深い海に棲む艦~Prequel to Kantai Collection~ (ダブル・コンコルド)
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序章 破滅のはじまり
1.墓標消失


Until lions have their historians, tales of the hunt shall always glorify the hunter.
ライオンの世界に歴史家が現れるまで、狩の物語は、常に狩人に栄誉を与えるだろう。
                       アフリカのことわざ(読み人知らず)


 絵の具を擦り付けたようなプルシャン・ブルーが果てしなく広がり、小さな波がキラキラと夏の太陽を照り返す。

 場所は中部太平洋、マーシャル諸島、ビキニ環礁。

 南の楽園とも言うべき海を、1隻の艦が波立たせてゆく。

 アメリカ海軍第7艦隊、第73任務部隊所属。名はパスファインダー。

 全長は100メートル程度。のっぺりとした外観は、おおよそ軍艦のステレオタイプには当てはまらない。

 それも当然のことであり、パスファインダーは海洋観測艦というクラスに属する。戦闘を行うためではなく、文字通り観測を行うために造られた船だ。

 

「さっさと済まして帰ろうぜ。うんざりだ」

「マーシャルは嫌いか?」

 

 おおよそ緊張感のない声が艦橋に響く。通常の軍艦ならどやされているところだが、この船はどうもそうでないようだ。

 

「二度とごめんだ。クソ熱い上にべた付きやがる」

 

 遮るものが何もない洋上の日射は強烈だ。太陽に熱せられた上甲板の気温はもはや殺人的といっていい。

 パスファインダーは今回、ビキニ環礁の海底を調査せよ、との命令を受けて出港した。

 司令部によれば、同ポイントでは微弱な地震が継続しており、海底構造に変化がみられるらしい。そこらの海底なら沿岸警備隊に任せればよいのだが、場所が場所である。

 

「無駄口を叩くな。そろそろ指定ポイントだ」

「アイ・サー」

 

 パスファインダーの指揮を執るマクファーソン中佐が、レーダスクリーンを指しながら命じる。

 

「ソナー室より艦長。これより測定開始します」

 

 パスファインダーは海洋観測艦には珍しく、ソナー室には軍人と民間の研究者が混在している。報告を上げたのはソナー担当の下士官だった。

 

「艦長、こちらソナー室。ポイントID1125、海底の60フィート沈下を確認」

「よし。データ収集後、次のポイントに移動する」

「りょうか――おや?」

 

 しばしの沈黙。艦長のマクファーソンが、どうした?と尋ねる。

 しかし応答がない。受話器を通じてざわめきが聞こえきた。

 

「どうした」

「い、いえ。それが……」

 

 一瞬、不自然な間が入った。

 艦橋も、不穏な空気に包まれる。

 

「……海底に異変あり」

 

 背後のざわめきが大きくなる中、ソナー担当のつぶやくような声がはっきりと聞き取れた。

 ソナー員の声は、まるでおそろしい悪霊でも目の当たりにしたかのようだった。

 しばしの沈黙。

 やがてソナー担当の声が聞こえてきた。

 

「艦長、研究者と協議しました。曳航式探査ソナーを使い、ポイントEH1116まで移動していただけませんか、それではっきりします」

「……わかった」

 

 軍艦が同乗している民間人の言葉で動く。

 通常ありえないことだが、事態の異常性を感じ取ったマクファーソンは、ソナー担当の進言を受け入れた。

 

「ソナー投下、EH1116地点に移動する。進路215、速力8ノット」

「了解。進路215」

「速力8ノット」

 

 クルーが洗練された動きで艦を操る。

 数分後、パスファインダーは目標地点に到達した。

 マクファーソンは受話器を取り、ソナー室を呼び出す。

 

「艦長よりソナー、報告しろ」

「ソナーより艦長。信じられない、こんな……」

 

 気のせいか、ソナー担当の声が震えている。そして受話器の向こうのざわめきが、先ほどより明らかに大きくなっている。

 いや、もはやざわめきというには不適切だ。

 

「いったいどういう――」

「そんな馬鹿な――」

「だが現に――」

 

 わずかな音が生死を分けるソナー室でこんな大声はご法度だ。それに背後の雑音にかき消され、ソナー担当の下士官の声がよく聞こえない

 とうとう我慢しきれなくなったマクファーソンが、やや声を荒らげた。

 

「何の話だ、何をしている」

「艦長、ソナー室からデータ来ました」

 

 艦橋の情報モニターに転送されてきたデータが表示される。

 マクファーソンがモニターを覗き込むのを見て、下士官はコンソールを操作した。

 パスファインダーの航路をしめす線が、北から南へと伸びてゆく。そして、その線の始点と終点が赤く点滅し、

 

「これが先ほどのID1125地点の海底、そしてこちらがEH1116地点の海底図です」

 

 3次元にスキャンされた海底の構造図がモニターに現れた。

 以前の海底を背景として透過しているのか、海底のわずかな違いがうっすらと透けて見えた。

 

「この両ポイントは、いずれもある大型艦の沈没地点です。ですが、その姿がありません」

「クロスロードか」

 

 下士官が軽く頷く。

 

「姿がないとはどういうことだ」

「言葉の通りです。砂に埋もれたわけでも倒壊したわけでもありません。艦の本体だけでなく散らばっていたパーツまで、何もかも消えています」

 

 その一言で、艦橋は水を打ったように静まり返った。

 かろうじて声を絞り出したのは、艦長のマクファーソンだった。

 

「何かの、間違いではないのか」

「確かです。あれほど巨大な構造物を見落とすとは考えられません」

「潮で流されたという可能性は……ないな」

「はい。両艦ともに重量は3万トンを超えます。カトリーナでも運べませんよ」

「サルベージされたという可能性はないのか」

 

 マクファーソンは言った。

 軍艦に使われている鉄は質が良く、沈没船を勝手にサルベージして売りさばくたちの悪い業者も存在する。その被害にあったのではないかとの考えを示したのだ。

 しかし下士官はかぶりを振った。

 

「標的艦はいずれも汚染されています。あんなものを引き上げても全員癌になって終いでしょう」

 

 さらに航路を示した白い線の左右にも2つ赤い点が点灯した。

 

「また曳航式ソナーで広範囲を探査した結果、CR0917地点、HR1216地点でも残骸が消えています。これほど同時に大規模なサルベージを行うとなれば――」

 

 下士官が最後まで言い終えることはなかった。

 艦の数カイリ後ろで、白い水柱が音もなく上がった。

 ここからだと小さなものだが、距離を考慮すれば見上げるほどの巨大なものであることは分かる。

 

 遅れてきた衝撃波が艦橋の窓を叩きパスファインダーが揺れる。

 鋭い声でマクファーソンは命じた。

 

「反転だ!進路025、環礁の外に出る!」

「進路025了解!」

「機関全速!この海域を直ちに離れろ!」

「アイ・サー!」

 

 何が起きているかはわからない。だがこのまま留まり続けるのは危険だ。

 軍人としての彼の本能が、とっさの判断を下させた。

 

 機関出力が一気に上がり、スクリューが海水を攪拌する。艦の速力が一気に上がり、乗員らが後ろにのけぞった。

 瞬間、パスファインダーの左舷側の海面が噴火したように炸裂した。

 くぐもったような炸裂音と同時に水柱が噴きあがり、艦が左右にローリングする。

 

「マイ、ゴッド……」

 

 よろめいて海図版にしがみついたマクファーソンの背筋に冷たいものが走った。

 水柱があと1メートルずれていれば…

 パスファインダーはへし折られるか、空中に投げ出されていただろう。

 目を凝らすと、前後左右に無差別に水柱が噴きあがっている。

 

「報告だ……!」

 

 マクファーソンは絞り出すように叫んだ。

 

「司令部に緊急信だ!状況をデータとともに送信しろ!」

 

 いちいち言葉で説明している余裕はない。現状と先ほどのデータを送信すれば、きっと理解してくれる。

 パスファインダーの司令部である極東海上輸送司令部、通称MSCFEに通信が開かれる。同司令部は指揮系統のずれによる混乱を防ぐため、パスファインダーが属する第73任務部隊の司令部が兼任している。

 司令部があるシンガポールのセンバワンに情報が速やかに送られるはずだ。

 

「データ送信できません!司令部との通信不可!」

 

 絶望的な報告が飛び込んだ。

 直後海図版から航路が消え、モニター上の文字に一斉にノイズがかかった。

 目を見開いたマクファーソンに追い打ちをかけるように報告が飛び込む。

 

「衛星との通信、切れました!」

「とにかく逃げろ!環礁の外に逃げろ!機関出力は1馬力といえども落とすな!」

 

 彼は声をわななかせた。

 左右に水柱が噴きあがり、衝撃音が艦橋の窓を激しく叩く。

 

「クソが、いったい何が起きて――」

 

 一人の下士官が罵声を漏らす。

 その時だった。

 艦首に水柱が噴きあがり、視界が一瞬にしてゼロになった。まき散らされた海水が艦を叩き、巨大な手で鷲掴みにされたように艦が震えた。

 

 身体を貫かんばかりの衝撃。

 

 あらゆる声がかき消され、あるものは海図板に、あるものは壁にたたきつけられた。

 その尋常ではない衝撃が、全員に事態の深刻さを強制的に理解させた。

 

「機関停止!艦首の被害を確認しろ!」

「了解!」

「艦底部乗員は退避!安全確保のち負傷者を医務室へ運べ!」

 

 各所でうめき声が上がる中で、マクファーソンは辛うじて冷静さを保っていた。

 水柱の位置と衝撃からして艦首を損傷した可能性が高い。下手に動けば浸水が発生し、最悪沈没もありうる。

 

 しかし、命令が実行に移されることはなかった。

 誰もが呆然としていた。そして食い入るようにその光景を見つめている。

 

 崩れた水柱の中から、何かが姿を現した。

 それは全長200メートルを超えようかという大きさで、天に向かってそそり立っている。まるで海面から空に向かって巨大な柱が伸びているようだった。

 

 直後、悲鳴のような金属の叫喚音が響き渡った。

 巨大な柱が傾いている。それも自分たちの方に向かって。

 

「嘘だろ……」

 

 下士官がそんな声を絞り出した瞬間、天地が裂けんばかりの轟音とともに視界が暗転した。

 巨大な柱がまるで戦槌のように、パスファインダーを直上から叩き潰した。



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2.亡霊顕現

 グアム島、アンダーセン基地を発進したP-3C哨戒機はビキニ環礁に迫っていた。

 

 現地時間の真っ昼間。海軍の海洋測定艦が消息を絶った。

 任務の測定データも送られてこないどころか、定時連絡すらない。

 司令部が何度呼びかけても応答がない。さらにGPSでも現在地が確認できなかった。

 

 第73任務部隊は同艦が何らかの原因で沈没した可能性があると判断。上位部隊である第7艦隊司令部を通して、アンダーセンに展開するP-3Cに出動命令が下された。

 

 P-3Cの操縦席の視界は広い。

 美しい海原は、まさに南の楽園というにふさわしい輝きを放っている。

 だが、美しい海原はその胎内に恐るべき脅威を孕んでいることを彼らは理解していた。

 

 主操縦席と副操縦席との真ん中に位置し、特に見晴らしのいい機上整備員席(FE)からは、その主たる曹長が双眼鏡を構え、眼を凝らしている。

 

 何もない海面を舐めるように飛びながら、ひたすら目を凝らすだけの単調な作業だ。10分もすれば眠気を催してくる。

 それでいて、片時も目を離すことは許されない。ほんのわずかな見落としは味方の被害になって返される。何千トンもの艦船と乗員の喪失につながり、国の安全を脅かすのだ。

 

 プロペラ推進式で、四基のターボフロップエンジンを積むP-3C哨戒機は、高性能化の進んだP-8に比べてやはり性能面で劣る。だがP-8の配備は本国や海外の拠点が優先され、グアムでは未だに主力の哨戒機だった。

 元が民間用の輸送機を改造して完成した機体であり、長年に渡り実績を積み重ねているだけにその信頼性は高い。また乗員としても、習熟し、使いこなしていく内、預かった機に対し愛情も湧いてくる。

 主操縦席に座る機長のダルトリー大尉にしても、上官より再三P-8への機種転換を勧められているにも関わらず、その度に固辞していることからも、P-3Cに対する愛着の度も推し量れよう。

 

 燃料節減のため四基の内、外側二基を停止しプロペラをフェザリング状態にしてはいても、P-3Cのプロペラは微塵たりとも崩れることの無いリズムを以て回転を刻み続けている。フェザリングとは、プロペラの角度を進行方向と水平にし、空気抵抗と無駄な燃料消費を抑える操作のことだ。

 P-3Cは巡航状態では大抵この状態を保ち、海上に捕捉し、撃破するべき目標を見出した瞬間に、始めてその持てる飛行性能を全開にするのである。まさに狩人を狩るもの、ハンターキラーと呼ぶにふさわしい特性を持っている。

 

『――機長、三時方向に浮遊物らしきものを視認。変針頂けますか?』

 

 戦術航空士の声が機内に響き渡る。その指示と意見は操縦士にとって絶対に近い響きを持つ。

 

「了解」

 

 ダルトリー大尉は短く答えると、慣れた手つきで操縦桿を操作した。

 機首が下がる。

 加速を付け、P-3Cはゆっくりと、微塵の揺らぎも見せず旋回する。

 

『浮遊物確認』

「識別できるか?」

 

 機長にそう問われるや否や、第三対潜員の下士官が赤外線画像に海面を捉え、机上のキューを動かしコンソールを叩く。

 呼び出したデータリンクは、瞬時にこれまでの活動で収集した情報と照合させ、彼の眼前に映し出した。

 

『識別完了。浮遊物の色彩から、我が軍の艦艇と推定』

「こちらも視認した。基地司令部に報告しろ」

『了解』

 

 機長の声に、通信員が応答する。

 沈黙が機体を覆う。

 しかし報告がない。報告完了の言葉が一向に来ない。

 

「通信員、基地に報告しろ」

 

 沈黙を察した機長が再度命じる。

 再び帰ってきたのは、

 

「通信不能です」という声だった。

 

「ジャミングでも食らってるのか」

「いえ、そのような反応は」

 

 機長の舌打ち交じりの問いに副操縦士が首をかしげた。電子戦を仕掛けられていれば、計器が目覚まし時計のごとくけたたましく鳴り響くはずだ。

 だがコクピットの計器は気味が悪いほど沈黙したままだ。ただ淡々と数値を弾き出し続けている。

 

ECCM(対電子装置)起動します」

「うおっ!」

 

 報告とほぼ同時、武器員の曹長の声が漏れた。

 半球状の窓から外に向ける双眼鏡を握る手が、震えている。

 哨戒機の持てる武器を振るい、発見した潜水艦に死刑判決を下すプロフェッショナルが明らかに動揺していた。

 

「機影を多数視認!当機に向け接近中!」

 

 副操縦士がレーダスクリーンを見る。

 その視点が、釘付けになった。レーダーに映る輝点は、すでに10を越えている。

 機長のダルトリー大尉と副操縦士の中尉はほぼ同時に息を呑んだ。

 

「そんな馬鹿な…!」

「なぜこんなに近づかれるまで気づかなかったんだ!」

「わかりません、ですが、急に現れたみたいに…」

 

 大尉がインカムを装着する。警告するのだ。

 司令部への報告はできそうにもないが、近距離の不明機相手ならば航空無線でどうにかなるかもしれない。

 

「未確認機に告ぐ。現空域はアメリカ合衆国の制限空域である。確認信号を発信し、東へ退去せよ」

 

 数秒、待った。

 レーダー担当が言う。「不明機の針路、速度、ともに変化なし」

 

 

 その時だった。

 

 

「なっ、マジかよ!?」

 

 レーダー担当が絶叫するように悪態をついた。

 悲鳴のようなその声には、動揺と驚愕があった。

 

「どうした!なにがあった!?」

「あいつら撃ちやがった!」

 

 レーダー担当はスラングを叫びながら、機長に応答した。

 瞬間、ハンマーで殴られたような衝撃がP-3Cを襲った。

 

「第1エンジンに火災発生!被弾した模様!」

フェザー(消火)だ!燃料供給カット!」

 

 操縦席パネルの緊急消火レバーを引く。同時に炎と破片とを吹き上げるエンジンの姿に唖然とした。

 風圧で炎を消し飛ばすべく、ダルトリーは咄嗟に操縦桿を倒す。機首が下がり、一気に高度が下がる。

 加速度と警報シグナルが機内を荒れ狂う。その不気味な音は死神の叫び声のようにも聞こえた。

 

「任務中止だ、離脱する!」

 

 言うが早いか、ダルトリーは機体を旋回させ、北西に機首を向けた。

 操縦桿が手のひらに吸い付く。長年操ってきた愛機はもはや体の一部といってもいい。

 必ず生き延びる。そしてすべての乗員を生きて地上に降ろす。

 

「敵、正面!」

 

 副操縦士が叫ぶ。ブラックボックスに記録されるが、不明機の呼称はもう不要だ。

 自分たちに引き金を引いた時点で、あの機体はアメリカの敵になったのだから。

 赤い奔流のような曳光弾が敵機から伸びる。正面から向かってきた黒い影は一連射を放ち、P-3Cの上方へと抜けた。

 

「まさか……」

 

 すれ違いざまに敵の姿が見えた。

 その機影にはどこか見覚えがあった。

 

 その思考が、一瞬の逡巡を呼んだ。

 彼は失念していた。敵機は単独ではなかったということを。

 被弾し速力の遅い4発機が逃げ切れる道理はなかったということを。

 

 後ろから蹴り飛ばされるような衝撃が機体を襲い、外気が勢いよく吹き込んだ。

 機体の震えが四肢をもぎ取られるような激痛へと変わった瞬間、P-3Cはばらばらになり、彼は機体の外に投げ出された。

 

 自身の生命が終わる瞬間、ダルトリーは愛機を墜とした敵の姿をはっきりと見た。

 

「ヘルキャット……!」

 

 絞り出すような声の直後、彼の意識は暗転した。

 

・・・・・・・

 

 数機の回転翼機が全速で飛行していた。

 輪形陣を組むように隊列を整えたヘリの中心に位置するは、マリーン・ワン。

 ヘリの機内は、真上で高速回転している回転翼とエンジンの轟音に支配されている。

 その轟音の中で軍服をまとい、威風堂々とした風格をもっているのがエイドリアン・ランズダウン将軍だ。齢は60を超えているが、その鍛え抜かれた鋼の肉体は老いてなお周囲を威圧する凄みを持っている。その姿に、老いの翳りなど微塵もない。

 

 そして、ランズダウン将軍の風格をものともせずその正面に座するのが、アメリカ合衆国大統領にしてアメリカ合衆国軍の総指揮官、ウィルフレド・ワーナー。

 その年齢は驚愕の46。かのケネディ、セオドア・ルーズベルトに次ぐ44歳という若さで合衆国のトップに立った男だ。ワーナーの才能は国民へのアピールというよりむしろその優れた駆け引きの手腕にあった。

 

 かつてワーナーの前大統領が8年の任期を終えた時、共和党内では「強いアメリカ」を標榜する『主流派』と、保守勢力の『ティーパーティ派』が対立していた。

 前大統領の折にティーパーティ派は、米軍の海外駐留、防衛費増額に激しく抵抗した。彼らはいわゆる「反戦」だが、それはリベラルな平和主義ではなく、人道的海外援助すら拒む「光栄ある孤立」とも言うべき「アメリカ・ファースト」の論理だったためだ。

 

 そして当時は後者が優勢であり、『主流派』の前大統領に代わる次期大統領は『ティーパーティ派』から生まれるはずだった。

 しかし、『ティーパーティ派』内で、イスラエルと緊密な関係を深めるべきだとする親イスラエルの『軍事関与派』が台頭。同じ派閥内で「光栄ある孤立」を標榜する『リバタリアン』との分裂が発生した。

 『リバタリアン』は「孤立主義」と定義されることを嫌う、「軍事的非介入の自由貿易主義者」を標榜する者が多い。いわゆる「強いアメリカ」の主流派から「保護貿易」の要素だけを取り除いた考え方だ。

 『軍事関与派』に権力を渡したくない『リバタリアン』は、「強いアメリカ」を維持したい『主流派』を裏から懐柔。そして合衆国を一気に孤立主義へと推し進めていったのが、『リバタリアン』のワーナーだった。

 故に現在のアメリカは、自由貿易である点を除けば孤立を保っている。世界最強が故の孤立という、かつての大英帝国を思わせる姿だった。

 

 ランズダウン将軍はインターカムのついたヘッドセットを大統領に渡し、みずからも着用した。

 密閉型のヘッドセットなら、ヘリの轟音に邪魔されることなく会話ができる。傍受に注意し、通信相手を限定すれば、余人に聞かれる心配もない。

 

「将軍、状況を教えてくれ」

 

 ワーナーとて何も聴かされないままだったわけではない。

 だがその反面、いま何が起きているのかという質問に正確に答えられる者もいない。

 情報が錯綜している中で、大統領が憶測で強権をふるい、それが間違った根拠をもってなされたものであれば取り返しがつかない。

 その判断が、彼をマリーン・ワンに乗り込ませたのだ。

 

「6時間前のことです。ビキニ環礁での海底調査の任務に就いていた我が軍の測定艦が沈没しました。また、沈没の詳細な原因の調査、生存者の有無の確認のためにグアムから飛んだP-3Cが1機、消息を絶っています」

 

 ワーナーの思いを汲んでか、将軍も確実に分かっている事実のみを述べる。

 由々しき事態だとワーナーは瞬時に判断した。

 イラクやアフガニスタンといった紛争地帯でならともかく、太平洋というアメリカ合衆国の庭で、アメリカの軍艦と軍用機が消息を絶ったとは。

 

「原因は」

「不明です。現在、周辺の海域を封鎖し、原因の調査、生存者の有無の確認および救出活動のため、海上部隊を派遣しております」

 

 ヘリの眼下には合衆国大統領の城、ホワイトハウスが彼らを待っていた。

 脅威と判断した対象を一存で射殺する権限を持つ特別要員が狙撃銃を持って24時間態勢で警備に当たり、さらに屋上ではスティンガーミサイルが睨みを利かせている。

 ワーナーの指示を仰ぐ補佐官や報道官らスタッフ。さらにアメリカ中の報道機関から派遣された報道陣も首を長くして待っているはずだ。

 ヘリがホワイトハウスの庭、サウス・ローンにゆっくりと降り立つ。

正面ゲートには、報道陣が群がり、黒山の人ができていた。

 

 ヘリから降りたワーナー大統領とランズダウン将軍、さらにシークレットサービスらは、記者の質問とストロボの嵐を背中に浴びながら、ホワイトハウスへと入っていった。




まさか1話で感想がつくとは思いませんでした。
これからもよろしくお願いします。


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3.温故知新

 ホワイトハウスの会議室には、すでに閣僚の面々が勢ぞろいしていた。

 ワーナーが自身の席に腰を下ろし、目配せする。各々もそれにならい、自身の椅子に腰かけた。

 

「まずは今、分かっている状況を整理してくれ」

 

 ワーナーの声に、1人の人物が立ち上がる。

 

「現地時間11時47分、太平洋第7艦隊、第73任務部隊所属の海洋測定艦パスファインダーがビキニ環礁にて消息を絶ちました。原因は未だ不明ですが、現在に至るまで同艦の反応が全くないため、沈没したものと判断しました。現在、同艦と司令部の通信記録、およびレーダー、GPSも併せて解析中です」

 

 大統領特別補佐官に任命されているアルダートが、ゲルマン系(※)特有のグリーンな瞳を向けつつ報告した。オランダ系アメリカ人のアルダートだが、どうもオランダ人の特徴が強く出ている。

 

「また、現地時間15時33分。調査のためグアムから同海域に飛んだP-3C哨戒機がレーダーから消えました。こちらは現地に派遣した海上部隊が、すでに同機体の主翼部分を発見しております。墜落したものとみて間違いないでしょう」

 

 スタッフら会議室にいたほとんど全員が、隣の者と顔を見合わせた。

 太平洋の同じ海域で軍艦と航空機が消息を絶った。しかもその海域が、かつて原爆実験の行われた場所なのだ。オカルトじみたものを感じた者もいただろう。

 沈没したパスファインダー、および墜落したP-3Cのいずれもが、司令部になんら通信を送らないまま消息を絶っていること。そしてパスファインダーに至っては、任務である海底地形図のデータすら送信されていなかったということ。

 これらを一通り説明すると、「ただ、ことが深刻なのはここからです」と、アルダートは続けた。

 

「同海域において、衛星通信をはじめとする遠距離通信が不可能になっています。これは現地に派遣した海上部隊からも同様の報告が得られました。おそらくパスファインダーもP-3Cも、これによって報告を行えなかったものと推測されます」

「周辺国による攻撃か?」

「その可能性は限りなくゼロに近いかと。マーシャルは経済的支援を受ける見返りとして、外交権、軍事権を我が国に委任しております。軍隊すら擁していない国に、そのような大規模な攻撃は不可能でしょう」

「他の太平洋諸国に可能性はないのか?」

「マーシャルに隣接するミクロネシア、パラオも同様に我が国が軍事権を保持しています。P-3Cの撃墜どころか補足すら困難でしょう。またロシアや中国につきましては、常時我が国の衛星が監視を行っておりますが、そのような攻撃を可能とする部隊が動いたという報はありません」

 

 ワーナーは眉間に皺を刻みつつ、何かを思い出したように問うた。

 

「現地部隊との通信はどのように行っているのだ?」

 

 ビキニ環礁において通信障害が発生しているのであれば、こんなにも早く情報が来ることがあるだろうかと。

 それに応じたのはアルダートではなく、統合作戦本部議長を務めるランズダウン将軍だった。

 

「通信障害が起きている範囲の僅か外側に、通信能力に優れた艦を通信プラントとして配置しております。短距離の通信は可能でしたので、通信障害圏内にいる艦艇の情報を、一度プラントを経由してから艦隊司令部へと送信させています。多少時間はかかりますが、全くの応答なしよりは良しと判断しました」

「圏内からの直接通信は不可能だが、プラント艦を介せば通信は可能だということか」

 

 ワーナーのまとめるような言葉に将軍は軽く頷いた。

 

「パスファインダーはともかく、せめて、P-3C墜落の原因が分かればいいのだが…」

「現在総力を挙げてブラックボックスの捜索を行っております。それが発見されないことには確かなことは何も分かりません」

 

 ワーナーはしばし考え込むと、国防長官のオルグレンに視線を向けた。

 

「国防長官。艦や航空機の被害はともかく、ビキニ全域の通信障害について、我々はデフコンを4に上げるべきだろうか?」

 

 オルグレンはその鋭い目つきをさらに細める。

 

「閣下がご命令なさるなら、それはなによりも尊重され優先されるべきです。ですが、現時点では時期尚早ではないかと愚考します」

 

 オルグレンはどちらかというと恵まれた体付きではない。髪もほとんどが白髪であり、国防総省の長官というよりは田舎の農家でロッキングチェアに揺られている方がしっくりくる。

 だがその目つきは農夫のそれではない。温和な見た目をしているが、その内側には優れた頭脳と冷徹な判断力を秘めていた。

 オルグレンは殊更に、ゆっくりと言った。

 

「現時点において重要なのは、艦船や航空機の未帰還でも、通信障害でもありません。ビキニ環礁で、何が起きたのか。さらに言えば、今、何が起こっているのかということです。それがはっきりしなければ、対処のしようがありません。デフコンを上げる前に、すべきことがあります」

「どういうことだ」

 

 オルグレンの曖昧な物言いに、ワーナーは身を乗り出した。

 

「今重要なのは、原因です、大統領閣下。軍艦、航空機の未帰還、そして通信障害。これらが全て同じ場所でほぼ同時に起きた以上、何らかの共通する原因があることは間違いありません。それをまずは探らなければ」

 

 ワーナーが納得したような表情を見せ、今後の対策と方針を話し合おうとした。

 その瞬間だった。

 会議室のドアがノックされた。

 大統領の許可とほぼ同時に入ってきたのは、政務官のひとりだった。

 影のように大統領のそばに控えていたシークレットサービスが、懐に手を入れながら立ち上がり、ワーナーをかばうように進み出る。

 政務官はその動きにも構わず、やや声のトーンを上げた。

 

「海上部隊から連絡です、P-3Cのブラックボックスが発見されました!」

 

・・・・・・・

 

 ビキニ環礁でブラックボックスが発見されたのとほぼ同時刻。

 東シナ海、尖閣諸島に危機が迫ろうとしていた。こちらでは、時差の関係で太陽がまだ沈むことなく水平線にとどまっている。

 

「中国船、なおも接近中!」

「領海までの距離は?」

 

 海上保安庁第11管区に所属するくにがみ型巡視船『とかしき』の船橋に報告が飛び込み、同船長の西本啓は努めて冷静に対応した。そしてすぐに返答が返される。

 

「30キロです」

 

 『とかしき』は尖閣諸島の接続水域に侵入してきた複数の中国船に対し、再三にわたり警告を発していた。

 しかし中国船からは『本海域は我が国固有の海域であり、他国の要請は受け付けない』との返答が返されるばかりで、とうとう中国船と尖閣諸島までの距離は異常なまでに狭められてしまった。

 相手がただの漁船であれば船体を使うことで強引に進路を変えさせることも不可能ではないのだが、相手は中国海警、いわゆる中国の沿岸警備隊の船舶だ。体当たりするにはいささかリスクが大きすぎるし、いざ戦闘になればろくな防弾能力すらない巡視船に勝ち目はない。

 

 既に時刻は夕暮れ時だ。まもなく日が沈む。

 このような状況になければ、それは美しい景色に違いない。

 

「何も起きなければいいのだが…」

 

 西本がぼそりと呟き、一瞬の静寂が訪れる。

 だが、すぐにそれは破られた

 

「『りゅうきゅう』より通信。海警部隊が速力を上げました。真っ直ぐ魚釣島めがけて移動を開始しています!」

「……!?」

 

 何が起きたかは明らかだった。中国側の挑発行為が次の段階に移行した証拠だ。

 今尖閣諸島の領海内で踏ん張っているのは『とかしき』とその姉妹船『いらぶ』『たらま』、つがる型巡視船『りゅうきゅう』、いわみ型巡視船『もとぶ』『いへや』、そして鹿児島から臨時的に派遣されてきたしきしま型の『しきしま』からなる計7隻だ。そして第11管区所属船の内で、この場で最も通信能力の高い『りゅうきゅう』が指揮を執っている。

 

「『りゅうきゅう』並びに『いらぶ』『たらま』が魚釣島の領海北部に移動中。領海侵犯を試みる場合、実力で阻止するつもりのようです」

「本船は?」

「現在の持ち場を維持せよ、とのことです。『もとぶ』『いへや』『しきしま』にも同様の通達がなされています。また、『りゅうきゅう』以下3隻を以後阻止部隊と呼称する、と」

「呼称了解、だが…体当たりでもするつもりか?」

 

 西本がそう呟いている間にも、りゅうきゅう以下3隻の巡視船は速力を上げてゆく。

 中国側のレーダーにも、隊列から3隻の船舶が離れ自分たちの方に向かってきている様子が捉えられているはずだ。

 

「両船隊の距離、10キロ!」

 

 報告の声色が先ほどとは明らかに異なっている。

 双方が20ノットを超える速度を出している以上、10キロという距離など5分もあればゼロになる。それが分かっているからこそ、報告も切迫したものにならざるを得ないのだろう。

 

「両船隊、さらに接近!」

「まさか――」

 

 西本の口からそんな呟きが漏れた。

 自分にはどうすることもできない。だが今取っている行動は正しいと言えるのか。

 両船隊の距離はもうわずかしか無い。このままいけば間違いなく衝突する。

 船橋にあるレーダー上で二つの船隊が重なりかけた瞬間だった。

 

 鼓膜をかきむしるようなノイズ音がどこからともなく響き渡った。神経に突き刺さってくるような音だ。船橋にいる誰もが顔を歪め、頭を抱えるように耳をふさいだ。

 同時にレーダーが古いテレビ画面のように乱れ、一瞬にして船橋のモニターすべてが真っ黒になった。

 

「…なんだ、なんだったんだ」

 

 ノイズ音が収まり、反射的に口からでた言葉はそれだった。

 不気味な沈黙。

 この音が、『とかしき』乗員だけの集団ヒステリーでもなければ、はるか先にいる『りゅうきゅう』らの阻止部隊、そして中国の海警にも届いていたはずだ。

 

 緊迫した状況とは裏腹に、ちゃぷん、という波の揺れる音すら耳に入らんばかりの沈黙だった。誰もが状況を把握できず、フリーズしてしまった機械のように固まっている。

 

「船長、妙な通信が…先ほどから連続しています」

 

 沈黙を破ったのは、船橋の奥で頭を押さえて転がっていた通信員だった。いつの間にか立ち上がっている。

 状況を理解するためにも、西本は通信員に視線を向けた。

 

「我々宛なのかは不明ですが、モールス信号で意味不明な符号が連続して打たれています」

「意味不明とは――」

 

 何だ、そう西本が言おうとした時だった。

 

「レーダー復旧しまし――な、これは…!?」

 

 レーダーの前に張り付いていた担当が突然、驚愕したように叫んだ。

 

「どうした!」

「レーダーが復旧しました、ですが、その…」

 

 レーダー担当は、ひきつった口と舌を無理やり動かすように叫んだ。

 

「阻止部隊前方に、超大型船を伴う未確認のレーダー反応が多数出現しました!友軍識別信号はネガティブです!」




※オランダ人はゲルマン系民族


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4.撃鉄落下

「うわああああっ!!」

 

 混乱の極みとは、まさにこのような状況を指すのだろう。

 『りゅうきゅう』以下阻止部隊の3隻と中国海警の5隻。それらが接触しようかという矢先、そのど真ん中に巨大な何かがいきなり浮上したのだ。

 

 南西の美しい海が急速に白く濁ってゆく。それは無数の気泡だった。太陽光を乱反射させながら登ってきている。絵本で知られる釜茹で地獄のように。

 ボコボコと巨大な気泡が海面で次々とはじけ、海面が泡立ってゆく。各船が混乱するなか、中心に黒点が滲んだ。

 黒点は徐々に巨大になっていく。

 影だ。

 海の中からなにかが浮上してくる。

 どんどん大きくなっていく影の直径が数百メートルにも達したとき、海面が歪むように持ち上がった。

 巨大な物体が水中から急速に持ち上がると、周囲の水分が巻き付くように一緒に持ち上げられる。そんな現象が数百メートル単位で起きていた。野球場のように巨大なドーム状の水塊から、瀑布のように大量の海水がまき散らされる。

 

 最も悲惨だったのは、そのドームの真上にいた海警の哨戒船だった。

 排水量3000トンの船体がプラモデルのように跳ね上げられたかと思うと、そのまま数十メートルも吹き飛ばされ、上下逆さまに海面に叩きつけられた。

 しばらくはどうにか浮かんでいたが、やがて艦尾から引き込まれるように海中へと消えた。

 

 それを顧みる余裕はどの船にもない。

 阻止部隊の先頭にいた海保の巡視船『りゅうきゅう』も例外ではなかった。

 

「状況を報告しろ!」

 

 船長がそう叫ぶが、報告できる者などいるわけがない。冷静に考えればわかろうものだが、そんな思考すら奪われるほど彼らは混乱していた。

 まき散らされた海水が濃霧のように広がり、視界が効かない。頼みのレーダーは復旧こそしているが、目の前にいきなり現れた巨大物体の正体を突き止めるには至らなかった。

 海が荒れている。

 先ほどまでの凪いだ海と同じ場所だとは思えなかった。

 

「まずい、盛り上がってるぞ…」

「総員保持しろ、何かに掴まれ!」

 

 目の前の海が盛り上がっている。

 これはまるで――

 

「3.11…」

 

 誰かが呟いた。

 霧は晴れてきたが、波が高く先が見えない。

 波の勢いのままに船が持ち上がり、滑り落ちるように海面に押し付けられた。

 

「なんだ、これは…」

 

 波を乗り越えた彼らを待っていたのは、凪いだ海ではなかった。

 前方に何かがいる。

 何か巨大なものが。

 

「レーダーより、前方の不明物体。大きさ、250メートル以上」

 

 船橋がしばしざわめいた。

 『りゅうきゅう』の全長は約100メートルと海保最大級の巡視船だ。だが、不明物体の大きさはその倍以上、250メートルを超えるという。

 

(潜水艦…?いや、ありえない)

 

 『りゅうきゅう』船長は、ふいに浮かんだ疑問を打ち消した。

 世界最大の潜水艦と言われる旧ソ連のタイフーン型ですら、その全長は175メートル。だが不明物体は海中から浮上してきたにもかかわらず、それより100メートル近く大きいという。

 あまりにも常識から外れすぎている。

 船長が新たな命令を下そうとした瞬間、船橋乗員らの視線は一点に釘付けになった。船長も唖然として固まっている。

 

 それは水上船の形をしていた。

 『りゅうきゅう』はその何かを後ろから見る形になった。

 

 後甲板に巨大な主砲がある。

 砲塔から3本の砲身が生えている。

 

「戦、艦…?」

 

 まるで亡霊を見たようにぽつりとこぼれた言葉。そして乗員らは、異変に気付いた。

 主砲が動いている。

 まるで獲物を探すかのように、巨大な主砲が旋回している。

 

「ま――」

 

 船長は最後まで言い切れなかった。

 砲身に閃光が見えた瞬間、海が裂けたような爆音が轟き渡った。海面をへしゃげさせながら空気中を伝わってきた衝撃波が、『りゅうきゅう』の船橋の窓を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 誰もが立っていられなかった。飛び散った窓ガラスが何人もの乗員の身体に突き刺さり、壁や床に血しぶきが飛んだ。

 『りゅうきゅう』船長にとっても、人生で初めて経験する衝撃だった。家族と一緒に見た打ち上げ花火、その数百倍にも勝る。心臓が体の中心にねじ込まれるようだった。

 

「船長!」

「私は大丈夫だ」

 

 奇跡的に無傷だった乗員の1人が駆け寄り、その体を抱き起こす。

 口ではそういったものの、足元をふらつかせながらどうにか立ち上がる。視界がはっきりとしない。まるで腹に強烈な一撃を叩きこまれたような感覚だった。

 

「甲斐と浅井、ガラス片で負傷!」

「しっかりしろ!こっち見ろ!」

「野口が重症です!首に、首にガラスが!」

 

 船橋が一瞬で地獄と化していた。

 船長は負傷者を医務室へ運ぶよう命じたが、自身の額に違和感を覚えた。左手で触れてみると、ドロリとした感触がある。

 額が深く切れていた。おそらく飛んできたガラス片が額の薄皮をえぐったのだろう。

 それがどうした、と自分を鼓舞した時だった。

 

「『いらぶ』付近に着弾あり!同船、レーダーから消失(ロスト)!」

 

 かろうじて立ち上がったレーダー担当から絶望的な報告が上がった。

 『いらぶ』は『りゅうきゅう』と同じ、阻止部隊3隻のうちの1隻だ。その排水量は1000トン程度。『りゅうきゅう』の3分の1しかない。あれほどの衝撃波を生み出す砲撃に、耐えられるはずもなかった。

 

「『たらま』を呼び出せ!それから『とかしき』に緊急信だ!」

「『たらま』応答しません!『とかしき』と回線開きます!」

 

 『たらま』は『いらぶ』の姉妹船で、阻止部隊の1隻だ。

 まさか沈んだのか、そう自問したとき、『とかしき』との回線がつながった。

 背後で、巨砲が再びうなりを上げた。

 

・・・・・・・

 

 『とかしき』船橋は、恐慌状態に陥っていた。

 突然濃霧と共に現れた超大型船が落雷のような音と共に砲撃を行ったかと思うと、中国海警の哨戒船と海保の『いらぶ』がレーダーから唐突に消えたのだ。

 何かに攻撃された。船長の西本もそれを理解はできたが、受け入れられていなかった。海警の体当たりや放水程度なら覚悟していたが、いきなり砲撃されるなど想定できるはずがない。しかもその相手が250メートルを超える巨船なのだ。

 そしてなにより、11管本部と通信ができない。その異常事態が、混乱にさらに拍車をかけていた。

 

「船長!『りゅうきゅう』より通信です!」

 

 何かを命じる前に通信が飛び込んだ。西本はそれに応える。

 

「こちら『とかしき』、船長の西本だ。何が起きている?」

「こちら『りゅうきゅう』!戦艦に撃たれた!馬鹿でかい主砲だ!」

「戦艦?」

 

 戦艦という兵器は現代において絶滅種と言っていい。航空機の発達、そしてミサイル技術の進歩により姿を消した旧時代の兵器だ。

 もちろん中国がそんなものを建造したという話はない。

 西本が考えを巡らせている間にも、回線を通して悲鳴のような声が聞こえる。

 

「3連装の主砲だ!いきなり海中から浮上してきて――」

 

 刹那。

 無線口で火薬でもまとめて爆発させたのかという爆音が炸裂し、鋭いノイズが飛び出した。鼓膜が破れんばかりの不協和音に思わず顔をしかめる。

 

「『たらま』消失(ロスト)しましたっ!」

 

 静まり返った無線に代わるように、レーダー担当が叫ぶ。

 もはや一刻の猶予もない。

 

「『もとぶ』と『いへや』に通信を送れ!『いらぶ』『たらま』乗員を救助する!」

「了解!『しきしま』はどうされますか!?」

「あの図体では邪魔だ!本船の情報を管区本部に持ち帰らせろ!」

 

 『とかしき』とその姉妹船である『もとぶ』『いへや』は全長96メートル、排水量1700トンと中型船クラスだが『しきしま』は違う。全長150メートル、排水量6500トンのそれはもう軍艦といっても相違ない。

 実際『しきしま』は軍艦に匹敵する防御力を有しているとの情報すらある。

 救助活動の司令部やヘリのプラットフォームとしてならともかく、そんな巨体に迅速な動きができるとは思えない。

 ならば管区本部に情報を持ち帰ってもらった方がいいと考えたのだ。

 

