傀儡王 (流れ水)
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1話

 とある2次創作の作品を読んで衝動的に書き殴った作品。
 十中八九エタります。


 

 灰をまぶしたようなくすんだ白髪。

 蒼と紅の異色瞳を輝かせながら、長い灰白髪黒ずくめの服装の上に、黒いフード付きのコートを厚く纏った子供が商店街を歩いていく。

 子供のコートの胸元が不自然なほど膨らんでいるが、見る角度の問題か、商店街を歩く人々には胸元にある『何か』は見えない。

 ただ、何度も抱え直し、柔らかな視線を向ける子供の様子からその『何か』は子供にとって大切なのだろう。

 

 異風な服装、特異な容姿によって注目を集めている子供は、そういった視線に慣れているのか、不躾な視線を向けてくる人々を気にも止めず、どんどん商店街の奥に足を進めていく。

 そうして、子供が向かった先にあったのは一軒の喫茶店、翠屋。旗でシュークリームと書かれている、テレビで取り上げられた事もある最近評判の店である。

 

 鈴の音と共に中に入ると、店は客でほぼ満員。

 窓際で若い女子高校が談笑し、老人夫婦はスイーツを食べながら穏やかな時間を過ごしている。

 

 …ああ、こういうところだったな……。

 黒ずくめの子供、オルレウス・エレミアはこの何でも無い光景に懐かしさを覚えていた。

 

「すいません、今一杯でして……」

 

 金髪に青い瞳の女性が、ポニーテールを揺らして、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「いえ、それなら別に——」

「あの……フィアッセさん、此処空いてますよ!」

 

 満面の笑みで白い制服を着たショートツインテールをしている茶髪の幼女が、自身の横に空いているスペースを指差し、言う。年齢的に小学生低学年くらいだろうか。無垢な笑顔が愛らしい。

 だけど——

 

「流石に悪いですから……」

 

 また、今度来ますとオルレウスが言おうと瞬間、そのツインテールの幼女の正面に座っていた少しつり目が印象的な金髪の幼女が勢い良く口を開いた。

 

「別に私は良いわよ。すずかも良いわよね」

「う、うん。私も良いと思うよ」

 

 金髪幼女の横に物静かに座っていた紫色の髪と瞳が特徴的な幼女が頷く。

 

「ほら、皆良いって言ってるんだし、こっちに来なさいよ」

 

 オルレウスは金髪幼女の言葉に少し迷いながらも空いているスペースに座った。

 

「あたしはアリサ・バニングス。アリサって呼んでくれて構わないわ」

 

 碧眼を輝かせ、堂々と金髪幼女ことアリサは自己紹介を行い、その横に座る紫髪の幼女に視線を向けた。

 

「月村すずかと言います。えっと………よろしくお願いします?」

 

 アリサに視線で促された紫髪の幼女、すずかは、自分の言葉の何処かに何か違和感を覚えたのか、ちょこんと首を傾げた。

 

「高町なのはです。私立聖祥付属の……1年生、です」

 

 言葉に躓きそうになりながら、茶髪のショートツインの幼女、なのはは言い、三人の視線が自分に集まる。

 

「…オルレウス・エレミアだ。こっちでお眠な娘がジークリンデ・エレミア。今、寝ているので静かな声で喋って貰えると助かる」

 

 オルレウスがコートを軽く捲ると、腕の中でぐっすり眠った黒髪の赤子が姿を現し、そのキュートな顔に口元を緩めた。

 まだ生後数ヶ月だが、まん丸い顔が愛らしい。顔立ちも整っていて、将来美少女になることは間違いないとオルレウスは確信していた。

 別に親の目の補正など入っていない。たぶん。

 

「え……赤ちゃん!?」

 

 なのはは絶句した。

 何か抱えているなとは思っていたが、まさか、コートから赤子が出てくるなんて思いもしていなかった。

 アリサやすずかも、口を魚ように閉口させて驚愕を顔に表していた。

 そして、オルレウスは首をかしげた。

 そんなオルレウスを見て、アリサが叫ぶように言う。

 

「そんなところで赤ちゃんをずっと抱えいたら駄目に決まってるじゃない!」

 

 しかし、オルレウスには分からない。

 例え、突発的な襲撃を受けようと、魔力で編み上げたバリアジャケットで守れるようコートの中でジークリンデを抱えていたのだが、それの何が驚愕させる要因になったのか分からないのだ。

 ジークリンデは赤子用のバリアジャケットで身体を包み、冷たい風、温度差などのあらゆる要因をデバイスで自動調整され、守られている。更に、バリアジャケットのコートの下であれば、二重の防護となりより安全となる。また、オルレウスのコートは、酸素や温度などをジークリンデ用にカスタマイズされている為、何も問題無いのだがだが、地球の人間からすれば、そんなこと理解出来ない。分厚いコートの下で赤子を抱えているという少し非常識な光景にしか見えないのだ。

