせるものだった。

 

「ぐ、グレン様ぁぁあっっ」

 ご主人様の突然の登場に驚いたカルナヴァルが飛び出し僕を押しのけると、宙に浮かぶナビゲーションユニットに対してうやうやしく跪いた。

 

「なにとぞワシをお救いください! 救援機を寄越してください! ワシは長年あなた様に仕えてきた忠実な部下です・・・・・・今後もあなた様の下で!」

≪案ずるなカルナヴァルよ。もちろんお前のことも考えてある≫

 

 望ましい返事を聞いて、カルナヴァルは歓喜と共に顔を上げユニットに一礼した。

 コイツは忘れてしまったのだろうか? グレン・ヴェスパーが、シャヘルの部隊がいるのを承知で核を落としたことを。

 グレンの蛮行のおかげでコイツの体は被爆を受けたはずだ。

 しかしコイツはそのことを責めもしなければ顔色に出すことさえしない・・・・・・飼い慣らされるっていうのはつくづく恐ろしいものだ。

 

≪たった今、お前の脳内にある”自壊装置”に向けて信号を送った≫

「・・・・・・なっ! 今なんて!」

 

 自壊装置。その単語を聞くやいなや、カルナヴァルが驚き青ざめた。

________ゴパァァァッッ

 次の瞬間には、喉を押さえながら巨体を弓なりに逸らせ、口から滝のような勢いで大量に吐血したのだった。

 まるで劇毒でも服用したような有り様だ。自壊装置とやらの効果だろうか?

 

「なんで・・・・・・がはぁぁッッ!」

≪放射線後遺症で苦しんで死ぬよりそちらの方が良かろう≫

「わ、ワシは・・・・・・あなたに・・・・・・」

 

 吐き散らかした血の海の上に巨体を投げ出すと、カルナヴァルはそのまま息絶えてしまった。

 元はパークの幹部でありながら、カコ・クリュウやリクタス・ヒルズへの妬みに囚われた結果、グレンの内通者として暗躍する道を選んだ卑劣漢。

 ご主人様の威光を笠に着て、僕らフレンズにもやりたい放題の暴力を振るった鬼畜。

 まるで自分がしてきたことが跳ね返ってきたかのような最期だった。

 

 ・・・・・しかし意外なことに、その死にざまを見て「ざまあみろ」とかそういう気持ちはいっさい湧いて来なかった。

 上司の命令を聞くしか能がなかった犬人間がゴミのように殺された末路は、ただただ憐れだとしか思えなかった。

 

≪そこそこ役に立つ男だった。私からのせめてもの温情だ。安らかに眠るが良い・・・・・・≫

 

 冷血な悪魔そのもののグレンは、あたかも善行を成したかのような声色で、自ら抹殺した飼い犬へと黙とうをささげた。

≪さて≫

 そして何秒かの沈黙の後、ナビゲーションユニットのカメラアイを動かして、立ち尽くす僕を上から見下ろしてきた。

 

「・・・・・・僕らのことはどうするつもりだ?」

 怒りと恐怖が入り混じった感情を押さえつけ、出来るだけ冷静に応対した。

 殺したい程に憎い相手でも、本体は遥か成層圏のスターオブシャヘルにいるんだ。僕には手の出しようがない。

 

≪メリノシープ・・・・・・そしてウルヴァリン。お前たちにはまだ利用価値がある。いったん戻ってきてもらおうか≫

 

________ステイ・トゥー。

 

(やはりそうきたか・・・・・・!)

 呪文のごとき不気味な文言がユニットごしに僕の耳を震わせると、作動した鎖の腕輪が、僕の四肢を痺れさせ一瞬で動きを封じてきた。

 

 文言は「トゥー」だけだ。「ワン」はない。

 今のクズリさんには必要ないと思ったのか、それとも片腕が外れてしまった腕輪では作動が出来ないのか、それはわからない。

 ともかく僕は、抱きかかえていた物言わぬクズリさんと一緒に、その場にもつれ合うように倒れ込んだ。

 

「ち、ちくしょう・・・・・・!」

 先ほどから立ち込めている超低温の白煙が僕らを包み込みつつあった。

 ヴェスパー親子への怒りも憎しみも、奴らに対して何ら反撃することすら出来ないことへの悔しさも・・・・・・あらゆる激しい感情が冷気によって凍結されていく。

 そして僕は意識を失った。

 

 

 気絶させられ、どこかに運ばれてから目覚める・・・・・・それはもはや僕にとって、定番とも呼べる展開だった。

 

 半透明の床や天井、そして壁。その中に走る複雑な基盤は毛細血管を思わせる。

 考えるまでもない。見慣れたスターオブシャヘルの風景だ。いつ見ても巨大な生き物の体内にいるみたいで気持ちが悪い。

 

 しかしここは僕が来たこともないような部屋だった。

 ヒトが数十人集まってもスムーズに動き回れるほどの広々とした空間を、天井にある花びらのような形の照明があまねく照らし出している。

 部屋のあちこちからモニターがぶら下げられている。大小さまざまな白い台車には複雑そうな計器や器具が備え付けられていた。

 

 部屋の中央には大掛かりな機械仕掛けのベッドが、無数の物体にぐるりと取り囲まれるようにして存在していた。

 ・・・・・・ベッドの上にはクズリさんが寝かされている。

 相も変わらず生気のない鉄のような冷たさを感じさせる四肢を投げ出していた。

 

「こ、ここはどこだ! 僕らをどうするって言うんだ!」

 

 僕はと言うと、部屋の隅にある、背もたれ付きの半透明な椅子に座らせられているだけだった。

 もちろん鎖の腕輪で拘束されているために一切の身動きがとれない。

 

≪・・・・・・ようやく目覚めたか≫

 と、困惑して慌てふためく僕を呼びかける声が聞こえたかと思うと、部屋の中にあったモニターのひとつが突然に点灯した。

 

≪ここは第2解剖室だ≫と、モニターの中に映るグレン・ヴェスパーが告げる。

 モノクルによって隠されていない側の目つきは、声色からイメージするよりもずっとニヤついていて、歓喜の色が隠せていない。

 実に憎たらしい悪魔の顔だった。

 ・・・・・・まあ浮かれもするだろうさ。すべて思い通りに行ったのだから。

 

≪先ほどウルヴァリンの心肺停止が確認された。もう間もなく完全に死亡し、動物の姿に戻るであろう・・・・・・だがウルヴァリンの肉体を無駄には出来ぬ。体組織が完全に崩壊する前に解剖して検体にかけなくてはな。

 そしてメリノシープよ。我が娘の肝いりで状況に介入させてやったはいいものの、お前は特に目立った成果をあげなかったな・・・・・・まあ、引き続きモルモットとして生かしておいてやろう≫

 

 進化促進薬をもってしてもクズリさんを救うことは出来なかった。

 彼女は死してなお、そして僕は生きたまま、グレン・ヴェスパーの意のままに利用され続ける結末に終わった。

 

≪シベリアン・タイガーとウルヴァリンのどちらが進化を遂げる存在であるのかは、私を持ってしても予測が不可能だった。そのため両者を実際に戦わせてみる他はないと思ったのだ≫

 

 既に知っている。他でもないグレンこそが、クズリさんを射出可能なVR装置に入れて、アムールトラ目掛けて投下した張本人だ。

 最強と目される2人のうち、戦って勝った方こそが進化を遂げるとコイツは確信していた。

 そして勝ったのはアムールトラの方だった。

 

「・・・・・・ひとつだけ教えてくれ」

≪何だ?≫

「アムールトラは進化できたのに、どうしてクズリさんは出来なかったんだ!?」

 

 藪から棒に疑問を発した僕に対して≪面白い≫と笑みを浮かべたグレンが、我が意を得たりと言った様子で興味の視線を投げかけてきた。

 

≪・・・・・・その様子から察するに、お前は我が狙いに気付いていたというわけか≫

「2人が途中までまったく互角に戦っていたのを僕は見た! いったいどこで差が付いたのかわからないんだ!」

≪ふむ、実力も経験も互角というのなら、残る差異は精神的な部分ではないのかね≫

 

 その指摘を聞いて、2人が戦っていた時のことを鮮明に思い出す。

 アムールトラの表情は苦悶そのものだった。戦いを憂い、敵に対する怒りと憎しみに囚われた顔をしていた。

 対するクズリさんは満面の笑みを浮かべていた。恋焦がれたライバルとの一騎打ちは、彼女にとって人生最大の喜びだったことだろう。

 ・・・・・・実力は互角であっても、戦いに対する捉え方だけはまったく真逆の2人だった。

 

 憎悪と歓喜、対照的なふたつの感情のうち、どうやらフレンズの進化に結びつくのは憎悪の方であるらしい。

 アムールトラは核が落ちたのを見た瞬間、怒り狂って絶叫をあげ、そのまま進化を遂げたのだ。核爆発を目撃したことこそが、奴にとって決定的な進化の引き金であったとみて違いないだろう。

 

 いっぽうのクズリさんは純粋なまでに戦いを愛する戦闘狂だ。戦うためにのみ戦う己の在り方を曲げることはない。

 その先天的な気質がゆえに、たとえどれだけ強くなろうとも、負の感情をトリガーとする進化態には達することが出来なかったのかもしれない・・・・・・。

 

≪メリノシープよ、お前はなぜ進化促進薬を使わなかった? 我が娘からは、実力はともかく、戦いのモチベーションだけはウルヴァリンに並んで高い、と聞かされていたが≫  

「そ、それは・・・・・・」

≪当ててやろう。お前はウルヴァリンに進化促進薬を投与したのであろう。命の危険が伴う戦場にいたにもかかわらず、敢えて自分自身には使わず温存していたのだろう?≫

 

 グレンがズバリと当ててきた。

 進化促進薬を打ったならば体に何かしらの変化が起きるはず。何の変化もない僕を見て、薬を打っていないと思うのは当然だ。

 そして今しがたの僕の物言いによって確信を得たのだろう。

 

≪せっかくの切り札を自分にではなく、死体同然の仲間に使って無駄にしてしまうとは・・・・・・まったく面白い奴だ。畜生の分際で予想の付かない行動を取りおる。

 よかろう。お前のような変わり者には、たわむれに我が計画を聞かせてやるのも一興かもしれん。まずはお前たちの偉大なるリーダーであるスパイダーモンキーがどうなったかを教えてやるとしよう・・・・・・!≫

 

 そう言って上機嫌のグレン・ヴェスパーは嬉々として語り始めた。

 コイツは進化態と化したアムールトラの姿をずっとモニターしていたのだという。

 だから知っているのだ。僕が直接見ることがかなわず、推測することしかできなかったスパイダーさんの最期の姿を。

 

≪シベリアンタイガーが進化したことを確認した私は、次に促進薬によって強化したスパイダーモンキーを送り込むことにした。進化態の戦闘データを取るためのスパーリング相手としてな≫

 

 グレンが元々は非力なスパイダーさんを選んだ理由・・・・・・それは彼女が”先にある力”の扱いの上手さにおいては右に出る者がいない程に優れていたからだという。

 戦闘に向いていなかっただけで、実際にはスパイダーさんのポテンシャルはクズリさんにも匹敵するものだったらしい。だからこそ、進化促進薬によって一時的とはいえアムールトラに迫るほどの戦闘能力を得られたのだ。

 

 スパイダーさんは自ら望んで進化促進薬の投与を受けたという。僕らを救うにはそれしか方法がなかったからだ。

 促進薬がもたらす力によってアムールトラを一時退けて、僕らを影の世界へと逃がしてくれた。

 しかしアムールトラは謎の能力を使って、なおも僕らを地上へと引っ張り出そうとしてきた。

 スパイダーさんは敢えて一人で奴のもとへ舞い戻り、僕らを逃がす時間稼ぎをするために決死の戦いを挑んだ。

 

 そして・・・・・・やはり彼女が助かることはなかったという。

 進化促進薬の副作用によって限界を迎えていた彼女は、アムールトラにまともに対抗することも出来ず、漆黒の爪牙による一撃を受け、あっけなく命を散らしたのだと。

 

「あ、ああ」

 

 受け入れたくなかった事実を認識するやいなや、頭の中がグラグラと揺れ始め。目の前が真っ暗になっていった。

 怒りを燃やすことでギリギリのところで耐え忍んでいた精神を、絶望という名の鈍器が打ち砕いた音が聴こえたような気がした。

 スパイダーさんが命がけで救ってくれたのに、僕もクズリさんも結局グレンの手に落ちてしまった・・・・・・彼女の尊い犠牲を無駄にしてしまった。

 

≪どうした? しっかりするのだ。フレンズ部隊で生き残ったのはお前だけなのだぞ? 何が起こったのか、事の顛末だけでも聞き届けておくべきだろう? シベリアンタイガーがその後どうしたか気にならないか?≫

「ど、どうって・・・・・・」

≪クククッ、スパイダーモンキーの死体を、ボリボリと美味しそうに貪り食ったのだ。骨だけを残して、肉は欠片すら残さない・・・・・・じつに行儀のいい食べっぷりだった≫

 

 フレンズがフレンズを食う・・・・・・? 

 とても信じられない気持ちと、吐き気とが込み上げて来る。

 

 僕自身は、アムールトラのような強者になら食われても構わないと思っている。過去の経験に起因する倒錯した被食願望があるからだ。

 ・・・・・・だがそれはあくまで独りよがりな妄想だ。僕以外には当てはめてはいけないものだ。

 

 まともに考えれば、フレンズが同じ知性と感情を持ったフレンズを捕食するなんてことは、到底許しがたい狂った行いだと断言できる。

 ただ殺されるだけならともかく、スパイダーさんがそんなにひどい最期を迎えていたなんて想像すら出来なかった。 

 

≪肉食動物は肉を喰らう。シベリアンタイガーは進化と同時に野生に戻ったのだ・・・・・・だが、とても飢えていたのだろう。奴の食事はスパイダーモンキーだけでは終わらなかった≫

 

 アムールトラはその後、溶岩の上を歩きながら峡谷の中に入っていったのだという。

 それはあらたな食事にありつくためだった。

 すべての兵士が峡谷を通ってバトーイェ山脈から脱出できたわけではなかった。シャヘルとジャパリ、両陣営ともに溶岩流から逃げ遅れた兵士が何人かいたらしい。

 

 敵同士だった彼らは一時手を取り合って、峡谷をよじ登って高所に避難をしている最中だったようだ。

 だが彼らは、突如現れたアムールトラによって1人残らず捕食されてしまったらしい。  

 アムールトラは圧倒的な腕力で兵士たちをグチャグチャの肉塊へと変え、舌鼓を打ちながら喉に流し込んだのだと。

 ・・・・・・そんなことをグレン・ヴェスパーは、子供のような笑顔で嬉しそうに語った。

 

「あ、アムールトラはどうした? 野放しか?」

≪そんなハズはないだろう。どうやらお前は、我が娘から聞いていたよりも頭が悪いのだな≫

 

 吐き気を堪えるためにはグレンと会話を続けるしかないと思って訊いた。そんな僕を一笑に付しながら奴が答える。

 疑問に対する答えは、アムールトラによって撃墜された爆撃機だ。

 墜落と同時に謎の冷気を撒きちらしたことだけはわかっている。

 

≪教えてやろう。あの機体の内部にはざっと40トンほどの”超低温爆薬”が搭載されていたのだ。この兵器のことを聞いたことがあるかな?≫

 

 核冷却システムを応用して作られた超低温爆薬は、炸裂したが最後、効果範囲の温度を摂氏マイナス210度にまで下げてしまうらしい。物体も空気をもすべてを瞬時に凍り付かせるほどの低温とのことだ。

 もともとはこの世界にセルリアンが現れた初期の頃に、奴らに対抗するために開発された超兵器のひとつだったそうだ。

 ・・・・・・だが生物の範疇を超えた存在であるセルリアンは、たとえ自身の体が凍り付こうとも活動を停止しなかったらしい。

 

 つまり、超低温爆薬は長いあいだ役立たずとして忘れ去られていた欠陥品でしかなかった。

 ・・・・・・しかしグレン・ヴェスパーは目ざとくこれを保管していた。

 セルリアンには効かなくても、元々が動物であるフレンズならば効果を発揮し得るだろうと思ったのだと。

 フレンズを己の私兵として長年操ってきたグレンからしてみれば当然の備えだったのだろう。

 

 だがアムールトラほどの怪物を確実に凍りつかせるには、通常弾頭に搭載できる程度の量では、とてもじゃないが成功確率が低いと思ったらしい。

 だから爆撃機そのものを爆弾として使うことにしたのだと・・・・・・つまり、最初からアムールトラめがけて墜落させるつもりだったらしい。

 奴が稲妻光線を放って機体をあっけなく撃墜してくれたから、かえって手間が省けたぐらいだというのだ。

 

 思惑通りに炸裂した大量の超低温爆薬は、墜落地点から遠く離れていた僕らすら凍てつかせるほどの効果範囲を発揮し、アムールトラを周囲のマグマごと完全に冷凍し無力化させるに至った。

 その後とどこおりなく奴は回収され、スターオブシャヘル内部のとある一室に保管されるに至ったようだ。

 

 ・・・・・・後は冷凍状態のまま、血液や体細胞、遺伝情報にいたるまで、思うぞんぶん研究材料として利用する予定らしい。

 アムールトラから得られるデータは、今ある進化促進薬の薬効をより確実なものとするようだ。

 

 確か前にイヴから聞いた話によれば、究極の遺伝子を持った”ハイブリッド”と呼ばれるフレンズが、進化促進薬のレシピエントとなるということだった。

 ヴェスパー親子はついに進化態のフレンズを安定して生み出す術を獲得したようだ。

 

≪セルリアンの女王と進化態フレンズ。核を超える二つの力を私は発明した。私という絶対的支配者が、核抑止によって平和が成り立っていた時代を終わらせる時が来たのだ。

 ・・・・・・素晴らしい。かつて私ほどの偉人が歴史上にいただろうか? いや、いない≫

 

 グレンが今までで一番上機嫌の表情でほくそ笑む。

 己が絶対的支配者とやらになった時の様子を思い描いているのだろう。

 

「・・・・・・じ、女王はどうなった? アムールトラと同じようにはいかないはずだ!」

 

 はたと気になったことを口にする。

 覚えている限り、セルリアンの女王は、核が落ちたキノコ雲の真下で蠢き続けていたはずだ。

 瞬く間に天空に到達せん巨大さにまで成長し、その勢いはなお衰えることがなかった。

 

 あらゆる通常兵器での攻撃が効かず、超冷凍爆薬で凍らせることも出来ない。唯一比肩し得る進化態フレンズも、今の時点では戦力として配備できていない。

 ・・・・・・であるならば打つ手なしのはずだろう。とてもじゃないが捕まえることなど出来ない。

 

≪クククッ、ははははっ! 女王を捕まえる必要など最初からなかったのだよ!≫

「どういうことだ!?」

 

 予想だにしない答えが返ってきた。

 あの恐ろしい巨体も、誕生から数時間後には、体組織が石のように硬化して動かなくなったという。そしてほどなくして崩壊し土に帰ったという話だ。

 そのことを承知の上で計画は進められていたのだ。

 

≪あの女王は”未完全態”だったのだ。生まれた所で長くは生きられない体だった。我々の手で研究し、完全態へと改良しなければ使い物にはならない≫

 

 女王は名の通り他のセルリアンすべてを従える能力があると言われているが、もう一つだけ特殊な性質があるらしい。

 それは生命エネルギーを暴走させながら無制限に成長することだ。

 成長をするためにはさらに周囲のエネルギーを吸収するしかない。天高く根っこを張り巡らせていたのはその為の行動だという。

 

 あの女王が未完全態である理由とは、どこにいけばエサにありつけるのかという判断も付かない赤ん坊に等しい存在だったからだ。

 そして、あまりにも急速に成長した結果、持って生まれた核というエネルギーをあっという間に使い切ってしまったのだと。

 

 グレンは当然それも見越して、体組織や核などの必要な部位だけを速やかに回収させたらしい。

 エサの取り方やエネルギーのセーブ方法を後付けで学習させ、しかる後に完全態として再び生み出すというのが当初からの計画だ。

 

≪私にとって唯一誤算だったのは、ジャパリが火山を噴火させたことだ。汚らわしいテロ組織の分際で、小癪な真似をしてくれたものだ≫

 

 核は当初、Cフォースの記念式典の最中に投下される計画だった。

 それはグレンの政治的なプロバガンダのためだ。

 式典の映像は世界各国に同時中継で生放送される予定だった。つまり、核によって誕生する女王の映像が世界中に流されるはずだったのだ。

 

 映像を見て世界中が混乱におちいることが予想される中で、グレンは一芝居打つつもりだったというのだ。

 未完全態の女王が停止するタイミングもあらかじめわかっていた。

 あたかも自らの手で女王を停止させたように見せかけることで、己の制御下にあることをアピールするつもりだったのだと。 

 それこそが世界中を手っ取り早く牛耳る最良の手段だったという。

 

 ところがジャパリ側がサンドスター・ボムによって火山を噴火させ、核ミサイル誘導システムに影響を与えたことで、核の投下を一日前倒しにするしかなくなった。

 つまりプロバガンダのために用意していた舞台を台無しにされてしまったのだ。

 それはグレンにとって少なくない打撃だったという。

 

≪まあ、女王も進化態も手中に収めた今となっては、実力行使に打って出ても構わんのだがな≫

「・・・・・・じ、実力行使?」

≪むろん、アメリカや中国といった覇権国家に戦争を仕掛けることだ。私に逆らおうと思う者がいなくなるまで徹底的に蹂躙してくれよう≫

 

 世界を支配している大国と戦争・・・・・・聞いているだけでは理解することが難しいほどの途方もないスケールの話だ。 

 だが今のコイツにはおそらく可能だ。女王の能力でセルリアンの大群を操れば、街ひとつを焼野原にすることも出来るだろうし、進化態のフレンズの戦闘力ならば、単身で軍事施設を壊滅させられるだろう。

 

 一体あと何人ヒトを殺す気だろう? フレンズを、動物を殺す気だろう? 

 コイツの欲望を満たすまで永久に誰かが犠牲になり続ける。もしくはその前に地球そのものが滅んでしまうかもしれない。

 

≪さてメリノシープよ。すべてを教えてやったわけだけが、感想はいかがかな?≫

「・・・・・・」

≪やれやれ、言葉すら失うとは情けない・・・・・・まあよい、唯一の生き残りとして、今後とも私の役に立ってもらうぞ≫

 

 僕はグレンに返事を返すことすら出来ず、動けない体を椅子にもたせ掛けたまま、ぼんやりと宙に視線を泳がせていた。

 言語化できない無力感と絶望感に、まともに物を考える気力すら奪われていった。

 

(・・・・・・自殺しよう)

 どうやらそれが唯一僕に残された希望だと気付いた。

 首から上は動かせるから、舌を噛んで死ぬことは出来るはずだ。

 死ねばこれ以上いやな物を見なくて済む。

 おそらく僕が死体になった所で、グレンの研究に利用されてしまうのは変わりないのだろうが・・・・・・それはもう仕方がない事と思うことにした。

 

________ガリッ

 舌を唇から出し、上下の歯でガッチリと挟んだ。

 このまま舌を噛み切れば、舌根が丸まって気道を塞ぎ窒息死するだろう・・・・・・それまでの時間を死への恐怖と孤独に耐えれば、苦しみのない無へと辿り着くことが出来る。

 

(・・・・・・戦って死にたかった)

 

 最後にそう独り言ち、目を閉じて顎に力を込めようとしたその時。

________ウィィン

 突然に壁の一部が溶け、現れた扉から数名のニンゲンたちが押し入ってきたことで、自殺することへの集中が削がれてしまった。

 

 全身を白いゴム状の貫頭衣で覆い、バケツをひっくり返したような防毒マスクで素顔を隠した者たちだ。

 武器の類を一切下げていないことから兵士ではないことは明らかだ

 

 その者たちはきびきびとした足取りで、それぞれに決まった位置についた。何やらこれから一仕事始めようという雰囲気だ。

 何人かはモニターの前に立って計器の操作に取り掛かり、残りの何人かは部屋の中央にある手術台を取り囲むように立ち、横たわるクズリさんの亡骸を見下ろした。

 

≪始めよ。ウルヴァリンを速やかに解剖するのだ≫

 

 画面の向こうのグレンが白づくめの男たちへと、薄ら笑いを浮かべながら号令をかける。

 それを聞くやいなや、手術台の傍にいる一人が傍の棚から何かを取り出した。

 それはメスなどという生易しい物ではなかった。金属を切断する時に使うような、本格的な作りの丸ノコだった・・・・・・あんな物でも使わなければヒトの腕力でフレンズの皮膚を切り開くことは出来ないということか。

 

________ギュイイインッ!

 

 丸ノコが甲高い駆動音を立てて回転しながら、クズリさんの頭の上に掲げられる。

 両手でしっかりと握りしめ、ゆっくりと狙った所に向かって下ろしていくのだった。

 

≪さあとくと見ろメリノシープ! 至高のショーだ!≫

 

 悪夢に等しい景色と、愉快でたまらないといったグレンの嬌声とが、僕の精神にさらなる激痛をもたらした。

 グレンがわざわざ僕をクズリさんと同じ部屋に運び込ませた理由が分かった。

 解剖されていくクズリさんの姿を目の前で目撃させたかったのだ。

 この男の悪意には限界がない、そして理由すらもない・・・・・・この男の人生にとって、他者に苦痛を与えることは、水や酸素と同等に無くてはならない物なのかもしれない。

 

「・・・・・・うわああああっっっ!! ぶっ殺す! お前らを絶対にぶっ殺してやるぅぅぅッッ!」

 

 目を血走らせて発狂したように叫んだ。

 そして自分でもわけがわからずに頭をガクガクと小刻みに震わせた。何とか体を動かして目の前の奴らに復讐したい衝動がそうさせているのだ。

 だが鎖の腕輪に拘束されているせいで、僕の足掻きはすべて意味をなさなかった。

 

 怒鳴ることしか出来ない僕をグレンはニヤつきながら眺め、白づくめの男たちは見向きもせず黙殺した。

 見ると今にも丸ノコの刃がクズリさんの額にくっ付きそうになっている。

 

________ガシッ・・・・・・

 

 しかし、丸ノコは寸前で止まった。

 すでに心肺停止していたはずのクズリさんの左手が持ち上がり、丸ノコを持つ男の手を握り受け止めていたからだ。

 その瞬間、何が起こったのかわからないという風に部屋中の空気がざわついた。

 グレン・ヴェスパーでさえもニヤけるのを止めて真顔になっていた。

 

________ザギュギュギュギュッッ

「あぎゃあああああっっ!!」

 丸ノコがそのまま上へと押しもどされ、持っていた男の額へと当てられた。

 切れ味鋭い回転刃が、防毒マスクごと頭蓋骨を真っ二つに切り裂き、頭部にすっぽりと押し込まれると、男は天井や床を塗ったくるような量の鮮血をまき散らして倒れた。

 

 ・・・・・・クズリさんは血まみれの体を横たえたまま、電気ショックを流されているようにビクビクと痙攣していた。

 まさかクズリさんが生き返ってくれた? 本当にそうであるなら喜ばしいことだ・・・・・・だが僕は今の自分の感覚に自信が持てない。

 精神が崩壊してしまった僕が、脳内に思い描いていた妄想を、たんに幻覚として見ているだけなのかもしれない。

 

≪何故だ! 死体が生き返ることなどありえない!≫

 

 惨劇を目の当たりした白づくめ達が絶叫しながら逃げ出していく。

 直後にグレンが平静を装うのがやっとの表情で声を荒げた。

 奴の声を聞いて僕はやっと、目の前の出来事が現実に起きたことだと信じることが出来た。

 

________ボウッ・・・・・・

 クズリさんの体から、アムールトラのそれと同じ漆黒の炎があふれ出す。

 ・・・・・・と、同時に信じられない現象が起こった。炎に包まれたクズリさんの体が瞬く間に治癒し始めたのだ。

 流れ出た血液やこぼれた内蔵が、あたかも時間を巻き戻したごとく体内に戻されていく。

 ついには手術台の上で、ゆらゆらと幽鬼のように立ち上がってみせた。

 アムールトラにへし折られた背骨が元通りくっ付いた証拠だ。

 

________ビチビチビチッッ

 ・・・・・・そして最後に、肘から下が消失していたクズリさんの右腕が新しく生え出てきた。

 剥き出しの筋繊維が、まるで心臓のように脈動を続けながら、黒光りする腕らしき形を形成していっている。

 はち切れんばかりにパンパンに張りつめたそれは、まるで金属のような鋭さと重量感があった。

 健在な左腕と比べて一回り以上も肥大化した手のひらから、アムールトラにも劣らぬ鋭い鉤爪が飛び出した。

 尋常ではない禍々しさと力強さを感じさせる剛腕だった。

 

≪ステイ・ワン!≫ 

 慌ててグレンが束縛の文言を放つ・・・・・・しかしクズリさんには効果がないようだ。

 やはり片方が外れてしまっている状態では、腕輪はまともに効力を発揮しないようだ。

 

≪・・・・・・小癪な! だったらもう一度肉塊に戻してやるまでだ!≫

 

 グレンの一声で、白づくめ達が消えた扉から、何人もの兵士がなだれ込んでくる。

 そして距離を取りながら扇形にクズリさんを包囲するや否や、虹色の軌跡を描くSSアモを雨あられと撃ち込んだ。

 ぼんやりと立ち尽くす彼女の体がそれを受けてガクガクと震えた。

 

「く、クズリさん!」

「・・・・・・」

 

________ズドドドドッッ・・・・・・

 しかし、とうに蜂の巣になってもおかしくない程の銃弾を浴びながらも彼女が倒れることはなかった。

 それどころかSSアモを受け止める度に、全身を覆う黒い炎が肥大化していくようにも思えた。

 

 やがて兵士たちに困惑の色が見え始めた頃、クズリさんも新たな動きを見せていた。

 怪物的なその右手を、おもむろに頭上に掲げたのだ。手のひらに漆黒の炎が凝縮されている・・・・・・アムールトラがやって見せたそれと全く同じような様相だった。

 

________ブォンッッ! ドッシャアアアッッ!!

 クズリさんが振りかぶった剛腕を振り下ろすと、右手に纏わりついていた炎が漆黒の衝撃波として前方に放たれた。

 天地がひっくり返ったような振動が部屋中を揺るがし、あらゆる機器を破壊し、地面に亀裂を走らせた。

 まるで爆弾でも投げ込まれたかのような有様だ。

 

「うわあっ! ううっ・・・・・・」

 腕輪で縛られて座っていた僕は、椅子から勢いよく投げ出され床を転がることになった。

 あわてて顔を上げるも、照明があらかた破壊されてしまったようで、隅々まで照らされていた部屋が一転して薄暗く視界不良になっている。 

 

 しかし兵士たちの銃声がピタリと止んだことだけは確認できた。

 クズリさんの放った衝撃波の破壊力が、アムールトラと同等のものであるならば・・・・・・それを正面から受け止めた彼らがどうなったかは考えるまでもないことだろう。

 

≪×××・・・・・・!≫

 

 グレンらしき聴き取れない声がノイズのように聞こえて来た。

 解剖室があらかたクズリさんに破壊されたことで、通信がまともに機能しなくなった証拠だ。

________ジリリリリリッ!

 程なくして非常事態を示す甲高いサイレンが辺り一面に響き渡った。

 クズリさんの突然の復活、そして反抗に対してのリアクションであることは明らかだった。

 

________ヒタッ、ヒタッ・・・・・・

 クズリさんが黒い炎を灯した全身を引きずるようにして、寝転がった僕の方へと近づいてきた。

 すぐそばで、感情を灯さない虚ろな瞳で見下ろしてくる彼女と目が合う・・・・・・間近で見ると、その禍々しく凄絶な立ち姿の迫力に圧倒される。

 あきらかに僕の知っている彼女ではなくなっている。

 

「進化できたんですね」と、クズリさんを見上げながら安堵の溜息をつく。

 ・・・・・・最後にひとつだけ僕の願いがかなった。

 進化促進薬でクズリさんを進化させることが出来た。

 僕の分まで思う存分グレン・ヴェスパーたちに復讐を果たしてくれることだろう。

 

「これでもう思い残すことはありません。さあ・・・・・・」

 

 うながすようにつぶやくと、観念して目を閉じる。

 進化したからには、クズリさんは僕が僕であることもわからなくなったはずだ。もう間もなく僕は彼女に殺される。

 

 アムールトラはスパイダーさんを食べてしまったという話だった。

 僕もクズリさんに食べられるのだろうか・・・・・・かつて動物だったころの記憶が鮮明によみがえる。僕の原風景。始まりにして終わりの景色。

 強き肉食獣の喉の中で僕は生まれ、そして死んでいく・・・・・・

 

「今度はてめえが寝んのか?」

「え・・・・・・!?」

 

 しかし予想とは違った展開となった。

 ぶっきらぼうな声が、陶酔したまま死を待っていた僕を驚かせ瞳をこじ開けた。

 間違えなく進化態と化したはずなのに、クズリさんが変わらぬ様子で僕に言葉をかけてきているのだ。

 

「・・・・・・どうして、喋れて?」

「知るかよ。んなことよりよォ」

 

 クズリさんが何かを言いかけて黙った。

 そしておもむろに禍々しい右手を動かして、左手の腕輪から伸びる鎖を握りしめたのだった。

「く、鎖を引きちぎるつもりですか?」

 鎖の腕輪とは、あらゆる手段を持ってしても破壊出来ない拘束具だったはず。

 現にクズリさんだって今まで腕輪に縛られ続けてきたというのに、いったいどういうつもりで・・・・・・

 

________バキャンッッ!!

 しかし、僕の懸念など全く意に介しもせず、クズリさんは腕輪から伸びる鎖を根元から力づくで引き千切ってしまった。

 進化したクズリさんの力は、今や絶対の拘束具すらも寄せ付けなくなったというのか。

 

「なぁメリノ、そろそろ、オレ達がやり返す番だと思わねえか?」

 

 クズリさんはそう言うと、己の力の象徴であるような右手を見せつけるように突き出し、僕の顔の前で開いてみせた。

 手のひらの中から、粉々になった鎖の破片がポロポロと零れ落ちた。

 

「はははっ・・・・・・クズリさん、あなたというフレンズは・・・・・・」

 それを見るなり甘い眩暈に脊髄が震えて、目の前が殺意の赤に染め上げられていった。

 世を儚んで死んでやろうなんて気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまった。

 溜まりに溜まった鬱憤を晴らす時がついに来たんだ。

 クズリさんと一緒にスパイダーさんの弔い合戦をやるんだ。グレン・ヴェスパーとその手下どもに僕らの怒りを思い知らせてやる・・・・・・

 

「やりましょう!!」

 

 血走った瞳に歓喜を湛えながら僕は答えた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ(ウルヴァリン)」

_______________Human cast ________________

「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「イブン・エダ・カルナヴァル (Ibn Edd Carnaval)」
享年67歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「PARK」現代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章31 「せんしのきかん」

 

 ・・・・・・ここはどこだ?

 どうして私はこんなところにいるんだろう?

 寒くて、暗くて、何もない場所だ。

 おまけになんだかひどくぼんやりとしている。自分の体の感覚がつかめない。

 

 私は誰だ? 自分を自分たらしめる具体的な出来事を何も覚えていない。

 覚えているのは漠然とした感情だけ・・・・・・ひどく寂しくて悲しかった。

 私の前からつぎつぎと大切な誰かがいなくなっていった。これ以上何も失いたくない、その一心でひたすら足掻いていた。

 

 ・・・・・・ああ、ひとつだけ思い出しかけてきた。

 私の前に、とても強い敵が立ちはだかっていた。

 本当はその相手とは戦いたくなかった・・・・・・それでも戦うしかないことがわかっていたから必死に戦った。

 その相手は本当に強かった・・・・・・私がどんなに強い力で殴っても、同じ力で殴り返してきた。

 どんなに素早く動いても、合わせ鏡のようにぴったり私に付いて来た。

 次第に私はその相手を倒すことしか考えられなくなっていた。

 

 ・・・・・・そんな時、はるか向こうで何かが光ったんだ。

 

(そうだった、私は)

 

 世界を焼き尽くす暴走的なまでにまばゆい光。

 私が大切に思う仲間たちが、大地に生きるヒトが、動物が、きれいな花畑が、一瞬で光に飲み込まれて消えて行くような気がした。

 ・・・・・・そして私の中に、消えることのない火がついた。

 

(私はぁぁぁぁッッ!!)

 脳裏に反響する炎が私の体に輪郭を取り戻していく。

 いまや私自身が世界を焼く炎だ。

 怒りと憎しみを糧に成長した恐ろしい怪物の肉体が、どこまでも大きく高く広がっていく。

 

 曖昧な記憶の中では、誰を憎んでいたのか、何に怒っていたのか、もはや思い出すことが出来なかった。

 怒りや憎しみを発散させること、それ自体が私の目的だった。常にそうしていなければ体が破裂してしまいそうだと思った。

 

「アアアッッ!! バラバラに引き裂いてやるッ!」

 

 虚空の中、巨大な腕を振り回して暴れた。

 本当にここはどこなんだ。早く外に出て、もっともっと破壊の限りを尽くしたいのに、どこに行けば出られるのか見当がまったく付かない。

 

 行き止まりの壁があればそれをブチ破る。その前に動く物が現れれば、それを殺す。じつに簡単なことだ・・・・・・

 何もない暗闇の中、暴力的な言葉を反芻させていると、じきにそのことだけしか考えられなくなっていった。

 

________アムールトラ・・・・・・

 とつじょ、私に向かって語りかけて来る何者かの声が聞こえた。

 振り向くと、ひとりの人影が私を見下ろしていた。

 やっと獲物が現れたか。ちっぽけなニンゲンがひとりきりのようだが、まあいい・・・・・・頭からかぶり付いて血を飲み干してやる。

 

 そう思って喜び勇んだ私は、早速その者の体を掴み上げ口元に近づけた。

 逃げもせず抵抗もせず私に捕まったその男を間近で眺める。

 奇妙な風体の男だ。鍛え上げられた筋骨隆々の体には似つかわしくない程に、顔が皺くちゃの年寄りだった。

 無精に生やした髪と髭がたてがみのように放射状に広がっている。

 

 しかし・・・・・・その男のボサボサの髪と髭の間にある表情を見てハッとした。

 慈しむような優しい瞳で私を見つめていたからだ。

 

「本当のおめェはそうじゃねェだろ」

「・・・・・・!?」

「オレはおめェの頑張りを知ってる・・・・・・ずっと見守ってきた」

 

 全てを見透かすような声を聞いて、はたと青ざめる。

 私はこの男のことを良く知っている。

 膨れ上がった怒りと憎しみに塗りつぶされた内側にある、私の根幹の部分が、何やらこの男にひどく共鳴している。

 

 そうだ。このヒトは今は亡き私の師だ・・・・・・このヒトに近づくことを目標にして今まで生きて来たはずだった。

 一瞬でもこのヒトのことを忘れてしまうなんておかしい。

 今の醜く膨れ上がったこの姿は、本当の自分じゃない。

 

(・・・・・・私は何をやっているんだ!)

________バリィィンッ

 拭いきれない違和感が頂点に達した時、にわかに嘘っぱちに思えてきた視界が、ガラス細工のように粉々に砕け散っていった。

 

 

________ザァァァァ・・・・・・

 

 気が付くと私は穏やかな波が打ち付ける砂浜に力なくうずくまっていた。

 瞳から零れ落ちた涙が砂浜に染み込んでいっている。

 

 ・・・・・・そして、私の隣にはゲンシ師匠がいて、在りし日と同じように悠然と座禅を組んで水平線の向こうを眺めていた。

 これはきっと夢なんだろう。ずっと昔に死んでしまった師匠が夢の中に出てきてくれたんだ。

 

 いつの間にか正気に戻っていた私は、怪物と化していた間のことも含めて、記憶をすべて取り戻していた。

 宿命のライバルであるクズリとの戦いの時、私の敵に対する怒りと憎しみは極まっていた。

 ・・・・・・そして、核爆発の炸裂をその目で見た瞬間、拳に宿らせていた怒りと憎しみが抑えきれないほどに肥大化し、私の自我を飲み込んでしまったんだ。

 

 その後は我を忘れて残虐の限りを尽くした。

 血の臭い、肉の味、悲鳴・・・・・・すべてのおぞましい感覚が蘇ってくる。

 

(スパイダー・・・・・・)

 

 私の戦友だった。ブラジルの仲間たちのムードメーカーだった。どんな時でも明るくて優しく、周りに気を配っていた。

 クズリとはいっけん真逆のタイプでありながらも、実に息の合ったコンビ関係を築いていた。

 ・・・・・・私も戦いの日々の中で何度も助けられてきた。

 

 南アフリカにおけるジャパリとCフォースの戦争においても、変わらずにクズリと共に戦っていたのであろう彼女は、怪物と化した私からクズリを庇った。

 友のために命を懸けて、勝てないのを承知の上で私に挑んだ。  

 ・・・・・・そんな素晴らしい子を、私は喰らったんだ。

 時間はまだそんなに経ってない。彼女の肉の味も血の臭いも、ぜんぶ鮮明に覚えている。今も胃袋の中に納まって、私の腹を満たす一部となっている。

 

 ・・・・・・友を食い殺す行為にいっぺんの躊躇もなかった。ただただ怒りを発散し、同時に空腹を満たすことしか頭になかった。

 スパイダーの喉元にかぶりついた時、私は肉の美味さにおどろき舌鼓を打って笑っていた。

 彼女を食べ終わった後、腹がまだ満たされなかった私は、何人かの逃げ遅れた兵士も見つけて捕食した。

 敵であるCフォースも、味方であるジャパリも、もはや私には関係なくなっていた。

 

「うわああああっ!!!」

 

 発狂しそうなほどの罪悪感が一気に押し寄せてくる。

 たまらず額を砂浜に擦り付けながら叫んだ。

 取り返しのつかない罪を犯してしまった・・・・・・にもかかわらず、私は自分でそれを認識することさえ出来なかった。

 一体どれだけ狂えばそんなことになる? 私の体は・・・・・・本当にどうなってしまったんだ。

 

「アムールトラよ」と、傍らのゲンシ師匠が呼びかけてくる。

 私はビクっとして師匠に向き直った。

 たとえ夢でも師匠と会えたのは喜ぶべきことだけど、今の私にはとてもじゃないけど合わせる顔がなかった。

 

「・・・・・・ごめんなさい! 私は、私はぁぁ!」

 

 頭を地面に打ち込まん勢いで、なんどもなんども土下座した。

 ゲンシ師匠が生み出し、私が受け継いだ朔流空手・・・・・・それは単なる流派ではなく、師匠の願いそのものだったはずだ。

 

 師匠は当初、朔流を自身の命と共に消し去ろうと決めていたはずだった。

 しかし私のことを見込んで、流派を受け継ぐことを許してくれた。

 自分の分まで朔流を世のために役立ててほしいという願いを私に託したんだ。 

 ・・・・・・でも、私はそれを最悪な形で裏切った。怒りと憎しみに飲まれて暴走し、残虐の限りを尽くした。

 その罪の重さはもはや、親不孝者なんて生易しい言葉じゃ済まされない。

 

「私にはもう、師匠の弟子でいる資格がないんです!!」

「・・・・・・」

 

 理性を無くした怪物と化した理由そのものはわからない。

 ・・・・・・でも、世の中ってものは原因があって結果がある。

 今にして思えば私は、前々からゲンシ師匠の教えを破り、空手家としてあるべき道を踏み外してしまっていた。教えをきちんと守り続けていれば、こんな結果にはならなかったように思う。

 

 カコさんやヒルズ将軍の下で正義を信じて戦っていた私だったが、いつの間にか私の拳には、正義と一緒に憎しみも宿るようになっていた。

 欲望のままに世界を破壊しようとするグレン・ヴェスパーが許せなかった。

 これ以上好きにさせてたまるかと思った。

 だから「空手に先手なし」という絶対の教えがあるにも関わらず「敵はもう先手を打ってきた」と自己欺瞞でそれを捻じ曲げた。

 ・・・・・・この結果はとどのつまり、私が行ってきたことへの報いだ。

 

「アムールトラ、まずは坐禅を組むンだ。海を見て呼吸を整えろ」

「し、師匠・・・・・・?」

 

 変わらぬ様子で座るゲンシ師匠は、私の懺悔と謝罪を黙って聞き終えると、溜息をひとつ付いてから私にそう命じた。

 遠い目で水平線を眺める穏やかな瞳は、まるで生きていた頃の彼のようだ。

 

「・・・・・・良い眺めだ。波も風もじつに穏やかだ。心を落ち着けるには持って来いってモンだ」

 

 やむなく言われた通りにしてみる。

 呼吸を研ぎ澄ませ心を落ち着けることは、ゲンシ師匠から教わった最も基本となる稽古だ。

 私はいかなる時でもその基本を欠かしたことはない。

 でも・・・・・・今は無理だ。心を落ち着けることなんて到底出来そうもなく、顔からは絶え間なく後悔の涙が零れ落ちていた。

 

「おめェの気持ちが伝わってくる。おめェは今、罪悪感と後悔で胸がいっぱいになっている。自分のすべてを否定したくなってる。こンなことになっちまうなんて、今まで自分は何のために戦っていたンだろうか、てェな・・・・・・」

 

 岩のように静かに座る師匠が、ピタリと寸分たがわず私の気持ちを言い当ててくる。

 ・・・・・・まあ、それもそうか。本物の師匠はとっくの昔にいないんだ。

 いま目の前にいる彼は、私が作り出した夢なんだ。つまり私自身だ。考えていることがわかって当たり前だ。

 

「俺もその昔同じことを思ったさ。育て誤ってしまった不肖の弟子を殺めちまった時にな」

 

 私はすでにゲンシ師匠の過去を知っている。

 彼が死刑囚へと身をやつした切っ掛けを。

 ジャパリの大切な仲間の1人、天才ハッカーのウィザードが、ハッキングで調べた師匠の経歴を私に教えてくれたんだ。

 

 師匠はかつて、とある孤児の少年を引き取って育てていた。

 その少年に見込みがあることに気付いた師匠は、誰にも継がせるつもりがなかった己の空手の技を教えることにした。

 ・・・・・・しかし少年は、一般市民を傷つける犯罪者へと成長してしまい、師匠の気持ちを踏みにじった。

 

 師匠は世間にこれいじょう迷惑をかけることがないようにと、少年のことを彼の仲間ともども殺害することにしたんだ。

 きっと師匠はその男に空手を教えたことを後悔しただろう。

 長年磨き上げた己の技術を、犯罪なんかに使われて、自分のそれまでの人生が否定されたような気分になったことだろう。

 ・・・・・・でも今にして思えば、私はその少年とまったく同じことをしでかしてしまった。

 

「俺の後悔は、その男に空手を教えたことじゃねェンだ」

「・・・・・・え?」

「どうして息子も同然の男を手にかけちまったのかってェことだ。

 てめェのメンツなんかにこだわって、どうしてアイツのことを許せなかったのかってな・・・・・・

 アイツの罪を一緒に背負ってやればよかった。世間すべてが敵に回っても、俺だけはアイツの味方でいてやるべきだった・・・・・・でもそれに思い至った時は、後の祭りだった」

 

 違和感を感じた。

 目の前にいる師匠が、あきらかに私が思いもよらなかったことを話しているからだ。

 私の記憶が作り出した存在ならば、そんなことは絶対にあり得ない。

 夢枕に過ぎないと思っていた彼の姿が、にわかにはっきりとした実在感に満ち溢れていった。

 

「ゲンシ師匠! あなたは・・・・・・!?」

「ああ、かつておめェの目の前で死ンでいった、正真正銘の俺さ。おめェにどうしても話さにゃいけねえことがある。だからあの世から舞い戻ってきたてェワケさ」

 

 ゲンシ師匠が言うには、この砂浜は私の精神世界なのだという・・・・・・そして今この場にいる彼は、夢枕などではなく、彼の魂そのものなのだと。

 あの世から舞い戻ってきた師匠の霊魂が、私の心に入り込むことで語りかけているというのだ。

 

「そ、そんなことが可能なんですか?」

「・・・・・・なに言ってンだ。おめェにだって身に覚えがあるはずだ。前に他人の心の中に入ったことがあンだろう?」

 

 それは私が前々からずっと気になっていたことだった。

 相手の心の中に入り、記憶や感情を読み取る・・・・・・おそらくは”勁脈打ち”に続く、私の二段階目の能力だ。 

 

 今までにたった二回だけ発動したことがある。ともに同じ相手に対してだ。

 メガバット・・・・・・ブラジルにいた時の私の上司であり、大切な親友でもあるフレンズだ。

 Cフォースを裏切った私は、メガバットとも一戦交えるはめになった。彼女との戦いの中で新たな能力の発露が始まった。

 

 最初は無意識のうちにメガバットの心の中に入り込んでいて、まるで自分が彼女になったかのような錯覚を覚えながら、彼女の凄惨な過去と、抱いていたグレン・ヴェスパーへの激しい憎しみを知った。

 二度目は意図的だった。戦いを経て命に関わる重傷を負ったメガバットの精神世界にて、黒い死の渦に飲み込まれようとしている彼女の魂に呼びかけた。

 ・・・・・・その後、何をどうしたのか知らないが、現実世界で止まっていた彼女の心臓がふたたび動き出したのをこの目で見た。

 

「他人の心に入ることは出来るのは”大極”に至る術を身に着けた者だけだ」

 

 聞き覚えのある言葉だった。

 以前ウィザードが、師匠の遺書のデータを発掘して読み聞かせてくれた。

 その文章の結びに書かれていた謎の一文が「すべての功が成りし時、その手に大極が握られむ」というものだった。

 ウィザードが八方手を尽くして調べても分からなかったのが大極という単語だった。

 

「我を完全に消し去り、自然に帰すことで、この世のすべてを知り、すべてと繋がる道が開けてくる・・・・・・それが大極に至るってェことだ」

 

 大極とは、朔流空手のルーツのひとつである「霊山元承拳」を学んでいた古のチベット僧たちが目指した究極の境地のことだという。

 すべてと繋がることが出来た精神は、死後も自我を保ち、生者に語りかけることすら可能となるのだという。

 

 己の罪と向き合い続けたゲンシ師匠もまた、死の瞬間に大極へと到っていたのだという。 

 全身を放射能に侵されながらも、命が絶えるその時まで修行と瞑想を怠らなかった師匠。

 彼の精神は、風や波といったあらゆる自然と同化を果たしていた・・・・・・そして私のことをずっと見守っていてくれていた。

 

「ゲンシ師匠と同じ力が、私にも・・・・・・」

「いいや。おめェはとっくの昔に俺を超えている」

 

 師匠は穏やかだった表情をにわかに曇らせると、少し寂しそうに微笑んだ。

 彼は言う。生きたまま大極に至ることが出来た者は、歴史上一人もいないのだと・・・・・・つまり、私だけが唯一それを成し遂げたことになる。

 もしかすると、私がヒトではなくフレンズだったからこそ出来た事なのかもしれないということらしい。

 

「生きながら大極に至り、戦いの最中ですら相手の精神に入り込むことが出来る・・・・・・あらゆる先人が成し得なかった、おめェだけの奥義だ。

 俺から教えられることはもう何もねェ。おめェ自身で磨いていけ」

 

 ゲンシ師匠は私を許してくれるつもりだ。

 かつて弟子を許せずに殺してしまった後悔が彼にそう言わせているのかもしれない。

 ・・・・・・でも、だめだ。

 師匠が許してくれたって、私が私自身を許せない。正気を失った怪物である私にはもう、師匠の教えを受け継いでいく資格なんて無い。

 これから先、もうどうしたらいいのかもわからない。

 

「アムールトラ。今からおめェに新しい修行を言いつける」

「あ、新しい、修行・・・・・・?」

「おめェ自身の罪と、最後まで逃げずに向き合え」

 

 ゲンシ師匠は言った。

 償うことが出来ないぐらいに重い罪でも、向き合うことだけは出来る、と。

 真剣に罪と向き合い続ければ、やがて自分なりの答えを見つけることが出来るはずだ、と。

 

「わ・・・・・・私なんか、とても師匠と同じようには出来ません! いつまた正気を失ってしまうかもわからないのに!」

「きっと大丈夫さ。何故ならおめェの心の中には今だって、この広く穏やかな海が広がっている・・・・・・だからこそ。俺ももう一度おめェと話すことが出来たンだ」

 

 さざ波のように優しい師匠の声には、私への揺るぎない信頼と愛情とが入り混じっている。

 勿体ないぐらいの有難い励ましの言葉だった。

 だけど、とてもじゃないけど私は今の自分を信じることが出来なくて、涙を流しながら首を横に振った。

 すると師匠は「答えを急ぐな」と念を押してくれた。

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

「なっ! この揺れは!?」

 穏やかに広がっている波間に、俄かに大地震が巻き起こる。

 水平線と青空とが一緒くたになって色褪せ、空間に亀裂が走っている。

 ・・・・・・私の精神世界が、崩壊を始めている?

 

「さあ、そろそろ目覚めの時だ」

 と、色褪せて形を失い始めている師匠が呟いた。

 言うまでも無く悟る。魂だけの存在である師匠は現実には存在できない。私が意識を取り戻した時、師匠も一緒に消えてしまうのだろう。

 

「・・・・・・次に起きた時、おめェにとって最も大事な時がやってくるだろう。最後の、最大の試練だ」

 

________ガッシャアアンッッッッ!!

 

 地震の次は物凄い轟音がとどろいた。

 かと思いきや、亀裂の入った空間が窓ガラスみたいに激しく砕け散り大穴が空けられた。

 大穴の向こう側に広がる暗黒が、物凄い勢いでこちら側に侵食してきている。

 

「ふっ、どうやらおめェのことを荒っぽく起こそうとしている奴がいるようだ」

 

 空に広がる暗黒を見上げながらゲンシ師匠が告げる。

 止められない目覚めと別れの気配が募る中、名残惜しさのあまりゲンシ師匠へと手を伸ばした。 

 だがそれもむなしく空を切り、穏やかに微笑みかける師匠の瞳と目が合ったと思うや否や、いつの間にか彼の姿も、海も空も、すべてが暗黒の中に消え去っていた。

 

「ゲンシ師匠・・・・・・ま、また、会えますか!?」

「・・・・・・会えるさ。何があろうとも、俺はいつでもおめェのことを見守っている・・・・・・」

 

 一人ぼっちになった私の耳に、風の囁きのように静かな師匠の声が聞こえたような気がした。

 

 

 はたと目覚めた時、最初に目にしたのは一本の腕だった。

 指先から長い鉤爪を生やし、皮膚は岩石のごとく硬く節くれだっている。

 そんな恐ろしい物体が、殺意を滾らせるように指をワキワキと動かしながら、一直線に私に迫ってきたのだった。

 

________グギュウウウウッッ

「あっ、あががっっ・・・・・・!」

 怪物か悪魔のものとしか思えない手のひらが、喉元を猛烈な力で握り締めてきた。その激痛と息苦しさによって、いつの間にか完全に意識を取り戻していることを想い知らされた。

 ・・・・・・まだ目の前が薄ぼんやりとしか見えないが、この感覚は現実のものとしか思えない。

 

________ブォンッ! ガッシャアアンッッ!

 目蓋をしばたたかせて目の前をしっかり見ようと思った刹那、怪物の腕がとつじょ私の体を放り投げた。

 宙を舞う感覚を味わうやいなや、私の全身に纏わりついていた硬く重たい何かが粉々に砕け散るけたたましい音が耳をつんざいた。

 これは氷か? そこらじゅうに分厚い氷の破片が散らばって、山のように折り重なっている。

 もしかして私は、この夥しい量の氷の中に閉じ込められて眠らされていたのか?

 

 だんだんと五感が明瞭になっていく。

 バトーイェ山脈の麓にて戦っていたはずの私は、いつの間にか得体の知れないどこかの薄暗い屋内に連れて来られていた。

 最低限の照明しかない暗く広い部屋に、けたたましく点滅する赤いランプが瞬いている。

 どこかからサイレンの音がひっきりなしに鳴り響いてきている。

 ・・・・・・ここがどういう場所だか知らないが、何らかの非常事態が起きているのであろうことは薄々わかった。

 

________ドガッ!

「起きろっ!」

 何者かが私を蹴り起こし怒鳴った。

 ランプの明滅の中に、ぼうっと恐ろし気な姿が立ち上がり私を見下ろしている。

 見覚えのあるフレンズだ・・・・・・この子は確か、メリノヒツジと呼ばれていた、クズリの仲間だ。

 頭の左右から生えた渦巻き状の立派なツノが、彼女が角獣であることを示している。

 そしてその全身に生える薄赤色の豊かな体毛は、一度見たら忘れないだろう彼女だけの特徴だ。

 

 どんなフレンズかもおおよそ覚えている。

 クズリにも劣らぬほどの激しい闘志と、状況を操るための明晰な頭脳を持ち合わせていた。

 仲間のフレンズ達を口車に乗せてこっそり戦場から逃がしてみせた後で、あえて自分一人だけで私に無謀な戦いを挑んで来た・・・・・・容易には真意が測れない侮れない子だと思った。

 

 今もその表情は怒気に満ちていて、歯を剥き出しにしており、その顔面は体毛とほぼ変わらぬほどに赤く怒張している。

 ・・・・・・良く見るとあちこちに鮮血を浴びている。おそらくは返り血だ。

 

________ジャキンッ!

 燃えるような怒りを滾らせたメリノヒツジが、角獣フレンズのシンボルともいうべき槍を手のひらに出現させ、私の喉元に付きつけた。

 

(ああ、そうだよな・・・・・・)

 この子は私とクズリの戦いを間近で見ていたんだ。その後何が起きたかも知っているのだろう。

 スパイダーの仇を討つつもりだ・・・・・・きっとこの子にとっても、スパイダーはかけがえのない存在だったんだろう。

 さっき精神世界でゲンシ師匠に言われたことを思い出す。

 目覚めたら、私にとって最も大事な時がやってくる、と。

 ・・・・・・その時は本当にすぐやってきたな。

 

 この子の復讐はまったく正当なものだ。私には抵抗する権利はない。

 いさぎよく死のう。それこそが、取り返しのつかない罪を犯した私に出来る唯一の償いだ。

 ・・・・・・そう思い、横たわったまま目を閉じた。

 

「な、何!? お前・・・・・・まさか!?」

 

 しかし私が想像した通りの展開にはならず、メリノヒツジは困惑した表情で私を見下ろしたまま、突きつけていた金色の穂先を後ろに引いた。

 

「・・・・・・なぁにブツブツ言ってんだァ?」

 

 メリノヒツジとは違って私の良く知っている声が背後から聞こえた。

 思わず驚いて振り向くと、私が想像した通りのフレンズがゆっくり近づいて来るのが見えた。

 

(く、クズリ? 生きていたのか・・・・・・?)

 私が怪物と化したあの時、一番そばにいたクズリを、喰らいはしないまでも、暴虐の限り痛め付けてしまった。

 しかし今の彼女は信じがたいことに、あれほどの重傷がなかったことのように動いている・・・・・・そして何やら、私の知っている彼女と違う。

 

 何より目に付くのがその肥大化した禍々しい右手だ・・・・・・あれはついさっきも見た物だ。

 あの手が暗闇の中で私の首を締めあげてきたんだ。彼女の左手は見た感じ普通なのに、いったいその身に何が起きた?

 

 クズリは周囲に散らばる氷塊を踏み砕きながら私に近づき、メリノヒツジに並んだ。

 黒と赤、立ち並んだ2人の体色のコントラストは見るも鮮やかだ。

 ・・・・・・しかし妙だ。薄暗い部屋の中にあってなお、クズリの周りだけさらに闇が立ち込めている気がする。こんなに傍にいるのに、彼女の周囲に纏わりつく黒いモヤのせいで表情が良くうかがい知れない。

 

「クズリさん、アムールトラはどうやら正気を取り戻しているようです。僕が槍を突き付けたら、観念したように目を閉じた・・・・・・そんな潔い態度は、正気を失った者に出来ることじゃない」

 

 メリノヒツジは手にした金色の槍をかき消してしまうと、その場から一歩身を引いた。

 彼女にとっては目上の存在であろうクズリに、スパイダーの仇討ちを果たす役目を譲るつもりらしい。

 

「おそらく会話も出来るでしょう。せっかくだから、殺してしまう前に何か話をしてみては?」

「・・・・・・ふーん、話ねぇ」

 

 興味なさそうに頷くクズリだったが、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、禍々しい本気の殺意を全身から迸らせていた。

 もちろん抵抗する気はない。だが、うつ伏せに倒れている今の姿勢じゃあんまりに恰好が付かないので、起き上がってクズリに真っ直ぐ向きなおろうとした。

 ・・・・・・その時、体の違和感に気付くのだった。

 

 首から下がまったく動かない。

 気になって自身の体を見回してみると、私の両腕はやはり、記憶の中とまったく同様の、変わり果てた怪物の手と化していた。クズリの右腕とほとんど同じだ。毛が生えているかいないかの違いしかない。

 

 ・・・・・・そして、驚いたことがもうひとつある。

 私の知らない内に、両腕に黒く重々しい腕輪が嵌められていたことだ。両腕は互いに長い鎖で連結されている。

 

「それは鎖の腕輪だ。腕輪から発射される神経パルスがお前の四肢を麻痺させ動きを封じている。グレン・ヴェスパーの仕業だ。お前が万が一覚醒しても動き出さないようにするために取り付けたんだ」

 

 私の疑問を察したのであろうメリノヒツジが教えてくれる。

 難しい単語を整然と並び立てる彼女の話し方は、まるでヒトの言葉を聞いているようだった。

 彼女の方を見ると、彼女の両手首にも同じ腕輪が取り付けられているのがわかる。

 しかし腕輪に付いている鎖はすでに千切れていて、十数センチほどの切れ端が垂れ下がっているだけだった。

 ・・・・・・そして、クズリにも左手首にだけ腕輪が残っている。

 思いだしてきた。バトーイェ山脈で戦った時も、2人の手首にはこんな腕輪が付いていた。

 

「あ、あ、う、あ」

「何だ? 何を言っている?」

 

 ここはどこか、私はどうしてここに連れてこられたのか?

 おそらくこの2人は私よりも事情を知っているだろうと思って口を開いた。死ぬしかないにしたって、そこら辺の話は聞いておきたかった。

 ・・・・・・が、しかし、私の口から出たのは言葉にならないうめき声だけだった。

 

「あっ、あーーっ!?」

 

 こんなのおかしい。

 精神世界ではゲンシ師匠と普通に喋っていたはずなのに、今だって頭の中は別に何ともなくて、色々と考えられているのに、全然喋れない。

 言葉を発しようとすると、口や喉が石みたいに硬く強張ってしまうんだ。

 

「なるほどな・・・・・・読めて来たぞ。アムールトラ、どうやらお前は、進化した影響で言葉を失ったようだな」

「ううっ? あうっ?」

「フレンズの進化とは、体内のサンドスターの変質によって引き起こされるものだ」

 

 うめき声を上げ続ける私を見て、頭を捻っていたメリノヒツジがやがて何かに思い至ったように頷き告げた。

 進化? 今の私が前よりも進化しているっていうのか? 理性も言葉すらも忘れて暴走してしまうようなこんな異常な状態が?

 ・・・・・・わからない。私の体に何が起こったのか。

 

「進化した肉体には、戦闘能力の劇的な向上がもたらされる・・・・・・が、それと同時に、肉体の性質が動物だった頃に逆行してしまうんだ。

 お前が食肉衝動を抑えられなかったのはそれが理由だ・・・・・・さらに、今まで持っていた発語機能も失われることになったようだ」

 

「メリノヒツジ先生は何でもご存知ってかァ? 大した博識ぶりじゃねえか」

 と、クズリが茶化したように口を挟んだ。

 

「あの憎たらしい親娘の受け売りが大半なんですけどね」

「だが、ちょっとおかしいんじゃねえか? 何でオレは口が利けるんだァ?」

「・・・・・・おそらくは、クズリさんの進化が完全なものではないためかと」

 

「はははっ! 自分の力で進化したアムールトラと比べて、お注射の力で進化したオレは半端者ってか? だっせえなァおい・・・・・・まぁ、いいや!」

________メキメキィッ!

 クズリがメリノヒツジの返事を聞いて、天井を仰いで自嘲気味にケタケタと笑った。

 ・・・・・・かと思うと、いきなり腰を下ろし、私のことを腕輪から出た鎖を巻き取るようにして持ち上げた。

 小柄な彼女に持ち上げられたところで、私の足が地面から離れることはなかったが、まったく力が入らない垂れ下がるだけの足を見て、腕輪の効力の確かさを余計に思い知らされた。

 

 私とクズリの頭の高さがちょうど同じぐらいになる。今度こそ彼女の表情を間近で見ることになった。

 ・・・・・・彼女は声色こそ陽気だったが、表情はまったく笑っていなかった。しかし怒ってもいない。張り付いたような無表情だ。

 どんな時でも感情を爆発させていた彼女の、こんな顔をこれまで見た事がない。

 

「てめえが口が利けなかろうが何だろうが、オレのやることは変わんねえからよォ」

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 凍り付くような殺意を向けられて、今度こそ最後の瞬間を覚悟する。

 クズリの周りを漂っていた黒いモヤが、炎のように揺らめき、天井に向かって立ち上っている。

 2人の会話から、どうやらクズリは暴走状態の私と同等の力を得たことがうかがえる。

 ・・・・・・そんな彼女が今、私を全力の一撃で屠るために力を溜めている。

 

「アムールトラよぉ、今はてめえの胃袋の中にいるスパイダーが、最後に何て言ったか教えてやろうか・・・・・・? アイツはな、てめえのことを”恨まないでやってくれ”って、オレとメリノに言ったんだよォ!」

 

 クズリがどれほど私を憎んでいるかが伝わってくる。そして自分の行いをとことん後悔した。

 クズリとスパイダーは昔から、兄弟のように命を預け合い戦いを生き抜いてきた。その絆は何物にも代えがたいものだ。

 私はクズリからそんなかけがえのない存在を奪った。

 ・・・・・・そうだ。私はクズリによって殺されなければならない。間違いなくそれが私の償いだ。

 

________バッキャアアンッッ!!

 

 限界まで膨れ上がったクズリの殺気が弾けたかと思った瞬間、甲高い破壊音が耳をつんざいた。

 しかし・・・・・・破壊されたのは私ではなく、腕輪から伸びていた鎖だった。

 

「う・・・・・・?」

 宙吊りの状態から解放された私は、自分の体に自由が戻っていることを悟った。

 鎖が引きちぎられたことで、メリノヒツジのいう神経パルスが腕輪から消失したのだろうか?

 困惑のままに立ち上がると「なぜ?」という問いを瞳に込めてクズリを見つめた。

 

「・・・・・・オレがどんだけてめえのことをブチ殺したくても、アイツの言葉の方が重いんだよ」

 

 クズリが凍った炎を瞳に宿したまま私を見つめている。

 かと思うと、左右それぞれ形の違う手を硬く握り締めて小刻みに震わせている。

 私に恨みを晴らしたい気持ちを必死に抑え付けているんだ。鎖を引きちぎってくれたのは、私を許すとかそういうことでは決してなく、ただスパイダーとの友情のために・・・・・・

 

「・・・・・・行くぞメリノ。腕輪は壊してやった。あとは好きにさせりゃいい」

 やがてクズリは舌打ち混じりに私から目を逸らすと、メリノヒツジに声をかけてその場から立ち去ろうと踵を返した。

「これ以上コイツの顔を見ていたくねえ。手が出ちまいそうだ」

 

 しかしメリノヒツジはそれには従わず「待ってくださいよ」と立ち尽くしたまま異を唱えた。

 

「殺すつもりなら止める気はありませんでしたが・・・・・・生かすつもりなら、腕輪だけ壊して放置なんて中途半端だと思いますがね」

「あ? 何が言いてえ?」

「・・・・・・アムールトラを僕たちの仲間に入れるべきだ」

 

 それを聞いて、立ち去ろうとしていたクズリが静かな怒気を纏いながら振り返る。

 いっぽうのメリノヒツジも一歩も引かずに、腕を組んだまま不敵に睨み返している。

 彼女にとってクズリが目上の存在であっても、言われることすべてに黙って追従しているだけではないことがうかがえる。

 

「アムールトラの強さは最早言うまでもない。僕ら2人だけで戦うよりよっぽどいいはずです。 

 ・・・・・・もっともコイツはいつまた暴走するかもわからないワケですが、僕らに危害が及ばない限りは、ここでなら好き放題暴れてくれて良いわけだしね。メリットしかないでしょう?」

「ふざけろよメリノ、てめえは何ホザいてんのかわかってんのか?」

「例えどんな手を使ってでもグレン・ヴェスパーを、ここにいる奴らを皆殺しにするのが僕らの悲願だ。違いますか?」

 

 ________ピリッッ・・・・・・

 互いの主張をゆずらないクズリとメリノヒツジが真っ向から睨み合っていると、とつじょ薄暗い広い部屋の向こうから、何者かの殺気が発せられ肌を差してきた。

 銃口だ。私たちに向かって真っ直ぐに狙いを付けてきている。ものすごい数だ・・・・・・。

 

 私と同じくそれに気づいた2人はピタリを言い争いをやめ、表情に緊張を走らせながら、部屋の向こうの見通せない薄暗闇を見上げて身構えた。

「もう勘付かれたようですね」と、メリノヒツジが何かを予期していたように呟いた。

 

________ウィィィィンッッ・・・・・・

 銃口を掲げる者達の姿に気付く。

 敵の兵士たちかと思いきや、予想とはまったく異なる者達が現れた。

 見覚えのある、空中を浮遊する黒い球体の姿は、Cフォースのナビゲーションユニットだ。

 しかし私の知っているそれよりも球の直径が一回り以上も大きく、球体の表面からは銀色の細長いバレルが突き出ていた。

 

________ドンドンドンドンドンッッ!

 やがて無数のナビゲーションユニットから雨あられと銃撃が降り注ぐ。

 弾道が描く虹色の軌跡は、セルリアンだけでなくフレンズをも殺傷することが出来るSSアモであることを示している。

 

________ガキキキンッッ!

 しかし、虹色の銃撃はすべてメリノヒツジによって受け止められていた。

 彼女の手からは金色がかったドーム状の膜のような物が展開されていて、それが銃撃を防いだようだ。盾とでもいえばいいのだろうか。

 槍だけでなく色んな道具を取り出して戦えるとは、なんて便利な能力の持ち主だろう。

 

「・・・・・・落ちろよ! ガラクタどもがッッ!」

 

 一変して凶悪な面構えになったメリノヒツジが、激昂しながら手にした盾を上に放り投げた。

 きらきらと光りながら跳ね上げられた金色の盾が、空中で分裂し無数の槍と化すと、下の方へいた持ち主に向かって回転しながら順々と戻って来た。

 

________バヒュヒュヒュッッ!

 メリノヒツジは落ちて来る槍を流れるような動作で順々にキャッチし、矢継ぎ早に前方目掛けて投げつけた。

 槍が次々とユニットを貫き爆散させていく。しかし、落とされる傍から新手の機体がやって来るのが見える。

 

 突然に始まった激しい戦闘に応じて私も身構えた。

「あ・・・・・・うっ!?」

 しかし、一歩踏み出そうとした瞬間、何かに足を取られているのに気付いた。

 

________ズグググッ

 何の変哲もない硬い床だったはずの地面が、いつの間にかアリジゴクの巣のようにスリ鉢状にへこんでいた。飛び上がって脱出しようと思っても、足首が地面に沈み込み、そのまま固まってしまったように動かない。

 ・・・・・・見ると、私の傍にいたクズリは前もって危機を予期していたようで、その場から飛び退いて脱出を果たしていた。

 

「クズリさんッ! アムールトラが危ない! あなたの能力で助けてください!」

 

 メリノヒツジがナビゲーションユニットの群れに応戦しつつも私の危機に気付いて呼びかける。

「こん・・・・・・ちくしょうがッ!」

 その声を聞いたクズリは、苦渋に満ちた表情をしながらメリノヒツジの呼びかけに応じることを躊躇していた。

 だが、やがて何かを決意したように、金色のオーラを纏わせた左手を地面の上に置いた。

 

________ズォォォンッッ!!

 最初は何をしているのか分からなかった。

 ・・・・・・が、そっと置かれた左手を中心に、床がひしゃげて盛り上がっていっているのが見えた。まるで地面がクズリの掌に向かって集まっているかのような絵面だ。

 その勢いは尋常ではなく、すり鉢状に凹み続ける床を力づくで押しとどめ、私もろともクズリの所へと引き寄せていった。

 

(こ、これがクズリの新たな”先にある力”か!?)

 

 クズリの左手にはあっという間に、直径数メートルほどの団子状に固まった地面が集められることになった。その一部に私の足首が埋まっている。

 そして彼女はその禍々しい右手で団子を打ち砕き、私を拘束から解放してくれた。

 

 ありがとう、と口では言えない私が、目を使って感謝を表そうとした時だった。

「見てんじゃねえ」

 しかしクズリは謝意など受け取らないと言わんばかりに、私のことを敵意が籠った冷たい瞳で睨み付けてきた。

 もはやかつて仲間だったことが信じられない程に、彼女との間に修復不可能な亀裂が出来てしまったことを実感する。

 ・・・・・・その亀裂を作ったのは、他でもない私なのだからどうにも出来ない。

 

「行きましょう! 走って!」

 

 盾を展開して銃撃から私たちを庇っているメリノヒツジが、顔を横に振ってそう指示してくる。

 クズリが聞くなり走り出す。どう進めばいいのか既に心得ているのであろう。

 私もそれに付き従ってここを立ち去ることにした。

 

 

 ナビゲーションユニットの群れを振り切った私、クズリ、メリノヒツジの3人は、暗く長い回廊をしばらく道なりに走ることになった。

 私とクズリの間で険悪な空気が渦巻いている中、メリノヒツジが一人で喋り続け、今置かれた状況を説明してくれた。

 

 ここは”スターオブシャヘル”という名前の場所らしい。

 グレン・ヴェスパーの本拠地であり、想像を絶する程に高い空に浮いている巨大な要塞なのだという。あの男が世界を支配するための全ての企てがここで行われているのだと。

 

 Cフォースを裏切ったクズリとメリノヒツジは、これからたった2人でスターオブシャヘルの全兵力と闘い、グレン・ヴェスパーとその娘イヴを抹殺しようとしているらしい。

 すべての戦いを仕組み、自分達のことを生きるも死ぬも思いのままに操ろうとした2人に復讐することが、スパイダーへの弔いだと思っているようだった。

 

「アムールトラ、さっきのでわかったと思うが、このスターオブシャヘルを当たり前の基地か何かだと思わないことだ。ここは、建材のほぼ全てがナノ分子加工された形状記憶合金で出来ている。

 ・・・・・・いわば生きている要塞だ。僕らはモンストロの腹の中に飲まれたんだ」

 

 メリノヒツジの言葉はあい変わらず難しい単語混じりだったが、用はさっきのようなことがどこでも起こり得るということなのだろう。

 脅威は配備された兵士や兵器群だけでなく、建物自体が変形して私たちを排除するために襲い掛かってくるということだと。

 

「だが必ず僕の手で巨鯨の腹を裂いてやる。そして地面に叩き落として・・・・・・スパイダーさんの墓石代わりにするんだ」

 

 2人が私の所へ来て氷の中から呼び醒ましたのは、もちろんスパイダーの直接の仇である私を討つためだったが・・・・・・しかし私が偶然に正気を取り戻したために、今2人は私の扱いをどうするかで揉めてしまっている。

 

「アムールトラ、そしてクズリさん。2人に是非とも聞いてもらいたいことがある」

 

 先頭を走るメリノヒツジはあらかた状況説明を終えると、先ほどにもまして深刻さを秘めた表情で新たな話題を振ってきた。

 クズリは己の唯一の仲間を睨みつけながら「何が言いてえ」と凄んだ。

 

 メリノヒツジは我が意を得たりという表情で頷くと「バトーイェ山脈での戦いのことです」と切り出した。

 

「僕はジャパリ側のとあるフレンズと戦い、その末にそいつを殺害した。

 正直、僕が勝てたのが奇跡というぐらいの強敵だった。強さだけでなく、強靭な精神力と、戦士としての矜持を持った素晴らしい相手だった。

 スプリングボック・・・・・・それがそのフレンズの名だ。戦いの末、彼女は最後にアムールトラ、お前の名を呼び、後はまかせたと言って死んでいった」

 

 メリノヒツジの突然の告白に、私はただただ驚いて目を見開くしかなかった。

 そしてスプリングボックとの思い出が脳内を駆け巡った。

 いつだってストレートに本音でぶつかってくる、不器用だけど純粋な子だった。衝突して上手くいかないことも多かったけど、互いに信頼し合って一緒に戦ってきた私の大切な仲間だ。

 ・・・・・・死んでしまっていたのか、このメリノヒツジという相手に殺されて・・・・・・

 

「アムールトラ、お前はスパイダーさんを食い殺したが、僕もまたお前の仲間を殺したのさ・・・・・・」

 

 言わなければ私に知られることはなかっただろうに、メリノヒツジは私の目を真っ直ぐに見ながら、きっぱりと告白した。

 おそらく彼女にとっては、スプリングボックに勝ったことは一生の誇りであるに違いない。だからこんなに堂々としていられるんだ。

 ・・・・・・スプリングボックはきっと、最後まで彼女らしく、正々堂々と力を出し切って、敵であるメリノヒツジに畏怖されるまでの戦いを繰り広げて散っていったんだろう。

 

「クズリさん、あなただってアムールトラの仲間のジャパリ兵士を大勢殺したはずです。僕らは戦争をしていたんだ。互いに加害者でもあり、被害者でもある。当然のことでしょう? ・・・・・・唯一の例外は、100%の加害者であるヴェスパー親娘だけなんですよ。

 それなのにスパイダーさんを失った自分の恨みつらみだけを優先させるのは、スジが通っていないと思いますがね」

 

 メリノヒツジはクズリにも私にも肩入れすることはなく、状況をあくまでフェアな視点から見ているようだった。

 そして私にスプリングボックを殺したことを敢えて打ち明けたのは、痛み分けと言うべき今の状況をクズリにわかってもらうためなのだろう。

 

「ぐっ・・・・・・」 

 クズリは低く唸ると、それきり項垂れて走ることだけに集中しはじめた。さしもの彼女も、メリノヒツジの鋭く容赦のない論理に黙らせられるしかないようだった。

「さてと」

 さらにメリノヒツジは間髪入れずに私に向かって問いを投げかけてきた。

 

「アムールトラ、改めて問おう。お前は仲間の仇である僕たちと手を組むか? 口が利けなくたって、首を縦か横に振ることは出来るはずだ」 

「・・・・・・ううっ」 

 

 だが私は首を縦にも横にも振ることが出来なかった。

 とても難しい、容易には答えを出すことが出来ない問いかけだと思った。

 もちろんメリノヒツジに復讐する気などない。二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。また正気を失った化け物に戻ってしまうかもしれないからだ。

 そうならないためにも、今度こそゲンシ師匠の教えに立ち返り、正しい道を歩みたい。

 

 ・・・・・・でも、復讐という手段そのものが完全に過ちであると否定できる材料もない。

 殺されたスプリングボックに対して、私がしてやれる弔いがそれしかないのなら、過ちであることを承知で復讐を選ぶのも一つの選択肢なのかもしれない。

 きっと今の私とまったく同じ葛藤を、クズリも抱えているのだろう。

 道理ではないことと頭ではわかっていても、スパイダーを私に奪われた悲しみが大きすぎて、復讐の道を捨てることが出来ないでいるんだ。

  

「あうっ!」

「な、てめえ!?」

 

 私は呼びかけるようにクズリに唸り、彼女の腕をつかんで引き留めた・・・・・・いや、つかむと言うよりは両方の手のひらで挟んだ。自分の両手から生える鉤爪があまりに鋭くて、彼女を傷つけてしまいそうだったから。

 

 そして触るなとばかりに睨んで来るクズリに向かって、思いのたけを込めた視線を送った。

 許してくれとは言わない・・・・・・ただどうか、今だけは一緒に戦わせてほしい。その後で私を殺したっていい。

 私は私自身の償いのために戦わなきゃいけないんだ。

 ・・・・・・言葉で言えないのが悔しいけど、私の気持ちを分かってほしかった。

 

 それからメリノヒツジに向かって視線を流すと、一度だけはっきりと頷いた。

 彼女はそれを見て得意そうに笑い「決まりだな」と答えた。

 

「クズリさん、あなたの返事はまだですか?」

「チッ、生意気なんだよクサレヒツジが・・・・・・べらべらと話を勝手に進めやがって。これじゃオレが一人で駄々こねてるバカみてえじゃねえか」

 

________ガシィッ!

 クズリは吐き捨てるようにそう言うと、私の手を払いのけ、お返しと言わんばかりに、普通のままの左手で私の襟首を掴み、物凄い力で引き寄せてきた。

 

「昔みたいな目でオレを見やがんじゃねえよ・・・・・・!」

 

 しかしクズリもそう言いながら私から目を逸らさない。

 間近で睨んでくる彼女の瞳の中に、思い出が映し出されているかのような気分になった。

 まるで彼女との間にあったこれまでの出来事を瞬間に追体験しているかのような・・・・・・。

 

 最初の出会いは私がかつて動物だった時だ。

 クズリは圧倒的な強さでセルリアンをなぎ倒しながら私の前に現れた。

 ヒグラシ所長の研究所で一緒だった時は、常に私の先を行く先輩だった。ブラジルではメガバットの指揮の下、背中を預けて戦う頼もしい仲間だった。

 南アフリカでは互いに別々の道を歩むことになり、バトーイェ山脈では死力を尽くして激突することになった。

 ・・・・・・そして今またこうして私の目の前にいる。

 

「わかったよ」

 私と同じように遠い瞳をしていたクズリの目の焦点が現在に戻る。

 睨み付けてくる彼女の表情からは、先ほどのような拒絶ではなく、挑発的な、それでいて鼓舞してくるような意志が宿っていた。

 かつて何のしがらみのない仲間同士だった頃、よく私にこんな顔を向けてくれていたっけ。

 

「・・・・・・もう一度だけ、てめえと手ェ組んでやるよ」

「あ、う」

 

 瞳に涙をにじませた私は、ありがとうと言う代わりにお辞儀をした。

 そうしてゲンシ師匠の言葉を頭の中で反芻させた。

 私に訪れる最も大事な時とは、きっとこの時のことを言っていたんだ。

 

 この2人と共に、グレン・ヴェスパーの野望を必ず阻止してみせる。

 スパイダーに、スプリングボックに、ヒルズ将軍に、私が殺した兵士たちに・・・・・・この戦争で死んでいったあらゆる者達の思いに応えなきゃいけない。

 

 私は私の罪と向き合い償ってみせる。かつてゲンシ師匠がそうしたように。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「朔 原始(さくづきげんし)」(霊体)
享年75歳 性別:男 職業:朔流空手道 開祖

_______________Information________________

「擬似進化態(ニア・ビースト)」
概要:進化促進薬によって蘇生を果たしたクズリを指す。完全進化態であるアムールトラと同様に常軌を逸した攻撃力と防御力を持つが、肉体の変異は右腕だけにとどまり、発語能力も維持されている稀有な状態。
 完全進化態と比較して、急激な進化に肉体が順応しきっておらず、絶えずかかり続ける負荷によって急激に生命力を消耗し続けており、遠からず死に至ることが予見される。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴



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過去編終章32 「てんくうのさいかい」(前編)


 リアルが忙しくて間が空いてしまいました。
 ここからペース戻していきたいです。


 

 天に浮かぶ要塞スターオブシャヘルの内部で、私とクズリ、メリノヒツジのたった3人による反撃が始まっていくらか経った。

 行く先々で多数の兵士や無人兵器による銃撃に晒された。

 壁や床が変形して私たちを押しつぶそうとしたり捕まえようとしてきた。

 

 たった3人ぽっちの反乱者の中において、私の役目は囮役だった。

 一番最初に敵に姿を晒し、銃火を躱し続けて敵の注意を引き付けることだ。

 進化態という名の怪物と化してしまった私だったが、これまでに培った戦闘技術が失われることはない。体も問題なく動いている。

 

 敵の”意”を読むことで弾道を予測し、ヒトの反射神経を超えるスピードで回避する。兵士たちは私が「いつの間にか動いていた」と錯覚していることだろう。

 彼らはすっかり攪乱され、私を取り囲み狙うことに躍起になっている。

 

「あはははっ!」

 その横っ面をはたくように、脇から本命の攻撃役がやってくる。

 メリノヒツジだ。血走った瞳を爛々と見開いて、狂気的な笑みを浮かべながら一心不乱に兵士に襲いかかった。

 強固な黄金の盾を構えた彼女のタックルは、さながら瓦礫を取り払う重機のように兵士たちを跳ね飛ばしていった。

 

________ジャキキキィィンッッ!

 そうやって敵の懐に潜り込むと、湾曲した細長い刀やら、刃のついた鞭やら見たこともない武器を瞬時に取り出して、鮮やかな手さばきで四方八方を切り刻んだ。

 すると一面に赤い花が咲くように鮮血が飛び散り、もともと赤かった自身の体をさらに真っ赤に染めていった。

 

「・・・・・・た、た、助け、ゆる、ガバッ! ガバアバッッ!」

________ミヂ、ミヂミヂミヂッッ・・・・・・

「どうだい? 僕たちの憎しみをゆっくり味わってくれよ」

 

 メリノヒツジは兵士たちのことをただ殺すだけではなかった。

 致命傷を免れていたり、その場から逃げようとしたりする兵士たちを見つけては、まるで憎悪を叩きつけるように、残虐行為を執拗に繰り返していた。

 素手で頭から顎を引き千切ってみたり、銃を奪い取って相手の体がミンチになるまで何度も撃ってみたり・・・・・・

 そして今、兵士の口元に手を押し付けて、手のひらからゆっくりと槍を生み出して、切っ先を喉中に飲み込ませるようにして殺している。

 

「ふん、さすがだなアムールトラ、お前の目にも止まらぬ動きが敵を完全に翻弄している。仲間にしておいて正解だったよ・・・・・・」

 

 返り血まみれのメリノヒツジが、私を爽やかに称賛してくる。

 怪物的な暴れぶりを見せる彼女だったがしかし、理性を失って暴走しているわけではない。

 残虐な所業も考えがあってのことだ。

 

 要塞内にある無数の監視カメラや、襲い掛かってくるガンユニットに映される映像によって、私たちの動きは常に敵側に筒抜けだった。

 メリノヒツジはその状況を逆手に取って、公開惨殺ショーを敵側に見せつけているんだ。そうすることで自分たちの恐ろしさをアピールし、敵兵士を死への恐怖に陥れることで戦場を混乱させようとしているのだ。

 

 いくら一人一人が強かろうが、たった3人しかいない私たちが、大軍団を相手に有利に戦うための戦術だ、とメリノヒツジは豪語した。

 ただ闇雲に突っ走っているわけではない。怒りを爆発させつつも、細かく状況を観察して狡猾に立ち回ろうとしている。

 頼もしく、そして敵にとっては恐ろしい存在だと思った。

 

「僕が良いと言うまで敵に一切攻撃するな、囮に徹していろ」

 それがメリノヒツジが前もって私に命じていたことだった。

 すでに一度暴走を経験している私が、ふたたび暴走することを危惧しているからだ・・・・・・でも、もちろん私のことを気遣っているわけじゃない。

 

 今のところ大した敵が出てきていないからだ。兵士かガンユニット、もしくは要塞そのものが変形して襲ってくるだけだ。

 だから不安定要素のある私が暴走のリスクを背負ってまで戦う必要はない、とメリノヒツジは判断した。

 ・・・・・・ただ、今後もそうであるという保障はない。

 いずれ出て来るかもしれない強敵のために、メリノヒツジは私が暴走する可能性も勘定のうちに入れて、今は敢えて温存しているんだ。

 

 そんな彼女の判断は内心ありがたかった。

 要塞を落としグレン・ヴェスパーの野望を止めるために、命を賭して戦わなければならないと思ってはいる。

 ・・・・・・だけどやっぱり、暴走して正気を失ってしまうことが怖かった。

 

 戦おうと思ったらどうしたって手が出る。しかしこの獣じみた手のひらは、以前までとまったく使い勝手が違う。

 拳を作れないのだ。握ろうとしても中途半端な所までしか指が曲がらないし、曲げたら曲げたで、数十センチもの黒い鉤爪が内側からニュッと飛び出てくる始末だ。

 

 今の私は言葉を失っただけでなく、空手の真髄をもなくしたんだ。

 こんな禍々しい鉤爪を攻撃に使いたくなかった。そうしたが最後、黒い炎が内側から溢れ出して、精神がふたたび乗っ取られるような予感がしたからだ。

 

________ドッガアアアンッッ!!

 

 後方の少し離れた所で大爆発が巻き起こった。

 クズリが引き起こしたものだ。彼女は敵との戦闘は先行する私とメリノヒツジにほぼ任せ、自身は後から追いかけながら”スターオブシャヘル”の破壊工作に専念していた。

 私たちが通った場所を破壊して道を塞ぐことで、敵に後ろから狙われるのを防ぐためだ。そうすることで私たちは前方だけを気にして戦うことが出来る。

 

 クズリはまだ暴走を経験してはいないし言葉も失ってない。

 何より異形化したのは右腕のみである。これらのことから、私と比べて進化の度合が完全ではなく、したがって暴走のリスクも私より低いだろう・・・・・・

 そう判断したメリノヒツジがあてがった役目だった。

 

 クズリは私と違って進化態の力を出し惜しみしたりするような様子はなかった。

 異形の右腕を振るい、黒いオーラを衝撃波として打ち出す・・・・・・彼女がひとたびそうするだけで、広範囲にわたって壁は砕け、床は裂け、いくつものフロアや階層がひとつながりになってしまう有様の大破壊が起こっていた。

 進化態と呼ばれるフレンズだけが発揮する尋常ならざる攻撃は、やろうと思えば私にも出来ることではある。

 手から稲妻のようなものを放って暴れた記憶が、今も脳裏にはっきりと残っている。

 

 クズリの手によって破壊されていくスターオブシャヘル・・・・・・生きている要塞という説明通り、内蔵のように張り巡らされた複雑な内部構造ではあった。

 そしてここの内部構造は変幻自在に変化する。

 ここで暮らした時期もあると言うメリノヒツジによると「床がひとりでに浮き上がってフレンズを所定の場所に運ぶ」というのがスターオブシャヘル内での主な移動方法だったようだ。

 

 何者かが遠隔操作でそうしているのか、はたまた何らかの機械仕掛けでそうなっているのか、詳しい仕組みはメリノヒツジでも想像が付きかねるらしい。

 扉も定まった位置にはなく、何もない所に突然出現したり、消えてしまったりしたそうだ。

 巨大な迷宮の中にあって、フレンズが自由に移動できるのは定められた居住区だけだったと。

 ・・・・・・だがそんなのはもはや過去のことで、クズリは立ちふさがる全ての障害を破壊し、私たちはあらゆる所を好きに押し通ることが出来た。

 

 手に入れた新たな力を存分に振るって破壊をまき散らす”進化態”クズリ。

 高い知性と残虐性によって敵を狡猾に追い詰めるメリノヒツジ。

 敵の攻撃の熾烈さ以上に、こちら側の戦力がとてつもないのは言うまでもない。

 

 二人が、いったい今までにどれだけの悲惨な扱いを受け、Cフォースへの怒りを溜めこんできたのかは、部外者でしかない私には知る由もない。

 だが、その一端を垣間見るのには十分すぎるほどに、彼女たちの戦いぶりは凄まじかった。

 怒りに飲まれて一度は暴走してしまった私が、今も正気を保っていられるのは、こんなにも怒り狂っている二人がそばにいるおかげなのかもしれない。

 

 Cフォースが行ってきたフレンズに対する数々の非人道的な扱いは察するにあまりある。オーダーだの鎖の腕輪だのといった拘束具で自由を奪い、道具さながらに命を使い捨ててきた。

 そしてあの子は、メガバットは・・・・・・グレン・ヴェスパーに実験と称して失明させられたんだ。

 

 今にして思えば、私は運よくパークに拾われた。

 どちらの組織に属したところで、戦うしかない事には変わりなかったけれど、パークの中にあってはヒトとフレンズの間には平等があり、厚い信義があった。

  

≪踏みにじられ続けたCフォースのフレンズたちはやがて反乱を起こすであろう。徒党を組んだフレンズたちの戦闘力に、Cフォース側には万にひとつの勝ち目はなく、彼らは己が生み出した者たちの手によって壊滅させられるだろう≫

 

 ふと亡きヒルズ将軍の言葉を思い出した。

 彼の予言したことが今まさに起こっている。

 実際には反乱を起こしたフレンズはクズリとメリノヒツジのたった2人だけだ。徒党と呼ぶにはあまりに少ない人数ではあったが・・・・・・

 彼女たちほどの実力があれば、この要塞どころか、Cフォースという組織そのものを壊滅させることさえ出来てしまうのかもしれない。

 

「あ、う・・・・・・」

「どうしたアムールトラ? さっさと先に進むぞ」

 

 戦闘の局面そのものは上手く行っているように思える・・・・・・が、しかしその一方で、私はどこか手詰まり感を感じ始めていた。

 このスターオブシャヘルは、思ったよりはるかに広大な面積があるようだ。どれだけ派手に暴れ廻ろうとも、いったい後どれぐらい破壊すれば戦いが終わるのか見当がつかない。

 途轍もない広さの要塞を、自分達が今どこにいるかもわからないまま闇雲に壊して回ったところでラチが空かないのは言うまでもない。

 そして、私たちの目標はヴェスパー親娘だ。今のところ彼らの居場所の手がかりとなるような情報はまったく掴めていない。

 

「ヴェスパー親娘の居場所を教えろ。そうすれば殺さないでおいてやるよ」

 

 メリノヒツジが何度か兵士を捕まえて尋問していたが、彼らは一様に青ざめた表情で首を振るだけだった。

 恐ろしい血まみれの殺戮者に脅されて、知っていれば話しただろうが、おそらく本当に知らないんだろう。

 

「ああ知らないのか・・・・・・じゃあ、死ねよ」

_______バツンッ

 ぼそりとつぶやいてから、メリノヒツジはほくそ笑みながら尋問した兵士の首を刎ね飛ばした。

 焦る様子は全くない。もとよりこんなことで情報が得られるとも思っていないようだ。

 彼女が期待しているのは、自分たちがもたらした恐怖と混乱が、末端から中枢にまで波及することだ。その時こそグレン・ヴェスパーへとつながる手がかりが得られると考えているんだ。

 

「だりぃんだよッ!」

 

 溜息まじりに吐き捨てる声が背後から聞こえてきたので、声の主を探さんと振り返って目を凝らした。

 後方に広がっているのは見るも無残に破壊された通路だ。

 炎と黒煙が辺り一面に広がっていて視界が悪い。ところどころ天井が崩れて瓦礫がうず高く重なり、同じように地面があちこち陥没している。 

 ここまで壊されては、いかに変幻自在の迷宮といえど、元通りに直ることなんてないんだろう。

 

「メリノよぉ、こんなちまっこい事をいつまでオレにやらせんだァ?」

 やがて炎の中から、破壊をもたらした張本人であるクズリがゆらりと現れる。

 しかし彼女はその威圧感に満ちた佇まいとは裏腹に、ふてくされたような何ともつまらなさそうな表情をしていた。

 後ろのほうで施設の破壊に勤しんでいたと思っていた彼女が、なぜ私たちに突然合流してきたのかはわからない。 

 

「クズリさん、今こそ待ちに待った復讐の時なのに、いったい何が不満だというのですか? あなたらしくもないですよ」

「けっ、てめえはどうだか知らねえが、オレはザコをいくら殺したって気が晴れやしねえんだよ・・・・・・あの親娘の居所もまだわかんねえってのによォ」

「手がかりがない以上は闇雲に探しても仕方がありません。派手に暴れて獲物にプレッシャーを与えつつ、隙を見せてくるまで焦らずじっくりと待つ・・・・・・それが狩りの鉄則なんですよ」

 

 どうやらクズリは、強敵がおらず手がかりもない今の状況にすっかり辟易し、破壊工作という役目を放り出して戻ってきたようだ。

 不平を漏らす彼女をメリノヒツジが何とかなだめようとしている。

 

 クズリが口が悪いのは知っているが、メリノヒツジだって目上のクズリには丁寧な言葉で返しているけど、会話の内容にはだいぶトゲがある。

 口の悪い二人が互いに毒を吐き合っている。だけど不思議なことに、傍から見たら口喧嘩にしか聞こえない言葉の押収の中に、相手への気安さや信頼が現れているのが確かに感じられる。

 

 ・・・・・・しかし、たとえ彼女たち流の気安い会話なのだとしても、クズリが今の戦い方に辟易していることも事実であり、メリノヒツジも今の戦い方を変えるつもりはさらさらないようで、二人の言い争いは平行線をたどるばかりに思えた。

 

「・・・・・・あ、あ!」

「なんだ。どうした?」

 

 私は低くうめくと、二人に注意を促すように手を前に振った。

 クズリが破壊した後方と違って、前方は相変わらず冷たく無機質な回廊が広がっている。気が付くと兵士や無人兵器の攻撃もぱったりと止み、辺りはしんと静まり返っている。

 

 無残に破壊された後方ならともかく、前方から攻撃が来ないのは不可解だ。

 ヴェスパー親娘のことを見つけられてもいないのに、そんなこと普通はありえない。何か異変が起きているような気がする。

 そう思った私は、意識を研ぎ澄ませながら、辺りに動く物がないかを注意深く探り始めた。

 

「・・・・・・アムールトラ、相変わらずてめえはモノ探しがうめえなァ」

 

 私の様子を見て、二人は言い争いをピタリとやめて辺りを警戒し始めた。

 もう言葉を話すことは出来ないけれど、私は以前の経験から知っている。

 話せなくても伝えられることは結構あるってことを。

 私たちは3人とも歴戦の戦士だ。戦いのこととなれば、阿吽の呼吸ってやつで相手に意思を察してもらうことは決して難しくない。

 

「あうっ!」   

 やがて私は暗闇の中に不審な物を見つけ、手を動かして二人の視線を誘導した。

 クズリが抉り飛ばした分厚い床の下に見える階下のフロアだ。

 ガラス状の半透明な床の上を、泥のような黒い塊が這いずっている。その塊の体表には、いくつもの真円状の瞳が現れていた。

 眼下にいる敵の正体を、3人とも瞬時に悟ることになった。

 

「ここでは女王誕生の研究のためにセルリアンも培養されていました。あれもそのひとつなのでしょう」

「兵士やガンユニットじゃオレらに勝てないってんで、新手を送り込んできやがったか」

「・・・・・・だとしたら妙ですね。僕らではなく何か別の目標に向かっていっている?」

 

________ダァンッッ!

 

 それは間違いなく銃声だった。

 今しがたセルリアンらしき謎の物体が横ぎった階下のフロアで放たれたものだ。

 ・・・・・・誰かが撃った。私たち3人にではなく、他の何かに向かって。

 

 私たちは異変の正体を探るために、誰が言い出すでもなく一斉に、銃声が響き渡った下の回廊に向かって飛び降りるのだった。

________ドウドウドウッ!

 そこではやはり戦闘が起こっていて、男たちが物陰から顔を出しながら、虹色の軌跡を描くSSアモを撃っていた。

 

 標的は先ほどもチラリと見えたセルリアンだ。同じ姿の個体が、見える限りは6体いる。

 背丈は数メートルほどで、セルリアンとしては小型だ。

 鉤爪の生えた前足をぶら下げ、後ろ足で二足歩行している所なんかは、地上にも生息している「ハウンドタイプ」に似ているけれど・・・・・・何となくそれとは違うとわかる。

 

 本物のハウンドはもっと前かがみで背骨が曲がっている。しかし目の前のセルリアンの姿勢のいい立ち姿は、まるでヒトやフレンズみたいだ。

 何よりも、ハウンドタイプの弱点である、顎の下に付いているはずの石が見当たらない。

 ・・・・・・打たれ強さも尋常じゃない。SSアモを何発も受けているにも拘らず、まるで堪える様子を見せずに男たちに近づき続けている。

 

「とりあえずアイツら殺そうぜ」

「そうですね」

 

 クズリとメリノヒツジが同じタイミングでヒト型セルリアンの群れに挑みかかる。

 奴らの実力がどれほどのものかは知らないが、いくらなんでもこの2人が簡単に負けることはないだろう。

 

 私はメリノヒツジに止められているから行けない。だからヒト型と対峙していた男たちの方を気にすることにした。

 ここの兵士なら何で私たちと関係ない所で銃を撃っていたのか? 

 やっぱり私たちのことも撃つつもりか・・・・・・もしそうなら、ヒト型の相手をしている2人に代わって対処しなければならない。

 

________ジャキッ!

 銃口を向けられながらも、なるべく男たちを刺激しないように注視する。

 十人足らずの男たちが、油断のない空気を放ちながら少しずつ物陰から身を乗り出してきた。

 出て来た顔はどれも、それなりに年を重ねた中高年のものだった。

 

 ・・・・・・どうやらただの兵士ではない。

 みんな膝丈まで届く紺色の、格式高い襟詰服を身にまとっている。

 ゴムのような質感のアンダーウェアの上に黒いプロテクターやヘルメットを付けた一般兵との違いは一目瞭然だ。

 彼らはどう見てもCフォースの将官だ。見た目の年齢から考えてもかなりの地位があるヒトたちのように見える。

 

 ここはグレン・ヴェスパーの本拠地なんだから、Cフォースの将官がたくさんいるのは当たり前だろう。

 しかしわからない。どうしてここで作られたっていうセルリアン相手に戦っているんだろう。

 良く見ると紺色の制服は血と埃で汚れていて、奮戦の痕跡がまざまざと伺える有り様だった。

 

「お、お前は、シベリアンか・・・・・・? それにあそこで戦っているのは、ウルヴァリン?」

「あう?」

 

 物陰から身を乗り出した将官の1人が、間違いなく私とクズリの名前を呼んだ。

 そりゃあ私とクズリはCフォース内で名前ぐらい知られていたっておかしくないと思うが、そういう感じの声色じゃない。顔なじみに対するそれのような気安さがある。

 顔も立ち姿もすでに老年に達しているこの将官と、私はどこかで会ったことが・・・・・・?

 

「くっ、何なんだコイツらはっ!」

 

 憤慨するメリノヒツジの声に驚き、その将官から目を逸らして振り返る。

 彼女はヒト型セルリアンの一個体と、一対一で派手な接近戦を繰り広げていた。

 その鮮やかな槍裁きからは半端じゃない技量が見て取れる。さすがはスプリングボックに勝利しただけのことはある。

 

 だがヒト型セルリアンもそれに劣らぬ素早さで槍を防いでいた。さっきまで将官たちを追い詰めていた鈍重な動きからは想像も出来ないほどだ。

 目を見張るのは動きの素早さだけではなく、フットワークを使って細かく間合いを調節したり、腕を使って槍の穂先を打ち払ったりしたことだ。

 セルリアンのはずなのに、ヒトの格闘技を使いこなしているように見える・・・・・・こんな個体には今まで出会ったことがない。

 

「はっ、ようやくそれなりの敵が出てきたなァ・・・・・・!」

 

 クズリの声が待ちわびたとばかりに歓喜に弾む。

 彼女はメリノヒツジと戦っている個体以外のすべてを、五体ものヒト型セルリアンを相手に一人で戦っていた。

 自分からは攻撃を仕掛けることなく、四方八方から襲い来る攻撃に対して回避に徹していた・・・・・・一にも二にも先手必勝をポリシーにしている彼女らしくもない動きだ。

 

_______ビュボボボッッ!

 5体ものヒト型が一人の敵を取り囲んでの乱打は、手数も勢いも嵐のようだったが、クズリにはかすりさえしない。

 今のクズリは私とほぼまったく同じ動きをしている・・・・・・ヒト型セルリアンたちの動きを、事前に完全に見切ってから躱している。

 一方のヒト型にはクズリの動きがまったくわからないようだ。攻撃が当たったかと思いきや「気が付いたら別の所にいる」とでも感じているのだろうか。

 

 信じがたいことだけれど、この様を見たら信じるしかない。

 クズリは相手の”意”を呼んで攻撃を見切る術をほんとうに体得しているんだ。

 私の真似をしたとか言っていたけれど、そんなことで容易く身につけてしまえる辺り、つくづく天才的な戦闘センスの持ち主だと思う。

 

 クズリの考えていることが何となくわかりはじめてきた。

 闘争に対する貪欲な探求心を持つ彼女のことだ。進化した自身の体がどれだけ動けるのかを見極めようとしているのだ。

 彼女は兵士やガンユニットのような取るに足らない相手に辟易していた。しかしあのヒト型セルリアンたちがそうではないことを看破し、さっさと倒すには惜しい相手と思ったために、格好のトレーニング相手にしているんだ。

 

「クズリさん! 遊んでないで早く片付けてしまいましょうッ!」

 

 クズリと違ってメリノヒツジは性急に勝負を決めようとしている。

 そして苛立ち紛れに大振りな突きを繰り出した。しかし見切られてしまっていたのか、ヒト型セルリアンに最小限の動きで回避されてしまっていた。

________ザシュウッ!

 だがメリノヒツジはニヤリと笑い、穂先を猛烈なスピードで真っ直ぐ引き戻した。

 するとヒト型はとつじょ体を勢いよく横倒しにして倒れ込むのだった。見ると膝から下が両足とも切断されていた。

 

 メリノヒツジが何をしたのかわかった。

 彼女は「武器の形を変える能力」を用いて巧妙な二段攻撃を仕掛けたんだ。

 槍での大振りな突きはフェイクだ。敢えて敵に躱させておいて穂先の内側に入らせる。

 そうした後で、穂先を槍から鎌の形に変化させながら引き戻したんだ。

 槍の軌道しか予測していなかったヒト型セルリアンは、まんまと不意を突かれて鎌で足首を掻き切られることになったのだった。

 

「まずは一匹っ!」

________ドチュッッ!

 勝ちを確信したメリノヒツジが、昏倒したヒト型セルリアンのどてっ腹を勢いよく刺し貫く。

 しかしその瞬間、予想だにしなかった光景が目に飛び込んで来た。

 鋭い二又の穂先を突き入れられた腹部から、赤い鮮血が勢いよく噴き出したのだ。

 一般的に知られている限り、セルリアンの体は”核”以外はどこをとってもアメーバのように均一のはずだ。

 血液なんて物はないはずなのに、これじゃまるで・・・・・・。

 

________ズグググッ・・・・・・

 異変はそれだけではなかった。

 ヒト型セルリアンは大量出血しながら、膝から下を切断されたはずにもかかわらず、再び立ち上がって見せたのだ。

 切り離されたはずの足と胴体の間に、突如イバラのような触手が生えだし、両者を再びくっ付け合わせようとしていた。

 

「何だ! この敵はッ・・・・・・!?」

 さしものメリノヒツジもその異様な姿に絶句したようで、槍を引き抜いて身構えたまま距離を取った。

 ヒト型セルリアンの膝はあっという間に再生を果たし、今度は反撃と言わんばかりにメリノヒツジに向かって駆け出した。

 

_______ドガンッッ!

「な、なに!?」

 しかし、距離を詰めるヒト型セルリアンに向かって何かが衝突した。

 側方に向かって弾き飛ばされたその体は、壁にめり込む程の勢いで叩きつけられていた。

 見るとヒト型セルリアンの体の上には、別の個体が折り重なって倒れていた。

 

「・・・・・・どいてろ、メリノ」

 クズリがぶっきらぼうに呼びかける。今しがたの出来事は彼女の仕業だったのだ。

 言われてメリノヒツジが飛び退くと、クズリは右腕を掲げて力を溜め始めた。体から噴出した黒い炎がみるみる内に手のひらに凝縮されていった。

 

「ずいぶん傷の治りが早いみてえだが、コイツに耐えられるかよ」

________グゥンッ・・・・・・ドッシャアアッ!

 クズリの異形の右手から放たれた黒い衝撃波が、地面を削り飛ばしながら迸っていく。

 そして二体のヒト型セルリアンに直撃すると、そのまま突き抜けて後方の壁に大きな亀裂を走らせた。

 

 一体は全身に衝撃波を浴びて、跡形も残さずあっという間に消滅した。

 だがもう一体は微妙に躱していたらしい。

 完全に吹き飛ばされたのは右腕から脇腹にかけての部分だけだ。

 右半身は表面をひどく抉られていたが、左半身には衝撃波が当たっていなかったようだ。

 ・・・・・・そして、ヒト型セルリアンの正体を私たちは知ることになった。

 

「あ、あれはまさか、量産型フレンズか!?」

 

 メリノヒツジが、削り飛ばされた外皮の中から出てきた姿を見て叫ぶ。

 茶色い体に丸い耳と長い尻尾を持ったフレンズの体が右半分だけ、それまでセルリアンにしか見えなかった黒い体の内側から露出していた。

 その開かれた目は虚ろで、まるで人形であるかのように生気が感じられなかった・・・・・・これじゃ、生きているのか死んでいるのかだってわかりはしない。

 

「何だァ? 知ってんなら解説しろよ」

「いえ、僕もこんなのがいるなんて知りませんでしたよ。でも想像は付きます・・・・・・これもあの親娘の実験の成果なんでしょうね」

 

 事情通のメリノヒツジが、その知識を生かして敵の正体について推理を働かせる。

 このスターオブシャヘル内部では量産型と呼ばれるフレンズが製造されているという。

 最初から死んでいた動物を回収してフレンズ化施術を施すのではなく、生きた動物を大量に集めて、わざと殺してから施術にかけることで生み出した存在だ。

 

 その量産型フレンズに、培養していたセルリアンの細胞を上から纏わせて作ったのが目の前の敵ではないか、とメリノヒツジは推理した。

 内側にある量産型の肉体を、いわばセルリアンの”核”として使っているのだと。

 

「その肉体はもはや生ける屍、いや、セルリアンの臓器とでも言うべきでしょう。意識を取り戻すことはきっとありません・・・・・・体を吹き飛ばされても呻き声のひとつも上げないんだからね」

 

 クズリはメリノヒツジの推理を聞き終えてから「チッ」と静かに舌打ちすると、ふたたび異形の右手を振りかざし、掌に黒い炎を燃え上がらせた。

 さっきまでの楽しむような態度は表情から消えている。

 

「やめろウルヴァリン! ここでそんなに威力の高い技を使ってはいかん!」

「・・・・・・あァ?」

 

 とつじょ、私たちの名前を知っている例の将官が血相を変えて呼びかけた。

 名前を呼ばれたクズリが驚いて振り返ると、掌にチャージしていた黒い炎も途中で霧散してしまった。

 

「この近くには重要な設備がある! そこを破壊してはいかんのだ! その敵は格闘戦で倒せ!」

「アンタは誰だよジジイ・・・・・・ベラベラと指図しやがって!」

「クズリさん、とりあえず言う通りにしましょう」

 

 メリノヒツジが会話に割り込み、そして敵を倒すように促した。

「その鉤爪で直接切り裂けば問題なく倒せるはずですよ」

 彼女は告げる。進化態の証でもある異形の手・・・・・・そこから湧き上がる黒い炎には、あらゆるサンドスターの働きを無効化する働きがあると。

 たとえ目の前の、量産型フレンズを素体とするセルリアンに異常な回復力があったとしても、鉤爪で切り裂かれた傷が回復することはないであろうというのだ。

 

 そんなやり取りをしている間にも、5体のヒト型セルリアンが再び彼女に襲い掛かろうとしてきていた。

 先ほどの右半身を吹き飛ばされた個体も足取りは変わらない。瞬きすらしない虚ろな素顔を外気に晒しながらヒタヒタと近づいて来ている。

 ・・・・・・さらに突き当りの暗闇から、また新たに無数の影が駆け寄ってくるのが見えた。

 

「何だか知らねえがやってやろうじゃねえか」

「気をつけてください! さらに新手が!」

 

 クズリは億劫そうに息を吐きながらも、右手の鋭い鉤爪を振りかざしながら歩き出した。

 その後ろでメリノヒツジは援護をするために、投擲するための槍を無数に取り出して地面に並べ立てた。

 私に声はかからない。メリノヒツジはまだ私を戦わせるつもりはないようだ。

 たしかに、多勢に無勢の状況ではあったが、この2人に任せておけばまったく問題ないだろうとは思う。

 ・・・・・・だが、私は動かずにはいられなかった。

 

_______パァンッッ!

 あふれる激情に身を任せながら、周りの空気が破裂するほどの勢いで飛び出し、クズリたちの脇を通ってヒト型セルリアンたちの前へと躍り出た。

 そして両腕の鉤爪を限界まで伸ばし、爪先に黒い炎を纏わせると、技術も何もかなぐり捨てた動きでセルリアン達を切り裂いた。

 

 外皮の中にある、コアたるフレンズの肉体にも爪が通り鮮血が噴き出す・・・・・・しかし、次の瞬間には、爪にともされた黒い炎が着火して全身を覆い焼くのだった。

 炎は外皮も内臓も一緒くたに焼き尽くし、やがて原型を保てなくなった燃えかすが虹色の光燐と化して弾け飛んだ。

 

「うううっ! ああああっ!!」

「アムールトラ!? まだ動くなと言っておいたはずだ! ま、まさかまた暴走して!?」

「うるせえ・・・・・・落ち着けよ」

 

 正気であることを知らせるために、2人に向かって一瞥を投げかける。

 メリノヒツジは怪訝そうな様子で取り乱していたが、クズリは無表情のまま目を見開いて私をじっと見つめていた。

 クズリがこの場を任せてくれた。そのことを悟った私は、再び黒く燃え盛る両腕を広げて敵に対峙した。

 

 私の中で再び激しい感情が渦巻いている。

 でもそれは怒りでも憎しみでもない・・・・・・悲しみだ。

 量産型フレンズのことを初めて知った。この子達の使い道っていうのは、きっとヒト型セルリアンのコアにされる事だけじゃないだろう。それこそヴェスパーらが思いつく限り、すべてのおぞましい所業に利用されることになると思う。

 

 ・・・・・・やはりあの男の悪行は想像を絶していた。

 時間があるならば、事情通のメリノヒツジに洗いざらい教えてもらいたいものだ。きっとまだまだ恐ろしい話が出てくるだろう。

 私に出来ることは、彼女たちを早く楽にしてやることだ。

 無限に生み出され続ける悲劇の連鎖を断ち切りたい・・・・・・その思いに応じるように、燃え盛る鉤爪をいっそう激しく、台風のように周囲に叩きつけた。

 

 ・・・・・・しばらく経つと、周囲には私たち3人と、後ろにいる軍人たち以外には動く物が無くなっていた。

 初めてみずからの意志で鉤爪を振るった私の指先には、肉を切り裂いた生々しい感触がじっとりと残っていた。

 

「ううっ・・・・・・!」

「さすがの実力と言いたいところだが、また暴走したくないなら、衝動的な戦い方は控えたほうが身のためだと思うがな」

 

 私のそばにいるのは不満げに叱責してくるメリノヒツジだけで、クズリは物陰に隠れている軍人たちのいる方へ向き直っていた。

 8人ばかりの士官服をまとった男たちが注意深く姿を現す。まだ私たちに銃口を向けていたが、やがてその中の一人が手を広げて仲間たちに銃を下ろさせた。

 私とクズリの名を知っている例の男だ。

 男に対面しているクズリの後ろ姿が一瞬驚いたようにびくりと震えた。

 

「俺が知っている頃よりも、さらに輪をかけて強くなったようだな、ウルヴァリン。そしてシベリアン・・・・・・さすがは”無敵の野生”と”最強の養殖”といったところか」

「アンタまさか、ブラジルのジフィ大佐か?」

「・・・・・・ふっ、久しいな」

 

 クズリの口から飛び出したのは、実に懐かしい名前だった。

 ジフィ大佐・・・・・・かつてCフォースブラジル支部にて、私とクズリの上官だった軍人だ。たぶん、今は大佐どころかもっと上の地位にまで昇り詰めているはずだ。

 すっかり白髪が増えていて、言われなければ気付かないほどだったけれど、瞳から放たれる鋭い迫力は、確かに見覚えのある男のものだとわかる。

 

 ジフィ大佐は、セルリアン災害からヒトを守るというCフォースの使命を懸命に果たそうと奔走する厳しくも善良な軍人だった。

 そして大佐はCフォースの枠組みの中で、出来る限り私たちフレンズのことをまともに扱ってくれていた。交代で休養を取らせたり、負傷したフレンズを戦わせないといった軍規をヒトの兵士と同様に敷いていた。

 戦いに生きる者は武器の手入れを決して怠らないという理念から、対セルリアン戦に欠かせない存在だったフレンズのことを、替えが利かない兵器として捉えていたからだ。

 ・・・・・・私は少なくとも、大佐の下にいた頃はCフォースの正義を信じていた。

 

「礼を言うぞ。お前たちに出会えなければ我々は確実に死んでいた」

「ていうか大佐、アンタらはここで何してやがんだァ?」

「色々あって、我々はグレン・ヴェスパーと袂を分かつことになったのだ・・・・・・様子を見るにお前らも同じようだが、一緒に来るか?」

 

 言うなり大佐は他の仲間と一緒に銃を構えながら、薄暗い通路を先に進み始めた。

 仕方がないので私たち3人も後を追うことにした。

 

「・・・・・・クズリさん、あの男たちはおそらくグレン・ヴェスパーに捕えられていた者たちでしょう。きっと僕たちが起こした混乱に乗じて、運よく脱出を果たすことができたんでしょうね」

 

 やはり事情を知っているメリノヒツジが、ささやき声で説明をはじめる。

 この話はグレン・ヴェスパーの愛娘にして組織のナンバー2でもあるイヴ・ヴェスパーから聞いたことらしい。

 ジフィ大佐をはじめとして、この場にいる将官たちは、グレン・ヴェスパーが催そうとしていたCフォースの創設20周年を祝う祭典に出席しようとプレトリアに建設された会場に集まっていたのだと。

 

 しかし、その会場に人知れず侵入してきた者がいた。

 たった1人で乗り込んできた侵入者は、警備の目を躱して会場の放送設備をジャックしてから、招かれていたCフォース関係者たちに対して演説をぶったらしい。

 グレン・ヴェスパーという男の独善的思想、そして野望の危険性を伝えようとしたのだという。しかしほどなくして警備に見つかり連行されることになった。

 

 ・・・・・・その侵入者の名前とは、カコ・クリュウ。

 しかし演説の内容に興味を持ったジフィ大佐たちは、演説に最後まで耳を傾けるべきだと警備の兵士たちに抗議をした。 

 それがグレン・ヴェスパーの機嫌を損ね、大佐たちはこのスターオブシャヘルに収容されることになった、というのだ。

 

「あ、あ、あうっ!?」

 聞き捨てならない名前を聞いて、私は思わずうめき声をあげた。

 カコさんの安否がずっと気がかりだった。彼女とマダガスカルで別れてから、一瞬たりともそのことが頭から離れることはなかった・・・・・・

 

 しかしメリノヒツジが話の続きを口にするよりも先に、前方を行くジフィ大佐たちの足取りが止まり、私たちは彼らの動きに注意を向けざるを得なくなった。

 周りと比べて何の変哲もないような場所だ。壁も床もスターオブシャヘル独特の、内側に基盤が張り巡らされた、半透明で直線的な通路だった。

 

 円陣を組んで銃を構えながら周囲を警戒している将官たちの中で、一人だけ床に座り込んでいる小柄な老人がいた。

 老人は小型のコンピューターを開いて真剣な顔でキーボードを叩いている。クズリも、メリノヒツジでさえも何をやっているのか分からないと言った様子だ。

 

 だがしばらくして違和感に気付いた。

 半透明な地面の上に、流れるような文字列が出現しているのだ。

 文字列は老人がキーボードを叩く動きと連動して増殖しているように思えた。

 ・・・・・・私はそれを見て、目の前で行われていることに何となく目算が付いた。

 この小柄な老人はハッキングをしているんだ。 

 きっとこのヒトはおそらくはウィザードと同じような技術を持っているんだ。それ自体は別に不思議なことじゃない。

 ただの地面が端末の画面になってしまっていることの方が驚くべきことだと思う。

 

_______タンッ

 作業の一区切りを告げるようなタイピング音がキーボードから響いた。

 すると、辺り一帯の半透明な通路がとつぜんに陥没し、その場にいる私たち全員を飲み込み始めた。あまりにも急なことだったので対応が出来なかった。

 

 足を取られている。このままじゃ全員敵に捕まる・・・・・・そう思い、多少荒っぽい方法でも脱出しようと矢先。

 ジフィ大佐が「あわてるな、これでいい」と、冷静な顔で私たちに呼びかける声が聞こえた。そして周りの将官たちも、誰一人として狼狽えず落ち着き払った態度だった。

 彼らのことを信じて、私たち3人はされるがまま地面に呑み込まれていくことにした。

 

 

 ほんの少しの間だけ暗闇に飲まれた後、想像を絶するような光景が視界の先に広がっていた。

 目に映るものの一切が水色で、湾曲した天井が光に縁どられている。巨大なガラス状の球体の中・・・・・・としか言いようがないような場所だった。

 

 ドーム状の天井には無数の光が星空のように散りばめられている。絶え間なく移動する光点が線によって結ばれ幾何学的な模様を形づくっている。

 息をのむような美しさを感じると同時に、スターオブシャヘル特有の、生き物の体を機械で再現したかのような不気味な印象も覚える場所だった。

 

 驚き圧倒されて立ち尽くす私、クズリ、メリノヒツジをよそに、8人の将官たちは銃を下ろし、肩で息をしながらその場に膝を付いている。

 その様子を見て、少なくとも老骨に鞭を打って戦っていた彼らがやっと休める安全地帯なのだということだけはわかる。

 例のハッキングができる老人だけは変わらずにキーボードを叩き続けている。彼がこの機械仕掛けのガラス玉を操っていると考えていいだろう。

 

「ここを掌握出来たのは大きい。わずかでも希望が生まれた」

 

 ジフィ大佐が私たちに向き直り告げる。 

 今いるこの場所は、スターオブシャヘル内でも特別な場所なのだという。

 それはここが”生きている要塞”である理由にも関係している。

 ・・・・・・簡単に言えば、このスターオブシャヘルは目の細かいジグソーパズルのような構造をしているのだという。

 パズルのピースは色々な形に変化し、他のピースと自在に結合し合う性質を持つ。それによって扉や廊下が勝手に現れたり消えたりする仕組みを実現しているというのだ。

 

 そして私たちが今いるこのガラス球は「マザーユニット」と言って、ピースがどのように結合し合うかの信号を飛ばす指令所であるようだ。

 この広大なスターオブシャヘル内部においては、指令所は各ポイントにいくつも点在しているとのことだ。

 それらが互いにカバーし合うことで要塞全体に信号を行き渡らせることが出来るらしい。

 

 大佐たちはマザーユニットのひとつをハッキングし乗っ取ることで安全地帯とした。

 マザーユニットはスターオブシャヘル内部をあるていど自由に移動することができる。そして信号の中継地点である以上、偽りの信号を発することで周囲を欺くことも可能になるという。

 ・・・・・・つまり、隠れ潜む場所としては持ってこいということらしい。

 

「おいニンゲン、ひとつ教えてもらおうか」

 

 突如ぶしつけな口調で言葉をはさんだのはメリノヒツジだ。

 たとえCフォースの重役が相手であろうとまるで関係ないことといった風だ。

 フレンズ同士の会話では、ヒトのことを「ヒト」ではなく「ニンゲン」と呼ぶのは、馬鹿にして敵意を向けているニュアンスが混じるんだ。そんなこと私だって知っている。

 

 言葉が荒いのはクズリと一緒だが、誰に対しても同じように接するクズリのそれとは意味合いが違う。

 メリノヒツジはやろうと思えば丁寧な口が利けるんだ。現に彼女が敬意を払うクズリにはそうしている・・・・・・相手を見て意図的に言葉を選んでいるんだ。

 大佐たちを見る目つきも鋭く、まるで気を許していないことがわかる。彼女からしたら初対面なんだから無理もないが。

 

「俺の名はジフィだ。君は誰かな。はじめて見るフレンズだが」

「僕はメリノヒツジ・・・・・・見ての通り、スターオブシャヘルの連中と一戦交えているところさ」

 

 ジフィ大佐は眉をひそめ、他の将官たちも銃の引き金に指をかけた。

 警戒されるのも無理もない。メリノヒツジは敵兵士の返り血で全身血まみれだ。傍から見たらひどく恐ろしい風体に見えるだろう。

 

「それで、僕の質問なんだが、ここが他の場所に指令を伝える場所であるならば、つまりスターオブシャヘル内部の地形が把握できるということか?」

「無論だ。施設のほぼ全域の情報をモニターしている」

「ああ、それはとても良いな・・・・・・で、お前らニンゲンはこれからどうする? 脱出艇でも探して地上に逃げるつもりか?」

 

 あざけわらうように問いかけるメリノヒツジ。

 しかしジフィ大佐は気にしない様子で「いや、まだだ」とかぶりを振った。

 

「我々はまだ脱出するつもりはない。どうしても助けなくてはならない人物がいる・・・・・・そう、他でもない。カコ・クリュウだ」

 

 迫真の表情でジフィ大佐はそう告げた。そして他の将官たちも同じ表情をしていた。

 やはりカコさんも大佐たちと同じように捕えられ、このスターオブシャヘルのどこかに囚われていると言うのだ。

 

「我々はカコ・クリュウの言葉によって自らの過ちに気付かされた。彼女の気持ちに答えなければならない。独裁者グレン・ヴェスパーの非道を止め、Cフォースを改革しなくてはならない・・・・・・そのためには何としても彼女に生きてもらわねばならぬのだ!」

 

 ジフィ大佐の言葉を聞いていて、瞳に熱いものが溢れるのを感じた。

 カコさんは前々から、セルリアン災害の最前線で戦うCフォースの軍人たちと同盟を組むべきだと考えていた。

 敵はあくまでグレン・ヴェスパーが主導する研究者たちの集団であるとし、彼らと軍人たちを分断させることが彼女の目的だったんだ。

 

 しかしグレン・ヴェスパーの策略によって国際指名手配の濡れ衣を着せられ、目的を果たすことが困難になってしまった。

 追い詰められたカコさんはヒルズ将軍に後のことを託し、たった一人でプレトリアに乗り込むことにした。

 ・・・・・・それがCフォースの軍人たちに語りかける最後のチャンスだったからだ。

 

 そしてその思いは実を結んだ。ジフィ大佐たちがカコさんの思いに応え、命がけで助けようとしてくれている。

 カコさんが信じた通り、Cフォースにもちゃんと信念あるヒトたちがいたんだ・・・・・・こんなにうれしいことがあるだろうか。

 

 後は彼らと協力してヴェスパー親娘を打倒し、カコさんを助け出すだけだ。

 そうすればパークとCフォースの同盟がついにかなう。ヒトとフレンズとが一丸となってセルリアンからこの世界を守る組織が出来上がるんだ。

 カコさんの目指した、命を等しく慈しみ合える世界がやってくる・・・・・・

 

「うううっ!」

 感極まった私は、涙を流しながら大佐たちに向かって何度も土下座した。

 ジフィ大佐は「顔を上げろ、これは我々のけじめだ」と言いながら私の肩に手を置いて立ち上がるように促した。

 

「ところでシベリアン、おまえ言葉が・・・・・・?」

 うめき声ばかり上げる私に違和感を覚えた大佐は、私の体に何らかの異変が起こっていることに気づいたようだった。

 しかしそれ以上追及することはせずに視線をそらし、ドーム状の天井を見上げた。

 

 改めてここに集まった将官たちの名前や階級について紹介を受けた。

 彼らはやはり世界中のCフォースにおいて司令官クラスの任に就いている重役ばかりだった。ジフィ大佐からして今や大佐ではなく中将であり、ブラジルだけでなく南米方面全域の指揮を努めているとのことらしい。

 ・・・・・・今やそれも過去の話。ここにいる将官たちの後任は、もれなくグレン・ヴェスパーの息がかかった者たちになるだろうとのことだ。

 

「けっ、やってらんねえな。そこまで出世してもご主人様の機嫌を損ねたら一発でクビかよ」

「・・・・・・あの男にとっては他の全てが替えの利く駒に過ぎん。将官だろうが一兵卒だろうが変わらんのだ」

「まったく同じセリフをヴェスパー本人から聞いたぜ」

 

 クズリとジフィ大佐が顔なじみの気安さで話していると、星空のように輝くドームの中に新たな光が走査する。

 光と光が結び合いながら複雑で巨大な図形が急速に形作られていく。 

 例の老人のキーボード捌きも益々すばやさに磨きがかかっている。何がどう凄いのかは素人目にはわからないけれど、天才ハッカーのウィザードとなんら遜色ないレベルの動作をしているように思える。

 

「彼の名はファインマン・G。諜報部の特別顧問だ」

 作業に没頭するあまり自己紹介が出来ない老人に代わって、大佐が彼の素性を教えてくれた。

 このファインマンというヒトは軍人ではなく、Cフォース組織内の情報管理だったりセキュリティ構築の分野で功績を残したヒトらしい。

 

 Cフォースのセキュリティと聞くと、思い出さずにはいられない出来事がひとつある。

 ケープタウン大学に侵入して、スーパーコンピューターでCフォースの機密情報を盗み出す作戦を決行した時のことだ。

 もしかすると、このヒトが作ったセキュリティが凄かったおかげで私たちは苦労したのかもしれない。あのウィザードが一度はハッキングに失敗するほどだったもの。

 そのあと、メガバットの命がけの協力によって情報を奪うことには成功したけれど・・・・・・

 

 いまファインマン氏は、自分が携わったセキュリティにみずからハッキングを仕掛けている所なんだ。だからいとも簡単に成功させてしまっている。

 彼一人でこのマザーユニットの操作から、ほしい情報をさらうことまで行えるらしい。

 

「てこたぁよ、今すぐグレン・ヴェスパーを見つけることもできるってことかァ?」

「・・・・・・ウルヴァリン、残念ながらそうもいかんのだ。あの男か、もしくは娘の個人認証がかかっている箇所にアクセスするのは、如何にファインマン氏でも不可能に近いだろう。いくつかの選択肢に絞り込むのがせいぜいといったところだ」

 

「クククッ、その男一人いれば事は足りるということか・・・・・・なら他の奴はいらないな」 

 メリノヒツジが聞き取れないような小声でつぶやくと、口元をわずかにゆがませた。

 

_______ピリッ!

 メリノヒツジの不穏な表情が背筋を一瞬ざわつかせたかと思いきや、稲妻のように鋭い殺気が一直線の彼女からほとばしる。

 その先にいるのはジフィ大佐・・・・・・

 予知に寸分たがわず、彼女は大佐に向って黄金色のナイフを投げつけた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官
「ジェームス・F・ゴードン(James Feynman Gordon)」
年齢:72歳、性別:男、職業:Cフォース本部 防諜担当副次官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章33 「てんくうのさいかい」(後編)

 一振りの凶刃が音もなく放たれる。

 それまで変わりない様子で会話していたメリノヒツジが、突如ジフィ大佐に向かって、能力で作り出したナイフを投げつけたのだ。

 あまりにもさり気なく何の前触れもない暴挙は、きっとその場にいる誰もが想像すら出来なかっただろう。

 

 私は前もって彼女の殺気を読んではいたが、大佐の盾になるには少し遠かった。

 それでも何とか間に合って欲しい一心で、彼めがけて飛んでいくナイフに向かって必死に手を伸ばした。

 

_______ドシュッ!

「ううっ・・・・・・!」

 激痛が走った手のひらを見つめる。そこには黄金色のナイフが突き刺さっていた・・・・・・すんでのところで間に合った。進化態になったことで手のひらが肥大化してなかったら、もしかしたら危ないところだったかも知れない。

 

「やはり気付いていたか、アムールトラ・・・・・・」

「あ、あうっ!?」

 

 どうしてこんなことをするんだ、という疑念と非難を目で訴えるが、メリノヒツジは悪びれもせずニヤリと笑い返してくるだけだ。しかしその目つきには冗談でも何でもない本気の殺意がこもっている。

 そして彼女がおもむろに片手を顔の横にかかげると、指と指の間から火の粉のような金色の光が漏れ出し、それらが新しいナイフとして形を成す様子が見えた。

 たかが一本防いだところで無駄なあがきだと言わんばかりだ。

 

_______ガチャガチャッッ!

 突然のことに驚いたCフォースの将官たちが、メリノヒツジに向かって銃口を突きつける。今しがた命を狙われたジフィ大佐も例外ではない。

 私も大佐たちの側に立って、彼らを庇うように両手を広げながら彼女に対峙した。

 

 いま大佐たちに死なれては困るんだ。

 どういうつもりであるにせよ殺させるわけにはいかない・・・・・・でも、だからってメリノヒツジと戦いたいわけじゃない。

 敵味方に分かれていた間柄であるにせよ、いまは共にグレン・ヴェスパーを打倒する仲間であるはずじゃないか。

 

「・・・・・・メリノ、いきなり何してんだァ?」

 クズリがあっけらかんとした様子で問いかける。

 その声色にはメリノヒツジのしたことに対して否定も肯定もない。我関せずといった空気を吹かせながらその場に佇んでいるだけだ。

 クズリはどういうつもりなんだろう? 今の出来事はメリノヒツジの独断なんだろうか? 今は何とも判断がつかない。

 

 将官たちはクズリに対しても警戒の視線を送っていた。

 成り行きで合流した3人のフレンズが、実は自分たちに害をなす存在なのだとしたら、自分たちには万に一つも助かる見込みはない・・・・・・そんな絶望的な気持ちでいるのではないだろうか。

 

「・・・・・・なあニンゲン、今の状況、何かおかしいと思わないか?」

 

 メリノヒツジが指の間のナイフをクルクルと弄びながらジフィ大佐たちに問いかける。

 なぜあんな恐ろしいヒト型セルリアンに追いかけられながらも、ただの脆弱なヒトでしかない大佐たちが生き延びることが出来たのか?

