高校三年生も始まり、みんなが新学期に慣れだした六月中旬。
段々とRoseliaが認知されてきてライブにもたくさんの人たちが見に来るようになって。バンドとバイトと、それから今年は受験もあって。
両立するのは大変だけどやりがいもあるからとても充実した最上級生の始まりだった。
Roseliaの夢である
「まさか日直の仕事任されるなんてね…」
いつもなら大した仕事もないのに。そう思いながらため息をつく。
HRで担任の先生が言っていたのはこの間の文化祭のこと。アタシたちのクラスでは猫耳カフェをやっていて、そこで使った衣装は全部借り物だった。今週中には貸してくれた業者に返さないといけないからそれの仕分けをしてほしいとのこと。
今日日直に割り振られていたアタシとクラスメイト。けどそのクラスメイトは今日は休みで。友達から「手伝おうか?」と言われたけど申し訳なかったから全部断った。
少しばかり面倒ではあるけど今回は仕方ない。そう割り切ってアタシは衣装の入った箱が置かれている倉庫に移動した。
扉を開いて中を覗けば段ボールが二箱。その前にはアタシたちのクラスを示すアルファベットがあったから間違いない。
仕事を早く終わらせて練習に行きたかったアタシは往復して時間を割きたくなかったからその段ボールを一気に持って行くことにした。
二箱しかないから大丈夫だと思っていたが段ボールの中身は結構詰まっているらしくだいぶ重たかった。視界が遮られあまり前が見えない。それでも教室までは階段を上がってすぐだし大丈夫だと思っていた。
細心の注意を払って階段をゆっくり上がっていく。隣を運動部の下級生が数名かけ降りていった。階段を上り切り、難所を越えたと安心した時。
トンッと目の前から衝撃が来た。後ろは階段。バランスを崩せば確実に階段の上から真っ逆さまだ。ダンス部で鍛えた筋力を使ってどうにか耐える。
けど、悪いことは続く。
腕が限界で上の段ボールが傾いた。バランスを崩してアタシの方に落ち____。
「っ、危なかった」
段ボールが落ちそうになった瞬間伸びてきた手。片手で段ボールを、そしてもう片手でアタシの身体を支える。落ちなかったという事実に一安心だ。
「今井さん、大丈夫?」
「あ、ありがとう
段ボールの間から見えた知っている表情にお礼を言う。
助けてくれたのは同じクラスの芹沢
「これ、もしかしてさっき先生が言ってた文化祭の時の衣装?」
「う、うん」
「友達でも呼べばよかったのに」
それに関しては少し後悔していたところだから言わないでほしかった。
「半分持つよ」
そう言って芹沢くんは上に積んでいた段ボールを持つ。半分になっただけでだいぶ腕が楽になった。だけど少し重たいことに変わりはない。それを軽々しく持っている芹沢くんはさすが男子、と言ったところだ。
「これ二つ持ってたの?結構重かったでしょ?」
「いけるかなーって……」
「教室まで運べばいいの?」
「うん。お願い」
アタシも大変だったからその提案はありがたかった。
芹沢くんはクラスでも明るくて気遣いができる分類の人でクラスのまとめ役。優しい口調だから話しやすくて、そのうえイケメンで人気者。全学年や他校の生徒、女子大生等々、何度告白されたという噂を聞いたからわかりやしない。だけど高嶺の花、って感じでもないのが不思議だ。どんなに引っ込み思案なクラスメイトでも芹沢くんとは話せていた。これに関しては芹沢くんの才能なのだろう。
アタシは見た目がギャルだから不真面目だと思われ、話しかけにくいと言われることも少なくないからうらやましい限りだった。
「今井さん。今度からは誰かを頼らないとダメだよ?」
「うん。善処するね」
「確かこれ仕分けもしないといけないんだよね?」
「そうらしいね。けど文化祭が終わって衣装をしまう時に分けてたはずだしそんなに時間はかからないと思うよ?」
教室に着いて教卓に段ボールを置く。疲れた手をパタパタ振った。
「お疲れ様」という声が耳に届いた。
「今井さん、今日バンド練習あるの?」
アタシたちRoseliaは文化祭でも演奏したこともあって全校生徒に知られている。あこはRoseliaを通して友達が増えて嬉しいと言っていてアタシたちも頷いたのは記憶に新しい。
「うん。これからすぐ練習なんだ~」
「なら仕分けは僕がやっておくよ」
彼はどこまでお人好しなのか。さすがにその提案は承諾できなかった。
「いやいや!もともとアタシが頼まれてたやつだし、むしろここまで芹沢くんに手伝ってもらうわけには……」
「なら二人でやろうか。それならすぐに終わるだろうし」
善意で行動してくれているのにそれを無下にはできなくてお願いすることにした。段ボールを開けて中身を出して仕分けていく。
「本当に芹沢くんは優しいね。ここまで手伝ってくれる人もなかなかいないと思うけど」
「そんなことないって。僕は当たり前のことしかやってないよ?」
そこが優しいのだと彼はわかってないみたいだ。
当たり前だなんて。根がイケメンだよね。モテるわけだ。
けど助けてもらったんだし、何かお礼がしたかった。
「ねえ芹沢くん。手伝ってもらったんだし何かお礼がしたいんだけど……」
「え?いいよ別に。僕は見返りが欲しくて手伝ったわけじゃないんだし」
「それじゃあアタシの気が治まらないんだって!何でも言ってよ!」
「……本当にいいの?」
「うん!アタシに叶えられることだったら何でも言ってよ!」
言われるとしても何かを奢ってだとか、そんな感じのことを想像していた。それなのに。
芹沢くんの表情が真剣なものに変わった。どれにドキッとする。何故か手が震えていて、アタシは動揺した。
「なら、僕のお願い聞いてもらってもいい?」
「う、うん……」
言いにくそうな声で芹沢くん。
ちょっと待って、何を言う気なの。
早く動き出した心臓。
準備のできていないアタシに芹沢くんは言い放った。
「今井さん。今日から僕の、恋人のフリをしてもらえませんか?」
「……へ?」
予想の斜め上。想定外すぎる方向から飛んできたボールをアタシはしっかり受け取ることができなかった。
ん?なんて言った?恋人のフリ…?待って全然状況が読めない。
「ど、どういうこと…?」
「……実は」
芹沢くんが話始めたのは今抱えている悩みだった。
先日、芹沢くんは二つ年上の女子大生に告白されたらしい。気持ちは嬉しかったが好きじゃなかったから断った。しかしその女子大生は諦めてくれなくてその後もしつこく迫られたらしい。
その時に諦めてもらうためにうっかり「恋人がいる」と嘘をついたそうだ。それを聞いた女子大生は証明してと言ったとか。
そこまで聞いてアタシはなんとなく察した。おそらくその女子大生にこれ以上付きまとってほしくないから諦めてもらうために恋人役を欲しているんだろう。そしてその役をアタシに頼みたいんだ。
「というわけで。本当に申し訳ないんだけど、期間限定で僕の恋人になってくれませんか?」
わかってる。これはただの提案。だけど真剣すぎるその眼差しにドキッとしたのも事実。
本当に彼は顔がいい。
「それは別にいいんだけど……期間は?いつまでやればいいとかあるの?」
「そうだね。あんまり長くても今井さんに迷惑だと思うし……じゃあ三か月でどうかな」
三か月。今が六月だから九月くらいまで。夏の間というのなら日程も合わせやすいし、何よりクラスメイトにバレても多少問題はない。
「うん。それなら」
肯定すれば芹沢くんはよかったって微笑んだ。
「それじゃあ今井さん。改めて。三か月間、僕の恋人になってくれませんか?」
「はい。喜んで」
こうして始まったアタシと芹沢くんの少し変わった関係。
ここからアタシの新しい時が動き出した。
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初デート
今日は、アタシと芹沢くんの初デート(仮)の日。
デートでどんな服を着たらいいのかわからなくて、とりあえずネットで得た知識を利用することにした。
相手はあの芹沢くん。普段友達と遊ぶ時よりも気合が入っていた。
「あ、今井さん!」
「芹沢くんお待たせ。ごめんね待たせて」
待ち合わせ場所である駅前に着けばそこには既に芹沢くんがいた。その周りには何故か数人の女子たち。その人たちに何かを言った芹沢くんは笑顔でアタシに駆け寄ってきた。後ろの女子たちの視線がアタシに突き刺さって痛かった。
「いや、僕もさっき来たところだから大丈夫だよ」
「あの人たちは?芹沢くんの知り合い?」
聞けば芹沢くんは困った様子で頭を掻いていた。
それにピンくる。
「も、もしかして、ナンパされてたの……?」
苦笑したのを見る限り正解なのだろう。
「彼女と待ち合わせしてるからって言ってもなかなか離れてもらえなくて。気持ちは嬉しいけどその誘いには乗れなくて。だから今井さんが来てくれて助かったよ」
「彼女」と言われアタシは少し恥ずかしくなる。
だけど今は事実だから否定はしない。
「ここにいるのもあれだし、行こうか」
「うん。……っ!」
さりげなく握られた右手。驚いた声を上げれば芹沢くんはどうしたの?って優しく笑いかけた。
ずるい。なにその余裕そうな笑み。緊張してるのはアタシだけなの?やっぱり芹沢くんは女の子と遊ぶことにも慣れてるわけ?
「いいでしょ?僕たち付き合ってるんだから」
「……そう、だね」
「ごめんね。ここを抜けるまでだから少しだけ我慢して」
別に嫌がっているわけじゃないのに嫌がられたと思われたのか。手を引いて先頭を歩きだす芹沢くんの背中を見つめた。改札でICカードを通し、入り組んだ駅内を歩き目的の電車を探す。
アタシよりも断然大きくて広くて頼りがいのありそうな背中。なんだか羨ましい。
目線を下に移す。握られた右手と繋がる左手。初めて感じる温もり。温かくて。それが少しだけ震えていた。
なんで……?慣れてるんじゃないの?ふと目に入った彼の横顔。
さっきまでの柔らかい雰囲気はなくてお堅い緊張してるって表情をしていた。それについ笑みが零れる。
なーんだ。芹沢くんもアタシと同じだったんだ。
仲間がいることへの安心感は、アタシの緊張をほんのちょっと解いてくれた。
さっきの余裕そうな笑みも見栄を張っていたのかな。
自分が緊張していると知られたら相手まで緊張すると思ったんだろう。アタシの憶測でしかないけど、そこまで気遣ってくれるなんて彼は本当にいい人だ。モテないわけがない。
緩く握られている右手をキュッと握り返せばわかりやすく肩が揺れた。それでもアタシの方を振り返ることはなくそのまま目的の電車に乗り込んだ。
昨日芹沢くんと連絡を取った結果、初デートに選んだ場所は水族館だった。
水族館なら楽しめないなんてことはない。
遊園地のように向き不向きもない。
そのうえ近くにあって行きやすい。
その三つをクリアしていることもあってアタシたちに反論はなくすぐに決まった。
「わー!見て見て芹沢くん!クラゲがいるよ!」
「うん。そうだね」
「あっ!こっちにもいる!ふわふわしててかわいいよね!」
久しぶりに来た水族館。小学生以来の入館だからアタシはその景色にテンションが上がっていた。綺麗な風景に心が躍る。
ふと芹沢くんが笑った。視線を移せば口元を覆って笑いをこらえているように見える。
「芹沢くん?どうしたの?」
「ううん。あまりにもはしゃいでるから、なんだか意外で」
それにアタシはつい頭を掻いた。
ギャルという見た目はいい印象を持たれることが少ない。不真面目そうだとか軽そうだとかそんな的外れなことばかり言われる。友達だって、最初の頃は少し不真面目な子が寄ってきた。アタシがイメージと違ったのかすぐに離れていったけど。
芹沢くんもそんな風に思っていたのだろうか。
「なにそれ。はしゃいじゃダメなの?」
「そんなことはないよ。けど子供みたいでかわいいなーって」
「なっ……」
子供みたいってバカにされているよう。確かに芹沢くんは大人びているけど同い年だ。不服です、と頬を膨らませば「ごめんごめん」と笑いながら謝られた。
「水族館って、行きなれてると思ってたよ」
「え?なんで?」
「友達とかとよく行ってそうだし。ほら、彼氏とかと来てそうだなーって」
目を丸くしていたアタシの隣で君はそんなことを言った。
何か壮大な勘違いをしていることに気付いたアタシはそれを否定する。
「いやいや。友達と水族館なんてほとんど行かないし、そもそもアタシ彼氏いたことないから」
「へ?」
今度は彼が目を丸くする番だった。パチパチと二、三度瞬きを繰り返しアタシを見つめている。
「か、彼氏いたことないの?」
「ないよ?アタシ恋って経験したことないから」
幼なじみのことが心配でその面倒を見ていたから他に目を向けている暇がなかっただけかもしれない。
そんな生活に慣れてしまった以上それが当たり前になって。
だからこそ友達の話す恋愛話が羨ましいと思っていた。彼氏や好きな人の愚痴を言いつつも徐々に見せていく幸せそうな表情に何度憧れを持ったことか。
それでも特定の誰かが好きなんて思ったことはない。
恋愛は興味はあってもあまり自分には関係ないものになっていた。
「……意外だね、本当に」
「よく言われるよ」
告白されたのだって芹沢くんが初めてだよ。
芹沢くんは驚いたような表情をして、そのあとそれが申し訳なさそうなものに変わった。
「ごめんね今井さん。そうだと知らずに僕のわがままに付き合ってもらって」
「いいよ別に。アタシが引き受けたことなんだし芹沢くんは気にしないで?」
そんなアタシの慰めの言葉を聞いても彼の表情は晴れない。彼は先輩と付き合えないことを証明するためにアタシを利用していて、アタシはそれをわかっていて付き合うことにしたのに。納得してくれそうな様子はない。
これは、少しだけイタズラをしてみようかな。そう思って手を握る。
彼の肩がわかりやすく震えた。暗闇の中、彼に笑いかける。
「それよりデートの続きしようよ。アタシ、イルカショー見たいな~」
きっとアタシは彼に何も思っていないからこんなことができるのだろう。
彼に対して恋愛感情を持っていないから安易に手を繋げてしまう。
彼はアタシのことをどういう風に見ているんだろう。不真面目な同級生、かな。
「うん。じゃあ行こうか」
握られた手に少しだけ力が入れられた。彼が優しく笑いかけたのがわかる。
少なくとも嫌われてるということはないし、いいかな。
イルカショーのやる水槽に行けば既に人がたくさん集まっていた。主にいるのは子供連れの家族。その中に紛れる数組の恋人たち。
何故かイルカが一番見えるであろう最前列はあまり人で埋まっていなくて首を傾げる。
『前の列の方はイルカが飛び跳ねた際濡れる恐れがあります。ポンチョを販売していますのでお買い求めください』
なるほど。だから最前列とか人がほとんどいないんだね。
イルカショー自体見るのが久しぶりだから近くで見たいけどさすがに芹沢くんを引っ張って最前列に行くわけにもいかないよね。
そう思って芹沢くんを見れば心なしかワクワクしているように見えた。もしかしてと思って問いかける。
「芹沢くん、イルカ好きなの?」
「うん。好きだよ。イルカだけじゃなくて海の生き物は結構好きなんだ」
「だったらさ、一緒に最前列で見ない?」
「え?けど濡れちゃうよ?」
「ポンチョ、買えば大丈夫だよ。だから、ね?」
アタシが頼めば芹沢くんは簡単に折れてくれた。二人でポンチョを買って子供たちの誰よりも前に座る。少しだけ恥ずかしくて二人で目を合わせて笑い合う。
「子供みたいだね」
「たまには悪くないでしょ?」
「そうだね」って言う彼にはにかんだ。
「いや~結構濡れたね~」
「ポンチョ買わなきゃずぶ濡れだったね」
久しぶりのイルカショーはとても迫力があって楽しかった。散々水を被ってそのたびに笑って、楽しい時間だった。周りの子供たち並みにはしゃいでいたと思う。
「でも芹沢くんがあんなにはしゃぐなんて意外だったな~」
「それは僕のセリフだよ。今井さん、めちゃくちゃはしゃいでたね」
「すっごく楽しかったからまた見に来ようよ!」
「……うん。また一緒に行こうか」
彼は微笑んでアタシに言った。アタシも彼に笑顔を返した。
「今井さん、何か買うの?」
「うん。せっかくだし記念になるものが欲しくて」
帰り際お土産屋さんに寄ったアタシたち。お土産を真剣に悩むアタシとそれを見守る芹沢くん。
お土産屋さんにはぬいぐるみやクリアファイル、キーホルダーなど種類は様々、たくさんの生物のグッズがあって悩んでしまう。
「やっぱりあんまり大きいと持って帰るのも大変だよね……」
「そうかもしれないね」
「無難にキーホルダーにしようかな。少なくとも邪魔にはならないだろうし」
「それならイルカのキーホルダーにしたら?今日すごくはしゃいでたわけだし」
そうやって芹沢くんはアタシをからかう。その件に関しては彼だって同じだったのに。
「だったらお揃いにしようよ」
「え?」
「アタシも芹沢くんもイルカショーが一番盛り上がってたし、それに芹沢くんイルカ好きなんでしょ?」
提案のつもりだった。楽しい時間をくれたからそのお礼のつもりだった。アタシが買って、彼に渡すつもりだった。
「ね~これは?かわいいっしょ?」
キーホルダーがかかっているラックから一つ取る。
イルカが二匹、勾玉のように円を作っているペアキーホルダー。二匹のイルカはニコニコ笑っていた。
パッと見た瞬間にいいなーと思った。だから彼から同意を貰えれば買おうと思っていた。
「それがいいんだね?」
返ってきたのは想定していなかった言葉。首を傾げている間に芹沢くんがアタシの手に持っていたキーホルダーを抜き取る。そのままレジへと足を運ぶ姿を見てアタシは慌てて止めに入った。
「ちょ、芹沢くん!アタシが払うって!」
「ううん。僕に払わせてよ」
少しくらい、彼氏っぽいことさせて?