 これこそが文化のすれ違い。転生者であり、前世を地球で暮らしていたとはいえ、魔道世界の常識に幾らか染まってしまっているオルレウスには、彼女達がどういう視線で此方を見ているのか理解出来ないのだ。

 

「だから、体温調整もろくに出来ない赤ちゃんをコートの暑い中で抱えていたら、脱水症状を起こしたり、体調を崩すでしょうがッ!!」

 

 自分の言葉を理解していないオルレウスを見た、アリサは怒鳴り、言葉を捲し立てる。

 そこでようやく、オルレウスはアリサの言いたい事を理解した。

 

「ああ……大丈夫です」

「何がよ!?」

 

 眼を剥いて、アリサは怒声を放つ。

 しかし、オルレウスは話を続ける。

 

「このコートやジークリンデの着ている服自動で過ごすのに適した環境へと調整してくれますから」

 

 そこまで聞いて、アリサの怒りが風船が萎むように消えた。

 

「……えっと……コートの中に居ても、その……ジークリンデちゃんは暑く感じたりしないの?」

「はい」

「……もしかして、私の早とちり?」

「そうかもしれないね」

「その……ごめんなさい」

「いえ、別に構いません。ジークリンデを心配して言ってくれた事ですから」

 

 本当に申し訳なさそうに言うアリサを見ていると、こっちまで申し訳無い気分になってくる。

 アリサの大きな声に起きたのかジークリンデが突然大きな声で鳴き始める。

 オルレウスは愚図るジークリンデをあやしながら、アリサに優しく告げた。

 

「だから、ね。この話は此処でお仕舞いにしようか」

「うん……」

 

 アリサは小さく頷き、頬を赤らめて縮こまるように座り込む。勘違いし切った自分の言葉、熟睡していたジークリンデを起こしてしまうという不始末に項垂れる。

 中々泣き止まないジークリンデにオルレウスは自分の乳房をさらけ出し、ジークリンデの口元へ。すると、ジークリンデは泣き止み、胸を吸い始めた。

 …………。

 重く沈黙するその場。

 自分より五歳程度年齢が上と見られる存在が見せる母の顔に三人の幼女は唖然として口を閉ざし、何を言えば良いのか、何を話そうとしていたのか分からなくなる。

 

「あの、ご注文はいかがでしょうか」

 

 その沈黙に、店員である金髪ポニーテールが助け船を出す。

 

「あ……はい、シュークリームを二つと紅茶をお願いします」

「はい、シュークリーム二つですね。ご注文承りました」

 

 アリサとすずかにだけ見えるように、金髪ポニーテールの店員はウインクを一つして、次の仕事へと去っていった。

 せっかく破れた沈黙、店員さんがくれたチャンスを逃さないよう、すずかは口を開く。

 

「ここにくる前は何をしていたんですか?」

「最近までは管理局の――」

 

 ――委託魔道師をしていた…と続けようとして辞める。此処は管理局の管轄外世界である事を思い出したからだ。更に付け加えるなら、この世界は魔道と関わりの無い科学で発展した世界。魔道師などと言っても怪しまれるだけだ。

 

「……いや、最近までは海外で傭兵業をしていたのだが、上層部の無茶振りな命令が段々エスカレートして来て、ね……」

 

 オルレウスはこれまでの過去の命令を振り返り、ため息を吐き、話を続ける。

 

「……それまでの報酬で一生遊んで暮らせて遊べる位は稼いでいたし、守らなければいけないものも出来た。だから、一思いに傭兵業から足を洗って、平和そうで暮らし易そうな此処まで流れて来たんだ」

「傭兵……」

 

 思った以上よりも重い過去にすずかは失敗を悟った。

 その顔を見てオルレウスが言葉を加える。

 

「別に傭兵といっても、警察機関からの依頼で犯罪者を捕まえたりしていただけで、戦争に参加して殺していた訳じゃないからね」

「そうなんですか……」

 

 いや、それでも重いよ……。

 すずかは内心で呟きながら、なんとか言葉を口に出す。

 

「シュークリーム二つと紅茶でーす」

 

 青髪短髪の店員が、テーブルの上にコトコトと音を立てて手際よく置いていく。

 湯下立つ紅茶の甘い香りがオルレウスの鼻をくすぶる。

 ふと、ジークリンデに顔を向けると、またお眠のようで、目を眠たそうにしばしばさせている。

 ジークリンデの背中を一回軽くトンと叩くと、ジークリンデはゲフッとげっぷをした。そして、オルレウスはリズム良くジークリンデを揺らし、眠りの世界へと誘うと、それから1分もしないうちにジークリンデは眠った。

 

「娘さん、ジークリンデって言うんでしたよね」

「……ええ……?そうです」

 

 撃沈したアリサとすずかを見て、なのはが差し当たりの無い話題を言う。

 しかし、オルレウスは首をかしげる。

 

「可愛いですね」

「それは勿論!ジークリンデは世界一可愛いですから。でも……俺の娘じゃありませんよ」

 

 え?