 なぜ私たち3人のフレンズに偶然にも合流出来たのか?

 

「状況から考えれば答えは簡単だ。グレン・ヴェスパーが僕らを足止めするために、お前らをわざと引き合わせたのさ・・・・・・」

 

 メリノヒツジがグレン・ヴェスパーの策略を推測し語った。 

 私たち3人の力は間違いなく強大だ。スターオブシャヘル内のあらゆる戦力を用いても、私たちを排除することは簡単ではない・・・・・・そう考えたヴェスパーは、捕虜にしていた将官たちを私たちを鉢合わせることにしたのだろう、というのだ。

 

 私たち3人だけならば、圧倒的な攻撃力と素早さでもって電撃的に暴れられる。しかし大佐たちが合流した状態ではそうは行かない。彼らを守りながら動かなくてはいけなくなる。

 となれば万の兵士をぶつけるよりも、よっぽど効果的に私たちの勢いを削ぐことが出来たという結果が残る・・・・・・それがあの男の狙いなのだと。

 

「つまり我々は、君たちにとって足枷だと言いたいのかね?」

「そうさ。僕らは罠に嵌まるわけにはいかないんだ。だからお前らにはここで死んでもらう・・・・・・残念だったな。クズリさんやアムールトラならば、旧知の間柄であるお前を殺すことには躊躇があるだろうが、この僕と出会ったのが運の尽きだよ。

 もっとも、そこのファインマンという男だけは別だ。マザーユニットを操作してヴェスパー親娘の居所について調べてもらう。それが済んでから殺す」

 

「あ、あううっ!!」

 ふたたび手にしたナイフを振りかぶったメリノヒツジに向かって、大佐たちを庇うように前に出ながら呼びかけた。

「・・・・・・チッ」

 するとそれまでニヤついていた彼女の表情に苛立ちが募る。こんなに丁寧に説明しているのに、どうして聞き分けられないのだと私に向かって憤慨しているようだ。

 

「アムールトラ、お前まさか、その男たちと一緒にカコ・クリュウを助けに行きたいと思っているんじゃないだろうな?」

 もちろんそうだ、とメリノヒツジの問いかけに対して縦に頷くと「冗談じゃない」と無慈悲に一蹴する答えが返ってくるのだった。

 

「・・・・・・そのつもりなら僕たちの協力関係はこれで終わりだ」

 ジャパリのボスがどうなろうと自分たちには関係がない。私と手を組んだのは、ヴェスパー親娘を打倒するという目的が合致したからだ。だからそれ以外のことに手を貸す義理はない、というのがメリノヒツジの言い分だった。

 気持ちはわかる。ジフィ大佐たちが現れて得をしているのは私だけなんだ。

 ヴェスパーへの報復心に燃える彼女にとって、カコさんを助けようとしている大佐たちの存在は一切の得がないだけじゃなく、復讐を邪魔する余計な横やりも同然だろう。

 

「・・・・・・あううっっ」

 言葉が話せない私は黙ってたじろぐしかなかった。

 しかし、たとえ何一つ言い返すことが出来なくても、メリノヒツジに大佐たちを殺させたくない気持ちは変わらない。

「まったく、ニンゲンなんかに何を期待しているのやら。いい加減に目を覚ませよ」

 そんな私を彼女は鼻で笑うようにあざけった。

 

「さっきセルリアンの中身となっていた量産型フレンズのみじめな姿を見ただろう?

 あれがCフォースがやってきたことの成果だ。だが悪いのはグレン・ヴェスパーだけじゃない・・・・・・奴を今日まで増長させてきた周りのニンゲンの責任でもあるのさ。そんな罪深い連中を庇う価値なんてどこにある?

 ・・・・・・さあアムールトラ、早くそこをどけよ。僕らの勝利のために役立たずのニンゲンどもを殺さなくちゃいけないんだよ」

 

 メリノヒツジの言葉の節々から、個人ではなくヒトという種族そのものに対する明確な憎しみと怒りを感じる。

 彼女にとってはグレン・ヴェスパーもジフィ大佐たちも、カコさんも等しく殺意を抱く対象なのかもしれない・・・・・・そう思っても仕方がないくらい、彼女はCフォースの中でたくさんの辛い目に遭わされてきたんだろう。

 もし私が今も言葉が話せるんだったら、そんなヒトばっかりじゃないんだってことを教えてあげたい。

 ・・・・・・けれどももう、体を張って止めるしか方法がない。

 

「アムールトラ、まさか僕と戦う気かな?」

 メリノヒツジは私の目の色が変わったのを察知し、けん制するように言葉を投げかけてきた。

「たしかに僕じゃあどう足掻いてもお前にはかなわない・・・・・・すると僕はお前の胃袋に直行することになるのかな? まあそれもいい。スパイダーさんと同じ所に行けて嬉しいよ・・・・・・!」

 

 皮肉たっぷりに告げられる言葉を聞いて背筋が凍る。

 私のもっともおぞましい罪の記憶をメリノヒツジに突き上げられて、頭が真っ白になるような心地を味わわされる。

 

「ふふふっ」

 私の一瞬の動揺を見逃さんとばかりにメリノヒツジが動き出していた。

 後ろにいる将官たちを一網打尽にせんと、指と指の間に挟まったナイフを一斉に投げつけるために上半身を振りかぶった。

 

「・・・・・・フェアじゃねえな」

「なっ!?」

「口が達者なてめえが、口が利けねえヤツに向かってベラベラと理屈コネてんじゃねえ」

 

 メリノヒツジの凶行を止められないと思ったその時、何者かの影形が音もなく私と彼女の間に割り込んでいた・・・・・・クズリだ。

 さっきまで動かずに静観していたはずの彼女が、いつの間にかメリノヒツジに立ちはだかるように向き合っていたのだ。

 

_______ガシィッ! カランッカランッ!

 

 私やジフィ大佐たちが絶句する中、おもむろにクズリがメリノヒツジにずかずかと近づき、ナイフが握られた手首を握りしめた。

 剛力によって無理矢理に開かされた手のひらの間から何本ものナイフがこぼれ落ちる。するとそれらは黄金の粒子に分解され、まるで霞のように消えてしまった。

 メリノヒツジはうめきながらクズリの手を振り払い、怯むように一歩後ろに下がった。

 

「ぐっ! 何をするんですか!?」

「てめえの言い分・・・・・・もっともらしく理屈を立てちゃいるようだが、ようはてめえがニンゲンが嫌いってだけだろ? そいつをアムールトラに押し付けるのは、それこそスジが違うってモンじゃねえのか?」

 

 それはクズリがメリノヒツジに言われたことの意趣返しでもあった。

 私にスパイダーを殺された憎しみのあまりに、私と手を組むことを拒否していたクズリに、メリノヒツジは「自分の恨みつらみだけを優先させるのはスジ違いだ」と説いたのだった。

 

 メリノヒツジがハッとして額に青筋を走らせる。

 理屈を盾に自分の感情を通そうとする欺瞞を、他ならぬ自分の言葉で突かれてしまったことに憤慨しているようだった。

「でも・・・・・・だったらあなたのスジはどこにあるんですか? このニンゲンどもが僕らの重荷になるのは事実だ。それを承知でコイツらを生かしておくんですか? 僕らにとって一番大事なのはヴェスパーへの復讐だっていうのに!」

 

 にじみ出る悔しさを抑えながら、しかし問題の根本にある問いを投げかけるメリノヒツジ。

 それに対してクズリはぶっきらぼうな口調で「ああ」と即答した。

 

「オレはコイツらに加勢するぜ。カコ・クリュウも助ける。もちろんヴェスパー親娘からはケジメを取る・・・・・・それで何の問題もねえだろ」

 

 その言葉を聞いて、後ろで恐れおののいていた将官たちから安堵の声が漏れる。

 3人のうち2人が自分たちの味方をしてくれるなら、少なくとも今殺されることはないと思ったのだろう。

 

 そして私も何だか目頭が熱くなってきた。今度こそクズリと本当の仲間同士に戻れたような気がしたからだ。

 クズリはずいぶん前に一度カコさんと会っている。彼女はカコさんに付いていくことを拒否し脱走した・・・・・・それが私と彼女が別々の道を歩むきっかけの出来事でもあった。

 そんな彼女が、今やカコさんのために戦おうとしてくれている。

 

「・・・・・・ふ、そうですか。あなたには失望しましたよ」

 メリノヒツジが視線を床に落とし深いため息をついた。たった一人の味方も失って不貞腐れている様子が伝わってくる。

 そしてかぶりを振りながら吐き捨てるように語りだした。

 

「これまでのことを後悔しているんですね? 自分もアムールトラのように、カコ・クリュウに付いて行けばよかったと思っているんでしょう? 

 だから今からでもニンゲンに恩を売ろうとしているんですねェ?」

 

_______ドキャァッッ!!

 穏やかな様子を崩さなかったクズリが、無言のままメリノヒツジの顔面を殴りつけた。

 宙を舞った赤い体が錐もみ回転しながら地面に叩きつけられる。

 ・・・・・・あれでも本気ではないだろうにせよ、相当な威力の鉄拳制裁であるには違いない。

 

「後悔だと? ・・・・・・てめえオレを舐めてんのか?」

「ぐっ、ちぐしょう!」

 

 メリノヒツジが片膝を付いて顔を上げた。鼻っ柱からべったりと血を流しながら、静かに見下ろしているクズリのことを睨みつけている。

 俄かに2人の間に流れる剣呑な空気にジフィ大佐たちもざわつく。しかし下手に制裁に入ろうものなら巻き添えを食らいかねない。だから静観するしかないようだった。

 

「いったいどこに後悔する要素があるんだァ? オレはこれまでずっと、アムールトラと勝負することが人生の全てだったんだ・・・・・・負けはしたが、最高のケンカが出来たと思ってる。

 んで、今のケンカ相手はヴェスパー親娘だ。全力でやってやるよ」

 

 それが嘘偽りない心からの言葉であることは、クズリというフレンズを知っている者ならば誰でもわかるはずだろう。

 不屈にして剛直。過去を振り返ることはなく、いつだって目の前のものに真っ直ぐぶつかるだけ。それこそが彼女らしさなんだ。

 

「けどよ、勝つために敵じゃねえ奴まで巻き添えにすんのは違うだろ。そんなだっせえ方法で勝者ヅラをして良いんなら、核ミサイルを撃てる奴がこの世で一番強いってことになっちまうぜ・・・・・・?」

 

「あなたはそれで良いんでしょうけどねっ!!」

_______ガシィィッ!

 鼻血を滴らせながらヨロヨロと立ち上がったメリノヒツジが、クズリのところまで果敢に突っ込んで胸倉をつかんだ。

 仕返しのパンチでも炸裂させるんじゃないかって空気だったが、意外にも彼女がしたことと言えば、顔をクズリの間近に近づけながら大声で怒鳴ることだけだった。

 おどろいた事に彼女の瞳には涙が浮かべられている。

 

「いいですかクズリさんっ! どこまでも外道なあの親娘はねッ! あなたのそういう気性にだって付け込んでくるんだ! ・・・・・・どうしてそのことがわからないんですか!?」

 

 メリノヒツジが凶行に走ろうとする動機は、どうやらヒトへの恨みつらみだけではないようだ。

 彼女は私たち3人の中でヴェスパー親娘のことに最も詳しい。そして彼らが仕掛けてくるであろう卑劣な罠のことを最大限に警戒しているんだ。

 

「あの親娘に勝つためには、奴らを上回る冷徹さを持って戦うしかないんですよっ!」

「メリノ、てめえは奴らのほうがオレたちより強いって思ってんのかァ? てめえの目指す強さってのは、奴らの真似をすれば手に入んのか?」 

「違う! 僕はただ・・・・・・!」

 

 胸倉をつかまれながらも怒らず平然としているクズリと、感情を剝き出しにして揺さぶりながら訴えかけるメリノヒツジは、言葉の応酬以上に、視線によってたくさんの言葉を交わしているように見えた・・・・・・どうやらこの2人には思っていたよりもずっと深い絆があるようだ。

 

 クズリに対して明らかに後輩然としたメリノヒツジは、スパイダーのような対等の相棒というわけではないだろう。

 仲睦まじいわけでもなく、意見がぶつかり合うことも多い。だがそれでも当たり前のように互いの背中を守り合っている。

 ・・・・・・クズリにとってのメリノヒツジはきっと、生意気だけど放っておけない弟のような存在なのかもしれないな。

 

「ビビるんじゃねえ。オレたちは何があっても絶対に負けねえ」

「・・・・・・くっ!」

 力強く自信に満ちた叱咤の言葉に、メリノヒツジはついに心が折れたように項垂れた。

 

「・・・・・・よう、騒がせて悪かったな。話は済んだぜ」

 

 クズリが悠然と振り返り将官たちに告げると、彼らもまた真剣な面持ちで頷き、メリノヒツジに突きつけていた銃口を下ろした。

 彼らの中の一人がおもむろに額に手を当て、クズリに向けて敬礼のポーズを取った。ほどなくして他の者たちもそれに倣った。

 

「ウルヴァリン、つくづく大したヤツだ。戦士としてお前のことを尊敬するよ・・・・・・我々がお前らの足枷になるようであれば、そこのメリノヒツジの言うように、いつでも切り捨ててもらって構わない」

 ジフィ大佐が一歩前に出ると、覚悟を決めた表情で静かに告げるのだった。

 

 

 マザーユニットに隠れ潜みながら人知れず要塞を移動していた私たちは、やがてとあるポイントへと到着していた。

 ファインマン氏のハッキングにより、スターオブシャヘル内部において捕虜を収容、拘束する設備のあるエリアを無数に見つけ出すことが出来た。

 ・・・・・・そんな中でジフィ大佐たちはとある場所に目を付けた。見つかった中でも最もセキュリティが機密であり、堅牢な作りの区画だ。

 

 その場所こそ、現状で考えられる限り最もカコさんが囚われている可能性が高いという判断になった。

 カコさんはヴェスパー親娘にとっては間違いなく最上級の人質であり、何としても手の内に置いておきたい対象だと言うのが理由だ。脱走されても困るし、戦いに巻き込まれて死んでしまうような事態だって避けたいはず。

 万に一つもそんなことにならないように、特別に安全な場所に閉じ込めるだろうというのだ。

 

 私も大佐たちの見立てで間違いないだろうと思った。

 カコさんとヴェスパー家には特別な因縁がある。

 20年前、歴史上はじめてフレンズが発見されてきた時からすべてが始まった。

 カコさんの亡き父である遠坂重三さんとグレン・ヴェスパーの、フレンズに対する受け止め方の相違・・・・・・たったひとつの諍いが、今日まで続く悲惨な争いに発展してしまったんだ。

 重三さんの一人娘であるカコさんは、ヴェスパー家にとっていわば宿命の敵だ。

 だから奴らはカコさんを簡単に殺しはしない。

 生かして、自分たちの勝利を世に知らしめるために徹底的に利用するはずだ。

 

 ファインマン氏ふくめ数名の将官を後方支援役としてマザーユニット内に残し、私たち3人のフレンズは、ジフィ大佐たちと共に目的の場所に侵入することになった。

 目的地に付くまでは簡単だった。マザーユニットに入ってきた時と同じように、地面に呑み込まれ身を任せていれば、あっという間に到着してしまうのだから。

 ・・・・・・しかしもちろん、カコさんを見つけ出すためには自分たちの足で探し回るしかない。

 

 いつどこから敵が襲ってきても対応できるように緩やかな隊列を組んで進んだ。

 敵の気配を探ることに最も長けた私が斥候として先頭を行き、クズリとメリノヒツジはジフィ大佐たちを守れるように前後に分かれていた。

 

 静まり返った不気味な銀色の回廊が続いている。電気は通っているようだけれども、明かりは全体的にまばらであり、どこまで行っても薄暗かった。

 火薬の匂いも一切の破壊の痕跡もない。

 マザーユニットに送り込んでもらったことで、敵にまったく見つからずに潜入できたとは思うが、こんなに人気が無いのは却って不気味ですらある。

 ここが「特別に厳重な牢獄」であることなんて、とてもじゃないけど信じられない。

 

「ここは、来たことがある・・・・・・」と、後ろのほうでメリノヒツジがぽつりとつぶやいた。

 メリノヒツジはクズリと言い争ってからというもの、不貞腐れたように黙って一行に付き従っていた。そんな彼女がおもむろに発したその言葉に周囲の注目が集まる。

 

「この場所はイヴ・ヴェスパーが私有する研究室だ」

「な、なんだと? だとしたらおかしいぞ」

 

 ジフィ大佐がメリノヒツジの言葉をすぐさま否定した。

 ファインマン氏のハッキングをもってしても、ヴェスパー親娘の個人認証がかかっている情報は調べることは出来ない。

 だからイヴ・ヴェスパーの私室などにいきなり辿り着けるはずがない、というのだ。

 

「いや間違いない。僕は以前ここに無理矢理連れてこられた事がある!」

_______カサッ・・・・・・

 自身の意見をゆずらないメリノヒツジに周囲が困惑する中、私は曲がり角の暗闇に潜む何者かの気配を感じとっていた。

 謎の物陰はすでに私たちのことを見つけていて、柱の影から顔を出してこちらの様子をうかがっている・・・・・・そのことを察した私は、考えるよりも先に駆けだしていた。

 

 こちらが向かってくる事を察したのか、謎の気配は脱兎のごとく身をひるがえし、角の向こうへと逃げ出していた。

 ここで敵に逃げられるわけにはいかない・・・・・・あえて余力を残しながら直進した私は、曲がり角に達する瞬間に、足に溜めていた力を爆発させた。

_______パァンッ! ドシャッッ!

 一瞬で最高速に達した勢いに任せて、逃げようとする後ろ姿に向かって一足飛びで圧しかかり組み伏せた。

 

 私の下でもがく者の姿をしげしげと見る。

 その雪のような絹のような美しい白い全身に、思わずハッとさせられる。

 体格は私よりもずっと小柄だ。側頭部に生える一対の丸い耳、細長い尻尾・・・・・・フレンズであることは明らかだが、どういう身元なのかがわからない。

 ここがイヴ・ヴェスパーの実験室なのだとすると、何らかの実験を受けていた子なのだろうか?

 

「やめて! 殺さないで・・・・・・!」

「あ、あう?」

 

 白い顔貌が恐怖によってさらに青みがかっていく。

 驚いたことに、その瞳は左右で色が異なっていた。

 ありふれた黒褐色と、血液が透けているような赤・・・・・・ちぐはぐな瞳が怯えたように見開かれ震えている。

 

「一体どうしたのだシベリアン!」

 

 後ろから追いついてきた仲間たちが声をかけてくる。

 この謎の白いフレンズをどうするのかは彼らに任せよう・・・・・・そう思い、倒れた彼女の腕を後ろ手に極めたまま上半身を引き起こし、よく見えるようにした。

 

 だが彼らもまた一様に呆気に取られるのみであった。

 考えてみればそれも当然だろうと思った。彼らはセルリアン災害に対するCフォース軍の前線指揮をしていた軍人に過ぎないんだから、ヴェスパー親娘が裏で行っている実験のことなど知る由もないんだ。

 

「・・・・・・その白いフレンズも見たことがある。そいつはネズミの”ハイブリッド”だ」

 

 だがやはり、一番の事情通であるメリノヒツジは彼女のことも知っていた。「ここに一度来たことがある」という言葉が真実であることも照明されたことになる。

 

「ハイブリッド? つまり雑種のことか?」

「ただの雑種じゃない・・・・・・数多の犠牲の上に生み出された、究極の遺伝子を持つ個体だ。あの親娘が行ってきた実験の完成形なんだよ」

 

 メリノヒツジの口から”ハイブリッド”と呼ばれるフレンズの製造方法、および作られた目的が語られた。

 ・・・・・・それは彼女からこれまで語られた情報の中でも、もっとも聞くに堪えない、おぞましい、グレン・ヴェスパーたちの狂気の極致とも言える内容だった。

 

 気が付くと私の瞳からは、やり切れない気持ちが漏れだすように涙がこぼれていた。

 核実験のことといい、どうして奴らは生命という物に対してここまで残酷になれるんだろう。

 そんなことを考えていると、静かな嗚咽が止まらなかった。

 

「・・・・・・泣いてるの?」

 と、憐れな白い子が幾分か恐怖をやわらげた声色でそうつぶやいた。

 メリノヒツジがいま話している内容が、自身のむごたらしい出生の経緯であることさえも、彼女にはわからないのだ・・・・・・。

 私は彼女を気遣うように腕をほどき、そっと立ち上がらせた。

 

 共に話を聞いていたジフィ大佐たちも一様に表情を険しくしている。中には口元に手を当てて吐き気を我慢している者さえいた。

「メリノヒツジ・・・・・・本当にすまない。我々はなんという恐ろしい所業に手を貸してきたのか。これじゃ君が人類に憎しみを抱くのも必然だ!」

 

 大佐がメリノヒツジに向かって平身低頭して謝罪した。

 だが彼女は「僕にそんなこと言っても意味はない」と、そっぽを向いて一蹴するだけだった。

 

「しっかしよォ」

 クズリがおもむろにメリノヒツジに近寄り、後ろから肩にポンと手を置いて話しかけた。

「何だってそこまで色々くわしいかね? オレとずっと一緒に行動してたはずだってのに」

 

「バトーイェの戦いでは別れていたでしょう。グレン・ヴェスパーの本命であるあなたは、アムールトラと戦わさせるためにVR漬けにされていましたが、僕は起きたまま色々と聞かされるハメになったんです。このことを話せば長くなるんですがね・・・・・・

 まあ奴らは、ほんの戯れのつもりでベラベラと機密を話してきたんでしょう。僕のことを使い捨ての消耗品ぐらいに思っていただろうからね」

 

 自嘲的な笑顔で振り返り、苦々しい思い出を回顧するメリノヒツジ。

 しかしクズリは、それに対して言葉を返すことなく固まっていた。

 

「・・・・・・どうかされましたか?」

 怪訝に問いかける声を聞いてクズリの体がびくりと震える。そして「いや、別に」と何気ない返事をしてからメリノヒツジから離れた。

 今しがた、ほんの一瞬だけクズリの意識が飛んでいたように見えたのは気のせいか? あまりにわずかな間のことで、私とメリノヒツジ以外に気付いた者はいないだろうが・・・・・・

 

 私たちはまずこの白いフレンズから事情を聞いてみることにした。

 彼女は記憶がなく、自分の名前さえも知らなかった。そもそも彼女が目を覚ましてからまだそんなに時間が経っていないようだ。

 ここからほど近い区画にある、虹色の溶液に浸された水槽にて覚醒したという。

 ・・・・・・おそらくはサンドスター調整槽のことだろう。

 私たちがスターオブシャヘル内部で暴れたことが影響して、偶然に眠りから覚めることになったのかもしれない。

 

 わけもわからず目を覚ました後、混乱のさなかに放り出されながらも辺りのことを探っていたというのだ。

 話を一通り聞いた後、ジフィ大佐たちは彼女の処遇を決めたようだ。

 私たちに敵意がないことは明らかだったので、一緒に連れて行こうという判断になった。

 

「君以外にここにフレンズはいるか」と最後にジフィ大佐が尋ねる。

「ううん、いない、でも・・・・・・」

 

 白い子は言い終える前にバッと後ろを振り返り駆けだした。

「・・・・・・来て! こっちに来て!」

「待て、どこへ?」

 血相を変えて手招きしようとしてくる彼女を追って、私たちは相変わらず人気のない薄暗い回廊を進み続けた。

 

 左右の壁はガラス張りになっていて、向こうにある部屋の様子がよく見える。

 うず高く重なる計器類。複雑に絡み合った配線・・・・・・進めば進むほど、ここが研究室なのだということが分かる様相になっていった。

 サンドスター調整槽とおぼしき虹色の液体が満ちた容器もいくつか見かけた。どうやら中身は空っぽだったようだが・・・・・・。

 

「この研究室には無数の量産型たちが眠っていた」

 

 走りながらメリノヒツジがまた語り出す。

 その多くはバトーイェ山脈での戦いに駆り出された。またいくらかは先刻戦った「ヒト型セルリアン」の素体として使用された。

 生き残りが何人残っているのかもわからない。メリノヒツジが言葉巧みに戦場から逃していた子たちが生きていてくれたらいいが。

 

 目の前を走る白い子が、どうして今までここに取り残されていたのかというと「究極の遺伝子を持っている彼女に、究極の戦闘データを移植する」という計画があったためらしい。

 つまり”進化態”のデータだ。グレン・ヴェスパーは彼女の体を使って、私かクズリの戦闘能力をコピーしたかったようだ。

 しかしそれは、私たちが組んで反乱を起こしたことで実現しなかった・・・・・・結果として、何の罪もないこの子を助けることが出来た。それだけでも不幸中の幸いと言うべきかもしれない。

 

「あれ!? お、おかしい・・・・・・!」

 白いネズミの子が行き止まりの壁で足を止めると、動揺しながら壁をドンドンと叩き始めた。

 追いついたジフィ大佐が何をしているのかと尋ねる。

 こんな所に壁なんてなかった。この先に部屋が続いてた、という返事がかえってきた。

 新たに壁が出現するなどということは、普通に考えれば非現実的だったが、この変幻自在の要塞スターオブシャヘルならば勿論あり得るだろう。

 

「この先でヒトが倒れてて・・・・・・でもどうしたら良いか分からなくて・・・・・・そのヒトのことも助けてほしくって!」

 生まれたての赤子に等しい彼女が、喋りなれない舌足らずな口調で状況を説明してくれる。

 倒れているヒトとは誰だろう? まさかいきなりカコさんと対面できるのだろうか? だとしたらとても幸先がいいのだけど・・・・・・

 

「血の匂いがぷんぷんするなァ」

 クズリがおもむろにそう告げると、異形の右手を顔の横で構えた。すると数十センチもの鋭い鉤爪が指から「ジャキン」と飛び出した。

 その剣呑な様子を見て仲間たちが道を開けると、クズリは壁のすぐ手前に近寄って足を止めた。

 

「目立つようなことは控えてくれ」

「わかってらァ大佐。コッソリやりゃいいんだろ」

 

_______ゴリッ・・・・・・ベキベキッ・・・・・・

 クズリが鉤爪をそっと壁に突き入れる。そして宣言した通りに、少しずつ右手を動かして壁を切断していった。

 分厚い金属性の壁がまるで食パンのように引き千切られ、あっという間にヒトが潜り抜けるのに十分な穴が開けられた。

 

 こじ開けた穴の向こうに通じていた部屋は、およそ何のためにあるのかわからないほど殺風景な一室だった。

 何かを研究するための設備もなければ、生活の気配を漂わせる家具すらない。四角形の容器の中に入れられたような気分になる場所だ。そして他の区画よりも一段と暗かった。

 

「・・・・・・真っ暗だな。何も見えない」

 ジフィ大佐が一人ごちる。ヒトならばそうであろうが、夜目を持つネコ科の私には何とか目の前が見える程度の暗さだ。

 

 クズリの言う「血の匂い」を放っている者の居所を探っていると、部屋の隅っこ当たりに横たわる何者かの姿を見つけた。

 全体的な体つきから女性ではなく男性だとわかる。どうやらカコさんでないことだけは確定だ。

 血がにじんだ灰色の衣服を身にまとった男が、四肢を力なくグッタリと投げ出していた・・・・・・良く見ると右足の膝から下が欠損している。

 不審に思いながら視線を流し、その男性の顔を確認しようとした。

 

 ひどく戦慄した。見間違いでなければ、私がよく見知っている顔と符号しているからだ・・・・・・でも知らされている限り、そのヒトの生存は前々から絶望視されていて、私も再び会えるとは思っていなかった。

 他人の空似の可能性もある。いくら私が夜目が利くからといって、暗闇の中では正確に物を見ることは出来ないからだ。

 

_______チカッ

 暗闇のなか茫然自失のまま立ち尽くしていると、大佐たちが懐中電灯をつけて辺りを照らし、倒れている男の姿を完全にあらわにした。

 私は今度こそ、目の前の相手が懸念していた人物であると断定せざるを得なくなった。

 

 ・・・・・・ぼろ雑巾のような姿で横たわっていたのは、ヒグラシ所長だった。

 

「こ、これはひどい! 全身傷だらけだ!」

「この顔を見たことがあるぞ。確かトーキョーの研究所の所長をしていた男じゃないか? 一年以上前に組織を裏切ったと報じられていたが」

 

 大佐たちが明かりを当てながら所長の体をあらためる。

 刺し傷、切り傷、無数の打撲痕・・・・・・さまざまな道具を使い、さまざまなやり方で長期間にわたって相当な拷問を受けたことは明らかなようだ。

 すでに呼吸はなく、事切れてしまっているという。まだ死後硬直は始まっていないことから、ほんの少し前までは生きていたらしい・・・・・・

「もう少し早くここに来られていたらな」と、ジフィ大佐が無念そうに告げた。

 

 カルナヴァル長老と共にCフォースに攫われたヒグラシ所長。

 後に長老が裏切者であると発覚したことで、所長の生存は絶望的だとされていた。

 でも今日この日まで、このスターオブシャヘルで生きながらえていたんだ。ひどい拷問を受けながら・・・・・・

 

「あ、ああ・・・・・・わああああああっっ!!」

 

 悲痛な慟哭を上げたのはメリノヒツジだった。

 血相を変えて所長の亡骸まで歩みよると、魂が抜けたようにガックリと膝を付いて項垂れた。

「ううっ、ううっ・・・・・・ごめんなさい」

 そしてもの言わぬ所長の顔に額をすり寄せて、大粒の涙をこぼして泣き出した。

 ・・・・・・明らかに他の誰よりも、この私よりも深い悲しみに打ちひしがれている。

 

 彼女のこんな姿を見るのは初めてだ。

 一体何が起きているんだ? 唐突な変貌と言うほかはない。兵士たちを笑いながら虐殺していた恐ろしいフレンズと同一人物とはとても思えない。

 冷徹にして非情。相手を丸め込む弁舌にも長け、さらにはヒトという種族そのものを憎んでいる節さえある彼女が、ヒグラシ所長を前に、まるで幼い子供のように感情をあらわにしている。

 

「アムールトラよォ、メリノがどこで生まれたか知ってるか? アイツはオレやてめえと同じように、ヒグラシに作られたフレンズなんだぜ」

「あ、あうっ!?」

「・・・・・・ま、生みの親に死なれるってのはやっぱキツイわな」

 

 ぶっきらぼうに事情を説明してくれたクズリもまた、憂鬱で心ここにあらずといった感じだ。

 付き合いの長い彼女のこんな顔を、私は今までに一度も見たことがない。

 クズリは私よりも早い時期にヒグラシ所長の手で生み出されたフレンズなんだ。

 いちいちぶつくさと反抗的な態度を取る彼女に対して、所長はいつも困ったように受け答えしていたっけ・・・・・・

 

「思えば随分変わったもんだぜ」

 クズリは泣き崩れるメリノヒツジを見ながら、彼女と初めて出会った頃のことを話してくれた。

 元来の彼女はとても臆病で弱弱しく、戦いの世界で生きていけるような子ではなかったという。今のような残虐さも冷徹さも、かつては影も形も無かったらしい。

 感情をさらけ出して幼子のように泣き続けるメリノヒツジが、出会った頃の彼女と重なるように見えるそうだ。

 ・・・・・・よくよく複雑な性格をしているフレンズだ。

 

 かつてのメリノヒツジにとっての唯一の希望は、本を読むことだったという。

 Cフォースのフレンズとして辛い日々を送っていた彼女は、空想の世界に逃げ込むことで何とか生き忍ぶことが出来ていた、というのだ。

 そんな彼女に読み書きを教えたのは他でもない、ヒグラシ所長だったというのだ。

 今のメリノヒツジは、生きる希望を与えてくれた相手の死に直面しているんだ。

 

 そういえば、けっきょく実現はしなかったけれど、所長は私にも読み書きを教えたがっていた。

 フレンズがこの世界で生きていくために絶対に必要になるから、と。だからフレンズに勉強を教える学校を作りたいというのが所長の夢だった。

 

 彼が夢を抱くに至った理由は、過去にとあるフレンズに読み書きを教えて、とても感謝されたことだったという。

 ・・・・・・そうか、メリノヒツジのことだったんだな。

 所長が生きて夢を叶えてくれれば、彼女だけでなく、フレンズが当たり前に読み書きができる世界が来たのかもしれない。

 

「弱っちいヒツジが、てめえのキバを死に物狂いで研ぎやがった・・・・・・本当に大したヤツだぜ」

 

 こう見えてクズリは、昔から相手の長所を認める素直さを持っている。一度認めた相手には義理堅く信を置くタイプだ。

 だが照れくさいのか、相手への好意を直接口にすることは基本的にない。太陽が西から登るぐらいあり得ないことだ。

 そんな彼女が、面と向かってではないにせよメリノヒツジを称賛している。

 

 だがクズリの身になってみれば少し気持ちがわかる気がする。

 生まれながらにして力も精神も類まれに強い彼女は、弱さという概念を経験したことすらないはずだ。

 だとしたら、メリノヒツジのように弱さを乗り越えて強さを手にいれるというのは、クズリにはどう足掻いても出来ないことのはずなんだ。

 ・・・・・・ここまでの話を聞いて、二人の関係性というものがおおよそわかった。

 

「あうっ」

「何だァ? オレの顔に何か付いてるか?」

 

 言葉が話せないのが本当にもどかしい。

 クズリに言ってあげたかった。メリノヒツジがこれまで生きてこれたのは、きっと君が傍にいたからだと。

 見ていればわかる。メリノヒツジがクズリに見せる尊敬は本物だ。

 優しく弱かった彼女は、目標とする存在に出会えたからこそ、その背中を追いかけることでどんな苦難をも乗り越えることが出来たんだ。

 

「・・・・・・ま、いいや。そろそろアイツのケツ叩くとすっか」

 

 クズリが物憂げな表情のまま私から目をそらし目蓋を閉じる。

 しかし次に目を開けた時には、一転して不屈の闘志を瞳に宿らせ、そして悲しみに暮れるメリノヒツジに歩み寄った。

 

「行こうぜ。今のオレ達がヒグラシにしてやれることは敵討ちだけなんだからよ」

「・・・・・・」

 淡々と現実を告げるクズリ。しかしメリノヒツジはその言葉が耳に入っていないかのように膝を付いて泣きはらしたままだ。

 

「・・・・・・僕はヒグラシ所長を見捨てたんです。それだけじゃなく、ひどい言葉までかけて罵った。すべては進化促進薬を手に入れるために! ・・・・・・・ありのままの僕を唯一認めてくれたこのヒトのことを!」

「なんだとォ?」

 

 進化促進薬というフレンズに強大なパワーをもたらす劇薬。

 メリノヒツジは運よく手に入れた切り札を、戦場で死ぬ思いをしながらも使うことなく温存し、けっきょく自分にではなくクズリに打ったという話だった。

 クズリにとっては僥倖だった。促進薬があったからこそ、暴走した私によって殺されかけた状態から生き返ることが出来たのだから。

 

 バトーイェ山脈での戦いが始まる直前、メリノヒツジはここイヴ・ヴェスパーの私設実験室に監禁され、イヴから様々な機密情報を聞かされたという。

 そして最後に、進化促進薬の実験台となるように持ちかけられたようだ。

 イヴ・ヴェスパーの指示によると、進化促進薬をその場で投与するのではなく、戦場において自分の意志でタイミングを見計らって投与するように言われたようだ。

 その話を飲んだメリノヒツジに対してイヴは、拷問され酷い姿になったヒグラシ所長と引き合わせたそうだ。

 

 メリノヒツジはこう思ったようだ。イヴに弱さや情を見せれば進化促進薬は手に入らず、外に出してもらえる機会すらも永遠に失うと。

 だから泣く泣く非情に徹し、ヒグラシ所長に冷たい言葉を投げかけて突き放したようだ。

 ・・・・・・しかしヒグラシ所長はメリノヒツジに恨みごとひとつ吐かず、逆にCフォースのフレンズとして苦労を背負わせてしまったことを彼女に詫びたそうだ。

 

「どの道てめえにゃどうすることも出来なかったんだろうが! だったらその悔しさを奴らにぶつけるしかねえ! 立て!」

「これは悔しさじゃない。罪の意識なんです・・・・・・あの時の僕にはヒグラシ所長の強さと優しさがわかっていなかった」

 

 私は知っている。ヒグラシ所長がどれほどの後悔を背負いながらグレン・ヴェスパーの手下として過ごしてきたかを。

 自身の善意に従ってパークに寝返ると決めた時の勇気と覚悟も。

 そして彼はメリノヒツジの内面に深く寄り添っていた・・・・・・かつて私にそうしてくれたのと同じように。

 彼は最後まで彼らしかったんだな。

 

「あう・・・・・・」

 

 ヒグラシ所長に最後の別れを告げんと、泣き続けるメリノヒツジごと亡骸を抱きしめた。

 突然覆いかぶさってきた私にメリノヒツジは一瞬驚いてビクついたが、気持ちを察してくれたのか、結局はされるがまま動かないでいた。

 

 熱く震える彼女と対照的な、しんと冷たくなった所長の体温・・・・・・しかし、思ったほどのものではなかった。

 死後硬直すら始まっていない、ほんの少し前まで生きていたというジフィ大佐の見立てはどうやら本当の事みたいで・・・・・・

 

「あうっ!」

「悼むんなら静かにやれよ」

 

 メリノヒツジに顰蹙を買ってしまったが、私はとある予感に驚きを隠せなかった。

 ・・・・・・なぜなら、死体の冷たさってのはこうじゃないからだ。

 もっと無機質で、生きていた頃の面影がまるで無くなってしまうんだ。

 それは体温のような数値化できるモノでは決してなく・・・・・・言葉ではうまく説明できないけれど、想像もつかないほど遠くに行ってしまった感じがすることを私は知っている。

 

 直観でしか断じることは出来ないけれど、ヒグラシ所長はまだ死んでしない。

 限りなく死に近い状態だとは思うけれど、彼はまだ”ここにいる”。

 そう直観した私は、抱きしめた所長の体に手のひらを押し当てた。

 

(生きながら大極に至り、相手の精神に入り込むことが出来る・・・・・・あらゆる先人が成し得なかった、おめェだけの奥義だ)

 

 ゲンシ師匠も太鼓判を押してくれた、私の”ふたつめ”の能力。今こそあれを使うべき時だ。

 心をなくして暴走する進化態の力ではなく、師匠から受け継ぎ、磨きぬいた末に会得した私の真の奥義を・・・・・・

 こんな鉤爪の生えた醜い手で出来るかは知らないけれど、所長の命を救えるかもしれない唯一の手立てを試さないわけにはいかない。

 メガバット相手に2回だけ使ったことがあるけれど、2回とも無我夢中だった。意図的に使うのはこれが初めてだ。

 だが・・・・・・きっとできるはずだ。魂が暗闇のかなたへと飛んでいくさなか、自分自身を勇気づけるように反芻した。 

 

_______ブゥンッ

 

 肉体の枠から抜け出した私は、一筋の光となってヒグラシ所長の精神世界を駆け巡った。

 実に奇妙な場所だ。暗い空の下、灰色の地平線がどこまでも続いている。

 大地は灰色一色ではなく、よく見ると無数のモノクロ写真が寄せ集まったパッチワークだった。

 

 写真を見ていると、ヒグラシ所長のこれまでの人生が脳裏に流れ込んでくるようだった。

 フレンズにまつわる出来事、運命を狂わされた上司グレン・ヴェスパーとの関わり、そしてそれ以外のあらゆる人生の途上の記憶・・・・・・

 やはりメガバットの精神に入った時と同じだ。この技を発動したからには、相手の記憶をまるで自分のものであるかのように共有してしまえるんだ。

 

 気が付くと記憶の奔流に飲まれ、相手と自分の境が分からなくなってしまう。

 だが今は所長の人生を追体験している暇はない。

 こうしている間にもパッチワークの大地があちこち崩れ落ちて行っている。まだ完全に崩壊してはいないが、一刻を争う時だろう。

 やるべきことはわかっている。どこかに所長がいるはずなんだ。見つけ出して、ここから連れ出すことが出来れば・・・・・・!

 

「ヒグラシ所長! どこにいるんだ! 返事をしてよ!」

 

 言葉を失ったはずの私が、大声を張り上げて叫んでいる。

 でもそれも当たり前だ。今の私は”意”だけしかない。現実の肉体がどうなっていようが関係がないんだ。

 

_______ズズッ・・・・・・

 灰色の大地の上で何かが動いた。周りの全てと同じように写真の寄せ集めのような姿だったが、確かにヒトの形をしている物体だ。

 ゆらりと立ち上がり、そして助けを求めるように天を仰いだ。

 

_______ゴゴゴゴッッ・・・・・・

 だが、彼が立っている大地はもう持ちそうになかった。

 地平線の向こうから猛烈な勢いで崩れ去り、彼の足元にまでまもなく達しようとしていた。

 

「・・・・・・お父さんっっ!!」

 無意識のうちに湧いて出た言葉を絶叫しながら、立ち尽くす彼のいる場所まで矢のように飛んで行った。

 思えば人生で初めてこの言葉を使ったかもしれない。

 

「アムール、トラ・・・・・・?」

 漆黒の空の上を浮遊していると、腕の中に抱え込んだ所長が私の名を呼ぶ声が聞こえた。

 その体は相も変わらず、無数の写真が集まってヒトの形を成しているものだった。

 これらの写真は、私にまつわる彼の記憶が形になったものだ・・・・・・そんなことも今の私には手に取るようにわかる気がした。

 

 間一髪で救出することができた。後は明るい所を目指してどこまでも飛んでいくだけだ。

 そう思い天高く飛び上がろうと力を込める・・・・・・だがしかし、抱きかかえている所長の体がとても重くて持ち上げられない。

 このままじゃ2人して死の深淵に呑み込まれてしまう。

 

「・・・・・・僕のことはもういいんだアムールトラ。君はここにいるべきじゃない。最後にもう一度だけ、謝らせてくれ」

 

 死に呼ばれている。所長もそれを受け入れている。だからこんなに重たいんだ。

 拷問によって長いあいだ苦痛に苦しめられ、生きることをあきらめてしまった所長が、私たちへの罪悪感だけを胸に抱いて永遠の眠りに付こうとしている。

 ・・・・・・このヒトのことを、そんな風に終わらせてなるものか。何か言葉をかけるんだ。

 精一杯はげまして揺り起こしてみせる。

 

「私に夢を持てって言ってくれたじゃないか! あなたにだって夢があった! それを叶えないまま向こうに行ってしまうのかい!?」

「・・・・・・僕の、夢・・・・・・」

「そうだよ! フレンズたちの学校を作りたいんだろう!? 私にも読み書きを教えてくれるって言ったじゃないか! ・・・・・・フレンズがこの世界でヒトと生きていくために、所長の助けが必要なんだよ!」

 

_______ベリッ・・・・・・

 ヒグラシ所長の体に纏わりついていた無数の写真が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。

 するとそれに応じて、少しずつ体が軽くなっていくような気がした。

 やがて内側からのぞかせた彼の素顔と目が合った。

 生死の境をさまよう彼が、消え入りそうな微笑みを私に向けてきた。

 

「・・・・・・さあ、行こう」

 その笑顔を見て、もう大丈夫だと思った。お別れの挨拶ではなく、再び生きることを決意した顔であると思った。

 所長の魂を包み込み、ひとつの光に溶け合いながら来た道を逆戻りする。

_______カハッ

 やがて肉体に重力が取り戻された時、冷たい体を震わせる所長が、勢いよく息を吐き出した。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:53歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官
「ジェームス・F・ゴードン(James Feynman Gordon)」
年齢:72歳、性別:男、職業:Cフォース本部 防諜担当副次官

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「大極変化(だいきょくへんげ)」
使用者:アムールトラ
概要:
 勁脈打ちに続くアムールトラの二つ目の能力。
 魂を物質世界から解放することで、他者と魂を重ね合わせることを可能とする。
 ひとたび発動すれば、魂を重ね合わせた相手の記憶や感情をすべて読み取ってしまうなど、高次元の知覚能力を得ることが可能となる。
 完全に死んでいない肉体を持つ魂であれば、呼び止めて蘇生させることが可能。裏を返せば強制的に死の淵に追いやることさえも行える。
 相手の生殺与奪を握ることが出来る無敵の能力ではあるが、無制限に流れ込んでくる情報に耐えきれなかった場合、アムールトラ自身も精神崩壊を起こすリスクが生じる。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章34 「あおぞらへのいし」

 

「この男、あんな状態から生き返るとは・・・・・・奇跡としか思えん」

「だが酷い状態であることには変わりない。早く運ぼう」

 

 ジフィ大佐たちは突然息を吹き返したヒグラシ所長に慌てふためきながらも、てきぱきと応急処置を施した。

 あちこちに止血包帯が巻かれ、口元に携帯型の酸素マスクが当てられた所長は、将官たちの中でも最も体格の良い男が背負うことになった。

 所長の浅かった呼吸が心なしか穏やかになってきている。

 

「・・・・・・」

 メリノヒツジは泣きはらした顔をぬぐいながらも、だんだんと表情に険しさを取り戻していた。涙と一緒に自分の弱さをも拭い去って、再び冷酷な戦士に戻ろうと努めているように思える。

 

「メリノ、これでアムールトラに借りが出来たなァ」

「・・・・・・え?」

「アイツがヒグラシを蘇らせたんだぜ。たぶんだけど、二つ目の”先にある力”を使ってな」

 

 クズリが後ろからメリノヒツジの肩を叩き、私に横目で視線をやりながら告げる。メリノヒツジも驚いた顔でそれに倣った。

 ・・・・・・クズリの観察眼はさすがだ。

 私の技のことは知らなくても、所長を救うために行動を起こしたことだけは事前に見抜いてしまっていたのだろう。

 

「アムールトラ、お前は・・・・・・」

 メリノヒツジは無言のまま私のほうに向きなおって、神妙な表情で目を細めた。

 弁の立つ彼女には珍しく言葉が見つからない様子だ。

 私に対して素直に礼を言ったりするような気持ちにはなれないんだろう。かといってこれまでのように冷徹な態度を貫き続けることにも葛藤が芽生えているように見える。

 

「さあ、出発するぞ」

 ジフィ大佐が懐中電灯を暗闇に向けながら号令をかける。

 いまだ意識が戻らず重傷を負っているヒグラシ所長を連れて戦うことは出来ないので、とりあえずファインマン氏がいるマザーユニットへ戻ろうという流れになった。

 ハツカネズミの証言が正しいならば、ここに所長以外のヒトはいないはず。

 所長をマザーユニットに匿ったのちに、カコさんの探索を一からやり直すしかないだろう。

 

 そんな見解で場が一致し、クズリがこじ開けた通り穴の方へ向き直る。

 ・・・・・・思えばこの部屋の間取りは不自然極まりない。

 私たちが今いるこの区画はイヴ・ヴェスパーの私設ラボだという話だった。

 確かにこの部屋以外は研究室らしき様相の設備の部屋が続いていた。

 だがヒグラシ所長が倒れていたこの部屋は、一切物が置かれてない四角い箱の中に等しいような空間で、照明すら一つとして存在していない。

 

「・・・・・・待て、おかしいぞ」

 ジフィ大佐たちが向ける懐中電灯の光が、壁に突き当たって行き止まる。

 たとえ明かりのない部屋であっても、通り穴からは多少の光が漏れ出ていた。だから一目で目に付くはずだった。

 だが、穴はいつの間にか消失してしまっており、部屋が完全な密閉空間と化しているのだ。

 

 スターオブシャヘルは変幻自在の要塞。壁や床が現れたり消えたりすることは当然のことだ。しかしそれは言うまでもなく、要塞をコントロールする者の意志が介在しているはずであり・・・・・・

 この事実が意味することは一つしかない。敵がこちらを補足しているんだ。そして間もなく攻撃を仕掛けてくる。

 

「穴なんかもう一回開けりゃいいんだろうが!」

 

 肌を刺す危険な予感に誰もが息を飲むなか、ただ一人恐れ知らずのクズリが前に躍り出て、壁のそばで異形の右腕を振りかぶった。

 正しい判断だ。この密室に長居し続けるべきじゃない。いっこくも早く出るべきだろう・・・・・・

 

 だがクズリの背後に、とつじょ忍び寄るようにして接近する姿が見えた。

 白く小柄な体躯・・・・・・ネズミのハイブリッドと呼ばれたあの子だ。

_______ザキュッッ!

「なんだァッ・・・・・・!?」

「く、クズリさんッ!」

 ハイブリッドはクズリの背中目掛けて、迷いのない手つきで手刀を繰り出し、いとも簡単に刺し貫いてみせた。

 

 不意の強烈な一撃をまともに食らったクズリが、腹部から大出血しながら膝を付いた。

 きっとその場にいる誰もが目を疑ったことだろう。

 私もクズリも敵の殺気を事前に読むことは出来る・・・・・・だがそれは敵だと認識し注意を向けている相手だけだ。

 無垢で憐れなこの子が敵だなんて予想すらできなかった。

 私たちに近づいてきたのは演技だったというのか? あの恐怖に震えた青白い顔が演技だったとは到底思えないのだったが・・・・・・

 

「コイツは敵だっ!」

 将官たちの手に握られた懐中電灯が、ハイブリッドを補足せんと一斉に動き出す。しかし彼女はそれを素早い動きで躱し、音もなく闇に紛れてしまった。

 彼女はネズミの一種という話だった。それならば納得のすばしっこさと言ったところだろうか。

「銃は撃つなッ!」とジフィ大佐があわてて声を張り上げる。このような狭い空間で銃を撃てば、跳弾によってたちまち自分たちに危害が及ぶからだ。

 

「・・・・・・クソッ、殺してやる!」

 メリノヒツジが憎々し気に毒づく。クズリを傷つけられたことに対する怒りに燃えている。

 だが彼女も大佐たちと同じく動くに動けない状況のはずだ。

 草食獣である彼女はきっと夜目が利かない。暗闇に紛れる相手を見つけることからして難しいだろう。

 槍などのリーチに優れた武器を生成して戦う戦闘スタイルも裏目に出てしまう。下手に攻撃すれば味方を巻き込む恐れがあるからだ。

 

(ここは私が!)

 

 集中力を研ぎ澄ませたことによって、ほどなくして闇に紛れるハイブリッドの”意”を察知することが出来た。夜目がそれに遅れる形で彼女の姿をうっすら写し出す。

 ・・・・・・彼女は天井に張り付きながら移動していた。ごくごく僅かな音を立てながら行われるその動きには、私以外の誰も気付いてはいない。

 

 やがてハイブリッドは動きを止めた。

 ちょうどメリノヒツジの真上の天井に陣取りながら、片手だけ天井から離して振り返り見下ろしている。

 メリノヒツジを標的に定めて、必殺の一撃を狙っているのが明らかにわかる動きだ。 

 

 ほどなくして白い子は鋭い矢のような殺気を下に向かって伝わらせると、それをなぞるようにして飛び降りてきた。

 ・・・・・・予想通りのタイミングだ。あれなら捕まえられる。

 

_______ブォンッ!

 横から飛び出してハイブリッドの白い体をかっさらう。

 2人してもんどり打つように地面に転がると、彼女が再び動き出すことがないように力強く羽交い絞めにした。

「ああっ! わああああっ!」

 私から逃れようとハイブリッドが奇声を上げながら激しくもがく。小柄であるはずの体からは信じられない程の力で手足をバタつかせている。

 

「し、シベリアン、よくやった!」

 騒ぎを察知して仲間たちが懐中電灯を向けた。私の腕の中で暴れる白い体に光が集まってくる。

 

「死ねよ」

「待て、まだ殺すな!」

 

 メリノヒツジが槍の切っ先をハイブリッドの眼前へと突きつける。

 だがジフィ大佐が何か気付いたような声色でメリノヒツジを制止し、白い子の顔をまじまじと観察した。

 

「目まぐるしく動く血走った眼球、開ききった瞳孔・・・・・・まるで薬物中毒者のようだ」

 

 どう見たって正気の顔をしていない、というのがジフィ大佐の見立てだった。

 ハイブリッドは今もなお叫びながら腕の中で激しくもがいている。というより、手足をただめちゃくちゃに動かしている。

 私から逃れようとか反撃に転じようとか、何かの感情や目的が感じられるような動きではない。 

 

 やっぱりこの子は敵じゃないのかもしれない。

 理由はわからないけど、正気を無理矢理失わされて、彼女の意志とは関係なしに私たちを襲っているんだとしたら・・・・・・。

_______グギュウウッッ

 殺すべき相手なのかどうかは判断が付きかねる。だからとりあえず、締め落として意識だけ奪うことにした。

「そうだな、それが良い」

 私の意図を察したジフィ大佐がうなづく。

 締め落としは相手がセルリアンでもない限り確実に利く技のひとつだ。

 

「うぐああああっ! ぐっ! ううっ・・・・・・」

 たった10秒間ばかりハイブリッドの首を締めていると、ばたつかせていた手足がパタリと落ち、苦しそうな呻き声も完全に収まった。

 

「クズリさん! 大丈夫ですか!?」

「・・・・・・ケッ、てめえは大袈裟なんだよ」 

 心配して駆け寄るメリノヒツジに対してクズリはぶっきらぼうに返事をしている。

 大した傷ではないような声色ではあるが、暗がりに映る荒い息を吐く彼女の姿は、いまだにうずくまったままで立ち上がることが出来ないでいるようだった。

 

 クズリが動けないなら、私が彼女の代わりになるべきだ。

 白い子を無力化した所で問題は何も解決してはいない。

 一刻も早くここをでなくては・・・・・・と思い、意識をなくしたハイブリッドから離れ、壁を打ち破ろうと腕を振りかぶったその時だった。

 

_______カッッ!

「あ、あうっ!?」

 懐中電灯のか細い光しか明かりがなかった部屋が閃光に包まれた。

 まるでトンネルの中から青空に抜け出たように、暗闇に慣れていた瞳に光が焼き付いて視界が奪われる。

 

≪・・・・・・ごきげんよう、諸君≫

 

 いまや部屋中が光に溢れていた。

 そして華美な椅子に座った一人の男が光に照らされながら、低く落ち着き払った声で私たちに呼びかける姿が見えた。

 正面の壁だけじゃなく、天井や壁にも同じ男の映像が映っている。

 冷たく暗い金属の箱のように思われたこの部屋は、いまや一面一面が巨大なモニターと化しているんだ。

 

 モニターに映る男の顔を私は知っている。

 初めて見たのは、メガバットの記憶を覗きこんだ時だ。

 実験と称して彼女を失明させた時のコイツの楽しそうな顔が脳裏に焼き付いている。

 それからも数えきれないほどの悪行を重ねたこの男への怒りを、今日この日に至るまで忘れたことはない。

 怒りを覚えているのは私だけじゃないだろう・・・・・・きっとこの場にいる全員だ。

 

「グレン・ヴェスパーッッ・・・・・・!!」

 

 メリノヒツジが殺意に満ちた表情でその名前を叫んだ。

 しかし呼ばれた当の本人はほくそ笑みながら黙殺し、その場にいる私たちを万遍なく見下ろすかのごとく居丈高に椅子の上でふんぞり返っている。

 

≪控えるがいい。君たちは絶対的支配者の御前にいるのだ≫

「我々はお前の支配など認めないッ! Cフォースは人類をセルリアンから守るための組織だ! 今こそ組織の腐敗を正してみせるぞ!」

≪フッ・・・・・・私に雇われた兵隊でしかない者たちが、すいぶんと付け上がったものではないか≫

 

 果断に反抗する意思を示す大佐たちを見て、グレン・ヴェスパーはすべてを見透かしたように鼻で笑った。

≪カーネル・ジフィ。君たちの目的は既に知っている。私を追い落とすために組織を割ろうとしているのだろう。

 ・・・・・・そしてその為の旗印となる人物を求めている。違うか?≫

 

_______パチンッ

 

 グレン・ヴェスパーが指を鳴らすと、画面の外側から新たにヒトが入ってきた。

 妙齢の女性だ。白衣の下に黒いワンピースドレスを纏い、しゃなりしゃなりと歩いてくる。 

 あれは確かイヴとかいうグレンの娘だ。その整った顔立ちも金髪碧眼も、父親と同じ遺伝子を持っていることをはっきり示している。

 

_______ズリッ、ズリッ・・・・・・

 グレンの傍らに立ったイヴに続いて画面に入ってきたのは2人の屈強な兵士だ。

 2人がかりで乱暴に誰かのことを引きずっている。

 後ろ手に手錠をかけられているそのヒトは、振り乱した長い黒髪によって顔が隠されてしまっていたが、どうやら女性であるようだった。

 

 女性はグレンがふんぞり返っている座椅子の傍に連れていかれ、そして無理矢理に跪かされた。

≪さて、これは誰だと思うかね≫ 

 ほくそ笑むグレンが、倒れている女性の長髪をひっつかみ、私たちに見せつけるように引き起こした。

 

 ・・・・・・ずっと会いたかった。しかしこんな場面では最も会いたくなかった相手の顔がそこにはあった。

「あ、あうあぁぁッッ!!」

 頭が真っ白になって彼女の名前を叫んだ。

 言葉を失ったこの口では、それは最早ただのうめき声でしかなかったが、私の声を聞いて、彼女もまたモニター越しに私と目を合わせてくれた。

 

≪・・・・・・フーッ、フーッッ!!≫

 カコさんは苦しそうに鼻を鳴らすだけで何も話せないでいる。その口元には太い縄のような猿ぐつわを嚙まされてしまっているからだ。

 

≪美しい女の顔に、このような下品な物を付けたくは無かったのだがね・・・・・・こうでもしないと舌を噛んで死のうとしてしまうから仕方がないだろう? もちろん、いずれ外してやるつもりではあるがね≫

 

 グレンがカコさんの艶やかな髪を無遠慮にべたべたと触りながら独りごちる。まるで彼女が自分の所有物であるといわんばかりだ。 

 

≪この女は私がすべてに勝利した証。丁重にあつかうのは当然だろう≫

 

 ご満悦のグレンがカコさんのことを今後どうするかを語りだした。

 長い時間をかけて、薬物なども用いて洗脳を施していくつもりらしい。

 自分の言うことには絶対服従をつらぬく奴隷に仕立てあげると言うのだ。

 

 その暁には各国の記者団を前に会見を開かせる。

 用意した原稿をカコさんの口から喋らせるのだ。

 パークのこれまでの活動がすべて間違っていたことを。亡き父遠坂重三が犯罪者であったこと。グレン・ヴェスパーが全てにおいて正しかったことを。

 ・・・・・・そのように歴史を捏造することこそが、奴にとっての”完全勝利”になるのだと。

 

 当初は会見が済みしだいカコさんのことを殺してしまうつもりだったらしいが、今は気が変わったと言う。

 カコさんの美貌を見初め、殺すのは惜しいと思ったグレンは、彼女のことを何人もいる妾の一人に加えようと言うのだ。いずれは己の子を産ませ、一族繁栄の末席に加えるつもりであると・・・・・・

 

「・・・・・・ウウウウッッ!!」

 

 気が付くと意思とは無関係に、野生のトラそのもののように牙を剥き出しにして唸っていた。

 宿敵グレン・ヴェスパーがほくそ笑みながら、聞くに堪えない醜悪の極みのような言葉を垂れ流している。

 その下でカコさんが猿ぐつわを噛まされながら惨めに組み敷かれている。

 それらの光景の相乗効果が、私を凄まじい怒りに駆り立てている・・・・・・核の炎を見た時と同等かそれ以上だ。

 

 体中がぼうっと熱くなって思考回路が鈍っていく。

 両方の手のひらからは耐えがたい灼熱を感じる。

 怒りに飲まれたが最後、どんな結果をもたらしたかは身をもって知っているはずなのに、感情を抑えることが出来ない。

 ふたたび理性を無くした獣に変身してしまう予感を本能で感じる。

 

「絶対にお前らを殺してやるぞッッ!」

 激しい怒りに駆られて冷静さを無くしつつあるのは私だけじゃなかった。

 メリノヒツジが、その赤い毛皮と区別が付かないぐらいに顔面を紅潮させている。あの狡猾な策略家である彼女の面影はすでにどこにもない。

 

 グレンは余裕の表情で私たちを物笑いの種にするように見下ろしている。

 奴に手が届かない所でいくら怒ってみせたところでどうにもならない。

 それどころか、ここで私がもし暴走してしまったら、ヴェスパー親子を仕留めるよりも先に、傍にいる仲間たちに危害を加えてしまうのは言うまでもない。

 ・・・・・・ヒグラシ所長だって、命は取り留めてもいまだ目を覚ませないでいるというのに。

 

≪お父様、そろそろお時間です≫

 イヴ・ヴェスパーが突如なにごとか耳打ちすると、グレンは意味深な表情で頷いてから、突っ伏しているカコさんの髪を鷲掴みにしたまま立ち上がった。

 

≪ふっ、君たちは間もなくこの世から去ることになるだろう。醜い肉塊と化してな≫

「な、何ィ!? どういうことだ!」

≪ハイブリッドが私の刺客であることは既に承知と思うが、そいつはただの挨拶だ。遅効性の催眠狂乱剤によって暴走させ君たちを襲わせたに過ぎない。ウルヴァリンを負傷させることが出来ただけでも上出来だ。

 ・・・・・・本命はその部屋だ。そこには既に君たちを始末する必殺の罠を仕掛けてある≫

 

 グレンが高笑いしながらまた語りだす。

 この辺りの区画はイヴ・ヴェスパーの私設研究室があるエリアだった。

 ・・・・・・だがヒグラシ所長が倒れていたこの部屋だけは違う。スターオブシャヘルの可塑性を利用して、私たちを抹殺するために後から取ってつけた場所なのだ。

 傷ついた所長をその場に置き去りにしていたのは、彼を見つけた私たちの冷静さを失わせるためだったのだ。

 

 自分たちの意志でカコさんを探しに来たつもりが、まんまとグレンのいう必殺の罠とやらに嵌められることになってしまったのだ。

 ・・・・・・何を仕掛けてくるかはまったくもって不明だ。ただ私たちにとってそれが紛れもなく致命的な物であることだけはわかる。

 奴の邪悪な”してやったり顔”がそれを裏付けている。

 

「どこかに異常があるはずだ! 探せ!」

 

 ジフィ大佐たちが銃を構えながら辺りを見回しはじめた。

 怒りに飲まれている私と違って、歴戦の軍人である彼らは冷静だ・・・・・・だが、彼らをして何らの異常も発見できていなかった。

 全周囲がモニターと化してはいるものの、この部屋が相変わらず殺風景の箱のような場所であることには変わりなかった。

 天井が崩れるか、床が沈むか・・・・・・予想できることと言えばそれぐらいだろう。

 

「シベリアンッ! 壁を破壊しろ!」

「・・・・・・ウウウウッッ」

「ど、どうした? 聞こえないのか!?」

 

 それなら、と頭を切り替えたジフィ大佐が私に向かって指示を飛ばしてくる。

 だが今の私に彼の声は届かない。

 いや違う。聞こえてはいるし、それが意味することも理解出来ている。だが気を向けることが出来ない。

 今の私は、怒りという水で満杯のグラスだ。必死に押さえつけていなければ、ほんの些細な衝撃で溢れ出してしまうだろう・・・・・・ほんとうに、他のことを頭に入れる余裕がないんだ。

 

「オレがやってやるぜっ・・・・・・!」

 動かない私に代わって、腹に大穴が空いたクズリが異形の右腕を振りかぶる。

 腕からは例によって黒い炎が湧き上がり、衝撃波として撃ち出さんと手のひらの中心に向かって収束していった。しかし・・・・・・

_______ゴフッッ!

 鮮血がびちゃりと地面に付着する。クズリがとつじょ吐血したのだった。

 彼女が再び力なく膝を付くと、せっかく手のひらに集めた黒い炎も一瞬でかき消えてしまった。

 

「クズリさん! だ、大丈夫ですか!?」

「・・・・・・うるせえ。オレを心配するよりやることがあんだろ」

_______ガシィッ

「てめえの役目は罠を暴くことだぜ。奴らの手口に一番くわしいのはてめえなんだからよ・・・・・・!」

 

 心配して駆け寄った弟分に対して、クズリは胸倉をつかみ睨みつけながら答えた。

 クズリに檄を飛ばされたことで、怒りと混乱ですっかり冷静さを失っていたメリノヒツジはハッとして目を見開くのだった。

 

「ま、まさか・・・・・・罠の正体はっ!?」

 

 迫真の表情のまま何秒間か、もしくはそれにも満たない時間を思考に使ったのち、メリノヒツジが叫んだ。

 彼女がおもむろに視線を向けた先は、壁や床ばかりを警戒しているジフィ大佐たちとは全く違う方向だった。

 そしてそれに向かって電撃に撃たれたように走り出していた。

 

 メリノヒツジの向かう先はネズミのあの子のところだ。

 意識を失って横たわっている彼女のすぐそばに近寄り、おもむろに手をかざした。

 

「僕から離れろ! ニンゲンども!」

「な、何をしている!? ハイブリッドがどうしたというのだ!?」

「コイツの体内に爆弾が仕掛けられている!」

 

 メリノヒツジの推理はこうだ。

 たとえこの部屋の壁や床に罠を仕掛けられていようとも、私たちならば罠ごと吹き飛ばすことは造作もない。それはグレンだって百も承知だ。だが奴は余裕の笑顔を崩さない。

 となれば脅威は奴が送りつけてきた刺客であるネズミのあの子以外に考えられないというのだ。

 

 もちろんあの子には実力で私たちを倒すほどの力はない。だから実力が及ばなくても確実に私たちを始末できるように体内に細工を施したのだ。

 彼女の体内に爆弾を仕込んで密室内で私たちを爆殺する・・・・・・それがグレンが考えた”必殺の罠”だというのだ。

 

「そうだろうヴェスパー? 体内に何かを仕込むのはお前らの常套手段じゃないか」

≪すばらしい、正解だ。だが今更どうしようもないぞ。小型爆薬だが、君たちがいる区画一帯を吹き飛ばすだけの威力がある≫

「だまれ・・・・・・お前の思い通りにはさせないぞッッ!!」

 

 ハイブリッドに向けてかざしたメリノヒツジの両手が金色に光り輝いた。

 金色の火の粉が彼女の周囲を舞い、収束して形を成していく。あらゆる形状の武器を作り出すという彼女の能力を発露させているのだ。

 やがて現れたのはヒトの背丈ほどの直径の大きな盾・・・・・・いやドーム状の半球体だった。

_______ガコンッ

 メリノヒツジは手にした金色のフタを横たわるハイブリッドの体にかぶせると、自らの体が重石代わりであると言わんばかりに上から覆いかぶさった。

 

「メリノ、てめえ・・・・・・」

「ま、待てっ! そんな物で爆発を防ぐつもりか!? お前はどうなるんだ!?」

≪クククッ、よほど自己犠牲の美徳に酔い知れて死にたいと見える≫

 

 目を細めて独りごちるクズリと、驚き唖然とするジフィ大佐たち。あざけ笑うグレン・ヴェスパー。

 その場にいる誰もが同時にメリノヒツジの意図を悟ったようだった。

 爆発を盾越しに間近で受け止める彼女はどう考えても無事には済まない。それを覚悟のうえで、命と引き換えに仲間たちの身を守ろうとしているのだ。

 

「僕は死んだっていい! クズリさんとアムールトラさえ生き残らせることさえ出来れば僕の勝ちなんだ! ・・・・・・最強の2人が、かならずヴェスパーを打ち滅ぼしてくれる!

 だから早く正気に戻れアムールトラ! 壁を破壊して皆を連れて逃げろ!」

 

_______ドクンッ

 

 その言葉を聞いた瞬間、全身が電流に撃たれたように震えた。

 それまでのことが嘘であったかのように、私はにわかに正気を取り戻していた。

 死を賭したメリノヒツジのとてつもない覚悟と気概が、言葉ではない別の何かとして伝わってきて、私を狂気から呼び覚ましてくれたような気がした。

 

「あうッッ!!」

 メリノヒツジの言葉に呼応するように吠えた。

 だが彼女の言いつけ通りに逃げ出すつもりはない。今度は私が彼女のために命を張る番だ。

 

 メリノヒツジは少し自己評価が低いように見える。

 自分自身のことを私とクズリよりも弱いと決めつけている。

 単純な腕っぷしならばそうなのかもしれないが、その頭の回転と精神力は今まで出会ったフレンズの中でも図抜けている。

 こういう言い方はなんだが、彼女だってまた違った形での”最強”であると思う。 

 そんな彼女の存在は、ヴェスパーに勝利するために必要不可欠だ。

 

 ・・・・・・そしてもちろんハイブリッドのあの子も助けなくてはいけない。

 グレン・ヴェスパーの非道に苦しめられる彼女のような存在を救うことこそが、私のそもそもの戦いの目的だったのだから。

 

_______タンッ!

 私なら2人を救うことが出来る・・・・・・そう疑わずに確信しながら、手のひらを床に押し当てた。

 暗闇の向こうにある”意”の世界へと入り込んだ私が目指したのは、ハイブリッドの体内に埋め込まれたと言われる爆弾だ。

 

 爆弾の仕組みがどういうものかは知らないが、だいたい銃と同じだと思えばいいだろう。

 撃鉄が落ちなければ弾は発射されない。それと同じように、爆発を起こすための引き金に当たるパーツが存在するはずだ。

 フレンズの体内に埋め込める程度の大きさしかない小型爆薬。さらにその内部にある部品の一つ。言うまでもなく極小の物体だ。

 ・・・・・・だが、こんなことは今まで何度だってやってきた。きっと見つけ出せるはずだ。

 

(あそこだっ)

 白く美しい体を持つハイブリッドも、中身は他のフレンズと変わらない。

 ほどなくして見つけ出した。赤黒く複雑にうねる内臓の隙間に、一枚のコインのような小さな円盤が挟まっているのを。

 

 それにしても目の前の景色には驚いた。

 今までに”意”の世界の在り様が、こんなにはっきりと鮮明に見えたことはない。

 実感としてわかる。二つ目の能力に目覚めたことによって、一つ目の勁脈打ちの精度も上がっているんだ。

 精神という形のない物に入り込めるまでになったんだ。現実に形がある物を見つけ出すことぐらい出来ないはずがない。

 

 さらに深く意識を潜らせ円盤の中身を探った。

 コインの中に敷き詰められた基盤を流れる微弱な電気の流れ・・・・・・それらが一点に収束する先に、ごく小さな針のような物が見えた。

 どうやらあれが破壊すべきターゲットであるらしい。

 無機物であるにもかかわらず有機的な殺意を放ち、もう間もなく目的のために動き出さんとする気配がはっきりと伝わってくる。

 

(あれを打つ・・・・・・!)

 ターゲットである針と”揺らぎ”を同調させる。これで完全に狙いを付けた・・・・・・後は向かって行くだけ。

 自分の体があたかも弾丸になったかのようなイメージを思い描き、ただひたすらまっすぐに流れていった・・・・・・。

 

≪ハハハハハッッ! みじめに爆ぜろ!≫

「うおおおおおおおおっっ!!」

 

 意識を取り戻した時、ふたつの声が聞こえた。

 勝ち誇って哄笑を上げるグレン・ヴェスパーと、死への恐怖を気合で打ち消さんとするメリノヒツジの怒号だ。

 傍らで息を飲む迫真のジフィ大佐たちの息遣いも聞こえた。その場にいる誰もが、直後に起きるであろう瞬間に意識を向けていた。

 ・・・・・・だからこそ、その後に訪れた静寂がいっそう異様に思えただろう。

 

「はあっ・・・・・・はあっ・・・・・・何だ?」

≪なぜだ! なぜ爆発しない!?≫

 

 メリノヒツジと、グレン・ヴェスパーがまたも声を上げた。起きるはずの爆発が起きていない。

 なぜそのような事になったのか理解が追いついていない様子だ。

 

「くくくっ・・・ははは・・・あーはっはっはっ!」

 

 驚き絶句している者たちの中で、たった一人だけ頭を抱えて大笑いしている者がいた。

 クズリだ。腹部に開けられた穴の痛みよりも、可笑しさのほうが完全に上回ってしまっていると言わんばかりだ。

 やっぱり彼女だけは私がやったことを既に見抜いているようだ。

 

「まったくまいったぜ。オレとしたことが良い所がまったくねえ・・・・・・メリノとアムールトラに美味しいとこ全部持ってかれちまうんだからよォ」

≪シベリアンが何をしたというのだ?≫

「わかんねえんのかァ? オレたちからかき集めたご自慢のデータとやらはどっかに行っちまったのかね」

 

≪お、お父様、ひとつ心当たりが。シベリアン・タイガーのあの動きは・・・・・・≫

 イヴ・ヴェスパーが私に視線を向けながらグレンに耳打ちする。

 クズリの言葉がヒントになったのか、父よりも先に私の仕業に思い当たったようだ。

 

 いま私はただ地面に手のひらを付けているだけだ。

 しかしその動きは、過去に私が勁脈打ちで大型セルリアンの核を触れもせずに破壊した時の動作に酷似していることだろう。

 二つの動きの類似性を見抜いたイヴは、私がハイブリッドに仕掛けられた爆薬の起爆装置を破壊した可能性までも即座に推理してみせた。

 しかしグレンの方はまだ納得がいかないような顔をしている。

 

_______ドタンッ

 何が起こったのかを察し、自らの無事を確認したメリノヒツジが、緊張の糸が切れたと言わんばかりに金色の蓋をかき消し倒れた。

 その傍らには、ハイブリッドのあの子が白い体を五体満足のまま投げ出している。

 

「おら立て。いまの主役はてめえだろうが」

「・・・・・・クズリさん」

 

 クズリは腹部から血が滴るものお構いなしにメリノヒツジに近寄り手を差し伸べた。

 安堵の溜息をついてから、手を取ってよろよろと立ち上がるメリノヒツジ。

 流石に生きた心地がしないのか、冷や汗まみれで荒い息を吐いている。しかし一瞬後にはクズリに並び立ってモニターの方に向き直り、ヴェスパー親娘を鋭く睨みつけた。

 

「これでわかっただろ? てめえらは所詮こんなモンだ」

≪・・・・・・何が言いたいのかね≫

「誰かを操ってイキることしか能がねえ。勝つためにてめえの命を張ることも出来やしねえ、小物中の小物だって言ってんだよ」

 

 明確に愚弄する言葉を投げつけられたグレンの表情が固くこわばる。しかし今までとは一変して何も言い返せないでいた。

「そんなにビビんなよ”支配者さん”よォ」

 クズリは流れがこちらに傾きつつあるのを逃さずに、まくし立てるように挑発を繰り返した。

 

≪ウルヴァリン。死にぞこないの分際でよく吠えるものではないか?≫

「ああこれかァ? ・・・・・・じゃあオレもいっちょ良いとこ見せてやろうか!」

 

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 クズリが己の腹部に空いた穴を見やりながら不敵に笑うと、突然に唸り気勢を高め始めた。

 狭い空間にビリビリとプレッシャーがほとばしる。やがて彼女の右手から発せられた黒い炎が全身に伝播し、ひとつの巨大な火だるまへと変身した。

 

 次の瞬間には驚くべき様相を目の当たりにすることになった。

 クズリの腹部に開けられた大穴が、見る見るうちに塞がれていっているのだ。

 それはフレンズの自己治癒能力が十倍にも百倍にも増したようなスピードだ。

 

「ちょっとばかし休憩すりゃ、今のオレにとってこんな傷は屁でもねえ」

≪・・・・・・こ、このおぞましい化け物!≫

「そりゃねえぜイヴ。あんたらが作った”お注射”のおかげじゃねえか。研究の成果ってヤツさ」

 

 思えばクズリが異常な回復力を見せたのはこれが初めてじゃない。

 暴走した私によって負わされた重傷をも彼女は短時間で治してみせたのだ。ちぎり飛ばされた右腕をも新たに生やしてしまった。

 これが今のクズリや私・・・・・・進化態と呼ばれるフレンズの力なのか。

 

「で、次はどうすんだ? また爆弾かァ? それとも新しいザコでも寄越すかい?」

「・・・・・・やれやれですよ。僕らは今までこんな程度の連中に踊らされてきたんですね」

 

 最強の肉体を持つクズリと、死もいとわない精神を持ったメリノヒツジが共に威圧の言葉を強めている。

 グレンは石のように押し黙っているだけだが、イヴは顔色に明らかな恐怖が浮かべていた。

 化けの皮が剥がされた・・・・・・とそんな感想が思い浮かんだ。

 少なくともクズリたちの上を行く要素など一切ない。彼女たちの復讐が達成される時が確かに近づいてきていると思った。

 

≪お父様、このような下郎共にまともに取り合う必要はありません≫

 

 青ざめたイヴ・ヴェスパーが息を吐くように主張をはじめた。

 カコさんの身柄も、セルリアンの女王の”胚”も、必要なカードはすべてこちらに揃っている。依然として自分たちの優位性は揺るぎないと言うのだ。

 

≪スターオブシャヘルを自爆させましょう。その後に体勢を立て直せばいい・・・・・・こ奴らに脱出手段はありません。飛行能力のあるフレンズもいない≫

「き、貴様らだけ脱出するつもりか!? どこまで外道なのだ!」

 

 イヴは今すぐスターオブシャヘルを自爆させて私たちを殺すべきと提案した。

 それに対してジフィ大佐が血相を変えて憤慨する。 

 内部にはシャヘル所属の兵士たちがまだ大勢いるというのに、彼らを巻き添えで殺すことには何ら抵抗がない事に対してだ。

 軍隊の長を努める彼にとって、部下の命を使い捨てにして当然という態度は許しがたいものなのだろう。

 だが大佐のまともな軍人としての良心など、他人の命なんて砂粒よりも軽い物だと思っているであろうヴェスパー親娘には響くはずもなく。

 

「娘のほうがまだ頭の切り替えが早えみてえだな・・・・・・でも、そんなんでこのオレが死ぬかなァ?」

 

 クズリが不敵にほくそ笑む。

 今しがた彼女は己が肉体の不死身ぶりを見せつけたばかりだ。

 仮に要塞の爆発に巻き込まれた所で、確実に死ぬ保証などはないのはヴェスパー親娘だってわかっているはずだ。

「もしオレが生き残ったら、てめえらを地の果てまで追いかけてってブチ殺してやる・・・・・・そん時が来るまで怯えて縮こまっとけやァ」

 

_______ドタッ!

 石像のように固まっていたグレン・ヴェスパーが突然に動いた。

≪この女を持て≫

 髪の毛を鷲掴みにしていたカコさんを乱雑に突き放して地面に昏倒させると、傍にいた2人の兵士たちを顎でしゃくった。

 兵士たちは慌てながらカコさんの腕をつかんで引き起こした。

 

≪・・・・・・私は貴様らから逃げるつもりなどはないぞ≫

≪お、お父様!?≫

≪この世のすべては私に屈服する運命にある・・・・・・ウルヴァリンよ。この私を追い詰めたつもりになっているのかもしれないが、勘違いも甚だしいのだよ≫

 

 グレン・ヴェスパーは誰に言うでもなくうわ言のような言葉を虚空に向かって呟き始めた。

 クズリはそんな奴のことをもはや完全に小ばかにしたように鼻で笑っている。

 

≪しかしお父様。今の状況では奴らを確実に抹殺する手段は≫

≪今より”女王”の再調整、そして起動実験を行う・・・・・・女王の胚に生体コアを接続、そして融合させる≫

 

 セルリアンの”女王”・・・・・・あれが誕生する瞬間を私は見た。あのときは正気を失っていたが、記憶だけはしっかり残っている。

 核爆発によって誕生するや否や、恐ろしい勢いで天にまで達する巨大さに成長したあの異容は忘れられない。

 少し経つとその巨体はすぐに崩れ落ちてしまったが。

 

 すでにメリノヒツジから経緯は聞いている。

 あの女王が僅かな間しか生きられないことは既に予見されていた。

 生み出しておいて核だけ回収することがヴェスパーの目的だった。

 すべてのセルリアンを操る能力を持った女王をヴェスパーが操る・・・・・・そんな奴らの野望を達成するために、いま再び生み出されようとしている。

 

≪・・・・・・そ、それはいけません! 今使える女王の完全な胚はひとつしかないのですよ? 時間をかけてスペアを培養すべきです。このような場で不用意に消費するべきでは!≫

 

_______バチィンッ!

≪ああっ!≫

≪愚娘よ。お前の意見など聞いていない。私がやれと言ったらすぐやるのだ・・・・・・準備に取り掛かれ≫

 

 乾いた音がモニター越しに響き渡り、イヴ・ヴェスパーが地面に倒れた。

 真っ青な顔で忠言する娘を、父が無表情のまま平手打ちにして黙らせたのだ。

 頬を押さえてよろよろと立ち上がったイヴはそれきり何も言わず、一礼してからすごすごと画面から立ち去っていった。

 

「せ、生体コアだと? まさかまた量産型フレンズをコアに使うつもりか?」

 

 メリノヒツジがハッとした顔で言及しているのは、ついさっきの戦いで私たちが倒したヒト型セルリアンのことだ。

 異常なほどの再生能力を誇った奴らの内側には、生ける屍と化した量産型フレンズが埋め込まれていた。

 生物をセルリアンのコアとして用いる技術がヴェスパー親娘にはある。

 ・・・・・・もしかすると、僅かしか生きられない女王の寿命を延ばすための秘密が”生体コア”にあるのだろうか?

 

≪量産型フレンズなどを女王のコアにしたところでつまらない。もっと面白い、お前らにより苦痛と絶望を与えられる組み合わせをたった今考え付いたぞ・・・・・・いいか? 心して聞くがいい≫

 

 熱に浮かされたように笑い出すグレン。その表情にはふたたび狂気と余裕が取り戻されている。

 わざともったい付けて、口にするのが愉快で仕方がないといった様子で、次の言葉を続けた。

 

≪コアに用いるのはこの女だ!≫

≪・・・フ、フーッッ・・・!≫

≪またしても気が変わった。妾に出来なくてじつに残念だ≫

 

 グレンは兵士たちに持たせたカコさんに今一度歩み寄ると、彼女の頬を”ムギュ”と侮辱するように掴んで顔を持ち上げる。

 

≪女王を倒すことなど誰にも不可能だ。お前らにとっての希望が絶望へと変わる瞬間を見届けるがいい。それこそがこの私を愚弄したことへの報いだ。

 足元にひれ伏させ、惨めに命乞いをさせた後で細切れの肉塊にしてやる! 今からその時が楽しみだ! フハハハハハッッ!≫

 

 グレンが天を仰いで高笑いしながら画面から去っていった。

 それに続く形で兵士たちに抱えられたカコさんが運ばれていく・・・・・・その姿が画面から見切れてしまう刹那、カコさんと目が合った。

 見開かれた黒い瞳には苦痛の色が混じりながらも、決して曇らない光が宿っている。

 

 その瞳を見て、カコさんが皆のもとから去った時のことが強制的に思い出された。

 マダガスカルのイーラ女史のお屋敷で、たった一人でグレン・ヴェスパーのお膝元へ乗り込もうと決意して見せたあの時のことを。

 ・・・・・・彼女は別れ際に、いつか平和になったら、私を自分が操縦する飛行機に乗せてくれると言ってくれた。 

 

 私の胸を高ぶらせるこの気持ちは何だろう? 

 力が無限に湧き出てくるようだ。怒りとはまったく別の、心地よく澄み切った、それでいて揺るぎない闘志は。 

 ひとつわかるのは、私がカコさんを助けたいのは個人的な好意だけが理由ではないということ。

 あのヒトこそ未来への希望そのものだ。これは未来を切り開くための戦いに他ならない。

 

「カコ・クリュウか・・・・・・あの状況でも心が折れてないたあ気に入ったぜ。綺麗ごと喋るだけが能のヤツだって見くびってたかもなァ」

「ええ、どうやら助ける値打ちはありそうです」

「彼女こそがヴェスパーの支配を終わらせる存在だ。絶対に殺させるわけにはいかん! 早く救出に向かうぞ!」

 

 ジフィ大佐たちはもちろんのこと、本来の目的は違っていたはずのクズリとメリノヒツジでさえ、なぜだか私と同じ高ぶりを共有しているように思えてならなかった。それが無性に頼もしく、嬉しかった。

 

 私のすべてをかけて、この仲間たちとともに、絶対にカコさんを助けてみせる。

 そして見てみたい。彼女が見せてくれる景色を。どこまでも広がる自由な青空を。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:53歳 性別:男 職業:元Cフォース日本支部研究所 所長
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章35 「じょおうたんじょう」(前編)

 

 ほの暗い回廊を、私、クズリ、メリノヒツジの3人で駆け抜ける。

 ぶよぶよとした感触の床を一歩踏みつけるたびに気色悪い水音が弾ける。

 血管のような有機的な細い管が、赤黒い床や壁にびっしりと張り巡らされている。それらは鼓動するように絶え間なく収縮していた。

 

 ここスターオブシャヘルはもともとからして機械と生物が混ざりあったような内装だったが・・・・・・進めば進むほどに機械の要素は減り、いまや完全に生き物の内臓の中にいるような景色へと変貌していた。

 

__________ミヂミヂミヂィィ

 地面からいくつも盛り上がったイボのような穴の中から、ワラワラと蟻のように小型セルリアンの群れが這い出てきた。

 一つ目を見開かせた丸い胴体に、ヒトの腕によく似た3本の触手を生やした不気味な姿が、床も壁もあっという間に埋めつくすと、私たち3人にめがけて津波のように飛び掛かってきた。

 

 先ほどから何度も目にしている姿に臨戦態勢を取る。

 この”3本脚”は今までに見たことがないタイプのセルリアンだったが、おおよその性質は地上の各地で目にした幼体と何ら変わりはない。物量は半端じゃないが、一匹一匹は大したことはない。

 今の私たちはそのような相手を前にして、わずかばかりでも足を止めることさえ許されない。

 

「ガウウウウッッ」

__________バチバチバチイイイイッッ! 

 感覚が命じるまま両腕を思い切り前方に突き出す。

 すると手のひらから、私の闘気の具現体とも言うべき紫色の稲妻が、ズンと伝わってくる反動と同時に鋭く一直線に発射された。

 反動を押さえつけるように踏ん張りながら、稲妻を右から左へと掃射して小型セルリアンの群れを薙ぎ払った。

 

 みずからの意志で稲妻を放つのはこれが初めてじゃない。さっきから幾度となく”進化態”としての力を解放して戦っていた。

 スターオブシャヘルにて目覚めた当初は暴走を恐れていた私だったが、今はもう全くと言っていいほど怖くなくなっていた。

 

「どんどん来いよッ!」

 

 すぐ後ろではクズリが同じように進化態の力で敵を蹴散らしている。

 彼女が巻き起こす黒い衝撃波は、私が放つ稲妻と同じ能力であるはずなのに、見た目がずいぶんと違うものだと思う。

 私と比べるとエネルギーを収束させるサイクルは明らかに短く、さらに狙いはより正確だ。戦いの天才たる彼女は、早くも進化態の力を思い通りにコントロールしつつあるようだ。

 

 目に見える小型セルリアンたちをあらかた排除すると、一時的な静寂が場に訪れた。

 辺りの壁や床が、ところどころ赤く焼けただれながらクレーターを作っていた。

 私とクズリの攻撃がもたらした痕だ。

__________ズグ、グググッッ

 ・・・・・・しかしそんな状態も長くは続かない。クレーターを塞ぐようにして触手が張り巡らされ、破損が再生されていっているのだ。

 まるで植物が成長する様子を早回しのビデオで見ているみたいだ。

 

 こんな光景はすでに何回か目の当たりにしていたものだった。

 私たちがどんな攻撃を仕掛けようともまるで意味が無いのだ、とグレン・ヴェスパーに嘲笑されているような気分になる。

 奴の近くにまで来ているような気はするのだが、具体的な行方はようとして知れない。こうなると焦りだけが募ってくる。

 

 進めば進むほどに景観が異様になっていくだけでなく、敵の攻撃も激しくなってきていた。

 行く先々には今みたいな”三脚”タイプや、ヒト型セルリアンも含めた多様な小型セルリアンたちが待ち受けていた。

 おまけに無人兵器の銃撃も付いてくる始末だ。

 ・・・・・・だが、その一方でヒトの兵士の姿は全くと言っていいほど見かけなくなっていた。

 

≪気をつけるのじゃ。おぬしらの進むエリアの放射線濃度がどんどん高まってきておる。すでに人間が入り込めるような場所ではなくなってきているようじゃのう・・・・・・≫

「おいジジイ、大佐たちはもうマザーユニットから出たんだな?」

≪さよう。今のところは敵との交戦は起こってはおらんようじゃ≫

 

 耳の奥に取り付けた小型通信機から、いかにも老人といった口調の物腰おだやかな声が聞こえてくる。それに対してクズリが彼女らしいぶっきらぼうな口調で応対する。

 声の主はジェームズ・ファインマン。Cフォースのセキュリティ開発の第一人者として長年活躍してきた名エンジニアだ。

 

 色々な経緯があって、私たち3人とジフィ大佐たちとは別行動を取ることになった。

 グレン・ヴェスパーたちとの邂逅を終え奴らが画面から消え去った後、カコさんの救出に向かおうにも手がかりのない私たち一行はマザーユニットへと一時退却するしかなかった。

 ユニットの中で打開策を考えた結果、二手に分かれることになったんだ。

 

 私たち3人の役目はもちろんカコさんを救出することだ。

 そして大佐たちはもう一つの重要な仕事に取り掛かっている。

 脱出手段を確保することだ。

 言うまでもなく、想像を絶する高さの空の上に浮かぶスターオブシャヘルから生きて出るためには避けて通れない問題だった。

 

 巨大なスターオブシャヘルの各所には数十もの脱出艇が備え付けられているという。

 3~4人で乗り込む小型の脱出ポッドから、数百名もの人員と物資なども十分に積み込める大型の輸送艇など下に降りる手段は無数にある。

 

 ・・・・・・しかしすでに私たちの存在が知られているために、当然それらの周囲には見張りが強化されているはずだった。

 見つからないように奪取するのは至難の技だ。必ずや戦闘になるだろう、と。

 だがそれでは余りにも多勢に無勢、さらにこっちには重体のヒグラシ所長まで抱えているんだ。戦闘は絶対に避けなくてはならなかった。

 

 そしてジフィ大佐にはとある決意があった。

 ヴェスパー親娘の下で使い捨ての駒のように扱われている兵士たちを助けたい、と。

 イヴは私たちを殺すために要塞を自爆させることを提案した。それはすぐにグレンによって却下されたが、代わりにセルリアンの女王が起動されることになった。

 ・・・・・・もしあの天を衝く巨大な女王が現れたのなら、この要塞を丸ごと飲み込んで、そこにいる兵士たちは漏れなく犠牲になるだろう。ヴェスパー親娘が彼らを助けるわけがない。

 

 なので彼らと戦って脱出艇を奪い取るのではなく、彼らにヴェスパーからの離反を促し、武装解除させて脱出艇に乗り込ませたいと言うのだ。

 そのためにわざと敵の矢面に立ちに行くのだと。

 ジフィ大佐はじめ彼ら将校は組織内でかなり顔と名前が知られており、彼らが話せばたとえヴェスパーの手下の兵士であろうとも、言うことを聞いてくれる目算は十分にある。

 

 上手くいけば血を流さずに脱出の手段を確保することが出来る。

 説得を成功させるためにも、兵士たちを相手に大暴れした私たちが大佐に付いていくわけにはいかない。

 特にメリノヒツジは彼らに恐怖を与えるために意図的に虐殺を行っていたんだから。

 

 その後は脱出艇をスタンバイさせたまま、私たちがカコさんを連れて戻ってくるのを待っているという。

 ・・・・・・正直、かなり分の悪い賭けだと思う。兵士たちが言うことを聞かなければ大佐たちは瞬時に血祭に上げられる。

 また兵士たちが言うことを聞いたとて、無人兵器やセルリアンが襲ってくる可能性もある。

 が、事ここに至って大佐たちはすでに覚悟を決めた様子だった。

 先に進むしかない私に出来ることは、彼らの無事を祈ることだけだ。

 

≪カーネル・ジフィからの伝言じゃ。ミスターヒグラシも、ハイブリッドのこともきっと守り切ってみせる、と言うとった≫

「あ、あう・・・・・・」

≪後は頼んだぞシベリアン、ウルヴァリン。ワシにはもうユニットの中で皆の無事を祈ることしか出来ん・・・・・・もし生きて帰れたら、ワシのセキュリティを破ったというハッカーに会ってみたいもんじゃのう≫

 

 戦う術を持たない技術者であるファインマン氏は、私たち3人と大佐たちが出て行った後もマザーユニット内に残っていた。

 未だ意識の戻らないヒグラシ所長と、ハイブリッドのあの子も彼と一緒だ。

 仮に私たちやジフィ大佐たちが仕損じれば、彼らの命運も尽きることになる・・・・・・

 

 ファインマン氏はただ留守番を務めているだけでなく、私たちにヴェスパー親娘の居場所について、わかる範囲で案内をしてくれている。

 彼の手には今、奴らの居場所を示す逆探知装置が握られているのだ。

 

 逆探知装置の元になっているのは、ハイブリッドのあの子の体内に埋め込まれていた、私が勁脈打ちによって不発に終わらせた小型爆弾だった。

 爆弾というものは仕掛けた者の意図しない所で爆発させるわけにはいかない物だ。

 手動で起爆、または停止させられるように、例外無く発信機が内臓されている。仮に発信源との交流が絶えても記録が残る。

 そしてそれこそが、私たちの手元にあるヴェスパーの居所への唯一の手がかりだった。

 

 ・・・・・・本当に、ハイブリッドのあの子には感謝してもし足りない。

 逆探知装置を作るためには、彼女の体内にある爆弾を取り出す必要があった。

 彼女はそれに同意してくれた。操られていたとはいえ、皆のことを襲ってしまった罪を償いたい、と健気にも献身を申し出てくれたのだ。

 

 一刻を争う状況の中、麻酔もなしに割腹し爆弾を取り出すという手術が行われた。

 あの子はずっと耐えていた・・・・・・傷口を縫われ包帯を巻かれるまで、瞳に涙を浮かべながらも一言のうめき声も上げなかった。

 あんな経験を二度とさせるわけにはいかない。今後の人生では幸せに生きてほしい。

 

 他のフレンズもそうだ。苦しいことも、悲しいことも、これで終わりにしなければならない。

 そして信じている。カコさんを助けることが出来れば、きっと悲しみの時代の終わりが来るであろうことを。

 今の私は未来への希望を胸に戦っている。その気持ちが、暴走をもたらす根源となる怒りを遥かに上回り、進化態の力を制御しているように思えた。

 

「ジジィ、さっきから同じような風景ばっか続いてんだが、本当にこっちにヴェスパーがいんのかァ?」

≪電波は間違いなくその辺りから放射されておる・・・・・・しかしすまんの。それ以上詳しいことはわからん。というのも、おぬしらが今いる場所のマップ情報が急速に書き換えられているのじゃ。

 つまり、それまでデータに無かった新たな地形が矢継ぎ早に作られておる≫

 

 グレンの居場所を突きとめられれば、きっとカコさんのことも見つけられるはずだ。

 奴に逃げる意思はない。自分でそう言ったんだ。

 セルリアンの女王を使って私たちを抹殺することに固執している。私たちと相対しようものなら、女王をけしかけようとしてくるはずだ。

 その女王のコアに使われようとしているのが、他でもないカコさんなのだから・・・・・・

 

 手詰まりに近い空気が漂っている中「おい、アムールトラ」とメリノヒツジが後ろから声をかけてきた。

 そういえば今しがたの戦いでは彼女の姿が見えなかったが、いったい何をしていたのだろうか。

 

「メリノ、そのオモチャは何だァ?」

「釣り竿・・・・・・とでも言っておきましょうか」

 

 メリノヒツジが手にしているのは、能力で作り出したとおぼしき金色の細長い棒きれだった。その先端からは同じ色の糸が垂れさがりどこまでも続いている。

 釣り竿とは言っても糸を巻く仕掛けが付いてるわけではない。糸は長い柄と一体化している。

 そのシンプルな形状は長さこそ規格外だが、ほぼ鞭と言っていい。

 彼女の能力には、銃火器のような複雑な形の物は作れないという制限があるらしいが、そこから外れてはいないだろう。

 

「あれほど大量のセルリアンがどこから湧いて出てくるのか気になりましてね。試しに奴らの中の一匹を死なない程度に痛めつけて、糸を括り付けて釣り餌にしてやったんですよ」

「なるほどなァ・・・・・・で、何かわかったのかよ?」

「それをこれからアムールトラに調べてもらいましょう」

 

 メリノヒツジがそう言いながら私に”釣り竿”を手渡してくる。

 鉤爪の生えた手では物を握れないから、小脇に挟んで手のひらを添えて持つしかない。

 竿から垂れている糸の終点を目で追っていくと、さっきセルリアンが這い出てきたイボの中のひとつへと投げ込まれているのが見えた。

 竿からは微妙な振動と重さの変化が伝わってくる。糸の先に括り付けたっていうセルリアンが動き続けている証拠だ。

 

「どうだ? 本体の場所をコイツで探れないか? お前のその、千里眼みたいな感知能力で」

 

 メリノヒツジの言いたいことがわかった。

 セルリアンの習性を利用して、本体の居場所を探り出そうと言うのだ

 長い間セルリアンと戦ってきた私たちにとっては常識だが、数で押してくる幼体セルリアンというのは、それを操る本体が必ず近くにいる。

 そして戦えないほどの重傷を負った個体は、死ぬ前に本体に体を還元する。奴らの普遍的な習性だ。そうすれば本体の消耗が少なくなるからだ。

 セルリアンが個ではなく全体として生きている生命体だと言われる所以だ。

 

 私の感知能力は万能な物なんかじゃない。何でもかんでも瞬時に見通せるというものでは決してない。

 ”意”の世界に潜ることで探し出せるのは「そこに在る」という確信があるものだけだ。

 カコさんもヴェスパー親娘も、今ここで居場所を探ることは出来ない。

 ・・・・・・だがメリノヒツジがこうして手がかりを作ってくれた。竿の先に括り付けられたセルリアンの動きを把握すれば、おのずと本体の居場所もわかるはずだ。

 

__________ズウンッ・・・・・・

 瞳を閉じた瞬間、イボの先の暗闇の中へ体が落ちていくビジョンが脳裏をよぎる。

 そこは単なる落とし穴などではなかった。くねくねと蛇行しつつ、いくつもの分かれ道や袋小路がある複雑な迷宮であるようだ。

 

 形を無くした意識が、あたかも電線を伝う電気信号のようにスムーズに伝播していく。

 これまで”意”に潜る時に道具を使ったことなんてなかったけど、なかなかどうして良いものだ。

 垂らした糸がまるで自分の手のひらの一部のように感じる。道具を使うことで感覚が拡張されるなんて思ってもみなかった。

 

 ・・・・・・やがて糸の先端に括り付けられたセルリアンへと到達していた。今しがた戦った”三脚”タイプのうちの一匹だ。

 どのような形をしていて、どのように動いているか、その個体のことを出来るだけつぶさに観察してみる。

 三つの触手のうち二つがもぎ取られており、残りのひとつに糸が括り付けられている。

 大きな単眼や、その裏側にあるコアを避けるように無数の切り傷が付けられている・・・・・・メリノヒツジが「死なない程度に痛めつけた」と言った通りの有様だ。

 

 酷く傷ついた体を休むことなく動かして、私たちのいる場所から離れているのがわかる。

 その道の途中で、同じ姿形をしたセルリアンたちと何度もすれ違った。一つ屋根の下に住まう仲間といったところか。

 だが傷ついた個体は仲間のことになどまるで関心を払わず、ひたすらどこかを目指して進んでいるように見える。

 ・・・・・・思った通り、一刻も早く本体の元へ帰ろうとしているんだろう。

 

 長く暗い深淵の中を進んだ個体は、やがて野放図に広い空間へと抜け出した。

 スターオブシャヘルにまだこんな場所があったのかと驚くほどだ。

 ドーム状のその地形から連想されるのは、何万人ものヒトが集まってスポーツやら何やらを観戦する施設だ。

 だがもちろんそんな平和な場所とは似ても似つかない。

 生き物の内臓の中にいるような生理的な嫌悪感は、私たちが今いる場所と変わりない。

 

(・・・・・・な、何だ、あれは・・・・・・!?)

 

 そして見た。中心に巨大な何かが蠢いているのを。

 昆虫のサナギのような、あるいは心臓のような、何とも形容しがたい異常な姿に戦慄を覚える。

 一見してわかるのは、それが途轍もない力を持った「生命」だということだけだ。

__________ドッ、ドッ、ドッ・・・・・・

 地鳴りのような鼓動を発しているのは、ドームの天井から垂れさがる極太の血管だ。

 そのどれもが下方に不気味に鎮座する”それ”に接続され、途轍もないエネルギーを絶え間なく流し込み蓄積させていっているのがわかる。

 

__________プツンッ

 私が乗り移っていた傷ついたセルリアンが”それ”に接触した。

 その後は何もわからなくなった。セルリアンの体が瞬時に溶け落ち、存在が消滅したからだ。

 

「・・・・・・ア、アアアッッ!!」

 

 意識を本来いた所に引き戻すと、私は驚きのあまり吠え声を上げた。

 クズリとメリノヒツジが目を見開いて私を見ている。

 ・・・・・・もちろん何も教えられないわけだが、仮に私が今も言葉を話せたところで、目撃した光景を彼女たちに説明できたとは到底思えない。

 

「さあ、それを返せ」

 察したようにメリノヒツジが言ってくる。

 あたりまえだが釣り竿の先からはもう何の感触も伝わってこない。だが重要な手がかりである事には変わりないだろう。

 私たち自身がイボの中に飛び込み、糸をたどっていけば、やがてあの巨大な心臓のところにたどり着けるはずだ。

 

 ・・・・・・だが、そんな悠長なことをやっていて良いのだろうか?

 すでに”意”の世界で垣間見た。イボの中はアリの巣のような迷宮だ。私たちが通れないほどに狭い道だっていくつもあった。

 力づくで道を切り開くことも出来るだろうが、ここいらの壁や床には再生能力があるってことを考えたらかなりの手間だ。

 さらに内部には無数の”三脚”がひしめいている。いったい奴らを何匹倒せば目的地にたどり着けるのだろうかわかった物じゃない。

 

__________カランッ

 

「何してる?」

 メリノヒツジが非難めいた声をあげる。

 それも無理はない。返せと言われた釣り竿を、私がその場に放り捨ててしまったからだ。

 そしては次に片膝を付きながら、地面に転がっている竿の柄に手のひらを押し当てた・・・・・・このポーズが意味するところは、もうクズリとメリノヒツジには一目瞭然だろう。

 

「勁脈打ちだと? 一体何をする気だ?」

「オレはなんとなくわかったぜ」

 

 クズリが不敵に微笑みながら、今にも技を放たんとする私に近寄ってくる。 

「その糸を使って、ずっと下のほうまで勁脈打ちの威力を届かそうってんだろ」

「まるで爆導索みたいですね。そんなことが出来るんですか?」

「知らねー・・・・・・コイツの技だ。コイツが一番よく知ってんだろ」

 

 気持ちのいいぐらいにズバリと言い当てられて思わず微笑む。

 クズリの言う通り、私はこの糸を使って勁脈打ちをやるつもりだ。

 もちろん初めての経験ではあるが、出来る気はしている。糸というものは”意”を伝わらせる道具としては最適だ。

 糸はあの巨大な心臓が鎮座する広間にまで達している。

 勁脈打ちのエネルギーを伝わらせて爆発させれば、あそこに通じる大穴を瞬時にこじ開けることが出来るはずだ。

 

 ・・・・・・ただ不安なのは、威力が足りるだろうかということだ。

 他の物体をすり抜けて相手の急所だけを打つのが勁脈打ちという技なんだ。その性質がゆえに、過剰な破壊力を求めたことはない。

 フルパワーで放ったら一体どれだけの威力があるのかは正直わからない。

 地下深くまでを広範囲にわたって吹き飛ばすなんてことが出来るのだろうか。

 

「手伝ってやるよォ」

「あ、あう?」

__________ユラァ・・・・・・

 膝を付いた私の肩の上に、クズリがおもむろに異形の右手を乗せてきた。

 生き物の体温とは思えないぐらいの熱をじんと感じる。

 

「手伝うですって? まさかクズリさんも勁脈打ちが使えるんですか?」

「んなわきゃねえだろ。だがよ、オレの力をコイツに上乗せすることは出来るかもしれねえ」

 

 先ほどの戦いでクズリはある異変を見たというのだ。

 私が放った稲妻と、彼女が放った炎が、射線上で何度か交わった瞬間があったのだと。

 もとからして強力な破壊力を持つ二つのエフェクトが重なった時、激しくスパークを起こした。

 それによってもたらされた壁や床の損傷はより広く深く、何よりも再生するまでに時間がかかったらしい。

 その様を見たクズリは、2人の進化態の力は共鳴させることが可能なんじゃないか、と思ったそうだ。そうすればより強力な攻撃を生み出せるんじゃないかと。

 

「おら、物はためしだ。やれよ」

 

 言うなりクズリは肩の上に置いた手に力を込めてきた。

 火傷しそうなほどの熱を肩からじんわり感じる・・・・・・が、力が強まっているかどうかというのは正直よくわからない。

 深く深く意識を潜らせていくと、クズリの右手から発せられる熱すらも瞬時に感じなくなってしまった。

 

 後はいつもと同じだ。打つと決めたものを打つ。

 垂れさがった糸の隅から隅までに狙いを研ぎ澄まし、揺らぎと化した己を全力でぶつける。

 クズリが貸してくれた力の分まで余すことなく送り込む・・・・・・

 

≪あ、ああ、なんだこれは!?≫

 

 意識が戻りきるまではどうしても感覚が鈍くなる。

 すぐ近くにいるはずのメリノヒツジの声が遠くから聞こえるような感じがする。何やらひどく驚いたような声色だ。

 だが目を開けると間もなく、彼女が絶句する理由がわかるのだった。

 

__________ゴォォォォッッ・・・・・・

 

 私たち3人がいるすぐ目の前には、直径数十メートルほどもある大穴が空いていた。

 深さはもはや目視では分からないが、下から絶え間なく吹き込んでくる生暖かい風が、断崖絶壁の前に立っているという実感を五体に与えてくる。

 ・・・・・・信じられない。私のフルパワーにクズリの助力を加えた勁脈打ちが、これほどの破壊力を産んだとは。

 

「くっせえなァ」

 功労者たるクズリは、断崖の淵に身を乗り出しながらそんな感想を漏らしていた。

 目の前の有様に驚くでもなく、生温かい風が運んでくる匂いに反応しているんだ。

 

「セルリアンの腹ン中と同じ臭いがするな。まだ食われてもいねえってのに・・・・・・こりゃあ相当なヤツがこの下にいるぜェ」

「・・・・・・やはり女王なのでしょうか」

 

 ずいぶん昔に聞いた話だ。

 クズリは動物だったころセルリアンに捕食されたんだ。完全に消化される前に死体が取り出され、ヒグラシ所長の手でフレンズへと生まれ変わった。

 この臭いは、彼女にとっては死そのものを想起させる物なのだろう。

 

「・・・・・・クククッ」

__________ダンッ

「なっ、ちょっと!? 待ってくださいよ!」

 

 クズリが何の前触れもなく動いた。

 私とメリノヒツジに合図もなく、一人でさっさと大穴の中へ身を投げたのだ。

 遠い目で昔を思い返していたように見えたが、まったくの見当違いだった。

 出会った頃からああいう奴なんだ。恐怖などという感情は、より闘志をたぎらせるための燃料でしかない。

 

「賽は投げられた」

「あ、あうっ?」

「・・・・・・もう後には引き返せないという意味さ」

 

 青ざめたメリノヒツジが覚悟を決めたように呟きながらクズリに続いた。

 彼女の言う通りだ。後には引き返せない。そしてカコさんを取り戻すまでは戻るつもりもない。

 

 決意とともに私も飛び降りる。

 いつ着地するかもわからない大穴の中を落ちていると、おもむろにゲンシ師匠に言われた言葉が頭の中に立ち上ってきた。

≪次に起きた時、おめェにとって最も大事な時がやってくるだろう。最後の、最大の試練だ≫

 ・・・・・・不思議な気分だ。これまで戦ってきた意味も、私がこの世に生まれた意味さえも、今ここに集約されているような気がする。

 

__________バチュンッ

 

 前後不覚になるぐらい落下し続けていると、横にも縦にも広いドーム状の空間へと抜け出した。

 赤黒い床が、水音とともに私たちの体を受け止めるのがわかる。

 

__________ドッ、ドッ、ドッ・・・・・・

 腹に響くような鼓動を震わせて、巨大な黒い心臓が鎮座していた。

 あまりにも禍々しい”それ”は、天井のパイプから注ぎ込まれ続ける途轍もない生命力を、動かずにひたすら内側に押し込めている。

 その黒っぽい体表のところどころが、虹を溶かし込んだように七色の光を放っている。

 眼球と思しき丸い縁取りが体の中央にはあるが、何かを見ている様子はない。

 目ではなくただの「窓」とでも言うべき無機質さだ。

 

 ・・・・・・すでに一度見た物体ではあったが、自分自身の体で対峙した時の存在感は段違いに強烈に思える。

 この異常なプレッシャーは何だ? 恐怖よりももっと原始的な、得体のしれない威圧感だ。

 

「あ、あれが女王なのか?」

 メリノヒツジが私の感想を代弁するかのようにつぶやいた。

 だが目の前にいるあの女王は、最初に見た巨大植物と同種族であるとはどう見ても思えない。

 

 プレトリアにて核爆発のエネルギーを得て誕生した巨大植物は、後先考えずに凄まじいスピードで成長し、すぐに自壊してしまった。

 いっぽうで目の前にいる女王はとても静かだ。 

 急成長してスターオブシャヘルを崩壊させるといった可能性はひとまずは無いように思える。

 

「・・・・・・そろそろ来ると思っていたぞ」

 

 静かに鎮座する巨大な女王の影から、点のような人影が姿を現した。

 一見しただけでは何者かはわからない。ダボっとした白い防護服によって全身が覆い隠されてしまっているからだ。

 

「お前たちはじつに幸運だ。この歴史的な瞬間を目の当たりに出来たのだから。

 私の御業の偉大さを身に噛みしめながら死んでいくのだから・・・・・・」

 

 だがこの声を聞き間違えるはずもない。

 通信機のたぐいを介さない肉声を放つその姿は、決してホログラムの写し身なんかじゃない。

 グレン・ヴェスパー・・・・・・私たちに悲劇を齎し続けた根源たる男が、同じ空間に立っている。

 

「ノコノコ出てくるたぁ、もう死ぬ覚悟が出来てんのか?」

「どうせ卑劣な罠でも仕掛けているんでしょうがね」

 

 クズリが鉤爪に炎を灯らせ、メリノヒツジが虚空から呼び出した槍を構えた。

 血に飢えた二匹の猛獣が、恨み骨髄の相手へ向かって、爆発寸前の殺気を向けている。

「・・・・・・あ、あうっ!」

 このままじゃ本来の目的から外れたまま2人が戦闘を始めてしまう。それを恐れた私は慌てて2人よりも前に出てグレンに視線を投げかけた。

 

「フッ・・・・・・シベリアンタイガー。お前の探し人も勿論ここにいる」

 

 グレンが私の無言の問いかけを見下すように鼻で笑うと、パチンと指を鳴らし、そのまま片手を掲げ、すぐ傍らにいる女王を指さした。 

 グレンの鳴らした指が合図になったかのように、女王の体が一部分だけ透けて見えてきたのだ。

 それはちょうどあの瞳のような部分の周辺だった。

 

(ま、まさか・・・・・・)

 

 黒く濁った液体の中に彼女の姿があった。

 固く瞳を閉じて、一糸まとわぬ白い陶器のような四肢を力なく投げ出して、カコさんが浮いていたのだ。

 

「ア、ア、ア・・・・・・」

 もうすべて手遅れになってしまったんじゃないか、という予感に顔面が青ざめさせながらカコさんの傍へ近づこうとした。

 しかし透けていた女王の体は一瞬で元の黒ずみを取り戻し、彼女の姿を覆い隠してしまった。

 

「待て! 落ち着け! ・・・・・・カコ・クリュウを殺したのか?」

 メリノヒツジが茫然自失の私の肩を掴んで制止しながらグレンに問いかけた。

 グレンは「違うな」とゆっくりと首を横に振った。

 

「生体コアとはまさしく生体。生きた部品なのだ。殺してしまっては用を成さぬよ」

「コアが再び意識を取り戻すことはあるのか?」

「そのような可能性は想定していない」

 

 カコさんはひとまずは死んでいない。しかし再び目を覚ますことはない、というのがグレンの答えだった。

 いまの彼女は細胞レベルで女王と繋がりつつあるのだと。

 大脳皮質に女王の”胚”を埋め込んだからだ。

 女王の細胞が、胚に接続することを求めてカコさんの脳の中に侵入してくる。時間が経てば経つほどに同化は進んでいく、というのだ。

 

「やがてあの美しい女の姿は失われ、他の臓器と遜色ない姿となるであろう」

「ガウウウッッ!」

 

 身をよじるような怒りが私から正気を奪い去ろうとしてくる。

 怒りは絶望とセットでやってきた。カコさんが戻らないなら世界に希望はもたらされない。

 ・・・・・・ならばもうどうでも良い、と思ってしまいそうになった。

 

__________ガシィッ

「何あきらめようとしてんだァ?」

 が、肩に乗せられた手のひらの高熱が私を正気へと揺り戻した。

 この熱はさっきから触れていたメリノヒツジではない。クズリの異形の手のひらから発せられるものだ。

 

「アムールトラよぉ、オレはてめえにボコられて一度死んでたらしいんだよなァ・・・・・・でもまだ生きてるぜ? てめえも今はこうして正気を取り戻してる。それはどうしてだァ?」

「ウウッ?」

「オレたちにツキが巡ってきてるからに決まってんだろうが」

 

 クズリはそれだけ言って私から手を離すと、再び手のひらに黒い炎をともして前に出た。

 根拠はなくても、ともかく自分たちに幸運が巡ってくると信じる。

 上手くいかない可能性なんて意識の片隅にも登らない。

 そんな気風をほとばしらせる彼女が、御託はいらないと言わんばかりに会話から戦闘へと場の空気を切り替えた。

 

「援護しますっ!!」

 最初に動いたのはメリノヒツジだ。

 怒声とともに無数の投げナイフが、機関銃のような勢いでグレンめがけて投げつけられる。

 そして、ナイフに先んじる形でクズリが先陣を切っていた。

 音速に迫る素早さでいつの間にかグレンに接近し、黒い炎を発する鉤爪を振り下ろしていた。

 

 ・・・・・・これで決まりかと思った。

 ただのヒト一人を相手に、百戦錬磨のフレンズ2人がかり。常識で考えれば余りにも一方的な組み合わせだ。

 そのうえ今のクズリの動きはヒトの反射神経を遥かに超えている。自慢じゃないがあれを見切れるのは私だけだ。

 

__________ガイインッ!

 

「ぐっ、何だァ!?」

「・・・・・・それで私を攻撃しているつもりかね」

 

 とつじょ地面から黒色の壁が隆起し、クズリの爪の一撃を受け止めた。

 そして数コンマ遅れて飛んでくるメリノヒツジの投げナイフも、グレン・ヴェスパーの体のすぐ手前で、新たに現れた別の障壁に突き刺さって止まった。

 

「なぜ私がわざわざお前たちの前に姿を現したのだと思う?」

 

 謎の障壁に守られて傷一つ負っていないグレンは、その場から一歩も動かないまま、あざけるように溜息をついた。

__________ギチギチギチッ

 障壁が生々しい音を立てながら蠢く。そして無数の空虚な”瞳”がびっしりと表面に現れた。

 その正体は無数のセルリアンの集合体だったのだ。

 

「理由はただ一つ。勝利を確信しているからだ・・・・・・何度でも来るといい。お前たちが絶望するまでここで見ておいてやろう」

「舐めてんじゃねえよっ!」

 

 怒気を纏わせるクズリが力任せに障壁を引き裂く。

 セルリアンの集合体たる黒い壁が難なく四散する・・・・・・しかし無数の黒い肉片は消滅することなく、形を保ったまま空中で制止した。

 

__________ドキュキュキュッ!

 かと思いきや、肉片が意思を持ったように動き出し、機関銃のごとくクズリに飛んできた。

 思わぬ反撃を前にして、さしもの彼女もいなすのが精一杯で、反撃に転じることはできなかった。弾のいくつは躱しきれず、異形の右手で受け止めていたようだった。

 

 いったん引いたクズリが「おい」と私へ一瞥を投げかけてくる。

「・・・・・・ガオオオッッッ!!」

 彼女の意図を察した私は、相槌の代わりに獣じみた唸り声を発した。

 私は私のまま戦い抜いてみせる。

 そんな決意の咆哮とともに戦闘のスイッチを入れて、同じ黒い炎を鉤爪に灯すクズリの横に並び立った。

 

__________ドギャギャギャッッ!

 

 どちらからともなく呼吸を合わせてグレン・ヴェスパーを挟みこむと、持ちうる限りのパワーとスピードで連続攻撃を仕掛けた。

「・・・・・・こ、こんなの見切れっこない!」

 少し離れた所で武器を構えているメリノヒツジが絶句している姿がチラリと見える。

 援護射撃をしようとしてくれているのだ。だがタイミングを見つけられないために動くことが出来ないでいるようだ。

 

 交錯する稲妻、あるいは竜巻。

 ひいき目に言って私とクズリの連携はそれぐらいの密度があると思う・・・・・・が、しかしグレン・ヴェスパーにはまるで通じない。

 奴は一歩も動いていないし、そもそも私たちのことを目で追ってすらいない。

 にもかかわらず、攻撃が奴に届く一歩手前で受け止められてしまうのだ。

 

 奴の周囲には、セルリアンとおぼしき虚無の一つ目を生やした夥しい数の黒い球体が飛び回っている。先ほどの障壁と同じように、それらが私たちヤツへの攻撃をことごとく遮断してしまっているのだ。

 

「進化したフレンズが2匹揃ってこうも無力とは・・・・・・情報を下方修正しなくてはなるまいか」

「見損なうのは早いぜっ!」

 

 阿吽の呼吸でいったん引き下がると、私とクズリはそれぞれ自身の内側から湧き出る黒いエネルギーをチャージしていった。私は突き出した両腕に雷を、クズリは顔の前に掲げた右手に炎を・・・・・

 私たちに備わった進化態の力は、重ね合わせることでより威力を増すのはすでに実証済みだ。

 そしてそれが今出来る最も強力な攻撃であるに違いない・・・・・・いかに奴が大量のセルリアンに守られていようと、防御ごと焼き尽くすことが出来るはずだ。

 

「行けえっ!」

「ガアアアッッ!」

 

 限界まで凝縮した雷と炎を同じタイミングで打ち放つ。

 空中で重ね合ったふたつがスパークし、視界を覆うほどに眩しい光と化した。

 地面を吹き飛ばしながら突き進む閃光に、微動だにしないグレン・ヴェスパーが包まれた。

 

__________シュウウッ・・・・・・

 光は数秒ほどで収束し、周囲の様相が露わになっていった。

 深々と抉り飛ばされた地面の様相を見て、その強烈な威力に、私たち3人の誰もが戦いの終結を予見した。

 

「やれやれだ・・・・・・やはり愚かな畜生どもにはわかるまいか」

 

 しかしそんな予想はあっけなく覆されることになる。

 防護ヘルメットごしに嘲る笑みを浮かべながら、グレン・ヴェスパーは健在のまま立っていた。

 無数のセルリアンが寄り集まって作られた黒い結晶体が、強固な盾のように奴の前方に出現し、私たちの攻撃を防ぎきってしまっていた。

 

__________バチバチバチッ

 今度はグレンのいる側が眩く光り始める。

 宙に浮いた結晶体が電流を放ちながら白熱化してきている・・・・・・。

 

「危ない! 避けてください!」

 メリノヒツジが飛び出し、黄金の盾を展開しながら私たちの前に立った。

 結晶体から途轍もないエネルギーの奔流が放たれ、先ほどと同じように眼が眩む光が視界を包んだ。光の出どころはさっきとは真逆だ。

 

 ・・・・・・メリノヒツジは反撃が飛んでくることを予測していたのか、先んじて動き私とクズリを庇ってくれたのだ。

 しかし完全に防ぎきることは叶わなかった。

 光のいくらかは金色の盾によって左右に分散されたが、ほどなくして盾が粉砕されメリノヒツジを直撃し、後ろにいる私たちもろとも爆風に吹き飛ばされた。

 

「が、ガハァ!」

「メリノっ! しっかりしやがれ!」

「・・・・・・く、クズリさん、謎が解けてきましたよ」

 

 メリノヒツジが地面に倒れ込みながら呟く。

 彼女は私とクズリを庇ったことで全身が焼けただれるほどの重傷を負ってしまっていた。

 

「2人が攻撃を加えれば加えるほど、敵の動きがだんだん良くなってきているように見えました。まるでこちらの攻撃を学習しているかのように・・・・・・そして今の攻撃の正体も恐らく、こちらを模倣した物・・・・・・」

「目ざといヒツジよ、最初に気付くのは矢張りお前だったか。その洞察力は褒めてやろう・・・・・・だがもう何もかも遅い。ここに足を踏み入れた時点でお前らの敗北は確定していたのだ」

 

 勝ち誇ったグレンは己のすぐそばにある”巨大な心臓”に触れ、それを満足げに見上げながらつぶやいた。

 

「女王とはお前らの目の前にある”これ”のことではないぞ。

 これは単に女王のコアでしかない・・・・・・先ほどからお前たちが足を踏み入れている、この区画全体が女王の肉体であり、餌場なのだ!

 お前たちはそうとも知らず、女王に数多くの糧を与えてくれた。本当に感謝する」

「・・・・・・か、糧、だと・・・・・・?」

 

 セルリアンの女王の特質とは、周囲のエネルギーを捕食し、それを糧に無制限に自己進化し続けることだという。

 しかし最初にプレトリアにて生まれた女王は、捕食する対象が定まっていなかったために、周囲のありとあらゆる物質を捕食して成長を遂げようとした。

 結果として成長スピードにエネルギー供給が追いつかず、あっという間に栄養が尽きて動けなくなってしまった。

 

「あまりにも無差別な女王の捕食行動は致命的な弱点だ。それにブレーキをかけるためにも、カコ・クリュウという生体コアを通じてコントロールする必要があったのだ。

 その結果この新たなる女王は、捕食する対象を明確に限定することに成功している」

「そ、その対象とは・・・・・・」

「メリノシープ、お前はもう気付いているな? そう、貴様らフレンズの、サンドスターを伴った攻撃エネルギーだ!」

 

 ここにたどり着くまでに私たちのことを襲ってきた無数の小型セルリアン。

 あれらは女王を成長させるために、グレン・ヴェスパーが意図的に差し向けた物だったらしい。

 私たちが小型セルリアンを蹴散らせば蹴散らすほど、その攻撃が女王の糧となっていった。 

 私の放った稲妻が、クズリの放った炎が、女王を着実に成長させていった。

 その結果、私たちと遜色ない威力の攻撃まで放てるようになってしまった、というのだ。

 

「・・・・・・もうひとつ気になっていることがあるだろう。なぜ女王が私のことを守るのか、その秘密はこれだ」

 

 グレンがおもむろに防護服の胸元にあるポケットを開き、そこに入っている物体を掲げて見せてきた。

 それはペンダントだった。細い鎖で編まれた紐の先に、手のひらに収まるほどの小さなガラス玉が取り付けられている。

 いっけんして何の変哲もない首飾りに見えたが、ガラス玉の中には、よく見ると何か異様な物体が入れられていた。

 

 虹色に輝くとても小さなそれは、どうやら生命体のようであった。

 ・・・・・・カニか、あるいはクモみたいな複数の脚を生やした胴体に、蛇のような長い尻尾が生えている。脚と尻尾をコンパクトに丸めてガラス玉の中に収まっている。

 

「・・・・・・女王の胚だよ。カコ・クリュウの脳に埋め込んだ物の片割れだ」

 

 女王の生命の源に等しい胚。

 それを手中にしているグレンは、女王の体内にいるカコさんと等しく、女王に守られる存在と化しているのだという。

 あの胚がグレンの手元にある限り、私たちの攻撃が奴に届くことはない・・・・・・

 

「お分かりいただけたかな? ・・・・・・権力と財力を極めながら、最強の武力すらも手にした今の私はもはや、神にも等しい存在なのだ」

 

 グレンが奇妙な挙動を始めた。

 掲げた両手を広げたり閉じたり、それはまるでオーケストラの指揮者のような動きだった。

 ・・・・・・すると奴の周囲を飛び回っていた小型セルリアンが、奴の手の動きに合わせて激しく目まぐるしく動き出した。

 

「さあ、絶望の時だ!」

 ほくそ笑むグレンが両手を振り下ろした瞬間、小型セルリアンが一斉にこちらに向かって飛んできた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
年齢:74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「ジェームス・F・ゴードン(James Feynman Gordon)」
年齢:72歳、性別:男、職業:Cフォース本部 防諜担当副次官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章36 「じょおうたんじょう」(後編)

 

 嵐のように襲い来る小型セルリアンの一斉攻撃に対して、私たちは防戦一方に陥っていた。

 一体を躱す間に、違う方向から別の十体が襲い来るほどの勢いだ。

 これらは一見無数の小型セルリアンに見えるがそうじゃない。いわば一体一体が女王を構成する細胞であり、完璧に統率が取れた動きで襲い掛かってくる。

 そして恐ろしいのは圧倒的な物量だけじゃない。敵はいまや完全に私とクズリの動きに付いてきているのだ。

 

 女王の能力は、敵の力を学習し模倣することだと聞く。

 こちらが強ければ強いほど、女王もまた強大に成長し立ちはだかってくる・・・・・・まさしくセルリアンの頂点に立つ者にふさわしい、悪夢のごとき強敵だ。

 

 グレン・ヴェスパーはそんな女王の能力を利用して、私たちをまんまと罠に嵌めてきた。

 女王の心臓がそびえ立つこの部屋で私たちを迎え撃つために、大量のセルリアンを私たちに差し向けることで、女王の学習行為を促進させていたんだ。

 

「くそったれ!」

「ガァウウ」

 

 飛び回って躱し続けていた私とクズリも次第に追い詰められていき、ついには直撃を食らって地面に落とされた。

「死ねええええええっっっ!」

 絶叫とともに追撃が飛んでくる。

 グレンが狂喜乱舞しながら手を下ろすと、セルリアンの群れが私たちを仕留めんと地面に振り注いできたのだ。

 

__________ガガガガガッッ!

 が、すんでのところでメリノヒツジが助けに入ってくれた。

 金色の盾を携えながら、動けないでいる私たちに覆いかぶさるように割って入ったのだ。

「や、やらせないぞ・・・・・・」

 彼女は女王が放った稲妻に全身を焼かれたはずだった。

 あの時はてっきり致命傷を負ってしまったものだと思ったが、辛うじて命を繋いだようだ。

 だが息も絶え絶えで、動いているのがやっとという感じだ。

 そんな体でまたも私たちのことを庇ってくれたのだ。

 

「へっ、大したしぶとさじゃねえか」

「はぁ、はぁ、・・・・・・あ、あの光に焼かれた時、僕の体は無意識のうちに鎧のような物を身に纏っていました。どうやらそれが僕を守ってくれたようです」

「てめえにも”二つ目の能力”が現れたってことか?」

「・・・・・・わ、わかりません。そうだとしても、まだ物にはなっていない・・・・・・あの男に一泡吹かせることはとても・・・・・・」

 

 悔しそうに顔をゆがめるメリノヒツジの焼けただれた全身からは、ススのような金色の煙が立ち上っていた。

 フレンズの肉が燃えてもあんな色の煙は出ない。

 あれはきっとメリノヒツジの能力の残滓だ。彼女が言う通り、無意識のうちに鎧を身にまとって身を守ることが出来たのかもしれない。

 

 ・・・・・・が、しかしそれ以上のことは出来ない。

 女王に守られているグレン・ヴェスパーが余裕の表情を浮かべているというのに、奴に攻撃を届かせることも、その隙を見つけることさえも出来ないでいる。

 

 メリノヒツジの限界も近い。

 小型セルリアンの体当たりを受け止め続けて、彼女の盾には早くも亀裂が入り始めている。

 もう間もなく破られてしまうだろう。きっと再び盾を展開する余力も残っていないはず。

 いま逆転の一手を打たなければ私たちの敗北が決まる。

 

「メリノ、もう少し持たせろよ。オレたちで決めてくるからよォ」

__________メキメキメキッッ

 変わらぬ闘志を滾らせるクズリが、鉤爪の無い左手を顔の前で握りしめた。

 それを見て驚いた・・・・・・私の経験上、彼女があのポーズを取った時には何らかの勝ち筋をすでに見つけてしまっているからだ。

 

「く、クズリさん。言いにくいことなんですが・・・・・・」

「なんだァ?」

「無茶はしないでください。あなたは自分が思っているより体力を消耗しているはずです」

 

 誰よりもクズリの強さを信頼しているメリノヒツジから、まさかの弱気な発言が飛び出した。

 しかしずっと傍で見てきた彼女の言葉なら何よりも信頼におけるはずだろう。

 

 進化促進薬によって蘇生したクズリは、その後も激闘続きだった。

 私よりも肉体や言語能力への影響が少なかったこともあってか、暴走を恐れずに進化態の力を乱発した。

 またハイブリッドのあの子によって重傷を負わされた時も、尋常ならざる回復力で傷を治してみせたものの、肉体には相応の負荷がかかっているはずだと。

 メリノヒツジはそういった懸念をつらつらと並べた。

 

「ふーん・・・・・・そうか、だからてめえは何度も命がけでオレのことを庇ってくれてたってわけか。そんなボロボロの体でよ」

「・・・・・・は、はい」

「だが心配すんな。オレだけじゃねえ、オレとアムールトラで勝負を決めるんだよォ」

 

 メリノヒツジの進言を自信たっぷりに撥ねつけたクズリは、言うなり私のほうを向いてニヤリと笑みを浮かべた。

「まずはてめえの出番だぜ」

 なんとなくクズリが何をする気なのか分かりかけてきた。

 そしてどうやらきつい役目を私に任せようとしていることも。

 ・・・・・・だが私は信じることにした。握りしめた彼女の左手から発せられる必殺への決意は、いま何よりも信頼できるものだと思った。

 

__________タンッ

 今にも砕け散りそうな盾に身を隠しながら、地面に手のひらを押し付けた。

 何を狙うかは決まっている。

 グレン・ヴェスパーが身に付けているネックレス。あれに取り付けられたガラス玉の中にある女王の胚。

 ・・・・・・あれさえ破壊することが出来れば、奴は女王をコントロールすることが出来なくなるはずなんだ。

 

≪バカめっ! その技は女王にはもう通じぬわ!≫

 

 意識を潜らせる直前に、グレンの勝ち誇る声が遠くから聞こえたような気がした。

 かまわずにさらに深く深くに潜り、ゆらめくシルエットと化した奴の立ち姿めがけて、閃光とかした体を一直線に打ち放った。

 

__________ギュンギュンギュンッ!

 首元にぶら下がる光玉まであとわずか。

 そう思っていた矢先、暗闇の世界を駆け抜ける私に向かってくる無数の閃光を垣間見た。

 思っていた通りのことが起こってしまった。

 信じがたいことだが、女王は持ち前の模倣能力ですでに勁脈打ちを学習してしまっている。

 学習が成されたのはきっと、女王のコアがあるこの部屋に入り込むために、私が勁脈打ちを使って大穴を開けたあの時だろう。

 

 ・・・・・・ゲンシ師匠から継承した大事な技を、セルリアンなんかにいとも容易く真似されてしまうなんて、驚き以上にプライドが傷つけられる気持ちになった。

 だから私は朔流を受け継ぐ者の誇りにかけて、絶望的な勝負に一歩も引かず挑むことにした。

 

__________ガカァァァッッ!

 流星群のごとく向かってくるセルリアンたちの”意”に向かって、一筋の彗星のような体を真正面から衝突させた。

 無数にいる内の何体を蹴散らすことは出来たが、あっという間に纏わりつかれ、圧倒的な馬力の差によって押し返された。

 

 こんな感覚は初めてだ。痛いとか苦しいとかじゃない。存在が押し潰されて消えてしまいそうになる圧迫感だけが伝わってくる。

 現実世界での力比べではなく”意”と”意”をぶつけ合うというのは、こういう感覚をもたらすものなのか。

 

(・・・・・・ま、負けてたまるかァ!)

