天を泳ぎて地に戻りきよ (緑雲)
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幽霊と少年
プロローグ


初めましての方は初めまして。よろしくお願い致します


 ソーマ・シックザールには幼い頃から、奇怪なものが見えることが度々あった。一般的に幽霊と呼ばれるものとか、そこらへんの、アラガミとはまた違う意味で人知を越えた存在が。神機適合試験の一室や、病室にそれらは出現し、なにもせずなにも言わず、ふっと姿を消す。かつての仲間を見ても、未来ある若者を見ても、ソーマを見ても。何も。

 恨み言のひとつくらい言えばいいものを。とソーマはいつも思う。

 あれだけいつも死神化物人でなしと騒いでいたのだから、どうせ聞こえないのだと口汚く罵っていたのだから。呪いの言葉でもなんでも、言ってしまえばいいものを。

 もしかすると言葉を発せられないのかもしれない、と思い至ったのは、それなりに成長してからの話だ。かつて愛したものにさえ、彼らは声をかけなかった。だから、そういうことなのだろう、と――――思ったそれを、今しがた一瞬でぶち壊された。

 

 

『始まった瞬間に終わってたとか人生ハードモードかよーーー!ッハーー!!そうですねーー人生終わってたんでしたっけー!?しんどーーいやばーいいっそ成仏してええええええ!!』

 

 

 声はすれども姿は見えず。

 それが彼女との、最初の出会いだった。

 

 

「五月蝿い」

『アッすみません……あ、私じゃないか。私今誰にも見えないし……え、見えないよね?お兄さん独り言やめてね期待しちゃってしんどいから……』

「期待もクソもあるか不法侵入女、とっとと出ていけ」

 

 相手が霊であろうとなんであろうと、ソーマの部屋に土足で足を踏み入れられたのは事実である。人と関わることさえ煩わしいのに、自室という最も個人的な場所に勝手に入られた不快さは、相手の意味不明さを軽く凌駕していた。

 眉間に皺を寄せ、不機嫌を隠しもせずに低い声でそう言うと、騒がしい声は返ってはこなかった。

 そう、騒がしい声は。

 

『私が見えるの?』

 

 耳を打った声は、みっともなく震えていた。欲しかったものが思いがけず与えられてしまったような、頼りなく、不安と期待にまみれた声。ソーマは深く溜め息を吐いて返答した。

 

「見えない」

『あ、だ、だよねー』

「だが声は聞こえる」

 

 ソーマがそう言うと、相手は言葉を失ったかのように黙りこんだ。黙ってしまっては、ソーマは相手の顔も見えないのでどんな表情をしているかわからない。けれど間をおいて響いた声音が、彼女の全てを物語っていた。

 

『ありがとう』

 

 落ち着いた、美しい声だった。花が綻ぶような、春の日差しのような。こんな声を、言葉を。向けられたことはただの一度もなかった。こんな言葉が存在することにさえ、ソーマはうち震えた。

 

『うれしいです、とっても。わたし、このまま誰にも知られずに消えちゃうんだと思った、そうなるのが正しいのに、それが悲しいって思ってしまってた』

 

 だからね、だから。震える声で彼女は言葉を紡いだ。身体があるなら泣いているだろう。きっと美しい涙だったろうに、それを見られないことが、柄にもなく残念だった。

 

『ありがとう、お兄さん』

 

 

 

 

「………で、今のは成仏する流れじゃなかったのか」

『やめて………私も超そう思ってるんだからやめて………なんで……?未練でもあるのかな??』

「未練のないやつがいるのか?」

『知らないよ……わかるはずないじゃん……゛自分が誰かもわかんない ″のに……』

「は?」

『あ、言ってなかったっけ?私、記憶喪失なの。いつの間にかここにいて、目を開けたら何もわからなかったんだー、やばいでしょ?』

 

 不覚にもソーマは人生で初めて心の底から他人に同調した。なるほど、それは確かにやばい。けれど何もかもを忘れてしまっているくせして、のほほんと暢気に状況を説明するこいつも、かなりやべーな、とソーマは思った。

 

 

 

 



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幽霊、はじめまして

 我輩は幽霊である。名前は今ない。

 気がつけばそこにいた。名前もなければ肉体もない。見えもしないし聞こえもしない我が身の不幸は悲しいなんていう言葉では語り尽くせない。それはまさしく絶望だった。

 はじめ、私は自分が死んでいるなどとはわからなかった。目を開けて、ただそこにいて。ここどこだろう、うーん困ったな、と。それくらいしか思えなかった。どうしようと思う内に自分のことが何一つわからないことに気がついて、ああこれが噂の記憶喪失、と手を打った。

 次いで、今は何月だろうと考えた。どことなく肌寒いので春先かな、と。その予想は奇しくも当たっていたが、残念ながら私は本当の現実の気温を感じられたわけではなかった。なぜなら、とりあえず開けようとした扉のドアノブを、この手はすり抜けたのだから。

 

『…………………は??』

 

 わたしの頭から「は?」以外の言語文明が死滅した瞬間だった。何度試しても、強弱を変えても、手はドアノブをすり抜けるばかりだった。え、なにこれ意味わかんない……突然のホラーやめてよ……。

 こわい……と混乱していたところで、私は天啓のように閃いた。すり抜けるからドアノブを掴めない。けれどドアノブをすり抜けられる、ならばドアもすり抜けられるのでは?と。リアル狂人はほんと何を考えつくかわからない。みんなも注意してほしい。

 結果から言えば、それは成功した。

 ついでに言えば空中にぷかぷか浮かぶこともできた。これもう完全に霊体。

 廊下に出た私は、誰彼構わず襲いかかった。

 呪い殺してやるー!とかそんなではなく、お願いします助けて!!!!とかそういう感じに。通りがかりの白衣のおじさんの子泣きばばあと化したこともあった。けれど、それでも誰にも、私は気づいてもらえなかった。泣いた。

 泣きながら私は、何が悲しいのかもあまりわからなかった。自分でさえ自分がわからないのに、今更他人にわかられなくなったくらいで、とさえ心の奥で小さな私がせせら笑っていた。そして、さ迷い漂って、誰もいない部屋に着いた。部屋のなかは乱雑に物が散らかってて壁には人間の的、銃痕が壁中に広がっていて中々やべーやつの部屋だとは薄々わかっていた。けれどもう、誰にも気づいてもらえないなら、もう、どうでも。声をあげて泣いた。この世のすべてを呪い罵った。

 

 

「うるさい」

 

 

 それでも、届いたのだ。

 あなたに、あなたにだけは。

 

 

『ちゃんちゃん、って感じですかね!』

「五月蝿い。落ち着いて喋れないのか?」

『テンション最高潮ですから!第一村人ならぬ第一発見者を発見!ひゃほー!会話ができるー!!』

 

 こいついらんことばっか覚えてるな、とソーマはげんなり顔をしかめた。何十年か前のバラエティ番組の企画内のお決まりの言葉である。

 

「出ていけ、と俺は言ったはずだが」

『幽霊相手に先住権を主張できると思ってるの?お前のものは俺のもの俺のものは俺のものという名言があってだね――あウソウソごめんなさいすみません調子乗りました』

 

 無言で立ち上がろうとすると物凄い勢いでへりくだり出したので、渋々再度ベッドに腰を下ろす。彼女曰く、腰かけるソーマの目の前の床で正座しているらしい。幽霊に体重も足のしびれもクソもないと思うので何一つ誠意が伝わらないが、彼女なりに精一杯なのだろう。

 

『ごほん、そういうことで、お手数ですがわたくしめが成仏できるべく力を貸してくださいませんかね』

「他を当たれ」

『当たれる他があるなら私だってそうしますーーっ!誰がこんな顔だけ良い無愛想男に好き好んで頼むか―――ああーーーージョークですう本心じゃないんですぅ!!』

「それでよくその歳まで生きられたなお前……」

 

 口にローションでも塗りたくってるのかと思うほどの口の滑りっぷりだ。苛立ちを通り越して呆れさえする。このくそったれな世の中でよく撒き餌かなにかに使われなかったものだ。

 

『お願いします助けて……私にできることならなんでもします……』

「何ができるんだ……」

 

 身体もない、顔も見えない、声だってソーマ以外には聞こえない、記憶もない、ないない尽くしのただの幽霊ごときが。

 

『悩みとかない?聞くだけとかならできるよ!具体的なアドバイスとかはあんまりできないかもだけど』

「ない。いらん」

 

 頼り無さすぎてもういっそ哀れにすら思えてきた。初対面で打ち明ける悩みなどないし聞いてももらいたいと思うほど女々しい性格もしていない。

 

『悩みないとかまじか??私はこんなにも悩みに溢れてるのに??ちくしょう私に何の恨みがあるって言うんだ……これだからイケメンは嫌い……この世の全て何もかもをちょっと人に優しくするだけで乗りきってきたんでしょ……イケメンフェイスでアラガミもイチコロ……ゴッドイーターいらずじゃん世界平和にしてきてよ……』

「お前こそ何の恨みがあるんだ」

 

 顔の整った奴に親でも殺されたのか。

 見えないのに負のオーラを大量生産する彼女に思わず言葉が口について出る。もう面倒だからヘッドホンつけて無視決め込んでしまおう等の企みが二秒でおじゃんになった。ほんとなんなんだこいつ。

 

『ノブレスオブリージュでしょ……老い先短い矮小な乞食を助けてくれたって良いじゃん……』

「老いも先もないだろ……」

『例え話じゃん現実をつきつけないで……』

「成仏したいのかしたくないのかどっちなんだ」

『成仏しなきゃいけないのはわかってます、けどこわいです』

 

 加えて馬鹿正直。流れる水のようにさらりと本心を口にした彼女は、そう言ったきり黙りこんだ。

 もうとっくに死んでいるのに、彼女は現世にしがみついている。今まで数多の幽霊を見てきたが、いつもいつの間にかふっと消えるばかりで、そこに不安だとか、恐怖の表情は読み取れなかった。いつもただ、目を細めて彼らは立ち尽くし、瞬きの間に消えてしまう。けれど本来なら、あってしかるべきなのだ。自己の消滅、それよりも恐いものがこの世に存在するだろうか。

 

『死んだら終わりだよ。脳がないんだから思考できるはずないもの、消滅するただそれだけ。なら、終わった先のわたしは、何?』

「俺が知るか」

『あははっ、だよねー!』

 

 楽しそうな笑い声だけが部屋に響く。字面だけ見るとホラーのようだが、彼女にはそんなものよりもずっと恐ろしい目に合っていた。

 知覚されないということがどういうことなのか、ソーマには完全に理解できない。良い評判などないが、何かと目を付けられやすい出生と育ちなものだから、むしろ執拗なまでに意識され続けた。心底、それが煩わしかった。いっそ消えてしまえたら―――その願いの答えが、今ソーマの目の前に広がっていた。

 成仏。口の中だけでそう呟く。

 

「おい」

『……なに?』

「手伝ってやる」

 

 絶句しているのが感覚で分かった。さんざ難色を示してきたくせ、今になってなぜ、というところだろう。案外疑り深い性格の彼女に、ソーマは口元を持ち上げて答える。

 

「いずれ遠くない未来に俺も行く場所だ、そこへの情報が多いに越した事は無い」

 

 こんなくそったれな世界で老人になるまで生き永らえようなんて大層な事は考えたことさえない。大人になったら死ぬのだろうなとさえ思っている。同時に、そう簡単に死んで堪るかとも。どちらにせよ、いずれソーマも至る場所だ、知っておいて損は無かろう。その道中がどれほど面倒でも。それに、彼女に同情したのも事実だ。ソーマも中々に厄介な体質だが、彼女よりはよほどマシだろう。

 すぐに『是非!』とでも返って来るかと思ったが、彼女は思ったよりも驚いていたようで、少なくとも十秒は黙ったきりだった。そうしてようやく、吐息が、次いで静かな声が落とされた。

 

『いいよ、あなたは。ゆっくりで良い。なるもんじゃないよ、幽霊なんて』

 

 その言葉に、ソーマは内心で舌打ちした。面倒なタイプだ、と思ったからだ。説教臭い人間は嫌いだ、小賢しいのも偽善者も。

 けれど、この時は何故だか、不思議といつもよりは苛立たなかった。

 

 




今回はここまで。これはかなり個人的な好みなのですが、ソーマにはクソほど明るい女の子がお似合いだと思います。もしくはソーマ以上のコミュ症か。


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幽霊、約束

 幽霊はソーマの部屋に居候することになった。といっても、彼女は衣食もしなければ住んでいるわけでもない。基本的に部屋にいるだけとなった。

 どうやら最初に建物内を全部とは言えないが駆け回った際、ここが一番居心地が良かったそうだ。龍脈か霊道でも通ってるんじゃない?とわりと洒落にならない彼女の推測は置いておくとして、彼女は基本的に、ソーマの部屋に滞在することになった。ならばこの部屋を出れば手っ取り早く成仏できるのではというソーマの提案に、彼女は『だからこわいって言ってるじゃん!』とクソ面倒なことを宣った。ほんとになんなんだ。

 そもそも、彼女の姿がソーマには見えない。一度部屋を離れられては、探すことは困難だし、彼女が声を上げてこちらを探したところで人前でソーマがそれに応えてはソーマが狂人扱いされる。まあ、今更だとは思うが。

 

「一つ、部屋の外で俺に話しかけない」

『ふたつ、部屋の外に行くときと帰って来るときは一声かける!』

「三つ、騒音にならなくとも大声は出さない」

『よっつ、なるたけ、会話を続かせようという努力はする』

「…………それは必要か?」

『記憶喪失には脳の刺激でしょ?まあ脳あるかわかんないけど』

「そこに立て。物理で行ってやる」

『やめて?記憶が戻ったら納得して成仏できそうじゃん!だから決定!はい決定!』

「大声は出さない」

『はい』

「五つ、夜は静かに」

『はーい。これぐらいかな?』

 

 五つしかないのだから紙に認めるまでもない。そもそも万が一にでも見られたら発狂コースだ。デメリットしかない行為を、わざわざするソーマではなかった。彼女は若干不満そうにしていたが。

 

『約束事、約束事だって!』

「五月蠅い。なんだ」

『幽霊が、約束事!こんなにおかしい話がある!?あははっ、おかしい!うれしいなあ!』

 

 けらけらと楽し気な笑い声がソーマしか姿のない部屋に響く。冗談みたいな現実だった。

 

『今日はあと何かすることでもある?』

「ない。いい加減寝る」

『うんうんそうすると良いよ。私はどっか行ってるから安心して』

「………………待て、どこへ行く気だ」

『周辺散策!朝には帰ってくるよっ。朝日ってなんか苦手で』

 

 吸血鬼か、とソーマは思ったが食いつかれても面倒なので黙っておいた。機密がぎっしり詰まったこの支部の面倒なところに入り込まれたら面倒事に発展する、と思ったが、よくよく考えたら知るのが幽霊なら何の問題もなかった。公表する伝手もなければ口外する相手もソーマくらいしかいない。考えれば考えるほどかなしいやつだ。いってきます、とぎこちなく口にした後、声は途絶えた。声がしなければ、本当に彼女がいるのかどうかもわからなくなるものだな、とソーマは改めてそのことを知覚した。予定と大幅にずれた時間ではあるが、ようやっと眠れる。寝台に身体を横たわらせた。

 

『引き留めても良いんだよ?』

「さっさと行け」

 

 

『おっはよーーーーーーっ!グッモーニングーテンモルゲンボンジュールブエノスディアスドーブロエウートロカリメーラフジャムボ!!』

「………………何語だ最後の」

『スワヒリ語!』

 

 何故そんな無駄な知識ばかり持っているのか問い詰めたいが、今はそれよりも聞きたいことがある。

 

「今、何時だ」

『朝の六時ジャストでーす』

 

 起きるには少し早いが、早すぎるという事もない。もう少しばかり寝ていられなくもないがそんな雀の涙ほどの睡眠時間を必要としているほど切羽詰まってもないので、渋々ではあるがソーマは身を起こした。幽霊は目覚まし時計としては優秀らしい。手早く身支度を整えてエネルギー補給食をターミナルの情報を整えながら平らげた。

 

『うわ行儀悪い』

「知るか」

『っていうかそれもしかしなくても朝ご飯?体にわるそー』

「…………………………」

『かーいーわーを続かせようと努力はするー』

「………古代人か、お前は。理論上、必須栄養素が十分に摂れていれば身体的な影響はない。サプリやゼリー飲料なら咀嚼力が衰えるが」

『いや精神的にさ、ないの?美味しい御飯たべたーいとか』

「どうでもいい」

 

 そもそもこの食糧問題が逼迫してきている世でわざわざぜいたく品に手を出そうとは思わない。ソーマ的には食堂すらいらないと思う。あれがあるからプリン味のレーションなど提案する輩が出るのだ。努力は認めるが。

 

『そのうち電気羊の夢をみたりして』

「ARペットならあるから現代も似たようなものだな」

『うわあるんだ。引いてる。……こんな朝早くからどこ行くの?』

「訓練」

『訓練………ってなんの?』

 

 心底不思議そうな声音に、そういえば言ってなかったとソーマは今更な情報に思い当たった。

 

「俺はここ極東支部の神機使い、ゴッドイーターだ。階級は強襲兵曹長。俺は行く、お前は部屋で大人しくして居ろ」

 

 防音設備など知らぬと言わんばかりの悲鳴が扉の向こうから響くのを無視して、ソーマは溜息を短く一つだけ零し廊下を進んだ。

 

『説明を要求しますっ!』

「…………部屋の外で話しかけない」

『今周りに誰もいないじゃん!待って待って私もついてく』

「来るな」

 

 声の出所が右へ左へうろつくのが鬱陶しくてフードをより深く被った。

 

『お兄さんなんかすごい根暗みたいだよそれ』

「………………………」

『えっ無視?ねえねえねえねえねえ』

「………………………」

『ねえってば』

「………………………」

『あの、えっと、聞こえてる?』

 

 徐々に尻すぼみになっていく声に、よしもう一息で諦めて帰りそうだと聞こえないふりを継続した。ソーマ・シックザールは基本的に事なかれ主義である。

 

『あ、あはは、あれかな。制限時間付きとかだったってことかな?一日限定?』

「………………………」

『馬鹿だなわたし、それくらい思いついても良かったじゃん、うわすっごい間抜け……』

「………………………」

『またひとりぼっちに逆戻りかー。でも気付かなかった私が悪いねこれは。うん、しょうがない、しょうがない』

 

 なんだか面倒な方向に勘違いしていないかこれ。普通単純に無視されたと思うだろう。

 歩き続けるソーマの一方、彼女は立ち止まったのか声が少しずつ遠のいていく。しょうがない、と言い聞かせるような声が、僅かに震えて。今まで生きてきた中で一番長く溜息を吐いて、ソーマは振り返った。姿は見えないが、立ち尽くす少女をそこに幻視した。

 

「聞こえている。廊下でお前に返事なんざ寄越せるか、早く来い」

 

 言うだけ言って、返事も聞かずに再度廊下を進んだ。ちょっと考えればわかることだろうに、彼女には人を疑うという発想がないのか?三十メートルほど移動しても騒々しい声が聞こえないのでもしや聞こえてなかったのかと足を止めると。

 

『えへへぇ、ちゃんといますよぅ』

 

 心配して損した。楽しくて仕方ないと言わんばかりの含み笑いを忍ばせる声に、数瞬止まった足を動かした。誤魔化そうと思えばいくらでも言い訳は思いついたが、それを口にする事は無かった。今の彼女には何を言っても無駄だろうし、そのあまりにも喜色ばんだ上機嫌をわざわざ阻害する事もない。

 

『あんまり寂しいことしないでね、女の子は繊細なんだからっ』

「死人だろ」

『死んだって女の子だよ、いやむしろ死んだからこそ永遠に女の子だよ!っていうか廊下で返事なんてできないんじゃなかったんですかー都合の悪い時だけだんまりですかー!』

「………………………」

『口元笑ってるの見えてんだよこのやろー!ばーかばーか!うわーん!一生女の子にモテない呪いかけてやるぅー!お前を末代にしてやるんだから!』

「斬新な呪い文句だな」

 

 末代まで祟る根気はないらしい。この短時間でもわかる即物的で刹那的な彼女らしかった。

 

 



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幽霊、外出

 

『私も行く』

「来るな鬱陶しい」

 

 ソーマの生業、ゴッドイーターのその内容を幽霊に伝えた後の、約束された問答である。ソーマは齢17ながらここ極東支部の第一部隊に所属している。それだけソーマが強いからでもあるし、それだけソーマが特殊な証でもある。どちらにせよ、ソーマのすることが変わることはない。アラガミを殺す。それ以外に、ソーマがすることなどない。

 

『だってだって、もしお兄さんが死んじゃったら、私は一体誰に助けを求めればいいの!?』

 

 清々しいほど自分のことしか考えてないなこいつ。

 

「それなりに広いんだ、俺の他に一人くらいいるだろ」

『やだやだやだそんな面倒なことしたくないーっ』

「第一、着いて来て何ができると言うんだ」

『ウッ』

 

 この幽霊は姿も見えず、何かに触れることも、ソーマ以外に言葉を届けることすらできない。彼女には何もできない、――誰かの悲鳴を聞くだけ聞いて、わざわざ無力感をつきつけられることもないだろう。

 

『ほ、ほら、背後からアラガミがお兄さんに襲い掛かる前に、私がお知らせするとか』

「生憎、背後を取られるほど未熟じゃない」

『えっつよい……もしかして物凄ーく強かったりする?』

「どうでもいい」

 

 ソーマは心底からそう吐き出した。他人の評価など大抵が宛てになるものではなく、時に低俗なものを含むことを知っているからだ。

 

『でも逆に言えば着いていっても私に危険なことはない!お兄さんの手を煩わせることも然り!』

「騒々しくしない、精神的に煩わしくしない、耳障りな事をほざかない、以上が前提だ」

『言語コミュニケーションが死ぬよ!!』

「くたばれ」

『もうくたばってますぅ~~!』

 

 べろべろば~!ばーかば~~か!と喚く発声源あたりを神機で素振りするが、当然見えていないので当たらない。見えていたとしても幽霊に打撃が効くかどうかは微妙なところだ。

 

『いいよ勝手に着いてくから!アラガミぶっ倒されるところとか一目見てみたかったし!』

 

 神機使いではない全人類が一度は抱く夢だろう。アラガミにさんざ辛酸を飲まされ苦汁を舐めさせられてきた人間など掃いて捨てるほどいる。ただ直感だが、彼女はアナグラの外から来た人間だろうと推測した。壁の外の人間と内側の人間とでは、例え前者の頭に元が着こうとも温度差のようなものが感じ取れる。違和感のような些細なそれが彼女の言葉の端に聞き取れた。ソーマは諦めたように勝手にしろと溜息を共に吐き捨てた。

 

「数が多くて嫌になるぞ」

 

 

 ゴッドイーターは通常、最大四人編成で任務に赴き、対象のアラガミをボコボコにするものだと、頭に残された僅かな知識で判断していたが、どうもそれは少し間違っていたらしい。基本的にどの支部でもその認識で問題ないが、ここ極東支部ではアラガミの数が半端じゃないので、ふたりどころか一人で任務に出ることも珍しくないらしい。もちろん二人以上が推奨されてはいるし、そちらのほうが生還率も高ければ負傷も少ない。けれど安全面を重視したままでは、守れないものもあると言うだけの話だった。

 そういうわけで今日の任務はそんな珍しくもない日常の中のひとつ、単独での任務らしい。ボルグ・カムランという大型一体と、小型アラガミを数体。私からすれば大仕事を通り越して死にに行きたいのかなこの人としか思えないが、任務内容を流し読みする彼の横顔は淡々としていて特別目立った変化もなかったので、おそらく彼らにとってはなんてことはない仕事なのだろう。恐るべしゴッドイーター。もう全人類ゴッドイーターに成れば良いんじゃないかな。

 

「神機に適合できない。戦う前に死にたいなら無理に止めはしないな」

『なるほどね。この先絶対神機には触らないで生きていくわ』

「もう死んでるだろ」

『あははうまーい。山田くーんこの人の座布団全部持ってってー!』

 

 理不尽だと言いたげな彼の顔面へ効かぬと分かっていてパンチを繰り出した。当然、私の拳は彼に着弾しないまますり抜ける。温度も感触もない、二度としまいと心に決めつつぱっと二歩離れた。

 ここは通称『贖罪の街』と呼ばれるエリアらしい。どうしたの核でも撃ち込まれたりでもしたの?と言う感じの名前と見た目だが、気付いたらそう呼ばれていたらしく彼も由来は知らないらしい。お兄さん職場でしょもう少し興味くらい持ってよ。さては自宅が都内駅近2LDK月三万でも気にしないタイプと見た。

 

『場所開けすぎてない。アラガミにどうぞ襲ってくださいって言ってるようなもんじゃん』

「あっちから来てくれるなら手間がはぶける」

『うわ脳筋。普通隠れながら少しずつ近づいて背後から奇襲とかじゃないの?頭使わない男の人って……』

「お前本当いい加減にしろよ」

『はーいごめんなさい黙りまーーす』

 

 鋭い眼光を向けられて身を引く。怒りっぽいんだからまったく。語弊を感じられるかもしれないが、彼は怒りっぽいし気が長い方ではないが、多分、本気でキレることはないだろう。端々から生来の穏やかさが滲み出ているというか、ああこの人はたぶん、人にあまり恵まれずに生きてきたんだろうなというのがわかる。

 ほら、今だって。別に黙らなくてもいい、と顔に書いてある。会話は面倒だが、私がどこにいるかは把握しておきたい。そんな顔をしている。もちろん私は良い幽霊なのでそんなことは口に出さない。

 生暖かい視線を送る私の一方、彼の通信機に入電が来たらしく、インカムを指で押さえて了解と短く答える。

 

『お仕事?』

「ああ。下がって……いや離れ………今お前どこだ」

『貴方のすぐ右隣です☆』

「そこから動くな」

『はーい』

 

 鈍色と鉄色で殆どを占められた彼の武器は、ゴテゴテとしていかにもな武器で、持っているだけで威圧感に苛まれそうなものだった。神機、というらしい。

 彼はゆっくりと一歩踏み出し、二歩目から速度を速め、教会の入り口に差し掛かったその場所で―――現れたアラガミを神機でフルスイングして打ち上げた。

 

『アラガミって、あんなゴム毬みたいに飛ぶんだ……』

 

 吹っ飛ばされたアラガミは何度か地面でバウンドして、ズザザサーッと土煙をあげて滑っていく。しかし、流石人々を恐怖のどん底に貶めたうちの一角と言うべきか、四本ある細い脚ですぐに立ち上がり態勢を整えた。大きな盾のようなものを構え、振り下ろされた神機を弾く。弾かれた反動で大きな隙が出来たその身体を、すかさず薙ぎ払う尻尾が襲った。

 告白しよう。私は自分が何かできると思っていた。危険を彼に伝えたり、近場にいる誰かに救援を求めたり、例えばふしぎな力が使えたりして。この不愛想な青年を何か一つでも助けられたらと思っていた。

 笑うがいい、私はこの期に及んで、自分が何かを為せると思いこんでいた。もしくはそうすることで自分の心を守っていたのかもしれない。

 彼は尋常あらざる跳躍でその攻撃を回避し、着地と同時に盾の脇をすり抜けるように疾駆して懐に潜り込み、サソリのような硬質の甲羅ごとその身をぶった切った。鮮血が噴き出し、彼の右頬とフードにかかる。力を失ってころりと地面を仰向けに転がるその巨体は嘘みたいに現実味に薄れ、よくできた模型のようにしか見えない。頬を袖で拭った彼はいつものすまし顔でかるくこちらの辺りを見て、ちょうど私がいるところに向かって視線を投げた。視線は私をすりぬけて、少し後方の虚空を捉えている。当たり前のことだ、どうしようもなく。

 

『び、びびび、っくりした~~~!!超強いじゃんお兄さん!パな~~~い!アッお兄さんお召し物素敵ッスね!いやすごいな~~憧れちゃうな~~~!!』

「………………………」

『えっジョークだよ。やめて、そんな『うわ……』みたいな眼で見ないで……でも驚いたのはほんとだよ!お兄さんつっよ!強すぎて引いてる!』

「………………………」

『なんで反応変わんないの?意味わかんないんですけど』

「お前の方が意味が分からん。喜ぶところじゃないのかここは」

『や、なんか……なんだろ、あんまそうでもなかったや!お兄さんの手練手管が早業すぎたせいかなー』

 

 心臓が無くてよかったと、そんな不謹慎なことを思った。きっと心臓が打ちすぎて胸を飛び出ていただろうから。

 何もできなかった。しようとすることすら禁じられたかのようなスピードで事は終わり、いっそ笑い声が出た。幽霊でよかったなー心臓がないからかな、動揺という感覚もない。冷えた理性だけが空を浮いている。ああでもだからこそかな、生者相手に出しゃばれる訳がなかった。だって幽霊は死人だ、死人には先も未来もない。これは気づきたくなかったな。

 

『あとは小型アラガミをええっと、五体倒せばいいんだよね』

「オウガテイル。名前を知らないのか」

『んー、多分必要なかったんじゃない?だってどの種類に遭遇したって、お兄さんと違ってか弱い私は逃げるか死ぬかの二択だし』

「その生活、生きてる意味あるのか?」

『さあ。じゃあお兄さんには生きてる意味なんてあるの?』

「………そうだな。忘れろ」

『えっそこはアラガミを倒すのが生きる理由とか愛する人を守るためとか言ってよ。お兄さんそれでも青少年?枯れた老人か』

「移動する」

『あいあい。今はお兄さんのすぐ後ろにいますよーちゃんとついていきますって』

 

 嘘ですはい。ほんとはお兄さんの目の前にいます。前も後ろも変わらない。声がどこから響いてくるかなど、乾いた風の吹く広々としたこの場所では、誰にも、誰にも。彼は一瞬眉根を寄せて後方にちらと目線だけ向けてから疑いもせず歩き出す。

 私の体をすり抜けて、それを知覚することすらせずに。

 

 

 神機が振り下ろされ、赤い飛沫が地面に散らされる。周辺に立っている者はソーマ以外になく、朽ちかけのビルは長い影をつくり沈む陽の光を遮っている。結局あの後アラガミの来襲が周辺で頻発し、こんな時間になってしまった。その間幽霊がどうしていたかと言うと。

 

『いやーお兄さん無敵スなぁーー!もうなんかそうやって立ってるだけで危機感とかなくなりそう!』

 

 終始このテンションだった。もうすでになくなってるだろ、とは口に出さない。そもそも備わっていたかすら謎だ。

 

「帰投する」

『はーい!』

 

 本当に死んでいるのかと思うほど元気な良い子の返事に、反射で溜息を吐きたくなるのを堪えた。彼女といるだけで溜息が癖になりそうだ。ついでに眉間の皺も。インカムに僅かにノイズが走り、その眉間の皺を一層深めた。通信が入る前兆だ。ソーマの仕事は機密性の高いものから低いものまで様々故に、基本的に無線を入れないようオペレーターに言ってある。分かり切ったことをいちいち言われるのが面倒だからという理由の方が大きいが。仕方なくマイクのスイッチを入れて相手方に呼び掛ける。

 

「こちらソーマ・シックザールだ。要件は」

『あっハイ!付近で戦闘中の際予定外のアラガミ、クアドリガが来襲し、討伐どころじゃなくなってしまったとのことです!負傷者は二名!救援を願います!』

「なんだと!?……チッ、了解。場所は!」

『北東五キロ!今ヘリを』

「走った方が早い!切るぞ」

『あっちょっ――』

「おい!」

『着いてくからだいじょーぶ!ってか五キロなら走った方が早いって正気!?数字の割にけっこうあるよー!?』

 

 彼女の言葉に答えることなく走り出す。ゴッドイーターは強靭な肉体と飛びぬけた五感を持つ。ソーマは理由あって特にそれが顕著で、普通のゴッドイーターよりも、そして普通の人間よりもずっと強いし、速く走れる。

 けれどそれが実を結んだことは、あまりない。

 結果から言えば、ソーマは救援には間に合った。そして、一人のゴッドイーターが命を落とした。

 

 

『あの、ほら、えっと、お兄さんのせいじゃないよ』

 

 先ほどのソーマの任務中とは大違いに、意気消沈した様子でしおらしく言葉を選んでいる。まあ人が死ねば幽霊でも狼狽えるくらいするだろう。

 

『着いた時にはあのひと息をしてなかったし、むしろ他三人の命を救ったんだよ!胸を張ったって良いくらいだよ!』

 

 流石にこの状況でそれができる人間はいない、とソーマは心中で否定した。帰還ゲートが開くまでの僅かな、しかし一瞬とは言い難い、時間にして十五分の間。ソーマは目に見えない幽霊女と、少し離れた場所に居る三人のゴッドイーターは同じ場所に押し込められた。渡した神機の収容だとか、出撃中終わらせた任務の確認だとか、諸々の手続きをされるだけの時間。一日の中でほぼ毎日差し込まれるこの時間が、ソーマにとっては苦痛なだけのものだ。

 歯を食いしばり、沈痛な面持ちをしている三人は、同じ任務に出ているだけあってそれなりに深い交流があったようで、死んだゴッドイーターを悼み、それ以上にアラガミに憎しみを抱いているようだ。あの顔をした輩を、今までに何度、何度も見たことか。重い空気が立ちこめる室内を、ソーマは何するでもなく腕を組み壁に背を預けて甘受した。彼らを慰める言葉など知らないし、死んだゴッドイーターをよく知りもしないソーマでは口が裂けても言えなかった。

 ようやっと、帰還ゲートが機械音を響かせて開かれた。通常ではここでオペレーターの帰還を祝福する言葉や労わりの言葉がアナウンスされるところだが、流石に人死にが出た日は流れることはない。例えそれが日常茶飯事であったとしても。

 動かない三人を他所に、開いたゲートから出て行こうとするソーマの耳に、届く声があった。

 

「クソッ……死神が近くにいたとか、ついてねぇ」

 

 足が一瞬止まる。聞きなれた言葉だ、今更。特に思う事もない。

 

『死神?そんな物騒な名前のアラガミなんだあれ』

 

 違うに決まってるだろう馬鹿か。なるほどね~!じゃない。無邪気に感心する彼女に訂正する気力もなくまた歩き出す。

 

「みたかよあの顔。仲間が一人死んだってのに何とも思ってねぇ」

 

 鋭敏な耳が無意味に働き、拾わなくてもいい言葉を拾う。ゴッドイーターなんてこのふざけた幽霊が言うほど良いもんじゃない。可もなく不可ばっかりな日々に苦労と重責を詰め込んだだけのクソッタレだ。

 だからそうじゃないこの少女に、この言葉が届いていなくて良いと思った。ソーマの近くにいればいずれわかることだろうけども、今は。

 

「幽霊のくせに聴覚は一般人並みなんだな」

『えっ何急に……聴覚どころか視覚も一般人並みだしなんなら感覚は一般人以下だよ……ついでに言えば味覚もないよ……』

「そうか。なら今日は食堂で食べる」

『お兄さんのそういうところ私直した方が良いと思う!ひどい!!』

 

 




今回はここまで


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幽霊、お散歩

 

『おにーさーん、ここ、高純度ダマスカス銅落ちてるよー!』

 

 すっかり素材収集が板についてきた幽霊が、ここ掘れワンワンとばかりに高らかに声をあげる。アラガミにすら聞こえない声は、ソーマにとっては良いセンサー代わりだ。

 

「ああ」

『ていうかほんとに嘆きの平原まで歩くの?遠いよ?めっちゃ遠いよ?』

「時間指定があるわけでもない。ゴッドイーターには日常だ」

 

 当然だが、真っ赤な嘘だ。ゴッドイーターは希少だし、それ故に仕事も多い。道中の無駄な戦闘で身体的にも時間的にもロスをわざわざするもの好きなどいない。普通は、護送を呼ばなくとも、自分でジープやらバイクやら運転して移動を行う。だがそうせねばならない決まりはない。

 

「行くぞ」

『はぁーい』

 

 神機を肩に担ぎ、大きすぎない程度の歩幅で歩く。相手は幽霊なのだからそんな気遣いはいらないとは思うが、ついうっかりではぐれてしまっては面倒なことこの上ない。

 周辺に人の気配はなく、何処も彼処もボロボロに食い荒ららされ、無事な家屋は一つとしてなかった。幽霊は鼻歌を歌いながらあちらこちらへ飛び回っているようで、声が遠のいたり、不意に近づいたりしている。

 

「―――………それで、」

『んー?』

「ここらに、見覚えはないのか」

『えー?見覚えって言われても……………』

 

 彼女の声が途切れ、訝しんで最後に声が聞こえた辺りを振り向くが、彼女の姿も影も見えないのでどんな表情をしているのか何があったかもわからない。声をかけようとした間際、どことなく頼りなさげな、困惑しているかのような声音が発された。

 

『えと、まさか歩いてるのって』

「次の任務へ行くからだ」

『ありがとうございますお手数かけます』

「聞け」

『えっ聞いてるよ。任務に行くついでに私の記憶探してくれるんでしょ?』

 

 そうだがそうじゃない、と全く理論的ではない言葉を吐きそうになった。何故気付かないで良いところにわざわざ気付くんだ。

 

『ん~~、ちょっと、わかんないかな』

 

 困ったように唸り声を上げる声に、まあそうだろうなと納得する。ここは神機使いがよく訪れるエリア、すなわちアラガミが来襲しやすい場所だ。ここに見覚えがあるということはほぼ同業者であるということだが、今までの言動からその片鱗も見えないことからまずありえないだろうとは思っていた。

 

「気になるところがあったら言え」

『根拠なくても良いの?』

「そんなナリでも思考する能力はあるんだろう。なら直感は無碍にできるものじゃない」

『わかった』

 

 返答する声は素直で短く、彼女の真剣さが読み取れた。成仏するのが怖いと宣う彼女だけれど、この曖昧なままでいようという考えはないらしい。

 

『この辺りに名前とかはないの?』

「特別用もない場所につける名前なんざない。便宜上、旧市名やらなんやらを使う時もあるが」

『じゃあここは元はどんな名前だったの?』

「逗子」

『なんか重そうな名前』

「漢字変換できてないのが丸わかりだ。馬鹿がバレるぞ」

『えっまだバレてなかったの!?』

「手遅れだったな」

『でしょー?』

 

 笑って同意するとかほんとなんなんだこいつ頭だいじょうぶかとソーマは思ったが、彼女は幽霊なのだし何一つ大丈夫ではないからむしろ問題はなかった。

 

『あっお花!お兄さーーん植物あるーー!』

「…………食べられないぞ、それ」

『えー。なんだ』

「幽霊の癖に食欲があるのか?」

『食べたいとは思うよ!………食べられないけどさ』

「不憫な奴」

『うっさいわ。今生きてるのにそれを謳歌しないひとに言われたくないですー。もっと楽しんだら?生きる気あるの?』

「お前よりはある」

『そんな悪態ばっかつくから友達の一人もいないんだよ!!このぼっち!!!』

 

 一瞬踏み出した足先が止まったが、その後問題なく動き出した。誓って言うが動揺なんざしていない。そう、直接言われたのは初めてだから驚いただけだ。

 

『え……言い返せないとかまじか?本気で友達ひとりもいないの?うわ………え………ごめん………』

「死ね」

『もう死んでますけど……』

「なら殺す」

『いやいやいや、落ち着こう。友達いないならほら、私がなってあげるから。優しくて賑やかでかわいい女の子だよ!』

「ざけんな誰が死人と仲良くなんかなるか」

『ド正論!』

 

 わっ、と泣き出したらしい彼女の鼻を啜る音が聞こえる。幽霊も鼻水は出るんだなとどうでもいい事が脳を掠め、それを無視してすたすた足を動かした。

 

『よーしわかった!』

「……………一応聞くが、何がだ」

『私、あなたに友達をつくってあげるよ!』

「無駄だったか」

『え~~だってだってだってさ~~、さみしいじゃんよ~~ぼっちなんてさ~~~』

「大きなお世話という言葉を知らないらしいな」

『いやうん今のは冗談っぽく言ったけども。友達は大事だよ、一般的な観点から言ってもね』

「ゴッドイーターに一般的な観点から見たものが当てはまるのか甚だ疑問だが」

『そんな屁理屈を言わない。お兄さんならもちろん知ってると思うけど、会話をしないと喉の筋肉が衰えて誤嚥が発生する恐れがあるんだよ。気管に食べ物が詰まるのが危険なことはもちろん、肺に入ったら肺炎の元ともなる。だから、世間話程度でも会話は必要、そして会話には友人が必要。はいQED』

 

 ガチめの医学的な指摘を受けて、流石に反論の言葉を失う。そこは友情努力勝利が人生には必要不可欠とかそう言うのがお前のキャラじゃないのか。

 

『そりゃ……キャラじゃないのはわかってるけど……理論的に、理性的に言わなきゃあなたは聞いてくれないじゃん……それくらいはわかるよ』

 

 ソーマの表情から言いたい事を読み取ったらしい彼女が、ぶすくれた声でそう言った。それは拗ねているようにも呆れているようにも聞こえたし、深く悲しんでいるようにも聞こえた。

 

「関係ないだろう、お前には。俺のこれからなんざ」

『今、関係があるじゃん』

「誤嚥を引き起こすのは年齢的にもっと重なってからだ」

『でも今、私は貴方に友人がいないなんてさみしいよ』

「俺はそうは思わない」

『そりゃあ、私がいるもんね』

「自意識過剰にも程があるな」

 

 口では彼女の言う言葉を否定してはいるが、そのことばが『正しい』ことだと言う事はわかっていた。けれど『正しい』事が何時如何なる状況でも正しいとは限らないことを、ソーマは知っている。

 

『ね、友達つくろ』

「…………お断りだ」

『いたらきっと毎日楽しいよ。朝会って挨拶して、くっだらないことで喧嘩して、雑に仲直りして、帰ってきたら、おかえりただいまって、お疲れ様って言い合うの』

 

 彼女の言うような未来があるなら、多分、悪くないものなのだろうなと考えるだけの知識も常識もあった。それなのにどうしても、ソーマには手が届かないほど遠い景色の出来事でしかない。他人を信じられないソーマには。

 

「くだらないな」

『………そっかー。残念』

 

 彼女にソーマの事情は何一つわからない。言っていないし、言うつもりもなければ、聞く宛てもないだろうからこの先知る事さえないだろう。久しぶりに、過去に対して舌打ちした。煩わしい現在の状況に、それに対する、脳の片隅にある自らの心地にも。

 そうして三時間の散歩は、何の成果もなく終了した。彼女の思い当たりはなかったし、記憶のひとつも思い出せなかった。

 




今回は一話だけですというか多分これからはずっとそうです。そう、推敲が終わってないからネ!


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幽霊、さくら

 

『しめじ』

「神機」

『きー、金目鯛』

「イカダ」

『だ?だ……だまこもち!』

「……なんだそれ」

『知らない?こう、わりと粒が残ったおもちなんだけど、あっ、ちょっときりたんぽに似てる……焼かないきりたんぽみたいな……』

「……なんで食べ物ばっかなんだ」

『飢えてるのじゃよ』

「飢える腹ないだろ」

『脳が!脳が飢えてるの!』

「脳もないだろ」

『あるもん!!思考できてるから脳はあるもん!!!』

「煩い」

 

 声のした方に雑誌を投げるが、当たるはずもなく地面に落ちた。『ぷぷ~!大外れ~~!!』とさらに煩いそれにこめかみを抑えて、渋々雑誌を拾い上げる。スニーカーの替えが必要になったので探していた。のだが、どうも静かにできない幽霊が退屈を極めたらしく泣き喚いた故に、致し方なく、渋々、しりとりを始めた結果がこれだ。ちなみに今日は非番である。

 幽霊と出会ってゆうに三週間が経過し、その間、手掛かりと言う手掛かりは一切掴めないでいた。一人任務ではないときは大人しく部屋にいる幽霊が、『おかえりなさい!』と帰ってきたソーマを労わるのが半ば日常化してきた今日この頃、流石に危機感が芽生えないでもないソーマの一方、のほほんと日々を過ごすこの幽霊に思うところはないのだろうか。しりとりで食材ばっか挙げる残念さを露見されたソーマにしてみれば、暢気と言う他ない。

 

『ち、だよ。お兄さんの番』

「………致命傷」

『うなぎ!』

「疑心暗鬼」

『……もっと穏便なワードないの?』

「ほっとけ」

 

 溜息を吐いて雑誌を閉じた。これで真面目な資料を読むときは静かにしているので、彼女の眼はそう悪いものでもないにせよ面倒である。確かにこんなものはポーズで、スニーカーなんぞ前のものと同じもので構わないし、こんなものを眺めているよりは彼女の記憶を取り戻すのを優先した方が生産的だ。

 

『えっどこか行くの?』

「……記憶を探しに行くんじゃないのか」

『あー……いや今日はいいよ。お兄さんお休みの日でしょ、だらだらしよ』

「は?」

『うわ顔こっわ。私にだって労わるこころくらいあるんですけど』

「……………まさか本当に只暇だっただけか?」

『……………そうですけど!!??』

 

 訂正。暢気なんてものじゃない、こいつは真性のノロマだ。ナマケモノを見習った方が良いレベル。

 

『それにお兄さん昨日怪我してたじゃん……安静にしておこうよ』

「もう治ってるが」

『えっ嘘でしょほんとに?……うわゴッドイーターやばいな……どんだけだよ……』

 

 自分で聞いて自分で引くな。

 

『やばすぎ……私も生前ゴッドイーターになっておけば、今頃こんなことには……』

「この職業の殉職率知りたいか?」

『ごめんなさい嘘ですやっぱいいですアラガミと戦うとか肝の小さい私には一生無理です』

「ハァ……いいから行くぞ」

『えっ何処に?言っとくけど私がピンときた場所なんてこのハイヴ内にほぼないよ?』

「行くのはハイヴ内じゃないから違うな」

『………休日にまで仕事するとか……』

 

 盛大に舌打ちしてやれば、流石にふざけるのを止めた幽霊が『はいはい着いてきまーーすってば!幽霊うれしーーー!』と雑に喜ぶ素振りをしながら近づいてくるのを声量で感じとる。フードを深く被り直して、部屋の出入り口を潜った。

 

『あれ、だったら何処へ行くの?』

 

 昼間なので、廊下には人がちらほら見える。だから返事をすることはできず、彼女もそれがわかっているので特に騒ぎもせず、困惑してから小さく鼻歌を歌い始めた。

 非番の日に、任務でもないのに外に出る物好きはいない。しかし、できないわけではない。移動用のヘリやらは出せないが、徒歩で行くなら特別な申請が必要な訳でもない。神機を担いで、ひとり壁の外へ出るソーマを怪訝に思う人間は居れども、ソーマなので声をかけられることもなく、一人と幽霊はあっさり荒廃した地面を踏んだ。

 

『ある朝目覚めてそして知ったさ~この世に辛い悲しい事があるってことを~!あれ、着いた?』

「まだだ。歩くぞ」

『わ~いお散歩だ~!』

 

 犬か。もし彼女の姿が見えて、その臀部に尻尾があったのならはち切れんばかりに振られていただろうとばかりに嬉しそうな声を出す彼女に内心でツッコミを入れる。

 

『ねえねえどこ行くの?』

「すぐ着く」

『え~。お兄さんすぐすぐ言って全然歩くじゃん……近くだとか言って3キロ歩くじゃん……』

「よくわかったな」

『ほんとに結構歩くじゃんか……まあ人間は一日三十キロまでは歩けるらしいけどさ。私はぜえぇぇったい無理だけどね』

「外で生きてたんだからそれくらい余裕だろ」

『人間より重いもの持ったことない脆弱な人間だったから無理』

「人間持てるなら三十キロくらいいけるだろ」

『いやいや持った相手が良かったんだって覚えてないけどたぶん赤子とかだったんじゃない?』

「また微妙な情報を小出しにするのやめろ」

 

 外で生きるなら怪我人の運搬やらで人をはこぶくらいよくあることだろう。それを女子にやらせるかはさておき、外の人間にいちいち『人間を持ったことがある馬鹿で騒々しい女の子』を知らないかと聞きまわるのは心底バカらしい。

 

「何をすればお前の記憶は戻るんだ……」

『うんお兄さんが常日頃から私のマシンガントークに魘されてるのは知ってるけども。そんな深刻に悩むほど?』

「反省しろ」

『はい。ごめんなさい』

 

 真顔で言ってやると即座に真面目そうな声で謝罪が返ってくる。零した言葉の真意とは違うところに話が着地したが、その方がソーマの心が平穏を保たれるのでそのまま誤魔化した。

 太陽は真上より少し傾いて、このまま歩けば目的地に着く頃には夕暮れになるだろう。少し足を早めたソーマに気づきもせず、そして凝いもせず話しかけて来る幽霊が、ほんの少しだけ悲しかった。彼女に足はない、重力もない。そう思うくらいには、ソーマはこの幽霊を気にしていた。

 

 

『ゆうやーけ小焼けの赤とんぼ~おわれてみたのはーいつのー日か~』

「着いたぞ」

 

 縦長の建造物ばかりが立ち並ぶ通りを幾度か曲がった場所。少し開けたそこは四方をビルで囲まれながらも、僅かな陽の光を頼りに、一本の大樹が立っていた。

 四角い空を覆いつくさんばかりの淡い色。

 小雪のように散る花びらが視界端へ流れて、足跡のない地面に落ちた。どこもかしこも退廃した文明の痕が残るその中で、一本ながらもどしりと聳えるその大木は、誇らしげに花を風に散らしている。

 

「さくら、という木らしい」

 

 任務中に不意に見つけたこの一角は、誰にも何処にも報告しなかった。騒々しい連中に見つかっても面倒だし、研究者連中に刈り取られるのは面倒事になりそうだと思ったからだ。それ以外に理由はない。

 おそらくすぐ隣を浮遊していただろう幽霊の反応がないので、訝しんで首を傾げる。

 

『…………あ、ごめん。見惚れてた』

「……………意外に反応薄いな」

 

 ソーマは男女のあれやこれやは知らぬが、女が花を好きなものということくらいはわかる。てっきりこの幽霊のことだからはしゃぎまわって一人で騒々しくなりそうなものなのに、つい零した言葉の通り、意外だった。

 

『もう少し近づいてみても良いかな?』

「好きにしろ」

 

 その時ソーマは、ありえないことだとわかってはいるが、腕を小さく引かれたような気がして、その感覚に逆らわず桜の木に近付いた。大木に手を伸ばせば触れる程度の距離で足が止まる。見上げれば傘のように枝は広がり、たわわに芽吹いた薄紅色の数多の花弁の隙間に薄い青が見えた。

 

『とってもきれい。………綺麗なのに、どうして』

 

 すぐ隣から聞こえた声に、ソーマは驚いて咄嗟にそちらを見やった。あまりにも凍てついた声だった。永遠に融けない絶対零度、永久凍土の南極の海に浮かんだ巨大な氷、まるでそれだった。

 

『どうして、こんなに苦しいんだろう』

 

 ―――その時。

 ふと、雲が太陽を覆ったその瞬間、周囲が影に落とされた一瞬にも満たないひと刹那。舞い散る淡い花びらが視界を遮るそのまにまに、―――少女、が。

 

 みどりの長い黒髪。長い睫毛に縁取られ伏せられた昏い碧の瞳。身に纏った黒衣は所々レースになっていて少女らしく、そして、喪服のようでもあった。

 

 知らず詰めていた息が、瞬きの直後に解かれる。少女の姿は跡形もなく消えていた。まるで最初から何もなかったかのように。花びらが一枚、ひらり、と何もない宙に揺蕩う。温かな春の陽だまりだけがそこにあった。

 少女がソーマの視線に気づいた様子はない。それでよかった、とソーマは思う。きっと彼女は、誰も見ていないからあんな表情をしたのだ。

 あんな何もかも失ったような。願って願って、強く強くとても強く願ったのに、叶わなかったような。その眼に涙は無かった。潤いの一つもない、乾ききって疲れ果てていた。

 この時、ほんの少しだけようやく、ソーマは彼女のこころの一端を見た。

 そして同時に思う。今まで数多の幽霊を視界に映してきたのに。どうして、彼女の姿は見えないのだろう。

 

 




伏線回


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幽霊、焦燥

リアルが死んでてギリギリまで投稿忘れてた


 

『全っっっ然、記憶が戻らない………』

「何を今更」

 

 グエー、ギガガー、ガギャオー。アラガミの悲鳴をBGMに、幽霊が深刻そうに呟いた。

 幽霊が幽霊となって一ヵ月と少し。引いては幽霊とソーマが出会ってそれと同等の時間が過ぎていた。幽霊は律儀に日数カウントしていたらしく、丁度三十日経った日の早朝に『一ヵ月記念に写真撮ろ!一生忘れらんな~いつってズッ友とか写真に落書きしよ~!』「なんでそんな積極的に地獄のメモリアルを刻もうとするんだ?」などという会話をした。写真を撮っても彼女が映らないのは既に実験済みである。

 

『いやいやいやだってやばくない?一ヵ月だよ?一ヵ月なんも進展ないとかある?ない』

「反語」

『つまり一ヵ月無為に過ごしたってことでしょ?やばすぎ四天王じゃん』

「脊髄で話すのをいい加減やめろ」

『さりげにボケかましてくるお兄さんに言われたくない』

 

 一ヵ月延々と隣でマシンガントークやら鼻歌やらを聞かされたら毒されもする。

 

「それで、何か具体的な案でもあるのか」

『ないよー!ないから困ってるんだよー!』

 

 助けてー!と嘘泣きを始める幽霊に、ソーマは深く溜息を吐いた。もうとっくに助けてるだろ。

 

『記憶喪失を治す方法って何……?やっぱ物理じゃないとだめなやつ?幽霊に記憶戻る権利とかねーから的な?』

「薬物投与はできないし催眠も効かないからだろ」

『自我が強くてごめんなさい』

 

 ソーマが正論を投げかけると、間髪入れずに速攻で謝罪が返ってきた。わざわざアーカイブやらで検索し、それをダウンロードさせた端末片手にやってはみたのだが、結果はお察しだった。正直ソーマも馬鹿々々しい事この上ないと薄々気付いてはいたのだが、妙にテンションの高い彼女に押された感はある。

 

『もうだめだ……私なんてどうせきっとこうしてお兄さんに憑りついて生きていくんだ……』

「生きてないだろ」

『ウッ』

 

 平時なら笑い飛ばす類の正論も、どうやら彼女は相当に心にダメージを負っているらしく、追い打ちとなってしまった。よよよ、と嘘泣きを始める幽霊を他所に、ソーマは倒したアラガミから素材を捕食した。淡々と作業してはいるが、ソーマはこれでもかなり彼女について真摯に考えていた。なにしろ悉く幽霊が成仏する気配がない。意志はあるのに、方法がわからないのではあんまりに哀れだ。

 

「おい」

『はぁい……』

「……次の任務まで少しだが時間がある」

『あの、ほんとごめんね』

「耳元で煩くされると鬱陶しいからな」

『ハイ……』

 

 ソーマは思わず顔を僅かに歪めた。いつもならここは、『うそうそ~~なんだかんだ楽しい癖に~~!』とかなんとか殺意を抱きかけるほどの煽りを入れて来るところなのに。何か、あったのか、と聞こうとして、止めた。彼女の痛みは彼女だけのものだと感じたからだ。ソーマがいつも、そうしているように。

 彼女の記憶の痕跡を探せられればと周囲を探索し始めて五分も経たない内に、ソーマの端末がけたたましい着信音が鳴り響いた。いつものことなので端折るが話の途中だがアラガミだ!というやつだ。悪いと思いつつ、幽霊に声をかけようとするが、口を開く前に叱咤される。

 

『人命がかかってるときに私の事なんて些事だから!ハイハイ駆け足!』

「………後で時間は作る」

『いーよ』

 

 ひらひらと手を振る彼女が見えるようだった。少々苛立ちつつ、ソーマは端末をポケットに突っ込んで指定ポイントへ向かった。

 彼女のそういうところが、ソーマは嫌いだった。

 

 

『お疲れ様ー!ってお兄さん腕!傷!血!』

「……やかましい……」

 

 少し離れた場所にとはいえ人がいるというのに、ソーマは思わずそう零した。躁鬱か。先程まで異様に静かだと思っていたらこれである。心配して損した。いや心配などしていないが。

 

『回復錠!回復錠改!!いつも思ってたけどアレ何でできてンのお!?傷塞がるって意味わからなくない!!?』

 

 その発言には開発者が関係者にいる身として無言を貫きたいが、いかんせん騒々しい。思わず反射で舌打ちをしそうになったが、舌に力を籠めることなく歯茎をなぞった。今は比較的いつも通りだが、先程までは妙だった。どんな行動で彼女が動揺するかわからないなら、下手な手をわざわざ打つ必要はない。

 喚き声を右から左へ聞き流し、回復錠を左腕に打つ。明らかな矛盾なのだが、錠と書いてあるのに注射器なのは何故なのだろうかと益体もない事を考えた。

 痛みがスッと引き、乾いた血の下で皮膚がじくじくと動くのを感じる。要は、元々高いゴッドイーターの治癒力を瞬間的に高める液剤なのだが、詳しいことはソーマにもわからない。わかりたくもない。

 一息吐いたその時、インカムにノイズが走った。通信が繋がる直前に聞こえる特有のそれに、ソーマは咄嗟に身構える。

 

『みなさん!今すぐそこから離れて下さい!』

 

 オペレーターの声が耳に届くと同時に、大地が独特の唸り声を上げるのを感じた。――アラガミだ。アラガミが、生まれるのだ。

 インカムを抑えて困惑する暢気なゴッドイーター達の間を通り抜け、直感で導き出した出現予測地点と彼らの間に立ち塞がった。

 アラガミはどこから来るのか。どうやって生まれるのか、ゴッドイーターなら殆どが知っている。彼らは――地中から、産まれいずるのだ。ずず、と本能が不快を訴えて来る気味の悪い音がそこかしこから響いた。僅かな、地響き。ぬるり、と硬質な皮膚の切っ先が地面から生える。地面を抉るでもなく、土が盛り上がるわけでもなく、まるで地に愛されて生まれてきたように円滑に。神機を下段に構える。

 多分、彼女がこれを見ていたなら、いつも通りであったならば、タケノコみたいだねなんて笑ったのだろうに。

 アラガミが産声を上げたと同時に、前へ勢いよく跳躍する。一撃で仕留めるのが最も効率的かつ最善手ではあるのだが、そう上手くはいかない。相手が大型アラガミ、ヴァジュラであるなら猶更。

 まず前足を抉る。ヴァジュラの前足は固い皮膚で覆われており、ソーマのバスターブレードで手っ取り早く砕くのが定石だ。できれば弱点である尻尾を狙いに行きたいが、リスクを犯して大打撃を喰らわせるよりは、慎重に丁寧に崩していった方が総合的に安定する。だが神機で一発入れたところで止まるヴァジュラではない。予備動作なしの突進を咄嗟の横跳びで避け、そこでやっと味方がいたことに気づいた。しまった、と思ったのも束の間、なんとかガードに成功したらしく全員臨戦態勢を取っている。ド新人でないことが幸いした。これだからお守りができないと散々揶揄されるのだ、自分は。自分自身に舌打ちしながら、再びヴァジュラの足元に張り付く。

 本当ならヘイト集めの囮役がいれば楽なのだが、彼らにそれを期待するには経験が少なすぎるし、ソーマがやるにしても攻勢に欠けてしまう。

 

「う、あああぁあ!!」

 

 雷撃に直撃したらしい青年が膝を折る。神機を支えに立っているが、回復の時間が必要な事には違いない。

 

「退がれ!」

 

 声を荒げるが、アラガミにも悲鳴を知覚する聴覚がある。そして弱った奴から狙うという合理的判断力もある。だからソーマと同じく足元に張り付いていたゴッドイーター二名を振り払い、青年にその爪と血に滴る牙を向けるのは必然のことであった。

 誰一人欠けることなく。その考えが焦りを生んだのかもしれない。ソーマは普段なら絶対にしないミスをした。

 あろうことか、その青年の前に身体を滑り込ませたのだ。

 

『―――お兄さん!!』

 

 遠くで、自分にしか聞こえない悲鳴が聞こえた。

 展開したシールドは防ぐためではなく押さえつけるために開かれる、左肩に深々と刺さった牙がこれ以上進まないように。

 聞こえる荒い呼吸が自分のものなのか、背後で動揺しながら蹲る青年のものなのかわからない。きっと、どちらのものでもあった。

 けれど青年は這い蹲るだけの人間ではなかった。杖代わりにしていたそれを、ソーマの脇腹のすぐ横から突き出して、特大火力のバレッドをヴァジュラの顔面に打ち込んだ。

 悲鳴を上げながら仰け反るその無防備な腹を、ソーマがすかさず真一文字に引き裂く。見せかけの血が二人に降り注いだ。アラガミに臓腑はない。ある必要がないからだ。ヴァジュラは一定のダメージを受けてしまったからか、仰向けに転がってその全活動を停止した。感情的に表せば、死んだのである。

 ふっと緊張が抜けて、神機を地面に突き刺す。アナドレナリンがその放出を止め、傷の痛みが脳に訴えてきたのである。肩を貫通した傷は身体の中身を抉り、肉と骨がぎちぎちと音を立て、真っ赤な血液が足元に血だまりを作る。流石のソーマでも意識が飛びそうになるほどの深手を負ってしまった。適切な行動がとれなかった自分が何より悪いのだから、仕方のないことだ。ずるずると神機に寄りかかって地面に膝をつく。青年らがアラガミをそっちのけで群がり、ソーマに肩を貸した。何某かを言い合っている気がするが、ソーマにはもう聞こえていなかった。耳が上手く音を拾えないのだ。そうだ、幽霊。彼女は。彼女、は。

 

 

 ふと目を開ければ、薄暗闇にぼんやりと白い天井が見えた。窓から白い月が煌々と光を窓から差し込ませているので、目に映る殆どの者が視認できる。壁時計を確認すれば、夜中の二時を回っていた。

 

『起きたの』

 

 淡々とした声が耳を打つ。静かな夜に丁度いい音量はしかし、彼女には似合っていなかった。

 

「……ああ」

『私も、今起きたとこ』

「幽霊なのに寝られるのか」

『睡魔は特に、感じないんだけど。真似事くらいはできるみたい。また一つ発見だ』

 

 なんとなく、彼女の言葉は本当ではないのだろうなと思った。嘘でもないのだろうが、真実でもないような。夕日に照らされる彼女の姿が瞼の裏に蘇る。瞳に澱を宿した黒髪の、浅瀬色の目をした少女。人は誰しも一側面だけでは生きられない。彼女がいつも明るいだけでなく、焼けつくような静けさも持っているように。子どもっぽく笑うこともあれば、少女のように騒がしく、少年のように皮肉っぽく、大人よりも優しさを持っている。その一貫性のなさが、人間なのだ。

 こんなに美しい月夜なのに、丑三つ時なのに。それでも彼女の姿は今、ソーマには見えなかった。それを、今は。胸が押さえつけられるように感じるから。

 踏み込みたいと初めて思った。このクソッタレな人生で初めてのことだ。けれどこんなに美しい夜ならば、この誰もいない病室ならば、それが許される気がした。ソーマでさえも。

 

「……お前、」

『ね、お兄さん』

 

 沈黙が流れた。同時に声をかけあうなんてことは今までになかったことだからだ。そんな些細な事が今のソーマには浮足立つ要素のひとつに過ぎず、少し迷ってから彼女に先を譲ることにした。彼女がそう?とさして気にした様子もなくそれに従う。

 

『なんで、あの時飛び出してったの?』

 

 あの時とは考えるまでもなく、ソーマにとってはついさっきのことだと言う事がわかった。咄嗟に身体が動いた、ただそれだけのことで、それ以上は何もない。あの青年に特別見覚えがあった訳でも、それが最善の行動だと思ったわけでもない。経過をすっとばして、結果があれだったというだけの事だ。だからそこに、相応しい言葉は存在しなかった。

 彼女もそれが分かっていたのか、ふっと息を吐き出すように小さく笑う。

 

『私の事なんて、考えてもくれなかったんだね』

 

 張り詰めた声だった。ひび割れたガラスのような、南極に浮かぶ永久凍土のような。誰にも触れられず、どこにも行けないものの声音をしていた。

 

『あなたが傷ついて、私がどんなに心配したかなんて、痛かったかなんて、全然』

 

 予想外の方向から来た銃弾に、ソーマはなすすべなく撃ち抜かれた。避けてはいけないと感じたからだ。けれど避けられないなら、どうすればいいのだろう。 

 

「それは、その余裕がなかったからで」

『それは、嘘だ』

 

 ソーマらしからぬ弁明のような声を、彼女がいっそ優しい位の声音で遮る。嘘だったかと言われれば嘘ではないと答えるが――考える時間が全くなく、またほかの道もなかったかと言われれば、――決して、そうではなかった。

 

『あなたは結局、自分が優先的に――死にたいだけなんだ』

 

 彼女の一言一言が、ソーマを貫く。彼女の言葉はすべて、どうしようもなく、本当の事だったから。

 だが、これからは、とソーマは拳を握りしめる。ソーマは聞いてしまったのだ、あの時、ソーマにしか聞こえない声の、悲痛な叫び声を。意識が落ちる間際に確かに、落ちる水滴を幻視したのだ。ソーマを呼ぶ、声を。

 

「今後あんなことはしない」

 

 ソーマが傷つくだけで彼女が泣くのならば、その心情はまだソーマには理解できなくても、そうならないようにしようと思えた。ソーマの中に住む小さな己が裏切り者と、半端者とソーマを罵っていようと、知ったこっちゃなかった。誰に誹られても、彼女が悲しむよりは良いと思った。思ったのだ。思ったのに。

 

『信じられない』

 

 けれど彼女は、そう言った。

 

『友達はいらない、食事も楽しもうとしない、生きる理由もない、そんな人を』

 

 ―――今、どんなに変わりたいと思っていたとしても。

 

『信じられるわけ、ない』

 

 ―――過去を変えることはできない。

 自分が今まで如何に杜撰に生きてきたかを変えることは、決して。狼少年を信じた人間がいなかったように、ピエロを見て心底から憐れむ人間などいないように。

 

『――――名前もっ、教えてくれないくせに!』

 

 呼び留めようとして―――できなかった。名乗ってなければ、彼女の名前だって知らないことに、そのときになって今更気付いた。

 呼び留める名前なんて、なかった。

 これからなんて、なかったのだ。

 静寂がその場に満ちる。彼女は、行ってしまったのだ。どこかに。それだけが、ソーマに今理解できる唯一の真実だった。

 

「それでも、俺は、………」

 

 一瞬だけ、彼女が帰ってくることを信じた。「呼び留めても良いんだよ?」なんて言ってひょっこり悪戯っぽい声で。けれどその時はどれほど待っても来なかった。

 彼女の嫌いな朝が来た。いつもはなんてことはないそれが、ソーマには深い絶望が滲んでいるようにしか、見えなかった。

 一番最初に、彼女を助けるのが真実彼女のためだったならば、――そこに嘘がなかったなら、きっと。

 何も間違えはしなかったろうに。

 




わかりあえないって、かなしいね^^;


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幽霊、喧嘩

 

 下手なモーニングコールは、当然だが聞こえなかった。ソーマは自力で起床して、もぞもぞと病室のベッドで胎児のように丸まった。寝てるときに身を丸めてしまうのはソーマの昔からの癖だったが、まさか起きてすらすることになろうとは、仄暗い布の中で苦笑する。時間が経てば機嫌が直るのではと期待したが、この分では時間がかかりそうだった。

 溜息を堪えながら体を起こし、今が何時か確認しようとしたその時、自動で開くはずの扉が勢いよく開いたかのような感覚を覚えた。

 

「グッモーーニン!やっと起きたんだねシックザールくん!」

 

 もしかしたらという期待を見事に打ち砕いた、昨日の青年が犬っころのように飛び込んできたからである。

 

 

「いやあの時はほんとに悪かったね。なんせまだアラガミが生まれるところ見た事なかったから驚いちゃってさ」

 

 騒々しい。彼女と同じくらい、いや鬱陶しさでは彼女の完全勝利だが、それくらい喧しい。おそらく彼女とこの青年はハイテンションじゃなきゃ喋れない人種なのだろう。ソーマとはおそらく種族すら違うに間違いない。

 

「あっ、自己紹介を忘れていたね。ボクはエリック。エリック・デア=フォーゲルヴァイデ。エリックでいいよ」

「そうか、フォーゲルヴァイデ」

「君、意外とノリが良いね……」

 

 顔を引き攣らせるエリックを尻目に、ソーマは舌打ちしたい衝動にかられた。彼女がここ一ヵ月、ずっといたから。似たような空気を持つエリックに重ねてしまうのだろう。苛立ちのまま眉根を寄せ、口を引き結ぶ。

 

「まあとにかく、あの時はどうもありがとう。助かったよ。悪かったね、傷を負わせてしまって」

 

 サングラスの奥にあるブラウンの目が僅かに細められる。おそらく、後悔しているのだろう。かなりパンチの効いた格好をした男だが、脳内はそれなりに常識人らしい。――いや。そこまで考えてソーマは思考を止めた。一ヵ月共に過ごした彼女の事すらわからないのに。それ以外の人間を推し量ろうなど、できるはずかない。

 

「別に」

 

 反射でソーマの口から言葉が滑り落ちる。やめておけ、と理性のストップを、ソーマは意図的に無視した。

 

「お前を助けたのは誤算だった。取るべきではない行動だった」

 

 出て来る言葉はかつてソーマがそう考えていたかったこと、すべきだったこと。つまり、八つ当たりだった。そんなことをする自分に反吐が出そうだし、今すぐに彼女を探しに行きたかった。

 

「けど、君はボクを助けた」

 

 飄々とそう口にするエリックに、ソーマは目を逸らした。

 

「結果論だ」

「それでも結果だ。いちばん大事なのは経過でもイフでもなく、結果だろう?」

 

 成程道理だ。

 ソーマはやっと、エリックとまともに視線を合わせた。赤茶の髪を好き勝手に跳ねさせ、売れないロックバンドのような恰好をした男だった。

 

「……なんでサングラスをかけてるんだ?」

「かっこいいだろう?」

 

 薄々感じていたが、変わり者だろうと容易に想像がつく答えだった。そもそもソーマにわざわざ礼を言う時点で相当だ。

 

「それにしても五日ぶりだっていうのに、元気そうで良かった」

「……五日?」

「え、うん。気が付かなかった?君が気を失って、今日で五日だよ。昨晩計器に起床記録が残っていたってドクターに聞いて訪ねてみたんだ」

 

 思わず馬鹿になったように言葉を反芻した。

 

 ―――『私も、いま起きたとこ』

 

 すぐバレる嘘だ。端末を確認すればすぐにわかる嘘。そんなこと彼女にだってわかっていただろう。下らないと理解していて、それでも彼女は嘘を吐いた。何のためか、――そんなの、ソーマの為以外に何があっただろう。五日。そんなにも、ソーマは目を覚まさまなかった。

 その間、彼女はどれほど、どんな気持ちで、ここで起きるのを待っていたのだろう。無機質な、消毒液の匂いが充満するこの白い箱の中で。

 

「……もし。もしも、特定の個人が傷つくことで、そいつじゃない誰かが傷つくとしたら。それはどんな理由なんだ?」

 

 口が勝手に言葉を紡いだ。自分の考えを整理するために形作られたそれは問いかけできていて、だからこそエリックは誠実にそれに応えた。

 

「きっとその誰かさんは、キミの事がとても大事なんだろうね」

「何故だ」

「ひとがひとを思いやるって、とても難しいことだよ。だって、ボクらは所詮他人だ、そうだろ?血が繋がっていたって、自分じゃないひとだ」

 

 その言葉は冷徹で、真実だった。どんなに近しくても、親しくても、どうしたって相手は自分ではない人だ。血が繋がった父親でさえ、ソーマは理解されないし、したくもない。今までかかわってきた人間も、そう。

 

「他人の傷が痛いと思うのは、その誰かさんがキミのことを、自分の事よりもおもいやれているからだよ。キミが傷つくより、自分が傷ついた方がマシだと思ったからだ」

 

 彼女に傷つく身体はない。涙を流す身体も、ない。それがどれほどにさみしいことなのか、ソーマには想像がつかないが。

 

「ひとは誰だって自分が大事だ、当たり前のことだ」

 

 空は青く、太陽は昇る、それくらい当然の事だ、とエリックは柔らかく微笑む。

 ソーマに彼女の事なんて何一つだってわからない。わからないが。

 

「だからこそ、自分より誰かをおもうのは、素晴らしい事なのさ。天候を思うままにして、太陽を空に縫い付けるくらい、奇跡的なことなんだよ」

 

 その言葉が本当なら、真実ならば。

 今彼女を想えているこの感情だけは、決して間違ってはいないはずだ。

 

 

 月の綺麗な、晩が続いていた。朝も夜も嫌いだ。恐ろしいことが起こりそうな予感がするから。

 幽霊になってよかったと思うことは二つある。一つは感情が大きく高ぶらないことだ。心臓もなければ胃も脳だってない。だから頭に血が上ることも脳の血管が切れることもないし、誰かさんの傷で胃が痛くなることも、痛む胸だってない。ない、ないのだ。この思考がどこから来るかわからなくとも、流れる血にない呼吸が止まりそうになっても、蹲る青年にのどが締め上げらるような感覚に陥っても。痛みなんて、ない。苦しくなんて。ない、ないのに。

 

『バカ。私の馬鹿。馬鹿すぎる……死んだほうがマシ……』

 

 ここで、「もう死んでるだろ」という突っ込みがほしいところだが、完全なる自業自得によりその言葉が聞こえることはなかった。

 幽霊は今日、馬鹿みたいなことを言った。どうしようもないことだ、わかりきっていたことを、わざわざ言った。見えている地雷の上を駆け回るような所業。全身吹っ飛ばされてお陀仏になっても文句なんて何一つ言えない身だった。体ないけど。

 

『………いたい』

 

 全身――特に腹部が、燃えるように痛かった。お兄さんの部屋を飛び出してきてからずっとそう。どこもかしこも痛くて、動けないのだ。ほんとは今すぐ謝りに行きたいのに。足が凍り付いて、脇腹に火がついて、一歩だって踏み出せやしないのだ。ない身体が痛いってどういうことだ。ないんだからおとなしくしててほしい。痛覚なんてない。脳もない。身体もない。だから傷も火傷もするはずない。こんなのはただのファントムペインだ。なのに。

 そもそも、会ってなんと、謝れば。

 あの時の言葉は彼女の本心だった。紛れもない、今まで溜め込んで、飲み込んできた類の。不満、ではない。仕方のないことだった。いいやむしろ、彼の判断は最善だったとすら言えよう。

 なのに、今更。今更、その線を踏み越えたいような顔を、あんな顔を、するから。

 ふと目線を下げた先に石ころがあった。何の変哲もない石ころ。幽霊はそれに向かって思い切り拳を叩きつけた。八つ当たりだった。拳は石を通り抜け、地面に埋まる。八つ当たりさえまともにできない。それが、幽霊だった。

 

『……もう、いやだ……』

 

 燃え上がる熱に苛まれるわが身を焼き尽くすのは、太陽ではなく、見守るような月だった。月光が幽霊を照らす。はかないスポットライトは、誰も照らし出すことはなかった。誰も。誰も。

 そうやって、どれほどの時が経ったのかはわからない。そこは屋外で、時計なんてなかったし、月も太陽もまともに見上げなかったから。顔を上げようとも思えなかった。

 ここがどこだか、幽霊はわからなかった。知る必要のないことだ。だって幽霊はもう二度とあの場所に、あのあたたかい部屋に戻るわけにはいかなかった。だってそもそも、

 

『いいトシして迷子とか』

 

 我武者羅に飛び続けたので、そこがどこだとかは幽霊自身にだってわからなかったから。けれどきっとこれで良かったのだ。彼女は本来居てはならない存在、生きているひとに固執してはならない者なのだから。死人は死人らしく、この世を儚んでいればいい。あるべき姿に戻っただけ。だって最初から、

 

『なーんにも、ない、しー』

 

 歌うようにそう口遊む。

 灰色がかった青い眼を思い出す。駄目だよ、お兄さん。そんなに本気みたいな眼をしたら。こころを砕いたりなんてしたら。

 

『私みたいなのに、先なんてないんだから』

 

 あぁ、今日も朝が来る。

 



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幽霊、迷子

おめー今回締め切りは?って?
忘れてた。現場からは以上です


 

 ソーマの行動は実に迅速だった。包帯を患部に巻き付け直し締め直して、怪我の治療もそこそこに病室を抜け出した。人間としては誠実だが、社会的にはクソだ。治療班は泣いて良い。けれど仕方ない事だった、だってソーマはもう一秒だって彼女の事を後回しにしたくなかったから。五日もソーマの目覚めをわざわざ待った彼女。今まで受け身に甘んじていた分を取り返すように、ソーマは探し回った。

 しかし、その探索は難航を極めに極めた。ああまったく、どうして彼女の姿が見えないのだか。

 彼女と行ったことがある場所はどこだって行った。何度も声を張り上げた。それでも、あの下手くそな鼻歌は一度だって聞こえることは、なかった。

 

「よぅ、ソーマ」

 

 ゲッ。ソーマは嫌そうな顔を隠すでもなく顕わにした。確かな腕と高い生還率を持つ癖して軽薄そうな言葉遣いをする男。不本意ながらソーマが幾度も世話になっている部隊長、雨宮リンドウが立っていた。今日はそう、これとの任務である。嫌に鋭い男なので、ソーマは無言を貫いた。彼女の事がバレでもしたら面倒ごとになるに決まっている。

 

「お前さん、最近何か良い事でもあったか」

「は?」

 

 むしろ最悪な部類だが。

 かなり低めに口から出た声音に、リンドウはクツクツと堪えるように笑い声を漏らす。

 

「いや、だいぶ人間らしくなったと思ってな」

 

 それは今までが化物染みていたという皮肉かと思ったが、ソーマはそれを口にする事は無かった。彼の思うつぼだからだ。それに、そんなことは当たり前すぎて今更である。

 

「マ、何にせよイイ顔つきになったんじゃねぇの。仲良くな」

「嫌味か」

「応援してんのさ。そんで、お前さんを射止めた健気なお嬢さんはどちらさんだ?」

「誰が言うか」

 

 大体、アレが健気とかいうタマか。ソーマを射止めたわけでもなし。彼の言葉は何もかも見当違いだった。ソーマは彼女に何もしなかった。何一つだってくれやしなかった。ソーマも、彼女に何も与えなかった。

 しかしそれで良かったのだ。あのくだらない、何物にも代えがたい時間が、良かった。今も意識せずとも蘇る彼女の声が耳を打つ。

 

 ――『あっ、おかえり!お兄さん』

 

 そのことばが聞こえないことを、寂しいなんて思えないままでなくて良かった。

 

 

 行く宛てもない幽霊は、ふよふよとその空域を漂っていた。たまに、自分と同じような状態の者を見かける。毎日どこかで人が死ぬのは世の常だが、ここ数十年の死傷者はその言葉を優に超える死亡者数を誇っているのだから、まあ、当たり前だった。

 彼らはぼんやりとただ佇み、その場で郷愁の念に浸るだけだった。彼らの口が僅かに動く。

 

『どうしたんですか』

 

 声をかけるが、彼らが私に気づく事はあまり無い。殆どが、死人のまま滑稽な夢のまま、残滓のひとつも残さずに泡となって消える。お伽噺の人魚姫のようだなと思った。彼らは分かっているのだ、納得しているのだ。死人はこの世に不要だと、先もないし願いもないから、浅き夢に消滅することに。この世の理に抗う、私こそが異端だった。

 彼らの口が動く。

 

 かえりたい。

 

 かえりたいね。反芻するように口遊んだ。この身体で目覚めてから、ずっと心の奥底で思っていたこと。かえりたい。そう、幽霊はみんな、かえり道を探している。かえろう、かえろう―――でも、どこに?どこに還れば。

 

『わ、珍しい。意識のあるひとがいる』

 

 最初、それが自分に向けられた言葉なんてマッタク分からなかった。それもそうだ、ここ何日かで幽霊はすっかり、声をかけられないことに慣れ切っていた。自分の存在が誰にもわからないことに、馴染み過ぎていた。

 

『え無視?キミだよキミ。そこの膝抱えてふよふよ浮いてるキミ』

 

 はあ。それはなんとも確かに珍しい。人間って宙に浮きながら膝を抱えることができたのか。まああの人間離れしたお兄さんならワンチャンありそ……ん?とここで初めて疑問を浮かべた。声のしたほうをゆっくりと振り返る。

 

『もしかして死んだことにも気づいてないタイプ?』

『いや記憶はないけど死んだ感覚は覚えてる……あの、もしかして』

『うん。キミとおんなじ、新米幽霊だよ』

 

 にかりと笑うその顔は太陽のように晴れ晴れしく、冬のように静かだった。

 

 

『へぇ。ゴッドイーターさんのところに』

『ウン。拾われて』

『そんな犬猫みたいな……』

 

 呆れたように笑うその姿は、年齢よりも少し大人びて見える。少年は己をサクラバフユキ、と名乗った。『冬に暁でフユキ、中々カッケー名前でしょ』誇らしげなその表情は決して私にはできない顔だった。私は記憶がない、名前もわからない。だから彼のように誇るものは何一つなかった。

 私は特にやる事も行くところもないので、それは同じらしい彼と漂いながら様々な話をした。好きな物とか嫌いな物とか、そう、私の今までの事とか。

 

『それでその人は、どんなひとなの?』

『………陰気?』

『それはそれは。キミと正反対そうだね』

『でも、優しいよ』

『それはキミにピッタリだ』

『音楽が好きでね、よく部屋にいろいろ流れてる。いっつも怖そうな雰囲気してるくせに、そういうとこだけ妙に繊細なの』

 

 私が童謡とか洋楽とかを歌っていると、彼は本当に時々、小さくハミングをした。その顔がとても穏やかで、年頃の少年らしくて。気付けば鼻歌大好き芸人になっていたというわけだ。その上音痴などと酷評されるのだから解せない。

 

『部屋にいるときのお兄さんはね、結構こうるさい』

『へぇ、そうなんだ』

『私が急にドラとか鳴らそうとすると怒る』

『誰でも怒るねそれはね』

『あと結構、ノリが良いよ。しりとりとか口プロレスとか怖い話とか熱唱とか思考実験とかサイコパス診断とかよくする』

『えすごい楽しそうじゃん』

『……うん、お兄さんってば、意外にひとと話すの嫌いじゃないんだから』

 

 いつもむつかしそうな顔して、朴念仁のような振る舞いで、不機嫌そうな雰囲気を醸し出してるくせ、ふとした瞬間とても寂しそうなのだ。彼は孤高なんかじゃなく、ただ孤独なだけだった。

 

『興味ない振りしてるのは、ほんとは繋がっていたいからなんだよ。ひとりでいたいなんて、きっと嘘だと思うんだ。だって誰だって、不安な時ほど、誰かに傍にいてほしいものでしょ?』

 

 それは幽霊が彼に出会ってからずっと、つまり自身を知覚できたときすでに持っていた愛の形だった。生前で培ってきた優しさの一部が、それだった。私が、確かにいつかどこかで生きてきた証。

 知らず微笑んでいた私に、少年は苦しそうに笑った。

 

『どうかした?』

『いいや、その彼が羨ましくなっただけさ。そんなに想われて、果報者だ』

『そう?私のただの自己満足だと思うけど』

『時にはその自己満足が、誰かを救う事だってあるよ』

 

 ホラ。少年の指さす先を見れば、そこには深海の色をしたフードを目深に被るひとが立っていた。いつの間に、少年を振り返る。

 

『まあまあ、少し様子を見てみなよ』

 

 問い詰めようとして咄嗟に口を押えた。だってお兄さんってば地獄耳もいいところな耳の良さで、きっと一言一呼吸だって零したら気が付くに違いなかったから。非難を視線に乗せて彼に突き刺すが、しかしけろりとしたまま目を細めただけだった。

 逃げようとしない足は正直で、立ち尽くして彼の挙動をじっと見つめる。あの日から何日経ったのか、もう幽霊にはわからない。お兄さんが戦線に復帰できるくらいの時間が経ったということくらいしか。

 お兄さんはフードを掴んで僅かに脱いで、きょろきょろと不自然なまでに辺りを見渡していた。資材でも探してるのかな、と顔を顰める。そっちじゃなくて、こっち!こっち!と声を張り上げたいくらいだった。

 やがて同じチームらしい年上の男に一言二言告げ、本格的に単独行動を始めた。えっちょっと危ないよ帰ろうよ。ハラハラしながら、十分な距離を測って見守る。気分は完全にストーカーだ。

 

「………おい」

 

 見覚えのある通りに出た時、彼は唐突に声を上げた。いや声を上げたというよりも、声をかけたというのが正しい。まるきり幽霊を呼ぶときとおなじ、静かでハッキリとした声。誰か、潜んでいるのだろうかと私なりに周囲を見回すが、悲しいかな、私の索敵能力は彼以下だった。誰かが出てくるのをまんじりと待つが、待てども待てども人っ子一人出てこない。首を傾げていると、ふっ、とお兄さんが溜息とも嘆息ともつかない息を吐いた。

 

「ハズレか」

 

 ―――その時浮かべられた表情は、筆舌に尽くしがたいものだった。

 笑おうとして失敗して、泣こうとして失敗して、無表情を装おうとしてそれも失敗したような有様だった。こんなヘタクソな感情を浮かべるひとを、私は彼の他に知らない。

 探しているのだ。

 決して探さないで。見限って。縁を切って。届かないで。見つけ出さないで。あらゆる感情が脳裏を駆け、やがてなすすべもなくだらりと項垂れた。

 

『行かないの?』

『その資格が、ないんだもの』

 

 遠ざかって行くその群青の背中を見つめる。囁くように少年が言うのに、私はただ事実だけを突きつけた。

 私は幽霊。あのひとには見えない。声だけの存在に縋りついてはならない。完璧な神さまなんかじゃないし、相棒のような妖精にもなれないし、守護霊にもなれないし彼の勝利の女神にもなれない。私は何者にもなれない。この先変わることもできないし、永遠も約束できない。

 私は彼に何も与えられない。

 

『与えられるからいっしょにいたいわけじゃないと思うけど』

『うん。でも与えられないよりは、与えられるほうがいいにきまってる』

 

 遠くで、お兄さんが同い年くらいの青年と合流したのが見えた。あの日背に庇った青年だ。ファンキーなカンジの、さすがの幽霊でも話しかけることを躊躇うような容貌の。

 青年はお兄さんを晴れやかな笑顔で迎え入れ、その肩をバシバシと遠慮なく叩いている。

 ああ、嗚呼。おともだち、出来たんだね。そう、良かった。

 良かった、本当に。

 鉄で覆われた人の身をもつたいせつなひと。私は貴方にともだちになってあげるなどと嘯いた。それを求めていたのはきっと私の方だったのに。

 

『それを決めるのは彼でしょ?』

『そうだね、そうかもしれない。でもそれでも幽霊なんかに、心を明け渡してはだめだよ』

 

 お伽噺でもいつもそう。狡猾なおばけにだまくらかされて子どもはいつも泣きを見るのだ。悲しむのがわかっている未来なんか、ない方が良い。彼に友人が出来たことを心から喜べる私のまま、彼の前から消えてしまいたい。

 ほんの僅かばかりの希望を見てしまった気がして、たまらなく逃げ出したかった。

 

 




遅れて本当に申し訳ございませんでしたぁ!!!!!!!!!!!!