「ヘリは出せるか!?」

「波が高すぎます!それにこうも霧がありますと事故の可能性も…」

 

 西本は思わず舌打ちした。ヘリが使えなければ救助は著しく困難になる。

 その時、通信担当が声を張り上げた。

 

「『りゅうきゅう』から通信です!」

 

 西本はひったくるように無線を取った。

 

「聞こえているか『とかしき』!こちら『りゅうきゅう』!」

「『とかしき』から『りゅうきゅう』へ。『いらぶ』『たらま』を見失った。これより僚船と共に救助を行う」

 

 だが、無線の向こうから聞こえてきたのは救助を求める声ではなかった。

 

「駄目だ!来てはいけない!早く逃げるんだ!」

「見捨てることは――」

「早く逃げろ!こいつらは」

 

 声が途切れる。それは意図したものではなく、恐怖から来る怯えだったのだが、西本には知る由もない。

 

 『りゅうきゅう』船長の声はもはや絶叫にも等しかった。

 

「僚船を連れて早く逃げろ!亡霊だ…!こんな馬鹿なことが――」

 

 先ほども聞いた落雷のような轟音が遠くから響き、声が止まった。

 『とかしき』船橋のガラスがガタガタと震える。

 

「『りゅうきゅう』消失(ロスト)!」

「反転だ…!」

 

 西本は絞り出すように言った。

 

「進路180度!海域を離脱する!」

 

 異常事態だ。このままでは『とかしき』も危ない。まずは自船と預かった乗員を守らなければ。西本の脳内には、そんな考えしかなくなっていた。

 

「船長!本船後方から追尾してくる船影あり!」

「大型船か!?」

「違います!『りゅうきゅう』とほぼ同等!ですが速力極めて大!」

 

 中国海警か、とも思ったが、すぐに打ち消した。あの大型船の攻撃を受けながら、日本の領海にまで侵入する力はさすがにないはずだ。

 だとしたら、追尾してくる船は何者なのか。

 タイミング的に考えると、大型船の片割れである可能性が高い。

 ならば、どこから来たのか。

 

『いきなり海中から浮上してきて――』

 

 先ほどの悲鳴のような絶叫が脳裏をよぎる。

 ありえない。ありえないはずだ。

 

「不明船の速度知らせ!」

「速度30ノット以上!振り切れません、追いつかれます!」

「30…!?」

 

 信じられないといったような声。

 現代において、軍艦ですら30ノットを超える速力は珍しい。

 『とかしき』の全速は26ノットだ。このままでは間違いなく追いつかれる。

 いや、その前に砲撃で沈められるが早いか。

 

「後方、不明船視認!」

「撮影班、大型船はもういい!後方の不明船を撮影しろ!」

 

 甲板でカメラを持っていた乗員ら数人が、ヘリの発着甲板にバタバタと走ってゆく。

 

「不明船近い!主砲3基を確認!いずれも連装!」

「不明船速力34ノット!本船を追い抜きます!」

 

 西本が船橋の外に目をやった瞬間。接舷せんばかりの至近距離に、不明船が姿を表した。

 あまりの衝撃に転針の指示すら出せずにいる西本を嘲笑うかのように、不明船は速度を落とし、『とかしき』と並走した。

 衝突の恐れもある。これでは針路を変えられない。

 

「前方!主砲動いています!」

 

 叫ぶような報告が飛び込んだ。

 とっさに前を見ると、船橋の前、不明船の前甲板にある連装の主砲が動いていた。

 

「船長!撃たせて下さい!」

 

 前甲板の20ミリバルカン砲を操る乗員が、おびえたような声を上げた。

 このままでは『りゅうきゅう』のような末路を迎えてしまう。そんな恐怖心にかられたのかもしれない。

 

 だが。

 それは、西本が「撃て!」の命令を出すより早かった。

 

 不明船の3基の主砲すべてに閃光が走り、『とかしき』は粉砕されていた。



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5.刻恐印怖

 東京にある首相官邸に待ちに待ったデジタル画像が届けられた。

 官邸地下にある会議ホールの入り口に掲げられた真新しい木製看板には、『尖閣諸島問題特別対策室』と達筆に書かれている。

 まだ紛争が勃発したわけではないため表向きは安全保障対策本部扱いこそされてはいないが、その内情は現状よりワンランク上の事態を想定したものとなっていた。

 

 送られてきた画像は、海上自衛隊のP-3Cと情報をリンクした空自の早期警戒管制機E-767を通じて、衛星回線でダイレクトに送られてきたものだ。

 奇しくもE-767を経由したこともあり、尖閣周辺で発生している通信障害の影響を受けなかったというのは、まさに怪我の功名だったといえる。

 

「なんだ、これは…」

 

 画像を見た日本国首相の釜田大樹は、驚きを隠せなかった。

 攻撃を避けるために遠距離を飛行していたP-3Cから撮影されたものであり、ほとんどがぼやけたりブレてしまっている。だが1枚だけ、それを真横から比較的鮮明に捉えたものがあった。

 

 ほっそりと丸みのある艦首。艦体中央にかけてうねりあげる甲板。前甲板に2基、後甲板に1基備え付けられた巨大な主砲塔。天に向かってそそり立つような艦橋と煙突。そしてそれらを取り囲む無数の対空火器。

 見紛うはずもない。

 

「これは、『大和』です。どう見ても戦艦大和に相違ありません。防衛省に保管されている画像データからも照合しましたが、すべて記録にある大和のものと同じでした」

 

 防衛省から報告を受けていたであろう防衛大臣の甲斐野佑斗が冷や汗をかきながら言った。

 

「総理、この大和は、かつて存在した旧海軍の戦艦大和と同レベルのスペックを持っていると推測されます。この大和は、主砲をもって中国の海警と海上保安庁の巡視船を撃沈しております。大和の主砲は完全なロストテクノロジーであり、現代の技術でも再現できるかどうか…」

 

 対策室が静まり返った。

 現代の造船技術を持ってすれば、戦艦大和の張りぼてを造ることは造作もないが、誰にも知られずに大和を建造し、尖閣までもっていくのは不可能に近い。

 

 また考えられるのは、中国による自作自演だが、それなら海警のみに数発砲撃すればいい話であり、撃沈までする必要はないはずだ。わざわざ大和を建造したとしても、帝国海軍に成り済ませはするが、自衛隊にも海保にも成り済ますことはできない。海保が大和型を運用しているという超理論を展開するならば別だが、どう考えても費用対効果に合わない。

 

「海保の巡視船が撃沈された以上、記者会見はせねばならんが…」

 

 釜田は頭を抱えた。自分が記者会見で、各社の記者からやり玉に挙げられている光景を想像したのかもしれない。

 だが隠したりすれば、間違いなく政権の命取りになる。かつて尖閣で発生した衝突事故を隠蔽しようとし失敗した現野党の政権がどうなったかは記憶に新しい。

 

「総理、少し待ってください。何もわかっていない今記者会見など開けば、それこそ総攻撃を受けてしまいます」

 

 総理のとなりに座っていた官房長官が、押しとどめるようなジェスチャーをしながら言った。

 

「攻撃したのは、たとえ『大和』であったとしても、現在は所属不明の巨大艦です。どこからともなく不明艦が現れ、日中双方を攻撃し、いまも尖閣海域に居座っている。これが現在の状況です。ならば我々は、海保の被害について説明すると共に、日本国民と中国政府に対し、今回の攻撃に日本は無関係であると表明すべきです」

「加えて、在日米軍及び米国政府とも連携を深めるべきかと。米国も事故の件がありますが、在日米軍の行動までは制限されておりませんので」

 

 官房長官に続いて、外務大臣の藤原大河が言った。

 太平洋でP-3Cが墜落した事故について考えを巡らせているような口ぶりだった。確かに墜落した航空機の同型機を在日米軍が飛行停止にしなかったことで、日米間でかなりの意見の衝突があったのだ。

 

「官房長官、報道各社に連絡を入れてくれ。直ちに緊急会見を行う。中国側が新たな行動に出る前に、何としても国民に納得してもらわねばならない。でなければ最悪の事態に陥った時に身動きが取れなくなってしまう。それに巡視船に被害が出ている上、あんなものが尖閣に居座っていては、どのみち国民に隠してなどおけん」

 

 内閣の方針は決まったが、誰もが、どうせそのうち丸く収まるだろう、と半ば希望的観測を含んだ考えを持っていた。

 しかし、事態は彼らの想像を超え、予想もできない方向へと走り始めてしまっていたのである。

 

・・・・・・・

 

 ホワイトハウスでは、遥か彼方のハワイ、ホノルルにある、アメリカ・インド太平洋軍司令部との回線が開かれ、司令部の映像が、会議室のモニターに映し出されていた。

 モニターの向こうには、アメリカ・インド太平洋軍の各部隊。

 すなわち太平洋陸軍、太平洋海兵隊、太平洋空軍、そして太平洋艦隊の各トップ。そしてそれら全てを傘下に収めるアメリカ・インド太平洋軍司令長官、およびその参謀らと、そうそうたる顔ぶれが揃っている。

 

「ゴースト、か…」

 

 P-3Cのブラックボックスに残された声を聞いたワーナー大統領は呟いた。レーダー等の解析データにはすでに目を通したが、最期の瞬間を音声で聞くとなると、やはり胸の奥をうつものがあった。

 

「残されたデータによると、機体を最後まで操っていたのは副操縦士でした。機長は攻撃を受けた時、即死だったと思われます」

 

 モニターの向こう側にいる、太平洋艦隊司令官のロバート・ライアンズ・ジュニア大将が、大統領の言葉に補足するように言った。

 

「P-3Cのレーダー記録によると、不明機は探索可能範囲の内側に突如として出現しています。充分に発見できる距離をいきなり越えて、唐突に姿を現したようなものです」

「突然現れたとは、ワープしたとでも言いたいのか」

「いくらステルス機でも、目視確認できる距離までレーダーに映らないということはありえません。ましてや攻撃態勢に移っている機体なら、なんらかの警報が出るはずです」

 

 会議室にいるアルダート特別補佐官が、言葉をリレーするように言った。

 

「現在、P-3Cの残ったパーツを捜索中です。すべてが回収できれば、どのようにして撃墜されたのか判明するかと」

「一体どこのどいつだ。我が無敵の合衆国軍に攻撃を仕掛けた愚か者は」

 

 ワーナーはことが始まって初めて怒りを露わにした。

 

「デヴィットソン大将。海底から消えた沈没艦の件も並行して調査してくれ。不明機の出現とほぼ同時という点から見ても、関係はゼロではないはずだ」

「承知いたしました、大統領閣下」

 

 アメリカ・インド太平洋軍の総指揮官であるウィリアム・D・デヴィットソン大将が、モニター越しに大統領を真っ直ぐ見据えて答えた。

 まさにそのとき、国務長官の席にある省直結の電話が鳴った。短い問答がある。

 

「大統領」

 

 受話器を置いた後、国務長官は言った。

 

「テレビを付けてください。オキナワで有事です」

 

・・・・・・・

 

 日本国首相、釜田大樹の緊急会見は、深夜に始まった。

 事情が事情だけに、官邸の広報フロアは報道各社が派遣した記者らではちきれんばかりだった。今頃テレビ局に勤める社員らには緊急で動員がかけられているはずだ。悲惨である。

 官房長官と共に釜田が現れると、記者らの間でどよめきが起こった。

 明らかに憔悴しきっている。

 いったいどのような重大事が起きたのかと、誰もが緊張の面持ちで壇上を見つめた。

 釜田は一通り記者席を見回すと、大きく息を吐いて口を開いた。

 

「昨日、7月25日午後6時21分。東シナ海にある尖閣諸島海域において、偶発的な戦闘が勃発しました」

 

 記者らの想像を超えた言葉が飛び出した。『戦闘』という言葉が公式に使われたということは、これまでとはレベルが違うということだ。

 フラッシュの嵐、そしてパソコンのキーを叩く音がフロアにこだまする。

 

「まずは、こちらをご覧ください。これからお見せする画像と動画は、自衛隊のP-3CやE-767といった航空機から撮影された映像になります」

 

 釜田が促すと、防衛省の関係者らがプロジェクターを使って、写真や映像を演壇後方のスクリーンに投射した。

 それは、どれもが『大和』をとらえたものだった。

 

「今ご覧になっているのは、昨日の夕刻から午後10時にかけて撮影されたものです。決してCGや特撮映像などではありません。ご存じの方もいらっしゃるかと思います。信じがたいことですが、これは、旧日本海軍に所属していた戦艦大和です。防衛省に保管されている旧軍の資料と照らし合わせた結果、同型艦の武蔵ではなく大和であることが判明しました」

 

 フロアがざわめき、フラッシュが一層激しくなった。

 

「偶発的な戦闘は、この『大和』によってもたらされたものです。当時尖閣諸島海域には中国海警局の哨戒船5隻と海上保安庁の巡視船7隻の計12隻が航行していました。しかし、同海域に突如として『大和』と思われる巨大不明艦が浮上、双方を無差別に砲撃し始めました。我々が確認したところでは、中国海警局の哨戒船5隻は全てが沈没。また海上保安庁の巡視船も、『しきしま』を残して6隻すべてが沈没いたしました。生存者は現時点で確認されておりません」

 

 我慢の限界だと言わんばかりに、数人の記者が身体を低くしたままフロアから飛び出していった。記者クラブでは今頃生中継が行われているはずだ。こんなとんでもない大ニュースを、他社に先んじられてたまるものかといった思いなのだろう。今頃テレビ局では電話がひっきりなしに飛び交い、特別番組の台本が書き上げられているはずだ。

 国民に情報を包み隠さず伝え、いざ中国側が動きを起こした時に政府が動きやすいようにする。内閣の思惑はひとまず成功したと言えた。

 

「また、この戦艦大和は海上自衛隊、海上保安庁に所属するものではありません。また民間においても、官公庁へ届け出がなされている船舶の中に大和型戦艦の申請がないことは調査済みであります。故にこの大和は現在、他国籍もしくは無国籍の戦闘集団であり、日本国として到底容認できるものではありません」

 

 一呼吸つき、釜田は続けた。

 

「当然、大和に攻撃された国は反撃する権利を有しているものであります。しかしながら、あの大和は日本国に属するものではありません。我が国は絶対に先制攻撃はしません。日本は戦争を望んでいません。しかし、もし、大和への反撃と称した矛先が日本に向けられてしまうと、我が国も専守防衛としての行動をとらざるを得なくなります。どうか国民の皆様、そして各国の指導者の皆様、理性ある対応をお願い申し上げます」

 

 戦後日本が、ここまで戦争の瀬戸際に追い込まれたことはない。

 日本には自衛隊という軍事組織があり、尖閣において対峙している相手国がある。そこに在日米軍はいない。日本は紛れもない当事者になってしまった。

 これまでの戦争を、当事者ではないから、といって逃げ回ってきた日本の目の前に、いきなり戦争という実態が現れた。

 首相に代わり、記者の質問に必死に応じている官房長官の背後では、いまだに大和の映像がエンドレスで流し続けられている。

 その光景はまさに、日本という国家の戦前と戦後を表しているようにも見えた。

 

・・・・・・・

 

「将軍、今の会見を見てどう思う?」

「失笑ものですな」

 

 ワーナー大統領の問いかけに、ランズダウンはバッサリと言い切った。

 自国の船舶が攻撃されておきながら、戦争は嫌だとひたすらに訴えるだけの会見は、確かに軍人から見れば噴飯ものだったかもしれない。

 

「それで、中国に備えますか?閣下」

 

 あのような会見が行われた以上、中国が動くことは間違いない、と確信している様子だった。

 それに続くように、国務長官のレジナルト・マーヴィンが身を乗り出した。

 

「中国政府より、非公式の文書が届いています。極東の安定を保つために、合衆国は当事者でないことを公式に表明してほしい。そうすれば、あとは日本と中国の二国間で解決できる、と」

「我が国相手なら戦争になるが、日本相手ならば地域紛争で片が付くということか」

「やはりやる気ですな、動きが速すぎる」

 

 ランズダウンは軽く息を吐く。それを見て補佐官のアルダートが続いた。

 

「中国はあのヤマトが日本のものであるかそうでないかなど、どうでもいいのでしょう。国籍不明の武装集団が攻撃を仕掛け、今なお居座っている。中国にとっては絶好の機会です」

「軍による作戦行動を黙認する。それがどれほどの意味を持つのか、日本は分かっていないのでしょうな」

 

 マーヴィンが薄く笑った。

 それを見ていたワーナーが呟いた。

 

「あのヤマトが、かつて沈んだヤマトなのだとすれば、ビキニの謎も解けるかもしれんな」

「ヤマトの沈没地点は判明しているのですから、深海探査艇を派遣し、残骸を調査すれば同一のものか別物か分かるはずです。外交ルートで呼びかけてみましょう」

「同一のものであった場合、我が国も他人ごとではない」

「ビキニから消えた沈没艦が、ヤマトのように浮上する、と?」

 

 大統領を見つめて言ったマーヴィンに、ワーナーは頷いた。

 そして、補足するように国防長官のオルグレンが言った。

 

「可能性はゼロではないだろう。さらに言えば、ヤマトの浮上地点は沈没地点と異なっている。どこに現れるか予想できない以上、太平洋軍にとっても、危険極まりない」

 

 それを聞いていたマーヴィンが、再び大統領を見据えた。

 

「大統領、国防長官の意見もあります。この際中国に任せてみるのはいかがですか?中国が勝てば我が国が後から両国を仲裁すればそれで良し、負ければ我が軍で警戒レベルを引き上げるだけです」

「日本が納得するだろうか」

「あの国は納得せざるを得ませんよ。中国との対立が決定的になった以上、我が国を敵に回すほど愚かではありますまい」

 

 ワーナーは目を閉じ、沈黙した。自分の判断が国家の未来を左右すると、思考を鋭く巡らせているに違いない。

 やがて眼を開くと、閣僚らを見渡し、ワーナーは言った。

 

「マーヴィンの案を取ろう。我が国は中国とヤマトの衝突に関して情報収集に徹する。それ以降は改めて判断しよう」

 

・・・・・・・

 

 明朝、監視衛星から中国海軍出撃の報が届けられた。

 激突の時は、もう目の前まで迫っていた。

 



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6.艦隊起動

 尖閣諸島近海、『大和』出現地点より西方。東シナ海を切り裂きながら軍艦がひしめいていた。

 

 艦隊の中央に位置するは、全長300メートルオーバーの巨艦、人民解放軍初の航空母艦たる『遼寧』。同艦はもともと旧ソ連で建造中止されたものを中国がスクラップとして買い取り完成させた過去を持つ。現在ロシアで運用されているアドミラル・グズネツォフ級重航空巡洋艦(空母)の異母姉妹にあたる艦だ。

 

 この『遼寧』に従うは、東シナ海を管轄とする東海艦隊。アメリカの空母打撃群にならい、空母を中心に駆逐艦4隻、原潜1隻という構成を取っている。

 今回は任務が本土近海だということで高速支援艦が艦隊から外れ、その代わりに打撃能力向上のため駆逐艦4隻、フリゲート4隻が編成に加わっている。

 本来はこれに人民解放軍初のミサイル巡洋艦である『南昌』も編成に加えてはどうかとの意見もあったが、練度不足ということで見送られた。

 

 すなわち現海域に君臨するは、空母『遼寧』を中心に、中華イージスとも呼ばれる昆明級駆逐艦『南京』『太原』、蘭州級駆逐艦『長春』『鄭州』『済南』『西安』、以上6隻が空母を囲むように空へ睨みを利かせる。

 その外郭では、火力は見劣りすることは否めないものの、ソヴレメンヌイ級駆逐艦『杭州』『福州』、江凱II級フリゲート『徐州』『舟山』『黄山』『衡陽』らが数多のミサイルを艦内に潜ませ、さらに海中では原子力潜水艦『長征7号』が水中に潜む敵を見つけてくれようと息を潜めている。

 空母を守るように航行する12隻の艦船と原潜の織りなす防衛網はまさに鉄壁の布陣といえた。

 

「目標を確認、4時の方向250キロ。速力0、動いていません」

「まだか、大佐」

 

 現在位置の報告を受けた艦隊司令の少将は、そばに立っていた男に一言問うた。

 

「もう少し待て、艦隊司令。本国からの命令がまだだ」

 

 司令官の少将に、大佐の階級であるにも関わらずほぼ対等の口ぶりなのは、政治士官の男だ。

 重要な命令は共産党本部から艦隊政治士官へと伝えられる。これが自由主義世界の軍隊と決定的に異なる点だ。

 

「本国が正式に声明を発表してから作戦を開始せよと命じられている。今少し待機を頼む」

 

 政治士官は少将に向き直って言った。政治士官ゆえに表面上は冷静さを保ってはいるが、声色にはやはり緊張の色は隠しきれていなかった。

 

 

 声明は中国国家主席によって、国営テレビを通じて発表された。

 

『――確かに、釣魚島が、日本国の主張する通り日本国固有の領土であるならば、その領海内に侵入するのを決して黙認してはならず、あらゆる手段をもって阻止するべきであろう。しかし日本は、あろうことかこれを放置し、領土侵入と攻撃を黙認している。通常の国ではありえない事態である。ゆえに我が国は、日本国が釣魚島を含む諸島海域を実質的に中国領と認めている証拠であると判断した』

 

『我が国は日本国の声明を重んじ、これに準じた行動をとることにする。くだんの大型艦は所属不明の武装船である。そして我が国の船舶を攻撃し、代えがたい人命を奪い去った張本人でもある。当然、我が国は反撃の権利を有しているものである。我が国はかの武装船を、所属不明のテロリスト集団であると見なすことに決定した。中国領内へ所属不明の武装船が侵入し攻撃を行ったのだから、これに対する反撃は日本国には関係ない。くだんの大型艦は、国際慣習と中国の国内法によって裁かれなければならない』

 

『我が国は合法的権利として、大型艦に武装解除と臨検を求める。これを受け入れない場合は、国際法上の正統的な権利として実力を行使する。これは、ソマリア海賊に対する対処と何ら異なる点はなく、国際連合含む世界各国は前例ある事案として対処していただきたい』

 

 日本は己が無関係だと表明することで、領土問題に絡めて反論する根拠を与えてしまった。

 大和が中国の要求に応じない場合、中国は全力で大和を沈めにかかる。それはすなわち、尖閣諸島海域への本格的な軍事攻撃であることに他ならない。当然自衛隊は出動せねばならないが、それを世界がどう見るか。

 

 自衛隊が、大和を守っているように見えないだろうか。

 

 ソマリア海賊と同じであれば、日米安保も適用されない。海賊対策が国連で可決された決議である以上、中国の軍事行動は黙認される。

 また相手がテロリスト集団であると仮定しても、それは国連安保理の決議にかけられる。必然的に、拒否権を持たぬ日本よりも、拒否権を持つ中国の言い分が通るだろう。

 日本は攻撃をただ見守るしかなくなってしまった。それは、国家主席が声明で発表した、魚釣島の領有権放棄と同義である。

 日本は国内に気を使い過ぎた結果、とんでもない譲歩をしてしまったのだが…

 現場はまだ、何も気づいてはいなかった。

 

 

「声明が発表された。艦隊司令、作戦開始だ」

「承知した。匕首作戦開始。全艦、対艦戦闘用意。駆逐隊は指定座標にてそれぞれ待機、早期警戒機KJ-600からのデータをもとに目標をロックせよ。艦隊と航空部隊で一斉攻撃を行う。『長征7号』は警戒行動を続行せよ」

 

 匕首とは古代中国において暗殺に多用された小刀の意を持つ。巨艦をミサイルで一刺しに葬る、という意味合いを持つ作戦名だ。

 

「艦上機による対艦攻撃を行う。戦闘飛行隊に対艦ミサイルを搭載、ただちに出撃。編隊形成後、所定のルートでポイントに到達せよ」

 

 同時に、空母『遼寧』の周囲を数海里ほどの間隔をあけて固めていた護衛艦が最大戦速で進み始め、新たな輪形陣が構成されてゆく。

 空母は強い。強いのだが、それは艦載している航空機が故であり、空母単体では全くと言って良いほど攻撃兵器を持たない。というかロシアの物を除いてそんな風には設計されていない。加えて図体が無駄にでかいため、下手に動き回られるとこの上なく邪魔なのだ。

 

 したがって今回の作戦では、護衛艦をすべて前面に押し出して戦力を集中投入し、空母は後方で海上基地としての機能に専念させることになっている。これなら邪魔になることはない。

 

 護衛艦が前進する後方で、『遼寧』の飛行甲板では、発進命令の下った殲撃ことJ-15の周囲には整備兵たち。翼下にYJ12空対艦ミサイルを4本装填し、念のため短距離空対空ミサイルのPL5も2発取りつける。

 最終チェックが完了した機体から整備員が離れる。発進位置についたJ-15のすぐうしろから防風盾(ブラストデフレクター)が起き上がり、フルスロットルで排気するジェットエンジンの噴流を受け止める。

 機体がするすると滑り出し、やがて空母から完全に足が離れた。

 『遼寧』はカタパルトを持たないため、発艦に米空母のような派手さはない。むしろ地味と言える。

 だが初の実戦で、中国海軍が空母から飛び立った航空戦力を運用するに至った。この事実だけは揺るがない。誰もが喜びを露わにしていた。歓声こそ上がらないが、その表情には興奮の色がありありと見える。

 興奮のまま、作戦機が次々と発艦していく。そのそばで、整備兵らは次の機体の発艦準備に取りかかる。そしてJ-15が16機発艦を完了し、大空へ飛び立った。時間にして5分ジャスト。発艦時間では米空母に劣るが、初の実践にしては上出来といえた。

 

 航空機が編隊を組み終わると同時に、少将が各艦、各航空機に通じるマイクを手にとる。

 

「我が東海艦隊の精鋭達よ、諸君が待ち望んでいた日がやって来た。これまで我々は沿岸海軍と呼ばれ、長い間蔑まれてきた。だが今日、それが変わる。諸君らが変えるのだ。この実戦を通じて、我々が世界に誇る外洋海軍となるか、やはり所詮は猿真似の海軍かと、諸国の笑いものになるか、すべては諸君らによって決まる。健闘を祈る!」

 

 士官たちがそれぞれに無線連絡をとり、情報を拾い上げる。KJ-600に繋がっている無線を担当していた士官が少将を振り返る。

 

「目標、依然として停止中」

「殲撃隊所定のルートで飛行中、まもなく指定ポイントに到達」

「駆逐艦『南京』より報告。護衛艦隊全艦、配置完了。対艦ミサイル照準よし。攻撃準備完了」

「自衛隊はやはり出てこないようだな」

 

 報告を聞いていた艦隊司令の少将が安堵したような声を漏らした。

 艦上機の殲撃隊に指定されたルートは釣魚島上空、すなわち日本の領空を通る。重い対艦ミサイルを抱えた状態で、F-15などとやりあうのはさすがに分が悪い。

 

「相変わらず用心深いな。案ずるな、艦隊司令」

 

 政治士官が少将の肩に手を置きながら声をかける。

 

「自衛隊のことなど放っておけ。奴らにできるのは、専守防衛という名の威嚇だけだ」

「殲撃隊、ポイントに到達。攻撃準備完了」

 

 士官が報告する。

 少将はひとつ深く深呼吸し、命じた。

 

「攻撃を許可する。全機、全艦、攻撃開始!」

 

 火蓋は切って落とされた。

 

 6隻の駆逐艦、4隻のフリゲートのVLSから、火山の噴火のごとき焔をあげてYJ83対艦ミサイルが飛び出す。真上に上がったミサイルはすぐに頭を沈め、海面ぎりぎりまで高度を下げ、主翼を展開して突進を始める。また4隻のソヴレメンヌイ級駆逐艦も、艦橋を取り囲むように設置されている4連装SSM発射機をフル稼働させミサイルを発射。

 同時に16機のJ-15もそれぞれ2発ずつを発射。機体から投下されたYJ12は、ジェットエンジンに点火して海へダイブするように下降する。そのまま海に突っ込むかというところで体勢を水平に戻し、海面に触れるか触れないかという超低空で目標を狙う。

 

 それぞれのミサイルが白い尾を引き空へと伸びてゆく。それは人間が生み出した英知の流れ星。願いを叶えてくれるのか、地獄行きになるのかは運次第だが。

 

 最初に命中したのは、J-15が発射した対艦ミサイルだった。それを追うように艦隊が発射したミサイルが命中する。

 ミサイルや電子戦による妨害をかいくぐり、遥か彼方で動き回る艦船を撃沈することを目的に作られているのが現代兵器だ。全く動かず、しかも防御手段すら取らない艦船を狙い撃つなど児戯にも等しい。

 数十発のミサイルが『大和』に命中する。主砲や艦主要防御区(バイタルパート)に命中したものはあっさりとはじき返されたが、それ以外の物は上部構造物を容赦なく破壊してゆく。

 まさに滅多打ちだった。

 

 これが後に、人類と深海棲艦の最初の戦いと知られる、東シナ海海戦の始まりだった。

 

・・・・・・・

 

 ホワイトハウスの執務室には、沖縄の嘉手納基地から出撃した無人機からの映像が送られてきていた。

 どうやらアメリカ軍が介入しないことと引き換えに、中国の攻撃を妨げないことを条件に、無人偵察機を飛ばすことを認めるという裏取引があったらしい。

 こういった任務には、高高度を飛行するグローバルホークよりも、低空を飛行するプレデターの方が適しているようだ。

 

 『大和』が右舷側に傾斜していた。

 中国海軍は、徹底して『大和』の右舷側のみを狙っている。

 戦艦を沈めるには、現代の兵器はあまりにも貧弱に過ぎる。そのため破壊によって力ずくで沈めるよりも、浸水で艦を転覆させることを選択したようだ。

 かつてアメリカ軍がそうしたように。

 

「将軍、なぜ奴は反撃しないのだ」

「しないのではなく、できないのです、大統領。ヤマトが打撃を与えられるのは、付近を飛行する航空機と、半径40キロ圏内に存在する艦船のみですから」

 

 さしもの大統領も、第二次世界大戦当時の戦艦のスペックまでは知りえなかったらしい。

 

「おや…」

 

 執務室にいた誰かがそう漏らした。

 攻撃が止んでいる。大和は大きく傾斜しているが、まだ撃沈には至っていない。

 だが直後、大和が大きく傾いた。傾斜を立て直せる限界を超えたらしい。

 赤い艦艇部が見え、内側から切り裂かれたように艦艇部が裂けた。と、同時に水蒸気がもうもうと吹き上がり、大和の姿は見えなくなった。

 

「沈んだのか…?」

「いや、これは…」

 

 ワーナーがぽつりといった。あまりにもあっけない、と言いたげだった。

 だがその隣で、国防長官のオルグレンは顔をしかめていた。

 

 皮肉にも、彼の予感は的中することになる。

 

・・・・・・・

 

 大和への攻撃が行われているころ、海中では原子力潜水艦『長征7号』が不審な音を捉えていた。

 

「こちらソナー室、反応を探知。方位030、敵の可能性」

「どうした」

「反応は5つ確認、深度400から急速浮上中」

「対象極めて速い。速力30ノット以上」

 

 司令室の無数の電子機器のディスプレイの明かりの中で、『長征7号』艦長らがメインスクリーンに釘付けになる。

 

「潜水艦の浮上速度ではない。総員戦闘準備」

「了解、総員戦闘配置につけ」

 

 即座に指示が出され、潜水艦内に緊急を知らせる音がこだまする。

 

「取舵一杯、全速3分の2。遼寧に伝えろ」

「了解、取り舵一杯」

「全速3分の2、了解」

「魚雷1番から4番装填。注水開始」

 

 士官のひとりが赤い電話をとる。

 

「遼寧、こちら長征7号。本艦へ向け不明物体5つ。深度400から急速に接近中」

「衝突警報、取り舵一杯」

 

 艦内にかん高い警報音が響く。

 狭い艦内でクルーたちが隔壁を駆け抜け慌ただしく動き回る。

 

「距離150!」

「FTW第1から第2を発射」

 

 叫ぶような報告は、彼らにとって死神のノックに等しかった。

 

「左舷に衝突するぞ!」

「30メートル!」

「衝突に備えろ!」

 

 その直後、艦内の重力が反転し、乗員らが人形のように吹き飛ばされた。

 艦内に残っていた警報音や乗員らの声を、白い海水がひとしなみに飲み込んだ。




6話で深海棲艦というワード初登場って、何を書いてるんだ私は


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7.近接戦闘

「長征7号からの通信途絶」

「呼び続けろ」

 

 空母『遼寧』の艦橋で、レーダスクリーンを前にした士官と将校らは、原潜から突然入った緊急信から状況を把握しようとしていた。

 

 『遼寧』を中核とする艦隊全体の指揮を掌握する少将は、『長征7号』から不明物体接近の報を受け取った瞬間に、艦隊に対潜攻撃命令を発令していた。

 対潜攻撃命令とは警戒監視命令、対潜戦闘命令をすっ飛ばし、潜水艦を発見した瞬間に警告なしで問答無用で沈めろ、という自衛隊にとっては考えられない命令だ。

 

 しかしそれはあくまで、普通の軍隊ではない自衛隊の中での常識に過ぎない。

 前もって戦闘区域であることを表明した海域に、潜水艦が敵味方識別信号も出さず潜んでいれば、普通の軍であれば問答無用で攻撃する。戦える軍隊である中国海軍に、お花畑思考回路が入り込む余地はない。

 

 殺られる前に殺る。

 それが現代戦の鉄則である以上、少将の命令の方が正常であり、撃たれてからしか反撃できないというのは致命的な欠陥となる。

 

 少将の命令を受けた空母『遼寧』の艦長を務めるほうの大佐が、乗員にスピーディーに命じてゆく。

 さらに上空を警戒飛行する早期警戒機のKJ-600と麾下の駆逐艦にそれが伝達。駆逐艦に艦載の対潜ヘリコプターらと情報を直ちにリンク、発艦させる。

 同行している2隻の昆明級駆逐艦からそれぞれ飛び立った、4機のZ-9C対潜ヘリコプターが空母の右舷を航過していった。

 

「どこの潜水艦だ、ロシアか、アメリカか」

「報告によると、すべての音紋が既存データに該当しないそうです。新型か、あるいは…」

「奴らか」

 

 忌々しげに少将が言う。

 

「少将、直升1番機から4番機、ディッピング・ソナーによる探索を開始します」

 

 対潜ヘリコプターからの通信を受け取った通信士が報告する。

 ディッピング・ソナーは、海中へソナーの装置を吊り下げて、エコー音を測定し、さらに自らが発した探信音で水中の物体を探査、追跡する高性能器材だ。

 各々の場所にホバリングした対潜ヘリコプター4機が、海面を風圧で凹ませながらディッピング・ソナーを吊り下ろす。

 だが、ソナーがエコー音をとらえる前に異変は起きた。

 

 無造作に小石をばら撒いたかのように艦隊がいる海域が泡立ち、5本の水柱が噴きあがった。

 

 

 それは一瞬だった。

 海中から水柱が噴きあがったと同時に、その中から何かが現れた。

 船だ。海面に対して垂直に、空に向かって立っている。

 それらは重力に引かれて倒れ、海水をまき散らしながら、艦隊に並走するように航行し始めた。

 

 5隻の不明艦は、迷うことなく砲門を『遼寧』に向けた。距離は僅か30メートル。完全に輪形陣の内側であり、遮る物など何もない。

 

 爆発音ではなく、重量のある物体が固いものにぶつかるような音がした。

 と同時に、『遼寧』の右舷側に無数の穴が開いた。そして少しの間があり、『遼寧』の艦中央部で大爆発が発生した。

 『遼寧』の装甲を食い破った砲弾が、艦内にあるジェット燃料に引火した結果だった。

 

 爆発は連鎖的に続き、そのたびに『遼寧』の巨体と大気が震える。現代艦の装甲は、こんな近距離から放たれた砲弾を弾き返せるようになど設計されていない。

 

 それでも『遼寧』は浮かんでいる。7万トンという莫大な浮力を持つ大型艦だ。この程度では沈みはしない。だが、飛び散った破片でアンテナといった電子機器は全損しており、さらにスキージャンプ型の飛行甲板は無残にも盛り上がり、亀裂から黒煙がもうもうと吹き上がっている。

 『遼寧』が航空機運用能力、指揮能力を失ったことは明らかだった。

 

 すると、5隻の不明艦は『遼寧』への興味を失ったように、てんでバラバラな動きをし始めた。

 それは周りにいる護衛艦への、猛烈な突撃だった。

 

・・・・・・・

 

「これは…間違いない、坊ノ岬沖海戦の時の部隊だ」

 

 同時刻、首相官邸の地下1階に設けられた危機管理センターでは、若い防衛官僚が声を漏らしていた。

 外部の有識者など招けばどんな情報が漏れるかわからない。そのため情報の秘匿義務がある官僚を都合の良いオブザーバーとして置いているらしかった。

 この若い防衛官僚も、普段から旧軍の知識が豊富であると有名だった結果、半ば無理やり連れてこられた被害者だった。

 

 在日米軍のグローバルホークから送られてきた映像が特大パネルで流れている。アメリカのせめてもの親切らしい。

 

「何だね、それは」

 

 『遼寧』の大損害に息を呑んでいる閣僚らの内、釜田首相が官僚の方に向き直った。

 

「太平洋戦争末期、沖縄救援のために行われた特攻作戦です。史実によれば、戦艦大和以下10隻の艦隊が出撃、アメリカ軍と交戦し、過半が撃沈されたという記録が残っています」

「しかしあの海域には6隻しかいないぞ?」

 

 釜田は首をひねった。いかにも政治家らしい疑問だった。

 

「これは私の個人的な趣味の範囲なのですが、大和以外の5隻はいずれも未帰還の艦ではないかと。軽巡洋艦『矢矧』、駆逐艦『磯風』『浜風』『朝霜』『霞』であると推測します」

 

 これほど奇妙な報告もない。死んだ兵士ならともかく、沈んだ兵器が復活するなど幽霊話の範疇を超えている。

 

「どうすれば、いいのだ…」

「それは私には分かりません。しかし私の記憶が正しければ、これらの艦はいずれも強力

な雷装を有していたはずです。この距離ならばあるいは……」

 

 そこまで言うと、若い官僚は口をつぐんだ。これ以上はまずいと本能的に察知したのだろう。

 危機管理センター内に静寂が舞い降りる。

 彼らは、ただ眺めているしかできない。

 

・・・・・・・

 

 護衛艦の1隻、蘭州級駆逐艦『長春』に襲い掛かったのは、軽巡洋艦『矢矧』だった。

 

「反撃しろ!」

 

 『長春』の艦橋で同艦の艦長、朱宏朗が叫ぶ。

 虎の子の空母を燃やされるという失態を演じた護衛艦では、慌ただしく対水上戦闘態勢が整えられつつあった。

 対潜に警戒していたと思ったらいきなり水上艦が出現し、『遼寧』に大火災が発生したうえ、各艦の情報共有が一時的に途絶した。焦るのも無理はない。

 

「できません!これほど近くては照準が――」

 

 現代の軍艦は本来、水平線の向こうにいる敵を撃つための兵器だ。これほどに近くては、ミサイルも魚雷も照準を定められない。

 近距離での誤爆を防ぐ近距離起爆防止システムを切った上で、手動にて発射する方法もある。だがこれには権限を持つ者のパスワードと解除操作が必要だ。

 

 時間が足りない。

 案の定、すぐに『長春』を衝撃が襲った。

 艦が沈むような打撃ではなかったが、異常はすぐに起きた。

 

「対空レーダーブラックアウト!」

「対水上レーダーダウン!」

 

 悲鳴のような報告が上がった。

 

「なんだ!何をされている!」

「機銃です!奴らは大口径の機銃を撃っています!」

 

 昆明級駆逐艦、蘭州級駆逐艦は別名中華イージスとも呼称されている。本家イージス艦のように、平面のレーダーを艦橋に貼り付けるように配置しているからだ。そしてそのレーダーは機銃の被弾に耐えられるようにはできていない。

 

「主砲を使え!撃ち返せ!」

「了解、自動照準解除!射撃開始!」

 

 甲板に備え付けられた100ミリ砲が旋回し、狙いを定める。

 砲声が海面を抉る。7000トンという排水量の割には小さな砲だ。発射の反動はさほど大きくない。

 反航戦の形で突っ込んで後方に抜けてゆく『矢矧』艦上に閃光が走る。初弾命中だ。

 

「敵艦取り舵!艦尾側に回り込まれます!」

「取り舵一杯、進路270!主砲続けて撃て!」

 

 100ミリ砲は2秒間に3発という優れた発射スピードを持つが、前甲板に1基しか装備されていない。背後に回り込まれては一方的になぶられるだけだ。

 ならば、再び反航戦の形に戻す。

 

「近接防御、光学照準に切り替えろ!射撃開始だ!撃たれっぱなしでいることはない!」

 

 宏朗の声と同時に、艦橋の前とヘリ格納庫の上にそれぞれ設けられた計2基の30mmCIWSがうなりを上げた。毎分4200から5800発という弾丸の猛射が敵に向かって叩きつけられる。

 

「敵艦発砲!」

 

 被弾した『矢矧』も黙ってはいない。6門の主砲に加えて8.8センチの対空砲すら動員して射撃を浴びせる。

 砲弾の飛翔音が消えた、と思った瞬間、『長春』全体が大地震のように震えた。艦内の電気が激しく点滅し、何かが壊れる破壊音が響き渡った。

 

「負けるな!撃て!」

 

 CICに降りた宏朗は自身の席から投げ出されながらも、懸命に指揮を執り続ける。

 前部の非装甲区域を貫通した砲弾が居住区画で兵の官給品を吹き飛ばす。勢い余って艦内通路まで到達した砲弾はそこで炸裂し、配線を破壊しながら通路を炎で満たした。

 艦首への直撃弾は錨鎖を破壊し、巻き上げられていた錨が音を立てて落下する。

 

