劣等生と落伍者 (hai-nas)
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第一章 入学
第一話 幕開けは兄妹喧嘩?


 初めまして、hai-nasです。
 あらすじにも書きましたが、この作品は処女作になります。
 稚拙な文章になっているかもしれません。
 更新も不定期ですが、やさしく見守っていただければ幸いです。


 西暦二〇九五年、四月八日。

 国立魔法大学付属第一高等学校は、入学式当日を迎えた。

 新入生の誰もが緊張と興奮を覚えつつも、気持ちを同じくして入学式に臨む――

 

「やはり納得できません!」

 

――訳ではなさそうだった。

 校門を少し過ぎたあたりで、少女の声が響き渡る。その声に、周りにいた生徒たちが振り向いた。

 元々注目を集めていたので、この表現は適切ではないかもしれないが。

 なぜなら、声の主は並外れた美少女だったからである。

 名前を、『司波(しば)深雪(みゆき)』という。

 

「どうしてお兄様が補欠なのですか!!入試の成績だって、トップだったじゃありませんか!!」

 

「まだ言っているのか‥‥‥‥」

 

 そして声を浴びせられているのは、お兄様と呼ばれる相手だった。

 深雪がお兄様と呼ぶからには、その相手は彼女の兄なのだろう。従兄や近所の親しい年上の男性という可能性もあるが、彼は間違いなく『司波深雪』の兄なのだ。

 それほど似ている兄妹ではない。が、全く似ていないという事でもない。

 兄である『司波(しば)達也(たつや)』は、妹の深雪ほど見目麗しいとは言えなかった。しかし、高い身長と切れ長で理知的な目元、歳のわりに深い声が相まって女子人気は高そうだ。

 

「何度だって言いますよ!お兄様が補欠なのはおかしいのです!!」

 

 そんな兄に向かって、深雪はそう言い放った。

 事実、司波兄妹にとって、このやり取りはすでに両手で数えられないほどしているのだ。

 だから達也は冷めているし、深雪も普段以上に苛烈になることはない。

 それでも、深雪は自分よりも達也の方が優れていると思っているので、何度も熱くなって同じことを言っている。

 達也にもそれは分かっているが、こうなった妹を宥めるのは容易ではなかった。

 

「新入生総代は、私ではなくお兄様がするべきです!」

 

「あのな深雪、ここは魔法科高校だ。ペーパーテストの結果より、魔法技能が優先されるのは当然だろう。それに、俺の技能からすれば補欠でも下から数えた方が早いのは確実だからな」

 

 達也のセリフは謙遜ではなく本音だった。魔法科高校の試験では、達也が得意としている魔法を見せることができないし、そもそも評価対象にはならないのだ。

 

「そんな事言って、お兄様に勉学や体術で勝てる人間などおりません!」

 

 深雪の方も過大評価ではなく、高校生レベルで達也に勉学や体術でかなう人間などそうそういない。

 だが次の言葉は、達也にとって到底看過できるものではなかった。

 

「本当なら魔法だって――」

 

「深雪!!」

 

 突如声を荒げた達也に、深雪ははっと息をのみ、傍観していた生徒たちはビクついた。それだけ達也の声には迫力があり、それまでの口調からは想像できないほどの圧力が含まれていたからだ。

 二人が兄妹だと気が付いていない周りの生徒たちはそれを見て、聞き分けのない彼女に彼氏が怒ったと勘違いした。

 

「あのな深雪、これは言っても仕方のない事なんだ。お前だって、本当は分かっているんだろう?」

 

 そう言って達也は自分の左胸のあたりを指さし、続いて深雪の左胸のあたりを指さした。そこには八枚花弁のエンブレムが刺繍であしらわれているが、達也にはない。

 第一高校では、一科生と二科生の区別をつけるために、制服に違いがある。達也にエンブレムがないという事は、彼は二科生なのだろう。

 

「も、申し訳ありません‥‥‥‥お兄様」

 

「謝る必要はないよ。お前はいつも俺の代わりに怒ってくれる。それだけで俺は救われているんだ」

 

「嘘です‥‥‥‥」

 

 先ほどまで喧嘩しているように見えた二人がうって変わって甘々な雰囲気を醸し出し始めたので、周りにいた野次馬たちはすごすごと退散した。この甘々な雰囲気に耐えられる猛者も、そういないのだ。

 

「お兄様はいつも私を叱ってばかりですから‥‥‥‥深雪は駄目な妹です」

 

「嘘じゃないって。それにお前が俺のことを思ってくれているように、俺もお前のことを思っているんだよ」

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 ふと訪れた間。達也はおかしなことを言ったつもりはなかったのに、深雪が固まってしまったので多少疑問に思った。

 

「そんな、お兄様‥‥‥‥」

 

 動きを取り戻したと思ったら、今度は深雪の頬が物凄い勢いで赤くなっていく。達也はますます疑問に思った。

 

「私のことを想ってくださっているなんて」

 

 そこで達也はやっとニュアンスが致命的に違っていると気づいたが、訂正することはなかった。そんな事よりも、達也には片づけておきたい問題があったからだ。

 

「深雪」

 

「はい」

 

 達也の声色が変わったのを感じ取り、深雪は瞬時に気持ちを切り替えた。

 

「たとえお前が答辞を辞退したとしても、俺が代わりに選ばれることはない。そんな事をすれば、お前の評価が下がるだけだ。賢いお前になら、分かるだろう?」

 

 達也は二科生なので、新入生の代表に選ばれることは万に一つでもありえないのだ。そのことは深雪も十分分かっている。

 

「はい。では、そろそろ打ち合わせの時間なので失礼します」

 

「ああ、行っておいで」

 

「でも、ちゃんと見ていてくださいね!」

 

 一言付け加えてから、深雪は事前に指定された場所へと去っていった。

 新入生総代のお供を終え、達也はこの後入学式までどうやって時間を潰すか考えながら校舎を見上げた。

 



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第二話 真由美との出会い

不定期更新のはずですが、昨日に続いての投稿です。
タイトルはこれしか浮かびませんでした。すみません。
それでは引き続き、お楽しみください。


 深雪のお供という大役を終えた達也は、入学式が始まるまでどうするか悩んでいた。家に帰っても特にすることなどないし、そもそももう一度学校に来るのは面倒くさい。

 そこで、達也は携帯端末に保存されたお気に入りの書籍サイトで時間を潰すことにした。ちょうど中庭にベンチがあったので、そこに腰を下ろして端末に目を落とす。

 

「ねえあの子、ウィードじゃない?」

 

「ほんとだ。こんなに早く‥‥‥‥補欠が張り切っちゃって」

 

「所詮スペアなのにね」

 

 達也は目を上げなかったが、声でどうやら女子生徒らしいことは分かった。

 すぐそばを通った彼女たちが発した言葉、『雑草(ウィード)』。学校側は禁止用語としているものの、生徒間では普通に使われている。

 一科生のブレザーには左胸と肩に八枚花弁のエンブレムがあることから、一科生は自分たちを『花冠(ブルーム)』と呼ぶようになり、それがない二科生を雑草と揶揄するようになったのだ。

 

「雑草か‥‥‥‥そんな事は分かっている」

 

 達也がこの学校に進学したのは、深雪からの強い要望と、もう一つの理由による。

 それは一科だろうが二科だろうが関係ない事なので、彼自身はあまり気にしていなかった。ただ、深雪が聞いたら大変だろうなと思っただけだ。

 

 

 

 書籍サイトに集中していたためか、アラームが鳴るまで達也は時間を気にしていなかった。もし開始十分前にセットしていなかったら、時間を忘れて読書に没頭していたことだろう。

 彼は入学式などに興味はないが、先ほど深雪に見ていてくれと言われてしまった手前、さぼって見なかったでは済まされないかもしれない。

 そろそろ講堂が開くので、達也は端末の電源を落として胸ポケットにしまい、立ち上がろうとした。が、目の前に人の気配を感じ取って動きを止めた。

 

「新入生ですね?会場の時間ですよ」

 

 達也は下からゆっくりと視線を上げていく。

 まず目についたのは、スカートだ。それで相手が女子生徒だということが分かる。

 次に、左腕に巻かれた大きめのブレスレット。俗にいう、魔法術式補助演算装置(CAD)である。

 学内でCADの常時携行が認められているのは、生徒会役員と限られた生徒のみ。つまり、目の前の女子生徒は学内でそれなりの地位を持っているということだ。

 そのような先輩に入学早々目をつけられるのは好ましくない。達也はそう思って、素直にお礼を言ってこの場を立ち去ろうとした。

 

「ありがとうございます。すぐに向かおうと思います」

 

「感心ですね。スクリーン型ですか」

 

 達也がしまい損ねた端末を指さし、しきりに頷く女子生徒。彼女のような優等生と補欠である自分が積極的にかかわるべきではないと達也は思っていたのだが、どうやら彼女は違う考えを持っているようだった。

 そこでようやく、達也は女子生徒の顔を見た。顔の位置が達也から二十五センチくらい下にあるので、彼女の身長は百五十前半だろう。自分よりも年上であることを加味すれば、随分と小柄な女性ということになる。

 

「当校では、仮想型ディスプレイ端末の持ち込みを認めていません。ですが、仮想型端末を利用する生徒は大勢います。にも関わらず、貴方は入学前からスクリーン型を使用しているのですね」

 

「仮想型は読書に不向きですから」

 

 達也の端末は誰が見ても明らかなほど相当年季が入っているので、彼女もそれ以上質問することはなかった。

 だが彼女は、達也を開放するつもりもなかったようだった。

 

「動画ではなく読書ですか、ますます感心ですね。私も映像資料より書籍資料の方が好きだから、なんだか嬉しくなるわね」

 

「はあ‥‥‥‥」

 

 別に読書派が希少であるわけではないので、どうやらこの上級生は人懐っこいのだろうなと達也は思い始めた。口調が砕けてくるのと同時に、彼女が徐々に近づいてきていることがそれを証明している。

 

「あっ、申し遅れました。私は一高の生徒会長を務めている、七草真由美(まゆみ)といいます。『ななくさ』と書いて『さえぐさ』と読むの。よろしくね」

 

 なんだか魅惑的な雰囲気を醸し出していて、入学したての普通の高校生なら勘違いしそうだが、達也は別の事が気になっていた。

 「七草」。数字付き(ナンバーズ)であり、十師族であることの証。

 魔法師の能力は、ほとんどの場合遺伝的な素質に左右されることで知られている。そして、この国において魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に名字に数字を含むのだ。その中でも特に優秀な家が十師族と呼ばれており、一から十の数字を冠する。

 達也は思うところがない訳ではなかったが、それを無視して自分も名乗ることにした。

 

「自分は、司波達也です」

 

「えっ、君があの司波君なの!?」

 

 名前を聞いて大げさに驚く生徒会長に何か意味ありげな視線を向けられて、達也はうんざりしていた。驚く理由に心当たりがあったからだ。

 学年トップで入学した司波深雪の兄なのに、まともに魔法を使えないあの司波達也だと。

 だから達也は礼儀正しい沈黙を守っていた。

 だが、真由美の言葉に侮蔑が含まれている感じはしない。

 

「先生方の間では、貴方の噂で持ちきりよ」

 

 まるで自分の事を褒められているような、楽しそうな雰囲気まで伝わってくる。それでも達也の頭からは、これほど差のある兄妹は珍しいといったネガティブな噂だろうという考えが離れなかった。

 

「入試で教科平均、百点満点中九十八点。特に圧巻だったのは魔法理論と魔法工学で、合格者の平均が七十点にも満たないにもかかわらず、両教科とも小論文を含めて文句なしの満点!!前代未聞の高得点だって」

 

 そんな事を新入生に話していいのだろうか‥‥‥‥たとえ本人であったとしても、入試成績は普通教えてもらえないはずではないか?

 達也はそんな事を思った。



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第三話 入学式会場入り

早速やらかしました。申し訳ありません。
投稿してすぐに修正したので、気が付かなった方がほとんどだと思いますが‥‥‥‥
お詫びという訳でもありませんが、もう一話投稿することにしました。
ぜひお楽しみいただければと思います。


 達也は、真由美の反応が少し不思議だった。どうしてこの人は他人の事を自分の事のように話し、喜んでいるのだろうと。

 

「どれだけ凄いと言われようと、それはあくまでもペーパーテストの成績です。その証拠に、自分にはエンブレムがありませんし」

 

 深雪にも言ったが、魔法科高校生の評価として優先されるのは、テストではなく魔法技能の評価なのだ。

 達也は愛想笑いを浮かべようとしたが、実際に浮かべられたのはかなり苦い笑いだった。そして自分の左胸を指さし、テストの点数など何の意味もない事を示す。生徒会長である真由美に、達也の意図したことが分からないはずはない。

 しかし、真由美は嬉しそうな顔を変えることなく首を左右に振った。

 

「そんな事ないわよ。少なくとも私には無理だもの。こう見えて、理論系も結構得意なのだけどね」

 

 どう見られているのだろうかと思いつつ、達也は余計なことは言わなかった。知り合って間もない相手の話を途中で遮ることは、さすがの達也でもできなかったという表現の方が正しいのかもしれないが。

 

「入試問題と同じ問題を出されたとしても、司波君のような凄い点数はきっと取れないと思うな~」

 

「そろそろ時間ですので‥‥‥失礼します」

 

「え?あ、ちょっと!」

 

 まだ何か話したそうな真由美にそう告げて、達也は横を通り過ぎていく。背後から呼び止める声が聞こえたが、追いかけてはこなかった。生徒会長が新入生を捉まえて入学式に遅刻させたとなれば、問題になると分かっていたからだろう。

 達也は足早に真由美から距離を取り、講堂に向かった。自分が何かに恐れているとは気づかずに‥‥‥。

 

 

 

 生徒会長と話し込んでいたせいで、達也が講堂に入った時にはすでに半分の席が埋まっていた。そして座っている生徒を見て、ため息を吐きたくなった。

 特に座席の指定はないのに、前後で綺麗に一科生と二科生に分かれているのである。同じ新入生でありながらこの有様であることに、達也は呆れを通り越して感心してしまった。

 一体この中の何人が達也と同じ意見だというのだろうか。

 分かれているのが意識的にしろそうでないにしろ、この流れに逆らって波風を立てるのも面倒なので達也も倣うことにした。

 達也が座ったのは、二科生の集まっている後列の中でも後ろの方、しかも端があいている場所だった。横に誰が座っても別段気にしないのだが、できることなら端の方が気が楽なのだ。

 席に腰を下ろして時間を確認すると、まだ開式まで二十分ある。何かをして時間をつぶそうにも、中途半端で終わるのは目に見えていた。通信制限が掛かっている講堂では端末でアクセスできないし、そもそもこんな場所で端末を広げるのはマナー違反だ。

 こういう時は、寝るに限る。そう決めた達也は、腕を組んで目を閉じた。

 

「あの、お隣空いてますか?」

 

 寝ようとしていた達也は、体勢を直して声がした方を確認する。そこに立っていたのは、女子生徒。先ほどの声は、間違いなく自分に向けられたものだと理解した。

 

「どうぞ」

 

 まだ空きは多いのになぜこんな所に来るのだろうか。達也はそう思いつつも、声を掛けてきた女子生徒を隣に座らせる。

 

「よかったね~」

 

「これで一緒に座れるね」

 

「五つとなると探すの大変だもんね」

 

 どうやら彼女一人ではなく、五人組だったようだ。

 なるほど、と達也は納得した。

 だが、この五人はどういった関係なのだろうか。

 中学からの友人だとすると、一人くらい一科生でもおかしくない。

 五人の関係を考えながら、達也は再び腕を組んで目を閉じた。




いかがでしたでしょうか。
今回は短めで終わってしまいました。
他の作者様方のように、文字数を一定に保つのは難しいです。
私ももっと精進しなければ。
さて、話は変わりますが、次話でいよいよオリ主(一名)が登場します。
オリジナル要素を無理なく入れられるかどうか不安ですが、ご期待ください。


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第四話 癖のある二科生たち

思ったより早く仕上がったので、投稿しました。
というより、オリジナル要素をあまり入れられなかったので早くなりました。
精進が足りないですね。
では、お楽しみください。


 そのまま寝ようとした達也だが、なにやら見られているような感じがしてうっすら目を開いた。

 横を見ると、先ほどの女子生徒がこちらを見ていた。

 別に肘は当たっていないし、文句を言われるようなことはしていないはずなのだが‥‥‥。

 

「あの、私、柴田(しばた)美月(みづき)っていいます。よろしくお願いします」

 

 なんて事はない。彼女はただ自己紹介をしようとしていただけなのだ。人を見た目で判断するのは危険かもしれないが、気弱そうな見た目と声だった。

 

「司波達也です。こちらこそよろしく」

 

 美月は、今では珍しくなった眼鏡を掛けている。無難な返事をした達也は、それを見て一つの仮説を立てた。

 今の時代、よほどの先天性視力異常でもない限り視力矯正は必要ない。おしゃれとするならば、彼女の丸眼鏡は不釣り合いだ。

 よく見ると、そのレンズには度が入っていないことが分かる。もし眼鏡がおしゃれではないとすると、霊子(プシオン)放射光過敏症が原因である可能性が高かった。

 霊子放射光過敏症とは、見えすぎ症とも呼ばれる一種の知覚制御不全症だ。とは言っても病気ではなく、障碍(しょうがい)でもない。感覚が鋭すぎるだけなのだ。

 そもそも霊子とは何なのか、詳しく説明すると長くなるので端的に言うと――

 魔法に関係する粒子として、想子(サイオン)と霊子がある。想子は意思や思考を形にし、霊子はそれらを生み出す情動を形作っているとされている。また、想子と霊子の活動には強い相関関係がある。

――ということだ。残念ながらいまだ仮説段階ではあるが。

 霊子放射光は要するに霊子そのものなので、それを見ている者の情動に影響を及ぼす。そのため、霊子放射光過敏症者は精神の均衡を崩しやすい傾向にある。

 これを予防する最も簡単な手段が、特殊加工レンズを使った眼鏡を掛けることなのだ。

 彼女の前では注意した方がいいかもしれない。色々と秘密にしなければいけない事がある達也は、そう簡単に見破られるはずがないと思いながらも心に留めておくことにした。

 

「あたし、千葉(ちば)エリカ。よろしくね、司波君」

 

「こちらこそ」

 

 美月の向こう側に座っていた女子生徒に声を掛けられて、達也は思考を一旦中止した。

 タイミングはちょうどいい所だったといえるだろう。

 達也の無意識な視線に、美月が羞恥心でそろそろ限界に近づいてきていたからだ。

 

「それにしても、面白い偶然って感じかな?」

 

 どうやら彼女は活発な女の子らしい。達也はそう思いながら聞き流す。

 

「面白いって、どこがだ?」

 

「だって、シバにシバタにチバでしょ?なんだか語呂合わせみたいで面白くない?ちょっと違うかもしれないけどさ」

 

「‥‥‥なるほど」

 

 言いたいことは分からなくもないが、達也が気になっていたのは別の事だった。

 彼女の名字、()()である。

 達也の記憶では、数字付きの千葉家にエリカという娘はいなかったはずなのだ。もちろん、傍系という可能性も否定できないが。

 

「ん?司波君、ジッと見つめられると照れるんだけど」

 

「別に他意はないんだが、すまないな」

 

 美月ほどではないにしても、達也に見つめられたらエリカのような女の子でも恥ずかしいだろう。

 

「ほら、(りゅう)も」

 

「‥‥‥‥百済(くだら)龍だ」

 

「よろしく」

 

 エリカの向こう側に座っていた五人組で唯一の男子生徒が、エリカに促されるようにして口を開いた。

 どことなく達也に似た雰囲気を持っている龍に、達也は疑問を覚えつつ、またも名字のことが気になってしまった。

 百済家。数字付きの中でも異端とされており、数年前のある事件で瓦解したはずの家。

 ‥‥‥‥まさかな。深く考えすぎるのは自分の悪いくせだ、と達也は割り切ることにした。そういう事は、ここで生活していればいずれ気が付くだろう。

 

「ところで、五人は同じ中学だったのか?」

 

 残りの二人が自己紹介を終えたところで、達也はずっと疑問に思っていたことを尋ねた。入学早々友達ができたというわけでもないだろうし、それ以外に五人で行動を共にしている理由が思いつかなかったのだ。

 

「違うよ。確かに龍はそうだけど、それ以外は全員さっきが初対面」

 

「初対面?」

 

「案内板の前でにらめっこしていたら、美月が声を掛けてくれたんだ」

 

「‥‥‥端末はどうした?地図くらいならそれで分かると思うが」

 

 入学式に関するデータは会場の場所を含め、全て入学者全員に配信されている。それがあれば仮に式の案内を読んでいなくても、何も覚えてなくとも迷うはずはない。

 

「あたしたち、端末を持ってなくて‥‥‥」

 

「だって仮想型は禁止だって入学案内に書いてあったし」

 

「せっかく滑り込んだのに、入学早々目をつけられたくないもの」

 

「あたしは単純に持ってくるのを忘れたんだけどね‥‥‥」

 

「そういう事か‥‥‥」

 

 本当は納得したわけではない。自分の入学式なのだから、会場の場所くらい把握しておくべきだというのが達也の偽らざる本音だった。

 しかし、むやみに波風を立てる必要もないだろう。特に同じ二科生同士、これから色々とあるだろうからと、達也は自重したのだった。



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第五話 入学式が終わって

完成したので投稿します。
本日三話目です。
基本書き溜めを修正しているだけなので、書き溜めがなくなるとペースが落ちます。
ご了承ください。
では、どうぞ。


 深雪の答辞は、予想した通りの見事なものだった。

 「皆等しく」やら「一丸となって」やら「魔法以外にも」やら「総合的に」やら、結構際どいフレーズが多々盛り込まれていたが、それらをうまく建前でくるみ、(とげ)を一切感じさせなかった。

 その態度は堂々としながらも初々しく慎ましく、本人の並外れて可憐な美貌と合わせて会場

を虜にしていた。

 深雪の身辺は、いつものように明日からもさぞかし賑やかなことだろう。

 

 

 

 

 入学式を終えて、達也たちはIDカードを受け取るために窓口へと向かった。

 受け取ると言っても、あらかじめ個人別のカードが作成されているわけではない。個人認証を行い、その場で学内用カードにデータを書き込むのだ。ゆえにどこの窓口でも作ることができるのだが、ここでも一科生と二科生とで綺麗に分かれていた。

 ちなみに、深雪は主席としてすでにカードを受け取っているので、今頃は人垣に囲まれているに違いなかった。

 

 

 

 

「ねえねえ、司波君は何組?」

 

 カードを受け取った後、講堂の隅でエリカが達也にそう尋ねた。その表情は何かを期待しているものだった。何を期待しているのか達也には分からなかったが、別に隠すような事でもないので答えにためらいはない。

 

「E組だ」

 

「やった!あたしもE組なんだ~」

 

 達也の答えに、飛び跳ねて喜びを表現するエリカ。ちょっとオーバーリアクションだと達也は思いつつも、隣で同じような雰囲気の(行動にはしていない)美月を見て、これが普通なのかと思い直した。

 

「私も同じです!よかった、クラスで一人ぼっちになることはなさそうですね」

 

 達也としては、一人になることが少なかった中学時代を思い出して、美月の発言には賛同しかねた。少しくらい一人になれる方が、達也にとっては楽だったからだ。

 

「俺もE組だが‥‥‥そんなに喜ぶようなことか?」

 

 入学式の直前に自己紹介をして以降、龍はずっと口を閉じたままだった。しかし、内心では達也と同じようなことを思っていたらしい。

 

「龍、あんたね‥‥‥」

 

 そんな龍に、エリカは呆れを隠そうともしない。その様子を見て、達也は思ったことを口にしないでよかったと思ったのだった。

 

「私はG組」

 

「あたしはF組~」

 

 残る二人は別のクラスのようだが、彼女たちにがっかりしている様子はない。一学年八クラス、一クラス二十五人。一科生と二科生で分かれてはいるものの、その辺りは平等だ。

 彼女たちはまだ見ぬクラスメイトに思いを馳せているのか、ホームルームへ向かうと言ってこの場から移動していった。

 

「ねえねえ、それじゃあ私たちもホームルームをのぞいてみない?」

 

「いいですね。司波君もどうですか?」

 

 盛り上がっているエリカと美月には悪いが、達也にその気はなかった。

 

「悪い。妹と約束をしているんだ」

 

 今日はもう授業も連絡事項もないと分かっている。

 達也は諸手続きが終わったらすぐ、深雪と一緒に帰る予定だった。

 

「へぇ~、司波君の妹かぁ~。さぞかし可愛いんだろうな~。なんて言ったってお兄ちゃんがこれだけカッコいいんだから」

 

「千葉さん、別にお世辞はいいんだが」

 

「エリカ、あまり人様の用事に首を突っ込むんじゃない」

 

 龍がエリカの態度をたしなめた。どうやら寡黙というわけではないらしいが、それでエリカが止まる様子はない。

 

「お世辞じゃないよ!十分カッコいいって!」

 

「‥‥‥もしかして、妹さんって新入生総代の司波深雪さんですか?」

 

 さすがに恥ずかしくなってきたのか、美月が話題を変えてきた。達也に美月を困らせて楽しむような趣味はないので、すぐその質問に頷いた。

 

「えっ、そうなの!?じゃあ、もしかして双子?」

 

 エリカの反応から見るに、彼女は達也と深雪が兄妹だとは思っていなかったのだろう。達也にしてみても、お馴染みの質問だった。

 

「よく言われるが、双子じゃないよ。俺が四月生まれで、妹が三月生まれだからね」

 

「そうなんだ。でもそれって、複雑なんじゃない?」

 

「エリカ、お前って奴は本当に‥‥‥」

 

 龍に言われるまでもなく、エリカはすぐに『しまった!』という顔をした。

 エリカの発言には、心配とも侮辱ともとれる意味合いが含まれていたからだ。

 もちろん達也にもその意図は伝わっていたが、エリカも悪気があって言ったわけではないと分かっていたのでスルーする。

 

「それにしても柴田さん、よく分かったね。司波なんてそう珍しい名字じゃないのに」

 

「いやいや、十分珍しいって!」

 

 達也の気遣いが伝わったのか、エリカも必要以上に気まずくならずに済んだ。だからこそツッコミを入れることができたのだろう。

 

「面差しが似てますから」

 

「そうか?」

 

 達也は、身内贔屓を抜きにしても、深雪は美少女だと思っている。しかし、そんな深雪と自分が似ているとは一切思っていなかった。

 だから美月の評価に疑問を覚えたのだ。

 

「いえ、顔もそうですが、お二人はオーラの面差しが似ています。凛とした雰囲気とか、そっくりです」

 

「そうそう、オーラよオーラ!」

 

「‥‥‥千葉さん、君って意外とお調子者なんだな」

 

「えー、そんな事ないよー!」

 

「こいつ‥‥‥司波、すまん」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 お決まりのような抗議は聞き流しつつ、龍の謝罪を軽く受けて達也は美月に向き直った。

 

「それにしてもオーラの面差しが分かるなんて、“本当に目がいい”んだね」

 

 達也のこの発言に美月の顔が青ざめ、エリカの顔が疑問に染まった。龍は一人納得顔で頷いている。

 

「目がいいって、美月は眼鏡を掛けているよ?」

 

「そういう意味じゃない」

 

 エリカの疑問には答えずに、達也は心の中で決意した。美月の前では、なるべく力を使わないようにしようと。

 

「龍、あんたはどういう意味かわかった?」

 

「分かったが‥‥‥これは本人が話すべき事柄だな」

 

そして同時に、龍に対しても警戒度を上げたのだった。




つい先ほど気が付きましたが、思ったより見てくださっている方がいるようですね。
ありがとうございます。
‥‥‥‥表現力が足らず、淡々としたお礼になってしまいました。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。


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第六話 一科の嫉妬

 誤字報告、ありがとうございます。と申し上げたいところなのですが、達也と深雪の誕生月はわざと四月と三月にしてあるのです。
 オリジナル要素を入れた結果こうなりました。(他の作者様と設定が被っているかもしれませんが。)
 誤解を招くような表現をして、申し訳ありません。
 では、本文をどうぞ。


 美月がちょっと気まずい表情をしていたが、そのことをエリカが指摘する前に達也の後ろから声が掛かった。

 

「お兄様、お待たせしました!」

 

 達也は振り返らなくとも誰の声か分かった。他の三人も先の話で達也が誰を待っているのか知っていたので、やっと来たのかという感じで声の主を確認した。

 達也は「遅かったな」と言おうとしたのだが、深雪の後ろにゾロゾロと人が連なっているのを気配で感じてやめた。深雪のことだから、あの人垣を蹴散らしてでもこちらに来たかったのであろうことは簡単に想像できる。ならばせめてその人たちへの礼儀として、「遅かった」は適当ではないと思ったのだ。

 そして深雪のすぐ後ろには、見覚えのある顔があった。

 

「また会いましたね、司波達也君」

 

「はぁ、どうも‥‥‥」

 

 新入生総代に生徒会長が接触していてもなんらおかしくはないのだが、達也にとってこの再会はあまりうれしいものではなかった。

 相変わらず人懐っこそうな笑みを浮かべている真由美を、達也は何となく警戒している。いや、警戒というよりも胡散臭さというべきか。とにかく、あまり信用していない。

 一方の深雪は、先ほど話しかけられたばかりの真由美と達也がお互いに知っていたことが気になったが、それ以上に達也のそばにいる女子生徒二人に反応した。

 

「お兄様、そちらの方たちは?」

 

「こちらが柴田美月さん、それでこちらが千葉エリカさん。そしてこちらが百済龍君。三人ともクラスメイトだよ」

 

 当たり障りのない紹介で深雪に説明した達也だったが、深雪はいまいち納得できていない様子だ。

 

「あれ?なんだか寒気が‥‥‥」

 

「急に寒くなってきましたね‥‥‥」

 

 気が付けば周りの人たちも寒さを感じている。達也はなぜ妹が機嫌を悪くしているのか分からなかったので、事態の収拾に取りかかれずにいたが、そこで龍が思わぬ助け舟を出した。

 

「ああ、なるほど。つまり司波さんは、兄をエリカと柴田さんに取られたと思って嫉妬しているんだな。それなら無用な心配だよ。俺たちは、ただクラスが同じだったから話していただけだからね」

 

「えっ、デートじゃないんですか!?」

 

 龍のあまりに的を射た発言に、深雪は驚いた。

 深雪の機嫌が悪くなっていた理由が分かり、達也はため息を吐きたい衝動に駆られる。

 

「そうだ。お前を待っている間付き合ってもらっていただけなのに、そんな言い方は二人に失礼だぞ」

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 二人にも‥‥‥達也の言い方をちゃんと理解して受け取った深雪は、ものすごい速さで頭を下げた。勘違いしたことと、兄を誑かしだと決めつけたこと、そして人様に迷惑をかけたことに。

 

「別にいいですよ」

 

「そうそう、間違いは誰にでもあるって」

 

 深雪の謝罪に対して、二人は寛容な態度でそれを受け入れる。龍は苦笑いしていただけだが、受け入れたとみていいだろう。

 

「柴田美月です。はじめまして」

 

「百済龍だ。‥‥‥よろしく」

 

「あたしは千葉エリカ。貴女のことは深雪って呼んでもいいかしら?」

 

「ええもちろん。名字だとお兄様と区別がつかなくなってしまいますもの。私も、貴女のことをエリカって呼んでもいいかしら?」

 

「全然オーケー!深雪って結構気さくなのね」

 

「そういうエリカは、まさに見た目通りね」

 

「私も深雪さんって呼んでもいいですか?」

 

「もちろんよ美月」

 

 妹がクラスメイトと打ち解けているのを見て、達也は不意に深雪が連れてきた(勝手についてきたのだろうが)生徒たちを見た。真由美は相変わらず笑顔だったが、他の生徒たちは一様に悔しさと苛立ちが混ざった表情をしている。

 このままでは深雪の立場を悪くしかねない。そう考えた達也は、一科生のために話の流れを持っていくことにした。

 

「深雪、生徒会の方々との話はもういいのか?まだなら、どこかで適当に時間をつぶしているが‥‥‥」

 

「その心配はいりませんよ」

 

 達也の提案に否を示したのは、深雪ではなく真由美だった。

 

「今日はご挨拶だけで十分です。他に用事があるのならそちらを優先してくださって結構ですから」

 

「ですが会長、こちらも重要な要件だったのでは!」

 

 真由美の後ろにいた男子生徒が、真由美の発言に驚き、納得できないのか食い下がった。

 

「あらかじめ約束していたわけではありませんし、彼女の予定を優先するべきなのは当然だと思いますよ」

 

「それは‥‥‥」

 

 真由美の言っていることが正しいと、その男子生徒も理解したのだろう。恐らく、彼は周りの一科生と同じで二科生に負けたのが悔しかったのだ。

 

「それでは深雪さん、また後日に改めて。司波君も今度ゆっくりと話しましょうね」

 

「はあ‥‥‥‥」

 

「それでは会長、また後日」

 

 深雪は、真由美に対してしっかりとお辞儀をした。

 一方の達也は、真由美がなぜゆっくりと話したがるのか理解に苦しんでいた。

 真由美はというと、そんな二人を見てクスッと笑った後、達也たちとは逆の方向に歩き出す。それに付き従うように先ほどの男子生徒も歩を進めたが、少し歩いた後にこちらを振り返り、達也をキッと睨みつけてきた。

 また面倒なことになったなと達也は内心辟易していたのだが、深雪に悟られまいと鉄壁のポーカーフェイスで隠した。




 いかがでしたでしょうか。
 次話ではついに本作の主人公が全員揃うことになります。
 乞うご期待ください。


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第七話 放課後のお喋り

 本日二回目の投稿です。
 飛ばし過ぎて早速書き溜めがなくなってきました。
 というのも、今話と次話で原作と違う流れになり、書き溜めを書くスピードが格段に落ちたからです。
 また書き溜めがたまり次第、投稿を再開します。一応来週あたりには更新できるのではないかと思っていますが。
 では、どうぞ。


生徒会だけでなく、ほぼすべての一科の先輩から不興を買ってしまったようだが、達也はそんな事を気にする性質ではなかった。

 

「さて深雪、帰るか」

 

「そうですね、お兄様」

 

 特に用事もないのでまっすぐ家に帰るつもりだった兄妹に、エリカから提案があった。

 

「あ、それじゃあ一緒にケーキでも食べに行かない?この近くに美味しいケーキを出すお店があるんだ」

 

「ケーキですか~」

 

「いいですね。お兄様はいかがなさいますか?」

 

「別に構わないぞ」

 

 はしゃぐ三人を見て、達也はこの流れで行かないとは言い出せず、付き合う事にした。もし深雪がいなかったら断っていたかもしれないが、今ここで自分が行かないと言えば、深雪も行かなくなると思ったからだ。

 

「俺も構わない。だがなエリカ。お前、あいつの事を忘れたというんじゃないだろうな」

 

 その中でただ一人、龍だけがエリカにストップをかけた。

 表情も声もそれまでと何も変わらないはずなのだが、不思議な圧があった。

 

「‥‥‥‥」

 

 固まったエリカ。どうやら龍の指摘は当たっていたらしい。

 しかしそれにしては様子がおかしいと、達也は気が付いた。

 よく見ると、彼女は大量の冷や汗をかいている。

 恐らく、龍の言っていた“あいつ”が原因なのだろうが、と考えていると――

 

「遅かったわね、エリカ」

 

――エリカの背後から、寒風が吹きつけた、気がした。

 その声は同年代のものとは思えないほど、涼やかだったのだ。

 

「入学式が終わったら、校門の前で待ち合わせと言ったのは誰だったかしら?」

 

 その姿は、驚くほど凛としていて、華麗だった。

 達也をして、深雪と同等だと思うほどに。

 

「いくら親友といえども‥‥‥‥許せないことってあるのよ」

 

 “彼女”はゆっくりとエリカに近づき、その肩に手を置いた。

 まるで、エリカを凍らせるかのように。

 

「そこらへんで勘弁してやれ。エリカの奴、失神しそうになっているから」

 

 龍の声に、達也は我に返った。“彼女”の持つ独特な雰囲気にのまれていたらしい。

 気が付けば、エリカの顔面は蒼白を通り越して死人のような色になっている。

 

「お兄ちゃんがそう言うなら、仕方ないか」

 

 “彼女”は一つため息を吐くと、エリカを開放した(ように達也には見えた)。

 そして、達也たちの方に向き直る。

 

「初めまして。私は南海(なんかい)氷華(ひょうか)です」

 

「氷華は俺の義理の妹なんだ」

 

 氷華の自己紹介に続いて、龍が補足する。

 なるほど、だからお兄ちゃんなのかと達也は思った。登場の仕方のわりに呼び方が子供っぽいとも思ったが、そういう余計な事は口にしない。

 代わりに、普通の自己紹介をした。

 

「司波達也です。よろしく」

 

「妹の司波深雪です。よろしくお願いしますね」

 

「親友の千葉エリカで~す。よろしく~」

 

「何がよろしくなの、エリカ」

 

 いつの間にか復活しているエリカに対し、氷華は辛辣な言葉を投げかけた。しかし、その表情は笑っている。

 二人の言う通り、この二人は親友なのだなと達也は実感した。

 

「そういえば美月は?」

 

 エリカの一言で彼女の方を見ると、彼女は立ったまま気絶していたのだった。




 いかがでしたでしょうか。
 これで主人公が全員揃いました。
 氷華の登場シーンはもう少し鮮烈な印象にしたかったのですが、今の私にはこれが限界でした。
 さて、前書きでもお伝えした通り、次回の更新は来週になる予定です。
 消えたりはしませんので、少しの間お待ちください。


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第八話 昼食時の一幕

まず、読者の皆様に謝罪しなければならないことがあります。
前話の前書きで言及した達也と深雪の誕生月についてですが、正しくはオリジナルではなく私が原作にしている文庫版の設定でした(なろう版は読んでおりません)。
言い訳をさせていただくと、初めての誤字報告だったものですから、焦ってよく確認しないままに投稿してしまいました。
原作の作者様及び関係者の皆様、ハーメルン様、そしてこの作品を読んでくださっている読者様、申し訳ありません。
そもそも誤りに気が付いたのが今日の朝だったという時点で許されざる行為ですね。
一瞬このまま作品を投稿し続けていいものなのだろうかと思いましたが、私の独断で決める訳にはいかないと思い直し、一応今後も投稿し続けることにしました。
ミスを連発する上に文章力もない私ですが、これからもどうかよろしくお願いいたします。
長くなりましたが、最後にもう一つ。
予告していたオリジナルの流れですが、もう一話続きます。
重ね重ね申し訳ありません‥‥‥‥。


 講堂で美月が気絶する珍事が起きてから十数分後、達也たちはエリカの言っていた店で昼食をとっていた。

 エリカの言う「ケーキ屋」はその実、「デザートの美味しいカフェ」だったのだ。

 初対面のインパクトが強すぎたのか、美月は氷華に怯えていたものの、時間がたつにつれて普通に接するようになっている。

 達也にふと疑問が生じたのは、メインからデザート(つまりケーキ)になってすっかり意気投合した女子四人がおしゃべりに興じている最中だった。

 

「そういえば千葉さん、入学式の事は調べてこなかったのに、高校周辺のお店には詳しいんだな」

 

「そんなの当然でしょ!」

 

「当然なのかよ」

 

 それが当たり前なのか達也には分からなかったが、龍のツッコミで少なくとも自分の感性がおかしくないことは確認できた。

 

「エリカはこんな性格だから、ツッコむだけ無駄なんだけどね」

 

「ひどっ!超絶ブラコン女の氷華に言われたくない!」

 

 氷華の茶々に対するエリカの返しに、達也は地雷を踏んだのではないかと思ったが、実際にはそうならなかった。

 彼女が激昂するその前に、龍がちょうど口にしていた紅茶でむせたからだ。

 

「だ、大丈夫、お兄ちゃん!?」

 

「ん‥‥‥‥あ、ああ、大丈夫だ。まさか紅茶でむせる日が来るとは思っていなかったが」

 

「龍は昔から紅茶を飲んでいるもんね」

 

 元凶である自分の事を棚に上げて、一人頷くエリカ。氷華から冷たい視線が突き刺さったが、それに気づく様子はない。

 

「昔から紅茶を飲んでいるなんて、随分とお洒落なんですね」

 

 先ほどまで深雪とおしゃべりしていた美月がそこで会話に入ってきた。自然に、深雪もこの会話に参加することになる。

 

「お兄様はいつもブラックのコーヒーですよ」

 

「何か分かる気がする、それ」

 

「まさにイメージ通りって感じです」

 

「私も同感」

 

「というか、目の前で飲んでいるしな」

 

 達也は話題の中心になることに慣れていない。彼のそばには人気者の深雪がいたので、自分が話のネタになることなどなかったのだ。それに自分の秘密を隠すには好都合でもあった。

 それが深雪の変な対抗意識によって急遽引っ張り出されてしまい、少々居心地が悪くなっている。

 どうにかしてこの状況を変えたい、そう思っていた矢先に、エリカから爆弾発言が飛び出した。

 

「でも、あの“神才(ゴルティス)”が毎日紅茶を飲んでいるのは驚きだよね」

 

 今度は、達也がむせる番だった。他の者も、驚きで目を見開いていた。

 氷華が慈悲のかけらもない鋭すぎる視線をエリカに突き刺していたが、そんな事は気にもならない。

 神才の話は、魔法師の間で全国的に有名である。

 一切の素性は不明ながら、十年前に突如新型魔法を発表した後、わずか数年の間にそれまでの常識を覆す魔法を次々と開発したのだ。

 その常識外れな存在を、誰が名付けたのかは分からないが神才と呼ばれていた。

 そんな神才は数年前を最後に沈黙を続けている。

 一説には大きな魔法事故に巻き込まれて死亡したとか、魔法の限界を悟って自殺したなどと言われているが、いずれも都市伝説の域を出ない。

 

「エリカ」

 

 神才が本当に龍なのか達也は疑わしかったが、その疑念はすぐに晴れることになる。

 

「それはもう、過ぎた話だ」

 

「お兄ちゃん‥‥‥‥」

 

 ポツリと龍が言うと、氷華がCADを制服のポケットから取り出した。

 

「エリカのこと、休眠状態(コールドスリープ)にしてあげるね」

 

「ごめんなさい!お願いだからそれだけは許して!!」

 

 なにやら物騒なことを言い出す氷華と、悲鳴交じりに許しを請うエリカ。慌てふためく美月に、冗談だと思って笑っている深雪。その様子を静かに見守る龍。

 達也はその全てを忘れ、氷華の持つCADに見入ってしまった。

 多重鎖式凡用型CAD。

 凡用型とは名ばかりの、扱いが非常に難しいCADだ。その代わり性能は通常のものをはるかに上回る。

 それだけならば、達也を釘つけにすることはなかっただろう。使用者自体が珍しいので目に留まることはあるだろうが、そこまでだ。

 達也を引き付けたのは、その美しさだった。芸術性と機能性を兼ね備えた、(機械における)究極の美。

 自身も特殊なCADを使っているからこそ、引き込まれてしまったと言える。

 

「お兄様?どうかなされたのですか?」

 

 兄の異常を察知した深雪が声を掛けなければ、恐らくずっとそのままだったはずだ。

 我に返った達也は少し考えた後、素直に聞いてみることにした。

 

「ああ、少し気になることがあってね。南海さん、そのCADはどこで?」

 

 騒ぎがちょうど収まったところだったらしく、氷華はキョトンとした表情になった。

 

「え、これ?」

 

「確かに、見たことのない形状をしたCADですよね」

 

 美月も言われて気がついたらしい。よく見ようと顔を近づけたところ、氷華はそのCADを元の位置にしまってしまった。

 

「ごめんなさい。これは私の宝物だから、簡単に見せるわけにはいかないの」

 

「あ、そうだったんですね。こちらこそごめんなさい」

 

 少し残念そうな様子だったのは、美月だけではなかった。深雪も少なからず興味があったらしい。

 

「安心して。説明はしてあげるから」

 

「いや、俺がやろう。開発者でなければ、それの説明をするのはかなり難しいからね」

 

「お兄ちゃん!?」

 

「俺が神才だったことはエリカがバラしてしまったから、もう変に隠す必要もないだろう」

 

 またしてもエリカに冷たすぎる視線が突き刺さったが、そんな事はお構いなしと龍は説明を始めた。 




 気づかれた方がいらっしゃるかもしれませんが、私、またやらかしました。
 前書きの件もそうですが、本当にミスを連発しております。
 これからも十分注意いたしますが、二度あることは三度あると言いますので今後もあると思います。どうかご容赦くださると嬉しいです。


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第九話 多重鎖式凡用型CAD

 本日二回目の投稿です。
 今回は説明回となります。
 よって話はほとんど進みません。
 ですが地味に伏線を張っていたりするので、読んでいただけると幸いです。


「そもそも、CADがどういう物かは知っているよな?」

 

 説明が始まって早々に龍から確認されるとは思っていなかった達也だが、魔法理論と魔法工学で満点を取る彼にとって、その程度の質問は朝飯前だった。

 

「ああ。まず、想子信号と電気信号を相互変換する感応石を使って、魔法師のサイオンを電子的に保存された起動式(魔法陣)へと出力させる。次に魔法師はそれを吸収し、自身の無意識下にある魔法演算領域で魔法を実行する魔法式を組み立てる。最後に魔法式が物体を定義している情報体(エイドス)に働きかけ、魔法が発動するというわけだ」

 

「司波、俺はそこまで求めていなかったんだが」

 

 エリカと美月が分かっているのか分かっていないのかはっきりしない表情になっていることに、達也はそこで初めて気が付いた。

 

「つまるところ、想子を起動式に変換して魔法師の補助をするって認識でいいのよ」

 

「なんだ、それって常識じゃん」

 

「途中で知らない単語が出てきて、焦ってしまいましたよ」

 

 氷華の言葉に、二人は納得したようだった。というより、達也の答えが詳しすぎたのだ。

 

「お兄様はそういった事にお詳しいですから」

 

 深雪はそのことをよく知っているので、驚くことはなかった。

 

「それで氷華のCADの話になるんだが、正式名称はHK-90多重鎖状連結式凡用型CADという。凡用型は記録できる起動式が多いのは知っているよな?」

 

「もちろんです」

 

 龍は美月の方を向いて確認を取り、今度はエリカの方を向いた。

 

「それじゃあエリカ、特化型の特徴は?」

 

「想子を流し込んでから魔法が発動するまでのタイムラグが短い事ね」

 

「‥‥‥‥即答だな」

 

「あはは、高校の受検勉強で龍に叩き込まれたから」

 

 意外にもエリカは、龍の教育によって座学の魔法教科の基礎がしっかりできているのだった。だからと言って、高校でいい成績が取れるとは限らないが。

 

「そこで、だ。もし凡用型と特化型の特徴を合わせ持つCADがあったら、どうする?」

 

 そんなものある訳がない。二種類のCADは相反しているのだから。

 大多数の魔法師はそう答えるはずだ。

 しかし、達也は知っていた。

 その常識は、すでに過去のものになっていると。

 

「という訳で俺が開発したのが、多重鎖状連結式凡用型CADなんだ」

 

「そこを何でもないように言えるのが神才の証拠ね」

 

 エリカの呆れた声に賛同する者は多いだろう。

 普通の魔法師はこんな事を考えたり、ましてやそれを実現しようとは思わない。

 もはや龍が神才であることは、疑いようがなかった。

 

「まあ実際、大まかな構造は特化型CADを十数個くっつけただけだし」

 

「それが非常識だって言ってるの!」

 

「ちょっと、そういう天才的な発想がどんどん出てくるのがお兄ちゃんなんだから」

 

「使ってる本人に言われても説得力ないわよ!」

 

 エリカが龍と氷華に交互にツッコんでいるさまは、見ていて面白いものだった。

 深雪も美月もそれを見て笑っている。

 が、すぐに笑っていられる状況ではなくなった。

 

「えへへ、やっぱりお兄ちゃんは凄いなあ。元許嫁の私としても、鼻が高いよ」

 

 

 

 

 場が固まった。

 

「あちゃ~‥‥‥‥」

 

 エリカが頭を抱える。

 

「やっぱりこうなったか‥‥‥‥」

 

 続いて、龍がため息を吐く。

 呆気にとられている達也たちを前に、氷華は止まらない。

 

「お兄ちゃんったらそれだけじゃなくて最っ高に男らしくてカッコよくて優しくて強くてたくましくてイケメンなんだけど時々可愛かったり女々しかったり弱かったり嫉妬したり子供っぽかったり意地悪だったりしてもう本当に私の王子様っていうかまあ実際昔は王子様だったんだけどその頃よりもずっとずっとずっとずっとずっとずっと私の理想のタイプになってもう夜なんて一緒じゃないと眠れなくなっちゃったし夜だけじゃなくて朝昼晩一日中お兄ちゃんの事を考えてないと不安になっちゃうしちょっとよそ見してたら他の女に盗られちゃいそうだしもうこうなったらいっそのこと抱いてほしいなって思っちゃったりもしくは夜這いしてそのままゴールインっていうのもありかななんて考えてでもそれでお兄ちゃんに嫌われちゃったら嫌だから仕方なく一人で悶々と〇て翌朝おはようのキスしようとしたら緊張しちゃってできなくてそのうちお兄ちゃんが起きてでも寝起きの表情がこれまた素敵で何度襲いかかろうとしたことか分からないのにお兄ちゃんときたら駄目だって止めるから最近はもう焦らしプレイとしか思えなくなっちゃって(ry」

 

 龍とエリカは既にあきらめているのか、ベラベラと喋りまくる彼女を止めようとしない。

 その代わり、仕切り直しとばかりに龍が手を差し出してきた。

 

「俺の名字は戸籍上『南海』だから、兄妹共々よろしく頼む‥‥‥‥」

 

「あ、ああ、こちらこそ‥‥‥‥」

 

 一人で暴走している氷華をわきに、達也と龍は握手を交わしたのだった。




 いかがでしたでしょうか。
 話の収拾を収めることが難しく、少々強引な終わり方になってしまいました。
 今後の課題といたします。


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第十話 入学式当日の夜

 タイトルそのままの内容です。
 いきなり私事になり恐縮なのですが、この作品がUA2000越え、お気に入り20件に達しました。読者の皆様、ありがとうございます。
 文章力が低い上にミスも多い未熟者ですが、これからも誠心誠意が頑張っていきますのでどうかよろしくお願いいたします。


 結局あの後氷華は龍にベタベタと甘えだし、一同激しい胸やけを覚えて解散する流れになった。

 そのまま達也たちは家に帰ってきたが、声を掛けてくる、もしくは声を掛けるべき相手はいない。

 平均的な家庭に比べると大きなその家に、兄妹二人で住んでいるような状況なのだ。

 達也は自分の部屋に戻ると、制服を脱ぐ。

 手早く着替えを済ませ、リビングに行くとそこには部屋着に着替えた深雪がいた。

 

「お兄様、何かお飲み物をご用意いたしましょうか?」

 

「そうだね、コーヒーを頼む」

 

「かしこまりました。それでは失礼します」

 

 きちんとお辞儀をして、達也の前から移動する深雪。その様子を見ながら、達也は今日出会った血の繋がっていない兄妹の事を考えていた。

 名字が変わっているのに『百済』を名乗り、全国にその名を轟かせる“神才”である事を隠す兄、龍。

 元々許嫁だったとはいえ、その兄に対して依存心が強すぎる妹、氷華。

 二人の間には、何かがあるように達也には思えた。

 とはいえ、興味本位で人様の関係に詮索を入れる事を彼は好まない。

 それが深雪や自分にとって悪影響を及ぼすものだと判断するまで、そんな事はしない。

 達也はそういう意味で言えば冷めていた。

 だからコーヒーが出来上がったことにもすぐに気が付く。

 

「お兄様、どうぞ」

 

 サイドテーブルにカップが置かれ、深雪は反対側に回って達也の隣に腰を下ろす。

 もちろん達也のコーヒーはブラックで、深雪が手に持つ方はミルク入りだ。

 

「美味い」

 

 賞賛に多言は不要。

 その一言で、深雪はニッコリとほほ笑む。

 そして安堵の表情を浮かべて自分のカップに口をつける。これが深雪の常だった。

 そのままコーヒーを嗜む二人。

 会話はないが、間が悪い思いはしない。

 兄妹は二人きりの家で隣り合い、ただ静かにカップを傾ける。

 

「すぐにお夕食の準備をしますね」

 

 空になったカップを持って、深雪が立ち上がった。妹が伸ばした手にコーヒーカップを預け、達也も立ち上がる。

 こうして兄妹二人、いつも通りの夜が更けていった。

 

 

 

 

 場所は変わり、東京近郊のとある地下室。

 所狭しと様々な機械が置かれ殺伐としている中に、一台の旧式のモニターがある。

 その前には、一人の人物が椅子に座っていた。 

 

「ご報告は以上でございます」

 

 モニターに掛けられる声は、人のものと思えないほど低い。

 だが、そこに映る女性には、はっきりと届いた。

 

「そう。とりあえず、初日は上々の結果だったと」

 

 女性の声は恐ろしく事務的で、感情が入る余地がない。

 しかしそれはモニターのこちら側にいる人物も同様で、表情を隠す仮面を被っている分、余計に感情を読み取ることができなかった。

 

「ええ。少々のアクシデントはございましたが、ご報告の通り本件に直接関わる事ではありませんのでご安心ください」

 

「心配はしてないわ。貴方の作戦にどうせ抜け目はないのでしょうから」

 

「もちろんでございます」

 

 直後、通信が切断され、モニターに何も映らなくなる。

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 部屋に無音が満ち、そのまま全ては夜の闇に紛れていった。



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第十一話 達也の日課

 高校生になって二日目の朝を迎えたからと言って、世の中が特に変わった訳ではない。

 達也はいつも通り、早朝に目を覚ました。

 顔を洗い、いつもの服に着替える。

 リビングに下りると、普段はまだ寝ているはずの深雪がいた。

 

「おはよう、深雪。今日は早いんだな」

 

「おはようございます、お兄様。今朝は私もご一緒させていただこうかと思っているのですが‥‥‥‥」

 

 見れば、深雪は制服を着てサンドイッチの入ったバスケットを抱えている。

 どうやら今日の朝食は、そのサンドイッチということらしい。

 

「それは構わないが、制服で行くのか?」

 

「先生にはまだ、入学の挨拶をしていませんでしたから。それに私ではもう、お兄様の鍛錬についていけませんし」

 

 それが深雪の答えだった。

 こんな朝早くから制服に着替えていたのは、その姿を見せに行くためという訳だ。

 

「分かった。別に深雪が俺の朝練に付き合う必要はないが、そういう事なら師匠も喜ぶだろう。‥‥‥‥喜び過ぎて、タガが外れなければいいのだがな」

 

「その時は、お兄様が深雪の事を守ってくださいね?」

 

 深雪のお茶目な表情に、達也の顔には自然に笑みが浮かんだ。

 

 

 

 

 早朝の住宅街を、高速で走り抜ける影が二つ。

 その正体は司波兄妹だ。

 深雪はローラーブレードで、達也は走って目指す場所へ向かう。

 二人とも魔法を使っているので、速さは時速60㎞に達する。

 どちらが大変なのかは一概には言えないが、魔法の訓練をしている点では同じだった。

 

 

 

 

 家から十分ほど(時速60㎞)で、達也たちは小高い丘の上にある九重寺に到着した。

 しかし、門の手前で二人して立ち止まる。

 寺に漂う異様な雰囲気を感じ取ったからではない。むしろ、この寺ではそれが常であった。

 

「深雪、少しここで待っていてくれ」

 

「はい、お兄様」

 

 深雪に声を掛け、達也は敷地に一歩足を踏み入れる。

 それと同時に、彼に向かって総勢二十名の修行僧がどこからか一斉に襲いかかった。

 達也はそれを難なくさばいていく。

 深雪はそんな兄の雄姿をうっとりと眺めていたが、突然背後から声を掛けられた。

 

「やあ深雪君。久しぶりだね」

 

「先生っ!あれほど気配を消して忍び寄らないでくださいと申し上げておりますのに」

 

 いきなり声を掛けられ、普段は冷静な深雪も少なからず慌てた。

 

「そんな事を言われても、僕は忍びだからね。忍び寄るのは性みたいなものさ」

 

 まだそんなに老いてはいないが、綺麗に剃り上がった頭と細身の体に墨染めの衣を着ているのはこの場に相応しいと言える。

 

「今時、忍者という職業はありません。そのような性は早急に矯正する事をお勧めいたします」

 

「そうじゃないんだな。僕は忍者なんていう俗物じゃなくて、由緒正しい忍びだよ」

 

「由緒正しいのは存じております。ですから不思議でならないのですけど、なぜ先生は‥‥‥‥」

 

 深雪はそんなに軽薄なのかと続けたかったのだが、もう既に何度も言っている事なので、諦めて途中で言葉を切った。

 目の前にいる僧侶もどき――身分上はれっきとした坊主なのだが――の名前は九重(ここのえ)八雲(やくも)といい、自称通りの忍びである。

 より一般的な呼称は忍術使い。

 本人がこだわっていた通り、身体能力が高いだけの前近代の諜報員とは一線を画す、古式魔法を伝える者の一人だ。

 達也が師匠と呼び、深雪が先生と呼ぶのもこれが理由なのだが、俗っぽく胡散臭いのが玉に(きず)でもある。

 

「それが第一高校の制服かい?」

 

「はい、昨日が入学式でした」

 

「う~ん‥‥‥‥いいね」

 

「‥‥‥今日は、入学のご報告に、と‥‥‥‥」

 

「初々しく真新しい制服。清楚の中に隠しきれない色香」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

「まるで咲き綻ばんとする花の蕾。萌え出ずる新緑の芽。そう、これは萌えだ!萌えなんだよ深雪君!‥‥ムッ!?」

 

 どんどんとテンションを上げる八雲。対して、深雪はじりじりと後退していく。

 そこに、八雲に襲い掛かる影が。

 

「師匠、深雪が怯えていますので、それくらいにしてください」

 

「やるね、達也君。僕の背後を取ると‥‥‥‥はっ!」

 

 達也の手刀を受け止め、八雲は左手で達也の右手を巻き込みながら右の突きを放つ。それを達也は右手を八の字に振ることで逃れ、拳を受け流しそのまま脇に抱え込む。

 見物人から漏れるため息。

 いつの間にか、対峙する二人を囲む人の輪ができている。

 交差する達也と八雲に、手に汗握るのは深雪だけではなかった。



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第十二話 鍛錬の後で

 前話の前書きをすっかり忘れておりました。申し訳ありません。
 ほぼ一週間ぶりの投稿です。
 諸事情により、これからは週に一回程度になります。
 恐らくそのタイミングで一週間分の書き溜めを投下する形になるでしょう。
 気長に待っていてくださると嬉しいです。


 修行僧たちが自らの勤行へと戻り、境内は静けさを取り戻した。

 今本堂の前庭にいるのは、達也と深雪、八雲だけになっている。

 深雪は朝の鍛錬を終えた二人に、タオルと水の入ったコップを差し出す。

 

「お兄様、先生、よろしければどうぞ」

 

「おお深雪君、ありがとう」

 

「‥‥‥‥少し、待ってくれ」

 

 汗をかきつつも飄々として受け取る八雲とは対照的に、達也は土の上に寝転んだ状態から動けない。

 

「お兄様、大丈夫ですか?」

 

 そんな達也を深雪は膝をついて心配そうにのぞき込む。

 

「いや、大丈夫だ」

 

 彼女を安心させるために、達也は一息で立ち上がった。

 

「それよりもすまない、深雪。お前のスカートに土がついてしまったな」

 

 そう言う彼の方こそ激しく汚れていたが、深雪からそれを指摘する声はない。

 

「このくらい問題ありません」

 

 深雪は笑顔でそう答え、懐から薄型携帯端末形態の凡用型CADを取り出した。最も普及しているブレスレット形態の物に比べ落下のリスクはあるものの、慣れれば片手で操作可能な事が特徴だ。

 CADに想子が集まり、非物理の光を放って魔法が発動する。

 どこからともなく霧が発生し、達也と深雪を包み込んでいく。

 それが晴れた時には、二人の服に付着していた汚れが綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「お兄様、朝ご飯にしませんか?よろしければ先生もご一緒に」

 

 それが当たり前であるかのように、バスケットを軽く掲げる深雪。

 実際、妹にとってこの程度の魔法は何でもない事だと達也はよく知っていた。

 

 

 

 

 縁側に腰を下ろし、サンドイッチを頬張る達也と八雲。

 深雪は一口口にしただけで、甲斐甲斐しく達也の世話を焼いている。

 その様子を微笑ましげに(人の悪い笑みで)見ていた八雲が、朝食を食べ終えた後しみじみと呟いた。

 

「もう体術だけなら、達也君にはかなわないかもしれないねえ」

 

 それは紛れもない賞賛。

 だが、達也の心には素直に届かなかった。

 

「それでも一方的にされるんですから、俺はまだまだです」

 

「そりゃあ当然だよ。僕は君の師匠なんだから。この程度で負けてしまったら、弟子に逃げられてしまう」

 

「お兄様、もう少し素直になられた方がよろしいかと。せっかく先生が褒めてくださったのですから、胸を張って高笑いしていらしたらいいのです」

 

 深雪は澄ました口調で、しかし口元は微笑んで言った。

 

「‥‥‥‥それはちょっと嫌な奴じゃないか?」

 

 八雲と深雪の冗談めいた励ましに、達也は苦笑した。

 

 

 

 

 一度家に帰り、身支度を整えてから達也たちは学校へ向かう。

 移動手段はキャビネットという公共交通機関だ。二人乗りまたは四人乗りのリニア式小型車両が高密度で運行されているため、百年前の電車と同じ輸送量と自家用車並みのプライバシー空間を実現している。

 

「あの、お兄様、実は‥‥‥‥」

 

 珍しく歯切れの悪い深雪の口調に、達也は広げていた端末から急いで顔を上げた。

 

「どうしたんだ?具合でも悪くなったのか?」

 

「いえ、そうではないのですが、その‥‥‥‥昨晩、あの人たちから電話がありまして」

 

 あの人たち。その単語で、達也は深雪が言いにくそうにしている大方の見当がついた。

 

「親父たちが、何か深雪を怒らせるようなことでも言ったのかい?」

 

「お兄様‥‥‥‥では、やはり」

 

「ああ、何の連絡もないね」

 

 達也たちの父親、司波(しば)辰郎(たつろう)は実の息子である達也を息子として扱っていない。達也が高校に進学することにも、いい顔はしなかった。

 

「私には入学のお祝いをしておきながら、その兄であるお兄様には何一つ寄越さないとは‥‥‥‥許せません!」

 

「そう言うな。親父は俺に会社の手伝いをさせたかったんだ。それを蹴った俺にいい顔をできないのは当然だろう」

 

 達也の言う通り、辰郎は魔法関連企業であるFLT(フォア・リーブス・テクノロジー)の社内取締役なのだ。魔法理論と魔法工学に堪能な達也を手伝わせようとするのは、ある意味仕方ないといえた。

 

「でしたら高校くらいは出させてもいいではありませんか!」

 

「親父には親父なりの考えがあるんだろう。必要とされていると思えば、腹が立つ事もないさ」

 

「ですが!!」

 

 突然室温が低下し、キャビネットの暖房がうなりを上げる。

 深雪が感情の任せるままに、無意識で魔法を発動させたのだ。

 

「深雪」

 

 達也はそんな深雪に、優しく声を掛ける。

 

「‥‥‥‥申し訳ありません、取り乱してしまいました」

 

 我に返った深雪が、魔法を抑える。うなりを上げていた暖房が静かになり、キャビネット内は再び達也と深雪の声だけになった。

 

「いや、いいんだ。お前が怒るのも当然だからね。でも、繰り返しになるが親父には親父なりの考えがあるんだよ」

 

 本当は深雪も達也自身も分かっているのだ。辰郎の主張は、ただの建前であることを。

 しかし、それを表に出すことはしない。この微妙な関係が、今のところ自分たちにとって一番都合のいいものだということも分かっているからだ。

 二人とも言葉が続かずに無言になったところで、キャビネットが目的地に近づいて減速を始めた。



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第十三話 授業初日

皆様、お待たせいたしました。
なかなか時間が取れず、二週間たってしまいすみません。
当分はいつ投稿できるか自分でもわからないので、文字通りの不定期更新となりそうです。




達也が深雪と別れて教室に入ると、室内は喧噪で満たされていた。まあ入学して二日目の教室など、そんなものだろう。

 

「司波君、オハヨー!」

 

 声のした方を向くと、そこにはエリカがいた。座席に座っているので、恐らくそこが彼女の学校から指定された席なのだろう。

 

「おはようございます」

 

 一つ空席を挟んで、美月も座っている。

 二人に挟まれたその空席が、達也が指定された席だった。

 

「おはよう。また隣だが、よろしくな」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」

 

 達也の言葉に、美月が笑顔を返す。

 

「なんだか私だけ仲間外れな気がするー」

 

 反対側でエリカが不満そうな顔をしていたが、口調からして冗談なのは丸分かりだった。

 

「千葉さんを仲間外れにするのは難しそうだ」

 

「ご、ごめんなさい!そういうつもりじゃなくて、あの‥‥‥‥」

 

 しかし、分かっていないのが若干一名。

 

「美月、今のは冗談だよ?」

 

「えっ‥‥‥‥も、もちろん分かってますよ?」

 

 エリカの説明を聞いて、しどろもどろになる美月。

 その様子を、達也とエリカは暖かい目で、いや、正確には生暖かい目で見ていた。

 

「何ですかその目はー!」

 

 二人の視線に気づき、お返しとばかりに美月は抗議する。

 

「美月が怒ったー」

 

「‥‥‥‥お前らは朝から一体何をやっているんだ」

 

 エリカがそれを茶化しているところに、龍が登校してきた。

 

「あ、龍!オハヨー!」

 

「おはようございます、百済君」

 

「おはよう」

 

 軽く挨拶を交わすと、彼はそのまま自分の席へと移動していく。

 いまだエリカと美月が楽しそうにしているのを横目に、達也も意識を別の事に向けた。

 備え付けの端末にIDカードを差し込み、学校の規則を頭に叩き込んでいく。

 それが終わると、今度は受講登録をキーボードのみで猛然と済ませていく。

 

「‥‥‥‥」

 

 前方から視線を感じ、達也が顔を上げると前の席に座っていた男子生徒と目が合った。

 

「別に見られて問題がある訳ではないが、あまりジッと見られるのは気分のいいものじゃないな」

 

「あっと、すまん。あまりにもすげーから、つい見入っちまった」

 

「そうか?慣れれば脳波アシストなんかよりずっと楽だぞ?」

 

「それよ、それ。今時キーボードオンリーなのも珍しいし、何よりその入力スピードがすげーよ」

 

「そういうものか?」

 

「そりゃそうだろ‥‥‥‥おっと、自己紹介がまだだったな。俺は西城(さいじょう)レオンハルト。親父がハーフで、お袋がクォーターなんだ。レオって呼んでくれ」

 

「司波達也だ。俺の事も達也でいい」

 

「OK、達也。よろしくな」

 

「ああ、よろしく」

 

 改めて互いに挨拶を交わしたところで予鈴が鳴り、思い思いの場所に散っていた生徒たちが次々に自分の席に戻る。

 初回の授業はオリエンテーション。

 達也にとっては全く意味のない内容だ。既に選択授業の登録まで済ませているので、端末を使ったオンラインガイダンスなど退屈なだけである。一科と違って二科は担任がいないから、手順をスキップして学内資料でも検索していようと考えていた。

 しかし本鈴が鳴る直前、前のドアが開いてスーツを着た若い女性が入ってきたのだ。

 この学校の職員であることは間違いないだろうが、だとすれば彼女は一体何をしに来たのだろうか。

 教室中が戸惑いを隠せていないなか、彼女が口を開く。

 

「皆さん、入学おめでとうございます。私は本校で総合カウンセラーを務めている、小野(おの)(はるか)です」

 

 随分と明るい女性だが、何か裏がありそうだと達也は思った。

 

「これより、オンラインによるガイダンスを開始します。皆さんはガイダンスの指示に従ってください。すでに受講登録まで済ませている人は、退室して構いません。ただし、ガイダンス開始後の退室は認められませんので、希望者は今のうちに退室してください」

 