 …………え?

 混乱するなのはにオルレウスは無自覚に追撃する。

 

「妹です」

「……いもうと?…イモト?…妹……」

 

 でも、さっき普通に赤ちゃんにお乳を上げていたし……え?いや……え?

 なのはの頭が混乱に包まれる中、アリサは一つの可能性に行き当たり、叫んだ。

 

「ちょっと待って。じゃあ、その子って貴方と貴方の――」

 

 お父さんの間に生まれたんじゃないのか、という問いに、そう解釈しちゃったかと思いながらオルレウスは即座に口を開く。

 

「あー……違います」

 

 オルレウスは苦笑しつつ告げる。

 

「俺はこの子の兄ですし、そもそもの話、男ですから。子供は生めませんよ」

「男!?でも、普通にお乳をあげてたじゃない!」

「これはちょっと肉体を操作して出るようにしただけです、ジークリンデの為にね」

「「「…………」」」

 

 余りにも意味不明なオルレウスの話に、三人の思考を停止させる。

 

「肉体を操作したくらいで出るようなものなの?」

 

 一番速く復旧したアリサが好奇心を交えた声音で言った。

 

「ええ、ちょっと身体がまん丸くなったり、地味に胸が張ったりと色々あったけど、案外やってみたらなんとかなりました」

「人間の身体って結構不思議なのね……」

「…そうだね」

 

 オルレウスは心底同意し、微笑みながらジークリンデの頭を優しく撫でる。約7年ぶりのまともな会話にオルレウスはテンションが上がり、口が軽くなっていた。

 あれ……?オルレウスの話しに、なのはは不思議に思う。

 

「でもどうして、オルレウスさんがジークリンデちゃんにお乳をあげてるんですか?」

「あー…うん…それは……母親が居ないから、かな」

 

 少し逡巡しつつ、オルレウスは言う。

 なのはは目を見開き、ひゅっと息を呑んだ。

 

「父親も、なんだけどね。ジークリンデの母親はジークリンデを産んだ後、すぐにどっかの戦場に出てから行方不明に。父親も同じく戦場に出たまま帰らず何処にいるのかも死んでいるのかも不明。まあ、俺はあいつらの事は親とは思ってないし、特に情もないからどうでも良いんだけどね」

 

 興味無い瞳、情の籠っていない淡々としたオルレウスの口調が、両親なんてどうでも良い事を物語る。

 すずかの両親は幼い頃に死んでいる。ほとんど両親の記憶は無いが、それでも、ふとした時に親が恋しくて泣いてしまう時がある。

 どうして親に対してそんなに非情になれるのか、まだまだ幼い少ないすずかには理解出来なかった。けれど、その理由を無神経に尋ねるほど幼くも無かった。

 

「うっ、っ、悲しい話しやね」

 

 聞き耳を立てていた青髪短髪の店員が、泣いていた。

 ああ、でも――どうして青髪の店員が泣いているのか、オルレウスには分からなかった。

 それほど大きな声では無かったが、オルレウスの声は店に響いていた。つまり、大抵の人にオルレウスの話しは聞こえていた。そのためか、店の雰囲気はいつもより暗く、言葉数も少ない。

 しかし、今回初めて訪れたオルレウスはその事に、話が聞かれていた事に、気がつかなかった。

 

 

 帰り際。20代前半の快活な笑みを浮かべる茶髪の女性にお会計を頼んだとき、お会計代と共にその女性が言う。

 

「あの、もし子供に関して何かあればいつでも頼って下さい。これでも三人もの子供を育てた母親なので、結構知識は豊富なんです」

「……話、聞こえてました……?」

「はい、聞くつもりは無かったんだけどね……耳に入っちゃって……ごめんなさいね」

 

 そこで始めてオルレウスは自分の声が店の中には響いていた事を知った。

 

「いえ、それは別に良いです。俺の声音が原因ですから。……あの、子育てに関してまだまだ知識が甘いのでこちらこそお願いします」

「はい。これ、うちの電話番号です。仕事の無い夜とかなら気軽に連絡しても大丈夫ですから、何かあれば聞いて下さい」

「ありがとうございます」

 