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幽霊、悲鳴

流石に二週連続で忘れはしまい


 

「それで、いつまで探す心算だい?」

 

 任務帰り、呆れ混じりにからかう青年を一瞥もせず神機を降ろした。腹立つくらい空が晴れ、ありふれた任務日和な本日。今日も、ソーマの幽霊は見つからないままである。

 

「いつまでもだ」

 

 常に周囲に耳を欹て、彼女の気配を探り続けて一月が経った。それでも、彼女は現れない。

 エリックの呆れもわかる、尤もだ。ソーマだって逆の立場であれば盛大に呆れただろうし、やめておけと忠告さえしたかもしれない。だがエリックは、ただの一度もソーマにそうは言わなかった。彼がソーマではないこともあるし、訳を話していないからでもあるだろう。それでも、エリックはこんな奇妙な行動を続けるソーマを見放すことも見捨てることもなかった。物好きな男である。

 

「その調子じゃあ、黄泉の国まで探しに行きそうな具合だね」

「世界中探し回って、いなかったならするかもな」

「え本気で?」

「冗談だ」

 

 そう聞こえないから。本気にしたらしいエリックが半眼でソーマを睨むが、それがまったく恐ろしくないので鼻で笑った。ソーマがやっと失笑だろうと笑みを見せたので、エリックはホッとして口角を上げた。

 

「頼むから後追いとかしないでくれよ。ボクの友人を殺さないでくれたまえ」

「お前とアイツなら百ゼロでアイツのストレート勝ちなんだが?」

「ワァ、ボクの優先順位ひっくそー」

 

 そうでもない、というのは調子に乗りそうなので言わないでおいた。ある程度ソーマとコミュケーションが取れるとかで、一月近く殆ど同じ任務をこなしているのだから、互いの性格も少しくらい把握できるというもの。昔ならともかく、今のソーマにそこを怠る意志はなかった。それを彼女もきっと望んでいるだろうと思ったから。

 

「はやく見つかるといいねぇ」

 

 エリックの言葉に肯定するようにフードを被り直した。今頃彼女はどうしているだろうか。迷子になって途方に暮れてるかもしれない。そう思えば可笑しくて、そしてそれ以上に何故か少し胸が押しつぶされそうで、今にも彼女の情けない声が聞こえてきそうで。やはりソーマは小さく微笑んだ。

 

 

『いつまでそうしてるつもり?』

 

 見慣れた顔が盛大に呆れ返った様子に歪む。膝を抱え、身を丸めて声には出さず口を動かした。

 

『いつまでだって』

 

 目視できるぎりぎりの場所に、もうずっと見つめ続けた群青の背中がある。

 今日でようやく一月経った。彼の前で口出ししなくなってから、一月。出逢って過ごした時間と、同じ時間が。

 

『いい加減諦めることを諦めたら?あの様子じゃ彼、永遠に君を探し続けるよ』

『そうかもね』

『いよいよキミの幻聴とか聞こえて来たりしたらどうするのさ』

『どうしようね』

『……ちょっと、聞いてる?』

『聞いてる』

 

 重症。長い溜息を傍らで吐かれたのが鬱陶しくて、ようやく、視線をそちらへ向けた。フユキ少年はどういう訳か、ずっと私に纏わりつく様に側にいる。理由を一度聞いてはみたものの『面白そうだから』の一点張り。お兄さんといいフユキといい、理解不能というか予測不能というか。

 フユキの青い眼がくりくりと小動物のようにこちらをじっと見つめている。この少年も、行く宛てがないのだろう。帰る宛ても同様に。

 

『そろそろ透視ができそう』

『覗きはほどほどにしたら?』

 

 お兄さんの横顔が好きだった。静かで、優しくて、少しだけ冷たくて、月のようなその微かな笑みが。幽霊だけが見られていたその表情を、幽霊はそこかしこにいる見る目のない人間共に吹聴して回りたいくらい、好きだった。

 ああ、そして今、彼の横顔が、同じ僅かな微笑みを湛えていた。幽霊の知らないところで、関係がないところで、いつも通りに。赤髪の男がお兄さんに快活な笑顔を向ける。お兄さんはそれを鬱陶しそうに振り払って、けれど楽しそうだ。

 

『私、バカだね』

 

 ぽつり。勝手に口から言葉が転び出た。

 

『あのひとを救ったのは私じゃなかった』

 

 今でも瞼の裏に鮮明に思い描ける。空が薄ら暗くなってきたその誰そ彼時に、満開のさくらの木の前で。彼の浅黒い肌の色に映えるその舞う白い花びらが、大樹に向けられたその青色に揺蕩うその瞬間を。

 

『あのひとを救ったのは、』

 

こちらに向けられない視線に安堵を、ほんの少しばかりのさみしさと。そのうつくしい光景を、焼け付くほどに覚えている。

 

『私じゃ、なかったんだ』

 

 遠ざかって行く背中。見えた淡い笑み。彼を救うのは私じゃなかった。彼を救うのは。

 

「ゲッ、嫌なもん見かけちまった」

「ん?あー、最近出没率高いよなぁ」

「ヤダヤダ、縁起悪いぜ。アラガミでも降ってくるンじゃねぇの?」

 

 口さがない男たちの罵詈雑言に、幽霊はゆっくりと振り返って半眼で睨んだ。お兄さんのようなゴッドイーターがいるというのに。品位が足りないというか、人間性が低いと言うべきか。マッタク誰の事を罵っているのやら。

 あの、とその集団に控えめな声がかかる。大人しそうな少年が、おずおずと彼らを窺っていた。そうだ少年、いけ!そこだ!陰口囁く人間など成敗してしまえ!と誰にも見えないのを知りながら腕を振り上げる。

 

「あの、さっきのひと」

「ソーマか?」

「ご存知なんですか?前に任務でご一緒したときに、ずっと顰め面で、僕何かしてしまったのではと」

 

 ウッ。幽霊は痛い所を突かれたように低く呻いた。気の弱い少年にまさかお兄さんの良い所を一目で見抜いてくれなんて理不尽な事は言えない。お友達ができたから今アタックすればきっとチャンとした対応してくれると思うよ!お買い得!なんでダイマしているんだ私は!

 

「気にするな、アイツはいつもそうだ」

 

 気弱そうな少年に会われっぽく、それでいて侮蔑を持った表情を向け、吐き捨てるようにそう言った男に眉を顰める。いやそうでもないよ?割と穏やかで優しい人なんだよ?根気とメンタルが必要なだけで!

 

「テメェが強いからって調子乗ってンのさ。俺達はそこらへんにある石ころと大差ないんだ。見下しやがって」

 

 いやいやいや、ちょっと待てよ。さすがにそれは被害妄想が過ぎないか。お兄さんは怒りっぽいし短気だし我慢強い方じゃないけど、誰かを悪く言ったことは一度もないよ。私が聞いてないだけかもしれないけど、あのコミュ障に愚痴る相手が他にいたとも思えないし。むしろ、応援要請に全力疾走するくらい人が好きだよ。

 

「悪い事は言わないが、関わらない方が良いぞ」

 

 もう片方の男が気の毒そうに言う。

 

「アイツといっしょの分隊になると、必ず死人が出るって専らのウワサなんだよ。……最近だとジャンだな……」

 

 ちょっと。

 

「誰が何時から呼んだか、ついた綽名が死神」

 

 待って。

 

「触らぬ神になんとやら。実際、アイツといるとアラガミの出現率が違うぜ」

「データ取ったバカいたよな。あれは流石に笑ったわ」

 

 待てよ。

 

「なんでも実験で作られた特別な因子が入ってるらしいぜ。傷も俺達より数倍早く治るし」

 

 おい。

 

「マ、化物ってやつだな」

 

 

『違うだろ!!!』

 

 

 意図した声とは丸きり違う声が口から飛び出た。

 

『お兄さんはあの日だってめちゃくちゃ頑張って走ってた!息が切れても足がもつれても!体力がなくなるギリギリで!助け呼んでるひとたちのところまで必死に!走って行ったんだよ!誰か一人でも助けられるようにって!』

 

 だってそうだろう。今私の声は彼にしか届かない。他の誰にも届かない声に意味なんてない、だからせめて、聞こえてくれているひとに、できることをしてあげたかった。

 

『誰かを守るためにいつだってお兄さんは頑張ってきた!訓練だって誰よりも朝早くから夜遅くまでやって!あんたたちがきっと省いてるようなことだって全部丁寧にやってた!』

 

 それなのに、そのはずだったのに。口から我先にと飛び出していくのは無意味な言葉ばかりだった。こんな当たり前の事、彼が一番よく分かっているだろう。しかも当の本人には聞こえていないのだ、はは、笑える。

 

『吹っ飛ばされた人がいたときはわざと前に出てアラガミの攻撃を一手に引き受けてたし、回復柱も回復球も毎回!誰かに使ってばっかりで!』

 

 無力だった。

 どうしようもなく私は無力だ。

 彼を救う言葉を言えたらよかった、彼を守る言葉を言えたらよかった、――彼を勇気づけられるような言葉が、言えたら。

 

『まだ一ヵ月しか一緒にいないような私だってこの人が良い人だって、優しい人だってわかるのになんであんたたちがわかんないんだよ!』

 

 ああ、そうだ彼は強い。この目の前のすっとこどっこいなんかより、私なんかより、ずっとずっと強くて。

 

『こんなに、こんなに強くて優しいひとなのに!くそめ!なんで!なんで!なんで――』

 

 こんな言葉で、私のような中途半端で不可視の存在なんかの言葉で、彼を慰められるわけがなかった。彼は一人でなんでもできるし、勝手に彼のやり方で自分を労われるし、前も向けるし、きっといつかしあわせにだってなれる。

 それでも、私は今、彼の痛みを、彼の苦しみを、彼のつらさを、彼の弱さを、彼の傷跡も、彼の心をぜんぶ、私が知ってる彼の分だけでいいから、全世界に知らしめて叫び散らしたかった。

 それなのに、

 

『―――なんで、届かないんだよ……!!』

 

 どうして目の前のこの男どもにさえ届かないのだろう。こんなに願っているのに、こんなに叫んでいるのに。私の声は、なんで。

 気づけば男たちは廊下の反対方向へ消えていた。何も聞こえないまま、何も知らないまま、あの人の良い所ひとつも理解しないままに。

 今までひとつだって落ちなかったくせ、ここにきて、視界が潤いを訴えた。水分でできてない身体のくせに、なにひとつだって私の思い通りになってくれないくせに。握りしめた拳を拭うために動かしたその瞬間、ぱしり、と後ろから温かいものがそれを止めた。フユキ、アンタってほんと余計なことしかしないね。

 振り払おうとして、出来なかった。その力が強すぎて。あの薄っぺらな身体のどこにそんな力があったのやら。諦めてのろのろと顔を上げる。そこに、思い描いたへらりとした情けない笑みはなかった。その、代わりに。

 

『―――お兄さん?』

 

 




文字数的にここで切るしかなかったと供述しており。
クソどうでもいい豆知識コ~ナ~!悪口言ってる人たちはいつも同じ人たちだよ。特に伏線でもないどうでもいい設定でした~。


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幽霊、叫び

風邪ひいて死んでました。スマヌ。え?夏風邪は何がひくって???聞こえないわァ~~~~~~耳が遠くなったかしらァ~~~~~~~


 

 特別なことなんてなにもない、ありきたりの陰口が耳に届く。今更気にすることすら億劫な定型文だ。もっとバリエーションとかないのかと呆れすら湧いた。鋭敏な聴覚で拾うそれは、ソーマにとって憂鬱ではあるが、深く傷つけられるほどのことではない。聞き流そうと視線を落とす間際、

 

『違うだろ!!!』

 

 少女の張り上げた声が響いた。いつも能天気でポジティブなくせにどこか卑屈っぽい、けれどそう、まるで夏の日差しのような声音が、絶叫にも似た鋭さでソーマの鼓膜を震わせる。叫んでいる。すぐに踵を返した。エリックが困惑の声を上げていたが、知ったことか。

 

『お兄さんはあの日だってめちゃくちゃ頑張って走ってた!息が切れても足がもつれても!体力がなくなるギリギリで!あんたたちのところまで必死に!走って行ったんだよ!誰か一人でも助けられるようにって!』

 

 息継ぎなんていらない身体で好き勝手、なりふり構わずに。そうしたのは身体がないからじゃない。誰にも見えないからなんて理由じゃない。それくらいはソーマにもわかった。

 おそらく声の出所と思われる場所では、三人の青年たちが談笑していた。ソーマの聴覚が正しければ、先程陰口叩いていた連中だろう。

 

『誰かを守るためにいつだってお兄さんは頑張ってきた!訓練だって誰よりも朝早くから夜遅くまでやって!あんたたちが省くようなことだって全部丁寧にやってた!』

 

 叫び散らかすように喚く彼女の声で耳が痛く、それ以上に胸が痛かった。心臓が早鐘を打っているのが立ち尽くしているだけでもわかる。

 

『吹っ飛ばされた人がいたときはわざと前に出てアラガミの攻撃を一手に引き受けてたし、回復柱も回復球も毎回!誰かに使ってばっかりで!』

 

 男の表情に変化はない。当たり前だ、彼女の声が聴こえるのはソーマ只一人なのだから。彼女にとっては不本意極まりないその事実が、今この瞬間何よりも愛おしい。

 

『まだ一ヵ月しか一緒にいないような私だってこの人が良い人だって、優しい人だってわかるのになんであんたたちがわかんないんだよ!こんなに、こんなに強くて優しいひとなのに!くそめ!なんで!なんで!なんで――』

 

 自分はこの先もずっと一人なのだと思っていた。それで構わないと思えてしまっていたから、もし何かの奇跡が起こってふたりになってしまったとき、欠けてしまうのが恐ろしかったから。

 けれど違ったのだ、ソーマは最初から欠けていた。人間というものは、最初から不完全な存在で、その欠けた部分にぴたりと合うその存在のために生きている。やっと、それがわかった。

 

『―――なんで、届かないんだよ……!』

 

 震える声で、みっともない、聞くに堪えない負け犬の声。黒髪がはらりと舞った後、項垂れる頭に陰気にぶら下がった。抱き締めるように腰をくの字に曲げ、筋肉を強張らせた身体がぶるぶる震えている。黄味を帯びた白い肌。その顔は見えない。けれど。ああ、ああ。なんて。なんて。

 何も見えない男たちは去って、少女は一人そこに残された。震える足で立ち尽くし、頭を垂れて。その腕が持ち上がる。

 いけない、と思った。思ったときには既に、その腕を掴んでいた。今ならできると思ったのだ。だってその涙はきっと、いいや――

 

『お兄さん?』

 

 ―――たしかに、うつくしいのだ。

 

「来い」

 

 一言だけ、そう言ってソーマはその腕を引いた。確かにある感触に温度は感じられず、むしろ無機物でも握っているかのように体温が奪われていくような気さえする。本当は掴んでいるのは腕なんかじゃなくて、何かそこらへんにあった資材なのではと不安に駆られ後方を確認すること数回。その度に呆然とした視線を受け止めるのも数回。

 ようやっと部屋に滑り込んだ頃には、幽霊はだいぶ正気に戻ったようで居心地悪そうに視線を床へ向けていた。ソーマはその手を離さないように、消えてしまわないように握りしめたまま、射るように彼女の眼を見つめる。

 こうして見れば、瞳の色を除けば彼女はどこにでもいるごく普通の少女で、極東にいるいろいろとカラフルなゴッドイーターに比べてしまえば没個性とも感じてしまうほど純日本人風の顔つきをしていた。体格は平均より細身で小さいが、おそらくこれは栄養失調の影響だろう。あちこちにある細かな傷跡や、ぱさぱさに乾いた髪から外で生活していた事を如実に伺える。壁外で暮らす普遍的な少女。

 沈黙に耐えられなくなった彼女が、のろのろと面を上げた。

 

「すまなかった」

 

 少女が何某かを言おうと口を開いたのを遮るように、ソーマは焦燥を滲ませてそう謝った。彼女を優先したいのは心底から思っていたが、またあんなふうに痛みを伴う鋭い言葉を彼女に吐かせるくらいなら、プライドなんてドブに捨てようが構わなかった。

 

『お兄さんが謝ることなんて、なんにもないよ。誰かを助けようとして、何が悪いって言うのさ』

「だが、お前のこころまで守ってやれなかった」

 

 必死に感情を押し殺して淡々と事実だけを持ちだそうとする彼女に、ソーマは感情的な言葉で自らの不足を詰った。

 彼女は憂いの瞳を丸くさせ、堪えるように唇を噛み締める。聞こえるはずのない喉が震えるような聞こえた気がして、彼女が一瞬だけ、生きている人間に見えたような気がして。

 そうして気付く。守る、そうだ、自分は彼女を。

 

 守りたかったのか。

 

 くだらない話をしたかった。大抵は彼女が言い出す突飛な話題も、馬鹿みたいな言葉遊びとか、偏ったしりとりとか。彼女が軽やかに笑う声が聴けるのならば、なんでも。

 あの日の遠のく意識と少女の絶叫が蘇る。

 

 ――『お兄さん!』

 

 その呼び声を。

 守りたかったのだ。

 

「あの日できなかった。だから今度は上手くやる」

 

 過去がソーマの喉を締め上げる。口下手なのは、会話をする努力をしなかったからだ。それを飲みほして受け入れて、その上で彼女にこのこころ丸ごと伝えられたら良かったのに。こんな拙くぶっきらぼうな言の葉でなく。

 ようやく掴めた少女の腕にかける力を弱め、つ、と位置を下げて彼女の手のひらを掴み直した。そこに温度はない。ないが、それが悲しいので温めようと両手で包んだ。温度が移るように。

 しかし、彼女は繰り返した。

 

『―――信じられない』

 

 ソーマの胸を、その言葉が再び貫く。

 

『なんでだろ、信じたい、信じたいんだよ、ほんと、ほんとに。けど、なんでかな、どうして、これっぽっちも信じられないんだろ』

 

 歩き続け、疲れ果てた老人のように枯れ果てた瞳が、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 

『聞いてた?』

「ああ」

『あは。マ、そだよね。ウン、私、お兄さんがとってもステキなひとだって思ってる。優しくて、強くて、きれいで、』

 

 髪がはらりと彼女の頬にかかり、顔に影を落とした。白々しいサマーブルーが細められ、口元は強張って端がひくついていたのが、にっこりとしたきれいな笑みになる。

 

『私が薄っぺらくて、浅慮で、弱くて、汚れてて、ゆうれいなのが。いやになっちゃうんだ』

 

 それは少女の本心だった。

 名前もない。記憶もない。身体もない。なにもない自分に、心底吐き気がするのだ。お兄さんがキレイだからこそ、自分の薄汚さが浮彫りになる。死人がうろついてんじゃねぇよ、そう誰にともなく言われた気がして。彼の傍にいることがどうしても許されないような気がして。それが、嫌なのだ。

 

「……母親殺しが、そんなにキレイなもんかね」

 

 不穏な言葉に、幽霊はのろのろと彼に視線を戻した。嘲笑うその顔を、幽霊は見たことがなかった。

 

「胎児の頃にアラガミ因子を注入され、生後間もない赤ん坊はそれを制御できずに暴走。出産室と監視していた部屋までを血の海にして、血飛沫を産声としたのが俺だ」

 

 胎児の頃、水中で聞いた声を覚えている。優し気なひとだった。強く、毅然として、正しいひとだった。だが無理矢理引きずり出された胎児に外の世界は眩すぎて、拒絶するために力を振るった。誰も幸せにならない力を。あの優しいひとは、永遠に失われた。

 

「普通のゴッドイーターよりも頑丈で、治癒力もすこぶる高く、なにより過剰なまでの筋力。化物と罵られつづけた俺が、キレイだと?」

 

 それは、おそらく、ソーマの、傷とも言える、あえて表現するなら『痛み』のようなものだった。人なら誰しもが抱え、苦悩する根源のひとつ。他者との差異であり、異質。

 

「お前が思う俺なんざ、どこにもいやしねぇ」

『っなら、なんで手を離してくれないの』

 

 ぶるり、彼女が震える。

 

『あなたを全然理解できない私なんかを』

「人に聞いたからだ。誰かを想うことの奇跡を」

『そんな奇跡、どこにだって転がってるよ』

「そうかもな。だが俺は、お前が初めてだった」

『は?何それ。私じゃなくても良かったってこと?』

「それはお前もだろうが」

『私にはあなたしか選択肢がなかった』

「俺にはお前が初めてだった」

『これから!沢山出て来るよ、あなたを想ってくれるひとが!』

「お前だって、夜の間ヒマなんだからこんな不愛想男じゃないやつを探しに行けただろ!」

『それでも見つけられなかったんだから、仕方ないじゃん!』

「何本当に探してるんだこの尻軽女!大体お前のそのこれからっていつだ!ここ十七年一切現れなかったぞお前以外はな!」

『尻軽って、言って良いことと悪い事があるじゃん!ひ、ひとがせっかくお兄さんの負担をなくそうと思ってたのに!っていうかあの赤い髪のお友達だってお兄さんの事を想ってるでしょ!お兄さんが気付いてないだけ!!』

「誰が頼んだんだンなこと!エリックは顔見知りだ気色悪いこと言うな!たまたまアイツの沸点が高くてペア組まされるのが多いだけだ!」

 

 声が昂り、両者共に肩を怒らせ始める。最早話がどこでどうつながっているのかわかったもんじゃなく、しかし二人の間でだけは正常に動いていた。

 

『信じられるもんか!見たんだからお兄さんが笑ってたの!嘘つかないで!!』

「盗み見するなストーカーか!?俺が必死に探してたッてのに何してるんだお前は!大体笑ってたのはアイツがお前の話題を振ってきたからでつまり、お前のことだからだ!」

『それとこれとは話が違うでしょ!?なんで私の話題で笑うのもっと楽しい事いっぱいあるでしょ!』

「仕方ないだろ今のところ娯楽はお前が担当だったんだから!好きな女の話題出して笑わない男がどこの世界にいるんだ馬鹿が!」

『馬鹿って何よそりゃお兄さんからすれば馬鹿だけど馬鹿って言った方が馬鹿って教わらなかったの!?だからカッコいいし優しいのに人付き合い全然できないんだよなんでも腕力と産まれと目つきのせいにしないで!!』

「目つきは関係ないだろ目つきは!お前みたいなどう見ても聡明そうに見えないノーテンキなアホ面と同じ種族としてカウントするな!こちとら生後二秒で化物扱いだぞ!!」

『はー??キレそうキレてる!そのくっだらないクズ共がほざいたその呼称二度と使わないでくれます!?私なんて今完全に誰よりもモンスターな幽霊ですけどぉ!?』

 

 額をぶつかりそうなほどに突き合わせて、眉を跳ね上げ目を吊り上げ、感情を全て言葉にして唾と一緒に口から緩むことなく飛ばしまくった。怒りと悲しみと苦しみと痛みと辛さで顔を赤くして、相手の言葉をどれ一つとっても否定し続ける。

 

「俺は化物だ!」

『私は幽霊だよ!』

「そんなことはどうでもいい!」

『そんなことどうでもいい!』

 

 ヤケクソ9割で叫び続ける二人には、論理性も理性も欠片もなく、昂る感情そのままに、互いの傷を抉って瘡蓋を剥がして、それでもその傷を治そうと消毒液ぶっかけて労わった。絆創膏はしたくなかった。

 だが、嗚呼そのとき。その時確かに――時計は動き出したのだ。

 

『もういや!だって、どうせ!私はお兄さんになんにもあげられないのに!何一つだって、お兄さんに残せないのに!消えるしかないのに!』

「与えてほしいからいてほしいんじゃねぇ!残してほしいから引っ張ってきたんじゃねぇ!今!ここにいてほしいんだ!!」

『死にたがりの癖に!生きる意味もないくせに!』

「そんなもんもうとっくに、出来てた!」

 

 力任せに彼女の腕を引っ張る。ほんとうに鼻と鼻がくっつきそうな、吐息すら感じられる距離。心臓はもうとっくに四拍子を刻み、息は上がりっぱなしだった。

 その生きる理由がなんなのか、ソーマの眼が雄弁に語っていた。視線だけで焼き尽くされそうなそのひとみ。

 

『なんで……』

「俺にとってお前が、奇跡だったからだ」

 

 優男の言葉を借りて、ソーマはゆっくりと言う。借り物だらけの言葉、利用されるばかりの身体。そんなソーマが初めて掴んだ、色素も違う、温度もない、柔らかいか固いかも曖昧で、確かなもの。

 

『私、きっとあなたを置いていくよ……』

「望むところだ。あの世で待ってろ、土産話持っていく」

『あの世なんてないかも、無に還るだけかも』

「それならそれで、一緒だから、良いだろ」

 

 ソーマはもう、彼女の成仏を心底嫌だと思えていた。だがそれを手伝わない道も、ソーマにはなかった。

 幽霊となった彼らがある程度佇みやがて消えていくのはそこに理があるからだ。彼女は死者だ。生者の世界にいてはいけない。もし、ソーマが先に死んで、彼女がここで佇んだままだと思えば、そちらのほうがよほどゾッとする。彼女がひとりになるのも、他の誰かに成仏を手伝わせるのも。

 

「お前の消える恐怖も、痛みも、苦痛も、後悔も、全部、俺のものだ」

 

 誰にも、他の誰にも渡せるものか。

 彼女のうつくしい空の青が蛍光灯にきらりと照らされて瞬き、その端から。

 

『あ。あれ、なんでだろ。今日、ヘンだよ。今まで、この身体で一度も泣いたことなんて、なかったのに』

 

 雨垂れのように止めどなく流れる雫は先程とは違い大粒でぼろぼろと顎から落ち、床に落ちる頃には消えた。今まで彼女の涙が出なかったのはきっと、彼女が独りだったからだ。その涙を誰も拭えなかったから。ソーマに彼女が見えるようになったから、彼女は涙を取り戻したのだ。理屈なんてひとつもなく、妄想に近い理由をソーマは本気で信じた。

 

「ソーマ・シックザール」

『……もぅ知ってる……』

「それも知ってる。だが、ケジメというやつだ」

『変なところで律儀だよねお兄さんってば、あ』

 

 もうお兄さんって呼べないね。恥ずかしそうに彼女がはにかみ笑う。

 

『私の名前はね、たぶん、ユウカ』

「多分ってなんだ」

『しょーがないじゃん、記憶ないんだもん。けど、きっと、ううん絶対にそう!今、どうしてか思い出したの!』

 

 音だけがわかるらしい彼女が、その由来も意味もわからず、目尻を赤く染めて晴れやかに笑う。ユウカ。ユウカ。心の中だけで何度も何度も繰り返す。今まで言えなかったぶんを補いあまるくらいに。

 

『またよろしくね!ソーマさん!』

 

 夕焼けのように焼き尽くされそうな眩い笑顔。夏の空のように透き通って活き活きとした声。

 もう離したくない、けれどいつかはきっと離さなければならない手を、今だけはと言うように繋ぎ直した。緩まぬように強く、解けぬように絡める。

 終わりに向かって行く明日を、笑って迎えられるように。

 




というわけでかなしみの二話連続投稿です


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幽霊、調べもの

二話連続投稿ですのでお気をつけて


 

『そいえば、いつから、私のこと見えてたの?』

「最初に見えたのは、桜の木の下だ。それからまた見えなくなって、今日お前が叫んだ姿が見えてからはずっと」

 

 鼻をかんだり涙を拭ったりユウカ不在で荒れてた部屋を片付けたりを終えようやくひと段落した時、思い出したようにそう聞けば、なんとも不思議な回答が返ってきた。切欠がイマイチわからない。

 

「単純に記憶が戻りかけたから、じゃないのか」

『じゃあその記憶が戻るタイミングは?』

「……感情が一定のラインを振り切った時、か?」

『すごい!なんか私の感情が平坦みたい!』

「そうだな、この説は学会から追い出そう」

『遠回りに躁鬱って言うのやめて!?』

「そこまでは言ってない」

 

 それに近しいことは言ったってことじゃん!とユウカが眉根を寄せてソーマに弱そうな拳を振り上げる。しかし。

 

『あっっっっぶな!!』

「っおい!」

 

 するり、と彼女の腕がソーマを貫く。当たるはずだったそれの勢いのまま彼女はつんのめり、肩くらいまでソーマに埋まった。まるでホログラム映像のように彼女の腕が切断されたように見えるのが大変心臓に悪い。

 

『ヘーキヘーキ。ていうかごめんね?大丈夫だった?』

「何もない」

 

 言ってから、その空虚さに吐き気がした。いっそのこと凍えるような冷気や、熱した鉄のような痛みがあればまだマシだったのに。ここにいるのに、いないのだ。無意識に低く舌打ちをすると、何故か彼女が居心地が悪そうな顔をした。お前に向けたんじゃない。

 感触も温度もなく、彼女は腕を引っ込めてじろじろ自身の腕とソーマとを見やった。

 

『さっきまで触れたのに……』

「……むしろ、幽霊なのに触れられるのがおかしくないか」

『確かに!』

 

 異常は先ほどの方だったのだろう。両指をパチンと鳴らしてソーマを指差す彼女は、電球が点灯しました!みたいな顔をした。次いで顎に手を添え、うんうんと頷く。

 そっ、と、ソーマは彼女の頬に手を伸ばした。浅黒い指先は視覚的には彼女の白い肌に触れているはずが、何の感触も得られない。目を瞬かせるユウカに小さく笑って、それから彼女が今までに、この感情を何度味わったのだろうと考えた。こんな二度と味わいたくない虚無感と、それでも手を伸ばさずにはいられないさみしさを。

 

『ちょっとした奇跡だったんだね、きっと』

「持続型にしろ」

『んな無茶な』

 

 くすくすとユウカが鈴を転がすように笑う。ゆっくり手を引っ込めてまだ見慣れない少女のあどけない笑みを眺めた。突然、笑っていた彼女があっ!と声を上げて首を傾げる。

 

『ねぇねぇソーマさん。サクラバフユキって知ってる?』

「……いや、記憶にない。どうした?」

『いや、なんか、さっきまで一緒にいた幽霊仲間なんだけど』

 

 うっかり目を離した隙にどこぞへ行ってしまったらしい。ユウカがソーマから離れていた間の時間の、大体をその少年と過ごしていたのだと言う。

 

『ソーマさんのところまで私を誘導したんだよ。秘密のひとつも握ってやらないと』

 

 腰に手を当て呆れたような笑みを浮かべる彼女に、内心溜息を吐きたいぐらいの心境に陥ったソーマは、小さく息を吐いてそれを押し流した。

 

「……死亡履歴でも見れば、ここの中で死んだのならわかるかもな」

『あやっぱりあるんだそういうの』

「ここに来られたということは神機適合の可能性がある、ということだからな。死体をいじくりまわされてるかもわからんが」

『恐い事言わないでよ……まいいや。そうと決まったら――……どうすれば良いの?』

「ここのありとあらゆる情報はアーカイブで確認できる」

『やたっ』

「が、それを閲覧できるかどうかはアクセス権限がものを言う。つまり」

『今日は無理そう?』

「そういうことだ。今日はもう寝るぞ」

 

 はぁい、と間延びした返事をする彼女を他所に部屋の灯りを落とす。暗闇の中、彼女の身体はうすぼんやりと光っているように見える。全身が淡く発光しているような、不思議な見目だ。

 

「……間接照明……」

『なんか言った??』

「何も」

 

 半眼でジトッと睨む彼女の視線からそそくさと逃げるようにベッドに滑り込んだ。今まで気配と声だけから読み取っていた情報に表情が追加されたはずが、やり取りに何一つ変わりはなかった。視覚的に部屋に彼女がいることを認識できるというのに、何一つ嫌悪も緊張も感じない。ずっとそうだったかのように、ユウカがソーマのベッドの縁に腰かける。ぱたぱたと足を微かに揺らして、暗いだけの大画面を眺めている。ソーマの視線に気づいたのか不意にこちらへ向けた首を傾げた。

 

 なに?

 別に。

 

 視線の方向を固定したまま瞼を落とす。静けさに満ちたその部屋に息遣いは一つだけ。目を開ければ確かにそこにいるのに、その部屋に生者はソーマだけだった。数分して、小さな鼻歌が耳を打つ。ヘタクソ。

 あの奇跡がまた、夜毎起きればいいのに。

 

 

「桜庭冬暁。三ヵ月前に極東支部に重体で転がり込んできた14歳男性。医療スタッフの尽力敵わずそのまま死亡。埋葬も終わっているようだ」

『見せて』

 

 ん、と軽く身を反らされたそこからざっと目を通す。死亡時刻はここに辿り着いて、直後。因子保有者で、神機の適合率も高い。おそらく生きてさえいればなかなかのゴッドイーターになれたかもしれないな、とソーマが呟いた。才能があった優し気な少年には顔写真すらなく、備考欄に外見的な特徴が幾つかと、負傷状態がまとめられているのみだった。

 

「息も絶え絶えな人間がここに来るのは、そう珍しい事じゃない。門番が一ヵ月でおよそ千人規模の対応をしている内の、三割程度がそうだ」

 

 決して多くもなく、少なくもない数字は変えることの難しい現状であり、当事者にとっては悲劇だった。ここ極東はアラガミ戦線の最前線なのでそりゃあ物資はそれなりに充実してはいるが、それでも過分には絶対にない。不足している物の方が圧倒的に多く、不満の方が残酷なまでに多い。そんな状況で、すべてのひとを助けてだなんて、とても、幽霊には言えなかった。

 

『ありふれた不幸のひとつ、ね』

「言い方は悪いが、そうだ。万能は人には遠すぎる」

 

 紙っぺら一枚に容易に収まってしまいそうな簡素な情報。それがここでの少年の全てだった。そこに怒りを覚える権利はユウカにはなく、ただどことないやるせなさが心臓の部分に燻った。

 

『思ったより、あんまり良い気持ちじゃないね』

「単純に考えればただの個人情報漏洩だからな。故人だから許可は容易に降りたが」

『ヤ~な感じ~~。っていうか、じゃあ私の情報とかあるんじゃ、』

「とっくに調べた。が、ここ数か月でユウカと言う名前の死亡履歴は無かった。やはり名前を間違えているんじゃないか?」

『えっそんな……そんな悲しい事言わないでよ……思い出した記憶すら虚偽とかしんど……』

「部分一致で探しても見つからなかった」

『おいそっちかよ私の覚え間違い説かよやめて流石に自分の名前は間違えないでしょ』

 

 胡乱気な眼を向けられて幽霊はウッと呻き声を上げた。一ヵ月の半分以下で合っても、部屋の戻り方が分からなくて迷子になっていたのは事実である。説得力は皆無だった。

 

「墓の場所くらいは分かる。行くか?」

『んーーー………うん。行こうかな』

「行きたくないのか?」

『気は進まない、かなぁ。なんとなく地雷臭する。夜は墓場で大フィーバーっていうのは嘘っぱちだね』

「運動会な」

 

 そんなバブリーな鬼太郎嫌だろ。

 

『良し!思い立ったが吉日!』

「今が何時か言ってみろ」

『22時31分ですね』

「非番は明後日の午後。以上だ」

『えぇーーーーっ!やだやだ今すぐ行くーーー!!』

「さっきまで気が進まないっつったのはどこのどいつだ」

『マジレスやめて。……まいっか、その間にフユキにも会えるかもしんないし』

「今すぐ行くか」

『なんで?夜こわいよ??』

「ホラー筆頭幽霊が何言ってるんだ」

 

 とは言えソーマも言ってみただけなので、その後追及することも言葉を重ねることもなく寝床を整えた。ユウカが来てからというもの彼女が五月蠅いのでらしくもない規則正しい生活を強いられているのである。シャワーを浴びて歯を磨いて寝る、そうしようとしたところで、ふと思い至ることがあって口に出した。

 

「そういえばお前、俺が着替えているときいつもどうして、」

『聞こえないなァーーーーーー!お兄さんキレーな身体してるなとか全然思ってなかったから全然ガン見なんかしてなかったから大丈夫安心して』

「正座」

『はい』

「帰ってくるまで崩すなよ」

『はい……』

 

 しくしくとすすり泣く阿呆を放置して、ソマはサッサとわざわざ共用シャワールームへ向かった。なかなかどうして、こそばゆいやら嬉しいやらなんかちょっと違うような、複雑な心境である。

 

「あ。や、ソーマ」

「…………ああ」

 

 もう夜も遅いので誰もいないだろうとタカをくくっていたが、先客が牛乳瓶片手に寛いでいた。初めてサングラスを外したところを見たものだから一瞬誰かと思ったのは言わないでおく。出来たばかりの生傷が腕に見えたので恐らく夜勤出撃にでも遭ったのだろう。

 

「なんだか楽しそうだね」

「そうか」

「お目当ての人と会えたのかい?」

「……そんなところだ」

 

 まさか今頃部屋で正座しているなどとは言えず、曖昧に濁しながらも肯定する。なんだかんだ世話になったので返礼でもすべきだろうが、彼はおそらくそんなことを望んでそうしたのではないだろうので、アクションを起こすことはやめた。つけあがりそうで面倒だったとも言う。

 

「そういえば、どんな人なんだい?」

「………………………………言ってなかったか?」

「聞いてないねぇ」

 

 ほけほけ笑ってはいるが、その言葉が真実ならばエリックは顔も名前も知らない少女をソーマと共に探していたことになる。道理で行く先々で苦笑していたわけだ。

 

「どこにでもいるようなやつだ。普通に笑うし、普通に怒るし、普通より騒々しく鬱陶しく、だから普通に、当たり前に優しいやつなんだ」

 

 境遇だけが完璧に異常なくせ、どうしたって助けてもらう立場の癖に。その状態のままひとを慮って手を差し伸べるだけ差し伸べて、いざその手を握ろうと思ったらさっと手を引っ込めるような少女。どこでそんな距離感を掴んできたんだと胸倉をつかみ上げてやりたいところだが、生憎そんな奇跡は現在品切れ中である。尊い血が流れてるわけでなく、利用価値があるわけでもなく、特別正義感が強いだとか、特別優しいとかもなく、慈悲深い訳でもない。面倒事の塊のような存在だし、浮気性だし、騒々しいし、見当違いな事ばかりだし、自己中心的で典型的なエゴイスト、ソーマの思い通りになんてちっともなったことがない。けれど、それでも。

 

「その子の事が好きなんだね」

「……………………………………黙秘する」

「アハハ!言ったも同然だよ、それ」

 

 お幸せに!などとほざくエリックにボトルを投げつけ、それを小癪にも避けた彼はそのまま高笑いを上げながら退散していった。落ちたボトルを拾い上げ、その表面をジッと何とはなしに見つめた後、壁に貼り付けられた鏡を見やった。14の少女が綺麗というには殺伐とし過ぎている。やはりソーマはユウカと感性が合わない。

 

「いつから、」

 

 いつから、こんなに溢れてしまったのだろう。会わなかった反動だろうと甘く見ていた。こんなことでは、また間違えてしまいそうで。それだけがひどく恐ろしい。己の薄弱な決意が憎たらしかった。

 

『ソーマざん゛!!!!!遅い!!!!』

 

 帰って来て早々喧しい、転がった少女の頭に手刀を落として寝床に着いた。喧々諤々抗議の声を上げる少女に笑いを堪えつつ、すり抜けるとわかっていながら軽く小突く。

 彼女が帰ってきてからこっち、あの悪癖が出たことは一度としてなかった。

 

 



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幽霊、墓場

 

『ソーマさんソーマさん!こっちこっち!』

「見えてる聞こえてる。あらゆる方面から気を散らさせるな」

『今アラガミいないじゃんか』

「そういう問題じゃないだろ」

 

 離れたところで子どもっぽく頬を膨らますユウカに追いつこうと軽く駆け、しゃがむ彼女の隣に立った。探索力二倍だが騒がしさは三倍な任務後のこの時間は、ソーマにとって中々に悪くない時間だ。

 

『これ、これで合ってる?』

「……間違いないな」

『マンガン銅、ヒヒイロカネ、チタン合金、アラミド繊維、鋼材、でオッケー!だよね?』

「ああ」

 

 重力なんてない癖して、ぴょんぴょんと少女はよく跳ねる。天敵もないもんだから気楽なもんだ。まるで森の中を我が物顔で疾駆する小鹿のよう。

 

「楽しそうだな」

『嬉しいの!』

 

 それくらい分かってよね、などと無茶振りしてくる彼女に嘆息する。いつも予想の斜め上を往くお前のどこをどう察すれば良いと言うんだ。

 

『ソーマさん戦闘中ちらっちら私の事見てたんだもの。幽霊なんだから襲われるわけないのにさ』

 

 理解しているのと、それに対応できるかは別である。会敵中はユウカも流石に空気を読んで目立つところでジッとしているのだが、普通そんなところに人影があれば二度見もするというもの。おかげでユウカは一ミリも悪くないが本日は戦闘が少々伸びてしまったのである。

 

『そんなわけでたくさん目も合うし、ご機嫌なのです!なのです!』

「鬱陶しい……」

『今の素の声じゃんこわ』

「率直に言って腹が立つな」

『わざわざハッキリ言ってくれてどうもありがとうございますねぇ!』

 

 バッキャロー!懲りずに拳をソーマに抜き差しするそれを避けもせずに資材を肩に担ぎ上げた。サカキがどうしてもと言うので資材収集しているが、どことなく楽しそうで何よりである。まあ彼女が楽しそうでない時を数える方が簡単だが。

 

「帰るぞ」

『うん!って、帰ったら墓場かー、なんか陰気みたいだー』

「お前には地元みたいなものだろ」

『いや他人様のじゃんか……あ、お供え物とか必要かな……』

「プリン味レーションでも持っていってやるか」

『なんでわざわざゲテモノを供えようとするの?』

 

 

 仏教に由来する由緒正しき灰色の墓石がずらりと並ぶ―――わけでなく。そこはある種、共同墓地のようなところだった。石造りの建造物の中に入ると、壁一面にずらりと白黒のタイルが張り付けられ、ところどころ空洞が口を開いている。白黒タイルの向こうに骨やら遺品やらを入れているのだという。お花やお供え物は基本的に床に置くそうだ。この時代だから、お供え物すらケチることが普通だ。つまり、供えるもの好きなど基本いないということである。なんとも物悲しいものだ。

 

『靴箱みたい』

「死人のいる場所があるだけでもマシだ」

『私がここで眠ったら、毎日詣でてね、お供え物は甘いのがいいなぁー』

「プリンレーションを?」

『そのネタもういいから!ジョーダンですぅー』

 

 実際問題、ユウカがここの中に入る事は無いだろう。今のところ、極東内に死体がある可能性は限りなく低い。今頃アラガミにでも喰われているのだとしたら業腹だが、自然の摂理でもある。アラガミに喰われようが微生物に分解されようが結果は変わらない。この一色のみの退屈そうなタイルの向こうに眠りたいとも思わない。

 

『フユキもここのどこかに眠ってるの?』

 

 一枚一枚に刻まれた名前をじろじろ不躾に眺めつつ、ユウカのペースに合わせてゆっくりと歩くソーマへと視線を向けた。

 

「……いや。ここはゴッドイーターやのための墓だ。悪いが身内や身寄りのない人間は、」

『あーあー、わかったわかった大丈夫。当たり前だよね、ここは生者の国なんだから』

 

 むしろ彼が前述した通り、墓があるだけマシだ。生者は死者に囚われてはならないし、生者の妨げになってはならない。例え歩き続けるために、時には後ろを振り返らなくてはならないとしても。ソーマさんは後ろを振り返ってくれるだろうか、いや、そうならないならいいな。そんな暇がない位、騒がしくって忙しくって楽しい毎日なら、良いな。

 

「ユウカ」

『んー?』

「行くぞ」

『ん?うん』

「くだらないことを考えている顔をしていた」

『えひどい。チョーシリアスなこと考えてたのに』

 

 咄嗟に茶化すが、ソーマは笑いもせずにユウカに手を差し伸べた。その手に触れられないことをわかっていながら、乗せるようにその手に重ねる。ユウカのぼろっちい手より一回りも二回りも大きい。きっと触ったらごつごつして、硬くて豆だらけなのだろう、『彼と違って』―――

 

『………』

 

 誰、それ。

 

「おい」

『……ううん、なんでもない』

 

 よく晴れた昼間で、今は初夏で、日差しは絶好調で気温も高くて。それなのにうすら寒い。気温を感じる身体も器官もないのに。頭がどうにも痛く、爪先が覚束ない。できるなら今すぐここから逃げ出してしまいたいような。けれど絶対にそれだけはしてはいけないような。

 どうしてもその手と繋いでいたくて力を籠めるけれど、当然のように指先は宙を掻いた。

 重くなる足を叱咤して、ソーマの背に隠れるように歩き続ける。幽霊とは、斯くもさみしき存在であると、こういうときに突き付けられる。

 数十メートル歩いて、長い廊下が終わりを迎えた。陽の光の指す四角く切り取られたその中心に、大きいだけの簡素な四角い石碑が聳えていた。左端から横書きに名前が規則的に小さく掘られていて、下の方はまだスペースが余っている。これから先、ここに埋まる人の為のスペースであり、抑えられない犠牲者の悲哀でもあった。庭、と呼ぶには緑が足りず、墓場と呼ぶには仰々しいそこに、石碑だけが長閑に佇む場所。誰かが定期的に掃除をしているのだろう、微かに砂埃が積もる以外は綺麗なものだ。

 その目前に二人は立って、じっとそれを見つめた。目の良いソーマが静かにひとつの名前を指差す。

 

桜庭冬暁

 

 美しい、名前だと思った。

 今頃そう気付いた。あなたのその名前が、とても美しいと言う事に。今更。

 

 ――『ぼくが朝。きみが――。二人合わせて一日だよ』

 ――『夜は?』

 ――『……………アッ』

 ――『……二人合わせても完璧じゃないなんて、母さんったら絶対にネーミングミスよ』

 ――『アー……なら、夜担当を見つけたら解決!』

 ――『えめんどいからヤだ』

 ――『そんなぁ!母さん泣いちゃうよ、どうすんの!』

 ――『自分のこと棚に上げてんじゃねーわよ』

 

 忘れられたままでよくもいられたものだ。

 こんなに大事な記憶を。

 

『フユキ』

 

 思い出した?碧の眼をした少年が脳髄に囁く。

 

「、おい。ユウカ、……ユウカ!」

 

 暗転。

 

 

 

 

「ユウカ!」

 

 呼ばれて、振り返る。

 

「どうかした?」

「どうしたもクツシタもないよ。今冬!ここ外!君薄着!ツッコミ所はワンシーンに一つに抑えて貰っても??」

 

 駆け寄ってきた少年が、ケンケンと犬のように高く吠える。黒い髪と青い瞳。ユウカと呼ばれた少女と同じ特徴を持つ彼は、顔立ちも少女によく似ていた。物資も栄養も少ないので背格好も似たようなもので、初見で誰しも血の繋がりを二人に感じるだろう。それもそう、だって二人は遺伝子レベルで限りなく似通った姉弟。

 

「ご飯できたから、とっとと帰るよ」

「カンパン?」

「薄カレーもあるよ」

「世知辛い世の中ねぇ」

 

 同じ血を分けた、双子だった。

 

 普通、男女の双子は一卵性双生児としては決して生まれない。例に漏れず桜庭家の双子も二卵性双生児ではあるのだが、不思議なほど二人の外見は似ていた。栄養不足からなる発育不良で体の凹凸は少なく背も低くて、中途半端に伸ばされた髪を後ろで無雑作に結び、リュックサックに入っていたその日着れそうな服を無作為に選んで着ている。ぱっと見てすぐに、似てるな、という感想を大半の人は抱くだろう。だがそこは男女、当然よく見れば普通に見分けがつく。

 そんなわけで桜庭家の双子は順調に、偶に入れ替わりネタをしたり相方に寄せたりしてそれなりに周囲を混乱させ、双子としては健全すぎるくらいに育った。自分がもう一人いるようで不安になったり同族嫌悪したりもなく、比べられてあっちがどうのそっちがこうのというので辟易もしない。ユウカとフユキは自然に手を繋ぎ、自然に笑い合い、自然に喧嘩して、自然に一緒に育った。そうすることが、いちばんしっくりきた。

 世界はアラガミによって、滅びを迎えつつある。

 アラガミが現れて一日で町がひとつ消え、一週間後には二つの国が消えていた。一年経つ頃にいよいよ人類が微々たる反撃を始め、だがそれを上回る圧倒的物量で押しつぶされた。偉い人は言いました、二倍の数には勝てない。なるほど道理である。そういうわけで、アラガミが現れて十五年を優に超えた今、ほぼ全ての国家がその機能を停止し、生化学企業フェンリルという組織が世界を牛耳っている。唯一アラガミに抗う手段、神機を生産し、管理しているのだから当然だ。そしてその組織に入れない人々は、国が機能しない下での人間でいるしかなくなった。つまり、蟻並みに無力だということだ。

 それはその日の食事ひとつ見ればわかることで、食料自給率は何処の国も十数パーセント以下を低迷し、壁外に限ればほぼゼロである。

 そんな中、桜庭家は一家離散も大きな怪我も病気もすることなく、平均的なそこそこの不幸には度々見舞われるが、一家仲良く、なかなか幸せに生きてきた。その日の食事も困るような生活だけれど、命を危険にさらして物資を探す日々だけれど、それでも、少なくとも、ユウカとフユキは幸せだった。

 

「もうここの拠点も限界かもね」

「うん。壁も床もボロボロ。もうちょい綺麗なところじゃないと、やっぱ真冬は厳しいなあ」

「誰ですかー、これぐらいいけるいける余裕余裕むしろちょっとぼろな方が風通し良くて気持ちいいとか言ってたひとはー」

「ユウカです」

「あなたでしょ」

 

 ささやかながらも深刻で、楽しくってくだらない日々が。心底から大切だった。

 




ユウカちゃんのおはなし


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幽霊、記憶

優しい記憶。もう取り戻せない遠い遠い昔日の――


 およそ二週間に一度ほど、壁外に暮らす人々は住処を変える。一か所に固執するのは、心理面でも安全面でもあまり良くない。この時代の壁外の人々の住処は江戸時代の人々と同様、すぐ壊れてすぐ新しいものを作るという精神で成り立っている故だ。もちろんアクシデントによって長くなったり短くなったりもするし、一ヵ月住み続ける集団もあるらしいからあくまで平均的な数字上のことだ。

 

「母さん、バイク壊れたって」

「えぇー。どこが」

「エンジンから変な煙出てるって」

「それははやく言って!!?箱箱箱」

「はい」

「サンキュ!」

 

 移動時に限って、こうやって機材アクシデントが起こるのはそう珍しい事ではない。道具一式を持ってどたばた忙しなく走って行く母、桜庭ハルカは元エンジニアで、こんな世界になる前は休日にバイクを乗り回す生粋のバイカーだったそうな。スピード狂とも言う。嫌いなものは白バイとパトカーと交通課、あとトマト。なんともパワフルな母親であるが、今年で御年40である。そろそろ落ち着きというものを学んでほしいのが子供心だ。

 

「ハルカさんは?」

「バイク直しに行った」

「ああ。ところでお前たちは暇?暇だね。怪我人をよろしく」

「「はぁーい」」

 

 これが父親の桜庭アキト。優しく正しく潔癖で、天才を絵に描いたような男だ。

 破天荒を絵に描いたような母とどう接点があったのかと言えば、当然母が事故って搬送された病院にいたのがこの人だったのである。母の一目惚れだそうだ。「その時のアキトさんったら真冬の風みたいに鋭く冷たくってね、バイクで海岸沿いを走っているときみたいな人だったのよそれがカッコよくってキレイでね」と矢継ぎ早に惚気をかましてくるのは母の視点で、「彼女に会うときのみ心拍数が100を超えたのが彼女の行動の突飛さ故のものだったのか恋だったのか今でも解明できない」とは父親の視点である。感情的な母と、理論的な父。双子は二人の膝の上で、ブロックでハイクオリティな車や飛行機をつくり、人形遊びをしながら人体の駆動域と構造について学んだのである。然もありなん。

 そんなわけで、そんなハイスペックかつぶっ飛んだ二人のおかげで、桜庭家はそこそこどこの集団でも重用された。

 怪我人、病人たちがまとまる場所に着くや否や二人は別れてそれぞれ患者の元へすっ飛んでいく。

 

「ナオミさん、今日の調子はいかがですか?」

「ごめんなさい……」

 

 日下部ナオミは先週の物資探索の際、足場の悪いところで踏み外しふくらはぎ下部に深めの切り傷を負ってしまった。ザックリ木材が刺さったのである。貫通しなかっただけマシな方だ。生き抜くべくアキトの知識を日々刻々と叩き込まれているユウカが担当する患者の一人である。穏やかで優しく、ちょっぴり小心者な25歳女性だ。

 

「いやいや私は全然平気だよ。どこ痛い?」

「……傷が……」

「関節とか、周りの筋肉が痙攣してるとかないですか?」

「それは大丈夫」

「うんうんなるほど、ちょっと包帯代えるね」

 

 怪我の処置なんて手慣れたもので、傷の具合や筋肉の縮小を確認しながら二分とかからず包帯とガーゼをキチンと巻いた。経過はこんな環境下だが順調で、来週には十分歩けるようになるだろう。

 

「リハビリはちゃんとしてるみたいだね。えらい!ツヅキさんにも見習ってもらいたいなぁ」

「聞こえてるからな~」

 

 フユキのいる方向から聞こえてきた言葉に地獄耳め、とそちらにべぇっと舌を出す。今日の重傷寄りの軽傷患者は彼女だけだ。他は今朝方ぞろぞろユウカを訪ねてとっとと処置して帰したので、奇しくも最も重症な彼女が最後になってしまった。掬い上げるように彼女の背と膝裏に腕を通して抱える、いわゆるお姫様ダッコだ。

 

「ごめんなさい」

「いやだから全然いいから。仕事だから」

「ユウカちゃんより十も年上なのに……情けない……」

「これから立派になっていけば良いんだよ~」

「ほんと良い子過ぎお姉さんのクッキーあとであげるわね」

「それはナオミさんが食べて。ナオミさんまた体重落ちたでしょ。フユキ~!ナオミさんに後でカンパンあげといてー!」

「あいよー」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「ありがとうって言ってくれた方が嬉しいな」

「女神……」

 

 馬鹿みたいなことを言う日下部に苦笑し、トラックのワゴンに苦も無く乗せる。十四になったユウカは身体がしっかりしてきたのもあってかなり力持ちの部類に分けられ、こうして彼女程度なら運ぶことが出来た。どっかの貧弱な弟と違って。

 

「ユウカ~!」

「あ~ハイハイ!じゃあナオミさん、くれぐれも安静にね」

「ありがとお」

 

 件の弟のなっさけない声に釣られて向かう間際、日下部に元気ですよアピールも兼ねてぶんぶん手を振る。よくもあんな気にしいな人がこのご時世自然淘汰されなかったものだ。

 フユキの元へスタコラサッサと到着すれば、ヘタクソなおんぶをして周囲に笑いをもたらしているところだった。アキトにガチめにご教授して貰った癖に、何をやっているのだか。

 

「ユウカ~」

「よし、泣きが入ったな。ユウカ、もうちょっと放置しようぜ」

「ツーヅーキーさん。ウチの弟で遊ばないで」

 

 明るい茶髪をスパーン!と叩いて周囲の笑い袋もいくつか叩いて止める。彼の言う通りフユキの目にはうっすら涙の膜が張っていた。お前今年でいくつだ。

 

「もうほんとバカなんだからいいからこっちきなさい」

「いけると思ったんだっていけると思ったんだって!」

「ハイハイ遠山さーん、一旦下ろしますよー」

「イダダダダユックリ頼むわ!」

 

 どんなオンブの仕方をしたのか遠山の腰がグニャリと曲がり、患部のはずの左脚が悲鳴を上げていた。そうっと地面に降ろして、それからユウカがファイアーマンズキャリーで遠山を持ち上げた。流石に成人男性を姫抱っこするほどの筋力はない。

 

「筋トレしなさい、弟よ」

「してるよ!」

「フユキー俺も俺も」

「ツヅキさんは松葉杖で歩けるじゃないスか」

「流石にトラックに乗るのはムリ」

「なんでドヤってるんですか」

 

 この人たち僕らがいなかったら置いてかれてるんじゃないかなぁ、とフユキがぼんやりツヅキを補助しながらぼやいた。いるから甘えられるんでしょ、とユウカは思ったが、口にはしなかった。何しろ流石に遠山は重いので、それ以上言葉を出す余裕はなかったので。

 怪我人をトラックに運んだら、全員を健診して回っているはずのアキトの元へ帰る。患者の容体を報告して、アキトは満足そうに頷いて二人を撫でた。今集団にいる全員の身体の具合をすべて知っているのみならず紙媒体に頼らず記憶しているのだから恐れ入る。

 

「出発まであと二十分ほどある。自由にしてて良いよ」

「父さんは?」

「ハルカさんとスクラップ置き場に行ってくる。彼女のバイクだから、スグ帰ってこれるだろうし」

「水持った?」

「持った持った」

 

 スピード狂ハルカのバイクはほぼ全方向バンジージャンプだ。この悪路であんなスピード出すのだからそりゃあガクガクなるに決まっているが、ハルカほどの腕ともなれば次元が違う。マッタク揺れることを知覚できないのだ、揺れすぎて。高速で違う色の紙を回すとその色が混ざった色に見えるかの如く、まるで流れるようなスライドをしているような感覚。それなのになぜか―――吐く。ものすごく吐く。きっと身体と脳がズレすぎて擦り切れるからだ。

 それでも、その運転が必要な時はある。

 スクラップ置き場はアラガミが出やすい。資材というエネルギーを求めて群がるからだ。そういうとき、ハルカとバイクさえあれば8割は逃げ切れる。8割ふり切れるハルカがヤバいのか、2割しか後ろに座るにんげんを喰らえないアラガミが不甲斐ないのか。

 行ってらっしゃい、はやく帰ってきてねとそれぞれ言って、ユウカとフユキはぱたぱた外へ出てった。

 

「これから大移動なんだから体力は温存しなきゃ……」

「それもそうだね。じゃあ川で顔でも洗おうよ。ついでに即席ろ過装置作ってちょっと飲も」

「賛成」

 

 木炭の欠片を入れたちゃちなペットボトルをナップザックから出して近くの小川へ駆ける。魚一匹いないが、飲めなくもないことは既にわかっている。ぽぽいぽいぽいぽーい、と砂利と砂と石と炭と布を適当に詰めてコップの上に置く。その間、ばしゃばしゃ顔を洗ってぴぴぴぴと犬猫のように水気を払って腕で拭った。ハンカチを使うのがダルかったのだ。

 

「冷た~~~、もう冬じゃん」

「それ。水こんなに冷たいとかもう実質冬」

「越冬の準備しなきゃね」

「クマかな?」

「いいね、冬眠したらスグなのに」

「その隙にアラガミに喰われてそうだけど」

「安楽死じゃん」

「さすがに途中で起きると思う」

 

 いずれ訪れる最期を二人して感じ悪く笑った。外で生きている以上、アラガミにはいずれ必ず捕食される。事故死でも病死でも、どう死んだって死体は彼らの胃袋に収まるだろう。例外は爆発四散で肉片も残らない、マグマで溶解、とかだ。それらにいちいち恐ろしがっていたら人生は立ち行かない。物心ついたころには既にアラガミが世界中を跋扈するのが常識となっていた世界に産まれたこどもたちはみんなそう、死がいつも隣あわせに身近にあるから覚悟はバッチリなのだ。ひどく、かなしいことに。

 けれどそれがどうしたって言うのだろう。今を懸命に生きる人々が、間違っているわけでは決してない。

 

「ユウーー!ユキーー!」

「はーあーいー!」

 

 母の呼び声に、子どもらが無邪気に返答する。ここら一帯にアラガミがいないことは今朝のパトロールでわかっていた。周囲を警戒もせずに足音高く両親に駆け寄る。

 朝、診察して昼にパトロール、夕暮れに集団全員の健康診断をして、夜は食糧保管担当に配られたご飯を食し、ごみを纏め掃除して罠なんかも作って眠りにつく。一週間に一度こうして移動し、時にアラガミから逃げ、集団を渡り、時たま長く棲みつく。それが、双子の日々だった。

 歩き続け、生き続ける。世界は不平等で不公平で不満不安不足だが、須らくそういうものなのだから。

 

「聞いてる?途中でホワイトマーケットに寄るってさ」

「聞いてるよ……」

 

 トラックの荷台は怪我人と荷物のものなので、健常者は歩く、当たり前のことだ。当たり前のことだが、ひとり頭水二リットルと三日分の食料、プラス諸々の非常時用の品々とくれば、リュックサックは中々の重さだ。歩くだけで、かなり疲労が溜まる。そして筋力も体力もないフユキは見ての通りほぼ歩く死人と成り果てていた。まさしくリビングデッド、ゾンビとからかうのも可哀想なレベルだ。

 

「マーケットって、どこで?」

「ここから南に川沿い三キロだから……鶴見川近くの、エーと……旧ヒヨシだね」

 

 コンパスと地図を眺めながらそう答えると、アキトがぽんぽんと無言でユウカの頭を撫でた。正解という事だろう。ちなみにアキトもかなりの貧弱アンド貧弱だ。大人だからそれなりに体力はあるが、おそらく元気盛り育ちざかりなユウカよりは下だろう。揃いも揃って桜庭家の男共が情けない。母は桜庭家で一番の体力オバケなので、後方で荷物運びをしている。

 マーケットは不定期に各地で行われる戦時下の闇市のようなもので、あらゆる物資が物々交換式で売買可能。時間帯や開催日こそ不安定だが、訪れるひとのために場所だけはずっと変わらない。どのようなひとでもその場所では平等で、いつ訪れても賑わっている。

 この集団ごといくのは流石に邪魔だし動きにくいし荷物番も必要なので、この集団から数人だけが行くことになるだろう。

 

「というわけでユウカ、おつかいよろしく」

「マージで言ってる?」

「言ってる言ってる~」

 

 事前の下調べ通りに到着した中継ポイントで休息中、この集団のトップ、朝霧ユキトが笑いながら応えた。こんな頭が軽そうな言動だが、筋骨隆々なバリバリの体育会系であり、屈指の脳筋である。アキトが匙を投げるレベルの馬鹿だが、集団をまとめ上げる力はかなり優れ、そのお陰でこの集団は文化レベルも人間性も高い。

 

「…………ひとりで?」

「いやそんなさみしそうな顔するな!フユキも付けるに決まってるだろ」

「ユッキー、馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、私たちのトシも数えられないくらいだったんだね……」

「じゅ・う・よ・ん!だろ!十四っつったらもう大人の仲間みたいなもん……っつーのは流石にウソだが、お前らはもう立派な自立した大人だ。俺の見る目だけは間違いない!」

「えぇ~……フユキとだと私が荷物持ちじゃん……やだー……」

「ハイハイ。今回のマーケットは夕方だそうだ。今夜はここで野営になる。時間の事は気にせずゆっくりしてこい」

「いや早めに帰ってくるよ父さんと母さん心配するし……で、交換物資は?」

「はい一覧表。よろしくー」

「了解」

 

 ユキトに別れを告げ、ぼろい透明なファイルに入れられた紙を眺めながら、フラフラ荷物番の方へ向かう。一休みしている母を小さく睨んで、ファイルで口を覆った。

 

「母さんのばか。わたし、マーケット三回しか行った事ないのに」

「いや十分でしょ。いつまでも甘えてないの。売りに出すものは纏めておいたから、確認お願いね」

「んー」

 

 ワゴンに積まれた荷物を下から順にリストと照合していく。舗装もされていない砂利道をこの荷物を積んだワゴンで行くのだから相当時間がかかるだろう。道のりにかかる時間に当りをつけながらも、確認作業は終了して一息吐く。間違いはなかったので、荷解きは必要なかった。

 

「早いわねぇ。もう十四なんて」

「母さんの時代なら、まだ全然子どもだった時期でしょ」

「そうねぇ。私なんてヤンチャだったし、ユウカよりずぅーーっとガキだったわ」

「知ってる。長ラン着てハーレー乗ってぶっ飛ばしてたんでしょ」

「そうそう。親とも兄妹とも喧嘩ばっかりで……ユウカはほーんと、反抗期をお母さんのおなかに落っことしてきたのね」

 

 時代のせいか双子が早熟なのか、フユキの反抗期は9歳とかなり早い段階で訪れた。またの名をアキトのスパルタ教育へのストとも言う。ユウカはそんなフユキと双子なので勿論、当然フユキに味方したが、実際に反抗期になったわけではない。あくまでフユキの味方をしただけだ。ユウカはどんなことがあっても、フユキの味方なのだから。

 

「ユウカは本当に、フユキが好きね」

「そりゃあ、双子だもん。普通の事でしょ?」

「いやいや、世にはチョー仲悪い双子とかヨユーでいるから。逆に仲が良すぎる、とかもね」

「ふぅん」

 

 ユウカは当然、気のない返事をした。ユウカにとって双子なんてフユキしか知らない。だから他の双子の情報だけを伝えられても、はあそうですか、くらいしか返せない。モノクロの視界で生きるひとに赤の説明をしても要領を得ないように。ユウカはまだ稚拙で、知ってるものしか知覚できない。

 

「あそうだ、はいこれ」

「なにこれ……時計?」

 

 何の変哲もない、古風な巻くタイプの懐中時計だ。蓋は中央のみを隠し、それ以外を雅やかな模様で彩っている。軽いので純金でも鉱物的な価値があるものでもないだろうが、時計は貴重品なのでマーケットなら中々のものと交換できるだろう。デジタル時計でもないので時間が合っているかはともかくとして。

 

「その時計で七時になるまでは帰ってくるよーに。いいわね?寄道しないこと」

「しないから」

 

 大きくなったなどと嘯いたその口で子ども扱いする母の感性はイマイチ理解できない。言動に一貫性がないってレベルじゃないぞ。呆れた眼差しを向ける娘をものともせず、ハルカは晴れやかに笑った。

 

「いってらっしゃい、ユウカ。フユキをよろしく。はやく帰ってくるのよ」

 

 母のその言葉は、家族が少しの間離れるときにお決まりの台詞だった。フユキはユウカより数分遅れで生まれただけだがその弟という属性が悪いのかもしれない、甘ったれで泣き虫でいらない苦労ばっかり背負うなんとも難儀なこどもであった。そんな弟を引っ張る姉を動かす魔法の言葉が、それだった。その言葉さえあれば、ユウカはいつだって立ち続けられたのだ。だからユウカも、いつものように笑って応えた。

 

「うん。行ってきます、母さん」

 

 

 ―――それが最期の母娘の会話になるなど思いもせずに。

 

 嗚呼哀れむは無知か無垢か無関心か。永遠に続く日々もなければ、必ず訪れる明日もないことを嫌というほど思い知らされて生きてきたにも関わらず。その呼吸に終わりがあることを分かってさえいて。

 平穏が壊れるのはいつでも一瞬。

 人は死を常に考えてはいられない。だから、こんなどこにでもある悲劇は起こるのだ。

 

 




当然ですが人が何人か死ぬので「ふぇぇ人が死ぬはずないよぉ><」ってひとは次回ご注意を。


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幽霊、追憶

長かったのでひとが死ぬのは次回です!これには死ネタ苦手勢もにっこりでしょう


「フユキ!こっちこっち!」

「あ、ちょっとユウカ!待ってったら!」

 

 夕暮れのマーケットは、当然大賑わいだった。行き交う人の頬は上気し、どこかで焼き串でも売ってるのかもしれない、香ばしい匂いが鼻先を掠める。マーケット中は特に無防備なので、通常の集団の何倍ものパトロール役が有志で存在し、外で生き慣れた人々は客も店員も逃走の仕方など十分心得ている。よっぽどな巨大アラガミが数体も出なければ滅多に死者は出ない。まだこの辺りにこんなに人が隠れていたのかと驚愕する大人数がそこに集まっていた。どこもかしこも騒がしく、肝っ玉ばあちゃんがたたき売りする声、おっちゃんが持ってけドロボー!と野次る声、若い人たちがあれこれ確認する声、子ども達がはしゃぐ声、そのどれもが当たり前に響く場所。誰もが終末の世界など知らないように、そこは希望と熱気で溢れていた。

 勿論大荷物振り回すユウカやフユキも例外じゃない。

 

「おばちゃん!包帯二巻きと、消毒液を1Lください」

「あららお嬢ちゃん、高いよ?何と交換する気だい」

「ガソリン2タンク、あと粉ミルクでどう?」

「ああ、ありがたい。ここらの地区で丁度足りなかったんだ」

 

 アラガミから逃げるのに自動車が有利なのは明らかだ。そう考えるのはみな同じで、今やガソリンは何にも勝る貴重品だ。だが幸いにもここは昔工業地帯であった場所、狩りつくされていないところではまだ掘り出すことは多く、ユウカの集団は運よく充分な量を見つけられたのである。

 

「ほら、おまけだよ」

「わっ!良いの?」

「粉ミルク分だよ。ありがとうね」

 

 ぽぽんっ、と二人分のバーベキュー風串野菜が手渡され、ユウカとフユキは二人でニッコリ顔を見合わせる。マーケットには時々、こういう幸運があるから大好きだ。

 

「久し振りの野菜だ~」

「あちっ、あちゃちゃッ、おいひ」

 

 ガラガラ荷物を押しながら焼きたて野菜を頬張る。カボチャ、大根、カブ、ゴボウ、レンコンと謎なラインナップ(たぶん単に採れたてなだけな野菜を適当に焼いたのだろう)だが妙に美味いそれにかぶりつき、口元についた甘じょっぱいたれを舐めとる。

 

「あと何買うんだっけ」

「いまおえひぇんふ(今ので全部)」

 

 野菜串を咥えながら一覧とワゴンに乗った物資を目視で確認して応える。夕日はもうすっかり地平線に下半分を沈ませ、辺りを真っ赤に染めている。売ったものも多いが同じくらいの量も買っているので、帰るのにだって時間がかかる。今から戻ってもおそらくキャンプに帰るころにはオリオン座が頭上にきらめく時間帯になるだろう。懐中時計を確認するも、大丈夫、指定された時間には十分間に合いそうだった。

 

「しっかし、おまけいっぱい貰ったね」

「まあ僕らどう見ても子どもだし……もしやユッキーわかってよこした?」

「どうせ父さんの入れ知恵でしょ」

 

 あの義理人情と筋肉で生きているような人間にそんな小狡い手が思いつくはずがない。荷物の上には想定外の物、お菓子とか、可愛らしいリボンとかそういうものがいくつか積まれている。その中のひとつに、砂糖菓子を詰めた瓶がひとつあった。砂糖の塊なのである程度保存が効いたのだろうが、おそらく賞味期限は過ぎている。だが食べられないニオイはしないそれは、見た目だけでも十分な価値があった。

 

「星の子みたいだ」

 

 フユキが瓶を夕日に照らす。砕けた角の欠片が強い日差しに照らされてキラキラ光った。フユキと違って文芸系統な事はまったく分からないユウカには、ガラスの破片に似ているなという感想しか抱けなかった。これが雅力の差ってやつか、とこの時代でマッタク必要ない力を備えた弟に微笑む。その無駄さが、無意味で尊いフユキの言葉選びが、ユウカは好きなのだ。

 

「ね、ユウカ。僕さ、君の名前がすごく好きなんだよね」

「それ、前にも聞いたよ?」

「そうだっけ?ぼくが朝。きみが夕焼け。二人合わせて一日。うん、きれいだ。母さんも洒落た名前を思いつくよねぇ」

「夜は?」

「……………アッ」

「……二人合わせても完璧じゃないなんて、母さんったら絶対にネーミングミスよ』

「アー……なら、夜担当を見つけたら解決!」

「えめんどいからヤだ」

「そんなぁ!母さん泣いちゃうよ、どうすんの!」

「自分のこと棚に上げてんじゃねーわよ」

 

 それにおそらく、ハルカはあまり深く考えずにつけただろう。自分たちが春と秋だから、子どもは夏と冬にしよう。そんな適当な理由だ、たぶん。ついでに双子だからどこかしら対にしたかっただけだろう。勿論そんな両親の遺伝子を遺憾なく受け継いだユウカは冷静にそう分析したし名前の美醜などとんとわからなかった。きっとユウカが捨ててきたものを、ぜんぶ拾って出てきたのがフユキなんだろな。

 

「ね、フユキ。これからもあなたの見てる世界を、姉さんにも教えてね」

「ユウカこそ。勝手にどんどんひとりで行かないでね。いつでも僕の手を握っていて」

 

 当たり前でしょ、二人は互いの言葉に晴れ晴れしく笑った。

 

 ―――ベースキャンプから仲間が、忽然と消えているのを知ったのは、月が昇った直後だった。

 

 

「争った形跡はなし、火は?」

「消えて随分経ってたみたいだ、砂が冷え切ってる」

「アラガミを発見して速やかに退避した、っていうのが今のところの知見かな。血痕もないから、気付かれる前に逃げたんだと思う」

「乗り物はご丁寧に一台、原付があるしね……」

「行先くらい書置きしておいてよ……」

 

 ガクリ、と二人して項垂れる。人の気配がないと分かった直後に十分きっかり周辺を見て回ったが、獣っぽい新しい足跡がある程度でアラガミの姿はなく、既に去った後であることが窺えた。つまりひとまず、ここは今だけは安全である。

 尚、消えた仲間は大丈夫なのかという軽いパニックや不安や心配は二分で収まった。あの両親がピンチに陥る場面がイマイチ思い浮かばなかったのが原因である。二分で現場考察始めるとかそれでも人の心はあるのかと自分でも思うが、あの両親から生まれたのだから仕方ない。

 

「物資どうしよう。置いて行く?」

「仕方ないね。必要そうなものだけ持って行こう」

 

 幸い前にもカゴがついているタイプのダサい原付なため、積める荷物も多い。フユキにはバランスをとってもらわないといけないが、ハルカの息子なのだからいけるだろう。できるだけ物が入るように詰め込んで、重量ギリギリを攻めつつの荷造りは三十分もすれば終わった。先にユウカが運転席に乗り、片手で抱えられる程度のバッグを持ったフユキが荷台に乗って取っ手にしがみついた。

 

「ウワ、これ怖いよ」

「我慢して。けどどうしても無理そうなら言ってね荷台壊すから」

「はぁーい」

 

 フユキが乗れないなら荷物なんて腐れ。ハルカが改造したおかげで音が最小限に抑えられた原付がゆっくりと地面を滑る。当面は、元々の到着予定地点を目指して走ることになるだろう。

 

「よくこのド深夜で運転しようと思えるねっ!」

「夜のほうがアラガミの眼が効きにくいんだから今のうちに行くしかないでしょ!もしかしたら追いつくかもだしっ」

 

 身を切るような風に負けないような大声で会話しながら、真っすぐ前を見てハンドルを操作する。集団からはぐれるなんてことは実はよくあることなので、二人とも運転の仕方は一通り教わっている。結果、単車はユウカが、車はフユキが上手い事が判明した。二人とも互いの得意分野の運転はほぼ出来ないことだけが残念である。

 地上の光の9.9割が消えたこの時代、月は大袈裟なほど明るく地上を照らす。今日は特に満月だから、とびきり目が良い方ではない二人でも容易に周囲の様子がわかって大変よろしい。

 三時間走り続けて、後ろ姿どころか土煙さえない道路に諦め、中継地点その2になるはずだった場所で二人は夜を明かすことになった。

 

「予定地に着いて誰もいなかったらどうしよう」

「そうなったら、他の集団に拾ってもらうだけよ。私たち中々腕は悪くないし、どこでだって大丈夫」

 

 約二週間ごとに移動をする私たちなのでバッティングは結構な頻度で起こる。そういった場合、合流するか離散するかで行動は大きく変わるが、大体は後者だ。合流ならそのままその地点を宿とし、離散なら情報交換を交わし、場合によっては物資の交換などをした後にどちらかがその地点を離れることになる。後者がすんなりいくのは少し難しい。どちらも綿密な計画あって移動したのだから、次の滞在地点をすぐに決めるのは困難だ。そういった事を含め、移動を始めるとは言え切羽詰まっている集団ではそれが難しいことだってある。閑話休題。つまりどこかの集団に入りさえすれば、いつかは必ず、また会えるはずだ。

 

 しかし所詮この世に都合がよろしいことなどなく。両親の捜索は困難を極めることになる。

 

 それというのも、滞在地点にいた集団が双子の知る人たちとは違っていたのが始まりで。しかもその集団がまた頭の固い連中で柔軟性がなく、双子のことをただの子どもと拒絶したのである。荷物だけ奪われるは癪なのでとっとと原付に跨って走り去った。

 さてここで問題なのは、ユウカが知っていたのは最初の到着地点だけだったということだ。

 困った二人は、仕方がないので近くのぼろっちい二階建ての家屋を拠点として生活することにした。長く住む人のいなかったらしいその家は完全に廃墟で、夜になるといかにもな雰囲気を醸し出すホラースポットとなるが、川が近い事もあって居心地はさほど悪くなかった。放置された物資の見つけ方やアラガミの回避方法などはとっくに叩き込まれていたし、身の回りのことも体調管理もエンジントラブルも、双子にとっては朝飯前のことだった。そうして一週間経ち、二週間経ち、そろそろ一月が経とうとしていた。

 

「フユキ、寝ずの番、交代の時間だよ」

 

 人手がないとこれが大変だ。まさかアラガミがいつ襲ってくるともわからぬのに爆睡もできない。一応足を引っかけたら音が出るタイプのトラップをいくつか仕掛けているが、それにしたって寝入っていたら聞こえない可能性がある。こうして代わりばんこに休むことになるのは必然であった。

 フユキは毛布にくるまり、家屋の屋上で鼻の頭を真っ赤にしていた。もうすぐ二月になる真冬の夜は、文字通り凍えるほど寒い。懐中時計を手渡し、その隣に座った。

 

「またそんな薄着で……」

「毛布にくるまるから大丈夫」

 

 フユキの毛布に無理矢理身体を滑り込ませ、二人でぬくぬくと温まる。彼がずっと使っていただけあって体温が移っていて温かい。毛布から出て行こうとしないフユキに、ユウカは小さく首を傾げて彼の表情を窺った。いつもなら溜息と小言ひとつ落としてさっさと眠るのに。

 

「ねぇユウカ。ユウカはどうしてフェンリルに行こうとか思わなかったの?」

 

 生化学企業フェンリル。世界を牛耳りアラガミを倒さんとする者たち。けれど、ひどく残酷でどこまでも現実主義でもある。誰しもを受け入れられないそこに入ることが出来るのは、神機使いになる可能性を持つ者と、その親族だけだ。

 

「僕ら二人とも、パッチテストは陽性だったじゃんか」

 

 そう、実は二人とも、神機使いになる素質は充分にある。時たま遭遇する親切なゴッドイーターが、希望の切手代わりに簡易検査パッチをくれるのだ。それに引っかかることができれば、壁の中へ入れる、安全な場所へのチケット。けれど、桜庭一家はそこへ行かなかった。特に話し合うこともなく、自然とそうなった。

 そういうものなのだと納得していたユウカはウーンと唸った後口を開く。

 

「いやぁ、だって私ってば、アラガミに負けたーって思っちゃったから」

「えっいつの間に戦ってたの」

「いや物理的な話じゃなくてね。戦う気力もないっていうか、逃げた方が早いっていうか……」

 

 ユウカにとってアラガミとは捕食者であり、天敵だ。例えばネズミにとっての猫のような。シマウマにとってのライオンのような。いて当然の存在。アラガミがいる世界が常識なのだから、仕方ない。

 あらゆる種族は、滅びるようにデザインされている。ずっと続く明日なんてなくて、永遠に変わらないものがないように。そこに人間が適応されない理由がない。

 とどのつまりユウカは――抗う事を諦めたのだ。

 

「自然の理に抗うって、そんなに必要なことかなーって。ネズミは猫を根絶やしにしようとか思わないでしょ?ていうかぶっちゃけ、そんなに憎む理由がないし」

 

 そうだ、ユウカには理由がなかった。父と母がいて、フユキがいれば何もいらなかったから。集団のみんなはもちろん大事だが、哀れなことにユウカは、集団の誰かが欠けた決定的な瞬間を未だ見ずにいる。それはフユキもそうだ。つまり、現実感がないのも問題だった。

 

「フユキはフェンリル行きたいの?」

「んーー、あんまり」

 

 苦笑に近い失笑をフユキが零す。同時にほの白い息が宙に吐き出された。

 

「壁の中って窮屈そうだ。それに、僕がアラガミ討伐に向いてると思う?」

「思わない」

「でしょ?」

 

 例え神機使いになると同時に超常的な身体能力を手に入れたって、基礎が低ければ高が知れてる。自分が良いゴッドイーターになれないと自己分析した故だった。

 

「そういえば、アラガミは地球の浄化機構って、この前読んだ本に書いてあったな……」

「へぇ、面白い考察ね」

「なんていうか、星が限界を迎えたから起きるとかなんとか……昨日拾った本だから、後で自分で読んでよ」

「えぇ……何それチャンドラセカール限界?白色矮星になっちゃうじゃん……」

「ウン意味不明な語句使うのやめてくれる?」

「なんで同じ父さんの講義聞いてるのに分かんないの?」

 

 黒板やホワイトボードを見つけた日のアキトがついついはしゃいで、あらゆる講義を聞かせてくれるということがかなり頻繁に昔あった。楽しそうな父がわけわからん授業をニコニコ笑顔でしてくれるのが可愛かったので一生懸命聞いていたのである。その中に、天体科目の授業も幾ばくかあった。

 

「惑星が死ぬときに達する質量の限界だよ。死ぬ間際の惑星は最後に真っ白に、それまでで一番強く輝くの」

「へぇ、どんな光景なんだろう」

「そのときには人類はとっくに干上がってるよ。うお座のヴァン・マーネン星とシリウスのβ星みたいに、遠くからしか観測できっこないない」

 

 アキトがたわむれで地球のチャンドラセカール限界を導き出そうとしてユキトに不謹慎とチョップを入れられていたのを思い出す。ハルカがけらけら笑ってそれを眺めていたことも。その公式は流石に忘れてしまったが、その話はどうしてかユウカの心に残り続けた。

 

「なんだか寂しい話だね」

「どうして?」

「だってそれまでで一番強く輝くのに、きっと美しいだろうに、それを誰にも見て貰えないんだ。誰も傍にいてくれないし、誰もその美しさをしらない」

 

 見上げれば、たくさんの星が瞬いていた。星見表はとうに失くしてしまったので、どの星がどの星座かは、もうわからない。それほどに、空は星で埋め尽くされていた。三日月とは言え月明りがあるというのに、素晴らしい眺めだ。しかし今見える星のどれにも、知的生命体がいる痕跡はない。だから、この惑星が燃え尽きたとて、観測できる誰かはどこにもいないということだった。それを寂しいと思える感性をユウカは持ち合わせっていなかったけれど、フユキが言うなら、きっとそれは寂しい話なのだろうなと思った。

 

「私も、死ぬときはフユキが側にいてほしいものね」

「不吉なこと言うのヤメテくれる?そういうのフラグって言うんだからね」

「でも、フユキもそうでしょ?」

「まあ……そうですけどもー」

 

 私たちは元は一つだった。この世に生まれる一瞬前にかみさまに分けられただけの、元は一つの卵子だった。二人で二人、一人と一人。もう決してひとつには戻れない。けれど確かに、二人は双子なのだから。片割れだけ残るなんて、まっぴらごめんだ。人は惑星よりずっとちっぽけで、ずっと弱く、ずっと我儘で。だから、ひとりで死ぬのは寂しいのだ。

 




次回でユウカちゃんの昔のおはなしは最後になります。


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幽霊、回顧

浅き夢見し


 

 それを見つけたのは、完全な偶然だった。

 食料に不安があるという理由だけで入ったそれなりに住めなくもない、おそらく朽ちる前は何らかの避難施設だっただろうそこは、最近まで人がいた気配で溢れていた。部屋内を一つずつ隈なく探索していた最中、赤黒く、不規則に床に描かれた点描。双子には見るだけでわかった、血痕だ、しかもまだ新しい。

 双子は顔を無言で見合わせ、足取り静かに、慎重に血痕を辿った。怪我人がいるなら放っておけないのは完全に血筋で、まだ脅威が去っているかもわからないのに進む無鉄砲さもまた同様であった。

 数メートルも進まない内に、その血痕の元らしき人物は見つかった。正確には、その人物が入っている箪笥を先に見つけた。血痕と手跡まみれの扉に手をかけ、そっと静かにそれを開く。

 

「――――っナオミ、さん……?」

 

 変わり果てていた。左腕がくっついてるのが不思議なくらい皮一枚で力無くぶら下がり、腰が見るからにいけない方向へ折れていた。全身がおそらく自らの血でどす黒く染まり、端から乾いた欠片がぽろぽろ箪笥内を汚している。生気のない目玉が、ぎょろりと双子の方を見やる。思わず後ずさった双子に、気付いたらしい日下部が笑みらしきものを浮かべて口を開けた。

 

「あぁ……ユウカちゃ……フユ……くん……」

「ま、まって。だめ、まず処置しないと」

「だめ……脊椎が、折れてる、って……」

 

 こひゅ、こひゅ、と奇妙な呼吸音を合間に挟みながら、日下部は力無く言葉を紡いだ。見たところ肺は無事なのか、吐血の痕はない。それが何一つとして気休めにならないのが、日下部の身体状況の凄惨さを物語っていた。

 カタカタと震えるユウカの肩をぐっと掴んで、フユキが少し前に出る。

 

「父さんと母さんは、皆はどうなりましたか?」

 

 日下部の事情を一切無視したフユキの質問に、日下部は安心したように小さく微笑んだ。なにもかも諦めたひとの瞳だった。

 

「あなた達のお父さんは、わからないけど。お母さんは、私とおなじ方向に逃げたの。でもそれからすぐ、アラガミに襲われて、」

 

 声を出すだけで痛みがするに違いない。絶叫するほどの、大人の男だって泣き叫ぶくらいの痛みが。けれど日下部はそんな素振りを一切見せず、彼女の出来得る限り流暢に情報を吐き出した。

 

「アラガミは沢山いて。どうにもならない状況だったわ。そして、いちばん先に、殿にいたひとが食べられた。ツヅキが、ユウヤが、」

 

 うっそりと、笑みすら浮かべて日下部が名前を羅列していく。どれも慣れ親しんだ名前、怪我や病気で双子が診察したことだってある人達。一緒に遊んでもらったり、共にその日を乗り切った仲間の名前が。

 

「ミズキ、ナナさん、それから、―――ハルカさんが」

 

 淀んだ眼が全てを物語っていた。それら一切全てが、本当に起こったことだと言う事を。

 

「わたしが、最後」

 

 おそらくその話は、日下部の出血量からしてたった今から数時間もしない内に起こった事だったろう。この施設内に人の気配はなかった。『ありふれた大量出血の痕』があるくらいで、他には、何も。肉片一つも。

 

 ―――『フユキをよろしくね』

 

 一ヵ月前の母の言葉が蘇る。いつも通りの言葉だったはずだった。特に気にも留めない、ありふれた言葉のはずだったのに。

 寒気が背筋をかけ上り、嘔吐感が喉で跳躍する。そう、喰われたのだ、母は。紛れもなく、あの化物共に。咄嗟に口を手で押さえ、込み上げる吐き気を飲み干す。そうしてやっと、日下部の顔色に気づいた。

 

「ナオミさん、だめ、だめです。目を閉じないで」

 

 日下部の顔色は雪よりも白く、全身は僅かに痙攣が始まっていた。上手く止血できていなかったらしい患部からの出血が増し、洪水の日のマンホールのようにごぼごぼと止めどなく溢れてくる。視線は虚空を眺め、瞳孔が開閉を繰り返し口端から泡が噴き出る。箪笥の中で気道の確保もクソもない。とにかくこんな狭い所から出して人工呼吸に胸部圧迫、応急処置だけでもすれば延命くらいはと抱き上げた。あんなに温かく柔らかかった体温は、凍えるように冷たく、硬くなっていた。

 直後、肩に頭を乗せた彼女が囁く。

 

「うそつき」

 

 耳元で、はっきりと。

 一度大きく痙攣した彼女の身体はその後、完全に静かになった。呼吸の音も、脈拍も、心臓の音も聞こえない。完璧に沈黙した死人。人類が未だ知り得ない領域へ、彼女は。

 フユキがそっと彼女を持ち上げて、ゆっくり地面へ横たわらせた。手のひらで瞼を閉じさせ、両手を腹の上で組ませる。箪笥の中に戻せば、アラガミの捕食から遺体は逃れられるかもしれなかったが、そうはしなかった。このまま箪笥で肉体を腐らせるよりかは、みんな同じところへ行けた方がましだと思ったから。

 

「……ユウカ、行こう」

 

 返事ができるほどの気力はなかった。うそつき。うそつき。うそつき。彼女の声が、呪いのようにユウカを蝕む。寒さのせいだけじゃない震えが全身を襲い、足元が崩れ落ちていく感覚に陥る。

 ただそんな中で、フユキにあの言葉が聞こえなくてよかった、と、ただそれだけを思った。

 

 

 ―――『フユキをよろしくね』

 

 

 母の言葉が反芻する。

 そうだ。

 

 それだけが。

 

「うん。ここを、離れなきゃね」

 

 心臓が鉛のように重かった。しかし、ユウカは笑みを浮かべた。それだけが最早、ユウカに残されたすべてのように思えたから。

 フユキの顔が強張ったその瞬間、ガラン、と階下で大きな音が響く。襲来を知らせるトラップの缶の音色。

 

「逃げるよ!」

 

 どちらからともなくそう言い、駆け足でその場を離れた。廊下の奥に、白く硬質な角が見えた気がして、背筋が凍る。後ろを振り返る余裕はなかった。日下部の死体がどうなったかも。二度と。

 

「っ、こんなにたくさん、何時の間にッ……」

 

 外は小型アラガミで溢れかえっていた。銅像のような直立不動のアラガミが乱立し、その間を縫うように鬼の顔をした白いアラガミが跋扈している。

 焦燥を滲ませ、それでも慎重で、冷静のつもりだったのだ。

 

「フユキッ!!」

 

 咄嗟の判断に碌な物はないのは総じて明らかだ。私のこの時の行動も、きっと客観的に見れば碌なものではない。けれど私は何度だって、いつだってどこでだって、例え冷静であったとしても、同じ事をしただろう。

 声をあげる暇さえ惜しく脚を動かし、腕が考える一刹那さえなく突き飛ばした。

 瞬間、腹部に感じたのは比類ない痛み、それと猛烈な熱だった。燃えるようなんてものじゃない、マグマを流し込まれているかのように錯覚するほどの、圧倒的な熱。どくどくと全身の血管が早鐘を打ちながら流れを勢い付けて頭が沸騰しそうだ。

 体の半身を打ち付けられた衝撃で倒れたことに気づき、焼かれた腹を握りしめながら瞑りそうになる目を無理矢理開ける。

 

「ゆう、か?」

 

 チカチカする視界に、目を見開いて立ち尽くす弟の姿が映った。この、バカ、なにぼうっとしてんだっつの。そう罵倒したかったけれど、それよりもまず、ここを逃れることの方が重要だ。女の子にあるまじき咆哮を上げながら、ユウカはフユキの腕を取って足をもつれさせながらも走り出した。

 

「ゆうかっ、ねえ、ちょっと!ユウカ!ユウカ!」

「……っるさい……」

 

 血液と共にアドレナリンが大量放出されていたのだろう、痛みも熱もあったが、気にはならなかった。それよりもまず、フユキだ。騒がしい弟の頭をブッ叩いて、その腕を取って風よりも早く走る。アラガミが後ろから迫ってきているのが見なくともわかった。

 この施設に来るまでに乗っていた、長い付き合いになっていた単車の運転席にフユキを押し込み、その後ろに自分も跨る。

 

「アクセル!早く!」

 

 フユキはバイクを殆ど運転できない。だから不器用にハンドルを持つ手をユウカが上から重ね、その安定を図った。自我が保てなくなりそうなほどの困惑で咄嗟に声に従う弟に、ユウカは薄く笑みを浮かべた。ベタ踏みしたアクセルのままに、バイクは音も乗り心地も荷物も気にせず道路を突っ走る。

 

「ユウカ!?これどこに向かってんの!?」

「………南東よ。南東へ行って」

 

 そっとフユキの手から両手を外し、片腕をフユキの腹へ、もう片方で自分の懐を探った。カツ、と爪先に当たる感触に、わき腹と共に喰われていなくてよかったと息を吐く。最早遺品ともなってしまったそれを、フユキの上着のポケットにそっと滑り込ませた。

 意識が遠のく。黒く塗り潰される。身体の何処も彼処もが痛くて、込み上げる嘔吐感が胃を絞り上げている。

 その中で感じたのは――確かに安堵だった。

 

『私も、死ぬときはフユキが側にいてほしいものね』

 

 背中から感じ取れる僅かな温度が心地よい。

 体温とはつまり、愛だ。触れ合って分け合える柔らかなもの、温かいもの。

 今からユウカが永遠に失うもの。

 

 フユキ。

 あなたを置いて行く不出来な姉を、許さないでね。

 

 ――『フユキをよろしくね』

 

 母の声が脳裏に蘇った。

 ああ、嗚呼。

 母さん、私はフユキをちゃんと守れたのかなぁ。

 

 

 いるかもわからないかみさま。

 私はここで終わっても良いから。

 うそつきは地獄の釜で踊ったって構いません。

 母さんと父さんに天国で会えなくっても良い。

 呪われようがどうでもいい、だから。

 どうか。

 

 

 フユキの未来を、どうかよろしく。

 

 

 

 思い出を辿りながら、すべてソーマに話した。ここに至るまで、ユウカが覚えている限りの全てを。ソーマは一言も相槌も打たず、ただジッと静かにユウカの話を聞いた。

 

『きっと私の魂だけ、フユキが持ってきちゃったんだね』

 

 文字通り墓場まで。優しい優しい、弱っちい弟。そうして彼と一緒に、記憶もここに置いてきたままだったのだろう。石碑に刻まれたうつくしい名前を見つめ続ける。

 

 ―――二人は元々ひとつだったんだよ

 ―――同じ卵子が分裂したんでしょ?