 その言葉が終わると同時に、ガタッと椅子が鳴った。

 達也、ではない。彼はこんなところで目立ちたくなどなかった。

 立ち上がったのは、教室後方の廊下側に座っていた男子生徒だった。

 集まったクラス中の視線を気にも止めずに、彼はそのまま教室を出ていった。

 手元に目を戻し、何を調べて時間を潰そうかとキーボード上で手を止めた達也は、ふと視線を感じて顔を上げる。

 達也に視線を送っていたのは、遥だった。

 他の生徒に怪しまれないように視線を動かしてはいるが、やはり達也を見ている。

 理由に心当たりは一つしかない。

 しかし、彼女は達也と目が合うたびに微笑みを向けてくるのだ。

 受講登録を済ませているのに退室しない自分に興味を持った、にしては随分と親しみを感じる視線に達也はオリエンテーションの時間中ずっと疑問を抱いていたのだった。




ご指摘ありがとうございます。
本文を修正しておきました。
なぜこんなミスが起きたのか、自分でもわかりません。
ただ、これからは本文のチェックをさらにしっかりしていこうと思っております。
この度はお騒がせして申し訳ありませんでした。


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第十四話 衝突

お待たせいたしました、第十四話です。
今話は中途半端なところで切れます。
至らぬところばかりですが、次話まで気長く待っていただければ幸いです。


 オリエンテーションが終わると、その後は昼休みまで校内を見学する時間だ。二科生は各自自由に見て回ることになっている。

 先ほどの遥の行動に一人で頭をひねっていた達也は、前の席から声を掛けられた。

 

「達也、昼までどうするんだ?」

 

 声の主であるレオは、さっきと全く同じ体勢で達也に顔を向けていた。

 達也としては引き続き学内資料を閲覧するつもりだったが、レオの期待に満ちた目を見て予定を変更することにした。

 

「特に何も決めていないから、付き合おう」

 

「じゃあ、工房に行こうぜ」

 

「工房?」

 

 魔法科高校には、魔法関連機器(主にCADなど)の製造について学ぶための工房がある。 魔法関連機器を造る魔法工学技師は魔工師とも呼ばれており、現代魔法において重要な職業なので、工房を見学したいというのも分かる。

 しかし、レオは見たところ筋肉質で肩幅もあるのだ。

 だから達也は意外に思い聞き返した。

 

「達也が言いたいことは分かるぜ。なんでこんな体格なのに闘技場じゃないんだってな。俺が得意なのは硬化魔法なんだが、これは武器術との組み合わせで最大の効果を発揮するからな。自分で使う武器くらい、自分の手で手入れできるようになっときたいんだよ」

 

「なるほど」

 

 どうやらこのクラスメイトは、見た目よりはるかに自分の事について考えているようだった。

 

「あの、それでしたら一緒に行きませんか?」

 

 そこに、隣の席から遠慮がちな申し入れがなされる。

 

「柴田さんも工房に?」

 

「はい‥‥‥‥私、魔工師志望なんです」

 

「俺もだ」

 

「えっ、司波君って魔工師志望なの!?」

 

 反対側から乱入してきたのは、エリカだ。

 

「達也、コイツ、誰?」

 

「うわっ、失礼な奴、失礼な奴!花も恥じらう年頃の乙女に向かってコイツ呼ばわりするなんて!!」

 

「はあ?オメェはどう見たって肉体派だろうが。乙女なんぞ似合わねえよ」

 

 売り言葉に買い言葉とはまさにこのことである。

 

「何ですって、この脳筋原始人!」

 

「なっ、なっ、なっ‥‥‥‥」

 

 エリカの暴言に絶句し、今にもうなり声になりそうなレオ。

 見かねた達也と美月が仲裁に入る。

 

「もうやめろよ、二人とも」

 

「そうですよ、会ったその日なのに」

 

 実は二人とも相性がいいんじゃないかと思った達也だったが、そう簡単には止まらないものだ。

 

「ふん、コイツが先に謝ったら、許してやってもいいぜ」

 

「何よそれ、むしろこっちのセリフだわ。あんたが先に謝りなさいよ」

 

「何をっ!」

 

「ほら怒った。これだから単細胞は」

 

「そこまでだ、エリカ」

 

 ついに、教室の後ろの方から龍までも介入してきた。エリカとレオの視線が突き刺さるが、表情に変化はない。

 

「お前ら、いい加減にしろ。エリカ、入学二日目からクラスメイトに突っかかってどうするんだ。そっちの君も、高校生になって感情の一つも制御できないなんて恥ずかしいとは思わないのか?」

 

「う、それは‥‥‥‥」

 

「ごもっともだな‥‥‥‥」

 

 正論を突き付けられ、しょんぼりとする二人。彼らの反応を完全に無視する形で、龍が達也に話しかけてきた。

 

「工房に行くんだろう?俺も付き合うから、早く行こうか」

 

「そうだな、教室に残っているのが俺たちだけになってしまう」

 

「あっ、私も行きます!」

 

 そそくさと教室を出ていく達也と龍に、美月が慌ててついていく。

 残されたエリカとレオは、互いににらみ合ってから三人の後を追いかけていくのだった。

 

 

 

 

 昼休みの校内食堂。

 腹をすかせた学生たちでごった返すのは、いつの時代も変わらない光景の一つだ。

 工房見学を終えた達也たちも、当然その中にいる。

 対面式のテーブルに座り、半分ほど食べ終わったところで、クラスメイトたちをぞろぞろと引き連れた深雪が現れた。

 レオと自己紹介を交わした彼女は、当然のことながら達也と一緒に食べようとする。

 学校の施設は一科も二科も関係なく使えるので、遠慮なく食事ができるはずなのだが‥‥‥‥

 

「君たち、席を譲ってくれないか」

 

 深雪のクラスメイトである男子生徒の発言にまず反応したのは、レオとエリカだった。

 

「おい、それを言う前に言うべき言葉があるだろ」

 

「順序を考えないあんたのような奴にお願いされたって、誰も譲ろうとはしないわよ」

 

 同じタイミングで反応する二人を見て、達也はやはり二人は相性がいいんじゃないかと思ったが、口には出さない。

 

「ふん、二科生ごときがギャアギャアと」

 

 身勝手で傲慢な男子生徒の振る舞いに、早くもレオとエリカは爆発しそうになっている。

 この場を治めるためには、自分たちが引いた方が手っ取り早い。そう結論付けた達也は、さっさと食べ終えて席を立った。

 深雪は達也たちに目で謝罪した後、彼らとは別の方向に歩み去っていった。



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第十五話 一科と二科のいざこざ

UA5000突破しました。
皆様、ありがとうございます。
これからも精一杯頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。
さて、今回は氷華の実力が少しだけ発揮されます。
乞うご期待ください。


 午後の授業が何事もなく終わり、放課後になった。

 達也たちは、深雪と合流して帰宅の路に着こうとしていた。

 そこにいちゃもんをつけてきたのが、昼と同じ深雪のクラスメイトたちだった。

 

「いい加減にしたらどうですか?深雪さんは、お兄さんと一緒に帰ると言っているんですよ。他人が口をはさむようなことではないでしょう」

 

 学校の中庭に陣取る、達也のクラスメイト三人。

 対峙するのは、深雪のクラスメイトである一年A組の面々。

 その中心で雄弁をふるっているのは、なんと美月だった。

 達也と深雪は、少し離れた場所でそれを見守っている。

 

「美月って、意外に好戦的なんですね」

 

「ああ、俺も予想外だったよ」

 

 当事者であるはずの兄妹は、冷めている。

 

「大体、貴方たちに二人の仲を切り裂く権利なんてあるんですか!」

 

「ち、ちょっと美月‥‥引き裂くだなんて‥‥‥‥」

 

「深雪、なぜそこでお前が照れる?」

 

 美月の言葉に赤面する深雪に、達也はため息を吐きそうになった。

 当初美月は正論を並べ立てていたはずなのだが、次第に引っ掛かりを覚える言い方に変わってきている。

 当然事態は混迷を深め、兄妹が望む方向とは逆方向に進んでいた。

 

「そもそも、私たちは同じ新入生でしょう?どうして一科だ二科だとそんなくだらない事にこだわるんですか!」

 

「まずいな‥‥‥‥」

 

 達也の短い呟きは、そばにいた深雪だけが聞き取れた。

 一科生のほとんどは、自分がブルームである事に高いプライドを持っている。それを否定された、ましてや格下だと考えているウィードにくだらないと言われたとなれば、大人しくしているはずがない。

 

「‥‥‥なら、教えてやる。ブルームとウィードの差ってやつをな!」

 

 学内でCADの携行を認められている生徒は、生徒会役員と一部の生徒のみ。

 学外での魔法の使用も法令で規制されている。

 だが、CADの携行まで規制しているわけではない。

 CADがなくても、スピードと効率性を犠牲にすれば魔法は使えるからだ。

 だから学校では登校時に事務室にCADを預け、下校時に返却されることになっている。

 ゆえに、下校時に生徒がCADを持っていても何の不思議でもない。

 

「特化型っ?」

 

 ただ、それが同じ生徒に向けられたとなれば非常事態だ。

 攻撃力重視となることが多い特化型なら、なおのことである。

 小型拳銃を模したCADの、銃口に当たる部分が美月に突き付けられた。

 

「お兄様!」

 

 深雪の言葉が終わらぬうちに達也が動作を起こす、その直前。

 甲高い金属音とともに、少年の持つCADが吹き飛んだ。

 静まりかえる中庭。

 CADが地面に落ちると同時に、少年がそれを持っていた手をもう片方の手で押さえる。

 

「ほんと、最低ね。女の子に手を上げるなんて」

 

 聞こえてきた声は、とても小さいながらもよく響いた。

 声の主と思しき人物とはかなり離れている。

 その距離、数十メートル。

 二つの校舎が反響板の役目を果たし、しかも物音が消えた中庭だからこそ聞こえる距離だ。

 今の現象を理解できた者は、ごく少数の人間だけだと言わざるをえないだろう。

 魔法によって作られた、たった一発の氷の弾。

 次第に近づいてくる影――南海氷華を見つめながら、達也はCADの能力を改めて思い知らされている感じがした。

 男子生徒が持っていたCADの銃でいう引き金に当たるところを、氷華は持ち手とCADに加わるダメージが一番効率よく、しかし必要最小限の威力で氷弾を命中させたのだ。

 それも、数十メートルという距離から。

 この驚くべき命中精度は、多重鎖式凡用型CADによるところが大きい。

 使用者の技量もさることながら、CADと魔法式の相対位置のわずかな誤差を極限まで減らすCADの性能がなければ実現しない。

 達也は、滅多にしない感嘆の息を吐いていた。

 

(あ~、これは非ッッ常にまずいかも‥‥‥‥)

 

 一方、いざこざの中心にいるエリカにとっては、最も登場してほしくない人物の登場に嘆息を吐きたい気分だった。

 彼女の思考が、記憶が、警鐘を鳴らす。

 今の氷華は時限爆弾のようなものだ、と。

 いざという時には、少々手荒な真似もしなければいけない、と。

 氷華は元々こういう場に口や手を出すような性格ではない。むしろ、遠巻きに静観している方だ。

 にもかかわらず魔法を打ち込むほど機嫌が悪い理由は分かりきっている。昼間、食事を龍とともにとれなかったからだ。

 他人から見ればたったそれだけのこと、なのだが、本人にはそれさえも最優先にさせる事情がある。

 その事情を知っているのはエリカと龍だけだ。

 だからこそ、このまま事態が収束に向かっていくことを期待した。それがほんのわずかな可能性でも。

 

「おい!君も一科生なら、俺たちの邪魔をするんじゃない!」

 

 CADを打ち払われた男子生徒が、やってきた氷華の制服についている紋章を見て吠える。

 

「残念だけど、私に差別ごっこなんて趣味はないわ」

 

 差別ごっこ。

 それを聞いたエリカは、わずかな可能性が潰えたことを悟った。

 

「なぜだ!なぜ、このような下等な奴らを擁護する!」

 

 少年の発した言葉に、氷華が再びCADを彼に向けた、直後。

 エリカはカバンから警棒らしきものを取り出し、氷華の手を叩いた。

 

「痛いっ!」

 

 CADを取り落とさない、ぎりぎりの威力だ。

 叩かれた右手をさすりながら、氷華はエリカに抗議の眼差しを向ける。

 

「ちょっとエリカ、何するのよ!」

 

「あはは、ちょっとね~」

 

 向けられたエリカはといえば、へらへらと誤魔化している。

 しかし達也は、叩いた直後に一瞬だけ、エリカの顔に残心が浮かんでいたのを見逃さなかった。

 突然の仲間割れじみた出来事に、深雪のクラスメイトたちにも動揺が走る。

 その混乱に乗じてか、少年の左後方にいた女子生徒が魔法を発動しようとした。

 だが、それはかなわなかった。

 魔法式が展開された瞬間、先ほど氷華が来た方からサイオン弾が撃ち込まれ、魔法式は霧散する。

 

「やめなさい!自衛目的以外の対人魔法攻撃は、校則違反以前に犯罪ですよ!」

 

 走って近づいてくる、二人分の足音。

 一人は達也にとって見覚えのある人物、現第一高校生徒会長の七草真由美だった。



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第十六話 新たな出会い

いきなり暑くなりましたね。
私はこの気温変化についていけず、少々体調を崩しております。
読者の皆様も体調には十分気を付けてください。


 エリカたちに攻撃しようとした女子生徒は、声の主を認めるなり顔面蒼白となった。よろけて、近くにいた別の女子生徒に抱き止められている。

 

「あなたたち、1-Aと1-Eの生徒ね。事情を聞きますから、ついてきなさい」

 

 冷たい硬質な声でこう命じたのは、真由美の隣に立った女子生徒。達也の記憶によれば、彼女は風紀委員長、渡辺(わたなべ)摩利(まり)と入学式で紹介されていた三年生だ。

 摩利のCADはすでに起動式の展開を完了している。

 ここで少しでも抵抗の素振りを見せれば、即座に実力行使されることは容易に想像できた。

 レオや美月、深雪のクラスメイトたちも、雰囲気にのまれて硬直している。

 そんな彼らを横にして、達也は平然とした足取りで背後に付き従う深雪とともに、摩利の前へ歩み出た。

 突然出てきた一年生に、摩利は(いぶか)しげな視線を向ける。彼女の視野において、達也たちは当事者に見えていなかったようだ。

 達也はその視線を臆することなく受け止め、礼儀を損なわないように軽く一礼した。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

 

「悪ふざけ?」

 

「はい。森崎(もりさき)一門のクイックドロウは有名ですから、後学のために見せてもらうつもりだったんですが、あまりにも真に迫っていたので思わず手が出てしまいました」

 

 美月にCADを突き付けた男子生徒が、目を丸くして驚いている。

 他の一年生も今までとは別の意味で絶句するなか、摩利は達也を見て冷笑を浮かべた。

 

「では、1-Aの女子が魔法を発動しようとしていたのはどうしてだ?」

 

「驚いたのでしょう。条件反射で魔法を発動しようとするとは、さすが一科生ですね」

 

 達也は真面目くさった表情、ではあるが、その声はどことなく白々しかった。

 実際にはその前に氷華が魔法を使っていたので、そう聞こえてしまうのも仕方ないのかもしれないが。

 

「君の友人は、魔法によって攻撃されそうになっていたわけだが?」

 

「攻撃とは言っても、彼女が発動しようとしたのは目くらまし程度の閃光魔法ですから」

 

 再び、息をのむ気配。

 それと同時に、摩利の冷笑が感嘆に変わる。

 

「ほう‥‥‥‥どうやら君は、展開された魔法式を読み取ることができるらしいな」

 

 魔法師は、魔法式の効果については直感的に理解することができる。

 しかし、それが起動式となると、話は別だ。

 起動式は、いわば魔法式を構築するための膨大なデータの塊。

 それを読むということは、画像データの元となる文字の羅列からその画像を頭の中で再現するようなものだ。

 意識して理解することなど、普通はできない。

 

「実技は苦手ですが、分析は得意ですから」

 

 だが、達也はその非常識な技能を分析の一言で片づけた。

 

「誤魔化すのも得意なようだ」

 

 値踏みするような、睨みつけるような眼差し。

 それから兄をかばうように、深雪が進み出る。

 

「兄の申した通り、本当にちょっとした行き違いだったんです。先輩方のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 こちらは小細工なしで真正面から深々と頭を下げられて、毒気を抜かれた表情で摩利は目をそらした。

 

「摩利、もういいじゃない。達也君、本当にただの見学だったのよね?」

 

 昨日の今日でなぜか名前で呼ばれていることにため息を吐きたくなった達也だったが、差し向けられた真由美の助け舟を無碍(むげ)にはしなかった。

 表情を変えずに頷くと、真由美は何となく得意げに見える笑みを浮かべた。

 

「だそうよ。今回は幸いなことに怪我人も出なかったんだし、口頭注意だけでいいんじゃないかしら」

 

「‥‥‥‥会長がこうおっしゃられていることでもあるし、今回は以上にします。以後このようなことのないように」

 

 慌てて姿勢を正し、ばらばらに頭を下げる一同に見向きもせず、摩利は踵を返した。

 が、一歩踏み出したところで足を止め、振り向いて達也に問いかけた。

 

「君の名前は?」

 

「一年E組、司波達也です」

 

「覚えておこう」

 

 反射的に結構です、と言うのをこらえて、達也は再びため息を我慢した。

 

 

 

 

 真由美たちが校舎内に姿を消した後、達也にかばわれた形となったA組の男子生徒が達也の予想通り森崎と名乗った。

 借りだとは思わないとか、お前を認めないとか、挙句の果てにはフルネームで呼び捨てにするなど色々と失礼なことを言い捨てて去っていったが、どれもこれも達也の心には何も響かなかった。

 そして森崎と入れ違いになる形で、いつの間にか姿を消していた龍がやってきた。

 

「災難だったな、達也」

 

 開口一番にそう言ってきた龍に対し、エリカが突っかかる。

 

「何が『災難だったな』よ!こっちは氷華のおかげで気が気でなかったのに、どこ行ってたのよ!」

 

「悪いな。俺はあんなところにすっと入っていけるほど図太い神経は持ち合わせていないから」

 

 全く反省の色を見せない龍の答えに、エリカは呆れて口をパクパクさせている。

 そんな彼女を差し置き、龍はジトっとした目つきで氷華を見た。

 

「氷華、お前な‥‥‥‥カッときても自分を抑えろとあれほど言ったのに」

 

「だ、だって、お兄ちゃんが蔑まれてるって思ったら、身体が勝手に動いたんだもん」

 

 龍としては責めているつもりなのに、なぜかうつむいてモジモジとしだす氷華。

 訳が分からないという顔をしているのは龍だけではなく、達也やレオ、エリカ、美月も同じだ。

 

「‥‥‥‥お兄ちゃんにだったら、蔑まれてもいいかな」

 

「‥‥‥‥帰るか」

 

「‥‥‥‥そうだな。みんな、もう帰ろう」

 

 とにかく、精神的に疲れた。きっと氷華のセリフは疲れているが故の幻聴なのだ。

 達也たちはそう考えて、帰路に着くことにした。

 行く手に事態を悪化させかけた女子生徒が立っていたが、今日はもう関わりたくないので、そのまま通り過ぎようとする。

 しかし、女子生徒はそんな達也たちの思いに反して、進路を妨害するように立ちはだかった。

 

「あの、光井(みつい)ほのかです。さっきは失礼なことを言ってすみませんでした」

 

 いきなり頭を下げられ、達也は面食らってしまった。

 先ほどまでエリート意識を隠しきれていなかった少女の態度とは、豹変している。

 

「かばってくれて、ありがとうございます。森崎君はああ言っていましたけど、大事にならなかったのはお兄さんのおかげです」

 

「‥‥‥‥どういたしまして。だが、お兄さんはやめてくれないか。これでも同じ一年生なんだからな」

 

「で、では、何とお呼びすれば‥‥‥‥」

 

 思い込みが激しそうな眼をしている。

 厄介なことにならなければいいがと思いながらも、達也は不機嫌な口調にならないように答えた。

 

「達也、でいいから」

 

「‥‥‥‥分かりました、達也さん。それで、あの、‥‥‥‥駅まで、ご一緒させてもらってもいいですか」

 

 恐る恐る、しかしある種の決意を秘めた顔で同行を請うほのか。

 彼女のセリフよりもその表情に意外感を覚えたが、達也本人とその妹の深雪、エリカ、レオ、美月に加えて、龍・氷華の義兄妹にも拒む理由はなかった。



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第十七話 氷華の思い

 突然で申し訳ありませんが、私事により現在私が執筆しているこの小説の更新をしばらくお休みさせていただきます。
 なお、お休みさせていただく期間は長くて一ヶ月半程度になると思います。
 『劣等生と落伍者』を楽しみになさっている読者の皆様、急な報告で本当に申し訳ありません。


 駅までの帰り道は、微妙な空気だった。

 メンバーは達也、龍、美月、エリカ、レオのE組の五人と氷華、そして深雪、ほのか、同じくA組の北山(きたやま)(しずく)。彼女はほのかの親友らしい。

 達也の隣には深雪、その反対側にはなぜかほのかが陣取っている。

 

「‥‥‥‥それにしても氷華さんのCADって、変わった形をしてますよね」

 

 ひとしきり自己紹介をした後、とりとめのない会話の話題は先ほど氷華が使用したCADになっていた。

 昨日の入学式の後も話題になっていたが、初めて見たほのかと雫にとっても興味を惹かれるようだ。

 

「それ、昨日も美月から言われたのだけど、そんなに珍しいかしら?」

 

 氷華はそう言いながら自分のCADを取り出し、改めてまじまじと見つめる。

 外見は、特化型CADに多い拳銃型に近い。銀色のそれは銃身がやや長めではあるが、制服のポケットに納まる大きさだ。

 通常の特化型と異なるのは、持ち手部の直上、拳銃でいうところの撃鉄(ハンマー)照門(リアサイト)にあたる部分。

 円形になっているそこには中心に二十四花(雪の結晶の一種)がかたどられており、それぞれの『枝』の先端からCAD全体にかけてラインが曲線を描いている。それらの模様は淡青色に輝き、全て浮き出し加工がなされていた。

 このCADは、氷華の十六歳の誕生日に龍から送られたものだ。初めて手にした時の衝撃は、よく覚えている。

 今でも時々見とれてしまうほど、美しい。

 

「お~い、氷華~」

 

 気が付けば、龍が至近距離で手を振っている。

 どうやら、また見とれていたらしい。氷華は急いで意識を引き戻した。

 

「‥‥‥‥」

 

「綺麗‥‥‥‥」

 

 ほのかと雫、美月はCADを見つめたまま固まっている。深雪も、見慣れているであろうエリカでさえ、固まってこそいないが視線は氷華の手元から外せていない。

 

「もういいかしら?」

 

 女性陣の中で一番早く復帰していた氷華は、素早くCADをしまい込んだ。それにより、他の四人も我に返る。

 

「ご、ごめんなさい。なぜだか引き込まれてしまって‥‥‥‥」

 

「私も。こんな綺麗なCADは初めて見た」

 

 ほのかが再び頭を下げ、恥ずかしそうにしている。

 彼女に同意した雫はというと、対称的に淡々としていた。とはいえ視線がポケットから離れていないので、感情が表に出にくいタイプなのだろう。

 

「氷華のCADって、見てると魂が吸い込まれそうな感じがするよね」

 

「分かる気がします」

 

「さりげなく失礼な事言わないでくれる?」

 

 エリカの発言に賛同する美月、抗議する氷華。

 氷華の目があまり鋭くなっていないのは、自分も引きつけられていたという自覚があるためか。

 一人深雪だけが愛想笑いを浮かべて黙っていたが、そのことを指摘する者はこの場にはいなかった。

 

 

 

 

 一方、こちらは男性陣。

 女性陣とは違い氷華のCADに引き込まれこそしなかったが、達也もレオも龍が氷華に声を掛けなければその場に立ち止まったままだっただろう。

 

「やれやれ、どうしてあのCADは人を引きつけるんだか‥‥‥‥」

 

 一人愚痴る龍の表情は冴えない。

 それを見たレオが、励ますつもりでこう言った。

 

「もしかしたら、そういう不思議な魔力を持っているのかもしれないぜ?」

 

 しかし、言った後で彼は非常に後悔することになった。

 達也と龍の二人から、同時に白い目で見られたのである。

 

「‥‥‥‥レオ、それはただの皮肉にしか聞こえないぞ」

 

 魔法が魔力を使用すると考えられていたのは、少なくとも一世紀以上前の話だ。

 今でも『魔力』という概念自体は残っているが、それは魔法について誤解していたり、変な偏見を持っている一般市民に限られている。

 言い換えれば、正しい知識を持っているはずの魔法師が『魔力』などという単語を使うと、達也の言う通り皮肉としか受け取られないのである。

 

「大丈夫だ。レオの言いたいことは分かるから」

 

 逆に龍から自身を言い聞かせているような励ましをされ、レオはますます居心地が悪くなってしまったのだった。

 

 

 

 

 夕刻、東京近郊の住宅街にて。

 二~三階建ての建物が軒を連ねるなか、二十五階建ての高いマンションが春の夕日を浴びて輝いていた。

 最下層でも一千万円は下らないいわゆる高級マンションであるこの建物は、一階層を一世帯が丸ごと使用する構造になっている。

 そんなマンションの最上階、つまり二十五階のリビングは西側に面しており、富士山と夕日の共演を望むことができる大開口部が設けられていた。

 そんな絵画のような景色をソファからぼんやりと見つめる、一人の少女。

 甕覗(かめのぞき)色のワンピースを着た彼女は、均衡のとれた身体と端正な顔立ちをしている。

 周囲から絶世の美少女と言われてきた彼女の美しさは、夕日によってさらに磨きがかかっていた。

 もしこの光景を世の男性たちが目の当たりにしたら、まず間違いなく自我を亡失するであろう。ある者は口を半開きにして立ち尽くし、またある者は我が物にしようと発情した獣のように襲い掛かっていくに違いない(もちろん返り討ちになるのは目に見えている)。

 しかし、それほどの美しさを持っていながら、彼女の顔は憂いに満ちていた。

 そこに、背後から声が掛かる。

 

「氷華お嬢様、ご入浴の準備が整いましたが、いかがいたしますか?」

 

 声を掛けてきたのは、執事服を着た若い女性。よく引き締まった身体つきをしている彼女もまた、美形の持ち主である。ただ、氷華と並ぶと見劣りしてしまうのは仕方ない。

 それでも、二十代前半の彼女は世間一般には十分美女で通じるのだった。

 

「ありがとう、雲居(くもい)さん。でも、まだいいわ」

 

「かしこまりました」

 

 雲居と呼ばれた女性は、一礼すると部屋を出ていく。

 残された少女――南海氷華は部屋に誰もいなくなったのを確認し、深く、深く、ため息を吐いた。

 現在、氷華の父親は南海家の当主であり、国内有数の巨大複合企業であるマーシャル・トランジット・カンパニー、通称MTCの代表取締役兼創業家代表を務めている。もちろん収入は一般家庭のそれを大幅に上回っており、氷華の住むこの高級マンションの家賃や養子として引き取った龍の扶養代が家計を圧迫することはない。

 だというのに、自分の義兄は負担を掛ける訳にはいかないと仕事を始めてしまった。不定期に夕方から夜間まで、時には帰りが深夜になる仕事。帰宅時間が午前二時頃になることだってある。今は一介の高校生でしかない彼がまともに就けるはずがなかった。年齢を詐称しているのか、そもそも雇っている企業がまともではないのか。

 氷華は龍が仕事に行くたびに、そういう懸念に襲われるのだった。

 今日も今しがた、仕事に行くと言って家を出ていったばかりである。

 それに、と彼女は思考を続ける。

 

(今は、他の心配事もできてしまった)

 

 頭に浮かんだのは、学校で出会った一人の少女。まるで人形のように細く美しく、もしかしたら自分よりも美しいかもしれないと思わせる、可憐な美少女(司波深雪)

 彼女に抱くこのもやもやとした感情は、きっと嫉妬なのだろう。

 ‥‥‥‥駄目だ。考えれば考えるほど、自分の中にどす黒いものが渦巻いていく。まるで自分が自分でなくなるような、そんな恐怖に包まれる。

 氷華はそれから逃れるように立ち上がると、入浴するために脱衣所へと向かった。




甕覗色‥‥‥‥白に近いごく薄い藍色【Wikipediaより抜粋】


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第十八話 生徒会室にて

 皆様、大変お待たせいたしました。本日より、投稿を再開させていただきます。これからもゆるゆると更新していく予定ですので、どうかよろしくお願いいたします。


 翌朝、深雪とともに学校の最寄り駅に降り立った達也を待っていたのは、入学三日目にして早くも顔なじみになったいつものメンバーたちとなぜか一緒にいる七草真由美だった。

 

「あっ、達也く~ん!」

 

 そして自分たちに気づくなり駆け寄ってくる生徒会長を見て、達也は頭痛を覚えた。

 

「お兄様、呼ばれていますよ?」

 

「随分と親しげだがな‥‥‥‥」

 

 達也の記憶している限り、自分と真由美は一昨日が初対面だ。同学年のエリカやレオ、龍はともかく、三年生である生徒会長がこの短期間でここまで態度が変わると、さすがに不信感を抱く。が、何が目的なのか分からない以上、それを表に出すのは禁物である。

 

「おはようございます、会長」

 

 達也に続き、深雪が丁寧に一礼する。他の五人も一応礼儀正しく挨拶をしたが、少し引き気味だったのはやむを得ないところである。

 用件を聞いてみると、昼休みに生徒会室で一緒に食事でもどうかという事だった。親睦を深めるためなら役員である深雪だけでいいはずだが、なぜ自分までと達也は午前中そのことで頭がいっぱいになっていたのだった。

 

 

 

 

 そして、昼休み。達也の生徒会室へ向かう足取りは重かった。対照的に深雪の足取りは軽く、とても楽しそうであった。

 四階の廊下の突き当り、他の教室と同じ合板の引き戸の中央に埋め込まれた木彫りのプレートには、「生徒会室」と刻まれている。

 招かれたのは深雪で、達也はそのオマケ。そのため、入室を請うのは深雪の役目である。

 

「1-A、司波深雪と、1-E、司波達也です」

 

「どうぞ」

 

 明るい声とともに扉のロックが解除された。

 達也が身を乗り出すように戸を開ける。別に何もないと分かっているが、これは二人の幼いころからの癖であった。

 

「いらっしゃい。遠慮しないで入って」

 

 正面、奥の机から声を掛けるのは、生徒会長である七草真由美。

 その右側に、三年生の女子生徒が、左側には風紀委員長である渡辺摩利が座っている。

 そして右側、女子生徒の手前に随分と小柄な女子生徒、そのさらに手前に空席。

 左側にも摩利の手前に空席が二つ、真由美と向かい合うように空席が一つ。

 合計四人と空席四つが一つの長机を囲んでいた。

 そんな光景を見て深雪がまずしたのは、上級階級で十分に通用するレベルのお辞儀。

 

「え~と‥‥‥‥ど、どうぞ座って。お話は、お食事をしながらにしましょう」

 

 当然、達也以外の四人が困惑した。真由美も少したじろいでいる様子であったが、いまだ立ったままの二人に席を勧める。

 達也は摩利の隣にある椅子をひき、そこに深雪を座らせるとさらに隣の下座に腰を下ろした。

 普段なら断固として兄を上座に座らせようとする深雪ではあるが、今回は自分が主役だとわきまえているらしい。

 そこに、来訪者を告げるブザー音。

 

「1-E、くd‥‥南海龍です」

 

「どうぞ、入って」

 

 真由美の声とともに扉のロックが解除され、龍が生徒会室に入ってきた。

 その視線が正面、真由美の姿をとらえた一瞬、表情がとても嫌そうなものに変わったことに、達也だけが気が付いた。

 

「好きな席に座ってください」

 

 生徒会長に声を掛けられ、龍は一礼すると無言で彼女と向かい合う席に座った。

 

「これで全員揃ったわね。さて、お昼はお肉とお魚と精進、どれがいいですか?」

 

 呆れたことに、生徒会室には自動配膳機(ダイニングサーバー)がある。しかも、複数のメニューが存在するらしい。

 達也が精進を、深雪と龍もそれに倣って頼んだのを受け、小柄な女子生徒(達也の記憶では二年生だった)が壁際に設置された機械を操作した。

 あとは待つだけである。

 

「入学式でも紹介しましたが、念のためにもう一度紹介しますね。私の左隣が、会計の市原(いちはら)鈴音(すずね)、通称リンちゃん」

 

「私をそう呼ぶのは会長だけです」

 

 整っているが顔の各パーツがきつめで、背が高く手足も長い鈴音は、美少女というよりは美女と表現した方がふさわしい容姿をしている。

 

「その隣が書記の中条(なかじょう)あずさ、通称あーちゃん」

 

「会長‥‥‥‥私にも立場というものがありますから、下級生の前で『あーちゃん』はやめてください」

 

 彼女は真由美よりも小柄なうえに童顔で、本人にそのつもりがなくても子供に見える。

 本人には気の毒だが、これは『あーちゃん』だろう、と達也は思った。

 

「もう一人、副会長のはんぞーくんを加えたメンバーが、今期の生徒会役員です」

 

 達也の頭の中に、入学式当日、講堂で真由美にくっついていた一人の男子生徒の顔が浮かんだ。同時に、真由美には絶対にニックネームをつけられたくないと思った。

 

「そして私の右隣は知っていますよね?風紀委員長の渡辺摩利。あっ、準備ができたようです」

 

 ダイニングサーバーのパネルが開き、料理がトレーに乗って出てきた。

 合計六つ。

 一つ足りない、と達也が見ている前で、摩利がおもむろに弁当箱を取り出す。

 

「料理、できるんですね」

 

 ちらりと摩利の手を見た龍が、ポツリと呟いた。

 

「そうだが‥‥‥‥意外か?」

 

「いえ、少しも」

 

 風紀委員長に意地の悪い口調で問われても、彼は間髪入れずに返した。もちろん、その表情に変化はない。

 

「手を見れば、そのくらいは分かります」

 

 その言葉に摩利が少し恥ずかしそうな表情をしたのは、達也の見間違いではなかった。



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第十九話 生徒会勧誘

皆さんこんにちは、hai-nasです。
一か月半にわたるブランクの影響か、文章が以前に増して稚拙になってしまいました。
感覚を取り戻すのにあと数話はかかると思いますが、これまでと変わらず読んでいただければ幸いです。


 二人のやり取りを見ていた深雪が、さりげなく言った。

 

「私たちも、明日からお弁当にいたしましょうか」

 

「深雪の弁当はとても魅力的だが、食べる場所がね‥‥‥‥」

 

「あっ、そうですね、まずはそれを探さなくては‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥まるで恋人同士の会話ですね」

 

 兄妹の会話を聞いていた鈴音が、爆弾発言を投下した。

 あずさの顔が瞬時に赤くなる。

 

「そうですね、血のつながりがなければ恋人にしたい、と思ったことはあります」

 

 しかし、達也に軽く返され爆弾は不発に、いや、誤爆に終わった。

 本気で赤面していたのはあずさだけではない。真由美も、摩利も、投下した張本人の鈴音も、そしてなぜか深雪でさえも赤くなっていた。ただ一人、龍だけは小さくため息を吐いた。

 

「‥‥‥‥もちろん、冗談ですよ」

 

 そんな面々に向かって、達也は二コリともせず淡々と告げた。

 

 

 

 

 

「そろそろ本題に入りましょうか」

 

 昼食を食べ終えると、真由美が真面目な表情で口を開いた。

 

「率直に言いますが、我々生徒会は、司波深雪さんに役員として入ってもらうことを要請します。引き受けていただけますか?」

 

 聞けば、主席入学者が生徒会に入るのは恒例のことだという。

 一度うつむき、顔を上げた深雪は、なぜか思いつめた表情をしていた。

 

「‥‥‥‥兄を、生徒会に入れることはできないのでしょうか?」

 

「おいっ、みゆ‥‥‥‥」

 

 一体何を言い出すのか、この妹は。

 そう思って止めようとした達也だが、深雪は止まらない。

 

「兄の入試の成績はご存じですか?」

 

「ええ、知っていますよ」

 

「デスクワークならば、必要なのは実技の成績ではなく知識や判断力のはずです。私を生徒会に加えていただけるというお話については、とても光栄に思います。ですが、兄も一緒という訳には参りませんでしょうか?」

 

 達也は顔を覆って、天を仰ぎたい気分だった。

 度を過ぎた身贔屓は、不快感しか与えないと分からないはずはないのに。

 

「残念ですが、それはできません」

 

 回答は、問われた生徒会長ではなく、隣の席からもたらされた。

 

「生徒会の役員は、第一科から選出されます。これは不文律ではなく、規律です。これを覆すためには、生徒総会で制度の改正が決議される必要があります。決議に必要な票数は在校生徒数の三分の二以上ですから、一科生と二科生がほぼ同数の現状、制度改正は事実上不可能です」

 

 淡々と、しかしすまなそうに鈴音が告げた。彼女が現在の差別的制度に対してどう思っているのか、声色だけでわかる。

 

「そうですか‥‥‥‥申し訳ありません」

 

 だからだろうか、深雪もおとなしく引きさがった。

 

「ええと、それでは、深雪さんは書記として今期の生徒会に加わっていただきます」

 

「はい、精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願い致します」

 

 少し控えめに頭を下げた深雪に、真由美は満面の笑みで頷いた。

 

「ちょっといいか」

 

 そこに、摩利がおもむろに手を上げて皆の注目を集める。

 

「風紀委員会の生徒会選任枠が一枠、まだ決まっていないんだが」

 

「それは今、人選中よ。まだ新年度が始まって一週間もたっていないのだから、そんなに急かさないで」

 

 真由美が摩利をたしなめるが、当の本人は取り合わない。

 

「風紀委員に、一科生でなければいけないという規定はないぞ?」

 

「摩利、貴女‥‥‥」

 

 真由美が大きく目を見開き、鈴音、あずさも唖然としている。

 

「ナイスよ!と、言いたいところなんだけど‥‥‥‥」

 

 その言葉に、真由美は苦々しい表情を浮かべた。

 

「困ったわね‥‥‥‥その一枠に、本当は龍を選任しようと思っていたの」

 

「お断りします」

 

 それまでずっとだんまりだった龍から発せられたのは、明確な拒否の意思。

 真由美の表情は、さらに曇っていく。

 

「そこを何とかお願いできない?風紀委員に必要なのは、抑止力。貴方の魔法は、そういう意味では大変有効なの」

 

「お断りします」

 

「生徒会長としてだけではなく、幼馴染としてもお願い」

 

「お断りしますと言っているんです!」

 

 真由美の言葉を遮る形で、龍が声を荒げた。

 

「俺の魔法は抑止力ではありません!()()()()()()です!」

 

 彼がハッと我に返ったのは、その直後だった。

 静まりかえる室内。

 真由美も、摩利も、鈴音も、あずさも、深雪も、誰もが言葉を失っていた。

 龍はきまり悪い表情になると、今度は落ち着いた声でゆっくりと話し始める。

 

「それは貴女も分かっているでしょう、会長。いえ、それともこう呼んだ方がお気に召しますか、()()()()()()

 

 落ち着いたものから、上品なものへと、龍の声音は変わっていく。それと同時に、真由美の顔が赤くなっていったのだった。



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第二十話 百済の子

皆様こんにちは、hai-nasです。
今話でこの小説は二十話目になります。その割には物語も全然進んでいませんが。
いつの間にやらお気に入り件数も五十を超え、大変嬉しく思うと同時に、この小説をよりよいものにしなければならないというプレッシャーも(勝手に)感じております。
‥‥‥自分の感情を文章にするのは下手なものですから、そろそろ本文に入りたいと思います。


 真由美は顔を赤くしたまま、消え入りそうな声でポツリと呟いた。

 

「今更だけど、そう呼ばれると結構恥ずかしいわね‥‥‥‥」

 

「ええ、今更です。ですが、最初にそう呼べとおっしゃったのは真由美姉さまの方ですよ。お忘れでしたか?」

 

 その質問に対する答えは、首を横に振ることで示される。

 

「そうですか、お忘れでなかったようで何よりです。このような呼び方を自分の方から始めたと思われては、たまったものではありませんから」

 

「ちょっと、それ、どういうこと?」

 

「おっと失礼、つい本音が。それはさておき、先ほどの『幼馴染』発言についてですが、訂正していただけませんか?」

 

「えっ‥‥‥‥!?」

 

 龍のかなり毒と嫌味を含んだ物言いに、生徒会長は絶句した。が、心の奥底は冷静だった。

 自分には、幼馴染であることを否定されても仕方がないほどの負い目があると分かっていた。

 

「貴女は七草のご令嬢です。仮にも一介の男子高校生である自分と親しくしていると、他の生徒たちからあらぬ疑いを掛けられる恐れがあります」

 

 それは本心なのか、思わずそう尋ねたくなったが、ただでさえ壊れかかっている何かが決定的に壊れてしまいそうな気がしてやめた。

 それでも、龍の発言にツッコまずにはいられなかったのだが。

 

「‥‥‥‥『一介』どころか『かなり特殊』だと私は思うのだけど」

 

「それは、俺が百家出身だからですか。それとも、“百済の人間”だからですか」

 

 地雷を踏んでしまった。

 真由美は瞬時にそう理解した。

 龍の表情も声色も普段のものと大差ないが、雰囲気が全く違うものに様変わりしている。

 摩利や鈴音もそれに気づいたようだ。

 しかし、動けない。動かないのではなく、動けないのだ。

 あずさなど、隣にいる鈴音にくっつくようにして完全に縮こまっている。風紀委員長でさえ動けなくなっているのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが。

 それほどまでの、常人離れした重圧と気迫。

 しかも彼は、魔法を一切使用していない。

 彼を幼馴染と呼べる程度には親しくしていた真由美には、これが何を意味しているのかすぐに分かった。

 だから、気づかなかった。

 先輩たちの意識は全て、龍に向けられていたから、誰も気づくはずがなかった。

 龍に向けられた達也の視線が、鋭くとがっていたことに。

 まだあどけなさを残す深雪が、外面も内面も平常心を保っていたことに。

 

 

 

 

 百済家は、現代日本の魔法師社会において、極めて異質な存在であった。

 通常、代々魔法師を輩出する家は十師族の作り上げた社会体系、つまり十師族を頂点に、それらを補佐する師補十八家、次いで百家、その他の家系という縦社会の中にある。

 ところが百済家は、百家でありながら独自の社会網を作り上げ、十師族や師補十八家と対等、またはそれに近い関係を築いていた。

 当然、同じ立場であるはずの他の百家にいい目で見られるはずがない。ゴマすりの百済、裏の百済と影口を叩かれるのは常であった。

 そんな折、百済家は突然()()()()

 十師族の怒りを買っただの、裏社会で失敗しただのと当時は随分と騒がれたが、真相はいまだ謎に包まれたままだ。

 この程度の話は、魔法師社会にかかわりのある者なら誰でも知っている。

 しかし、事の真相を知っている人間は、それこそ極少数である。

 そんな環境にもし、当事者が丸腰で放り出されたりしたら‥‥‥‥

 龍は、そんな目をしていた。

 同世代とは思えないほど、暗く、濁り、地獄を目の当たりにしてきたような眼をしていた。

 

 

 

 

 生徒会室に、機械音が鳴り響く。

 誰かの携帯端末が、着信を伝えている。

 動いたのは、龍だった。

 彼の眼は、すでに普段と同じものになっていた。

 端末を確認するなり、その顔が青ざめていく。

 

「すみません皆さん、妹がそろそろ爆発しそうなのでこれで失礼します」

 

 そういうなり、返事も待たずにそそくさと生徒会室を出ていった。

 残されたのは、沈黙。

 扉が閉まり、たっぷり一分以上たってから、ようやく真由美が口を開いた。

 

「‥‥‥‥とりあえず、これで龍はダメね」

 

 直後、それぞれがそれぞれの思惑を秘めたため息を吐いた。それとともに、張り詰めていた空気が弛緩していった。

 一拍置いて、摩利が真由美にむかって質問した。

 

「なぜ、あんな奴を風紀委員にしようと思ったんだ?」

 

 あのような生徒が風紀委員に相応しい訳がない。言外にそう思っていることがよく分かる口調だった。

 しかし、真由美から答えが返ってくることはなかった。少しうつむき、深刻そうな表情をしたまま動かない。

 代わりに、鈴音が口を開いた。

 

「彼は、自分を“百済の人間”だと、そう呼んでいました。つまり、『そういうこと』なのではないでしょうか?」

 

 あくまで推測ではありますが、と彼女は続ける。

 その言葉に、摩利が噛みついた。

 

「まさか、入学試験で手を抜いたというんじゃないだろうな?」

 

 対する鈴音は、やれやれといった感じで首を振る。

 

「そうではありません。百済家が瓦解してから、今年で四年になります。その間、彼の周囲で何が起こっていたのか‥‥‥‥想像に難くないと思いますが」

 

「じゃあ、あいつは自分の『本来の魔法』を使えなくなったと?」

 

 息をのむ気配がした。それはあずさだったのか、深雪だったのか、はたまた達也であったのか。

 いずれにせよ、摩利の言っていることが何を意味しているのか、わからない者はこの場にいなかった。

 

「その通りです。魔法は使用者の精神状態にかなりの影響を受けます。これは、一年生の終わりごろに学ぶ内容ですね」

 

 達也と深雪のほうに顔を向け、鈴音は付け加えた。気遣い、のつもりなのだろうが、あいにく二人ともその程度のことは知っていた。

 

「もし、彼の精神がとても不安定になっているのだとしたら」

 

「重要な実技試験で『本来の魔法』を使うこともできず、二科生に成り下がる、か‥‥‥‥」

 

 鈴音のセリフを奪う形で、摩利が引き継いだ。

 若干不満そうな鈴音を差し置いて、一人で気難しそうな表情をしていたのだった。




次回からようやく話が進みます。


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第二十一話 傲慢なる副会長

皆様こんにちは、hai-nasです。
忙しくしていましたらいつの間にか二週間が経過していました‥‥‥‥。
ところで、先日の台風は凄かったですね。幸いにも自宅は被害を免れましたが、三百メートルほど離れたところは浸水しました。
皆様はいかがでしたでしょうか?
被害に遭われた方々に少しでも早く日常が戻ることを願っております。


 再び、生徒会室に沈黙が流れる。

 

「はあ‥‥‥‥よし。と、いうわけで」

 

 ため息一つ吐いたのち、真由美の表情は元に戻っていた。

 

「我々生徒会は、達也君を風紀委員に推薦します!」

 

「‥‥‥‥は?」

 

 いきなりすぎる展開に、達也の思考が一瞬止まる。

 それから、さっきまでの出来事がまるでなかったかのように振る舞う真由美を見て呆れてしまった。が、室内の雰囲気が明るくなったのも事実である。たとえ上辺だけでも一声で空気を変える一種のカリスマ性を持ち合わせていなければこんなことはできない。

 達也は現実逃避気味にそんなことを考えていたが、口から出たのは抗議の声だった。

 

「ちょっと待ってください!俺の意思はどうなるんですか?」

 

「まあまあ、まずは話を聞いてくれ」

 

 摩利はそう言って達也をなだめる。しかし、明らかに面白がっている。

 

「風紀委員会は、その名の通り校則違反者を取り締まる組織だ。具体的には、魔法使用に関する校則違反者の摘発と、争乱行為の取り締まりだな」

 

「凄いじゃないですか、お兄様!」

 

「いや深雪、そんな『決まりですね』みたいな目をされても‥‥‥‥」

 

 話に聞く限り、風紀委員はどう考えても魔法技能に劣った二科生に務まる役職ではない。場合によっては、魔法で相手をねじ伏せる必要があるからだ。

 

「おっと、そろそろ昼休みが終わるな。放課後に続きを話したいんだが、構わないか?」

 

 摩利の言う通り、確かにもうすぐ昼休みは終わるし、うやむやではすませられない話だ。

 

「‥‥‥‥分かりました」

 

 達也には、他に選択肢はなかった。

 

 

 

 

 あの後、達也は魔法実技の実習授業を受けているときに、風紀委員になりそうであることをエリカたちに話した。

 もちろん達也が自慢げに話したのではなく、レオが聞いてきたから答えただけである。

 だが放課後、再び生徒会室へ行くときに「頑張ってね~」などと声を掛けられてしまうと、早くもそれだけで気が滅入りそうであった。

 達也自身は全く乗り気でないのだから、なおさらである。

 そんなわけで、昼休みの時よりも重い足を引きずりながら、達也は生徒会室に到着した。

 と、明確な敵意に迎えられる。発生源は、昼休みに囲んだ机の手前。昼休みには空いていた席だ。

 

「失礼します」

 

 悲しいかな、達也はこの手の視線に慣れている。彼がポーカーフェイスを保ったまま軽く黙礼すると、入れ替わる形で深雪が前に立つ。

 と、敵意は嘘のように霧散した。これもいつものことだ。

 視線の主が立ち上がり、こちらに近づいてくる。達也はその顔に見覚えがあった。入学式の時、真由美のすぐ後ろにいた二年生だ。

 

「副会長の服部(はっとり)刑部(ぎょうぶ)です。深雪さん、ようこそ生徒会へ」

 

 少し神経質な声だったが、年齢を考えれば十分に抑制が効いているといえるだろう。

 服部はそのまま達也を完全に無視して席に戻った。深雪の背中からムッとした気配が伝わってきたが、一瞬で消える。何とか自制してくれたようだ、と達也は胸を撫で下ろした。

 そんな彼の気苦労も知らず、気安い挨拶が二つ飛んでくる。

 

「よっ、来たな」

 

「いらっしゃい、深雪さん。達也君もご苦労様」

 

 それぞれ違う扱いをする、摩利と真由美。この二人に関しては気にしても仕方がない、という境地に達也は早くも到達していた。

 

「早速だけど、あーちゃん、お願いね」

 

「ハイ‥‥‥‥」

 

 こちらもすでに諦めの境地なのだろう。少し哀しそうな目をしつつ、ぎこちない笑顔であずさは深雪を壁際の端末へ誘導した。

 

「じゃあ、あたしらも風紀委員会本部へ移動しようか」

 

 一日もたたないうちに話し方が随分変わっている気がするが、こちらが摩利の地なのだろう、と達也は思った。

 

「渡辺先輩、待ってください」

 

「何だ、服部刑部小丞(しょうじょう)範蔵(はんぞう)副会長」

 

「フルネームで呼ばないでください!」

 

 達也は思わず真由美を見てしまった。まさか「はんぞー」が本名だったとは思わなかったのである。

 

「お話ししたいのは、風紀委員の補充の件です」

 

 顔に昇った血の気が一気に引いている。服部は瞬く間に落ち着きを取り戻していた。

 

「何だ?」

 

「その一年生を風紀委員に任命するのは反対です」

 

 冷静に、あるいは感情を押し殺して服部が意見を述べる。

 

「おかしなことを言う。司波達也君を推薦したのは七草会長だ。たとえ口頭であっても、その効力に変わりはない」

 

「本人は受諾していないと聞いています。それに過去、二科生(ウィード)を風紀委員に任命した例はありません」

 

 服部の反論に含まれた蔑称に、摩利は軽く眉を吊り上げた。

 

「ほう?今のは聞き逃せないぞ。風紀委員長である私の前で禁止用語を堂々と使用するとは、いい度胸だな」

 

 摩利の叱責とも警告とも取れるセリフに、服部は怯んだ様子を見せない。

 

「取り繕っても仕方ないでしょう。全校生徒の三分の一以上を摘発するつもりですか?一科生(ブルーム)二科生(ウィード)の区別は、学校制度に組み込まれた学校の認めるもので、事実それを根拠付けるだけの実力差があります。風紀委員は実力が全てです。それに劣る二科生(ウィード)が務まるはずがありません」

 

 話題の中心にいる達也は傲慢な服部の態度に動じることもなく、逆に深雪がいつ爆発してしまうかと心配していたのだった。



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第二十二話 模擬戦直前

皆様こんにちは、hai-nasです。
昨日に引き続き投稿いたします。
それではお楽しみください。


 傲慢な服部の断言口調に、摩利は冷ややかに答えた。

 

「確かに風紀委員会は実力主義だが、実力にもいろいろあってな。達也君は、展開中の起動式を読み取り発動される魔法を予測することができる」

 

「‥‥‥‥何ですって?」

 

 起動式を読み取る。そんな事ができるはずがない。

 それは、彼にとって常識だった。

 

「つまり彼は、実際に魔法が発動されなくても、どんな魔法を使おうとしたかが分かる」

 

 しかし、摩利の答えは変わらない。それが事実であると、疑いもなく語っていた。

 

「当校のルールでは、使おうとした魔法の種類・規模によって罰則が異なる。彼は、今まで罪状が確定できずに軽い罰で済まされてきた未遂犯に対する強力な抑止力になるんだよ」

 

「しかし、違反の現場で魔法の発動を阻止できないのでは‥‥‥‥」

 

「そんなものは一科の一年生でも同じだ。それに、私が彼を委員会に欲する理由はもう一つある」

 

 これには、服部もさすがに返す言葉をすぐには見つけられずにいた。

 

「君の言う通り、今まで二科生が風紀委員に任命されたことはない。それはつまり、二科生に対しても一科生が取り締まってきたということだ。これは一科生と二科生の間の溝を深めることになっていた。私が指揮する委員会が差別意識を助長するというのは、私の好むところではない」

 

 服部はついに摩利に自分の主張を通すことを諦めたのか、真由美の方へ向き直り、直談判を始めた。

 

「会長。私は副会長として、司波達也の風紀委員就任を反対します。渡辺委員長の主張に一理あることは認めますが、風紀委員の任務はやはり校則違反者の拘束と摘発です。魔法力の乏しい二科生に、風紀委員は務まりません。どうかご再考を」

 

「待ってください!」

 

 達也は慌てて振り返った。度重なる服部の吐く毒に、ついに深雪が耐えられなくなったのだ。

 制止しようとしたが、すでに口を開いている深雪の方が早い。

 

僭越(せんえつ)ですが副会長、兄の魔法実技が芳しくないのは、実技テストの評価方法に適合していないだけなのです。実戦ならば、兄は誰にも負けません」

 

 確信に満ちた言葉に、真由美と摩利が軽く目を見開いた。

 だが深雪を見返す服部の目は、真剣味に欠けている。

 

「司波さん、魔法師は常に事象を冷静に、論理的に認識できなければなりません。身贔屓に目を曇らせることのないように心掛けなさい」

 

 口調はあくまでも親身だが、視線は深雪だけにむけられている。

 それがますます深雪を熱くさせる。

 

「お言葉ですが、わたしは目を曇らせてなどいません!お兄様の本当のお力をもってすれば――」

 

「深雪」

 

 達也から掛けられた言葉で、深雪は我に返った。羞恥と後悔にうつむいて口を閉ざす。

 達也は深雪が止まったことを確認すると、服部の正面に移動した。

 

「服部副会長、俺と模擬戦をしませんか」

 

「な‥‥‥‥思い上がるなよ、補欠の分際で!」

 

 言葉を失ったのは、直後に罵声を浴びせた服部だけではなかった。真由美と摩利も、呆気にとられた顔で二人を見つめている。

 しかし、罵声を浴びた達也は薄く笑っていた。

 

「何がおかしい!」

 

「魔法師は常に冷静を心掛けるべき、では?」

 

「うぐ‥‥‥‥」

 

 自分が発したセリフだけに、服部は言葉に詰まる。それでも、達也は止まらない。

 

「別に風紀委員になりたい訳ではありませんが、妹の目が曇ってなどいないことを証明するためならばやむを得ません」

 

「‥‥‥‥いいだろう。身の程をわきまえることの必要性を、たっぷりと叩き込んでやる」

 

 服部の目に映るのは、憤怒。

 すかさず、真由美が模擬戦を認め、摩利がそれに追従する。その宣言に、部屋の隅で小さくなっていたあずさが慌ただしく端末を叩き始めた。

 

 

 

 

 模擬戦の会場として指定された第三演習室の扉の前で、達也はぼやいた。

 

「入学三日目にして、早くも猫の皮が剥がれかけたか‥‥‥‥」

 

「申し訳ありません‥‥‥‥」

 

 後方から、泣きそうな声。

 

「お前が謝ることじゃないさ」

 

 振り返り、達也は妹の頭を撫でた。

 

 

 

 

 演習室で達也を出迎えたのは、審判に指名された摩利だった。

 

「君が案外好戦的な性格で意外だったよ」

 

 そういいながらも、摩利の目は期待に輝いている。喉元までこみ上げてきた深いため息を、達也はのみ込んだ。

 

「それで、自信はあるのか?」

 

「ある、といえばいいですか?」

 

 ため息の代わりに、多少嫌味を含んだ発言が飛び出したのは仕方ないだろう。

 もっとも摩利にはこたえた様子もなく、ニヤリと笑っていたが。

 そのまま彼女は中央の開始線へと歩いて行った。



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第二十三話 達也VS副会長

皆様こんにちは、hai-nasです。
またしても二週間経ってしまいました‥‥‥‥。連休中に少しでも多く投稿する予定なので、ご容赦ください。
そしてご報告があります。この度、この「劣等生と落伍者」がUA10000を突破しました!投稿し続けていればいつかは、と思っておりましたが、こうして一つの区切りを迎えられたことは嬉しい限りです。この小説を読んでくださっている読者様に、感謝しております。これからも、「劣等生と落伍者」をよろしくお願いいたします。


 達也は入学以来の人間関係にため息を漏らしながら、CADのケースを開ける。

 その中には、拳銃形態のCADが二丁収められていた。

 一方を取り、弾倉にあたる部分のカートリッジを別の物と交換する。

 

「お待たせしました」

 

「よし、では今からルール説明をする」

 

 達也と服部がCADの準備を終えたことを確認した摩利が、模擬戦におけるルールを説明していく。なお、半分以上棒読みだったのはこの際置いておくことにする。

 

「それでは、以上だ」

 

 達也と服部、双方が頷き、五メートル離れた開始線で向かい合う。

 この時点で、服部の顔には余裕が垣間見えた。

 こういう勝負は通常、先に魔法を当てた方が勝つ。魔法によるダメージを受けながら冷静に魔法を構築できる精神力の持ち主など、そうはいない。

 そして一科生(ブルーム)である自分が、二科生(ウィード)の、しかも新入生に負けるはずがない、と服部は確信していた。

 服部が所持しているのはスタンダードな腕輪形態の凡用型CAD。達也が所持している特化型CADよりスピードは劣るが、一科生(ブルーム)二科生(ウィード)の差が埋まるなど考えもしていなかった。

 二人はCADを構え、摩利の合図を待つ。

 場が静まり返り、静寂が立ち込める。

 

「始め!」

 

 合図と同時に、服部の右手がCADの上を走る。

 単純な操作とはいえ、その動作には一切の淀みがない。

 模擬戦とはいえ、戦闘は戦闘である。それなりに経験値を積んでいなければできるものではない。

 それは、彼が学内屈指の実力者であることを証明していた。

 スピード重視の単純な魔法式は即座に展開し、一瞬で服部は発動体勢に入る。

 その直後、彼は危うく悲鳴を上げそうになった。

 対戦相手が視界を覆い尽くすほど迫っていたのだ。

 慌てて発動座標を修正し、魔法を放つ。

 そのまま相手は基礎的な移動魔法によって十メートル以上吹き飛ばされ、その衝撃でノックアウトする、はずだった。

 だが、魔法は不発に終わった。

 敵の姿が消えたのだ。

 発動座標自体はそれほど厳密性を要することはないが、対象が認識できなければエラーは避けられない。

 慌てて左右を見渡す服部の背後から、激しい「波」が襲い掛かる。

 それは服部の体内で大きなうねりとなり、彼の意識を刈り取った。

 

 

 

 

 勝敗は、一瞬で決した。

 

「‥‥‥‥勝者、司波達也」

 

 摩利の声も控え目である。

 達也は表情一つ変えず、軽く一礼してからCADのケースを置いた机に向かう。

 

「待て。今の動きは、自己加速術式をあらかじめ展開していたのか?」

 

 その背中を摩利が呼び止め、問いかけた。

 

「そんな訳がないのは、先輩が一番良くお分かりだと思いますが」

 

 これは達也の言う通りだった。摩利は審判として、想子(サイオン)の流れを注意深く観察していたのだ。

 

「しかし、あれは‥‥‥‥」

 

「魔法ではありません。正真正銘、身体的な技術ですよ」

 

「私も証言します。兄は、忍術使いでいらっしゃる九重八雲先生の指導を受けているのです」

 

 摩利が息をのむ。対人戦闘に長けた彼女は、九重八雲の名声をよく知っていた。摩利ほど八雲のことを知らない真由美や鈴音も、身体技能のみで魔法によるアシストと同等の動きを可能にする古流の奥深さに驚きを隠せずにいた。

 もっとも、驚いてばかりではなかった。鈴音が新たに、魔法師としての見地から疑問を呈する。

 

「では、あの攻撃に使用した魔法も忍術ですか?」

 

「いえ、あれはただの想子(サイオン)の『波』です」

 

「ですが、それでは魔法師が立っていられないほどの想子(サイオン)波など‥‥‥‥」

 

 達也の答えに、鈴音はさらに考え込んでしまったのか口を閉ざしてしまう。

 その代わり、先程からチラチラと達也の手元をのぞき込んでいたあずさが、意外にも口を開いた。

 

「あの、もしかして司波くんのCADって『シルバー・ホーン』ですか?」

 

「シルバーって、あの謎の天才魔工師トーラス・シルバーのシルバー?」

 

 真由美に問われ、あずさの表情が一気に明るくなる。

 時に「デバイスオタク」とも揶揄(やゆ)される彼女は、嬉々として語りだした。

 

「そうです!その本名、姿、プロフィールの全てが謎に包まれていて、世界で初めてループキャスト・システムを実現した天才エンジニア!あっ、ループキャスト・システムというのはですね、通常の起動式が魔法発動のたびに消去されていたのを、特殊な処理を付け加えることで、魔法師の演算力が許す限り何度でも連続して魔法を発動できるようにした起動式のことなんです!理論的には以前から可能とされていたんですが魔法の発動と起動式の複写を両立させるのがどうしてもうまくいかなかったのを」

 

「ストップ!ループキャストのことは知ってるから」

 

「そうですか‥‥‥‥?それでですね、シルバー・ホーンというのは、そのトーラス・シルバーがフルカスタマイズした最新鋭の特化型CADのモデル名なんです!ループキャストに最適化されているのはもちろん、他の点でも高評価を受けていて、特に警察関係者の間では凄い人気なんですよ!しかもそれ、通常のシルバー・ホーンよりも銃身が長い限定モデルですよね?どこで手に入れたんですかっ?」

 

「あーちゃん、ちょっと落ち着きなさい」

 

 息が切れたのか、胸を大きく上下させながらあずさは達也との距離を半分ほどに縮めていた。真由美にたしなめられていなければ、顔がくっつくほどの至近距離にまで近寄っていただろう。

 一方、鈴音は新たな疑問に首を(かし)げた。

 

「おかしいですね。ループキャストは、あくまでも全く同一の魔法を連続発動するためのもの。『波の合成』に必要な振動数の異なる波を作り出すことはできないはずです。もし実行するにしても、座標・強度・持続時間に加えて振動数まで変数化しなければなりませんから。‥‥‥‥まさか、それを実行しているというのですか?」

 

 今度こそ驚愕に言葉を失った鈴音の視線に、達也は軽く肩をすくめた。

 

「多変数化は、実技試験で評価されない項目ですから」

 

 真由美と摩利がマジマジと見つめるその先で、彼の口調はそれまでと何も変わらない。

 

「なるほど、テストが本当の能力を示していないというのは、こういうことか‥‥‥‥」

 

 達也の言葉に応えたのは、うめき声を上げて起き上がる服部だった。

 

「はんぞーくん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫です!」

 

 少し腰をかがめてのぞき込むように身を乗り出してきた真由美に対し、服部は顔を赤くし慌てて立ち上がる。

 その行動は何というか‥‥‥‥ある種の感情が容易に推測できるものだった。

 そしてどうやら、真由美自身、服部が自分に向けている感情をしっかり理解しているようである。

 それを横目に見ながら、達也は摩利に呼び止められて中断していた作業を再開したのだった。



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第二十四話 風紀委員会本部

皆様こんにちは、hai-nasです。完成したので投稿いたします。原作と流れは同じなので、もうちょっと物語のペースが上がると思っていましたがそんな事はありませんでした。もう少しなんとかしたいところです。


 生徒会室の奥、普通なら非常階段の設置されている場所に、風紀委員会本部へと続く階段がある。

 実際に目にして達也は呆れて物も言えなかったが、エレベーターでないだけまだマシという事にしておこう、と思い直した。

 あの後、一行は生徒会室に戻った。

 服部は達也本人に謝りこそしなかったものの、深雪には頭を下げていた。どうやら彼の中で、達也は無視するということで折り合いがついたらしい。

 達也にとってもこれから妹が一緒に仕事をする仲間とあからさまに対立している状況は避けたかったので、ありがたいことだった。

 そういうわけで現在、達也は摩利に連れられて裏口を通り抜け、風紀委員会本部へと足を踏み入れたところである。

 

「少し散らかっているが、まあ適当に掛けてくれ」

 

 摩利は長机の前の椅子を指さしている。

 確かに、少しなのだろう。足の踏み場がないほど散らかっているわけではない。

 だが、達也にとっては少しという表現に抵抗を感じていたのも事実である。

 

「風紀委員会は男所帯でね。整理整頓はいつも口を酸っぱくして言い聞かせているんだが‥‥‥‥」

 

 それは貴女の性格も関係しているのでは、と達也は思ったが、口に出すことはしない。

 

「誰もいないのでは、片付くものも片付きませんよ」

 

 代わりに、皮肉なのか慰めなのか、どちらとも取れる発言をした。

 

「校内の巡回が主な仕事だからな。部屋が空になるのも仕方ない」

 

 現在、この部屋にいるのは二人きり。閑散とした空気は、物が散らばっていることによる無秩序感を増幅させている。

 もっとも、達也が注意を向けていたのは目の前の机の上だった。

 そこは書類、本、携帯端末、CAD等々の荷物で埋め尽くされている。

 

「それはそうと委員長、ここを片づけてもいいですか?」

 

「それは構わないが‥‥‥‥なぜだ?」

 

「魔工師志望としては、CADがこのような状態でほったらかしにされているのは耐えがたいものがありますから」

 

 その答えに、摩利は片方の眉を上げて意外感を示した。

 

「あれだけの対人戦闘スキルがあるのにか?」

 

「俺の才能じゃ、どう足掻いてもC級ライセンスまでしか取れませんから」

 

 まるで他人事のように淡々と返された自虐の回答。

 それに反論しようとして、反論すべき言葉が見つからないことに摩利は愕然とした。

 多くの国において、魔法師はライセンス制のもとに管理されている。発行には国際基準を導入しているところも多く、この国もその一つだ。仕事の難度に応じて必要なライセンスが指定されており、ランクの高いライセンスを持つ魔法師ほど高い報酬を得られる仕組みになっている。

 国際ライセンスの区分はAからEの五段階。学校の実技評価もそれに沿って設定されている。

 警察や軍のように特殊な基準を採用しているところもあるが、その場合も「警官として」「軍人として」の評価であり、魔法師としての評価ではない。

 

「それで、ここを片づけても構いませんか?」

 

「ああ、あたしも手伝おう。話は手を動かしながら聞いてくれ」

 

 そう言って、立ち上がった彼女は、見た目以上に気配りのできる人なのかもしれない。

 もっとも、気持ちと成果が必ずしも一致しないのが世の中の常である。

 手を動かす速さは両者同じだが、達也の手元にどんどんスペースができていくのに対し、摩利の前は一向に長机の天板が見えてこない。

 小さくため息を吐き、摩利は(あきら)めて手を止めた。

 

「すまん。こういうのは、どうも苦手だ」

 

 どうやら、達也の予想は的中したようである。

 

「それにしても、良く分かるな」

 

「何がですか?」

 

「書類の仕分け方だよ。きちんと分類されているじゃないか」

 

 会話している間に、達也は椅子を動かして次のエリアに移動した。

 紙束の中からブックスタンドを掘り起こし、本を立てていく。今時分、紙の本やブックスタンドはかなり珍しい。

 

「君をスカウトした理由は‥‥‥‥そういえば、さっきほとんど説明してしまったな」

 

「覚えていますが、二科生に対するイメージ対策としてはむしろ逆効果ではないかと」

 

 本を並び終え、端末の整理に取り掛かる。

 

「どうしてそう思う?」

 