そんなこと言われたら反論できない。ただかっこいいと思った。
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関係性
Roseliaのスタジオ練習の日は基本火曜日と土曜日の週二回。Roseliaのスタジオ練が週二回しかないことを伝えれば大抵の人たちに驚かれていたがこれはRoselia結成一年目に決めたことだった。
理由としてはみんなの予定が思っていた以上に合わなかったことが挙げられる。友希那と燐子は基本どの日でも大丈夫みたいだったけど紗夜、あこ、アタシは部活やバイトがあって、時間が合うのがその日だけだったのだ。だけどこれは建前に近い。
主な理由はみんなの金銭面を考えた結果。バイトをしているアタシはまだしも他のみんなはお小遣いでどうにかしている部分があったから。さすがにお金は湧いて出てこないし、学生のアタシたちにとってはどうにでもきない問題だった。
無論、各自家で練習はきちんとしているしスタジオでやることと言えば全員で合わせることだけ。だから週二であっても問題はなかった。
もちろんステージが近くなればクオリティを上げるためにスタジオ練を増やすけど。
「みんな~おつかれ~」
「あ、リサ姉!友希那さん!お疲れ様です!」
「今井さん、湊さん、お疲れ様です」
「……おつかれ…さまです……」
「お疲れ様。全員集まってるわね」
スタジオ内に入れば見慣れた三人の姿。それぞれ担当の楽器を構えていて準備は満タンそう。アタシたちが来るまで練習していたのかうっすら汗をかいていた。
アタシと友希那も荷物を置いて友希那はマイクの調整を、アタシはベースのチューニングを合わせていく。
「今日って何から合わせるんだっけ?」
「今日は夏休み最初にあるライブの曲をセトリ通りにやる予定よ。だから『熱色スターマイン』からね」
「おっけ~」
七月十五日の祝日。アタシたちRoseliaはライブハウスでのライブが決まっていた。
色々なバンドが参加していて、参加者にはPoppin'PartyやAfterglowもいるからみんな気合が入っていた。
チューニングを終えたアタシは燐子の前、友希那の隣に並ぶ。目配せをして頷いた。
「それじゃあいくわよ」
友希那の言葉であこがカウントを取り、それを聞いてアタシたちも演奏を始めた。友希那がメインで歌い、アタシたちはコーラスを担当する。
友希那の決め台詞。それにテンションが上がっていく。
演奏が曲の疾走感とともに走りそうになるのを堪えながら丁寧に一音一音を奏でていった。
「はぁー。疲れたぁ……」
「……お疲れ様……あこちゃん……」
「あこおつかれ~大丈夫?」
「もうだめ……」
スタジオの外のカフェスペース。そこのテーブルに突っ伏すドラマーにアタシは買ってきたアイスココアを渡した。起き上がって飲んではいるがいつもの元気さが足りない。よほど疲れたんだろう。
「今日のあこ、頑張ってたもんね。えらいえらい」
「だって今度のライブはポピパとAfterglowが出るんだよ!あこすっごく楽しみなんだ!」
頭を撫でていれば段々元気が出て来たのかそんなことを言い出した。
あこ、Afterglowと何かできることが嬉しいんだろうな。巴いるし。他の四人とも仲いいから。
「今日練習終わったらクレープ食べに行こうよ。奢ってあげる」
「ほんと!?あこ頑張る!」
食べ物につられちゃうなんて、やっぱりあこは高校生になっても変わらない。
とってもかわいい後輩だ。
「燐子も一緒にどう?」
「…はい……ご一緒させて…ください……」
その回答にアタシは微笑んだ。
「よーし!それじゃあ残りの時間も頑張ろう!」
「うん!頑張る!」
「……はい……」
せっかくだから後で友希那と紗夜も誘ってみよう。丸くなったあの二人ならきっと来てくれるはずだから。
そんな思いを抱えながらアタシたちはスタジオ内へ足を運んだ。
スタジオ練が終わり、帰路に着いたアタシたち。いつもだったら分かれ道で二手に分かれているけど今日は分かれることなく進んでいく。
向かうのは駅前。美味しいクレープ屋さんができたことを知っていたアタシはそこにみんなを連れて行こうと思っていた。
「休憩明けの練習から宇田川さんの集中力が増したと思ったらまさかクレープ効果だとは……」
「あこもまだまだ子供ね」
「なんですかそれ!あこもう高校生ですよ!?」
紗夜と友希那の言いたいことがわからないわけじゃないからアタシと燐子は苦笑した。
うちのバンドの最年少は「不満です!」と言いたげに頬を膨らませている。そういうところなんだけどな~。かわいいからいいけど。
「あこは食べ物でつれちゃうからな~」
「そんなことないよ!」
「現状がそうなのによく否定できましたね」
紗夜からの手厳しい言葉にあこは言葉を詰まらせた。
「けどそういう紗夜は去年だったら考えられないくらいあっさり着いてきたよね~」
あこへの助け船を出すためににやにやしながらそう言えばあからさまに眉を顰められた。ため息を吐かれる。
「本当なら本番も近いのだからギターの練習をしたいわ。だけどこの一年で練習後の時間をメンバーに費やすことは無駄じゃないって知ったからそうしているだけよ」
「紗夜……」
「それに甘いものが食べたくなったんだから仕方ないじゃない」
それは紗夜なりのアタシたちと一緒にいたいという心の表れだろう。
不器用だけど紗夜がアタシたちに歩み寄ろうとしてくれているという行動の表れ。
それが嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。
一年前の紗夜に聞かせてあげたいくらいだ。
「リサ、そのクレープ屋さんというのはあとどれくらいで着くの?」
「そうだね~ここからなら五分もかからないと思うよ」
目的のクレープ屋さんまであと少し。混んでいないといいんだけど……。
そう思いふと周りを見渡した。
見覚えのある姿があった。何か年下であろう女の子と話しているよう。ただその姿は少しだけ困っているように見えた。
「今井さん!」
アタシの存在に気付いた彼はアタシの方にまっすぐ向かってくる。その表情は安心しているみたいだった。
「よかった。ちょうどいいタイミングにいて」
「どうしたの芹沢くん。何か話してたみたいだけど」
「実は、ちょっと大変なことになってて……今井さんが来てくれてよかったよ」
「芹沢先輩!その人誰ですか!?」
アタシたちの会話をぶった切って現れたのはさっき芹沢くんと話していた女の子だった。芹沢くんのことを先輩と呼んでる辺り後輩に間違いない。制服的にうちの学校の後輩だろう。後輩なのにアタシたちのことを知らないのは珍しいし、これは確かに大変だ。
「もしかして芹沢くん、また告白されたの?」
「う、うん。何回も断ってるんだけど納得してくれなくて……」
「なんて言って断ったの?」
「彼女がいる、って」
「写真見せてくださいって言って、持ってないって言われたら疑うに決まってるじゃないですか!」
あ、そう言えば水族館行った時に写真撮ったのに芹沢くんに送るの忘れてた。芹沢くんには悪いことしちゃったなーと反省する。
目配せをすればお願いと言われた気がしたからアタシはスマホをいじってその子に見せる。目を丸くした。
「な、なんですか……」
「これキミが見たがってた写真。よく撮れてるでしょ?」
「どういうことですか」
ありゃ、わからないんだ。写真見せればわかってくれると思ってたのに。
そう思っていると後ろから芹沢くんに抱きしめられた。首の前で腕を交差していて距離が近い。驚いた声が複数、アタシの耳に届いていた。
「この子が僕の彼女なんだ。僕がリサのことを好きってことに変わりはないから、僕のことは諦めてくれない?」
間違いはない。半分くらい間違っている。わからない。芹沢くんの本心がどこまでなのか。けど好きと言われて嫌な気分にはならなかった。突然の名前呼びに心臓がドキドキと音を立てていた。
相手に対する効果は抜群で、早々と逃げて行った。その後ろ姿を見て、芹沢くんは拘束していた腕を解いてくれる。
「ごめんね今井さん。急に抱きしめちゃって」
即座に謝られた。別に謝るようなことじゃないのに。彼は真面目だ。
「いいって。あいかわらずモテモテだね」
「気持ちは嬉しいけど断る身にもなってほしいよ……」
アタシが笑えば芹沢くんはわかりやすく肩を落とした。モテるってのも大変なんだと察する。特に芹沢くんは心優しいから告白を断るのにも苦労していそうだ。
「……あの、今井さん。色々説明してもらってもいいですか?」
「へ?」
名前を呼ばれて振り返る。
驚き、呆れ、赤面、どぎまぎ。それぞれが違う表情をしていてアタシは苦笑いを零した。
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紅の鼓動
Roseliaのメンバーにアタシたちの関係を話してからちょうど一週間が経った。アタシたちの関係を最初は不審に思っていた紗夜だけど芹沢くんと話してみて彼が悪い人ではないことをわかってくれたみたいだった。あこに関してはめちゃくちゃなついていた。友希那と燐子はあまり不安そうにしていなかったし大丈夫だろう。
この普通じゃありえない関係を認められている不思議な空間。みんなアタシたちなら心配ないと思ってくれて安心だ。
そんな彼との関係は始まったばかり。
「入ってよ芹沢くん」
「う、うん。お邪魔させてもらうね」
今日もまた、初めての経験をする。
事の始まりはつい昨日。芹沢くんと一緒に帰っている時だった。
「今井さんって普段何してるの?」
「普段?」
「バンド練習がない日、学校から帰って何してるのかなーって」
突然の芹沢くんからの問いにアタシは頭を悩ませた。
何って言われてもいつも決まって何かやっていることがあるわけではない。そりゃあ宿題だとかはやるけど、特別なことは何もない気がする。もちろんベースの練習はするけどきっと求められている答えはそれではないだろう。
「んー……」
「そんな深く考えなくてもいいんだけど……」
後頭部を掻きながら考えているアタシに芹沢くんは苦笑していた。
じゃあ趣味とかある?と返答しやすい問いに変えてくれる。
「趣味かぁ……」
「何かあったりする?」
「ん~。ベースもそうなんだけど、お菓子作りはよくしてるかな」
「お菓子作り?」
「そう」
「何作るの?」
「クッキーが多いかな。簡単だし、友希那にあげると喜んでくれるから」
「そうなんだ」
ちなみに友希那が一番好きなのははちみつ入りのクッキーだ。それを持って行けばいつだって美味しそうに食べてくれる。それが嬉しくて、友希那の笑顔が見たくてアタシは何度もはちみつ入りクッキーを作ってきたのだ。色々試行錯誤して、友希那が好きなはちみつの割合を見つけ出した。
そう話せば芹沢くんは優しい笑みをアタシに向けていた。
「どうかしたの?」
「ううん。改めて今井さんって湊さんのことが大好きなんだなーって」
その意見にはアタシも頷いた。
今までアタシが行動してきたことは全部、友希那が笑顔になれるように計らった結果だ。
友希那のお父さんのバンドが解散して、音楽を己の力の証明に使おうとしていた。楽しいだとかそういう感情を置き去りにして技術だけを磨いて、自分の歌を好きになれなかった友希那。そんな友希那の隣にずっといたのにアタシは何もできずにいた。
それを変えたのは間違いなくRoselia。紗夜と燐子とあこ。音楽に縋り付いていた友希那にバンドで奏でる音楽の楽しさを教えてくれた。友希那のことを諦めず、待ってくれた。このメンバーで頂点を取りたいと願ってくれた。感謝しかない。
アタシ一人では絶対にこうはならなかった。今のメンバーだから、アタシたちは今もこうして活動できているのだと思う。
アタシがやってきたことは無駄ではないと知った。アタシがみんなと親睦を深めるためにと持って行ったクッキー。それは始まりだった。
いつの間にかみんなのまとめ役になっていたアタシ。普段なら紗夜がどうにかしてくれるようなことでもアタシを頼ってくれるようになった。
アタシは必要とされている。その事実が嬉しくて。
日々の努力の結晶。昔のアタシのおかげで今、アタシは友希那の隣にいられる。
ただ純粋に嬉しくて。技術もまだまだなアタシをRoseliaにいさせてくれる。その事実がアタシの心を動かして、そして今もみんなのためにできることを探している。
「友希那もそうだけど、Roseliaが好きなんだ」
「うん。伝わってくるよ。幸せそうな顔してる」
緩む頬は隠し切れなくてすぐにバレてしまう。それでいい気がした。
「そう言えば僕、今井さんのベースの演奏ってあんまり見たことないんだよね」
「あれ、そうなの?」
「うん。ライブに行く機会もなくて全然見たことないんだ」
けどまあ同級生でライブハウスに通ってたりする子は多くないから仕方ない。むしろ知ってくれているだけで感謝ってくらいだし。
というかそれはアタシのベース演奏が見たいって意思表示ってことでいいんだろうか。そう言うことだろうか。
「芹沢くんはアタシの演奏見たい?」
「うん。できれば見たいかな」
「この後時間ある?」
「え?あるけど……」
困惑顔の芹沢くん。その手を引く。
「ならうちに来てよ」
「……へ?」
見たことない驚いた表情にアタシは笑いかけた。
そんな芹沢くんを引っ張ってアタシは家への帰路を歩く。歩いていたのは家の近くだったからすぐに着いた。
「ここがアタシの家なんだ~」
「そ、そうなんだね……」
芹沢くんから手を離してカバンから鍵を取り出し鍵穴に差して回す。扉を開いて芹沢くんを連れ込む。防犯のために鍵を掛けた。
「芹沢くん。先に部屋に行ってもらってもいいかな。階段上がってすぐの部屋だから」
「わ、わかった」
アタシは芹沢くんに持っていたカバンを手渡してリビングに向かった。
冷蔵庫から作り置きしている麦茶を取り出して二つのコップに注ぐ。棚からお菓子を出してコップと共にお盆の上に置いた。
テーブルの上にはお母さんからの置き手紙。内容は夜遅くまで帰って来れないから自分で夕飯を作って食べてほしいというもの。お父さんは昨日から出張で地方に行っているから今日は家に一人で間違いなさそうだ。
今は芹沢くんがいるからいいけど、あとで友希那と話でもしようかな。
階段を上がって部屋の扉を開く。
何故かカバンを持ったまま座りもせずそわそわしている芹沢くんがいた。
「あ、い、まいさん、おかえり」
「うん。えっと……?なんで立ってるの?」
「いや、別になんでも」
「そう?あ、カバンありがとう。芹沢くんも好きなところに置いてていいからね」
「あ、ありがとう……」
アタシがローテーブルの上にお盆を置き座れば同じタイミングで芹沢くんも座った。部屋中をきょろきょろと見回していて落ち着かない様子だった。
そんなことされるとアタシも落ち着かない。
「せ、芹沢くん。あんまりジロジロ見られると恥ずかしいんだけど……」
「ご、ごめん!……女の子の部屋に入ったの初めてで……」
緊張しちゃって。という芹沢くんは恥ずかしさと苦笑いが混ざったような表情をアタシに向けた。そんな顔するんだ、と驚く。
麦茶とお菓子の入った入れ物を差し出せばお礼の言葉が返ってきた。
「芹沢くんって彼女いたことないの?」
「うん。今井さんに頼んだのが初めてだよ」
「いやいや。これは数に入れていいの?」
「いいんじゃないかな。一応形式的には付き合ってるんだし?」
にしても芹沢くんに彼女がいたことないなんて。よく告白されてるからいるもんだとばかり思っていた。
「あの日聞きそびれてたんだけど今井さんは今好きな人とかいないの?」
「それ、いるって言ったらどうするのさ」
「……他の子に頼む?」
「多分そんなことしてくれる子、いないと思うよ?」
「だよね……」
芹沢くんのことを好きでもない子がそんな話を受けても困惑するだけだということは目に見えている。芹沢くんを好きな子たちなら喜んで、って感じだろうけど三か月だけの短期間の間だけ付き合ってほしいって言う願いを聞き入れてくれる保証はない。それにそれが仮に受理された時、その話が出回って芹沢くんに変な噂が立つのは困るだろう。
アタシはカレシも好きな人もいない。あくまでも芹沢くんへのお礼として付き合っているだけに過ぎないのだ。
「そもそもアタシは好きな人がいたらこの話断ってるからね?」
「まあ、それもそうだよね」
好きな人にアプローチをしつつ芹沢くんの恋人のフリをするなんてむちゃぶりにもほどがある。それができちゃう器用な子はいるんだろうけど少なくともアタシには無理な話だった。
「ていうか、そういう話しに来たんじゃないじゃん。アタシのベースの演奏、聞きに来たんでしょ?」
「うん。早速だけど聞かせてもらってもいい?」
了承の言葉を返しアタシはケースに入れていた深紅のベースを取り出す。床に座りながらだと弾きにくいからベッドに腰掛けチューニングを始めた。ちょうど芹沢くんの頭がベース本体と並ぶ。
「そ、そこで弾くの?」
「近くの方が音も聞こえるから。いいでしょ?」
いくらアンプに繋ぐからと言って遠くにいく必要はない。それほど広くはない室内なのだから隣にいるのも離れるのも大差ないだろう。なら近くで見せた方がいいと言うものだ。
「まあ見ててよ。こんな近くで演奏を見せるのはバンド仲間以外だと初めてなんだから」
イタズラっ子のように口角を上げるアタシはベースを奏でる。
ベースの音と激しく高鳴る心臓の音が響いていた。
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イタズラ笑顔
「いらっしゃいませー」
「らっしゃっせ~」
店の開閉音が店内に響き渡ったのをきっかけにアタシは慣れた口調で挨拶をする。一緒の時間帯で働いている隣の後輩はまた謎めいたチャレンジをしているらしくテンプレートの挨拶をだいぶ崩していた。店内にかかるBGMを背にレジに並ぶお客さんの接客をする。
アタシの働いているこのコンビニはうちの学校から近いから夕方から羽丘の制服を着た人の数が各段に増える。顔見知りもよく利用するから勤務中に少し話すことも多々あった。
今年は夏前から外は暑くて、空調設備の整った快適な空間はとても働きやすい。
「リサさ~ん。最近Roseliaはどんな感じですか~?」
「んー?いい感じだよ。みんな今度のライブに向けて気合入ってるからさ」
「おおー!奇遇ですね。Afterglowも蘭なんて特に燃えてますよ~」
「あははっ。ほんと?」
「はいー。やっぱり湊さんがいるからですかね~?」
蘭ってなんだかんだで本当に友希那のことが好きだなーと思う。
RoseliaとAfterglowの対バンがあって、お互いに高め合って成長して、今ではいいライバルになれたはずだ。そりゃあ未だに勘違いして友希那と蘭がケンカしているところ、というか蘭が友希那に突っかかっているところをよく見るけどそれはあくまでも友希那のことを尊敬し認めているからだろう。友希那が嫌な顔せずに今も仲良くできているのはそういうことだ。アタシたちもAfterglowのみんなも遠目から見て微笑んでいるくらいだし。
「今回は久しぶりの五バンド合同開催だもん。アタシだってテンション上がるよ」
「パスパレ、今めちゃくちゃ売れてるのによくスケジュール合わせられましたね~」
確か学校で昼休みに日菜から聞いた話では、彩が香澄からライブ参加のお誘いを貰ったらしくて、それを千聖に相談して、その話を聞いた日菜が紗夜が出るし楽しそうだから参加したいって言いだして、だけど仕事の都合が……って言ってた千聖に阻まれて、だけどイヴや珍しく麻弥がノリノリだったことに折れて事務所に相談してくれたそう。
千聖も昔のままだったら絶対に出なかっただろうに。いい感じに軟化したみたいだ。
それを伝えればモカは納得したように頷いた。
「千聖先輩、意外と簡単に折れたんですね」
「パスパレも色々あったから成長したってことじゃない?」
自分の考えだけが正しいと信じすぎてはいけない。他のメンバーを信頼して、時には背中を任せる。それができる関係性は少なくて頻繁に出会えるものではない。だから出会えて、成長できたのは良いことだ。
てかまあ、なんだかんだ甘いよね千聖って。
「というか、パスパレ出るのに今回のライブハウスでいいんですかね。キャパ足りますか?」
「普通に足りないと思うよ。パスパレのファンが圧倒的に多いだろうし。けどそれはどうにかなるんじゃない?」
「まあファンの数で言えばRoseliaも結構いますからね~」
「それはAfterglowもでしょ?」
「否定はしませーん」
バンドを結成して一年近く経って、色々なところでライブをしているだけにファンも増えてきた。ライブの度に顔を見る子もいて嬉しい限りだ。
「そもそもRoselia、Afterglow、Poppin'Party、ハロー・ハッピーワールド、Pastel*Palettesの五バンドが揃ってライブをすること自体が恒例になりつつあるもんね」
昔CIRCLEでやった合同ライブが大成功してからというもの、定期的にこのメンバーでライブをやるようになったのは事実。パスパレは仕事の関係上参加できないこともあったけど、それでも出られる時は出てもらっていた。だからこそこの五バンドの演奏を見るために集まるファンも少なくない。チケットに関しては完売間違いないだろう。本来はもっと大きなライブハウスの方が良かったのだろうけどこれはライブハウスの予約の問題もあるし仕方がない。
「今回のセトリってどうなるんですかねー」
「いつも通りバンド単位で演奏して、最後に全体曲じゃない?」
「ということは今回も順番くじやるんですね~」
「それも恒例だからね」
前回はハロハピで始まってポピパで終わった。今回はどうなるのか来週の全体練習で決まる。それによって多少曲順の変化もあるんだしそれも含めて楽しみだ。
コンビニの自動ドアの開閉音。それに向かって挨拶をすればそこにいたのは最近見慣れた影。
「いらっしゃいませ~……って芹沢くん」
「やあ今井さん」
店に現れた芹沢くんはアタシに軽く手を振る。それを振り返せば芹沢くんは微笑んで店内を回り始めた。隣のモカが「ほほぅ」と企んだような声を出した。
「どうしたのモカ?」
「今のは芹沢先輩じゃないですか~。リサさん仲良しなんですか~?」
「え?まあ仲はいい方だと思うけど、モカ、芹沢くんのこと知ってるの?」
「そりゃあ知ってますよ~。芹沢先輩と言えば学年問わずファンの多い人じゃないですか~」
ファンクラブもあってうちのクラスの子がよく話してますよ?なんてモカは言う。正直ファンクラブなるものがあること自体初めて知った。芹沢くんどんだけ人気者なの。学年問わずなのはなんとなく察してたけど何したらそこまで認知されるわけ?