 ―――そうさ。かみさまがわざわざ、二人にしたんだ。この世に落とされる一瞬前に

 ―――珍しく良い仕事したね

 ―――それはほんとうにそう

 ―――でも、元々一つだったんなら、

 

 ―――――二度目の離れ離れも、きっとすぐ出会えるね。

 

『そっか。フユキは、そっか………』

 

 ユウカの決死の行動虚しく。

 その先を言葉にすることはできなかった。ソーマも何も、言わなかった。もうとっくに起こっていて変えられないのに、それでも言葉にはできなかった。そうしてしまえば、全てが終わってしまうような気がした。

 幽霊で良かった、と自身をせせら笑う。脳がないから発狂の仕様がない。

 

『戻ろう、ソーマさん』

 

 くるりと身体を反転させ、佇むソーマににこりと微笑む。ソーマは何も言わず、何も聞かなかった。しかしその雄弁な眼が口にせず語る、いいのか、と。ユウカはそれに笑みを深めて嗤った。

 良くはないかもしれない。けれど、取り合えず今日はいいのだ。

 

『うん、でも今はもう何も考えたくない。疲れちゃった』

 

 泥のように眠れたら良かったのに。

 

 




酔ひもせず
ふぇぇ;;ユウカちゃんもフユキくんもかわいそうだよぉ;;誰だよこんな重い過去背負わせた奴;;あ私か~~~~!!!!^^


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幽霊、落涙

 

 パシュ。空気が圧縮される音と共に、扉が開かれる。帰宅したばかりなので当然と言えば当然だが、その沈むような暗闇の奥に、淡く光る少女が膝を抱えて蹲っていた。廊下から差し込む以外に光源がない部屋で、両腕に顔をうずめている。

 あの日から、彼女はずっとこうしたままでいる。

 何も見ず、何も話さず、何も聞かず。どこへ行くということもなく、立ち上がる事さえしない。

 背後で扉が閉まり、真実室内で光を宿すのは彼女だけになった。

 

「いつまで、そうしているつもりだ」

 

 扉のすぐ前に立ったまま声をかけるが、彼女の顔が上げられることはない。わかっていたことだが、自分の無力さが嫌になる。よく、心の傷は時間が解決してくれるなどということを聞くが、それが嘘であることをソーマは知っている。受けた傷は見えなくなるだけで癒えることはなく、痛みに慣れるだけで消えることはない。過ぎ去ったものと書いて過去なのに、どうしてかずっと、こころに留まって、貫いたまま消えやしないのだ。

 けれど実のところ、ソーマは少しだけ安堵もしていた。彼女はどこへだって行けた、誰にも見つからない場所へだって行けただろう。けれどそうはしなかった。彼女は彼女の意思で、ここで膝を抱えた。一人で居たいくせに独りは嫌いなユウカに安心して、ソーマは任務に出かけては時たま彼女を本当に一人にし、帰ったら寄り添うように隣に座る。

 不意に、『約束事』を思い出した。

 

 ――一つ、部屋の外で俺に話しかけない

 ―――ふたつ、部屋の外に行くときと帰って来るときは一声かける!

 ―――三つ、騒音にならなくとも大声は出さない

 ―――よっつ、なるたけ、会話を続かせようという努力はする

 ―――…………それは必要か?

 ―――記憶喪失には脳の刺激でしょ?まあ脳あるかわかんないけど』

 ―――そこに立て。物理で行ってやる

 ―――やめて?記憶が戻ったら納得して成仏できそうじゃん!だから決定!はい決定!

 ―――大声は出さない

 ―――はい

 ―――五つ、夜は静かに

 ―――はーい

 

 今にして思えば、どれ一つとして守れていない約束事だ。部屋の外で誰もいなければユウカはソーマに遠慮なく話しかけるしソーマも応えるし、この前の喧嘩時には喉が枯れるほど大声を出した。夜だろうが昼だろうが無意味に会話が弾むときだってあったし、ユウカがエミ〇ム完コピしたりソーマがイッツマイライフ絶唱したりもした。冷静に考えれば何をやってるんだ俺達は馬鹿か?といった具合だが、ソーマだってまだ16歳なのだからセーフである。若気の至りということで。

 この部屋は二人の思い出で溢れている。

 たった一ヵ月と少しの僅かで、なのに苦しくなるほど濃密な時間。ソーマにとってその時間は掛け替えのないものだった。今までの人生のどの時間よりも美しく、これからの長い道のりの中の時間よりもずっと愛おしい。

 嬉しかったのだ。この記憶だけで、生きてゆけると思えるほど。

 ――ユウカがどれほど頑張ってきたかなど、ソーマにはまったく推し量れない。唯一の肉親の手を引いて、どれほど強がっていたかなど、ひとつも。けれどそれが報われなかったということだけはわかる。努力に応じた結果は得られず、尽力を無駄と切り捨てられ、献身を偽善と罵られた。生物はみな全て愚かだ。所詮相手のことを理解するなどできず、自分の痛みにだけ敏感なくせ他者の痛みには鈍感で、押しつけがましく傲慢で、完全な善など存在しない。

 ユウカだってそうだ。

 しかし。

 それでも。ソーマはユウカを愛しているのだ。

 

「ユウカ」

 

 彼女の前に仁王立ちして、毅然とした声で彼女を呼んだ。彼女は顔を上げず、ぴくりともしないまま動かない。そして唐突に、――腹が立った。

 

「立て」

 

 端的に、強い語調でそう言った。そうだ、らしくない。彼女も――自分もだ。穏やかに接していたのが間違いだったとは思わない。ユウカの優しさを真似たものが、偽物だとは言わない。

 だが、それでは彼女に届かない。

 

「立て、ユウカ」

 

 もう一度、ソーマは怒気を漲らせて、しかし静かに言い放った。怒鳴るのも叫ぶのも不適切だ、そんなもので人は動かない。そしてソーマが動かしたいのは紛れもなくユウカ只一人であり、ユウカこそを引っ張り上げたいのだ。

 

「いつまでうじうじしているつもりだ、たかが家族が死んだくらいで」

 

 わざと彼女が怒るような言葉を使って挑発した。だがそれは一種の真理でもあった。この時代、家族を失った話など巨万とある。斯くして沸点の低い彼女は肩を震わせながらも顔を上げる。だがそこにあった表情は怒りではなく、悲しみでさえなく、滂沱の涙をただ流し続ける、能面のようなそれだった。

 

『ぜんぶだったんだ』

 

 いつもの無駄ハイテンションの声でもなければ、あの桜の木の前の時のように落ち窪んでいるわけでもない声は、およそ彼女の声とは思えなかった。平坦で、低く、虚無を抱え込んだような声。僅かな震えだけが彼女らしさを辛うじて保っている。

 

『フユキはわたしの全部だった。フユキの隣からだけは、いつだって世界は綺麗に見えていたんだ』

 

 あの頃、桜庭ユウカに情緒などないに等しかった。両親がそもそもド理系だし、学ぶものの殆どが数理学系統でありながら文系に育つ方が難しい。そんな桜庭家の突然変異、見た目も思考もそっくりなのに見えるものが違う双子の弟。彼がいたから、ユウカは。

 

『ほんとうに愛してた。――こころから、愛していたんだよ!』

 

 嘘じゃない。嘘じゃないのに。

 

『なのに、今まで思い出せなかった。あまつさえ、思い出してさえ、ソーマさんとの時間が―――楽しかったんだ!』

 

 やけくそのように、八つ当たり染みた悲鳴が木霊する。

 終わりを分かっていて尚笑い合った日々。墓場に埋めまでした愛を思い出しても、尚、確かに楽しかった瞬間が、温かな時間が。

 

『そうだ、楽しかった!嬉しかった!しあわせだったんだ!最低だ!』

 

 もしかしたらこんな人生もあったんじゃないかって、もっと早くフェンリルに来ていたなら、そうなれたんじゃないかって。ほんのわずかな未来を見てしまった気がして。堪らなく泣きだしたかった。

 もういやだ。あの時、私はどっちにしろクソ野郎だった。姉ぶることを選んだんだ。自分の命使って弟を守るなんて最低、悪魔の所業だ。結果、ぜんぶ亡くした、自業自得だ。何一つ、なにひとつ守れなかった。父さんも母さんも、ナオミさんも、自分の言葉も、約束も、あの子も。それなのにのうのうと、ユウカは温かな日々よ続けと泣いた。いっそ無様なくらいそう叫んで、消えたくないと泣き喚いた。

 ソーマは呆気に取られて固まった。彼女ははなから自分の成仏を念頭に入れて漂っていた。世の理に反することなく、流れに任せて完膚なきまでに死のうとしていた。ソーマのことなんて、なんとも思ってないだろうと思っていたのに。

 気づけばソーマは笑っていた。何笑ってんだよ、と非難の眼で彼女が睨む。ソーマは悪いと思って笑いを堪えながら、ユウカと同じ目線になるまで身を屈めてしゃがんだ。

 

「ユウカ、悪かった」

『なんでソーマさんが謝るのっ、前の時もそう!なんで、』

「お前が俺の事であんなに悩んで苦しんでいたって言うのならな、こんなに浮かれることはないだろうよ」

 

 いつも仏頂面、鉄面皮が標準装備なソーマが珍しく上機嫌に顔を綻ばせた。面の良い男の破顔をモロに受けたユウカはしかし、彼限定で少しばかり慣れていた。慣れていたのに、赤面した。だってそれは、殆どあいの告白だった。

 

『い………ままでだって散々私を悩ませておいてそれ!?』

「そういう意味ではまさかないだろうと予防線を散々張っていたんだ、気付かなかったか?」

『ばかなの!?ソーマさんのことなんて優しいくせに上手く言葉に出来なくて勝手にふてくされてるところからウザ絡みしたときに咄嗟にさっさと成仏しねえかなコイツって思っちゃうところまでぜんぶ好きだよ!』

「悪かったな短絡的思考で」

 

 違うー!と騒ぐユウカにまたソーマはくつくつと笑う。そうして聞いてみれば、まるでソーマは普通の少年のようだった。ユウカにとってソーマ・シックザールとはふてくされたばかな少年でしかなく、だからこそ恋ができたのだ。ソーマもそう、ユウカは有り余るくらい明るく陽気でどこにでもいるただの少女で。黒髪碧眼なんてこの世界で腐るほどありふれた特徴に、極東でも上位に入るだろうというレベルの容姿で。

 だからこそ、彼女を世界で一番美しい少女と断言できるのだ。

 

『ソーマさんと居たいよ、まだまだこれからずっと!昨日よりも今日の方がずっとそう思って、あの頃よりずっと幸せだと思っちゃってたことがつらくて、申し訳なくて!もう何が言いたいのかよくわかんなくなってきちゃったけど、とにかくつらいんだよ!』

 

 桜庭ユウカはぽんこつだった。情緒の発達という面で同年代より遥かに遅れ、なのに数式とか医術とかばっかり覚えて、映る世界全て数字で出来ているかのようなデジタル人間だった。それを、普通の人間にしてくれるのがフユキだった。ユウカを救えるのは、世界でフユキだけだと思っていた。思っていたのに。

 ソーマの言動ひとつで一喜一憂して、美味しいもの食べたかったこととか、我慢していただけでほんとは運動なんてちっとも好きじゃなかったこととか、歌うことが結構好きだってこととか、痛みとか、嬉しさとか、ぜんぶ、本当は最初からユウカの中にあったこと。

 泣き疲れて、途方に暮れて、もう終わってしまった事と、とっくに変わってしまっていたことに気づいて。しかもちっともフユキはあれから会いにきてくれないから謝れもしないし。しにそうなほど、死にたくないと思ってしまうのだ。

 

「ユウカ」

 

 彼の声が、私を呼ぶ。たったそれだけで世界を救えなそうなほどうれしい事なんて、きっと誰にもわかりっこない。

 どちらからともなく腕を伸ばして、互いの背中を掻き抱いた。触れ合える。温かい。大きい。硬いし、力が強くてちょっと痛い。けどそれが、この人の愛なんだ。涙がぼろぼろ零れる。長く流れなかったくせして気分屋なやつだ。言葉が足りない二人を埋めるように雄弁に流れるそれは、今ははっきりとかなしみの色をしていた。まわらない呂律でそれでも伝える。

 

『こわいんだぁ、こわいんだよぅ、ソーマさん。立ち上がるなんて無理だよ。だって帰ってきてからずっと、』

 

 ――ちっとも足が、動いてくれないんだ。

 

 

 別れの時は、すぐそこに近づいている。

 

 




ユウカちゃんとソーマさんが幸せになれますようにという気持ちで常時書いております(ニッコリ)


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幽霊、と少年

すこし短いです


 

 ユウカの身体は、まるで水が凍るように徐々に固まって行った。脚が動かないことをはじめとして、腰も回らなくなり、指先が上手く動かなくなって、とうとう腕と頭部以外動かなくなった。

 代わりとばかりに、ソーマとユウカは触れ合えるようになっていた。

 冷たいばかりでちっとも温かみのない、ほとんど力の入っていない身体。触れることも手を繋ぐことも抱き締めることも、荷物のように運ぶことだってできた。彼女がもう浮遊できなくとも、好きなところにいくらだって連れて行ってやれる。ソーマだけが。

 そんな独占欲とか優越感を隠したソーマが、行きたい所はないかと聞いても、しかし彼女はまるっとそんな感情をスルーして困ったように笑って言った。

 

『良いの。ここに居たいって言ってるでしょ』

 

 この部屋に。窓一つない、壁にはホログラム映像が時たま映って、自主練の為に弾痕がそこかしこにある物騒な部屋。けれど的だったものはもうとっくになく、乱雑に散らかった部屋は整理整頓とまではいかないが見るに堪えうる姿にはなった。話して笑って怒って泣いて、謳って喧嘩して分かり合えなくてもどかしくて、恋し合ったこの部屋に、最後まで。

 

『おかえりーソーマさん。遅かったね、バガラリー見飽きちゃったよ』

「戻った。勝手にアーカイブを漁るな」

『点けっぱなしで出て行く方が悪いもーん、不用心だなぁ』

 

 体の殆どが動かないくせして元気な奴である。

 二人は出来る限り、いつも通りに過ごすことに決めた。ユウカが好き勝手してソーマが振り回されているように見えて、終わった見ればなぜかユウカの方が振り回されていたみたいな、どうしてそうなったのか本人たちにだってわからないような、雨の日の癖毛のように跳ね散らかし、柔らかなそれを。いずれ訪れる終わりが見える、はかない日々。それこそが、最期まで笑って過ごす方法だっただろうから。

 

「お前への身体接触上の介入ができるようになったと思っていたが、逆なのか?お前が現実に介入できるようになった?」

『あ止めて小難しい話聞いてると眠くなっちゃう』

「ド理系が何言ってるんだ」

『いや今全然わかんないわかんない。今四則演算すらできない』

「未就学児かよ」

 

 へらへらと緩み切った顔で笑う彼女を鼻で笑って持ち上げる。そう、抱き上げるに非ず。またはしゃぎまわられても面倒だ。あとその流れは初日にやったから飽きていた。

 

『いつもすまないねぇじーさん』

「それは言わない約束だろババア」

『口わっるいじーさんだな』

 

 やわらかいベッドの上に適当に放り投げ、雑!と喚く彼女を放置してコートを脱ぎ捨てる。今回の任務は第一部隊としてのものだったので、対人関係で色々めんどくさいメンツであった。あの夫婦サッサと結婚しろなんで俺が思春期の息子扱いをされなくてはならないんだ。

 

「……………………………疲れた」

『お疲れ様、ユウカのここ、空いてますよ!』

「そうか。で、この見るからに頭ハッピーセットな映像は?」

『流された……やなんかアーカイブにあったから見ただけ。すごいよこれ総数何話だろう、こち〇かな?』

「前々から疑問だったんだが、お前のその絶妙に古い番組知識はどこから来たんだ?」

『ほとんど母さんかな……くわえ煙草のセブンティーンマップみたいなタイプのひとだったから』

「昭和か」

『私も十四歳の新しい自分探そうかな。ユウカマークⅡ、いつかはクラウン』

「昭和か」

 

 前者は尾〇豊、後者はト〇タである。生涯使わない知識なので、知らないなら知らないままでよろしい。

 

「というかお前今日一日中テレビ見てたのか。だめ人間みたいだな」

『みたいじゃなくて事実そうでしょ。私だってできるならソーマさんにくっついて観戦……じゃなくて見守りたいし本だって読みたいけどさ』

「観戦」

『ソーマさん単独任務だと全然無茶しないし深追いもしないし無難に終わらせて安心できるから仕方ないの』

 

 虚空へ視線を飛ばす彼女をじろりと睨みつけ、嘆息してから本棚から本を数冊抜き取る。

 

『別に催促じゃなかったよ?』

「いいから受け取れ」

 

 半ば押し付けるように殆ど論文のような分厚い本をユウカに手渡す。彼女はもうどこにでも自由に行けないのは分かっていたのだから、これは単純にソーマの配慮不足だった。だがまんじりとただ彼女がこの部屋の扉が開くのを待つという状況はそれはそれで良い気分になると思ったので、たまに冊数をわざと少なくしよう、などとあくどいことを考えた。

 

『嬉しいけど私今百二十字以上の文章読めないし漢字も読めない……』

「今日は何をそんなにだらけてるんだ」

『端的に言って暇。何かして遊ぼーよソーマさん』

「ここに娯楽用品なんてないぞ」

『偉い人は言いました、ないなら作れば良いじゃない、と』

「その場合作るのは俺だろうが」

『止めないでソーマさん、今なら私双六制作の神童になれる気がするの』

「神童にでも工藤にでも勝手になってろ」

『わかった、私一人でやり遂げて見せるよ!じっちゃんの名にかけて!』

 

 それは金〇一少年である。ベッドの下からカッターと画用紙を取り出してやる気満々の彼女を他所に、彼女に持ってきたはずの本を読み始める。

 

「いや待て、何時の間に俺のベッドの下にそんなものを」

『大丈夫、箪笥の上から三段目の洋服の隙間にある薄い冊子の中身は見てないよ』

「ぶっ殺すぞ」

 

 なおこの後『はーーー!指先碌に動かないのに作れるわけなかったわ!真実はいつも一つってかぁ!?』とカッターを放り出した彼女がキッチリ伏線回収したところで、ようやっとこの日部屋の電気は落とされた。

 本格的に馬鹿々々しい毎日である。

 

 腕はその日中に動かなくなった。

 

『だるま……』

「その先は指定が入るからやめろ」

 

 能天気に呟く彼女に咄嗟にストップをかけたソーマの言葉はふざけていたが、その実とても不安だった。恐怖心しかなかった。来る日も来る日も進んでいく彼女の凍結は、まさしくタイムリミット。砂時計の中の砂が落ちていくのを、ただ眺めるだけの日々。このしっとりと冷たい温度さえ、失ってしまう。朝が来るのがひどく恐ろしい。朝起きて、もしユウカが既にいなくなっていたなら、きっとソーマは立ち直れない。だからここ数日、ソーマはギリギリまで遅く眠り、朝陽より先に起きた。睡眠不足をユウカに悟られてはいけないから、任務の移動中に少しずつ睡眠を取ってやりくりしていた。元々ショートスリーパーだ、問題はない。

 けれどそんな日々も、もう終わりだ。

 

「それで、どこへ行きたいんだ」

『へっへっへ、わかってるねお兄さん』

 

 朝っぱらどころか午前四時前に頭突きで叩き起こされれば流石に用事があるだろう程度の察しはつく。というかこれで用事も何もなかったらソーマはキレても良いはずだ。

 ユウカは少しだけ思考するそぶりを見せた後、そう時間もかからず明るい表情で口を開いた。

 

『屋上かな。ね、連れてって』

 




次回、最終回です。最終回とエピローグとフユキくんのおはなしの三話は同日同時投降なので、お気をつけて


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幽霊、さよなら

 

「なんでよりによってこんなところに……」

『いいの!朝陽が見えるならどこでも!』

 

 珍しくきちんと横抱きにして貰って訪れた屋上は強い風が吹きすさぶ、何もない拓けたところだった。錆びれたフェンスとせめてもの貯水槽、そこに何も特別なものがないことを、ユウカはまだ自分の名前も思い出せなかった頃に知っていた。ここには何の思い入れもないし、何の思い出もない。それだから良いのだ。

 あの部屋で、ソーマはこれから長い時間過ごす。そんな部屋に、悲しみの記憶をわざわざ残すこともない。それを言うなら起こさなきゃ良かっただろうと言われるかもしれないが、それは違う。

 ソーマさんはきっと、私をまた探してしまうだろうから。

 あの時探し続けてくれたように、ずっと。消えた瞬間を目の当たりにしてないのだから、と。それがとっくにわかっていたから、ユウカはちゃんと、目の前で消えることを随分前から決めていた。そしてソーマもそれを十分に理解している。

 だから仏頂面引っ提げている彼にユウカができることなんて、もう彼にとっては痛くも痒くもないだろう頭突きくらいしかなかった。

 初夏の午前四時の空は全体が昏い青で染まり、地平線だけが仄かに白と薄紅色で輝いている。

 

『ソーマさん』

「………なんだ」

『朝焼け見たいなーって思って適当な時間に起こしたけど、やっぱ早かったと思う?』

「馬鹿野郎」

 

 単語で罵るソーマはそれなりに眠いらしい。最近ユウカのせいで睡眠時間を減らしているのが原因だろう。お馬鹿さんねぇ。握りしめようとした手が動かなくて変な心地だった。そこに四肢があるのに動かないというのは、なんとも可笑しな感触である。

 

『日の出まで本格的に暇だね……よし、しりとりしよう』

「またか?」

 

 いつまでも突っ立ってるのもあれなので、敷物も何もない固い地べたに座り込む。ソーマの胡坐の上に乗せられるが、感触はもうとっくにないのでその気遣いは正直いらなかった。こうして見てみればやはりソーマはタッパがかなりあり、平均身長よりはおそらく大きいはずのユウカを脚に乗せたまま見下ろすという鬼の所業ができている。

 

『ソーマさん脚なっが背でっか、なんなの?』

「お前が小さいんじゃないか。あとしりとりどこいった」

『出張中。いやこの食糧難で大きく育つ方がどう考えても間違ってるでしょ』

「極東支部ゴッドイーターの平均身長は166.4だ」

『……男性込でだよね?ね?』

 

 無言で首を振ったソーマにユウカは唯一自由にできる首で精一杯項垂れた。なんてこと。物が溢れていた最盛期たる前時代の平均身長よりおよそ8センチも大きい。どういうこっちゃねん。ゴッドイーターって高身長しかなれないのだろうか。

 

『はっ!』

「今度はなんだ」

『いや画面とかカッターが触れるなら、もしかして食べることとかもできたんじゃ……!?』

「どこに行くんだその口に入った食糧は」

『ブラックホールとか?でもよく仏壇の前に備えて置いた饅頭が消えたとか水が減ってるとかいう話があるじゃん』

「盗み食いと、気化か飼い猫の仕業だろうそれは。大体味覚あるのか?」

『わかんない。なんで試さなかったんだろう……くっ、プリンレーション食べてみたかった……』

「そのチャレンジ精神はおそらく誰も幸せになれないと思うが」

 

 最終的に食べきれず泣きが入ってきたところでソーマが処理する未来が透けて見える。甘いものはそれなりに好きなはずだが、ソーマの眉間に刻まれたあの深すぎる皺は忘れられない。相当なゲテモノだったのだろう。

 

「甘いのが好きだったのか?」

『え?うーん、まぁそこそこ?フユキの方がそういうのは好きだったよ。あの金平糖も結局フユキが全部食べたし』

 

 どちらかと言うとしょっぱい系の方が好みだった。ただそういったものは保存期間が短いものが多いのであまりありつけはしなかったが、その特別さがあるいは好きだったのかもしれない。どちらにせよ、偶に煎餅なんかを見つけた時は小躍りしちゃうくらいには好んでいた。

 

『ソーマさんは?好きな食べ物とかあるの?』

「さぁ、考えたこともないな」

『なら、これからたくさん考えてね』

 

 ニンジン苦手なソーマさんとか、面白くてちょっとかわいいかもしれない。

 思えば互いに知らないことだらけだった。ユウカはソーマの好きな食べ物一つ知らなければ交友関係だってあの赤い髪の、エリックという男の人以外に知らない。サリーガーデンの柳の葉だってびっくりな速度だったのだから、仕方のない。二人の感情はまだ稚拙で幼く、若すぎた。これから成熟していくはずだった、わかっていくはずだったのだ。

 

『ね、ソーマさん』

「ああ」

 

 ややなげやりに、ソーマが応える。夜明けまでは時間がある、彼の瞼は軽く伏せられて、少し眠気に負けた声音だった。だから、まだユウカの身体にも気づいていない。

 

『好きだよ、だいすき』

「………………………知ってる」

 

 綻ぶ口元と同時に、そぅっと彼の眼が開かれる。ユウカとはまた違った青は深く、東の水平線近くの海の色をしている。さざ波の合間のような青が見開かれ、そこに小さな淡い光が移り込む。

 

「は…………」

『へへ、朝日までもたないかも』

 

 ユウカの身体が強い、しかし眩くもないくらいの光に包まれ、足元から小さな光の粒となっていた。誰が見てもわかるだろう、ユウカが消えてしまうことなど。金色の粒子は美しく、資料で見たランタン祭りのような温かみがあった。

 瞠目したまま固まるソーマに軽く頭突きを喰らわす。顎にクリーンヒットしたが痛みはまったくなく、その力無さがソーマを現実に引き戻した。

 

「ユウカ」

 

 魚みたいに口を開閉させて焦燥感に追われて言葉にしたのは、ただ彼女の名前だった。

 驚愕の表情に、そのひきつる頬に、ユウカは世界一美しく微笑む。

 つたわらない感情も、触れられない身体も、あの日の一つも守れなかった約束も、喧嘩した後の孤独さえ、上手く喋れなかったあの日々すらも。

 好きだった、全てが。

 好きだった。

 あなたの、全てが。

 

『ね、ソーマさん、まだゴッドイーター続けるんだよね?』

「……終身雇用だから、な」

『ふふ、そっか。なら、きっとたくさんの人に会うね』

「忘れないぞ」

『うん、忘れないで』

 

 先手を打ったソーマの言葉に、ユウカはしあわせそうに笑った。

 

『私の事覚えててくれるひとがいてほしいから。だから後追いなんて絶対だめだよ』

 

 ここに鏡があって、もしユウカの身体が動くならソーマの鼻先に突き付けてやっただろう。今にも死んでしまいそうな顔をしていた。ユウカよりよっぽど絶望している顔。ユウカはいつも置いて行くばかりで、置いて行かれることなんてほとんどなかったから彼の気持ちはわからない。置き去りにされるひとの気持ちなんて、全然。けれど。

 

『ソーマさんなら絶対だいじょうぶ』

 

 そう、この人なら、ソーマなら大丈夫だ。だってこの人はとても強くて優しい。ソーマはユウカから一度だって目を逸らさなかった。目を逸らさず、ユウカの願い通り、傍にいてくれた。ソーマは自分で自分を勝手に救える。いつだってそう、ユウカの出る幕なんて最初からこれっぽっちだってなかった。どうかそんなこのひとがしあわせになりますように。

 

『大丈夫だからね』

 

 体温は、愛だ。ソーマの体温に触れるとき、ユウカはいつだってしあわせだった。今も。例えもう膝から下がなくとも。あんなに感じていた恐ろしさは光と共に消えたかのように微かで、不安もあまりなかった。安らかだ。とてもさみしいが、満ち足りた気分だった。

 ソーマは何か言おうとして口を開き、閉じて、それからしばらくしてようやっと口を開いて言った。

 

「お前が言うなら、そうなんだろう」

『へへ、でしょ?』

「だがもし、この先が大丈夫なのだとしたら、それはお前のおかげだ」

『え?なんで?』

 

 自慢じゃないがユウカが役に立った場面など一つもなかった。幽霊として声だけで現れ、昼夜問わず騒いで強引に話を進め、時にくっだらない思い付きをしてソーマを振り回し、自分は何もできない癖に勝手にソーマの行動にキレて出てってひとさまの言葉に勝手に叫び散らして回収され、ひどい喧嘩をして死人探しに付き合わせ。待ってほしい考えてみれば彼の人生の邪魔しかしてない。さっさと消えた方がこの人の為なんじゃなかろうか。

 割かし本気で聞き返したユウカに、ソーマは下手くそに笑った。

 

「お前がたった十四年でも、数年でも数時間でも、数瞬だって生きていたっていう世界なら、守る価値があると思えてしまうんだ。死にたがりの俺が、生きてみようとトチ狂える」

 

 ユウカがいて、ソーマの周りの環境がさほど変わったわけではない。ソーマは今も化物扱いだし、父親との確執はあったままだし、同僚と話がしたいなどとはマッタク思えない。世界は変わらない。

 相変わらず食事なんて十秒なチャージで良いと思っているし、不愛想だし部屋は少し散らかってるくらいが丁度良いと思うしあらゆることが面倒臭い。だが、話すこと自体はそう嫌いでもない事、誰かの話を聞くことだって悪くない事。誰にも言えない痛みを勝手に抱え込んで、ふてくされたただの馬鹿な男。そんなソーマを救えるのは世界で桜庭ユウカただ一人なことも。変わらないまま。

 

「ユウカ、愛している」

 

 口にしてみて、その重さに思わず笑った。小説の中みたいな薄っぺらくて安っぽいそれとはまるで別の言葉のようだ。おそらくソーマは今の台詞を何度も頭で反芻して、胸に抱えてこれから生きていくのだろう。この重みも熱さも苦しさも後悔も痛みも恐怖も幸福感も充足感も何一つ色褪せず忘れないまま。最期の最期まで。彼女が確かにここにいたことを、証明し続ける為に。

 

「という訳ですぐに帰って来い」

『…………へ?』

「輪廻転生というものがこの地方にはあるんだろう。俺はしぶといからな、長生きするだろう。お前が帰ってきた方が早い」

『はーーー!?そんな無茶な!いや最速で帰ってきたってソーマさんと私十六歳差じゃん!?』

「なんだその程度。キッチリ娶ってやるから安心しろ」

『んなアホな……』

 

 ユウカが無事最速で生まれ変わって十五歳になったときソーマは三十一である。ユウカが二十歳になったらアラフォーだ。アラフォー、アラフォーか……アラフォーになったソーマさんはさぞダンディなイカしたオッサンになってるだろう。絶対に惚れる自信しかない。そう考えればそんなに無茶な歳でもない、か?と若干洗脳されかかったところで正気に戻る。

 

「男だろうが犬だろうがバッタだろうが、いっそアラガミだろうが他の何からも守ってやる」

『男前すぎて手に負えない!』

「だから、さよならなんざ言うな」

 

 とうとうユウカに影響されてバグったかと泣き真似するユウカに、静かな声が落とされる。そっとその顔を窺えば、光の粒子の合間に彼の端正な顔立ちが歪んでいるのが見えた。涙を堪えて、笑おうとして失敗している顔。

 

「はやく。はやく帰って来い」

 

 その言葉は、夢物語だった。あり得ないこと、奇跡よりも儚いこと、つまり、嘘だ。嘘でも良い、嘘で良いから。それでも、別れの言葉を言ってほしくなかった。

 それがユウカには、痛いほどわかった。ユウカだってそうだから。別れの言葉なんか言いたくない。口が裂けたって言えない。動かせなくなった腕も光と消え、最早胸像もどきになった身でソーマの首筋に擦り寄った。縛り付けたいわけじゃない、けれどさよならは寂しくて。

 

『うん、うん、いってくるね、いってきます』

 

 すぐに帰ってくるから、どうか待っててね。

 この人の事が好きだなぁと思った。思えたことが、幸せだった。

 好き。好き。好き。大好き。愛してる。

 二人とも、いちばん言いたいことは言わなかった。言っても相手を困らせるだけだとわかっていたから。ごめんね。口の中だけで言ったその言葉が聞こえたかのように、彼も苦く笑う。

 そっと、どちらからともなく影が重なり、唇が合わさった。

 それは殆ど一瞬で離れ、お互いにお互いの顔をじっと見つめた。

 その瞬間、朝陽が世界のすべてを照らし出す。逆光になった彼女の顔はよく見えないはずだった。そのはずだったが、まるで夢みたいに破顔したユウカがはっきりと見えた。

 

「ソーマさん、」

 

 

 ――続いた言葉は、ここに記すまでもないだろう。

 

 慈愛に満ちた残酷な囁き。ソーマを未来永劫縛るだろう言葉。

 光が彼女を包み込むまでは笑顔でいられた。けれどその浅瀬色の眼が閉じられた時に笑えていたかはわからない。粒子の残滓を握りしめた時には涙が地面に小さな海を作っていた。

 

 どんなに願っても、祈っても、朝は来る。

 

 魔法が解けた世界に独り蹲るソーマは、他人から見ればさぞ滑稽だろう。けれどこんな早朝に、人などいるわけがない。

 それがわかっていたから、ソーマは躊躇わず涙を流した。声を上げて叫んだ。

 苦しくて苦しくて仕方なかった。今までの全てを後悔し、世界の全てを呪い罵った。

 

 だがそれでも、ソーマは生きなければならない。

 

 彼女を愛した日々を忘れないために、彼女を愛せている日々を離してはならない。彼女が愛した日々を。大事に。

 生き続けなければならない。

 いつか彼女が帰ってくるまで。彼女の元へ行くまで。泣いて泣いて泣き喚いて泣き叫んで泣き止んだらきっと、あの部屋にもう一度愛していると言いに行くから。

 だから今だけ、今だけはこのかなしみを叫ばせてほしかった。弱くて愚かで騒々しく強がりでどうしようもないユウカ。能天気なくせに、生き急ぐのだけは一丁前な、恋人にもなれなかった愛しい女。

 

 どうかいつかまた会おう。

 おかえりを用意して、待っているから。

 

 



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天を泳ぎて地に戻りきよ

 

 

「――マ、――ソーマくーーん!聞いてる!?」

「聞いてない」

「シッカリ聞いて!!?」

 

 低い舌打ちを一つしながらも、ソーマは頬杖突いてまずいコーヒーを啜った。

 あれからも世界は変わらない。クソッタレできな臭く、差別的で容赦もない。あれから、ソーマは幽霊の類を見る事は無くなった。必要がなくなったからだろう。彼女を受け入れるためだけに、きっとあの能力はあったのだ。

 苛酷な任務をあれからいくつか受けはしたもののちゃんと生きている。死んで堪るかと歯を食いしばって、今日も。

 

「それで、なんなんだ。要件を簡潔に言え」

「いや聞いてなかったの君だよね?なんで偉そうなの?」

「帰る」

「アーーー冗談冗談!ほんとお願いだよ相談乗って!」

 

 謎に追いすがってくるこのエリックは、あれからもソーマになんでか構いまくり、まあなんとなく仲良くなっていた。ソーマはともかくとして、エリックはキチンと社交性があるのにである。陽キャの考えることはわからんと溜息を堪えながらなんだかんだ妙な危なっかしい彼に付き合うこのソーマの世話好きは絶対に彼女のそれが移ったものだ。

 そんな感じでほぼ親友のようなエリックがゲッソリと頬をこけさせて今日任務に来たのだからさしものソーマも驚きもするし訳も聞こうとする。どうやら悩み事がこの頭お花畑野郎にもあるらしい。

 

「妹のことなんだ……」

「ああ、あの」

 

 エリックの妹はそりゃあもう小生意気な美少女だった。エリックに対してだけはでれでれだったが。正しくその年頃の娘っ子を満喫しており、エリックもついつい甘やかしてでれでれしてしまうのだからなんというか悪循環な感じの兄妹である。ソーマとしてはシスコン……とドン引きしてはいるが、まぁ許容範囲内である。とは言えそんな溺愛する妹のことなのだから、何かあったとあればこうもなるだろうと納得しつつ「彼女がどうしたんだ」と先を促す。

 

「この前体調を崩して、ここの病室に少しお邪魔したんだ。ちょっと風邪をこじらせてね……ほら、ここのすぐ下の」

「ああ」

 

 アナグラに医務室は数多くあるが、その中で重傷・重病人のいる部屋は研究室の手前。家族が出入りしやすく、アラガミに関するものであればすぐに研究者が出てこれる場所にある。ソーマの部屋の真下の部屋もそうだ。

 

「それで、そこで出逢った人に一目惚れしちゃったらしくて………」

「アッソ」

「ウワアアア興味なさそーーーーー!!!」

 

 両手で顔を覆うまでは良いが奇声を発するのだけはやめてほしい、周囲の視線が痛い。ゴミを見る目で眺めるソーマの視線を察してか、エリックはスンッと一瞬にして真顔になった後に言った。

 

「というわけで、恫喝……いや違うな牽制……でもなくまあちょっと顔を見に行ったんだけどね」

「マジで気持ち悪いなお前」

「君でもマジとか使うんだね……でそしたらね、なんと、―――女の子だったんだよ!!」

「ハア……」

 

 そっすか……とソーマはドン引いたまま相槌を打った。妹はまあ理解できる。この時代ジェンダーレイシストなんてする暇もないのでいないし、そういうのは個人の自由だろう。だがエリック、お前はそこまでにしとけよ。

 

「しかも結構美少女!エメラルドグリーンの大海原のような眼に一本通った意志が美しくってね、歳は僕らより二つ三つ下だろうけどまたそこが良いと言うか」

「帰っていいか?」

「待って待ってこっからが本題なんだって、そんな感じで好感触しか持てないような少女から僕の妹を引きはがす方法ない?最近通いっぱなしでお兄ちゃん寂しいよ!!」

「すまんが手洗いに行ってくる」

「遠回しに吐き気がするって言われた!?兄にとっては割と死活問題なんですけど!」

 

 ぎゃあぎゃあうるさい声は慣れているが、男のしかもエリックのものなど嬉しくもなんともない。お前今年でいくつだ。隠しもせず盛大に溜息を吐いて、渋々、本当に渋々ソーマは彼に向き直った。手っ取り早く解決した方が早いと気づいたためである。

 

「どんなやつなんだその女は。粗探しでもして現実を突きつければ夢も覚めるだろ」

「それだ」

 

 エリックは悪い大人の顔をして、妹の夢をぶち壊すべく思案した。最低だなこいつ、と思いながらソーマはそれに耳を傾ける。

 

「穏やか、なひとなんだろうね本来。喜怒哀楽表情がくるくる変わるけど、たぶん元々は静かな人だ。知識量も多いし、エレナも上手にあやしてる。あれはかなり下の弟妹慣れしてるね」

 

 コイツ本当はその女のことが好きなのではと思うくらいの観察眼だった。エリックが話を続けるごとにソーマの心は一メートルくらい離れていっている。妹の初恋相手に恋するとか正気かよ。

 

「あとは、そうだな。とても笑顔が印象的なひとなんだ」

 

 ――世界一美しい少女の笑顔が瞼の裏に蘇る。

 思わず微笑したソーマの顔は、次の言葉で固まった。

 

「長い睫毛の間にうっすらエメラルドグリーンが透けてて、くしゃっと眉が寄って、口角が溶け落ちそうに弛められて」

 

 それは。

 それは。今では、ここではソーマだけが知っているはずの。

 

「ああ、あと」

 

 背骨が熱した棒に代わったかのように熱く、爪先がジンとして鳥肌が立った。

 もし、もしかしたら。

 いいや、そんなことはありえない。

 その先を聞いたらきっと絶望を味わうに決まっている。彼女は消えた。いなくなったのだ。この世のどこにも。期待なんて持つだけ無駄だ。脳がソーマの心臓をそう搾り取るように脈打たせる。

 けれどその心臓にいた小さなソーマが全てを振り切り逃げ出して裏切った。

 

「あの人をこれからもよろしくね、って言われたな。エリナのことじゃないだろうし、文脈的に僕の事でもないし、一体誰の―――」

 

 

 

「それでね、お姉さん!エリックたら面白いくらい落ち込んじゃった!」

「楽しそうにひどいねぇ」

「だっていっつも余裕ぶってるお兄ちゃんがあわててるの面白いんだもん!」

「うーんこの小悪魔。エリナはほんと可愛いなぁ、将来大物になるよ」

「ほんと!?」

「うん、絶対そう。私、見る眼はそこそこあると思うよ」

 

 白い病室。開かれた窓から夏の湿った風がそよいで、白いカーテンを揺らしている。

 そこには姦しい声ふたつ。

 

「ねね、お姉さんは好きな人いないの?」

「いるよ。世界で一番とびっきりの男前」

「……ちゃんとここに来てる?」

「わお、10歳に相手の倫理観の心配された」

「難しい言葉で誤魔化さないで!お姉さん重傷でしょ!?まだ身体うごかないくらいなんだよ!?見舞いにも来ないってどーいうことなの!?」

「あハイ。いやあのちょっとあらぬ誤解がね」

「あらぬ誤解もアラル海もないわよ!!何処のどいつよ私のお姉さんをたぶらかしてるのは!」

「やだ……エリナが今日もかっこかわいい……すき……」

「えへへっ、私もお姉さんが大好き!」

「うんうん。だから私の好きな人にはひどい事しないでね、むしろ私怒られる側なんだから」

「………お姉さんが?」

「うん。こんなとこにいる事知られたら、絶対怒られる」

「怪我の事言ってないの!?」

「えっ、やそれはどうなんだろう……言ったカウントして良いのかな……ま、まあとりあえず、怒られるのよ」

「よくわかんないけど、じゃあ、私のお兄ちゃんに仲介してもらう?お兄ちゃん、なんだかんだお姉さんのこと好きになりかけてるから庇ってくれると思うよ?」

「泥沼。昼ドラかよやめて。じゃなくて、良いの、怒られるのは。むしろ今、怒られるためにがんばってリハビリしてるんだから」

 

 揺れるカーテンの隙間、金色の懐中時計が陽の光に照らされてつるりと光った。傷だらけで、装飾なんかちょっと剥がれかけ、なお輝きを失わずに。それを包む白い手は片方包帯を巻かれて肌を隠している。懐中時計と同様、傷だらけでぼろぼろの手だった。その手の温度を、未だソーマは知らない。

 

「行ってきますって言ったんだから、おかえりって言わせてあげなくちゃ」

 

 だが、その声は絶対に忘れぬもの。

 あの頃、確かにソーマだけのものだったもの。

 一瞬の躊躇もなく、そのカーテンを乱雑にかき分けた。

 

 一連の流れが終わって呆気にとられた彼女に、今まで生きてきた中で一番の笑顔を浮かべ、彼女の両手ごと懐中時計を握りしめる。

 その手と唇の温かさに、また泣きたくなった。

 

 

 生きているって、なんて素晴らしいんだろう。

 

 

 



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あなたがくれた朝と夜

三話連続投稿ですお気をつけて


 

 いつもよりよく星がよく見えるな、と思ったら、どこにもない月に今晩が新月だったことを理解した。

 

『見て、今日も星がよく見えるよ』

 

 どこからともなく聞こえてきた声に振り向いて、誰もいないことに苦笑する。あまりにも当たり前のことだった。

 驚くべきことに、ユウカは生きている。

 ひどい傷、間違いなく重傷レベルではあるが、それでも、まだ、息をしている。生きているなら、フユキにユウカを見捨てる選択はあり得ない。指先が切れたからと言って指を切り落とすか?額から血が出ているからと言って首を落とすか?否だ。フユキにとって、ユウカはそういうレベルの存在だった。ベルト代わりに巻いていたワイヤーで彼女の胴体と自分を巻き付けるように背負い、歩き続けて、丸二日経った。こまめに休憩をとって水分を取らせたりはしているが、この分ではあと一日もつかどうかだろう。けれど、それでいい。どうせ、そうもたない。

 

「闇夜の方が、星はキレイなもんだね」

 

 強く輝く月がないからだ。太陽にばかり縁のある僕らだけれど、月担当はそういえばいなかったな。だがどんなに星が綺麗に見えたところで路頭が明るくなるわけでなく、見晴らしが良くなるわけでもない。

 

「ユウカ。……夕夏、どうか起きないでね」

 

 僕の頭部からは、今も僅かに血が滴っていた。

 ユウカは、あまり関係ない。水と食料を探そうとしてユウカを隠して行動していたところを、倒壊した家の瓦礫に巻き込まれただけだ。手足は動く、思考回路も問題ない。――いや、とっくにもう問題ばかりなのかもしれないが。

 休憩は終わった、歩き出さなければ。

 

「あ、そうだそうだ」

 

 ポケットにいつの間にか入れられていた懐中時計を取り出す。見覚えのあるデザインのそれは母のもの。おそらく、おつかい前にハルカがユウカに貸したのだろう。最早形見となってしまったそれを眺めて苦笑した。何を託そうとしていたのだか、この姉は。ちょっとした呪いを懐中時計に施して、姉の懐に押し込んだ。

 ユウカを元通り身体に縛り付けて、腰のバッグに僅かな食糧と水を詰め込む。踏み出した足は抗いがたいほど重く、鉛が喉に詰まっているかのように呼吸がか細い。それでも歩く。出血は止まらない。このまま歩いて、運よく、辿り着けたとしても、きっとこの命の灯は消えていることだろう。

 けれどそれは、いいのだ。

 

『フユキ、もうちょっとだよ。がんばって歩こ』

 

 本当は運動があまり好きじゃない姉の声が耳に蘇る。うん、そうだね。もうちょっとだ、頑張って歩こう。

 十中八九、辿り着けない。

 姉の息が止まるのが先か、僕の心臓が停止するのが先か。僕の足が、あの壁向こうの地面を踏むのが先か。頭の出血ははっきり言ってひどい。出血だけじゃない、降ってきた瓦礫は大きく重く、腫れと位置からして最悪の場所を打ち付けたらしい。意識ははっきり言って保つのがやっとで、数字を数えることすら危うい。冷静な判断も的確な行動も取れない。そういう、怪我だ。

 ああ、馬鹿らしい。何が合理的だ、論理的だ。感情的な問題を冷静に解決するほど馬鹿らしいことがあるか。

 ただ僕は、この馬鹿な姉に生きてほしいだけだ。

 そのためなら今ここで死んだって構わない。無理だ、できっこないなどという言葉は認めない。過去も他人も未来さえ関係ない、くだらない。僕が、いま、それをできるかだ。

 奥歯を噛み締め、爪先を丸めて、一歩、踏み出す。

 星空は回天し、空がぼんやり明るくなる。明度は秒刻みで徐々に明るくなり、空の端が、ぼんやり黄色に染まった。

 足が重い。もう動けない。周囲を確認する余裕も、もうない。目の前がふらつく。どっちが上で、どっちが右かもわからない。けれど、それでも、歩く。歩く。

 歩く。歩く。

 歩け。

 歩け。

 歩け。歩け。

 

「――――――――――ぁ」

 

 陽が、昇る。

 眩いほどの白、包み込むような金色、労わるようなオレンジ色。その手前。朽ちかけたビルが立ち並ぶ荒野。目の前に続く道の先、もうほとんど目の前に、大きな壁が。

 暁。

 そうだ、僕だ。

 ―――僕だった。

 

 眩い光が辺りを包む。それは陽光であり、視界の明滅であった。

 いつかの雑談が脳裏に過ぎる。

 チャンドラセカール限界。

 

「きみが」

 

 頬を熱い雫が伝う。噛み締めていた歯が離れ、口元が不格好に歪む。

 脚は最早勝手に動き、呼吸はその濃度を徐々に減らした。

 惑星は死ぬ間際、それまでに一番、美しく大きく輝く。今ならわかる。それがどれほど孤独で、もの悲しく―――愛と希望に溢れたものなのか。

 

「優しい人達にめぐり会って、」

 

 今まで、友達なんて碌に作れなかったけど。多分壁の中には同じくらいの子どもくらいいるよ。いや、年齢なんて関係ないか。君は君が思ってる以上に優しいし愉快だし馬鹿なんだから。

 

「笑い合える仲間をつくって、」

 

 すぐに、友達くらいできるさ。

 

「素敵な恋なんかもしちゃって、」

 

 僕じゃきみにもう、朝を運んであげられないけど。

 

「―――しあわせに、なれますように」

 

 僕がいなくても。

 

「夕夏。ありがとね」

 

 大丈夫。

 

「大好き」

 

 扉を、叩いた。

 

 夕夏。何度でも、言うけれど。僕、君の名前がとても好きなんだ。夏の夕暮れってさ、鮮やかで優しくて、力強くて、長くてさ。一回見たら、絶対忘れらんないんだよね。ユウカの笑った顔は、それに似てる。僕、君の笑った顔大好きだから。

 瞼が落ちるその間際、今生で最も多く見たひとの苦し気な顔が見えた。苦しいということは、生きていると言う事だ。僕はもう、苦しくはなかった。

 一つが二つになった僕ら。この世に落とされる一瞬前に。だから不時着後にすぐ会えた。

 

 だから、二度目の離れ離れも、きっとすぐ、また、出逢えるよ。

 

 ユウカ、ユウカ。夕夏。

 

 

 生きろ。

 

 

 フェンリルさん。ユウカの未来を、どうぞよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー。これユウカ大丈夫なの?ほんとにこんな不愛想男で良いの?あーあーそんなに嬉しそうにしちゃって。実の弟がここにいるってのにさ。

 

『ごほん、そういうことで、お手数ですがわたくしめが成仏できるべく力を貸してくださいませんかね』

「他を当たれ」

『当たれる他があるなら私だってそうしますーーっ!誰がこんな顔だけ良い無愛想男に好き好んで頼むか―――ああーーーージョークですう本心じゃないんですぅ!!』

「よくその歳まで生きていられたなお前……」

 

『ほーんと、楽しそうにしちゃってさ』 

 

 ふてくされたような言葉とは裏腹に、自分でも唇の端が上がっているのが分かった。

 僕が命がけで生かしたいのちは今日も無為な時間を過ごしている。だがそれで良いのだと思った。フユキはあたりまえの事をしたに過ぎない。ユウカが当たり前にフユキを庇ったのとおんなじ。

 

 ずっと強がっていたやさしいやさしい夕夏。

 君が変わるところまでは、見届けても許してね。

 

 




あなたに優しい月が昇りますように




そんなわけで次の回からはボーナスステージという名の蛇足(本編)です。GEBは全編できたら良いな~~~~~~~とかテキトーに考えています。ただ、ここから先は書き溜めていないので亀更新or書き溜め終わるまでの更新停止となると思います。ユウカちゃんと言うクソヤバ新型新人がひくほど大暴れしながら周囲(主にソーマ)をぶんぶかぶんぶか毎日毎日ジェットコースターのように振り回す話です。わーたのしそー^^


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少女と青年
少女、入隊


GEB本編篇はっじまっるよ~


 

「おっ、レア物だな」

「戦果は上々、ね」

 

 今もなお荒廃が侵食し続ける街、その一角で、二人の男女が巨大な武器を掲げてお天道様の下、しめしめと忍び笑った。サカキのオッサンが喜びそうだ、そうね早く帰りましょ、などという会話をしながら撤収作業を終える。二人の傍らには、神のごとき神々しさを持っていたはずの巨影が全身を弛緩させその身を地に落されていた。

 

「そういえば、ソーマったら何をあんなに急いで帰っていったの?」

「ああ、ソーマの勝利の女神が適合試験なんだとさ」

「ああ、あの噂の!」

 

 討伐が完了するや否や資材も素材も回収せず撤収作業を二人に丸投げして全速力で駆けていった年下の同僚。あんなに切羽詰まっている彼は珍しく、女の眼から見ても余裕がなさそうに見えた。近年何があったか少しだけ丸くなった節がある彼に勝利の女神がついてるらしいというのは、極東支部でもっぱらの噂である。というのもその勝利の女神は一人の少女で、かつ入院中だったというのだから一入である。病弱かつ慈悲深い微笑みを浮かべる女神とはどんな人物なのか。何しろあのソーマを攻略するくらいだ。

 

「楽しみねぇ」

「ハハッ、確かに」

 

 大人くせに二人して、ここにいない人物を感じ悪く笑った。

 

 尤もそんな噂の勝利の女神とされる少女の実態は女神がついてるというよりどちらかと言えば憑いてた感じの少女であり、今まさに大ピンチに陥っているのであった。

 

『それが神機だ』

 

 嘘だろ承太郎。え?何あの触ったら即死する系のトラップみたいな構造。絶対あの柄掴んだら秒で落ちてくるでしょあの上の鉄。え焼鏝でもされるの?しんど。チェンジでお願いします。

 

『只今より、新型神機適合試験を始める』

 

 強制スタートかよ。

 せめてどっちの選択肢選んでも延々yesって言うまで進まないRPG形式にしろや。ファミ通レビューで酷評してやるからな。

 心の中ではこのように全ギレしながらも、少女はゆったりと神機の前に立った。端から見れば悠然たる様を醸し出すその雰囲気は、まるで常人が触れてはならない荘厳な儀式が始まるように錯覚させた。黒い髪はみどりに艶めき、美しい蒼の双眸は蛍光灯の下だろうが少しも輝きを損なわず意志を感じさせる。

 なお、中身は前述した通りである。これはひどいギャップ。

 そっ、と腕を上げ、覚悟を決めた少女は一歩踏み出す。目の前には、かつて「一生触らないで生きていくわ」と誓ったはずのものが横たわっている。しかしそんな無様な過去を塗りつぶす為に、握りしめるように強くその武器の柄を掴んだ。

 

「アックソギャグになってしまった立ち直れな、イッテェーーーーーーーーー!!!!!!」

 

 なんとも締まらない試験映像である。開発者は泣いて良い。

 

 

「ユウカ!」

 

 銀髪の男が三白眼を細めて、普段の彼らしくもなく必死に個人の名前を廊下で叫んだ。一方衆目なんて意にも介さずその呼び掛けに微笑むは、一見儚げにも見える可愛らしい少女である。少女が花も咲かさんばかりに顔を綻ばせくしゃりと笑顔を浮かべる。

 

「遅いよ、ソーマさん!」

「悪い。試験は」

「へへっ、勿論、ユウカさん余裕のごうかーく!」

「いやー、いい叫びっぷりだったよ」

「エリックうっさい」

 

 ゴッドイーター史に残るレベルの醜態を晒した自覚はある。見守ってくれていた相変わらずイカした格好をした友人に裏拳を入れて黙らせた。パァンと気持ちのいい音と共にウッと呻いて蹲る青年に、やった本人が一番慌てた。

 

「えっちょエリック!?ごめん今すっごい音鳴ったね!?」

「ゴッドイーターになったら筋力が大幅に上昇すると言ったろう」

「いや言われてたけどここまでとは普通思わないじゃん!?えごめんねエリック、ほんとゴメン。以降気を付けます」

「だ、だいじょぶだいじょぶ。油断してたボクも悪かった………じゃ元気そうだしボクはエリナに報告してくるよ」

 

 後でね、と何にも考えてなさそうな笑顔でひらひら手を付って去るエリックであるが、若干動きがぎこちない。本気で申し訳無さを覚えて両手を合わせて軽く拝んでおいた。心の中でエリナにも謝っておく。気を付けなければ。

 

「痛む箇所や、疲労感、筋肉痛のようなものは?」

「ないない。心配しなくても、後でサカキ博士に見てもらうってば」

 

 神機適合後は漏れなくサカキ博士の研究室行きだ。今まで数多のゴッドイーターがそうしてきた様式なのだから知ってるだろうに。

 大きい図体でうろうろしちゃう様なんか熊みたいで可愛い。破顔するユウカに、ソーマはようやくほっと安堵したように微笑んだ。

 

「……………………」

「な、なんだ?」

「いや………何て言うか……世界平和にできるなって」

「は?」

「ううん、ソーマさんはそのままで居てね」

「は?」

「最小言語で威圧するのやめてくれる?つまり、変わらないでってこと~、つまり、」

「おーーいユウカ!ツバキさん呼んでっぞ!」

「はーあーいー!またね、ソーマさん」

 

 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンの一節を口遊む彼女に首をかしげながら手を振り返す。私を月へ連れてって。つまり、変わらないでってこと。つまり、

 

「…………………はあー」

 

 赤らむ頬を袖で隠しながら、フードを深くかぶり直した。

 この、たらしめ。

 

 

「初めまして!私はオペレーターの竹田ヒバリと申します!」

「桜庭ユウカですよろしくお願いします!あれ、いくつ?」

「16です」

「同い年だ!えヒバリちゃんって呼んで良い?呼ぶねよろしくね~!」

「数秒で人となりがわかるお人ですね………はい、よろしくお願いします」

 

 はにかみ笑う赤毛の少女、ヒバリは可憐な少女だった。まさに純朴な少女、世が世ならむさい男共が寄って集っただろう。髪は左右でそれぞれ結ばれた癖があり上へ跳ねていて、一層彼女を幼げに見せているが、ブラウンの瞳は穏やかながら強かそうで、彼女の素晴らしい魅力をしとしとと伝えてくる。今のところ支部内で女帝と野郎にしか会っていないユウカにとっては希望の星だった。是非その可憐さを失わないでほしい。

 

「桜庭さん………いえユウカちゃん、で良いですか?」

「もちろん!」

「良かった。ユウカちゃんはエントランスで待機です、少ししたら第一部隊のリーダーさんが……あ!ほら来ましたよ」

 

 ヒバリに促されて後ろを見やると、丁度帰還ゲートから男が一人出てきたところだった。夜のような黒髪に、アンバーの眼を持つその男は、狼のリーダーような印象を受ける容貌をしている。

 

「リンドウさん、支部長が見かけたら顔を見せに来いと仰っていましたよ」

「オーケー、見なかった事にしといてくれ」

 

 ああこの人が、とユウカは納得したように僅かに頷いた。ソーマがたまに愚痴るリーダー、彼に軽く疎まれつつも認められている数少ない人間。ユウカは幾度か眼を瞬かせた後に、向き直って背筋をしゃんと伸ばした。

 

「よう、新入り。そう堅くならなくていいぞ、普通にしてくれ」

「そんなんだからソーマさんにうざがられるんだと思いますよ………」

「ハハッ、アイツは生真面目だからなァ」

 

 軽口を叩いてもさらっと笑い飛ばす余裕もある。ソーマの口振りから想像していた以上の人のようだ。悪く言えば大雑把、良く言えばおおらか、寛容。だが責任感がないというわけでなく、むしろ強い方。上司としてなら最適な人物だ、ここの人事部は見る目がある。

 

「桜庭ユウカです、これからどうぞくれぐれもお手柔らかに!お願いします!」

「……………」

「………?……リーダーさん?」

「いやすまん。ちょっと思ってたのと違ってな………」

「えっなんですかそれ」

「いやまあウン気にするな!俺は雨宮リンドウ、一応お前の上官、だが細かいことは置いといて、とっとと背中を預けられるくらい育ってくれ」

「善処はします!」

「よォし不安すぎる元気な回答をどーも!お前に遠慮はいらなそうだな!」

「何故!?」

 

 バシバシと背中を叩いてくる手から逃げるべく飛び退いたところで、ふわりと優しい香りに包まれた。

 

「上官殿、新人にパワハラかますのは如何なものかしら~?査問会にかけられたいの~~??」

「スキンシップだっつの、なあ新入り」

「そうですプロレスしてただけです」

「貴方たち息ピッタリね」

 

 ガシッと肩を組み合いながらサムズアップする。こういうノリか、なるほどね、好き。

 呆れたように溜め息をついたのは、さらさらと音がしそうなほど顎上あたりで綺麗に切り揃えられた黒髪ボブに、露出が激しいのがまったく違和感なく受け入れられるほどの抜群のプロポーション、優しそうで包容力のある端整な顔立ち。つまりそう、美人だ。

 

「ヮ~~顔面偏差値高~~」

「ふふ、ありがと。貴女が噂の新人さん?」

「噂」

「あ、あ~~新型!新型のね!」

「あそうです。桜庭ユウカと申します、うつくしいお姉さん。今度一緒にお茶でモ゛ッ」

 

 スパーーンと良い音をたてて頭が叩かれて勢い良くつんのめる。あわや豊満なお姉さまの懐へダイブかと思われたが、当然のように首根っこを掴まれてぶら下がることになった。

 

「いった………くない!不思議!」

「俺が力余るわけないだろうが」

「え?あっ、ソーマさん!」

 

 首根っこ掴まれたまま目線を斜め後ろ上に向ければ、これまた美形が顔を思い切りしかめていた。美形の怒った顔は恐い、これ豆ね。

 

「で、俺は優しいから聞いてやるが、何しようとしていたんだ?」

「あ、アハハハハー!女子会!女子会だよっていだだだだだだギブギブギブゥ!レフェリー!」

「この尻軽いい加減にしろ」

「ちがうちがうちょっと顔の良さに弱いだけ!!!」

「そう、いう、ところを、言ってるんだが?」

 

 完璧にキマったヘッドロックから逃れようともがくが、当然無謀だった。怒気を漲らせるソーマはとっても大魔王なので、周囲にいた人々が二人以外二メートルほど引いて行くのが見える。

 三十秒ほど罵りあってから攻防はユウカが拘束から逃れお姉さまの背に隠れたことで一旦の終止符が打たれ、リンドウがどうどうとソーマを羽交い締めにする。完全に猛獣扱いであった。

 

「お姉さん……お背中綺麗ですね」

「貴女まったく反省してないわね?」

「えへ」

「笑って誤魔化してるし……まあいいわ。私は橘サクヤ、後方支援担当だから、貴女と組むことも遠くない内にあるかもね」

「はい!囮と撹乱はお任せです!」

「物分かりは良いのにねぇ」

「あ、ソーマさんは良いんです。怒ってる顔もかっこいいので」

 

 え、という声を最後に固まるサクヤを他所に、羽交い締めしていたリンドウを苛立たし気に振り払うソーマに駆け寄った。手を合わせてもーしませんと平謝りし始めている。用済みになったリンドウがゆったりとサクヤのもとに寄ってきては声を潜めて言った。

 

「誰だよ勝利の女神とか言ったやつは」

「貴方よリンドウ。と言うかあれは勝利の女神って言うより、」

「カップルだな、どー見ても」

 

 いつもより4割増しで口が回るソーマと、ほぼマシンガントークかつ騒々しいユウカ。寡黙な青年と明るい少女、成熟した男と未熟な少女。なんというか、破れ鍋に綴じ蓋というか凸凹コンビというか、何にせよつまり、お似合いの二人であった。

 

 




不定期更新です(はぁと)


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少女、初陣

 

「お前は外出身だったよな?」

「はい。中々刺激的な毎日でしたよ~」

「壁外を刺激的で終わらせるお前もお前だが……んじゃここらへんの地形は分かるか?」

「バッチリですです。資材ポイントまで完全に把握してるくらいですよ!」

「俺より玄人じゃねーか」

 

 贖罪の街にて、リンドウとユウカは任務に赴いていた。新人には定番のミッションらしい、オウガテイル一体の討伐を言い渡され、リンドウはその付き添いとなっている。最初の営業に上司が付き添うのと同じようなものだ、訓練は一通り終わらせたつもりではあるが、実地となれば話も違う。

 

「ところでリンドウさん、ソーマさんは上手くやれていますか?虐めとかされてないですか?」

「オカンか?」

「ジョークです。ソーマさんなら虐められたらやり返す、倍返しだ!くらいの気概はあるはずですもん」

「ネタが古いなお前」

「よく言われます!」

 

 少女が茶目っ気たっぷりにペロッと舌を出して笑った。なるほどなぁ、とリンドウは忍び笑う。明るい少女だ、軽快で賑やかで悪戯っぽく強引で、探し物がうまいタイプ。自身の痛みを理解しているから、他者の痛みにも敏感で、そのくせ人と関わるのが好きときた。おそらく先天的なお人好しである。だがこういう馬鹿は嫌いじゃない。

 

「さぁ、実地演習を始めるが、用意はいいな?」

「はい!」

「オシ。命令は3つ。死ぬな。死にそうになったら逃げろ。そんで隠れろ。運が良かったら不意を付いてぶっ殺せ。あ、これじゃ4つか」

「大丈夫です私も今IQ0、2なんで」

「視力かよ」

 

 僅かに走った緊張感はそのまま駆け抜けて行ったらしい。5秒と持たないシリアスにユウカはにこりと微笑み言った。

 

「大丈夫、扱う武器は違いますが、私ちゃあんと見てましたから!」

「何を見てたのかお兄さん聞くのがこえーわ」

 

 訓練生はアラガミ討伐に駆り出されないし討伐映像なんてものもない。もしもソーマのワンマンプレイを受け継いでいたのだとしたらゾッとする。問題児がまた増えてんじゃねぇだろうな、とリンドウは顔をひきつらせつつも、「まとりあえず生きて帰るぞ、そうすりゃ万事どうにでもなる」とせめてもの言葉をかけた。

 

「当たり前じゃないですか。ちゃんと一緒に帰りましょうね、リンドウさん」

 

 目を細めてくしゃりと眉を寄せて笑うその顔は優しさと労りが込められ、こりゃ良いお嬢さんを捕まえたなと万年部下な青年に心中で微笑んだ。

 

 

 物陰からひっそりと距離を測りながら接近し、神機を構えてタイミングを窺う。初めての、経験だ。少し離れたところにいるリンドウさんがひらひら手首を振ってニッと笑みを浮かべる。お前さんなら大丈夫だ、そう言われているようで安心したが、不安の一切を拭えるわけではない。ユウカにそうできるひとは、世界でただ一人なのだから。

 心臓がばくばく五月蠅くて、心臓ってなんて重いのだろうと笑みを漏らした。身体を取り戻してからずっとそう、どこもかしこも重くって仕方なく、それなのにどこまでも歩いていかねばならないのだから人間って大変だ。そんな大変な人間に戻りたかった、戻り得た。こんな必然からなる奇跡を起こせたのだから、あんなちっぽけなアラガミくらい楽勝だ。きっとそう。

 建物の陰からそっと標的を目視し、息を止める。直後、地面を蹴り飛ばし目標小型アラガミ、オウガテイルの一体に斬りかかる。オウガテイルは敵を見つけた瞬間必ず一度嘶きを上げる、その無意味な特性に狙いをつけ、ボサッと開けられた口へ神機を突っ込んだ。一番柔らかいところに引っかかりは作れた、次は捌けばいいだけの話だ。最も抵抗が少ない水平に近い小さな角度に刃を瞬時に調節、チャキリという小さな金属の刃音を聞き終える間もなく肉と表面の甲殻を斬りつけた。

 

「ん、ん?」

 

 思ったより角度が水平寄りになりすぎてしまったのか、予測よりも浅い傷となってしまった。一太刀でやれ、というのは流石にバスターブレードな彼等しかできない芸当だろうが、ショートにはショートの使い道がある。

 ユウカは勢いのままに着地したオウガテイルの三メートル後方で踵をブレーキに方向転換し直ぐにまた前へ跳躍する。もっと早く動けるはずだ、もっと、速く!

 鈍色の刃が広い街路に閃く。一直線上を流星のような速度で飛び越えて、その度に刃は血飛沫すら切断し悲鳴すら掠め取った。二つの陰が地に沈む。一切の反撃すら許されず声すら上げずに生命活動を停止せしめられたオウガテイルは、体中から滂沱の黒々とした液体を流して虚ろな眼を濁らせていた。

 もっと上手く斬り裂けるものだと思っていたが、やはりソーマのようにはいかないものだ。とは言え勝利は勝利、ユウカさん大勝利ー!と声を上げようとしてアッと声を上げる。

 

「アー、あンな、バースト訓練……」

「アハハハー……やり直しですか?」

 

 半笑いで頷くリンドウに、ユウカはああ~~~と大きく項垂れた。

 

「だがま、新人にしちゃあかなり動けてる。つーかむしろ動け過ぎ、だな。ソーマになんか入れ知恵でもされた、って雰囲気じゃないが……」

「そうですか?私が持ってるスキルなんてサバイバル能力とサイエンスクッキング能力くらいですよ」

「そうか、っていや待て待て待てツッコミ所しかねーわ!」

「カッターの最も切れる角度は十五度なので、カッターの厚さと神機の厚さに比例させて最適な角度を求めたつもりだったんですけど、カッターよりも日本刀のほうが感覚としては近いんですかね?製造方法が全く異なるから切れ味も切り口も違うし刃の角度も違うからそれらを含めて修正、」

「あまってもう着いていけねーわやめて。頭パーンなるわ」

「なんでですかまだ百字も喋ってないじゃないですか」

「頭良さそうな話全般無理。お前の同期も多分死ぬだろうから程々にしとけよ」

「わかりました、今度ゆでたまごの最適時間でも仕込んどきますね」

「ああまあそれなら」

「卵の最適のゆで時間は卵の直径=0.0015d2loge[2(お湯の温度-初期温度)/お湯の温度-黄身の最終温度]分なので卵の直径を50mmと仮定、初期温度を」

「OK、俺が悪かった」

 

 圧倒的台所の科学。家庭の味も母の味もへったくれもない情緒ゼロ手作り料理だ。父がタンパク質の化学反応と卵の熱伝導率をシッカリ講義した後に完成したゆで卵を出した時にはナオミまでもがチベスナ顔をしていた。ハルカとフユキは終始どーでもよさそーにニコニコしていた。

 ちなみに以上の式はニュー・サイエンティスト誌に大真面目に発表された列記とした公式である。

 

「マ、ともかく、次行くぞ次。今頃まんじりとまってやがるぜ、あいつ」

「はいっ。リンドウさんもそうでしたか?サクヤさんが初めて出撃したとき」

「ハハハハ、おめーさてはかなり目敏いな?」

「ふふふ、どーでしょー」

 

 いやあのやりとりで親しい男女の仲でないわけがありますかよ、と心の中だけでユウカは爆笑を堪えた。どっからどう見ても結婚間近のカップルだ。さっさとその左の薬指を売却済みにした方が良いですよ。うふふと意味深に笑うユウカと顔を引き攣らせるリンドウの軽いやり取りの後、二人の耳元でタイマーが鳴ったときのような機械音が鳴り響く。

 

『オウガテイル無事討伐完了です!お疲れさまでした!』

「おっヒバリすまん。任務は達成だが訓練は未完成なんでな、近場で手頃なアラガミはいるか?」

『えぇっ。ええと少々お待ち下さい…………ううん、北に2キロほど行ったところで中型アラガミの反応はありますが……』

「あーまぁ構わねぇさ、それで。北に2キロだな、了解」

『えっちょっとリンドウさん!ユウカちゃんは今日適合したしんじ、』

 

 ブツッと音を立ててリンドウが無線を切る無慈悲な機械音が響いた。聞きたくないことはハナから聞かない主義のようで、リンドウは「さ、任務継続するぞー」と暢気な声音で言って脚を動かした。『あのあのあのリンドウさん!?まさか通信切ったなんて言いませんよねあの!?』と喚くヒバリの切実な声に心底申し訳なく思いつつ、ユウカもソッと通信の電源を切った。ごめんなさいヒバリちゃん。上官同士の板挟みはユウカは真っ平ご免であったので。

 

「リンドウさん……」

「おー??なんだよ怖いのか?」

「はあまあそれはそうですけど、良いんですか通信」

「良かねぇけど、マ、俺くらいのゴッドイーターともなると多少の勝手は許されんのさ。たぶん」

「わあ、とっても曖昧」

「心配すんな、大丈夫だから」

「どっちが?」

「どっちも。びびっても俺がフォローしてやる」

 

 からからと晴れ晴れしく笑うその姿はなるほど頼もしく、そしてその悠然たる態度には安堵感を齎すものがあった。若い頃苦労したんだろうな、とユウカはなんとはなしに思った。

 

 結局中型アラガミと予想していた通りひと悶着あり、ユウカとリンドウが帰還したのは夜の七時を過ぎた時間となった。

 

 

「遅い」

「中型アラガミがゲボラじゃなくサリエルだったのがな。運が悪かったわ~」

「初陣でサリエリに新人突っ込む馬鹿がいるかッ!怪我こそなかったから良いものを………いやむしろ、何故怪我がないんだ?」

 

 神機を保管庫に格納した後、あらゆるひとに苦笑いされながら、報告しにエントランスホールに向かおうとしたその廊下で、仁王立ちをする女帝が立ち塞がっていた。こうして並ぶと、この姉弟は確かに似ている。目元とか、すっと通った鼻筋だとか、何より二人の間に漂う親しい空気が雄弁に物語っていた。

 かなり失礼なことを問いかける彼女に、私は不満に思うでもなく喜ぶでもなく事実だけを述べた。茶化して聞いてはいるが、察するにかなり部下想いかつ弟想いと見る。そういうひとを悩ませるのは本意ではない。

 

「殆どリンドウさんがやっちゃいましたもん。私ちまちま切りつけながら遠くから撃ってただけですよ」

「そうか、良い判断だ。新人とは思えない冷静な状況判断だな」

「エッ、あっはい、あの、ありがとうございますっ」

「新人の演習が満足ではなかった事も鑑みて、今回の独断行動は大目に見よう。だが、」

「アッ待ってくださいオチが見えたやめて絶対怒られるやつじゃんすかやだやだやだ!」

 

 私は許そう。だがコイツが許すかな!っていうオチでしょ分かってるんだから。そしてその場合、ユウカに最も効く説教の主は、あのぶっきらぼうで天邪鬼な青年に他ならない。自発的に怒られにいくのは良いが、不可抗力で怒られるのってちょっと違うと思うのだ。事実、今回私はマッタク悪くない。悪くはないが、心配は、それはもちろん、かけただろう。

 

「リンドウさん……!!」

「アー、ハハ。悪かった。事情一緒に説明してやるから、ホラ、な?」

「当たり前ですぅ……!」

 

 リンドウさんがすっと脇に逸れて、扉へ促すような哀れみの視線を向けて来た。エントランスへ向かうための扉は開閉ボタンを押さなければ開かない構造になっている。そして、リンドウさんがそれを押してくれる感じではなかった。なんでそういうことするの?運命は自分の手で切り開けって事なの?だったら私運命の奴隷で良いよ……。

 そぅっと震える指をボタンに押し当て、その振動で呆気なく扉は開かれた。強い光に照らされた明るいエントランスにはなんと、――ソーマさんの姿はなかった。

 

「あ!ユウカ!」

「……なんでエリックがいるの?」

「ぐはっ!」

 

 悪気なく放った言葉が、赤に近い茶髪の青年の心臓をシッカリと貫く。身体をくの字に曲げて胸を抑えるエリックを慰めるでもなく、混乱のままに私は言葉を重ねた。

 

「え、なんでエリックなの?ここはソーマさんとの感動の再会シーンからの愛を確かめ合うところでしょ?なんでいるの?」

「ぶげらっ!」

「そんなんだから空気読めないってエリナに言われるんだよ?」

「ぐああああ!!」

 

 ファイヤー!アイスストーム!ダイアキュート!といった感じで連鎖を繋げていく度に上がる悲鳴に楽しくなってきたところで、肩に手が置かれる。モスグリーンの瞳が憐憫を湛えて語る。そこまでにしておけよ。ちっ。エリックめ、運の良い奴。リンドウさんに感謝する事ね。

 

「で、エリック。私のダーリンはどこなの?」

「君ね……普段は絶対そんな風に言ってやらない癖に……」

「当たり前でしょ」

 

 そういうところだよキミ、と言わんばかりの視線を鬱陶し気に振り払って、呆れ半分な彼の言葉の続きをじっと待つ。

 

「自室だよ。健気だよねぇ」

「………………………」

「え、ちょっとユウカ?死んだ?」

「………………………あ、」

「あ?」

「あんちきしょーーーーッ!なーーんかい言ったらわかるのあンの馬鹿は!!!」

 

 何やら視界端で何人かがきゅうりを見つけた猫のように飛び上がった気がしたが無視し、エレベーターを待つのすら惜しんで非常階段へ転がるように飛び込んだ。

 ユウカは激怒した。かの無知暴走の男を矯正せねばならぬと決意した。ユウカには彼の心がわからぬ。ユウカ壁外の蛮民である。しかしひとの心の機微に関しては、人一倍に敏感であった!

