ブラウニーズ・アクト (廓然大公)
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停電ロケットパンチ

 それは昼食も終えた昼下がりのことだった。

食器の片づけも終え、夕食の準備にも早いわずかな休息の時間。エプロンを外し、代わるように厨房へと入ってきた夕食担当へと軽い挨拶を済ませて食堂をへと出た。一時間ほど前まで多くの職員と英霊たちで溢れかえっていた食堂もすでに人はまばらで、昼時を割けたのか、食いはぐれたのか両手で数えられる程度の席が埋まってるのみ。人もまばらになった食堂の端、食堂と窓を一つの視界に入れることができるいつもの席へと腰かけた。

 極圏にあるカルデアには日の上らない極夜が訪れる。日の上らない暗い闇の中、それでも輝き続けた人理の、人類史の光輪が浮かび続けていた光景を思い出す。暗く冷たい空に高校と輝き続けた魔術王の光輪。なくなった今となってはその存在があったことが少しだけなつかしくも感じるようになった。三週間ほど前まで昼の少しの時間帯しか上らなかった日も最近になってようやく日の光のさすことの多い昼食。窓の外に広がる久方ぶりの青空を眺めながら湯飲みをへと手を伸ばした時だった。

「コックの赤いお兄さん、コックの赤いお兄さん」

ふと名前を呼ばれ振り向くと、そこには小さな少女たちの群れが表れていた。

「まだ三時のお茶会には早いのではないかね」

群れの先頭に立つナーサリーライムに声をかけると彼女は少しだけむくれたように言った。

「違うわ、お茶会も大切だけどそれよりもずっと大きなハートの女王が出てきたのよ」

「大きなハートの女王か」

冠位時間神殿にてビーストⅡを打倒し人理を修復して以来戻ってきた世界。一度滅んだという未曾有の災害のために現状把握が最優先となり、カルデアの辿ってきた足跡やそれに付随する行動の是非などは一時的に保留とされ、代わりに各国から空白の時間を埋めるための調査団が国連から派遣されて来ることとなった。そのために世界各国の使節団も又訪れることの増えたカルデア。それ故に最近では多くの外界からの来客も見るようになり、さらには現代で発生した亜種特異点という魔術王の置き土産のために少数ではあるものの新顔の英霊も増え見慣れない顔が施設内にいることも珍しいことではなくなってきた。

 しかし、少女の言うようなハートの女王に見合うような英霊は思い当たらず、またいまあちょうど使節団も一週間前に帰途につたばかりでカルデアにいるのはいつもの面々、しいて言うならばカルデアスやシバなどの精密機器が所長代理であるダビンチを筆頭としたカルデア技術部の面々による四日間ばかりの長期メンテナンスに入り、缶詰状態になっていることだろうか。

「これではお茶会が開けないわ」

「フランボワーズのクッキーならもう用意してあるんだが」

「それは素敵ね、でもまだいただけないわ。ジャバウォックを追い払ってからじゃないと」

どうにも興奮しているらしく要領を得ないナーサリーライムに変わり視線を向けるのは小さな霧の少女ジャック。

「いったい何が起きたんだい」

「解体しなきゃ?」

「小首をかしげられてもな」

そういう少女も事態を十全には理解できていないのか小さく小首をかしげるだけ。

「お二方ともロジカルではありませんよ、こういう時は端的に簡潔に短絡的にです、ロジカルですっ」

「短絡的には違うと思うが」

元気よく出てきたのは小さな聖女、彼女も又ほかの少女たちと同様に高揚しているらしい。

「とりあえず緊急事態なのですっ」

 

 果たして少女たちに手を引かれ連れていかれたのは訓練室の一つだった。

カルデアスによって特異点を模した一時的な界の創造を行えるシミュレーション室とは違い、あくまで投影の一種として情景を再現するその部屋。その大きさはシミュレーションルームよりも小さくその代わりに複数の訓練室が隣り合っている。魔術で引き延ばしているために現実的な大きさは関係ないものの一部屋は大きめの教室二つ分程度。いうなれば個人練習室といったところだろうか。

 しかし、目の前に広がるのは体育館ほどの大きな広間、数でいうならば訓練室三つ分。そう、目の前には訓練室をつなぐ壁が壊され、三つの部屋を貫通するような大穴が開いていたのだった。

「いったい何があったんだ」

人がらくらく通れるほどの大きな穴を見分していく。ちょうど地面から天上ほどまで丸く開けられた穴には意外なことに壁の破片が少なく明らかにこの大穴をふさいでいた部分にしては量が少ない。代わりに小さな破片が一つ地面に落ちているのみだった。

「本来ならば壁に傷がつくことなんて言うのはないはずなんだが」

訓練室の壁には魔術的なプロテクトがかけられている。もちろん訓練室なのでその分強固に作られており先頭の訓練や英霊の宝具の使用にも耐えられるようにできていた。

「しかしまぁ派手にやったものだ」

抉れたような切り裂いたような切れ口に目をやりながら穴を通り抜け次の部屋へと進む。多少の汚れが目立つもののの中で一番多く目を引くのは黒く焼け焦げたような放射状に広がるあとだった。部屋の中に広がるのは少しの火薬の匂いと地面に落ちているのはどうやら薬きょうらしい目を凝らせば遠くに見える射撃目標にも無数の弾痕が刻まれている。