疑問は募るばかり。
「芹沢先輩と親しくしてる子がいるって言ったらクラスの子も気が気じゃなくなるんじゃないですかね」
「そ、そんなに?というか芹沢くんと親しくしてる人なんてたくさんいると思うんだけど……」
「そうなんですか?」
「うん。何かやる時も率先して手伝ってくれるしむしろ親しくしてない子の方が少ないじゃないかな」
いくらモテていても人がいいから男子生徒であっても彼を嫌いだと言う人を見たことがないのが現実だ。
正直、ここまで完璧だと逆に怖いくらいだけど。
「……タラシなんですか?」
「モカ、言い方には気を付けた方がいいと思う」
「さーせ~ん」
多分その言葉は一番彼に似合わないものだろう。
……前半に天然という文字がつけば話は別かもしれないけど。
「けどリサさんはずいぶん仲良さそうでしたね」
「まあ同じクラスだからね。席も近いからよく話すし」
「あとは僕がRoseliaの演奏が好きだからだね」
「うわぁ!芹沢くん!?」
アタシたちのやりとりの間に割り込んできたのは芹沢くんだった。突然の登場にバイト中だということも忘れ驚いてしまう。隣のモカは「失礼しました~」と謝罪の声を上げていた。
「……ひどくない?」
「ご、ごめん。急に出て来たからびっくりして……」
「僕以外のお客さんにはやっちゃダメだよ」
苦笑い気味の彼にアタシは謝る。それを気にしていないのか彼は持っていたカゴを置いて「お会計お願いします」と言う。アタシは慌てて商品をレジに通していく。
「そうだ今井さん。今日のバイトって何時までなの?」
「へ?あーあと十分くらいで終わるよ?」
「そっか。なら一緒に帰らない?少しずつ日が落ちる時間が長くなってるとは言っても危ないし家まで送っていくよ」
芹沢くんはニコッと笑顔を見せる。確かにありがたい話ではあったけどさすがに恋人役というだけでそこまでさせるのは気が引けてしまう。
「いや、いいって。だってそれじゃあ芹沢くんの帰りが遅くなっちゃうし」
「僕が好きでやってる事なんだから気にしなくていいのに」
「そんなこと言われてもアタシは気にしちゃうの」
「じゃあさ……」
遠慮するアタシに対して芹沢くんはこちら側に身を乗り出した。アタシの耳元に初めて見るイタズラな笑みを向けながら近づいて、こそこそと秘密の話をするように口元に手を添えて言葉を発した。
「彼氏からのお願いってことにしといてよ」
「ぇ……」
「大好きなリサに、かっこいいところ見せたいんだ」
そう言って芹沢くんは離れる。やけに満足げな表情。
ズルいと思った。
「ダメ、かな?」
そう思っていた矢先打って変わって、少し困ったような表情で首を傾げていた。
本当にズルい。そんな表情でその言葉言われたらアタシは拒めないじゃん。
おそらく真っ赤になっているであろう顔をアタシは縦に振る。「よかった」なんて言って優しく笑う彼。
ころころ表情を変えて、人の心を左右して、だけどそれを悪くないと思ってしまっているアタシはきっと今の関係が好きなのかもしれない。
ただ一つだけ、撤回させてほしい。
「それじゃあ今井さん。僕は外で待ってるね」
芹沢くんは絶対タラシだ。
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アタシを選ぶ理由
学校でクラスメイトと話している時のキミ、アタシと話している時のキミ。
同じなようで全然違う。そうだと気が付いたのはつい最近のこと。
クラスメイトと話している時の芹沢くんは紳士的。
誰と話していても相手が傷つくようなことは絶対に言わない。優しく笑って、相手の言葉を肯定しつつも自分の意見はしっかり持っている。何か相談事を受けているのなら相手の言葉を待って助言の言葉をかけるだろう。みんなを信頼していた。
それは教師たちも同じこと。優等生の芹沢くんを気にかけている教師は多い。将来有望だとかよく言われているところを目にする。その度に芹沢くんは笑顔を向けていた。
けど、アタシと話している時はどうだろう。
告白された時。デートに行った時。駅で偶然会った時。部屋に招いた時。バイト先に現れた時。全部、初めて見る表情だった。
赤く染まった顔。緊張に震える身体。アタシを見つけた時に安心したように力が抜け、部屋では慣れない空間に戸惑って。と思ったら顔を近づけて大胆なセリフ。
きっとクラスメイトが見たら驚くだろう。芹沢くんを好きな子たちが知ったら恨まれるかもしれない。それくらい、彼の見せる顔は学校とは違って。多分、アタシの特権。だからこそわからなくなることもある。
「え?僕が今井さんを選んだ理由?」
放課後の教室。日誌を書いていた芹沢くんは顔を上げアタシの問いに首を傾げた。
そんなにわけのわからない質問でもないのになーと思う。
「うん。だって真面目で芹沢くんをただのクラスメイトだって思ってる子はたくさんいるじゃん?それなのにどうしてアタシを選んだんだろうなーって」
ずっと疑問だった。口の堅いクラスメイトはアタシの他にもいる。別にクラスメイトに限らず隣のクラスや他校の人でもよかったはずだ。
そもそもアタシは芹沢くんと釣り合うと思ったことはない。
芹沢くんは優等生でアタシはギャル。教師に褒められる注意されているアタシ。その二人が付き合うのはアンバランスで、きっとみんなに知られたら不思議に思うだろう。
芹沢くんと仲のいい女子は他にもいる。だからこそわからなかった。
どうして彼はその子たちに頼まなかったのか。興味本位ではあるが知りたかった。手伝っているのだから教えてくれてもいいと思った。
「そうだね……」
芹沢くんは頭を掻いて苦笑する。「これは僕の勝手な想像だから怒らないで聞いてほしいんだけど」と続けられ今度はアタシが首を傾げる番だった。
「僕の思い描いてた今井さんって、モテる人だったんだ」
「へ?」
「見た目で判断していたから偏見だったって今ならわかるんだけど僕の中で今井さんは日常を楽しんでいる人だった。友だちに連れられて始めて行ったライブハウス。誘ってた人が来られなくなったから代わりに呼ばれて、正直興味なんてなかったんだ。
中に入れば女子だらけの空間。少しだけ居心地が悪くて、本当はすぐに帰りたくて。ライブが始まってからの熱気が息苦しくて。本気で帰ろうかと思った時にRoseliaが現れた。
クラスでも話題になってたしバンドを組んでることは知っていた。けど見るのは初めてで。
今井さんたちの演奏を見て、世界が変わった気がした。同年代の、それも女の子たちがこんなに迫力あってかっこいい演奏をするんだって本気で感動した。
僕たちのいるところから物理的な距離は遠くない。なのに君はとても遠い人のように感じられた。
それがきっかけで僕は今井さんに積極的に話しかけるようになった。僕は憧れてたんだ君に。だからそれに少しでも近づきたかったのかもしれないね」
芹沢くんは照れたように笑っていた。顔に熱が集まるのを感じた。
「僕が君を選んだのは、とっても私的な理由だよ。君のことを知りたかったから。例え恋人のフリだったとしても同じ時間を過ごせば僕の知らない君を知れると思ったから」
聞く人が聞けば告白にもとれるその発言。それをいい顔で言うんだから他の人に聞かれたら勘違いされそうだ。
芹沢くんはアタシのことが気になるということだろう。けどそれは人として、クラスメイトとして。恋愛対象ではきっとない。
「こんな理由に今井さんを付き合わせていることは正直申し訳ないと思ってる。けどそれでもこの気持ちに嘘はないから」
「そっか……。面と向かってそう言われたのは初めてだから、なんか照れちゃうね」
「それはごめんね」
「いいよ別に。嬉しかったから」
Roseliaを見て憧れを抱いてもらって嬉しくないわけがなかった。
だからちょっとしたプレゼントをあげようと思った。
「芹沢くん。これ、あげる」
「え?これって……」
「うん。Roseliaのライブのチケット」
アタシがカバンから取り出したのは七月十五日に行われるライブの関係者席のチケットだった。次のライブの会場は一階が一般客、二階が関係者席になっている。正直一階はオールスタンディングだし見えない可能性もある。だから二階席の方が見やすいのだ。関係者の特権だと思う。
元々は親を呼ぶ用でもらっていたものだったけどあいにく仕事があるらしい。偶然余ってしまったチケットだし、Roseliaの演奏を見てもらうにはちょうどいい機会だと思った。
手渡せば「いいの?」と聞かれる。親がいけなくなったことを話せば受け取ってくれた。
「ありがとう今井さん。楽しみにしてるね」
芹沢くんは喜んでくれていた。
今までで一番いいものにしなきゃいけないと心に決めた。
「それじゃあ早く帰ろう。アタシ、クレープ食べに行きたいなー」
「お供しますよ」
「やったね!☆」
「早く行かないと暗くなるよね。僕、すぐに日誌書き上げちゃうね」
そう言って芹沢くんは日誌と向き合いペンを走らせていく。そんな芹沢くんのことを頬杖をついて観察していた。
窓から差し込む夕日が彼を照らす。俯いているからあまり顔は見えない。それでも時々上がった顔はとても真剣で。日誌なんて適当なことを書けばいいのに本当に真面目な人だと思った。
目と鼻の先に彼はいる。手を伸ばせばすぐにでも触れられる距離。夕日の差す教室に異性と二人きり。少女漫画でよく見るシチュエーション。少女漫画の主人公の可愛い女の子ならドキドキして何か決定的なシーンがあって告白でもするんだろう。
傍から見たら今の状況のアタシと芹沢くんはそうなってもおかしくないのかな。わかんない。だけど。
「……今井さん。そんなにじーっと見られると書きにくいんだけど」
「いいじゃん別に」
このなんでもない空間が心地いいと思っているのは多分、本心。
アタシは芹沢くんと一緒にいることが楽しいんだ。
「芹沢くん、字キレイだよね。羨ましいなー」
「そんなことないよ」
「そんなことあるって。書道でもやってたの?」
クラスメイトとするくだらない世間話がぎこちなくないのも、きっと相手がキミだから。他のクラスメイト以上に心を許しているから……かな。
芹沢くんと職員室に書き上げた日誌を出してアタシたちは正門を出る。向かうのは駅前。他にもクレープ屋はあるけど芹沢くんは電車通学らしくそっちで買った方が都合がいいみたいだった。
「芹沢くん。芹沢くんは何にするー?」
「うーん。バナナクレープにしようかな。今井さんは?」
「アタシは……うん。ストロベリーチーズケーキにしよっと」
メニュー表には色々な種類のクレープが並んでいた。この前食べた時はガトーショコラの入っているクレープにしたから違うものを食べようと思った。メニュー表に乗っている写真が既に美味しそうだった。
お金を払ってクレープを受け取る。一口食べればストロベリーの酸味とチーズケーキの甘さが合わさってものすごく美味しかった。これは何個でも食べられそうだと思った。
「ん~!美味しい~!!」
「ははっ。いい食べっぷりだね」
「だって美味しいんだもん!」
「今井さん、美味しそうに食べるね。食欲がそそられちゃうよ」
「美味しいのは事実だよ?食べてみる?」
「へ?」
アタシが話の流れで芹沢くんにクレープを差し出せば芹沢くんは固まった。なんだか渋っているように見える。アタシはこのクレープの美味しさを知ってほしいだけなのに。
「食べてくれないの?」
「た、食べる……っ!」
アタシがそう聞けば芹沢くんはアタシのクレープを一口食べた。「どう?」と感想を求める。
「あ、まい……」
真っ赤に染まった表情でアタシから視線を逸らす。なんでそんなに顔を赤くしてるんだろうと疑問を持ちつつアタシはまたクレープにかぶりついた。
芹沢くんの表情はしばらく赤いままだった。
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決意と成長
「へ?主催ライブ?」
「ええ。八月の終わりにやる予定なのだけどどうかしら」
合同ライブまで残り一週間となったRoseliaの練習後。発表があるから聞いてほしいと言った友希那から飛び出したのは予想外のセリフだった。
四月にやったRoseliaの主催ライブ。それの第二弾を開催するらしい。この友希那の言葉には全員が驚いたことだろう。
今までのライブの内容は一から全員で話し合って決めていた。それは一年前のライブの時に予定がずらせない日にライブが決まってしまったというプチ事件があったから。みんなで全部話し合おうというのは暗黙の了解だった。それなのにライブのことを一人で決めようとしているなんてえらく久しぶりのことだった。
「どうと言われても、随分急な話ではないですか?主催ライブの準備の大変さは湊さんもわかっているでしょう。合同ライブも控えている今やるべきことなんですか?」
紗夜の意見はごもっとも。普段の友希那なら目の前のライブに集中するはず。決まっていないライブの話など、しかも一か月後に急にライブをすると言い出すなんてみんなを混乱させるだけだとわかっているから言わないはずなのに。何かあったのだろうか。
そう疑問を抱いていると友希那は息を吐いた。それから「まあ、そうなるわよね」と言葉を続ける。
「あなたたちメンバーに隠していてもいい話ではないもの。ちゃんと一から話すわ」
友希那はカバンをガサゴソあさって一枚の名刺を差し出した。代表して紗夜が受け取る。その名刺にはそこそこ名の知れた音楽会社とプロデューサーの名前があった。アタシは見たことのある音楽会社だと思った。
「湊さん。これは?」
「昨日、家にこの音楽会社のプロデューサーが来たの。
Roseliaをプロのバンドマンとしてスカウトしたい。そう彼は言っていたわ」
その言葉に友希那以外の全員が息を呑んだ。
Roseliaをスカウトする。それはすなわちアタシたちの音楽がプロの人たちに認められたということ。嬉しくないはずがない。
「ゆ、友希那さん!その話本当ですか!?」
「ええ。ぜひ契約してほしいそうよ」
「……へ、返事は……したんですか……?」
「ええ。とっくにしたわ」
「受けたんですか?」
「いいえ。断ったの」
さらに衝撃的なセリフ。さっきとは違う意味で驚いた。
「どれだけの待遇、契約金を積まれても一切首を縦に振る気にはなれなかったわ」
「何か気になることでもあったの?」
友希那だってプロの契約を軽率に断ってしまうほど何も考えていないわけじゃない。前にスカウトされた時だって色々考えて答えを出したんだ。即決してしまうなんて友希那らしくない。音楽のことでならなおさらだ。
それは全員が感じた違和感だったらしい。
「リサはわかっているかもしれないけどこの音楽会社は昔、お父さんが所属していた場所なの」
三人が息を呑む中、アタシだけはやっぱりかーという確信に変わる。そりゃあ見たことあるはずだよね。昔、友希那の家に遊びに行った時にその音楽会社の人と話しているところを見たことあったし。
「湊さんのお父さんに何があったのか、それは理解しているつもりです。ですけどまさかそんな理由で断ったわけではないですよね?」
「当たり前でしょ。いくらお父さんのことがあったからと言ってそんな私的な理由でスカウトを断ったりしないわ」
「ではどうして?」
「まず一つは、私が思うRoseliaはもっと高みを目指せると思ったから。プロの誘いを受けて万が一にでもそのレベルで満足されたら困るもの。
二つ目は、私たちがまだ高校生であること。Roseliaで頂点を目指してはいるけれどそれはあくまでもバンドとして。ここで目指したい夢があるのならそれを追うべきだと私は思っているわ。あこに関してはまだ高校生になったばかりだもの。決めてしまうには早すぎるわ」
友希那の発言はアタシたちのことを考えてくれた結果だった。そんなことを思ってくれていたとは思っていなかった。胸の奥が熱くなる。あこに関しては少し涙目になっていた。
「けどそれは私の考えであって全員が了承したのならすぐにでもプロになれたかもしれないわ。
あの発言がなければね」
「あの発言?」
「私がスカウトを断った最大の理由は、彼が私たちの音楽をバカにしたからよ」
「「「「っ!?」」」」
正直何を言っているんだと思った。スカウトした人たちのことを馬鹿にするなんてどうかしている。
「高校生にしては上手いと言うだけ。お前たちくらい上手い、それ以上のバンドマンなんて他にもいる。まだまだ未熟な演奏。そんなお前たちがプロになるために俺たちが力を貸してやると言っているんだぞ。それを断るだと?侮辱しているのか。
散々なことを言われたわ。今、人気のあるバンドがプロになれば売れる。それが高校生なら簡単に言いくるめられる。そうとでも考えていたんじゃないかしら。いくら契約金を積まれても私たちへの利益があるようには思えなかったわ。侮辱しているのはどちらかしらね」
友希那の言い分はすごくわかった。
アタシたちはアタシたちの音楽で頂点を目指している。それがアタシたちの歌でなければ意味はないということ。多分、全員が共通の認識だったのだろう。
「別に私一人に対していっていることだったならここまで怒ったりしないわ。だけどこれはRoselia全体を馬鹿にしていた。私たちの今までの苦労、決意、努力。何も知りやしないのに偉そうなことを言うんだもの。そんな
だから私は、八月にライブをしたいの。彼を招待して彼にRoseliaの実力を見せつけたい。バカにしていた高校生が最高のステージを見せたら、何を思うんでしょうね」
珍しくブチ切れた友希那の言葉に全員が黙ってしまう。幼なじみのアタシだから言えることは過去一番キレているということ。友希那がこんな皮肉を言う日が来るなんて思ってもみなかった。
「無理を言っているのは理解しているつもりよ。合同ライブもあるし期間はほとんどないに等しい。セトリも、どんなライブにするのかのコンセプトも決まっていない。無謀すぎるとは思う。下手したら失敗することだってありえるわ。
ただそれでも私はやりたい。彼を見返したいということもあるけれどあなたたちと一緒にまたあの景色を見たいの。
無理なら、無理と言って。もし誰か一人でも無理と言うのなら私はライブはしない。けどもしもライブをしてもいいというのなら、私を信じてついてきてほしい」
友希那はまっすぐにアタシたちを見つめる。その瞳に迷いはなかった。
「はぁー。そんなの最初から答えは決まっています」
「え?」
呆れたようなため息をつく紗夜に友希那は目を丸くした。アタシは「そうなるよね~」なんて言って笑う。
「私たちは貴方が選んだ最高のメンバーです。リーダーが決めたことに妥協なんてするはずがないでしょう」
「……私たちは、ずっと……友希那さんに……ついていきます……!」
「そうですよ友希那さん!あこたちはちょーかっこいい演奏を見せるだけです!」
「友希那がRoseliaを大切に思っているのと同じくらいアタシたちだってRoseliaが大切なんだもん。言われっぱなしは嫌だからね」
それに見返してやりたいのはアタシたちだって同じだ。
「最高の演奏を見せつけましょう」
紗夜がいつになくイタズラな笑みを浮かべて言う。
「……私たちは……頂点を目指すバンド、ですから……!」
燐子がいつも以上に自信ありげに言う。
「今のあこたちなら誰が相手でも敵なしですよ!」
あこが元気に明るく言う。
「やろう友希那。最高な景色をアタシたちで見るために」
アタシが過去を思い出して言う。
さっきまでの怒りはどこへ消えたのか。友希那がクスっと笑みをこぼす。なんだか吹っ切れたように見えた。
「練習、厳しくなるわよ」
「上等です」
「やることも多いわ」
「……分担して……やりましょう……」
「お客さん、来てくれるかしらね」
「あこ、学校中に呼びかけますよ!」
「成功するかしら」
「あははっ。珍しく弱気だね」
「時間がないんだもの。弱気にもなるわ」
前までなら友希那は溜め込むだけ溜め込んで、爆発していただろう。きっとアタシたち四人も同じ。だからこそこうやって、面と向かって何かを言い合える空間ができたことが嬉しかった。
「だけど、やるからには全力で完璧にやり遂げるわよ」
全員が頷いてそれに対して友希那が微笑む。
アタシたちの新たな決意。ちゃんと五人で踏み出せそうだった。
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デュアリズム
ライブはいつだって気合が入るけど今日はいつも以上だった。
芹沢くんが見に来る。とっても近くにいるアタシのファンに最高の演奏を見せてあげたかった。
普段ならそれなりにする緊張も今日はしていなくて、芹沢くん効果かな、なんてよくわからないことを思う。
「あなたたち、準備はいいかしら」
「もちろんだよ~」
「ええ」
「ばっちりです!」
「……はい……」
ステージ袖で友希那がアタシたちの気合を入れる。それを聞くのがアタシは好きだ。だって楽しいステージが始まる合図なのだから。
「今日はPoppin'Party、Pastel*Palettes、Afterglow、ハロー・ハッピーワールドの四バンドとの合同ライブ。とは言え、合同ライブだからと言って特別なことは何もないわ。私たちは私たちの演奏をするだけよ」
アタシたちの出番は三番目。Poppin'PartyとAfterglowが場を盛り上げた後がアタシたち。そして今回は少しだけAfterglowのステージに少しだけお邪魔させてもらう。
歓声が上がった。Afterglowもそろそろ終盤らしい。つまりアタシたちの出番だ。
「それじゃあ、行くわよ」
友希那が舞台に上がる。その後にアタシたちも続いた。
ステージは十分に温まっていた。上がっていた歓声が困惑に変わって、そしてまた歓声に変わる。観客からしたらアタシたちの登場は予想外だろう。
一方のアタシたちの心臓はバクバク動いていた。緊張はもちろんしている。同時にワクワクしているメンバーもいることだろう。なんせ初めての試みなのだから。
「湊さん」
「美竹さん、あなたたち盛り上げたりないんじゃないかしら」
「はい?」
珍しく放たれたのは友希那が誰かを煽るような言葉。それを聞いた蘭の表情が変わる。その顔にアタシは笑みが零れた。
「まさかそんなことを言うためだけにあたしたちのステージに入ってきたんですか?」
「ええ。確かにあなたたちの音楽はレベルアップしている。けどまだまだ観客を盛り上げるのには力が足りていないわね。そんなんじゃ私たちの足元には及ばないわ」
「へぇ、そんなこと思ってたんですか。いくらRoseliaの音楽がすごいと言ってもその発言は認められないですね」
蘭と友希那がライバル、と言うか、蘭がよく友希那に噛み付いていることは最近ファンにも知られ始めている事実。前にやった対バンに来た人たちならよく知っていることだろう。一部のファンが怯え気味なのがステージ上からでもわかる。
「AfterglowはRoseliaの音楽に負けてません」
「あら、そうかしら?」
「証明して見せましょうか」
「余程自信があるのね」
「それは湊さんもでしょう」
蘭がギターのストラップを肩から外して袖にいたスタッフさんに渡す。
スタンドに刺さっていたマイクを蘭が外せばスタンドをスタッフさんが回収していった。
その行動に所々で声が上がった。何をやるのかみんな楽しみのようだ。
「後悔しても知りませんよ」
「それは私たちのセリフよ」
友希那がアタシたちを見る。
蘭がAfterglowを見る。
頷いて、メンバーを見渡して。
Afterglowの同じ楽器担当と視線を合わせる。
ドラムのカウントが聞こえる。
それに合わせてアタシたちは楽器をかき鳴らす。
蘭から始まりすぐさま友希那が歌い出す。元々男性と女性のデュエット曲なのだからパートで高低差がある。二人は地声が低めだけど音域が広いからどちらのパートでも問題なく歌えただろう。ただ二人に決めさせるとキリがなかったからアタシたちが適当にくじを引いて決めた。今思えばそれでよかったと思う。
観客の盛り上がりは先ほどと比べ物にならない。きっとアタシたちの演奏だけではここまで盛り上げることはできないかもしれない。RoseliaとAfterglow、二バンドの力が合わさってできている。
段々大きく早くなっていく歓声とコールにビリビリと痺れる。
これが友希那と蘭のアイディアだと知ったらファンはどう思うんだろう。驚いて倒れちゃうかな。
横目で合わさる目線。蘭はわかりやすく楽しそうに口角を上げていた。アタシは友希那の横にいるから友希那の表情は見えないけど、多分似たような顔になっていると思う。だってなんだかんだ二人って似た者同士だから。
歓声が上がる。それに混じる黄色い悲鳴。これはファンが増えちゃったんじゃない?