 暗闇の中で己を奮起させ、消えそうになっていた光を増大させる。

 しかしそんな私をあざ笑うように、夥しい量のセルリアンの”意”が、なおさら激しく纏わりついてくる。

 単純なぶつかり合いならば絶対量が多い方が勝つのは当たり前だ。百人と相撲を取って押し勝てる一人などこの世に存在しない。

 

(し、師匠、私に力を・・・・・・)

 押し潰そうとしてくる光に向かってのせめてもの抵抗を続けていると、もはや辺りの暗闇がかき消えて、真っ白い光の中にいるような気さえした。

 閃光に飲まれて、私という意識はあえなく燃え尽きた。

 

≪・・・・・・あ、アムールトラ! 大丈夫か!≫

 

 現実世界へと帰還を果たすと、今にも砕け散りそうな盾を構えているメリノヒツジが心配そうに声をかけてくる。

 相変わらずボロボロの姿だ。

 まあ、現実世界では恐らく一瞬の時間しか経過していないだろうから、回復なんてしてないのが当たり前だが。

 ・・・・・・勝てるはずのない勝負でも私が引かなかったのは、すでに何度も死線を超えて戦っているメリノヒツジがいたからだ。

 これで少しは彼女の頑張りに答えることが出来たかな、と内心でそんなことを思った。

 

__________ゴパァァッ

 メリノヒツジと目を合わせていた私の視界が、無意識のうちにグルっと90度横に回転した。

 口から、鼻から、耳の穴から、そして目蓋から・・・・・・すべての穴から鮮血を噴出させながら力なく突っ伏してしまった。

 血だまりが留まることなく地面に広がっていく。

 

「ゼ、ゼェ・・・ヒュウ・・・」

 女王にしてやられた。圧倒的な手数の勁脈打ちによって体内に致命的な傷を負わされた。

 体じゅう何十か所もの骨が砕かれ、内臓が破裂させられている。

 自分の技ながら、その威力の凄まじさには改めて驚かされる気分になった。

 

 それでも即死していないのは、私もまたギリギリまで勁脈打ちで対抗したからだ。

 本当ならばセルリアン達が狙っていたのは私の心臓だったはず。しかし決死の抵抗によって、急所への直撃は避けることができた。

 

 私の仕事はここまでで良いはずだ。

 精一杯奴らの注意を引いた。現実に戻りさえすれば私は決して一人じゃない。

 切り札を持つ者は他にいる。

 無敵の称号を持つ私のライバル・・・・・・突っ伏しながら視線だけ上げると、頼もしいその姿が前に飛び出していくのが見えた。

 

「オラァッ!」

 

 クズリが音速の身のこなしで瞬時にグレン・ヴェスパーへと間合いを詰め、凝縮された殺気を乗せた左手を繰り出した。

 飛び回っていたセルリアンたちの反応は、私を迎撃することに気を回したことで、わずかな間ではあるが中断され、その隙を使ってクズリが近づくことが出来たのだ。

 

 ・・・・・・が、女王による鉄壁の防御は健在だ。

 セルリアンがクズリの左手を受け止めた後で、ようやっと遅れて反応したグレンが、余裕の表情でクズリに視線だけを流す。

 

「クククッ、まだ悪あがきがしたいのかね」

「・・・・・・いいや、てめえの顔はもう見飽きたぜ」

 

__________バチャッ! バチャバチャッッ!

 クズリが触れているセルリアンが一匹、また一匹と破裂しはじめた。

 肉の壁を押しのけながら一歩ずつ着実にグレン・ヴェスパーに近づいていっている。

 

「行けええッッ!! やってくれェ!!」

 メリノヒツジがあたかも自分が攻撃しているかのように怒号を上げる。言わずもがなクズリの攻撃をとことん信頼しているのだ。

 彼女のふたつめの能力・・・・・・手のひらに触れたあらゆるものを握り潰す力。

 地面すらもくり抜いて手のひらサイズに圧縮してしまうその力を以てグレン・ヴェスパーにトドメを指そうというのだ。

 

 女王はまだあの攻撃を食らったことがない。

 だから直ちに模倣することは出来ないはずだ。

 どれぐらいの時間で女王に技が学習されてしまうのかはわからないし、それまでに防御を突破しきれる保証はないが、あの攻撃に私たちのすべてを懸けることにした。

 

「それがどうしたと・・・・・・くっ!? な、何!?」

 

 グレン・ヴェスパーが身をよじる。

 クズリの攻撃についに身の危険を感じたのか、今まで一歩も動かずに女王を操って悦に入っていた男が後退しようとしているのだ。

 だが動いたのは奴の上半身だけで、足元は地面に張り付いたように一歩も動かない。

 クズリの”握り潰す力”が、セルリアンの体細胞ごしに、グレンの足元近くにまで伝わり始めている証拠だ。

 

「”虫”ども! 我が前に全て集まれ! 奴を通すな!」

 表情に焦りの色を隠せなくなったグレンが諸手を上げると、広い空間全体が鳴動し、大量の小型セルリアンが命令通りに奴の前へ集まっていった。

 クズリに握りつぶされる傍から絶え間なく凝縮し、肉の壁として立ちはだかってきた。

 

「・・・・・・ろすぞあぁぁっっ!」

「うおおおっ、ち、近づくな獣め!」

 

 こうなればクズリと女王の根競べだ。

 彼女の体からは、野生開放を示す金色の光と、進化態の力を示す黒い炎が織り交ざって放射されている。己の持てる力を全て出しつくさんとしているのが伝わってくる。

 ・・・・・・すでに満身創痍となっている私は、クズリの背中に思いを託すように視線を注ぎ続けた。

 

__________シュウウンッ

 だがしかし、場の空気が突然に一変する。

 クズリの手のひらがグレンの体に触れるやいなや、彼女の全身から発せられていた光の奔流がぱたりと途絶えてしまったのだ・・・・・・。

 

「ち、ちきしょうが!」

 依然として闘志が衰えていないクズリが悔しそうに呟く。

 メリノヒツジが懸念した通り、クズリは技をまともに放てないほどに消耗してしまっていた。

 間に合わなかった・・・・・・ここまで来て、こうまで不運なタイミングで、それが顕在化してしまったんだ。

 

__________ドッシャアアアッ!

 押されていた小型セルリアンたちが瞬時に勢いを盛り返す。

 炸裂する黒い津波によって、クズリの体はいとも容易く跳ね飛ばされてしまった。

 

「フ、フハハハッッ! お前ごときが私に触れられるはずなかろうが!」

 九死に一生を得たことを悟ったグレン・ヴェスパーが、全身を震わせながらひとしきり哄笑すると、おもむろに右腕を垂直に上げた。

 ・・・・・・すると、小型セルリアンたちがその腕の周りを竜巻のように旋回しはじめ、先端が鋭く尖った円錐を形作った。

 その様はまるで巨大なドリルのようだ。

 

「クククッ、汚らわしい獣の分際で神に逆らった罰を与えてやるぞ」

__________ズギュイイインッ!

 ケタケタと笑ったままのグレンがうずくまっているクズリに近づくと、振りかざしたドリルを腹部に突き刺した。

 クズリが声にならない悲鳴を上げながら体をびくびくと震わせた。

 

「や、やめろぉぉッ!」

 血相を変えたメリノヒツジが槍を携えて止めに入る。

 だがグレン・ヴェスパーを見向きさせることも出来ないまま、地面から生えだした触手に薙ぎ払われた。

 いまのグレンはひたすらにクズリだけに執着しているようだ。

 

「ガウ、ウウッ・・・・・・」

 もちろん私もメリノヒツジに続こうとした。

 ・・・・・・だが今の私にはもう立ち上がることすら叶わないようだった。

 女王の勁脈打ちによって背骨か何かを砕かれたのだろうか、腰から下の感覚すら無くなってしまっていたのだ。

 もはや打つ手がなくなった絶望的な状況に胸の奥がざわつく。

 

「・・・・・・何でだァ!! 何でお前なんかがクズリさんにっ!」

 

 槍を支えに何とか立ちあがったメリノヒツジが絶叫する。

 彼女が目標とする本物の強者クズリが、自分で戦う力もない、他の何かを操って悦に入っているだけのグレン・ヴェスパーなどに敗北した。

 その悔しさは察するに余りあるだろう。

 

「思いあがるなぁッッ! お前たちと私では持って生まれた格が違うのだッ!」

 

 狂喜するグレン・ヴェスパーがクズリの腹からドリルを引き抜くと、また新たに別の場所を刺し貫く。

 クズリの体は再び血まみれのボロ雑巾へと戻っていった・・・・・・それはまるで暴走した私に蹂躙された時のように。

 

「さあウルヴァリン、私に屈服しろ。惨めに這いつくばって命乞いをするのだ」

「・・・・・・なん、だと、コラァ」

 

 ひとしきり鬱憤を発散したグレン・ヴェスパーが口調に落ち着きを取り戻し、クズリに向けてそんなことを口走った。

 

「お前はこの私のことを愚弄したな? それだけじゃない。お前だけは一度たりとも私を恐れなかった。いままで誰もが私を恐れ媚びへつらってきたというのに。

 ・・・・・・ウルヴァリンよ。お前を見ていると、あの男を思い出して虫唾が走るのだ」

 

 防護服のバイザーごしにグレン・ヴェスパーが遠い目をしながら、誰に聞かせるでもなく自らの過去を回想しはじめた。

 裕福な家柄、美麗な容姿、優れた知能。

 生まれながらにして全てを持ち合わせていたグレン・ヴェスパーの人生は敗北とは無縁だった。約束された成功に対して邁進した半生だった。

 50にもなる頃には、いくつもの会社を経営するかたわら、生物学者としてもいくつもの賞を受賞し、政界にもパイプを持つ名士だった。

 

「しかしそんな時、あの男が我が前に現れた。

 ジューゾー・トオサカ・・・・・・我が人生唯一の汚点」

 

 グレン・ヴェスパーの口から飛び出したのは他でもない、カコさんの父の名前だった。

 そこから先の話は、これまでに何度も聞かされたエピソードだ。

 始まりの地プレトリアにて発見された未知の生物セルリアン、そしてフレンズ。

 それを研究するために集まった遠坂重三さんやグレン・ヴェスパー、ヒグラシ所長などの学者たち・・・・・・幼い遠坂さんの娘カコさんもその一人だった。

 

 最初こそ一丸となって研究に取り組んでいた研究チームだったが、フレンズの扱いを巡って意見が真っ二つに割れてしまった。

 フレンズ保護を唱えた遠坂さんと、軍事利用を唱えたグレン・ヴェスパー。

 2人の論争は最終的に、当時アメリカ大統領夫人だったイーラ女史の介入で遠坂さんの勝利に終わった。

 

「小癪な男め! 政界の女狸に上手いこと取り入って、バカげた理想を押し通しよった! ・・・・・・あのとき我が敗北が全世界に喧伝された! ゆるしがたああいっ!!」

 

 グレン・ヴェスパーが天を仰ぎ吠える。

 もう死んでしまった遠坂さんに対して、20年も前のことを、つい今この瞬間に起きたことのように怒り狂っているのだ。

 ・・・・・・なんとなくわかってきた。20年前のたった一度の手痛い敗北がこの男の怪物性を形作ったんだ。

 そしてそれだけがすべての原因。

 私たちフレンズも、カコさんも、ヒグラシ所長も、この男のちっぽけな私怨に振り回されて・・・・・・ついには核さえも落とされた。

 

「何度ジューゾーに刺客を差し向けたことか。しかしあの男は運よく逃れ地下に潜り・・・・・・あげく私の関係のないところで死におった!」

「そ、そんな話、クズリさんに何の関係もないじゃないか!?」

「あの男のように、私を見て恐れない者の存在が許せない・・・・・・屈服させてやらなくては気が済まない!」

 

 メリノヒツジはグレンの言動に、怒りを通り越して困惑さえ覚えている様子だった。

 そして何かに気づいたように表情を青ざめさせ「まさかお前は」と息を飲んだ。

 

「だから僕たちから逃げなかったのか? 切り札である女王の胚を使ってまで、クズリさんを屈服させるために・・・・・・? たかがそんなことのために・・・・・・?」

 

 沈黙が答えだった。

 奴にとってクズリを屈服させることはきっと、自分の中にある亡き遠坂さんの幻影を屈服させることに等しいんだ。

__________ガクンッ

 刹那、槍を支えに何とか立っていたメリノヒツジが、精も根も尽き果てたように膝を付きうなだれた。

 

 メリノヒツジはきっと悟ったんだ。

 グレン・ヴェスパーの残虐さも傲慢さも、奴の中ではむしろ人間らしい部分であることを。

 私怨に基づいた虚栄心・・・・・・その核にある幼稚とも言えるほどの空虚さこそが、このヒトの形をした怪物の本質であることを。

 その理解不能な歪さを前にして、幾たびも仲間のために命を懸けてきた勇敢な彼女をして、ついに心が折れてしまったようだ。

 

(くそっ・・・・・・何とかしなくちゃ!)

 

 メリノヒツジも戦闘不能になり、ついに動けるのは私だけだ。

 両手を使って這いずり、何とかクズリのところへ行こうと足掻くも、視界が薄暗くなり、体が冷たくなっていくのがわかる。

 あまりにも血を失い過ぎた結果だ。だんだんと近づいてくる死の予感に焦りが隠せない。

 

 もはや最後の手段に出るしかないと思った。

 ・・・・・・それは、もう一度暴走することだ。

 この状況を打破することができなくても、グレン・ヴェスパーに一泡吹かせることぐらいは出来るかもしれない。

 

__________グゴゴゴゴッ

 己の内側にあるどす黒い怒りを爆発させるイメージを思い描く。

 すると這いつくばった両腕から見る間に黒い炎が立ち上ってきた。こんな死にかけの体でも、私の中にいる”アイツ”はまだまだ健在であるようだ。もう少しであの恐ろしい獣が目覚める・・・・・・

 

__________スッ

 しかし怪物に意識を投げ渡さんとしている私を引き留めるように、何者かが私のそばに立ち、燃え盛る黒い鉤爪の上に手を置いてきた。

(き、君は・・・・・・!)

 ここにはいない。いや、もうどこにもいるはずのない者の姿を私は見た。

 スパイダー・・・・・・暴走した私に捕食されてしまったはずの彼女が、全身が金色に輝く幻影と化して私の前に現れたのだ。

 

__________あきらめんなっス

 優し気に微笑むスパイダーの口元が動く。

 声は聞こえないけれど、きっとそんなことを言ってくれているような気がした。命を奪った張本人である私を励ましてくれているのだ。

 幻なんかじゃない。彼女は今も私の中にいる。

 他者のために生き、他者のために死んでいった彼女の善意が、冷たくなった私の体を温めているのがわかる。

 みるみるうちに全身の負傷が癒えていくのを感じた。

 

(ごめんね・・・・・・本当に。君の分まで、君みたいに生きてみせるよ)

 

 かき消えていくスパイダーの幻影に告げると、これから自分がやるべきことに思いをはせた。

 私のあらゆる攻撃は女王には通じない。だがひとつだけやっていないことがある。

 大極へと至る。他者の精神に入り込むあの技を使えば、ひょっとしたらこの難局を脱することが出来るかもしれない。

 

(・・・・・・カコさんに呼びかけるんだ)

 

__________ズンッ

 地面に這いつくばっていた全身を溶かすように意識を暗闇に潜らせる。

 すると”意”の世界にて、無数のセルリアンの”意”がふたたび私に襲い掛かってきた。

 私が性懲りもなくぶつかり合いの勝負を挑んできたとでも思っているのだろう・・・・・・だがもうそんなつもりはない。

 

 追跡してくる無数の閃光にわき目も振らずに、世界の奥底へと、深い深い深淵の先へと潜っていった。 

 この先に何があるのかは既に知っている。

 有と無の境界だ。ここを通り抜ける技を持つのは私だけ・・・・・・これでセルリアンたちを振り切ることが出来る。

 

__________トプンッ

 大極に至ると、星空のような無数の光が渦を巻いている異空間へと躍り出た。

 あの光のひとつひとつが、おそらくは小型セルリアンたちの魂なのだろう。あれほどしつこく追いかけてきた奴らも、いまや私のことを知覚さえできていない。

 この光の中にはきっとグレン・ヴェスパーの魂もある。探し出すことさえできれば、こっちから一方的に攻撃することだってできるだろう。

 

 ・・・・・・だがそもそもの目的はカコさんを救い出すことだ。

 女王の生体コアとして深い眠りに付いている彼女は、時間が経てば経つほどに女王との同化が進み、やがて取り返しがつかないことになる。 

 逆に彼女を呼び起こし目覚めさせることが出来れば、女王を無力化することが出来る。

 グレン・ヴェスパーのコントロールも受け付けなくなり、クズリだって助けることが出来る。

 

(カコさんっっ! どこにいるんですか!?)

 

 それはまるで砂の海の中から一粒のダイアモンドを探し出すような所業だった。

 魂と化してしまえばヒトもセルリアンも見た目からは大した違いがなくなってしまう。

 ひとつひとつに入り込んで心の中を覗くわけにもいかず、目を凝らして細かな違いを観察するしかなかった。

 

「・・・・・・」

(カコさん?)

 

 具体的な感想が言えるわけではないが、無数に蠢く光の中で、何故だか無性に心を惹かれる美しい形の魂を見つけた。

 意識を向ければ向けるほどに、魂の詳細な形が私の目に映るように思えた。

 ・・・・・・それは膝を抱いて丸まっている髪の長い女性の姿だった。

 この世の全てを拒絶するように頭を伏せ、表情をすっかり隠してしまっている。

 

(カコさん! 起きてください!)

 喜び勇んでカコさんの魂へと近寄り肩を叩く・・・・・・が、反応はない。

 やはり深い眠りに落ちているのだろうか、と思って伏せられた顔を覗き込むと、意外な光景が飛び込んできた。

 

「・・・・・・」

 彼女は眠ってなどいない。しっかりと目を見開いている。

 我を忘れているわけでもなさそうだ。思索にふけるような、鋭い意思と精気の宿った目で遠い虚空のかなたを見つめている。

 ならどうして返事をしてくれないのだろう。こんなに近くで呼びかけている私に気付かないはずはないし・・・・・・

 

(行きましょう! みんな、みんなあなたの帰りを待ってるんだ!) 

 

 カコさんの手を強引に取り、現実世界へと引っ張り上げることにした。

 彼女は意識を保ちながらも相変わらず反応がなく、私にされるがまま星空の海をゆらゆらと渡っていった。

 やがてまばゆい光が辺り一面を覆い隠し、私たち二人の姿はその中に飲まれて消えた。

 

「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」

 

 這いつくばったまま意識を取り戻した私は、いそいで周囲の様子を観察した。

 例によって時間はまったくと言って良いほど経っていない。

 私のすぐそばには心が折れて動けなくなったメリノヒツジがうずくまっている。

 すぐ向こうではグレンが相変わらず勝利を確信して大笑いしており、その下では血まみれのクズリが横たわっている。

 

__________ドッ、ドッ、ドッ・・・・・・

 そして最後に、カコさんが囚われている巨大な女王のコアを見上げた。

 ・・・・・・一見して何の変化もない。あいも変わらず静かに脈動し、強い圧迫感を放ち続けているだけだ。

 確かに彼女を呼び覚ましたはずなのに、しくじったとでも言うのだろうか。

 

「さあウルヴァリン! 私を恐れろ! ひれ伏せ!」

 

 グレン・ヴェスパーが右腕に纏わせたドリル状のセルリアンを振りかざしながら、先ほどと同じ内容の恫喝を行っている。

 今しがた私が動いていたことさえ気付いていないだろう。

 クズリを屈服させるためだけにここにいるあの男が、他のことに気を向けることはない。

 

「ガァウアアアッッ!」

 スパイダーによって傷が癒やされた私は再び立ち上がり、グレン・ヴェスパーめがけて手のひらから何発もの稲妻を打ち放つ。

__________バシュウウウッッ

 ・・・・・・だがすでに女王に学習された攻撃を放ったところで無駄なあがきだった。

 グレンの周りを旋回する無数の小型セルリアンが、避雷針のごとく稲妻をすべて吸収し霧散させてしまっていた。

 

「フン、おぞましい共食い獣めが、知能低下のあまり殺される順番を待つことすらできなくなったか?」

「・・・・・・やめてくれ、クズリさんを殺さないでくれ、殺さないでください!」

 

 余裕そのものの態度のグレンが私を鋭く睨みつける。

 絶望と恐怖に支配されたメリノヒツジは項垂れたまま懇願するように呟いている。

__________プッ

 もはや万策尽きたかのような予感に茫然としていると、私を睨みつけていたグレン・ヴェスパーの防護服のヘルメットに、赤黒い液体が付着するのが見えた。  

 血まみれで横たわるクズリが唾を吐きかけたのだ。

 

「ころ・・・せよ・・・オラァ」

 

 どんな時でもクズリはクズリらしかった。

 私よりもメリノヒツジよりも絶対絶命の、指一本動かせなくなったはずの彼女だけが絶望していなかったのだ。

 

「もうよいわ!」

__________ギュイイイイイインッ

 怒り心頭に発したグレン・ヴェスパーがドリルを振り上げる。

 奴の激情に応えるようにセルリアンたちがひときわ激しく回転し刃先を肥大化させていった。

 

「この世から消え失せろ!」

 

 怨嗟の言葉と共に振り下ろされる右腕。

 さしもの私もそれがもたらす光景からは目を逸らした・・・・・・が、しかし耳をふさぐことはしなかったために、場の明らかな違和感にすぐに気が付いた。

 何も聞こえてこないんだ。本当なら肉を穿つ生々しい音が聞こえてくるはずなのに。

 

「な、何だこれは!」

 それもそのはずだ。グレン・ヴェスパーが腕に纏っていたはずのドリルが、跡形もなく消えてなくなっていたのだ。

 奴はただ丸腰の腕をクズリに押し当てただけだった。

 そのことに当人でさえ呆気に取られている・・・・・・どうやら意図していない何かが起こったようだった。

 

__________ミチミチミチミチィッッ!

 変わりに聴こえてきたのは耳障りな粘膜音だ。

 女王のコアが座するこの空間の一体に響き渡っている。

 ・・・・・・そして想像を絶するおぞましい光景を目にした。

 

 その虚無を映すひとつ目は、今まで幾度となく対峙してきた者たちのそれに相違なかった。

 だが問題はその数だ。床にも天井にも余すところなく、計り知れない程の数のセルリアンの瞳が一斉に見開かれ、ギョロギョロとせわしなく視線を動かしているのだ。

 

 ・・・・・・こいつらは間違いなく女王の眷属だ。

 グレン・ヴェスパーにコントロールされるまま、たった今まで私たちと戦っていたはずなのに、何か別の物に気を取られて色めき立っているんだ。

 

≪お、お父様! 異常事態です!≫

 

 耳をつんざくようなイヴ・ヴェスパーの通信音声が聴こえてきた。

 ここにはいないあの女は、父の命令でどこかで女王のコントロールに関与しているのだろう。 

 

≪女王の神経伝達システムが連鎖的に誤作動を起こしています! こちらの制御を受け付けません!≫

「どういうことだ!?」

≪ご、ご存じの通り、女王の制御デバイスは常識を逸脱しています。既存のどのような技術を用いても、外部からウイルスを侵入させたりハッキングを行うことは不可能のはずです! 

 エラーは内部から・・・・・・おそらくはそのフロアから・・・・・・≫

 

 その文言を聞いて、グレン・ヴェスパー含めてその場にいる全員が、そびえ立つ女王の心臓へと視線を注ぐ。

 私はてっきりカコさんの救出をしくじったと思っていたが、やはり彼女は意識を取り戻したのだろうか? 

 だとしたら目覚めた彼女はいま何をしようとしているのだろうか。

 

≪女王と生体コアとの融合係数が無制限に上がり続けています! 8の15乗・・・・・・10の31乗・・・・・・も、もう修正できません!≫

「この愚娘め! お前は今まで何をしていたのだ!」

≪お、お言葉ですが、そもそもエビデンスの少ない状況での融合実験など強行すべきではなかったのです!≫

 

__________ドチャリッ

 

 混乱し言い争う親娘をよそに、水っぽい響きを混ぜた落下音が響く。

 カコさんが埋め込まれていたはずの女王の心臓を突き破って落ちてきたのは、ヒトらしき姿形の何かだった。

 

 一見すると、裸のカコさんそのものと勘違いしてしまいそうな、美しい女のヒトのようだった。

 ・・・・・・でもその色白だった手足は余すところなく炭のように真っ黒で、おおよそ人種的な特徴が持ち得る範疇を超えている。

 その一方で艶やかだったはずの黒髪は真っ白く色が抜けていて、体全体を覆い尽くすほどの長さにまで伸びている。

 

 何よりも目立つのは、頭部からは生えだした左右3対の、様々な色を反射して輝く触手だ。

 放射状に広まるそれらはまるで、頭に極彩色の翼を生やしているようだった。

 ヒトでもない、フレンズでもない、セルリアンでもない。

 私が今までに見たことがない異質な、それでいて神々しい雰囲気を醸し出していた。

 

「に、虹色の天使・・・・・・?」

 すぐ横で茫然としているメリノヒツジが、今の心象を的確に言い当ててくれたような気がした。

 

__________スクッ

 天使が動いた。

 漆黒の四肢をゆっくりと起こして立ち上がると、狼狽える私たちやグレン・ヴェスパーを、何らの感情も宿さない瑠璃色の瞳でじっと見つめてきた。

 心を奪われるほどの美しさと、底なしの無機質さとを兼ね備えた顔貌だ。

 

 いくらかの間そうして制止していると、天使はやがて無言のまま手のひらを前に突き出した。

__________ゴゴゴゴ・・・・・・!

 その動きが号令となったかのように、この広い空間が一斉に鳴動を始めた。

 びっしりと生えていた目玉たちが我先にと天使たちの元へ集い、黒い竜巻のように彼女の周囲を旋回し始めた。

 この空間の支配権はもはやグレン・ヴェスパーではなく、目の前の天使にあるように思えた。

 

「な、何なんだこの化け物はァァッ!」

__________ドウッドウッドウッ!

 怒り心頭のグレン・ヴェスパーが拳銃を抜き放ち、天使へと銃撃を浴びせる。だが弾けた銃火は天使の周りを渦巻くセルリアンたちに阻まれて掠りもしない。

 

__________チャリンッ

 あっという間に弾切れとなった拳銃を憎々し気に投げ捨てるグレン。

 見ていると、とつじょ奴の胸元にあるネックレスが意思を持ったように飛び出した。

 まるでガラス玉に入った女王の”胚”が、奴から離れて天使の所へ行こうとしているかのような動きだ。

 

「行かせるものかッ!」

 血相を変えたグレンが自らの切り札を失わんとガラス玉を握りしめるも、胚はその小ささに見合わない万力のような力で奴の拳をこじ開け、ネックレスを引き千切り、やがて空中に飛び出した。

 ゆっくりと天使の手のひらに吸い寄せられていき、やがて胚と手のひらが触れあった瞬間、胚は溶けるように消滅した。

 

__________ギチギチギチ・・・・・・ドッシャアアアアアッ!

 

 直後、異変が起こる。

 虹色の天使の体中から、何千、何万・・・・・・とても数えきれない程の触手が飛び出し、辺り一面を覆いつくしてしまったからだ。

 まるでバトーイェ火山で目撃した一番最初の女王に戻ったような様相だ。

 暴走的な勢いで成長し、この広い空間を突き抜けていく様子がわかる。

 

__________ザシュッ!

 私たちよりも天使のずっと傍にいたグレン・ヴェスパーが、急成長する女王の触手に肩口を切り裂かれた。

「う、うわああああああ!」

 たまらず背を向けたグレンが脱兎のごとく女王から逃れようとした瞬間、悲鳴を上げる奴の首根っこを掴んで引き留める者がいた。

 

 クズリだ。

 全身に穴を開けられて血だらけの彼女は、もはや意識があるのかどうかさえ定かではない。

 だが、女王が引き起こした異常事態に臆することなく威風堂々と立っているのは確かだった。

 

「こ、この死にぞこないめ!」 

「・・・・・・」

「図に乗るな! お前ごときがこの偉大なる私を殺せると思うな! 人類も! フレンズも! セルリアンも! 全てが私の下僕なんだァァァッ!!」

 

 クズリに鷲掴みにされたグレン・ヴェスパーは、女王のコントロールを失い、他の武器もなく、もはや完全に丸腰だった。

 それでもバタバタと手を動かして足掻いた。

 クズリの体を殴り、蹴り、あげくには髪の毛をひっぱり、相手をビクともさせられない抵抗を続けた。老齢であるためにあっという間に疲労困憊になり、その動きも止まった。

 

「ハア、ハア・・・・・・私は! 私はァ!!」

「・・・・・・」

「あ、ああああっ、ひっ」

 

__________パンッ

 

 とつじょ、赤い飛沫がそこら中に弾け飛んだ。

 気が付くとグレン・ヴェスパーの体は影も形も無くなってしまっていた。

 クズリだけがその場に取り残されてぼうっと立ち尽くしている。

__________カランッ・・・・・・

 彼女が握りしめていた左手を開くと、爪の先ほどの赤黒い小石がこぼれ落ちた。

 どうやらそれがグレン・ヴェスパーの成れの果ての姿であるようだった。

 己のことを絶対的支配者と称した男は、クズリの能力によって肉と骨とを限界まで圧縮され、呆気なくこの世から消え去った。

 

 決着を付けたクズリをよそに、女王は凄まじい勢いで成長を続け、辺りを揺るがし続けていた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「グレン・S・ヴェスパー(Glenn Storm Vesper)」
享年74歳 性別:男 職業:Cフォースアメリカ本部総督ならびにアトランタ研究所所長
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長

_______________Enemies date________________

「セルリアン・クイーン」
身長:数センチ~∞
体重:数十グラム~∞
概要①
:あらゆるセルリアンの遺伝子と核爆発のエネルギーを元に生み出された支配種。
 個ではなく群れとして生きるセルリアンの昆虫的性質を極限まで高めており、直径数センチの胚さえあれば、周囲の物質から幼体セルリアンを無制限に生み出し、己の血肉として自由自在に操ることが出来る。
 また受けた刺激を模倣する能力があり、立ちはだかる敵が強ければ強いほど、合わせ鏡のようにパワーとスピードを上昇させることが可能。
 能力には上限が存在せず、一部の強力なフレンズが持つ”先にある力”も含めた、ありとあらゆる非現実的な事象をも再現する。
概要②
:ヴェスパー親娘はこの強力極まりない存在を制御するために、ヒトの大脳皮質に胚を埋め込み、大脳を経由して電気刺激を与えることで服従させる手段を取った。
 しかし強制的に昏睡させていた被験者「久留生 果子」が予期せぬトラブルによって覚醒したために、胚と被験者の大脳とが融合を開始する。
 結果としてヒトともセルリアンとも付かない新種の生命体が誕生することになった。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章37 「さいごのほのお」

「・・・・・・クズリさんっ!!」

 

 グレン・ヴェスパーを石ころ大に握りつぶした直後、クズリは音もなくその場に倒れ込んだ。

 よろよろと駆け寄ったメリノヒツジに抱え上げられたその姿は、致命傷と言う言葉以外は見当たらないほどの有様だった。

 

「や、やりましたよ! ついに復讐を果たしたんだ・・・・・・グレンの最後のあの顔を見ましたか? 屈服させるつもりが、逆にあなたに屈服させられたんだ。ペシャンコになる寸前にね。ざまあみろってやつですよ」

「・・・・・・」

「情けないですが、僕は途中で挫けて動けなくなってしまっていました・・・・・・それに比べてやっぱりあなたはすごい。貫目が違う・・・・・・だから、起きてくださいよ! ねえっ!!」

 

 メリノヒツジがいくら呼びかけようともピクリとも動く様子を見せない。

 冷たく動かない体は、まるで流す血すら乾いてしまったようだ。

 本当にクズリはもう助からないのだろうか。

 

 それでも状況は何ら解決していない。

 コントロールを握っていたグレン・ヴェスパーが死んだことで、目の前にいる女王は制御不能の爆発的な成長をはじめている。

 ・・・・・・あの中にはまだカコさんがいるっていうのに、傷ついた今の私たちには彼女を助け出すどころか、生きてここから出ることさえ難しいかもしれない。

 

≪あはははっ!! 死んだあっ! なんて滑稽な死にざまなのかしら! 夢みたいだわっ!≫

 

 言葉を失っている私たちを他所に、上機嫌な笑い声が虚空から響いてくる。

 イヴ・ヴェスパーだ。父親を殺害されたというのに、私たちに対して怒るどころか歓喜に満ち満ちているようにさえ思える。

 

≪私はずっと父の死を望んでいた。父に気付かれないようにそれとなく利敵行為を繰り返していた。じわじわと真綿で首を絞めるようにあの男を追い込むためにね≫

「な、なんだと・・・・・・!」

≪シベリアンタイガー、ウルヴァリン、メリノヒツジ、あなた方3人も、私にとっては利用価値のある駒のひとつだった≫

 

 イヴ・ヴェスパーは前々から自身が父に取って代わるチャンスをうかがっていたという。

 だが身内にも用心深く冷徹なグレンには暗殺のチャンスなどなく、従順なそぶりを装って平身低頭し機会をうかがうしかなかった。

 

 そんなグレンにもたったひとつ弱みがあったという。

 高齢であるために、野望を叶えるために気長に構えている余裕はなく、焦りが募り始めていたことだ。

 さらには清算したい過去のトラウマもあった。

 イヴはそこに父を追い詰める千載一遇のチャンスを見出したのだと。

 

≪この戦争、舞台に上がる役者を選んでいたのは私なのよ。

 ジューゾー・トオサカの娘カコ・クリュウ・・・・・・父は必ずそのエサに食いつくと思った。悲願を達成するために無茶な行動を取るとも≫

 

 イヴの策謀は、私が想像していたよりもずっと前から始まっていた。

 そもそもグレン・ヴェスパーの当初の望みは、セルリアンの女王の力を手中に収めることだけだったようだ。

 フレンズの進化態を研究するのはその後でも良かった。

 だがイヴは父に対して「ふたつの力を同時に手中に収めてこそ支配はより強固なものになる」と説き、研究を同時進行で開始させたのだという。

 

 フレンズの進化態研究の中心人物となったイヴは、研究メンバーに関する人事権を得た。

 私とクズリを進化態の候補として抜擢したのも自分だという。

 そしてスターオブシャヘルにて自身を補佐する科学者としてヒグラシ所長を選んだ。

 

≪かなり前のことになるけれど、覚えているかしら? あなた達2人を乗せて南アフリカ上空を飛んでいた飛行機が、現地の武装勢力に撃墜されたわね。

 当然死ぬことのなかったあなた達は、その直後、現地で武装集団に追いかけられていたミスター・ヒグラシを助けた・・・・・・さらに、カコ・クリュウが率いるパークのスタッフたちと邂逅を果たすことになった。

 ・・・・・・フフフッ、あれはね、私が仕組んだことだったのよ≫

 

 忘れるはずがない。

 カコさんたちと出会い、クズリと別れることになったあの一件を。

 間違いなく、私の人生の分岐点とも言うべき出来事だった。 

 それが最初からイヴ・ヴェスパーに仕組まれていたなんて俄かには信じがたい。

 

≪ミスター・ヒグラシを招集した後、私は間もなく彼を地質調査の名目で地上へと派遣した。

 ちょうどカコ・クリュウが率いる集団の近くを通りがかるようにね。そこで彼は、私が金で雇った武装集団の襲撃を受けることになった。

 時を同じくしてあなた方を乗せた飛行機を通りがからせて、同じ集団に撃墜させた。

 ・・・・・・私が望んでいたのは、ミスター・ヒグラシと、あなた達2人が、共にCフォースを離反してパークに付くことだった≫

 

 イヴ・ヴェスパーはあの時、ヒグラシ所長が組織への叛意を抱いていたことを見抜いていた。だからこその人選だった。

 彼女の読み通りにヒグラシ所長はパークへと接触し、グレン・ヴェスパーの企みをカコさんへと密告した。

 その時からパークとCフォースの戦争は激化した

 ・・・・・・それこそがイヴの望みだった。

 

 私とクズリを裏切らせようとしたのは、あまりにも戦力的に不利だったパークに対して塩を送る意図があったという。

 結果としてクズリはパークには行かずCフォースに戻ってきてしまったが、父親への言い訳を成り立たせるために、進化態フレンズの研究を進める上では好都合だった。

 クズリを研究する過程で、進化促進薬という成果をも手に入れることが出来たのだから。

 

≪メリノヒツジ、あなたは2人に比べたらさして重要なカードではなかったけど・・・・・・バトーイェの重要な戦局にて、味方のフレンズを脱走させる等のたくさんの利敵行為をしてくれたわね。

 さらにシベリアンタイガーとウルヴァリンを仲裁し、父に盾付くように仕向けてくれた。

 結果的にはあなたが一番の功労者だったかもしれないわ≫

 

 イヴとしては今回の一件は、ほんの足掛かり程度でしかなかったという。

 機をうかがって暗殺を企て組織を乗っ取るつもりではいたが、その時が来るまでは従順なそぶりを見せて静観する心算だった。

 しかし私たち3人がスターオブシャヘルに乗り込んできたことが、イヴにとっての僥倖をもたらした。

 

 思いがけない抵抗を見せる私たちを前にして、これ幸いと思ったイヴは「苦渋の決断を迫る」という体でスターオブシャヘルの破棄をグレンに申し出た。

 拠点や兵力を失うことで、父の権威への図り知れないダメージが生じることを期待したからだ。

 

 だが、そんな想定をも超える事態が起こった。

 遠坂さんの幻影に囚われていたグレンは、クズリにそれを重ねたことで、逃げるという現実的な判断が出来なくなっていた。

 そして自ら戦いに赴き、クズリの手で葬られた。

 まさにイヴにとっては偶然の賜物だった。

 

≪本当にあなたがたには感謝の言葉もない。これで来るわ・・・・・・私の時代が≫

「バカな! 女王もスターオブシャヘルも失って、今さらお前に何が出来るって言うんだ!」

≪まあ、しばらくは地下に潜るしかなくなるでしょう。でも私は愚かな父と違って勝負を焦らない・・・・・・若い私には時間もある≫

 

 激しく反論するメリノヒツジに、イヴは薄ら笑いを浮かべながら答えた。

 貴重な女王の胚はもうイヴの手元にはない。グレン・ヴェスパーによって消費されたために失われてしまった。

 しかし代わりに膨大な研究データと体細胞のサンプルは確保しているという。

 それらさえあれば、ふたたび核爆発などを引き起こさなくても、こじんまりとした研究設備にて時間をかければ胚を培養することが可能だという。

 そうなれば娘が亡き父になり替わることは十分に可能だ。

 

≪そうだわ・・・・・・あなたたちへのせめてもの感謝の証に、今どういうことになっているか教えてあげましょうか≫

 

 状況を正確にモニターしているというイヴが語る。

 今もなお私たちの目の前で成長を続ける女王の動きについてだ。

 爆発的なスピードで育っていくその体は、巨大なスターオブシャヘルを浸食しながら成長を続けているという。

 

 しかし、ただ単に内側から根を張って食い破ろうというのではない。

 女王は周囲の何の変哲もない物質をセルリアンに変えてしまう能力を持つ。

 このまま行けば、やがてスターオブシャヘルの内部構造がすべて女王の肉体にすり替わるだろうと言うのだ。

 計算によれば、もって後10~20分ぐらいだという。それより前に脱出できなかった者は、女王に飲み込まれていく要塞と運命を共にすることになる。

 また女王の肉体のパーツである幼体セルリアンの犠牲者も多数生むだろう。

 

 まずいのは私たちやカコさんだけじゃない。

 私たちを待ってくれているジフィ大佐たちも、ヴェスパー親娘に従っていた兵士たちも、全員命を落とすことになる。

 

≪スターオブシャヘルを吸収した女王はやがて地上に落下し、思う存分暴れるでしょう。

 最初に生まれた女王と違って無作為な捕食行動を起こすこともないだろうから、時間経過による消滅も望めない。

 ・・・・・・ああ! けれども安心してちょうだい。このシャヘルで培養したセルリアンには安全管理の一環として「水に触れると溶けてしまう」という性質も付与してあるの。

 海を渡って世界中を滅ぼすなんてことは無理よ。せいぜい、アフリカ大陸が死の大地と化す程度でしょうね≫

 

 イヴ・ヴェスパーはまるで大したことではないと言う風に笑い飛ばした。

 だが想像を絶する酷いことが起ころうとしているのは言うまでもない。

 広大なアフリカ大陸が滅びる・・・・・・そんなことは核の力を用いても容易に出来ることじゃない。

 

 ふと、ナマクワランドの花畑を思い出した。

 南アフリカとナミビアの国境地帯に広がるあの場所は、心にいつまでも残り続ける、私が今まで見た中で最高の景色だった。

 アマーラという片腕のない女の子が私のために花輪を作ってくれた。

 花輪は私の育ての親であるサツキおばあちゃんとの思い出の花オオアマナで編まれていた。

 それを頭に乗せた時、私は美しい大地と、そこに生きるヒトたちのために戦おうと決意したんだった。

 

 ・・・・・・カコさんとの縁もそこから始まった。生まれ持った運命に従い、自分を追い込みながら進む彼女の背中は、いつだって途轍もなく思い荷物を背負っているように見えた。

 

≪それにしても、カコ・クリュウがあんな姿になるとは想定していなかったわ。まさに女王と呼ぶにふさわしい偉容だったわね。

 しかし、今もあの姿のままでいるのかしらね。彼女がいると思しき場所から最も激しいエネルギー反応が検出されている。もはやこちらの制御を完全に受け付けなくなったわ。

 彼女個人としての意識が残っているのかいないのか、それさえもわからない・・・・・・もし残っていたとしたら、父と私への恨みを晴らすために、なおのこと激しく暴れるかもしれないわね≫

 

 イヴの声色からは、まるでガラス越しに実験動物を観察しているような余裕が感じられる。

 だがカコさんの意識があるのかないのかわからない、という指摘については確かにその通りだと思った。

 魂に触れて呼びかけた私でさえ、彼女の返事を聞くことはできなかった。

 この世界を守ろうとしたカコさんが、逆に世界を滅ぼす存在と化してしまう・・・・・・こんなに酷いことが他にあるだろうか。

 

≪さて、こんな危険な場所からはさっさと退散させてもらうわね。最高権限のセキュリティキーを使えば、ものの一分で私専用の脱出艇に乗り込むことが出来る。

 さようなら。あなた方は本当に役に立ってくれた。

 ・・・・・・最後はそこで死ぬことで、私が与えた役割をまっとうしてちょうだいね。クククッ、アッハハハハハ!≫

 

 けたたましい笑い声が遠ざかり、やがてブツリと途切れた。自身で宣言した通り、通信の届かないところへと逃げおおせた証だろう。

 

__________ゴゴゴゴ・・・・・・

 カコさんをコアとして成長する巨大植物を見上げて茫然と立ち尽くす。

 凄まじい振動を起こしながら上へ上へと触手を伸ばしているにも関わらず、この広い空間が崩れ落ちたりする気配がないのは、空間を破壊しているのではなく、やはり同化しているからだろう。

 

「・・・・・・最後に、あなただけはッ!」

 

 動かないクズリを抱きかかえて項垂れていたメリノヒツジが顔を上げる。

 彼女とはこのスターオブシャヘルの戦いで手を組んだばかりだが、その血走った鋭い瞳には既に何度か見覚えがある。

 命がけで何かをやろうとしている時の目つきだ。

 

「アムールトラ、これから僕がやることにかまうなよ」

「あうっ?」

 

__________ドスッ

 メリノヒツジが驚きの行動を取り始めた。

 能力によってナイフを生成すると、おもむろに己の腕めがけて突き立てたのだ。

「さあ、どうぞ」

 次に彼女は、血が滴り落ちる手首を、動かないクズリの青ざめた唇に近づけた。

 まるでそうすることが当然と言わんばかりに躊躇がなかった。

 

__________・・・・・・ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ

 クズリの喉が上下しはじめる。

 命が尽きたかのように動かなかった彼女が、メリノヒツジの血液を確かに飲み下しているのだ。

 

「アムールトラ、お前と話すのもこれが最後になるから言っておくよ。

 短い間だったが共に戦えて良かった。その強さも、信念を貫く心も・・・・・・本当に大した奴だ。クズリさんが惚れ込むのもよくわかる」

「あ、あうっ! あああっ!?」

「・・・・・・フッ、そんなことより、僕が何をやろうとしているかを知りたいよな」

 

 腕から血を流しながら、穏やかで満足げな顔のメリノヒツジが語り始める。

 彼女のこんな様子を私は見たことがない。

 

「お前は致命傷からすぐに回復した。だが今のクズリさんにはそれが出来ない。同じ進化態であるはずなのに、その違いが何なのかわかるか?」

 

 メリノヒツジが考えるに、進化態の自己治癒能力はたしかに常軌を逸してはいるものの、決して不死身ではないのだという。

 治癒能力を維持し続けるためには栄養を取らなくてはいけない。

 食事が必要なんだ。他のフレンズや、すべての生きとし生ける物と何ら変わりはない。

 

「クズリさんは進化促進薬によって蘇ったが、度重なるダメージと能力の乱用によって、その貯金を使い果たしてしまった。

 ・・・・・・一方のお前は、スパイダーさんをまるまる平らげたことでエネルギーが有り余っている。簡単なことだろう?」

 

 そうか、そういうことだったのか。

 致命傷を負ったあの時、私が見たスパイダーの幻影は、私の中にある彼女の血肉が見せた物だったんだ。

 スパイダーの命を召した重みが腹の中からひしひしと伝わってくる。

 

「もっとも、非現実的な治癒力を維持するのは、普通の食事ではおそらく無理だ・・・・・・体内にサンドスターを宿した生命体の肉を食らうことが必要なんだ。つまり、フレンズの肉をな」

「あ、あ・・・・・・!」

「かまうなと言ったろ。これでいいんだよ」

 

 メリノヒツジの真意を、これからやろうとしていることを悟って驚愕する。「話すのが最後になる」とは、そういうことだったんだ。

 

「・・・・・・グッ、ううッ・・・・・・!」

 血を飲み続けていたクズリがついに目を開く。かすかにだが呼吸が回復しており、回復の兆しが出てきているのが見て取れる。

「クズリさんっ!」

 それを見たメリノヒツジが喜び勇んでクズリの顔を覗き込み、己の腕を彼女の口元にさらに押し付けた。

 

「さあ、僕のことを食べてください」

「・・・・・・あッ、うぐッ・・・・・・」

「そうすればあなたの傷はたちまち癒えます。たとえ要塞が地上に落ちても、進化態であるあなたならば無事に済むはずだ。生き延びるために・・・・・・僕を食べてください・・・・・・」

 

 うわ言のようにつぶやくメリノヒツジの表情は歓喜に満ちている。

 本気でクズリに食べられることを望んでいるんだ。

 私には理解できない・・・・・・だが、彼女が生きてきた中で培ったであろう信念に基づいて行動していることだけはわかる。

 

 もはや私が止めに入るような場面ではない。

 メリノヒツジが願い、クズリがそれを受け入れるのならば、この2人の間には何者も立ち入る余地はないだろう。

 

__________ガシッ

「・・・・・・アッ、アアアッ・・・・・・!」

 ついにクズリが動いた。

 メリノヒツジが差し出した腕をつかみ口を開いた。

 するどい牙が生えそろった口元が、赤みがかった毛の生えた二の腕と重なる。

 

 だがそれきりまた動かない。わなわなと震えながら、顎を閉じることのないまま苦悶の表情で動きを止めている。

 やはりクズリにはメリノヒツジの提案は受け入れられないんだ。

 共に戦ってきた弟分ともいうべき大事な仲間を食らうことなんて彼女は望んでない。

 ・・・・・・しかし傷つき疲労した肉体は、メリノヒツジという栄養を渇望している。

 彼女の中では今、理性と食欲の途轍もない綱引きが始まっているんだろう。

 

「かまうことないんですよ。僕はあなたの一部になりたいんだ。そうすることで僕の人生は完成する・・・・・・最高の戦士の中で僕は生き続けるんだ」

「ぐ、ぐおおおッッ・・・・・・!」

 

__________ザザザッ

 ひとつの極限状況を前にして、どうすることも出来ない私が立往生していると、電波が乱れる砂嵐のような音が耳朶を打った。

 耳の中にある小型通信機からだ。

 

≪お、お前たち! 無事か!?≫

 

 ジフィ大佐の声が聴こえてくる。

 その裏返った声色からは、彼もまた大変な状況に置かれているのがくみ取れる。

 彼の声に混じって、なにやら銃声や爆発音のような音響が轟いている。とてもこっちの安否を気遣う余裕があるとは思えない。

 

 大佐が今の状況をかいつまんで教えてくれた。

 結論から言うと、兵士たちへの説得は成功したようだ。

 彼らに知名度と人望があったのもあるが、決め手となったのはイヴ・ヴェスパーが発した「スターオブシャヘルを自爆させましょう」という発言を記録したレコーダーだ。

 

 用意が良いことに、ヴェスパー親娘と対面していた時、将校の一人が録音していたらしい。

 それを聞いた瞬間、自分たちを使い捨てにしようとするヴェスパー親娘に離反することが満場一致で決まったらしい。

 ・・・・・・グレンが死に、イヴが逃亡した今、彼らを咎める者はいないだろう。

 

 異変が起きたのは、彼らが兵士たちを引き連れてドックへと赴き、脱出艇への割り振りと乗り込み作業を順次行っていた最中だったという。

 マザーユニット内に残っていたファインマン氏もほどなくして合流し、ヒグラシ所長とハイブリッドのあの子を脱出艇に搬送することも出来た。

 後は私たちがカコさんを連れて帰るのを待つだけ、という局面だった。

 

 そんな折、大量の幼体セルリアンがドックへと侵入してきたのだという。

 SSアモを発射する銃火器を装備した兵士たちが何とか応戦しているようだが、セルリアンの勢いは留まることを知らず、いつ押し切られるかわからない状況になっているようだ。

 

≪後はお前たちがカコ・クリュウを連れて戻ってくるのを待つだけなんだが・・・・・・正直かなり厳しい状況だ。もう持ちこたえられないかもしれない≫

 

 まちがいなく、女王が暴走を始めたことが原因だ。

 まずは素早い幼体セルリアンがスターオブシャヘルの外縁部まで湧きだしているのだろう。

 奴らは尖兵に過ぎない。しかる後に要塞そのものと同化を始めている女王の魔の手がジフィ大佐たちが待つドックへと迫るだろう。

 

≪だ、だが安心しろ。ミスターヒグラシとネズミのハイブリッドは、他の傷病兵と共に一足先に脱出させておいたぞ。あの2人はもう大丈夫だ≫

「賢明な判断をありがとう」

 

 いまや私たち3人の中で唯一まともに会話が出来るメリノヒツジが、回線の向こうのジフィ大佐に会釈するように頷いた。

 ヒグラシ所長を見捨ててしまったことを深く後悔していた彼女だからこそ、その喜びもひとしおだろう。

 

「・・・・・・だけど、もはやただ脱出しただけで済む状況じゃないんだ。カーネル、あんたに話しておかなければいけないことがある」

 

 そのままジフィ大佐に状況の説明を始めた。

 イヴの予想では、女王が地上に落ちれば、アフリカ大陸全土を破壊し尽くすであろうということだった。

 だから今からでも傷病兵が乗る脱出艇に連絡を取って、アフリカ大陸から出来るだけ離れ、海上を渡り南米辺りに着陸するように言ってほしいのだと。

 

≪た、大陸がまるごと消滅するだとぉ!!≫

「そうだ。あんたたちも早く逃げろ・・・・・・僕たちを待っている必要はない。僕たちはもう戻れない。あの女の救出にも失敗した。

 もし可能だったら施設内のスプリンクラーを作動させろ。そのセルリアンたちは水に溶けるらしい。逃げるまで多少の時間稼ぎにはなるだろう」

 

 心残りはないと言わんばかりに、メリノヒツジがジフィ大佐に逃走を促している。

 冷静に話してはいるものの、その恍惚とした瞳はクズリの口の中だけを見つめている。開かれた顎が閉じられる瞬間を待ちわびているんだ。

 

「グレン・ヴェスパーは死んだ。クズリさんが討ち取った。しかし娘のほうは逃げてしまった・・・・・・そしてカコ・クリュウは完全に女王に取り込まれ暴走を始めてしまった」

≪な、なんと!≫

「こんなこと言えた義理じゃないが、後のことはよろしく頼む。イヴを探し出して始末してくれ。カコ・クリュウがいなくても、それできっと全てにケリがつく・・・・・・。

 カーネル・ジフィ、あんたには本当に世話になった。あんたを一度でも殺そうとしたことを詫びさせてくれ」

 

 ヒトというだけで毛嫌いしていたメリノヒツジが告げる、遺言のような言葉の重みに、回線の向こうの大佐が息を飲む様子が目に浮かぶようだった。

 

「ふ、はっはっは・・・・・・!」

 

 絶望にも近い諦めの空気が漂う中、ひゅう、と吐息を絞り出すような乾いた笑い声が上がる。

 声の主はクズリだった。

 いつの間にか彼女は、口元に差し出されたメリノヒツジの腕をぐいと押しのけていた。類まれな精神力で肉への誘惑を断ち切ってみせたんだ。

 

__________グググッ・・・・・・

 膝に手を付きながらよろよろと立ち上がるクズリ。

 再び闘志を取り戻した不敵な瞳が、自らの願いが一蹴されて困惑しているメリノヒツジの視線と交錯する。

 

「・・・・・・メリノぉ、勝手に決めてんじゃねえぞ。まだ何も終わっちゃいねえだろうがァ」

「そ、そんな体で何を言ってるんですかッ!!」

 

 メリノヒツジがクズリの体を指さして叫ぶ。

 グレン・ヴェスパーによって開けられた無数の風穴からは、血の代わりに虹色の光燐がこぼれ落ちている。

 それがフレンズにとってどういう状態を現しているのかは今さら言うまでもないだろう。

 

「栄養を付けなければ、あなたはじきに死んでしまうんだ! 早く僕を食べてください! そうすれば要塞の落下にも耐えられる! アムールトラと一緒に生き延びるんですよ!」

「・・・・・・イヴ・ヴェスパーに勝ち逃げされっぱなしじゃ終われねえ。

 何もしねえで相手の勝ちを認めるっつーのはよ・・・・・・この世で一番ムカつく事なンだよ」

「だ、だいいち、何と戦おうってんですか! あの女はとっくに逃げた!」

 

 メリノヒツジの疑問に応えるようにクズリが視線を流す。その先にあったのは先ほどから脈動を続ける、カコさんを取り込んだ女王の心臓だ。

 

「あれだってもう僕らの敵とは言えないんですよ!」

 と、すかさずメリノヒツジが突っ込みを入れる。

 コントロールを失った女王には、もはや私たちに敵対する意思はない。

 あれはただの災害。大津波や火山の噴火なんかと一緒なんだ、と。 

 自然に消えてなくなるまで待ち続けるしかない、ただの生き物に過ぎない自分たちにはそれを止める術はない、だからもうあきらめて逃げるしかないのだと。

 

「・・・・・・ヘッ、いやだね・・・・・・」

 

 が、しかしクズリはまるで聞き分ける気がないように不敵に微笑む。

 そして「まだ勝つ方法はある」と息も絶え絶えに語るのだった。それは最初の目的と何ら変わりない、カコさんを助け出すことだと。

 コアである彼女を抜き取れば女王の動きも止まる。アフリカだって滅ぼさずに済む。

 つまりイヴ・ヴェスパーの鼻を明かしてやれる・・・・・・と、それが一番大事なところと言わんばかりに強調した。

 

「・・・・・・そんで、カコ・クリュウに声を掛けられんのは・・・・・・」

 クズリが視線をゆっくりと女王から私へと移した。

 他人の精神に入り込む私の能力に期待しているんだ。

 くわしく理解しているわけじゃないだろうが、その類まれなる洞察力と野性的な勘の鋭さによって、おおよそのことを察してしまっているのだろう。

 

「アムールトラ・・・・・・やってくれんよな? ヒグラシを生き返らせたのと同じようによォ」

「待って! 待ってくださいよ! そんなバクチをしている時間はないんですよ!? カーネル・ジフィ達だってもう逃げなきゃ危ないんだ!」

 

__________メキメキメキィィッッ!

 

「・・・・・・時間ならオレが作る。この”握り潰す力”で、女王を外側から押さえつけてやらァ!」

 

 サンドスターの流出が止まらないクズリが左手を握りしめる。

 ろうそくの火が消える直前に一度だけ輝きを盛り返すように、進化態の黒い炎が再び全身から沸き立ち始めていた。

 彼女だけは本当に不死身なのかもしれない。どれほど死に近づこうが、それを物ともしない不屈の精神力が肉体を持たせているのだろうか・・・・・・

 

≪よォし、わかった! 私は何があっても最後までお前たちを待つ! 大陸が滅ぶか滅ばないかというこの時に、お前たちだけに命を懸けさせるわけにはいかぬ!≫ 

 回線の向こうのジフィ大佐が、クズリの闘志に呼応したように快諾する。

 戦いを愛する根っからの軍人である彼の気性が垣間見えたような気がした。

 

≪お前たちがカコ・クリュウを連れて戻ってくるのを信じているぞ!≫

「いやだ! こんなこと僕は反対だッ!」

 

 メリノヒツジがさっきとは打って変わって、瞳から大粒の涙を流しながら狼狽えている。

 己の願望が打ち砕かれたどころか、自身の思惑とはまったく逆方向に話が進んでいることに絶望しているのだ。

 

「メリノォ・・・・・・だいたいてめえは勘違いしてんぜ」

「く、クズリさん?」

「とっくの昔にオレの一部なんだよ・・・・・・オレの背中だ」

 

__________トッ

 クズリは泣き叫ぶメリノヒツジの胸を軽く小突いた。

 そして鉤爪の生えた右手で肩を引き寄せ、己が弟分と固く抱擁を交わしてみせた。

 されるがままのメリノヒツジは嗚咽をこらえるように身を震わせている。

 

「最後まで傍に付いてろ。オレとアムールトラに何があっても、てめえがカコ・クリュウを連れて帰るんだよ」

「死ぬ気ですか・・・・・・?」

「ヘッ、まだ死にたかねえよ。アムールトラともういっぺん勝負するまではなァ・・・・・・あの世にいるスパイダーによォ、オレたちの何のしがらみもねえ一世一代のケンカを見せてやりてえんだ。

 ああそれと、てめえの”二つ目の能力”がどんなモンなのかも見てみてえしな」

 

 クズリは抱き寄せていたメリノヒツジを放すと、私の方へ向き直った。

 燃えるような鋭い目つきだ。私のことを挑発しているのか鼓舞しているのかわからない、昔から見慣れた表情だった。

 

「・・・・・・」

 まるでこれから決闘を始めるかのように対峙し睨み合う。

 メリノヒツジが傍らで息を飲んで見守る中、互いに掛け合う言葉は一言もない。もちろん私は喋れないけれど、クズリとの間にはもう言葉はいらないと思った。

 

 私はもちろんフレンズ同士での戦いなんてまっぴらごめんだ・・・・・・でも彼女とだけは別だ。

 もし叶うならば、バトーイェ山脈での時のように、己のすべてをぶつけ合うような勝負をまたしてみたい。

 この世でただ一人そう思わせてくれる存在と共に、私はこれから命を懸ける。

 

__________ズッドオオオオオッッ!

 

 顔を付きつけ合いながら、競い合うように爆発的に気勢を高めていく。

 私たちの体からは共に、野生開放を示す金色の閃光と、進化態の力を示す黒い炎とが混じり合いながらほとばしっている。

 満身創痍の体にも関わらず、クズリから放出される闘気の勢いは私と互角だった。

 

「さあ、最高に燃えようぜ・・・・・・アムールトラッッ!」

「ガァウアアアッッ!!」

__________ダンッ!

 ほぼ同時に膝を付き、手のひらを地面に押し付けた。

 女王の中枢たるこの場へと、それぞれの必殺技を叩きつけるためだ。

 

 クズリはジフィ大佐が待つ脱出艇を守るために”握り潰す力”を空間全域にまで響きわたらせ、女王の成長を押しとどめようとしている。

 もちろんそんなことが実際に出来るかどうかなんてわからない・・・・・・だが彼女はやると言ったら必ずやり遂げる奴だ。

 

 そして私は意識を暗闇に潜らせる。

 カコさんに呼びかけるために。一度は失敗したことにまた挑戦しに行くために。

(・・・・・・)

 後戻りできない道を行くことに迷いはない。

 けれども、一抹の名残惜しさを感じた私はたった一度だけ後ろを振り返った。

 

 すぐにクズリらしき光を見つけることができた。

 無数の星が輝く星雲がごとき暗黒の中で、流れ星のように激しく燃え盛っていた。

 いつ消えてしまうのかもわからない、この一瞬に己の全てを出しつくさんとする魂の輝きだ。

 

 ・・・・・・思えばクズリは昔から何もかもが私と真逆の存在だった。

 私が戦いを憂いていた時、彼女は戦いに歓喜していた。

 すぐに迷って行き止まる私と違って何があっても悩まなかった。どんな時でも百パーセントの覚悟を決められていた。そんな彼女がうらやましかった。

 味方だった頃も、敵に回った後も、いつだって先を越されていると思っていた。だから彼女に追いつきたいとひたすらに足掻いた。

 今だからわかる。どれだけ離れようとも、私はいつもその眩さに突き動かされてきた・・・・・・そして今この瞬間もだ。

 

(君がいてくれてよかった)

 

 燃え盛るクズリへ向かって、ただその言葉だけを一瞥と共に投げかけると、無限に広がる暗黒の世界へと身を投じていった。

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________

哺乳鋼・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」

_______________Human cast ________________

「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
年齢:25歳 性別:女 職業:Cフォースアフリカ支部研究所(別名スターオブシャヘル)所長
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章38 「はたされるやくそく」


 遅ればせながらあけましておめでとうございます。ナガミヒナゲシです。
 早いもので、この作品を書き始めて3年半も経過してしまいました。
 
 さて物語の進捗ですが、ここまできたらもうエターならないだろうって所までは書きました。
 今すぐってわけではないですが完結は近いです。

 拙作ですがもし良かったら見てやってください。
 


(・・・・・・)

 

 流れに身を任せ、まっすぐに落ちていく己の姿を感じる。

 いま私の目の前にあるのは、無数の光が瞬く虚ろな星空だ・・・・・・ここに来るのは二度目だった。

 現実ではない。”意”の世界。この数えきれないほどの星々は、セルリアンの女王に使役される幼体セルリアンたちの魂が放つ光なんだ。

 

 グレン・ヴェスパーと戦っていた折、カコさんはこの星海の中を確かに漂っていた。

 彼女を見つけるなり、私は手を取って抜け出そうとしたが、現実世界にて呼び覚ますことは叶わなかった。

 代わりに目覚めたのは、ヒトともセルリアンとも付かない謎の生命体だった。その姿を見て、メリノヒツジは「虹色の天使」とかって感想を口にしていたっけ・・・・・・

 

 天使は私たちの前に姿を現したと思いきや、グレン・ヴェスパーから自身の胚を奪還した。

 そうすることでセルリアンのコントロールをすべて掌握し、ふたたび周囲のセルリアンたちと融合して巨大な植物の姿と化した。

 ・・・・・・天使の風貌はカコさんと瓜二つだった。まさかあれが彼女本人だとでもいうのだろうか?

 カコさんの身に何が起こったというのか。いま彼女はどういう状況に置かれているのか、私にはわからない。

 

 はっきりしているのは、もう一度カコさんに会いに行かなければならないということだ。

 私のふたつめの能力、相手の魂に呼びかける技を用いて、今度こそ絶対に彼女を目覚めさせなければいけない。

 

 今この瞬間こそがすべての運命の分かれ道なんだ。

 彼女を目覚めさせ、女王から引き離すことが出来なければ、スターオブシャヘルをまるまる吸収した女王がアフリカ大陸に墜落し、核爆発をしのぐほどの大破壊を引き起こしてしまう。

 この戦いで命を落とした者たちの犠牲は無駄となり、逃げおおせたイヴ・ヴェスパーの一人勝ちに等しい結果に終わる。

 

 イヴは再起を狙っている。新たな女王を作り出し、いつかは亡き父に成り代わって世界に君臨することを望んでいる。

 それを阻止するためにもカコさんが必要なんだ。

 独裁者グレン・ヴェスパー亡き今、パークとCフォースが同盟を結ぶことは難しくないはずだ。そうなれば大勢は決する。あの女が何をしようが状況をひっくり返すのは難しくなるだろう。

 

 もうすぐ報われる。長くつらい戦いの日々を乗り越えて、ヒトとフレンズが一丸となってセルリアンに立ち向かえる新しい世界がついにやってくるんだ。

 ・・・・・・そのためならば、私は・・・・・・

 

(なぜだ? ”異物”よ)

 

 光の海の真っ只中で、私を呼び止める穏やかな声が聴こえた。

 驚いて声のした方へと向き直ると、無数の星々の中からたった一つだけ私に近づいてくる魂を見つけた。

 意識を向ければ向けるほどに、単なる光でしかなかったそれが具体的な形を描き出す。

 ・・・・・・それはまさしく、私が探し求めていたカコさんの姿だった。

 

(一度ならず二度までも”我々”に接触してくる理由は何だ?)

 

 一糸まとわぬ姿で私と向き合い疑問を投げかけてくる。

 その声色も見知った彼女のそれだ。

 ・・・・・・だが様子がおかしい。最初に呼びかけた時と同じだ。やっぱり私を見ても私だとわからないみたいだ。

 整ったその顔は何の感情も宿していなくて、無表情どころか無機質であるとさえ思えてしまうほどだった。

 

(さ、さあ、もう帰りましょう!)

(・・・・・・帰るとはどういうことだ? それを実行することで”我々”に利益がもたらされるのか?)

 

 現実世界では言葉を失った私でも、この場であれば会話することは出来る。

 しかし返ってきた言葉は、何の意志も通じていないんじゃないかと思えるほどに要領を得ないものだった。

 これじゃカコさんどころか生き物と話している気すらしない。

(・・・・・・ま、まさか?)

 ひとつの疑念がハッと思い浮かぶ。もしそうだとすれば、この異常な状況に簡単に説明がついてしまう。

 

 絶句していると、やがて私の疑念を映し出すかのようにカコさんの姿が変貌を始めた。

 夜空を溶かし込んだような漆黒の体、足先までを覆い尽くす程に長い銀髪、頭頂部から放射状に生えている6本の極彩色の触手。

 虹色の天使・・・・・・もといセルリアンの女王の姿だった。

 

(か、カコさんをどこにやった!?)

(意味が分からない。我々はこの場に余すことなく存在している)

 

 意味不明なことを言ったかと思うとまたカコさんの姿に戻る・・・・・・かと思いきやまた女王の姿へと切り替わる。

 まるで角度によって見え方が変わるだまし絵を見ているみたいだ。

 絶え間なく入れ替わり続ける二つの姿が、乱反射するプリズムのように目蓋にチラついている。

 

 目の前にいる彼女はカコさんでもあり、セルリアンの女王でもある・・・・・・自分でもわけがわからないが、どうやらそう考えるしかないようであった。

 そもそもここは精神世界。視覚で物を見ているわけじゃない。だから見てくれを誤魔化すことなんて出来っこない。

 カコさんの姿をしている以上は、それは間違いなくカコさんの魂なんだ。

 ・・・・・・つまり女王とカコさんは、肉体だけでなく魂までもが完全に同化してしまったということなのかもしれない。

 

(なあ、教えてくれよ。君はカコさんを取り込んで何がやりたいんだ?)

 

 頭の中が疑問符ですっかり埋めつくされた私は、気が付くとセルリアンの女王に質問を投げかけていた。

 セルリアンと会話することになるなんて夢にも思わなかった。今まで言葉や知能があるとすら思っていなかったんだから。

 ・・・・・・だがこのままじゃ埒が明かない。わからないことが多すぎて、カコさんを取り戻そうにもやりようがない。

 

 見たところ女王には私への敵意は感じられない。

 ならばむやみに戦いを挑むよりも対話でもしたほうが賢明だ。この世界の時間の流れは現実より遥かに遅い。焦る必要はないはずだ。

 もしかすると話の流れでカコさんを返してくれるかもしれない・・・・・・そんな淡い望みも脳裏によぎった。

 

(我々の目的。それは知性を手に入れること)

 

 例によって無機質な遠い目をしながら女王が答える。

 星の海をゆらりと漂う彼女の周囲を、無数の光が付き従うように飛び交っている。

 さっきから女王が自分のことを「我々」と称している理由がなんとなくわかる・・・・・・恐らくは彼女には個という概念がないんだ。

 この場にひしめき合う魂のひとつひとつが「我々」に入っているのだろう。

 

(君が言う知性って何なんだ?)

(本能よりも上に位置するものだ。我々に進化を齎すものだ・・・・・・しかしそれが何なのかはまだわからない)

 

 セルリアンという生命体にはある決定的な欠落がある。

 と、彼らの代表者たる女王が語りはじめる。

 彼らにはたったひとつの本能しかなかった。生き残るという極めて原始的な意思だけが。

 

 本能にしたがって動くセルリアンの戦略は、すでにあるものを模倣し、それに成り代わることだった。

 アメーバ状の生命体として生まれた彼らは、成長の過程で、モグラやクラゲ、四足歩行動物、アリジゴク、植物・・・・・・なんにでも姿を変えてきた。

 

 こんな途轍もない生物は地球上には他にいないだろう。あらためてその変幻自在ぶりには感服させられる。

 ・・・・・・だが、女王いわく、それこそが「我々」の欠陥なのだという。

 何にでもなれるということは、何者にもなれない。

 逆説的な真理によって進化を阻まれている。それがセルリアンという種族の限界なのだと。

 

(我々は何者で、何のために生きるのか、子孫に何を伝えるべきなのか・・・・・・それを定めるための知性が必要なのだ)

 

 見たところ女王に悪意はない。

 ただ生き延びたい。生きて今よりも優れた存在になりたい。生命体として至極まっとうな望みに邁進しようとしているだけだ。

 本来なら私が邪魔するべき筋合いはないのだろう。

 

 ・・・・・・だがいっぽうで、女王はアフリカ大陸が滅びようとも気に病むことはないだろう。

 ヒトやフレンズの価値基準では目を覆う大惨事であっても、セルリアンである彼女たちには関係ないことなんだ。

 いったいどう説得したらいいものかわからない。

 

(なあ、たのむよ。カコさんをかえしてくれ。君たちの体内にたったひとつだけ混じっているヒトの体を)

 

 それでも引き下がることは出来ない、といわんばかりに頭を下げて懇願するも、女王から返ってきたのは「断る」という無慈悲な一言だけだった。

 

(これは我々にとって重要な器官だ。これがなければ思考も言葉も瞬く間に失われてしまう)

(私だってそのヒトのことが必要なんだッ! かえしてよ!)

(・・・・・・異物よ。お前から敵意を感じる)

 

 ゆったりと浮遊していた女王=カコさんの体が制止し私のほうへ向き直る。

 周囲を漂っていた無数の魂を操って扇状に展開させ、私を射すくめんと狙いを定めているのがわかる。

 ここにひしめき合う魂がすべて私の敵となる予感に胸が震える・・・・・・が、後には引けない。現実世界では今も、クズリとメリノヒツジが、ジフィ大佐が、皆が命をかけてくれているのだから。

 

 覚悟を決めて臨戦態勢に入る。

 いかんともしがたい数の差は、長年培った戦闘技術で補ってみせる。本体である女王さえ仕留めることが出来れば、他のセルリアンは問題にならないはず。

 肉体を捨てて魂だけになった肉体に重力の制限はない。まさに光のような速度で、縦横無尽に飛び回れるはずだ。

 

 そう思い女王の死角になり得そうな角度へと身を翻した瞬間。

_________ドドドドッ

(ぐ、ぐはぁっっ!?)

 気が付くと、無数の光の矢が私を刺し貫いていた。おかしい。攻撃が飛んでくる瞬間に相手の”意”を読める私なら、こんな攻撃は躱せるはずなのに。 

 ・・・・・・今の攻撃からは”意”を感じなかった。

 

__________ガシィッ

 違和感を感じた次の瞬間には、ものすごいスピードで接近する女王に肉薄され、喉元を鷲掴みにされてしまっていた。

 精神世界であっても、現実さながらの激痛と息苦しさに意識が飛びそうになる。

 体術で反撃しようと試みるも、さっきと同じように”意”がない攻撃が360度あらゆる角度から飛んできて、私の動きを先んじて潰してきた。

 まるで手も足も出ない。これが外部からのコントロールから解き放たれた、女王の真の強さということか・・・・・・

 

(く、クソ、何故なんだ・・・・・・! なぜ”意”を感じない!)

(我々に攻撃の意志はない。これは”反射”だ。お前の敵意に反応しているだけだ)

 

 私の喉元を締め付け続ける女王が、わざわざ種を明かしてきた。

 反射・・・・・・無意識のうちに起こる生理的反応。

 もちろんセルリアン以外の生き物にもある。強い光を浴びれば目を閉じる。美味しそうな食べ物を見れば涎が出る・・・・・・そこに”意”は伴わない。

 そんなレベルで行われる攻撃には、私も反応することが出来ないんだ。

 

(目の前の生物が敵意を抱く限り反射は続く。我々の肉体にはそう刻まれている。我々は全てを模倣し再現する)

 

 警告するように繰り返し告げてくる意図はなんだろう。

 私に攻撃をやめさせようとしているのだろうか。

 いや・・・・・・きっと違う。

 女王は言葉を話すが、それは本当に言葉と呼べるものなのだろうか。

 現実世界では言葉を失った私だからこそ、言葉がどんなに大切かがわかる。

 言葉っていうのはこちらの意図を伝える手段だ。それによって相手に働きかけるものだ。

 

 けれども目の前の女王の言葉には意図を感じない。

 カコさんと融合することで、言葉と思考を得たばかりである彼女は、目にした物と感じたことを、何でも取り合えず言葉にしているだけなんだ。

 敵である私の質問に一度ならず二度までも答えたのがその証拠だ。

 女王には隠し事をしたり嘘をついたりする感性はない。

 

 まさしく純粋そのもの存在なんだ・・・・・・ただ目の前の事象を鏡のように「再現」しようとしているだけ。

 戦いを挑み続ける限りは最強の相手として立ちはだかってくる。逆にこちらが戦うことをやめれば、彼女はきっともう敵じゃない。

 

(そうか・・・・・・わかったよ)

 

__________スッ

 己のやるべきことを確信した私は、おもむろに女王に向かって手のひらを突き出した。

 禍々しい鉤爪の生えた現実世界のそれとは違う。もはや懐かしさすら感じる本来の私の手を。

(・・・・・・)

 女王は動かない。今度は反撃が起こることなく、私は初めて女王に触れることが出来た。

 それもそのはずだ。私は攻撃するために女王に触れたわけじゃない。

 

(さあ、君も)

(・・・・・・異物よ、いったい何をする気だ?)

(君の心を覗かせてほしいんだ。その代わり私の心を覗いていい・・・・・・きっと君が知性を育む参考になるはずだ)

(心? 心とは何なのだ?)

 

 その無機質な表情に、疑問という名の感情が宿ったように見えたのも束の間、女王は見よう見まねで私の胸元に漆黒の手を当ててきた。

 もはやこうするより他に方法がない。

 私が今いる魂の表層には女王しかいない。だからカコさんが見つかるまで魂の内部を隅々まで探して回るしかない。 

 

 その代わり女王にも同じように私の記憶や感情をさらけ出すことにする。

 勁脈打ちすら再現してしまった女王ならば、この「魂を重ね合わせる」技も同じように出来るだろう。

 そうすれば千の言葉を交わすよりも、ずっと私の気持ちがわかるはずだ。

 ・・・・・・願わくばヒトやフレンズの考え方に理解を示してほしい。アフリカ大陸滅亡を回避するために、カコさんをこちらに譲り渡すことに同意してほしい。

 

(我々セルリアンはすべてを模倣し再現する・・・・・・)

 確信めいた呪文のような文言。

 それは女王なりの「イエス」の返事だと思った。

 

__________ブォンッ・・・・・・

 

 互いに触れ合った体が柔らかい光に包まれると、空間が歪み、一切が溶け合っていった。私も女王も、知覚できる姿形は既にない。

 やがて眼前に現れたのは眩しく輝く水平線だった。

 私はその上を渡り鳥のように飛びながら俯瞰している。

 

 今までにこの技を放った時のことを思い出す。

 心の風景の見え方はきっと一人一人ちがうのだろう。  

 メガバットの心の中は、根っこを複雑に張り巡らせたガジュマルの大樹のようだった。  

 ヒグラシ所長のそれは、大量の白黒写真をパッチワークのように並べた荒野だった。

 

 そして、今いるこの場所はそのどちらともかけ離れた風景だった。

 どこに向かっているのか、どこに行けばいいのかすらわからない。

 ただ途轍もない広大さだけは感じられる。距離という概念がなくなる程に、無制限に広がる水平線・・・・・・これがセルリアンの女王の心か。

 

(異物よ、お前が言っていたのはこれか?)

(・・・・・・じょ、女王!?)

 

 頭の中から女王の声が聴こえる。姿かたちは最早なにも無くなっているけど、この場にいることだけはわかる。あり得ないことだ。互いが互いの心を覗き込んでいるはずなのに、同じ場所に居合わせるなんて・・・・・・。

 

 いや、そもそもそれが思い込みなのかもしれない。

 すでに物質の境界を踏み越えた世界に私はいる。魂には物質のような敷居はない。

 吹く風も、それによって揺れる木々も、全てが一緒くたになって溶け合っているようなものだ。

 ・・・・・・じゃあここは、女王の心の中であり、私のでもある、ということだろうか。

 

≪アアアアアアアッッ!!≫ 

 

 天を引き裂くようなおぞましい雄たけびが、輝く水平線に響き渡る。

 声のするほうへ飛んで行くと、辺りの景色が一変し、赤々としたマグマに満たされた山肌がその場に現れた。

 

(ここは、バトーイェ山脈・・・・・・?)

 渡り鳥の視点から見下ろしている場所が、かつて私がいた戦場であると気付くのに時間はかからなかった。

 そして見た。マグマの上に立っている、怨嗟の絶叫の主たる姿を。

 体中から黒い炎を噴出し、内側から溢れ続ける憎しみの重さにのたうち回る者を。

 

(・・・・・・私だ。私がいる。バトーイェで、正気を無くして暴れまわっている私が)

(ほう、これは今の我々がこの世に生を受けた時の記憶か)

(君が生まれた時のこと・・・・・・つ、つまりそれって!?)

 

 察した瞬間にそれは引き起こされる。

 私を暴走させた引き金にもなった、地平線の向こうで行われた核実験が。

 グレン・ヴェスパー個人の欲望によって引き起こされた災厄。大地を焼き払い、全ての生命を死滅させる大火・・・・・・何度見ても心が引き裂かれそうになる。

 

 絶望の光を目にしたのを皮きりに、これまでの出来事が逆戻りに脳裏を駆け抜けていった。

 核が落とされる直前の時間。

 辺りをマグマに埋めつくされた山肌にて、私はクズリを相手に人生最大の死闘を繰り広げた。

 凶弾に倒れたヒルズ将軍は私に後事を託して息絶えた。

 決戦が始まる数日前、カコさんは強くて優しい光を瞳に宿しながら私たちのもとを去った。

 

 ケープタウン大学での戦いも熾烈だった。

 手足を失って冷たくなっていくメガバットをむせび泣きながら抱きしめた。

 私に野生の真髄を教えてくれた名狙撃手カイルが、高所から落とされて命を散らした。

 

 Cフォースを裏切ってパークに付くことに決めたばかりの頃も忘れられない。

 私と袂を分かったクズリが、不敵な笑顔と共に炎の中に消えた。

 美しいオレンジ川のほとりで、出会ったばかりのパンサーとスプリングボックと共に避難民をセルリアンから守り切った。

 

 まだCフォースにいた頃、ブラジルでの一年間。色彩鮮やかな南国の街並みと、そこに住む人々を守るためにセルリアンとの戦いに明け暮れた日々。

 傍らにはいつも、初めての仲間と呼べる者たちがいた。

 ディザスター級セルリアンとの戦闘では、メガバットの導きによって初めて勁脈打ちを打つことが出来た。

 

 核に汚染された砂浜で、死を待つゲンシ師匠と修行に明け暮れた。

 私に戦う力と心を授けてくれた偉大なる師は、私の隣で悟りを開きながら自身の人生をまっとうした。

 師匠に出会う前の私は酷い劣等生で、優しく励ましてくれるヒグラシ所長に申し訳ないと思いながらもトレーニングに励んでいた。

 

 フレンズの姿だった私が動物に戻った。夜の高速道路で、生まれて初めてセルリアンに出会い、そして殺された。

 クズリと初めて出会ったあの時、セルリアンをバタバタなぎ倒す彼女を見て、この世にこんな強い奴がいるのかと思った。

 

 私の家族、大好きなサツキおばあちゃんと一緒に暮らした狭いアパート。

 大きくなっていく私の体のせいで、おばあちゃんは植物や家具を処分しなくちゃいけなかった。

 いつかおばあちゃんと別れなきゃいけないのかなと思うと不安でしょうがなかった。

 

 おばあちゃんと出会う前、サーカスで飼われていた私。

 顔を見たこともない私の親トラは一座の花形スターだったらしく、子供である私にも期待がかけられていたけど、兄弟たちと違って覚えが悪い私は落ちこぼれだった。

 天幕の隅っこで、大盛況のサーカスを他人事のようにぼんやりと眺めてた。

 

(なんだ、どうしてこんな・・・・・・)

 

 女王の心の中をのぞくつもりが、自分の人生が逆戻りして目の前にあふれてくる。

 その時の気持ちも情景も、あり得ないほどにリアルに蘇ってくる。

 

(お前の人生は余すところなく戦いの連続だったようだな)

 

 女王が無機質なトーンで感想を漏らした。

 今や私の内側から聴こえるその声が、無尽蔵に湧いて出る思い出に我を忘れていた私を現在に引き戻した。

 

(お前は何故こうも戦うのだ?)

(何故って・・・・・・)

 

 それはとても一言で言い尽くせるものではなかった。

 戦わなくちゃいけないことだけは最初から決まっていたけれども、戦えば戦うほどに後から理由が積み重なっていった。

 

 もっとも強いのは、死んでいった者たちの思いに応えたい気持ちだ。

 特に私が命を奪ったスパイダーへの償いは、私が死ぬその瞬間まで続くだろう。

 もちろんパークの大義もある。ヒトとフレンズが手を取り合って暮らす世界を作るというカコさんの理想を実現したい。

 ゲンシ師匠の弟子としてふさわしい生き方をしたいという気持ちもある。

 

 けれども一番最初の理由は何だったかというと、もっとちっぽけでくだらないものだ。

 ・・・・・・そう、私は居場所が欲しかっただけだ。

 サーカスで落ちこぼれだった私を無条件で愛してくれたサツキおばあちゃんと別れることになって、ヒグラシ所長にフレンズとして蘇生させられて、戦いの道を歩むことになった私にはその思いしかなかった。

 

 他人との関わりの中で培った想いと、もともと自分の中に合った気持ちと、どちらが本当の私なのか、そんなことはわからない。

 ごちゃ混ぜの気持ちをこの胸に抱き続けて今日この日まで戦い続けてきた。

 

(お前は非合理的な存在だな。我々セルリアンは生存のため以外には戦わぬ)

(ほんと・・・・・・そうだよね)

 

 すべてを覗かれたというのに、気恥ずかしいという気持ちすらも湧いて来ない。

 もはや女王が元から私の一部だったかのような錯覚さえ覚える頃、私の人生を映し出していた情景が後ろへと流れ去り、私たちの意識は新たな場所へと飛び去っていった。

 

 ・・・・・・私は女王、女王は私。

 今度は私が覗き込む番だ。片割れたる存在の記憶が流れ込んできて、私は当たり前のようにそれを受け入れることになった。

 

 あらゆるセルリアンの遺伝子を宿した女王の中には、これまでに生まれ、そして死んでいった全ての個体の記憶が宿っていた。

 深き地の底から沸き立った小さな命は、多くの場合ごく短いうちしか生きていることが出来なかった。

 

 なかには運よく生き延びて、個別の形へと進化することが出来た個体もいた。だがけっきょく辿る運命は同じだった。

 燃費の悪いセルリアンの体は、何らかの要因でエネルギーを取ることが出来なくなればすぐに飢え死にしてしまった。

 そして彼らには恐ろしい天敵がいた・・・・・・フレンズだ。

 同じサンドスターの力を宿しながらも、ヒトの庇護を受けたフレンズたちは、セルリアンを見つけるや否や、その場から根絶やしにするまで戦いをやめなかった。

 絶望と怨嗟の声なき声を張り上げて彼らは息絶えていった。

 

 ふと思う・・・・・・私は今までにいったいどれほどセルリアンを殺してきただろう。

 他にどうしようもなかった。フレンズとセルリアンは互いに殺さなければ殺される関係でしかないのだから。

 ・・・・・・でも、殺すことを当然だと信じて疑わなかったことは間違っていると思う。

 生き延びたいという純粋な想いも、死ぬことへの恐怖や悲しみも、ヒトやフレンズと何ら変わることはなく彼らは持っているのだから。

 せめて命を奪うことの重みを感じながら戦うべきだった。

 

(あ・・・あ・・・)

 無限に繰り返される死と再生に晒されていると、自分が果たして何者だったのか、だんだんわからなくなってきていた。

 直前までセルリアンたちに対する罪悪感で頭がいっぱいになっていたはずなのに、気が付くとその気持ちも薄れ消え去っていた。

 

 巨大な流れの中に一切が溶けていっている。

 ・・・・・・ヒトが、フレンズが、セルリアンが、ありとあらゆる生命体が、今この瞬間にもどこかで産声を上げ、同じ数だけ終わりの時を迎えている。

 ひとつひとつの明滅が、今の私には自分のことのように感じられる。

 過去から未来まで連綿と紡がれる生命の流れ、その雄大さに身を任せることに心地よささえ感じるようになっていた。

 

(なるほど、お前の意図していることがわかった。我々の記憶を直接読み取って、例の人間に呼びかけようというのか)

 

 ふたたび女王の声が頭の中から聞こえてくる。

 その声色は先ほどから何ら変わった様子がない。

 私と同様に夥しい数の生と死を目の当たりにしているはずなのに、それに対して一切の感想も持ち合わせていない様子だ。

 

(異物よ。お前はこんなことをするべきではなかった。もはや望みが叶うことはない)

(どういうことなんだ? 女王・・・・・・)

(お前はまもなく消える。我々の一部となるのだ)

 

 女王の意思が元から自分のものであったかのように伝わってくる。

 もとより彼女はすべてのセルリアンの意思を総括する器であるために、いち個体の生死には執着することはない。

 ただ0か1かの記号の変化として淡々と処理し、進化と生存という種の至上命題に邁進していくだけなんだ。

 

 ・・・・・・だが、単なる一個の生命体でしかない私が、無限の器たる女王と魂を重ね合わせた結果どうなるだろうか?

 結果を想像するのは簡単だ。おびただしい思惟に晒され続けた結果、自他の区別が付かなくなり、完全に自我を失う。それはほぼ死ぬことに等しい。

 

(案ずるな。あの人間とともに、我が一部として生きるがいい)

(い、いやだ! 私はカコさんを連れて、かえ、るん、だ・・・・・・)

 

 必死に言い聞かせるも、もはや引き返せないところまで来てしまっていることを実感する。

 すべての感情と記憶とが白んでいき、大いなる意思に身をゆだねる心地よさだけが残る。

 ・・・・・・もう何も思い出せない。

 とても大切な事のためにここに来たはずだったのに。

 

≪ううっ・・・一人に、しないで・・・・・・≫

 

 そんな時、どこか遠いところから薄っすらと声が聴こえてきた。

 幼い子供の声だ。嗚咽交じりでいかにも心細そうで、思わず耳を澄まさずにはいられない。

 私でも女王でもない、際立って異質に感じられたそれが、何もかもに区別が付かなくなっていた私の自我をギリギリで踏みとどまらせた。

 

(異物よ、まだ無駄な抵抗を続ける気か?)

(行かなきゃ・・・・・・行かなきゃ)

 

 何もかも曖昧になっている意識の中で、最早うわごとのように繰り返す言葉だけが私のよりどころだった。

 もはやどこに何のために行くのかわからない。でも、ともかく行くんだ。

 

≪お父さん・・・・・・サーバルちゃん・・・・・・≫

 

 情報の濁流の中で必死に足掻いていると、また例の子供の声が聴こえた。

 その声が呼び水になったかのように、私はいつの間にか光の海を抜け出していて、新たな光景が眼前に現れた。

 どこかのだだっ広い荒涼とした平原だ。

 空には黒々とした暗雲が立ち込め、まだ夜にもなっていないだろう大地に影を落としている。

 

(うううっ! はあっ、はあっ・・・・・・!)

 

 音もなく荒野に降り立つ。形のない魂だった私に再び肉体が取り戻されている。

 ・・・・・・が、様子がおかしい。ここが現実世界ではないことを考慮しても変だ。

 かざした手のひらごしに向こうが透けて見える。全身が薄っすら半透明になっているんだ。

 それだけじゃない。虹色の光る粒子が体から立ち昇っていっているんだ。

 

(お前が消滅寸前である証左だ。間もなく我々とひとつになる)

 

 振り返ると、私とは違ってしっかりと実体化した女王が腕を組んで佇んでいた。

 悪あがきを続ける私の意志をすべて理解しながらも、ただ黙って事の成り行きを見守ろうとしているんだ。

 例の子供を探すためによたよたと覚束ない足取りで歩み始めると、後ろにいる彼女も私の影であるかのように連れ添ってついてきた。

 その足は地に付くことなく常に浮遊している。

 

 この平原は一体どこなんだ。

 来たことがある場所なのかそうでないのか、もはや私には何もわからないけど、見るからに不気味な様相だ。

 地平線の向こうまで続いてる黒雲が、まるでこの世の全てを闇に閉ざしてしまったようだ。

 ・・・・・・いっぽうで、大地は怪しく青緑色に輝いている。

 群れを成して行進しているセルリアンたちが放つ光だと気付くのに時間はかからなかった。

 

(ほう、これは我が先達の記憶の中でも、かなり最初期のものか)

(セルリアンの・・・・・・最初の記憶?)

 

 例によって女王の思考がひっきりなしにこちらへ流れ込んでくる。

 ヒトの数え方でどのくらい昔なのかはわからないが、ともかく大分昔の話だ。地上に姿を現して間もない頃のセルリアンは、繁栄を求めて広大なアフリカの大地を移動していた。

 いったい何を自分たちの栄養にしたらいいのかもはっきりしていなかった時期、数多くの犠牲を払いながらも群れを成して行進を続けていた。

 

 ・・・・・・その後にヒトが暮らす大都市が、どうやら自分たちの生存に適した場所であることを突きとめた。

 そこに満ちる電気というエネルギーが栄養補給に適していることもわかった。

 ヒトを襲って追い出し安住の地を得たセルリアンたちは、そこの電気が枯渇するまでの間しばし多様な形態への進化へといそしんだ。

 電気以外のエネルギーでも腹を満たす術を模索するためだ。

 その努力は実り、次第に行動範囲が広がっていった。セルリアンの進化の歴史の中で、最初の大きな一歩だったという。

 

≪放せ! 放してくれ!≫

≪・・・・・・い、いけません、遠坂博士! 我々も早く避難しないと!≫

 

 女王の記憶に晒され続ける私を、またも異質な声が呼び戻した。

 今度は大人の男たちの声だ。

 その主であろう者たちの姿を見つけた。

 青く輝くセルリアンの行進を遠巻きに見ながら、なにやら押し問答を繰り広げている。

 

 一人の男がセルリアンが行進している地点へと銃を手に取って向かおうとしている。それを後ろから数人がかりで羽交い絞めにして押しとどめている。

 男たちは皆、腰の高さまで伸びた丈の長い白衣を身にまとっている。見るからに研究者か何かと思われる姿だった。

 

≪娘がまだあそこにいるんだっ!!≫

 

 羽交い絞めにされながらも悲痛に訴える男の顔を間近で見つめる。

 もちろん私の存在には気付かない。彼は実在しているわけじゃない。私は単なる過去の映像を見ているだけに過ぎないんだ。

 すらっと背が高く、精悍な顔立ちをした壮年の男だった。

 娘の身を案じるその悲痛な瞳には、強くて優しい光が宿っている・・・・・・こんな目をしたヒトを私は知っている。いったい誰だっただろうか・・・・・・

 

≪もう我々にはどうすることも出来ません・・・・・・!≫

 

 だが男性のそんな懇願もむなしく、同じ研究者仲間たちに取り押さえられたまま後ろへと引き下がることになってしまった。戦々恐々とした彼らの様相から、これ以上この場にとどまることがいかに危険かが伝わってくる。

 ・・・・・・無理もないだろう。向こうのほうにいるセルリアンの大群は尋常じゃない数だ。

 

 様子からさっするに、あの男性の娘とやらがあの中に取り残されていることになるのか。

 私に「行かなきゃ」と思わせてくれる声の正体は、その娘なんじゃないのか?

 あの子は確かに「お父さん」と言っていた。泣く泣く引き下がった父親の代わりに私があっちに向かったら、その子に合うことが出来るだろうか。

 

 ひとつの言葉を胸に再び歩き出す私。

 一歩踏み出すごとに意識が遠のいていくのがわかる。体から虹色の粒子が吹きこぼれ、透明さは度合を増していく。

 存在の消滅に精神力だけで抗っている。

 ・・・・・・まるで猛吹雪の中を彷徨っているように、深い海の底で息が出来なくなっているように、猛烈な眠気と死を近くに感じながら、ギリギリの所で踏ん張っている。

 

(その苦痛に何の意味がある?)

 

 女王の無感情な声がふたたび疑問を差しはさむ。

 私がいくら苦しみながら前に進んだところで、この光景はただの過去の思い出であり、結果が変わることはない。

 無駄なあがきを続けるよりも、早く同化を受け入れてしまったほうが楽になれると。

 完全なる全として生きるほうが、不完全な個であるよりも幸福であると・・・・・ 

 

 それでも私は「一人にしないで」と言ったあの子の声が頭から離れない。

 お父さんにも来てもらえなくて、セルリアンの大群に囲まれて、一人でどんなに怖くて心細い思いをしているだろう。

 あの子の気持ちがよくわかる。

 私だって寂しさから自分の居場所を得るために戦い続けてきたんだから。

 女王にいくら非合理的と言われようが、それが私なんだからしょうがない。

 

(そうか・・・・・・そうだったんだ)

 ふと、すべてが腑に落ちた。

 不完全だからこそ、他の誰かと繋がろうとする。その中で培った思いが、やがて自分自身のかけがえのない財産となる。

 戦うことでしか他人と繋がれない人生だったけれど、私はそのことに充足を感じてきた。

 

 ・・・・・・それが私の、戦う理由だ。

 だから今も、無駄とわかっていながら、助けを求める声へと向かわずにはいられないんだ。

 不完全であることの喜びを最後の瞬間まで忘れないためだ。

 私のこんなつまらない意地など、完全な存在である女王にはきっとわからないんだろう。

 

(いいだろう。お前の好きにするがいい。消滅するその瞬間まで)

 

 女王はそれきり口を閉じ、ふたたび私の背後に連れ添う寡黙な影となった。

 聞き分けのない私に対して説得をあきらめたと言わんばかりだ。

 

 それからどれぐらい歩いただろう。

 やがて私と女王は、青緑色に輝く場所へ、夥しい幼体セルリアンたちの群れが大行進する場所へとたどり着いた。

 

 過去の映像でしかないセルリアンたちが物凄い勢いで私たちをすり抜けていく。

 どこに向かっているのだろうか。

 地平線の向こうまでずっと暗雲が続く平原を、ひたむきに進み続けるセルリアンたちの姿は美しいとさえ感じられる。

 彼らにあるのは生き残りたいという純粋な意思だけだ。

 

__________ビッシャアアアンッッ!

 セルリアンたちの姿に感慨さえ抱いていたさなか、一筋の雷鳴がとつぜんに轟いた。

 暗雲から現れたそれが地面を穿ち、青緑色の地平の一部を薙ぎ払った。

 一滴の雨すら降っていないのにこんな稲光が落ちるのは異様だ。

 

≪にゃあああッッ!≫

 

 しかし、もっと異様だったのは、空から降ってきた稲光が、地面の上でなんども繰り返し炸裂したことだ。

 行進していたセルリアンたちが一部歩みを止め、異様な光の正体へと向き直ると、我先にと飛び掛かり始めた。

 

 ・・・・・・どうやらそれは戦闘だった。

 地面を埋めつくすほどの大量の幼体セルリアンと、全身から眩い雷を放つ、たった一人のフレンズが戦っている。

 

 名も知らぬそのフレンズは、数の差をものともしない奮戦を見せている。

 私によく似た橙色の肌に斑点模様。アンバランスなほどに大きな三角形の耳、箒のような平たい尻尾・・・・・・。

 それらの特徴から、おそらくはネコ科のフレンズであろうことが推測できる。

 

 とてつもない強さだ。腕の一振りで黒い衝撃波を巻き起こし、数十体ものセルリアンを吹き飛ばしている。

 だがそれ以上に必死の形相をしているのが印象的だった。数の差をものともしない、死を賭して戦う強い意志が感じられる。

 

 呆気にとられながら戦いの様子を眺める。

 過去の映像でしかない戦いに加勢しようと思っても無理な相談だ。

 ・・・・・・仮に加勢出来たとしても、もうどちらの敵にもなりたくなかった。

 一人で懸命に戦い続けるフレンズの力になってあげたい。

 しかしセルリアンからしてみれば、フレンズの敵意に対して反射的に行動しているだけなんだ。生き延びるために自らに課したルールに則っているだけだ。

 今も命を散らすセルリアンたちの怨嗟と無念の轟きも私の胸の中を駆け抜けてくる。

 

≪あああっ!≫

 

 数の差はいかんともしがたく、やがてネコ科のフレンズがセルリアンたちの反撃を受けて宙を舞った。

 フレンズが隙を見せたのを見計らったように、セルリアンたちが雨あられと飛び掛かる。

 何度フレンズが拘束を振りほどこうともセルリアンたちは追いすがり、彼女の体をぼろ雑巾のように痛めつけていく。

 

(も、もうやめてくれ!)

 

 おもわず目を背けたくなるような悲惨な有様に、無駄とわかっていても思わず叫んでしまう。

 そして私は気が付くと、セルリアンの大群の虚像をすり抜けて、孤軍奮闘を続けるフレンズの傍に近寄っていた。

 痛めつけられながらも何とか立っている彼女の足元はすでにおぼつかなくなっており、今にも倒れてしまいそうなのがわかる。

 

≪あの子を守って・・・・・・≫

(え?)

 

 目を疑うような光景だった。

 過去の映像でしかないはずのネコ科のフレンズが、確かに私と視線を合わせているのだ。

 死闘を繰り広げている最中であることが信じられないほどに優しく清々しい表情だった。

 そして後ろを振り返る。

 

 

≪お願いだよ。わたしの何より大切な友達なの・・・・・・≫

 

 言うなりネコ科のフレンズがその場に崩れ落ちた。地面に四肢を投げ出すよりも早く、彼女の体から眩い虹色の光が飛び出し天空へと昇っていった。

 ・・・・・・やがて光が止むと、その場にはフレンズだったころと同じ特徴を持った、中型のネコ科動物が横たわっていた。

 

(・・・・・・なんて素晴らしい子なんだ)

 名も知らぬフレンズの遺骸を見下ろしながら一人ごちる。

 友達のために我が身を投げ出し、死の間際まで想いを貫いたその生きざまに感服した。

 彼女の願いを是非とも引き継ぎたい。

 何が何でもこの先に進み切って、この子の大切な友達を守ってあげたい。

 

 見事な最後を遂げたフレンズに勇気づけられ、決意を新たにした私は、今わの際に彼女が視線を流したその先へ、セルリアンたちの幻影がひしめき合うただ中を動き出した。

 

 ・・・・・・だが、限界は刻一刻と近づいてきていた。

 もういつ消滅してもおかしくない。

 歩くことも出来なくなり、四つん這いになって進み続けた。

 しまいには体の半分が溶けてなくなってしまっており、片腕だけで芋虫のように這いずった。

 

(行かなきゃ、行か、なきゃ・・・・・・)

 

 限界をとっくに踏み越えたのち、最後に私を待っていたのは、想像だにしない物体だった。

 上下二枚の羽を持った、何やら古めかしい形状の飛行機だ。

 この平原に墜落した物なのだろうか、地面に接触した翼の片方がへし折れてしまっている。

 そこから長い時間が経過したみたいで、全身がサビまみれになっており、とてもじゃないがもう飛ぶことは叶わないように見える。

 

(・・・・・・このような障害物がこの場に残っていたとは)

 だだっ広い平原に取り残された様にポツンと横たわるそれを見て、女王をして意外だと思ったようだった。

 セルリアンの大群にとっても進行の妨げでしかないようで、ここを通るセルリアンたちは左右に別れ、飛行機の残骸を横切ってからすぐに合流していた。

 青緑色の大行進の中にちょっとした隙間を形作っているのが見て取れる。

 

≪・・・ううっ・・・ぐすっ・・・≫

 

 耳を凝らすと、いっけん何の変哲もないこのスクラップの中から、小さな嗚咽が聴こえてきた。

 存在を隠すために必死に鳴き声をかみ殺す声だ。

 ・・・・・・そして見つけた。

 へし折れた翼の下で泣きながらうずくまっている小さな影を。

 

≪一人にしないで・・・・・・!≫

(私がそばにいるよ、カコさん)

 

 うずくまったその子の傍まで這いずって近寄りやさしく呼びかける。

 忘れてしまったはずの記憶が瞬間に蘇っていき、気が付くとその子の名前を呼んでいた。

 名前を呼ばれた幼いカコさんが、おそるおそる顔を上げ、私と目を合わせた。

 

__________ガシッ

(来てくれたのね・・・・・・ありがとう、本当にありがとう・・・・・・)

 刹那、幼かったカコさんが元の大人の姿に戻る。

 そして瞳に大粒の涙を滲ませながら、消滅寸前の半透明の私をしっかりと抱きしめるのだった。

 

(・・・・・・なんということか)

 

 私の背後にずっと佇んでいた女王が、無表情のまま絶句している。

 2人を見比べると改めて実感する。女王は本当にカコさんと瓜二つの容姿をしているんだな。

 ・・・・・・と、死ぬ間際に考えることとしては、おおよそ呑気すぎる感想を抱いてしまう。

 

 女王をして予想しなかった事態が起きたのだと言う。

 カコさんのことを、女王はとっくに同化させたと思っていた。

 だがカコさんはギリギリの所で耐えていたのだ。自身が幼い子供だった頃の、もっとも強烈に残っている記憶だけを頼りに自我を保っていた。

 彼女の自我は私に対してごく微弱なSOSを送っていた。それがあの声だった。

 私はカコさんの記憶をさかのぼり、その最奥にて彼女の意識と再会を果たすことが出来た。

 

(不完全な個でしかない者たちの魂がこうも強く結びついているとは・・・・・・我々の理解を超えている。これが知性だというのか?)

(・・・・・・これが心だよ・・・・・・女王・・・・・・)

 

 私なりに女王の疑問に答えてみた。

 彼女はその能面のような表情の裏側で何を考えているのだろう。

 カコさんに会うことはできた。だが女王が私たちを出す気がないなら、カコさんはきっと現実に帰ることは出来ない。

 ・・・・・・私に至ってはもう終わりだ。ここで命が尽きる。せっかく会えたカコさんのぬくもりも笑顔も、何もかもが白く薄らいでいく。

 

(生存戦略を変えねばならんな)

 

 得心がいったように小難しいことを呟く女王。その無表情な口元が何故だか笑っているように見えた。

 そしておもむろに動き出す。地面をふわりと浮遊しながら、私たちのすぐそばにある飛行機のスクラップに近寄り、錆び付いたボディに漆黒の手を当てた。

 

 ・・・・・・すると信じられないことが起きた。

 鉄くずも同然だった飛行機が、時間が巻き戻るように修復されていったのだ。

 横転した機体がまっすぐな姿勢へ戻り、へし折れた翼がくっつき、錆びた体が鮮やかな白いボディカラーを取り戻していった。

 仕上げと言わんばかりに、機首に取り付けられたプロペラが勢いよく回転し始めた。

 

 そして変化が起きたのは飛行機だけじゃない。辺りの様子が急速に一変していっている。

 黒雲が広がる空も大地も、セルリアンの大群も、いっさいが幻だったように消え失せ、辺りにはよどみ一つない大空のような景観が広がり始めた。

 

 辺りの様子をすっかり一変させた後で、女王はカコさんの前に立った。

 私を抱きしめながら、カコさんは自身と瓜二つな姿を持った怪物にまっすぐと向き合った。

 

(・・・・・・私とアムールトラのことをどうする気ですか?)

(知性とは心。それこそが我々の進化の鍵。どれだけかかろうとも、いつか心を手に入れてみせる・・・・・・そのためにお前らを利用する)

 

__________グワッ・・・・・・

 意味深な文言を呟きながら、とつじょ女王はカコさんの額に漆黒の手を重ねた。

 思わず声を上げて目を背けるカコさん。

 ・・・・・・が、彼女がおそるおそる顔を上げた時には、女王の姿はすっかりどこかに消え失せてしまっていた。

 いまや澄み切った青空のようなこの場所には、私とカコさんと、そして新品同様に蘇った白い飛行機だけが取り残されていた。

 

(いったい彼女は何を? ・・・・・・いえ、いいわ。さあアムールトラ、帰りましょう)

 

 困惑しつつも気持ちを切り換えたカコさんが私を抱き上げると、飛行機の後部座席へそっと乗せて体を固定してくれた。

 今や息も絶え絶えの私を気遣うように一瞥してからコクピットに乗り込む。

 そして慣れた手つきで計器をいじり、操縦桿を引き上げると、白い飛行機はまるで鳥のように勢いよく飛び立った。

 

 意識が遠のいていく最期の瞬間、カコさんの背中ごしに、どこまでも続く青空が見えた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
??? ??? ???
「セルリアン・クイーン」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章39 「あらたなるカコのけつい」

(はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・)

 

 暗闇の中で意識を取り戻す。

 何も見えない代わりに、全身をつつむ気色の悪い感触に思わずハッとさせられる。

 まるで巨大生物の胃袋に飲み込まれたかのような、ブヨブヨとした粘膜状の空間に閉じこめられているかのようだった。

 かなり息苦しいが何とか呼吸は出来ている。

 

(そうだったわ、私は・・・・・・)

 

 意識を失う直前までの出来事がだんだんと思い出されてくる。

 グレン・ヴェスパーの「女王の生体コアにしてやる」という言葉と共に麻酔で眠らされた私は、その後深い海の中を漂うような夢を見続けていた。

 永久に目覚めることがないような、ゆっくりと死んでいくのが自分でもわかるような夢だった。

 

 ・・・・・・だが、夢の中にやってきたアムールトラが私を起こしてくれた。

 何が起こったのかわからないけども、それだけは分かる。

 あの子が私を助けてくれたのだと。

 

「・・・・・・どこっ!? アムールトラ! どこにいるの!?」

 

 必死に声を張り上げて呼びかけるも、私を覆い尽くすゼラチン質の空間に声が全て吸い込まれていくように思える。

 ゼリー状の空間を搔き分けて前に進もうと手足をバタつかせる。

 それらは私の腕力でも何とか引き千切ることが可能なぐらいの強度だったが、残念ながらどこに進めば良いのか皆目見当がつかない。

 

「アムールトラッッ!! 私はここよ!」

_________________ドシィッ!

 

 足掻きながら声を張り上げていると、私の手首に何かが勢いよく巻き付くのが分かった。

 ロープ状のそれは私のことを猛烈な勢いで引っ張り、ゼリー状の海を掻き分けながら引き上げていった。

 

「ううっ・・・・・・」

「起きろ、カコ・クリュウ」

 開けた場所に体が飛び出し、その勢いのまま地面に倒れ込む。今まで閉じ込められていた場所と変わらない粘膜上の質感だ。

 

「直接対面するのは初めてだな」

「・・・・・・あ、あなたは確か!」

 私の手首に巻き付いたロープを引っ張り上げていたらしき者が、私が起き上がるよりも前に声をかけてくる。

「僕はメリノヒツジ」と、名乗ったフレンズと目が合うやいなや、彼女は手にしていたロープを粒子状に分解してかき消した。

 

 ヒツジのフレンズ・・・・・・これが全くの初対面ではない。

 麻酔漬けにされて眠らされる直前、一度だけ彼女の姿を見ていた。私を拘束して足元に跪かせたグレン・ヴェスパーが、映像越しに彼女たちと問答を繰り広げていた。

 映像の中にはCフォースの数名の将校たちに混じって、アムールトラ、クズリ、そしてこのメリノヒツジという3人のフレンズがいた。

 

 私に付いてくることを選んだアムールトラと、Cフォースに残ったクズリ。

 敵同士だった2人がどうして手を組むことになったのかなんて、あの時はとても考える余裕がなく、そうこうしている内に眠らされることになったんだっけ・・・・・・。

 

 メリノヒツジの全身を包む羊毛はしかし、一般にイメージされる純白とは程遠いほどに真っ赤だった。

 出血なのか、返り血なのか、あるいはもともと体毛が赤いのか、もはや分からないほどだ。

 さらには羊毛がところどころ焦げて焼け爛れた地肌が露わになっている。

 彼女が潜り抜けて来た戦いの凄絶さをこれでもかと思わせる有様だった。

 

「あ、あなた、大丈夫・・・・・・?」

「僕のことはいい」

 

 思わず手を差し伸べた私に対して「触るな」と言わんばかりに顔を背けるメリノヒツジ。

 泣き腫らした瞳が、下向きに湾曲した二本の立派な角越しに覗いている。傷ついた体に輪をかけて悲痛な表情だと思った。

 

「・・・・・・僕だけが惨めに生き残ったよ」

 と、自虐的に吐き捨てるメリノヒツジ。

 その視線を辿った先に、一人のフレンズが横たわっているのが見えた。

 私はその姿を見て全身が氷付くような心地になった。

 

「あ、アムールトラ・・・・・・」

 

 思わず駆け寄って抱き起こした、傷ついた橙色の長身は冷たく生気がなく、そして虹色の粒子がうっすらと立ち上っていた。

 耳を澄ませなければ聞き取れないほどの吐息が微かに口から漏れ出ている。

 閉じられた瞳、その寝顔はしかし、どこか満足げに見えるほどに安らかだった。

「いやよ、そんな・・・・・・」

 この子はどうしてこんな表情が出来るのかと思う。

 戦いを好まない性分であるにも関わらず、いつだって誰かを守るために体を張り続けてきた。

 ・・・・・・私を助けることが出来たから悔いがないとでも言うのかしら。

 

「カコ・クリュウ、分かっていると思うが、アムールトラはあんたを助けるために命を懸けた。フレンズの体が残っているということは、まだ完全には死んでいないのだろうが。

 ・・・・・・そしてもう一人」

 

__________ジャリッ

 

 メリノヒツジはそう言うなり、手にした物体を私に見せつけるように掲げた。

 無骨なデザインの金属の輪・・・・・・あれは腕輪? 引き千切れた鎖が数片垂れさがっている。

 よく見ると、メリノヒツジ自身にも、そして私の腕で眠るアムールトラにも、それぞれ同じ形の、両手首に鎖の付いた腕輪が取り付けられている。

 

「クズリさんが遺した物だ」

「そ、そうだわ。あの子はどこに行ったの? あなた達と一緒に戦っていたはず」

「・・・・・・ああ、さっきまでいたよ、ここに」

 

 嗚咽混じりのメリノヒツジが告げるクズリの顛末。

 致命傷を負いながらもグレン・ヴェスパーに引導を渡し、さらに暴走を続けるセルリアンの女王に対してクズリは懸命に戦い抜いた。

 ・・・・・・最期の瞬間まで命を燃やし尽くした結果、彼女は動物としての肉体さえも残さずに消滅してしまったのだと。

 

「・・・・・・私のために、本当にごめんなさい」

「うるさい・・・・・・アンタのためなんかじゃない。クズリさんは自分の戦いをまっとうした。それだけだよ」

 

__________ゴゴゴゴ・・・

 

 涙交じりに怒気を投げつけてくるメリノヒツジ。

 喪失感に震えている彼女に対してかける言葉を失っていたその時、私たちが今いるこの空間全体が激しく振動を始めた。

 ・・・・・・振り返ると、私がさっきまで埋まっていた、大樹の幹のような有機的な柱がひび割れていくのが見える。

 粘膜のみずみずしさを失って乾燥し、急速に朽ちていっている。

 

「話は終わりだ」

__________ガシィッ!

 メリノヒツジはそう言うと、動かないアムールトラを背負い、さらに私を小脇に抱えると、今にも崩れ落ちてきそうになっている高い天井を見上げた。

 

「カコ・クリュウ、あんたというコアを失った女王の肉体が崩壊しようとしている・・・・・・すでに大部分が浸食された要塞スターオブシャヘルごとな」

(でも、どうして私は助かったのかしら)

 

 夢の中でアムールトラが助けに来てくれたのは確かだった。

 でも女王と戦ったわけじゃない。私と瓜二つの顔をしたあの女王は、自らの意志で私を手放したように見えた。

 その結果がこの状況だというなら・・・・・・いったい女王にはどういう意図があったのか。

 

「歯を食いしばっておけ。ここを脱出するぞ」

 

 考え事に気を取られていた私にメリノヒツジが声をかけてくる。

 そして天井めがけて、手のひらから出現させたロープを投げつけた。

 天井の一部には直径数十メートルほどの大穴が開いている。

 その穴の壁面にロープの先端が触れると、取っ掛かりもない滑らかな壁に固定された・・・・・・見るとロープの先端には鉤状の爪が付いていて、それが壁面にガッチリと食い込んでいる。

 

「カーネル・ジフィがドックで脱出艇をスタンバイさせている。彼も何とか無事だ。あんたを助ける少し前に連絡を取った」

 

 言うなり私たちを抱えたメリノヒツジの体が勢いよく天井の大穴へ吸い込まれていく。

 ロープの長さそのものを短くして、壁面に固定されたフックの方へと巻き上げていっている。

 多分、さっき私を助けた時も同じようにやったのだと思う。

 なんて便利極まりない能力なのかしら・・・・・・

 

「あんたを地上に返してやる。それがクズリさんからの僕への言いつけだからな! 

 ・・・・・・そしてアムールトラ、せめてお前だけは死なせやしないぞ!」

 

 溢れてくる涙をかなぐり捨てるようにメリノヒツジが吼えた。

 

◇ 

 

 成層圏の空を、私たちを乗せた一機の小型輸送機が飛んでいる。

 計器を見やると時刻は午前4時を回っていた。

 夜明けは近いのだろうが、きっとまだアフリカ大陸は闇に包まれているだろう。

 地球の反対側、私の生まれ故郷の日本は眩い正午を迎えた頃だろうか・・・・・・。

 

 しかしどのような時間帯であっても、ここ成層圏の景色は変わることがない。

 どこまでも続く紺碧の空は澄み切っていて、生命を寄せ付けない寒々しさに満ちている。

 そんななかで、オゾン層に包まれる地球だけが青白く暖かい生命の輝きを放ち続けている。

(・・・・・・なんて綺麗なのかしら)

 その景色は、ずっと極限状況に置かれ続けてきた私の心を多少なりとも解きほぐした。

 

 はるか後方では、スターオブシャヘル・・・・・・もといセルリアンの女王の残骸が、とめどなく墜落していっている。

 この高度ではロケットの大気圏再突入時のような炎に包まれることもなく、残骸のほとんどは地上に降り注ぎ被害をもたらすことになる。

 ・・・・・・しかし、女王が生きたまま地上に降り立つよりは遥かにマシであるのは言うまでもない。

 

 アフリカ大陸が滅ぶか否かの瀬戸際。

 そんな未曾有の危機をアムールトラ、クズリ、メリノヒツジたちは命がけで救ってくれた。

 3人の英雄たちの活躍によって、グレン・ヴェスパーの野望は潰えた。父とあの男が始めた20年にも渡る諍いに終止符が打たれた。

 これで止まっていた時間が動き出す・・・・・・人類が手を取り合ってセルリアン対策とフレンズ保護に乗り出すことが出来る。

 失ったものはあまりに大きかったけれど。

 

「カコ・クリュウ。よくぞ生きて戻ってきてくれた」

「本当にありがとうございます。すべてはあなたの、そして彼女たちのおかげです」

「ワシはあの3人の援護をしたに過ぎんさ。そうか・・・・・・ウルヴァリンは戦死してしまったのだな。奴はワシがこれまで出会った中で最高の戦士だった。犠牲を無駄にはせん」

 

 輸送機のコクピットに座るジフィ大佐に改めて一礼をした。

 彼には本格的な操縦技術はなかったが、この機体は最新鋭のオートメーションコントロールが採用されており、大まかな制御を行うだけで地上まで降りられるそうだ。

 

 それにしても大佐の精神力は見上げたものだ。

 自身の仲間や、直前まで敵だった兵士を全て逃がしてから、自分だけはスターオブシャヘルに残り、アムールトラたちの勝利を信じて待ち続けたのだから。

 このような人を味方に付けることが出来ただけでも、私が単身敵地に乗り込む危険を冒してまで演説をぶった甲斐があった。

 ・・・・・・それと、女王のコアにされたために、身ぐるみをいっさい剝がされてしまった私に、何も言わずに自分の上着を差し出してくれた気遣いもありがたかった。

 

 後部座席にいるアムールトラとメリノヒツジを見やった。

 メリノヒツジは窓際の席に座りながら俯いて震えている。その手にはクズリの遺品である腕輪を握りしめている。

 顔は見えないが、どうやら声を押し殺しながら泣いているようだ。

 

 ・・・・・・輸送機に乗り込んでからずっとあの様子だ。   

 崩壊するスターオブシャヘルの内部を、様々な道具を駆使して脱出に導いてくれた彼女だったが、精神的に既に限界を迎えていたのだろう。

 緊張の糸が切れた途端、クズリをはじめとして仲間を大勢亡くした悲しみに苛まれているのが見て取れる。どうか今はゆっくりと休んでほしい。

 

 ・・・・・・そしてアムールトラは、今も変わらずに安らかな寝顔のまま動かずに横たわっている。

 尋常のフレンズならざる、動物のそれを数倍強靭にしたような鉤爪を、倒したバックシートに投げ出しながら。

 研究の上では前々からわかっていた。フレンズの体内にあるリミッターが外れ暴走状態に陥る危険性を・・・・・・。

 

 計算上では天文学的に低い数値だった。だが万に一つもそんな事態を引き起こすわけにはいかなかった。

 だからこそパークでは、フレンズたちの野生を抑制するために肉食を禁止し、体内のサンドスターの流れを安定させる人工栄養食の摂取を義務付けてきた。

 いっぽうのCフォースでは、オーダーという本能にブレーキをかける洗脳が行われていた・・・・・・非人道的ではあるが、フレンズが持ち得る未知の危険性を制御する意味では間違っていなかった。

 

 事の顛末はジフィ大佐から今しがた聞いた。

 アムールトラはそんな確率の低いクジを運悪く引いてしまったのだと。

 リミッターが外れた彼女は一時期暴走状態と化し、正気に戻っても発語能力が失われた状態だったと。

 

 ・・・・・・そんな体になってまで私のことを助けに来てくれたんだと思うと胸が痛くなる。

 これまで彼女を自分の都合で戦いに連れまわし、傷つけてきた、こんな私なんかのために。

 言葉を話せなくても、どんな不自由な体になろうとも、アムールトラは優しくていじらしいアムールトラのままだったのだ。

 

 願わくば私に恩返しのチャンスを与えてほしい。

「いつかフレンズが幸せに暮らせる楽園(パーク)を作りたい」

 かつて父が言い、私が受け継いだ言葉。

 どうしたら実現できるのか、未だその片鱗すら見えていないが、アムールトラには私が作るその場所で平和に暮らしてもらいたい。

 他人のためじゃなく自分の幸せのために生きてほしい。

 だから、こんなところで死なないで・・・・・・。 

 

「見えてきたな」

 

 ジフィ大佐がコンソールを触りながら告げる。

 計器の中央にあるディスプレイには周囲の地形が表示されている。

 目的地はアフリカ大陸南東部沖に浮かぶマダガスカル島、首都アンタナナリボ。

 大佐の仲間のCフォース将校たちや、彼らに投降したスターオブシャヘルの兵たちはここに集合しているらしい。

 

 なぜマダガスカルが避難先に選ばれたかというと、セルリアンの女王の性質を考慮してのことのようだ。

 スターオブシャヘルでヴェスパー親娘が生み出したセルリアンは、水に溶けてしまう性質を持っている、とイヴ・ヴェスパーが言っていたらしい。

 仮に女王が生きたまま落下して、アフリカ大陸に壊滅的な被害をもたらしても、大陸と海で隔てられたマダガスカルならば無事に済むだろう、と判断したからだ。

 

 ・・・・・・またあの地に戻ることになるとは思わなかった。

 アンタナナリボは、決戦に向けてパークが戦力を結集させるために滞在した最後の拠点だった。

 イーラ女史はお元気でいらっしゃるだろうか。

 彼女には返しきれないほどの恩がある。まずは顔をお見せしに行かなければ。

 

「むっ・・・・・・!?」

「な、何か?」

 

 息を飲んで身を乗り出したジフィ大佐が眺めていたのは、地形モニターの脇にある黒地に緑色のレーダー表示だ。

 後方から迫る機影が2点、レーダーの有効範囲ギリギリの距離から迫ってきている。

 

 その正体は一切不明だ。

 航空機のセンサーはすべからく前方に集中しており、側方、後方は死角に等しい。

 補助の全方向位レーダーでわかるのはおおよその位置と相対速度のみ・・・・・・その速度たるや、概算でこちらの倍近く。軽くマッハを超えている。

 突然の事態に面食らっていると、新たな光点がまたもレーダー上に現れた。

 明滅を繰り返しながらまっすぐにこちらに近づいてくる。

 

「ミサイルっ!!」

 

 稲妻が走るような直感とともに叫び、ジフィ大佐が握りしめる操縦桿を横取りするようにひったくり、脇にある赤い突起を押した。

__________バシュウッ

 コクピットのキャノピー越しに見える夜空に閃光がまたたく。

 すんでの所で射出したフレアーが、後方から迫りくるミサイルから私たちを守ってくれた。

 

「敵の戦闘機が後方から迫っています!」

「ど、どういうことだ!?」

「おそらくはイヴ・ヴェスパーの差し金・・・・・・私たちが脱出してくる可能性を見越して、マダガスカル島上空を哨戒させていたんです!」

 

 後ろを振り返り、メリノヒツジが座るシートを見やる。

 さっきまで声を押し殺して泣いていた彼女が、目を白黒させながらこちらを見ている。

 さぞかし不安だろう。いかに優れた戦闘能力を持った彼女であろうと、この場においてはあまりに無力だ。

 

「けっきょく僕らは死ぬのか? ・・・・・・クズリさんの犠牲が無駄になるのか」

 

 涙すら枯れたメリノヒツジが絶望の溜息を漏らす。

 まちがいなく致命的な事態だった。

 応戦しようにもこの輸送機には火器など積まれていない。

 スピードも旋回性能も、戦闘機に勝る要素など何一つない。撒くことさえ難しいだろう・・・・・・

 

(そんな、ここまで来て・・・・・・)

 頭が真っ白になった私は、ふたたび正面を向いて無機質なレーダーの光を眺めた。

 ふたつの光点が明滅を繰り返しながらどんどんと中央に迫ってくる。

 このままじゃすぐに追い付かれて撃墜される。なすすべもなく、ここで全員死ぬのだ。

 

__________ズキッ

 とつじょ、訳もなく頭が痛み出す。

(・・・・・・私はお前を利用する)

 頭の奥から謎の声が聴こえてくる。

 落ち着き払った、無機質な、とても人間とは思えないような声だった。だが聴き間違いじゃなければ、それは私と同じ声だった。

(・・・・・・だから、お前にも私を利用させてやろう)

 

 内側から響く私と同じ、私ならざる声が止むと、脳裏には幻覚としか思えない不思議な光景が広がっていった。

 翼の生えたどす黒い飛翔体がこちらに急速接近してきているのだ。

 そしてそれが今こちらを攻撃してきている2機の戦闘機だということが本能でわかる。

 どんな正確なセンサーよりも、肉眼で捕らえるよりも、遥かに鮮明にその動きが感じられる。

 ・・・・・・突然に第六感に目覚めたとしか言いようがない状況だ。

 

 こういう感覚の鋭さはアムールトラの得意分野だったはずだ。

 だがそれは彼女が積んできた厳しい修練の賜物に他ならない。もともと人間を遥かに超える五感が備わっていたことも影響しているだろう。

 ・・・・・・ただの人間でしかないこの私に、いきなりこんな超感覚が開花するなんて、一体何が起きたというのだろう。

 

 いや、今は理由などどうでもいい。

 今の私には後ろにも目が付いているに等しい。ならばこの状況を何とかできるかもしれない。

 まだ死ぬわけにはいかないし、これ以上誰も死なせるわけにはいかない。

 だからやるしかない。

 

「大佐! 私に操縦させてください! 応戦します!」

「な、何を言っているのだ! カコ・クリュウ? 君は操縦ができるのか?」

「多少は腕に覚えがあります」

「・・・・・・いいだろう。君に命を託すのはこれが初めてというわけでもない」

 

 ジフィ大佐はさすが歴戦の兵なだけあって、一瞬で覚悟を決めることには慣れている。 

 青い顔で身をすくめたのも束の間、もはや私の戯言に懸けてみる以外に道が無くなったことを悟ってくれたようだった。

 

 後部座席に移ってもらった大佐には、メリノヒツジと共に一か所に固まってもらった。

 2人には横になって眠るアムールトラを間に挟むような形で座ってもらっている。

 

 ここでまたメリノヒツジの能力の出番だ。

 航空機の4点式シートベルトは安全性が高い。きちんと締めてさえいれば、体が投げ出されることはまずない。

 ・・・・・・が、これから私がやろうとしていることはそれでも危険だ。

 弱り切ったアムールトラの体に少しでも衝撃を加えたくない。

 だからメリノヒツジには能力でロープを生成してもらい、3人の体に幾重にも巻き付けてがっちりと座席に固定してもらった。

 

「マニュアル操縦に切り換えます!」

 

 これで準備は整った。

 超高高度を飛ぶ輸送機のレスポンスは、運転しなれたヘリや複葉機とはもちろん違う。

 しかし航空機である限り、風を受けて浮揚するこの感覚はそう変わることはない・・・・・・ここは私が良く知っている世界だ。

 操縦桿の感覚にようやく慣れてきたころ、敵戦闘機が距離3キロを切ろうという所にまで接近してきていた・・・・・・。

 

__________ドキュキュキュンッ!

 風切り音が耳をつんざく。予想通りのタイミングで敵が機銃を撃ってきた。

 こっちが足が遅いことがわかっているから、余裕しゃくしゃくで距離を詰めて撃ち落とそうとしているんだ。

 

 今の私には、敵パイロットが機銃のトリガーに指をかける瞬間すらわかる。

 脳裏でその情報を受け止めると、自分でもどうしようもないぐらい激しい怒りが内側から沸き立ってくる。

 先ほどから私に目覚めた超感覚の正体がだんだんとつかめてくる。

 ・・・・・・私はきっと、敵の悪意と殺意を感じ取っているのね。

 

(・・・・・・あ、あれは?)

 さらに感覚を研ぎ澄ませると、どす黒い悪意を放っているのは後方の敵戦闘機だけではないことに気付いた。

 美しい青き地平の上に、無数の黒い沁みがポツポツと浮かんでいるのだ。

 それは今もこの世界を汚し逼塞させる穢れそのもののように思えた。

 

 私はとんだ考え違いをしていた。

 グレン・ヴェスパーがいなくなれば、一区切りぐらいは付けられると思っていた。

 でも現実は違う。あの男はまだ生きている。他者に与えた影響という形で存在し続けている。

 ・・・・・・区切りなんて付こうはずもない。今もこうして、綱渡りの戦いが続いている。

 

「さあ、付いてきなさい!」

 操縦桿の脇に左右一対ずつあるラダーペダルの片側だけを思い切り引き絞る。

 遠心力でがんっと頭に血が上りそうになったのも束の間、視界が上下入れ替わり、機体は背面飛行状態となった。

 

 本来なら上へ上へと持ち上げてくれるはずの揚力が反対に作用した結果、機体は真っ逆さまに墜落していった。

 すぐ真下に見える積乱雲へとダイブしてもなお落下の勢いは留まらない。

 

__________ブォンッッ

 雲海を突き抜けた先には、太陽光を反射して輝く山脈が広がっていた。

 首都アンタナナリボはまだ遠い。マダガスカル中部の険しい山岳地帯がしばらく続くだろう。

 もう夜明けだ。視界は良好・・・・・・だがそれは敵にとっても同じ。 

 機体を水平方向に戻すと同時に、眼前に切り立った山間へと全速力で突っ込んだ。

 

「ぬうっ! 命を預けるとは言ったが、これは!」

「喋ってはいけません!」

 

 機体を右に左に小刻みに揺らし、山肌を縫うように飛びぬける。

 敵機もぴったりと後ろに付いてきている。

 これでもうミサイルは使えまい。こんな地面すれすれでミサイルを撃ち漏らせば、自機に危険が及ぶどころか、最悪私に逃げられる恐れもある。

 イヴ・ヴェスパーのヒットマンである奴らには絶対に避けたいことだろう。

 それに機体性能にものを言わせることも簡単にはいかないはず。墜落を恐れる本能が全速力での航行にブレーキをかけるはずだからだ。

 

__________ドガガガガッ!

 2機のうち、より私に追いすがって来ている1機から銃火が弾ける。

 この状況で機体制御に専念せずに攻撃までしてくるとは、随分と無茶をするパイロットだ。

 極限状況では根っこの性格が出てくるもの。あの機体に乗っているのはかなり直情的なタイプに違いない。

 ・・・・・・後ろにいるもう1機は多少は慎重派といった所かしらね。 

 

 機体を大袈裟にジグザグ飛行させる。

 後ろに目が付いているに等しい今の私にとっては、目くらめっぽうに撃ってくる銃撃を躱すことは難しいことじゃない。

 だが向こうからしてみれば、銃撃に恐れおののいているように、いかにも追い詰められているように見えるはずだ。

 すると前に出た敵機がさらに前のめりに食らいついてきた。

 

(・・・・・・今よ!)