「叔父様はやくはやく、お茶会に遅れてしまうわ」

「おじっ、まぁそうか、そうだな」

少女たちに手を引かれて二つ目の穴を抜ける。ねじ切れたような切り口が残っておりこちらにも破片の堆積は少ない。中の鉄筋だけではなく表層にあるはずのコンクリートまで粘土を捩じ切ったように破壊されていた。そしてと追い抜けた三つ目の部屋、そこには小さな人だかりができていた。

「あ、突然、お呼び立てしてすいません」

そう声をかけてきたのは風魔の棟梁だった。年若くも人類史に刻まれた英霊、にもかかわらず気安く落ち着いた彼が目に見えて狼狽しているのが見て取れた。

「けが人が出たのか、それならナイチンゲール女史に連絡は行っているのか」

そういって見回してもあの赤い軍服は人だかりの中には見えなかった。

「いいえ、けが人が出たわけでは無いので連絡はしていないのです。というよりも今の状況を彼女に見せるのはいささか僕としましても避けたいといいますか」

「含みのある言い方じゃないか」

いつも強くものをいう性分ではない彼ではあるもののその言い方には風魔を率いた棟梁の決断直は明らかにかけているように見て取れた。

「とりあえず、百聞は一見に如かずとも申しますので現状を見ていただきたいのです」

そういって彼らに先導され人込みをかき分けていった先、訓練室の一番奥にいたのは三体の異形、違う、三騎の英霊、いいや正しく言うならば少女だった。

そしていつもとは違うところが一つ、いいや三つ。

 

 

「なるほどこの腕だけでも多くの武具が仕込まれているのですか。これでなら暗器の隠し場所も困ることはない、新たな手甲ということですか、それにしてもやはり全て鉄だと重量はありますね」

からくりのくのいちは銀の手の装甲を開いたり閉じたりしながら言った。

「有り余るパワーと重量はいささか想定を超過しています、さらにこの形状は日常生活に支障をきたす恐れがあります」

銀色に輝く鋼鉄のボディを持った竜の守護者はあまりにも大きな黄金の爪を動かしながら言った。

「腕が軽すぎるし、感覚が鈍すぎて触ってるか分からなくなっちゃいます」

大きな爪と大きな胸を持った無垢なる少女は白いからくりの手を眺めながら言った。

「つまり、こういうことです」

胸を張り部屋に響く小さな声がした。

「ロケットパンチが入れ替わってしまったのですっ」

一瞬の完全な静寂があたりを包み、端のほうから笑ったように吹き出した音が聞こえた。

 

「なんで、いいや言葉にしたら負けか」

錬鉄の英雄は大きくため息をつきながら頭を抱えた。

「それで一体どうしてこうなったんだ」

あたりにたむろしていたギャラリーを追い払いながらそれぞれ別の腕が取り付けられてしまった少女たちの容態を見ていく。

「英霊の腕が入れ替わるなんて聞いたことも…、いいやそんな阿呆も知らないわけではないが。またく、傷口に塩を塗られている気分だよ」

見たところ彼女たちの零基自体には変化が起きている様子はなく、体に変調をきたした様子もない。いうなれば異なるテレビであってもリモコンの規格が同じであれば特殊効果は使えないもののチャンネルの操作は行えるようなものだろう。カルデアの召喚式によって規格はそろっていうらしい。いつかと比較すれば英霊に英霊の腕がつけられるのだ。彼女たちには拒否反応も見られないその光景に少しばかり苦笑も漏れていた。

「それにしても、だ」

そういって視線を上げた先にいたのは先ほどよりかは平静を取り戻したらしい小太郎が立っていた。

「何があったかは聞いてもかまわないだろう」

「ブレーカーが落ちたんです」

小太郎がそんな風に話し始めた時だった。

『あー、あー、こちらカルデアス整備班、調査検証のため十分前より一部電力の大規模消費が見込まれることとなりました。また検証中のためカルデア全体のタスク処理リソースも多く使われているのでー重い演算処理の必要な作業は控えてくださーい、よろしくねー』

いささか疲れたような、しかしどこか晴れ晴れとしたような所長代理の放送が館内に響き渡っていく。

「これか」

「これです」

カルデアに限界している英霊はそのほとんどがマスターと契約を行うことで現世に降りてきている、そしてその限界のために必要とされる霊子はカルデア内の発電所より電力を変換することで供給されている。それはつまりブレーカーが落ちれば英霊の機能もストップということでもある。

「それではこの穴は」

「どうやらこの三部屋で同時に宝具を使おうとしたようなのです」

その言葉に加藤段蔵、メカエリチャン二号機、そしてパッションリップの三人の少女たちも頷いた。

「なるほど大まかには理解した」

 原因としては単純明快、電力が足りなくなっただけ。三騎とも持つのはバスターの全体法具。攻撃力が高く、さらに全体へと広がるその処理は重く、その緩和処理のためには多くの電力を使う。メインシステムの保守点検のためにいつもより訓練室の処理のための演算システムは切り詰められていた。それでも一騎程度の宝具ではびくともしない程度のリソースは保っていたのだ。しかしそこで奇跡的な確率で三騎の宝具の発動が重なってしまった。瞬間的に膨大な演算処理が行われようとし、そうなればメモリも電力も足りなくなり訓練室の演算処理が本来の防護壁の機能を含めてブラックアウトしてしまったらしい。それによって物理的な壁は壊され、発動途中であった三つの宝具は一つの宝具として最低限の処理である宝具の不発として処理され、それによって本来紐づけられていた彼女たちの外れた腕はその糸が切ればらばらに繋ぎなおされてしまったらしかった。