アタシのそんな冷やかしはボーカル二人の拳を合わせるという行動でかき消された。
はっきり言ってライブは大成功だった。バンドの演奏も今まで以上に楽しくて、観客もアタシたち的にもどきどきするライブだったと思う。
特に蘭と友希那のデュエットは好評でライブ終わりの楽屋でもその話題で持ちきりだった。
「蘭ちゃん!すっごくかっこよかったよ!」
「うん。とってもかっこよかった!」
「あ、ありがとう……香澄たちも演奏よかったよ」
「友希那!あなたの歌声とってもかっこよかったわよ!」
「ああ。さすがは歌姫、と言ったところだろうか。儚い」
「まだまだ改善するべき点は多いのだけれど、ありがとう」
蘭と友希那は他のメンバーに囲まれていて動けなさそう。いつもはぶっきらぼうな二人も今日は素直にみんなからの言葉を受け取っている。二人としても手ごたえはあったんだろう。ノリノリで拳合わせてたし何よりも楽しそうだった。ファンの見方も少し変わったんじゃないかな。
「今井さん、いつまで衣装のままでいる気ですか?」
「紗夜」
「あまり長い時間居座り続けるのはよくないと思うわ」
制服姿の紗夜がアタシに声を掛ける。その後ろには同じく制服姿のあこと燐子がいた。パスパレのみんなもほとんど着替えている。
紗夜の意見は正しいしアタシも着替えることにした。
全員が着替え終わって、解散して外に出ればそこには芹沢くんがいた。何やらAfterglowのメンバーと話している様子。アタシの存在に気付いた彼はひまりにお礼を言ってから近づいて来た。
「今井さん一緒に帰ろう」
「芹沢くん。もしかして待っててくれたの?」
「もちろん。女の子だけで夜歩くのは危ないからね。お供しようと思って」
「ありがとう」
「あとはライブのこと話したかったから」
そう話すアタシたちを見て、友希那が呆れたようなため息を吐いた。ため息を吐く理由がわからなくて首を傾げる。
「翔。リサのことちゃんと家まで送り届けて」
「言われなくてもそうするつもりだよ。というか、友希那も同じ方向でしょ。送って行こうか?」
「結構よ。二人のその空間に私を入れようとしないで」
「あいかわらず僕に冷たいね」
「普通よ」
なんだか険悪な雰囲気が二人の周りに漂っていた。
あれ?友希那って芹沢くんのこと苦手だったっけ?ていうか名前呼び?いつの間にそんなに親しくなったの?前話したときは湊さんって呼んでたのに……。
「今井さん、行こうか」
「え?う、うん。みんなまたね~」
芹沢くんの声に反応してアタシはみんなと別れ帰路に着いた。隣を歩く芹沢くんはいつも通り微笑んでいてさっきまでの友希那とのやりとりが見間違いだったように感じる。
「芹沢くん、友希那と知り合いだったんだね」
「まあね。僕が知り合いというよりは僕の父親と彼女の父親が知り合いだって方が正しいけど」
「芹沢くんのお父さんと友希那のお父さんが知り合い?」
そんな話初めて聞いた。あ、けどそこで知り合ったんなら名前呼びなのは納得かな。
でも友希那から聞いたことはなかったしそもそもアタシが初めてRoseliaの練習の帰りに芹沢くんを紹介した時も普通だったはず。なのになんで友希那は芹沢くんにあんな態度……。学校でも芹沢くんが話しかけて嫌そうな素振りはなかったのに。
「ま、その話はいいとして。今日のライブすごくよかったよ」
「ホント?それならよかった」
「うん。特にAfterglowのステージに乱入して披露した曲なんて今日一番の迫力だったんじゃない?会場、とっても熱くなってたよ」
「あははっ。そう言ってもらえると嬉しいなぁ。あの曲をやるって言いだしたのは友希那と蘭なんだけどさ__」
ライブの話。ライブの準備期間にあった出来事。
どれも芹沢くんは相槌を打ちながら聞いてくれた。感想もこれからRoseliaを続けるうえで励みになるものでとても嬉しかった。
心が温かくなったのは多分気のせいじゃない。
芹沢くんに話を聞いてほしいと思っているのもきっと、気のせいではないはずだ。
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知らない動悸
今日は体育の授業でバレーボールをすることになった。
体操服に着替えシューズの靴紐を結んでコートに出たアタシに指示を出すのはバレーボールにてセッターと呼ばれるポジションの子。
一年前はバレーボールのルールなんて全くわからなかったアタシだけど授業の中で少しずつわかるようになっていた。
体育は他のクラスと合同でクラス内で二チーム作ることになっていた。だから公平にくじを引いてチーム分けをして、そこから総当たりで試合をすることになったのだ。
ダンス部でクラス内で見てもそこその運動神経のいいアタシはそれなりに活躍できていたと思う。
まあ、体育でやるバレーボールってお遊びみたいなところあるし。アタシ的には楽しくできればそれでいいんだけどさ……。
そんなアタシの思いとは裏腹に、今年のクラスは意外と闘争心の強いメンバーが集まってしまったようで。特にアタシのチームのメンバーがガチすぎたんだよね。
対戦相手である他のチームの子たちを同じチームの現役バレーボール部がコテンパンにしてしまっている。
素人相手にスパイク打つし、打たれたの簡単に返しちゃうし。アタシのチームは比較的に運動部の多いから持ち前の運動神経でバレーボール部並にみんな動けるうえに負けず嫌いも多かった。
アタシのチームと当たったチームはアタシたちと当たることを怖がっていた。正直同じチームのアタシも怖い。
競ることもないからやりたくなかったんだと思う。
「今井さんたちのところはバレーなんだね」
「わっ!芹沢くん!?突然出てこないでよ!」
「僕のことを幽霊みたく言うのはやめてくれない?」
他のチームが試合をしている間、アタシはコートの端で水を飲みながら涼んでいた。夏ということもあり窓を開けていても体育館の中は蒸し暑い。タオルで汗を拭きながら窓の真横の壁にもたれていたアタシに声を掛けたのは芹沢くんだった。
体操服の上からビブスを着ていて首に掛けられたタオルで汗をぬぐう。その姿はハッキリ言ってかっこよかった。
「芹沢くんたちのところはサッカーなんだね」
「うん。今井さんのチームは試合じゃないんだね」
「さっき終わったばっかりだよ。だからアタシたちのチームは休憩中」
「そうなんだね。残念だ。僕のチームも休憩になったから今井さんの活躍を見に来たのに」
「アタシ言うほど活躍してないからね」
コート内に視線を戻せば友希那のチームが試合をしているみたいだった。「友希那~!頑張って!」とエールを送れば一度こっちを見てすぐに試合に戻っていた。
アタシの幼なじみはあいかわらずクールだ。
「友希那は今井さん相手でもああなんだね」
「へ?ああって?」
「クールって意味。僕が声を掛けた時よりも柔らかい表情だし、棘のない薔薇みたいだよ」
「それ、褒めてるの……?」
「もちろん」
芹沢くんはいつも通りの笑顔をアタシに向けた。
けど確かに友希那は昔から不器用だしアタシに対しても冷たかった。今の軟化具合を考えると棘のない薔薇という表現は適切なのかもしれない。
「芹沢くん」
「何?」
「この間、芹沢くんと友希那のお父さんが知り合いだって言ってたじゃん?てことは芹沢くんのお父さんって音楽関係の人なの?」
「まあね。一応プロのギタリストだから」
「えっ!そうだったの!?」
最近初めて知る話ばかり聞いている気がする。
それにそれなら友希那の知り合いでも納得してしまう自分がいた。
「芹沢くんはギターやってないの?」
「昔は父さんの影響でやってたんだけど今はやってないよ」
ほら、と彼は手をアタシに差し出す。触ってみれば、指先が硬かった。それは確かに楽器をやっていた人の指だった。
「やってたんなら教えてくれてもよかったのに」
「友希那から聞いてると思ってたよ」
「うーん。友希那と芹沢くんの話ってしないからなー」
基本的に友希那はアタシが聞いたことしか話してくれない。
友希那から話してくれることと言えばバンドのことくらいだ。
それ以外のことはアタシから話すのが日常。
そもそも友希那は口数が少ないから仕方ないことかもしれないけどもう少し口数が増えてもいいのにと思うのは本音だったりする。
「その友希那はあいかわらず運動は苦手みたいだね」
再びコートを見ればサーブをネットにひっかけている友希那の姿があった。友希那のチームは初心者の方が多いから「どんまい」という声が飛び交っていた。
どうせ試合するならアタシもその空間の方がよかったなぁ。
「まあ友希那って基本音楽以外には無関心だから……」
「それ、言い訳にしていいの?」
「……本人がいいならいいんじゃない?多分」
「大丈夫じゃなさそうなのがすごく怖いよ」
だって、友希那がやる気出さないとアタシが言ったってどうしようもない。それで毎年、特に夏場は友希那に助けを求められるのだけど。アタシがいなかったら本当にどうする気なんだろうあの子は。
「大丈夫だよ。授業にはちゃんと出てるし今はテストの点も言うほど悪くないから留年する心配もないしね」
「留年する可能性があったことに驚きだよ」
……そこに関してはアタシとしても大変だったしノーコメントで。
「ていうか芹沢くん。ギター弾けるなら今度一緒にセッションとかどう?」
「うーん。けど僕ギターはそれほど上手くないよ?」
「アタシはただ一緒に演奏してみたいだけだよ?」
「……そう言われると弱いなぁ」
困ったような表情で頭の後ろを掻く彼は新鮮だった。初めて見るその表情に笑みが零れる。
「ねぇいいでしょ___」
「危ない!!」
「「っ!?」」
体育館内に響いた声。ほぼ同時に聞こえたのは何かが床に落ちる音。
音の正体を探せばそれは目の前のコートからで。コート内に座り込んでいる姿を見て本能的に駆け出していた。
「友希那!!」
集まるクラスメイトと隣のコートで試合をしていたチームをかき分けて友希那に近寄る。痛みに耐えている表情で足を抑えていた。
近くには転がる二つのボール。おそらく隣のコートのボールを踏んで転んだんだろう。その時に足首をひねってしまったんだと思う。
「友希那、立てる?」
保健室に連れて行かないと。そう思って友希那を立たせようとするも相当痛いのか立ち上がれないみたいだった。
「今井さん、友希那立てないの?」
「う、うん。けど保健室に連れて行かないと……」
「なら僕に任せてよ」
アタシの言葉に芹沢くんは真剣な視線を送る。
見慣れない視線にドキッとした。
「友希那。じっとしてなよ」
「何よっ……きゃっ!」
所々で悲鳴が上がる。なんせ芹沢くんが友希那にお姫様抱っこをしているのだから。
これにはアタシも驚いた。けど驚いたのは友希那も同じらしい。落ちないように首に腕を回している友希那の表情は困惑が混ざっていた。
「翔!今すぐ下して!」
「ダメだよ。下したって歩けないじゃん」
「歩けるわよ」
「キミは変わらず頑固だね。けどケガ人を無理に歩かせるなんてこと、僕はさせないからね」
友希那の小言を聞き流し芹沢くんはコートを横切っていく。
お姫様抱っこをされている状態で注目を浴びているということもあって友希那の顔は赤くなっていた。
体育館から出て行くその後ろ姿を追いかける。
「芹沢くん!アタシも付き添うよ!」
「ありがとう今井さん。だけど僕一人で大丈夫だよ。友希那のことは任せて」
そんな言葉を言われては任せるしかなかった。
心がもやもやする。
理由はわからない。
友希那が芹沢くんにお姫様抱っこされていること?
友希那がケガをしているのに何もしてあげられていないこと?
友希那が少しだけ嬉しそうな表情をしていたこと?
どれだろう。
仮に正解がわかったとしてもどうしてそれでもやもやするのかはわからなさそうだった。
体育の授業が早めに終わったのをいいことにアタシは更衣室からアタシと友希那の分の荷物を取って保健室へと向かった。
結局友希那は授業の途中で抜けたきり帰って来なかったから逆に迎えに行こうと思った。足をひねったのをいいことに保健室でサボっているんじゃないかと予想ができた。
そう思って向かった保健室。扉を開けようとして、窓から窺えた中の様子に手が止まる。
心臓がバクバク動く。咄嗟に隠れてしまった。
__なんで……?
アタシがそう思うのも無理はないと思いたい。
中には二人がいた。ケガをしている友希那とその付き添いをした芹沢くん。
それだけなら何も問題はない、それなのに。
どうして芹沢くんは友希那に壁際に追いやっていたのだろう。
否、あれは俗に言う壁ドンってやつだ。
わからない。
どうして芹沢くんが友希那に壁ドンなんかしているのかも。
どうしてそんな状況になってしまったのかも。
そして何より、それに動揺している自分のことが一番わからなかった。
アタシはその場所から逃げ出した。
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君が見てるのは私じゃない
「それじゃあ五分休憩にしましょう」
「リサ姉!クッキーあるー?」
「あるよ~。食べる?」
「食べる!」
「リサ、私も欲しいのだけど」
「っ、う、うん、もちろん!」
最近、友希那との距離感がわからなくなっていた。
あの壁ドンを見たからだろうか。わからない。
演奏にも支障が出てきていて紗夜にも心配されてしまっている。
Roseliaの練習に私情を持ってはいけない。だから気合を入れなおさなきゃ。
「それからリサ、さっきのところだけど」
「ご、ごめん!先にお手洗い行ってくるね〜!」
アタシは友希那から逃げるようにスタジオを飛び出した。
自販機の横に置かれているベンチに腰をかけて天井を見上げる。
どうしよう。咄嗟に友希那から逃げちゃった。
やっぱりあのことに関してはバンド練習中でも私情挟んじゃうよ。
「……あー。どうしよう」
「何か悩み事ですか?」
聞こえてきた声に顔を天井から正面に戻す。そこには片腕を腰に当てている紗夜がいた。
心配そうにアタシのことを見ていた。
「紗夜……」
「今日の今井さんはいつもの今井さんではありませんでした。湊さんと話している時は特に取り乱していたように感じます。ですが湊さんが気まずそうにしている雰囲気はありませんでした」
「あはは……やっぱりわかっちゃうよね」
「当たり前でしょう。一年以上バンドを組んでいるんですから。
それで、何があったんですか?」
まあさすがにあんなあからさまに避けてたらバレちゃうよね。
多分燐子やあこから聞かれてたらはぐらかしてたかも。けど紗夜とアタシは同じ竿隊で、練習も一緒にやってきた。バンド内でも友希那の次に一緒にいる時間が長いメンバー。そのうえ真面目で冷静だしいいアイディアを出してくれる気がした。
だからアタシは話した。
芹沢くんと友希那が名前で呼びあっていたこと。
芹沢くんと友希那のお父さんが知り合いだったこと。
おそらく二人の間には何かしらの溝があること。
体育の授業中に芹沢くんが友希那をお姫様抱っこしていたこと。
垣間見えた嬉しそうな友希那の表情。
優しい芹沢くんの声。
保健室で見た壁ドン。
それを見て逃げ出したこと。
全部全部、紗夜に話した。
紗夜はアタシの話を聞いて何かを考えたあと、アタシに言った。
「今井さんと芹沢さんは今でもニセモノの恋人ですか?」
「え?うん。そうだね」
あの日の告白からアタシたちの関係性は何も変わっていない。
そうだとアタシは思っている。
変わることもないと思っていた。
「今の話を聞いて、正直私には今井さんが湊さんに嫉妬しているようにしか感じませんでした」
「……え!?アタシが友希那に嫉妬!?なんで!?」
「それは今井さん本人にしかわからないと思いますが……」
そりゃあそうだけど。友希那に嫉妬する理由が見つからない。
芹沢くんが友希那に壁ドンしていたからと言ってアタシが嫉妬する理由って一体……。
「今井さんは芹沢さんのこと、好きなんじゃないですか」
「え……?」
まっすぐ向けられた視線にアタシは目を丸くした。
「もし違うのならすみません。ですが気づいていないだけなら自覚した方がいいと思いますよ」
「時間ですから戻りましょう」なんて言って紗夜の背中は遠くなっていく。
アタシはその背中を見つめ動けなかった。
アタシが、芹沢くんを好き……?
そんなこと今の今まで考えたことがなかった。
だって芹沢くんとは三ヶ月だけのニセの恋人ってだけだしそれ以上の感情なんてアタシにはなかったはず。
それ以上の関係になることをアタシは望んでいたって言うの?
結局答えが出ないままアタシはスタジオに戻った。
中途半端な演奏になって、友希那からも紗夜からも怒られてしまった。
「今井さん、迎えに来たよ」
アタシが悩んで必死に考えている時に彼はいつもの笑顔を引っ提げて目の前に現れた。
Roseliaのみんなは何度も見た光景だと割り切っているのかさっさと解散する。
友希那も紗夜も、あこも燐子も、何かを言う様子はなかった。
スタジオからの帰り道。アタシと芹沢くん、二人きり。
何度も体験してきたことなのに芹沢くんの顔が見れなかった。
なんでだろう。
芹沢くんが友希那に壁ドンしてる姿を見たから?
それとも紗夜があんなこと言っていたから?
「今井さん、今度のライブっていつあるの?」
「え?こ、今度のライブ?」
「うん。ほらこの前のライブの時に近いうちにライブするって告知してたでしょ?日程とか決まった?」
そう言えばライブの後にそんな告知をしたんだった。
今はそのライブの準備をしてる段階だったのにすっかり忘れていた。
「まだ詳しいことは決まってないよ。けど八月末、夏休みの最後辺りってことは決まってるかな」
「そうなんだ。ライブ、楽しみにしてるね」
夏休みの最後の週。
アタシにとっては一大イベントがあるんだけど芹沢くんは知ってるのかな。
「そう言えば友希那、大丈夫だった?」
「へ?」
「ほらこの間の体育の授業で足捻ってたでしょ。練習の時、無理とかしてなかった?」
「う、うん。少し歩きにくそうにしてたけど大丈夫だと思うよ」
彼は、タイミングが悪い。
どうして今その話をしてしまうんだろう。
思い出したくなかったのに。
「あの日はありがとう友希那のこと保健室に連れて行ってくれて」
「別に構わないよ。それに僕、保健委員長だし」
「あははっ。そう言えばそうだったね。忘れてたよ」
「まあ特に活動することもないから仕方ないね」
普段だったらお礼の言葉だけで済んだ。きっとあれを見なかったらアタシはそれで終わらせてた。だけど、あれは衝撃的だったから。
だから追求せずにはいられなかったんだと思う。
「ねえ芹沢くん」
「何?」
「保健室で、何かあった?」
今日初めてちゃんと芹沢くんの顔を見た。
驚いたような表情がアタシに向けられる。
「どうして、そんなこと……」
「保健室、友希那と二人きりだったんでしょ」
「見てたの?」
「偶然だよ。友希那の荷物を届けようと思った時に偶然、見ただけ」
「そっか」
「芹沢くん、友希那に壁ドンしてたよね」
芹沢くんはそっと顔を逸らす。
そんな芹沢くんを見るのは初めてで、その目の逸らし方はまるで悪いことをしているかのように思えた。
「……それは肯定として捉えていいの?」
「違うって言って、今井さんは納得してくれる?」
その言葉だけならしないだろう。それなりの理由がない限り、納得なんてできない。
だけど芹沢くんはそれ以上の言葉を続けようとはしなかった。
「……芹沢くんは前にアタシの家に来た日のこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
「アタシは、好きな人いないって言ったけどさ。芹沢くんはいるんでしょ?」
芹沢くんは何も言わない。
目を逸らしたまま何も言わない。
「それってさ、友希那?」
それならそうだと言ってほしかった。
最初から恋人のフリなんかさせないで相談に来てほしかった。
そうすればただ話を聞くだけで済んだのに。
幼なじみの応援をするだけで済んだのに。
キミへの想いなんて、自覚せずに済んだのに。
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夕暮れの告白
夏休みに入った。
Roseliaのライブも正式に場所と日程が決まり、普段よりも長い時間、たくさんスタジオで練習することが話し合いで決定した今日この頃。
気合が入るのと同時にアタシは彼のことが気になってしまう。
終業式が終わって、夏休みに入ってから一週間が経つが彼から連絡が来ることは一度もなかった。毎朝の「おはよう」の挨拶以降が続かない。
夏休みというのは普段よりも遊べる時間が増えるものだと毎年思っていたけどそんなことはないらしい。
気まずさはアタシたちが一緒にいる時間すら奪ってしまうようだった。
Roseliaの練習はどうにかできている。
紗夜は調子が悪くてもアタシに何も言わない。それはきっとアタシの事情を知っているから。ただの私情だって言うのに紗夜はただ見守っていてくれる。
友希那もアタシに何も言わない。それは何故だかわからない。前ならこんな中途半端な演奏に小言一つ言ったっておかしくない。なのに友希那はアタシを見て目が合うと視線を逸らす。その事実が少しだけ怖かった。
今だにRoseliaを脱退させられる可能性があるのは技術の劣るアタシだけ。
だからこそ練習には誰よりも一番集中していないといけないのに。
初めての恋心はアタシの邪魔をする。
スマホを握る力が強くなる。
彼とのトーク画面は何度眺めてもおはようから変わることはない。
何してるの?とか今日暇?だとか。送ろうと思えばいくらでも言葉はかけられたはずだ。
声を掛けられないのはきっと、あの日の芹沢くんと友希那を見てしまったから。自覚してしまったから。
紗夜に言われて自覚しなければそんなことを思わなかったのだろうか。
友希那との関係が少しだけぎこちなくなることもなかったのだろうか。
あこや燐子にも最近不調気味と心配されることもなかったのだろうか。
わからない。だって全部初めての経験。
誰かを好きになることも、その誰かとずっと一緒にいたいと思うことも、その誰かに片想いすることを。
全部全部初めて。
いつか見た少女漫画に片想いは楽しいって書かれていたのに噓っぱちじゃん。
片思いなんて辛いだけ。涙が零れそうになるのを必死に抑える。
この想いが届くことはないなんて悲しいだけだ。
軽率に彼氏が欲しいと嘆いていた過去の自分を殴りたい。
kakeru:今井さん。今日時間ある?