「自分たちは今まで口出しできなかったのに、同じ立場のはずの下級生に取り締まられることになればいい思いはしないでしょう。それに、一科生の方には歓迎に倍する反感があると思いますよ」

 

 席を立ち、空いている棚に端末を積み上げる。その背後から、「それもそうか」という無責任な返事が聞こえた。

 

「だが入学したばかりの今なら、それほど差別思想に毒されていないんじゃないか?」

 

「そうですかね?昨日はいきなり『認めない』と言われましたし」

 

「森崎のことか」

 

 その言葉に、達也は初めて手を止めて振り向いた。

 

「彼を知っているんですか?」

 

「知っているもなにも、教職員推薦枠でウチに入ることになっている」

 

「えっ?」

 

 思わず手から力が抜け、ちょうど手にしていたCADを落としそうになる。

 

「君でも慌てることがあるんだな」

 

「そりゃそうですよ、人間なんですから」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる摩利に、達也はため息混じりの答えを返した。

 

「嫌なのか?」

 

 いきなりストレートな質問をぶつけられ、顔を上げる。

 

「‥‥‥‥正直なところ、面倒だ、と思っています。ですが、今更引き下がれないとも思っていますよ」

 

 摩利の顔に、ニンマリと人の悪い笑みが浮かぶ。

 その悪どさが、彼女の美貌を二割増しにさせていた。

 

「難儀な人ですね、先輩も‥‥‥‥」

 

「屈折しているな、君も」

 

 残念ながら、一本取られたことは認めざるを得ない、と達也は思った。



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第二十五話 風紀委員会の先輩たち

皆さんこんにちは、hai-nasです。
完成したので投稿いたします。
どうぞお楽しみください。


 階段を下りてきた真由美は、開口一番にこう言った。

 

「‥‥‥‥ここ、風紀委員会本部よね」

 

「いきなりご挨拶だな」

 

「だってどうしちゃったのよ、摩利。リンちゃんがいくら注意しても、あーちゃんがいくらお願いしても、全然片づけようとしなかったのに」

 

 そのセリフに摩利が噛みつく。

 

「事実に反する中傷は断固抗議するぞ、真由美!片づけなかったんじゃない、片付かなかったんだ!」

 

「女の子としては、そっちの方がどうかと思うんだけど」

 

 的確過ぎる真由美の指摘に、摩利はとっさに顔を(そむ)けた。

 

「別にいいけどね‥‥‥‥ああ、さっそく役に立ってくれてる訳か」

 

 固定端末のハッチを開いて中をのぞき込んでいる達也の姿を見て、真由美は納得顔で頷いた。

 

「そういうことです」

 

 と、ハッチを閉じて達也が振り向いた。

 

「委員長、点検が終わりました。もう問題ないはずです」

 

「ご苦労だったな」

 

 毅然(きぜん)とした態度で(うなず)く摩利だったが、少しだけ冷や汗をかいているようにも見える。

 

「ふーん‥‥‥‥摩利を委員長って呼んでいるということは、スカウトに成功したのね」

 

「最初から俺に拒否権はなかったような気がしますが‥‥‥‥」

 

 人の悪い笑みを浮かべている真由美を見ようともせず、達也は投げやりな声で答える。

 その態度が気に入らなかったようで、真由美は抗議の声を上げた。

 

「達也君、おねーさんに対する態度が少しぞんざいじゃない?」

 

 言い方もそうだが、まるで子供が()ねているような態度である。

 何から何までわざとらしすぎる。

 ‥‥‥‥とりあえず達也が彼女に言いたかったのは、自分に姉はいないということだった。

 どうも摩利といい真由美といい、この二人には正面から挑んでも勝ち目は薄そうだ、と達也は思った。

 

 

 

 

 真由美が降りてきたのは、今日はもうすぐ生徒会室を閉めることを伝えるためだった。

 入学式が終わったばかりで忙しかったのが、ようやく一段落したらしい。

 彼女は手を振って、生徒会室へ引き揚げていった。

 本格的な活動は明日からということで、達也と摩利の間でもこれで切り上げよう、という話になった。

 そこにちょうどタイミング良くか悪くか、二人の男子生徒が入ってくる。

 

「ハヨーッス」

 

「おはようございます!」

 

 威勢のいい掛け声が部屋に響く。

 

「おっ、姉御(あねご)、いらしたんですかい」

 

 ここはどこでいつの時代だ、と達也は思った。

 背の高さはそれほどではないものの、やけに身体中がゴツゴツした短髪の男が、とても板についた口調で「姉御」と呼んだその相手は――

 

(渡辺先輩のことなんだろうな‥‥‥‥)

 

 当の本人を見ると、微妙に恥ずかしそうだった。

 彼女が少しでもまともな神経を持っていたことに、場違いな安堵を感じる。

 

「委員長、本日の巡回、完了しました!違反者、摘発者、ともにありません!」

 

 もう一人の方は比較的普通だが、とにかくやたら威勢がいい。

 

「‥‥‥‥もしかしてこの部屋、姉御が片づけたんで?」

 

 散々整理整頓された室内を訝し(いぶか)し気に見回していたごつい方の男が、呆気にとられた達也の方に歩いてくる。

 その行く手に摩利が立ちはだかった、と見るや――

 

「ってぇ!」

 

 スパァン!という小気味いい音とともに、男が頭を押さえてうずくまっている。

 摩利が素手で思い切り叩いたのだ。

 

「姉御って言うな!何度言ったら分かるんだ!」

 

「そんなにポンポン叩かねえでくださいよ、姉‥‥‥‥いえ、委員長。ところで、そいつは?新入りですかい?」

 

 それほど痛がっている様子もなく、男子生徒がぼやいた。しかし、凄みのある視線を向けられて慌てて肩書きを取り替える。

 

「そうだ。こいつは一年E組の司波達也。生徒会枠でウチに入ることになった」

 

「へぇ、(もん)無しですかい」

 

 男子生徒は興味深げに達也のブレザーを眺め、次に達也の身体つきを見回した。

 

辰巳(たつみ)先輩、その表現は禁止用語に抵触するおそれがあります!この場合、二科生と言うべきかと思われます!」

 

 もう一人の男子生徒も、そう言いながら値踏みするような態度を注意しようとはしない。彼自身、値踏みするような視線を達也に向けていた。

 

「お前たち、そんな単純な了見(りょうけん)だと足元をすくわれるぞ?ここだけの話だが、さっき服部がすくわれたばかりだ」

 

 だが、からかうように摩利から告げられた事実に、二人の表情は急に真剣味(しんけんみ)を増した。

 まじまじと見られて居心地悪いことこの上なかったが、相手はどうやら風紀委員会の先輩だ。ここは我慢する以外の選択肢はない。

 

「そいつは心強え」

 

「逸材ですね、委員長」

 

 拍子抜けするほど簡単に、二人は見る目を変えた。

 

「意外だろ?」

 

 あまりに端的(たんてき)過ぎて達也は何を問われたのか分からなかったが、摩利の方でも答えを期待してはいなかったようだ。

 

「この学校は、ブルームだウィードだとそんなくだらない肩書きにこだわるヤツらばかりだ。正直言ってうんざりしていたんだよ、あたしは。幸い、真由美も十文字もあたしがこんな性格だって知ってるから、比較的そういう意識の少ないヤツを選んでくれている。残念ながら、教職員枠までそんなヤツばかりとはいかなかったが、ここは君にとっても居心地の悪くない場所だと思うよ」

 

「三ーCの辰巳鋼太郎(こうたろう)だ。よろしくな、司波」

 

「二ーDの沢木(さわき)(みどり)だ。君を歓迎するよ、司波君」

 

 鋼太郎、沢木が、次々と握手を求めてくる。二人が最初値踏みしていたのは、達也の実力の有無だったのだ。

 確かに少し、意外に感じた。そして確かに、悪くない空気だった。

 挨拶を返し、沢木の手を握り返す。が、なぜか手が離れない。

 

「十文字さんというのは、課外活動連合会、通称部活連代表の十文字会頭のことだ」

 

 これを教えてくれるためだろうか?しかしそれなら、もう手を放してもよさそうなものだ。

 

「それから自分のことは、沢木と呼んでくれ。くれぐれも、名前で呼ばないでくれたまえよ」

 

 手にかかる圧力が、達也の意識を現実に引き戻す。

 この学校は魔法だけではなく、他の面でも優秀な生徒が集まっているようだ。

 そしてどうやらこれは、警告のつもりらしい。

 

「心得ました」

 

 そう言いながら右手を細かくねじり、握られた手をほどく。

 達也の見せた体術に、沢木本人よりも鋼太郎の方が驚いた顔をしていた。

 

「ほう、大したもんじゃねえか。沢木の握力は百キロ近いってのによ」

 

「‥‥‥‥魔法師の体力じゃありませんね」

 

 自分のことを棚にあげて、達也は軽口を叩いた。

 少なくともこの二人とは、うまくやっていけそうな気がしていた。



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第二十六話 達也の自宅にて

皆様こんにちは、hai-nasです。
オリジナル要素を入れられず、しばらく原作とほぼ同じ流れになっています。
ご承知おきください。


 CADは伝統的な補助具である杖や魔導書、呪符に比べて高速かつ精緻、複雑、大規模な魔法発動を可能とした、現代魔法の優位性を象徴する補助器具だ。

 しかし、全ての面において伝統的な補助具に勝っているかというと、そうではない。

 精密機械であるCADは、伝統的な補助具に比べてより(こま)かなメンテナンスを必要とする。

 特に、使用者の想子(サイオン)波特性に合わせた受信・発信システムのチューニングは重要だ。CADを用いた魔法はこの調整の()()しで発動速度が五割から十割以上変動すると言われている。

 想子(サイオン)は思考や意思を形にする粒子と言われている通り、想子(サイオン)の波動には一人一人微妙に異なる特性がある。それにチューニングが合っていないCADは、使用者との想子(サイオン)のやり取りがうまくできない。

 これ以外にも、CADを使いやすくするポイントはたくさんある。

 CADの調整は魔工技師の仕事であり、腕の良い魔工技師が重宝される理由だ。

 ところで、想子(サイオン)波特性は肉体の成長、老衰、体調によって日々わずかながらに変化している。

 だから、本来は毎日使用者の体調に合わせた調整を行うのが望ましいが、CADの調整にはそれなりに高価な専用機械が必要になる。よって、中小企業や個人のレベルで自家用の調整環境を整えることはまずできない。そういうところに所属する魔法師は、魔法機器専門店やメーカーのサービスショップで月に一、二回定期点検を受けるのが一般的だ。

 第一高校はこの国でもトップクラスの名門校だけあって、学校専用の調整施設を持っている。生徒は教職員とともに、学校でCADの調整を行うのが普通だ。

 だが達也の自宅には、ある特殊な事情から最新鋭のCAD調整装置が備わっていた。

 

 

 

 

 夕食後、地下室を改造した作業室で自分のCADの調整をしていた達也は、たった一人に等しい同居人に声を掛けられて振り向いた。

 

「遠慮しないで入っておいで。ちょうど一段落ついたところだから」

 

 その言葉は嘘ではない。また、一段落つくタイミングを見計らっていたからこそ、深雪は彼に声を掛けたのだろう。

 

「失礼します。お兄様、CADの調整をお願いしたいのですが‥‥‥‥」

 

 彼女の手には、携帯端末形状のCAD。

 近づくにつれて心地よく鼻をくすぐる、ほのかな石鹸(せっけん)(かお)り。

 病院の検査着のような、簡素なガウンを身に着けている。

 これは、本格的な調整を行うときのスタイルだ。

 

「設定が合っていないのか?」

 

滅相(めっそう)もございません!お兄様の調整は、いつも完璧です」

 

 過度な賞賛はいつものことだから、特に改めさせようともしない。

 だが、フルメンテナンスは三日前に行ったばかりだ。いつもは一週間のインターバルなので、不安を覚えずにはいられない。

 

「すみません、実は、起動式の入れ替えをお願いしたいと思いまして‥‥‥‥」

 

「なんだ、そういうことか。本当に遠慮は要らないんだよ。かえって心配になるから」

 

 妹の髪を軽くかき乱し、手の中からCADを抜き取る。

 深雪は少し恥ずかしそうにうつむいた。

 

「それで、どの系統を追加したいんだ?」

 

 凡用型CADに登録できる起動式は一度に九十九本。これは最新鋭機をさらにチューンアップした深雪のCADでも同じだ。

 一方、起動式のバリエーションは、どこまでを起動式に組み込み、どこから自分の魔法演算領域で処理するかによって事実上無数に分かれる。

 一般的には、座標、強度、終了条件を変数にして、それ以外は起動式に組み込んでおくというパターンが採られる。

 しかし深雪の場合、できるだけ定数項目を減らして融通性を高めた起動式を登録するようにしていた。十五歳にして、一人の魔法師が習得できる魔法数の平均値を大きく上回る多彩な魔法を使いこなす彼女には、九十九という制限数は少なすぎるのだ。

 

「拘束系の起動式を‥‥‥‥対人戦闘のバリエーションを増やしたいのです」

 

「お前の実力があれば、わざわざ拘束系を増やす必要はないと思うが?」

 

 多種多様な持ち札の中でも、深雪は特に減速系魔法を得意とする。減速系魔法のバリエーションである冷却魔法では、近似的に絶対零度を作り出すことができるほどだ。

 

「お兄様もご存じの通り、減速魔法の場合、部分作用式は発動に時間が掛かり過ぎます。今日の試合を拝見して思ったのです。スピードに重点を置いた、最小のダメージで相手を無力化できる術式が、私には欠けているのではないかと」

 

「うーん‥‥‥‥深雪はそういうタイプじゃないと思うけどなあ。お前の場合は絶対的な魔法力で圧倒できるんだから、領域干渉を用いた正統派の戦法の方が合っているんじゃないか?」

 

 領域干渉は、自分の周囲の空間を自分の魔法力の影響下に置くことで相手の魔法を無効化する技術だ。

 達也の言う通り、深雪の領域干渉は極めて強力である。魔法戦で受けに回っても、ダメージを被る可能性はほとんどない。

 

「ダメでしょうか‥‥‥‥?」

 

 しかし、(おそ)(おそ)る尋ねる妹に、達也は「ダメ」とは言わなかった。

 

「いや、そういうことはない。手持ちの魔法を削らなくても済むように、同系統の起動式を少し整理してみよう」

 

 深雪にねだられて、達也が拒めるはずもないのだ。

 

「じゃあ先に、測定を済ませようか」

 

 そう言う達也の顔は、技術者のものになっている。

 深雪は一歩下がると、ためらいなくガウンを脱いだ。

 現れたのは、あられもない半裸の姿。

 計測用の寝台に横たわる深雪の身体を覆うのは、一対の白い下着のみ。

 清楚な純白が、この上なく扇情的な色に変わるシチュエーション。

 それが(たぐい)(まれ)なる美少女である深雪なのだから、たとえ妹であっても平静を保ってはいられない状況のはずだ。

 だが、隠せない羞恥に目を(うる)ませた妹の眼差しを受け止める達也の眼は、一切の感情を映し出していなかった。

 今の彼は、観察・分析し記録する、生身の身体で構成されたマシン。

 感情を生じさせることなくあるがままの事象を認識する、魔法師の目指す一個の理想形を今の達也は体現していた。



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第二十七話 深雪の思い

皆様こんにちは、hai-nasです。
次回か次々回にオリジナル要素が入る予定です。つまり、今回も原作と同じ流れになっています。
つまらないと思いますが、どうかよろしくお願いします。


「お疲れ様、終わったよ」

 

 達也の合図を受けて、深雪が寝台から起き上がる。

 これほど精密な測定を行う調整はどこでも行われているものではなく、珍しい部類に属する。例えば学校の調整施設では、ヘッドセットと両掌(りょうてのひら)を置くパネルで測定している。

 達也からガウンを受け取った深雪はそれを羽織ると、()ねた顔で達也の背中を見た。

 兄は背もたれのない椅子に座り、何事もなかったように端末に向かっている。

 というより何事もなかったのは事実だし、そもそもこれは毎週やっていることだ。いちいち意識していたらきりがない。

 兄が平静でいてくれるのは、()()()()()深雪にとってもありがたいことだ。

 

「お兄様、ずるいです‥‥‥‥」

 

 深雪の艶っぽいささやきに、達也の肩がピクリと跳ねた。

 滅多にお目にかからない、兄の動揺し、狼狽した姿。

 達也の背中におぶさるようにしなだれかかった深雪は、柔らかな二つのふくらみを背中に押し付けながら、実の兄の耳元でなおもささやく。

 

「深雪はこんなに恥ずかしい思いをしておりますのに、お兄様はいつも平気なお顔‥‥‥‥」

 

「い、いや、深雪?」

 

「それとも私では、異性のうちに入りませんか?」

 

「入ったらまずいだろう!」

 

 正論だ。が、その正論が言葉として具現化した瞬間、意識してはならないことへと無理矢理意識を引きずっていく鎖となる。

 

「深雪ではお気に召しませんか?本日は、先輩方と随分(ずいぶん)親しくお話されていたご様子‥‥‥‥」

 

「聞いていたのか?」

 

 そんなはずはない。

 深雪はずっと、生徒会室であずさから情報システムの操作を習っていたのだ。

 第一、盗み聞きなどされていたら、達也が気づかないはずがない。

 しかし、そんな反論を系統立てて組み立てる余裕は、今の彼にはなかった。

 

「美人の先輩に囲まれて鼻の下を伸ばされていたお兄様は」

 

 いつの間にか深雪の左手には、彼女のCADが握られている。

 

「お仕置きです!」

 

「ぐわっ!」

 

 完全に不意をつかれ、深雪の放った振動波に、達也はなす(すべ)もなく椅子から転がり落ちた。

 

 

 

 

 

【自己修復術式、オートスタート】

 

【コア・エイドスデータ、バックアップよりリード】

 

【魔法式ロード――完了。自己修復――完了】

 

 気を失っていたのは一秒にも満たない刹那の時間。

 それ以上倒れていることを、彼自身に許さない。

 それは呪いにも似た、()()()()魔法。

 自然に開いた(まぶた)の先には、上からのぞき込む花の(かんばせ)

 

「‥‥‥‥俺、何かお前を怒らせるようなことをしたか?」

 

「申し訳ありません、悪ふざけが過ぎました」

 

 口では謝りながらも、深雪は笑っている。

 外では大人びた態度を(くず)すことの少ない妹の、年相応な可愛い笑顔。

 この笑顔を前にすると、どうでもいいか、という思いしか()いてこない。

 

「勘弁してくれ‥‥‥‥」

 

 差し出された手を取り、ぼやいている達也の顔も、笑っていた。

 

 

 

 

 目を覚ましたのは、いつもの時間。

 だが今朝はいつもより、寝起きが悪い気がした。

 頭が少し、ぼんやりしている。

 家の中に、兄の気配はない。

 朝の修行に、行ったのだろう。

 これも、いつものことだ。

 兄は毎晩自分より遅くまで起きていて、毎朝自分より早く目を覚ます。

 おとといのように自分が先に起きるのは、本当に(まれ)なことだ。

 以前は身体を壊さないかと、心配したことがある。

 今では、それが杞憂だと分かっている。

 あの人は、特別なのだ。

 世間の人たちは、自分のことを天才だという。

 自分たちとは違う、特別な人間だと称賛する。

 

――なにも、分かっていない。

 

 本当に凄い特別な天才は、兄だ。

 あの人は、次元が違う。

 彼らは、知らない。

 妬みを隠して自分に媚びへつらう彼女たちには、分からないだろう。

 真に隔絶した才能は、嫉妬を超えて恐怖をもたらすものなのだと。

 畏怖ではなく、恐怖。

 兄妹の父親である()()()がその恐怖のあまりに、実の息子であるあの人にどんな仕打ちをしてきているのか知っている。

 兄は、自分がそれを知らないと思っている。

 だから、知らないふりをしている。

 あの男が兄の才を(おとし)め、(はる)か天上の彼方へと()け上がる翼を折ってしまおうと今も画策していることも知っていた。

 滑稽(こっけい)だった。

 (おり)に閉じ込めて鎖に繋いだつもりが、結局息子の才能が自分を(はる)かにしのぐものだと思い知る羽目になった。

 唯一有していた財力という拘束の力を、みすみす手放す羽目になった。

 あの男にできたのは、偽りの名前を押し付けて世間の喝采(かっさい)を奪い取ることだけだった。

 あの人はそんなものに興味などないと、知っているだろうに。

 ‥‥‥‥思考がコントロールできない。

 自分のことが、自分ではない他人のことのように思えてしまう。

 意識が、完全に覚醒していない気がする。

 理由は、分かっている。

 昨晩の、あの出来事のせいだ。

 あの時は、平気でいられた。

 (あや)しげな満足を覚えていて、気持ちで(まさ)っていたから。

 でも兄と別れてベッドに横になった途端、平気ではなくなった。

 胸が高鳴って、眠れなかった。

 愛しかった。

 でも、恋愛感情ではない。

 恋である、はずがない。

 あの人は、実の兄だ。

 三年前のあの日から、自分にそう言い聞かせてきた。

 あの人に救われて真価を知ったあの時から、私はあの人の妹に相応しい者になろうとこれまで頑張ってきた。

 かつて私があの人に助けられたように、いつかはあの人の助けになりたいと願ってきた。

 それは、今も同じだ。

 私はあの人に、何も求めない。

 私は既になくしていたはずのこの命を、あの人に救ってもらったのだから。

 今は、あの人を縛る(かせ)でしかないけれど。

 いつかは、あの人を解き放つ鍵になりたい。

 あの人の、役に立ちたい。

 

――さしあたっては、朝食の準備。

 

 あそこでもご飯は食べさせてもらえるのに、律義(りちぎ)にお腹を空かせて帰ってくるはずだ。

 おいしい朝ご飯を、食べてもらおう。

 それが今、私にできることだから。

 

 深雪は勢いをつけて立ち上がり、一つ、大きく、伸びをした。



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第二十八話 昼休みの生徒会室(1)

皆さんこんにちは、hai-nasです。
ほぼ一か月振りの投稿になります。
それでは、本文へどうぞ。


 色々と特殊なところのある魔法科高校だが、基本的な制度は普通の学校と変わらない。

 ここ第一高校にも、クラブ活動はある。

 ただ、魔法と密接なかかわりを持つ、魔法科高校ならではのクラブ活動も多い。

 メジャーな魔法競技では、第一から第九まである国立魔法大学の付属高校の間で対抗戦も行われ、その成績が各校間の評価に反映される傾向にある。この対抗戦で優秀な成績を収めたクラブには、クラブの予算からそこに所属する生徒個人の評価に至るまで、さまざまな便宜が与えられている。

 よって有力な新入部員の獲得競争は各部の勢力図に直接影響をもたらす重要課題であり、学校もそれを公認、どころか後押ししている感もある。

 かくしてこの時期、各クラブの新入部員獲得合戦は熾烈(しれつ)を極める。

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥という訳で、この時期は各部間のトラブルが多発するんだよ」

 

 場所は生徒会室。

 深雪の作った弁当をじっくり味わいながら、達也は摩利の説明に耳を傾けていた。

 

「勧誘が激しすぎて授業に支障をきたすこともあるから、新入生勧誘活動には一定の期間、具体的には今日から一週間という制限を設けてあるの」

 

 これは、摩利の隣に座った真由美のセリフだ。

 ちなみに達也の隣には、当然のように深雪が寄り添っている。

 鈴音とあずさはいない。昨日は真由美が声を掛けていたからで、あの二人は普段クラスメイトとお昼を食べているらしい。

 なお、摩利も昨日と同じく自作弁当。一人ダイニングサーバーに頼ることになった真由美はかなりへそを曲げていたが、ようやく機嫌が直ったらしい。明日からは自分もお弁当を作ってくる、と張り切っていた。

 

「この期間は各部が一斉(いっせい)に勧誘のテントを出すから、ちょっとしたどころではないお祭り騒ぎだ。ひそかに出回っている入試成績上位者リストや、競技実績のある新入生は各部で取り合いになる。無論表向きはルールがあるし、違反したクラブには部員連帯責任の罰則もあるが、(かげ)では殴り合いや魔法の撃ち合いになることも残念ながら珍しくない」

 

 摩利のこのセリフに、達也は(いぶか)しげな表情を浮かべた。

 

「CADの携行は禁止されているのでは?」

 

「新入生向けのデモンストレーション用に許可が出るんだよ。一応審査はあるんだが、事実上フリーパスでね。そのせいで余計にこの時期は、学内が無法地帯化してしまう」

 

「学校側としても新入生の入部率を高めるためか、多少のルール破りは黙認状態なの」

 

 摩利の答えと続く真由美の補足は、達也を呆れさせるのに十分なものだった。

 

「そういう事情でね、風紀委員は今日から一週間、フル回転だ。いや、欠員の補充が間に合って良かった良かった」

 

 そう言いながらチラッと隣を見たのは、おそらく嫌味のつもりだろう。

 

「良い人が見つかってよかったわね、摩利」

 

 笑顔でさらりと流して、二人とも眉一つ動かさないところを見ると、こういうやり取りは日常茶飯事か。

 手元に置かれた達也の湯飲みに、隣からお茶が注ぎ足される。

 一口、(のど)(うるお)して、彼は小さな抵抗を試みた。

 

「各部のターゲットは成績優秀者、つまり一科生でしょう?俺はあまり役に立たないと思いますが」

 

「そんなことは気にするな。即戦力として期待しているぞ」

 

 が、すっぱりと却下された。

 こうも真正面から切り捨てられると、さすがに告げるべき二の句はない。

 

「‥‥‥‥はぁ、分かりました。放課後は巡回ですね」

 

「授業が終わり次第、本部に来てくれ」

 

 摩利の言葉を、達也は大人しく受け入れた。

 

「それと、今年から臨時委員が加わることになった」

 

「臨時委員、ですか?突然ですね」

 

 すでに言質を取られた後だったので、達也は皮肉っぽく返すしかない。

 

「そうだ。各学年から正義感の強い成績優秀者が一人ずつ選ばれるんだが、あたしは正直期待していない。差別意識の高い連中は面倒だからな」

 

 対して、摩利も渋面を作っている。

 苦々しく思っていることは明らかだった。

 

「あくまで試験的に導入されただけだから、きっと大丈夫よ」

 

 真由美が摩利を(なぐさ)めるように口にしていたが、一体何がどう大丈夫だというのだろうか。

 達也はそんなことを考えながら、心の中でため息を吐いた。

 その隣では、深雪が真由美に指示を(あお)いでいる。

 

「会長、私たちも取り締まりに加わるのですか?」

 

「巡回の応援はあーちゃんに行ってもらいます。何かあった時のために、はんぞーくんと私は部活連本部で待機していなければなりませんから、深雪さんはリンちゃんと一緒にお留守番をお願いしますね」

 

「分かりました」

 

 深雪は神妙(しんみょう)(うなず)いて見せたが、少しがっかりしていることが達也には見て取れた。

 好戦的な性格ではないはずだが、実力的には問題ない。

 新たに組み込んだ拘束系の術式を試してみたいのかもしれない、と的外れな考えを(いだ)いていた。



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第二十九話 昼休みの生徒会室(2)

皆さんこんにちは、hai-nasです。
連続投稿になります。
お楽しみいただけたら幸いです。


ここで、達也はふと頭に浮かんだ疑問を口にした。

 

「中条先輩が巡回ですか?」

 

 達也の言わんとしていることが分かったのだろう。真由美は笑いながら頭を振った。

 

「気の弱いところは玉に(きず)だけど、こういう時にはあーちゃんの魔法は頼りになるわよ」

 

「そうだな。大勢が騒ぎ出して収拾がつかないような状況における有効性ならば、彼女の魔法『梓弓(あずさゆみ)』の右に出るものはないだろう」

 

 摩利も似たような苦笑いを浮かべている。

 

「‥‥‥‥?正式な固有名称ではないですよね?系統外魔法ですか?」

 

 現代魔法の多くは定式化された上でデータベースに登録され、数多(あまた)の魔法師に共有されている。

 しかし達也の知る限り、その中に『梓弓』という名前はない。非公開の魔法は系統外のものが多く、それ(ゆえ)に系統外魔法か?、と聞いたのだが、

 

「‥‥‥‥君はもしかして、全ての魔法の固有名称を網羅(もうら)しているのか?」

 

「‥‥‥‥達也君、実は衛星回線か何かで巨大データベースとリンクしているんじゃない?」

 

 彼の質問に答えはなく、代わりに二人から呆れ声の反問が返ってきた。

 超能力研究から端を発する現代魔法は、魔法という現象を「火が燃える」などといった見かけ上の性質ではなく、作用面から分析・分類されている。すなわち、加速・加重、移動・振動、収束・発散、吸収・放出。以上、四系統八種類である。

 無論、分類には必ず例外があるように、現代魔法においても大きく分けて三つの例外がある。

 一つは、五感外知覚(ESP)と呼ばれていた知覚系魔法。

 もう一つは、想子(サイオン)そのものを操作する魔法で、これを無系統魔法と呼ぶ。しかし想子(サイオン)操作の形態にも四系統八種類の分類が適用されることもあり、四系統魔法と無系統魔法の区別はそれほど厳格なものではない。

 そして残る一つが、精神的な現象を操作する魔法で、これを総称して系統外魔法という。系統外魔法はその名の通り系統に分類できない魔法で、霊的存在を使役する神霊魔法・精霊魔法から読心、幽体分離、意識操作まで多種にわたる。

 

「達也君のお察しの通り、『梓弓』は情動干渉系の魔法よ。一定のエリア内にいる人間をある種のトランス状態に誘導する効果があるの」

 

 一通り驚いて落ち着いたのか、ようやく真由美から回答がもたらされた。ちなみに情動干渉系魔法は精神干渉魔法の一分類で、衝動・感情に働きかける魔法である。

 

「『梓弓』は意識や意思を奪うわけではないから、相手を無力化することはできない。だが、精神干渉系魔法では珍しく同時に多人数を相手に仕掛けることができる。興奮状態にある集団を落ち着かせるにはもってこいの魔法だよ」

 

 摩利の補足説明を聞いて、達也は眉をひそめた。

 

「それは第一級制限が課せられる魔法なのでは‥‥‥‥?」

 

 系統外魔法はその特殊性から、四系統魔法以上に厳しく使用が制限されている。中でも精神干渉魔法は洗脳の道具になるため、特に使用条件が厳しい。

 トランス状態になった人間は被暗示性も高まるため、『梓弓』も例外ではない。

 この魔法の存在を知れば、これを利用しようとする(やから)が後を絶たないだろう。

 達也がそう指摘すると、真由美は笑って答えた。

 

「大丈夫よ。あーちゃんが独裁者の片棒を担ぐとこなんて、想像できる?」

 

「それはそうですが」

 

 しかし、もっと原則的な問題がある。

 

「精神干渉系の魔法に対する法令上の制限は、中条先輩のご性格に関わりなく適用されると思うのですが‥‥‥‥」

 

 それを深雪に指摘されて、真由美は言葉を詰まらせた。

 

「‥‥‥‥えっと、大丈夫よ、深雪さん。学校外では使わせないから」

 

 苦し紛れに返ってきた答えは、頓珍漢(とんちんかん)なものだった。

 

「真由美‥‥‥‥その言い方は、(いちじる)しい誤解を招くと思うぞ」

 

 彼女は追い込まれると弱いタイプにも見えないが、今回は摩利のアシストがなかったらドツボにはまっていたかもしれない。

 

「中条の系統外魔法使用については、学校内に限り特例として許可を取っている。研究機関における使用制限緩和の抜け道をついた、いわば裏技だがね」

 

「なるほど。そのような手段があるのですね」

 

「ええ、そうなのよ‥‥‥‥」

 

 摩利のフォローに、司波兄妹は納得顔で(うなず)き、真由美は誤魔化し笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 午後の授業が終わり、気が進まないながらも風紀委員会本部へ向かおうとした達也を、キーの高い声が呼び止めた。

 

「エリカ‥‥‥‥珍しいな、一人か?」

 

「そうかな?自分で思うに、あんまり待ち合わせとかして動くタイプじゃないと思うんだけど」

 

 言われてみれば、思い当たる節もある、と達也は思った。

 

「そんなことより達也君、部活はどうするの?美月もレオももう決めてるんだって」

 

「エリカはどうするんだ?」

 

「あたしはまだ決めてない。だから今から面白そうなトコがないか、ブラブラ回ってみるつもり」

 

 そう言う彼女の表情は、少しつまらなそうに見えた。

 ちなみに二人の呼びかけが下の名前になっているのは、入学二日目にほのかに名前で呼ばせたことが原因だ。今では美月や氷華とも同じように呼び合っている。

 

「もし達也君もクラブ決めてないんだったらさ、一緒に回らない?」

 

「実は、さっそく風紀委員会でこき使われることになってな。結果的には同じなんだろうが、見回りで巡回しなければいけない。それでも良ければ、一緒に回るが?」

 

「うーん‥‥‥‥ま、いっか。じゃあ、教室の前で待ち合わせね」

 

 エリカは達也の誘いにもったいぶったしぐさで考え込んで答えた。

 ただ、その笑みが自らの演技を裏切っていた。



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第三十話 望まぬ再会

皆さんお久しぶりです、hai-nasです。
これからも不定期でぽつぽつと投稿していきますので、どうかよろしくお願いします。


 

「なぜお前がここにいる!」

 

 それが、再会した森崎の第一声だった。

 それにため息で応じた達也の態度は、さらなる興奮を招く。

 

「なにぃ!」

 

「やかましいぞ、新入り」

 

 しかし摩利に一喝され、森崎は直立の姿勢のまま固まった。

 

「この集まりは風紀委員会の業務会議だ。その程度のことは(わきま)えたまえ」

 

「申し訳ありません!」

 

 彼の顔は、緊張と恐怖によって引きつっていた。

 

「まあいい、座れ」

 

 顔を蒼くして立ち尽くす一年生を前にして、摩利は気まずい表情で着席を命じる。

 森崎が腰を下ろしたのは達也の正面。お互い望まぬ座席配置ではあったが、二人が最下級生である以上下座の端でにらみ合いになるのはやむを得ない。

 

「全員揃ったな?」

 

 その後、数人の生徒が次々に入ってきて、室内の人数が十二人になったところで摩利が立ち上がった。

 

「諸君、今年もあの馬鹿騒ぎの季節がやって来た。風紀委員会にとっては新年度最初の山場になる」

 

 摩利が話している間も、森崎は視線の半分を達也に向けていた。もちろん好意的な視線ではなく、敵視しているようなものではあったのだが。

 一方達也はその視線を無視しつつ、部屋の中に見知った顔を見つけて少しだけ驚いていた。

 

「幸いにして今年は補充が間に合った。1-Aの森崎駿(しゅん)と1-Eの司波達也だ」

 

 摩利に紹介され、達也と森崎は同時に立ち上がった。森崎は緊張で固まっていたが、達也はまったくそれを感じさせないいつも通りの動きだった。

 摩利が言っていた通り、達也に向けられる視線の半数以上は好意的なものだが、全員分ではない。

 

「役に立つんですか?」

 

 このセリフは一応二人に向けられたものだが、発言者の視線は達也の肩に向けられている。つまり、エンブレムのない二科生が役に立つのかと言っているのだ。

 

「司波の腕前は私が確認済みだ。森崎もそれなりに活躍してくれるだろう。それでも心配なら、お前が森崎に付け」

 

「遠慮させてもらいます」

 

 摩利の威圧感に負け、その風紀委員は大人しくなった。意外と独裁的なんだなと達也は内心で思ったのだが、そんな事を顔に出すようなことはしなかった。

 続いて、臨時委員の紹介が行われ、会議はあっという間に終わった。

 

「今年は臨時委員として彼ら三名が加わるので、くれぐれもヘマをしないようにな!それでは、質問が無いなら出動!それと、司波と森崎は残るように」

 

 摩利の合図でメンバー全員がゾロゾロと本部から見回りに出かける中、鋼太郎と沢木が達也に話しかけてきたのを、森崎は忌々(いまいま)しそうに見ていたのだった。

 巡回に出る前に、達也と森崎は摩利から腕章と薄型のビデオレコーダーを渡された。何か問題があったらこれで録画をするらしいのだが、原則風紀委員の証言は単独で証拠採用されるので、無理に録画する必要は無いようだ。

 

「それでは、委員会のコードを端末に送る。指示を送る時も、確認の時もこのコードを使うから覚えておけ。それからCADだが、風紀委員はCADの学内携行が許可されている。使用に関しても誰かに許可を取る必要は無い。ただし不正使用が発覚した場合は、一般生徒よりも重い罰が科せられるから覚悟しておけ。一昨年はそれで退学になったものもいる」

 

 摩利が説明し終えると、達也は許可をもらってから彼女に質問した。

 

「CADは委員会の備品を使用してもよろしいでしょうか?」

 

 この質問に摩利は首を傾げた。昨日見た試合とその前後で、達也が個人で所持しているCADの方が高性能で扱いやすいのではないかと思ったのだ。しかも、委員会の備品は旧式扱いされていたものである。

 

「君が使いたいのなら構わないが、本当に良いのか?」

 

「あの商品は確かに旧式ですが、エキスパート仕様の最高級品ですよ」

 

「‥‥‥‥そうなのか?」

 

 達也のセリフに、摩利は思わずCADを二度見した。

 

「中条先輩ならこのシリーズも知ってそうですが‥‥‥‥」

 

「中条は怖がってこの部屋には近付かないんだ」

 

「なるほど」

 

 中条先輩らしいなと達也が納得したのと同時に、摩利がしきりに頷≪うなず≫いた。

 

「そういうことなら、好きに使ってくれ。どうせ今まで埃を被ってたものだ」

 

「それでは、この二機をお借りします」

 

 達也は昨日片付けるついでに自分のデータを打ち込んでおいた二機を手に取り、摩利に見せた。

 

「二機? 本当に君は面白いな」

 

 通常、CADを二機同時に使用するとサイオン同士が干渉してしまって上手く魔法を発動する事が出来ないのだ。摩利はその事を達也が知らないわけがないと思っていたので、達也の発言を聞いてニヤリと笑った。

 だが森崎は達也のそんな事情を知るよしもなく、彼は皮肉げに唇をゆがめた。

 

 

 

 

 部活連本部へ向かう摩利と別れた後、達也は背後から森崎に呼び止められた。

 

「墓穴を掘ったな。複数のCADを同時に使うなんて、お前ら二科生(にかせい)ごときにできるわけがない」

 

「アドバイスのつもりか?ずいぶんと余裕なんだな」

 

「僕はお前らとは違う!この間は油断しただけだが、次は勝つ。格の違いを見せてやるからな!」

 

 言い捨てて立ち去る森崎に、達也は呆れていた。

 『次』があると信じてられることが、どんなに幸せなことか‥‥‥‥



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第三十一話 ハプニング

大変長らくお待たせいたしました。
約七か月振りの投稿です。これからもぽつぽつと更新していきますのでよろしくお願いします。


 森崎に絡まれたためにエリカとの待ち合わせに十分遅れた達也は、教室にエリカがいないのを見てため息を吐いた。時間に遅れたのは自分だが、待っていないとは思わなかったのだ。

 

「(探すべきだろうな)」

 

 約束した時のエリカの表情を思い出し、達也はもう一度ため息を吐いて教室から移動した。

 携帯端末の位置情報は、人とテントで埋め尽くされた中庭を示している。この人海の中からエリカを探すのは普通なら大変だが、達也には造作もないことだ。

 

「あそこか‥‥‥‥」

  

 エリカを見つけた達也は、なるべく急いだ方が良いだろうと思い駆け足で移動を始めたのだった。

 

 

 

 

 約束をすっぽかしたエリカは、昇降口で一人つぶやいた。

 

「一人が珍しいなんて、意外と女の子を見る目がないよね、達也君?でも、あたしは基本的に一人なんだよ」

 

 中学生時代も、その前の小学生時代も、彼女は一人でいることの方が多かった。

 人間関係に執着が薄いからだと、自分では思っている。

 ゆえに、あの二人が特別なのだ。浅い関係で済ませられなくなった、やむにやまれぬ事情がある。

 

「でも、確かにここ最近のあたしはおかしいわね。彼にくっついてる気がするし」

 

「エリカ」

 

 約束の時間から十分。ちょうど昇降口を出たところで、エリカは自分を呼ぶ達也の声を聞いた。

 どうやら、意外に早く追いついたようである。

 

「遅いわよ」

 

「すまない」

 

「あれ、謝っちゃうんだ」

 

「十分とはいえ遅れたのは確かだからな。エリカが待ち合わせ場所にいなかったのとは別問題だ」

 

「‥‥‥‥ごめん」

 

 仕掛けたつもりが逆にやり返された格好になったエリカは、素直に謝ることにした。大真面目な顔で微笑(ほほえ)みかけられたら、いくらエリカでも謝らざるをえない。

 

「達也君って、性格が悪いって言われるでしょ」

 

「失礼だな、性格について言われた事はない。人が悪いとは言われたことはあるが」

 

「そっちの方が酷いよ!」

 

「違った、悪い人だった」

 

「更に悪くなってる!?」

 

「悪魔だと言われたこともある」

 

「もう良いよ!!」

 

 荒く息をつくエリカとは対照的に、達也はどこ吹く風とばかりの態度だ。

 

「‥‥‥‥エリカ、疲れてるようだが大丈夫か?」

 

「達也君、絶対に性格悪いって言われたことあるでしょ」

 

「あぁ、実はそうなんだ」

 

「今のやり取りは何だったの!?」

 

 今度はあっさりと肯定してきた達也に、エリカは全身の力が抜けたような錯覚を覚えたのだった。

 

 

 

 

 エリカと一緒にクラブ活動を見て回るということを、達也は甘く見ていた。そして、開始五分で帰りたくなった。正直なところ、たかが高校のクラブ勧誘と思っていたのだ。

 現在、達也の目の前では、エリカが大勢の人に囲まれている。一方の達也は、いち早く抜け出して高みの見物を決め込んでいた。

 どうしてこんな事態になったのか。

 それは、エリカがとても目立つ美少女だからだ。しかも深雪とは違い、やけどすることを承知で手を出してみたくなるタイプである。

 彼女が二科生であるという事実は、この際何にもならなかった。

 おそらく、エリカをマスコット的なキャラクターとして欲しがる非魔法系クラブがエリカのことを取り合っているのだろう。

 それにしても、エリカは思ったより忍耐強い。達也が一人で脱出してきたのは、どうせすぐに力ずくで抜け出してくるだろうと考えたからだ。

 少し鍛えている程度では、エリカを拘束することはできない。氷華の手を叩いた技は一年や二年で身に付くものではないことを達也は見抜いていた。

  ちなみに、エリカに直接群がっているのは上級生の女子生徒。さすがに女の子に群がろうとする男子生徒はいなかった。ゆえに、エリカは荒っぽい手段に訴える踏ん切りがつかないでいるのだ。

 

「ちょっと、どこ触ってるの!」

 

 聞こえてきたのは、紛れもなくエリカの悲鳴。

 どうやら本格的にシャレにならない状況に至っているようなので、達也は彼女を助け出すことにした。

 左腕に巻きつけたCADを操作して、軽く地面を蹴る。

 それにより発生した振動を魔法で増幅し、さらに方向性を与える。

 達也の力では人の意識を奪うことはできないが、平衡感覚をおかしくすることはできるのだ。

 達也が人垣の中に突っ込む。

 彼に押された上級生は、簡単に尻餅(しりもち)をついた。

 やがて、達也はエリカの手をつかみ取る。

 

「走れ」

 

 短くそれだけを告げた達也は、エリカの左手を引っ張り、そのまま走り出した。

 校舎の影まで逃げた達也は、ここまで来れば大丈夫だろうと思い繋いだままだったエリカの手を離した。そして背後へと振り返り、そこで初めてエリカの惨状に気が付いた。

 髪はひどく乱れ、真新しい制服はあちこちにしわが寄り、ネクタイにいたっては完全にほどけて右手に握られている。そしてネクタイの抜き取られた胸元が細く、しかしはっきりと見えていた。

 

「見るな!」

 

 エリカの声とほぼ同時に達也は回れ右をして視線をそらした。

 

「見た?」

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 達也はこの時、すぐに答えを出すことができなかった。

 見ていないと答えるのが筋だろうし、それが賢い対応のはずである。

 だが。

 わずかに日焼けした、それでも元々の白さを残している胸元。

 すっきりした鎖骨(さこつ)のライン。

 下着のカップを(ふち)取るレース飾りのベージュ色まで、しっかりと記憶に焼き付いている。

 

「見・た?」

 

 衣擦(きぬず)れの音が聞こえなくなったということは、エリカは服を整え終えたのだろうと達也は考え、謝るためにもう一度エリカの方に向き直った。これで未だ終わってなかったら目も当てられない状況になっていただろうが、エリカはキチンとネクタイを締め、ボタンを上まで止めていた。一番上のボタンを外しネクタイを緩めるという具合に制服を着崩していたことが被害を拡大させた原因ではないか、と達也は思った。

 

「見えた。すまない」

 

 だが、思っただけでそれを口にするはずがなかった。赤面の跡を目元に残す顔を見て、そんなことを言えるはずもなかった。

 

「馬鹿!」

 

 エリカは達也の(すね)を蹴り上げ、クルリと背中を向けた。

 達也はスタスタと歩いていくエリカの後ろを、無言でついていく。

 達也の脛は(かし)の棒で叩かれても平気なほど鍛えられているので、普通の靴で蹴飛(けと)ばしたりしたら蹴った本人が痛みを感じるはずなのだ。しかしそれを気遣(きづか)ったりすれば、さらに追い打ちをかけることになりかねない。

 もしかしたら涙目になっているかもしれないと思った達也は、見て見ぬふりをするのが精一杯だった。



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第三十二話 闘技場事件

皆さんこんにちは、hai-nasです。
今回も楽しんでいただけると嬉しいです。


 頭が冷えて機嫌の直ったエリカとともに、達也は第二小体育館に来ていた。通称「闘技場」と呼ばれるこの場所では、剣道部の演武が行われている。

 

「ふーん、魔法科高校なのに剣道部があるんだ」

 

「どこの学校にも剣道部くらいはあるだろう」

 

 達也の何気無い返事に、エリカは驚いたような顔で達也を見た。

 

「魔法科高校では、純粋に剣技を追求する剣道じゃなくて魔法を併用して使う剣術をやる生徒の方が多いから、剣道部は珍しいのよ」

 

 見られた達也もなぜそんな顔で見られるのかと思ったが、どうやら自分の常識は世間とはズレていたようだと達也は悟った。

 

「そうなのか、剣道も剣術も同じだと思ってたよ」

 

「本当に意外。達也君でも知らないことがあったんだね‥‥‥‥あ、そっか!」

 

 急に大声で納得したような声を出したエリカに、今度は達也が何事かと驚いた。

 ちなみに注目したのは達也だけではなかったが、エリカ本人はそれに気づいていなかった。

 

「達也君、武器術に魔法を併用するのは当たり前だと思ってるでしょ!魔法じゃなくても、闘気とかプラーナとかで体術を補完するのが当たり前だと思ってるんじゃない?」

 

「それは当たり前じゃないのか?身体を動かしてるのは筋肉だけじゃないんだぞ?」

 

 達也にしてみれば、エリカの言い出したことは唐突(とうとつ)かつ今更だった。

 そんな達也の反応に、エリカはウンウンと(うなず)いている。

 

「達也君には当たり前かもしれないけど、他の人にとってはそうではないのよ」

 

「なるほど」

 

 間接的な言い方だったが、それで達也は自分と常識のズレを理解したようだった。

 

「ところで、そろそろ大人しく見学することにしないか?」

 

「えっ?‥‥‥‥あっ、失礼しました」

 

 今度は達也がエリカにズレていることを理解させる番だった。彼が意味ありげに動かした視線を辿(たど)り、自分の大声が周りから注目されているとエリカはようやく自覚する。

 エリカは愛想笑いを浮かべた後、無言でフロアに視線を落とした。

 

 

 

 

 レギュラーの模範(もはん)試合はなかなかの迫力であり、その中でも目に止まったのは女子部の二年生の演武だった。

 エリカとほとんど同程度の体格で、二回り以上大柄な男子生徒と互角以上に打ち合っている。

 その流麗(りゅうれい)な技を見て、達也は模範試合に相応しい華のある剣士だと思った。

 観衆もほとんどが彼女の技に目を奪われている。

 しかし、彼女が(あざ)やかな一本を決めて一礼するのと同時に、すぐ隣で鼻を鳴らす音が聞こえた。

 

「お気に()さなかったようだな」

 

「だってさ、台本通りの一本なんてつまらないじゃない?試合じゃなくて殺陣だよ、これじゃ」

 

「それはそうだが、仕方ないんじゃないか?」

 

 達也の口元が、自然にほころんでいた。

 

「本当の意味での真剣勝負は、要するに殺し合いだからな。そんなものを学校で見せるわけにはいかないだろ」

 

「‥‥‥‥クールなんだね」

 

「思い入れの違いだと思うが」

 

 おそらく、エリカは見栄え重視で武の本質をおろそかにした立ち回りに(いきどお)りを感じているのだ。

 このままでは、乱入ないしはそれに近いことをやらかしかねない。そう思った達也は、エリカをつれてその場を後にした。

 いや、後にしようとした。

 その前に一人の男子生徒が、剣道部の演習に乱入したのだ。

 ついさっきまで試合に出ていた女子生徒と何事か言い争っている。

 女子生徒の方は(どう)をまだつけているものの、(めん)は取っている。セミロングストレートの黒髪が印象的な、なかなかの美少女だ。

 

「あれって、二年前の全国剣道大会中学女子の部で準優勝した壬生(みぶ)紗耶香(さやか)じゃない!剣道小町とか呼ばれて随分(ずいぶん)騒がれてた」

 

「準優勝だろ?」

 

「その、優勝者はルックスが‥‥‥‥ね」

 

「なるほど」

 

 いつの時代も、マスコミなどそんなものだろう。そう思った達也だったが、そんなことを考えていられる時間は短かった。

 隣を見れば、エリカの(ひとみ)は好奇心でウズウズしている。

 そして彼女は達也の(そで)を引っ張り、達也を引きずるように下に降りていった。

 

桐原(きりはら)君、どうして大人しくしてられないの!剣術部の順番まで、まだ一時間以上あるわよ!」

 

「それは心外だな、壬生。俺は剣道部のデモを手伝ってやっただけだぜ?」

 

 達也たちが最前列に到着しても、二人はいまだ言い争っていた。

 男子生徒の方はそれほど大柄(おおがら)ではないが、全身がバネのような体つきをしている。こちらは竹刀こそ持っているものの、防具は全くつけていない。

 

「無理矢理勝負をしておいて!貴方が先輩に暴力を振るったと風紀委員に知れたら、貴方一人の問題では済まないわよ!」

 

「おいおい、暴力だって?俺は面の上から竹刀で叩いただけだぜ?仮にも剣道部のレギュラーが、その程度で気を失うなよ」

 

 一体何が起こっているのか、と達也は思っていたが、当事者同士がその疑問に勝手に答えてくれている。

 

「今思い出したけど、男子の方は桐原武明(たけあき)よ。コッチは正真正銘関東大会のチャンピオン」

 

「全国大会には出てないのか?」

 

「剣術で全国大会があるのは高校からなの」

 

「そうなんだな」

 

「あの二人に直接の面識はないけれど、これはさっきよりもずっと面白い試合になりそうね」

 

 そういえばエリカは入学後の一科生との一件で警棒を出していたなと、達也は思い出した。

 

「そろそろ始まるみたいよ」

 

 桐原と紗耶香はすでに()(さき)を向けあい、互いに引く様子がない。もはや剣を交えることは避けられないだろう。

 張り詰めた緊張の糸が限界に近づいていることを、達也も感じ取っていた。

 

「口で分からないなら、剣で分からせてあげるわよ!」

 

「剣道で剣術に勝てるつもりか?可哀想だから魔法は使わないでやるよ」

 

「剣技だけで、純粋に剣の道を磨いた私に勝つつもり?普段は魔法に頼りきっているのに?」

 

「言わせておけば大きく出やがったな。だったら見せてやるよ、剣道とは次元が違う、剣術の剣技をな!」

 

 それが、開始の合図になった。

 いきなりむき出しの面を狙い、竹刀を振り下ろす桐原。

 竹刀と竹刀が激しく打ち鳴らされる。

 間髪(かんぱつ)入れずに続く大きな音が、二人の交える剣撃の激しさを物語っている。

 

「女子の剣道ってレベルが高かったんだな。準優勝でこれなら、優勝者はどれだけ凄いんだ?」

 

「違う‥‥‥‥あたしの見た壬生紗耶香の剣とは、まるで別物」

 

 二人の、とりわけ紗耶香の剣さばきを見て、達也は純粋に驚いたのだが、エリカの反応は達也のそれと少し違った。

 

「たった二年でここまで腕を上げるなんて」

 

 エリカは、驚きながらも好戦的な気配を放っている。

 

「どっちが勝つと思う?」

 

「壬生先輩だろう」

 

 エリカのささやき声の質問に、達也は同じくらいの声量で答えた。

 

「理由は?」

 

「桐原先輩は面を避けている。最初の一撃はただのブラフだ。そして技を制限して勝てるほど、二人の実力に差は無い」

 

「その意見に賛成」

 

 そんなやり取りをしてる間に、互いが決めにかかる。

 両者、真っ向からの打ち下ろしだ。

 

「桐原先輩の方は浅いな」

 

「完全に相打ちのタイミングだったのに。結局、非情になれなかったか」

 

 僅差(きんさ)で紗耶香の方が深く決まっている。正式な試合でも壬生の勝ちだと判定されるだろう。

 

「諦めなさい、桐原君。真剣なら致命傷よ」

 

「は、ははは‥‥‥‥」

 

 負けを認めるように壬生が言うと、桐原は不敵に笑い出した。

 闘技場に危機感が走り、達也は腕章を左腕に付け、紗耶香も竹刀を改めて構え直す。

 

「そうか、壬生、お前は真剣勝負をお望みか」

 

 そして桐原は腕に巻いてあったCADを操作し、魔法を発動する。

 

「どうだ壬生、これが真剣だ!」

 

 紗耶香はかろうじて避けたが、ガラスを引っ()いたような不快な騒音と同時に胴着が斬られている。

 竹刀とは思えない真剣の切れ味は、振動系近接戦闘用魔法『高周波ブレード』によるものだ。

 休む間もなく、再び桐原が振りかぶった。

 その目の前に、達也が割り込む。

 そして次の瞬間には、闘技場にいた全員が乗り物酔いに似た症状に襲われた。

 不快な高周波音が消え、代わりに板張りの床を鳴らす落下音が響く。

 吐き気が治まった見物人たちが次に見たものは、風紀委員を示す腕章を左腕に付けた達也によって桐原が床に押さえつけられている姿だった。



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第三十三話 乱闘、そして終結

明けましておめでとうございます(大遅刻)。hai-nasです。
今年もぽつぽつと更新するつもりなのでよろしくお願いします。


 桐原が達也によって床に押さえつけられ、その場が凍り付く。

 やがて闘技場の静寂を破ったのは、悪意がにじむささやき声だった。

 ざわめきは、いつの間にかギャラリーに集まっていた剣術部のあたりを中心に広がっている。その声に、男女の別はない。

 人垣の半分は非友好的な視線を送り、残りはただ息をひそめている状況だ。

 そんな圧倒的アウェイの空気が押し寄せる中、達也は桐原を組み伏せたまま携帯端末を取り出した。

 

「こちら第二小体育館。逮捕者一名、負傷していますので念のため担架をお願いします」

 

 一拍置いて、その意味を悟った一人の剣術部員が慌てて達也を怒鳴りつける。

 

「おい、どういうことだ!何で桐原だけなんだよ!」

 

「そうだ!剣道部の壬生も同罪じゃないか!」

 

「こういう時は、喧嘩(けんか)両成敗だろ!」

 

 それに続いて、別の剣術部員たちから援護射撃が放たれた。

 しかし、達也はその怒鳴り声に対して淡々と答えを返す。

 

「桐原先輩には、魔法の不適正使用により同行してもらいます。ですが、壬生先輩は魔法を使用していませんのでその必要はありません」

 

「クソッ!ふざけんなよ、補欠(ウィード)の分際で!」

 

 その反応が気に入らなかったのか、剣術部の上級生が達也に(つか)みかかった。

 達也は桐原を離し、そのまま(すべ)るように後退する。

 

 倒れたままの桐原は気絶しているようで、逃げる気配がない。それを確認し、ようやく達也は背筋を伸ばした。

 相手のことを馬鹿にしていると見える態度に、剣術部員はもう一度達也に掴みかかる。

 闘牛士のように身を(ひるがえ)してその手を避ける達也。

 まるきり火に油を注ぐ真似に(あき)れているエリカの目の前で、彼女が懸念していたとおりのことが起こった。

 完全に逆上した上級生が、今度は(こぶし)で殴りかかる。

 が、やはり達也にかわされた。

 その時、人垣の中から達也の背中に襲いかかる剣術部員その二。

 達也の身体がクルリと回り、その攻撃をかわす。

 剣術部員その二はそのまま剣術部員その一に突っ込み、二人は団子状態で派手に転倒した。

 闘技場から、ざわめきが、消えた。

 次の瞬間。

 剣術部員たちは、一斉(いっせい)に達也へ襲いかかった。

 悲鳴が上がり、ギャラリーだけでなく剣道部員までもが巻き込まれることを(おそ)れて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 ただ一人、紗耶香だけは達也の助太刀に向かう構えを見せたが、剣道部の男子部主将に止められ断念した。

 しかし、達也には攻撃が当たらない。冷静な判断を出来ていない上、専門外の素手での攻撃のためにかわすのに苦労しなかったのだ。

 頭に血が上って魔法を使おうとする生徒もいたが、CADを操作しようとすれば乗り物酔いの症状とともに魔法式が霧散していった。

 訳が分からないと言いながらなおも達也に掴みかかり殴りかかり、空回りを続ける剣術部員たち。

 その様子を男子部主将が興味深そうに見ていたことに、紗耶香はついに最後まで気づくことはなかった。

 

 

 

 

 乱闘の終わりは、突然だった。

 

「達也君、ジャンプ!」

 

 エリカの叫び声が響き、それよりも前に危険を感じた達也が飛び上がった、直後。

 闘技場の床が、剣術部員たちの脚を巻き添えにして凍りついた。

 達也はそれが魔法によるものだと一瞬で見抜き、そのまま重力に従って氷の上に着地する。

 一体誰の仕業かとエリカの方を見てみれば、その隣には風紀委員会本部で見かけた人物が立っていた。

 

「こんなに情けない人たちがわたしの先輩なんて‥‥‥‥本当に反吐(へど)が出るわ」

 

 毒を吐いて嫌悪感を隠そうともしない女子生徒。

 その左腕には、風紀委員を示す腕章。

 (しわ)一つない真新しい制服に咲いた、六弁の花。

 右手に握られている、雪の結晶が刻まれたCAD。

 彼女こそ臨時風紀委員に選ばれた、南海氷華だった。

 

「言い訳は無用です。抵抗しようものなら氷像になってもらいますから」

 

 何事かを言おうとした剣術部員を制し、微笑(ほほえ)みながら恐ろしいことを口走っている。

 かわいそうに、剣術部員たちは震えていた。生徒によっては腰のあたりまで凍りつき、彼らの顔は一様に恐怖と絶望に染まっている。

 これは彼らにとってトラウマになるなと達也は他人事のように(実際他人事なのだが)思っていたが、このまま本部から応援が駆けつければ面倒なことになるのは確実なので、事態を収束の方向へもっていくことにした。

 

「ありがとう。助かった」

 

「そうですか。では、わたしはこれで。処理の方はお願いします」

 

 氷華は達也をチラリと見ると、魔法で氷を昇華させて闘技場を去っていった。エリカは少し迷って、慌ててその後をついていく。

 処理という面倒事をさらりと押し付けられた達也は、少しの間唖然(あぜん)としていた。

 危機が去った剣術部員たちから安堵(あんど)の声が上がったのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 達也は闘技場での一件を報告するため、部活連本部に来ていた。

 

「――以上が、事件の顛末(てんまつ)です」

 

 達也が語り終えた、その前には三人の男女が立っている。

 向かって右には、生徒会長である七草真由美。

 中央に、風紀委員長の渡辺摩利。

 そして左側、服の上からでもわかるくっきりと隆起(りゅうき)した筋肉が印象的な三年生の男子生徒。

 おそらく彼が、部活連会頭、十文字(じゅうもんじ)克人(かつと)だ。名字に「十」を冠する数字付きの名門、十文字家の総領でもある。

 身長は百八十五センチ前後で、見上げるような大男というわけではない。しかし人間の諸要素を凝縮できるだけ凝縮したような、存在感の密度が(けた)違いに濃厚な人物だった。

 さすがは真由美、摩利に並んで第一高校三巨頭に数えられる人物である。

 

「最初に手を出さなかったのは、なぜだ?」

 

「仲裁に入らなかったのは、両者が主張している問題の現場を見ていなかったからです。それに、怪我程度で済めば自己責任かと」

 

 摩利に問われ、達也は克人から意識を戻して答える。

 しかし、実際にはそれだけが理由ではなかった。達也が風紀委員の仕事として聞いていたのは、あくまで魔法による暴力行為の取り締まりである。紗耶香と桐原の立ち合いは魔法抜きの剣技による闘いとして始まったので、桐原が『高周波ブレード』を使わなければ、達也は最後まで傍観していただろう。

 

「なるほど‥‥‥‥。それで、本当に魔法を使ったのは桐原と南海だけなんだな?」

 

「はい」

 

 正確にはそうではないのだが、達也は面倒なことになるのでそんな余計なことは口にしなかった。

 

「聞いてのとおりだ、十文字。風紀委員会としては桐原を追訴するつもりはない」

 

寛大(かんだい)な決定に感謝する。ただでさえ高周波ブレードなどという殺傷性の高い魔法を使ったのだ。本来ならば停学処分もありうる。今回のことを教訓とするよう、よく言い聞かせておく」

 

 克人が軽く頭を下げ、摩利が(うなず)く。

 

「剣道部はそれでいいの?」

 

「挑発に乗って喧嘩を買った時点で同罪だ。文句を言われる筋合いはない」

 

 真由美の懸念を、摩利がバッサリ切り捨てる。真由美もそれに反論しなかった。

 つまり、この件はこれで終わりである。後のことは達也の仕事ではない。

 

「委員長、自分はこれで失礼してもよろしいでしょうか」

 

 達也はその意思を、退席許可を求めることで間接的に摩利に示した。

 

「ああ。ご苦労だった」

 

 退出の許可を得て、達也はその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 部活連本部での報告を終えた達也は、急いで生徒会室に向かおうとした。

 いつも以上に遅くなってしまい、日没まであとわずかという時間になっている。

 いくら魔法が使えるといっても、深雪一人で夜道を歩かせるわけにはいかないのだ。

 

「お兄様!」

 

 しかし、昇降口のそばでは妹と友人たちが達也を待っていた。

 

「お疲れ様です。本日はご活躍でしたね」

 

「そうでもないさ。深雪の方もご苦労様」

 

 真っ先に達也に駆け寄って賛辞を送る深雪に対し、達也は優しく髪を撫でた。そのあまりに自然な動作に、レオと美月がため息を吐く。

 

「兄妹だって分かってるんだけどなぁ‥‥‥」

 

「何だか、すごく絵になるんですよね‥‥‥」

 

 そんな二人に、エリカはわざとらしくジト目を向けていた。

 

「あのねぇ‥‥‥あの二人に一体何を期待しているの?」

 

 エリカの冷やかしに、レオと美月は慌てふためく。

 

「‥‥‥羨ましい‥‥‥」

 

 そのすぐ隣では氷華がなにやら呟いていたが、誰も気づくことはなかった。

 達也は妹の髪から手を放し、待っていた友人たち四人に目を向ける。

 

「すまない、こんな時間まで待っていてくれたのか」

 

「いえ、私はクラブのオリエンテーションがついさっき終わったばかりですから」

 

「そうそう、コイツも部活が終わったばかりだから気にしなくていいよ」

 

「そうなんだが、オメェが言うな!俺のセリフを返せ!」

 

「だからその謝罪は無粋というものよ」

 

 四人が四人とも、気にしていないと温かく達也を出迎える。事実は言葉と裏腹であることに達也はすぐ気づいたが、彼女たちの心遣いをあえて無にはしない。

 

「ありがとう。こんな時間だし、何か食べて帰らないか? 一人千円までなら(おご)るぞ」

 

 現在の通貨価値は百年前とほぼ同じ。高校生にとって千円という金額は、少し高めではあるが妥当なラインだ。

 しかし、達也が思っていた以上に喰いつきが悪い。

 六人分を負担するという申し出に、それが謝罪の意味も含まれていると分かっていても遠慮が働いているのだろう。

 

「お兄様の好意ですし、せっかくですから行きましょう」

 

 深雪が助け舟を出すと、エリカと美月がそれに乗っかり、レオが一拍遅れて続く。最後に氷華が応じることで、この場は丸く収まったのだった。



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第三十四話 事件の解説

こんにちは、hai-nasです。
本日は時間が空いたので二話連続で投稿します。


 店に着くと六人は今日一日の色々な体験談に花を咲かせたが、やはりというか最も関心を引いたのは達也(と氷華)の活躍ぶりだった。

 

「その剣術部の二年生、殺傷ランクBの魔法を使っていたんだろ? 良く無事だったな」

 

「『高周波ブレード』は有効範囲の狭い魔法だからな。刃に触れられないだけでそれ以外は真剣相手と変わらないさ」

 

「でもそれって、真剣を振り回す人を相手しているのと同じことですよね?危なくないんですか?」

 

 噂だけ聞いていた美月が心配そうに達也のことを見る。

 

「大丈夫よ。お兄様相手に勝てる者などいないから」

 

 しかし、その心配を達也ではなく深雪が一蹴した。

 

「えっと‥‥‥確かに達也君の体術は凄かったし、剣術部には達也君に勝てそうな人はいなかったよ。だけど、桐原先輩は別格だったし」

 

「『高周波ブレード』って確か、超音波を放ってるんですよね?」

 

「超音波酔いを防ぐために、耳栓を使う術者もいるって話だよな」

 

 深雪の自信満々の態度に、友人三人は疑問を投げかけた。体術だけではなく、相手は魔法を併用していたのだ。魔法技能に劣る二科生である達也のことが、本当に心配じゃなかったのかと不思議に思うのも無理はない。

 

「そうじゃないのよ。単にお兄様が優れてるってだけじゃないの。魔法式の無効化はお兄様の十八番なのよ」

 

 そんな不思議そうな顔を浮かべている三人の疑問を、深雪は失笑を堪えながら答えた。

 そこにすかさずエリカが反応する。

 

「それってレアなスキルよね?」

 

 少なくとも、エリカはそのような技術を身近に聞いた事が無い。

 

「そうね。少なくとも高校では習わないし、教わったからといって誰でも使える技でもないわ。エリカ、お兄様が飛び出した後、乗り物酔いみたいな感覚に襲われなかった?」

 

「うーん、私はそこまで酷くなかったけどね。でも、周りには気持ち悪くて立ってられない人も何人かいたと思う」

 

「それ、お兄様の仕業よ。お兄様、キャスト・ジャミングをお使いになったでしょう?」

 

 深雪に視線を向けられ、達也は素直に認めた。

 

「深雪には隠し事はできないな」

 

「それはもう。お兄様のことなら深雪は何でも分かりますもの」

 

「いやいやいや、それ、兄妹の会話じゃないぜ」

 

 兄妹とは思えない雰囲気に耐えられず、レオがツッコミを入れる。

 

「「そうかな(かしら)?」」

 

 それに対して声を揃えて不思議そうな顔を浮かべた兄妹に、レオは崩れ落ちた。

 

「アンタじゃこの二人には太刀打ち出来ないわよ」

 

「ああ、俺が間違ってたよ‥‥‥」

 

 同情するような口調で語るエリカに、レオは自分の敗北を認める。

 

「その表現は不本意極まりないんだが」

 

「良いじゃありませんか。私とお兄様が強い兄妹愛で結ばれてるのは事実なのですから」

 

 冗談を重ねるように、深雪は達也に擦り寄って肩に頭を乗せる。直後、エリカまでが机に突っ伏した。

 

「深雪、冗談はほどほどにな。約一名冗談だって分かっていないようだから」

 

 達也の言葉に、深雪、エリカ、レオの視線が一人の少女に集まる。

 

「えっ!?冗談?」

 

 一斉に視線を向けられ、美月は顔を真っ赤に染め上げた。

 