「なるほど、確かにかの看護婦長が聞けば切断を提案しそうだな」

「先日の幻霊事件のように冷気が混ざったというわけでもなくあくまで物理的に絡みついているだけのようなのでほどくのはさほど難しくはないとは思うのですがいかんせん僕も門外漢なので専門家にお願いしたほうがいいと思いまして」

「ちょうど技術部は総出で保守点検に回ってるからな。あと四日は出てこれんだろう」

そういいながら目の前では三人の少女が興味深そうに新たな腕を握ったり開いたり、振ったりと動かしている。

「とりあえず本人たちの健康状態に変化はないようなのが幸いではあるが」

「取り外しをお願いできませんか」

「私がか」

「食堂にいたイシュタル殿にエミヤ殿はこういうことがお得意だと聞きまして」

その言葉に少しの苦笑と何とも気恥ずかしさを覚える。懐かしい。趣味の機械いじり。しかし、そのどれもが平凡、経験で補える分は補い、それても天才たちの足元には及ばないことは知っている。懐かしく唾棄すべき下手の横好き。それでも今の状況ではそうもいっていられないらしい。

「どんな影響が出るかは分からない以上、取り外しは早いほうがいいか」

その言葉に小太郎と少女たちは少しだけ安心したように胸をなでおろす。

しかし、その時声を上げたのは冷たい機械龍の娘の声だった。

「コックの英霊」

「誰がコックの英霊だ」

「限定付きでこの状態の維持を提言します」

パッションリップの大きな爪を盛った二号機はやはりいつものように毅然としたように言った。

「このままでいたいということか」

「肯定です。自己診断の結果、この状態でも活動に支障をきたすことはないと判断しました。技術部も現在は保守で手一杯でしょう。あなたが取り外しを行うとしてもいくつかの検査と計画を立てるための時間が必要なのではないですか」

彼女の言う通り彼女たちのデータ自体はカルデアのデータにあるものの新たな腕となった現在それが変わっている可能性も大きく考えられる。ならば精密な検査を行ておきたいというのも確かな思いであった。

「確かに、否定はしない。しかしそれでいのか」

目をやるのは二人の少女。

少し驚いた様子のパッションリップに段蔵は小さく頷いたように頭を揺らした。

「構いません。これもよい機会です。今度の追加兵装や機能の向上などのための試機することにします。これまでは果心居士殿の通りに人型を保つようにしてきましたが今現在かるであにはより人の形から外れた姿を持つ方々も多くいらっしゃいます。ならば段蔵もより戦闘に特化した腕を持つことも一考すべきでしょう。」

そういって力強く頷く彼女の眼にはいつもより期待と興味の光が満ちているように見える。その分どこか心配そうな小太郎の姿も又視界の端には映っているが。

「あのっ。でもっ、その爪は大きすぎて皆さんにご迷惑をかけるんじゃないですか、物もうまくつかめないし、大きいし、危ないし」

段々と小さくなっていく彼女の言葉。人を気付つけることしかできないその大きく醜い爪。

しかし、その言葉に答えたのは銀色の娘だった。

「民主主義というものをご存じかしら」

「えっと、みんなで決めること、ですか」

「そう、集団の方針をその集団を構成する一員たちによって決めること。そしてその決定方法はその集団における多数決、大多数の意思こそがその集団の最善なる意思として受領される。少数派を盲殺するその方法にはいささか異議を唱えたいこともありますが今回はそれがちょうどよくもあります」

「どういうことですか」

「つまり腕が変わったのは三人、そのうち私と加藤段蔵は適切な処置方法が決定されるまでこの腕で過ごすという意思を示しました。三分の二が同意した。つまりいくらあなたが反論したとしてもこの決定は覆らないということです」

「そんな、で、でも」

「でももストライキもありません」

ぴしゃり、と言い切った二号機と無表情であるも頷く段蔵にどう反応していいのかわからないのかパッションリップは頬を赤くし口を開けてはやはりその言葉にはならず、代わりに自分の腕となった段蔵の白い腕へと視線を落とした。

「さて、私も久しぶりの機械仕事なのでな、腕の取り外し方を調べるにも三日ほど時間がかかるだろう。申し訳ないがそれまではこのままの状態でいてもらうことになる。また不慮の事態に備え行動するときは私が同行させてもらうことになるがそれでよろしいかね」

その言葉に一人は少しだけ戸惑ったように、しかし三人とも頷くと少しの今後の予定の調整の後に各々の部屋へと帰っていった。

 

「さて、これで構わなかったかな」

『私もいささか興味をそそられる題材ではあるもののこっちも手が離せる状況ではないからね。あとで報告書はたんと提出してもらうよ』

「稀代の天才に提出する報告書とはぞっとしない話ではあるがね」

通信越しに聞こえるダヴィンチちゃんの声は微かに笑っているらしい。

「偶然の産物ではあるけれど、そこに居合わせることができるということは必然でもあるからね。まぁ君なら五分もあれば外すことなんてできるだろう。まぁ、よろしくね。穗村原のブラウニー」

切れた通信機からは音が帰ってくることはない。

「まったく、懐かしすぎて頭痛がする」

微かにその口は笑っていた。



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Day1 忍者飛び越すは麻なれど

 響いてくるのは何かの崩れるようなくぐもった音と何かが風を切る音、そして時折聞こえる金属のぶつかったような硬く甲高い音だった。周期的に聞こえるその音の波はすでに一時間は続いていた。