 『矢矧』の主砲が装填時間に入る中、『矢矧』の高角砲と機銃、『長春』の主砲とCIWSが互いに射撃を応酬する。それはもはや現代戦とは程遠い、ノーガードの殴り合いだった。

 それは同時に、外洋海軍としての一歩を必死に踏み出そうとする中国海軍の意地を象徴しているようにも見えた。

 

 だが、終わりは唐突にやって来た。

 

 『矢矧』の艦中央部に爆炎が躍った瞬間、巨大な炎が沸き上がった。

 雨あられと叩きつけた砲弾が、予備魚雷格納庫に直撃した瞬間だった。

 巨大な爆裂で上部構造物を軒並み吹き飛ばされ、艦体を切断された『矢矧』は、急速に海中へと引き込まれつつある。それに伴って艦を覆った巨大な炎もまた海中に姿を消しつつあった。

 

 爆発の衝撃は『長春』に到達し、艦を大きく揺さぶった。

 だがそれは『長春』を沈めるには至らない。

 上部構造物の大半は原型を失い、敵と撃ち合っていた左舷側は多数の破孔で網のようになっている。

 

 それでも『長春』は浮かんでいた。

 

 

 だが、『長春』のように即応できなかった護衛艦には悲劇的な結末が待っていた。

 駆逐艦の中で最も艦齢が若い『太原』はろくに応戦する間もなく主砲弾を艦橋に叩き込まれて戦闘不能に。『長春』を除いた護衛艦は放射状に放たれた魚雷でその多くが致命傷を負った。

 

 皮肉にも応戦に成功したのは、最も古いソヴレメンヌイ級の1艦、『杭州』だった。

 

 同艦は旧式艦であり、新兵からの人気もない。必然的に乗員はベテランばかりになる。

 だが今回はそれが功を奏した。『長春』を除く新鋭駆逐艦らが次々と戦闘力を失っていく中で、1隻あたり2基4門の130ミリ連装砲を振りかざした。

 魚雷を使い果たした敵駆逐艦らと渡り合い、全主砲を失い、刺し違えながらも『朝霜』『霞』を撃沈することに成功した。

 

 そしてまた、『磯風』『浜風』に狙われたソヴレメンヌイ級『福州』も熾烈な砲戦を繰り広げていた。

 

「撃て!撃ちまくれ!」

 

 艦長の叫びと共に、前甲板と後部にそれぞれ1基ずつ供えられた130ミリ連装砲が吠える。それに負けじと『磯風』『浜風』も12.7センチ砲と機銃を撃ち返す。

 砲声、飛翔音、弾着の破壊音、水中爆発の衝撃波。それらがひとつになって獣の咆哮のように轟く。

 

 『福州』をさらなる打撃が襲った。

 

 1分間に90発という猛射を行っていた130ミリ連装砲に12.7センチ砲弾が直撃し、正面防楯をぶち抜いて内部で炸裂した。

 装填装置が一瞬で粉微塵になり、内側から火炎が湧きだした。2本の砲身を吹き飛ばしながら主砲全体がめくれ上がり、炸裂するようにおびただしい数の部品を周囲にまき散らした。

 

「クソっ…!」

 

 主砲粉砕の衝撃に艦長がよろめいた時、巨大な音が艦橋を覆った。

 次の瞬間、砲撃を続けていた『磯風』の上部構造物が吹き飛んだ。数秒遅れて『浜風』も同じような爆発を受け沈黙した。

 

 艦長が大きく目を見開いたとき、上空を轟音と共にJ-15が飛び越していった。

 おそらく『大和』撃沈の後、まだ2本対艦ミサイルが残っていることに気づき、慌てて戻ってきたのだろう。

 

 悪夢のような砲戦の時間は無限にも感じるほどだったが、ほんの数分間の出来事だったらしい。

 J-15の攻撃で、残った駆逐艦は一掃された。さすがにジェット機には対処しきれなかったようだ。

 

 敵が全滅したのち、通信が回復。『遼寧』が大損害を負っていたため、蘭州級駆逐艦の『長春』が艦隊指揮を継承すると報告した。

 

 駆逐艦『南京』『鄭州』『済南』『杭州』、フリゲート『徐州』、原子力潜水艦『長征7号』沈没。

 空母『遼寧』大火災、駆逐艦『太原』『福州』大破、駆逐艦『長春』中破。

 以上が東海艦隊の受けた損害だった。

 

・・・・・・・

 

 『大和』以下、艦隊は全滅した。

 世界各国の誰もが、そう考えていた。

 




東海艦隊
出撃艦艇と被害一覧

航空母艦  『遼寧』大火災

昆明級駆逐艦『南京』沈没
      『太原』大破

蘭州級駆逐艦『長春』中破
      『鄭州』沈没
      『済南』沈没
      『西安』無傷

ソヴレメンヌイ級駆逐艦
      『杭州』沈没
      『福州』大破

江凱II級フリゲート
      『徐州』沈没
      『舟山』無傷
      『黄山』無傷
      『衡陽』無傷

原子力潜水艦『長征7号』沈没


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8.天与災厄

 『大和』の艦隊が全滅して数時間、首相官邸地下の危機管理センターは天地をひっくり返したような大騒ぎになっていた。

 

 あってはならない中国海軍による尖閣諸島海域での軍事行動、それに加えて大和艦隊のまさかの反撃。もはや一矢報いたとかそんなレベルではない話だが、東海艦隊は這う這うの体ながらもどうにか母港に帰港したという。

 現地情報の内、アメリカ政府によって機密指定がなされなかったものは、日本政府の手によって全てが公開された。本来ならばあれこれと情報を隠したがるアメリカだが、今回ばかりはただ事ではないと判断したらしい。

 

 現代は恐ろしいスピードで情報が世界へと拡散してゆく。

 

 もはや世界では中国海軍が壊滅したことが常識として固まりつつあった。

 もっとも被害を受けたのは東海艦隊のみであり、北海・南海の両艦隊は無傷だし、東海艦隊にも余力は残っている。だが、インターネットにばら撒かれた情報は勝手に独り歩きを始める。こうなってはどれほど動かぬ事実があっても止められない。

 

 その結果、世界各国から豪雨のような詮索が始まった。中国やアメリカがそう簡単に情報を渡す国ではないことは自明の理だ。ならば情報源として日本が標的とされるのは自然の流れだった。

 

 さっそく動き始めた国もある。

 

 それはインダスに遡る5千年の歴史、世界第2位の人口を持つ大国。

 バーラト・ガナラージヤ、別名インド共和国。

 インドはカシミールを巡って中国と小競り合いを続けている。共産党政府が海軍の失敗を糊塗するために、全く別の場所で紛争を起こし、政治的危機を回避しようとするかもしれない。過去にも同様のことを中国は行ってきており、インドが警戒心を抱くのは当然のことだった。

 

 日本側には届いていない情報だが、インドはすでに3万近い陸上戦力を国境付近に送り込んでいた。寄らば切るの構えだが、インドにはそれを実行に移す国力があった。

 

 『大和』によって極東の軍事バランスは完全に破壊された。

 このまま中国が引き下がることはあり得ない。なんとかして失地回復を図らねば、国民の不満が暴発してしまう。

 

「今後、中国はどう出るでしょうね…」

「このまま引っ込むはずがない。なにせあの大和を沈めたのだ。海軍の被害をごまかすために、我が国に攻勢をかける可能性は十分にある」

 

 今後の予想がつかず途方に暮れている藤原外務大臣に首相の釜田が言う。

 

「最悪の場合、防衛出動待機命令を下すことになるやもしれんな…」

 

 防衛出動待機命令が出た時点で、日本は準戦時体制に入る。

 そもそも敵が責めてくる前提でしか出されない命令なのだから、この命令の下に自衛隊が応戦した時点で事実上の開戦となる。

 問題はその上、防衛出動命令には国会の決議が必要だということだ。もっとも国会は事後承認の形で命令を許可することは予測できるのだが…

 

 それは自衛官に、国のために戦い死ね、と言うに等しい。それを背負う覚悟が今の日本の政治家にあるか否か。そして自分の身が危うくなった時でも、国を枕に討ち死にする覚悟があるのか。

 

 それは誰にも分からない。

 

 

「まだ解析できませんか…?」

「なにしろ意味不明です。ただの文字の羅列で、単語にすらなっていません」

 

 センターでは複数の科学者らを集めて、巡視船『しきしま』が持ち帰ったデータの解析が行われていた。『大和』が出現直後に発したモールス信号もそのひとつだったが、何分にも意味が分からない。解析どころか、そもそもモールス信号の体すらなしていなかった。

 あるものは、これはモールス信号を装った音波的な信号なのではないかと考え解析に掛けたが、今のところ戦果はない。

 

 そして、中国海軍に襲い掛かった5隻の不明艦、『矢矧』『磯風』『浜風』『朝霜』『霞』の正体を言い当てた若い防衛官僚、中村智大(ともひろ)もなぜかこのグループに参加させられていた。

 

「大和艦隊の最期と、何か関係はなさそうですか」

「今のところは、何も…」

 

 センターではいつしか例の不明艦隊を大和艦隊と呼称することが定着していた。

 科学者らは盛んに話し合っているが、正直なところ中村には理解が及ばない。一般常識程度なら持っているつもりだが、そこまでの専門知識には縁がなかった。

 

「失礼、少し席を外します」

 

 軽く一礼すると中村は席を離れ、壁に寄り掛かる。そして「キツイな…」とつぶやきながら、大きく息を吐いた。見るからに疲労困憊といった様子だった。

 

 見るに堪えない様子の彼に声をかけたのは、同じセンターに詰めていた防衛大臣の甲斐野だった。

 

「君、少し休みたまえ」

 

 若いことと長時間働けることはイコールではない。いつもの職場ならともかく、いきなり危機管理センターなどに放り込まれ、極度の緊張の中過ごした中村の身体は限界を迎えていた。

 

「ここはいいからしばらく休むといい。皆には私から話しておく」

「い、いえ、ですが」

 

 中村は別に休むことが気まずいという訳ではなかった。

 今ここでセンターから出てしまえば、もう戻ることはできないかもしれない。何の権限も与えられず他人に任せることになるかもしれない。

 

 そんなことは冗談ではない。

 

 という思いを先読みしたように、甲斐野は言った。

 

「案ぜずとも、君を呼んだのは私ということになっている。センターに戻るときは私の名前を使いたまえ」

 

 機密にどっぷりつかってしまった人間を今更追い出したりなどすれば、逆に自分の責任問題になってしまう。甲斐野はそう言いたげだった。

 

「承知いたしました。では、しばし休ませていただきます。官邸から出ることは可能でしょうか?」

「君には家庭があったか?」

「いえ、実家です。こう連絡がなければ両親が気に掛けると思いまして、顔を見せておこうかと」

 

 しばし考えて、甲斐野は頷いた。許可するという証拠だった。

 

 中村は頭を下げて、センターを出た。

 地上に出ると夜明け前だった。弱い日が差している。休日の早朝というだけあって、霞が関の人通りはそこまで多くはない。

 

 官邸の敷地から出てしばらく歩くと、あたりを見まわした。そして私物のスマートフォンを取り出し電話帳をタップする。

 電話の相手は2コール目で出た。

 

「俺だ、少し会えるか」

 

 短い会話があった。

 彼は軽く息を吐くと、地下鉄の入り口を目指した。

 

 

 中村は始発に乗り、溜池山王から目黒に到着。駅から出ると正面には目黒通りがある。早朝というだけあってか人通りは少ない。そんな中、柱に寄り掛かった男が缶コーヒーを飲んでいた。見るからに眠そうだ。

 足元には缶が2本綺麗にならんで立っている。どうやら飲んでいるのは3本目らしい。

 中村が近づくと、その男は視線に気づいたのか声をかけた。

 

「久しぶりだなぁおい、元気してたかぁ?」

「ああ、あいにくまだ元気だよ」

「同窓会にも顔出さねぇし、過労死したんじゃねぇかって言われてたぞお前、ハハハ」

「いやシャレになってねぇよ…」

 

 事実官僚というのは激務である。厚生労働省の官僚らが自身の官庁を強制労働省と呼んで自虐しているほどだ。

 

 先ほどとは打って変わりフランクな口調だが、それも当然のこと。中村とこの男は大学の同期生なのだ。

 学生時代に仲が良く、ずっと続くと思っていた縁というのも、社会人になれば、それぞれの立場で過去の関係が疎遠になっていく。

 これはある意味仕方のないことだが、たまに暇がかちあって、こうやって会えることというのは、同窓会のように設けられた場所以上に感慨深いものがあるものだ。

 

「んで何用よ、まさかサシ飲みしたいからって呼び出したわけじゃないよな?」

「ああ、少し歩こう」

 

 男が3本の空き缶を袋に入れて持つ。東京にはゴミ箱というものが基本存在しない。人口1000万の都市でそんなもの設置しようものならたちまち溢れてしまう。

 白金台方面に歩きながら、中村は切り出した。

 

「俺の仕事のことは、前に話したよな…」

「ああ。飲むかこれ?」

 

 聞いているのか聞いていないのかわからないが、男はさらにもう1本缶コーヒーを取り出した。微糖だ。

 

「何本持ってんだよ…」

 

 苦笑しながらも中村はそれを受け取る。

 ズズズとコーヒーをすすりながら話を続けた。

 

 

 男の名前は長峰(ながみね)(ゆたか)

 日本国衆議院、法制局所属。

 名古屋で高校時代までを過ごし、大学生で上京。大学4年で、ろくな準備もせず試験を簡単に突破し入局。2年後その特殊な才能を買われて留学。2年後帰国、現在に至る。

 

 法制局とは簡単に言うと「議員の政策を法律にする」場所だ。選挙で当選した政治家は法律に関しての知識など皆無といってよく、それを補強するための存在が法制局なのだ。

 

 そして長峰はいわゆる「天才」という種別の人間だった。これは単に成績がいいとかという話ではない。

 

 英語は勿論、ロシア語からフランス語、果てはよく分からないニューギニアの民族言語まで流暢に操り、挙句に数学や物理学の分野でも、教えてもらってすらいないのに理系学生の論文を片手間で手伝い完璧なものに仕上げてしまうほどだった。

 長峰自身もよく分かっていないらしいが、本人曰く「自身が興味を持って認識したものは全て忘れない」というのだから驚きだ。しかしこれは逆を言うと、興味の無いものは覚えない、ということらしい。その記憶力は常人の物に準ずるとか。

 

 つまり「なんでそんなこと知ってんだよ!?」ということがある一方で、「お前そんなことも知らねぇの!?」という事態も起こりうるということだ。

 

 これは全てのものに当てはまるらしく、それは人間であっても例外ではなかった。自分が仲良くなりたいと考える人間の名前は速攻で記憶するが、そうではない相手の名前はさっぱりということもちらほらあった。

 本人曰く中村の名前は1回目で覚えたらしい。

 

 長峰が公務員試験に合格できたのも、過去の問題と解答、さらに現在存在する法の条文と判例全てを適当に暗記しただけだ。

 言うなれば、カンニングペーパーのないカンニング。すべての情報が脳内にあるのだから、それに照らし合わせて解けばいいだけの話だ。しかも都合のいいことに、各情報を引っ張り出すのには全くタイムラグがないらしい。必死こいて試験を突破した中村にとっては夢のような能力だった。

 

 その能力から、局内ではSDカード、態度の悪い六法全書というあだ名まで付けられており、法制局とは全く関係ない中央省庁の高官にすら、一目置かれる存在として名前を知られている。

 それほどの力がありながらなぜ官僚にならなかったのか。

 中村がそう問うと、長峰はいつも「お前と一緒じゃ面白くない」と答えていた。意味はよくわからないし説明されても分かる気がしない。

 

 ちなみに現在、地元名古屋に婚約者がおり、交際中である。

 

 

「どうせ大和の話だろ?さっさとしようぜ」

「…俺教えたか?」

 

 当たり前のように言った長峰に、中村は半ばあきれていた。大学生活の間でもう慣れてはいたが、この他人を見透かすような話し方だけは変わっていない。

 

「深刻な事態っつったらそれくらいしかないからな。大方官邸地下にでも詰めてたってとこか?」

「あーあーその通りだよ、機密もへったくれもねぇ。前置きはいらないみたいだから、単刀直入に言うぞ」

 

 中村は無造作に手を振りながら、世間話をするような口調で言った。

 

「大和が出現直後に発した謎のモールス信号がある。それを解読して欲しい」




ようやく主人公サブ主人公の名前を1人出せたという…
群像劇って難しい…


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9.古往今来

 場所は白金台にある児童公園。隣には国立科学博物館附属自然教育園…ともかく小さな森のような場所がある。もともと高松松平家の屋敷だった場所をそのまま庭園とした場所だ。

 東京は都心に近づくほどビルが増えるというイメージがあるが、実はそうではない。むしろ都心には想像以上に緑が多い。都心のビル密集地は、かつての埋め立て地に集中している。

 

 東京という街は良くも悪くも他人に関してドライである。早朝に大人2人が児童公園のベンチで向かい合って会話、という怪しさ満点の動きをしていても、干渉してくる人間はいない。

 

「あの大和は本物だと!?」

「馬鹿っ。声がでかい」

 

 叫びかけた長峰を中村は口を押さえるように制する。

 そして声を上げないよう改めて確認すると、小声で話し始めた。

 

「確かな情報だ。文科省のしんかい12000が鹿児島にいて、潜らせたらしい。史実の沈没地点に大和の残骸は確認できなかったそうだ」

「正気なのか…?大和が沈んだとはいえまだ戦闘海域だぞ…」

「ああ、どうやら裏で米国の圧力があったらしい。あの深海艇は文科省所属だからな。海保を管轄する国交省も、防衛省も手が出せない。藤原外務大臣からの折り入っての頼みで、結局総理が折れたんだ」

「お役所仕事極まれりだな…」

 

 長峰はあからさまにため息をついた。

 ベンチから立ち上がり、体を伸ばす。そして、気を取り直したように中村の方に向き直った

 

「で、暗号はどんなもんだ?」

 

 長峰がベンチに腰掛けながら問う。先ほどとは打って変わって目が輝いている。中村は国家機密を勝手に持ち出して戦々恐々なのに、全くそれを意に介していない様子だ。

 中村はズボンの中からくしゃくしゃになった紙を取り出した。

 ポケットではない、ズボンの中からだ。

 

「どこ入れてんだよ汚ねぇな」

「一応国家機密だぞ。手帳に書いてるのをこれ見よがしに持ち出せるわけないだろ」

 

 若干顔を歪めながら長峰が紙を受け取る。そこには「・」「―」からなる文章が、区切りが見やすいよう複数の行に分けられて書かれている。

 

『・― ―― ――・ ・ ―・ ・― ・―――

 ――― ――・― ・・― ・・・― ・― ・・ ・・・―

 ――・― ―・ ・・―・ ・―・ ・・・― ―・ ・・―・

 ――・― ―・・― ・・・― ―・――

 ・――・ ――・― ―― ―・・ ・・・― ・・ ―・・ 』

 

 信号をひと通り見た長峰は息を吐いた。

 

「…これだけか?」

「これだけだ。これを何回か繰り返していたらしい」

 

 長峰は顎に手を当てて、眉をひそめる。そして「紙とペン、貸してくれ」と言った。

 中村はここに来る途中駅の売店で買ったと思われる手帳とボールペンを取り出し、長峰に手渡した。

 

 手帳を受け取ると、長峰はモールス信号を素早く文に直し始めた。そこにはもう、先ほどまでの緩んだ表情はなかった。

 時間にして1分足らず。英語化は終わっていた。

 

『AMGENAJOQUVAIVQNFRVNFQXVYPQMDVID』

 

 メモ帳には、意味不明なアルファベットの羅列があった。

 長峰はポキポキと指を鳴らす。

 

「上等だ。解いてやるよ」

 

・・・・・・・

 

 中国東海艦隊が壊滅的被害を受けた直後、合衆国の警戒レベルがコンディションB(ブラボー)に引き上げられ、合衆国の太平洋戦略の最重要拠点、ハワイオアフ島のアメリカ・インド太平洋軍司令部でも、当然ながら最高レベルの警戒がなされていた。

 基地の周りでは鋼の肉体を持つ軍人らが、ネズミの1匹でも見逃すまいと目を光らせている。

 その異様な雰囲気は、ハワイ州の住民を否応なしに動揺させる結果となった。

 

「ここまで分かっている奴らの情報は以上の通りだ、皆で共有してくれ」

 

 司令部のブリーフィングルームで、アメリカ・インド太平洋軍の総指揮官であるウィリアム・D・デヴィットソン大将が言った。

 

「ホワイトハウスから情報が来た。日本の調査では、ヤマトの沈没地点に残骸が認められなかった。これを受け、ペンタゴンはパスファインダー及びP-3Cは奴らによって攻撃されたと断定した。よって我々はこれより、ビキニの消えた標的艦が浮上することを前提に対策を練ることとする」

 

 会議室の巨大なスクリーンには、広大な太平洋の地図が映し出されている。数ヶ所に赤い点が捺されていた。スクリーンの隣では、司令部付きの情報士官と思わしき軍人が説明を終え、待機するように立っている。

 

「海中を自在に移動可能、それも水上と同じ速度でとは。なかなか厄介だな」

 

 太平洋艦隊司令官のロバート・ライアンズ・ジュニア海軍大将が、配布された資料に目を通しつつ言った。

 

「だが奴らには攻撃が効く。水中を航行するといっても、巨大な潜水艦だと思えばいい。位置が分かれば、撃沈は容易のはずだ」

 

 艦隊司令官の言葉に補足するような口調で、太平洋海兵隊司令官のベン・ソレンセン海兵隊大将が続く。イラク戦争に参加したこともある屈強な黒人であり、熊を縊り殺したことがあるといわれても納得してしまいそうな風貌の持ち主だ。

 ソレンセン大将は、スクリーンの隣に控えている情報士官に問うた。

 

「対潜攻撃で奴らを葬ることはできんのか」

「事態はそう単純なことではありません。奴らは対潜攻撃が不可能な深海から浮上してきました。体当たり攻撃もいとわずにです。無警戒のまま艦隊を運用し続ければ、大損害を受けかねません」

「ならば黙って見ていろというのか。中国などどうでもよいが、同胞が殺されているのだぞ。我ら誇り高きアメリカ軍人が。艦隊も、航空機も、基地に引きこもっていろとでも言いたいのか」

 

 ソレンセン大将の口調に詰問じみたものが混じる。

 海兵隊は合衆国軍の中でも極めて同胞に対する執着心が強い。情報士官の言葉は、仲間を殺されているにもかかわらず戦うなと言われたようで、我慢ならなかったのだろう。

 

「重大な問題は他にもある」

 

 憤りをあらわにするソレンセン大将を制したのは、太平洋の空を支配する太平洋空軍司令官のアレンス・ガルトハウザー空軍大将だった。

 

「P-3Cは奴らの航空戦力によって撃墜されている。ことは海軍だけの話ではない」

「レーダーに突然現れた、ということを踏まえると、船と同じだろう。航空機のように小型の物体の急速浮上を探知することは、艦船でもければ困難だったはずだ」

「探知ができなかった以上、浮上したと考えるのは、筋が通っています」

 

 ガルトハウザー大将に賛同するように、海軍大将のライアンズJrと情報士官が続けて声を上げた。

 

「奴らの航空戦力はレーダーに映らないわけではない、海中に潜っているだけだ。ひとたび飛び立ってしまえば迎撃は可能だろう。だが、警戒はしなければなるまい。最悪の場合、このハワイが空襲を受ける恐れもあるのだからな」

 

 ガルトハウザー大将が口元を引き締める。あまり想像したくない未来を思い描いたのかもしれない。

 

「ハワイ近海に奴らの艦隊が現れた時は、我ら海兵隊の航空部隊が対処しよう。空軍にも協力を要請したい」

「言われるまでもない。ならば敵の航空戦力には、主に我々空軍が当たろう」

「では、我ら陸軍は対艦攻撃と後方支援を行う」

 

 各軍の指揮官らが身振り手振りを持って対策を練ってゆく。にわかにブリーフィングルームが騒がしくなった。だがそれは混乱によるものではない。ようやく道が見えた、これで戦える。そんな表情を見せていた。

 

 各方面での情報のすり合わせが行われてゆく。アメリカ軍は現地指揮官に相当な権限が与えられている。シビリアンコントロールとは、現場に何も情報を与えないことではない。行動中止の命令権を文民が持つことだ。今のインド・太平洋軍はそれをフルに生かしていた。

 

 アメリカ軍は最強だ。その中でもインド・太平洋軍は最強と知られる。

 地球上最強の中のさらに最強。彼らが海底からの亡霊などに抱く恐れなど微塵もない。

 

 情報のすり合わせという名の作戦協議、それがおおむねまとまったところで、太平洋軍の総指揮官であるデヴィットソン大将がスクリーンの前に立ち、総括するように言った。

 

「ビキニから消えた艦船は先ほどの資料に記述したとおりだ。これは各方面軍に共有してくれ。奴らへの対処については、私の名でインド・太平洋方面の全軍に伝達する」

 

 そしてデヴィットソン大将は、海軍大将のライアンズJrの方に向き直り、言った。

 

「海軍には多大な危険を背負わせることになる。だが奴らを撃退し、アメリカ国民に永久の安穏を約束することが我らの使命だ。各軍全力を持って、起こりうる状況に当たってくれ」

 

 そして、続ける。

 

「かつての我らの敵が、そしてかつての我らが、敵になった。パスファインダー乗員54名の無念を、撃墜されたP-3C乗員7名の屈辱を、我らが果たす」

 

 スクリーンに手を伸ばす。

 

「かつては我らの彼女たちだった。今は、敵だ、奴らだ」

 

 戦艦ナガト、アーカンソー。

 航空母艦サラトガ。

 軽巡洋艦サカワ。

 駆逐艦ラムソン、アンダーソン。

 潜水艦パイロットフィッシュ、アポゴン。

 

 そこには、かつて光の中に消えた艨艟たちの名が連なっていた。

 

・・・・・・・

 

 東海艦隊司令部がある中国浙江省寧波の軍港は、闇の中に沈んでいた。多くの艦艇が身を寄せ合うようにして投錨している。

 

 そして司令部の建物では、駆逐艦『長春』艦長であり、臨時に艦隊の指揮を執っていた朱宏朗が頭を抱えていた。

 

 現代戦ならともかく、あのような骨とう品を相手取ってこの失態。

 空母遼寧に乗り込んでいた艦隊司令は、被弾と誘爆の衝撃で吹き飛ばされ首の骨を折って即死している。たまたま格納庫におりていた政治士官は、誘爆に巻き込まれ行方不明になっていた。

 

 現状の最先任指揮官は自分なのだ。どのような処罰が下されるかわかったものではない。朱が頭を抱えるのも当然といえば当然だった。

 やがて会議室に招かれると、そこには東海艦隊のトップらが並んでいた。

 

(法廷かよここは…)

 

 心中で愚痴る朱を無視するように、誰かが文を読み始めた。

 

「中華人民解放海軍、大佐、朱宏朗。右の者、旗艦たる遼寧を失うも、敵を一挙に撃滅し、残存艦隊を母港に連れ帰った手腕、見事である。また此度の損害は、艦隊指揮官と政治士官の情報不足によって発生した不可避のものであり、貴官の責任は問うに値しない。よって階級特進とし、少将とする。また空席となった艦隊司令に任ずる。中華人民共和国国家主席劉建文」

 

 時が止まったような気がした。

 朱は衝撃で動かない口をどうにか動かした。

 

「特進、でありますか…?」

「そうだ。おめでとう、艦隊司令」

 

 ぱらぱらと拍手が起きた。

 答えたのは、東海艦隊の最高指揮官である司令員の男だった。そばにいる政治委員長が全く動揺していないところを見ると、罠や試験ではないらしい。

 

「は…はっ。謹んで受けさせていただきます」

「艦隊司令、東海艦隊は再建せねばならん。己のなすべきことは、分かるな?」

 

 朱は目まぐるしく頭を回した。ここで答えを間違えれば冗談抜きで死にかねない。

 そして、彼は1つの結論に到達した。

 

 

「…英雄となって、御覧に入れましょう」

 

 短く答えると、満足げに上層部の歴々は頷いた。




モールス信号、解いてみてください


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10.宣戦布告

 中華人民共和国最大の経済都市、上海。

 

 無数の摩天楼が抜けるような青空を背景にいくつもそびえて、という訳にはいかない。今日の上海は大気汚染によって青い大空を完全に奪われていた。

 2000万を超える莫大な市民を抱える大都市は、早朝にもかかわらず人通りが絶えない。世界経済の中核都市であるだけあって、道行く人種も白人にアジア人、黒人と様々だ。

 

 市民にとっては、いつもの日常だった。

 

 だが、幾分かの人々は異変に気付いた。それはオフィスビル上層階で働くものたちだった。

 沖合に何か小山のようなものがある。

 

「あんなものあったか?」

「観光客向けのなにかだろ。ほら、さっさと済ませるぞ」

 

 オフィスでそんな言葉が交わされる。

 発展目覚ましい中国では、建設ラッシュで街並みが大きく変わることなど珍しくない。どうせ外国人向けの何かが新築されたのだろう、多くの人々がそう考えた。

 

 小山が光った。

 

 数秒後、落雷のような轟音とともに、オフィスが高層ビルごと激しく揺さぶられた。デスクと椅子がガタガタと不協和音を奏で、うず高く積まれていた書類やファイルが床に散らばる。デスクの上にあった飲み残しのコーヒーカップが派手に跳ねて落下、フロアの床にコーヒーをぶち撒けた。

 電気が消える。一瞬でオフィスは薄暮のような時刻に早変わりした。

 

「な、なんだぁ?」

 

 いち早くデスクの下に駆け込んだ会社員の男が四つん這いで這い出てきた。

 だが、異変はこれで終わりではなかった。

 先ほどとは比較にならないほどの音、まるでジェットコースターが頭上を通り過ぎるような爆音がオフィスを満たした。

 

 瞬間、彼らの意識は炎の中に消えた。痛みすら感じる暇はなかっただろう。

 

 上海沖合にいたのは小山ではない。

 いつからそこにいたのだろうか。それは9門の主砲を市街地に向けたまま、微動だにせず停止している。

 

 その艦の名は、大和。

 

 閃光が走る。衝撃波で海面がえぐり取られ、轟音が周囲を制圧する。

 莫大な物理エネルギーを与えられた鉄塊が、無慈悲にも市街地に向かって飛んで行く。

 

 日常の崩壊が、始まった。

 

 

 もっと大きく、もっと重く、もっと遠くへ。

 それは大艦巨砲の到達点。

 全長2メートル、砲弾重量1460キログラム、爆薬量33.85キログラム。

 人類の狂気が産み落とした魔弾が、凱歌を歌いながら市街地へ飛翔する。

 

 着弾。

 悲鳴を上げる暇もなかった人々は幸運だった。

 衝撃波の嵐に車という車は巻き上げられて吹き飛び、直撃を受けた高層ビルは爆砕され、数千万の燃える破片と化した。

 いつもの日常を迎えようとしていた市民たちや、これから起床する予定でいた市民たちは、まず爆風で身を焼かれ、追いかけてきた衝撃波によって枯れ葉のように吹き飛ばされた。

 あるものは建物に激突し、あるものは爆風の圧力で口から内臓を吐き出して、あるものは瓦礫に生きながら埋葬された。

 男も女も、子供も老人も、分け隔てなかった。 

 

 体験することと傍観する事はその恐怖感に差がある。それは「どちらが怖いか、悲しいか」というような物ではない。

 無論現場にいるものは直接的な恐怖を我が身に感じる。しかし傍観者の恐怖というのは、「目で見たその事象を理解できない恐怖」である。

 そう、その言葉通り「何が起こっているのかわからない恐怖」である。

 

 いきなり市街地で爆発が連続した。

 市民が眼前の超日常を必死に理解し、かみ砕いてもこれが限界だった。

 

 上海は一瞬にして別世界へと変わった。誰もが呆然としていた。いうなれば白黒の映画でも見ているような、そんな感覚だったに違いない。

 

 莫大な衝撃波がビル群を薙ぎ払い、叩き割られた数多の窓ガラスが、星のようにきらきらと冷たく光る。

 逃げていた男性にガラスが突き刺さる。

 飛び散る鮮血。

 男性は白目をむいて即死、糸の切れた人形のようにぷつりと倒れた。

 

 すぐ横を走っていた女性の右肩にも、空から降ってきた刃が容赦なく刺さる。彼女は激痛に思わず足をとめ、痛みの発生源に目を落とした。

 ガラス片が、深々と肉に食いこんでいた。

 はっとした彼女の太ももに、掌ほどもあるガラス片が狙いすましたように食い込んだ。

 大気を切り裂くような悲鳴と共に、女性は傷を抱え込むようにして倒れる。

 

 ガラスの破片というものは空気抵抗の関係で、割れたほう、すなわち最も鋭い面を下にむけて落下する。衝撃波で砕かれた建物の窓ガラスは、重力加速度によって恐るべき凶器と化していた。

 

 母親を斬殺された幼子が泣き叫ぶが、すぐにガラス片が襲い掛かりその命をシャットダウンしてゆく。

 いたるとことで絶叫が上がった。体を切り裂かれた人々が断末魔の叫びと共に転がりまわった。

 

 悲劇はガラスだけではない。

 高層ビルで直撃を受けたフロアにいた市民はまだ幸運だった。即死できたのだから。

 砲弾が直撃した付近から火災が発生。それより上層階にいた市民らは911の世界貿易センタービルと同じ生き地獄を味わうことになった。火災に追い立てられるも逃げ場がない。猛烈な熱さから逃れようと多くの者が高層階から飛び降りた。

 地下鉄ターミナルでは天井が崩落、地下に逃げ込んだ人々は瓦礫に巻き込まれ、大量の圧死体へと姿を変えた。

 

 累々と横たわる死者。全身をガラスで埋め尽くした者たちが幽霊のようにさ迷い歩く。全身に大やけどを負った者たちが助けを求めてうめき声をあげる。

 

 終局は唐突に訪れた。

 上海ワールドフィナンシャルセンター、高さ492メートルを誇る中国最高層のビルディング。巨大な建造物が熱病の発作を起こしたかのように痙攣し、かん高い金属の叫喚を上げ、粉々に砕け散りながら倒壊した。

 足元に転がる無数の怪我人を押し潰しながら。

 

 大和の砲撃に、容赦という2文字などない。

 大人だろうが子供だろうが、白人だろうがアジア人だろうが黒人だろうが、関係ない。

 有象無象の限りなく、逃れることなどできはしない。

 

 この世の地獄、その顕現だった。

 

 

 大和の攻撃に即応したのは、海軍でも陸軍でもなく空軍だった。

 

 その機体は、かつて西側諸国を震え上がらせたスホーイ社の傑作戦闘機Su-27に似ていた。

 カナード翼、推力偏向ノズル搭載、その名はSu-30MKK。

 その機動性はまさに異次元、空というキャンパスで己を芸術品とするアーティスト。美しいそのフォルムは、全世界のミリタリーマニアの心を掴んで離さない。

 

 Su-30MKKが翼下に4つ抱えているのはKH-31A、通称「神盾殺手」。神の盾(イージス)を殺すために作られた超音速対艦ミサイル。

 国産機ではなくスホーイ、そして高価な超音速ミサイル。

 その運用が惜しげもなく許されているのは、この部隊が台湾有事の時、米軍の空母打撃群を撃退するために編成された部隊であるためだ。

 言うなれば、制海権を奪った敵に対する殴り込み部隊。この状況に即応できたのも偶然ではなかった。

 

「大場基地第85航空旅団、閃槍隊、まもなく戦闘空域に侵入する」

 

 12機を率いる編隊長が声を上げる。

 パイロットが1人残らず装備しているのはIRST、別名ヘルメット装着型照準装置。これはパイロットの見る景色がそのまま戦闘機の目となる画期的な技術である。パイロットが頭を敵機に向け、見るだけでミサイル照準が可能というわけだ。

 

「閃槍1番機より各機、ターゲット視認。奴を地獄に送り返せ」

 

 編隊長の声が全機に届く。と同時に、その機体が小刻みに揺れた。

 なにごとかと計器を確認したが、異常は何一つない。そこで彼は初めて気付いた。操縦桿を握る自身の手が震えていたのだと。

 恐怖。それが目から体に、そして手に伝わっていたのだ。

 

 眼下では上海が激しく燃えており、その先には我が物顔で沖合に居座る大和の姿があった。

 

「悪鬼がっ…!」

 

 編隊長は大和を睨みつけながら罵倒した。

 遥かな空の高みからでは上海の状況を正確に把握することは不可能だ。しかし高層ビルがいくつか消えていること、そして至る所から狼煙のように立ち上る黒煙を見れば、地上が相当酷いことになっているのは想像がつく。

 

 報いは受けさせる。

 無辜の民に刃を向けた代償はその身をもって払わせる。

 

 頭から被っているIRSTが大和を射程に捉える。敵にミサイルがないことは確認済みだ。ならば撃たれる心配はない。

 市街地上空を抜ける。周囲に障害物はない。

 

「閃槍隊、交戦(エンゲージ)!」

 

 その声と同時に、12機のスホーイが攻撃隊形を取る。

 レクティクルが点滅し、照準器が起動する。

 それは大和をとらえ、激しくフラッシュした。

 ターゲット、ロックオン。

 

「ファイア!」

 

 12機のスホーイから対艦ミサイル2発ずつ切り離され、ブースターに点火、曇天を疾走する。

 編隊は発射後すぐに急上昇に転じ、高度を高く取る。

 24発のミサイルは迷うことなく大和に突っ込んだ。轟音が空を掻き乱し、爆炎が大和を包む。

 編隊長は自身の機体を僅かに傾けた。開けた視界から大和を観察する。

 

「…仕留めたか?」

 

 自問するように呟く。

 大和全体が煙に包まれている。何かに引火したのか、艦上では小さな爆発が連続していた。傍から見れば戦闘力を失っているようにも見える。

 

 だが、そうではなかった。

 大和の主砲に閃光が走り、まとわりつく煙を吹き飛ばした。空を切り裂かんばかりの轟音が響き渡る。

 

「もう1度やるぞ!」

 

 編隊長はそう叫び、残ったミサイルを叩きこむべく乱れた編隊を整える。

 そして再び大和を見据えた。

 

 この程度で沈められると思うな。

 

 そんな声が聞こえたような気がした。

 

・・・・・・・

 

『AMGENAJOQUVAIVQNFRVNFQXVYPQMDVID』

 

 長峰は暗号をじっと見ていた。

 いろいろ書きだしてはみたが解読には至らなかった。ならば視点を変えてみる。

その様子を、中村は口出しするわけでもなく見守っていた。

 数秒後、長峰の表情が動いた。

 

「こいつは…?」

 

 そして手帳にアルファベットを書き出した。

 書き出された文字は、『AMGENA』と『DVID』。文頭と文末、共に同じアルファベットで囲まれた部分だ。

 

「最初と最後か?」

 

 中村が問う。

 長峰は頷いた。

 

「これは俺の推測だが、これは単純な組み合わせじゃないかと思う」

 

 すると、書き出した文字を指さしながら言った。

 

「AMGENAとDVID。2つのAだけを動かすとちょいと不穏な言葉になる」

 

 その下に、ペンで文字を書く

 『MAGEN DAVID』

 

「マーゲン・デイビッド…?誰かの名前か?」

「英語では、な。英語だと認識して読んだらそうなる」

 

 長峰の言葉に、中村は眉をひそめた。

 英語では。

 ならばこの言語はなんだ。

 そう問おうとしたとき、長峰は続けた。

 

「ヘブライ語の発音だよ、こいつは。あまりにも有名すぎる言葉だ」

 

 一呼吸おいて長峰は言う。

 

「読み方はマゲン・ダビド。直訳すると『ダビデの星』、聞いたことくらいはあるよな?」

 

 中村は自身の記憶を探った。

 ダビデの星とは六芒星を意味する。六芒星とはユダヤ教、ユダヤ民族の象徴だ。かつてナチスドイツがユダヤ人につけさせた星のマークもここからきている。

 そして現代、とあるユダヤ人国家の国旗にも描かれている。当然、その国の公用語はヘブライ語だ。

 

「イスラエルか!?」

 

 中村は思わず叫んだが、長峰は首を振って否定した。

 

「この綴りは現代で使われてるものじゃない。現代の発音を正確に綴るとMAGHEN DAWIDH(マーゲーン・ダーウィーズ)となるはずなんだ。マゲン・ダビドと読まれたのは旧約聖書が最初だといわれている」

「ちょっと待て…。旧約聖書がこの暗号と何の関係がある…?」

「解けたんだよ。旧約聖書に出てくる暗号を当てはめたら。正解かどうかは分からないが」

 

 嘘だろ…、と中村は呟いた。まだモールス信号を渡して数分しかたっていない。自分たちが官邸で数時間四苦八苦しても解けなかったものを、ほんの数分で解いたというのか。

 

「アトバシュ暗号ってんだけどな、旧約聖書の中で『バビロン』を隠語として扱ったのが最古の記録として残ってる。文字に番号をつけて、最初からの順番と末尾からの順番を入れ替えるんだ。AをZに、BをYに、って具合にな」

 

 長峰はマゲン・ダビドとして解読した以外のアルファベットを並べた。

 『JOQUVAIVQNFRVNFQXVYPQ』、それを指でなぞりながらペンを動かす。

 

「こいつをアトバシュ暗号に当てはめると、『RLIFEZQEIMUJEMUICEBKIN』となる。こいつをモールス信号に直して第1段階終了だ」

 

 そういうと長峰はモールス信号を猛烈なペースで書き始める。

 おそらく脳内にすべての符号が記録されているのだろう。ならば参照するまでもない。

 