「そういえば深雪、キャスト・ジャミングって言った? それって確か魔法の妨害電波のことよね?」

 

「正確には電波じゃねぇ気がするけどな」

 

「ものの例えに決まってるでしょ!でも確か、特殊な石が必要なのよね。えっと‥‥‥アンティ‥‥‥アンティ‥‥‥」

 

「アンティナイトよ、エリカ」

 

 なかなか名前が出てこないエリカに、これまですまし顔で聞き役に徹していた氷華が助け舟を出す。

 

「そうそれよ!アンティナイト」

 

「達也さん、アンティナイトを持ってるんですか?あれってかなり高価なものだったと思うんですが‥‥‥」

 

 キャスト・ジャミングを使うにはアンティナイトが不可欠だ。しかし産出量が少なく、目玉が飛び出るほど高価なものでもあり、このことは魔法師の間では常識とされている。

 よって、平常心を取り戻した美月の疑問はもっともなものだった。

 しかし達也の答えは常識を覆すものだった。

 

「いや、持ってないよ。そもそもあれは軍事物資だからね。一般人が持てるものじゃない」

 

「でも、キャスト・ジャミングを使ったんでしょ?」

 

 続くエリカの質問に、レオと美月もうんうんと頷く。

 

「まさか、『特定魔法のジャミング』‥‥‥!?」

 

 珍しく目を丸くして驚く氷華のセリフに、達也と深雪は逆に驚かされた。自分たち以外にそれを知っている人物がいるなど、思ってもいなかったからである。

 

「よくわかったね。そう、俺が使ったのはキャスト・ジャミングの理論を応用した、特定魔法のジャミングなんだ」

 

 声を潜めた達也の言葉に、レオもエリカも、美月でさえも言葉が出ない様子だった。ただ一人、深雪だけは興味深げに氷華を見つめている。あまり感情を露骨に表に出さない深雪にしては、珍しい行動だ。

 

「えっと‥‥‥そんな魔法あったか?」

 

「無かったと思う。けど、龍ならあるいは‥‥‥」

 

 頭をひねるレオに、エリカが独り言のようにつぶやく。

 そんな二人に、氷華はクスクスと笑みをこぼした。

 

「エリカの言う通りよ。『特定魔法のジャミング』は、お兄ちゃんが遊び半分で作り出した魔法の一つなの。お兄ちゃんいわく、魔法とは呼べない代物らしいけど」

 

 彼女のあまりに常識はずれなカミングアウトに、友人たちは乾いた笑みを浮かべるしかない。

 

「バケモンかよ‥‥‥」

 

 世間一般に、オリジナルの魔法を使う魔法師は少なくない。子供の頃からオリジナル魔法を得意としている者も多く、中にはそれだけで生活を成り立たせてしまう者までいる。しかしそれは本能的、直感的に自分に合った魔法を自然に編み出すもので、理論的に新しい魔法を構築できる魔法師はごく少数。

そんな彼らでさえ、魔法は決して遊び半分で作り出せない。

 だから、レオのつぶやきは妥当なものともいえた。

 

「理屈はあまり覚えていないけれど‥‥‥確か、サイオン波の干渉を利用していたはずよ。達也も同じじゃない?」

 

 達也は、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けていた。自慢ではないが、このジャミングもどきと呼んでいる『特定魔法のジャミング』は、彼のオリジナル魔法の中でも自信がある方だったのだ。まさか自分と同じ発想をする人物がいるなど、思ってもいなかったのである。

 

「おそらく同じだろう。二つのCADを同時に使おうとすると、サイオン波が干渉してほとんどの場合魔法が発動しないのは知ってるよな?」

 

「ああ、知ってるぜ。前に試した事がある」

 

「うわっ、身の程知らずね」

 

「なんだと!」

 

「エリカちゃん、レオ君も今は達也さんの説明の続きを聞きましょう?」

 

 二人が言い争うパターンになりかけたのを、美月が落ち着かせたことで今回はそこまで発展しなかった。

 

「俺としてはここで終わらせても良いんだが」

 

 しかし、級友たちから返ってきたのは否の意思表示。達也はうやむやに説明を終わらせるのを断念した。

 

「それで、このキャスト・ジャミングもどきは、氷華の言う通りその干渉波を利用して使うんだ。二つのCADで妨害する魔法の起動式とその逆方向の起動式を展開、そのサイオン信号波を魔法式に変換せずに無系統魔法として放てば、本来構築する二種類の魔法式と同種類の魔法式による魔法発動をある程度妨害できるんだ」

 

「要するに、意図的に魔法式を干渉させて対消滅させるということよ」

 

 達也の長々とした説明を、氷華が簡潔にまとめる。三人はポカンと口を開けながら聞いていた。

 達也のあまりにも専門的な説明に、気軽に聞いた事を少し後悔していたのだ。

 

「だけどよ、高周波ブレードってのは常駐型だろ? 発動した後でも妨害出来るのか?」

 

 その中で、レオが気になった事を達也に質問した。

 

「常駐型でも、魔法式を永続的に維持出来る訳じゃないからな。いつかは必ず起動式の展開をしなおさなければならない。今回はそのタイミングを上手く掴むことができたって訳だ」

 

「うへぇ……」

 

「けほっ!?」

 

 不意に美月が咳き込んだ。既に空になっているグラスに気付かず、そのままストローを吸い続けた結果である。そのせいか無表情だった美月の顔に、驚愕の表情が浮かんでくる。

 

「でも、何でこんなスゲェことを公表しないんだ?特許を取れば儲かりそうなのによ」

 

 首をかしげるレオに向けられた達也の表情は、いささか苦みの強いものだった。

 

「一つは、この魔法が未完成だということだ。相手は発動中の魔法を使えなくなるだけなのに、こちらは魔法をまったく使えなくなる。これだけでも相当致命的だが、それ以上にアンティナイトなしで魔法を妨害できる仕組みそのものが問題だ」

 

「それのどこが問題なんだよ?」

 

 不満げに問うレオを、それまで難しい顔で考えていたエリカが割と本気で叱りつけた。

 

「バカね、大問題よ。国防や治安の分野では、今や魔法はなくてはならないものだわ。高い魔法力やアンティナイトを必要としないお手軽魔法無効化技術が世の中に広まったりしたら、社会基盤そのものが揺るぎかねない」

 

「エリカの言うとおりだと俺も考えている。差別の原因だと決め付けている反魔法団体がこれを知れば、喜んで使うだろうな。だからこの問題が解決出来るまで、この技術を公開する気にはなれないよ」

 

 ようやく納得したのか、レオを始めとする四人は深く頷いている。

 その様子に、深雪が柔らかく控えめな笑いをこぼした。

 

「そうはいいますが、展開中の起動式を読み取ることも、CADの干渉波を投射することも誰にでもできることではありませんし。少し考えすぎだと思いますが、それでこそお兄様ということでしょうか」

 

「それは暗に、俺が優柔不断のヘタレだと言ってるのか?」

 

 妹の指摘に、達也は情けなさそうな表情を作る。

 

「さあ?エリカはどう思うかしら?」

 

 そっけない態度を演じつつ深雪がエリカに球を投げ、

 

「あたしとしては、美月の意見を聞きたいな」

 

 エリカはわざとらしく、美月に球を放り投げた。

 

「え?え、えと、私は‥‥‥」

 

「美月、今のも冗談みたいなものよ」

 

 見るからにオロオロとしだした美月に、氷華が半ば笑いながら助け舟を出す。

 そうして真剣な話題は終わり、六人の雰囲気は高校生らしい華やかなものに戻っていった。



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第三十五話 一週間後

本日二話目です。
遅々として筆が進みませんが、これからもよろしくお願いします。


 達也にとって嵐のような一週間が過ぎた。

 風紀委員の中で一番忙しかったのは彼だろう。それも、本来とは少し違った方向で。

 

「達也、今日も委員会か?」

 

 帰りの準備をしている達也に、先に準備を終えたレオが尋ねてきた。

 

「いや、今日は非番だ」

 

「いまや有名人だぜ、達也。魔法を使わず上級生をなぎ倒す謎の一年生、ってな」

 

(うわさ)では、達也君は魔法否定派に送り込まれた刺客らしいよ」

 

 そこに現れたのは、同じく帰りの準備を済ませたエリカだった。

 

「誰だ、そんな噂を流している奴は‥‥‥」

 

 憮然(ぶぜん)としてため息を吐く達也を前に、二人は明らかに噴き出すのを我慢している。

 

「ずいぶん大きなため息だな」

 

「他人事だと思いやがって‥‥‥一週間で三回も死ぬかと思う体験をさせられた身にもなってみろ」

 

 面白がっていることを隠そうともしないレオの顔を見て、達也は再びため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 剣術部の次期エースとされている桐原を、新入生の補欠(ウィード)が倒した。

 このニュースは瞬く間に校内を駆け巡り、翌日の朝には学校中で話題になっていた。

 聞いたところによると、あの時取り押さえた桐原は、対戦系魔法競技において当校有数の有望株だったらしい。桐原が倒れたのはその前に紗耶香との試合でダメージを受けていたからだという声もあったが、細かい事情を知らない一科生にとって、この事件は大層面白くなかったに違いない。

 同時に中途半端な魔法選民主義に染まった者たちは理不尽な怒りを達也に向け、その一部は的外れな報復行動に出た。

 しかし、あからさまな私闘は粛清の対象になる。

 よって彼らは事故に見せかけることにした。

 巡回中の達也の近くでわざと騒ぎを起こし、仲裁に入ってきたところで誤爆に見せかけて魔法攻撃を浴びせるのだ。

 達也にとってみれば行く先々で騒動が起こるのだから、たまったものではない。

 ただでさえ風紀委員という立場上、事態の収拾に努めなければならないので無視することもできず、自分から罠の中に飛び込んでいかなければならないような状態だったのだ。

 しかも実害がなかったからと放っておいたせいで、魔法による嫌がらせはエスカレートするばかりだった。

 結果、達也は一週間で三回も危うい思いをする羽目になったのだった。

 犯人を発見したのは四日目に一度あったきり。その時に手がかりも得たが、それも赤と青で(ふち)取られた白いリストバンドだけで、犯人には結局逃げられている。さすがは名門校に学ぶ生徒、全般に手口は極めて巧妙だったといえるだろう。能力を発揮する方面をいろいろと間違えている気はするが。

 

「‥‥‥考えてみると、よく無事だったな、俺は‥‥‥」

 

「今日からはデバイスの携帯制限が復活しますから、もう心配しなくて大丈夫じゃないんですか?」

 

「そう願うよ」

 

 横からかかってきた美月の慰めの言葉に、達也はため息まじりにそう答えた。

 

「そういえば、さ」

 

 ここで、エリカが声のトーンを少し落とす。その表情は若干だが、憂いが含まれているように達也は感じた。レオも美月もエリカの変化を感じ取ったのか、今までの雑談ムードから雰囲気が変わっている。

 

「氷華のことなんだけど、巷でなんて呼ばれてるか知ってる?」

 

「あー、確か『氷結女王(クリスタル・クイーン)』とかなんとか所々で(ささや)かれていたような‥‥‥」

 

「バカ、アンタ声が大きいのよ。本当に無神経なヤツ」

 

 平素と同じ声量で話し出したレオの頭を、エリカが軽くはたく。

 

「痛てーなぁ、人の頭を叩くんじゃねえ。まあ、無神経だったのは認めるけどよ‥‥‥」

 

 レオもこの話題が後ろめたさをはらんでいることに気が付いたのか、エリカへの文句は控えめだった。

 エリカの話によると、氷華は入学時からB組内で浮いた存在だったらしい。それが先日の一件が達也の話題と同時に広まり、クラスメイトたちが恐れをなして離れたことで、今度は完全に孤立してしまったようだ。

 あんな場所で大規模な冷却魔法を放てば、それも仕方のないことではないかと達也は思った。

 しかし、話はここで終わらない。

 この件が人から人に伝わっているうちに根も葉もない(うわさ)がいくつもくっつき、同級生はおろか他学年の生徒からも距離を取られて、今では各所で(主に女子生徒から)陰口をたたかれているという。

 

「本人は風紀委員長からやりすぎだって注意を受けて反省したみたいだし、周囲の反応についてもまったく気にしてないから大丈夫なんだろうけど」

 

 懸念材料は、別のところにある。口に出さずとも、エリカからはそれがよく伝わってきた。

 

「龍が‥‥‥龍の精神状態が、ね。何事もなければいいんだけど‥‥‥」

 

 彼女の言葉は次第にフェードアウトしていき、最後の方はほとんど聞き取れない。

 そんな重苦しい空気の中で、美月が一言。

 

「エリカちゃんって、けっこう心配性だよね」

 

「ちょっと、そんなわけないでしょ。あたしはただ、少し危惧しているだけ。それ以上でも、それ以下でもないから」

 

 エリカは顔をそむけると、そのままの勢いでスタスタと教室から出て行ってしまった。

 

「え、あ、ちょ、エリカちゃん!?」

 

 それを見てエリカが怒ったと思った美月は、中腰を浮かせたまま止まっている。追うか追わないか決めあぐね、結果中途半端な姿勢になっているのだろう。

 と思っていたら、エリカが教室の中に戻ってきた。出ていく時と同じようにスタスタと達也たちに近づいてきて、開口一番。

 

「やっぱ今の話はナシ!それと達也君はもう一回くらい襲われて!」

 

「はあ?」

 

 今の発言でエリカの行動が照れ隠しだったのは分かったが、達也にとってはとんだとばっちりである。

 

「勘弁してくれよ‥‥‥」

 

 苦笑しながら、達也は席を立った。

 エリカのあまりの変わりように、呆気にとられる二人を置いてきぼりにして。

 

 

 

 

 達也自身は非番だが、妹の深雪には生徒会の仕事がある。だから達也は深雪を生徒会室まで送り、それから図書室で魔法関連の文献に目を通すつもりだった。

 そして二人に、別々に帰るという選択肢は当然のごとく存在しないのだ。

 ここは、下校途中の生徒が多くいる廊下。

 深雪と歩いているとき、達也に向けられる悪意の視線は、先週までは(あざけ)りだった。

 今は忌々しげな反感と、未知なるものに対する恐れ。

 それは二科生からも同じである。

 よって面識のない相手から話しかけられたのは、今週に入って初めてだった。

 

「司波君」

 

 ややハスキーではあるが、女性の声だ。

 達也と深雪は同時に振り返った。名字が同じなので、そんな反応になるのも仕方ないだろう。

 

「はじめまして、って言ったほうが良いかな?」

 

 髪型は変わっていたが、彼女の顔を見て達也は誰か見当がついた。

 

「そうですね。剣道部の壬生先輩、ですよね」

 

「ええ。改めて名乗らせてもらうけど、私は壬生紗耶香。司波君と同じE組よ」

 

 彼女のブレザーには、刺繍(ししゅう)がなされていない。

 同じとはそういう意味だと、達也も深雪もすぐに理解した。

 

「この前はありがとう。この前のお礼も兼ねて、今から一緒にお茶でもどう?」

 

「今は無理です。十五分後なら大丈夫ですが」

 

「そ、そう‥‥‥それじゃあ、カフェで待ってるからね」

 

 提案をきっぱりと断られたその直後に代替案を示され、紗耶香はすっかり調子を狂わせられながらも、達也の約束を取り付けてその場から去っていったのだった。

 やがて、達也たちは生徒会室の前に到着した。

 達也が付きそうのは、ここまでだ。

 

「それじゃあ、図書室で待ってるから」

 

「図書室、ですか?」

 

「そのつもりだが‥‥‥?」

 

 達也が図書室にむかう理由を、深雪は知っているはずである。しかし彼女から返ってきたのは、確認の問い。これには達也も(いぶか)しんだ。

 

「いえ、壬生先輩とのお約束がありましたので」

 

「どうせ部活の勧誘かそこらだろう。そんなに長話にはならないはずだ」

 

「そうだといいのですが‥‥‥お兄様の本当の実力は、名声を博するにふさわしいものです。ですが、それを利用しようとする(やから)がいるのも確か。どうか、くれぐれもお気をつけください」

 

 それを杞憂と笑い飛ばすのは簡単だ。ただし、二人が『司波』でなければ、だが。

 しかし、達也はあえて杞憂だと切り捨てた。

 

「いくら何でもそれは気にしすぎだろう。それと深雪、たかが高校の委員会で『名声を博する』は言い過ぎだ」

 

「良いのです!お兄様のお名前は、私にとって名声なのですから!」

 

 クルリと身を(ひるがえ)した深雪の頬は、ほんのりと赤く染まっている。

 そのことに気がつかない達也ではなかった。



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第三十六話 紗耶香からの誘い

お待たせしました、完成したので投稿します。
今話から四話分、定期更新‥‥‥の予定です。


 達也が約束したカフェへと向かうと、紗耶香は入り口付近の席で待っていた。

 カフェの中は達也が思っていたよりも多くの人がいて、もし紗耶香がその中に紛れていたら探し出すのに苦労したことだろう。

 これは彼女なりの気遣いなのか、それとも打算を含んだ戦略の一種なのか。

 そんな思いを心の内に秘めながら、達也は紗耶香へ声をかけた。

 

「お待たせしました」

 

 その声に気がついた紗耶香は即座に達也を発見し、ニッコリとほほ笑む。

 

「いいえ、そんなに待っていないわ。むしろ予想より早かったくらい」

 

 彼女の表情は、普通の男子生徒ならば勘違いしてもおかしくないものだった。

 しかし、達也の心にはさざ波ひとつ立たない。

 

「何か飲み物でもどう?おごってあげるわよ」

 

「いえ、お構いなく」

 

 それどころか、紗耶香の申し出を断って彼女の反対側の席に腰を下ろした。

 

「それで、話とは何でしょうか?」

 

 挙句(あげく)、この発言である。

 相手によっては張り倒されても仕方がないほどの不愛想ぶりだ。

 紗耶香の場合、張り倒しこそしなかったものの、ため息を吐くのを我慢することはできなかった。

 これは達也のこれまでの生活が原因なのだが、あいにく自身が世間一般とずれていると認識するにはもう少しの時間が必要となる。

 

「先週はありがとう。おかげで大事に至らずに()んだわ」

 

 揃えた両ひざに手を置き、一礼する紗耶香。

 さすがは剣道小町というべきか、とても(さま)になっていた。

 

「礼には及びませんよ。あれは仕事でやったことですから」

 

 実際、紗耶香を助けようとしたわけではない。風紀委員の職務として校則違反者を取り締まっただけである。

 

「ううん、桐原君を止めてくれただけじゃない。あんな真似をしたんだもの、剣術部と剣道部の両方に処分が下されてもおかしくなかった。穏便に済んだのは、司波君のおかげよ」

 

「実際に騒ぎ立てるほどのことでもありませんでしたから」

 

「そうよね。なのに、あのことを問題にしたがる人が多いの。今回と同じ程度のことで摘発された生徒が何人もいる。風紀委員の、自分の点数稼ぎのために」

 

 それはただの勘違いだ。

 達也がそう指摘すると、紗耶香は不自然なほどに困惑しだした。

 

「私が言いたいのは、司波君はそんな連中とは違ってて、そのおかげで助かったってことよ。決して風紀委員会の悪口を言いたかったわけじゃないの。そりゃあ、あの連中は嫌いだけど‥‥‥?」

 

「それで、本題に入っても?」

 

 ゲシュタルト崩壊を起こしたらしい紗耶香にいつまでもグダグダと付き合う理由がなかったので、達也はそう切り出す。

 

「そうね……単刀直入に言います。司波君、剣道部に入りませんか?」

 

 思っていた通りの内容で、達也は内心ため息を吐いた。想像通りの質問には、用意していた答えを返すだけである。

 

「せっかくですが、お断りします」

 

 間髪いれずに返された達也の答えに、紗耶香はかなり焦った。断られることはあっても、まさかその場で即答されるとは思っていなかったのだろう。

 

「えっと、理由を聞いても良いかな?」

 

「理由を聞きたいのは俺の方ですよ。俺が身に付けてるのは徒手格闘術です。剣道とは別のものなのに、なぜ俺を誘うんですか?」

 

「それは……司波君なら剣道でも相当の腕がありそうだから」

 

 一応筋は通ってるように聞こえる。

 だが、明らかに後付けだと達也には分かってしまう。この手の誘い文句はすでに何度か経験している。そして理由がどこか別の所にあるのだろうということも確信していた。

 

「壬生先輩には何か他の理由があるように思えるのですが」

 

 これは一応質問の形をとってはいたが、達也としては紗耶香の本音を聞きだすための誘い水のつもりだった。そして、達也が思っていた以上に紗耶香はこのセリフに喰い付いた。

 

「私たちは非魔法系クラブで連帯して、部活連とは別の組織を作るつもりなの。魔法科高校だから、ある程度魔法で成績が左右されるのは仕方がないわ。でも、クラブ活動まで魔法優先にされるのは許せないの。だから私たちは今年中に組織を発足し、学校側に考えを伝えるつもり。それを司波君にも手伝ってもらいたい」

 

「なるほど……」

 

 一見冷静に見えてかなり熱くなっている紗耶香を見て、達也は少し苦笑い気味に笑った。それを紗耶香は馬鹿にされたのだと思い、さらに熱くなる。よく見れば、顔が少し赤くなっている。

 

「何がおかしいの!」

 

「いえ、おかしくはありませんよ。ただ自分は人を見る目がないと思っただけです。先輩のことをただの剣道美少女だと思ってたんですから」

 

「美少女って……」

 

 達也の言葉に、憤怒とは別の理由で顔を赤くした紗耶香。剣道の達人というイメージからはかけ離れた、感情の起伏が激しい姿に達也は呆れ気味だったが、口に出したのは別の言葉だった。

 

「それで先輩、考えを学校に伝えて、具体的にどうしてほしいんですか?」

 

「えっ?」

 

 達也の質問に、紗耶香は答えることができなかった。

 

「答えられないんですか?」

 

「あの……その……」

 

 紗耶香は言葉を濁したままである。このままでは達也が紗耶香を精神的にいじめていると周囲に勘違いされてもおかしくないので、達也は救済案を出すことにした。

 

「では、後日改めて教えてもらいますか?」

 

「え、えぇ、それで構わないわ。それじゃあ、一応私の番号を教えておくわね」

 

 別に必要はないとも思ったが、念のためにとかなり強引に教えられた紗耶香の番号を、達也はとりあえず登録しておくのだった。

 

 

 

 

 紗耶香と話し合いをした翌日。

 

「そういえば司波、昨日、君が壬生を言葉責めにしていたというのは本当か?」

 

 昼休みの生徒会室で、摩利がこともなげに爆弾を投下した。

 当然ながら、生徒会室の時が止まる。

 

「委員長、深雪の教育に良くないのでそのような言葉はちょっと‥‥‥」

 

「あの、お兄様‥‥‥?私の年齢を間違えてはおりませんか?」

 

 自分のことを言われ、深雪は達也に抗議した。

 その後、達也は誤解を解くため、昨日紗耶香と話した内容を全員に話した。

 

「それは壬生の勘違いだ」

 

 達也が話し終わるや否や、摩利が一蹴した。事実、風紀委員は完全なる名誉職であり、内申に影響することもなければしがみついてまで就く役職でもない。

 しかし、達也が危惧していたのはそこではなく、紗耶香が質問に答えられなかった点である。あれだけ理論的に物事を考えていながら、その後のことについて何も考えていないのはどう考えても不自然なのだ。

 

「そのようなデマを流してるヤツらに心当たりはあるか?」

 

「ううん、噂の出所なんて探しようがないじゃない」

 

「そうだよな。あればとっくに注意しているさ」

 

 何かをごまかそうとしている。顔を突き合わせて話している真由美と摩利を見て、達也はそう確信した。

 

「俺が聞きたいのは末端であることないこと吹き込んでいるヤツらではなく、その背後の連中のことです」

 

 腕が何度か引かれたので目を動かしてみると、机に隠れて深雪が袖を引っ張っていた。

 踏み込み過ぎだと言いたいのだろう。

 しかし、達也はここで退くつもりはなかった。

 

「例えば、『ブランシュ』などが絡んでいるのではないですか?」

 

 この発言に、真由美が驚愕(きょうがく)の表情を浮かべた。

 反魔法国際政治団体『ブランシュ』。

 この名前は秘匿情報扱いで、国が情報を完全にシャットアウトしているはずである。

 

「秘匿情報といっても、うわさの出所を全て塞ぐことはできません。俺からしてみれば、このようなことは隠さずに全て公開した方が良いと思いますがね」

 

 達也にしてみれば、この程度のことで真由美がここまで驚いていることのほうが驚きだった。

 

「まあ、仕方がない面もあります。ここは国の教育施設ですから、国の方針に縛られるのは当たり前です。会長や市原先輩のお立場では、ひたすらに隠すしかないでしょうし」

 

「そう言ってもらえると、私たちも助かるわ」

 

 達也の慰めとも受け取れる言葉に、真由美が苦々しく答えた。

 

「さてと、そろそろ時間ですし、俺は教室に帰ります」

 

「あぁ待て、最後に一つだけ」

 

「何です?」

 

 重い空気の中、立ち上がった達也に、摩利が静止の声をかける。

 

「壬生の誘いに、君はなんて答えたんだ?」

 

「答えを待ってるのは俺の方ですよ」

 

 結局しどろもどろの答えしかもらえず後日に改めたのだから、達也が紗耶香に返答していないのは当然である。

 

「答えを聞いて、君はどうする?」

 

「俺は自分ができることをするだけです」

 

 達也の答えを聞いて、摩利は満足そうに頷いた。

 退室していく達也と黙って付き従っていく深雪の背中を見送りながら、彼女は呟く。

 

「その方が、事態が好転するだろうからね」



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第三十七話 ブランシュ

定期更新二話目です。
明日も投稿します!


 風紀委員会はその性質上、本部に毎日顔を出す必要はない。人選も武闘派ばかりのため、どうしても部屋が荒れてしまう。

 よって達也は唯一の事務スキル保有者として、風紀委員会の中で確固たる地位を不本意ながら築いていた。

 今日も本来ならば非番のところ、新入部員勧誘週間の活動報告が全く整理されておらず、摩利からヘルプの要請を受けていた。

 この状況は彼の本意ではなかった。入学前から立てていた予定は少しも進んでいない。

 心の中でため息を吐きながら、深雪と合流すべく端末からログアウトしようとしたその時。

 まるでタイミングを見計らったかのように、ディスプレイに着信の通知が入った。

 送信者欄には、「小野 遥」と表示されていた。

 

 

 

 

 

 

「急に呼び出してごめんね」

 

「いえ、特に急ぎの用はありませんから」

 

 本音を言えば、彼はこの呼び出しを迷惑に感じていた。

 確かに急ぎではなかったが、摩利に対して音声通信で謝り倒した末に予定以上の仕事を押しつけられている。

 エスコートをキャンセルした深雪は表面上こそいつもと変わらぬ様子だったが、帰宅してからどうやって機嫌を取ろうかと今から頭が痛い。

 

「どう?高校生活にはもう慣れたかしら?」

 

 そんな彼の内心を知ってか知らずか、遥は定番とも思える質問をしてきた。

 

「いいえ」

 

「何か困っていることがあるの?」

 

「想定外の出来事が多くて、なかなか学業に専念できません」

 

 本音は、時間がもったいないから無駄話は止めてさっさと本題に入れ、である。

 非友好的な気分でいることは何となく分かるのか、遥はあいまいな笑みを浮かべてこれ見よがしに足を組み替えた。

 丈の短いタイトスカートの下から、薄手のストッキングに包まれた肉感的な太ももがのぞく。

 

「‥‥‥現代のドレスコードに照らせば、小野先生のそれは少々刺激的すぎると思いますが」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 が、達也の目に興奮の色はない。

 むしろ冷たく観察する視線と声音に込められた軽い非難に、遥は慌てて姿勢を正した。

 相手の動揺を誘って主導権を握れないのは、これで二度目である。

 

「それで、自分はなぜここに呼ばれたのでしょうか」

 

 抑制が効いた中にも、わずかに苛立ちが感じられる口調。

 このままでは一度目と同じ(てつ)を踏むと判断して、遥は遠回しな段取りを諦めた。

 

「今日は、司波君に私たちの業務へ協力をお願いするために来てもらいました。生徒の皆さんの精神的傾向は、毎年のように変化しています。それで毎年度、新入生の一割前後に継続的なカウンセリングを受けてもらっているんです」

 

「‥‥‥そういうことにしておきましょうか」

 

 とりあえず説得できたようだ、と遥は胸を撫で下ろした。本心から納得したようには思えないが、これでボロをだす危険性は減ったはずだ、と彼女は自分に言い聞かせた。

 

「私が未熟なせいで司波君に不信感を持たせてしまったようで、ごめんなさい。じゃあ、いくつか質問させてもらうわね」

 

 警戒されていることは分かっていたが、時間が無限にあるわけでもない。

 遥は準備していた質問を、達也へ順番に提示した。

 

「‥‥‥ありがとう。それにしても、よく平気でいられるわね。それだけストレスが積み重なれば、精神のバランスを崩す人も珍しくないんだけど」

 

「医学的にはそうでしょうが、統計的なデータに例外はつきものです」

 

 臨床データが統計処理の産物であることを指摘されて、遥は恥ずかしそうに目をそらした。精神衛生を専攻して医師の資格を得てはいるものの、今の彼女はカウンセラーとして話を聞いているはずだったからだ。

 

「えっと、今日聞きたかったことは以上です。ところで、これはカウンセリングとは直接関係ないんだけど、二年の壬生さんに交際を申し込まれてるって本当なの?」

 

「本当に関係ないことですね」

 

 達也は(あき)れ顔を隠そうともしない。

 遥は焦って言葉を継いだ。

 

「相手が壬生さんだっていうから少し気になって‥‥‥。詳しいことは話せないんだけど」

 

「それではこれで失礼します」

 

 達也は追及する代わりに立ち上がり、返事を待たずに出口へ向かう。

 

「壬生さんのことで困ったことがあったら、いつでも相談してね」

 

 その背中にかけられた遥の声には、何か確信めいたものが込められていた。

 

 

 

 

 最近にしては珍しく、この日龍と氷華の二人はそろって家路についた。

 そして帰宅してまもなく、龍は氷華を自室に招いた。

 

「お兄ちゃん」

 

「ああ、氷華。いらっしゃい」

 

 同居する者同士、当然会話に特別な点は見られない。

 

「‥‥‥その恰好はどうした?」

 

 が、氷華が着用してきたのは極めて露出度の高いネグリジェだった。

 いくら龍でも、視界に入れるのがはばかられるレベルのものだ。

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、氷華は首をかしげて不思議そうに尋ねた。

 

「そういうことをするんじゃないの?」

 

 それを聞いて、龍は頭が痛くなるのを感じた。

 

「誤解だ。すぐに着替えてこい」

 

 明らかに不満そうな顔をした氷華を見送りながら、龍は彼女の教育を間違えたかもしれないと思い、こめかみを押さえた。

 

 

 

 

 達也と深雪は、自分たちの家でティータイムとしゃれこんでいた。

 兄が埋め合わせにと買ってきたケーキを美味しそうに食べていた深雪だが、兄に聞きたいことがあったので、手を止めて一度姿勢を正した。

 

「お兄様、お聞きしたいことがあります」

 

「なんだい?」

 

「お昼に生徒会室で話されていたことなのですが‥‥‥」

 

「ああ。あれは深雪にも教えておくべきだね。キャビネット名『ブランシュ』、オープン」

 

 達也の音声認識で、リビングに反魔法国際政治団体『ブランシュ』の情報が集められたものが映し出された。

 

「昼に名前が出た、反社会活動を行っている政治団体のブランシュ。ヤツらが掲げているのは、魔法による差別の撤廃。当人たちは市民活動と自称しているが、裏では立派なテロ組織だ。実は風紀委員の活動中、その下部組織に参加していると思われる生徒の姿を俺は見ていてね」

 

「魔法科高校で、ですか?」

 

「全くもって矛盾でしかないはずなんだが、それが通用しないからああいうおかしな連中がはびこるんだ」

 

「なぜそんなことになるのでしょう」

 

「なぜだと思う?キーワードはヤツらでいうところの『差別』だ」

 

 達也は深雪が何も考えないような人になってもらいたくないため、説明している時も必ず途中で自分で考えさせるようにしている。

 深雪も心得ているものだが、今回は兄がどのような答えを待っているのか分からなかった。

 

「本人の実力が、社会的な評価に反映しないということでしょうか?」

 

「差別と言う意味では正解かもしれないが、一般的ではないな」

 

 達也は深雪が間違った答えを出しても怒ることはない。その上で分かりやすい解説をして深雪の知識の幅を広げるようにしている。

 

「今回の場合、普通のサラリーマンと比べて所得水準の高い魔法師は苦労せずに利益を得ている、ということだ。これは魔法師と非魔法師を差別している、とね」

 

「それはまた、随分(ずいぶん)と都合の良い解釈だと思われます」

 

「そうだ。魔法の素質があれば裕福な暮らしができるわけではない。それにそもそもの前提として、魔法師は絶対数が少ない。その中に希少スキルを有している魔法師が多くいるから、高所得者が相対的に高い割合を占める。魔法師の所得水準が高いのは、それが理由だ。」

 

 実際、努力をしても挫折する魔法師も大勢いる。二人はそれをよく知っていた。

 

「だからブランシュの主張はあくまでも差別の撤廃だが、本音は魔法師は無償で世間に奉仕しろということさ」

 

 

 

 

 同刻、龍の自室にて。

 奇しくも深雪と同じように『ブランシュ』の説明を龍から受けていた氷華は、新たな疑問を口にする。

 

「じゃあ、なんで魔法科高校の生徒が魔法差別に賛同しているの?」

 

「そうだな、自分より才能のある人が羨ましい。こういった考えをする魔法師は大勢いるだろう。魔法師だけじゃない、どの世界にも才能の差を恨む人は一定数いる。その中には、優れた人もそれ相応の努力をしていると考えない奴もいる。自分が評価されないのは、才能のせいだと決めつけてな。評価されないのは耐えられないけど、その世界から離れたくない。他の才能があるかも知れないのに、それを探そうともしない。そんな輩も、一部だけどいるのさ」

 

 淡々と話す龍を、氷華は少し心配そうな表情で見ている。

 

「評価されないことは確かにつらい。俺もそのことが嫌というほど分かる」

 

 自虐のようにつぶやいた龍のこの言葉を、氷華は看過できなかった。

 

「そんなことない!お兄ちゃんには、誰にも真似出来ない才能がある!そのためにこれまで努力を積み重ねてきたじゃない!」

 

 これ以上、龍を自分の世界に引き込んではいけない。直感で危険と判断した氷華は、即座にそれを否定した。

 

「それは俺に、別の才能があったからだ」

 

「あ‥‥‥」

 

 しかし、諦念の混じる言葉に彼女は何も言い返せなくなってしまう。

 

「もちろん俺にそれがなかったら、平等という耳障りの良い言葉に騙されていたかもしれない。それが幻想だと分かっていても‥‥‥特に四年前なら、一番危なかっただろうな。今だって、時折怪しいときがある」

 

 氷華が沈黙したのにも動じず、龍は淡々と話し続ける。

 

「良くも悪くも、魔法は力。『ブランシュ』の背後には、この国の魔法師が弱くなれば良いと考えてる奴らがいてもおかしくない」

 

「まさか‥‥‥」

 

「可能性の話だ。だが、もし事実ならば、奴らがお前に悪影響を及ぼすつもりならば、俺は容赦をしない」

 

 この決意は、決して揺るがない。龍は無言でそう言っている。

 

「たとえ相手を殺す羽目になったとしても、な」

 

 普通の人間ならば、意地でもその決意を変えようとしてくるだろう。

 しかし、彼女は違った。

 

「うん。ありがとう、信じてるね」

 

 頬を赤く染め、嬉しそうに微笑む氷華。

 その反応がおかしいことに、彼女は気がつかない。



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第三十八話 魔法実習

定期更新三話目。
明日でラストです。


 入学関連のイベントが一段落し、達也たちのクラスでも魔法実習が本格化した。

 

「九五〇ms(ミリ秒)。達也さん、クリアです!」

 

「やれやれ、二回目でやっとか」

 

「でも、十分早いですよ」

 

「美月は一回で終わらせただろう?」

 

「そ、そうですけど」

 

 教師がつかない二科生の授業は、課題をクリアして提出するだけだ。だから時間内ならば何度挑戦してもいい。したがって美月のように一回でクリアする生徒もいれば、達也のように二回目以降も挑戦する生徒もいる。

 今日の課題は、基礎単一系魔法を制限時間内にコンパイルして発動する、というものだ。

 コンパイルとは、機械に記録可能な起動式を機械では再現できない魔法式に変換するプロセスである。現代ではこれが早ければ早いほど、有能な魔法師とされる。

 

「それにしても達也さん、本当に実技が苦手なんですね」

 

「結構自己申告していたつもりだが」

 

 五〇〇ms以内が優秀な魔法師と評される中、一〇〇〇msを切るのに二回も要した達也は、お世辞にも優秀とはいえない。しかし美月は意外そうに達也を見ていた。

 

「いえ、謙遜(けんそん)だとばかり思ってまして」

 

「嫌味に聞こえるかもしれないけど、実技が人並みに出来たらこのクラスにはいなかっただろうね」

 

 筆記ではぶっちぎりのトップなのは事実なので、達也はなるべく嫌味に聞こえないように言った。

 

「でも、達也さんが実技まで完璧だったら、ちょっと近寄りがたかったかもしれません」

 

 屈託無く笑う美月に、達也は苦笑いで応える。だが、美月の表情はすぐに変わった。

 

「達也さん、悔しくはないんですか?本当は実力があるのに、実力がないように評価されて‥‥‥」

 

 美月の質問に、達也は答えるのをためらった。

 

「処理速度も実力のうちだよ。コンマ一秒が生死を分ける状況だって、皆無ではないからね」

 

 一般論でかわそうとしたが、美月の目はそれを許さない。

 

「でも達也さん、実戦を想定したならば、もっと早く展開できますよね?達也さんはこの程度の魔法なら起動式を使わずに魔法式を展開できるんじゃないですか?」

 

「なるほど、そこまで見られてたとは‥‥‥本当に良い『目』をしてる」

 

 自分の秘密をそこまで見ていたことに感心しながら、達也は美月の突かれたくないであろう箇所を的確に抉った。

 

「確かにこの程度なら起動式は必要ないけど、多工程の魔法を使うにはどうしても起動式は必要だからね。俺は戦闘用に魔法を学んでるわけじゃないし」

 

 美月はフリーズして動かない。

 達也は少し言い過ぎたかと思ったが、次の瞬間、彼女は目を輝かせてせまってきた。

 

「達也さん‥‥‥尊敬します!」

 

「は?」

 

 今自分の言ったことのどこをどう解釈すれば尊敬に値するのか、達也には分からなかった。

 

「魔法が使えるから魔法師になるのが普通なのに、達也さんはしっかりと自分の目標を持ってるんですね!私、この目をコントロール出来るように勉強してただけでした。ですが、これからは心を入れ替えて達也さんのように頑張ります!」

 

「ちょっと美月、何エキサイトしてるのよ」

 

「へ?あわわ!?」

 

 すぐ近くにいたエリカにツッコミを入れられて真っ赤になった美月を見ながら、達也は一人違うことを考えていた。

 

(魔法が使えるから、か‥‥‥使えない俺にとってはただの皮肉だな)

 

「ねぇ達也君、ちょっと手伝ってくれない?」

 

「悪い達也、少し手伝ってくれ!」

 

「‥‥‥やっぱり息ぴったりだな」

 

 達也は二人同時に助けを求めてきたエリカとレオに、そんなことをつぶやいた。

 

 

 

 

 そして昼休み。

 エリカとレオは、結局授業時間中に課題をクリアすることができなかった。

 そこで、達也は龍を呼んで二人でコーチ役をしていた。

 

「レオは照準の設定に時間がかかりすぎている。こういうのは、ピンポイントで座標を絞る必要はない」

 

「分かっちゃいるんだがなあ‥‥‥」

 

 珍しく弱音を()らすレオに、達也は同情を込めて頷いた。

 

「そうだ、レオ。裏技があるんだが、試してみるか?」

 

「本当か、龍!この際なんでもいいから教えてくれ!」

 

 隣から口をはさんできた龍に、レオは両手を合わせて拝み込む。

 達也は龍が教えようとしていることに気がついた。

 

「それは、応用の効かないその場しのぎじゃないのか?」

 

「いいだろ、別に。試験で失敗したら、それは裏技に甘んじていたレオの自己責任だ」

 

「‥‥‥厳しいな、龍」

 

 返ってきた答えに、達也はそうつぶやいた。

 

「じゃあレオ、先に照準を設定してから起動式を読み込んでみろ」

 

「わ、分かった」

 

「エリカのほうは、起動式を読み込むときにパネルの上で両手を重ねればいい」

 

「えっ」

 

 間髪入れずに発せられた龍の言葉に、エリカだけでなく彼らを見守っていた美月までポカンとした表情を浮かべた。達也は思うところがあるのか、少し考え込んでいる。

 

「それだけでいいの?」

 

「ああ、とにかくやってみろ」

 

 その時、達也の背中に遠慮がちな声がかけられた。

 

「お兄様、入ってもよろしいでしょうか?」

 

「構わないさ、次で終わりだから」

 

 声の主は自分の妹だと、達也はすぐに分かった。

 

「達也君、勝手にプレッシャーをかけないでくれる?」

 

 エリカはそう言いながらも、真面目な表情でパネルに向かった。

 

 

 

 

 深雪がほのかと雫を引き連れて実習室を訪ねて間もなく、エリカとレオは課題を無事にクリアした。

 

「ようやく終わった~」

 

「ダンケ、達也、龍」

 

 その声を聞いて、深雪は笑顔を浮かべて歩み寄った。

 ほのかと雫も、遠慮がちながらもその後に続く。

 

「二人とも、お疲れ様。お兄様、こちらでよろしかったでしょうか?足りないかもしれません」

 

「いや、問題ない。もう時間もあまりないようだし、このくらいでいいだろう。光井さんと北山さんもありがとう」

 

 すでに顔を合わせれば言葉を交わす程度の間柄になっていたが、達也にとってはまだ友達未満の二人だ。彼の口調が少し恐縮気味だったのも、無理のないことだろう。

 

「えい、この程度のこと、なんでもないです!」

 

 予想外に力の入っている答えを返したほのか。

 達也は二人にもう一度礼を言って、深雪を含めた三人からビニール袋を受け取った。

 

「まだあるわよ」

 

 深雪たちの背後から声をかけたのは、氷華だった。

 見るからに不機嫌な顔をしている。

 

「お兄ちゃんは、いる?」

 

「龍ならさっき、トイレに‥‥‥帰ってきたな」

 

「悪い、少しトイレに‥‥‥げ、氷華」

 

 氷華の存在に気がついた龍は、はっきり都合の悪そうな表情を浮かべた。

 そこに氷華が詰め寄った。

 

「お兄ちゃん?居残りなら居残りってちゃんと伝えて?深雪に声をかけられなかったら、私、お昼を食べそこなってたよ?」

 

「‥‥‥申し訳ありませんでした」

 

 龍は深々と頭を下げた。



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第三十九話 二人の実力

定期更新四日目。
とりあえず定期更新はこれで終了です。
次話からはまた不定期更新に戻ります。
どうか気長にお待ちください。


 達也が受け取ったビニール袋の中身は、サンドイッチと飲み物だった。

 それに飛びついたエリカとレオに苦笑しながら、彼は美月にも遠慮しないように声をかける。

 もちろん、龍も氷華から弁当箱を受け取っていた。

 和気(わき)あいあいと適当に椅子を寄せて、遅い昼食をとり始める達也たち。

 深雪たちも、飲み物だけもってその輪に加わった。

 

「深雪たちはもう()ませたの?」

 

「ええ、お兄様にそうするよう言われたから」

 

「でも意外ね。深雪だったら『お兄様より先に箸をつけるなんて出来ません!』って言うと思ってたのに」

 

 エリカの顔には冗談っぽい笑みが浮かんでおり、本気ではないことが分かる。

 しかし、

 

「よく分かったわね。いつもならもちろんそうしたのだけれど、今日はお兄様のご命令だったから。私の気持ちだけでお兄様のご命令に背くわけにはいかないわ」

 

「‥‥‥もちろん?」

 

「いつも‥‥‥なんですか?」

 

「ええ」

 

 躊躇(ためら)いなく(うなず)いた深雪を見て、エリカも美月も絶句した。

 

 「そ、それで達也君、どうしてあたしたちはあそこまで出来たの?」

 

 気まずい空気が流れ始めたのを、エリカが何とか払拭しようと達也に話を振る。

 

「単純なことだ。レオは座標を先に設定することで、コンパイルの中で必要なプロセスを一つ減らしたから、処理速度が上がったんだ」

 

「一方でエリカは片手で握るスタイルのCADに慣れているだろ。だから両手をパネルに置くスタイルの授業用のCADには、スムーズにアクセスできなかったというわけだ」

 

 エリカの疑問に、達也と龍がごく当たり前のように答える。

 

「二人ともたいして話していたわけじゃねえのに、どうして互いの考えが分かるんだよ‥‥‥」

 

「「見れば分かる」」

 

 独り言に同時に答えられたレオは、先程のエリカたちと同じように絶句した。

 

「そういえば一科生も同じことをやっているんですよね?」

 

 そこに割って入るように発せられた美月の声に、ほのかと雫が顔を見合わせる。遠慮と気まずさが入り混じった表情だ。

 そんなクラスメイトたちとは裏腹に、深雪はもったいぶらずに即答した。

 

「多分美月たちと変わらないわ。時代遅れな機械をあてがわれて、テスト以外に役立たないだろう練習をさせられているところ」

 

「同感ね。あれなら一人で練習しているほうがためになるもの」

 

 達也と龍を除いた五人が、遠慮のない毒舌にギョッとした。

 同意した氷華もだが、淑女を絵に描いたような外見にそぐわないのだ。

 

「ふ~ん、手取り足取りも良し悪しみたいね」

 

「恵まれているのは認めるわ。気を悪くしたならごめんなさい」 

 

 真面目な顔で頭を下げる深雪に、エリカは軽く手を振って否定した。

 

「見込みのありそうな生徒に手を()くのは当然だもの。ウチの道場でも、見込みのないヤツは放っとくから」

 

「そういえばエリカの家って、道場をしているわね」

 

「そう。副業だけど、古流剣術を少しね」

 

「そうだったんだ」

 

 エリカと氷華のやり取りに、意外感を示す美月。

 

「そうだ、A組の授業でも同じCADを使っているんでしょ?深雪もちょっとやってみてよ!」

 

 好奇心からか、エリカが深雪にそう言った。

 深雪は達也に目で問いかける。

 

「いいんじゃないか?」

 

「お兄様がそう(おっしゃ)るなら」

 

 深雪は承諾の答えを返すと、パネルに指を置いた。

 計測、開始。

 最初に結果を見た美月が固まる。

 いつまでたっても結果を告げない友人に()れたのか、エリカが結果発表を催促した。

 

「‥‥‥二三〇ms‥‥‥」

 

「えっ‥‥‥」

 

「深雪の処理速度はやっぱり人間の限界にせまってる」

 

 エリカやレオは絶句し、既に知っていた一科生二人は諦めと羨望が混ざった反応をする。

 ただその兄は驚いていないし、本人も納得していないようだ。

 

「やはりお兄様に調整していただいたCADでなければ、深雪は実力をだせません」

 

「旧型の教育用ならこんなものだろう。もう少しマシなものに変えてもらうよう、会長か委員長から学校に掛け合ってもらおうか」

 

 ()ねて甘えるように身を寄せる深雪の頭を、達也は幼い子供にするように頭をなでている。

 目の前で見せられた実力と、兄妹の間で交わされた会話。

 この格差を前にすれば、ただただ口を開けてその場に立ち尽くすしかなかった。

 

「そういえば氷華、お前はどうだった?」

 

「どうもこうも、二四〇msだったけど」

 

 その横で会話していたのは、龍と氷華。

 龍は氷華の結果を聞くと、眉をひそめた。

 

「氷華、お前‥‥‥手を抜いたろ」

 

「だって全力を出せとは言われていなかったし」

 

「‥‥‥ひどく雑な起動式が記録されていたのは否定しないが、だからといって全力を出さないのはどうかと思うぞ。自分の実力を知ることは、とても重要なことだ。いい機会だし、もう一度計測してみたらどうだ?」

 

 龍の言葉を受けて、不満そうにしながらも氷華は計測を開始する。

 その結果を龍が告げる。

 

「二三一ms。さすがだな、氷華」

 

 衝撃を受けたのは、その場にいたほぼ全員だった。

 先ほど、深雪が出した記録に匹敵していたからだ。

 

「南海さんって確か、B組だったよね?」

 

 確認のためか、声をかけてきたのは雫。

 

「氷華でいいわ。そう、私が『氷結女王(クリスタル・クイーン)』なんて呼ばれているB組の南海氷華」

 

「自覚はあったんだ‥‥‥」

 

 彼女は返ってきた答えにあぜんとした。

 

「周囲になんて呼ばれようとも、私には関係のないことだから」

 

「それがクラス内で孤立する原因だろう」

 

「気にしていないからいい。そんなことよりも、お兄ちゃんを侮辱されるほうが私には耐えられない」

 

「心配するこっちの身にもなってみろ。俺からすれば、侮辱されることなど所詮(しょせん)他人の評価だ。不要な気遣いはよしてくれ」

 

 龍と氷華の間に、次第に剣呑な雰囲気が流れ始める。

 それを見て美月はオロオロし、エリカはため息を吐く。

 

「深雪、あの二人っていつもあんな感じなの?」

 

 雫の問いに、深雪は首を振った。

 

「いいえ。私が見た限りでは、すごく仲が良いと思うわ。少なくとも、喧嘩しているところを見るのは初めてよ」

 

「龍と氷華は義理の兄妹だけど、お互いのことを一番に考えていて自分のことは二の次だから、ときどきああやってすれ違っちゃうんだよね」

 

 横から口をはさんできたエリカの説明に、雫は納得顔で頷いた。

 

「あの、止めなくていいの?」

 

 耐えかねた美月がまず最初に()を上げた。

 

「そうですよね、私もそう思います」

 

「私も。このままだと何か危ない感じがする」

 

 ほのかと雫もそれに同意する。

 

「はいはい、ストップ、ストーップ!あのさ、義兄妹喧嘩は二人きりのときにしてくれない?」

 

 そしてとうとう、エリカが龍と氷華の間に割って入った。

 

「‥‥‥悪かった。俺としたことが、エキサイトしすぎていたよ」

 

「‥‥‥こちらこそごめんなさい。お兄ちゃんは、ただ私のことを心配してくれていたんだよね」

 

「こっちこそ、余計な心配をかけさせてごめんな」

 

 龍が手を軽く頭の上に乗せると、氷華の顔から力が抜け落ちた。

 

「ふにゃ~‥‥‥」

 

「仲が良いというより、良すぎると思うんだけど」

 

「まるで恋人同士みたいです‥‥‥」

 

 それを見てジト目になる雫と、頬を赤らめるほのか。

 

「なんだか、達也さんと深雪ちゃんを見ている気分になります」

 

 美月の余計な一言に達也が反論し、深雪が機嫌を損ねるという一幕があったのだが、それはまた別の話だ。



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第四十話 決裂

皆さんお久しぶりです、hai-nasです。
今回は話の区切りの関係上、短くなっています。


 放課後、達也は再びカフェの入り口で待ち合わせをしていた。

 だが待ち人は来ない。

 事前に少し遅れるとの連絡はあったのだが、達也が元々の時間どおりに来たからだ。

 妙にまとわりついてくる視線が鬱陶(うっとう)しかったが、特に彼のほうからアクションを起こすこともない。

 そして約束の時間から十五分ほどたち、ようやく彼女が現れた。

 

「ごめんなさい、待ったでしょう?」

 

「いえ、連絡はもらっていましたから」

 

「良かった。怒って帰っちゃってたらどうしようかと思ってた」

 

 今の紗耶香は可愛らしい女の子モードのようだ。

 達也は飲んでいたコーヒーを置き、背後の観葉植物の陰に隠れている人影に目を向ける。

 

「渡辺先輩‥‥‥」

 

 達也の視線を追った紗耶香も、摩利の存在に気づいた。

 

「今日は非番ですよ。それに、委員会の報告書はちゃんと仕上げました」

 

「ああ、分かっている。別に委員長として注意しにきたわけじゃないさ。通りがかったのは単なる偶然だ」

 

「そうですか」

 

 摩利が偶然通りがかったわけではないことを、達也は見抜いていた。

 しかし、それを指摘する必要はないと判断する。

 

「邪魔して悪かった。壬生もすまないな」

 

「いえ、そんなことは‥‥‥」

 

 少しぎこちない返事だったのは、風紀委員会に対する反感からか。

 摩利の姿がカフェから消えたところで、達也は本題を切り出した。

 

「それでは先輩、先日の返事を聞かせてください」

 

「学校側に私たちの考えを伝えるだけじゃなくて、待遇改善を要求しようと思うの」

 

 随分(ずいぶん)と踏み込んだ考えだ、というのが達也の受けた印象だった。

 

「改善というと、具体的には何を要求するんですか?例えば授業ですか?」

 

「別にそこまでは‥‥‥」

 

 案の定、返ってきたのは歯切れの悪い否定。

 

「ではクラブ活動ですか?調べたところ、剣道部には剣術部と同じだけの体育館の使用時間が割り当てられていますが」

 

 これは達也にとっても意外なことだった。

 

「それとも予算の問題ですか?確かに魔法系クラブに予算が多く割り当てられていますが、それは活動費が高いからで、魔法科高校では良くあることだそうです。それに、活動実績に応じた予算配分は普通科高校でも珍しくないと思います」

 

「それはそうかもしれないけど‥‥‥。じゃあ司波君は不満じゃないの?魔法実技以外は全て一科生を上回っているのに、ただ実技の成績が悪いだけで見下されて悔しくないの?」

 

 必死に話す紗耶香を、達也は感情の読み取れない目で見ている。

 

「不満ですよ、もちろん」

 

「だったら!」

 

「ですが、俺は学校側に改善してほしい点はないですし、教育機関としての学校にもそこまで期待していません」

 

 これは一部ではあるが、彼の紛れもない本心だった。

 

「えっ?」

 

「魔法大学系列でのみ閲覧出来る非公開文献の閲覧資格と、魔法科高校の卒業資格さえ手に入ればそれ以上は必要ありません。ましてや同級生を『雑草』と揶揄する幼稚性まで学校の所為にするつもりもありません」

 

 何もかもを突き放したような達也のセリフに、紗耶香の表情が固まる。

 

「残念ですが、先輩とは主義主張を共有できないようですね」

 

 そう言って、達也は席を立った。

 

「待って!どうしてそこまで割り切れるの?司波君は何を支えにしてるの?」

 

 椅子に座ったまま(すが)りつく彼女の視線は、とても必死で、真摯(しんし)なもの。

 

「俺は、重力制御型熱核融合炉を実現したいと思ってます。魔法学を学んでるのはその手段にすぎません」

 

 紗耶香の顔から表情が抜け落ちた。

 重力制御型熱核融合炉の実現は、汎用的飛行魔法の実現、慣性無限化による疑似永久機関の実現と並んで『加重系魔法の技術的三大難問』とされているものの一つだ。二科生である達也が将来の目標に掲げるには、大きすぎるテーマだった。

 ただ単に、言われたことが理解できなかっただけかもしれないが。

 達也自身、元々理解してもらおうと思っていない。

 彼はそれ以上紗耶香に構わず、背を向けた。



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第四十一話 放送室ジャック事件

皆さまこんにちは、hai-nasです。
執筆時間がなかなか取れず、悪戦苦闘しています。
気長にお待ちいただければと思います。


 それから何事もなく、一週間が過ぎた。

 達也にとって、それはつかの間の平穏に過ぎなかったのだが。

 その日の授業がすべて終わった、その直後。

 

『全校生徒の皆さん!』

 

 ハウリング寸前の大音声が、スピーカーから飛び出した。

 

「うるせえな!」

 

「ちょっと、何?」

 

「どうやらボリュームのしぼりをミスったんだろう」

 

 クラスメイトが耳を塞ぎながら文句を言ってるのに対し、達也は諦めの表情を浮かべていた。このタイミングで彼らが放送することは、十分予想の範疇(はんちゅう)だったからだ。

 

『僕たちは、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です。我々は生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』

 

 音量が下がり、聞きやすくなった男子生徒の声を(さえぎ)るように、エリカが尋ねる。

 

「ねえ、行かなくていいの?」

 

 その表情は楽しそうなのを隠しきれてないない。

 

「そうだな、どうせ放送室を不正使用しているだろうし」

 

 達也がそう言うのと同時に、内ポケットの携帯端末にメールの着信があった。

 

「おっと、噂をすれば。じゃあ、行ってくる」

 

「あ、はい、お気をつけて」

 

 席を立つ達也の背中にかけられた美月の声は、不安に揺れていた。

 

 

 

 

 達也は教室から出て放送室を目指す途中、深雪と合流する。

 

「深雪、お前も呼び出されたのか?」

 

「はい、お兄様。会長から放送室の前に行くようにと」

 

 二人並んで放送室の前に到着すると、そこにはすでに摩利と克人と鈴音、風紀委員会に部活連の実行部隊がいた。

 

「遅いぞ」

 

「すみません」

 

 形だけの叱責に同じく形だけの謝罪を返し、達也は状況確認をすることにした。

 とりあえず放送は止まっている。おそらくは電源をカットしたのだろう。放送室の扉は閉ざされており、突入した形跡はない。どうやら占領した連中は、鍵をマスターキーごと持っていったらしい。

 

「明らかに犯罪だな」

 

「そうです。だからこれ以上相手を暴走させないためにも、ここは慎重に行くべきでしょう」

 

 達也のセリフは全くの独り言だったが、それを鈴音が拾った。

 

「聞く耳を持ってる連中とは思えん。ここは多少強引でも、短時間で解決を図るべきだ」

 

 すかさず摩利が口を(はさ)んでくる。どうやら方針の対立が事態の膠着(こうちゃく)を招いているようだ。

 

「十文字会頭はどのようにお考えで?」

 

 自分を呼びつけておいてこの場にいない真由美が気になったが、幸いこの場にはもう一人考えを聞くに値する人間がいる。

 

「俺は交渉に応じても良いと考えてるが、学校施設を破壊してまで早急に解決すべきかは悩みどころだ」

 

「なるほど」

 

 克人の考えに一礼して下がった達也は、懐から携帯端末を取り出した。

 

「壬生先輩ですか? 司波です」

 

 達也の言葉に周りがざわついた。

 

「それで先輩、今どちらに‥‥‥はぁ、放送室に居るんですか。それはお気の毒に‥‥‥いえ、馬鹿にしているわけではなくてですね」

 

 摩利と鈴音、その他数人が聞き耳を立てている。二人の会話を聞き逃さないように。

 

「それで、本題に入りたいのですが‥‥‥十文字会頭は交渉に応じてもいいそうです。生徒会長の意向は‥‥‥同様に応じるそうです」

 

 鈴音のジェスチャーが視界に入り、この場ではそういうことにしておくことにした達也は、そう繋げた。

 

「ええ、先輩の自由は保障しますよ。我々は警察ではないので牢屋に閉じ込めるような権限はありません。では」

 

「おい達也君、今のは壬生紗耶香か?」

 

「ええ。すぐ出てくるそうです」

 

 摩利の質問に簡潔に答えた達也は、鈴音や克人にも視線を向けた。

 

「それより、早急に体勢を整えるべきかと」

 

「体勢?何の体勢だ?」

 

 何を言ってるんだという表情で、摩利は達也に尋ねた。

 

「中の連中を取り押さえる体勢ですよ。CADは間違い無く持ち込んでいるでしょうし、もしかしたら他の武器も持ってるかもしれません」

 

「‥‥‥君はさっき、自由を保障すると言っていなかったか?」

 

「ええ、ですが俺が保障したのは壬生先輩の自由だけです。それに俺は、学校や風紀委員を代表して交渉しているとは一言も言ってません」

 

 三人が呆気にとられた表情を浮かべるなか、ただ一人だけ、軽く達也を非難した。

 

「悪い人ですね、お兄様は」

 

「今更だな、深雪」

 

「そうですね。ですが、壬生先輩の番号を登録していた件については今更ではありませんから、後でゆっくりとお聞きしますので」

 

 それは楽しげな口調を伴っていたが、達也は苦笑いを浮かべた。待ち合わせのために無理矢理登録させられた番号ではあったが、消さなかったのは達也が単に面倒だったからだ。



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第四十二話 事件終結‥‥‥?