「え……芹沢くん……?」
ピコンとトーク画面に増える文字。そこにはそう書かれてあった。内容を認識するのと同時に秒で既読をつけてしまったという事実に動揺する。これじゃあまるでアタシがずっと連絡を待ってたみたいだ。
「ど、どうしよう!と、とりあえず返信しなきゃ!!」
慌てふためいてスマホを落としそうになったところをギリギリでキャッチして画面と向き合う。
おはようの後に続く文章は幻ではなかった。
Lisa:空いてるよ~☆
Lisa:何か用事?
kakeru:話したいことがあるんだけど
心臓がドクッと音を立てた。
流れた汗は暑さのせいじゃない。
kakeru:会えないかな
彼と会いたくないと思ったのは初めてだった。
指定された場所である公園に呼び出されたのは夕方。暮れかけの夕日は今日最後の力を振り絞って遊具を照らす。その光は温かくて眩しい。生暖かい風は夏を感じるのに十分だった。
「来てくれてありがとう今井さん」
「ううん。全然大丈夫だよ」
アタシを呼び出した張本人はベンチに座っていた。足音を聞いて顔を上げる。
浮かなそうな表情。それに笑顔が重なる。ハッキリ言って似合っていなかった。
ベンチの隣に座るよう手招かれる。首を振って遠慮すれば彼は少し残念そうな顔をした。
断る理由は特にない。だけどなんとなくダメな気がした。
対面した彼は目を合わせてくれない。
座ったままただ地面を見つめていた。
「……それで、話って何?」
黙っていたって時間が過ぎてしまうだけ。埒が明かない。そう思って疑問を彼に投げた。
議題はなんとなく察していた。だけどそれをそのまま彼にぶつけなかったのはできるだけ知らないフリをしていたかったからかもしれない。
「__恋人のフリをしてもらう期間を短くしたいんだ」
胸がメシッときしむ。今にも壊れてしまいそうだと他人事のように思う。
わかりきっていた言葉なのに、心構えもちゃんとしていたのに。
彼から直接言われただけで弱ってしまうとは思いたくなかった。
「……理由、聞いてもいい?」
アタシの問いに彼は顔を上げる。申し訳なさそうに眉を顰める姿を見るのは水族館デートの時以来だった。
「ずっと今井さんにわがままを押し付けていた。告白されてしつこかったからって今井さんの優しさに付け込んでしたくもなかった恋人のフリを押し付けて君の時間を拘束した。本当にごめん」
なんで彼は今更そんなことを言うんだろう。
アタシは君がその提案をしてくれたから君のことをもっと知れたのに。
君がいたから楽しい思い出がもっと増えたのに。
「約束していた期間は三か月だったでしょ。それを夏休み中までにしてほしいんだ。そうすれば君は必要以上に僕と会うこともないでしょ?」
「なんでアタシが芹沢くんに会いたくないって言うと思ったの?」
「え……?」
困惑顔と目が合った。
こんなこと言ってるんだから少しくらい気づいてほしいよ。
「アタシ、芹沢くんのこと会いたくないくらい嫌いだなんて思ったことないよ。例えニセモノの恋人としての扱いであっても楽しかったのは本当だもん。誰かとの予行練習だったとしてもこれは揺らぐことのない事実だよ」
「っ……」
たとえ彼の想い人がアタシじゃなかったとしても、君がいたからアタシは初めての感情を知れたんだ。
満足だとは言わない。だって彼の想いはアタシには向いていないから。それでも嫌いになれるはずなかった。
「芹沢くんは、アタシと一緒にいるの、嫌?」
静かに首を振る彼。また下を向いた。
「嫌じゃないよ。僕も今井さんと一緒に何かするの楽しいから」
「それなら、芹沢くんがアタシの時間を拘束したことをアタシは怒れないよ?だってアタシも芹沢くんの時間を拘束してるんだし。もし芹沢くんがアタシの時間を悪さすることに使っていたんなら話は別だけどね」
そう言ってウィンクをすれば彼は驚いたように顔を上げて「ははっ」と笑った。
「……本当、今井さんは優しいね」
「アタシは思ったこと言っただけだよ」
「それでも、その言葉は僕にとっては優しすぎるくらいだから」
カバンを持って彼は立ち上がる。「ありがとう」なんて言って笑顔をくれた。
「だけどこれは決めたことなんだ。これ以上君に甘えていてはいけない。自分勝手だってことはわかってる。バカなことを言っている自覚もあるよ。何を言っているんだって呆れられても仕方ないと思っている。
僕のわがままを聞いてくれるのはこの夏の間だけでいいから」
それが永続すればいいのに。
芹沢くんが罪悪感を感じてニセモノの恋人である期間を早めようとしてくれているのにアタシはそんなことを思った。
これじゃあどっちがわがままかわからない。
ねえ芹沢くん。アタシがわがままを言うことは許されますか?
「……わかった」
この関係はいつか終わってしまう。それは今にわかったことじゃないし覚悟はしていた。それでも終わりに近づくにつれて寂しいという感情が増していく。
「今井さん。今日はわざわざ来てくれてありがとう。また遊びに誘うね」
君は手を振って、アタシに背を向けた。歩いてその距離が遠く、君の背が小さくなっていく。
悲しかった。寂しかった。もっと一緒にいてほしい。そんなわがままを言うのはダメだろうか。
言ってはいけない。彼を困らせてしまう。アタシが甘えてしまうから。
叶わないと知っていても彼を好きであることに変わりはなくて。
だからこそ辛くて。
こんなことなら恋なんて知りたくなかった。
けど最後に一つ、許されるのなら。
「っ……芹沢くんの好きな人って友希那なの!?」
確信がほしかった。もしそうでもいいからただ彼の口から真実が聞きたかった。
だけど芹沢くんは肯定も否定もしない。止めていた足はまたアタシから遠ざかるために使われた。
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流行りに乗りたい
「今井さん、遊びに行こう」
そう言った彼が家に訪れたのはあの告白から二週間後だった。インターホンのカメラ越しに見た彼は私服姿で手を振っている。
今日はRoseliaの練習がない日で元々は友希那と買い物に行こうと話していた。だけど予定の二時間前に急遽他に用事ができたからとキャンセルされて、予定のなくなったアタシは家でゴロゴロしようとしていた。だからこのアポなし訪問は想定外で、とても動揺して。
「ちょ、ちょっと待ってて!!」
慌ててインターホンを切って部屋に走る。
アタシは家でダラダラしようと決めていたのだからパジャマのままだった。だがさすがに想いを寄せている人の前に出るのにパジャマ姿で髪がボサボサの状態で出迎えできるだろうか。
答えは否である。
仮に彼が許しても乙女心は許してくれなかった。
オシャレとは言えないが最低限見せられる服に着替えて髪を整える。部屋を軽く片して階段を下り勢いよく玄関を開いた。
外で驚いた彼と目が合う。同時にアタシを襲う灼熱地獄。
「おはよう今井さん。意外と早かったね」
そう彼は笑っていたけど首筋から汗が流れていることは見逃せなかった。
蒸し暑い中外にいたのだから当然だろう。すごく申し訳なくなる。
「と、とりあえず中入って!」
アタシの部屋は脱いだ服が散らかっているから案内することができず、玄関から一番近いリビングに案内することにした。
友希那と朝から買い物に行くと昨日のうちに話していたこともあって両親は両親でデートに行って家にいない。結婚して二十年以上経つのにその仲の良さは羨ましい限りだ。
「麦茶でいい?」
「あ、お構いなく」
そんなわけにはいかない。想い人に何もしないなんてできるはずがない。コップ二つに麦茶をついで座ってもらっていた食卓に置けば「ありがとう」と笑顔でお礼の言葉を言われる。
それにどうやってもときめいてしまうのはどうしようもないほど彼に惚れ込んでいるからだろうか。
「それで、今日は突然どうしたの?」
「前に僕は今井さんにこの夏の間まで恋人のフリをしてほしいって頼んだでしょ?夏が終わるのもあと少しだから一緒に遊びたいなーって」
「……そっか」
芹沢くんは善意でそう言ってくれているのだろう。けどアタシにとってその言葉はタイムリミットのように感じていた。
夏が終わる。それに明確な時間など存在しない。だがもしも仮にそれが夏休みまでの話なら。
あと、二十日も残されていないのだ。アタシが彼と恋人でいられる時間は。
「けど時間とか別に気にしなくてもいいのに。だってアタシたち『友達』なんだから恋人のフリしてなくても普通に学校で会えるじゃん?」
友達、という単語を使って胸が痛むのは後にも先にも今日だけだろう。
「そう、だね。だけど夏にしかできないこともきっとたくさんあるよ。だから僕は君を誘ってるんだ」
ねえそれ、どういう意味。
恋人だから誘うってこと?それともアタシだから誘うってこと?
どっちなのか教えてよ。
「それで今日なんだけどね。僕タピオカが飲みたくて」
「へ?タピオカ?」
「うん。今すごく流行ってるでしょ?飲んだことないなら飲んでみたくてさ」
芹沢くんがなんか生き生きしている。これ人気なんだよね僕知ってるよ褒めて褒めてって尻尾を振る愛犬に言われているみたいだ。犬、飼ったことないけど。
タピオカという単語にこんなにもワクワクしている人間をアタシは初めて見たかもしれない。
クスッと笑みがこぼれる。
こんな表情をされて、行かないという選択肢はアタシにはなかった。
「とびっきり美味しいところ教えてあげるよ!」
アタシの空白だった時間は彩る。
芹沢くんをリビングで待たせてアタシは自分の部屋に戻った。
洋服を可愛いものに着替えピアスをする。軽くメイクもして、時計を見たら三十分経過していた。
また階段を下りてリビングに行けばスマホを触っていた彼と目が合った。
「かわいいね」
開口一番がそのセリフなのはずるいと思う。
えへへとだらしない声が漏れる。言って欲しかった言葉がもらえることがこんなにも嬉しいだなんて知らなかった。
「それじゃあ行こうか」
家を出て向かったのはショッピングモールの一階、入り口から入ってすぐのところだった。
新しくできた店だけど飲み物全体的にいいくらいの甘さで、甘いものがあまり得意ではない人たちも絶賛の人気上昇中のお店。前に行ったけど噂通りで個人的にとても満足だった。
タピオカを初めて飲むのならぜひ芹沢くんにも飲んでもらいたい。
灼熱地獄に飛び込んで歩く。けど隣で彼が笑ってくれるからそれだけで暑さも忘れてしまう。
「今から行くお店はね、甘さも調節できるんだよ」
「へぇ。そうなんだ」
「そうそう。タピオカって基本甘いんだよね。けど今から行くところは甘さ控えめにできるから甘いのが苦手な人も安心して楽しめるんだよ」
「そうなの?よかった。僕、甘すぎる飲み物って得意じゃないから」
芹沢くん、その辺の心配をしていたのだろうか。それが聞けて心底安心した様子だった。
「あんまりタピオカ飲むのに適してない人だね」
「それは自覚してるよ」
芹沢くんは少し不貞腐れていた。
その表情がかわいいと思ってしまうなんて、アタシはこの暑さにやられたのかもしれない。
「あ、見えて来たよ」
アタシが指差す方を彼の瞳が捉える。すぐ横を同い年くらいの女生徒たちが通り過ぎた。
店はいつも人で溢れているのに今日は比較的少ない。ラッキーだと思った。
列で待っている間に店員さんに渡されたメニュー表を広げ二人で目を通していく。
「芹沢くん何にする?」
「僕は最初ってこともあるし王道なのがいいんだけど……」
「そうなるとタピオカミルクティーかな~。甘さ控えめでいい?」
「うん」
アタシたちの番に回ってきたところでアタシは店員さんに注文をお願いする。
数分で出来上がったそれに専用のストローを挿してもらえば芹沢くんの望んでいたものの出来上がりだ。
「おおっ……タピオカだ……」
当たり前のことを興味深そうに言うもんだからつい吹いてしまった。
「どうしたの?」なんて真顔で問われても困る。
「ふふっ。そんな真剣な顔で『タピオカだ』って、笑わない方が無理だって」
「なっ、別におかしなことなんてないじゃないか!」
「おかしいって」
クスクス笑うアタシに彼は納得いかない様子だったけどタピオカを飲んで落ち着いたみたい。
「芹沢くん、初タピオカの感想は?」
「美味しいね。甘さ控えめにして正解だったよ」
「そっか。ならよかった。オススメしてドキドキだったんだから」
「そこまで緊張するようなことでもないでしょ?美味しくないお店なんてほとんどないんだし……」
「たまにあるんだよハズレ」
この前行ったところは本当に砂糖だけ使って甘くしました感あって失敗したなーと思ったよね。まああれがいいって人もいるんだろうけどさ。
「そういえば今井さんは何頼んだの?」
「アタシ?アタシはね、抹茶ミルクだよ」
「抹茶って……また渋いの選んだね」
「そんなに渋くないよ。こういうところで売られてるのって甘いし」
「そうなの?」
「そうだよ。よかったら飲んでみる?」
そう言ってハッとした。
飲み物に挿してあるストローは一本だけ。新たにストローを挿すようなことはしない。つまり芹沢くんはアタシが口をつけたものに口をつけるってことになる。
これ、間接キスってやつになるんじゃない?
「ほんと?ありがとう」
そう考えてしまえば顔に熱が集まるのを感じた。
けど一度提案して芹沢くんがのっかってしまえば今更アタシに拒否できるわけもない。
というか間接キス自体は嬉しいし?現時点での役得かもしれないし?けど恥ずかしいことに変わりはない。
彼にプラスチックの容器を差し出す。しかし彼は何を思ったのかアタシが持っている容器を受け取らずアタシの手首を取った。そのまま顔を近づけてストローに口をつける。
透明なそれは中からタピオカとジュースがなくなっていくのを目の前で見せつけてくる。
嬉しいが、アタシの顔に熱が集まるのは避けられない事実だった。
「あ、これも美味しいね。次は僕も抹茶ミルクにしようかな」
「そ、っか……よかった……」
「今井さん顔真っ赤だけど……」
「な、なんでもないよ……!」
芹沢くん、無自覚でやらないでほしい。
そんな思いで彼を見れば彼も何故か顔を染めていた。
「……自分でやっておいて、それはダメだろ」
どうやらアタシのせいで変に意識させてしまったらしい。
ただ申し訳なくなるが、芹沢くんって意外とピュアだなーと思っていた。
確かにアタシも関節キスで真っ赤になったけど、それは相手が芹沢くんだからで。芹沢くんは他に想っている人がいるのだからアタシの行動で揺らぐ必要はないのに。
そんな反応されたら、勘違いしちゃうじゃん。
「移動しよう」
芹沢くんはアタシの手首を掴んでいた手を離し逆の手を握る。それは微かに震えていて最初の水族館デートを思い出した。
あの時も彼の手は震えていた。それでも自然と慣れていて、最近までずっと、こんなことなかったのに。
関節キスって、そんなに動揺するようなことだったの?