振り上げ、見定め、落とす。

振り上げ、見定め、落とす。

軍手の上からも感じる木製の柄の肌触りと、感じるのはその先に取り付けられた鉄の刃の存在。

深々と振り上げられ、一瞬にしてその楔に穿たれる。

繰り返すこと十数回、目の前の壁はゆっくりと、そして音もなく崩れ、そして砕けていった。

ひと段落付いたその仕事に手にしていたそのつるはしをおろすと額に浮いた汗をぬぐった。

「これでようやく一部屋か」

「ええ、お疲れ様です。すいません、手伝わせてしまって」

「気にすることはない、これも仕事のうちだ」

声をかけてきたのは段蔵だった。その銀色の手は今洗って来たらしくまだ水がぬぐい切れていない。少し汗のかいたお茶を手渡しながら隣へと立つと、少しだけ驚いたよう視線を向けていた。

「土砂の搬出ももう終わったのですか」

「こういう単純作業っていうのは向いているらしくてね」

冷たいお茶を流し込みながら二時間の成果、大きく掘り進められ、教室一つ分ほど広がったその空間を眺めていた。これまではただの壁であった通路から掘り進め大きく広げたその空間が仮設の照明によって照らされていた。

そこはカルデアの最下層、まるで炭鉱のように土と石壁のむき出しの開発準備区画。通称アリの巣と呼ばれる区画だった。

 

 もともとの設計書には存在していなかったこの区画。しかし、人理最後の砦となったカルデアでは補給線も絶たれ、食料も決して十分とは言い難い状況であった。もとより人理保障機関と銘打っているもののもともとの目的は天文台。食料生産施設などあろうはずもない。南極大陸に存在するために外での農耕も不可能。さらには人理修復のためにカルデアに在籍することとなった英霊たちの居住スペースやモチベーション向上のための食事など当初の予定よりも多くの食料と、その生産のための区画が必要に迫られた。その時に、制作されたのがこの開発準備区画であった。いうなればカルデアの地下を彫り進め、そこにできた空間に新たに農耕施設を製作することとなったのである。そこではもともとカルデアに保存されていた無数の食物の種と凍結保存されていた受精卵から生まれた牛や豚といった家畜を育てることで最低限の食料を確保することとなったのだ。

「私は食堂にいることのほうが多かったからな、あまりこっちの工作作業に加わることは少なかったんだが、やはり人理の最先端のこのカルデアでつるはしを握ることになるとは思っていなかったがね」

「この辺りは機械で掘るには柔らかすぎて崩落を引き起こしかねないとも聞きましたが」

「いつだって信じられるのがマンパワーというのは英霊としては喜べばいいのか悲しめばいいのか互具五部といったところだろかな」

「その感覚は段蔵にはわかりかねます」

からくり仕掛けの彼女はそう言った。

「しかし、それにしても朝四時起きというのは少しばかり早すぎるのではないか」

農繁期の収穫作業ならまだしも種すら巻いてもいないこの状態、夜が明けたとて地面の下に光が届くことはないものの朝一番で同伴を願い出てきた彼女には少しだけ意表を突かれた。

「本来ならば昨夜からの一昼夜の作業の予定でしたから不可解なことではありません。昨日の午後は作業ができませんでしたからその分の補填をしておかなければなりません」

「その両腕でか」

「この両腕であるからこそです」

彼女はそう言って自らの新たな銀色の手をフルを手の形をしてたそれは瞬時にドリルへと姿を変えた。

「段蔵の手は人間を再現した分、その強度には難があります。あまり長時間鍬を持てば皮も向けてしまいますし、健が切れてしまうことも考えられる。しかし、その分、二号機殿のこの手ならば疲労が影響することもなく開墾を行えるのです」

意気が高揚しているらしく、ドリルを小刻みに回してはとめ、回しては止めを繰り返している。確かに近くで重工作機のような重い音が聞こえるとは思っていたがどうやら彼女の掘り進める音だったらしい。

「道理で今回の交換にも賛成したわけだ」

「それもありますがそれだけでもありません」

そういっているうちに入り口から入ってきたのは小さなゴーレムだった。アヴィケブロン特製の小型ゴーレム、それは掘りぬいた空間を適切に補強し、補正していくための計測をしているらしい。小さなゴーレムは部屋を一回りぐるりと見まわるとこちらへと近づき小さくサムズアップをするとそそくさと部屋を出ていった。

「どうやら合格が出たらしいな」

「午前中のうちにあと二部屋は広げておきたいのです。すいませんがよろしくお願いします」

返答するように首にかけていたタオルを額にもう一度、巻きなおした。

 

一つの作物の生産規格て規定されている一ヘクタールの開墾ならぬ開掘を終えたのは昼の十二時を少し回ったところだった。お結びを届けてくれたマルタの原付のエンジン音を聞きながら段蔵と掘削上からは少し離れたベンチで昼食をとることにした。

「源頼光どのに応援を頼んだらしい。あの人の握るお結びは素晴らしいな」

取り出したタッパーには綺麗に焼きのりに包まれたお結びと煮物、そして卵焼きといったお弁当が盛り付けられていた。

「君の分も用意してある」

「私にですか」

「食べられないわけではないだろう」

「ええ一応は」

差し出したお結びを握る。まだ少しだけ温かいその米の感触に少しだけ驚いたようにそしてそのまま口へと運んだ。

「なんだった」

「鮭でした」

「私は梅だった」

「それは良かった、あまり梅は得意ではないので」

「すっぱいものが苦手なのか」

「あの子が昔から苦手なのに不平も何も言わず食べているのを知っていましたので」

「よくできた子じゃないか」

「自慢の息子です」

投光器によって照らされた空間を小さなゴーレムたちが補強してゆく。崩落を防ぎ、新たなる畑とするための下準備。畔を作ったり、用水路を引いたり、日光代わりの護符やら照明やらを取り付けたり。着々とその準備が進んでくのを見るでもなく眺める。聞けばここは白菜の畑になるらしい。もとよりキッチン班からの要望として白菜の増産をお願いしていたが此度ようやくその願いが叶うらしい。昨年のミルフィーユ鍋が予想以上に好調だったことは喜ばしいが、あまり手のくわえようがないことは料理人としては悩ましくもある。