 

「ソーマさん!」

「ッ!?」

「『ッ!?』じゃなーーーい!!」

 

 何勝手に引きこもって来訪者に驚いてるんだこの人は!……いや冷静に考えたらフツーに驚くな?引きこもってる最中にノックもなしに扉を空けられたら「うっせぇババア!勝手に俺の部屋に入ってくんなっていつも言ってんだろ!」とか言われても仕方なくもなくもないかもしれない。やだソーマさん反抗期?あ、それはいつもか。

 

「ソーマさん、私は今、とぉっても怒ってる。なぜなら!」

「そこは考えさせるところじゃないのか」

「なぜなら!なんかソーマさんが一人でいじけてるから!」

「無視か」

「モグラ叩きみたいなツッコミやめてくれる?」

「じゃあまずそのモグラ叩きみたいなツッコミをさせないような言動をしてくれ」

 

 まるで私の一挙一動全てがツッコミ所しかないみたいな言い方やめて欲しい。真顔で言われると本当にそんな気がしてくる。

 

「そんな気がしてくるではなく本心からの言葉なんだが」

「えっソーマさんてばエスパータイプだったの?てっきりあくタイプかと」

「黙れゴーストタイプ」

「今はノーマルタイプだし!ちゃんとぶつりこうげきダメージ受けるし!……弱体化してる!?」

「落ち着け。なんの話をしに来たんだ」

「あ」

 

 そうだった。私はどっかりとソファに腰を下ろすソーマさんの横に礼儀正しく正座して真剣に彼を見つめる。

 

「ソーマさん。言いたい事があるならちゃんと言って。我慢とか遠慮しないで。そういうの、距離を取られたみたいでやだ」

「我慢したわけじゃ」

「なら、羞恥って言った方が良かった?」

 

 エントランスでのリンドウさんやサクヤさんとのやり取りの後、そっと気まずげに視線を逸らしたソーマさんを、私は当然目敏く見つけていた。

 正直、この人の中にそういう感情ってあったんだ、と思った。

 だってあの時、あんなにもハッキリと愛の告白をするような男が。私とのやり取りを身内に見られて恥ずかしいなんて。エェェ!!?今更ァァ!!!??とあの時口にしなかった私を誰かに褒めてほしい。

 

「エントランスで待っててほしかった訳じゃないよ。でも命がけの初仕事終えてきた私に、ソーマさんは何某かを言う義務があると思います!」

 

 私も大概素直じゃないし面倒な自覚はあるけど、ソーマさんてなんか、それに輪を三十くらいかけて面倒だ。素直じゃないとも言う。

 ソーマさんは頭痛を堪えるように額を手のひらで覆って、浅く息を吐いた。

 

「………………………心配した」

「それだけ?」

「………………………無事で良かった」

「それだけ?」

「………………………………………おかえり」

「うん!ただいま!」

 

 蚊の鳴くような声で、耳まで赤く染めたかわいい人は、降参したようにがっくりと項垂れた。

 

 私たちは、もう幽霊と同居人じゃなくなった。

 姿も見えれば触れもするし、別れて行動するときもあれば一緒に居る時間もあるしそもそも部屋は別々だし、今は自分の人間を生きている。擦り寄れば温かい。もうすり抜けることも、ない。もう互いが互いに依存する理由だってない。けれど離れ難くて。

 無意味だった距離に意味が生まれ、節度と言う名の壁が生まれ、常識と言う名の隔たりができた。それらに彼が苦しんでいたことはわかっていた。ほんとうに、笑えてしまうくらい馬鹿で困る。

 桜庭ユウカが生きているのはソーマ・シックザールが生きているからだって、言わなきゃわかんないのかなぁこのひと。

 

「………なに笑ってンだ」

「ソーマさんが可愛くてつい。これが馬鹿な子ほどかわいいってやつかー」

「殴るぞ」

「効きま……いや効くね!?そうだった今私ノーマルタイプじゃん!」

「等倍だから安心しろ」

「いやソーマさんの特性絶対てつのこぶしかちからもちでしょやめて!?あいたたたたたアイアンクローやめろやこの暴力系ヒロインめ!」

「誰がヒロインだ誰が」

 

 




ユウカちゃんの押しの強さと察知能力は世界救えるレベルですが、本人がひくほどポンコツなのであまり役に立っては無いです。


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少女、観察

露骨に更新頻度が下がったなって??その通りだよ!!!!!!!!


「オッ、なんだなんだ嬉しそうだな」

「えへへ~!聞いてくださいよリンドウさん!」

「ソーマと任務なんだろ?」

「知ってたんですかーーい」

 

 るんるんに足取り軽く歩いていたところを呼び止められ、満面の笑みで振り返るも思ったような反応が得られなくて途端に不満顔になる。別に事細かに詳しく聞いてほしかったわけではないが、こうまでアッサリ言われるとつまらないものがある。

 

「次はサクヤとガンタイプ合同演習だっつったのに、無理矢理捻じ込んできやがったんだよ」

「まあ普通に考えておかしいですよねソードタイプ訓練二連続って」

「だろ」

「じゃあ大人しく私がカバーに回りますね!」

「ありがとなほんとお前はほんと物分かりが良いわ」

「どんだけ手を焼かされて来たんですか引くわ」

 

 パッと見ただけでも我が強い連中が寄せ集まってる、というわけでは決してない(はず)の第一部隊で彼の胃にどんな負荷がかかると言うのか。サクヤはいかにも命令に従順そうだしコウタはアホだけど馬鹿ってわけでもない。ソーマは口ではああ言うが仕事はキッチリこなし……こなしてるよね?よくよく考えてみれば彼が集団戦をしているところはあまり見た事がない。

 

「あの、もしかしてーですけど、ソーマさんて実は……」

「ああ。あいつの辞書に協調性という言葉はない」

 

 キッパリと断言した言葉は力強く、故にユウカの脳みそを勢いよく一突きした。短い間ではあるがこの上官の観察眼は舌を巻くものがあるとわかっている。つまりそこにほぼ間違いはないと言って良い。つまり。え?あんなに人を思いやれるのに?キョウチョウセイガナイってどこの国の言葉??

 

「つーわけでルーキー。お前に任務を言い渡す」

「私の力の及ぶ範囲内でお願いします」

「ソーマに協調性を身に付けさせろ、以上」

「力の及ぶ範囲外です!」

 

 ワッと顔を両手で覆う。

 一応そういう同士なのだからユウカの意見をソーマはもちろん取り入れようとしてくれるだろうが、あの男は肝心なところで、あの頃から何一つ変わっちゃいないのだ。そしてそれをユウカもどこかで望んでいる。

 

「協調性があってわかりやすく優しくなったソーマさんなんて、ソーマさんじゃない!」

「ひでぇ言い様だな……」

 

 流石に冗談である。しかしそんな彼があまり想像できないのも事実だった。常時優し気な微笑みを浮かべ、フード絶ちし、ミスったらフォローしてくれたりアドバイスをくれたり、頼れる雰囲気満載な感じの……あれあまり変わらないような。

 

「なるほどね。つまり……間違ってるのは世界の方だ!」

「キメポーズまでして何言ってんだお前は」

「ソーマさんは今も充分ひとにやさしくしてます。実は問題なんて最初からなかったんですよ!」

「ナ、ナンダッテー!!>ΩΩΩ って何やらせるんだよ。じゃなくてだな、アイツが優しいのは俺もわかってんの。その上で、協調性が必要だっつってんだよ」

「と言われましても」

「マ、まずはアイツと任務に行ってこい。そうすりゃ言った意味がわかるさ」

「なるほど~~!(わかってない)」

「副音声を聞かせるように言うな」

 

 スパンッと勢いよく叩かれた場所をてのひらでやわく擦る。まだ二日しか経っていないのにこの上官、馴れ馴れしいが過ぎると思う。ユウカ自身が心の壁という概念を持っていないせいなのでは?という疑問は現在受付しておりません。ユウカにだってATフィールドくらいちゃんとある。極薄なだけだ。0.03ミリとかそこらへんだと思う。

 

 そういった経緯の上でユウカとソーマは任務に出ることになった。任務内容は鉄塔の森にてコクーンメイデンの群体とオウガテイル数匹の殲滅。コクーンメイデンは資料でしか見た事がない。サリエルよりはマシだと良いが。

 入隊して未だ三日目であることと、朝っぱら一発目の任務であることも相まって、ユウカはソーマと共に現地へ赴くことになった。周囲一帯の地理を覚えるのもゴッドイーターの仕事である。幸いユウカには長年外で暮らしていたアドバンテージがあるが、この拠点を軸とした行動は初心者な為有難い。

 

「グッモーニングーテンモルゲンおっはようソーマさん!」

「遠足当日の小学生か?」

 

 ノックをしないのはいつも通りとして待ち合わせ時間を一時間以上もフライングしてソーマの部屋に突撃すれば、ソーマには躾の成ってない犬を見るような眼を向けられた、ひどい。

 

「ソーマさんだって準備めちゃめちゃ万端じゃん。ネクタイちゃんと結んでるの初めて見たんですけど」

「は?………ああ」

 

 ソーマはユウカの言葉に怪訝そうな顔つきを見せた後、結んだばかりだったらしい結び目にかけていた手で、思い出したようにその首元を緩めた。控えめに言ってなんで???と思った。

 

「せっかくかっこよかったのに!」

「………………………………」

 

 遠回しに『その着方ダサいよ』とディスられたソーマはこめかみに青筋を浮かべたが、ユウカの片耳を持ち上げることでその怒りを消化した。この滑る口はいい加減どうにかした方が人類のためなのではとこの頃考えるソーマである。

 

「絞めると動きづらいんだ」

「絞め方が悪いんだよ。……っと、ほら、どう?ギリギリをいつも生きて行こ」

「下手くそ」

「キレた」

「瞬間湯沸かし器か?」

「あっという間にすぐに沸く~~~」

 

 ティフ〇ール♪と唐突に歌いだすユウカを置いて、ソーマはさっさと廊下へ出る。朝食がまだであったので、食堂に取りに行かねばならないのだ。そうでないとこの少女がやかましいから。先程の真顔をどこにしまったのか、けろっとしたユウカが青年の隣に平然と並ぶ。

 

「今日の朝ごはんなんだっけ」

「……トマトチーズリゾット?」

「え、おいしそー!技術部すごい頑張ったね!?」

「の、ゼリーだ」

「なぜベストを尽くしてしまったの……そんなんもう冷たいもんじゃじゃん……」

「流石に見た目は固形のはずだが」

「これでガチもんじゃの見た目してたら技術部に殴り込みに行ってたー!あぶなー!」

「夏だしな、冷製もんじゃという新商品だと思って食え」

「無理あるよ!冷やすのは中華だけで良いんだよ!!」

 

 材料そのままに使ったとしたらとても高価な豪華料理になってしまうのだから致し方ないと言えばそこまでだが、それにしたってひどい食糧である。そんなんならもういっそ無味無臭ゼリーの方が百億倍マシだ。尚この後食堂でうまーい!と歓喜の声を上げる少女と心底不思議そうに顔を傾げる青年の姿が見られる事となった。

 

「回復錠は。Oアンプルは。念のため回復球も、」

「エリックうざい」

「お前はユウカのなんなんだ?」

「君たちに緊張感とかの言葉はないのかな?」

 

 いざ出撃。という段階になって、出撃ゲートには全体的に赤みがかった人物が壁にもたれて待っていた。二人を、というかユウカを見るや否や駆け寄ってきて、ユウカのポーチにあれこれと物資を詰め込むは、今日は未だ出撃任務が決まってないはずのエリックだった。わざわざ早起きまでして見送りとは、マッタク心配性が過ぎる。

 

「くれぐれも怪我をしないようにね?ソーマ、君いつもの戦い方じゃなくちゃんと守ってあげるんだよ」

「本当に何なんだ?」

「エリックは私たちの心配より自分の心配をした方が良いと思うよ?命中率54%って舐めてるの?」

「打率だったらメジャーリーガーだし……」

「命中率つってるでしょ。ツバキ教官が数値見て「万死に値する……」って呟いてたよ」

「マジで?………よし!なんか二人が心配になって来たしついていこっかなー!心配だしなー!仕方ないなー!」

 

 こいつ……。ユウカとソーマの胡乱気な視線をものともせず、エリックは出撃ゲートのコンソールパネルで流れるように自身の出撃登録を済ませた。新人としては多人数の方が安心もできるところだが、なんとなく面白くなくてエリックの脇腹を小突いた。イタイイタイ!と悲鳴を上げるエリックが涙目で叫ぶ。

 

「良いじゃないか色ボケ防止も兼ねてさ!」

「ぶっ殺すぞ」

 

 

 鉄塔の森は鬱蒼とした湿地帯の上に浮かべられた人工島のような区画だった。鉄塔はアラガミの暴虐と長く人の手が入っていない故に錆びついて朽ちている。いつ倒壊してもおかしくないほどぼろぼろの見目だが、鉄骨がしっかりしたものであったからか当時の技術が良かったのか、向こう五年はまだ大丈夫だろう。沼から気化した漂う湿った生臭い空気は、木々に阻まれて区画内に淀んでいる。曇天も相まって昼だと言うのに妙に薄暗いその場所を、ユウカはおっかなびっくりな足取りで二人について歩いた。ここらへんはアラガミの出現が多数確認されているので、壁外に住んでいた人間なら誰でも近づくことを忌避していた故、勿論ユウカも生身で来た事は無い。時々遠くでカーンと鉄骨を打つ音が聞こえるのがまた不気味で、ユウカはソーマの背中にぴったり寄り添った。

 

「邪魔だ鬱陶しい」

「無慈悲すぎない……?」

「幽霊とか苦手だったっけ?」

「幽霊は大丈夫なんだけど、こういう得体の知れないものが急に出て来そうな感じは無理。あと本当にこわいのは人間だとかいう風潮も無理。具体的に言うと邦画ホラーは平気だけど洋画ホラーは無理」

「普通逆じゃない?リングのあのズルッてテレビから出てくるところ鳥肌大賞なんだけど」

「幽霊の何が怖いのかわからない」

 

 何しろ二年くらい前まで現役幽霊だったのだし。

 真顔で応えるとエリックは「そこまで?」と若干引きつつ半笑いで尋ねた。ビックリ系の動画見た事ない現代っ子はこれだから。「ウォーリーを探さないで」とか見た事ないのだろうか。本気で心臓が止まりかけるので剛毛が心臓に生えてない人間以外は検索しちゃだめだぞ!ユウカちゃんとの約束だ!

 

「ヒエ~~ヒエ~~」

「まあまあ、この僕が華麗にやっつけてあげるから、安心したまえ」

「安心させるな。演習にならん」

「ひえ~~ひえ~~……あ」

「なんだ?」

「アラガミ」

 

 スッとユウカが指さした先、3体のオウガテイルがうろうろとコンクリートの上を悠長に跋扈していた。索敵能力の低いアラガミであるとはいえ、あまりにも悠長とした歩き方に若干一同が弛緩しつつ、その空気を此度の隊長が諫める。

 

「俺が先行する。構えろ」

「了解!」

「フレンドリィファイアは一発までなら誤射だよね!」

「は?殺すぞ」

「ユウカなら許すくせに!横暴だ!」

「存在の差だ、諦めろ」

「もうそれどうやって埋めれば良いンだよッ!」

 

 小声で慟哭するという妙に小器用なことをするエリックに笑いを堪えながら遠距離型に変形させた神機を構える。アラガミへの直近の物陰に隠れたソーマと呼吸を合わせ、まずエリックの砲口が火を噴いた。射出された赤い光線は僅かにオウガテイルの頭部を掠め、その部分を熱で溶かした。しかし当たり所がこちらにとって悪かったのか、ほぼノーダメージのそいつらは、銃撃音を辿って二人へ疾駆してきた。

 

「このノーコン!」

「ごめんて!」

 

 ソーマが飛び出して背中を見せたアラガミを両断する。声が本気で苛立っているので、エリックは多分後でお説教だ。一体を狙撃で倒すはずだったが、二体を同時に相手取ることになったソーマの援護をしようとして、しかし咄嗟に近接型形態へ神機を移行しシールドを展開する。予想通り打たれた針は二人を覆う大型シールドに重い音を立てて弾かれ、力強さにユウカは眉根を寄せた。

 

「馬鹿リック!」

「猛省しま、ってウオォ!?」

 

 エリックがしょんもりと肩を落としかけたその時、二人の足元から突如として金色が生える。横へ二転し、ユウカは咄嗟にそれへ飛び掛かって切りつけた。

 

「あぶないっ」

「わぁあ!ありがと!」

 

 人の姿を歪に再現した蛹のようなその金色は、斬りかかりかけたユウカへど真ん中に光球を放った。当然空中で回避行動も取れずなおかつ真正面からツッコみかけたユウカはそれを喰らうはずだったが、横からスーパーキャッチの要領で抱え込まれて辛くも逃れる。

 

「偶には役に立つ!」

「僕の華麗な緊急回避の感想がそれぇ!?」

「エリックを助けた時のソーマさんのほうか百億倍かっこよかった!」

「それを言われると僕はもう何も言えないよ!こいつらはコクーンメイデン!銃撃戦で片を付けるよ!」

「了解!」

 

 手早く遠距離型に変えたユウカが、ブラスト特有の特大火力バレッドを遠慮なくぶちかます。大仰に仰け反った個体を集中砲火し、くたりとその肋骨部分が半開きになったところをショートブレイドで切り裂いた。黒い煙が出始めたのを確認し、すぐに横へ飛び退く。自分がいた場所が若干焦げたのを見て「ウワア」という感想だけ抱き、またも光球を放ってきたコクーンメイデンの前でちょろちょろと動き回った。釣られてこちらに標準を向けだすちょろさに舌を出しながら、肋骨の内側周辺から飛び出してくる影のような棘をひらりと避ける。その背中スレスレを短く伸びた赤い光線が、コクーンメイデンの頭部を撃ちぬいた。

 その場のアラガミを全て殲滅し終えたのを目視し、ユウカは脱力して肩を落とす。駆け寄ってくるソーマに小さく手を振って応え、鋼材に腰を預けるエリックに顔を向けた。

 

「お疲れ様」

「うん、お疲れ様。いや中々強いねぇ、ユウカ」

「ふふん、私の武勇伝をエリナに聞かせてくれて構わないからね」

「でもすぐ突撃するのはやめた方が良いかもねー」

「上げて落とされた……!」

「エリックの言う通りだ。何故あそこで無策に突っ込もうとした?無謀にも程がある」

「ハイ……精進します……最善の行動はやっぱり後退?」

「体力に余裕がある用ならシールドを構えて相手の出方を見るか、斬りかかる方向を変えろ。背後からヤるのは基本だろうが」

「そうだよねぇ!馬鹿かな私!?」

「馬鹿だねー」

「馬鹿だな」

 

 その場で反省会が始まってしまい、ユウカは咄嗟に正座すべきか迷ったところでソーマに後ろから引っ叩かれた。任務は完遂したが、未だここは一応、戦場だ。いつどこからアラガミが生み出されるか分からない以上、常時厳戒態勢が必須である。反省の心を見せようとしたのに、したのに!不満そうに見上げたのがわかったのか、ソーマは通信機をいじりつつちらともユウカを見ずに言った。

 

「見せんで良い。身体状況は?怪我は?スタミナの消耗具合は?万全だとわかるまで気を抜くな」

「引くわ」

「大丈夫だよ?」

「その慢心が死人を呼ぶんだ。新型はOPをアラガミを斬りつけることで回復するんだろう、身体に異常はないのか?」

「ドン引きだよ」

「大丈夫だってば。あとエリックは物理的に距離を取らないで!」

「いや普通に引くよ。え、ソーマ、君そんなこと他の新人に一度も言ったことも聞いたこともなかったじゃないか……率直に言ってきもい……」

「ちなみに普段のソーマさんはどんななの?」

「言うか馬鹿」

「『無駄に話しかけるな、邪魔だ』とか『随分余裕がありそうだな』とか『暢気そうで羨ましい限りだ』とか『死にたいのか?』とか言ってるよ」

「何バラしてるんだ殺すぞテメェ!!」

「ソーマさん……」

 

 エリックに神機でガチめに斬りかかってるソーマへ心から憐れんだ眼を向ける。心配しているのはわかるし注意を促しているのもわからんでもないが、言い方って重要だと思う。拗らせすぎると人間こうなるのか、肝に銘じて置こう。ウンウン頷くユウカに、エリックは「いやユウカは肝に銘じなくとも大丈夫じゃないかな!」とソーマの斬撃を避けながら笑った。逃げ足だけは早い男である。

 

「ちょこまかと鬱陶しい!この茶髪!似合ってないんだよハゲ!」

「ハゲてないしー!ソーマこそその白髪何回ブリーチしてんのさ!」

「自毛だっつってンだろクソダササングラス!なんで曇ってんのにグラサンかけてんだボケ!」

「ファッションだよファッション!君のような身なりに気を使わない人間にはわからなかったかなー?いやー華麗なる僕ですまない!」

「もう黙って斬られろナル野郎が!」

「ヒス野郎にやられる僕じゃないさ!」

 

 うっわーーー、レベルひっくーーい……。

 アラガミと戦っているときより良い動きをしているような二人を、ユウカは呆れながら眺めた。支部に連絡するのではなかったのかしら、と半眼になりつつ、回線を繋げる。

 

「あ、ヒバリちゃん?こちらユウカです!」

『はい。周辺のアラガミ掃討を確認しました!任務終了です。お疲れ様、ユウカちゃん』

「ヒバリちゃんもチェックお疲れ様。このまま帰投するね」

『ええ。お気をつけて――待って下さい!オウガテイルが一体、上から―――!』

「………ああ、うん、それなら今、ソーマさんが片手間に吹っ飛ばしたよ」

『え、はい?』

「素材回収して帰るね~!またあとで!」

『ちょ、ユウカちゃ』

 

 ブツッ。通信を一方的に切って、ユウカは上官の悪い癖が移った事をしみじみと確認する。聞きたくないことは聞かない。そしてあまり言いたくないことは手短に。哀れ吹っ飛んだオウガテイルの残骸に、ユウカは自分の神機の捕食形態を食らいつかせた。

 

「そろそろ帰ろー!おなかすいたよー!」

「はーい!」

「あと三分で片を付ける!」

 

 低レベルな戦いを続ける二人を嫌々視界に入れて呼びかけると、言葉だけなら格好良い応えが返って来た。まあ楽しそうで何よりだと納得するしかない。ついでにソーマのコミュ力の低さも理解できたことだし、リンドウからの命令も近々達成できるだろう。たぶん。

 

 




ソーマさんは内心ユウカとの任務にめちゃめちゃ緊張してたし、ユウカにひっつかれたとき口数が極端に少なくなったのはDカップな感じの胸が背中に当たってる事を言うべきか迷ってたからです。19歳だね!ソーマさん!!


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少女、同僚

生きてる生きてる


 

 技術部の結晶、と言う名の朝食、もといベーコンレタスサンドイッチ味のレーションを舌の上で転がす。ベーコンとレタスの味らしき味覚は感じ取れたが、肝心のパンがどこにも見当たらなかった。いやBLTの主役はパンじゃなくてベーコンとレタスだ、ならばパンがなくとも良いのではないか?だがパンがなければサンドイッチとしての体裁が繕えない事は明白だろう。しかしそれだけの理由でパンをBLTの本質とするにはやや早計が過ぎる。BLTにおける総重量の割合と質量を換算して、だが量が多いというだけでパンをBLTの本質の範囲内とするには、

 

「なに難しい顔してんだ?」

「ベーコンレタスサンドイッチについて考えてた」

「聞くだけ無駄だったか~」

「コウタ、もうご飯は食べた?」

「まだだけど……え、今朝そんなやばいの?」

「ベーコンレタスとサンドイッチについてホワイトホールが拓ける」

「……ユウカ、オレの分いる?」

「くれるなら貰うー!」

 

 プリン味レーション程度で音を上げているクソザコ子ども舌の彼には荷が重かろう。そうこれはボランティア、断じてカツアゲの類ではない。そのような言い訳を心の中で並べ立てているのを察知したのかなんなのか、右後方から勢いよくスッ叩かれて僅かにつんのめる。

 

「イッタ!」

「コラっ人のモンを取るな!いやしんぼかお前は」

「はぁい。ごめんねコウタ」

 

 本日同じ任務へ出撃するバディは、同期同格の彼、藤木コウタである。基本的に陽気・短気・能天気なパーフェクト陽キャ野郎で、初対面でガムを差し出せる程度のコミュニケーション能力を持つ、かなり付き合いやすいタイプだ。もちろんユウカとの仲もすこぶる良く、会って二秒で意気投合、五秒で喧嘩、十秒で肩を組んだ姿が目撃されている。つまるところ相性がよろしかった。しかし少し軽薄なところがあるコウタと、行けるところまで行っちゃうユウカとでは、なんというか、とても周囲に心配をかける組み合わせでもあった。

 

「いやオレ的には引き取ってほしいんだけど……」

「まあ朝ご飯なんて身体的には良いところなんてないしね。消化器官が目覚めきってないから、胃が汚れるだけだし」

「マジかよ!?え、でもよく言うじゃん『朝ご飯はちゃんと食べなさい』ってさ」

「育ちが良いね君は本当に。朝ご飯はぶっちゃけどうでも良いんだけど、頭にはデンプンを回さないと脳が働かないんだよ。んで、食事には基本日本だと特に白米、聞いてる?」

「長い三行」

「この白いレーションだけ食べればオーケ、ッイ"!なんでですか!」

「食堂のおばちゃんの眼を真っすぐ見つめてもう一回言ってみろ、な?」

「はい!言ってきますね!」

「やっぱやめろやめなさいっ!お前はマジにやるやつだったなこのバカっ!」

「人の心がないのかお前はーーーッ!」

「貴方達、朝から元気ねー」

 

 男二人がかりでしがみついて待ったをかける少女の頭をやんわりと押し留めて静々と笑ったのは、第一部隊の美しき狙撃手サクヤであった。美女と美人に弱いユウカは勿論一切の抵抗を止めて着席する。サクヤさん今日もお美し~~~!神すら嫉妬する輝き~~!と心の中だけでうちわをぱたぱた振って、外面では「おはようございますっ」と軽くハイテンションで挨拶するにとどめた。

 

「はい、おはよう。今日はコウタとの任務だったわよね?」

「はいっ。敵はコンゴウですので、ガンガン攻めようかと!」

「そうね。ヒットアンドアウェイ方針が最も刺さる相手よ。頑張って」

「はい!」

「おい、おいおい、おかしくね?俺が一応直属の上官だよな?」

「サクヤさんやさしいからすきです」

「サクヤさんルマンドとかくれますもん」

「俺だってジュース奢ったりとかしてるだろ!?」

「筑前煮オレとか?」

「いつも思うんですけどああいう苦いともしょっぱいともつかない飲み物どこで買ってくるんですか?」

「返答のIQに違いがありすぎると思うんだが!?」

「リンドウ、大きな声を上げない」

「はい」

 

 サクヤの冷静な一言でスンッと真顔になってはモソモソと食事を再開するリンドウに、ガキ二人が怒られてやんのー、やーいやーいとクスクス笑い合う。「夫婦と姉弟じゃん」「完全に親子」と方々でコソコソ囁かれていることも知らず、コンソメスープを啜った後に顔を上げたリンドウがそういえばとユウカに話しかけた。

 

「そういやソーマと一緒じゃないなんざ珍しいな。喧嘩でもしたか?」

「朝っぱらから任務ですって。私が出撃するまでには終わらせるって言ってましたけど」

「任務開始まであと2時間だよな?」

「そうですね。よしコウタ、そろそろ出発しようか」

「え、お前ソーマと仲悪かったっけか?」

「すこぶる良いに決まってるでしょ。いいから行くよ!」

「ちょ、待った待った!俺のプリンレーション!」

「なんだかんだ好きなんじゃん」

「いや違うんだよこれはなんつーかさあ!クセになる感じ!?」

 

 トレーを回収口に戻しに行く途中でさえワァワァうるせえ新人二人を、ベテラン二人はなんだか徐々に心配になってきて不安げな視線で見つめた。死相が出ているとまでは言わないが、なんだろうか、この幼児におつかい頼んじゃった感。

 

「ソーマに連絡入れとく?」

「いやあついらも一端のゴッドイーターになってきたし……実力的には申し分ねえし……大丈夫だろ……」

 

 多分。

 

 

 鎮魂の廃寺。アラガミが発生してから世界中に頻発している異常気象の一環によってか、ここは一年中緩やかな雪が降り続いている。炎を放出するアラガミの為か、旧新潟県のように数十メートルの雪の壁が形成される等の事は不思議とない。どういうメカニズムなのか解明したい気持ちがないでもないが、ともかく今はアラガミ討伐である。いつもの装備にマフラーと手袋の防寒着を追加してみたが、ゴッドイーターは寒暖差にすら強いらしい。その程度の装備でも多少肌寒いくらいで特に凍えるとまでは感じなかった。護送用ヘリから降下すると、強く踏みしめられた固い雪が二人を歓迎した。フと頬を羽のような雪が掠める。

 

「思ったより寒くねぇー……どーなってんだこの身体」

「便利だよねえ」

「まーな。んじゃ、いっちょ一狩行きますかっ」

「うん。目的の大型アラガミはまだこっちに来てないみたいだから、今のうちにザコをぶっ飛ばそう」

「オー!」

 

 元気よく方針を決めたところで、二人はサササと雪の上にも関わらず機敏かつ静かに、遮蔽物に隠れながら進行し始めた。二手に分かれる案もあっただろうが、二人は何せ未だ新人の域を出ない未熟者。一人より二人の方が安全で強いなんてことは微生物でも知っている事だ。ともかく慎重に。それこそ我らがリーダーの教えの一つである。

 ギ、ギ、と踏みしめた雪が立てる音一つすら惜しみつつ、速やかにバッサバッサオウガテイルとザイゴートを叩き落とした。捕食形態になった神機が蛇のように伸びて、アラガミの開け放たれた口へ勢いよく潜り込んでいく。谷底のような暗い色はタールのような光沢があって、ユウカはこの形態が少しだけ苦手だ。

 数が多い訳でもない小型アラガミを始末するのは、新人ゴッドイーターの二人でもそう難しい事ではない。ヘリから飛び降りてから十分と経たない内に殲滅し終え、マップ上に示された赤いポインターを頼りに目標の中型アラガミ、コンゴウの討伐に向かう事となった。

 コンゴウははだかんぼの大きな猿のような見た目のグロテスクなモンスターだ。顔面には赤い仮面のようなものがひっついていて、おそらくイミテーションだろうが耳のようなものがくっついている。その下に隠された大きな口は首という概念を無視して肩口まで裂けていて、いかにも異形といった有様だ。動きは俊敏で、腕力も尋常でない。その拳を一つ振れば、ひと一人どころか戦車もブッ飛ぶほどだ。その上、立ち上がればその巨体は人間三人分にも勝る。

 はっきり言って、確実に脅威に相応する存在だ。家屋の隙間に潜り込んで、のそのそ動く巨大猿人の動きを観察しているだけでも、ユウはその身震いを抑えきれないほどであった。。なのにゴッドイーターとしては、こんなのを倒せてもなんの自慢にもならないらしい。不思議なものだ。

 

「ねえコウタ。これはガチめに聞くんだけど、恐い?」

「……正直に言って?」

「正直に言って」

「……………ぶっちゃけ、ハイパーーーーー恐い」

「だよね、良かった。私だけだったらどうしようかと思った」

 

 息を潜めながら、コソコソと二人で顔を見合わせて、ホッとしたように笑い合う。コンゴウとはだいぶ距離があるので、二人の声も、神機が奏でる僅かな駆動音も向こうにはわからないようだった。

 ユウカはコウタの笑った顔を見て、それから神機を持ち上げる細腕を見た。ユウカの脚と同じだ、ふるふると小さく震えている。武者震いではないのだろう。

 

「死ぬのもイタイのも恐いけどさ、母さんと妹を置いて行くのが一番恐い。オレが死んじゃったらどーすんだってさ……」

「妹に、お母さんか。いいね、賑やかそうだ」

「うん。どっちもあれしてこれやってってやかましくてさ。特にノゾミの方なんてオレが家に帰ったらその場で遊びに巻き込んだりバガラリーごっことか仕掛けてくンだぜ」

「めっちゃ仲良しじゃん。コウタは良いお兄ちゃんだね」

「そっかな。そうだと良いんだけどサ」

 

 照れくさそうに鼻の下をこするコウタに、ユウカは憧憬の滲んだ顔で笑いかけた。少しセンチメンタルな気分になってしまうのは、この振り続ける雪が悪いのだ。

 震えが止まった二人は、笑みを消して真剣な表情で互いに顔を近づけた。眼玉の白い部分が反射した光が、暗い瞳に灯をともしたようにぎらぎらして見えた。

 

「オレがまず怯ませて、その間にユウカが捕食。バースト受け渡しして貰って、二人で総攻撃。基本戦術はこれでいいよな?」

「うん。ムズカシー事企てても、コウタは忘れちゃうでしょ?」

「違いないや」

 

 遮蔽物の向こうを見れば、丁度コンゴウが背中を見せて腰をどっかりと下ろしている所だった。暢気そうな背中にしたり顔で口の端を持ち上げて、二人は静かに陰から脚を踏み出した。

 最初の一撃はユウカが叩き込んだ。しかし、ショートブレード故、硬い肌に浅い傷を小さく作るのみで留まってしまう。意にも介さず雄たけびを上げるコンゴウをついでに二、三切り刻み、パンチが飛んでくる寸前で後ろへ飛び退いた。続いてコウタが十分な距離を保ったままバレッドを連射する。腕を振り上げて威嚇の姿勢を取る化物の背中へ回り、素早く捕食。すると、真っ赤な鮮血が噴き出した。

 アラガミには弱点がそれぞれ存在する。アラガミ細胞の結合が緩い部位の事だ。ここを攻撃することで、全体のアラガミ細胞結合の崩壊を促せるのである。コンゴウの弱点は尻尾、結合崩壊箇所は顔面、同体、背中だ。

 どうやらそんな初歩的な事を忘れるくらい緊張していたことを自覚したユウカは小さく微笑んだ後に、ガンタイプに神機を変形させて砲口をコウタへ向けた。

 

「よろしく!」

「サンキュー!」

 

 雪深い夜にぼんやりと身体が発光する。どういう原理なのだろうか。アラガミ由来の細胞が活性化している証だそうだが、こんなにわかりやすく活性化を示す必要があるのか。その発光するためのエネルギーを運動エネルギーへ是非回してもらいたい。

 バレッドの方が余程ショートブレードよりダメージが出るので、互いの動きを予想しつつ、二人はコンゴウの攻撃から十分逃れられる範囲内で引き金を引き続けた。コンゴウによく効く火属性のバレッドが、灰色の世界を轟音を響かせて流星群のように飛んでいく。

 

『コンゴウの顔面結合崩壊です!』

「やった!」

「止まらないでよ!」

「わかってるって!」

 

 敵性アラガミの状況を観測しているヒバリからの報告に歓声を上げるコウタを、鎌鼬のような風の剣が襲う。コウタは横へ二転して軽々その攻撃を避け、すぐに膝をついた安定姿勢でバレッドを絶えず撃ち放った。

 パイプから放たれる高威力の空気砲がユウカの通る端から背中ギリギリを飛んでいく。中々尻尾を狙えない状況がそうして続くが、幸いにもバレッドの命中は悪くない為、背中、胴体と順調に結合崩壊が進んだ。

 しかし大きく身体を捻って、大回転するコンゴウのぐるぐる攻撃とかいう馬鹿みたいだが地味に強い上移動しながらの攻撃にフッ飛ばされ、二人は一旦後方へ下がらざるを得なくなる。その瞬間を狙ったかのように、コンゴウは素早く身を翻し、巨体に見合わぬ俊敏さでその場から逃げ出した。

 

「ゲッ逃げた!」

「バースト解けるバースト解ける」

「怪我は!」

「ない!行こう!」

「オッケー!」

 

 相手の姿を互いに一瞥して確認した後、直ぐに情けなくドタドタと逃げていくコンゴウを追う。早くも全体的にボロボロなので、焦らなければ討伐は目前だろう。昏い朱の気配を察知しつつ、油断大敵とバディに視線で戒める。当然!と返ってくる挑戦的な視線が、胸の内に安心感を湧き立たせた。

 どっかりと腰を下ろして暢気にも食事しているらしいコンゴウへ、二人同時にバレッドを発射した。

 

 

「いやー、楽勝楽勝!完勝だったね!」

「うん。中型って聞いたから超絶強いかと思ったけど、なんとかなるレベルで良かったねー」

 

 回収のヘリを待ちながら、モウモウと黒い煙をあげるコンゴウを眺めて暢気に感想を言い合う。周囲にアラガミの反応はない。故に周囲の警戒を怠るなという小言は意味をなさない形骸と化していた。

 コウタの言う通り、コンゴウの討伐は思っていたよりも非常にスムーズに終わった。回復剤も殆ど消費せず、Oアンプルをいくつか消費したくらいで、物資の補充も最低限で済む事だろう。体力にも余裕がある。しかし、初の中型アラガミで二人はガッチガチに緊張し、気疲れは半端ないので、おそらく今晩はいつも以上にグッスリだろう。

 

「やっぱオレとアンタって相性抜群じゃね?ユウカがザクーッってやって離れた瞬間オレがバンバーーンってさ!コンビネーションってーの?」

「確かに戦いやすかった。けど、コウタのお陰だと思ってたよ?違うの?」

「えーっ?……ウーン、や、オレはここだーって思った時に撃ってるだけだしなぁ」

「そう?じゃあ本当に相性がいいのかも」

「だろだろー?」

「もしくはコウタの語彙力が足りないかだね!」

「あり得る予想すんの止めてくんない!?」

「あ、そろそろ護送ヘリが着くみたいだよー!」

「話逸らすの下手くそかお前ぇ!」

 

 ワンワンと轟音を唸らせて風を切る羽の音が遠くから聞こえて、白い雪を体のあちこちから払いのける。しかしどつき合いながらなので、かなり余計に時間がかかったばかりか、雪玉をぶつけ合いもしたので体温が著しく下がった。バカの見本市みたいになった二人は、二の腕を必死に擦りながら鼻を啜った。

 いよいよ護送ヘリが頭上に差し掛かった頃で、不意に、コウタが思い出したように言った。

 

「そういやユウカ、家族は?」

 

 コウタの無邪気な質問は誰に咎められるものでもなかった。桜庭ユウカは、とてもとても明るい少女だったから。明るくて、優しくて、年頃に馬鹿で図々しくて、ひとに愛されて育てられたことが容易に想像につくような、そんな少女だ。演じてるわけでもなく吹っ切れているわけでもなく、それは彼女の自然体で、美点で、痛ましい過去を持っているだなんて、まったく。

 

「みんな私を置いていっちゃったよ」

 

 愛より悲しみ深い声音で一言だけそう言ったユウカに、コウタは息を呑んで、それからすまなそうに笑った。ごめんと謝るのは容易いが、そうするのは違うのだろう。彼女は、きっと命を繋いで貰って、必死に生かされたのだろうと、コウタにはわかった。

 

「なら、これから大事に生きていかなきゃな」

「うん。それに、生きる意味もあるしね」

「カーーーッ!リア充爆発しろ」

「ゴッドイーター合コンでもすれば?幹事やってあげるよ」

「マ?神」

「秒で抜けるけど」

「薄情者ォーーーーーッッ!!!!!!!!」

「うるさ」

 

 うひうひ笑いながら、ユウカは内心でコウタの観察眼と洞察力に舌を巻いていた。ユウカが口にしたのはたった一言なのに、それだけでコウタには充分なようだった。謝られたって困るし、憐れまれるのはもっと困る。どうしようかな、と困ってしまったユウカが馬鹿みたいだ。まだ底は知れないが、得難い友を同期として迎えられた事だけは、二人共にしっかりと理解できた。

 

 




ソマ主書きたくて書きたくて仕方なくて無理矢理時間作って書いたのにコウタとユウカの話になってた。は?マジ意味わからん


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少女、花と嵐

 ばぎゅあー、ずばーん、ばきばきばきー、すぱぱぱぱーん。

 以上の擬音を五億倍くらい物騒にして騒音にしたら、おそらくこの戦場に似つかわしい音になるだろう。ふわふわ宙に浮いては毒霧を散布するザイゴードと、地を駆けるオウガテイル、根差して不動のコクーンメイデンの三種の小型アラガミを相手にして、ユウカは新型らしくあっちこっちの戦場を走り回って手伝いながら、安定した動きで刃を閃かせていた。切り裂く剣は飛ぶ鳥のようにしなやかで鋭く、火球を避ける身の熟しは落ち葉のようにひらりひらりと掴み所がない。剛柔併せ持つといったような感じのその戦場の姿だが、まだ羽化の最中といった未熟さと危うさがあり、よくよく目を引き付けた。

 合間に捕食してバーストを受け渡しては、方々から軽い感謝の言葉が上がった。メンバーの内一人の微々たる不満そうな雰囲気を感じ取ったが、ユウカは上官に倣って気づかない振りを貫き通すことにした。

 大きなアクシデントや怪我もなく、間もなく任務は終了。周辺区域からアラガミの存在を根絶した事を確認しつつ、発煙筒を頼りにリーダーの元へ駆け寄った。

 

「気が抜ける掛け声でバースト受け渡しするのを止めろ」

「開口一番それ??その前にバーストをもっと有難がって。全体を見て行動できる私偉すぎでしょ?」

「調子に乗るな」

「乗るしかないこのビッグウェーブにッだだだだだだ!スイマセンオッシャルトーリデスチョーシ乗りましたッ」

「ソーマ、それぐらいにしないとユウカの頭が変形するぞ」

「しろ」

「うわーーん!サクヤさぁんソーマがいぢめるー!」

「はいはいもう困った子たちねぇ」

「甘やかすな!」

「ドウドウ。ソーマお前な、お前の方が先輩なんだから後輩のやりやすいやり方で動けるよう譲歩してやれ」

「なんなんだそのお前の方がお兄さんなんだから我慢しろみたいな言い方は……」

 

 第一部隊は以前と比べてグンと賑やかになった。その原因は言わずもがな、サクヤの背中から半身だけをひょこりと出して忍び笑っている年少のゴッドイーターである。本日片割れが不在だが、新人ゴッドイーターはどちらも活きが良く明朗とした性格で、揃った時なんかソーマは眉間の皺が取れないくらいだ。サクヤは時々困り気味だがリンドウは流石大雑把なので元気だなーくらいにしか思っていない。

 

「でもユウカ、貴方が部隊に入ると緊張感がなくなるっていうのを方々からよく聞いてるのは本当よ」

「ハハッ!クレーム貰うの早いぞお前」

「ウッ」

 

 ユウカとコウタが入隊して、幾ばくかの時間が流れた。新人、というレッテルがまだ剥がれないまでも、防衛班や偵察班にくっついて任務を達成する機会を幾つも乗り越えている。着実に経験とやらを積んでいるのだ。

 

「だって私がゆるゆるな時はソーマさんが真っ先に怒ってくれるでしょ?当たり前の事を直球で叱るんだったら、他の人には私が悪くってソーマさんは正義の側にいるように見えるじゃないですか」

「……………は?」

「アー、そゆ事。必要悪的な感じか?」

「そうそれです。まずはソーマさんの『なんか悪い奴』みたいな風潮をどうにかしようかと思って」

「大きなお世話にも程があるんだが」

「ていうかそれカミングアウトしても良いやつなの?」

「あんまり効果なかったのでもう良いです」

 

 それはつまりソーマと第一部隊以外の他隊員との距離は全く縮まらなかったという事である。己の全く預かり知らぬところであれやこれや画策していたらしいことを今更唐突に暴露されて、ソーマは情けないやら腹立たしいやら呆れるやらでもう若干投げ遣りな気持ちになった。虚無とも言う。

 

「仲良しソーマさん大作戦は絶対成功させるからね、ソーマさん!」

「……………もうどうでも好きにしろ………」

 

 キラッキラな笑顔を意図的に浮かべるユウカに、ソーマは仏もかくやなアルカイックスマイルを向けた。口元が痙攣している。

 残酷な有様にリンドウが少し罪悪感を抱き始めた頃、ようやく護送ヘリ到着の目途が着いたようで通信が入った。

 

「早いなー、やっぱ新人がいるとヘリが使えて最高だワ」

「え、そういう感じだったんですか?」

「そ。ヴァジュラ倒せるようになったらジープの使用許可という名の滅多な事でヘリ使うんじゃねぇよ通知が来る」

「世知辛いですね……」

「単独任務の方が珍しいから、最初は他の人に運転を任せても大丈夫よ。道も不安でしょう?」

「はい、とても」

「壊すな「無理」

「食い気味に拒否するな」

「あんまり壊しすぎると給料から天引きされるわよ」

「…………ソーマさん、ドライブ付き合って!」

「……………………………………」

 

 言葉だけならソーマもそう悪い気はしなかっただろうが、如何せん前後の会話が悪い。ソーマは今はそこそこ命が惜しいので、危険にわざわざ飛び込むことはしたくない。しかし他に出るであろう犠牲者を予想し、自分に来るであろう負担を考えれば、素直に頷くべきなのは明白であった。物凄く渋々首を縦に振ると、「やったぁありがとソーマさん!」と弾丸のように吹っ飛んできて腰にしがみつかれた。もうホントどうとでも好きにしてくれ。

 いちゃいちゃするカップルの姿のはずなのだが、どことなく漂う残念臭によって柴犬とその飼い主といったような光景に幻視せざるを得ない。強く生きろ、という大人二人の生温かい視線が煩わしくて、ソーマは地獄まで届きそうなほど大きな溜息を吐いた。

 

「けどお前もコウタも、中々筋は悪くない。こりゃ、俺がほっといても大丈夫そうだな」

「リンドウさん、他部隊に配属予定でもあるんですか?」

「そろそろデートの予定が入りそうでな。じゃじゃ馬姫にほっといて貰えねーんだわ」

「………ああ、なんか、特別任務的な奴があるんですか?大変ですね」

「ソーマ。お前もカノジョにデートつってンの?」

「はッ倒すぞ。アンタと一緒にするな」

 

 ソーマが時折一人で仕事している姿を見ているが故の当然の帰結だが、結び付くの早すぎである。

 

「マ、また新人が配属されるらしいからな。それまでには戻ってくる。ちょっとの間だけさね」

「新人!後輩!」

「残念だが、向こうは他の支部で活躍してた期待の新人だ。実践経験は少ないが、腕は向こうが上かもな」

「そんなぁ」

「ははは、精々仲良くしてやれよ……いや、お前には言うまでもないか」

「全力で慣れ合っていく所存です。まあ、ソーマさん以上のコミュ障はいないでしょ!」

「誰がコミュ障だ、………」

「ソーマさん?」

「……いや。なんでもない」

 

 急に背後を振り返ったソーマの顔を下から覗き込む。眉根を軽く寄せて虚空を睨む男は、怪訝そうな色を群青の双眸に浮かべる。ソーマさん、とユウカがもう一度呼ぶと、すぐにユウカに向いた目元は和らいで細められていた。切り替えが早いのは美点だろうが、すぐに隠されてしまうので困りものだ。ユウカの不満を感じ取ったのか、宥めるような掌が降ってきて逆に居た堪れなくなった。小さいこどもじゃないのだから。

 間もなくヘリが飛んで来て、四人はアナグラへ無事帰還となった。

 

 

 灯台下暗しとはよく言うが、実際にそれを体験することもよくよくある。そしてそういう時は、大抵なんとも腹立たしく思うのが常だ。

 

「なんでいる」

「合鍵くれたのソーマさんじゃん」

 

 いやその通りなのだが。しかし帰還して神機を片付けるや否や部屋を尋ねたり食堂や訓練場へ散々探した姿が自分の部屋にあったのだからそう言いたくもなるというもの。暢気にひとのベッドで寛いでいる横っ腹を無言でベシベシ叩いて行き場のない怒りを適当にぶつける。

 

「った!え、何?いたっ」

「別に………」

「言いながら叩かないでよっ!いたっいたたっ!勝手にベッド使ってごめんって!」

 

 そこもだがそれじゃない。

 雑誌をいくつも広げられ占領されたベッドの合間に腰かけた。部屋主より寛いでる少女は、配給のエネルギーゼリーから口を放してゴミ箱へ放り投げた。

 

「そんなに何を見てたんだ」

「新人さんが超絶イマドキっ子だったら話についてけないなーって思って、勉強してたの」

「無駄になりそうな努力だな」

「は?すぐにぴちぴちぎゃるの言語を使いこなしてみせるし」

「お前の引き出しは1980年代で止まってる。諦めろ」

「適確に正論吐くのやめて。泣いちゃうからやめて」

 

 ドスッと腰の入った頭突きがソーマの肩にめりこむが、少女の力が弱いのかソーマが頑丈過ぎるのかろくなダメージにならなかった。

 ユウカを囲むように散らばった雑誌は大半がファッション誌や女性誌だが、合間合間にサイエンス誌や医学雑誌が挟まっている時点で何かが違うような気がする。手元にあるのがベラペレな時点でなんかもう駄目だ。

 

「……気張り過ぎるなよ」

「うん。それで、何か用があったの?」

「今のが用事だ」

「…………うん?………んー?うん、わかったよ」

 

 浅黒いてのひらが先程連打した場所を宥めるように行ったり来たりする。さざ波みたいで心地よいそれは手慰みのようにも慈しむようにも感じられた。

 多分、今日の任務終了後の、あの不自然な空白に込められていた疑心に因る何某かを口にしようとしていたのだろう。逸らされた視線に確信するが、ユウカは少し唸って彼の希望通り頷くだけに留める事にした。入隊時の一件から、ソーマは少しは遠慮というものを忘れたようだったし、ならばまだ不安とも躊躇ともつかない、未だ些細としか言いようがない出来事なんだろう。

 ユウカはそう結論付けて、それから揶揄うように笑った。

 

「ソーマさんは少しは張り切った方が良いと思うけどね」

「言ってろ」

 

 可笑しそうに小さく綻ばせた口元に、戯れのように唇をつける。覆いかぶさるような影の外で、雑誌のいくつかが床に落ちる乾いた音が遠くに響いた。

 

 

「聞いた?新型がまた配属されるって」

「えぇ?それ初耳。ここにきて新型ラッシュだね」

「ロシア支部から、支部長が連れてきたらしいよ」

 

 仕事を終えたゴッドイーター達が屯するエントランスは、さざめくように賑わっていた。噂話に似た最新情報が、女子隊員たちの秘密のお話によって伝聞されていく。

 

「大人気ー、だね」

「新型なんて、早々配備されるものじゃないもの」

「そうなんスか!」

「二人も新型が居るのは、全支部でもここぐらいだろうな」

「「はーん」」

「上官の話に少しは関心を持て」

「いや実感湧かないんですよ、まだ入隊して一ヵ月のペーペーですもん」

「そういやそうだな」

 

 エントランスの二階、出撃ゲートとノルンへのアクセス機器が配置された共用休憩スペースにて、第一部隊所属の隊員ら全員が集合していた。ソファでそれぞれ楽にしつつ、栄養ドリンクやら缶コーヒーなんかを飲んで歓談している。

 

「お前らにはわからんだろうが、新型神機の恩恵ってのは絶大なんだよ。神機の銃剣が可変式ってだけじゃなく、バースト受け渡しのお陰で生存率、討伐率は段違いだ」

「へー」

「そうなの?」

「……まあな」

「おー前ーらぁーー」

 

 きゃらきゃら笑う新人ゴッドイーター二人の頭をリンドウが長い両腕でロックした。あははやめてくださいーと愛らしい悲鳴を上げる子どもらに、サクヤは慈愛を、ソーマは呆れと微笑ましさ半々の視線で眺める。

 

「お前たち、何をしている」

「親睦を深めておりました。で、そっちが噂の?」

「ああ。―――本日からお前たちの仲間になる、新型適合者だ」

 

 ツバキと、その後ろに従うように現れた少女を視認し、全員ソファから立ち上がって彼女らを迎える。

 

「はじめまして、アリサ・イリーニチナ・アミエーラと申します。本日一二〇〇付けで、ロシア支部から、こちらの支部に所属になりました。よろしくお願いします」

 

 少女アリサの眼は冷ややかで、その表情は蝋で固めたように強張っていた。北の大地出身特有の白い肌と淡い色彩も相まって、まるで研ぎ澄まされた鋼のような印象を受ける。人の温度を離れて久しい、冷えた鋼。

 

「女の子ならいつでも大歓迎だよ!」

「……よくそんな浮ついた考えで今まで生きて来れましたね」

「言えてる」

「ハ、奇跡に等しいな」

「うるっさいよお前ら!」

「藤木コウタ、反省文が書きたくなければ黙っていろ。彼女は実戦経験こそ少ないが、演習では抜群の成績を残している。追い抜かれぬよう精進するんだな」

「……りょ、了解っす」

 

 演習の成績は散々だったコウタが口端を引き攣らせた。演習なんて教官の指示通りに動けば大体Aを貰えるはずなのだが、コウタは少しそそっかしいところがある。注意されてやんの。ぷぷぷっと袖に隠して笑うと肘で突かれた。

 すると、ヴァイオレットの双眼がより一層鋭く吊り上がり凍てついた。ワア恐い。

 

「アリサは今後、リンドウについて行動するように。いいな」

「了解しました」

「リンドウ、資料などの引継ぎをするので、私と来るように。その他の者は持ち場に戻れ。以上だ」

 

 ツバキの発する緊張感が最後の一言により一気に霧散し、コウタが一歩前に出てアリサを質問攻めにする。ツバキとリンドウが離れていくのを横目に見ながら、再びユウカはアリサをじっと見つめる。そして、困り果てていた。

 ああ、似ている。とても。

 グーッとコウタの顎に手をやって退けさせ、アリサの眼前に躍り出る。

 

「はじめまして!私は桜庭ユウカ。貴方と同じ新型だよ、よろしく!」

「ああ、貴方が……。よろしくお願いします」

「アナグラに来るのは初めて?良ければ案内しよっか」

「……いえ、大丈夫です。構造は既に頭の中に入っていますから」

「そう?じゃあ自分の神機がどこに仕舞われてるかわかる?」

「え。……ち、地下二階の神機格納庫ですよね?」

「残念、私たちの新型神機は未だ改良の見込みがあるから研究所に近い地下一階。リッカさんがよく見てくれてるんだよ、一緒に挨拶に行こ」

「え、は、はい?」

「自分の神機を整備してくれてるんだから、当たり前でしょ?」

「あ……、ハイ。そうですね……わかりました、同行します」

 

 ユウカは笑みを絶やすことなく、しかし慎重に、彼女には触れないように先導して歩き出した。本当は今すぐにでも抱き着いたり、手を引いて歩き出したかったが、それは彼女には逆効果だろうと察する程度は出来た。

 

「ロシア支部ってどんな所?国土広いし、やっぱりここより人数多いのかな」

「いえ。ロシアは大半が氷の大地ですから。国境線も守らなくて良い分、一般支部と変わりませんよ」

 

 何よりユウカは迷っている。こんな状態で、彼女と向き合うのは不誠実だろう。だが、それでも彼女は似ている。似ているのだ、まだユウカと出会ったばかりのソーマに。だからこそ、困ったもんなのだ。

 



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少女、講義

クソ長


「可愛いよな~~!ロシアの神秘ってやつ!?たまんないよな!」

 

 

「しっかりした子よね。少し堅いけど……根気よく向き合ってあげて」

 

 

「あの子の力になってやれ、な」

 

 

 

「……………………なんなの?」

「期待してるんだろ」

「せめて心を込めて言ってーー!」

 

 ザクッ、と勢いよく刃が肉塊へ振り下ろされる。最近シユウをタコ殴りにして得た素材で製造したショートブレードは、低確率でスタン効果を付与するという性質を持つ。そして運の良いユウカはその低確率をよく引く。そんなわけで無抵抗のアラガミをザクザク処理しているのであった。

 ソーマと一緒の仕事は珍しくない。というか多い。極東では人材の重用と任務効率の両者を重視しているため、部隊の上官一人が新人につくツーマンセル型が推奨されているし、何よりソーマと組みたがる人間は少ないので彼の手はよく空いている。なんとも悲しい理由だが、ユウカはちょっぴりはそれに感謝しているのだった。

 

「それで、新人はどうなんだ」

 

 ズサーッとバッサリ上下にバスターブレードでフカヒレ野郎を両断すると、ソーマは一息吐いてユウカに尋ねた。ちまちま捕食して素材を毟り取りながら、ユウカは憮然とした表情をそちらへ向ける。

 

「空振り三振スリーストライク。バッター交代してほしいのに、ベンチに誰もいない気分だよ」

「だから言ったろう。気張りすぎるなってな」

「頑張らない方がどうかしてるってば。あんなにソーマさんソックリなのにさ」

「……そうか?」

「知らぬは本人ばかりなりってやつね、ハイハイ」

 

 不愛想で強がって強情で、いつも不機嫌そうで。けれどそれは、余裕がない人間の兆候だ。不愛想なのは必死だからだし、強がっているのも強情なのも不安だからだし、不機嫌なのは何かに怒っているからだ。怒り続けている。だが、一つ違いがあるとするなら、彼女はソーマよりもあらゆる意味でこどもっぽいところだ。あるいは少女らしいと言うべきか。

 

「ほっとけないんだよねぇ」

 

 黒い靄となって地中に沈むオウガテイルを見送って、項垂れるようにユウカは呟いた。

 あの時ソーマが自分の価値もわかってない馬鹿な少年だったように。アリサもまた、無知で無自覚な小さな女の子なのだ。そしてユウカは、傷ついている人間を放っておける性質ではなかった。それが例え外傷でなかろうとだ。

 

「ウゥゥ……ソーマさん手伝ってよー」

「他を当たれ」

 

 ひどい!と頭突きしてみるが、広い背中は小さく揺れた程度で殆ど微動だにせず、神機を肩に担いで周囲を見回した。ピピピという電子音共に任務終了の文字が端末に浮かび上がる。どうやら周辺のアラガミ一掃は完遂できたらしい。

 

「雑魚敵には大分慣れて来たな」

「こんだけ倒せば嫌でも慣れるわ」

「調子に乗って慢心するなよ」

「はーい気を付けまーす」

 

 いつもの調子を崩さない弛んだ返事に、ソーマは呆れるでもなく小さく肩を竦めただけだった。おざなりという訳でも、軽んじている訳でもないだろう。迂闊なところは確かにあるが、馬鹿なわけじゃない。こんな風に無意識に彼女が陽気に振舞っている姿は見覚えがある。見覚えというか、正確に言えば聞き覚えがある。

 

「ユウカ」

「んー?」

「……お前はよくやってる。こんなクソッタレな職場で、よく生き残ってるさ」

「…………えー、なになに、急に」

 

 手の甲で口元を隠そうとするがニヤついているのが丸わかりだ。嬉しさと恥ずかしさが綯交ぜになったような喜色を浮かべるユウカを片腕で引き寄せてやると擽ったかったのか鈴の音のような笑い声を上げた。

 ユウカがソーマに追いつこうと毎朝訓練しては遅くまで資料を読んでいる事を、当然ソーマは知っていた。妙に楽しそうなので止めた事はなかったが、楽しいからといって大変でない訳ではないだろう。その上で同僚との交流を欠かした事はなく、別に後輩でもないアリサの事まで気にかける始末。過剰出撃は流石にしていないようだが、頼まれれば防衛班だけでなく偵察班のヘルプにだってよく参加している。なんでもかんでも背負いこみやがって、スーパーマンにでもなるつもりか。

 だがユウカはあの幽霊時代同様、別にスーパーマンに成りたいわけじゃないのだろう。彼女は自分に出来る事を全てやっているだけの話だ。だがそれを実際に出来る人間が一体、どれだけいるというのだろう。

 

「明後日、どこか行きたい所はあるか」

「桜見に行きたい!」

「ああ、あそこか。……もう散ってるんじゃないか」

「……確かに。あ、でもそしたら木陰でまったりしようよ」

「アラガミがいつ出てくるかわかったもんじゃないところでまったりなんざできるか」

「そこはホラ、交代制で」

「夜営かよ」

 

 もう三年も前になるあの春の日に見た桜の木は、今もどっしりと地に根差し続け花を毎年咲かせている。暇を見つけては念入りに周辺のアラガミや資源を潰して回っているからなのか、それとも何か不思議な力にでも守られているのか、あの古木が倒れる事はなかった。

 

「おべんと作ってこーよ。配給の食材でなんとかやりくりしてさ」

「あのデカいトウモロコシでか?」

「この前伊藤さんに分けて貰った野菜と卵があるから、……あっ」

「オイ誰だそいつ」

「大丈夫、ちゃんと足のつかないルートだから」

「そんなグレーな人間との付き合いを止めろ今すぐ止めろ」

「あははははっ、やーだよ!」

「逃げンな!」

 

 本当は小型アラガミでも見るのさえ怖い癖に、懸命に戦う姿を見る度に思うのだ。誰よりも優しくしてやって甘やかしてやりたい。ソーマがそう思う唯一は構われているのが嬉しくて仕方ないと言わんばかりに楽しそうな笑い声を上げて巧妙にソーマの腕から逃れる。

 捕まえられそうだったその刹那に、ユウカの端末がけたたましく鳴り響いた。彼女には珍しい爽やか系ジャ〇ーズの曲みたいな着信音に動きを止めたソーマを他所に、ユウカは優れた反射神経ですぐさま耳に端末を当てて応答した。

 

「はいユウカです!」

『あ任務直後なのにスマン!至急帰ってきてくれ!』

「了解です。何かありましたか?」

『アリサとカレルの喧嘩がヒートアップしててしかも両者一切引く気がねえ』

「簡潔で緊急性がわかりやすい説明ありがとうございます。ゆっくり帰りますね」

『いやマジ頼むって~~!アメちゃんやるから!なっ?』

「わかりましたよ、もう。あ、アメちゃんはソーマさんにお願いします」

『オッケー!頼むぞアリサ係!』

 

 めちゃくちゃ下らない頼み事を引き受けてしまった気がする、とユウカは端末画面を睨みつけた。一方的に要求だけ押し付けて一方的に電話を切った頼りになるんだかならないんだかイマイチわからない先輩に溜息を禁じ得ない。着信音は完全に第一印象で決めていたが、今度からヤッ〇ーマンとかロ〇ット団キャラソンとかにしようかな。

 

「ハッ、『アリサ係』ね……」

「この支部、曲者揃いの癖になんで他の曲者の手綱は握れないのかな」

「同族嫌悪じゃないか?」

「いや、自由人が多いんだよ。ちなみにソーマさんにも言ってるんだよ、わかってるよね?」

「……さ、帰るか」

「ねぇーーえーー!協調性!協ー調ー性ーーー!」

 

 素知らぬ顔して身を翻すソーマをユウカが喚きながら追いかける。アナグラからそう離れていない地点にせよ、二人の帰還までに優に三十分はかかるだろう。それまでに喧嘩が終わってると良いのに。ユウカは半分希望半分諦念にそんなことを思いつつ神機を構え直した。

 

 

「――ですから、人命の救出よりもアラガミの殲滅を優先すべきだと言っているんです!」

「あのなァ、オレ等は防衛班なんだよ!人命を守る事が仕事なんだっつの!」

「速やかにアラガミの討伐を行えば、結果人命も守られるじゃないですか!そもそも避難命令は事前に出ているのに、残っている人間までを守る必要はないかと思います!」

「そういう奴らもひっくるめて命を守らなきゃなんねぇんだよオレらは!」

「それで結果的に避難済みの人命を脅かしてもですか?本末転倒じゃないですか!」

「だから、そうならない為にアラガミの足止めと避難誘導を同時にやってるんだってぇの!」

「だから、ただでさえ少ない人員を避難誘導にまで割く必要はないと言っているんです!」

 

「ワー……めんどくさそー……」

「ユウカ!やっと来たか」

「特急で帰還しましたけどぉ……あれタツミさんが止めるべき事案じゃないですか?防衛理論はタツミさんの方が造詣深いですし」

「オレじゃあ、あのお嬢さんは納得してくれないさ」

 

 タツミは防衛班の班長に相応しく人命救出最優先を至上とし、しかも防衛理論の戦術書や兵法なんかも全て読破している。バカだバカだと自称しているが、資料室の貸出記録を見れば彼の知識の深さは直ぐに思い知るだろう。しかし何といっても日頃の行いと態度というか、タツミの事を意識低いと認識しているアリサにとっては彼の言葉は含蓄少ないものに聞こえることは間違いなかった。タツミがまだ若造と判じられるほどの年齢である事にも起因しているかもしれない。ユウカにとってみれば、こんなに有能なリーダーも珍しいんじゃないかと思うが。

 軽く一息吐いて、ユウカはなるべく軽やかな足取りを意識して二人に近付いた。

 

「アーリサっ、どうしたの?」

「ッあなたですか……、本日の防衛班の作戦行動に問題があると指摘しているだけです」

「へぇ~、どんな状況だったの?」

「今日は外部居住区から北に1.5キロの地点にアラガミがぽこじゃか沸いて、すぐさま放送で民間人に避難命令、オレ等も出撃。逃げ遅れた奴らを逃がしながらアラガミの撃退、ってな感じで、いつも通りだったさ。この使えねぇ新人が部隊に入ってた事以外はな!」

「はあ?アラガミそっちのけで居住区に入って行った人の方が、よっぽど役に立たなかったと思いますけど」

「だから、」

「あーはいはい成程、状況はわかりました」

 

 尚も言い募ろうとするカレルに苦笑いしながら応える。ユウカは一瞬思考した後、人差し指を顎に添えるようにしながら二人を見た。

 

「お二人とも、トロッコ問題って知ってますか?」

「は?なんだそれ」

「思考実験の一種ですね」

「アリサ正解」

 

 有名な思考実験だから知っている人間は多いだろうが、一応説明しておく。

 トロッコが真っすぐ進んでいる。その線路の先には五人の作業員がいる。このままでは五人が轢かれて死んでしまうが、貴方の前には方向が変えられるレバーがある。方向を変えたら作業員は轢かれないが、方向を変えた先の線路には一人の老人がいる。方向を変えたらその老人は轢かれて死んでしまう。

 

「この時貴方は如何しますか?というのがトロッコ問題です。当然、声を掛けたり自分が身代わりに成ったりなどの第三的選択肢は存在しません。また、作業員は実は悪人だ、といったような前提に付け加えるものや、ランダム性を含めた決定方法は禁止です。というところでアリサ、貴方だったらどうする?」

 

 ユウカがアリサへ問いかけると、彼女は一切迷うことなく、間髪入れずに返答した。

 

「勿論、レバーで方向を変えて五人の作業員を救います」

「うん、実に殲滅部隊らしい功利主義的回答だね。それも正解です」

 

 殲滅班としてなら、アリサの回答は正解だろう。少なくとも間違ってはいない。もし大型のアラガミ討伐の際に、壁外民間人がいたら当然場所を変えるが、アラガミが強すぎたり、大勢いるなら構っていられるものか。そもそもその大型アラガミを倒せなければ、その人たちだって生きては逃げ出せないのだから。

 ユウカが満足そうに頷くと、アリサも自分の回答に自信満々だったのを更に増長させたようで口端を持ち上げた。

 

「じゃあカレルさんだったらどうしますか?」

「トロッコをぶち壊して全員救う」

「は?この問題は二択なんです。話聞いてなかったんですか?」

「そうだね、でもカレルさんの答えは防衛班としては完璧な回答だよ。流石普段は金にがめつくて悪ぶってても根は善人なだけありますね!」

「おちょくってんのかテメー」

「あなたまでそんな事を……!そもそも、あなたが言ったんじゃないですか、第三的選択肢は存在しないって!」

「うん、アリサの言う通りだ。じゃあその上で聞くけど、この問題は一体どんな主義主張の問題を取り扱っているんだと思う?」

「……少数の犠牲を払って多数を救っても許されるのか、という倫理の問題です」

「うん、流石、アリサは賢いね。その通り、この問題は倫理を問う問題だ」

 

 人間はどのように倫理・道徳的なジレンマを解決するか。それを解明するために有用な手掛かりとなると考えられているこの問題は、言わば許容される悪は如何なるものか、そして、正義とはなんなのかを問うところに本質はある。

 元はイギリスの哲学者フィリップ・フットが提起した問題であり、フットは論文内で「私たちの大半の者が無実の人を犯人にでっちあげる事が出来るという考えにゾッとするのに、運転手の方は人数の少ない線路の方へ進路を変えるべきだ、と私たちが躊躇なく言いそうなのは何故か」と説明している。

 

「この問題を合理的に解決できる倫理的指針は、実はない」

 

 アリサは不服そうながらも、渋々といった感じで頷いた。おそらく彼女は論文をきちんと読んだのだろう。レバーを引くべきか、引かざるべきか。援助の義務と非介入の義務、優先されるのはどちらなのか。フット自身も、明確な結論を文中では避けている。

 

「じゃあこの問題における最も道徳的な回答はなんだと思う?勿論、今度こそトロッコの破壊や呼びかけるといった選択肢はなしね」

「はいセンセー!」

「なんですか、タツミさん」

「道徳を問題にするという事自体の道徳性について異議がありまーす!」

「そうですね、でも却下します」

 

 からからと可笑しそうに笑うが、その声はどこか乾いていた。

 アリサはユウカの意図がわからないながらも、解答が分からないのが悔しいのか眉間に皺を寄せて思案しているようだ。

 

「一人を轢いて五人を救う、が解答じゃないんですか?」

「それは功利主義的解答ってさっき言ったでしょ?問題は、最も道徳的な解答だよ」

「選ばない、とかか?少なくとも運転手が積極的に介入した訳じゃない、っつー事になる」

「それも不正解です」

 

 じゃあどうしろと。そんな感じの表情をする二人に、ユウカはふっと周りを見渡して目当ての人物に視線を投げる。二人の喧嘩を少し離れたところで見ながらオロオロしていた少女だ。

 

「カノンちゃん。貴方だったらどうする?」

 

 急に水を向けられた少女は目をまあるくしてひどく驚いて、それから物凄く狼狽えたようだった。まさか自分に指名が飛んでくるとは思わなかったのだろう。出席番号順で解答させる先生の授業の時に、何の前触れもなく不意に指名された生徒のように、カノンはきょろきょろと意味もなく視線を彷徨わせて手をまごつかせた。必死に考えているのだろう彼女は、数秒経ってようやく小さく口を開いた。

 

「ご、ごめんなさい……わかりません。ていうか、選べません……」

「はい、よくできました。正解です」

「…………………エ……え?」

 

 全く予想だにしていなかった返答だったらしく、カノンは呆気に取られて口を開けたまま間抜けに固まった。アリサも口こそ開けっ放しじゃなかったが似たような表情だ。

 

「カノンちゃんはどうして選べなかったの?」

「えっ、えっ!?えっだって、どっち選んでも、人が死ぬじゃないですか、選べるわけないです。人が、死んじゃうんですよ?……あの、本当に?」

「うん。それが、最も道徳的な解答だよ。流石カノンちゃんだね」

「エッいえ!……あの、褒められてますよね?」

「褒めてる褒めてる。人間的には褒めてる」

 

 ゴッドイーターとしては致命的だが。

 一人を殺すわけでもなく、選ばない訳でもなく、『選べない』が最も人間的で道徳的な解答だ。積極的な非介入でなく、無意識の非介入。これはいずれ枯れる花をそっと見守る行為に似ている。花瓶に生けて永らえさせるでもなく、一思いに間引くでもない、自然を受け入れる情動だ。

 

「じゃあタツミさん、本日の講義の総括をお願いします」

「エッ……エーと……正しさに関する脆弱性と、考え方によって正しさも善い行いも異なるって事か?」

「はい、その通りです。ありがとうございました。それではこれにてユウカちゃん先生の講義を終了します!」

「そうか。ではこれから私によるユウカ上等兵への講義を始める。喜べ」

「ゲェーーッ教官!どこから沸いてきたんですかッだだだだだだだ!イタイイタイ!」

「何度言ったらわかるんだ?ここはエントランスであって講義室じゃないんだが?」

「その点については大変申し訳なく可及的速やかに改善する方向ですハイ」

「政治家でももっとマシなコメントをするぞ……。全員解散しろ。タツミもついてこい」

「エーンエーン」

「アッハイ。あー、悪かったなユウカ、ホラ、お前にもアメやるから泣くなよ」

「キャッキャッ」

「猿かな?」

 連行されていくユウカとタツミを見送り、エントランスに屯し、ユウカの講義を聞くためにボウフラのように集まっていたゴッドイーター達がだらだら解散していく。

 その中には当然アリサとカレルの姿があり、二人はジッと睨み合った後に、納得したような、していないような顔をしたが、何も言うことなくその場を後にした。頭の中でタツミの総括が反芻していたからだ。功利主義を掲げたアリサ、無理難題をどうにかしようとしたカレル、どちらも自身の主張の脆弱さの一端に気づいたのであった。

 

「全くお前は、もう少し考えて動いたらどうだ」

「考えて動いた結果があれなんですけど」

「では考えが足りなかったのだろうな」

「ハハ、お厳しい」

 

 バッサリユウカの浅慮を切って捨てたツバキに、タツミが横でからりと笑った。ツバキとてユウカの事を評価していない訳ではない、むしろこれ以上ないというほど評価している。

 

「もっと合理的にあの二人を鎮める手法があった筈だ」

「仰る通りです……」

「ハア……腕立て二百五十だ。終わったら帰って良い」

「はぁい」

「タツミ、元はと言えばお前の監督不行き届きだ。お前は腕立て三百」

「了解です」

「それとユウカ、教官への転向がしたくなったら言え、便宜を図ってやる」

「エッ、あハイ。ありがとうございます、でも遠慮します」

「残念だ、中々堂に入っていた。ここに来る前に何か?」

「いえ、父が教師気質で」

「そうか。さぞ優秀な父上だったんだろうな。……行ってよろしい」

「はい」

 

 敬礼して退室し、タツミと並んで廊下で腕立て伏せを開始する。面倒なので手っ取り早く終わらせてしまいたいが、悲しいかな、腕立て伏せの早さには限界がある。無理にスピードを上げようとすると、むしろ無駄な動きが増えてスピードが落ちてしまうのだ。なので二人は結構な速さで腕立て伏せをしつつも、暇なので終わるまで廊下でくっちゃべり続けることにした。

 

「はーぁ、アリサ嬢はどう扱うべきなのかねえ」

「扱き使ってやれば良いと思いますけど。本人も積極的に任務を受けてますし」

「ありゃ深く考えなくて良いよう無理に忙しくしてるだけだろう。それじゃ本人の成長につながらんのよ」

「それはわかってますけどー、今は外野がどうこう言っても聞く耳持たない感じじゃないですか。時間が必要なんじゃ?」

「『時間こそ最も賢明な相談相手である』か?俺はあんまアレ賛成できねえんだよな」

「まあぶっちゃけ問題の先送りですしね。でも時間があるうちは悩んでも良いじゃないですか」

「いやないだろ時間。明日にゃ死んでるかもしれねぇじゃん」

「けど無理に結論を出すようせっつくのもどうなんです」

「そうなんだよなーそれなんだよなー、あ何回?」

「残り157回です。私は107回です」

「サンキュ。でもお前の言う事なら割とよく聞くじゃん」

「論理的に喋ってますからね。ああいうタイプは第三者の客観的な意見と、理論と法律を盾にすれば逆らえませんから。……だからこそ、倫理を考えさせるのは難しいんですけどね」

「なんであんなにアイツは子どもなのかねぇ」

「パーソナルデータには両親死亡って書かれてましたよ。それが原因じゃないですか?」

「誰にでもあるような重たい過去ってヤツか」

 

 腕立てをしながら同僚の今後憂う二人であった。まるで馬鹿みたいだが、この廊下は上級佐官しか通らない廊下なので立ち聞きの心配もなく、何より暇であった。

 

「え、タツミさんにもあるんですか?」

「オレの事なんだと思ってんだお前は。まあそれなりにな、オレも外出身だし」

「ああ通りで。防衛班って外出身多いですよね」

「だな。エリックとカノンくらいじゃないか、ハイヴ内で生まれたのは」

「……二重の意味で世も末ですね」

「ハハ、違いない」

 

 ゴッドイーターの発掘はだいぶ終盤に差し掛かっている。壁外の民間人はもうほとんどが死に絶えているからだ。なので今後登用されるゴッドイーターは、ハイヴ内で生まれた若手になってくる。つまりイマイチ危機感足りないあの二人のような人間がこれからぽこじゃか生まれてくるという訳だ。

 

「何してんだ、お前ら」

「あ、リンドウさん」

「罰則中なんスよ」

「いやそりゃ見りゃーわかるって。二人揃って何してんだってハナシだよ」

「アリサとカレルが衝突。ユウカが仲裁の為その場で鞭撻を奮ってエントランスが講義室状態。以上です」

「ああ……」

 

 再三ツバキが言っていたように、ユウカがこうして教師紛いの事をするのは初めてじゃない。むしろ常習犯である。

 発端はアリサがロシアと極東の言語表現、文化や考え方の違いの擦り合わせをしようという提案だった。ユウカは語彙力も知識も豊富な為、アリサにそれはもうわかりやすく極東について教えた。なんならロシア語も喋れたので微妙なニュアンスはロシア語で解説した。その際、エントランスで暇していたゴッドイーター共が何処からともなく集まってきて興味深そうに聞いてくれたので、調子に乗ったのである。父親譲りで、ユウカは講義するのが好きだった。しかし人を育てるような力はユウカにはないので、ゴッドイーター辞めるような事があったら尼にでもなろうかとか思っている。

 

「ていうかリンドウさんはどうしてここに?」

「支部長から呼び出し。また厄介な任務押し付けられそうだワ。あ、ユウカお前一五三〇から俺と任務な」

「うぇーーっ、帰って来たばっかりなのに!」

「大変ッスね」

「タツミお前自分が防衛班だからって安心してられると思うなよ……」

「いやー、オレみたいなタイプのバカはお呼びじゃないと思いますよ」

 

 ユウカとリンドウは半笑いで確かに、と頷いた。タツミは人命の為なら命令とか規律なんか石ころ同然だと思っている正に人命至上主義だ。そんな人間に重要な討伐任務を任せるのは賢明とは言い難い。それに、そもそもタツミは神機の扱いが特別秀でていると言った訳でもないし、強さで言えばリンドウの腰元くらいまでしかないだろう。つくづく良いポジションにいるよなぁとユウカは思っている。

 

「あ、ていうかリンドウさん支部長室に行くんですか?気を付けた方が良いですよ」

「え、なんだよ機嫌でも悪いのか?二日目とか?」

「ちっげーですよ。たぶん貴方近々殺されますよ」

 

 支部長室に今猫がいるんですよーワハハ、それぐらいのテンションで言ったユウカに、隣で腕立て伏せしていたタツミまでもがぎょっとした。リンドウなんか顔を盛大に引き攣らせている。

 

「あー……あんま笑えねー冗談だが、根拠が?」

「いやこの前、私とリンドウさんとアリサで任務行ったじゃないですか」

「あのアリサに動物の雲探させたやつか?」

「そうですそうですイワシ雲はイワシってついてるのでギリ動物ですとかアリサが言い張ったやつです」

「エなんだそれ、めっちゃ面白いじゃんあのアリサ嬢。秋だったらどう言い訳したんだよ」

 

 安心させようとして肩を叩いたリンドウの手を思いきり振り払っただけでなく、悲鳴まで上げて飛び退いた彼女を落ち着かせようとしたリンドウの策である。あれはユウカもしきりに感心したものだ。おそらく、任務前にナーバスになったり緊張しすぎたりする新人が初めてじゃないのだろう。直属の上官が落ち着いて的確な対応をした時ほど尊敬を覚える事はない。

 

「あの時リンドウさんの手を振り払ったアリサ、明らかにおかしくなかったですか?」

「まあ……任務前で気が昂ってたか、触られたくないとか、対人恐怖症とかじゃねえの?」

「それも勿論否定できません。ですけど、あの時のアリサはなんていうか、一瞬意識が落ちてたんだと思います」

「真昼間に?任務前にあのお嬢ちゃんが?」

「ええ。そして一瞬で彼女は起きました。悪夢を見て飛び起きた。そんな感じの反応でした」

 

 飛び退いた後の呆然とした反応だけでなく、焦点の定まらない視線。プライドの高い彼女が直ぐに謝った事からもうかがえる微かな思考能力の低下。一時的に浅くなった呼吸。

 ただの対人恐怖症、もしくは気の昂りにしては不審な点が多い。今日男性としても体格の良いカレルに喰ってかかっても恐怖の色が無かった事や、ユウカが時折触れる程近くに寄っても別段避ける姿勢は見せない事、そして他の任務で帯同した時はそんな兆候は一切見られなかった事。

 そして暴走傾向、アラガミに対しての執拗なまでの攻撃的な姿勢。

 

「以上のアリサの身体的兆候からして、自己暗示にしてはコントロールできていない、となれば外部からの暗示でしょうね、端的に言えば洗脳かと。今のところ過剰に発露したのはリンドウさん相手のときだけなので、ならリンドウさん関係でなんかあるだろうなー、とか思いまして。良くて罠……最悪の場合で罠ってところですかね……」

「どっちも罠とかいう絶望の二択やめろ」

 

 ユウカの今言ったような話はただの推論に過ぎない。もしかしたら本当に局所的な対人恐怖症なのかもしれないし、リンドウを生理的に無理だと彼女が思っている可能性もある。リンドウは体格も良ければ力も強いし煙草臭い、良い意味でも悪い意味でも男性臭いのだ。

 しかし暗示というものは、人間はかかりやすいようにできている。バイアスなんかが良い例だろう。人間の脳は高性能だが、愛らしい欠陥にまみれている。洗脳なんかは言い過ぎにしても、彼女がトラウマ克服のために、自身に何らかの暗示を許しているのは明らかだ。

 

「ハー、洗脳……」

「エロ同人みたいだな」

「あっ、信じてませんね?でも結構効果的らしいですよ。そう例えば、―――トラウマ持ちの人とかには、特に」

「そいつは……ゴッドイーターにゃ効果覿面だな」

「話半分で良いですよ。私も充分な知識があるわけじゃありませんし、何より専門外ですしね!」

「いや家電量販店の店員みたいに詳しかったが?」

「まあ何にしても、人を洗脳していいように扱おうとしてる人間にロクなやつはいないです。そんなわけで支部長には気を付けた方が良いかと」

 

 ユウカ如きが気付ける程度の事に、万事を左右する支部長が勘付いていない筈がない。勘付いていながら適切な処置も行わず放置している。何故か、放置していた方が明確に利益が出るからだ。その利益とはなんなのか、ユウカには見抜けずにいた。

 

「ユウカ、お前から見て支部長はどんな奴だと思う」

「エゴイステックなリアリストですね。少なくとも、エイジス計画を信奉するようには見えません」

 

 それは暗にエイジス計画なんていう夢物語をユウカは一切信じていないと言ったも同義であった。

 上官二人が揃って呆れた顔で溜息を吐く。

 

「……お前さあ、ヨソではそれ言うなよ」

「言うワケないじゃないですか……あ、でもソーマさんにちょっと似てますよね」

「はあ?」

「似てないですか?人嫌いなのに人を守ろうとしちゃってるところとか」

 

 リンドウとタツミが同時に黙り込む。似ているなんて、そりゃ当たり前だろう親子なんだから。見た目にも面影があるし、ソーマが支部長の実子であることはアナグラでは公然の事実だ。ああでもそういえばこいつまだ入隊して一ヵ月で、しかもずっとソーマにくっついてたな。そしてあの青年はわざわざテメェの親を言うようなカワイイ性質ではない。そうして二人とも同時に同じ結論に達した。

 あ、これめっちゃ面白いやつだな、と。

 

「あー、そうかもな。気が付かなかったワー」

「そうだな。似てる似てる」

「ですよね!」

 

 気づけば剣呑な話はどこかへ吹っ飛び、上官たちはニコニコ微笑む部下を愛でる方向へ話題をシフトチェンジした。だってとてもお馬鹿な愛らしい言動だったので。ウンウン、そっかぁ~!そんな感じで部下の頭を意味もなく撫でた。馬鹿野郎と陰湿野郎しかいない廊下の一幕はそうして閉じた。

 

 




高INT高EDU「この分野に関しては専門ではないのですが」


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少女、研鑽

 

 ゴッドイーターは毎日受注できる通常任務とは別に、前日、またはそれよりも前に指令を受ける特別任務がある。これはリンドウやソーマが受けている所謂特務とは別のもので、対象ゴッドイーターの普段の仕事内容に応じて課せられる。ゴッドイーターの成長を促すとか色々理由はあるが、要は討伐数を上げる為である。ユウカとコウタで担当したコンゴウ討伐任務なんかが、これにあたる。発令するのは直属の上官、ユウカらにとってはリンドウだ。そしてこれは命令なので、拒否権は当然ない。生化学企業のくせに、無駄に軍隊モダナイズされているからである。

 そして今ユウカの手元に、成長を促す為でも討伐数を上げる為でも何でもない指令書、もとい任務内容の詳細が記載された端末画面が収まっていた。

 

「桜庭ユウカ、ソーマ・シックザール、藤木コウタ、アリサ・イリーニチナ・アミエーラ……」

 

 何度読み直してもメンバーは変わらない。そして部隊長の欄の名前が変わる事もなかった。なんでだろう。念のためヒバリに三十回くらい確認したのだが、やはり三十回とも結果は変わらなかった。しかも一番腹立たしいのは、ソーマまでもがこの人選に対して然もありなんといった態度であった事だ。普通ここはソーマが隊長になる筈だろう。四人の内で最も階級が高いし、古株だ。

 

「このメンツで一番意思疎通が上手く、神機の扱いも悪くない、全体も見れるしフォローも上手い。これ以上に理由が必要か?」

「新人には重すぎるプレッシャーの如何とかですかねぇ!」

「それ以外それ以外」

「サクヤさん!」

「ごめんなさいね。私、今日は偵察班と哨戒任務に出なくちゃいけなくって……」

「言っておくがサクヤが入ったとしても部隊長は十中八九お前だったぞ」

「どうして」

 

 現場猫みたいな顔をしたユウカに大人二人が呆れ半分で苦笑する。

 ユウカのコミュ力と神機使いとしての能力は申し分ない。あの四人の中ならば部隊長を担当する人物は明白なのだが、どうもこの新人は自覚が足りないらしい。普段は自信満々そうに振舞っているのに、彼女は根っこのところが小心者だ。

 

「古今東西仲を深めるには共同作業って相場が決まってる。つーわけで、未成年同士頑張れや」

「……リンドウさん。前から思ってたんですけど、もしかして物凄く私に放り投げてませんか?」

「気にすんな。時期に慣れる」

 

 それはユウカに面倒事を投げる事を止めないという意味だろうか。最初に感じた尊敬や感服がここ最近急激に目減りしているのだが、この人そんなんだからイマイチ威厳が足りないんじゃないかな。

 懐疑の眼差しを向けるユウカに、リンドウは渋々といった感じで煙草を口から離した。

 

「やっておしまいお前たち!(裏声)」

「行くでがんすー、ってしまったァ!」

「ハイ了承したな行ってこーい」

「汚い!大人は汚い!」

「逆にこんなんに引っ掛かるお前が心配だわ」

「リンドウさんのバカ!十七年後ハゲー!」

「具体的な年数でビビらすんじゃねーよ!」

 

 逃げンなー!背後にドップラー効果を感じつつもダッシュでその場から離れた。サクヤの「行ってらっしゃーい」というのほほんとした声にのみ反応して、廊下をアラホラサッサと走り去る。戦略的撤退であった。

 

「そんなわけでどういうわけだか私が今回の部隊長です。よろしくお願いします……」

「ヨロシクー」

「よろしくお願いします」

 

 マグマがすぐそこで流れている地下道で、汗をだらだら流しながら声を上げる。ノリの良いコウタと生真面目なアリサは良い子のお返事をしてくれたが、ソーマは腕を組んで地面に突き刺した神機に寄りかかるのみだった。

 

「ありがとう二人とも……エーと、今回はシユウを二体討伐。場所は見ての通り煉獄の地下道です。クソ暑いので各自体調管理に気を付けてください」

「御託は良いから任務を始めたらどうだ」

「ソーマさんこそその見るだけで暑くなるフード取ったら?……ごほん、まあ命令することは特にないです。リンドウさんの教えをみんな守るよーにね」

「はいはーい」

「二人とも、返事」

「……はい」

「……ああ」

「じゃあ始めよっか。ヒバリちゃん、観測よろしくねー」

『任務開始了解しました、ご武運を!』

「じゃソーマさんとアリサが奥、私とコウタで手前を探そうか。見つけたら連絡お願いね」

「了解しました」

「了解。気をつけろ」

 

 高台から飛び降り、任務開始の電子音が端末から鳴り響いた。二手に分かれ、背を屈めて仄暗い路をひた走る。角まで行っては止まって向こう側を窺い、なにも居なければ走るの繰り返し。長く曲がりくねった路の先のぽっかりと丸く開いた空間から首を出すと、目的のアラガミが見えた。しかも二体ともだ。一体は資材を貪り、一体は悠々と佇んでいた。

 

「ワア、元気そうだなあ」

「ヴェノム化でもさせとく?」

「ウン……でもまず一体誘い出さないと。ハロー、ソーマさんアリサー、発見しました合流お願いします」

 

 端末を腰元で手早く操作して応援を呼び、コウタと素早く目配せし合う。何方が初撃を喰らわせるかの確認だ。上手くタイミングを狙わなければ、二体とも釣れてしまう。乱戦は出来れば避けたいので、ここは慎重に生きたいところだ。そして狙撃はコウタの方が上手い。故にユウカはソッと後ろに引っ込み、万が一の為に神機を構えて壁に背を近づけた。音が小さいビーム型のバレッドが砲口から発射され、「来た来た」とコウタが身を翻す。倣ってユウカもコウタの背中について駆け出し、時折振り返って背後についてくるシユウを確認する。シユウが立ち止まっては狙い撃って居場所を知らせる工程を何度か挟みつつ、合流ポイントに到着した。既に二つの到着していた人影が迎え撃つようにユウカ達に走ってくる。

 

「全員迎撃行動に入って!ソーマさんヘイト管理よろしく!」

「了解」

 

 二人と二人がすれ違い、ソーマとアリサが勢いのままアタックを仕掛ける。今まで延々追いかけて来たエサに突如として攻撃をしかけられ、シユウが僅かに身体を傾げた。その隙を逃さず、アリサが神機を大きく食らいつかせる。肩口からガッツリ噛みつかれたシユウは雄たけびを上げ、身体を思いきり揺らしてアリサを振り払った。しかしアリサは流石タダでは振り払われず、空中で身体を捻って銃口をシユウへ向けた。バンバンバン!とバレッドが弾ける。シユウはそれを素早い身のこなしで避け、ついでにソーマの盾に足蹴を喰らわせた。

 一連の流れの最中に体勢を整え、コウタは砲撃戦へ、ユウカは前に出て素早い捕食を繰り出す。連続かめ〇め波みたいな光球を器用に避けながら、バーストを全員に行き渡していく。派手に騒々しい戦闘音を地下道に存分に響かせながらも、装甲が固く動きも素早いシユウに応戦している。

 炎を纏った鋭い蹴りをまともに喰らったアリサを壁に激突する前に抱き留めたり、ソーマの重い一撃を当てるための時間稼ぎや隙を作ったり、コウタの元に飛んでいこうとするシユウを盾で受け止めたりと、やる事が多いユウカであったがなんとかフォロー・バックアップをし続けている最中。

 チラ見した端末画面に赤い点が移動しているのが見えた。画面を滑る点が向かう先は、もう一つの赤い点。つまりこちらへ向かってきている。ウワア見ちゃったよといった感じに顔を顰める。充分離れている上にそれなりに入り組んだ地形なのに、アラガミっていうのはどうしてこうピンポイントで人の嫌がる事をしてくるのか。

 ともかく来ている事がわかったのだから止めない道理はない。アリサはメンタル不安定野郎なので却下、コウタは銃形態で盾不携帯なのでよろしくない。なので実質ソーマかユウカの二択だ。否、実質一択の間違いか。

 

「コウタ!」

 

 呼びかけると、コウタの視線がこちらへ向く。端末を一瞥すると直ぐに理解したのか力強く頷いた。理解力ある同僚最高かよと思いながら、よろしくの意を込めて頷き返す。

 コウタがありったけのバレッドを放射しながら注意を逸らしてくれている内にシユウの脇を通り抜けそのまま真っすぐ駆け抜ける。何やら喧々諤々聞こえた気がするが聞こえなかったフリをして、すぐの曲がり角まで来ていたシユウを手狭な路で迎撃する。

 ちまちま斬りつけながら誘導して、仲間達からグングン離れた。赤い矢印だけが他の矢印とはぐれていく様はなんとも風情があるというかぶっちゃけて言うと心細い事この上ないが、そうも言ってられないのが仕事だ。周囲に構わず遠慮なくバカスカ撃ちながらバキバキと装甲のあるシユウの脚を力任せに叩き折る。

 脚と頭とエートあと腕だっけ?