ああもう。芹沢くんが何考えてるのかわかんないや。
けどいつだってその笑顔で許してしまうから。
アタシは芹沢くんに甘いんだろう。
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デートと事故
アタシたちは今日もまたデートする。
目的地は遊園地。昔からあってハロハピの頑張りで最近盛り上がっているスマイル遊園地に行くことになった。
誘われた経緯はいつも通りで、だけど遊園地に二人きりで行けるなんてもうないかもしれないから嬉しかった。
「芹沢くん、最初は何に乗ろうか」
入場してすぐの場所でアタシは受付でもらったパンフレットを広げる。そのパンフレットを芹沢くんは覗き込んだ。
「どこも楽しそうだし迷っちゃうね」
「まあ、時間はたくさんあるんだし好きなところから順番に並んで行こうよ」
「あ、それならお互い交互にどこに行きたいか言っていくのは?」
それならいちいち揉めたり悩むこともないはずだ。
そう思っての提案は簡単に受理された。
「じゃあ今井さんからどうぞ」
「うーん。そーだねー……コーヒーカップから行こうかな!」
「わかったコーヒーカップね」
「それじゃぁしゅっぱーつ!」
地図を持ったアタシが芹沢くんを先導するように歩く。コーヒーカップは入ってすぐのところにあるから目的の場所にはすぐに着いた。
待機列も無いようで、 最大四人まで乗れるカップに乗り込んだ。
「芹沢くんって、コーヒーカップ回す派?」
「そうだけど、今井さんも?」
「……全力でやっちゃおっか」
「後悔しても知らないからね」
コーヒーカップが動き出しBGMが鳴り出した瞬間にアタシたちは中央にあるハンドルを全力で回し始めた。
数秒後には叫び、笑う声がアタシたちを包んでいた。
楽しくて楽しくて、お互いに必要以上にハンドルを回したことだろう。
コーヒーカップのBGMが止まる。その頃にはアタシは後悔しつつあった。
「……思った通りのことしたね」
「あ、ははっ……」
酔った。芹沢くんに支えられコーヒーカップから降りる。
「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれるスタッフさんに芹沢くんは「大丈夫です」と返してアタシのことを近くのベンチまで案内してくれた。
「とりあえず横になってて」
芹沢くんに言われるままアタシはベンチに横になる。
日差しが容赦なくアタシのことを攻撃してくる。これじゃあ日焼け止め塗っていても意味がなさそうだし焼けるよりも先に熱中症にでもなってしまいそうだった。
それを察してくれたのか芹沢くんはタオルをアタシのおでこと首にかけてくれる。そのタオルはものすごく冷たかった。
「……今井さん、大丈夫?」
「うん……ありがとう芹沢くん」
しばらくして気分の悪さのなくなったアタシはベンチから起き上がった。アタシの荷物を持ってすぐ近くに立っていた芹沢くんが声を掛けてくれる。
起き上がって腰から足元にかけてブランケットがかかっていることに気付いた。スカートを履いていたアタシへの気遣いは温かい。
「水、飲む?」
コクリと頷いてアタシはアタシと同じ目線までしゃがんだ芹沢くんから渡されたペットボトルを両手で持つ。既にキャップは空いていてそこにはストローがささっていた。それを使って水を吸い込む。だるかった身体は一瞬ですっきりした。
「……ごめんね芹沢くん。来て早々ダウンしちゃって」
「全然。僕からしたら遊園地で遊ぶことよりも今井さんの体調の方が大事だよ」
真剣な表情で伝えられた言葉。それは真剣すぎるくらいだった。
どうしてそんなこと言ってくれるんだろう。これ以上キミへの想いを膨らませたって苦しいだけなのに。
どうしてキミは、アタシに諦めさせてくれないの。
「それに、こういう遊園地デートがあってもいいでしょ」
芹沢くんは満面の笑みでそう言った。
本当に彼はアタシの恋を諦めさせる気がないらしい。
「そうだね!」
その笑顔で気分の悪さはどこかに吹き飛んでいた。
その後は色々なところに回った。
ジェットコースター、メリーゴーランド、ゴーカート。大きく分けるとこんな感じだけどその中でもくるくる回転したりスピードが速かったり、たくさんの種類に乗れた。
絶叫系のあまり得意ではないアタシは正直言って乗り物に乗っている間は怖くて仕方ない。だけど芹沢くんがいるからか不思議と怖さはなかった。
「着いたよ今井さん」
だけど、それはジェットコースターだとかの話。
「ほ、本当に入るの……?」
お化け屋敷は、また別問題だ。
外見からして怖いことがわかる。入りたくない。
まさか芹沢くんがリクエストする番でお化け屋敷というチョイスになるとは思わなかった。
「今井さんが無理だって言うならいいんだ。また今度にするし」
「の、乗る!乗るよ!」
「え?別に無理しなくても……」
「無理なんてしてないよ!大丈夫だもん!」
「行かない」とアタシが言い張れば芹沢くんは他の場所を選んでくれるだろう。けどそれじゃあダメな気がした。
芹沢くんの行きたいところなら行きたい。こうやってお化け屋敷に入ることはもちろん嫌だけど。それでも自然と彼と一緒にいられるのは、きっともう長くないから。
「わかった。もし怖かったら僕に掴まってていいからね」
強がりの言葉も彼はちゃんと受け止めてくれる。
苦笑い気味。それでも笑ってくれる。それが嬉しい。
結局お化け屋敷に入っている間はろくに目も開けられなくて。
そのおかげで彼とずっとくっついていられたというのは今はアタシだけの特権だ。
「はぁー!怖かったぁ……」
「今井さんずっと僕にくっついてたもんね。大丈夫?」
「うん。ありがとう芹沢くん。芹沢くんがいなかったら無事に出られなかったよ」
「それはいくらなんでも大げさだと思うけど……」
午後五時。時間もだんだんなくなってきた。帰る時間を考えても乗れるのはあと一つか二つ。
多分、芹沢くんも、そう思ったんだろう。
「今井さん。次、何がいい?」
優しい声だった。
まるで今日が終わったら会えなくなるみたいな雰囲気だった。
初めて感じるその雰囲気がアタシは少し苦手だった。
「……そう、だね……」
思い描いていたデートのラストはアタシの中では一択。
最後に乗っておきたいと思った。
だからアタシはその乗り物の名前を呟く。芹沢くんは頷いて、歩き出す。アタシはその後に続く。
周りの人は来た時に比べて少なくなっていた。当たり前と言えばそうかもしれない。
スタッフさんに案内されたゴンドラに乗る。
扉が閉まり次第芹沢くんが先にイスに座る。アタシはその反対側に座った。
しばらくして動き出したそれはだんだんと天に向かっていく。
「……夕焼け、キレイだね」
「そうだね。これだったら夜景も綺麗だろうね」
観覧車に乗るのは初めてで、その相手が彼であるということが興味深くて。そっと、キミに向ける視線が熱くなる。
「……ねぇ、芹沢くん。隣に座ってもいい、かな?」
緊張で少し震えた声。心臓の鼓動はキミに聞こえてしまっているのではないかと思う。
彼は夕日で顔を染め「いいよ」と簡潔に返した。その言葉を聞いてそっと隣に移動する。
二人の間は約十センチ。
あと少しで触れられるのにアタシは触れられない。
まるで何かがアタシたちを阻んでいるのか震えて動かない。
ゴンドラは四分の一まで進んでいる。
会話はない。けど気まずさは特になかった。
「今井さん」
「なぁに」
「今日楽しかった?」
「楽しかったよ」
「それならよかった」
「……芹沢くんは?」
「ん?」
「楽しかった?」
「もちろん。楽しかったよ」
「……ならよかった」
このやりとりでキミとの距離が縮まればいいのに。
心の距離も、物理的な距離も縮んでくれたらいいのに。
「……今井さん」
「どうしたの?」
「僕はキミに言わないといけないことがあるんだ」
向けられたのは今日二度目の真剣な眼差し。目が離せない。心臓が高鳴ってうるさい。
「あのね今井さん、実は……っ!?」
「__っ!?」
ゴンドラ内ががたんと揺れる。その衝撃で体勢を崩した芹沢くんがまっすぐアタシに迫る。
触れた柔らかな感触は初体験。
目を開けばすぐそこにキミがいた。
ゆっくりと離れたキミは真っ赤な顔で口元を抑える。
アタシの目からは涙がこぼれていた。
「ご、ごめん!わざとじゃないんだ!」
芹沢くんがわざとでないことくらいわかっていた。
これは嫌がっているわけじゃない。
ただ嬉しかったから。
例え事故だとしても芹沢くんからのキスは嬉しかった。
だけどそうだと彼には伝わってくれない。
それどころか何度も謝るばかり。
伝わらないことにもっと涙がこぼれる。
抱きしめてはくれない。
彼は隣でゆっくり背中をさすってくれるだけ。
恋人未満のアタシが相手ではそれ以上進んでくれない。
わかっていた。芹沢くんが先に進んではくれないことを。誠実だから過ちなんて犯してはくれないことを。
それでもアタシは進んでほしかった。
遊びでもいいから、なんてのはおかしな話かもしれない。けどそう思ったのも本心だから。
観覧車が終わるまでアタシは泣いていた。
降りる頃には目が腫れていたのかスタッフさんに驚かれた。
芹沢くんがアタシの名前を呼ぶ。
それを無視してアタシは走り出した。
理由もなく走った。
彼が追いかけてくることはなかった。
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昨日のライバルは
「リサ、集中して」
「ご、ごめん友希那」
あんなことがあって、アタシは練習に集中できずにいた。できるわけなかった。
主催ライブまで一週間なのに、最後の追い込みなのにどうしよう。
こんなバラバラな演奏ダメだ。否、アタシだけがバラバラだった。
他のみんなは完璧。今までよりも一番上手いと言っても過言じゃないのにアタシだけはレベルが追い付いていないみたいだ。
「ダメ、もう一回。そんな演奏じゃ最高の演奏とは言えないわ」
さっきから同じことを言われている。
ずっとずっと同じことを繰り返してる。
何度も何度も何度も、変わらない現状。
どうしたって上手く弾けない自分が嫌で嫌で仕方ない。
「湊さん、一度休憩にしませんか。結構時間経ってますし」
「……そうね。十五分休憩にしましょう」
そう言った友希那はそっとスタジオから出て行った。アタシのことを一度見てそのまま去った。その目をアタシは見れなかった。
「あ、アタシもちょっと外出てくるね!」
「今井さん」
急ぎ出て行こうとするアタシは紗夜に呼び止められる。首を傾げるアタシに紗夜は真剣な目を向けていた。
「話、いいですか?」
「いい、けど……」
多分、紗夜にはバレているのかもしれない。
ライブ前だしアタシの不調の原因は明らか。これは話しておくべきなのかもしれない。
紗夜について行けば着いた先はスタジオに備え付けられているカフェだった。
飲み物を頼み、席に座る。飲み物を一口飲んで一息つく。
「今井さん。芹沢さんと何かありましたか?」
「……ははっ。やっぱりわかっちゃうよね」
紗夜に、同じ竿隊で背中を任せている相手に隠し事なんてできなかった。
「一昨日の木曜日、芹沢くんと二人で遊園地に行って来たんだ。好きな人が相手だったから楽しくて、すっごく楽しくて時間も忘れて楽しんでて。
__最後、アタシのリクエストで観覧車に乗ることになったんだ。夕日の差すゴンドラ内で二人きり。マンガとかドラマで見るシチュエーションにドキドキしてた。このまま距離が縮まってくれればいい。そんなことばっかり思ってた。
……思ってたんだ」
「……そこで、何かあったんですね」
____キス、されたんだ。芹沢くんに。
「え……?」
紗夜の驚いた顔がアタシを覗き込む。アタシは苦笑い気味の顔を伏せた。
「もちろん、そういう雰囲気になってキスしたわけじゃないよ。あれは事故。観覧車が揺れた時にバランスを崩してしちゃっただけ。言ってしまえばただの事故。事故だったけど確かにされたんだ。
嬉しかったし浮かれたよ。だって好きな人からのキスだもん。嬉しくないわけない。
けどそんなアタシの想いとは裏腹に彼はずっと謝ってた。申し訳なさそうに謝ってた。それが、アタシは嫌だった。
アタシは嬉しかったんだよ。それなのにキスしてしまったことを過ちだと捉えられている気にしかならなかった。実際、芹沢くんはそう思ってたんだと思う。
嫌、だったんだ。謝られるたびにアタシが隣にいるのは力不足だって言われてるみたいだった。
やっぱり芹沢くんはアタシじゃなくて友希那のことが好きなんだって思い知らされている気分だった。
だからアタシは芹沢くんから逃げた。誰よりも彼を想ってる自信があるのに気まずいからって逃げ出したんだ」
「かっこ悪いでしょ?」
そう言って不器用に笑えば紗夜は眉をひそめていた。
話したことに後悔はないしアタシが思っていることは全部言った。だけどやっぱ、今言うべきではなかったかもしれない。せめてライブが終わるまで待つべきだったかも。
ここで紗夜とまで変な空気になったら元も子とない……。
「なるほど。そんなことを思っていたのね」
「っ!……友希那」
アタシたちの会話に突然参加してきたのは友希那だった。片手にはアタシたちと同じコップが握られている。
「湊さん。盗み聞きなんてタチが悪いですよ」
「偶然よ。私は飲み物を買いに来ただけだもの」
まさか友希那に聞かれてたなんて。想定外どころの騒ぎじゃない。
どうしようどこまで聞かれた。今の話を聞いて友希那は何を思った。アタシに何を抱いた。
わからない。今幼なじみが何を考えているのかアタシにはわからない。
「リサは翔が好きなのは私だって、そう思っているのね」
「……それがどうかしたの」
「そんなの妄想にすぎないわ。くだらない妄想をしている暇があるなら練習に集中しなさい」
友希那から告げられたのは無慈悲な言葉だった。
普段なら簡単に流せていたであろう言葉。だけど今のアタシを怒らせるには十分すぎた。
「湊さん。いくらなんでもその言い方は……」
「なに、それ。アタシが考えてること全部ムダだって言いたいの!?」
「……そうね。そう言っているわ」
「勝手なこと言わないでよ!何回、何十回アタシが考えてきたと思ってるの!?それなのにその悩んでる時間を簡単に否定して、芹沢くんに好かれてる友希那にはアタシの気持ちなんてわかんないよ!!」
「……ええ。わからないわ。そうやって簡単に自分の想いを捨てようとする人のことなんて、いくら幼なじみでも理解できないもの」
「ッ!」
「湊さん!言いすぎです!」
「紗夜は黙ってて。貴方は関係ないわ」
仲裁に入ろうとした紗夜を友希那は退ける。
友希那との一体一のケンカ。そんなのしたのいつぶりだろう。なんてどうでもいいことを考えていた。
「リサ、貴方は盛大な勘違いをしているわ」
「勘違い?なにそれ」
「翔の想い人は私じゃない」
「なんでそれを友希那が断言できるの。本人に聞いたわけじゃないんでしょ?ならそんなの憶測でしか!」
「憶測じゃないわ。私は絶対違うのよ。確信を持って言えるわ」
「どこからそんな自信が湧いてくるの」
「簡単なことよ。だって私は」
翔に告白して、フラれているもの。
「「っ!?」」
友希那から告げられたのは想定外の真実だった。
「ちょ、ちょっと待て!いつ、ていうかなんで……」
「告白したのは二週間くらい前ね。それになんでと言われても好きだから、と以外言えないわ」
「え、うそ……だって……」
「嘘だと思うのなら翔に聞いてみなさい」
アタシは混乱していた。
だって芹沢くんの想い人はずっと友希那だとばかり思っていたから。それ以外はありえないと思っていた。
なのにその友希那が芹沢くんにフラれた?なんでどうして。それならなんで芹沢くんはアタシの前でいかにも友希那が想い人であるかのように装ってたの?
意味がわからない。
「リサ。貴方は私と違ってフラれたわけじゃない。だからその恋を諦める必要はないと思うわ」
「……けど、芹沢くんがアタシを好きになるかどうかなんて……」
「はぁ……揃いも揃ってめんどくさいわね」
「へ?」
「リサ、貴方今度のライブが終わったら翔に告白しなさい」
「えぇ!?」
今日は何度驚かされればいいのだろうか。友希那に大人しくしているように言われていた紗夜もこれには反論せざるを得なかった。
「み、湊さん?それはいくらなんでも横暴なのではないですか?」
「そんなことないわよ。だってリサは翔のことで練習に支障をきたすまで悩み続けている。ライブが終わった後も長々とモヤモヤとした気持ちを抱えられるのは困るもの。それで場の空気を乱しては意味がないことくらい紗夜もわかっているでしょう。それなら言ってスッキリした方がいいわ」
友希那の言葉にハッとした。
確かにアタシはずっと芹沢くんから逃げてばかりで今までちゃんと向き合ったことはなかったかもしれない。
……なら、これは彼ときちんと話せるチャンスなんだ。
「言いたいことはわかりますが、それこそ今井さんのペースがあるのではないですか?そんな無理矢理させたって……」
「……うん。わかった。やるよ」
「い、今井さん!?」
「友希那の言ってることわかるもん。逃げて、逃げ続けたって何も解決しない。だったら玉砕覚悟でいくのも手だよね」
「ええ。そう言うことよ」
「……まあ、今井さんがそういうのなら止めませんが」
紗夜はため息をついて、友希那は優しい笑みで、アタシのことを見ていた。それに対してアタシはどんな顔をするのが正解かな。
苦笑い?告白することに対して不安そうな顔?
……どれも違うよね。せっかく
「やっと今井さんらしい表情になったわね」
「これならこの後の練習は大丈夫そうね」
「うん!任せてよ!いい演奏するからさ!」
うじうじ悩んでいた過去の自分よりも今の自分の方が何倍もいい。前を向いていればそのうちきっと。
ねぇ芹沢くん、アタシはキミのことが____。
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アタシの彼氏
その日はRoseliaの練習を終えて、お母さんに頼まれた夕飯の食材を買って帰るところだった。
「あっ……」
「今井さん……」
いつも通っている道。曲がり角を曲がった先には芹沢くんがいた。
Roseliaの曲を口ずさんでるんるんな気分だったのに一瞬で空気が気まずいものに変わった。
アタシは何を言えばいいのかわからずに佇んで、芹沢くんはその瞳でアタシを捉えたまま何も言わない。何を言わずにアタシの隣をすり抜ける。
「ま、待って芹沢くん!」
気づけば呼び止めていた。困惑顔の彼と目が合う。
「……何か、用だった?」
「え、えっと……その……」
ライブに誘う。ただそれだけ。前も簡単にできたじゃん。そうは思ってもアタシの口からライブに関する言葉は出てこない。
「せ、芹沢くんは、こんなところで何してたの?」
「散歩だよ。ちゃんと、見ておきたくて」
「へ、へぇー。そうだったんだ」
「……今井さんは買い物帰り?」
「そ、そうなんだ!練習帰りにお母さんに頼まれて」
なんでもない会話は簡単にできてしまうのに。
結局のところ、芹沢くんに断られるかもしれない未来を見て怖気づいているだけにすぎない。だからアタシは答えを先延ばしにしている。
気づいているのに、どうしてアタシには大切な場面で勇気が足りないんだろう。
意気地ない自分に笑えてきた。
「持つよ」
「へ?ちょ、芹沢くん!?」
なぜか芹沢くんは突然アタシの買い物袋を奪い取った。動揺しているアタシに対してそのまま歩き出した。置き去りにされかけたアタシは慌てて彼のことを追いかける。
隣に並んだ彼は横目でアタシを見ていつも見せてくれる笑みを見せた。
「今の僕は今井さんの彼氏でしょ。家まで送るよ」
「っ!?……うん」
そういうことサラッと言っちゃうからアタシの心臓は心底穏やかじゃない。
例え関係がニセモノでも、一緒に過ごしている時間は本物だ。
「……芹沢くんは散歩とか、よくするの?」
「いや。滅多にしないよ」
じゃあ今日の芹沢くんはレアってことだ。アタシはいいタイミングで会ったのかもしれない。
「今井さんは、いつもこの時間に帰ってるの?」
「そうだね。Roseliaの練習自体はいつもより早く終わったんだけど買い物に行ってたから結局遅くなっちゃった」
「変出者出るらしいから気をつけてね」
「えぇ!?そうなの!?」
「知らなかったんだ。ニュースでやってたのに」
クスクス笑う芹沢くん。
最近はベースの練習ばかりしていたからニュースとか全然見てなかった。そう言えばお母さんがそれっぽいこと言ってたっけ。
「気をつけるって言っても、いざそういう人が出てきたらどうすればいいんだろう」
「それは僕に聞かれても……まあ、全速力で逃げてコンビニとかに入るのが安全じゃない?」
「確かに。遭遇したらそうしよう」
「なんで遭遇する前提なの?」
「絶対に遭遇しないって言い切るよりはいいでしよ?」
「まあね」
一度話してしまえば不思議なことに気まずさは消えていた。前みたいに仲良く話せている。その事実がただ嬉しかった。
ふと、視線を落とす。アタシがいる方と反対側にはアタシの買い物袋があった。近い方の手には、何もない。
その手を握りたかった。
触れたいけど触れられない。それがもどかしいものであることをアタシは知らなかった。
隣にいるのに。その手はあと15センチ伸ばせば掴めるのに。
熱い。熱が集まって熱い。キミへの情熱が溢れて熱い。こんなにもキミを思っているのに。
想いを早く、伝えてしまいたいと思う。
「「あのさ」」
その声はぴったり重なってお互いに顔を見合わせた。
驚いた顔。きっとアタシも同じ顔。笑いあって始まるのは譲り合い。
「今井さんからどうぞ」
芹沢くんが譲ってくれたこともあってアタシから話すことになった。
一気に緊張がアタシに迫る。だけどもう逃げられない。だからアタシは芹沢くんと向き合う。
「こ、今度の金曜空いてる?」
「金曜って二十三日?」
「そ、そう!二十三日」
「……今のところ予定はないけど」
「そっか。よかった」
ふぅーと息を吐いて、カバンの中から封筒を取り出した。開封する前に芹沢くんに手渡す。
「これ、ライブのチケット」
「チケット?」
芹沢くんは中身を取り出してそのチケットをまじまじと見ていた。
「これ、僕に?」
「うん。関係者席だからステージからは少し遠いけど……」
「……僕に渡していいの?」
「当たり前じゃん。じゃなきゃ渡してないし。それに……今はアタシの彼氏なんでしょ?なら、ライブ見に来てもおかしくないし」
顔が熱い。自分で言って恥ずかしくなってつい視線を逸らした。
そんなアタシの行動を見て芹沢くんは笑う。何がおかしいのかわからないくらい笑っていた。
「せ、芹沢くん……?」
「あははっ!ごめんごめん。自分で彼氏なんて言っておいてすごく照れてたから。ほんと、今井さんって照れ屋だよね。初めて話したときはそんなこと全く思ってなかったよ」
「そ、それにしても笑いすぎだって!」
「ごめん」なんて言いつつも彼は笑っていた。恥ずかしくてアタシの顔はもっと赤くなる。
「けど、うん。ありがとう。ライブ、見させてもらうね」
「ほ、ほんと!?」
「もちろん本当だよ。楽しみにしてるね」
「任せて!最高の演奏を見せてあげるから!」
彼が見に来る。それだけで気合いの入り方は何倍も変わっていた。
なんてアタシは単純なんだろう。自分のことなのに笑えた。
「あっ」
「今井さん?」
「そう言えばさっき芹沢くんも何か言おうとしてたよね。何?」
そう問えば芹沢くんは「んー」と殻返事。星の出ている空を見上げて、立ち止まった。
「星って、綺麗だよね。雲に隠れたら見えなくなっちゃうけどそれはそれでいい」
「芹沢くん……?」
彼をミステリアスだと思ったのは初めてだった。
「どこにいても星は同じように見えるんだ。だから僕は星が好きなんだよ」
「そ、そうなんだ」
どうして急にこんな話をしてきたんだろう。彼の意図が読めない。
「今井さんは、星とか好き?」
「え?ま、まあ嫌いではないかな」
彼は横目でアタシを見た。細めで口角を上げる。
「よかった」と呟かれ、首を傾げることしかできない。
「あの、芹沢くん」
「ん?どうかしたの?」
「なんで急に星の話?」
「……なんでだろ。したくなったから?」
「着いたよ」と彼の足が止まる。ふと彼の視線の先を見ればそこにはアタシの家があった。
楽しい時間というのはあっという間だ。
こうやって、ずっと話していたいと思うアタシの意思を無視して過ぎていく。
時間とはなぜ有限なのだろう。
こんな哲学的なこと、アタシが考えたってわかりやしないのに。
当たり前になっていることを、考えたって仕方ないのに。
「またね今井さん」
買い物袋をアタシに渡し彼は言う。
手を振り来た道を引き返す彼のことをアタシは目で追った。
その姿が見えなくなるまで、ずっと追っていた。
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キミへの想い
ライブ当日も普段と変わらない朝が来た。
「……よしっ!」
決意は固まった。
アタシはベースを背負って家を出る。すぐライブ会場には向かわず隣の家のインターホンを鳴らした。直後扉が開く。
いつもと変わらない表情。だけど心の奥はとても熱く燃えていることだろう。
「おはよー友希那」
「おはようリサ。行きましょう」
アタシの隣を歩いてくれるのが友希那でよかった。本音をぶつけた今だからより一層そんなことを思うのかもしれない。
「ねえ友希那」
「何かしら」
今日のライブは芹沢くんも見に来る。
そのことは当然友希那も知っていた。
「今日のライブ、最高の演奏にしようね!」
アタシは彼にいいものを見せてあげたかった。
その想いで友希那に笑顔を向ける。
「当たり前よ。それ以外ありえないわ」
友希那は珍しく挑発的な笑顔だった。
アタシの本気は伝わったみたい。
「会場にいる全員をRoseliaの
「あははっ。さすが友希那」
「リサも同じ思いでしょう?」
「ふふっ。まぁね」
考えていることは、きっとみんな同じ。それとプラスでどんな想いを抱いているか。今日重要なのはきっとそれだけ。
控え室の扉を開く。笑顔のみんなに気持ちは高まっていた。
リハを終え、残すは本番のみになった。アタシはステージ袖から会場内を覗く。
会場内は超満員。みんな待ちきれないのか既にペンライトを振っていた。
そんな一階席から目を離しアタシは関係者席に目を向けた。
友希那が呼んだ音楽会社のプロデューサーのすぐ隣に芹沢くんはいた。ちゃんと来てくれたことに嬉しくなる。
だけどどうしてかキミは浮かない顔をしていた。悲しげな顔だった。
会場の空気にもキミの雰囲気にも合っていなかった。
どうしてそんな表情をしているのか気になって仕方なかった。
「リサ姉どうかしたの?」
「へ?」
そんなアタシに声を掛けたのはあこだった。
スティックを片手にアタシを見て首を傾げている。
「な、なんでもないよ、なんでも」
ライブ前にRoseliaの最年少に心配をかけるわけにはいかなくてアタシは咄嗟にウソをついた。それに対してあこはアタシにジト目を向けていた。
なんとなく誤魔化せなさそうだと思った。
「あっ!わかった!リサ姉緊張してるんでしょ!」
どうやらあこはアタシの変化を緊張ととらえたらしい。間違ってはいないから否定はできなかった。
「大丈夫だよリサ姉!上手くいくよ!だってあこたち宇宙一かっこいいバンドだもん!!」
「あっははっ!うん。あこの言う通りだね!」
堂々と胸を張ってそう言うもんだからつい笑顔になってしまう。あこらしくて正しい。頭を撫でてあげれば気持ちよさそうな声を出した。
「あこ、猫みたいだね」
「猫か~。あこ猫よりもっとかっこいいのがいいな~」
「あははっ。基準そこなんだね」
「けどリサ姉。芹沢さんが来てるなら全力で楽しんで笑顔のリサ姉を見せた方が絶対いいよ」
「……うん。そうだね」
あこは子供っぽいけど時折誰よりもいいことを言う。今日がその時らしい。この子は人を笑顔にするのが得意だ。
芹沢くんがどんな表情をしていても関係ないよね。アタシはアタシの演奏で芹沢くんを笑顔にすればいいんだ。
簡単なことだよね。アタシは自分を、アタシのことを信じてくれる仲間たちを信じて弾けばいい。それだけのことだから。
「リサ」
友希那がアタシの名前を呼ぶ。振り返ればアタシやあこと同じように燐子の作った衣装を身に纏った三人がいた。
もう準備はばっちりみたいだ。
「時間よ。私たちの音楽を聴きに来た人たちが待っているわ」
集まったアタシたちは円陣を組んだ。片手を前に出し重ねていく。
「貴方たち、私について来てくれる?」
「当然です」
「もちろんです!」
「……はい……」
「言わなくても答えは決まってるよ」
「なら全力でやりきりましょう。
友希那はステージに向かって歩き出す。アタシたちもそれに続いた。
忘れられない最高への始まりだ。
ライブは、今までで一番いいものになった。
誰一人間違えることはない。
真剣に、みんな笑顔で目を合わせて。
最高の形でライブを終わらせることができたと思う。
大切なライブは幕を閉じた。
だけどアタシにとってはここからが本番だ。
「リサ。片付けなら私たちでやっておくわよ」
「え?」
衣装から私服に着替え、控え室の片づけをしようとしていたら友希那にそう言われた。キョトンとしていると隣にいた紗夜にため息をつかれる。
「今日は、芹沢さんに想いを伝えるんでしょう。ならここで時間を使っている場合なの?」
「さ、紗夜……」
「別にリサがいなくたって片づけくらい時間以内に終わらせられるわ。だから早く翔のところに行きなさい」
そう言う二人に逆らえる気はしなかった。逆らったらめちゃくちゃ怒られそうだし。
それにその気遣いを無下にするほどアタシは鈍感じゃない。
「……ありがとう。行ってくるね」
アタシはカバンを持って控え室を飛び出した。途中であこと燐子とすれ違ったけど今日ばかりは「また明日」とだけ言って走った。まあ明日、Roseliaの練習はないんだけど。
片付けをするスタッフさんたちを避けてアタシは階段を駆け上がる。関係者席入口と書かれた扉を開けばそこにはまだ人が残っていた。
一人は芹沢くん。そしてもう一人は、あの音楽会社のプロデューサーだ。何やら話をしている様子。アタシが見ていることには気づいていないみたいだった。
「だから何度も言っているでしょう。今更言ったって僕たちの意思は変わりませんよ」
「まあそう言うな。私が出している提案はそれほど悪いものではないだろう」
「いいかどうかは関係ない。僕が貴方の提案を飲む気がないのは、貴方たちの行いのせいだろう」
なんだろう。何の話かわからないけど聞いちゃいけない気がする。
そう思って扉を閉めようとした瞬間。
「そう怒るな。湊のバンドが解散したのは何も私たちのせいではないのだからな」
「え……」
「そう思っている段階で、何の罪も感じていないのでしょう」
湊のバンド。あのプロデューサーが指しているその名前はきっと友希那のお父さんのこと。だけどなんでその名前が今飛び交う。だって芹沢くんに何の関係も……。
「あっ……」
「……Roseliaの」
「今井さん?」
気を抜いて扉にもたれかかれば扉が開いてギーと音を立てて開きバレてしまった。
「なんだね。私は今彼と大切な話をしているのだが」
「大丈夫だよ今井さん。もう話は終わったから」
「っ!何を」
「今更、貴方方と手を組む気はないんですよ。僕も、父さんも」
そう言い残し芹沢くんは歩き出す。「お待たせ。待たせてごめんね」なんて言って見慣れた笑顔を見せた。約束はしていなかったのに、ここから逃げるための演技かな。
歩き出す芹沢くんに続く。ふと関係者席を見ればプロデューサーが怒りに満ちた表情をしていた。見なかったことにしてアタシは歩き出した。
「芹沢くん、さっきの話……」
「なんでもないよ。今井さんは気にしないで」
そんなこと言われたって気にしてしまうのに。
「そのうち話すから」って、キミの言うそのうちっていつなの。
「それより今井さん、どうしたの。迎えに来るなんて」
「へ!?あ、いや、別になんでもないよ。いつも迎えに来てもらってるから今日は迎えに行こうかと思って」
ウソ。そんなのウソじゃん。そんな言葉じゃ彼には何も伝わらない。
天然タラシな彼には多分、ストレートな言葉じゃなきゃ伝わらない。
だったら。
「……ごめん。ウソついた」
「え?」
「迎えに行こうと思ってたってのは、建前。本当は、芹沢くんに言いたいことがあったから」
「言いたいこと?」
「うん……」
深呼吸。キミには伝えるならどんな言葉で着飾った方がいいのかな。
きっかけとか、話してみた方がいいのかな。どうなんだろう。告白って初めてだからわかんない。
「え、えっと……あのね……」
「……今井さん。ゆっくりでいいよ」
あぁ。どうしてキミはそんなに優しいんだろう。そんな風に言われたらもっと好きになっちゃうじゃん。
「ねぇ、芹沢くん」
気づけば簡単に切り出していた。さっきまで悩んでいたのがウソのよう。
なんで、直前まであんなに悩んでいたんだろう。告白の仕方がわからないなら、自分の想いをそのまま言葉にすればいいだけじゃん。
「アタシ、芹沢くんのことが____」
prrrrr
「「っ!?」」
アタシが言葉を全て口にする前に電話のコールが鳴った。アタシはこんな着信音にしていないから多分芹沢くんのもの。
「ごめん」と謝ってから芹沢くんはそれを取った。
タイミング、最悪。その音に驚いて、心臓がありえないほどバクバク動いていた。出かけていた言葉が喉の奥に突っ掛かる。
「父さんからだった。何時に帰るんだって聞かれたよ」
「そ、そっか。なんて返したの」
「今から帰るって」
アタシはまたぎこちない。だってさっきまでアタシ告白しようとしてたじゃん。それなのにそんな邪魔のされ方ある?