「何故、あなたがこれをやっているのか聞いてもいいか」

「何故、とは」

「確かに農場が増えることは喜ばしい。しかし、人理修復は成された。そしてカルデアも解体される。ならばこれ以上増やすことも決してメリットになるとは言えない。徒労に終えることも十分考えられることだ」

「無駄になるかもしれないことをなぜやるのか、ということですか」

「気分を害したのなら謝罪する」

生真面目な言葉に彼女は少し驚き、そしてゆるく口元をゆがませた。

「私がなぜ人型に作られたのかご存じですか」

穏やかに言うな彼女に少し考えこみ言った。

「口伝でしか伝えることのできない風魔の術を確実に次代へと伝えるために人間と同じ技繰り出せるような形態でなくてはならなかった、そう聞いている」

「そう、そしてその本質は風魔にその技を受け継がせていくこと。段蔵はそのためのお手本、金時殿のように言うならばバックアップといったところでしょうか」

忘れることのない機械ならば確かにその役割は十分だろう。

「それは逆にいうなれば、新たな風魔が成れば必要は無くなる」

そして

「五代目風魔小太郎が成り、段蔵はその役目を終えた」

風魔という一族の傑作が生まれ、一族の悲願は叶えられた。本流が流れたのならば支流の必要性は無くなる。

「つまり段蔵が人間の姿でいる必要性もなくなった」

手にした鋼鉄の腕を見る。確かに人間のようだった彼女の手からすれば人の携帯からは大きくは離れ異形ともいえるその形。その分今日の掘削では著しい結果を上げてくれた腕。必要性があれば別の腕も、足もそしてその体さえも換装するそんな風に聞こえた。

「もとより必要性がなくなった段蔵なればその行いが徒労に終わろうとも差し障りはありませんでしょう。今回は腕を換装することが効率が良い、そう判断しただけでございます」

「しかし、なぜ農場の拡大なんだ。ほかにも武装の試射なども考えられただろうに」

「簡単なことでございます」

その言葉に彼女は少しだけ笑ったように見えた。

「小太郎殿や立香殿がちゃんと野菜を食べて、ひもじい思いをせぬように、元気に笑っていられるように、それだけです」

「そうか」

「ええ、それ以外には何もありません」

「ならばもうひと頑張りしなければならないな」

そういって最後に残っていたお結びを彼女へと差し出した。他のと比べても明らかに大きく、形も歪でそして具も少し見えているようなそんなお結びを。

「ただ」

彼女はその不慣れなおにぎりを手に取った。

「あの子へお結びを作ってあげるなら、いつもの手のほうがいいかもしれません」

そういって、やさしい彼のお結びを口へと運んだ。

「しょっぱい」



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Day2 二号機の憂鬱

 二日目、気が付いた時、目の前に広がってたのは知らない、いいや知りたくはなかった光景が広がっていた。あまりに広くそして大きな敷地に建てられた西洋風の城、その名をチェイテ。そして突き刺さるように鎮座する逆さ向きのピラミッド、そしてダメ押しとばかりに上に乗せられた日本風の白、姫路城。

そう、彼の目の前にはかの悪夢のチェイテピラミッド姫路城が聳え立っていた。

 

「まったく、頭痛がする」

「あら、英霊も風邪をひくのですか。用心したほうがよろしい」

傍らに聞こえたのは自分をここへといざなったメカエリチャン二号機が立っていた。

「本来ならばカルデアスもシバも整備している状況でレイシフトはできないはずなのだがな」

「それはあくまでマスターの問題です。人間がレイシフトするならば考慮しなければなりませんが英霊ならばそう難しことでもありません。小川マンションの時もいつの間にかサーヴァントたちがマンションの部屋に引き込まれていたように細工をすれば機器なしでもレイシフトは出来ます」

「なるほど」

「それに私はもともとここの領主ですのでここならば転移はたやすいこと。サーヴァント一騎くらいは手荷物程度の者です」

「それは随分とありがたい配慮だといっておこうか」

「その言葉はもらっておきましょうか」

そういって歩き出した彼女へとついていく。いつもならば常夜に思えるこの町ではあるものの今広がっているのは雲一つない綺麗な青空だった。時刻は正午を少し回ったころだろう。輝く太陽、澄み切った空、そして聳え立つチェイテピラミッド姫路城。この場所はチェイテ城から少し離れた雑木林の端ではあるもののこの町にいればあのチェイテピラミッド姫路城はどこからでも見えてしまう。方向を間違えることはないもののいつ何時も視界に入るあの名状しがたき城にしょってどこか正気が失われていくような感覚も得てしまう。さらにはハロウィンの一軒で城の傍らには少し前を歩く二号機を大きくしたような巨大な守護神像も屹立していた。