「ここから第2段階だ。こっから先には一切関係ないから旧約聖書云々の話は忘れろ。お前、和文モールスって知ってるか?」

「いや…」

「和文モールスってのは旧海軍で使われてた昔のモールス信号だ。イロハをアルファベットに無理やりこじつけていった符号だよ。どうだ、大和っぽくなってきただろ?」

 

 旧海軍、というワードに中村は分かりやすく反応した。

 

「ハはB、ホはDといった具合にな、英文と同じパターンで表せる。これで上の信号を解読すると、こうなる」

 

 長峰が再び文字を書き始めた。

 ようやくこれで暗号が解ける。中村は答えを待った。

 

 『ナガ?フ?゛ヨウ?ヨ??ハ?タ』

 

 だが解読できたはずの分は穴だらけだった。半分近くを『?』が占めている。

 あからさまに中村は肩を落とした。

 

「これで、終わりか…?」

「まだだ」

 

 落胆した声に長峰ははっきりと言い切る。

 食いついたと判断したのか彼は続けた。

 

「アルファベットは26音、一方のイロハは47音。無理やり当てはめても信号の数が足りないんだよ。だからおかしな現象が起きたんだ」

 

 一呼吸おき、「パターンがダブったんだ」と。

 

「和文モールスの『ト』を英文モールスに直すと『FE』になったり、『セ』を直すと『JE』になったり、って具合だ。和文モールスを使いこなすには、イロハの数だけ符号を暗記して、符号がダブっているアルファベットも暗記して、0~9までの符号を暗記しないと駄目って訳だ。それを踏まえて全文を訳すと、こうなる」

 

 その瞬間、中村の携帯電話がけたたましく鳴った。中村は待ってくれ、とジェスチャーして通話に切り替えた。

 

「はい、はい、え?まさか…、はい…はい…そんな!…そんなことがありえるんですか!」

 

 中村の口調が変わってゆく。何かが起きたな、と長峰は悟った。

 

「信じられません…えぇ、こちらも今戻ろうと思っていたところです。はい、それで在中邦人に関しては……そうですか…えぇ、わかりましたすぐに戻ります」

 

 長峰は、在中邦人というワードを聞き逃さなかった。そして中村は電話を切った。

 

「すまない、官邸に戻る」

「仕方ない、中国でなんかあったらしいな」

「ああ」

 

 中村はそれ以上言わなかった。詮索してくれるな、という彼なりの意思表示なのだろう。

 ならばそれを汲んでやるのも友人というものだ。

 長峰は黙ってメモの1枚を押し付けた。

 

「持って行け、そこに解読済みの文がある」

 

 そう言うと、彼はこの場を離れようとして1歩踏み出し、中村とすれ違った。

 背中側から、彼は声をかけた。

 

「早く行け。中国に何かあったなら、国連安保理が動き出す」

 

 中村は軽く頷き、駅に向かって走り出した。受け取ったメモをしまい込んで。

 

「メモ見ながら行けよ…」

 

 中村の後姿を見ながら、長峰は苦笑した。

 あの解読法が正しいのだとすれば、世界はもっと大きく揺らぐ。そう確信できた。

 

「おれも官僚、なっときゃよかったかなぁ…」

 

 そう誰にでもなく漏らすと、彼は振り返り歩き始めた。

 メモに書かれているのは、1文。

 

 

 『ナガトフジョウセヨトキハキタ』

 

 



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She was splendid like our flagship

 大和が上海を壊滅させ、中国軍による迎撃を振り切って、海中に姿を消してから約2時間。

 中国大使館から首相官邸に対し官邸訪問の打診が来た。

 

 2時間というのは微妙な時間だ。中国の思惑を判断しにくい。

 

 仮に中国が大和による砲撃を日本の責任とするならば、もっと早い段階で怒りの声明を公式に発表するだろうし、もし根本的な方針転換があったなら2時間では到底共産党内部の意思を統合できないだろう。

 

 外務省や官邸としても、中国側の意図を図りかねていた。

 本来は外務大臣が会う予定だったのだが、中国大使は中国国家主席の劉建文の直筆書簡を電子化したものを直接首相に手渡したいと言ってきた。首相の釜田は中国側の意図を探る必要がある、という甲斐野防衛大臣の言葉もあり、直接会うことになった。

 

 首相の釜田が待つ中、中国全権大使がやって来た。

 

「国家主席より、なんとしても書簡をもらってくるよう命じられました。前例がないことではありますが、何卒書簡をお読みになった上で、即決で返答文書を作成していただきたく存じます」

 

 中国全権大使は見るからに疲れ切っていた。最大の経済都市を廃墟にされたのだから当然といえば当然だ。

 

 釜田は書簡を受け取ると中身を通訳担当官に見せ、翻訳するよう命じた。

 

『親愛なる日本国首相閣下。私は中国国家主席として、上海の悲劇において命を落とされた日本人の方々、およびその遺族の方々に心よりお悔やみを申し上げます』

 

 書簡はこのような内容から始まった。担当官は万が一にも誤訳があってはならないと慎重に言葉を選んでいる。

 

『その上で、国際儀礼を無視する形ではありますが、最も効率的な手段を用いました。我が国は現在、非常に困難な状況に置かれています。上海における、戦艦大和をかたどった海賊船による無差別テロ、無辜の民への許しがたい殺戮は、我が国のみならず世界経済へ重大な影響を及ぼしております』

 

 確かにその通りだ。上海への艦砲射撃によって中国経済は壊滅的な打撃を被っている。

 人的被害ももちろんのことだが、上海にあるすべての金融・証券の市場は閉鎖に追い込まれ、その上石油や穀物といった国家を支える重要な取引もすべてがフリーズした状態だ。

 さらに中国上海に拠点を置く企業を中心に、中国全体の企業の株式はストップ安状態だ。当然それは中国の国債も例外ではない。全世界で何人の自殺者が出るか想像すらできない有様だ。

 

 今は香港市場がどうにか代理として動いているが、そこにも大和が向かわないという保証はない。もし香港まで吹き飛ばされようものなら、中国経済は破滅だ。

 

『また海軍部隊の敗北は、東シナ海において重大な軍事的空白を生じさせてしまいました。本来であればその空白は日本国やアメリカ合衆国によって埋められるはずでありましたが、そうはなっていません。現在、大和が東シナ海の日中中間線より我が国の側に存在している以上、東シナ海をテロリスト集団より守ることができるのは紛れもない我が国なのです。親愛なる閣下、我々はあの海賊船を何としても滅さねばなりません。これは日中両国のみならず世界のためでもあります』

 

 大和はどうやら海中に遁走したのち、東シナ海の中国側海域に浮上したらしかった。

 ここまで聞いて釜田はおおよそを察した。自衛隊が東シナ海に出撃できないことを理解したうえで、この書簡を送って来たのだと。

 

 おそらく共産党内部は、日本滅すべしとの意見と、大和の始末を優先すべきだとの意見の2つに大きく割れていたのだろう。そして国家主席劉建文は、後者を選んだ。

 

『そこで改めて確認させて頂きたい事項が存在します。戦艦大和の姿をかたどったテロリスト集団は貴国と何ら関係ないものであり、それを我が国がいかように処理しようと、それを中国の国内問題であると認識されているか、否かということです。同様の問いかけをアメリカ合衆国、ロシア連邦に対しても行っております』

 

 これは脅迫だ。

 冷静に考えて、自衛隊がテロリスト集団であると認定された大和を守れるはずがない。

 海保隊員を殺傷され、現実的な被害も被っているのだから。そして、同様の問いかけをアメリカ、ロシアにも行っている。被害を被っていない両国が、テロリスト退治にNOをはっきりと表明する可能性は皆無に等しい。

 

 必然的に、東シナ海における軍事行動を、日本は再度黙認せざるを得ない。

 すなわち中国は問うているのだ。安保理の常任理事国に逆らえるのか、と。

 人質になっているのは、世界経済全体だ。中国が破綻すれば日本もただでは済まない。

 経済大国というものは、世界各国に対し自国の莫大な経済力を人質にできる。わざわざ中国の経済を崩壊させてまで反対する国などあろうはずがない。

 

『首相閣下、我が国は海賊退治をしているのであり国家間の紛争を望んではいません。早急にテロリスト集団を駆逐し、東シナ海、ひいては東アジア全体の安定を取り戻したく考えているのです。是非とも、可能な限り早い返答を願います』

 

 日本にはイエスかはいしかない問いかけだ。テロリスト退治、そして地域の安定ということばを矢面に出されては、国際協調に重きを置く今の日本で反対などあり得ない。

 釜田はゆっくりと口を開いた。

 

「かの大和は、国際法上我が国とは無関係の存在です。しかしながら、発端となる砲撃は尖閣諸島領海内から行われました。これは国際紛争につながりかねない事案であり、大和をどう扱うについては、私の一存では決められません。それこそ国連安保理に議題として取り上げていただくか、もしくは国連軍を編成して対処すべき事案であると考えます」

 

 日本はテロリスト支援国ではない。そう表明した上で、あとは丸投げするしかない。

 どのみち常任理事国が全てを決めるのだから、ここで釜田が「待て」「やめろ」と叫んだところでどうにかなるものではない。

 その言葉を待っていた、と言わんばかりに、中国大使は身を乗り出した。

 

「ではすべてを国連安保理に一任する、という公式書簡を、我が国、アメリカ、国連安保理宛に3通作成願えませんでしょうか。貴国がそのように動いてくだされば、ことはよりスムーズに運ぶと考えます」

 

 拒否はできない。ただ日本は民主主義国家だ。閣僚や両議院の議長、さらには一部の野党。すべてに連絡を取り、協議したうえで書簡を作成しなければ。

 その旨を伝えると大使は「ここで待たせていただきます」と言った。

 公式書簡が手渡されたのは、それから2時間後のことだった。

 

・・・・・・・

 

 上海が廃墟になった翌日、ようやく被害が露わになってきた。

 

「在中大使館によりますと、上海在住の邦人47114人の内2万人以上と連絡が取れない状態です。また短期の滞在者も10万人近くおりましたが、そちらは現状の把握すらできておりません」

 

 衛星通信を伝って送られてきた上海の様子が、官邸地下の危機管理センターにある大パネルに映し出されている。

 ひどい有様だ。

 今頃は世界各国のマスコミが殺到し、映像を電子の海に流し続けていることだろう。

 

「一体、大和の目的は何なのだろう…」

 

 悲惨な状況を目の当たりにしながら、甲斐野防衛大臣が呟いた。

 上海が廃墟になったことで、中国の富裕層はさっさと資産を移動させ、自身や家族と共に安全な内陸部や海外に避難を始めている。

 

 大和がしたことといえば、いきなり現れて海保と海警の船舶を撃沈。その後中国海軍に撃沈されるも、なぜか復活し上海に艦砲射撃を加えて廃墟にした、これだけだ。同時に復活していたと思われる随伴艦は、上海近海にはいない。

 判断するにはあまりにも根拠が乏しく、甲斐野の言葉に応じる者はいなかった。

 

 ただ言えるのは、今後中国軍が大規模な行動を起こすことは困難だということだろう。

 

 中国軍のシステムは西側諸国とは全く異なる。基本的に国土を分ける軍区というものが存在し、その軍区の中で軍事予算をやりくりし、己の意思で自由に武器を製造する権限まであるのだ。

 日本で例えるならば、内閣の方針を無視して九州方面軍は予算で核ミサイルを作り、四国方面は戦闘機だけを作り、ということができるのである。

 

 それらの軍区に予算を与える権利を北京軍区、すなわち国家主席が握っているから逆らえないだけで、そのブレーキがなくなれば、軍区同士で春秋戦国並みのバトルロワイアルが始まるだろう。

 

 それは海軍にも言えたことで、東海艦隊で受けた損害は東海艦隊で埋めなければならない。つまり北海艦隊や南海艦隊から艦艇をぶっこ抜いて再編、ということができないのだ。

 上海が廃墟になろうが東海艦隊が壊滅させられようが、他の軍区からすれば「何でうちの予算で作った軍艦渡さなきゃならんのだ。知ったことじゃねーよ」という状態なのだ。

 

 中国軍は強い。強いが、他軍区との連携というものが壊滅的にできない。そのため部隊、艦隊単位では精鋭であるものの、有事における国家規模での物資のやり取り、共闘作戦となるとたちまち瓦解してしまう。

 それは中国のみならず東側の大きな弱点でもあったが、中国ではあまりにも顕著すぎた。

 

「しかし中国はなぜみすみす大和を東シナ海まで逃がしてしまったのだろうか。仮に復活したとしても、片っ端から沈め続ければどうにかなるかもしれないのに」

 

 答える者はいない。なにせ情報がないのだ。情報戦による敗北は国家の動きすら封じてしまう。

 

 そして危機管理センターに戻った中村智大は、長峰が解読に成功したと思われる暗号の内容に考えを巡らせていた。

 

 『ナガトフジョウセヨ』の『ナガト』とはどう考えても戦艦長門のことだろう。『フジョウセヨ』も、大和がそう命じたのだと考えれば意味は理解できる。

 だが最後の『トキハキタ』とは何なのか。

 大和が上海を廃墟にしたことで中村も対応に追われ、暗号の旨を言い出すタイミングがなかった。

 『トキハキタ』の意味を考えながら、彼が内容を防衛大臣に伝えようとした瞬間だった。

 

 危機管理センターに常備してある警報表示がいきなりけたたましくなり始めた。

 

「ミ、ミサイル警報だと…!」

 

 それは日本が設定した、ミサイルの飛来を警告する音だった。

 直ちに防衛省と直結している電話が鳴る。担当のオペレーターが、センター内全てに聞こえるよう卓上のスピーカーに切り替えた。

 

『合衆国の早期警戒機が、中国南西部にある戦略ミサイル基地において弾道ミサイルの発射を確認しました。弾道は3発を確認。奄美大島のペトリオット部隊には万が一を考え迎撃命令を出しましたが、日本海のイージス艦『はぐろ』は監視のみを行っています』

 

 中国が弾道ミサイルを発射した。

 

 報復か、とも考えられたが、モニターに表示されたコースはいずれも日本やグアムを狙ったものではなかった。どこを狙ったのかわからない。もう手遅れかもしれないが、できることはやる。

 

「Jアラート発令!該当区域の住民に情報伝達!」

「大和を狙ったのか!?」

 

 思い当たる節があった中村はセンター内のざわめきに負けないほどの声で言った。

 

「そこの君!わかるなら教えてくれ!何が起こっているんだ!」

 

 首相の釜田がその声に反応した。藁にもすがる思いなのか、それとも時間がないという現状を把握できている証拠なのか。一刻も早い判断が求められるだけに、釜田の血相が変わっている。

 

「中国軍が開発したとされる対艦弾道ミサイル、DF-21と呼ばれる兵器ではないかと考えます。電離層を突き抜けて大気圏に突入してくる弾道ですから、さしもの大和でも耐えきれないかと」

「なぜアメリカは何も言ってこないのだ…。弾道ミサイルの無警告発射は下手をすれば核戦争につながることは分かっているだろうに…」

 

 北朝鮮の時はこんなことはなかった。発射の予兆があった時点で連絡が入り、Jアラートを発令し、十分とは言えないが備えることができた。

 だが今回は違う。

 

「すべてを一任する…こういうことか…!」

 

 釜田も気付いた。おそらくアメリカやロシアにはより具体的な話がなされていたのだろう。でなければ沖縄方面に弾頭ミサイルを発射するなどという暴挙が行えるわけがない。

 だが日本は核を持たない。弾道ミサイルにも専守防衛しかできない。

 反撃される心配がないのだから、わざわざ情報を伝える意味などない。

 

 だが、それに気付いても遅かった。

 ミサイル警報が途絶え、防衛省直結電話からの音声が、スピーカーを通じてセンターに響いた。

 

『中国が発射した弾道は3発、大和近海に着弾した模様。同海域にて核爆発を3回確認。在日米軍は沖縄、奄美、八重山に対してフォールアウトに対処するよう呼びかけるそうです』

 

 全員が呆然と報告を聞いた。

 世界3度目の核兵器の実戦使用が起きてしまった。

 

 爆発地点は中国側といても、放射能汚染をはじめとする様々な被害は間違いなく中間線を越え日本側にも波及する。

 それは、日本が核攻撃を受けたことと同義だった。

 

 核兵器を使用するという裏取引があったとしても、その場に参加したり発言したりすることはおろか、その存在すら知らされない。

 日本のあずかり知らぬところで世界は動いてゆく。敵国条項を定められる敗戦国には、有事における発言権すらない。

 

 それだけは、戦後80年がたっても変わらぬ現実だった。

 

・・・・・・・

 

 東シナ海で核兵器が使用された。

 その情報は、極東から遥か彼方太平洋にいる航空母艦『ジョン・C・ステニス』の下にも届けられた。

 

 上海壊滅の報を受け、いまやハワイ近海は海上封鎖にも等しい厳戒態勢がとられていた。軍艦がひしめき、吹き渡る潮風すら怖気付いてしまうほど緊張感に満ちている。

 

 その中心に位置するは、全長333メートル、最大幅76.8メートル、満載排水量105500トンの巨艦。ニミッツ級航空母艦7番艦『ジョン・C・ステニス』。

 彼女が旗艦を務めるのは、東太平洋を支配下に置く第3空母打撃群だ。タイコンデロガ級イージス巡洋艦2隻、アーレイ・バーク級イージス駆逐艦6隻、ロサンゼルス級原子力潜水艦3隻を従え、さらに退役しモスボール保存されていたオリバー・ハザード・ペリー級フリゲート2隻を編成に加えている。

 

 中国東海艦隊が大和退治に繰り出した部隊など、彼女たちの艦隊の前では歯牙にもかけないだろう。その気になれば、彼女たちだけで中小国を滅ぼし、焼け野原にすることなど造作もない。

 無敵(アルマダ)と言って差し支えない、圧倒的な力の象徴がそこにあった。

 

SNN(潜水艦)サンタフェよりCVN(空母)ジョン・ステニスへ。深度1万3千フィートから急速に浮上する反応を感知。機関推進音に該当艦なし。ビキニ・アンノウンと推定」

 

 艦隊を海面下から護るロサンゼルス級原潜の1隻『サンタフェ』から空母『ジョン・C・ステニス』の艦橋に緊急信が入った。

 刹那、艦橋に電撃が走った。乗組員全員の目つきが変わる。アドレナリンが分泌され、艦橋の室内温度が上昇したかのように感じられた。

 

「SNNサンタフェ、数と位置を知らせ」

「反応は4つ確認。座標はいずれも本艦隊の真下、詳細座標送信。速力30ノットで急速浮上中」

 

 艦橋の空気が張り詰める。誰もが振り返り、打撃群指揮官に命令を求めた。決断を求められた男は、部下たちとは真逆に、迷いを振り切った表情を見せた。

 第3空母打撃群の指揮を執るグラント・ハンブリング少将。彼が静かに命じる。

 

「ホノルルに緊急信。情報プラント艦と高度リンクせよ」

「はっ」

「総員戦闘配置。第9空母航空団は直ちに出撃」

「了解、総員戦闘配置につけ」

「了解。ウォールバンガーズ、ブラック・エーセス、トップハッターズは直ちに発艦。ビキニ・アンノウンに備えよ」

 

 グラント少将から命令を受けたジョン・C・ステニス艦長を務める大佐が、戦闘配置を取らせてゆく。

 同時に、空母の航空隊の指揮を執るCAGと呼ばれる大佐が、ジョン・C・ステニスに艦載された第9空母航空団にスクランブルをかけた。

 

 第117早期警戒飛行隊ウォールバンガーズの早期警戒機E-2CKホークアイが真っ先にカタパルトで空中にぶっ飛んで行く。

 続いて第41戦闘攻撃飛行隊ブラック・エーセスのF/A-18Fホーネット。さらに続いて、第14戦闘攻撃飛行隊トップハッターズの同じくF/A-18Fホーネットが大空へ。

 

 さらにグラント少将の命令を入電した巡洋艦が、麾下の駆逐艦にそれを伝達。駆逐艦に艦載の対潜ヘリコプターを発艦させる。

 そして第3空母打撃群すべてに通じる無線を少将が手に取った。

 

「全艦戦闘用意、火器に火を入れろ。送信座標にビキニ・アンノウン4隻が急速浮上中。4隻をアルファ、ブラボー、チャーリー、デルタと呼称する」

「こちらCG(巡洋艦)モービル・ベイ、呼称了解。CG(巡洋艦)アンティータムと共に座標を受信、リンク完了」

「第21駆逐戦隊旗艦、DDG(駆逐艦)ストックデールより旗艦ジョン・C・ステニス。駆逐艦全艦情報リンク完了。戦闘態勢」

FFG(フリゲート)ド・ワートおよびヴァンデグリフト、戦闘態勢に入りました」

「こちらSNNサンタフェ、アンノウン進路、および浮上予測座標を算出」

 

 原子力潜水艦サンタフェから情報が送られる。そしてその情報はタイムラグなしに全艦に共有される。

 

「少将、本艦に直撃コースです」

「承知した。前進一杯、面舵一杯」

「前進一杯、了解!」

「面舵一杯!」

「CG『アンティータム』、DDG『ミリアス』『ウェイン・E・マイヤー』、アンノウン直撃コースだ、退避せよ」

 

 艦橋に詰めている士官が、護衛艦艇に命令を伝達する。

 排水量10万トンを超える巨体が進路を変え、荒波を切り裂きながら変針する。

 

 やがて報告が来た。

 

「全艦回避行動終わり。アンノウンの進路、速力変わらず。直撃は回避したものと判断します」

「了解した。旗艦ジョン・C・ステニスよりSNN(潜水艦)『サンタフェ』『コロンバス』『シャーロット』。アンノウンへの雷撃を許可する。射程深度に入り次第攻撃せよ、攻撃法は一任する」

 

 潜水艦に指示を出し、さらに少将の指揮が振るわれる。

 

「護衛艦艇、対潜戦闘および対水上戦闘用意。リンクにより割り振られた目標をロック、射程深度に入り次第攻撃開始。さらに浮上予測座標に照準、浮上してくる瞬間を狙い撃て」

 

 2隻のフリゲートを除く護衛艦艇の甲板には、正方形のマスが幾何学的に並んでいる。

 これこそ最新鋭のイージス艦が誇るミサイル発射装置、垂直発射システム(VLS)だ。

 

 格納庫と発射筒をかねたこのセルに、原則1発のミサイルが埋め込まれるように格納されており、蓋を開放してそのまま発射できる。

 装備できるミサイルの種類は、スタンダード対空ミサイル、発展型シースパロー(ESSM)、トマホーク巡航ミサイルなど多岐にわたる。

 そのVLSのセルが、アーレイ・バーク級駆逐艦には90セル装備されている。さらにタイコンデロガ級巡洋艦に至ってはなんと122セルを搭載している。

 

 VLSのほとんどは対空ミサイルに割かれているが、対潜兵装ももちろんある。

それがアスロック対潜ミサイルだ。

 つまりその気になれば、60以上の魚雷が一斉に敵に殺到することになる。

 

「お前たちが何を思い、なぜそうなったのかは知らん。だが我らに仇なすというのなら、我らはそれを討ち果たすのみ」

 

 グラント少将は誰にも聞こえない声で、アンノウンに静かに言い放った。




                         序章:破滅のはじまり おわり


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第1章 崩れ去る戦後
11.黄泉平坂


Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime.
いかに必要でも、いかに正当化されても、戦争は罪でないと考えるな。
                         アーネスト・M・ヘミングウェイ


 水中爆発が連続し、海が震える。

 くぐもった炸裂音と共に、第3空母打撃群の水上艦艇が揺さぶられる。

 

 艦隊を海面下から護る『サンタフェ』『コロンバス』『シャーロット』。3隻の原子力潜水艦が発射した長魚雷が、深海から浮上してくるアンノウンを捉えているのだ。

 

SNN(潜水艦)サンタフェ、目標アルファに魚雷8命中」

SNN(潜水艦)コロンバス、目標ブラボーに魚雷8命中」

SNN(潜水艦)シャーロット、目標チャーリーおよびデルタに各4本魚雷命中」

 

 現代の魚雷は、標的が囮や対抗手段を展開した場合でも、そうした妨害を排除して攻撃を続行することができるよう設計されている。さらに命中しなかった場合は、自律的に標的を判別し再攻撃を行うこともできるのだ。

 アンノウンがもし第二次世界大戦当時の艦船なのであれば、現代の長魚雷への対抗手段などあろうはずもない。

 

「各目標の速力進路、ともに変わらず。潜水艦3隻、魚雷再装填に入ります」

 

 しかしこの敵は常識の範疇の外にいる。

 1本でも敵艦に致命傷を与えられる現代の魚雷、それを8本も食らえば普通の船ならば間違いなく粉微塵だ。

 

 だが、報告を受け取った空母『ジョン・C・ステニス』の艦橋要員はいたって冷静だった。

 敵が人知の及ばない存在だということは既に分かっている。今更慌てたりうろたえたりするものなどいない。敵である以上叩き潰すだけだ。

 

「各目標、アスロック射程深度に到達。ターゲット分配完了」

 

 現代戦において目標の割り振りは重要だ。

 文字通りゼロカンマ数秒の隙が勝敗を分ける戦闘において、同じ敵を誤って狙ってしまうことはご法度だ。

 そのため護衛艦隊の指揮を執る巡洋艦『モービル・ベイ』が、敵の所在や友軍の残弾数に速力、座標にいたるまで戦況すべてを把握し、どの艦がどの目標を狙えば最も効率的かを演算し、リアルタイムで艦隊全てに共有するのだ。

 

 そのため「本艦はアルファをやるから、そちらはブラボーを云々」だとか「それでは効率が悪い云々」だとか「残弾が少ないので云々」だとかいうタイムロスが全く起きない。

 

「了解。全艦アスロック発射せよ」

 

 報告を受け、グラント少将が命じた直後。

 2隻のフリゲートを除くすべての護衛艦から、火山の噴火のような炎と煙が吹き上がった。

 もちろん被弾したわけではない。

 

 煙を引きずりながら、ロケットのような物体が急上昇してゆく。

 

 垂直発射式アスロック。魚雷の射程が短いのならば、ミサイルで敵潜水艦の真上まで魚雷を運んでしまえ、といういかにもアメリカンな思考回路から完成された兵器。

 巡洋艦と駆逐艦から発射されたアスロックたちは、群れを作って飛んでいき、そこで弾頭を切り離す。そして分離した弾頭はパラシュートを開き、減速しつつ着水。

 潜水した弾頭は、そこで魚雷に早変わりする。自ら目標を探し、海中を全速力で疾走する。

 

 命中。

 

 水中を衝撃波が伝わり、海中が泡立つ。

 

CG(巡洋艦)モービル・ベイより報告。麾下の巡洋艦および駆逐艦、アスロック全弾命中」

DDG(駆逐艦)ウェイン・E・マイヤーより報告。標的ブラボーの圧壊音を確認、速力低下!」

「よし!」

 

 駆逐艦からの報告を聞いた少将は小さくガッツポーズを作った。

 

 敵の1隻が圧壊した。長魚雷とアスロックの命中が敵の装甲を破壊し、水圧による破壊に至ったのだ。

 正体不明の敵だが、当たりさえすれば倒せる。それが明確になったことは大きい。

 

「いかがしますか?」

「攻撃続行だ。欠片も残すな」

 

 指示を求めたオペレーターに少将はためらわず命じる。

 

「ブラボーの脅威を消失と判断。目標再分配…完了」

「各艦アスロック第2波、攻撃開始」

「ラプターズ、攻撃開始」

 

 新たな命令が下される。護衛艦がアスロックを放つとほぼ同時に、『ジョン・C・ステニス』から発艦し、艦隊上空に待機していた第71ヘリコプター海洋攻撃飛行隊、通称ラプターズのSH-60対潜ヘリコプターが対潜魚雷Mk54を発射する。

 

 アスロックが容赦なく目標を捉える。わずかの時間を置いて、ヘリから海中へ投下された対潜魚雷が標的に横から直撃。強烈な炸薬のパンチをお見舞する。

 

「アスロックおよびMk54、全弾命中!」

「目標デルタより圧壊音、脅威レベルダウン。標的をアルファ、チャーリーのみに限定!」

「両目標、艦種識別」

 

 4つの標的の内、ブラボーとデルタは潰した。これで残る脅威はあと2つ。

 巡洋艦も駆逐艦も、そしてこの空母『ジョン・C・ステニス』も攻撃の主要兵器は未だに使っていないのだ。

 

 勝利は近い。敵がどの艦か識別することで、浮上後の攻撃に備える。

 

「ソナー反応より識別。標的アルファ全長225メートル、標的チャーリー全長170メートル。艦上構造物より、アルファは『ナガト』、チャーリーは『アーカンソー』と断定」

「了解。全艦、以後目標アルファを『ナガト』、チャーリーを『アーカンソー』と呼称せよ」

 

 呼称の変更を麾下艦艇に命じながら、少将は考えを巡らせた。

 2つの敵はともに戦艦。

 至近距離での砲戦を考えれば、考えうる限り最悪の相手だ。

 

「ナガトおよびアーカンソー!まもなく海上に出ます!」

「浮上座標算出完了、各艦に情報伝達。目標配分よし」

 

 2隻に数を減じた両目標の正確な浮上座標が各艦に伝達されてゆく。

 まず敵が浮上し、海上に現れた瞬間を護衛艦のミサイルで狙い撃つ。そして艦隊上空に配置している戦闘攻撃飛行隊が、護衛艦と同時に対艦ミサイルを斉射、敵にぶち込む。

 いわば軍艦と戦闘機による対艦ミサイルの十字砲火だ。

 

 第41戦闘攻撃飛行隊ブラック・エーセス、そして第14戦闘攻撃飛行隊トップハッターズ。計30機のF/A-18Fスーパーホーネットが艦隊上空で待機する。

 

「ブラック・エーセス、トップハッターズ、ポイントに到達」

CG(巡洋艦)モービル・ベイより報告。護衛艦隊、全艦配置完了。対艦ミサイル照準よし。攻撃準備完了。発射まで、10…9…」

 

 敵は何も見えていないかのように一直線に浮上してくる。

 複雑な構造物を持つ大型艦艇が急速に移動することで、海中がひどく攪拌されている。ソナーはもはや機能していないだろう。

 

「3…2…1!」

「ブラック・エーセス、トップハッターズ、攻撃開始!」

「全艦撃ち方はじめ!」

 

 瞬間、大気が震えた。

 

 まず2隻の巡洋艦がVLSを8セル開放、1隻あたり8発、2隻合わせて16発のトマホーク巡航ミサイルが飛びあがった。真上に上がったトマホークはすぐに頭を沈め、海面ぎりぎりまで高度を下げ、主翼を展開して突進を始める。

 

 さらに続いてDDG(駆逐艦)ストックデールを旗艦とする、第21駆逐戦隊に属する6隻の駆逐艦がVLSを開き、徹甲弾頭をそなえたタクティカル・トマホークを1隻あたり6発、6隻合わせて36発発射。

 

 さらに2隻のフリゲートが、1隻につき2基搭載されているハープーン四連装発射筒をフル稼働。2隻合わせて16発のハープーン艦対艦ミサイルを打ち出す。

 

 艦隊から放たれた68発のミサイルが、海面すれすれに飛びながら、海面を這うように目標へ推進していく。

 

 ほぼ同時に30機のF-18スーパーホーネットもそれぞれ4発ずつAGM84空中発射型ハープーンを発射。機体から投下された120ものハープーンは、ジェットエンジンに点火し、まるで天上からの裁きの如く敵の上から降り注ぐ。

 

 しめて188発のミサイルの十字斉射。その十字の交差するところに、敵の浮上する座標がある。

 

 海面の2か所が泡立ち、それを中心に円形の波紋が発生した。

 波が大きくなる。うねりが『ジョン・C・ステニス』を持ち上げ、排水量10万トンを超える巨艦を上下に揺さぶった。

 

「敵艦浮上!海面に出ます!」

 

 泡立った場所から、巨大な水柱が噴きあがった。

 同時に2隻の巨艦が、海を裂かんばかりの勢いで飛び上がった。

 その角度はほぼ垂直。まるで潜水艦のVLSから垂直に発射される弾道のようだった。

 しかし、2隻が普通の船のように航行を始めるまで彼らは待たない。

 

インターセプト(弾着)ナウ()!」

 

 瞬間、2隻の巨艦が爆炎に包まれた。四方八方から容赦なくミサイルが降り注ぎ、艦首から艦尾までの至る所で次々と爆発が起こった。

 連続する炸裂音は衝撃波へと姿を変え艦隊を叩く。浮上の時の直撃は避けたものの、それでも超至近距離の戦闘といっていい。

 

「ブラック・エーセス、ハープーン全弾命中を確認」

「トップハッターズ、対艦ミサイル全弾命中」

「巡洋艦モービル・ベイより報告。麾下艦艇のミサイル、全弾命中を確認」

 

 攻撃管制の報告が次々入ってくる。

 

「全弾命中!」

 

 1発ですら艦体を大破させ沈没に至らしめる対艦ミサイル。それを188発、1隻あたり94発も被弾したのだ。1隻に対する火力としては過剰といって間違いない攻撃。常識的に考えれば、相当な損害を受けていることは間違いない。

 

 だが艦橋の兵士全てが緊張感を切らせていなかった。

 敵は常識の外にいる。誰もがその認識を共有していた。

 過剰攻撃が招いた黒煙が入道雲のように立ち昇る。だが直後、地獄の門をこじ開けるように煙が引き裂かれ、敵が姿を現した。

 

「バンガー1よりジョン・C・ステニスへ。ナガト、アーカンソーと思われる移動体を探知。艦体に火災を確認。速力21ノット。目標は健在。繰り返す。目標は健在」

 

 早期警戒機E-2CKホークアイを擁する、第117早期警戒飛行隊ウォールバンガーズ。その1番機から通信が入った。

 

 E-2CKホークアイは、背中に大型の円盤状の長距離捜索レーダーを背負った航空機で、いわば空飛ぶレーダー施設である。

 その高性能レーダーは実に560キロ先までを見通し、2千もの目標を同時に追尾できる。

 イージス艦のレーダーの死角を補うべく、高々度から『鷹の目』の名そのままに敵を監視する、艦隊の守り神だ。

 

(ただでは沈まぬか…)

 

 報告を受け、少将は心中で独り言ちる。

 だが誰もが冷静だった。誰もが少将の指示を待っている。窮地における対処能力の高さ、これだ、ここからがアメリカ海軍の本領発揮だと。

 

「第2波攻撃を続行、粉微塵にしてやれ」

 

 先程と同様に、護衛艦隊と航空機が攻撃。炸裂音と爆音が響き渡った。

 

「こちらバンガー1、ナガト、アーカンソーの上部構造物に損害を確認」

 

 上空から見張る警戒機からの報告が入る。ナガトやアーカンソーの主砲は理論上、艦隊に攻撃可能だが、こんな距離で打ってもあたりはしない。

 元々戦艦というのは自身の主砲を決戦距離から撃ちこまれることを前提に設計されており、遠距離砲戦のために作られた戦艦は数少ない。

 

 ならば、敵が次に取る行動はおのずと想像がつく。

 

「こちらバンガー3!ナガトが変針した、ジョン・C・ステニスに向かう!」

 

 必中が望める距離まで近づくことだ。

 

 グラント少将はとっさに考えを巡らせた。ホーネットは対艦ミサイルを撃ち尽くし、着艦させ補給を行わなければ攻撃には使えない。残るは護衛艦隊のミサイルのみ。

 ナガトがジョン・C・ステニスを狙っている。片方が行動を起こした以上、もう片方、アーカンソーも何らかの動きを見せるはずだ。

 

CG(巡洋艦)モービル・ベイに命令。巡洋艦アンティータムおよびフリゲート2隻と共にアーカンソーを足止めせよ」

「第21駆逐戦隊、旗艦DDG(駆逐艦)ストックデールの指揮のもと、総力を持ってナガトを撃て」

 

 少将が続けて2つの命令を下した。

 

 戦艦の内、火力の低いアーカンソーには巡洋艦2隻を当てて足止めする。

そして空母を狙っているナガトには駆逐戦隊の全艦、6隻を持って当たる。

 今守るべきは空母だ。旗艦を失えば艦隊は大混乱に陥る。それを敵も理解しているからこそ、ナガトを使って真っ先にジョン・C・ステニスを狙ってきたのだろう。

 続いて戦闘機に指示を下そうとした、その瞬間。

 

「来やがった…!」

 

 レーダー管制と飛行隊の指揮をとっていた空中警戒機、ウォールバンガーズと繋がっている無線から、同機のレーダー観測官の絞り出したような声が漏れた。艦橋に詰めていた通信士が血相を変え、少将を見た。

 

「バンガー2から入電。本艦隊方位000、南方より多数の飛行体を感知」

「…サラ、だな」

 

 少将は呟いた。

 ビキニで消えた艦船の内、航空機を運用できる艦は1隻しかない。

 

 航空母艦サラトガ。

 

 巡洋戦艦として生を受け、空母に改装。太平洋戦争の開戦時から参加し生き残った殊勲艦。

 そして大戦後は、多数就役したエセックス級空母に押される形で「いらない子」となり、予備艦としての保管や記念艦としての保存もされることなく廃艦。クロスロード作戦で核の光の中に消えていった。

 

 躊躇いがないかと言われれば嘘になる。だが敵である以上、姿形が何者であっても彼らには関係ない。

 

「バンガーズ、敵機の数を確認せよ」

 

 しばしの沈黙。

 そして。

 

「数は90…94!速力300ノット(時速575キロ)!当機よりの距離100キロ、ジョン・C・ステニスに向かう!」

 




アメリカ合衆国海軍 第3艦隊 第3空母打撃群

ニミッツ級航空母艦
     ジョン・C・ステニス(空母打撃群旗艦)

タイコンデロガ級巡洋艦
     モービル・ベイ(戦闘指揮艦)
     アンティータム

アーレイ・バーク級駆逐艦
     ミリアス
     チャン・フー
     キッド
     デューイ
     ストックデール(駆逐戦隊旗艦)
     ウェイン・E・マイヤー
     ウィリアム・P・ローレンス

オリバー・ハザード・ペリー級フリゲート
     ド・ワート
     ヴァンデグリフト

ロサンゼルス級原子力潜水艦
     サンタフェ
     コロンバス
     シャーロット

サプライ級高速戦闘支援艦
     ブリッジ


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12.誰何守護

「ブラック・エーセスならびにトップハッターズ、反航して敵機を邀撃せよ」

 

 少将の指示を受けたスーパーホーネット30機がバンクして針路を変更し、突如現れた敵へと向かう。

 対艦攻撃の装備といえども最低限の対空兵器は備えている。短距離空対空ミサイルことサイドワインダーを、1機あたり2発ずつ。これを敵機に撃ち込むのだ。

 

「巡洋艦ならびに駆逐艦隊。ナガト、アーカンソーに引き続き攻撃を加えつつ、並行して対空戦闘用意!」

 

 対艦戦闘を行いつつ対空戦闘を行う。神の盾と呼ばれるシステムの本領発揮だ。

 

 そうしている間にも、上空ではスーパーホーネット30機が会敵を果たそうとしていた。音速を超える現代の戦闘機にとって、100キロ程度の距離など指呼の間と言ってよい。

 すでにパイロットのヘルメットと連動したヘッド・ディスプレイには、赤外線装置を通した無彩色の敵の姿が映し出されている。

 

「亡霊め……」

 

 パイロットの誰かが呟いた。彼らの照準ディスプレイでは、空を光点が埋めつくしている。それこそが赤外線を放出している飛行物体、つまり敵機だ。

 ブラック・エーセスの隊長機が、自身の率いる飛行隊のパイロットに呼び掛ける。

 

「エース・リーダより全機へ。サイドワインダー発射用意。各自レーダーをチェックし、ホークアイに指示された目標をロックせよ。艦隊に近づけるわけにはいかない、射程に入った瞬間に発射しろ」

 

 F-18はホークアイからの指示により、1機につき2つずつ、それぞれ異なる目標を割り振られていた。先ほどの護衛艦隊のリンクと同様、警戒機ホークアイが戦況を把握し、どの機体がどの目標を狙えばいいか的確に管制している

 命令通り、操縦桿のボタンを押して兵装を変更する。これでスーパーホーネットはサイドワインダーを発射可能になった。各機2発ずつ、計60の敵を同時に攻撃する。

 

「ブラック・エーセス、オールアタック(突撃)!」

「トップハッターズ、オールアタック(突撃)!」

 

 それぞれのリーダーの号令とともに、30機の戦闘機のジェットエンジンが咆哮し、目標への突撃を開始した。敵との距離が急激に小さくなっていく。そしてサイドワインダーの射程内に入ったことを知らせる電子音が鳴った。

 

「エース6!FOX2!」

「エース11!FOX2!」

「ハッター4!FOX2!」

 

 30機のスーパーホーネットが各々の判断でミサイルを発射。細い槍のようなサイドワインダーが切り離され、ブースターに点火、蒼天を疾走する。

 サイドワインダーは薄い航跡を曳きロックした目標へ飛翔していく。

 その先で、小さな花火が点々と散った。

 

「こちらバンガー2、サイドワインダー全弾命中。敵機60の撃墜を確認。残存機34、掃討せよ」

「こちらエース・リーダー、了解。まもなく敵機とコンタクト。目視確認をおこなう」

 

 目で見える距離まで近づけば反撃を受けるリスクも高くなる。だが危険を冒してでも、敵の正体をこの目で確かめておかねばならなかった。

 飛行隊と敵の群れは澄明な大空のもと、互いに見合う形となった。

 

 予想されたことであったが、敵機はプロペラ機だった。機首にひとつプロペラがついた単発機で、全体の塗装はダークブルー。胴体の形状は紡錘形に膨らんでおり、コクピットが後ろよりについている印象を受けた。

 その主翼に、あるべき国籍マークはない。

 

「エース・リーダーよりバンガーズ。敵機を目視確認、映像を送信する」

「こちらバンガー2、こちらは受信した。機種をデータベースで識別する」

「ヘルダイバーだ……!」

 