 タコ殴りにしながらバスターブレードで来れば良かったなと思ったところで、ヒバリから通信が入った。

 

『シユウ一体撃破です!お疲れさまでした!残り一体はユウカちゃんが応戦中です!』

 

 どうやら恙なく向こうは終わったようだった。体力ゲージを欠かさずウォッチングしていたが、変に増えたり減ったりもしていない。大きい怪我はなかったのだろう。安堵しながらも攻撃の手を弛めることはない。蹴りや衝撃波、正拳突きに熱球とあらゆる攻撃をしてくるシユウの攻撃をいなしながら何度も切り結んでいく。滑空して突っ込んでくるシユウを最低限の動きで回避し、降り立ったその無防備な背中に飛び掛かった。

 

「せーいッ!」

 

 ジャンプからの連撃。トドメと言わんばかりに両手で構えて鋭い突きを柳の大木のような巨体の腹部に突き刺した。ガクリ、と力が抜けて崩れ落ちる巨躯が地面に額をつけたのを確認してから、神機をズルリと引き抜いた。赤黒い液体がぬらぬらと鈍色を汚していて不快だった。

 

「おーい!ユウカー!」

 

 快活な声に釣られて振り返ると、こちらへ駆け寄ってくる三つの影があった。どの影の動きもぎこちなさは見られない。ユウカも大きく手を振って応える。しかしこの三人、並んでいると信号機みたいな色合いをしているなあ。

 

「何も言わずに離れるな」

「急に戦線放棄し出して何事かと思いましたよ」

「ゴメンゴメン。コウタいるから大丈夫かな~って」

「は?」

「顔コワ。や~、だってこれ実質三人の連携訓練だし。そんならリーダーはコウタでしょ」

 

 リンドウにはっきり言われた訳ではないが、このメンバーでわざわざ任務となればそういう事だろう。独断専行の多いソーマとアリサ、射撃は上手いが計画性のないコウタ、そしてフォローに回っているユウカ、と来れば、ユウカが抜けたらこの部隊は成り立たないという事だ。ゴッドイーターは職務上あらゆる任務、あらゆる人員と対応しなければならないのに、そんなんじゃやっていられない。討伐対象もシユウ二体。任務詳細を見た時に既にピンと来ていた事である。だからユウカも死ぬほど嫌がったのだ。一人で片方討伐する事が目に見えていたから。万一の事態に備えた予備戦力、それがユウカの課せられた仕事である。

 入隊して暫く、アラガミを倒す事にも慣れて来た頃。自分の欠点を見直すには丁度良い時期であった。

 そしてこの場合、最もリーダーとしてふさわしいのはコウタである。コウタは計画性はないし神機の扱いも下手くそだし抜けたところがあるが、この三人の中では一番周りをよく見ている。ユウカの目的を瞬時に察知したのもこの能力に所以したのであった。

 

「シユウ一体に面白い手古摺り様だったみたいだね」

 

 事実として、三人がシユウ一体倒すよりも、ユウカが一人で一体倒した方が時間はかからなかった。ニコリと笑ってそんな事実を突きつけたユウカに、三人は揃って目を逸らす。アリサなんか顔を真っ赤にしているし、握りしめた拳はプルプル震えていた。時間がかかったという事は、それだけ連携もクソもなかったという事だ。いつもカバーしていたユウカや他の上官殿達もおらず、さぞカオスな戦場だっただろう。

 

「あのさ、ユウカ、いやユウカさん、そのー、怒ってる?」

「ていうか、困ってるかな」

 

 恐る恐るといった感じで聞いてきたコウタに、ユウカは顎に手を当てて迷うように返答した。

 個人戦なら二人ともちゃんと戦えるのに、どうしてこう、協力プレーができないのだろ。ユウカにとっては心底不思議であって、どう指導すべきかも同様に。リンドウがユウカに放り投げる気持ちもわかるというものだ。しかし、まさかユウカから見た各自の欠点を今ここで全てぶちまけてよろしい訳もなく。隊長職とはかくも難しいものか。

 気を抜くと出そうになる溜息を懸命に堪えながら、なんだかテンションが極端に下がった三人を先導して帰投する事となった。

 

 

 露骨にぎこちない空気が流れる四人がエントランスに到着すると、第一部隊の上官たちがそれを出迎えた。

 

「おっ帰って来たな新人共」

「あれ?二人とも、今日任務だったんじゃ」

「もう終わった。つーわけでユウカー、新しい仕事行くぞー」

「エッ、ちょ、今帰って来たばっかなんですけど!あー!ヤダーー!!!」

 

 人さらいにあったユウカをポカーンと見送る一行にサクヤが近づき苦笑を漏らす。

 

「皆今日はお疲れ様。大変だったでしょう?」

「サクヤさぁーん!」

 

 慈愛の微笑みを浮かべるサクヤに、コウタが情けない悲鳴で応えた。色々と限界だったものが吐き出されたのである。

 

「やばいっスよやばいッスよユウカのやつ!あいつマジどこまでワカッてんスか!?」

「全部わかってるんでしょうねえ。長所も欠点も」

 

 ユウカとの任務は、平常かなりスムーズだ。こちらのやりたい事を全て理解し、合図や声を掛ける前に迅速に行動する。阿吽の呼吸というのだろうか。特別な関係の相手でなくとも、ユウカはそれを行える。彼女の持つスキルの中で一番の特技であった。その察知能力と言ったら、心が読めるのではないかとコウタが常々思っているほどだった。そしてそれは、今や支部のゴッドイーターの殆どの共通認識である。桜庭ユウカは稀代のエスパー、帯同した際の生還率はリンドウに及ぶだろう、という感じに。少なくともコウタは、最近のユウカと一緒に出撃する際攻撃を喰らう事がなくなった。それが如何に可笑しい状況であるかは、遠距離型ゴッドイーターなら誰しもがわかる。ヤベ!と思った時には目の前に盾が展開されているのだ。瞬間移動系の能力も持っているのかもしれない。

 

「オレめっちゃアゲられてて逆に気まずかったスわ!」

「オイ……調子に乗るなよ……」

「唯一の同期同格だから贔屓されてるんじゃないですか?」

「いやいやいやバカお前ら勘違いしてるって!アレ絶対次で下げる為のアレじゃん絶対!もう俺今後一生ユウカに会いたくないんだケド!」

 

 コテンパンにされるーーーッ!と顔をワッと覆って蹲るコウタに憐憫しながら、その背中をポンポンと軽く叩いた。彼の予想はサクヤの見立てと相違なかったからだ。ユウカは手緩い事は絶対にしない。まだ一ヵ月の付き合いなのに、直感的にそれがわかった。

 

「でも本当に、ユウカの観察眼と成長は目覚ましいわよ。強く成りたいなら、そしてこれからもゴッドイーターとしてやってくなら、彼女の意見は聞いておいた方が絶対に良いわ」

 

 例えば一見優秀な狙撃兵で完璧そうに見えるサクヤだが、彼女は不意打ちに弱い。全体を俯瞰して観察し、隊員の体力に気を配りつつアラガミへ銃撃をする彼女にとって、複数の敵のときは相当それらが負担になる。視線をあっちこっちに向けているから、その分注意力散漫になってしまうのだ。コウタは一つの敵に集中し過ぎて妨害してくる他アラガミの対応に遅れる傾向にあるし、何より後先考えないし若干の自己犠牲の姿勢が見られるのでウッカリ自分がダウンしてしまう。ソーマの欠点は言わずもがなだ。

 そしてユウカはそれらを理解しているので、目標アラガミを積極的に切り付けつつ隊員の動きを最も重視し、彼等の能力や体力底上げの為にバースト受け渡しを最優先にしている。彼女がよく戦場を走り回っているのはこの為だ。

 

「……同時期にゴッドイーターを始めた程度の人間に、聞く事なんてないですから」

「あら」

 

 ピャッと素早い身の熟しで去って行ったアリサの背中を見送る。頑なさと微かな怯えに、サクヤはおっとりと笑った。イタズラが見つかりかけて怯える子どものようだったから。

 

「コウタくんはどうする?」

「ッッッき(聞き)ますよぉ~~~、ユウカ、こーゆーときはいらんことは言わないッスもん~~~」

 

 つまりは口先だけで駄々をこねているのだった。ユウカは必要であれば『そう』する。ならば、それはコウタにとって真実必要であるのだろう。同僚兼友人に真摯に対応されれば、コウタは無碍にできず真剣に向き合うのが性質であった。それが自分のプライドをベコベコにされるようなものであってもだ。ユウカの心配や不安、艱難辛苦の一端を知っている故に。

 

「てかさ、ソーマどうすんの」

「………………………………………………………」

 

 ソーマはハッキリと押し黙った。自分に直すべきところがある事は嫌という程知っているが、指摘されるとなると話は変わってくる。此れ迄幾度となく上官から注意を受け、ソーマはソーマなりに周囲に気を配ったりしていたのだが、評価が上がることは一向になかった。なので今更指摘されても、変わらないのではないかという疑問は強い。

 しかし他でもないユウカが言うのならば、変わってしまうだろな、という確信もあった。何しろ彼女は、いちばん近くでソーマを見ていたのだから。彼女の言葉は過つことなく穿つだろう。

 しかしながら、ソーマにはそんな経験がなかった。時に腫れものを扱うかのように接され、時に嫌悪され遠巻きにされ、偶にいる奇特な輩も、突っ込んだ事を言ってくる者はいなかった。ソーマが踏み込むことを許したのは後にも先にもあの少女一人だから。

 故に、図星を突かれたその時、自分が女々しく激高しないかという一点が情けなくも一番心配であった。キレやすい自覚はある。

 

「いっそエントランスで聞くか……」

「勇者かよ止めとけそれは!」

「貴方って色んな意味で強い子よね……」

 

 

 ハイヴのすぐ傍にもアラガミは発生する。なので定期的に偵察班が巡回したり、殲滅班も帰る時分などにバサバサ倒している。それ以外でも、中型以下のアラガミは特に発生しやすいので注意し続けなければならないし、ほっとくと対アラガミ防壁の壁だって破られてしまう。破りづらい壁と分かっていながら突撃してくるアラガミは多く、外部居住区に侵入するアラガミは後を絶たない。この通り人類はかなりギリギリを生きているのだった。なので、リンドウの周回とも呼べる任務に同行するのはユウカとしてもやぶさかではない。ないのだけれど。

 

「疲れましたー!もう駄目です動けないですー!」

「叫ぶ余力があるならまだ行けるな。次行くぞー」

「あああああーーー鬼ーーー!」

 

 ズルズルと引き摺られるユウカは首根っこを掴まれたまま喚きまくった。この上官ちょっと容赦なさすぎである。世が世なら労働組合に訴えられて然るべき傍若無人だった。バカデカい神機を担ぎながら、ユウカを彼女の神機ごと容易に引きずるのだから流石ゴッドイーターの怪力っぷりだ。

 アラガミを見つけては応戦し、ユウカはその中心に放り投げられては必死に体力を削った。戦場に目まぐるしく視線を動かしながら、自分に出来得る最善の行動を常に選び続ける。至難の業であったが、ユウカの能力はそれを可能にさせた。

 

「オイ邪魔ァ!」

「スイマセン!」

 

 たまにこうしてミスすることがあるが。ユウカはコンゴウの顔面を踏みつけて思いきり後方にジャンプした。リンドウが今さっきまでユウカの居た場所に渾身の一撃を叩きつける。コンゴウは赤い仮面を割られ顔面の肉を両断され、間もなく活動停止した。

 

「今の回避は微妙だな。クイック捕食で通りぬけた方がダメージあるだろ」

「ハイ……おっしゃる通りで……ていうかリンドウさん気配消して攻撃するのやめません?急に来るから私までコワイんですが」

「人間の気配ぐらい読み取れや。何年人間やってんだよ」

「ウィッス」

「それと離脱する直前攻撃の手ェ弛めるんじゃねえべや。もっと腰入れて斬ってから、全力離脱しろ」

「はい、体力不足です。スマセン」

 

 事実ユウカはヘトヘトであった。地下道から帰還してからこっち、合計でコンゴウ五体、グボログボロ三体、サリエル七体、それと小型アラガミを数えるのが嫌になるくらい倒した。前衛はリンドウだったのに、彼は息一つ切らしていないのだから恐れ入る。その調子でユウカの不足を一通り詰将棋のように並べ立てた後、リンドウはケロッとした顔をして「んじゃ帰るか」と朗らかに言った。

 

「前から思ってたんですけど、指導するときだけすごい厳しくないですか?」

「お前は叩いて伸ばすタイプだからな」

「…………エッ、じゃあ厳しいのって私にだけ!?これは明らかな不公平では???」

「そーいうのはもっとまともに神機使えるようになってから言えな」

「すいませんね下手くそで!!!!」

「いんや、新人にしちゃ上等だよ。その調子でバリバリ強くなって楽させてくれ」

「くっ……私より強かな奴がいつかリンドウさんをぎゃふんと言わせるに決まってるンですからねっ!」

「人任せなんかよそこ。ってか、え、お前より強かな奴……!?」

「なんでそこで慄くんですか!」

 

 今にも地団駄踏みそうなユウカの怒声に、リンドウは意にも介さずカラカラ笑う。風車のように軽やかで涼し気な笑い方だった。

 このように、ユウカはリンドウに時に厳しく、時にもっと厳しく育てられている。しかしこれらがちょっと厳しすぎるなという事もユウカはわかっているので、仲間にはあのように微妙に甘やかすのだった。その甘やかしは果たして合っているのか、執行猶予と呼ぶんじゃなかろうかという疑問は彼女にはなかった。何しろ、ユウカも充分に未熟な身であったので。

 




ユウカのステータスを見れば見るほど強くなりそうな感じしかなくて笑います。伸びしろガールです。しかしやっぱりユウカなので何故かどことなく心配というか不安感があります。メンタルもフィジカルも安定してるのになんで???


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幕間

マジで本編に影響のない二人のピクニックデートなだけの話です。もうソマ主イチャイチャが書きたくて書きたくて仕方なかったんで書きましたがマジで読まなくても本編には問題ないです。


 

 煉獄の地下道エリアのようにマグマに熱された土地もあれば、鎮魂の廃寺エリアのように年中雪が降っているような土地もある。極東はアラガミの最前線と相成ってからというもの、局地的な異常気象が蔓延していた。まだ日本という国があった頃、国の自慢であった四季は最早昔話の中にしか存在せず、今では気温が多少変動するだけの日々が平時となっている。その気質は年を経るごとに増してさえいた。

 とはいえ、この島国は水に沈んでもいないし大陸と合併してもおらず、また海面水位が下がったと言うわけでもない。故に温帯湿潤気候から脱しているわけでもなく、モンスーンがなくなる事もないのだ。故に今の時代も7月に近付けば気温は上がるし暑くもなるのだった。

 

「幽霊のときさー、ゴッドイーターって体力も底なしなんだなーってソーマさん見て思ってたんだよ」

「実際体力もつくからな」

「そうだね。でもやっぱソーマさんはおかしいと思う!なッが!遠!なんであんな平然と歩けたの!?」

「鍛え方が足りないんじゃないか?」

「は~~あ~~~??煽り力まで高めなくて良いんですけど!」

 

 シレッと心にもない事を言う男の口端をこれでもかというほど引っ張るが、当然のように大したダメージになっていないようだった。その頑強さが今ばかりは何よりも憎らしい。

 只今二人が何を延々と歩いているかと言うと、何という事はない、ひどくありきたりで当然とも言うべき理由である。神機こそ携えているが、本日二人は正真正銘丸一日非番。偶の休日に恋人たちがすることなど、どの時代であってもそう変わらない。

 先日任務帰りに約束した通り、思い出深い彼の地へとピクニックにしゃれ込んでいるのだった。逢引、つまりデート以外の何ものでもないそれである。

 

「クッ……幽体だったら鼻歌混じりに飛んでけたっていうのに……」

「普通は肉体がある事が前提条件なんだが?」

「ない時期があったんだからしょうがなくない?」

「しょうがなくない」

「ソーマさん、正論が人を救ったことは人類史上未だかつて一度としてないんだよ。正しさっていうのは万事変化し続けていて、確かなものは在り得ない。そして私もね、そんな非情理で無慈悲な返答を求めてるんじゃないの。一時でも良い、僅かな安心だけで救われるものだってある」

「長い三行」

「正論

 つらい

 やめて」

 

 三行というか三ワードで心情を説明せしめたユウカに、ソーマが堪らず喉でクツクツ笑う。ああだこうだ屁理屈を並べ立ててはいるが、ちょっと休憩しよう、の一言すらないのだからお察しというものだ。

 しかしながら、ユウカが少し疲れ気味なのは事実であった。何しろ彼女はと言えば、ここ最近任務がある日ない日問わず延々とリンドウに連れ回されていたのだから。

 ハッキリ言って、その振り回しっぷりは異常と言えた。リンドウは良き上官、良き神機使いだが、それは同時に彼の普段の仕事量の多さを物語っている。アドバイスや指導は僅かな空き時間で少しは口を出せるだろう。しかし、育成となると話は別だ。なので、平時そう言ったことは教官ツバキや、副リーダーとして辣腕を奮うサクヤの仕事だった。なのに、ユウカにのみ彼が個人的に付きっきりで指導している。正直言って下種な勘繰りをしかけたソーマであったが、色々な意味で無理があるので早々にその思考は放棄した。毎日傷だらけのくたくたになって帰ってくるユウカに対してあまりに無礼な思考でもあったので。

 

「アイツの個人指導とやらはそんなにキツいのか」

「まあね~~。嘆きの平原ってほら、山間にあるじゃん?流石に足腰が痛んでさあ」

「キツいのって傾斜かよ」

 

 そりゃアラガミを追っかけていれば山に入る事もあるのだからキツいだろう。ソーマが聞きたかったのはそういう事ではない。

 

「キツいっちゃキツいんだけどね、全部必要な事だってわかってるからさ~~何も文句言える立場じゃないっていうか、……これパワハラでは?」

「厳密に言うと少し違うな」

「立件できない……」

「むしろ労働組合も裁判所もクソもない中でハラスメントをどこに訴える気だ」

「ねえ私思うんだけど言葉遣いが悪いからソーマさんって近寄り難いって思われてるんじゃない?」

「なんもかんも唐突か」

「今からクソって言う度に共同貯金口座に100fc入れてね」

「昨日コウタがお前に借りてたルー〇ーズDVDのパケ見ながらめちゃくちゃ青い顔してたぞ」

「は?あのクソ野郎許さん」

「100fc」

「はい」

 

 端末からチャリーンと軽やかで悲し気な音色が響いた。流れるようにユウカも問答無用で参戦する事になっていた。仁義なき醜い争いに今後発展しそうな予感を同時に二人は察知したが、さほど重大な事態にはならなそうなので放置した。どれくらい溜まるのかへの興味が勝ったのである。

 

「リンドウさん臨時リーダー投げる要員仕立てたいだけだよ、絶対」

「出世株というやつか」

「褒められてもサンドイッチしか出ないよ」

「今回は割と褒めてる」

「え、……ふふふ……」

 

 事実ユウカのこの頃と言ったら打てば響くと言って差し支えない成長ぶりだ。元より彼女の指示は的確であったが、最近はより着眼点が鋭く冴えている。元々平行思考が得意なことも拍車をかけ、眼前の状況や仲間の様子だけでなく、端末やオペレーターからもたらされる情報、各場所の資源の減り具合や天気や地面の環境の変化までよく気のつくようになった。神機の扱いだって、もうすぐソーマに並ぶ勢いだろう。正に飛ぶ鳥を落とす勢いというやつであった。そんな彼女の成長が喜ばしいやら嬉しいやら幸いやら悔しいやら心配やらと心中は複雑である。

 しかしまあ、少し不気味ですらある噛み切れなかったらしい彼女のはにかみ笑顔も誤魔化す為なのか羞恥の行き場を探してなのかの頭突きなんかも全くホントに変わらないので。ソーマとしてはあまり問題ではないのだった。宥めるように小さな頭に手を持っていくと、セルフで撫でられるように擦り寄ってくるところなんか、いつも通りソーマの心臓に悪い。

 一方、ユウカも珍しいソーマからの褒め言葉に完全に有頂天になっていたし、大好きな手が降って来たのでもうめちゃくちゃに胸がいっぱいになっていた。落ち着きがないというか乙女力が足りないので、おそらく周囲に誰も居なかったら銅鑼でも鳴らしながら大声を上げていただろう。

 そうこうしている間も足は進み、いよいよ目的地が近づいていた。

 あの頃見上げた見事な桜色は既に散っていたが、代わりに生命の輝きらしい青々とした緑が空を覆っている。木陰に入ると、清涼な風が頬を掠めて吹いてゆく。きらきらと陽光が緑に反射していつもよりずっと輝いて見えた。

 荷物やら神機やらを木の根に立てかけ、その横でユウカが大の字に転がる。

 

「ハァ~~……涼し……地上の楽園って感じ……」

「せめて脚は閉じろよ……」

「あっ、失敬失敬」

 

 サッと脚が綺麗に揃えられ、大からTの字になったユウカの横にソーマも腰を下ろす。周りを背の高い建物に囲まれているので見晴らしは良くないが、その分コソコソしなくてもいい点は悪くない。どこからアラガミが出現するかわからないのが現代だが、こう細い路が二つあるだけならば音ゲーのノーツのように処理すれば良いだけなので気楽なものだ。

 理屈ではそうだとわかってはいるものの、それにしても秒で寝息を立て始めたユウカは危機感をどこぞに捨ててきちまったんだろうな。ソーマはここまでノー天気になる事は出来るはずもないので、仕方なしにユウカの脇に手を差し込んでグッと身体を持ち上げ引き寄せた。人肌を察知してか頭がゆらゆら動き、やがてソーマの太ももあたりに落ちる。

 

「………かたい……」

「やわくて堪るか」

 

 狸寝入りだったようだ。ゴロンと仰向けになった顔がソーマを溶けた表情で見上げている。

 

「ソーマさん先に休む?」

「後で良い」

 

 睡魔の最高潮みたいな顔をしたユウカの瞼に掌を乗せる。「重い」だなんだと可愛くない声が幾つか上がったが、今度こそ寝落ちしたらしい。規則正しい呼吸が同じところから漏れ出て来た。軽さや小ささも相まって小動物のようだ。

 頬に触れれば以前より少し痩けた感じがする。やはりリンドウは近いうちに殴ろう。あの男は何をそんなに急いているのだか。まさか今更命の危険を感じた訳でもあるまいに。

 木漏れ日が揺れる長閑なそこは、ソーマでさえも眠気を誘うほど安らかであった。端末にアラガミの反応はなく、他に生き物の気配もない。傍らでは愛する女がこれ以上ない程寛いでいる。満ち足りた心地だ。接した場所の体温が温い。あんまり気分が良いので、鼻歌まで鳴らす始末であった。

 しかし、そんな微睡みに水を差す輩がどうやら居るようだった。立てかけた神機をいつでも揮えるよう手を伸ばす。完璧な充足感の内に居たところに横槍を入れられたので、かなり殺意は高めであった。ムクッと膝の上から頭が上がる。

 

「なんかきた?」

「……なんでもない。寝てろ」

「いや、おきるおきるおきます……」

「もう行った」

「あ、そなの……」

 

 正確に言えば、問題ない範囲の気配と理解したのだが、説明する気はないので雑に誤魔化した。再びストンと眠りに落ちたユウカの髪を手慰みに梳きながら、ソーマはジッと一点を睨んだ。この場所を囲う建築物の向こう側、ここ最近各所で感じている不可思議な気配。こちらを観察するように遠くから見つめてくるその視線に、苛立ちと腹立たしさ、そして確固たる敵意を以て視線を返す。邪魔をするんじゃあねえよ。

 どれほど睨みつけていたのか、やがて気配は踵を返して遠退いていった。どんな姿をしているのかは知らないが、確実に陰湿なアラガミだろう。全く鬱陶しい。

 今にも舌打ちしそうなソーマの顔面にペチッと掌が当てられた。すっかり目を覚ましたらしいユウカのものだ。

 

「顔コワイよ」

「そういうのも好きなんだろ」

「うわバレてる……」

「まだ三十分だぞ」

「んー。スッキリしたからもう良いよ」

 

 ユウカが身体を起こして大きく伸びをした。昼寝から起きた猫のようだ。まだ少し眠たそうではあったが、双眸にはしっかりと理性が宿っていた。身体を軽快に翻したと思えば、器用にソーマの頭を自分の膝に導いた。温いし、ちょっと信じられないくらい柔らかい。何故この脚でアラガミの装甲を叩き割ろうとかできるのか、ソーマには甚だ不思議でならない。

 

「ぼうや~はよいこ~だねんねしな~」

 

 これ以上ない程嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべながら、わらべ歌を口遊んで小さな手はソーマの側頭部を撫で始める。絹のように滑らかで癖のない髪は、触れている方がむしろ癒されそうなくらい艶があった。同じリンスを使っている筈なのに、なんとも納得できない格差である。ユウカがムッとしながらその白銀を両手で掻き回すので、ソーマは可笑しくて軽やかな笑い声を上げた。

 




ソーマ:今ユウカと一緒にいるんだから邪魔しないで欲しい(殺意)(物理的説得)
ユウカ:あったかくてしあわせ。ソーマとオフの時は基本IQ2
こんな趣味にしか走ってない話だけをアップしても良いのかと悩んだ結果もう一話の投稿でした


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少女、稲光

 ユウカは激怒した。

 必ず、かの邪知暴虐の上官を除かねばならぬと決意した。ユウカには政治はわからぬ。ユウカは、入って一ヵ月の新人である。野で学び、恋人に現を抜かして生きて来た。しかし邪悪に関してだけは、人一倍に敏感であった!

 

「良いからヴァジュラ討伐行ってこい」

「呆れた王だ、生かしておけぬ」

「もうメロスは良いからな」

 

 何をこんなに騒いでいるのかと言えば、リンドウの言った以上の事はない。ユウカ以下第一部隊に大型アラガミ、ヴァジュラの討伐任務が下ったのである。ヴァジュラは極東支部所属ゴッドイーターにとって一種の登竜門だ。何しろ強いし速い。反則である。

 ヴァジュラなんて余裕だろ何舐めた事言ってんだと思われるだろうゴッドイーター上級者諸君にわかりやすく難易度を伝えるならばこれは、ようやく漢字を覚えたばかりの小学一年生に『人間失格』を読ませるような所業だ。なんかもう色々と駄目である。そういうことだ。

 

「大丈夫だ、お前らの力量なら十分倒せるから。サクヤとソーマもつけるし」

「無理ですよ恐いですよ!」

「俺からしてみればお前の洞察力の方がよっぽど恐いわ」

「いやどう考えてもアラガミの方が恐いじゃないですか命の危機を感じますし」

「その命の危機多分誤報だから安心しとけ」

 

 しかし、実際のところユウカは漢字を覚えたての小学生ではなく、漢字検定二級くらいなら受かるレベルの識字能力と知識があり、また思考能力も『人間失格』を読むのに申し分ない程度であった。充分ヴァジュラに対抗できる能力を備えているのだ。それはコウタも同様である。

 

「リンドウさんは来てくれないんですか」

「ゴッドイーターはフォーマンセルが理想だからな。それに俺はアリサと組んで別件。悪いな」

 

 素気無く断られ、ユウカはがっくりと肩を落とした。生還率を少しでも上げたいというユウカの訴えは天に届かなかったのである。大体いつもそうなので、ユウカは今更落ち込みはしなかったが。

 

「第一部隊をよろしくな」

「……フォローされる方にそれ言ってどうするんです」

「いんや、お前はフォローする方。新型の性能ってだけじゃなく、お前はそうできるやつだ」

 

 ユウカは隊員をよく見ている。故に前回の任務の後日、コウタはバッキバキに凹んだし、ソーマは数十秒ほど固まっていた。彼女の指摘が事実以外の何物でもない、個々の改善点であったからだ。尚、当然アリサは聞きに来てなどいない。

 

「俺がいなくっても生還率下げんなよ~」

「………………はーい………」

 

 ユウカの力量を完全に看破しているリンドウに、盛大にむくれた彼女はいかにも不服そうに渋々首肯した。未知なる敵に生きて帰れるか不安になっている新人にかける言葉ではない。むしろ積極的に肩の荷を積んでいる。

 

「じゃ、セリヌンティアリサをよろしくお願いします」

「へぇへぇ」

 

 この前進言したばかりだというのに暢気なひとである。ぜーったいアリサは何かしらやらかすと思っているのだが、リンドウはそうは思わないのだろうか。

 

「あ、そうだリンドウさん」

「なんだ?」

「『アリサ係』なるあだ名が私についているようなんですが、何か心当たりはないですか?」

「ア?………あ、……ハハハ、さあなー?」

「そうですか知りませんかそうですか。ちなみに私は馬鹿にするのは好きですが馬鹿にされるのは大嫌いなんです」

「ハハ……そういや小耳に挟んだようなー……」

「不名誉な綽名をつけてくれた人には是非とも来月の嗜好品交換券の四割を譲渡して頂こうかと思ってるんですよー」

「………………………………きっと用意してくれるな、ウン!ハハ!」

「ですよねー!」

 

 今月と言わないところがまた嫌らしい。確実に来月分を毟り取る気満々である。ユウカはやられっぱなしで良しとしていられるような部下ではない。リンドウが口元を引き攣らせる一方で、少女はニッコリと完璧な笑顔をしていた。

 

 

「あらあら、そんな事をしていたの、あの人」

「そーなんですよ!もう、サクヤさんからもキッチリ叱っておいてください!」

「はいはい」

 

 ヨシヨシと頭を撫でられてすっかり機嫌は上昇傾向になる。近所に住んでてよく可愛がってくれるオトナのオネーサン感がスゴイ。家庭教師とかしたら一財産築けそうだ。

 目標アラガミの小型アラガミ及びヴァジュラが誘導された贖罪の街は閑散としていて、当たり前だが人の気配が一切ない。入口の高台に差し掛かったところで、一旦全員が装備の再確認をする。万一にも他部隊との戦闘が重ならないようにとの時間稼ぎとも言う。任務開始時間までおよそ数分といったところで、ユウカは今まで周りに居なかったタイプの頼り甲斐のあるお姉さんに構われていたのだった。

 イチャイチャする女子勢の一方、男子達は装備確認の会話しかない。会話があるだけマシなところが泣ける。

 

「新人を任せられるくらい、貴方を信頼してるってコトよ」

「それは素直に嬉しいですけど、……いややっぱりあんまり嬉しくないような……任務に引きずり出されますし……」

「ああ、それはね、確かに。あの人も何考えてるのかしら」

「すみません夫婦の時間を邪魔してしまって……」

「夫婦じゃないわよ」

「じゃあ夫婦間近恋人の時間を邪魔してしまって……」

「かわいくない事を言うのはこの口かしらー?」

「なんでですか私悪くないじゃないでひゅは」

 

 頬を思いきり抓り上げられて痛みはないが抗議の声を上げる。どことなく腹黒そうな笑みを浮かべていたサクヤだったが、間抜けなユウカの顔を見て溜飲を下げたのかほんわかと目じりを下げた。デレデレしているとも言う。可愛がられているんだか面白がられているんだか。

 

「おい。時間だ」

「ひゃーい。ヨシッ、じゃあみんな、任務を始めます!リンドウさんの教えをくれぐれも、ゼッタイ、なにがなんでも、シッカリ守るよーに!」

「落ち着いて戦えば大丈夫よー」

「その油断が隙を産むんです!慢心ダメゼッタイ!コウタ復唱!」

「慢心ダメゼッターイ!オシッ、やんぞ相棒!」

「モチのロンよ!生きて帰ろうね……!」

「馬鹿な事言ってないでとっとと行くぞ」

「ハーイ」

 

 初めての敵相手に武者震いする同士のコウタとユウカがガシッと健闘を称え合って腕を組む。そんなユウカの首根っこを掴んで、ソーマが真っ先に高台から飛び降りた。心の準備をさせて欲しい、というのがユウカの心情だが、永遠に踏ん切りがつきそうにないような気もしたのでこれは有り難かった。

 細い路地の向こうの開けた場所で、まずコクーンメイデンなんかの小型アラガミを討伐する。いつもより増してどこか固いような気がするのは、ユウカの気のせいではない。強いアラガミが出現している場所では、不思議と小型アラガミも強度が増して攻撃力も上がる傾向にあるのだった。中々思うように倒せない中、唐突にヴァジュラが飛び掛かってくる。

 

「ちけぇぇええ!コッワ!」

「何あのあらゆる生老病死を飲み込んだみたいな顔!コワッ!!」

「四の五の言わず戦えバカ共!」

 

 緋色の鬣を大きく開き、漆黒の巨躯を俊敏に動かす。四足や尻尾にしましまの模様が見られるところが可愛いと言えなくもなくもなくもないが、やはり何処からどう見ても人類の脅威だ。獅子を連想させる姿はまさに強さと獰猛さの象徴といった有様である。

 2tトラックよりも大きな図体をしているくせに並みのゴッドイーターよりもずっと素早い動きを繰り出してくる肢体から脚力で逃れる。動きに耐性がなければ予測もできないので、ユウカは取り合えず攻撃を避ける事に専念することにした。三発でも喰らったら死ぬだろうと言う事は容易に想像がつく。

 隙あらば攻撃しつつも攻撃を避け続ける。ヒットアンドアウェイをするユウカとコウタに、援護するサクヤ、中心的に攻撃するソーマでちまちまと相手の体力を削っていく。

 大きく巨体が跳躍して、ユウカに向かって飛び掛かって来た。ちょっと横や前後に跳ぶだけじゃ避けきれないと咄嗟に理解したユウカは、素早く盾を上へと構えた。両腕がブッ壊れそうな負荷がユウカに一身に掛けられる。ゴッドイーターでなければ、両腕の骨は粉々に砕かれていた事だろう。遠くに仲間の呼び声が聞こえた。

 構えたままの盾がミシリと嫌な音が鳴る。ヴァジュラの前足二足に掴まれて、その爪と握力に悲鳴を上げているのだ。長くはもたない。大きな跳躍のお陰でソーマは遠い。コウタとサクヤの砲撃に嫌そうな顔をしてはいるが、まずはユウカを確実に殺そうとしているらしい。かくなる上は。

 

「だぁぁああらッしゃああッッ」

 

 盾を思いきり横へ振り払って、空かさず柔らかそうな腹を深く切り刻む。痛がったらしいヴァジュラが仰け反り、大きく身体を起こした。二足で立ち上がりかけたそこを逃さず、素早く離脱する。

 

「大丈夫!?」

「ウッワ返り血やば!」

「マ?腕が痺れたー」

「無事みたいね!」

『アラガミ、活性化します!』

「ゲッ」

 

 ユウカの一撃が引き金になったらしく、まだどこも部位崩壊していないのにこの報告。ヴァジュラは身体を反って咆哮を上げた。この世非ざる化物の声が、ビリビリと大地を震わせる。無論、ユウカも鳥肌を立て脚を一瞬竦ませた。

 今までも既に速かったその動きが、段違いに素早くなる。最早目で追う事はほぼ不可能になり、全員各々の勘と本能に従って回避行動を取った。ここぞとばかりに、ユウカが溜め込んでいたバレッドで全員にバーストモードを付与する。

 突進、跳躍、次々と飛来する雷撃。その距離を誤ったコウタがまず被弾した。身体が動かなくなり焦燥するコウタの前でユウカが盾を広げる。

 

「スタンってッ、こういう感じなん、いッ」

「叩けば治りそう?」

「昭和のテレビじゃねーんだぞ!」

 

 ランダムに飛んでくる雷撃を盾で受け止めながら軽口を叩き合う。そう言うユウカの腕も何度もガードしている影響で痺れかかっていた。トニカク攻撃範囲が広い。跳躍一つとっても一度ジャンプした程度じゃ避けられず、まともに受け止めるとその器用な前足で盾にヒビを入れられる。その上スタン耐性の装備も整えなくてはこうして一瞬にして有能な狙撃手がお荷物になる。厄介な敵だ。

 

「いけるよ!」

「オッケー、じゃ援護よろしく!」

「了解!」

 

 コウタの景気の良いバレッドに身を屈めながら、全速力で一直線にヴァジュラに迫る。まずは捕食。そして直後に後方に飛んで猫パンチを避け、今度はユウカが大きく跳躍した。

 太陽を背にして、全体重と重力をショートブレードにかける。顔面に強烈な一撃を喰らわせた後、二、三と素早くその傷を広げるように連撃した。

 悲鳴を上げて首を振り、頭上に紫電を纏わせるヴァジュラの無防備な背中に、黒いオーラを纏わせたソーマの重い一撃が深々と突き刺さった。

 ヴァジュラは相当ダメージを喰らったのか、咆哮を上げながら周囲一帯を青白い光に染め上げた。

 

「くッ」

「ウ、ぁああ!」

 

 モーションを完璧に理解しているソーマは盾を開いたが、ユウカはまともに直撃して苦悶の声を漏らす。

 どういう仕組みの攻撃方法なんだと脳内では強がって悪態を吐けたが、身体の方は思わず膝をついてしまう。何ボルトだか何アンペアだか知らないが、稲妻に等しい電流を喰らっては如何に神機使いであっても平気ではいられない。全身が焼け焦げるような痛み、身体の中に満ちていた酸素が全て吐き出され、全身が収縮する。

 跪いたユウカを良い餌認定したのか、ここぞとばかりにヴァジュラが大きく口を開けて突っ込んできた。完全に捕食行動のそれだが、ユウカは当然冷静であった。口の下にお髭生えてるー、なんて無意味な事にすら気が付いた。別に現実逃避なんかではない、ユウカにはその姿が無防備にしか見えなかっただけだ。無様にかっ開いた口に、ユウカは一も二もなく突きの体勢に入った。脇腹あたりから渾身の力を込めて振り抜く。

 母音しかない鼓舞の悲鳴を上げながら、ユウカは神機をヴァジュラの咥内に思いきり突き刺した。吐き出す血と吹き出す血にまみれながら、そのまま捕食形態へ神機を切り替える。柔らかい体内を、神機の中のアラガミが好き勝手蹂躙した。

 結果、ヴァジュラは盛大に口から血液のような液体を吐いて、地にと沈んだ。あと一ミリでも爪が横にずれていたら、ユウカの身体を切り裂いていただろう。今更ながらその事実にオシッコを漏らしそうだった。戦っている時はアドレナリンが出て良いが、終わると途端にこうだ。崩れ落ちるようにユウカがペタンとその場に座り込む。

 

「…………………………終わったー………………」

「無事か!」

 

 駆け寄ってユウカの目線にまで屈むソーマに抱き着いてしまいたかったが、勿論ユウカは懸命に堪えた。恐かったし、痛かったし、逃げ出したかった。けれど、ユウカはやっぱり堪えた。姉の性質とでも言うべきか、リーダーの資質とも言える、それは明確に強がりであった。

 

「うん、ヘーキ、ダメージが深かっただけ。皆怪我は?」

「ユウカ程じゃねぇよ。だいじょぶか?肩貸そっか?」

「ちょっと休めば大丈夫だよー」

「コラ。強がってないで回復錠飲みなさい」

「本当に大丈夫ですよ?」

「駄目。今まで膝ついてる貴方なんて見た事なかったわよ。我慢しないの」

「はぁーい」

 

 ポーチから回復錠を取り出して一息に飲み込む。あまり美味しいものでもないが、命を繋げる大事な常備品だ。

 ソーマを見れば、拳が少し震えていることに気づいた。多分、助け起こしたいのを懸命に堪えているのだろう。未だ仕事中なので、私情を挟むのは容認できないらしい。もし万一ここでアラガミが襲撃した場合、迎え撃つのはソーマの役目だからだ。によによしそうになるのを堪えつつ、ユウカは少しは回復した身体を勢いよく起こす。

 

「はいっ、もう大丈夫、動けるようになりました」

「まだゆっくりしてても大丈夫よ。終了時刻よりも大分早く終わったもの」

「いえいえ、大丈夫です。むしろ早く帰りましょ!」

「そう?でも動けるなら、そうよね。疲れたら言うのよ?」

『緊急です!――あっ、今大丈夫でしょうか』

「ヒバリちゃん?うん、戦闘は終了してるし、大丈夫だよ」

 

 ピピッ!と全員の耳元で通信の応答音が鳴り響く。続いてヒバリの声が緊迫感に満ちていたので、その場の空気が引き締まった。

 

『付近に中型アラガミ反応!サリエルが二体そちらに迫っているそうです、迎撃をお願いします!』

「おい、こっちは新人がヴァジュラの初討伐を終了したばかりだぞ」

『バイタルサインは安定しているので、一番近い第一部隊が相当だと命令が、………すみません』

「ヒバリちゃんのせいじゃないでしょ。全部アラガミのせい。ダイジョーブ、行けるよ!観測お願いね!」

『はい!精一杯務めさせて頂きます!』

 

 ソーマが人でも殺せそうな舌打ちを響かせるが、代わりにもう不満の言葉は発しなかった。ソーマだけじゃなく、コウタやサクヤもどことなく不満そうな雰囲気を漂わせているが、口にはしないようだった。ユウカ達は兵隊だ、命令には逆らえない。あるいはユウカが大丈夫ならばと渋々引き下がったようだ。

 

「けどよりによってサリエルかよー、しかも二体」

「リンドウじゃないけど、報酬は是非弾んで欲しいわね」

「狙撃二人には苦労かけるけど、お願いね。私も射撃頑張るから」

「ふざけるな、お前は後方支援だ馬鹿が。怪我の回復最優先にしろ」

「わかってまーす。じゃあもう一仕事、頑張ろっか!」

 

 ユウカが拳を握って放った号令に、各々ながらも全員応えた声が澄み渡った青空に響いた。

 




ヴァジュラは初回戦った時クソ舐めてて苦労したので、戦闘描写も熱が入るというものです。
次回は問題のあの回ですね


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少女、撤退

 

 

 乱入してきたアラガミ共を残らず駆逐し終えた頃には、高かった日が沈みつつあった。崩れかけた摩天楼を朱色に染め、強い西日がすべてを照らし出している。ヴァジュラの後に中型二体を倒したと思ったら、またもポコジャカとアラガミが湧いて来ては対応し続けていたら、すっかり時間がたってしまった。全員残らずボロボロのヘトヘトである。擦り切れた雑巾になった気分だった。

 

『皆さん、お疲れさまでした!周辺区域のアラガミ一掃完了です!』

「はぁー……い。チェックありがとーヒバリちゃん。そっちもゆっくり休んでね」

『うん、ありがとうユウカちゃん。お帰りをお待ちしていますね!』

 

 通信の向こうも情勢が安定して気が抜けたようで、何時にも増して柔らかい声を最後に途切れた。神機にもたれかかったり地面に座り込んだりしている隊員たちに振り返る。

 

「任務終了だって、皆お疲れ様でしたー」

「あ゛ーー!もー動けねぇーー」

「流石に疲れたわ……」

 

 素直に疲労を訴える二人に笑いかけると、安堵したような笑みが返って来た。尚、強がり魔神は身体ごとそっぽを向けてユウカに背中だけを見せた状態である。見栄っ張りにも程があると思わざるを得ないが、ユウカは小さく苦笑するだけに留めた。

 

「さあ、みんなもうひと踏ん張りお願いしますね。家に帰るまでがミッションですよー」

「はぁーい」

「了解、隊長殿」

「私が殿やるから、先頭、ソーマさんお願いね」

「了解」

 

 極度の疲労で重い太腿と痛む足裏を一切表に出さずソーマの肩を小突く。前衛神機使いが二人だと、自然先頭と殿は決まってくる。故にソーマには頼りっぱなしになってしまうが、こればかりは如何ともしがたい。

 コウタが笑う膝を押さえつつ立ち上がるのを見届けて、周囲を警戒しながら退却を開始した。オペレーターのヒバリが観測を終えてしまったので、ここからはアラガミ探知は自力でどうこうしなければならないのだ。この点、ソーマよりも優れた人材は隊にいない。

 速度を維持しながらも最大限慎重に移動していると、不意に気配を感じて全員が顔を見合わせる。あまり遠くない。それに、どうやらアラガミではなく、人間だ。

 壁外民間人が何かの間違いで入り込んだのか、それとも偵察班でも来ているのか。どちらにせよ通信はウンともスンとも入らず、また事前に何か聞かされてもいない。盛大に顔を顰めるソーマに、ユウカも小さく頷きを返した。

 殊更ゆっくりと歩調を落とすと、その矢先に曲がり角から人影が出て来た。

 

「なに?」

「は?お前ら……」

「あれ?リンドウさん、なんでここに」

 

 気配の正体は、別の任務に就いていた筈のリンドウとアリサであった。見慣れた姿に双方詰めていた息を解きほぐし、軽く姿勢を崩す。するとそこには疑問だけが残った。

 ゴッドイーターの同行は腕輪のポインタや生体信号で監督されている。命令違反や脱走者が出た時に素早く対処する為、というのも勿論理由だが、一番は任務の際の混乱を避ける為だ。アラガミがわんさかいる中で、端末に表示できる以上のイキモノの気配とあらば、戦闘時という特殊な状況下では誤る事が十分に有り得る。

 その危険性を長い経験を以て知っているらしいサクヤが、最も狼狽して身をのり出した。

 

「どうして同一区画に二つのチームが……どういうこと?」

「まったくです、同士討ちするところでしたよ~」

「いや撃つなや。ったく、考えるのは後だ。さっさと仕事を終わらせて帰るぞ」

「はーい。私たちは外の警戒してますのでごゆっくりー、って言っても、私たち結構ここらへんでどんちゃんしてたので異変はないとは思いますが」

「なんか騒がしいと思ったらお前らかよ……ま、頼んだ、ぞッ」

「アイッタ!」

 

 リーダーの登場で緩んだユウカの背中を思いッきり叩く無骨な手の持ち主を睨む。痛いし重いししんどい。帰ったら今日の苦労を一から百まで語り聞かせることを胸に誓った。「早く仕事終わらせてくださいよッ」と抗議とも催促ともつかない言葉を投げる同時に、ソーマがリンドウの脚へ中々の勢いのローキックをかました。そこまでしようとは思ってない。

 

「へぇへぇ退散しますよーっと。アリサ、ついてこい」

「……はい」

「リンドウさんには後でご飯奢ってもらうので、みんなもう何踏ん張りかわかんないけど、がんばろーね」

「オッシャ!」

「ええ」

「悪くないな」

 

 おーーまえぇぇぇーーー、と背後から怨嗟の声が聞こえて、朽ちた教会を背にしてクスクス忍び笑う。

 軽快なやり取りとは裏腹に、ピリッと緊張感が肌を滑っていた。なんとなく、嫌な気配だ。重苦しいような、腹の底に鉛でも沈んでいるかのような呼吸のし辛さ。

 不安に駆られてチラとソーマを見ると、力強く鋭い視線が返って来た。集中しろ、という叱咤にも、勇気づけるようにも見える。どちらにせよ、ソーマの不思議な青色を見るとユウカはいつも心が落ち着くのだった。浅い呼吸を二、三して心を抑える。

 大丈夫だ。何しろイレギュラーではあるが第一部隊が全員いるのだし。

 ユウカが健気にも気丈を装おうとした矢先だった。

 

 背後――教会の内部から、轟くような爆発音と、崖崩れで岩が転がるような崩壊の音、それから悲鳴が響き渡った。

 

 真っ先に飛び出したサクヤを、ユウカがソーマに目配せしながら追いかける。

 内部に飛び込むと、そこにはおかしな光景が広がっていた。確かに教会は朽ちかけて、何処も彼処もヒビだらけだ。

 だが、自然崩壊でもここまで崩れるだろうか?

 教会のステンドグラスを拝むまでの控えのそこを繋ぐ通路は、屈強な岩石で塞がれていた。巨大な岩のように塞がれたそこは、ゴッドイーターであっても労せずして通さない確固たる意志すら感じる程だ。

 そしてその前に、小さな女の子が座り込んでいた。アリサだ。

 

「あなた、一体何を!?」

「アリサ?」

 

 サクヤが切羽詰まったように、ユウカが出来る限り平静を保って問いかけるが、アリサはこちらに少しも意識を向けていない。

 

「違う……違うの……パパ……ママ……、私、そんなつもりじゃ、」

 

 明らかに様子が可笑しい。というか完全に忘我している様子だった。なりふり構わず銃口を岩石に向けてカラッケツのOPを消費するサクヤの一方で、ユウカは頭を抱えた。

 何が起こったのかは全くわからないが、彼女がしてしまった事はわかる。しかしまさかこんな、こんな形でだなんて。

 アリサの傍に跪いて大きく肩を揺さぶるも、何の反応も起こさない。通信を支部に繋げようと試みるも、無機質な応答音が続くばかりで救援を呼ぶにも呼べそうにない。

 

「アリサ!アリサッ、しっかりしてッたら!」

「おい!こっちも囲まれてるぞ!」

 

 ソーマの声に入口を見やると、直後にコウタが吹っ飛んできた。次いで、見た事もない異形のアラガミが飛び込んでくる。そいつは獣の姿をした四足歩行で、ゾッとするような冷気を身に纏わせていた。金色のまなこが西日を反射してギラギラ光っている。

 

「コウタ!」

「ッてー……ヘーキ!もうちょいなら持たせられるよ!」

「はあああ?大言壮語甚だしいんだよバカが!アホなこと言ってないで一発でも多く撃てバカ!」

「そんなバカバカ言う!!?」

 

 元気そうで何よりだ。あんまり心配なさそうな二人を放置して、もう一度アリサに強く呼びかける。凛々しかったヴァイオレットは、今や深淵の底のような澱みに溢れていた。桜色の唇は青白くなり、今も取り留めもない、途切れ途切れの単語を呟き続けている。

 

「違う……私は……違うの……私じゃない……私のせいじゃ……」

「あーもう、これ駄目そうなんですけど!」

「諦めてンじゃねーこの弱みそ!」

「弱みそってなんですか!ってか大丈夫ですかーリンドウさーん!」

 

 現状どうにもならなそうなアリサに音を上げた時、埋没した壁の向こうから聞き慣れた陽気な声が聞こえてきてホッとする。少しくぐもってはいるが、それは隔壁のせいであって本人が埋まってるわけではなさそうだ。よく耳をすませば、向こうでも戦闘が行われているのがわかる。

 

「こっちは大丈夫だ!お前らはアリサ連れてアナグラに戻っとけ!」

「リンドウは!?」

「俺はもうちょいこいつらと遊んでから帰る!ユウカ!これは命令だ、わかるなァ!?」

 

 理屈の上ではわかる。コウタは強がっていたが、もうユウカが率いていた第一部隊はとっくに行動限界を迎えていた。入口はもうもたない。この壁も壊せそうにない。全力でここを死守しようとしたとしても、こんな状態のアリサを守りながらの戦闘など、到底無理だ。

 リンドウの言う通りだ。ここで留まっていても何も良い事なんかない。そもそもリンドウは第一部隊全員が束になってかかるより強いし、置いて行ったとしても、もしかしたら。というか全然生きて帰ってきそうだ。ユウカはそうやって、自分を納得させようとした。そしてそれは叶えられそうだった。

 けれど、悲痛な悲鳴を上げて壁に縋りつくサクヤを見て思う。

 

 もし壁の向こうにいるのがソーマさんだったら、私は同じ決断を下せるのだろうか。

 私はサクヤさんとリンドウさんの、「            」を、奪ってしまうのではないのか。

 

 アリサを見て、サクヤを見て、入口を見て、それから壁の向こうを思い浮かべる。

 

「ユウカ!」

 

 異様な雰囲気を漂わせるアラガミの前足二足を盾で防ぎながら、ソーマがユウカに鋭い視線を向けた。強い眼だ。揺るぎない信頼と、覚悟がそこにあった。コウタにもだ。二人はユウカの選択をどうやら尊重してくれるらしい。どんな道を選んでも、支えてくれるのだろう。

 だから。

 だから、どうしても、選ぶ事ができないのだ。

 

「―――……撤退、します」

「ッそんな、イヤよ!そん、な」

「いいえ、いいえ。サクヤさん、撤退です。それ以外に選択肢は在り得ません」

 

 ――そりゃ、本心を言えば、ここに残って、何がなんでもこの囲んできているアラガミを全員死滅させてやりたい。それは犠牲を許容すればできなくはないかもしれない行動だ。

 だが、ユウカは今回隊を任されたリーダーとしてそれだけは選んではならないのだった。隊員を生きて帰すこと、その為の判断の時を誤ってはならないこと。リンドウに連れ回されるようになって、教えられたことのひとつであった。

 

「コウタがまず戦線に穴をあけて、ソーマさんが切り開いてっ。一点突破で帰還するよ!アリサは私が担ぐ!」

「了解」

「了解!」

「サクヤさん、走れないなら気絶させます。そうしてでも帰します」

 

 アリサの神機に触れないように器用に彼女を肩に担ぐ。サクヤは大きく目を見開いて、そのまま固まった。陸に上がった魚のように口を開閉させて、溺れて喘ぐように息をしている。頷こうとして失敗して、肯定しようとして口にできなくて、否定しようとも思えない、そんな有様だった。やがて大きく項垂れた彼女の腕を取る。

 

「リンドウさん!嗜好品引換券忘れないで下さいよー!」

「わぁっとるわー!後ヨロシク!あサクヤ!配給ビールとっといてくれよー!」

 

 サクヤは返事すらできないようだ。親の仇でもいるかのようにひたすら地面を凝視して、異常に発汗もしている。彼女の精神の為にも、一刻も早く離れた方がよさそうだ。

 教会から転がり出て来たユウカと、外にいた二人とで視線を交わす。ソーマは毅然としているが、コウタはもう泣きそうだった。勇気づけるようにユウカが力強く頷いて見せると、コウタは思いきり首を横に振って思考を振り払った。そうだ、泣いてる場合じゃないのだ。ここを切り抜けるのだって、今の彼等には至難の業なのだから。

 ユウカの指示通りソーマとコウタで道を作ったは良いが、その最中もそれ以降も、雨のように大群からの攻撃が降り注ぐ。頬を掠める氷の礫に背筋が冷えなかった人間はいなかった。両手が塞がって攻撃できない故によく観察できるユウカが声を嗄らすほど叫んで指示を出し続け、その場をその場をギリギリで駆け抜ける。

 

 誰も余裕なんかなく、誰一人教会を振り返らないまま、第一部隊は贖罪の街を脱出した。

 ただ一人、雨宮リンドウを除いて。

 

 




クソ短


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少女、と女の子

 

 今日も元気に仕事に励もうと任務受注して出撃しようとした矢先、背後からいきなり襟首を掴まれて引き戻された。首が締まってカエルが潰れた時の断末魔を出すユウカに、ツバキはもうこの新人が入隊して何度目かと思う程大きな溜息を吐いた。

 

「お前今日何個目の任務だ」

「えっ……ええと………さぁ……何個目でしょう……」

「休め」

「いや受注しちゃったんで、」

「休め。教官命令だ」

「や~、でもクアドリガの素材がちょっと足りなくて」

「そうか。で、行先は?」

「贖罪の街です」

「却下。私の権限で任務は突っ返しておく」

「いや~あははは冗談キツいですよ~~~」

「最後通牒は必要か?」

「桜庭ユウカ上等兵すぐさま休息行動に移ります」

「よろしい」

 

 素早く姿勢を正して敬礼するユウカに、ツバキがやっと満足そうな表情を浮かべた。しかしどういうわけか、掴んだままの襟首は吊り上げられるばかりだった。徐々に食い込んでいく首回りに、ユウカはいよいよ脂汗を流し始める。

 

「あの、あの……教官?」

「ユウカ、お前に三つ質問がある」

「えぁ、ハイ……」

「一つ、昨夜は何時に寝た」

「ええと………さ、さあ。ギリ空は暗かったかと思いますけど……」

「そうか。では二つ、ここ一週間で受けた任務の数は」

「うーん……三十?」

「六十七だ。三つ、そのうち第一部隊隊員と出た任務の数は?」

「………あー………えー……と…………一個くらいは、あったような……」

「ゼロだ」

「教官ギブッ、ギブギブギブッッ」

 

 ワハハ。ツバキの乾いた笑いと共に、ユウカの襟元がいよいよギリギリと悲鳴を上げた。布が千切れる以前に、ユウカの首が諸々ヤバイ。

 ツバキは腕輪を封じているだけの元神機使いなだけあって筋力は現役レベルだ。つまりどういうことかと言うと、ユウカより遥かに鍛え上げられているという事である。その握力はリンゴどころかスイカすら容易に破砕し、アイアンクロウはオウガテイル程度の装甲すら砕ける。ユウカの頚椎など紙も同然だった。

 

「スイマ、スマセンッ!休みます休みます!ホントです嘘じゃないです!」

「当たり前だ阿呆ッ!!」

 

 解放された首を抑えてゲホゲホと腹からクるタイプの咳を繰り返すユウカを、ツバキは冷たい眼で見降ろしていた。身体をくの字に曲げてさえ、へらりと情けない笑顔でツバキを見上げるその顔にすら腹立たしく思う。

 ここ一週間、どう考えても無理に思える行軍を一人繰り返しているにも関わらず、ユウカの顔色は然程悪くなかった。多少青白い事、眼の下に軽い隈がある事。驚くべき事に、それだけが彼女の疲労症状だった。

 「ユウカちゃんが少し疲れているように見えるんですが」と最も接する機会の多かったヒバリからの進言によりやっと表面化したこの問題は、瞬く間に極東ゴッドイーターに広がった。

 

「向こう三日は任務に出して貰えないと思え」

「大袈裟ですね……。でも、実はそんなに疲れてないんですよ、本当に。外で暮らしてる時なんて仮眠一時間とかザラにありましたし」

「運動量が違うだろうが……」

 

 ツバキは思いきり頭を抱えてしまった。つい最近まで、桜庭ユウカは優秀なゴッドイーターだった。いや、それは今もだが、この一週間彼女は、自分のリミッターを完全に度外視した生き方をしていた。止められないようにこそ走り続け、周囲をいつもよりずっと慎重によく見て行動し、その精神ばかりを磨り減らした。その結果が、先程ツバキが本人に確認した馬鹿みたいな仕事量だった。

 こんな事になった原因も、理由も疾うに分かっている。

 雨宮リンドウの捜索状況が芳しくないのだ。

 彼女の直属の上官であり、尊敬できる先輩であり、そして自分が指揮する部隊を伴っての退却による行方不明。気にするな等言えるはずもなく、また責任を感じる必要はないと言えるほどツバキは向こう見ずではない。

 ユウカは立派にリーダーとして振舞った、その場で最善の判断をした。

 なのにどうしてその判断が報われないのだろう。

 

「無理をするんじゃない」

「だから無理じゃないんですってば。それに、リンドウさんの事は私の責任ですから」

 

 撤退命令を下したのはユウカだ。その責任から、部隊長の彼女が逃れる事は許されない。

 立派に微笑むユウカに、ツバキは懸命に溜息を堪え、毅然として通告した。

 

「本日を以て、雨宮リンドウをMIAとする事を上層部が確定した」

 

 ユウカはピクリと肩を震わせただけで激高するといったこともなく、憮然とした表情を浮かべた。まるでこうなることがわかっていたような仕草に、ツバキが眉を顰める。すると、ユウカはより一層嫌そうな顔つきになった。

 

「ここの上層部って、前から思ってたんですけど何を考えているんですか?マジで中途半端すぎて嫌になるんですけど」

「その心は」

「一週間で打ち切るくらいなら、捜索なんてそもそもしなきゃよかったんですよ。マジで探していたなら短すぎますし、探す気がなかったなら遅すぎます。一週間って……疑ってくれって言ってるようなもんじゃないですか」

「甘い。――最初からリンドウなんてどうでもよくて、神機が回収できればラッキー程度の期待だったんだろう。お前は意地の悪さが足らんな」

「ああそういう……」

 

 増々嫌になる上層部の意向である。ユウカはうんざりしながら盛大に表情を歪めた。人類共通の敵がいるにも関わらず、相変わらず人類は内ゲバばかり繰り返しているのだ。気分が悪くなってきたのは疲労だけのせいではないだろう。

 

「生体信号も腕輪のビーコンも消失したらしい。それでも生きていると思うか?」

「むしろこの状態でそれらを発してたらリンドウさんの正気を疑いますよ。入隊して一ヵ月しか経ってない私でもそんなの弄れますし」

「は?お前そんなのできるのか」

「え?はい。100割大騒ぎになるなと思ったので実践はしていませんが」

 

 ゴッドイーターの腕輪の最も重要な仕事は、むろんオラクル細胞の注入とコントロールだ。それら以外の機能はどうやら付属に過ぎないようで、機能は全てアプリみたいに分割されている。アプリを消去するか、電子媒体がないなら該当の基盤を物理破壊するか、もしくは発信機能を封じたいのだからキャンセラーを取り付けるなりオフライン状態にするなり方法はいくらでもある。

 あれやこれやとあまりに具体的な案を挙げていく少女に、ツバキはコイツまさか謀反でもする気じゃあるまいなと思った。大きく溜息を吐く。冷静な判断力はあるのだこの娘は。

 

「コウタが寂しがっているし、サクヤは増々気落ちしているし、ソーマなんか殺意に溢れている。なんとかしろ」

「う……わかってますよ。でも……」

 

 ツバキこそ彼女の心情は嫌になるほどわかっている。

 会いたくないのだ、顔を合わせづらいのだな。いつものように明るく振る舞えないのだろう。

 だが彼女の行いは、部隊長としての責任を取ると言っておきながら、現在の第一部隊への責任を放棄した矛盾極まる行動であった。例えその心の内を、ツバキがどれほど骨身にしみていようとも、痛い程彼女の気持ちを理解できようとも、教官故に諫めなければならない。ユウカの心を傷つけるのではないかという懸念があったとしてもだ。

 

「せめて逃げるのは止めてやれ」

「……はい」

「…………難しいか」

「少し。……あの、教官」

「なんだ?」

「……いえ、すみません。なんでもないです」

「そうか」

 

 ツバキは、今まで彼女と接したどんな時よりも柔らかな声を出した。

 本当は、ユウカを抱き締めてやりたかった。労わってやりたかったし、優しくして、しばらく部屋で養生していろと言いたかった。だが、相手が誰であってもそれを今のユウカは自分に許せないだろう。

 強靭で精神面も強く、聡明で諦めが悪い。あんなにも安定しているユウカであっても、本当は疵付き易い、ただの十六歳の少女であるのに。

 

 

 ツバキにより本日の業務から解放されたユウカであったが、完全に手持無沙汰に陥っていた。出社したと思ったら、今日は非番だったみたいな気分だ。改めてつい今まで熟したこの一週間の任務一覧を見て苦笑する。これじゃ止められて当然だ。

 行き場のないもやもや感を抱えたまま、一度部屋には帰って来たものの、二度寝をする気にもまたならない。

 第一部隊の他面々は今日は全員任務だろうし、他の隊員に接するのもなんとなく気が進まない。いや、なんとなく、なんかではない。本当はまったく、顔を見たくなかった。

 責められているような気がするのだ。断じてそんなことがないとしても、ユウカの罪悪感がそう思わせるのだった。

 自室の扉に背を預けてずるずると腰を落としていく。徐々に下がっていく視界にすら気落ちしながら、溜息とも吐息ともつかない呼吸を繰り返した。

 

「………はー……しんど」

 

 他者のどんな優しい言葉でも、どんなに思いやりに溢れた行動でも、卑屈にしか受け取れない時がある。それはきっと仕方のない事だった。

 瞼を下ろすと、なんだか随分昔に思える二人の並んだ姿が蘇った。見目麗しい、とても似合いの恋人たち。近い将来にきっと苗字を同じくしただろう二人だ。

 首を思いきり横に振って思考を放棄する。駄目だ。今これを思い出しては、立ち上がれない気がする。何か別の事を考えよう。

 そういえば、アリサどうなったかな。

 数日前医務室の前を通った時は、とても面会できる状態じゃなさそうだった。ユウカの手が届かなかった者の一人。会わなきゃならないだろうか、会わなきゃいけないんだろうな。

 それにやっぱり、心配だし。

 

「あ゛ーーー……うあ゛ーーー……」

 

 名状し難い呻き声を上げながら、ユウカはゆっくりと非常に緩慢な仕草で立ち上がった。頬を二回叩いて自意識を呼び覚ます。あまり効果はなかったが、やらないよりはマシそうだったのだ。

 

 日中の廊下は、所属の神機使いがみんな出払っているらしくがらんとしていた。偶に人とすれ違ったと思えば研究員や医療従事者である。

 静かな廊下を、誰にも呼び止められず歩く。硬質な足音のみが響く冷たい廊下は真っすぐで、何の面白味もなければ物凄くわかりやすいという事もない。退屈なものだ。

 視界に映る鉄色を眺めてぼんやりと物思いをする。胸に巣食う追い立てられるような焦燥とひたすらな仕事量に歯止めをかけられて、思考にエネルギーが割かれるようになったのだ。

 その矢先、医務室の扉を視認できた。入室しようとして、その扉が不意に開かれる。向こう側から開けた人物は、極東支部所属の医療従事者、大車医師だった。ユウカはかかった事はないが、評判は良く聞いている。

 

「おや、君は新型の。……アリサのお見舞いかな?」

「はい。面会できそうですか?」

「今はよく眠ってる。よく効く興奮鎮静剤を打ったから、当分は起きない筈だ。それでも良いかい?」

 

 構いません、と首肯する。どうせ行くアテもないのだし、隠れ場ついでにお邪魔させてもらおう。病室で煙草を吸う不届き医者に苦笑しながら、ユウカは足音忍びやかにアリサのベッドに近付いた。

 アリサの顔色はまさしく紙のように白かった。髪はボサボサで、着ている入院着もよれて皺になっている。相当な大暴れの跡がそこかしこに見て取れた。

 しかし静かに眠るアリサは、いつもより一層幼く無垢だった。いつ見ても綺麗な顔をしていると思う。菫のような少女だ。ロシアの大地で育まれた、透き通るような白い肌には、隈はあっても染みは一つもない。

 こうまで白いと、有色人種より体温が低そうな感じがする。まったくそんなことはないのだけれど、やっぱり気になって、ユウカは投げ出されたアリサの左手を握ってみた。

 

「ッな、―――?」

 

 キン、と鋭い頭痛。同時に、頭の中に記憶が流入する。知らない場所、知らない人、知らない声、―――埃臭いクローゼット。隙間から見える外の景色。そして白い部屋の、鼻につく消毒液の臭い。

 

 

『もーぅいいかぁーい』

『まぁーだだよぉー!』

 

 

 大人の声がする。パパとママだ。自分の口からは、まだほんの幼い、舌ったらずな高い声が出ていた。

 

 

 ハ、と我に返った。薄暗がりにいる。そうだ、クローゼットに隠れたのだ。パパとママが遊んでくれないから、こっちを見てくれないから。ちょっとでも困らせちゃおう。

 隠れたら、見つけに来てくれる。

 漠然としてはいたが、確かな期待と信頼がそこにあった。

 

 遠くでなんだか大きな音がしていた。パパとママの声も聞こえる。わたしを呼ぶ声だ。どうして今日は、いつもみたいに「もういいかい」と言ってくれないのだろ。せっかくのかくれんぼなのに。

 

 ほんの少しだけ、扉を開ける。隙間から外の様子を見ようとしたのだ。遠くにいたと思った両親は思ったよりも近くにいたようで、声のボリュームはグッと上がった。

 スグに二人の姿が見えた。優しいパパとママ。本当に見つかったわけではないけれど、見つけに来てくれたという事実自体が嬉しかったんだ。二人の懐に飛び込もうと扉に手をかける。小さな白い手。

 フッ、と、一陣の風が吹く。共に、真上から漆黒が降って来た。さして音もたてず、それは軟着陸の後に身体を丸めた。

 これ、一体なんだろう。そう一瞬思考した後、パパとママはどこへ?と首を傾げた。ちょうど漆黒の居た場所にいたはずなのに。

 

 おかしいなあ。

 

 少女は視線を動かして、それを、見た。

 

 真っ赤。真っ赤っ赤。

 つぶれたトマトみたい。ひしゃげたポストみたい。ちぎれた人形みたい。

 あれ、なんだろう。あし。うで。なんだかビロビロと伸びているピンク色のぬらぬらしたもの。

 

 漆黒はそれらに顔を埋めていた。微かに上下するそれと、鋭い牙が生えた口らしき場所が開閉するから察するに、たぶん咀嚼中であることが少女にもわかった。だが、何を食べているのかまでは理解が及ばなかった。魚か肉か、この漆黒もあのマズいゼリーを食べるのかしら。

 そうして、それ、を見た。

 それを、見た。

 

 あたま。かお。

 

 人間だった。人間を食べていた。アリサが昨日焼き魚を食べたみたいに。あぐあぐ。下品に犬喰いしていた。

 人間。人間。人間を。誰を?そこにいたのは誰?ここにやってきたのは誰?目を見開いているあれは誰?誰だったモノなのだ?誰が、誰で、誰と、誰、だれ、だれ、だれ?わたし、わたしは、わたわたわわわわわたしわたしは―――――――

 

 それが、こちらを見た。

 見ていた。

 ギョロギョロ。真っ赤なおめめが止まっている。何かを見つけたらしい。足元の肉はサッパリ平らげられていた。残さず食べれてえらいね、パチパチ。

 

 

『もういーかい?』

 

 

 ―――ああ、みつかっちゃった。

 

 

 

『いいかい、こう言って引き金を引くんだ』

 

 男が言った。不思議な臭いが部屋に充満していた。なんだか心地よい。ずっとここに居たい。どこにも行きたくない。

 扉を見るのが恐かった。だって開いてたらどうしよう。開いていたら、見つかってしまう。見つかってしまう。見つかってしまう。見つかってしまう。見つかってしまったら。

 

『oдин два три!』

 

 いち、にの、さん。

 

『そうすれば君は、誰より強くなれるんだよ』

 

 

 

 

 

「――ッは」

 

 今のは。

 ユウカの記憶ではない。では、これは誰の記憶だ。

 死んだのは、誰と、誰と、誰と、誰が――

 トリップから明滅する視界を堪えつつ現実に戻ると、美しいヴァイオレットと眼が合った。

 目を覚ましている。しかもそれだけではない、その眼には理性の灯があった。

 

「今のは、貴方の記憶……?」

 

 アリサは呆然と呟いて、見透かすようにユウカを見つめる。アリサも、同じようで違う体験をしたようだ。つまり、ユウカの記憶を断片的に見たのだろう。見た、というよりも、あれは追体験であった。

 だからきっとあれは本当に起こった事で。

 そして小さなアリサがどんな思いだったのか、余す事なくユウカは理解してしまった。

 心臓が痛い。

 痛くて痛くてたまらない。あまりに痛くて、涙が止まらなかった。

 ソーマに似ていると思った。誰かと関わるのが不得手で、いつも気を張っていて、周囲を誰も信頼していないような。それは間違っていないのだろう。

 だが、本当はきっと。

 

 ユウカは彼女に、自分自身を幻視したのだ。

 

 握ったアリサの手を力に任せて引っ張る。その小さな頭を腹部に抱き込んだ。

 

「『どうして、』」

 

 ユウカとアリサは互いに互いを見た。一番深い部分。過ぎ去って尚癒えないままの、敢えて言うならばそれは、『痛み』と形容して差し支えないそれを。

 最早現在において、ユウカとアリサは一つであった。

 口が勝手に動き、声が喉奥から零れ出てくる。それがどちらのものなのか、どちらの心だったのかは、神様にだってわかりゃしないだろう。

 ぼたぼたと水滴が寝ぐせがついた髪に落ちて滑っていく。月の雫のようだった。

 

「『どうして私が、』」

 

 年を経るにつれ、忘れた事が増えていく。日々を重ねるにつれ、思い出せない事が増えていく。昔日は遠く、毎秒色褪せていく。

 忘れてはならない事を忘れ、信じてはならない事を信じた。忘却の化物だった。

 ユウカとアリサは『あの日』、間違いなく死んだのだ。木っ端みじんに砕け散った。

 ユウカは背を押した人がいた。手を引いてくれる人がいた。

 けれどアリサは、あれから生きているフリをするだけだった。それしか出来なかったのだ。

 だって背を押してくれた誰かを喪って、手を引いてくれた誰かとも手が離れてしまったのだから。

 どうしてそうなってしまったのだろう。どうすれば良かったのか、ユウカにもわからなかった。

 そうだ、アリサはソーマに心を明け渡す前のユウカに似ていた。嫌になる位ソックリだった。

 今でも尚思うのだ。

 理不尽な事に打ちのめされる度に。誰かを喪う度に。傷つく度に。

 闇にふと怯えるその夜に。

 

 嗚呼、どうして。

 

「――――『どうして私が、死ななかったのだろう』」

 

 何重もの層で覆ったその奥の奥の、奥底で、いつも、沈んでいる言葉だった。

 それは誰にも、特に―――には絶対に言えない言葉だ。生を望んでいない訳じゃない、けど、時たまフッと思ってしまうのだ。

 すぐに聞こえなかったフリをして、そんなことを思わなかったフリをするけれど。生きている日々は幸せだけれど。

 

 それでも、死んでくれない疑問なのだ。二人は永遠にこの疑問から逃げる事を許されないのだった。

 

 なりふり構わず天を仰いで泣き声をあげるユウカの腹を、細い腕がぎゅうと抱き締める。ユウカもそのまま彼女を力の限り抱き締めた。

 だがそれでも、死にたくても。明日が見えなくても。誰を喪っても。生きている者は責務を全うしなければならない。生きていくのだ、その為に戦うのだ。そう誓ったのだから。

 しかし、過去とは過ぎ去ったものと書くくせに、胸をザックリ貫いて刺さったままなのだ。だから、こんななんてことない悲劇でも立ち上がれなくなる。

 自分が殺したも同然な『誰か』を思って。泣く資格などないのだと百も承知で、それでも零れ落ちてしまった、それを無様と呼ぶのだろう涙を誰の目からも隠して。胎児を庇うように小さな女の子の顔を腹にうずめて抱きしめる。ばかやろうしんじゃえしんじゃえとわあわあ喚きながら自分の涙は野ざらしにして。