 

 無軌道なジグザグ飛行と見せかけておいて、狙い澄ませていた一点へと機体を急旋回させる。

 針の孔を縫うようなV字の山の隙間へ、横倒しになりながら突入した。

__________ドッガアアンッッ!

 背後から爆音が轟いた。

 私に追いすがっていた敵機が山肌に追突したのだ。

 攻撃に専念するあまりに周りをよく見ていなかった証拠だ。

 突然狭いところに入り込んだ私を追う余裕もなかったことだろう。敵を追い詰めているという油断が全ての判断を狂わせたのだ。

 

 V字谷を抜けると、真正面には空に届かんばかりの剣稜がそびえ立っていた。

 後ろには生き残ったもう1機がじわじわと距離を詰めてきていた。

 急上昇して山を飛び越える以外に進路を取りようがない、直線の道に等しいこの状況では、スピードに勝る敵を振り切ることは不可能だ。

 

 ・・・・・・敵がトリガーに指をかける時の、あのピリつく気配はまだ感じない。

 生き残ったパイロットは慎重なタイプだ。きっとまだ攻撃してこないだろう。

 この急峻な山を越え、辺りに障害物がなくなったのを確認してからミサイルで確実に仕留めようとするはずだ。

 

「追い付かれてしまうぞ! すぐ後ろにいる!」

「・・・・・・ええ、私はこれを狙っていたんですよ」

 

__________カチッ

 敵機がゼロ距離と呼べるほどにまで迫っているのを確認してから、操縦機器とは離れた所にあるレバーを引き、また別のところにあるボタンを押した。

 空気圧で機体全体がガタガタと震える。

 機体後部の貨物室を開き、積載されていた荷物をパージしたのだ。

 無数のコンテナの中にはスターオブシャヘルを運用するために必要な資材や、兵士たちの食料や日用品、そういった取るに足らない物が入っているだろうか。

 

__________ゴウンッ・・・・・・

 風切り音を立てながら数個のコンテナが空中に飛び出していく。

 戦闘機からしてみれば止まっているに等しいスピードだろうが、こっちに向かってきている相手にとっては、その遅さこそが凶器となった。

 ゆっくりとばら撒かれるコンテナの雨に、超音速で追いすがる機体が成すすべなく突っ込むことになった。

 

(・・・・・・はあっ、はあっ、今度こそ振り切った?)

 

 荷物を全て捨てて軽くなった機体をそのまま急上昇させ、急峻な山を飛び越えると、目の前にはマダガスカルの大地が夜明けの空に包まれていた。

 レーダーに映る影はもうない。

 張りつめていた緊張の糸が切れると、額から汗がどっと噴き出してきた。

 我ながらずいぶんと無茶をしたものね、と一息ついたのも束の間、後部座席で私の曲芸飛行に耐えてくれていた仲間たちの安否をすぐさま確認した。

 

「大丈夫でしたか? 大佐、メリノヒツジ?」

「ああ・・・・・・しかし、君の腕前はとんでもないな、元々はどこかの空軍のエースパイロットだったのか?」

「いいえ、独学でやっているだけです」

「そ、そうか」

 

 それを聞くなり、ジフィ大佐は真っ青な強面の顔を抱えて溜息をついた。

 メリノヒツジは隣にいるアムールトラを心配そうに抱き支えながら窓の外を見ている。

 アムールトラは・・・・・・変わらない。つい今までのドッグファイトのことなど無かったことのように、静かに力なく眠り続けている。

 

「このままアンタナナリボに向かいます」

 

 正面へ向き直った私はふたたび操縦へと集中することにした。

 敵がいなくなってもまだ胸のざわつきが収まらない。遥か地平線の向こうに黒い沁みがチラついている。

 ・・・・・・すべての穢れは徹底的に拭い去らなきゃいけない。それが出来ない限りは、楽園(パーク)を作ることなど不可能だ。

 

 アムールトラのために、この世界のすべてのフレンズのために、私は戦い続ける。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳鋼・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イタチ科・クズリ属
「クズリ」(死亡時年齢:10歳4か月)

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:26歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「PARK」構成員 南アフリカ事業所代表
「ギレルモ・セサル・ジフィ(Guillermo César Jiffy)」
年齢:67歳、性別:男、職業:Cフォース南米支部 陸軍連隊総司令官

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章40 「そうだいなるけいかく」

 20××年6月6日。

 プレトリアに核が落ちたあの日から、今日でちょうど一年が過ぎた。

 時の流れは残酷だ。目を閉じると、あの核爆発の光が今も鮮明に思い出せるというのに。

 

 いちNGO団体でしかないCフォースの手で、それもグレン・ヴェスパーという一個人の独断で核弾頭が使用されたことは、世界中の安全保障を揺るがす一大ニュースとして世間を連日騒がせた。

 現地住民の安全を鑑みることなく行われた核実験は、国際法上は戦術的核使用と同等であるとみなされた。

 

 核によって生み出されたセルリアンの女王と、限界まで戦闘能力を高めた”進化態”フレンズ。

 あの男は二つの圧倒的な戦力を手中に収めることで、アメリカ、中国、ウクライナといった軍事大国に戦争を仕掛けようとしていた。

 行きつく果てにあったのは世界征服だ。

 ・・・・・・そんな狂った野望が実現間際で阻止されたことは、パークのみならず全人類、全フレンズにとって幸運だった。

 

 グレン・ヴェスパー配下の科学者や軍人、さらには癒着が疑われる政治家などが何人も逮捕され、ICC(国際刑事裁判所)の法規に基づく軍事裁判にかけられた。

 ほとんどの事案が今も係争中だ。

 犯した罪が重すぎる上に、叩けば叩くほど余罪が出てくる人間たちだ。当分は量刑が定まらないだろう。

 

 Cフォースの組織全体にも波紋が広がった。

 これまであの組織は「研究部」と「軍部」に別れていた。

 グレン・ヴェスパーが主催する研究部がすべてを支配し、前線の軍部は従属を強いられてきた。

 戦後、それら旧来の指揮系統は完全に瓦解することになった。

 

 そして新たなる組織が作られた。

 ジャパリ・ユニオン・・・・・・。

 旧Cフォース軍部とパーク残党が連合し再編成された、セルリアンから人類を守る使命を背負うNGO団体だ。

 旧来の組織名を引き続き使用することに対する社会的な影響が懸念されたために、新規の名称が用いられることとなった。

 ジャパリ(JAPARI)という名称の名付け親は、プレトリアで戦死した私の盟友、リベリアのヒルズ将軍だ。

 楽園(サファリ)へと至るための中継点(ジャンクション)。パークを示す「P」の字も混ぜたその造語は、新たなる組織が背負うべき号として完璧だった。

 ・・・・・・志半ばで散った彼の遺志も未来へと引き継いでいきたい。

 

 そして僭越ながら、この私がユニオンの代表を拝命する運びとなった。

 私を指名してくれたのはジフィ大佐ら旧Cフォースの軍人たちだ。

 グレン・ヴェスパーに従っていたという引け目がある彼らの中から代表を選ぶわけにはいかないという事情があった。

 

 私の今一番の目的は、フレンズたちを戦いから完全に解放することだ。

 そのために片づけなければならない仕事は山積みだった。

 かつてグレン・ヴェスパーが推し進めた、フレンズの非人道的な兵器利用は完全に撤廃されなけれならない。

 人間と同等かそれに順ずる扱いの下で保護を行わなければならない。

 私だけじゃなく、新たなるユニオンの執行部全体の総意だ。

 その旨を示す宣言も公の場で行った。

 

 ・・・・・・が、しかし、20年間も行われてきた体制をすぐに転換することは不可能だ。

 セルリアン災害から人類を守るために各地に配置された旧Cフォース支部。

 そこに配属されたCフォースの人造フレンズたち。彼女たちの存在は地域の安全保障と密接に結びついている。

 

 彼女たちを任務から解き放つためには、人類だけでセルリアンと戦うための装備を整え、各国の部隊に訓練を施す必要があった。 

 技術的には、歩兵銃、機関砲、大砲など、世の中にある通常兵器の8割は、すでに対セルリアン用のSSアモ仕様に換装が行えるようになった。

 だが十分な数を生産し普及させるには、さらに莫大な時間と資金を投入しなければならない。

 

 さいわいユニオンの活動は好調な滑り出しを見せている。

 イーラ女史が私に与えてくださった政財界への繋がりを利用して、各国の政治家にユニオンの理念を説いて回った。

 西側、東側問わずセルリアン災害に対する危機意識は高く、各国からユニオンに対する資金援助が寄せられた。

 特に東ヨーロッパ一の軍事大国ウクライナは積極的な支援を行ってくれている。

 かの国は前世紀末の原発事故や、今は零落した旧覇権国家ロシアとの戦争経験から、核に対する危機意識が強く、グレンが引き起こした事態にも高い関心を持っていたからだ。

 

 ユニオンに協力的な国家、地域に対しては積極的に技術供与を行うこととした。

 兵器の生産や訓練を国単位だけで行えるようにするためだ。

 国防とはすべからく国の責任において行われる物だ。セルリアン対策もそれに順ずるべきであることは言うまでもない。

 防衛の要になっているフレンズを手放すのは辛い選択だろう。

 だが正しい国家観を持っている国ならば、いずれユニオンの提案を受け入れてくれるはずだ。

 

 グレン・ヴェスパーはこのような意味でも重大な罪を犯した。世界を誤った方向へと進ませた。

 フレンズの生産と配備を独占した上で、安全保障のため、と半ば脅しのような文言を添えてCフォースを駐留させ、法外な契約金を20年にもわたって世界各国に支払わせ続けた・・・・・・己の野望の肥しにするために。

 その薄汚い手口は到底許されることではない。

 

 フレンズの完全なる解放と、セルリアン対策の国家帰属化。

 ふたつの目的を成し遂げたのち、徐々にユニオンの規模を縮小していくつもりだ。最小限の組織的自衛と、援助を求める国へアドバイザーが派遣できる程度の人員さえいればいい。

 ゆくゆくは父の悲願たる「フレンズの楽園の創造」へと本格的に乗り出したい。

 

 ・・・・・・半年前に、肺炎で逝去されたイーラ女史もそれを望まれているはずだ。

 彼女の葬儀は生まれ故郷であるアメリカのアリゾナ州にて盛大に執り行われた。

 その様子はアンタナナリボでも中継され、市民の誰もが深く喪に服した。

 

 たくさんの人の助けを借りて、求める理想へと日々邁進してはいる。

 だがもちろん、何も懸念材料がないわけではなかった。

 亡きグレン・ヴェスパーの一人娘イヴが、父親が作った人脈を受け継いで、アンダーグラウンドに潜伏を続けているのだ。

 旧Cフォースの内部もまだ完全に浄化されたわけじゃない。

 関係が表ざたになっていないだけで、イヴと繋がりを持っている人物がまだ無数にいると私は睨んでいる。

 

 あの女は未だある程度の兵力を保有していると思われる。

 現に、この一年間で何度もヒットマンが送り込まれてきた。

 すんでの所で何とか危機を脱してはきた。

 ・・・・・・ある時から私に備わった謎の超感覚のおかげだ。

 殺意を持って近づいてくる相手がどんなに遠くにいても、なぜか私にはその気配を察することが出来るようになった。

 最初は幻覚か何かとしか思えなかったが、幾度も命拾いするにつれ、私はその能力に全幅の信頼を寄せるようになった。

 

 何度暗殺されかかったところで、今の私は止まれない。

 ・・・・・・そして今日。

 あれからちょうど一年が経ったこの日は、本当の意味で一区切りが付くことになるだろう。

 

「会合は午後からだってのに、こんな朝早くから車を走らせてどうするのさ?

 それにせっかくSPがいるのに遠くに配置させすぎじゃないか? また何かあったらと思うと、あたしゃ気が気じゃないよ」

「勘でわかります。今日はそういったことはまず起こらないでしょう・・・・・・それにSPを大勢引きつれていては、フレンズたちにストレスを与えてしまいます」

 

 オープンカータイプのジープが、低速でのんびりと走っている。

 助手席にいる私に向かって、運転席にいる精悍な面構えの黒人女性が、蓮っ葉な口調で呼びかけてくる。

 長きにわたって私の補佐を勤めてくれているシガニーだ。

 

 プレトリアでの決戦に臨む前に別行動を取ることになった彼女と私は、たがいに九死に一生を得た喜びを分かち合ったのも束の間、またこうしてタッグを組んで奔走することになった。

 

「フレンズたちがここでどんな風に生活しているか、ゆっくりと視察したいのです・・・・・・それと久しぶりの休暇も兼ねています」

「それを言われちゃ降参だよ。今のアタシたちときたら、戦争してた頃よりも忙しいかもしれないからね」

 

 それにしてもいい天気だ。強い熱気がサファリハットごしに頭皮を焼いてくる。

 6月のマダガスカルは平均気温こそ30度未満であり大して暑いわけでもないが、日光の眩しさは世界にも類を見ないだろう。

 

 どこまでも広がるのどかな平原。

 照り付ける陽射しの下、生い茂る草むらを突き抜けるようにして、巨大なバオバブの木々が風に枝を揺らしている。

 向こうのほうには幅広の川が豊かな水音を立てて流れている。

 

 ここはマダガスカルのとある自然公園だ。

 訳あって今は私がここを買い上げて好きに使わせてもらっている。

 かつてパークで、そしてCフォースで戦わされていたフレンズたちの中で自由に出来た子達を一か所に集めて保護している。

 セルリアンのターゲットとなるような電気や石油といったエネルギーに乏しい大自然の中では、彼女たちが襲われる心配もほぼない。

 

「ボスーっ!!」

「・・・・・・パンサー、元気そうで何よりだわ」

「どうしたの!? いつ来たの?」

 

 フレンズが一人、バオバブの樹から飛び降りたかと思うと、私のことを呼びながら目にも止まらぬスピードで駆け寄ってきた。

 私はジープから降りると、旧知の間柄である彼女と固く抱きしめ合った。

 

 パンサー・・・・・・野生に生まれたフレンズの中でも最初期にパークに保護され、以来私の活動を支えてくれていた優秀な戦士だ。

 プレトリアでの作戦行動中に行方不明になり、一時は死亡してしまったように思われていたが、何とか生き残りここで暮らしている。

 

 彼女もまた戦争で深く傷ついたうちの一人だ。

 無二の相棒だったスプリングボックが戦死し、そして戦場で絆を深めたスパイダーというCフォースのフレンズと再会することも叶わなかったのだから。

 ・・・・・・が、しかし失うばかりではなかった。

 彼女は新たな友を得たのだ。

 

「パンサー、一人で行かれては困ってしまいますわ」

「あ、ごめん!」 

 パンサーは呼びかけてきた声に弾かれたように反応すると、バオバブの木陰に素早く戻り、そこに佇んでいた影に手を差し伸べた。

 再び私のそばへ戻ってきた時、パンサーは車椅子を押して歩いていた。

 車椅子には手足のない黒い体のフレンズが、微笑みを浮かべながら座っていた。

 

「カコ代表。お忙しいでしょうに、よく来てくださいましたわ」

「メガバット、体の具合はどうですか?」

「皆が良くしてくれるおかげで最近は調子が良いんですのよ」  

 

 かつてケープタウンで敵として立ちはだかってきたメガバット。

 グレン・ヴェスパーが作った人造フレンズの第一号である彼女は、あの男の被害者の中でも最悪レベルの不幸な境遇に置かれた子と言っても過言ではない。

 実験と称して失明させられ、体内に自壊装置という非人道的な装置を取り付けられて、あの男の意のままに戦わされることを強いられてきたという。

 

 ケープタウンでの戦いの最後、彼女は、体内に仕組まれた自壊装置の作用により手足を失うことになってしまった。

 ・・・・・・アムールトラの活躍によって命だけは何とか救われ、長らく植物状態になっていたが、戦後に覚醒を果たし、今は介助を受けながら日常生活を送っている。

 

 が、フレンズの体はやはり奇跡に満ちており、メガバットの体は少しずつ再生をしてきていた。

 手足は未だもぎ取れたままだが、その背中には翼が生えてきたのだ。

 かつての強靭なそれとは違って、羽化したての蝉のように頼りない翼ではあったが、ごく短時間なら羽ばたくことも出来るのだという。

 今は飛ぶリハビリに打ち込むのが何よりの楽しみだという。

 

 そんなメガバットの世話を誰よりも懸命にしているのはパンサーだ。

 かつては敵同士だった2人が、いまや長年の親友もどうぜんだった。

 パークとCフォースのフレンズが身を寄せ合って暮らしているこの自然公園において、そのことは周囲にとてもいい影響を与えていた。

 

 元から両陣営のフレンズの中でリーダー格だった2人は、ここでもごく自然にまとめ役に収まっていた。

 どうしても不在になりがちでフレンズたちの傍にいてあげられない私にとって、彼女たちの存在はありがたかった。

 

「突然ですが2人にお願いがあるんです。今日の午後二時に、中央広場に来てもらえますか?」

 

 だしぬけに告げる私にパンサーとメガバットが首をかしげる。

 私が言っているのは、核が落ちて一年経った今日この日に開催する予定である会合のことだ。

 人間のスタッフのみを集めて行う予定であり、フレンズたちには秘密にしているわけではないが、特に参加を求めてはいない。

 ・・・・・・が、この2人は別だ。彼女たちがフレンズたちのまとめ役であること以上に、その場に是非立ち会ってもらいたい大事な理由があった。

 

「実は今日はね」と、勿体つけるように溜めを作ってから、2人の耳元に顔を近づけ、小声でその理由を告げた。

 

 それを聞くや否や、パンサーが口元に手を当てて絶句する。

 彼女の目元からは大粒の涙が零れ出していた。

 メガバットは態度こそ冷静だが、普段は閉じられている盲目の瞳をカッと開き、白く濁った瞳孔で私のことを見つめてきた。

 

「ではまた後で。きっと来てくださいね」

「・・・・・・わかったよボス! 絶対に行くよ!」

 

 快諾してくれた2人を後目に再びジープを走らせる。

 その後も行く先々で、思い思いに平和な時を過ごすフレンズたちの姿を見かけた。私と顔見知りの子も、そうでない子もいる。

 

 元はイーラ女史のボディーガードだったワオキツネザルが木から木へと飛び移り、同じように身軽なフレンズたちと追いかけっこを楽しんでいる。

 主人亡き今、お役御免となった彼女が新しい環境に馴染めてよかった。

 

 川辺ではケープペンギンが自慢の歌と踊りを披露して喝采を浴びている。

 元はヒルズ将軍の側近だったオルカとシロナガスの姿も見える。

 海で暮らしていた彼女たちだったが、淡水域での生活もそれなりに満喫しているようだ。

 

 しばらくのあいだ”視察”を楽しんだ私は、次なる目的地へ行くために、運転席のシガニーに声をかけた。

 ここには元々のパーク職員に混じって、動物愛護団体や環境保全活動家といった者たちの中から信頼のおける人物をヘッドハントして働いてもらっている。

 

 ・・・・・・その中にはあの人もいる。

 私以上にフレンズと数奇な関わりを持った人物だ。

 会合の時間になればどのみち顔を合わせるわけだが、彼とは積もる話もあるし、前もって挨拶をしておきたかった。

 

 ジープが平原の大通りから脇道にそれ、木々が生い茂る森の中に分け入って行く。

 それからしばらく進むと、トタン屋根の簡素な建物が、木漏れ日に照らされながらポツンと建っているのが見えてきた。

 一階建ての幅広なその建物は、家屋というには大きく、豪邸というにはやや小さいほどだった。

 

≪いいかな? エーはアップル、ビーはバナナ、シーは・・・・・・≫

≪あ、チェリーだ! あたしサクランボ大好きなの!≫

≪おお良いじゃないか! アンゴラウサギ≫

 

 外から眺めているだけでも賑やかな活気が伝わってくる。

 入り口に立って中をそっと覗き込んでみると、簡素な木製の長椅子と机が並べられた教室で授業が行われている。

 長椅子に身を寄せ合う真剣な面持ちの生徒たちを、一人の教師が大声で熱心に教えている。

 まるで発展途上国の学校さながらの光景だ。

 ひとつ通常とは異なることがあるとすれば、授業を受けていたのは人間の子供ではなく、フレンズであるということだった。

 

「今日の授業は午前中で終わりだよ。明日までにアルファベットで自分の名前をノートに書いてきなさい。余裕があったら、友達や周りにある物の名前を調べて書いてくるんだ」

「お久しぶりです。ヒグラシ博士」

 

 ちょうどいいタイミングで終礼の挨拶が告げられたのを見計らって、フレンズたちを教えていた先生たるヒグラシ博士に声をかけた。

「・・・・・・あ、あなたは!」

 生徒たちににこやかに微笑んでいた目が、私を見た途端に大きく見開かれた。

 博士のあまりの驚きぶりにつられて、彼に向かっていたフレンズたちも後ろを振り向くと、教室の中はちょっとした騒ぎになった。

 

「お、驚きましたよカコ代表! てっきり会合の時間に遅れてしまったのかと」

「事前の連絡も寄越さずに来てしまいすみませんでした。それにしても、学校のほうは上手くいっているようですね」

 

 かつて地雷で右足を失ったヒグラシ博士が、私の傍に行くために筋電義足でびっこを引くように歩き出すのを見ると、脇からフレンズの一人がさりげなく手を引いてくれていた。

 さっそく彼女たちから好かれているのがわかる一幕だ。

 

 博士もまたアムールトラによって救われたうちの一人だ。

 スターオブシャヘルにて、グレン・ヴェスパーから私怨を晴らすように拷問を受けていた時、自分はもう死ぬんだと思ったそうだ。

 そして彼は夢を見たという。

 死の淵からアムールトラが引っ張り上げてくれる夢を。

 ・・・・・・聞けば聞くほど、私が女王セルリアンの体内で見た夢と同様の物だと思ったものだ。 

 

「あんな目に遭ったのに、よくやってくれてるよ」

 と後ろからシガニーがヒグラシ博士を讃えた。

 拷問によって死ぬ寸前まで行った彼の入院生活は何か月も続いた。

 しかし彼は、まだ包帯も取れない頃から「ユニオンに協力したい」と繰り返し訴えていた。

 私はその言葉を受けて、彼を快く組織に迎え入れることにした。

 駆け出しの頃にグレン・ヴェスパーの手下になってしまったことで、彼は長いあいだ良心の呵責に苦しんでいた。

 今度こそ「フレンズの学校を作る」という彼自身の善意から抱いた夢をユニオンの下で叶えてもらいたいものだ。

 

「ヒグラシさん、実は今日の会合について、まだあなたに伝えていなかったことがあります」

「おや、改まって何ですか?」

「・・・・・・アムールトラが、今日ここに来ます」

 

 その言葉を聞くなりヒグラシ博士が表情から笑みをかき消し、無言で私に詰め寄って肩の上に手を乗せてきた。

 今にも泣きだしそうなその顔は、許しを請うているようにも見えた。

 

◇ 

 

 ほとんど手つかずの自然が広がるこの公園において、ここ中央広場だけは異彩を放っている。

 芝生を植え込んだ真っ平な敷地は、ベースボール・スタジアムをゆうに超える広さだ。

 近くにはスタッフたちの宿舎や、人間・フレンズ問わず最新の医療を提供する医療棟など、ここを運営するためのありとあらゆる設備が建てられ、さながら小さな町のような様相になっている。

 

 会合の予定時刻である午後二時まで後もうすこしだ。自然公園のスタッフや、駐留している兵士たちが仕事の手を止めて、着々と広場へ集まってきている。

 ・・・・・・フレンズたちもかなり多く来ているようだ。

 人間と違って彼女たちは自由参加だったが、何か大きなイベントが始まるという好奇心に駆られたのだろう。

 辺りが俄かに喧噪に包まれていくのを耳で感じながら、私は仮設されたテントの中で、演説の時が来るのを待っていた。

 

「・・・・・・よォ、ボス。ホントに今日発表すンのかヨ?」

「そうですが、何か問題でも?」

 

 見知った顔の男が私に話しかけてくる。

 超一流コンピューター技術者のアーサーだ。

 以前はウィザードというニックネームを名乗っていた。

 ・・・・・・本名で活動するようになっても、ハート形のサングラスと、肩まで垂らしたドレッドヘアー、どぎつい色合いのアロハシャツという、お馴染みの3点セットを身にまとっていることは変わらない。

 

 アーサーはかつて、ヒルズ将軍に借金を肩代わりしてもらう約束で無理矢理働かされていた立場だった。

 しかし借金が無くなった今もなおユニオンにとどまっており、いつの間にか正スタッフ扱いになっていた。

 あれほど金銭に執着していたのに、フリーランスのハッカーに戻って非合法な荒稼ぎをするつもりはもうないようだ。

 

 その心変わりの理由はよくわからない・・・・・・

 1年前の戦争では、彼もまた思う所が多かったのだろうか。

 彼は私やヒグラシ博士を除けば、もっともアムールトラと仲が良かった人間だ。 

 雇い主のヒルズ将軍に対しては、金に物を言わせるいけ好かない奴だ、などと悪しざまに言っていたが、内心では義理や友情を感じていたのかもしれない。

 

「ジキショーソーじゃねーかって思うんだよナ。まだほとんどコーソー段階なんだしヨ?

 ・・・・・・それに、あの”クソアマ”がまだアンタの命狙ってんじゃネーか。そんな状況でプロジェクトをトラブルなしで進行させンのはちっとキビシーぜ?」

 

 私は彼の技術を見込んで、ある重要な仕事を任せている。

 フレンズたちの幸福な未来の実現に向けた「楽園の創設」に関する一大プロジェクト。その基盤システムを構築する役目だ。

 

「遅い早いは問題ではありません。いずれは成し遂げなけれなならないことです。あなたならば出来ると信じていますよ・・・・・・そこの可愛い助手さんにも期待しています」

 

 アーサーの懸念をぴしゃっと撥ねつけてから、彼の後ろに隠れるように付き従っているフレンズに視線を向けほほえみかける。

「ガハハハッ、コイツはまだ見習いだヨ!」

 とアーサーが茶化すと、その子は顔を恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。

 

 ハツカネズミのフレンズだ。

 彼女はグレン・ヴェスパーに作られた人造フレンズの中でも最後期の存在であり「ハイブリッド」という、遺伝子操作を極限まで行ったマウスを元にして作られた存在だ。

 その特異な生まれが影響してか、彼女はどうやら特別な資質を持っているようだ。

 もともとフレンズというのは人間と比較して、大体2~3倍くらい知能と精神の発達が早いが、彼女はそれに輪をかけて早熟であり頭脳明晰であるようなのだ。

 

 他のフレンズと共に過ごすよりも、アーサーの傍で機械をいじったりパソコンに触ることに夢中になっているとのことだ。

 教えてもいないのに、すでに基本的なコンピューター言語を覚えたらしい。

 彼女のような特異な才能を持ったフレンズが、それを活かせるような未来を作っていきたい・・・・・・戦いの道具になど、二度としてはならない。

 

「アーサー、安心してください。イヴ・ヴェスパーの件についてはじきに片付きますよ」

「え? ソリャどういうことだってばヨ?」

 

_______バラララララ・・・・・・

 会話を打ち切るようなタイミングで、航空機の駆動音が遠くから聴こえてきた。

 するとそれが合図と言わんばかりにシガニーがテントの中に入ってきて「そろそろだよ」と私に呼びかけた。

 胸に手を置いて気持ちを落ち着かせ、シガニーとアーサーと目を合わせて頷き合い、2人を連れだって外へ出た。

 

 広場に集まった数多の視線は、私よりも突然に空に現れた大型のティルトローター機に奪われていた。

 誘導灯を手に持ったスタッフが数人現れると、彼らに従って人だかりが後ろにしりぞき、着陸するのに十分な円形のスペースが出来た。

 ・・・・・・が、機体はスペースの上空で、今にも下に降りんとする気配を醸し出しつつも、高度を保ったまま制止し続けていた。

 その様子を怪訝に思う声がどよどよと周囲に立ち込める。

 

≪お忙しいところ集まっていただきありがとうございます≫

 

 機が熟したことを悟った私は、そそくさと壇上に上がると、凡庸な語り口で挨拶し頭を下げた。

 スピーカーによって広場一帯に私の声が響き渡る。

 すぐ傍にいるアーサーが、彼愛用の耳の生えたナビゲーションユニットを宙に浮かべ、私の巨大ホログラムを空間に投影した。

 

≪一年前、プレトリアの地に起こった悲劇の傷跡も癒えぬまま、私たちは進み続けてきました。

 今日この日を迎えることが出来たのは、ひとえに今を生きる私たちと、そしていなくなってしまった先達たちの想いが実った結果であります。

 さて、今から皆さんに重大な発表がふたつほどあります。まずは・・・・・・≫

 

 溜めを作ってから上空を見やり、片手をあげて合図を送る。

 するとそれに呼応するようにしてティルトローター機が垂直に下降し地面に降り立った。

 次に機体背部のタラップが開かれ、滑り台のように斜めに地面に立てかけられると、中にあった荷がベルトコンベアによって積み下ろされた。

 現れたのは、縦横ともに5メートルほどの大きさの金属の円柱だ。

 のどかな自然とはおよそ不釣り合いな、人工的で冷たい光を放ちながら屹立している。

 

「はい、ちょっと通してね」

 シガニーが、驚き呆気に取られる衆目を縫うようにして円柱に近づいて行く。

 そして壁面に備え付けられた指紋認証用のタッチパネルに触れた。

_______ゴウウンッ・・・・・・

 すると円柱が重苦しい駆動音を立てながら変形を始めた。

 内部から神秘的な青い光を溢れ出させながら、鏡のような表面が左右均等にひび割れて、スライドし、拡張していった・・・・・・そうして現れたのは、上下二枚の円盤を、3本の柱が繋ぎとめている砂時計のような台座だ。

 

 台座の中にあったのは、中央がくびれた砂の器ではなく、青い輝きを放つ卵型の球体だった。

 分厚いガラス状の球体の中には、一人のフレンズが光に照らされながら浮いていた。

 全身に無数のチューブを接続されながら、瞳を閉じ、四肢を力なく投げ出して、生きている気配を一切感じさせない冷たさを帯びるその姿・・・・・・

 それを見て、周りからは一層のどよめきが上がった。

 

≪ご存じの方も多いでしょう。彼女こそが私たちを、そして世界を救ってくれた・・・・・・≫

「アムールトラッ!」

 

 私が言い終えるよりも先に、人だかりの中にいたパンサーが叫ぶと、メガバットが座る車椅子を押しながらガラス球の前へと歩み寄った。

 そしてケープペンギン、オルカ、シロナガス、ワオキツネザル、ハツカネズミ・・・・・・アムールトラと面識のあるフレンズたちが2人に続く。

 最後にヒグラシ博士が、びっこを引きながら息を切らして近づいた。

 他のギャラリーは、あまりにも迫真な様子の彼らに遠慮して足を止めていた。

 

「アムールトラの心臓の音が聴こえますわ。私のよく知っている、強くて優しい鼓動が・・・・・・」

 

 メガバットがパンサーに押されながらアムールトラのすぐ前に来ると、手のない上半身を乗り出して、額をガラス球にくっ付けた。

 パンサーが、彼女の肩に手を置いて、同じ痛みを分け合うようにうなだれている。

 2人の俯いた顔からは共に光る雫が滴っている。

 

「あなたが私を暗闇から拾い上げてくれたのに、あの時と逆になってしまいましたわね・・・・・」

「だ、大丈夫だよメガバット! アムールトラはきっと目を覚ますって!」

「いいえパンサー。カコ代表はきっとこの一年間ですべての手だてを尽くされたのですわ。

 ・・・・・・でもアムールトラが目覚めることはなかった。だから治療を断念してここに移送することに決められた。そうでしょう?」

 

 と、メガバットが懇願するような表情で問いかけてくる。

 ・・・・・・正直な話、大体のことは言い当てられてしまっていた。

 

 一年前にスターオブシャヘルを脱出して以来、昏睡状態に陥ってしまっているアムールトラ。

 彼女を目覚めさせるために考えられることはすべてやった。

 ユニオンが所有する研究機関にて傷ついた肉体を治療し、検査にかけ、電気ショックや強心剤の投与などの措置を施した。

 ・・・・・・しかし、アムールトラが目覚めることはなかった。

 その原因すら特定することが出来ないでいる有様だ。呼吸、脈拍ともに正常。大脳組織にも明らかな損傷はなかった。

 

 そして眠り続ける彼女の肉体は、着実にフレンズならざる存在へと変異していった。

 そう断言できる根拠は体内の放射線量だ。

 尋常なフレンズの肉体からも放射線は検出されるが、それはおよそ200ミリシーベルトという、人体に影響があるともないとも言い切れない微妙な数値に過ぎなかった。

 

 ・・・・・・しかし、今のアムールトラの肉体からは、2万ミリシーベルトもの高濃度の放射線が観測されている。

 原発事故の現場に居合わせでもしない限りはお目にかかれない、人間を短時間で死に至らしめるほどの強さだ。

 通常ではあり得ないその数値は、彼女が「進化態」と呼ばれる存在に変身したことに関係しているかもしれない。

 

 どうやらその放射線は、体内のサンドスターの喪失にともなって体外に排出される副産物であるようだった。 

 サンドスターが失われることでフレンズ化が解け、動物の姿に戻り、そして生命活動が止まる・・・・・・というのが一般的なフレンズの死だ。

 

 それを食い止めるために急遽製造したのが、今アムールトラが入っている特注品のサンドスター調整槽だ。

 サンドスターの流出を装置の中で受け止め、ふたたびアムールトラの体内へと還元させる、さながら人工透析機のような機能を備えている。

 

 最新式の核融合炉を参考にして作られた容器は、2万ミリシーベルトの放射線も完全に内部だけで循環させ、一切外部に漏れないようにしている。

 青い光は核融合の際に起きるチェレンコフ光だ。

 ・・・・・・今アムールトラにしてあげられることは、彼女が唯一安全に過ごせるこの寝床で、ゆっくりと休んでもらうことだけだった。

 

≪確かに今の我々の技術では、アムールトラにこれ以上の治療を施すことはできません≫

 

 私の言葉にメガバットは「やっぱり」と言わんばかりの消沈した様子で固まった。

 しかし私は間髪入れずに彼女へのフォローを続けた。

 

≪でも決して回復をあきらめたわけじゃない。アムールトラはまだ生きています。

 生きている限り、フレンズの肉体が回復する可能性はあります。

 メガバット・・・・・・それは他ならぬ、あなたが証明していることではないですか≫

 

 私の言葉に希望を見出したのか、単なる気休めと受け取ったのか、メガバットは半泣きの笑顔を見せながら「ありがとうございます」と、ただそれだけ返事をし、涙をこらえながら頷いて押し黙った。

 

「・・・・・・なんて言えば良いのかなァ」

 と、今度はヒグラシ博士が、メガバットとパンサーの横にふら付きながら近づき、アムールトラが眠る調整槽の容器に手を触れた。

 我が子も同然の存在との無言の対面だった。

 容器ごしにアムールトラをなでるように、ガラスの表面に触れた手をゆっくり上下させている。

  

「君は僕の誇りだ。なんておこがましいことは言えないよ・・・・・・ただひたすら、君には感謝しかない。命を助けてくれたことだけじゃない。

 君は僕の人生をも救ってくれたんだ。出会ってくれて本当にありがとう・・・・・・君とまた笑い合える日が来るのをずっと待っているよ」  

 

 嗚咽を漏らすまいと我慢するメガバットらフレンズたちの健気な姿と、穏やかな声と表情で語り掛けるヒグラシ博士の言葉が、周囲の涙をさんざんに誘った。

 

「ホント、アムールトラはよォ、コミックの主人公みたいな奴だよナ。でもミーは最後に主役が死ぬ系の作品は大嫌いなんだヨ。名作ってのはハッピーエンドで終わるもんだゼ。 

 ・・・・・・だからアイツはゼッテー目を覚ましてくれるハズさ!」

 

 横にいるアーサーも、サングラスを外してショボショボになった目をこすっている。

 日本のアニメや漫画を愛好する彼らしい言動だったが、理屈がやや支離滅裂ぎみだ。

 きっとアムールトラも、彼のこういった珍言をよく聞かされ、困惑させられていたのだろう。

 2人のちぐはぐなやり取りが目に浮かぶようだ。

 ・・・・・・それはそれでいい友人関係だっただろう。

 

「なあボス、アンタもそう思うダロ?」

 

 ええそうね、とアーサーに目線で頷いた後に「次の資料の準備を」と小声で告げた。

 言動がとぼけていても決める時は決めるのが彼だ。一瞬で表情を切り換え、ナビゲーションユニットのコントローラーである腕時計に指をかけた。

 

≪聞いてください。私たちが出来ることは決して待つことだけではありません≫

 それを確認するなり、私は物悲しい空気で包まれたオーディエンスに対して言葉を投げかけた。

≪英雄アムールトラが、こうして私たちと同じ場所にいることこそが重要なのです。

 彼女がいつか目覚めるその日まで、私たちは理想に邁進し続けなければならない。その決意を確かな物とするために、アムールトラをここに連れてきたのです≫

 

 いつか目覚める英雄。

 聴こえはいいだろうが、アムールトラのことを神輿として利用しようとしている私の打算に気付く者も中にはいるかもしれない。

 ・・・・・・しかしジャパリ・ユニオンをより強固にまとめ上げるためには、彼女というシンボルが必要なのだ。

 

≪ただ今から二つ目の発表に移らせてもらいます。楽にしたままお聞きください≫

 

 空中に巨大な私の上半身を投影していたホログラムが、平面的なグラフに差し変わる。

 グラフはユニオンが今後保護する予定であるフレンズたちの人数の推移を表している。1年後は現在の3倍、2年後はさらにその倍・・・・・・今後は休むことなく激烈な勢いで増えていく。 

 当然の話だった。20年もの間やるべきだったことをやらないでいたのだから。

 

≪御覧の通り、今後は急ピッチでフレンズの保護に乗り出していきます。

 皆様の努力により、このマダガスカル自然公園は理想的なフレンズ保護区になりました。

 ・・・・・・しかし残念ながら、ここはすぐに手狭になるでしょう。

 新たな保護区の候補地をすでにいくつかピックアップしています。が、問題は山積しています≫

 

 不安材料をつらつらと上げていく。

 もちろん一番の問題はセルリアン対策に関連したことだ。

 SSアモ仕様の兵器の開発を急ピッチで進めているが、世間がそれだけで納得してくれるとは思えない。

 

 フレンズの対セルリアン戦闘能力が長きに渡って証明されてきただけに「フレンズをまたセルリアンと戦わせろ」という声が今後出てくることが予想される。

 ・・・・・・が、ジャパリ・ユニオンではそれだけは絶対に許可しない。

 かつてのCフォースの過ちから決別するためにも外せない要件だ。

 しかしセルリアン被害に喘ぐ現地住民や行政府に、その考えが十分に理解してもらえないかもしれない。

 

 またフレンズの権利向上も大きな課題となる。

 ヒトでもなく動物でもない彼女たちというグレーな存在を、今後人間社会においてどう扱っていくべきか。

 グレン・ヴェスパーの支配下では兵器として扱われていた為に、彼女たちの権利を取り扱う議論は全くゼロからのスタートとなる。

 もし彼女たちが人間社会に受け入れてもらえなかったら?

 あの男のようにフレンズを兵器や道具として扱おうとする思想が世間に広まったら?

 どのように対処していくべきなのか・・・・・・。

 

「どうするんだ!」とヤジが聴衆からちらほら上がり始める。

 解決策も提示せずに、不安だけを煽るような話を続けた私にすべての責任がある。

 なので私は、以前から温めていた「完全なる解決策」を提示することにした。

 

≪フレンズたちには「国」が必要です。人との関わりも、他の野生動物のことも気にしなくていい、フレンズだけで住まうことが出来る土地が必要なのです。

 衣食住すらも自給自足で賄い、半永久的に存続していく共同体・・・・・・それが私たちユニオンが作るべき”楽園”なのです≫

 

「そんなことが出来る場所がどこにある」と、予想していた疑問が飛び出してくる。

 この現代において、人間が住んでいようがいまいが、地球上のあらゆる土地がどこかの国の所有物になっている。

 新たに入植地を作ろうものなら、土地を所有する国家や現地住民の了承を得て、さらには野生生物への影響も考慮して開発を行わなければならない。

 ほぼ不可能と言えるぐらい、きわめて難しい話だ。

 

≪フレンズだけで独占出来る土地などありません。しかし答えは簡単です。無いなら新しく作ればいいのです。そう・・・・・・海の上に≫

 

 陸地にこだわる必要はないのだ。

 地表の7割は海である、というのは誰もが知っている真実だ。

 それぞれの国が所有する領海、または排他的経済水域に該当しない海域は「公海」として扱われている。公海はどこの国の所有物でもない、すべての国に解放されていることが国際法上で規定されている。

 

≪公海の上に、新たな大地を創造する。これがユニオンが掲げる一大プロジェクトです≫

 

 雷に撃たれたようにオーディエンスが沸き立つ。

 多くの者がそんなことは出来るはずがない、と思ったことだろう。

 だが次の瞬間には、息を吞みながら、私のことをより鋭い眼差しで注視してきた。

 ・・・・・・ここのスタッフは知識のない一般人とは違う。彼らはフレンズやセルリアンという超常の存在に長年向き合ってきた。

 そして私が実現不可能な妄想を言うような愚か者ではないことを信じてくれている。

 

≪皆さまには改めて説明する必要もないでしょうが、この世界には「火山島」と呼ばれる陸地が存在します≫

 

 火山島とは、海底火山の噴火によって噴出した火山灰や岩石の堆積によって海底が隆起し、島として水面上に現れた地形を指す。

 私の生まれ故郷である日本の近海には数多くの火山島が存在する。

 特に1973年に誕生したばかりの「西之島」は人々の記憶に新しい。

 およそ3㎢ほどの島には、すでに70種ほどの生物が生息していると聞く。

 

 かつて大きな水たまりに過ぎなかった地球は、二十数億年という悠久の時の中で大陸を作り上げてきた。

 ・・・・・・それに比べて火山島はたったの数十年という、おどろくほどに短い期間で、海の上に新たな生態系を創造してしまえるのだ

 

≪私たちの手で人工的に火山島を建造し、そこにフレンズたちを移住させるのです≫ 

 

 ホログラムが新たな画面に切り替わる。 

 火山島を建造する具体的な手順を視覚化したプレゼンテーション映像だ。

 計画の根幹をなすのは、当たり前だが、海底火山を噴火させることだ。

 そして私たちは既に人為的に火山噴火を引き起こす手段を発明している。

 

 サンドスター・ボム・・・・・・

 一年前、バトーイェ山脈でたった一度だけ使用された秘密兵器だ。

 ヒルズ将軍の指揮の下、完璧なタイミングで使用されたそれは、現地の火山を噴火させ、吹き上がる火山灰によって、核ミサイルの誘導を時限的に無力化する環境を整えた。

 同時に溶岩で敵軍の退路を断つことで、敵を半ば降伏させることも出来た。

 彼の天才的軍略が光った場面だ。

 

 ・・・・・・が、結局、パニックを起こした敵兵士の凶弾によって将軍は命を落としてしまった。

 邪悪の権化グレン・ヴェスパーが、火山灰によって誘導装置が機能しなくなる前に、味方を巻き添えにしてまで、予定よりも早く核ミサイルを投下したために、核実験を阻止することも出来なかった。

 しかし実験を早回しにしてまで強行したことが、ヴェスパー一派の政治的な敗北の原因だったことは言うまでもないだろう。

 

 将軍の犠牲と共に私たちを勝利に導いたあの兵器を、もう一度使用する時が来たのだ。

 どこかの公海にて、海底に向けてサンドスター・ボムを投下し、そこに眠る休火山の火口を刺激する。

 ボムがもたらす化学反応によって火口内の熱エネルギーを増殖させ、マグマの量、温度、勢いを倍加させて強制的な噴火へと誘導する。

 

 だがもちろん、ただ海底火山を噴火させただけでは、火山島を確実に出現させることは難しい。

 噴火自体は世界中で年に何度か観測されているありふれた自然現象だ。

 ほとんどは島を形成する前に収まり、押し寄せる荒波に飲み込まれて消えてしまうとされる。

 

 確実さを求めるために、前準備として二つほど必要な工程がある。

 ひとつ目は、海底火山を噴火させる予定の海域に前もって手を加えておくことだ。

 畑違いの技術にはなってしまうが、考え方の下敷きになっているのは、貝類や海苔の養殖に広く用いられている「養殖網」だ。

 特殊な技術で作られたマイクロ繊維の網をあらかじめ海中に広く張り巡らせておく。

 この網には温度の上昇に伴って繊維が太くなるという仕掛けが仕組まれている。

 

 火山が噴火した際、火山灰の内容物はいったん海中の網をすり抜けながら撒きあがる・・・・・・が、地面に落ちてくる際、水温の上昇に伴って太くなった網に付着、癒合することになるのだ。

 そうすることで島を支える強固な地殻を、短時間に確実に作り上げることが出来る。 

 

 もうひとつは火山島を建造する予定海域の遥か上空に、人工衛星を打ち上げることだ。

 噴火によって打ち上げられる火山灰はただのそれではない。サンドスターが成分に含まれているのだ。そしてサンドスターには、完全に分断された個別の環境を作り出す作用があることがわかっている。

 

 サンドスターの働きをコントロールするために、人工衛星から特殊なレーザーを照射するのだ。

 そうすることで高温も低温も、あらゆる環境を局所的に作り出すことができる。

 火山島の陸地が形成される初期の段階では、冷却のプロセスが必要不可欠となるだろう。

 ・・・・・・しかる後には各所に違う周波数のレーザーを照射することにより、異なる気候、地質、景観を創造する。

 多様な生態のフレンズが快適に居住できるようにするという、最も大事な目的を果たすために必要なことだ。

 

 すべてのプロジェクトが計画通りに進めば、数十年といわず数年で、西之島と同サイズの火山島を人工的に作り出すことが可能だ。

 さらに同じ手順を繰り返すことで島の面積を限りなく広げていけるだろう。

 誰の物でもない公海の上に作られる火山島・・・・・・そこがフレンズの楽園となるのだ。

 

≪以上が私の考えている新たな保護区の構想となります。ジャパリ・ユニオンが作る、フレンズたちの真の楽園(パーク)・・・・・・名付けてジャパリ・パーク。それがこの場所の名前となります≫

 

 

 ひとしきり演説を終えると、ここ中央広場を使ってしばし懇親会が行われることになった。

 青空の下テーブルを並べて、人間もフレンズも混ざってささやかな立食パーティーを楽しんでもらうことにした。

 聞いているだけで疲れるような話を最後まで聞いてもらったせめてもの礼だ。

 

 料理はフレンズに配慮して全てヴィーガンメニューとなっている。

 専門の調理師を雇ったちゃんとしたものだ。

 菜食主義への転向は、フレンズとの共生を掲げるユニオンが取り組んでいる活動のひとつではあるが・・・・・・これはまあ、さして難題ではないだろう。

 世間に先駆者がいくらでもいるのだ。それに伴って料理のクオリティも著しく上がっている。

 ヴィーガンメニューを口にした誰もが皆「こんなに美味だとは思わなかった」と驚くほどだ。

 

 ・・・・・・もっとも、楽しい食事というわけにはいかないだろうが、人々のリアクションは実に様々なものだった。

 頭を抱えて悲観している者もいれば、研究者としての矜持を刺激され「やってやるぞ!」とテンションを上げている者もいる。

 フレンズたちに、私の演説の内容を噛みくだいて説明している研究者もいる。彼女たちからしてみればほぼ意味がわからない話だったろうから無理もない。

 

「・・・・・・あの、カコ代表」

「あら、あなたは」

 

 後ろから私に呼びかけてくるか細い声に応じて振り返ると、幼い黒人の少女が緊張した面持ちで私を見上げていた。

「アマーラ、どうしましたか?」

 膝を折り、彼女と同じ目線の高さになってから改めて尋ねる。

 

 アマーラはかつて南アフリカにて、パークが保護した避難民のうちの一人だ。

 孤児であり、片腕がないというハンデを抱えながらも懸命に生きていた彼女は、保護活動中に居合わせたアムールトラと友達になった。

 ・・・・・・仕方のないことだが、その後2人はすぐに別れることになった。

 難民であるアマーラの身柄は国連が運営する団体に引き渡すしかなく、いっぽうのアムールトラは私に連れ立って戦いに身を投じることになったのだから。

 

 アマーラがここにいるのは色々と経緯がある。

 国連の支援を受けた彼女は、ナミビアの孤児院に送られて過ごしていたという話だった。

 だがある時彼女は、ユニオンの活動を聞きつけて、つたない文字で手紙を事務所に書いて送ってきたのだ。

「活動の手伝いをさせてほしい」と。

 しかし幼齢である彼女を職員として雇うわけにはいかず、孤児である彼女の身柄を引き受けるために、ユニオンの職員との間に養子縁組を結ぶ必要があった。

 そんな折、いの一番に名乗り出たのがヒグラシ博士だった。

 

「いつか、その新しい島が出来たら、お花を植えられますか? アムールトラ、お花が好きだったから、きっと喜ぶかなって・・・・・・」

「出来ますよ。その時が来たら、あなたにお願いしますね」

 

 アマーラの肩に手を置いて、その素敵な提案に頷くと、彼女は笑顔でその場から走り去った。

 彼女が向かう先はアムールトラが眠る装置の前だ。ヒグラシ博士やパンサー、メガバットらが、今もそこに佇んで思い出に浸っている。

 

「お父さん」

 と、アマーラがヒグラシ博士に呼びかけると、2人は手をつないで共に眠るアムールトラを見上げた。  

 博士には日本に関係の冷え切った妻と娘がいたと聞いている。

 Cフォースの研究者として、長い間良心の呵責にさいなまれ、精神的に荒れていた彼の家庭環境は芳しくなかったようだ。

 戦後も家族との関係が回復することはなく、ついさいきん正式に離婚の手続きを済ませたらしい・・・・・・天涯孤独になった博士は、同じように身寄りのない少女を引き取ることに迷いはなかったようだ。

 アムールトラが引き合わせた縁ということだろうか。

 

 片足のない父と片腕のない娘。

 肌の色が違う2人が身を寄せ合いながら、物言わぬ”もう1人の娘”を見つめている。

 その様を見ていると、胸が締め付けられるような切なさと美しさが感じられた。

 

「子供っていいさね・・・・・・」

「オー、そういえばボスって結婚してたよネ? 子供とか欲しくネーの?」

 

 私のすぐ後ろで、アマーラの純粋さに癒されたのであろうシガニーがひとりごちる。

 それを横目に、呑気そのもののアーサーが「子供」というキーワードから着想を得て私に質問を投げかけてきた。

 この2人は公の場では片時も私から離れることはない。

 シガニーは昔からそうだし、アーサーも今や私の側近だった。

 

「バカ! アーサー! アンタは何言ってんだい!」

「ホ、ホワッ? シガニーさん、何かマズかったかヨ?」

「ボスが死ぬほど忙しくて、旦那にもロクに会えてないってことを知ってるくせに、よくもそんなこと聞けるね!?」

 

 良いんですよ、と2人を仲裁しながら昔のことを思い出す。

 幼少期からほぼ南アフリカで育った私だったが、大学の4年間だけは生まれ故郷の日本で学ぶことになった。

 ・・・・・・そんな時に「あの人」と知り合った。若い情熱に任せて一緒になった。

 

 当然あの人との子供も授かりたい・・・・・・けれども、そんな当たり前の幸せを求めるには、私は色々な物を背負い過ぎた。

 あの人は私の活動にも理解を示してくれて、遠いユニオン日本支部にて働いている。

 彼は今も同じ気持ちでいてくれているんだろうか? がむしゃらに理想に邁進し続ける私から、いつか離れていってしまうんじゃないだろうか・・・・・・? 

 

 いや、今はこんなことを考えている時じゃない。

 そう自分に言い聞かせて、暗い考えを振り払うように顔を上げると、アムールトラが眠る装置の前へと歩き出した。

 

「ど、どうしたんだいボス?」

 シガニーが後ろから非難めいた口調で聞いてくる。私が近づくことで、ヒグラシ博士たちの親子水入らずの空気に水を差すことを懸念しているのだ。

 ・・・・・・だがあいにく、私にはもうひとつだけ大事な仕事が残っている。

 それを果たすために、まずはヒグラシ博士に”彼女”の居場所を尋ねなければならない。

 

 私が行くとなれば当然シガニーとアーサーも後ろに続くしかない。

 2人を付き従えながらヒグラシ博士の前に立った私は「すみません」とやぶからぼうに彼に声をかけた。

 

「博士、メリノヒツジはどこにいますか? 姿を見ませんが」

「あ、ああ、あの子は・・・・・・」

 

 私の質問を聞いて、ヒグラシ博士も、周りにいたフレンズたちも、眠るアムールトラを見る表情とはまた違う悲しい顔つきになった。

 

「メリノはバカだよ!」とパンサーがヒグラシ博士に代わって嘆いた。

「つらいのはわかるよ! ・・・・・・でも、だからこそ、一人で抱え込まないで、皆で支え合って生きていくしかないんじゃない!」

 

 現状を察するのに十分な言葉だった。

 メリノヒツジの状況は、私が以前から知っている内容から変わっていないようだ。

 彼女は戦後、自然公園内の人目に付かぬ場所に居を構えて引きこもっていた。

 重度のPTSDを患っているという話だ・・・・・・あれほどの悲惨な体験をしたのだから無理もない。

 彼女は誰にも心を開くことがなかった。

 親であるヒグラシ博士や、パンサーら同じ痛みを背負うフレンズたちの暖かい言葉も、その深く傷ついた心を癒すには至らなかった。

 いつ自ら命を絶ってもおかしくない状況だという。

 

「メリノヒツジのことは私に任せてもらいませんか? 実は今日、演説が終わったら彼女と話をしに行くつもりだったのです」

「ええ? ミーは何も聞いてネーぞ?」

「シガニー、アーサー。お二人はここで食事を楽しんでいてください。

 私一人で行きます。今の彼女には無用な刺激を与えるべきではありません。一対一で話したいんですよ」

 

 一人は危険だよ! とシガニーから猛反発が上がる。当たり前の話だ。

 ・・・・・・だが私は彼女を説得するためにとある方角を指さした。

 広場の向こうにある建物の窓にチラつく一粒の光がある。レンズの反射光だ。

 そしてまた違う場所にも、あちらこちらに同様の光が瞬いている。

 

「・・・・・・総勢15名のスナイパーが辺りに潜んでいます」

 その告白を聞くと、シガニーのみならずその場にいた全員が総毛だった。

 中には戦闘態勢を取りはじめるフレンズまでいたので、急いで誤解を説くことにした。

「もちろん私が雇ったボディーガードたちです。

 私と一定距離を保ちながら、常に360度周囲を警戒してくれています。万に一つも間違いなど起こりません」

 

 呆気に取られているシガニーや皆に会釈すると、広場の隅の駐車場へと歩を進め、乗ってきたジープにエンジンをかけた。

 

≪・・・・・・あの子は変わったよ≫

≪確かにナー、理想家のお嬢様とばかり思ってたけどヨ、なんか貫禄がスゲー付いてきたし、隙もまったく無くなったゼ。マジで”ボス”って感じだってばヨ≫

≪とても優しいお方ですわ。でもそれだけじゃない。何故だか怖さも感じますの≫

≪な、なんで? メガバット? ボスはボスだよ。そんな、怖いなんてこと、あり得ないよ・・・・・・≫

 

 その場から走り去りながら、遠方で話す仲間たちの声を聴きとる。

 盗み聞きしているみたいで悪いが、超感覚に目覚めた私にはどうしても聴こえてしまうのだ。

 

 ・・・・・・私は皆から見てそんなに変わったのだろうか?

 確かに、自ら変わろうと心がけている部分もある。

 一年前、カルナヴァルという裏切者が近くに潜んでいたことに気付かず、組織全体を窮地に追いやってしまった。

 あの失敗から私は、理想を掲げることしか出来ないリーダーでは、簡単に寝首を掻かれてしまうという事実を痛感した。

 組織を守るためには、亡き盟友ヒルズ将軍のような冷徹さと用心深さが必要不可欠だ。

 

 それと、無意識の部分でも考え方が変わってきている気がする。

 以前までの私は、いつでも背中に重圧を感じてきた。父の遺志という重みに押し潰されそうになりながら歩んできた。

 ・・・・・・だが今は、そんな重みは毛ほども感じない。

 むしろ私の背中を押してくれている気さえするのだ。

 

 私は私が望む以上に、フレンズの楽園を創造するという使命に運命的なものを感じている。

 遠坂重三の娘として生まれてきたことも、サーバルやアムールトラといったフレンズたちと出会い命を救われてきたことも、すべては私が使命を果たすための巡り合わせなのだと・・・・・・

 私の命は彼女たちの物。彼女たちの想いに報いるために全部使わなくちゃいけない。

 そのことに幸せさえ感じている。

 ジャパリ・パーク・プロジェクトを成功させるためならば、あらゆる手段を択ばない。あらゆる犠牲を厭わない。

 

 そしてメリノヒツジも、私が使命を果たすために欠くことの出来ないピースだ。

(あなたを死なせやしない)

 ハンドルを握る手に力を込めながら、私は内心で独り言ちた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳鋼・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種
「アムールトラ」 
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・マイルカ科・シャチ属
「オルカ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ナガスクジラ科・ナガスクジラ属
「シロナガス」
哺乳綱・霊長目・キツネザル科・ワオキツネザル属
「ワオキツネザル」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:27歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」代表・最高取締役
「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:54歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」職員
「アーサー・C・ブラック(Arthur Charles Black)通称:ウィザード」
年齢:35歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」情報技術部門チーフ
「シガニー・スティッケル(Sigourney Stickell)」
年齢:42歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」筆頭秘書
「アマーラ・日暮(Amara Higurashi)」
年齢:10歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」準職員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章41 「カコとメリノ」

 メリノヒツジの住居は、昼間でも霧が立ち込めて薄暗い岩山の中にあるという。

 途中からは車で進入できなくなり、徒歩で山道を登っていくことになった。

 ひょっとすると、今日中に帰ることは出来ないかもしれない・・・・・・もしそんな連絡をシガニーにすることになったら、彼女をかんかんに怒らせてしまうだろう。

 

 岩肌が露出する山道には植物もほとんど自生せず、遠くで鳥の鳴き声が多少聴こえる以外には生き物の気配がしない。実に物寂しい場所だ。

 ヒツジというのはヤギの近縁種。

 ヤギが動物の中でも特にロッククライミングが得意である事は知られているが・・・・・・

 たった一人で好きこのんでこんな所に住んでいるとは、よっぽど一人になりたいのだろう。

 命を懸けて巨悪と戦い生還を果たしたにも関わらず、彼女の心はまったく救われていないのだ。

  

 戦後間もない頃、メリノヒツジは重要な参考人として取り調べを受けることになった。

 バトーイェ山脈での戦いも、スターオブシャヘルでの決戦も、重要な局面を最前線で戦い抜き、五体満足で生き残った唯一のフレンズだからだ。

 

 彼女は自分がしたことを、そしてその目で見たあらいざらいをぶちまけた。

 スプリングボックを戦闘の末に殺害したことを。スターオブシャヘルにて多数の兵士を虐殺したことを・・・・・・スパイダーモンキーを食い殺したのが、アムールトラであることを。

 またヴェスパー親娘の口から直接おぞましい所業の数々を聞かされることも多かったという。

 彼女がもたらした情報は、ヴェスパー派を失墜させるための重要な材料となった。

 そしてそれは他のフレンズや、ユニオン関係者にも広く知られることとなった。

 

 メリノヒツジが戦争犯罪者として裁かれることはなかった。

 たとえ戦闘において残虐な行為をしたとしても、常に少人数で大部隊と戦ってきた彼女には正当防衛が認められることになる。

 フレンズを裁く法はなく、さらに人間に置き換えても、彼女は少年法が適用される年齢には満たなかった。

 取り調べが済んだのち、メリノヒツジはマダガスカルのフレンズ保護区へと移送された。

 

 ヒグラシ博士を始めとして、彼女と面識のある者は多かった。

 中でもかつてグレン・ヴェスパーが生み出した「量産型」と呼ばれる、イヌ科やネズミ科のフレンズたちのことは外せないだろう。

 バトーイェ山脈での戦いに駆り出されていた彼女たちにとってメリノヒツジは命の恩人だった。

 洗脳教育で育った彼女らは自我というものをほとんど持っておらず、命令に従うだけの無垢な存在だった。

 彼女らの性質をメリノヒツジは利用し、自分が彼女らの隊長であると詐称したうえで、嘘の撤退命令を出してその場から逃がしたらしいのだ。

 

 メリノヒツジの咄嗟の機転により量産型フレンズの多くが命を拾った。

 彼女らももちろんこのフレンズ保護区に身を寄せている。

 だが今はもちろん量産型なんて呼称は使わない。彼女らにはそれぞれ種族名にちなんだ名前を付けたし、ヒグラシ博士の下で教育を受けながらのびのび自我を育んでいる最中だ。

 個性がはっきりしてきた彼女たちだったが、メリノヒツジに命を救われた恩は誰一人として忘れてはおらず「私たちの隊長」と深く慕っていた。

 

 ・・・・・・そして、パンサーとも顔を合わせることになった。

 2人をめぐる因縁はきわめて複雑だった。

 メリノヒツジは彼女の親友スプリングボックを殺した。

 だがいっぽうではアムールトラも、パンサーが戦場で友情を結んだというスパイダーモンキーを殺したという経緯がある。

 

 結局パンサーはメリノヒツジのことを恨むことはなかった。

「恨んだり殺したりするのはもうたくさん」と、全ての因縁を腹に収め、水に流そうとした。

 彼女は愚かな子ではない。もしメリノヒツジを恨み復讐しようとするならば、アムールトラにも同じように復讐心を抱かなければならないことになることに気付いたのだろう。

 一方は恨み、一方は許す・・・・・・そんな破綻した復讐心を持ってはいけないのだと。

 

 それにパンサーの特異な生い立ちも影響しているのかもしれない。

 フレンズになる前は、子供をさらって食べてしまう凶悪な人食いヒョウだったという事は、私やシガニーのような古参職員ならば知っている話だ。

 そのことについては誰が言い出すでもなく緘口令が敷かれ、パンサー自身も心を許したごく少数の者にしか打ち明けることはなかった。

 彼女のパークでの懸命な戦いぶりは、私たちの理念に共感してくれたこと以上に、自身の過去の罪を償うためだったように思えた。

 ・・・・・・償いはきっと今も続いているのだろう。だからこそ、憎い相手のことも許し、歩み寄ろうとしたのだ。

 

 が、メリノヒツジはそれを拒絶した。

 ヒグラシ博士と再会を喜び合うこともなく、自分のことを慕う無垢な量産型フレンズたちの声も黙殺し、こんな人気のない山中で隠遁生活を始めた。

 PTSDの治療のためにと入院を薦める周囲の声にも耳を貸さなかった。

 

 力ずくで治療施設に連行するとか、食事に薬を混ぜて眠らせるとか、そういった手段も一時期検討された。

 しかしグレン・ヴェスパーの下で長年苦しめられてきたメリノヒツジにそんなことをしたら、私たち人間が彼女から信頼を取り戻すチャンスは永久に無くなるであろうことは明らかだった。

 結局は匙を投げて、彼女が衰弱していくのを指を咥えて見ているしか出来ない現状だった。

 

(確か、この辺りに住んでいるって言っていたけど・・・・・・)

 

 霧の中を進みながら辺りを見回してみると、切り立った崖の一部に小さな洞穴を見つけた。

 中からはランタンらしき明かりが漏れだしている。

「ごめんください」

 と挨拶しながら洞穴の中に入ると、腐臭がウッと鼻をついた。

 

 メリノヒツジは別にここに住んでいることを隠しているわけではない。

 フレンズ用の人工栄養食や、配給の野菜スープがここに届けられている・・・・・・が、どれもろくに口を付けていないまま時間が経ってしまったようだ。

 人工栄養食はちょっとやそっとじゃ腐ることはないが、スープの方は完全に腐りハエにたかられてしまっている。

 

 藁で出来た簡素な寝床の周りには本が積まれている。

 ヒグラシ博士がメリノヒツジに気を遣って、彼女が好みそうな本を届けさせていると聞いた。

 ・・・・・・なるほど、音に聞こえた通りに彼女は読書家であるようだ。文学には造詣がない私でもそのことだけはわかる。

 

 とりわけメリノヒツジは西洋圏の書物が好きなようであった。

 文学や詩、グラフィックノベルだけじゃなく、キリスト教関係の本や哲学書、中世ヨーロッパや古代ローマなんかの歴史書もあった。

 なかなかに洒落た趣味を持っている。

 私にはそんな浅い感想しか出てこないけれど、彼女のことを誰よりも理解しているヒグラシ博士のチョイスなら間違いないのだろう。

 ・・・・・・が、残念ながらそれらの本も埃を被ってしまっている。

 ろくに食事が喉を通らず、活字さえも目を通す気力がないのなら、今の彼女を支えているのは何なのだろうか?

 

(これは?)

 積まれた本の中の一冊を拾い上げる。

 埃まみれの書物の中でその一冊だけは様子が違った。

 表紙の埃の被り方が均一ではなく、手を付けた跡があるのだ。メリノヒツジがほんの少しだけでも手を付けて読んでみたということだろうか?

 著者名を見ると、私でも知っている人物の著書であることに気付いた。

(・・・・・・ニーチェ)

 

 メリノヒツジは留守にしているようだったので、ともかく一度洞穴の外に出ることにした。

 どこに行ったというのだろう。山を降りて他のフレンズや人間の目に付くことは嫌だと思うから、この岩山のどこかにいると思いたいが。

 

_______ポツン、ポツン・・・・・・

 霧に包まれて見えない向こう側に、水滴の落ちる音が聞こえた。

 それが辺りの静寂を一層際立たせている。

 私の地獄耳でもやっと聴こえる程度のとても小さな音だったが、一定のリズムを保ちながらずっと耳朶を打っている。

 水たまりでもあるのだろうか。これほど霧が深いなら、標高の高いところで凝結した水滴が下の方に落ちてくることもあるだろう。

 

 いっそう耳を澄ませて水滴が落ちている場所を探すことにした。

 メリノヒツジがここで生活しているならば水源は大事だ。住処を不在にしているならば、居場所の候補として水場は高い位置に挙げられるだろう。

 

「・・・・・・」

 

 あまい目算だったが、早くも的中することになった。

 絶え間なく落ち続ける水滴が、岩のくぼみに直径数メートルにも及ぶ水たまりを作っていた。

 水たまりの縁にたった一人、遠めからでも目を引く真っ赤な毛皮の持ち主が、座り込んでうつむいていた。

 

 水面に映った寂しげな顔を、したたる滴が起こした波紋が揺らす。

 抜け殻のように動かない瘦せ細った体、こけた頬、光を失った空洞のような瞳・・・・・・きっともうその目には何も映っていない。

 やはりメリノヒツジの心は完全に死んでしまっている。放っておけばやがて朽ちて行ってしまう予感がありありと目に浮かぶ。

 

「探しましたよ、メリノヒツジ」

 

 背後から声をかける私に気付いているだろうに、反応が返ってくることはない。

 私はかまわずに傍に寄り、すぐ真後ろからメリノヒツジを見下ろした。

 ・・・・・・その手にはクズリの遺品たる腕輪が握られている。

 アムールトラに並ぶ最強のフレンズだったクズリは、女王セルリアンとの戦いにおいて、最期まで死力を出しつくし、腕輪だけを残して消滅した。

 メリノヒツジは、崇拝とすら言えるほどに尊敬していた相手が消えていく瞬間を、すぐそばで見届けたのだった。

 あの時から彼女の時間は止まったままなのだろう。

 腕輪は「未練」という、空っぽの心に残った唯一の感情の表れであるようだった。

 

 本当に可哀そうな子だ。だが優しい言葉をかけるつもりはない。

 そんなことをしても無駄だとわかっている。ヒグラシ博士の言葉でさえ届かないのだから、関わりの薄い私などが何を言ったところで効果はない。

 

「あなたに会ってもらいたい人がいるのですが、少しだけ時間をもらってもいいですか?」

 

 そっけない口調で告げる私に、メリノヒツジも意表を付かれたようで、たった一度だけピクリと体を震わせた。

「イヴ・ヴェスパー」

 私は身をかがめると、座り込む彼女の耳元に無遠慮に口を近づけて、その名前を囁いた。

 

「・・・・・・つまらない冗談を言って僕を嘲笑いに来たのか?」

「そんな無駄なことをしている暇が、この私にあるとお思いですか?」

 

 メリノヒツジが俯いたまま初めて口を開いた。

 私は「よし」と内心で手ごたえを感じていた。

 これが今日のもうひとつの仕事。私にとってメリノヒツジの心を救うことは、中央広場での演説と同じぐらい重要だ・・・・・・そのための仕込みも十分にしてきている。

 

「この近くにあなたの家がありますね。そこで彼女とのビデオ電話を繋ぎましょう」

 

 ついにメリノヒツジが立ち上がった。

 痩せこけてはいても、やはり彼女の立ち姿は迫力がある・・・・・・フレンズの中でも割と背が高い方だし、さらにボリュームのある赤い毛皮を身にまとっているのだから。

 

「ウソだったらアンタを殺すぞ・・・・・・!」

 不愉快そうにぎらつく瞳で私を睨みつけ恫喝してくる。

 さっきまでの抜け殻のようだった彼女はもういない。やはり思った通りだ。親しい者の言葉でも効果がないのなら、アプローチを逆にしてみるのがいい。

 ・・・・・・彼女が最も憎む者と話をさせてみればいいのだ。

 

「では一緒に来てください」

 

 メリノヒツジを連れだって崖下の洞穴へと舞い戻る。

 ずっと怖い顔のままの彼女の要望に早く答えるために、ポケットに忍ばせた手のひらサイズの立体通信機を、積まれた本の上に置いて起動させた。

 

≪フーーッ・・・・・・フーーッ・・・・・・!≫

 

 ホログラムに映し出される、薄暗く殺風景なその部屋は牢屋だった。

 拘束衣を着させられた1人の女が震えながらその場に転がされている。

「・・・・・・私です。お待たせしました。彼女と会話をさせてください」

 そう画面の向こうに呼びかけると、画面奥から目出し帽を被った男が入ってきて、倒れた女の髪を乱暴に掴んで起こし、口元に張られたガムテープを勢いよく引っぺがした。

 

「だ、誰だこの女は? これのどこがイヴ・ヴェスパーなんだ!?」

 

 メリノヒツジが女の姿を見ながら憤慨したように感想を漏らす。

 無理もない。画面の向こうの女はスラブ系を思わせる赤茶色の髪だ。顔面も低い鼻とソバカスまみれの肌で構成されている。

 典型的なアングロサクソンの特徴を持つ、金髪碧眼で目鼻立ちの整ったイヴとは、見比べるまでもなく明らかに違う。

 この不美人がイヴであるとは誰も思わないだろう。

 

「今の彼女はジェシカ・エドワーズというそうですよ」

「・・・・・・偽名か?」

 

 一年前のあの日から、イヴ・ヴェスパーは顔と名前を変え、他人の戸籍を買い取り、アフリカ大陸から遠く離れたアメリカはコロラド州にて、身をひそめるように生活していた。

 ジェシカ・エドワーズ。コロラドの片田舎に生まれ、つい数年前に州都デンバーに移り住んだ26歳の女。

 二流大学を卒業した後、郊外にある小さな印刷所で働き、地味で控え目ながらも実直に仕事をこなしている。休日は家でコーヒーを飲みながらサブスクの映画を見て過ごしている。

 ・・・・・・取り立てて語ることのない、どこにでもいる普通の女だ。

 

 良く出来たカバーストーリーを被って、その素性を完璧に隠していたイヴ・ヴェスパー。

 だが一方では本来のヴェスパー派の頭目としての活動もしっかり行っていた。

 足が付かないように数々の仲介者を通じて部下たちを指揮し、私へ暗殺者を差し向けたり、秘密裏に人造フレンズや女王セルリアンの研究も継続していた。

 

 イヴの居場所を暴く切っ掛けとなったのは、東南アジアのとある町にて、古びた薬品工場を見つけたことだった。

 巧みに偽装され周囲に溶け込んでいたその場所は、薬品工場とは名ばかりで、イヴの手の者が運営する研究施設だった。

 

 なぜそこを見つけられたかと言えば、虫の知らせとしか言いようがなかった。

 ドローンや斥候に収集させた世界中の映像を解析にかけていた時のことだった。

 何百何千もの画像や動画を調べ、そのなかのひとつを目にした際、一年前からときどき聞こえるようになった謎の声がまた呼びかけてきたのだ。

「我らが同族の気配がする」と。

 

 この声の正体については、おおよその見当は付いている。

 グレン・ヴェスパーによって女王セルリアンの生体コアにされた時、私の脳は女王と繋げられたのだ。その時の残滓が今も脳内に残っているのだろう。

 人間離れした鋭い五感や、予知能力じみた超感覚は、きっと私の中にいる”彼女”が授けてくれたもの・・・・・・彼女がどういうつもりなのかは知らないが、今の私には命を賭して叶えなければならない理想がある。

 使えるものは何でも使う。今は他に何も考えなくていい。

 

 彼女の声に従うまま、私の手の者を現地に派遣し、研究施設の所在と正体を探らせた。

 そしてその施設には、セルリアンの体細胞が培養されていることが分かったのだ。

 後は簡単だった。追加で増援を多数送り込み、研究施設を制圧させた。

 研究員たちを拷問にかけ、施設で研究しているのが”女王の胚”であることも、イヴ・ヴェスパーの所在も吐かせた。

 

≪・・・・・・わ、私にこんなことをしてタダで済むと・・・・・・!≫

 

 捕らえられ監禁されているイヴ・ヴェスパーが、画面越しに私を睨め付けながら叫ぶ。

 必死に強気な風を装ってはいるが、血走った瞳には恐怖と焦りの色が隠せていない。

 

≪私が死んだと分かれば、狂信的な部下たちが世界各地で無差別テロを起こすわ! 何万、何十万人も死ぬでしょうね! それでも良いのかしら!≫

「・・・・・・確かにコイツはイヴだな」

 

 真実を悟ったメリノヒツジがボソッと小声で呟いた。

 クズリの腕輪をいっそう強く握りしめながら、憎しみで瞳を爛々と燃やしている。

「どうでもいい」

 ・・・・・・が、その一瞬の後には目を閉じ、深いため息をついた。

 

「カコ・クリュウ、アンタはこれからイヴを殺すんだろう? 僕にその様を見せて溜飲を下げさせるつもりだったんだろうが・・・・・・

 この女の顔を見て実感したよ。惨めな負け犬のそれだ。もうコイツは終わったニンゲンなんだ。生きようが、死のうが、僕には関係ないよ」

 

≪お、お黙りメリノヒツジ! お前こそ、運よく生き残っただけの死にぞこないでしょうが!≫

 と、怒り狂い罵倒してくるイヴを、メリノヒツジは黙殺するように踵を返し、とぼとぼと洞穴から出ようと歩き出した。

 その意気消沈した様はさっきまでと全く変わっていない。

 

「待ってください。彼女を殺すなどとは一言も言ってませんよ」

 

 その言葉にメリノヒツジも、画面越しにイヴも驚いて絶句する。

「彼女の処分についてどうするか、メリノヒツジ、あなたに相談したいと思うのですが」

 ・・・・・・おかしな話という他にないだろう。

 メリノヒツジがイヴの助命を望むはずなどない。火を見るよりも明らかなことだ

 だがそれを承知で藪から棒なことを言い出す私に2人とも呆気に取られているのがわかる。

 

「Cフォースから押収したデータの中から興味深いものを見つけました・・・・・・実現に至ってはいないようですが、フレンズの研究に関する極めて革新的な内容でした。

 彼女や彼女の父親は、人格や所業はさておき、研究者としては極めて優秀であることは認めざるを得ないようです」

≪何よ! 何のことを言っているの!?≫

「・・・・・・たしか”プロジェクト22”とか言うものでしたよね」

 

 私のつぶやいた単語に、発明者その人であるイヴは得心がついたように押し黙り、何も知らないメリノヒツジはただただ狼狽えた。

 

「例によって非人道的な内容ですが、場合によっては継続する価値がある研究なのかもしれません。メリノヒツジ、つきましてはあなたの意見を聞かせてください」

「・・・・・・何を言っているのか知らんが、なぜ僕に意見を求める?」

「あなたは世界を救ったうちの1人ですよ。何かを決める権利があって然るべきではありませんか? まずは内容を聞いてください」

 

 次に私は、イヴ・ヴェスパーにプロジェクト22について、自分の口からメリノヒツジに説明をさせることにした。

 最初こそ反抗的な態度を見せたが、彼女は断ることは出来なかった。

 説明を聞いた後、メリノヒツジにはプロジェクト22を継続するかどうかを決めてもらう。

 かりに継続を望むのであれば、イヴ・ヴェスパーを殺すわけにはいかなくなる。

 研究途上であるプロジェクトを完成させるには、この女の頭脳が必要なのだから・・・・・・

≪ぷ、プロジェクト22というのは!≫

 自分が生き残る道を見つけたイヴは、必死の形相で牢屋の中でのプレゼンテーションを始めた。

 

 これまでヴェスパー親娘は、人造フレンズをいかに低コストで造産するかということに関心を傾けてきた。

 自然死した動物を施術にかけることで誕生したメガバット、クズリ、アムールトラ、メリノヒツジといった初期の人造フレンズたちは、一体作るのにコストと時間がかかり過ぎる。

 

 いっぽうで、保護犬や実験用マウスを大量に仕入れて、ガス室で殺してからフレンズ化させるという量産型フレンズは、原材料の仕入れコストを大幅に削減したものの、施術の成功率自体は旧来と変わっていない。

 

 プロジェクト22は、そんな状況を打破するために考えられた、施術の成功率を高めるための研究のことだった。

 ヴェスパー親娘は、フレンズ化出来た動物と、出来なかった動物の細胞を比較し、そのDNA配列の差異を徹底的に調べていたらしい。

 その結果、フレンズ化に必要な「特定遺伝子」が存在することを発見したようだ。

 

 つまるところ、この研究がもたらす成果とは、狙った動物をほぼ確実にフレンズ化させられるということにある。

 自然界においてどれほど希少な種族であったとしても関係ない。

 施術のために一旦命を奪わずとも、細胞片を採取して、特定遺伝子の持ち主であるかどうかを調べることさえ出来れば、ノーコストでフレンズ化できる個体を特定させられるのだと・・・・・・。

 

≪ど、どうかしら!? これであなたの仲間が生き返るのよ!≫

「・・・・・・同じ種族だったとして、別個体には違いないじゃないか」

≪あなたの協力があれば別個体ではなくなるわ!≫

 

 そこから先はCフォースのお家芸と言ってもいいVRの出番だ。

 誕生したフレンズに、VRによって別のフレンズの体験を刷り込むのだ。

 VRの材料となるのはメリノヒツジの思い出だ。彼女には、戦死した仲間たちの生きざまと死にざまを傍で見届けてきた鮮明な記憶がある。

 彼女の記憶をもとに作り出された仮想現実をフレンズに追体験させる。そうすることで自分のことをメリノヒツジの仲間なのだと思い込ませる。

 

 それがイヴ・ヴェスパーが提唱する「死んだ仲間を生き返らせる」計画だった。

 ・・・・・・私からしてみれば、議論を挟むまでもなく言語道断の内容だ。

 だがメリノヒツジはどう思うだろうか? 

 死者を悼むあまり、一歩も動けなくなってしまった彼女が、仮初とは言え自分を慰めてくれる相手を求めているのかもしれない。

 ならば、こうして確認を取るのが筋というものだろう。 

 

≪さあ、言いなさい! 私を生かすと! 仲間を生き返らせるには私の技術が必要なのよ!≫

「・・・・・・できるのかよ」

≪何ですって≫

 

 調子に乗ってまくし立てるイヴ・ヴェスパーの説明を、メリノヒツジはぼんやりと半分聞き流すような態度で聞いたのち、くぐもった声でおもむろに語りだした。

 

「クズリさんの不屈の闘志を、スパイダーさんの自己犠牲の精神を、ディンゴが死ぬ間際に見せてくれた不器用な友情を・・・・・・お前なんかに再現できるのか? 僕たちのことを道具としてしか見てこなかった、お前なんかに・・・・・・!」

≪で、でき≫

「できるわけないだろうがぁっっ!!」

 

 メリノヒツジが吼えた。

 洞穴中に響き渡り、外にまで響くような大声で、感情を絞り出すように絶叫した。

 そのあまりの迫力には、画面越しのイヴ・ヴェスパーが震え後ずさる程だった。

 

「クズリさんたちは、もうどこにもいないんだ・・・・・・」

 

 わなわなと震えながら荒い息を吐いてそう呟くと、やがて嗚咽交じりにその場に崩れ落ちる。

 話は一段落したようだ。これ以上のイヴとの会話はメリノヒツジにとって無用なストレスになるだけだろう。

 

「これがメリノヒツジの答えです・・・・・・というわけで、あなたの処分が決まりましたね」

≪・・・・・・わ、私を殺したらどうなるかわかってるでしょ? た、大変なことが起きるのよ!?≫

「それがどうかしましたか? さあ、彼女を連れていってください」

 

 私の指示を聞くなり、目出し帽をかぶった兵士たちが再び画面に映り込む。

 屈強な男たちはイヴの頭に紙袋を被せると、ひょいと強引に抱え上げてしまった。

≪わあああああっ!! やめろ! やめてええええっ!≫

 じたばたと足掻きながら恫喝するイヴをまるで相手にせず、無言でその場から持ち運び始めた。

 

 やがて牢屋は無人となる。

 寂しくなったホログラム映像に、男の手が大きく映り込むと、指を添えるような動作と共にビデオカメラの電源が切られた。

 これでまた私とメリノヒツジの2人きりとなった。

 彼女は砂嵐が流れるだけとなったホログラムを、茫然と食い入るように見つめている。

 ・・・・・・さぞ驚いたことだろう。人間を攫い、監禁し、さらには殺すことまで辞さない不穏な男たちは、フレンズ保護を掲げるジャパリ・ユニオンのイメージから程遠いことは明らかだ。

 

「彼らが何者か気になりますか?」

 と、目の前の出来事に絶句しているメリノヒツジに向かって、機先を制すように問いかける。

 私は慈善事業ばかりを行っているわけではない。決して知られてはならない暗部がある。

 今からそれを彼女に全て打ち明ける。

 

「彼らはジャパリ・ユニオンではありません。”ウィーゼルズ”といいます・・・・・・じつは私は、ジャパリ・ユニオンとは別に、もうひとつ別の組織も作っていたのですよ」

 

 ウィーゼルズ。

 私の命令一つあれば世界中に足を運んで、公には出来ないような血生臭い仕事を完遂する選ばれた精鋭集団だ。

 その目的は、あらゆる手段を使ってヴェスパー派を粛清することだ。

 

 共同経営者としてジフィ大佐らCフォース出身者も参画している。

 ウィーゼルとはイタチのこと。その由来は彼が最も思い入れが深いイタチ科のフレンズだ。

 もちろんクズリのことだ。大佐は彼女のことを「最高の戦士」と呼び称え、その死を深く深く悼んでいた。

 

 構成員の多くはジフィ大佐らの部隊の者たちだ。

 さらにはかつてヒルズ将軍の配下だった裏社会の人間も参加している。

 将軍は部下たちに対して「自分が死んだらカコ・クリュウか、その後継の者に仕えろ」と遺言を残してくれていたのだ。

 ・・・・・・かつて私が単身プレトリアに赴く際に、自分の身に何かあったらすべてを彼に任せる、と言った事に対する彼なりの返礼なのかもしれない。

 

 彼らのモチベーションは極めて高いと言える。

 かつてヒルズ将軍に仕えていた者たちの、主を失ったことへの恨みは凄まじい。そしてジフィ大佐たちの部下らも、かつての身内の不正を正したいという強い意志を持っている。

 

 ウィーゼルズのことは、シガニーやアーサーといったジャパリ・ユニオンの幹部にはもちろん知らせてない。

 表向きは政治的な立場もある私が、このような私兵同然の組織を手駒に持っていることは知られてはならない。

 やりとりにも暗号化や運び屋を用いることで、秘密が外に漏れないように工夫している。

 ・・・・・・だが今日は特別だ。メリノヒツジに秘密を打ち明けるために、彼らとも直接連絡を取ることにしていたのだ。

 

「イヴ・ヴェスパーの顛末について興味がありますか? 彼女にはこれから手術を受けてもらいます。麻酔なしの全身解剖手術をね」

「・・・・・・なん、だと!?」

「あの女を始末しただけでは不十分なのです。むしろここからが正念場と言えるでしょう」

 

 隠れ潜むイヴは資金源を必要としていた。

 そんな彼女が手を染めたビジネスのひとつに、臓器の違法売買があった。

 ストリートチルドレンやホームレス、また攫ってきた一般人を解剖手術にかけて、金になりそうな臓器を海外に売り払う。

 ・・・・・・この商売も父親の代から続けていたものだったそうだ。親子二代、つくづく醜悪の限りを極め続けてきたものだ。

 

 というわけなので、そんな彼女の熱心な小遣い稼ぎを手伝ってあげることにした。

 健康な20代女性の臓器はさぞ高く売れるはず。

 心臓、肝臓、腎臓・・・・・・需要の高いそれらの臓器は裏マーケットにばらまかれて高値で買い上げられるだろう。

 得られた収益は、彼女の口座に送金してあげる予定だ。

 こちら側は決して不当な利益を着服したりすることはない。

 

「あ、アンタは何がしたいんだ? たかだか復讐をやるにしては余りにも・・・・・・」

「個人的な怨恨などに最初から興味はありませんよ。私の目的は、あの親娘が遺した意志を、この世に存在したという事実さえも、完全に”なかったこと”にすることです」

 

 メリノヒツジの質問に対して力のこもった口調で答える。

 それこそが今回もっとも重要なファクターだったからだ。

 イヴ・ヴェスパーの臓器は、全てが裏マーケットに売り捌かれるわけではない。

 脳を初めとする中枢神経系、そして喉頭・・・・・・あとは右手の人差し指。

 その3点だけは、ウィーゼルズで回収保存することに決まっている。

 

 第一の目的は、イヴは生きていると対外的に偽装するためだ。

 まず喉頭を切り取ったのは、イヴの肉声を再現するために必要だからだ。

 きょうび、彼女の声に似せた電子音声を偽造することも可能だが、そんなものは立ちどころに見破られるに決まっている。

 

 喉頭の中には声帯がある。人体の中でも最も精緻な動作をする器官と呼んでも過言ではない。

 発声とは、声帯から発せられた振動音を、気道や鼻腔、口腔内で共鳴させ、言語音として空気中に発することだ。

 最新の3Dプリンターを使えば気道や鼻腔を再現することは可能だ。

 だが声帯だけは動きが複雑すぎて、作り物に代替させるわけにはいかない。

 

 右手の人差し指はもっと簡単な理由だ。指紋を採取するためだ。

 声帯と指紋・・・・・・偽造が困難なふたつの要素さえ抑えれば、後はそっくりな人形を用意して、対外的にイヴ・ヴェスパーが生きていると偽装することが出来る。

 彼女の狂信的な部下とやらが暴走することも防げる。

 

「・・・・・・じゃあ脳は? 何のためにイヴ・ヴェスパーの脳を保存する?」

「あの女の記憶に用があります。私がやらんとしていることは、古代中国における焚書坑儒であり、古代ローマにおける記録抹殺刑なんですよ。博識なあなたならばわかるでしょう?」

 

 実際のところ、イヴ・ヴェスパーどころか、グレン・ヴェスパーですらまだこの世に存在しつづけていると言うしかない。

 数多くの研究と、フレンズを兵器として好きに扱っていいという思想。

 それがこの世に存在している限り、あの親娘は概念として生き続ける。

 私はそれを絶対に許さない。

 

 生き物には「生物学的遺伝子」と「文化的遺伝子」がある。

 ヴェスパー親娘においては、その両者ともに根絶やしにしなければならない。

 彼らの後を継ごうなどと考える人間が二度と現れないようにするためだ。 

 来たるべきフレンズの楽園を創造するための第一歩として必要なことだ。

 そのためにウィーゼルズを作った。

 

 まずは生物学的遺伝子を消し去る。

 ヴェスパーの血筋を絶やす。遠い遠い顔も合わせたこともないような親戚もウィーゼルズに暗殺させる。

 幼子であろうが赤子であろうが等しくその対象となる。

 子供に手をかけるなどとはこの世で最も許しがたい所業だ。それに、あの親娘の罪を他の親族に償わせるなんて、前時代的で愚かな発想という他はない。

 ・・・・・・全部わかっている。だがやらなきゃいけない。血のつながりほど強く明確な因果はないからだ。

 

 次に文化的遺伝子を消去する。

 イヴ・ヴェスパーの脳組織に刺激を与え、彼女の記憶を掘り起こす。

 それによってヴェスパー親娘と繋がりのあった人物を洗い出し、ウィーゼルズを向かわせる。 

 元Cフォースの研究所はすべて解体し、そこに蓄積された研究データや、ネット上に流出した膨大な情報も削除する。

 アーサーに並ぶコンピューター技術者である、元Cフォースの情報次官のファインマン氏の協力があれば可能だ。

 

 今までにヴェスパー親娘の手で引き起こされた一切合切を、未来永劫なかったことにする。

 フレンズに天然だの人造だのという概念はない。人間の都合で兵器として利用されていたなどという過去もない。むごたらしい戦争の記憶もない。

 汚辱を全て取り去ったのちに、清浄なるフレンズの楽園が創造される。

 

「・・・・・・権力に物を言わせて、そんな粛清まがいのことを始めようというのか。アンタを信じている周りのヒトやフレンズたちを、その澄ました善人面で騙しながら・・・・・・」

「そうです。全ては理想を実現するためです」

「ヴェスパーに成り代わって、今度はカコ・クリュウがこの世界を支配する。フレンズはヒトの独裁者に振り回されるしかないというのか・・・・・・」

 

 全てを聞き終えたメリノヒツジは、より一層深いため息をつき、立ち上がることさえ出来ないでいた。

 私の荒唐無稽な言葉に怒ることも狼狽えることもなく、ただひたすらに、全てが空しいと言わんばかりに落胆を深めている。

 

「こんなのが結末か? いったい僕らは何のために戦ったんだ? どうしてクズリさんたちは死ななきゃならなかったんだ・・・・・・?」

 

 メリノヒツジの人間に対する不信は想像以上に根深かった。

 ・・・・・・いや、人間という種族それ自体ではなく、どうやら権力を持つ者を憎んでいるようだ。

 この子の中では私もヴェスパーも同じ、自分の都合で際限なく破壊と悪意を撒き散らかす、セルリアンよりも質の悪い破壊者なのだろう。

 

「カコ・クリュウ、僕の前から消え失せろ。二度と顔を見せるな」

「気に食わないなら、あなたの手で私を止めてみせればいいでしょう」

「・・・・・・何だと?」

 

 私をこの場で殺すことはメリノヒツジには容易いはずだ。

 2人きりの狭い洞穴の中で彼女を止める者は何もない。槍でも取り出して私を貫けばいい。

 もちろん周囲にはウィーゼルズのスナイパーたちを護衛に配置させているし、彼らには私の状況もモニターさせている。

 が、彼らには「メリノヒツジとの間に何が起こっても関与しなくていい」と、最初から言い聞かせている。

 

 ・・・・・・あるいは殺さなくても、今しがた私から聞いたことをジャパリ・ユニオンのスタッフかフレンズに口外してみればいい。

 それだけで私の社会的信用は失墜し、再起不能になるだろう。

 私はすべてを覚悟したうえで、メリノヒツジとの対話に臨んでいるのだ。

 

「だったら望み通りにしてやる!」

 

________ドシャッ!

 売り言葉に買い言葉と言わんばかりにメリノヒツジの殺気が弾ける。

 目に留まらぬ速さで私の胸倉を掴み、体をかるがる持ち上げると、勢いよくその場に押し倒してきた。

 されるがまま地面に転がる私の上に、激情に駆られた真っ赤な体が馬乗りになる。

________ヌッ・・・・・・

 さらに彼女は片腕を振りかぶり、手のひらを金色に光らせた。

 形を成した細長い二股の槍が、身動きが取れない私の顔に向かってゆっくりと伸びてきた。やがて鋭い切っ先が、触れるか触れないかというぐらいの至近距離で突きつけられる。

 これで完全に生殺与奪を握られた。私がメリノヒツジから逃れることは不可能になった。

 

「言っておきますが、私を殺しても、私の意志を消すことはできませんよ? 必ずや後に続く者が現れるでしょうからね」

「だまれ! そんなザマで今度はどんな世迷言をほざく気だ!」

「死者が遺した意志は強烈な影響力を持つ、ということです・・・・・・だからこそ、ヴェスパーの意志を途絶させるために、粛清の断行が必要不可欠なんですよ」

 

 抵抗もせずに淡々と喋り続ける私を前に、彼女の表情からは明らかな動揺がにじみ始める。

 

「メリノヒツジ、誰かから意志を受け継ぐことについて、あなたにも思い当たる節があるのではないでしょうか?」

 

 私の意志は決して私一人のものじゃない。

 父から受け継いだ物だ。そしてサーバルやアムールトラというフレンズたちとの出会いの中で育まれ成長していったものだ。

 ・・・・・・そう、意志とはすべての時間を繋ぐものなのだ。

 過去から託された意志が現在を作り、未来へと受け継がれていく。

 生きとし生ける者すべてが他者との関わりの中で意志を紡いでいく。

 だからこそ誰かと出会うことは尊いのだ。

 

 それはメリノヒツジだって同じことのはず。

 クズリら仲間たちとの出会いがかけがえのない物であったからこそ、彼女はその喪失の重さに打ちひしがれている。

 仲間たちが死んでいく死の間際に立ち合い、生きざまと死にざまを見届け、意志を託された。

 それは彼女にとって何物にも代えがたい財産だ。

 

「いいかげんに目を覚ましなさい」

 

 私は滅多なことでは他人を叱責したりはしない。

 だが今の彼女には強い言葉が必要と思い、彼女にあらんかぎりの言葉のビンタを投げかけた。

 

「死んでいった大切な仲間たちの意志を背負ったまま、ここで朽ち果てていくおつもりですか? あなたが死んだら、彼女たちもこの世から完全に消えてしまうことになります。それでもいいのですか?」

「だまれぇぇぇっっ!!」

 

________ザキュッッ!

 怒声とともに槍が振り下ろされる。

 切っ先が地面に深々と突き刺さる・・・・・・私の頬すれすれに、髪の毛を何本か巻き込みながら。

 すんでの所でメリノヒツジは狙いを逸らしたのだった。

 そして次の瞬間には二股の槍が、彼女の殺意が萎えたことに呼応するように、粒子状に分解されて消えてしまった。

 

「僕にはクズリさんみたいな強さはない。スパイダーさんのような優れた精神もない・・・・・・彼女たちの代わりにはなれない。

 なんでこんな無能な僕だけが生き残ったんだ! 生きるべきだったのは! 彼女たちだったはずなのに!」

 

 私に馬乗りになりながらボロボロと泣き崩れるメリノヒツジ・・・・・・はじめてありのままの本心を打ち明けてくれていると思った。そのことに愛おしさすら感じる。

「それでもあなたは生きるべきです」と、私は彼女の両腕を握りしめながら語り掛けた。 

  

「生き残った意味を探してください。あなたにしか出来ない事があるはずです。どれだけかかってもかまいません・・・・・・時間と場所は、この私が用意します」

「僕なんかに何が出来る!」

「絶望しないでください。フリードリヒ・ニーチェも言っていたじゃないですか」

 

 意外な人物の名前を聞いてメリノヒツジがピクリと黙る。

 洞穴に埋もれる書物の中で、彼女がここ最近で唯一手を取ったと思しきニーチェの著作から、私はある一説をそらんじた。

 

「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め」

 

 その言葉を聞いた途端、メリノヒツジが額に皺をよせながら強く目を閉じた。心の中で言葉を反芻しているのだろうか。

________スッ

 やがておもむろに立ち上がると、積まれた本の傍によろよろと近づいて行って、その一説が書かれた本を手に取ったのだった。

 その瞳からは今も大粒の涙が溢れている。

 頬をつたう雫が、彼女が手にしているクズリの腕輪と、ニーチェの本の表紙の上へ零れた。

 

「いいさ・・・・・・僕は僕の”真実の山”を登る」

 

 メリノヒツジがぽつりとだが、確かにそうつぶやいた。

 これならきっと大丈夫だ。彼女はやがて立ち直るだろう。リスクを冒してまで説得した甲斐があった。

 成果を実感した私は、積まれた本の前で静かに立ち尽くす彼女に向かって、今日一番の目的である頼みを言うことにした。

 

「メリノヒツジ、私の仲間になってくれませんか?」

「・・・・・・ウィーゼルズの粛清ごっこに参加しろとでも?」

「そういうことではありません。返事も今すぐは必要ありません」

 

 ウィーゼルズの活動はあくまで人間だけで行う。

 人間の不始末は人間がつけなければならない。フレンズを付き合わせるのは筋が違っている。

 それに、ウィーゼルズの活動はそう長く続く物ではない。イヴ・ヴェスパーの記憶という手がかりがあるならば、おそらく数年以内に粛清は終わるだろう。

 

 ・・・・・・私が言っているのはもっとずっと先の話だ。

 メリノヒツジには、楽園を創造するという果てしない計画を共に遂げる同志になってほしい。 

 だがもちろん強制するつもりはない。彼女が納得してくれるなら、という話だ。

 当分の間、心の傷を癒しながら、私という存在が信頼に足るかどうかを見定めてほしい。

 信頼できないのであれば、今日話した秘密を暴露して、私のことをつぶせばいい。

 

「カコ・クリュウ・・・・・・アンタは権力を握りながらもそれを誇示せず、あえて自分の弱点を晒すような真似さえするのか」

 

 メリノヒツジが私の方へ向き直って、真意を問うようにジッと私の目を見つめている。

「・・・・・・僕はアンタを見張るぞ」

 しばらくそうしたのち、鋭い目つきのまま、険のある言い方で返答してくれた。今はそれだけで十分だった。

 どうやらここから失礼する時が来たようだ。

 その前に「最後に一つだけ」と断りを入れてから彼女にある進言をすることにした。

 

「死んでしまった者たちだけでなく、生きている者たちの意志にも目を向けてください。誰のことを言っているか、わかりますね?」

「・・・・・・」

 

 メリノヒツジがその言葉に応えることはなかった。再び私から視線を外し、物思いに耽るような顔で手にした本と腕輪を見つめている。

 私は返事を待つことなく踵を返し、洞穴を後にした。

 

 

 それから数日が経った。

 私はジャパリ・ユニオンの代表として、あいも変わらず世界中を飛び回り分刻みのスケジュールをこなしていた。

 今日の午前中はフィリピンのマニラで講演を行った。

 アフリカ大陸においてはセルリアン災害に対する活動拠点はマダガスカルであるが、アジア圏においてはフィリピンがその役目を担っている。

 アフリカがホームであるジャパリ・ユニオンはアジアでの政治的地盤が弱いために、今後も積極的に活動を展開していかなければならない。

 

 その次はウクライナのキーウに向かう。

 ジャパリ・ユニオンにとりわけ協力的なこの国では、世界初のSS兵器専門の巨大軍需工場がかねてより建設されており、本日をもって工事が完了する。

 その竣工式に参列しに行くのだ。

 

 窓の向こうに広がる青空を眺めながら一息つく。

 プライベートジェットを用いた目的地までの移動時間が、私にとっての僅かな休息となる。

 十分な広さのある縦長の機内机の上には、小物が入った鞄、仕事用のノートパソコン、コーヒーカップと軽食が整然と並んでいる。

 

________ブンッ

 鞄の中のスマートフォンがおもむろに震えたので、取り出して覗き込む。

 この筐体は私の個人使用物であり、職務に関する連絡は入ってこない。連絡を入れられるのは私のプライベートの知人という事になる。

 

 通知の主はヒグラシ博士だった。

 私はあの会合を行った日以来、フレンズ保護区に戻る暇もなく、それからのことは博士たちに任せきりになっていた。

 スワイプして文面を読み進めていくと、そこには喜ばしい内容が書かれていた。

 

 メリノヒツジがみずから皆の前に姿を見せたというのだ。

 食事にも手を付けるようになり、体調がみるみる回復していると。

 ・・・・・・彼女は私の裏の顔も知っているわけだが、どうやら口外はしていないようだ。あの子は賢い。少なくとも今は、私を止めるべきではないと思ってくれているのだろう。

 後は賭けだ。彼女が秘密を暴露するか、心強い同志となってくれるか・・・・・・

 

 その後メリノヒツジは「迷惑をかけた」と方々に頭を下げて回ったようだ。

 特にヒグラシ博士とパンサーに関しては、深い謝罪と感謝の言葉を述べたという。

 私の「誰のことを言っているか」という問いかけにキチンと気付いていたようで安心した。

 メリノヒツジは理解したのだ。

 どんな時でも、たとえ自身が死にそうな時でさえ、彼女を思いやり慈しんでくれるヒグラシ博士のぬくもりを。

 復讐心を捨てて、彼女に手を差し伸べたパンサーの気持ちの気高さを。

 

 文末には一枚の写真が添付されていた。

 フレンズ保護区にある中央広場のとある一角にて、眠るアムールトラを背にしながら、ヒグラシ博士やアマーラ、フレンズたちが集合写真を取っていたのだ。

 アムールトラが眠る高さ5メートルに及ぶ砂時計型の台座の足元には、何本もの色鮮やかな花が植えられている。

 あたりは芝生だというのに、そこだけ盛り返された土が露出しており、植えられて間もないことは明らかだ。

 

 真ん中に映るのはヒグラシ博士とアマーラだ。手をつなぎながら、親子で仲睦まじい様子で立っている。

 その隣では、しゃがんだパンサーが、車椅子に座るメガバットと顔を並べて微笑んでいる。

 ほかのフレンズたちも、思い思いのポーズを取りながら弾けるように笑っている。

 ・・・・・・メリノヒツジはと言うと、はにかむような遠慮がちな顔で隅にポツンと立っているだけだったが、皆と共にいるだけでも素晴らしい進歩だ。

 

________チカッ

 私が写真を眺めながら幸せな気持ちに浸っていると、今度はブラックアウトしていたノートパソコンに光がともった。

 こっちは十分なセキュリティが施された仕事用だ。

 スマートフォンを鞄にしまい込み、ノートパソコンの画面に瞳を近づける。

 虹彩認証がパスされるのを待つと、メールボックスに一通の通知が入っていることに気付いた。

 

 ウィーゼルズの人間からの連絡だ。クラウドを経由して動画が送られてきている。

 薄暗い画面の中には、複雑な配線が張り巡らされた植物のような形の機械が映っていた。

________キュイインッ・・・・・・

 機械の節々に電気が灯り、まるで息吹を吹き込まれたように駆動音を立て始める。

 光によって詳細に形が露わになった機械の中央には、金魚鉢のような分厚いガラスの球体が収まっている。

 薬液に付けられた人間の脳が球体の中にはあった。

 

 ウィーゼルズの優秀なスタッフが、イヴ・ヴェスパーの脳組織を材料に生体デバイスを作り上げ、予定通り完成させたのだ。

 彼女は今もあそこで生きている。

 私たちが必要とする情報を半永久的に提供してくれるデータベースとして。

 

(・・・・・・さあ、始めましょう。創造と、粛清を)

 

 to be continued・・・

 




_______________Cast________________

哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」

_______________Human cast ________________

「久留生 果子(くりゅうかこ)」
年齢:27歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」代表・最高取締役
「イヴ・B・ヴェスパー(Eve Brea Vesper)」
享年26歳(脳は生きたまま保存されている) 性別:女 職業:元Cフォース要人

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編終章42 「すぎさるかこ、はるかなみらい」

________ギィ・・・・・・ギィ・・・・・・

 

 自宅のウッドデッキの上で、ロッキングチェアに腰掛け、外の景色を眺めながらぼんやりと物思いに耽る。

 ここ最近の僕の日課だ。この体ではもうそれくらいしかすることがない。

 

 数か月前、なんとなく体調不良が続いていたので医療スタッフに診てもらったところ、膵臓ガンだと告げられた。

 そして「大切な者たちと穏やかな時間を過ごしてほしい」とも。要はそういう話だ。

 正直ショックだったし、今だって家族が傍にいなきゃ夜も眠れないぐらいには死ぬことが怖い。

 だがそれと同時に、どこかホッとしている自分がいることに気付くのだった。

 やっと罪悪感から解放される時が来たんだと。

 

 今でも余すことなく鮮明に覚えている。フレンズを人の手で生み出すというおぞましい所業に費やしてきた己の半生を。

 施術に失敗し、体に何らかの障害を抱えたまま蘇生したフレンズを破棄した時のことを。

 何も知らないままガス室で毒ガスを吸わされ、困惑と恐怖にまみれた彼女たちの顔が、次第に絶望へと変わっていき、静かに目を閉じるあの瞬間を。

 ・・・・・・グレン・ヴェスパーに逆らえなかった、なんて言うのは言い訳でしかないだろう。

 

 しかしそんな僕にも、ある時やり直すチャンスが与えられた。多くの人やフレンズとの出会いに恵まれたおかげだ。

 償いのためにも、恩返しのためにも、僕はひたすら働いた。

 フレンズたちの学校を作って読み書きを教え、彼女たちがそれぞれ自分がやりたいことを見つけられるようにと教育の現場に携わってきた。

 

 完全に罪を清算できたなどとは思わない。だが自分に出来るささやかなことを精一杯やり切ったという手ごたえはある。

 そしてありきたりな病気でこの世を去る。

 僕みたいなしょうもない男の結末としては、上出来だと言う他はないのではないか。

 ・・・・・・思い残すことがないかと言えば、全くそんなことはないわけだけれども。

 

 時間が経つのは本当に早いものだ。

 カコ代表がジャパリパーク創設プロジェクトを宣言されたあの日から、目くるめく日々は流れ、気が付けば20年近くもの歳月が過ぎていた・・・・・・いや、たったの20年とも言えるか。

 

 海底火山を人為的に噴火させることで人工の島を作り出す。

 次に衛星から降り注ぐレーザーによって急激な土壌改良を行い、フレンズたちが暮らす楽園ジャパリパークへと作り変える・・・・・・。

 計画の全容を聞いた当初は、まるで夢物語のように感じたものだが、超人的な統率力を持つカコ代表の指揮の下、プロジェクトは待ったなしの勢いで断行された。

 誰もかれもが熱に浮かされたように働いた。

 

 その結果、たった20年ばかりの時間で、ジャパリパークが本当に作り上げられてしまった。

 大小6つの島からなる群島が、大西洋のど真ん中、かつては海の上だったはずの場所に、外界の干渉を受けることなくでかでかと存在している。

 総面積はなんと10万平方キロメートルにも及び、アイスランドなんかとほぼ同等の広さを誇る。

 ここまで来ると国家と言っても差支えない。

 

 この10万平方キロメートルというのはとりあえずのゴールでしかなく、今後さらに100~200年かけて40万平方キロメートルにまで拡張する計画が建てられている。

 40万平方キロメートル・・・・・・それは日本列島とほぼ同じ大きさだ。

 

 ジャパリパークはただ広大なだけじゃない。じつに実り豊かな土地だ。

 いま僕が住んでいる家は、どこぞのヨーロッパの農村を思わせる長閑な田園地帯の一角に建てられている。

 目の前には陽射しに照らされて黄金色に輝く小麦畑が広がっている。

 小高い丘の向こうには小さなミカンの木が密集して植えられており、丸々とした黄色い果実を実らせている。

 広大な農地ではエリアごとにそれぞれ異なった作物が育てられている。

 

 一般的に小麦とミカンの収穫時期は真逆だが、このジャパリパークではあまり関係がない。

 担当区域の異なる人工衛星「シャレム」「アダド」「バアル」から照射される無数のレーザーが、ジャパリパークの土壌に満ちるサンドスターに作用して、完全に分断された個別の環境を作り出す。

 気温、気候、地質、景観・・・・・・それらの異なる条件を、最少で半径約一キロメートル程度の範囲から設定できる。

 そうすることで、ビニールハウス等を用いることなく多様な作物の栽培が可能となっていた。

 このような場所が近隣にはいくつもある。

 

________きゃはは、待って!

 

 遠くを見やると、フレンズたちが小麦畑の中でじゃれ合うように追いかけっこをしていた。

 今は休憩時間のはずだが、元気いっぱいの彼女たちにとっては遊びの時間となっているようだ。

 汎用作業機械「フリッキー」たちに比べると、彼女たちの働きぶりはマイペースだったが、平和そのものの光景には見ていて心が癒される。

 願わくば、いつまでもこうであって欲しいものだ。僕がいなくなったずっとずっと後も・・・・・・。 

 

 それにしても、なぜだろうか。

 20年というのは、僕にとって宿命じみた数字であるようだ。

 遠坂重三氏とグレン・ヴェスパーとの間で、フレンズに対する解釈の違いを皮切りに始まった最初の20年は、壮絶なる戦いの歴史だった。

 戦いの末にヴェスパーが滅び、カコ代表を中心とするジャパリパーク創造の歴史が始まった。

 それからまた20年が経ち、ついに僕がこの世を去る時が来た・・・・・・。

 

 これまで本当に色々なことがあった。

 やはりカコ代表という人物を抜きにしては語れないだろう・・・・・・歴史上には時折、彼女のような稀代の英傑が現れるものだ。

 抜きんでた知性と精神力、周囲を引き付けるカリスマを持っているだけじゃない。何か特別な運命を背負って生まれてきたとしか思えない。

 

 これまで彼女は、行き先も定かでない未来への道を力づくで切り開いてきた。

 僕のような凡人は、彼女が通った跡を、後ろから必死に付いて行くだけで精一杯だった。

 ・・・・・・いや僕だけじゃない。おそらく彼女と同じ視野に立てた人間など誰一人としていなかったように思う。

 

 この20年間、カコ代表の働きぶりは、傍から見ても鬼気迫る様相だった。

 ジャパリパーク創造に向けた工事の準備を取り仕切るかたわら、フレンズ保護の重要性を説いて回り、世界各国に対してセルリアン対策のためのSS兵器のPR活動も行った。

 

 その甲斐もあって、世界中でSS兵器の生産体制があっという間に整い、広く一兵卒にまで行き渡った。

 有効な武装を得た人間の軍隊が、セルリアン相手に蹴散らされることはそうそう無くなった。

 フレンズが戦場に駆り出されることも無くなり、これで万事一件落着かと思われた。

 

 ・・・・・・だが、人間社会は新たな危機に見舞われ始めた。

 それはセルリアンとは違って目視することの出来ないものだった。

 恐るべき災厄が、静かに足元に忍び寄ってきていて、気が付けば取り返しの付かないレベルにまで社会を蝕んでいた。

 見えざる脅威。それは地球環境の変化だった。

 

 原因のひとつは大気汚染であったり、オゾン層の破壊により地球に降り注ぐ紫外線の増加であった。

 子供が学校で教わるような常識レベルの環境破壊だったが、前世紀から警鐘が鳴らされ続けてきたのは確かだ。

 それらの事象がここに来て、何故だか急激に、人体に影響を及ぼすまでに顕在化を始めた。

 

 これは僕の推論でしかないが、約40年前にセルリアンとフレンズが突然にこの世に現れたのも、このような地球環境の変化の先ぶれだったのではないだろうか?

 自然環境や野生動物が、人間に先んじて変化を鋭敏に感じとった結果、セルリアンとフレンズが生まれたのだとしたら?

 こんなことを今さら考えたところで、後の祭りでしかないのだが・・・・・・。

 

 ともかく、地球は少しずつ人間の住めない星になりつつあった。

 ばらつきはあれど、どこの国もまんべんなく平均寿命が減少しはじめている。

 若くして大病を患って亡くなる人間が増えてきている。

 また、遺伝子障害により子供を産めない夫婦が増えてきた。子供が生まれないことで、当然の事ながら、国そのものが徐々に衰退を始めてきている。

 ゴーストタウンも増えてきた。

 

 ・・・・・・皮肉なことに、人類が衰退し始めたことに同期して、セルリアン災害も年々沈静化していっていた。

 出没件数が年を経るごとに減少しているのだ。

 電気や石油といった産業エネルギーをエサとしていたセルリアンにとって、もう人間は相手にするのに旨味のない存在だということなのだろうか?

 

 これらの一連の世界情勢の変化は、ユニオンが行うフレンズ保護活動にも影響を及ぼした。

 ジャパリパークが現在のような立派な大地となるまでは、フレンズたちはユニオンが世界各地で運営する保護区にて生活していた。

 SS兵器の製造販売によって挙げられる莫大な資金を使って、豊かな自然の下、フレンズたちには平穏な暮らしが提供された。

 ・・・・・・それが却って良くなかったのかもしれない。

 

 保護区のフレンズたちに嫌悪の目を向ける人間たちが少なからずいた。

 人間と同じ姿をしていても所詮は動物だ、と見下す者たちがいた。

 自分たちは銃を手にセルリアンと戦っているのに、なぜ人間より強いはずのフレンズは呑気に暮らしているのか、と不満に思う者たちがいた。

 国の衰退に呼応して貧しくなっていく暮らしの中で、そんな者たちの不満が爆発した。

 

 フレンズを狙った暴力沙汰が多発したのだ。

 皮肉にも、ジャパリユニオンが提供したSS兵器の銃口を、セルリアンではなくフレンズに向ける者がいた。

 もちろんフレンズも黙って撃たれるわけにはいかない。人間とフレンズで小競り合いが起きてしまうこともあった。

 

 このような経緯から、フレンズの扱いについてカコ代表と、各国の代表とで再度協議が行われることになった。

 人間とフレンズの間における不公平感こそが事件の原因だとし、それを解消するために、フレンズたちにも再びセルリアン対策の一員を担わせてはどうか? という意見が多数派を占めた。

 ・・・・・・が、カコ代表はそれを強い態度で拒否した。

「ヴェスパーの時代に逆行することは断固として許さない」と。

 

 そして彼女はまったく別ベクトルでの代案を提言した。

「人間とフレンズが同じ土地で共存することは難しい。双方の利益のために、フレンズを人目に付かない土地に住まわせるべきだ」と。

 まさしくそれはジャパリパーク創設プロジェクトのことだった。

 カコ代表は「”離島”へのフレンズの放逐」という名目で、列強諸国に対してプロジェクトへの協力を取り付けたのだ。

 

 実際にどのようなやり取りがあったのか僕にはわからない。

 カコ代表はセルリアン対策の要であるSS兵器の元締めであり、対外的にも強い発言力を持った人物であることは間違いないだろう。

 とはいえ彼女一人で多数派の意見を覆すことは難しいはずだ。

 にもかかわらず、自分の思うような結論へと議論を誘導してみせたのだった。

 

 ・・・・・・カコ代表は変わった。

 20年前までは、理想に燃える深窓の令嬢といった感じで、高邁である一方で、育ちの良さが故の打たれ弱さが拭えない印象だった。

 だが後年になるにつれ弱さは消え、代わりに鉄のような強靭さと冷徹さを備えた底の知れない人物となっていった。

 指導者としての圧倒的な存在感を示す一方で、かつてのような親しみやすさは消え、余人を寄せ付けない威光と風格が増していった。

 

 ともかく、カコ代表の振るう辣腕のもと、湯水のように湧いてくる資金源を得て、ジャパリパークは滞りなく建造されていった。

 ・・・・・・そして今に至る。

 

「アンタ、明日からまた仕事場に連泊かい? なんとか家に帰ってくることは出来ないのかい? ここからだって近いだろ?」

「母さんわかって。今が一番大事な時なのよ。本当は今日だって」

「仕事が大切なのはわかるけど、今は出来るだけ家にいなきゃダメじゃないか」

 

 僕がいるウッドデッキと木の壁を一枚隔てた家の中では、深刻そうな様子で会話する2人の女性の声が聞こえる。

 シガニーとアマーラ。僕の妻と娘だ。

 共にアフリカ黒人系であるという点を差し置いても、あの二人は見た目も性格もとてもよく似ている気がする。

 元々は赤の他人だったはずなのに、一つ屋根の下で暮らす僕ですら不思議に思うほどだ。

 

 シガニーはカコ代表の秘書を長年勤めていた女性だ。

 それこそ代表が小さな子供だった頃から、つらい時も苦しい時も、戦場にさえ赴いて支えてきた、代表にとって家族も同然の存在だったはずだ。

 ・・・・・・そんな彼女は、いまやカコ代表とは絶縁状態にあった。

 

 きっかけとなった出来事は色々ある。

 20年前のジャパリパーク樹立宣言から数年間のあいだは、世界各地でやたらと血生臭い事件が連続していた。

 アメリカを中心に、元Cフォース役人やヴェスパー家と関わりのあった者の失踪、不審死が相次いだ。その中には幼い子供もいた。

 裁判を経てすでに服役していた人間でさえも、刑務所内で何者かによって殺されていた。

 

 合計の死者数は軽く数千名を超えていた。

 謎の勢力がヴェスパー派の残党を組織的に暗殺しているのは明らかだった。

 それら一連の事件を関連付ける証拠は何も上がらず、また世間でも不自然なほどに報道されなかったが、何者かが裏で手を引いて行わせているのではないか、とまことしやかに噂された。

 

 シガニーはあの頃から、カコ代表が自分に隠し事をすることが増えたように感じていたようだ。

 以前は何をするにも傍で共に取り組んできたのに、いつの間にか自分の知らないスケジュールを決めて動いていることに、彼女は強い疎外感を感じていた。

 

 その疎外感が、疑いと信頼の破壊へと繋がっていくのには時間がかからなかった。

 連続不審死事件の黒幕とは誰なのか?

 ヴェスパーに恨みを持つ者の中で、多数のヒットマンを操り、マスコミすらも封殺出来るほどの権力を持った人間とは?

 

 ついにシガニーは疑念に耐えかねて、カコ代表を大々的に糾弾した。

 良識あふれる彼女には、子供が犠牲になるような事件の首謀者が自分の身内である可能性に耐えられなかったのだろう。

 だがカコ代表から具体的な返答がかえってくることはなく、事件への関与を示す証拠も見つからなかった。

 

 それでもシガニーは追及を続けた。

 しかし時間が経つごとに最初はシガニーに賛同していた者たちも、次第に何も言わなくなっていき、やがて孤立してしまった。

 カコ代表が怪しいことには違いなかったが、それでも彼女の存在感はもはや不可侵の領域にあることに誰もが気付いていた。

 彼女という唯一無二の指導者を失えば、ジャパリ・ユニオンという組織の活動が立ち行かなくなることは明らかだった。

 ・・・・・・同調圧力によって、疑惑はいつの間にか闇に葬られていった。

 

 その後はカコ代表とシガニーの仲が戻ることはなく、シガニーの組織内におけるキャリアも失墜した。

 かつてのカコ代表の最側近だった人物が、一般職員同然の扱いになってしまった。 

 シガニーはひどく落ち込んでふさぎ込み、一時期はユニオンを脱退して故郷に戻ることさえ考えていた。彼女を切り捨ててからというもの、カコ代表の権威は時間が経つごとに増していき、一般のスタッフにはますます近寄りがたい存在となっていった。

 

 僕とシガニーの仲が深まったのもそんな頃だ。

 途方に暮れていた彼女を気遣い、共に過ごす時間が増えていった後、どちらからともなく僕らは一緒になることになった。

 仕事も手伝ってもらうことにした。

 シガニーのことを愛している。口調はかなり男勝りできつい所があるが、正義感と周囲への思いやりに溢れた女性だ。

 ・・・・・・まあ、お互いに子供を作ろうなんて年齢はとうに過ぎていたので、もともと僕の養女だったアマーラだけを子として、家族3人でこうしてジャパリパークの黎明期を生きてきた。

 

 僕とシガニーに育てられながら、アマーラはすくすくと立派に成長した。

 もう今年で30歳。一人前のジャパリパークスタッフだ。

 幼い頃に片腕を事故で失った彼女は、それでも器用に炊事洗濯をこなしていたが、今では筋電義手を装用することで何不自由なく日常生活を送れている。

 

 僕も片足が義足なので実感していることだが、最近の義肢装具の進化は目覚ましいものだ。

 義肢の素材の大部分は、金属からナノコロイド筋繊維に置き換わっており、本物の手足とほとんど変わらない動きが可能だ。

 見てくれが不自然なことぐらいしか気にならない。

 

 彼女は農業担当スタッフの1人だ。

 もともと土いじりや花の世話が好きだった彼女には間違いなく天職だろう・・・・・・が、決して楽しいことばかりではない。

 僕たちのライフラインに直結する責任重大な仕事だ。

 いつの時代でも、農業が共同体を存続させる主要産業であることには異論の余地はないだろうが、それに加えて、ジャパリパークでは人間もフレンズも菜食主義を守らなくてはいけないという決まりがあるからだ。

 

 野菜、果物、穀物・・・・・・それぞれの農地が急速に拡大している。

 だが人間、フレンズあわせて十数万人もの人口を完全に自給自足で養えるようになるには足りず、輸入に頼らざるを得ない部分も多々あった。

 カコ代表はこの現状にまったく満足していない。

 ゆくゆくは、作物の完全自給自足を目指しているようだ。

 さらには電気などのエネルギー、鉄鋼などの建築資材についても、ジャパリパーク内だけで賄えるようにせよというお達しが下っている。

 

 しかしアマーラが今担当している仕事は作物の栽培ではなかった。

 彼女にとっては念願と言ってもいい、ジャパリパーク初の「花畑」の建設作業だ。

 生存に必須ではない花の栽培は、これまで長年に渡って後回しにせざるを得なかった。

 作物の生産体制が一通り確立された段階で、ようやっと花の栽培のプロジェクトが始動した。今からたった2年前のことだ。

 食料にならなくても、花は見る者の心を和ませる。

 住民たちの暮らしをさまざまな場面で彩るだろうし、フレンズたちだってきっと喜んでくれるだろう。

 

 主任の1人に抜擢されたアマーラは、寝る暇も惜しんで懸命に仕事に打ち込んでいた。

 ジャパリパークにおける花畑の建設は、ただ土地を開墾して花の種を植えればいいという話ではない。他の作物とは根本的に違う、ある難しい条件を抱えているのだ。

 まず当然のことながら、普通の畑ならば育てる作物は一種類で良い。

 人工衛星のレーザー照射設定も畑ごとに個別に行えばいいし、後は適切な土壌改革が行われれば、作物を育てられる条件が整うことになる。

 

 が、花畑はそうもいかない。

 バラだけが並ぶバラ園、ひまわりだけが並ぶひまわり園・・・・・・なんて要領で作っていては、たちまち作物を育てるための土地を逼迫してしまう。

 限られた土地に、出来る限り様々な品種を育てられるようにするしかない。

 それを可能にするための条件を整えることは非常に難しいことのようだ。

 ようは土壌の環境とレーザー照射を、適切な設定で組み合わせる必要があるわけだが、何度組み合わせ実験を行おうとも失敗に終わっていた。

 

 しかしアマーラは情熱を燃やしてトライし続けた。

 その思いがついに実を結び、理論上は半径数キロメートルのエリア内に、3千種もの花々が自生出来るようになる組み合わせを見つけたのだという。

 後は小規模な実地試験を行った後に、本格的に稼働させる予定だという。

 

 アマーラは「いつかアムールトラが目を覚ました時に”あの花畑”を見せてあげたい」と口癖のように語っていた。

 彼女とアムールトラの思い出の地である、南アフリカとナミビアの国境付近に広がる「奇跡の花畑」のことだ。あの場所が今回作られる花畑のモデルになっているのは聞くまでもないだろう。

 

 夢の実現を目前にして、アマーラはいっそう鬼気迫る働きぶりを見せていた。

 今日だって非番なのにも関わらず職場に赴こうとしたのを、シガニーが何とか止めたぐらいだ。

 彼女がこんなのにも焦るのは、アムールトラとのことだけじゃないだろう。

 きっと僕がこんな体になったことも関係しているはずだ。

 僕が死ぬ前に何とか完成させて、成果を見届けてほしいんだと思う。

 まあそれを彼女に問うことはなかったが・・・・・・気まずくなるだけだし。

 

(おや、あれは?)

 

 風景をぼんやり眺めていると、向こうの丘の上にふたつの人影が頭をのぞかせるのが見えた。

 2人して活発な足取りで丘を乗り越え、あぜ道を進むと、やがて僕の家の前で足を止め、ウッドデッキの上にいる僕に向かってペコリとお辞儀をした。

 

「お久しぶりですヒグラシ先生、お体の調子はいかがですか?」

「わふ! こんにちは! 先生!」

「・・・・・・おお、よく来たね。ハルカ君、イエイヌちゃん」

 

 落ち着き払った1人は、緑がかった黒髪を持つ人間の少年。

 元気いっぱいのもう1人は、白い毛並みとグレーの衣服を身にまとったイヌのフレンズだった。青色の右目と、橙色の左目を見開いてニッコリと笑っている。

 2人が玄関先で挨拶するなり、訪問者の到来を察したシガニーとアマーラが、家の中から驚いた様子で出てきた。

 

「ま、まあっ! ぼっちゃん、急にどうして?」

「・・・・・・もちろん、先生のお見舞いに。もしお邪魔でなければですが」

「わふ、これ見舞い品です」

 

 アマーラにぼっちゃんと呼ばれたことに多少複雑な顔をしながらも、ハルカ君は礼儀正しく頭を下げて答えた。

 そしてイエイヌちゃんは、ネットの中にぶら下げていた、まるまる太ったスイカを両手に掲げて見せてくれた。

 さらによく見ると、彼女の鼻がくんくんと忙しなく動いているのが見える。

 

「あの、あの、もしかしてお昼ごはんの準備してました? 良かったら、お手伝いしましょうか?」

「ええ!? イエイヌちゃんが手伝ってくれるの?」

 

 シガニーとアマーラが小躍りするように喜ぶと、快くイエイヌちゃんを家の中に招きいれた。

 腕をまくるような動作でやる気を見せつけながらウッドデッキの階段を上がってドアをくぐるイエイヌちゃん。

 今日のお昼は僕ら家族3人と、ハルカ君とイエイヌちゃんを交えて食卓を囲むことになった。

 

 今の明るい様子からは想像さえ出来ないが、イエイヌちゃんもまた暗い過去を持つフレンズのうちの1人だった。

 白い体と、左右で瞳の色が違うという特徴が示すように、彼女はかつてCフォースにて作られた「ハイブリッド」と呼ばれる、ヴェスパーの非人道的行為の果てに生まれた存在だった。

 

 彼女が見つかったのは、戦争が終わってから何年も経ち、Cフォースの名前なぞもう誰もが思い返すことが無くなったような時期だ。

 世界中のCフォース研究所の接収、解体がとっくに終わったかと思われていたのに、また新たな研究所が発見されたのだ。

 ジャパリ・ユニオンによる探索が行われた際に、ひどく朽ちた研究所の内部で、彼女は冷凍保存された状態で眠っていた。

 解凍、蘇生処置を経て何とか生き返り、ジャパリパークに送られることになった。

 

 実戦を経験することなく冷凍されていた彼女だったが、もちろんVRにて一通りの戦闘技術は仕込まれていることと思われる。

 しかしハイブリッドが持つと言われている特異な才能は、戦闘とはまったく別の分野で発揮されることになった。

 ・・・・・・それは料理だ。

 彼女はああ見えて、人間も含めてジャパリパーク内で一番料理が上手いと言われている名コックだった。

 イヌ科の鋭い嗅覚が成せる技なのかわからないが、一度味わった料理は完璧に再現し、そこからさらにレシピを発展させる魔法のような腕前を持っている。

 数種類の調理師免許も取得しているようだ。

 

 ジャパリパークで働くために、半ば強制的に菜食主義に転向したスタッフが多い中で、彼女の料理がどれほど有難がられたことか。

 ・・・・・・ほんとうに、誰も傷つけない、周りの全てを幸せにする素晴らしい才能だと思う。

 

________ぐうう・・・・・・

 

 盛大に鳴った腹の音の主はハルカ君だ。

 イエイヌちゃんの絶品料理に待ち焦がれている気持ちはわかる。

 恥ずかしそうに「ごめんなさい」と謝ってきた彼に対し、僕は「若い証拠じゃないか」と笑いながら返した。

 彼は家には入らず、僕とともにウッドデッキに残り、タブレット端末を取り出して、写真を見せながら色々な最近の出来事を聞かせてくれた。

 

 ・・・・・・ハルカ。久留生 悠。

 姓が示すとおり、彼はカコ代表の息子だ。今年で確か14歳になる。

 その緑がかったサラサラとした黒髪が、母親との血のつながりを強く感じさせる。

 男らしさを感じさせない線の細い佇まいと、垂れ目がちの柔和そうな顔立ちの組み合わせは中性的と言ってもいい。

 だが決してひ弱ではなく、瞳には意志の強さを感じさせる光が宿っている。

 

 彼はジャパリパークにおいて最初の「島」(セントラル)が出来るのと同じような時期に生まれた。

 カコ代表にとって仕事にちょうど一区切りが付いた時期だっただろう。

 さしもの彼女も、妊娠後期から出産直後といった期間は休まざるを得ず、何人もいる秘書や召使をメッセンジャーに使う形で仕事をこなしていた。

 

 彼が生まれて数年は、父であるカコ代表のパートナー「久留生 時夫」さんが彼を育てていた。

 僕も何度か時夫さんと話したことがある。優しく誠実そうで、何よりカコ代表のことを深く愛していることが伝わってきた。

 だが、なんというか、カコ代表と連れ添うには余りに平凡という印象を持ったのも確かだった。

 

 ・・・・・・嫌な予感は当たるもので、ほどなくして家庭が壊れることになった。

 とつぜん時夫さんが失踪した。離婚の手続きさえ済ませぬまま、船を出してジャパリパークから消えてしまった。

 今となってはどこにいるのか、生きているのか死んでいるのかすらもわからない。

 そしてカコ代表は夫の失踪にもまったく取り乱すことなく仕事に没頭した。

 己の持てる全てをジャパリパーク創造に傾けるあまり、一人息子のハルカ君に目を向けることさえなかった。

 きっと彼は召使いたちに世話されながら寂しい幼少期を送ったことだろう。

 

 ハルカ君は僕の生徒でもあった。

 つい最近引退することになったわけだが、いちおう僕はジャパリパークにおいて教育に関することは一手に引き受ける立場だった。

 フレンズだけでなく、スタッフのご子息たちも僕が経営する島内の学校で教えていた。

 人間とフレンズとでは精神の発達スピードに倍以上の開きがあるために、まったく別のカリキュラムで、校舎すらも別にしていた。

 

 早熟なフレンズは早々に学問への興味を失った。

 人間とのやり取りをしたり、書物などから必要な情報を得るために、最低限の読み書きさえ出来ればいいという感じだ。

 たとえ知能は人間と変わりないとしても、人間と同じように学問を深めることに喜びを見出す者はいなかった。

 やがて彼女らは自分の中の野生と向き合うようになる。

 どのように自分の体を動かせばいいのか? どのように母なる自然と関わればいいのか?