 ブラック・エーセス隊の隊長機と空中警戒機とのやり取りに横入りするような形で、とあるパイロットの震え交じりの声が重なった。

 彼はその航空機を知っていた。

 

「エース5よりリーダー。敵機は大戦時の艦爆、ヘルダイバーと推測します」

「確かか?」

「確かです。曾祖父が乗っていました」

 

 どこにでも無駄な豆知識を持つ人間はいる。どうやらブラック・エーセス隊5番機の彼も、そういうたぐいの人間だったらしい。

 

「バンガー2よりブラック・エーセス隊、トップハッターズ隊。照合完了、エース5が大当たりだぞ。敵機はヘルダイバーだ」

 

 警戒機からの報告に、誰かがヒュウと口笛を吹いた。その短い賛辞が無線を通じて全機に届けられる。スーパーホーネットのパイロット達が笑い交じりの野次を飛ばした。

 

「エース・リーダーよりエース5、機体形状が違う奴がいる。そいつらもヘルダイバーのお仲間か?」

「確認します」

 

 隊長機の言葉を受け、5番機のパイロットが敵機の姿を確認する。ズーム機能を使って穴が開くほど敵に目を凝らしたパイロットは短く舌打ちした。

 

「エース5よりリーダー。敵機はアベンジャーおよびF6Fヘルキャット。大戦時の艦上雷撃機と戦闘機です」

「間違いないな。哨戒機を墜としやがった連中だ」

 

 部下からの報告に隊長の声が僅かに感情を含んだものになった。そして飛行隊に令達する。

 

「全機、機関砲をスタンバイ。敵編隊後ろ上方より接近し機関砲を発射。攻撃後はそのまま離脱せよ」

 

 スーパーホーネットが搭載しているバルカン砲は、20ミリ弾を毎分4千発、すなわち1秒で66発という発射速度をもつ。20ミリ弾は、ごく一部の例外を除いてだが、並の航空機なら5発も被弾すれば火だるまになる威力だ。

 

 ブラック・エーセス、トップハッターズの各リーダーが機体をバンクさせ、味方をひっぱるように旋回し敵機の後ろにつける。

 敵の編隊は一糸乱れず艦隊を目指していた。サイドワインダーで受け味方が無残に墜とされたというのに、まるで意に介していないようだった。

 やはり人間ではない。

 

「こいつら何考えてんだ」

 

 あるパイロットがその姿を見て吐き捨てる。

 そして。

 

「いくぞ野郎ども、ドッグファイトの時間だ。ブラック・エーセス、エンゲージ!」

 

 ブラック・エーセス隊の隊長が部下を鼓舞する。

 続いてトップハッターズの隊長が言う。

 

「時代遅れの亡霊どもを地獄に送り返してやれ!トップハッターズ、エンゲージ!」

 

 

「ブラック・エーセス、トップハッターズ、敵機と交戦」

「ナガトに被弾集中」

 

 旗艦ジョン・C・ステニスの艦橋に淡々と報告が入り続ける。

 

「ナガト速力低下、16ノット」

「巡洋艦モービル・ベイより報告。アーカンソーに命中弾多数。速力11ノットまで低下」

「撃ち続けろ。完全に行き足が止まるまで攻撃をやめるな」

 

 命令を出しながら、空母打撃群を率いるグラント少将は勝利をほぼ確信していた。

 

 浮上してきた4隻の内、2隻は海中で葬り、残りの2隻も足が止まる寸前だ。

 90機を超える航空機が襲ってきたが所詮は前大戦時の遺物。最新鋭のジェット機をその程度の数で突破できるはずがない。

 案の定、すぐに航空隊から「敵機全機撃墜」の報告が入った。

 

 その時だった。

 

「バンガー1より緊急入電。本艦隊方位180、北方15キロの空域に多数の飛行体を感知!」

「なんだと」

 

 方位180は、艦隊の進路の真逆に当たる。少将は思わずレーダーを覗き込む。

 そして、彼は息をのんだ。

 

 レーダーには、ひと目では数えられないほどの光点が出現していた。レーダースクリーンの半分を埋め尽くさんばかりの数だった。

 しかもその数は、レーダー波を当てるたび増加している。

 

「なんだこれは……」

 

 思わずそんな声が漏れた。

 敵味方識別信号に反応しない以上、敵なのは間違いない。

 

 だがビキニで消えた標的艦の内、航空機を運用できるのはサラトガだけだ。

 先刻現れた航空機の数は94機。サラトガが最期に艦載していた数と一致する。

 

 ならばこの大量の航空機はどこから来たのか。

 

「バンガー1、敵機の数を確認せよ」

「数は現在100……違う、まだ増えやがる!敵機300を突破!速力270ノット(時速500キロ)!」

 

 ジョン・C・ステニスの艦橋がどよめく。

 警戒機が報告してきた15キロという距離は、とっくにミサイルの射程内だ。

 

 強力なレーダーによる監視網を持つE-2Cホークアイが、そんな距離まで接近されるまで気がつかなかった、などということがあるはずがない。

 

 300もの敵の出現は、少なからぬ動揺を与えた。

 しかし、だからこそと言うべきか、彼らは迅速に行動した。

 

「ブラック・エーセスならびにトップハッターズ、残弾がある機は反航して未確認機を邀撃せよ!すぐに増援を送る!」

「ウォーホークス、ヴィジランティスは直ちに発艦!新手に向かえ!」

 

 ブラック・エーセスとトップハッターズが不明機の迎撃に向かう。

 

 さらに母艦に直衛として温存されていた第97戦闘攻撃飛行隊ウォーホークス、そして第151戦闘攻撃飛行隊ヴィジランティス。合わせて30機のスーパーホーネットがカタパルトに吹き飛ばされ、飛行甲板を蹴り、大空へと飛び立ってゆく。

 

「全艦にデータリンク、対空戦闘。近距離誘爆防止システム切断!」

ESSM(発展型シースパロー)、スタンダード防空ミサイル発射準備完了!」

「全艦、主砲、ファランクスの起動を認証、許可!」

「護衛全艦、対空戦闘はじめ!」

 

・・・・・・・

 

 中部太平洋でアメリカ海軍が激闘を繰り広げているまさにその時、東京の首相官邸地下にある危機管理センターは大混乱に陥っていた。

 

 沖縄近海で核兵器が使用された。

 いかなる処置を取るべきかあれこれと話されているまさにその瞬間だった。

 

「フィリピンより大使館経由で緊急連絡です!シブヤン海に旧日本海軍のものと思わしき巨大戦艦が出現しました!」

 

 電話を受けた外務省の官僚が切迫した声を上げた。ホール全体に轟き渡るような大声に、一瞬センターが静まり返る。

 だがその報告について外務官僚が口を開こうとしたとき警報音がセンターを覆った。閣僚の誰かが反応するよりも早く、別の官僚から声が上がった。

 

「防衛省より緊急報告!フィリピン北東沖に空母数隻を含む大艦隊が出現!多数の随伴艦を従え南シナ海方面に移動中!」

「静岡県漁協組合から海上保安部に通報です!浜名湖南方150キロの海域に空母と思われる巨大艦を発見!」

 

 警報音、通信音、そしてセンターに詰めた官僚の叫びが飛び交う。ある情報に関して何かを話す前に次の情報が飛び込み、報告の声がそれを上書きしてゆく。

 もうここまでくると混乱というより、大騒ぎ、大パニックといったほうが正しいかもしれない。

 

「呉の海上保安部より緊急通報!瀬戸内海に戦艦と思わしき巨大艦が出現!艦隊を形成し大阪方面に移動中!」

「なんだ、何が起きている!」

 

 センターの指揮を執るはずの釜田首相は、動揺を隠しきれなかった。

 ほんの僅かな時間で、センターは無数の情報で埋め尽くされた。報告を聞いているうちに、防衛官僚の中村智大はあることに気が付いた。その表情が複雑なものになり、そして恐怖へと変色してゆく。

 

「第二次世界大戦で沈められた艦が復活している、まさか全て蘇るんじゃないだろうな……」

 

 大和だけであれほど世界が翻弄されたのだ。もしすべての艦艇が復活などしようものなら、それはもう全盛期をはるかに超える大日本帝国海軍の再来になってしまうだろう。

 それを防ぐ手立ては、まだない。

 

「総理!瀬戸内海の不明艦に対して迎撃命令を!上海のように砲撃されては、大阪が焦土になってしまいます!」

 

 事の重大さを瞬時に把握した甲斐野防衛大臣が血相を変えて叫んだ。

 

「浜名湖南方に出現した空母が東に移動を開始しました!このままでは東京湾に到達されます!」

「総理、直ちに防衛出動命令の布告を!このままでは自衛隊は迎撃できません!」

 

 その声に釜田は一瞬固まる。そして顔色が変わった。

 

「いまここで決めるのか!?そんなことは不可能だ、国会の決議を得なければ……」

「我が党は与党です、事後承認でどうとでも――」

「攻撃して反撃されたらどうする、戦争を始める気か!日本は二度と戦争をしてはいかんのだ!」

 

 釜田は立ち上がり、青白い顔で叫んだ。

 

「上海が攻撃されたのは中国軍が大和を攻撃したからかもしれないだろう!現に呉も浜名も攻撃を受けていない!ここで早まって攻撃して、民間人に死者が出たら誰が責任を取るんだ!」

「しかし海保の巡視船は攻撃を受けています!」

「駄目だ、海警と誤認した可能性もある!我々に先制攻撃は許されない!」

 

 時間は容赦なく過ぎてゆく。

 だが、混乱しているのは日本だけではなかった。




航空母艦ジョン・C・ステニス艦載機
第9空母航空団

 第41戦闘攻撃飛行隊:ブラック・エーセス(各機呼称:エース)
          装備機:F/A-18F 15機

 第14戦闘攻撃飛行隊:トップハッターズ(各機呼称:ハッター)
          装備機:F/A-18E 15機

 第97戦闘攻撃飛行隊:ウォーホークス(各機呼称:ホーク)
          装備機:F/A-18E 15機

 第151戦闘攻撃飛行隊:ヴィジランティス(各機呼称:ヴィジランティ)
          装備機:F/A-18E 15機

 第133電子攻撃飛行隊:ウィザーズ(各機呼称:ウィザー)
          装備機:EA-18G 10機

 第117早期警戒飛行隊:ウォールバンガーズ(各機呼称:バンガー)
          装備機:E-2CK 3機

 第14ヘリコプター海上作戦飛行隊:チャージャーズ(各機呼称:チャージャー)
          装備機:MH-60S 4機

 第71ヘリコプター海洋攻撃飛行隊:ラプターズ(各機呼称:ラプター)
          装備機:MH-60R 4機

 第30艦隊後方支援飛行隊・第4分隊:プロバイダーズ(各機呼称:プロバイダー)
          装備機:C-2A 3機


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13.応戦布告

 300機ものレシプロ航空機が編隊を組んで飛行する。莫大なエンジン音が空中を満たし周囲を威圧する。編隊は雷雲のように大空を覆っており、1機ごとにまるで意思がないようだ、気味が悪いほど整然としている。

 その圧倒的な数による圧力は半端なものではない。如何なる敵であっても瞬く間に葬ってしまうのではないかとの錯覚に襲われる。

 

 だが、迎撃命令を受けたスーパーホーネットが膨大な数の敵機と交戦するよりも、それは早かった。

 

 南、すなわち艦隊の方角から、音速を超えた槍が次々と飛来した。

 それらは寸分たがわず敵機をとらえ、粉砕して爆炎に包む。空中の至る所で火炎がはじけ、花のように散らばった。

 

 現代戦では至近距離といっていいが、前大戦時の常識ならば考えられないほどの遠距離戦闘だ。当然、これに対処する手段などレシプロ機にありはしない。

 

 第3空母打撃群は長門とアーカンソーへの攻撃と並行し、容赦ない防空戦を展開する。

 

 2隻の巡洋艦、そして7隻の駆逐艦。合わせて9隻のイージスシステムがフル稼働し、大量のミサイルが次々と撃ち上がってゆく。ミサイルが通り過ぎた後の白い軌跡が大空にいくつもの線を引き、目に見えない距離の敵を討ちに行く。

 ロックした敵機に正面からミサイルが突入し、もはや原型を留めない鉄クズに変わる。いたるところで敵機がバラバラになり燃えながら海へと落下していく。

 

 だが、敵機の数は多い。

 落とされても爆砕されても、まるで何事もなかったかのように編隊の欠けた部分を穴埋めし、空母に向かってくる。

 

「ミサイル全弾命中、敵機残存212!」

「ブラック・エーセス、トップハッターズ、敵機と交戦!」

「ウォーホークス全機発艦完了、これより敵機に向かう!」

 

 上空から見守るE-2Cホークアイが、強力なレーダーによって空戦を管制する。無線を通じて、その音は旗艦ジョン・C・ステニスにも届き続けていた。

 

「バンガー2より旗艦へ、ナガトの速力低下なれど空母との距離25000メートル!」

「少将、ナガトの主砲射程です!」

「慌てるな」

 

 空母の艦長が警戒機からの報告に血相を変えて叫ぶ。

 だが打撃群指揮官のグラント少将は冷静に応対した。

 

「戦艦の主砲は弾着修正をしなければ当たらん。弾着観測もせずに初弾命中などありえん」

 

 そして通信士の方に向き直ると、警戒機に問うた。

 

「ナガトの速力、および主砲の様子を報告せよ」

「速力8ノット、主砲方位0度、仰角はかかっていません」

「ブラック・エーセス、トップハッターズ弾薬切れの機体多数!敵機阻止しきれません!」

「ウォーホークス、敵機と交戦!ヴィジランティス全機発艦完了!」

 

 敵の戦艦の動きは鈍っているが、それをあざ笑うかのように敵機が防空網を突破してくる。現代戦において戦闘機、そして艦対空ミサイルの防空網は鉄壁だ。

 

 だが、それは敵の数が常識の範疇にある場合に限られる。

 

 少なくとも現代の軍艦は数百機の敵を相手取るようには作られていない。数百人の兵士と引き換えに米軍兵士1人を殺す。この尋常ではない費用対効果の悪さが現代における物量戦を阻止しているのだ。

 だが敵には人的消耗の概念があるかどうかすらわからない。

 もしすべての軍艦、航空機が無人で動いているのならば敵の人的損耗は皆無だ。ならば物量優越という過去の法則が当てはまってしまう。

 

「ナガト被弾多数!行き足止まります!」

 

 少将がレーダーで敵機の動きを見ているうちに、新たな報告が飛び込んだ。

 

「ナガト停止!本艦との距離14キロ!」

「撃ち方やめ、バンガーズ、敵艦の現状を報告せよ」

 

 ジョン・C・ステニスからの命令を受けた早期警戒機がナガトの様子を観察し、すぐに報告が飛び込む。

 

「こちらバンガー2。ナガト艦上に火災を確――」

 

 だが、報告が途中で途切れた。

 報告は迅速かつ正確に。アナポリス(海軍兵学校)でも基本として教えていることだ。前線での経験を持つ警戒機のオペレーターたちがこの教えをむやみに破るとは考えられない。

 

 何かがあった。そう直感した少将はすぐさま問い返す。

 

「バンガー2報告せよ。何があった」

「こ、ちらバンガー2、信じられない…!」

 

 無線の向こう側で、オペレーターが懸命に息を整える音がする。空母の艦橋からは見えなかったが、早期警戒機の通信士は胸の前で十字を切っていた。震え交じりの声で彼は言う。

 

「吹っ飛んだナガトの煙突が生えている!奴ら再生してやがる!現在自己修復しつつあり!」

 

 艦橋が一瞬で静まり返った。百戦錬磨の少将の背筋にも冷たいものが走る。

 自己修復する兵器など、まるで映画の、SFの世界ではないか。

 

 ありえない。そう考えるが、警戒機の報告に相違がないとすればこれは大事だ。

 

 そんな少将の思いにつられるように艦橋がざわめき始める。敵は何なのか、いや、そもそも人類では倒せない類いのものなのでは…。

 あるいは、本当に冥界から蘇った亡霊なのか。

 少なからぬ動揺が広がってゆく。敵の新たな情報が与えられたならばそれを僚艦にリンクして伝達しなければならないが、そんな行動すら行えない程に。

 スクリーンを見つめる艦橋要員には、単なるレーダー上の点が、恐るべき強敵に見えているに違いない。

 

「うろたえるな!」

 

 沈黙を破ったのは、打撃群を率いる将の声だった。

 叩きつけるような声でグラント少将が叫ぶ。

 普段から穏やかな態度で部下に接する彼がこのような姿を見せるのは珍しい。誰もが少将に目線を釘付けにした。

 

「まだどの艦も被害を受けていない!敵が再生するならば再生しきれないほど撃てばよいだけだ!我ら空母打撃群が、敗れる道理がない!」

「ナガトの機関始動、速力上昇!主砲をジョン・C・ステニスに指向中!」

 

 一時的に静まっていた艦橋の雰囲気が少将の一声で復活した。

 敵の動きを受け、少将の口から命令が飛び出す。

 

「駆逐戦隊に魚雷発射命令!即時発射せよ!各艦個別に撃て!」

 

 駆逐艦からMk54魚雷が海中に投下され、魚雷のスクリューが始動する。

 同時にナガトの砲身に閃光が走る、その瞬間だった。

 

 ナガトを巨大な水柱が包み込んだ。

 

 現代の魚雷は敵艦の横腹に穴をあけるという過去のものと違う。敵艦を強烈な爆圧で跳ね上げ、その重さを持って竜骨をへし折るというものだ。故に過去の魚雷は被雷した艦の片舷にだけ水柱がそそり立つが、現代の魚雷は艦全体を包み込むように水柱が噴きあがる。

 今の事象は間違いなく、現代の魚雷が命中した現象だった。

 

「こちらサンタフェ。ようやく間に合った、待たせてすまなかった」

 

 敵艦への先制攻撃を終え、魚雷を再装填していた原子力潜水艦サンタフェが発射した魚雷が、空母を狙っていたナガト正確に捉えたのだ。

 それをきっかけとしたようにナガトをいくつもの水柱が連続で包み込む。連続する鎚中爆発が波紋となって伝わり、原子力空母の巨大な艦体を震わせた。

 

「こちらコロンバス、ナガトに魚雷命中!」

 

 さらにコロンバスの魚雷が命中する。残りの1隻である原潜のシャーロットは、おそらくアーカンソーの方へ向かったのだろう。

 ナガトの映像が、早期警戒機を通じて空母に届く。メインスクリーンに映し出されたナガトは大きく傾斜していた。

 

「排水できないのか…?」

 

 ナガトは大きく傾斜していた。これほど傾いて角度が狂っていては、主砲を発射しても命中は望めないだろう。

 なぜ再生できるにも関わらずこれほどの被害を…。

 

 そう考えた瞬間、少将の脳内に電撃が走った。

 

「魚雷を撃つな!駆逐戦隊、撃ち方やめ!」

 

 反射的に彼は命じた。

 

「奴らは無敵じゃない、なんでも再生できるわけではないんだ。だから中国海軍に沈められた。あれは奴らの芝居だ!」

 

 すべてを悟った様子で少将は命じる。すぐさま命令が伝えられ、駆逐戦隊が放った魚雷は命中することなく自爆した。

 

「敵機残存42!ヴィジランティス、交戦(エンゲージ)!」

「モービル・ベイより報告!シャーロットの雷撃によりアーカンソーの行き足、止まりました!」

 

 300を超えた敵機は大幅に数を減らしている。そして残る戦艦の1隻も動きを止めた。

 少将の指揮が光る。

 

「艦隊進路170、北上だ!真珠湾に戻る!」

「しかし敵艦はまだ――」

 

 異議を唱えたジョン・C・ステニスの艦長に、グラント少将は小さく笑い、何かを含んだ言葉を投げかけた。

 

「私を信じろ、艦長」

 

 少将は艦長の目を真っすぐ見据えて言う。そして艦長はゆっくりと頷いた。

 長年共に戦ってきた間柄だ。そこに説明の言葉はいらない。

 信じろといわれれば、たとえ死しても信じ抜く。

 

「了解しました、艦隊進路反転!北上せよ!」

「進路170、艦隊配置、リンク再構築」

「航空隊は現海域より離脱したのち、燃料の少ないものから着艦、収容する」

「アイ・サー!」

「敵機残存13!フリゲートのミサイルで排除します!」

 

 第3空母打撃群は一路真珠湾を目指し北上する。その海域に行き足の止まったナガトとアーカンソーを残したまま。

 

 アメリカ海軍が、正しくはグラント少将が何かに気付いた。

 打撃群への被害なし。消費は弾薬と燃料だけだ。

 

 全世界に散るアメリカの力の象徴、空母打撃群。その力はいまだ健在だった。

 

・・・・・・・

 

 異常事態へ対処する総司令部。これに定められたホワイトハウスには、相次いで報告が飛び込んでいた。

 

「スウェーデン政府から緊急連絡、バルト海に旧ドイツ海軍の戦艦が出現!」

「マラッカ海峡を警備する多国籍軍よりインド・太平洋軍に通報あり!マレー沖に旧英国海軍のものと思わしき艦艇が多数出現しました!」

「イスラエル政府よりホットラインで緊急連絡!地中海に旧イタリア王国の戦艦を中心とした艦隊が出現!沿岸部に無差別に砲撃を行っている模様!」

「ディエゴ・ガルシア基地より非常通信!スリランカ、トリンコマリー沖に空母を中心とした小規模な艦隊が出現!艦載機が市街地を爆撃し、現在スリランカ空軍と交戦中!」

「フィリピン政府より緊急信、スリガオ海峡に旧日本海軍の戦艦が出現!」

 

 世界中から悲鳴じみた情報が次々と集まる。

 異変が起きたのは第3空母打撃群が例の敵と交戦し始めた時からだ。世界中に散る米軍基地からの通信、警報が止まらない。もはや空母打撃群の様子を把握する暇すらなかった。

 

「一体どういうことだ、これは」

 

 アメリカ大統領のウィルフレド・ワーナーは感情を隠そうともせず問うた。

 統合参謀本部議長のランズダウン将軍が冷静な声で答える。

 

「世界中で、かつて沈んだはずの艦船が浮上しています。英軍もこれを確認しています」

「私は状況を聞いているのではない、なんだこれはと聞いている!」

 

 ワーナーが思わず叫ぶ。普段冷静な大統領には珍しく、大きく声を荒らげている。

 なんだと聞かれても誰もわからないのだから答えようがない。

 

「第6艦隊所属、第10空母打撃群が地中海にて交戦状態に入りました!」

「第11空母打撃群旗艦ニミッツより太平洋艦隊司令部へ緊急信!ミッドウェー沖に複数の空母が出現!」

「大統領閣下!これは緊急の安保理常任理事国会議を開催すべき事案と考えます!」

 

 アメリカの外交を司る国務大臣のマーヴィンが顔色を変えて叫んだ。

 

 もはや事態は国防だけの話ではない。

 

 第二次世界大戦の亡霊が出現している、それも明確な敵意を伴って。攻撃を受けた中国とアメリカはいずれも戦勝国だ。ドイツやイタリアが攻撃を受けたという報はいまだない。

 過去の亡霊に今更出てきてもらっては困る。現在の世界秩序、戦勝各国に都合の良い世界を保つためには、何としても亡霊を世界共通の敵にしたうえで、人類すべてを持って無力化しなければならない。

 

 もしあの亡霊たちが、現在の常任理事国、すなわち戦勝国に真っ向から牙をむく存在であるならば。

 

 既存の勢力、すなわち常任理事国が勝てば世界は何も変わらない。だがもし、亡霊が勝てばどうなるか。

 

 現代の世界秩序は、もろくも崩壊する。

 

「東シナ海、核攻撃地点に大和以下艦隊が出現!沖縄の在日米軍が発見しました!」

「大統領、核攻撃に対する日本の声は封じられます」

 

 国防長官のオルグレンが報告に続くように言う。

 核攻撃を間接的に受けた国は黙らせられる。これが何を意味するか、分からぬワーナーではなかった。

 

「緊急の安保理常任理事国会議を開催する!各国に呼びかけろ!」

 

 さらにワーナーは続ける。

 

「オルグレン、現時刻をもってデフコン1を宣言せよ!これはオプション・ブラボーにあらず!」

 

 デフコンとは「Defense Readiness Condition」の略である。戦争への態勢を5段階に分けたアメリカ国防総省の規定だ。

 デフコン1はその最高レベルに当たる。もちろん現在までに用いられたことは無い。あのキューバ危機に至っても、デフコンレベルは2止まりだった。

 そしてデフコン1では、核兵器の使用が許可される。核攻撃を許容しないオプション・ブラボーというパターンもあるが、ワーナーはそれをたった今否定した。

 

 核保有国の常任理事国との緊急会議。そして被害者は黙らせる。これが何を意味するか。

 

「同時に全世界の合衆国軍の警戒レベルをコンディション・デルタに引き上げる!直ちに臨戦態勢に入れ!」

 

 星条旗が牙をむく。

 戦争が、始まる。

 



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14.困難打破

 アメリカ合衆国、ニューヨーク、マンハッタン島。様々な国旗がはためく巨大なビルの中でそれは始まった。

 

 国連安全保障理事会、通称安保理。

 

 国連総会の議決に従う義務のない組織であり、事実上国連の最高意思決定機関である。

 常任理事国5か国、そして非常任理事国10か国。15か国の国連大使が席に着くと同時に、それは始まった。

 

「我が国は、中華人民共和国の核兵器使用を強く非難する」

 

 まず口を開いたのは、非常任理事国ベトナムの国連大使だった。

 

「これまで核兵器は究極の国家防衛手段としてのみ存続を許されてきた。その使用の際には、核攻撃によって被害を受ける近隣周辺国の存在も考慮しなければならないはずだ。にもかかわらずアジア諸国へなんら意思表示なしに核攻撃を実行した。これは明確な国連議決違反である」

「我が国は、かのテロリスト集団により経済都市上海を灰燼とされ、多くの無辜の民を殺傷されている。これは国家の生存権が危機にさらされていると疑いなく判断できる状況であり、核使用の限定状況に値すると判断したものである」

 

 中国の国連大使が即座に言い返す。あのような核攻撃を行った以上、常任理事国の支持をすでに取り付けていることに疑いの余地はない。

 ただでさえ中国とベトナムの間には絶対的な力の差が存在する。それに加えて常任理事国がひそかに支持を行っている以上、非常任理事国がどれだけ喚こうが中国優位の立場は動かない。

 

 無論この程度の理屈を理解できないベトナムではない。だが彼らにはどうしても反対の意思を明らかにする必要があった。

 

 このままなし崩し的に非常任理事国、すなわち核兵器の非保有国が無警告での核兵器の使用を容認してしまえば、これは以後の国際政治の場での重要な判例となってしまう。

 常任理事国の判断だけで自由に核兵器を使用できる世界。それはもはや全世界が核保有国、すなわち常任理事国の緩やかな属国のような立場に置かれると考えてよい。

 

 ただでさえ中国と対立関係にあるベトナムが、やむを得ないから使ったのですかはいそうですか、とあっさり受け入れて良いはずはない。

 だが、ベトナム国連大使の次の声を封じたのは、中国と対立しているはずのアメリカだった。

 

「貴国が核兵器使用に対して強い懸念を抱いていることは我が合衆国政府も理解している。しかしながら、かの集団は上海のみならずハワイ近海にも出現し、すでに我が海軍の空母打撃群と交戦している」

 

 アメリカが自身の持つ情報を率先して明らかにするなど、平時ではありえないことだ。

 アメリカの空母打撃群は世界トップクラスの情報網で守られている。スパイ衛星で撮影は可能かもしれないが、戦闘の状況などをリアルタイムで補足することはまず不可能だ。

 

 そのような情報を聞かれてもいないのにあえて明らかにした。多くの国の国連大使が、何かを察したように周囲の様子を探り始めた。

 

「未確認情報ではあるが、かの集団はかつての大戦で失われた軍艦の姿をかたどっており、海中から突如として出現している。それも世界中の海に。これまでの傾向から推測するに、完全に無差別、見境なしに攻撃を行っていると判断してよいだろう。もはやテロリスト集団と呼称することさえ誤りかもしれない」

 

 ベトナム国連大使が頬をピクリと動かし、奥歯をギリと噛んだ。

 アメリカがやろうとしていることを悟ったのだ。

 アメリカにも中国の核兵器使用を黙認してしまった負い目がある。だからこそ、それを何としても間違っていなかったことにしなければならない。

 

「かの集団が世界中の海に出現している以上、事態は緊急を要する。すでにスリランカ軍は交戦状態に入り、イスラエルは沿岸部を砲撃されている。仮にあの艦隊が個別に暴れているのではなく、共通の意思の下で動いているのであれば、これはまさに『人類の敵』となる可能性すら出てくる」

 

 敵が人類共通の敵であるならば、それは現在の世界秩序を乱そうとする敵だということだ。

 例え現代の世界秩序がいびつな形であるとしても、それを乱そうとするものは無条件で悪と認定される。

 しかもその敵がかつての軍艦をかたどっている。このような敵に常任理事国が敗れ去ることは、それすなわち現行の世界秩序が崩壊することを意味する。

 

 悪い言い方をすれば、亡霊のごとき軍艦たちは今更出てきて来られては困る。人類共通の敵に仕立て上げ、何としても無力化しなければならない存在なのだ。

 

「人類の敵とするかはともかく、今後の核兵器の使用についても検討を行いたく考える」

 

 アメリカ国連大使に背乗りするように、イギリスの国連大使が口を開いた。

 

「現在は復活してしまっているようだが、奴らは、少なくともヤマトは核兵器によって沈んだ。核兵器が有効な攻撃手段であることに疑いの余地はない。国家が存亡の危機に陥る前に、防衛的な核使用はあらかじめ容認されるべきであると考える」

「しかしながら、人類の中でかの集団に迎合する存在が出てくる恐れもある。それに対しても無条件で核使用を容認することはいかがなものか」

 

 フランス国連大使が口をはさんだ。確かにこれはもっともな話だ。

 仮に中東のテロリスト集団がかの艦隊に共同して攻撃を行った場合、そのテロリストらが存在する国に無差別に核をぶっ放してもよいのかという話になってくる。

 

「では核攻撃に関しては、かの艦隊に対してのみ限定的に認められる、ということでいかがか」

 

 フランス国連大使の疑問に、イギリスの国連大使が応じた。アメリカや中国の国連大使も納得したように頷いた。

 

「しばし待たれよ、貴国らは重要なことを見落としている」

 

 核兵器の使用を容認する、そんな日本が聞けば卒倒してしまいそうな会議の流れの中で声を上げたのは、非常任理事国であるドイツの国連大使だった。

 

「現代の核兵器の威力は先の大戦の物とは比較にならない。周辺諸国へ大きな被害を与える恐れもある。独自の判断による発射は控えるべきだ」

 

 ドイツは北にイギリス、西にフランスと2つの核兵器保有国と隣接している。自国の目と鼻の先で核使用を乱射されてはかなわないという思いなのだろう。

 またドイツをはじめ、イタリア、ベルギー、オランダの4か国はNATOの協定により自国内にアメリカが所有する核を保有し、同国の政府が使用権を持っている。

 

 もし持ち主であるアメリカがゴーサインを出せば、西ヨーロッパ全域で核兵器の乱射が始まってしまう。

 大陸国家であり、かつヨーロッパのど真ん中に存在するドイツにとってそれは悪夢以外の何物でもない。

 

「我が国はドイツの意見に同意する。周辺各国への被害を顧みない核攻撃は慎むべきだ。人類の敵を滅するために、人類を滅しては意味がない」

 

 ドイツの意見を受け、ベトナム国連大使が続くように声を上げた。核の使用が認められてしまった場合、ベトナムには1つ、確約させておかなければならないことがあった。

 

 もし常任理事国による独自判断による発射が許されれば、中国がベトナム領内に核を発射し、戦果確認のために領海に人民解放軍を侵入させてくる恐れがある。それは何としても阻止せねばならなかった。

 

 だが――

 

「かの集団が人類の敵になる恐れがある以上、いかなる意味でも奴らに迎合するような発言は慎むべきだ」

 

 人類の敵、それは常任理事国公認の敵だ。もし擁護と見られてしまえば、一転してその国が世界の敵として扱われてしまう。

 世界を牛耳る5大国の目の前で、それを堂々と表明できる国があろうはずもない。

 

「しかしながら核兵器の使用については、周辺各国に甚大な影響を及ぼす場合にのみシグナルを送る。この程度の縛りは必要だろう」

 

 核兵器の使用、そして人類の敵とみなすかについての議題が固められてゆく中、常任理事国の一角、ロシア連邦の国連大使だけは不気味な沈黙を保っていた。

 

・・・・・・・

 

 東京の首相官邸地下にある危機管理センターは、すでに「日本周辺異常事態対策本部」と名を変えている。事態の重大さに鑑み、国家安全保障的な観点を含め、大幅に使える人材や予算が増やされた。

 

「瀬戸内海に出現した多数の旧軍艦艇、現在小豆島沖を航行中」

「空自からの映像来ました、メインパネルに出します」

 

 巨大なスクリーンに瀬戸内海を上空から捉えた映像が映し出される。

 瀬戸内海は異常なまでの多島海であり、その航行には細心の注意を要する。そんな場所をいきなり不明艦隊が航行し始めたことで、物流、輸送には莫大な影響が出はじめている。

 

 海上に複数の白い航跡が伸び、その先に艦隊の姿があった。

 映像が拡大される。そのズームに同期するように、メインパネルにはそれぞれの艦種が記された。

 

 輪形陣の先頭に位置するは金剛型戦艦3番艦『榛名』。

 その左後方には伊勢型戦艦ネームシップの『伊勢』が、右後方には2番艦の『日向』が続く。

 そして最後尾には長門型戦艦の2番艦『陸奥』。

 さらに4隻の戦艦を護衛するように、輪形陣の左右には重巡洋艦の『青葉』と『利根』が展開していた。

 

 対策本部がざわめく。

 大和1隻で上海は焼け野原になったのだ。主砲の威力に違いはあれ、戦艦4隻、重巡洋艦2隻の艦隊に艦砲射撃を受ければ、大阪がどうなるかは想像に難くない。

 

「これは…なぜだ…」

 

 だが、映像を見ていた防衛官僚の中村智大は不意に違和感を覚え、思わず呟いた。自身の持つ知識から考えれば、どう考えてもあり得ない事態が起きている。

 

「なぜ艦体が残っている…」

 

 爆破事故で轟沈した陸奥はともかく、残りの艦は全て戦後に解体されるかスクラップとして処分されている。浮上どころか、艦としての姿を保っていること自体がありえないのだ。

 さらに陸奥に至っても、主砲や副砲の一部は海底から引き上げられ、日本各地に分散している。

 

(再生…?いや、まさか…)

 

 中村が考えを巡らせている間にも、事態は動き始めていた。

 

「総理、自衛隊の運用のみならず国民の避難など、政府による事案対処の統合が必要です。直ちに防衛出動命令の発令を」

「いや、しかし、戦後一度も出たことのない命令だぞ…」

 

 内閣の閣僚らがパネルを見ながら切羽つまった様子で提言するが、中央にいる釜田首相の表情は硬い。

 

 というのも、自衛隊の防衛出動はその対象を国、もしくは国に準ずるものと定めている。不明艦隊がこのどちらにも値しないことは明らかだ。つまり法上の根拠がない。

 

 さらに言うならば、防衛出動命令はすなわち日本政府の敗北を意味する。外交ではもうどうにもできません、と宣言し最後の手段として用いられるものだ。

 当然、そんな命令を出した政治家は悪い意味で歴史に名を遺す。事態がどう終結しようが、これまで積み上げてきたキャリアは間違いなく一瞬で消し飛ぶだろう。

 

 釜田が渋るのも当然だった。

 

「なまじ被害が拡大し、自衛隊が戦闘状態に陥ってから事後的に発令するよりも、こちらの方が後々問題にはなりません!どうかご決断を!」

 

 防衛大臣の甲斐野が強い口調で進言した。

 確かに、後々国民に死者が大量に出た後で防衛出動命令を出すよりも、今のうちに出しておいた方が、仮に戦闘が発生したとしても、発令のタイミングや決断云々で非難はされにくくなる。

 

 例えるならば、大地震が起きた時に大津波警報を出して空振りするのと、空振りを恐れて警報を出さなかった結果大量の死者が出るのと、どちらが批判されやすいかということだ。

 当然、前者の方が釜田の政治生命にも望みが残される。

 

 それを聞いた釜田の表情が少しだけほぐれた。

 そしてゆっくりと口を開いた。

 

「…わかった。前例のないことだが、やってみるしかないな」

「はっ。防衛省で直ちに、不明艦隊が艦砲射撃を行った場合の被害地域を選定します」

「該当地区の自治体には、県知事から出動の要請を出させるようにしてくれ。防衛出動命令が下る以上、あちらも面子があるので拒まないだろう」

「了解しました。聞いていたな?」

 

 甲斐野の声に、中村を含む防衛官僚らが動きだす。

 それだけではなかった。対策本部が、突然堰を切ったように動き始めている。

 

「官房長官、直ちに官邸のマスコミにブレイキングニュース扱いで、国民に警戒と避難を呼びかけるよう求めてくれ。311の経験がある以上、マスコミ各社も迅速に動けるはずだ」

「わかりました、マスコミに対してはこちらで対応します」

 

 官房長官が答えると同時に、官僚達が動く。

 

「機密を含む情報については総務省で扱います。被害に該当する地区には、総務省の直結回線で情報伝達を行います」

「国土交通省で該当区域の住民の避難経路の作成を。南海トラフ地震の津波に対する避難マニュアルを流用しましょう」

「現地の警察、消防とも連携して避難誘導を行え。限界まで被害を抑えるんだ」

「了解、警察庁から直ちに呼びかけを」

「総理、新田原および築城基地の空自を爆装させて上げます」

「分かった、任せる!」

 

 緊張感からか、誰しも声のトーンが上がっている。

 だが同時に、身重だった日本政府の動きがありえないほど迅速になっていた。

 

 これは戦争状態に突入したためではなく、これまでに幾度となく経験した大規模災害への準備があったからこその、一種の慣れのようなものなのかもしれない。

 

 方針が決まるまでは遅いが、決まってからの動きは異常なまでに早い。

 日本人特有の、マニュアルがあれば完璧に近い行動をとる性質が、土壇場まできてようやく発揮されていた。




国連安保理理事国一覧(作中時点)

常任理事国(5か国)
 アメリカ合衆国
 イギリス
 フランス
 中華人民共和国
 ロシア連邦

非常任理事国(10か国)
 西ヨーロッパ枠
  ベルギー
  ドイツ
 東ヨーロッパ枠
  エストニア
 アジア枠
  インドネシア
  ベトナム
 アフリカ枠
  南アフリカ共和国
  ニジェール
  チュニジア
 カリブ・中南米枠
  ドミニカ共和国
  セントビンセントグレナディーン諸島


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15.戦後終幕

 大阪市、神戸市、和歌山市。関西の沿岸部にある都市に独特なサイレンが鳴り響いた。

 音程が高くなり、唐突に途切れる。北朝鮮によるミサイル発射で有名になった、例の国民保護サイレンである。

 

 同時に各市町村が管轄する地域防災放送が、緊迫した声で避難を呼びかけ始めた。

 

「こちらは大阪市市役所です。ただいま、市内全域に、避難命令が、発令されました。市民の皆さんは、落ち着いて、指定の避難所へと、避難してください。地域防災訓練に基づき、警察、消防、自衛隊の誘導に従い、指定の避難所へ、直ちに、避難してください。これは訓練ではありません、これは訓練ではありません。繰り返します。市内全域に――」

 

 

「戦艦陸奥を中心とした艦隊、速力17ノットで西進中!」

「予想進路から計測、大阪湾到達まで残り2時間54分!」

 

 大阪湾に陸奥艦隊が到達し砲撃を開始した場合に被害を受ける地域は、艦隊の位置から半径30キロ圏内全てだ。この範囲には神戸市、大阪市、和歌山市が含まれている。

 

 避難対象者は400万人を超えている。とにかく危害範囲の外縁部の住民はその外へ、ど真ん中におり、3時間足らずでは避難が困難な住民たちは地下街に避難させる方針がとられていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 また沿岸部に居住する少数の集落では、海上保安庁や民間のフェリーなどを用いて四国や和歌山県南部への避難が続けられている。

 

 問題は山岳部に居住し、有事においても津波による避難を必要としてこなかった住民たちだ。どう避難すればいいのか判断があいまいなため、どうせ被害などでないだろうと避難命令に従わない者が続出している。

 有事における政府の命令には強制権があり、逆らうと罰則が適用される。

 だが彼らを拘束するための人材が足りない。避難命令が下された地区を擁する県警には人材の限界があり、そこまでカバーしきれていない。

 

「避難可能な地下街の選定はまだか!」

 

 対策室に集められた学者らの内、何人かが顔を見合わせる。

 数秒後、それに関する計測を行っていた1人が顔を上げて発言した。

 

「…陸奥の主砲のエネルギー量や地盤の硬度を計算すると、最低でも地下20メートルは必要です」

 

 国土交通省の官僚と大阪出身の官僚らが地下路線図を広げた。

 

「今里筋線、長堀鶴見緑地線、谷町線、四ツ橋線に該当駅あり!」

「該当駅を抽出しろ!避難可能人数と所要時間を調べるんだ!」

対策室のメインパネルの一部に、大阪地下鉄の路線図が市街地の地図と重なって表示される。人の動きを表す表示とそれが重なった。

「都市部の避難が予想より早いな…」

 

 首相の釜田がパネルを見ながら呟く。

 それに誰かともなく応答した。

 

「SNSをはじめとするインターネットで、陸奥艦隊に関する写真や動画がかなり拡散していたようで…」

「現代は国民総メディアの時代です。自主避難をあらかじめ行っていた国民が相当数いたと推測されます」

 