どんなことがあろうとも、失踪はしません、はい。更新遅れてすみませんでした。
しばらく前書き、後書きはなしで行きたいと思います。


 放送室の扉が開いたと同時に、中から出てきた連中が次々に風紀委員によって取り押さえられていく。

 

「どういうことなの、これは!あたしたちを(だま)したのね!」

 

 その最中、案の定達也は紗耶香に詰め寄られていた。

 放送室を占拠していたのは彼女を含めて五人であり、予想通りCADを所持していた。

 他の四人が拘束されるなか、紗耶香だけはCADを没収されただけで()んでいる。

 摩利が達也に配慮した結果だ。

 

「いや、司波はお前を騙してなどいない」

 

 克人の重く力強い響きに、紗耶香の身体がビクリと震えた。

 

「お前たちの要求は聞こう。交渉にも応じる。だが、お前たちの要求を聞き入れる事とその手段を認める事は、別の問題だ」

 

 紗耶香の態度から攻撃性が消える。

 全課外活動を(たば)ねる克人の迫力に、彼女の怒りは呑まれていた。

 

「その通りよ。でも、彼らを放してもらえないかしら」

 

 しかしその時、達也と紗耶香の間に小柄な影が割って入ってきた。

 

「七草?」

 

「壬生さん一人では、交渉の段取りも打ち合わせできないでしょう?」

 

 (いぶか)しげな克人に、真由美が微笑(ほほえ)みかける。

 

「生徒主任の先生と話し合ってきました。この件に対する処置は、生徒会に(ゆだ)ねるそうです」

 

 遅れてきた事情と、彼らが現在置かれている立場についてのさりげない説明。

 

「なので悪いけれど、彼らは連れて行くわね」

 

 それらを簡潔に話すと、真由美はそのまま連中を連れて行ってしまった。

 強硬的な手段を主張していた摩利は明らかに面白くなさそうで、軽く床を蹴っている。

 こうして、放送室ジャック事件はあまりにあっけなく幕引きとなったのだった。

 

 

 

 

 夕刻、というより、夜の闇があたりを包み始めたころ。

 学校近くの喫茶店で、龍と真由美が向き合っていた。

 二人の間には、鈍感な人間でも気がつくほどの気まずい雰囲気が流れている。

 席に着いてから、すでに半刻は過ぎているだろうか。

 その間、二人の間に会話は一切ない。

 今回呼び出したのは真由美であり、話の発端は彼女の側にあるのだが、肝心の彼女が口を開かないのだ。そわそわして落ち着きのないその姿からは、普段の生徒会長らしさが全く感じられない。

 一方の龍は、対照的に落ち着き払っている。先ほどからすまし顔で入店時に頼んだ紅茶を飲んでいるくらいだ。

 しかし、彼も特に話を振るようなことをしていないので、真由美にとってはますます話しづらい状況になっているあたり、お互いさまというべきかもしれない。

 しびれを切らし、先に沈黙を破ったのは龍のほうだった。

 

「一体どうしたんですか、会長。話があるなら、早くしてください。俺は決して(ひま)じゃないんです」

 

 妙にとげとげしい口調ではあるが、これは事実である。

 龍は自らの予定をおして、この場にやってきていたのだ。

 

「‥‥‥お待たせして、ごめんなさい。貴方に少しお願いがあるのだけど、いいかしら?」

 

 ようやく口を開いた真由美の顔には、一目でそれと分かるような愛想笑い。

 人によっては喧嘩を売っているように思えるだろうが、龍は違った。

 これは幼いころから十師族として、上に立つ者として育てられた弊害のようなものである。

 ただし、それがはっきりと分かってしまう点については擁護(ようご)できないのだが。

 

「話だけは聞きます」

 

 彼の言葉を聞いて、真由美は内心ほっとした。

 龍が本気で断るつもりなら、今この瞬間にでも立ち去っていただろうから。

 彼女は周囲に聞こえないよう、小声で話し始めた。

 

 

 

 

 真由美が話し終えると、龍はこう言った。

 

「なるほど、話は分かりました。それで、いくら出すんですか?」

 

「え?」

 

「貴女は俺が()()()の世界に足を踏み入れていることを承知していて、そのうえで俺に頼みに来たのでしょう?違いますか?」

 

「それは、そう、だけど‥‥‥」

 

 言いごもった真由美の胸に去来したのは、罪の意識。

 

「まあ、いいです。今回が特別ということで」

 

 しかし、やはりやめておくべきだったと後悔し始める前に龍が動いた。

 

「それに、俺は確かに十師族が憎いですが、貴女自身を憎んでいるわけではありませんから」

 

「え?」

 

「どうか俺を失望させないでくださいね、()()()()()()

 

 龍は席を立つと、しっかり真由美の分も支払ってから店を出ていった。

 真由美はその後ろ姿に過去の龍をみて、現実との区別がつかなくなりそうで、しばらくの間呆然としていたのだった。



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第四十三話 討論会の知らせ

 放送室のジャック事件から一夜明け、翌日。

 達也と深雪は、駅である人物を待っていた。

 

「会長、おはようございます」

 

「あら? 達也君に深雪さんじゃない、どうかしたの?」

 

 二人に待ち伏せされていたのは真由美にとって予想外だったようで、返ってきたのは彼女らしくないごく平凡な反応だった。

 

「昨日の一件がどうなったのか気になりまして」

 

 達也の返答に、真由美は少し意外そうに軽く目を見開いた。

 

「達也君、他人のことを詮索するタイプじゃないと思ってたわ」

 

(おおむ)ねその通りですが、どうやら他人事ではなくなっているようですから」

 

「それもそうね」

 

 確かに、達也はすでに彼ら『有志同盟』と少なからずかかわりを持っている。これから何が起こるのか聞く権利はあると真由美は思った。そうでなくとも、朝一番に発表する予定ではあったが。

 真由美が前に歩き始めると、二人も黙って後ろについていく。

 

「彼らの要求は一科生と二科生の平等な待遇。でも、具体的なことは生徒会で考えろって感じだったわ。それで明日の放課後、講堂で公開討論会を行うことになったの」

 

 随分(ずいぶん)急な展開だな、というのが達也の感想だった。

 

「ゲリラ活動をする相手に時間的余裕を与えないというのは理解できますが、その分こちらも対策が()ることができません。生徒会ではどなたが討論会に参加されるのですか?」

 

 達也の質問に真由美は振り返り、満面の笑みを浮かべながら自分の顔を指さした。

 

「‥‥‥まさか、会長お一人ですか?」

 

 達也の声は半信半疑のものだった。深雪に至っては、完全に絶句している。

 

「はんぞーくんにも壇上に上がってもらうけど、話をするのは私一人よ。これなら、小さな食い違いから揚げ足を取られる心配もないし。それに、単純な論争なら負けるつもりはないわ」

 

「何だか会長、楽しそうですね?」

 

 真由美の態度がまるで遊ぶのを心待ちにしているように思えたので、達也はそう尋ねた。

 

「もちろんよ。もしあの子たちが私を言い負かすだけのしっかりとした根拠を持ってるのなら、これからの学校運営に役立てるじゃない?」

 

 まるで自分が論破されるのを望んでいるかのように聞こえる真由美の発言に、達也は苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 過去に例のない討論会が明日、開催されると発表された直後から、同盟の活動が一気に活性化した。多数派工作というには洗練されていないものの、授業時間外に賛同者を(つの)る同盟メンバーの姿が校内のいたるところで見られるようになったのだ。

 彼らは皆、赤と青で(ふち)取られた白いリストバンドを着けていたが、その意味をしっかりと理解しているのだろうか。

 

「美月」

 

 放課後、右手に例のリストバンドを着けた上級生に話しかけられて困惑している同級生を見つけ、達也は声を掛けた。美月は胸に画集らしきものを抱えていたので、部活に使う資料をどこからか調達してきたところなのだろう。

 

「あっ、達也さん」

 

 達也の姿を認めて、美月はほっとした表情を浮かべた。そこから察するに、結構な時間捕まっていたようだ。

 達也はその上級生の身体つきに、見覚えがあった。

 新入部員勧誘週間の期間中、達也を襲ってリストバンドを落とした男子生徒に違いない。

 

「風紀委員会の司波です。長時間にわたる拘束は迷惑行為とみなされる場合がありますので、お控えください」

 

 達也は美月に事情を確かめることなく、いきなりその上級生に話しかけた。同時に二人の間にさりげなく身体を割り込ませ、上級生と正面から対峙する。

 

「分かった、ここは退散しよう。柴田さん、僕の方はいつでもいいから、気が変わったら声を掛けてくれないか?」

 

 その上級生は至って紳士的に手を引いた。立ち去る背中が見えなくなったところで、達也は美月に尋ねた。

 

「今のは?」

 

「剣道部の主将さんで三年生の、(つかさ)(きのえ)さんです。私と同じ霊子(プシオン)放射光過敏症で、同じように過敏感覚に悩む生徒が集まって作ったサークルに参加しないかって」

 

 美月が“目”のことを自ら進んで打ち明けるというのは、達也にとって予想外だった。しかしすでに確信していたので、驚きは強くなかったが。

 

「司先輩はそのサークルに入ってから、症状がかなり改善したそうで、私のためにもなるんじゃないかと‥‥‥」

 

「それはまた」

 

 胡散臭い話だな、とは口にしなかった。

 そうしなくても、美月も同じように感じていることが分かっていたからだ。

 魔法的な過敏症は、その知覚能力をコントロールすることが一番の対処法であり、そのためには正しい訓練が必要とされている。

 たとえ教師によるケアがなくとも、学校のプログラムはその訓練に最も近いものであって、生徒同士で作ったサークルがそれよりも効果的なものを提供できるとは、あまりにも考えにくい。

 

「授業で精一杯だから、と何度もお断りしたのですが‥‥‥」

 

「そうだな。一歩一歩、確実に進んでいく方がいいだろう」

 

 達也のありきたりなアドバイスに、美月は「そうですね」と頷いて、部室に向かっていった。

 

(剣道部主将、司甲か)

 

 あの三年生について、詳しく調べてみる必要がある。達也はそう、心に決めた。



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第四十四話 九重寺訪問

 夕食後、いつもなら一日の汗を洗い流している時間に、達也は買ったばかりの自動二輪を走らせていた。

 行き先は、八雲の寺。

 早朝と同じように自分の足で走っていかないのは、通行人の目があるからだ。繰り返すようだが、正当な理由なき魔法の使用は犯罪行為である。

 では、電動二輪はというと、免許取得資格が中学校卒業であるために違法ではない。

 彼の腰には、細く、しかし骨ばったところのない腕が巻きついている。背中に押し当てられる妹の二つの(ふく)らみは、年齢を考えれば平均を上回っていることは間違いなかった。

 だからと言って、実の妹相手に達也の心臓が激しく鼓動を刻むことはない。

 十分前後の道中、背徳的なことは何も起こらず、二人は八雲の寺に着いた。

 

 

 

 

 曇天の夜空には月も星もでておらず、高い塀で街の(あか)りさえも(さえぎ)られた境内(けいだい)はほとんど真っ暗だった。

 深雪が達也の腕にそっと腕を伸ばす。袖を握る力はそんなに強くないし、その手が震えることもない。それでも達也ほど夜目の()かない深雪が、暗闇に対する原初的な不安を覚えていることは想像に(がた)くなかった。

 狭くもないが、特に広いというほどでもない境内だ。ほどなく二人は、八雲がいるはずの庫裏(くり)の玄関にたどり着いた。

 

「達也君、こっちだよ」

 

 突然、まるで人の気配がなかった縁側の方向から、達也を呼ぶ声が聞こえた。

 ビクっという震えが達也の腕に伝わった。達也は呆れて苦笑いを浮かべる気にもなれない。暗い所でいきなり声を掛けて相手が驚くのを楽しもうとするなど、いい年をして子供じみた真似を、と思ったのである。

 達也たちが声のした方向へ向かうと、八雲は縁側に腰掛け、足を投げ出していた。

 少しも僧侶らしく見えないが、こちらの方が八雲らしいとも思える。彼との付き合いはもうすぐ二年半になるが、達也たちにとってはいまだにつかみどころがない人物だ。

 

「こんばんは、師匠。お休みでしたか?」

 

「やあ、こんばんは、達也くん、深雪くん。それはまさかだ。いくら僕でも約束をしておいてそんな事はしないよ」

 

 達也の嫌味を八雲は素で流した。のらりくらりと韜晦(とうかい)してくることを予想していた達也の方が意外に思うほどだ。

 

「先生、夜分遅くに失礼いたします。あの、お休みになられていなかったのなら、なぜ灯りを()けていらっしゃらないんですか?」

 

「ああ、習慣だよ。僕は忍びだからね」

 

 本当にそれだけが理由かと達也が疑ってしまったのは、仕方がないだろう。いくら見知った人物とはいえ、客人として来ることが分かっている以上、最低限の灯りは普通確保するだろうからだ。

 

「とりあえず座ってよ。話はそれからだ」

 

 達也の視線に気づく素振りを見せることなく、八雲は二人に縁側に腰を下ろすよう(すす)めた。

 

「それで、いったい何の用だい?」

 

 達也が八雲の隣に座り、兄よりも遠慮がちに深雪が達也の隣に座ったのを見て、八雲がそう問いかける。

 

「実は、師匠のお力で調べていただきたいことがありまして。第一高校三年、司甲のことなんですが」

 

「ああ、それなら知っているよ」

 

 達也の依頼を予知していたかのような八雲のセリフに深雪は目を丸くしていたが、達也は妹ほど驚いてはいなかった。

 この程度でいちいち驚いていては、八雲とつき合っていくことなどできないからだ。

 

「彼の母君は再婚されていてね、旧姓は鴨野(かもの)なんだ。鴨野家は実は賀茂≪かも≫氏の傍系に当たるんだけど、随分(ずいぶん)血が薄いから、いわゆる『普通』の家庭と言って差し支えないだろう。だから甲くんの『目』は一種の先祖帰りということだね」

 

「師匠、プライバシーという言葉をご存じですか?」

 

「言葉の意味なら知っているよ」

 

 まさにプライバシーの侵害を依頼した自分の事を棚に上げて非難する達也に対し、八雲は一片の(やま)しさも見られない顔でそう(うそぶ)いた。

 隣では深雪が片手でこめかみを押さえているが、達也も八雲もあえて見ないようにしている。

 

「甲くんの母君の再婚相手の連れ子、つまり義理のお兄さんが、ブランシュの日本支部リーダーを務めている。表向きだけの代表じゃなくて、裏の仕事の方も仕切っている本物のリーダーだよ。甲くんが第一高校に入学したのは、この義理のお兄さんの意思が働いているんだろうね」

 

 ただ、そのまま続けられた八雲の答えは穏やかならざるものだった。

 

「多分今回のようなことを目論(もくろ)んでいるんだろうけど、具体的な内容までは分からないな。ろくでもないことには間違いないんだろうけども」

 

「そうですか‥‥‥」

 

 八雲のそのセリフを聞いて、達也は何事か考えながらゆっくり(うなず)いた。



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第四十五話 討論会

 そして、公開討論会当日。

 

「当校に暇人がこれほど多いとは‥‥‥学校側にカリキュラムの強化を進言しなければならないかもしれません」

 

「笑えない冗談はよせ、市原‥‥‥」

 

 全校生徒の半数が集まった講堂を見た鈴音の(つぶや)きに、摩利が多少げんなりした様子で(こた)える。

 この二人に達也、深雪を加えた四人が、舞台袖から場内を眺めていた。

 真由美は少し離れたところに、服部と並んで控えている。

 反対側の袖には、同盟の三年生四名が風紀委員の監視を受けながら控えていた。その中に紗耶香の姿はない。

 面白いことに、会場の一科生と二科生の割合はほぼ半々であり、思った以上に多くの生徒がこの問題に関心を持っているようだ。

 その中で同盟のメンバーと判明しているのは十名前後。こちらにも放送室を占拠したメンバーの姿はない。

 

「何をするつもりなのかはわからないが、こちらから手出しするわけにはいかないからな。専守防衛だ」

 

「委員長、実力行使を前提に考えないでください。始まりますよ」

 

 達也にくぎを刺された摩利は、ふてくされたように短く(うなず)いた。

 

 

 

 

 討論会は、終始真由美のペースだった。

 彼女が予算配分や施設の使用時間等のグラフや表を使って説明しているのに対し、同盟側は明確な資料を示せずにひたすら感情論を振りかざすのみ。

 これではどちらに分があるかわかりきったもので、討論会はやがて真由美の演説会へと様相を変えていく。

 

「私は当校の生徒会長として、現状に決して満足していません。一科生も二科生も一人一人が当校の生徒であり、当校の生徒である期間はその生徒にとって唯一無二の三年間なのですから」

 

 拍手が()いた。満場とまではいかないが、まばらでもない。そしてそこに、ブルームとウィードの区別はなかった。

 

「制度上の差別をなくすこと、逆差別をしないこと、私たちにできるのはこの二つだけだと思っています。そして実は、生徒会には一科生と二科生を差別する制度が残っています。現在、生徒会役員は一科生からしか選出することができません。この規則は、生徒会長改選時に開催される生徒総会においてのみ改定可能であり、私はこれを撤廃することで生徒会長としての最後の仕事にするつもりです」

 

 どよめきが起こった。真由美はそのざわめきが自然に収まるのを、無言で待っていた。

 

「私の任期はまだ半分を過ぎたばかりですので、少々気の早い公約になってしまいますが、しかし、できる限りの改善策に取り組んでいくつもりです」

 

 今度は満場の拍手が起こった。

 一科生だけでなく二科生も真由美を支持したことは明らかで、同盟の行動は確かに、学内の差別をなくしていく方向へ足を踏み出すきっかけになった。

 しかし、革新派は往々にして、目的の達成だけでは満足しないものだ。

 彼らは自らの思い描いた手段で目的を達成することにこだわる。

 そしてそもそも、裏で紗耶香たちを(あお)っていた黒幕は、最初からここで終わるつもりなどなかった。

 

 

 

 

 突如、轟音が講堂の窓を震わせた。

 動員されていた風紀委員が一斉に動き出し、事前に知らされていた同盟のメンバーを(すみ)やかに取り押さえていく。

 直後、窓を割って発煙型の手榴弾(しゅりゅうだん)が飛び込んできた。

 が、着弾して煙を吐き出す前に、飛び込んできた方向に巻き戻し映像のごとく戻っていく。

 達也が服部に賞賛の視線を送ると、服部は恥ずかしかったのか露骨に顔をそらした。

 続いて、防毒マスクを装着した数名の武装集団がドアを蹴破って突入してきたが、これも即座に無力化された。

 摩利が出入り口に腕を伸ばしていたので、彼女の魔法によるものだろう。

 こうして、予想されていた奇襲は速やかに鎮圧されつつある。

 多くの生徒が事態をはっきり認識する前に収まったので、この場のパニックは誘発未遂で済みそうだ。

 

「では俺たちは、実技棟の様子を見てきます」

 

「わかった、気をつけろよ」

 

 摩利の声に送りだされて、達也と深雪は最初に轟音が聞こえた実技棟の方向に向かった。



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第四十六話 実技棟にて

 二人が実技棟にたどり着くと、その壁面は焼けて窓にひびが入っていた。先ほどの轟音は小型炸裂(さくれつ)焼夷弾によるものだったらしい。いまだ燃え続けている焼夷剤に、教師が二人がかりで消火にあたっている。

 その教師たちをガードするように男子生徒が大立ち回りを演じているのを見て、深雪が魔法を発動させる。すると、彼を取り囲んでいた三人の男が一斉に吹き飛んだ。

 

「達也、司波さん」

 

「レオ、テロリストが校内に侵入した」

 

 話しかけてきた男子生徒に、達也が詳細を一切語らずに説明した。

 

「おいおい、ぶっそうだな」

 

 レオはそれだけで納得する。

 

「レオ、CAD持ってきたよ!‥‥‥って、もう終わってるか。これ、達也君?それとも深雪?」

 

 その時、反対側の方向からエリカが姿を見せる。その手には、特殊警棒が握られていた。

 

「深雪だ。俺じゃこうも手際よくいかない」

 

「私よ。この程度の敵にお兄様のお手を(わずら)わせる必要はないもの」

 

「ハイハイ、(うるわ)しい兄妹愛ね。それで、こいつらは問答無用で倒してもいい相手なの?」

 

「生徒でなければ、な」

 

 レオにCADを渡しながら呆れていたエリカだったが、達也の返事を聞いてニッコリと笑う。

 

「ふ~ん、高校ってもっと退屈なトコだと思ってたけど」

 

 その言葉に達也と深雪は苦笑いを浮かべ、レオはわざとらしく肩を(すく)めた。

 

「エリカ、他に侵入者を見なかったか?」

 

「反対側を先生たちが守ってたけど、もうほとんど制圧してた」

 

 エリカの言葉に、達也は引っ掛かりを覚えた。

 この実技棟には旧式のCADが置かれているだけで、破壊されても学校の運営に大きな支障をきたすものではない。影響は授業の進行に(ひと)月程度の遅れが生じるくらいだろう。

 それに講堂と比べ、襲撃者の人数も少ない。

 

「どうやら、こちらは陽動らしいな」

 

 そうなると、彼らの本当の狙いはどこにあるのか。

 パッと思いつくのは、貴重品の多い事務室、高価な機械がある実験棟、閲覧制限が()けられた資料にアクセスできる図書室の三つ。

 しかし、その答えは意外な所からもたらされた。

 

「彼らの狙いは図書室よ」

 

「小野先生?」

 

 今日の装いは、先日とは打って変わって行動性を重視したものだ。表情も厳しく引き締まり、まるで別人のような雰囲気を醸し出している。

 三人の戸惑った視線が、達也に向けられた。

 達也は正面から、遥を見据えた。

 

「後ほど、お話を聞かせていただいてもよろしいですか」

 

「却下します‥‥‥と言いたいところだけど、そうもいかないでしょうね。その代わり、一つお願いがあるの」

 

「何でしょう」

 

「カウンセラーとして、お願いします。どうか、壬生さんに機会を与えてあげて欲しいの。彼女は、剣道の選手と二科生としての評価のギャップで悩んでいたわ。それで」

 

「甘いですね」

 

 遥の依頼は、誠実な職業意識に基づくものだったのかもしれない。

 だが、達也はそれを容赦なく切り捨てた。

 

「深雪、行くぞ」

 

「はい」

 

 そして切り捨てられていない友人に、一つだけアドバイスをする。

 

「余計な情けで怪我をするのは、自分だけじゃない」

 

 これ以上は、時間が惜しい。

 走り出した彼は、言外にそう伝えていた。



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第四十七話 友人たちと襲撃者の戦い

 この学校では、図書室は一つの独立した建物として作られている。

 一階は今世紀前半までの普通の図書館と同じであり、紙を中心としたアナログ媒体を保管・貸出をする場所だ。二階には多目的スペースと、デジタル媒体にアクセスできる閲覧室が設けられていた。

 その図書室前では、すでに乱戦が繰り広げられていた。

 襲撃者は、CAD以外にもナイフや飛び道具を持ち込んでいる。一部に生徒も混じっているようだが、ほとんどが侵入者だ。

 三年生を中心とする応戦側は、CADこそ持っていないものの、魔法力で圧倒的に上回っている。

 戦況は拮抗(きっこう)しているように見えるが、よくよく見てみれば迎撃の方が足止めされていた。

 つまり、すでに襲撃者たちの侵入を許してしまっているということ。

 それを認識した途端、レオが突っ込んだ。

 

「パンツァー!」

 

「音声認識とは、またレアな物を‥‥‥」

 

 幸いなことに、達也の言葉は戦い始めたレオには届かなかった。

 手にしているCADはプロテクターと一体化したような形状をしており、あれならばセンサーの露出が必要ない音声認識を採用しているのも(うなづ)ける。

 襲撃者が新たに現れた敵にさっそく棍棒(こんぼう)を振り下ろすが、レオはそれを受け止めて殴り返す。

 

「あんな使い方して、よく壊れないわね」

 

 乱戦を避けてエントランスへ回り込みながら、エリカが呆れ声を出した。

 

「CAD自体に硬化魔法が()けられているからな」

 

 硬化魔法は、分子の相対座標を狭い範囲に固定させる魔法だ。レオのCADの場合、どんなに強い衝撃を受けても、部品間の相対座標にずれが生じない限り壊れることはない。

 

「どれだけ乱暴に扱っても壊れないってわけか。ホント、アイツにお似合いよ」

 

 論評と悪態を繰り返しつつも、達也たちは止まらない。

 一方のレオは、実技棟に続いてまたも大立ち回りを演じている。

 飛来する石(つぶて)や氷塊を粉砕し、金属や炭素樹脂の棍棒をへし折っていく。

 かわしきれずに突き込まれるナイフも、袖の下から発射されるばね仕掛けのダーツも、彼のブレザーを貫くことはない。

 どうやら身に着けているもの全てを硬化しているようだ。

 そして彼の硬化魔法は、逐次展開することで継続的に更新されている。

 得意魔法、という言葉は伊達ではなかった。

 

「レオ、先に行くぞ!」

 

「おうよ、任せとけ!」

 

 達也はこの場を、レオに任せることにした。

 

 

 

 

 図書室の中は、静まりかえっていた。

 館内には警備員も常駐していたはずだが、無力化されてしまったらしい。

 達也は一旦入り口脇の小部屋に身を隠すと、意識を広げて存在を探った。

 気配ではなく、()()を。

 

「階段の上り口に二人、階段の上りきったところに二人、閲覧室に四人、だな」

 

「閲覧室で何をしているのでしょうか?」

 

「おそらく、魔法大学の機密文献を盗みだそうとしているんだろう。閲覧室からなら、非公開文献にアクセスできるからな」

 

 深雪の質問に対する達也の推測に、エリカはガッカリとした表情を浮かべた。

 

「あんな派手に襲撃してきて少しワクワクしてたのに、ふたを開けてみれば単なる諜報工作って‥‥‥」

 

「俺に言うな。それから、ワクワクしていたのはエリカだけだと思うぞ」

 

「それじゃ、待ち伏せの相手はあたしがもらうね」

 

 達也の呆れた視線を浴びたエリカは気まずくなったのか、返事も待たずに飛び出していく。

 音も気配もなく近づかれ、待ち伏せしていたはずの敵が奇襲を受ける。

 振り下ろされた警棒は打ち込まれた瞬間に(ひるがえ)り、エリカは一瞬で二人の敵を打ち倒した。

 荒々しいレオの闘い方とは対照的に、洗練を尽くした白兵戦技。

 味方の倒れた音で、ようやく階上の二人がエリカに気がついた。

 一人が起動式を展開するが、それは想子(サイオン)(ひらめ)きとともに砕け散る。

 そしてその身体が不自然に硬直した直後、バランスを(くず)して階段を転げ落ちた。

 

「あっ‥‥‥」

 

 可愛く声を上げた深雪。

 二本足で立つ人間は、常に無意識のうちに細かく重心を調整している。よって身体の動きを急減速、強制停止されると立っていられなくなるのだ。

 しかし、深雪は階段から転げ落ちるところまでは予想していなかったらしい。

 ただ、相手に首の骨を折った様子はないし、こういう暴挙に参加した以上はそれなりのけがは覚悟していたはずだ。

 その一方で、もう一人は階段を駆け下りながら脇差(わきさし)でエリカに斬りかかる。

 

「達也君、ここは任せて!」

 

 攻撃をいなしたエリカは、先へ急ぐよう(うなが)した。

 

「分かった」

 

 達也が力強く、深雪が軽やかに床を蹴る。

 達也の身体は壁を跳ね、深雪の身体は宙を舞い、二人は一気に階上へ降り立った。

 

「ひゅ~」

 

 口笛を吹くエリカと呆気にとられた襲撃者を残して、二人は閲覧室へ向かった。



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第四十八話 達也たちと襲撃者の戦い

 紗耶香は目の前で行われている作業を、複雑な心境で見つめていた。

 自分の目的は学内における二科生の差別の撤廃であり、魔法による差別の撤廃だったはずだ。

 しかし今は、鍵を無断で持ち出してハッキングの片棒を担いでいる。

 

(きっと、差別の撤廃につながる情報が秘匿されているのよね・・・・・・)

 

 自分を納得させるために考えた理屈を何度頭の中で繰り返してみても、本当に納得することはできない。

 

「・・・・・・よし、開いた」

 

 小さくざわめきが走り、慌ただしく準備される記録用のキューブ。

 同士であるはずの彼らの顔には、確かに欲が見え隠れしている気がして、紗耶香は目をそらした。

 だから、異変に気がついたのは彼女が一番早かった。

 

「ドアが!」

 

 彼女の悲鳴に残りのメンバーが振り向くのと、四角に切り取られたドアが静かに内側へ倒れ込むのは同時だった。

 

「そんな馬鹿な!」

 

 驚愕の叫びは、事実に照らせば控えめと言えるだろう。

 閲覧室の扉は、対戦車ロケットの直撃にも耐えるような複合装甲が(ほどこ)されている。

 そして物理的に強固な物体は、魔法に対してもある程度の耐久性を持っているため、大規模な魔法でなければ破壊できない。

 つまり、このような一瞬の静かな破壊など、ありえないのだ。

 続いて、予想外の光景に凍りついた男たちの手元にあった記録用キューブとハッキング用携帯端末が、製造工程を高速逆回転させたかのように分解した。

 

「産業スパイ、といったところか。お前たちの(たくら)みも、これで(つい)えた」

 

 淡々とした口調で終わりを告げる、見知った人影。

 その背後には、CADを構えた華奢(きゃしゃ)な人影が(しと)やかに控えている。

 

「司波君‥‥‥」

 

 (つぶや)いた紗耶香の隣で、実弾銃を後輩に向ける仲間の男。

 制止しようとして、声が出ない。手も動かない。

 男の明らかに手慣れた動きに、気がついてしまった。

 自分がこの、人殺しの仲間だという事実が、彼女をすくみあがらせていた。

 だが、人の命を容易(たやす)く奪う弾丸は、発射されなかった。

 声を出すことすらできない激痛に襲われた男は、床をのたうちまわる。

 その右手は拳銃を握ったまま、いや、その拳銃が手に貼りつき、紫色に腫れあがっている。

 

「愚かな真似はお止めなさい。私が、お兄様に向けられた害意を見逃すとでも思いましたか」

 

 その口調は静かで、丁寧で、‥‥‥威厳に満ちていた。

 あまりにも、格が違う。

 耳にするだけで、反抗の意思が凍りついてしまいそうな声だった。

 

「壬生先輩、これが現実です」

 

 立ちすくんだ紗耶香の耳に、今度は達也の残酷な言葉が届く。

 

「誰もが等しく優遇される、平等な世界。それは言い換えれば、誰もが等しく冷遇された世界です。本当は、壬生先輩にも分かっているんでしょう?貴女(あなた)の求めていた平等なんてものは、ありえない。そんなものは、(だま)して利用するための甘美な嘘の中にしか存在しないんですよ」

 

 彼女を正面から見つめる、後輩の表情には少しも興奮の色がない。

 

「壬生先輩は、魔法大学の非公開技術を盗みだすために利用されたんです」

 

 しかし、その目の中にかすかに見える感情は、(あわ)れみだろうか。

 

「どうしてよ!なんでこうなるのよっ?」

 

 そう感じた瞬間、紗耶香の中で、彼女自身にもよくわからない感情が爆発した。

 

「差別をなくそうとしたのが、間違いだったというの?差別は、確かにあるじゃない!私の錯覚なんかじゃないわ。貴方(あなた)だって、同じでしょう?そこにいる出来の良い妹と、いつも比べられて、不当な侮辱を受け、誰からも馬鹿にされてきたはずよ!」

 

 紗耶香の叫びは、確かに心からの(なげ)きだった。

 だがその叫びは、達也の心には届かない。それは達也にとって、「そのようなもの」として受け入れている、単なる事実にすぎないからだ。

 それに紗耶香が見た憐れみの光は、彼女の自己憐憫(れんびん)によって作りあげられた錯覚でしかない。

 そう反論しようとする達也の前に、口を開いた人物がいた。

 

「私はお兄様を(さげす)んだりはしません。たとえ世界中の有象無象がお兄様を侮辱しようと、私はお兄様に変わることのない敬愛を捧げます」

 

 絶句する紗耶香。

 あまりにも鮮烈な深雪の宣言に、思考と感情までもが絶たれる。

 

「誰もがお兄様を侮辱した?それこそが、許しがたい侮辱だとわからないのですか?確かに、お兄様を侮辱する無知な者どもは大勢います。ですが、お兄様の素晴らしさを認めてくれている人たちもいるのです。壬生先輩、貴女は可哀想(かわいそう)な人です」

 

「何ですって?」

 

 声だけは、大きかった。だがそこに、力はない。

 

「貴女には、貴女を認めてくれる人がいなかったのですか?いいえ、そんなはずはありません。少なくともお兄様は、認めていましたよ。貴女の剣の腕と、貴女の容姿を」

 

「‥‥‥そんなの、上辺だけのものじゃない」

 

「それは当たり前です。たった数回会っただけの相手に、貴女は何を求めているのですか」

 

「それは‥‥‥」

 

「結局、誰よりも貴女を差別し、蔑んでいたのは、貴女自身です」

 

「‥‥‥」

 

「壬生、指輪を使え!」

 

 今の今まで、無様にも十六歳の少女の背中に隠れていた男。

 彼は叫び声をあげるとともに、床に向かって何かを叩きつけた。

 小さな破裂音がして、部屋に立ち込める白煙、同時に広がるサイオンのノイズ。

 その中から聞こえてくる足音に、達也は腕を二度突き出した。

 

「ゔっ」

 

「ごっ」

 

 無理矢理絞り出されたような低い声が二度、床を叩く音が二度、部屋に響く。

 ノイズが収まるのを待ち、深雪は魔法を発動させる。

 風が渦を巻き、白い煙を吸い込んでいく。

 視界が回復した部屋には、三人の男が横たわっていた。

 

「お兄様、壬生先輩は拘束しなくてもよろしかったのですか?」

 

「ああ」

 

 ここから出口まで最短ルートを選択すれば、一階に残してきたエリカと必ず鉢合わせることになる。そしてあの様子では、回り道を考えるような精神的余裕は残っていないだろう。

 

「そうですね、エリカならば大丈夫でしょう」

 

 彼女のことはエリカに任せ、深雪はテロリストたちを拘束し始めた兄を手伝うことにした。



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第四十九話 エリカと紗耶香の戦い

 紗耶香の行動は、ほとんど反射的なものだった。

 アンティナイトの指輪は、リーダーから逃走用に貸し与えられた切り札。

 彼女はその際、普通の魔法師より詳しい知識を身につけた。

 あの一年生には、これでは勝てない。闘技場で見せられた、見たこともない鮮やかな技は目に焼きついている。

 その光景と先ほどの達也の言葉が、彼女に逃走を選択させていた。

 目指すは、学外にある組織の中継基地。

 

「セーンパイ、初めまして~」

 

 しかし、階段を駆け下りた先で、一人の女子生徒と鉢合わせた。

 

「‥‥‥誰?」

 

「一年E組の、千葉エリカで~す。念のための確認ですけど、一昨年(おととし)の全国剣道大会中学女子の部で準優勝した、壬生紗耶香先輩ですよね?」

 

 警戒心をむき出しにした声にもかかわらず、エリカはニコニコと微笑(ほほえ)んでいる。

 だが、隙がない。それに、後ろに組んだ両手は素手なのだろうか。

 

「そうだけど、急いでいるの。通してもらえないかしら」

 

「一体どちらへ?」

 

貴女(あなた)には関係ないでしょう」

 

 紗耶香は素早く左右を見て、視界の隅に仲間のスタンバトンが転がっているのを見つけた。

 ゆっくりと悟られないように重心を落とし、一気に跳躍(ちょうやく)

 転がるようにしてバトンを拾い上げ、エリカを鋭く(にら)みつける。

 

「そこをどきなさい!痛い目を見るわよ!」

 

「これで正当防衛成立かな。まあ、そんなのどうでもよかったんだけど」

 

 エリカが背中に隠していた手を前に回すと、右手には伸縮式の警棒、左手には本物の脇差(わきさし)

 そして、左手の得物を軽く投げ捨てた。

 

「じゃあやりましょうか、先輩」

 

 その言葉と同時に飛び出したのは、紗耶香。

 エリカが右手を前に掲げたと認識した瞬間、その警棒が首筋に迫っていた。

 とっさに手をはね上げ、かろうじてその攻撃を防ぐ。

 そう思った次の瞬間には、相手が紗耶香の背後に回り込んでいる。

 振り向きざまに、勘だけでバトンを縦に立てた。

 弾き飛ばされそうな衝撃を持ちこたえ、鍔迫(つばぜ)り合いに持ち込もうとする。

 が、その瞬間には、相手の身体は間合いの外。

 

「自己加速術式?‥‥‥ということは、渡辺先輩と同じ?」

 

 紗耶香の(つぶや)きに、エリカが一瞬足を止めた。

 それは、勝機を作り出すに十分な間。

 ここぞとばかりに、紗耶香が攻勢に転じる。

 同時にキャスト・ジャミングを発動させ、エリカが使っているであろう魔法を無効化。

 面、面、小手、胴、と息をつかせぬ連続攻撃を繰り出す。

 だがその実、紗耶香のそれはガムシャラとも言えるものだった。

 それをエリカは無駄のない動きで受け止め、さばいている。

 先に乱れたのは、攻め疲れた紗耶香。

 一瞬で攻守が入れ替わる。

 根元を狙った一撃は、木刀に比べて造りの(もろ)いスタンバトンをへし折った。

 眼前に突きつけられた警棒。

 

「拾いなさい」

 

 それを動かさず、エリカが告げる。

 意味を理解できなかった紗耶香は、何も(こた)えない。

 

「そこに転がっている脇差を拾って、貴女の本気を見せなさい。貴方を縛るあの女の幻影を、私が打ち砕いてあげる」

 

 警棒に構わず、エリカが捨てた脇差を拾って再び構える。

 と、右手に光る指輪を投げ捨てた。

 

「こんな物には、もう頼らない」

 

 紗耶香がブレザーを脱いだ。

 この学校の女子の制服はその下にノースリーブのワンピースなので、肩から先が自由になる。

 そして、刀を返した。

 (みね)打ちは刀の構造を無視した打撃であり、刀を折るリスクを増やす。それでも、人を殺すことへのためらいが、剣尖(けんせん)を鈍らせることはない構え。

 

「私には分かる。貴女の技は、渡辺先輩と同門のものだわ」

 

「私の技は、あの女のものとは一味違うわよ」

 

 それきり、沈黙が支配する。

 沈黙が緊張に変わり、緊張が最高潮に達した瞬間、エリカの姿が消えた。

 (かん)高い、金属音が響く。

 一撃。

 紗耶香の手から、脇差が落ちた。

 直後、右腕を押さえて(ひざ)をつく。

 

「ゴメン、先輩。骨が折れているかも」

 

「‥‥‥ひびが入っているわね。いいわ、手加減できなかったってことでしょう」

 

「うん。先輩は(ほこ)ってもいいよ。千葉の娘に本気を出させたんだから」

 

「そう‥‥‥貴女、あの千葉家の人だったの」

 

「実はそうなんだ。ちなみに渡辺摩利はウチの門下生。剣術の腕だけなら、私の方が上だから」

 

 その言葉に、紗耶香は小さく微笑んだ。

 それは(はかな)くも、屈託のない笑み。

 

「そう、なの‥‥‥ねえ、虫が良いのは分かっているのだけど、担架を呼んでもらえないかしら。なんだか、気が、遠くなって‥‥‥」

 

 そのまま紗耶香は、がっくりと倒れこんだ。

 エリカはその身体を丁寧に抱き起こし、そっとささやいた。

 

「大丈夫だよ、先輩。優しい後輩が、先輩を運んでくれるから」

 

 

 

 

 

 

「それで、俺に壬生先輩を運んで行け、と?」

 

 達也の当然とも思える疑問に、エリカは少しの悪びれた様子もなく(うなず)いた。

 

「大丈夫大丈夫、そんなに重くなかったよ。むしろ可愛(かわい)い女の子を大義名分つきで()っこできるんだから、ここは喜ばなきゃ」

 

「いや、そういう問題ではなくてだな。担架を呼べばいいものを、なぜ俺が抱えて行かなきゃいけないんだ」

 

「‥‥‥ゲイ?」

 

「どうしてそうなる!」

 

 深雪はクスクス笑っているだけだ。

 ここに至り、すでに(なか)ば諦めの心境だったが、エリカに常識論を理解させるべく試みる。

 

「そんなの、壬生先輩が喜ぶからに決まってるじゃん」

 

 しかしここまで理不尽になられると、さすがの達也も返す言葉がない。

 

「良いではないですか、お兄様。治療は早いに()したことはありませんし、相手はあのエリカなんですから」

 

「‥‥‥それもそうか」

 

「ちょっと?もしかして私、馬鹿にされてる?」

 

 エリカがギャーギャー騒ぎ立て、深雪がそれを涼しい顔で受け流す。それを背に、達也は静かに、そして軽やかに紗耶香を抱き上げた。

 

「うん、やっぱ達也君は凄い」

 

 エリカが何にそんなに感心しているのか分からなかったが、取り合うとまた長くなりそうだったので、達也はそのまま歩き出した。

 気を失っているはずの紗耶香の顔は、ぐっすりと眠っているように見えた。



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第五十話 司が対峙する者は

 図書室に潜入した部隊が拘束されたことを知った司は、リーダーである兄に指示を(あお)がねばならないと考えた。それも、できる限り早急に。

 兄といっても義理ではあったが、今では実の両親よりも信頼している。

 一体いつから、という思考は一瞬で霧散し、今はそれどころではないと頬を張った。

 学校の敷地内で無線通信を使うのは危険すぎる。非常時体制の今、全ての通信が監視されていると考えた方が無難だ。

 学校の外へ出ることについて、司はさほど難しく考えていなかった。

 部外者の立ち入りは厳重にチェックされているだろうが、生徒の下校を妨害するはずはない。

 しかし、十中八九成功するはずだった作戦は失敗している。

 作戦の失敗というイレギュラーが発生している以上、自分の予想が必ずしも正しいとはいえないし、そのリスクを負う必要もない。

 ここは前々から見当をつけていた緊急用の経路を使い、人目につかないように注意しながら脱出するべきだ。

 素早くそう結論付けた彼は、正門とは反対方向、学内に設けられた森林を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 生い茂る草木を隠れ(みの)にしながら進み、司は敷地の境界に(もう)けられた塀を視界にとらえた。

 この塀は高さ二メートルほど。

 魔法を使用すれば簡単に飛び越えられるが、その周囲は厳重なセキュリティシステムによって常時監視されており、なんらかの異常があればすぐさま学内の警備本部に記録・通報される。

 自分は生徒なので即時確保とはならないだろうが、感知されると間違いなく面倒なことになるので強行突破はしない。

 目指しているのはこの近くにある通用門である。

 この通用門は錠前という古い形式で閉じられており、普段は使われていない。また、()()()セキュリティシステムの範囲外でもあるため、悟られずに脱出するにはもってこいなのだ。

 なお、門の開錠に必要な鍵は、あらかじめ用意してある。

 司は通用門を見つけると、静かに近づいていく。

 ここまでかなり注意を払って人目につかないようにしてきたので、門を開ける瞬間を見られることもないだろう。

 そう思いながら、門に()けられた錠前に鍵を差し込む。

 

(‥‥‥開いた)

 

 極力音を立てないように気をつけながら、門を押し開く。

 目の前に広がっているのは人の気配のない雑木林で、これまた逃走には都合のいい環境だ。

 もちろんこちらも事前にリサーチを()ませている。

 そして、学校の敷地外に足を踏み出した、瞬間。

 背中に声も出せない激痛を受け、司は気を失った。

 

 

 

 

 

 倒れ伏した司の背後に立っていたのは、紋無しの制服を着た男子生徒。

 その右手には、スタンガンが握られている。

 先端部にはパチ、パチ、と音を立てて静電気が発生していて、電流が流れた直後であることを示していた。

 それにしても、とのびている先輩を見て彼は思う。

 古い形式の門というわかりやすいセキュリティ上の弱点を、システムによってカバーしていないことに何も感じなかったのだろうか。

 飛んで火に()る夏の虫よろしく、自分から罠に掛かりにきたようにしか思えない。

 果たしてこれは生来のものなのか、それともマインドコントロールを受けた弊害(へいがい)なのか。

 第三者が客観的に判断するには、情報が少なすぎる。

 そう考え、彼は苦笑した。

 

(いずれにしても、今の自分には関係ない)

 

 いまだ目を覚ます気配のない司を軽々と背負い上げ、学校側の(しげ)みに目を向ける。

 茂みが揺れた。

 彼―百済龍はそれを確認すると、素早く、静かに移動を開始する。

 次いで、揺れた茂みから一人の男子生徒が飛び出し、龍に追従していった。

 

 

 

 

 同時刻、第一高校近くの倉庫街にて。

 十数名の男たちが、ある倉庫の小部屋に潜んでいた。

 彼らが身に着けているのは、胴当てを始めとした軽防具一式に拳銃やライフル、手榴弾といった火器類。

 そして、一名がアンティナイトを使用した指輪を装備していた。

 部屋の中はすでに緊張感が漂っており、男たちは武器を構えている。

 彼らは上司から指令が下され次第、行動を起こすよう命令されていた。

 指令の内容は一切知らされていない。ただ、上司からは状況によって判断すると言われている。

 つまり、彼らは遊撃の役目を任されたということ。

 場合によっては人を殺すことになるかもしれないが、そこに躊躇(ちゅうちょ)はない。

 彼らは、いつも組織の荒事の現場に派遣されていたし、人殺しにも慣れている。

 命令の内容に若干(じゃっかん)の差異はあるものの、今回も同じように、淡々と与えられた任務を遂行するだけだ。

 そんな歴戦の猛者たちだからこそ、部屋を襲ったごくわずかな空間の揺らぎに気がついた。

 しかし、あくまで気がついただけだ。

 対処を開始しようとした次の瞬間には、十数名全員が音もなく昏倒(こんとう)していた。

 扉が開く。

 黒装束に身を包んだ三人が飛び込んできて、男たちを次々に拘束していく。

 あっという間に全員を拘束した彼らは、部屋から素早く、静かに気絶したままの男たちをどこかへと運び出していった。

 最後の一人が運び出され、ドアが閉められる。

 そして、部屋には誰もいなくなった。



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第五十一話 紗耶香の説明

 保健室では、紗耶香の事情聴取が始まっていた。

 右腕の治療をしながらではあったが、今、全てを話したいというのが紗耶香の希望だった。

 事情聴取には、真由美、摩利、克人の生徒首脳陣と達也たちが参加していた。

 話は、紗耶香が彼らの仲間に引き込まれたところから始まった。

 結果、彼らが第一高校の内部に、想像以上の時間と手間をかけて周到に足場を築いていた事実が明らかになり、それは真由美たちにとっても驚きの内容だった。

 

「今思えば、私は中学時代『剣道小町』なんて呼ばれて、いい気になっていたんだと思います。だから去年の勧誘週間のとき、渡辺先輩の剣技に魅了されて、一手のご指導をお願いしたのにすげなく断られたことがすごくショックで‥‥‥。相手にされなかったのはきっと、私が二科生だから。そう思ってしまったところに、つけこまれたんでしょうね」

 

「いや、ちょっ‥‥‥ちょっと待ってくれ。あの時のことは確かに覚えているが、私はお前をすげなくあしらったりしていないぞ?」

 

「傷つけた当人に傷の痛みが分からないなんて、よくあることです」

 

 真剣に首を捻っている摩利を、エリカが皮肉たっぷりの口調で非難する。

 しかし、それを達也が制止した。

 

「エリカ、批判も批評も、話を聞き終わってからだ」

 

 叩きつけるような叱責に、不満げな表情をしながらエリカが黙り込む。

 短い沈黙のあと、紗耶香が少し辛そうに反論した。

 

「先輩は、私では相手にならないから無駄だ、自分に相応(ふさわ)しい相手を選べ、と‥‥‥」

 

「待て、それは誤解だ、壬生。私は確かこう言ったんだ。『自分の腕では到底お前の相手にならないから、無駄な時間を過ごさせてしまう。それよりも、お前に見合う相手と稽古してくれ』とな。違うか?」

 

「え‥‥‥?そう、いえば‥‥‥」

 

 ポカンとした表情の紗耶香に代わって、真由美が摩利に問いかける。

 

「摩利、じゃあ貴女(あなた)は壬生さんの方が強いから、稽古の相手は辞退すると言ったの?」

 

「ああ、そのとおりだ。そりゃあ、魔法を絡めれば私の方が強いかもしれない。だが、私が学んだ剣技は魔法の併用を大前提にしたものだからな。純粋に剣の道を(おさ)めた壬生に、剣技だけでかなう道理がない」

 

「じゃあ‥‥‥私の誤解、だったんですか‥‥‥?勝手に、逆恨みして‥‥‥一年間も、無駄にして‥‥‥」

 

 居心地の悪い沈黙の中に、紗耶香の嗚咽(おえつ)だけが流れる。

 その沈黙を破ったのは、達也だった。

 

「無駄ではないと思います」

 

「‥‥‥司波君?」

 

「エリカが言っていました。二年前とは別人のように強くなっている、と。確かに、理由は悲しいものだったかもしれません。ですがそれは、(まぎ)れもなく壬生先輩自身の努力の結果です。その努力を否定してしまったら、先輩の一年間は本当に無駄になってしまうのではないでしょうか」

 

「‥‥‥」

 

 達也を見上げる紗耶香の目から、涙が一筋、流れ落ちた。

 

「司波君、少しだけ、胸を貸してくれる?」

 

「はあ」

 

 紗耶香は達也の胸にすがりつくと、そのまま肩を震わせて静かに泣き始めた。

 皆がおろおろとするなか、達也は無言でその細い肩を支え、深雪はそれを見て目を伏せた。

 

 

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻した紗耶香の口から、同盟の背後組織がブランシュであることが告げられた。

 

「予想どおりね」

 

「本命すぎて面白味がないけどな」

 

 真由美と摩利が、その予想どおりの相手にため息を漏らす。

 

「現実はそんなものですよ、委員長。さて問題は、奴らが今どこにいるのか、ということですが」

 

「‥‥‥達也君、まさか、彼らと一戦交えるつもり?」

 

「違います。叩き潰すんですよ」

 

 おそるおそる尋ねた真由美に、達也はあっさりと過激度を上乗せして(うなず)いた。

 

「危険だ。学生の分を超えている!」

 

「では、壬生先輩を警察に引き渡して家裁送りにしますか?」

 

「‥‥‥」

 

 真っ先に反対した摩利に、真由美と紗耶香が続こうとする。

 しかし、その前に発せられた達也の言葉に、彼女たちは押し黙ってしまう。

 達也の言っていることは、確かに正しい処置ではある。

 だが、それはことが大きくなり、学校の内外に多大な影響を与えることを意味していた。

 真由美にとってそれは避けたい事態であり、紗耶香にとっても重い現実を突きつけられた形だ。

 

「確かに、警察の介入は好ましくない」

 

「十文字君?」

 

 まさか克人が達也に同調するとは思っていなかった真由美が、声を上げる。

 

「だがな、司波。相手はテロリストだ。俺も七草も、当校の生徒に命を賭けろとは言えん」

 

 克人から、達也の奥底までも見定めようとしているかのような視線が突き刺さる。

 

「それはそうでしょう。俺は、最初から委員会や部活連の力を借りようとは思っていませんよ」

 

 それに対して、達也は全く怯むことなくまっすぐに克人を見つめ返した。

 

「‥‥‥一人で行くつもりか」

 

「本来ならば、そうしたいところなのですが」

 

「お供します」

 

「私もよ」

 

「俺もだ」

 

 深雪、エリカ、レオから次々に表明される参戦の意思。

 

「このように、周りが一人にさせてくれませんから」

 

「司波君。もし私のためだったら、やめて頂戴(ちょうだい)

 

 苦笑いを浮かべる達也を、紗耶香が慌てて止めに入る。

 

「先輩のためではありません」

 

 しかし、達也はそれを冷たく突き放した。

 

「自分の生活空間が標的になったんですから、俺はもう当事者ですよ。そして俺は、俺と深雪の日常を(おか)そうとするものを、全て駆除する。これは俺の最優先事項です」

 

 そう語る達也は、偽悪を気取っている、という様子でもない。

 深雪ほど彼のことを理解していないレオやエリカにも、達也が本気であることが分かった。



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第五十二話 アジト突入

 

「しかしお兄様、どうやってブランシュの拠点を突き止めればいいのでしょうか。壬生先輩が知っている場所は、とうに引き払われているでしょうし」

 

 そして、克人ですら次の言葉を発せない中で、深雪だけがいつものように兄に話しかけた。

 

「そうだな。でも、分からないのなら、知っている人に聞けば良いだけだ」

 

 達也は黙って、出入り口の扉を開いた。

 

「小野先生?」

 

「遥ちゃん?」

 

「‥‥‥遥()()()?」

 

 レオから放たれたこの場に似つかわしくない呼称に、達也の思考が一瞬停止する。

 そして即座に、スルーすることを選択した。

 遥はベッド脇まで歩み寄ると、紗耶香に声を()ける。

 

「ごめんなさい、力になれなくて」

 

「小野先生‥‥‥」

 

 首を横に振る紗耶香の肩に手を置いて、遥は紗耶香の元を離れた。

 

「さて、小野先生。隠れていたのは割とどうでもいいんですが」

 

「遥ちゃんでいいのに」

 

 まさかと思った本人のボケに、心がくじけそうになる。

 

「‥‥‥小野先生。事ここに至って、知らないふりはありませんよね?」

 

 達也の向けた真っ白な視線に、さすがにまずいと思ったのか、一つ咳払いをして遥は居住まいを改めた。

 

「地図を出してもらえないかしら。その方が早いから」

 

 達也は無言で情報端末を取り出すと、地図アプリを起動させた。

 遥も端末を取り出し、座標データを送信する。

 それに従って地図が立ち上がり、マーカーが光った。

 

「これは‥‥‥」

 

「ううん‥‥‥」

 

「舐められたものだな‥‥‥」

 

 達也の背後から地図を覗き込んでいたエリカ、レオ、摩利の三人から声が上がる。

 マーカーが示していたのは、学校から比較的近い、バイオ燃料の廃工場だった。

 

「車の方がいいだろう」

 

「正面突破ですか?」

 

「それが一番、相手の意表をつくことになるだろうからな」

 

 テロリストの狙いは、非公開の魔法技術だった。ならば、自分の持つあの技術も狙っているに違いない。司が襲撃してきたのも、あの技術の有効性を確認するためのテストだったのだろう。達也はそう推理していた。

 

「妥当な策だ。車は俺が用意しよう」

 

 達也が示した攻略方針に、克人が賛同した。

 

「えっ、十文字君も行くの?」

 

「十師族に名を連ねる者として、これは当然の務めだ。だがそれ以上に、俺もまた一高の生徒として、この事態を看過(かんか)することはできん。下級生にばかり任せておくわけにもいかんしな」

 

「じゃあ」

 

「七草、お前は駄目だ」

 

「真由美、この状況で生徒会長が不在になるのはまずい」

 

「‥‥‥わかったわ」

 

 二人()かりの説得に、真由美は不承不承(ふしょうぶしょう)ながら(うなづ)く。

 

「でも、それを言うなら貴女(あなた)もよ、摩利」

 

「‥‥‥了解した」

 

 そして今度は、摩利が不承不承頷く番だった。

 そんな二人をよそに、克人は達也に目を向けた。

 

「司波、すぐに行くのか?このままでは夜間戦闘になりかねないが」

 

「そんなに時間は掛けません。日が沈む前に終わらせます」

 

「そうか」

 

 克人はそれ以上何も聞こうとはせず、車を回す、と言い残して保健室から出ていった。

 

「なあ達也、遥ちゃんって、何者なんだ?」

 

「その話は(あと)だ。行くぞ」

 

 あえて誰も口にしていなかったレオの質問は、達也によって棚上げされた。

 

 

 

 

 車は、オフロードタイプの大型車だった。

 そしてその車内には、思いがけない人物が座っていた。

 

「よう、司波兄」

 

「桐原先輩」

 

「あんまり驚かねえんだな」

 

「いえ、十分驚いてますよ」

 

 主にその呼び方に、なのだが、達也は言わなかった。

 押し問答するには時間が惜しい。なので達也はそのまま乗車し、深雪や友人がその後に続いた。

 

 

 

 

 茜色に染め上げられた世界の中、夕日を弾いて疾走する大型オフロード車が、閉鎖された工場の門扉を突き破った。

 

「レオ、ご苦労さん」

 

「‥‥‥何の、チョロいぜ」

 

「疲れてる疲れてる」

 

 時速百キロを超えるスピードで走行中の大型車を衝突のタイミングで硬化するというハイレベルな魔法を要求されたレオは、集中力の多大な消費にかなりへばっていた。

 

「司波、お前が考えた作戦だ。お前が指示を出せ」

 

 突入時の作戦は車中で説明済み。克人に委ねられた権限と責任に、達也は尻込みすることなく頷いた。

 

「レオとエリカはこのまま待機。逃げ出そうとする奴に容赦はいらない」

 

「分かった」

 

「任せとけ」

 

「十文字会頭と桐原先輩は左手を迂回して裏口から回って下さい。俺たちはこのまま踏み込みます」

 

「まあいい。逃げ出すネズミは残らず切り捨ててやる」

 

 レオとエリカには退路の確保を、克人と桐原には挟撃の指示を出して、達也と深雪は薄暗い工場の中へと入っていった。



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第五十三話 対峙

 達也たちが建物の内部へ足を踏み入れると、そこはホール状のフロアになっていた。

 

「ようこそ!初めまして、司波達也君!そしてそちらのお姫様は、妹の深雪さんかな?」

 

そしてその中央には、大袈裟(おおげさ)な仕草で手を広げ、歓迎のポーズをとる男が一人。

 

「お前がブランシュのリーダーか?」

 

 彼に対し、達也は冷ややかに問いかける。

 年齢は三十前後、ヒョロッとした身体つきに(ふち)なしの伊達(だて)メガネ。

 その男は、学者か法律家といった(おもむき)の外見をしていた。

 

「おお、これは失敬。(おお)せの通り、僕がブランシュ日本支部のリーダー、(つかさ)(はじめ)だ」

 

 威圧感は感じられない。

 ただその大仰(おおぎょう)な、自己陶酔(とうすい)の気がある口調と仕草のその奥に、濃密な狂気が顔をのぞかせている。

 

「そうか」

 

 しかし達也は、その狂気を認識しながら、眉一つ動かさなかった。

 ただ淡々と、ホルスターからCADを抜く。

 

「一応、投降の勧告はしておく。全員、武器を捨てて両手を頭の後ろに組め」

 

「ふむ、拳銃くらい用意してくるかと思っていたが、それはCADだね。魔法が絶対的な力だと思っているのなら、大きな勘違いだよ」

 

 哄笑(こうしょう)とともに狂気をより色濃くにじませた司一が、右手を上げた。

 彼の背後から、ブランシュのメンバーが次々と現れ、達也たちを取り囲むように整列する。

 そして、左右に並んだ総勢二十人が、一斉に銃器を構えた。

 

「交渉は対等なものでなければならないから、こちらも機会をあげよう。司波達也君、我々の仲間になり(たま)え。弟が知らせてくれた、君のキャスト・ジャミングは非常に興味深い。いやなに、今回の作戦には、我々も随分(ずいぶん)手間を()けていたのだがね。それを台無しにしてくれたことは、実に忌々(いまいま)しく、許しがたい。だが、君が我々の仲間になるならば、水に流してあげようじゃないか」

 

 薄笑いを浮かべたその顔は、達也でなければ怖気(おじけ)ついていただろう。

 達也と一緒でなかったならば、深雪も鳥肌くらいは立てていたに違いない。

 

「やはりそれが狙いか。壬生先輩を使って接触したのも、弟に俺を襲わせたのも」

 

「やはり、君は頭が良いようだ。しかし、それだけ分かっていながらノコノコとやってくるあたり、所詮(しょせん)子供だ」

 

 司一は外連味(けれんみ)たっぷりに伊達メガネを投げ捨てると、前髪をかき上げて正面から達也の瞳を(のぞ)き込んだ。

 

「司波達也、我が同士となれ!」

 

 彼の両眼が、妖しい光を放つ。

 達也の顔からはただでさえ(とぼ)しかった表情が完全に抜け落ち、脱力したようにCADを握る右手が下がった。

 

「ハハハハハ、君はもう、我々の仲間だ!では手始めに、ここまでともに歩んできた君の妹を、その手で始末してもらおう!妹さんも最愛の兄上の手に掛かるなら、本望だろう!」

 

 付け焼き刃ではない、明らかに命令することに慣れた口調。

 そして歪んだ笑顔に浮かぶ、(おの)が権威を疑わぬ表情。

 

「‥‥‥いい加減、寒い芝居はよせ。見ているこっちが恥ずかしくなる」

 

 しかしそれは、達也の冷ややかな侮言(ぶげん)に、瞬時に凍りついた。

 

「意識干渉型系統外魔法、『邪眼(イビルアイ)』。と称してはいるが、その正体は催眠(さいみん)効果を持つ光信号を利用した光波振動系魔法。洗脳技術から派生した、単なる催眠術、手品の(たぐい)だな。壬生先輩の記憶も、これですり替えたのか?」

 

「お兄様、では‥‥‥?」

 

 大きな目をさらに見開いて問いかけた深雪に、達也は無表情のまま(うなづ)く。

 

「あの記憶違いは、不自然なほど激しいものだった。普通は時間の経過とともに、冷静になっていくものなのに、だ」

 

「‥‥‥この、下種(げす)どもが」

 

 深雪から、普段の姿からは考えられないような怒気が(ほとばし)る。

 

「貴様、なぜ‥‥‥」

 

 (あえ)ぐように、司一が(うめ)く。その顔に、狂気の笑みはない。

 

「つまらん奴だな。メガネを外す右手に注意を引きつけ、CADを操作する左手から目をそらすなど、そんな小細工が俺に通用するとでも思ったのか。お前のちゃちな魔法など、肝心の催眠パターンが抜け落ちればただの光信号に()ぎない」

 

「バカな‥‥‥貴様、一体‥‥‥」

 

「ところで、二人称は『君』じゃなかったのか?大物ぶっていた化けの皮が()がれているぞ」

 

 ことここに至り、司一はようやく気がついた。

 この少年が脱力したのは、彼を確実に葬り去る計算ができたからだ。

 つまり最初から、彼のことを同じ人間として見ていなかった。

 彼らの持つ、顔・名前・個性・意思、それらすべて、何の意味も()していなかったのである。

 

「お前たち、何をしている!撃て、撃てぇ!」

 

 もはや司一に、威厳を取り(つくろ)う余裕はなかった。

 生物としての原初的な恐怖に襲われ、射殺を命じる。

 

「な、なに!?」

 

「何だこれはっ!?」

 

 だが、弾丸は一発も発射されなかった。

 床には、バラバラに分解された拳銃やサブマシンガンが散乱している。

 パニックの中、それを(しず)めようともせずに司一が逃げ出した。背後の仲間を一顧(いっこ)だにせずに。

 

「お兄様、ここは私が」

 

「任せた」

 

 達也は奥の通路に向けて、歩き出した。

 自然に人垣(ひとがき)が割れ、彼が特に何かをする様子もない。

 そこに背後から、メンバーの一人がナイフを片手に襲い掛かった。

 

「愚か者」

 

程々(ほどほど)にな。この連中に、お前の手を汚すだけの価値はない」

 

「はい、お兄様」

 

 言葉を交わす兄妹の間では、全身を霜に覆われた彫像が傾き、倒れている最中だった。

 兄はそのまま、通路の影に姿を消す。

 彼に害をなそうとした者は、まだ一人だけ。

 だが、たった一人の少女を前に、二桁(ふたけた)の男たちが一歩も動けなくなっていた。

 物理的にも、精神的にも。

 床が一面、白い霜で覆われ、冷気と霧が渦を巻いて流れている。

 ただ、少女の立つ小さな円内だけが、屋外と同じ季節だった。

 彼女が右手を上げる。

 

「お前たちも運が悪い。お兄様に手出ししようとさえしなければ、少し痛い思いをするだけで()んだものを」

 

 いつもとは異なる口調。

 だがその言葉遣いに、いささかの違和感もない。

 

「私はお兄様ほど慈悲深くはない」

 

 霜が男たちの首下まで()い上がり、冷気が一気に厳しさを増す。

 振動減速系広域魔法『冬地獄(ニブルヘイム)』。

 声なき断末魔が、霧の中に満ちた。



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第五十四話 決着

 待ち伏せはなかった。

 戦力を分散させないだけの頭はあったようだが、達也にとっては隠れることも無意味。

 壁越しにCADの引き金を引き、サブマシンガンを分解する。

 平然と最奥の部屋に足を踏み入れた彼を出迎えたのは、空虚な笑い声と不可聴の騒音だった。

 

「どうだ、魔法師。本物のキャスト・ジャミングは?」

 

 追い詰められた司一の虚勢を支えているのは、右手首に巻かれたアンティナイトのブレスレット。

 背後には同じブレスレットが十個ほど保管されている。

 

「大量のアンティナイト‥‥‥お前らの雇い主(パトロン)はウクライナ・ベラルーシ再分離独立派。そのスポンサーは大亜連合か」

 

 達也の(つぶや)きに、動揺が伝わってきた。

 

「そういえばあの催眠術も、ウクライナで開発されたものだったか。アンティナイトといい、馬脚を現しすぎだ、三流め」

 

 正直なところ、もうつき合いきれない。

 早々に決着をつけるべく、達也はCADの引き金を引いた。

 司一のブレスレットから、アンティナイトが消失する。

 

「‥‥‥は?」

 

 この男がこうして動揺するのは、一体何度目だろうか。

 記憶をたどれば答えが出るが、数え上げるのも馬鹿馬鹿(ばかばか)しい。

 

「な、なぜだ!?なぜ、キャスト・ジャミングの中で魔法が使える!?」

 

 何のことはない、達也は銃器と同様キャスト・ジャミングの構造を分解し、ノイズを想子(サイオン)のさざ波に変えただけだ。

 『邪眼(イビルアイ)』を使うということは魔法師だろうに、この男はそんなことも分からない。

 今や始末することすら、つき合うのは億劫(おっくう)だった。

 その時。

 細かく煌めく銀光が、司一の背後の壁を切る。

 

「ヒイィ!?」

 

 腰を抜かしたかと思わせる無様な姿で、司一は飛び退()いた。

 というより、実際に腰を抜かした。

 彼が今まで立っていた場所に乗り込んできたのは、桐原。

 どうやらここまでの道を、文字通り切り開いてきたようだ。

 

「よう。お前のおかげで、こっちはかなり楽ができたぜ。やるじゃねえか‥‥‥で、コイツは?」

 

 (おび)えた顔で何とか逃げ出そうとする男を、(さげす)みの目で桐原は指さした。

 

「それがブランシュのリーダー、司一です」

 

「コイツが‥‥‥?」

 

 変化は、一瞬。

 達也ですらたじろぐほどの怒気(どき)が、桐原の全身から放射された。

 

「コイツか!壬生を(たぶら)かしやがったのは!」

 

「ギャアアア!」

 

 桐原の模造刀は刃引きされているものの、『高周波ブレード』が発動中。

 振り下ろされたそれは、司一の右(ひじ)から先を切り落とすのに充分(じゅうぶん)だった。

 そこに、桐原の開けた穴から克人が姿を見せる。

 彼は部屋を一瞥(いちべつ)して一瞬(まゆ)をひそめ、CADを操作した。

 肉の焦げる(にお)いとともに、司一の出血と絶叫が止まる。

 彼は、泡を吹きながら気を失っていた。

 

 

 

 

 翌日の放課後。

 第一高校近くの喫茶店で、龍と真由美が先日と同じく向き合っていた。

 

「龍、昨日は本当にありがとう」

 

「俺は当然のことをしたまでですよ、会長。そういう契約だったんですから」

 

 軽く頭を下げた真由美に対し、龍は素っ気なくそう返した。

 

「契約って‥‥‥」

 

 そんな言い方をしなくても、というニュアンスを感じ取り、龍はため息を吐いた。

 

「会長はご存じないかもしれませんが、我々の業界では口約束も立派な契約ですよ。そして、こちらが今回の契約に関する報告書です」

 

 差し出されたのは、原稿用紙一枚。右半分には、大きく[報告書]と書かれている。

 そして左半分には、要約して以下の内容が書かれていた。

 

 今回の襲撃には、海外勢力が関係していること。

 リーダーの司一は、精神干渉を受けた可能性があること。

 アジト突入時、関係者以外の目撃者はいなかったこと。

 

「十師族権限で事実をもみ消して、海外情勢に目を光らせておく。それが今回の事件の落としどころではないかと、俺個人としては思いますね」

 

 彼はそう締めくくり、報告書を手元にしまい()んだ。

 

「龍、本当にありがとう」

 

 真由美は再度、頭を下げた。

 本音を言えば、問い(ただ)したいことはたくさんある。

 現場にいなかったはずなのに、どうやってその情報を手に入れたのか。

 やけに手慣れているその対応は、いったいどこで学んだのか、等々。

 しかし、今この場で口に出す勇気は持てず、それらを飲み込むしかなかった。

 

「証拠物品を残すのは愚の骨頂なので、これはこちらで処分させていただきます」

 

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、龍は平然と帰り支度を始めた。

 

「ちょっと待って」

 

 慌てて、真由美が止めに入る。

 一つだけ、どうしても質問しておきたいことがあったのだ。

 

「ねえ、この店は‥‥‥?」

 

「普通の喫茶店ですよ」

 

 絶対に嘘だ、と真由美は思った。

 確かに、入店直後には良くも悪くも普通の喫茶店だという印象を受けた。

 が、龍に連れられて少し奥に向かったところ、完全防音処置を施された個室が数部屋、並んでいたのだ。

 内装に至っては武骨そのもので、どう考えても喫茶店には必要ないだろうし、不釣り合いである。

 

「我々常連のニーズに(こた)え、用意してくれたんでしょう」

 

 要するに、裏社会の取引所の一つか、と真由美はそう解釈した。

 

「そういうことにしておきましょうか」

 

 ここで正義感に駆られて警察に告発する、というようなこともできるだろう。

 しかし、それをしても権力に握りつぶされるか、営業停止命令が下ったとしても近隣に同じような店ができるだけだ。

 そう考えるだけの頭が彼女にはあったし、でなければ生徒会長などやっていられない。

 

「それでは、次回のご利用をお待ちしております。代金は請求しますが」

 

 龍はそう言って、営業スマイルを浮かべたのだった。



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第五十五話 後始末

 事件の後始末は、克人が引き受けてくれた。

 達也たちの行為は良くて過剰防衛、悪くすれば傷害及び殺人未遂・プラス魔法の無免許使用だが、司法の手が彼らに伸びることはなかった。

 魔法師社会の頂点に立つ十師族は、政治的な権力を持たない代わりに、事実上の特権を持つ。

 現在、その中で最も有力とされているのが、四葉(よつば)と七草の両家。

 それに続く三番手が、十文字。

 十文字家の総領が(かか)わる事件に、普通の警察が関与できるはずもないのだった。

 おそらく、事件の真相は十文字家が独自に追うことになるだろう。

 肝心の司一は十文字家の息が()かった者たちに引き渡されている。

 取り調べの際には、銃が勝手に分解したとか、用意していたはずの遊撃隊が消えていたとか(わめ)いていた。

 しかし、銃器は現場に落ちてこそしていたものの、その部品が散乱しているようなことはなかったし、遊撃隊に至ってはその形跡すらなかったため、相手にもされていない。

 念のため、近々(ちかぢか)精神鑑定を受ける予定になっているようだ。

 十文字家はそう遠くないうちに背後の存在に気がつき、海外に疑いの目を向けながらその情勢を注視することになると思われた。

 後始末といえば、達也が切断した閲覧室の扉は、ブランシュの工作員によって破壊されたことになっている。

 これは学校側の工作で、生徒に鍵を盗まれた不始末の隠蔽(いんぺい)だった。

 そもそも、あの場に第一高校の生徒がいたという事実自体がなくなったし、紗耶香のスパイ容疑も、大人の事情により最初からなかったことになった。

 結局龍の提言どおりになったわけだが、実際には彼らはアジトに突入したその日のうちに動き出していたのだ。

 龍はそのあたりも(つか)んだうえで、真由美に伝えたのかもしれないが。

 

 

 

 

 その後、達也たちの日常は緩やかに戻りつつあった。

 

 

 

 

 達也は騒動の解決から数日後、友人たちと妹にサプライズで誕生日パーティーを開かれ、少し驚いていた。

 肝心の誕生日はブランシュの対応に追われていたため、今年のお祝いは無いだろうと思っていたのだ。

 企画したメンバーの一人である深雪いわく、四月中なら誤差の範囲内だろう、とのこと。

 学校では風紀委員の役割をこなしつつ、非番の日には閲覧室に(こも)り、入学当初に思い描いていた学校生活にようやく近づきつつあった。

 

 

 

 

 深雪はあれから一週間ほど落ち込んでいた。

 表面上は何事もなかったかのように振る舞っていたが、ふとした弾みに両手で顔を覆っている姿が見られた。

 自宅内限定で。

 さすがに『冬地獄(ニブルヘイム)』はやりすぎだったと思っているらしい。

 幸いにも、ブランシュのメンバーは偶然休眠状態(コールドスリープ)になっていたため、肉体的に回復不能な欠損を負った者はいなかったようだが。

 それに口には出さなかったが、司一が達也に『邪眼(イビルアイ)』を使ったとき、一瞬でも兄の勝利を疑ってしまった自分を恥じているようにも見えた。

 そんなときは達也がいくらでも深雪を甘えさせたので、かえって落ち込んだままになるような、笑えないようで笑うしかない状況も生じていた。

 

 

 

 

 龍と氷華は、それぞれいつも通りの生活を続けていた。

 二人とも集会には無関心かつ部活に参加していないので、襲撃時にはすでに下校していたからだ。

 龍の裏の行動は、真由美以外の誰にも知られることはなかった。

 氷華はその時間帯、龍がただ単に仕事に行ったと認識していたから、彼の不在を疑問に思うこともなかった。

 

 

 

 

 紗耶香は、入院することになった。

 右腕の亀裂(きれつ)骨折こそ入院するほどの怪我(けが)ではなかったが、マインドコントロールを受けていたことが明らかになったために影響が残っていないか様子を見ることになったのである。

 入院中、達也は一度見舞いに行っただけだが、エリカは頻繁に足を運んでおり、すっかり親しくなったようだ。

 

 

 

 

 剣道部の主将だった司甲も、罪に問われることはなかった。

 彼は深刻なマインドコントロールの影響下にあったため、長期の治療を受けている。

 現在は休学の扱いだが、結局学校は自主退学ということになるだろう。

 また、彼はもともと魔法師志望ではなく、霊子(プシオン)放射光過敏症も日常生活に支障をきたすほどではなかった。

 第一高校に通っていたのは、達也の推理どおり、司一がその魔法知覚力に目をつけ、組織の役に立ちそうな魔法を見つけるためだったことも判明している。

 マインドコントロールが解けた後は、おそらく本当にやりたかったことであろう剣道に邁進(まいしん)するだろう。

 

 

 

 

 克人はあの時廃工場に同行した戦友たちに、あの場所で見聞きしたことについて他言無用とした。

 達也にとって、それはありがたいことだった。

 彼が使った魔法を、今(おおやけ)にすることはできないからだ。

 もっとも、真由美と摩利は、薄々(うすうす)何かを勘づいているようでもあった。

 

 

 

 

 

「‥‥‥ご報告は以上でございます。四葉様」

 

 暗い部屋の中、秘匿回線でつながれた相手に頭を下げる、一人の男。

 その声は異様に低く、仮面を着けているために表情を読み取ることはできない。

 

「まったく、あの国は‥‥‥今度こそ、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめしてやろうかしら」

 

 そしてモニターの向こう側には、不満を隠そうともしない女性がいた。

 彼女は口元を黒い扇子(せんす)で覆ってこそいるものの、恐ろしく整った顔をしていることが分かる。

 (まと)っている雰囲気は妖艶そのもの。

 彼女の名前は、四葉真夜(まや)