 その問いはフレンズの命題とも言い換えてもいいだろう。

 

 僕の仕事は、彼女たちが答えを出す手伝いをすることに他ならなかった。ずっと前、Cフォースにいた頃からそうすべきだと思っていた。

 答えを見つけた彼女たちに、それぞれの進路を指導した段階で教育は終了となる。

 ・・・・・・アムールトラはやっぱり空手の先生になりたかったのかな。クズリは競い合うのが好きだから、アスリートでも目指しただろうか・・・・・・

 

 いっぽうで、人間の成長はゆっくりだ。

 何年もかけて勉強する必要がある。世界中の学校教育と変わりないカリキュラムを組まねばならない。

 なんとかハイスクール卒業相当の学力は付けられるように教員の確保に取り組んだが、それ以上の学位を望む者は、海外への留学を個々の家庭において行ってもらうしかない現状だ。

 ・・・・・・だが昨今の不安定な社会情勢では無理だ。僕の腕では子供たちに先進国と同等の教育を授けることはできなかった。

 

 話は色々とずれたが、ハルカ君も他の子供たちと変わらずに学校で学んでいた時期があった。

 しかし彼の孤独を埋めることは叶わなかった。

 あの母親にしてこの子あり。血は争えないというか、彼はいわゆる天才児であり、周りの子供との違いが幼い頃から際立っていた。

 

 僕自身の手で彼にいくつかの知能検査を実施したことがあるが、そろって測定不能という結果が出た。

 一般に出回っている検査では、IQ150以上を測ることは出来ないように作られているからだ。

 ・・・・・・手ごたえではIQ180から200ぐらいはあるように感じた。アインシュタインとかその辺りと同等の驚くべき数値だった。

 

 周りの子供たちも最初はハルカ君と友達になろうとしていたが、やはり見えない壁のような物を感じて彼のことを遠ざけた。

 かと言って別の校舎で学ぶフレンズたちとは関わりが薄く、彼の方から仲良くしようという流れにもならなかった。

 彼は自分を理解してくれる存在がいることを知らず、誰にも心を開こうとしなかった。

 気遣う周りの大人たちの声掛けも、額面通りの模範的な受け答えであしらうだけだった。

 後はただひたすら教室の隅で、難しい物理学や化学の本を読んで過ごしたりしていた。

 

 そんな折、彼の家には新しい家族がやってきた。

 新しくジャパリパークに保護されることになったイエイヌちゃんだ。

 24時間共に過ごしてくれる家族が出来たことが、孤独だった彼の世界を変えた。人間には感じた壁もフレンズには存在しないことに気付いたようだ。

 以来2人はどんな時でも一緒に過ごす親友となった。

 またハルカ君が他のフレンズたちとも仲良くなる切っ掛けになったようだ。

 

 時が経つにつれて、ハルカ君の学力はめざましく向上していった。

 あっという間に学校で教えられることが無くなり、その後は独学にて学ぶようになり、果ては大学の修士さえ通信課程にて獲得してしまった。

 ハルカ君の専門は量子力学だ。サンドスターが物質にどのように働きかけているのかを解き明かそうと言うのが彼の試みだった。

 世界最高峰と言われるイギリスの学会にて、彼の論文が取り上げられた時には、ちょっとした騒ぎが起きたほどだ。

 ・・・・・・もっともカコ代表は、大手柄を残した息子に、ねぎらいの言葉のひとつさえ掛けなかったと言うが。

 

 14歳にして学問を一通り極めたハルカ君は現在、大人たちに混ざってジャパリパークの開拓に勤しんでいる。

 カコ代表との関係が冷え切っていることには変わりないが「色んな親子がいるから」と割り切り、それを差し置いても「母の仕事は世の中に必要なことだから」と大局的に物事を考え動いているのだ。

 

「・・・・・・ほう、ついにキョウシュウにも基地が出来たんだね」

「はい。もう少しで本格的な調査が始められます」

 

 大まかに言って、ジャパリパーク職員には3種類の部署がある。

 観測部署、建築部署、農業部署がそれだ。

 10万平方キロメートルもの面積を誇るジャパリパークだったが、人間やフレンズが住めるように開発が加えられた土地はその内のごくわずかな範囲でしかなく、大半は手つかずの領域だった。

 

 サンドスター・ボムによって海底火山を人為的に噴火させる。

 噴火の内容物が、海中に張り巡らされたマイクロファイバー・ネットと癒合する。

 海中に帯状に現れた溶岩状の地殻に対して、人工衛星からの特殊なレーザー照射による急速な冷却を行う・・・・・・

 

 以上の3サイクルを行えば、自然な陸地形成とは比較にならないほどの短期間で、陸地を海上に出現させることができる。

 が、しかし、難しいのはここからなのだ。

 人間やフレンズ、その他の動物が住めるような環境にするためには、長い年月をかけた地道な努力が必要だった。

 

 手つかずの領域にはまず観測部署が赴く。

 その土地の詳細な地形や、土壌のサンドスター濃度も含めた地質情報、自生する植物など様々なデータを収集する。

 ハルカ君も無数にある観測部署の班の一つに所属している。

 

 観測部署が持ち帰ったデータを元に、建築部署が住居やインフラ設備を建てることにより、人間とフレンズが定住できるエリアを少しずつ広げていく。

 アマーラがいる農業部署は、定住可能エリアにて、皆の食料となる作物の生産に日々勤しむ。

 ・・・・・・と、3つの部署はこのようにして、土地の開拓に欠かせない行程を部署単位にて効率的に行っている。 

 もちろんのこと、人間だけでなくフレンズも仕事に携わっている。それぞれの特性を発揮して、人間と手を取り合ってジャパリパーク開発を行っているのだ。

 

 どの部署も責任とやりがいに溢れた仕事であることには変わりない。

 ・・・・・・が、人気の職種というものはどこの世界にも存在するもので、ジャパリパークにおいては観測部署がそれだった。

 未知の領域を調査するという業務内容が、若者のフロンティアスピリッツをおおいに刺激するであろうことは想像に難くない。

 

 半ば取り合いのような状況になっており、観測部署に配属されることはエリートの証明みたいになっていた。

 そんなエリートたちの中で、14歳のハルカ君は大人に混ざって最前線で仕事をこなしていた。

 

「みんな元気そうだね」

「はい。X班は素晴らしいチームです」

 

 タブレットが一枚の写真を映し出す。

 ハルカ君も含めた複数の人間とフレンズが映っている。

 彼らが肩を並べている背後には、虹色の煙を噴き上げる巨大な山がそびえ立っている。

 

 ここ最近では一番新しくできたとされるキョウシュウ島には、驚くべきことに、海底ではなく陸上に火山が存在することが確認されている。

 ジャパリパーク初の出来事であり、かの島においてどのようなデータが観測されるか本土でも注目が集まっていた。

 そして選りすぐりの人材を集めてX班を作り、調査へと派遣することになった。

 

 ハルカ君たちX班はつい最近、キョウシュウ島のもっとも条件のいい場所にベースキャンプを作る所までは出来たようだ。

 本格的な調査に乗り出す前に、休息と物資の補給も兼ねて、ここホンシュー島のセントラルベースに戻ってきたというのだ。

 

 この写真は新たに立ち上げた基地の傍で撮ったものだと言う。

 写真の中でもひと際目を引くのは、くしゃっと屈託のない笑顔で笑う金髪碧眼の白人女性だ。

 黒いタンクトップに迷彩柄のカーゴパンツという極めてラフな出で立ちが、不思議とお洒落に思えてしまう程の美人だ。

 

 彼女の名はカレンダ・アルマナック。

 かの元アメリカ大統領夫人イーラ・C・アルマナックを曾祖母に持つ、天上人と呼んでも差し支えない名家の出身でありながら、幼い頃からの動物好きが高じてジャパリユニオンに入った経歴の持ち主だ。

 明るくお転婆な性格で、生まれの高貴さを鼻にかけることもなく、誰に対してもフレンドリーに接する彼女は、そのグラマラスな美貌も相まって、若い男性スタッフの間ではアイドル的な存在として扱われていた。

 

 写真の中に注目の人材はもう一人いる。

 ハルカ君の隣で微笑みを浮かべている、襟や袖口に迷彩をあしらった白いジャケットに短パンというサファリルックの少女だ。

 アンダーリムの眼鏡がチャームポイントで、とても賢そうな顔立ちをしている。

 その黒髪はハルカ君のそれよりも更に色素が薄く、日に当たる部分が薄緑色にも見える。

 

 彼女の名は八重山 未来。

 カコ代表とは遠い遠い親戚筋に当たる家の出身らしい。ジャパリパークスタッフの若手の中でもとりわけフレンズに対する愛情が深く、絶大な信頼を集めている人物だ。

 観測チームの中でもハルカ君に並んで将来を嘱望されている優秀な人材でもあった。

 

 X班は人間だけでなくフレンズの優秀さも際立っている。

 ハルカ君のバディであるイエイヌちゃんだけでなく、20年前の戦争にて名を知られたパンサーとメガバットもいる。

 この2人のフレンズは現在のジャパリパークにおける最強戦力だろう。

 戦争の中で四肢を失うという重傷を負ったメガバットだったが、今は視力以外は完全に回復を果たし、相棒のパンサーと共に未知の世界での冒険に勤しんでいる。

 

 ・・・・・・それにしても、フレンズの中では最古参の部類であるパンサーとメガバットだったが、写真に映る彼女たちをジッと見てみても、20年前と比べて見た目に何ら変化はないことがあらためて不思議に思える。

 フレンズの肉体は不老不死なのか、あるいはそれに近い性質を持っているのかもしれない。

 彼女たちより長く生きたフレンズがいないので、今は立証しようがないことだが、未来においてはフレンズの寿命について解き明かされる日が来るだろう・・・・・・。

 

 ハルカ君たちを見ていると、改めて自分が長く生きてきたことを実感させられる。

 20年もの歳月が過ぎれば、当然のことながら世代交代が起こる。

 X班に集められた人材は、間違いなく将来のジャパリパークを背負って立つ者ばかりだ。

 新たに集まった若き才能たちが力を結集することにより、難局を切り開いて未来を勝ち取っていくことだろう・・・・・・。

 

「ところでハルカ君。ミライさんとは最近どうだね?」

「え・・・・・・だ、大事な仲間ですよ。たくさんのフレンズに慕われてて、僕の知らない色んなことを知ってて、尊敬しています」

 

 さりげない風を装って誤魔化すが、頬がしっかり赤らんでいる。

 ハルカ君のミライさんに対する好意は明らかだ。

 ・・・・・・が、まだまだ彼にとっては「憧れのお姉さん」止まりのようだ。

 奥手な彼が好意をはっきりと口に出来るようになるには時間がかかるだろう。悩んだり、立ち止まったりしながら距離を詰めていくのだろう。

 若いっていいなあ。

 

「わふ! お待たせしました!」

 

 ハルカ君としばし懇談していると、イエイヌちゃんが戸を開けて呼びかけてくれた。

 居間に入った瞬間飛び込んできたのは、テーブルに並べられた、見た目も香りも素晴らしいヴィーガン料理の数々だ。

 

 ここでイエイヌちゃんにひとつ申し訳ないことをしたのに気付く。

 ・・・・・・この家には人間しか住んでいないので、フレンズの胃袋を満たせるほどの食料は用意していないのだ。

 だから彼女には料理に加えてフレンズ用の人工保存食で腹を満たしてもらうことにした。

 近隣の畑で働くフレンズたちのオヤツ用にと思って保存食を貯蔵しておいてよかった。

 

 とにもかくにも手を合わせて早速食べ始める。

 主食はアフリカの伝統的な煮込み料理ワットだ。アジア・西欧で知られる所のカレーのようなもので、甘辛い味付けが食欲をそそり食べ応えは十分だ。

 ほかにも数種の餡や具材をレタスに包んだ副菜がある。

 デザートには、持参したスイカを使ってシャーベットやピューレなどを作ってくれていた。

 

 中でも絶品なのが野菜の天ぷらだ。中でもこのレンコンときたら特筆に値する。

 カラリと揚がった軽やかな衣を噛んだ瞬間、中のみずみずしい果肉が弾け、レンコン特有の滋味が余すことなく広がってくる。

 ・・・・・・正直な話、僕はレンコンの天ぷらは昔からの好物で、自分で作ったりシガニーに作ったりしてもらっていたが、これほどの物は食べたことがない。

 

 イエイヌちゃんの料理は、材料が高級だったり、手順がとくべつ複雑だったりということはない。テーブルに並んでいる品々も、家庭料理の域を出るものではない。

 ただ火の通し加減ひとつとっても、材料の旨味を引き出す絶妙なタイミングを見切っていて、素人には決してたどり着ける領域のものではないのだ。

 

 だがせっかくのごちそうも、今の僕は少し食べただけで体が受け付けなくなってしまう。

 もしいまも健康な体だったなら、滅多に食べられないイエイヌちゃんの料理を腹いっぱい食べてみたかった。

 ・・・・・・まあいい。代わりに成長期のハルカ君や、働き盛りのアマーラの見事な食べっぷりを見て溜飲を下げることにしよう。

 

 みるみるうちにテーブルに置かれた皿が平らげられていき、食後のティータイムとなった。

 イエイヌちゃんは料理だけじゃなくて、紅茶やコーヒーを淹れることについても右に出る者がいないのだ。

 

 ティーカップに注がれた紅茶を一口、二口と少しずつ啜っていく・・・・・・大げさな表現になってしまうが、心が洗われるような深い安堵感をおぼえる極上の一杯だ。

 惜しむように杯を空にすると、深いため息が自然と漏れ出た。

 ・・・・・・美味しいものを食べてこその人生、なんてことを誰かが言っていたっけ。

 たとえこれが最後の晩餐になっても悔いはない。本気でそう思った。

 

「いや~満足だ。すばらしかった。ごちそうさま」

「わふ! どういたしまして!」

  

 誰もが美食の余韻に浸ったために居間が静かになる。

 それと同時に、部屋の角に設置されたテレビの音声が大きく聴こえてきた。 

 

《あの人達は動物愛護というものを根本からはき違えているような気がする》

《なんというか、得体の知れないカルトみたいな団体ですよ。私たちの暮らしも知らずに、フレンズばっかり優遇して》

 

 お昼のニュースが映っている。

 どこかの国の街灯のインタビューで、道行く人々がリポーターの質問に答えている。

 ジャパリユニオンの活動は、市井の人々にとっては決して好印象に映るものではなかった。その資金や技術力をフレンズのためではなく人間のために使うべきだと言う声が年々増えていた。

 ・・・・・・もちろんカコ代表は「ユニオンはフレンズの保護団体だ」と全く耳を貸すつもりはないようだった。

 

「チッ」

 舌打ちしながらリモコンを手に取るシガニー。せっかくの余韻が台無しと言わんばかりにテレビの電源を切ってしまった。気まずい沈黙が訪れる。

 

「・・・・・・あ、あの」

 

 そんな折、ハルカ君がおずおずと口を開いた。

「ヒグラシ先生と2人きりで、小一時間ばかりお話させてもらいたいのですが・・・・・・じつは、今日は来たのはそのためでもあったんです」

 何かを深く思い詰めているような迫真の表情でそんなことを言うので、その場にいる誰もが唖然とさせられる。

 言い終えてから、彼はさらにもう一度ふかぶかと頭を下げ「ぶしつけですが、お願いします」と念を押してきた。

 

 改まってなんだろう? 僕に話とは? 

 イエイヌちゃんを見ると、彼女も初耳と言わんばかりにポカンとしている。家族同然のイエイヌちゃんにもまだ話していない、知られたくない内容なのだろうか。

 

「仕事の資料をまとめなくちゃ・・・・・・ごちそうさまでした」

 と、最初に立ち上がったのはアマーラだ。

 ぱぱっとテーブルを片づけ洗い物を済ませてから自室へと戻っていった。

 

「・・・・・・そうだ、イエイヌちゃん、天ぷらを上手に揚げるコツを教えてくれないかい? アタシゃどうも揚げ物って苦手でね」

「わふ、わかりました! お安い御用です」

 シガニーがおもむろにイエイヌちゃんを誘って、2人してまたキッチンに立つのだった。

 

 聞き入れてくれた彼女たちを後目に、とにもかくにもハルカ君の話を聞くために彼を自室に招待した。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________

哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(ハイブリッド)」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
年齢:74歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」元教育省長
「久留生 悠(くりゅうはるか)」
年齢:14歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」観測部署職員
「シガニー・日暮(Sigourney Higurashi)」
年齢:62歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」教育省職員
「アマーラ・日暮(Amara Higurashi)」
年齢:30歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」農務部署職員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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過去編最終話 「あるいっしょうのおわりに」

「お見苦しい所で済まないが」と、ハルカ君を招き入れながらドアを閉める。

 

 寝室には私とシガニーのベッドがそれぞれ並んでいたが、普通のベッドでしかないシガニーのそれとは違って、僕のはギャッチアップ機能を備えた手すり付きだった。

 ベッド脇のナイトテーブルにはいくつもの薬の瓶や血圧計なんかが乱雑に置かれていて、何とも言えない薬臭さが充満している。

 いかにも病人の寝床といった有様だ。

 

 ・・・・・・が、ここでなら2人きりで思う存分話すことができるだろう。

 ハルカ君は青ざめながら重苦しいため息をついている。一体これから何を話してくれるというのだろう?

 

「・・・・・・セルリウムという素粒子のことをご存じでしょうか?」

「いいや。何のことだい?」

「サンド型ニュートリノ粒子・・・・・・サンド線が反物質化し、大気中においても安定した状態となったもの。それがセルリウムというそうです」

 

 静かな口調で、謎の言葉について語りだすハルカ君。

 セルリウムという物は聞いたことがないが・・・・・・サンド線、もといサンド型ニュートリノ粒子のことについては僕も良く知っている。

 かつてそれは僕の専門領域だった。

 フレンズの誕生に関与する放射線だ。

 空気中では存在することが極めて難しく、空気中に暴露したところで大抵はすぐに分解されて消えてしまう。

 

 が、ごくまれに強い波長を持ち、可視化できるほどの光を伴いながら、ごく短時間だけ空気中を漂うことがある。

 それがサンド線の重粒子たる状態。つまりサンドスターだった・・・・・・

 天文学的な確率で出現したサンドスターが、生命体に取り付くことで異常な細胞分裂を促し、ごくまれにヒト型の特殊生命体フレンズへと変異させるのだ。

 

 補足的な情報になるが、体内のサンドスターにてエネルギー変換を行うためには、肺呼吸によって酸素循環をする必要がある。

 このような事情から「肺呼吸すること」がフレンズ化の前提要因となる。

 肺呼吸を行う爬虫類、鳥類、哺乳類・・・・・・いずれかの種族でなければフレンズになることはできない。

 エラ呼吸を行う魚類や、全身にある気門によって呼吸を行う節足動物では、サンドスターを用いたエネルギー変換には不向きなのだ。

 

 フレンズの体内に宿るサンドスターは、いわば微小かつ無数の核融合炉のようなものであり、摂取した食料などから得られるカロリーを、驚くべき変換効率にて運動エネルギーに転化する働きを備えている。

 ・・・・・・それが彼女たちの途轍もない身体能力の秘密だ。

 彼女たちの肉体から、常に微量のガンマ線などが放出されている理由。

 それは、エネルギー変換を行った際の余剰物を、呼吸などから排出しているためだ。

 

 人工的にサンドスターを生み出すことは現在の技術では不可能だった。

 大がかりな機器を用いて、屈折率と波長パターンを疑似的に再現したところで、不完全なサンド線を作るのがせいぜいだった。

 空気に触れない密閉された容器の中で、肺呼吸生物の死体にサンド線を浴びせる。

 そうすることで人為的にフレンズを作り出すというのが、かつての僕の仕事だった。

 

 原発事故などで流出したガンマ線に、近隣の住民が被ばくするといった事件が何十年も前から社会問題になっている。

 が、あのような事態がサンド線で起きるとは考えにくい。

 たとえサンド線がサンドスター状態になったとしても、宿主を見つけられなければ短時間で分解されてしまうはずだ。

 

 また、ジャパリパークに住んでいる僕らは、常日頃からサンド線を含んだ土壌にて栽培された作物を口にしているが、それで健康に問題が起きることもない。

 観測部署が何度も検証し安全性を確認している。

 

 このことについて説明するためには、そもそも植物というものが成長する機序から語る必要があるだろう。 

 ごくわずかな例外はあれど、植物は基本的に光合成をしなければ育つことが出来ない。

 生き物が呼吸するのと同じように、日光、水、二酸化炭素を用いたエネルギー変換を、種として生まれてから枯れるまで繰り返すことを宿命づけられている。

 

 そしてサンドスターは植物の光合成にも関与する。 

 フレンズの肉体同様に、常識を超えたエネルギー変換効率を得た植物は、驚くべきスピードで成長を遂げる。

 根を伸ばし、葉を茂らせ、次の世代に命を繋ぐために実を付ける。

 が、成長の過程において出現したそれらの部位にサンド線が残留することはほぼ全くないと言っていい。 

 

 どうやらサンド線は何か別の物質に変異した段階で消えてしまうらしい。

 植物が光合成によってタンパク質やビタミン、ミネラルなどを取り出した段階で、成長を遂げた葉緑体からは消滅してしまうのだ。

 

 理屈の上では、作物の栽培を繰り返すごとに、土壌に含まれるサンド線が減少してしまうことになる。しかしこの20年間定期的に測定された結果によると、ほとんど数値の減少は見られていないらしい。

 計算では、人類が化石燃料を使い切ってしまうよりもずっと長持ちするだろうとのことだった。

 やはり変換効率が抜群に優れているからだろう。

 フレンズの肉体がなぜ半永久的にサンド線を保持し続けるのかは謎が多いが、遺伝子レベルでサンド線を生成できる酵素を備えている可能性が高いと僕は見ている。

 

 とにもかくにも、サンドスター、もといサンド線は空気中に安定して存在することが難しく、土壌に含まれたとしても人体に害を与える可能性が極めて低いと言って良い特殊な放射線だ。

 

 と、このように、サンド線のことに関しては我ながら指折りの識者であるという自負がある。

 しかしサンド線の反物質セルリウムなどという物はついぞ発見することは出来なかったし、存在しているとも思っていなかった。

 

「いったいどういうものだい?」

「はい、それは・・・・・・」

 

 セルリウムはサンドスターとは真逆の性質を持ち、大気中においても安定した状態を得ている。

 つまり空気中で減衰、消滅することがなく、すでに世界中の大気にバラ撒かれてしまっているという。

 

 既存のガイガーカウンター等では測定が不可能であり、極めて高い透過力を持っているために遮断することも出来ない。

 サンドスターが光り輝くのとは対照的に、その見た目は黒色でススや埃などと区別が付きづらい。その目立ちにくい外観からは、有毒な放射性物質だと判断することも難しい。

 そのために今まで発見されることなく放置されてきたのだというのだ。

 

「フレンズの誕生にサンドスターが関与しているのと同じように、セルリウムはセルリアンの誕生に関与していると考えます」

 

 表裏一体の性質を持った二つの物質が同時期に地球上に出現し、競い合うようにして世界中に分布を広げていったのだとハルカ君は推理する。

 ・・・・・・そして、その延長線上にあるのがフレンズとセルリアンなのだと。

 ふたつの種族の戦いは、いわばサンドスターとセルリウムの代理戦争であり、どちらかが滅びるまで戦い続ける運命にあるのだと。

 

 サンドスターは既存の生命体に取り付き、宿主に爆発的な成長エネルギーを与える。

 フレンズは自身の中にある本能や意志に応じてサンドスターから加護を受ける。

 アムールトラやクズリのように、己を研ぎ澄ませたフレンズほど強大な力を得る・・・・・・やがて自分自身ですら制御しきれなくなるほどの力を。

 

 いっぽうのセルリウムは宿主を求めることなく、無の中から新たな生命体を創造し、それをある一定の法則の中で使役する。

 セルリウムの基本原理は「再現すること」に他ならないという。

 原始的なアメーバから始まり、動物、植物、果ては機械類に至るまでを再現し、自己増殖のための雛形とする。

 無限のトライアンドエラーを繰り返し、より優れた生命の在り方を模索する生命体・・・・・・それがセルリアンなのだと。

 

「ま、待ってくれ! 僕にはとても理解が及ばない。セルリウムが存在するという根拠は何なんだ?」

 

 熱に浮かされたように話し続けるハルカ君を制止する。

 言っている内容があまりに突拍子もないからだ。

 いかに彼が優れた頭脳を持っていようとも、往年の学説を根本から否定するような内容には簡単に賛同できない。

 

「根拠は・・・・・・母のメモです」

 

 ハルカ君がその時のことを、今しがた体験したことのように語りだす。

 ある日、彼が暮らしている家で、その出来事は起こったという。

 上層のジャパリパーク職員が立派な居を構えるセントラルタウンの住宅地の中でも、組織のリーダーであるカコ・クリュウ女史が住まう邸宅は、別格の敷地と厳重な警備を持つ豪邸だ。

 

 多忙を極めるカコ代表が自宅に戻るのは、1か月に一度あるかないかの稀な出来事だった。

 そして母親ほどではないにせよ、ハルカ・クリュウ少年もまた、観測部署のメンバーという職を得た今となっては、生活のほとんどの時間を外での仕事に費やしていた。

 

 そんな冷え切った関係である母と息子が、ある日顔を合わせることになったという。

 カコ代表がハルカ君のことを呼び出したのだ。仕事の進捗状況を報告させるためだったという。

 仕事上で得られた情報などはすべてデータ化して提出しているはずなのに、何故わざわざ口頭で伝えなければならないのか、とハルカ君は疑問に思ったそうだ。

 が、反抗する理由もなく、とにもかくにも言われるがまま、普段は固く閉ざされたカコ代表の執務室に向かった。

 

 彼が部屋に入った時、カコ代表はデスクに座って外の景色を眺めながら、部下の誰かと電話をしていたという。

 電話が済むまでは待ちぼうけだ・・・・・・そんな時、謎のメモを見つけたという。

 埃一つなく磨かれた応接用の机の上に、古ぼけたノートが不自然に置かれていたというのだ。

 ハルカ君は良くないと知りつつもノートを手に取った。しかし電話に気を取られていたカコ代表は息子の盗み見行為に気付くことはなかった。

 

 中には複雑な数式がびっしりと記載されていたという。

 一般人がそれの意味を理解することは困難だったろうが、ハルカ君ならば話は違った。

 彼は以前から自分流の思考実験を繰り返していた。

 サンドスターに近しい、しかし性質の異なる物質が存在するのではないかと思い当たり、数式にて立証しようとしていたが、最後の詰めの時点で破綻が生じてしまい上手く行かなかったという。

 

 ・・・・・・ノートの中にはあろうことか、ハルカ君の思い描いていた数式と同じ物が書かれていたというのだ。それも完璧な形で。

 彼にとっては、とてもじゃないが冷静ではいられなくなるほどの衝撃の体験だった。

 ノートを垣間見たのは、時間にしてみれば僅かな間のことだったが、彼の脳内は数式を完全に記憶したという。

 

 そういえば彼には、幼い頃、ある種の瞬間記憶能力のような物があったことを思い出した。

 成長するにつれて失われたとばかり思っていたが、念願の数式を忘れんとする情動が再び眠れる能力を掘り起こしたというのか。

 

「わ、わかった。ひとまず信じよう・・・・・・それで、セルリウムが実在するとして、君はそこからどのような事態を予見する?」

「・・・・・・セルリウムは、人類を絶滅させます」

 

 静かな口調で、ぞくりと肌を刺すようなワードを告げるハルカ君。

 昨今の人間社会の衰退に関する話だ。

 人体に蓄積したセルリウムは生物濃縮を起こし、その汚染は子を成すごとに濃くなり、遺伝子障害を引き起こす。やがて子孫を残せる個体が途絶する。

 それは人類絶滅に向かって突き進む片道列車だった。

 

 ハルカ君の予想では、およそ100年から200年の間に人間は絶滅の危機に見舞われるだろう、というものだった。

 人類絶滅に伴って多くの生物種も滅ぶ。

 だが、フレンズ化することが出来た動物や、セルリウムによって生み出されたセルリアンたちは繁栄を謳歌する。

 植物も問題なく生い茂り、サンドスターとセルリウムの争いの枠外に位置する魚類や節足動物も変わりなく生きていくだろう・・・・・・と。

 

「そう、か」

 一通り話を聞くと、目を閉じて思案を巡らせた。

 人類の待ち受ける運命いかんに関わらず僕はもうじき死ぬ。

 だが残されたシガニーやアマーラたちに幸せに生きてほしいという想いは強い。

 これから彼女たちがどんな苦境を辿るか、考えただけで胸が張り裂けそうになる。

 

 しかし同時に「避けようがないこと」と、諦念めいた気持ちにもなってくる。

 人類はついぞ失敗から学ぶことがなかった。自らを万物の霊長であると驕り、自然を弄び、核を弄び、しまいにはフレンズを弄んだ。

 これがその報いなのだとしたら、甘んじて受け入れるしかないではないか。

 

「僕はいやだ。滅びたくなんかない・・・・・・」

 

 ハルカ君は諦めるつもりはないようだった。

 どのような時代であっても若者には未来を輝かせる権利があるはずだ。

 そのうえ彼には持って生まれた特別な才能がある。それが発揮されないまま終わることがどんなに悔しいことかは察するに余りある。

 

「君はすでに人類を救う手立てを考え付いているとみるが?」

 おもむろに思ったことを聞いてみた。

 ハルカ君の苦悶の表情が、ただ未来に絶望しているだけには見えなかったからだ。

 すでに思うアテがある者の顔をしている。自分が背負い込むことになるであろう荷の重さを自覚している顔だ。

 こういう表情はカコ代表に良く似ている。血は争えないんだな・・・・・・

「はい」

 僕に看破されたハルカ君が白状するように語り始める。

 ここからが彼の話の骨子だと思い、心して聞こうとその母親似の瞳を見つめた。

 

「人類が生き延びる道は二つしかありません。ひとつは星を捨てて宇宙に飛び立つこと。もうひとつは、セルリウムに汚染された地球上でも生きていけるように肉体を義体化することです」

 

 宇宙に飛び立つというのは平々凡々なアイディアだろう。誰もが真っ先に思いつくはずだ。

 近年では宇宙開発技術も進んでおり、数十万人を乗せて、数百から数千年航行できる超巨大宇宙船の開発が行われているとの話も聞く。

 ・・・・・・だが宇宙に逃げたところでその先は保証されない。地球と同じく生命を育んでくれる星にたどり着けるとは限らない。

 

 そもそもの話、八十億もいる人類のうちの何パーセントが宇宙船に乗り込める? 

 これから何十年もかけて目いっぱい準備したとして、良くて10パーセント行くかどうかだ。

 政治家や資産家、それに類する者たちなどの上流階級に限られるだろう。

 さらには宇宙船の乗船権を巡って新たな争いが起きることだって考えられる。とてもじゃないが、人類を救うには程遠い焼け石に水のような案だ。

 ・・・・・・だがハルカ君の言うもうひとつの案が気にかかる。肉体の義体化とは?

 

「僕はこの義体を仮に”アニムス”と呼ぶことにしました」

 

 ハルカ君が知性(アニムス)と名付けたそれは、人間がフレンズとともに未来の地球を生きていくための苦肉の策だった。

 今の技術ならば、義体とやらを作ることも確かに出来るとは思う。

 最新のテクノロジーを用いれば、実に人体の90%近くを人工物に置換することが可能であると聞いている。

 

 にも関わらず、いわゆる人造人間のような物が開発されないのには至極単純な理由がある。

 脳が作れないからだ。いかに優れた性能を持つスーパーコンピューターであろうと、人間の脳のように感情を持ち、外部要因の影響を絶えず受け続ける不正確な思考回路は持てないのだ。

 コンピューターは結局のところ性能の良い計算機でしかない。ほどよく冗長さを持った人間の知性を再現することは出来ない。

 

「いいえ。再現はきっと出来ます。非常に優れたコピー能力を持った、とある生物の性質をうまく利用すれば」

「き、君が言っている生物とはまさか・・・・・・」

「セルリアンです」

 

 ハルカ君の発想は常人ではおおよそ理解も及ばないものだった。

 確かにセルリアンは優れたコピー能力を持っている。地球上のあらゆる生物や機械を、種の生存のために模倣してきた事実がある。

 ・・・・・・だが、よりにもよって、セルリアンに人間の人格をコピーさせるなどとは他に誰が思いついただろうか。

 

 人工的に作られた義体の中にセルリアンを封じる。そしてセルリアンの中に自身の記憶を移し込ませる。

 然るのち、目覚めた義体は元の人間の記憶と思考を引き継いで自立行動を始める。

 クローン人間とは違って、作り物の体を持ったアニムスならば、セルリウムに汚染された地球上でも生きていける。自分自身は生きられなくても、自分の分身を未来に生かすことができるのだ。

 ・・・・・・それがハルカ君の提唱する”アニムス”の全容だ。

 

「こ、このことを他の人に相談してみたかね?」

 

 正直な話、僕ごときでは付いて行くだけで精一杯な内容だったが、ハルカ君の考えていることが実現するのなら、多くの人間が救われることになる。

 ハルカ君の言葉はただちに世間に知られるべきだと思う。

 少なくとも遺伝子障害の原因が、未知の放射線セルリウムであることだけでも知るべきだ。

 

 そのうえで、宇宙に逃げられる者はその準備をするべきだし、それが叶わなくても肉体のアニムス化に一縷の望みを託すことが出来る。

 人類を絶滅から救う研究は、ハルカ君にとって一生をかけた大仕事になるはずだ。いったいこれからどれほどの苦労が彼を待ち受けていることだろう・・・・・・

 だが彼が研究を成し遂げた暁には、母親に勝るとも劣らない偉人として歴史に名を残すはずだ。

 

「・・・・・・いいえ。まだ誰にも。ヒグラシ先生が最初です」

 

 ハルカ君はひどく迷っているように見える。

 素晴らしい考えを持っているにも関わらず、こうして人目を忍んで僕に打ち明けるのが精一杯という感じだ。

 いったい何を恐れ逡巡しているのだろう?

 

「まず大前提として、母は僕に先んじて全てを知っています・・・・・・とするのなら、あの人の意向をもっとも警戒しなければなりません」

 

 ハルカ君の恐れと葛藤は、どうやらカコ代表が原因となっているようだった。

 それは親子関係の不仲から来るものではなく、明確な理由付けがあってのものだった。

 いわく、自分が考えるようなことは既に母が考えているはずだし、実行に移しているはずだと。

 そうしないのには何か理由があるからとのことだ。

 

 確かにハルカ君の言う通りだ。

 カコ代表ならば世界各国にセルリウムの存在を周知させ、連携して対応策を実施することだって出来るはずだ・・・・・・が、しかし、実際には何の動きもない。

 

 さらに言うなら、カコ代表はここのところ滅多に人前に姿を見せなくなっている。

 映像だったり、側近からの言伝という形で、絶えず発信は行ってはいるものの、正確な所在がとんとわからなくなっているのだ。

 ・・・・・・ただまあ、今の彼女ほどにもなると、たとえその場にいなくても十分な威圧感と存在感があるので誰も逆らったりしないわけだが。

 

「もしかしたら、母は人類を見捨てる気でいるのかもしれません」

「・・・・・・め、滅多なことを言うものではないよ」

「そうでしょうか? 母を見ていると、フレンズさえ守れれば、人間なんてどうなっても構わないと考えているように思えてきます」

 

 まあ、ハルカ君の見解も理解できなくもない。

 セルリアン対策に関しては確かに、必要以上に注力するのを避けている。 

 そのいっぽうでフレンズの保護活動とジャパリパークの運営・開拓に関しては並々ならぬ情熱を燃やし続けている。

 二つの事項の間に温度差があるのは明確だ。

 ・・・・・・確かに、こうして考えを詰めていくと、今の彼女の考えがずいぶんと謎に満ちていることがわかる。

 

 所在もわからないカコ代表に直接問いただすことは困難を極めるだろう。

 本人以外だったらどうか? 彼女の真意を知る者がいるとすれば、今の彼女の最側近である”あの2人”を置いて他にいないだろう。

 アーサーと、メリノヒツジだ。

 

 アーサーはシガニーと同様に古参の幹部だったが、落ちぶれたシガニーと違ってカコ代表に重用され続け、事実上の組織のナンバー2になっている。

 2人の明暗を分けたのはやはり、ヴェスパー関係者の大量不審死事件だと思われる。

 カコ代表を疑い追及したシガニーとは対照的に、アーサーは彼女を擁護し続けた。

 ・・・・・・もしかしたら彼も、持ち前のコンピューター技術を用いて秘密の隠蔽に関与していたのかもしれない。

 今となっては誰にも証明しようがないことだが。

 

 アーサーは長い年月をかけて、彼の助手であるフレンズのハツカネズミと共に、とある巨大プロジェクトに取り組み続けている。

 それはジャパリパーク運営のAI化だった。

 すなわち、今はスタッフの手で行われている3つの基盤業務「地形のデータ観測と解析」「土地開発とインフラ整備」「食料生産」をAIに行わせようという試みだ。

 その構造は、ジャパリパーク全域の情報を管理するマザーAIと、マザーから個別の指令を受け取って仕事を行うチルドAIとに別れている。

 

 マザーAIは鋭意開発中とのことだが、チルドAIを搭載した自律行動型ユニットに関しては、つい最近試作機が公開された。

 その珍妙な見た目には驚かされたものだった。

 人間の膝丈ほどのタマゴ型のボディには、動物のような三角形の耳と、二足歩行を行うための扁平な脚部を備え、さらに尻尾のような細長いサブアームを生やしていた。

 機械的な印象を極力排除した、マスコットみたいなデザインだ。

 フレンズに親しまれるようにという意図でああなったらしいが、僕の意見を言わせてもらえば、機械であるのに機械らしさが皆無というのは却って不気味だ。

 

 まあデザインはともかくとして、AI化計画の行きつく果ての意図という物が気にかかる。

 労働力の拡張や、スタッフの業務のサポートという枠組みを超えて、際限なくAI化が推し進められていった場合どうなるだろう? 

 ジャパリパークがまったくの無人となっても問題なく存続し続けることさえ可能になるのではないか?

 ・・・・・・だとするのなら、AI化計画の真の目的とは、人類絶滅を期しての前準備と言った所なのかもしれない。

 そう考えれば、アーサーもカコ代表と同じ考えを共有していると見ていいだろう。

 

 一方のメリノヒツジはどうしているだろうか。

 かつて戦争によって深い心の傷を負った彼女だったが、やがて立ち直り、周りのフレンズとも仲良く過ごすようになった。

 またカコ代表のことを、立ち直る切っ掛けを教えてくれた恩人として慕い、彼女の傍仕えを希望したのだった。

 

 そのかたわらでメリノヒツジは勉学に明け暮れた。

 元々からして読書を好むという稀有な性質を持っており、フレンズの中でも取り分け賢い子だと思っていたが、その知識への欲求は年を経るごとに増大していき、いまや人間とフレンズを含めて、ジャパリパークスタッフの中でも最も優秀であると目されるようになった。

 

「知識を深めてジャパリパークに貢献したい」と、メリノヒツジからはそんな殊勝な言葉を良く聞いたものだ。

 彼女は僕の誇りだ。心の傷を乗り越え、立派に成長していった。

 ・・・・・・が、やはり寂しくもある。

 僕に楽しそうに絵本の感想を話してくれた、幼気なあの子羊はとっくの昔にもういないのだ。

 人間もフレンズも、自分のやるべきことを見つけた者は物凄いスピードで成長していくのだな。

 

 僕の目から見ても、メリノヒツジの知力に並ぶ者はそういないと考えている。

 生まれつきの天才であるハルカ君が若干勝っている程度だろうか。

 ・・・・・・が、そのハルカ君が相手でもなおメリノヒツジが有利な点がある。

 カコ代表から直々に教えを受けていることだ。その結果メリノヒツジは、多くのスタッフにとって極秘となっている機密を熟知している。

 ジャパリパークのことも、サンドスターのことも、セルリウムのことも、カコ代表と同等の知識を得ていると考えられる。

 

 アーサーならば担当分野がハッキリとしているが、メリノヒツジがカコ代表の命を受けて何をしようとしているかは不明瞭だ。

 ・・・・・・恐らくは、命令されればどのような難事でさえこなすことだろう。

 考えれば考えるほどに、カコ代表は周りを優秀なイエスマンで固めている。

 彼女たちの真意を探るのは並大抵の事じゃない。

 

 ともかく、もし仮に、カコ代表とその側近たちが人類を見捨てる意図を持っているのだとしたら、ハルカ君が慎重になる理由もわかる。

 かつてのシガニーのように、ハルカ君がカコ代表の意に反する行動を取る者と見なされた場合、圧力がかけられて動きが封じられてしまうことだって考えられる。

 それはつまり彼が人類を救うチャンスが潰えることを意味する。

 ・・・・・・しかし、だ。相槌を打ちながらも、一点だけ気になったことがあった。

 

「今は君にだって信頼できる仲間がいるはずだ。ミライさんやカレンダさん、イエイヌちゃんにさえ打ち明けないのはどうしてだね?」

 明け透けに僕が尋ねると、ハルカ君は今までで一番痛い所を突かれたという表情で押し黙った。

 

「ごめんなさい先生・・・・・・僕は卑怯な人間です」

 目に涙さえ浮かばせるハルカ君の不安に満ちた表情を見て、ようやく彼の真意を悟った。

 仲間たちのことを信頼しているからこそ、かえって話す覚悟が決まらないということらしい。

 打ち明ければ、後に引くことが出来なくなる。それ即ち、ジャパリパークの支配者たる母親との骨肉の争いの始まりを意味する。

 彼にはまだそこまでの覚悟と自信がないようだ。

 

 ハルカ君の苦しい胸中を慮ると胸が痛くなる。

 誰かに話すことは憚られるが、これ以上黙っていることも耐えられない。

 そんな板挟みにあった彼が、最後に頼ってきたのが僕というわけだ・・・・・・余命いくばくもない、口を滑らせた所であと腐れのない人間だから丁度良かったのだろう。

 もちろん彼にそんな打算はあるまいが。

  

「すこし昔話をしようかな」

 

 溜息を付いてから切り出す。

 もう少し若かったのなら、あるいは健康な体だったのなら、ハルカ君の力になってあげたい。

 ところがそれはもう叶わない。

 僕に出来るたった一つの手助けは、彼が少しでも前向きに一歩を踏み出せるように、心を尽くしてアドバイスすることだ。

 ・・・・・・それが僕の最後の役目なのかもしれない。

 

「君が生まれる前に起きた戦争のことは知っているね?」

「はい、すみずみまで勉強しました」

「当事者の身になって想像してみたことはあるかい? 特に、君の母上について、もし自分が母と同じ経験をしたならば、と」

 

 ナイーブな話題であろうが、今一度考えてみてほしいのだ。

 偉大な親の存在がいかにプレッシャーであるのかは察するに余りあるが、おそらく彼は自分の母親のことを知らなすぎる・・・・・・

 もっとも、息子と距離を作ってばかりいる母親のほうも問題があるだろうが。

 

「母は特別なんですよ。生き残るべくして生き残ったんだ」

「そんな卑屈な物言いで思考停止するのはやめなさい・・・・・・!」

 

 急に語気を強めた僕に対して、ハルカ君が深緑色の目を見開いて絶句する。

 カコ代表がいかに優れた人物であろうが、あの戦争は個人の才覚でどうにかなるような次元の話ではなかった。

 彼女はいつも命を危険に晒してきた。非常に危ない橋を渡ってきた。

 今ああして生きていることは実に稀な偶然と言える。志半ばで倒れる可能性の方が高かった。

 本来ならハルカ君はこの世に生まれなかったし、ジャパリパークも地球上に存在しなかった。

 

「君の母上が生き残れた理由は、たった一つしかない」

「どういうことですか」 

「・・・・・・彼女には仲間がいた」

 

 カリスマがあると言えば簡単だが、カコ代表には他人を引き付ける才能があった。

 特筆すべきエピソードは、たった1人で手ぶらでヴェスパーの本拠地に乗り込んで、反乱を促すためにデモを起こしたことだ。

 その結果、心ある将校たちが彼女の意志に呼応し、ヴェスパー派が瓦解する切っ掛けになった。

 

 カコ代表のそんなエピソードは他にいくつもある。

 とにかく彼女は、無私の精神があるというか、他人のために平気で自分を捨てられる。他人を信じる天才とも言うべき人間だ。

 だからこそ仲間からも信頼された。

 死んでしまった者も、生きている者も、人間も、フレンズも。

 みんなカコ代表のことを信じて必死に戦った。

 多くの想いと願いが重なった結果、巨悪を打ち倒すことが出来たのだ。

 

「他者を愛し信じる心。それこそがカコ代表の本当にすごい所なんだ。信じ続けたからこそ、いかなる困難も仲間と共に乗り越えることが出来た」

「・・・・・・僕なんか、とてもあの人みたいには生きられない」

「そう思うのは君が物事の結果しか見ていないからだ・・・・・・今の君に必要なのは結果予測じゃない。一歩を踏み出す勇気だ。仲間を信じて、自分の思っていることを話してみるべきだ」

 

 ハルカ君からの返事はなく、苦しそうな表情で俯くだけだった。

 もちろん今すぐ答えを出すことなど期待していない。

 おそらくこの決断は彼の一生を左右するほどに重大なものだ。せいいっぱい悩んでから答えを出せばいい。

 僕が彼の決断を知ることなくこの世を去ることになったとしても全くかまわない。

 

「そう言えば」と、答えを出せないでいるハルカ君が、遠い目をしながら違う話題を切り出した。

 

「僕がまだ小さかった頃、母とある話をしました」

「ほう、それはどんな?」

「アムールトラさんのことです」

 

 アムールトラは未だ目覚めない。

 20年前から、例の砂時計型の容器に入りっぱなしで、永遠とも思える長き眠りに付いていた。

 それでもジャパリパークが出来てしばらくの間は、いつでも姿を見に行けるような所に安置されていたので、僕やアマーラはたびたび彼女に会いに行ったものだった。

 

 が、数年前。

 カコ代表が周囲に姿を見せなくなったのと同時期に、アムールトラが入った容器も「特別機密」として、一般スタッフが知らないどこかへと所在が隠されてしまったのだ。

 こんな体になってしまったから、せめて死ぬ前に一度アムールトラの顔を見ておきたいものだったが、そんな自己都合で機密に触れさせてくれ、だなんて掛け合いに行くわけにもいかず・・・・・・

 遠い未来で、アマーラが僕の代わりに再会してくれることを祈るしか出来なかった。

 

「アムールトラさんはどんなフレンズだったのか、と母に聞いたことがあるんです」

 

 ハルカ君が生まれた頃には、アムールトラはすでに長い眠りについていた。

 彼にとってアムールトラは、歴史の授業で習う過去の偉人といった感じでしかないだろう。

 それでも彼は過去の戦争ことについては熱心に勉強していたし、この僕から何度か思い出話も聞いているから、アムールトラがジャパリパークにとっていかに英雄的な存在であるかは知っているはずだ。

 

「母は言いました。”アムールトラは私の命そのものだ”と」

「彼女がそんなことを・・・・・・」

「あの人のあんなに優しい顔を見たのは初めてでした。だから良く覚えてるんです」

 

 カコ代表とアムールトラがいかに強い絆で結ばれていたかは分かっているつもりだった。

 僕がグレン・ヴェスパーの下に幽閉されている間も、2人は激しい戦いを共に潜り抜け、ついに空中要塞スターオブシャヘルまでをも墜落させ、戦争を終結に導いたのだ。

 ・・・・・・しかし「命そのもの」とまで表現するとは驚いた。

 

 正直、この20年の間に起きた出来事で、カコ代表に対する印象がガラリと変わってしまったことは否めない。

 謎の組織を用いて、ヴェスパーの関係者を大量に暗殺したかもしれない疑惑。自分の意に反したシガニーを冷遇し窓際に追いやった事実。そして今、滅多に姿を見せない秘密主義者となり、実の息子にさえ酷く疑われてしまっている現状・・・・・・

 

 考えるだけで心苦しいのだが、独裁者という意味では、かつてのグレン・ヴェスパーと部分的に重なってくる物があるほどだ。

 しかし彼女にはあの男とは決定的に違う所がある。野望や私利私欲とは無縁であることだ。

 ハルカ君と話していると、段々とカコ代表の考えていることがわかってきた。

 彼女の全動機はフレンズへの愛なのだろう。

 家庭のことさえ顧みなくなってしまうほどに、彼女にとっては何よりも重要なのだ。

 

 このジャパリパークはカコ代表の愛が具現化したフレンズの楽園だ。

 しかし、そこに人間が立ち入ることは許さない、ということなのかもしれない。

 もし人類が滅んで、フレンズだけが生き残るようなことになったら、まるでジャパリパークはノアの方舟、もしくはエデンの園のようになってしまう。

 さながら楽園を創造したカコ代表は、新世界の神と呼べるかもしれない。

 

 ・・・・・・いや、暗い想像はやめよう。人類絶滅などという未来は、きっとこの少年が回避してくれるはずだ。

「僕は君のことを心から応援するよ」

「ヒグラシ先生・・・・・・」

 手を差し出して握手を求めると、ハルカ君の方もおずおずと手を取ってくれた。

 

________ピンポーン!

 

 甲高い呼び鈴の音によって、突如会話が打ち切られた。

 ハルカ君とともに玄関先まで出ていくと、既にシガニーが訪問者に対応していた。

 彼女と一緒に料理をしていたイエイヌちゃんや、自室にこもって仕事をしていたアマーラも出てきている。 

 ウッドデッキの階段の下にいたのは、グラマーな体をラフな服装に包んだ金髪の女性だった。

 

「よく来たねカレンダさん」

「オー、ミスターヒグラシ。体の調子はいかがですか?」

「相変わらずだけど、今日はお客さんが多いから、賑やかで気分が良いよ」

 

 何があったというのだろうか。

 普段はほんのりと赤みが差したカレンダさんの白い頬がひどく青ざめている。

 神妙な顔で僕と言葉を交わしたのもつかの間「ヘイ、ハルカ! イエイヌ!」と慌てた様子で2人を手招きした。

 

「カレンダさんどうしたの?」

「シリアス・プロブレムよ! 今すぐ一緒に来て! 現地に残ってた”2人”から連絡が!」

「・・・・・・わ、わかった。行こうイエイヌちゃん!」

 

 血相を変えたカレンダさんに呼ばれるまま、ハルカ君とイエイヌちゃんが走り出す。

 ウッドデッキの階段を降りきった後、2人とも同じタイミングで振り返って「今日はありがとうございました」と僕に向かって頭を下げるのだった。

 

「さあ、これでひとっ飛びよ! ちょっと待っててネ!」

 

 カレンダさんはそう言って、自分のすぐ後ろに鎮座している物体を軽く叩いた。

 あれは紛れもなく「フリッキー」だ。

 ジャパリパーク内では広く使われている汎用作業機械。用途に応じて様々なモデルが存在しているが、横長に角ばった箱のようなボディを、4本の有機的な脚で支えているというスタイルはどれも共通している。

 その外観は「首なしの馬」とでも言うべき様相だ。

 

 しかし今、特徴的な四本足はコンパクトに折りたたまれ、ボディは地面に接地している。

 まるで動物が「伏せ」のポーズを取ったようなその姿勢は、機体がスリープモードに入っていることを意味する。

 あれで移動するつもりだろうか? 確かにフリッキーは多少の物資輸送能力があり、人間を乗せて動くことも可能だが、3人乗りは少々きついような・・・・・・

 

________ゴウウンッ

 

 眠りから覚めたようにフリッキーが動き出す。

 ボディの底部が左右にスライドし、中からはブースターがせり出してくる。

 4本の足は関節をまっすぐに伸ばしきった状態で地面と平行に張りつめ、まるで動物が伸びをしているような姿勢となった。

 箱型のボディが前後に拡張し、オートバイの座席のような起伏を持った形状に変化した。ボディ最前部にはバイクのハンドルを思わせる持ち手がせり出している。 

 ・・・・・・これは驚いた。あのフリッキーは変形機構を備えているのか。

 

「ちゃんとつかまってて!」

「わふ、高いです!」

________ブォォォンッ!

 カレンダさんを先頭に、ハルカ君とイエイヌちゃんも一列になって座席にまたがる。

 ハンドルのスロットルをカレンダさんが思い切り絞ると、フリッキーはバイクそのもののようなエンジン音を轟かせ、勢いよく離陸した。

 

 地面から離れていく3人を見上げていると、ハルカ君がこっちを見下ろしているのが見えた。

 やっぱり不安そうな表情をしているな・・・・・・と、彼の顔を見て感想を抱いたのも束の間。 

 エアバイクと化したフリッキーの機動力は凄まじく、あっという間に空の向こうに消えていってしまった。

 

「私も頑張らなきゃ」と、3人を見送るやいなや、アマーラがそそくさと家の中に戻っていった。

 

「もう、皆して・・・・・・忙しい子たちさね」

「彼らは未来の希望そのものだよ」

 

 ポツリと寂しそうに呟くシガニーの肩を抱き、澄み切った青い空をいつまでも眺めた。

 

 

 それからまた日々が過ぎていった。

 身辺整理も済ませたし、親しい者たちへの遺書も書き終えた。

 もうやることも残っていないだろう。その時を迎えるだけだ。

 抗がん剤治療なんかはしていなかったので、日を追うごとに体調が悪化していった。

 ベッドに寝たきりの全身が、絶えず鞭で打たれているようにズキズキと痛くてしょうがない。

 呼吸器を付けなければ呼吸さえも覚束なくなってしまった。

 

 今思うと、ハルカ君は丁度いい時期に訪ねてきてくれたものだな。

 あの時はまだ、まともに立って歩いたり、少量でも食事を楽しめたり出来た。イエイヌちゃんの料理は、実にいい思い出となった。

 ・・・・・・もちろんあの日ハルカ君から聞かされたことは誰にも言わない。まさしく墓場まで持っていくつもりだ。

 全てはハルカ君が決めるべきことだ。それが当事者としての責任なのだから。

 

《出力、上げてください!》

 

 テレビの向こう側では今まさに、アマーラの悲願であった大規模フラワーガーデンの竣工式が執り行われている。

 我ながら、この日まで良く体が持ったものだった。

 本当なら現場に赴いて式に参列しに行きたかったが、末期癌と戦う自分の体にそこまで求めるのは贅沢というものだろう。

 

 アマーラの号令の下、はるか上空にある衛星からレーザーが照射されると、蕾の状態だった花弁が一斉に開かれ、辺り一面に色とりどりの花畑が現れた。

 出席していたスタッフやフレンズたちの喜びぶりと来たらなかった。

 フレンズの中には、花という物をほとんど知らない子もいたようだ。

 その美しさにうっとりと心を奪われている子や、嬉しくなってはしゃぎ回っている子もいる。

 

《ほら、こうして、こうするんだよ》

《わーっ! すごい! きれい!》

 

 引いた視点から映されるカメラではわかりにくかったが、アマーラはどうやら花輪の作り方をフレンズたちに実演で教えているようだ。

 花と戯れる姿は幼い頃と何ら変わりはない。三つ子の魂百までとは良く言ったものだと思う。

 アマーラは昔からの夢を叶えた。後世に残るだろう見事な花畑を作ってみせたのだ。

(・・・・・・そうか、そういうことだったのか)

 

「あの子も立派になったね」

 と、ベットの横に立っているシガニーが、画面の中にいるアマーラを見てつぶやく。

 青春を投げうって仕事に入れ込む娘には、シガニーは普段は苦い顔をしていたものだが、この時ばかりは娘のことを誇らしく思っていることだろう。

「後は良い相手を見つけてくれたら言うことないんだけどね」

 

「シガニー、あまりアマーラを急かしてはいけないよ」

「でもねアンタ。あの子はもう30だよ、立派に行き遅れてるからねえ」

「違うんだ。そんなつまらないことに拘ることはない。アマーラにもそう言っておいてくれ」

 

 シガニーがきょとんとしている。

 夫婦同士の何気ない会話かと思いきや、僕が突然に真剣な物言いをして空気を変えたからだ。

 このことだけは言っておきたい。

 近い将来、アマーラが子供を授かろうとした時、もしかしたらそれが出来ない可能性がある。

 ・・・・・・その真実を話すことは出来ないが、もしそうだとしても、ショックを受けないでいて欲しいから。 

 

「血が繋がってなくたって、家族になることはできる。僕たち一家がそうだろう? ・・・・・・いや、そもそも人間である必要すらない」

 

 とても不思議な気持ちになってくる。

 シガニーに話しながらも、自分自身を諭しているんじゃないかと錯覚するほどだ。

 ・・・・・・それはまるで天啓のようだった。誰かにずっと言ってもらいたかった許しの言葉を、今こうして自分が口にしている。

 

 人間とフレンズは家族になれる。

 アマーラの花を愛でる心は、今後はフレンズたちに受け継がれていくことだろう。

 子どもが産めかったとしても、未来に自分の存在を残すことはできるんだ。

 そしてきっと、この僕だって。

 

 たとえ絶滅したとしても、フレンズのよき友人であり続ければ、フレンズがずっと人間のことを覚えていてくれる。

「種」は途絶えようとも「意志」は永遠に語り継がれる。

 あの花畑も含めて、ジャパリパークの存在そのものがその証なんだ・・・・・・人間は既に絶滅から免れているんだ。

 

 もちろんハルカ君を否定するわけではない。

 たくさんの無辜なる人々の命を救うことが間違っているはずはない。

 ・・・・・・しかしそれは単なるひとつの正義だ。人類絶滅の可否がかかっているとか、壮大なスケールの話ではない。

 彼は自分の正義を貫き、仲間とともに、多くの人々を救うために奔走していくだろう。それが彼のこれからの道だ。

 

「アンタ、大丈夫かい? 顔色が悪いよ」

「し、シガニー、僕のやってきたことは無駄じゃなかった・・・・・・自己満足の償いなんかじゃ・・・・・・!」 

 

 その夜、体の調子がさらに急激に悪くなった。

 40度を超えるほどの高熱が出ているようだ。意識が混濁してきて、痛みや苦しさといった感覚は既にない。

 ぜいぜい、ひゅうひゅう、と切迫した呼吸を続ける体が、自分とは無関係な物のように思える。

 アマーラの仕事が一区切りするのを見届けたからだろうか。

 それとも人生を充足させるに足る悟りに達したからだろうか。

 ついに僕の体は、これ以上頑張ることをやめたようだった。

 

「アンタ!」

「・・・・・・お父さん」

 

 ベッドの横に立ったシガニーとアマーラが、涙ぐんだ顔で僕の手を握りしめている。

 やがて目の前が霞んで、愛しい彼女たちの顔さえ見えなくなったころ。

 ・・・・・・僕は最後の夢を見た。

 

 そこは一面に広がる花畑のようだった。

 場所は定かでない。アマーラがつい先日作ったジャパリパークの花畑なのかもしれないし、南アフリカの花畑かもしれない。

 ・・・・・・が、そんな美しい花畑の真っ只中で、ある1人がおもむろに立ち上がり姿を表した。

 橙色の長髪をなびかせた人ならざる娘が、黒い横縞の入った両腕を広げて気持ちよさそうに伸びをしている。

 

「目が覚めたら、楽園が君を待っているよ」

 

 僕はアムールトラに呼びかけた。

 ゆっくり振り向いた彼女が僕に向かって笑いかけたような気がした。

 

 

「ハルカさん」

「・・・・・・うん」

 

 イエイヌちゃんと頷き合ってから、ヒグラシ先生が横たわる棺に花を供えた。

 先生の表情はとても安らかだ。まるでお花畑の中で昼寝をしているかのようだ。

 ・・・・・・アマーラさんが作った、ジャパリパーク初の花畑が、こんな形でさっそく役に立つ事になるなんて思わなかった。

 

 セントラル・タウンの一角にある、ジャパリパークの中でも一番立派な教会で、ヒグラシ先生の告別式が粛々と行われている。

 あいにく天候は最悪だ。横殴りの大雨が降り続いている。

 雨粒が礼拝堂の屋根やステンドグラスに当たって絶え間なく音を立てている。

 

 先生は本当に優しい人だった。誰が相手でも分け隔てなく愛情を注いでくれた。

 僕もそうだ。X班という居場所を自分の力で勝ち得るまで、僕は孤独そのものだった。

 どこに行っても「カコ代表の息子」として扱われてきた。

 今後もそうだろう。親が親だから仕方がないって、とっくにあきらめも付いている。

 ・・・・・・でも先生だけは違った。

 まだ僕が物心もついていないような頃から、ちゃんと1人の人間として扱ってくれた。僕の本音と向き合ってくれた。

 この間だって、突然押しかけて突拍子もない話を始めた僕に真剣に耳を傾けてくれた。

 

 整然と並べられた長椅子の最前列では、遺族であるシガニーさんとアマーラさんが、身を寄せ合って静かにうなだれている。

 涙を流し切ってしまった彼女たちの代わりに、多くのフレンズたちの嗚咽が礼拝堂じゅうに響いている。無理もない・・・・・・みんな先生の元生徒なんだもの。

 

 人間もフレンズ問わず多くの参列者が集まっており、先生がどれだけ周りに慕われていたかがわかる。

 ジャパリパークの創設メンバーたちの姿もある・・・・・・一番偉いうちの母さんはいないけれども。

 親子だというのに、僕から連絡を取る手段はなかった。式に参加するのかしないのか、なんて会話をすることすら出来なかった。

 

 僕たち観測チーム第X班はというと、スケジュールを合わせて全員出席している。

 ミライさんもカレンダさんも、喪服を着ていると普段とまったく別人に見えるから不思議だ。

 ・・・・・・ただ、パンサーさんとメガバットさんに関しては、無理して出席する必要はなかったんじゃないかと思う。

 

 何故なら彼女たちは2人とも大怪我をしているからだ。

 命には別状ないけれど、無数の刺し傷や切り傷を包帯で覆った姿は見るだに痛々しい。

 あの強い2人が、あんな傷を負うなんて並大抵のことじゃない。人間にはまず不可能な芸当だ。

 それこそ、ディザスター級のセルリアンとかだったり、もしくは2人と同じように手練れのフレンズが相手でもない限りは。

 

 話はヒグラシ先生を最後に見舞ったあの日にさかのぼる。

 

 血相を変えたカレンダさんからもたらされた一報は、2人の負傷に関連している内容だった。

 最も未開のエリアであるキョウシュウ島で調査活動をしていたX班は、観測したデータのまとめと物資補給のために一旦セントラル・タウンに戻っていたわけだけど、パンサーさんとメガバットさんは、現地に残って調査を継続していたんだ。

 

 メガバットさんが、その極めて優れた聴覚で持って、とある異常な気配を感じ取ったらしい。

 それは、本来ならジャパリパークでは一度も発見されていないはずのセルリアンの気配だったそうだ。

 2人は気配の元を辿るために、どんどんと未開の奥地に踏み入っていった。

 

 やがてたどり着いたのは、キョウシュウ島にそびえ立つ切り立った山脈の中、火山の火口にほど近い谷の中だったそうだ。

 そこで2人が見た物は、崖の中腹に不自然に空いた横穴だった。

 空中を漂う一匹の幼体セルリアンが、確かにその穴のなかに入っていくのを見たという。

 さらに察知した気配はその一匹だけではなく、ざっと数百から数千のセルリアンがいるような気がしたらしい。

 

 パンサーさんとメガバットさんが意を決して洞窟の中に入ろうとした瞬間、ある1人のフレンズに背後から強襲された。

 ・・・・・・それがメリノヒツジさんだったという。

 初手では完全な不意打ちが決まり、刃物による強力な一撃を2人ともくらってしまったようだ。

 

 無理もなかった。パンサーさんたち2人は、フレンズとの戦闘に突入することなど、その時点ではまったく予測すらしていなかったのだから。

 一方のメリノヒツジさんは背後から容赦なく襲い掛かってきた。差が出るのは明らかだ。

 ・・・・・・ただ、メガバットさんは一連の流れを「一生の不覚」だと評した。

 鋭敏な聴覚に加えて未来予知能力まで持っている自分が、どうして背後から襲ってくる相手の気配に気付くことが出来なかったのかわからないというのだ。

 

 先手は取られたものの、普通に考えれば、そこから先は有利に戦えそうなものだった。

 傷を負わされたとはいえ、たった1人の相手に対して2人で戦うのだから。

 さらにパンサーさんは”影分身”の能力があるので、実質的に3対1の状況だった。

 

 しかしメリノヒツジさんは一歩も引くことなく激烈な抵抗をしてきたという。

 パンサーさんはかつて、戦時中に彼女と戦ったことがあるらしいが、その時よりも遥かに強くなっていたという。

 しばらくすると状況はさらに悪化した。

 新手が出現し、メリノヒツジさんに加勢を始めたというのだ。

 

 数十名もの、イヌ科とネズミ科のフレンズが現れて2人を取り囲んだ。

 かつての戦争で「量産型」と呼ばれたフレンズたちだった。

 彼女たちが昔からメリノヒツジさんのことを慕っているのは知られていたが、今も徒党を組んで行動しているようだった。

 多勢に無勢の状況で、パンサーさんとメガバットさんは成すすべなく消耗させられていった。

 

 やがてメリノヒツジさんの手によって戦いに終止符が打たれた。

 彼女は鞭のような武器を手のひらに出現させると、一瞬の隙を付いてパンサーさんとメガバットさんに巻き付け、そのまま崖から突き落としたというのだ。

 空に逃れることも出来ず、絡み合ったままかなりの距離を転がり落ちた2人だったが、やがて自分たちを拘束していた鞭が消滅したので、何とかメガバットさんの翼で元の場所に戻った。

 しかしその頃には既にメリノヒツジさんや他のフレンズたちの姿は無く、洞窟の中にいた無数のセルリアンたちの気配も忽然と消えていたという。

 

 ・・・・・・以上が2人が持ち帰った話だ。

 このことは僕らX班だけで共有するに留めている。

 ジャパリパークでは一度も出現していないはずのセルリアンが見つかったなんてことが知られれば大パニックが起きる。

 真相は何もわからない。事の詳細を突きとめるまでは下手に口外するわけにはいかない。

 

 一つだけ確かなのは、メリノヒツジさんの背後には、確実に母さんがいるということ。

 どうしてキョウシュウ島にセルリアンがいたのか? 母さんとメリノヒツジさんは一体何をやろうとしているのか。

 ・・・・・・そもそも、何で母さんは、セルリウムの存在を証明する数式を、わざと僕の目に触れるような所に置いて知らせてきたんだろう?

 僕がどう動くか様子をうかがっているのか?

 

________ギィィィ・・・・・・

 

 とつじょ、重苦しい音を立てて入口の扉が開かれた。

 静かな礼拝堂の中に、外の激しい雨音を呼び込みながら、新たな参列者が現れたようだった。

 心臓が飛び出しそうなぐらい驚いた。

 その者は、今まさに僕が頭の中に思い描いていた当人だったからだ。

 

 メリノヒツジさんは静かに扉を閉めると、礼拝堂の中央を通るように敷き詰められたカーペットの上をゆっくりと歩き出した。

 左右に別れた長椅子に座る参列者たちの、驚きと奇異の視線が一心に注がれる。

 重傷を負ったパンサーさんたちほどじゃないにしても、体じゅうに生傷が目立ち激闘の痕跡が見て取れる。

 傘も差さずに来たのか、その赤い羊毛にはたっぷり雨水が吸い込まれているようで、歩く度に水滴が滴っている。

 

「あんたよくも・・・・・・!」

「パンサー、場をわきまえるべきですわ」

 

 パンサーさんが思わず振り返り、メリノヒツジさんを睨みつけ、今にも飛び掛からんとするような殺気を浴びせかけた。

 しかし隣に座っていたメガバットさんが、すぐさま彼女の手を引いて鎮める。

 すんでのところで一触即発の事態は避けられた。

 それでも2人は、一部の油断もない緊張感でメリノヒツジさんを警戒する眼差しを向けている。

 

 メリノヒツジさんは素知らぬ顔で2人を黙殺し、ヒグラシ先生が眠る棺に近づいて行く。

 ・・・・・・しかし、そんな彼女に向かって猛然と近づき行く手を阻む者がいた。

 

「アンタだけなのかい?」

「お母さんやめて!」

「いいや言わせてもらうよ! アンタの”ご主人様”はどこで何してるんだい!? ・・・・・・うちの人がどれだけ組織に尽くしてきたのか知ってるはずだろうに、こんな時までだんまりかい!?」

 

 目を腫らしたシガニーさんが、メリノヒツジさんの胸倉を掴んで怒鳴りつけた。

 アマーラさんが後ろから止めに入るのも聞かない。

 されるがまま黙って罵倒を受け止めていたメリノヒツジさんだったが、やがて「申し訳ありません」と頭を下げて謝罪した。

 

「・・・・・・カコ様は今、訳あってどうしてもここに来ることが出来ないのです。しかし僕に言伝を残された。ヒグラシ博士はかけがえのない友人だった。心からお悔み申し上げると」

 

 あまりにも形式ばった返礼が、シガニーさんの怒りを更に沸き立たせたようだった。

「アンタなんか」と、歯ぎしりしながらメリノヒツジさんを睨みつけている。

 彼女は次にこう言うだろう・・・・・・出ていけと。

 いくら何でもそんな言葉を言わせてはいけない。この告別式が台無しになってしまう。ヒグラシ先生があまりに可哀そうだ。

 

「あ、あの!」

 

 場に割って入るために、思わず僕は立ち上がって叫んだ。

 他の参列者の間を縫ってメリノヒツジさんに近づいて行き彼女の手を取った。

 そして礼拝堂のとある一点を指さした。

 ヒグラシ先生の棺のすぐ脇にある、色とりどりの花が並べられている献花台だ。

 

「いらっしゃったのなら、花を供えていってくれませんか」

「ああ、喜んで」

 

 メリノヒツジさんは相変わらずの無表情のまま献花台に手を伸ばすと、はたと思案するように動きを止めた。

 少し間が空いてから、オレンジ色の花と黒い花を、それぞれ一輪ずつ選び拾い上げた。

 もっとたくさん取ればいいのに、何でその二輪だけなんだろうと思った。

 

「すまない・・・・・・」

 メリノヒツジさんはポツリと呟くと、青白いヒグラシ先生の顔の真横に、二輪の花を添えた。

 彼女は本当に悲しんでいる。単なるメッセンジャーとしてこの場に現れたわけではない。

 不審な所ばかりだけれども、その事だけは真実だと思いたかった。

 

 多少のトラブルはあったけれども、告別式は粛々と行われていった。

 献花がひと通り終わると、式を取り仕切る神父と、喪主たるシガニーさんからの弔辞が順番に述べられた。

 やがて出棺の時がやってくる。

 ヒグラシ先生が眠る棺を乗せた霊柩車と、遺族であるシガニーさんとアマーラさんを乗せた車が、火葬場へ向けて出発していった。

 

 降りしきる雨の中、走り去る二両の車を黙とうを捧げながら見送った。

 これが本当に最後の別れだ。

 個人的な感情を抜きにしても、ヒグラシ先生の死はジャパリパークにとって大きな損失だ。

 僕が生まれるずっと前からフレンズと関わり、ジャパリパークにおいても教育者として貢献してきた重要人物だったのだから。

 ・・・・・・残された僕たちは、彼の分まで歴史を未来に繋いでいかなければならない。

 

 一般弔問客はここで解散となる。

 重苦しい空気の中、それぞれの家路に付こうとする人やフレンズたち。

 その中にメリノヒツジさんも混じっていた。

 傘も差さずに去っていくその後ろ姿には、得体のしれない強い意志が感じられた。

 彼女は今何を思っているのか。これから母さんと共に何をやろうとしているのか・・・・・・

 

「大丈夫ですか? ハルカ君?」

 

 茫然と立ち尽くしていた僕に向かって、後ろから心配そうな声が呼びかけてくる。

 傘ごしに見えるその姿はミライさんだった。緑がかった黒目が優しく僕を見つめている。

 

 彼女だけじゃない。X班の皆が僕の後ろに立っていた。

 弔問客が去って人気がなくなった教会の中庭に、僕らだけがポツンと残っていたのだ。

 イエイヌちゃんも、カレンダさんも、パンサーさんもメガバットさんも、みんな僕を心配してくれている。

 

「・・・・・・あなたが最近、とても思い詰めているように見えたから、気になっていたんですよ?」

「ありがとう。ミライさん、みんな」

 

 仲間たちに頭を下げ、俯いたまま深呼吸してみる。

(今の君に必要なのは結果予測じゃない。一歩を踏み出す勇気だ)

 ヒグラシ先生が言ってくれた言葉を反芻し、胸の中にある恐怖や不安を押しのけるようにして、僕はやっと顔を上げた。

 

「今からみんなに大事な話があるんだ」

 

 僕は引き返せない道を行く。この頼るべき仲間たちと共に、人類の未来を掴み取ってみせる。

 ・・・・・・たとえ母さんと争うことになったとしても、やらなきゃいけない。

 それが僕の運命だと思うから。

 

 運命と向き合い一生懸命に生き抜けば、たとえどのような結末が待ち受けていたとしても、未来に何かを残せるはず。

 母さんも、ヒグラシ先生も、アムールトラさんも、そうやって生きてきたんだ。

 

 僕にだって、きっと出来る。

 

 to be continued・・・ 




_______________Cast________________

哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ(ハイブリッド)」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「インドオオコウモリ(俗称メガバット)」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「パンサー」

_______________Human cast ________________

「日暮 啓(ひぐらしけい)」
享年 74歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」元教育省長
「久留生 悠(くりゅうはるか)」
年齢:14歳 性別:男 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」観測部署職員
「八重山 未来(やえやまみらい)」
年齢:19歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」観測部署職員
「カレンダ・C・アルマナック(Calenda Chronicle Almanac)」
年齢:27歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」観測部署職員
「シガニー・日暮(Sigourney Higurashi)」
年齢:62歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」教育省職員
「アマーラ・日暮(Amara Higurashi)」
年齢:30歳 性別:女 職業:国際的非政府組織「JAPARI UNION」農務部署職員

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編11「これまでのおはなし その1」


 現代編のダイジェストです。長いので2分割します。
 書いたの昔過ぎてビビった。


 ヒトの姿をした動物「フレンズ」が暮らす楽園ジャパリパーク。

 自分が何者かわからない謎のフレンズともえは、失われた記憶を求めて、仲間とともに広大なる大地を彷徨っていた。

 

 ともえ達が探しているのは、旅の目的地「セントラルエリア」への道を開くと言われる四つの「オーブ」だった。

 そんな彼女達の行く手に、幾度となく「ビースト」と呼ばれる怪物が現れ襲い掛かってきた。

 ビーストの存在は各地に暮らすフレンズたちにも広く知られ恐れられていた。

 誰もが幸せに暮らしているはずの楽園に、たった一人だけ馴染めない、フレンズのなりそこないの怪物であると・・・・・・

 

 旅の途中で立ち寄った、リャマというフレンズが経営するレストランにて、ビーストが近くの草原を縄張りにしているとの噂を耳にする。

 ともえ達と行動を共にするラッキービースト「ラモリ」は、運の悪いことに、ちょうどその草原を横切らなければならない方角にオーブがあることをともえ達に告げるのだった。

 

 ともえ達は意を決して草原を訪れた。

 仲間の一人イエイヌが、優れた嗅覚によって、案の定ビーストが近くにいることを察知する。

 辺りにまばらに突き出た岩から岩へと隠れて移動している途中、先んじてビーストの居場所を見つけることが出来た。

 

 岩陰から観察するビーストは意外な行動を取っていた。

 草原の中にポツンと一輪だけ咲いている白い花に水をやっていたのだ。

 ともえはその様子を見て、ビーストにもフレンズと変わらない心があるんじゃないか、と疑問を覚えたのだった。

 

 ともえ達は、ビーストに見つからない内にこっそりと草原を抜けようとした。

 ・・・・・・が、そこに通りがかったフレンズが、ビーストを見て悲鳴を上げたことによりそうもいかなくなった。

 フレンズを助けるために、ビーストの注意を自分達の方に逸らそうとするともえ達。

 迫ってくるビーストに対して、仲間のイエイヌとロードランナーと共に、知恵を絞って対処しようとするも、圧倒的な力の差になすすべなく追い詰められてしまう。

 

 しかし絶体絶命の危機を、とつじょ空から現れたフクロウのフレンズの集団が救ってくれたのだった。

 フクロウ達が見事な連携でビーストを網に捕えると、最後に物陰から現れたハツカネズミと呼ばれるフレンズが「麻酔薬」を注射してビーストを眠らせた。

 

 実は、ハツカネズミたちはビーストを捕えるためにあらかじめここで罠を張って待っていたのだった。

 先ほど悲鳴を上げたフレンズのデグーも捕獲劇に参加していたうちの1人だ。

 

 ともえ達はフクロウたちのリーダーであるオオコノハズク、ワシミミズクとも対面を果たす。

 彼女たちは随分と名の知れた存在であるそうだ。

 キョウシュウという、ここからはるか南に位置するエリアを治めるフレンズであるという。

 ビーストを捕まえるために、ここホッカイの地にはるばる遠征してきたらしい。

 

 聞いたところによると、2人はかつてキョウシュウにて「ヒトのフレンズ」に会ったことがあるという。

 そしてビーストの捕獲に協力してくれたお礼に、そのフレンズの情報を話しても構わないと言ってくれた。

 

 フクロウたちはハツカネズミと共に、眠るビーストを、ジャパリホテルと呼ばれるハツカネズミの根城に移して閉じ込めるために飛び立った。

 ともえ達はデグーの案内を受けながら、徒歩でそれを追いかけることになった。

 新たな手掛かりが得られそうなことに気分を良くするイエイヌとロードランナー。

 ・・・・・・しかし、ともえは内心、ビーストのことが気にかかり、出来るならば話がしてみたいと思ったのだった。

 

 

 デグーの案内を受けて歩き続けていると、やがて海岸にたどり着く。

 ジャパリホテルはなんと、海の上にそびえ立っていた。

 世にも奇妙な、建物の大半が海に水没した巨大な建物だったのだ。

 

 ともえ達が渡し舟を使ってジャパリホテルに入っていくと、そこに住んでいたフレンズたちから歓迎を受けた。

 そこは実際にホテルとして使われ、各地からフレンズが客として訪れる観光名所だったのだ。

 だが今は客足が遠のいてきているという。

 ビースト騒ぎの一件もあるし、またここ最近は辺り一帯に深い霧が立ち込めて、居心地のいい場所ではなくなってきているかららしい。

 

 ホテルの中には数多くの「ヒトの時代の機械」が、実際に使用できる状態で置かれており、見世物として客を楽しませていた。

 それらはハツカネズミが修理した物らしい。

 かつて自分が何者かもわからないまま彷徨っていたハツカネズミは、そのままジャパリホテルに居つくことになりスタッフとして働くことになったという話だ。

 

 ホテルの支配人のオオミミギツネは、そんなハツカネズミのことを大事に思っていたが、最近は外からきたフクロウのフレンズたちと、何やら秘密の相談ばかりしているから心配だと述べた。

 

 ハツカネズミとフクロウたちは、ジャパリホテルの地下深く、深海の中にあるハツカネズミの研究室にいるらしい。

 眠るビーストもそこに運び込まれたという話だ。

 ともえ達はエレベーターに乗り研究室へと向かった。

 その最中、ラモリがオーブの反応を検知する。が、詳細なことは何もわからなかった。

 

 研究室にてオオコノハズクとワシミミズクに出迎えられるともえ達。

 さっそく「ヒトのフレンズ」の話を聞かせてもらった。かつてその者は、ともえと同じように自分の居場所や生まれてきた理由を探していたという。

 だが今はどこで何をしているかわからないらしいのだ。

 どうやら2人はヒトのフレンズに関する具体的な手がかりを持っているわけではなかった。

 

 話を聞き終えた後、ともえは胸に秘めていた思いをフクロウたちに打ち明ける。

 ビーストとは和解できるかもしれない、だから話をさせて欲しいと。

 しかしその頼みは、にべもなくフクロウたちに断られてしまった。

 負けじと何度も頼み込んでいると「美味い料理を食べさせてくれたら考えてやってもいい」と、半ば冗談めかした条件が返ってきた。

 

 ・・・・・・が、イエイヌはそれに見事に答えた。

 リャマのレストランでもらった白トリュフを持ち出して「自分ならこれを再現できる」と豪語したのだ。

 美味い食べ物に目がないフクロウたちは白トリュフに釣られてしまい、渋々その言葉を飲んで、ともえ達をビーストを閉じ込めている檻の傍へと案内した。

 

 ビーストは檻の中ですでに目を覚ましていた。

 もしビーストが暴れても絶対に大丈夫なように作られている頑丈な檻だ。 

 とはいえ彼女は自分からはピクリとも動こうとせず、食べ物や水を上げようとしても見向きもしなかったという。

 フクロウたちの調べによると、どうやらビーストは、元は「アムールトラ」という種族のネコ科のフレンズであるらしかった。

 

 ともえは自ら名乗り出て、鉄格子ごしにアムールトラとの会話を試みる。

 だがアムールトラはともえの言葉を無視し、しまいには「ハナシカケルナ」と片言で答えるのみだった。

 落胆するともえを他所に、フクロウたちやハツカネズミら3人の学者達は、自分たちが何をしても無反応だったアムールトラが言葉を発したことに驚いた。

 

 3人の学者たちは、アムールトラのことがもっと良くわかれば、彼女を外に出してやることも出来るかもしれないと結論づけ、アムールトラとさらに話をしてほしいとともえに頼んできた。

 ともえはこれを快諾するが、その準備をするために、トラという種族のことをもっと勉強したいと考え、学者たちから書物を借りることにした。

 

 その日はすでに日も暮れており、ともえたちも随分疲れていたので、借りた本を片手に研究室を後にし、ジャパリホテルの客室で休むことに決めた。

 客室に向かう途中ホテルの通路で、オオミミギツネと、ホテルの従業員である数人の海生哺乳類のフレンズたちが口論をしているのを見た。

 

 海生哺乳類たちが言うには、海底の暗闇の中で、青く輝く謎の物体を見つけたらしいのだ。

 そして青い光のすぐ近くに”船みたいな巨大な影”が動いているのも目撃したらしい。

 影がその場から移動して見えなくなったのを確認してから、謎の光る物体を探そうとしたが、光は消えてしまっており見つけることが出来なかったという。

 

 ともえ達は彼女たちの話を聞いて、自分たちが探している「オーブ」に違いないと思い、そのことを周囲に話した。

 ここで話がとんとん拍子で進むことになった。

 無鉄砲な所があるロードランナーと、スリルのある探検がしたい海生哺乳類たちが意気投合したのだ。

 

 さらに珍しい物に興味があるハツカネズミがそれを後押しした。潜水用の道具をロードランナーに貸し出してやることにしたのだ。

 これでロードランナーも水の中に潜れるようになった。

 支配人オオミミギツネが渋々承諾したことで、ロードランナーと、海生哺乳類たちによる海中探検が翌日行われることになった。

 

 その後ともえ達がホテル内で夕食を取っていると、副支配人ハブに話しかけられた。

 自分がホテルの内部を詳しく案内してやるから一緒に来いと誘ってくれたのだ。

 ともえとロードランナーはハブについて行くことにした。

 しかしイエイヌだけは別行動を取って、ホテルの一角で仕事に励むハツカネズミを訪ねた。

 

 実はイエイヌは、ハツカネズミのことが初めて見た時から気になっていた。

 自分と同じ白い体と、左右で色の異なる瞳を持っていたので、自分に近しいフレンズではないのかと思ったためだ。

 

 イエイヌもまた、ともえと同じく昔の記憶を失っていたフレンズだった。

 彼女にはヒトのことを守りたいという強い気持ちがあった。今はともえが守る対象だ。 

 しかしその気持ちがどこから来たものなのかわからなくて、それが彼女の不安の種だった。

 だから自分によく似たハツカネズミに質問をしてみたのだ。

 どうして機械のことに詳しいのか? それはヒトから教わったものではないのかと。

 

 残念なことに、ハツカネズミも過去の記憶を失っており、かつてはヒトと関わりがあったのかもしれないが断言することはできないという。

 しかし彼女はイエイヌのように悩んではいなかった。

 無くした記憶よりも、自分を拾ってくれたオオミミギツネやジャパリホテルの仲間たちに恩返しをすることの方が大事だと思っていたからだ。

 大事だと思っているならば、それは自分にとって揺るぎない物のはずだ、と。

 ハツカネズミのその言葉を聞いて、イエイヌは少しばかり勇気づけられた。

 

 

 ともえとロードランナーは、ハブに案内されて色々な物を見て回っていた。

 ホテル内には、かつてヒトがいた時代の数々の遺物が展示されていた。中でも驚かされたのは、ヒトを乗せて空を飛んだといわれる「ヘリコプター」だ。

 その後はハブが切り盛りする土産物店で珍しい品物を貰ったりした。

 ・・・・・・ともえはアムールトラの事が気にかかり、彼女が草原で世話をしていた白い花によく似たブローチを選んだ。

 

 その後はイエイヌとも合流して、3人でホテルの一室に泊まることになった。

 窓から海底の景色を一望できる幻想的な部屋だ。

 ロードランナーは明日の冒険に供えて早々と眠ってしまった。

 

 ともえはアムールトラと話をする準備のために、借りた本を読みこんだり、アムールトラに見せるための絵を描いたりして夜更かしをしていた。

 そんなともえに、イエイヌがコーヒーを差し入れながら話しかける。

 ともえはアムールトラを牢屋から出してあげたい気持ちでいっぱいになっていた。

 イエイヌはともえのことが心配で、もしアムールトラがまた彼女を襲ったらと思うと気が気じゃなかった。

 

 そんな2人の間で少しすれ違いが起きてしまった。

 イエイヌが「アムールトラはこのまま牢屋に入れておいた方が良いのかもしれない」と言ってしまい、ともえがそれに怒って猛反発したことで、気まずい空気になってしまった。

 それきりイエイヌは黙り、ともえは1人もくもくと作業に打ち込んで夜を明かした。

 

 次の日、作業をしながら寝てしまったともえを、イエイヌが元気よく起こした。昨日の諍いのことを、あえて気にしないようにしているのがわかる。

 ともえは謝ろうかとも思ったが、イエイヌが気遣ってくれているのに調子を合わせて、普段通り振る舞うことに決めた。

 

 一行は予定通り別行動を取ることになった。

 ともえとイエイヌは牢屋の中にいるアムールトラを訪ねに行き、ロードランナーは海生哺乳類たちと共に、海の中へオーブを探しに行った。

 どうやらラッキービーストのラモリもロードランナーに付いていくつもりのようだ。

 

 ロードランナーは生まれて初めて訪れた幻想的な海の景色に心を躍らせたが、やがて何も見えないほどに深く暗い海底へと潜っていくことになった。

 海生哺乳類たちが持ち前の反響定位(ソナー)を使ってオーブを見つけようとするも上手く行かず、探索は手詰まり状態になっていった。

 

 そんな時、ラモリが謎の音を発し始める。

 ロードランナーはその音がオーブへの目印であり、オーブに近づけば近づくほど音の感覚が短くなっているのではないかと推理した。

 音を頼りに周囲を探っていると、やがて海底に足が付いた。

 ロードランナーの目算は当たり、海の底の砂丘にて、青い輝きを放つオーブを発見出来た。

 

 オーブを手に再び海面へと浮上しようとするロードランナーたち。

 辺りの景色が日の光に照らされ始める・・・・・・が、そこで彼女たちは、船のような形の巨大な影に遭遇することになる。

 どうやら海生哺乳類たちが先日海の中で目撃した物と同じであるようだった。

 あれがセルリアンだったとしたら、自分達では到底太刀打ちできないし、逃げようにも見つかって後を付けられたらジャパリホテルに被害が出かねない。

 

 そう思い隠れてやり過ごそうとした海生哺乳類たちだった・・・・・・が、それは無理な相談だった。

 ロードランナーがいたからだ。彼女が背負っている酸素ボンベの残量が少なくなってきている。

 何とかして海面に浮上しなければ溺れてしまう。

 しかし下手に動こうものなら、船の怪物にソナーで位置を知られてしまう。

 

 必死に考えた結果ロードランナーは、自分が動くのではなく、酸素ボンベなどを全部捨てて、自然に浮き上がることで海面に出ようという捨て身の作戦を考案した。

 海生哺乳類たちが協力してくれたことで、その場は何とか見つかることなく逃げることが出来たのだった。

 

 

 一方そのころ、ともえは地下室にて、用意した資料を使ってアムールトラとコミュニケーションを取ろうとしていた。

 動物のトラが住んでいるような深い森の絵や、大昔のヒトが描いたトラの絵の模写などを見せ、アムールトラに昔のことを思い出してもらおうと問いかけた。

 

 ・・・・・・アムールトラは段々と、ともえの言っていることが頭に入り始めていた。

 そして自分が今まで正気を失っていたことや、昔の自分のことについて何も思い出せないことを自覚した。

 長いこと他のフレンズたちから恐れられ避けられてきたために、ともえに対しても心を開く気にはなれなかったが、敵意や恐怖を抱かれているわけではないようだとも考えた。

 ともえが水と食料を差しだしてきたので、ひとまず水だけを受け取ることにした。

 

 ハツカネズミとフクロウたちは、2人のやり取りを離れた所から見ていて、研究が進捗してきていることに確かな手ごたえを感じていた。

 一方のイエイヌは、やはりアムールトラのことが恐ろしくて、ともえから遠ざけたい気持ちが捨てられなかった。

 状況に流されるまま後ろで見ていることしか出来ない自分を歯がゆく感じていた。

 

 ・・・・・・が、上手く行っていた空気がいっぺんに崩れる出来事が起きる。

 ともえが白い花のブローチをアムールトラに手渡したことがきっかけだ。

 アムールトラはブローチをしばし無心になって見つめた。

 理由は良くわからないけれども、白い花はアムールトラの中に穏やかで優しい気持ちを呼び起こした。

 

 しかしその後、アムールトラは白い花のブローチが血にまみれる幻覚を見た。

 どうやら白い花は自分にとって特別な意味を持っているらしい。

 そのことがきっかけで、優しい気持ちだけでなく、奥底に眠っていたおぞましい記憶の片鱗が呼び覚まされてしまったのだ。

 

 アムールトラはたまらず感情の抑えが聞かなくなり、白い花のブローチを放り捨てると、記憶を振り払うように自傷行為を始めた。

 苦しみから逃れる方法はたったひとつ。自らの命を断つことだ。

 ・・・・・・しかしアムールトラは、自身の内側から呼びかけてくる謎の声によってギリギリ踏みとどまった。

 そして目の前にいるともえに「モウ、来ナイデクレ」と静かに伝えた。

 

 さしものハツカネズミ達もこれ以上会話を続けさせるべきではないと判断し、ともえに戻ってくるように伝えた。

 ともえは「ますます傷付けただけだった」と意気消沈してアムールトラの前から去った。 

 

 落ち込むともえ達の前に、一匹のラッキービーストが現れる。

 それは赤い体のラモリではなく、ともえ達の知らない通常の青色カラーの機体だった。

 しかしどうやらオオコノハズクとワシミミズクには心当たりがあるらしい。

 2人のフクロウはともえ達に退室するように告げた。

 

 2人のフクロウとハツカネズミは、3人でラッキービーストと向かい合うことになった。

 ハツカネズミが動揺する最中、ラッキービーストから謎の声が発せられる。

 遠い所から何者かが、ラッキービーストを介して話しかけてきたのだった。

 

 謎の声の主は、自分のことを「園長」と名乗った。

 園長が言うには、今回ビーストを捕える作戦を考えたのは自分であり、オオコノハズクとワシミミズクはそれを実行しただけに過ぎないという。

 

 園長は「ジャパリパークを正しい方向に導く」という理想を持っており、そのために仲間を集めようとしているのだという。

 実際のところオオコノハズクとワシミミズクは、まだ園長の正式な仲間ではなく、姿を見たことすらもなかったが、ビーストを捕えるという役目を果たせば仲間に加えてもらうという約束を交わしていたらしい。

 

 自分の仲間になったフレンズには、その子が望む者を与える、と園長は豪語していた。

 2人のフクロウが園長の誘いに乗ったのも、園長が持っている知識を自分達も学びたいと考えたからであった。

 

 そして園長は、ハツカネズミのことも誘ってきたのだった。

 ハツカネズミは、園長という謎のフレンズが底知れない知識を持っていると実感し、魅力的な誘いだとも思った。

 しかしジャパリホテルの仲間たちのことが頭をもたげ、返事を先延ばしにすることにした。

 

 ハツカネズミの「NO」の返事に構うことなく、園長は別の話題を切り出してきた。

 ビーストが自傷行為をしたのを見て、このままでは彼女が自殺してしまう可能性を危惧していると言うのだ。

 それでは困るので、ビーストのことを「これから迎えに行く」と言ってきたのだ。

 

 2人のフクロウは、話があまりに急すぎると非難し、準備する時間をくれと園長に願い出た。

 しかし園長はにべもなく拒否し、強引に話を進めてきた。

 

 園長いわく「フォルネウス」という自分の使いを、これからジャパリホテルに向かわせると。

 後のことは全てフォルネウスが引き継ぐので、ビーストには誰にも近づけさせるなと。

 そして他のフレンズは一刻も早くジャパリホテルから立ち去れと。

 

 要件だけ告げた園長が、一方的に通話を打ち切ってしまうと、残されたハツカネズミたちがこれからのことを話し合った。

 2人のフクロウはハツカネズミに、これまで隠し事をしてきたことを詫びた。

 だが園長の言葉には従うべきだとも告げてきた。

 ハツカネズミは渋々それに同意することにした。

 

 

 ・・・・・・檻の中でジッとしていたアムールトラは、上で見張っていたハツカネズミたちの気配がなくなったことを察した。

 アムールトラは深い失意に包まれていた。

 ともえという、敵意なく自分に歩み寄り、記憶を掘り起こそうとしてくれた存在を拒絶したことを後悔していた。

 

 だが、結局思い出せた記憶は、凄惨な血だまりのイメージだけだったのだ。

 やはり自分は救いようがない存在であると悟ったアムールトラは、あれこれ考えるのを止めて、冷たい檻の中で朽ち果てていくことだけを願った。

 ・・・・・・しかしそんな彼女に、どこからか何者かの声が語り掛けてきたのだ。

 アムールトラはなぜだかその声に聞き覚えがあった。以前から何度も、自分に語り掛けてきていたような気がした。

 

 そして自分以外は無人だったはずの牢屋に、白い光を放ちながら謎のフレンズが現れる。

「ビャッコ」と名乗るその者は、自らを白いオーブの具現体だと称した。

 以前から何度もアムールトラに思念を送り、その行動を誘導していたのだという。

 アムールトラはビャッコに導かれるまま行動し、自分でも気が付かない内に、彼女を体内に受け入れていたというのだ。

 

 その結果、ビャッコはアムールトラの行動を内側からある程度コントロールすることが出来るようになっていた。

 つい先ほどアムールトラが自傷行為を行っていた時も、ビャッコが止めてくれたから、すんでのところで思いとどまることが出来ていたのだった。

 

 ビャッコは自分がアムールトラに取り付いた目的を語りだす。

 それは大昔のジャパリパークの歴史に関係したことだった。

 

 かつて「女王」の指揮の下、虚無の怪物セルリアンが暴れまわっていた。

 フレンズは、旧世界の支配者であったヒトと協力してセルリアンと戦った。

 戦いの末に女王を滅ぼすことに成功し平和が訪れた。

 戦禍は去ったものの、その代償として、大地がヒトが住むことができない程に汚染されてしまったため、ヒトは星から去ってしまった。

 残されたフレンズはジャパリパークにて暮らすようになった・・・・・・

 

 しかし、ここでビャッコの話が現代へと戻る。

 ずっと平和を享受してきたはずのジャパリパークに不穏な空気が立ち込めているのだと。

 セルリアンの女王か、それに近しい者が暗躍してセルリアンを操っていると言うのだ。

 このままではジャパリパークの平和が脅かされてしまう、と。

 

 ビャッコがアムールトラに取り付いたのは、かつてフレンズの中でも卓越した戦士だった彼女に、再び世界を守るために戦ってほしいという目的があったからだ。

 

 しかし、アムールトラはビャッコの懇願を断った。

 彼女はすっかり自信を失い、恐怖に囚われてしまっていたのだ。

 いつまた己の意志とは無関係にフレンズを襲ってしまうかわからない。そんな自分にジャパリパークを救うことなど出来るはずがない・・・・・・と。

 

 ビャッコはそんなアムールトラに対して助言をした。

 恐怖を消そうとするのではなく、あるがままの感情を受け入れ、己が大切にしていた価値のままに行動しろ、と。

 そして最後に、床に投げ出された白い花のブローチを照らし出し、アムールトラに注目させてから、ビャッコは再びその場から消え去った。

 

 

 ともえとイエイヌは、アムールトラがいる牢屋とは離れた区画にて、博士たちの話が済むまで待っていた。

 そこは研究員たちの生活空間であり、オオコノハズクとワシミミズクの弟子であるフクロウ達が、呑気にカード遊びなんかに興じていた。

 

 フクロウ達はともえとイエイヌを誘ってくれたりしたが、アムールトラの件で意気消沈している2人は、それをやんわりと断り、黙りこくって時間が経つのを待っていた。

 そんな折、新たなフレンズが部屋に訪れた。

 ロードランナーだ。その手には、海底で手に入れた青いオーブが握られていた。

 

 ともえは、目的の品を手に入れて意気揚々としているロードランナーに対して、アムールトラが自傷行為を行ったという経緯を聞かせた。

 3人が3人とも「もうアムールトラのことはあきらめるしかないのだろうか」と頭を抱えた。

 

 しばらくすると、オオコノハズクとワシミミズク、そしてハツカネズミが戻ってきた。

 そして3人は、思いがけない話をともえ達一行と、弟子のフクロウたちに聞かせた。

 3人で話し合った結果、アムールトラの研究を打ち切ることにしたというのだ。

 自分達とは別のフレンズが研究を引き継ぐことになり、アムールトラは違う場所に移されることになったと言うのだ。

 当然ともえ達もお役御免だ。

 アムールトラのことはあきらめて、今まで通り旅を続けろとフクロウたちは言う。

 

 突然のことに納得がいかないともえ達がうろたえていると、彼女たちがいる地下室に、一本の電話が鳴り響いた。

 電話の主はハツカネズミの助手であるデグーだ。

 彼女は上階のホテルから連絡を寄越していた。何やらひどく取り乱した様子だ。

 

 デグーの報告は驚くべき内容だった。

 見たこともないような巨大なセルリアンが、ジャパリホテルを襲っているというのだ。

 セルリアンがホテルの壁面のガラスを砕いたことで、建物内に浸水が始まっている。

 大混乱が起きていて、宿泊客の避難誘導もままならない状況なのだと。

 

 最後にデグーは、一刻も早く逃げるように伝えて電話を切った。

 ともえ達が今いる地下室は、エレベーターを通じて上階から繋がっているのみであり、もし浸水の影響でエレベーターが動かなくなったのなら、完全に閉じ込められてしまうからだ。

 

 デグーの連絡が真実であることを裏付けるように、地下室が水圧で軋む音が聴こえてきた。

 もはや一刻の猶予もないと判断した博士たちは、弟子たちに荷物をまとめ、エレベーターに向かうように命令した。

 

 そして博士達は、ともえ達にも一緒に来るように伝える。

 もはや牢屋の中にいるアムールトラは置き去りにしていくしかない。

 そのことに踏ん切りがつかないともえに対して「お前が頑張って説得しても、あの怪物が心を動かすことはなかった」と、冷淡な言葉で釘をさした。

 

 もうアムールトラのことはあきらめるしかないのだろうか・・・・・・と、ともえはついに心が折れそうになった。

 しかしそんなともえを、イエイヌが引き止めた。

 

 今までイエイヌはアムールトラのことを、セルリアンよりも怖い怪物だと思い、ともえから引き離したいと思っていた。

 だがアムールトラが自傷行為をした時、涙を流していたのを見たことで、彼女もまたフレンズであったことに気付いたのだ。

 

 イエイヌはさらにともえを励まし、鼓舞した。

 アムールトラに寄り添おうとしたことは間違ってなかったと。

 このまま見捨ててしまっては、アムールトラは誰にも理解されないまま消えていってしまう。だから助けに行こう、と。

 

 ともえはイエイヌの言葉で自信を取り戻し、アムールトラを助けに行く覚悟を固めた。

 ロードランナーも「やると決めたんならやろう」と、持ち前の無鉄砲さで2人の肩を持った。

 

 オオコノハズクとワシミミズクは猛反対したが、ハツカネズミだけは理解を示し、アムールトラの牢屋を開ける鍵を手渡した。

 自分達だけ逃げるようなことをしてすまない、と謝るハツカネズミ。

 しかしともえは、彼女がホテルの仲間のことを大事に思っていることを知っていたため「仲間を助けるためにも早く行ってあげて」と答えた。

 かくしてともえ達一行は皆と別れて、危険も顧みずアムールトラの救出に向かった。

 

 牢屋にいるアムールトラもまた、外で何か異常なことが起きているのを感じ取っていた。

 体内にいるビャッコも「何とかしてここを出ろ」と促してくる。セルリアンがここを襲っていることを看破しているのだ。

 

 アムールトラはビャッコの願いを改めて断った。

 この世界を救うために戦うことなんて無理だし、自分なんか誰からも必要とされていないと。

 しかしビャッコは「もしお前を必要とする者がいたら」と予言めいたようなことを告げる。

 

 その予言は間もなく的中することになる。

 ともえ達一行が牢屋の鍵を開けて、アムールトラの前に姿を現したのだった。

 刹那、アムールトラの体内にいるビャッコと、ロードランナーが持っている青いオーブが光を放ち共鳴しはじめた。

 どうやらともえ達の目にはビャッコが見えていないようだ。

 

 ビャッコ曰く、青いオーブには「我が同胞」が封じられているという。

 離れていても通じ合っている彼女たちは、連絡を取り合いながら同じ目的の下に行動していた。

 彼女たちの最終的な目的は、アムールトラに女王を倒させることであったが、それよりも何よりもまずは、アムールトラの味方になってくれるフレンズを引き会わせたいという意図があった。

 

 何が起きているかわからず、ぽかんとするともえ達を横目に、ビャッコは再びアムールトラを叱咤した。

 危険を顧みず助けにきてくれた彼女達の気持ちに答えるか、このままここで朽ち果てるのを待つか自分で選べ、と言い残してビャッコは姿を消した。

 具現化を長く続けたことで疲労してしまったようだ。

 

 ともえはハツカネズミから貰った鍵でアムールトラを解放したが、アムールトラはどうしたら良いのか迷い、すぐに動くことが出来なかった。

 いつまた暴走するかも知れないアムールトラにとっては、誰かと一緒にいることは恐怖でしかなかった。

 

 ともえ達はアムールトラを慮り、行動を強制することはなかった。

 自分達はもう行くから、後できっと逃げてほしいと言い残してその場から立ち去ろうとした。

 

 ・・・・・・が、その直後、ひと際大きな振動が地下牢を襲った。

 地下設備が停電を起こし、そのうえ浸水まで始まってしまったのだ。

 そしてラモリから衝撃の事実が告げられる。

 エレベーターがもう使えなくなってしまったと。

 

 暗闇の中ともえ達は、ラモリにライト代わりになってもらい、上に通じる別の出口を探すことになった。

 エレベーター以外の出入口はきっとあるはずだ、とともえは思った。

 でなければ、ホテルにいるフレンズたちに知られずにアムールトラを牢獄に運び込むことは不可能だからだ。

 

 もはや一刻の猶予もない。足元には海水が流れ込んで来ている。

 あれこれ考えを整理した結果、今いる地下牢の天井を調べることにした。

 すでに何度かここに出入りしたともえ達は、ここの天井が、はっきりとした高さがわからないぐらいに高いことを知っていたからだ。

 

 ラモリさんにサーチライトを出してもらい、天井を一通り調べた結果、不自然な凹みがあるのを見つけた。

 ここで鳥類であるロードランナーの出番だ。

 天井まで飛んでいき、不自然な凹みの横にある鍵穴に鍵を差し入れこじ開けようとした。

 

 が、しかしともえ達はここでピンチに陥った。

 ハツカネズミがくれた鍵によって、天井の隠し扉を開錠すること自体は出来た。

 だが外部から加えられた衝撃により区画全体が歪んだことで、本来なら開くはずの物が動かなくなってしまったのだ。

 

 ロードランナーがいくら力を込めても扉は動かない。

 浸水はみるみる内に進んでいき、下にいるともえ達が今にも溺れそうになっていた。

 ・・・・・・が、その瞬間、救いの手が差し伸べられることになる。

 ついにアムールトラが動いたのだ。

 

 彼女はその身体能力を生かし、地下牢の壁を三角飛びで駆け上がると、ロードランナーが開こうとしていた天井の隠し扉を、力づくでこじ開けた。

 ともえ達が土産物屋でロープを手に入れていたことも幸いして、無事に全員が地下牢から脱出することが出来た。

 一緒に来てくれることを喜ぶともえ達に対して、アムールトラは「お前たちを外に逃がすまでだ」と釘を差した。

 

 天井裏の隠し通路を進むともえ達。

 やがて一行は、どこまでも上に続く細長いパイプ状の通路にたどり着いた。

 そこには梯子が取り付けられていて、一列に並んでそれを登ることになった。梯子を上り切った先の扉を開けると、一行はついに地上への帰還を果たした。

 

 そこはジャパリホテルの外壁のどこかであり、すぐ下には足場に出来そうなベランダがあった。そこに降りて下の様子を一望すると、そこが海面からかなり高い場所にあることがわかった。

 ベランダはろくに手入れがされておらず荒れ果てていた。

 ともえ達が案内を受けたのも海の下のエリアだけだったことから、上の方には普段からフレンズが立ち入っていないように思われた。

 

 ひとまず危機を脱したので、イエイヌとロードランナーは改めてアムールトラに自己紹介をし、ともえはみんながまとまっていることを喜んだ。

 アムールトラはそれに対して、ここを出るまでの付き合いということを強調し、突き放すような態度を取りつつも、久しぶりに他のフレンズと話せたことや、ビャッコの影響で言葉を思い出しつつあることを内心嬉しく思った。

 

 とにもかくにも一行は、地下室で別れたハツカネズミたちと合流するために、下の様子を観察することにした。

 ・・・・・・ほどなくして、はるか眼下の海の上に、巨大なクジラのような形のセルリアンが現れるのを目撃した。

 ともえはデグーの言っていたセルリアンはあれで間違いないだろうと思った。

 場所はホテルの入り口である、海に面した中庭のすぐ近くだ。

 

 中庭には、脱出しようとしているのであろう数多くのフレンズが集まっていて、このままではセルリアンの犠牲になるのは時間の問題だ。

 ともえ達はなんとかしてこっちに注意を逸らせないかと思案した。

 だが下にはあんなにたくさんのフレンズがいるのに、都合よくこっちだけを狙わせる方法は思い浮かばなかった。

 

 焦るともえ達を横目に、アムールトラは自分の中にいるビャッコに呼びかける。

 アムールトラが聞くまでもなく、ビャッコが彼女の疑問を察してくれた。

 あのセルリアンの狙いについてだ。

 仮に女王の命令で動いているのなら、恐らくは、自身の脅威となり得るアムールトラを狙っているのだろうとのことだ。

 ならば他のフレンズを巻き込むわけにはいかない、とアムールトラは思った。

 

 アムールトラはともえ達に「自分が囮になりに行く」と告げた。

 自分は今すぐここから飛び降り、壁を伝って下に降りるつもりだと。いっぽうのともえ達は、ホテル内の階段を降りて下に行けと。

 ともえ達が下に着くころには、きっとセルリアンを引き離してみせるから、その間に他のフレンズと合流して逃げろと伝えた。

 

 アムールトラの有無を言わさぬ硬い意志を感じ取り、決断の速いロードランナーは、すぐにホテルの中に入っていった。

 しかしともえとイエイヌは迷い動けないでいる。

 

 アムールトラはともえに対して、彼女がプレゼントしてくれたブローチを返すことにした。

 激しく動き回ったら落としてしまいそうな気がしたからだ。

 しかしともえは「こうすれば落とすことなんかないよ」と、アムールトラの胸にブローチを留めてあげた。

 

「かならず生きてまた会おう」と約束してから、アムールトラとともえ達一行は別れた。

 アムールトラは爪を突き立てて垂直なホテルの壁面を下り、眼下の海上で暴れるセルリアンへと向かって行った。

 

 海上ではアムールトラに先んじて、巨大セルリアンと戦っているフレンズがいた。

 オオコノハズクとワシミミズクだ。

 地下室にてともえ達と別れた後、ホテルのスタッフたちと協力して宿泊客を逃がそうとしていた矢先に、海中から現れた巨大セルリアンに襲われたのだ。

 

 キョウシュウのリーダーである彼女たちはかなり戦闘慣れしており、使いこなすフレンズが滅多にいない野生開放をも習得していた。

 巨大セルリアンの攻撃を躱しながら、幾度も超スピードの爪の一撃を浴びせ続けたが、その堅牢な外皮には、自分達の攻撃がまるで通用していないと悟った。

 

 2人の脳裏に昔の記憶がよみがえる。

 姿かたちは違えど、このセルリアンは、自分達がかつてキョウシュウエリアで戦った「4本足のセルリアン」とそっくりだということを。

 あの時は、キョウシュウのフレンズたちの力を結集し、さらに「ヒトのフレンズ」が頑張ってくれたために倒すことが出来た。

 しかし今のこの状況は、あの時よりもさらに絶望的だと思った。

 

 とつじょオオコノハズクの動きが遅れた。

 巨大セルリアンが繰り出した触手に捕まってしまったのだ。

 しかしワシミミズクが必死になって触手を切断しオオコノハズクを救出した。

 

 だが今度はワシミミズクの方が何本もの触手に巻き付かれ、みるみるうちに引き込まれてしまったのだ。

 セルリアンに飲み込まれていくワシミミズクを、オオコノハズクがいくら頑張って引っ張り上げようともビクともしなかった。

 ワシミミズクは覚悟を決めた。自分にとってオオコノハズクは大切な存在であり、彼女を守れるのなら自分の命がどうなっても構わないと思った。

 

 ・・・・・・が、ワシミミズクはすんでの所で助けられた。

 アムールトラが上から現れ、巨大セルリアンの背中に飛び乗ったのだ。

 彼女はオオコノハズクを遥かに上回る腕力でワシミミズクの襟首を掴み、セルリアンの体表から引き抜いた。

 

 オオコノハズクたちは大急ぎでアムールトラから離れた。

 2人のフクロウはアムールトラに助けられたとは思っていない。彼女たちにとってビーストもまた恐ろしい怪物だからだ。

 何が起きたか理解できずに、安全な所から状況を見定めるしかなかった。

 

 そんな2人を後目にアムールトラは巨大セルリアンに戦いを挑む。

 背中に飛び乗ろうとも一筋縄ではいかない相手だ。

 無数の触手を生やし、鞭のように振るってくるセルリアンに対して、アムールトラは早くも防戦一方に陥った。

 

 一撃をくらい、セルリアンの背中から叩き落されたアムールトラが落下したのは、ジャパリホテルの入口である、海に面した中庭だった。

 脱出するために集まっていたフレンズたちが、アムールトラを見て恐怖の声を上げる。

「セルリアンだけでも絶望的なのに、さらに怪物がもう一匹現れた」と戦慄しているのだ。

 

 アムールトラはあらためて、自分がフレンズたちから恐れられ嫌われていることを実感した。

 そして彼女たちには構わずに巨大セルリアンに対峙する。

 船のような、またはクジラのような異様な姿を見上げていると、アムールトラの奥底で眠りに付いていた「ビースト」の意志がふたたび頭をもたげた。

 暴力的な衝動に支配され、戦うこと以外は考えられなくなりそうになっていた。

 

 正気を失いそうなアムールトラをビャッコが叱咤した。

 このままでは誰も助けられない。ともえのことも、それでもいいのか、と。

 その言葉によって、アムールトラは住んでのところで正気を取り戻すことが出来た。

 

 冷静になったアムールトラが取った行動は、敵から逃げることだった。

 セルリアンの狙いが自分であることはわかっている。

 ならばやることは一つ。注意を引き付け、フレンズたちがいる中庭から遠ざけるために、壁伝いに横方向に移動するのだ。

 そうすれば、船のような体のセルリアンには手の出しようがない。一定の距離を保ったまま追跡することしか出来ないだろう。

 

 が、そんなアムールトラの目算は、敵の驚くべき行動によってひっくり返された。

 セルリアンの全身が融解し始め、海中に沈んで見えなくなってしまった・・・・・・かと思いきや、ほどなくしてセルリアンは再び浮上し姿を現した。

 直前までの船のような姿とは違う、8本の長大な足を生やしたクモのような姿だ。

 

 巨大蜘蛛と化したセルリアンは、垂直なジャパリホテルの壁をよじ登ってアムールトラを追跡し始めた。

 アムールトラは爪を突き立てて、壁面を上へ上へと登っていくことで逃れようとした。

 

 アムールトラにはある狙いがあった。

 このジャパリホテルがどれほど高いのか知らないが、いずれは屋上に辿りつくはずだと。

 そうすればセルリアンと一対一で戦えると。

「化け物同士、最後までお前に付き合ってやる」と、内心独り言ちながら、セルリアンを上へと誘導し続けた。

 

 to be continued・・・




 過去編は1人称で進めましたが、現代編を書き始めた当初は3人称と1人称がごちゃ混ぜになったような形式でした。
 改めて小説の知識が何もない状態で書き始めたな、と思います。今もないけどね。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編12「これまでのおはなし その2」

 アムールトラとセルリアンが去ったことで、中庭に取り残されたフレンズ達は安堵した。

 戦いに疲弊した2人のフクロウが中庭に降り立つ。

 ハツカネズミは彼女達をねぎらいながらも、周囲のフレンズ達に脱出を呼びかけた。

 

 さっきまでは海上の安全が確保できていなかったので、空を飛べるフレンズ達によって、他のフレンズ達を陸地まで少しずつ運ぶ案が考えられていた。

 しかし今なら船が出せる。全員で今すぐこの場から去ろう、とハツカネズミは提案した。

 そして船を動かせる海生哺乳類達に声をかけようとした。

 

 海生哺乳類達は何故だかひどく取り乱していた。

 ハツカネズミが彼女らの話を聞いてみると「こんなことになったのは自分達のせいかもしれない」と言ってきた。

 あの船型の巨大なセルリアンは、自分達が海底でオーブ探しをしていた時に出くわした物であり、自分達を追ってホテルまでやってきたのかもしれない、と。

 

 その話を聞いて、周りのフレンズ達から非難が殺到する。

 ハツカネズミは周囲をなだめるために、そして海生哺乳類達を庇うために、自分の考えを話すことにした。

 あのセルリアンは最初からビーストだけを狙っていたのだと。そしてセルリアンを背後から操る存在がいると。

 

 今回の事件は「園長」と名乗る謎のフレンズが引き起こしたことだ、とハツカネズミはフレンズ達に向かって断言した。

 それを聞いて、最初は訳が分からない様子だったが「そういえば最近のセルリアンの動きがおかしい」と、心当たりがあるフレンズが何人もいた。

 

 ようやくその場にいるフレンズ達が、脱出にむけて一致団結することが出来た。

 無事に生き残って自分達の住処に戻り「園長というフレンズに気を付けろ」と注意喚起して回ろうという意見が固まった。

 

 ハツカネズミが場をしきるのを横目に、オオコノハズクとワシミミズクは意気消沈していた。

 園長のことを信じたいが、この状況では疑わざるを得ない。

 そんな板挟みにあって苦しんでいた。

 

 ハツカネズミとオオコノハズク達は、あらためて3人で話し合った。

 先ほど現れたビーストのことについてだ。

 なぜビーストはワシミミズクを助けてくれたのか?

 なぜフレンズ達に危害を加えず、セルリアンを引き付けるようにしてその場を去ったのか?

 地下牢に閉じ込めていたはずの彼女が、とつじょ上から降ってくるように現れたのはどうしてなのか・・・・・・?

 

 ハツカネズミ達3人はほぼ同時に同じ考えにいたった。

 ともえ達が状況に絡んでいるはずだと。

 彼女らがビーストと心を通わせ、力を合わせて地下牢から脱出したのだと結論した。

 

 ほどなくして、海生哺乳類達が操る船が中庭に現れる。

 フレンズ達が順番に船に乗り込んでいく中で、オオコノハズクとワシミミズクは決意を新たにしていた。

 やっぱりともえ達を見捨てることはできない、と。

 ハツカネズミに避難誘導の指揮を執るように頼んでから、2人は勢いよく飛び立った。

 

 

 壁面を登り続けていたアムールトラが、ついにジャパリホテルの屋上へとたどり着く。

 今はだいぶ引き離しているが、ほどなくして例の8本足セルリアンもここにやって来るだろうと考えながら、臨戦態勢を整えるべく屋上の中央へ向かった。

 

 そこでアムールトラは驚くべきものを目にする。

 先ほど別れたはずの、ともえ、イエイヌ、ロードランナーと再会することになったのだ。

 3人の話によると、最初は下に降りて脱出するつもりだったのだが、通路が途中で崩れてふさがっており、どうしても先に進むことが叶わなかったのだという。

 

 そんな折、ラモリが「建物の一番上に行け。脱出の手段を用意して迎えに行く」と、ともえ達に言ってきたらしい。

 ラモリが何をするつもりかわからないが、ともえ達はラモリを深く信頼していたため、その言葉に従うことにしたのだ。

 

 そうこう話している内に、巨大セルリアンが屋上へと姿を現した。

 8本の足でゆっくりと闊歩しこちらへ近づいて来ていた。

 

 アムールトラはまたしても己の目算が外れたことに失望する。

 この屋上でなら、たとえ自分がビーストに戻っても、誰も巻き込むことなく思う存分セルリアンと戦えると思っていたのに、よりにもよって自分に優しくしてくれたともえ達がこの場にいるなんて・・・・・・と。

 彼女達を巻き込みたくないアムールトラは「お前らがいたら私は戦えない。ここから出来るだけ離れろ」と敢えて冷たく突き放した。

 

 だがともえは、持ち前の頑固さを発揮して、アムールトラの言葉を突っぱねた。

 協力してセルリアンをやっつけ、みんなでここを出よう。

 アムールトラさんがビーストではなく、元の優しいアムールトラさんのままでいられるように頑張ってみよう、と励ました。

 何度アムールトラが拒絶しても引き下がらなかった。

 そして最後に彼女は「アムールトラさんをあきらめたくない」と真剣な顔つきで怒鳴った。

 

 ビャッコも内心から言葉を投げかけてきた。

「お前はビーストのままでいたいのか」と。

 アムールトラの答えは決まっていた。

 ビーストではなく、誰かを守れる戦士に戻りたい、と。

 だが自分のことが信じられず、どうせその願いは叶わない、と頭の中で決めてかかっていた。

 

 アムールトラは今一度ともえを見つめた。

 何も信じられない自分と違って、全てを信じている者のまっすぐな瞳だと思った。

 だからこそともえはこんなにも頑張れるのだと。

 自分も彼女のように、何かを信じて行動してみたいと思った。

 そしてともえ達に頼み事をした。「私のことを信じてこの戦いを見届けてくれ」と。 

 

 そう言い残し、決意を新たに8本足のセルリアンとの戦いに突入した。

 敵のあまりの巨大さとリーチの長さに圧倒され、正面からでは近づくこともままならない。

 そう思い背後に回り込んでから攻撃を仕掛けてみたものの、セルリアンの足の一本がゴムのようにしなり、逆に反撃されてしまう。

 

 アムールトラは目の前の相手が想像以上の難敵であると知る。

 どこにも死角がなく、さらに不定形な体を持っているために、あらゆる角度に攻撃を仕掛けることが出来るのだと。

 

 攻めあぐね苦戦しているアムールトラを、背後から見守るともえ達。

 加勢したい気持ちもあるが、それでは「信じて見ていてくれ」というアムールトラとの約束を破ることになる。

 

 歯がゆい気持ちでいた一行の前に、突如として新たなフレンズが現れる。

 オオコノハズクとワシミミズクだ。

 ともえ達のことを助けに来てくれたのだ。

 

 自分達に乗って脱出するように促してきたフクロウ達だったが、ともえ達はこれを断った。

 アムールトラを置いて逃げるわけにはいかないと。

 そして「今のアムールトラはもうビーストではない」とフクロウ達を逆に説得しようとした。

 

 その証拠が、今まさに戦いを繰り広げているアムールトラの姿だ。

 アムールトラは、巨大なセルリアンに対して、必死に逃げ回り、耐え忍び、わずかな攻撃の機を伺っていた。

 本能のまま暴力を叩きつけるビーストではなく、紛れもなく理性のあるフレンズの戦い方だ。

 

 その様子を見て、さしものフクロウ達もアムールトラが正気を取り戻していることを悟り、今しばらく戦いを見守ることにした。

 しかし、アムールトラがビーストに戻ってしまった時はあきらめるように、とともえ達に改めて釘を刺すのも忘れなかった。

 

 防戦一方のアムールトラだったが、やがて攻撃の糸口を見出した。

 セルリアンの胴体を無理に狙うことはない。まずは攻撃に使ってくる足を狙えばいい、と。

 足を一本でも切り落とせば、敵の機動力を削ぐことが出来る。自分のするどいかぎ爪ならば十分に可能だ。

 

 そして狙い通りにセルリアンの足を引き裂くことが出来そうな局面が訪れた。

 ・・・・・・が、しかしここでまた、アムールトラの中にいるビーストが頭をもたげた。

 敵に対して優位に立った。そのことで生じた感情の高ぶりが、ビーストを呼び起こす引き金になってしまったのだ。

 

 アムールトラはビーストを押さえつけることに気を取られてしまった。

 そのために生じた隙を、8本足のセルリアンは見逃さなかった。

 直後アムールトラは、成すすべもなく滅多打ちにされてしまった。

 

 ともえ達は、ぼろ雑巾のようにされているアムールトラの体から、おどろおどろしい黒い炎が立ち昇っているのを見た。

 それはアムールトラの体がビーストに戻りかかっている証だった。

 

 やがて8本足のセルリアンはトドメといわんばかりに、アムールトラの体に触手を巻き付けて全身を締め上げてきた。

 ともえ達が呼びかける声も空しく、満身創痍のアムールトラは動けなくなってしまっていた。

 このまま死んでしまうか、ビーストに戻ってしまうかの二択を辿るしかない状況に陥った。

 

 もはやこれまでと、オオコノハズクとワシミミズクはともえ達に脱出を促した。

 しかしともえ達はあきらめられず、アムールトラに必死に呼びかけ続けた。

 

 絶体絶命の状況で、アムールトラは不思議な感覚を覚えた。

 8本足のセルリアンに締めあげられて身動きひとつ取れなかったので、おもむろに自分自身の呼吸に注意を向けてみた。

 吸い込む空気は冷たい。吐き出す空気は温かい。

 ・・・・・・そんな無意味なことを考えていると、自分でも驚くほどに冷静になっていった。

 己の内側と、そして外側からもたらされる、ありとあらゆる情報を落ち着いて俯瞰することが出来ていた。

 

 アムールトラはまず、今の自分が唯一会話できる相手であるビャッコに呼びかけた。

 一緒に死ぬことはない。自分の体から抜け出してくれ・・・・・・

 そう内心で念じ彼女に呼びかけてみたものの、彼女からの返事はなかった。

 

 すでにビャッコは自分の中からいなくなったのだろうか・・・・・・アムールトラがそんなことを考えていると、予想だにしない異変が巻き起こった。

 どこからか激しく強い風が吹き荒れたかと思うと、謎の衝撃がセルリアンを昏倒させたのだ。

 

 そして拘束から放り出されたアムールトラを、光り輝く謎のフレンズが受け止める。

 それこそがビャッコだった。

 実体がなかったはずの彼女が現実に姿を現し、アムールトラに加勢してくれたのだ。

 ビャッコの姿が見えないともえ達は、謎の白い光がアムールトラを守っていることにただひたすら驚愕していた。

 

 まだ戦いは終わっていない。倒れていた8本足のセルリアンが立ち上がり、ふたたびアムールトラとビャッコに襲い掛かってきたのだ。

 だがビャッコはセルリアンの攻撃を触れもせずに防いで見せた。

 

 どうやらビャッコは風を自在に操る能力を持っているようだ。

 ついさっき8本足のセルリアンを昏倒させたのは、圧縮した空気の塊を大砲のように打ち出してぶつけたからだ。

 そして今は自分とセルリアンとの間に突風を駆け巡らせ、風圧のバリアによって攻撃を防いでいるのだと。

 

 だがビャッコの力をもってしても足止めが精いっぱいだと言う。かつて彼女は強大な力を持っていたが、今は失ってしまっているらしい。

 そして彼女は「みんなを助けられるのはお前だけだ」と、立っていられない程の重傷を負ったアムールトラに奮起を促した。

 

 8本足のセルリアンが、風圧のバリアを打ち破らんと攻撃を繰り返すさなか、ビャッコの体は再び白いオーブへと戻り、アムールトラの中に光となって溢れた。 

 ・・・・・・白い光に包まれていると、アムールトラの体中の傷が癒え、ふたたび力が取り戻されていった。

 ビャッコは己の魂を構成するサンドスターをアムールトラに一体化させることで彼女を回復させたのだった。

 

 そして最後にアムールトラに言葉を投げかける。

 野生開放を行えと。本来の自分の力を発揮しろと。

 ビャッコは最初から自分を犠牲にして、アムールトラに野生開放をさせるつもりだったのだ。

 

 しかしアムールトラは躊躇した。

 野生開放を行うことで今度こそビーストに呑まれてしまうのではないか、と思ったからだ。

 アムールトラの背中を押してくれたのは、ともえがくれた白い花のブローチだった。

 何も思い出すことが出来なくても、自分にとって特別な意味がある物であると思った。

 

「自分の心はここにある」ブローチを触りながらそう念じていると、みるみる内にアムールトラは落ち着きを取り戻していった。

 どんな時でも、波ひとつ立たない水面のような冷静さを失わない。それがかつての自分の信条だったような気がした。

 ・・・・・・ついにアムールトラは覚悟を決めることにした。

 

 見届けたビャッコが消滅する最中、野生開放を行ったアムールトラの体に異変が起きる。

 ビーストの象徴でもあった両腕の黒いかぎ爪が消滅し、普通のフレンズと変わりないただの手に戻ったのだ。

 そのことをきっかけにして、アムールトラの全身に膨大な情報が流れ込んできた。

 それはかつて彼女が培った戦いの技術の数々だった。

 

 本来の力を取り戻したアムールトラの反撃が始まった。

 誰にも見切ることが出来ない、いつ動いたのかすらわからない「消える動き」にて、8本足のセルリアンの攻撃をことごとく躱した。

 そのまま距離を詰めてセルリアンの頭に飛び乗ると、ゆっくりと触るように拳を押し当てた。

 たったそれだけの動きでセルリアンの腹部が爆発し、巨体が音を立てて崩れ落ちた。

 

 ともえ達はアムールトラのあまりの強さに驚いた。

 ・・・・・・が、勝利を喜ぶのも束の間、8本足のセルリアンが健在であることに気付いた。肉体が消滅していないからだ。

 そして対峙するアムールトラもまだ戦いの構えを解いていなかった。

 

 ともえ達が横たわって動かないセルリアンを注意深く観察していると、ほどなくして嫌な予感が当たることになった。

 ホテルの屋上いったいに立ち込めていた濃い霧が、とつじょとしてセルリアンの周囲に集まり始めたのだ。

 ゆっくりと時間を巻き戻すようにして、セルリアンの体が再生を始めた。

 やがて何事もなかったかのように構えを取り、再びアムールトラと対峙したのだった。

 

 オオコノハズクとワシミミズクは、かつてキョウシュウで戦った巨大セルリアンのことをともえ達に話した。

 その個体は、戦いで傷ついても、周囲から“黒いサンドスター”を吸収することで瞬時に傷を癒す能力を持っていた。

 おそらくはそれと同じことが起きたのだと。

 

 さらに目の前の8本足には弱点らしい弱点が見当たらない。

 体のどこにも石が無く、海中を自由に動き回ることも出来る。

 オオコノハズクとワシミミズクをして、今まで見た中で一番おそろしいセルリアンかもしれない、と言わしめた。

 

 戦慄する仲間達に対して、ともえが別の指摘をした。

 辺りに立ち込める霧についてだ。どうしてセルリアンの傷を癒すことが出来たのか? 8本足のセルリアンと霧には何か関係があるのではないか、と。

 ・・・・・・ひいては、ここ最近のセルリアンの増加と活発化にも繋がっているのではないかと。

「一体ジャパリパークに何が起こってるんだ!」と、かつてセルリアンに故郷を追われた過去を持つロードランナーがたまらず声を上げた。

 

 ともえ達が不安と恐怖に駆られる中、向かい合うアムールトラとセルリアンの間の空気が重く張り詰める。

 今度は下手に動かず、至近距離にて互いに必殺の一撃を狙い始めたのだ。

 両者が放つ殺気は、ともえ達が言葉を失うほどに強烈だった。

 

 先に動いたのは8本足のセルリアンだった。

 巨体を生かして体当たりを仕掛け、アムールトラを押し潰したのだ。

 対するアムールトラはこれを躱すことなく、自ら望んで巨体に飲み込まれていった。

 

 驚き絶望するともえ達と、臨戦態勢を取るフクロウ達。

 ・・・・・・が、一行はここで驚くべき現象を目撃する。

 セルリアンの体がとつじょ崩壊を始めたのだ。

 まるで内側から炎で焼かれているように、体のあちこちが白熱化し食い破られていっている。

 

 それがアムールトラの仕業であることはともえ達にもわかった。

 しかしどうやっているのかがわからない。

 オオコノハズク達いわく、大昔のフレンズは超能力じみた力を持つ者が数多くいたらしく、アムールトラもそのうちの1人かも知れないというのだ。

 

 ともえ達は、とにもかくにもアムールトラの勝利を信じて待つことにした。

 いっぽうのセルリアンは、体を内側から溶かされ、もだえ苦しみながらもしぶとく動き続けた。

 胴体を引きずるようにして、屋上の隅の方へと這いずっていったのだ。

 

 セルリアンの動きの意図は、海に飛び降りて海水で熱を覚ますことではないか?

 そう推理したともえ達は大慌てでそれを阻止しようと動き出す。

 この高さから飛び降りれば、セルリアンの体内にいるアムールトラもきっと無事では済まないだろうと思ったからだ。

 

 が、しかしセルリアンを止めることは叶わなかった。

 その体表は触れただけで火傷を負ってしまうほどの高温と化していたからだ。

 あきらめきれずに火傷した手で再び触れようとするともえを、イエイヌは後ろから羽交い絞めにして引き止めた。

 そうこうしているうちに、セルリアンが屋上から飛び降りて姿を消してしまった。

 

 落ち込むともえ達に対して、オオコノハズク達は今度こそ脱出を促した。

 もういつホテルが倒壊してもおかしくないと思ったからだ。

 ともえ達のアムールトラのことをあきらめたくないという気持ちに同情はするものの、自分達にはどうすることも出来なかったと諭したのだ。

 

 今度こそあきらめそうになってしまったともえは、自分のショルダーバッグから青い光が漏れ出ているのを見た。

 もしやと思って取り出したオーブからは、一筋の光が立ち込める霧を貫くようにして照射されていた。

 ・・・・・・この光が指し示す先にきっとアムールトラがいる。ともえは直感でそう思った。

 

 ともえ達はオオコノハズク達に伝えた。

 アムールトラを助けるために3人で下に降りると。

 ロードランナーの飛翔力では、ともえとイエイヌを抱えて飛ぶことは出来ないが、ゆっくりと降りることぐらいは出来るというのだ。

 

 2人のフクロウから反対されると思いきや、意外な言葉が返ってきた。

 自分達もついて行くというのだ。

 彼女らもまたアムールトラに一度命を救われている。受けた恩は返さないと自分達の名がすたる、と協力を申し出てくれたのだ。

 

 心強い仲間を得たともえ達一行は、ひとかたまりになって屋上から飛び立ち、オーブの光を目印にしてホテルの壁面を下降し始めた。

 オオコノハズク達の飛翔力ならば、ともえとイエイヌを抱えていてもへっちゃらだ。

 

 ともえはホテル内で別れたラモリのことを思い出していた。

 別れ際にラモリが言っていた「脱出手段を用意して迎えに行く」という言葉の意図は何だったのだろう?