 311の時に津波の動画が大量にネットの海に流れ出していなければ、人々が津波の脅威を目にすることはなかっただろう。

 携帯端末さえあれば誰でも情報発信者になれるというSNSの強みが、不幸中の幸いか、国民の避難を後押ししていた。

 

「総理、一部の漁業従事者と空港関係者が避難地域に残っているそうです」

「いかん…!」

 

 国土交通省の官僚の報告に釜田は目を見開いた。

 

 どうやら一部の漁業従事者らが、自分たちの生活の糧である漁船を守るためか、避難誘導の制止を振り切り、漁船と共に出航してしまったらしい。

 津波の時は沖合に出ればよかったが、今回は訳が違う。

 

「いかがしますか、総理」

「いまから呼び戻しては逆に危険だ。とにかく全速で紀伊水道を南下するよう命じてくれ、間違っても瀬戸内海に向かわないようにしろ。艦隊と鉢合わせでもしようものなら大変なことになる」

「わかりました、直ちに」

「総理、関西国際空港と神戸空港、伊丹空港に着陸予定の便は全て周辺の空港に回します」

 

 漁業従事者だけではない。今もなお懸命に民間機を誘導し続けている空港の管制官も救わねばならない。

 陸奥艦隊がもし軍隊として戦略的に行動をとっているのであれば、空港などは真っ先に潰すべき目標だ。

 艦砲射撃など受けては、管制塔などひとたまりもないはずだ。

 

「民間機の管制はどうする?」

「自衛隊の空中警戒機を要請しました。3飛行場程度ならカバーできます」

「わかった。3飛行場で航空管制を続けている職員には直ちに強制退去命令を出せ。機動隊を使ってでも避難させるんだ」

 

 かつての震災の教訓はしっかりと生かされている。

 だがどうやっても100万人単位の避難には物理的に限界がある。

 万全を尽くしても被害は出る。誰しもそれは理解していた。

 それでも彼らは戦いに挑む。それが政府という組織だった。

 

・・・・・・・

 

 陸奥艦隊を真っ先に捉えたのは、築城基地からスクランブルをかけた第8飛行隊だった。呼び出し符丁はシュードプス。合計6機のジェット機で飛行する。

 海を写しとったような紺碧の迷彩が陽光を反射してギラリと光る。それは世界にも類を見ない対艦攻撃機。

 

 F-2戦闘機。別名バイパーゼロ、平成の零戦。

 

「シュードプス1、こちらビッグアイ。目標を確認、高度を下げろ」

 

 はるか彼方を飛行するE-767早期警戒管制機の無線が届く。

 関西の空港に降りられない民間機を誘導している管制機とは別の機体だった。

 

了解(コピー)

 

 隊長機が応答し、操縦桿を押し込む。機体がゆっくりと傾き降下を開始した。

 ゆっくりと飛行しているように感じるが、実際出ている速度は音速に近い。みるみるうちに海面が迫ってくる。

 

 陸奥艦隊の装備が第二次世界大戦当時のスペックに準じているのであれば、索敵能力など現代兵器の足元にも及ばない。だが念を入れるに越したことはない。低空から接近し、対艦ミサイルの猛射をお見舞いするのだ。

 

 6機のF-2はそれぞれ両翼の先っぽにサイドワインダー空対空ミサイルをくっつけているが、ひときわ目を引くのは両翼の下にぶら下げられている巨大物体だ。

 

 全長6メートル、重量2000ポンドというサイズはどう考えても戦闘機が運ぶ大きさではない。

 名はASM-3対艦誘導弾。増大する中国海軍に対抗すべく設計された巨大な対艦ミサイルである。その射程は400キロメートル。スペースプレーンに用いられているスクラムジェットという技術を使って飛行する。

 相手が巡洋艦程度なら前世代のASM-2でも事足りただろうが、敵は戦艦。1トン近い重量を持つ巨大兵器ではないと威力不足だ。

 

兵装確認(ウェポンチェック)異常なし(オールグリーン)

「ターゲット確認」

 

 機載レーダーが反応した。円い表示画面の12時方向に反応が6つ。

 命令にあった陸奥艦隊の数と合致する。間違いない。

 

 通常現代戦における対艦戦闘は、複数種かつ複数発のミサイルによる飽和攻撃こそが理想とされる。ミサイル技術の進歩により、ただ撃つだけではもはや命中は望めないものとなっているからだ。

 

 だからこそ現代の対艦ミサイルは海面スレスレを飛行したり、音速を平気で超えたり、高度をランダムに変えたりするのだ。

 だがこの敵にはそれがない。ならば限界まで近付き必中を期すべきだ。

 

「シュードプス1より各機。ついてきているか」

「こちらシュードプス2、全機追随します」

 

 6機のF-2が海面近くまで舞い降りる。もし直下に漁船などいようものなら、すさまじい轟音に会話どころでないはずだ。

 

「ターゲット、ロックオン」

 

 レーダーが敵艦を捕捉する。照準完了だ。

 6機のF-2がそれぞれ1隻づつの敵艦に狙いを定め、隊長機も割り振られた目標の陸奥に照準する。

 そして。

 

「シュードプス1、FOX3!」

「シュードプス2、FOX3!」

 

 コールサインの後、各機がミサイルを投下。即座に機体を反転させる。

 投下の瞬間に機体がふわりと浮き上がるような感覚がある。1トン近い重量物を切り離したことで、機体が自然と浮かび上がったのだ。

 

 角張った外観をしたASM-3は、即座に燃料に点火。爆発のような燃焼がミサイルを一気に加速させる。

 

 ここからがスクラムジェットエンジンの本領だ。

 

 高速飛行よる圧力で空気を一気に圧縮。その空気を圧縮したまま燃焼させ、ミサイル後方に爆縮とともに送り出す。エンジン内の温度が一気に2500度以上に跳ね上がり、周囲の大気が陽炎のように震える。

 暴力的な加速が1トン近い弾頭を急加速させる。その速力は実にマッハ5。超音速を通り越し、極超音速と呼ばれる領域だ。

 

 ASM-3は海面ギリギリまで舞い降りる。まるで対艦攻撃を試みる陸攻のように。

 ミサイルが上空を通過した海面がとてつもない衝撃波でへしゃげて裂け、遅れたように白い激浪が左右に広がってゆく。

 

命中(スプラッシュ)!」

 

 シュードプス1番機の放ったASM-3は、2発ともが戦艦陸奥の艦尾側から命中した。幸運なことに艦尾舷側ではなく最後尾の主砲、第4砲塔の直下にそのまま滑り込むように突っ込んだ。

 

 いくら戦艦とはいえ、1トン近い弾頭がマッハ5を超える極速度で激突する衝撃に耐えられるようには設計されていない。ミサイルの貫徹式弾頭は、主砲直下の上甲板を紙細工のようにぶち抜いた。

 

 主砲直下で信管が起爆。

 

 解放された焼夷材が炎を生み、2000度近い超高温の爆風が艦内を吹き荒れる。

 常温の空気をそんなに急激に温めたらどうなるか。起きうる現象は膨張だ。

 2000度の猛火にあぶられた艦内は、大気が一気に膨張した。その速度は音速を超え、衝撃波となって艦を内側から破壊する。

 

「ビッグ・アイよりシュードプス1、ミサイルの全弾命中を確認」

「了解」

 

 管制機に短く答え、隊長機は機体をやや傾けた。

 

「シュードプス2、日向に全弾命中」

「シュードプス3、伊勢に全弾命中」

 

 列機からも報告が入ってくる。当然ながら、ミサイルを外した機体は1機もなかった。

 相手は防御手段など持たない旧式の艦船だ。外す方がどうかしている。

 

「シュードプス・グループ、標的を肉眼で確認せよ」

「了解、これより目視確認を行う」

 

 本来は別の機体が行う任務だが、所詮は骨董品だ。F-2が直接戦果確認を行っても危険度は低いと判断されたのだろう。

 各機が編隊を整える、その瞬間だった。

 

 雷が落ちたような炸裂音が轟き、機体が激しく揺さぶられた。

 何が起きたのか、シュードプス隊のパイロット達が見ることはなかった。

 

 直下に被弾した陸奥の第4砲塔が空高く跳ね上がり、艦体が紅蓮の炎に包まれた。爆発は連鎖的に起こり、排水量4万トンを超える陸奥を激しく揺さぶってゆく。

 無敵を誇る戦艦にとって何よりも恐れるべき事態。主砲弾薬庫の誘爆が始まった瞬間だった。

 



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16.到達地点

「やったか!」

 

 首相官邸地下の日本周辺異常事態対策本部に釜田総理の声が響いた。

 

 対策本部の大パネルには黒煙に包まれる戦艦陸奥の姿が映し出されている。空自のグローバルホークから直通で送られてきた映像だ。

 本来は海自のP-3Cがこの役目を担う予定だったが、戦闘空域の偵察による人的損害を懸念した結果、運用間もないグローバルホークを投入することになっていた。

 

「映像、ズームします」

 

 防衛技官が短く言い、陸奥がさらに拡大される。

 

 酷い有様だった。

 

 弾薬庫の引火が起きたのだろう。第4砲塔は根元から吹き飛び跡形もなくなっている。さらに舷側からはひっきりなしに炎が噴き出し、黒煙を吹き出しながら巨大な艦体が熱病の発作を起こす患者のように震えていた。

 

「空自が対艦に使いうる最強の兵器です。ケリは付いたでしょう」

 

 甲斐野防衛大臣が頬を緩めながら言った。確かに映像を見る限りでは、誰がどう見ても陸奥は致命傷を負っている。砲撃どころかまともな航行すら怪しいだろう。

 大規模に避難を呼びかけたが、脅威を未然に防ぐことができた。すでに彼の脳内では、自衛隊の存在意義を基にした今回の攻撃に対する記者会見の台本が練られているに違いない。

 

「攻撃部隊F-2による戦果確認完了、報告します。榛名、日向、陸奥、大火災。伊勢、青葉、利根はすでに轟沈した模様です」

「爆発による人的被害はないだろうな?念のため各県に問い合わせてくれ」

「わかりました」

 

 多島海である瀬戸内海で戦艦の弾薬庫が引火したのだ。周辺の島嶼へ衝撃波による影響が出ている可能性は大いにあった。確認のために官僚らが動きだす。

 

「総理、近畿3府県に対する警戒区域設定と避難指示はいかがしますか?」

「取り消し……いや、浮かんでいる3隻が沈むまでは発令しておこう」

「総理。各学会が貴重な研究資料だと鹵獲調査を提言しています。海保の消防艇で消火したのち、港へ曳航してほしいと」

「今は国民を守ることが優先だ、燃えてはいるが大砲は残っている。危険は冒せん。検討するとだけ伝えておけ」

「承知いたしました」

 

 背後ではグローバルホークがまだ偵察を行っているのだろう。陸奥の艦体を嘗め回すように映像がゆっくりと動いている。

 

「総理、自衛隊が防衛行動をとった事態です。国民への説明のためにも、直ちに緊急の記者会見を開くべきかと」

「分かった。防災服に着替えたほうがいいだろうか?」

「いえ、災害とは異なりますので、そのままでよろしいかと存じます」

「あ、あのぉ……」

 

 対策本部から立ち去りかけた釜田をはじめとする閣僚たちを、自信なさげな声が呼び止めた。

 データ解析のために集められた複数の科学者の内の1人だった。

 

 大半の閣僚らが振り返ったが、その目は声を上げた科学者を非難していた。方針が決まったばかりなのに余計なことをしてくれるな、と言いたげだった。

 口を閉じていると本当にそう言われてしまうと感じたのか、科学者は遠慮がちに続けた。

 

「気のせいかもしれないんですが、陸奥の黒煙、さっきと比べて小さくなってませんか……?」

「何だって?」

 

 釜田が目を凝らしてパネルを見た。だがわからない。ほんのわずかな変化だったのか、それとも気のせいだったのか。

 つまらないことで呼んでくれるな。

 そう彼が言いかけた時。

 

「陸奥が……!」

 

 映像を捜査していた防衛技官が大声で叫んだ。

 そしてその声とほぼ同時だった。

 

 まるで爆風に煽られたかのように陸奥を覆っていた黒煙が一気に掻き消えた。

 

 そこからは誰も声を発さなかった、いや、できなかった。

 誰もが唖然としてパネルを見ていた。

 

 吹き飛んだ第4砲塔の土台部分。爆発の余波で抉られ、激しく損傷した上甲板が時計を巻き戻すかのように再構築されてゆく。

 さらに爆炎によって炭化し黒く変色した部分も、まるで竣工直後のように白く輝く木材の色へと変わりつつあった。

 

 上甲板の再構築と並行して砲塔の土台部分。主砲を指向するための旋回盤が構築されてゆく。

 CGによる製造工程の説明映像を見ているかのように、その構築には鮮やかさすらあった。

 

 旋回盤の再生が終わると、そこから盛り上がるように砲塔が再生される。

 そして砲塔から2本の巨大な砲身が突き出すように構築された。中から生えているというよりは、砲身が根元からテレポートしてくるかのような光景だった。

 

 時間にして10数秒。それでも対策本部を震撼させるには十分すぎた。

 

 気が付けば火災などはすっかり、まるで元から起きていなかったかのようになくなり、陸奥は何の異常もないかのように動き始めた。

 

 パネルの中の映像とは裏腹に、対策本部は水を打ったかのような沈黙に包まれた。

 誰かが持っていた資料を落としたのか、ばさりという乾いた音が対策本部にこだました。

 沈黙を破ったのは、防衛技官の裏返った声だった。

 

「む、陸奥!再び航行を開始!」

「そ、総理……!」

 

 閣僚の誰かが無理やり絞り出したような声で首相を呼ぶ。

 だが釜田は焦点の定まらない目でパネルに映る陸奥を見つめていた。視線を外すことができない。

 

「なんだこれは……なんだあれは……」

「総理!空自による追加攻撃を――」

「潜るぞ!」

 

 甲斐野大臣の声をかき消すように、パネルを見ていた官僚が叫んだ。

 陸奥、そしてその左右で炎上していた戦艦榛名と戦艦日向の3隻が白波を掘り起こすかのように海中へと姿を消しつつある。

 海中に潜られては、現場に展開している空自の装備では攻撃できない。

 いや、そもそも傷つけても再生してしまうのであれば、それはもはや無敵と変わらない。

 

「総理、攻撃命令を!」

「あ、ああ……やってくれ」

 

 甲斐野の声に、釜田は我ここにあらずといった声で指示を下した。

 潜航されたら敵がどこに現れるのかわからない。空自の航空機で補足撃滅は困難だ。

 

「不明艦隊が海中でも水上速力を維持した場合、大阪まで2時間です!」

「海自のP-1を動かせ!対潜戦闘だ!」

 

・・・・・・・

 

 戦艦陸奥、榛名、日向の3隻が姿を現したのはそれから5時間後。

 出現したのは三重県沖の太平洋だった。

 

 海保からの通報を受けた海自のP-1がその姿を正確にとらえ映像として送ってくる。

 3隻は、大阪湾に現れると踏んで瀬戸内海を必死に探しまわっていた海自を嘲笑うかのように、淡路島の南側を抜けて紀伊半島沖を南下。太平洋に出てしまったのだ。

 

「なぜだ、なぜ発見できなかった……!」

 

 甲斐野が呆然として呟いた。彼が困惑するのも無理はない。

 

 海自の対潜能力は第二次世界大戦の反省から世界でもトップクラスに位置する。瀬戸内海は比較的浅く潜水艦が隠密航行できるような場所ではない。ましてや防音能力を備えていない旧軍艦艇の発見など児戯にも等しい。

 にもかかわらず太平洋に抜けられてしまった。警察に例えれば、防犯カメラの前で覆面もせず本籍地や本名を大声で叫んでいた強盗を拘束できなかったようなものだ。大失態と言える。

 

「愛知県沖の信濃に動きあり!」

「空母と合流するつもりか……?」

 

 対策本部で連絡に当たっていた中村智大は報告を流し聞きながら呟いた。

 

 戦艦3隻だけでは心許ないので空母と合流する、というのは軍事常識的に考えても十分ありうる行為だ。艦砲射撃といっても、まずは航空機が地上を掃討し、その後で戦艦が根こそぎ吹き飛ばすという手順が一般的だからだ。

 

(そもそもどこを狙っている?)

 

 信濃と合流したとしても艦隊の編成は戦艦3に空母1、しかも信濃は装甲空母であるため50機程度しか航空機を搭載できないはずだ。

 いや、それ以前の話がある。

 

「信濃は沈没時、航空機を搭載していなかったはずじゃ……」

 

 中村は不意に浮かんだ疑問を、目の前で作業をしている防衛官僚に向かって投げかけた。

 

「もう常識が通用する相手じゃないよ。戦艦の再生なんかやる奴らだ、飛行機を構築するのなんざ朝飯前だろう」

「にしても一体どこを目指してるんだろうな」

 

 作業をしながらではあるが、周りにいる様々な省庁の官僚たちが思い思いに話し始めた。対策本部そのものが混乱しているうえ、閣僚らがパニックを起こしている。彼らを咎める者など誰もいない。

 

「奴ら、米軍を狙ってるんじゃないでしょうか?」

 

 誰かがふと思いついたようにそんなことを言った。

 

「国連安保理でアメリカの艦隊が奴らとすでに交戦したって話がありましたよね?もしかして奴らは端から日本ではなく米軍を狙っていたのでは?」

「アメリカと交戦した。いや、一方的に攻撃されたのかもな。あの国ならやりかねん」

「アメリカ軍は世界中に展開している。確かに奴らが唐突に世界中に出現したことに筋は通っているが……」

「在日米軍基地を狙っているのかもしれないな。東シナ海に出現した大和艦隊、呉に出現した陸奥艦隊。どちらも近くに沖縄、岩国という在日米軍の一大拠点がある」

 

 政治家が運転手ならば、それを乗せて動く車が官僚だ。彼らは知名度による選挙ではなく、試験によって選ばれている。当然頭の回転は常人よりも早い。

 

 アメリカ軍の一大拠点であり、かつ米軍の世界戦略を担っている要衝。

 攻撃の標的になりうる場所が、中村の脳内で浮かんだ。

 

「まさか、横須賀……?」

 

 

「このまま信濃含む陸奥艦隊が東京に進行した場合、莫大な人的被害が出る恐れがあります」

「神戸、関西、伊丹の3空港は全便欠航。さらに関西の港も全面封鎖され、すでに莫大な経済的損失が出ております。首都への侵攻を許すわけにはいきません」

 

 閣僚らが釜田に対して焦った様子で言う。関西という行ってみれば対岸の火事だった危機が喉元まで迫っているのだ。

 それだけではない。仮に東京湾内に侵入された場合、東京や神奈川をはじめとする多くの都市が危害圏内に入る。関東の人口は4300万人、東京23区だけで見ても900万人を超える。先刻行った避難などどう考えても不可能だ。

 

「総理、遺憾ながら在日米軍に日米安保による要請を出しましょう。幸い米軍基地には本国からコンディションD(デルタ)が布告されています。この際、米軍の力を借りましょう」

 

 暫し目を閉じ、釜田は答えた。

 

「……分かった」




やっぱリアルを重視すると政治パートを書かざるを得ない…
それが文章の推敲を助けてくれたりするんですがね


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17.流血金人

 その報告は首相官邸に直接送られてきた。

 よほど急いでいるのか、それを閣僚らに伝えたのは官房次官の肉声だった。

 

「外務省から通達です。房総半島沖の第七艦隊が日米安保条約に基づき作戦を実施する。日本及び防衛省へ、集団的自衛権に基づく支援活動を要請する、以上です」

「集団的自衛権、だと…?」

 

 報告を聞いた閣僚らのなかで、防衛大臣の甲斐野だけが何かに感付いたように表情を歪めた。

 

「米国はこれを待っていたのか…」

 

 陸奥艦隊の動きを米国が予想できたとは思えないが、自衛隊が阻止に失敗した瞬間を狙い、世界の警察たる米軍が出る。この筋書きはあったはずだ。

 そして当然のように、日本の危機において日米安保に基づく要請を米国の側が公式に行ってきた。日本政府はこれを断れない。

 

「待っていた、とは、どういうことだね?」

 

 甲斐野の言葉の意味を測りかねた首相の釜田が横から問うた。

 

「自衛隊が集団的自衛権に基づいて作戦行動を行う、これはすなわち日本が陸奥艦隊と正式に戦争状態に入ることを意味しています。先刻までの攻撃はあくまで、海保の巡視船を攻撃したテロリスト集団から日本を守るための専守防衛行動でした。しかし集団的自衛権が発動するとなると状況は変わってきます」

 

 アメリカ軍は世界中の不明艦隊を正式に敵と定めている。その米軍と共同作戦を行うということは専守防衛の一つ先、世界中の不明艦隊を日本国が敵であると認定し、その上で戦闘を行うことと同義だ。

 アメリカはすでに戦争を宣言している。常識的考えて、交戦している部隊を支援するものは、敵もしくはその友軍と定められる。

 

 集団的自衛権に基づき、それに参加する。つまりそれは。

 

 日本が戦争に参加する。

 

 これに他ならない。

 世界中で西側諸国と共に不明艦隊と戦う。それは必然的に多数の死傷者、戦死者を出すことになるだろう。果たして今の日本がそれに耐えられるか。

 

 今までの日本は、波風の立たない場所に陣取り、多少後ろ指をさされることなど覚悟の上で、いまある国を守る。日本の日々さえ平穏無事であればそれでよい。そういった考えのもとで成り立っていた。

 

 だが、集団的自衛権を発動してしまえばその論理は通じない。

 

 確かに国内法や国民の支持だけを見るのであれば、海外派兵は断ることができる。

だが日本を支えるエネルギーの大半は海外からの輸入によって成り立っている。これまでの戦争では戦争当事者ではない日和見国家が存在したため、日本が戦争に参加しようがしまいが輸入は可能だった。

 だが今はその日和見国家そのものが存在しない。世界中が当事者であり交戦国なのだ。このような状況下において、自国の都合だけ声高に叫ぶ国に、わざわざ益を図ってくれるお人好し国家がいるだろうか。

 

 資源が入ってこなければ日本は破滅する。世界中が交戦状態にある現状、誰もが他国のために己が存在するメリットを提示し、役割を果たさねばならない。

 それができないものは見捨てられる。世界中が危機の今、そのような邪魔者は必要ない。

 

 アメリカは問うてきたのだ。

 

 グダグダ言ってると「また」世界中を敵に回すぞ。世界から孤立したら、その時はアメリカも助けてはやらないぞ。

 悪いことは言わない。今まで通り、日本は世界の優等生で居続ければいいではないか、と。

 

 甲斐野が語るにつれて、一部の閣僚らの顔色が変わってゆく。

 もともと米国の意図を理解していた者はあらかじめ予想されたことだったのだろうが、それ以外の者には想像以上の内容だったのだろう。

 宣戦布告と同レベルの判断を自分たちがしようとしている。そんな重大な決断を唐突に迫られて動揺しない政治家がいるはずがない。役人ならともかく、冷静な方が政治家としては問題だ。

 

「総理…集団的自衛権ではなく日米安保による専守防衛のみに切り替えては…」

「日本を守るのが自衛隊でしょう、武力行使を前提とした海外派兵などとんでもない…!」

「陸奥艦隊の巡航速度を考えれば、東京湾到達までもう時間が――」

 

 悠長に会議など開いている場合ではない。

 

「このままいこう」

 

 長々と続きそうだった議論を打ち切ったのは、やり取りを黙って聞いていた釜田だった。

 

「官房長官、ただちに緊急記者会見の準備をしてくれ。それから防衛相、派遣する自衛隊に通達だ。日本国首相として厳命する。なんとしても東京湾侵入を阻止するのだ。東京を上海のようにするわけにはいかない」

「はい」

 

 甲斐野が気圧されるように答えた。これほど物をはっきりと言い切れる人物だったかと考えてしまうほどの変わりようだった。危機は人を変えるというが、ここまで変わるものか。

 

 いや、今はそんなことはどうでもよい。なんであれ、自衛隊が動けるのならばそれでいい。

 甲斐野は、防衛省と直結する受話器を手に取った。

 

・・・・・・・

 

「在日米軍との共同作戦?」

「そうだ。先ほど総理が了承し、在日米軍に通達した」

 

 対策本部を抜け出した中村は、物陰となる場所で電話越しに答えた。

 官邸すべてが大混乱となっている現状、対策室メンバーとなっている中村が人目を盗んでかかってきた電話に応対するのは比較的簡単だった。

 

 電話をかけてきた相手は長峰豊。大和が謎の暗号を発した時、官邸に集められた者たちが四苦八苦するなか、それをあっさりと解いた男だ。

 そして上海灰燼に帰す、の報を聞いた瞬間に国連安保理が対不明艦隊のために世界をまとめようとする動きを予測した人物でもある。

 

「そうか、やっぱり安保理が動いたな」

「お前の言った通りになりやがったよ、最悪だ」

「余計なおせっかいかもしれねぇがな、情報統制できてんのか?このままじゃSNSで国家機密の暴露大会だ。在日米軍の動きも多分悟られるぞ」

「は?」

 

 頭の中に大量のクエスチョンマークが飛び交った。

 長峰曰く、太平洋沿いに居住する複数のカメラマンたちが望遠レンズで撮影した陸奥艦隊の写真をSNSにリレー形式でアップし続けているのだとか。

 それだけではない。

 

「航空戦力を急に動かしすぎだ。もう少し分散させるとかないのかよ」

「素晴らしきかな日本人」

 

 中村は頭を抱えて皮肉った。大方基地でシャッターチャンスを狙っていた人間が、多くの飛行機が飛んでゆく様子を撮影することに成功してしまったのだろう。

 国民が全員情報の発信者となりうる現代、そのすべてを制御することなど不可能だ。

 特に日本では。

 

「それはそうと、陸奥艦隊の動きが妙だと思わないか?」

「妙?」

 

 長峰の声色が変わった。こういうあからさまに様子が変わるのは、決まって話したくてたまらないことがある時だ。

 中村は質問にどう答えて良いかわからず、そのまま聞き返した。

 

「ああ。陸奥艦隊がその気になれば、愛知や静岡の沿岸部を火の海にしながら進軍することも可能だったはずだ。だが奴らはそれをせず、まっすぐ東京に向かっている」

「なぜってそりゃ重要な拠点だからだろ。東京を破壊すれば日本は終わる。普通に考えればわかる話だ」

 

 少し時を置いて長峰は言った。

 

「だったら浮上する必要なんかないだろうが」

 

 その言葉を聞いた時、暗い部屋にパッと灯りがついたような気がした。中村の脳裏にも思い当たる節があった。

 

 上海を砲撃した時、大和は上海の沖合に唐突に姿を見せ、対応する暇もなく砲撃した。

 

 日本に対してはなぜそうしなかったのか。

 瀬戸内海を必死に探させておき、その隙を見て東京湾の入り口に浮上、周辺都市を破壊しながら東京湾に突入したほうがシンプルかつ大打撃を与えられたはずだ。

 

「信濃と合流するためじゃないのか?」

「空自と交戦して無傷なら、信濃の航空戦力は不要なはずだ」

 

 長峰は陸奥艦隊が空自の攻撃を受けて再生したことをまだ知らない。

 言うべきか、秘すべきか。

 

「これは俺の推測なんだが」

 

 押し黙った中村に、長峰は口を開いた。

 

「大和にも陸奥にも、己の意思がないように思える。うまくは言えないが、なにかこう、役割を果たそうとしているだけに見えて仕方がない」

「役割だと?」

「それだけの強さを持つなら、そもそも中国海軍に負けるのは不自然だ。そもそも何のためにわざわざ守りの堅いとこに突っ込んでくるんだ。日本なんか地方を攻撃しまくれば防衛線が伸び切って、勝手に防衛力が弱まる国だぞ。にも関わらず大阪素通りで東京だ。行き掛けの駄賃とばかりに砲撃してもおかしくないのに」

 

 なぜ陸奥艦隊が大阪を砲撃しなかったのか。東京を防衛することで手一杯の対策室ではあいまいにされているが、確かに大きなことだ。

 

「何か意味があるのか、もしくは――」

 

 考えを巡らせている中村を無視するように、長峰は言った。

 

「大阪ぶっ潰す砲弾を温存してまで壊さなきゃならない何かが、東京にあるのか」

 

 中村は答えられない。

 自衛隊と在日米軍の作戦開始時間は、すぐそこに迫っていた

 

・・・・・・・

 

「艦長、第15駆逐隊旗艦『マッキャンベル』から通信です」

「分かった」

 

 海上自衛隊の第6護衛隊、その旗艦であるミサイル駆逐艦『きりしま』は3隻の僚艦を従え神奈川沖に展開していた。麾下のミサイル駆逐艦『てるづき』『たかなみ』『おおなみ』もすでに戦闘準備を完了している。

 

「こちら第7艦隊、第15駆逐隊旗艦『マッキャンベル』艦長フェイゲン。貴軍の共闘、誠に心強く思う」

「こちら海上自衛隊、第6護衛隊旗艦きりしま艦長竹井。貴軍の共闘に感謝する」

 

 本作戦における米海軍の旗艦に、『きりしま』艦長の竹井は当たり障りのない返答を返した。

 

 今回の作戦には、第7艦隊の主力である第5空母打撃群は参加しない。

 空母ロナルド・レーガンはもちろんのこと、強力な火力投射能力を有するタイコンデロガ級巡洋艦も、空母の直衛たるBMD搭載型アーレイ・バーク級駆逐艦もいない。

 

 なぜなら空母打撃群は西太平洋を維持するため、すでに出航してしまった後だったからだ。そのタイミングは安保理会議が開催される直前。絶妙なタイミングだったといっていい。

 

 つまり今回参加する米軍は、アメリカが日本に義理立てするために残した居残り部隊といえる。それでも大戦力なのは言うに及ばないが、やはり少しは心細くあった。

 

 そんなことを考えながら竹井はCICに降りた。すでに戦闘準備は整えられていた。あとは自身の命令1つで、きりしまは火を吹くことになる。

 そして艦長席に腰を下ろし、その時を待つ。

 

「艦長、時間です」

 

 竹井は一つ深呼吸し、命令を下した。

 

「第6護衛隊各艦、攻撃開始!」



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18.封鎖体系

「大統領閣下、日本で自衛隊および我が軍が不明艦隊と交戦を開始した模様です」

「そうか。かの国にしては判断が早かったな」

 

 国防総省からの連絡を受け取った執務官が、大統領執務室の椅子に腰掛ける合衆国大統領ウィルフレド・ワーナーに報告を上げた。

 司令部に定められたこの部屋には世界中からの情報が集まってくる。

 EUに中東、インド、東南アジア諸国、メソアメリカ諸国。わずかでも領海を持つ国はすでに交戦を開始している。当然、アメリカ軍も例外ではない。

 

 別に日本だけが特別という訳ではないが、この報告を上げるのにはほかに理由があった。

 

「事実上核使用を容認した我が国に、よく噛みつかずにいられたものだ」

「かの安保理決議の後に核を使用した国はありませんので、実感がわかないというのもあるのではないかと」

「だろうな。それに核を撃ってもどうせ効きはせん」

 

 執務官の言葉に、ワーナーはデスクに置かれている書類に目を落とした。

 東太平洋を支配下に置く第3空母打撃群が不明艦隊と交戦した際のデータおよび報告書だ。現状アメリカが持ちうる不明艦隊についての情報が詰め込まれており、全世界のアメリカ軍に共有されている。

 

 驚くべきは、敵に再生能力が認められたということだ。

 荒唐無稽な話に聞こえるが、打撃群の指揮官は事実を違えて報告を行うほど愚か者ではない。

 

 中国の核攻撃にも関わらず大和が復活した事実にも説明がつく。一度は核で滅却されたが、まんまと再生したに違いない。

 

「第7艦隊所属の第15駆逐隊が展開、ミサワの航空戦力と共同で敵に当たるそうです」

「それだけか?」

 

 ワーナーは問い返した。

 

「いえ、例の部隊も展開を完了しております」

「ならばよい。我らの反撃の糸口となることを祈ろう」

 

 第3空母打撃群の司令官であるグラント・ハンブリング少将が、独自に戦闘終結後に伝えてきた情報があった。それは、再生能力を有する敵への有効な攻撃手段となりうる情報だった。

 今回の作戦はその試金石になる。わざわざ大統領に作戦開始を伝えたのはこれが理由だった。

 

「もっとも、同部隊に関して日本政府には伝えておりませんが」

「それでよい、偶然居合わせたと言い張れば済む話だ」

 

 ワーナーは視線を書類から執務官に戻す。

 

「自衛隊と在日米軍で撃退できればそれでよし、それでもらちが明かず、首都圏が危害範囲に入る場合にのみ、かの部隊には作戦を実行するよう厳命してある。同盟国に対する義理は果たしているはずだ」

 

 執務官は一礼し引き下がる。

 ワーナーは卓上に飾られているミニチュアの星条旗を見つめながら呟いた。

 

「そろそろ、あちらも動き出す頃か」

 

 その声は、執務室の喧騒にかき消され、誰にも届くことはなかった。

 

・・・・・・・

 

 神奈川沖、相模湾で3隻の戦艦が燃えていた。

 その名を陸奥、日向、榛名という。

 海上自衛隊の護衛艦からハープーンによる攻撃を受けたのだ。

 第二次世界大戦当時の軍艦が、現代のミサイルに対処する術などありはしない。

 

 しかしその火災はみるみるうちに小さくなり消えた。

 攻撃を受け消し飛んだ対空火器も、何事もなかったかのように再生した。

 

 

「全弾命中!しかしダメージ認めず!」

「敵艦の火災煙消滅を確認!」

「了解」

 

 相模湾に展開した海自のミサイル駆逐艦『きりしま』のCICで、艦長の竹井博也は報告を受け取った。

 現海域に展開している第6護衛隊の旗艦たる『きりしま』艦長の竹井は、同時に第6護衛隊の指揮官も兼任している。指揮下にあるミサイル駆逐艦『てるづき』『たかなみ』『おおなみ』とともに発射した8発のハープーンは戦艦を捉えたものの、ダメージを与えるには至らなかった。正しくは与えたダメージを無効化された。

 

 専守防衛の名の如く、海上自衛隊の護衛艦は大した攻撃手段を持っていない。90を超える垂直発射機(VLS)に搭載されているのは、対空対潜兵器のみだ。

 

 対艦攻撃用のミサイルは、4連装発射機がたった2基。1隻あたり8発しかない。

 アメリカ軍のイージス艦がVLSにトマホークミサイルを搭載していることを考えると、第6護衛隊に属する4隻のミサイル駆逐艦の攻撃力を合わせても、アメリカのイージス艦1隻の攻撃力にすら及ばない。

 

 専守防衛のための戦闘は法律上認められてはいるものの、具体的な反撃手段は大して持たされていない。国境を守る兵士の銃にろくな量の弾薬も装填せず、予備の弾倉すら持たせない。これが海自の現状といえる。

 だからこそ在日米軍は日本に不可欠な存在なのだ。日本を守るための盾ではなく、侵略者を討つための鉾として。国家防衛というものは鉾と盾、どちらが欠けても成立しえない。

 

「しかし」

 

 ディスプレイで敵の様子を監視している隊員の1人が言う。

 

「信濃が、いませんね…」

「ああ。潜航したんだろうな」

 

 静岡沖に出現し、陸奥艦隊と合流すると思われていた信濃はあっさりと行方をくらませていた。海自の哨戒機が必死になって探しているが、おそらく見つかる可能性は低いだろう。

 なにより東京を守ることが最優先とされ、西に向かったまま行方知れずとなった信濃のことは率直に言って二の次に考えられていた。

 

「在日米軍、第5空軍より通達。阻止作戦第2段階に移行」

 

 そして報告が上げられる。

 鉾がやってきた、と。

 

 

 背中に円盤型のレーダードームを背負った双発プロペラ機、E-2Dアドバンスドホークアイの機内では、ヘッドフォンや小型マイクを装着したオペレーターらが入ってくる情報を処理し、伝達していた。

 

「司令部より通信。日本政府からの要請を受諾、火器使用オールグリーン」

「グローバルホークより情報アップデート。ムツ・フリートの速力進路、ともに変化なし」

「パンサーズ、間もなく現着」

 

 パンサーズこと、アメリカ空軍第35戦闘航空団(35FW)第13戦闘飛行隊(13FS)はF-16CJファイティング・ファルコンを装備している部隊だ。普段は青森県三沢基地に配備されている。

 

 F-16はもともと、高価すぎることが問題視されたF-15イーグルの廉価版として開発されただけあってイーグルに性能面で劣る。だが桁外れなのはその配備数だ。

 アメリカ軍以外で最も多くファルコンを運用しているイスラエルの配備数は360機。ではアメリカ軍が持つ機数はいくつか。

 答えは2300機オーバー。ダブルスコアどころか桁が違う。

 ファルコンは廉価であるがゆえに、様々な状況に対応できる万能機だ。

 当然、対艦攻撃もこなすことができる。

 パンサーズの前身組織も、イラク戦争時にはタリバンの拠点を直接叩いた経験を持つ。世界のどこに敵が居ようが先制攻撃で叩き潰す、というアメリカの世界戦略の一部に三沢基地は組み込まれているのだ。

 

 現に三沢基地には、日本国内への輸入が途切れた場合を想定し340万ガロンもの航空燃料が備蓄されている。ジェット戦闘機が1度の出撃で使う燃料が1200ガロンであることを考えるとその膨大な量が分かるだろう。

 

「パンサー・リーダーよりホークアイ。攻撃許可をくれ」

 

 パンサーズの隊長機からの通信が飛び込む。戦闘時には隊員らの相互確認を確実なものとするため、全てのやり取りが全員のヘッドフォンに届くようになっている。

 そのため通信は、パンサーズの誘導を完了し、ディスプレイを見つめているオペレーターの耳にも聞こえてきた。

 そして、攻撃中止命令が来ることはなかった。

 

「ホークアイよりパンサーズ、予定に変更はない。攻撃を許可する」

了解(コピー)

 

 早期警戒機が攻撃許可を出した後は、たとえ大統領であっても攻撃を阻止する権利を持たない。つまり在日米軍はルビコン川を渡ったのである。

 

「あっ!」

 

 同時に、短いが、突き刺さるような声が、オペレーター全員のヘッドフォンに響いた。

 その後の報告は何もない。

 マイクの切り忘れか、と1人のオペレーターが耳を抑えながら文句を言おうとした。

 

「う、撃った!」

 

 切迫した声の主は、グローバルホークから送られている陸奥艦隊の映像を確認していた観測担当のオペレーターだった。

 

「直ちにパンサーズに報告を!ムツが主砲を撃った!」

「おい、そのディスプレイどうした?」

 

 大声に重なるように、隣に座っていた別のオペレーターがディスプレイを指さした。

 向き直ると、先ほどまで陸奥艦隊を上空から捉えていた映像が消え、画面が真っ黒になっている。

 

「ダウン、だと…」

 

 ディスプレイの隅にある文字を見て、呆然とした様子で呟く。

 報告を忘れてしまうほどの衝撃を彼は受けていた。

 

「なんでグローバルホークが…」

 

 

「撃ったっつっても…当たるわけねぇだろそんなモン」

 

 パンサーズの4番機を務めるF-16CJのパイロットは、早期警戒機からの報告に思わず呟いた。

 現代のミサイルならともかく、第二次大戦当時の主砲弾だ。近接信管すら存在していない時代のシロモノに、現代の戦闘機が墜とされる道理がない。

 

 確かにこのパイロットの考えは当たっていた。

 

 戦艦陸奥の発射する41センチ主砲弾。その空中での速度は時速1500キロメートル程度。

 一方、ファイティング・ファルコンの最高速度は時速2000キロメートル。攻撃態勢に入っている現在の速度でも時速1600キロメートル。

 つまり砲弾より飛行機の方が速いのだ。

 しかも戦艦の主砲は人力での照準、発射となる。レーダー技術に乏しかった旧日本軍の戦艦ならばなおさらだ。

 無論現代レベルの技術で扱えば、数機を落とすことは万に一つあたりで可能かもしれない。だが不明艦隊全てのスペックが、かつて存在した当時のものに準じているのであれば、被撃墜のリスクはゼロといっていい。

 

「パンサー2よりリーダー。正面の空域に多数の飛行体を感知」

「何?」

 

 2番機の声に隊長がヘルメット越しに目を凝らす。

 確かにいくつもの黒点が出現していた。ぱっと見ではディスプレイの汚れにしか見えないが、わずかながらに動いている。

 レーダーを確認するが、敵味方識別信号に反応がない。

 

「ホークアイはなにやってるんだ」

 

 パイロットの声に含まれている感情は怒りではなく純粋な困惑だった。戦闘機のレーダーですら探知可能な目標にホークアイか気が付かないことなどありえない。

 

「おいホークアイ。なんでこんなに近づかれてんだ。きっちり仕事しやがれ」

 

 誰かが詰問するような口調で通信の向こうにいるオペレーターに投げかけた。

 だが、反応がない。不明機が出現したにもかかわらず報告がないなど、戦闘の管制を行うホークアイにはあり得ないことだ。

 何が起きているのか。パンサーズのパイロット達がその答えを導き出すのにさほど時間はかからなかった。

 原因は分からないが、ホークアイとの交信が途絶している。

 EMPによる通信妨害を疑ったが、その考えはすぐに掻き消えた。

 

「隊長機より各機、正面の動体は不明艦隊と同様、敵と認識する」

 

 事態を悟ったパンサーズのパイロット達は極めて冷静だった。

 第5空母打撃群の報告で、敵がホークアイに探知されず空母の近くまで接近できた、という情報はすでに全軍に共有されている。そしてビキニ環礁周辺で、不明艦隊と接触した折に大規模な通信障害が発生したということも。

 

「サイドワインダー発射後に振り切る。俺たちの目標は戦艦だ、あんなハエどもに目をくれるな」

 

 距離は近い。ミサイルの照準はすぐだった。

 