 十師族において七草家と双璧を()し、完全秘密主義で知られる四葉家の現当主その人である。

 四葉家は世間において、その名前以外、ほとんど知られていない。

 しかし、ある事件がきっかけで、全世界から「禁忌の一族(アンタッチャブル)」として恐れられている。

 

「お待ちください」

 

 真夜が感情をあらわにすることなど、滅多にない。

 それなりにつき合いのある男にとっては、それが激しい怒りであると感づくことも容易だ。

 そして彼女の危険性も。

 だからこそ、彼は慎重に慎重を重ねて言葉を選ぶ。

 

「今回の事件に隣国が関わっていたことは、公になっておりません。ですから」

 

「分かっているわよ、そんなこと。だから歯痒(はがゆ)いのよ。現状では、こちらが先手を打ったように見えてしまうのだから。ああ、早く口実を見つけて、捻り潰したいわ」

 

 男の言葉を(さえぎ)って、過激な発言を繰り返す真夜。

 このままでは話が進まないし、危険な方向に向かう可能性がある。

 そう判断した彼は、奥の手を使うことにした。

 

「そのような過激な発言を繰り返していますと、そのうち彼に愛想を尽かされてしまいますよ」

 

 その効果は覿面(てきめん)だった。

 一瞬で彼女の顔から表情が抜け落ち、能面のようになる。

 

「‥‥‥そうね。少し、取り乱していたわ。ありがとう、団十郎(だんじゅうろう)さん」

 

 彼に嫌われる、というような話題を出すと、真夜は途端に感情が平坦(フラット)になる。

 男はそれを利用して、彼女を落ち着かせたのだった。

 ちなみに、彼の名は西条(さいじょう)団十郎という。

 

「奴らのことですから、ほとぼりが()めたら再び手を出してくるでしょう。その時がチャンスです。すでに、関係の疑われる者の目星はついております。動きを見せるのは今年の秋以降になるでしょうが、引っ掛かり次第ご連絡差し上げますので、どうかご安心ください」

 

「そう、ならばその件はしばらく任せておきます」

 

 先程(さきほど)の姿を微塵(みじん)も感じさせない真夜に、彼は少しだけ(あき)れてしまった。

 禁忌の一族(アンタッチャブル)のトップがそれでいいのか、と。

 もちろん、それを表に出すようなことは絶対にしないが。

 

「ところで、先日の事件の際はどうしていたのかしら?奴らが暴挙に出たら、表の貴方(あなた)が処理してくれるのよね?」

 

「ええ、致しましたとも。今回の事件に関する情報工作は、全て完了しております」

 

 論点を微妙にずらしながら、団十郎は答えた。

 

「‥‥‥そういうことにしておいてあげるわ。確かに貴方は、裏方のほうが得意だものね」

 

 最後に真夜は、してやったりとばかりに微笑(ほほえ)んだ。



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第五十六話 日常へ

 月は代わって、五月。

 今日は、紗耶香の退院の日である。

 達也も深雪と一緒に、お祝いに病院を(おとず)れた。

 

「あれは、桐原先輩ではありませんか?」

 

 深雪に言われるまでもなく、達也は気がついていた。

 エントランスホールで紗耶香を囲む輪の中で、なぜか照れ(くさ)げな桐原は、少しばかり浮いているようにも見える。

 

「毎日来てたんだってさ」

 

 なんの前触れもなく()けられた声に振り向くと、エリカがつまらなそうに立っていた。

 

「チェッ、やっぱり、驚かすのは無理かぁ」

 

「いや、驚いたぞ。桐原先輩がそんなにまめな性格だったとは」

 

「フンだ。そんな風に性格悪いことばかりやってるから、サーヤにもフラれちゃうんだ」

 

 フラれた云々(うんぬん)については、達也はそんなに気にならない。

 自慢ではないが、女性にモテた経験はゼロだ。

 

「エリカ‥‥‥サーヤってもしかして、壬生先輩のことなの?随分(ずいぶん)親しくなったようだけど」

 

「そうだよ」

 

「あっ、司波君!来てくれたの?」

 

 そこに、人の輪の中から声が掛かった。

 どうやら、紗耶香がこちらに気がついたらしい。

 達也たちが近づくと、彼女は満面の笑みで迎えた。

 隣で桐原が一瞬ムッとしたが、紗耶香がそれに気がつく様子はない。

 

「桐原先輩、サーヤに告白したんだけどフラれちゃったんだって」

 

「違う!まずはお友達からお願いします、って言われたんだ!フラれてはいない!」

 

「先輩、それを世間ではフラれたっていうんですよ?いい加減現実を受け入れたらどうですか~?」

 

「コイツ‥‥‥!いいか、だから俺はだな‥‥‥」

 

 桐原をからかって遊んでいるエリカを横目に、紗耶香の話し相手(聞き役に(てっ)していた)になっていた達也。

 

「君が司波君かね」

 

 そこへ、新たな声が掛かる。

 

「お父さん」

 

「そうだ。私は壬生勇三(ゆうぞう)。改めて、紗耶香の父親だ」

 

 彼の引き締まった身体とブレのない姿勢は、武道の賜物(たまもの)だろうか。

 顔立ちも、紗耶香との血縁を感じさせる。

 

「初めまして、司波達也です」

 

「妹の司波深雪です、初めまして」

 

 達也が挨拶(あいさつ)を交わしていたのに気がついた深雪が、達也の後ろで丁寧に一礼する。

 その優雅(ゆうが)さに少したじろいだ様子を見せたが、勇三はすぐに表情を引き締めた。

 

「少し、良いかね」

 

 言葉は少ないが、その視線に誤解の余地はない。

 達也は深雪と紗耶香に断りを入れ、勇三とともにその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

「司波君、君には感謝している。娘が立ち直ってくれたのは、君のおかげだ。ありがとう」

 

 単刀直入、勇三は余計な前置きをしなかった。

 

「自分は何もしていません。妹や千葉、桐原先輩のおかげです。俺は冷たく突き放しただけですから」

 

「‥‥‥ふ、君は風間(かざま)に聞いたとおりの男なのだな」

 

 その台詞(せりふ)は、達也の冷静を奪うには充分(じゅうぶん)なものだった。

 

「‥‥‥風間少佐をご存じなのですか?」

 

「私はすでに退役した身だが、兵舎で起居をともにした戦友でね。歳も同じだから、いまだに親しくさせてもらっている」

 

 それが言葉どおりの意味でないことは、達也にも分かる。

 分かってしまう。

 たとえ親友であっても、単なる友人に風間が達也のことを話すはずがないからだ。

 

「無論、風間から聞いたことは誰にも他言しない。娘にもな。だから、安心してほしい。私はただ、君が娘を救うことのできる人間で、実際に救ってくれたのだということを知っていると、君に伝えたかっただけだ。本当に、ありがとう」

 

 そう言って、返事を待たずに勇三は妻の所へ戻っていった。

 頭を小さく振って、小さくなかった動揺を意識の外へ追い出し、達也も妹たちの所へ戻っていった。

 

 

 

 

 達也が戻ると、桐原と紗耶香が顔を真っ赤にして照れまくっていた。

 どうやら深雪一人では、エリカを(おさ)えきれなかったらしい。

 

「あっ、司波君。お父さんと何を話していたの?」

 

 そこに、紗耶香が渡りに船とばかりに話し掛けてきた。

 

「俺が昔お世話になった人が、お父上の親しいご友人だった、という話をしていたんですよ」

 

「へえ、そうなの」

 

「達也君とサーヤって、やっぱり深い(えん)があるのね」

 

 すかさずエリカが(から)んでくる。

 どうやら今日の彼女は絶好調のようだ。

 

「ねぇねぇ達也君、サーヤは付き合うこと前提で桐原先輩と友達になったみたいだよ」

 

「ち、ちょっと、エリちゃん!」

 

 慌てふためく紗耶香を見ながら、達也は少し違うことを考えていた。

 

(エリちゃん、ねえ‥‥‥)

 

 どうやらこの二人、よほど気が合うらしい。

 

「エリカ、貴女(あなた)少し調子に乗り過ぎよ」

 

 深雪がたしなめても、馬耳東風とばかりに聞き流している。

 

「ところで桐原先輩は、いつからサーヤのことが好きだったの?」

 

「うるせーな。別にいいだろ、そんなこと」

 

「そうだぞ、エリカ。大切なのは、桐原先輩が本気で壬生先輩に()れているということだ」

 

 それまで口を(はさ)もうとしなかった達也の台詞に、エリカも桐原も驚いて振り向いた。

 

「ブランシュのリーダーを前にした桐原先輩の勇姿には、男として(かな)わないと思ったしな」

 

「ふ~ん‥‥‥ねえ、達也君」

 

「なんだ?」

 

「詳細、後でコッソリ教えてね」

 

「この(あま)ぁ!」

 

 ついに耐え切れなくなった桐原が、エリカに()びかかる。

 対してエリカはきゃあきゃあ言いながら逃げ回る真似(まね)をした。

 周囲の人々はそれを暖かい眼差(まなざ)しで笑って見ている。

 そのうち本当に追いかけっこを始めてしまった二人を暖かい、というよりは生暖かい目で見ていた達也の隣には、深雪が静かに並んでいたのだった。



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第二章 九校戦
第五十七話 番狂わせな結果


第二章、開始です。
ここから、原作とは異なる展開が増えてくると思います。


 西暦二〇九五年、七月中旬。

 国立魔法大学付属第一高校では、一学期の定期試験が終わり、生徒たちのエネルギーは一気に夏の九校戦へと向かっていた。

 しかしながら、いまいちその熱気に乗ることができずにいる生徒もいる。

 

「レオ‥‥‥どうしたんだ、皆(そろ)って」

 

 その一人、司波(しば)達也(たつや)がようやく生徒指導室から解放されると、そこにはクラスメイトの西城(さいじょう)レオンハルト、百済(くだら)(りゅう)(戸籍上の姓は南海(なんかい))、千葉(ちば)エリカ、柴田(しばた)美月(みづき)が待っていた。

 達也の妹の深雪(みゆき)は生徒会役員として、九校戦の準備で忙しくしているためこの場にはいない。

 その代わり、深雪と同じクラスの光井(みつい)ほのかと北山(きたやま)(しずく)、そして龍の義妹である南海氷華(ひょうか)まで心配そうな表情を浮かべていた。

 指導室は教職員用フロアにあり、生徒の使う教室は同じ階にはない。

 だが、生徒が(まった)く通らないわけでもなく、通りかかった同級生にも上級生にも彼らは目立っていた。

 もっともそれは、いつものことでもある。

 二科生でありながら風紀委員に選ばれ、新入部員勧誘週間の数々の武勇伝でその抜擢(ばってき)伊達(だて)ではなかったことを示した達也。その直後にテロ組織を潰したことは知られていないが、生徒たちの注目を集めるには充分(じゅうぶん)だった。ちなみに、意外とイケメンかもしれない、との評価を得ていることを彼自身は自覚していない。

 エリカは、十人が十人とも認めるであろう、陽性の美少女。

 美月も普段は地味なイメージを持たれているが、顔立ち自体は大人しげな(いや)し系美少女なので、主に上級生から(ひそ)かな人気を集めていたりする。

 レオはエリカにこそ憎まれ口を叩かれているが、彫りの深い顔立ちと卓越した運動神経で、女子生徒の間では「ちょっと気になる男の子」の地位を確立している。

 龍はレオの言う「純日本風」の黒髪黒目で、全国的に有名な神才(ゴルティス)であったことこそ知られていないが、整った顔立ちと常に冷静沈着な性格から一部の女子生徒から熱烈的な人気があったりする。

 それに加えてほのかと雫、氷華は一年一科生の中でも特に成績優秀な三人。容姿も十分に可愛(かわい)いと評されており、氷華に至っては深雪に匹敵するともいわれている。なお、氷華の四月に広まった噂は現在収まっており、周囲からの評価も「手出ししなければ静謐(せいひつ)な美少女」となっている。

 これだけのメンバーが一科、二科の枠を超えてつるんでいれば、嫌でも目立つ。

 それでも今は、主席入学、今年度新入生総代、生徒会役員の肩書きに加えて、稀代(きだい)の美少女である深雪がいないためか、視線の(まと)わりつき具合がいつもに比べて大人しい。

 もっとも、この男のように、そんな視線を気にも()めない人間も割と近くにいるものだが。

 

「どうしたってのはこっちのセリフだぜ。生徒指導室に呼ばれるなんて、いったいどうしたんだよ?」

 

 レオの答えに、達也はなるほど、と思った。

 どうやらこの友人たちは、自分を心配して集まってくれたらしい。

 

「実技試験のことで尋問(じんもん)を受けていた。要約すると、手を抜いているんじゃないかって疑われていたようだな」

 

 これを聞いて、レオが不機嫌そうに目を(ほそ)めた。

 

「でも、先生の気持ちも分かる気がする」

 

「どうしてですか?」

 

 雫の呟きに、美月が小首を(かし)げる。

 

「それだけ達也さんの成績が、衝撃的だったということですよ」

 

 ほのかの答えに、達也は苦笑いを浮かべた。

 魔法科高校の定期試験では、魔法の実技試験と魔法理論の記述式テストが行われる。ちなみにその他の一般科目に関しては、普段の課題提出がそのまま評価になる。

 そして試験後、学内ネットワークまたは校内掲示板にて、各学年の上位二十位までの成績優秀者が発表されるのだ。

 総合成績優秀者は、以下の通り。

 一位、A組、司波深雪。

 二位、B組、南海氷華。

 三位、A組、光井ほのか。

 四位に僅差(きんさ)で雫。他に馴染(なじ)みのある名前では、十位にB組の森崎(もりさき)。上位二十名、全てA組かB組の一科生だ。

 実技のみの点数でも、それは変わらない。

 具体的には、一位が深雪、二位が同点で氷華と雫、四位が森崎、五位にほのか。

 慣例として入学試験の成績上位者がA・B組に集中して割り振られるので、ランキングをA・B組の生徒が独占する形になるのは仕方がないだろう。

 だが、これが理論のみの点数になると、大番狂わせの様相を(てい)してしまう。

 一位、E組、司波達也。

 二位、E組、百済龍。

 三位、A組、司波深雪。

 四位にE組の吉田(よしだ)幹比古(みきひこ)という男子生徒が入り、五位がほのか、僅差で六位に氷華、十位に雫、十七位に美月、二十位にエリカ、レオと森崎はランク外。

 確かに一科生と二科生の区分けは実技の成績が大きな比重を占めているが、普通は実技ができなければ理論も充分理解できない。感覚的に分からなければ、理論的にも理解が難しい概念が多数存在するからだ。

 それなのに、ランキングの(うち)、五人が二科生。

 これだけでも前代未聞なのだが、さらに達也の場合、満点かつ二位に三点、三位以下に至っては十点以上引き離したダントツの一位だったのだ。

 

「いくら実技と理論が別だとはいっても、限度がある」

 

「でも、達也が手抜きするなんて考えられる?」

 

 客観的な評価をした雫に、氷華が反論する。

 

「まあ、向こうは端末越しにしか俺たちのことを知らないわけだしな」

 

 龍の言うとおり、これは現代式教育の大きな欠陥(けっかん)の一つといえるだろう。

 

「それで達也さん、先生の誤解は解けたんですか?」

 

 美月の質問に、達也は気が進まないながらも答えた。

 

「一応、手抜きではないと理解はしてもらえた。ただ、転校を(すす)められたが」

 

「えっ?」

 

「どうしてっ?」

 

 血相を変えて叫んだのは美月とほのかだが、他の五人も似たような顔をして驚いていた。

 

「第四高校は特に魔法工学に力を入れているから、俺に向いているんじゃないかってね。もちろん断ったが」

 

 ホッと胸を()で下ろした二人と、憤慨(ふんがい)をあらわにする二人。

 残る三人は、内面の(うかが)い知れぬポーカーフェイスを維持している。

 

「それはおかしいんじゃねえのか?成績が悪くてついていけねえってんならまだしも、達也は実技でも合格点をクリアしてるのによ」

 

目障(めざわ)りなんでしょ。下手すりゃ、先生たちより魔法についてよく知っているから」

 

「少し落ち着け、二人とも」

 

 レオもエリカも、放っておくとどこまでもヒートアップしそうだったので、達也が止める。

 直後、龍が()き出した。

 

「いや、悪い。エリカの台詞(せりふ)は、意外と的を射ているかもしれないと思ってな」

 

「お兄ちゃん、どういうこと?」

 

「魔法理論の基幹部分に関する設問で、俺は()()()解答してやったんだ。だが教師によれば、それは間違いらしくてな。理由を聞いてみたら、理解できないから、だと」

 

 氷華に対し、龍は肩を(すく)めながら答える。

 

「俺は、国際的に模範解答とされている文章を正確に(やく)しただけなんだがな。ここの教師のレベルは、その程度ということだ」

 

「うわぁ‥‥‥」

 

 その言い(ぐさ)に、あからさまなエリカを始めとしたこの場にいるほとんど全員が引いていた。

 

「でも、そもそもの前提が間違っている時点で教師として駄目だと思う」

 

 次の発言がなんとなく躊躇(ためら)われるなか、独特の平坦な口調で雫がフォローともそうでないともとれる台詞を口にする。

 

「四高は実技を軽視しているわけじゃない。九校戦で使用するような戦闘向きの魔法より、技術的な意義の高い複雑で工程の多い魔法を重視しているだけ」

 

「そうなの?雫、よく知っているわね」

 

従姉(いとこ)が四高に通ってるから」

 

「なるほど」

 

 氷華の問いに答えた雫の言葉に、一同は(うなづ)くと同時に、達也を呼び出した教師に対する不信感を(つの)らせたのだった。



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第五十八話 九校戦について

 

「そういや、もうすぐ九校戦の時期じゃね?」

 

 雫の台詞(せりふ)から連想したのであろうレオに、達也が(うなづ)いた。

 

「深雪がぼやいていたよ。工具とかユニフォームとか、準備する物が多いって」

 

「深雪さん、ご自身も出場されるんでしょう?大変ですよね」

 

「まだ正式に決まったわけじゃないけどな」

 

 美月の深雪を案じる言葉を、達也が修正する。

 ただ、これはあまり意味のないものともいえた。

 深雪の成績を考えれば、選ばれるのは自明の理だったからだ。

 

「深雪の場合、むしろ準備の方が大変そうだけどね」

 

「油断はできない。今年は三高に一条(いちじょう)御曹司(おんぞうし)が入ったらしいから」

 

 エリカに対する雫の反論は、いささかピントのずれたものだった。

 九校戦は男女別で、深雪と一条の御曹司が直接対決することはない。

 しかし、そんなことにわざわざツッコミを入れる者は、この場にはいなかった。

 

「へぇ‥‥‥」

 

「一条って、あの一条か?」

 

 一条家は、十師族を構成する家の一つ。

 エリカもレオも自分たちの年次にその直系がいるのは初耳だったらしく、結構本気で驚いていた。美月や氷華にそれほどビックリした様子がないのは、もしかしたら知っていたからなのかもしれない。

 

「そりゃ強敵かも。それにしても雫、随分(ずいぶん)詳しいのね?」

 

「雫はモノリスコードのファンだから。九校戦も毎回観に行ってるの」

 

 エリカの疑問に答えたのは、雫のことを本人と同じくらいよく知っているほのかだった。

 

「‥‥‥うん、まあ」

 

 その答えに、雫は少し照れた様子で頷いた。相変わらず、表情の変化は(とぼ)しいままだが。

 ちなみに、達也本人に興味を持っているほのかと違い、雫は親友が興味を持った相手で、新しく友人になった深雪の兄という間接的なつながりから達也と知り合いになったに過ぎなかった。だが、一歩引いて交流を続けているうちに、このように打ち解けた顔も見せるようになっていた。

 

「今年は観る側じゃなくて、競う側ですね」

 

「うん」

 

 雫は実技で学年二位。深雪と同様、選ばれる可能性は充分(じゅうぶん)にありえる。

 美月に水を向けられ、控えめに頷いた雫の顔には、確かにやる気が芽を出していた。

 

「一条、か‥‥‥」

 

 ほとんど口の中だけで発せられた龍の(つぶや)きは、誰にも届かず、空中に発散していった。

 

 

 

 

 試験が終了してから、達也はほぼ毎日、放課後を風紀委員会本部で過ごしていた。

 

「なんだか自分がとんだお人好(ひとよ)しに思えてきましたよ‥‥‥」

 

「ふ、極悪人でお人好しか。だが、今回はそのお人好しに感謝だな。君が手伝ってくれなければ、またいつもの(てつ)を踏むところだ」

 

 黙々と作業を続ける彼に、摩利(まり)が話し()ける。

 

「丸投げと手伝いは違うと思うのですが」

 

「ものは言いようさ」

 

 達也が作成しているのは、風紀委員長の引継ぎ資料。

 摩利からは手伝ってくれと言われたのだが、実質的に彼一人で作業しているのだ。

 

「しかし、随分前もって準備するんですね」

 

 資料の完成まで、あと一週間足らず。

 九月の生徒会長選挙の直後に新風紀委員長も決まるので、猶予(ゆうよ)は二ヶ月ある。

 

「九校戦の準備が本格化すれば、資料作りの時間なんて取れなくなるからな。メンバーが固まったら出場競技の練習も始まるし、夏休みが明けたらすぐに生徒会長選挙だ」

 

 事情を聞いてみれば、達也にはあまり関係のなさそうな都合だった。

 

「九校戦はいつから開催されるんでしたっけ?」

 

「例年、八月三日から十二日までの十日間だ。今年も同じだが、観戦に行ったことはないのか?」

 

「ええ、毎年夏休みは野暮用で忙しかったものですから」

 

「なら、九校戦の準備と言われてもピンとこないか」

 

「そうですね。実を言えば、どんな競技が(おこな)われているのかも知りません。モノリスコードとミラージバットくらいは知っていますが」

 

 資料を作成しながらの会話ではあるが、達也にとっては眠気覚ましのようなもの。

 何もすることのない摩利には格好の暇つぶしだったので、必要以上に舌が回る。

 

「その二つは有名だからな。それに加えて、アイスピラーズ・ブレイク、スピードシューティング、クラウトボール、バトルボードの魔法競技六種目が行われる。そのうち、モノリスコードは男子のみ、ミラージバットは女子のみだ。選手は本戦、新人戦、男女各十名ずつの合計四十名。新人戦は一年生のみで、本戦は学年制限無し。とは言っても、一人の選手が出場できるのは二種目までだし、一年生と二・三年生では実力的に勝負にならないからな。本戦に一年生が出ることはないだろう」

 

「なるほど」

 

「各校から一つの競技にエントリーできるのは三名。同じ種目でも男女別でカウントするから、男女各五人が五種目のうち二つを選ぶことになる。誰をどの競技に出場させるか、チーム戦だからそういう作戦も重要になってくるな」

 

「今年は三連覇がかかっているんでしたっけ?」

 

「そうだ。あたしたち今の三年にとっては、今年勝ってこその本当の勝利だ」

 

 第一高校の現三年生は「最強世代」と呼ばれている。

 七草(さえぐさ)真由美(まゆみ)十文字(じゅうもんじ)克人(かつと)、そして渡辺(わたなべ)摩利。

 十師族直系が二人と、それに匹敵する実力者。

 それだけでも驚くべき偶然だが、それ以外にも高校在学中にしてすでにA級判定取得済みの実力者が何人も控えている。

 

「順当に行けば当校が優勝確実、と言われているそうですが?」

 

「まあな。新人戦の順位も加算されるとはいえ、大きくこけなければ勝てるだろう。不安要素があるとすれば、技術スタッフの方か」

 

「CADの調整要員のことですか?」

 

「ああ。九校戦で使用するCADには共通規格が定められている。その代わり、ソフトは事実上無制限だから、技術スタッフの腕も勝敗に大きく影響してくる」

 

 起動式の展開速度はCADのハード面に依存するが、魔法式の効率はむしろソフト面に大きく左右される。

 一瞬の差が勝敗につながるスポーツ系競技では、確かに重要だ。

 

「今の三年生は選手の層に比べて、そちらの人材が乏しいからな‥‥‥」

 

 そのまま摩利のお(しゃべ)りはフェードアウトし、達也は資料作りへ没入(ぼつにゅう)した。



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第五十九話 深雪のトレーニング

 真新しい電動二輪車の前で、達也は妹を待っていた。

 これを買ったのは免許を取得した直後、四月初旬のことだ。純然たる実用目的に購入したもので、すでにそれなりの回数は使用している。それでも日々の整備をしっかり(おこな)っているため、二か月以上たった今でも印象は変わらない。

 

「お兄様、お待たせしました」

 

 声に導かれて目を向けた達也の視線の先には、門灯に浮かび上がる妹の華奢(きゃしゃ)な肢体があった。

 長い髪をアップにし、達也とほぼお(そろ)いの黒いライダースーツを着ている。

 兄妹は電動二輪車に乗り込むと、星空の下、静かに出発した。

 

 

 

 

 行き先は八雲(やくも)の寺。

 ただし今夜の目的は、達也ではなく深雪のトレーニングだ。

 深雪が正式に九校戦の選手に内定したので、その準備。

 九校戦の種目は魔法競技の中でも魔法技能のウェイトが高いとはいえ、身体技能が必要ないわけではない。

 達也とともに八雲から武術の手(ほど)きを受けていた深雪だが、最近は身体を動かす機会が減っていたので念のためにトレーニングをすることにしたのだった。

 境内(けいだい)の駐輪場に電動二輪を置いて、二人は八雲の元へ挨拶(あいさつ)に向かう。

 この時間であれば、八雲は門下生に暗闇稽古(けいこ)をつけているはずだ。

 その邪魔をしないよう、達也は古びた引き戸をそっと開いた。

 間髪入れずに飛んできた手裏剣を防弾防刃(ぼうじん)仕様のグラブで打ち払い、ツナギに仕込んでいた鉛玉を投げ返す。

 しかし、その手応(てごた)えはなかった。

 

「駄目だよ、達也君。魔法だけじゃなく、飛び道具もちゃんと練習しなきゃ。でも、手裏剣を払い落としたのは的確な判断だね」

 

 気配はなく、声だけが聞こえる。

 達也は声の聞こえた方向ではなく、その右横に再度鉛玉を投擲(とうてき)した。

 

「うひょっ?」

 

 気の抜ける悲鳴とともに、撃ち込んだあたりから気配が波紋のように広がる。

 

「師匠、随分手荒な歓迎ですね」

 

「‥‥‥君の鉛玉こそ、殺気がこもっていなかったかい?」

 

 暗闇の中で(にら)み合う師弟は、どちらからともなく腹黒い笑みを交わした。

 

 

 

 

 四隅に篝火(かがりび)(とも)した境内の一角で、ほのかに(あお)い光球がふわふわと(ただよ)っている。

 光球が一つ、フッと消えた。

 しかし、光球は二つ、三つと増えていく。

 場所が場所だけに、部外者ならば腰を抜かしかねない光景だ。

 よく見れば、細長い影が、散らばり漂う光球を追いかけているのが分かる。

 たおやかなシルエットは意外な素早さと力強さを(ともな)う身のこなしで、光球を手に持つ短い杖で両断。

 その数が三十を超えたところで、達也は深雪に小休止の合図を送った。

 

「ありがとうございます、師匠。場所だけでなく、修行の相手までしていただいて」

 

「実体を打つのと幻影を打つのでは、随分勝手が違うからね。深雪君も僕の可愛(かわい)い生徒だし、協力は惜しまないよ」

 

 可愛い、の部分に妙な力が入っていたが、九校戦までは気にしないようにしよう、と達也は思った。

 幻影魔法は「忍術」の得意分野であり、全ての面において現代魔法以上の洗練度を(ほこ)る。

 まともに使えない達也では、八雲の『鬼火』の代用をすることはできないのだ。

 

「深雪、今夜はここまでにするか?」

 

 息を(はず)ませている妹に飲料を渡しながら達也はそう(たず)ねたが、深雪は首を横に振って一口、(のど)湿(しめ)らせた。

 

「もし先生がよろしければ、もう少し、身体を動かしておきたいのですが」

 

「僕は構わないよ。じゃあ、始めようか」

 

 その時、達也が声を()げる。

 

「誰だ」

 

 なんの気配もない暗闇から、降って()いたように人の気配が生まれた。

 

「おや、(はるか)君」

 

 その気配へ、八雲が気安く声を掛けた。

 その名には、達也も深雪も覚えがある。

 暗闇から歩み出てきたのは、第一高校のカウンセラー、小野(おの)遥だ。

 深雪より少し大人びたシルエットに向けられた達也の視線に、気づいた深雪がムッとした表情を浮かべる。

 しかしながら、彼は遥の身体能力を(はか)っていたのだ。

 

「達也君、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。彼女も僕の教え子だ」

 

「司波君のように、親しく教えていただいたわけではありませんけどね」

 

 遥の声音は、今の雰囲気に似合わぬ、軽くお道化(どけ)たものだった。

 

「それにしても、先生はともかく司波君に気づかれるとは思っていませんでした。もしかして、私の技が(おとろ)えてしまっているんでしょうか?」

 

「自分を誤魔化(ごまか)すのは良くないなあ。遥君、あまり(うそ)ばかりついていると、そのうち自分の本音さえ分からなくなってしまうよ」

 

「それ、他の人にも言われました」

 

「じゃあ、余計だったかな。ま、それはこの際置いておくことにして、遥君の隠形(おんぎょう)なら完璧に近かったから、心配はいらないよ。もし本心から思っているなら、だけどね」

 

 八雲から投げかけられた眼差(まなざ)しを、遥は誤魔化し笑いで受け流した。



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第六十話 遥の正体

 八雲は続けて、遥に言った。

 

「それに、達也君は気配に気づいたわけじゃないよ。僕たちとは少し違う『眼』を持っているから、彼の眼を誤魔化すなら気配を(いつわ)らなきゃ」

 

「なるほど‥‥‥勉強になります」

 

「そろそろ、こちらの質問にも答えて欲しいんですが」

 

 自分を出汁(だし)にしている二人にいい加減うんざりしてきた達也は、わざと不機嫌を丸出しにして割って入る。

 

「遥君、いいかい?」

 

「私がダメだと言っても、先生は私がいない所で話しちゃうんでしょう?」

 

「まさか。いくら僕でも、ちゃんと許可はとるよ」

 

 八雲はそう答えるが、そのつもりが全くないことは達也も遥も正確に把握していた。

 八雲は最後に、こう心の中でつけ足したに違いないのだ。

 事後で、と。

 

「はぁ‥‥‥私は、公安の秘密捜査官よ」

 

 実に端的(たんてき)に、遥自身が打ち明けた。

 目の前で八雲に話されるよりも、自分で打ち明ける方を選んだらしい。

 どこか諦めの表情を浮かべているように見えるのは、気のせいではないだろう。

 

「あまり驚かないのね」

 

「まあ、俺にも自前の情報網がありますから」

 

「情報網というと、彼か。いいのかねぇ‥‥‥一高校生に情報を漏らしたなんてばれたら、ただじゃ()まないだろうに」

 

「立場でいえば、師匠もそんなに変わりませんよ‥‥‥」

 

 微妙な間が空いてしまったが、そこで追及を止める達也ではない。

 

「それで、小野先生は第一高校内における反政府組織の活動を探るため、カウンセラーに偽装した公安のスパイという理解で間違いないですよね?」

 

「惜しいわね。半分正解で、半分外れよ」

 

「そうなんですか?」

 

「私が公安のスパイだということは事実だけれど、カウンセラーは偽装じゃないわ。カウンセラーになった後、公安の秘密捜査官になった、という順番。ちなみに先生の教えを受けたのは二年前から一年間だから、達也君の方が兄弟子になるわね」

 

「それにしては、見事な隠形(おんぎょう)ですが」

 

「それが私の魔法特性だもの。今の上司が目をつけたのも、それが理由よ」

 

「‥‥‥なるほど、BS魔法師でしたか」

 

 BS魔法師のBSはBornSpecializedの略で、先天的特異能力者とも呼ばれている。

 彼らの魔法適性は特定の魔法に特化していて、他の魔法を実用レベルで使用することはできない。

 しかしその能力は他者に真似のできないものが多い、ないしは技術的に極めて高いレベルを示すため、職務とマッチすれば通常の魔法師よりも役立つことが多い。

 だが、現在の魔法師の評価制度上、普通の魔法師よりも一段下に見られてしまうのもまた事実である。

 

「司波君、今日は仕方ないけど、本来秘密捜査官の身分は極秘だから。他の人にはオフレコで頼むわよ」

 

 無意味だろう、と達也は思った。

 むしろ、正体がばれていないと思っていたのは遥本人だけかもしれない。

 公安のスパイの身元程度、十師族にはすぐに()かってしまうだろうから。

 ただ、そんなことは口にせず、こう答えた。

 

「分かりました。その代わりというわけではありませんが、四月のようなことがあった場合には、早めに情報をもらえませんか」

 

「‥‥‥分かったわ。ギブアンドテイクでいきましょう」

 

 様々な思惑を秘めて、二人は握手を()わした。

 

 

 

 

 達也たちが去ったのを見送ると、遥は八雲に向き直った。

 

「先生、実は、今日は教えていただきたいことがあって来たんです」

 

「うん、まあ、そんな気はしていたよ」

 

 教えを受けて以降、遥がここを(おとず)れるのは決まって何らかの情報を欲しているときだ。

 だから今回も同じような要件で来たのだろう、と見当をつけるのは八雲にとって簡単だった。

 分かりやすすぎて、魔法特性的にはともかく、性格的に彼女が秘密捜査官に向いているとは思えないのだが。

 

(本命のカモフラージュには、役立つんだろうけどねぇ‥‥‥)

 

 そんな八雲の考えには気づきもせず、遥はこう言った。

 

「百済龍について、何かご存知(ぞんじ)でしょうか?」

 

「ふむ‥‥‥」

 

 ふむ、などともったいぶってはいるものの、八雲の答えは決まっていた。

 

「教えることはできないよ。ごめんね」

 

「‥‥‥そう、ですか」

 

 わざわざ教えないと八雲に言われたのは初めてだったが、遥は追及(ついきゅう)の言葉を飲み込んだ。

 そんなことをしても、彼が口を割る可能性は皆無(かいむ)だと分かっている。

 

「彼の心に踏み込むのは、やめたほうがいい」

 

「先生?」

 

「これは、君の師匠としての忠告だよ。とは言っても、そんなに大層なものでもないけどね」

 

 つまり、カウンセラーの立場を利用して彼に探りを入れてはいけないということだと、遥は理解した。

 四月にカウンセリングを(おこな)った際も、手(ひど)いカウンター(?)を()らったことは記憶に新しい。

 具体的には、質問する側だったはずがいつの間にかされる側になり、自分の黒歴史を洗いざらい語らされたのだ。

 なぜそんなことになったのか、自分があまりはっきりと覚えていないのも不思議であり、少し不気味でもある。

 例の騒動が終結した後、念のため休暇をとって精神鑑定を受けたのだが、魔法を受けた痕跡は確認されなかった。

 もしかしたら魔法以外の手段で何かされたのかもしれないが、それを直接追及するわけにもいかない。

 君子危うきに近寄らず、ではないが、彼には近づきすぎず、ある程度の距離を(たも)って接するべきだと遥は判断することにした。

 

「分かりました。ご忠告ありがとうございます、先生」

 

「いやいや、あまり役に立てなくてすまないね」

 

 八雲は手を振りながら苦笑いし、ふと、頭上を見上げる。

 空に輝いていた星々は、いつの間にか雲にかき消されていた。



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第六十一話 明かされる心情

 時を同じくして、龍は自宅でこの日何度目になるか分からないため息を吐いていた。

 実技の学年二位だった氷華が、九校戦の選手に内定した。

 それ自体はおめでたいことだし、当然龍も喜ばしいことだと思っている。

 ただし、同時にただ喜んではいられない問題も浮上した。

 

「私は、お兄ちゃんの調整したCADでしか参加しないから」

 

「氷華‥‥‥」

 

 内定が判明した直後から、氷華はそう言って(はばか)らないのだ。

 彼女は自分のCADを、龍以外に触らせようともしない。

 迂闊(うかつ)に触ろうものなら、魔法による凍傷(とうしょう)(まぬが)れない。調整などもってのほかだ。

 こちらは特注品にして明らかなオーバースペックなので、大会で使用することはない。

 問題になっているのはその前提となっている、龍の調整したもの以外のCADを使うことを極端に嫌う、という点。

 授業やテストで使用する魔法は、氷華にとってCADなど必要としないものばかりなので誤魔化(ごまか)しが効く、らしい。(本来ならこちらもなんとかするべきなのだが)

 だが、対戦相手が存在する九校戦となると、当たり前だが話は変わってくる。

 

「CADがなければ、競技に参加することはできない。それは分かってるんだろう?」

 

「もちろん。でも、お兄ちゃんが調整してくれたCADじゃなきゃ嫌だ」

 

 迷うことなく返された答えに、龍は頭を(かか)えたくなった。

 選手が発表されたのは今日だが、これまでにもう何度も同じようなやり取りを繰り返している。

 

「そもそも、なぜ俺の調整じゃなきゃいけないんだ。俺はそこまで調整が得意なわけじゃないんだぞ」

 

「そんなことない!お兄ちゃんのCAD技術は、世界一だもん!」

 

「いや、世界一はトーラス・シルバーだろう」

 

 龍のCAD技術は、事実、普通の魔工師を超えている。だが、龍自身、トーラス・シルバーに(かな)うとは思っていない。

 氷華はそれを、謙遜(けんそん)(とら)えた。

 

「‥‥‥ループキャスト・システムだって、本当はお兄ちゃんが発見したものなのに」

 

 ループキャスト・システムは一年ほど前にトーラス・シルバーが()()したのだが、実際にはその二年前に龍が()()している。

 

「俺のループキャストは効率が悪く、実用化にはほど遠いものだった。それに比べれば、シルバーの開発したものの方が応用が()くし、はるかに使いやすい。彼が名声を得るのは、当然のことだ」

 

 技術者や科学者が、研究で得た新たな知見をすぐに公表しない、なんてことは割とよくある。

 間違いでしたでは()まされないため、実証実験を何度も(おこな)ったり。社会情勢に与える影響を考え、やむなく公表を見合わせたり。

 龍がループキャスト・システムの発見という公表をしなかったのは、そうした理由による。

 具体的には、ループキャスト・システムとはこのようなもの、という社会的な固定概念化を(おそ)れたからだ。改善の余地が数多く残されている、と感じたからでもある。

 そしてそういう時に限って、他の研究者が同じような内容の論文を発表したりする。

 この場合では、トーラス・シルバーがそれにあたる。同じ固定概念化でも、龍の言うとおり、応用の効く方が望ましいのは考えてみれば当然のことだ。

 それに、龍にとって世間の評判やら名声やらは、面倒なものでしかない。

 氷華にもそれは分かっていたし、同じ価値観を共有している。

 それでも、彼女はここで止まらなかった。(いな)、止まることができなかった。

 

「名声なんて面倒なものでしかないのは、私だって分かってる。だけど、私はお兄ちゃんが調整してくれたCADしか使うつもりはないから。お兄ちゃんが調整してくれないなら、九校戦は辞退する」

 

「おいおい、それはいくらなんでも短絡的()ぎやしないか?せっかく内定したのに、それをわざわざ()るなんて」

 

 九校戦は魔法科高校の生徒たちにとって、テスト以外に日頃(ひごろ)の勉強の成果を発揮できる数少ない機会の一つ。

 主な目的は試合を通して各高校間の交流を(うなが)し、生徒の向上心を(あお)って全体のレベルを底上げすることだ。

 そして(おおやけ)にはされていないが、暗黙の了解として企業や官庁の担当者が未来の魔法師をスカウト(あるいは品定め)する場にもなっている。

 生徒たちにとって、彼らに自分の魔法技能をアピールするチャンスでもあるわけだ。

 だから、内定したものを蹴るという行為は、非常にもったいないといえる。

 

「魔法は見世物じゃないんだから。それに、表向きの目的も私にとってはどうでもいいことだし」

 

「それはそうなんだけどな。スカウトも魂胆(こんたん)が見え()いていて、怪しさしか感じないだろう。だが、それも含めて、経験を積むという意味ではまたとない貴重な機会だ」

 

 とんでもない言い(ぐさ)である。

 ただ、龍はそうとしか受け止められなくなるような経験をしてきたし、氷華もそれをよく知っている。

 

「それでも、ダメなの。お兄ちゃんに魔法を捨てさせてしまった私には、これくらいのことしかできないから」

 

 ふと、氷華の発言に違和感を感じた。

 違和感はすぐに不安へと変わり、心の中に(つの)っていく。

 

「ちょっと待て。それはどういう意味だ?」

 

「そのままだよ。こういう形でしか、私はお兄ちゃんを九校戦に参加させてあげることができないから」

 

「どうしてそうなる?」

 

「これが私の、(つぐな)い。魔法を奪った私にできる、数少ないこと」

 

「‥‥‥」

 

 絶句した。

 氷華がそんな(ふう)に考えていたなど、今の今まで(まった)く気がつかなかったのだ。

 

「ごめんなさい。今更(いまさら)、こんなこと言っても遅いよね‥‥‥」

 

 徐々(じょじょ)に尻すぼみになっていく氷華の言葉は、届いていなかった。

 龍の思考は止まったまま、現実に復帰できていない。

 それでも、なんとか、言葉を返す。

 

「‥‥‥お前には、関係ないだろう」

 

 つい突き放すような物言いになってしまい、龍は即座に後悔した。

 

「本当に、ごめんなさい‥‥‥」

 

 みるみるうちに氷華の目には涙が浮かび、(ほお)を流れ落ちる。

 

「私、もう、部屋に帰るね」

 

 そして、彼女は自分の部屋に去っていった。

 

「‥‥‥」

 

 龍は、何も選択肢が浮かばない。

 その場に立ち尽くしていることしかできない。

 激しい後悔と、自身への深い憎悪に縛り付けられて。



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第六十二話 悪夢と‥‥‥

 夢を見た。

 久しぶりに、しかし過去にはよく見ていた夢。

 思い出したくもない、トラウマを想起させる悪夢を。

 

 

 

 

 西暦莠後€�ケ昜ク€年、蜈ォ月莠悟香莠�日。

 髦イ陦�軍髴槭Ω浦貍皮ソ�場、第莠�区画特谿願ィ鍋キエ地域。

 特蛻・迚ケ谿�險鍋キエ棟と名付けられた真新しい建物の前に、一組の家族が案内されていた。

 

「こちらが、今回の実験で使用していただく施設です」

 

 引率しているのは、一人の女性。

 身長は高く、声質も良いのだが、その顔はなぜかはっきりと見えない。

 長い髪が隠しているのではなく、ぼんやりと輪郭だけが見えている。

 異常な光景のはずなのに、誰もそのことを指摘しないし、気づいてもいない。

 それがさも当然であるかのように振る舞っているのは、両脇を両親と(おぼ)しき男女に挟まれた少年も同じ。

 いや、その場にいる全員が、顔だけを(もや)で覆われている。

 

(これは、夢か)

 

 そう認識した瞬間、場面は切り替わる。

 

 

 

 

 武骨な鉄骨がむき出しになった、屋内運動場ほどの広さがある部屋。

 床は無機質なコンクリートで一面覆われており、中央には十字、そのクロス部分を中心として、等間隔に三つ、同心円が引かれていた。

 見る人によっては、銃の照準に例えるかもしれない。

 そして二重のガラスを隔てた反対側の部屋に、先ほど見かけた四人の人影があった。

 彼らの顔には相変わらず靄がかかっており、その表情をうかがい知ることはできない。

 周囲にはさらに数人の人影があったが、こちらはもはや人影としてかろうじて認識できる程度であり、何をしているのかまでは分からなかった。

 その中の一人が四人に近づいてくる。

 姿を急激にはっきりとしたものに変えながら、彼は、ある男は少年に話しかけた。

 

「待っていたよ、鮴�少年。君の作ってきてくれたという譁ー蝙�魔法、とても楽しみにしていた」

 

(コイツは‥‥‥)

 

 その声は若干不鮮明だったが、こみ上げてくる感情はいつもと同じもの。

 

(許さない‥‥‥許せナイ‥‥‥)

 

 (なか)ば凝固した、ドロドロの真っ黒い激情が心を侵食してくる。

 そこで、場面は再び切り替わった。

 

 

 

 

 場所は、先ほどと変わらない。

 変わっているのは人員配置で、部屋の中央にある柱を背に、少年が立っていた。

 輪郭のおぼろげな人影は少年の後方、左右に広がって座っているように見える。

 少年の両親と思われる二人と男は、部屋のガラス側、少年から向かって右前方に並んで座っている。

 

「それでは、た縺�縺�まより新蝙�謌ヲ逡・級鬲�法縲弱Λ繧ー繝翫Ο繧ッ縲�の小隕乗ィ。試験を螳滓命いたします」

 

 もくぐった機械的な音声が、どこからか部屋に響く。

 少年は目の前に設置されたパネルに手を置き、動きを止める。

 

「では、隧ヲ鬨�開始」

 

 アナウンスと同時に、少年はパネル‥‥‥CADを起動。

 ガラスを隔てた向こう側で、魔法が発動した。

 すぐに、凄まじい振動が建物全体に襲い掛かる。

 

「いかん、これは‥‥‥!」

 

 男が声を発した、次の瞬間。

 真新しいはずの建物は、轟音とともに崩壊した。

 

 

 

 

 龍は、己の絶叫で目が覚めた。

 限界まで身体を酷使した時のような激しい呼吸。

 全身から噴き出す汗。

 起き上がり、無意識に伸ばした右手は(くう)をきる。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、‥‥‥‥‥」

 

 夢から覚めたと、頭では理解している。

 なるべく早く落ち着こうと、努力をしている。

 しかし、身体はいうことを聞かず、激しい反応を続けている。

 

(これは、少し、まずい、な‥‥‥)

 

 このままでは、じきに体に限界がきて、気を失うことになるだろう。

 過去、何度も同じような経験をしているから分かる。

 そして、駆けつけてくるであろう彼女に死ぬほど心配をかけてしまうことも。

 

(そんなわけにはいかない。今の状況で、俺が倒れたりしたら、氷華は間違いなく、九校戦を辞退する)

 

 彼女は夏休みを返上する勢いで、つきっきりで自分の面倒をみようとするはずだ。

 それは、氷華を縛ることと同じ。

 自分にとって、最も忌避すべきことだ。

 

(だから、このまま、気を失うわけには‥‥‥)

 

 そんなことを考えている間にも、身体は激しい反応を続け、意識が遠のきそうになる。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 ロックが掛かっていたはずのドアが強引にこじ開けられ、氷華が突入してきた。

 そのままの勢いで龍は抱きつかれ、衝撃で激しい呼吸が一瞬止まる。

 

「ごめんなさい、お兄ちゃん‥‥‥。私が、あんなこと話しちゃったから‥‥‥」

 

 その力は非常に強く、彼女の思いの(たけ)をよく表しているようだった。

 対して、(つむ)がれる声は非常に細く、か弱い。

 

「それは、違うよ、氷華」

 

 言い聞かせるような言葉は、彼女か、それとも龍自身に向けたものか。

 止まったことで一旦リセットされたのか、龍の呼吸は幾分(いくぶん)か落ち着いている。

 

「これは(いま)だに現実を受け止めきれていない、俺の落ち度だ。だから、氷華は悪くない」

 

 そう言って、龍は優しく両手を氷華の背中に回した。

 

「お兄ちゃん‥‥‥」

 

 彼女の声は、震えていた。その背中の振動も、文字通り手に取るように分かる。

 それでも、彼女が涙を流すことはなかった。

 泣けば、彼が責任を感じてしまうことを、氷華は知っていたから。

 だから、紡ぐべきは謝罪の言葉ではない。

 

「ありがとう」

 

 そこに含まれるのは、感謝と、謝罪と、懺悔(ざんげ)と、ほんの少しの歓喜(かんき)

 同時に、氷華は抱きつく力を強めた。

 同年代と比べて大きめな二つの膨らみが、龍に思いきり押し付けられる。

 

「ねえ、今日は一緒に寝よう?」

 

「‥‥‥いいぞ」

 

 耳元で甘く(ささや)かれ、身体的な状況と(あい)まって勘違いしてもおかしくはなかったが、龍がそのような(あやま)ちをすることはなかった。

 悪夢を原因とするパニック症状に、体力を相当消耗したからでもある。

 ここで、龍は自分の状態にようやく思考を回す余裕が出てきた。

 

「全身汗まみれだが、いいのか?」

 

「それぐらいで私が嫌がるわけ、ないでしょ?」

 

「そうか」

 

 本当は汗を洗い流したかったのだが、抱きつかれたまま笑顔でそんなことを言われてしまうと、無理矢理引き()がそうとする気も起きない。

 諦めて、二人一緒に、同じベッドに横になる。

 

「氷華」

 

「なに?」

 

「ありがとう」

 

「ふふ、どういたしまして、って言えばいいの?」

 

 おそらくわざとであろう、お道化(どけ)た返事。

 不思議と、再び悪夢に襲われるかもしれない、との考えは浮かばなかった。

 逆に、(かぎ)が壊れたであろうドアのことはあえて思考の外へ飛ばす。

 

「お兄ちゃん」

 

「なんだ?」

 

「私が守ってあげるから、安心してね」

 

 なんの確証もない、あいまいな言葉。

 それを聞きながら、龍の意識は急速にまどろみの中へと沈んでいく。

 

「おやすみなさい、お兄ちゃん」

 

「‥‥‥おやすみ、氷華」

 

 ちゃんと口にしたのかどうか、それすらもはっきりとしないまま、龍の意識は完全に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥〇〇き」

 

 (つぶや)きは、誰にも聞かれることなく闇に散る。

 

 

 

 

 今度こそ、夜は穏やかに()ぎていった。




文字化けは意図的なものです。
解読できた方は、ネタバレしないようお願いします。
後々、夢とほぼ同じ内容の話を投稿する予定なので。


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第六十三話 新たな男

 言うまでもなく、魔法科高校にも一般科目の授業がある。

 その中には体育もあり、試合形式の授業に一部の生徒が必要以上の闘志(とうし)を燃やすのは今も昔も変わらない。

 

「オラオラ、どきやがれ!」

 

 そして、こぼれ(だま)に突進するレオもその一人だった。

 今日の授業は、バスケットボール。

 スピーディかつパワフルで見た目も派手なため、長い歴史を持つスポーツの一つだ。

 観戦する側の人気も依然(いぜん)高く、今も休憩中の一年E組とF組の女子生徒が授業そっちのけで声援を送っている。

 

「達也!」

 

 縦横無尽(じゅうおうむじん)に走り回るレオが、シュートの勢いで中盤の達也にパスを送る。

 受け取り側としては難しいパスを、達也は真上に打ち上げることで勢いを殺す。

 返ってきたところで達也は中盤先頭にいた龍にパス。

 

「おっと」

 

 決して受けられないようなパスではなかったのだが、龍はそれを受けそびれた。

 ボールはワンバウンドすると、その先にいた男子生徒の手に(おさ)まる。

 細身ではあるがよく引き締まった身体つきの彼は、そのまま前方のゴール目掛(めが)けてシュート。

 ゴールを告げる電子ブザーが鳴り、見物の女子生徒から歓声が上がった。

 

 

 

 

 試合は達也たちの圧勝で終わった。

 見学ゾーンに戻った達也は、レオとともに、少し離れた位置に腰を下ろした先ほどの男子生徒―吉田(よしだ)幹比古(みきひこ)の近くへ移動した。

 

「ナイスプレー」

 

「そっちもね」

 

 クラスメイト同士ではあるが、達也たちと幹比古は話したことがほとんどない。

 そもそも、達也が日常的に言葉を交わすのはその雰囲気も(あい)まってかクラスの半数程度。幹比古はもう半数の生徒の一人で、物腰静かな少年、というのが達也の印象だった。

 ただ、四月のオリエンテーションで一人席を立ったのも彼で、達也以上に無愛想(ぶあいそう)な面もある。達也よりずっと交友関係の広いレオも、今までは形式的な挨拶(あいさつ)をするだけの間柄だった。

 

「やるじゃねえか、吉田。こう言っちゃなんだが、意外だったぜ」

 

 だがレオは、先ほどの幹比古の活躍を見て、なにやら思うところがあったらしく、達也とともに話しかけたのだった。

 

名字(みょうじ)で呼ばれるのは、好きじゃないんだ。僕のことは名前で呼んでほしい」

 

 そう言う幹比古は、これまでにないほどの打ち解けた態度で(こた)えた。

 

「おう。じゃ、俺のことはレオって呼んでくれ」

 

「俺もそう呼ばせてもらってもいいか?もちろん、俺のことは達也でいい」

 

 今の時期にする会話としては、少しおかしいかもしれない。

 それだけ、幹比古はクラスメイトに対して壁を作って過ごしてきたということだ。

 

「本当かい?実を言うと僕は、前から君と話してみたいと思っていたんだ」

 

奇遇(きぐう)だな。実は俺もだ」

 

 二科生でありながら、ともに学科試験で学年トップクラスの二人。互いが興味を持つのも不思議はない。

 

「なんとなく、疎外(そがい)感を覚えるぜ‥‥‥」

 

 しかし、そんなモヤモヤは幹比古の次の言葉で吹き飛ぶ。

 

「気のせいだよ、レオ。君とも話をしてみたいと思っていたんだ。あのエリカにあれだけ根気よくつき合える人間は珍しいからね」

 

「‥‥‥なんか釈然(しゃくぜん)としねえなぁ」

 

 首を(かし)げるレオを見て、達也と幹比古は同時に噴き出した。

 

「幹比古、エリカとは知り合いなのか?」

 

 達也としては、何気(なにげ)ない質問だった。

 

「それは‥‥‥」

 

 ただ、幹比古の答えにくそうな顔を見て、話題を変えようとする。

 (こころ)みは失敗に終わってしまったが。

 

幼馴染(おさななじみ)、でいいんじゃない?ちょっと微妙だけど」

 

 後ろに龍と美月を引き連れた、エリカ本人の登場によって。

 

「どういうことだ?」

 

「知り合ったのが十歳くらいだから」

 

「なるほど」

 

 いきなり会話に乱入してきたエリカに、レオと幹比古は何も言わない。

 その理由は、少なからず見開かれた二人の目が物語っていた。

 現在のドレスコードに照らせば、素肌の露出が少ないものが好まれ、それは制服にも適用されている。

 例外はスポーツウェアだが、こちらも(ひざ)上や(もも)の半分までを覆うものが一般的だ。

 それで、問題のエリカはといえば。

 むき出しのブルマーだった。

 しかも上に着ている半袖シャツの裾丈(すそたけ)が中途半端に長いものだから、パッと見下着のようにも見えている。

 引き締まっていながらも少しも筋張っていない太腿(ふともも)には、わずかな日焼けがあり、かえって元々の色白さを強調していた。

 

「な、な、なんて格好をしているんだ、エリカ!」

 

 幹比古の声が裏返っていたのも、顔が真っ赤になっていたのも仕方がないだろう。

 いたって健全な青少年である彼にとって、その服装は少々刺激が強すぎた。

 ただ、同じく健全な青少年であるレオは、違う理由で停止していたようだ。

 

「それ、あれだろ。昔のモラル崩壊時代に、女子中高生が小遣(こづか)(かせ)ぎに中年親父に売ったっていう‥‥‥」

 

 が、フリーズしたままの方が彼にとってもエリカにとっても良かったに違いない。

 

「黙れバカッ!」

 

 顔を真っ赤にしたエリカが怒鳴(どな)りつけ、レオの()こう(ずね)を思い切り蹴飛(けと)ばした。

 (すね)を押さえて悶絶するレオと、痛めたのか片足でピョンピョンと()ね回るエリカ。

 その背後で、龍の(あき)()じりのため息が妙に(ひび)いた。



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第六十四話 幹比古の内心

 達也たちの試合に比べれば、今度の試合は接戦になった。

 そのせいか、女子生徒のギャラリーもほとんどいなくなっている。彼女たちも授業中なので、そうそうサボってもいられないのだろう。

 

「まったく、信じらんないわよ。アンタの頭の中には、そういう知識しかないわけ?ミキもだけど」

 

「うっせえな。オレが読んだ本には、そう書いてあったんだよ」

 

 本気で軽蔑の眼差(まなざ)しを向けてくるエリカに、今回ばかりは分が悪いと思ったのか、答えるレオはやや投げやりな口調だ。

 

「エリカちゃん‥‥‥やっぱり、普通のスパッツにした方がいいんじゃないかな」

 

 口調から察するに、美月は思っていても言い出せなかったようだ。

 

「う~ん、結構イイと思ったんだけどな。美月がそう言うなら、スパッツに戻すか」

 

 別に一所懸命になるような事柄でもないのだが、美月は何度も大きく頷いている。

 

「ところでエリカ、『ミキ』って誰のこと?」

 

 幹比古の肩に力が入ったが、そんなことはお構いなしとばかりにエリカは彼を指さした。

 

「何度も言っているけれど、そんな女みたいな名前で呼ぶな!」

 

「もしかして、ヒコの方が良かった?」

 

「なんでそうなる!?人の名前を勝手に縮めるな!」

 

「言いにくいからヤダ」

 

 理不尽だ、と感じたのは、幹比古一人ではあるまい。

 

「それに、恥ずかしくない?」

 

「どこがだよ?」

 

「ミキヒコくん‥‥‥」

 

 (ささや)くような甘い声が、不意打ち気味に幹比古を襲った。

 呼ばれた本人だけでなく、レオまで動揺している。

 

「ね、恥ずかしいでしょ?」

 

 髪を後ろにかき上げながら、エリカはニンマリと笑った。

 

「だ、だったら‥‥‥名字(みょうじ)で呼べばいいだろ!」

 

「あ、()んだ」

 

 ぼそり、と美月が呟いた。実は結構容赦(ようしゃ)のない性格なのかもしれない。

 幸い、その声が幹比古の耳に入るほど、彼本人には余裕がなかったようだが。

 

「だって、ミキって名字で呼ばれるの嫌がってたじゃない」

 

 どうやらこれは無神経な発言だったようで、幹比古の顔がきつく強張(こわば)った。

 今までは羞恥(しゅうち)心が根底にあったようだが、こちらには暗い情念があるように、達也は感じた。

 

「エリカ、そろそろ戻らなくていいのか」

 

 お節介(せっかい)かもしれないが、達也は二人の会話に割り込んだ。

 背後では、授業を担当する専門のトレーナーが渋い顔でこちらを見ている。

 

「やばっ!達也君、また後でねっ」

 

「えっ?エリカちゃん、ちょっと待ってよ!」

 

 (あわ)ただしく駆けていくエリカと、その後を慌てて追いかける美月。

 その背中に、達也は苦笑しながら手を振った。

 二人に置いて行かれるような形になった龍は、もう一度ため息を吐いた。

 

 

 

 

 決まり悪げな沈黙の後、幹比古が頭を下げた。

 

「ごめん、気を(つか)わせちゃったね」

 

「余計なお世話だったかもしれないが、授業中だからな」

 

 達也がそう言ったのは、慰めではなく本心だ。見たところあれが初めてというわけでもなさそうだし、もしかしたらエリカはわざと幹比古を怒らせたのかもしれない。心の内に抱えているものを一度しっかり吐き出した方が後腐(あとぐさ)れがなかったかもしれないのだ。

 それに関係しているであろう問題に巻き込まれるのも、達也の望むところではなかった。

 

「それにしても、達也は枯れ‥‥‥落ち着いてるね」

 

「言い直さなくていいぞ。言いたいことは伝わってるからな」

 

 幹比古が急に話題を変えたのは、達也のそういう心情を()み取ったからかもしれない。それにしても、失礼な物言いだったが。

 

「達也のは枯れてるんじゃなくて、採点が(から)すぎるんだよ。あんだけ美少女な妹がいれば、大抵の女にゃ興味が()かないだろ」

 

「ああ、深雪さんだっけ?入学式で彼女を初めて見たときは、見とれるより先にビックリしたよ」

 

「お、達也。可愛(かわい)い妹が狙われてるぞ?」

 

 人の悪い()みを浮かべて問いかけるレオに答えたのは、達也ではなく幹比古だった。

 

「よしてよ。僕みたいな一般人にとっては、話をするだけで精一杯さ」

 

「そうだよなあ。それに、無敵のシスコン兄貴もいることだし」

 

「レオ‥‥‥お前とは一度、とことん話し合う必要がありそうだな」

 

「おお(こえ)ぇ、遠慮しとくぜ」

 

 重く()わった達也の視線に、レオは大げさに震えてみせた。

 見るからに演技ではあったが、そこに少なからぬ本気が見え隠れしているように見えて、幹比古は興味深げに二人を見比べた。

 達也もレオも、幹比古にとっては興味を()かれると同時に、調査対象でもある。

 四月の騒動での二人の活躍は耳に聞こえているし、知られていないことについても情報を手に入れている。

 自分は下手に近づくことなく、一クラスメイトとして、静かに情報収集を続けることが仕事だった。

 昨日までは。

 こうして直接言葉を交わしてみると、レオは意外と面倒見がいいところがあるし、達也も冷酷な印象を抱かせることはない。

 少し気になる点としては、達也の内心があまりにも薄っぺらい感じがすることくらいだろうか。

 なぜそんな印象を受けるのか、自分でも分からない。

 ただ、今一番気にかかるのは。

 自分の上司であり、恩人でもあり、友人でもあるクラスメイトの、態度。

 昨日まで、彼は冷徹な内面を奥深くにしまい込み、普通の男子生徒を演じていた。

 疑いを微塵(みじん)も感じさせることなく、対象と対等な友人関係を築き上げた。

 だけど今日になって、彼は自分に対象と接触するように指示を出した。

 急な方針の転換にはリスクが伴うことを、彼が知らないはずがない。

 なのに本人はどこか上の空で、授業にも集中できていないように感じる。

 今も、二人が気遣(きづか)わしげな視線をちらちらと送っていることに、気がついているのかどうか。

 何かあったのは確実なのだろうが、それを本人に聞くのは、気弱なところのある自分にはハードルが高すぎる。

 だからと言って、調査対象にそれとなく聞き出させるほど、自分は器用じゃない。

 一年前、人生のどん底にいた自分を救い上げてくれた彼に、少しでも恩を返してあげたいのに。

 そう思いながら、やはり幹比古は、二人と同じく気遣わしげな視線をちらちらと送るしかないのだった。



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第六十五話 盲点

 魔法大学付属高校にとって、九校戦は一大イベントだ。

 行われる各競技のクラブは存在しているが、学校同士の対抗戦という色彩が強い以上、出場選手は全校から有望な人材が選び出される。

 そのため、九校戦の準備は部活連ではなく、生徒会が主体となって行われる。

 

「だからと言って各クラブのレギュラーも無視するわけにもいかないし、選手を決めるだけで一苦労なの」

 

 いつも活き活きとしている真由美も、今日はどこか精彩(せいさい)を欠いていた。

 最近は深雪も相当忙しそうにしているが、単なる事務仕事では()まない生徒会長には、それ以上の気苦労があるのだろう。

 

「それでも選手の方は十文字君が協力してくれたから、なんとか決まったんだけど」

 

 すっかり恒例となった昼食会だが、今日は真由美による愚痴(ぐち)の独演会となっていた。

 しかし、それもようやく終わったようだ。

 食事中に愚痴をひたすら聞かせられるのは、やはり精神衛生上よろしくないな、と達也は思った。

 

「問題は、技術スタッフの方ね。選手層に比べて、頭数(あたまかず)が圧倒的に足りないわ‥‥‥」

 

「二年には、それなりに人材がいたはずだろ?」

 

「とてもじゃないけど、選手全員をカバーできる人数じゃないわ。調整はあまり得意じゃない人もいるし」

 

「そういえばそうだったな‥‥‥」

 

 真由美と摩利が、同時にため息を吐いた。

 話の方向性が変化したことに気がついた達也は、こちらに矛先が向けられないうちに退避すべく、深雪に目配せして腰を浮かせ――

 

「あの、司波君はどうでしょうか」

 

 ――ようとしたが、生徒会書記、中条(ちゅうじょう)あずさの発言で失敗してしまう。

 

「深雪さんのCADは、司波君が調整しているそうです。技能レベルは充分だと思うんですけど‥‥‥」

 

 最後の方が尻すぼみになってしまったのは、彼女の控えめな性格(ゆえ)だろうか。

 一方、真由美の反応は劇的だった。

 

盲点(もうてん)だったわ‥‥‥!」

 

 獲物を(とら)えたような視線を向けられ、達也はそれだけで抵抗する気が薄くなった。

 真由美の隣にいる摩利も同じような視線を向けているので、もはや逃げ場はなくなったといっていいだろう。

 

「俺は一年の、しかも二科生ですよ。とても役に立つとは思えません。代わりにというわけではありませんが、市原(いちはら)先輩はどうでしょうか」

 

「無理ですね。私の技能では、皆さんの足を引っ張るだけかと」

 

「達也君、何事でもチャレンジ精神は大切よ」

 

「前例はないだろうが、そんなもの覆せばいいだけだ」

 

 達也はささやかな抵抗を試みたが、鈴音(すずね)本人には一蹴(いっしゅう)され、真由美と摩利からはなにやら過激な反論が返ってきた。

 

「ですが、CADの調整はユーザーとの信頼関係が重要です。選手の反感を買うような人選はどうかと思いますが」

 

 もっともらしい達也の反論に、真由美と摩利が顔を見合わせる。

 そこへ、予想外の援護射撃が撃ち込まれた。

 

「私は九校戦でも、お兄様に調整していただきたいのですが‥‥‥駄目でしょうか?」

 

 深雪に上目(づか)いでそう言われてしまえば、達也としては頷くしか選択肢が残っていなかった。

 明らかに、チェックメイトだった。

 

 

 

 

 放課後、部活連の準備会議で、達也をチームに加えるかどうか最終的に決めることになった。

 達也としては一縷(いちる)の望みが残ったかたちだが、そもそも深雪に望まれた時点で逃げ道はない。場合によっては、自らアピールしなければならないだろう。

 どちらにしても、面倒なことだった。

 そして面倒ついでに、もう一つ。

 

「龍を誘ってほしい、ですか?」

 

「そうなの。本来なら私から直接話を持っていきたいところなんだけど、それだと角が立つかもしれないから」

 

 確かにそうかもしれない。

 生徒会長が自ら話を持っていけば、いろいろとあらぬ噂が飛び交う可能性がある。

 だが、それだけではないだろう。

 龍と真由美の間に何らかの確執があることは、達也も四月の一幕で知っていた。

 

「それに十中八九、断られそうだしね」

 

 真由美はそう言って、少し悲しげな表情を浮かべる。

 と、ここで摩利が声を上げた。

 

「ちょっと待て。アイツ、調整なんてできるのか?」

 

「もちろんよ。それだけじゃなくて、私の知り合いで唯一、マニュアル調整を使いこなせるんだから」

 

 一転して自慢げに胸を張る真由美の言葉に唖然としたのは、達也だけではない。

 ただ、摩利だけがあまりよく分かっていない顔をしている。

 

「‥‥‥マニュアル調整って、なんだ?」

 

「一般的に、CADの調整をするには機械の補助が必要です。一般的すぎてあまり知られていませんが、こちらの技法の正式名称はオート調整ですね。対して、マニュアル調整ではすべてが手入力で行われるため、より細かな調整が可能です。通説では、オート調整に比べて二割程度の効率上昇が見込めるとされています」

 

 横からされた鈴音の説明に、摩利は目を白黒させた。

 

「二割!?二割も効率がアップするなら、もっと知られていてもおかしくないんじゃないか?」

 

 彼女の言葉に、鈴音は首を横に振る。

 

「残念ながら、高い技術と膨大な知識が必要になるため、扱える調整師はかなり限られています。具体的には、国内で数人、世界的にも百人に満たない程度だといわれてますね。そういったレベルの高い調整師は特定の富裕層に囲われることも多いので、魔法師でも知らない人が多いのが実情です」

 

「ということは、あたしが知らなかったのも無理はないのか。危うく、自分の無知を恥じるところだった」

 

「摩利がもう少し調整に通じていれば、私がこんなにも技術スタッフの選定に頭を悩ませることもなかったのだけど?」

 

「うっ‥‥‥」

 