 手渡されたメモ用紙を握りしめ、オルレウスは小さく頭を下げた。

 

 ――

 

 良く学生が通学に通る山の坂道の途中。黒い鉄柵で閉ざされた道の鉄柵を押し開け、山の頂上まで登ると西洋風の屋敷に到着。

 ここがオルレウスの山ごと購入した家だった。

 エレミアは先代の戦闘経験や記憶を子供に継承させる家系である。その蓄積された戦闘経験、記憶は最低でも500年。

 継承に関する術式を刻まれなかったのか、はたまた偶然か、または転生者であるためか、オルレウスはエレミアの戦闘経験と記憶を継承していないから、その継承がどういうものなのか何も知らない。

 継承した数百年の記憶・経験を整理する為かジークリンデが起きている時間は非常に少ない。余りの情報量に脳細胞は、破壊され、良く熱を出しているが、ジークリンデは眠りながら自身に回復魔法をかけて修復している。苦しいのか、悪夢でも見たのか、ジークリンデは良く泣き叫んで飛び起きる。

 その度にオルレウスはジークリンデが泣き止むまでずっとあやし、ジークリンデの熱を持った頭を撫でていた。

 エレミアの継承が終われば、次は先代の記憶と経験に身体が振り回されるだろう。

 

 優れた戦士の血を取り入れ続けた為か、エレミアに生まれる子供の骨密度と筋力、魔力量は常人を遥かに上まる。一本一本の筋繊維の出力そのものから異なり、鍛えれば更に上昇する余地を残している。

 そして、そんな肉体によって行使される力の暴発は赤子であれ、下手すれば家一軒程度軽く吹き飛ぶ。

 オルレウスもそんな事が起きないよう、起きている間はジークリンデの肉体を転生特典である霊力で構成された鋼糸、【地獄蜘蛛の糸(ブラックウィドウ)】で掌握してはいるが、莫大な記憶と経験を保有しているエレミアである。 オルレウスが眠っている間の隙をついて、糸の干渉から脱する事も十分あり得る。

 故に、万が一の為に、オルレウスはジークリンデが大量破壊を行おうと大丈夫なよう山の頂上に位置する周りに人の居ない屋敷を購入したのだった。

 

 中に入ると、廊下に様々な絵画や坪などの美術品が飾られている。前の持ち主の物が気まぐれに集めた美術品だが、今ここにある美術品の価値はそれほど高くは無いそうで、前のこの家の主が購入する際にこれらの美術品もつけてくれたのだ。

 

 階段を登り、廊下をしばらく歩いて自分の部屋の扉を開く。 

 窓際にあるのは天蓋付きの大きなベッド、揺り籠。

 床はシックな絨毯が敷かれ、寝転がるとけっこう気持ちが良い。

 壁際の棚に詰め込まれているのは、大人買いした大量の本や漫画。

 柔らかいL字のソファーの前にあるのは、ミッドチルダの薄型テレビやゲーム、タブレット端末と、娯楽用品は大量にある。

 

 ジークリンデをそっと揺り籠に寝かせると、オルレウスは棚の漫画を一冊手に取って絨毯の上に寝転がり、漫画の世界へと没頭した。

 

 ――

 

 この世に産まれてから一日も経たずにオルレウスは、山に捨てられた。

 産みの母親は自分の手でオルレウスを殺そうとした。

 けれど、やらなかった。オルレウスの首に手をかけはしたが、力を込め無かった。

 もし、力を込めていれば、オルレウスは産みの母親を殺していたかもしれない。いや、殺さないまでも自分を育てる操り人形には、間違いなくしただろう。

 

 オルレウスは、前世でどうやって死んだのかも、どうやって転生したのかも覚えていない。

 大きなとしか表現出来ない何かに殺され、何かの憐憫の視線のようなものを向けられ、問答無用で力を与えられて転生した。そんな少し特殊な人間である。

 与えられた能力は落第騎士の英雄譚という創作の悪役キャラ、『オル・ゴール』の能力。

 糸で繋いだ物を操る力。

 物語でも数百万の人々を自在に操っていたのだから、オルレウスには、母親を自分の思い通りに動く操り人形にすることは至極簡単な事だった。

 産みの母親を操り人形にして、育てさせ、ある程度の年齢に達したら事故を装って殺せば良いなんて考えもオルレウスには当然あった。

 けれど、結局、オルレウスには母親を殺す事も、人形にすることすら出来なかった。

 それは日本で培った前世で培った良心的な心がそれらの選択を取ることに躊躇を覚えさせたから。産みの母親が殺しに来ていれば、それらの枷も外れたかもしれない。

 しかし、枷が外れなかったオルレウスは抵抗せず、山に捨てられた。

 それが結果である。

 