 

 それでもアリサの朽ちかけのプライドを、ユウカは守り切った。

 




感応現象大事故


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少女、と女傑たち

 

 浮上した意識とともに顔を上げ、その瞬間に後悔した。ベッドの向かいにある長ソファ奥、テーブル状になっているそこで誇らしげに立っている写真を、まともに見てしまったからだ。

 完全非番一週間を言い渡され、サクヤは部屋一人寛いでいた。それはあくまで表向き、ではあるが。

 実際には、サクヤは塞ぎ込んでいると形容して相違なかった。

 部屋の扉を潜る事は一切せず、室内で何もかもを済ませた。元々部屋には簡易シャワーも水場もあったのが災いした。生きる上で必要最低限の食事をし、ベッドの上で自堕落に微睡む。見るのは悪夢か、もしくはもう叶わない夢幻か、はたまた優しい過去だったりと様々だが、どれも等しくサクヤを深く傷つけた。飛び起きては絶望する時間だけがそこには流れていた。

 目を瞑れば瞼の裏側に容易に蘇る。些細なやり取りさえついさっきあった出来事のように鮮明に思い出せた。なのに、その最愛の相手はいない。

 サクヤは何もかもに耐え切れなくて、立てた膝に顔を埋めた。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。どうしてあの日その場で残れなかったのだろう。どうして置いて帰ってしまったのだろう。そんな「どうして」ばかりが浮かんでは、生産性もなく消えてった。なにもかも、仕方のなかった事なのに。どうしようも、ない事だったのに。

 細い体躯が項垂れると、より一層華奢さが際立った。戦場を駆る狙撃手とは思えないほどの薄い身体は、平時よりずっと青褪めている。

 そんなサクヤの部屋に来訪者を知らせるノックが響いた。一瞬だけ浮かんでしまった淡い期待を、頭を振って振り払う。その程度の理性と正気は残されていた。前触れなく来るリンドウのせいでロックを忘れた扉を自発的に開く。

 そして直後に言葉を失った。絶句である。

 なんでかって、扉の向こうにいたのが缶ビールオバケだったからだ。

 

「……何をしてるの?ユウカ」

「完全非番とお聞きして酒盛りしに来ました」

 

 頭痛を堪えるようにして額に手をやりながら聞くと、ひょこりと缶の山の横から顔を出した予想通りの少女がはにかみ笑う。ツバキから聞いた話通りなら、そういえばユウカも三日ほど休暇を貰っていたはずだ。そして、未成年にも缶ビールは配給される。この時世法律やら憲法なんていう平和的なものとっくになかった事にされているし、軍規には別に禁止されていない。配給された不必要なものは、大抵同僚や上官とトレードしたりするものだ。個人の好みなぞまでフェンリルが把握するはずもない、勝手にやれという事である。けど、それにしたってこの量の缶ビールはどこからかっぱらってきたのか。

 疑問はともかく、立ちっぱなしというわけにもいかないので部屋に入れる。配給ビールがガコンガコンとテーブルに転がった。

 

「サクヤさん、怒ってますか?」

「……何に対して?」

「あの時判断を下した私に対して」

「怒ってると思う?」

「少しは。怒る権利はありますから」

 

 どうなんだろうな、とサクヤは少し考えた。本当に自分にそんな権利があるのか疑わしかったし、ユウカに対してそんな感情を抱いているとも思えなかった。だってあの時は本当に、そうするしかなかったのだから。むしろ、謝りたい気分でさえあった。あの時使い物にならなかったのは、間違いなくサクヤの方だった。

 

「……怒ってない」

「怒ってないんですか?」

「ええ」

「私はバキバキにキレてるのに?」

「どうして??」

 

 素直に心の底からそう言ったサクヤに、ユウカは唇を尖らせていかにも不機嫌そうな表情になった。

 

「だってリンドウさん来月までには絶対帰ってきませんよ。私の嗜好品交換券……」

「うん。うん、うん、待ってね。重要なのは貴方にとってそこなのとか、リンドウが帰ってくるのは来月どころかっていうか、突っ込み所が私の中で大渋滞を起こしてるから」

「私はただ単純にあの人がアラガミに手古摺って危機的状況になる姿が想像できないだけですよ」

「整理してるところで新しい弾頭を持って来ないで?貴方リンドウの事なんだと思ってるの?」

「アラガミより理不尽でスパルタだと思ってます」

 

 キッパリと言い切ったユウカに、サクヤは遣る瀬無い気持ちで、しかしどこか理解も示せるような感じもしてしまって項垂れた。何とも否定し辛い。ことユウカに関しては、彼女の言い分は間違いではないだろう。サクヤもちょっとどうかと思うくらいの指導ぶりだった。

 

「なので帰ってくるまでに、リンドウさんの恥ずかしいエピソードとかお伺いして強請るネタにしようかと思って参りました!」

「清々しいほど自分の事しか考えてないわね!?」

「当然です。ヘマ踏んだお馬鹿さんなんて慮るに値しません」

 

 それは揶揄いを前面に押し出してはいたが、隠しきれないほどの信頼が在った。彼女は、信じている。いや、疑ってすらいないのだ。この期に及んで、まだ。

 

「もう一週間も行方知れずなのよ?オラクル細胞の調整注射もしてない」

「まだ一週間、の間違いですよ。壁外のマーケットは黒も白もありますが、放蕩ゴッドイーター用のものもいくらか叩き売られてます。諦めるには早すぎますね」

「けど、何の音沙汰もないし……」

「便りがないのは元気な証拠ですって!それに、案外帰れない便りも出せない明確な理由があるのかもしれません」

「例えば?」

「さあ。深入りする気はないので存じ上げませんが、不愉快に思ってた人はいるみたいですよ」

「知ってるの?」

「知りませんてば。でもなんていうか、あからさまじゃないですか。任務地のブッキングもそうですし、あんなにアラガミが集まってたのもおかしいですし、新型が二人も配属されてるのもおかしい。あ、あとあの時の任務記録も消えてますよ」

 

 サクヤは冗談よねって笑おうとしたけども、無言でアーカイブを視線で促されて頬を引き攣らせる。嘘だと思うなら自分で確かめろということだ。そしてそれはつまり、冗談ではないということだ。

 

「次々舞い込んでましたから、有耶無耶にするのはさぞ簡単だったでしょうね」

「…………どう思う?」

「きな臭いなあと」

「そうじゃなくッて!」

 

 焦燥を直情的に乗せた鋭い声に、ユウカは眉を下げて押し黙った。サクヤはその表情に覚えがある。彼女が部隊員に注意を言いつける直前によく浮かべる表情だった。ガラじゃないと思っていながらも、同僚を心配する顔だ。

 プシッと缶が爪を剥がされる。無言でユウカはそれを一口飲んだ。そして口を開きかけたとき、再度扉が開かれて咄嗟に振り向く。

 

「ゲッ!ツバキ教官、イダッ」

「子どもがこんなもの飲むな馬鹿者が」

「軍規には抵触してません~~~良いじゃないですか別に初めてじゃないですよ」

「ほーう、初犯なら情状酌量の余地あったが、そうかそうか既に前科持ちか」

「その言い方やめてくださいよ、不良少女じゃないんだから」

「どっからどう見ても不良少女だバカが。お前はこっちでも飲んでおけ」

「ジンジャーエールで酔える人類がいたら見てみたいもんですねぇ!」

 

 颯爽と現れたツバキは流れるような手つきで缶を取り上げ、喚くユウカを片手で押さえつけた。取り返そうと藻掻いて掲げられた手に、ジンジャーエールの小瓶が二本押し付けられる。

 

「ツバキさん、どうして」

「シッカリ自室待機しているかとコレの様子を見に行ったら姿がなくて探し回っていたんだ」

「え?教官からの信用がなさ過ぎてビックリなんですけど。えっ?」

「何か弁明の言葉があるなら聞くが?」

「アルワケナイジャナイデスカー」

 

 首根っこを鷲掴みにされたユウカはもう諦めきった眼で虚空を見つめた。賢明だなとサクヤも首肯する。ユウカがここに来た経緯を簡易に説明してやっと、ツバキはユウカから手を離した。

 

「なんだそういう事なら私も呼べ。何もかも暴露してやるぞ」

「じゃあ手始めに一番最近のでも教えて下さい」

「この前神機に向かって人生相談してたぞ」

「めちゃくちゃ面白いじゃないですか詳しくお願いします」

「構わん。サクヤ、座っても?というかお前も何時までも突っ立ってないで座れ」

「え、あ……はい」

 

 停滞した澱んだ空気がユウカによって押し出されたかと思えばぶち壊され、挙句ツバキの登場で最早そこは混沌と化していた。眼前の目まぐるしい状況変化に耐えられず、身に染み込んだ命令直下の脳が咄嗟に返答して、身体はストンとその場に腰を下ろした。

 

「というかホストのお前は何か持ってないのか」

「えー……あ、リンドウって名前が、女の子が生まれてくると思って用意されてたもので、いざ生まれてきても両親がそのまま名付けてしまって生きづらいって」

「はっはっはっは!そうそう、ウチの両親はすっかり姉妹で花の名前にしようと思っていたんだ」

「女子だと思ったらゴツい男が来たからってよくどつかれて鬱陶しいらしいです」

「ゴッドイーターに何を期待してるんだそいつらは……」

「まあ字面だけならカワイイ女の子感ありますからね。教官も好きでしょう?カワイイ女の子」

「……………まあ…………」

「えっ???ツバキさん??」

「軽い同意をしただけだ別にそういう趣味はないやめろ」

「妖しいやらしい」

 

 無言でユウカの顔面を掴んでアイアンクロウし出したので、サクヤはそっと後退って目を逸らした。ツバキはユウカと違って賢いようでなによりだと言った風に頷き、右手に力を籠めるにつれモゴモゴ煩い少女をぺっと投げ棄てる。

 

「いたい……圧倒的暴力……これは明らかなパワハラ……訴えて勝ってやりますからねェ……サクヤさん証人として協力してくださいよぉ……」

「ユウカ、私も所詮軍の犬なのよ」

「味方はいないんですかっ」

「どう考えてもその緩い口が問題だろうが」

 

 ジンジャーエールの小瓶を無理矢理突っ込まれ、情報漏洩の模範のような口が強制的に閉じられる。不満そうにそのまま口を動かしていたが、最終的に憮然とした顔でゴクゴク喉を鳴らして静かになった。思ったよりもジンジャーエールが美味しかったみたいだ。

 

「サクヤは何か持ちネタないのか?」

「その呼び方やめません?」

「代替案があるなら考えるがないなら私はもうこの路線でいく」

「ソですか……ええと、あ、……もう結構前の話ですけど、あの人出撃した後神機忘れた事に気づいてました」

「あったなそんなこと」

 

 ブーッと横で液体が噴出される。お腹を押さえて転がったユウカにつられて、サクヤも自分で話して自分で面白くなってしまって浅い引き笑いを起こした。

 

「完璧小学生がランドセル忘れた時のそれじゃないですか!」

「バカだからなアイツはバカだから」

 

 ツバキが腹部の痙攣を抑えながら応えると、ユウカはアハアハとますます大きく笑い声を上げた。息も絶え絶えになりながら、目尻に浮かんだ涙を拭う。

 

「もっと聞かせて下さいよ、サクヤさん。小さい頃から最近まで、リンドウさんのこと!」

 

 満面の笑みで言うユウカに、サクヤは虚を突かれたかのように息を呑んだ。そうしてこの瞬間、サクヤはすべてを理解した。

 ああこの少女は、私を守りに来たのだな。

 いくつもの建前と方便と釣り餌を手にして、巧妙に隠しながら、自分だって傷だらけのくせに。ずるい。なんてズルいお馬鹿さんなんだろう。気付けて本当に良かった。

 

「そうね、じゃあリンドウと初めて会った頃の話をしましょうか」

「おっこれは惚気の予感~~~!」

「最後まで付き合ってもらうわよ?」

 

 もちろん!少女がニコニコ笑って小さく肩を竦めた。優しい微笑みを浮かべたツバキがそれらを眺めている。

 周到に用意された、優しいこの時間を守らなくてはならない。厚意を無駄にしないよう、好きでもない配給ビールを煽った。相変わらず、旨くもなければ不味くもない、苦味の強いヘンな味である。だが悪くはない。体温の上昇と共に気分を高揚させ、サクヤはなんにも気付かないフリをしながら、目を細めて昔を懐かしみ、謳うように口を動かした。

 

 

「私、最初はこの子に嫉妬してたんです」

 

 誰がジンジャーエールで酔わないと豪語していたのやら。それとも雰囲気酔いか、もしくは最初の一口が彼女の限界だったのか、ユウカはすっかり出来上がって目を回していた。今はサクヤの膝の上に頭を乗せ、赤ら顔で涎を垂らしつつ呻いている。

 そんなだらしない少女の世話をしてやりながら、サクヤはゆっくりとした口調でツバキに言った。ツバキは驚くことも、相槌を打つこともなく、ただ静かにサクヤの話に耳を傾けた。

 

「リンドウに今までにないくらい目を掛けられて、他のゴッドイーターなんか目じゃないくらい才能があって、なのにいつもふざけててお馬鹿で……けど私よりよっぽど強くて、なのに私に憧れてて、慕ってさえくれて……嫉妬というか、…………なんと言ったら良いんですかね、こういうの」

 

 きっと本当の意味では、ユウカは天才ではないのだろう。彼女には彼女の苦労や苦悩、辛さとか痛みとかがあって、ユウカは今までとんでもなく頑張って来たことは違いないのだ。けど、―――サクヤだって、懸命に頑張って来たのに。

 どうしてこんなに敵わないのだろう。神機使いとしても、人間としても、指揮官としても。

 だが嫌悪するにはユウカは人間が出来過ぎていたし、サクヤさんサクヤさん、とひよこみたいに後ろを追いかけられては、そんなことできるはずもなかった。可愛かった。サクヤは本当に、そんなユウカを本心から可愛がっていたのだ。嫌いなわけではない、嫌いなわけ、ないのだ。

 こんな思いは、きっと誰にも理解できないだろう。だから惨くてかなしい。

 しかしようやく、リンドウのやりたかったことが、サクヤにもわかった。どうしてユウカをあんなに育てていたのか、後継者にしたがったのか。その理由が。

 負い目があるくせに、今日ここに来てくれたこと。サクヤの荷物を背負いに来たこと。頼る相手はここにいるよって、彼女は伝えに来たのだ。いつも弱気なくせに、こんなときばっかり。

 

「ツバキさん、第一部隊のリーダー、ユウカを推薦して下さいませんか」

「構わんが、…………良いのか」

 

 それは、「リンドウの事は諦めるのか」という確認でもあった。サクヤはふるふると首を横に振る。

 

「いいえ、私はきっと生涯リンドウを諦められないでしょう。でも、現実としてリンドウは今支部に不在になってしまった。なら、代打でもその時ばかりの部隊長でもない、正式なリーダーが、第一部隊には必要です。そしてそれは、ユウカ以外に在り得ません」

 

 判断力、指揮力、武力や防衛力だけでない、リーダーとして必要な能力全て申し分ないユウカを推さないと言う事は、最早背信行為にすら等しかった。今はもう、それだけが理由ではないけれど。

 

「彼女の下でなら、私は全幅の信頼を置いて戦えると確信しています」

 

 サクヤの何の衒いもない本心からの言葉に、ツバキは真剣な顔で一つ確かに頷いた。

 第一部隊のリーダーの事は、ツバキとしても悩みの種だった。早々に決めては周りの心の準備もできないが、曖昧なままにしておいて良いものでもない。いずれは決めねばならない重要事項には心配も僅かにあった。だが、どうやら杞憂に終わるようだ。

 

「頼る相手は見つけたられたか?」

「……ええ。ちょっと頼り甲斐がありすぎるところが、問題ですけどね」

「違いない」

 

 仰向けになってすよすよ安らかに眠る少女の黒髪を、サクヤは丁寧に丁寧に梳いて微笑んだ。そして、冷蔵庫に視線だけを向ける。

 

『配給ビール、取っておいてくれよ!』

 

 リンドウの最後の言葉を思い出して、膝に居るユウカが起きていたとしても聞こえないほどの小さく息を吐いた。

 もし、そこに何かがあったのなら。全てを相談した上で、何もかもから彼女を守ろう。それが、リンドウに託されたすべてのように思えた。

 

 

 




ユウカちゃんは酒に激弱なわけじゃないですが、雰囲気酔いをするタイプなので一人飲み・サシなら普通ですが、飲み会では真っ先に潰れるタイプです。


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少女、奮起

 

 靄がかったような中、意識が覚醒した故に瞼を押し上げる。思考がふわふわしていれば、視界も間隔もぼんやりだ。

 

「気は済んだか?」

 

 重い頭を上げると同時に声を掛けられ、のろのろと視線をそちらへ向ける。目を覚ますと、そこは知らない天井であった――というわけでもなく、そこはソーマの部屋らしかった。らしい、というのは、ちょっと未だ酔っていて記憶がないし寝起きで視界もぼやけているからだ。

 

「…………済んでないし澄んでもない」

「明日も非番とは言え気が緩み過ぎだ。緊急出動もあるんだぞ」

「頭痛はしない。のでセーフ」

「アウトだ馬鹿が」

 

 放り投げられたペットボトルをユウカは真剣白刃取りが如く両手でキャッチした。この状態でノールックキャッチは無謀とは流石に判別がつく。ありがとぉ~~、などと間延びした声で礼を言いながら水を呷る。

 

「ソーマさん、もしかして迎えにきてくれた?」

「いつまでも床に転がしておくわけにもいかないだろう、連絡が来た」

「ワーイゴメンナサイ。お手数かけました」

 

 ペットボトルを両手で包んだまま額につけて背を丸め、深々と謝るというか拝んだ。衣文掛けとソーマを見間違うようなベタな事もなく、睡眠と水分を摂ったユウカはしゃっきりと復活した。

 正気に戻ったせいで余計な事も色々思い出したが、ユウカは無かった事として脳の処理を行うことにした。

 酒飲みの翌日によくある症状を味わいながら、素知らぬフリして水をもう一口飲む。

 

「それで、そこまでするほどの価値はあったのか」

「そりゃあ……たぶん?」

「ハッキリしないな」

「真実は、いつも一つ!だけど心の声は、いつも!多様なんだよ~~~!」

「そうかい」

 

 ビシッと人差し指を立ててキメポーズを取るが、ペットボトルと寝ぐせのせいでどうもしまらない姿となった。自分でもそれがわかったので、若干気まずげに腕を下ろしてそっぽを向く。

 一方ソーマはくすりともせずにベッドの縁に腰かけた。鼻で笑われてもアレだが、スルーはスルーで辛い。

 というかそう言えばここ一週間馬鹿みたいな出撃をしていたのだった、怒っているのだろうか。

 さっき配給ビールをかっぱらってきたコウタには滅茶苦茶に怒られた。というか泣かれた、ごめん。

 理性とかを取り戻したユウカは、チラチラ視線だけでソーマの様子を窺いながら、恐る恐る謝罪を口にした。

 

「……ご、ごめんなさい……?」

「は?何だ」

「いや……その……ここ一週間さぁ、避けちゃってさ……」

 

 視線を彷徨わせながら弁明するように罪状を連ねる。しかし、ソーマは黙ったままユウカから目を切り、腕を組んで何やら考え込んだ。長い沈黙の間、ユウカとしてはもう死刑執行を待つ囚人の気分である。

 

「最初は怒っていた、だが……気持ちがわからないでもない。任務記録も見た、遠目に見かける事もあった、その白い顔色をな。……だから、まあ、総合的に見れば、……心配の方が強かったな」

「ごめんよぅ……」

「二度目だからな。慣れたものだ」

「う、そうだったね………あの、別に逃げたい訳じゃないんだよ?けどね、うん、……合わせる顔が……なかった……」

 

 結果や経過はどうあれリンドウを見捨ててしまった。死んだなんて思っていないが、現時点を持って消息不明なのは事実だ。

 ユウカは彼の生存を疑ったことはないし、微塵も死んだなんて思ってないけれど、それでも、いなくなってしまった。

 あの時、指揮を執ったのも命を下したのも自分だ。ソーマと長い付き合いの、信頼できる人を置き去りにさせてしまった。どの面下げて会えるって言うのだろう。どんな言葉も、第一部隊の面々の前では詭弁となってしまうような気がしていた。

 

 

 ―――『わたし、見ないフリをしていたんです。違うってわかってたのに、それがベッドに逃げ込んで布団を被っているのと同じだって知ってたのに』

 

 相手の肩に額を預けて、アリサが囁くように呟いた。二人の両手はベッドの上で絡めて繋がれ、目元と鼻は赤かった。鼻声には届かない、少し曇った声に、ユウカは耳を澄ませる。

 

『楽な方に身を任せた。……これこそが、私の罪なんですね』

『……そうだね』

 

 ユウカ自身がそれを許せたとしたって、その何が悪いのだと思っていたとしても。事実を否定することはできない。

 静かに肯定したユウカに、アリサが静かにフと息を吐いた。溜息のような微笑のようなその吐息の後、額をよりユウカの肩に押し付ける。ユウカを縮ませそうなほど強く押し付け、そして弾かれたように身体が離れた。反動でユウカも少し仰け反り、アリサの顔が見える。

 

『ごめんなさい。けどもう逃げません』

『……できそう?』

『できなくても、やるしかないです。引き金を引いたのは私です。無謀に突っ込んで気絶したのも。浅慮で両親を呼び寄せたのも。私はこの罪から、逃げるわけにはいかないんですから』

『辛いね』

『……ええ』

 

 首肯してアリサは静かに微笑った。夜半の湖のような、暗くて深くて何一つ反射できない笑みだ。ユウカも同じような表情を浮かべている。鏡合わせのよく似た二人の頭上で、安っぽい蛍光灯がチリチリと音を立てていた。

 

 

 ――そうだ、ユウカだってそうだったのだ。逃げていた。見ないようにしていた。向き合っているようなフリをして、実のところ誰とも向き合えていなかったのだ。

 至らなさから来る羞恥で、呻き声を上げ前のめりに倒れる。

 

「よりによってアリサに気付かされるなんて……」

「……アイツ、目が覚めたのか」

「少しの間だけね。新型同士ってなんか、スゴイね。ちょっと感動した」

 

 何かあったのか、と視線で問われるが黙秘する。実際にはちょっとというか涙の雨嵐だったわけだが、進んで情緒不安定を曝け出すこともないだろう。

 目を泳がせて下手な口笛を吹くユウカにソーマは物凄く怪訝そうな顔を向けたが、最終的には何も聞かない事を選んだ。代わりに深い溜息を吐き、重ねてユウカに尋ねる。

 

「もういいのか」

「うん。もう十分逃げたから、……戦わないと」

 

 ユウカはそう言って気丈に微笑んでみせた。

 生きる事と戦う事は同義だ。生きている以上、戦い続けなければならない。ゴッドイーターでなくとも同じことだ、ひとは生きる為に戦うのだから。

 低く舌打ちしたソーマに、ユウカはけらけらと軽やかに笑った。

 

「しばらくはアリサ復帰の手伝いをすると思うけど、もう無理に忙しくはしないよ。約束する」

「どうせ破るだろうがお前は。付き添うから事前に言え」

「えー。アリサのダメダメなところ見て良いの私だけにしたいなー」

「お前そんな独占欲見せたこと今までないだろ。は?なんなんだ?急にヤツに殺意湧いてきたんだが」

「え!じゃあ今度から見せるね」

「やっぱりウザそうだからいい見せるな寄るな」

「なんで!!??」

 

 にじり寄ろうとするユウカの頭頂を掴んで抑えつける長い腕に全力で抵抗する。

 しかし悲しいくらいの絶対的筋力差の前ではか弱い乙女は無力だった。だがこの世には柔よく剛を制すという素晴らしい言葉がある。か弱き乙女はそれに縋るしかない、つまり飛びつき腕ひしぎ十字固めを極めたのだが、これは見様見真似で初めてやったにしてはよくできていた。数多有る関節技で最も痛いと評される技は伊達じゃない。完璧にキマったこの状況では、おそらく痛いを通り越している筈だ。

 

「今歩み寄る流れだっただろうがバカがッ!ギブ!ギブ!」

「ワハハハいつまでもやられっ放しと思ってんじゃないわよバーカバーカ!クソザコゴッドイーターちゃん達が見た目カッコいいよねとか言って赤くなってるとこみちゃった時なんてめちゃくちゃ嫌な気分になったわバカヤローッ!この鈍感!」

「わかったから放せもげる!」

 

 完全にヤケクソな感じの高笑いを上げるユウカの腕から、ソーマは体格差という圧倒的武器を以てなんとか逃れた。双方ゼェゼェと息切れをしながらその辺に転がる。

 馬鹿の見本市のようになった二人共はしばらくして我に返って正気を取り戻す。

 二人で床に転げた。ユウカはその青いコートを利き手で掴んだ。外す事の出来ない赤い腕輪の向こうで、コートの裾がくしゃりと歪む。

 

「ソーマさん」

「なんだ」

「…………明日からまた頑張るから。よろしくね」

 

 一瞬の逡巡。そして言おうとした言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。

 それに気が付いているのかいないのか、ソーマは「当たり前だ」と短く返答して、握りしめられた白い拳を上から覆った。ソーマはその素行から、隊長職に任命された事は殆どない。だから彼女の双肩にかかったその重さも、わかってやることなど出来ない。

 けれど、ソーマはわからなくても良いと思っていた。

 自分がユウカを見失わなければそれで良い。

 

 

 

『私たち、きっと完全に幸せにはなれないでしょうね』

『……そうだね』

 

 幸せを求めるのは生物の本能だろう。ユウカだって、不幸であるよりは幸せである方が良いに決まってる。だが、それは余人の勝手な思い込みだ。アリサの言う通り、逃げるわけにはいかないのだから。この先どんな幸福な時間であっても、過去が伸ばす昏い陰は存在し続ける。

 だが手放せなかった一握の幸福と思い出があるから、人は生きていける。

 

『ソーマと貴方がどんなにイチャコラしていようと、私は忘れませんからね』

『うん。私も、アリサとリディアさんがどんなに涙を流して抱き合っていても忘れてやらないから』

『ええ、そうして下さい』

 

 互いの痛みを共有した二人の顔は、見違えるように美しくなっていた。痛みという存在を受け入れることは、二人の外見にすら及ぶほどの成長を促したのだ。しかしそれには気付かず、共犯者となった二人はそれから抱き合って互いに体温を分け与えた。

 

 過労死してもおかしくないレベルの任務量を熟していたユウカだが、課せられた休日は一日のみであった。ゴッドイーターはクソである。

 一日休めたとは言え残っている若干の気怠さを、両肩を回して誤魔化した。タラッタタタタッ、とリズム良く鉄の階段を下る。

 

「おばちゃん、おはようございます」

「あらユウカちゃん!最近忙しそうだったけど、大丈夫だったの?」

「ご覧の通り、元気です!おばちゃんは腰良くなった?」

「腰ねえ。この前ちょっと良くなったんだけど、またすぐ悪くなっちゃって……サロンパスが手放せないわよ~ホント、あ、イタタタタ、そこ痛いそこ痛い」

「えっ、ここ腎臓のツボですよ?」

「あらっ?」

「軽くむくみもありますし……塩分摂りすぎです」

「も~主人に続いて私まで?ユウカちゃんって、やっぱりエスパーなの?」

「保存食は塩ッ気多いですから、ご主人にもしっかり言い含めて下さいね。てかやっぱりってなんですか?」

「いや~、日頃の行いじゃね?」

「コウタ!おばちゃん、じゃあねっ」

「またお喋りしましょうねぇ」

 

 掃除のおばちゃんに手を振って離れ、呆れた顔を隠さないコウタに駆け寄る。

 

「はよ~。ユウカの交友関係ってどうなってんの?」

「おはよ。やー、腰痛いとか最近動くのが辛いとか言われたらさぁ、色々勉強してた身としてはね」

「お前、そんなんだから過労死しかけるんじゃねーの?」

「過労死しかけてないっつの。元気ビンビンだったわ」

「それはそれで人間としてはおかしいような……」

 

 早朝のアナグラには行商人と清掃員、オペレーターが主に仕事をしていて、ゴッドイーターはちらほら見かけるくらいだ。

 昼夜の区別なく現れるアラガミのせいで、ゴッドイーターが真っ当な生活スタイルを保つのは難しい。そういうところから生活習慣病が始まるのだが、未来の病気より今の脅威だ。もっと人員が豊富になったらそれとなくゴリ押しして改善案を通そうと思う。

 

「えっソーマじゃん」

「ホントだ。おはよー」

「ああ」

「ウワー、おま、露骨ー。ユウカが復帰した途端ミーティング出るじゃん」

「何が悲しくてお前と顔つき合わせる為に二十分早く起きなきゃならないんだ」

「サイテーすぎだろ!同じ部隊の仲間だろォ!」

「ソーマさんサイテー」

「そもそも隊ミーティングは義務じゃねえ。任務には時間通り来てたから問題ないだろ」

「それは当たり前だから。そんなんだから協調性ないって言われるんだよ?わかってる?」

「わかってないからやらかすんだろソーマセンパイは。俺が一人寂しくエントランスで突っ立ってた時の気持ち、わかんねーだろうなー!」

「お前ソファで寝てただろうが!」

「ねえどっちもバカじゃん。ちゃんとやってよー」

「「オマエが言うな」」

「すみません……」

 

 いつも通り――リンドウがいなくとも、サクヤとアリサがいなくとも、以前の通りのやり取りが戻っていた。

 自然に笑えた事に安堵したと同時に、僅かな罪悪感のような寂しさのような、なんともいえない感情が胸の内に溜まる。

 

「昨日通達した通り、今日からまた私が隊長代理として、第一部隊は任務を熟していきます。手始めに色々任務受けといたから、頑張っていこーね!」

「了解」

「りょーかい。つかでもコレ量多いだろ!」

「え、そう?」

「おいソーマやべーよこいつ、まだ仕事量バグってるよ。チョップしてやれチョップ」

「家電の類じゃねーわ!イタっ、ちょ、ホントにチョップしないでよっ!いたっ!ごめんごめん減らしますっ」

「もう昨日のうちに減らしといたよ」

「あ、あれコウタの仕業だったの?バグかと思って再受注しちゃったよ」

「バグはお前だよ!なにやってんだよ!」

「滅茶苦茶か。もうやるしかないな」

「はー、おま、お前ユウカ今日夕飯なんか奢れよ」

「わかったわかったよ。ごめんて」

「あのっ!」

 

 緊張で裏返った少女の呼び声に、三人がほぼ同時にそちらへ振り向く。

 赤い帽子を目深に被り、浅く呼吸をしたアリサがそこに佇んでいた。前の、自信過剰な風体は消え、身体を縮こませて長い両足を竦ませている。

 

「その任務の過剰部分、私にやらせて貰えませんかっ」

「アリサっ?え、身体は大丈夫なの?」

「本日付で、原隊復帰になりました。また、よろしくお願いします!」

 

 風切り音が聞こえそうなほど勢いよく頭を下げたアリサに、コウタは若干慄き、ソーマは軽く瞠目している。

 

「実戦復帰の許可は?」

「ユウカとツーマンセルのみという限定範囲ですが、一応」

「そっか。じゃあ行こうか」

「っありがとうございます!」

「皆で」

「えっ」

「エッ」

「は?」

「いや当たり前でしょ。私たち、みんなで第一部隊なんだから。ソーマさんにも昨日言われて、私は考えを検めましたっ」

 

 仁王立ちして腰に手を当てたまま、ユウカは「どうだ偉いでしょ」といった様子で大きく頷いた。流れ弾が飛んできた男二人は勿論、アリサも唖然として間抜けに大きく口を開ける。

 

「いっ、いやいやいや、ユウカ!私、はっきり言って今は足手纏いで、」

「だからこそでしょ。私だけじゃなくて、皆に頼って」

「ですが、許可はツーマンセルのみで、」

「アリサ」

「えっ?」

「バレなきゃ犯罪じゃないんだよ?」

「いや命令無視は犯罪ですよ!」

「違うよアリサ。犯罪はね。バレて、送検されて、沙汰が下ったら犯罪なの。沙汰下るまでは犯罪じゃないんだよ」

「犯罪ですよ!二人もなんとか言ってください!」

「……や、ユウカの言う通りだよ」

「は!?」

 

 援護射撃どころか背後から刺されたような心地で、アリサが険しい顔でコウタを見やる。

 

「オレたちさ、ユウカにいつも頼ってばっかだよ。新しく来たばっかのアリサのことも、……あのときも」

 

 今度はユウカが驚く番であった。コウタがそんな風に思っていたなど、そんな風に罪悪感を感じていたなど、思ってもみなかった。

 隊長職とは隊員を守り、導くのが役割だ。むしろ、頼られるのは喜ばしいとすら思っていた。

 けれど、そんなことは良いんだよ、気にしてないよ、と言ったところで、コウタは納得しないだろう。

 

「オレ、まだアラガミの事は勉強中だし、ユウカみたいに作戦も立てられんけど。でもさ、ユウカばっかり色々背負わせんのは、やっぱ、良くないって思う。アリサにも早く立ち直って欲しいし、元気になって欲しい。だからオレも、アリサの手助けしてやりたい、って思うんだ、けど……ダメかな?」

「――ダメなわけ、ありませんけどッ……」

 

 アリサはスカートを両手で握りしめて視線をうろつかせた。コウタの言葉は真っすぐで、そこには思いやりしか込められていない。茶化さなければ、コウタはこんなに良い奴なのだ。

 友人の良いところが顕わになって嬉しいやら誇らしいやらで、ユウカの唇は緩やかに弧を描いた。

 

「ソーマさんは?」

「……概ね同感だ」

「アナタ一人だけなんか違いません?」

「それな。後方彼氏面うぜー」

「はっ倒すぞ」

「ソーマさんはシャイだからね」

「これシャイか!?」

「うん。これ内心では自分も私の荷物を半分持てるくらいに頼り甲斐を身に着けるかくらいの事は考えて、」

「黙れ」

「あれ、当たってた?」

「やっぱお前エスパーだわ」

「ですね。しかも最悪なタイプです」

「デリカシーゼロ」

「最低なのはお前だったな」

「ドン引きです」

「ひどくない!?もー任務行くよ!」

 

 逃げた逃げたとブーイングする生意気な隊員達を引きずり、出撃ゲートに飛び込む。

 雨降って地固まる。リーダー不在の第一部隊だが、奇しくも部隊員同士の結束は固まりつつあった。

 

 

「……まあこうなるよな」

「そりゃね」

 

 前にユウカとタツミが腕立て伏せを命じられた廊下。今はそこに四人の男女が揃って腕立てしていた。

 筋トレを欠かさないソーマと慣れているユウカの一方で、コウタとアリサは一段ペースを落として息切れしながらノルマに手を伸ばしている。

 当然のようにアリサの限定外出撃がバレたのだな。

 ユウカ、ソーマ、コウタの悪ガキ三人は全力でスットボけたのだが、根がイイコなアリサが仇となった。

 

「最近腕の筋肉ヤバいんだよねー。出せないもん気軽に」

「逆になんでそんなに腕立てさせられてるんですか?反省して下さい」

「八割がたアリサの売った喧嘩の仲裁が罰則の原因だけどね」

「ブーメラン飛び交ってんなー」

「残り二割の原因がなんか言ってる!」

「は!?待て待て待てエントランスでフリスビー遊びした件はお前が言い出したんだろ!」

「貴様ら」

 

 アッ、と誰とはなしに声を上げた。背後の扉を開き、ガイナ立ちする教官をソォッと振り返る。

 

「追加二百。ユウカは追加で三百」

「……ソーマさん、私の腕がムッキムキになっても恋人やめないでね」

「程度による」

「ねえその返答は流石にひどくない!?」

「そうですよ。どんな姿のユウカでも愛せないなんて……ユウカ、そんな男やめて私と遊びましょう」

「どんな姿でもってなんやねん」

「百合百合しいなオイ。ってか腕はウンまあほら、男の矜持的なね?あんだよそういうの!俺にもわかる!」

「わかった、全員五百追加だな。返事」

 

 了解ッ、とヤケクソのような一同返答に、ツバキは今度こそ頭を抱えて大きな溜息を吐いた。そのこめかみは、今にもはち切れんばかりに血管が浮き上がっていた。

 




夏だ!ソマ主の季節だ!(?????)


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少女、試練

 

 命令無視が幸いしてか、アリサはグングンと元の調子を取り戻していった。ツバキにとっては最悪だっただろうが。

 実戦投入は三日で許可され、他の隊のゴッドイーターからの下種な悪口はすっかり鳴りを潜めた。後者に関しては見つける度にユウカとコウタが狂犬のように噛みつきまわったからかもしれないが。

 ともかく、アリサは元気になった。なって良かった。

 

「おっはろー!」

「なんです、その挨拶」

「おはよって言おうか、ハローって言おうか迷った!」

 

 朝のミーティング時間。ユウカが背後から勢いよくアリサに飛びつくも、彼女は動じることなく微笑んで迎えた。

 毎日のようにやられるので、流石に慣れたのである。

 

「ホントそういうところですよ……おはようございます、ユウカ、ソーマ」

「ああ」

「サクヤさんとコウタは?」

「コウタはまた遅刻じゃないですか?」

「してねーよ……んでお前らそんな元気なん……?昨日結構遅くまで討伐してたよなオレら……」

「なんだ居たんですか。あの程度でダレるなんて、鍛錬が足りないんじゃないですか?」

「アわかった。どーせあれからバガラリーでも見て寝るの遅くなったんでしょー」

「ぎくッ」

「自業自得だな」

「うっせー!」

「あら、みんな早いのね」

「サクヤさん!はざまーッス!」

「おはようございます!」

 

 ユウカとコウタがと良い子の朝の挨拶をしたが、アリサはほんの少しだけ気まずそうに眼を逸らした。サクヤが復帰してもう数日経つが、経緯を考えれば仕方のない反応だとも思う。

 一瞬ぎこちなくなった空気を無視して、アリサに抱き着いたままソーマを振り返った。

 

「今日はソーマさん別件だっけ?」

「ああ。しくるなよ」

「しないしー。じゃあツバキ教官来る前に大まかなとこだけ終わらせちゃおうか」

「え、教官くんの?」

「今日やる任務がちょっとね。ソーマさん以外のフルメンで行くから」

「あ、昨日調査班のやつが言ってたアレか」

「コウタ知ってるんですか?」

「多分」

「はいはい。そういうわけで今日は大変な日になると思うから、各自用心するように。ソーマさんもだよ、ソーマさん今日3つも大型アラガミ討伐任務入ってるんだから」

「はー?ソーマヤバ。ウケる」

「酷使されすぎじゃありません?ドン引きです」

「ほんそれ。あ、時間だいじょぶ?」

「あと十分はどうこうできる」

「そう?じゃあ続けるね。ソーマは本日〇九三五にクアドリガ討伐任務。終わり次第連続で任務になるので、十分な物資を積んで出撃すること。アリサ、コウタ、サクヤの各隊員は隊長の私と共に本日一一三〇から緊急任務に就いて貰います。調査班が会敵した大型アラガミ、ヴァジュラが小型アラガミを捕食して肥大化しているそうで、早急な対処が求められています。場所は――」

 

 軽薄で和やかな空気が一転、ピリッとした緊張感に包まれる。バインダーサイズの端末を手に淡々と本日各員に振られた任務の確認をしていく。

 注意事項と装備の再確認を行ったところでソーマが任務開始時刻が差し迫った為、円から抜けるその背を見送った。それと入れ替わりに、アナグラ内移動エレベーターからツバキが降りてくる。

 

「なんだ、もうミーティングは終わったのか?」

「ソーマさんが早めの出撃でしたので、巻きでやってたんです」

「チョー早口だったッスよ。よく噛まなかったよな」

「装備確認までシッカリ終わらせて、すごかったです」

「装備品や物資は命に関わるものね。ソーマって愛されてるわよねー」

「早めに出撃するのがサクヤさんでもコウタでもアリサでも同じ事をしましたよ」

「あー、だろうな」

「そこで「そうだろうな」って納得できるのがユウカのスゴイところだと思います」

「私たちって愛されてるわねぇ」

「任務説明は?」

「済ませました」

「よろしい。なら充分聞いてると思うが、今回は『あの日』問題になった新種の同型だ。わかっているな?」

 

 はい。平時より低い返事が空気を震わせる。ヴァジュラは極東支部新人の登竜門。手強いが、慎重に立ち回れば問題ない相手。

 ただそれだけの筈なのだ、――アリサ以外にとっては。

 

 扉の隙間を見るのが怖い。

 こじ開けられるのを知っているから。

 

 ユウカは横目でアリサを見つめた。限界まで張り詰めた糸のような、強かながらも儚い姿。

 堪え切れず、ユウカはそっとその細い肩に手を置き、コウタがアリサの背中をドッと拳で叩く。恨めしそうな眼がユウカとコウタに向けられた。

 

「う、……大丈夫ですよ、本当ですから」

「ホントかぁ~?」

「ホントですっ!」

「別に狼狽えてくれても良いのに」

「なー」

「甘やかさないでくれますッ!?」

「末っ子は何かとサクッといじられるものだから」

「私そんなスナック感覚で揶揄われてたんですか!?」

「良い反応してくれるから、つい」

「サイテーです!弄ばれました……!」

「アッ外聞が悪い」

「お前たち、万事その調子なのか……」

 

 教官の前だろうが構わずハシャぐ未成年三人組に、ツバキは盛大に顔を顰めさせた。これが完全に所構わずであったらまだ指導も入れられるのだが、引き締めるところはキッチリ引き締めているところがこなクソである。

 こんな小賢しい小娘に任せて良いのだろうか、今更ながらに懸念に思えてきた。リンドウとはまた違った理由で、ツバキの胃を痛める要因である。

 

「それから、第一部隊全員に通達がある。本日一八〇〇にエントランスに全員集まるように」

「部隊員全員ですか。ソーマさんも?」

「ああ。間に合うよう本日はソーマにヘリの使用を許可させている」

「そこまでするほど……何かあったんですか」

「約一名にとってはそうだ。ともかく、全員今日は無傷で帰って来い。締まらんからな」

「無傷」

「急に任務の難易度上がって来ましたね」

「ええいつべこべ言わず行ってこい!」

「ハーイみんな出撃するよー」

 

 出撃用エレベーターを後ろ手で操作して扉を開く。そのまま誤魔化し笑いをしながら、正面をツバキに向けたまま後ずさりで乗り込んだ。ガシャンとエレベーターの鋼鉄で出来た扉が大きな音を立てて閉まる。

 逃げたのである。

 

 

「通達、って何でしょうね」

「さあ?」

「アレじゃね?ユウカとオレが入隊して一ヵ月記念!とか」

「高校生カップルか?」

「じゃあおしるこソーダが自販機から撲滅した記念とか」

「それはホントにしてほしい、ホントに、壊しちゃいそう」

「極東の自販機ラインナップって誰が決めてるんですか?他の支部では見たことないのばっかりあるんですけど」

「知ってたら直談判しに行っとるわ」

「支部長が決めてると思うわよ、普通に」

「今度支部長室にC4セットするわ」

「確実に木端微塵にしようとないの」

 

 今にも崩壊しそうな背の高い建造物が乱立する贖罪の街のすぐ手前、待機エリアにて神機を構えてかんらかんらと笑う。

 作戦開始時刻もそうだが、目的のヴァジュラの反応を支部の方で探っている最中だ。つまり殲滅部隊である四人に今できる事はないのである。

 ツバキの話に対する疑問などで雑談している最中、ようやっと通信の着信音が全員の耳元で鳴り響く。

 

『出ました!奥の、Hエリアです!小型アラガミも複数出現してる模様!十分注意して下さい!』

「了解。ありがとヒバリちゃん。じゃあ早速本丸を叩きに行こうか。小型アラガミは私が掃除するから、ヴァジュラは三人で総攻撃して下さい。アリサ、タンクお願いね」

 

 言いながら神機を肩に構え、ちらとアリサを見る。

 ユウカは隊長だ。本来なら目標アラガミから離れるのは悪手と言える。しかし、ユウカは真っすぐにアリサを見た。反論を許さない口調。

 胸元を握りしめ、瞠目して立ち尽くすアリサは、しかし、それでも勇ましく首を縦に振った。 

 

「ぁ、……はいッ」

 

 彼女は乗り越えなければならないのだ。ユウカはそれを見守る事しかできないのだった。

 そして見守っているのはユウカばかりではない。

 

「大丈夫大丈夫、なんかあれば俺が守ってやるからさ!」

「……よろしく、お願いします」

「エッ」

「なんですか」

「めちゃ素直じゃん……ヤバ……ユウカ、コイツ杏調子悪いんじゃないの……」

「丸くなるまで殴りますよ」

「サーセン!」

「コウタ五月蠅い。サクヤさん、そっちはヨロシクお願いします」

「任されました。ユウカも気を付けて」

「はいっ。そーいん散開!」

 

 緩い!シャキッとしてください!やんややんや騒がしい三人組を顔だけそちらに向けて見送る。

 サクヤが着いている以上死ぬ事はまずないだろう、コウタも着いているなら猶更だ。

 そうは言っても、速めに駆けつけるに越した事は無い。

 ユウカは一息短く吐いて、風を纏うかのように両脚を動かした。びゅうびゅうと耳元で風切り音が流れ、それより尚早く神機を振るう。

 すれ違いざまに血飛沫を置き去りにして、空中にいようが地上にいようが突進してこようが変わらず鋼は平等に切り裂いた。

 赤茶の地面に赤い一線と花火を描きながら、ユウカは無線のポジションを片手で調節する。耳が小さいので、イヤホンがよくずれるのだ。

 

「ヒバリちゃーん、後何匹?」

『ザイゴート堕天三体、オウガテイル五体、オウガテイル堕天十体です!』

「うーん、やっぱりなんか最近多いなー……リンドウさんが壁外掃除行ってないからかな?」

『前はユウカちゃん連れて事あるごとに行ってましたからね、そうかもしれません』

「やっぱり?めんどくさいなー。後で私が廻るからクエスト作っといてー」

『了解しました!あ、今ので殲滅完了です!』

 

 アジみたいに開かれたオウガテイルのコアと素材を神機にパクパクして貰いながら、オッとユウカが顔を上げる。見れば、地面からはアラガミが蒸発する時の特徴的な煙があちこちでモウモウ上がっているだけで、動く物体は見当たらない。

 遠くで聞こえる戦闘音はお仲間のものだろう。死体まみれになった地上は悲惨の一言だったが、アラガミの唯一素晴らしい点がそこは解決してくれる。

 

「了解。ありがとヒバリちゃん」

『いえ!お怪我は……ないですよね。ご武運を!』

「はいはーい」

 

 神機で宙を切り、付着した赤黒い液体を振り払う。まだ剣捌きが未熟故に、こうして返り血を被ってしまうのだ。その事実に低く舌打ちした。

 ユウカは脚を出来る限り速く、そしてめいっぱい伸ばして距離を縮ませる。まだ未成熟な脚はサクヤや成長が早いアリサに比べれば短い。だがその脚はカモシカみたいにすらりとしていて生命力に溢れ、比類ない程彼女を遠くへ速く運んでくれる。

 戦闘場所はHエリアからFエリアに移動したらしい。中央の教会の外周を走る形でぐるりと回り込むと、間もなく緋色の鬣と三人の人影が交差しているのが見える。

 ヴァジュラとは言え流石に大型アラガミか、その俊敏さと苛烈さに手を焼いているらしい。

 ユウカは手始めに銃形態に変化して先程までで溜め込んだバースト弾を全員に撃ちこみ、ついでに雷球の当たりそうだったコウタの前に盾を広げた。

 

「お待たせ。状況は?」

「サンキューッ。前足と頭部は崩壊してる!」

「オーケー、もう詰められそうってことね」

 

 低く笑った彼女の視線の先には、へっぴり腰のアリサの姿があった。怯えているのが一目でわかる竦んだ脚だが、彼女の命令を聞くだけの使い様はあったらしい。

 ぎこちない、児戯に等しき足取りではあったが、それでも彼女は闘えている。

 ヴァジュラ相手にひどく危ういアリサを支えるのは、サクヤの素晴らしい射撃技術であった。この支部で彼女以上にオラクルを効率よく扱える者はいないだろう。

 だがカバーされっぱなしではアリサを今回の作戦に組み込んだ意味がない。さてどうするべきかとユウカが再度銃形態に神機を組み替えた丁度。

 

「アッ、逃げたよ!」

 

 ヴァジュラが高く跳躍して教会の壁をよじ登る。無様に逃げ惑う姿は悪くないが、ユウカはちぇっと舌打ちした。折角走って来たのにタイミング悪い。

 

「全員で動いちゃ効率悪い。全員散開して探すよ、私は東、サクヤさん南、コウタは西、アリサは教会内、見つけたら即連絡。以上!」

「了解。折角バースト貰ったのにねえ」

「ラジャ。ほん、それッスよね」

 

 煌々と光る神機が徐々に落ち着いていくのを横目に忍び笑いながら、サクヤとコウタがまず真っ先に駆けていく。すっかり命令が脳直で脚へ伝わるようになっているのだな。

 彼等に一拍遅れでアリサも駆けていく。ユウカはその背中に声を掛けようとして、やめた。

 先ほどまでのアリサは精彩を欠いてはいたが戦えてはいた。わざわざお節介を焼かなくても、アリサならきっと自分で乗り越えられるはずだ。乗り越えられなかったらそれはそれで、ユウカがなんとかすれば良いだけの話である。

 それに。

 

「ああ、鬱陶しい。なんでこう、アラガミっていうのは節度がないのかな」

 

 緋色のたてがみに修羅の顔、筋張った漆黒の体躯。他者を害する事のみを至上としたような鋭い牙や爪。帯電する紫の雷。

 どうやらこの区画にいるのは一体のみではなかったらしい。

 



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少女、超克

 地を蹴って、蹴って蹴って走る。

 命令されたことはきちんと覚えている。ヴァジュラの捜索と、討伐。この二つだけだ。

 だからアリサはこの二つだけ、主に後者のみを考えて神機を振るえばよいのだけど、何故だか、先程からひとつも上手く行かない。どうしてかしら。

 心と体が別物みたいに乖離していて、足元がふわふわしている。正に浮足立っている有様であった。

 土を蹴る音が遠く、耳鳴りが常時鼓膜に突き刺さっている。

 透明な壁に囲まれているみたいな。もしくは、深い深い水底にいる時に似ている。現実感がない。

 ドォン。という銃声が、自分の手元から発せられているのだと知覚できても自覚できない。

 反射で引き金を引いたアリサの身体はゴッドイーターとして非常に上出来であった。そのこころが多分に未熟だとしても。

 

 土煙をまき散らし眼前に着地するヴァジュラの、なんと空想染みた事だろう。

 

 赤いたてがみ沸き立たせ、紫電纏うその姿は荘厳そのもので。

 アリサの苦しみの中心をあまりに貫いていて。

 どうしたら良いのかわからなくなった。困りながらも身体は高性能で、次々とステップを踏むかのようにヴァジュラの攻撃を避け、指は勝手に引き金を引くのだ。

 脳内で何か、イメージのような映像がチラつく。

 

『この言葉で、君はいつでも強くなれるんだ』

 

「強く……」

 

 強くなりたいな。強くなりたかったの。

 ずっと。

 

『なら、ほら、思い出して』

 

 いちにのさん、で、強くなれるんだって。

 オオグルマせんせいが言ってたの。

 

『oдин два…』

 

「うるさい……」

 

『oдин』

 

「うるさいうるさいうるさいうるさい!」

 

 アリサは手の甲で額をブッ叩き、喚くように大声を出した。

 頭の声が煩わしくってイヤになる。ヴァジュラの咆哮が忌々しくて腹が立つ。

 怒りに任せて、アリサはOPの残量も気にせずバレッドを撃ちまくった。当たろうが当たらなかろうが構わなかった。

 激情に任せて武器を振るう様は、癇癪を起す子どもそのものである。だがアリサはそれでも構わなかった。

 何かが見える気がしたのだ。ウザいオッサン医師の言葉でなく、厭味ったらしいキザ支部長でもなく。何か、アリサがついつい忘れてしまう、大切にしなければならない何かが。

 ヴァジュラが前足を振りかぶる。

 すかさず飛び退いて、つんのめったヴァジュラの顔面へバレッドを撃ちこんでやった。痛みか衝撃かで悶絶し仰け反る化物はひどく滑稽で、なんだか嗤えた。

 そうだ、笑えた。

 脚は震え腕は震え、手汗が尋常でなくうなじの冷や汗も夥しく、その吐息すら張り詰めた糸が張っているが。それでも。

 笑えた。

 笑みを作ることができた。強がりでもなんでも、人は危機的状況でも笑う事ができる。

 あの人たちのように。

 

 本当はずっと。

 

「アリサ!」

 

 後方から声がしたかと思えば、黄色の火球がアリサを跨いでヴァジュラへと着弾した。続けて間断なく、弾幕とばかりに色とりどりの火球がヴァジュラへ襲い掛かる。

 

「一旦下がって!」

「オレ達が隙を作るよ!やーいこっちだ化物!」

 

 声はひどく聞き馴染みのあるものだった。一つは優しくて玲瓏とした声。もう一つは溌剌として邪気の一切がない声。

 その声が、その存在たちが、アリサの凍り付いた脚を溶かしていく。

 二人とも、真剣な顔だった。だが余裕のない顔ではない。毅然として、負けないって顔をしていた。

 

 本当は、ずっと。最初から。

 ―――わかっていた。

 

 いちにのさんで強くなれる魔法なんてない。

 アリサはきっと永遠に弱いままだ。この神機も永遠に重いままで、後悔はずっとつきまとって。

 リンドウのように、サクヤのように、コウタやソーマのように、――ユウカのようには、なれないままだろう。

 でも。それでも。

 

「やああああーーーーーッ」

 

 悲鳴のような絶叫をあげながら、アリサは神機を振りかぶった。

 剣を使うのは好きじゃない。自分の非力さを思い知らされるから、斬った感触が掌に残るから。

 だがそうも言ってられない。なりふり構っていられない。

 例え本当に永遠に弱いままであったとしても、弱いままでいられはしないのだ。そんなことは、自分自身が許せない。

 

 強くなりたいのだ。たとえそれが無理だとしても。無用な心配をかけたくない。信頼されたい。信用されたい。

 

 もう二度と、後ろに庇われるなんて、背負って走ってもらうだなんて失態は――見せたくない!

 

 それは見栄であり、意地であり、安いプライドなのかもしれないが。

 けどそれを抱えてこそ、醜く愚かで美しい人間というものだ。

 力いっぱい踏み込んで、無様な剣戟をそのそっ首に叩き込む。紅の刃がヴァジュラの首を深く刻み、手持ち花火みたいな血飛沫が上がった。

 続いて、抉り込むように刃を進ませ、短いブレードで、アリサは殆ど力づくで、引きちぎるかのようにヴァジュラの大きく太く、黒々としていて邪悪で、岩石よりずっと固いその首を、勢いよく刎ねた。

 ゴトン。と切り離された首が遠くに落ち、身体の方は僅かにふらついた後横へ倒れる。

 その土煙、返り血を以てしても、アリサには汚れ一つないように見える。

 赤を基調とした服や装備が赤を目立たせないからではない。銀色の髪に赤が散っても、透き通るような白い肌が火傷を負っても、拭った手がその汚れを伸ばしても、その姿は一向に美しいままであった。

 まるで月下の白い狼が、獲物を仕留めて気高く遠吠えを上げているような。

 

「サクヤさん、コウタ。援護有難うございます。お疲れ様でした」

 

 アリサがニコリと笑って二人へ労わりの言葉をかける。

 今ここに、アリサは立ち直ったのだ。

 けれどそれは、元に戻ったという意味ではなかった。

 気高く強く仲間を大事にする、まさしく狼のような、一人のゴッドイーターがそこには居た。

 

「もう大丈夫なのかい、アリサ」

「ええ。もう二度と、……もう二度と、惑わされたりしません」

 

 靄が張れた青空のような顔のアリサに、コウタは口角を上げて一つ力強く頷き返した。

 

「んじゃ、ユウカを探しに行きますか。アイツどこで道草食ってんだろ」

「そういえばそうね。変ね、道に迷う子でもないのに、駆けつけるのが遅れるなんて」

「……何か面倒事に巻き込まれてるんじゃないでしょうか。何故でしょう、心配になってきました。ヒバリさんに通信を入れてみましょう」

「ハハ。いくらアイツでもそうそう危険な目には――」

『ユウカちゃんが突如現れたもう一体のヴァジュラとお一人で交戦中です!至急応援願います!』

「――――あーもーアイツほんとなんなのっ?」

「ホントに困った方ですねッ」

「つべこべ言わない、総員、行くわよ!」

「はいっ」

「了解ッ」

「――アリサ、四時の方向まっすぐ上へ60度、撃って!」

「ハイっ?」

 

 突如聞こえて来た声――誰より信じる我らが隊長の声――に、アリサは指定された寸分たがわぬ場所へ装備していたバレッドを反射で撃った。

 直後に轟音のような唸り声が空へ地へ響き、紫の稲妻が四方八方へ打ち付けられる。それらはアリサたちには当たらずめくら滅法といった様子で、アラガミの眼が既に潰されている事は容易に分かった。

 悲鳴を上げながら、ありとあらゆる手で追手を阻もうと必死で逃亡する滑稽な姿の人類の天敵を、次いで現れた少女が魚でも捌くみたいに、軽やかに両断する。既に致命傷は負っていたソレに、アリサが足止め兼ダメ押しをして、そしてトドメを入れたのだろう。

 首を落とされたヴァジュラと仲良く並んで地に臥せった新手に、ハンと鼻で笑ってユウカは三人に向き直った。

 

「そっちも片付いたみたいだね、お疲れ様。帰投しよっか!」

「いや今お前助けにいこっかーみたいな話してたんですケド!?」

「え、そうだったの?ありがとう、でも見ての通り大丈夫だったよ」

「……………そうですよね…………私なんかがユウカを助けるなんて……烏滸がましかったですね…………」

「ホラ落ち込んだ!アリサ落ち込んだよー!あーあさっき折角立ち直ったのになー!なんだこの隊長最悪かー!?」

「ユウカ、流石に、間が悪すぎると思うわ」

「サクヤさんまで!?ウッソぉー、アリサごめんってばー!良い子良い子!アリサは良いゴッドイーターだよ!私が保証する!」

「そんな当たり前の事のように今更言わないで下さい」

 

 アリサはゴッドイーターだ。ゴッドイーターなのだ。

 守護者であり破壊者。

 抗う事を決めた者。神を殺してでも、運命に抗うと身に刻んだ者。

 両親との幸せな思い出、あの日のかくれんぼの結果。自らの罪。ロシア支部での優しい思い出。奪われてしまった、涙が出る程尊い時間。

 

 自分はどうしてゴッドイーターになったのか。

 

 復讐の為だ。あの日失ったものを、どうしても受け入れられなかったからだ。他人の倖せをぶち壊しておいて、のうのうとのさばるあいつ等が許せなかったから。目を逸らして現実から逃げ続けていた。

 けれどユウカは言うのだな。

 

 アリサはゴッドイーターなのだと。

 

 立ち向かえると。こんな無様な自分であっても、必ず。

 必ずや抗えると。いいや、アリサの無益な復讐ですら、既に抗いであり、立ち向かった結果であると。

 そう当たり前のように言うのだ。

 

 きっと彼女には最初から答えが見えていたに違いない。アリサがそこへ辿り着く事も。

 悪い気分ではなかった。むしろ、泣きたくなるくらい、心地よかった。

 

「ユウカ」

「なに?」

「ありがとう」

 

 万感の想いを込めて口にしたが、言葉にするとあまりに薄っぺらいような気がした。こんな一単語へ押し込めるには、あまりにも。

 あまりに足りない。

 だがユウカは微笑むのだった。アリサへ優しく、すべてを見通す湖のようなエメラルドグリーンの瞳を細めて。

 

「どういたしまして」

 

 アリサの想いを、そうやって過たずいつも、受け取ってくれるのだった。

 

 



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少女、就任

 

 言い付け通り全員無傷で帰投した四人は、神機を格納庫に戻して早々にエントランスへ直行した。

 するとソーマが既にそこには居て、四人に、というかユウカに「遅かったな」と一言告げて迎えた。ブーブーと未成年組から不平不満のブーイングが上がる。

 

「相変わらず一言足りねー奴だなー」

「ドン引きです。ユウカ訳して下さい」

「えー?遅かったから心配しッモガガ」

 

 全然躊躇とかせず直訳しようとしたユウカの口を、いい加減パターンが読めてきたソーマが音速で塞ぐ。スパァンと良い音が鳴ったユウカは口元を抑える掌越しに、痛みからの声か抗議の声か、「ウボァ」だか「オッホホ」だかの奇妙なくぐもった声を上げた。

 

「早かったわね、二重の意味で」

「足手まといがいなかったからな。そっちは?」

「小型が次から次へと、加えてヴァジュラ追加って感じだったみたい。ユウカが全部倒しちゃったけれどね」

「ユウカ」

「ふはほーほふへふ」

 

 せめて弁解くらいはさせてあげたら?と呆れるサクヤをガン無視し、ソーマは鋭い目付きでユウカの双眸を貫いた。

 まあユウカにそんなもん効くわけもなかったしなんなら構ってくれて嬉しいくらいの勢いである。

 この野郎。半ば本気でイラッときたが、ソーマは仕方なしと掌を離した。

 彼女にとってそれは、別に無茶でもなんでもなかったのだろう。単純に、それが出来る力量があって、無理がなく効率的で、必要だからそうした。それがわかったから、ソーマはもう何も言わなかった。

 ユウカはニコッとソーマへ笑ってから、周囲を見渡しつつ首をかしげる。

 

「教官まだ来てないんだ。結局何があるって言うんだろ」

「アレじゃね?給料アップとか」

「下がる事はあっても上がる事はないでしょうね、特に貴方は」

「ひでぇ!じゃあじゃあ、特別休暇!」

「全員集められる程の事かしら、それ」

「じゃあなんなんだよー!」

「あはは」

 

 任務帰りでも終日賑やかしい第一部隊の元へ、カツンと高いヒールの音が鳴った。

 その途端お喋りをやめ、全員素早く整列する。姿勢は正してないし服は着崩してるしで態度は完全に最悪だが、反して精悍な顔つきにツバキは満足そうな顔をした。

 

「全員揃っているな。ではお前たちに通告がある。桜庭ユウカ曹長」

「はい」

「執行部から正式な辞令が出た。貴官を本日付けでフェンリル極東支部、保守局第一部隊の隊長に任ずる。励めよ」

「謹んで拝命致します」

 

 その一礼といったら隊員の模範として教科書に載せたいくらいであったが、ユウカの表情はそれら全てを台無しにしていた。

 どっからどう見ても「は????」といったような感情を隠しもせずに、しかし滑らかに対応するので、並んで横にいた隊員四人は腹筋にひどく力を籠める事になった。まともな奴などおらぬと言わんばかりの光景である。

 地獄より深い溜め息を吐いたツバキが、額に手を当て眉間を揉む。

 

「何か不満が?」

「引き継ぎ一切されてないんですが」

「安心しろ、それは既に済んでいる。お前がリンドウ失踪前より日頃していた仕事は全てリーダーがすべき雑務だった」

「なんにも安心できませんよ!は!?もうリンドウさん絶対許せないんですけど!!通りでなんか書くもん多いなと思いましたよ!はーーキレそう」

「仕事がスムーズになって良かったじゃないか」

「そりゃ中間管理職はそうでしょうねえ!え?全然許すことができないです。リンドウさんがいなくなってからイチキレてます」

「こんなところで???いやまってまって、出世じゃん、大出世じゃん!え!?同期同格からリーダー就任出たんですけど!!祭りじゃん!!!!」

「ごめん今給料以上の仕事を今までさせられていたっていう事実に打ちのめされてそれどころじゃない。ただただキレそう。リンドウさん覚悟しとけよ………最後に見る顔を私にしてやるからな………」

「ワーー落ち着いてください。ほら、リンドウさんがちゃらんぽらんなことなんて今に始まった事じゃないでしょうっ、今更キレるまでもありませんよっ、ねっ?」

「ごめんなさいリンドウ、一つも反論できないわ……」

「ええい貴様ら揃いも揃って騒々しい!ユウカ、書面での辞令がある、ついてこいこのバカ新リーダーが」

「アイタタタタ、イタイですー、ついてきますから、放してくださいー」

「何が『イタイですー』だばかもの。黙れ!」

 

 ツバキはユウカを捻り上げると、ほぼ拘束したような体勢のままでツカツカ足音高らかに歩き出した。隊員達は「いってらっしゃ~い」と「おめでと~」の間の引き攣った笑顔で二人を見送る。

 長い廊下を半ば引きずられながら、チラとツバキを見上げる。

 

「なんかこう、リーダーになる際の注意事項とかないんですか」

「ない。お前なら万事問題ない」

「信頼という名の丸投げではなく?」

「ではなく。……むしろ、お前はもう少し無能であるべきだった」

「私は有能ですか」

「考えうる限り十全にな」

 

 本当に有能だったなら、リンドウさんはいなくならなくても良かったんじゃないですか。

 咄嗟に言葉が出そうになったけども、ユウカは無理矢理口をつぐんだ。未練がましいそれは、後悔を通り越してただの弱音だったからだ。

 代わりにへらっと笑ったユウカを、ツバキは引っ張ってしゃんと立たせ、それからその頭を撫で回した。犬を撫でるような手つきだ。

 

「よくやった。こんなに早く身を立て名を上げたのはお前が初めてだ。手柄だ、誇れ。リンドウもきっとこの上なく喜ぶ」

「帰ってきてもこの座を返してやりませんからね」

「その意気だ」

「…………わすれるみたいで、嫌です」

「それでもお前が第一部隊のリーダーになったんだ。いつまでも代理や副であって許される筈がない」

「誰が許さないって言うんですか。支部長ですか?」

「第一部隊の隊員全員がだ。全員の推薦、賛成を貰っている」

 

 ツバキの必殺に、ユウカは流石に黙るしかなくなった。

 どうして。いや、いつの間に。

 口を噤んだユウカは、くしゃくしゃにされた髪を指で梳くように直して、また上目でツバキを見上げて、それから床へ落とした。

 ――自分はそんな大層な人間じゃない。

 痛い事も辛い事も嫌いで、毎日重圧に押しつぶされそうになってる。いつだって辞めてやりたいと思っている。

 本当はいつだって怖いのに。

 アラガミも、傷つくのも、失うのも。

 もう大切な誰かを見送りたくなんてないのに。

 

「できないか?」

「やります。……強がりじゃないですよ」

「わかっている」

 

 ツバキの口ぶりからして、サクヤどころか、ソーマでさえも、ユウカが隊長に適任であると推薦したのだろう。にわかに信じ難いが、だからと言って問い詰めに行くほどには無責任にはなれず。結局ユウカは黙って頷くしかないのだった。

 別に嬉しくない訳じゃない。むしろ、自分の頑張りが認めて貰えたみたいで誇らしさすらあった。

 けれど、それを上回る重責の念に押しつぶされそうだった。部隊全員の、いいや、殲滅部隊第一の隊長ということはつまり、この支部の隊員の中で最も強いということだ。この支部全員の命を預かる場面もあるのと同義だった。何という傲慢なのだろうか。

 だが俯いていて助けられる命があるわけもなし。

 ユウカは顔を上げて、込み上げてくる嘔吐感と動悸を飲み込んだ。

 腹を決めたユウカへ、ツバキが挑発に近い笑みを浮かべる。

 

「第一部隊隊長、就任おめでとう。気分はどうだ」

「最高」

 

 口元を引き上げて即座にそう返す。半分本気、半分皮肉であった。

 目を切った先は支部長室。

 入隊して僅か一ヵ月の新人に隊長職を投げて寄越した、大層な狸が根城である。

 三度ノックして中からの返答の後、境界を破るような心地で入室した。背後で閉まる扉の隙間から、ツバキの激励の視線を背中で受け取る。

 

「こうして向かい合って話すのは初めてになるかな。君の活躍はここまでよくよく届いていたよ」

「勿体ないお言葉で御座います」

「そう警戒しなくてもよろしい。今日は疲れているだろう、長話はしないとも」

 

 ヨハネス・フォン・シックザール。極東支部の支部長でありながら、生化学企業フェンリルを実質的に築いた人間である。実際、ユウカが読んだアラガミに関する資料の殆どにその名前は至る所に現れる。間違いなくアラガミ研究においての立役者の一人だ。

 研究者として極めて優れていたのに加え、政界を渡り歩き生化学企業でありながら同時に私設軍隊として、そして最早一つの国家としての今のフェンリルを恙なく成立させたその手腕は正しく天才のそれである。

 そんな男を前にして、警戒するな身構えるなというのはあまりに無理な話だ。故にユウカは一切警戒を解かず、握った拳を更に握りしめた。

 ヨハネスはそんな小娘の気丈さなど鼻で笑い、何の価値も見出していないかのような冷静な眼で机の書類を手繰り寄せた。

 

「呼び出したのは他でもない。第一部隊リーダー就任にあたっての権利と、義務についてだ」

「権限の拡大ですか」

「その通り。リーダー専用の個室、情報閲覧の制限解除、作戦行動中の権限の拡大等だな。ああ、部屋は雨宮リンドウが使っていた部屋を君にあげよう。いつまでも片付いていないようだから、ついでに掃除もするように」

「承知しました」

 

 いや全然欲しくねーしやりたくねー、オメーがやれっつーかやれるもんならやってみろやこのスポンジボブが。とユウカは思ったが勿論言わなかった。顔には若干出た。

 

「では次に義務についてだが、第一部隊リーダーには通常の任務とは別に、特務と呼ばれる特殊任務が課せられる。無論報酬は出る」

「謹んでお受けします」

「まだ内容も教えていないのに?」

「それがアラガミ殲滅であれば、是非もありません。個人的にも倒せるアラガミは可能な限り殲滅しておきたい所ですので」

「傲慢だな。素晴らしい」

「畏れ入ります」

「快く引き受けてくれるなら、こちらとしても心強い。追って指示を出す。今日はもう休みなさい」

「……よろしいのですか」

 

 てっきり馬車馬のように働かされるのだろうと思っていたので、ユウカはつい思わずそう聞いてしまった。リンドウの疲労具合を見ていれば自然な疑問と言えるが、それにしたって、ユウカのそれは本当に無意識であった。

 ヨハネスもユウカがそう零してしまうのは予想外だったのだろう。ほんの一瞬目を瞬かせ、次いで僅かに苦笑した。それは能面や外面ではなく、ヨハネスの本心からの感情に思えた。

 

「私にも労わる心くらいはあるよ。疲れているだろう、自主見回りも今日は禁止だ。早めに寝ること。よいね」

「へ、へえ。承知しました」

「よろしい。退室なさい」

「はい。失礼しました」

 

 校長室から出るときの生徒みたいな気分で、ユウカは恐る恐る後退って退室した。

 事実恐ろしかったからだ。

 平然とリンドウを処理しておきながら、アリサの洗脳を放置しておきながら、ユウカの体調を慮ってこようとする。その一貫性のなさがひどく不気味だった。一体何を企んでいるのかがわからないところも更に不安を掻き立ててくる。

 口元に手をやって出そうな色々なものを堪える。吐いた空気がひどく冷えていて、こめかみに汗が伝った。

 息を整え、自分の胸をドンと一つ殴る。

 横目に柱を縁取る銀色で自分の顔色を確認した。大丈夫、いつも通りだ。

 ぷしゅ、と空気を圧縮する音が響き、扉が開かれる。パンッ、パパンッ、と火薬の音が弾けるが、そのあまりの敵意のなさにユウカは呆然と立ち尽くした。

 

「リーダー就任おっめでとーー!」

「おめでとうございます!」

 

 色とりどりの色紙が舞い、紙テープやフィルムがユウカに降りかかった。クラッカーは人に向けてうってはいけない。

 エントランスに戻って来たと思ったが、そうじゃなかったかもしれない。

 露出した配管には可愛らしい色紙がはっつけられ、天井からは何故か各国の国旗が下がっており、きらきらと輝くクリスマス用らしきリースがそこかしこに飾り付けられている。そして、使用済みのクラッカーを手に持つコウタ、アリサ、サクヤの後ろには、ソーマやエリックだけじゃない、ユウカが話した事のあるすべての人たちが一堂に集まっていた。

 

「ユウカのリーダー就任パーティするっつったらさ、こーんなに集まっちまったんだぜ!」

「当たり前じゃないの、ユウカちゃんったらスゴイわ!」

「ユウカ、おめでとう!」

「おめっとさん!俺にいーい仕事回してくれよな!」

「さっすが、俺が見込んだゴッドイーターだ!大成すると思ったんだよ俺は!」

「ま、あんま張り切り過ぎんなよ。はしゃいでコケたらかっこわりーからな!」

「タツミさん、防衛部隊長直後に腕折りましたもんね!」

「カノン、ピンポイントに傷を抉らないの。おめでとう、第一部隊リーダーになっても、私とまた命の奪い合いをしましょうね」

「物騒なんだよおめーはよ……。実入りの良い仕事があったら、俺を呼べよ。ま、よろしくな」

 

 それからも延々と、祝いの言葉が漣のように続いていく。ゴッドイーターが多いが、リッカら整備士や、食堂や掃除のおばちゃんまで。エントランスを埋め尽くさんばかりの人波を、ユウカは紙吹雪をくっつけたまま呆然と見渡した。

 最近配給が厳しくなってきたにも関わらず、背後には美味しそうな食事が並び、みな嬉しそうな顔をしている。

 「あんたが主役」タスキを肩に結ばれ、頭に三角帽を被せられ背中を押されて、お誕生日石に座らせられ。雨あられ如く労わりや褒める言葉が降ってきて、時に伸ばされた手がユウカの髪の毛をかき混ぜていく。

 押し流されそうになるのを脚力で堪えながら、ジッと隊員達を見つめ、詰るような声を出す。

 

「知ってたの?」

「あー……知ってたっつか、まあ、ユウカくらいしか務めらんないだろ、どー考えても。教官にもそれとなく聞かれたし」

「どいつもこいつも、お前以外の名前を出さなかったらしいぞ」

「なにそれぇ」

「観念なさい。今日から貴方がウチの自慢のリーダーよ」

「急にポーカーフェイス上手くなるじゃんウチの隊員……」

「サプライズですからっ」

 

 撫でられ、小突かれ、微笑まれ、肩を組まれ、――心から、祝福されて。

 どんちゃん騒いでいるのにツバキどころか誰の注意も受けず。むしろ冷やかし、顔だけでも出しにと来る顔見知りばっかりで。

 ユウカはずっと。

 ずっと。

 どうしようもなく。

 ――恐ろしくてたまらなかった。

 



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少女、憤怒

 

 最終的に死屍累々となった就任祝いの夜が明け、翌日は半数が這う這うの身体で出勤となった。

 ユウカ率いる第一部隊も、元気に(寝惚け眼を擦りつつ)任務に当たり、吹雪く廃寺にて恙なく目的のアラガミを殲滅した。問題なく殲滅した、のだが。間を置かず別問題が浮上した。

 別動隊として小型アラガミを潰して回っていたソーマが、いつまで経っても戻ってこないのである。

 

「心配なのはわかるけど、落ち着きなさい、ユウカ」

「だって任務終了から三十分も経ってるんですよ?このエリアもそこまで広いわけじゃないですし……」

「そう簡単にやられるタマじゃないでしょう彼は」

「そーそッ、資材の回収でもしてんじゃねーのっ?なっ、きっとそうだってッ。だからアラガミを延々と踏みつけるのをやめろ!」

「そうですよ!ばっちいです!」

「そこじゃねーだろ!」

「ハハハ、何言ってるの皆、私は落ち着いてるよ?これ以上ないくらい落ち着いてるって、アハハ」

 

 いやぜってー嘘じゃんッッ……。第一部隊隊員たちは揃ってそう思ったが、賢明にも口には出さなかった。

 ユウカの貧乏揺すり――というか、アラガミを踏み潰す速度が明らかに早まっていたので。可憐な少女の足元で、肉の潰れる音がするのはなんとも言えない空気がある。

 ていうかぶっちゃけすんげーこわい。閻魔様も裸足で逃げ出すようなカッ開いた眼を、隊員たちは直視できずサッと目を逸らした。炎に油を壺単位で投入する蛮行などとても犯せそうにない。

 だがユウカはそんな縮こまる隊員たちを見て、雰囲気をいつもの穏やかなものへと和らげた。シュンと肩を落として眉を下げる。

 

「ごめん。八つ当たりしました」

 

 とても正直に素直に謝る少女の姿は、誰でも憐憫を覚えて許してしまえそうなほどかわゆかった。

 だがそんなことで騙される彼等ではない。

 

「ウソでしょ?あのレベルの感情をそんなスグ収められる普通」

「情緒どうなってんだ」

「逆に怖いです、ユウカ」

「皆してなんなの?」

 

 隊長に非常によく似てきた隊員たちである。

 口を尖らせるユウカの足元、アラガミは既に姿を消していた。黒煙となって地に呑み込まれたか消えたかでもしたのだろう。

 ストレスの向かう先もなくなったユウカは、ふーっと息を長く一つだけ吐いて三人を見渡した。

 

「帰投時間を過ぎたので、本格的に探しに行くよ」

「全員?」

「サクヤさんとアリサは待機。もしかしたら別ルートで戻ってくるかもしれないし……、コウタと私で探しに行ってくるよ。三十分で戻ってくる」

「三十分で見つからなくても?」

「まあその時はコウタを取り合えず寄越すから、三人は先に帰投しちゃって」

「できるわけありませんよ!私たちも一緒に探します!」

「いや寒空の下部下をいつまでも待たせるのはちょっと……」

「待ってる奴が凍えるまで探す奴があるかっつの。安心してサクヤさん、アリサ。引きずってでも一緒に戻ってくっから」

「頼みます」

「お願いね」

「私がリーダーだよね?ね?」

「よし、方針も決まった事だし、ソーマを探しに行くかリーダー!」

「あからさまにとってつけたように言うなーー!」

 

 どつき合いながら駆け出して行く二人を、サクヤとアリサは表面上は呆れ顔で見送った。

 けれど、二人とも内心では不安があり、心配があった。ソーマの安否もだが、それよりもユウカが心配なのだ。

 自分たちは結局のところ、リーダー、もといユウカに依存せざるを得ない。いつでも理性的で現実的な彼女は、その時必要な、最善を選び取るだろう。それがどんなに彼女の意に反するとしても。

 そんな場面が来なければ良いなと二人は思った。

 けれど同時に、きっとそんな場面はいつか必ず来るのだろうなとも思った。

 

 

 打ち捨てられた廃寺の中、軋む床で出来得る限り音を立たせず、慎重に歩を進める。

 人の気配はない。ない、のだが。

 

「誰だ。……姿を見せろ!」

 

 低く、しかし朗々とした声が冷えた空虚で響く。

 しかして応答の声はなく、しんしんと降り積もる雪の静寂ばかりが広がっている。

 人の気配はない、だがソーマには、其処に何かが居る気がしてならないのだ。しかも何やら、ソーマにすら判断が難しい、アラガミとも人間ともつかぬ摩訶不思議が、死角に渦巻いている。直感だが、間違ってはいないという確信があった。

 足擦れの音が聞こえ、ソーマはハッとして神機を携える。

 それは軽やかだがどこか焦りがあって、二人分の足であった。ソーマは神機を腰より下へ切っ先を下げ、慌ててなんでもない風を取り繕う。

 

「あーっ、やっと見つけた」

「おま、マジ、こんな奥まったとこいんなよ!」

 

 息を切らしてやってきた二人はソーマを探しに方々走っていた事が一目でわかる姿であった。寒さで赤らんだ顔は上気して、コウタなんぞ鼻水まで垂らしている。

 

「帰投時間過ぎてるよ」

「……悪い」

 

 ユウカはソーマをじっと見つめた後、そんなごく普通の言葉をかけたので、ソーマもやや思案した後平然と返した。

 それが彼女の強がりなのか、意趣返しなのか、建前なのか、ソーマには生憎見当がつかなかった。どれにしたって、心配をかけているという自覚はあった。捻くれ者のソーマには、驚くべき事に。

 なので、平然とした表情ではあったものの、その自覚はソーマの胸をこそばゆさせ、彼は知らず空いてる方の手でフードを少し目深にまで引っ張った。

 

「一緒に戻ろう」

「ああ」

 

 彼女の提案に反発する理由もなくすんなりと頷く。

 別に。嘘を吐きたいわけでも、誤魔化したいわけでも、増してや心配させたいわけでもない。ただソーマは焦っているだけだ。その自覚があった。

 ユウカはリーダーになった。強くなったのだ。

 ならば当然、リンドウ同様、そう遅くもない内に特務を任される事になるのだろう。

 それ自体は良い。今更彼女が並みのアラガミなぞに後れを取るなぞ早々ないだろう。

 問題はそれ以外の特務だ。

 『特異点の捜索』等と言う、意味の分からぬ、陽炎を追うような任務を課されては万が一があるかもしれない。ソーマは億が一でもユウカに死なれるわけにはいかないのだ。

 故にこそ、ソーマは焦燥を積もらせるのであった。

 ユウカに生きていてほしいのだ。ならせめて、不慮の危険を振り払うのはソーマの役目だろう。

 

「そんな顔するな」

「どんな顔?」

「死ぬ気も置いて行く趣味もない。証拠に傷一つ負ってねぇだろ」

「心配なくても心配しちゃうんだよ。身体があるって不便だよね」

「なくても不便だろ」

「確かに」

 

 ようやくちょっと笑ったユウカの、取った手を握り直す。

 死ぬのなんざ真っ平御免だ。この手を二度と離しはしないと決めているのだから。

 なんでか上機嫌そうなソーマの一方、ユウカはブス暮れている。「この自己完結野郎」とでも思っているのだろう。構うものか、手放さないのも死なないのも守りたいのも所詮全てソーマのエゴでしかないのだ。だが自覚していながらもそれをやめようとも思わないのだ。なんという傲慢さか。

 

「いいよ」

 

 けれどユウカはそう笑うのだな。それは何もかも許すというよりも、何だか少々呆れてるような、肩を竦めて困ったような色が強い。

 柳を揺らすそよ風のような涼やかで擽ったいかおだ。無茶も無謀も強情もよろし。と。

 

「だけどよそ見は許さないから」

「するかアホ」

 

 あまりに見当違いな心配をするのでソーマこそ呆れると、ユウカは「ンへへ」とかわゆくはにかみ笑った。

 ソーマを発見して早々背を向けてったコウタが、境内手前で二人を呼んでいるのに気づいて手を放す。

 

「おーい!いちゃいちゃしてねーで帰ンぞーッ」

「はーあーいーっ。いこ、ソーマさん」

「……そうだな。帰るか」

 

 神機を肩に担いで歩き出す。ソーマにしてみればゆっくりゆっくり、ユウカはいつも通りの速さで、ソーマがやや前を歩く。

 時折ユウカを振り返るその後ろ姿を、ユウカは合流するまでずっとずっと見つめ続けた。

 帰還後支部長室に呼ばれているのだという事は、溜息と一緒に呑み込んだ。

 

 

 

 役員区画の最奥、支部長室で男と少女が相対している。

 一人は言うまでもなく部屋の主、シックザール支部長。それと任務終了後、帰還次第支部長室へ出頭せよ。と命じられてのこのこやってきたユウカであった。

 偉い人からの呼び出しなど説教一択と相場が決まっている(決まってない。ユウカが問題児なだけである)。しかしながら、話の流れから察するにどうもそうではないらしい。

 何しろ支部長室に入って話し始めがまず「最近の君の活躍は目覚ましいものがある」というお褒めの言葉である。上げて落とす戦法かと身構えたユウカをいざ知らず、支部長はそれからも「これほど早く隊員達を纏め上げ、統率し、生還率に優れて指揮能力に特化し戦闘力も申し分ないリーダーは初めてだ」とか「第一部隊以外でも防衛班や偵察班の仕事を手伝っているみたいじゃないか。勤労で大変よろしい」とか「困った事やわからないことはないか」とか、なんかもうなんなんだこの人という感じであった。

 どうにでもしてくれ。そんな投げ遣りな感想が顔にでも出ていたのか、支部長はやや苦笑しながら「では本題に入ろう」と話題を改めた。

 

「さて。知っているかもしれないが、エイジス計画が最終段階に入りつつある。アラガミの脅威から我々を守り、人類を新たな未来に導く箱舟……それがやがて完成を迎える。実に喜ばしい事だ」

「おめでとうございます」

「ありがとう。あと少しだ……、もうしばらく、君たちの力を貸してくれ」

「畏まりました。必ずや成果を上げて御覧に入れます」

 

 恭しく一礼したユウカに、続けてシックザール支部長が口を開こうとしたその時、彼の手元のパソコンがアラーム音を発する。

 

「来客のようだ。すまないが話はここまでにしよう。君の増々の活躍を期待しているよ」

 

 ニコッと音を立てて笑うシックザール支部長に、ユウカはもう一度礼儀正しく一礼して退出した。

 偉い人に呼び出された時に今までの自分の所業の全てが脳内を駆け巡るのは全人類共通だろう。なのに叱責のひとつもなかったので、ユウカは拍子抜けして扉越しに首を傾げた。ぶっとい釘は刺されたが、その程度だ。

 身構えて損した。

 そう息を短く吐いたとき、廊下奥のエレベーターから男が一人降りてくるのが見えた。

 技術顧問、ペイラー・サカキである。

 続けざまにトップレベルの重鎮に遭遇とあってユウカは内心ゲンナリしたが、表には出さず涼しい顔で会釈した。

 その脇を通り過ぎて、不意に思いついたような声音を「君は」とかけられて振り向く。

 

「好奇心旺盛な方かな?」

 

 悪戯を思いついた子どものような、しかし老獪さを思わせる賢者のような。あるいは能面のような胸中の見えない笑みを、サカキはユウカへと一瞬だけ向けて呟くように言った。

 ユウカは単純に「は?」と思った。勿論声には出さなかった。

 サカキはそんなユウカを置き去りにして支部長室へ姿を消した。

 不穏な風が過ぎ去った廊下にはユウカと、鉄色の床の上に一枚のディスクのみが取り残された。

 

「なにそれ……」

 

 つまりこれを見るなり聞くなりしろって事だろう。

 嫌だが?????