「各機個別に撃て。パンサー1、FOX2!」

 

 一斉に12機のF-16CJがサイドワインダーを発射。ミサイルは吸い込まれるようにターゲットに命中し、いくつもの黒煙が空中に飛び散った。

 撃ち漏らしは無い。だが敵の数は多く、大半がまだ飛んでいる。

 

「高度を下げろ、下を抜ける!」

 

 主目的は対艦攻撃であり、サイドワインダーはたった今の攻撃で撃ちつくしている。このまま交戦しても、使える兵装は機首のバルカン砲しかない。それを命中させるとなれば必然的に乱戦になる。ならば一気に加速して敵を振り切った方が上策だ。

 

 ファルコンの機首が下がり、速度が上がってゆく。敵編隊の真下をくぐり抜け、すれ違う格好だ。

 相対距離が縮まり、敵機の姿がはっきりと見えてくる。

 

 旧式機を見つめていた4番機のパイロットは思わず感嘆を漏らした。すれ違うのは一瞬のはずだが、時間がゆっくりと流れるような錯覚を覚えた。

 

 青い大空の中を、その正反対の色をした濃緑の機体が飛んでいく。

 何十機ものレシプロ機だ。いまや航空ショーでも見かけなくなった、旧式戦闘機の大編隊。それは矢じりのような形をしている。

 味方が墜とされたことなど微塵も介していないように整然としていて。

 

 美しい。

 緊迫した状況にもかかわらず、そう思った。

 

「ん?」

 

 不意に、遠目にではあるが、敵編隊の内、先頭にいた1機が動いた。バレルロールのように機体を翻し上下さかさまになったのだ。

 

 パンサーズの誰もまだ気づいていない。

 彼が言葉を発しかけた瞬間だった。

 

 先頭の1機に従うように何十機ものレシプロ機が一斉に機体を翻すと、ファルコンの編隊に向かって逆落としをかけるように落ちてきた。

 

「敵機急降下!正面!」

 

 このままでは編隊が正面から衝突する。4番機のパイロットが叫んだ。

 

「全機速度を上げろ!」

 

 敵が急降下してきているのなら、より速度を上げて敵の下に潜り込む。戦闘機は下に向かっては攻撃できない。ジェット機の速度を考えれば振り切ることは簡単だ。

 ファルコンのエンジンが力強く咆哮し、8トンの重量を持つ機体を引っ張る。キャノピー越しに見える空が一瞬で後方に過ぎ去ると同時に、急降下してくる敵機の両翼が光った。

 

 本来当たるはずもない射撃。だが数十機から放たれた何千と言う機銃弾の1発が運悪くファルコンの1機に当たってしまった。

 

 被弾した機体は火花を散らしながらバランスを崩し90度横転。翼から炎が飛び出たかと思うと、それが一瞬で機体中に広がり、爆散した。パイロットが空中に緊急脱出する隙さえなかった。

 

「こちらパンサー10!12がやられた!」

 

 操縦桿を握りながら誰もが愕然とした。絶対数こそ劣るものの、圧倒的性能を持つ現代の戦闘機が墜とされた。

 

「しまった……!」

 

 隊長は自分が大きなミスを犯したことを悟った。

 

 機銃弾を当てられているのではない。自分から当たりに行っているのだ。

 過去の機銃弾の速度は現代のものと比べるとケタ違いに遅い。そのためジェット機からすれば、敵の機銃弾は空中に留まっている状態だ。

 そんな空域に突っ込んだらどうなるか。当然被弾する。

 

「馬鹿な、あんなポンコツにこのファルコンが…!」

「燃料をやられたんだ、ベイルアウトなし!」

 

 仲間を殺された怒りが彼らを支配するが、彼らの任務はあくまで対艦攻撃。今ここで敵とドッグファイトを始めるわけにはいかない。

 大半の予想通り敵は追撃して来なかった。ファルコンはほんの数秒で、敵編隊や墜落した12番機を遥か後方に置き去りにしていたのだ。

 

 1機を失ったパンサーズはひとつの生き物のように統率された動きで、艦隊の方向へ針路をむけ超音速で飛行している。

 

「このまま対艦攻撃を行う、全機突撃隊形作れ」



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19.号砲鳴響

投稿が遅れて大変申し訳ありませんでした
かろうじてまだ生きてます


 白い影が陸奥をかすめたと思った瞬間、赤褐色の炎が上がって爆炎が湧いた。

 一発ではない。火花は連続して煌めき、そのたびに陸奥の巨体がピントのずれた写真のように震える。在日米軍のF-16ファルコン11機が放ったハープーンが余すところなく命中しているのだ。

 

 立てつづけに絶え間なくミサイルを受け、陸奥が爆煙に包まれる。しかし黒煙を振り払うように現れた戦艦は、攻撃をなんら意に介していない。もはや速力を落とすこともなかった。

 

「目標健在。ターゲットにダメージなし」

「駄目か」

 

 陸奥艦隊の上空をオーバーランしたファルコンのパイロットは落胆した声を隠せなかった。

 陸奥は多少の煙を引きずってはいるものの、被害を受けたようには見えない。

 鋭く突き出した艦首から背負い式に設けられた二基の主砲塔、そしてうずたかく積み上げられた日本軍の戦艦に特有のパゴダ・マストに至るまで、重厚な威容には寸分の揺るぎすらない。

 戦艦の防御力を否が応でも見せつけられているようだった。

 

 最後のハープーンは象徴的だった。

 

 陸奥の主砲塔に命中したハープーンは起爆することすらなく弾き返され、そのまま海に落下し姿を消したのである。戦艦の中でも最も分厚い主要防御区がミサイルの突入そのものを拒んだのだ。

 

「…マッキャンベルに通信だ」

 

 ひとしきり敵を観察したファルコン隊の隊長が呟いた。

 

「ホークアイではなく、ですか?」

「まずはこいつらから離れんとな」

 

 不明艦隊と交戦している際に通信障害が起きることは、すでに太平洋艦隊司令部からの情報で共有されている。

 

 当初はEMP攻撃が疑われたが可能性は低いとされていた。

 そもそもEMP攻撃が行われているのであれば、少なくとも戦闘機の警報音が鳴るはずだ。さらに管制機とは通信ができないにもかかわらず、ファルコン編隊内での通信は行えている。

 常識的に考えればこの時点でEMPという可能性は低い。

 

 だが敵が世界中に出現し人知の及ばぬ存在だと認識されるにつれ、この認識は変わった。誰の理解も及ばぬ、従来とは全く異なる方式の通信妨害が行われていてもおかしくはない。

 そして対抗策がない以上、その発生源である艦隊から離れるしかない。

 

「マッキャンベル上空を目指す。もう時間がない」

 

 陸奥艦隊はすでに、三浦半島の近くまで迫っていた。

 

 

「航空部隊による攻撃、効果を認めず!」

「これでも駄目か…!」

 

 アメリカ海軍第15駆逐隊旗艦『マッキャンベル』のCICで艦長のフェイゲンは、危機感と落胆の入り混じった表情で周囲を見回した。

 薄暗い室内の中にはいくつものディスプレイが並び、刻々と変わる索敵情報や艦上各所に設けられたカメラを通した光学映像などが映し出されている。そのディスプレイのひとつに無傷で航行を続ける陸奥艦隊の様相が映し出されていた。マッキャンベルから発艦した無人偵察機から送られてきた映像だ。

 

 昨今は危険をともなう偵察はもっぱら無人機に担当させるのが世界の趨勢となっている。兵器の進歩により人的資源の重要性が限りなく上昇したためだ。

 イージス艦の狭い発着甲板からでも離着艦できる無人ヘリ、MQ8ファイアスカウトが陸奥艦隊上空で偵察を行っている。

 当初はグローバルホークとの戦術データリンクを行う予定だったが、グローバルホークが消息不明となったためこのような形になった。幸運なことに陸奥艦隊は無人偵察機を敵と認識していらしく、今のところ攻撃は受けていない。

 

「自衛隊との通信は」

「いまだ不能です。航空部隊との交信も不能、なんらかの妨害を受けていると思われます」

「イージス艦のお家芸を封じられたか」

 

 通信士の応答に思わずフェイゲンは「やっかいなことをしてくれる」と舌打ちした。

 

 本来であればマッキャンベルは麾下艦艇のみならず自衛隊や航空部隊などとも情報を共有し、戦況が総合的に示されるはずだった。しかし謎の通信妨害が発生しており、そのようなデータリンクは望めない。

 イージス艦自慢のデータリンクシステムは、フェイゲンの指揮下にある第15駆逐隊のみとの連携にとどまっていた。

 

「このままでは埒が明かん。プランBに切り替えよう」

「プランBとなりますと自衛隊との連携は不可能になりますが、よろしいですか?」

「何か問題があるのか?」

「管轄外なのは理解しておりますが、今後の日米関係に関わってくるのではないかと」

 

 砲雷長の言葉にフェイゲンはやや目を細め、考え込むような表情を見せた。

 このまま第15駆逐隊が攻撃を行った場合、自衛隊との連携を前提としたプランAを無視することになる。それも自衛隊に伝達することなく、である。自国の領海で勝手に軍事行動を取られることに良い顔をする軍隊はいない。自分が逆の立場であれば間違いなく不快極まりない感情を持つだろう。

 太平洋艦隊がすでに各地で交戦を開始している以上、ここで日本との関係を悪化させるのは吉とは言えない。本国アメリカの世界戦略を一個駆逐隊の指揮官風情が狂わせることなどあってはならない。

 

 そこまで考えたフェイゲンだったが、何かを決意したように砲雷長に向き直った。

 

「…プランBを実行する。横須賀の居住エリアに砲弾の雨を降らされるわけにはいかない」

 

 横須賀の海軍基地は第7艦隊の本拠地であるが、そこには米軍兵士が生活するエリアが存在する。そしてそこには軍人のみならずその家族も住んでいるのだ。

 

 仮にこのまま陸奥艦隊を阻止できず東京湾に突入されるようなことになれば無辜のアメリカ人が殺戮される。戦艦の砲撃を受ければ居住エリアなど一時間もしないうちに更地になってしまうだろう。

 それだけはなんとしても避けねばならない。

 砲雷長は納得したかのように頷き言った。

 

「了解しました。ならば現状のリンク状況を鑑みるに、GPS誘導の巡航ミサイルの個艦照準が望ましいかと」

「そうだな。それでいこう」

 

 フェイゲンは口元を引き締め、駆逐艦マッキャンベルの、そして第15駆逐隊の長として命令を下す。

 

「各艦に通達。使用武装トマホーク、個別照準ののち本艦に続いて撃て」

「了解。麾下艦艇に下令します」

 

 オペレーターの一人が第15駆逐隊の麾下艦艇に命令を伝達しようとした時だった。

 

 CICの灯りがフラッシュをたいたように激しく点滅し、ブレーカーが落ちたように艦内の電気が一瞬消えた。

 灯りはすぐについたが、異変は無数のディスプレイにあらわれた。

 

「衛星とのリンク切れました!」

「対水上レーダー、ブラックアウト!」

 

 叫び声が上がる。

 フェイゲンは半ば反射的にディスプレイの一つに向き直った。

 画面が砂嵐を映したようになっている。光点で表される敵艦の姿などどこにもない。画面の端から端までが全てノイズに染まっている。

 

「状況報告!」

 

 CICを統括する砲雷長が弾かれたように叫ぶ。応答はCICの各所から上がった。

 

「僚艦とのリンク途絶、GPSとのリンクも切断!」

「しまった…!」

 

 先手を打たれた。

 水上レーダーが機能しなければ正確な照準をつけることなど不可能だ。

 対地レーダーを使っておおよその照準は可能だが、動き回る艦船をターゲットにするようには設計されていない。

 そしてGPSとの信号も切られた以上座標を用いての照準もできない。攻撃どころか現在地の把握にすら時間がかかる。

 

 このままではどうにもならない。陸奥艦隊を攻撃する手段がない。

 

 フェイゲンが思考を回転している間にも悲報は続く。

 

「艦長、ファイアスカウトが!」

 

 無人偵察機が送ってきていた映像が、ディスプレイがフリーズしたかのように固まり動かなくなっていた。画面の左右からノイズが走り、大きな砂嵐の音ともに画面が真っ暗になる。

 落とされた。

 理由は定かではないが、その事実だけは確実だった。

 

 そしてこの瞬間、準備は整ったのだろう。

 唯一異常の発生を免れた対空レーダーに新たな複数の光点が唐突に出現した。

 

 その正体はすぐに分かった。

 

「対空レーダーに感あり!ムツ発砲の模様!」

「撃っただと!?」

 

 フェイゲンは叫んだ。

 

「この距離で…?」

 

 まだ東京湾からは遠く離れているうえ、三浦半島まで30キロ近くの距離がある。

 戦艦ムツの40センチ主砲の射程距離は3万メートルだから理論上は砲撃が可能だが、それはあくまでスペック上の話だ。

 

 戦艦の砲撃は基本的に目標まで20キロ以下に距離を詰めねば命中は望めず、確実を期すならば15キロほどが望ましい。

 今ここで砲撃しても東京はおろか神奈川の主要都市にすら砲弾は届かない。

 

「砲弾の数は!?」

「反応は8つ確認、マッハ1.4で飛行中!」

「斉射か…!」

 

(まさか我々は、とんでもない思い違いをしていたのか?)

 

 フェイゲンは瞬間的に考えた。

 アメリカ軍も、そして日本政府も、敵の目的は東京およびそれに準ずる大都市への攻撃だと思い込んでいた。

 

 だがもし、ほかに目的があったとしたら。

 

 それこそ、日本本土までギリギリ届くかどうかの距離で砲撃するだけで達成できる目的だったとしたら。

 

「脅威レベル識別、着弾予想弾数は5!」

「着弾予想地点算出、市街地への着弾数は3!アラート発令!」

 

 叫ぶような報告が思考を打ち切った。

 

「着弾までは!?」

「42秒!」

 

 とっさに問う。そして瞬時に返答が返された。

 

「大丈夫だ、間に合う」

 

 駆逐艦マッキャンベルが搭載する対空ミサイルESSMの速度はマッハ3。砲弾の迎撃は可能だ。

 

「対空戦闘。敵主砲弾を迎撃せよ」

「優先攻撃目標決定!」

「ESSM発射準備、認証、確認!」

「VLS開放、対空戦闘用意よし!」

 

 CICのいたるところで命令と復唱が繰り返され、いくつもの声が重なる。

 砲弾の脅威レベルを三段階に区別し、最も危険度が高い目標、すなわち市街地に着弾する可能性の高い3発から優先して迎撃するのだ。

 素早く体制が整えられる。その動きに寸分の無駄もありはしない。

 

 フェイゲンは叫ぶように命じた。

 

撃ち方はじめ(カメンス・ファイア)!」

 

 

 重量1トンの巨弾が大気を切り裂き飛翔する。

 その背後から追いすがる影があった。

 それは炎と白煙を吹き出しながら巨弾との距離をみるみる詰める。

 2つが重なった瞬間。

 空中に巨大な炎が湧き出し、周囲を爆風が満たした。

 

 しかし。

 

 巨大な爆発は2回だけだった。

 

 

「1発抜けた!」

「いかん!」

 

 駆逐艦マッキャンベルのCICに悲鳴のような報告が上がった。

 

 脅威レベルの高い3目標のうち1つを撃ち漏らしてしまったのだ。

 今からESSMの第二射を撃っても間に合わない。

 

「在泊艦艇は何をしている!」

 

 フェイゲンは反射的に怒鳴り声をあげた。

 

 横須賀には予備兵力として第七艦隊のフリゲートを中心とした艦隊がまだ残っていたはずだ。

 イージス艦と比べればはるかに戦闘力の劣るフリゲートだが、砲弾を探知し迎撃することは可能だ。

 しかし、横須賀から対空ミサイルが発射される様子はない。

 

 自分たちと同じようになんらかの妨害を受けているのか、それとも攻撃されるわけがないと高を括っていたのか。

 

(失態だ、取り返しのつかぬ失態だ…!)

 

 出撃前にフリゲート艦隊の指揮官に一声かけていれば。

 自衛隊に気を使うことなくすぐにBプランに切り替えていれば。

 空中管制機の情報に頼りすぎていなければ。

 

 いくつもの後悔が脳裏をよぎる。

 

 しかし、事態は好転しなかった。

 

 主砲弾を捉えたアイコンが点灯し、対空レーダーから消えた。

 それは、最悪の結末を意味していた。



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20.大空鉄鎚

 それは、一切の兆候を見せることなく飛来した。

 

 日付は7月30日。夏真っ盛りの昼下がり。

 

 不明艦隊の接近で横須賀をはじめとする神奈川南部の諸都市には避難指示が発令され、多くの市民が避難を余儀なくされていた。

 不明艦隊が自衛隊と交戦したという情報はあっという間にSNSで拡散され、多くの市民が混乱状態に陥った。同時にデマや噂もすさまじい勢いで拡散し、全国で買いだめが発生、店頭からは商品が消えた。

 

 それはまさに今、多くの市民が集まっている横須賀港を望む大型ショッピングセンターも例外ではない。

 

 多くの車が駐車場を埋め尽くし、避難指示などそっちのけで市民が商品を買いあさっていた。夏休みの最中だということもあって、親に連れられてきた子供たちは、同級生とのおもわぬ再会に興奮し会話を弾ませている。

 避難指示といっても災害に対するものではないため、大半の人々にとって実感など湧くはずもない。そこだけは大人も子供も共通していた。

 

「なんだこの音?」

 

 ショッピングセンター屋上の展望デッキで友人とたわいもない話に興じていた一人の男子小学生が、ふといぶかしげな声を上げた。

 車や船とも違う妙な音が耳をかすかに撫でたのだ。

 

「音?」

 

 彼と話していた別の小学生が聞き返した瞬間、辺り一面に閃光が走り、声が聞こえなくなった。

 

 

 褐色の煙が大量に奔騰し、少し遅れて地響きと轟音が伝わった。

 ショッピングセンターの外で車に買い込んだ商品を押し込んでいる人々は一様に唖然とした表情を浮かべたが、その瞬間彼らを強烈な爆風が襲った。

 

 砂ぼこりがすさまじい勢いで人々に迫り視界がゼロになる。

 

「なんだ!何が起こった!」

「地震か!?」

「でも速報は出てないぞ!」

「だったらなんだ!テロか!?」

 

 人々はしきりに言葉を交わすが原因はわからない。ただ目の前で起きた現象に右往左往するばかりだった。

 

 混乱収まらぬ中、今度は背後から轟音が響き渡った。

 

 今度は爆発も爆風もない。市民への直接的な被害は微塵も無い。

 

 だが、次は自分の立っているところが同じ末路をたどるのではないか、という恐怖に加えて、逃げ出した先で同じ目に合うのでは、という危惧が人々の心を鷲掴みにした。

 とどまるか逃げ出すか、どちらが安全かわからない以上行動のしようがない。

それは人々をパニックに陥れるには十分すぎた。

 

 逃げようとするものと車に乗り込もうとするものが交錯し、いく人もの人々が転倒した。その背中を市民が踏んでゆく。悲鳴は小さくなり、やがて消えた。

 もう衝撃波も轟音もない。彼らを傷つけるものはない。しかし恐慌は恐怖を呼び、それは狂乱につながってゆく。悲鳴と怒号が渦巻き人々は思い思いの方向に逃げ惑う。

 

 それを止められる者はいない。

 だが、事態は終わらなかった。

 

・・・・・・・

 

 本土に艦砲射撃を加えられた。

 海上自衛隊のイージス護衛艦きりしまのCICには重苦しい空気が漂っていた。

 

 イージス艦自慢のシステムは完全に沈黙している。

 陸奥が砲撃した瞬間、全てのレーダーが使えなくなったのだ。これではミサイルの撃ちようがない。籠城戦で矢だけを残して弓を奪われたかのようだった。

 

 唯一生きているのはメインモニターの映像だけ。否が応でも自分たちの無力さをまざまざと見せつけられる。

 どうしようもない絶望感がCICを覆ったその時、すべての戦艦の主砲が旋回した。

 明らかに本土を狙っている。

 

 陸奥の主砲8発ですら阻止できなかったのだ。4隻もの戦艦の艦砲射撃を阻止できるはずがない。

 

 最悪のシナリオを覚悟し、竹井はこぶしを強く握りしめ双眸を閉じた。

 

 上海のように市街地が炎に包まれ、無数の民間人が無差別に殺戮されてゆく光景が脳裏をよぎった。

 

 しかし、砲撃音は聞こえてこなかった。

 代わりに飛び込んだのはメインモニターに映りこんだ異変だった。

 

 モニターに映る艦隊のうち、戦艦伊勢と日向の舷側に巨大な水柱がそそり立った。

 水柱は1本ではない。2本、3本と連続で増えてゆく。

 その水柱を見て竹井は息を呑んだ。

 

 艦を包み込むようにではなく、片舷にだけ水柱がそそり立っている。現代の魚雷が命中したときの現象ではない。

 可能性として考えられる過去の魚雷、だがそんなものを撃てる日米両海軍の軍艦はこの海域に存在しない。

 つまり、魚雷を発射したのは…

 

 

 重巡洋艦青葉は4連装の魚雷発射管を2基装備している。

 左舷側に放たれた4本の魚雷は外れることなく、輪形陣の内側を航行していた戦艦伊勢を捉えた。輪形陣を構成する艦同士の短い距離で外すはずがない。

 

 すさまじい勢いで水柱が天に向かってそびえたち、それは艦橋の高さをはるかに超えた。

 

 魚雷は伊勢の舷側にクジラが突っ込んだのかといわんばかりの巨大な破孔を穿ち、伊勢はみるみる速力を落とす。しかし減速する間にも海水は容赦なく艦内に侵入する。

 大幅に速力の衰えた伊勢を追いうちのように残り3本の魚雷が捉える。

 魚雷は右舷側の艦首、艦中央部で炸裂し、艦底をえぐり取る。新たに穿たれた破孔からは海水が渦を巻きながらなだれ込む。短時間で1万トン近い海水を飲み込んだ伊勢は黒煙を噴出しながら右舷側に大きく傾斜しそのまま停止した。

 

 時を同じくして伊勢の姉妹艦、戦艦日向も魚雷に襲われた。

 

 日向は伊勢以上に悲惨だった。

 重巡洋艦利根の発射した6本の魚雷が、全てがまとまって主砲直下に命中したのだ。

 海が避けたような爆音とともに、噴き上がった水柱が火柱に変わる。直後、前甲板から主砲塔のような影が飛び上がり、巨大な火炎が日向の甲板を覆いつくした。

 炎は途方もない高さまで上昇し天を焦がす。さらに黒煙が続いて空を覆いつくしキノコ雲のように渦を巻き始めた。

 

 続いて魚雷は輪形陣の先頭にいた戦艦榛名にも襲い掛かった。

 

 右舷には青葉が放った4本、左舷には利根が放った6本の魚雷が続けざまに命中。いくつもの水柱の中に姿が隠れたかと思うと、榛名は艦首をうなだれるように沈み込ませて停止していた。

 伊勢、日向、榛名の3隻が沈没を免れないことは誰の目にも明らかだった。

 

 だが、輪形陣の最後尾にいた戦艦陸奥は何の躊躇もなく青葉と利根に主砲を向けた。第一砲塔が輪形陣の右側にいる青葉を狙い、第二砲塔が輪形陣の左側にいる利根に照準を合わせる。

 

 砲撃。いきなりの斉射だった。

 

 もはや接射といっても差し支えない超至近距離からの砲撃。いくら重巡洋艦とはいえ防御力には限界がある。戦艦の、それも41センチという巨弾に耐えられるはずもない。

 轟沈という言葉では生温い。

 青葉と利根は、文字通り消滅していた。

 

 そして海上に1隻だけ残された陸奥が、再び主砲を旋回させたとき。

 

 巨大な水柱が奔騰し、その艦体を包み込んだ。



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So foolish, don't repeat the tragedy

「通信及びレーダー、全て復旧しました!」

 

 駆逐艦マッキャンベルのCICにオペレーターの声が響き渡った。

 その瞬間、ノイズがかかっていたパネルのすべてが、霧が晴れたかのように次々と復活してゆく。ものの数秒でCICは本来の姿を取り戻した。

 

「いったい何が…」

 

 艦長のフェイゲンは混乱した様子で呟いた。

 

「ホークアイからの映像、来ました!」

 

 通信が復旧したためだろう。上空を飛行する空中警戒機ホークアイからの映像が受信できたのだ。

 

「モニターに映せ!」

 

 フェイゲンが叫ぶように命じ、最も大きなモニターに映像が映し出される。

 そこには水柱に包まれる戦艦ムツと、その周囲で炎上しながら海中に引き込まれつつある複数の敵艦の姿があった。

 

「どの部隊だ?」

 

 フェイゲンはそんな疑問を漏らした。

 自身の率いる第15駆逐隊はそもそも対艦攻撃を行っていないし、それは日本の海上自衛隊も同様だ。可能性として残るは先陣を切ったF-16の部隊パンサーズによる攻撃だが、初弾の時点でほぼ無効化された攻撃が今更になってダメージを与えられるとは思えない。

 

 そんな時だった。

 

「――パンサー・リーダーよりマッキャンベル!応答してくれ、こちらパンサー・リーダー!」

 

 先陣を切った第13戦闘飛行隊パンサーズからの通信が飛び込んできた。

 

「こちらマッキャンベル。どうした?」

 

 フェイゲンは努めて冷静に答えた。

 

「ホークアイから敵が同士討ちしたという情報を受け取った。そちらも確認したか?」

「同士討ちだと?」

 

 いぶかしげな声が思わず飛び出した。

 

 いわくムツ以外の全艦が同士討ちをはじめ勝手に沈んだという。

 そしてムツには友軍の魚雷が命中し、あっさり沈んでしまったとのことだった。

 

 なんだそれは。

 

 頭の中をいくつものクエスチョンマークが浮遊し、反射的にそんな言葉をかけてしまいそうになった。

 

「ムツへの雷撃は貴艦の戦果だと思ったのだが」

「本戦隊は敵の艦隊に攻撃を加えることはできていない。どこの部隊か確認できていないのか?」

「自衛隊ではないようだ。貴艦でもないとすると一体…」

 

 ムツ以外が同士討ちで沈んだならば、ムツを沈めたのは何なのか。

 

「本隊は帰投する。貴艦はどうする」

「我々はムツの沈没地点に向かう。何かわかるかもしれん」

 

 通信を切り、フェイゲンが沈没地点に向かうよう指示を出そうとした時だった。

 無線機から新たな声が飛び込んだ。

 

「こちらルイジアナ、マッキャンベルは健在か?」

 

 予想外の言葉にCICが一瞬沈黙する。

 

 フェイゲンも状況を判断しかねたが、相手の正体はすぐに分かった。

 

 ルイジアナ。第七艦隊所属の原子力潜水艦だ。

 近海にいたのか。

 

 だがおかしい。

 事前に用意されていたのは海上自衛隊と共闘するプランAと、海上自衛隊が戦闘不能になった時点でアメリカ軍が独自に動くプランBのみ。それ以上の作戦は存在しないし、そもそも原子力潜水艦がこの海域にいることなど考えもしなかった。

 

「…ムツ撃沈はルイジアナの戦果か?」

 

 僅かに考え、フェイゲンは問うた。

 

「そうだ。これより本艦はムツ沈没地点に向かう」

「待て」

 

 通信を切ろうとするルイジアナ艦長を思わず呼び止める。

 そしてゆっくりと尋ねた。

 

「なぜムツが砲撃する前に撃たなかった」

 

 一瞬、無線機の向こう側が静まり返ったように感じた。

 

 マッキャンベルのCICに詰めている乗員も思わず自分の担当するモニターから目を離し、振り返ってしまうほど異様な雰囲気が流れた。

 

 フェイゲンは一個駆逐隊の指揮官で、相手は潜水艦1隻の艦長に過ぎない。階級が同じでも、戦隊指揮官と単なる艦長では、明確に立場の違いがある。

 この状況ではフェイゲンが上位指揮官だ。故に問いかけも詰問口調になる。

 

 数秒の沈黙ののち、歯切れの悪い口調で応答があった。

 

「本艦のシステムに異常が発生しており攻撃不能だったのだ」

「私に建前を使うか」

 

 フェイゲンはルイジアナ艦長の声にかぶせるように言った。

 大声ではないが、芯の入ったような重い声だった。

 

「潜水艦の長魚雷は標的の音紋さえあれば使用可能だ。ルイジアナ本体のシステムに何が起きていようと関係ない」

「音紋が正確に解析できず同士討ちの危険が――」

「本艦以下駆逐隊全艦で死んだのはレーダーと通信だ。ソナーは生きていた。システムの異常が共通のものならばルイジアナのソナーだけが死ぬはずがない。まさかとは言わんが、アーレイ・バーク級と海上自衛隊の音紋を友軍と入力していなかった、などと言い訳するつもりではないだろうな?」

 

 そう。ルイジアナがムツを雷撃できる位置にいたのならば、本土に砲弾を撃ち込まれる前に攻撃することも可能だったのだ。

 一発での轟沈は期待できずとも、魚雷の命中により傾斜(トリム)が狂えば正確な砲撃は望めなくなる。

 

「地上で何人死んだと思う。貴様らが砲撃の前に撃っていれば死なずに済んだ命だ」

 

 フェイゲンの口調が怒気をはらんだものに変わる。

 

 民間人の命がかかっているにもかかわらず敵への攻撃をためらうなど、アメリカ海軍にあってはならないことだ。フェイゲンの目にはルイジアナの行為が許しがたい及び腰に見えたのである。

 加えて、もし横須賀の居住エリアに弾着していれば自分たち在日米軍の家族が殺傷されていたかもしれないのだ。

 このまま黙って放置するつもりはない。

 

「運が良かったな。居住エリアに落ちていれば今すぐにでもアスロックを叩き込んでいるところだ」

「…我々がみすみす市民が死ぬのを傍観していたとでも言いたいのか」

「ならばいつから現海域にいた。ルイジアナが属すべき第5空母打撃群はマリアナ近海にいるはずだが」

 

 しばらくの沈黙ののち、ごく短い返答があった。

 

「貴官が知る必要はない」

 

 フェイゲンは口元をピクリと動かした。

 指揮官の優先順位を超えた、なにやら冷厳な意思を感じ取ったのだ。

 軽く目を閉じ、素早く思考を巡らせる。そして思考が一つのところに行きつくと、短く言った。

 

「ムツ沈没地点には我々第15駆逐隊が向かう、貴艦は横須賀に戻れ」

「NOと言ったら?」

「言わせると思うのか」

 

 有無を言わせぬ言葉に無線機の向こう側が沈黙する。

 見えない相手をねめつけるようにフェイゲンの目つきが鋭いものになった。

 この決定には異議を許さぬ、そんな強い意志が見て取れた。

 

「…わかった。ここは本艦が引こう」

 

 ルイジアナ艦長のそんな返答を最後に、通信は切断された。

 大きく息を吐くと、フェイゲンは乗員に向き直り、改めて命じた。

 

「戦隊全艦に命ずる。面舵一杯、進路30度。ムツ沈没地点に急行する。自衛隊にも通達しろ」

 

 

「司令、第5空母打撃群はマリアナ近海ではなくマーシャルにいるはずでは…」

 

 ムツ沈没地点に向かっている最中、砲雷長がフェイゲンに遠慮がちに問うた。

 

 彼の言う通り、ルイジアナの所属である第5空母打撃群は現在マーシャルのメジュロ環礁周辺で警戒に当たっている。マリアナとはまったくの別方向だ。

 

「奴らは第5空母打撃群の行き先を知らなかったということだ」

「というと…?」

 

 砲雷長の疑問を聞き流すようにフェイゲンは思考を巡らせる。

 

 編成から外されていることはあっても、同じ艦隊の主力の場所を知らされないなど有り得ない。横須賀に居残りになったフェイゲンの戦隊にも知らされていたほどなのだから。

 わざわざ第5空母打撃群や上位組織の第七艦隊がそのような判断をするとは考え難い。

 

 ならばアメリカ太平洋艦隊司令部直々の命令か?

 

 いや、対不明艦隊の作戦を立てたのは太平洋艦隊だ。一隻の軍艦でも惜しいタイミングで原子力潜水艦をどの部隊にも属させず、編成から宙ぶらりんにするのは考えにくい。

 また航空部隊も知りえなかった様子から、太平洋艦隊のみならず空軍もあずかり知らなかったことに違いない。

 

 となると…。

 

(太平洋艦隊を抑えられる、いや太平洋全軍に秘匿されるほどの命令か…?)

 

 そんな命令を出せる組織は限られる。

 ならばルイジアナは何を命じられていたのだろう。

 

(まさか…)

 

 フェイゲンの思考は本国アメリカの核心に至りつつあった。

 

・・・・・・・

 

 ショッピングセンターに戦艦陸奥の砲弾が着弾してから数日。

 衆議院の法制局は昼夜逆転のデスマーチに突入していた。

 

 自衛隊の防衛出動やアメリカとの集団的自衛権に関する時限立法、さらに犠牲者に対する補償や国民の行動を制限することに関する特別法などなど…。

 様々な政党のみならず個々の議員までが立法を行おうとした結果、法制局に異常なまでのしわ寄せがきてしまったのである。まさに日本政府は驚天動地大パニックであった。

 

「――おい、長峰!おい!」

「――ッ!?」

 

 法制局で作業中だった長峰豊は、先輩である会沢からの声ではっとしてあたりを見まわした。

 作業に集中しすぎるあまり、周りの声の一切をシャットアウトしてしまっていたようだ。

 

「どうした…?お前らしくもない」

「い、いえ…」

「負担はわかるがどうか頑張ってくれ。お前が倒れたらうちの局は詰みなんだ」

 

 何日も眠っていないのだろう。目の下に濃いクマを作り、疲労困憊という様子の会沢は長峰に縋りつくような表情を見せながら言った。

 膨大な知識量をタイムラグなく引き出せ、かつ提出された文書を一目で丸ごと頭にコピーし同時にそれらを並列処理できる。異常ともいえるハイスペックな脳みそを持つ長峰には、常人が向き合えばその場で絶望して辞表をそっと出すレベルの負担がのしかかっていた。

 長峰が倒れたら、その分の膨大な仕事量を周りが負担しなければならない。そんなことになれば局は間違いなく破綻してしまう。

 お前が倒れたらうちの局は詰み、という会沢の言葉はあながち間違ったものではなかった。

 

「少し、気になりまして…」

「気になる…?小政党がおかしな法案でも出してきたか?」

 

 小さな政党には失うものがほとんどないため、ある意味では無敵の存在である。

 ゆえに思想に関わらずむちゃくちゃな法案を押し付け、どうにか議会に提出できるレベルのものにしろというパワハラまがいが起きたことがあったのだ。

 今回もそれが起きたのか、と。長峰のことを気にかけたのだろう。

 

「いえ、ショッピングセンターの遺族のことです」

 

 長峰は目を閉じると、まぶたの上から眼球をグッと抑え短く息を吐いた。

 

 陸奥の放った砲弾のうち、着弾したのは三発。

 

 一つ目は無人の山中に着弾。山の一部が地面ごと吹き飛んではげ山になる被害が発生したが人的被害は皆無だった。

 

 二つ目は県道に着弾。アスファルトが蒸発し道路が寸断される被害が発生したが、こちらも人的被害は皆無。

 

 だが、最後の一発が問題だった。あろうことか大勢の市民が密集していた大型ショッピングセンターに直撃したのである。

 悲劇という言葉では済まされない惨劇が発生した。

 

 いくら耐震設計がなされているとはいえ、戦艦の分厚い装甲を食い破り内側から破壊するための砲弾の衝撃に耐えられるはずもない。

 だが、ショッピングセンターは不運な意味で生き残った。

 

 命中の瞬間に数百の死者を出してなお、ショッピングセンターは崩壊しなかった。

 発生した火災が建物を襲い、ただでさえ直撃の衝撃で身動きの取れない市民を飲み込んでいった。エレベーターやエスカレーターなどは当然動かず、非常階段は崩壊して巨大な吹き抜けとなった。そして最後には、ショッピングセンター全体が崩落。文字通りの更地になった。

 

 生きながら焼かれ炭化していった者たち、変形し開かなくなった入口に折り重なるように倒れドアを爪がはがれるまでかきむしりながら絶命していった者たち、トン単位のコンクリートに押しつぶされた者たち。

 1500人を超える犠牲者の内、ショッピングセンターから生還できたのはたった2人。瓦礫の隙間にできた空間に運よく残り、トイレの水道が破裂したことで火災から守られ、近くのエリアに穴が開き気流の関係で煙を吸い込まずに済んだ母娘だけだった。

 

 ショッピングセンター跡地には家族を失った者の涙と嗚咽があふれている。

 あるものはその場に崩れ落ちて号泣し、あるものは家族と肩を寄せ合った。呆然と立ち尽くす者の隣では、家族の名前を大声で叫びながら規制線を越えようとし警察ともみあいになるものも現れた。

 恐らく、この一件のせいで命を絶つものの数も一桁では済まないだろう。

 

 長峰にも当然思うところがある。

 だが今の自分は一局員だと、そこに口をはさむことはしなかった。

 

「それに――」

 

 長峰は椅子を回転させて後ろに向き直った。

 

 そこには局内のどこからでも見えるほど大型のテレビが置いてある。

 普段このようなものはないのだが、状況が状況だということで特別に局内に設置されたのだ。

 その画面には釜田首相が招集した臨時国会の様子が映し出されていた。

 

「――あちらも大荒れのようですし」

「収まらんだろうな。全員が何を発言して何を責めていいのかわからないのだろう」

「何をすべきかも、ですね」

 

 長峰は呟くと、再び椅子を回転させ自身のデスクに向き直った。

 臨時国会の音が、背中から聞こえてきた。

 

 

「釜田総理に伺います。このような大事を内閣の内輪だけで決定し実行に移した、これは憲法違反以外のなにものでもないと考えますが、いかがでしょうか」

「首相、釜田くん」

 

 議長の指名に釜田は応じる。

 

「先ほどから何度も申し上げている通り、判断を下したのは安全保障会議に当たる危機管理センターです。国家の重大事、その権限は委ねられるべきものと認識しています」

「国民に死者が出ている件についてもそのようにお考えですか」

 

 野党の追求に釜田は僅かに頬をゆがめた。

 当事者でしかわからないことがある、自分は間違った判断は下していない。そんな思考だけが釜田を支えていた。

 

 でなければ、犠牲者の数値で崩れ落ちそうになりそうだった。これは震災や伝染病などの災害とは違う。防げたかもしれない、その可能性がわずかでもある限り、過去の判断すべてを正当化することなどできるはずもない。

 

「そもそもの話です。自衛隊が攻撃してもなお、旧軍の軍艦は大阪などを攻撃しなかった。つまりこの時点では話し合いの余地もあったでしょう。にもかかわらず在日米軍と一方的な攻撃を加え、結果大勢の犠牲者を招いた。これは明らかに総理の判断が誤っていたことの証明であります」

「そうだ!」

 

 さらに野次が激しくなる。

 

「米軍が旧海軍軍艦と交戦状態にあることを知っていたにもかかわらず隠ぺいし戦闘開始を命じた、これは国民の知る権利を奪う行為であります」

「決して情報を隠ぺいしたことなどございません。また海上保安庁の巡視船が攻撃を受けたことから、明らかに我が国も敵として認識されております。このような状況で座して見過ごす、という判断は決して下せるものではございません」

「まぁ、そこはいいでしょう」

 

 釜田が答えたところで一度、野党の女性議員が議題を切り替えた。

 

「総理曰く、現在我が国は重大な危機にある、という認識でよろしいですね?世界中に過去の軍艦が出現し、わが国にも攻撃を加えてきている、と」

 

 その通りだ、と釜田は脳内で言葉を発したが、それに期待を抱くことはなかった。

 言葉の端々に危機感がない。状況を認識はしているが、理解はできていない様子だった。

 

「総理。この戦争、受けるおつもりですか?」

「受ける、受けないではありません。世界はすでに交戦状態にあり日本もその渦中にあります」

「では受けるのですか?戦って勝てるという保証はあるのですか?」

「保証って…」

「米国との集団的自衛権をもとにするならば、世界で自衛隊が交戦するということにもつながります。総理、あなたはその人々に死ねと命じられるのですか?」

 

 戦争に確実に勝てるという保証などあるはずがない。

 そして人が死なない戦争など、ない。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 少数政党の男性議員が、冗談はやめてくれと言いたげな口調で挙手し立ち上がった。

 

「総理、駄目ですよ戦争は!」

「おっしゃることは理解できます、しかしながら…」

「とんでもない、戦争放棄は日本の基本理念でしょう!武力行使はいかなる形であれ戦争行為に当たります。到底容認することはできません!」

 

 ここで野党の議員が挙手し、後に続く。

 

「国民に犠牲者が出る戦争を危機管理センターという与党の一存で決定することは誠に遺憾であります!」

「そうだ!」

 

 野次が乱れ飛ぶ中、与党の議員が挙手の上で立ち上がった。

 

「藤原外務大臣に伺います。話し合いによる解決は不可能なのですか?」

「えー現在、交渉のチャンネルを全力で探すとともに、えー諸外国とも連携を、行っております」

 

 外務大臣の藤原は汗をぬぐいながら答えを絞り出すように必死で返答した。

 

 それを尻目に、官房長官の長谷川誠二は釜田を見つめた。

 釜田は明らかに動揺していた。

 

(総理は、弱気になってしまったのだろうか…)

 

 不明艦隊出現時に気合を入れて指示を出していた時とはまるで別人のようだった。

 だが別に、釜田は突然弱気になったわけではなかった。

 

 釜田が強気の指示を下せていたのは、異常事態でアドレナリンが大量に放出され、いわゆるハイになっていたこと。そして正常性バイアスに紐づく根拠のない自信があったことであった。

 そのどちらもが消滅した今、釜田が別人のようになるのは当然と言えた。

 