 山に捨てられたオルレウスは意識が残っている間に、蜘蛛の繭のように糸のシェルターを作り出した。

 赤子はすぐに寝てしまう。もし、寝ている間に野生動物に襲われれば、幾らで力を持っているとはいえ、その鋭い牙と爪でズタズタに引き裂かれ、食われてデッドエンド。せっかく生まれ変わった人生がお終いである。

 それからしばらくして、抗いようの無い眠気に襲われ、オルレウスは眠りについた。

 衝撃と共に起きると、オルレウスの身体がぐるぐると周り、全身が浮遊感に包まれた。

 即座に、意識が覚醒したオルレウスは繭から糸を飛ばし、空に吹き飛ばされている事を把握。

 木々に糸を絡め、蜘蛛糸を作り出し、クッションにして、衝撃を殺す。

 幸いにして、魔力で強化していたためか、骨は折れず、全身に衝撃が走っただけだった。

 

 安堵の息を吐き、落ち着くと、草木と地面を踏みしめる音が幾つも近づいて、オルレウスを取り囲んだ。

 糸の索敵によると、足音の持ち主は狼。それも馬ほどの体格もある巨狼の群れである。

 

「グルルルルルルッ‼」

 

 威嚇する獣の声が耳を突き抜け、オルレウスの原始的な本能を刺激する。

 身を包む恐怖に泣き出しそうになるも、身体は生存の為に自動的反応。弾丸に迫る速度で繭の隙間から糸を打ち出し、狼の身体を貫き、支配する。 

 これで怖いものは無くなった。

 けれど、獣のむき出しの敵意と殺意ぶつけられた身体の震えは収まらない。

 10分ほど経ってようやく心が幾ばくか落ち着き、状況を把握する理性が戻る。

 狼の群れは地獄蜘蛛の糸で支配している。

 狼たちはオルレウスの支配を抜け出す気配も無く、棒立ちのまま。

 ……何も、怖くない。

 自身が安全である事を認識した途端に、お腹が減った。いや、お腹が減っていた事に気が付いた。

 

 オルレウスの糸は支配した肉体の詳細や抱いている感情、記憶を掌握する事が出来る。

 その為、オルレウスは、狼の一匹、他の狼よりも一回り身体の大きな雌にお乳が出る事を把握していた。

 問題は狼の乳を飲むか否か。

 考えている間にも、飢餓感が理性を削り取り、赤子の本能が肉体を支配しようとする。

 

 ああ、もうどうにでもなれ。

 乳の出る雌狼を動かし、こちらに歩み寄らせ、そばで寝転がらせる。

 狼の群れを包むのは恐怖と恐れ。

 しかし、可哀そうとは思わなかった。

 それよりも心を満たしていたのはお腹の減ったという感情。

 強烈な飢えが心の中に居座っていた。

 糸の繭を開き、糸を足にして宙に浮きながら、真っ白な体毛で覆われた雌狼の乳房の元に。

 乳房を口にくわえると、勝手に身体が乳を飲み始める。 

 何が起こっているのかと、雌狼は困惑していたが、飢えに支配されたオルレウスにはどうでも良かった。

 

 お腹が満腹になると、自身を繭で包み、今度は吹き飛ばされないように木の高い場所に括り付けてから、狼の群れを少し遠くまで動かして解放。

 再びお腹が減った時の為に、雌狼だけは糸を付けたまま霊体化させておく。

 ここまでやればオルレウスの脳は既に限界。

 ずっと襲いかかっていた眠気に飲まれ、意識は眠りへと落ちて行った。

 

 ――

 

 

「ああああああッッ!!」

 

 赤子の泣き声が聞こえてくる。

 これは自分の声では無い。

 じゃあ、誰の……?

 ジークリンデの泣き声‼

 そう認識した瞬間、飛び起きて、泣いているジークリンデの元に行き、抱き上げる。

 糸で軽く触れて伝わって来た感情は恐怖。それと、戦場での血みどろの殺し合いの記憶。

 目の前で頭が吹き飛び脳漿をまき散らした仲間の顔、人の内臓や骨を素手で潰した生々しい感触。

 流れるような血みどろの記憶にオルレウスまで気分が悪くなり、ジークリンデから糸の接続を切る。

 そして、オムツを替えてから、自分の乳首をジークリンデにくわえさせ、心臓の音に合わせてリズム良く背中を叩き、ゆっくりと興奮した心を落ち着かせる。

 

「……ママ……」

 