「私も詳しいわけではないが百面ダイスでも振ったほうがいいのかもしれないな」

「守護神です、決して邪神などではありません肝に銘じておいてください」

体は前を向いたまま首だけを後ろに回し視線をこちらへと向け注意してきた。

「首を回すなんてことをしていればさらにそれらしくなるぞ」

「それもそうですね」

そういいながら彼女は首を戻すと少しだけ勇み足となっていた歩調を並び歩くように少し遅くした。

「昨日試運転をしましたがやはり大幅なパワーアップに成功したと考えています。個人的計測値によれば握力やスピードなどこれまでの1.12倍の出力となったようです」

彼女は自分の背丈よりも大きなその金色の手を器用に振りながら歩いていく。本来ならば歩くだけでも引きずるような代物、それを一日で動かせるようになったという事実に少しばかり驚いていた。

「確かに日常生活を送る分にはいささか、いいえ多大なる不合理な点も観られました。これで一般的な幸福を得ようとするのならばそれは不可能といえるでしょう」

オブラートに包むことのない彼女の抜身の言葉は確かにその身を切るほどに辛辣で、しかしその分誠実でもあった。

「しかし、その分私ならばその役目は十二分に果たすことができる。この城、この町、そしてカルデアを害する敵に万雷の鉄槌を下す守護神としての役目には適切と判断します」

「あくまで今回は入れ替わっただけ、それが正式採用されたというわけではないことは忘れていないだろうな」

「肯定です。これで成功した場合パッションリップに要請し貸与、または精密な計測を行い、その複製を新たな武装として導入することも視野に入れています」

「彼女に対してあまり強引な行動を行うのならば私としてもいささか賛成はできんのだがね。克服していたとしても他人にコンプレックスへ介入されることは皆気分を害するだろう」

少しだけ語気の強くなった言葉に二号機も声に感情を載せることなく言った。

「あくまで仮定の話です」

横に立つ彼女、しかし間に挟んだ爪は大きく、どこか少女の表情は遠く見えた。

「二号機様、お帰りなさいあとで見に行きます」

「あ、二号機様、いいオイル入ったんです、終わったら見てってください」

「二ごーきさま、がんばってー」

チェイテ城下の町の通りを抜ければ口々に彼女へと声をかけるものであふれていた。ハロウィンも近づき、事ここの町ではクリスマスよりも盛大に祝われる祭り。その準備だろうか。収穫期として忙しくもあるものの、祭りの前、収穫祭を祝う実りの秋、そんな心地の良いせわしなさが流れているようだった。

「それにしても人気があるのだな」

「私が人気があるのではありません。この地に残りこの町を導いている初号機が人気があるのです。私はその二号機であることにすぎません」

民衆からの声に一つ一つ応えてはいるもののその言葉はどこか他人事にも聞こえた。

「上位互換がいる場合、下位の性能をもつものは決して人気にはなれないのです。与えられるのは判官びいきから生じる哀れみのみです」

淡々と言い放った彼女に表情はなく、ただ事実として、言い聞かせるように語った。

「それで、ここに来た目的は何か聞いてもかまわないか」

「直ぐに分かるわ」

彼女はそれ以上話す気はないのか少しだけ速足になるといくつかの小道を抜けたどり着いたのは賑わいを見せている大通り。しかし、それはチェイテ城へと向かう目抜き通りとも少しは離れていた。

「あ、二号機様だ」

「頑張ってくださいね」

「今日こそ大番狂わせだ」

人であふれかえるその大通り、しかし彼らは二号機を見つけると口々に声援や歓声を上げ、そしてそれはゆっくりと大きな二号機コールとなっていく。彼女はそれにこたえるようにわずか手を振り返しいつの間にか人が分かたれ大きく開かれた道の中央をゆっくりと歩いていく。それにつかず離れずついていくと、見えてきたのは大きな丸い壁だった。小さな門を敷き詰めたような、大きく、ゆるくカーブしていく石積みの構造物。一つの視界に収めるには大きすぎるそれは本来ならばこの場所にあるはずもない、いいや本来の所在地であるはずのローマにすらあるはずのない巨大な構造物。

闘技場、コロッセオがその姿を見せていた。

そして何よりその中央にたらされた大弾幕、そこには

『決戦!メカエリチャン初号機VSメカエリチャン二号機』

そう書かれていた。

 

「というわけでメカニックの英霊、チューンをお願いするわ」

控室につくと二号機はそう切り出した。聞くところによればどうやら今日は今シーズンの最終戦。これまですべての試合はドローとなりこの最終戦によってどちらがメカエリチャンを名乗るにふさわしいかが決定される。しかし、一昨年、そして昨年と開催してから今年で三回目、これまでの二年とも初号機にその名を奪われている。それ故に今年こそはと意気込んでいるらしい。

「このままではコンパチ、リデコ、2Pカラーといわれてしまうのも時間の問題。クリスマス商戦には新製品は出されず、ちょっとした拡張アイテムでお茶を濁されてしまう。良くてVシネになってもその知名度はいまいち。性能的には変わらないはずなのに」

「なるほど」

彼女がその手を使いたかった理由、それは初号機との決戦のため、性能の全く変わらない初号機との差をつけるためだったらしい。

「パッションリップの承諾も得ていますので」

「ならば私から言うことはないのだが」

「だが、とは」

「いいや、なんでもないさ。それよりもメンテナンスをするのだろう、手を」

彼女は少しだけ不服そうな視線を向けるがその言葉を追うことはなくゆっくりとその黄金の腕をさしだした。

 

じきに始まりの鐘が聞こえる。

 

 