 絶対ロクなもんじゃない。全財産賭けても良い。

 しちメンドクサイことに巻き込まれる予感しかない。けれども知らなければ知らないで遥かに面倒な事になるのは目に見えていた。

 正直波風立てないでいられるならそれに越した事は無いが、悲しい哉、ユウカは命を預かる側として立ち位置はハッキリしていなければならないのだった。

 ワンチャンエロ本の類とかだったりしないかな……しないだろうな……。

 ユウカは肩を落とし、のろのろとした足取りで自室へと向かった。

 斯くして、大人たちの在りし日の過ちは少女の眼前に晒される事になったのであった。

 

 

 

 ――ふざけた画像を最後に、ディスクの再生は終了したらしい。

 アーカイブが『取り出しますか?』と親切にも伺いを立ててきているが、どうにも動くのが億劫で、腕が上がりそうになかった。

 だが、ユウカは奥歯を噛み締めて重たい指先を動かし、ディスクを取り出してカバーに元通り戻す。

 

 なんてことを。

 

 目元を隠すように手の甲を置いて、数度深呼吸をする。逸る気持ちをおさえるため、湧き上がる憤怒を宥めるため、冷静であらんとするために――

 

 ――冷静。そんなものクソくらえだ。

 

 だからディスクを片手に握りしめ、部屋を飛び出した。

 サカキの研究室はよく行くわけでもないが忘れるほどでもない。迷わず一直線に廊下を駆け抜け、研究室にノックもせずに押し入る。

 見知らぬ人が居たら確実に説教を受ける体たらくであろうが、幸か不幸か部屋にはサカキのみであった。

 

「おや、桜庭くん」

 

 白々しい表情を浮かべる男の机に、ディスクを叩きつける。割れろ、と思ったが、ヒビの一つも入らなかった。

 

「………こんなことで、ポーカーフェイスが崩れるようでは。この先大変だよ」

 

 それは多分、労りの言葉だった。気遣いであり、忠告であった。優しさからくる、言葉であったのだろう。

 でも。でもユウカは。

 

「クソくらえ」

 

 瞳にギラギラ不愉快の火を灯して、サカキを睨んだ。

 子供の癇癪である自覚は、実のところあった。

こんな揶揄うみたいなレベルの揺さぶりで、これほど神経を昂らせてしまうなど愚の骨頂であることも。

 これで怒れないようなら人間なんてやめてしまえ、という言い訳さえ子供の駄々であることも。

 ソーマさんはきっと怒らないだろうということも。

 全部、全部全部わかっていて。それでも。

 

「サカキ博士は、私に何を望んでいるんですか」

「ただ知っておいて欲しかっただけだよ」

「ふざけないで」

 

 なんだって。なんだって、言うのだろう。

 こんなものを見せて。

 私をどうしたいんだよ。

 同情すれば良かった?

 憤れば良かった?

 悲しめば良かった?

 哀れに思えば良かった?

 

「わかンないですよ、こんなの」

 

 ――あの二人は、どうすれば良かったのだろう。

 

 子供は親の所有物じゃない。

 ソーマさんの意思が無視されている。

 子供を実験動物同然に扱うなんてひどい。

 

 そんな、―――そんな単純に罵倒できたら、どんなにか幸せだろう。

 

 世界はアラガミの危機に瀕していてもう一刻の猶予もない。

 あの時点では間違いなく、受精卵での因子注入が最も安全で。

 他の誰かの親子で実験すれば良かったのか?そんなわけがない。アラガミを孕む覚悟がなければならず。そしてその第一人者の腹が使えるのなら、使うべきだ。

 サカキ博士のお守りを奥さんが持っているべきだった?

 いいや、他の全員を血の海にするのに変わりはなかっただろう。なんなら、お守りの中に入っている反アラガミ因子に負けて、産まれる事すらしなかったかもしれない。産まれるべきときに産まれなければ、母子共に危険なのは明白だ。

 だから、もうどうしようもなかったことで。そして、全てはもう終わってしまった事なのだ。

 全ては過去だ。

 誰の手も届きようがないもの。

 

「君はソーマの事を救いたいとか思わないのかな?」

「あの人は勝手に自分を救えますよ。強いですから」

「では、どうして君はいま、泣いているの?」

 

 泣いてなんかない、と言おうとしたけれども。喉がつまって言えそうになかった。サカキの言う通り、泣いていたから。

 涙をぽろぽろ落とすユウカを、サカキは興味深そうに見て、首をかしげている。

 なんだこの人、こわいでしょ。ユウカはサカキの人間離れしたところにちょっと笑って、目尻を拭った。

 

 ソーマさんって、捻くれてて、ちっとも笑わなくて、おっかなくて、無口で、口が悪くて。でもユウカが好きなのは。

 

 そんなソーマなのだ。彼だけなんだ。

 

 ソーマの過去に、同情なんて出来ない。怒りなんて抱けない。だってそういう今までがあって、今のソーマがいるのだもの。

 沢山悩んで苦しんで辛い目にあって、それでも人間が好きなあの人が好き。

 だからソーマの境遇に、哀れむことなんかしない。同情なんか一ミリだってしたことない。友達が少ないとかで一瞬したことある気がするけど、それはそれ。ソーマが生まれたとき大変な目に遭ってただとか、人より力が強いだとか、アラガミが寄り付きやすいとか、そういった事で憐れんだ事なんかない。

 けど。けれどね。

 望まれて産まれてきて、希望を託されて、本当に愛されていたんだろうに。

 ソーマがそれを受けとれなかったことが。

 どうしてだろう。

 たったそれだけの事なのに、こんなにも悲しくて、やるせないのは。

 

 ――もしかしたら。

 ユウカが一声かければ、ひとつ背中をトンと押せば。このお話はハッピーエンドになるのかもしれない。

 猫も杓子も幸せで、世界中の誰も彼もが望む完璧な幸福な未来を描くことができるのかも。

 そんな結末を思い描けないユウカは果たしてなんなんだろうか。現実主義者でも気取ってるつもりか、悲観論者のフリをしているつもりか。

 そうじゃない。そうじゃないのだ。

 だってユウカは知っている。車輪は溝にはまれば抜け出し難いし、人は道を逸れれば戻り難い。間違えたなら間違えたまま、突き進んでゆくしかないのだ。過去を変えられない以上、ひとはそれしかできないのだから。そしてユウカは今のソーマを愛している以上、過去を変えたいとも思わなかった。なんという浅ましさなのか。

 そんなユウカに言える事など。

 

「余計な入れ知恵は無用です。それで、私にどうしてほしいんですか」

「いや、まあ。別に何も?」

「……そうですか。なら部屋に戻りますね」

「おや」

「なんです」

「いや、少し意外だと思って。意図的ではなかったが、君の感情を踏みにじってしまったのだろうと思ったからね」

「……それとこれとは話が別ですから」

 

 ソーマの事をより理解する為だとしたなら、成程このディスクは近道だっただろう。

 けれど古来より、近道などしない方がマシだと相場が決まっている。正にこのディスクはそれであった。

 ソーマのことを理解したいと思う。でも勝手に過去を暴いて、傷口を抉りたかった訳ではない。

 しかし、それらはユウカの考えや気持ちであって、万人に共通するものとは豪語できるもでもない。故に、思惑がいくつかあったとしてもあくまで善意でディスクをリークしてきたサカキを、憎みたいわけでも、また同様にないのだ。

 極論してしまえば、ユウカは自分のこころなど今回の件に関してはどうでもよいのだから。

 要はどの首輪を選ぶかという話だ。

 それならば、多少なりとも自分たちの関係を慮る気持ちを持つ方に肩入れしようというもの。

 

「何かあったら、お声がけください。応えられるかは状況に寄りますが」

「それで良いとも。近々、仕事を頼むことになると思うから、その時はよろしくね」

「承知しました」

 

 表明すべきことはした。ユウカは身を翻し、ペイラーの研究室の出入り口に手をかけた。

 その背に男の声がかけられる。今まで人間の心がわからないと言った風な、傍観者を気取った感情の薄弱なものではない。

 

「すまなかったね。君を傷つけるつもりはなかったんだ」

 

 苦笑を滲ませたその声音はとても真摯には聞こえない。だがおそらく、これが彼の精一杯の誠意なのだろうということは察しがついた。

 なので、ユウカも顔だけを振り向かせて小さく、困ったように笑んだ。

 

「いいですよ、そんなことはわかっていますから。私こそ、」

 

 ユウカは人間だ。どうしようもなく利己的で、どうしようもなく自分本位で、どうしても手に入らないものばかりを欲しがる、どこにでもいる普通の少女。自分の弟一人救う事叶わなかった、無力な人間。

 きっと自分にはソーマを、一生。彼を救うことなんて出来ない。そんな女神のような聖女のような存在には、決してなれない。

 ――そんな期待には応えられない。応えられなくて、

 

「……ごめんなさい」

 

 扉が閉まる音が、嫌に空虚に響いた。

 

 



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少女、受け取る

 

 支部長から命じられる大型アラガミ討伐任務をこなしたり、サカキ博士から頼まれるアラガミのコアを回収したり、通常任務を消化したり、壁周辺のアラガミを時折掃除したり、と多忙な――というか八方美人的な外面を維持しつつ、僅かな自由時間をのんびり過ごす。字面を見れば社畜極まった生活のように見えるが、ユウカとしてはそれなりに満足であった。

 何しろ、この時代は娯楽がとにかく少ない。というか無い。なので、仕事が山盛りということは、それだけ時間を潰せるということだ。仕事人間なわけではないが、食料の調達やら医療行為やらをしなくても良くなったユウカは外に居た時よりも割かし暇で、だらだらするのを止せばもう資料庫ぐらいしか行き場所はない。

 そもそもユウカにはいっぱい有能な仲間もいるし、任務配分を間違えなければそうそう困った事にもならない。

 のらりくらりと生きつつの順風満帆な日常。

 

「っふー……。これで、今日の任務は全部完了ね」

「お疲れ様です。いやー、結構早く終わりましたね」

 

 近接戦闘寄りのユウカと遠距離神機のサクヤでのペア任務は初期の頃よりも高頻度でよく入れるようになった。

 というのも、ソーマ、アリサ、コウタの三人組が、個々なら有能なくせに合わせると不安定になるめんどくさいトリオであったことが原因だ。

 同じ部隊の隊員同士でありながらロクな連携もできないなど言語道断。

 というわけでユウカとリンドウは積極的に三人組プラス子守の四人パーティで任務に就かせていたので、自然と余った二人が別任務に就いていたのである。

 しかし、ズッコケ三人組も随分変わった。ここ最近目覚ましい成長を遂げるアリサや、それに触発されたコウタ、前より幾分か協調性を理解し始めたソーマ。

 もう子守は必要なくなったのである。相変わらず三人で任務に行くとぎゃーすか騒がしいし色々派手にぶっ壊してぼろぼろで帰ってくるけども。でも皆、誰かを思いやったり守ったり、互いを庇い合うという事がどういうことなのか。その為にどう動くのが最善なのかを無意識下ですら考えている。

 つまり、もう三人は大丈夫だということだった。今頃三人で仲良く討伐任務に当たってる事だろう。

 そういうわけで、ユウカとサクヤはのんびり羽を伸ばして、二人組で仕事が出来るようになったのである。

 

「ユウカも、中型の任務はもう随分慣れたでしょう?」

「そうですかねー。できれば無傷で終われるようにしたいですけど」

「それってもしかしなくても部隊員全員が、よね?」

「いや私だけ無傷で済んでどうするんですか」

「いやそうだけど。……待って、貴方なら本気で実現しそうで怖いのだけど。擦り傷はセーフよね?」

「状況によって破傷風の恐れがあるので正直ささくれ一つでも許し難いです」

「…………」

「すみません流石に冗談です。検討しようとしなくて良いです」

「もっとわかりやすい冗談を言って?お姉さんびっくりしちゃうから」

「あはは。でももっと効率的に動ける余地はあるな、ってのはホントです」

「そういうことを考える余裕が出て来たってことでしょう?流石ね」

「え~~~褒めてもアメちゃんしか出ませんよ~~~?」

「このご時世下だと結構良いものよねそれ」

 

 損にも得にもならない話をだらだら続けながら撤収作業を続ける。死屍累々の地面からコアやら素材やらを抜き取って、神機を肩に担ぐ。

 日はまだ中天から少し傾き始めたばかりで、午後の時間はまだたっぷり残っているだろう。よく出動している為素材がよくよく手に入る。ここらで装備を新調しても良いし、その後余裕がありそうなら壁外周辺のアラガミの掃除もして……、と脳内でやる事をピックアップしていく中、サクヤに呼び止められて思考を中断し振り返った。

 

「ユウカ。ちょっと話があるんだけど、この後少し構わない?」

「この後ですか?はい、今日はもう何も用事ありませんので、大丈夫ですよ」

 

 事実、隊員の話より優先すべき事は何もないのでそう言えば、サクヤは「良かった」と安心したように微笑んだ。

 話の内容に因るが装備は今日は諦めて、後日ソーマとでも見に行けば良い。壁外掃除は、まあ少し頑張ればどうにかなるだろう。

 笑顔の裏で予定を組み立て直しながら、ふと頭の隅を嫌な予感が掠める。

 サクヤさんからの相談か。――困った事じゃなきゃ良いけど。

 

 

 ユウカが部屋を訪れると、中は平時と変わらないちょっとだけ散らかった部屋のままだった。取り急ぎ洗濯物干しっぱなしは止めた方が良いと思う。特に下着。

 

「浴室乾燥あるんだから使いましょうよ」

「実はアレ最近調子悪いのよね。修理頼んでるのだけど来なくって」

「そういう事は早く言ってください。もー。私から管理部に報告しますね」

「有難う、助かるわ。ちっちゃい冷風しか出てこないのだけど……」

「あーそれフィルターが詰まってるんじゃないですか?良ければ見ますよ」

「え?貴方家電まで見れるの?」

「いやソーマさんが」

「そこ他力本願なのね」

「生まれた時から廃墟で生活してたので。家電なんて伝説上の存在でしたもん」

「それもそうだったわね」

 

 「生まれた時からここに居ましたが」みたいな顔して平気で機械弄るからウッカリしていたが、ユウカは列記とした外出身。両親の影響で機械いじりはそこそこできるが、これは生業と呼べるほどのものでもない。何とも悲しいが、ぶっちゃけ生活を豊かにする安全な機械は、ちょっとユウカの把握の範疇外なのだな。

 じゃあ早速見ますね~~~、とかで話逸らして、今日の話有耶無耶にならないかなァ。ユウカはちらとそんな不埒な事を考えたが、当然そうはいくわけもない。

 

「コーヒーで良い?」

「勿論。あ、手伝いますよ」

「貴方ビーカーで測ろうとするから嫌よ」

「正確な方が良いじゃないですか」

「ミリ単位でズレを失わせなくて良いから。もー、座ってて」

「はぁい」

 

 不服さを隠しもせず、ユウカは口を尖らせて渋々ソファに腰かけた。

 少しして手渡されたコーヒーを、まずは一口飲む。それは交換できる嗜好品の中のひとつで、ユウカもよく馴染んだ味をしていた。

 

「最近、あの三人をよく組ませるようになったけど、ユウカ先生のお眼鏡には適ったって事かしら?」

「お眼鏡って……そんなんじゃないですけど、そのようなものです。もうあの三人はきっと大丈夫ですから」

「ソーマも?」

「……ソーマさんって、そんなひどいんですか?」

「ずっと前とは比べ物にならないほど良いとは思うわ。明らかに舌打ちの回数減ったもの」

「あの。ソーマさんがコソコソ言われてるのって、やっぱ出自が原因なんですか?」

「あぁ……ええ、それもあるのかな。ソーマって、ちっちゃい頃からゴッドイーターしてたのだけどね。その時から、もう強いのなんのって。だから、うーん、多分妬みや僻みもあるんだと思う」

「ハーーー……なんで人類って弱いくせに身内で殺し合うんですかね」

「……ソーマがゴッドイーターになった頃ね。私はまだフェンリルで働く前だったんだけど。アナグラの中でさえも、まだアラガミがよく生み出されたり。壁で防ぎきれなかったり。外よりはまだマシだけど、安心ってほどじゃなくて」

 

 マグカップを両手に包んで、サクヤがぽつりと零すかのように話を始める。

 ユウカは外で生きて来た。母が居て、父が居て、弟が居て、集団のみんなは優しくて、ユウカとフユキをいつだって大切にしてくれた。

 

「みーんなピリピリしてて、怖かったなぁ。誰にも余裕なんかなくて、……当たれる場所があれば、子供相手だって当たり散らしてた」

 

 ――でも、それって本当に幸運な事だったんだ。

 他の集団だって、その頃のハイヴ内と変わらない、暗い眼をした人たちは沢山居た。

 

「初めてアラガミへ強力で有効的な力を振るえたゴッドイーターは……最初ヒーローみたいな存在だったわ。でもね、そんなの本当に最初だけ。ゴッドイーターは万能じゃない、誰かの命の保証じゃない。しかも、アラガミを喰らって強くなる。正義のヒーローなんて土台無理な話だったの。――その象徴が、ソーマよ」

 

 ソーマは現在主流として使われている神機の一番の適合者だ。

 祈りと非道な実験から生まれたソーマは、忌むべき対象であったのかもしれないが、同時に畏れられてもいたのだろう。彼の母が祈った通りに、いつの日か、必ずや人類を救う決定打になる筈だ、と。

 だが、そんな「いつか」は来なかった。

 少年はヒーローには成れなかった、少年は、ただの一人の、ちっぽけな人間なのだから。当然だ。当然なのに。

 英雄は生きているだけでは唯の咎で、死んで初めて正義となる。

 

「……最低ですね」

「そうね。大人として弁明のしようもない。どうにもできなくて、ごめんなさい」

「良いですよ。ソーマさんが気にしてないですし」

「そこで、私のせいじゃない、とか言わないところ、本当、ユウカよね」

 

 ユウカはぐっと眉間の皺を深くして、視線を逸らした。実際、サクヤのせいじゃないし、彼女は彼女で出来る事はしたのだろう。

 ああ、本当に。――嫌なものを知ってしまったな。

 サクヤがごく唐突に、棚から取り出したディスクをユウカに差し出してくる。それは先ほどコーヒーの粉を取り出していた時と変わらない、ぎこちなさの欠片もなかった。

 最初からそうしようと決めていたから、そうしただけの仕草。

 

「ロックがどうしても解除できないの。リンドウの腕輪がないとダメみたい」

 

 サクヤが双眸に理性の火を灯らせて、それでも微笑みながらユウカにディスクを差し出す。

 何の変哲もない、安っぽい銀色のありふれた情報記録ディスク。直近の嫌な記憶がよみがえりそうで、すぐに思考を追い出した。

 

 ユウカはまず「受け取りたくないなー」と思った。

 

 けれど受け取らないでいる事も出来なかったので、己のあまりに不義理な思考をなかったことにして苦笑しつつ手を差し伸べる。

 ディスクは硬質な感触のみをユウカに残して、それ以外に特段情報を渡すことはなかった。

 

「流石にクラッキングは出来ませんよ」

「わかってる。それにそれは複製よ。ロックも中に入っているだろう情報もダミー記録も何もかもそっくりそのままコピーしただけのもの」

 

 益々受け取りたくなかった。

 ボールペンより軽いくらいの質量なのに、片腕だけダンベルを持ってる気分だ。

 

「貴方に持っていてほしい」

「……わかりました」

 

 いかにも深刻そうに真摯そうに頷きながら、ユウカはほとんどまったく別のことを考えていた。

 

 この人は、受け入れてしまったのだろうか。

 

 今も写真を飾るのをやめられないほど大事にしているのに。目の下の隈を化粧で誤魔化すほど夢に見るのだろうに。

 その癖に懸命にリンドウの足跡を追って、前を無理やり向いて進もうとしているその姿は、たぶん正しいものなのだろう、尊いものなのだろう。

 

 だから未だに彼の死を拒絶したままのユウカは、きっといつまでも最悪だ。

 

「サクヤさん」

「なぁに?」

「必ず見つけましょうね」

「……うん。ありがとう」

 

 苦手でもないコーヒーが舌が痺れるほどに苦く思えて、ユウカは左手を握りしめて堪えた。




短め


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少女、遭遇

 

「頼みたい事が!」

「近いです」

「できたんだよ」

「離れればそれが許されるわけじゃないですからね?」

「この任務に行ってきて欲しい。あ、メンバーもこちらで打診しておいたから大丈夫だよ」

「話があまりにも早い」

「というわけで」

「拒否権は?」

「お願いするよ!」

「話聞いてくれます?」

 

 サカキの研究室に呼び出されたと思えば唐突にこれである。正直入室して目の前に仁王立ちした博士が居るのを見た瞬間嫌な予感はした。

 距離を取ろうと体を仰け反らせつつ、任務の内容が映っているらしき端末を受け取る。

 

「ヴァジュラとシユウですか」

「うん。出来れば一体ずつ倒してくれ給え」

「えー……各個撃破の方が早く終わるんですがー」

「そうかい?わかった、じゃあソーマに、」

「あーーー偶には地道な作業も良いかもですねー皆の成長もみたいしー!」

「冗談だよ。ソーマには別の仕事を任せてるから」」

「は?そっちも私がやるから早く詳細吐いて下さい」

「悪いがそれは越権行為だねぇ、桜庭クン。それにソーマに怒られるよ」

「全部貴方にだけは言われたくないんですけど……」

 

 最近重点的に沈黙の廃寺のアラガミばかり狙う任務をやたらと回してきたかと思えば、急に拍子抜けである。一時は本気でアラガミをこの世から駆逐し尽くすのかと思う勢いであったのに、どういう風の吹きまわしか……。

 何にせよ、ユウカに拒否権などハナからない。

 

「ともかく了解しました。謹んでお受けいたします」

「うん。よろしく頼むよ」

 

 ニコ!と音を立てて笑うペイラーに、一方ユウカは小さく嘆息した。

 何を企んでいるのか。完璧に造られた笑顔からは、何も読み取ることは出来なかった。

 

 

 音を吸収する真白の地を、神機を構え忍び足で踏む。足跡がつけた端から消えていくので、潜伏には向いているが探し物には特別向かない。

 苛酷な環境でも耐えられるのがゴッドイーターの身体的特徴の一つであるが、それでも体力を消耗しない訳ではない。

 長時間寒さに身を晒し汗が冷えた為だろう、コウタが「ブェェエエエックションッッ」と運動部の円陣よりもデカいクシャミをした。鼻水垂らして肩を震わせ、下唇を突き出している。

 

「ちぇっ、みっつかんねーなぁ」

「最近ここら辺狩りつくしちゃって、見つけるのも一苦労だね。ザコすら殆どいないや」

「とっくにこっから尻尾撒いて逃げ出してンじゃねーの?ここまで徹底してりゃ近寄らんくなるっしょ」

「でも奴ら進化する力はあっても学習能力はそんなにないからなぁ……。同族同士で意思疎通してるわけでもないし……」

「帰りたくなってきた」

「私なんて任務見た瞬間から帰りたかったわ」

「は?なんで」

「こっちの事情」

「そんなめんどい陰謀的なの絡んでンの?」

「さあー……。言っちゃえば、わかんないのが怖いんだよね。意図が見えないっていうか」

「オレ思うんだけどランダム性のあるグッズって廃止すべきだよな。好きなキャラが当たりとか外れとかいう概念に当て嵌められるのが地味に許せなくね?」

「1ミリも私の話聞いてくれないじゃん」

「不安が漠然とし過ぎてて聞いてて眠くなってきた。もっとアリにもわかるように言ってくれ」

「せめて人類としての知性くらい持ってよ。前頭葉弄りまわすよ」

「セルフロボトミー手術じゃん」

「セルフの意味履き違えすぎでしょ」

 

 毒にも薬にもならない会話とは正にこの事だろう。

 ゴッドイーターとして毎日着々と成長しているユウカとコウタにとって、ヴァジュラやシユウなんて準備運動くらいのものだ。

 任務時間がド深夜でさえなければ。

 成長するにしたがって仕事も増えていくのは世の常だろう。あっちもこっちもと人手の足りないところに引っ張り出されている内に陽があっとう間に落ちて。朝には復活していた気力も同様である。

 そんなわけで「かったりー」という空気を隠そうともせず足をぷらぷらさせて歩く二人は、最早忍ぶという発想がない。一言で言えばほぼ深夜テンションなのである。

 別の場所を散策しているサクヤとアリサもたぶん同じようなもんだろう。

 

「にしても、ひでぇ世の中だよな。俺ら未成年だぜ?これ完全に深夜労働だろ」

「倫理観を守ってればアラガミに襲われないって言うなら今頃世界中マザー・テレサだらけね」

「共産主義者大歓喜じゃん」

「その感想は心を失い過ぎてるわ流石に」

「えー、でも昔はそうだったんだろ?争いなんか全然なかったらしいじゃん」

「そんなわけないでしょ。『JUST BECAUSE IT ISN'T HAPPENING HERE. DOESN'T MEAN IT ISN'T HAPPENING』だよ」

「……『此処にはそれがないだけで、何も起こってないわけじゃない』?」

「大体合ってる」

「でも少なくとも、日本とかいう国があった頃は、ここは平和だっただろ?……帰ったら家族がおかえりって言って笑ってくれて、メシは腹いっぱい笑いながら食べて、ゲームとかで夜更かしなんかもしちゃって……そんで、明日何しようかなって、楽しい事ばっか考えながら眠るんだ。そんでまた、当たり前のように明日が来るんだよ」

「……そうだね」

 

 きっとそう単純な事じゃない。そうわかっていても、ユウカは微笑んで頷いた。

 どの世界でもどんな時代でも、その時なりの苦労や辛い事とかがあって、そんな幸せな日々はほんの一握りなんだろう。

 でも理想を語って何が悪いんだ。実際には違うのだとしても、そう在ろうとすることはきっと悪い事じゃない。

 

「でも、エイジスが出来ればそんな世界が来るんだ。そんな当たり前の倖せってやつがさ」

「そうかもね」

「なんでそこ断言しねーんだよ」

「良いの?たぶん希望とか色々粉砕しちゃうよ」

「……やっぱイイデス……もう俺が信じられるのはコイツだけだー」

「それが噂の妹ちゃんが作ったやつ?」

「そ!カワイイだろー」

 

 ニヨニヨと相好を崩してコウタは布の切れ端で作ったらしいマスコットに頬ずりする。

 程よくデフォルメされたそれは素人目ながらもよくコウタの特徴を捉えていて、大変出来が良い。一針一針、大事に縫ったのがわかる。良いお守りだ。

 

「今度遊びに来いよ。や、ユウカが良ければ、だけどさ」

「うん。そっちの都合の良い日がわかったら教えてよ」

「マジ!?オッケー!今度帰ったら二人に言うわ!」

「うわマジ?上司の家宅訪問とか拷問以外の何ものでもなくない?なんでそんなテンション上げられるの?」

「いやユウカは上司以前にオレのダチじゃん」

「愛。コウタは私のベストフレンド。感謝永遠に」

「なんで最後急にリトルグ〇ーンメンになった?」

 

 雑に会話しつつどつき合っている内、フッと月明りが翳った。

 直後、積もった雪が地面と共に抉れ、雪が風圧に乗って二人に吹き荒ぶ。

 アラガミのくせしてようやく真打登場と言うわけか。シンと冷え切った夜空の目を覚ますように家屋を軋ませるほどの咆哮が上がった。

 二人としては、今更そんな強者感出されても。といった感じだ。さんざ探させやがって、このクソヴァジュラ野郎。

 

「ソッコーで終わらせる」

「了解」

 

 

 無事ヴァシュラを十分と経たず倒し切り、有言実行せしめた二人は、新たなる獲物を求めて再び彷徨いだした。

 討伐目標の片割れ、シユウの捜索である。

 とはいえ、こちらはさして苦労もなく発見できた。別動隊のサクヤとアリサが先に開戦していたからだ。

 流石にシユウとドンチャンやっていればその戦闘音は激しく、ユウカたちのところまで震動が伝わってくる程だった。

 間もなく合流した四人総出でシユウを叩き、大きな怪我も事故もなく殲滅は成功。

 後はコアを回収して任務も完了、の筈だった。

 此処に相応しからざる人物の声さえ聞こえなければ。

 

「それ、ちょっと待った!」

 

 驚き過ぎてそのままコアを捕食しそうになるのを制し、声の発生源を振り返る。丁度坂道の麓から、悠々と歩いてくる姿が見える所であった。

 

「サカキ博士、それにソーマさんも。なんでここに」

「このオッサンの護衛だ」

「あーちょっとちょっと、説明は後。ともかくそのアラガミはそのままにして、ちょっとこっちに来てくれるかな」

 

 ユウカはサカキの言葉に一瞬返答に窮した。

 アラガミの死体は、通常黒い煙と共にすぐに地面に崩れ溶ける。だがそれは、コアを取り除いた場合だ。

 コアをそのまま放置した場合、高確率で他のアラガミが捕食に現れる。死体漁りだ。コアという資源を求めて、同類の死体を貪りに来るのである。アラガミの死体が大きければ大きい程アラガミを引き寄せ、しかもそれは、上級の大型アラガミであることが多い。

 

 つまり、アラガミの死体をほっぽり出しっぱなしというのは非常にリスキーな行動なのだ。

 

 リーダーとして部隊員の命を預かっている身からすれば、叶う事なら出来得る限り回避したい。

 だがサカキの言葉は提案の形を取ってはいるものの、所詮第一部隊リーダーという身分でしかないユウカにとっては、それは命令以外の何ものでもないのだった。

 舌打ちでもしないとやってられない状況だが、ユウカはそんな不平不満をちらとも表に出さなかった。即答こそ出来なかったものの、一拍置いていかにも神妙そうに小さく一つ、確かに頷く。

 サクヤ、コウタ、アリサの三人には、「きっとサカキ博士なりの考えがあるんだよ。従おう」といった旨の理解ありそうな寛容な視線を寄越して納得してもらう。

 実際にはバチバチにキレているし、「私の仲間が結果的に傷ついたとしたら今ここで殺してやる」といった風な感情で腕が怒りに震えていたが、勿論表面には平静を保っている。

 サカキの手招きに従って、シユウの死体が確認できる程度の距離で家屋の陰に隠れ、様子を窺う。

 説明をして欲しいと視線で訴えかけるが、立てた人差し指を唇に当てる「シーッ」というポーズに口を噤まざるを得なくなる。

 見ればソーマもだいぶ目が死んでおり、散々はぐらかされたらしい事が窺えた。

 

 月の傾きが天上付近に差し掛かった頃、サカキが懐中時計から顔を上げたまさにその時である。

 

「来たよ!」

 

 サカキが喜色ばんだ声を上げるも、所詮只人のサカキが気付く程度の事など、ゴッドイーターである五人はとっくに気付いていた。

 暗闇に浮き上がるように真白の、二足歩行の生物がゆっくりと歩いている。

 それは人間に酷似した骨格・容姿をしていて、しかし人間にあるまじき無色素であった。

 アルビノだとかそんな次元ではない。月明りに照らされ、まるで発光しているかのように輝いている。

 

 それは少女だった。

 ボロ布を申し訳程度に纏って、既に絶命したシユウを今正に両の手でかき分けて、暴走した初号機みたいにコアをぺろりと喰らった少女。真っ赤な粘性の高い液体を滴らせて、金色のまなこを異様に輝かせる。

 しかしどうしてか。汚れて不審なその少女は、どうしようもなく美しかった。

 誰にも踏み荒らされていない新雪のような、月の愛娘みたいな女の子だ。

 

 ゴッドイーターとしての本能が駆け寄って神機を構えたが、脳の片隅がジンと痺れたように使い物にならない。

 だって目の前の存在は、見た目には、完全に人間の女の子だったから。本能が警鐘を鳴らしても、腕輪をした右手が熱されたみたいに熱くなっても。

 人間として十余年生きた桜庭ユウカが声高に理性を訴えるのだ。

 

「オナカ、スイタ……ヨ?」

 

 あるいはそれが人で在るならば。と。

 

「ひぃ!」

「撃っちゃだめ!」

「へ!?や、でもユウカこいつ」

 

 アラガミだ。そんな事はわかっている。

 だがそれでも。

 

「いやー、ご苦労様!やっと姿を現してくれたね!」

 

 サカキの声に全員が我に返ったかのように正気を呼び覚まし、神機を油断なく構えながらも視線をそちらへ寄越す。

 

「君たちがいなければこの瞬間には立ち会えなかっただろう。特にソーマ、ここまで護衛してくれてありがとう」

「礼なぞいらん。それよりも、どういうことなのか話してもらおうか」

 

 あまりに暢気なサカキの様子に、ユウカとソーマは内心イラッとしながらも神機の構えを解いた。

 腐ってもアラガミ研究の第一人者。その彼が無防備にもあらわれたということは、つまり、当面の危機はないということだろう。

 

「いや、彼女がなかなか姿を見せてくれないから、しばらくこの辺一帯の餌を根絶やしにしてみたのさ。どんな偏食家でも、空腹には耐えられないだろう?」

 

 相変わらず胡散臭い笑みを崩そうとしないサカキに、ソーマが低く舌打ちする。

 

「悪知恵だけは一流だな」

「『偏食家』、ね……つまりこの子は」

「おっと!これ以上は私のラボに移動してからにしよう」

「またソレですか」

「ここが危険なのは本当。さあキミ、ずっとお預けをしていてすまなかった。一緒に来てくれるね?」

 

 サカキが近づくと、少女はぴょこんとうさぎのように小さく跳ねて反応し、頭を勢いよく前へ下げた。

 

「イタダキマス!」

 

 沈黙が場を支配する。天使が通ったという表現の方が柔らかみはあるだろうが、今この状況においては『沈黙』以外に形容すべき表現はなかった。

 ウワァ。みたいな空気が流れる中、責任者の一人として代表して、ユウカがおずおず話しかける。

 

「……エーと、了承?」

「イタダキ……マシタ?」

「違うそうじゃない」

「一応、通じているようだね」

 

 これ通じてるって言えるんだ。スゴイな。とユウカは思ったが言わないでおいた。

 ユウカとしては犬猫とコミュケーションを試みている気分だった。というかどういう語彙だ、誰だ教えたのは。

 

「ていうかこの子どうやって連れてく気ですか?まさかロープで縛るわけにもいきませんし。目を話した隙にダッシュしそうな感じの落ち着きの無さですよ」

「そうだねぇ……このスタイルが一番安全かな」

「オイそれ首輪」

「博士、人権について話し合いませんか」

「ハハ、流石に冗談だよ」

 

 懐から赤い首輪を出してきたので流石にアラガミ相手よりドン引きしてしまい、自然少女(仮)への同情心が微量ながらも積もる。

 頭痛を堪えるように額に手をやって数秒、ユウカは「えいやっ」と手を伸ばした。

 が、その腕を振った先で丁度スッポリ掴まれる。白い少女の手を取ろうとした手は空を切った後に、硬くて浅黒い掌に絡めとられた。

 

「あのー、ソーマさん?」

「お前のやろうとすることなんぞ丸っとお見通しだ」

「いやソーマさんは上田ポジションでしょ!?」

「ユウカ、そこじゃないと思います」

「いやそうなんだけどツッコまずにはいられなかったっていうか、じゃなくてソーマさん、今のが最善でしょ?」

「知るか。おいオッサンテメェが責任もって連行しろ」

「はいはい。まあそういう約束だったしね…」

「はあ?なんの力もないパンピにヤバいの押し付けられるわけなくないですか?」

「一応簡易版反アラガミ障壁は持ってる」

「そんなの、」

「桜庭くん、大丈夫。君の大事な人達を傷つけるようなことはしないよ」

 

 ユウカは反論しようとして口を開き、躊躇の後に結局閉じた。

 それを了承と見なしたサカキが、少女の腕を取って歩き出す。坂を下ってゆく彼を追いかける形で、ゴッドイーター全員もそれに続いた。

 

 



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少女、説明

 

「えぇぇ~~~ッ!」

「あの、今…‥何て、」

 

「ふむ。何度でも言おう。これはアラガミだよ」

 

「ちょっ、まッ、あぶ!」

「えっ?あっ……」

 

「いやなんで驚いてんの?この人が興味を示すことなんてアラガミの事じゃん大抵」

「茶番だな」

「脅かし甲斐が無いねえ君たちは……。まあ彼等の言う通りだ、みんな落ち着いて。これは君たちを捕食したりはしない」

 

 これ、と呼ばれた少女。厳密に言えば少アラガミは、脚を投げ出してぺたんと床に座り、暢気にゆらゆら身体を揺らしている。

 

「知っての通り、全てのアラガミはね、『偏食』という特性を有しているんだ」

「アラガミが、個体独自に持っている捕食の傾向……私たちの神機にも利用されている性質ですね」

「その通り。マ、君たち神機使いにとっては常識だね」

「……知ってた?」

「当たり前だ」

「ちゃんと講義聞きなよ」

「きッ、聞いてるしー!」

「そうだね訂正する。全部、聞きなよ」

「……へーイ」

「このアラガミの偏食は、より高次のアラガミに対して向けられているようだね。つまり、我々は既に食物の範疇に入っていないんだよ」

「オナカスイタ!」

「……ホントッスよね?」

「ハハ。大丈夫だよ。誤解されがちだが、アラガミは他の生物の特徴を持って誕生するのではない。あれは捕食を通して、凄まじいスピードで進化しているようなものなのだ。結果として、ごく短い期間に多種多様な可能性が凝縮される。それがアラガミという存在だ」

「世代交代の証拠はあるんですかー?でなければ進化じゃなくて成長ですけどー」

「はいそこうるさーい。ともかく、これは我々と同じ、『とりあえずの進化の袋小路』に迷い込んだもの。ヒトに近しい進化を辿ったアラガミだよ」

 

 人間の進化を袋小路て。

 ユウカは思わず苦笑を漏らしつつ、ヒトに限りなく近いアラガミを見やる。

 基本、進化とは必要に迫られて遺伝子が発現させるものだ。原初の生命、熱水から押し出された場所でも生きていける形へ進化したメタン菌や、光合成で生きていけるようになったシアノバクテリアのように。

 もしアラガミがしている事が成長ではなく、進化であるならば、この小さなアラガミは『必要に迫られて』人間に近い姿になったのだ。

 

「先ほど少し調べてみたのだが、頭部神経節に相当する部分が、まるで人間の脳のように機能しているみたいでね。学習能力もすこぶる高いと見える。実に興味深いね」

「人間に近い……アラガミだと?」

 

 姿はともかく、中身まで。

 ソーマが隣で目を瞠る。

 人間を欺くために見目を真似るのは理解できる。だが、中身、つまり脳まで寄せていくとなると、これはかなり困難かつ、ほぼ天文学的な確率だ。何しろ、人間が生まれるまでに実際46億年かかっているのだし。

 なのにこの子は人間になった。いくらアラガミが凄まじいスピードで多種多様な進化を辿っているのだとしても、あまりに作為的なものを感じる進化だ。

 

「一応聞いておきますが、人工じゃないですよね?」

「その可能性も勿論ある。けど、限りなく低いだろうね。アラガミを創る、というのは。案外、うん。案外、大変なんだよ。ちゃんとした設備や装具がないと、ほぼ不可能だ。それも、僕やヨハンレベルの天才が不可欠だね」

「なら、どうしてこの子は人間になったんでしょうね」

 

 膝を曲げて腰を落とし、白いアラガミと目を合わせる。ガーネットの眼はユウカを捉え、ふわりと柔らかく歪められる。

 絶対的強者であるアラガミが、わざわざ弱者の元まで降りてくる事は無いだろう。

 それでも欲しいものがあったのだろうか。そうまでして。

 

「ユウカ」

「ん?」

「止めろ」

「う、わっ!」

 

 首根っこを掴まれ、ソーマの背後に引きずって回される。

 急に何。

 長い腕に阻まれ前に出ることも叶わず、上半身を逸らしてソーマの表情を窺う。

 

「お前は寄るな」

「はあ?私リーダーなんですけど」

「そんなものが俺に効くとでも思ってるのか?」

「効くと思いたいわ。そんなサクッと命令無視しないで?」

「……………」

「ねえめんどくさくなったら黙るのホントどうかと思う!」

 

 何をどうあってもユウカをこの子に近付けない心算らしい。鼻に皺寄せて睨むが、一向に効いている様子もない。

 けれど伸びた腕がどんなに力を込めても動かないから、ユウカは諦めて大人しくその場所に甘んじる事にした。

 というのも班員たちからも同様の視線を頂いていたからである。「そこから動くな!」と言わんばかりの目力に、流石のユウカも多少は怯む。

 

「はいはい。何ですか皆してー」

「ユウカは絆されやす過ぎそうですので、当然の判断かと」

「そーそ!油断したところをガブリ!ってそれホラー映画で何べんも見たから!」

「よっぽどの空腹じゃない限り、アラガミは同じような姿をした同胞を食べようとはしないと思うけれどね」

「それでもです。ユウカ、この子と接触するときは絶対誰かと同伴でね、できればソーマと」

「わあ手厚い対応。おかしいなあ私がリーダーだったような気がするんだけどなあ!」

「二度もリーダーを失う体力は第一部隊には残されてないの。貴女の人間のレンジ広そうなんだもの」

「はは……」

 

 既にこの女の子を人間と同等に扱っても問題なさそうだなー、と考えていたことは言わぬが花だね!

 ニコ!と笑う事で視線を逃したのを悟らせず、ユウカはきゅっとソーマの外套の端っこを握った。

 

「わはは。じゃあ講義はここら辺にしておこうか。ああそれと最後に、この件は私と君たち第一部隊だけの秘密にしておいて欲しい」

「はあ。まあそうなりますよね」

「えっ、いやでも教官と支部長には報告しないと……」

「いやー、ここに連れて来た時点でアウトでしょ。ですよね博士」

「だって天下に名立たる人類の守護者が秘密裏にアラガミを前線基地に連れ込んだなんて、ちょっと外聞が悪すぎるからね!」

「テメェでわかっててやっておいてぬけぬけと……」

「私の研究の、貴重なケースのサンプルなんだ。この部屋は他の地区のインフラや通信環境とは独立させてある。当然、対策は万全だとも!」

「ヮー……最低ですね、博士」

「ドン引きです」

「我々は既に共犯なのだ!それを覚えておいて欲しいね」

「戦争において自軍での死因ナンバーワンは部下からの謀反らしいですよ」

「覚えておいて!欲しいね!!」

 

 圧がすごいな。

 引き攣った笑顔を浮かべたユウカに、サカキが再び詰め寄る。

 鼻と鼻がくっつきそうな至近距離。まったくドキドキしない急接近の内に、僅かに囁くように、唇を動かさずサカキが笑う。

 

「君だって、今している個人的な活動について、余計な横槍を入れられたくないだろう?」

「………まあ、そうですね。全員、このことは内密に」

 

 ユウカは舌打ちとまではいかないが、ちぇっ、と唇を尖らした後、肩を竦めて隊員にそう告げる。四人も、渋々といった感じではあるが様々に頷きを返した。

 

「うんうん。頼むね!それから、この子の相手も頼むよ。ソーマ、君もね」

「ハッ、笑わせるな。化物と話してどうする。他を当たれ」

「ちょっと、ソーマさん」

「お前が何と言おうと事実は変わらねえんだよ。俺は」

「それもだけどそうじゃなくていい加減放してよーっ!」

「両方NOだ馬鹿が。良いから行くぞ」

「良くない!」

 

 じたばた藻掻くが、拘束はなんならぐるりとユウカの腹当たりに回り、胃が出ちゃいそうなくらい絞められる。散歩終了を嫌がる犬を抱える飼い主を見るくらいの眼で見てくる隊員たちはそれを生温かい視線で見送るのみで、特に救出の兆しはない。

 はなし聞いてーっ!という叫びが研究・医療関係用の廊下に空しく響いた。

 

 

「そりゃあ私はね、ソーマさんが化物だろうが人間だろうがゴッドイーターだろうがアラガミだろうが気にしないけども。他の人は違うわけですよ。自分で認めちゃったら他の人も「ああそう言う感じなんだ!」って思うのはモノの道理なわけで」

「その話長くなるか?」

「ねえホントに私の扱い雑過ぎじゃない?何?倦怠期?」

 

 むしろその逆だ、とソーマは零しそうになって口を噤む。

 大事だから、愛しているからだ。ソーマにとってユウカは、間違いなく生涯、何ものにも代えられない。

 そうして視野が狭くなる。

 本当はゴッドイーターになるのだって、やめてほしかったくらいなのに。

 ユウカを一旦降ろして、ソーマは彼女に向き直る。そしてその両手を握った。小さい、温かく、白い手。ゴッドイーターの治癒力を以てしても、傷だらけの手だ。

 

「……なぜ」

「うん。どうかした?」

「何故、あのアラガミに手を差し出そうとした」

 

 湖のようなブルーと混ざったエメラルドグリーン・アイ。その瞳がどんな形に歪むのか、それがどういう感情なのか。ソーマには、ソーマにだけはわかるのに。

 

「なんだ、そんなこと。あの子が無害だって事は、サカキ博士の態度を見ればわかったし、逃げられたらまた探し直しになっちゃうでしょ?なら捕まえておいた方が無難かなって思っただけだよ」

 

 桜庭ユウカが強靭すぎるから。

 彼女がゴッドイーターになる事をたった一つぽっちの約束で容認してしまったから。

 

「……教官への道に興味は?」

「なにそれ急に」

「ゴッドイーターを辞める気はないのかと聞いたんだ」

「えー?当面は無いよ」

「アラガミが恐いくせにか?」

 

 ユウカはぱちぱちと瞬きを数回繰り返し、それから笑顔で言った。

 

「うん。だってみんながリーダーに推薦までしてくれたんだもの。誠心誠意、頑張るよ」

 

 ユウカのその笑顔は嘘ではなかった。ただ、願うような笑顔だっただけだ。祈るように、誰かへ捧げる為の笑み。

 ――彼女の過去を聞いた時と同じ顔だ。

 自分の痛いところをイチから全てここれこれこういうコトですと話して、これが全部の顛末です、と滅茶苦茶に傷ついた顔で微笑う。

 だからこそ、ソーマは踏み込めない。

 それは彼女の願いを踏みにじることだから。彼女の自由を取り上げる事だから。

 ユウカの覚悟を、喪わせてしまうことだから。

 ユウカの言葉はいつだって、正しくて、優しくて温かく、なのに、まるで彼女自身を苛んでいるように聞こえる。

 嗚呼、なんて。

 

「面倒くさい……」

「聞いておいてそれぇ!?」

 

 



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少女、命名

 

 ポップなイラストが描かれているカードをぺらっと一枚一枚掲げた。

 

「これは?」

「りんご!」

「じゃあこれ」

「ばななー!」

「この問題の正解は?」

「えっと、にじゅーさん!」

「惜しい。24です。1+3は?」

「よん!……あ、そっか!」

「そうそう。じゃあ次はね」

「いつまで続ける気だ……」

 

 苛立ちのような呆れのような感情が混じった表情で、溜息と共にソーマがそう吐き捨てる。相対する少女二人はきょとんとして、行儀悪く机に座る青年を見上げる。

 床にはユウカが持っているカードが複数散らばっており、他にも知育用の玩具や絵本が散乱している。どれも対象年齢は5~7歳あたりのものばかりで、この部屋の主の知能指数がどれほどかを物語っている。その一方で、齧られた冷蔵庫やら机が存在しているのは、なんというかカオスだった。

 

「いつまでって……この子がフツーに喋れるようになるまで?」

「もう充分なように見えるが」

「そんなことないよー、この子もっと流暢に喋れるよ」

「りゅうち?」

「りゅうちょう」

「りゅーちょー」

「そう流暢。お喋りが上手ってことよ」

「ほへー」

「ソーマさんの対義語とも言うわ」

「たいぎご!はんたい!さかさま!」

「そうそうよく覚えていました。偉いね」

「うはは!えらい?いいこ?」

「うんうん。良い子良い子」

「テメェら……」

「やだーソーマさんこわーい」

「こわいこわーい」

 

 ダブルでウザい。

 言動がガキを通り越して乳臭い二人はきゃっきゃっと黄色い声を上げながら身を寄せ合っている。それを最早ソーマは止めていない。

 この白いアラガミ少女がラボに来てから、実に一週間の日にちが経っていた。

 その間中、ユウカは毎日毎日このアラガミ少女の元へソーマを引きずって突撃し、こうして彼女を半ば育てるように相手を自ら仕っていた。

 当然最初は第一部隊総出でやめろばか近づくな不用意に抱きつくな仲良くし過ぎだろ相手アラガミだぞバカバカやめろ、とユウカを止めていたけども。

 このリーダーはそんなことで留められるほどヤワじゃないし、流される性質でもない。

 

「私にはこの子が人間になろうとしているように見えるよ。アラガミなら討伐しなきゃだけど、人間になりたいなら私はそれを手伝いたいよ」

 

 と言って微笑むユウカに、彼女に背中を押してもらった経験のある奴らはこぞって伸ばした手を引っ込めるしかなかった。

 そういう優しくてめんどくさい貴女だから、自分たちは。

 肩を落とした隊員たちはそうなったらもう方向性を変えて、ユウカに協力するようになった。だって彼女もそれを求めているから。

 その結果どうなったかと言えば。

 

「ちーっす」

「ただいまです」

「こんばんは。様子どう?」

「お、かえり!」

「三人ともおかえりなさい。任務の首尾は?」

「オレむーきず!」

「私とアリサも擦り傷程度よ、もう治ったしね」

「予定より五分ほど早く討伐出来ました。こちら報告書です。よろしくお願いします」

「ありがと。今チェックしちゃうね」

「君たち」

「あ、サカキ博士こんばんわーッス」

「お邪魔してます」

「うん。うん。この子の面倒を見てくれとは確かに言ったけども。ここをたまり場にしてくれとは言ってないんだけどなァ!」

「隊員全員に世話を頼んだんだんですから言ったも同然では?」

「コイツらが交代交代に来るとでも思ったのか?」

「そんなバイトのシフトじゃないんですから……」

「私が悪いのかい!?」

「声デカ」

 

 平時でも騒々しい第一部隊だが、この部屋の中ではより一層騒々しい。余人の眼もなければ教官もいないし、目を離せない少女も居る。当然の帰結だった。

 

「そんなことより博士、この子の学習能力的にもうこの教材じゃ不十分です」

「え?昨日まではこの絵本好きじゃなかったかな?」

「すきだけど、あきたー!」

「ヮァ……わかった。早めに用意しよう。だからその準備不足ですねみたいな顔をやめてくれないか!こんなに早いとは思わなかったんだよ!」

「被害妄想ですよ……」

 

 やっと見つけた貴重なサンプルなのに目まぐるしく変化していって大変だなあとは思っているが。サカキの眼の下は隈で真っ黒である。データ採取と検証考察に何日寝ていないのだろう。

 その割には元気に大声出してツッコんでいるのだから、研究者ってホントタフだ。もしくは研究対象に巡り合えたことでハイになっているのかもしれないが。

 

「こちらからも彼女について提案があるんだ。全員居てくれて丁度良かった」

「提案?」

 

 今まで割と好き勝手やらせてくれてたので、ここにきて改まって言われてしまい、ユウカは思わずサカキの言葉を鸚鵡返ししてしまった。

 驚いたのはユウカばかりでなかったらしく、四人も不思議そうに小首を傾げたりサカキの言葉の続きを待っている。

 

「この子に、名前をつけて欲しい!」

 

 名前。

 ギリシアにおいて、『言』という単語は特別な意味を持つ。単に言語を意味するだけのものではなく、物の本質、原理、理法、法則をも指す言葉だった。『ヨハネによる福音書』冒頭の一節には『初めに言があった。言は神と共に在った。言は神であった。この言は、始めに紙と共に在った。万物は言によって成った』とあるが、これは『言』を不可解な神の存在を補完する媒介としたのだ。

 これが転じて、名前もまた本質や魂を象徴するものだとされ、その人間を支配するとまで言われている。

 アニミズムとか、言霊信仰とかいうやつだ。しかし、精神医学的にも名前は自意識の形成に大いに関わるとされている。

 名前をつければ魂が宿る。自意識が成立する。

 それはおそらく、このアラガミにでさえも。

 

「名前、ですか」

「そういえばつけてませんでしたね」

「私たちが決めてしまって良いんですか?」

「勿論。むしろ是非君たちにつけて貰いたい」

「博士だといかにも神々しい名前になりそうですもんね。スーリヤとかイシュタルとかデメテルとか」

「流石にそこまで露骨なものはつけないよ!?」

「なんそれ」

「あちこちの地域での神の名前ですよ。少しは本を嗜まれたらどうですか?」

「承知しましたー、だ。ってか、名前、名前かー……あ、はいはーい!良いの思いついた!」

「はいコウタくん早かった」

「ノラミ!」

「アリサは何か良い案ある?」

「なかったことにされたーッ。いや良いじゃんノラミ!」

「尚も言い募ろうとするその根性は買うよ。けど却下。リーダー権限」

「そこまで!?」

「ドン引きです……でも、急に言われてもぱっとは思いつきませんね。やっぱり日本名の方が良いんですか?」

「あくまで個体を識別する為の名称だから、私としては呼びやすければなんでも良いよ」

「良いわけないでしょ博士は座ってて下さい」

 

 かつてない程冷静に対処されたサカキが心なし気落ちした風な表情で部屋の隅っこに腰かける。

 同情心は全く湧かなかった。急にサイコパスみを出して来ないで欲しい。

 

「そう言うユウカは何かいい案ないんですか?」

「やめろこいつにネーミングセンスを求めるな」

「ちょっと!ひどくない?そうだなあ、名前がないんだからナインちゃんとかどう?」

「ほら見ろ」

「こいつはひでぇや」

「ある意味コウタよりもひどいわね」

「え?俺コイツと同等なんスか?」

「似たり寄ったりでしょう」

「目クソ鼻クソだな」

「はい200fc」

「は?ク、……チッ」

 

 チャリンチャリーンと虚しく機械音が端末から鳴り響く。

 何にも一向に解決しない。ウンウン唸る四人に、ソーマが一つ深く溜息を吐いた。

 

「もうシロとかで良いだろ」

「いや犬じゃねーんだから」

「ならシオ」

「そんな変わってなくないですか……」

「まあでも、今までは一番マシかしらね」

 

 まだ再考の余地ありかな~でも他に名前も思い浮かばないしな~という雰囲気が流れる。弛緩した会議室みたいな間延びした中、白い少女がぴょこんと頭を上げた。

 

「シオ!」

「うわびっくりした」

「シオ!いい!シオ!」

 

 少女のきんいろの双眸が、星のようにきらきらと輝く。どうやら気に入ったみたいだ。

 名付け親となったソーマを上目で窺いながら、くすくすと小さく笑う。

 

「だって」

「えー。ノラミは?」

「ヤダ」

「それはそう」

「シオちゃんね」

「シオ、チャン?」

「シオの事だよ。シオが可愛いなって意味」

「カワイイ?」

「また当たらずとも遠からずみたいなテキトーな説明を……」

「ちがうのかー?」

「違うわけじゃないが」

「じゃあシオ、カワイイのか!?」

「コウタ、パス」

「うおおい!そこは答えてやれよ!シオ可愛いだろ!めちゃカワだろ!な!?」

「ソーマさんはシャイガイだから……シャッガイだから……」

「星に帰れェ!」

「シオ、カワイイのかー、そっかー」

「こっちはこっちで納得してますし……まあソーマにとって可愛いのはユウ、ッッだ!!ちょっと!叩かないで下さいよ!」

「いらんとこばっかリーダーに似るんじゃねえよ」

「あら。じゃあ正解ってことね」

「私を褒める言葉が聞こえたような!」

「してねーよ座ってろ」

「はい……」

 

 にょきっ、と暢気な効果音と共にソーマの横から生えるように飛び出してきたユウカの頭を、ガッと浅黒い手が音速で片手で掴んで抑えた。

 あんまりな対応に、主に女性隊員からの視線が生温かいものになる。当然それに比例してソーマの視線も雰囲気もどんどん冷えていく。ユウカからしてみれば、なんかちょっと目を離した隙に状況が意味不明になったばかりか恋人の強情さも握力も強まっていく結構な恐怖である。精神的にも物理的にも頭が痛い。

 

「要件は済んだだろ。俺は帰る」

「主語と行動が一致してないんですけど!ずがいがずがいが!DVだよこれ!DVDだよ!」

「かえ、るー?」

「自分のお家に戻るって意味ですよ、シオちゃん」

「やだ!」

「うえっ」

 

 全身をバネのように使って、白い少女がユウカに飛びつく。飛びついたばかりか、イヤイヤと言わんばかりにユウカの腹周りに抱き着いてぎゅうと腕を回した。

 本来なら「あらお母さんと離れたくないのねうふふ」で済ませられる微笑ましい風景だが、事実としてシオはアラガミであり、その腕力はゴッドイーターに劣らない。

 よって、ユウカの腹はギチギチと締め上げられ、物理的にオレンジ1個分くらいのウエストになった。

 

「シオはなして出ちゃう出ちゃうから」

「かえるやだー!」

「コレ殴って良いやつか?」

「良いワケないでしょう!?シオちゃん、ホラ、弛めないとユウカ苦しいですから。うわ力強っ」

「ぜんっぜ放さねー!シーオ!ユウカ死ぬからそれ!放せって!」

「シオちゃん、ユウカまだ帰らないって」

「そう!コイツまだ帰らないから!シオと一緒にいるし一緒に遊ぶから!」

「そうです!ほらシオちゃんみんなで一緒におままごとしましょ!?ね!?」

「ホントホント!」

 

 三人がかりでシオの腕を引っ張り、本人の意志まるきり無視な提案を口を揃えて言えば、シオはようやっと腕を僅かばかり弛ませた。

 お気に入りのテディベアを抱き締める強さ程度になった腕の中で、ユウカがやっとまともに息をし始める。顔色が青色から戻らなくなるかと思った。

 

「シオ。おままごとも良いけど……早めに力加減を覚えようか」

「かげん」

 

 無垢な少女が金色の眼を瞬かせる。

 普通の人間が息をするようにしている加減というものは、幼少期に同年代と喧嘩したり触れ合ったり、小さな生き物と交流したりして学ぶものだ。

 だがシオを同年代の子に交えさせるには、彼女は少し特殊すぎる。しかも彼女はまだ、「誰かを傷つけてはいけない」という事すらわかっていない。絵本をどれほど読み聞かせても、どれだけ言葉を並べても、こればかりは実感しないとわからないものだ。

 手っ取り早く目の前で腕とかナイフで刺して見せようかしら。いや絶対やらないけど。万一真似されたら困るし……。

 

「…………」

「ん、シオ。どうかした?」

「ゆーか」

「はっ?」

「おっ」

「あら」

「えっ」

「おやおや」

「………わあ」

 

 個体名を理解するのはそんなに遠くないだろな、と分かってはいたけれども。成程凄まじい成長ぶりだ。

 それはともかく。まさかとは思ったがよもや本当に。

 

「ユーカ!ソーマ!」

 

 んへへ。とユウカとソーマへ真っすぐに向いて、シオがかわゆく笑う。

 あからさまに嫌そうな顔をしたソーマの一方、ユウカは「そうそうユウカとソーマだよ。えらいえらい」とニコニコ。お姉ちゃんの手でシオをよしよしと撫でた。真白の少女の本質がアラガミであることを除けば、実に微笑ましい光景である。

 だが一瞬だけユウカの顔に浮かんだ、何処か居心地悪そうな、「しまった」とでも言いたそうな気まずげな表情。正面に居て、今撫でられている少女だけはそれを見留めていた。

 



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少女、未だ真白く

 

 シオの学習能力はあれからも上がり続け、間もなく成人のそれとほぼ変わらない程度の知識量と知能を手に入れた。

 その過程はまるでAIが自己学習を通じて能力を向上させる様と似ていたが、彼女はあくまで人間らしさ、というよりも子供らしさだろうか。拙い言葉遣いもデフォルトのままだ。

 抑々、言語とは人間が当たり前のように駆使しているが、本来難解を極める発明だ。その証拠に、一昔前に「エキサイト翻訳」といった揶揄が流行っただろう。人間よりも遥かに賢いAIでさえ、言葉とは十全に扱えるものではないのだな。

 それを鑑みれば、むしろシオは賢過ぎるくらいだ。一応意味は伝わるのだから。

 

「ユーカ!」

「こんにちは、シオ」

「オナカスイタ!」

「おおっと緊急性も危機感も高い歓迎だね」

「うん、実はそうなんだ」

「コレの食糧が足りてねえ、と」

 

 飛びついてきたシオを、ユウカが危うげなく受け止める。そのままジャングルジムになりつつもサカキへ向き直った。

 呼び出されたかと思えば、そこそこ深刻なお話のようだ。

 

「いや本当に話が早いなー。そう、シオは以前から溜め込んでいたコアをご飯にしていたんだけど、つい昨日、それも尽きてしまってね。君たちにはシオをデートに連れて行ってほしい、って事なんだ」

「デート。デート?連れて行くっていうか、ついて来るの間違いじゃ、あはは、擽ったいって!」

「テメエ浮ついた気持ちで仕事してんじゃねえよ」

「ソーマさんだってちょっと思ったくせにーだだだだだ」

「いちゃつくのは後でにしてもらえるかな?はいコレ、作っておいた任務」

「はい、承りました」

「オイ勝手に受けるな!狩ってきてここで食えば良いだけの話だろうが!」

「でも情操教育の最中に部屋に閉じこもりなのは良くないし……」

「シオ、お外行きたいなー」

「だよねぇー。あの部屋狭いしねー」

「こいつを外に出す方がリスクだろ」

「いやパッと見普通……とは言い難いけど、完全に人間には見えるし、外ではこういうカッコは珍しくないから大丈夫だと思うよ」

「……いやに推すな」

 

 目敏い。ユウカは肩を竦めてシオを一旦床に降ろす。

 

「まあね。サカキ博士、この子戦えますよね?」

「その通り。外でどうやって生活していたかと思えば、彼女は神機を扱う。いや、神機モドキ、かな。どうやってどこから出すのか、実際どんな仕組みなのか。彼女、全然見せてくれないからまだ解析できてないんだけどね」

「そうなの?シオ。見せたくないんだ?」

「……やだ」

「うーん、そうか。君から言ってもダメか」

 

 サカキから、そしてユウカの視線から逃れるように、シオはササッと飛び退いてソーマの背中にピッタリくっつき、首を横へしきりに振った。

 なんでもよく覚え、よく勉強し、よく話すものだが、シオには意外と「イヤ」が多い。自我がしっかりしている証拠だ。

 嫌なものを強制するわけにもいかない。心が痛むのもあるが、腕力で物理的にシオに勝てる気がしない。ソーマなら余裕で勝てるだろうが、ゴッドイーターなりたてで適合率もそこまで高くもないユウカじゃまず無理だ。

 滅茶苦茶嫌そうだが、流石に振り払わないソーマがユウカの手から端末を取り上げ、任務内容に目を通す。気を紛らわせようとしているらしい。

 ともかく、シオの神機は未知なところが多く、今以上の事を知るには時間が必要そうだ。

 

「で、これでこいつを測ろうってか」

「人聞き悪く言えばそう。いざって時、この子には戦うにしろ逃げるにしろ、自分で自分を守れて欲しいからね」

「……そういう、言い方は卑怯だろう」

「そうだね。ごめん」

 

 ユウカがフユキを守り切れなかったという事実を知るソーマからすれば、それは必殺の言葉に違いなかった。

 そこまで、――フユキほどにまで、シオを大切にしているつもりは、ユウカにはなかった。重ねる事が、一度もなかったと言えばウソになる。彼女の無邪気さとか、人懐こいところは。そう、やはり彼に似ていたから。もうたくさんだ、と何度思った事だろう。

 自身の名を呼ばれる度に。

 

「ねえユーカ」

「ん、なぁに?」

「デートってなにー?」

「シオにはまだちょっと早いかなー」

「えー。じゃあじゃあ、デートってイイ事か?」

「楽しいことだよー」

「じゃあイイ事だなー!」

「そうだねえ」

 

 成人と同程度の知能を持っていようと、彼女は已然として幼稚なままであった。当然だろう。人間性というものはすぐには育たない。

 善悪を指針にして思考している点は現状幸いと言えるだろう。本物の子供なら、まずその善悪すら曖昧で苛烈だ。

 このまま良い子のまま育ってくれるだろうか。そうだと良いな。

 心からユウカはそう祈った。それが到底ありもしない未来だとわかっているのに。

 

 

 シオを伴っての任務は、彼女を極秘裏にアナグラから連れ出すという条件を除けば、滞りなく進んだ。

 討伐対象が荷電性とはいえただのシユウだし、シオ自身がかなり強いのもある。神機は何の素材で出来ているのか、彼女自身のように真っ白だ。

 敵を見つけた途端、シオはわざわざぴゃっと物陰に隠れて、出てきたら神機を携えていたのである。本当にどうやってどこから出したのかわからない。彼女の神機で分かっている事とと言えば、どうやら新型と同じ性能を持っている事と、見た目と性質からメイン武器はショートブレードだろうと言う事くらいか。鶴の恩返しを思わせる隠匿さだ。

 ソーマの一太刀でシユウの身体が崩れ落ち、うまい具合にコアが剥き出しになる。

 

「さっすが、器用~」

「このコアはコイツが食うんだろう。もう一体探すぞ」

「ちょっと休んでからにしようよ。シオが食べてる間くらいはね」

 

 食事とは生物の一番無防備になる瞬間だと言う。ならばそれを守るのが着いて来た者の役目だろう。

 ソーマもそれがわかっていたので、だから研究室の奥で食えと言ったんだ、とでも言いたげに溜息を吐いた。効率を考えれば、確かにそれが最善だ。

 しかし、目を輝かせてぴょこぴょこ元気に跳ねまわる少女の姿の前にそんな言葉は無力だった。

 

「もうイタダキマス!して良いか?」

「良いよ、召し上がれ」

「わーい!それじゃー、イタダキマス!」

 

 神機をどこぞに消したシオが軽やかな足取りで倒れ伏すシユウに駆け寄る。満面の笑みを浮かべた彼女がそのコアに手を伸ばし、ピタリと急に動きを止めた。腰を屈めたまま振り返り、ソーマを見やる。

 

「そーだ!ソーマ!いっしょに食べよ!」

「あはは。シオのご飯なんだから、シオが全部食べて良いんだよ」

 

 サラッとソーマに生身でアラガミ捕食の付き合わせようとしてくるシオの提案を軽く笑い飛ばす。せめて飲用に耐えうるものならフリくらいはしてあげるよう促したかもしれないが、体液まみれのコアを口元に近付けるのは少々憚るものがある。

 

「えー。でも」

 

 シオは少女らしく、あるいは子どもらしく、口を尖らせて首をかしげる。

 それにしても、割合ソーマといる時間が長い(100%ユウカのせいで)とはいえ、存外懐いているものだ。ソーマにしても、邪険そうにはするが本気で拒絶まではしていない。なんとも不思議な二人だな。

 

「ソーマのアラガミは、たべたいって言ってるよ」

 

 えっ。

 思わず声を漏らしたユウカは悪くないだろうが、悪手ではあった。

 瞬間、背後の空気が冷たく、鋭いものへと急変する。

 ユウカにとって、ソーマは初めて会った時から冷たいけれど寛容だった。不愛想だけれど親切だった。それにあの頃ユウカには身体がなかったし、威圧感とかはへっちゃらだった。

 だから、ソーマがこんなに全身で拒絶している姿を初めて見た。

 

「テメェみたいな化物と一緒にすンじゃねえよ」

 

 ソーマさん、と声を掛けようとしたけれども。身体ってやっぱり重荷だ。思わず足が竦んで、喉が締め付けられるようで、それは言葉にならずに空気と溶けた。

 幽霊だった頃なら息を吐くように茶化して空気を混ぜっ返しただろう。ちょっと前までなら、純粋にソーマの身体の調子を心配したと思う。

 けれど今は。

 『それ』が最も、ソーマが触れられたくなかったものであると知っている。

 

 ねえソーマさん。私、そこに踏み込んで良いの?

 

「シオ、ずっとひとりだったよ」

 

 背を向けたソーマに、シオが唐突に語り掛ける。

 

「だれもいなかった」

 

 壁の外に住む人々は数を減らしているが、それでも存在しない訳じゃない。決して少ないわけでもない。それなのに、シオが一度も会わなかったというのは確率的に在り得ないだろう。

 だから彼女の今言う「ひとり」というのは、「独り」ということなのだろう。

 アラガミの少女に、仲間など居ない。彼女は真実、この世界でひとりぼっちなのだ。

 

「だから、ソーマをみつけて、うれしかった」

 

 わかるよ。その気持ち、痛いほどよくわかるんだよ。

 でも違うのだ。ユウカは見つけてもらった。受動的だ。

 シオは違う。彼女が、見つけたんだ。

 ユウカは、ソーマを理解したいと思う。でも同時に、彼の事を理解するなんて一生かけたって無理だろうとも思っている。別々の人間なのだから、当然の事だ。

 でももしかしたら。シオになら、もっと本質的なところで、ソーマの事が理解できるのかもしれなかった。

 

「みんなをみつけて、うれしかった……」

 

 だから、うーんと、エーと。少女が両手で頭を抱えてしゃがみ込み、ウンウン唸り始める。

 そういえば、仲直りの仕方は教えていなかった。

 羨ましくて、でも輝かしい小さな女の子の隣に跪いて耳打ちする。

 こういうときはね、こう言ってごらん。

 

「だから、シオ、いまのはえらくなかった。ごめんなさい」

 

 お代官を前にしたみたいにシオがぺたんこになる。そこまでしろと言った覚えはないが、多分コウタあたりの入れ知恵だろう。

 そして心から誠実な謝罪を受け入れぬほど、ソーマは狭量でもなければ、捻くれ過ぎてもいない。

 息を深く吐いて、頭痛を堪えるように額を抑え、ソーマは本当に渋々といった風体で身を翻した。口には出さないが、許した、という事だろう。

 

「ソーマ、もうおこてないか?」

「………………」

「怒ってないって」

「なんでお前が言うんだ…」

「顔にそう書いてあるもん。さ、シオもご飯おたべ」

「ユーカ」

「うん?」

 

 シオがユウカの服の袖をくんっと引っ張る。それから、ユウカとシユウのコアを交互に見た。

 ソーマがイヤならユウカと半分こ、といった感じではない。金色の眼が切なげに歪められ、正に困っているかのような顔。

 

「アレ、イタダキマスするの、バケモノっていうのか?」

「……そうだね。人間じゃないのは事実だよ」

 

 そんなことないよって言うのは簡単だけど、それはどんなに優しくてもどうしたって嘘だ。ユウカはシオを曲がり何にも一応、育てているようなものだから、嘘を教える訳にはいかなかった。

 

「でもそれを理由にシオを嫌いになんてならないよ。私も、ソーマさんやアリサたちもね」

「バケモノ、えらくないのに?」

 

 まるで化物にはそんなこと許されない、と言っているようなシオに、ユウカは僅かに微笑みながら応えた。

 

「私はシオが明日突然暴れ出して人類の半数を消し飛ばしたって、怒るし叱るけど、どうしてそんなことしたのか理由が聞きたいと思うよ」

「どーして?」

「シオが良い子だって知ってるから。貴方の事を大切にしたいなって思うから」

 

 言葉にしてしまえば、それは重みをもってユウカの双肩に圧し掛かった。今まで明言を避けていたけれど、そんな躊躇は今や必要なくなった。シオが重要な存在であるということが、最早無視できなくなったからだ。

 

「シオね、自分のじんき、出せるよ」

「うん」

「でもそれって、みんなはできないんだな?シオ、みんなとちがう」

「そうだねえ。でもそんなこととっくの昔に知ってるよ」

「バケモノってこと?」

「シオは私にとって、」

 

 脇の下に両腕を突っ込み、そのまま猫の子みたいに抱き上げる。シオはその見た目通り、人間よりいくらか低い体温をしている。恒温動物である必要性はないからだろう。

 体温を分け合う必要のない彼女に、人間とは温かいものなのだと教えるように。子ども抱っこしておでこを合わせた。

 

「最初からずっと、特別な女の子だよ」

 

 シオに名前を呼ばれる度、ユウカは何度も何度も、もうたくさんだ、と思った。見て見ぬフリをするのは、もうたくさんだった。

 シオは人間になりたいと願っている。ならその願いを叶えてやるのが、人間としての自分の責務である。

 でも、今はもう一つ理由を見つけていた。



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少女、希う

 

 支部長が居ようが居なかろうが、任務は存在する。事前に課されたものもあるし、遠い海の向こうからわざわざ届く特殊な指示もある。

 次々とあらゆるアラガミが、まるで段階を踏むように討伐対象になり、複数体を相手取る事が日常になり、戦闘もより熾烈になっていく。血生臭い戦場が増えた。

 いくつもの任務を連続で受けるのはワケないが、中型・大型の任務を十を超えると嫌になる。もちろんそんな数の任務を、ずっと同じパーティでは熟さない。いくつかの隊を梯子するのは大変だが、その分合流までには自由時間が幾らか許されている。

 なので、こういうことも可能だ。

 

「久し振り、ユッキー」

「よっ。元気そーじゃん、ゴッドイーター」

「まあね」

 

 携帯食料に満たない、栄養のみが凝縮された錠剤をバリボリと噛み砕く。その様を見て元気そう、とは皮肉を通り越していっそ笑い話だ。

 朝霧ユキト。

 かつてユウカが身を寄せていた集団のトップであった男。あの時逸れてそのままそれっきりになった男は、再会してみれば呆気ない程変わりがなかった。

 白髪とか生えてたら一生からかったのに。清潔な身なりのユキトには髭の剃り忘れすらない。

 

「はい、頼まれてた物資」

「サンキュ。そんでこっちがお前のお求めのブツだ」

「バイヤーみたいな言い方やめて?ただの回復錠でしょ?」

「間違いなくバイヤーだろ。ゴッドイーター専用の物資なんざ外じゃゴミよりひでえ価値だぜ、それと物資を交換なんざ」

「しょーがないじゃん。個人的にはそこそこ差し迫った問題だもん」

 

 溜息を吐きながら、貰ったばかりの回復錠を打ちこんだ。じわじわと熱を持って、患部が急速に癒えていく。詰めていた息を、ゆっくりと吐きだした。

 大物を何度も何度も何体も何体も相手にしてれば、どんなに上手く立ち回っても怪我をするし、生傷の上に傷を重ねていく。ゴッドイーターの身体を以てしても、自然治癒が追っつかない傷跡。

 これは流石に不味い。皆に無用な心配はかけたくないし、かと言って黙って隠し通せるほどの瑕疵ではなく。購買で回復用のアイテムを大量に買っていたらバレるのは時間の問題だ。

 となれば外部でルートを確保するしかない。幸い、ユキトも言っていた通り、外ではゴッドイーター専用の物資は何の役にも立たない。どれもこれも、常人に使うには却って毒になってしまうからだ。

 そしてどうせなら信用できる顔見知りから買いたい。そんなユウカにとって、偶然再会したユキトは正に僥倖だった。

 

「それで、本命のブツは?」

「呼び方お前もそこそこ気に入ってんじゃん……成果なし。悪いな」

「ん、そっか」

 

 さして残念でもなさそうに頷くユウカに、ユキトの方こそが痛切そうな顔をする。

 

「良いのか?」

「見つかってないってことは、上手く隠れられてるって事でしょ。よく言うじゃん、便りが無いのが元気な証拠って」

「戦時かよ」

「似たようなもん似たようなもん」

「死体も残らないのが今の時代なのにか」

「残ってないなら、」

 

 残ってないなら、それはそれでいいんだ。そう言おうとして、止めた。あまりに夢見がちな台詞だったからだ。

 

「……残ってないなら、仕方ないよ」

 

 だから真逆の言葉を口にしたのだけれど、ユキトは年長者の性だろうか。そんなユウカの虚勢はお見通しで。

 昔よくしたみたいにユウカの髪をくしゃくしゃーっと雑にかき回すように撫でた。ユウカはきゃーやめてーと黄色い声を上げてはしゃぐ。

 ユキトが「悪いな」と何の脈絡もなくそう呟いた。ユウカは「なんのこと?」となんにも知らないフリして笑った。

 二人の空気を、ユウカの着信音が切り裂く。

 ノータイムで通話を開くと、連絡してきたのはコウタだった。ひどく切羽詰まっている様子である。

 

『ユウカっ!?今、どこ!』

「仕事帰り。鎮魂の廃寺付近だけど、何があったの?」

『博士のせいっつーか、女子二人のせいっつーか、シオに服を着せようとしたんだよ、流石にあのカッコのままじゃアレだからってさ。んでシオが元々なんかちくちくするって嫌がってたんだけど、そのまんまにするわけにはいかねーじゃん!?』

「ワケは後で聞くから、結局どうなったのかだけ教えて」

『シオが研究室の壁ぶち抜いて家出した!行方不明です!』

「行先に心当たりは?」

『わかんねー!』

「了解。すぐ捜索に入る。経緯はメールで送っといて」

『こっちもすぐ合流する!』

「慌ててたからって軽装備で来たら殴るって全員に言っといて。到着五分前に連絡。以上」

『了解!』

 

 またぞろメンドクサイ事になってるみたいだ。ゴッドイーターってこんな大変な職業だったんだなぁ……。

 ふふ、と現実逃避気味の掠れた笑い声を漏らして、ユウカは首をふりふり立ち上がった。ユウカの仲間たちはみんな優秀なので、ユウカがいなくとも勝手に解決できるだろう。

 しかし悲しい哉ユウカはリーダーなので、誰より奔走しないといけないのだな。

 

「ありがとねユッキー。私もう行くね」

「おう、頑張れよ」

「うん。またよろしく」

 

 ユウカがそう返すと、ユキトは何とも言えない表情のまま口角を上げて「応」と頷いた。

 その微妙な表情の意味を問おうとして、また今度で良いかと思い直す。今最も優先すべきはシオとシオの安全確保であって、ユウカの感じた喉にひっかかるような些細な違和感ではない。

 ゴッドイーターの健脚で雪を抉るほど速く駆け出して、ふと、ほんの微かに苦笑する。

 

「また、って」

 

 そんないつかをふと口にするようになるなんて、自分は随分傲慢になったもんだ。

 無意識に、先程クアドリガのミサイルにブチ抜かれた脇腹に手を這わす。回復錠のおかげですっかり治って、もう痕も無い。

 無い筈だが、疼くような気がするのだ。

 今日また傷ついて、そしてとっくの昔についた傷の場所。未だ癒えぬ痛みの宿る場所。生涯背負うべき瑕痕は今も、ユウカのそこできちんと生を主張し続けている。

 

 

 

 いつまでも襤褸布を纏うだけの姿ではかわいそうだろう。というサカキによる余計な思い付きまでは良かった。

 しかしそこに女性群が加わると奇妙な化学反応でも起こるのか、それとも第一部隊とシオの相性が悪いのか、どうも予想の斜め上を行く結末になりがちである。

 どうにか普通の服を着て貰おうとあれこれ着せ替え人形になったシオは、サクヤとアリサの手から逃れる為部屋どころかアナグラに穴を開けて外へ飛び出した。

 ソーマとしてはこのまま帰って来なくても良いぐらいだったが、他の面々、特にユウカはうるさいだろう。化物が化物らしく外で生きていて何が悪いのか、さして弱くもないのだし。

 溜息を堪えながら、しかし呆れを隠しもせずに呼びかける。

 

「おい、居るんだろ」

 

 朽ちかけといえど、本堂は広く、天井も高くて、ソーマの声を内へ大きく響かせた。金色の剥げた仏像の裏までしっかり届いた声に、神妙そうな、それでいて暢気そうな言葉が返ってくる。

 

「いないよー」

 

 五歳児以下の返答に、ソーマは軽く天を仰いだ。何が、成人程の知能、か。

 

「遊びは終わりだ。とっとと帰るぞ」

「ちくちく、やだー!」

 

 一つやりとりするごとに、ソーマの中でシオの精神年齢がどんどん引き下がっていく。シオに自我が芽生えたのは極めて最近なので、ある意味、間違ってはいないのだが、それにしたって、赤子っぽく過ぎはしないだろうか。成人なのはナリだけだ。

 

「所詮、バケモノはバケモノか」

「バケモノじゃないもん!」

 

 仏像を罰当たりにも蹴っ飛ばして、かくれんぼは終いにしたこどもがソーマの目の前に着地する。

 しかし勢いが良かったのは最初だけで、目には小さな怒りの火が灯ってはいるものの、全身からはしょげたオーラを放っていた。

 

「シオ、ユーカのトクベツだもん。バケモノちがうもん……」

 

 ユウカの言葉がソーマの脳内で何度も思い起こされる。

 

 シオは人間になりたいと願っているのだ。

 

 だからこそ他の、それらしい服を着るのも最初は乗り気だったし、幾分かは我慢していた。文字を覚え、言葉を覚え、色々な感情を知った。

 ソーマとしては、

 

「そうまでしてか」

 

 と思った。

 そうまでして、彼女は人間になりたいのだろうか。

 それは犬が猫になりたいと望むような事ではないのか。

 猫に育てられようと猫に焦がれようと猫を模倣しようと、犬は犬だろう。猫にはなれない。ずっと中途半端なまま、変わり者の爪弾き者のままだ。

 

「うんとな、シオね」

 

 ソーマの心からの純粋な疑問に、シオは吊り上げた目をいつものようにころころとさせて首を傾げた。ウンウン考えながら話を続ける。

 

「ユーカが笑ってるのすきだな。イタダキマスよりすきだ。でもな、ユーカ、ときどき、オナカスイタみたいなかおをするんだ」

「それは、……どんな時に?」

「シオを見て、たまに、まれに?そーいうかおをする」

 

 それは彼女の言葉通りそのまま空腹という意味ではなく、たぶん、切なさとか、かなしみとかいった意味だろう。

 ユウカはシオを大切に想うくせに、大切に想い切れていないところがある。

 明るくて無邪気で優しくて、ユウカに見えない世界を見せてくれる存在。彼方にあって、けれど今尚痛みを伴い、すぐ傍に存在するその傷を、嫌でも想起させるからか。

 

「それにな、ユーカ、いつも傷だらけだ」

「……ああ、そうだな」

 

 ゴッドイーターをしている以上、無傷である時間は存在し得ない。戦っているのだから、当たり前のことだ。

 ユウカは強くなった。脚が震えることはなくなって、アナグラでトップクラスの実力を持ち、支部の誰もが彼女を頼るようになった。軽口も鳴りを潜め、向こう見ずな行動や、問題行動を起こすこともなくなった。

 なのに。

 何故こんなにも不安に駆られるのだろう。

 

「ユーカがきずつくのヤダ。でも、……でも、シオも、ユーカをきずつけるアラガミのなかまなんだ。ユーカがこわいアラガミなんだ」

「アイツはそれのせいでお前を差別なんかしねえよ」

「うん。でも、シオがヤダ。ユーカがこわがるのもきずつくのも全部ヤダ。だから、人間になりたいな。ソーマはシオが人間になれると思うか?」

「知るか」

「うへへ、そっか。うん。だからな、ユーカのトクベツがいい。みんなのことだいすきだから。人間がいいな」

 

 恥ずかしそうにそう言って笑う彼女は、とっくに人間の表情をしている。

 そして同時に納得もした。

 彼女は自分の為に人間になりたいんじゃない。ユウカの為に人間になりたかったのか。

 シオは多分、本当の所は人間になるとかアラガミだとかどうでも良くて。ただ、ユウカとずっと手を繋いでいたいだけなんだ。

 それだけなんだ。

 

「……俺も、お前みたいに素直になれたらな」

「ソーマ、スナオじゃないのか?」

「……………ああ、癪だけどな」

「ソーマ」

「今度はなんだ」

「シャクって……うまいのか?」

「……フハっ、お前はちょっとは真面目にユウカの授業を聞けよ」

「きいてるよー!ユーカのおはなし、大好きだもん!」

 

 あまりに神妙な顔をして真剣に尋ねてきたものだから、ソーマは堪らず軽やかな笑い声をあげた。

 今まで拒んできたが、今なら認められる。

 ソーマとシオは、確かに似た者同士なのだ。確かに信じられる大切なひとを見つけて、叶わぬとも知れぬ願いを叶えようと藻掻いている。

 自分と似ていて、だが正反対なこの小さな存在に、少しは、ユウカの近くに居ることを、確かに今は許すことが出来た。

 

 

 走り続ける内に、そう遠くまで離れていなかった鎮魂の廃寺エリアへ入った。

 事の経緯はメールにて既に確認している。知恵の実を食べていない彼女には、まだちょっと早かったかもしれない原因が並んでいた。愛らしい家出に思わず微笑む。

 不意に奥の方より微かに、声らしきものが聞こえてきた。静かな雪の中で耳をそばだてる。

 ソーマの声だ。それにシオも。

 最奥の朽ちかけた本殿へ足を運べば、詰め寄るようなシオと、神機を肩に担ぐソーマが話をしているようだった。何の話をしているのだろ。

 

「――ハハっ、お前はちょっとは真面目にユウカの授業を聞けよ」

「きいてるよー!ユーカのおはなし、大好きだもん!」

 

 いや本当に何の話をしてるの?