 彼が何とか自分達のことを見つけ出してくれることを願った。

 

 ジャパリホテルは今にも崩れ落ちてきそうだ。

 落ちてくる瓦礫や、鉄骨がひしゃげる音などが不安を掻き立てる。

 それでも進み続けたともえ達一行がやがて海上へと降り立った。波がホテルの壁面へと打ち寄せている。

 

 オーブから放たれる一筋の光は海中へと続いており、ともえ達の目には見通すことが出来なくなっていた。

 ここでともえ達の胸に嫌な予感が起きる。

 アムールトラは海に落ちただけでなく、沈んだホテルの内部に入り込んでしまっているのではないか、と。

 だとしたら、泳ぎが得意でない自分達が彼女を救い出すことは簡単ではない。

 救出のさなかに8本足のセルリアンに襲われる可能性だってある。

 

 不安の種は尽きないが、一行はアムールトラを救出するために二手に分かれることにした。 

 ともえとイエイヌがアムールトラを探すために海に潜る。

 そのあいだロードランナーとフクロウ達は空中で待機している。

 離れたところにいる2チームを繋ぐのはロープだ。

 ともえ達がアムールトラを助けた後に、ロープを使って合図を送るので、ロードランナー達がそれを引っ張り上げるという作戦だった。

 

 海中に潜ったともえ達は、唯一の手掛かりであるオーブの光が、水没したホテルの壁に突き当たって途切れているのを見た。

 ともえ達はホテルに入るための侵入口を探した・・・・・・が、見つけられないまましばらく時間が経った。

 

 やがてともえは酸欠になり意識を失った。

 青いオーブがともえの手元を離れて沈んでいく。

「これ以上は無理だ」と思ったイエイヌはともえを抱きかかえ、ロープを引いて上の仲間達に合図しようとした。

 

 ・・・・・・が、そのとき、青いオーブが海中で静止し、今まで以上に眩い光を放った。

 イエイヌがおもむろにオーブに触れると、さらに不可思議なことが起こる。

 水中にいても全く息苦しさを感じなくなったのだ。

 同じことがともえにも起こり、彼女は再び意識を取り戻していた。

 

 ともかくこれで先に進める。

 そう思ったともえとイエイヌがお互いに頷き合い、壁伝いにさらに深く潜っていった。

 イエイヌはどこかから、謎の声が聴こえることに気付いた。声の主が自分達を優しく励ましてくれているような気がした。

 

 ほどなくして侵入口が見つかり、2人はホテルの中へ入っていった。

 水没した内部は、開けた海中とは違って、さまざまな障害物が点在する狭苦しい空間だった。

 ・・・・・・そしてようやくアムールトラを見つけることが出来た。

 

 アムールトラは意識を無くしており、海中にゆらゆらと体を漂わせていた。

 なお困ったことには、彼女の腕に嵌められている鎖の腕輪が、崩れ落ちた瓦礫に絡まってしまっていた。

 イエイヌが鎖を嚙み千切ろうとするがビクともしない。鎖はかなりの強度があるようだった。

 

 そこでともえは考えたのは、全員の力でアムールトラを引っこ抜くことだ。

 ロープの端を腕輪に括り付けた状態で、海上にいるロードランナー達に合図を送った。ほどなくしてロープが勢いよく張りつめる。

 ともえとイエイヌもロープを引っ張った。

 つごう5人分の力で引いていることになる。が、それでもなおアムールトラを瓦礫から引き抜くことは出来なかった。

 

 ともえ達が焦りを感じていると、さらに恐ろしい事態が起こった。

 8本足のセルリアンが瓦礫を突き破って現れたのだ。

 足をタコのように周囲の物に巻き付けながら近づいてきている。

 ついさっき屋上で見た物とは程遠いボロボロの姿だ。ホテルの壁に擦られ続けたことにより体の大半を失ってしまったのだろう。

 だがそれでもともえ達にとって恐ろしい存在であることには変わりない。

 

 セルリアンは辺りを破壊し続けたが、ともえ達やアムールトラには攻撃が当たらなかった。

 何故だかセルリアンはめくらめっぽうに暴れているように見える。

 ともえはそのことに対してひとつの推論を立てた。

 セルリアンは水中では目が見えず、音でこちらの位置を探ってきているのかも知れないと。

 だからこそ、意識を失って動かないアムールトラが見つけられなかったのだと。

 

 ともえは命綱であるロープを手放して、自らが囮になることを試みた。壁を叩いて音を発しながらセルリアンに近づくことで、アムールトラから引き離そうとしたのだ。

 イエイヌがともえの無謀な意図に気付いた頃には時すでに遅く、セルリアンはともえを見つけ、触手によって体を締め上げてしまった。

 

 絶体絶命のピンチだ。このままではみんな助からない。

 そう思ったイエイヌはアムールトラを起こそうとした。

 しかしいくら揺さぶっても呼びかけてもアムールトラが起きることはなかった。

 

 そこでイエイヌが思いついたのは、アムールトラに人工呼吸を行うことだ。

 今の自分は、不思議な力によって水中でも呼吸が出来ている。それをアムールトラに分け与えることが出来ればと。

 イエイヌの機転が功を奏し、アムールトラは弾かれた様に意識を取り戻した。

 

 目覚めたアムールトラとイエイヌは、阿吽の呼吸で協力しあうことにした。

 まずアムールトラが大声を上げて自分の存在をアピールした。

 するとセルリアンはともえのことを放っぽりだして、お目当ての相手へと一心に向かってきた。

 その隙にイエイヌはともえを抱きとめて安全を確保することが出来た。

 

 状況は好転したが、相も変わらずピンチが続いている。さしものアムールトラも水中では思うように動けない。さらに彼女の片腕は瓦礫に絡まったままだ。

 そんな状況で戦うなど、いかに彼女といえど万にひとつの勝ち目もないと思われた。

 

 ・・・・・・が、戦いは突然の異変によって打ち切られることになった。

 アムールトラの腕輪に取り付けていたロープが、先ほどまでとは比べ物にならないぐらい強い力で引っ張られ、絡まっていた瓦礫を引き千切ったのだ。

 その勢いのままアムールトラの体が上の方へ牽引され始める。

 ともえとイエイヌは置いて行かれないようにと必死にロープにしがみついた。

 

 物凄い勢いで海上へと引っ張り上げられた3人の体が、そのまま空中に浮かび上がった。

 ロードランナーとフクロウ達が空を飛びながら心配そうに呼びかけてくる。

 ロープを引っ張っていたのは彼女達ではなかったのだ。

 上を見やると、ロープは謎の飛行物体に繋がれていた。

 

 ともえはそれがホテル内に展示されていたヘリコプターだと気付いた。

 そして機体の中から聞きなれた機械的な音声が「無事か」とともえに囁いてきた。

 なんとヘリコプターの操縦者はラモリだった。

 彼が言っていた脱出手段とはこれのことだったのだ。

 

 ともえ達一行はヘリコプターに乗り込み、いよいよ倒壊するホテルから脱出しようとした。

 しかしその時、海の中から触手が伸びてきヘリコプターの足に巻き付いてきた。

 アムールトラを逃がさんとするセルリアンがしつこく追いすがってきたのだ。

 

 ヘリコプターの飛翔力によって何とか踏みとどまり、セルリアンを釣り上げたまま空中に浮かんでいるような状態になった。

 それを見てオオコノハズクとワシミミズクが機内から飛び出した。

 セルリアンが足一本でやっとぶら下がっている今こそ、敵を叩くチャンスだと言うのだ。

 

 2人は野生開放によってスピードを強化し、ヘリコプターにしがみつくセルリアンの触手を、猛禽類の鋭い爪で何度も引っかいた。

 触手は少しずつ損傷し、さらにセルリアンの自重に引っ張られることで千切れていった。

 ダメ押しと言わんばかりに、遅れて飛び出したロードランナーが一撃を加えると、触手が完全に切断され、セルリアンは海へと落ちて行った。

 

 もはや行く手を阻むものがなくなり、ヘリコプターは急速離脱を始めた。

 機内からともえ達が外の様子を伺っていると、ほどなくしてジャパリホテルは完全に倒壊した。

 落ちてくる瓦礫によって、視界を覆い尽くすほどの水しぶきが上がる中、ともえ達はセルリアンの断末魔を耳にした。

 

 ヘリの機内で茫然としながらも、ともえ達は互いに命が助かったことを確認し合った。

 ともえはアムールトラの手を取り、あなたのおかげだと感謝を述べた。

 ・・・・・・しかし返事はなく、アムールトラは力尽きるようにその場に倒れた。

 

 

 ともえ達が脱出を果たした頃、先に船で脱出していたハツカネズミは、避難客を先導しながら上陸を果たしていた。

 やがて一行は海にほど近い森の中にあるレストランを見つけ、少しの間ここで休ませて欲しいと頼み出ていた。

 レストランの店主であるリャマはこれを快く引き受けた。

 

 ハツカネズミは、オオミミギツネら仲間達と今後のことを話し合った。

 とりあえず今日はここで休ませてもらって、明るくなったらお客さん達を家に返そうという流れになった。

 

 ホテルを切り盛りするという生きがいを失ったオオミミギツネが意気消沈しているのを見て、今はそっとしておこうとハツカネズミは思った。

 次に彼女はホテルで別れたオオコノハズクとワシミミズク、そしてともえ達の身を案じた。

 探しに行きたかったが、今は避難客の安全を確保することが自分の役目だ。そう言い聞かせながら、沸き立つ不安を鎮めた。

 オオコノハズク達の弟子のフクロウ達が彼女らを探しに行っているので、新たな一報がもたらされるのを待つしかないと。

 

 そんな風にやきもきしていると、異様な音が建物の外に響き渡っているのを聴く。

 風や雷の音とは違う異質な振動音だった。

 安堵した空気から一転して避難客がざわつき始める中、ハツカネズミは「自分が様子を見てくる」と名乗り出て、彼女の付き人であるデグーと共にレストランを飛び出した。

 

 森の中を見回りながら耳を澄ましていると、どうやら音の主が空から近づいて来ているらしいことを突きとめた。

 だが生い茂る木々越しでは空が良く見えない。そう思ったハツカネズミは、森の中に偶然できた空地の中へ足を踏み入れた。

 

 直後、轟音を立てて空から何かが降り立つのを見た。

 ハツカネズミはそれが何であるか一目でわかった。

 かつて自分が修理し、ホテル内で展示したヘリコプターだったのだ。

 

 まさか実際に動いているのを見るとは思わなかった、とハツカネズミが絶句していると、さらに驚くべき出来事が起きる。

 ヘリの中からオオコノハズクとワシミミズク、そしてともえ達3人が姿を現したのだから。

 再会をよろこび仲間達に駆け寄るハツカネズミだったが、彼女らがみな異様に重苦しい表情をしていることに気付く。

 

 ヘリの中にはもう一人フレンズが乗っていた。

 アムールトラがピクリとも動かずに横たわっていたのだ。 

 ハツカネズミが触れた彼女の体は、氷のように冷たく、呼吸もなく、手首からは脈が感じられなかった。

 オオコノハズク達によると、ヘリの中でも人工呼吸や心臓マッサージなど、思いつく限りの応急処置はしたらしい。

 しかし彼女の意識が戻ることはなかったのだと。

 

 

 一行は、ハツカネズミの案内によって、リャマのレストランへとアムールトラを運び込み、そこで看病することに決めた。

 ともえは自分がつい昨日訪れた場所だったことに驚き、あらためてこの一日ばかりで色んな事が起き過ぎた、と溜息を付いた。

 

 リャマに事情を話すと、彼女は厨房の奥にある自身の寝室を提供してくれた。

 アムールトラを担ぎ込んで店内を移動する一行。

 それを脇から見ていた避難客が、アムールトラの姿を見てパニックを起こした。

 何であんな奴を助けるのか、目を覚ましたらどうするのか、とブーイングが巻き起こる。

 しまいには「ビーストを追い出せ」とオオミミギツネ達に迫ってきた。

 

 命をかけて皆のために戦ってくれたアムールトラに対して心無い言葉を投げ付けられている。

 そのことをイエイヌとロードランナーは悲しんだが、ともえは、今はともかく彼女を助けることに集中しようと2人に言い聞かせた。

  

 ベッドに横たわらせられるアムールトラ。

 ラモリが謎の数字を空間に映し出す。それはアムールトラのバイタルサインだ。

 ハツカネズミやオオコノハズク達にはその意味が読み取れる。

 いわく、アムールトラの体調が刻一刻と悪くなっているのだと。

 

 一行は自分達に出来る限りの手を尽くしてアムールトラを看病した。

 人工呼吸や心臓マッサージを続け、さらにアムールトラの体を温めるために暖炉に火を付けたり、湯を張った鍋などを当てたりした。

 だが医療設備のないここでは、それ以上のことは出来ず、結局は彼女に残された生命力にかけるしかない状況だった。

 

 部屋の外ではさっきまでと変わらず、避難客と、オオミミギツネらホテルのスタッフ達の問答が続いていた。

 とあるフレンズが「ビーストを追い出さないなら自分達が出ていく」と言い放つ。

 もう日が暮れているから危険だ、とオオミミギツネらが制止するも、ほとんどの避難客がレストランを出て行ってしまった。

 

 そんな外の状況にかまうことなく、アムールトラを助けるために、自分達に出来るわずかなことを繰り返すともえ達。

 アムールトラは一切の苦しみも痛みも感じさせない安らかな表情で眠り続けている。

 その様子は何か幸せな夢でも見ているんだろうかと思わせるものだった。

 

 ともえはただひたすらに祈った。そして信じた。

 アムールトラが再び起きてくれることを、彼女がビーストではなくフレンズとして、この世界で幸せになれるはずだということを・・・・・・

 

 to be continued・・・




_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編13「いけにえ」

 空が白み始めている。

 夕暮れ時にアムールトラさんの看病を始めてから一夜が明けようとしているんだ。

 

 ・・・・・・でも正直、たったそれしか時間が経っていないことにびっくりした。

 あれからずっと時間が止まってしまったみたいな感じがする。この苦しくて不安な時間を、まるで何年も耐え忍んでいたような気がする。

 

 きっとこの場にいるみんなもわたしと同じ気持ちだと思う。

 イエイヌちゃんも、ロードランナーちゃんも、オオコノハズクさん達も、ハツカネズミさんも。

 誰もが眠るアムールトラさんを見つめながら、言葉を無くしてたたずんでいる。

 静かな部屋の中で、暖炉の火がぱちぱちと弾ける音だけが聴こえる。

 

 アムールトラさんの体は氷のように冷たく、長いこと呼吸さえしていなくて、傍から見たらもう生きてはいないように見える。

 だけどハツカネズミさんが言うには、フレンズが本当に死んでしまう時は元の動物の姿に戻るはずだから、アムールトラさんはきっとまだ踏みとどまっているとのことだ。

 ・・・・・・その言葉を信じるより他に、わたし達は何も出来ない。

 

「みんな、少し休憩した方がいいよぉ」

 

 リャマさんが部屋に入りながら、間延びした優しい口調で呼びかけてくる。

 片手にぶら下げたバスケットにはジャパリまんが人数分入っている。

 寝ずの看病を続けるわたし達に差し入れを持ってきてくれたんだ。

 彼女には本当に世話になりっぱなしだ。アムールトラさんの看病のために自分の寝室を貸すことになっても、嫌な顔ひとつしないんだもの。

 

 でも、せっかくの気遣いはありがたいんだけど、食事がのどを通るような気分じゃなかった。

 ジャパリまんを手に取ったきり、誰も口元に持っていこうとしなかった。

 

「みんなの様子はどうですか?」と、ハツカネズミさんがリャマさんに尋ねる。

「疲れてぐっすり寝てるよぉ」と小声で答えが返ってくる。

 

 このレストランに残っているフレンズはもうそんなにいない。

 わたし達と、オオミミギツネさんらホテルの従業員さん達と、ホテルにいた数人ばかりのお客さんだけだった。

 ほとんどの子たちは自分たちの住処に戻ろうとここを出てしまっている。

 夜の森は危険だっていうのに、アムールトラさんと一緒にいたくないからって理由で飛び出していってしまったんだ。

 

________カラン、カラン・・・・・・

 静かな夜明け前のレストラン内に、乾いた甲高い音が響き渡る。

 ドアチャイムの音だ。誰かがドアを開けてレストランの中に入ってきたんだ。

「ふぇっ!? こんな時間にお客さん?」

 リャマさんがビクッと振り返ると、応対するために寝室から出て行った。

 

 彼女が驚くのも無理ないと思う。

 どうしてこんな時間にっていうのもあるけど、つい昨日ジャパリホテルが崩れ落ちるなんて大騒ぎがあったばかりなんだ。

 ホテルとそんなに離れてないこのレストランにわざわざ来るなんて、何か事情を抱えたフレンズさんなのかな?

 

「い、いらっしゃいませぇ。でもォ、ごめんなさいなんだけど、今はお店開けてなくって・・・・・・えーと、ていうか、しばらくお店閉めるかもしれなくって」

「かまわない。客として来たわけじゃない」

 

 向こうの部屋から聞こえてくる会話に耳を澄ませる。

 リャマさんが困惑してしどろもどろに応対しているのとは対照的に、そのお客さんの声は不気味なぐらい落ち着き払っている。

 そして、次にそのフレンズさんが発した言葉にわたし達は驚かされることになる。

 

「僕はアムールトラに会いにきたんだ」

 

 どういうわけか、謎のフレンズさんはアムールトラさんがここにいることを知っている。そして「ビースト」ではなく本当の名前で呼んでいる。アムールトラさんの知り合いなんだろうか?

 わたし達は居てもたってもいられずに、正体不明の訪問者の顔を見に行くことにした。

 

《なんなのあの子?》

《こんな時間に何しに来たの?》

 鳴り響いたドアチャイムによって、店内で休んでいたフレンズさん達はみんな起こされてしまっていた。

 寝ぼけ眼を眠そうに擦りながら、突然の来客に向かっていぶかしむような視線を投げかけた。

 

 そのフレンズさんは、周囲の視線などお構いなしといった感じで悠然とたたずみ、辺りを物色するように見回していた。

 そして、奥からぞろぞろと出てきたわたし達の方へと向き直ると「ああ、そっちか」と、上機嫌そうにクスクスと笑いながら呟いた。

 

「お前は何者です。見るからに怪しいですよ」

「顔を見せるです。そして名を名乗るです」

 

 オオコノハズクさんとワシミミズクさんがさっそく詰め寄る。

 その子の姿は良くわからなかった。真っ黒いフード付きローブを頭からかぶり、足先まで覆い隠してしまっている。

 夜明け前の店内が薄暗いこともあって、口元がやっと少し見えるぐらいだ。

 一見して分かるのはかなり背が高いってことだけ。アムールトラさんより若干低いぐらいかな。

 

________ジャランッ

 その子はオオコノハズクさん達の指示にすんなり従い、頭に被ったフードに手をかけた。

 チラリと見えた両腕の手首には、千切れた鎖の付いた腕輪が嵌められている。

 見間違いじゃなければ、アムールトラさんの腕に付いているのと全く同じ物のように思えた。

 

「・・・・・・ひいっ!!」

 その子が顔をあらわにすると、周りから悲鳴とざわめきが上がった。

 フレンズさんの姿形は1人1人違うのが当たり前だし、普通なら自分と他人との見た目の違いに頓着したりしない。

 しかし彼女の外見は、そんな常識を忘れさせるほどに個性的で、かつ恐ろし気だった。

 

 顔面も髪の毛も、まるで血を頭からかぶったように、どこもかしこも真っ赤に染まっていた。

 赤くない所と言えば、左右のこめかみから生えている渦巻き状の黒い二本角だけだ。

 さらに目を引くのは、顔の皮膚全体が、ウロコに覆われているようにゴツゴツと節くれだっていることだ。

 ・・・・・・わたしは彼女の姿を見て、いつか本で読んだ「悪魔」とかいう怖い存在を思い浮かべた。さすがに羽は生えてないみたいだけれど。

 

 せめてもの救いは、目が「ふたつ」あることだ。だからセルリアンではないことだけは確かだ。

 他の部位と同じように真っ赤な瞳は、見た目の恐ろしさとは裏腹に、穏やかそうな理知的な目つきをしている。

 

「僕の名前はメリノヒツジ・・・・・・」

 

 最後にその子はポツリと名乗った。

 なるほど確かにヒツジのフレンズさんだったら、立派な二本の角を生やしていてもおかしくない。悪魔みたいだなんて失礼なことを考えるのはやめよう。

 それでも、角以外の特徴はわたしの知るヒツジとはずいぶん違うんだけど。

 

「メリノヒツジ、お前はいったいどこから来たのですか?」

 何とか冷静さを保っているオオコノハズクさん達がさらに尋ねる。

 他のフレンズさんたちの多くは、セルリアンと遭遇した時のように怯えてしまっており、部屋の隅に固まって息をひそめている。

 

「アムールトラと同じ所から、とでも言っておこう」

「何ですって? どういうことですか?」

「・・・・・・話している暇はない。お邪魔するよ。その通路の奥にアムールトラがいるんだろう?」

 

 強引に会話を打ち切ったメリノヒツジさんがこっちに向かってくる。

 口調や物腰は穏やかだけれども、こっちの都合なんかお構いなしって感じだ。

 わたし達はというと、彼女の見た目から発せられる威圧感に委縮するように、言われた通り道を開けてしまっていた。

 彼女が通り過ぎた後で、追いかけるようにしてアムールトラさんが眠る寝室に戻った。

 

「・・・・・・会いたかったよ」

 メリノヒツジさんは、横たわるアムールトラさんの前に立つなり、その大きな体をかがめた。

 アムールトラさんの体の上に手を置き、呼びかけるようにポツリとつぶやいた。

 わたしはそれを見て、見かけより怖いフレンズさんじゃないのかなと思い、メリノヒツジさんに声をかけてみることにした。

 

「・・・・・・あなた、アムールトラさんの友達なんだよね?」

「ああ、遠い昔からの戦友だ」

 

 問いかける私に振り返ることなくメリノヒツジさんは答えた。

 アムールトラさんは、わたし達と出会う前は天涯孤独だったように思えたけれど、ちゃんと友達がいたことが何だか嬉しく思えた。

 

「アムールトラを死なせたくない。僕は彼女を救いに来た」

 

 メリノヒツジさんはそう言うなり、懐から何かを取り出した。

 暖炉の火を反射してきらめくそれは、手のひらに収まるような細い金属の筒だった。

「その物体は何ですか」と、ハツカネズミさんがそれを見て不審そうに尋ねる。

 

「・・・・・・フレンズに爆発的な力を与える古の秘薬だよ。アムールトラを救うにはこの薬を打つしかない」

 どうやら金属の筒は注射器であるらしかった。

 メリノヒツジさんは筒を逆手に持ち替えて、アムールトラさんの首筋に近づけていった。

 が、謎の注射を打とうとしている彼女に向かって「待つです!」とオオコノハズクさん達が大声で止めに入った。

 

「なぜ止める?」

「そんな得体の知れない薬、怪しすぎるです」

「大体おまえはすべてにおいて怪しいです!」

 

 オオコノハズクさん達が堰を切ったようにメリノヒツジさんを問い詰める。

 なぜアムールトラさんの居場所がわかったのか? なぜ彼女が今にも死にそうな状態であることすら事前に知っていたのか? そもそも普段はどこで何をしているフレンズなのか? 

 怪しい点を上げれば数に限りがないと言うのだ。

 

「話している暇はないと言ったはずだが・・・・・・こんな問答をしている間にアムールトラが死んでしまったら、君たちはどうするつもりなのかな?」

「ぐっ!」

 

 メリノヒツジさんは何も答えない。話が平行線を辿ろうとしている。

 わたしはそれを見かねて「あの!」と両者の間に割って入った。

 

「わたしは打った方が良いと思う」

「ともえ! お前まで!?」

 

 メリノヒツジさん以外の、その場にいる全ての子がわたしに驚いた顔を向けてきた。わたしはみんなに自分のまっすぐな気持ちを伝えた。

 わたし達はすでに手を尽くした。アムールトラさんのために出来ることはもう残ってない。だったら新しい可能性を示してくれたメリノヒツジさんに懸けてみるしかない、と。

 確かに彼女は怪しいけれど、自分のことをアムールトラさんの「戦友」と称した言葉に嘘はないように思えたということも。

 

「わふ、ともえさんが言うなら・・・・・・」

「そーだよな。ビビッて何もしないよりゃマシだぜ」

 

 イエイヌちゃんとロードランナーちゃんが同意してくれると、オオコノハズクさん達もしぶしぶ同意せざるを得ないような空気になっていった。

 唯一、ハツカネズミさんだけが口元に手を当てて何かを考え込んでいる。

 

「ふん・・・・・・」

________ドシッ!

 意見が何となく固まろうとした刹那、メリノヒツジさんはわたし達に確認さえすることもなく、おもむろに注射器をアムールトラさんの首筋に押し当てた。

 赤い毛の生えた彼女の手のひらが震えている。注射器を打つためにかなりの力が込められているのがわかる。

 

 数十秒は経っただろうか。わたし達が固唾を飲んで見守る中、ようやく注射器が引き抜かれた。 

 ・・・・・・それきり沈黙が訪れる。

 メリノヒツジさんは相変わらずアムールトラさんの前で身をかがめながら俯いている。

 

「何だよー! 何も起こらねえじゃねーか!」

「・・・・・・ちょ、ちょっと待って!」

 痺れを切らしたロードランナーちゃんが声を上げる。

 だがわたしはとある異変に気付き、彼女の手を引いて呼び止めた。

 

「ねえ、何だか暑くない?」

「ん? 言われてみりゃあ」

 

 それは気のせいじゃなかった。部屋じゅうが異常な熱気に包まれているんだ。

 この部屋はもともと十分に暖かったはずだった。アムールトラさんの体を温めるために暖炉の火を焚いていたからだ。

 ・・・・・・けど、それを考慮したとしても暑すぎる。ジッとしていても汗が噴き出してきて、足元がふらついて来るほどだ。

 

 ほどなくして謎の熱気の発生源が、アムールトラさんの体であることに気付いた。

________はっ・・・・・・はっ・・・・・・

 さっきまで何をしても冷たく青白かった彼女の血色が良くなり、僅かだったけれども呼吸が戻っていることも見て取れる。

 

「・・・・・・や、やった! アムールトラさん!」

 

 蒸し風呂状態の部屋のなかが歓喜に湧いた。

 何をしてもどうにもならなかったアムールトラさんが、明らかに回復して来ているのだ。

 まだ目覚めていないにしても、これならかなり希望が持てる状態だと思う。

 

「わふ、メリノヒツジさん! ありがとうございます! 怪しいなんて思ってごめんなさい」

「礼などいらない。僕がそうしたかっただけだ」

 

 イエイヌちゃんがメリノヒツジさんに駆け寄って頭を下げた。

 メリノヒツジさんはゆっくりと立ち上がりながら振り返ると、相変わらずの無表情のまま、イエイヌちゃんやわたし達を見下ろしてきた。

 望みどおりにアムールトラさんを助けられたというのに、まったく喜ぶ素振りがないその態度に不安を覚える。

 

「さて、アムールトラは遠からず目を覚ますだろうが、問題はもうひとつある」

「なんなの? どういうことなの?」

「・・・・・・君たちにここにいられると邪魔なんだ」

 

 メリノヒツジさんは命令じみた口調でおどろくべき言葉を伝えてきた。

 アムールトラさんのことは自分に任せて、ここにいる全員いますぐ立ち去れと言うのだ。そして二度と戻ってくるなと。

 海へ出てもいいし、内陸の方に行ってもいい。ともかく遠くに行けということだった。 

「どうして?」とこちらから問いただしても「ここにいたら死ぬから」と理由をぼかした回答しか返ってこない。

 

「・・・・・・ここから離れるなんて、嫌だよぉ!」

 わたし達がざわつき言葉を失っている中で、真っ先に反対したのは、なんとリャマさんだった。

 あの温厚な彼女が声を荒げるなんて、想像することすら難しいと思っていた・・・・・・が、彼女はいま必死の形相で大声を上げて、思いの丈をしっかり訴えていた。

 

「このレストランはアタシの大事な生きがいなのぉ! 他の場所になんて行きたくないよぉ!」

「ほう、そうか」

 

________ブゥンッ・・・・・・

 メリノヒツジさんは涼しげな顔でリャマさんの非難を受け流した。

 そんな彼女の右手が光った・・・・・・かと思うと、手からこぼれた光の粒子がひと固まりになって形を成していくのが見えた。

 気が付くと彼女の手には鋭い二又の槍が握られていた。

 

「残念ながら、強制退去だ」

 

 凶器を手にしたメリノヒツジさんの赤い瞳に殺気が宿る。

 突然のことに戦慄するわたし達に、動作を見せつけるように槍を振りかぶり、勢いよく横なぎに薙ぎ払った。

________ドッガアアアアアッッ!!

「きゃあああっ!!」

 耳をつんざくような破壊音が鳴り響く。

 穂先はわたし達の頭上を通り過ぎ、たったの一撃で部屋の壁や天井を吹き飛ばした。

 威力もさることながら、驚かされたのはその異常に広い攻撃範囲だ。

 どういうわけか知らないけど、元から長かった槍の柄が、さらに何倍にも伸びているような気がした。

 

 わたし達を狙ったにしては攻撃が上向き過ぎる。建物だけを壊すつもりだったのかな? 

 でも誰かが巻き添えになってもお構いなしという感じだ。

 涼しい顔でこんな恐ろしいことをやってのけるなんて、このメリノヒツジさんというフレンズは一体どういうつもりなんだろう?

 

 ・・・・・・そして、天井に開けられた大穴から、わたし達は彼女以上に恐ろしい光景を目にすることになる。

「う、うわあああっ!! 何なんだよアイツらはっ!!」

 ロードランナーちゃんが天を仰ぎ見ながら驚いて絶叫した。

 そして寝室にいたわたし達のみならず、レストランじゅうから阿鼻叫喚の悲鳴が上がった。

 

________ブブブブブ・・・・・・

 小型セルリアンの群れが、羽音を立てながら上空を飛び交っていた。

 夜明け前の、明るくなり始めた群青色の空をも黒く染めてしまうほどの、とても数えきれないほどの大群だった。

 あのタイプのセルリアンは、旅の途中で何度か見かけたことがある。

 ロードランナーちゃんの故郷の水辺を枯らして、彼女がわたしと一緒に旅をする切っ掛けにもなった。

 

「ふっ」

 わたし達が突然の事態にパニックに陥る中、メリノヒツジさんがまたも新たな行動に出た。

 未だ目覚めないアムールトラさんを両腕に抱え上げると、その長身がふわりとジャンプした。

 天井に開けられた大穴を飛び越えて、一瞬でその場から姿を消してしまったのだ。

 一撃で建物を破壊する腕力だけでなく、その身のこなしも並外れているように思えた。

 

「ひぐっ・・・・・・なんで? なんでぇ?」

 大事な自分のお店を壊されたリャマさんが、がっくりと項垂れて咽び泣いている。

 他のフレンズさん達は、空を埋めつくすセルリアンの大群を見上げ、ただただ恐怖に震えることしか出来なかった。

 

「・・・・・・皆さん。落ち着いて聞いてください」

 

 それまで沈黙を貫いていたハツカネズミさんが口を開いた。

 上空を飛び回っているセルリアン達は、少なくとも今すぐこちらに危害を加えてくることはないだろうと言うのだ。

 

「状況から考えて、あるひとつの推理が出来ます・・・・・・アムールトラさんを連れ去ったあのメリノヒツジというフレンズ。おそらく彼女が”園長”なのでしょう」

 

 園長と聞いて、その場にいる誰もがゴクリと息を飲む。

 わたしもつい昨日、ヘリコプターに乗ってここに来る道中にオオコノハズクさん達から話を聞いている。

 ジャパリパークで一番偉いフレンズ。だけど誰もその姿を知らない。

 わかっていることといえば「ジャパリパークを正しい方向に導く」という目的を持っていることと、そのために仲間を集めているということだけだった。

 

 ラッキービーストを操って見込みのあるフレンズに連絡を取り、仲間になれば欲しいものを与えてやるという誘い文句で協力を募るのが彼女のやり方。

 オオコノハズクさんとワシミミズクさんも、最初はその言葉に釣られてアムールトラさんを捕まえに来たという話だった・・・・・・。

 

 園長にはセルリアンを操る力があるという。

 アムールトラさんを捕まえさせようとしたのも、ジャパリホテルに巨大セルリアンをけしかけて崩壊させたのも、各地でセルリアンを暴れまわらせているのも、全ては園長の仕業なのだと。

 そんな恐ろしい存在の正体が、あのメリノヒツジさんだと言うのだ。

 

「な、なんだとォ! あのヤローがオレ様の故郷を!?」

「私たちのジャパリホテルを?」

「アタシのお店を・・・・・・」

 

 メリノヒツジさんにそれぞれの住処を壊されたロードランナーちゃん達から怒りとざわめきの声が上がる。

 そんな彼女たちに言い聞かせるように「良いですか」とハツカネズミさんの説明が続く。

 

 メリノヒツジさんの目的はあくまでアムールトラさんを手に入れることだと言う。

 強引な手段ばかり取っているが、他のフレンズをむやみに傷つける意図はない。

 だからこそジャパリホテルをセルリアンに襲わせる時、事前にフレンズ達に避難を促してきた。

 ついさっきアムールトラさんを連れ去る直前にも「ここから立ち去れ」と命令してきた。

 

 メリノヒツジさんがセルリアンの大群を呼び寄せた理由。

 それはきっと他のフレンズをなるべく遠ざけたいからだろうと言う。

 こちらからメリノヒツジさんに近づこうとしない限り、わたし達が襲われることはないだろう。

 以上がハツカネズミさんの推理だった。

 

「でも、メリノヒツジさんの目的はなんなの? アムールトラさんを連れ去って、他のフレンズさんが近づけないようにして、一体何をやろうとしているの?」

「そ、それは・・・・・・うううっ! もう少しで思い出せそうなのに、何も思い出せない!」

 

 ハツカネズミさんがひどく苦しそうに唸っている。

 どうやら彼女はメリノヒツジさんのことを知っているらしい。だが記憶が定かでなく、思い出そうとすればするほど頭が痛むという。

 

「い、行かなきゃ」

 やがてハツカネズミさんは熱にうなされたように呟きながら、おもむろにレストランの出入口に向かって歩き出した。

 だがそんな彼女に駆け寄り「待って!」と引き止めるフレンズさんがいた。

 

 オオミミギツネさんだった。

 記憶を無くして彷徨っていたハツカネズミさんをジャパリホテルで雇ってくれた、彼女にとっては恩人とも言うべき存在だ。

 

「行かないで! ジャパリホテルが無くなっちゃって、あなたまでいなくなったら、私はどうすればいいの!?」

「・・・・・・い、行かせてください! このままじゃきっと恐ろしいことが起きます! 誰かがメリノヒツジさんを止めなければ、ジャパリパーク全体がホテルのようになってしまうかもしれない!」

 

 ハツカネズミさんの記憶が戻ることはなかったが、それでもなお得体の知れない強迫観念に晒されているようだ。

 居ても立っても居られない様子で、仲間の制止さえ耳に入らない。

 2人が言い争う中で「ともえさん」と、イエイヌちゃんがわたしにポツリと呼びかけてきた。

 

「・・・・・・ごめんなさい。私、役立たずです」

「な、なんで? どうしてイエイヌちゃんが謝るの?」

「ハツカネズミさんの代わりに、私が何か思い出せたらいいのに、何も思い出せなくて・・・・・・」

 

 イエイヌちゃんは言う。

 自分はきっとハツカネズミさんと極めて近しいルーツを持っているフレンズだと。

 でもハツカネズミさんと違って、何かを思い出しそうな予兆すらない。それが悔しいんだと。

 

「そ、そんなの気にすることないよ! 昔のことなんか関係ない。大事なのは今わたし達が何をしたいのかってことだよ!」

 

 と、わたしは思わずイエイヌちゃんの手を取って訴えた。

 そして決意を新たにした。自分で言ったその言葉が、まるで背中を押してくれたみたいだった。

 わたしが今やりたいこと、それは・・・・・・

 

「メリノヒツジさんを追いかけよう。アムールトラさんを取り返さなくちゃ」

 

 無謀なことを言っているのはわかっている。

 メリノヒツジさんを追いかけたりしたら、上空にいるセルリアンたちに襲われるかもしれない。

 彼女の下にたどり着けたとしても、きっと物凄く強いであろう彼女を相手に、わたし達に何が出来るかわからない。 

 それでも行かなきゃ・・・・・・今度こそアムールトラさんが手の届かない場所に行ってしまうような気がする。

 

「わ、わふ! ともえさん!」

「行こーぜ! オレ様たちはいつでも前に進むんだ!」

「キョウシュウの長として、あのような暴挙は見過ごせないです」

「・・・・・・オオミミギツネさん、みんな。私は必ず戻ってきます。私の居場所はみんなの傍にしかありません」

 

 わたし達3人とハツカネズミさん、オオコノハズクさんとワシミミズクさん達は、意を決してレストランの外に飛び出した。

 他のフレンズさん達にはこの建物から出ないように伝えたけど、危なくなったら遠くに逃げてほしいとも伝えた。

 

 威勢よく外に出てみたは良いものの、どこをどう探したものかと思う。

 メリノヒツジさんのあの身のこなしなら、もう遠くに行ってしまっていてもおかしくない。

 こっちには空を飛べる子が3人もいるから、空から探ってもらうのが一番なんだけど、今は空を飛ぶのはまずいだろう。

 

 ・・・・・・と、あれこれ考えるまでもなく、手がかりはすぐに見つかった。

「みんなあれを見て!」

 わたしが指さしたのは、立ち並ぶ木々の間から立ち昇る狼煙のような謎の煙だ。

 セルリアンに埋めつくされる黒い空の中にあっても、その煙はくっきりと浮かび上がるほどの深い闇の色をしていた。

 ・・・・・・あの色が示すものといったらひとつしかない。

 

 狼煙が立ち昇る場所を目指して森の中を駆け抜ける。

 ハツカネズミさんが推理した通り、空にいるセルリアンの大群がわたし達を見つけて襲ってくることはなかった。

 

 やがてわたし達がたどり着いた場所は、岩がまばらに突き出た平原だった。

 今この場にいる誰もが一度訪れたことのある場所だったので驚いた。

 ここはアムールトラさんの縄張りだった場所だ。

 わたし達3人がここを通りがかった時、オオコノハズクさん達とハツカネズミさんによるアムールトラさんの捕獲作戦がはじまり、全員が出会うことになった・・・・・・。

 もう一度来ることになるなんて、まるで運命に引き寄せられたみたいだ。

 

 狼煙が立ち昇る根元には、思った通りアムールトラさんがいた。

 まだ眠っている。突き出た岩のひとつをベッド代わりにするように体を横たえている。

 その体からは黒く禍々しい炎が、これまで見たことがないぐらいに激しく燃え盛っている。

 あんな状態で目を覚ましたら、アムールトラさんはまたビーストに戻ってしまうんじゃないか? そんな怖い想像が頭をよぎる。

 

 そしてメリノヒツジさんも同じところにいる。

 特に何かをしている様子はない。アムールトラさんと向かい合いながら、岩の根本で膝を付いてジッとしているだけだ。

 その様子はまるでアムールトラさんに向かって祈りを捧げているような姿だ。

 

「てめー、園長! アムールトラを返しやがれ!」

 ロードランナーちゃんが威勢よく吼えながら踊りかかっていく。

 まだメリノヒツジさんとの距離はあるが、彼女の健脚ならすぐにたどり着けそうなものだった。

 接近する彼女を、メリノヒツジさんは黙殺するようにピクリとも動かない。

 

「だ、ダメですロードランナー! 止まってください!」

「何ぃ!? うわああっ!?」

________ブブブブブ・・・・・・!

 

 ・・・・・・が、動く物が他にあった。空で蠢いていたセルリアンの群れだ。

 それまでわたし達に見向きもしなかったというのに、その動きは余りにも突然だった。

 群れの中のほんの一握り。それでも数十匹ほどの個体がロードランナーちゃん目掛けて降り注いできたのだ。

________ドガガガガッッ!

 ひと固まりになって急降下した獰猛な黒い集合体が、ロードランナーちゃんのすぐ目の前の地面を勢いよく削り飛ばした。

 

 ハツカネズミさんの声掛けによって、ロードランナーちゃんは体当たりを何とか躱すことができたが、数十匹のセルリアン達は雪崩のようにふたたび彼女に追いすがってきた。 

「う、うおおお! やべー!」

 ロードランナーちゃんはたまらずUターンして、大急ぎでわたし達のいる所まで逆戻りすることになった。 

 彼女を追いかけてこっちに向かってくる大群に戦慄し思わず身構える。

 

 ・・・・・・が、セルリアン達の動きは予想とは違った。

 ある程度ロードランナーちゃんが後ろに下がると、示し合わせたように彼女を追跡するのをやめて、再び上空に蠢く仲間達のところへ舞い戻っていったのだ。

 

「・・・・・・救いようのない愚か者どもが。何度も忠告してやったのに、聞く耳を持たないのか」

 

 一連の攻防が終わったのち、メリノヒツジさんがやれやれと言った風に立ち上がり、振り返ってわたし達のことを睨みつけてきた。

 仕組みがわかってきた。どうやら上にいるセルリアンたちは、メリノヒツジさんに近づこうとする者を攻撃しているみたいだ。

 彼女がそういう風に命令している。セルリアンを操る力を持っているというのは本当のことだったんだ。

 これじゃアムールトラさんを取り返すどころか、近づくことすらも出来ない。

 

「もう一度言ってやる。死にたくなかったら消え失せろ」

「・・・・・・ど、どうしてそうなるの? あなたはこれから何をしようとしているの?」

 

 頭に浮かんだ疑問を投げつける。

 近づけない以上、わたし達に今できる唯一のことは、離れたところからメリノヒツジさんを問い詰めることだけだ。

 アムールトラさんをどうする気なのか? なぜ他のフレンズさんを苦しめるようなことばかりするのか? 彼女がジャパリパークの園長であるならば、あまりにも異常な行動ばかり取っていると言うしかない。

 

「・・・・・・フッ、命よりも納得が欲しいか。それもいいだろう」

 メリノヒツジさんは意味深にほくそ笑むと、いかにもリラックスした様子で背後の岩にもたれかかった。

「僕にはもう焦る理由がない。このままアムールトラが目覚めるのをじっくり待つだけだ。お前らのような愚か者と懇談して時間を潰すのも悪くない・・・・・・聞きたいことがあるなら全部教えてやろう。冥土の土産話にでもするがいい」

 

 上機嫌に語り始めるメリノヒツジさん。

 まず答えてくれたのは、何故わたし達がここにいたら死ぬことになるのかについてだ。

 わたし達を脅かすのはメリノヒツジさんでもなく、上にいるセルリアンの大群でもなく。

 ・・・・・・やがて目を覚ますアムールトラさんだと言う。

 

 アムールトラさんが再び目を覚ました時、ビーストとしての力をすべて取り戻しているだろうとのことだ。

 今もなお全身から立ち昇る黒い炎が示す通りだ。

 そして力だけではなく、精神的にも完全にビーストに戻ってしまう。2度と正気が取り戻されることはなく、目の前の物を見境なく襲い続ける存在になってしまうと。

 それがメリノヒツジさんが打った注射の効果だという。

 だからこそ彼女はアムールトラさんを他のフレンズから引き離していたらしい。

 

「あなただって襲われることになるのではないですか?」とハツカネズミさんが冷静に質問すると、メリノヒツジさんは「それこそが僕の目的だ」と、恍惚とした表情で返した。

 

「僕はアムールトラに全盛期の力を取り戻してほしいんだ。だがそのためには進化促進薬を打っただけでは足りない」

「それがあの薬の正式名称ですか・・・・・・しかし、ではどうすると?」

「簡単な話だよ。彼女は飢えている。腹を満たしてやる必要がある。トラの食事と言えば肉しかないだろう? だから僕は、彼女にその身を捧げることにしたのさ」

 

 ・・・・・・嬉しそうな顔で、なんておぞましいことを言うんだろう。

 フレンズがフレンズを食べる。あまりにも衝撃的な内容に、その場にいる誰もが青ざめた。

 そして自ら望んで食べられようとする彼女の思考も到底理解できなかった。

 

 わたし達フレンズはお腹が空いたらジャパリまんを食べればいい。

 でも、ビーストであるアムールトラさんはジャパリまんが食べられないんだという。

 どんなにお腹が減っていたとしても、体が受け付けないから無理だって話だ。

 ・・・・・・初めて知った。だけど心当たりはある。

 ジャパリホテルの牢屋に入っていた時も、わたし達が差し出したジャパリまんを彼女は食べなかった。水だけをやっと飲んでくれたんだった。

 

「きっとアムールトラは、今まで正気を失った状態でも、フレンズを食べないように我慢してきたのだろうな。そこらの木の実やなんかで飢えをしのぎ、泥水を啜って生きてきたのだろう。

 ・・・・・・だから見る影もなく弱くなってしまった。お前らごときでも捕まえられるほどになァ?」

 

 メリノヒツジさんがオオコノハズクさん達を指さしてせせら笑う。

 彼女達にアムールトラさんを捕まえることを依頼した一件のことを言っているのだ。

「ぐっ、バカにするなです!」

「・・・・・・お前らには想像も付かんだろうがな」

 が、次の瞬間には2人を無視するように視線を外し、遠い目で思い出を語り始めた。

 

「全盛期のアムールトラはまさしく最強と言うしかなかった。他とは次元が違う実力だった・・・・・・だが、たったひとりだけ、アムールトラと互角に戦える無敵のフレンズがいた」

「い、いったい何者です!?」

「フッ、遠い昔に死んでしまった誰も知らないフレンズさ。僕の思い出の中でのみ永遠に輝きつづけている・・・・・・特にあの戦いは最高だった。アムールトラと彼女が繰り広げた究極の対決・・・・・・2人の強さは神話の領域に達していた・・・・・・!

 僕はアムールトラがあの時の強さを取り戻すための生贄になるんだァ・・・・・・その時こそ僕の人生は完成する! クククッ! あははははははっっ!」

 

 歓喜に打ち震え高笑いを続けるメリノヒツジさんにわたし達は言葉を失った。

 言っていることが何一つ理解できない。考えていることが根本から違う。こっちが何を言っても無駄なような気がする・・・・・・

「ふ、ふざけてんじゃねー!」

 そんな空気が漂い始めた中で、誰よりも負けん気の強いロードランナーちゃんが怒鳴った。

 相手を馬鹿にしながら好き勝手なことを語り続けるメリノヒツジさんに怒り心頭の様子だ。

 

「いったいぜんたい何がやりてーんだ! アムールトラのことだけじゃねー! 何でオレ様の故郷をセルリアンに襲わせた!? ジャパリホテルだって、レストランだって、みんな幸せに暮らしてたのに! 何でみんなの幸せを奪うんだ!?」

 

「・・・・・・ならば、逆に問おう」

 メリノヒツジさんがぼそりと答える。

 上機嫌に笑っていた彼女の表情が、いつの間にか神妙な、静かな迫力を滲ませるものに変わっていた。

 

「故郷が大事なら戦って取り返せばいい。お前は一度でも抗ってみたか?」

「で、出来たらやってるぜ! あんな大量のセルリアンが相手じゃどうしようもねー!」

「己が無力だと思うなら鍛えればいい。自分ひとりで足りないなら仲間を募ればいい。力じゃかなわないと思うなら作戦を練ればいい・・・・・・やれることは無限にあるはずなのに、何故やらないのだね?」

 

 怒涛の勢いで質問を返してきたメリノヒツジさんに対して、ぐうの音もないロードランナーちゃんが青ざめている。

 その様子を見て彼女は「惰弱なフレンズめが」と吐き捨てるように呟いた。

 

「僕の目的は、お前のようなフレンズの意識を変革することだ。フレンズが平和に暮らす時代は間もなく終わるのだ。1人1人が、来たるべき戦いに備えて己の牙を研がなければならない。

 そのようにフレンズたちを導くことこそ、園長たる僕の役目・・・・・・そして”最強の力の体現者”であるアムールトラの復活をもって、僕の宿願が果たされることになるだろう」

 

 来たるべき戦いとは何なんだろう? 

 ・・・・・・よくよく考えると、メリノヒツジさんは急に心変わりを起こしたとしか思えない。

 彼女ならやろうと思えばいつでも事を起こせたはずだ。

 でも実際にはジャパリパークには長いこと平和が続いていた・・・・・・なぜ最近になってセルリアンを暴れさせるなんて事をやり始めたんだろう?

 

「誰も戦いなんか望んでないですよ!」と、オオコノハズクさんが声を荒げた。

 みんなで平和に暮らしているこの世界に不満なんかない、と、今を生きるフレンズの代表然とした面構えで訴えてくれたのだ。

 

「だいたい私達に何と戦えって言うですか? お前が差し向けるセルリアンとですか?」

「いいや・・・・・・奴らはセルリアンなどとは比較にならないほどに恐ろしい」

 

 額にしわを寄せ目を閉じるメリノヒツジさん。何か辛いことを思い返しているような表情だ。

 今までわたし達をバカにしたような態度だったというのに、打って変わって苦しそうな様子を見せている。それがかえって恐ろしかった。

 

「フレンズが戦うべき宿命の相手、それはヒトである・・・・・・この星の歴史において最低最悪の生命体である」

 メリノヒツジさんは、その「敵」の話をわたし達に向けて語りはじめた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
哺乳綱・クジラ偶蹄目・ラクダ科・リャマ属 
「リャマ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・オオミミギツネ属
「オオミミギツネ」 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編14「そうせいしんわ」

「遠い昔、二度にわたる大きな戦争があった。双方ともにヒトが引き起こしたものだ」

 

 メリノヒツジさんが遠い目をしながら語りだす。

 ・・・・・・いったいどれぐらい昔の事なのか想像も付かない。彼女はどれだけ長い時間を生きてきたのだろう? 

 そして、ヒトのことを宿敵とまで言う理由は何だろう?

 

 ヒト・・・・・・ずっと昔にジャパリパークを去ってしまい、一部のフレンズが薄っすらと覚えているだけの謎多き種族。

 わたしは記憶がない。でも多分だけど、ヒトはわたしの元になった存在だと思ってる。

 メリノヒツジさんの言葉に耳が離せない。かつてヒトが行った所業とはいったい?

 

「ひとつ目の戦争は、この世界にジャパリパークが創造される以前のこと。そしてふたつ目は、創造から数十年が経過してから起こったものだ」

 

 最初の戦争は、フレンズとセルリアンがこの星に出現した時にまで遡るという。

 当時は世界中にフレンズがいたんだそうだ。

 今ではこのジャパリパーク以外にフレンズがいることなんて考えられない。

「ジャパリパークから出たらフレンズじゃなくなってしまう」なんて恐ろしい言い伝えが、まことしやかにささやかれてるぐらいだもの。

 

 当時、この星でもっとも繁栄し、他の生物を支配していたのは勿論ヒトだった。

 セルリアンは瞬く間に世界中に増えて、ヒトの暮らしを脅かし始めた。ヒトは生存をかけてセルリアンと戦うことに決めた。

 いっぽうのフレンズはというと、ヒトに近い姿で言葉も話せることから、どう扱うか簡単には決められなかった。

 

 それが原因で、フレンズを友達として迎えようと主張するヒトたちと、支配して思うがままに操ろうとするヒトたちとの間で激しい争いが起きてしまったという。

 アムールトラさんとメリノヒツジさんもこの時に生まれて、自分の意思とは無関係に戦いに巻き込まれていくことになったんだと。

 

 昔のフレンズが、今からは想像もできないぐらい強かったことはすでに聞いている。

 でもそのことがフレンズにとっての不幸だった。

 実はフレンズは、当時セルリアンに対してまともに戦えるほぼ唯一の存在だったらしく、後になってヒトの手でもセルリアンを倒せる武器が発明されるまでは、フレンズはヒトから戦いを強制されていたというんだ。

 好きな所でのんびりと平和に暮らす自由なんて、当時のフレンズには無かったんだと。

 

「ひどいよ、そんな・・・・・・」と思わずわたしが呟くと、メリノヒツジさんは「これが真実だ」と無感情に切って捨てた。

 

「だまって続きを聞け。ここから重要なのだ・・・・・・その戦争で勝利したのは、フレンズ愛護派だった。彼らの首魁たる人物は考えた。どうしたらフレンズが搾取されることなく平和に暮らせるかを・・・・・・そしてそのお方は、何もない海の上に新たな大地を造ることを思いついた。それがジャパリパークだ」

 

 その場にいる誰もが雷に打たれたように硬直する。

 よりにもよって、ジャパリパークがヒトの手で造られたなんて。もともと自然にあるものだとばかり思っていた。

 確かにヒトにはさまざまな道具や文明を発明する賢さがあるけど「大地」を作ってしまうなんて予想できなかった。

 

「ジャパリパークを創造した偉大なるお方・・・・・・その名はカコ・クリュウ。お前たちにとっての神であり、僕が永遠の忠誠を誓う主である」

 

 メリノヒツジさんは胸に手を当てて、主への想いを馳せるように語り始める。

 カコ・クリュウはただのヒトでありながら、フレンズを深く愛し、ジャパリパークという楽園を一代で築き上げたという。

 そして彼女亡き今、傍で仕えていたメリノヒツジさんが彼女の後を継いで園長となったと。

 

「か、かみって何なんだよ!?」とロードランナーちゃんがわめくように尋ねる。

「お前たちの在り方を決める絶対的な存在のことだ」

 

 よくわからない返答に首をかしげるわたし達に、メリノヒツジさんがいくつか具体例を示した。

 誰もが自由を謳歌するジャパリパークにも、いくつかタブーがある。

 

 ジャパリパークから外に出てはならないというのはさっき上がったけど、それ以外にも、他のフレンズを傷つけてはならないというものがある。

 フレンズ同士で争ってはならない。フレンズが他のフレンズを支配してはならない。

 他のフレンズの住処や食べ物を奪ってはならない。

 言うまでもなく、他のフレンズを食べてしまうことだって・・・・・・

 

「そんなの全部当たり前じゃない」

「違うなァ。これがどれほどの偉業かわからんのか? カコ様が遺した意志(オーダー)によって、ジャパリパークは理想郷たりえているのだ」

 

 メリノヒツジさんは言う。

 かつての時代では奪い合いや殺し合いは日常茶飯事だった。

 フレンズが受けた酷い扱いもその中のひとつ。

 今のジャパリパークのような、争いのない牧歌的な世界の方が極めて珍しいと。

 

 その理由とは、カコ・クリュウがそのようにジャパリパークを創造した恩恵なんだという。

 わたし達フレンズは、たとえ彼女のことを知らなくても、無意識のうちに彼女が定めたルールに従うように誘導されているらしい。

 詳しい仕組みはさておき、フレンズがジャパリパークに生まれた時点からそのように決まっているんだという。

 

「じゃ、じゃあてめーは、そのかみに逆らってんじゃあねーのか!? ルールをぜんぶ破ってるじゃねーか!」

「すべてはわけがあってのことだ。ともかくふたつ目の戦争の話を聞け」

 

 ロードランナーちゃんの疑問を軽くあしらい、メリノヒツジさんはまくし立てるように次の歴史を語りだす。

 カコ・クリュウの指揮の下で、ジャパリパークは急速に繁栄していった。

 しかし反対に、それ以外の土地で暮らすヒトたちは衰退の一途を辿っていたという。

 長生きが出来なくなったり、子供が生まれなくなったり、食べ物や生活のためのエネルギーが底をついたりといった問題に見舞われていたのだと。

 その理由についてメリノヒツジさんは「ヒトは自然に見放された」とだけ述べた。

 

 そんな時、とある大きな国が繁栄するジャパリパークに目を付けた。

 土地や食べ物、そして海の上に大地を作り上げる技術を奪おうと戦争を仕掛けてきたのだと。

 ヒトが操る強力な武器と乗り物。そしてセルリアンとの戦いの中で発明された特別な兵器が、雨あられのごとくジャパリパークに襲い来たという。

 

「どうだ? 僕がヒトを宿敵だと言う理由がわかってきたか?」

「・・・・・・そ、その後どうなったの?」

「結果については言うまでもないだろう」

 

 それはそうだった。

 いま現在、フレンズ達はジャパリパークにて平和に暮らしている。

 そしてヒトは地上からいなくなってしまった。

 ・・・・・・つまり、かつてジャパリパークは戦禍にまみれるも戦いに勝ち、現在にまで続く平和を手にしたということなんだろう。

 だけど、強力な武器を手にしたヒトの大軍を相手に、どうやって勝つことが出来たんだろう?

 

「すべてはカコ様のおかげだ。あのお方は、いずれジャパリパークがヒトに襲われる可能性を危惧されていた。そして長い年月をかけて対抗する準備をなさっていた・・・・・・その結果、どんな大軍にも絶対に負けない力を手にされたのだ」

 

 メリノヒツジさんはそう言うと、おもむろに天に向かって指をさした。

 夜明け前の空には今も、彼女が呼び寄せた小型セルリアンの大軍がうごめいている。

「ま、まさか」と、その場にいる全員が青ざめると、彼女はにやりと口元を歪めた。

 

「カコ様はフレンズの神であると同時に、セルリアンの女王でもあるお方だったのだ」

 

 ただのヒトとして生まれたカコ・クリュウは、ある出来事を切っ掛けに、セルリアンの女王の力の片鱗をその身に宿らせることになったという。

 そしてジャパリパークを創造した以後も、時間をかけて少しずつ女王の力を完全に自らの物にしていったのだと。

 戦争が起こった際は、ジャパリパークを守るために、セルリアンを操りヒトの大軍と戦い始めたという。

 

「が、セルリアンの力を持ってしても奴らを蹴散らすことは容易じゃなかった。そしてカコ様はある重大な決断をなさった。

 ・・・・・・そう、それは、ヒトを地球上から絶滅させることだ」

 

「いやあああっ!!」

 絶滅という言葉を聞いた瞬間、イエイヌちゃんが大きな悲鳴を上げた。そして傍にいたわたしに強い力で抱きついてきた。まるで何かから庇おうとしてくれているような動きだ。

 

「クククッ、ただの昔話にそう怯える必要もあるまい。それとも、何かトラウマが掘り起こされたのかな?」

 

 わたしはイエイヌちゃんの背中に手を回しながらもメリノヒツジさんを睨み「どうやって?」と問いかけた。

 セルリアンを操るカコ・クリュウといえど1人のヒトでしかなかったはず。どうして彼女に他のヒト全員を滅ぼすことが出来たのかわからない。

 たしかにメリノヒツジさんという側近や、彼女と行動を共にしたフレンズ愛護派のヒトもいただろうが、それにしたってと思う。

 

「ヒトの世界は決して一枚岩ではなかった。ジャパリパークに戦争を仕掛けた大国に、古くから敵対していた別の大国もあった。カコ様はそれを利用した。その目論見は成功し、ヒト同士による最終戦争が開始された。核兵器の撃ち合いが始まったのだ」

「・・・・・・核?」

「それについて多くは語るまい。わずか数十発でこの星を滅ぼす”天の火(プロメテウス)”を、かつてヒトの文明は所有していたのだ」

 

 後は簡単だったという。

 カコ・クリュウは、同志討ちで疲弊したヒトの世界にセルリアンを送り込み、やがて地上から根絶やしにしたのだと。

 そして彼女に忠誠を誓っていた数少ないフレンズ愛護派のヒトたちが寿命でこの世を去ると、フレンズの楽園ジャパリパークだけが残った。

 セルリアンの女王と化していたカコ・クリュウが人類最後の一人となった。

 

「ひどいよ。ひどすぎるよ・・・・・・同じヒトなのに」

「それだけカコ様はフレンズのことを愛しておられたのだ。そしてフレンズの幸福のためには、敵対種であるヒトを絶滅させるしかないと苦渋の決断を下された」

「そんなの間違ってるです! 我々が知っている”ヒト”は! かばんは、素晴らしいフレンズです! かけがえのない我々の友達です!」

 

 オオコノハズクさん達が猛反論する。

 そうか、2人が知っているヒトのフレンズの名前は「かばん」っていうんだ。確か今は消息がわからないって言っていたけど。

 わたしもいつか会ってみたいと思っているけど、メリノヒツジさんに滅茶苦茶にされている今のジャパリパークで、果たして彼女は無事でいてくれているのかな・・・・・・

 

「否定はしない」

 メリノヒツジさんは冷静な声色でオオコノハズクさん達に答えた。

 静かに語り続ける彼女の赤い瞳に、心なしか悲しみの色が宿り始める。

 

「だがお前たちが言っているのは個人の性質の話でしかない。僕だって善良なヒトのことを知っている・・・・・・彼を思えば、たとえカコ様のご決断といえど、粛清に踏み切ることはつらかったよ」

「な、なんですって? じゃあどうして?」

「問題は種族としての在り方だ。ヒトが作り出した”群れ”・・・・・・ヒトの社会は、他の種族から際限なく搾取を続けることでしか存続できない。だからこそ排除しなければならなかったのだよ」

 

 どんな善人でも多かれ少なかれ、他の生き物を従わせ、自由と命を奪い、それを当たり前と思って生きてきたという。

 だからこそ旧世界において支配者として君臨できた。

 カコ・クリュウはフレンズをその環から救いたかったというのだ。

 

「そしてカコ様はいたずらに他者の命を奪ったわけじゃない。最後には自分がしたことの後始末を付けられた」

 

 ヒトの絶滅後いくらかの時間が経つと、今度はジャパリパーク内で、フレンズとセルリアンの戦いが始まったという。

 フレンズたちはセルリアンを未知の怪物と恐れ、カコ・クリュウはセルリアンの女王としてフレンズと相対することになったと。

 ・・・・・・なんというか、この辺りの歴史から、わたしの知っている今のジャパリパークの姿が固まっているような気がした。

 

「その戦いはすべてカコ様の自作自演だった」

 

 もともとからしてカコ・クリュウが女王であることも、彼女がセルリアンを操っていることについても、メリノヒツジさんを始めごく一部のフレンズにしか知らされていなかったという。

 女王カコ・クリュウの目的は、己の眷属たるセルリアン達の弱体化だった。

 ヒトを滅ぼすために量も質も強大になり過ぎてしまったセルリアンが、このままではジャパリパークのフレンズに危機を及ぼすことが懸念されたからだという。

 

 その目的のために、セルリアンの敵であるフレンズ側の戦力増強が徹底的に行われた。

 それは空想上の存在をフレンズ化することだった。「四神」と呼ばれる常識外れに強力なフレンズを筆頭に、戦いは終始フレンズ優位に進められた。

 最後には追い詰められた女王カコ・クリュウが討ち果たされることになった。

 

「カコ様は自らの意志で、愛するフレンズ達に討たれたのだ。それによりジャパリパークに完全なる平和がもたらされると信じてな」

「・・・・・・わ、我々が調べた歴史と全然ちがうです」

「それはそうだ。そのような伝承が残るように、カコ様が意図的に改竄なさったのだから」

 

 オオコノハズクさん達が言う所によれば、悪いのはセルリアンだけだという単純な対立構造だけだった。

 かつてヒトとフレンズは協力しあい、共にセルリアンの女王を撃退した。

 しかしまともに住めないぐらいに星が汚染されてしまったために、ヒトは星から去りフレンズだけが残されたという伝承だ。

 

 カコ・クリュウが歴史をこのように捻じ曲げた理由は、ヒトという禍根を後世に残さないためだ、とメリノヒツジさんは言った。

 敢えて「ヒトは悪くない」とすることで、のちの時代を生きるフレンズの恐怖を緩和し、ヒトへの関心を失わせる。

 いつかヒトがこの世界に帰ってきてもいいし、帰ってこなくても特に不満はない、とフレンズに思わせるためだったのだと。

 ・・・・・・その目的は達成され、今ではほとんどのフレンズがヒトのことを忘れてしまった。

 

 メリノヒツジさんがカコ・クリュウから受けた命令は「ジャパリパークの平和を保ち、永遠に存続させるように」というものだったらしい。

 そのためにセルリアンを操る力と、ジャパリパークを管理する権限を与えられ、表には姿を見せずに園長として活動してきたのだと。

 

「フレンズだけでなく、セルリアンも守るように仰せつかった」

「・・・・・・セルリアンも?」

「当たり前だろう。彼らもまたカコ様の子供たち。なぜフレンズだけが贔屓されると思うのだ?」

 

 フレンズとセルリアンの双方を守るために、カコ・クリュウが残した意志(オーダー)

 それは両者を適度に弱体化させることだったという。

 かつての時代のままではフレンズもセルリアンも力を持ちすぎていた。どちらかが滅びるまで戦わなくてはならなかった。

 

 だが今の時代のフレンズは、他者と争ってはならないという牧歌的な性質を生まれた時から植えつけられ、それに伴って力も抑えられていった。

 セルリアンもまた同様に本能が抑えられた。

 見かけたフレンズに襲いかかることはあるが、昔のように群れを成すことも、周囲を脅かすほどに強力な進化をすることもなくなった。

 多少の小競り合いが起こる程度のあんばいで、両者が共存できる環境が整えられたんだと。

 

「やっぱりおかしいよ。遺言に従ってジャパリパークの平和を守ってきたあなたが、どうしてそれを自ら壊してるの?」

「ヒトとの戦いの兆しが見えだしたからだ」

「ひ、ヒトは絶滅したって言ったじゃない!」

「・・・・・・この地上にはいなくなった、という意味だ」

 

 メリノヒツジさんはまたも天を見上げた。

 そして「空の向こうに奴らはいる」と呟いた。

 

 この星を覆う大空の遥か上には、宇宙という広大な空間が広がっているという。

 そして少数のヒトの生き残りが、カコ・クリュウがもたらした破壊から逃れるために宇宙に上がったのだと。

 空飛ぶ巨大な船を作り、この星から飛び立っていったのだと。

 

「・・・・・・あの男。あの親不孝者のせいで計画にケチがついた」

「だ、誰? 誰のこと?」

「ふっ。さて、もしかしたら、お前たちの方が良く知っているかもしれんな・・・・・・アニムス。そしてイヌのハイブリッドよ」

 

 わたしとイエイヌちゃんのことを見やりながら、メリノヒツジさんが意味深につぶやく。

 ともかく彼女が「親不孝者」と呼んだその人物は、カコ・クリュウの企みに早くから気付き、少数のヒトとフレンズと共に抵抗をしていたという。

 

 手を尽くした彼らは、すんでのところで空飛ぶ船での逃避行を実行し、宇宙に逃げるという形で人類絶滅を阻止した。人類全体から見ればわずかな数でしかなかったが、それでも少なくないヒトが宇宙に逃れた。

 ・・・・・・禍根を全て無くしたいカコ・クリュウとメリノヒツジさんにしてみれば、それは失敗と呼んで差しつかえない結果だったと。

 

「あの男の影響はジャパリパークにも残っている。お前たちに噛み砕いて説明するのは難しいが・・・・・・今から遠くない昔、とある決定的な異変が起こった」

「い、異変?」

「さっき名前が上がったな。キョウシュウに現れた”かばん”という存在のことだ」

 

 かばんさんのことに話が飛んで、オオコノハズクさん達が改めて目を丸くする。

 メリノヒツジさんが言うには、ヒトのフレンズなどという存在は、本来はこのジャパリパークに現れるはずがないらしいんだ。

 謎の物質サンドスターは絶滅した動物も、空想上の生物すらもフレンズ化させる力があるが、唯一ヒトだけは例外になっている。

 カコ・クリュウがそのようにサンドスターの成分を設定したらしい。

 

「あのような”例外中の例外”がジャパリパークに誕生したことは何かの予兆としか思えん」

「・・・・・・め、メリノヒツジ! まさかお前は、かばんを狙って”4本足”を差し向けたですか? ゴコクに発ったかばんの行方を知っているですか?」

「残念ながらどちらとも”ノー”だ・・・・・・今ではカコ様を起源としていない、僕がコントロール出来ない野生セルリアンもかなり増えている。そういった個体の中でも、あの4本足は見事だったな。パワーだけなら僕の”フォルネウス”を上回っていた」

 

 にわかには信じがたいけど、キョウシュウにて起きた一件にはメリノヒツジさんはまったく関与していないという話だった。彼女をもってしてもかばんさんを追跡することは出来ず、完全に消息がつかめなくなっているらしい。

 

「ヒトのフレンズかばん・・・・・・まったく不気味な奴だ。僕の手から逃れるなど、何か特別な方法でも用いない限りは不可能だ・・・・・・聞いた話では、奴は自分以外のヒトのことを探していたらしいじゃないか? もし奴が宇宙に逃れた仲間のことを知ったとしたら、きっと連絡を取ろうとするだろうな」 

 

 メリノヒツジさんは、かばんさんがヒトをジャパリパークに呼び寄せる可能性を恐れている。

 ヒトの来訪は、それすなわちジャパリパーク侵略の開始であると考えているんだ。共感はできないけれど理屈はわかった。

 

「想像も出来ないような地獄が始まるぞ。ふたたび奴らの手で天の火(プロメテウス)が使われるかもしれん」

 

 と、メリノヒツジさんはまるでその光景を目の当たりにしているような顔で言った。

 かつて自分達の物だった星を取り戻すために、ヒトの凄まじい侵略が始まると。

 わたしには実感が湧かない。ヒトがそんなに悪い種族だなんてどうしても思えない。

 

「ヒトという脅威が迫っているからこそ、僕は大急ぎで準備を整えなければならなかった。わが配下のセルリアン軍団だけでは苦戦は必至だろう。長い時を経て、彼らも退化してしまったからな。

 ・・・・・・が、退化したのは彼らだけじゃない。お前らフレンズもだ」

 

 メリノヒツジさんは断言した。

 自分がこんなことをしている理由は、フレンズ達一人一人にかつての強さを取り戻させるためだと。このジャパリパークを守るために戦う覚悟を決めさせるためだと。

 だから敢えて平和を壊し、戦いこそ日常であるとわからせるためであると。

 

「た、戦う未来しかないの?」

「・・・・・・何だと?」

「宇宙から帰ってくるヒトと仲良くする道はないの?」

 

 突きつけられた事実にめまいを覚えながらも、わたしは必死に訴えた。

 戦う以外の道だってあるはずだと信じたい・・・・・・だがメリノヒツジさんから返ってきたのは「愚かの極みだな」と冷たく切り捨てるような一言だった。 

 

「断言してやる。フレンズとヒトが共存することなど不可能だ。ジャパリパークの存在そのものが、そのことの証明に他ならないということがわからんのか? カコ様がもたらした平和の時代は終わったのだ。戦わなければヒトに全て奪われるだけだ」

 

 この世界の本質は弱肉強食だ、とメリノヒツジさんは言った。

 そしてフレンズの祖である野生動物たちは厳しい生存競争を勝ち抜いて種を繋いできたんだと。

 鋭い爪や牙を持つことだけが強さじゃない。色んなフレンズがいるということは、色々な強さがあるということだと。

 逃げ足が速いことも。賢いことも。他の種族と共生関係を築くことも、生き残るという結果に繋がれば、すべて強さに置き換えられる。

 弱いフレンズなど存在しない。弱い生き方があるだけだ。生きるも死ぬも自分の責任・・・・・・というのが彼女が掲げる思想だった。

 

「今こそフレンズは神のゆりかごから降りる時が来た。自分の足で歩き出す時が来たのだ。脱皮できないヘビは滅びるしかない。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神と同様にな・・・・・・肝要なのは”力への意志”である。自分は今よりも成長できると信じて進め。それこそが生きることなのだ!」

 

 難解な言葉を並べ始めたメリノヒツジさんを前に、わたし達は言葉もなく圧倒された。

 その禍々しい顔つきからは確信がみなぎっている。昔話をしていた時と様子が違う・・・・・・これこそが彼女が伝えたかった一番重要なメッセージなんだと感じる。

 

「おや? お前だけ他の奴と顔色が違うようだが?」

「わ、私は・・・・・・!」

「もしかして僕の言葉に共感を示しているのか?」

 

 メリノヒツジさんがおもむろに視線を向けたのはワシミミズクさんだった。

 誰もが恐怖と困惑に打ちひしがれながら身構える中で、彼女だけが雷に打たれたようにぼうっと立ち尽くしている。

 

「なっ!? 助手!?」

「教授・・・・・・私はメリノヒツジの言うことを否定できないです。いかに彼女が悪党だとしても、言うことには理屈が通っているような気がするです」

 

 詰め寄るオオコノハズクさんに対して、ワシミミズクさんは冷静に答えた。

「私は今よりも強くなりたいです。ジャパリパークに危機が迫っているなら、猶更そう思うです」

「助手! あんなひどい奴の肩を持つですか!」

「・・・・・・教授、私は大切なものを失わないための力が欲しいです」

 

 オオコノハズクさんとワシミミズクさんが言い争っている。

 いつでも背中を預け合っているはずの名コンビの間に亀裂が走ってしまっている。

 我を忘れて狼狽えるオオコノハズクさんとは反対に、ワシミミズクさんは落ち着き払った、覚悟を決めたような表情をしていた。

 そして彼女は「ひとつだけ聞かせてほしいです」とメリノヒツジさんに質問を投げかけた。

 

「園長。何故あなたはそんなに昔のことを知っているのですか? ・・・・・・いや違う。なぜ我々はあまりにも知らなさ過ぎるのですか? 今までひたむきに知識を求めてきた我々の努力が、これじゃあまりにも・・・・・・」

「まあそう自分を責めるな。フレンズの体はそういう風に出来ているから仕方がないのだよ」

 

 共感を示したワシミミズクさんに気を良くしたのか、メリノヒツジさんはそれまでよりも上機嫌な様子で質問に答えた。

 フレンズの体の秘密についてだ。

 外部要因によって死なない限り、フレンズの肉体は基本的に不老不死の状態であるという。

 体内のサンドスターが、体細胞を永久に一定の状態に保ち続けるからだ・・・・・・が、そんな中でも唯一の例外があるとメリノヒツジさんは言う。

 

「サンドスターとは再現を繰り返す物質だ。だからこそフレンズは永久の命を得ている。しかしフレンズの肉体において、唯一永久たりえない部分が存在するのだ」

「な、何ですかそれは!」

「記憶だよ」

 

 サンドスターはあくまで、その個体がフレンズ化した時点での情報を再現し続けているに過ぎないんだという。

 そして個体が持つサンドスターが再現できる情報量には限界があると。

 だが生き続ける限り、日々あたらしい記憶が頭の中に蓄積され続ける。

 その莫大な情報量にサンドスターが耐えきれないのだという。

 フレンズが長く生きれば生きるほど、古い記憶から順番に忘れていってしまうらしい。

 

 記憶がないのはわたしにも当てはまる話だ。 

 わたしはイエイヌちゃんが起こしてくれるまでずっと氷の中で眠っていた。

 メリノヒツジさんの話に当てはめると、眠っていた時間が長すぎて、それより前の記憶を全部無くしてしまったのかも知れない。

 

「・・・・・・そ、そういうことでしたか。だから私は、教授といつ出会ったのかさえ思い出せないと」

「どうやらお前以外にも心当たりのある奴がいるようだな」

 

 メリノヒツジさんが視線を投げかけたのはイエイヌちゃんの方だった。

 わたしの隣で頭を抱えながら項垂れている。

「うううっ、忘れたくなんてなかったのに・・・・・・!」

 イエイヌちゃんがわたしを大切にしてくれるのは、かつて彼女が一緒にいたヒトの思い出があるから。でも彼女はそのヒトとの具体的な思い出も、顔や名前すらも覚えてない。

 ・・・・・・イエイヌちゃんにとってそれが常に不安の種だったんだ。

 

「まあ安心したまえよ。よほど前のことでない限りは覚えていられるわけだからな。自分が何者で、どこで何をして生きてきたかは問題なく認識できるわけだ。つまり生活するには支障はない。何もかも忘れて放浪するようなことにはならないのだよ・・・・・・クククッ、普通はなァ?」

 

 メリノヒツジさんの言葉にわたし達は首を傾げた。

 古いことから順番に忘れるという法則に則ればそうなるだろう。そんな当たり前のことをわざわざ強調するように説明するのは何故だろう?

 

「私のことを言っているんですね」

 

 誰もが固まる中、ハツカネズミさんが割って入るように声を上げた。

 考えてみれば彼女だけ、記憶の抜け落ち方が他のフレンズとは異なることに気付く。

 自分が何者かもわからずに彷徨っていた所をオオミミギツネさんたちに拾われた・・・・・・というのが彼女の経緯だ。

 最近の記憶が残っていたならばそんなことにはならないはず。

 

 誰もが驚いてハツカネズミさんへ視線を向ける中「お久しぶりです」と彼女はメリノヒツジさんへと会釈した。

 ふん、とメリノヒツジさんが上機嫌そうに鼻を鳴らす。

 2人の間からは明らかに見知った間柄である空気が感じられる。

 

「ハツカネズミ。そのサイズの合ってない白衣はなんだ? 君が見た目に無頓着なのは知っているが、少しみっともないような気がするよ?」

「あなたと同じですよ、園長」

「・・・・・・ならばお互い身軽になるというのはどうだ?」

 

 メリノヒツジさんが身にまとった黒いローブの襟元に手をかける。投げるように勢いよく脱ぎ捨てられたローブがふわりと地面に落ちる。

 対照的にハツカネズミさんは白衣のボタンを一つずつ外してからそっと足元に置いた。

 

「・・・・・・お、おいっ! こりゃあどういうこった!?」

 

 ロードランナーちゃんが2人の体を交互に見比べながら目を白黒させている。

 露わになったメリノヒツジさんの全身は、その顔面とまったく同じ特徴を持っていた。赤く焼けただれたような肌にびっしりと鱗が張り付いていて、まさしく悪魔を思わせる風貌だ。

 肩や首回り、太ももにはボリュームのある体毛が残っていて、それがかつてヒツジだった頃のわずかな名残に見える。

 

 ハツカネズミさんはというと、手先や膝から下は陶器のような美しい純白だったけれど、胴体や腰回りの大部分がメリノヒツジさんと同様に真っ赤に焼けただれているのが見て取れた。

 今まで白衣によって隠されていたハツカネズミさんの本当の姿は、メリノヒツジさんに匹敵するほどに異様だった。

 

「普通のままではフレンズは忘却の運命から逃げられない。だからこそ体に記憶を刻み続ける必要があったのだ」

 

 2人の体に共通する火傷のような跡・・・・・・それはサンドスターの記憶情報を外科的に体に埋め込んだ結果だという。

 かつてカコ・クリュウが開発した技術で、メリノヒツジさん達はこれを繰り返すことで自身の中に膨大な記憶を蓄えてきたのだと。

 

「ハツカネズミよ、自分が何者かようやく思い出してきたか?」

「・・・・・・私はかつてあなたの側近でした」

 

 観念したようにハツカネズミさんが語りだす。

 彼女もまたメリノヒツジさん同様に、カコ・クリュウに後の世のことを託されたフレンズのうちの一人だったという。

 記憶を体に刻みつける技を使い、長年に渡ってジャパリパークの管理を影で行ってきたんだと。

 

 だがハツカネズミさんはある時期からメリノヒツジさんと袂を分かつことになった。

 ジャパリパークの平和を乱してまでフレンズを鍛えるという、メリノヒツジさんの強行的なやり方に反対したんだ。

 ・・・・・・その結果、ハツカネズミさんは手痛い制裁を受けることになった。

 

「記憶を消去して追放するだけで許してやったというのに、こうしてまた僕の邪魔をしてくるとはな。お前もつくづく進歩がない奴だ」

「園長、ひとつだけ教えてください」

 

 ハツカネズミさんが神妙な顔で尋ねた。

 ジャパリホテルにて、なぜ自分をスカウトするような事を言ってきたのか、と。

 初対面を装ってまでそんなことをする理由がわからないと。

 

「フッ、何のことはない。ただの挨拶だ。かつての側近の近況が知りたかっただけだ。そして確信したよ。凡愚どもに囲まれてすっかり腑抜けてしまったことをな。

 ・・・・・・だから他の奴らと同じように逃げるチャンスを与えてやったものを、お前はことごとく無駄にした。もはや助かる余地はない」

 

 ハツカネズミさんは、全てに納得したようにゆっくりと頷くと「あなたは間違っている」と、静かだが強い意志を滲ませる口調で呟いた。

 

「・・・・・・今の仲間達が教えてくれました。フレンズ達はみんな一生懸命、それぞれの人生を生きています。たとえ力が弱くても、過去の歴史を何も知らなくても・・・・・・それを壊す権利なんて誰にもないんですよ!」

「ハツカネズミよ。その物言いこそが腑抜けた証拠ではないか。過去の痛みを脇に追いやり、綺麗ごとに酔っているだけだろう?」

「過去なんかよりも、今の方がずっと大切です。園長、私はあなたから離れて、ようやくそのことに気付くことができました」

 

 ハツカネズミさんは鼻息荒く会話を打ち切ると、おもむろに片手を突き出すように掲げた。意味深なその動きの意味は誰もわからない。メリノヒツジさんですら首をかしげている。

 

「何の真似だ?」

「私が何の策も持たずにやってくるとお考えでしたか?」

 

 2人の間に不穏な空気が流れたのも束の間、わたし達はとある異変に気が付くことになる。

 上空にうごめく小型セルリアンの群れ・・・・・・その中のとある一部分だ。

 何匹かが群れを外れて、やたらめったら無軌道に荒ぶった飛び方をし始めた。

 彼らはわたし達がメリノヒツジさんに近づかない限りは攻撃してこないはずなのに、いったい何が起こったんだろう?

 

________ブオオオッ! ドシャアアッ!

 程なくして荒ぶっていた数十匹の個体が群れを成し、下に向かって降り注いできた。

 ・・・・・・わたし達のほうではなくメリノヒツジさんの方へだ。

「むっ、これは!?」

 突然のことに対応できない彼女へと飛び掛かり、その体で周囲ごと覆い隠してしまった。

 セルリアン達が自分の主人たるメリノヒツジさんを攻撃している? いったいどうして? 

 ・・・・・・そう思ったのも束の間、セルリアン達は一斉に勢いよく上昇して空に戻っていった。

 

「み、見ろよー! あれを!」

 ロードランナーちゃんが指をさしたのは、メリノヒツジさんのすぐそばにあった大岩だ。

 あの岩の上には、未だ目覚めることのないアムールトラさんが横たわっていたはずなのに、なぜか忽然と姿を消してしまっている。

 

 アムールトラさんがどこへ移動したかはすぐにわかった。

 彼女は眠ったまま、黒い集合体に抱え上げられるようにして空中を浮遊していた。

 セルリアン達はメリノヒツジさんへ攻撃を仕掛けたわけじゃなかった。彼女の傍にいたアムールトラさんを連れ去ることこそが目的だったのだ。

 

「セルリアンへの行使権限があるフレンズは、あなただけではないことをお忘れですか!」

「バカな、お前1人でどうやってマザーへアクセスしたのだ?」

 

 わたしには理解不能な言葉が飛び交う。

 わかるのは、目の前のセルリアンの異常な挙動がハツカネズミさんの手で引き起こされているらしきことだけだ。

 彼女にこんな力があったとは。でもどうやって・・・・・・?

 

________ポコ、ポコ、ポコ・・・・・

 聞き覚えのある特徴的な足音が後ろから近づいてくる。

 その音を耳にして、彼の出現を察知する。

 わたしにはイエイヌちゃん、ロードランナーちゃんに続く4人目の旅の仲間がいる。神出鬼没で、普段は一緒にいないけれど、肝心な時にいつも助けてくれる心強い存在が・・・・・・。

 

「もちろん私一人ではアクセス出来ません。でも”彼”の力を借りれば可能です」

________ピョンッ

 颯爽と現れたラモリさんが軽やかにジャンプすると、ハツカネズミさんが突き出している腕の上へと降り立った。

 さらに背中から生えている機械仕掛けの尻尾を動かして、先端の手みたいな部分をハツカネズミさんの手と重ね合わせた。

「カンリシャ ノ ログイン ヲ カクニン・・・・・・」

 その瞬間ラモリさんのつぶらな瞳が、サングラス越しに強い緑色の光を放ちはじめた。

 

 ラモリさんとハツカネズミさんに操られたセルリアンたちが、猛スピードでアムールトラさんをこっちまで運んできてくれている。

 セルリアンに阻まれてアムールトラさんに近づけないなら、逆にセルリアンに彼女を連れてきてもらえばいいんだ・・・・・・!

 こんな力を持っていたなんて、いつもながらラモリさんには驚かされる。

 わたしにはとても想像がつかない作戦だったけど、確かにこれなら上手くいきそうだ。

 

「ほう、さすがは我が側近。なかなか面白いことをするじゃないか。だがしょせんは無駄なこと」

________パチンッ

 焦りの色すら見せないメリノヒツジさんが指を鳴らす。

 すると数機のラッキービーストが突然わたし達の近くの草むらから飛び出した。

 

「ら、ラッキーさんがどうしてこんなに!? 一体どこから!?」

「元から我が近くに潜ませていた。大量のセルリアンを操るためには中継器が必要だからな」 

 

 メリノヒツジさんが差し向けた青いボディカラーのラッキービースト達が、ハツカネズミさんの腕の上にいる赤いラモリさんを取り囲むように近づいていく。

 そして彼女たちから少し離れた場所で陣形を取るように足を止めると、無機質な黒い瞳がいっせいに光り始めた。

 

「ガ、ガガ・・・・・・! ボウダイ ナ システムエラー ヲ ケンチ・・・・・・」

 するとラモリさんの体がびくんと震え、瞳から放たれる光が弱まってしまった。

 それに呼応してアムールトラさんを運んでいるセルリアンの集合が解け、彼女を地面に落としてしまいそうになる。

 ・・・・・・が、すんでのところでラモリさんは持ち直し、再び緑色の光を放ちセルリアンを操ってアムールトラさんを持ち上げた。

 なぜだかラモリさんは随分辛そうだ。取り囲む他のラッキービーストから見えない攻撃を受けているみたいな・・・・・・?

 

「それにしても、マザーのコントロールから外れたラッキービーストがいるとはな・・・・・・そんな珍品を所有しているとは、やはりお前たちの背後にはあの男の意志が介在しているのか?」

 

 メリノヒツジさんがブツブツと呟きながら、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 わたし達にアムールトラさんを奪還されてしまう可能性なんて微塵も恐れていない様子だ。

 セルリアンたちがアムールトラさんを運んでくるにはまだ距離がある。

 もしその前にラモリさんがセルリアンを操れなくなってしまったのなら、わたし達にはもう打つ手がない。

 

「わ、わふ! ラモリさんを助けなきゃ!」

「このラッキービースト達を何とかすりゃあいいのか!?」

「ハツカネズミ達の邪魔はさせないですよ!」

 

 イエイヌちゃん達がいっせいにラッキービースト達に飛び掛かろうとする。

 先ほどメリノヒツジさんの言葉に共感を示したワシミミズクさんも、オオコノハズクさんに続く形で動いた。

 が、ここでまた予想もしなかった事態が起こる。

 

________ガクンッッ・・・・・・!

「きゃああっ!」

「イエイヌちゃん! みんな! どうしたの!?」

「・・・・・・か、体がメチャクチャ重てええ!」

 

 とつじょ、みんなが金縛りにあったように動けなくなってしまったのだ。

 ラッキービースト達に触れることすら出来ずにその場に崩れ落ちてしまった。まるでラモリさんだけでなく、わたし達にも見えない攻撃が仕掛けられているみたいだった。

 

「フレンズがラッキービーストに危害を加えることは出来ない。最初からそういう風に決まっているのだよ」

「そ、そんなっ!」

「まったく鬱陶しい奴らだ。もう少し余韻に浸っていたかったが仕方ない。早くことを済ませるとしよう・・・・・・お前らはそこでおとなしくしているんだな」

 

 抵抗手段を失ったわたし達に種を明かしながら、メリノヒツジさんは悠然と近づいてくる。

 これもカコ・クリュウの意志(オーダー)というものだろうか? わたし達の体にはいったいどれだけの制約が仕込まれているんだろう。

 

「園長ぉぉッ! あなたの思い通りには! ・・・・・・ぐうっ!」 

 必死に抵抗していたハツカネズミさんも、他の子たち同様にその場に崩れ落ちてしまった。

 ラモリさんはというと、やむなくハツカネズミさんの腕から降りたが、それでも彼女と手を取り合ったまま、瞳から光を発しセルリアンたちを操り続けている。

 ・・・・・・が、先ほどとは比べ物にならないぐらい光が弱くなり、今にも消えてしまいそうなほど明滅を繰り返している。

 一匹、また一匹とセルリアンがコントロールから外れ、数匹でやっとアムールトラさんを抱え上げ、のろのろと運んでいるような状態だ。そして・・・・・・

 

________バチィィンッ!

「ら、ラモリさぁああんッ!」

 チャームポイントのように思っていたサングラスが勢いよく宙を舞った。

 赤いボディが横転し、中身の見えた機械の体から何度も火花を散らした後、ラモリさんはピクリとも動かなくなってしまった。

 

________ドサッ

 それと同時にセルリアン達へのコントロールも完全に解けてしまう。

 わたし達にほど近い場所で、霧散したセルリアン達から放り出されるように、アムールトラさんが地面に落とされてしまったのが見える。

 

「と、ともえ、おめーは動けるのか!?」

「えっ・・・・・・」

 おもむろにロードランナーちゃんが後ろから呼びかけてくる。

 仲間達はみんなその場にうずくまり、立ち上がることすら出来なくなってしまっている。

 そんな中で、確かにわたしだけが特に変わったところがない。いったい何故なんだろう?

 

「・・・・・・ラッキービースト達を通じて、マザーからの命令(オーダー)が発せられています。それで私たちは動けないのです」

 

 ハツカネズミさんが難しげな解説をしてくれる。

 かつての記憶を取り戻したということだろうか。

 マザーとは、言うなればラッキービーストの親玉のような存在なんだと。ジャパリパーク中のラッキービーストを操り、引いてはジャパリパークそのものを支配していると。

 

 ・・・・・・そして園長、メリノヒツジさんはマザーに自らの意志を託している。

 だからこの場でアムールトラさんに食べられて死を迎えることになっても、マザーが彼女の命令を実行し続けてくれる。

 アムールトラさんに命を捧げるための準備が完全に済んだ状態なんだと。

 

「ともえさん、申し訳ありません。私がしくじったせいで、あなたのお友達を失うことになってしまいました・・・・・・ですが、恥を承知で頼みがあります。あなただけでも逃げてはくれませんか?」

 

 この状況ではもはやアムールトラさんを助ける手はない。そしてメリノヒツジさんがこちらを逃がしてくれることはないだろう、とハツカネズミさんは言う。

 ならば唯一動けるわたしだけでも逃げろと。

 この場で聞いた話を、他の土地に住むフレンズさん達に聞かせるだけでも無茶をした甲斐があるというのだ。

 

「い、いやだ!」

 

 そんな提案なんて飲めるはずがない。

 仲間を見捨てて逃げるなんて。アムールトラさんをあきらめるなんて・・・・・・

 向こうの様子を見やると、メリノヒツジさんは相も変わらず余裕の表情のままゆっくりとこちらに近づいて来ている。

 地面に寝ころんだアムールトラさんとの距離は、少しばかりだけれどこちらの方が近い・・・・・・

 

(い、行かなきゃ!)

「無茶です! やめてください!」

________ダッ!

 わたしはハツカネズミさんの悲痛な訴えを振り払うようにして走り出した。

 ・・・・・・バカなことをしてるってわかってる。でももうこれしか出来ない。

 

 全力で走れば、メリノヒツジさんよりも先にアムールトラさんの所へ行けるはず。彼女を引きずってここから逃げることが出来たら。

 近づけば近づくほど上空にいるセルリアンに襲われるリスクは上がるけれども、メリノヒツジさんに肉薄するわけじゃない。だから絶対に襲われるって決まったわけじゃない。

 

________ゾクッ

 だけど、そんなわたしの覚悟も早々に打ち砕かれた。

 仲間達とはまた別の要因で、わたしはその場から一歩も動けなくなってしまったんだ。

「・・・・・・」

 近づいてくるメリノヒツジさんの表情はこれまでと変わりない。

 余裕たっぷりで、口元には微笑みさえ浮かべているほどだ・・・・・・でもさっきまでと様子が違う。

 

 彼女はすでに戦闘態勢だ。不用意に近づいたら、一撃で建物を吹き飛ばすような威力の攻撃がこっちに向かって飛んでくるだろう。

 本能でそれがわかってしまって、わたしの全身が恐怖で硬直してしまっている。

 こういうのを確か「ヘビに睨まれたカエル」って言うんだよね・・・・・・。

 

「それが賢明だ」

 メリノヒツジさんがわたしの心を読んだようにほくそ笑む。

 やがて地面に横たわるアムールトラさんの傍に近寄ると、跪いて大事そうに抱き起こし、覗き込むように眠る彼女の顔を近くで眺めた。

 

「さあ、そろそろ目覚めておくれ。新たな神として世界を導いておくれ」

「・・・・・・な、なんで? アムールトラさんが神ってどういうことなの?」

「言葉の通りだ。彼女はカコ様に代わるこの世界の新たな導き手となるのだ・・・・・・さっきも教えてやったろう。神とは我々の在り方を決める絶対的な存在であると」

 

 メリノヒツジさんはさらに続けた。

 完全なビーストと化したアムールトラさんに敵う者はなく、各地で暮らすフレンズたちは恐怖で震えあがるだろうと。

 その絶対的な強さが、やがてフレンズたちの意識を変えていく。

 誰もが「戦わなければ生き残れない」ということを悟り、必死に生き抜こうとするだろうと。

 アムールトラさんはまさしく、弱肉強食というこの世の節理を体現する「新たなる神」に変身するんだと・・・・・・

 

「・・・・・・そんなのアムールトラさんが可哀そうだよ」

「何だと?」

「あなたがそうさせたいってだけで、アムールトラさんの気持ちなんかどこにもないじゃない!」

 

 言葉が自然と湧いて出てくる。

 怖くて体が動かなかったはずなのに、自分の無力さに対する絶望感よりも強い気持ちに突き動かされて、わたしは気が付くとメリノヒツジさんに怒鳴っていた。

 

 アムールトラさんはビーストじゃない。神様なんかでもない。わたし達と同じフレンズなんだ。このジャパリパークで幸せに暮らせるはずなんだ。 

 彼女が本当は優しさに溢れていることをわたしは知っている。ビーストを克服するために一生懸命頑張っていることも。

 だから・・・・・・これ以上アムールトラさんを苦しめないでほしい。

 

「ふはははっ! あーはっはっはっ!!」

 

 メリノヒツジさんが、わたしの訴えをかき消すようにケタケタ大笑いしはじめた。

 天を仰ぐようにのけぞって笑っていた彼女の顔が、やがてこちらの方へ向き直ってくる。

「クククッ・・・・・・おいおい、どの口が言うんだよ? どの口がァッ?」

 

 さぞかしニヤついているんだろうと思ったが、その表情は予想とは違った。

 射殺すような眼光と、顔中に刻まれた深い皺から作られる憤怒の形相は、見ているだけで震えあがる程に恐ろしい。

 今まで余裕の態度を崩さなかった彼女が、突然に怒りを爆発させているのが見て取れる。

 

「アムールトラを今まで苦しめてきたのは誰だ? フレンズのなりそこないのビーストなどという蔑称で呼んで”のけもの”にしてきたのは誰だ? 一人ぼっちで苦しんでいたアムールトラに歩み寄ろうとしなかったのは誰だ? ああ!? 答えてみろよっ!」

 

 今までとは違う荒っぽい言葉遣いにて問いかけてくるメリノヒツジさん。

 ・・・・・・わたしの胸はズキリと痛んだ。

 問いの答えが脳裏に浮かんだからだ。

 

 ジャパリホテルから避難したフレンズさん達は、みんなを守るために戦ったアムールトラさんをののしり蔑んだ。傷つき寝込んでいる彼女を「追い出せ」とまで言った。

 オオコノハズクさん達は、縄張りで休んでいただけのアムールトラさんを捕まえ、暗くて狭い所に閉じ込めて、それを悪いこととも思わなかった。

 ・・・・・・わたしだって、つい前まで、彼女のことを恐ろしい怪物だとしか思ってなかった。

 

「これでわかったろう。お前らがアムールトラの友を気取る資格などないことが・・・・・・だがまあ僕も鬼じゃない。どうしてもと言うなら、友情を証明するチャンスをやろうか?」

「え・・・・・・?」

「べつに簡単なことさ。誰か一人で良い。僕の代わりにアムールトラに体を捧げろ。こんな醜く老いさらばえた僕よりも、お前たちの肉の方が美味だろうから彼女も喜ぶだろう・・・・・・どうだ? 友達を救うためだと思えば出来るだろ?」

 

 酷いことを言う。メリノヒツジさんはわかってるんだ。

 わたし達にはそんなこと出来るはずがないと。

 暴力こそ振るわないけれど、あらんかぎりの悪辣な言葉によって怒りを発散しているんだ。

「ふははっ! わかったか! お前達の想いなんてその程度なんだよ!」

 わたしや後ろにいる仲間達がぐうの音も出なくなった様を見て溜飲が下がったのか、勝ち誇ったようにダメ押しの宣言を言い放った。

 

「・・・・・・そしてこの僕だけが・・・・・・アムールトラの友であるッ!!」

________ドシュッ

 メリノヒツジさんがアムールトラさんを片手で抱き起こしながら、もう片方の手の平を自分の頭に生えている角に突き刺した。

「さあ、もう君は一人ぼっちじゃないぞ。誰もが君にひれ伏すからな」

 角から手の平を引き抜くと、噴き出した鮮血をアムールトラさんの口元にポタポタと垂らした。自分の血を飲ませているんだ。

 

「善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。そして、一切の価値を粉砕せねばならない!」

 

 歓喜の笑みを浮かべるメリノヒツジさんが、アムールトラさんに血を飲ませながら謎の文言を唱えはじめる。

 言葉の意味なんてわからない。彼女の中だけにある喜びを言い表しているんだろう。

 誰の気持ちも無視して、自分の言葉に酔って、自己中心的な目的だけを遂げようとするメリノヒツジさんは、あんまりに傲慢なんじゃないかって思う。

 でも彼女の行動にはすべて理由がある。経験してきた出来事の中で培われた信念もある。

 ・・・・・・わたしには、そんなもの何もない。だから彼女に反論することも出来ない。自分の無力さが嫌になって、絶望が胸に広がっていく。

 

 何もできずに茫然と眺めていると、やがて異変を目のあたりにすることになる。

 メリノヒツジさんの腕の中で、アムールトラさんが背筋を弓のようにのけぞらせるのを。

 黒い炎がなおさら激しく燃え盛り2人の姿を包み込むのを。

 炎の中でアムールトラさんの両手が一回り以上も大きくなり、元のビーストのかぎ爪が生えだしてくる様を。

 

「創造する者とは、人生の目的を打ち立て、大地に意味と未来をあたえる者である!」

「い、いやあッッ! アムールトラさんっ!」

「・・・・・・」

 

 メリノヒツジさんの満足げな詠唱と、わたしの悲鳴が入り混じる中、ついにアムールトラさんがまぶたを開いた。 

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 

哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」(機能停止状態)
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編15「アムールトラとメリノヒツジ」


 すべてを失った獣がいた。すべてに執着した獣がいた。
 数奇な運命を歩んだ二匹の最後の対峙がはじまる。


(はっ)

 

 閉じられていた深い暗闇がとつじょとして途切れた。まばゆい光が楕円形の隙間の中から漏れ、やがて視界を埋めつくしていく。

(ううっ・・・・・・ここは・・・・・・)

 ああ、何のことはない。この隙間は私の目蓋じゃないか。

 形のない意識だけの存在だった私に、どうやら生の肉体と感覚とが取り戻されているようだ。

 

 今までどのくらい眠っていたんだろう?

 短い間だったのかもしれないし、長いこと眠り続けていたのかもしれない。

 一つだけ言えるのは、もう目覚めることがないと思えるほどに深い眠りだったということだ。

 

「食え・・・・・・食え・・・・・・僕を食え」

 

 静かにささやきかける声が耳元で聴こえる。幻聴の類じゃなく現実のものだ。

 声の主がすぐ傍にいるはずなのに、私には正体がよくわからない。視界がひどくぼやけているんだ。光がひどく眩しくて、目の前の全てにモヤがかかっている。

 辛うじて分かるのは色見とおおよそのシルエットぐらいだ。

 

「かぶりつけ・・・・・・空腹を満たすんだ」

「ッッ!?」

 全身が真っ赤な色をした謎のシルエットが私を覗き込んでいる。どうやら声の主のようだ。

 いまの私の目には、恐ろし気な赤いモザイクの集合体にしか見えない。 

 ただわかるのは、鋭く長い二本の角を生やしていることと、満面の笑みを浮かべていること。

 どこに目があるのかすら分からないっていうのに”それ”が歓喜している感情だけは、何故だか鮮明に伝わってくる。

 

「さあ、お前の中に僕を入れろ!」

________ガッ

 赤いシルエットが私の体を強い力で引き寄せてくる。

 どうやらそいつは私が目を覚ます前からこちらのことをがっちりと羽交い締めにしているみたいだった。

 いまや顔と顔が触れ合いそうなぐらい近くで見つめ合っている。

 

「ぐ、ぐぱあっ!」

 

 まるで抗いがたい命令を受けているかのように、私は大口を開けてそいつを迎えようとした。

 まともに見えない目の代わりに、別の感覚がにわかに研ぎ澄まされている。

 ・・・・・・それは嗅覚だ。甘く芳醇な、食欲を刺激してやまない香りが奴の体から伝わってくる。

 顔を近づけているだけで正気を失ってしまうほどの誘惑に晒される。

 どす黒い怪物の衝動が頭をもたげ、私を内側から突き動かそうとしている。

 かぶりつきたい。血を飲み干したい。肉片を舌の上で転がして味わいたい・・・・・・

 

________だめええええっ

 今にも赤い肉に歯を立てんとする時、金切り声が稲妻のように私を打った。

 それを聞いた瞬間ハッと我に返る。

 一体誰の声だ? 目の前の赤いコイツじゃないことは確かだ。

 周囲を見回しても声の主を見つけられない。光と影がメチャクチャに歪んだ幻覚じみた景色しか見えない。

 理解はまだまだ追い付かないが、ともかくこのまま食欲に流されてはいけないと自分に言い聞かせることにした。

 

「何を遠慮してるんだァ?」

「アアッ・・・・・・ウアアッ!」

 剥き出しにした牙を閉じる。そしてその場から離れようと足掻いてみる。

 正気を保つためには、ともかくこの頭をおかしくする肉の匂いを遠ざけなくてならない。

 ・・・・・・が、それを奴は許さない。万力のような力でこちらを押さえつけてきている。

 食えよ食えよ、とさらに狂ったように繰り返して、何としても私に自分のことを食べさせようとしてきている。

 目の前の相手の異常性に、私は本能で危険を感じ取った。

 

「は、な、せ・・・・・・!」

________ドキャッ!!

 手も足も出せない状況だったから、代わりに私は頭を使うことにした。

 上半身をしならせて腰のバネを使い、目前に迫ってくる赤い影にめがけて頭突きを食らわせた。

 鈍い打撃音が響くと、さしものそいつも私から手を離した。自由になった体が地面に落ちる。

 奴の頭は岩にでも打ち付けたんじゃないかと思うぐらいの感触だったけれども、ようやく拘束から逃れたんだと知る。

 

「・・・・・・痛ゥ」

 渾身の頭突きを食らわせたつもりだったが、そいつは呻きながら少しのけぞっただけで、昏倒させるには至らなかった。

________プシュ・・・・・・

 そいつの頭部から鮮血が吹き出し、同じ色の体と混じり合った。しかし微塵も痛がる素振りも見せず、恐ろし気な幻覚じみた表情をなおさら嬉しそうに歪ませた。

 

「クククッ、そんな攻撃よりも牙で噛んでくれよ」

「う、や、やめろ・・・・・・来るなッ!」 

 

 その怪物じみた様相に恐怖を覚えた私は、脱兎のごとく背を向けて奴から逃れようとした。

 ・・・・・・だが思うようにはいかない。さっきから体がおかしいんだ。

 未だに視力が戻らないから足元もおぼつかないし、奴から発せられる強烈な匂いが私の正気を奪い去ろうとしてくる。離れたくても体が言うことを聞いてくれない。

 鼻の穴を手でふさぎながらフラフラと後ずさるだけで精一杯だ。

 

「どこへ行くんだ? 僕はここだよ」

(・・・・・・食べたい、食べたい、食わせろ食わせろ食わせろ)

 

 私を嘲笑いながらゆっくりと近寄ってくる奴の気配が濃くなる度、おぞましい食欲がふたたび内側から沸き立ってきて脳を割りそうになる。

「う、う、うるさああいッ!」

________ガンッ! ガンッ! ガシャッ!

 私を支配しようとするもう一人の私の声を黙らせるために、手近にあった岩らしき塊に頭を何度も打ち付けた。自らを痛めつけることで正気が戻ることを期待した。

 

 ・・・・・・が、そんなことをしたところで無駄だった。岩はあっという間に粉々に砕け散って私の頭突きを受け止められなくなった。

 こんな物よりも奴の額の方がよっぽど固いとすら思った。

(ああ・・・・・・消える・・・・・・私が消える)

 本格的な絶望が脳裏によぎる。恐ろしいもう一人の私がついに表に姿を現す・・・・・・

 

「アムールトラさんっ!」

「わあああっ!!」

 

________ボギュッ!

 後ろから何者かが私の背中に触れた。

 刹那、私は振り向きざまに拳を薙ぎ払った・・・・・・しかし、あえなく空を切る。

 てっきり例の赤い奴が近づいてきたかと思ったが、そこにいたのは奴よりもずいぶんと背の低い姿だった。

 

「・・・・・・アムールトラさん、わたしだよ」

 

 水色のサファリ帽が、私の拳が巻き起こした風圧によって宙高く巻き上げられた。

 帽子の持ち主が私を気遣うように見上げている。攻撃に気圧されることなく、無防備に身を晒すように私の傍に立っている。

「お、おまえは」

 奇妙な色合いの瞳だ。右目は赤く、左目は鮮やかな緑色をしている。

 ・・・・・・二つの瞳を食い入るように見つめていると、それを中心にして鮮明な世界が描き出されていった。

 幻覚しか映らなかった私の目に、ふたたび正確な輪郭と色合いが取り戻された。

 

「・・・・・・ともえ」

「うん!」

 

 混濁した意識が晴れていくと同時に、今までのことを思い返す。

 私はともえ達とジャパリホテルから脱出しようとしていたんだ。

 水中で巨大なセルリアンと戦っている最中に私は気を失って、目が覚めたらこんなワケのわからないことになっていて・・・・・・

 

 辺りを見回してみると、ここがジャパリホテルではないことは一目瞭然だった。

 他でもない。私がさいきん住処にしていた岩まみれの草原じゃないか・・・・・・私が世話していた一輪の白い花のことを思い出さずにはいられない。

 あれは何だ? 辺りの空を埋めつくす真っ黒い蠢きは? 

 ・・・・・・私の目がまだ幻に囚われているわけじゃないのであれば、あれはセルリアンの群れじゃないのか? それも数えきれない程に沢山いる。

 

「ふはははっ、アニムスよ。まさか僕の提案に乗るつもりか? 僕の代わりにアムールトラに身を捧げる気か?」

「ちがうよメリノヒツジさん・・・・・・わたしは食べられないよ。アムールトラさんと一緒に生きるんだから!」

 

 振り向いたともえが、例の赤い奴の問いかけに答える。

 ともえは私が起きるよりも前から奴と対峙しているようだ。

 メリノヒツジと呼ばれたそのフレンズは、幻覚の中で見るよりも幾分かはマシな風貌をしていたが、それでも紅に染め上げられた全身は見る者を圧倒する威圧感を放っている。

 

「お、おーい! アムールトラ! 大丈夫かよー!?」

 

 聞き覚えのある活発で良く通る声が聴こえる。

 振り向くと向こうの方にロードランナーの姿が見える。イエイヌもいる。私を捕まえてきた3人の博士たちもいる。

 ・・・・・・だが様子がおかしい。みんな苦しそうにうずくまって、その場から一歩も動くことが出来ないでいるみたいだった。

 

「そのメリノヒツジが一番悪い奴なんだ! ジャパリホテルがセルリアンに襲われたのも全部そいつの仕業なんだ!」

 青ざめた顔で現状を必死に伝えようとしてくれるロードランナー。

 だが次第に口ごもってくる。そこから先を口にするのにとても抵抗があるような様子だ。

「そのヤローは、アンタのことを・・・・・・び、ビーストに、戻そうとしてるんだ! じ、自分の体を、アンタに食わせることで・・・・・・」

 

 なるほど。大体のことがわかった。

 少し落ち着いたけれど、もう一人の私は今も変わらずに内側でくすぶっている。

 また私のことを浸食し始めているんだ。この鉤爪がその証拠だ。

 爪の先からは、黒いビーストの炎が自分の意思とは無関係に吹き出ている。

 戦いの中で自分を取り戻し、いったんは普通のフレンズの手に戻れたっていうのに、また元通りになってしまっている。

 食欲に流されたその瞬間に、私は完全にビーストに飲み込まれてしまうことになるだろう。

 

「メリノヒツジとか言ったな。お前は何者だ? なぜこんなことをする?」

「ほう、言葉を取り戻しているのか。だが随分とつれないことを言う・・・・・・お前と僕とは、手を取り合って死線をくぐり抜けた仲じゃないか」

________ジャランッ

 問い詰める私を嘲笑うと、メリノヒツジは両腕を目の前に掲げ、手首に嵌めた腕輪を見せつけて来た。

 その色見も、質感も、引き千切れた短い鎖が付いている様も、何もかも私の腕に付いている物と同一だ。

 

「まあ、仮にお前に記憶が残っていたとしても、この変わり果てた姿では分からないだろうが」

「わ、わふっ!! アムールトラさんっ! ともえさんを連れて逃げてください! 早くここから離れて!」

 

 イエイヌが割って入り、これ以上メリノヒツジに関わるなと言わんばかりに逃亡を促してくる。

 ロードランナーや3人の博士たちも同意見と言った感じで頷く。

「逃がすと思うのか」

 が、メリノヒツジは、彼女達の声を一蹴するように、威圧感を滲ませた低い声で呟いた。

 

________ブブブブブ・・・・・・

 メリノヒツジが腕輪の付いた両腕を天高く掲げると、その動きに呼応するように、上空のセルリアンの群れが激しく飛び回り始めた。

 奴が号令を下せば、セルリアン達は今すぐにでも私達に襲い掛かってくるだろう。

「ま、まさか・・・・・・」と、ともえが何かを察したように息を呑んだ。

 

「このセルリアン達の役目は、アムールトラさんを逃がさないことなの? 最初からそのことのためだけに・・・・・・」

「言うまでもないことだろう。お前らごときを近づけさせないだけなら、セルリアンはこの10分の1以下の数でも事足りる」

 

 どうやらメリノヒツジは私のことを完全に追い詰めているようだ。

 逃げるために大量のセルリアンと命がけで戦うか、奴を食らってビーストと化すか。奴が私に提示した選択肢はそのふたつだけだ。

 どちらを選んだとしても私はタダじゃすまない。そして、ともえや仲間達のことも助けることが出来なくなる。

 ・・・・・・だったら私は、どちらも選ばない。もうひとつの選択肢を取るだけだ。

 

「ともえ、下がるんだ。みんながいる所まで戻れ」

「アムールトラさん、まさか・・・・・・?」

 

 ともえはすぐに私の意図を察したみたいだった。

 逃げたりなんかしない。しかしメリノヒツジを食べてビーストに戻るつもりもない。

 私は私のまま奴と戦って勝利し、皆を守り抜いてみせる。

 

「や、やめてよ! どうしていつも自分ひとりで無茶するの!?」

 ともえから轟々の非難が上がる。

 無理のない話だと思った。ジャパリホテルでも私は、ともえ達を守るために一人で無茶をした。

 その結果、ついさっきまで生死の境を彷徨うハメになってしまっていた。ともえ達には随分と心配をかけたことだろう。

 にも関わらず、私はこうしてまた同じ轍を踏もうとしている。

 

「そんなボロボロの体で戦うなんて! それに、その・・・・・・」

 

 ともえは私の両手に生えたビーストの鉤爪を見ていた。

 彼女が心配していることは二つあるだろう。一つは、傷ついた体で戦う私が命を落とすこと。そしてもう一つは、戦いの最中に正気を失ってビーストに戻ってしまうことだ。

 こうしている間にも、メリノヒツジから発せられる肉の匂いが鼻を突き、猛烈な飢餓感と食肉衝動を煽って来る。

 ・・・・・・だが、こんな匂いが何だって言うのだ。私の鼻が感じ取っている単なる刺激でしかない。それは本質じゃない。

 こんなものに気を取られる必要はないんだ。

 

(・・・・・・吸い込む空気は冷たい。吐き出す空気は温かい・・・・・・)

 私は自分の呼吸を意識した。体を流れる空気の流れをすみずみまで観察し、それによって波一つ立たない水面のような冷静さを取り戻していった。

 今の私はビーストじゃない。本来の自分自身の戦い方をすでに取り戻している。

 

「野生解放!」

________シュウウウ・・・・・・

 覚悟を持ってその文言を口にすると、私の全身から金色の光が立ち昇り始めた。

 指先にまで光が浸透すると、ビーストの鉤爪がひび割れてこぼれ落ち、手のひらが普通の大きさに戻っていった。

 さらに無意識のうちに体が動いた。両手を脱力させ、いっけん無造作に立っているだけのリラックスした構えへと・・・・・・

 こうしていると実に座りがいい。記憶を無くしていても、やっぱりこの立ち方が私のファイティングポーズなんだと確信できる。

 

「わふっ、アムールトラさんが!?」

「っしゃあ! これなら負けねーぜ!」

 ともえは驚いて手で口元を覆い、後ろにいる仲間達は歓喜の声を漏らした。

 私はもう一度うなずいてからともえに「心配するな」言って聞かせた。さしもの彼女も今度は納得してくれたような顔をしている。

 

「・・・・・・信じてるからね」

「大丈夫だ。お前にもらったお守りがあるから」

 

 私はそう言いながら胸元にあるブローチに触れた。優しさと勇気が湧いてくる気がする。

 頷いたともえがおずおずと後ろに下がって行くのを見届けてから、メリノヒツジへと視線を向け対峙した。

 奴はこちらを小ばかにしたように口元を歪めている。

 

「ふふふっ、サクヅキ流か・・・・・・じつに気品と威厳を感じさせる立ち姿だ。まさにお前の真髄というわけだ」

 メリノヒツジは私に感心したように溜息を漏らすと、訳知り顔で講釈を垂れてきた。

 出来事に関する思い出と、体で覚えた技術とでは、記憶としての種類が違うんだと。

 前者を失ったとしても、後者は簡単には失われない。

 だから私は自分の戦い方を思いだすことが出来たんだ。

 

 サクヅキ流・・・・・・その言葉を聞くと、チクリと頭が痛む気がする。

 私に戦い方を教えてくれた存在がいたんだろうけども、顔も名前もすべて忘れてしまっている。

 かつて私は何者だったんだろう。頭の中に残っているのは、ともえ達に出会うまでジャパリパークで孤独に過ごしていた記憶だけだ。

 

「だがなアムールトラ。いかに体に刻み込まれた真髄であろうとも、それは持って生まれた本能をも上回る物なのか?」

「・・・・・・何が言いたい?」

「僕はこの目で見たんだよ。かつて全盛期の力と技術を持っていたお前が、本能に飲まれて暴走する様をな・・・・・・技術では本能に勝つことはできない。それはすでに証明されたことなのだよ」

 

 私の全てを知っていると言わんばかりのメリノヒツジが不敵に微笑む。

 その瞳には燃えたぎる金色の光が宿っている。私に合わせるように、いつの間にか奴も野生開放状態になっていたんだ。

 奴の実力はいかほどのものか? 今もなお余裕の表情が崩れない理由はなんなのか?

「・・・・・・断言しよう。あの日の出来事が、これから再現されることになる」

________スッ

 注視していると、メリノヒツジは懐から小さな金属の筒を取り出して掲げた。

 

「し、進化促進薬! それで何をするつもりですか!?」

 割れるような大声を上げたのは、ともえ達と一緒にいる白い小柄なフレンズだ。

 フクロウの二人組と一緒に私のことを捕まえようとしてきた、確かハツカネズミといったか。

 メリノヒツジと同じぐらい訳を知った風な顔をしているのが、仲間達の中でもことさら異彩を放っている。

「園長っ! ビーストではないあなたがそれを打ったら、どうなるかわかっているんですか!」

 

「・・・・・・ここまでの展開は読めていた。ここからがお楽しみだ」

________ドスッ

 進化促進薬と呼ばれた注射を、メリノヒツジは自分の首筋に向かって突き立てた。

 じっくりと時間をかけながら中身が注入されていっている。ハツカネズミの口ぶりから、ろくでもない物体であることだけはわかる。

 

「ふふ、ふふふふっ・・・・・・」

________グジュッ、ウジュウッッ

 中身を出し切ったのち、用済みと言わんばかりに注射が放り捨てられる。

 その直後、メリノヒツジは狂気的な笑みを浮かべたまま苦しそうにうずくまった。

「な、何をする気だ?」

 震える奴の背中から、奴の体よりもさらに真っ赤な血のような霧が噴き出しはじめた。

 途轍もない量の血煙が、周囲の空間ごとすっかりメリノヒツジを包み込んだかと思うと、それらはすぐさま凝固を始め、新たな形を成して奴の全身に纏わり付いていった。

 

________ドシンッ

「待たせたな。アムールトラ」

 もはや原型を留めていない姿となったメリノヒツジが、地響きを起こしながら立ち上がった。

 その背丈はゆうに私の倍以上にまで巨大化している。

 全身にまとった深紅の鎧は、血管さながらに脈動を繰り返しながらも、金属を思わせる光沢と鋭さを感じさせた。

 

 顔は既にわからない。奴の頭部全体が、牙を剥き出しにした猛獣を思わせる形をした兜に覆われてしまっている。

 ヒツジの象徴とも言うべき二本角は、湾曲した剣と言うほかない長さと鋭さを獲得していた。

 セルリアンとはまったく違う、見たこともない怪物の姿がそこにはあった。

 

「こ、こ、こんなの! もうフレンズじゃねーだろ!」

「・・・・・・いいや。僕はフレンズだ。そして元はただのヒツジだった」

 背後では怯え切ったロードランナーが率直な感想を漏らした。

 それに答えるメリノヒツジの声色は地鳴りのように低く、見た目と同様にそれまでと別物になっていた。

 

「ぐははははっ! さあ行くぞッッ!」

________ドドドドドドドドッ

 歓喜の声を発しながらメリノヒツジがさっそく仕掛けてきた。

 思い切り身をかがめ、自慢の二本角を見せつけるように突っ込んでくる。

 まるで動物のヒツジがそうするかのような、原始的という他はない体当たり攻撃だ。

 

 かなりの威力を予感させる。巨体に見合わぬ俊足と、地面に深々とめり込むほどの強烈な踏み込みがその証拠だ。

 躱すのは簡単だろう。だが問題は攻撃の向きだった。

 私がここで躱してしまったら、奴は背後にいるともえ達の方に突っ込んでいくだろう。

 そこまで織り込み済みで攻撃してきたというワケか・・・・・・!

 

「食らえっ!」

「くッッ!」

 肉薄する瞬間、私は肉体のギアを最高潮に高め、意を決して両手を突き出した。

________ドシィィッッ!

 タイミングは完璧だ。二本の角を掴み体当たりを受け止めることが出来た。

 ・・・・・・が、予想していた通りもの凄い馬力だ。突き抜けるような衝撃を脊髄に感じる。

 激しくひび割れている周囲の地面が、今この場で巻き起こっている取っ組み合いの力の凄まじさを物語っている。

 

「・・・・・・かつて、とある強い角獣が言っていた。こうして4つに組み合えば、相手の力量が全てわかるとな!」

「な、何の話だァ!」

 

 まともに拮抗していられたのは最初の数秒だけだった。

 単純な膂力では私よりメリノヒツジの方がはるかに勝っている。伸びきっていた私の膝は折れ曲がり、今や奴に押し潰されてしまいそうな格好になってしまっている。

 コイツの土俵で戦ってはダメだ。体当たりを受け止められたなら、もうこれ以上力比べに付き合う必要はない。

 

「逃がすものかっ!」

 角をいなし脇によけた私に追いすがるようにして、向きを変えたメリノヒツジが拳を振り下ろしてくる。

 かなりの素早さだったが、やはり巨大になった分動きは大振りにならざるを得ないようだ。

 攻撃の軌道を見切った私は、奴の懐に潜りこみつつカウンターの一撃を放った。

 

________ガキンッ!

「何かしたかな?」

 顔が見えなくても、ニヤついているのが分かる声色でメリノヒツジは答えた。

 私の拳は確かに奴の顔面を捉えていた。脳震盪を起こさせるために、顎らしき部分にクリーンヒットを当てていた。

 ・・・・・・が、見た目通りに強固な鎧を身にまとったメリノヒツジには、まるでダメージが通っていないみたいだった。

 

「何か勘違いしているようだなァ?」

________ガシィッ!

 おどろき青ざめる私の一瞬の隙を付いて、メリノヒツジが私の腕を掴んできた。

 骨ごとペシャンコにされてしまいそうな握力の前には振りほどくことさえ叶わない。たまらず残ったもう一本の拳で貫手や手刀を見舞うも、文字通りに刃が立たなかった。

 私の手技は金属すら切り裂くというのに・・・・・・コイツの防御力は常軌を逸している。

 

「肉を食わずして、全盛期の力が戻ると思うなァッッ!」

________ブォンッッ!

 メリノヒツジは私を軽々と持ち上げると、上半身をしならせて振りかぶり、天へ向かって放り投げた。

「あ、あ・・・・・・」

 目に見える景色が一瞬で変わる。

 見慣れた岩まみれの平原も、こうして鳥のような視点で俯瞰するとまったく印象が変わる。平原の隣に広がる森や、彼方の水平線さえ見えてくる。

 ・・・・・・ともえ達の青ざめた顔がまるで豆粒みたいだ。

 

________ヌッ

 驚き呆気に取られている私の視界を、何者かが一瞬で覆い隠した。

 はじめは上空に群がっているセルリアンだと思った。だが、血のような赤い体をしていることから、それがメリノヒツジであることがすぐにわかった。

 一瞬でこの高さにまで跳躍したというのか。

 腕力も、防御力も、俊敏さも・・・・・・一体こいつはどれほどまでに強いんだ・・・・・・?

 

 間髪入れずにメリノヒツジの追撃が飛んできた。

 ハンマーのように上から振り下ろされた拳は、防御の上からでも全身を軋ませるほどの威力だ。そのうえ落下している私の体にさらに物凄い勢いを付けさせてきた。

________ドガッシャアアッッ!!

 成すすべもなく落下した私は、大の字になって地面に叩きつけられた。

 そしてメリノヒツジが遅れるようにして地上に戻ってくる。落下の勢いを利用したまま私のどてっ腹を踏みつけてきた。

「ぐふうっ!!」

 意識が飛びそうになる程の猛烈な痛みが走る。

 ・・・・・・そして、もう一人の私が内側から叫ぶ。怒りと殺意と食欲とが入り混じった咆哮を上げている。

 

「いやああっ! アムールトラさんっ!」

「な、な、何ですか!? メリノヒツジのあの異常なまでの強さは!?」

「・・・・・・違うんだよ」

 

 メリノヒツジが私を踏みしだいたまま、ともえ達へと向き直り説明を始めた。

 自分が特別強いわけではないのだと。かつての時代基準で考えれば、自分と同じぐらい強いフレンズはざらにいたんだと。

 今のこの実力差の原因は、根本から別のところにあるのだと。

 

「少しばかり戦い方を思いだしたのかもしれんが、今のアムールトラの力は全盛期の足元にも及ばん。さらに内側にいるビーストを押さえつけることにも余力を割いてしまっている状況だ。そんなザマで勝てると思う方が・・・・・・」

 

 唐突に説明を打ち切ったメリノヒツジが、真下にいる私を見下ろしてきた。

 牙を剥き出しにした猛獣のような兜ごしに殺気に満ちた眼光が光る。そして私を踏みつけている足を持ち上げて・・・・・・

 

「おかしいのさッ!!」

________ズドンッ!

 地面を爆発させるような強烈な踏みつけが襲い来る。

 私は済んでのところで横に転がってこれを躱し、そのまま飛び退いて奴と距離を取った。

 

「安心したよ。躱せなかったら死んでいたかもな」

 メリノヒツジが薄ら笑いを発しながら、引き下がる私を目で追ってくる。

 こうなることを予測していたような様子だ。

 目いっぱい殺気を送り、大振りな踏みつけを繰り出すことで。わざと躱す猶予を作ってくれたのかもしれない。

 完全に遊ばれている・・・・・・その事実に戦慄し、戦意さえ失いそうになっている自分に気付く。

 

「今のお前に比べたら”あの2人”の方がよほど歯ごたえがあったな」

「・・・・・・だ、誰のことだ!?」

「クククッ、どうせ名前を言っても思いだせないだろう。僕にとっては長いあいだ目の上のたんこぶのような存在だった。実に手ごわい、敵ながら尊敬に値する戦士たちだった」

 

 メリノヒツジは戦いの最中にも関わらず、余裕たっぷりの態度で昔話を始めた。

 私がビーストとして目覚める以前、とある戦いが原因で長い眠りについていたらしい。

 そんな私を、メリノヒツジとその主であるヒトは厳重に幽閉していたんだと。

 ・・・・・・が、そんな私をメリノヒツジ達の下から奪い取った2人のフレンズがいた。

 

 その2人は元々からしてメリノヒツジ達とは敵対していたようであり、私のこともメリノヒツジ達から守るために奪還したんだと。

 ・・・・・・それからというもの、2人は長きに渡ってメリノヒツジ達の手から私の事を隠し続けてくれたらしい。

 

「2人はどうなった?」

「さて、それは知らないな」

 

 私のことを手下に探させていたメリノヒツジはある時、ビーストと化した私が一人ジャパリパークを彷徨っているのを知ったらしい。

 そして例の2人は忽然と姿を消していたのだと。どこかで命を落としたか、記憶を無くしてどこかで全く別の暮らしをしているか、二つの可能性しか考えられないというのだ。

 その後メリノヒツジは、1人になった私が各地で暮らすフレンズ達から白眼視され行き場をなくしているのを知って、今回の計画を思いついたというのだ。

 

「いずれにしろお前があの2人と会うことはないだろうさ。お前は天涯孤独だ」

「私にはともえ達がいる」

「新たな自分の居場所を見つけたつもりか? 奴らはお前を迫害するだけの下らん弱者だぞ?」

「だまれ・・・・・・!」

 

 メリノヒツジの挑発によって奮起した私は、敢然と反撃に躍り出た。

 当たり前の攻撃では、あの強固な鎧を貫くことは出来ないだろう。でもあの攻撃ならきっと通用するはずだ。

 例によって名前は思いだせないが・・・・・・あの、離れた所に衝撃を伝わらせる打撃技なら!

 

________トッ・・・・・・

 メリノヒツジの剛腕から繰り出される攻撃をすり抜け、奴の脇腹に押し当てる。

 まるで手のひらに別の感覚が芽生えたように膨大な情報が流れ込んでくる。

 深紅の鎧に包まれたメリノヒツジの肉体も、鼓動を刻む奴の心臓の位置さえも手に取るようにわかる。

(行け!)

 体に刻み込まれた技の記憶を呼び覚ます。

 感覚が命じるまま目を閉じ、筋力に頼らない衝撃をメリノヒツジにめがけて送り込んだ。

 

「・・・・・・ほう、勁脈打ちか。伝家の宝刀を出してきたな」

(な、何だと!?)

 

 メリノヒツジは倒れない。

 使い手である私ですら知らない技の名前を語りながら不気味に立ち尽くしている。

 失敗したなんてあり得ない。手ごたえでわかる・・・・・・だとしたら、送り込んだ衝撃は一体どこへ行ってしまったんだ?

 呆気に取られる私はさらなる異変を見た。メリノヒツジが身に纏っている深紅の鎧が、光を発しながら膨張を始めたのだ。

 

「ふんっ!」

________ズッドオオオオッッ!!

 メリノヒツジが全身をのけぞらせて気合を込めると、奴の全身から謎の衝撃波がほとばしった。

 爆風と言うしかないそれは、周囲の地面を吹き飛ばしてクレーターを作り出し、奴のすぐそばにいた私をいとも簡単に吹き飛ばした。

 これまでで最大の衝撃に打ち据えられた私は、ぼろ雑巾のように地面に横たわることになってしまった。

 

「さすがは勁脈打ち。すさまじい威力だ」

「・・・・・・がはァッ! な、何をした!?」

「僕はお前の攻撃を跳ね返しただけさ。この鎧でね」

 

 メリノヒツジが己の鎧をあらためて見せつけるように胸部を叩いた。

 変わらぬ禍々しさを放つ異形だったが、さきほどの膨張や発光現象は収まっているようだった。

「これが僕のふたつ目の能力・・・・・・と、言っても今のお前には何のことやらだろうが」

 自信満々の種明かしが始まる。

 奴の鎧はあらゆる攻撃を弾き飛ばすことが可能なのだという。

 そして今のあの爆発は、勁脈打ちという私の技を跳ね返したことで起こったものらしいのだ。

 ・・・・・・何と言うことだ。そんな無敵の防御を持っている奴を倒す方法なんてないじゃないか。

 

「僕を倒す方法ならあるぞ」

 メリノヒツジが私の心を呼んだように答える。

 まるで私の回復を待つような調子で、のそりのそりと体を揺らしながらゆっくり近づいてくる。

 

「アムールトラ、お前がその気になれば、こんな鎧など簡単に引き裂くことが出来る」

「・・・・・・な、何だと?」

「ビーストに戻るんだ。鉤爪を使って僕を攻撃しろ」

 

 今は必死に押さえつけ引っ込めている、ビーストの象徴とも言うべき鉤爪。

 そこから立ち昇る黒い炎には、ある特別な力が宿っているんだと言う。

 それはサンドスターのあらゆる働きを阻害し無効化することだ。

 メリノヒツジのあの鎧も、奴の体内のサンドスターによって生成されたものに過ぎないため、ビーストの鉤爪ならば簡単に切り裂くことが出来るとのことだ。

 

「・・・・・・さあアムールトラ、早く自分を解き放て。これ以上お前を苦しめたくはないんだ」

________グイッ

 メリノヒツジの巨躯が間近にそびえ立つ。そして私の胸倉をひょいと掴んで持ち上げ、ふたたび顔を近づけてきた。

 兜ごしに触れそうなぐらい奴の顔が迫ってくると、嗅覚がまたも研ぎ澄まされていく。

 たとえ姿が怪物的になったとしても、奴から発せられる甘い肉の匂いはどうしようもない程に健在だった。

 

 ・・・・・・もはや完全に追い詰められてしまっている。

 ダメージを受けすぎた。私の中のビーストがより一層激しく叫んでいる。

 痛い。苦しい。メリノヒツジの肉を食べて楽になりたい・・・・・・ああ、また嗅覚以外の感覚が鈍くなってきた。

 

「アムールトラさんっ! 起きて! 負けないで!」

 視界がぼやけていく。ともえ達が必死に私を応援してくれているのに、その声がどんどん小さくなっていく。

 ここまでなのか。私にはもうメリノヒツジを食って正気を失うか、それとも奴に殺される選択肢しか残されていないのか。

 

 ともえ・・・・・・あの子のどこまでも未来を信じようとする瞳に救われた。こんな私でもまだやり直せると思った。

 遠い昔の私が、あの子のような温かさを放つ存在を知っているような気がした。

 思いだしたい。なのに何も思いだせない。

 せっかく芽生えた希望が、あっけなく潰えてしまうのか。

 

「これでいいんだよ。僕がお前を救ってやる。そして僕も救われる。すべてが丸く収まる」

「・・・・・・わ、私に食われることが、お前の救いなのか?」

「もちろんさ」

 

 メリノヒツジが優しく耳元で語り掛けてくる。

 とある2人のフレンズの思い出を。

 遠い昔に死んでしまった2人は、メリノヒツジが今も敬愛してやまない偉大なる先輩たちであったという。

 同時にこの私にとっても浅からぬ縁を持つ相手であったと。

 

 1人はかつて私のライバルだった無敵の戦士。私との熾烈な争いを経て、最後には共闘を果たし、巨悪を倒すことが出来たんだと。

 もう1人は、仲間をかばって命を落としたという非業の最期を遂げた聖者だった・・・・・・そのフレンズを殺したのは他でもない私だ。骨も残さず頭から食べてしまったんだと。

 メリノヒツジはそのことを恨んでいるわけではないようだ。

 ただ彼女たちと同じことを自分もやりたいんだと・・・・・・すなわち、私を力で圧倒することと、私に命を捧げることを。

 憧れの2人に並ぶこと。ずっとそのことだけを夢見て来たと。

 

 何故だろう? メリノヒツジに勝てないのも道理のような気がしてきてしまう。

 昔のことを語る奴は実に誇らしげだった。

 奴の力と執念は、きっと大切に紡いできた思い出によって支えられている物なのだろう。

 それとは対照的に、私には縋る過去が一切ない・・・・・・私が生きてきた証に等しい大事な思い出を、何もかも忘れてしまっている。

 失ったものの大きさにあらためて絶望する。

 埋めることが出来ない寂しさと喪失感とで胸が痛む。

 

________ヌッ・・・・・・

(ほ、欲しい)

 食欲とは別の欲求が頭をもたげ、私はメリノヒツジの頭へと手を伸ばした。

 奴がそれを見て満足そうに頷くのが見える。

 おもむろに指先から手首にかけて酷いかゆみが走りだす。

 感覚が麻痺してしまうかと思った瞬間、押さえつけていたビーストの鉤爪が、自分の意思とは無関係に生えだしてきた。

 

(取り戻したい、大事な思い出を・・・・・・)

 怪物のそれと化した手のひらでそっとメリノヒツジに触れる。

 背後からはともえ達の甲高い悲鳴が聞こえる・・・・・・それでももう、彼女達の声が私を引き戻してくれることはなかった。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「デア・ツァラトゥストラ(超人)」
使用者:メリノヒツジ
概要:メリノヒツジのふたつ目の能力。さまざまな形の武器を生成する「ディ・フェアヴァントル(変身)」が進化したことにより、全身を覆うサンドスターの鎧を生成することを可能とする。
 パワードスーツの役割も兼ねており、能力の発動中は防御力だけでなくパワー、スピードとも爆発的に向上する。
 一見すると硬質な装甲に見えるが、実際はサンドスターが物凄いスピードで循環することで形成されている流動体であり、エネルギーの激流によって他のフレンズのあらゆる攻撃を弾き飛ばすことが可能となっている。
 無敵に近い能力ではあるものの、展開しているだけで命を削るほどに体力を消耗する他、ひとつ目の能力ディ・フェアヴァントルが使用出来なくなるという無視できないデメリットがある。
 なお、メリノヒツジがこれまでの戦いを通じてその容姿が変化していったことは、この能力が発現する先触れであった。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編16「しんのえいゆうのふっかつ」

「う、ううっ・・・・・・」

 

 いつの間にか倒れていた私は、頭を振りながら何とか立ち上がった。

 メリノヒツジと戦っていた真っ最中だったのに気を失ってしまうとは不覚だ。

 深紅の魔獣と化した奴に手も足も出ず追い詰められて、ついにビーストに戻りかけみたいな状態になってしまって・・・・・・それからどうなった?