 始まりはただの与太話だった。

オリジナルがどこかで聖杯を拾って、ハロウィンを作り上げて

その次の年には異国の女王と勇者の喜劇

そしてできた混沌ともいうべき新たなる特異点、チェイテピラミッド姫路城。

オリジナルのエリザベート・バートリーより良い治世を、良い生活を、良いハロウィンを。

それ故に作られたメカエリチャン初号機。

そして自分はその彼女を模して作られた二号機。

量産品。

廉価品。

オリジナルから遠く離れ、目的すらも見失ったガラクタ。

あくまで二号機。

カルデアへと赴き、得難いものを得た。経験を、知識を、そして思いを。

しかし、ここへと戻ればただの二号機。故郷を擦った守護神ですらなく、善政の機械領主と同じ顔を持つ模造品。同じ性能を持つはずのそれでも買うことのできないジャンク。

 体が熱を帯び、頭の端で無数のアラートが鳴り響く。排熱がやられ、冷却がうまくいかない。彼女の蹴りをいなしながら外装をパージして投げつける。一瞬のスキを突くも発射された弾頭を返される。小さく舌打ちをしてそのまま大きく距離を取る。背中の排熱ファンが損傷した、しかし外装を外したおかげでまだ熱暴走までは時間が出来た。既に互いに羽根はなく、塗装も大きく剥げている。向こうは左手を失い、こちらは腹部に大きな穴が開いている。傷は無数で稼働限界も五分といったところ。まったく同じ性能であるからこそわかる自分とそして相手の状態。だからこそ察してしまう。今回も又最後にはあいつが勝つ。またしても。今回も。

歓声は遠く

風景は彼方

勝利は見えず

でも

金の爪が見える。

 

「だからって、負けらんないのよっ」

 

 胸の炉に火を入れる。

あの時もらった回路を走らせる。

分かっている、感じている。こんなものはただの臍を曲げた子供のような癇癪だと。力の足りない自分への憤りだと。他人と比較する矮小な嫉妬だと。

変わることはできない、考え直すことはできない、この思いを捨て去ることなんてできない。

ならば、この思い全てを持ったまま彼女を超えるだけ。

ひねくれたこの心を持ったままそれでも歩くだけ。

何の解決にもならない。

それでも。

ふと笑みがこぼれる。

理論的なことではなく物理的なことではなく。

もらったのは不器用な友人たちの応援だけ。

「理論的じゃないわね」

「ようやく理解したのね」

彼女も又少しだけ笑ったように言った。

「受けきって見せなさい、鋼鉄天空魔嬢・ブレストゼロ・エリジェーベト」

こぶしを強く握った。

「無垢黄金魔嬢・ロマンシア・エリジェーベト」

雌雄は決した。

 

「何がロマンシア。エリジェーベトだ。そんな宝具あるわけないだろうが」

「ちょっと空気に流されただけです。それに宝具についてあなたには言われたく会いません。日本人なら日本語で名前をつけなさい」

傷だらけになった彼女を最低限整備していく。せめて決戦後の後夜祭には出られる程度には。

「それを言われると痛いがね」

彼女は良く晴れ、そしてくれていく空を眺めていた。

「よくそのままの手で挑んだものだ」

「仕方ないじゃない、これで挑戦を放棄したらあの子、それでも落ち込むじゃない」

今は彼女の意思によって動く黄金の爪ではあってもその機能は使えない。つまり今の手は大きく鋭いだけの爪。本来の持ち主でなければその力の二割程度、それはつまり本来の腕より格段に低い性能であったということ。

「つまり今の君は圧倒的に性能で負けてる初号機へと挑んだわけだが」

「どうでもいいわ」

彼女は言った。

「いつかあの子たちにもこの景色を見せたいわね」

暮れ行く夕日は夜の帳を呼び、そして柔らかな人の明かりを連れてきた。

輝く銀の旗を靡かせながら。



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Last day 夢ならず 夢なれど

 

 それは決して、愛ではない

 

誰かがそういっていた。

触れたくて、触れてほしくて、愛してほしくて。

でもそれが叶うことはない。

触れるには大きな爪は人に触れればその身を傷つけてしまう。

触れられるには過敏な肌は小さな感触も大きな苦痛を伴う。

そして

無垢なる少女は愛を知るには早すぎた。

だから

だけど

まだ知らない

まだ知ることはできるから

幼い唇は小さな恋の詩を口ずさんだ。

 

「今日はいつもより素敵なおやつを用意したわ、セヴァスチャン」

「誰がセヴァスチャンだ」

少女に呼ばれ、ため息をつきながらも銀の手押しワゴンを押していく。漂う甘い香りに少女たちは小動物のようにすんすんとその香りを感じとり、そして何が出てくるのかと隣席の友人たちと話し始める。

「みんな静かになさい、せっかくのお茶会ですもの、飛び切り素敵にしなきゃもったいないわ」

その言葉に少女たちは子供特有の高い声音で返事をしていく。彼女たちの座る足のつかない白く、背もたれの高い椅子には赤いベロアが張られ、沈み込むように、そして少女たちもその反応を楽しむようにゆっくりと体を揺らしている。いつもの服装ではあるもののほこりを払い、糸くずを取り除き、そして襟を正す。普段とは少しだけ違うその空気に緊張しているのか両手を膝の上に置きつつもせわしなく視線を動かしていた。高揚したような、しかし確かに喜色に満ちた彼女たちの姿。いつもより大きな丸いテーブルには白いレースのテーブルクロスが引かれ、足元には若く青い野原は広がっている。空は青く、絶好のお茶会日和。

「それじゃあセヴァスチャン、お願い」

ナーサリーライムの声にワゴンからおかしを取り出してサーヴしていく。取り出されるケーキスタンドから香るバターの甘い匂いに少女たちはつられ、そしてどこか頬を緩ませる。手を伸ばしかけ、そしては、と気が付くとすぐにその手を引っ込めておとなしく、しかしそわそわと向き直る。