 シオが着衣の件で飛び出したのではなかったのか。それがどうしてユウカの話になるのだ。

 やや困惑しながらも、シオが無事であったことに安堵しつつ手を大きく振って呼びかける。

 

「ソーマさん!シオー!」

「っユーカ!」

「ぅわぷッ」

 

 弾丸みたいに跳んできたシオが、ユウカの顔面に文字通り張り付く。後方に壁の無い蝉ドン的なハグをされた。首からしちゃいけない音がした気がする。

 ユウカは実質キャメルクラッチをされつつも、シオの背中を優しくぽんぽんと撫でた。

 

「心配したよ、シオ」

「うー、でもでも、チクチクやだよー」

「嫌なら嫌ですってちゃんと言って断って。突然出て行かないで。危ないでしょ?」

「………ぉめんさい」

「うんうん。みんなにもごめんなさいしに行こうね」

「いっしょ?」

「ご要望とあらば、ね。お姫様」

 

 シオを腕の中に抱え直してまるい頭に気取って口付けた。シオは「うははー」とにまにま笑って、猫みたいに身体をくねらせてユウカに擦りつく。

 

「ソーマさん、お疲れ様」

「お前もな。仕事中だったろ」

「終わってたから大丈夫」

「怪我は?」

「大丈夫、もう治ってるくらいのものばっかだよ」

「そうか」

 

 パッと見でユウカに大怪我の痕がないとわかったのか、ソーマの目元が微かに和らぐ。同時に、ユウカも安堵の息をこっそりと吐いた。

 装備品に替えの服を入れておいて良かった。怪我は回復錠で治せるが、服を元通りには出来ない。今度からは、怪我をする箇所にも気を付けなければ。

 眼の良い恋人を持つと大変だわ。誤魔化すように笑うと、気付いたソーマに軽く小突かれた。

 

「本当に大丈夫なんだな?」

「大丈夫。それより早くいこう、もう皆そこまで来て、」

「シオーー!いるなら返事しろーーっ!」

「シオちゃーん!」

「……周辺にアラガミは」

「シオがいるのにヒバリちゃんに確認してもらえるわけないでしょ?」

「はぁぁぁ………」

「まあまあ。お説教はあとあと」

「あとあと、するんだなー」

「シオもだよ?」

「………ソーマー」

「来るな寄るな。断じて助けんぞ」

「うあぅー!」

 

 涙目で身体を捩るシオを抱え直して、ユウカは夜空に軽やかな笑い声を響かせた。

 



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少女、隠し事

 

 シオの家出騒動から一夜明け。

 やはり服を見立てるのは早すぎたかと、計画は頓挫したかように思われたが、サカキはけろっと「じゃあ彼女に合うような素材で作ろうか」と再度立案した。科学者ってコレだから……と呆れはするものの、まあ、シオに新しい服を宛がってやるのも楽しそうなので、第一部隊の面々は協力を続行することにした。

 しかしシオに合うようにとは言え、アラガミの素材を使って服を作るとは。

 聞く人が聞けば発狂しそうな話だ。というかアラガミ研究者が聞けば、貴重な素材を何に使っているんだと漏れなく涙するだろう。

 しかしそれも一人の少女の為だ。その涙は呑んでもらう他ない。

 肝心の素材は、ユウカが溜め込んでいた素材倉庫からその殆どを補填した。最近は神機の強化も頭打ちになって使い所に困っていたところだ。丁度いい。

 

「それで、この服は誰に着せる予定なのかな?」

「訓練場の模擬オウガテイルちゃんに着せようかと思って……」

「いや死ぬほど滅茶苦茶な嘘じゃん。すごいな、よくそんな二秒でバレる嘘を堂々と言えるね」

「信じてくれる可能性が1%でもあるならそれに賭けたかったんだ」

「キミ、絶対賭け事とかやっちゃだめだよ?皿洗いまで三十分ともたないから」

「敗者の最終形態RTA走者か私は」

 

 実際にユウカがカードゲームをしたなら、カウンティングと確率計算と言い包めのトリプルコンボで大変ひどい有様になる事は、ソーマとのゲームで立証済みだ。運も良いので並みのギャンブラーじゃカモになるだけなのだが、ユウカは優しいので勿論何も言わなかった。今度みんなで遊ぶ時にでも誘ってみようかなぁとは思った。

 ニコニコと笑顔を崩さないユウカに、近々ひどい目(カモ)に遭いそうな技術屋リッカは、困ったような、何処となく楽し気な曖昧な表情を浮かべる。

 

「実は、もうサカキ博士からちょっと事情は聞いてるんだ」

「茶番だったじゃん!」

「うん。仕返し」

「えっ、お洋服作るのそんな嫌だった?サカキ博士しばいとくね、ごめん」

 

 何か弱みでも握られていて強要とかされたのだろうか。サラッと脅された先日を思い出しながら拳を掲げる。

 だが、リッカは呆れたように首を横に振って話を続けた。

 

「違うよ。洋服づくりは楽しかった。発想が斬新で、作成案も緻密でよく出来てたからすごく勉強になった。何より新しい何かを作るのはやっぱりワクワクしたよ。喜んで協力したさ」

「ならどうして?」

「キミが隠すような嘘を吐くから、ついね」

「……あー、うん」

 

 言い訳を重ねようとして出来なくて、ユウカは気まずげに視線を逸らす。謝ろうと口を開いたユウカをリッカが制す。

 

「わかってる。キミは何かを守りたかったんでしょ。でもね、次は仲間外れしちゃイヤだよ」

「……うん」

「言いたかったのはそれだけ。……責めたかったワケじゃないんだ」

「わかってる。けどやっぱり、ゴメンね」

「謝らないでよ。良いから次からは、力にならせてね」

「うん。必ずそうさせてもらうよ」

 

 ユウカとしてはそんな「次」は永遠に来ないでほしいが、何が起こるかわからないのがこの仕事である。嫌な職場だな。善人が少なからず居るところがより一層嫌な所だ。

 

「これからまた任務?多いね、最近」

「まあね。一応、これでも第一部隊のリーダーですから」

「それもそうか。帰ってくる頃には、出来てると思うよ」

「ほんと!?わー、なるべく早く帰ってくるね」

「待った!キミが早くやるってなるとマジ時間足りなくなるからそこそこのんびり戦って来て!キミこの前グボログボロ2分で倒してたよね!?」

「大丈夫大丈夫ー。今日はボルグ・カムラン3体とコンゴウ4体討伐しなきゃだから時間かかるよー」

「修羅の国すぎないその任務!?」

「いや一つの任務じゃないよ。同じ討伐対象の任務があったから連荘で受けさせてもらっただけ」

「よくやるよね、ホント……気を付けて」

 

 ニコッ!と音を立てて笑ってみせて、右手でブイサインを作る。心配無用、と言葉もなく示す彼女に、リッカも晴れやかな笑顔を浮かべた。

 そうだ、この少女はこれでも第一部隊のリーダーなんだ。入隊から最速でリーダーに抜擢された世界でも指折りの新型ゴッドイーター。心配なぞ、する事すら烏滸がましい。完璧に杞憂だった。

 

 

 一発目。第一部隊との任務は滞りなく、甚だしく予定通りに終わり、ユウカはまた他の任務に出る隊員や、本日の任務は以上で終了の隊員らを見送って、自身も次の任務地へと向かった。

 二発目は愚者の空母にてカレル、ジーナとの危うげない任務。続いて同じ任務地にて、カノンとの局所的に勃発した小型アラガミの一掃任務を終わらせた。

 今日は軽めに終わらせよう。リッカとの会話で今日の予定を組んでいたユウカであったが、アナグラ帰還後にヒバリに呼び止められる。

 

「何か不備でもあった?」

「いえ、あのぅ、……支部長がお呼びです」

「ああ、帰ってきてたんだ。支部長室だよね、了解」

「疲れてるでしょうから、って言ったんですけど、大事な話だからって」

「良いよ良いよ、大丈夫。気を遣わないで、ね?」

「けどユウカちゃん、最近規定任務数を大幅に超えてます。あまり無茶をされると、また教官に怒られますよ」

「それは恐いな……いよいよヤバそうになったらまた教えて?そろそろ非番を取るよ」

「わかりました。本当に。お願いしますね」

「はぁい」

 

 何事にも時間が一番重要だ。そして壁の外に出られている時間が今最も惜しいユウカとしては、頭の痛い話である。任務数を入れれば、その分外に出られるのだから、そりゃ詰め込んじゃうよね普通に。

 でも確かに最近怪我が多くなってきたしなあ。ここらで一旦休息でも取ろうかなあ。

 気が進まない支部長室への道のりでそのようなことを考えながら足を進める。

 扉の前で一度呼吸を整えた。支部長室に行きたいひととか、存在するのかな。少なくともユウカは願い下げだ。

 しかも今日はシオのお披露目もあるから、早く研究室へ行きたいのにな。話が早く終わると良いけど。

 ふっ。と息を短く吐いて、開閉センサーへ手をかける。空気の境界を破るような感触の後、扉が開かれると同時に足を踏み入れる。

 室内ではヨハネスが壁に掛けられた絵画を見ていたところだったようで、こちらに背中を向けて立っていた。

 絵画、というか芸術方面にはとんと疎いユウカには何の絵なのか、どんな感慨が浮かぶものなのかまったく見当もつかない。飾っているからには好きな絵なのだろう。あまり明るい絵ではなさそうだが、まあ、企業名をフェンリルなんぞにするひとだ。ひととは違う感性で生きているのだろう。

 ヨハネスはユウカに気づくとすぐに身を翻し、ユウカに向き直る。

 

「やあご苦労。暫く留守にしていたが、ヨーロッパ出張中も君の活躍はよく耳にしていたよ」

「は。光栄です。支部長こそ、長旅お疲れ様で御座いました」

「ありがとう。ふ。どうやら期待通りの働きをしてくれているようだね。極東支部長としても誇りに思うよ」

「勿体ないお言葉です」

 

 この人いつも最初に上げて来るなあ。ユウカは最近の無茶とか個人的な捜索とか事情とかが頭を駆けまわっていて内心ではひやひやしていたが、流石に表では慇懃とした態度を乱さなかった。

 

「さて、あまり時間もないので、本題に移ろう。君を呼び出したのは他でもない。今後、リーダーとして特務についてもらう」

「今まで支部長から仰せつかっていた任務とは、また別の?」

「ああ。今までのものは言わば特殊なだけの任務だ。多少の無茶が求められるだけのもの。これから君に頼むのは、もっと多岐に渡り、そして同時に、一つの原則を軸に設けられる」

「原則、ですか。それは一体どのような?」

「特務は全て、私自身が直轄で管理する、という原則だ。無論、任務中に得られた物品もその例外ではない」

 

 ユウカは思わず口を噤んだ。

 任務中の戦果戦利品資材、それら全てがヨハネスの懐に入る。任務自体も支部長から直轄。

 それはつまり、彼の私兵になるという事と同義ではないか?

 

「なお特務は、全てが最高レベルの機密事項であると心得てくれ。その性質上、殆どの特務はチームではなく、単独で熟すことになる」

 

 案の定である。

 生化学企業フェンリルの下につくのとはまた別に、ヨハネスの命令に常に従うべし、といった腹積もりだろう。簡単に言えば、ヨハネス派閥に属しろということだ。

 

「その見返りに、入手困難な物品と相応の金額を提供させてもらう。君なら例え単独でも困難な任務をこなすことが出来る……私がそう判断したものと思ってくれ。特務の発注は更なる信頼の証でもある」

 

 イラナイ……とユウカは思ったが勿論言わなかった。代わりに、いかにもそれっぽく力強く頷いた。

 

「前リーダーだったリンドウ君……彼もよく私に尽くしてくれた。彼ほどの男を失ったのは、実に大きな損失だった」

 

 拳を握りしめる。気付かれないほど細く、長く呼吸を深く繰り返す。今にも嘲りや罵倒が口から出ていきそうだったが、奥歯を噛み締めてそれら全てを押し留める。

 

「だが、今は彼に勝る逸材がここにいる。君には期待しているよ。早速で悪いが、特務を一つ申請してある。頑張ってくれ」

「奨励のお言葉痛み入ります。ご期待以上の活躍をお約束します」

 

 ユウカは礼儀作法とかそういうの実のところ結構苦手である。外で生きて来たのだから当たり前だ。でもそういう取り繕いが重要だというのは、父の講義で理解している。

 背筋を正していること。それから自信満々そうに見えること。その二つだけを意識して、ユウカは粗野だが清潔感のある仕草で一礼する。

 下がってよろしい、と言われ退室してやっと、ユウカは喉の奥で笑った。

 そんな言葉で鼓舞されるような奴が居たら見てみたいわ。

 携帯端末で特務内容を確認して苦笑する。単独任務故に、時間の指定がない事が唯一の救いか。

 面倒事を一旦すべて頭の片隅に追いやって、ユウカは廊下を駆けだした。目指すは研究室、シオのお披露目である。

 

 

「セーフ!?」

「おや、惜しかったね~」

 

 研究室へ滑り込むと同時に、お疲れーとめいめい声に出迎えられる。だがその眼には僅かな憐憫があり、成程、一番に目にすることは叶わなかったらしい。

 だがそれを差し引いても、ユウカはその姿を見て顔を綻ばせた。

 

 ふうわりと空気に揺れるスカートは百合の花弁のようにお淑やかで透明感があって、それを濃い緑のフリルが各所でグッと引き締めている。胸元の金色のバラは彼女の瞳を写し取ったようにキラキラと輝いている。背中にあしらわれた白いリボンが宗教画にある天使の羽根のように広がっていて、まるで童話のお姫様みたいな愛らしさがあった。

 女の子だ。絵本から飛び出してきたみたいな、可愛らしい一人の女の子がそこに居た。

 

「すごい、シオ、すっごく可愛い」

「んへへー!そでしょ!そでしょ!」

 

 両手を頭にやって、照れくさそうに少女が笑う。その仕草はちょっと女の子っぽくなくて、多分コウタ辺りから影響を受けてる。でも居心地悪そうに脚を擦り合わせるところはサクヤに似てて、その笑顔はアリサに似ていた。たくさんの時間を、過ごしたんだな。みんなで。

 この上なく機嫌よさそうに、シオはふんふん鼻歌を歌いながらユウカにぐりぐり擦り寄った。そんな彼女の頬に手をやって、改めてその全身を見やる。

 

「なんていうかな、こう言うのって、多分おかしなことなんだろうけど……。シオ、立派になったねぇ」

「はは、なんかちょっとそれ、わかる」

「もう二人とも、それじゃ親戚のおばちゃんみたいよ」

「本当にそう思ったんですもん」

「なー。あんなボケッとしてたのにさ。カンガイブカイよなぁ」

「漢字変換できてないのが丸わかりですよ……まあでも、そうですね。シオちゃん、すっかり女の子って感じです」

 

 多方面から伸びる手に撫でられて、シオはすっかりご満悦だ。顎の下を撫でられている猫のようにリラックスした彼女はむふー、と鼻息を荒くしながらより一層ころころと笑う。

 

「でもシオね、さっきまでブーたれてたのよ。せっかくのお披露目なのにユウカもソーマもいないーって」

「あれ、ソーマさんも居なかったんですか?おかしいな、終了予定時間はとっくに過ぎてるのに」

「予定外のアラガミが来て、任務が長引いたんだ」

「うわ噂をすれば。すごいタイミングで帰って来たね」

 

 研究室の扉に寄りかかるように入室してきたソーマは、一日中捜索に振り回されて草臥れたのがわかる疲れっぷりだった。ソーマだーと嬉しそうに飛びついてきたシオを軽々と避けるくらいの余力はあるらしいが、目つきはいつもの三倍悪いし姿勢も悪い。

 

「ついさっき切り上げろと命令があってな。やっと解放されたんだ、少しは労え」

「お疲れ様。怪我は?」

「ない。報告書は、……後で寄越す」

 

 欠伸を噛み殺しつつの間の空いた言葉に苦笑する。どうやら本当に疲労困憊らしかった。

 

「ソーマ!シオ、カワイイか!?リッパだな!?」

「あ?あー……はあ、まあ悪くないんじゃないか」

 

 ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねるシオを一瞥した後、雑にそう評したソーマだが、ユウカらは「おお」と軽くどよめく。

 

「ウワソーマにしては最大限素直じゃん。大丈夫か?」

「ユウカ、ソーマ連れて早く帰ってあげて下さい」

「後で差し入れ持っていきましょうか?」

「三人してひどいね……わかるけど……」

 

 疲れすぎて脳が動いてないと判断されたらしい。悪態一つ吐かないだけでこれである。

 しかし当のソーマは言い返す気力もないのか睡魔が勝ちつつあるのか、軽くイラッとしただけで何も言い返さないようだった。珍しい事もあるものだ。

 

「って言っても私これから任務だし、……ソーマさん一人で部屋戻れるか心配だなあ、コウタ付き添って、」

「はあ!?」

「えっなに」

 

 シオ以外の全員に異口同音で叫ばれ、さしものユウカも肩を跳ねさせる。

 こわこの人達、といった完璧被害者っぽい顔をしているが、今は夜の七時だし既にユウカは朝から幾つか掛け持ちしていた筈だし隊員たちの見立てが間違っていなければそこそこ―――いやコイツは疲れてはなさそうだな。

 

「いやでもこの時間から出撃ってアホか!待て待てどの任務だ朝礼で言ってたっけかそんなん」

「言ってない。さっき急に入ってきたやつ」

「なんですかそれ!ちょ、私も行きます!四十秒で支度します!」

「ううん。難しくないから一人で大丈夫」

「夜って時点で難しい任務だと思うのだけど」

「大丈夫、その程度なんでもないですよ」

「その程度って、」

「ユウカ」

 

 喧々諤々ユウカに詰め寄る言葉が、その一声でピタリと止んだ。その声音は、隊員や友人、同僚のそれとはあまりにかけ離れていたから。

 大きな掌がユウカの腕を取ろうとする。だが、彼女は静かに躱した。

 

「バレやしねえよ」

「そうかもね」

「なら、」

「ダメだよ、ソーマさん。これは私の仕事だから」

 

 美しいグリーン・アイが煌めいている。安っぽい蛍光灯の下であっても、例えアラガミを目前にしていても。

 それを嫌という程知っているから、ソーマは額に手をやって深々と息を吐いた。

 

「大丈夫。なんでもないよ」

「……そうか」

 

 ――そうかじゃないだろ。

 ソーマはクソ、と悪態を吐きそうになるのを堪えた。

 だが他に何も言えないだろ。

 自分だって、そうだ。ソーマだって彼女に伝えていない任務、彼女の知覚外の出撃など、巨万としている。自分が彼女に何かを言える資格などない。いつも、そうだ。

 そんなにもしてくれなくて良い、だなんて。

 そう言ったところで、ユウカに本気でそう信じさせてやれないなら、そんな言葉は自分の痛んだ良心を救うだけで終わりだ。

 

「程々にな」

「うん!」

「もー、ホント。気をつけろよ、マジで」

「そうです。いつでも手伝いますからね」

「わかってるって。ありがと」

「行ってらっしゃい」

「はいっ、行ってきます」

 

 それはコウタやアリサ、サクヤも同じだったらしく、皆ぎこちないながらも、ソーマを倣って彼女を見送ることにしたようだった。

 ユウカはどの言葉にも余裕の笑顔で応えて、手を振って研究室を去って行く。

 

 ――『私も、今起きたとこ』

 

 何度、見え透いた嘘を彼女に吐かせ続ければ、自分は気が済むのだろ。

 ユウカはよくやっている。隊員の事をちゃんと見て、アラガミと充分以上に渡り合って、任務も危うげなく熟して、最近誰かに託されたらしい『個人的な私事』も探って、アナグラ全体の、壁周りの追いつかないアラガミ掃除もやって、――こんな頑張ってる奴がもっと頑張ってくれて!

 

「ちょ、おおい!」

「アナタバカなんですか!?」

「そんな勢いよく出来る普通!?」

「ハ?」

「いや顔!拳!」

 

 たらっ、と鼻から粘性の高い液体が滴る感触がして拭えば、滅多な事では出ないようなレベルの量の血液。無意識の内に自分の顔面へフルスイングを叩き込んだらしい。

 乱雑に血を拭って、啜ったぶん口へ逆流してきた血が気色悪く、うえ、と軽く嘔吐く。

 

「なんなんですか急に!ホラ鼻拭いて!」

「いら、ぶっ」

 

 ハンカチを鼻に押し付けられ、渋々顔面を整える。コウタが半笑いでそんなソーマの首の後ろをトントンと叩いた。

 

「それ迷信だ、やめろ」

「ウソォ!つか元気じゃん。え~……なになにどしたん」

 

 どうしたも何も。

 そうだ。何をうじうじしているんだ自分は。

 後ろ向きなのも短絡的思考なのも面倒事には巻き込まれたくないのも、あの頃と全く変わらないし変わるつもりもないが。

 

 いつでもふらっとしている彼女にブレーキ踏まずに押し入るのは、いつだって自分の役目ではないか。

 

 俺は一体何をしているんだ。

 

「気合が必要だっただけだ」

「それであの良いパンチ?一発入魂どころの話じゃなくね?」

「ドン引きです」

 

 コウタとアリサは完全に馬鹿を見る眼でソーマに呆れながら、ティッシュやらゴミ箱やらと甲斐甲斐しく世話をしてやる。1R終わったボクサーがコーナーで休憩しているのと見紛うような光景であった。

 不思議な力関係だなあと思いながらも、笑いを噛み殺しつつサクヤが口を開く。それにしても、気合って。恋人同士は似ると言うけれども。

 

「それで、気合は入魂できたの?」

「…………アイツ、次やったらタダじゃおかねぇ」

「あはは!なら良かったわね」

「良くないですよ!もう、男の人って……」

「いや一緒にしないでくんないっ?ここまで馬鹿のつもりねーんだけどっ」

「安心して下さい方向性が違うだけでアナタも充分ですから」

「充分なんなんだよ言ってみろぉ!」

「バ」

「お前が言おうとすんのかよ!言うなよ!今最もお前にだけは言われたくないよ!」

「今のは完全にフリだろ」

「フリ……ああ!ジャパニーズオスナヨ!」

「オイお前もユウカの入れ知恵真に受けんなこの真面目バカ」

「今最も貴方にだけは言われたくないんですけどッ!?」

「はいはい、そこのお馬鹿さんトリオ。サカキ博士の研究室といえどあんまりうるさくしないの」

「私の研究室と言えどってなにかな……」

 

 そのまま取っ組み合いの喧嘩にでも発展しそうな問題児たちをそれとなく引き離してやんわり仲裁に入る。三人とも隠れボケ特性だから、放置したら手に負えなくなるのだ。

 その端で打ち捨てられたようにサカキが勝手にダメージを喰らって項垂れている。

 そんなカオスな空間に、一握の良心であるシオが唐突にサカキの頭を乱雑に撫でた。

 

「よしよしー」

「ウッ。もう私の味方はシオだけだよ……」

「えーやだー」

「裏切り早っ」

「うわ。間違いなくユウカの教育の賜物ですね」

「反抗期早そうだなーアイツの教育」

「その分終わるのも早そうじゃない?早熟してそう」

「死ぬほどドライかアホほどバイタリティ溢れてるかのどっちかだろな……ソーマ、頑張れよ」

「うるせぇ触んな」

 

 照れんなって!とウザ絡みするコウタをブッ叩く。

 気合は入れた。バックアップは、頼りないが、一応居る。

 変わるつもりなんかない。だけど、今のままではいけないのだろう。

 ユウカはソーマになにもしてやれない、と過去に言った。ソーマも、それで良いと返した。

 だがそれではいけないのだな。

 今のままじゃ。

 だけど。ならば。

 ソーマは、ユウカの何に成れるのだろう。

 



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少女、氷の女王と相対す

 

 数多の触腕が地表を削り、立ち上る光線によって見晴らしがよくなっていく。まさに地形を変えんばかりだ。ただ生きているだけで災禍を体現しているその化物は、おそらく顔に該当する箇所についている無数の複眼で、ギョロギョロと周囲を探っている。その顔面には、一筋の大きく深い裂傷が刻まれている。

 大いなる存在は、その一刀を繰り出してきた害虫を怒り狂って捜索中という次第である。たかだか羽虫のような存在相手に体を振り乱す様は駄々をこねる幼児のようで滑稽で笑えるが、その攻撃力は全然笑えない。

 事実、追われる虫・ユウカはもう結構満身創痍だ。

 

「しんど……」

 

 口の中だけでか細く呟く。

 早速の単独任務を渡されて。その内容がコレである。この世はクソ。ゴッドイーターはクソ。つーかあの支部長はマジでクソ煮込み。下水の方がまだマシだろう……。

 ちらと遮蔽物に隠れて後方を伺う。其処には、未だ猛り狂う超大型アラガミ・ウロヴォロスの姿。

 もうなんかアラガミというか山が飛び跳ねてるレベルの巨体だ。アレを入隊半年以下のペーペーに単独討伐させるとか正気を疑う。何がキミならできると期待してるよだアテンション。それ期待とか信頼じゃなくて丸投げって言うんだよ。

 けれども哀れな一兵士に過ぎないユウカは、上官の命令には従わなければならない。どれほど無理難題であろうとも、文字通り死ぬ気でやるしかないのだ。そういう仕事なのだ。この道を、自分は選んだのだから。

 深く深く息を吐いて、あーあ、と胸中でのみ天を仰いだ。嫌だな、ほんと。でも、もうなんか、ほんと。ここまでくるとさ。あーあ、ってだけなんだよね。

 

「あーあ、……嫌だな」

 

 こわいな。弱気な言葉を飲み込んで、いかにもそれっぽい強がりを代わりに外に出す。

 

 やっぱり受けるんじゃなかった。単独任務なんか受けるんじゃなかった!

 だから私はひとりは無理なんだって。

 ひとりになると、私は―――

 

 ブン、と空気を押し出すように切り裂く音。思わず笑ってしまう。

 腕を軽く振り回すだけで、木々もろとも地面も建築物も岩も吹き飛ばしている。冗談みたいな光景。

 痛くない場所がない体に鞭打って、笑う膝に力を込めた。

 

 

 よく晴れて気温もよろしく目覚めの良い朝に限って、最悪なニュースというものは訪れる。

 体を起こして、部屋の奥に窓代わりにはめ込まれた巨大なモニターを何とはなしに見つめた。

 人によって環境映像を流したり、好ましい画像や写真を流したりできるのだが、ユウカの画面はずっと真っ黒のままだ。心の闇とかそういうのでなく、単に気が散るからである。

 でも、今日の目覚めが良いのは、多分、この胸騒ぎのせいだった。

 

「動揺のないようにお前にはあらかじめ伝えておく。現時点で確定ではないが、おそらく前リーダー……リンドウの腕輪の反応を確認したらしい」

 

 朝、エントランスホールで待ち伏せられて開口一番そう告げられ、動揺しないやつがいたら見てみたい。ユウカも例に漏れず、目をまあるくして、口を半開きにした阿呆面になった。

 嘘ですよね、って聞こうとした。したけども。

 ツバキの顔は真剣で、冷淡な顔をしていた。それはあんまりに叶わないわがままを言うような顔だったから。ユウカは口を噤むしかなかった。

 『腕輪』とツバキは言った。雨宮リンドウを確認した、とは、言わなかった。それがどういうことか、わからないままが良かったな。

 その腕輪はきっと、人の身ではありえない速度で移動しているのだろうな。他のアラガミをものともせずに疾駆して、悠々と体を休めているのだろう。その巨躯の腹の中で。

 つまり雨宮リンドウはあの日敗北していた。よしんば敗北していなかったとしても、そう時もない内に喰われていた。ユウカの捜索は無駄だったのだ。

 無意味だった。

 

「……そうですか」

「わかっているな」

「勿論です」

 

 隊員達を取り乱させるな。取り乱したとして抑え込め。

 リーダーに先んじて話を通したというのは、そういうことだ。

 伝えに来たツバキも気の毒だし、ユウカなんかこれから隊員全員に伝えなくちゃなんないし、その上、腕輪反応を見つけたからには捜索もしなくちゃなんない。

 それは、リンドウの死亡を証明せよと言ってるようなもんだ。なんだこの誰も幸せにならない負のインフレスパイラルは。

 さも平気ですといった風に振る舞うユウカの強がりでさえ、ツバキの負担になる。

 だからもう、ユウカには力無く微笑むくらいしか、彼女にしてやれることはなかった。

 

 あの日接敵したアラガミと同種。どころか、リンドウの腕輪反応を捉えた故の会敵。つまり、雨宮リンドウの仇を見つけたと同義。

 にも拘わらず、隊員たちの反応は一様に鈍く、平然としていた。

 あまりに反応が薄いから、ユウカは「え?もしかして私の話聞こえてなかった?」とまで思ったし、もう一回繰り返し説明した方が良いかな……とも思ったが、流石に見えてる不発地雷を念入りに踏みつけようとは思えなかったのでやめた。

 心の中で滝のような汗を流しながらも、ユウカも涼しい顔して任務内容の説明と隊員の装備確認を済ます。隊員が取り乱していないのにリーダーが重ねて言及する意味はない。

 でもやっぱ怖いよ?この反応で合ってるの!?お願い合ってて!

 なんか痛くなってきたお腹を無視して、なんとか、ユウカはミーティングを終わらせて、隊員たちを引き連れて出撃と相成った。

 

『任務開始時刻です。皆さん、ご武運を!』

「了解。……お、良い感じに分散してるみたいだね」

「だな。これなら各個総叩きでいんじゃね」

「うん、そうしようか。私が誘い込むから、合図したら皆一斉射お願いね」

 

 了解。返答が三方から低く地面を伝って足に振動が伝わる。聞き分けが良すぎるのも考えものだ。

 微笑むように頷いて、ユウカは一人先行してマップ上の青い点を目指した。

 鎮魂の廃寺エリアは高低差も広さも然程ではない。それ故に分断をしてもアラガミ同士で音を聞きつけて合流されやすい。

 ブブ、と通信機がユウカの胸元でバイブ音を訴える。足を止めぬまま通話機能をオンにする。

 

『ユウカ、聞こえる?』

「はいはーい」

『ごめんなさい、こっちにアラガミ乱入してきちゃった。討伐対象のヴァジュラの一体よ』

「Oh……オッケーです。ならそっちはよろしくお願いしても?」

『ええ、問題ないわッ!……ふぅ、そっちこそ一人で平気?』

「大丈夫です。合流させないよう、ソッコーで仕留めます」

 

 トッ、と衝撃を地面に逃がして軽い足音のみが雪に落ちた。はらはらと雪が風の流れに沿って吹き荒ぶ。

 いつになく降り注ぐ雪の随に、見慣れた黒い巨体が暢気に休んでいるのが見えた。

 地獄の釜の色をした悪魔。

 しかし今は、心のどこかが鈍ったかのように、さして動かされなかった。

 

「アレに比べれば、ね」

 

 通話機能を一時遮断する。ブツと低いノイズがイヤホンの内側で響いた。

 喉の浅いところで呼吸をして、気付かれるのを厭わず真っすぐ斬りかかる。恐怖は感じなかった。

 もうヴァジュラ程度の速さより、ユウカ自身のほうがよっぽど速い事を知っているからだろうか。

 いや、きっと守るべき誰かが近くにいるからだな。早くあちらへ合流しなければ。その義務感がユウカの心を亡霊みたいに凍てつかせる。

 故にこそ、ユウカはどこまでも冷徹な眼で戦況を把握できるのだ。だって自分の判断で他の人が死ぬから。そこに感情が介入していたら指示なんざ立ち行かない。

 幽霊のときに戻ったみたいだ。どこか身体が遠くにあって、俯瞰して見ているようだった。

 こう動けば、あちらはそっちへ逃れようとし、体勢をこう整えて攻撃してこようとするから、自分はそこを狙えば良い。もしアレをしてきたら、自分はすかさずああやって……と。アラガミの爪先の向きや呼吸、筋肉の収縮具合から、次の行動を予測して判断する。

 ユウカはそうして着地狩りと起き攻めとかいう格ゲープレイヤーから歯茎剥き出しにしてキレられるような事をしてダメージを積み重ねているのだ。

 爪先だけで軽やかに地を蹴り、飛来する火球を置き去りにするかのように避ける。全くユウカに命中させられない苛立ちからか、大きく開けた口を天へ向ける。咆哮。絶好の攻撃チャンスだ。

 

「やあああーーーッ」

 

 衝撃を伴う遠吠えに肌を泡立たせながら、気力をかき集めて剣を構え、今自分の出せる最速で突き立てた。

 ユウカの持つショートブレードでは、ソーマのバスターブレードのように、一撃でアラガミを仕留めるなんて出来ない。だから、何度も、何度もその銀色を巨体に突き立てる。

 蘇るな。蘇るな。蘇るな。これで頼むから死んでくれ。

 そう祈りを込めるように、あるいは血に酔ったかのように。

 幾度目かの一突きを切欠に、巨体がぐらりと重心を喪失させる。粉雪を纏って一陣の風が吹き荒ぶ。

 神機を一振りして、そこについていた体液やらを振り払う。ユウカは一つの染みもない姿で腕時計を見やった。

 三分十二秒。

 

「ちょっとかかったな……」

『お疲れ様です!流石、お早いですね!』

「そう?前よりタイム伸びた気がする」

『一人だけ違う働き方しないでくださーい。今このエリアは前回よりも難易度上がってるんですから当然です!』

「ああそうだった、出現アラガミによって他のアラガミも底上げされるんだっけ?どういうシステムなんだか」

『ボスが強ければ取り巻きも強いでしょうよ。逆にボスを倒してしまえば……』

「しばらく弱体化して貰えるって事ね……はいはい、頑張りマース。皆は今どう?」

『あちらもそろそろ決着が……あ!今!今会敵アラガミの反応消失を確認しました!』

「オッケーありがと。本丸の出現予測地点は?」

『廃寺本堂前です!』

「了解」

 

 口ではヒバリと話しつつ、ユウカの手は澱みなく倒れたヴァジュラからコアや素材を回収して全員集合信号弾を空に放った。

 雑魚を切り伏せつつ、予測ポイントへ移動する。途中目立った傷もなさそうな皆と合流しつつ、本堂内の雑魚も殺そうかと足を向けたその時。

 

『大型種、作戦エリアに侵入を確認!侵入地点、送ります!』

 

 緊迫したヒバリの声に、全員が身体ごと首を一方向へ向けた。

 侵入地点を確認するまでもない、その殺気は冷気を帯び、氷柱が長い手を伸ばしてきたかのような不気味さを孕んでいる。

 その感覚に全員覚えがあった。どころか、今尚焼き付いて離れない、痛みを伴う悔恨にそれは直結している。

 鈍色の空を背に、巨大な影が高台に立っていた。

 それはヴァジュラと同等のサイズに、よく似た体形をしている。しかし、例えばヴァジュラを炎とするなら、その影は氷のような容貌をしていた。

 肌は真白いが雪や氷の美しい白ではない。凍死した死人のような肌色をしている。双肩には青白い花弁にも見える、翼のようなたてがみ。そしてその顔面は、人間の女の顔に程近い。ギリシャ彫刻のように彫りの深いハッキリとした顔立ちだが、その作り物めいた美しさと人間の顔に非ざる白目が黒く染まった双眸は、存在自体をより人外せしめている有様だった。

 氷雪を纏うその姿は、正しく邪悪な氷の女王。

 プリティヴィ・マータ。

 インドの旧い神。地母神の名を冠したアラガミは、整い過ぎて不気味な風貌を獣のように歪め、高く高く吠える。

 殺し合いの火口は切られた。

 噛みつくように跳躍したプリティヴィ・マータが飛び掛かったのは、隊列の先頭にいたユウカだった。

 本能に従って反射的に飛び退き、盾を展開させる。

 すると、プリティヴィ・マータが着地した地面一帯から、突如天を劈く氷山程の氷が突き立ち、ユウカの盾を弾いた。一瞬の顕現しか許されていなかったのように、氷は直ぐに脆く崩れる。

 

「は?……いや、は?」

「ユウカ、考え事してる場合じゃないでしょ!」

「いやサクヤさん、いやいやいや……おかしいおかしい。ヴァジュラの雷も私だいぶ許せなかったですけど、おかしいですってやっぱり」

「滅茶苦茶わかりますけどしっかりしてくださいリーダー!」

 

 物理や世の理など知らぬと言わんばかりの暴行に、ユウカは驚嘆と憤慨が半々くらいの表情でプリティヴィ・マータを眺めた。

 魔法使いだってもっと自然の法則に従おうとするだろうってくらい超常的だ。こいつが協力してくれれば地球温暖化とか色々防げそうだな。

 まあ人類の天敵がそんなことしてくれるはずもないのだが。

 

「いや人類の天敵であっても地球の天敵じゃないなら貢献してくれても良くない!?」

「わかったから!あとで!いくらでも聞くから!集中しろバカ!」

 

 飛んでくる氷柱のような氷塊を避けつつ、隊員全員にツッコミを入れられてユウカは頬を膨らませた。

 あの日と同じアラガミにかつての傷が主張するよりも前に、慣れない攻撃とぶー垂れるユウカの叱咤に忙しい三人は、比較的冷静にアラガミと対峙できている。

 だが吠えれば氷の礫が吹雪のように舞い、たかが着地で氷の山を出現させ、身を鎧で守る隙の無さ。どれをとっても攻撃し辛いことこの上ない。決定打を誰も持たないまま、身を削るような攻防は続いた。

 アラガミは大抵がそうだが、全身が凶器のようなプリティヴィ・マータは、その両翼の先が少し掠るだけでもゴッドイーターらの身体へ赤い線を作る。

 予備動作なしで突進してきた巨体を、薄っぺらい盾一枚で防ぐのは至難の技だ。勢いを殺し切れず吹っ飛んだアリサの身体が廃屋に叩きつけられる前に受け止め、直ぐに横へ転がる。一瞬前までいた場所へ突き刺さる氷柱に顔を引き攣らせながら、神機を銃形態にさせバレッドを撃ちまくる。

 

「す、みません」

「怪我は?」

「平気です!」

「ならヨシ。怯ませるよ、合図で走って」

「はい!」

 

 足止めに地面付近へ着弾させていた射線を動かす。「今!」と声を上げると同時に、プリティヴィ・マータの右眼を撃ち抜く。流石に仰け反ったその顎へ続けて撃ち続ける弾幕を潜って、駆け抜けたアリサが緋色を振り上げる。

 アリサの神機は彼女の意志を体現したかのように、鋭く張り詰め、プリティヴィ・マータの腹を深く切り裂いた。赤く噴き出した液体すらを二つへ分かち、反撃の爪を背後へステップする事で逃れる。

 鉄にも似たプリティヴィ・マータの装甲の破片が雪の反射で宙に光る。

 

『プリティヴィ・マータの胴体が結合破壊しました!』

「アリサナーイスっ」

「流石ね!」

「いいね、一気に畳みかけよう!」

 

 了解、と三方向から弾んだ声があがる。

 プリティヴィ・マータはこちらの士気を挫くかのように、空中で回転後口から勢いをつけた氷塊を全方位へ解き放った。次いで、着地後連続して6発ほど氷塊を撃ちだす。

 当たれば瀕死も有り得るそれらをそれぞれ盾で弾いたり地を転がる事で負傷を避け、すぐに砲撃を再開した。

 大ダメージを喰らわせたアリサを厄介な敵と捕捉したようだ。身を焼くバレッドを鬱陶しそうに鬣で振り払うと、ひとっ飛びにアリサへ跳躍する。

 サメのように鋭くギザギザの、最早棘と形容する方が相応しい歯牙が限界まで開かれ、一瞬でアリサの目前にまで迫った。無論アリサも、そのまま座して死を待つわけがない。すぐさま飛び退き、ガチン、と空を噛んだその強靭な顎から逃れた。

 安堵の息を吐く間もなく、プリティヴィ・マータは空振りを自覚してすぐアリサへまたも飛び掛かった。タゲられている事を自覚したアリサは、より仲間より遠い地点へと転がるように跳躍する。

 しかし、まるでアリサの逃れる地点がわかっていたかのように、プリティヴィ・マータはアリサの跳んだその場所へと口を広げ襲い掛かった。ひ、と喉を引き攣らせ脚に力を籠めてすぐさま飛び退く。

 ネズミを狩る猫のように軽やかなプリティヴィ・マータの一方、アリサは絶死の歯列からひたすらに逃れた。死、死ぬ、のでは。ちらちらと脳裏を過ぎるイメージに神経へ鑢をかけられながらも、アリサの脚は止まる事も、震える事すらもなかった。

 だって。

 

「アリサ!」

 

 声にせずアリサは彼女を呼び返す。そう、彼女。

 リーダー。ユウカ。

 貴女が居るから。私を、呼ぶのだから。

 思考という思考をせず、まるで天啓が降りたかのように。アリサは声に呼ばれるがままに身体を思いっきり投げ出した。

 大口径を構えたユウカを横目に見て、アリサは足跡で茶色くなった雪へ膝をついた。背後で耳を劈くような銃声が鳴り響いたかと思えば、獣と人と機械音の叫び声をまとめたような不快で歪な絶叫がビリビリと空気を震わせた。

 

『アラガミ、活性化です!』

 

 ヒバリの焦った通信が耳を打つが、スタミナが底をついたアリサは短く息を吐く事しかできない。

 胃から内容物がせり上がってきそうな中、ぜひゅ、ぜひゅ、と短く呼吸をする。くの字に曲がった背中が戻らない。早く、早く息を整えなくては。戦闘に戻らなくてはならないのに!

 睨みつける地面が黒く染まる。巨大な影が、飛び掛かって来たかのよう―――。

 ガキン、と鈍い金属音。そしてギチギチと鉄を捩じ切る時のような音に目を向けると、巨大な影の前に立ちはだかる細い体躯があった。

 

「ゆ、うか」

「アリサ、よく逃げたね。良い動きだったよ」

 

 プリティヴィ・マータに盾ごと神機に噛みつかれ、前足に掴みかかられながら、ユウカは顔だけでアリサを振り返って勝気に微笑んだ。鋭い爪がユウカの腕にまで及び、深く抉られているというのに、その顔色に一切の変化はない。裂かれた袖がじわじわと赤色に侵食を始め、たっぷりと水気を帯びすぎて地面に滴った。

 ユウカはニッと歯を見せ、神機を、しがみつくプリティヴィ・マータごと思いっきり横凪ぐ。鬼のような腕力に任せ、振り回されたプリティヴィ・マータは勢いに耐え切れず、廃屋へ思いきり叩きつけられた。

 ガフ、と内臓から空気を追い出されたかのような息を吐き、ずる、とそのまま壁から頽れる。

 その隙を逃さず、ユウカは血で滑らないようにシッカリと握りしめた神機を、地面に平行に構え。フッ、と短い息を吐いた後今自分が出せる一番の速度と膂力でその無防備に晒された腹に突き刺した。僅かに残った装甲が砕け、ユウカの神機はアラガミの身体を貫通し、腕までぶっすりと生温かい肉に埋まる。

 プリティヴィ・マータは両目を零れ落とさんばかりに見開き、僅かに手足をばたつかせた後、くたりと脱力した。

 

「……死んだよな?」

「流石に死んだでしょ」

『はい!目標のアラガミ反応、消失しました』

 

 一同フーーッとめいめい息を吐く。

 いちばんに我に返ったアリサが、飛び掛かるようにユウカの腕を取った。

 

「ギャーーーッ!」

「うわ、いたた」

 

 アリサが尻尾踏まれた猫みたいに叫んで、ユウカはびっくりして神機を落とした。

 

「いや反応逆じゃね?」

「もう。アリサどいて、ユウカは腕出しなさい」

「はーい」

 

 眉を顔の中央へ寄せて、痛みに耐えつつユウカが両腕を持ち上げる。

 すっぽりと手首まで覆っていた袖は無惨に切り裂かれ、すっかりユウカの生白い肌を空気に晒している。ほっそりとして、しかし少しだけ筋肉質な腕は、幾か所も爪に抉られて花開くようにピンクの肉が見えていた。だらだらと流れる血液は止まる事を知らず、放っておけば大量出血で死にますよ、とご丁寧に説明するが如くだ。百人中百人が顔を顰める大怪我である。

 サクヤは怪我の具合を検分するより先にポーチから包帯を光速で取り出し脳直できつく巻き締めた。

 痛みで目元に皺を寄せるユウカを気にする余裕もなく巻き終わらせる。じんわり包帯に滲む赤黒い染みに、サクヤは圧迫止血すべく布を当ててユウカの腕を握りしめる。

 しかし血液は布すらも赤く染め上げ、サクヤの両の掌をぬるつかせた。

 え?止ま、止まらない。なんで?

 目をぐるぐるさせたサクヤはわかりやすく焦って、引き攣る舌をもつれさせた。

 

「ア待ッ、て、ほ、ほほ縫合した方が良かったかしら!?」

「サクヤさん落ち着いて下さい。コウタ、ごめんだけど回復錠打ってくれる?」

「おおおおおう、改、改の方な」

「どこ打とうとしてンのそこほっぺた。腕、腕に打って」

「そうだなそうだよな!?」

「コウタ、手震え過ぎです針折れますよ!」

「じゃあお前打てよ!いや無理だなすまん。全身バイブレーションしてるやつには無理だわ」

「はあああー!?」

 

 アリサの動揺っぷりを見て返って冷静になったらしい。喚き声をスルーしてコウタはやっと落ち着いた手でユウカの腕の内へと注射器の中の液体を流し込んだ。

 どくりどくりと脈打っていた患部が徐々に静かになり、次第に熱を持ち始める。

 

「サクヤさん、もう離して大丈夫ですよ」

「……………あ、え?ええ。そうね、そうだわ……」

「あ、そうだアリサは怪我ない?」

「無いですが???」

「キレないでよ……仕方ないじゃんあのままじゃアリサ死んでたし」

「そうですけどぉ!」

「いやお前人の心ォ!」

「わかってる、自分でもあの受け止め方は無かったなって思うよ。……ごめんね、アリサ。怖かったよね」

 

 コウタに全力でツッコミを入れられ、ユウカは眉を下げてすまなそうにアリサへ向き直り見やった。

 ユウカに両腕広げられ、アリサは一も二もなくそこへ飛び込んだ。辛うじてまだ出血が少なく、包帯の白さの方がやや広い右腕で震える背中をやわく宥めるように叩く。

 ユウカの胸に顔を埋め、アリサはめしょめしょに泣いてぺっとりと張り付いた。名状しがたい鳴き声を上げるアリサをひっつかせたまま、ユウカは困り果てて無様なプリティヴィ・マータへ視線を向ける。

 本来の目的である腕輪の確認をしなければならないのだが、この調子では死骸が地に還る方が早そうだ。それでは任務失敗である。

 そんなユウカの思考を察したコウタがハイハイ、と神機を持ち上げる。

 

「こっちは俺やっとくよ」

「ありがとコウタ」

「いいからアリサに構ってやんなよ。俺でもそーなるわ」

 

 マントヒヒでももうちょっと綺麗に泣くんじゃないかなってくらい濁音のついた呻き声を上げるアリサを気の毒そうに見て、コウタは肩を回しながらプリティヴィ・マータへ駆け寄って行った。

 

「ユウカ……もう絶対ああいうのやめて。良いわね?」

「はは、わかってますってば」

「ほん、ほんっと、やめて。お願い」

「はいはい」

「大罪よあれ」

「……え?そんなに?」

「私がリーダーだったら、リーダー権限で貴女を一年出撃停止にしているところね」

 

 そんな大袈裟な。笑おうとしたユウカだったけれども、ふと見たサクヤの眼が思ったより゛マジ″だったのでキュッと口を噤んだ。

 もしかしたら自分は新たな地雷を埋めてしまったかもしれないという予感を全力で見ないフリする。ウロヴォロスに脇腹へデカめの穴を開けられた事は生涯言わない事に決めた。

 

「おーいユウカー、腕輪無さそうだぞー!」

「そっか。じゃあ違う個体だったのかもしれないね。到着前に逃げたのかも」

 

 プリティヴィ・マータをアジの開きみたいに解体したコウタがしゃがんだまま神機をブンブン振る。ひとが地雷案件にビビってる内にしっかりめに調べてくれていたらしい。

 

「仕方ない、帰ろうか」

「そうね。ユウカの腕も医療班に見せなきゃ、」

 

 肌が粟立つ。

 大気が怯える威圧感に、アリサも含めた全員が首を素早く動かした。その先は全員同じ場所、廃寺を囲う丘の上、巨大な満月の手前だ。

 

 其処に居たのは、ヴァジュラに似ていて、しかし最早次元が違うと確信できるアラガミだった。

 

 ヴァジュラが炎、プリティヴィ・マータが氷なら、それは巌だった。

 厳として不動、砕くどころか動かす事さえ不可能と思わせるほどの偉大さ。

 どのような刃であっても身を斬るどころか傷をつけることすら叶わなさそうな頑健な装甲。

 どんな動きですら可能にできそうな筋骨隆々の巨躯。

 荘厳さ、畏怖さえ抱かせる、髭にも見える体毛を蓄えた貌。

 そして、血のように赤い、真紅の眼。

 まるで神話の主神のような姿のそれは。そいつは。

 嘲笑うように、あるいは地を這う虫を見ているかのように表情を歪め、何をするでもなく、走ることすらせず、静かに去っていった。

 

「……あいつを倒さないとダメって事ね」

 

 呟いたサクヤの声が静寂に響く。

 雪が止み、星々が輝く夜に似つかわしくない、寂れた声音だった。

 



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少女、鏡写し

 

 疲労した身体を引きずってアナグラに帰還した一行を一番に迎えたのは、緊急警報のサイレンだった。アナグラ内のサイレンには複数種類がある。これは外部居住区にアラガミが侵入した事を意味する緊急迎撃出動のものだ。

 すわ出戻りか、と身構えた第一部隊と入れ替わるように、タツミら防衛班が反対口から駆けてきた。

 

「お前ら無事だったか、っと、すまん急ぐからまた今度な!」

「手伝いいりますか?」

「いらん!俺らの仕事だ、殲滅部隊はゆっくり休んでな!」

「お前たちは新種相手だっただろう。従来の雑魚共は俺達に任せておけ」

 

 こちらを気にかけさえしながらも準備の手を澱ませず、出撃ゲートへ転がるように飛び込んでいった背中を見送る。

 緊迫感を連れて行った彼等と同時にサイレンも鎮まり、弛緩した空気が流れた。一陣の風が吹き抜けていったようだった。

 

「最近、外部居住区へのアラガミ侵入、増えたと思いませんか?」

「……外部装甲の偏食因子が、アラガミの変化に追いついてないんだってさ」

 

 アリサの疑問に、コウタが呟くように応えた。その目線は、防衛班が出て行った出撃ゲートへ未だ向けられている。

 コウタの家族は外部居住区に住んでる。心配になって当然だろう。

 

「コウタ。顔だけでも見に行ってきなよ」

「や。いいよ、ちゃんと避難してると思うし」

「それでもだよ。ご家族が不安がってるでしょ。しっかり大黒柱してきなさい」

「う。でもさ」

「命令。アリサ、コウタの分の報告書も書いてやってくれる?」

「えー?もー今回だけですよ」

 

 いかにも恩着せがましく言うアリサだが、指先でくるくると髪の毛を弄って嬉しそうに胸を張っているし、顔は満面の笑みだ。微笑ましいほど、頼られて嬉しいです!と隠しきれていない。

 完全に喜んで引き受けているアリサを後目に、コウタがグッと唇を噛んで苦し紛れに「職権乱用だろォ!」と言った。

 

「埋め合わせは勿論してもらうよ。新種のアラガミ狩り、明日から付き合って貰うからね」

 

 新種のアラガミにまで外部装甲が対応しきれていないのが問題なら、その問題の新種のアラガミから因子を採取すれば良い。

 常に進化を続けるアラガミに対しての対症療法でしかないが、現状出来る外部装甲への改善策はそれしかない。

 つまり、新種のアラガミから偏食因子を集めまくれば良いのだ。

 涼しい笑みを浮かべるユウカに、コウタはくしゃっと顔を歪めた。

 

「ゴメン、ありがと!行ってくる!」

 

 手を振るユウカに背を向けて、出撃ゲートへ踵を返す。

 彼女の表情には柔らかな笑みといつくしみが浮かべられていた。誰よりも頼もしく思う、皆のリーダーの顔であり、コウタの親友の顔だ。

 彼女の提案全部がコウタの為だった。その思いやりを無下にすることは不義理だ。

 けれど、アナグラ内を駆けながら、コウタは彼女のやさしさに甘えていてはならないのではないかとも感じていた。

 ユウカは間違いなく立派な第一部隊のリーダーになった。隊員を庇った時以外での怪我を見なくなった。みんなを守ろうと、いつでも心配りをしていてくれる。

 なのに。

 なんか、なんかが、取り返しがつかなくなっていくような……。

 

「お兄ちゃん!」

 

 きちんとアナグラ内の民間避難場所に避難していた家族は、何事もなく無事だった。駆け寄って来たノゾミを全身で受け止める。

 やはりコウタの顔を見て彼女たちも心から安心したようで、その表情は晴れやかだ。

 コウタは先までの思考を振り払い、意識して笑みを作った。家族に余計な心配はかけたくない。

 

「コウタ。任務から帰って来たばかりじゃないの?」

「うん。ユウカ、ウチのリーダーがさ、ちょっとでも顔を見せに行けって」

 

 家族が心配になって見にきた、とスレートに言うのは流石に気恥ずかしくて多少誤魔化す。概ね嘘はついてないし。

 母は「そうなの。優しいリーダーさんね」と嬉しそうに微笑んだ。なんとなくバレてる気がして、鼻先を指でちょいちょいと掻く。

 

「怪我はしてないのね?」

「ウン。元気元気!」

「アラガミ倒したのに?」

「オレたちの部隊、ちょーつえーもん。今日のアラガミなんか、そんな強くなかったし!」

「ほんと?お兄ちゃんすごーい!」

 

 なんて真っ赤な嘘だろう。口角を引き上げながら、内心で微かに自嘲する。

 来る途中に回復錠を打っておいて良かった。

 この程度で母と妹の笑顔を守れるなら、軽い自己嫌悪くらい安いもんだ。

 

「ねえお兄ちゃん、次はいつお家に帰ってくるの?」

「えー?うーん、次の非番いつだっけな……」

 

 頭の中でスケジュールを思い浮かべるが、アラガミの出現次第では休みは消し飛ぶので、あまり意味のある思考とは言えなかった。

 思い出すフリをしてお茶を濁す。

 

「あんまり無理しないでね」

 

 母の柔らかな笑み。その姿は、贖罪の街の廃協会にあった女性の像にすこし似ていた。赦しの微笑み。

 コウタの強がりをわかっていながら、その嘘までも受け入れて、気付かなかった事にしてくれている。それこそにコウタは救われているのだ。

 母のやさしさに、妹の無邪気さに。いつだって。

 この笑顔を見る度に思うのだ。この二人を守ろう、と。その為なら、なんだってしてやる、と。

 

「あーやっぱしばらく家に帰れないかも。忘れてたけど、明日から忙しくなるんだ」

「えぇー!」

「ノゾミ、わがまま言わないの。コウタ、無茶だけはどうかしないでね。出来れば、怪我も」

「わかってるって!だいじょーぶ、俺強いし、皆のカバーだってしてるくらいなんだ、ぜ」

 

 それは嘘ではなかった。コウタ自身、最近の自分の成長が目覚ましいものだということは理解していた。近頃は、防衛班だけじゃなく、偵察班の仕事も手伝っている。大切なものを守る為であり、仲間が今よりもっと戦いやすくなるように、自分も戦えればと思うから。褒められる事も、それと同じくらい反省する事も増えた。

 それなのに言葉に詰まったのは。ふと気づいてしまったのだ。

 

 ――なんで俺、いつもユウカの背中ばっか見てるんだろう。

 

 それが色恋沙汰なら救いがあったが、コウタの背筋に湧き上がってくるのは寒気だった。

 戦闘中、アリサにサクヤ、ソーマやシオの顔はよく見ている。彼等の視線や表情から、彼等の行動を予測する為だし、単純に敵を引き付けて前に出る事は少なくない。

 なのに、ユウカの戦っている時の顔は思い出せなかった。真っ先に思い浮かぶのは、細くて薄い少女の背中だった。

 

 不意に、二人の背後に視線を引き付けられた。

 二人の背後遠くは無骨な鉄の壁がある。鈍い灰色に映る反射に、ゴッドイーターの良い眼が己の姿を見つける。

 

 取り繕う自分の表情は、直前に見た親友の笑みと全く同じかたちをしていた。

 

 二人との会話を切り上げ、コウタは来た道を早足で戻った。

 おかしいとは思ったんだ。ユウカは書類仕事が不得手な訳じゃない。むしろ物凄く得意だ。講義といっしょで、彼女は筋道を立てて話を纏めるのが巧い。

 苦も無くキーボードを軽く叩いて、唸るコウタを感じ悪く笑っていた。

 そんな、一ヵ月にも満たない少し前のやり取りが、手の届かないほどに遠くに思えた。

 彼女にとっては些細な仕事だ。それなのにアリサに頼んだ。その理由は。

 

「ユウカ!」

「うわっ!……びっくりしたー、なになに?急に」

 

 出撃ゲート前。帰還したらさっさと格納庫なりに行くので長居することは殆どない。

 だがユウカはここに居た。装備が整えられていて、中身が減って萎んでいたポーチは膨らんでいた。

 

「あ、や。ど、どっか行くのか?」

 

 今から出撃するのだと一目でわかった。

 朝のミーティングには言っていなかった任務を。たった独りで。

 だが、コウタが口にしたのは誤魔化すだけの言葉だった。

 いやだって、ユウカが言わなかったということは、彼女にとって知られたくなかった事なのだろう。隊員であり仲間であり、親友である自分には、明かせない何か理由が。

 それを暴いて良いのだろうか。

 自分は、母と妹の笑顔に救われているのに?

 

「うん、ちょっとね。すぐ帰ってくるよ」

 

 あ、嘘だ。

 直感的にわかった。たぶん、いつかどこかで、自分も家族に言った言葉だったから。

 

「…そっか。気をつけてな」

「うん、行ってくるね」

 

 笑え。笑え笑え笑え。

 何にも知らない振りして笑え。

 馬鹿だ俺。

 なんで来ちゃったんだよ!

 これじゃ俺、ただユウカに嘘を吐かせに来ただけじゃんか!

 さっきと同じ笑顔で、今度はユウカが背を向ける。

 見慣れた背中。

 ありったけの荷物を、押し付けた背中だった。

 

「あー……ソーマの気持ちがわかっちまったわ……」

 

 これは自分を殴りたくもなる。

 誰かに殴ってほしいとかいう甘えも許されないような気がするからだ。

 あそこまでフルスイングする気にはなれないし、自覚してて自分を殴るのも無意味のように思えた。壁に肩を預け、そのままずるずると床にへたりこんだ。ヘタレ、正に自分に似合いの称号だ。

 この期に及んで思い浮かぶのは、母と妹だ。

 なあ母さん、ノゾミ。

 オレ、間違ってンのかな。もしかして二人も、オレを見て、こんな気持ちになってンの?それなのに許してくれてンの?

 

「ごめん……」

 

 誰に宛てているのかもわからない謝罪が、空虚に室内へ小さく落ちた。

 自分は強くなった筈だ。皆を助けられるぐらいに、強くなった。

 なのに、どうしてまだこんなにも無力感に苛まれなきゃならないんだろう。

 誰かの望む姿でありたいと願うのは悪い事じゃない筈だ。なら、この胸の痛みはなんなんだよ。

 

 理由も正解もわからないまま、目まぐるしく日々は過ぎ去って、ある朝それは訪れた。

 

「リンドウの腕輪信号が、また確認されたようだ」

 

 この前のアラガミと似たタイプのアラガミの反応。ヴァジュラによく似た、あの魔王染みた風貌の奴だろう。

 空気さえ恐怖で震え上がらせるあの威圧感を思い出して、隊員皆の表情が引き締まる。

 

「今回も、私情を捨てて、冷静に任務を熟せ。いいな」

 

 ユウカが力強く頷いた。

 そのまなざしに、迷いはないように見えた。それが彼女が見せているものなのか、本心なのか。コウタには、やはりちっとも、わからなかった。

 




一番に気づくのはコウタって決めてた


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少女、遺漏

 

 はー?二分でプリティヴィ・マータ片付けないといけないってマジ?

 任務開始と同時にヒバリに告げられた情報に、ユウカは胸中で心底項垂れた。

 二分後にディアウス・ピターが作戦エリアに侵入する。それまでに、エリア内を既に闊歩しているプリティヴィ・マータをどうこうしなければ、二体同時攻略を迫られる。新種相手にそこそこな自殺行為だ。

 なんとなーくコウタの視線が気にかかったので、今回はコウタと入れ替わりでソーマに来て貰った。精神状態が安定してない隊員は危険を呼ぶ。

 

「ユウカ、どうしますか?」

「早急にプリティヴィ・マータを全力攻撃。無理そうなら分断。以上!総員ダッシュ!超ダッシュ!」

「アハハ」

「了解です!」

 

 頭を抱えるユウカにサクヤが軽く笑って、アリサが元気よく良い子のお返事をした。

 建物の陰へ消えていく氷色の後ろ姿へバレッドを撃ちこみながら接近する。

 直撃もそこそこにプリティヴィ・マータは軽く跳躍して射線を避け、一つ遠吠えする。まさか呼んでいるわけじゃあるまいだろうが、それでも不安なので黙らせるようにショートブレードでその口を斬り裂く。

 軽く怯んだ獣は、邪魔なコバエを振り払うように前足を振り回した。バレッドを撃った反動を利用してその爪から逃れ、きちんと足から地面に着地する。

 白目の無い双眸がぎらりと光り、ユウカは咄嗟に背後へ「全員後ろへ飛んで!」と呼びかけた。

 直後、ノーモーションで氷山と見紛う巨大な氷塊が瞬く間に次々と地を埋め尽くすほど出現する。特にファーストアタックをしたユウカへ向けられた氷は一際堆く現れ、天を劈くほど聳え立った。

 天高く跳んでいたおかげでそれを避けられたユウカであったが、着地する場所に困って顔を引き攣らせた。何しろ地面が全部氷であり、すべてアラガミの一部だ。触れただけでも強靭なゴッドイーターの身体を容易に蝕む。

 氷が消えるまでおよそあと三秒。

 無難に盾から着地するしかないか。そうしようとした矢先、直感に従って神機をフルスイングした。

 重い感触と冷気。

 続けざまに氷の礫が飛んできたらしい。

 連射の方じゃなくて助かった、っていうかいや着地!

 背中から氷に叩きつけられる間際、弾丸みたいに真横から飛んできたソーマに回収される。どっからどう飛んだらそんな軌道になるんだ、と若干引きながら逞しい腕にしがみついた。

 ソーマは軌道の先、ぶつかる筈だった壁へ物凄い音と共に神機を深く突き刺した。ハリウッドもドン引きのノンワイヤーアクションである。救出された身として文句は言わないが、ワケわからん機動のせいで腹へのGがやばかった。

 

「無事か」

「ちょっと酔った。でもありがと!」

「もうこんなどこぞの何某スーパーマンみてェなことしねェからな」

「あは。ごめーん」

 

 そんなこと言ってー、いつでも助けてくれるくせにー。とか死ぬほどウザく絡みたかったが、流石にTPOを弁えた。

 氷が消えると同時に、ユウカを小脇に抱えたまま神機を壁から引っこ抜いて地面へ着地する。

 ディアウス・ピターに触発されているのか、前戦った個体より判断能力が高い。

 

「いくよ!」

「了解」

 

 上段と下段にそれぞれ構え、合図もなしに同時に駆け出す。

 ソーマは思いきり神機を振り下ろし、ユウカは素早く捕食した。バーストで漲った身体で、すぐさま後退して吹雪を避ける。

 僅かに止まったその脚を、サクヤとアリサのバレッドが撃ち抜いた。鎧の端が欠けるが、結合崩壊とまではいかない。

 捕食で手に入れた弾を味方へのバースト強化に使い、自分のバースト維持の為に捕食形態を隙あらば食らいつかせる。

 次々と飛び掛かってくる巨体と爪、吹雪と氷の合間を縫って、空き地を文字通り飛び回った。攻撃するのも困難な中、着実に味方へバースト受け渡しをし続ける。ユウカの武器はショートブレードなので、自分で攻撃するより高火力のソーマやアリサの攻撃力を底上げする方が効率的だ。

 全員がバーストマックスになってようやく、ユウカはプリティヴィ・マータの攻撃へ本格参戦と成った。

 冬の化身が、狂った女神の顔をして、剣を突きつけるユウカへギョロリと銀色の目玉を向ける。

 氷の礫を四方へ飛ばさんと動きを止めたその獣の懐へ一思いに飛び込んだ。はらわたを引きずり出すように斬りつける。

 堅固なアラガミの肉体は鉄を弾くような音で軽くユウカの剣戟を受け止めた。柔い攻撃だとせせら笑うように、プリティヴィ・マータが大口を開けて吠える。その咆哮ですら攻撃だ。衝撃で地を転がる。

 戦場が空き地から廃工場の中へ移動し、狭い空間で鎬を削り合う。

 

「私のメテオでとっととトドメにするッ、動き止めて!」

 

 了解ッ、と三方からドスの効いた返答が響いた。

 こまめにリザーブしていたOPを開放するため、銃形態に素早く換装する。

 アリサが最前線へ出てアラガミの眼前をちょろちょろ動き回り、振りかぶられた前足をソーマが打ち上げた。空かさず、サクヤがその角度を上げる為に晒された顎へレーザーを撃ちこむ。堪らず後ろ足のみで仰け反って、無防備な腹へ弱い陽光が当たる。

 バーストしたユウカは素晴らしい瞬発力で突っ込み、ゼロ距離でトリガーを引いた。焔のような赤い衝撃波と共に花火ほどの大きな火花が散る。

 悲鳴を上げたプリティヴィ・マータは、荒い息を吐きながら地に伏せる。虫の息、もう一息だ。

 

『ディアウス・ピター、作戦エリア内に侵入しました!』

 

 ヒバリの緊迫した声。

 何処に!?マップを確認するまでもなく、プリティヴィ・マータを囲んでいたユウカ、ソーマ、アリサは咄嗟にトドメに振り上げていた神機を退いて盾を構えた。

 正面から衝撃。

 

「クソ」

「わーーッ、ウッソぉ!」

「キャアッ」

 

 勢いを殺し切れず、ユウカとアリサが後方へ吹っ飛ぶ。

 地面へ伸ばした掌の表面が削れたものの、ユウカは両脚でしっかりと踏ん張った。アリサは吹っ飛んだものの、運よくボロ布類が山となっていた場所へ転がった為大きな怪我とはならなかったようだ。

 二匹の獣が吼える。

 まるで番いのようなそのアラガミたちは、互いを守り合うように佇んでいた。

 地面が紫と白に発光する。ヴァジュラと似たパターンに、泡を食ったように全員廃屋から飛び出した。

 背後が、爆弾が落ちたように強く輝く。

 神の雷霆。

 ヴァジュラと比べるのもバカバカしいほどの力強い雷。

 瀕死とは言え、追い詰められて活性化したプリティヴィ・マータ。無傷の新種のアラガミ、ディアウス・ピター。

 二体はまるで互いの行動を予見しているかのように、こちらが息を吐く間もなく連撃を仕掛けて来る。反撃どころか避けるだけですら精神をすり減らす。

 このまま同時に相手するのは絶対無理。

 サクヤさんは支援型、論外。

 頼むならアリサかソーマさん。

 プリティヴィ・マータは瀕死だ。なら。

 

「……ソーマさん!」

「ハ、」

 

 当然だな。と滲ませた笑みでユウカを流し見る。

 冬の空みたいな色をした瞳が一瞬で正面へ戻され、展開されていた盾を解除した。

 ユウカの呼びかけひとつで命令内容を把握したソーマは、防御を捨ててディアウス・ピターへ真っすぐ斬りかかる。

 それに合わせて、ユウカもプリティヴィ・マータの横っ面を神機でブン殴った。苛立ちを含んだ銀の眼を引き付けるように、揺れるような足さばきで注意を逸らす。

 プリティヴィ・マータに集中するユウカの背中へ攻撃は当たらない。ユウカよりよっぽど誘導が上手なソーマが、巧みにディアウス・ピターを別エリアへと誘い込んでいるからだ。

 完全にその姿が見えなくなった事を視界の端に捉えて、間近に迫った礫を弾き飛ばす。

 これで心置きなくこのクソッタレをぶちのめせる。

 

「支援します!受け取って!」

「ユウカ走って!」

「ありがと!」

 

 切れかかっていたバーストがアリサからの受け渡しによって、再び強く輝き漲った。

 フッ、と息を短く吐き出して、バレッドの雨の間を抜け跳躍する。

 傘のように振り回される青色の鬣を神機で弾き、その度に火花が散って肌を掠めた。

 それを知覚すれども振り返る事はせず、ユウカは一直線に跳んで、神機を振り上げた。

 鋼のような肌を裂き、鬣と鎧の隙間、曇った白い首を、血飛沫と共に刎ね飛ばした。

 高い放物線を描いてくるくると重い首は軽やかに飛び、やがてどしゃりと地面に落ちた。

 

「よし!さあすぐソーマさんの所に行こうすぐ行こう!」

「了解!」

「了解です!」

 

 すぐに走り出したユウカに遅れず、サクヤとアリサも後ろに続く。

 マップを確認するまでもない。先程から派手な戦闘音が遠く土煙と共に高らかに上がっている。

 それらを目印に駆けつけたと同時、すぐ後ろに立っていたアリサとサクヤを地面に引き倒す。

 ハラ、と髪の先が宙に舞ったそこ、一瞬前まで自分たちの腹があった場所に黒い爪が突き出されていた。

 伏せていなければ確実に団子三兄弟みたいになっていただろう。

 恐怖に慄きつつ盾をすぐに開いた。盾の外側がすべて白く染まる。景色が戻って来た頃には、自分たちが盾を構えた以外の地面が真っ黒に染まっていた。完璧に黒焦げである。

 転がるように其処を脱し、素早く捕食しながら距離を取った。

 アラガミを注視しながらも、青いフードの影を探す。ディアウス・ピターの丁度後方、得物を振りかぶる姿に安堵した。

 しかし、いつにない余裕のない表情に内臓が縮む。

 早く仕留めないといけないような気がする。ディアウス・ピターの動きを翻弄するように、ユウカは素早く跳び回ってすれ違いざまに斬りつけ続けた。

 全員で集中攻撃している内、アリサの赤い刀身がディアウス・ピターの仮面にヒビを入れる。

 空気が揺れた。

 赤い、血のように赤い光がディアウス・ピターの身体に揺らめく。

 え。声を漏らしたサクヤの姿が掻き消えた。

 

「サクヤさん!?」

「バカ、アリサ!」

 

 よりにもよってなタイミングで余所見したアリサを背中で押し倒す。

 だが致命的に遅かったが故に、神機で受け流し切れなかった赤い何かが、ユウカの胸元から右肩までを切り裂いた。片手で盾を構えながら、片手で回復錠改を患部付近に打ち込む。

 

 盾の向こう側、ヴァジュラを黒く厳めしくしただけだったような姿は変わり果てていた。

 

 地獄の業火より尚赤い、紅の両翼がその背中から花開いている。黒かった体躯も、全身に血を纏っているかのように鈍い赤に輝いていた。赤い稲妻が迸る。

 ようやく、第二ラウンドが始まったのだ。

 

『サクヤさん、行動不能です!』

 

 ヒバリの声に引き戻され、ユウカは咥内を噛み締めて脚を叱咤する。

 翼に吹っ飛ばされ、サクヤは遥か後方の壁にめり込んでいた。

 嘘みたいに広範囲の赤い稲妻を避けながら、サクヤの元に駆けつける。

 リンクエイド。傷を分け合えるゴッドイーターの特性の一つ。

 彼女が受けたダメージを肩代わりしながら、アリサとソーマが引き付けてくれているディアウス・ピターの動きを観察する。

 ノーモーションで繰り出される雷。ただ飛び回るだけで抉れる地面。通りがかりにあった廃墟が、翼が掠っただけで容易に切り裂かれ、紙細工みたいに呆気なく壊れる。

 両翼はその羽根のようなひとつひとつが剣となっていて、しかも攻撃のときは力強く、大きく広がり、届かない筈の距離までもを切り裂く。

 死刑執行人の斧ほどに血に飢えていて、死神の鎌ほどに逃れ難い。

 

「ウ、はァ。ごめんなさい、ユウカ……」

「大丈夫です。サクヤさんは必ず距離を取っていて下さい」

 

 構造上盾のない遠距離旧型は相対すること自体無茶だ。

 サクヤの脚に力が戻った事を横目に、今まさに飛び掛かられたアリサの加勢に飛び込む。

 弾こうとしたが膂力が強すぎて殺し切れず、地面に跪いて攻撃をモロに受け止める形となった。しかしアリサの串刺し回避には成功したようで、フッ、フッ、と短い息が隣から吐き出される。

 

「下がって回復!」

「っはい!」

「ユウカどけ!」

 

 ソーマの声で素早く横へ転がる。

 ガキィン!と高い音がして、翼が大きく弾かれた。

 だが動いたのは片翼だけで、続けてもう片方の翼が振り翳される。ユウカは思いきり地面を蹴って跳躍し、その片方の翼を神機の刃で受け止めた。チェーンソーでも当てられているかのように、神機の表面が荒く削られる。受け止めただけで。

 両方の翼による攻撃を凌がれ、ただの一瞬の隙間でソーマは本体へと肉薄し、髭面の仮面へ一撃を叩き込んだ。

 しかし、如何にバスターブレード、如何にソーマと言えど一撃のみで罅が入っているだけの仮面を割るには至らず、赤い双眸が僅かに顰められるのみであった。

 バーストの強化がないと死ぬ。

 烈風のような翼の猛撃を耐え忍びながら、ユウカは少し笑いたいような気分だった。死の恐怖を前にすると人って笑っちゃうんだよね。最近知った一生知らずにいたかった知識が脳を過ぎる。

 予測のつかない、トリッキーな動きのディアウス・ピターは、対応しきれずに傷だらけになる我々を正しく嘲笑っていた。絶対的強者にのみ許された傲慢な余裕。

 ユウカの胸に気づいてはならない感情が湧き上がってくる。しかし、それはユウカには許されていなかったので、見ないフリして気付かないフリして歯を食いしばった。

 ディアウス・ピターが身体を振り回すだけでダメージを喰らうので、ポーチからは次々とアイテムが消えていった。

 僅かながら反撃は叶っているというのに、一向に何処も結合崩壊しない。

 距離が遠い為に攻撃力の低いバレッドしか撃ちようがないサクヤが回復弾を前衛三人へ懸命に撃っているというのに、笑えるほどに全員傷だらけだった。

 

「いやー。ヤバいね、コレ!」

 

 ハサミのように交差される翼の右をユウカ、左をソーマが受け止める中、意識して余裕があるように装って笑う。

 足元に臥せったアリサをリンクエイドし、その傷を引き受けた。アリサの千切れかかった左腕がじわりとくっつき、代わりにユウカの左腕に傷が刻まれて血が溢れ出る。肋骨かどっかの骨も折れていたのか呼吸も苦しくなって吐き気もしてきた。

 シールドを展開して雷を防いでいたソーマが、後ろ手にユウカの肌の露出した箇所へ回復錠を打った。器用すぎる。

 

「俺のアイテムはこれで最後だ」

「だよね!私もラスイチ!アリサ起きて!」

「う゛。ハ、……すみ、ません。すぐに、」

「来るぞ!」

 

 ソーマの警告に思考も放棄してアリサを抱え、とにかく滅茶苦茶に逃げ続ける。

 最早目で巨体を追わず、気配と空気の震えのみで攻撃を紙一重で避けていた。ていうか早くアリサ立てるようになって!

 片腕に抱えながら、少しだけ疲労でよろめいた隙を逃さず捕食してとにかく切り刻む。

 

『前足、結合崩壊!アラガミ、活性化です!』

 

 まだ活性化してなかったんだ!?

 信じ難い事実に打ちのめされたその時、目の前、本当に目と鼻の先に、顔面が其処にあった。白い吐息が視界に映り、口元が歪められる。

 伏せるか、後ろ、いや横へ跳ぶか!?

 突然すぎる命の危機に混乱したユウカの肩口から銃口が突き出る。

 閃光が弾けて視界がまっ白になったユウカの首根っこを、浅黒い掌が引っこ抜く。

 

「ボサッとしてンじゃねえ!」

「ユウカアリサ無事!?」

「だ、いじょうぶです!マジ本気でありがとうございます!アリサっ」

「はいっ!もういけます!」

 

 サクヤお特製の強力なメテオバレッドを顔面に喰らったディアウス・ピターは流石に効いたようで、仮面を完全に砕けさせて顔面を苦痛に歪めていた。苦虫を噛みつぶしたような顔にも見える。不快そうな表情だった。

 

「私のOPも、もうガス欠。貴方達の支援に徹するわ」

「はい。皆、ここまできたらもうゴリ押しでいくよ。相手の攻撃範囲を絶対に見誤らないこと、死ぬのだけはナシ!いいね」

「お前もな。リンクエイドし過ぎだ、死ぬぞ」

「考えとく。さあ行くよ!」

 

 血に濡れなかった場所はないんじゃないかな、というぐらい全体的に赤黒い痕を振り払う。

 ディアウス・ピターと全く同じように飛び掛かり合い、黒い体躯の表面に赤白く光る傷口を更に抉った。赤い翼の先が掠ったこめかみから赤い線が引かれる。流れ出た血が目に入って物凄く邪魔。

 やはりユウカの武器じゃいまいちダメージにならない。ハッキリ言ってスピード特化のユウカじゃ分が悪かった。

 雷を盾で弾き、翼と爪相手に斬り結ぶ。傷口を執拗に狙ってヘイトを稼ぎ、猫じゃらしのようにぴょんぴょん眼前を左右に跳ねる。

 咆哮しかけた口の中へバレッドを叩き込むと、ようやくディアウス・ピターの動きが鈍った。

 

『アラガミのオラクル反応、低下しています!』

 

 ヤるならここしかない。

 動きが止まった右前足を、直上から刺し貫いて地面に縫い留めた。叫び声が上がり、左前足の猫パンチを神機の柄を支えに伸身して回避する。薄皮一枚のみ切れてまた血の玉が散った。

 

「ソーマさん!アリサ!お願い!」

 

 ユウカの呼びかけと同時、二人が神機を振りかぶった。赤と鈍色の残像。

 渾身の一撃と呼ぶに相応しい、絶死の剣。

 一拍置いて、朽ちた街中に断末魔が響き渡った。人間のものではない、化物の絶叫。

 神機を引き抜き、地面に膝をついた。ふらふらと各々足取りおぼつかない中、互いの無事を確かめ合うために歩み寄る。

 

「あのさ……あの、ほんと、バカじゃないの?」

「第一声がそれ?わかるけど」

「確かに、ちょっと、いやだいぶ、強すぎですよね……」

 

 荒い呼吸を落ち着けながら、疲労しきった傷だらけの身体を休める。互いの無事を確かめ合う為、自然と冬の朝のスズメたちみたいに寄り集まった。

 

「こっちに寄れ。凭れかかって良いから」

「………固い………」

「文句言うな」

「あはは。でも、あったかいよ……」

 

 今度こそ死ぬかと思った。最近そんなんばっかだな。

 身体もだが精神的にも疲労が限界である。ユウカほどにはぼろぼろでないソーマに擦り寄ると、フーッと頭上から長い息が吐かれるのがわかった。ソーマも張り詰めていた緊張感等をすこし弛めたようだった。

 ソーマの腕の中はいつも通り熱いくらいあったかくて硬くて力強くて、今はちょっとだけ汗くさい。その動きの澱みのなさや重心の位置から、彼に大きな怪我がない事を改めて確認して、ユウカ自身も強張っていた何某かがほどけたような感じがした。

 だがまだやるべき事は残ってる。

 ずっとこうしていたかったけど、ユウカは微かに熱を持つ額を抑えながら、ソーマから身体を起こした。

 ふらつくユウカを咎めるように「おい」と声で留められるが、流石に仕事を誰かに押し付ける事もできないので、大丈夫だよ、と微笑んで見せる。

 

『……腕輪反応の、確認をお願いします』

 

 躊躇いがちなヒバリの声音に「はいはい、わかってるよ」と常よりも軽く明るい調子で返した。

 その気遣いが嬉しいとは思う。だが、だからこそ心配をあまりかけたくなかった。重荷にならなければ良いと思うから。

 神機を握りしめて、倒れ伏す巨体へ更に歩み寄る。

 腕輪の反応は大雑把なGPSレベルにしか位置を把握できない。つまり、本当にこのアラガミの中に存在していることを確認するには、アラガミをアジみたいに開いて、肉を掻き分けて対象物を引きずり出すしかない。

 この工程がユウカは死ぬほど嫌いだ。いや、戦場であってユウカが嫌いじゃない事など無いのだが。

 ぬち、と重い粘着質な音。生温かくて重い肉の感触。

 死んですぐの死体は、当然だが生きているときとあまり変わらない。ただし横たわる事実が覆ることもない。そのちぐはぐさがより一層不気味で、なんとも言えない気味の悪さを醸し出しているのだった。

 ディアウス・ピターは巨大だ。だが、腕輪はともかく、神機は決して小さくはない。

 だから、割かしすぐに、それは見つかった。

 ずるり、と主の消えた神機を引き抜く。背後で息を呑む音が響いた。

 チェーンソーを模した神機、ブラッドサージ。アラガミの体液まみれになっているが、その形は少しも損なわれていない。

 その先端に、見つけようとして、でも決して見つからないようにと願っていた赤い腕輪がひっかかっていた。

 無言のまま、サクヤに手渡す。

 

「――……ええ。間違いないわ。これは、……あのひとの、……」

 

 腕輪を握りしめ、その場で頽れる。

 声を押し殺し、懸命に涙を零さんと堪えて。悲痛さを奥歯で噛み締めている姿は、絵画のように美しくて、なのにどうしようもなく現実だった。

 ブラッドサージを呆然と眺めていたアリサが、ふらふら後退してストンと地面に腰を下ろした。ソーマはジッとブラッドサージを見つめた後、不意に視線を他所へ逸らす。

 サクヤがリンドウの名前をか細く呼ぶ。愛する人の名前を。返答を期待していない、なのにただもう呼びかけるしかできない。そんな、愚かで哀しい声だった。

 自分の神機とブラッドサージを地面にブッ刺し、ユウカは膝を折ってサクヤを抱き締めた。

 サクヤが本当に抱き締めて貰いたいのはユウカではない。そんなことは百も承知で、だが唯一のひとを失ってしまったひとにしてあげられることが、ユウカにはもうこれくらいしか思いつかなかった。

 リーダーとして、あの日リンドウを切り捨ててしまった罪悪感。姉のように慕うひとに元気になってほしいという厚意。そのどちらも間違って何かなく存在していて、前者のみを上手に覆い隠して、ユウカはサクヤをつよく、労わるように抱き締めた。

 




ついったのトレンドに上がってて嬉しすぎて投下。GE4待ってます!(血涙)


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