さっきまでは多少雰囲気あったし勢いでどうにかできた。だけど雰囲気も何もない状況で、アタシに告白できる自信はなかった。
「……」
「……」
無言。流れる静寂。空気は重い。
アタシはここから何を切り出せばいいのかわからない。
「……じゃあ僕は帰るね」
「あ……」
このまま帰ってしまったら一生言えない気がする。けど芹沢くんはもう帰らないといけない。なら。
「あ、明日!午後五時三十分!CIRCLEに来て!!」
ただ全力だった。
勉強もバンド練習も恋愛も何もかも全力でやっていたから。
だから中途半端で終わらせたくなかった。
キミに、アタシの本気の言葉を伝えたかった。
キミは少し戸惑って、視線を泳がす。けどすぐアタシのことを見つめた。真剣な眼差しを向けて、そして笑った。
「うん。わかった。また明日ね」
いつも通りの笑顔だった。だからアタシは安心した。
今までと同じような日常が明日も続くんだって信じて疑わなかった。
それがなくなると、そう知ったのは次の日。
彼はアタシに、大きなウソをついていた。
アタシは彼の言葉を信じて疑わなかった。
だって今まで約束を破られたことはなかったから。
だからアタシは彼のついたウソに気づけなかった。
次の日なんてそんなもの、アタシたちの関係には存在していなかった。
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キミのついたウソ
「それじゃあライブ成功を祝って、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「「乾杯」」
「か、乾杯……!」
グラスのぶつかる音が響く。
元気な声で乾杯の声が聞こえたのは後輩の一つだけ。他は静かに淡々とした声の乾杯だった。苦笑いしつつも、それがアタシたちらしくていいと思った。
今日は昨日のライブの打ち上げ。昨日の夜急遽決まった予定だった。
幸い朝から用事が入っている人はいなくて、話し合いの結果昼過ぎから集まることになったのだ。
場所はいつもお世話になってるファミレス。
反省会も兼ねて集まったはずだけどやっぱり関係ない話の方が多い。一年前なら絶対にありえない光景。あの頃のアタシに教えてあげたいくらいだ。
「ライブ、楽しかったですね!お客さんみんな盛り上がってたしペンライトキレイだったなぁ!」
「宇田川さん、気持ちはわかりますがあまりはしゃがないでください。周りの迷惑になるわよ」
「ちょっとくらいなら大丈夫ですよ!」
「あははっ。あこはあいかわらず元気だね~。昨日あんなに演奏したのに疲れてないの?」
「確かに。結局お客さんからのアンコールでやる予定のなかった曲が三曲も増えてしまったからね」
どうしてもお客さんがアンコールと声を上げるのをやめなくて、結局やる予定のなかった三曲が増えてしまったのだ。
ただでさえ曲数多かったのにあれは楽しかったけどきつかった。
「……疲れ、ました……」
「けどまさかリハーサルでもやっていなかった曲をやることになるとは思いませんでしたよ」
「ね。友希那がそれやるって言うとはアタシも思わなかった」
「だけどあの曲は最初仮でできたセットリストにも含まれていた曲なのだから弾けることはわかっていたもの。現にちゃんと成功したじゃない」
「まあ、結果としてはそうだけどさ」
友希那がリハーサルでやらなかった曲をやるとは全員が想定外だった。最近アタシの幼なじみはみんなが想像してないようなことをやるのが好きみたいだ。
「今の貴方たちの技術なら絶対に成功すると思っていたもの。信じて正解だったみたいね」
「友希那……」
「友希那さん!!」
「ちょっとあこ!急に抱きつかないで!」
いつもと違う席順だから友希那の隣にはあこが座っていた。なんでもあこが隣がいいと志願したから。さっきからずっと友希那に向かって話しかけてるし楽しそうで何より。燐子なんて優しい笑みで見守っててお母さんみたいだ。
「そう言えば今井さん。どうだったんですか?」
「どうって何が?」
唐突な紗夜にアタシは首を傾げた。そのままドリンクバーで取ってきたジュースを飲む。
「芹沢さんに告白できました?」
「ぶふっ!」
「え!?リサ姉、芹沢さんに告白したの!?」
紗夜の唐突な言葉でアタシはむせてしまった。そしてその言葉に反応したあこが食いつく。テーブルに手をついて身を乗り出すその姿に苦笑いしかできなかった。
「いつ!?ねえリサ姉!いつ告白したの!?」
あこはこの手の話題すきだからなぁ……。食いつき方がいつも以上だ。
「あ、あこ落ち着いて。ちゃんと話すから」
とりあえずあこを落ち着かせてアタシはみんなと向き合う。そして昨日のことを順を追って話すことにした。多分、隠していてもすぐにバレてしまうだろうからそれなら言った方がいいと思った。
ライブに芹沢くんを誘ったこと。
そのライブの後に芹沢くんに告白しようとしていたこと。
告白しようにもどんな言葉を伝えればいいのかわからなかったこと。
それでもストレートな言葉で彼に想いを伝えようとしたこと。
タイミング悪く伝えきる前に電話が掛かってきたこと。
二度目は、上手く伝えられなかったこと。
だから今日改めて伝えに行くということ。
全部全部、話した。
アタシの想いを全部、話した。
みんな何を思ったんだろう。そう思って顔を見渡せば一つ、明らかな動揺があった。
「ちょっと待ちなさい。ということは昨日、何も伝えられてないの?」
「あはは……。友希那と紗夜に背中押してもらったのにかっこ悪いよね。だけど今日はちゃんと……」
「なんで昨日言ってくれなかったのよ!!」
「「「「っ!?」」」」
突然の友希那の大声にアタシたちは肩を揺らす。お客さん数名がこちらを覗いていたがそれを無視して友希那はアタシに言葉を投げ続ける。
「昨日知っていたら私は!ここで呑気に過ごしていなかったわ!!」
「み、湊さん!?」
「ちょ、落ち着いてよ友希那!」
「落ち着いていられるわけないでしょう!?」
訳がわからない。どうして友希那は告白できなかったことに怒っているの。確かにアタシは昨日告白できなかった。けど今日告白するって話をしてたのに。
何を、取り乱しているの……?
友希那はスマホを突然操作し始める。そしてそれが終わり次第立ち上がってアタシの手を掴んだ。
「行くわよリサ!今ならまだ間に合うかもしれないわ!」
「間に合うって何の話?ていうかどこ行くの!?」
「空港よ!!」
困惑するアタシたちを放置し友希那は紗夜にお金を預けた。預け次第アタシのことを引っ張る。こんなに強引な友希那は初めてだった。
紗夜の呼び声にも友希那は反応しなかった。反応してる場合じゃないって感じだった。
ファミレスから出て、数分待っていれば友希那のお父さんが車で現れた。さっきのはおじさんに連絡していたらしい。だが今のアタシにはその行動ですら疑問だらけ。
「お父さん空港までお願い!」
「ああ。任せろ」
「ちょっと友希那!いい加減に説明してよ!なんでアタシは空港に連れて行かれてるのさ!」
そうアタシが説明を促せば友希那は焦り顔のままこちらを向いた。そして衝撃的なことを言い放つ。
「翔が今日日本を発つからよ」
「……え?」
芹沢くんが日本を発つ?それはどういうこと。そんな話一度も。
「その反応はやっぱり翔が海外に行くって話は聞いてなかったのね」
「どういうこと!?なんで芹沢くんが海外に!?」
「順を追って説明するから落ち着きなさい」
友希那はファミレスにいた時と違って冷静だった。ふぅーと息を吐いて話し始めた。
「翔のお父さんはプロのギタリストなの。そして昔、私のお父さんと同じバンドで活動していた。解散してからも翔のお父さんはギタリストとして活動を続けていたの。そして今回、海外進出が決まった。これはすごいことよ。そして私たちにとっては悲しいことにも繋がった。
翔も海外についていくことにしたの。そして今日が出発の日」
芹沢くんがアタシについていたウソが、剥がれ落ちていく。
「す、すぐに戻ってくるんだよね!?」
「わからないわ。二、三年で戻ってくるかもしれないし、もう戻ってこないかもしれない」
突然のお別れにアタシは何一つ納得できていなかった。
「ま、待ってよ!海外についていくのはわかるよ!?けどなんでアタシには言ってくれなかったの!?だって芹沢くんはアタシの!」
「リサは知らないでしょう。翔がリサについた最大の嘘を」
「ウソ……?」
「翔は貴方に恋人役を頼んだ時に『女子大生に告白されてそれを断るために期間限定で恋人になってほしい』とそう言われたんでしょう」
「う、うん。そうだけど」
「もし、翔がそんな女子大生に告白されていないって言ったらどうする」
「え……」
何を言っているのだろうと思った。
だって、そんなのこの関係を作る必要がない。そんなこと、する必要が全くない。
ならなんで芹沢くんは……。
その時、アタシの脳裏には一つの可能性が浮かんだ。
だけどそんなことありえるわけがないと首を振る。
だってそんなのアタシの妄想に過ぎない。
そう考えないとアタシはいいようにとらえてしまう。
「……翔が何をもってリサを必要のない恋人役に任命したのか。言わなくてもわかるでしょう」
認めざるを得ない状況だった。アタシは下唇を噛みしめる。
わかるよ。そこまで言われたら、わかっちゃうよ。
だけどどうして今なの。どうして今、その事実に気づいちゃったの。
気づくチャンスなんて、いくらでもあった。芹沢くんはアタシと一緒にいてくれたんだから気づくチャンスなんていくらでもあったのに!!
空港に着き次第アタシはおじさんにお礼を言って走り出した。友希那の案内に従って国際線の中を走り回る。
だけど芹沢くんの姿はどこにもない。
そして友希那が電光掲示板を見て、足を止めた。
その行動に、アタシはすべてを察した。
あぁ。間に合わなかった。
アタシ、今まで何してたんだろう。
芹沢くんと一緒にいられる時間は有限じゃない。
そんなこと、わかっていたくせに。
また、あの日常がやってくると思っていた。
また、芹沢くんの隣にいられると思っていた。
また、あの笑顔を近くで見られると思っていた。
全部、アタシの驕りだ。
絶対なんてもの、この世にはないのに。
大切なものは、いなくなってから大切だと気づく。
大切で悩みすぎていたからこそ、気づくことはあまりにも遅すぎた。
空港内で泣き続けるアタシ。
友希那は何も言わずに抱きしめてくれた。
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キミからの想い
午後四時二十分。アタシにあったのは虚無感だった。芹沢くんの想いに気づけず、それどころか自分の想いに気づかないフリをしてきた付けが回ってきたのだと解釈した。
神様はアタシに怒ったのだろうか。あまりに意気地ないから二度と会わせないと思ってしまったのだろうか。
そんなのあんまりだ。
やっと自覚できたのに。
やっと、友希那たちの手を借りてだけど決意を固めたのに。
やっと……伝えられると思っていたのに。
これも自業自得なのかな。
もう、わかんない。
どうするのが正解だったのかすら、わからないよ。
「リサ、着いたわよ」
あの後泣き続けたアタシの手を友希那は引いてくれた。引いて車まで案内してくれた。
周りからは変な目を向けられていたかもしれない。それでも友希那は何も言わずに手を引いてくれた。
アタシのために、引いてくれた。
車の中は無言だった。アタシはずっと俯いていた。
そんなアタシに友希那は声を掛ける。家に着いたのだろう。そう思って視線を上げた。
「え……なんで……?」
目の前にあったのはCIRCLEだった。首を傾げるアタシとは裏腹に友希那はテキパキと車から降りていく。そしてアタシの手を引いた。
「待ってよ友希那。なんでCIRCLEなの……」
「話はまず、アレを受け取ってからよ」
また友希那はアタシにわからないこと言う。
手を引かれたまま中に入った。
そこにはまりなさんがいた。
「リサちゃん、待ってたよ」
待ってたって何。アタシまりなさんと何か約束してたっけ?そんな記憶全くないのだからきっとまりなさんとの約束なんてない。だけどその約束を友希那だけが知っていた。
「まりなさん」
「うん。ちゃんとわかってるよ。先に一番のスタジオに行ってて」
まりなさんの言葉に従って友希那は歩いていく。
手が離れないからアタシもそれに続いた。
スタジオに入ってから約一分後、まりなさんは現れた。
さっきと違うのは手に箱を持っているという点だろうか。
まりなさんは少しだけ言いにくそうな表情をして、手に持っていた箱を差し出す。
「今日の朝、これを預かったの。今日、リサちゃんに渡してほしいって言われて」
バレンタインデーのプレゼント用のチョコのように綺麗に包装された箱。それほど大きくはない。重くもない。
どこにでもある、ただの箱だった。
「預かったって、誰から」
「翔くんだよ」
その名前を聞いた瞬間にその箱が少しだけ重くなった気がした。
アタシがずっと想っている人物の名前を、ここで聞くことになるとは思っていなかった。
丁寧にラッピングを剥がしていく。中から出て来た白い箱。そして手紙。
『今井リサ様へ』
達筆なそれはあの日日誌を書いていた彼の字と同じだった。
薔薇のスタンプを剥がして中身を抜き取る。
二つ折りにされている手紙をそっと開く。六枚ある手紙の書き出しにはこうあった。
『手紙という形になることを許してほしい。今から綴るのは僕から君へ送る真実だ。どうか最後まで聞いてほしい。
僕は父さんの都合で海外に行くことになった。君が手紙を受け取った頃にはもう空の上だと思う』
友希那が言ったことは真実だった。
同時に日本から彼がいなくなった現実を押し付けられる。
理解、したくなかった。なぜ彼がこんな文を書いているのかも、なぜアタシに送ったのかも、知りたくはない。
だってもうアタシはそれを知ってしまっているから。こんな形で知りたくはない。
それを知って認めてしまったら、想いが爆発して戻れなくなりそうだった。
続きを読むのが怖くなってアタシはそっと手紙を閉じた。
「読まなくていいの?」
友希那が問う。
「……読めないよ」
アタシはそう返した。
「そう」と短い言葉が返ってくる。
アタシは既に泣きそうだった。
「別に、読みたくないというのなら私は強制しないわ。だけどそこに書かれていることはすべて真実だと私は思っている。色々なことが書かれているはずだから、もしかしたらリサが辛くなるようなこともあるかもしれない。
だけど私は読むべきだと思うわ。彼を想っているのなら、なおさら。
それとも、あんな別れ方をされて嫌いになった?」
首を横に振る。
アタシが彼のことを嫌いになるだなんてありえなかった。
「なら、読んであげて。その方が翔も喜ぶわ。
それに手紙を貰ったのはリサなのよ。好きなように解釈すればいいと思うわ」
それだけ言って友希那はまりなさんと一緒にスタジオから出て行った。
アタシはおそるおそる手紙を開き直した。
『直接伝えるべきだということは理解しているよ。だけど僕にはそんな勇気なんてなかったんだ。
君には謝らないといけないことがある。だからまずはその謝罪からさせてほしい。僕は君にとんでもないウソをついていたんだ。
君に恋人役を頼んだ時に僕は、二つ上の女子大生に告白されて断ったけどあまりにもしつこくてつい恋人がいるとウソをついた。そうしたら証拠を見せてほしいと頼まれた。だから君に期間限定の恋人になってほしいと頼んだ。
君はその頼みを嫌な顔せずに受けてくれたよね。正直、嬉しかったんだ。だけどその嬉しさは恋人役ができたことにあるわけじゃない。
今だから言えるのはこの時既に僕のウソは始まっていたんだ。
そもそも僕に告白してきた女子大生なんていないんだよ。あの話は全部、僕の作り話だ。君はそんな作り話を疑うことなく信じてくれたよね。そんな優しいところも今井さんの魅力かな。
僕がウソをついた理由は一つだけ。もう、君ならきづいているかもしれない。それでも言わせてほしい』
____僕は、今井リサさん。君のことが好きです。
『何がきっかけかは正直覚えていない。
偶然クラスが一緒で、みんなよりも君は派手に見えた。最初は近寄りがたい人なのかと思っていた。
だけど君は見た目こそ派手で雑そうなのに誰よりも周りを見ている人だってことに気づいたんだ。
気遣い上手で困っている人を見つけたら放っておかない。
見た目に反したその行動に、いつの間にか僕は君のことを目で追っていたんだ。
声を掛けてみたら話しやすくて君の優しさを知った。
君に触れあえば触れあうだけ、君への想いは強くなっていったんだ。
本当なら、普通に告白したかった。
できるものなら本物の恋人になりたかった。
だけど僕にはそれができなかった。
その理由が父さんの仕事のことだった。
元々は友希那のお父さんと一緒に活動していた僕の父さんだけどバンドが解散してからは一人ぼっちに近かった。同じようにバンドをしていた仲間たちが解散を機に音楽から離れていく。そんな光景を間近で見てきた父さんは口癖のように言っていたんだ。
「俺たちの音楽はこんなところで止まっていいもんじゃない。だから俺は一人でも絶対に折れたりしないさ」
その言葉で今まで頑張ってきた。そしてその頑張りを僕たち家族も応援していた。だから実力が認められて海外に行くと決まった日、僕は父さんについて行くことを決めた。だって父さんの夢が一歩前に進んだから。そんな有言実行できるかっこいい父さんの活躍を近くで見ていたかったから。
けどそれは同時に終わりでもあった。
海外に行くと決めた以上日本を離れるという事実は消せない。だから僕は最後にやりたいことをやり遂げることにしたんだ。
それが、あのウソの正体なんだ。
きっと告白して成功したとしても何年離れることになるかわからなかった。数年だけかもしれないし、もしかしたら一生あっちで暮らすかもしれない。
そんな状況で、告白することは到底僕にはできなかったんだ。
だから恋人役と言って、想いを役の裏に隠して君と一緒にいることを選んだんだ。
恋人役なら色々なところに不思議に思われることなく出かけられると思った。
初めて行った水族館も、お揃いのキーホルダーも、君が聞かせてくれたベースの音色も、バイトで頑張る君の姿も、ライブでのかっこよさも、一緒にタピオカを飲んだことも、そして遊園地で遊んだことも。
全部全部全部全部。僕にとっては宝物の時間だった。
ありがとう。君を利用してごめんなさい。
僕に後悔はないんだ。
こうやって本来なら伝えられない想いも伝えられているから。
だけど君は、きっと違うよね。
僕に言いたいことがあったと思う。君の、好きな人の変化に気づけないほど僕は鈍感じゃないからね。
わかってたよ君の想いは。知っていて、知らないフリをしていた。
最低だろ。最悪だろ。
それでも僕は君が好きだ。
ねぇ。君は僕のこと、好き?