三つの盆と二つのケーキスタンドが並ぶ。

そしてオーダー通りいつもよりも手をかけて香りのよい匂いがポットから漂い、そして一人一人のカップへと移され始めるとゆっくりと部屋の中へと芳香が注がれていく。

「それではみんなカップは手に取ったかしら」

少女たちの返答にナーサリーライムは満足そうに微笑むとそして小さく笑いながら言った。

「楽しく、やさしく、かしましく。甘いお菓子と素敵な紅茶。眠るウサギにひとしずく、今日は名無しの記念日だもの」

彼女の言葉そういった彼女の視線の先、そして微笑む少女たちの視線の先、小さく椅子に座り両手で取り落とさぬようにカップを包み込む少女、パッションリップの姿があった。

「それじゃあ、今日もお茶会を始めましょう」

 

テーブルの上のお菓子と紅茶は八割ほど無くなった頃合い、少女たちの興味は別のところへと移ったらしくテーブルから立ち上がり野原をかけていった。

「紅茶の御代わりはいかがかな」

「お願いします」

野原を駆け回る少女たちに目をやりながら琥珀色のカップを差し出した。

「今日はありがとうございました」

「お茶会の準備などいつものことだ」

「そうじゃなくって、お菓子のことです」

彼女はゆっくりとさらに残ったフィナンシェを手に取った。

「私でも簡単に取れるようにって焼き菓子ばかりにしてくれたんでしょう」

彼女の持つ大きな爪はそれだけで日常生活を送るには不適当なもの。それ故にこのカルデアに来てからもけっしてすべてを十全にこなせてきたわけではなくとりわけ食事などでもスプーンやフォークを一部改良し持ちやすくしたものを用いている。それだけに多くの普通の作業というものの経験値が圧倒的に足りない。ケーキを皿へと倒さずに移すことや、それをフォークで切ること、そして切ったケーキをフォークで刺すこと。まだ指先のおぼつかない彼女が気兼ねすることなくお茶会を楽しめるようにそのために今回のお茶会で出たお菓子の多くがクッキーやビスケット、フィナンシェやガレットデロワといった手で簡単につまめる焼き菓子が多くなっていた。

「私だけのものではない、ナーサリーライムやジャック、ジャンヌリリィやバニヤン、彼女たちがそうして欲しいと頼んだことを私が形にしたに過ぎないさ」

少し遠くのシロツメクサの花畑へとたどり着いた少女たちの振った手に、彼女は小さく振り返した。

「今日でよかったのか」

「何がですか」

「今日でその手は元の手に戻ることになる。技術部だけならまだしもそのあとに来るどこぞの使節団にでも見られてしまっては事だからな」

換装してから三日目、決して長いとは言えず、降ってわいたような出来事、しかし確かにその終わりは近づいてきていた。

「そうですね、今朝急にナーサリーたちからお茶会の誘いを受けたのはびっくりしましたけど、それでもちょうどよかったです。特に予定も決めていませんでしたし」

「そうなのか」

少し驚いたような返答が気に入ったのか小さく微笑みながら彼女は言った。

「ええ、確かにもし普通の女の子みたいに小さくてかわいい手になったらって、考えたこともありますけど、案外突然きちゃったらびっくりして何がしたかったか思い出せ無かったりするものです」

「そんなものか」

「そんなものですよ」

ゆっくりとカップを包むと彼女は新しい紅茶に唇で触れた。

「それに、私は普通の女の子とは違う。人間になりたい、人間でありたかった、そう思うことはないといえばうそになる」

でも

「それでも愛することも、そして恋をすることも知った。メルトが感じたような、すべてを投げ出してもいいと思うようなそんな素敵なものを」

私にはまだそこまで思える人はいないんですけど、と少し照れたように笑った。

だから

「次は手をつないでもらうんじゃなく、手をつないで上げられる、そんな風になろうって」

小さな花が綻んだ。

「だから名残惜しいけど、でもこの手じゃなくてやっぱりいつもの手のほうが落ち着きますから」

そういって笑った彼女に少しだけ考えこむとワゴンの最下部から取り出したのは一冊の文庫本だった。

「これは、詩集、ですか」

「あまり私も本を読むような人間ではないのだが、それは随分と前に読んだ愛読書の内の一冊でね。読むなり好きに使うといい」

飾り気はなく、カバーもない一冊の文庫本だった。

「いいんですか」

「私のお古で良ければだがね」

「全然かまいません、本をもらうことなんて初めて」

あの大きな手では自分で本を読むことなどできはしない。誰かに読んでもらうか、あきらめるか。

残された時間は多くはなく、一つの物語に陥るにはいささか短すぎる。

けれど、それでも彼女に触れてほしかった。

だから短く、そして咲くようなその詩を送る。

「リップ、お花で冠作ったからつけてあげるね」

戻ってきた少女たちが彼女へと白い冠を載せた。シロツメクサの柔らかな、しかし少しだけ歪な冠が風でそよいでいた。笑いかける少女たちに彼女も小さく微笑んだ。

 

ページをめくる音が風に紛れてどこかへと流れていった。

 

 

 

 

四日目の朝はいつもの朝だった。何も変わらぬいつもの日常。

しかしいつもと少しだけ違ったのは食堂の端、カルデアのサークルたちが使う掲示板。

そこに一つ新たな名前が増えていた。

『チームロケットパンチ』

「もう少し名前はどうにかならなかったものかね」

ブラウニーは満足そうにそう呟いて厨房へと入っていった。



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