 

「・・・・・・ん? あれ?」

 起き上がるなり、何だかおかしなことになっているのに気付く。

 さっきまでいた場所と全然違う。メリノヒツジがいない。ともえ達もいない。

 自分の体を見てみると、手も足も真っ赤で、ちょっと重たさを感じる綿状の毛が生えていて、まったく別のフレンズの体になっている。これじゃまるで・・・・・・

 

________ドウンッ・・・ドウンッ・・・

 そこは地獄のような場所だった。

 眼下に光と熱を感じながら、私は小高い岩山の上に立って下の様子を見ていた。

 辺り一帯の地面が、炎のように燃える濁流に飲み込まれている。

 ・・・・・・あれはマグマだ、と、誰に教わるでもなく私は理解していた。ずっと向こうの方にある火山から勢いよく噴出している。

 

________ドッガアアアッッ!

 そして、マグマに飲まれた大地の上で、お構いなしに戦い続ける2人のフレンズがいた。

 2人から発せられる闘気がドーム状に広がってマグマを押しのけている。

 凄まじい打撃をぶつけ合う2人のボルテージが無制限に上がっていく。まるで相手の力を増幅して送り返し合っているかのように。

 戦っているうちの1人は、間違いなく私自身だった。

 そしてもう1人は、私より頭一つ分以上も小柄な体格の、炎のような模様の毛皮を身にまとったフレンズ・・・・・・

 

「クズリさん! 負けるなあッッ! がんばれ! アムールトラッッ!」

 私は感極まって叫んだ。まるでそうすることが最初から決まっていたように。

 自分の姿を別人の視点で目撃しているという、どう考えても異常な事態だったが、なぜこんなことになっているのかを私は考えなかった。

 

 ・・・・・・何故ならば、今の私はメリノヒツジなのだから。

 ほどなくして完全にそう思い込んだ。

 意識も、感情も、記憶も、いつの間にか彼女と一体化していた。

 

 ああ、そうさ。何度思い返したことだろう。

 クズリさんとアムールトラ、無敵の野生と最強の養殖・・・・・・宿命のライバル同士の対決。

 それを間近で目撃できたことこそが、長い長い「僕」の人生の中で最高の時だった。

 2人の強さに感動しつつも、自分は決してあの領域にはたどり着けないんだろう、と一抹の寂しさも覚えた。

 

 場面が別のところに移り変わる。

 決戦の地。空中要塞スターオブシャヘル。

 この時フレンズの苦難の歴史が変わった。僕とクズリさんとアムールトラの3人で、長年の宿敵グレン・ヴェスパーを討ち果たすことが出来た。

 

 だが、クズリさんの命も失われることになった。

 グレン・ヴェスパーというコントロールを失ってセルリアンの女王が暴走を始めた。

 地面に降り立ち浸食せんとする女王からアフリカ大陸全土を守るために、クズリさんは致命傷を負った体で、アムールトラと共に最後の賭けに出たんだ。

 そして見事に成し遂げた・・・・・・最期の瞬間まで、己の中の闘志を一片も残さず燃やし尽くした。

 その後彼女は、僕の腕の中で光と化して消えていった。元の動物の姿さえ残らなかった。唯一、左腕に嵌めていた腕輪だけが残った。

 

 あの時のことを思い返すたび、喪失感と未練とで胸が締め付けられる。

 クズリさんが死んでしまった世界で、僕が生きている意味があるのだろうか?

 この世で一番尊敬していた。生きることは戦いだと教えてくれた・・・・・・僕はそんな彼女の糧になりたかった。彼女を生かすための血肉になりたかった。

 それが叶ったのなら、僕にとってどんなに幸せだったろうか。

 

 ・・・・・・ああ、また別の場面だ。

 どうしてこうも矢継ぎ早に、走馬灯のように思い出が蘇ってくるのだろう。

 ジャパリパークの黎明期。ヒトとフレンズとが、創造されたばかりの大地で手を取り合って暮らしていた時代。

 

 降りしきる大雨の中、教会でヒグラシ博士の葬式が行われている。

 僕はカコ様の名代として式に参列していた。

 かつて犯した罪を償うためにフレンズに一生をささげた博士の生きざまは、カコ様にとっても尊敬の対象だった。

 ・・・・・・だがカコ様はあの時すでに、ヒトならざる存在へと変わりつつあった。完全なセルリアンの女王となるために肉体改造を行っていたため、参列することは叶わなかった。

 

 ヒグラシ博士・・・・・・僕を愛し育ててくれたヒト。

 彼とは最後まですれ違っていた気がする。

 カコ様に忠誠を誓った僕には、他のフレンズのように彼と接することは出来なかった。

 もっと彼と時間を過ごせばよかった。もっと彼に恩返しすれば良かった・・・・・・もっと彼に感謝の言葉を告げれば良かった。なんて親不孝者なんだろう。

 

 すべてはもう遅い。冷たく青白くなったヒグラシ博士の棺に花をたむけることしか出来ない。

 色とりどりの献花の中で、彼にどんな色の花を捧げようか迷った。

 赤く染まった今の僕では博士に顔向けできない。昔みたいな白は今の僕とはあまりに程遠くて嘘っぱちな感じがする。赤も白も、どっちもふさわしくないと思った。

 ・・・・・・だから、黒と橙の二輪の花を選んだ。それはクズリさんとアムールトラの色だった。

 

 それからまた多くの時間が過ぎていった。

 僕はカコ様の忠実なる配下として人類殲滅に加担し、裏切者のハルカ・クリュウや奴の仲間達と幾度も戦った。

 ハルカ達にはまんまと宇宙に逃げられたが、ひとまず地球上からヒトという種は根絶された。

 いまやカコ様の配下だったヒト達もこの世を去って久しい。

 アーサー・ブラック・・・・・・マザーAIの設計者にしてカコ様の長年の腹心であった彼が亡くなってからというもの、僕が実質的に組織のナンバー2となった。

 

 いつだって罪悪感に苛まれていた。

 ヒトが作ってきた優れた文化や歴史を破壊し、多くの罪のない命を奪い続ける所業に、自分の中の何かが死んでいくような感覚を覚えていた。

 それでも僕は一心に進み続けた。

 

 心が折れなかったのは、カコ様が僕の前を進んでくれていたからだ。

 聡明で、高邁で、何よりも強靭なお方だった。

 愛するフレンズ達の楽園を作るために、人類史上・・・・・・いや生物史上最大の罪人になる覚悟を背負っていた。

 

 ・・・・・・だが、そんなあのお方ともお別れする時が来た。

 セントラルエリア中枢に位置するカコ様の宮殿が、フレンズの戦士達に攻め込まれている。

 ヴェスパー大戦時代の水準には及ばないが、なかなかの精鋭が集まっているものだと思う。

 そのなかでも”四神”やキュウビキツネ、イヌガミギョウブなどの空想上の存在を元に作られたフレンズ達は極めて強力だ。生の肉体を持たぬ奴らは、けものプラズムで出来た体を巨大な怪獣のような姿へと変えることが出来る。

 

 奴らを前に、カコ様(クイーン)が使役する軍団(レギオン)が次々となぎ倒されていく。

 僕はというと、自らの手で創造したトンボ型の飛行セルリアンの背に乗って、フレンズ達に攻め込まれるよりも前に宮殿を脱出していた。

 この場で死ぬことを許されなかったからだ。

 

 すべてはカコ様の自作自演だ。

 あの強力極まりない神獣達は、カコ様が「確実に敗北する」という目的を達成するために、みずからの手で生み出した存在なのだ。

 神獣をフレンズ達に味方させ、自分はセルリアンを率いてフレンズ達と戦う。

 セルリアン・クイーンである自分が倒されることで「危機は去った」とフレンズ達に思わせる。

 ・・・・・・それこそがジャパリパークを完全なる楽園とするための最後の仕上げであるとお考えになったのだ。

 

 そして僕はカコ様の後継者に指名された。

 彼女が持つすべての知識と、セルリアンを操り創造する力、マザーAIへのアクセス権、そしてジャパリパークを永遠に守れという命令を賜った。

 クイーンのように表には出ず、誰にも正体を悟られず、物陰からひそかに楽園の安寧を見守り続けていく役目を・・・・・・

 

 はるか上空から、宮殿に火の手がかかり陥落していく様を見下ろす。あの様子では長くはもたないだろう。

 カコ様の盾となって散れたらどれだけ幸せだっただろう。

 僕の人生ではこんなことが何度も繰り返されている。大切な誰かが僕より先に死んでいく。想いだけを僕に託して・・・・・・

 

 託された想いを背負って永久に歩いていくんだ。そうする限り、みんなが僕の中で生きていてくれるから。

 さあ、涙を拭こう。

 行かなければ・・・・・・

 進み続けなければ・・・・・・

 

________おい、なにをしてるんだァ?

 

 野太く恐ろしい声が響く。

 それと同時に目に映るものが色褪せ、音声にノイズがかかり「私」は現実へと引き戻された。

 

「ふざけるなよ、アムールトラァッ!」

 

________グギュウウウッ・・・・・・

 目の前にはメリノヒツジが・・・・・・つい一瞬前まで幻の中で意識を一体化させていた相手がいた。

 現実世界ではさっきまでと変わらず、恐ろしげな深紅の鎧に身を固めながらこちらを追い詰めてきている。

 怒気を吐きながら剛腕に力を込め、鷲掴みにしている私の体を強く締め上げてきた。その握力たるや凄まじい。

 骨がバラバラになって飛び散りそうな痛みに死の予感すら覚える。

 

「僕の心を覗き込めば、失った記憶を補完できるとでも思ったか!? 無駄な足掻きをするなっ!」  

「・・・・・・ぐ、ぐわああっ!!」

「肉を食わせてやるとは言った・・・・・・だが全てをくれてやると言ったつもりはない! 墓場にまで持っていきたい恥の記憶だってあるんだ! それを無理矢理に暴くとは、あまりにも無礼じゃないのか!」

 

________ドスンッ・・・・・・

 怒りが収まらない様子のメリノヒツジだったが、その怒勢とは裏腹に、おもむろに私のことを手放した。

「が、がひゅうっ!」

 地面に落ちた瞬間、押しとどめられていた呼吸が再開してむせ込む。

 咳と一緒に大量に吐血する・・・・・・まずい、どうにもこうにも血を失い過ぎた。動こうにももう体に力が入らない。

 

「なぜまだビースト化しない!? 早く僕を食らって楽になればいいだろうに!」

 

 明らかに冷静さを失ったメリノヒツジが口惜し気に怒鳴り散らしている。

 ひとまず彼女との戦いからは注意を外して、今しがた起こったことを整理してみる。

 ・・・・・・不思議な感覚だった。他者の記憶を読み取るなんて能力が私にあったことに驚いた。

 反応から察するに、メリノヒツジは例にもれず私のこの能力の存在を知っているようだ。

 

 ジャパリパークの成り立ちとは、あのような経緯だったのか。

 セルリアンの女王は、元々カコというただのヒトだった。そしてフレンズを愛するあまりにヒトのことを滅ぼし、フレンズだけの楽園を作ることにした。

 そしてこのメリノヒツジは彼女の側近にして後継者だった。

 

 ・・・・・・だが、出来事の記憶だけじゃない。メリノヒツジが内に秘めた苦悩も、一緒に過ごした者たちへの愛をも断片的にだが理解することが出来た。

 奴が抱える痛みがわかる。もはや敵とは思えない。ビーストの鉤爪もいつの間にか引っ込んでしまっている。

 

「園長、あなたの負けですよ! アムールトラはここまで傷つけられてもなお、あなたの暴力には屈しなかった」

 

 とつぜんに声を張ったのはハツカネズミだ。

 後方で動けないまま私達の間に割って入る。何かを確信したような、メリノヒツジに言って聞かせるような声色だった。

「これ以上傷つけたらアムールトラは死にます。だからあなたはもう彼女に手出しは出来ません。何故ならばあなたはアムールトラとは違って、カコ様にオーダーを刻まれた存在なのだから・・・・・・違いますか!」

 

「・・・・・・ふっ、要らぬことをべらべらと」

 ハツカネズミに対してメリノヒツジはぐうの音も出ない様子だ。

 彼女の指摘が正しいことがこれでわかった。過去の出来事について、彼女はメリノヒツジと同等の知識量を持っていると考えて良いんだろう。

 

「さらにもう一つ言わせてください。あなたの体も限界に来ているのではないですか?」

 

 ハツカネズミはさらに追い打ちをかけるように追求し続けた。

 メリノヒツジの肉体は、さまざまな要因によって限界を迎えつつあるんだという。

 ひとつは記憶を蓄えすぎたこと。記憶を物質化して体に埋め込む術は、繰り返せば繰り返すほど肉体に負担がかかるらしい。

 

 もうひとつはメリノヒツジが使う技の性質だ。

 深紅の鎧を纏ったあの状態は、短時間維持するだけでも多大なスタミナを消耗するという。

 今のメリノヒツジではそれに耐えることが出来ないはずだと・・・・・・だが、奴は進化促進薬という恐ろしい副作用を持つ劇薬を摂取することで無理矢理に変身を遂げた。

 それは奴にとって命がけの所業のはずだと。

 

________ビキッ・・・・・・

 ハツカネズミの推理を後押しするように、メリノヒツジの鎧に異変が現れる。

 奴の深紅の兜から生えている長大な角に亀裂が走り、二本あるうちの一本がまっぷたつに砕けて地面に落ちたのだ。

 他にも様々な部位が細かくひび割れ始めてきている。私のあらゆる攻撃を跳ね返してみせたあの強固な鎧が・・・・・・

 

「園長、早く能力を解除してください! 取り返しのつかないことになりますよ!」

「だまれハツカネズミ! 僕の理想に賛同しなかったお前が今さら指図するな!」

「・・・・・・もうやめようよ、メリノヒツジさん」

 

 ハツカネズミの進言を頑なに聞き入れないメリノヒツジに対して、今度はともえが口を開く。

 緑と赤の瞳に涙を浮かべながら切実に懇願している。

 

「昔に色々あったのは分かったよ! でも全部それに当てはめて考えなくてもいいじゃない・・・・・・どうして未来を信じることが出来ないの? アムールトラさんのことも、いずれやって来るかもしれないヒト達のことも!」

「何も知らぬお前ごときがほざくなッッ! 過去を知るこの僕こそが、未来を正しく見通すことが出来るのだ!」

 

 ともえはどこまでもひたむきに未来を信じている。

 が、そんな彼女の言葉をメリノヒツジは真っ向から否定し、歴史はどうしようもなく繰り返すものであると断じた。

 ・・・・・・2人の思い描いている未来はまったく逆なんだろう。

 

 完全に平行線となった主張を交わしたのち、メリノヒツジはともえから視線を外し、そばにいる私のことすらも見ていないような感じで顔を落とした。

 奴はいったいこれからどうする気なのだろう。

 これ以上私に危害を加えることは出来ず、自身の肉体も限界に近づいているというのなら、もう詰んだと言っていい状況のはずだ。

 

 ・・・・・・が、しばらくの沈黙の後、何かを確信したように動き出した。

 私のことを放り出し、ともえに狙いを定めたように巨体を向かわせた。

 

「良いことを思いついたァ」

「ひっ・・・・・・!?」

 

________ダンッ!

 ともえが不穏な空気を感じて後ずさった時には既に遅かった。

 その巨体に見合わぬすさまじい瞬発力を発揮して、メリノヒツジは一瞬でともえに肉薄してしまっていた。

 深紅の剛腕を振るい、彼女の小さな体を引っ掴んで天高く持ち上げた。

 

「確かに僕はフレンズを殺すことが出来ない。しかしコイツだけは例外だ・・・・・・そうだよな、ハツカネズミよ」

「え、園長、あなたはどこまで・・・・・・!」

「いやああっ! は、離してよっ!」

 

________スッ・・・・・・

 ジタバタと足掻くともえを嘲笑うように、メリノヒツジが彼女の首元に手をかけた。

 巨大な手のひらが彼女の頭部を完全に覆い隠してしまう。

 それを見るなり、この場にいる全員がメリノヒツジの意図を悟ることになった。

 

「・・・・・・ダメっっ! ともえさんには手を出さないで! お願いだから!」

「て、てめー! ともえに何かしやがったらタダじゃおかねーぞ!」

 

 イエイヌが悲痛な声で懇願し、ロードランナーが激怒する。

 しかし2人とも変わらずその場にうずくまったままだ。

 大切な者が危機に遭っていてもなお、彼女たちは指一本動かすことすら出来ない状況なのだ。

 

________ズオオオッ・・・・・・

 私の内側からビーストの衝動が抑えきれない程に吹きあがっている。

 メリノヒツジの卑劣な行為に、そして仲間達の憐れな姿に、肉体が無意識のうちに怒りを爆発させている。

 野生そのものであるように牙を剥き、メリノヒツジに向けて獰猛な唸り声を発している。

 怒りに飲まれたら奴の思う壺だっていうのに、まんまと術中に嵌まってしまっている。

 

「ウウウッッ! こ、この卑怯者っ!」

「そうだ、もっと怒れ! まったく思わぬ切り札があったものだ・・・・・・お前を追い詰めるのに最も有効な手段は、お前の背後にいる弱者を狙うことだァ!」

 

 際限のない怒りとして吹きあがる黒い炎が、あっという間に体中を包み込んでしまう。

 視界が奪われ、しまいには幻を見た。

 炎が一か所に集まり形を成していく・・・・・・それはまるで、私の影そのものとしか思えないような姿をしていた。

 しかし両手には恐ろしい鉤爪がしっかりと生えそろっている。

 

________ウ、ウ、ウ・・・・・・

 

 低い声で唸る怪物の影は、私の内側にいる怨念そのものだと確信した。

 動けないでいる私に一歩一歩近づいてくる・・・・・・こんどこそ奴に消される。体を乗っ取られる。

 今や私の心の中は、メリノヒツジに対する怒りと、ビーストに対する恐怖心とで引き裂かれそうになっている。

 

 このまま怒りに飲まれてメリノヒツジを食らうしかないのか。そして全てを失うしか・・・・・・

 せっかくともえ達に出会えたのに、みんなと一緒にいればまたやり直せると思ったのに、ビーストであったことなんて永久に忘れたいのに、なんでコイツは私のことを解放してくれないんだ。

 

 絶望の中、とある考えがよぎる。

 ビーストからは逃れられない。それが私の運命であるならば、いちかばちか最後の賭けに出てみるしかないのではないか、と・・・・・・

 

 まずはビーストの鉤爪の威力によってメリノヒツジを殺す。

 とうぜん私は奴を食べたくなってしまうだろうが、何とかこれを我慢して、命が尽きるまで上空にいるセルリアンの大群に戦いを挑む。

 ・・・・・・都合よく私の体がそう動いてくれる保証はないが、ともえ達の命を救うには、もうそれしか方法がないんじゃないだろうか?

 

(・・・アウアアッ・・・!)

「な、何だ?」

 覚悟を決めて手を伸ばそうとした私に向かって、ビーストがまるで言葉を発するようなイントネーションで唸ってきた。

 せっかく私が体をくれてやる気になったのに、何やら躊躇している様子がある。

 長い間私から自由と意識を奪っていたくせに一体どういうつもりなんだろう。

 

「さっさと私の体を乗っ取ればいいだろ? このままじゃともえ達が危ないんだよ!」

(・・・ア、アウウッ・・・)

 

 ビーストは口ごもり答えない。

 コイツが口が利けないことは、他ならぬ私が一番良く知っている。

 ・・・・・・思えば私は、ビャッコに口が利けるようにしてもらったからこそ、一時的とはいえコイツから離れられたんだ。

 また言葉を失うのかと思うと、それも実に名残惜しい。もっとともえ達と話してみたかった。

 まあ、言葉どころか命さえじきに失われるんだが。

 

(アムールトラ、聞いてください・・・・・・)

「・・・・・・だ、誰だ!?」

(この子はあなた自身なんですよ。あなたが希望を捨てずに頑張ってくれたからこそ、この子もようやく自我を取り戻しつつあります)

 

 ビーストは何も答えなかったが、代わりにまったく別人の声が聴こえてきた。

 優しく穏やかな女性の声だ。その声の主の姿はどこにも見当たらないが、私とビーストのすぐ近くにいることだけはわかる。

 ・・・・・・そして、その声以外にも、別の何人かの声が聴こえてきた。

 喋り方や声色はどの声もバラバラだったけれど、一様に私に優しく語り掛けてくれているような気がした。

 

(今もそうであるように、あなたは弱き者のために戦う英雄でした)

(てめえはオレのライバルだろうがァ)

(アタシのダチでもあるっス。あきらめんなっスよ)

(・・・・・・おめェは俺の空手を受け継ぐ最後の弟子だ)

(僕にとって君は娘だ。僕と出会ってくれてありがとう)

 

 どの声もひどく懐かしく、愛おしく感じられる。

 聞いているだけで心が揺さぶられるようだ。自分の中の欠落した部分が埋められていくような気がする。

 どういうことなんだろう? 昔のことを何も思いだせないっていうのに。

 

(記憶はなくても想いは残ります。あなたが愛した者たちへの想いは、生きている限り決して無くなりません)

 

 最初に私に語り掛けてきた穏やかな声が、ひと際鮮明に聴こえてくる。

 その声を聞いていると、おぼろげながら自分のするべきことがわかってきたような気がした。

 ・・・・・・上手く行く自信なんてない。いままでずっと目を背けてきたから、また同じ結果になるかもしれない。

 それでも私はもう一度だけビーストのことを信じてみたい。大切な誰かを守るために必死に戦い続けていた、過去の私自身のことを。

 ビーストは私が生きてきた証なんだ・・・・・・

 

「・・・・・・今までごめんね、もういちど、いっしょに行こう」

 

 ついさっきまでとは全く違う心持ちで、ビーストへと手を伸ばす。

 すると彼女もまた同様に、鋭い鉤爪の生えた手のひらをおずおずと伸ばしてきた。

 まったく違う形の手と手が重なり合う。光と影がひとつになっていく。

 漆黒そのものだった彼女に色味が取り戻されていく。

 私とまったく同じ顔が、私に向かって微笑んでくれたような気がした。

 

 どくん、と心臓の拍動を感じるやいなや、傷つき立ち上がることすら出来なかった体に凄まじい力がみなぎってくるのがわかった。

 両方の手から勢いよく鉤爪が飛び出し、爪の先から黒い炎が立ち昇る。

 体の周囲にも同色の霧のようなものがチラついている。

 

「ふははははっ! 待ちわびたぞッ・・・・・・!」

「わ、わふっ!! ダメです! アムールトラさんっ!!」

 ゆらりと立ち上がる私の様子を見て、メリノヒツジは勝ち誇ったような、安堵したような声を出し、周りの動けない仲間達からは痛ましい悲鳴が上がった。

 

________パァンッッ! ザキィィッッ!

 鞭を振るうような音を出しながら突進し、一瞬でメリノヒツジと距離を詰める。

 自分でも驚くほどのスピードだ。

 まるで自分以外が静止したようにさえ感じられる。事実、メリノヒツジはあらぬ方向を見ていて、まだ私の接近に気が付いてさえいない。

 

 私は奴に気付かれるよりも前に鉤爪を一閃させ、ともえを拘束している巨腕を切り裂いた。

 こちらの攻撃をまるで寄せ付けなかったメリノヒツジの鎧が、まるで粘土か何かのように容易く破壊された。

 奴が教えてくれた通りだ。ビーストの鉤爪だけが唯一あの鎧を突破することが出来る。

 

 切断されたメリノヒツジの腕が地面に落ちると、ともえが奴の手のひらから解放された。

 ここでようやく私以外のフレンズにも何が起こったかわかったようだった。

 

「あはははっ! もっと来い! もっとだ!」

________ズギャギャギャッッ!!

 ご満悦の笑みを漏らすメリノヒツジめがけて、間髪入れずに爪による連撃を叩き込む。

 当然ながら奴は無抵抗で、これはもう攻撃なんて呼べたものじゃない。まるで奴の分厚い鎧を力づくで引っぺがしているみたいだ。

 

 程なくして、鎧の内側にいたメリノヒツジの本体と対面することになった。血走った歓喜に満ちた瞳と目が合う。

________メキメキメキィッ・・・・・・

 私はメリノヒツジを鎧から無理やり引きずりだすと、馬乗りになって首根っこを押さえつけ、もう片方の手をトドメを食らわせると言わんばかりに振りかぶった。

 

 されるがままの奴の表情は、まるでそのまま眠ってしまうんじゃないかと思うぐらい安らかだ。

 余りにも一方的な蹂躙・・・・・それを傍らで見ているともえ達は真っ青な顔をしており、もはや悲鳴すら上げることが出来ない様子だ。

 

「・・・・・・全盛期の力を取り戻したな。さあ、思うぞんぶん僕を食べてくれ」

「だ、だめだよ・・・・・・だめだよアムールトラさんッ!」

 

________シュウウ・・・・・・

「私は、食べない」

 そう宣言すると同時に、振りかぶった手指に生えていた禍々しい鉤爪を、ゆっくりと時間を巻き戻すように引っ込めた。

 しかしその一方で、メリノヒツジを押さえつけている方の鉤爪はそのままだ。

 黒い炎も、体の片側半分では収まっており、もう半分は変わらず噴き出している。

 その様を見た瞬間、安らかだった奴の表情が一変した。

 

「な、何だと? なぜ話せる? なぜ鉤爪を出したまま正気を保っていられる? まさかお前は、ビーストの力を意のままに制御しているとでもいうのか? ・・・・・・こ、こんな、こんなことは予想していないぞッ!」

 

 想定外の出来事が起きていると知った途端、メリノヒツジが私から逃れようと暴れ出す。

 だがいかに奴とて抜け出すことはもう無理だ。

 いまやビーストの鉤爪は、出すのも引っ込めるのも思うがままだった。

 爪を伸ばすことだって出来る。私は奴を押さえつけている方の鉤爪を伸ばし、奴の上半身を丸ごと握りしめて固定している。 

 ・・・・・・そして私は、やろうと決めていたことをやることにした。

 驚き困惑するメリノヒツジの額の上に、ただの平手である手を置いた。

 

「や、やめろおおっっ! アムールトラァッ! 何をする気だっ!」

「メリノヒツジ・・・・・・私は君と話がしたいんだ」

 

 相手の記憶を読む私の能力。彼女にはこれをもう一度受けてもらう。

 ビーストと一体化したことでわかった。この能力の本質は記憶を読むことじゃない・・・・・・相手と心と心を重ねて、分かり合うことなんだ。

 

(アムールトラ、あなたならそうすると思っていました。私を救ってくれたように、どうかメリノヒツジのことも救ってあげてください。全ての重荷を背負って歩き続けたこの子のことを・・・・・・)

 

 意識がメリノヒツジの中に溶けていくさなか、例の優し気な女性の声が聞こえた。

 この声の主は一体何者なんだろう? 私の中に残っていた記憶の残滓にしては余りに鮮明で、個別の意識があるようにしか思えない。

 ・・・・・・まあ、いいか。かつて私が大事に思っていた存在には違いないんだ。そして今も私のことを生かそうとしてくれている。

 今も昔も、私は1人じゃなかった。ずっと誰かに支えられて生きてきたんだ。

 

(あなたを乗せて空を飛びたかった。それももう叶わない・・・・・・でもどうか、この青空の下で生きてください。本当に、ありがとう)

 

 

 肉体を溶かし、光となって誰かの心の中を飛び回るこの感覚・・・・・・やっぱり身に覚えがある。

 だから何となくわかる。心の形はそれぞれに違っていて、現実ではあり得ないような光景がこの先待ち受けているはずだ。

 

 メリノヒツジの精神世界は、いつ果てるともない広大な砂漠だった。

 凄まじい砂嵐が吹き荒れていて視界を奪われる。

 目を凝らして砂粒を見つめてみると、ひとつひとつの砂粒が、それぞれに異なる記号のような形をしていた。

 ・・・・・・これは文字だ。砂嵐と錯覚してしまうほどに膨大な言葉の粒が、この世界一杯に渦巻いている。

 

 こんな場所でメリノヒツジを見つけ出すことはかなり困難なことのように思えるけど、それでもやらなきゃいけない。

 ・・・・・・理屈じゃないんだ。嫌がられるかもしれないけれど、私は彼女と和解したい。同じ時代に生まれた戦友だから。

 そして彼女の孤独と苦悩を知った。

 食べてしまうこと以外で、彼女を苦しみから救う方法があるんなら、そうしてあげたいんだ。

 

________ズウウンッ・・・・・・

(な、なんだ?)

 

 向こうの方で巨大な何かが動いた。

 あれは山だ。とてつもなく大きな山が動いている。辺り一帯を見回せば岩山なんて無数にあるけど、その中でも突出して大きい。

 気になって近づいてみると、それがただの山ではないことにやがて気付く。

 ・・・・・・あれは巨人だ。サイズ感が異常すぎて傍目ではわからないけれど、二本の手足を備えた生物がゆっくりと闊歩している。

 

 巨人の体の表面は、やはり周囲の砂嵐と一緒で、文字が押し固められて出来た物だった。

 そして表面の凹凸が微妙に異なっていて、まるで彫刻のように何かの形を描き出していることに気付いた。

 ・・・・・・驚いたことに、岩肌に彫られていたのは私の姿だった。

 他にもメリノヒツジが人生の中で出会った数多くのフレンズやヒトの姿が彫られている。

 まるで彼女の記憶そのものの結集体であるかのようだった。

 

 私はようやくメリノヒツジの居場所に思い当たった。

 この巨人こそがまさしく彼女の正体だ。膨大な記憶と言葉を背負い続けた結果、天を衝くような岩山のごとき体へと変貌してしまったんだ。

 

 巨人の胸元、ちょうど心臓と呼べるような部位に、あまりにもちっぽけなメリノヒツジ本体の存在を感じる。姿は見えなくても十分に感じ取れる。

 

 一体どうしたら彼女を救うことが出来るだろう。

 ひとつ思い浮かんだのは、巨人の体からメリノヒツジを引きはがすことだ。

 背負い続けた重荷を取り払うことで、気持ちを楽に出来るのかもしれない。

 ・・・・・・しかし、果たしてそれでいいのだろうか? 

 あの巨人だってメリノヒツジの一部には違いないんだ。

 彼女が長い間苦難の道を歩み、大事な者の想いを背負って生きてきた証だ。

 

________ゴゴゴゴ・・・・・・

 

 巨人を前に考えあぐねていると、とある驚くべき異変を目の当たりにすることになった。

 メリノヒツジの精神世界が突然に崩壊を始めたんだ。地平線の向こうにまで広がる砂漠がいっせいに崩れ去り、音を立てて暗黒に飲まれていっている。

 

 私はそれを見て何が起こっているのかを本能で悟った。

 ・・・・・・あの闇の正体は「死」そのものだ。

 あの中に飲まれてしまったが最後、メリノヒツジの命は尽きる。

 

「メリノヒツジっ!」

 もう迷っている時間はない。

 他者の精神世界を自在に飛び回る今の私なら、きっと彼女の命を救えるはず。

 彼女を連れて迫りくる闇から逃れ、明るい所へと向かうことさえ出来れば。

 たとえ彼女の大切な一部分である巨人を失うことになっても。

 

 さっそく巨人の胸元へと飛び込み、文字で出来た肉体を一心にかき分けた。

________ガリッ! ガッ!

 が、見た目通りに途方もない大きさの体を掘り進んでいても、いっこうにメリノヒツジのところへ辿り着く気配はない。

 そうこうしている間にも闇がどんどんと地平線の向こうから迫ってくる。

 

「・・・・・・無駄だよアムールトラ、もう手遅れだ」

 おもむろにメリノヒツジの声が聴こえた。

 未だ巨人の胸の中に埋まって姿さえ見えない彼女が、私を制止するように話しかけてきている。

「周りをよく見てみろ」

 

 メリノヒツジに言われてふと不安になり、広がる精神世界に注意を巡らせてみる。

 そして私は彼女の言った意味をなんとなく察するのだった。

 明るい所を目指せば死の闇から逃れることができる・・・・・・が、しかし、明るい場所など最初からどこにもありはしなかったのだ。

 闇は360度あらゆる方向から迫ってきている。まるで際限なく縮小し続けるガラス玉の内側にいるようだ。

 

 メリノヒツジの精神世界があまねく死の圧力に押し潰されようとしている。

 この技をもってしてもどうすることも出来ないかもしれない・・・・・・そんな絶望めいた考えが脳裏をよぎる。

 彼女はまたも「もう良いんだ」とあきらめを促してくる。

 私は諦念を振り払うように「何が良いもんか」と真っ向から否定し、巨人の胸元を穿ち続け、幾層にも重なる分厚い岩板を取り払い続けた。

 

________ガリィッ 

 そしてついに、最奥にいるメリノヒツジと対面を果たすことになった。

 その姿は現実世界で対峙していた、鱗のような皮膚を持つ恐ろしい容姿のフレンズではなかった。

 記憶の中で一体化していた赤い毛を生やす大柄な姿でもない。

 あどけなささえ感じさせる真っ白くて小柄なヒツジが、丸まって弱弱しくうずくまっていた・・・・・・これが本当のメリノヒツジなんだな。

 

「つかまって。さあ行こう」

「・・・・・・」

 小さな体を抱きしめて飛び立とうと試みる。が、メリノヒツジはその場に根が生えたかのようにピクリとも動かない。

 彼女と巨人とはすでに不可分の存在であり、彼女だけを切り離すことなど不可能だったんだ。

 

「これでわかっただろう。僕はじきに死ぬ。お前が何をしても助けることはできない」

「い、一体どうして!? 君の体に何が起こっているんだ?」

「・・・・・・とっくの昔にガタが来ていた。それだけのことさ」

 

 メリノヒツジの体に限界が来ていることは、すでにハツカネズミが看破していた。

 だが問題はその度合だった。

 ハツカネズミの口ぶりでは、能力を解除して戦いから引き下がれば命は助かるぐらいのニュアンスだったが、その認識は間違っていたんだ。

 

 実際のところ、メリノヒツジは何もしなくても、いつ死んでもおかしくない状態だったようだ。

 進化促進薬でドーピングしなければ「鎧」を生成することさえ出来ない程に肉体が衰えていた。しかし薬を打ったが最後、副作用によって確実に死に至る。

 ・・・・・・それらのことを全て承知の上で戦いに望んだのだと。

 

「アムールトラ、最後に全力でお前と戦いたかった。そして食べられたかった・・・・・・僕にとってそれは人生に残された唯一の希望だった・・・・・・」

「だ、だからって、こんな」

「ふふふっ、だが結局、また独り相撲に終わってしまった・・・・・・長く生きてきたが、僕は所詮こんなものか・・・・・・」

 

 メリノヒツジは自嘲的な笑みを浮かべると、私に向かって手を伸ばした。

 差し出された手を私が固く握りしめると、彼女は満足げにひとつ溜息をついた。

 

「アムールトラ、お前は本当に、どこまでも強いな・・・・・・ビーストを克服し、自分の運命を乗り越えてしまうとはな・・・・・・」

 

 今わの際の彼女がぽつりぽつりと悔恨を残した。

 未来を見通せると言ったのは間違いであったと。そもそもそう思うこと自体傲慢だったと。

 あまりにも多くの過去を背負ってきた自分は、いつの間にかそれだけにとらわれ、未来に広がる可能性を信じることをやめてしまったんだと。

 

「・・・・・・お前を見ていると、僕も未来を信じたくなってきたよ。あのアニムスのようにな。

 僕たちフレンズは過去を乗り越えて、より良い未来を創ることだって出来るのかもしれない。かつてのようにヒトと争い合うのではなく、和解できる可能性だってあるのかもしれない・・・・・・」

 

 迫りくる死の闇はすでに砂漠をあらかた飲み込み、巨人の体内にまで浸食してきている。

 もう間もなく、メリノヒツジのその時がやって来る。

「アムールトラ、頼みがある」

 自分の運命を悟っているのであろう彼女が、最後に真剣な面持ちで私に懇願してきた。

 

「僕の続きを歩いてくれ。この世界の未来を見届けてくれ・・・・・・」

「ああ、わかった。必ず見届ける」

「・・・・・・ああ、やっとだ・・・・・・託されるばかりだった僕が、やっと・・・・・・託せる・・・・・・」

 

 メリノヒツジを抱きしめ、涙ぐみながら最後の一声をかける。

 こうして抱擁を交わしていると、あらためて彼女の記憶と感情が流れ込んでくるようだった。

 出会いと別れ、無限とも思えるほどに続く苦難。打ちのめされるたびに立ち上がった気概。

 彼女が背負ってきた物の重さが、まるで自分の物であるように感じた。

 

「・・・・・・私の中で生き続けてくれ。メリノヒツジ」

「ふ、ふふっ・・・・・・一切は死んでいく・・・・・・一切は再び花開く・・・・・・存在の車輪は・・・・・・永遠に回っている・・・・・・」

 

 やがてメリノヒツジは私の腕の中で、彼女らしい難解な言葉をつぶやいて、眠りに落ちるように目を閉じながら消滅していった。

 巨人ごと彼女が消え去った今、目の前の全てが暗黒と化してしまった。

 その場に存在しているのは、自ら光を放ち続ける私だけだ。

 静寂の中、ひとりぼっちになった私は魂を現実世界へと向かわせた。

 

________スウッ・・・・・・

 

 メリノヒツジの額に重ねた手のひらをゆっくりとどける。

 その動きを契機にするようにして、繋がった心と心が寸断され、私の意識は現実へと帰還を果たしていた。

 

「アムールトラさん!」

「おいっ! アムールトラ! 大丈夫かよー!」

 

 仲間達が私を心配する声を背後に感じながらメリノヒツジを見やる。

 ・・・・・・彼女はすでに旅立っていた。

 じつに安らかな表情で天を見上げている。

 ほどなくして、彼女の全身から虹色の光が立ち昇り始めた。光に包まれる深紅の体が灰色に色褪せてきている。

 すべては精神世界にて既に決着している。現実世界でも肉体が後追いを始めたんだ。

 

「え、ま、まさかそんな!?」

 メリノヒツジのそんな姿を見て、その場にいる誰もが驚きを隠せていない様子だ。

 それもそうだろう。戦いでは終始私を圧倒していた彼女が死ぬことなんて、傍から見ていたともえ達には想像も出来ないはずだ。

 唯一ハツカネズミだけが、事情を察したように深いため息をついている。

 

________ゾブリッ

 メリノヒツジの肉体が完全に消えてしまう前に、私は彼女との約束を叶えることにした。

 彼女はこれからも私の中で生き続けるんだ・・・・・・と、その一心で彼女の喉元に牙を立てる。

「アムールトラさんっ!?」

 ともえ達はびっくりしているが心配はいらない。

 肉を食らうわけじゃない。喉を覆っている体毛だけをむしり取って飲み込むだけだ。

 

 鉄臭いゴワゴワした毛の塊が喉の奥に入っていく。

 やがて喉元を過ぎるころには、メリノヒツジの姿は影も形もなくなっていた。

 そして彼女の所持品だけがその場に残された。

 両腕に付けていた鎖の付いた腕輪がふたつと、それとは別の、同様のデザインの腕輪がひとつ地面に落ちていた・・・・・・ 

 

「み、皆! あれを見るです!」

「セルリアンたちが去っていくです・・・・・・?」

 

 2人のフクロウが指摘する方を見やる。

 そこには数機のラッキービーストの姿があった。草むらから飛び出し、そのまま天高く浮遊を始めていた。

 空を埋めつくしていたセルリアン達も、ラッキービーストの動きに呼応するように、四方八方に離散していってしまった。

 奴らがいなくなったことで、にわかに辺りに陽射しが差し込んでくる。

 

「わふ、体が!?」

 イエイヌたちが弾かれた様に立ち上がり、無事を確認し合うように周囲の仲間達へと視線を配っている。

 ラッキービーストが離れたことで、彼女達を縛っていた拘束も解かれたようだ。

 

 今しがたの出来事についてハツカネズミは、恐らくはメリノヒツジがあらかじめ仕組んでいたことだろうと推理した。

 できるだけ無用な犠牲を出さないために、自分の死と同時にセルリアン達も消え去るようにしたんだと。

「さようなら、園長・・・・・・」

 ハツカネズミが無表情ながらも若干涙ぐんでいるのがわかる。

 かつての上司の死を間近で目撃したんだから無理もない。

 

「・・・・・・私には、メリノヒツジの思想が間違いだったのか、判断が付きかねるです」

「じょ、助手、まだそんなことを言うですか?」

「ごめんなさいです教授。少し1人で考える時間をください」

 

 ワシミミズクはメリノヒツジの言葉について思う所があったらしく、青ざめた表情のまま、一足先にその場から去ってしまった。

 己が相棒から拒絶されたオオコノハズクが、悔しそうに歯嚙みしながらその場にポツンと取り残された。

 

「・・・・・・アムールトラさん、大丈夫?」

「ともえ、お前の方こそ怖かっただろう? 平気か?」

「う、うん。平気だよ」

 

 心配そうに私の顔を覗き込んでくるともえの緑と赤の瞳は、命を落としかけたことへの恐怖ではなく、不安と困惑の色が募っていた。

 無理もない。彼女自身にとっても、理解の追い付かないような出来事が色々と起こったはずなんだから。

 メリノヒツジはともえのことをアニムスと呼んでいた。一体どういう意味なんだろう。

 彼女と精神世界での対話は行ったが、そのことについてはついぞ知る機会がなかったな。

 

 ビーストの鉤爪を引っ込めてから、不安げに微笑むともえの頭を撫でる。

 そして心配をかけないようにと、私も無理に笑ってみせたが、彼女の方からは笑顔が返ってこない。どうやら見透かされてしまっているのかな。

 

「メリノヒツジさん、自分のことを、アムールトラさんの大事な友達だって言ってたよ」

「その通りだ。私とアイツは同じ苦労を分かち合ってきた・・・・・・私よりも、誰よりも苦しんできた奴なんだ」

「もしかして、記憶が戻ったの?」

「メリノヒツジとのことは、大体思い出せたよ・・・・・・」

 

________スッ

 ともえにそう言っている内に、涙が勝手に頬を伝ってきた。

 理屈じゃない喪失感に胸が震えている。自分の半身がもがれたみたいだ。

 膝を付き、足元に落ちていた三つの腕輪を拾い上げると、私はおもむろに草原を歩き出した。

 

 メリノヒツジのお墓を作ってやらなきゃ。

 この三つの腕輪こそが墓標になるはずだ。

 そう思って目指したのは、この草原にたったの一輪だけ咲いている白い花がある場所だ。

 その場に行くだけなら簡単だ。元々ここは私が住処にしていた場所なんだから。

 でも、あの花はまだ咲いているだろうか。

 水をやらないまま時間が経ってしまったし、ひょっとしたら今しがたの戦いの余波で吹き飛ばされてしまったかもしれない。

 

 ・・・・・・そして、やっぱり嫌な予感が当たってしまった。

 咲いていたはずの場所にいっても、花は影も形も見当たらない。とうに枯れて無くなってしまっている。

 

「ねえ! アムールトラさん!」

「ともえ・・・・・・?」

 

 うつむいて落ち込んでいる私に、ともえが背後から声をかけてくる。

 私は皆に声もかけずに花を探し始めたって言うのに、何も言わずに付いてきてくれていたんだ。

 彼女だけじゃない。イエイヌにロードランナー、ハツカネズミにオオコノハズクも近くにいる。めいめいが辺りに散らばって、点在する岩の影とかに顔を覗き込んでいる。

 ・・・・・・まさか、みんなで花を探してくれているのか?

 

「これ見てよ!」

「これは・・・・・・!?」

「わふっ! ここにも!」

「ここにもあるぜ!」

 

 私の知っている位置とはまったく違う所に、同じ品種の新しい花が咲いていた。

 それも一輪だけじゃない。4つ、5つ、それ以上・・・・・・ごくまばらにだが、白い花が群生を始めていたんだ。

 ともえ達がそれを見つけてくれた。何とも言えず嬉しくて胸が熱くなる。

 ・・・・・・命も意志も、失われるばかりじゃない。こうしてちゃんと続いていくんだ。

 

(君の分まで生きるよ。メリノヒツジ)

 3つの腕輪を白い花の傍に置きながら、私は内心で独り言ちた。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・鯨偶蹄目・ウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属
「メリノヒツジ」(死亡時年齢:1453歳7か月)
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「英名G・ロードランナー 和名オオミチバシリ」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・コノハズク属 
「アフリカオオコノハズク」
鳥綱・フクロウ目・フクロウ科・ワシミミズク属 
「ワシミミズク」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」 
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編17「たびのはじまり」

「いっただっきまーす! うほほっ! うめーっ! うますぎる!」

「もうっロードランナーちゃんったら! ちゃんとアムールトラさんの分を残さなきゃダメなんだからね!」

「大丈夫だ。いただいてるよ」

「わふっ! いっぱい作ったからどんどん食べてください!」

 

 戦いが終わり、ささやかな安息の時が訪れた。

 私はともえ、イエイヌ、ロードランナーと一緒に食卓を囲んでいた。

 今日のごちそうはイエイヌ特製のトマトリゾットとかいう料理だ。一口含むと、口じゅうにトマトの甘味と酸味が広がっていく。

 かぼちゃとかナスとかが大きな切り身のまま入っているけど、クタクタに煮込んであって、口の中でほろりとほぐれてトマトソースと絡み合う。

 

 ・・・・・・まったく、何という美味さだろう。それに傷ついた体がホッと休まるのがわかる。

 ジャパリまんが食べられない私にとって、野菜や果物はまぎれもなく主食だったが、そこら辺に生えているのを生で食べることしかしてこなかった。

 上手に手を加えたらこんな風になるなんて想像してもみなかった。

 

「おい、おかわりくれよー! うますぎてやべーぞこれ!」

「イエイヌちゃんは凄いんだよ。ありあわせの材料で美味しいもの何でも作っちゃうの」

「まったくその通りだな。イエイヌは料理の天才だ」

「み、みんな大袈裟ですね・・・・・・こんなもので良かったらいくらでも作ってあげますよ」

 

 いっせいに褒め称える私たちに対してイエイヌは何の気なしに答えて見せたが、彼女の尻尾がはち切れんばかりにブンブン回っているのが見える。

 ・・・・・・イエイヌは感情が尻尾に出るタイプなんだな。

 

「ふうっ、ごちそうさま」

 4人で談笑しながら食事にありついていると、フレンズの背丈と同じぐらいの巨釜に入っていたリゾットがあっという間に空になった。

 ともえ達が食器を片づけながら席を立つのを見ながら、私は一人机に手を付いて安堵の溜息を付いていた。

 

 ・・・・・・メリノヒツジとの戦いから4日ほど経ったか。

 栄養が良いからだろうか。傷の治りは自分でも驚くほどに早かった。

 未だに全身包帯ぐるぐる巻きのみじめな姿だけど、こうして座って食事が出来るぐらいにまで回復している。

 それどころか体調も気分もかなり良い。こんなのいつ以来だろう。

 ビーストだった頃の体調は常に最悪だった。終わることのない飢餓感と焦燥感に襲われていた。それが今となっては信じられないぐらいだ。

 この調子なら・・・・・・

 

「なあ、みんな」と、シンクで洗い物をしている3人に後ろから声をかける。キョトンと振り返る彼女達だったが、私が真剣な表情をしているのを見て何事か感じ取ったようだ。

 そして私は用意していた一言を告げる。

 

「そろそろここを出発しないか?」

「でも、アムールトラさんの傷がまだ塞がってないよ」

「そーだぜ、そんな体で無茶することねーよ」

「もうほとんど治りかけなんだ・・・・・・それに、急ぐ理由は、私達にはいっぱいあるはずだ」

 

 私の言葉を聞くなり、3人が3人とも不安の入り混じったような顔つきで俯いた。

 これまでに起きたさまざまな出来事を回想し、このさきの旅路でやるべきことに思いを馳せているのがわかる。

 

 そもそも私達が今いるこの家は、リャマというフレンズが経営していたレストランだ。

 しかし本来の家主である彼女はもういない。すでにここを発っているんだ。じゃあ、どうして私達4人だけが残っているのかというと、一言じゃ言えないぐらい色々な経緯がある。

 ・・・・・・だから、ちょっと、じゅんぐりに思いだしてみようかな。

 

 

 メリノヒツジとの決着をつけたあの日、傷だらけの私はこの家へと運び込まれた。

 そこでは何人かのフレンズが身を潜めており、戻ってきた私達の姿を見るなり、たがいの無事を喜び合った。

 だが、決してハッピーエンドでは終わらなかった。

 たった1人だけ、その場にいるべきフレンズがいなかったからだ。

 

 ワシミミズクだ。

 ご丁寧にも彼女は、リャマのレストランの入口の前に置手紙を残していた。そこに彼女の心境がしたためられていた。

 彼女はどうやらメリノヒツジの思想に深く共鳴してしまったようだ。

 この世の本質は弱肉強食であり、生きるために己を成長させることこそフレンズのあるべき姿である・・・・・・。

 メリノヒツジのその言葉がどうしても頭から離れない彼女は、強くなるために1人旅に出ることにしたのだと。

 いわく、大切なものを失わないための力が欲しいのだと。

 

 ワシミミズクがいないことが分かった途端、他のフレンズたちが必死に周囲を捜索したのだけれど、すでに忽然と姿を消してしまっていて見つけることはできなかった。

 さすがに彼女は鳥類だ。さっと飛び去ってしまったら痕跡も何も残らないだろう。 

 

 可哀そうなのは彼女の相棒のオオコノハズクだったけれど、手がかりもないまま無闇に探し回ってもどうしようもない状況だった。

 フレンズ達はやむなくワシミミズクの捜索をあきらめて、これから自分達がどうするべきなのかをしばし話し合うことになった。

 

 話し合いを取り仕切ったのはハツカネズミだ。

 メリノヒツジの元側近である彼女が、ジャパリパークに今何が起こっていて、今後どんなことが起こり得るかを事細かに教えてくれた。

 メリノヒツジに逆らった制裁として記憶喪失にさせられ追放の身となっていた彼女だったが、かつての上司と再会したことで失った記憶を取り戻すことが出来たようだ。

 ・・・・・・と言っても未だに曖昧な部分が多いらしいけれど。

 

 他のフレンズもハツカネズミのように記憶を取り戻せるかというと、残念ながらそれはたぶん無理だろうとのことだ。

 あくまで彼女は記憶を「封じられた」状態だった。だから切っ掛けを得て取り戻すことが出来たんだ。

 それに対し、いっぱんにフレンズが長く生きたことで、自然の成り行きとして起こる忘却は、頭の中から記憶そのものが無くなってしまうんだ。だから元に戻ることはない。

 ・・・・・・フレンズは生きている限り忘却の宿命に縛られているんだとわかった。

 

 さて、ハツカネズミいわく、メリノヒツジ亡き今も、彼女が仕組んだ計画は続行されているんだと。

 いずれやって来るかもしれないヒトに対抗するために、フレンズとセルリアンを強くしなければならない。

 そのために彼女が思いついたのは、この世界に「弱肉強食」を取り戻すことだった。

 

 計画を実行しているのは「マザー」と呼ばれるラッキービーストの親玉的存在らしい。

 マザーの影響力は絶大だ。実質的にジャパリパークを支配していると言っても過言ではない。

 ラッキービーストを操って各地のフレンズへとジャパリまんを配給したり、気候風土を調整してジャパリパークの環境を整えていく。

 さらにはフレンズとセルリアンの双方に無意識のうちに働きかけ、小競り合いをしながらも二つの種族がそれぞれ繁栄できるように絶妙にバランスを取っていく・・・・・・

 そういったことをマザーは影ながら行っているんだという。

 

 が、メリノヒツジはそんなマザーに改変を加えた。

 ジャパリまん配給や気候調整システムはそのままに、フレンズとセルリアン間の争いを抑制するプログラムを弄った。

 その結果、セルリアンのフレンズに対する攻撃は以前よりも激しくなり、フレンズは今までのように穏やかに暮らすことが難しくなってしまった。

 

 そして、そのことがフレンズ達の意識を次第に変化させていく。

 現代のフレンズは、ジャパリパークを創造した神「カコ・クリュウ」によって牧歌的な性質を植え付けられたことで、その力は昔よりも弱くなっている。

 しかしそんなフレンズ達も、セルリアンとの激しい戦いを繰り返すことで、戦わなければ生きていけないという弱肉強食の思想に目覚め、次第にかつての力を取り戻していくだろうとのことだ。

 

 二つの種族にかつての強大さを取り戻させる。それによりヒトという侵略者に立ち向かう準備を整える・・・・・・というのがメリノヒツジの計画だった。

 私もまた計画の一部だった。メリノヒツジは私を完全に暴走させて、弱肉強食の世界の象徴としてまつり上げようとしていた。

 

 計画はまだ序の口の段階に過ぎない。

 ジャパリパークに暮らす大部分のフレンズは、今までと変わらない穏やかで争いを好まない子達ばかりだ。

 ・・・・・・だが、こんな状況が続けば続くほど「弱肉強食」の思想に目覚めるフレンズが次第に増えていき、ジャパリパークは殺伐とした場所になってしまうだろう、とハツカネズミは予測した。

 ワシミミズクの心変わりを目にした今となっては、じつに納得のいく未来予想だった。

 

 ・・・・・・そこから先のことは、ハツカネズミの知識を持ってしても読めないんだという。

 いつかの未来にて、実際にヒトがジャパリパークにやって来た時。

 戦いか平和か、フレンズという種族は今後どちらの道を選ぶのか。 

 それ以前に、私達はひとつにまとまり切れるんだろうか?

 

 対するヒトはどのような考えを持っているんだろう?

 かつての星の支配者であり、遠い昔にカコ・クリュウの手で宇宙へと追放された種族。

 彼らがふたたび星に降り立った時、その胸に何を望むんだろう?

 力によってフレンズとセルリアンを支配したがるだろうか。

 それとも対話によって分かり合おうとしてくれるだろうか。

 

 未来に何が起こるか、良くも悪くもあらゆる可能性が無限に広がっている。

 いくら考えても答えが出るものではない。考えれば考えるほどに袋小路にはまっていくようだ。

 

 メリノヒツジが死ぬ間際に言った言葉を思い出す。「僕の分まで未来を見届けろ」と・・・・・・

 それがどんなに難しいことなのかを思い知らされた気分だ。

 フレンズ達を導いてきたメリノヒツジはもういない。そして彼女に取って代われる者もいない。私達1人1人が重荷を背負わなきゃいけない。

 自分が何をやりたいのか、何が正しいのかを考えて、信じる道を歩かなきゃいけない。

 

 あらためて考える。メリノヒツジとはどのようなフレンズだっただろう。

 強くもあった。賢くもあった・・・・・・けれども一番に思うのは、痛々しいほどに、どうしようもなく生真面目な奴だったということだ。

 

 だから彼女は止まらなかった。未来という重荷を1人で背負い。無限の選択肢の中から一つの可能性を選び取った。それに向かってジャパリパーク全体をひとつにまとめて導かんとしていた。

 やったことは悪かもしれないけれど、ただひたむきに己の信念に従っていただけなんだ。

 

 ・・・・・・私はメリノヒツジのような大きな事が出来る存在ではないし、するつもりもない。

 だが彼女と同じように、自分の信じる道は曲げずに歩いて行きたい。

 自分が何者かもわからず足掻き続ける時間はもう終わりにしたいんだ。

 

 私はともえ達の旅について行きたい。

 もちろん助けてもらった恩を返したいのもあるけど、それよりも何よりも、私は彼女達が好きだ。もっと一緒にいたいし、力になってあげたいとも思う。

 

 ともえは色々と謎を抱える存在だ。

 ホッカイエリアの中でも最も厳しい寒気に包まれた「アンタークティカ」という土地で、氷漬けの古ぼけた装置の中で眠っていたという。

 目覚めた時の彼女は、過去の記憶を一切失っていた。

 唯一の手がかりは、自分はヒトなのではないかというおぼろげな予感と、セントラルエリアに行けば全てがわかるという情報のみ。

 そしてセントラルエリアへの道を開くためには4つの「オーブ」が必要だと。

 

 ともえを眠りから覚ましたのはイエイヌだ。

 彼女は遠い昔とあるヒトに仕えていたらしい。

 長く生きたフレンズに待ち受ける忘却の運命によって、そのヒトの顔も名前も忘れてしまっているけれど、自分に取ってかけがえのない存在だったことだけは確かなようだ。

 イエイヌは再び主人に出会うためにジャパリパーク中を旅してきた。やがてアンタークティカに眠るともえの存在を突きとめて彼女を呼び起こした。

 ともえが自分の主人であるかどうかは確証がないが、彼女はともえに仕えることを決めた。

 ・・・・・・かくして、ともえの記憶を取り戻すための2人の旅路が始まった。

 

 ありがたいことに、ハツカネズミが新しい旅の手がかりをくれた。

 まずは「セントラルエリアに行けば全てがわかる」ということについてだ。

 やはりここでもラッキービーストの親玉「マザー」が絡んでくるようだ。

 彼女の情報によれば、マザーはセントラルエリアのどこかに存在しているらしい。残念ながら具体的な位置については思いだせないらしいが。

 

 マザーが持っているのはジャパリパークを支配する力だけじゃない。

 話によると、マザーの中にはあらゆる過去の歴史情報が蓄積されているんだそうだ。

 ともえは何者なのか、イエイヌの主人はどんなヒトなのか、あらゆる問いに答えがもたらされるのだと。

 

 そしてセントラルエリアへの道を開くという「4つのオーブ」の正体についての情報もくれた。

 私達はいま2つのオーブを手にしている。ひとつはロードランナーが海底で手に入れたという「蒼穹のオーブ」。

 そして「白銀のオーブ」・・・・・・私の恩人のビャッコだ。

 

 8本足セルリアンとの戦いで完全に消滅してしまったように見えたビャッコだったが、今も私の体内で存在し続けているようだ。

 蒼穹のオーブを私の体に近づけると、わずかだが私の腹部が白く光り出すことから、その事実を確認することができた。

 残りのあと2つ「紅炎」と「漆黒」の行方については知れないが、オーブ同士が共鳴し合う性質があることから、見つけることは決して不可能じゃないはずだ。

 

 4つのオーブ。それは「四神」と呼ばれる存在に関係しているようだ。

 かつてカコ・クリュウ=セルリアン・クイーンを倒す際に主力を担った神獣たちの中でも、取り分け強大な力を持った4人のフレンズ・・・・・・それが四神。

 ビャッコはそのうちの1人だったようだ。

 

 四神を語るうえで欠かせないのは「封印の伝説」だという。

 クイーンを倒してもなお、セントラルエリアは凶暴なセルリアンの一大生息地帯であり、フレンズが生存していくことは困難を極めたそうだ。

 さらに、余りにも数の多いセルリアンたちが他所の土地に流出してしまったら、フレンズ達の暮らしが脅かされるのは明らかだった。

 

 これらのことを鑑みた四神は、フレンズを別の土地に立ち退かせた後に、セントラルエリア一帯に強力な封印を施したそうだ。

 セントラルエリアを取り囲むように四方に散り、自らの魂をセントラルエリア封印の要とすることに決めたんだと。

 

 その後、彼女たちの絶大な超能力によって形成された「見えざる障壁」によって、フレンズが立ち入ることも、セルリアンが外へ出ることも困難になった。

 かくしてセントラルエリアは外界から隔絶された禁足地となった。

 

 ・・・・・・だが、後にその封印を破った者がいた。

 もちろんメリノヒツジだ。あの無敵の防御力を誇る「深紅の鎧」を身にまとい、力づくでセントラルエリアに侵入したんだと。

 一度侵入さえしてしまえば、園長としてセルリアンを操る能力を持った彼女ならば行動に支障はなかっただろう。

 

 メリノヒツジはまず、封印の柱となっていた四神の魂が収められた4つの「聖櫃(アーク)」を破壊した。

 それにより障壁が消え去り、閉じ込められていたセルリアン達が外部に漏れ出てしまう結果になった。彼女は自分の手駒に使えるセルリアンを大幅に増やすことが出来たんだ。

 だがそれで彼女の目的が達成されたわけじゃなかった。

 

 彼女の一番の目的は、自らの手でマザーを弄ることだった。

 園長としてマザーへの遠隔アクセス権は持っていたものの、プログラムを直接的に書き換えるためには現地へと赴くしかなかったからだ。

 ・・・・・・後は知っての通りだ。メリノヒツジの手でマザーは改竄され、彼女の悲願である「弱肉強食」をジャパリパークにもたらす命令を実行するに至ったのだと。

 

 四神がその後どうなったのかはわからない。

 オーブとは四神そのものではなく、あくまで彼女達の力の一部に過ぎないのだろうとハツカネズミは推測する。

 魂の器を破壊されてしまったことで完全な実体化が出来なくなったために、オーブという不完全な方法を取るしかなかったのかもしれない。

 

 オーブがセントラルエリアへの道を開く、というのはどういう意味なのかわからないが、四神が封印の鍵になっているのは確かだ。

 もしかしたら、4つのオーブがあれば、再びセントラルエリアに封印を施し直す手立てもあるのかもしれない、とハツカネズミは推測した。

 

 とにもかくにも、これで私達がやるべきことが決まった。

 4つのオーブを手にセントラルエリアに赴き、マザーの元へたどり着くことだ。

 メリノヒツジがマザーに加えた改変を元に戻すことが出来れば、彼女が仕組んだ「弱肉強食」の流れを押しとどめることが出来る。

 ともえやイエイヌの失った記憶をも取り戻せる。

 

 が、マザーを目指す旅路には多くの困難が付いて回るだろう、とハツカネズミは言った。 

 脅威となるのはメリノヒツジの手下達だ。

 長いあいだ園長を務めていた彼女には、ハツカネズミの他にも昔から仕えている忠実なフレンズが何人もいて、彼女亡き今も命令に従い続けている。

 その者たちがマザーに近づこうとする者を妨害してきても何らおかしくはないという。

 

 メリノヒツジは側近たちにそれぞれ子飼いのセルリアンを与えていたようだ。

 もちろんハツカネズミにも自分の思いのままに動かせるセルリアンがいたという。

 今はどこで何をしているのか知らないが、3本の長い角を持つカブトムシ型の強力な大型個体だったそうだ。

 

 メリノヒツジはセルリアンのモデルとして「虫」に着目していたそうだ。

 なんでも彼女は虫のことを、サンドスターの影響を受けない一つの完成された生物だと考えていたのだとか。

 だから虫の姿をしたセルリアンを見たら彼女の手下がいると見て間違いないと。

 ・・・・・・あの8本足みたいなのがまた襲いかかってくるのかと思うと胸がざわつく思いだった。

 

 さらに考えるべきことがある。

 そもそも、この問題はマザーを何とかするだけで一件落着するのだろうかということだ。

 今後もワシミミズクのようにメリノヒツジに感化されたフレンズが増えていくだろう。

 彼女は操られたわけじゃない。自らの意志でメリノヒツジの思想が正しいと確信したんだ。

 そういったフレンズたちの気持ちを無視して、ジャパリパークに「今まで通り」を強制することが果たして正しいのだろうか・・・・・・

 

 ハツカネズミから聞いた情報を元に、私達は4人であれこれと話し合った。

 その結果、セントラルエリアを目指すよりも先にやるべきことを決めた。

 それはヒトのフレンズ「かばん」に会いに行くことだ。

 ゴコクエリアで消息を断ったという「かばん」の行方は、メリノヒツジですら突きとめることが出来なかったが、ともかく現地に行って探してみるしかない。

 

 ともえが信じる未来はもちろんメリノヒツジとは真逆だ。

 フレンズ達は平和に生きるべきであるし、いずれジャパリパークにやって来るかもしれないヒトとも手を取り合って共存していきたい。

 だけど、信じているだけではダメだということを彼女は悟ったようだった。

 平和な未来を実現するために、知らなければならないことがたくさんあると。

 そのためにもまずは「かばん」と会って話を聞きたいと言うのだ。

 

 ともえの言葉に諸手を上げて賛成してくれたフレンズがいた。

 オオコノハズクだ。

 どうやら彼女はかばんに全幅の信頼を置いているようだ。

 かばんならばジャパリパークを平和にするために行動を起こしているはずだし、必ずや私達の力になってくれるというのだ。

 

 そしてオオコノハズクから、さらに衝撃的な一言が告げられた。

 私達の旅路に自分も同行したいと言ってきたのだ。

 今の彼女は何といってもワシミミズクを連れ戻すことが一番の望みだ。

 なんとなくだけれど、私達に同行すればそのうちワシミミズクの手がかりも掴めるんじゃないかというのが理由だ。

 それにジャパリパークを平和にするという私達の旅にぜひ協力したいんだと。

 

 ただ、同行するにしても今すぐは無理だという。

 キョウシュウエリアではオオコノハズクとワシミミズクの2人はフレンズ達のまとめ役だった。

 ワシミミズクが出奔したいま、オオコノハズクまで何も言わずにいなくなることは許されない。

 同行するのは他のフレンズに自分の役目を引き継いでからだと言った。

 

 そしてオオコノハズクは自分の弟子である4人のフクロウに後のことを任せると断言した。

 それを聞いた当の4人組は目玉が飛び出る程おどろき拒否したが、彼女は一歩も譲らずに弟子達に言って聞かせた。

 今回の一件でも4人組はよく働いてくれたし、後を任せるのに不足はないと言うのが理由だ。

 

 オオコノハズクが4人の弟子のことをそれぞれ評価した。

 メガネフクロウは頭は良くないが体力は凄い。逆にアオバズクは知恵が回るが貧弱。メンフクロウは弁が立つがメンタルが弱い。逆にアナホリフクロウはどもりがちだが根性は一番ある。

 4人が助け合って短所を補い合えばきっと大丈夫、と不安におびえる弟子たちを鼓舞した。

 

 オオコノハズクは私達との再会を約束すると、褒められて若干涙目になっている弟子たちを連れて一足先に旅立つことになった。

 フクロウ達の翼なら長い距離もあっという間だろう。

 傷をゆっくり治してからキョウシュウに来るように・・・・・・と最後にオオコノハズクは言った。

 それまで用事を済ませながら待っていてくれるようだ。

 

 キョウシュウでオオコノハズクが住んでいるのは「としょかん」という建物で、かの地における知識のメッカ的な場所だという。

 自分が何者かわからないフレンズならまずは「としょかん」に質問しに行くし、他にも施設内の豊かな蔵書によって、フレンズ達がそれぞれしたい勉強を続けることだってできた。

 ・・・・・・ともかくキョウシュウのフレンズでは知らない者がいないほどの場所らしい。

 それだったら私達がオオコノハズクと再会するのも簡単だろう。

 

 ここホッカイからゴコクまで行くのに、キョウシュウは海をまたいでちょうど中継地点のような位置にあるという。

 キョウシュウでオオコノハズクと合流し、その後にゴコクを目指すという流れが自然だ。

 もちろん私達は彼女とは違って徒歩での移動になるし、海を渡るには船がいるが。

 

 オオコノハズク達がいなくなると、次はハツカネズミらジャパリホテルで働いていたフレンズ達の順番が回って来た。

 ハツカネズミは「本当に申し訳ない」と私達に頭を下げた。

 彼女はオオコノハズクとは違って私達に付いて行くつもりはないようだ。

 

 本来であれば、事情に通じている自分こそが事態の収拾に動かなければならないのに、それでも自分は今の仲間達と一緒にいたい、とハツカネズミは言ったのだ。

 ジャパリホテルが崩壊してしまった今、せめて代わりとなる新しい場所が見つけられるまでは仲間達を助けたいと。

 

 オオミミギツネ、ハブ、ブタ・・・・・・ジャパリホテルでハツカネズミと働いていた彼女たちは、記憶を取り戻したハツカネズミの素性に驚きを隠せていない様子だった。

 だがそれだけだ。ハツカネズミが過去に何者であったとしても、今は自分たちの仲間であることには変わりない、と3人は言ってくれた。

 

 もちろん私としては、ハツカネズミが一緒に来てくれるんなら大助かりなことは間違いない。

 でも彼女の選択を悪く思ったりはしない。それどころか共感さえ覚える。過去に何があったにせよ、彼女は今の自分に大切なことを精一杯やろうとしているんだ。私もそういう気持ちでともえ達と旅をしたい・・・・・・

 行く道は違っても、私とハツカネズミは同志だ。

 

 ここに住んでいたリャマも、元ジャパリホテル組について行くことに決めたようだ。

 メリノヒツジに建物を半壊させられたからレストランを続けるのは難しいし、色々と恐ろしい光景を目にしてしまった今となっては、1人で暮らすのは不安だから・・・・・・と言うのが理由だ。

 

 リャマの申し出をジャパリホテル組は快く受け入れた。

 ここいらでは彼女が料理人として評判が高い事は知られていたので、シェフとして新しい「ホテル」を盛り立ててくれるに違いないと言う。

 

 彼女たちはこれからジャパリホテルに代わる場所を探して旅に出ることになる。

 そんな場所など容易には見つからないと思われたが、意外なことに候補地はすぐに見つかった。

 

 話はジャパリホテルでの一件よりも前に遡る。

 ともえとイエイヌが2人で旅をしていた頃、とあるホッカイエリアの砂漠地帯にて、セルリアンの大群に追われていたフレンズ達と出会うことになったという。

 その中にロードランナーもいた。

 彼女はその時プロングホーンという、彼女が姉貴分と慕うフレンズと行動を共にしていたんだ。

 彼女たちは今まで暮らしていたオアシスを突然にセルリアン達によって占拠され、這う這うの体で新しい住まいを探すことになったところだったらしい。

 

 ともえ達は彼女らと協力して砂漠を渡ることにした。

 セルリアンに追跡を受けながらも、偶然発見した大型の「トラック」を動かしたりして逃げようとしていた。

 

 ともえ達に襲い掛かってくるのはセルリアンだけではなかった。咆哮を発しながらセルリアンの集団をなぎ倒していく恐ろしい怪物が現れたのだ。

 ・・・・・・な、なんと、その怪物とは私だったという。 

 私とともえ達が出会ったのはそれが最初だったみたいだ。

 お恥ずかしいことに、当時のことは全く思いだせないのだけれども。

 

 ともえ達は私やセルリアンに追われ、途中で私にトラックを壊されたりしながらも、砂漠地帯の切れ目にあったとある洞窟に逃げ込んだ。

 そこは洞窟の中にも関わらず流れの速い川が横たわっていたんだという。

 後からわかったことだけれど、その洞窟は潮の満ち引きによって地形が変わるらしい。

 満潮時は入口が水で満たされるために侵入することさえ出来ないんだと。

 

 私はそんなこともお構いなしにともえ達を追いかけようとしたから、川に溺れて流されてその場から退場することになったようだ。

 危機から逃れたともえ達が奥へ奥へと進んで洞窟を抜けると、辺りを切り立った崖に囲まれた窪地へとたどり着いたそうだ。

 

 そこは奇妙な場所で、セルリアンもフレンズも住んではいなかったが、広々とした土地に多くの植物が実り、豊かな川が流れる実に住み心地の良さそうな土地だったそうだ。

 ともえはその場所を「虹の楽園」と命名した。

 窪地のすぐ向こうに見える岩山から時おり勢いよく水が噴出して、その飛沫が太陽に照らされて虹を作るから、というのがその理由だ。

 

 偶然にも見つけた楽園だったが、旅の途中だったともえ達は先を急ぐことにした。そしてロードランナーもそんなともえ達にがぜん意気投合し、一緒について行くことに決めたんだと。

 

 プロングホーンや他の数人のフレンズはそのまま虹の楽園に残ることに決めたらしい。

 が、しかし彼女は、こんな良い土地を自分達だけで独占するのは良くない、とも考えたようだ。

 そこで楽園を拠点にしつつも、近くで自分達と同じように住処を追われたフレンズを探して保護する活動を始めたらしい。

 

 そして旅立つともえ達にもお願い事をしたそうだ。

「これから先、住処に困っているフレンズがいたら、この場所のことを紹介してくれ」と。

 ・・・・・・なるほど。話を聞いただけでわかる。プロングホーンは実に見上げた心意気を持ったフレンズのようだ。ロードランナーが慕ってやまないのも頷ける。

 

 ロードランナーが旅に出た理由。それは見聞を深めて自分を成長させるためだと言う。

 どうやらロードランナーは、プロングホーンを尊敬する一方で、自分のことを彼女に甘えてばかりの未熟者だと常々思っていたようだ。

 だから、いつか旅を終えたらプロングホーンの元に帰り、自分が成長した姿を見せて彼女に褒めてもらいたいんだと言う。

 ・・・・・・その時が来たら、私もロードランナーと一緒にプロングホーンに会いに行こう。

 砂漠地帯で危険な目に遭わせてしまったことを彼女に詫びなきゃいけないし。

 

 かくしてハツカネズミ達の旅の目的地が定まった。

 プロングホーンが取り仕切る虹の楽園へ行き、そこでジャパリホテルに代わる新しいホテルを作り上げる・・・・・・それが今の彼女たちの夢だ。

 

 ともえは出発しようとしたハツカネズミ達にある贈り物をした。

 彼女たちが迷わないようにと、虹の楽園の手がかりになる「スケッチ」を何枚か手渡したんだ。

 ジャパリパークを上から俯瞰した「地図」や、虹の楽園の目印である「地表から噴出した水が虹をつくる様子」を描いた絵なんかがあった。

 

 ・・・・・・絵のことはてんでわからないけれど、ともえの絵が物凄く上手いことだけはわかった。

 噴き出す水の勢いがありありと感じられるし、白黒のスケッチなのにも関わらず、色鮮やかな虹の色合いすら脳裏に浮かんだ。まるで現物を見ているようだった。

 ハツカネズミはその絵を見るなり「ここは間欠泉のようですね」と、描かれている風景について理解したようだ。

 

 素敵な贈り物を受け取ったハツカネズミもまた、手厚いお礼を私達にしてくれた。

 メリノヒツジとの戦いで破壊されてしまったラッキービーストの「ラモリ」についてだ。

 彼女はラモリの残骸を旅に持っていき、落ち着いたら修理に取りかかるつもりだという。

 何となくだが自分にならラモリを直せる気がするとのことだ。今すぐは無理でも、きっといつか元通りにしてみせると。

 

 さらに彼女はラモリの残骸の中からとあるパーツを取り出し、それをともえに託した。

 ラモリのボディのちょうど腹部あたりにあったレンズ状のパーツだ。

 ハツカネズミがちゃっちゃと弄くるとレンズに明かりが灯り、そしてそこから機械的な声が聴こえてきたのだ。

 

 ・・・・・・私はその声を聞くのは初めてだったが、ともえ達の喜びようときたらなかった。

 どうやらそのレンズはラッキービーストの「頭脳」にあたる部分であり、レンズだけの状態になっても機能するようだった。

 ともえ達の大事な仲間ラモリは生きていたんだ。そしてこれからは私の仲間でもある。

 

 さらに、レンズは通信機としての機能もあるようだ。

 何か困ったことがあったらいつでも連絡して欲しい、とハツカネズミは言った。彼女の知識によるバックアップが得られるなら百人力だ。

 

 ・・・・・・だが、何でもかんでも教えるわけにはいかない、と最後に彼女は申し訳なさそうな表情で切り出した。

 何の話かって言うと、ともえとイエイヌの素性についてだ。

 ともえが「アニムス」であり、イエイヌが「ハイブリッド」であることは、すでにメリノヒツジから告げられている。

 それらの単語の意味について、勿論ハツカネズミは答えることが出来る。

 ・・・・・・しかし自分の口から話すのはどうしても遠慮させて欲しいと言うのだ。

 

 歯に衣着せぬ性格のロードランナーからは「隠し事なんかするな」と批判の声が上がったが、ハツカネズミの言い分としては、2人の出生に関する大事な話になるから、誰かから教えてもらうよりも、自分の意思で事の真相を知りに行くのが一番だということであった。

 それに彼女が知っているのは単語の意味だけであり、実際に2人の生い立ちがどのようなものであるかはもちろん知らない。

 そんな不十分な情報などを知ってもかえって足枷になるだけだと。

 ・・・・・・ともえとイエイヌは不安そうな表情で逡巡しながらもハツカネズミの意見を尊重した。

 

 名残惜しい空気の中、やがてハツカネズミ達は旅立って行った。

 リャマは私の傷が癒えるまでこのレストランを好きに使ってくれていいと言ってくれた。

 食料も十分に残していくから食べて栄養を付けてほしいと。

 残された私たちは、彼女たちの無事を願いながら、しばしの休息を迎えることになった。

 いつかこの旅が終わったら、必ずみんなで「虹の楽園」に行こう。

 ハツカネズミ達がそこでどんなに素敵なホテルを建ててくれるのか今から楽しみだ。

  

 

「・・・・・・この先、どうなるんだろう」

 今までの出来事を4人で振り返っていると、ともえが思いついたように呟いた。

 緑と赤の瞳を不安そうにしばたたかせると、自らの手首に身に着けたラモリに視線を落とす。

 

「トモエ ダイジョウブ カ」

「だ、大丈夫だよ」

 

 レンズの中のラモリが光を明滅させながら気遣うも、ともえは不器用な返事をするばかりだ。 

 見かけ上は平気そうに振る舞っているけれど、本当のところはやっぱり相当に気落ちしてしまっているんだと思う。

 ・・・・・・無理もないだろう。己の過去についての手がかりは謎のキーワード「アニムス」だけで、後は何にもわからないんだもの。

 ハツカネズミがそのことについて黙秘したい意図もわかるけど、ともえにしてみれば宙ぶらりんの状態だ。

 

「わふ、ともえさん、1人で悩まないでください」

「そーだぜ! オレ様達が力を合わせれば怖いもんなんかねーさ! それに、きっとこの先も色んなフレンズが助けてくれるにちげーねー!」

「ありがとう、そうだよね」

 

 ともえはイエイヌとロードランナーに励まされて表情を明るくしていた。

 彼女たちはこれまでもこうやって互いに励まし合って旅をしてきたんだろう。何というか、仲間って感じがしていいな・・・・・・

 

「なあ、みんな」

________スッ

 いい気分になった私は、おもむろに握り拳をともえ達に向けて掲げた。

 拳と拳を合わせる仲間同士の挨拶がやりたかったからだ。これをやると仲間意識が高まる。

 しかし3人ともこのハンドサインのことは知らなかったらしく、ポカンとした顔で首をかしげてしまった。

 

「アムールトラ、何やってんだー?」

「つ、つまりだな、これは挨拶の一種で・・・・・・みんなでがんばろうって、拳を合わせるんだ」

「え? 知らねー。それってどーいう意味なんだ?」

 

 例によってざっくばらんなロードランナーに詰め寄られて、思わず取り乱してしまう私だった。

 どういう意味と聞かれても、このハンドサインのことはいつどこで知ったのかわからないし、みんな知ってるのが当たり前だと思ってたから説明なんか出来っこない。

 ・・・・・・それと、私はどうやら自分で思っているよりも口下手みたいだ。

 ちょっと前まで喋れなかった後遺症なのか、それとも元々からしてこういう感じだったのかわからないけれど。

 

「クスッ、あははっ・・・・・・アムールトラさんって、意外にトボけた所があるんだね! でもいいじゃない! やろうよそれ」

 

 私がどぎまぎしていると、ともえが不意に笑い出し同意してくれた。

 さっそく彼女が私に応じて握り拳をかかげると、それを見てイエイヌもロードランナーも真似するようにおずおずと倣った。

 

________コツンッ

 4人で輪になって拳を重ね合う。

 これがやりたかったと感激している私を見て、ともえとイエイヌは楽しそうに笑い、ロードランナーも「なんかいいじゃん」と満更でもなさそうだった。

 

 その後私達は、誰が言い出すまでもなく旅の準備を始めた。

 ここで私はまたも驚かされることになった。

 ともえがいつも肩にかけているショルダーバッグについてだ。

 一見して何の変哲もないバッグにしか見えないけれど、明らかに普通じゃなかった。

 

 理由はよくわからないけれど、バッグの中には物がいくらでも入るんだ。

 ともえのお絵描き帳や、ロープや松明等の道具だったり、ジャパリまんやその他の食料、イエイヌが使う調理器具なんかが無尽蔵に収められている。

 それでいてバッグの見た目は何も入っていないようにペラペラで、持っても全然重くない。

 

「え、ええっ、何だこれ!? こんなバカなことが・・・・・・?」

 呆気に取られたままショルダーバッグを上げ下げしていると「もう返してってば」と、ともえがそれをひったくる。

 細かいことはどうでもいいじゃないと言うのだ・・・・・・まあ持ち主の彼女がそう思ってるんだったらそれでいいか。

 ともかくこんなすごい道具があるなら、旅の備えは十分だ。

 それに、どこで寝泊りすることになってもイエイヌの美味しい料理が味わえるってことなんだからよろこばしい。

 

 4人でレストランの扉をくぐると、これ以上ないぐらい澄み切った青空と、豊かな木々が生い茂る森が広がっていた。

 ジャパリパークとはこんなに綺麗だったのか・・・・・・と、自分が知っているはずの景色とは別物のように見えて不思議な気持ちになった。

 

 さあ行こう。素晴らしい仲間達と共に、この広く美しい世界を旅しよう。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「ロードランナー」
自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________The Power of Next (野生解放の先にある力)

「レガーロ・アモーレ」
使用者:イエイヌ
概要:イエイヌがまごころを込めて料理を作ることで発現する能力。食材が持つ栄養以上の特別な回復効果が料理に宿り、口にした者の傷をたちどころに癒し、心身の疲労を取り除く。
 ただし致命傷や不治の病、また根本的な体質を治すことは不可能である。
 イエイヌ本人は自分が野生開放を使えることも忘れてしまっているが、この能力だけは無意識に発現し続けている。
 周囲からは「イエイヌの料理は美味しい」としか認識されないため、能力の存在は彼女自身を含めて誰も知らない。
 料理の出来はあくまでイエイヌの才能と努力によるもので、能力が影響しているわけではない。フレンズが忘却するのはエピソード記憶だけで、技能記憶は半永久的に保持されることの一例とも言える。

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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現代編18「いつかのふたり」


 長ァ!


_______ザザ・・・ザザ・・・

 

 リャマのレストランを出た私たちは、海をわたる船を求めて旅を続けていた。

 海岸沿いの道をひたすらに歩いていると時間を忘れそうになる。

 視界の半分を埋めつくす海は穏やかにどこまでも開けていて、空に浮かぶ太陽以外に時間の経過を知らせる物はない。

 

 もう数日ぐらい経ったかな。

 ともえ達は最初の頃こそ海を見て瞳を輝かせていたが、今はもう目もくれず、ただひたすらに目的地にたどり着きたいと前ばかりを見るようになっていた。

 ・・・・・・私はというと、真剣そのものの彼女達には悪いが。べつだん焦ることもなく、呑気な気持ちで行脚に臨んでいた。

 包帯も取れたし体調は万全だ。ここのところセルリアンと遭遇することもないし、ただ歩き続けるっていうのも良いもんだ。景色もいいし。

 

 私たちが向かっているのは「ポート・オータル」とかいう、この辺りでは最も知られた港だった。そこで船を所有するフレンズを見つけ、その子に頼んで海に出る予定だ。

 旅の目的地が変わったことで、道のりも当初の予定と大きく変わることになった。

 

 ともえ達は当初、ここホッカイエリアからホンシュウ東端にあるホートクエリアへと渡り、陸続きのセントラルパークへと向かおうとしていた。だが今は、ヒトのフレンズ「かばん」に会うために、ホートクではなくゴコクへと向かっている。

 

 ともえに見せてもらった地図によると、ジャパリパークは大きないくつかの島が楕円形に並んだような様相を呈している。

 ほかのエリアと比べて倍以上にも広大なホンシュウ大陸が、世界の上半分を占めるように東から西にかけてまたがっている。

 大陸のちょうど真ん中のあたりに当初の旅の目的地セントラルパークがあった。セントラルというのは古代の言語で「中央」という意味だそうで、まさに名前通りの位置取りだ。

 

 一方で世界の下半分はいくつかの島の連なりで形成されている。

 ここホッカイは東の海にあり、中ほどにはリウキウやアクシマという島があり、西の海にはオオコノハズクが待つキョウシュウ・・・・・・そして目的地のゴコクがある。

 西の最果てにあるゴコクに向かうには、本当だったら来た道を逆戻りするようにホッカイエリアを横断して、西端の岸に出なければならなかった。

 

 だがそんなことをしてたんじゃ、時間がいくらかかるかわからない。だから私たちは船を利用して、いくつかの港を中継して外洋に出ようとしていた。

 ともえの地図とラモリさんの”ナビゲーション”機能を使って導き出した計画だ。

 問題はポート・オータルにて、外洋に出られるようなちゃんとした船と、それを操ることの出来るフレンズを見つけられるかどうかだけれども・・・・・・まあこればっかりは現地に赴いてみなければ何とも言えないだろう。

 

「ちょっとここいらで休憩しよーぜ。足がだるいし水が飲みてーよ、なんか暑くなってきたし」

「だーめ。もうちょっと頑張ってくださいよ」

 

 ロードランナーがぐずり出し、それをイエイヌがたしなめる。

 暑くなってきたのは確かに同意する。気候が寒冷なところが多いホッカイにおいて、海風が吹き付ける海岸沿いはひときわ肌寒かったはずなのに、今やジリジリと照りつける陽射しが肌を焼き、歩いているだけで汗が滴ってくる。

 

「キコウ クブン ガ アカンタイ カラ アネッタイ ニ ヘンカ・・・・・・」

「な、何だ? ラモリさんは何て言ってるんだ?」

「あのねアムールトラさん、ちょっと歩いただけで暑くなったり寒くなったり、砂漠になったり森になったりするのは、ジャパリパークではよくあることなんだってさ」

 

 ともえの手首に付けられたラモリさんが発する謎の文言を、彼女自身が解説してくれる。

 色んなフレンズが住みよい環境を用意するために、ジャパリパークではしばしばこういう気候変化が起きるんだと。

 なんでも、サンドスターの働きにより、完全に分断された個別の環境っていうのを構築しているためだそうだ。よくわからないけれど。

 

 気候が変われば自然もそれに合わせて変化する。

 そういえば、海岸沿いの景色もだいぶ違ってきているな。

 昨日までは波が打ち付ける岩場とか、崖っぷちから張り出した細い道とかを歩いていたけれど、今いる場所は黄金色に輝く砂浜だ。

 海の色も寒々しい濃紺ではなく、淡いエメラルドグリーンだった。たった一晩で違う土地に迷い込んでしまったような気さえする。

 

「アムールトラさんやイエイヌちゃんは寒い土地に適した生き物で、ロードランナーちゃんは砂漠に適した生き物なんだよ」

「へぇ、寒い土地か」

「・・・・・・ともえさんの言う通り、ロードランナーさんは砂漠の生き物なんだから、ちょっとの喉の渇きぐらい我慢してくださいね」

 

 イエイヌはともえの解説に乗っかる形でロードランナーへのお説教を続けている。なかなか手厳しい・・・・・・

 旅の仲間たちにおいては水と食料の管理はイエイヌが一手に担っており、その分野においては彼女の言うことは絶対だ。

 

 水はともえの「異次元ショルダーバッグ」に十分な量が貯蔵されているけれども、イエイヌなりに使いどころをキッチリ決めているから無駄遣いは許さないと言ったところだろう。

 ・・・・・・まあ、私のせいもあるかもな。

 イエイヌの手料理を食べだしてから体調が良くなったことを彼女に話した。それ以来彼女は私を「飢えさせない」ことに使命感を燃やし始めたんだ。

 何といっても料理には水が必要だからって、今まで以上に水の管理には神経を使うようになったようだ。

 フレンズは水とジャパリまんさえあれば基本的に問題なく生きられるけれど、私はそうも行かないからな・・・・・・

 

 理由はそれだけじゃなくて、旅を続ける以上はジャパリまんをなるべく温存したいという考えもあるようだ。

 食事は出来るだけジャパリまん以外で済ませたいんだと。

 この世界において、ジャパリまんは主食であるだけでなく通貨でもある。何かを他のフレンズから手に入れたい時には、相応のジャパリまんを渡すのがルールだ。

 物を手に入れるだけじゃなく、何かの仕事の対価としてもジャパリまんが必要だ。

 ・・・・・・それこそ、これから船に乗せてもらうことを依頼するフレンズにだって支払わなきゃいけないもんな。

 

「ふーんだ! イエイヌのドケチ! いじわる!」

「わ、わふっ! そんなこと言って!」

 

 ロードランナーが不平を漏らしながら小走りに砂浜を走り出す。向かう先には、団扇みたいな大きな葉を広げる一本の木が生えていた。

 ふくれた表情の彼女が、両手を頭の後ろで組んだまま、木の幹に向かって体を預けるように勢いよく持たれかかった。

_______ポロッ・・・・・・ドスンッ!

 が、その瞬間、フレンズの頭ほどはあろう物体が木の上からこぼれ、ロードランナーの頭上めがけて落ちてきた。

「う、うげーっ!?」

 すんでのところで気づいたロードランナーが驚いて飛びのく。そして青ざめた顔で落下物をしげしげと眺めた。

 

「ちょっとロードランナーちゃん、大丈夫!?」

「な、な、なんで木の上から岩が落ちてくんだよ! ふざけんなー!」

「ヤシモク ヤシカ ココヤシ。ネッタイ ヲ チュウシン ニ ヒロク ブンプ スル・・・・・・」

 

 ラモリさんが目の前の木の解説をしてくれる。例によって難しい言葉はわからないけれど「ヤシ」という種類であることはわかった。

 ロードランナーめがけて落ちてきた物体には、木の幹に類似した葉脈が走っている。どうやら岩ではなく、この木になっていた実のようだ。

「うーん・・・・・・」

 ヤシの木や実を眺めていると、なんだか脳裏がむずがゆくなってくる。何かを思い出しそうな。

 

_______ブスッ

 記憶に従うまま、硬い実の表皮に指で穴を開けてみる。すると穴の中からは白く濁った液体がこぼれ出てきた。やっぱり思った通りだ。

 

「ロードランナー、これを飲んでみろ」

 そう言いながら、先ほどから喉の渇きを訴えている彼女にヤシの実を手渡す。

 ポカンとした表情でそれを眺める彼女だったが、やがて恐る恐る顔を近づけて、実からこぼれ出る汁を啜り始めた。

 

「へー、こいつは果物なのかよ? さっぱりと甘くて・・・・・・なかなかうめーじゃねーか」

「そうだろ。ヤシの実は美味いんだ」

 喉が潤ったことでロードランナーはすっかり上機嫌になっている。

 ヤシの実を人数分入手して、皆で飲みながら移動を再開することになった。

 

「もしかしてアムールトラさんって、寒いところじゃなくて、海沿いの暑いところに住んでたりしたのかな?」

「どうだかな・・・・・・でも海は大好きだ。ずっと見ていられる」

 

 ともえの言う通りなのかもしれないな。波の音も、太陽に照らされてきらめく水面も、すべてが私を心地よくさせる。

 かつての私が、消え去った遠い記憶の彼方で、海を愛おしく思っていたのは確かだろう。

 ヤシの実が美味いとか、そういうどうでもいい事ばっかり思い出すのに、肝心の生い立ちのことは思い出せないんだから空しいものだ。

 

「あ、ごめん」

 ともえが不意に謝ってくる。昔のことを聞いたことに対してだ。

 もちろん悪気はないのだろうけど、最近の私達はその手の話題に対してナイーブになりやすい。

 他ならぬともえが一番そう言う状態だった。けれどもやっぱり関心はあるので、気が付くと話題にしてしまったりするんだよな。

 

 ともえの肩を叩き「気にするな」と励ましてから、気を取り直してポート・オータルを目指すことにした。

「おー? 誰かいるぜ?」

「わふっ、本当ですね。話を聞いてみましょう」

 

_______パシャアンッ

 変わらずに広がる砂浜を歩いていると、一人のフレンズの姿が見えた。

 その子は両手に網を持っていて、それを海に向かって放り投げている。空中でふわっと広がった網が着水すると、彼女はそれを再び手元に手繰り寄せた。

 袋状に閉じた網の中には、びちゃびちゃと水音を立てながら跳ねる無数の生き物がいて・・・・・・

 

「こんちはー! 何してんの?」

「あれー、こんずは」

 もう何度か見た光景だ。旅先でフレンズと出くわすと、決まってロードランナーが元気よく突っこんでいく。

 彼女にちょっと遅れてから自己紹介するのが恒例だ。

 

 私がビーストだったことが誰かに看破されてしまわないかが心配だったけれど、意外とそういうことは起こらないものだった。

 その理由について、ともえがいくつか推測してくれた。

 ビーストだった時の私の目立った特徴といえば、常時狂ったような唸り声を発していたことと、体じゅうから黒い炎を吹き上げていたことだ。

  

 世間のフレンズは、唸り声を聞くか、炎を見るかした途端にビーストの存在に気づき、身を守るために逃げてしまうらしい。

 その二つだけがビーストを表すシンボルとして広く認知されているからだ・・・・・・逆に、それ以外の私の身体的特徴について詳しく知るものは、思ったよりもいないんじゃないかと言うのだ。

 

 普通に振る舞ってさえいれば、ビーストではなく、ただの”アムールトラのフレンズ”としてしか認識されないはずだと。

 私はともえのその推測を聞いてとても安心した・・・・・・何といっても、私と一緒にいることでともえ達に迷惑をかけてしまうんじゃないかというのが一番の不安だったからだ。

 

「ふんふん、ともえにイエイヌ、ロードランナーにアムールトラね。まんずはあ賑やかなご一行さんだべな」

 

 喋り方に特徴のあるその子は名をミナミオットセイといって、この辺りに住んでいる海獣のフレンズのようだ。

 私たちはポート・オータルのことや船を持っているフレンズがいないかを聞くことにした。

 

「船? わし、持っとんべよ」

「あ、本当じゃねーか」

 

 ちょっと離れた所にミナミオットセイの所有物である小船が横たわっていた。

 彼女は網を手にしたまま船に近づくと、舟床に網の中身をぶちまけた。

 中からは銀色に光る小魚や二枚貝・・・・・・そして見たこともない不気味な生き物がいた。左右一対のハサミと長い数本の足を生やした、ゴツゴツとした体の虫みたいなそれは・・・・・・

 

「げげっ、それってまさかセルリアンかよー!?」

「セルリアン? おめ、なーにはんかくさいことゆっとんの? こりゃカニだべ。知らんのけ?」

 

 なるほど、カニというのか。ぱっと見の無機質さが少しセルリアンっぽいけれど、よく見たら頭の部分につぶらな瞳が二つある。

 単眼のセルリアンとは似ても似つかないだろう。

 海の中には想像しているよりもずっと多様な姿の生き物がいるようだ。

 

「もしかしてそれ、食べるんですか?」とイエイヌがおずおずと聞く。

 するとミナミオットセイは当然とばかりにうなずいた。

 

 生き物を食べるのは一般にこの世界では良くないこととされている。

 ・・・・・・が、昆虫と魚介類はサンドスターの影響を受けないために、古代から姿が変化しない生き物の一群ということで、フレンズとはまったく別物であると考えられている。

 だから食べることが絶対にNGというわけでもないんだと。

 このミナミオットセイのような海暮らしのフレンズの間では、魚介類を獲って食べたり売ったりする文化が少しずつ広がっているようだ。

 そうすればジャパリまんを食べずに貯めて財を築くことも出来るし。

 

「売ってやろか? 魚もカニもでっれえうめえべし」

「・・・・・・わふ、そうですね」

 

 ミナミオットセイから取引を持ち掛けられて、イエイヌがまんざらでもない様子でうなずく。そして私のほうをチラリと見やった。

 いつもながらイエイヌは私を飢えさせないために、ジャパリまん以外の食糧の確保に躍起になっている。

 これから船旅が始まることを考えると、今までのように野菜や果物を手に入れることが難しくなるかもしれない。

 だからちょっと抵抗はあるけれど、魚介類を食べることを検討してもいいんじゃないか・・・・・・と、おそらく彼女はそんなことを考えているんだろう。

 

「ねえねえ、それよりもミナミオットセイさんにお願いがあるんだけどさ」

 

 ともえが話を本筋に引き戻す。

 自分たちは海を渡りたいんだということを。

 ミナミオットセイの持つ数人乗りの小船では、海を渡ることは厳しいと思うが、ポート・オータルまで自分たちを連れて行ってくれないかとお願いしたのだった。

 べつだん難しいお願いではないと思うが、ミナミオットセイからは「したってね・・・・・・」と、何やら歯切れの悪い回答が返ってきた。

 

「もしかして、何か問題があるの?」

「最近、海がまっず荒れてんだ。魔物が出んだべ」

「ま、魔物?」

 

 ミナミオットセイが言うには、最近ここいらの海にて謎の怪現象が相次いでいるんだという。

 フレンズが船を出すと決まって海上に竜巻が起こるらしいのだ。

 どんなに晴天で波風の穏やかな状況であっても、たちまちに暗雲が立ち込め、天にまで達する巨大な渦が発生すると。

 

 あまりにも局地的に頻発する竜巻は、どう考えても自然のものとは考えづらい。竜巻が意思を持って動いているとしか思えないのだと。

 程なくして、その竜巻は誰が言い出すでもなく「海の魔物」と呼ばれるようになった。

 魔物のせいで、今やポート・オータルでは船を出すことが全面的に取り止めになってしまっているという。

 ミナミオットセイも前までは小船を使って沖で漁をしたり、近くの港まで渡しの仕事をしていたりしたらしいが、最近は浜辺で魚を獲ったりすることしか出来てないようだ。

 

「セルリアンか・・・・・・?」

「それもわがんねえんだべ」

 

 話を聞く限りではセルリアンが絡んでいるとしか思えない。

 メリノヒツジ配下の残党が操っているのか、はたまた野生の個体なのかどうかは知らないが、ジャパリパーク中でセルリアンが狂暴化してしまった昨今では、行く先々で私たちに立ちはだかってくると考えていいだろう。

 

 現時点では情報は乏しかった。少なくともミナミオットセイや彼女の仲間内では、セルリアンらしい姿を目撃した者はいないようだ。

 ・・・・・・困ったことになったものだ。ともかく、謎の「魔物」を何とかしない限り、私たちも海に出ることが出来ないことだけは確かだろう。

 

_______ザザ・・・

「おお? ありゃ何だ?」

 ロードランナーが素っ頓狂な声をあげながら海の向こうを指さす。

 水平線の向こうから荒波をかき分けてやってくるそれを見て、その場にいる全員が息を飲むことになった。

 剣のように突き出た首。流線型のスマートな体からは三本の柱が立ち、それにロープで縫いつけられた無数の布が風を受けて、まるで翼のように広がっている・・・・・・その様は優雅であり、それでいて勇壮だ。

 

「はえーったまげた! まんずはあ見ン事な船だべ!」

 ミナミオットセイが感心しながら解説してくれる。

 あれは帆船だと言うのだ。自分が持っているようなちっぽけな小船と違って、あれは正しく広い海を渡るための大型船であると。

 ・・・・・・ということは、そのものずばり、今の私達が求めているような船だ。

 

 誰もが船の雄姿に目を輝かせる中で、ともえが「ちょっと待ってよ」と我に帰った。

 話が矛盾しているじゃないと言うのだ。海の魔物がいるから誰も船を出せないという話だったのに、どうしてあの船は普通に航行しているんだと。

 

「よ、よそもんだからこの辺のことに詳しくねーんじゃねーのか?」

「うんにゃ、そったらことだば、ありえねえべ!」

 

 ロードランナーが発した疑問をミナミオットセイが否定する。

 船乗り達の間では常日頃から、陸暮らしのフレンズ達では想像も付かないほどに密な情報共有が行われているという。

 特に命に関わることだったらなおさらだ。

 だから海の魔物のことはホッカイエリアだけに留まらず、他の土地のあまたの船乗りの耳に入っていてもおかしくないほどの話なんだと。

 

 ・・・・・・だが、だとしたらやっぱりおかしい。

 例の帆船を航行させているフレンズが何者かは知らないが、魔物の噂を知っている様子が見られない。

 いまここで何が起きているかも知らずに、危険地帯の海をずかずかと渡ろうとしている。という図にしか見えないんだ。

 

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 嫌な予感がした頃にはもう遅かった。

 局地的に天候が変わりだした。私達がいる砂浜には変わらず眩い陽射しが降り注いでいるというのに、海の向こうの帆船の周りにだけ、黒々とした不気味な雷雲が立ち込めているんだ。

 

「ひ、ひえーーっ! 魔物だ! 魔物が出たべ!」

(・・・・・・あれが、そうか)

 雲の中心がすり鉢状に凹むと、そこから触手のように細い雲が海面めがけて伸びていく・・・・・・やがてそれが海面に到達すると、海水があっという間に巻き上げられ、見るだに恐ろしい巨大な竜巻と化していった。

 一見すると自然災害そのものだ。フレンズにはどうすることも出来ないスケールの現象にしか見えない。

 

 竜巻の発生によって海が荒れ狂い、うず潮が引き起こされた。

 例の帆船はめちゃくちゃに船体を揺らしながらも、ぎりぎりの所で渦に巻き込まれないように踏ん張って進み続けているように見える。

 ・・・・・・しかしあの状態でいつまで持ちこたえられるだろうか。

 

「みんな」と、ともえ達に呼びかける。

 たがいに視線を交わすと、私達は誰からともなく頷きあった。みんなも私と同じことを考えているみたいだ。だったら善は急げだ。

 

「ミナミオットセイさん、お願いがあるの。この船をわたし達に貸して」

 と、私達を代表してともえが彼女に声をかけた。

 そして旅の目的をかいつまんで打ち明ける。最近のセルリアンの狂暴化には原因があることを、自分たちはそれを何とかするために旅をしているんだと言うことを。

 目の前で命の危険に晒されているフレンズがいるのなら助け出したいんだと。

 

 ミナミオットセイはそれを聞いて、何を馬鹿なことを、と言わんばかりに反対をしてきた。

 竜巻を止める方法なんかないし、下手に近づいたらこっちまで命の危険があると・・・・・・

 まあ頭から尻尾までその通りの正論だと思うけれど、それでも私達は行かなきゃいけないんだ。

 あれが本当に自然の竜巻だったらどうにもならないだろうが、セルリアンの仕業だったとしたら、十分やれることはあるはずだ。

 

「・・・・・・おめ達、本気だべ?」

 何とかお願いを聞いて欲しいとばかりに一心にミナミオットセイを見つめていると、ついに彼女は私達の心中を察したように黙った。

 そして次の瞬間には「わかった! こん船ば持ってけ! 返さんでええべし!」と、思いもよらぬ豪快な返事をかえしてきた。

 あと、ついでにさっき捕まえた魚やカニもタダでくれてやると。

 

「ほ、本当にいいの?」と、ともえも念を押さずにはいられない様子だったが、ミナミオットセイに二言はないようだ。

 代わりの小船は地元の仲間に頼めば手に入るし、それよりも勇気を持ってセルリアンと戦うフレンズを支援する方が大事だと言うのだ。

 ・・・・・・なんとなくだけれども、フレンズにはこういう思い切りの良い気性を持った子が多いような気がする。無茶なお願いをしてみるものだな。

 

「ありがとう!」

「けっぱれー!」

 

 応援してくれるミナミオットセイに皆でお礼を言いながら小船に乗り込む。

 舟床には二本のオールが転がっていたので、とりあえず腕力に優れた私がそれを漕ぐ役目を担うことになった。

 そして私達のなかでは比較的泳ぎが得意なイエイヌが、舳先に括り付けたロープにて船をけん引していくことになった。

 

 二つの力によって必死に船を前に進ませる。

 ・・・・・・が、やはりというか、竜巻が起こっている現場からはかなり遠い。これじゃ帆船を助けるにはとてもじゃないが間に合いそうにない。

 私の力任せなオール捌きも、海獣のそれには及ばないイエイヌの泳ぎも、荒れ狂う波間をかき分けて進むには余りにも心もとない推進力と言う他はなかった。

 

_______カッッ!

 半ば祈るような気持ちでのろのろと船を動かし続ける。

 ・・・・・・そんな折、とつじょ眩い青い光が目の前を照らし出した。

 光はともえのショルダーバッグから発せられている。「オーブが!?」と、ともえがバッグを開けて中を覗き込みながら呻いた。 

 そして突然の異変に驚く私達をよそに、小船があり得ない程のスピードで前に進み始めたのだった。

 

 ともえがイエイヌに呼びかけ船上に上がらせる。

 青い光に包まれた船が、まるで大きな魚と化してしまったかのように、私達が何もしなくてもひとりでに動き続けている。

 海底に眠っていたという蒼穹のオーブ。

 それの元になったであろう四神の一角は、やはり海に関係した超能力を持ったフレンズだったのだろうか・・・・・・

 

「やべーぞ! 船が沈められちまう!」

 ロードランナーが指さすその先では、ついに例の帆船が渦潮に巻き込まれて、海面を横すべりになりながら竜巻に吸い寄せられていく様が見えた。

 立ち上る竜巻も、それから必死に逃げようとする帆船も、まだまだ距離は開いているが、段々と差し迫ってくるのがわかる。

 両者ともに砂浜から見るよりもずっと巨大で、言葉を失わされるほどの迫力があった。

 ・・・・・・それに比べて私達は、こんなちっぽけな小船で逃げるところのない大海原に漕ぎだしてきてしまって、今更ながらに無謀なことをしてしまったんだと知る。

 

 今の小船の進む速さだったら、じきに私達も竜巻に肉迫するだろう。だがそれじゃ私達は蹴散らされるだけだ。

 竜巻を引き起こしているのがセルリアンであると仮定して、何とか敵の姿を暴き、攻撃を仕掛けないことには・・・・・・

 

「お、オーブがまた何かやってくれたりとかしねーかなー! へっ、そんな都合良く行くわきゃねーか!」

「それだ・・・・・・!」

「え? アムールトラ、どうする気だよー!?」

 

 ロードランナーの軽口を聞いてひらめいた。

 私の体内にもオーブがある。海に関係した力を持つ蒼穹のオーブとは異なり、私の中の白銀のオーブは風を操る力を持っている。

 あの力を借りられれば・・・・・・巨大なセルリアンを吹き飛ばす程の突風を竜巻にぶつけることが出来れば。

 

(・・・・・・私の声が聞こえるか、ビャッコ)

 

 目を閉じて祈るように呼びかける。

 もちろん返事はない。ビャッコは私に命を分け与えたことで、今はもう口もきけないぐらいに自我が無くなってしまっているのかもしれない。

 それでも何とか頼みたい。もう一度だけ力を貸してはくれないかと。

 

_______ポウッ・・・・・・

 右手の先がジワリと熱を帯びた気がした。

 手のひらを覗き込んで観察してみると、火の粉のような白い光が零れ出ているのが見えた。

 本能でわかる。これはビャッコの力だ。私の願いを聞き届けてくれたんだ。

 ・・・・・・が、かなり弱弱しい。突風を引き起こすにはとてもじゃないが足らない。

 

 だが、待てよ。ビャッコは私に命をくれた。もはや私と彼女のサンドスターは、境い目が曖昧になるほどに混ざりあっているはず。

 であるならば、足りない分は私の力で補うことが出来ないだろうか?

 サンドスターを体内から放出する術ならば私も持っている。白い光ではなく、黒い炎として。

 

「うおおおっっ・・・・・・!!」

 意を決した私は全身に力を込め、空気を振動させるような唸り声を発した。

 私の急な動きを見るや否や、仲間達が驚き青ざめながら見つめてきた。今の私の姿は、かつて正気を失って暴れていた時とまったく重なって見えることだろう。

 

「アムールトラさん、ビーストの力を使うの!?」

「ああ、上手くいけば竜巻をかき消すことが出来るかもしれないんだ・・・・・・!」

 

_______ジャキンッ!

 高まる闘気に呼応するように私の右手が肥大化し、指先から刃物のような鉤爪が飛びだした。

 手の平から立ち上る白と黒の炎が斑状に混ざりあい、燃え盛る巨大な光球を形作っていく。

 今の私はビーストの力を解放しても正気が失われることはない。

 過去の自分自身であるビーストとはすでに和解を果たしているからだ。

 ただただひたすらに、右手に凝縮されていくエネルギーの凄まじさだけが感じられる。

 

「みんな伏せろぉぉ!」

_______ゴオオォォッッ!!

 突き出した右腕に左腕を添えてがっちりと固定すると、手の平のなかで限界まで収束させた光球を打ち放った。

 黒い稲妻を伴った突風が留まることなく放出され、海面を巻き上げながらどんどん前へと進んでいる・・・・・・が、それと同時にとてつもない反動が伝わってくる。

 これじゃ竜巻に命中させる前に私が船から投げ出されてしまいそうだ。

 どんなに踏ん張っても持ちこたえられそうにない。

 

_______ガシィッ!

「頑張ってアムールトラさん!」

「オレ様達で支えるぜ!」

「あ、ありがとう!」

 

 反動を殺しきれないでいる私をともえ達が助けてくれた。

 3人で私を囲みながら腰にしがみついて、飛ばされないように重石になってくれているのだ。

 よし、それならとことんやってやる。と、私は渾身の力を込めてエネルギーを放出し続けた。

 

_______ズッドオオオッ!

 突風がついに竜巻へと突き刺さった。直撃した部分が霧状に弾け飛んでいるのが見える。攻撃が通用しているようだ。

 私は手を動かして風の向きを変え、竜巻を広範囲に削り飛ばそうと試みた。

 あちこち食い破られた竜巻はもはや分解寸前のか細いつむじ風みたいになってしまっている。

 対してこちらが繰り出す風の勢いはなおも留まらず、辺りに立ち込めていた暗雲すらも貫通して、彼方の青空にまで達する巨大な穴を開けている。

 さすがはビャッコの力だ。このまま行けば、正体がなんであれ、竜巻を消滅させることが出来るんじゃないか?

 

 ・・・・・・が、勝利の予感に胸が弾むのもそれまでだった。

_______バッシャアンッ!

「う、うわああっ!」

 最初に耐えられなくなったのは、私達が乗っていた小船だった。

 4人がかりで押さえつけていた突風の反動を受け続けたことでついにバランスを崩し、勢いよく転覆してしまったんだ。

 

「ぶはっ! ごほっ!」

「わふ、アムールトラさん大丈夫ですか?」

 

 ひとかたまりの状態で海に投げ出された私たちは、何とかもつれあった体を解き、各々が水中でバランスを立て直してから浮上した。

 イエイヌが手を引いてくれていることがわかったので私は彼女に身を任せた。

 4人ともほぼおんなじタイミングで海面から顔を出し、裏表が逆になった船のどてっ腹へとしがみついていた。

 

 ・・・・・・海に落ちたって言うのに、みんな意外と冷静なんだな。

 だがそれも頷ける。ジャパリホテルでの一件でもこれによく似たピンチを切り抜けてきたタフな彼女達だもんな。

 

「みんな見て! 竜巻が!」

「・・・・・・す、す、すんげー!」

 

 濡れる体を小船に預けて、這う這うの体のまま、やっと目の前を見上げてみる。

 船を台無しにしてまで放った攻撃に効果はあったのか。

 答え合わせはすぐに出来た。竜巻は跡形もなく消失し、吹き荒れていた風が止んで海が静まり返っている。

 何はともあれこれで危機は去ったのか?

 

_______ヌッ・・・・・・

 安堵しそうになった矢先、こま切れになった黒雲の隙間から何者かが現れた。

 ふわふわと空に浮かぶそれは、到底生き物には見えなかった。

 細長くしなる弓のような形の巨大な柱に、無数のUの字型の欠片が規則正しく張り付いていて、何かの骨組みのような姿をしていた。

_______ヌチャ

 ・・・・・・が、弓型の柱の先端部にあたるような部位が、とつじょとして有機的な動きを見せる。

 水音を立てながら、虚無の単眼をかっ開き、海上で呆気に取られている私たちのことを見下ろしてきたのだ。

 

 海の魔物の正体はやっぱりセルリアンだったんだ。

 雲の中に潜む姿を暴くことは出来たが、倒すことは出来なかった。

 骨のような姿の奴は再び黒雲の間に隠れてしまった。

 そして雲が少しずつ纏まりを取り戻していくのが目に見える・・・・・・

 あれが完全に閉じた時、竜巻は元通りに復活してしまう気がする。そうなったらこっちはひとたまりもない。

 

「みんな、とりあえず船をもとに戻そうよ!」

「ぐううっ! 上がれ! 上がれえっ!」

 ともえの号令に従って、一斉にひっくり返った小船を表に戻そうと力を込めた・・・・・・だが船体はビクともしない。

 地上ならばこれぐらいの木材は簡単に持ち上げられるが、あいにくここは海の上。踏ん張ることが出来なければ、力をまともに発揮することは叶わない。

 

_______ゴボ、ゴボゴボ・・・・・・

 状況はさらに悪い方向に向かっていた。小船がだんだんと垂直に立ち上がり、海に沈もうとしてしまっているのだ。

 バランスを崩した船というのはこうも脆いのか。

 これじゃ帆船を助けるどころか、私達が逃げることさえもかなり危うくなってきてしまった。 

 ・・・・・・どうやらこれがこの船の最後になりそうだ。

 ミナミオットセイは「持ってけ」と言ってくれはしたものの、他人の物を台無しにしてしまうっていうのはかなり罪悪感があるもんだ。

 

 陸地まではかなり遠い。

 水難には慣れっこのともえ達とはいえ、あそこまで泳ぎ切れるだろうか?

 ロードランナーは飛べるけど、私達3人を背負って長距離を飛ぶのはさすがに無理だろうな。

 私は・・・・・・昔は泳げたような気もするが、果たして体が泳ぎを覚えているだろうか。

 

「ヨーソロー♪ 旅は道連れ世は情け、ヨーソロー♪ 一期一会の海の上、出会いと別れは数知れず、ヨーソロー♪」

「・・・・・・な、何だ? 誰か近くにいるのか?」

 

 沈んでいく小舟にしがみついていると、どこからか珍妙な歌が聴こえてきた。

 声の主を見つけようと辺りをきょろきょろと見回していると、素早い黒い影が、目にもとまらぬ速さで私たちの上に舞い降りてくるのがわかった。

 

_______ファサッッ

「きゃ! 何!?」

「うわーっ! 放せー!」

 羽音と共に現れたのは、灰色の翼と真っ白い胴体を持つ鳥のフレンズだった。

 彼女はともえとロードランナーを抱え上げて海面から勢いよく上昇してみせる。

 助けてくれるのかな? と思いきや、直後にロードランナーだけをポイっと投げ捨ててしまった。

 

「な、何すんだよー!」

「ラララ♪ 放せって言われたから~、ルルル♪ それに君は飛べるから大丈夫~」

 またもや着水しそうになったロードランナーが翼を羽ばたかせて急上昇すると、その鳥のフレンズと同じ高さにまで飛んで行って猛然と抗議する。

 しかし彼女は我関せずと言わんばかりに歌いながら受け答えをするのだった。なんだかずいぶんとおかしな子だなぁ。

 

 まるでマイペースな謎のフレンズの登場に唖然としていると、未だに海上に取り残されている私とイエイヌの真上にまた別のフレンズが下りてくる。

 彼女よりも数回りも大きな漆黒の翼を持つフレンズが、私とイエイヌを包み込みふわりと舞い上がったんだ。

 ・・・・・・この子も鳥? いやそれにしては体の特徴が他の鳥の子と違う。

 頭に小さな羽が生える鳥のフレンズと違って、この子は腰から大きな翼を生やしているもんな。

 

「危ない所を救っていただき、お礼を申し上げますわ」

「・・・・・・き、君は?」

「私はオオコウモリ。彼女はカモメ。これからあなた方を彼女の船に案内して差し上げましてよ」

「ルルル♪ ありがとー、よろしくね~、じゃあいーくよ~♪」

 

 翼を持った二人組は、どうやら例の帆船の乗組員だったようであり、私達が竜巻を退けたことで辛くも危機から逃れることが出来たらしい。

 そのお礼にと、溺れそうになっていた私達のことを船に招待してくれるそうだ。遠目から見ても壮観だった巨船に降り立ってみると、改めてその大きさや堅固な作りに驚かされる。

 これ程の船なら、ちょっとやそっとの風や波には負けずに海を渡れるだろうというのが見ただけでも実感できる。

 

 私達をデッキの上に乗せるなり、カモメは船のちょうど中央あたりまで鼻歌まじりに歩いて行った。四方を柵で囲まれたそのスペースは、広い船上にあっても侵しがたい特別な場所に思える。

 そこには突き出た太い杭があり、車輪のような形のパーツが取り付けられていた。

「・・・・・・帆を上げろ、風を切れ、お前には誰も追いつけない♪」

 歌うカモメが車輪を握りしめた途端、ふざけた態度はそのままに、何やら得体の知れない迫力のような物がにじみ出てくるのがわかった。

 

「後はカモメに任せておけば安全に陸に戻れましてよ。それまで船内でくつろいてください。中にいるフレンズは皆親切ですわよ」

 

 例のオオコウモリがそう言いながらデッキの後方を指さす。

 小高く盛り上がった段になっているその場所には、中に入っていくための扉が見える。

 何人かは知らないがこの子たち以外にもフレンズが乗り込んでいるようだ。

 

 カモメはこの船の船長であり、今から全速力で航行して竜巻を撒こうとしているようだ。

 後ろの空を見やると、やはりというか、私が突風でこじ開けた大穴は完全に塞がり、黒雲が色濃く立ち込めている。

 とどろく雷鳴はまるで敵対心と怒りのあらわれのようだ。

 

「わふっ! あの竜巻の正体はセルリアンなんです! 逃げても追いかけてきますよ!?」

「近頃この海域はヤバいって他の船乗りから聞いてなかったのかよー!」

 

 イエイヌとロードランナーが昂然と反論すると、オオコウモリも困ったように首を振った。

 オオコウモリいわく、カモメはあの言動以上に変わり者のフレンズであるようだ。

 船乗りなら常識である情報収集もろくに行わず、ただただ自分の経験と勘を頼りに船を動かすことを信条としているのだという。

 それが出来るだけの超一流の操船技術もあるらしいが。

 

「けれども、この船ならきっと大丈夫ですわよ。ではまた後で」

 オオコウモリは二人の意見には取り合わず会話を打ち切った。

 どういう訳か根拠のない自信に満ちている。それだけカモメの腕前を信頼しているんだろうか。

 彼女は翼を広げて飛び上がると、帆を巡らせる柱のてっぺん近くにある見張り台へと向かっていった。あそこが持ち場ってわけか。

「・・・・・・あなた、とってもお強いようね」

 その最中、彼女は空中で一度だけこちらを振り返って微笑み、私に向かってそんなことを言い捨てていった。

 

 呆気に取られている私達をよそに船が動き出す。

 帆先はホッカイエリアの陸地へと向いているが、見えるのは切り立った岸壁や山々ばっかりだ。

 船のスピードは中々のもので、みるみるうちに陸地が近くなってくるのがわかる。

 一見して船を泊められるような場所なんて見当たらず、ただ行き止まりが待っているようにしか見えないが・・・・・・あのカモメというフレンズは何をする気なんだろう。

 

 船内に入るようには言われたが、この状況で素直に従う気にはなれない。

 もう一度ビャッコの風を起こしてみようかと一応提案してみたが、やめたほうがいいとみんなに止められた。

 手元が狂えばこの船を破壊しかねないし、そうでなくても反動が強すぎて航行の邪魔になってしまうからだ。

 

 それに、私がビーストの力を解放している姿を他のフレンズに見られたら、余計なトラブルの元にもなりかねないだろう。

 少なくともあのオオコウモリとカモメはその場面を見ているはずだったが、それに対するリアクションが何もないのが気がかりだ。

 遠方に住んでいるフレンズならそもそもビーストのことを知らない可能性もあるけれど・・・・・・

 

_______ビュオオオッッ!

 とにもかくにも私達は状況を静観することにした。

 海上では吹きすさぶ風の勢いが一段と増し、背後を見やると竜巻がふたたび復活を遂げていた。

 竜巻の根っこにあたる黒雲は、周りの他の雲とは明らかに異なり海面スレスレの高さに密集し始めており、みるからに不自然極まりない挙動で帆船を追いかけて来ている。

 もはや正体がセルリアンであることを隠すことすらやめたような有様だった。完全にこの船に目標を定めているんだ・・・・・・奴は何故あんなに船にばかり執着しているんだろう。

 

 ・・・・・・が、今度は船が追いつかれることはなかった。

 むしろ距離が開いている。竜巻がこちらを追いかければ追いかけるほど、船の勢いが明らかに増しているんだ。

 これがこの船の本来の力? それともカモメの腕前がなせる技なのか?

「ヨーソロー♪ 稲妻を引き裂け、ほうき星を追い越せ、海のかなたへまっしぐら~♪」

 船の勢いが増すと共にカモメの歌声にどんどん熱がこもっていくのがわかる。

 どうも彼女はちょっとスピード狂いな所があるみたいだな。

 

 追いつかれないのは良いんだけど、この船、このままじゃ岸壁と正面衝突するんでは?

「うわあーバカぁ! 止まれ! 船を止めやがれ!」とロードランナーが怒鳴り散らすも、ノリノリのカモメが聞いてくれることは勿論ない。

 祈るような気持ちで手近な柵を握りしめ、投げ出されないようにその場にしゃがみ込んだ。

 

_______ドバッシャアアッ!

 今まさに激突すると思った瞬間。

 船は岸壁をすり抜けるようにすんなりと進んでいった。

 そこには船がギリギリ通れるほどの隙間が空いていたんだ。どうやら洞窟か何かのようだ。日の光が遮られて一瞬で薄暗くなる。 

 中はどうやら入り口から想像するよりもずっと広い場所のようだ。

 こんな所にあのスピードで入り込むとは、カモメの操船技術はとてつもないものがあるな・・・・・・

 

「・・・・・・うう、ここはどこなの?」

「ココ ハ カイショクドウ」

 

 ともえがふらふらと立ち上がりながらつぶやくと、彼女の手首にいるラモリさんが明滅しながらそれに答えてくれた。

 海食洞というのは、岸壁が波に打ち付けられたりして削られることで、ごく稀に形成される洞窟なんだと。

 ・・・・・・へえ、こういう場所があったとは。陸の上だけで生きてたら永遠に来る機会がなかっただろうな。

 

 それにしても、なんて美しい景色なんだろう。

 入口や、高い天井の隙間からは陽の光が漏れ出して、それに照らされた海面が青緑色の神秘的な輝きを放っているんだ。

 光が周囲の岩々すらも照らしていて、岩の輪郭が濃いコントラストを作っている。

 

 船がスピードを落としながら、絶景の海食洞の中を悠然と進んでいく。

 輝く水面はガラスのように透き通っていて、水中を泳ぐ魚の群れが船の横を慌てて通り過ぎる姿が見えるほどだった。

「ルーララ♪ 乗り心地はどーだった~?」

 やがてカモメが奥まった所で船を停止させると、満足げに体を揺らしながら私達のほうへ近づいてきた。

 

「・・・・・・も、もしかして、ここで行き止まりなの?」

 あまりの出来事にしばし言葉を失う私達だったが、ともえが一足先に我に返ってカモメに質問を投げかけた。

 カモメは例によって自信満々な態度のまま頷いている。

 ともえの不安がずばり的中したことを私達は思い知らされるのだった。

 

 これじゃ私達は袋小路に追い詰められただけなんじゃないだろうか?

 仮にあれが自然に引き起こされた竜巻だったら、こういった雨風をしのげる場所に逃げ込むのは適切な対処だとは思う。

 ・・・・・・が、相手はセルリアンなんだ。逃げ場のなくなった私達は格好の餌食にされてしまう。

 

「いつまでも歌ってんじゃねー! どーいう了見だ! オレ様たちを殺す気かよー!?」

「ラララ・・・・・・あれ? まさか君怒ってる?」

 

 ロードランナーが、ついに我慢の限界と言った風にカモメにつっかかっていった。

 彼女は見た目の可愛らしさとは裏腹に、喋り方は荒っぽいので怒ると迫力はそれなりにある。

 刺々しく問い詰めるロードランナーを見て、カモメもようやく自分の行いが私達に不興を買っていることに気付いたようであった。

 

「ルルル、えーと、風が、すべては風の導きで・・・・・・」

「あーっ!? 何ワケのわかんねーこと言ってやがんだよー!」

「どうか落ち着いてくださいね。私が説明いたしますわ」

 

 オオコウモリが見張り台からふわりと降りてくる。

 ロードランナーの剣幕に押されて狼狽えるカモメをフォローするつもりのようだ。

 彼女が最初に話し出したのは、そもそもの船が動く仕組みからだった。

 船はフレンズのように好きな方向に動けるワケじゃない。風を帆に受けて進む以上、つねに周囲の風向きに影響を受けるし、進むことの出来ない方向だってあるんだと。

 

「カモメの判断に間違いはありませんでしたわ。竜巻に追いつかれないために、一番風に乗れてスピードの出る方角を選びましたの・・・・・・その結果、逃げ込めそうな場所がこの洞窟しかなかった、ということでしてよ」

「お、お、おおお! さーすがオオコウモリ~♪ わかってる~」

「ちぇっ! なんだか納得いかねーな!」

 

 オオコウモリの助けを受けて、さしものロードランナーも出鼻をくじかれたように引き下がる。

 ・・・・・・まあ、カモメもこうするより他にやりようがなかったことだけは分かった。

 問題はこの後どうするかだ。あの弓みたいな形のセルリアンがこの海食洞に入ってきたら?

 もちろん、ここが崩れ落ちるのは避けられないだろうとは思う。

 

 が、悪いことばかりでもないだろう。

 あのセルリアンが空に浮いている限り、私達は圧倒的に不利だ。だがこの閉所なら、奴の方も私達に接近せざるを得ないはず・・・・・・

 その時こそ反撃のチャンスだ。”石”を探し出して砕くことさえ出来れば。

 

 拳を握りしめ、間近に迫りつつあるはずの敵の気配に身構える。

 ともえもイエイヌもロードランナーも息を飲んで周囲を警戒している。

 ・・・・・・今のところ静かなもんだ。海食洞の景観を乱すものは何もない。まるであのセルリアンは、私達のことを見失ってどこかに行ってしまったかのようだ。

 そんなはずはないんだけれど。

 

_______ガチャッ・・・・・・

「ひぃ~~! カモメさ~ん! 死ぬかと思ったよ~!」

「ラララ♪ 君たち無事だったか~」

 甲板の後部にあった扉が開き、そこから3人のフレンズが目を白黒させながら飛び出してきた。

 どうやら彼女たちは私達よりも先にこの船に乗っていた「客」のようだ。

 竜巻が現れてからはずっと船の中で身を潜めていたんだろう。

 

 その様を見て、私達は張りつめていた緊張の糸が切れるような気がした。

 少し休憩しよう。事情を知らないフレンズ達を放ったまま戦い始めるのもなんだし、彼女達に経緯を説明しながらこれからのことを考えよう。

 自己紹介も済ませておこう。私達は成り行きでこの船に乗り込んだわけだけれども、今はカモメ達とは一蓮托生の間柄であるわけだし。

 

 彼女達からも話を聞くことにした。

 やはり、この船は「ポート・オータル」を目指しているようだった。

 乗り込んでいる客達はそこで降りてホッカイの地を踏むのが目的なんだと。

 

 フレンズ達はそれぞれに異なった動機でこの船に乗ったようだ。

「キンカジュー」はホッカイに住んでいる友達が心配で会いに行きたいんだという。その友達は雪深い所に住んでいて、本格的に冬になる前に訪ねておきたいんだと。

「キーウィ」は歌が好きなフレンズで、近々ホッカイのとある場所で開かれる鳥のフレンズ達の歌まつりに是非参加したいそうだ。鳥だけど翼のない彼女が海を渡れずに困っていたところを、通りがかったカモメが助けてくれたらしい。

「ヤマバク」はホンシュウ大陸にてリンゴ農家をしていたんだという。だが昨今のセルリアン災害で故郷を追われ、心機一転ホッカイで農業を再開したいらしい。冬になる前に土地を見つけてリンゴの種を撒きたいんだと。

 

 こんな世の中だけれども、みんなそれぞれにやりたい事があって一生懸命旅をしてるんだな。

 こういう子たちを見ていると、何だかこっちも元気づけられるな。

 

 3人ともカモメとは偶然知り合い、お願いして船に乗せてもらったそうだ。

 一年のほとんどを船の上で過ごしているらしいカモメは、渡しとかそういう仕事をしているわけではないらしい。

 船旅を続けるための物資の調達とかで立ち寄った陸地にて、成り行きで知り合ったフレンズを送り届けているに過ぎないんだそうだ。

 

「ラララ♪ 僕は海の果てまで行きた~い♪ ジョナサンと一緒に~♪」

「ジョナサンって誰だい?」

「この船の名前だよ~♪」

 

 お得意の歌い節で旅の目的を明かすカモメ。

 彼女は船に乗ってジャパリパークの外に出ることが目的なんだそうだ。

 フレンズ達の間では常識である「ジャパリパークの外に出てはいけない」という決まり事・・・・・・彼女は黙ってそれに従うことに疑問を感じているんだという。

 

 その理由は彼女が持つ並外れた好奇心にある。

 どうしてジャパリパークから出てはいけないのか? 出たらどうなるのか? 確かめてみたい気持ちが抑えられず、何度もこの「ジョナサン号」に乗って冒険に出たんだという。

 ・・・・・・が、ある一定距離まで進むと、決まって船のコントロールが効かなくなるんだという。まるで船が個別の意識を持っているとしか思えないんだと。

 最後には諦めて引き返すことしか出来なかったそうだ。

 

 カモメは鳥のフレンズだし、船が動かなくても自分の翼で先に進めばいいじゃないかと思うが、船を家族同然に思っている彼女としては、船を降りる選択肢は考えられないんだそうだ。

 ・・・・・・そして彼女は考えた。ジャパリパークから出られないのは、まだジャパリパークでやるべき冒険が残っているからだと。

 

 ジャパリパークをくまなく巡りつくせば、やがて外の世界に出る手だてが見つかると思っているそうだ。

 ・・・・・・つまりカモメにとっては、何かを達成するための手段も目的も、すべてが冒険することに繋がるわけだ。なかなかに個性的な考え方だけど、まっすぐな信念があって好感が持てる。

 

「じつは私もホッカイに用があるんですのよ」

「え? オオコウモリ、君も客だったのか? 飛べるのに?」

「・・・・・・ふふ、色々ありましてね」

 

 オオコウモリの告白は意外だった。傍目から見たら、彼女はカモメの仲間であり船の乗員にしか見えなかったからだ。

 そんなことはなく、彼女はただの旅のフレンズらしい。

 何やら彼女はカモメに恩があるらしい。それで、船に乗せてもらっている間だけ恩返しにカモメのお手伝いをしているんだそうだ。

 

 彼女は遠い昔に離れ離れになった親友を探して旅を続けているんだという。

 そのフレンズの顔も名前も覚えていないけど、自分にとってかけがえのない友であったことだけは覚えているんだと・・・・・・

 

 イエイヌが話を聞きながら切なそうに「くぅん」と鼻を鳴らした。

 自分とまったく同じ身の上のフレンズに出会ったんだから無理もない。

 長生きしている内に記憶が抜け落ちて、大切な誰かのことを思い出せなくなった寂しさは彼女が一番よくわかるだろう。

 

 場が湿っぽくなりそうだったので「ところでさ」と、オオコウモリとカモメに小声で新しい話題を振った。

 ・・・・・・私がビーストの力を解放して竜巻を吹き飛ばした場面のこと。

 あれを見て何も思わなかったのかと遠回しに聞いてみたんだ。

 

 私の問いに対しオオコウモリは「見えていなかった」と言い、カモメは「何か面白い手品に見えた」と答えた。

 ・・・・・・まあ、カモメはそもそもビーストのことを知らないんだろうな。

 それに細かいこと気にしなさそうだから、そんな感想しか浮かばなくても不思議はないだろう。

 だけどオオコウモリが言っているのはどういうことなんだ?