 図星だったのか、真由美から向けられたジト目に、摩利は視線を明後日の方向に向けた。

 三巨頭の中で、自分のCADの調整ができないのは摩利のみ。

 真由美の言葉は、自覚のある摩利の心に的確に刺さったのだった。



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第六十六話 辞退

 部活連本部で開かれた九校戦の準備会合は、始まる前からピリピリとした空気に包まれていた。

 試合で活躍すればそれに見合った成績が加算されるのはもちろん、メンバーに選ばれただけでも長期休暇課題が免除される。

 それは選手だけでなく、技術スタッフも同様だ。

 それだけ九校戦は重要な行事であり、そのメンバーに選ばれることは大きなステータスになる。

 いくら事前にメンバーが選出されていたとしても、ここがその最終調整の場である以上、諸々の感情が渦巻くのも仕方がないだろう。

 ――と、達也は現実逃避気味にそう考えていた。

 

「面倒だな、達也」

 

 隣の席から話しかけてきたのは、クラスメイトの龍。

 昼休みの終了間際、真由美からスカウトされたことを達也が伝えたところ、返ってきたのはまさかの了承の返事だった。

 驚きつつも、放課後に本部へ向かうことを約束。

 授業が終わり、二人は教室から本部まで一緒に来たのだが、その間龍が口を開くことはなく。

 ここで初めて、龍が話しかけてきたのだった。

 

「‥‥‥ああ、そうだな」

 

 しかし、だからといって会話が続くわけでもない。

 二人とも積極的に話すタイプではないし、そもそもこの場は雑談などできる雰囲気ではないからだ。

 入室してからというもの、達也たちの紋無しの制服には針の(むしろ)のような視線が周囲から浴びせかけられている。

 そんな中ではっきり『面倒』と言い切った龍は、ある意味では魂胆が()わっているのかもしれなかった。

 やがてすべての空席が埋まり、真由美が正面中央の議長席に腰を下ろす。

 

「それでは、これより九校戦準備会合を開始します」

 

 すでに内定通知を受けているメンバー、生徒会役員、部活連執行部を出席者とする大人数の会議が始まった。

 なお、深雪は生徒会室で留守番中である。

 

 

 

 

 達也たちに与えられた席は、内定メンバーと同じ席だった。

 そして彼らのような異分子を目敏(めざと)く見つけ出す(やから)は、ある程度以上の規模の集団には必ずと言っていいほど存在する。

 案の定、会議は冒頭早くもなぜこの場に一年の二科生がいるのか、という所からもつれていった。

 意外にも好意的な意見が目立ったのは、四月の一件で達也だけは別枠、という認識があったからだろうか。

 ただ、やはり圧倒的に反対意見が多い。

 それも論理的ではなく、感情的な反対であるため、いつまでも結論が出ない。

 そもそも交わされているのは達也に関してだけであり、龍に至っては議題に上がってすらいない状態だった。

 

「くだらない。こんな状態じゃ優勝は夢のまた夢だろうし、時間の無駄だ」

 

 口論が熱を帯び、だんだんと収拾がつかなくなりそうな雰囲気になって、龍が吐き捨てるように呟く。

 

「静かにしてください!」

 

 直後、真由美が一喝したことで、場が静まった。

 

「要するに」

 

 さほど大きな声ではない。

 しかし、その場の誰もが無秩序(むちつじょ)な言い争いを止めて、発言者へ目を向けた。

 それまで沈黙を守っていた部活連会頭・十文字克人が、言葉を継いだ。

 

「司波の技能がどの程度のものか分からない点が問題になっていると理解したが、もしそうであるならば、実際に確かめてみるのが一番だろう」

 

「もっともな意見だが、具体的にはどうする?」

 

「今から実際に調整をやらせてみればいい」

 

 摩利の問いかけに対する克人の答えは、単純明瞭(めいりょう)なものだった。

 

「なんなら俺が実験台になるが」

 

「いえ、その役目、俺にやらせてください」

 

 ここで代役として立候補したのは、なんと桐原(きりはら)

 達也にとって、意外でもあり、驚きでもあったが、その男気が心地よかった。

 

「‥‥‥続いて、南海についても同じく技術スタッフとしての内定ということだが、こちらも確認した方がいいか?」

 

 克人の発言に、賛同の声がいくつか上がった。

 ちなみに、ここでの『南海』は龍のことを指している。戸籍・学内登録データ上では正しいのだが、本人が『百済』を名乗っているためにこのようなややこしい事態が(しょう)じてしまうのだ。

 

「失礼ですが、お断りさせていただきます」

 

 せっかくいい雰囲気になりかけていた室内は、龍の一方的な辞退によって凍りついた。

 

「先輩方がこのように取り計らってくださるのはありがたいことですが、まさか負担を一人に押しつけるつもりですか?」

 

「そんなことは‥‥‥」

 

 真由美が反論しかけたが、そのセリフは龍によって(さえぎ)られる。

 

「それに勘違いされているようですが、俺は九校戦の技術スタッフとしてきたわけではありません。南海氷華のエンジニアとして、氷華以外の調整を(おこな)うつもりもありません」

 

「なにっ‥‥‥!」

 

「黙って聞いていれば、好き勝手言いやがって!」

 

 内定メンバーの席から、怒号が飛ぶ。

 彼らの興奮が極致に達したのか、ついには禁止用語まで飛び出した。

 

雑草(ウィード)のくせに、調子に乗るな!」

 

 発した男子生徒にとって不幸中の幸いだったのは、氷華が欠席していたことだろう。

 彼女の目の前で龍を差別しようものなら、氷漬けにされてもおかしくないのだから。

 ただ、三巨頭が揃う目の前で差別用語を発した時点で、彼の立場はかなり危ういものになっていたが。

 しかし、反応したのは真由美たちよりも龍の方が早かった。

 

「そうやって差別を繰り返している貴方がたに、手を貸そうなどと思うはずがないでしょう」

 

 その口調は、あくまでも冷静だった。

 

「正直、九校戦で勝とうが負けようが、俺には関係ないことです。三年連続優勝など、それこそ興味も()きません。俺はただ、氷華を勝たせることができればそれでいい」

 

 だが、意図的に圧の掛けられたその声に押し込まれ、ヤジや反論はない。

 

「ここではっきり言っておきます。調子に乗っているのは、貴方たちの方だ。魔法師以前に、敬語を使う必要もない人間の(くず)だ」

 

 バッサリと切って捨てた彼の目は、軽蔑に満ちている。

 誰も言葉を継げず、室内を沈黙が支配する。

 龍はそのまま、悠々(ゆうゆう)と出ていった。

 これでまた面倒事が増えたかもしれないと、達也は内心でため息を吐いた。



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第六十七話 テスト結果

 龍の退席により多少の混乱はあったものの、達也のテストがなくなることはない。

 学校にもCADの調整設備はあるが、今回は九校戦で実際に使用する車載型のものを会議場に持ち込むことになった。

 CADも、九校戦の規格に合わせたものだ。

 準備は(とどこお)りなく進み、人選面での遅れが逆に目立つことになった。

 準備が終わると、達也はさっそく調整機の前に腰を下ろし、テストの条件を再確認した。

 

「課題は、競技用CADに桐原先輩のCADの設定をコピーして、即時使用可能な状態に調整する、ただし起動式そのものには手を加えない、で間違いありませんか?」

 

「ええ、それでお願い」

 

 真由美が頷くのを見て、達也は小さく首を振った。縦ではなく、横に。

 

「スペックの違うCADに設定をコピーするのは、あまりお(すす)めできないのですが‥‥‥仕方ありませんね」

 

 この発言に、この場にいるほとんどの者が首を傾げた。

 たださすがに、あずさを始めとするエンジニアチームのメンバーは理解できたようだ。小さく頷く者、お手並み拝見とニヤリと笑う者、(おおむ)ね二通りの反応を示している。

 達也はそれ以上無駄口を叩かず、作業に取り掛かった。

 

 

 

 

 調整はすぐに終わった。

 見物人にとっても、あっけなく感じるほどの手際だった。

 すぐにテストが(おこな)われる。

 桐原の顔が、緊張でかすかに強張(こわば)っていたのはご愛嬌(あいきょう)だろう。

 実際には何も起こらなかったし、CADは桐原愛用のデバイスと(まった)く同じように作動した。

 

「桐原、感触はどうだ」

 

「問題ありません。自分の物と比べても、全く違和感がありません」

 

 克人の問いかけに、桐原は即答した。

 ただ、それ以上のことは見ているだけでは分からない。

 

「一応の技術はあるようですが、当校の代表レベルには見えません」

 

「やり方が変則的でしたし、仕上がり時間も平凡です。あまり良い手腕とは思えませんね」

 

 案の定、二年生の選手の間から否定的な評価が出てきた。

 

「わたしは司波君のチーム入りを強く支持します!」

 

 それに猛反発して見せたのはあずさだった。いつも浮かべている気弱な表情が嘘のようだ。

 

「彼が今わたしたちの目の前で見せてくれた技術は、高校生レベルでは考えられないほど高度なものです。だってあのマニュアル調整ですよ!?一人前の調整師でさえもほとんど扱えないんですから!」

 

「そ、それは確かに高度な技術かもしれないけど、出来上がりが平凡じゃあまり意味がないんじゃあ‥‥‥?」

 

「何言ってるんですか!!」

 

 次第にヒートアップしてきたあずさに同じエンジニアチームの男子生徒が反論するが、それはまるきり油に火を注ぐ行為だった。

 

「見かけは平凡ですけど、中身は違います!あれだけ大きく安全マージンを取りながら効率を全く低下させないのは凄いことなんです!それにさっき見せてもらったんですけど桐原君のCADは競技用のものよりハイスペックな機種だったんですよ!!スペックの違いにかかわらず使用者に違いを感じさせなかった技術は高く評価されるべきだとは思いませんか!?!?」

 

 ここまで一息で言い切ったあずさは、興奮が頂点を上回ってしまったのか、急激に頭が冷静になっていくのを感じた。

 いつの間にか、先ほど反論してきた男子生徒に詰め寄ってしまっているのを自覚し、動きが止まる。

 ギ・ギ・ギ、と、まるで()びついたロボットのように周囲に視線を向けた。

 静まり返る室内。

 珍しいものを見たと目を見開いている克人。

 面白いものを見たとニヤニヤしている摩利。

 微笑(ほほえ)ましいものを見たと苦笑いしている真由美。

 三者三様の反応を見せる三巨頭を前に、あずさは羞恥で耳まで真っ赤になってしまった。

 

「あぅ、あぅ‥‥‥、きゅう」

 

 そして脳がオーバーフローを起こしたのか、声にならない声を上げ、目を回して沈黙した。

 

「中条の指摘は、もっともなものだと俺も思う。司波は、我が校の代表メンバーに相応しい技量を示した。俺も、司波のチーム入りを支持する」

 

 沈黙の中、続いて克人が旗幟(きし)を明らかにしたことにより、大勢は決した。



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第六十八話 龍の落としどころ

 準備会合を勝手に退席した龍は、一人静かに帰宅した。

 

「お帰りなさいませ、龍様」

 

 彼を出迎えたのは、南海家の使用人である雲居(くもい)

 若い彼女は使用人としてはまだ未熟と判断されているが、与えられた仕事はしっかりやるので、龍と氷華の世話役として抜擢(ばってき)された経緯がある。

 

「青龍、入浴の準備を」

 

「かしこまりました」

 

 龍の言葉に一礼すると、彼女はバスルームの方向へ向かっていった。

 ちなみに、青龍というのは一種のコードネームである。

 リビングに入ると、氷華が大開口の窓から外の景色を眺めているのを見つけた。

 

「氷華」

 

「あ、お帰りなさい、お兄ちゃん」

 

 そう言いながら、氷華はクルリと振り向いて笑顔を見せる。

 すでに制服から着替えていた彼女の今日の装いは、ターコイズブルーを基調としたもの。

 振り向いた拍子(ひょうし)にやや短めのスカートの(すそ)がめくれ、絶対領域が(のぞ)く。

 龍はそれをはっきり目にしたが、それについて注意することはしなかった。

 注意したところで止めない、というより、龍以外の前ではしないうえに、あえてやっている節があるからだ。

 それはさておき。

 氷華が先に帰っていたのは、準備会合に参加していなかったからである。

 一応彼女も代表メンバーの一人ではあるのだが、会合の参加は慣例化こそしているものの、強制ではない。

 つまり、参加は任意なので、欠席しても何ら問題はない――というのが、氷華の言い分である。

 龍はそんな彼女のそばまで歩み寄ると、そのままの勢いで抱きしめた。

 

「ひゃっ!」

 

 氷華から驚きの声が上がったが、構わずに腕の力を強めて肩越しに頭を沈める。

 

「‥‥‥お兄ちゃん?何かあった?」

 

「実は‥‥‥」

 

 抵抗の動きを(まった)く見せることなく、気遣わしげに(たず)ねた氷華に、龍は準備会合での出来事を話した。

 

「何それ!お兄ちゃんにも達也にも失礼だし、CADのテストに対して無責任すぎるよ、そんなの!」

 

 話を聞き終えた氷華は、憤慨(ふんがい)した。

 CADはその仕様上、杖などの伝統的な補助具に比べて、使用者に対する精神的影響が強いことが知られている。

 そしてそのチューニングが狂うと、魔法効率の低下はもちろん、不快感や頭痛といった精神的ダメージを(こうむ)ることになる。

 ひどくなると幻覚や幻聴を引き起こし、結果的に魔法事故の一因となることだってあるのだ。

 ゆえに実力の定かでない魔工師にCADの調整を任せるのは、魔法師にとってハイリスクな行為である。

 ただそれ以前に、テストを(おこな)うということはその実力を疑っていることと同義であり、特に推薦しておきながら反対しなかった真由美の行動は礼を失する行為だ。

 もちろん、氷華は達也の調整の実力を知らない。

 それでも、義兄と友人に対して失礼な行いをしたことに、彼女は怒っていたのだった。

 そして同時に、目の前の義兄が急に抱きついてきた理由にも、思い至った。

 

「お兄ちゃん‥‥‥思い出しちゃった?」

 

「情けないとは、分かっているんだけどな」

 

 思わず、ため息が出た。

 この義兄(ひと)は相変わらず、自分に厳しすぎる。

 あれだけのトラウマを抱えておきながら、自分一人で背負いこもうとして、それが当然だと信じている。

 背負いこんで、暗い感情を()めこんで、その先にあるのが破滅しかないと知っておきながら。

 事実、手遅れになる一歩手前になるまで、彼はその心の内を誰にも悟らせなかった。

 いや、偶然私がその場に居合わせなければ、彼は‥‥‥

 

「大丈夫。お兄ちゃんはなんにも悪くないよ。悪いのは、周囲にいた人たちなんだから」

 

 優しい声で、優しく抱き返して、氷華は龍を優しく包みこむ。

 甘言(かんげん)だということは、分かっている。

 そのことを彼が良く理解しているということも、分かっている。

 それでも、彼女は言葉を続けた。

 

「お兄ちゃんが我慢できないと言うのなら、私が報復してあげる。だから、これ以上お兄ちゃんが気に病む必要はどこにもないの。後は全部、私に任せて、ね?」

 

「それは駄目だ。こんなことで、氷華の手を穢させるわけにはいかない。そもそも、そんな必要はどこにもない」

 

 氷華の過激な提案を、龍は慌てて却下した。

 

「今回に限っていえば、魔法事故の確率はほぼないと言っていいだろう。なにしろ調整するのは達也だからな。直接その腕を見たわけじゃないが、魔法理論で満点を取ったんだ。少なくとも俺と同等、もしくは近いレベルの技術は持っているに違いない。仮に失敗したとしても、軽い不快感程度で()むだろうさ」

 

「なら、いいんだけど」

 

 まだ納得していなさそうな義妹に、自分の思うところを素直に打ち明ける。

 

「俺が落ちこんでいたのは、いうなれば俺の事情だ。彼らが意図的に刺激してきたわけもないだろうし。ただ、九校戦だからといって生徒だけでテストするのではなく、せめて担当の教師だけでも呼んでおくべきだったな」

 

「‥‥‥本当に、もう大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ。ありがとう」

 

 氷華の声からは、心の底から心配してくれていることがよく分かる。

 そのことに感謝と、口にはしないが少しの謝罪を込めて、彼女の頭を数回()でた。

 

「ねえ、もう少し、続けてもらってもいい?」

 

 ほんのりと頬を染めた氷華のおねだりに、龍は口元を(ほころ)ばせた。

 

「いいぞ」

 

 二人で抱きしめあい、大切な少女の頭を(いつく)しむように撫でる。

 冷静になった今、実は内心かなり恥ずかしかったのだが、それを表に出すことはついぞなかった。



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第六十九話 回帰と淡い期待

 ひとしきり氷華と甘いひと時を過ごした龍は、自室にいた。

 氷華は現在、入浴中である。

 夏の遅い夕暮れが部屋を(いろど)る中、龍の視線は一つの棚に向けられていた。

 その棚は壁一面を覆うほどに巨大で、二重ロックの掛かったガラスケースの内側には、特化型CADのソフトウェアがところ狭しと並んでいる。

 その数なんと、千近く。より正確には、九九七。

 それぞれのソフトウェアには、極限まで定式化された起動式が記録されている。それらはすべて、龍がかつて――“神才(ゴルティス)”と呼ばれていたころ、使用していた起動式を再現したものだ。

 そのほとんどが既存の起動式をアレンジしたものではあるが、それにしても数が多い。しかも独自のアレンジを加えたものは、全体の約三分の一を占める。

 一般的に、一流と呼ばれる魔法師が習得できる魔法の種類が九十近くだとされている。

 しかし、龍の場合は四年前ですでにこの数値の十倍以上に達していたことを考えると、いかに彼がとんでもなかったか分かるというものだ。

 そんなわけで、龍にとってこの巨大な棚は、思い出の詰まったアルバムのようなものである。だから、ロック解除の方法は彼と氷華しか知らない。

 もっとも、氷華はこの棚を神聖視している節があるので、事実上ロックを解除できるのは龍だけなのだが。

 もちろん、龍は思い出に(ひた)っているわけではない。

 氷華が九校戦の選手に内定してから、いろいろと考えを巡らせてきたが‥‥‥結局のところ、この件に関して龍の目的は一貫している。

 氷華を全力でサポートし、安全を最大限確保したうえで、勝利に導くこと。

 これを実現する一番手っ取り早い手段が、九校戦のエンジニアとして氷華を担当することであり、今日の準備会合に参加した理由だった。

 ただ、これについては元からあまり期待していなかったし、せめて彼女を任せることになるであろうエンジニアチームの様子だけでも確認するつもりだった。

 それを踏まえて、出した結論。

 

(彼らに氷華は、任せられない。)

 

 今回、いくら調整の失敗から魔法事故につながる可能性がほぼゼロに等しかったとはいえ、安全マージンはとればとるほどよく、やり過ぎということはない。

 魔法科高校という魔法師の卵にとって最高の環境にいるにもかかわらず、担当教師を求める声が一つも出てこなかったのは、慢心だと龍は判断していた。

 途中退席したので、もしかしたらその後に出たかもしれないが、その可能性もあの雰囲気を見るに少ないだろうし。

 となると、とれる手段はあと二つ。

 どちらにしてもコネを使うことになるので、正直気乗りはしないのだが、背に腹は()えられない。

 

(もし、俺がいないときに万が一のことが起こった場合、俺は自分を許せないだろう)

 

 氷華のことを(おも)っていながら、自分勝手な考えが含まれていることは自覚している。

 それでも。

 

(俺と同じ思いをさせることだけは、何があっても避けなければ)

 

 胸に()ぎるのは、トラウマの日々に終止符が打たれた、あの日。

 その時決めた覚悟は、今なお揺らいだことはない。

 

(氷華のためにすべてを(なげう)ち、その理想を叶えるためならば、いかなる手段を使っても構わない)

 

 それが(ゆが)んだ思想であることは、知っている。

 だが、そこに変質した愛情が、恋情が隠れていることに、彼は気づいていない。

 

(もし望むのなら、あの魔法の使用許可も出してやらないとな)

 

 ただ一人のためだけに、鬼にも悪魔にもなろうとする彼の眼が、暗く(にご)ったものをはらんでいたことに気づいた者は、誰もいない。

 

 

 

 

 入浴と夕食を終え、リビングでまったりとしていた氷華のもとに、龍がやってきた。

 

「氷華、話がある」

 

「なに?お兄ちゃん」

 

 いつになく真剣な面持ちの彼に、氷華は思ったことを正直に尋ねる。

 

「もしかして、プロポーズしてくれるの?」

 

 ガクリ、と龍の体勢が(くず)れた。

 

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだ」

 

 こめかみを押さえながら、仕切り直しとばかりに黒い特化型CADのソフトウェアをテーブルの上に置く。

 それを認識した途端、氷華はギョッと目を見開いた。

 

「お兄ちゃん!これは‥‥‥!」

 

「心配しなくていい。俺は大丈夫だから」

 

 大丈夫と言ってはいるが、その言葉だけは安易に信用できない。

 以前の龍が心に抱えているものを隠し、心配の声を掛けても『大丈夫』と連発していたからだ。

 あの日以降、彼は変わった、変えられたと感じてはいるが、それでもこの点だけは信じきれない。

 

(‥‥‥そんな自分が、心の底から嫌いなのに)

 

 いつも激しい自己嫌悪に(おちい)るが、今は目の前で龍が話を続けようとしている。

 この感情を知られるわけには、いかない。

 だから、氷華は心に(ふた)をして、話を聞くことにした。

 

「それでだな、氷華。九校戦で、この魔法を使ってみる気はないか?」

 

 そして、耳を疑った。

 

「お、お兄ちゃん?いくらなんでも、これは威力過大で失格にならない?」

 

 普段ならば、氷華は龍の提案に飛びついただろう。それこそ、無条件に受け入れてしまうくらいには。

 だが、提示された魔法はものがものだけに、試合の審判からペナルティを受ける可能性があった。

 

「心配するな。ちゃんとそのあたりは調整して定数化するし、そもそも使ってほしいのはこの魔法の()()()()()だ」

 

「それなら、なんとかなる‥‥‥のかな?」

 

 実際、使ってみたいか(いな)かといえば、使ってみたい。

 というより、例年九校戦の会場となっている場所を考えれば、あの件の関係者も確実にいることだろう。

 そこでこの魔法を見せれば、彼に非がない事実をはっきりと突きつけられる。

 さらに、観客は度肝を抜かれるだろうし、世間に彼を認めさせるいいきっかけになるに違いない。

 ‥‥‥魔法の危険性を除けば、だが。

 ただ、これもあまりしなくていい心配であろうことは分かる。

 彼が調整してくれるのだ。

 あとは自分がヘマをしなければ、問題なく魔法を発動させることもできるはず。

 一瞬でそこまで考えて、氷華は龍の提案に乗ることにした。



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第七十話 不吉な情報

 同じころ、いつもどおり達也たちが兄妹二人きりの夕食を終えたとき、見計らったように備え付けのテレビ電話が鳴った。

 深雪は現在、食事の後片付けに台所。

 さすがに食器洗いまで手作業にこだわったりはしていないが、鬱陶(うっとう)しい天井移動マニピュレーターの導入を二人そろって却下したために、食器の上げ下ろしは自分でやらなければならないのである。

 深雪によれば、その程度の労を惜しんでいては、身体が退化してしまいます、とのこと。

 達也が電話に出たのは、要するにそういう事情であって、偶然の産物でしかなかったはずだ。

 

「お久しぶりです。‥‥‥狙ったんですか?」

 

『いや、なんのことだか分からんが‥‥‥久しぶりだな、特尉』

 

 画面に映ったのは、不得要領な顔をした、旧知の人物。

 

「その呼び方を使うということは、秘匿(ひとく)回線ですか、これは。よくもまあ、毎回毎回一般家庭用のラインに割り込めるものですね」

 

『簡単ではなかったがな。特尉、一般家庭にしては、君の家はセキュリティが厳しすぎるのではないか?』

 

 日焼けや火薬焼けによってなめし皮のようになった顔面に、人の悪い笑みが浮かぶ。

 それにしても、三年前から少しも老けた様子がないな、と達也は思った。

 地位と所属部署からして相当な激務であるはずだが、と考えたところで、彼が前置きで時間を浪費するのは好ましくない相手であるということに気がつく。

 

「それで少佐、本日はどのようなご用件なのですか?」

 

『ああ、まずは事務連絡だ。本日、「サード・アイ」のオーバーホールを(おこな)い、部品をいくつか新型に更新した。これに合わせて、ソフトウェアのアップデートと性能テストを行ってほしい』

 

 笑みを真面目な表情に切り替えて、彼――防衛陸軍一〇一(イチマルイチ)旅団独立魔法大隊隊長、風間(かざま)玄信(はるのぶ)少佐は言った。

 およそ半世紀前、中東の国家間対立に端を発する第三次世界大戦(別称、二十年群発戦争)は世界の勢力図を塗り替え、この国の軍備に対する考え方もより積極的な方向へと変えた。当時自衛隊と呼ばれていた組織は大規模な再編をなされ、名を防衛軍と改められた。

 そのようにしてできた防衛軍において、一〇一旅団は通常の編成とは別系統の、魔法装備を主兵装とした実験的な旅団。

 そして独立魔法大隊はその中において、新開発された装備のテスト運用を担う部隊である。

 その性質上、機密の度合いが通常の軍事機密からさらに五・六段階ほど跳ね上がっており、本来ならば部隊の存在を耳にすることすら許されない。

 しかし達也は、成り行きとしか言いようのない事情から、風間の部隊に事実上組み込まれていた。

 

「分かりました。明朝出頭します」

 

『‥‥‥いや、学校を休むほど差し迫っているわけではないが?』

 

「いえ、次の休みには新型デバイスのテストを行う予定ですので」

 

『そうか‥‥‥高校生になってますます、学生らしくない生活になったようだな』

 

「このセリフは好きではないのですが、仕方ありません」

 

『そうだな。本官が忙しいのも、特尉が忙しいのも仕方のないことだ。では明朝、いつもの所へ出頭してくれ』

 

「了解しました」

 

 事務的に敬礼した達也に、風間も事務的に答礼した。

 軍の儀礼的には形のなっていないものだったが、イレギュラーメンバー扱いということもあって、そこまで厳しい要求はされていない。

 

『では次の話だが、聞くところによると特尉、今夏の九校戦には君も参加するようだな』

 

「‥‥‥はい」

 

 返事をするのに少しの間を要したが、この場合、少しで()んだことを賞賛されるべきだろう。

 彼がエンジニアメンバーに決まったのは、三時間前のことでしかない。

 ()くだけ無駄と分かっているので、情報源に関する好奇心はねじ伏せた。

 

『会場は富士演習場南東エリアで、これは例年のことなんだが‥‥‥気をつけろよ、達也』

 

 風間の話が唐突(とうとつ)であるのはいつものことだが、今日はその度合いが別格だった。

 階級ではなく本当の名前で呼んだということは、上官としてではなく知人としての警告ということだろう。

 それでも、軍の諜報(ちょうほう)ネットワークに掛かった情報をなんの社会的地位もない高校生に与えるなど、ただごとではない。

 達也は気を引き締めて、続きを待った。

 

『該当エリアに不穏な動きがある。実に(なげ)かわしいことではあるが、侵入者の痕跡も発見された。時期的に見て、九校戦が狙いだと思われる』

 

 たかが高校の対抗戦に、と言いかけて、達也は思い直した。

 高校生とは言っても、この国の同世代でトップクラスの魔法の才の持ち主が集まるのだ。

 仮に爆弾テロでも仕掛けられれば、この国は人材面で大きな損害を(こうむ)ることになる。

 

『首謀者やその目的はまだ不明だが、追加の情報が入り次第、連絡しよう』

 

「ありがとうございます」

 

『用件は以上だ。師匠によろしく伝えてくれ』

 

「分かりました」

 

『ではな』

 

 答えを返す前に、画面はブツッと暗転した。

 

(しかしあれは、師匠にも伝えておけという意味だよな‥‥‥)

 

 さて、今の話をどこまで明かしていいのやら。

 僧籍を持っているにもかかわらず「似非(えせ)」という言葉がよく似合う、共通の師を思い浮かべながら、達也は小さくため息を吐いた。



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第七十一話 二人のサプライズ

 改めて明記するまでもなく、深雪は自他ともに認める優等生である。

 生来の才能だけでなく、努力も(おこた)らない。

 兄の世話を焼く(かたわ)ら、毎晩遅くまで勉学に(いそ)しむ。

 今日もそろそろ日付が変わろうかという時間になってようやく、ディスプレイの電源を切り、立ち上がった。

 今日はまだ、それほど疲れていない。

 気分転換に、紅茶でも()れよう、と深雪は思った。

 もちろん、夜更かしする兄のために。

 キッチンへ向かおうとして、ふと目に入った姿見の前で足を止め、少し考え込む。

 小さく頷いた深雪の顔に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。

 

 

 

 

 

「お兄様、深雪です。お茶をお持ちしました」

 

「ああ。ちょうど、呼びに行こうと思って――」

 

――いたところだ、と続けるはずのセリフは、沈黙にとって()えられた。

 ここは、達也が研究室として使っている地下室。

 達也は椅子(いす)に座った恰好(かっこう)のまま振り返り、まじまじと深雪を凝視して固まってしまう。

 そんな兄の様子に小悪魔的な満足感を覚えた深雪は、トレーを片手で保持したまま、外連味(けれんみ)たっぷりに一礼した。

 全体的には女子フィギュアスケートの衣装に似ているが、後ろ開きのベストが立体成型で胸をしっかりガードしている。ただ、このベストも厚みは感じられず、衣装の雰囲気を(そこ)なうことはない。

 そして、長い髪をまとめているのは、羽根の飾りがついた幅広のカチューシャ。

 

「‥‥‥‥‥‥ああ、もしかして、ミラージバットのコスチュームか?」

 

 そしてようやく、達也が再起動する。

 

「正解です。いかがですか?」

 

 トレーをサイドテーブルに置き、ニッコリ笑って深雪はその場で一回転した。

 

「とてもかわいいよ。本当によく似合っているし、ジャストタイミングだ」

 

「ありがとうございます‥‥‥?」

 

 兄が手放しでほめてくれることについては、百パーセント確信していた。

 が、達也が口にした最後のフレーズが理解できず、返礼は疑問形になってしまった。

 そしてその意味を問おうとして、深雪は強い違和感を覚えた。

 腰を下ろしているにもかかわらず、達也の目がいつもの、立って並んでいるときの高さにある。

 慌てて下を見て、深雪は息を()んだ。

 達也は、身を乗り出すような体勢で、何もない空中に座っていた。

 

「深雪にも、このデバイスのテストをしてほしくてね」

 

 達也は手の届く距離まで接近すると、椅子から立ち上がるようにして足を伸ばす。

 そうすることで、彼の身体は自然に床の上へ復帰した。

 

「‥‥‥飛行術式‥‥‥おめでとうございます、お兄様!」

 

 呆然としたのはわずかな間。

 深雪は抱きつかんばかりの勢いで兄の手を取り、歓声を上げた。

 飛行術式。またの名を、常駐型重力制御魔法。

 それは、達也がずっと研究していた魔法だった。

 『加重系魔法の技術的三大難問』の一つに数えられるこの魔法は、理論的には可能でも実行は不可能に近いというのが現代魔法学のコンセンサスだった。

 しかし今、深雪の目の前で、その定説は(くつがえ)された。

 

「お兄様はまたしても、不可能を可能にされました!私はこの快挙を()()げたお兄様の妹であることを、(ほこ)りに思います!」

 

「ありがとう、深雪。空を飛ぶこと自体が目的ではなかったが、これでまた一歩、目標に近づけたよ。それで、できればこれを深雪にもテストしてほしいんだが」

 

「はい!喜んで!」

 

 深雪は目を輝かせて、大きく頷いた。

 

 

 

 

 魔法の説明を受けた深雪は、左手に握る調整を終えたばかりのCADに目を落とした。

 とても小さい、特化型のCAD。

 

「始めます」

 

 抑えきれない緊張に、(のど)がごくりと動く。

 深雪は、天井まで浮かび上がる自分をイメージした。

 五感から自重という情報が、消える。

 軽いパニックに襲われるが、しかし、それ以上の快感が心を満たした。

 

「どうだ?起動式の連続処理が負担になっていないか?」

 

 兄の声に、ハッと現実に引き戻される。

 大切な実験中、快感に(おぼ)れそうになった自分を、深雪は恥ずかしいと思った。

 

「大丈夫です。頭痛も倦怠(けんたい)感もありません」

 

「よかった。じゃあ次は、ゆっくり水平移動してみてくれ。慣れてきたら徐々(じょじょ)にスピードを上げて、思うように飛んでみてほしい」

 

「分かりました」

 

 兄に言われたとおり、ゆっくりと水平移動を始める。

 

「魔法の断続感はないか?」

 

「ありません。さすがはお兄様です」

 

 この飛行デバイスの仕組みは、連続的に処理される起動式による魔法の連続発動。

 変数の代入値は、新たなイメージが演算領域に読み込まれない限り、前の値を引き継ぐようになっている。

 重要なのはこの時、魔法の発動時点を正確に記録することだ。

 こういうデジタルな処理は、人間には不向きなので、機械によって補完しなければならない部分である。

 魔法技能のみによる飛行にこだわっていては、このシステムは到底実現不可能だったのだ。

 達也に指示されたように、深雪は徐々に飛び回るスピードを上げた。

 ターン、スピン、宙返(ちゅうがえ)りなど、自由自在に舞い踊る。

 軽やかになびくスカートとしなやかに跳ねる長い髪。伸びて()らされたはずみにあらわとなる優美なライン。

 いつしか達也は観察者の立場を忘れ、思いがけない天女の舞に見とれていた。



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第七十二話 トーラス・シルバー

 フォア・リーブズ・テクノロジー、通称FLTのCAD開発センター。

 ここは技術力を売りにする企業の研究中枢(ちゅうすう)であり、FLTのいわば心臓部である。当然、警備もそれに見合った厳重なものだ。

 だが、達也たちは受付すら通さずに、窓のない通路をどんどん奥へと進んでいき、やがてCADのテスト区画に出た。

 

「あっ、御曹司(おんぞうし)!」

 

 部屋の中には十人以上の技術者や研究員が忙しく働いているにもかかわらず、観測室に入った達也はすぐに声を掛けられた。

 珍しいことに、注目を集め敬意をもって迎えられているのは、深雪ではなく達也。

 かつては、彼が重役の息子というコネでここに出入りしていることを揶揄(やゆ)する声もあったが、今ではそんな声もなくなっている。

 御曹司という呼び方が当時の唯一の名残(なご)りだ。

 しかし、これも今では次期リーダーに対する尊称として使われているため、達也も止めて欲しいとは言わない。

 たとえ、どんなに恥ずかしくても。

 

「お邪魔します。牛山(うしやま)主任はどちらに?」

 

 兄に向けられている敬意を我が事のように喜び、上機嫌の微笑(びしょう)を周囲に振りまいている深雪。

 よそ見を次々に誘発して業務妨害になりかけているが、それを気にせず、達也は最初に話しかけてきた研究員に(たず)ねる。

 その問いかけに対する答えは、人垣の背後から(しょう)じた。

 

「お呼びですかい、ミスター?」

 

「すみません、主任。お忙しい中、お呼び立てして」

 

「おっと、いけませんな」

 

 折り目正しく一礼した達也に向かって、彼は苦い顔で頭を振った。

 

「腰が低いのも結構ですが、ここにいるのはアンタの手下だ。手下に(へりくだ)りすぎちゃあ、示しがつきません」

 

「いえ、皆さんは親父に(やと)われているのであって、俺の部下というわけでは‥‥‥」

 

「天下のミスター・()()()()ともあろうお方が、何をおっしゃいますやら。俺たちゃ皆、アンタの下で働けるのを光栄に思ってるんですぜ」

 

 牛山の声に、彼の声が届く範囲にいた深雪以外の全員が頷いた。

 FLTのCAD開発第三課。

 ここは社会に名高い『シルバーモデル』の開発部署である。

 元々は技術部のはみ出し者の集まりだったが、シルバーモデルを世に出したことで、社内で高い発言力を持つに至った。

 ゆえにここでは、その開発の中心人物であるトーラス・シルバーの片割れたる達也に対して、彼らが高い忠誠心を(いだ)くのも無理のないことだった。

 

「それを言うなら、名実ともにここのヘッドはミスター・()()()()、貴方でしょう」

 

「よしてくださいよ。『ミスター』も『トーラス』も(がら)じゃねぇって。俺は、ただの技術屋でさぁ。御曹司が未成年の学生さんで、単独の権利開発者だとまずいってっから、仕方なく名前を(つら)ねているだけです」

 

「‥‥‥牛山さんの技術力がなければ、ループキャストは実現しませんでしたよ。俺にはハードに関する知識もノウハウも不足している。技術も理論も、ハードとして製品化して初めて意味を持つものでしょう?」

 

「あ~、やめやめ。やっぱ、理屈じゃ御曹司にゃ敵わねえや。それよか、仕事の話をしましょうや。まさか、俺たちの顔を見に来ただけじゃねえでしょう?」

 

 牛山が白旗を揚げると、達也は人の悪い笑みを浮かべた。

 

「そうですね。今日の試作品は、これです」

 

 なんでもないように差し出されたCADを、牛山は十秒ほど、まじまじと見つめた。

 

「もしかしてこれは‥‥‥飛行デバイスですかい?」

 

 達也から受け取った手が、少し震えていた。

 

「ええ、牛山さんに作ってもらった試作用ハードに、飛行術式の起動式をプログラムした物です。このハード、システムの書き換えが簡単で、とてもやりやすかったですよ」

 

 息を()む音が聞こえた。それも、一人や二人ではない。

 

「おい!ボサッとしてねぇで御曹司のシステムをフルコピーしろ!テスターも全員呼び出せ!なにぃ?休みだぁ?そんなもん関係あるか!飛行術式だぞ?現代魔法の歴史が変わるんだ!」

 

 内線がつながっていたのだろう。

 この部屋だけでなく対面の計測室でも、休日出勤していた職員たちがバタバタと一斉に動き出した。

 

 

 

 

 テスト終了後。

 

「お前ら、(そろ)いも揃ってアホか‥‥‥?」

 

 牛山が(あき)れ顔で見下ろしているのは、魔法の使い過ぎでダウンしたテスターたちである。

 テストの結果自体は、大成功であった。

 ただ、彼らの強い要望で時間が延長され、最終的には予定にない空中鬼ごっこを始める有様だった。

 

「バカやったツケは自分で払えよ。超勤手当なんぞ出さねぇからな」

 

 幸い、後遺症の残るような魔法力枯渇を起こしたテスターはいなかった。

 ゆえに牛山は上がる抗議の声を鼻先で笑い飛ばし、テスト結果に目を通している達也の近くへ歩み寄った。

 

「何か気になるところでもあるんですかい?」

 

「ええ、欲を言えばきりがないのは分かっているんですが‥‥‥やはり、起動式の連続処理は、今のままでは負担が大きすぎるようです」

 

 その言葉に牛山が納得顔で、達也とその背後に(ひか)える深雪へ交互に目を向ける。

 

「そりゃ、お姫様や御曹司に比べりゃ、そこらの魔法師の保有する想子(サイオン)量は微々(びび)たるもんですからね」

 

 現在の魔法力の尺度で(はか)れば、達也は落ちこぼれでしかない。

 だが、尺度というものはその分野の発達とともに変遷(へんせん)するものだ。

 魔法力も同じであり、例えば三十年前は、魔法師の力量を測る尺度として保有する想子(サイオン)の量が重要視されていた。

 その尺度を当てはめれば、達也は深雪とともに最上級の評価を受けるほどの想子(サイオン)を保有している。

 現代においては、想子(サイオン)の保有量が魔法を発動するうえで直接問題となることは少ない。

 だが想子(サイオン)を消費することに変わりはなく、それが何百回、何千回と繰り返されれば、やはり魔法師にとって負担になってくるのである。

 

想子(サイオン)自動吸引スキームをもっと効率化しないと‥‥‥」

 

「‥‥‥それは俺の方で考えますよ。ハードで処理すりゃ、そっちの負担も少しは減るでしょう。タイムレコーダーも専用の回路を付けた方がいい」

 

 少し考え込みながら牛山がそう言うと、達也は我が意を得たりと破顔した。

 

「実は、同じことを相談しようと思っていました」

 

「それは光栄ですな」

 

 二人はニヤリと、同じような笑みを交わした。



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第七十三話 鉢合わせ

 ハード面の改善点がいくつか(あぶ)り出されたものの、術式の作用については満足のいく結果が得られた。市販のCADで、一般的な魔法師でも充分(じゅうぶん)使用可能だと判明したことが、本日最大の収穫だ。

 今回の実験結果を整理して、来週中にでも飛行術式のノウハウをトーラス・シルバーの名で発表する。

 また、それとは別に、飛行術式用の専用CADをデザイン面から新規設計し、九月を目処(めど)に製品化する。

 以上二つのスケジュールを詰めて、打ち合わせは終わった。

 途中から建物内のラウンジで待たせていた深雪と合流し、家路につく達也たち。

 見送りに来た牛山は、申し訳なさそうに頬をかいた。

 

「すみません、一応、本部長には連絡しといたんですが‥‥‥」

 

 最後まで、FLTの開発本部長である達也たちの父親が顔を見せなかったことを、牛山は気に病んでいるのだった。

 

「気にしないでください。今日は休日ですし、出てきているとしても本社の方でしょう」

 

 本音を言えば、顔を合わせないで()む方が、達也としては気が楽だった。

 深雪としては、むしろ顔を合わせたくなかった。

 だがそんなことを、牛山に言えるはずもない。

 兄妹の父親がFLTの重役にとどまらず、筆頭株主でもあるということを彼は知っているのだ。

 (いだ)く感情がどうであれ、オーナーの家庭の恥を従業員に(さら)すというのは、好ましいことではない。

 

「いえ、実は今日、本部長はこちらにいらっしゃってるんですが‥‥‥」

 

 深雪の(まゆ)がピクッとつり上がったのが、背中を向けていても達也には手に取るように分かった。

 

「本部長ともなれば、現場に顔を出す時間もなかなか持てないということでしょう。決して研究部門を軽視しているわけではないと思いますよ」

 

 話をそらし、逆に牛山を(なぐさ)める形に()じ曲げる。

 彼には申し訳ないが、達也にだって話題にしたくないことはあるのだ。

 

 

 

 

 だが世の中、なかなかうまくはいかないものである。

 玄関ホールまであと一区画という所で、達也たちはバッタリ、顔を合わせたくない人物と(はち)合わせてしまった。

 

「これは深雪お嬢様、ご無沙汰(ぶさた)しております」

 

 無言で顔を見合わせてしまった親子の中で、最初に口火を切ったのは四人目の人物だった。

 

「お久しぶりです、青木(あおき)さん。こちらこそご無沙汰いたしております。ただ、ここにおりますのは私だけではありませんが。お父様も、お元気そうですね。先日はお電話をありがとうございました。しかしたまには、実の息子に声を掛けても(ばち)は当たらないかと存じますが?」

 

 活舌(かつぜつ)良く返された可憐(かれん)な声は、(いばら)のごとく(とげ)だらけだった。

 しかし、相手はその程度では貫けない皮の厚さを備えていた。

 

「お言葉ですがお嬢様、この青木は四葉(よつば)家の執事として、財産管理の一端を任せられております。一介(いっかい)のボディーガードに礼を示せと仰せられましても、家内にも秩序というものがございますので」

 

「私の兄ですよ」

 

 深雪の声は、平静を保っている。だがそろそろ限界に近いことは、少なくとも達也には明らかだった。

 

(おそ)れながら、深雪お嬢様は()()()()()()()の座を家中の皆より望まれているお方。お嬢様の護衛役にすぎぬそこの者とは立場が異なりますゆえ」

 

 深雪がヒステリックに声を荒げようとしたその直前、青木の背後から思わぬ横槍が入ってきた。

 

「おや、青木さん。口を(はさ)んで失礼かとは思いますが、一体何を話しているのですか?」

 

 いきなり第三者から声を掛けられ、青木はビクリと跳ね上がった。普段は冷静沈着なこの男が見せた珍しい行動もさることながら、声を掛けてきた側の男も珍妙な恰好(かっこう)をしていた。

 全身を紺青(こんじょう)色のマントで(おお)い、顔には牛の面を()けている。その面を通じて声音を低く、そして太くする魔法が掛けられていることに、達也だけは気がついた。面がCADの代わりになっているのか、超小型のCADが面に仕込まれているのかは分からなかったが。

 

「こっ、これはっ‥‥‥!大変失礼いたしました、スポンサー様!」

 

「だから、スポンサー様は勘弁してほしいのだが‥‥‥」

 

 勢い良く頭を下げて謝罪する青木に、男は困惑した声を出した。

 その表情は面に(さえぎ)られ、見ることはできない。

 この会社は四葉家が正体を隠して出資し設立したものなので、FLTのスポンサーならば青木が頭を下げる必要はないはずだ。

 ならば、この男はもしや、四葉家のスポンサーなのではないか‥‥‥達也はそう考えた。

 少なくとも、秩序を重視する青木が頭を下げる程度には高い立場であることは、明らかだった。

 

「お久しぶりです、東原(あずまばら)様。本日は、どのようなご用件でこちらへ来られたのですか?」

 

 達也たちの父親も、かなり謙遜(けんそん)している。

 しかし、それが態度だけであることを、達也と深雪は知っていた。

 

「いや、特に用事があって来たわけではない。私用でたまたま近くを通りかかったので、立ち寄っただけだ。ところで、そこの二人は何者かね?」

 

「はい、本社筆頭株主兼開発本部長を務めさせていただいている司波龍郎(たつろう)の息子、司波達也です」

 

「同じくその妹であります、司波深雪です。兄ともども、よろしくお願いいたします」

 

 先ほどまでの感情を一欠片(かけら)も出すことなく、達也に続いて上品な挨拶をする深雪。

 

「ほう‥‥‥いや、良くできた立派な子供さんたちだ。司波さんがここに連れてきているのも、頷ける」

 

 男は感嘆の声を漏らした。

 ただ、龍郎と達也たちは(まった)くの別件だったのだが、それを訂正する者はいない。

 

「私は、東原秀明(ひであき)という。頭の片(すみ)にでも、覚えておいてくれると嬉しい」

 

「失礼いたします。秀明様、そろそろお時間です」

 

 秀明の背後から、若い女性の声が掛かった。

 

「む、もうそんな時間か。少し、見学もしてみたかったのだが‥‥‥仕方ない。では、青木さん、司波さん、失礼したね」

 

 軽く会釈(えしゃく)をして、東原は去っていった。



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第七十四話 発足式

 秀明が登場したことにより場の険悪な雰囲気はいくらか薄まったが、青木のあからさまな侮蔑(ぶべつ)の態度は少しも変わらなかった。

 達也たちの父親も、保身のセリフばかりで建設的なことは何も言わなかった。

 彼の場合、事情が事情なので卑屈(ひくつ)になる気持ちも分からなくはない。

 ただ、達也には同情の気持ちも、肉親に対する情念も()かなかった。

 それは深雪も同じ。

 結局、彼らとの(へだ)たりは縮まらないまま、達也たちは別れも告げずにその場を(あと)にしたのだった。

 

 

 

 

 そんな週末が明けて、月曜日。

 

「おはよう。聞いたぜ、司波。凄いじゃないか」

 

「おはよう。司波君、頑張ってね」

 

 教室に到着してから、達也はクラスメイトから次々とエールを受け取っていた。

 もちろん、九校戦の技術スタッフに選ばれたことについてである。

 

「みんな、情報が早えなぁ」

 

「本当ですね。先週決まったばかりで、正式発表にはなっていないのに」

 

「そういえば、発表は今日じゃなかったっけ?」

 

 首を傾げて問いかけるエリカに、達也は()えない表情で頷いた。

 

「確か、五限目が全校集会に変更されていましたよね」

 

 美月がそう言いながら、今日の予定を確認している。

 

「達也さんも、発足式には出るんでしょう?」

 

「うん、まあ‥‥‥」

 

 質問に答える達也の返事は、珍しく歯切れの悪いものだった。

 

「一年じゃ達也だけなんだろ?」

 

 レオの言うとおり、技術スタッフに選ばれたのは、一年生では達也のみ。

 彼の実力を考えれば、それは当然というか、むしろ役不足とすらいえる。

 だがそのことは、深雪だけが知っていることだ。

 

「一科の連中、かなり悔しがってるみたい」

 

「選手の方は一科生だけなんだがな‥‥‥」

 

 これもそのとおりではあるのだが、同時にこれは選ばれた側の理屈であり、工学系志望の一科生にとっては(なぐさ)めにもならない。

 そして達也は、嫉妬(しっと)される側に立つことがかなり少ない。

 

「仕方ないですよね。嫉妬は理屈じゃありませんから」

 

 だから、美月にズバリと指摘されて、達也は一言も返せなかった。

 

「ま、大丈夫よ。今度は石も魔法も飛んでこないから」

 

 そして、エリカの極端すぎる気休めには、苦笑することしかできなかった。

 

 

 

 

 達也たちの間では話題に(のぼ)らなかったが、準備会合に関する話はこれだけではない。

 当然ながら、龍の暴挙についても広まっていた。

 しかし、そんな話もどこ吹く風とばかりに、龍は四時限目終了後、一年B組を訪れた。

 すぐさま向けられる、いくつもの悪意の視線。

 それらを無視して、龍は義妹を呼んだ。

 

「もう、わざわざ迎えに来てくれなくてもよかったのに」

 

 などと言う氷華だが、喜びを隠せていない。

 そして直後、振り返って表情を一変させ、一言。

 

「次にお兄ちゃんをそんな目で見たら、凍らせるから」

 

 実際にはそうならなくとも、教室は凍りついたのだった。

 

 

 

 

 そんな騒動もありながら、発足式という名のお披露目(ひろめ)は、時間どおりに始まってつつがなく進んだ。

 しかし達也にとって、居心地(いごこち)は非常に悪かった。

 選手と技術スタッフは分かれて列を作っており、技術スタッフは上級生ばかり。これによる多少の場違い感は、仕方のないことだ。

 問題は、彼が身につけている技術スタッフ用のユニフォームには、八枚花弁のエンブレムがついていること。

 挑発されたと受け取る者もいるだろうし、反感を持たれても仕方がない、と達也はまぶしい照明の中で他人事のように考えていた。

 その間にも、一人一人、選手の紹介が進んでいる。

 プレゼンターは真由美だ。

 紹介を受けたメンバーは、競技エリアへ入場するためのIDチップを仕込んだ徽章(きしょう)をユニフォームの襟元(えりもと)につけてもらう。

 その役目には、深雪が選ばれていた。

 選手だけで四十名(深雪と真由美を除いて三十八名)とかなりの手間なのだが、彼女はにこやかな表情を(くず)さず、器用に徽章を取りつけていく。

 至近距離で笑顔を向けられるものだから、選手は男女問わず顔を赤くしていた。

 徽章は選手だけでなく、技術スタッフにも同じ物が配られていく。

 舞台の下を見ると、相変わらず一科生と二科生で前後に自然分裂している。

 だが、その前半分に異分子が(まぎ)れ込んでいた。

 達也の視線に気がついたのか、エリカが手を振っている。

 なんと、最前列から。

 よく見れば、エリカの隣には美月やレオ、幹比古、龍、その後ろにも見覚えのある面々が並んでいる。

 達也のクラスメイトたちが、一科生の白い目にもめげず、一塊(ひとかたまり)(じん)取っていたのだった。

 達也が彼らの勇気ある行動に目を奪われているうちに、深雪が目の前まで来ていた。

 真由美が彼の名を告げる。

 達也が一歩前に出て一礼すると、深雪はとろけそうな笑みを浮かべて、兄の前に立つ。

 その笑みに、達也は妹の精神状態に少しばかり不安を覚えたが、深雪には悟られずに()んだ。

 深雪が徽章をつけ終わると同時に、大きな拍手が起こる。

 最初は、エリカとレオに(あお)られたクラスメイトたち。

 直後に、真由美と深雪が舞台の両(わき)から。

 最後のメンバーの紹介が終わった直後の拍手は、選ばれたメンバー全員に対する拍手にすり替わって、講堂全体に広がった。



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第七十五話 幹比古の乱心

 発足式が終わり、校内では九校戦へ向けた準備が一気に加速した。

 出場種目も決まり、深雪は雫やほのか、氷華とともに、毎日閉門時間ギリギリまで練習している。

 達也はCADの調整と深雪の仕事の肩代わりで、これも毎日遅くまで駆けずり回っている。

 運動部に所属しているエリカとレオも、いろいろと下働きをしているようだ。

 そんなわけでこの一週間、文科系クラブの美月は一人で他のメンバーを待っていることが多い。

 今日も一人で皆を待っていると、ふと、見慣れぬ波動に気がついた。

 悩んだのは、ちょうど一秒。

 美月は思い切って、眼鏡を外した。

 その途端、視界に様々な色調の光があふれ、目を傷めつける。

 彼女にとって眼鏡を外す行為は、暗室からいきなり真夏の太陽の下へ連れ出されるようなものだ。

 人の目は、照りつける最盛の陽光にも、しばらく待てば慣れるもの。

 美月もギュッと(まぶた)を閉じてから、目を馴染(なじ)ませた。

 コーティングレンズに遮断された状態でさえ目についた光は、すぐに見つかった。

 眼鏡をケースにしまい、美月は誘われるように、波動の発信源へ足を向けた。

 

 

 

 

 光の発信源は、実験棟だった。

 近づくにつれて、ひんやりとした空気が(ただよ)い始めたように感じる。

 夕方になっても(おとろ)えない真夏の熱気に、冷気を(まぎ)れ込ませる何か。

 未知のものに対する不安で身が(すく)んだが、美月の足は止まらない。

 実験棟の入り口は、静かに開いた。

 導かれるように階段を上がると、波動は薬学実験室へと続いている。

 どうやら、生徒の誰かが(おこな)っている魔法実験の産物らしい。

 そうすると、今まで不安の陰に隠れていた好奇心が頭をもたげた。

 足音を殺し、わずかに開いた実験室の扉から、そっと(のぞ)き見る。

 次の瞬間、美月は危ういところで悲鳴を飲み込んだ。

 実験室の中では、青や水色の光球がいくつも、空中を踊り回っていた。

 そして、その中心にいるのは――

 

「吉田くん‥‥‥?」

 

 全く意識にない行動だったが、名前を呼ばれた方は、そうもいかなかった。

 

「誰だ!」

 

「きゃっ!」

 

 押し寄せる光球に、美月は悲鳴を上げて目を閉じた。

 その直後、横合いから想子(サイオン)奔流(ほんりゅう)が光の球を押し流すが、彼女は気づいていない。

 (おそ)る恐る瞼を開けた彼女が目にしたのは、憎悪にも似た激情とともに(にら)みつける幹比古と、それを無表情で受け止める達也の姿だった。

 

「落ち着け、幹比古。今ここで、お前とやり合うつもりはない」

 

 達也の突然の登場に目を見開き、硬直する美月の視線の先で、達也は手のひらを開いて両手を上げた。

 幹比古がハッとした表情を浮かべると同時に、それまでの敵意が嘘のように消える。

 そして、ガックリと項垂(うなだ)れた。

 

「‥‥‥すまない、達也。僕も、そんなつもりじゃなかったんだ」

 

「気にするな。元はと言えば、魔法の発動中に術者の心を乱すようなことをした美月が悪い」

 

「ふえっ、私ですか!?」

 

 (あわ)てて再起動した美月は、達也が人の悪い笑みを浮かべているのを見て、胸を()で下ろした。

 だが幹比古は、そうは取らなかったらしい。

 

「いや、声を掛けられたくらいで心を乱した、僕のせいだ。‥‥‥それから、ありがとう、達也。君のおかげで、柴田さんに怪我をさせずに()んだ」

 

「俺が手を出さなくても、怪我には至らなかったさ。今のは精霊魔法か?」

 

 達也の問いかけに、幹比古はなぜか躊躇(ためら)いがちに頷いた。

 

(うち)では教義に従って、神祇(じんぎ)魔法と呼んでいるけどね」

 

 精霊魔法は古式魔法の一種であり、一般に精霊と呼ばれる独立情報体を介して情報体(エイドス)に干渉するとされている。

 

「俺には精霊を見る能力はないが、術の制御が効いていたのは分かる。それに、人払いの結界の中に踏み込んでこられては、驚くなという方が難しいだろうな」

 

「なぜ、そんなところまで‥‥‥君はいろいろな面で、僕の理解を超えているようだ」

 

「素直に非常識と言ってくれても構わないが?」

 

 からかうように笑いながら達也が言うと、幹比古も苦笑いを浮かべた。

 

「まあ、いくら見られたくないからといって、学校に結界を()く方も相当非常識だとは思うが」

 

「違いない」

 

 二人の笑い声が、張り詰めた空気を完全に(ぬぐ)い去った。

 

 

 

 

 

「今のは自然霊の喚起魔法か?実際に見るのは初めてだが」

 

今更(いまさら)隠しても仕方がないね。達也の言うとおり、水精を使って喚起魔法の練習をしていたんだ」

 

 達也の問いに、実験をしていた机の上を片づけながら、幹比古は答えた。

 美月は幹比古の隣で、雑巾(ぞうきん)を掛けている。

 幹比古は当然遠慮したのだが、生真面目な美月はこういう所で頑固(がんこ)だった。

 

「残念ながら俺には、霊子(プシオン)の塊があることしか分からなかったんだが‥‥‥美月にはどう見えたんだ?」

 

「えっ?あっ、私も同じようなものですよ?青系統の光の球が見えただけですから」

 

 急に達也に問われた美月は、曖昧(あいまい)な笑みを浮かべながら両手を目の前で振った。

 雑巾を持ったままだったせいで、汚れた水滴が幹比古の顔に飛んだが、慌てていた彼女は気がつかない。

 

「系統‥‥‥?」

 

「はい、青とか水色とか(あい)色とか‥‥‥あっ!」

 

 水滴に気がついた美月は(かばん)からハンカチを取り出し、幹比古の頬を拭こうとする。

 その伸ばされた手を幹比古は乱暴につかみ、そのまま手元に引き寄せ、硬直した美月の目を覗き込んだ。

 

「あ、あのっ‥‥‥」

 

 そのままじっと視線を動かさない幹比古と、パニックで顔を(そむ)けることもできない美月。

 

「‥‥‥合意の上なら席を外すが、そうでないなら問題だぞ」

 

「おわっ!」

 

「きゃっ!」

 

 呼吸すら忘れてしまったかのように無言で固まっていた二人だったが、達也の(あき)れ声でようやく我に返ったのか、(はじ)き合うように身体を離した。

 

「ごっ、ごめん‥‥‥!」

 

「い、いえ、こちらこそ‥‥‥」

 

 よく分からないやり取りだった。

 多分混乱しているのだろうが、達也はなんとなくこの場に居づらい空気を感じた。



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第七十六話 釈明と影

「それで、急にどうしたんだ、幹比古?」

 

 達也にそう言われて、幹比古はもう一度、美月に頭を下げた。

 

「本当にごめん。まさか、精霊の色を見分けられる人がいるなんて思ってもみなかったから‥‥‥。言い訳にしかならないけど、決して不埒(ふらち)真似(まね)をしたかったわけじゃない。本当に、ただ確かめたかっただけなんだ」

 

 本人の言っているとおり、これは言い訳でしかない。

 だが、必死で言い訳をする幹比古を見る美月の眼差(まなざ)しは、(やわ)らかく微笑(ほほえ)んでいた。

 

「もういいですよ、吉田くん。私も、ビックリしただけですから」

 

 そう言って笑顔でにっこり微笑んだ(あと)、小さく早口で、

 

「でも恥ずかしかったんですから、もうこれきりにしてくださいね」

 

 と(ささや)いた。

 赤面しながらも、何度も頷く幹比古。

 どうやら先ほどのセクハラ未遂は、平和的に解決したようだ。

 

「‥‥‥美月、エリカもレオも待ち合わせ場所に来ているんだが、その方が良ければ先に帰っているぞ?」

 

「えっ?あっ、そうだったんですね。‥‥‥って、ええっ!?」

 

 達也の意図するところをようやく理解したのか、美月は急に叫び声を上げたきり、口をパクパク動かすだけで声が出てこない。

 まあ一時的なものだろう、と考えて、達也はいまだ顔を真っ赤にしている幹比古に視線を移した。

 

「ところで、精霊の色を見分けられるのが珍しいみたいなことを言っていたようだが?差し(つか)えなければ教えてくれないか」

 

 達也は情報体(エイドス)を解析する技能を有しているが、映像として(とら)えているわけではないので、それを色として認識することがどのような意味を持つのか理解できなかった。

 

「‥‥‥‥‥‥いいよ、それほど秘密ってわけじゃないし」

 

 答えるまでの空白は、決して羞恥(しゅうち)だけが原因ではないだろう。

 少なくとも、セリフどおりの軽い知識ではないことを物語っていた。

 

「精霊には色があって、僕たち精霊を使役する術者は、色で精霊の種類を見分けている。でも、それは本当の意味で見えているわけじゃないんだ。便宜(べんぎ)上、その波動を色で解釈しているんだよ。えっと、精霊に色をつけている、と言えばいいのかな。だから、僕たちの認識する精霊の色は画一的だし、術の流派によって色も変わってくる。そこに濃淡(のうたん)はないし、明暗もない。例えば僕の流派では、水精はどんなものでも青一色になる。認識のシステム上、水色とか(あい)色に見えるはずがないんだ」

 

「だが美月には、それが見えた」

 

「多分彼女は、水精の力量や性質の違いを色調の違いとして知覚している。本当に、精霊の色が見えているんだ。そういう眼のことを、僕たちの流派では『水晶眼』と呼んでいる。一般的には、自然現象そのものである『神霊』を見ることができる眼、とされている。だから僕たちにとって水晶眼の持ち主は、神霊というシステムにアクセスするための巫女(シャーマン)なんだ」

 

「つまりお前たちにとって、美月は(のど)から手が出るほど欲しい人材なんだな?」

 

「そうだけど‥‥‥そんなに警戒しなくてもいいよ。今の僕に神霊を御する能力なんてないし、強引に彼女を自分の物にする欲も気概(きがい)もない。だからと言って、他の術者に教えて神祇(じんぎ)魔法の奥伝(おくでん)を極める姿をただ眺めているだけだなんて、まっぴらごめんだ。柴田さんの水晶眼のことは、誰にも言わないよ」

 

 幹比古の強い眼差し。

 達也はそこに、変質した独占欲を見て取った。

 自分だけのものにしたい、ではなく、誰のものにもしたくない。

 幹比古は、美月をそんな目で見ている。

 

「そうだな。俺も、今の話は胸の内にしまっておこう」

 

 友人を利用させないという点において、二人の利害は一致していた。

 だから彼は、そう言って頷いてみせた。

 幹比古に対して、美月に対して。

 いつの間にか復帰していた美月は、そんな達也のサインをキョトンとした顔で見返して、その意味を理解できないまま、(あわ)てて曖昧(あいまい)な笑みを返した。

 

 

 

 

 白い廊下を、一人の男が歩いていた。

 窓はないが光量は充分(じゅうぶん)であり、廊下は(ゆる)やかに右へ曲がっている。

 また、床面、天面、左右の壁面とすべてが真っ白で、天面全体が発光していた。

 そんな白い空間で、男が(まと)っている紺青色のマントは、とても際立って見える。

 顔は牛の面に(おお)われ、その表情を知ることはできない。

 彼は唐突(とうとつ)に立ち止まると、向かって右側の壁に手のひらを押しつけた。

 すると、プシュ、という小さな音とともに壁の一部がへこみ、左にスライド。

 何もないと思われたその場所に、新たなスペースが現れた。

 白い廊下とは対照的な、黒一色の狭い小部屋。

 男は迷うことなくそこへ足を進める。

 身体が完全に入り込むと、背後のドアは自動で閉まった。

 ここにも照明らしい照明はないが、左右の壁面が発光しており、視界に困ることはない。

 

「コード認証、〇六三八七一五九」

 

『コード認証、受領―確認、終了しました。お帰りなさいませ、東原様』

 

 東原が空間に話しかけると、機械音声が流れ、目の前の壁が音もなく左へスライドした。

 その先には、白を基調とした玄関があった。

 ここは、とある施設の住居区画。

 独り身としてはやや広めの、約1.5LDKの部屋に住んでいる東原は、この施設においてそれなりの地位を得ている。

 マントを脱ぐと、その下からだぼついたスーツ姿が現れた。

 愛用している収納型サイドテーブルを展開させ、椅子に座り、一息つく。

 そして、どこかに電話を掛け始めた(テレビ電話ではない)。

 

『こちら、麒麟(きりん)だ。お前から直接連絡とは珍しいな。なにかあったか?』

 

「はい、少々急を要する件でしたので、不躾(ぶしつけ)ながら連絡させていただきました。お時間はよろしいでしょうか?」

 

『構わないぞ。ただ、手短(てみじか)に頼む』

 

「はい、それでは。九校戦が国際シンジケートに狙われております。詳細は後ほど青龍に送りますが、ほぼ確実になんらかの妨害がなされると思われます」

 

『‥‥‥情報、感謝する。後で青龍にも確認しておこう。用件はそれだけか?』

 

「はい」

 

『分かった。では、またな』

 

 随分と矢継ぎ(ばや)なやり取りになってしまったが、相手はいろいろと正体を隠さなければならない身分なので、仕方ない。

 まずは(こま)かな情報の整理と、データの送信。

 その他にも、やらねばならないことは山ほどある。

 東原は気合を入れなおすと、デスクに向かった。



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第七十七話 出発

 八月一日、いよいよ九校戦へ出発する日である。

 小樽の八高、熊本の九高のような遠方の学校は一足早く現地入りしているが、東京の西外れにある一高は、毎年前々日のギリギリに宿舎入りすることになっている。

 これは現地の練習場が遠方校に優先割り当てされるためで、本番の会場は競技当日まで下見すらできず、あえて早めに現地入りする必要性がないからだ。

 達也がそんなことを思い出していたのは、太陽が激しく自己主張するしている夏空の下だった。

 

「ごめんなさ~い!」

 

 軽快に鳴るサンダルのヒール音をBGMに近づいてくる声の主を見て、達也は無言で端末のリストにチェックを入れた。

 遅刻すること二時間近く。ようやく、全員集合である。

 そのまま何事もなかったように、大型バスへ乗り込んでいく。

 と思ったら、真由美が荷物を預けて引き返してきた。

 

「何か忘れ物ですか?」

 

 相変わらずのポーカーフェイスで、達也は問いかけた。

 

「ううん、そうじゃなくて‥‥‥ゴメンね、達也君。私一人のせいで、随分(ずいぶん)待たせちゃって」

 

「いえ、事情はお聞きしていますので」

 

 急遽(きゅうきょ)家の事情で遅れるという連絡が真由美からあったのは、今から三時間前。

 その際、現地で合流するので出発しておいてほしいと言っていたのだが、三年生全員が彼女を待つということで意見が一致したので、真由美は大急ぎで合流したという次第だった。

 

「でも、暑かったでしょう?」

 

「大丈夫です。まだ朝の内ですし、この程度の暑さはなんともありません」

 

 達也が乗車確認役に命じられたのは、彼が裏方唯一の一年生だからという必然的なもの。

 もちろんその他にも裏方は用意されていて、代表メンバー以外にアシスト要員として有志二十名が別ルートで現地に向かっている。

 

「なら、いいんだけど。ところで達也君、これ、どう?」

 

 これ、というのは、真由美が着ているサマードレスのことだろう。

 九校戦では公式行事がある日以外、制服の着用を義務づけられていない。

 今日は宿舎に入るだけなので、二年生や三年生は三分の二以上が私服姿だ。

 その中でも真由美のファッションは、非常に目立っていた。

 

「とても良くお似合いです」

 

「そう‥‥‥?ありがと」

 

 おどけた口調と少しはにかんだ表情も、絶妙だった。

 

「もう少し照れながら褒めてくれると、言うことなかったんだけど」

 

 指を(から)めた両手を腰の前へ伸ばし、上目遣(うわめづか)いですり寄る二歳年上の女の子。

 平均的なサイズの胸は、両腕に(はさ)まれてくっきりとした谷間をのぞかせている。

 ここまでくると、狙ってやっているようにしか思えなかった。

 

「‥‥‥大変だったんですね」

 

「えっ‥‥‥?」

 

 急な用事がどんなものだったか、今の達也に知る(すべ)はないが、よほどストレスが()まっているに違いない。

 

「行きましょう、会長。バスの中でも、多少は休めると思います」

 

「ちょっと、あの、達也君?何か勘違いしてない?」

 

 急に(いたわ)りに満ちた態度とどこか同情を含んだ視線を向けられて、真由美は目を白黒させた。

 

 

 

 

 

「もう、達也君ったら、人を躁鬱(そううつ)扱いするなんて、失礼しちゃうわ」

 

 走り出したバスの中でプリプリと怒る真由美へ、隣に座った鈴音が生暖かい目を向けていた。

 

「隣にって言ったのに、さっさとあっちへ逃げちゃうし。私のことをなんだと思っているのかしら」

 

 ちなみに達也は、技術スタッフの一人として後続の作業車両に乗り込んでいる。客観的に見るなら、真由美を避けたわけではない。

 

「的確な判断です」

 

「えっ、リンちゃん、なんて言ったのかな?」

 

「会長の餌食(えじき)になるのを回避するには、的確な判断だと申しました」

 

「‥‥‥リンちゃん!」

 

 ここでからかわれていたことに気づき、真由美は鈴音へ背を向け不貞寝(ふてね)気味に丸くなった。

 

「あの、会長。やはり、ご気分が悪いんですか‥‥‥?」

 

 その姿は、見ようによってはこのように見える。

 

「えっ?ううん、そういうわけじゃ‥‥‥」

 

 真由美にしてみれば、思わぬ誤解だった。

 彼女が戸惑っているうちに、わざわざ様子を見に来た服部(はっとり)の誤解は、どんどん突っ走っていく。

 

「会長がお疲れのようだと司波が言っていましたが、杞憂(きゆう)ではなかったのですね。我々に心配をかけたくないというお心遣いはありがたいのですが、ここで無理をされては元も子もありません」

 

 服部の顔が少し赤いのは、少々だらしなく座っていたせいで、サマードレスのスカートから太腿(ふともも)がのぞいているためだろうか。

 

「服部副会長。どこを見ているのですか?」

 

「市原先輩!?いっ、いえ、その、私はただ、会長にブランケットでもと思いまして‥‥‥」

 

 しかしこの場合、そんな純情少年ぶりは上級生のお姉さまのいい餌食である。

 

「なるほど、そうだったのですね。ではどうぞ」

 

 さも納得したとばかりに席を立ち、鈴音は服部に(うなが)した。

 真由美はと言えば、恥ずかしそうに上目遣いで大きく開いた胸元を両手で隠す真似(まね)などしている。

 ブランケットを広げた姿勢で固まる服部。

 どうも少し、真由美は(おさ)えが()かなくなっているようだ。

 

(‥‥‥司波君の見立ては正解でしたね)

 

 自分のことを(たな)に上げて、鈴音は思った。



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第七十八話 車内にて

「何をしているんだ、あいつらは‥‥‥」

 

 服部を(いじ)って楽しんでいる真由美と鈴音を見て、摩利は小さく(あき)れ声を出した。

 

「まあ、いつもどおりか‥‥‥」

 

 ああして真由美が服部を弄り倒すから、服部がストレスをため込んで必要以上に二科生に対し見下すような態度をとり、副会長のそういう振る舞いを会長である真由美が思い悩むという悪循環が生じていることを、摩利は内心で苦々しく思っている。

 とは言うものの、真由美が自分よりはるかに大きな気苦労を(つね)日頃から(かか)えていることも、摩利は知っていた。

 彼女の実家は嘘か(まこと)か渡辺(つな)末裔(まつえい)らしいが、現在の勢力図上で見るなら、百家の末流にかろうじてぶら下がっている程度だ。

 摩利は一種の先祖返りというべきか、親類縁者の中で一人だけ突出した魔法の才を有しており、その分家族の期待は大きいものの、魔法師社会で他家との駆け引きに(わずら)わされるということはほとんどない。

 それに対して、七草家の直系、しかも長女である真由美には、高校生にもならないうちからたびたび縁談が舞い込んできている。

 また彼女自身、十師族の中でも傑出(けっしゅつ)した魔法の才を持つ、魔法界の期待の新星だ。

 それに加え、学校でもいらぬ気苦労を背負い込んでいる有様。

 いくら(しん)はタフといっても、楽ではないはずだ。

 少し羽目を外すくらい、見逃してやるべきだろう、と摩利は考えている。

 そんなわけで、エスカレートするまで放置しておくことに決めた摩利は、窓の外へ目をやった。

 

 

 

 

 一方、車内の後方に陣取っていた深雪たちはというと。

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 バスが出発して以降、深雪は不満を(つの)らせていた。

 不満をぶちまけたりせずに、ずっと黙ったままだったが、それがかえって友人たちには妙に怖かった。

 

「‥‥‥ええと、深雪?お茶でもどう‥‥‥?」

 

「ありがとう、ほのか。でも、まだそんなに(のど)(かわ)いていないの。私はお兄様のように、炎天下にわざわざ外に立たせられていたわけじゃないから」

 

 静かで、やわらかな口調だった。

 

「あ、うん、そうね」

 

 (あわ)てて相槌(あいづち)を打ったほのかは、すでに冷や汗をかいていた。

 

「‥‥‥まったく、誰が遅れてくるのか分かっているのだから、わざわざ外で待つ必要なんてないはずなのに‥‥‥。なぜお兄様がそんなお(つら)い思いを‥‥‥」

 

 ついにブツブツと呟き始めた深雪は、はっきり言って怖さ倍増だった。

 ほのかは、逃げ出したかった。

 せめて隣にいる雫に、席を替わってほしかった。

 だがこの状況でそんなことをしたら、深雪はどう思うだろうか?