 ジークリンデが眠りにつく直前、一言、ママとしゃべった。その事にオルレウスは驚く。

 まだ生後数ヶ月。いや、しかし、記憶と経験は大量にあるのだ。普通の赤子よりも速くしゃべっても可笑しくは無いか……。

 深い眠りに入ったジークリンデの頭を撫でる。

 恐らくあの地獄の中に戻ったのだろう。 

 しかし、オルレウスには何も出来ない。正確には、記憶をある程度弄る事は出来るかもしれないが、ジークリンデの脳に手を入れる事も、誰かを実験台に使って脳を弄る事も、オルレウスには出来なかった。

 そんな何も出来ない現実から逃避するように、すっかり目が覚めてしまったオルレウスは娯楽の世界にのめり込んで行った。 

 

 ――

 

 懐かしい香りと、暖かい日差しに目が覚めた。  

 トントンと床を踏みしめる軽快な音に、目を向けるとオルレウスの育ての母である巨大な白狼、ハクがジークリンデと遊んでいた。

 オルレウスが起きた事に気が付いたのか、ハクはジークリンデの服の襟首を噛んでこちらに運び、絨毯の上に優しく降ろした。

 オルレウスは何だか少し泣きそうになり、ハクの首に抱きついた。 

 鼻をくすぶる獣の臭い、サラサラとした体毛がオルレウスの心を落ち着かせる。

 

「ありがとう」

 

 しばらく動かないでジッとされるがままだったハクにオルレウスは礼を言って、床で不思議そうに見上げているジークリンデを抱き上げる。

 それを見てハクはぺろりと顔を一舐めして、霧のように空気中に霧散。虚空に消えてしまう。

 けれど、糸の繋がりのお陰でハクがそばで見守ってくれている事を、オルレウスは知っていた。

 

 ――

   

 レンジで温めた冷凍食品のハンバーグを取る事や出来立てのご飯を茶碗によそう行為を、オルレウスは寝転がりながら全て糸で行い、自分のの部屋にまで持ってくる。

 糸によってふわふわと宙に浮かんでやってきた料理をテーブルの上に乗せ、食事を取る。

 相変わらずの美味しくも不味くも無い微妙な味。

 それでも、お腹は満たされる。だから、こんな食事でもオルレウスは満足していた。

 しかし、このままで良いのだろうか?

 眠っているジークリンデの顔を見て、そんな考えが浮かんでしまう。

 

 文明的な生活を送り始めてからオルレウスは、ほとんどの食事をレーション、冷凍食品、外食で済ませている。

 食パンをレンジで焼くくらいの事は出来る。目玉焼きも作った事は無いが、たぶん、きっと、出来る。しかし、それ以上の料理となると少し怪しくなる。

 一度シチューに挑戦したことはあるが、見事なまでに焦がしてしまった。

 それからオルレウスは料理をしていない。

 

 けれど、本当にこのままで良いのだろうか?

 ジークリンデにレンジで温めただけの冷凍食品を食べさせて、育てて、良いのだろうか?

 何か、それは嫌だ。

 少なくとも、オルレウスの前世で食べた母親の料理は冷凍食品とは比べ物にならないくらい美味しくて、何だか暖かった。

 その暖かみをジークリンデにも教えてあげたいと思う。

 でも、オルレウスに料理は出来ない。

 

 なら、今からでも学ぶしかない、か………。

 

 ――

 

 それから数日後の夜。

 ここ数日間の夜、オルレウスは、翠屋の店主、喫茶店で電話番号が書かれたメモ帳を手渡した茶髪の女性である高町桃子の家にお邪魔していた。 

 電話で相談してみたら、『私もお店が忙しいから中々時間を空けられないし、文章とかで伝えるよりも直接教えた方が分かりやすいでしょ。それに、家なら家族の食事を作るついでに色々と教えれるからそれほど手間暇もかからないしね』と言われ、あれよあれよという間に、直接教えて貰えられる事になったからである。

 オルレウスは揚げたばかりの唐揚げを皿に盛り、テーブルに置いていく。

 

「良く出来てるじゃないか」

 

 キッチンに桃子の旦那、士郎がジークリンデを抱いて、顔を出した。

 

「そう、ですか?」

「ええ、私も良く出来てると思うわ。だから、自信を持ちなさいって」

 

 桃子はオルレウスの背を叩き、言った。

 士郎は皿に乗った唐揚げを一つ素早くつまみ、口に放り込む。

 

「あー‼士郎さーんッ!」

 

 その光景を見ていた桃子が非難の声を上げる。

 

「うん、美味いぞ」

 

 悪びれもせず、ニッコリ笑って士郎は言った。

 そんな士郎を見た桃子がハッとした顔で口を開く。

 

「まさか士郎さんが若い子に色目を……⁉」

 

 いや、そもそも俺は男なんだけどとか、あんたらは俺が男だって事は知っているだろうなどと思いつつもオルレウスは何も言わない。

 