 

「私、目がよく見えませんのよ」

 

 オオコウモリからまた意外な言葉が返ってきた。

 まあ、まったく見えないというワケじゃなく、ものの輪郭や距離感はかろうじて分かるらしいけれども・・・・・・

 そんな体で旅をしたり船に乗ったりするのは大変そうだ。

 

「でも私には目の代わりに耳がありますわ。それで大体のことはわかるんですの」

「ラララ♪ そう! オオコウモリの耳は地獄耳~、風を読む力はこの僕にも負けないのさ~」

「クスクス・・・・・・あんまりな褒め方ですわねカモメ」

 

 いつ頃から特異な体質を身に着けたのかはオオコウモリ自身も覚えていないようだが、彼女の聴力は目の代わりをするのに余りある程に鋭いらしい。

 ・・・・・・たとえば、相手の心臓の音や息遣いを聞いただけで、大体の「フレンズとなり」が把握出来るそうだ。

 

 その特技を使って私達4人のことを寸評してもらった。

 イエイヌの心臓や息遣いは優しく細やかで、いつでも周囲を観察しており、仲間に対して気を配っているのがわかるんだと。

 ロードランナーはエネルギッシュで感情の振れ幅が大きく、さらに背伸びしたがっているような気がするらしい。

 うんうん、大体あたっている。

 そして私に関しては、一見して只者ではない力を秘めていると思ったようだ・・・・・・何だかオオコウモリは、一緒にいるだけで色々と見透かされそうになる子だな。

 

 最後にオオコウモリは、ともえを前にして何やら考え込んでいた。

 彼女の特技をもってしても、ともえの正体に関しては図りかねるものがあるようだ。

 

「あなたまさか、普通のフレンズじゃない?」

「・・・・・・!」

 

 オオコウモリがぽつりと呟いた瞬間、ともえが目を見開いて絶句した。何とも言えない辛そうな表情だ。

 一瞬だけ、彼女の緑と赤の瞳から光が消えうせたように見えた。

 今のともえにとっては最もセンシティブな話題だ。場面が一気に気まずくなる。

 しかしオオコウモリの方も、ともえがショックを受けたことを察したのか、すぐに「ごめんなさい」と自分の発言を詫びた。

 

「ううん、別に気にしないで・・・・・・あ、そうだ!」

 ともえは平気な風を装って微笑み、手首に付けたラモリさんをかざして見た。

「ラモリさん、ハツカネズミさんに繋いでよ。さっき見たセルリアンのことを聞いてみよう!」

 

 ともえは場の空気を変えようとしているんだろうな。

 それに、状況を考えたら適切な行動であるに違いない。私達にはわからないセルリアンの正体も、ハツカネズミならば何か知っているはずだ。

 何といっても彼女は他のフレンズとは訳が違う。

 大昔からの知識をその身体に蓄えた賢者と言うべき存在なんだから。

_______ザザ、ザ・・・・・・

 ラモリさんが明滅し、何秒間か砂嵐みたいな音を発したのち「はい、もしもし!」と血相を変えた様子のハツカネズミの声が聞こえた。

 

「げ、げげっ! おててから違うフレンズの声がする!」

「これは遠くにいる友達の声だよ」

≪・・・・・・ともえさん、皆さん、ご無事でしたか? 私としたことが、皆さんに謝らないといけないことがあります≫

 

 キンカジューらその場に居合わせたフレンズがびっくり仰天する最中、ラモリさんごしに聴こえるハツカネズミの声がつらつらと語り出した。

 彼女が言う謝らなければいけないことと言うのは、これまでハツカネズミの方から連絡を寄越さなかったことだ。

 

 ・・・・・・と言うのもハツカネズミは、ともえからの通信を受けることは出来ても、逆に彼女の方から連絡を取る方法がないんだそうだ。

 送信機と受信機って言うのがあって、ハツカネズミは受信機しか持っていないらしい。

 ラモリさんというたった一体のラッキービーストから部品を取り分けたために、そういう仕様にならざるを得なかったようだ。

 

「ハツカネズミさん達はどう? 安全に旅出来てる?」

≪ええ、今のところは・・・・・・≫

 

 虹の楽園を目指して旅を続けるハツカネズミ達は、今は砂漠地帯を遠くに臨むとある山中で休んでいるそうだ。

 旅の途中で「バッファロー」というフレンズと出会い行動を共にすることになったという。

 その名を聞いてともえ達が安堵するのがわかった。バッファローというのは彼女達とも知り合いらしい。なんでもあのプロングホーンと共に、虹の楽園へフレンズを居住させる活動をしているメンバーの一人のようだ。

 大柄で寡黙であり、一見すると近寄りがたい雰囲気があるが、優しくて腕が立つプロングホーンの右腕的存在だという。

 彼女と会えたんならハツカネズミ達も安心だ・・・・・・と、ともえ達も太鼓判を押した。

 

 そして今度はこちらの現状を話す番になった。

 私達がかなり絶体絶命の状況に陥っていることを知ると、ハツカネズミは≪何てことだ!≫と痛ましい悲鳴を上げた。

「・・・・・・それでね、聞きたいことがあるんだけど」

 

 ともえの口からずばり要点が述べられる。

 例の「海の魔物」について知っているかどうかをだ。

 ハツカネズミの元上司であるメリノヒツジは、セルリアンを操ったり、新しいセルリアンを創造したりしていた。

 海の魔物もそんなセルリアンのうちの一体である可能性がある。

 もしそうならば、どのような性質を持った個体であるかを教えて欲しいんだ。もしそれが分かれば、私達が生き残る確率もずいぶん上がるはず。

 

≪お話を聞く限りでは、私の知るセルリアンではないようです・・・・・・そして、園長が作った個体とも思えません≫

 

 しかしどうやらその可能性は否定された。

 メリノヒツジ製のフレンズならば、虫など何らかの生き物の姿を忠実に模倣しているはずだから、というのが理由だ。メリノヒツジは完璧主義者な所があり、彼女のそういう気性が生み出すセルリアンにも表れていたんだと。

 ・・・・・・なるほど。だったら例の海の魔物は全くその特徴には当てはまらない。

 雲の間から垣間見た奴の姿は生き物とは程遠く、何かの部品を思わせる細長い弓型の骨のような姿をしていたもんな。

 

≪そのセルリアンはきっと、野生で進化した個体かと思います。野生のセルリアンは、太古より受け継がれる原始的な本能に基づいて行動しています≫

「原始的な本能ってなに?」

≪まずは捕食すること・・・・・・そして進化するために、他の物を”模倣”することです≫

 

 セルリアンの餌っていうのは個体によって様々だけど、かつてヒトの文明で使われていた「電気」だとかのエネルギーを発する物質であることがほとんどだと言う。

 ともえ達からの又聞きだけれども、かつてオオコノハズク達がキョウシュウで戦った大型セルリアンも光を求めて移動する性質があり、それを利用して倒すことが出来たんだとか。

 光る物っていうのはずばりエネルギーを発する物だ。

 

「あのセルリアンが船ばっかり襲う理由は何なんだろう? ねえねえカモメさん、船って風で動くんだよね?」

「そーだよ~♪」

「・・・・・・じゃあ、セルリアンの食べ物になるような物なんか無いよね」

 

 ともえがカモメに聞きながらさらに頭を捻る。

 海の魔物が船を襲ったところで食事にありつけるわけではない。だとすれば、セルリアンのもう一つの本能である「模倣」が奴の動機になるのではないか、と。

 

≪あり得ない話ではありませんよ≫

 ハツカネズミがさらに答える。

 園長であったメリノヒツジ・・・・・・さらにはその前任者であったジャパリパークの「神」カコ・クリュウが創造したセルリアンは、最初から完成された形状としてデザインされていた。

 それが故に創造者の命令に忠実に従う従順さだけを持ち合わせていたんだと。

 

 それと比べて野生種は、形状が未完成であるために「完璧な形になりたい」という強い本能を持っているのだという。

 どのような成長を遂げるかは全くの未知であり、太古のセルリアンは進化の過程で様々な形状に変異した。

 定まった形を持たない代わりに、あらゆる形状を模倣する力を持っている。

 それがセルリアンという生き物が本来持っている性質であると。

 

「あのセルリアンは・・・・・・あの弓のような形は、未完成の船の形なの?」

「ともえ、何かわかったのか?」

「アムールトラさん、何となくだけど、あのセルリアンのやりたいことが見えてきたよ」

 

 ともえの推理によれば、海の魔物は船を取り込むことで、自分が完璧な船になろうとしているんじゃないかと言うのだ。

 だからこそ、海食洞に逃げ込んだこの船に対して無茶な攻撃をしてくることはないだろうと。洞窟の崩落によって船が海の藻屑になってしまったら、奴の目的も果たせなくなってしまうからだ。

 ・・・・・・だとしたら、次に奴が仕掛けてくるであろう手段は?

 

_______ズズ、ズズズ・・・・・・

 カモメが舵を取っているわけでもないのに、船がひとりでに動き始めていることに気付いた。

 注意深く見ていなければわからない程のゆっくりとした速さで、少しずつ、少しずつ、洞窟の出口へと流されていっているんだ。

 

「お、オオオ♪ これは渦潮だ~! あのセルリアンの仕業か~?」

 

 カモメが語りだす。

 例によって歌っているような喋り方だったが声色には驚きも入り混じっている。

 海上で竜巻が起こったなら、渦潮の発生もまた不可避であるという。

 

 船乗りにとって渦潮はもっとも避けるべき物のひとつらしい。

 ぐるぐると回る潮の流れが、船を渦の中心に向かって引き寄せてしまうからだ。

 ・・・・・・一見して、洞窟に浸された水面は変らず穏やかであり、渦潮が起きているようには見えないが、航海のプロフェッショナルであるカモメの言うことなら間違いはないんだろう。

 

「や、やべーじゃねーか! 逃げねーとよー!」

「ルルル♪ そうは言ってもね~、そうは行かないんだよね~!」

 

 カモメが操るジョナサン号ならば、どんな微細な風をも推力に変えて進むことが出来るという。

 だが風が弱ければ、船も大したスピードが出せないんだと。

 先ほどのジョナサン号が、魔物から逃げ切るほどの凄まじいスピードを発揮していたのは、魔物が竜巻を発生させながら迫ってきたために、その周囲に吹きすさぶ暴風を利用して進むことが出来たかららしい。

 

 そして今、洞窟の中には風と呼べるほどの空気の流れはない。

 ひょっとしたら海の魔物が、同じ失敗を繰り返さないようにと学習しているのかも知れない。

 奴の視点で考えれば、下手に強い勢いの渦潮を巻き起こせば、同時に風も発生して、再び船に逃げられてしまうことを恐れたとしても不思議はない。

 だから魔物はそれを避けるために、ごくごく微細な渦潮で、船を少しずつ引き寄せることにしたんじゃないかと。

 

 それに洞窟の中は袋小路。外に出るより他に道はない。

 ジョナサン号に出来ることは、このまま無抵抗の状態で外に引っ張り出されるか、弱い風を使って低スピードで外に出ていくことだけだ。

 いずれの場合も海の魔物の格好の餌食にされてしまう可能性が高い。

 

 ビャッコの風をジョナサン号の推進力に変えられれば良かったんだけど、あの風はあまりにも加減が出来なさ過ぎる。こんな洞窟の中で使ったらまずい。

 ・・・・・・ともえのバッグの中にある蒼穹のオーブも今はピクリとも反応がない。

 私達の都合に合わせてそう何度も力を貸してくれるわけじゃないんだろうな。

 

 それでも何もしないわけには行かないので、再びカモメに舵を取ってもらうことになった。

 ゆっくりでもいいからまずは洞窟の外に出る。

 そして海の魔物と対峙した時、彼女の持てる限りの技術を使って魔物から逃げ切る。そうする以外に道はないんだろう。

 

_______ブブブブ・・・・・・

 が、カモメが舵を握ろうと歩き出そうとした瞬間、とある異変が起こった。

 洞窟の入り口からこちらにめがけて、無数の黒い影が勢いよく飛び込んできたんだ。

 羽音を立てながら向かってくるそれがセルリアン達だと気付く頃には、もうかなり接近を許してしまっていた。

 フレンズの両手に収まってしまいそうなほどの、かなり小型のセルリアンだ。それでいて移動速度はかなり速い。

 

「来るぞ! 気をつけろ!」

 私は一足先に躍り出て、背後にいるみんなを守るように身構えた。

 仲間達に手は出させない。一匹残らず打ち落としてみせる・・・・・・

 が、小型のセルリアン達は意気込む私をよそに、私にも他のフレンズにも目をくれることなく頭上を素早く通り抜けていった。

 フレンズではなく別の物を狙っていると思わせる動きだ。

 

「・・・・・・ラ、ララ!? まさか!」

 カモメが何かに気付いたように後ろを振り返る。

 彼女の目線の先にあるのは、デッキの中央にある杭に取り付けられた車輪状のパーツだ。彼女はあれを使って船を操っていた。

「や、やめてくれ! 舵を壊されたらジョナサンが動かなくなる!」

 カモメはただただ純粋に大きな悲鳴を上げた。

 いつでも歌っていそうな彼女がどれだけ狼狽えているのかが伝わってくる。

 

 舵を破壊せんと突き進む小型セルリアン達。

 私はというと、奴らの狙いがわからずに応戦することだけしか考えてなかったために、完全に出遅れてしまっていた。

 今から追いかけてももう間に合わない。船を動かすことが出来なくなって私達は詰む・・・・・・

 

_______ヒュウンッ! シュパパパッ!

 だが、目にも止まらぬ動きでセルリアン達に追いつくフレンズがいた。

 オオコウモリだ。音もなく甲板すれすれを滑空して敵に接近すると、こんどは広げた翼を鞭のように振るい、複数のセルリアン達を一瞬で切り裂いていた。

 ・・・・・・その鮮やかな動きを一目見ただけで分かる。彼女がかなりの戦闘力を持っていることを。

 

 だがセルリアンの攻勢は、オオコウモリが数体を仕留めただけでは止まなかった。

 入り口のほうからは次から次へと同型の新手が侵入し、船めがけて襲い掛かってきた。その数は百や二百じゃきかない。かなりの大集団だ。

 

≪き、気を付けてください!≫

 ラモリさんごしにハツカネズミが警戒を促してくる。

 状況から考えて、目の前の小型セルリアンは、洞窟の外にいる海の魔物が作り出したものと考えて間違いないと言うのだ。

 ごく一握りの強大なセルリアンは、自分の子供とも言える小型セルリアンを生み出して使役する力を持っている。

 そのレベルの個体が相手だと、たとえ戦闘慣れしたフレンズが何人いたとしても苦戦は免れないというのだ。

 

 なるほど状況が見えてきた。小型セルリアン達がジョナサン号の舵だけを狙う理由。

 それは船体を壊さずに、ただ動けなくするためなんだ。なるべく無傷のまま船を手に入れられるようにと・・・・・・それが「親」からの言いつけというわけだ。

 

「こちらの生きる目を念入りに潰そうというのね・・・・・・なかなかどうして手ごわい相手だこと」

「ル、ルル? オオコウモリ~?」

「カモメ、早く舵を取ってください。あなたの操舵がなければ始まりませんわ」

「わかったーよ~」

 

 オオコウモリに促されて、カモメが慌てて駆け出し舵を握りしめる。

 危機的な状況で、オオコウモリはやけに落ち着き払っていた。口元に薄っすら笑みさえ浮かべている・・・・・・そんな様からは有無を言わさぬ迫力がにじみ出ている。

 やっぱり只者じゃないな。さっき見せた動きといい、いったい今までどれほどの戦いを潜り抜けてきたんだろう?

 ともかく、この状況でこんな頼もしいフレンズが味方になってくれたことは幸運だ。

 

 こうして総力戦が始まった。

 カモメが操る舵を、迫りくるセルリアンの大群から守り抜くのが他のフレンズの役目だ。

 オオコウモリに比べると、他の3人の客はただの市井暮らしのフレンズに過ぎず、セルリアンと戦った経験もほとんどないようだったが、それでも大事な目的のために命がけで戦う覚悟を見せていた。

 

「えいっ! えいっ!」

_______ブンッ、パカーン!

 ともえがショルダーバッグの留め紐を持って滅茶苦茶に振り回す。

 飛び掛かってくるセルリアンの一体にバッグが当たると、黒い羽虫のような身体が虹色の花火になって弾け飛んだ。

 

「わふっ、ともえさん無茶しないでください!」

「大丈夫だよイエイヌちゃん! このセルリアンだったらギリギリわたしでも戦えるよ!」

 

 ともえのことはひとまず心配しないでも良さそうだ。それにイエイヌなら何があってもともえを守り抜くことだろう。

 今の最優先はジョナサン号の舵を守りぬくことだ。

 セルリアンは一匹一匹は大したことはなかったが、大群をなして色々な方向から絶えず飛んでくる。多勢に無勢の状況でも引くわけにはいかない。

 

 私とオオコウモリはもっとも前面に躍り出て、二人で出来る限り多くのセルリアンを仕留めることに専念した。

 他のフレンズには後ろにいてもらい、私達が打ち漏らした少数だけを倒してもらうんだ。

 戦いが不得手なフレンズ達への負担を減らすためには、このフォーメーションが一番適しているだろうと思われた。

 

「うおおおっ!」

「お、おい、もどれ! 何をやっているんだ!?」

 だがたった一人、フォーメーションを乱して勇み足で突っこもうとするフレンズがいた。

 私がそれに気付いて呼び止めても彼女は止まらなかった。

 

「オレ様だってやれるって所を見せてやらーッッ!」

 ロードランナーは私やオオコウモリよりも前に出て、洞窟の入り口から入り込んで来るセルリアンをなぎ倒し始めた。

 虹色の花火を飛び散らせる傍らで、彼女の瞳がこれまで見たことがないぐらいにメラメラと好戦的な光を放っていることに気付く。

 確かに戦えてはいる。だけどあんなのあまりに危なっかしい。

 

「・・・・・・くっ! オオコウモリ、ここは任せた!」

「よくってよ。あなたも大変ですわね」

 

 ロードランナーは群がるセルリアンを相手に、生傷を追うのも構わずに奮戦を続けている。

 私は彼女を守るために野生開放を行うことにした。

_______パァンッ!

 筋力と五感をフル稼働させ、鞭を振るうような音を出しながら突進し、ロードランナーの近くにいた小型セルリアンをあらかた殲滅した。

 ・・・・・・どうせすぐに新手がやってくるだろうけれど、ロードランナーが下がる猶予ぐらいは作れただろう。 

 

「はあっ、はあっ・・・・・・アムールトラ、やっぱアンタ無茶苦茶つえーんだな」

「ロードランナー! 無茶をしてないで下がれ!」

「足手まといになりたかねーんだよ!」

 

 表情を上気させたままのロードランナーは私の言うことを聞かず、闘志冷めやらぬ様子でファイティングポーズを取り直す。

 ・・・・・・まずいな。どうにもロードランナーは戦いの中でハイになってしまっているみたいだ。

 冷静さを取り戻させることは簡単にはいかないだろう。

 

_______ゴゴゴゴ・・・・・・

 ロードランナーへの説得が出来かねているうちに、やがてジョナサン号は完全に海食洞の外へと出ることになった。

 広がる青空の下で、ジョナサン号の頭上周辺にだけ、黒雲が不自然に固まって浮いている。雲の中からは小型セルリアンの群れが放出され続けている。

 

「あそこにいるんだな・・・・・・」

「手ぐすね引いてこちらを狙っているのが目に見えるようですわ」

「ともかく逃げるーよ~♪」

 

 外に出たらこっちの物と言わんばかりにカモメが舵を切る。

 するとジョナサン号が勢いよくUターンして黒雲から逃れるように進み始めた。

 無数の三角形の帆が風を受けて膨らんでいる。風は洞窟の中では微細なものでしかなかったが、今は辺り一帯に十分な海風が吹いている。

 

 ・・・・・・が、もちろん簡単に逃がしてくれるような相手ではない。むしろジョナサン号が外に出てくるのを今まで待っていたんだ。

 黒雲の中心がまたもすり鉢状に凹み、海に向かってドリルのような空気の渦を突き刺した。

 すると渦は海面を巻き上げながら巨大化し、瞬く間に竜巻と化していった。

 

「に、に、逃げられな~い!♪」

 襲い来る竜巻に対して、ジョナサン号の動きは完全に停止してしまっていた。

 海食洞に逃げ込んだ時と比べると、竜巻と船との距離が近すぎる。だから渦潮にもろに吸い寄せられる形になってしまっているんだと。

 さらには小型セルリアンを引き続き生み出して船へと向かわせて来ている。

 お目当ての船を捕まえるための徹底ぶりは無慈悲と呼べるほどだと思った。

 

 セルリアンを打ち倒しながら、なかば絶望的な気持ちで竜巻を見上げてみる。

 舞い上がった水滴が上へ上へと吸い寄せられて消えていく・・・・・・そうか、このままだとジョナサン号もあの水滴みたいになるんだ。

 竜巻によって持ち上げられ、雲の中にいる海の魔物の糧にされてしまう。私達も船と運命を共にすることになるんだろうな。

 

「アムールトラ! また風を出してくれよー!」

「・・・・・・ああ、私もそれを考えていた」

 

 ロードランナーに頷きながら精神を集中させる。

 己の内側にいるビャッコに語りかけ、ふたたび力を貸してくれるように内心で懇願しようとしたその時・・・・・・とつぜん背後から「お待ちになって」と、オオコウモリが制止してきた。

 

「カモメからあなたが使う不思議な技のことを聞きましたわ・・・・・・でも、それだけでこの状況が何とかなるとは思えませんわね」

「どういうことだ」

 

 オオコウモリの指摘は厳しくも現実的なものだった。

 風で竜巻を吹き飛ばした所で、いまや多少の時間稼ぎにしかならないのではないかと。

 それよりも本体のセルリアンを何とかして叩くことを考えるべきだと言うのだ。

 

 ・・・・・・だが、どうやって攻撃を仕掛けたらいいのかさえもわからない。

 まず本体がどこに隠れているのか暴かないことには始まらないだろう。

 それに、奴が発する竜巻は恐ろしい攻撃であると同時に厄介なバリアだ。それこそビャッコの風でもない限りは、竜巻を貫通して本体に攻撃を届かせることは不可能なように思える。

 

「あ、あのさ!」

 ともえが私達の会話を聞きつけて後ろから割って入った。

 彼女もカモメにほど近い場所で必死に戦い続けている。得物であるショルダーバッグを振り回し続けたことでかなり息が上がっているように見える。

 ・・・・・・あのバッグの中身がどうなっているのかは今は考えないことにしよう。

 

「あのセルリアンを探すのも攻撃するのも、上からしか出来ないんじゃないかな?」

「そ、そうか!」

 

 竜巻を何とかすることばかりに気を取られていたが、海の魔物は雲の中に隠れ潜んでいるんだ。そして雲が竜巻の発生源でもある。

 ともえの作戦はこうだ。

 高く飛んで竜巻よりも高い位置に上昇し、上から雲の様子を探る。そして本体を見つけてから攻撃を仕掛けに行く。雲の中がどうなっているのかはわからないが、竜巻に体当たりするよりはマシなはずだと言うのだ。

 ・・・・・・確かに、出来なくはないかもしれない。こっちには飛べるフレンズだっているんだ。

 

「よっしゃー! オレとアムールトラの二人で行ってくるぜ!」

 ここでロードランナーが意気揚々と名乗りを上げた。

 やはり先ほどから闘志がみなぎり続けている。セルリアンへの攻撃は私に任せるとして、雲の上まで私を運ぶ役目を申し出たんだ。

 

「あなたじゃ無理ですわ」

 

 しかしロードランナーの提案は、オオコウモリによって容赦なく切って捨てられた。

 体格や飛翔力もろもろを考えても、ロードランナーでは力不足であると。

 ・・・・・・だが一番の理由は、今のロードランナーが功を焦っていること。実力以上のことをやって自分を大きく見せようとしていることだと指摘した。

 そういう危うい精神状態の者には大事な局面を任せられないと言うのだ。

 

「この私がアムールトラを雲の上へお連れしますわ」

「け、けどよ、腕の立つ二人が行っちまったら、船の守りが手薄になるじゃねーか!」

「そう思うのでしたら、あなたがここを死守しなさい。それが今あなたのするべきことですわ」

 

 容赦ない指摘を受けてぐぬぬと震えるロードランナー。

 オオコウモリの物腰が丁寧だからよけいにキツく見えるのもある・・・・・・だが、受け止めてほしい。彼女の言っていることはすべて正しい。

 冷静さを取り戻して、自分にできることをやって欲しいんだ。

「・・・・・・ぐっ! わかったよ!」

 ロードランナーはついに折れた。先ほどの昂ぶり具合が影も形もないほどに消沈している。

 

 ともえ達にジョナサン号の防衛を任せて、私とオオコウモリは天空めがけて飛び立った。

 オオコウモリが後ろから抱き着くように私を抱え上げてくれている。

 みるみるうちに海面が遠くになり、ジョナサン号の甲板で戦っている仲間達の顔もわからなくなっていく。

 さすがオオコウモリは大きな翼を持っているだけある。飛ぶ力はあのオオコノハズク達にも引けを取らないだろう。

 

「・・・・・・ロードランナーのことを悪く思わないで欲しい」

「ええ、彼女はいい子ですわ。一緒にいたらさぞ気持ちが明るくなるでしょうね」

 

 二人きりの空にてオオコウモリへと弁解するように呟くと、こちらの気持ちを察したように同意してくれた。

 ああいう仲間と旅が出来てうらやましいとまで言っている。

 その声はなにやら寂しげだ・・・・・・そうか、オオコウモリは一人旅だもんな。私にもその寂しさはわかる。

 

「さあ、そろそろですわね」

 私達はあっという間に黒雲を一望できるほどの高さにまで上昇していた。

 あの中に海の魔物がいる・・・・・・が、しかし上から見ているだけではただの雲。居場所の手がかりなどありはしない。

 が、立ち止まることは許されない。こうしている間にも仲間が危険に晒されているんだから。

 

 やむなくオオコウモリは翼を翻し、くるくると急降下しながら雲の中に突入した。

 視界はほとんど暗黒で何にもわからない。

 そこらじゅうに猛嵐が吹き荒れ、一瞬で全身びちょ濡れになるほどの雨粒に晒される。稲妻がところどころ散発的に輝くのが見える。

 あまりにも幻想的で、それでいて恐ろしい景色だ。

 ここが雲の中だというのか・・・・・・陸のフレンズである私には想像も付かないような世界だ。

 いや、飛べる子だって好きこのんでこんな場所には来ないか。

 

 こんな場所では目で物を探すことは難しい。

 オオコウモリの自慢の耳で探ってもらったほうがいいだろう。そう思って彼女に奴の居場所がわかるか聞いてみた。

「少しお待ちになって・・・・・・なんてことなの」

 すると彼女は何かを考えこむような声色で答えた。

 

「あなたは思っていた通り、いえ、想像よりもはるかに強いんですのね。あれほどのセルリアンを、たったの一撃で・・・・・・」

「? 待ってくれ。何をぶつぶつ言ってるんだ?」

「ごめんなさい。私にも不思議な力があるんですのよ。未来を見る・・・・・・いや、聴く力がね」

 

 そうだったのか。オオコウモリもまた不思議な能力を持ったフレンズだったようだ。

 彼女の能力というのは一種の未来予知らしい。未来の音が聴こえるんだそうだ。そこから現在を逆算して、どうしたら生き残れるかを予測できるらしい。

 最初に出会った時、ジョナサン号が竜巻から逃げ切れると確信していたのもそれが理由だ。

 

「もうすぐですわ。来るべき時が来る・・・・・・あなたも準備してください。その時になったら、私はあなたから手を放して落としますわよ」

「落としてどうする? 私は君と違って飛べないんだ」

「大丈夫ですわ。飛べなくても、ここに吹き荒れる風があなたを導くはずだから」

 

 なんだか難しいけれど、ともかく彼女は私の未来を読んでいる。海の魔物に勝利している私の姿を予知しているんだ。

 そしてその予知を現実の物にするためのお膳立てを始めているんだという。

 驚くべきことにその方法とは、ある決まった位置で私を落とすことで、魔物の所まで辿り着かせようというぶっつけ本番の力技だった。 

 

「アムールトラ、どうか私のことを信じて。出会ったばかりでなんですが、この私に命を預けて欲しいんですの。私もあなたの勝利を信じています」 

「・・・・・・わかった」

 

 気が付くと直感で私はそう答えていた。

 この気持ちは理屈じゃない。言葉に言い表しがたい予感というか、確信というか。

 それこそ既に同じことを体験しているような気さえするんだ。

 

「オオコウモリ、君と一緒なら勝てる気がする」

「ええ、アムールトラ。あなたと私なら必ず・・・・・・さあ、行きますわよ」

 

 互いに確認しあうように呟くと、オオコウモリは私のお腹に回していた手をほどいた。

_______ビュオオォッ!

 猛風が吹き荒れる雲の中において、支えを失った私の体は真っすぐに落ちることさえも叶わなかった。

 不規則に回転しながら滅茶苦茶な方向に流されて行っているんだ。

 

 もちろん何も見えやしない。目の前に海の魔物がいたって分かりはしないだろうな。

 でも構わない。こういう時どうすれば良いのかを私は知っている・・・・・・集中だ。自分を無にするぐらいに感覚を研ぎ澄ませるんだ。そうすれば見えないものが見えてくる。

 かつての私はきっと、そうやってあらゆる危機を乗り越えてきたはずなんだ。

 

_______ドクンッ

 確信と共に目を閉じると、やがて世界の見え方が決定的に変わっていった。

 時間の流れが凍り付いたようにゆっくりと感じられ、周りの風も雨も意味のない記号のように思えた。そんな虚無の世界でたったひとつだけ、禍々しく蠢く恐ろし気な塊が存在しているのがわかった。

 

 私の体は今、吸い寄せられるようにそいつに近づいていっている。オオコウモリのおかげだ。

 風の流れを読み切って、そういう位置を狙って私を落としたんだ。

 肉迫するその瞬間、意識を現実へと引き戻し眼前にいるそれへと手を伸ばした。

 

「つかまえたぞっ!」

 

 どんぴしゃりだ。いま私は、海上で一度だけ見たあの姿の上に飛び乗っている。

 細長い弓のような身体。そこに張り付いた無数のUの字型の突起物・・・・・・近くで見ると何となくわかる。やはりこいつは未完成の船の形をしているんだ。

 ・・・・・・いわば「船の骨」か。ともえの推測した通りだった。

 この骨に肉が付けば中々の巨大な船になるだろう。

 その体長は頭から尾までフレンズ数十人分ぐらいの長さがある。

 そして細長さばかりが目に行く身体の直径も、実際は私が両手を広げてつかまっても余裕であまるぐらいには太い。

 

≪ミギャアアアアッッ!≫

 

 海の魔物は、とつぜん上から降ってきた私に驚くように咆哮を上げ、身体をしならせて私を振り落とそうとしてきた。

 ワキワキと動く胴体の突起からは奴の焦りが伝わってくるようだ。

 死にたくはないだろう。自分の体を完成させたいんだろう・・・・・・

 だが、だからといってジョナサン号を糧にさせるわけにはいかない。他の船もだ。

 

 フレンズ達はそれぞれの大切な目的のために旅を続けているんだ。邪魔はもうさせない。

 終わりにしよう。私の一番強い技でとどめを刺してやる。

 確か「勁脈打ち」って言うんだったか。メリノヒツジが戦いの中で技名を教えてくれたんだ。

 

_______スゥッ・・・・・・

 魔物の胴体に手の平を置き、再び意識を冷たい虚空の世界へと潜らせていく。

 その中で早鐘のように脈動している「核」の位置を探し当てると、そこに全ての集中力を注ぎ込み、見えざる衝撃を打ち込んだ。

 ・・・・・・その直後、乾いた破裂音と虹色のまばゆい光を放ちながら、ひとつの生命があっという間に消失していった。

 

 しがみついていた魔物の肉体が無くなって、またも私は雲の中を落ちていくことになった。

 程なくして雲が途切れ、遥か眼下には青い海が広がっていた。

_______ガシィ

 落下への恐怖を覚えた刹那、黒い影が勢いよく現れて、翼を羽ばたかせながら落ちていく私を真横からかっさらった。

 

 ・・・・・・さすがはオオコウモリ。タイミングは完璧だな。君が来てくれることを、私は当たり前のように信じていた。それがどうしてかはわからなかったが。

 

「やりましたわね」

「ああ、君のおかげだ」

「・・・・・・おおーーい! 2人ともー!」

 

 下の方ではジョナサン号がゆったりと波に揺られていた。

 みんながデッキの上で私達に手を振っているのが見える。良かった、どうやら無事みたいだ。

 あれほど大量に出現していた小型セルリアンがきれいさっぱり消えている。「親」がいなくなったために存在することが出来なくなったんだろう。

 

「みんな、大丈夫だったか?」

 船の上に降りてみると、やっぱりどのフレンズも多少なりとも負傷してしまっているのがわかった。私とオオコウモリ抜きで奮戦した痕跡がありありと伝わってくる。

 

 中でもロードランナーは全身に青あざを作っていて、イエイヌに膝枕をされながら柱の横でぐったりと横たわっていた・・・・・・頑張ったんだな。誰よりも。

 私とオオコウモリが心配して近寄ると、それに気付いた彼女は誇らしげに微笑んでみせた。

 そしてオオコウモリの方を見ながらだしぬけに「あんがとよ」と言ったのだ。

 

「アンタが叱ってくれて目が覚めたぜー」

「けれども随分と無茶をしたんですのね」

「へっ、多少の無茶ぐらいはするぜ・・・・・・でも、アンタに言われた通り、無理はしないように気を付けるぜ!」

「・・・・・・フフフ、あなたはそのうち大物に化けますわよ」

 

 オオコウモリがやれやれと言った動作をし、周りのみんなも苦笑交じりに噴き出した。

 苦笑はやがて、和やかな安堵の笑い声へと変っていく。

 ・・・・・・ロードランナーが功を焦っていたのは、多分だけど、それだけ旅の仲間のことが大事だからだと思う。

 けれども特別戦いが得意なわけではないから、気持ちだけが先走ってしまったんだろう。

 彼女には熱い心がある。今は未熟だとしても、これからどんどん成長していくはずだ。

 

≪ザザ、ザ、良かった。皆さん、どうやら無事のようですね・・・・・・ザザ≫

 

 ラモリさんごしにハツカネズミが安堵している。

 だがどういうわけか、その音声にはノイズが入り混じっている。

 

「ハツカネズミさんのアドバイスのおかげで助かったよ! ところで何かあったの?」

≪ザザ、ええ、少し砂嵐が強くて。回線が不安定で・・・・・・例の洞窟まで・・・・・・ザザ≫

 

 その後はノイズがますます強くなって、ハツカネズミの声が聞き取れなくなった。

 しばらくすると「ブツリ」と異音が鳴りひびき、彼女との通信が途切れた。

 虹の楽園の入り口は砂漠の中にあるんだったっけ・・・・・・砂嵐が強いということは、もう本格的に砂漠に足を踏み入れたんだな。

 

「切れちゃった・・・・・・ハツカネズミさん達も大変なんだろうな」

「ああ、だが彼女達ならきっと大丈夫だ」

「ル~ルル~♪ 一件落着だーね~♪」

 

 遠くの地で頑張っているハツカネズミ達に思いを馳せていると、その空気をカモメの能天気が歌声が打ち壊した。

 彼女は鼻歌交じりに舵を回転させ、ジョナサン号をゆっくりとUターンさせ始めている。

 いったいどこに行く気だとみんなが尋ねると、例の海食洞に戻ると彼女は答えた。

 

「風が歌ってる~♪ 嵐が来~るよ~♪」

「・・・・・・何だと? 海の魔物は確かに倒したぞ」

「全然関係な~いよ~♪ この嵐は自然のも~の~♪」

 

 ああなるほど、そういうことか。

 カモメの肌感覚によると、今すぐに嵐が直撃するわけではないようだけど、この辺りにはすぐに寄れるような港がないらしい。

 だから雨風をしのげるあの場所で、嵐が通り過ぎるのを待つつもりのようだ。

 セルリアン相手に無茶な操舵をする彼女も、今は慎重そのものだった。

 それぐらい海上で嵐に遭うことを恐れているんだろう。彼女ほどの船乗りの判断なら口をはさむ余地はない。

 

 危機は去った。風を受けながらゆったりと進む船の上で、今しばらく体を休めるとしよう。

 

 to be continued・・・




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「ロードランナー」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「オオコウモリ」
哺乳綱・げっ歯目・ネズミ科・ハツカネズミ属 
「ハツカネズミ」
鳥綱・チドリ目・カモメ科・カモメ属
「カモメ」
食肉目・鰭脚類・アシカ科・ミナミオットセイ属
「ミナミオットセイ」
哺乳綱・食肉目・アライグマ科・キンカジュー属
「キンカジュー」
鳥綱・キーウィ目・キーウィ科・キーウィ属
「キーウィ」
哺乳綱・ウマ目・バク科・バク属
「ヤマバク」 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Enemies date________________

「キール・セルリアン」
全長:47メートル
体重:22.4トン
概要:進化の過程で「船舶」をコピーすることを選択した野生種セルリアン。しかし完全なコピーが出来ておらず、その姿は船舶の屋台骨にあたる「竜骨(キール)」をかたどるだけにとどまっている。
 周囲の天候を操る力を持ち、雲を纏いながら海上を浮遊して、コピーを完全な物にするために航行する船を無差別に襲っていた。
 ある程度の知能があり、骨しかない自分の体が防御力に乏しいことを自覚しているので、フレンズに姿を見られたり近づかれたりすることを恐れている。このことは上空からの竜巻攻撃や、小型の幼体セルリアンを生み出して襲わせるなどの遠距離攻撃に頼っている点にも表れている。
 また美意識も高いようで、船の姿なら何でも良いわけではなく、なるべく大きくて美しい帆船の姿になりたいと考えているようだ。
 
_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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最終話「いままでも、これからも」


 これで完結です。本当にありがとうございました。
 苦節4年、だらだらマイペースに続けてきましたが、無事終わらせられて良かったです。

 ※後日、あとがきとかキャラ解説とかを投稿します。


 海食洞にジョナサン号が避難してからいくらかの時間が経った。

 帆を丸く畳んでしまい、錨も下ろしてしまって完全に停泊状態だ。

 カモメの予言通り、嵐が辺り一帯の海を直撃している。外の猛烈な風と雨の音が洞窟の中に響き渡っている。

 海も荒れていて船体がゆらゆらとひっきりなしに揺れているから落ち着かない。

 これぐらいじゃ全然問題ないってカモメは言っているけど。

 

 とにもかくにも、揺れる船の上で私達は食事を取ることにした。

 料理を作るのはもちろんイエイヌだ。ミナミオットセイからもらった魚介類を食材に使うことにしたようだ。

 人数もいるし、食材が痛む前に皆に食べてもらおうと言うのがその理由だ。

 

 食材がどこに保存されていたのかというと、もちろんともえのバッグだ。

 薄っぺらいバッグの中から、大きめの寸胴が何個も取り出されるのを見た時には驚いた。寸胴の中は海水で満たされていて、魚やカニが生きたまま保存されていたんだ。

 私の代わりに、居合わせたフレンズ達から口々に「そのバッグどうなってるの!?」と突っこまれていた。

 

 調理はジョナサン号の船内で行われた。

 ろくに使われず埃をかぶっていたけれど、船内には立派なキッチンがあって、それを見た途端イエイヌは小躍りするように喜んだ。

 彼女のように料理の出来るフレンズは珍しいし、もしかするとこの船は、遠い昔ヒトに使われていた物なのかもしれないな。

 

 気になったのでそのことをカモメに訊いてみたが、彼女はこの船をいつどこで手に入れたのか覚えていないらしい。

 思い出せる最も古い記憶の中において、彼女は舵を取っていたそうだ。それなら船を家族同然に思うのも頷ける話だ。

 

 イエイヌは料理をする前に皆をキッチンから立ち退かせた。

 生き物を捌く所を見られたくないからというのがその理由だ。

 やむなく他のフレンズ達はキッチンのすぐ隣にある食堂のテーブルに座って、ドア越しに漂ってくる料理の香りを嗅ぎつつ、腹の虫をグーグーと鳴らしながら待ち続けた。

 

 そうこうしている内に料理は完成し、テーブルに次々と並べられていった。

 献立の目玉は「アクアパッツァ」と「カポナータ」とか言うらしい。

 ようは魚の蒸し焼きとカニのオイル煮のことのようだ・・・・・・うーん、いつもながらイエイヌの作る料理は、意味不明の呪文みたいな名前をしているな。

 後は貝をふんだんに使ったシーフードリゾットだ。うん、まあリゾットは私でも知っている。

 

 見た目のインパクトはものすごい物があった。他の子たちも唖然としている。

 なぜなら魚やカニの原型がほとんどそのまんま残っていたからだ。

 正直食べるにはかなり抵抗があったけれど・・・・・・恐る恐る口にしてみると、そんな感情は簡単に吹き飛んでしまった。

 

 海の生き物ってこんなに美味しかったのか。

 今までイエイヌに食べさせてもらった料理の中でも一番かもしれない。

 歯ざわりの良さもさることながら、濃厚な旨味が口の中でずっと尾を引いている。それが付け合わせの野菜にも染み込んでいる。

 周りの子はみんなカニの旨さを絶賛しているけれど、私はだんぜん魚の方が好みだなぁ・・・・・・

 

「すっごいおいしー! 生き返る!」

 イエイヌの料理を食べなれた私たち以上に、始めて口にするフレンズ達のおどろきぶりがすごかった。

 昼間には死ぬような思いをして疲労困憊だった彼女達が、そんな記憶などなかったように元気を取り戻し始めたんだ。やっぱりイエイヌの料理を食べるとそうなるよな。

 

「・・・・・・まあ! なんて美味しいのかしら」

 オオコウモリもまた例外ではなかった。

 戦っている最中も冷静沈着そのものだった彼女が、溜息を付きながら料理を味わっている。

 いつでも閉じられていた目を見開き、うっとりと陶酔するように瞳を潤ませている・・・・・・始めて見たけど、彼女の瞳は白く濁ってるんだな。

 

「ルルル~♪ なあオオコウモリ~♪」

「どうしましたのカモメ」

「これほどのご馳走~♪ あの子にも食べさせてあげようよ~♪」

 

 カモメにそう言われて、オオコウモリは一瞬ハッとし、テーブルに並んでいる料理に視線を落とした。何やら複雑そうな表情だ。

「そ、そうですわね・・・・・・」

 少しの沈黙の後、何かを決意したように顔を上げた。

 そして共にテーブルを囲んでいる他のフレンズ達に「ちょっと失礼しますわね」と頭を下げると、カモメと共に立ち上がって食堂を出て行ってしまった。

 その手には料理が盛られた皿を携えたままだ。

 

 突然のことに首をかしげる私達だったが、前々からジョナサン号に乗り込んでいるキンカジュー、キーウィ、ヤマバクの三人は様子が違った。

 どうやらこの船には、あともう一人フレンズが乗っていたようだ。

 だったらどうして姿を現さないんだろう?

 

 三人に事情を訊いてみると、どうやらそのフレンズは重たい病気を患っていて動けないとのことだった。

 ・・・・・・動けないんなら仕方がないと思うが、少し違和感をおぼえる。

 さっきのオオコウモリといい、この三人といい、何やら気まずそうな感じが漂っているからだ。

 

「ちょっと会いに行ってみようか」と、私はともえ達と一緒に席を立ち、その病気のフレンズに顔を見せることにした。

「・・・・・・そっとしておいてあげたほうがいいと思うよ」

 テーブルに残った3人からはそんな言葉が投げかけられた。

 何でそこまで言うのか良くわからなかったが、とりあえず挨拶ぐらいはしておくのが筋だろう。

 

 薄暗い船内を進んでいく。いくつかの回廊を通り過ぎ、梯子を上り下りしたりしていると、どうやら例のフレンズがいるらしき部屋を見つけた。

 そこだけ明かりが灯っているし、オオコウモリたちの気配も感じる。

 

「ごめん、入るよ」

「ラララ♪ 君たち来たのかい」

 ノックしてから部屋に入るなり、振り返ったカモメと目があった。

 そしてオオコウモリはベッドの傍で身をかがめている。

 彼女の背中越しに、一人のフレンズがぐったりと横たわっている姿が見えた。

 

「さあ、ヒョウ、お食べになって。とっても美味しいお料理ですのよ」

「・・・あー・・・」

 

 オオコウモリがそのフレンズの上半身を抱き起こしつつ、口元にスプーンを持っていく。

 だが反応はない。その子はオオコウモリと目を合わせることもなく、ぼんやりと天井の方を見ているだけだ。

 起きているのか眠っているのか、それさえもわからない。

 ・・・・・・ただひどく衰弱していることだけはわかる。肌は青白く、手足は枯れ枝のように痩せこけてしまっているんだ。

 橙色の全身には斑模様が入っていて、少し私に似た特徴を持っているような気がする。

 そうか。名前はヒョウっていうんだ。

 

「その子、大丈夫?」

「いつもこんな調子ですのよ」

 

 心配して近づいたともえにオオコウモリが答える。

 ヒョウが意識を取り戻すのは、一日のうちで極々わずかな時間しかないらしい。

 オオコウモリはその短い時間を見計らって、彼女にジャパリまんを食べさせたり水を飲ませたりしてきたようだ。

 でも、全然栄養が足りていないことは明らかだった。

 

「あ、食べてくれそう」

 少ししてからヒョウが鼻先をヒク付かせる。

 オオコウモリがそれを見てスプーンを彼女の口元に当てると、ヒョウはおもむろに口を開けてそれを受け入れた。

 

 その様子を見守る私達がホッと安堵しそうになった刹那。

_______カハッ

 ヒョウがむせ込んだ。せっかく口に含んだ料理は、食べられることなく吐き出されてベッドのシーツを汚してしまった。

「・・・あ、う、あ・・・」

 部屋が気まずい空気で静まりかえる。ヒョウのうめき声交じりの浅い呼吸だけが聴こえる。

 

「ごめんなさいね、気にしなくて良いんですのよ。みんな食事にお戻りになって」 

 

 オオコウモリが苦笑いしながら私達にそう促してきたので、やむなく従うことにした。

 もう彼女は食事を切り上げてヒョウに付き添うことにしたようだ。

 ヒョウがどういう状態なのかはわからないけれど、私達がしてあげられることがないのは確かなようだった。

 

 食堂にもどって食事を再開した私達だったが、ヒョウの可哀そうな姿が気になって、せっかくの料理も味気なく感じられた。

「ルル、ル・・・・・・出会った時からあんななのさ~」

 カモメがオオコウモリとヒョウに出会った時のことを、悲し気な抑揚で話し出す。

 

 それは季節が何巡りかするぐらい前のことだった。

 カモメがいつものようにジョナサン号でのんびりと航海をしていると、ヒョウを抱えながら海の上を飛んでいるオオコウモリを見かけたそうだ。

 気になったカモメは彼女達に声をかけて、船に乗せてあげることにしたらしい。

 2人とも全身に酷い怪我を負っていて、その時からすでにヒョウは今のような寝たきり状態になってしまっていたようだ。

 

 ・・・・・・以来、2人はずっとジョナサン号に身を寄せているようだ。船がどこの港に寄っても陸に上がろうとするつもりはないようだった。

 ヒョウは船内でずっと眠っている。

 オオコウモリはヒョウの世話をする傍ら、船に居させてもらっているお礼にと、カモメの船旅の手伝いをしているらしいんだ。

 

「何があったか聞いてないのかよー?」

「オオコウモリが話したがらないからね~♪ だったら聞くのは野暮ってもんさ~」

「・・・・・・わ、わふっ、でもオオコウモリさんはホッカイに降りるつもりなんですよね? いったいどうしてなんですか?」

「さ~あどうだかね~♪ 彼女なりに「風を読んだ」んだろうね~」

 

 カモメだって2人のことを心配していないわけではない。

 けれども相手の意向に口をはさむようなことをしたくないんだという。

 来るもの拒まず去るもの追わず、他人を縛らないし自分も縛られない・・・・・・それがカモメのモットーなんだと言う。

 

 事情を問わず、通りがかったフレンズは誰でも船に乗せるし、乗っている間は親身になって接する。そして降りたい時にいつでも好きに降ろさせる、と。

 ・・・・・・親切なんだか冷たいんだかよくわからないが、カモメにとって大事なのはジョナサン号で自由に旅をすることだろうから、そう考えるのも仕方がないことなのかな。

 

「ごちそーさま~♪ さ~あ明日も早いよ~」

 

 オオコウモリと、もし食べてくれたら・・・・・・とヒョウの分も残して私達は食事を終えた。

 みんなで後片付けをしている時、カモメが明日の予定を教えてくれた。

 お得意の風読みによると、夜明けごろには嵐が過ぎ去ってしまうと。そして明日は一日晴天だろうというのだ。

 早朝から船を出せば昼前にはポート・オータルに着く。

 

 そこでオオコウモリらを予定通り降ろした後に「中つ海(なかつうみ)」へと船出するんだそうだ。

 中つ海というのは、楕円形に並んでいるジャパリパークの島々を隔てている、途方もなく広い内海の通称のようだ。

 海を渡る船さえあれば、翼のないフレンズでも全てのエリアに行くことが出来る。

 もちろん停泊できる場所は限られているし、天候やら潮の流れやら、色んなものに影響を受けての船路になるから、口で言うよりずっと難しいらしいけれど。

 

「あの、カモメさん、わたし達キョウシュウに行きたいんだけど」

「キョウシュウか~! がってんだ~い♪ じゃお休み~、空いてる部屋好きに使って~ね」

 

 カモメはともえの言葉を快諾すると食堂を後にした。

 どうやら私達のことを完全に「船の客」として扱うことにしたようだ。

 完全に成り行きだったけど、彼女という船乗りに出会ったことで、キョウシュウに行くまでの段取りはほぼ完全に整ったと言っていいだろう。

 私達には私達の旅がある。ポート・オータルに着いたら、オオコウモリ達ともそこでお別れだ。

 

「ごちそうさま! すっごく美味しかったよイエイヌ!」

「わふっ、おそまつさまでした」

「おやすみ~」

 

 キンカジューら3人も大満足な様子でそれぞれの寝室へと散って行った。

 私達ももうそろそろ明日に備えて休んだほうがいいだろう。 

 嵐は未だに続いているから時間も何もわかるものじゃないけれど、きっともう夜も更けているはずだものな。

 

_______ビュオオオ・・・・・・

 私は寝室には行かず、甲板へと出て座り、洞窟の外に吹きすさぶ嵐の音をじっと聴いていた。

 最近休み方のコツを思い出したんだ。どうやら私は横になるよりも、座って休む方が性に合っているらしい。

 足を組んで輪っかを作るような独特の座り方だ。

 こうしていると、気持ちが落ち着いてきて身体も心も休まる。一人で瞑想して静かに夜を明かそう、と思っていたんだが・・・・・・

 

「どうしてここにいる」

「べ、別にいいじゃねーか!」

「良くないだろ。お前は怪我をしているんだから」

 

 何故だかロードランナーが付いてきて、私の真似をするように座っているんだ。

 けれども、もぞもぞと動いていて落ち着きも何もあったもんじゃない。

 

「こーいうトレーニングなんだろ? オレ様も一緒にやらせてくれよ」

「トレーニング? いや、休んでいるだけだが」

「こんな恰好で眠るつもりかよー?」

 

 そうだ。と答えたらロードランナーは理解できないと言った風に首を振った。

 正確には本当に眠り込むワケじゃない。起きたまま半分眠ったようになるだけだ。

 これだと万一セルリアンに襲われてもすぐに対処できるから都合がいい。

 それでいて熟睡したように頭がすっきりするから、私にはこの寝方が一番向いているんだ・・・・・・だけど、他のフレンズに勧めようとは思わないな。

 

 それきり黙り込む。ロードランナーの奴もしばらくしたら飽きて帰るだろうかと思われた。

 しかし思った通りにはならない。彼女は私の真似をしながらも、もぞもぞと落ち着きなく動き続けている。

 やがてそれにも飽きたように足を崩すと「なあ、なあ」と私に話しかけてきた。

 

「アムールトラ、オレ様に戦い方を教えてくれよ」

「お、お前な・・・・・・」

 

 ぜんぜん意外には思わなかった。ロードランナーがこんなことを言いだしてきそうな気配は前々からあった。

 日中の「海の魔物」との戦いの時もそうだったし、今の彼女は焦って強くなろうとしている感が半端じゃない。

 確かに今後どんな敵と遭うか分からないから、そう思う気持ちはわかるんだけど、それにしたってうわつき過ぎだと思う。

 

「キョウシュウに着けばオオコノハズクと合流できる。彼女に鍛えてもらえばいい。お前は鳥なんだから、私の真似をしたってしょうがないぞ」

「けどよ、どーせなら一番つえー奴に教えてもらいてーよ」

「・・・・・・この世界に一番なんてものはない」

 

 世界のすべてを照らす太陽は偉大かもしれないが、命に満ち満ちたこの大海原もおなじく素晴らしいだろう。

 そんな海の上でずっと浮いていられるこのジョナサン号だって、その二つに負けてない。

 この世に存在するものは、何であれ唯一無二の価値があるはずなんだ。

 

「どーいうことだよ?」

「自分なりの強みを見つけなきゃダメだってことだ」

 

 ロードランナーが目を白黒させている。残念ながら伝わっていないようだ。

 例によって私は説明が不得手だから、こういう観念的なことを誰かにわかるように話せる自信はなかった・・・・・・

 ていうか、別に彼女は今のままでいいと思うんだが、そう考えているのは私だけか?

 

 ロードランナーは良くも悪くも「普通」のフレンズだと思う。ともえやイエイヌ、そして私のように特別な事情を抱えていない。

 そういう子が仲間に一人ぐらいはいないと、旅の空気が暗くなってしまう気がする。

 それだって十分な強みだと思うんだけどな。

 

_______ヒタ、ヒタ

 後ろから小さな足音が近づいて来るのを感じた。

 足音の主へと振り返ると、緑と赤の瞳の持ち主が照れくさそうにはにかんだ。

 ・・・・・・なんだ。結局いつもの仲間が集まってきたな。今この場にいないのはイエイヌだけか。

 

「2人の声が聞こえたから来ちゃった」

「ともえもトレーニングしに来たのかよー」

「えー何それ? ちょっと眠れないから散歩してたんだよ」

 

 ともえがロードランナーの突飛な物言いに苦笑しながら近づいて来る。

 そして私たちの傍に丸まるように座った。膝を抱いて縮こまりいかにも元気がない様子だ。

 それを見て、さしものロードランナーも軽口を叩く空気じゃないことを察したようだ。

 

 私はここ最近の彼女が落ち込んでいるのを知っている。

 みんなの前ではいつも通りに明るく振るまっているけれど、自分の正体や過去のことが不安で仕方ないようだ・・・・・・でも、無理に元気づけようとは思わない。

 彼女が悩みを聞いてもらいたい時だけ寄り添おうと決めている。

 

「わたしね、同じ夢をよく見るの」

「へえ、どんな夢だ」

「・・・・・・お父さんの夢」

 

 しばらく3人で黙ったまま座っていると、ともえが突然に口を開いた。

 お父さんという存在が何者かはまったく覚えていないんだという。

 ただ、ともえが今よりもずっと幼かった頃、よく彼女をおんぶして歩いてくれて、その背中の広さが大好きだったんだと話す。

 夢の中にはフレンズではなく、ヒトらしき同年代の友達もいっぱい出てきたと。

 ・・・・・・けれどもいつの間にか、お父さんも友達もどこかに消え去ってしまい、ともえは一人ぼっちで取り残されてしまう。

 夢は決まってその場面で終わるんだと。

 

 それにしても、お父さんか・・・・・・私がこうして生きているってことは、私にもきっとそういう存在がいたんだよな。どんな見た目だったんだろう。私に似ていたのかな? 

 今となっては、会いたいとか寂しいとか、そんな気持ちすら湧いて来ない。

 他にも思い出せないことが多すぎて、いちいち考えていたらキリがなくなってしまうからだ。

 

「メリノヒツジさんが言ってたよね。そのむかし、ヒトは神様に星から追い出されて、宇宙に逃げて行ったんだって」

「ああ、そうだったな」

「でもだったらどうして、わたしは一人であんな氷漬けの場所で眠ってたんだろう? わたしがアニムスっていうやつだから? わたしはヒトでもフレンズでもないってことなのかな・・・・・・」

 

 今までともえは旅を続ければそのうち「お父さん」や他のヒトに会えると信じていたという。

 だがどうやらそうでないらしいことがメリノヒツジの口から明かされた。

 残酷なものだ。事の真相を知るにはあまりにも断片的で、それでいて彼女の淡い望みを絶つには十分すぎる情報だった。

 

「悪い方にばっかり考えるな」

「そーだぜ。ゴコクで“かばん”ってのに会ってみねーことには何にもわかんねーじゃん」

「わたし、怖いよ。かばんさんに会って、また色々知ることになって・・・・・・もし、わたしの想像が当たっちゃったら・・・・・・」

 

 ともえの心はひどい板挟みにあって苦しんでいる。

 自分のことを知るためには旅を続けるしかない。でも、悪い想像ばかりが頭に浮かんで、先に進むことが恐怖を伴うようになってしまっているんだろう。

 これまでは先に進むのに精一杯だったから、まだ気にしないでいることが出来たかもしれない。

 しかし今、移動手段を手に入れたことで、旅が一気に進展しようとしている。

 それでまた恐怖心が再燃してきたという感じか。

 

「ともえ、私はお前のそばにいるぞ」

「も、もちろんオレ様もだ! ラモリさんもいるだろ! それに何より、ともえにはイエイヌがいるじゃねーか!」 

「イエイヌちゃんがわたしを助けてくれるのは、わたしをヒトだと思ってるからだよ。もし、そうじゃなかったのなら・・・・・・」

 

 ロードランナーと2人で必死にともえを励ましてみる。

 だが、イエイヌの名前を出したことで思わぬ地雷を踏むことになった。

 イエイヌは長い間自分の主人を探して旅をしてきた。その結果アンタークティカでともえを目覚めさせた。それが2人の旅の始まり。

 

 だがともえがイエイヌの探し求めていた主人であるわけではない。

 イヌという生物にとって、ヒトは無条件に友愛の対象となる。だからイエイヌはともえを庇護しているんだと。

 そして、その前提が崩れてしまったら・・・・・・と、ともえはイエイヌとの関係に危うさを感じているみたいだな。

 

 私もロードランナーもこれ以上うまい励ましの言葉を思いつけなくなった。

 ともえはますます気落ちして膝を抱いて黙りこくっている。

 イエイヌがこの場にいたらこうはならなかっただろうか? それとも、今は余計に落ち込ませてしまう結果になるだろうか?

 

_______ファサッ・・・・・・

 そんな気まずい空気の中、またしても新たな来客が私の前に現れた。

 船内から黒い影が羽音を立てながら飛び出し、私達が座っている所のほど近くにまで飛んでくる。

 そして彼女は折り畳まれた帆を固定している帆桁に降り立ち、上下逆さまにぶら下がった。

 その一見奇妙としか言えない姿勢が、驚くほどにサマになっているように見えるのだった。

 

「や、やあ、オオコウモリ・・・・・・」

「私も話に混じってもよくって?」

 

 てっきり彼女はヒョウの傍で一夜を明かすものと思っていた。

 しかし、いま私達の前に現れて話しかけきている。こんな所で油を売っていて良いのだろうか。

 

「あの子が、イエイヌが申し出てくれたんですわ。今晩だけでもヒョウの看病をさせてくれって」

「・・・・・・イエイヌちゃんが?」

「あの子からちょっとだけ事情を訊きましたわ。あなた方はこれから途轍もない冒険を始めようとしていますのね」

 

 いつでもともえの傍から離れないイエイヌが不在である理由とは、そういうことだったんだな。

 人一倍優しい心を持った彼女は、傷ついた者や病んだ者に対して何もしないでいることが出来なかったのだろう。

 それだけじゃなく、友を探して旅するオオコウモリに少なからずシンパシーを感じていたからというのもあるかもしれない。

 

「明日になったらあなた達ともお別れだから、ちゃんと話がしておきたかったんですの・・・・・・特にともえ、あなたには改めて謝らせて欲しいんですの」

「・・・・・・別にいいよオオコウモリさん。本当のことかもしれないし」

 

 言うまでもなく、オオコウモリが謝ろうとしているのは、ともえに対して「もしかして普通のフレンズじゃない?」と訊いたことだ。

 ともえがこんなにまで気にしていることを、ずけずけと指摘してしまったことに対して彼女は申し訳なさを感じているんだ。

 

「いいえ、本当にごめんなさい・・・・・・それと私から、ひとつアドバイスをさせていただきますわ」

「え、な、何?」

 

 オオコウモリは語る。フレンズには忘却の運命がついて回るものだが、多くの場合は「忘れたこと自体を忘れてしまう」のだと。

 忘れたことを自覚できるのは、自分にとって掛け替えのない思い出である証拠だと言うのだ。

 ・・・・・・だから、事実が何であれ、失った記憶を取り戻す機会があるなら迷わず進むべきだと。

 それがオオコウモリのともえに対するアドバイスだった。

 

「そうだ」と、ともえがハッと目を見開く。

 

「オオコウモリさんも友達を探して旅をしているんだよね? 顔も名前も思い出せない友達を・・・・・・大事な友達なんだよね?」

「・・・・・・ええ、でももう良いんですわ。今の私にはヒョウが一番大事ですもの」

 

 オオコウモリが恩人のカモメにさえ話していなかった己の過去を語りだす。

 彼女とヒョウとは、互いにいつ出会ったかわからないほどの長年の相棒同士であり、2人でずっと旅を続けて来たんだという。例の友達を探す旅だ。

 ・・・・・・だがあまりにも長い年数が経過したために、彼女もヒョウもその子の顔と名前はおろか、何者だったかすらも忘れてしまった。

 それでも2人はあきらめずに探し続けた。

 

 だがある日、強大なセルリアンとの戦いでヒョウが重傷を負った。

 彼女もまたオオコウモリと同じく高い戦闘能力を持っていたらしいが、不運にも当たりどころが悪かったらしいんだ。

 

「私は這う這うの体でヒョウを連れて逃げました。そして運よくカモメと出会い、この船に避難させてもらうことが出来ましたの」 

 

 それからオオコウモリはこの船の中でヒョウの看病をすることに決めたそうだ。

 大体のセルリアンは陸生だ。なかにはあの「海の魔物」みたいな例外だっているけれども、陸上よりはずっとセルリアンに襲われる頻度は少ない。だから都合が良かったんだろう。

 オオコウモリはひたすらにヒョウの回復を待った。

 船がどこに行こうとも降りることはなかった。カモメもいつまでも居て良いと言ってくれた。

 

 だがヒョウが回復することはなかった。

 セルリアンにやられた傷自体は癒えたものの、ほとんど目を覚ますことはなく、起きている時も呻き声しか発さない寝たきり状態になってしまったんだと。

 何が起きたのかはわからない。ひょっとしたらケガ以外の原因があったのかもしれないという。

 

 ・・・・・・私はその話を聞いて、自分の身に起きていたことを思い返した。

 私は長い間ビーストとして正気を失い、言葉すら話せなくなって彷徨い続けていた。あの状態も一種の病気だったと言えるような気がする。

 もちろんヒョウはビーストとは全然違う状態なんだけれども、言葉を発せられない所とかに共通点を感じる。

 

 やがてオオコウモリはヒョウの回復を諦めた。

 次に彼女が考えたのは、親友の終の棲家を探すことだった。

 近い内に訪れるであろう「その時」に備えて、ついにジョナサン号を降りる決意をしたんだと。

 見た目から分かる通りヒョウは陸のフレンズだ。

 だから海の上よりも、母なる大地に抱かれて最後の時を迎える方が幸せなんじゃないかと思ったとのことだ。

 

 ・・・・・・やるせない話だな。傍らではともえとロードランナーがグスっと涙ぐんでいる。

 ともかくそういった理由で、オオコウモリはホッカイに安息の地を求めることにしたようだ。

 長い船旅の中で、どうやらホッカイエリアは比較的セルリアンが少なくて平和らしいという情報を耳にしたかららしい。

 ・・・・・・うーん。ホッカイでもかなりセルリアンが暴れていたと思うが、それでも「比較的少ない」ぐらいなのか。

 これは今後の旅路ではよっぽど気を引き締めていかないとな。

 

「・・・・・・友達を探すのはやめるの?」

「ええ、ヒョウがあんなことになってしまったんですもの。もう諦めましたわ。彼女と2人で静かに暮らせる場所を探しますわ」

「そっか・・・・・・あのね、ホッカイで暮らすんだったら、おすすめの場所があるよ」

 

 そう言ってともえはオオコウモリに「虹の楽園」の話をし始めた。

 後でハツカネズミにも連絡をとって2人のことを紹介しておいてあげると。

 オオコウモリは逆さまの姿勢のまま目を閉じて興味深そうに頷いている。

 

「本当に大変なことがあったんだね」

「でも、そんなのみんなそうですわ」 

「うん・・・・・・」

 

_______ビュオオオ・・・・・・

 ともえがしんみりとした表情で洞窟の天井を見上げる。

 昼間はあんなに幻想的な景色だったこの場所も、今はすっかり闇に包まれていて、吹き荒れる雨風の音だけが洞窟内に響き渡っている。

 

 広がる暗闇はともえの未来への不安そのもののようだ。

 そして止まない嵐は、これまで大変なことばかりだったオオコウモリの人生のように思える。

 

「ところで、聞きたいことが・・・・・・」と、ともえが言いかけたその時。

「ああっ!!」

_______ストッ

 オオコウモリが突如大声を上げた。

 逆さまにぶら下がっていた柱から飛び降りて甲板に降り立つと、顔の横に手を当てて耳を澄ませるようなポーズを取った。

 その鋭い聴力で、私達には聴こえない何かの音を拾ったということだろうか。

 

「な、なに? とつぜんどうしたの?」

「そんな、こんなことって・・・・・・」

 

 ひどく取り乱した様子のオオコウモリが、ともえの呼びかけにも答えずその場から走り出す。

 船内へと再び入って行ったのだった。

 あまりにも様子がおかしかったので、私達も後を追いかけることにした。

 

_______ガチャッ

 そうこうしている内に辿り着いたのは、ヒョウが眠っていた例の部屋だ。

 先頭にいるオオコウモリが慌ててドアをこじ開ける。そして、その先で待っていたのは思いがけない光景だった。

 

「おい、し、おい、し」

 

 ヒョウが目を覚ましていた。

 イエイヌに抱き起こされ、顔の近くに食器を寄せてもらいながら、自分の手で食事を取っていたんだ。何口も何口も、スプーンですくって口元に運んでいる。味の感想も言っている。

 あれはお粥か何かだろうか。あれからイエイヌはまた新しい料理を作っていたみたいだ。

 

「ヒョウ・・・・・・」

 言葉を失ったままオオコウモリがよろよろと近づき、ヒョウへと手を伸ばす。

 目覚めたヒョウは未だに前後不覚のような呆然とした表情だったが、親友がそばにいることだけは理解できたようだ。

 そして「オ、コモリ」と、聞き取れないほどの小声だったが、確かに彼女の名前を呼んでいるのが聴こえた。

 

「う、う、う・・・・・・」

 感極まったオオコウモリがヒョウの肩に手を回して抱きしめる。それきり項垂れて声を押し殺すように涙を流し始めたのだった。

 それまでヒョウの傍にいたイエイヌが、微笑みながらさりげなくその場を離れた。

 

「イエイヌちゃん、どうやってヒョウさんを起こしたの?」

「わふっ? どうって、特別なことはしてないですよ。今のヒョウさんが食べやすい物をって思って、お粥を作ってみたんです。声をかけたりして様子を見ながら、ちょっとずつ食べてもらって・・・・・・そしたら自分で食べてくれるようになって」

「そ、そうなんだ」

 

 さも当然といったイエイヌの返答には、その場にいる皆が呆気に取られた様子になった。

 これまでヒョウは、オオコウモリが必死に看病を続けても回復しなかったのに、いとも簡単に体調が良くなったのは不思議と言うしかないだろう。

 ・・・・・・でも何となく納得できるかな。 

 長年のビースト状態や、戦いに次ぐ戦いでボロボロになった私も、イエイヌの料理を食べ続けたら、こうして見違えるように元気になった。

 ただ美味しいとか栄養があるってだけじゃ説明が付かない気がする。

 もしかすると彼女もまた、特殊な能力っていうのを持っているのかも知れないな。

 

 意識を取り戻したヒョウを見つめてみた。

 なんというか、一切の邪気が感じられない澄み切った目をしているなと思う。

 未だぼんやりとしていて、まともに言葉を発したり立って歩いたりすることは叶わないようだ。

 それでもオオコウモリはこれ以上ないぐらい喜んでいる。

 

 そして彼女は希望した。久しぶりにヒョウに外の空気を吸わせてあげたい、と。

 だったら皆で行こうってことになって再び甲板に戻ることにした。

 ヒョウを背負うのは自然と体格の大きな私の役目となった。

 こんな時間でこんな天候でなければ、彼女に素晴らしい景色を見せてあげられるのにな・・・・・・と思いながら甲板へと続く階段を上がった。

 

「わぁ・・・・・・!」

 

 階段を登り切った途端、その場にいる誰もが歓喜のため息を漏らす。

 洞窟の中の景色が、先ほどまでとは全く違う様相になっていたからだ。

 どうやら嵐は去ってしまったようだ。穏やかな潮風が洞窟の中に吹き込んでくるのを感じる。

 

 さっきまでとはうって変わって、天井の裂け目からは星明りが差し込んでいる。

 昼間のまぶしい陽射しと比べたら、あまりにもか細く弱弱しい光だったけれど、暗闇の中では十分すぎるほどの存在感が感じられるんだ。

 光の点が水面にいくつも瞬いていて、それはまるで星空が私達のいる所にまで降りてきて、空と海とがひとつに繋がったかのようだった。

 

「・・・・・・あー、うあー!」

「ひ、ヒョウ!」

 

 ヒョウが甲高い声を上げる。あまりの景色の綺麗さに感極まってしまったんだろう。

 それと同時にバランスを崩してひっくり返りそうになってしまった。

 私におぶさっていたはずが、きらめく星空に向かって手を伸ばしたからだ。

_______ガシッ

 あわてて身をひるがえし、地面に落ちそうになっていたヒョウを抱きとめる・・・・・・直後、それを近くで見ていたともえ達が安堵のため息をつくのが聴こえた。

 

「ヒヤッとしたぜアムールトラよー」

「ああ、危なかった」

「・・・・・・あ、む・・・と・・・」

 

 訳が分からない様子のまま私に抱き上げられるヒョウだったが、やがて元のように首にしがみついてくれた。

 ・・・・・・耳元で彼女が私の名を呼んでいる。ロードランナーが言ったのを復唱したんだな。

 

「あらためてお礼を申し上げますわ。こんな素晴らしい景色は久しぶりですもの」

「オオコウモリ、君にも見えているのか」

「ええ、もちろん・・・・・・」

 

 オオコウモリは目ではなくて耳で景色を楽しんでいるんだという。

 嵐が過ぎ去った後にやってくる、穏やかな風とさざ波が奏でる音が、目で物を見ているフレンズには想像も出来ないぐらいに美しく立体的に聴こえるらしい。

 まさしく形や色に囚われない音の世界なんだと。

 ・・・・・・でも、そんなことよりも、ヒョウが久しぶりに元気を取り戻して楽しそうにしている息遣いを聴けたのが何より嬉しいんだと。

 

「理屈じゃありませんのよ。こんな音が聴けるなんて、今まで生きてきた甲斐があった。何故だかそんな風に思えるんですの・・・・・・大げさかしらね」

「いいや」

 

 私もオオコウモリとまったく同じ感想だ。

 長い間ビーストと化していた私は、自分が何者であったかも忘れて一人孤独に彷徨っていた。

 生き延びることに必死で、自分のことが信じられなくて、風景を味わう余裕なんてとてもじゃないけどなかった。

 でも今は違う。ともえ達と出会い、メリノヒツジと戦い、ビーストと和解を果たした今、目に映るものがどこまでも色鮮やかに広がっていると思える。

 ・・・・・・今まで生きてきた甲斐があった。

 

「この世界は、きれいだな」

「ええ、本当に・・・・・・」

 

 洞窟の中に零れる星明りを瞳に映しながら呟くと、オオコウモリが相槌を返してくれた。

 そしてヒョウもまた無邪気な瞳で星々を眺めている。私の腕の中で「あ、む、あ、む」とうわごとのように繰り返している。

 なんだかやたらと私に懐いているみたいだ。

 斑模様の背中を撫でると、彼女はゴロゴロと甘えるように喉を鳴らした。

 

 ともえ達のほうに視線を向けてみる。

 ロードランナーは両手を上に広げて、星空を掴もうとしているような動きをしている。

 イエイヌはうっとりとした表情で風景に見入っている。

 ・・・・・・ともえは、何だか浮かない表情をしているような気がした。上を見上げることもなく放心状態になっている。

 イエイヌが「ともえさん」と呼びかけるとハッとして、すぐにいつもの彼女らしい快活な表情に戻った。

 私もそれ以上は気にすることをやめた。

 

 オオコウモリとヒョウが船の上で過ごす最後の夜は、こうしておだやかに更けていった。

 

 

 その日はカモメが予想した通りに快晴となった。

 夜明けと共に洞窟を抜け出したジョナサン号は、ポート・オータルを目指すために大きくUターンするような航路を取ることになった。

 

 こうして船上に揺られているだけではいまいち分かりにくいんだけれど、舳先によってかき分けられた波が一瞬で後方に遠のいていくのが見える。

 やっぱりかなりのスピードが出ているんだろうな・・・・・・そうこうしているうちに、一旦は遠のいていたホッカイエリアの陸地が再び大きくなってきた。

 

 太陽は真上よりも少しだけ東寄りに傾いている。

 朝から船を出して、もうそんなに時間が経ったんだな。

 おおむねカモメが言っていた通りになったか。昼前ぐらいには着くという話だったもんな。

 

 だんだんと見えてきた。あそこがポート・オータルか。

 磨き上げられたように真っ白い岸壁が、目印のように海面から突き出しそびえ立っている。

 岸壁の根元は大きく内側へと抉れており、奥まった場所には美しい黄金色の砂浜が見える。

 さらには砂浜の向こうにはなだらかな丘と森が地平線の向こうにまで広がっている。ホッカイエリアの玄関口だ。

 

 なるほど、広さといい地形といい、あの砂浜は船を止めるのに持ってこいだ。

 海と陸をつなぐ玄関口ってわけだな。ああいう地形があるからこそホッカイエリア有数の港として成り立っているんだろう。

 ・・・・・・だが今は船もフレンズの姿も見あたらない寂しい場所だった。

 海の魔物騒ぎのせいだろう。姿を隠してしまっているんだ。

 

 ジョナサン号がさっそく砂浜へ接舷しようと舳先を向かわせた矢先、すぐそばの海面で小さな影がちょろっと跳ねるのが見えた。

 大きめの魚かな? と思って柵ごしに身を乗り出して眺めてみる。

「おーーーい!」

 どうやら魚ではなくフレンズだ。私の姿を見るなり海面から上半身を出し、両手を振って存在をアピールしている。

 程なくしてその子が顔見知りであることに気付いた。

 

「おーっ! アムールトラでねえが!」

「ミナミオットセイか」

 

 どうやらミナミオットセイは私達に船を与えてくれた後もずっと気にかけてくれていたらしい。

 私達がポート・オータルを目指していることを知っていたので、無事ならば必ずやって来るだろうと思い、先回りして待っていたとのことだ。

 

「ミナミオットセイ、申し訳ないんだけれど、君の船をダメにしてしまったよ」

「ありゃおめ達にやったもんだべし気にすんな! そっただことより、おめ達がこの船に乗って現れたっづーことは・・・・・・」

「ああ、魔物はもう倒した」

「や、や、やったべーー!!」

 

 私からその言葉を聞いた途端、ミナミオットセイは海面高くジャンプして、空中で宙返りしながらガッツポーズを決めて見せた。

 そして派手な水しぶきを上げながら着水すると、背後にある砂浜に振り返りながら「聞いただか!」と大声で叫んだ。

 

「海が平和になったべよ!」

 

 あたかもその声が号令になったかのように、にわかに砂浜が賑やかになり始めた。

 海の中から、砂浜の向こうの森から、または空から、いったいどこにそんなに隠れていたのかと思うぐらいたくさんのフレンズ達が姿を現わした。

 

「わーーっ! 久しぶりの海だ!」

 さらには彼女達の多くが船を所持していた。

 歓声を上げながら、先を争うようにして船を海面へと引きずっていく。

 そうこうしているうちに、ヨットだったり手漕ぎボートだったり、様々な種類の船が辺りの海に浮かび始めたのだった。

 ・・・・・・みんな本当に楽しそうだ。

 この辺りに住んでいるフレンズは、船が生活の手段っていうのもあるだろうけど、単純に海が好きでしょうがない子達ばかりなんだろうなと思った。

 

 お祭り騒ぎのように賑わう船と船の間をかき分けて、ジョナサン号が砂浜近くに停泊する。

 船旅を終えたキンカジュー、キーウィ、ヤマバクの3人が、それぞれの目的のために新天地ホッカイへと上陸する時がやって来たんだ。私達4人はこのまま船に乗って海に出るわけだけれども、一旦は降りて彼女達を見送ることにした。

 彼女達はここまで自分を連れてきてくれた感謝をカモメに向かって口々に告げた。

 カモメも「がーんばれよ~♪ げーんきでな~♪」とお得意の歌い節を決めながら彼女達を送り出したのだった。 

 

 そしてオオコウモリとヒョウも旅立とうとしている。

 カモメも長いこと船に乗っていた彼女達が去ってしまうことには名残惜しそうにしている。

 他人の旅路にあれこれ言わないっていうポリシーを持つ彼女だけれども、寂しいことには変わりないんだな。

 

 ヒョウの様子はというと、昨日目を覚ましてからは変わらず調子が良さそうだった。

 私はあれからオオコウモリにひとつアドバイスをしたんだ。

 もしかすると今のヒョウの身体は、ジャパリまんを受け付けなくなっている可能性がある。

 だから野菜や果物とかを代わりに食べさせた方がいいかもしれないと。

 ・・・・・・まあ、確かな根拠は何もないんだけれど。

 今のヒョウはビーストに近い存在なんじゃないかって、私が勝手にそう思っているだけだ。

 

 そんな頼りないアドバイスだったけれども、オオコウモリは興味深そうに頷き「心に留めておきます」と言ってくれた。

 そして試しに今朝がた、ヒョウにいくつかのリンゴをあげてみたところ、おいしそうに食べてくれたとのことだった。

 

「カモメ、あなたには本当に助けられましたわ」

「ラララ♪ 君達がいなくなると寂しいよ~、ヒョウと一緒に達者でね~・・・・・」

 

 オオコウモリはカモメと握手しながら別れの挨拶を済ませた後、傍らで見送ろうとしている私達4人の方に向き直った。

 

「・・・・・・本当に、奇妙な巡り合わせですわね」

 

 微笑みかけるでもなく、名残惜しそうにするわけでもなく、白く濁った瞳を開いて、真剣な面持ちで私達の事を見つめてきている。

 彼女の足元にはヒョウがいて、ゴロゴロと甘えたように鳴きながらペタンと座り込んでいる。

 

「あなた達はこれから、行く先々で色々な出来事に直面するのでしょうね。まるであなた達を中心に大きな引力が働いているかのように・・・・・・」

「オオコウモリ、それは君の未来予知の能力で言っているのか?」

「私の力ではそこまでの予知は出来ませんわ・・・・・・何となく、そんな気がするだけですのよ」

 

 あなた達に会えて本当によかった。旅の無事を祈っている。

 オオコウモリはそう言い残すと、ヒョウを抱きかかえながら翼を羽ばたかせ飛び上がった。

 十分な高さにまで上昇すると、空中でひらりと身を翻し、ホッカイの広々とした大地と空の間へと飛び去ってしまった。

 

「いつかまた、絶対に会おうね」

 

 ぽつりと呟きながら空を見上げてみる。

 オオコウモリ・・・・・・ほんとうに不思議なフレンズだった。

 昨日出会って今日別れた、ただそれだけの間柄でしかない。

 ・・・・・・なのに、まるで長年背中を預けて戦っていた仲間であるような友情を感じた。

 彼女とはもっとゆっくり話をしてみたかった。

 でも今は叶わないことだ。それぞれ行く道が違うんだから。

 

「・・・・・・いいの、アムールトラさん?」

「ん、どうした、ともえ?」

「オオコウモリさんを追いかけてもいいんだよ」

 

 ともえが急に突拍子もないことを言ってきた。

 私だけじゃなくイエイヌとロードランナーもぽかんとなり言葉を失っている。

 何を言っているんだと問い詰めてみると、彼女は目に涙をにじませ嗚咽交じりに語り始めた。

 

「メリノヒツジさんが、ある2人組のフレンズの話をしてたじゃない」

 

 ・・・・・・ああ、そう言えばメリノヒツジは戦いの最中にそんなことを言っていたな。

 あの時は彼女との死闘を繰り広げるのに必死だったから半分聞き流していたけれど、落ち着いて思い返せばどんどん情報が蘇ってくる。

 

 この時代に目覚める以前、私はとある戦いが原因で永い眠りに付いていたらしい。

 そしてメリノヒツジの手によってジャパリパークのどこかに厳重に幽閉されていた。

 しかし例の2人はそんな私を助け出し、メリノヒツジの手から長年守っていてくれていたという話だった。

 彼女をして「目の上のたんこぶ」「尊敬に値する」と言わしめるほどに強かった2人だからこそ出来たことだったそうな。

 

 さらに時が経ってから、メリノヒツジはビースト化して彷徨っている私だけを見つけ出した。

 例の2人はいずこへと姿を消してしまっており、生きているのか死んでいるかも分からない状況だったと。

 メリノヒツジが話したのはそこまでだった。

 私は2人の名前さえ聞けず仕舞いだった。聞いた所で思い出せまい、と彼女は私に教えてくれなかったんだ。

 

「例の2人っていうのは、オオコウモリさんとヒョウさんなんじゃないの?」

 

 確かに、オオコウモリほど強いフレンズは滅多にいない。

 彼女がかつてメリノヒツジに一目置かれる程の戦士だったならば納得がいく。

 そして私とああまで息を合わせた連携が出来たのは、過去にも私と共闘したことがあるから。

 もし、オオコウモリが探していた「友達」っていうのが私だったとしたら、メリノヒツジの話と色々なことが合致するのは確かだ。

 

「2人と一緒に暮らしたら、アムールトラさんはそれがきっと一番幸せだよ。だってあの2人は、アムールトラさんの本当の仲間なんだもん」

「・・・・・・何を言っているんだ? これからの旅はどうする? ジャパリパークの未来がかかっているんだぞ」

「アムールトラさんは今まで辛いことばっかりだったんだから、幸せになる資格があるよ」

 

 ともえのその言葉をどう受け止めたらいいか分からなかった。

 私の幸せのことを考えてくれているようであった・・・・・・だがそれでいて、どこへなりと去ってくれてかまわない、といった冷たい拒絶の言葉にも感じた。

 だいたい本当の仲間って何なんだ? 私とともえはそうじゃないのか? と嫌悪を感じてしまうほどだった。

 そしてともえの言葉の矛先は、私以外にも向けられた。

 

「・・・・・・イエイヌちゃんも」

「と、ともえさん!?」

「いつかイエイヌちゃんの本当の”大事なヒト”が見つかったら、わたしのことは気にしないで行っていいからね」

 

 2人の絆の根幹を揺るがしてしまうような言葉がともえから飛び出した。

 だがどうやら冗談や意地悪の類ではない。言っている当人が一番辛そうな顔をしているからだ。

 緑と赤の瞳からは涙が溢れ、それを隠すように顔を俯けて黙り込んでしまった。

 

 イエイヌはというと、予想だにしなかったであろう親友の言葉に対してどう答えたらいいかわからず狼狽えている。

 ロードランナーは「おめーらしくねーよ」と小声で呟いた。

 彼女は昨晩のともえの落ち込んだ姿をすでに目撃しているので、合点がいっている様子であったが、上手い励ましの言葉を思いつけないでいるようだ。

 

 私はともえからワケを聞いてみることにした。

 すると「わたしには誰もいない気がするから」という言葉が返ってきた。

 それを聞いて、何となくだけれども彼女の考えていることが分かってきた・・・・・・昨晩のあの表情の理由も。

 

 ともえはずっと寂しかったんだな。

 イエイヌには本当の主人が、ロードランナーにはプロングホーンが・・・・・・という風に、切っても切れない仲の存在が自分にはいないことを気にしていたんだ。

 そして私が「本当の仲間」のオオコウモリ達と心を通わせる様を見て、寂しい気持ちがいよいよ極まってしまったということか。

 

「きっとわたしはイエイヌちゃんに起こしてもらうまで、ずっと眠ってるだけだったんだ。冷たくて何もない氷の中で・・・・・・それがわたしの全部なんだ・・・・・・」

「違うぞともえ! お前は空っぽなんかじゃない! それこそ、メリノヒツジと戦った時のことを思い出してみろ」

「え? あの時頑張ったのはアムールトラさんで、わたしは何も・・・・・・」

「お前も私と一緒に戦ってくれたじゃないか」

 

 ともえが置かれた特殊な状況。そこから来る苦しみを解消してあげることは私には出来ない。

 だけどこれだけは自信を持って言える。ともえは強いと。

 何故ならメリノヒツジに対して一歩も引かずに自分の意見を伝えたからだ。

 

 メリノヒツジは過去のすべてを知っていた。それがゆえに歴史は繰り返すと断じ、未来への希望を見出すことを止めていた。

 そんな彼女に対してともえは、未来を信じる気持ちを最後まで曲げなかった。

 戦う力があるわけじゃないのに、本当にすごい勇気だと思う。

 

 ともえ達には知る由もないことだけれど、私は事切れる寸前のメリノヒツジと話したんだ。彼女の心の中で・・・・・・

「僕もあのアニムスのように未来を信じてみたい」

 彼女はそう言ったんだ。そして自分の分まで未来を見届けてくれ、と私に頼んでこの世を去った。

 最後の最後でともえに共感を示したんだ。それは紛れもなくともえの言葉があったからだ。

 

 それだけじゃない。ともえは私のことも救ってくれた。

 長い間、私はビーストである自分自身のことを信じられないでいた。そんな私をともえは信じてくれた。

 だからこそ私はもう一度自分を信じようと思えたんだ・・・・・・今思えば、それこそが立ち直れた切っ掛けだった。

 

「お前にはすごい力がある。未来を信じる心の強さだ・・・・・・でもそれは、誰かがお前に教えてくれた物なんじゃないのか? それこそ、夢の中に出てくるっていうお前のお父さんが」

「・・・・・・知らないよ。何も憶えてないもん」 

「思い出せなくたって過去は過去だ。記憶はなくても想いは残るんだ」

 

 それは私自身の言葉じゃない。

 メリノヒツジとの戦いの最中、脳裏によぎる謎の声が語っていたことだ。

 優しくてどこか懐かしい・・・・・・それでいて遠くに感じるような声だった。

 あの言葉があったからこそ、今の自分のみならず、昔の自分も信じる勇気を持つことが出来た。

 そうして私は昔の自分そのものであるビーストと完全に和解を果たした。

 

「記憶はなくても、想いは残る・・・・・・」

「そうだ。その想いがお前を突き動かしている。そんなお前だから、私達は付いていこうって思えるんだ」

 ともえが私の言葉を反芻するように呟いている。

 未だにその目は涙に濡れているけれども、二つの色の瞳に再び光が宿るような気がした。

 

「・・・・・・わふっ、ともえさん」

 イエイヌがともえの手を取りながら語り掛ける。その声色は優しかったが、ともえに対する気遣いというよりはむしろ神妙な感じがする。

 この際だから言いにくいことを言ってしまおうという覚悟が垣間見える。

 

「ご主人のことは、今でも懐かしいです。会いたくて仕方がないです。正直、あのヒトとともえさんを重ねて見てしまうことだってあります」

「・・・・・・やっぱり、そうなんだ」

「でも今は少し違います。私はともえさんがヒトだから付いて行っているわけじゃないです。ともえさんが好きだからです。優しいだけじゃなく、思ったことは絶対に曲げない強さを持ったともえさんのことが・・・・・・

 アムールトラさんの言う通り、そんなともえさんがいるからこそ、私達はまとまれているんだと思います。そして私は、みんなで旅が出来ている今がとっても幸せです・・・・・・これから何があったとしてもこの気持ちは変わりません。だから、寂しいことを言わないでください」 

 

 ともえは少し安心したような表情になった。

 一番大事な相手から正直な気持ちを聞かせてもらったからだ。

 元の主人への揺らがぬ愛を持つイエイヌにとって、ともえが主人と重なって見えてしまうことは仕方がない。

 それでも、彼女はともえだけが持っている良さをちゃんとわかっているんだ。

 

「・・・・・・お、お、オレ様よー」

 ロードランナーが頭をかきながら照れくさそうに口を開く。この空気で自分だけ黙っていることは無理だと察したんだろうな。

「えーと、その、つまりよー」

 だが中々語りがはじまらない。考えがまとまりきらないようだ。

 

「オレ様、早く強くなりてーって思ってる。故郷を奪われたのは悔しいし、プロングホーン様の自慢の子分になりてーし・・・・・・でも、それがオレ様にとって一番大事かって言うと、正直違うような気がするんだよなー。

 ・・・・・・で、よくよく考えたんだけどよ、オレ様は、単純にこの旅を楽しんでるんだよな。

 おめーらが一緒にいて、行く先々で色んなフレンズに出会えて、毎日がキラキラしてて最高なんだ・・・・・・だからともえ! おめーにこの旅を仕切ってもらわなきゃ困るんだからな!」

 

 言い終えてからロードランナーは照れくさそうに赤面する。

 ・・・・・・彼女がオオコウモリから「いつか大物になる」と言われた理由がわかるような気がする。

 彼女には自分を含めて何者をも否定しない心の明るさがある。

 その光は傍にいる私達を照らし続けてくれるだろう。

 

「・・・・・・みんな、ありがとう。ごめんね」

 ともえが仲間たちの思い思いの言葉を受けて呟く。

 涙をぬぐい去ると、腫れぼったい眼で上を向き、広がる空と海とを仰ぎ見た。

 遠くを見つめる緑と赤の瞳には、どんなに心細くても前に進もうとする強い気持ちが垣間見えたような気がした。

 

「一緒に行こうね。どこまでも、一緒に」

 

_______じーっ・・・・・・

 今度こそ4人で気持ちを一つにして、砂浜に停泊しているジョナサン号に戻ろうとしたその時、カモメが私達のことを見ているのに気付いた。

 柵から身を乗り出して、無言のまま何とも言えない微笑みを浮かべてこちらを凝視している。

 ・・・・・・彼女は私達のやり取りをぜんぶ聞いていたんだよな。何だか気恥ずかしい。

 

「な、なんだよー! 見せもんじゃねーんだぞ!」

「・・・・・・いやなに、青春だな~、と思ってーね~。大きな旅が始まる前ってさー、ワクワクよりもブルーが勝るんだよね~」

「ちぇっ、まーこれからよろしく頼むわ。船長さんよー」

 

 ロードランナーが怒ったリアクションを見せるも、見事にあしらわれてしまった。

 旅慣れたカモメだからこそ、今の私達の気持ちも手に取るようにわかるってことか。

 ・・・・・・それにしても「船長」か。これから彼女の船に世話になるわけだし、そう呼ぶのも悪くないかもな。

 

「さあ、いよいよ出発だよ~♪ ヨーソロー!」

 

 カモメは私達が乗り込むのを確認すると、ゆっくりとした足取りで舵の所まで歩いて行った。

 彼女が舵を握った途端、ジョナサン号が息吹を吹き込まれたように動き出す。

 海中に刺さった錨がゆっくりと船内に回収され、船中に張り巡らされたロープが動いて、丸く畳まれていた帆が張られていく。

 その様はまるで魔法だ・・・・・・やっぱりこの船も、たいがい得体の知れない仕掛けで動いているみたいだな。

 

_______ザザァッ・・・・・・

 ジョナサン号がぐんとスピードを増し、ホッカイの陸地があっという間に遠ざかっていく。

 私達はしばし好きなところに散って、思い思いに風景を眺めることにした。

「うおーーっ! すげー!」

 ロードランナーは船の帆先に身を乗り出して、前方に広がる海に目を輝かせているようだ。

 

 ともえとイエイヌは船尾にて身を寄せ合い、互いに言葉を交わすことなく、小さくなっていくホッカイエリアを見つめている。

 名残惜しいだろうな。ホッカイは2人が出会った場所であり、ともえにとっては出生地も同然の場所だもんな。

 

 そしてホッカイは私が帰る場所でもある。

 どんなに時間がかかっても、この旅でやるべきことを終えて、ともえ達と一緒にホッカイへと戻る。虹の楽園へ行って、オオコウモリとヒョウに再会するんだ。

 かつての仲間だったからとかそういうのは関係ない。2人とは新しく友達になればいい。

 

「ホクセイノ カゼ フウソク7メートル、キョウカラ アスニ カケテ テンキセイロウ・・・・・・」

「そうなんだ」

「トコロデ トモエ キノウヨリ ゲンキニ ナッタカ」

「うん、ありがとう・・・・・・!」

 

 ともえの方をチラリと見やると、彼女は手首にあるラモリさんに顔を近づけて会話をしていた。

 ラモリさんはともえ以外とは言葉を交わさないんだ。ともえが他のフレンズと会話をしている時にそれに混ざるようなことはない。

 それでも、彼が一番そばで彼女のことを気遣っているんだなと思った。

 

 私は特に場所にはこだわらず、甲板の中ほどでじっと佇み、船に吹き付ける風を感じていた。

 結構強めの風だ。頬を打ち髪の毛をなびかせている。それでいて心地よさも感じる。

 船っていいな・・・・・・風に乗ってどこまでも行けるって言うんだから、カモメが降りたがらないのもわかる気がする。

 

(記憶はなくても想いは残る、か・・・・・・)

 

 船旅の心地よさに浸りながら、私はふと、先ほどともえに話したことを思い返していた。

 あの時私は、ともえに対して話しているだけじゃなく、自分で自分に語り掛けているような気分になっていた・・・・・・

 この言葉はとても深い意味を持っている。そして誰にでも当てはまる。

 

 花が枯れても種が残るのと同じように、誰もが過去の想いを受け継いで生きている。

 ・・・・・・そして、私は何があってもこの旅をやめるわけにはいかない。

 何故ならばメリノヒツジから「未来を見届ける」という意志を受け継いだからだ。

 メリノヒツジとのことだけじゃない。今まで起きたことすべてに意味があったように思える。

 

 寂しくて苦しいばかりの人生だと思ってた。けれども今は感謝で胸がいっぱいだ。

 かつて私と出会い、想いを託してくれた多くの者たちに。

 これから私と一緒に歩んでくれる素晴らしい仲間たちに。

 ・・・・・・これまで頑張って生きてきた私自身に。

 

 どんな運命が待ち受けているかわからないけれど、私は変わらずに進み続ける。

 過去があるから今を生きていられる。今を一生懸命生きれば未来へとつながっていく。

 ただそれだけを信じて・・・・・・

 

「ありがとう、がんばるよ」

 風に吹かれながら、目の前に広がる美しい世界に向かって私は呟いた。

 

 the end




_______________Cast________________
 
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属トラ亜種 
「アムールトラ」
哺乳綱・ネコ目・イヌ科・イヌ属 
「イエイヌ」
鳥綱・カッコウ目・カッコウ科・ミチバシリ属 
「ロードランナー」
哺乳綱・コウモリ目・オオコウモリ科・オオコウモリ属
「オオコウモリ」
哺乳綱・ネコ目・ネコ科・ヒョウ属
「ヒョウ」
鳥綱・チドリ目・カモメ科・カモメ属
「カモメ」
食肉目・鰭脚類・アシカ科・ミナミオットセイ属
「ミナミオットセイ」
哺乳綱・食肉目・アライグマ科・キンカジュー属
「キンカジュー」
鳥綱・キーウィ目・キーウィ科・キーウィ属
「キーウィ」
哺乳綱・ウマ目・バク科・バク属
「ヤマバク」 
自立行動型ジャパリパークガイドロボット 
「ラッキービーストR‐TYPE-ゼロワン 通称ラモリ」
????????????????????? 
「通称ともえ」

_______________Story inspired by________________

“けものフレンズ”  “けものフレンズ2”
      byけものフレンズプロジェクト

     “けものフレンズR”
      by呪詛兄貴


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あとがき


 おもにキャラクターの解説を中心に、どのようなことを考えて話を書いていったのかを取り留めもなく語らせていただきます。


 2019年の4月だかその辺りに「けものフレンズR」と出会い、どハマりしました。

 それから深く考えもせず、社畜生活のかたわら「あるトラの物語」の執筆を始めました。

 小説なんてものはそれまで書いたこともなく、まあ半年やそこらで書けるやろ・・・・・・などと軽く考えてました。

 いやはや、半袖短パンで富士山を登ろうとするような無謀な思いつきでした。

 

 この作品のタイトルは最初は「けものフレンズRêve」というものでした。

 アムールトラはあくまで主役の一人に過ぎず、ほかの「開拓者カルテット」全員が主役の話を書くつもりでした。

 全員の過去を書ききり、さらにカルテットとしての冒険の旅も完遂するという構想でした・・・・・・

 ですがほどなくして、そんな大長編の物語は、自分の執筆スピードでは一生ものになってしまうことに気付きます。それならアムールトラだけの話に絞ろうと思い至り「あるトラのものがたり」にシフトしました。

 

「アムールトラが報われるような話を書きたい」

 この作品でやりたかったことはたったそれだけです。

 ただ、報われるってどういうことなんだろう? と色々考えを煮詰めていった時に、そのことが簡単ではないことに気が付きました。

 

 原作アニメにおいてアムールトラが不遇なのは「誰も寄り添ってくれなかった」「素性や内面が一切描写されなかった」の二点だと思います。

 このうち前者はRにて仲間を得ることで払拭されましたが、後者においてはほとんど手つかずの状態だったように思いました。

 

 なのでこの作品では、アムールトラの生い立ちや、どうしてビーストになってしまったのかなどを描き切った上で、その状態から立ち直るという過程を描くことに注力していくことにしました。

 ゼロから話を作る過程で「フレンズ同士の少年漫画みたいなバトルがやりたい」「ジャパリパークが出来るまでの歴史を書きたい」など、やりたいことを野放図に取り込んでしまった結果、完結までに130万文字もかかってしまう作品になりました。

 

 話の内容は進めば進むほどダークでシリアスなものになっていきました。

 けもフレにこんな重い内容求められてないだろ、と頭ではわかっていたんですが、アムールトラという原作で過酷な扱いを受けたキャラを真正面から描くと、僕としてはシリアスよりにせざるを得なかったんです。

 それでも彼女に鬱展開を背負わせてばっかりであることに申し訳なさを感じていました。

 これでエターナったりしたら、彼女を二次創作で虐待しただけになってしまうので、絶対にハッピーエンドで終わらせてみせると思い書き続けました。

 

 見返してみると、けもフレっぽいのんびりとした旅のエピソードは、最近書いた最終回付近の話だけでしたね。

 あんまりにも歪な構成だと思いますが、まあこういうライブ感がにじみ出ているのも素人二次創作の醍醐味かと思ってご容赦ください。

 

 私事で恐縮ですが、この作品を書くにあたって、誤字指摘や表現への突っこみを行っていただいた今日坂さんには改めてお礼を申し上げます。 

 

 キャラクター解説

(※すべての登場人物を紹介しているわけではありません)

 

アムールトラ

 正直、原作アニメではビーストであることと見た目しか決まっていないようなキャラだったので、ほぼオリジナルキャラを一から考えるような感じでした。

 戦いを好まない温厚な性格であることは早くから決定していました。

 トラのくせに気が優しい、というのがコンプレックスのキャラです。

 有名な作品で例えると「あしたのジョー」ではなく「がんばれ元気」もしくは「ロッキー」ではなく「クリード」といった感じです(古い)。

 優しいアムールトラが段々とビーストに近づいていくことへの悲壮感を出す・・・・・・というのが過去編を書く上での重要なテーマのひとつでした。

 

 物語を通して「白い花」というシンボルを背負っているキャラです。

 序盤においては、ビーストの中に残っている正気の部分の象徴として。

 そして終盤においては「花が枯れても種は残る」という言葉で繰り返し言及され、他者から想いを受け継いで生きる、という本作のテーマを体現する存在として、アムールトラの心の中にいつまでもあり続けます。

 

 トラという動物が持つイメージとしては、狂暴で勇ましいというのが一番かと思いますが「虎視眈々」という言葉もあり、冷静に獲物のスキをうかがう動物でもあります。

 後は、色々トラの動画とか画像とか漁っていると、腹ばいになってジッとしている時が多い気がします。そういう静かな佇まいに、密林の王者としての風格が感じられる気がします。

 うちのアムールトラは、そういった「静」のイメージを膨らませて作りました。

 

 トラというのはほぼアジアにしかいない動物なので、オリエンタルな要素をキャラ描写に取り入れていくことを心がけました。

 細かいことですが、技の名前を漢字に統一しています。他のフレンズは全員横文字です。

 戦闘スタイルは空手ですが、同時にマインドフルネス=禅の精神を戦闘に取り入れています。

 暴走状態であるビーストとは真逆の落ち着き払った状態で戦うキャラにしたらギャップが際立つし、暴走を克服することへの説得力が生まれるからです。

 

 また自然崇拝のような思想をうかがわせる発言を良くしています。

 日本古来の自然を崇める神道は、中国から渡ってきた仏教と融合し、神仏習合の思想体系を作り上げ、その過程で禅の精神も育まれてきました。

 このようにアムールトラは極めてアジア的な思想を持っています・・・・・・が、ぶっちゃけ北斗神拳とかジェダイとかニュータイプとかも入ってると思います。

 色々好きな要素を盛り込んだ結果、戦いのたびに精神世界に突入したりするスピリチュアルな方面に足を突っ込んだキャラになりました。

 

 難点としては、いい子に書き過ぎたことです。(いい子以外には書きようがないんですが)

 自分で何かやらかすようなタイプではないので、こういうキャラを輝かせるためには敵キャラだったりトラブルの存在が不可避だと思います。

 原作のような牧歌的な世界では、普通にのんびりと暮らしてそうですね。

 

 それとバトルシーンが少々盛り上がりにかけるのかなとも思っていました。

 能力的に強すぎるというのと、スピリチュアルな流れに持っていって解決しようとするきらいがあるので、戦いの駆け引きとかが限定されてしまっています。 

 最終的にはビーストの力を制御し、ビャッコの能力まで使いこなせるようになっているので、チートとしか言いようがないぐらい強くなっています。

 

 これからも旅は続くという形で幕引きになりましたが、実際に続きを書くとしたら、彼女の強さに見合う敵を用意するのは困難を極めるだろうな、と思います・・・・・・

 まあ、何はともあれお疲れ様。今までありがとう。

 

ともえ、イエイヌ、ロードランナー、ラモリ

 Rの本当の主役たるキャラ達ですが、本作品では路線変更のあおりを受け、序盤と終盤にしか出番を用意してあげられませんでした。

 

 ともえは過去編で存在のネタ晴らしがされてしまっていますが、彼女自身が作中でそれを知ることはありませんでした。

 もし彼女が自分の正体を知る時がきたら、また鬱展開になるんだろうな。もうこりごりだよ。

 最終話ではメンタルをやられてしまっていて、それをアムールトラが励ます流れになりましたが、アムールトラが誰かを励ませるぐらい立ち直ったことを示すために必要な描写でした。

 

 イエイヌはアムールトラと同じぐらい好きですが、4人組で話を書き続けていくとなったら少し扱いに困るキャラです。

 ともえとニコイチであり、ともえと一緒にいる時点で救われてしまっている感があります。性格も真面目一途なので目立たせにくいです。

 本作においては料理という一芸を持たせてヒーラーをやらせていますが、それで何とか間を持たせた感があります。

 

 逆にロードランナーは典型的なコメディリリーフなので、どんな時でも鉄板の扱いやすさを誇っていました。

 こういうキャラって読者よりも作者向けのキャラなんですね。おちゃらけさせれば書いてて癒されるし、一人いるだけで場面の回しやすさが半端じゃない。

 

 ラモリは「どこからともなく現れてともえ達を助ける」キャラとして最初は書いていました。

 ヘリで助けに来るシーンとかはお気に入りです。

 ・・・・・・が、終盤にメリノヒツジに破壊され、ともえのブレスレットと化してからは、そういうことが出来なくなってしまい、随分と影が薄くなってしまったなと思います。

 

 僕の作品はこれで終わりですが、これからもRという作品群のなかでの彼女達の活躍を応援しています。

 

メリノヒツジ

 もう一人の主人公、そしてラスボス。たまに解説役。

 一人で何役もこなした途轍もない働き者です。俺はこいつをどんだけ酷使するんだろう、と思いながら書いてました。

 ・・・・・・ていうか、トラが主人公の作品でラスボスがヒツジって、ちょっと面白くないっすか(自画自賛)?

 

 元ネタとしては、やなせたかし著「チリンの鈴」の主人公チリンをほぼそのまんま使っています(やはり古い)。

 チリンをフレンズ化したらどうなるだろう? と考えてみたら見事にハマりました。コンプレックスが明確なキャラなので扱いやすいです。

 もうひとつのキャラ付けとして、読書家であることが上げられます。

 ランボーとかニーチェとかカフカとかを好んでおり、その辺から色々な引用をしたりすることでアムールトラ視点の文章とは違う雰囲気にしています。

 技名はドイツ語です。

 総合して考えるととても中二っぽいキャラであると思います。

 

 弱いヒツジであることへのコンプレックスを払拭するために強く成りたいという意思を持つ一方、動物だった頃の自分を〇したオオカミに再び食べられたい、という屈折した被食願望を持ち合わせていました。

 終盤、スプリングボックとの戦いでコンプレックスが払拭されたことや、アムールトラとクズリの戦いを目にしたことで、被食願望がメインの欲求になっていきます。

 

 食物連鎖は、動物擬人化ものでは避けて通れないテーマになると思います。 

 けもフレではそこら辺の問題を上手いことSF要素で隠していますが、隠すことで不穏さが醸し出されているのが逆に魅力ですね。

 彼女が試みたことは、そんなSF要素で成り立っている世界観を破壊して、食物連鎖のある世界に変えてしまおう(戻してしまおう)というものでした。

 

 ラスボスではありますが、彼女自身は「ナンバー2志向」が極めて強いキャラです。

 最初はクズリ、次にカコ・クリュウと・・・・・・今まで出会った中で「これだ」と思った人物に全依存してしまい、崇拝していくのが彼女の生き方です。

 クズリもカコも消えてしまってからは、その代わりの役目をアムールトラに求めるようになりました。その結果ジャパリホテルを壊したり色々やらかしたわけです。

 

 アムールトラとは思想的にも対極にあり、キリスト教的な一神教の価値観を意識しています。

(キリストやイスラムなどの一神教は過酷な砂漠で生まれた宗教なので、どうしても自然を征服する発想になってしまう)

 ヒツジといえばキリスト教とは切っても切れない動物であるので、意図したわけではありませんが、特定の誰かを狂信するムーヴが似合っていていい感じです。

 自然崇拝と一神教のどちらが優れているとか、そんなヤバいテーマを語る気はありません。

 ただ、けものフレンズというコンテンツに限った話で考えると、やはり自然崇拝がベストマッチのように思えます。

 

 戦闘力的においては、アムールトラとは違って強すぎず弱すぎずでいいですね。

 敵を引き立たせることが出来ています。

 最終決戦においても、アムールトラに実力で勝つのではなく「自分を食わせる」ということを目的にしているので、強さで対抗できるようにする必要もありませんでした。

(強さでアムールトラに対抗するのはクズリ以外無理)

 

 何だか褒めてばかりですが、それだけメリノには頼り切っていました。

 彼女が死亡したシーンは、最終話を書き終えた時以上に「終わった感」に浸ったものです。

 

カコ・クリュウ(久留生 果子)、セルリアン・クイーン

 アムールトラとメリノヒツジがフレンズ側の主人公だったら、彼女はヒト側の主人公とでも言うべきポジションです。

 過去編は「アムールトラがビーストになるまでの物語」であり「カコがセルリアン・クイーンになるまでの物語」となります。

 正直、当初は味方サイドの大将ぐらいに考えていたんですが、後になればなるほど扱いが大きくなっていきました。

 

 久留生という姓は現実に存在しているものですが「永遠に生きる」みたいな字面で中二心をくすぐられます。

 果という漢字については「原因・因縁があって生ずるもの」という意味があるので、明らかに時間に関係した文字だと思います。

 けもフレに出てくる人間キャラは時間関係の名前をしてなきゃダメだろう、と思って、メイン級のキャラは全員そういう名前を付けています。

 既婚者であり、旧姓は遠坂ですが、その元ネタは言うまでもないでしょう。

 

 原作では善人だったカコ博士を、人類をジェノサイドするようなキャラに変えてしまったので、人によってはかなり不快感を覚えるかと思います。申し訳ありません。

 理由としては二つあって、ひとつは過去編を畳むためには、彼女に人間の時代を終わらせて、ジャパリパークを作ってもらわなければならなかったからです。

 

 もうひとつは、単純に原作のビジュアルが良かったからです。

 クイーンはカコと瓜二つの美貌なのに、博士をコピーしただけというのが寂しく思いました。

 それよりもカコがクイーンと一心同体になった方が、よりビジュアルに説得力が出るのではないだろうかと考えました。(小説なのにビジュアルも何もあったもんではないですが)

 

 2人の関係については少しぼかしています。

 クイーンはカコに力だけを渡して自我が消滅したのか? ふたつの人格が混ざり合って一体化してしまったのか?

 はたまたクイーンがカコの人格をコピーして彼女に成り代わっているのか?

 すべてのパターンが成立すると思います。

 

 外見は原作と変わりない(つもり)ですが、キャラクターのイメージとしてはエイリアンシリーズの主人公「エレン・リプリー」を意識しています。後にエイリアン・クイーンを身ごもる所なんかはかなり近いところがありますね。

 また、飛行機操縦の天才という要素は、フレンズのように戦えない彼女をアクションシーンで活躍させるために思いついたものです。

 

クズリ

 最初期に考えたキャラです。アムールトラのライバルを作りたい、と考えたら後は簡単にイメージが固まりました。

 狂暴、好戦的、あれこれ悩まない・・・・・・と、アムールトラと何もかも真逆な要素を選択すればいいだけなので、基本的にキャラ描写で悩むことはなかったです。

 作中ではクズリとアムールトラはそれぞれ「無敵の野生」「最強の養殖」と並び称されていますが、元ネタは「仮面ライダーアマゾンズ」です。

 野性的なライバルと大人しい主人公の対立っていう点も含めて真似てます。

 

 クズリというのは元ネタの動物が「森の悪魔」とか言われててキャラが立ってます。

 英名の「ウルヴァリン」も字面が超カッコいい。

 フレンズのデザインも元ネタのカッコよさを上手く表現できてると思います。僕は一番好きです。3にちょっと出ているぐらいで影は薄めですが。

 

 戦闘シーンでは組技(投げ、固め、絞め)を中心に戦うという設定ですが、これはアムールトラが空手家なので、例によって対照性を持たせたかったからです。

 またそれだけでなく、動画で見た動物のクズリの戦い方にインスピレーションを受けました。

 小柄な体格を利用して相手の懐に潜り込み、しつこく纏わりつくようなその戦い方は、まるで柔術家のようだと感じたからです。

 

 火山でのアムールトラとの決闘シーンは一番書きたかったシーンのひとつです。

 決闘を経て最後には共闘する、ありきたりながらも王道的で熱い話が書きたかったんです。

 が、それ以外では展開上アムールトラと離別している期間が長かったので、メリノヒツジとの関わりやスパイダーとの友情を掘り下げて間を持たせることにしました。

 ・・・・・・余談ですが、アムールトラもクズリも寒冷地の生き物なのに、作中ではブラジルとかアフリカとか暑い場所にばかり居させられ、挙句の果てに火山などという場所で戦うことになるのが可哀そうでした。

 

 彼女の強さに惚れたメリノヒツジから崇拝されるようになり、やがて2人はヤクザの兄弟分的なノリのコンビになります。

 メリノヒツジが「クズリさん」と名を読んだセリフは全て「兄貴」に言い換えても成立します。

 また「チリンの鈴」に出てくる、チリンの親の仇にして師匠的な存在であるオオカミ「ウォー」も意識しています。

 基本的にメリノヒツジからの矢印が大きく、クズリはアムールトラにばかりご執心でしたが、終盤においてはメリノヒツジの成長ぶりを認めるような発言も多いです。

 

 現代編まで生き残らせて、アムールトラとまた対峙させようか、なんて考えたりもしましたが、こういうキャラは太く短く生きてこそカッコいいんだと思い、過去編で死んでもらいました。

 

メガバット(オオコウモリ)

 クズリがアムールトラにとってのライバルならば、彼女はヒロイン的な存在として書きました。

 この作品は百合要素とかは一切ないんですが、アムールトラにほのぼのとした空気を味わわせてあげたかったからです。

 景色を2人で眺めながら「月がきれいですね」的な会話をよくやっていました。

 アムールトラが過去編においては初々しい後輩系のキャラだったので、優しくて頼れる憧れの先輩みたいな位置づけでした。

 親密になっておいて後で敵対してしまうというのも規定路線でした。

 

 コウモリらしく盲目&聴覚が鋭いという特徴がありますが、生物的にはオオコウモリなので普通に目が見えるはずが、グレン・ヴェスパーから非人道的な肉体改造を受けて特異体質になったという設定です。

 イラスト化するならミステリアスな糸目系のキャラになるんでしょうね。

 

 ・・・・・・正直、この話に出てくるキャラの中で、肉体的にも精神的にも一番つらい目に遭っているキャラだと思います。(彼女の過去とか書いてて精神的にきつかったです)

 最後の最後でようやく少し報われた感じになりましたが、それでもアムールトラとは別の道を行くことになり一緒にはなれません。これもヒロイン属性の以下略。

 

スパイダー(ジェフロイクモザル)

 クズリ、メガバット、スパイダーについての元ネタは、アメコミの著名なヒーロー達です(安直極まりない)。

 しかしスパイダーについては、名前こそスパイダーマンですが、存在の元ネタは「ケストレル」という、ウルヴァリンの相棒でテレポーテーションが使えるアメコミヒーローです。

 

 アムールトラと最初に出会った頃は、ロードランナーを彷彿とさせるお調子者キャラでしたが、再登場する頃にはキャラが急変して、異様な賢さとリーダーシップを持つようになっています。

 クズリとは「五分の兄弟分」であり、メリノヒツジにとっては「叔父貴」にあたる存在です。また戦闘力だけが強さではないとメリノヒツジに教えるキャラにもなります。

 メリノヒツジからはクズリと同様に尊敬されており「フレンズの王様にふさわしい」と言わしめています・・・・・・それにしてもこの作品は、フレンズが女の子の姿であることをたいがい無視していますね。

 

 悲惨な最期を迎えるキャラですが、アムールトラがビースト化する展開に重みを持たせるために「犠牲者」が必要だったので、〇すしかなかったんです。

 またクズリに対して「アムールトラを恨むな」と遺言を残したことで、2人が共闘する切っ掛けを作ることが出来ました。

 

パンサー(ヒョウ)、スプリングボック

 この2人については、物語の舞台を南アフリカにしようと思った時点で選出しました。

 ヒョウの見た目についてはアニメ版ではなく旧アプリ版をイメージしています。

 

 パンサーがカポエラ使いであるというアイデアについては、ナショナルジオグラフィックでとある動画を見たのがきっかけです。

 一匹のヒョウが仰向けに寝そべった状態で、後ろ足の蹴りだけで数匹のライオンを撃退するというものでした(背を向けて首を噛まれたら終わるので、相手に背中を晒さないための戦い方です)。これカポエラじゃん! って膝を打ちましたね。

 

 パンサーはメガバットに次ぐヒロインポジのつもりでしたが、彼女に比べるとあんまり良い出番を与えてあげられなかったと思います。

 ラスト2話においては、どのように扱おうか最後まで悩みました。

 メガバットが生存しているのは確定として、パンサーも一緒に健在な状態で出てきたら、ちょっと話が明るくなりすぎる。しかし死んでしまっていては救いがなさすぎる。

 ・・・・・・というわけで、折衷案的に寝たきり状態になってもらいました。

 

 スプリングボックについては、出番は短いながらもけっこう満足しています。

 パークとCフォースの戦争において、パークの正義を狂信しており、正義のために敵を徹底的に滅ぼすという、戦争ものに良く出てくるタカ派なキャラクターです。

 アムールトラには辛く当たりがちでしたが、アムールトラが本格的にCフォースを憎みだしてからは信頼しあうようになります。

 

 戦闘においては、ジャンプしてからの槍攻撃を繰り出すFFの竜騎士みたいなキャラにしました。

 元ネタの動物からして滅茶苦茶ジャンプしまくる特徴的な生態をしているので、すぐにイメージが固まりました。

 

 彼女とメリノヒツジのバトル(過去編終章25 「ツノにすべてをかけて」)は、自分的にはこの作品のバトルの中で一番よく書けたと思っています。

 駆け引きがあって、横やりが入ることなく決着もしっかりと付けられたつもりです。

 アムールトラは展開上こういう戦いが出来ませんでした。

 

ハツカネズミ

 オリキャラとしては第一話から登場し、ラストまで出番があるので、何気に重要なキャラになります。過去を失ったけれども仲間の助けを得て立ち直る、というアムールトラとほぼ同じムーブを決めています。

 

 彼女がメリノヒツジの元部下であるという設定は、最初の時点では考えていませんでした。過去編が終わって現代編を再開するあたりになってから、ふと、そういうことにすれば辻褄が合うんじゃないかと思ってそうしました。

 もし本編の続きを書くとしたら、この子は物知りすぎて何でも解説できてしまうので扱いに苦慮しそうですね。

 

 アーサー(ウィザード)に育てられたという設定ですが、2人が出会った頃はすでに過去編の締めに入っていたために、そのシーンを書く余裕はありませんでした。

 

オオコノハズク、ワシミミズク

 としょかんコンビの2人は、Rに限らずけもフレ二次創作において最頻度で登場しているキャラかと思います。

 空を飛べる、頭がよくて事情通、戦っても強い・・・・・・と、ここまで動かしやすい条件が揃っているキャラは他にいないんじゃないかと思います。

 

 最終的にワシミミズクはオオコノハズクと袂を分かつことになりましたが、これは仲のいいコンビと言えど、物事の受け止め方が同じわけではないということを書きたかったからです。

 ワシミミズクはオオコノハズクよりも年長者っぽく理性的なイメージがあるので、メリノヒツジの言葉にも影響を受けやすかったんだと思います。

 

ヒグラシ博士

 過去編においてはアムールトラと疑似的な父子関係を持っているキャラです。

 カコに次ぐ人間サイドの主要キャラですが、カコが超人的な存在であるのに比べると、彼はもっぱら人間らしい弱さと苦悩を背負っているキャラでした。

 

 アムールトラ、クズリ、メリノヒツジの3人の生みの親であり、意図はしていないものの強いフレンズを生み育てる天才のようになってしまっています。

 アムールトラとメリノヒツジはかなり彼のことを想っていました・・・・・・が、クズリは割かし関心が薄かったですね。

 

 フレンズに対して人間が行ってきたことの罪の意識にさいなまれ、一生を贖罪にささげました。

 とは言ってもカコのように「フレンズのために人類は滅ぶべき」という極端な結論にはならず、フレンズと人類の共存を最後まで考えていました。

 果たして彼の想いはいかにして受け継がれたのか。人間とフレンズはもう一度やり直せるのか。

 それは今後ともえ達が背負っていく命題となるでしょう。

 

ゲンシ師匠

 バトルものにおいて、ライバルと同じぐらい必須なのが師匠という存在でしょう。

 登場期間はかなり短いですが、アムールトラの技や思想はすべて彼から引き継いだものなので非常に重要なキャラです。

 漢字でフルネームを書くと「朔 原始」となり「朔」というのは一カ月の最初の一日目を意味する漢字です。もうともかく「始まり」を強調した名前です。

 

 モデルは達磨大使です。禅宗の開祖にして少林拳の創始者であるとされ、空手においてもルーツ的な存在として崇拝されています。

 ・・・・・・あと、例によってジェダイが入っていると思います。終盤に霊体となってアムールトラに語り掛けて来るシーンとかはそのまんまです。

 

 過去に大きな過ちを犯してしまい、それを償うために余生を使った人物ですが、ビーストになりスパイダーを〇めてしまったアムールトラは「師匠と同じように罪と向き合う」という目的を得ることで絶望から立ち直ることが出来ました。

 ぶっちゃけ、そういう展開が書きたかったので逆算して作ったキャラです。

 

アーサー(ウィザード)、ヒルズ将軍

 パーク陣営のおもだった仲間キャラです。

 名前に関しては「朝」「昼」というアホかと言いたくなるような単純さです。ヒグラシ博士も「夕」なので全ての時間帯が揃います。

 

 アーサーはハッカーでありアニメ漫画オタクでもあるという、典型的な「ギーク」です。

 その分かりやすさから、想定した以上でも以下でもない安定した使いやすさがありました。

 彼が登場したのは物語が一番血なまぐさくダークになっていた時期です。

 コメディリリーフ的な役回りが非常に強く、鬱展開の中でも一人でおちゃらけていたので、僕のメンタルの大きな支えになってくれました。

 

 ・・・・・・が、のちのちには人類を滅ぼすカコの腹心として働きます。

 なにげにラッキービーストや、それを統括する「マザー」の製作者という設定なので、ともえ達が生きる現代のジャパリパークに対して甚大な影響を残しています。

 

 ヒルズ将軍については、カコが最終決戦前にヴェスパーの手に落ちてしまうことが確定していたため、代わりの指導者が必要と思って登場させたキャラです。

 理想主義者のカコに対して彼は現実主義者であり、パークの戦略・政治・組織論をめぐって意見が対立する間柄でしたが、後々になってカコの人柄を認め「お前がナンバーワンだ」と全面的に従うようになりました。

 

 メインの役回りとしては「カコのレスバ相手」です。ドライで辛辣なことを言う偽悪的な性格も含めて、シリアスな戦記物っぽい空気を出すのに一役買っていました。

 カコに従うことを決めた後は普通に良い人になっていたと思います。

 また「このままでは人類が滅び、フレンズとセルリアンの時代がやってくる」と未来を予言していた人物でもあります。

 

 アーサーとヒルズはもっとコンビ的な感じで絡ませたかったんですが、想定通りにはいかず、最後までそれぞれ個別に活躍していました。

 

シガニー、アマーラ

 後々にヒグラシ博士の妻と娘になる2人です。

 誰が誰とも血縁がない疑似家族ですが「血がつながってなくても家族になれる」と、フレンズと人間が仲良く暮らせる可能性について暗に示しています。

 

 シガニーについてはカコの側近として活躍しており、古くから家族同然に信頼しあっていた間柄ですが、のちにケンカ別れになるという展開となりました。カコがクイーンへと変わっていく様子を第三者視点で描いた感じです。

 良くも悪くも良識と正義感が行動原理の人であったために、カコに付いていけなかったんだと思います。

 

 アマーラについては、当初の予定では重要ポジションでした。

 アムールトラと心を通わせるものの、ビースト化したアムールトラによって〇されてしまい、アムールトラは心に取り返しのつかないトラウマを負う・・・・・・という展開を考えていたものの、そもそもただの一般人女児でしかない彼女を戦場に連れまわすのは無理となり、敢え無く過去編の終盤でちょっと登場するだけになってしまいました。

 

グレン・ヴェスパー、イヴ・ヴェスパー

 過去編における黒幕の親娘です。ヴェスパー(Vesper)は英語で日没を意味します。

 グレン(Glenn Storm)の名前の元ネタはSF小説「幼年期の終わり」に出てくる「ストルムグレン」という人物が元ネタです。その人は悪人じゃないです。

 イヴ(Eve Brea)はプレステのゲームの「パラサイト・イヴ2」に出てくるキャラが由来です。彼女もまったく悪人ではなく、続編の主役になるようなキャラです。

 

 この2人には、おおよそ人間としてやってはいけないことを全てやらせた気がしますが、ここまで悪辣に書いた理由は、後にカコが人類を滅ぼすという結末が待っているからです。

 彼らには、カコが人類を見限る動機付けをやってもらわなければなりませんでした。「こんな奴らだったら滅びても同情の余地はないかも」とヘイトを稼ぐ役目です。

 

 とはいえ、書いていてストレスが溜まるキャラでした。

 コイツら早くブチ〇してーな・・・・・・と思いながら、その瞬間が来るのを待ちわびて書き進めていました。

 メリノヒツジのように己の信念を持った悪とは違って、辻褄合わせのために記号的に外道行為を繰り返していたからです。

 哲学を持たせられなかったのは僕の実力不足でしかないんですけれども。

 

 ただこの2人、研究者としては相当に優秀ですよね。

 もしコイツらが勝利した世界線があったなら、フレンズとセルリアンを使って地球を支配し、さらに外宇宙に戦争を仕掛けに行く・・・・・・なんて展開があり得たかもしれません。

 とにもかくにも、カコが勝利したことでフレンズの時代が訪れましたが、もしコイツらが勝利していたら、支配こそされど人類は健在だったでしょう。

 果たしてどちらが悪なんだろうか、と思ったりします。

 

ディンゴ

 メリノヒツジと関わりのあるフレンズです。

 典型的な「海外映画に出てきそうないじめっ子」をイメージしています。

 が、後にメリノヒツジのことを認め、いじめたことを後悔して「友達としてやり直したい」と奮起した結果、無茶をしてスプリングボックに〇されてしまいました。

 メリノヒツジは作中、自分よりも目上のキャラとの絡みがほぼすべてを占めるので、同年代? としては彼女は唯一無二の存在でした。

 

ハルカ・クリュウ(久留生 悠)

 カコの息子。漢字表記を見れば元ネタが分かるような人物です。

 悠と書いてハルカと読むのは仮面ライダーアマゾンズの主人公から取っています。良い感じに時間関係の名前ですね。

 

 イエイヌの最初の飼い主というか家族であり、明言はしていませんが後にともえの「お父さん」となる人物です。 

 ヒグラシ博士から「フレンズと人類の共存」の意志を受け継ぎ、人類を滅ぼそうとする母親に抗い、人類の生き残りを宇宙に逃がしました。

 彼の仲間にはミライさんやカレンダなど歴代シリーズのキャラがいます。

 

 過去編は彼が母親との戦いを決意する場面で終わり、その後の顛末はメリノヒツジの口から語られるのみでした。

 彼を主人公にして過去編の続きを書くことも可能でしたが、さすがにそれはアムールトラ主人公の話から軸がずれてしまうので止めました。

 イエイヌの出番はたっぷりと増やせますが。

 

四神

 作中においてはオーブという物体(本体ではなく、力の一部が具現化した存在)になってしまっており、ビャッコとセイリュウのみ登場。まともに出番があるのはビャッコのみでした。

 ビャッコは序盤におけるアムールトラのカウンセラーであり、彼女を目覚めさせるきっかけを作った重要キャラですね。

 

 原作においては石板となってサンドスター・ロウの噴出を防ぐための結界を火山に張っていたという設定ですが、本作ではセントラルエリアからセルリアンが溢れだすのを防ぐための結界を張っているというアレンジをしました。(なお、結界はメリノヒツジの手で破壊済み)

 なんでオーブという設定を作ったのかと言うと、ド〇クエみたいに旅の目的となるアイテムが欲しかったからです。

 

 原作と変わらず伝説の存在ではありますが、本作の設定的にはアムールトラやメリノヒツジよりも後に生まれているため、キャラクター性に反して若年世代になってしまっており、なんだかなぁと思います。

 

カモメ

 海に関係のある鳥類ということで、まあカモメだろうと安直にチョイスしました。

 元ネタは「カモメのジョナサン」という小説です。

 メリノヒツジもそうなんですが、元ネタがしっかりしているキャラは動かしやすいですね。

 ラスト2話で登場した彼女ですが、ともえ達に移動手段を提供してくれるキャラなので、話が続くんだったら準レギュラー的にいろいろ活躍してくれそうですね。

 

サーバル、かばん

 けものフレンズの顔となる2人ですが、サーバルについては非常に申し訳ない扱いになってしまいました。

 本作の設定では、歴史上はじめて発見されたフレンズであり、幼少期のカコと仲良くなるが、彼女をセルリアンから庇って命を落とす。その過程でビースト化を果たし、後世に記録が残る・・・・・・という役回りです。

 カコがフレンズ原理主義に傾倒していく切っ掛けのひとつです。

 

 サーバルは明るく楽しいけものフレンズの象徴みたいなキャラなので、本作ではどうしたってミスマッチになります。

 なので出番のあるキャラとして活躍させることは最初から考えていませんでした。しかしそれでも敬意は払いたかったので「フレンズの元祖」的な扱いとして登場させることにしました。

 

 かばんちゃんについては本作未登場で終わらせました。

 ともえ達の次なる旅の目的として言及されており、話を続けるなら確実に登場することになりますが、アムールトラの話には登場させる必要がなかったというのと、かばんちゃんのその後を書きたくなかったのが理由です。

 

 原作1期ラストで、ボート(ジャパリバス)を動かして海を渡っているあの後ろ姿が忘れられません。あの場面で終わっているからこそ感動的なんだと思います。

 本作のラストも船に乗って海を渡るシーンで終わっていますが、あのラストシーンをちょっと意識しています。

 ともえ達がかばんちゃんの後を追いかけているようなイメージです。




 ・・・・・・と、いうわけで長々と語らせていただきましたが、これで最後の投稿となります。
 初挑戦の小説になりましたが、次作は多分書かないですね(汗)。
 けものフレンズRという素晴らしい設定群に出会えたからこそ思い立ったことです。
 
 長いあいだ、お付き合いいただきありがとうございました。
 よろしければ感想、評価などいただけたら嬉しいです。



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