 助けを求めるように雫の様子を(うかが)えば、彼女は()知らぬふりをしている。

 文字どおり、親友に裏切られた気分だ。

 

「でも深雪、貴女はまだマシな方よ。私なんて、お兄ちゃんと同行することすらできないんだから」

 

 そこに話を持ってきたのは、深雪の真後ろに座っていた氷華だった。

 独り言を聞かれていたとは思っていなかった深雪は、とっさに反応できない。

 氷華はそこへ、すかさず(たた)みかけた。

 

「どうでもいい雑用を好き(この)んでやる人間なんて、ほんの一握りにしかすぎない。だけどそれを、達也は当たり前のようにやり遂げた。これは本当に素敵なことだと思うわ。‥‥‥まあ、私からすればお兄ちゃんの方がずっと素敵だけどね」

 

「‥‥‥そうね。本当にお兄様って、変なところでお人()しなんですから」

 

 氷華の賛辞(さんじ)(ブラコン発言含む)に(きょ)を突かれたのか、目を見開いた深雪。

 かろうじて照れ隠しで応じたときには、底冷えのする威圧感は消え去っていた。

 ほのかと雫は心の中で、ガッツポーズをとっていた。

 

 

 

 

 いつものお(しと)やかな雰囲気に戻った深雪の周りには、男子生徒が群がっていた。

 その気(おく)れを感じるほどの美貌(びぼう)から、馴れ馴れしく付きまとわれるようなことはなかったが、主に一年生が何かにつけて声を掛けてくる。

 それを見かねた摩利が、深雪たちを強制的に自分の後ろへ移動させた。

 そんなわけで現在は、ようやく平穏を得られた深雪が窓際の席に座り、深雪たちの後ろに克人を呼び寄せることで車内はなんとか落ち着きを取り戻していた。

 

「危ない!」

 

 誰かの叫び声につられ、バスの中のほぼ全員が対向車線へ目を向けた。

 追い越し車線を(はさ)んだ反対側、対向車線で近づいてくるオフロード車が、傾いた状態で路面に火花を散らしているのだ。

 この時点では頑丈な中央分離帯が壁として機能しており、車内にそれほど危機感はない。

 が、車は突然スピンし始めて中央分離帯に衝突、さらにどんな偶然か宙返りしながら自分たちの方へ飛んできた。

 誰かの悲鳴と同時に急ブレーキがかかり、全員がつんのめる。

 直撃は避けたが、道路上に落ちた車は炎上しながら狙ったようにこちらへと滑ってくる。

 

「私が火を!」

 

 いち早く立ち上がったのは、たおやかな一年生。

 

「十文字!」

 

 摩利の声に呼応して、克人が防壁の魔法式を構築する。

 炎上した車は凍ることなく、常温へ冷却されて瞬時に消火。

 直後に、克人の魔法により車が潰れながら停止。

 

「みんな、大丈夫?」

 

 目の前の脅威(きょうい)が去ったのを確認し、真由美が車内に呼びかける。

 

「危なかったけど、もう心配いらないわ。怪我をした人はシートベルトの大切さをかみしめて、次の機会に役立ててね」

 

 おどけてウインクしてみせる真由美の冗談に、あちこちで笑い声が生じた。

 

「十文字君、ありがとう。それに深雪さんも」

 

「いや、消火が迅速(じんそく)だったから、止めるのに集中できただけだ」

 

「光栄です。ですが、それができたのは市原先輩がバスを止めてくださったからです。市原先輩、ありがとうございました」

 

 深雪から丁寧なお辞儀(じぎ)を向けられて、鈴音も無言で会釈(えしゃく)を返した。

 真由美も摩利も、驚きを隠せなかった。

 言われてみれば、確かにバスのブレーキだけでああも(すみ)やかに止まるはずがない。

 だが突っ込んでくる車に気を取られて、鈴音の魔法に気がつかなかったのだ。

 誰もが目の前の脅威に目を奪われているとき、足元を見据えて的確に講ずるべき手を講じる。

 精度においては真由美たち三人をも(しの)ぐと評される、鈴音の面目躍如(めんもくやくじょ)だった。

 

「そういえば、司波‥‥‥いや、なんでもない。実に見事な手際だった」

 

「はい?ありがとうございます」

 

 摩利は、深雪がやけに手慣れた動きをとれた理由を()くつもりだった。

 だがその最中、なぜかそれを躊躇(ためら)ってしまったのだった。



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第七十九話 事故か事件か

 事故の(あと)、救助や警察の事情聴取などで三十分程度の時間をロスしたが、昼過ぎには宿舎に到着した。

 その競技の性質上、九校戦で活躍した選手から軍人の道に進む者は多い。

 軍としても優秀な魔法師を確保するために九校戦には全面的に協力しており、会場だけではなく宿舎も、敷地内のホテルを貸し切りの形で提供している。

 ただ、高校生の大会ということもあり、荷物の積み下ろしは自分たちですることになっている。また、小型の工具やCADは部屋で微調整したりするので、台車に載せて押していくことになる。

 

「では、先ほどのあれは、事故ではなかったと‥‥‥?」

 

 隣を歩きながら(まゆ)をひそめる妹に、達也はカートを押したまま小さく頷いた。

 

「あの自動車の跳び方は不自然だったからね。調べてみたら、案の定魔法の痕跡(こんせき)があった」

 

 周囲を気にして小声で話す兄に(なら)って、深雪も声を(ひそ)めた。

 

「私には何も見えませんでしたが‥‥‥」

 

 反問の形にはなっていたが、深雪は兄の言葉を(まった)く疑っていなかった。

 兄が断言した以上、それは確かに存在したことなのだ。

 

(ごく)小規模な魔法が瞬間的に行使されていた。使い捨てにするには()しい技だ」

 

「使い捨て、ですか?」

 

「魔法が使われたのは三回。最初にタイヤをパンクさせ、次に車体をスピンさせ、最後に衝突と同時に跳び上がらせている。いずれも車内から放たれていたからな、並大抵の練度じゃない」

 

「では‥‥‥」

 

「犯人の魔法師は運転手。つまり、自爆攻撃だよ」

 

 足を止めて、うつむく深雪。

 

卑劣(ひれつ)な‥‥‥!」

 

 それは悲しみではなく、怒りの発露。

 

「元より、こういう(やから)は卑劣なものだ。だから、そんなことでいちいち怒っていたらきりがないぞ?それより、何が狙いだったのか気になるところだね」

 

 ポンポンと(なだ)めるように妹の背中を叩いて、達也は再びカートを押し始めた。

 深雪もすぐ、その後に続いた。

 が、十歩も進まないうちに、再び立ち止まることになった。

 見覚えのある少女は、壁際に置かれたソファーから手を振っている。

 深雪に合わせて達也が立ち止まると、彼女は手を振るのをやめて立ち上がった。

 

「一週間ぶり。元気にしてた?」

 

「ええ、まあ‥‥‥それよりエリカ、どうしてここに?」

 

「もちろん、応援だけど」

 

「でも競技は明後日(あさって)からよ?」

 

「知ってる。でも、今晩は懇親(こんしん)会でしょ?」

 

「深雪、先に行っているぞ。エリカ、また後でな」

 

 さっさと見切りをつけた達也は、台車を作業用の部屋に運ぶべく、二人を置いてエレベーターホールへ進んだ。

 

「あ、うん、またね‥‥‥って、挨拶くらいさせてくれてもいいじゃない」

 

「ごめんなさい、スタッフの先輩方が待っていらっしゃるのよ。それで?関係者以外はパーティーに参加できないわよ?」

 

「それは大丈夫。あたしたち関係者だから」

 

「エリカちゃん、お部屋のキー、持ってきましたよ。っと、深雪さん?」

 

 それはどういう意味なのか、と(たず)ねようとした深雪は、小走りに近づいてきた少女に気がついた。

 

「美月、貴女もきていたの?」

 

「こんにちは、深雪さん‥‥‥どうしたんですか?」

 

 (ほが)らかに会釈(えしゃく)を返した美月だったが、返事の代わりにマジマジと見つめられて、分かりやすい愛想(あいそ)笑いを浮かべた。

 

「‥‥‥派手ね」

 

 深雪の視線の先には、キャミソールのアウターに(ひざ)より随分(ずいぶん)上のスカート。

 一方、美月の隣にいるエリカはというと、肩が丸出しのタンクトップとショートパンツで健康的な素足を(さら)け出している。

 美月のファッションは、見る人によってはエリカより扇情(せんじょう)的と受け取られかねないものだった。

 

「そうですか?やっぱり?」

 

「ええ。その服、似合っていて可愛いけれど、TPOに合っていないと思うの」

 

「エリカちゃんに、堅苦しいのは良くないって言われたんですけど‥‥‥」

 

 深雪はエリカに何か言ってやろうと考えたが、()知らぬ顔でそっぽを向いているのを見て諦めた。

 

「ところで、部屋のキーって言っていたけど、ここに泊まるの?一般の人が宿泊できる場所じゃないのに」

 

「そこはコネよ」

 

「さすがは千葉家ね」

 

 エリカの実家である千葉家は、百家の中でも加速・加重魔法を用いた白兵戦技で知られている名門だ。その特徴は、白兵戦を主なスタイルとする魔法師の育成ノウハウを作り上げたことにある。

 今では警察(およ)び防衛軍の白兵戦が想定される部隊に所属する魔法師の約半数が直接・間接的に千葉家の教えを受けているとされており、実戦部門に対するコネという面で見れば、十師族以上の権勢を有しているのだ。

 

「でもいいの?エリカはそういうことが嫌いだと思っていたのだけど」

 

「嫌いなのは『千葉家の娘だから』って色眼鏡で見られること。コネは利用するためにあるんだから、使わなきゃ損よ」

 

 相手によっては刺々(とげとげ)しい雰囲気になりそうな問いかけだったが、非常にあっけらかんとしたものになった。

 

「ふふっ、そうね。じゃあ、私も荷物を整理しなくちゃならないから、この辺で。どういう関係者なのかは知らないけど、パーティーで会いましょう?」

 

 手を振るエリカと美月に見送られ、深雪はエレベーターホールへ向かう。

 

「おい、エリか。自分の荷物くらい自分で持ちやがれ」

 

「柴田さんの分も持ってきたよ。事後承諾(しょうだく)で悪いけど、フロントが混みあってきたから」

 

 その途中で、エリカたちを呼ぶ少年二人の声が聞こえた。

 一人は聞き覚えのある、もう一人は聞いたことのない声。

 深雪は足を止めず振り返らずに、こっそり笑みを浮かべた。



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第八十話 思わぬ再会

 氷華は珍しく、選手の中では遅れてバスの中を(あと)にした。

 普段ならば、龍のいない場所などつまらないことこの上ないのでさっさと移動する。

 が、彼女は達也たちと同じように先ほどの「事故」が気になっていた。

 車両がスピンし始めたタイミングや跳び方が、どうも不自然に感じられたからだ。

 当時は魔法同士の相克(そうこく)(きら)い、あえて傍観を決め込んでいた。

 代わりに状況を注視していたからこそ、気づけたもの。

 そもそも現代の車はパンクしにくいタイヤの着用を義務付けられているし、万が一パンクしても、安全に目的地まで走行できるものがほとんどだ。

 もしかすると、あれは事故などではなく、事件だったのかもしれない‥‥‥。

 などと考えていたら、動きが止まっていたのである。

 暗い考えを振り払うように頭を振り、ホテルのエントランスに入った氷華は、目(ざと)くその人物を見つけた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 暗色系の少し地味な私服姿で、龍は氷華に手を上げて歩み寄った。

 

「どうだ、驚いたか?」

 

「もちろん。一般の人は泊まれないはずなのに、いったいどうやって‥‥‥」

 

 不思議がる氷華に対し、龍は人の悪い笑みを浮かべて問いかけた。

 

「実は、ある節のコネを使ってきたんだが、‥‥‥誰のコネか、分かるか?」

 

 この質問で、氷華は自分の疑問に対する答えを導きだした。

 

「もしかして、エリカも来ているんじゃない?」

 

「さて、どうだろうな」

 

 はぐらかされたが、すでに氷華は答えを確信していた。

 彼は自分の親友、エリカの持つ千葉家のコネを使ってここに来たのだと。

 友人に借りを作ってしまったことに後ろめたさを感じてはいたが、それよりもこの地で義兄と会えたことのほうが嬉しかった。

 準備期間中、龍は九校戦に秘密裏に参加すると約束してくれてはいた。

 ただ、彼は人に頼ることを嫌うので、どうやって会場に潜り込んでくるのか見当がつかなかったのだ。

 それが、氷華にとってはとてつもなく不安だった。

 だからだろうか、あまりの嬉しさに、彼女の目には少し涙が浮かんでいる。

 

「俺がここにいることが、そんなに嬉しかったのか‥‥‥?」

 

「うん!」

 

 はつらつとした答えに、龍は苦笑いを隠しきれない。

 

「あの~、すみません。失礼ですが、南海龍さんですか?」

 

 そこに突然、龍の背後から声が掛けられた。

 振り向くと、そこには美少女が二人。

 一人は童顔で小柄ながら、主張すべきものは主張しており、どこか人懐っこい印象を受ける。黄金(こがね)色の髪はツインテールに束ねられ、腰のあたりまで伸びていた。

 もう一人はまるでモデルのようにスレンダーな体型をしていながら、その顔つきは穏やかで母性を感じさせる。サイドテールにまとめられた銀白(ぎんはく)色の髪は、光り輝いているように見えた。

 彼女たちは受ける印象こそ違うものの、顔に限ればパーツの位置が似通っていることもあり、血のつながりを感じさせる。

 

「その通りだが‥‥‥?あっ」

 

「もしかして‥‥‥っ」

 

 龍と氷華には、その顔に見覚えがあった。

 

星菜(せな)(ねえ)陽菜(ひな)!久しぶりだな」

 

「そうだよ―!久しぶり―!」

 

 元気よく龍に抱きついてきたのは、一色(いっしき)陽菜。

 それを苦笑しながら見ていたのが、陽菜の姉である星菜。

 抱きついた陽菜に対抗心が湧いたのか、氷華は陽菜の反対側に抱きついた。

 

「ちょっと陽菜ちゃん、もう抱きつくような歳じゃないんだから‥‥‥星菜姉もなにか言ってよ」

 

「氷華だって、私のことを星菜姉って呼んでいるじゃない」

 

「そういう問題なの!?私には無駄に育った胸を押し付けているようにしか見えないんだけど」

 

「龍く―ん、氷ちゃんがセクハラ発言してくる―」

 

「現在進行形でお兄ちゃんにセクハラしている貴女には言われたくないわよ!」

 

 美少女二人に抱きつかれ、自分の両側で言い争われる。

 基本的に目立ちたくない性分の龍にとっては、望まない状況だ。

 

「星菜姉、助けてくれ‥‥‥」

 

 龍は弱々しい声で、星菜に助けを求めた。が、星菜は微笑むだけだ。

 この平和な日常の一コマは、以前は毎週のように繰り広げられていた。

 陽菜と星菜は龍の従姉妹(いとこ)であり、龍と氷華の幼馴染でもある。

 ただ、ここ最近は直接会うどころか連絡さえとっていない状態だった。

 

「残念だけど、私はそろそろ行かないと」

 

「あ、そうだよね。お姉ちゃんは忙しいから」

 

「俺も影ながら応援するよ、国立魔法大学付属第三高校の生徒会長さん?」

 

 ピタリ、と星菜の動きが止まった。

 

「どこで、それを?」

 

「敵情把握は戦術組立の基本だろ?」

 

「その、龍。私、本当は生徒会長なんてなりたくなかったの。それだけは分かってくれる?」

 

 その表情は、本当に申し訳なさそうなもの。

 だが、龍はそれを笑い飛ばした。

 

「経緯がどうであれ、生徒会長に選ばれたんだ。誇りこそすれ、俺に謝る必要なんてない。それに、選んでくれた人たちにも失礼だぞ」

 

「‥‥‥」

 

 一瞬だけ、本当に一瞬だけ悲しそうに(うつむ)いたが、星菜はそれ以上マイナスの感情を見せることはなかった。



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第八十一話 懇親会パーティー・前編

使っていたノートPCがお陀仏になりかけの状態だったので買い換えました。
データの移動とか設定とか、PCをただなんとなく使っていただけの自分にとってはすごく面倒で時間のかかる作業だった‥‥‥。


 九校戦参加者は選手だけで三百名、裏方を含めると四百名を超える。

 ゆえに、懇親(こんしん)会と(めい)打ったパーティーも相応に大規模なものになる。

 会場も必然的に大きなものになり、明らかにアルバイトと分かる若者が給仕服を着て会場内を行き来しているのも納得できるというものだ。

 しかし、その中に知り合いの姿を見つけたとなると、驚かずにはいられない。

 

「お飲み物はいかがですか?」

 

 聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこにはドリンクを載せたトレイを片手にエリカが立っていた。

 

「なるほど、そういうことか‥‥‥」

 

「どう?ビックリした?」

 

 楽しそうに笑うエリカに、達也は頷いた。

 

「よく潜り込めたな‥‥‥いや、そのくらいは当然か」

 

 場所が場所だ。

 たとえ日雇いのアルバイトであったとしても、高校生が簡単に雇ってもらえるような所ではない。

 コネの使い道を間違っているような気もするが。

 

「それにしても‥‥‥」

 

 彼らしくもなく、達也は言葉を(にご)した。

 さすがに本人を前にして、「それにしても化けたな」とは言いづらかったのだ。

 本人も年齢的にまずいということは分かっているらしく、エリカは随分大人びたメイクをしていた。

 これだけ間近に見ても、他のコンパニオンとそれほど変わらない年頃に見える。

 普段とは違う印象を受けるが、スレンダーな彼女には今の姿も似合っていた。

 

「ハイ、エリカ。可愛い恰好をしているじゃない。関係者ってこういうことだったのね」

 

 彼が黙り込んでしまった空白を、ちょうど補うタイミングで深雪が会話に入ってきた。

 

「そういうこと。ね、可愛いでしょ?達也君は何も言ってくれなかったけど」

 

 丈の短いドレス風の制服をフワリと揺らしてみせながら、エリカは不満げにそう言った。

 

「お兄様にそんなことを求めても無駄よ、エリカ。お兄様はきちんと、私たちの内面を見てくださっているから」

 

 それは過大で過小な評価だ、と達也は思った。

 今回に関しては、ただ単に言葉に詰まっただけである。女性の服を()めるくらいの気配りはできるつもりだ。

 

「なるほどね。達也君はコスプレなんかに興味はないか」

 

「それってコスプレなの?」

 

「あたしは違うと思うんだけど、男の子からするとそう見えるみたいよ」

 

「西城君のこと?」

 

「アイツじゃその程度のことさえ言えないって。ミキよ、コスプレって口走ったのは」

 

「‥‥‥誰?」

 

 深雪の問いかけに、エリカは「あっ」という表情を浮かべた。

 

「そっか。深雪は知らないんだっけ」

 

 そう呟くや(いな)や、エリカは呼び止める間もなくその場を走り去った。

 

「一体どうしたのでしょうか?」

 

「多分、幹比古を呼びに行ったんだろう。深雪も名前は知っているだろう?」

 

「お兄様と同じクラスの人ですね?」

 

 定期試験の上位者リストで話題になったからか、深雪もしっかり覚えていた。

 

「エリカとは幼馴染(おさななじみ)らしいからな。紹介するつもりじゃないのか?」

 

 なるほど、エリカのやりそうなことだった。

 何も言わずに、いきなり走り去ったことも含めて。

 

「深雪、ここにいたの」

 

「達也さんもご一緒だったんですね」

 

 そこに今度は、二人の女子生徒が話しかけてきた。

 

「ほのか、雫、わざわざ探しに来てくれたの?」

 

「‥‥‥君たちも、いつも一緒なんだな」

 

 そういえばこの二人は、達也が見ている限り、いつもコンビで行動しているような気がする。

 

「友達だから。別行動する理由もないし」

 

「そりゃそうか」

 

 照れもなく返された雫の答えに、達也は苦笑を()らした。

 達也が二人を名前で呼ぶようになったのは、先月のことだ。

 妙に熱心なほのかも印象的だったが、達也としては雫の無言のプレッシャーに押し切られたという面が強かった。

 

「他のみんなは?」

 

「あそこよ」

 

 深雪の質問に応えるほのかが指差す方を見てみると、慌てて目をそらす男子生徒の集団がいた。

 同じところに、一年女子も固まっている。

 

「バカバカしいな、同じチームメイトだろうに」

 

 竹を割るように断じたのは、新たな声。

 

「龍も来ていたんだな」

 

「俺が氷華を大人しく見送るとでも思っていたのか?」

 

 (あい)も変わらず冗談なのか本気なのか分かりづらいことを言いながら、龍が達也たちの輪の中に入ってきた。

 彼の格好は、白いシャツに黒の蝶ネクタイ。

 エリカの服装をメイドに例えるならば、こちらはまるで召使いだ。

 背後ではドリンクが入ったグラスを持つ氷華と、同じくグラスを持って氷華と談笑している見慣れぬ少女の姿があった。

 

「その様子だと、すでにエリカとは会っているみたいだな」

 

「へえ、貴方が、龍くんのクラスメイト?」

 

 達也と龍の会話に割り込んできたのは、ついさっきまで氷華と話し込んでいたはずの少女だった。

 

「‥‥‥君は?」

 

「初めまして。私は第三高校一年の、()()陽菜って言います」

 

「えっ、一色って、あの!?」

 

 達也たちの中で最も大きく反応したのは、ほのかだった。

 魔法師社会において、十師族に次いで権勢を誇っているのが師補十八家(しほじゅうはちけ)と呼ばれている。

 その中でも特に別格扱いされているのが『一色』。

 だからほのかが思わず声を上げたのも、無理のないことだった。

 

「陽菜は俺の従妹(いとこ)でな。クラスメイトに会わせてくれって言うから、連れてきたんだ」

 

「「「「えっ」」」」

 

 そして龍の口から飛び出した爆弾発言によって、今度は達也たち全員が声を上げてしまったのだった。



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第八十二話 懇親会パーティー・中編

 達也たちが驚きの声を上げると、龍は苦笑いした。

 

「まあ、そういう反応になるよな」

 

 これにはさすがの達也も驚いていた。

 ただし、百済家と一色家が血縁関係にあったことにではなく、今この場で龍がさらりと暴露したことに対して、だが。

 

「あ、あの‥‥‥一色、さん?」

 

「あはは、そんなにかしこまらなくてもいいよ~。私はそういうの気にしないから、普通に陽菜って呼んで?」

 

 おそるおそる話しかけた雫に、陽菜はあっけらかんとした調子で笑いかけた。

 

「私は北山雫。私も雫でいい。それで、もしかして陽菜のお姉さんって‥‥‥」

 

「あ、やっぱり違う学校でも気づく人いるんだ。そうだよ、私のお姉ちゃんは三高の生徒会長をやってるの」

 

「わ、私、光井ほのかって言います!あの、三高の生徒会長さんといいますと、『重力姫(グラビティ・プリンセス)』って呼ばれてませんでしたか?」

 

「そうなんだけど、あれ、本人は嫌がってるからね」

 

 陽菜の言葉に、ほのかと雫は目を丸くした。

 

「そうなんですか!?」

 

「九校戦で活躍した選手に二つ名がつくことがあるのは知っていたけど、それは初耳。てっきり、本人が名乗っているんだと思ってた」

 

「そんなわけないでしょ。第一、名乗っておいて大した活躍もできずに敗退したら赤っ恥じゃない」

 

 二人の驚きように、思わず呆れ声を出してしまった陽菜。

 

「‥‥‥確かに」

 

「‥‥‥言われてみればそうですね」

 

 顔を見合わせた雫とほのかを見て、彼女は笑う。

 

「あなたたち、本当に仲がいいのね」

 

「はい、親友みたいなものですから」

 

 ほのかの言葉は多少羞恥(しゅうち)を含んではいたが、だからこそ、それが彼女の本心であることを物語っていた。

 陽菜はそれを見て、クスリと笑う。

 そして―その視線は少し移ろったあと、達也を確実に(とら)えた。

 

「‥‥‥へえ」

 

 ジロジロと全身をくまなく見られているような感じがして、正直達也にとっては居心地が悪い。

 だが、受けている視線は悪感情を含んではおらず、純粋な好奇しか感じないのも確か。

 どう反応するべきか、少し迷っている間に彼女の視線はまっすぐ達也の目へと向いた。

 

「ごめんね、ジロジロ見るような真似して。ちょっと気になっちゃってさ!」

 

「いや、大丈夫だ。こちらこそ、黙りこんでしまってすまない」

 

 少しおどけた調子で謝る陽菜。

 下手をすれば空気が悪くなるところだが、そこは彼女の天真爛漫な雰囲気ゆえか、そんな気配は微塵(みじん)もない。

 

「俺は司波達也。こっちは妹の深雪だ」

 

「よろしくお願いします、一色さん」

 

 いつの間にか自分の後ろに控えていた深雪を紹介すると、陽菜の動きがピタリと止まった。

 目を大きく開いて。

 

「‥‥‥えっ、すっごおい!こんなお人形さんみたいな子、初めて見たんだけど!」

 

 急に大声を出して驚きを(あら)わにしたかと思えば、

 

「ちょっとちょっと、どうして先に紹介してくれなかったの?」

 

 と氷華を問いただし、

 

「私のこと呼び捨てでいいからさ、私も深雪って呼んでもいい?」

 

 次の瞬間には深雪に詰め寄り、

 

「こんな綺麗な女の子と知り合ってたなんて、龍くんも(すみ)におけないじゃん!」

 

 同時に龍の肩をゆすりながら軽くからかっている。

 達也としては誰かを彷彿(ほうふつ)とさせる立ち振る舞いに苦笑するしかないし、現在進行形で絡まれている深雪に至っては若干引いているのだが、陽菜がそれに気づく様子はない。

 こうなれば、誰かさんと同じく彼女はもう止まらないだろう。

 にわかに騒がしくなったパーティー会場の一角で、龍は(あき)れまじりのため息をするしかなかったのだった。

 

 

 

 

 

 陽菜が落ち着きを取り戻したあともしばらく歓談が続き、達也たちと別れるころには、パーティーは佳境を迎えつつあった。

 龍は途中でウェイトレスの仕事に戻っていったし、深雪は今しがた雫とほのかと一緒に一高の一年女子のグループに送り出したところ。

 深雪は少し不満そうにしていたが、達也のチームワークを心配する気持ちもよく理解していたから、素直に向かっていった。

 よって達也は現在、完全にフリーの状態だ。

 

「あれっ?深雪は?」

 

 が、一秒もたたないうちに後ろから話しかけられ、手持ち無沙汰(ぶさた)になることはなかった。

 振り返ると、エリカは達也の予想通り、幹比古を(ともな)っている。

 

「クラスメイトの所へ行かせた。後で俺の部屋に来るから、その時に紹介するよ」

 

 選手もスタッフも基本はツインの部屋だが、真由美が気を(つか)って機械番の名目のもと、ツイン・シングルを割り当ててくれたのだ。

 

「あ、うん」

 

 幹比古の反応は、残念そうというよりはホッとした色合いの強いものだった。

 

「‥‥‥無理にとは言わんぞ?」

 

「‥‥‥え?」

 

 すぐに自分に掛けられた言葉とは分からなかったのだろう。

 幹比古の回答には少し間があった。

 

「いや、そういうわけじゃないよ!ただ、さすがに初対面でこの格好というのはちょっと恥ずかしかったからね」

 

 そう言う彼が来ているのは、龍が着ていたのと同じ服装。

 ただ、龍と比べると若干年下のように見えるのは、幹比古が細身だからだろうか。

 

「別におかしくはないと思うぞ?龍は普通に着こなしていたし、ホテルの従業員ならそんなものじゃないか?」

 

「ほら見なさい。自意識過剰(かじょう)なのよ、ミキは」

 

「僕の名前は幹比古だ」

 

 どうやら幹比古は、今の自分の姿が余程気に入らないらしい。

 

「ところで、あとの二人はどうしたんだ?」

 

「レオは厨房(ちゅうぼう)で力仕事、美月はお皿を洗ってるよ」

 

 要するにあの二人は、裏でキッチン用オートメーションを操作しているということらしい。

 

「僕もそっちのはずだっただろう。なぜいきなり給仕をさせられてるんだ!?」

 

 しかし幹比古は当事者だけあってか、達也と違って納得できない様子だ。

 

「何度も説明したじゃない。チョッとした手違いだって」

 

「説明になってないじゃないか!さっきだって、他校の先輩たちに絡まれて大変だったんだぞ!」

 

「お姉さま方に囲まれていた、の間違いでしょ?それに助けてあげたんだから、文句を言われる筋合いはないはずよ」

 

「そういうことじゃない!」

 

「ハイハイ、(さわ)がないの。それよりも仕事よ仕事。ほら、あっちのお皿空いてるじゃない」

 

「‥‥‥後で覚えていろよ、エリカ」

 

 そう言い捨ててテーブルへ向かった幹比古だったが、達也にはその声にあまり本気が感じられなかった。



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第八十三話 懇親会パーティー・後編

 大規模な立食形式のパーティーとなれば、当然料理を用意するテーブルも中央に一つ、というわけにもいかない。

 それぞれのテーブルのそばに各校の生徒が固まってしまうのは例年のことだ。

 もっとも、幹部に限ってはそうもいかない。

 深雪は真由美に声を掛けられて、クラスメイトと別れて生徒会メンバーと同行していた。

 他校の生徒会役員と表面上は笑顔で挨拶を交わす(かたわ)ら、腹黒い探り合いを演じる真由美と鈴音の背後で、エリカを見送る兄をこっそり横目で見つめる。

 声にも表情にも出さず、心の中だけでため息を吐いた。

 深雪は達也を誰よりも高く評価しているが、それでも完璧な人間と考えているわけではない。(ある種の超人だとは考えているが)

 兄には少なくない欠点がある、と深雪は思っている。

 その一つが、他人から寄せられる好意を信じられない、ということだ。

 これはある意味、仕方がないことでもあるのだが‥‥‥。

 それでも、可愛い同級生から好意を向けられているのに、その後ろ姿を()めた目で見送っている兄の姿には、切なささえ覚えてしまう。

 兄は視線には気がついていても、自分がどんな想いを抱えているのか、想像もしていないに違いない。

 そう思って、深雪はますます切なくなってきた。

 そして、だんだん腹が立ってきた。

 

(‥‥‥これはもう、一度文句を言わなければ。あまり鈍感すぎるのは、お兄様のためにもならないはずよ)

 

 (しと)やかなアルカティックスマイルの下で、深雪はそう決意した。

 

 

 

 

 今、真由美たちと表面的には談笑しているのは、第三高校の生徒会役員たちだ。

 その背後で、三高の一年男子がこっそり(ささや)きあっている。

 さすがは尚武(しょうぶ)の校風を掲げるだけあって、先輩の情報戦に耳を(かたむ)けて戦力分析に(いそ)しんでいる‥‥‥

 

「見ろよ一条、あの子、めちゃくちゃ可愛くね?」

 

「確かに一条なら、あんな美少女でもイケるだろ」

 

‥‥‥わけではなかった。

 ただ、その輪の中心にいる生徒は、盛り上がる仲間に応えもせず、じっと話題の女子生徒を見つめている。

 凛々(りり)しい顔立ちに高い身長、広い肩幅と引き締まった腰、長い脚‥‥‥と、いかにも女性が好みそうな外見をしているのは、一条将輝(まさき)

 

「‥‥ジョージ、あの子のこと、知ってるか?」

 

 彼が話しかけたのは、吉祥寺(きちじょうじ)真紅郎(しんくろう)

 小柄だが、良く鍛えられた身体つきをしている。

 ジョージは彼のあだ名だった。

 

「ああ、彼女の名前は司波深雪。一高一年のエースらしい」

 

 吉祥寺は、将輝の質問に考える素振りも見せず即答した。

 

「そうか‥‥‥」

 

「珍しいね、将輝が女の子に興味を示すなんて」

 

 吉祥寺の意外感と好奇心が混ざった発言に、他の生徒たちが同調する。

 しかし、将輝は黙りこんだまま応えない。

 ただ露骨(ろこつ)にならないように、時折視線を外しながら深雪を見つめているだけだ。

 その視線には、ただならぬ熱が込められていた。

 

 

 

 

 来賓(らいひん)の挨拶が始まると、高校生たちは食事と談笑を中断し、必要以上に真面目な態度で大人たちの声に耳を傾けていた。

 エリカが仕事に戻ってからは手持ち無沙汰(ぶさた)だった達也にとって、入れ替わり立ち代わり壇上に現れる魔法界の名士の顔を見るだけでも、いい暇つぶしになった。

 初めて見た顔もいれば、知っている顔もある。

 その中でも特に達也が注目していたのは、「老師」と呼ばれている久島(くどう)(れつ)

 この国に十師族という序列を確立し、二十年ほど前まで世界最強の魔法師の一人と評されていた人物だ。

 最強の名を維持(いじ)したまま第一線を退き、以来ほとんど人前に姿を現さないこの老人は、なぜかこの九校戦にだけは毎年顔を見せることで知られている。

 年齢はそろそろ九十近いはずだが、その魔法力はどの程度残っているのだろうか。

 達也がそう思っているうちに、司会者がいよいよその名を告げた。

 達也だけでなく、会場全体が息を()んで、九島老人の登壇を待つ。

 そしてー現れたのは、若い女性だった。

 意外すぎる事態に、ざわめきが広がる。

 しかし、達也は真相に気がついていた。

 彼女の背後に、一人の老人が立っている。

 ただ、自分たちの視線が若い女性に吸い寄せられているだけだ。

 おそらくは、単純な精神干渉魔法が会場全体を覆うように発動しているのだろう。

 

(これがかつて最強、いや「最高」にして「最巧」と(うた)われた「トリックスター」、久島烈か‥‥‥)

 

 達也の視線に気がついたのか、老人がニヤリと笑った。

 それは、少年が悪戯(いたずら)を成功させた少年のような笑顔。

 女性が脇にどくと、ライトが老人を照らし、大きなどよめきが起こる。

 ほとんどの者には、九島老人がいきなり現れたように見えたことだろう。

 

「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」

 

 その声は、とても九十近いとは信じられないほど若々しいものだった。

 

「今のはちょっとした余興だ。魔法というより、手品の(たぐい)だ。しかし、手品のタネに気がついた者は私の見たところ、五人だけだった。つまり、もし私が君たちの塵殺(おうさつ)目論(もくろ)むテロリストだったとしても、それを(こば)むべく行動を起こせたのは五人だけだったということだ。魔法を学ぶ若人(わこうど)諸君。魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。そのことを思い出してほしくて、私はこのような悪戯を仕掛けたのだ。これから行われる数々の競技、私は諸君の()()を楽しみにしている」

 

 戸惑いながら手を叩く少年少女の中で、達也は同じように手を叩きながらも、声に出さず笑い続けた。

 この国の魔法師の頂点に立ちながら、今の魔法師社会の()り方に(さか)らうことを(すす)める老魔法師。それは見方を変えれば、無責任な態度だ。

 だが彼は、それを分かりやすい形で実演して見せた。しかも、達也には真似(まね)のできないレベルで。

 

(これが「老師」、か‥‥‥)

 

 この国にはまだまだ、自分が学ぶべき魔法師がいる。FLTの研究室では分からなかったことだ。

 達也はこの時、そう思った。



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第八十四話 懇親会パーティー・裏

 パーティー終了後、一度それぞれの高校のメンバーと合流していた氷華と陽菜は、示し合わせたかのようにホテルのロビーで再会した。

 

「やっぱりここにいたのね」

 

「ここならはっきり待ち合わせしていなくても会えそうだったから」

 

 二人は特に待ち合わせの約束をしていたわけではなかった。

 だが、積もる話を消化するにはパーティーの時間だけでは不十分で、物足りなかったのは事実。

 自然とお互いが相手を探そうとして、人の流れが集中する場所に足が向いたのも不思議ではなかった。

 

「それにしても、陽菜ちゃん」

 

「ん?」

 

 コテン、と不思議そうに首を傾げる陽菜。

 昔からその燐片(りんへん)は見せていたが、どうやら成長してますますあざとさが増したらしい、

 そう頭の片隅で思いながら、氷華は先ほどどうしても切り出せなかった話題を投げかけた。

 

「今のお兄ちゃんは‥‥‥どう思う?」

 

 彼女にとって、最大の懸念はこれだった。

 こうして会って、直接言葉を交わすのは実に四年ぶり。

 思春期の少年少女にとっては、あまりにも大きな隔たりだった。

 パーティー中、表面上は昔と同じように彼の前で振舞(ふるま)っていた陽菜だが、今の彼を見てどう感じたのか。

 

「どうって言われてもなんとも言えないんだけど、好きか嫌いかってことなら好きだよ」

 

「なら、よかった」

 

 少なくとも、今は。

 氷華は心の中でそう付け足すと、笑顔を見せた。

 

「それじゃあ、続きはお兄ちゃんの泊まっている部屋でしよっか。さっき教えてもらったの」

 

 体の向きを変えて歩き出した彼女は、気がつかなかった。

 背後で陽菜が、細く長いため息を吐いていることに。

 

 

 

 

 龍が泊まっているフロアは、最上階の一つ下だった。

 ここにいるのが当然とばかりに堂々と歩く氷華とは対照的に、陽菜はどこか不安げにその後ろを歩いている。

 

「氷ちゃん、ほんとにこのフロアなの?ここ、生徒立ち入り禁止エリアだよ?」

 

「さすがはお兄ちゃんだよね。防衛軍もよく分かってるじゃない」

 

 最上階とこのフロアは、大佐クラスやVIP待遇の来賓が使用する専用エリア。

 陽菜が不安に思うのも、無理のないことだった。

 

「そういう問題じゃないと思うんだけど‥‥‥」

 

「あ、この部屋だね」

 

 陽菜との会話をぶった切る形で、氷華が目的地への到着を告げる。

 陽菜は少し憮然(ぶぜん)として小言を言おうとした。

 が、ついさっきまで気楽だった氷華の雰囲気が急変したのを感じ取り、文句を飲み込んだ。

 

「氷ちゃん?」

 

「‥‥‥部屋の(かぎ)が開いてる」

 

 氷華の声は、少しだけ強張(こわば)っていた。

 今どきのホテルは全個室オートロック式が当たり前で、通常、室内に入ろうとすると必ず鍵が()かる。この施設も例外ではない。

 もしや、義兄の身に何かあったのか――

 そんな不安に駆られながら、氷華はゆっくりとドアを開けた。

 

 

 

 

 

 部屋の中に光はなかった。

 夏の夜の闇そのものが、部屋全体を覆っている。

 陽菜が思わず半歩下がったのは、闇に対する原始的な恐怖のせいか、それとも部屋に満ちる異様な雰囲気を感じ取ったからか。

 どちらにしても、氷華にとっては陽菜を気遣うことができない、それどころではない状況と判断するに充分(じゅうぶん)すぎた。

 脳裏に()ぎるのは、あの日の出来事。

 光が届かない真っ暗な部屋。

 本能が警鐘を鳴らす異様な雰囲気。

 そして心を絞めつける、胸の痛み。

 あれは、氷華にとって夢の象徴であり、

 

「‥‥‥お兄ちゃん?」

 

「‥‥‥‥‥‥あまり近づかないでくれ」

 

――そして、龍にとって、(あやま)ちの象徴だった。

 

「それは(いや)

 

 氷華は毅然(きぜん)とした態度でゆっくりと、闇の中に足を踏み入れる。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 壁(づた)いに置いていた手がスイッチに触れ、照明が部屋を明るく照らし出す。

 龍は、備え付けの椅子に座っていた。

 右手にサバイバルナイフを握り、左腕から真っ赤な血を(したた)らせながら。



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第八十五話 語られる真実

2024/04/03追記:読み返してみて、あまりにも酷い文章展開だったので1000字程度の加筆と若干の修正、サブタイトルの修正を行いました。


 陽菜はしばらくの間、呆然としていた。

 氷華に手を引かれてシングルベッドに座らされていなかったら、おそらく入り口で棒立ちしたままだっただろう。

 二人が部屋に入ってからすでに三十分以上経過しているが、いまだに陽菜の思考は働かない。

 ただ、鼻に残る血特有の鉄のような(にお)いが、これが夢ではないと訴え続けている。

 

「はい、これでとりあえずは大丈夫だよ」

 

 応急処置を終えた氷華は、最後にもう一度龍の左腕を確認して言った。

 いくつもの傷が刻まれた腕を見た氷華の行動は、迅速の一言に尽きるものだった。

 龍に駆け寄ると真っ先に腕を()らしていた血液の水分を蒸発させて止血。

 (きびす)を返して自分の部屋に戻り、ガーゼと包帯が入ったカバンを手に再びやってくると、傷口にガーゼをあてて素早(すばや)く包帯を巻く。

 次に、床に流れ落ちた血を魔法で空気中に発散させる。

 そして、ゆっくりと時間をかけて治癒(ちゆ)魔法(細胞膜同士を結合させる魔法)で傷口をふさぐ。

 

「お兄ちゃん、分かってると思うけど」

 

「魔法による治療(ちりょう)では、仮に治っているだけだ。‥‥‥身をもって知っているから、大丈夫だよ」

 

 氷華のセリフを引き継ぐかたちで言うと、龍は力を抜いて椅子の背もたれに身を預けた。

 

「驚かせてすまなかったな、陽菜。氷華も、迷惑をかけてごめん」

 

 その表情は暗く、疲労を色濃く映し出している。

 ウェイターの仕事だけでこれだけの疲労を抱え込むとは、誰がどう見ても考えられない。

 なにより先ほどの自傷行為が、ただの体力の限界からくるものではないと証明している。

 ならば、精神的な原因があるはずだ。

 氷華には一つだけ、その心当たりがあった。

 

「こっちこそごめんね、お兄ちゃん。私が、来てほしいなんて言ったばっかりに」

 

「それは違うよ、氷華。俺が悪い。‥‥‥俺が、悪いんだ」

 

 氷華のセリフに(かぶ)せるようにして訂正した龍は、自嘲しながら笑みを浮かべた。

 

「ここに来た以上、顔を見ることになるのは分かっていたはずなんだがな。まったく、自分が(なさ)けない」

 

「龍くん、あの‥‥‥」

 

 疲れきった表情の龍に、陽菜が遠慮がちに声を掛けた。

 その顔からは、戸惑いと躊躇(ためら)い、ほんの少しの恐れが読み取れる。

 

「そう、だな。陽菜には、いつか話さないといけないと思っていた。‥‥‥それが今なのかどうかは、分からないけどな」

 

 龍はムクリと身を起こすと、陽菜の瞳を覗きこんだ。

 

「四年前の八月‥‥‥俺は、両親を亡くした」

 

 彼の声は、震えていた。

 よく見れば、身体もわずかに震えている。

 

「‥‥‥龍くん‥‥‥」

 

 そんな姿を見て、陽菜は耐えられなくなって龍に優しく抱きついた。

 もちろん、怪我(けが)をしている左腕は避けて。

 

「つらかったら話さなくていいよ。私は、龍くんが苦しむところをこれ以上見たくないから」

 

 しかし、龍は首を横に振った。

 

「いや、それでは駄目(だめ)なんだ。俺はもう、後悔したくない。だから、陽菜。俺の(ため)を思うなら、話を聞いてほしい」

 

「そんなの、ずるいよ‥‥‥」

 

 俺の為に。

 そう言われてしまったら、陽菜は拒むことなどできなかった。

 

「あのとき、俺たちは普通の事故に()ったことになっているが‥‥‥実際には、魔法事故だったんだ」

 

 初耳であった。

 そんな話は少しも知らなかったし、そもそも直接の死因さえ知らされていなかったからだ。

 まあ小学生だった当時、その話をされても理解できたかどうかは分からないのだが。

 

「実は、ある筋から極秘ルートで新型魔法の開発を依頼されていてな。事故は、その初回試験で起きた。保護者同伴というかたちで、二人を連れてきていたのが運の()きだった」

 

 龍は力なく首を横に振り、ため息を吐いた。

 

「でも、龍くんが神才(ゴルティス)なのは、秘密だったはずなのに‥‥‥」

 

「それは、俺が未成年だったからだ。もともと俺が成年したら公表する予定だったから、そんなにひた隠しにするつもりもなかった。つまり、分かる人間には分かってしまう程度の秘密だったんだ」

 

 もう一度、ため息。

 

「少し話がズレたな。元に戻すと、魔法自体は無事に発動した。そう、魔法は、な」

 

「それって‥‥‥」

 

「試験用建屋が、魔法に耐えられなかったんだ。吹き飛びこそしなかったが、倒壊した。俺も、両親も、落ちてきた天井の下敷きになった」

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

「結果、参加者十名中俺の両親を含め死亡三名、重傷者六名、軽傷者一名の大惨事だ。もちろん試験は中止、依頼も白紙撤回された。おまけに、最重要機密につき他言無用、と釘を刺されてな」

 

 部屋には物音ひとつ聞こえず、自分の呼吸音がやけに(うるさ)く感じる。

 龍は三度、ため息を吐いた。

 

「‥‥‥依頼内容は汎用CADで発動可能な新型戦略級魔法の設計(およ)び試験の実施。依頼主は直接的には防衛軍、そのバックに久島烈と当時の十師族当主たち。ちなみにこの件は国の第一種機密事項に指定されているから、(にお)わせただけでも懲役十年以上の実刑判決が確定するぞ」

 

 龍の口から語られたのは、あまりにも衝撃的な事実だった。

 あまりのショックに、ヘナヘナと床に座りこんでしまった。

 嘘であってほしいと思ったが、龍の目はそれが事実だと伝えていて。

 否定できない、否定できるだけの判断材料を持ち合わせていない陽菜は、信じたくなくてもそれが事実だと、頷いて受け入れることしかできなかった。

 

「‥‥‥お兄ちゃん。ドアのロックが掛かっていなかったのは、わざと?」

 

 一方、氷華が()いたのは、四年前のことではなくついさっきのこと。

 意識を過去に飛ばしているようにも見えていた龍は、はっきりと彼女の顔を見た。

 

「ああ、あれはわざとだな」

 

 当初の近づくな、という言動とは相反する行動は、彼の不安定さが発露(はつろ)した結果だろうか。

 氷華の目にも陽菜の目にも、今の彼は普段とは比べ物にならないほど精神が不安定になっているように見えた。

 

「今日はひどく疲れたな‥‥‥悪いが、もう休んでもいいか?」

 

 龍の放った珍しいセリフに、二人は顔を見合わせた。

 言外に、一人にしてほしいと言っているのだが‥‥‥今の彼を一人にするのは、どう考えても悪手。

 

「休むのはいいと思うよ。でも、私と一緒に、ね」

 

 先に動いたのは氷華だった。

 笑顔で同衾(どうきん)の提案をすると、素早く龍に抱きつき、柔らかな二つの膨らみを押し付けた。

 

「ひょ、氷華?」

 

「氷ちゃん‥‥‥?」

 

 突拍子もない行動に驚く、龍と陽菜。

 そんな二人の反応にはお構いなしに、氷華は龍の耳元に唇を寄せた。

 

「お兄ちゃん。今は、私を見て。私だけを見て」

 

 脳に直接吹きかけられるような、悪魔の(ささや)き。

 

「大丈夫だよ。私が、何があっても守ってあげるから。だから、今は力を抜いて、楽になろ?」

 

 龍は特に抵抗を見せることもなく、静かにしていた。

 いや、よくよく耳をすませてみれば、(わず)かながらに寝息が聞こえてきている。

 

「氷ちゃん、今のは‥‥‥なに?」

 

 顔を少し赤らめながら、陽菜は今起きたことの説明を求めた。

 

「なにって、簡単な催眠術?みたいなものかな。一応魔法も使ってるけどね」

 

 氷華はニコリと笑うと、人差し指を立てて唇と交差させた。

 

「あまりうるさくするとお兄ちゃんが起きちゃうから、今は我慢してほしいかな。後で詳しく説明してあげる」



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第八十六話 温泉での一幕

 懇親会が前々日に(もよお)されたのは、前日を休養に()てるためだ。

 スタッフは最後の追い込みに余念がないが、選手は各自のやり方で英気を養っている。

 とはいえ、一年生の出番は大会四日目に始まる新人戦から。今の段階では緊張よりも興奮と高揚(こうよう)が勝っているのも仕方のないことだった。

 夕食後、今夜も達也の部屋に遊びに来ていた深雪、ほのか、雫の三人だったが、彼が起動式のアレンジに取り掛かるというので早めに自分たちの部屋へ引き上げた。

 女の子が集まって夜通しすることといえば、これはもうお(しゃべ)りと相場が決まっている。ここ最近の話題はやはり、九校戦が中心だった。

 時計はそろそろ午後十時を示そうとしている。

 突然扉をノックする音がして、三人は同時に立ち上がった。

 

「あっ、私が出るよ」

 

 他の二人を制したのは、扉に一番近かったほのか。

 

「こんばんは~」

 

「あれっ、エイミィ。他の皆もどうしたの?」

 

 開いたドアから顔をのぞかせたのは、ルビーのような光沢の紅い髪が印象的な、小柄な少女。深雪たちのチームメイトの、明智(あけち)英美(えいみ)だった。ちなみに、エイミィはニックネームだ。

 彼女の背後には、四人の同級生の姿があった。

 つまり、一高新人戦女子チームのメンバーがほとんど(そろ)っていることになる。

 

「うん、あのね、ここって温泉があるのよ」

 

「そういえば、このホテルの地下は人口の温泉になっていたわね」

 

 深雪がいち早く英美の言いたいことが理解できたらしく、補足を入れる。

 

「だからさ、皆で温泉に行こうよ」

 

 突拍子(とっぴょうし)もない英美のセリフに、深雪はほのかと顔を見合わせた。

 ほのかの方も、深雪と同じように感じているようだ。

 

「入れるの?ここ、軍の施設だよ」

 

 しかし代表して英美に質問したのは、一番奥に立っていた雫だった。

 普通のホテルならともかく、ここではあらかじめ使っていいと言われている施設以外は立ち入ることすらできないはずだ。

 

「試しに頼んでみたら、許可してくれたよ。十一時までならOKだって」

 

 が、雫の懸念(けねん)は英美によってあっけらかんと否定された。

 

「さすがはエイミィ」

 

 ほのかが()らした呆れ混じりの(つぶや)きも、得意げな様子の英美には効果がないようだった。

 

 

 

 

 地下の大浴場は、彼女たちの貸し切り状態だった。

 まあ、もともとグループ風呂として運営されているらしかったが。

 そして軍事施設だけあって、身体を洗うのは手前のシャワーブース、中は水着または湯着着用という仕組みになっていた。

 英美がぬかりなくホテルから借りてきた女性用湯着は、帯を使わないミニ丈の薄い浴衣(ゆかた)、という表現がしっくりくる物だった。

 そのせいで、浴室内で各々のスタイルをめぐってひと悶着あったが‥‥‥。

 少女たちがいつもの調子を取り戻すと、浴室は(にぎ)やかなさえずりで満たされた。

 オシャレと恋愛話がお気に入りのテーマなのは、今も昔も変わらない。

 お湯に()かりながらのお喋りは、自然と懇親会で見かけた男性の(うわさ)話になった。

 

「そういえば三高の一条君ってさ、深雪のことを熱い眼差(まなざ)しで見てたね」

 

「もしかして一目惚(ひとめぼ)れかな?」

 

「実は前から知り合いだったりして」

 

 キャー、という歓声が上がった。

 

「深雪、どうなの?」

 

 その黄色い声に同調しなかった雫が、大真面目な口調で深雪に問いかけた。

 

「‥‥‥真面目に答えさせてもらうけど、一条君のことは写真でしか見たことがないわ。会場のどこにいたのかも気がつかなかった」

 

 (ひど)いと言おうか冷たいと言おうか、このセリフを聞かせるだけで三高の戦力は大幅にダウンするのではないかと思わせる深雪の答えに、ワクワクしながら耳を傾けていた少女たちは揃って鼻白(はなじら)んだ。

 しかし、めげないキャラクターはどこにでもいるものだ。

 

「じゃあ、深雪の好みってどんな人?やっぱり、お兄さんみたいな人かい?」

 

 一番(はし)で浴槽の(ふち)に腰かけていたD組の里美(さとみ)スバルという少女が、少年のようなハンサムな口調で言った。

 深雪は(あき)れた表情を浮かべて答える。

 

「何を期待しているのか知らないけど、私とお兄様は実の兄妹よ?恋愛対象として見たことはないし、お兄様みたいな人が他にいるとも思ってないわよ」

 

 それを聞いて、スバルと英美は明らかにガッカリした表情を浮かべた。(スバルの方はやや芝居(しばい)臭かった)

 それ以上、深雪と達也の関係を問う声はなかった。

 しかし、今この湯船の中に二人、深雪の答えを額面通りに受け取っていない少女がいた。

 深雪の「恋愛対象として見ていない」という言葉以上の何かを、ほのかと雫は感じていた。



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第八十七話 真夜中の侵入者

 達也は深雪たちを部屋に返した後、作業車で起動式のアレンジをしていた。

 時計はそろそろ、日付の更新を示している。

 

「司波君もそろそろ切り上げた方がいいよ」

 

「もうそんな時間でしたか」

 

 声を掛けられて周りを見れば、車内はすでに彼ともう一人を残すのみとなっていた。

 

「司波君の担当する選手の出番は四日目以降なんだから、あまり最初から根を詰めない方がいいと思うよ」

 

「そうですね。では、失礼します」

 

 あえて一緒に引き上げようとは言わずに、達也は作業車を後にした。

 

 

 

 

 真夏は真夜中で会っても、あまり気温が下がらない。

 すぐには部屋に戻らず、ホテルの周りをブラブラ歩いていた達也は、妙に緊張した気配を感じた。

 隠そうとして隠しきれていないこの気配は、かなり暴力的で好戦的だ。

 

(数は三人。場所は‥‥‥ホテルを囲む、生垣(いけがき)に偽装したフェンスの間際か)

 

 ホテルの敷地の外側でも、彼らがいるのはすでに軍の敷地内。

 そのセキュリティを破って侵入してきた(ぞく)だ。

 CADは手元にないが、そんな危険な存在を放置しておくことはできない。

 達也は足音を消して()け出した。

 彼の感覚は、同じように不審者へ向けて近づいている知人を(とら)えていた。

 達也に劣らぬ隠密技術。

 最初の位置関係から、不審者への接触は向こうが――幹比古の方が早い。

 特定の魔法に特化した彼の魔法力は、特定魔法に限るならCADがなくとも他の魔法師がCADを使用した場合と同等のスピードと精度と威力で行使しうる。

 援護のための術式を、走りながら達也は編み上げた。

 

 

 

 

 幹比古が不穏な気配に気がついたのは、彼が魔法の訓練をしていたからだった。

 ホテルの建物から離れ、人気のない場所を見つけて、彼は日課となっている精霊魔法の基礎訓練を始めた。

 幹比古は始めてすぐ、ホテルの敷地外に人がいることに気がついた。

 訓練の応用で、感覚の糸をその方向で伸ばす。

 糸にかかったのは、悪意。

 幹比古の顔が、緊張に引き締まる。

 誰かを呼ぶか、それとも自分で対処するか、とっさに迷った。

 そして、幹比古はホテルではなく、悪意へ向けて駆け出した。

 照明はまばらだが、幹比古は実家で暗闇の中で行動する訓練を積んでいる。仮に星明りだけでも、不自由はない。

 悪意が明確な人の気配として捉えられるまでに接近したところで、幹比古は呪符を取り出した。

 符に想子(サイオン)を込め、術を放つ。

 幹比古の手元に閃光(せんこう)が生じ、それに呼応するように賊の頭上に電子が集まっていく。

 電撃が賊を襲うまで、半秒もかからない。

 だが、それは引き金を引く時間も同じ。

 達也は一瞬でそう判断し、準備していた魔法を発動――しなかった。

 三人の持つ拳銃は、『何か』によって破壊された。

 その直後、空中に生じた小さな雷が、三人の賊を撃ち倒す。

 

「誰だ!」

 

 幹比古が(するど)く問いかけた相手は、倒れている相手ではなく、背後から駆け寄ってくる魔法師だった。

 

「俺だ」

 

「達也?」

 

 達也は短く答えると、そのまま二メートル超の生垣を飛び越える。

 幹比古はそれを呆気(あっけ)にとられて見送っていたが、ハッと我を取り戻すと慌てて達也の後を追った。

 彼が生垣の向こう側に降り立ったとき、達也は倒れた賊の(かたわ)らに(ひざ)をついていた。

 

「死んではいない。いい腕だな」

 

「え?ああ、うん、ありがとう」

 

 幹比古は反射的に答えていたが、達也が何を褒めているのか一瞬理解できなかった。

 すぐに、自分の魔法についてだと気づいたが。

 

「それで、コイツらの処置だが、俺が見張っているから警備員を呼んできてくれないか?」

 

「分かった」

 

 一度正常な思考を取り戻してしまえば、幹比古の行動は早かった。

 呪符を取り出し、生垣を飛び越えていく。

 幹比古が離れていくのを確認してから、達也は暗闇に話しかけた。

 

「そろそろ出てきてくれませんか、少佐」

 

「気づいていたのか」

 

「なんとなくですがね」

 

 上司であり兄弟子でもある風間の存在を、はっきりとではないが感知していた達也は、驚くこともなくぞんざいに敬礼した。

 風間はそれに応じると、真面目な顔になった。

 

「しかしこいつらといい、銃を破壊したあの()()といい‥‥‥。達也、とばっちりには充分(じゅうぶん)気をつけろよ。それと、こいつらは我々が引き取ろう。今日のことは、明日の昼にでもゆっくり話すことにしてな」

 

「分かりました」

 

 部下と上司の顔から、知人兼兄弟弟子の顔になって、二人は別れた。



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第八十八話 忘れられた存在

 九校戦初日、早朝。

 まだ日も昇らぬうちに、陽菜は氷華を呼び出していた。

 

「ごめんね?こんな朝早くに呼び出して‥‥‥」

 

「別に大丈夫よ。陽菜ちゃんが呼び出すの、なんとなくわかってたから」

 

 氷華は内心で、謝るくらいならこんな朝早くに呼び出すな、と思っていたが、それを少しも顔に出さずに言った。

 二人がいるのは、ホテルの屋上。

 ただでさえ一日で一番気温が下がりやすい時間帯、天気は風のない晴天、そして関東平野に比べて標高が高い富士山麓。

 八月とはいえ、気温は11℃を記録していた。

 そんな中で、わざわざ陽菜がこの場所に氷華を呼び出したのは、誰にも聞かれずに二人きりで話したかったからだ。

 それを分かっていたから、氷華は苦言を(てい)することをしなかった。

 

「それで?なにか、私に聞きたいことがあるんでしょ?」

 

「うん、そうなんだけど‥‥‥」

 

「遠慮なんてしなくていいから。私たちそんな関係じゃなかったし、それに早くしないと皆起きてくるわよ」

 

 氷華のセリフは口調こそぶっきらぼうだが、陽菜のことを案じてのもの。

 確かに、皆が起きて二人が部屋にいないことが発覚すれば騒ぎになる。

 氷華に(うなが)されるかたちで、陽菜は覚悟を決めて口を開いた。

 

「氷ちゃんが龍くんをお兄ちゃんって呼んでるのは、やっぱり‥‥‥なゆたちゃんを、真似(まね)てるの?」

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 氷華は目をつむって、動かなくなった。

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 対する陽菜も、ジッとしたまま氷華を待つ。

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 やがてゆっくりと目を開いた氷華は、躊躇(ためら)うように言葉を(つむ)いだ。

 

「‥‥‥そうね。真似ているといえば、真似ているわね」

 

 脳裏に浮かぶのは、龍が義兄になった日の出来事。

 初めて「お兄ちゃん」と呼んだときの光景は、今も焼きついている。

 

「だってお兄ちゃん、なゆたちゃんのこと、忘れちゃってるから」

 

 それを聞いた陽菜は、目を丸く見開いた。

 

「えっ?‥‥‥えっ?‥‥‥‥‥‥うそ、嘘だよね?」

 

 大きなショックを受けたのか、その目は(うる)んでいく。

 しかし、氷華はただゆっくりと首を振るだけだ。

 

「そんな‥‥‥たった一人の()()()なのに‥‥‥。なのに、忘れちゃってるの?」

 

「そう。なゆたちゃんに関することだけ、完全に忘れてる。家族の思い出から、なゆたちゃんだけが抜け落ちてるみたいに」

 

 絶句する陽菜。

 龍がよく気にかけていたことを知っているだけに、言葉が出てこない。

 

「それに、お兄ちゃんは今もあの事故から立ち直れていない。これは、一昨日(おととい)の件で分かったでしょ?」

 

「‥‥‥うん。確かに」

 

 ようやく、再起動を果たした陽菜。

 その表情は、懇親会パーティーで見せていた笑顔とは別人かと思うほどに暗い。

 

「今でさえあんなに不安定な状態なのに、さらになゆたちゃんのことを思い出したりしたら‥‥‥」

 

 その先に待っているであろう結末を予想すると、震えが止まらなくなりそうだ。

 そんな陽菜の様子を見ていた氷華は、優しく笑いかけた。

 

「そう。だから、この話は絶対にお兄ちゃんにしたらダメ。もちろん、他の人にも。分かった?」

 

 笑みを浮かべる少女の横顔を、山(すそ)から昇ってきた朝日が照らす。

 

「うん、分かった」

 

 はっきりと了承の返事をした陽菜は、ニパッと笑った。

 それを見た氷華は、笑みを深くする。

 

「よかった。陽菜ちゃんでも、それくらいのことはできるんだね」

 

「それ、どういう意味?私、これでも一色の令嬢だよ?」

 

 陽菜は一色家の次女だ。

 長女であり、三高の生徒会長を務めている星菜ほどではないが、格式高いパーティーに参加することもある。

 天真爛漫(てんしんらんまん)な雰囲気とは裏腹に、内心を覆い隠すことには慣れていた。

 しばらく会っていない間に、彼女も変わっていたらしい。

 

「そのままの意味よ。昔と様子が変わらないから、感情を隠すことができないんじゃないかと思ってたわ」

 

「だって、普段から素の自分を隠してたら疲れるんだもん」

 

 前言撤回。

 彼女の面倒くさがりなところは、まったく変わっていなかった。

 氷華は思わずため息を吐いてしまった。

 しかしその内心は、(あき)れと安堵(あんど)が半々といったところ。

 

「まあ、それはそれでいいとして‥‥‥。そろそろ部屋に戻らないと、問題にならない?」

 

 氷華に言われて周囲を見ると、朝日が完全にその姿を(あらわ)して黄金色に輝いている。

 確かに、朝の早い生徒はそろそろ起き出してくる頃だろう。

 

「うわっ、ホントだ!勝手に部屋を抜け出してきたことがバレたら、怒られる!氷ちゃん、早く戻ろ!」

 

 陽菜は慌てて氷華の手をつかみ、引っ張りながら駆け出した。

 

「はいはい、そんなに慌てないの。転んで怪我(けが)するわよ」

 

 まるで母親みたいなセリフだ。

 氷華はそう思いながら、歩いて陽菜の後を追った。

 その背後では、屋上から去っていく二人を見送るように、富士が朝日を浴びて雄大にそびえ立っていた。

 いよいよ、年に一度の祭典、九校戦が幕を上げる。



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