「そんな訳が無いだろう。僕は何時でも桃子一筋に決まってるだろ」

「士郎さん……」 

 

 広がる桃色空間に、オルレウスはいたたまれなくない気持ちになる。

 

「ただいまー」

 

 玄関から聞こえてきた幼い声、なのはだ。

 それをきっかけに自分達の世界に入っていた桃子さんと士郎さんがこちらの世界に戻ってくる。

 ……助かった。

 士郎は咳払いをして誤魔化そうとするが、残念ながら全く誤魔化せていない。桃子もそそくさに料理で使ったフライパンなどを洗い始める。

 ラブラブなのは良いことなんだが、これはこれで考えものだな、なんて考えながらオルレウスは黙って桃子の洗い物を手伝った。

 

「どうかしたの~?」

 

 部屋の雰囲気に何か察したのか、不思議そうに聞くなのはに桃子は「何でもないわよー」と言った。

 母親の声音に少し違和感を感じるも、テーブルの上の唐揚げに目が行った時には、なのはの疑念は消えていた。

 

「唐揚げだー‼」

 

 そんななのはの反応を見て、桃子は微笑んだ。 

 やっと一息をつけたと思うとジークリンデが大声を上げて泣き始める。

 すぐに、泣いたジークリンデを抱いた士郎さんがこちらにやって来た。

 

「おしめとか一通り確認してみたんだけど何も問題なかったから、たぶんお腹が空いてるんだと思う」

「ありがとうございます」

 

 士郎の腕の中から、オルレウスはジークリンデを抱き上げた。

 胸を満たす暖かさ。

 オルレウスは幸せだった。

 

 ジークリンデが眠りについたくらいだろうか、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。

 桃子の息子と娘である恭弥と美由紀が帰っていたのだ。

 2つ分の軽快な足音が廊下に響き、三つ編みで髪を纏めた丸眼鏡をかけた美少女、美由紀と長袖の服装で身体の線を隠した体格の良い青年、恭弥が入ってきた。

 その帰宅に合わせて、桃子が歌の練習をしていた金髪ポニーテールの美女、フイアッセを食卓に連れてくる。

 

「あ…おかえり♪」 

 

 二人の帰宅に気付いたフィアッセがニッコリ笑って言った。

 

「ただいまー‼」

「……ただいま」

 

 美由紀は元気そうで、恭弥は少し疲れの滲んだ声で答える。

 高町家の全員が揃った事により、賑やかな夕食が始まった。

 けっこうドキドキしていたのだが、唐揚げはおおむね好評。

 ただ、少し前まで戦場にいた影響だろうか?

 オルレウスはどうしてもズレを感じてしまう。

 何がズレているのかまでは分からない。

 けれど、それだけが、オルレウスの心に小さな影を落とした。

 

 ——

 

 お腹が空いた。

 その念に答えるように、遠くから地面蹴る音が響き、時速約300㎞という驚異的な速度で乳をくれた白狼がやって来る。

 白狼に敵意は無い。

 むしろ、愛情、家族に接している時にも似た感情を白狼は抱いている。

 そんな白狼が、一回母乳を貰った時から自発的にやって来る白狼が、オルレウスには不思議でならなかった。

 白狼はオルレウスの繭の手前で無防備に地面に寝転がり、繭からオルレウスが出てくるのを待っている。

 オルレウスもまた、白狼の肉体を糸で支配することなく、繭を解き、糸を足に使ってフワフワと浮きながら白狼に向かい、母乳を頂いた。

 お腹が満たされた頃に、白狼がオルレウスの顔についた母乳をぺろりと舐め、綺麗すると、器用にも鼻先でオルレウスの身体を宙に飛ばして背中で柔らかく受け止める。

 そして、驚く間も無く、何処かに駆けだした。

 敵意が無いからと油断していた。

 しかし、白狼に敵意は欠片も無い。

 どうしようか……?

 迷っているうちに白狼が向かっている方角にあるものを糸の探知で把握。

 この白狼の群れの居る方角に向かっているらしい。

 取り敢えず、様子を見るか…。

 一度勝利した余裕が、オルレウスにその選択を取らせた。

 もし、容易く勝利出来ていなければ、オルレウスは白狼の背中から即座に逃げ出していただろう。

 だが、それはたられば、仮定の話しである。

 

「「「ガルルルルルルッ‼」」」

 

 灰色や黒色の狼たちが唸り声を上げて、白狼を取り囲む。

 それでも、白狼はオルレウスに敵意を抱かない。

 取り囲む狼たちに何か伝えるように、鳴き声をあげる。

 白狼の鳴き声に返す狼たち。

 全てワンワン言っているようにしか聞こえなくて、オルレウスには状況が良く分からない。

 