なんてね。答えは今は聞けない。
もし僕が日本に戻ってきたら、もしもその時まで君の想いが変わっていなかったらその答えを聞かせてよ。
また君と会える日が来ることを願っています。
今まで本当にありがとう
芹沢翔』
アタシはすぐに白い箱に手をかけた。中身を見るために開く。
入っていたのはピックの五枚セットだった。色は左から順に赤、白、紫、ピンク、青。すぐにRoseliaのメンバーカラーだということが分かった。
そしてもう一つ。メッセージカードも入っていた。
『ハッピーバースデー。良い一年を』
そこには一日早い誕生日のメッセージ。ということはこれは誕生日プレゼントなのだろう。
芹沢くんが女の子にプレゼントをあげたことがないのはなんとなく察せた。
おかしくて笑みが零れてしまう。盛大に笑って、涙が零れた。
「芹沢くん、アタシ待ってるからね」
手紙はプレゼントと一緒に箱の中に戻してアタシはスタジオの扉を開く。
今日のアタシは昨日よりも胸を張って好きだと言えそうだった。
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約束
アタシたちは高校を卒業後別々の大学に進んだ。大学に進んだ後もRoseliaは続いている。活動はあの頃から変わっていない。
曲を作って、練習をして、ライブをして。
相も変わらず充実した日々を送っている。
もちろん大変な時期はあった。特に大学一年生の頃はみんな新しい学校に、紗夜と燐子に関しては一人暮らしを始めたからそれに慣れるのに大変で、Roseliaの練習に参加できなくなることなんてしょっちゅうだった。
あまりにも集まれなくて活動を一時的に停止させていたこともあった。
当時応援してくれていたファンの悲しい顔は今でも鮮明に思い出せる。それでもアタシたちが活動を再開すればまた応援してくれた。その時に見た表情はみんな笑顔だった。それが何よりも嬉しくて、ステージに立った時の帰ってきた感覚は今でも忘れられない。
よく考えてみたら高校生の時のように衝突することはなくなっていた。
感情任せに発言することはない。全員が全員のことを尊重し、意見を出し合っていた。
みんながみんなの状況を把握して冷静に対処するだなんて、昔のアタシたちにはできなかったこと。みんな大人になったもんだと思った。結果、誰も文句を言わずにここまで来れた。
曲の数は増えた。演奏の技術も上がった。メンバーの仲も深まった。ファンの数も、あの頃とは比べ物にならない。だからこれは当然の運命だったのかもしれない。
アタシたちが大学三年生最後の日に開催した主催ライブ。そのライブがアタシたちがプロになるきっかけだった。
巷で話題になっていたアタシたち。主催ライブをやると知った音楽会社のプロデューサーがアタシたちのライブに足を運んでいたのだ。ライブが終わってから直々にスカウトされた。その日では何も答えられなかったから後日予定を合わせて会うことにした。
後日会ってきちんと五人で話を聞いた。その話に友希那は意外とよさそうな反応をしていた。あこは難しい話に頭を悩ませていたけど。
「少し考えさせてほしい」と友希那は言った。一週間後にまた会う約束を取り付けてその日の話は終いになった。
「皆、今日の話を聞いてどう思ったのかを教えてほしい。……とは言っても突然だもの。すぐに自分の意見がまとまるとは思っていないわ。
六日あげる。六日後のRoseliaの練習。その日に改めて問うわ。これからのRoseliaをどうしたいか。それまでに自分の意見をまとめておいてちょうだい」
みんなその言葉に頷いて、そしてその日は解散になった。
それからアタシたちはこれからのRoseliaを、これからのアタシたちを想像した。
授業を受けながら、友だちと遊びながら、Roseliaの練習に参加しながら、夜ベッドで横になりながら。この六日間はずっとRoseliaをどうしたいかを考えた。
そして、自分なりの答えをちゃんと見つけた。
Roseliaはアタシにとってかけがえのない居場所。だから迷いなんてなかった。
「意見は、まとまったかしら」
六日後、練習を始める前に行ったミーティングで友希那はみんなに問う。
「私から言うわね。
正直な話、最初このメンバーを集めた時は誰でもよかった。FWFに出られるのならどんなメンバーでも、どんな形でもよかった。それが昔の私だった。
だけどその考えは早々に変わったわ。今まで組んだバンドの中で貴方たちが一番良かった。演奏もだけど、人としても。関わりやすくて心地のいい空間。そんな場所は今までなかった。私は今の空間を壊したくはない。それにRoseliaはこれからも貴方たちでなければいけないと思っている。
だから私はどんな形であっても受け入れる覚悟はできているわ」
「私は、ここで大切なことを学んだわ。ギターだけしかないと思い込んでいた私に他の道を示してくれた。人間的に成長させてくれた。だからこそ一方的に遠ざけていた日菜とも今は仲良くなれた。貴方たちは私の力だというかもしれない。けれど私が日菜と向き合うことができたのは貴方たちと出会って変われたからだと思っているわ。だからこそ貴方たちには感謝以外の言葉が見つからない。そしてそれは口で伝えるだけでは足りないものだと思っている。
完璧な演奏で、私はそれを返していきたい。これまでもこれからも、私は貴方たちと共に歩んでいきたいわ」
「……ずっと、人前に出るのが苦手でした。……何をやるにも、一人じゃできなくて……誰かの役に立つなんて、できないと思っていました。…………人の視線が、怖かった。
……だけど、ここは違います。……私に居場所をくれた……私に勇気をくれた……私に、最高の音を奏でさせてくれた……他にもいろいろな経験をさせてくれた……皆さんは笑顔で私のことを受け入れてくれる、初めての居場所だったんです……。
だから私は……皆さんと、Roseliaと一緒なら……何も怖くないです」
「最初始めたのはさ、幼なじみとして友希那が心配だったから。関わってみたらみんな個性的で纏まりなくて。みんなはアタシのことを認めて『いてくれなきゃいけない人』って言ってくれたけど技術のないアタシがここにいていいのかなって正直不安だった。
だけど今は違うよ。みんなが認めてくれてるのはわかるしアタシもみんなを認めてる。これまでにないくらい最高で最強の五人が集まったって思ってる。
だからアタシは、その期待に全力で応えたいんだ」
「プロになることが今までの活動と比べてどれくらい変わるのか、あこにはわかりません。どれくらい忙しいのかも、何があるのかも、想像がつかない。
それでも!あこはみんなと一緒なら!超かっこいいRoseliaのみんなと一緒ならどんなことでもできちゃう気がします!
だからあこ、これからもずっとみんなと一緒にバンドができるならRoseliaに永久就職しちゃいますよ!!」
意見は三者三様、十人十色。だけど答えだけは全員が同じだった。
「これから大変になるわ。覚悟はできてる?」
「当たり前です」
「むしろ気合入りまくりだよね」
「わ、私は……実感わかないですけど……」
「大丈夫だよりんりん、あこもよくわかってないから」
こうしてRoseliaのプロ入りが決定した。正式にプロになったのはアタシたちが大学四年生、あこが大学二年生の年だった。
プロになりたての頃は、右も左もわからなくて苦戦だらけ。
雑誌のインタビューにCDのジャケット撮影、テレビやラジオの出演。何から何まで初めての経験だった。だけどその辺のことは業界的には先輩にあたるパスパレのメンバーに教えてもらうことでどうにかなっていた。
デビューしたての頃にパスパレとテレビに出れば紗夜と日菜が姉妹って話題で持ち切り。日菜は紗夜のことを話しすぎて怒られて。けど怒ってる紗夜もどこかまんざらでもなさそうだった。
__
友希那は大物アーティストさんとの対談、紗夜は日菜と二人で弾き語り、あこはバラエティ番組に出て、燐子はオンラインゲームを取り上げた番組のゲストに呼ばれ、アタシはファッション誌にモデルとして参加させてもらった。
本当に楽しい日々を送っていた。
そうしているうちに彼と別れてから六年の月日が経っていた。
彼のことを忘れた日はない。ずっと頭の片隅にいて、会えないことが寂しくて。それでもアタシたちの活躍をどこかで見てくれていることを願って頑張ってきた。
そして今日はライブの日。プロになって三度目のワンマンライブ。日付は八月二十五日。偶然にもアタシの二十三回目の誕生日の日。バースデーライブと呼ばれる日だった。
ファンからのフラワースタンドにもアタシも祝う言葉は多くて、アタシは気合が入りまくっていた。
曲終わり観客席からは五色のペンライトが波を作る。その波を見るのがアタシは好きだった。
「いやー。三曲続けて聞いてもらったんだけどどうだった?」
「やっぱりライブって楽しいね!だってあこたちの演奏でみんなの笑顔が見られるんだもん!」
「……うん。そうだね」
上がる歓声はアタシたちを熱くしていく。
「Roseliaは今年で結成七年目なの。今でこそ仲がいいけれど今まで色々なことがあったわ」
「そうね。ぶつかり合うことなんてしょっちゅうで解散しそうにもなったわね」
「それでもアタシたちはここまでやって来られたもんね~」
「……はい……このメンバーでなければ、ここまで来られなかったと思います……」
MCでは次の曲へのフリとして今までの思い出を軽く語ることになっていた。友希那たちの言葉を受けてアタシは言葉を繋げていく。
「えへへっ。リサ姉がいてくれたからだね!」
「へ?」
突然のフリにアタシは思わず斜め後ろを振り返った。
あこはいつもの眩しい笑顔をアタシに向ける。燐子も、紗夜も、友希那も、優しい微笑みを向けていた。
「リサがいなければいい雰囲気で練習なんてできていなかったわ」
「貴方は私たちにとってかけがえのない人よ」
「リサがいい雰囲気を作る努力をしてくれていなければ今ここに私たちはいない。断言できるわ」
「そ、そんな大げさだって。突然どうしたの?」
あまりにもアタシのことを褒め称えるもんだから照れてしまう。
カウントを取るスティックの音。戸惑うアタシに答えるように聞こえて来たのはギターとキーボードのメロディーだった。それらが合わされば何度も聞いてきた音楽が完成する。
「ハッピーバースデートゥーユー」
友希那が歌い出す。続いてファンも友希那に続くように歌い出す。アタシの側に近づいて笑顔でバースデーソングを届けるメンバーに涙腺は崩壊していた。その涙腺にさらなる追い打ちをかけたのはスタッフさん。台車に大きなケーキを乗せてステージに向かってくる。
ライブ前にしてもらった化粧はボロボロ。あとでメイクさんに謝らなきゃ。
「リサ」
「「「「誕生日おめでとう」」」」
涙で前なんて見えなくて。口元を抑えたままみんなのことを見ていた。
「もう、泣きすぎよ。昔からサプライズに弱いんだから」
「だ、だってぇ~!これは泣いちゃうって!」
「ほらこれで涙は拭いてください。バースデーガールが泣いたままじゃ進まないわよ」
友希那と紗夜にそんなことを言われ涙をタオルで拭きながらステージの中央に移動する。
見たことないくらい長方形の大きなケーキ。その真ん中には「ハッピーバースデーリサ」と書かれていた。
「リサ姉おめでとう!」
「……良い一年にしてくださいね」
「あ~もう!みんな最高だよ!」
アタシはあこと燐子に抱きつく。背中を撫でられ泣くアタシに歓声は上がったままだった。
「リサ、せっかくなんだし今年の抱負でも言ったら?」
「えー抱負かぁ。突然言われても思いつかないな~」
頭を悩ませるアタシ。だけどすぐにピンっと来た。
「やっぱりRoseliaとしてこれから精進していくことでしょ~。それから色んな場所で色んな人と出会うこと!会いに行くこと!かな」
「それは抱負になっているのかしら?」
「ま、細かいことはいいんだよ。気にしたら負けだって」
「あいかわらずそういうところは適当ね」
アタシの言葉の中に彼と会いたいという気持ちが混ざっていること、みんなはわかったのかな。聞かないし聞く必要もないから言わないけどね。
アタシは、キミに会うためならRoseliaを続けるよ。そしてずっとキミを__。
「それじゃあ時間も迫っているのだから次の曲行くわよ。この曲はリサのことを思って書いたの私たちの陽だまりを貴方たちも感じてくれると嬉しいわ。
リサ、曲紹介一緒にやってもらえる?」
「もちろんだよ」
スタッフさんがケーキを片付ける。
アタシはタオルの代わりにベースを取った。準備は万端だ。
「それでは聞いてください」
「「陽だまりロードナイト」」
その真っ赤な景色は忘れられない宝物になった。
Roseliaの三度目のライブは大成功で幕を閉じた。
楽屋に戻ってそこでもスタッフさんに祝われて、けどその時は涙よりも笑顔を見せることができた。きっとステージが最高に楽しかったからだ。
衣装を着替えてケーキを食べてみんなから大量のプレゼントを貰って。忘れられない一日になったのは事実だった。
「ごめんね友希那。荷物持ってもらって」
「別にいいわよ。行き先は同じなんだから」
ライブ終わりは友希那と歩いて帰った。スタッフさんは送ると言っていたけど丁重に断った。歩いて帰れる距離だったし、ライブの余韻をまだ感じていたかった。
「それにしてもリサはやっぱり人気者ね。誕生日にあんなにプレゼントを貰うんだもの」
「あはは。嬉しいけど、さすがに持って帰るのが大変だよ……」
メンバーとスタッフさん、それからファンの子たちからのプレゼントは紙袋にまとめても五つはあって正直驚いた。
半分は友希那に持たせてしまっているしやはりスタッフさんに送ってもらうべきだったかもしれないと今更後悔する。
「……楽しかったわね今日のライブ」
「友希那がそんなこと言うなんて珍しいね」
「本音を言ったまでよ」
友希那からライブの後に楽しいという言葉を聞くのは初めてだった。いつもはもっとこうすればとか反省の言葉ばかりなのに。
アタシの誕生日だから、特別だからだろうか。それなら嬉しいんだけど。
「リサは?」
「え?アタシ?もちろん楽しかったよ!今までで一番、何よりも嬉しかったかも」
「そう。それならよかったわ。だけどこの後、もっと嬉しいことがあると思うわよ」
「え?」
意味深なことを言う友希那。イタズラな笑みを浮かべる幼なじみを見るのは初めてだった。
「え、どういうこと?」
「すぐにわかるわよ」
「なにそれ……っ!」
家に帰るために曲がった道。その先にはいつも通り家が見えた。アタシの家、その隣には友希那の家。だけど不思議なことに家の前には誰かが立っていた。いや、「誰か」なんて括ってしまうわけにはいかない。
「やあ。久しぶりだね」
「芹沢くん……」
ずっと待ち続けた彼は突然アタシの元に現れた。
「それじゃあリサ。私はもう行くわ。おやすみなさい」
友希那はアタシに荷物を渡して早々と家の中に入っていった。扉の閉まる音はこっちにも届いていた。
「ライブよかったよ」
「聞きに来てくれてたんだ」
「うん。こっちに戻ってきて、すぐに友希那から連絡が来たんだ」
「アタシにも行ってくれればいいのに」
「だってそんなこと言ったら今井さん、ライブに集中できないかもしれないから」
「集中くらいできるよ」
「あははっ。それなら会いに行けばよかったかな」
あの頃と変わらないやりとり。
久しぶりに見たキミは前よりも数段かっこよくなっていた。
イケメン、というよりも男前って感じ。
「今井さん、あの日手紙読んでくれた?」
「うん。読んだよ。何度も何度も」
「それは少し恥ずかしいな」
「あれ芹沢くんのラブレターだもんね」
「やめてよ。その言い方は恥ずかしすぎる」
「けど事実だよ」
「まあ、それはそうだ」
どちらにせよ、笑顔はあの頃のままで止まったはずの涙が溢れそうだった。
「ね、今井さん。手紙の答え聞いてもいいかな」
「……言わなくても、わかってるんじゃない?」
「僕は今井さんの言葉で聞きたいんだ」
「わかってるのに聞くのはタチ悪いよ?それに自分からは言ってくれないし」
「……やっぱり僕から言わないとダメかな」
「アタシはキミの口から聞きたいよ」
「今井さんに言われたら仕方ないね」
彼はすぐに真剣な目つきになる。あの頃と何も変わらない。
アタシはその瞳が好きで好きでたまらなかった。
「今井リサさん。僕は君のことが好きです。僕の恋人になってもらえませんか?」
その告白はあの日教室でされたのと似ていて、少しイタズラゴコロが湧いていた。
「それは、ニセモノの恋人?」
アタシはキミに問いかける。
キミは驚いた顔をして、クスッと笑った。
「ホンモノになってくれませんか?」
「もちろん」
荷物をその場に置いてアタシは彼の胸に飛び込んだ。
大きな身体は簡単にアタシのことを包み込む。
顔を上げればキミと目が合った。笑いかける。
「大好きだよ翔」
クシャッと笑うキミの表情はかわいくて、迫る顔に自然と瞼は落ちていく。
重なった唇はあの時のように事故ではない。キミが謝ってくることもなかった。
キミの腕が首に回る。唇が離れた時には首に冷たい金属の感覚があった。
「誕生日おめでとうリサ」
今年のプレゼントはネックレスみたい。どんな形かはアタシから見えない。だけどキミが選んでくれたのだから嬉しかった。
「ありがとう。今年は一日遅れだね」
「あはは……それは勘弁してよ」
「仕方ないなー。来年は当日に祝ってくれるんなら許してあげる」
「来年だけじゃなくてこれから先、おじいちゃんおばあちゃんになっても隣で祝ってあげるよ」
始まりはニセモノだった。
ニセモノが嫌になってホンモノになりたくて。
そのことで奮闘してきた日々。
それもこういう結末なら最初がニセモノでよかったのかもしれない。
ううん。これは始まりだ。
終わりなんてない、アタシと彼、二人だけの物語。
これからは今までの空白のページを埋めていこう。
これからは新たなページを埋めていこう。
きっと二人ならあっという間だ。
「翔」
「なぁに」
「すきー」
「僕は大好き」
「ならアタシは愛してる」
「なら結婚しちゃう?」
「気が早いな~」
「冗談だって」
「アタシは冗談じゃなくてもいいよ。ダーリン」
キミとならどこまでもいける。
どこまでだって羽ばたけるよ。
ホンモノになったアタシたちの物語が幕を開けた。
これにて「うそつきダーリン」は完結となります。
今まで翔とリサの物語を応援してくださりありがとうございました!
これからも彼らが幸せな人生を送れることを祈っています。
本当にありがとうございました。
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