 それから10分くらい経った頃。

 黒一色の白狼よりも更に2周り大きな狼が群れの奥から出てくる。

 その大きな黒狼と白狼が何回か吠え合ったかと思うと、今度はジッと見つめ合い始めた。

 しばらくして、根負けしたかのように大きな黒狼が遠吠えを行う。

 そして、取り囲んでいた狼たちが散って行った。

 何が起こっているのか全く理解出来ないオルレウスはその光景をぼんやりと見ていた。

 

 白狼が歩き出し、大きな洞窟に連れて来る。

 その洞窟から小さな狼たち飛び跳ねるように出てくる。

 白狼が小狼たちの中にオルレウスを降ろすと、キャンキャン鳴きながら小狼たちがオルレウスにじゃれついてくる。

 

 こうして良く分からないうちにオルレウスは狼の群れの一員となった。

 

 最初は恐れの感情からオルレウスを遠目で見るだけだった狼たちも3年も経てば、オルレウスを頼れる群れの一員として見るようになっていた。

 オルレウスはこの群れのヒエラルキーの中でも上位に入る。

 その理由を述べるなら、オルレウスは単独かつ確実に獲物を狩ってくるからだ。

 それに、オルレウスの食べる量は少ない。人間の子供にしてみれば普通の子供の数倍だが、狼たちからすれば極小数。その為、獲物の肉の大半は残り、その肉は群れに分け与えていた。

 故に、オルレウスは姿形が少し違う変わり種として群れに受け入れられていた。

 

 そんなある日。

 オルレウスは獲物である象ほど大きさのある巨大な鹿のような、だが、角や身体に苔を生やしている良く分からない生き物を狩った後、サイコロステーキ状に切断し串刺しする。糸で適当に持って来た、木の腹に小枝を糸の操作で押し付け、小枝を超高速で回転。摩擦で火を起こすと細かく串刺しにした。

 肉を喰らい満腹になると、地面を糸で正方形に両断。更に適当な大きさの岩や切断した正方形の地面に糸を繋ぎ、それらを素材に人型の石で出来た人形を作り上げ、食べ残した獲物を人形に持たせ群れの方に持っていかせる。

 そして、オルレウスは手ぶらでゆっくりと群れの方に歩いて行った。

 

 群れに戻ったオルレウスは、更に糸を複雑に動かせるように、更に動かせる糸の量増やせるように修行を始めた。

 

 その日の夜。

 オルレウスの育て親の白狼であるハクが帰って来なかった。

 そんな事はこれまで何度もあったことだ。

 オルレウスは特に気にしなかった。 

 

 その次の日の夕方。

 突然、ハクとの、母親との、糸の感覚が、糸の先から伝わっていた感情が途切れた。

 嫌な予感がした。

 いや、何が起こったのかオルレウスは分かっていた。

 だが、現実から目を背けようとした。希望に縋ろうとしたのだ。

 

 そんな事をしても現実は変わらないのに……。

 

 オルレウスは糸で地面を蹴り、凄まじい速度で空を飛んで行く。

 

 その先で見たものは、母の、無惨な、死体だった。

 腹は割かれ、長い腸が地面に零れている。

 そして、その腹に顔を突っ込み、内臓をかっ喰らう、4m以上の熊が居た。

 

 この世は弱肉強食である。今まで喰らうだけだった母が喰われる側になってしまっただけだ。

 これは、仕方のないことなのだろう。

 何故なら、これが自然の摂理だから。

 

 そう、理性では分かっていても、感情が理性を塗りつぶし、四肢を殺意が満たした。

 空間が歪む。

 大気がどす黒く染まり、木々は歪み、空で悠々と飛んでいた鳥たちはショック死して、地面に落ちていく。

 

「死ね」

 

 山々に糸を引っ掛け、その力を利用し、熊の胴を横に両断。

 四肢を強引に引きちぎり、零れ出た内臓を木々に引っ掛けて晒す。

 足りない。こんなものじゃ足りない。

 殺意の赴くままに、力を振るおうとした瞬間、

 

「ウォンッ‼」

 

 背後から母の『駄目‼』という鳴き声が聞こえた。

 振り返ると、透明な母が居て、その姿はすぐに霧散して空気中に消えてしまう。

 

 ああ、だけど、母との間を繋いでいた糸の、その先から伝わってきた『仕方ない子ね。もう少しだけ傍にいてあげるわ』という思念に、オルレウスは、手を止めた。

 そして、泣いた……。 

 

 

 

 この世とは弱肉強食である。

 この時を機に、その理はオルレウスの心の深くに根付くのであった。

 

 

 

 

 

 



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