 根拠のない自信というものは、結果が出るまでは自分を強力に支えてくれるが、結果が出ると逆に自分を責め始める。

 それが野党の追求と重なり、釜田の精神をむしばんでゆく。

 

 トップの優柔不断化。民主主義国家である日本にとって致命的な楔が、ゆっくりと打ち込まれつつあった。




                         第1章:崩れ去る戦後 おわり


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第2章 閉じられた海
21.海魔乱舞


戦略はアマチュアがやるものだ。プロフェッショナルは兵站をやる
                           オマール・ブラッドレー


 真夜中の南シナ海を、1隻の巨大な船が進んでいた。

 

 商船日本に所属するスーパータンカー『愛光丸』である。排水量28万トンの巨体はサウジアラビア産の原油をたっぷりと船内に抱え、ペルシャ湾からインド洋、南シナ海を経由し長躯日本を目指していた。

 

「最後の関門だな……」

 

 愛光丸の真っ暗なブリッジで当直を務める二等航海士の横尾は電子海図(ECDIS)から闇に沈む南シナ海に目を向けて呟いた。

 暦は8月1日、夏真っ盛りだ。

 

 船は航海灯という向きを示す電灯を点けているだけで、その他の信号灯以外余計な光は外に出してはいけないことになっている。ブリッジも海図を見るための最小限の電灯を点けるだけで暗闇の中だ。

 

 数日前にマラッカ海峡を通過中だった愛光丸は同地を警備する多国籍軍から警報を受け取った。国籍不明の艦隊が出現し無差別に攻撃を加えている、との情報で、航行の安全が保障できず極めて危険であるため、入港可能な最寄り港に速やかに避退するように、とのことだ。

 

 にもかかわらず愛光丸は未だに南シナ海を航行することを余儀なくされている。

 同じような警報を他のタンカーや貨物船も受信していたらしく、多くの船が競って避退行動をとった結果、南シナ海はひどい渋滞になってしまった。

 

 28万トンもの巨躯を持つ愛光丸が緊急入港できる港が簡単に見つかるわけもない。

 

 頼みの綱は中国の港だったが、迅速に行動した他国の大型船が先んじて避退を完了し、中国沿岸部の港はすぐにパンクしてしまった。日本政府が交渉を始めた時にはすでに手遅れであり、愛光丸は頼みの綱を完全に失ってしまったのである。

 

 そんな時だった。偶然台湾の高雄港に空きが見つかり、入港が許可されたのは。

 

 中国の港よりも遥かに遠く危険だが、このまま日本を強行軍で目指すよりは幾分か安全だ。

 目的地の高雄港までは残り一日。今日を乗り切ればどうにか安全は確保できる。

 いつどこで襲われるかわからないのだから海賊よりもたちが悪い。船員の疲労は精神的にも肉体的にもピークに達していた。

 

「横尾さん、針路はこのままでいいですかね?」

「ああ、このままで大丈夫だ」

 

 操舵手の白崎が舵輪を持ちながら横尾に声を掛けた。

 28万トンの巨大船の舵輪と聞くととんでもなく巨大なものを想像しがちだが、舵輪は直径わずか25センチほど。地味なバルブかと思うほどに小さい。しかしこの舵輪、船にかかる慣性力を検出し自動的に舵を調節する機能を持つ。なかなかの優れモノなのである。

 

「ようやく明日には台湾ですか。よく入港許可が出ましたね」

「ウチと何度か取引をしたことがあった台湾の会社に……何だったかな。確か中華油製だかに頼んでどうにかねじ込んだらしい」

「よその船は政府が交渉してくれるのに日本は企業任せですか」

「愚痴るな愚痴るな。気持ちはわかるがな」

 

 舵輪を持ったまま毒づいた白崎に横尾は苦笑した。

 航海中の船では完全に気を抜ける時間というものは存在しない。船は24時間走り続けているわけであって、いかに自動航法装置が発達してきたとはいえ人間による監視は怠ることができない。

 

 特に船を操る操舵手にとって、普段以上の負担をかけられる航行のストレスは相当なものだ。

 横尾にも、余計に苦労をさせやがって、とイライラが募る白崎の気持ちはよく分かった。

 

 その瞬間だった。けたたましい警報音がブリッジに響き渡った。

 

「衝突警報!?」

 

 舵輪を持ったままの白崎がはじかれたように振り返った。

 同時に横尾がレーダーを覗き込む。

 

「馬鹿な!」

 

 横尾は絶句した。

 愛光丸の800メートル前方に反応が出現していた。

 

「どういうことですか!?」

「なんで……さっきは何もいなかったんだぞ!」

 

 白崎の言葉に横尾はろれつの回らない口をどうにか動かした。

 愛光丸のような巨大船が完全に方向を変えるまでには相当な時間がかかる。このままの速力で進んだら回避は不可能だ。

 

 衝突する。

 

 その事実が白崎を凍り付かせる。まるで背中に氷の柱を突っ込まれたようだった。

 

「面舵一杯!全力で回せ!」

 

 横尾の叫びが白崎を動かした。

 小さな舵輪をこれでもかと回す。すぐに舵は右にきられた。

 

「どうした!?」

 

 衝突警報のけたたましいサイレンが鳴り響く最中、船長室から飛んできた船長の声に、双眼鏡を首にかけた横尾が体を向けた。

 

「前方800に反応あり、現在速力14ノット!」

「全速後進!」

 

 その声と同時に28万トンの巨体を進めていた出力が切られる。

 スクリューがゆっくりと逆回転を始め、船を前に進めようとする慣性力と後ろに進めようとする機関出力が激しくせめぎあう。船尾が激しく泡立ち、莫大な量の海水が撹拌された。

 

 だが同時に、それとは異なる揺れが愛光丸を襲った。

 それほど大きな衝撃ではない。

 

 しかし舵を取っている白崎は見た。愛光丸の右舷側に小さな水柱が噴き上がった瞬間を。

 

 衝撃は一度ではない。三度四度と連続し、その度にブリッジは小さく揺さぶられた。

 何が起きたのか理解できない。目の前の目標をよけることで頭が一杯だった。

 

 小さな衝撃を受けながら、横尾はとある記憶を呼び起こした。

 知り合いにソマリア沖で海賊にロケットランチャーを撃ち込まれた貨物船乗りがおり、その時の話をよく聞かされた記憶だった。

 その話の内容と、たった今の衝撃が似ていたように感じたのだ。

 

 横尾は船長に伝えようとした。

 愛光丸のようなタンカーはロケットランチャーや魚雷で沈むことはない。しかし軍艦ほどの頑丈さはないため簡単に航行不能になってしまう。こうなると乗員は外部の救助を待つしかなくなる。さらにこのタイミングだと大量の原油が流出する恐れもあった。

 

 不意に光の柱が視界をよぎった。

 

 眩いほどの光に照らされ、愛光丸はその姿を夜の海にさらけ出す。

 光量はかなり大きい。真っ暗なブリッジも白昼と思わんばかりだ。

 

「探照灯!?」

 

 この光は前方にいる船から発せられている。普通の船はこんな時に探照灯で相手の視界を塞いだりはしない。

 ならば前方に現れた船の正体は――

 

「駄目だ……」

 

 自分の運命を悟ると同時に横尾の体から力が抜けた。

 どうあっても台湾にはたどり着けない。逃れようがないと悟ったのだ。

 

 横尾が故郷の家族に思いを巡らせた瞬間、愛光丸の中央部に巨大な火柱が噴き上がった。

 その光景が見えた瞬間、先ほどをはるかに上回る衝撃が襲い掛かった。

 ブリッジにいる三人もはじけ飛び、床や壁に叩きつけられた。

 床に倒れ伏した横尾が恐怖の表情を浮かべる中、どこからともなく飛んできたモールス信号を愛光丸は受信した。

 

 だが、彼がそれを目にすることはなかった。

 

 ブリッジの床を突き破ってきた紅蓮の炎が、3人をひとしなみに巻き込んだ。

 

・・・・・・・

 

 スリランカ共和国の港湾都市コロンボは煙にむせいでいた。

 日常とガラリと様相を変えた街には、深い傷跡が残されている。

 

 経済発展の象徴であった高層ビル群はことごとく崩壊し、街そのものが焼け野原と化している。鉄筋コンクリートは高熱で融けて変形し、焼け焦げて骨組みだけになった自動車が道路に転がっている。地面はグランドキャニオンを思わせるほど大小さまざまな穴だらけになっており、アスファルトは吹き飛び土が露出していた。

 

 人の姿はどこにもない。

 警察が住民を避難させることも、銃を持った兵士が辺りを警戒することもない。

 

 瓦礫に混じるように遺体が至る所に転がっている。その多くは一般人だが、軍服に身を包んだ死体もあった。

 スリランカ軍の兵士たちだ。

 あるものは腕が、あるものは足が飛び、さらにあるものは体が真っ二つになっている。五体満足な死体はどこにもない。

 スリランカ陸軍のマークを付けた戦車は履帯が弾けて横転し、吹き飛んだ砲塔が建物の3階に突き刺さっている。装甲車に至っては更に悲惨だ。全体が滅多打ちに遭ったのか無数の破孔を穿ち、蜂の巣のようになって無残な屍を晒している。

 

 これらは激しい空襲と艦砲射撃が残したものであった。

 突如出現した正体不明の敵と交戦したスリランカ軍であったが、装備の近代化の遅れと、暴力的ともいえる敵の物量に押し切られ、ついに本土の蹂躙を許してしまったのだ。

 

 不意に路地が騒がしくなった。

 地鳴りを思わせる重低音と共に、地面が振動しはじめる。振動は次第に大きくなり、圧迫感を増してくる。

 

 やがてその源となる怪物が姿を現わした。

 

 スリランカ軍の歩兵戦闘車や装甲車の類ではない。ましてや一般人の乗用車でもない。

 市街地の歩道を突き破るようにして長い砲身が顔を覗かせ、次いでがっしりとした車体とそれを支える幅広い履帯があらわになった。焼け焦げて骨組みだけになった車を踏み潰して乗り越え、全貌が明らかになる。

 低く構えた車体と大口径の砲口は見る者を圧倒し、砲塔や車体の前面、側面は避弾経始こそ備えていないものの、見るからに分厚く強固な防御力を想起させる。

 

 六号重戦車ティーガーⅠ。

 

 かつて連合軍を恐怖のどん底に陥れた、世界の陸軍史に燦然と輝く名戦車。時を超え海を超え、今スリランカに現れたのである。

 10両、20両とティーガーⅠの行進は続く。

 

 それだけではない。

 ティーガーⅠが数十両と続いた後に、二回りほど小さな戦車がやってくる。

 

 その名をマチルダ歩兵戦車という。

 ドイツとイギリス。かつて敵対した国の戦車が隊列を揃え、コロンボを蹂躙してゆく。

 ティーガーⅠとマチルダⅡは、市街地で生き残った人間を探すかのように88ミリと40ミリの主砲を右に左に振り向け、兵士や一般人の遺体を轢き潰しながら進軍する。

 

 妨げるものはない。

 

 敵の侵略に屈したスリランカ共和国は、建国以来最大の危機に直面していた。

 

・・・・・・・

 

 ディエゴガルシア環礁はインド洋におけるアメリカ軍最大の拠点である。

 楕円を描くようなサンゴ礁に囲まれた陸地の一部をアメリカ軍が基地として使用しているのだ。

 

 多数の航空機が展開するその環礁に、高らかにサイレンの音が鳴り響いた。

 この時兵士たちは、上空を飛び交う彼我の機体が基地に迫ってくる様を目撃していた。

 時折閃光がきらめき黒煙が空に伸びる。被弾し炎上した機体は機首を大きく下げ、海面めがけて突っ込んでゆく。

 

 落ちていくのは全てがレシプロ機だ。

 

 まったく塗装されていないジュラルミンむき出しの機体が太陽を反射してギラリと光る。それが何百という数で大空を覆っているのだ。

 そのレシプロ機は、ほとんどの軍人ならば知っている。

 

 巨大な四発の爆撃機、その名はB-29スーパーフォートレス。

 超空の要塞の名を持ち、かつて日本本土を灰にした恐怖の爆撃機がアメリカ軍に襲い掛かったのだ。

 

 もっともB-29が超空の要塞でいられたのは過去の話だ。朝鮮戦争の時点ですでに狩られる立場だった爆撃機など現代技術の前には単なる的に過ぎない。ミサイルの回避手段を持たない大型爆撃機は容赦なく落とされてゆく。

 

 だが、その数は多い。

 落とされても、粉砕されても、進路を変える機体はいなかった。

 

 当然のことながらミサイルが尽きる。

 その後も戦闘機はバルカン砲で応戦するが、戦闘機に搭載されているバルカン砲の弾薬は少ない。時間に直せば7秒も撃ち続ければ弾切れになってしまう。

 

 数百機もの敵を完全に阻止することはできなかった。

 

 やがて基地上空に侵入したB-29は、無数の黒い塊を投下し始めた。



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22.不協和音

「コロンボに敵陸上部隊出現」の報告は、その日のうちにアメリカ合衆国本土に届けられた。事態を重く見た大統領ウィルフレド・ワーナーは緊急の招集をかけ、ホワイトハウスの大統領執務室に政府首脳部を終結させていた。

 

「思いがけない場所を衝いてこられたものだ」

 

 開口一番ワーナーは言った。

 全員の目が、壁に貼り付けられた世界地図に向いた。

 

「コロンボに来襲した敵の戦力は、どの程度なのです?」

「詳細は明らかになっていませんが、それほど多くはないと考えます」

 

 とある閣僚の問いに、国防総省から派遣された若い武官が答えた。

 

「現在コロンボ沖合には戦艦2隻、空母1隻を中核とした艦隊が展開しています。敵は空襲で制空権を握ったのち、艦砲射撃によって沿岸部に終結したスリランカ陸軍を掃討。陸上部隊を送り込み、市街地を制圧したとのことです」

「空襲で制空権を奪ったのちに艦砲射撃で上陸部隊を支援する。まさに第二次世界大戦の上陸戦のセオリー通りと言えますな。敵は基本に忠実なようだ」

「敵は我々の戦法をよく学び熟知しているとも言えます。油断は禁物かと」

 

 皮肉ったランズダウン将軍に、若い武官が警告するように言葉を返した。

 確かに敵が人間ではないと仮定しても、人間が生み出した戦術を存分に生かしているということは十分な脅威だ。戦術を知っているということは、逆にその弱点も知り尽くしていることになる。

 

「しかし、いくら数で劣っているとはいえ、現代の軍隊がこうも容易く敗れるものでしょうか?これではスリランカ並みの軍備しか持たぬ国は、80年前の軍隊にすら勝てぬということになりますが」

「スリランカ軍では、どうしようもなかっただろう」

 

 大統領特別補佐官アルダートの言葉を聞きながら、ワーナーはぽつりと言った。

 

 スリランカの軍備ははっきり言って貧弱の一言に尽きる。

 空軍は戦闘機を15機しか持たず、整備不足で飛べないものや訓練用に武装を外したものを除けばまともに戦えるのはたったの6機だ。

 海軍に至っては洋上監視や密輸阻止の任務が大半であるため、対空ミサイルを搭載した艦船がそもそも存在しない。

 唯一まともなのは陸軍だが、ほとんどの装備が冷戦期の旧式兵器であり稼働状態も低い。コロンボに展開したまではよかったが、その後の空襲と艦砲射撃で大半が吹き飛ばされてしまったという。

 

「陸上部隊についてはどうだ。現地から情報は届いていないか?」

「こちらも詳細が明らかになっていません。在スリランカ大使館から敵が複数の戦車を擁するという情報だけは伝わりましたが、その後大使館員はすべてインドに退避しました。ゆえに続報に関しましてはスリランカ政府の発表を待つしかないかと」

「一つだけ確かなことがあります」

 

 国防長官のオルグレンがワーナーに説明するように言った。

 

「コロンボは数年前までスリランカの首都だった大都市であり、我が国のニューヨークやフィラデルフィアに当たります。そのような場所を攻略した以上、敵の兵力は半端な数では済まされないでしょう」

「国務省でスリランカ政府とコンタクトを取りました。同国はコロンボ奪還作戦を実行するつもりのようですが」

 

 オルグレンの言葉をリレーするように、国務長官のマーヴィンが続いた。

 そして彼は説明を求めるように統合作戦本部議長のランズダウン将軍に視線を向ける。

 どうせ軍では彼我の戦力差を把握しているのだろう、早く説明してくれ。と言いたげな表情だった。スリランカ軍のコロンボ奪還作戦が成功するか否かで今後のアメリカの外交も変わってくる。外交全般を担う国務省のトップにとって、何よりも回答が欲しい問いのはずだ。

 その意図を理解したのだろう。ランズダウン将軍の背後に控えていた連絡武官は、将軍に短く耳打ちする。二、三度頷いた将軍は短く息を吐き、はっきりと言い切った。

 

「コロンボは既に敵の手に落ちたものと考えるべきです。奪還は不可能でしょう」

 

 執務室に誰のものともいえないため息が漏れた。

 アメリカから遥か遠くの場所とはいえ、正体不明の敵に占領された場所がある。この事態の深刻さを理解できないものは、少なくともアメリカの首脳部にはいない。

 

「敵は我々の先入観を突いてきた」

 

 ワーナーが短く、しかし閣僚すべてに聞こえるように言った。

 敵が海上及び航空戦力しか持たぬと油断していたことが、最悪ともとれる結果を招いた。そう言いたげだった。

 沈黙を破ったのは、大統領特別補佐官のアルダートだった。

 

「敵の狙いは、奈辺あるとお考えですか?」

「結論から言ってしまえば、インド洋の封鎖でしょうな」

 

 国防長官のオルグレンはそう答えると同時に、自身の背後に控える連絡武官に右手を挙げて合図を送った。あらかじめこのような問いが来ることを予想していたのだろう。合図を受けた連絡武官は大統領に一礼すると、壁に掛けられた世界地図の隣に立った。

 とこからともなく指示棒を受け取った武官はそれを伸ばし、先端でスエズ運河を指した。そして指示棒を移動し、紅海からアデン湾、ペルシャ湾、アラビア海、インド洋、マラッカ海峡へと順番になぞる。

 

「ご存じの通りインド洋は欧州、アラブと東アジアをつなぐ巨大なシーレーンの真ん中に位置します。インド洋を一日に航行する船舶は大小数万隻を数えており、この海を封鎖されれば世界経済への打撃は計り知れません」

 

 武官は一息に説明すると、指示棒を南シナ海に移動した。

 

「すでに南シナ海では同様の現象が発生しています。敵に占領された領土こそありませんが、南シナ海には神出鬼没的に敵艦が出現し、犠牲になる民間船舶も増えているとか。これと同様のことをインド洋でも行い、東西の航行路を完全に遮断することが敵の狙いでしょう」

 

 南シナ海では現在中国海軍が奮戦し敵の北上を食い止めているとの情報もあるが、完全に敵を駆逐できるわけではない。先日も撃ち漏らしが民間船舶を襲い、日本国籍の大型タンカーが撃沈されたというニュースは、閣僚らの記憶にも新しかった。

 

「ディエゴガルシアが空襲を受けたのも、このためでしょう」

 

 オルグレンが武官から指示棒を受け取り、ディエゴガルシアとスリランカを交互に指した。

 

「そもそもインド洋の安全保障を担っているのはインド海軍ではなく我が国であり、その根拠地はディエゴガルシアに位置しています。仮に敵がスリランカ全土を占領し、インド洋を封鎖しようとしても、我が軍の妨害を受けることは不可避です。敵がコロンボを拠点にスリランカ全土を占領し、インド洋を封鎖するためには、ディエゴガルシアの飛行場を破壊し我が軍の動きを封じることは必須条件だったと思われます」

「ディエゴガルシア空襲とスリランカへの上陸は連動していたということか?」

 

 ワーナーの問いに、オルグレンが頷いた。

 

「それ以外に考えられません」

 

 ワーナーはしばし瞑目した。目を閉じたまま鋭く思考を巡らせているようだった。

 ややあって目を開くと、天井に向かって短く息を吐いた。

 

「敵に連携あり、ということか……」

 

 これまで正体不明の敵に対して二つの考え方があった。

 

 一つは敵に共通の意思はなく、それぞれが人間に対して勝手気ままに攻撃を仕掛けているという可能性。

 もう一つは敵に共通の指揮者がおり、明確な意志の下で戦略的に行動しているという可能性。

 

 その答えが今出された。正解は後者だったのだ。

 

 敵に連携がなければ個々を分断し各個撃破することも、さらに言えば同士討ちさせることも可能だったかもしれない。だが敵が連携しているのであればそうはいかない。

 連携もなしに突っ込んでくるだけのイナゴの群れと、連携して獲物を追い詰めるオオカミの群れ。どちらが厄介かなど明らかだ。

 

「問題はインド洋だけではありません。このままでは極東の自由主義が干上がりますぞ」

 

 アメリカの経済を管轄する商務省の長、マイケル・ブライアント商務長官が警告するように言った。

 

「日本や韓国は経済の根幹であるエネルギー資源を海外に依存している国家です。インド洋が封鎖されれば、これらは攻撃を受けずともに崩壊してしまいます」

「第七艦隊の母港である日本の崩壊は喜ばしいことではありません。また、自衛隊が動けなくなれば大陸から太平洋へ通じる道が開き、中国海軍やロシア海軍の台頭を許すことにもなります。結果的に、アジアの軍事バランスが崩壊することに繋がりかねません」

 

 ブライアントに次いで、オルグレンが言った。

 

「現在我が国はデフコン1、戦時下にあります。あらゆる作戦行動は大統領閣下のご指示一つで可能です」

 

 ワーナーはオルグレンを真っ直ぐ見据えて言った。

 

「やれるか?」

「敵の弱点も、既に分析しております。今ならやれます」

 

 それに対してワーナーわずかに顔をひきつらせた。

 

「……弱点か、日本には貧乏くじを押し付けることになってしまったな」

「やむを得ないでしょう。確実に敵に砲弾を撃たせ、なおかつ飛翔ルートが概ね判明しており、かつ我が軍だけがこれを迎撃できる地点にいる。このような機会は偶然では訪れません。1000を超える犠牲者は想定外でしたが、我々の仮説は概ね証明されたと考えます」

 

 オルグレンの目配せを受けた武官が続いて言う。

 

「敵の航空機ならびに砲弾は現代兵器でも破壊可能。唯一攻撃が通らず、一度沈めば完全に再生してしまうのが艦船。スリランカに現れた陸上部隊はいまだ不明ですが、これまでの性質と在スリランカ大使館からの情報を踏まえれば破壊可能と推測できます」

 

 武官は「そして、その艦船もすでに弱点はあらわになっています」と言いながら、幾つもの写真やデータを執務室のデスク上に並べた。

 

「敵が修復できるのはあくまで損傷を受けた部位だけで、急激な浸水には対処できないことがムツの沈没で確証になりました。以後は魚雷をメインウェポンとして用いることになるでしょう」

 

 太平洋で第3空母打撃群を率い、初めて敵と交戦した空母打撃群の指揮官グラント・ハンブリング少将はとある仮説を提言した。それは敵の水上艦艇は急激な浸水に対応できないのではないか、というものだった。

 

 彼は交戦の折、魚雷の直撃を受けた戦艦がいつまでたっても傾斜を復旧せず再生もしないため、艦体の修復はできても飲み込んだ大量の海水を排水できないのではないかと考えたのだ。

 

 この仮説はその後の戦艦陸奥率いる日本攻撃で証明された。

 

 艦砲射撃を行い、ここから連続して斉射を行えば日本に大打撃を与えられるというタイミングで陸奥を雷撃させたのだ。もし魚雷に対する防御力を有しているのなら、このような好機を逃すはずもない。すぐさま再生して艦砲射撃を続行するだろう。

 しかし敵は再生しなかった。それどころか同士討ちを行い、あえて自らを沈めることで海中に逃げ去った。弱点を暴かれることを警戒したのか、それとも一度沈んで完全に再生しなければならないほど甚大な被害を受けたのか。いずれにしても敵の意図をくじいたことに変わりはなかった。

 

 敵艦の動きを魚雷で止め、かつ自沈できない状況に追い込めば封じられる。それがアメリカ海軍が導き出した結論だった。

 

「ハンブリング少将は本当に良い仕事をしてくれた」

「空母打撃群の指揮官として当然のことをしたまでです」

 

 ワーナーの賛辞にオルグレンは喜びを隠せない様子だった。ひとりの軍人として、部下が挙げた成果を誇らしく感じたのだろう。

 それを見たワーナーは「よし」と軽く頷き、過去を顧みるように言った。

 

「デフコンを宣言しておきながら、攻撃してきた敵にだけ応戦するという私のやり方が仇になったのかもしれん」

 

 今までは世界中で戦闘が勃発したといっても、所詮戦後体制が揺らぐ程度のものだという認識しかなかった。

 

 だが敵が連携しているというのなら話は違ってくる。敵が明確な意志の下で人間を攻撃し、直接殺すばかりか、経済を干上がらせて間接的に殺そうとしている。さらに、もし軍事バランスを破壊することで人間の同士討ちをも狙っているのだとしたら。

 

 敵は本気で人間という種族を滅ぼすつもりだ。

 このような敵に受身一辺倒で戦っては勝利などおぼつかない。積極的に攻勢に出て殲滅しなければ。

 

「インド洋へ新たに兵力を投下する。決して屈せぬという我々の意志を見せつけよ」

 

 ワーナーは宣言するように言った。

 

「インド洋の兵力展開の現状は」

「すでにインド洋には原子力空母エンタープライズを派遣し、空母打撃群を形成しております」

 

 すぐさまランズダウン将軍が問いに応じる。ここからが自分の役目だと認識しているのか、身を乗り出しての会話だ。

 

「1つでは弱いな……」

「弱い、とおっしゃいますと?」

 

 ワーナーの言葉にランズダウンは率直に疑問を口にした。言外の意図を図りかねた様子だった。

 

「このような状況下にもかかわらず、空母打撃群を1つしか派遣できぬのか。そう世界に思われれば終わりだ。空母打撃群は我が国の力の象徴だ。それを世界各国の注目している、敵との激戦地に2群投下すれば、世界はアメリカの決意を思い知るだろう」

「閣下、よろしいのですか?」

「かまわぬ。かつてアメリカは孤立を望んでいた、だが今は平時ではない」

 

 ランズダウンはワーナーの意志を瞬時に感じ取った。

 世界が混乱している状況ならばアメリカ合衆国与しやすし。そのような風潮が蔓延すれば、新たな侵略者を呼び込み、テロリストを後押しすることにもなりかねない。

 本国の防衛も行いながら空母打撃群を二つも地球の裏側へと派遣する圧倒的な力、それを世界に見せつければ今後、敵に立ち向かう意味でも、単純な国家競争においても、アメリカに逆らう国はいなくなるだろう。

 

「今自由に動かせる空母はいくつある?」

「現時点では3隻です、大統領閣下」

 

 ランズダウンは合衆国本国で遊兵になっている原子力空母について編成表を広げた。

 

 現在どの打撃群にも艦隊にも属していない空母はニミッツ級の『ハリー・トルーマン』『ジョージ・ワシントン』『カール・ヴィンソン』とジェラルド・R・フォード級の『ジェラルド・R・フォード』『ジョン・F・ケネディ』『ドリス・ミラー』の計6隻。

 このうち3隻は整備中であるため、すぐに動かせる空母は『ハリー・トルーマン』『ジェラルド・R・フォード』『ジョン・F・ケネディ』となっている。

 

 編成を一通り流し見たワーナーは即座に判断を下した。

 

「『ハリー・トルーマン』を喜望峰経由でインド洋に派遣せよ。2つの空母打撃群でインド洋を制圧、アメリカの存在を世界に見せつけるのだ」

 

 その言葉に対して、ランズダウン将軍とオルグレン国防長官がほぼ同時に頷いた。

 これまでは世界に展開したアメリカ軍が、攻めてくる敵に受身的に応戦するという形だった。しかしこれからは違う。

 アメリカが攻める側だ。

 初めてワーナーは歯を見せ、口角を吊り上げるように笑った。

 

「皆も、やられっぱなしというのは、気に入らんだろう?」

 

 敵の弱点を発見した以上、もう恐れる必要はない。

 他国の協力など不要。亡霊はアメリカ軍が一掃する。

 そんな燃えるような意志がありありと見えた。

 

「そして在韓米軍に命令する。在韓米軍は在韓アメリカ人の避難を秘密裏に実行せよ。アジアの軍事バランスが崩れれば朝鮮戦争が再開する恐れもある。そのような場所にアメリカ人をとどめておくわけにはいかない」

「承知いたしました」

「国防長官、ヤマトの現在位置は?」

 

 ワーナーの問いにオルグレンが即座に答える。

 

「現在尖閣諸島より北西100キロ、中国の経済水域に随伴の駆逐艦4隻と停止中。動く様子はありません」

「在日米軍はロシア、中国を警戒しつつヤマトの監視を怠るな。ヤマトが我々に乗じてインド洋に移動してくれれば都合がいい」

「かしこまりました、大統領閣下」

 

 そこまで聞くと、ランズダウン将軍が遠慮がちに言った。

 

「大統領閣下、そろそろ敵の呼称を定めて欲しいとの要望が上がってきております」

「呼称?」

「はい。マスメディアやSNS、軍などで呼び方がバラバラなのです。確認されているだけでも『Old She(古の彼女)』『Ghost Fleet(幽霊艦隊)』『Dead Man's Navy(死者の海軍)』等々…。名称がこれほど分散していては、有事の情報伝達に支障をきたします」

「名前と言われてもな。皆も知っていると思うが、私にそういったセンスは皆無なのだよ」

 

 執務室に居並ぶ政府首脳陣に向け、初めてワーナーは頬を緩めた。

 閣僚の誰もが苦笑いを浮かべる。どうやらワーナーがある意味での芸術家というのは公然の事実らしかった。事実ワーナーの美術の最終成績はCマイナスである。酷いものだ。

 それを見越していたのだろう。将軍は閣僚らを流し見つつ言った。

 

「一つ、これはという候補があります。グラント・ハンブリング少将が付けた名前で、現在太平洋艦隊で定着しつつあるとか」

 

 早く聞かせろ、と言わんばかりに誰もが身を乗り出した。

 

「ハンブリング少将は彼女たちをこう呼称したそうです」

 

 そして、彼は静かに言った

 

「『Abyssal Fleet(アビサル・フリート)』、と」

 

・・・・・・・

 

 オーストラリア連邦北部ダーウィン港では多くの軍艦が錨を下ろし、身を休めていた。南国の穏やかな海はそこにはなく、空は灰色の雲で覆われ、波が舷側を叩いている。

 そんな中、異彩を放っている軍艦がいた。漆喰のように白みがかったオーストラリア海軍の艦艇の中にねずみ色の軍艦が混ざっている。

 

「来るべき時がきた、という感じですね」

 

 海上自衛隊第四護衛隊群所属、ミサイル護衛艦『いなづま』航海長の東秀元はダーウィン港の荒れた海に目を向けた。

 現地時間にして8月5日。南半球にあるオーストラリアは現在冬の真っただ中だ。耐えられないほどではないが、皮膚に突き刺すような南半球独特の寒さがある。そこにきてこの荒れ模様は、冬の日本海を連想させた。

 

 3日前の8月2日のうちに、とうとう国会は自衛のみを可とする時限立法を可決した。とりあえず期限を一年間と定め、アメリカ軍と協力して防衛体制を構築していくことになったのである。

 

 各国との連携、協調をなにより重視する日本政府にとっては非常に難しい決断だったはずだ。8月1日の大型タンカー『愛光丸』撃沈がなければ、時限立法の成立すら難しかったかもしれない。

 本国のお偉方も、日本を支える原油を満載したタンカーが撃沈されよほど焦ったのか、それともようやく事態の深刻さを理解したのか。

 

「これまでのあいまいな立場からようやく解放された気分です。足枷が外れた、とでもいうのでしょうか」

「確かにな。だが、我々は完全に枷を外されたわけではない」

 

 『いなづま』艦長の榊原秀平は硬い表情の東を横目に、冷静に状況を分析していた。

 

「もちろん自衛のみに限定し、攻撃を仕掛けられないということは理解していますが……」

「いや、もっと大きな意味でな」

 

 榊原は視線を空に向けた。

 風が強い。いなづまのメインマストに掲げられている旭日旗がはちきれんばかりにはためいている。何事もないただの天気が、急激に変わりつつある事態を暗示しているように思えてならなかった。

 

「まずは集団的自衛権の問題だな。そのせいで我々は今もここにいるのだから」

 

 榊原は自身らが置かれている微妙な状況を思い浮かべた。

 そもそもの話、なぜ海上自衛隊の護衛艦がオーストラリアにいるのか。

 

 実は『いなづま』はつい先日まで、オーストラリア北東海域において日豪共同訓練を実施していた。しかし、帰国の途に就く前に不明艦隊が海中から出現。航路が塞がれてしまった。

 無論『いなづま』の戦力をもってすれば、これらを排除して強引に日本にたどり着くことは可能だったかもしれない。

 

 だがここで問題になったのが他国との外交関係、そして集団的自衛権の問題だった。

 

 仮に『いなづま』が何事もなく帰国できるのなら問題はない。しかしこのような情勢下だ。どうあがいても不明艦隊と遭遇する。もし自衛隊が他国の海で交戦でもしようものならことは大事だ。憲法違反だと国会で追及されることは免れない上に、外交摩擦を引き起ことにもなりかねない。

 そのため本国は「命令あるまで帰国を禁ずる」「そのまま待機せよ」と繰り返すばかりだったのだ。

 

 「それに」と東の方に向き直り、榊原は続けた。

 

「国内世論がまだまとまっていない。それが最大の問題だ」

 

 異変が起きてからずっとオーストラリアに居続けた自分たちには詳しくわからないが、日本が大混乱にあることくらいは容易に想像がつく。

 

 まだ国内世論は一枚岩ではない。いきなり戦争だと言われても実感がわかないだろうし、そもそも国民が戦争に賛成か反対かすらわからない。

 さらに世論の混乱を受けて左派野党は武力行使反対を、右派野党は時限立法ではなくNATOなどとも連携した完全な戦時体制への移行をそれぞれが声高に叫び、国会は連日空転している状態だ。

 

 国内の不協和音が今後悪い方向に影響を及ぼさねばよいが。乗艦と預かった乗員らの命を失うようなことになれば。もし自分が複雑な判断を強いられたとき決断できるだろうか。

 様々な思考が榊原の脳裏に浮かんでは消えてゆく。

 

 そして、東が何かを発言しようとした時だった。

 

「艦長、本国から通達です。オーストラリア海軍との作戦行動に備えよ、とのことです」

「何?」

 

 報告に榊原は眉をひそめた。

 共同の作戦行動となると、これは集団的自衛権の発動となる。しかし日本が集団的自衛権の対象としているのはアメリカ軍だけのはずだ。

 

 本国で何かがあったのか。そう自問する前に、続けて報告が入った。

 

「ダーウィン港のオーストラリア艦隊司令部より通信。日豪共同作戦について協議したい、とのことです」

「艦長……」

 

 東の震える眼差しを見ながら、榊原も声が出なかった。

 いつか来るだろうとは思っていたが、これ程早く事態が動くとは。

 

 自分たち自衛隊は本国の決めたとおりに動くだけだ。だが、そうもいえない状況に追い込まれているのかもしれない。

 

 榊原は艦橋の外を見やった。

 自分たちを嘲笑うかのように、曇天が空を覆っていた。



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23.誰為砲鳴

「救出作戦ですか?」

「左様です」

 

 オーストラリア艦隊司令部に呼び出された「いなづま」艦長榊原秀平以下、各部署の長らは各々が疑問の表情を浮かべた。

 

 オーストラリア側曰く、危険な場所に取り残されたオーストラリア国民を救出し、同時にオーストラリア緊急避難して行き場を失っている、日本国籍の大型商船舶26隻を日本本土に送り出すことができるのだとか。

 この大型船舶らはタンカーや貨物船など多種多様な船種で構成されており、いずれも日本にとって不可欠なものだ。海が閉ざされつつある現在の状況下において、外国からの輸入が届かないことは死活問題となる。

 これを拒絶する理由は、榊原にはなかった。

 

「本国からの許可も出ており、そして何より商船を安全に本国に送り届ける好機。我々にノーという答えはありません」

 

 正面をはっきりと見据えた榊原の発言に、オーストラリア艦隊司令官のルイス・ブロドリック少将は力強く頷いた。よく見ると彼の背後に控えている武官ら数人が、小さくではあるがガッツポーズをしているのが目に入った。

 

 軍艦1隻の力が大いに高まった現代戦において、援軍はたとえ1隻であっても頼もしいものなのだろう。

 第一段階は終わった、そう判断した榊原は、オーストラリア側の空気が落ち着くのを待ってから口を開いた。

 

「して、我々が協力する貴軍の作戦。アウトラインは聞き及んでいますが、より詳しくお教え願いたく存じます」

 

 国民を救出する作戦ということだけは聞かされているが、具体的にどこで何をするのかは聞かされていない。この内容が非常に危険なものであった場合、共闘の拒否という可能性すら出てくる。

 榊原は慎重にブロドリックの言葉を待った。

 

「ソロモン諸島はご存じですな」

「無論です」

「結構。単刀直入に申しますと、同国に取り残された国民を救出したいのです。同国はいくつもの島嶼からなる列島国家ですが、海が封鎖されつつある現状、国民を残しておくにはあまりに危険な場所ですから」

 

 危険な理由はいくつもあると、ブロドリックは身振り手振りを交えて言葉を紡いでゆく。

 

 まずは伝染病。太古の原生林が多く残るソロモン諸島は、同時に危険な伝染病の宝庫でもある。旅行客はワクチン接種が義務付けられているが、その効力は無限に継続するわけではない。

 さらに同国は後進国であり、治安経済ともに低いレベルにある。ただでさえ世界が混乱状況にある中、金品を身につけている外国人が留まるにはあまりにリスクが高い。

 

「そして最大の理由は、貴国が最も分かっているはず」

 

 投げかけられた問い。榊原には概ねその理由がわかった。

 だがそれが事実であるならば、とても悲しく、そして恐ろしい。

 

「ソロモン諸島が、かつての激戦地であるためですか」

「左様です」

 

 ブロドリックは大きく息を吐いた。

 

「ソロモンは先の大戦において、我が国やアメリカと貴国が激しく戦った場所です。つまり同地に沈んでいる艦船、航空機は半端な数では済まされません。これらすべてが復活すれば、ソロモンからの自国民救出は永久に不可能になってしまいます」

 

 榊原は思わず天井を見上げた。空気の重さに押しつぶされてしまいそうだった。

 大切なものを守るために、多くの人々が名も知らぬ南国で散っていった各国の若人たち。

 彼らによって守られた平和が、彼らの遺物によって脅かされるなど、何という皮肉だろう。

 

 だが、ソロモンが危険なのは疑いようのない事実だ。

 もしソロモンの激闘で失われた艦船、航空機、戦車のすべてが復活しようものなら、ソロモン諸島などあっという間に滅亡に追い込まれてしまうだろう。同国に残された人々がどうなるかなど明らかだ。

 

「ミスターサカキバラ、我々は自国民だけ救う、などという騎士道精神にそぐわぬ行動をとるつもりはありません。ソロモンに取り残された日本人136名、オーストラリア国民ともども救出する計画を立案しております」

 

 もっとも、救出した日本人は旅客機で日本に戻ってもらうことになりますが、と彼は付け加えた。

 これは大きな譲歩だ。

 日本単独では、ソロモンに残された国民など到底救えない。隣国中国に残された在中邦人すらまともに捌ききれない有様なのだ。

 

 これを逃せば、おそらく次はない。

 

「了承しました、貴軍に助力いたしましょう」

「ありがたい」

 

 ブロドリックは喜びが口から吹きこぼれたような声を出した。表情にも安堵が浮かんでいる。オーストラリア側にとっても緊迫する交渉だったに違いない。

 ブロドリックがいくつか目配せすると、部屋の灯りが暗くなりプロジェクターが起動した。

 

「オーストラリア海軍艦隊司令部、参謀付武官のダグラス・ケアード少佐であります。今回の作戦について説明させていただきます」

 

 ケアードと名乗る武官が指示棒を持って画面の隣に立つ。彼は一礼すると、話し始めた。

 

「オーストラリア人並びに日本人が取り残されているのは、ガダルカナル島、ツラギ島、サボ島の3島です。我々は敵の目を避け、同地から全ての国民を収容せねばなりません」

 

 3つの島々をめぐるように指示棒が動く。

 

「そして同時に、オーストラリアに緊急入港している日本の大型商船舶を太平洋に送り出す。これらを同時に成し遂げる必要があります」

 

 ガダルカナル島の周りをぐるぐると回っていた棒がつつっとスライドし、大型商船舶が停泊しているダーウィン、そしてブリズベンを指した。

 

「よろしいでしょうか」

 

 日本側、自衛官の1人が挙手で発言許可を求めた。榊原とブロドリックが了承するように頷き、目配せをする。

 

「ソロモンからの救出には航空機を用いてはいかがでしょうか。ジェット機であれば敵のレシプロ機は追随できません、リスクは低いと考えるのですが」

 

 話を聞いたケアードはかぶりを振った。こういった問いが出ることを想定していたようだった。

 

「救出にはキャンベラを使います。航空機は使えませんので」

 

 榊原は頭の中で名の出た艦のスペックを思い浮かべた。

 キャンベラ、正式にはキャンベラ級強襲揚陸艦のネームップ。元は空母として建造され排水量は2万5千トンを超える。かつてオーストラリア海軍の総旗艦を務めたこともある同国最大の軍艦だ。

 それほどの艦隊を出さねばならないほど、事態はひっ迫しているということだろうか。

 

「航空機が使えないとは……?」

「ソロモン唯一の空港、ホニアラ国際空港が空襲で壊滅してしまったのですよ。貴国には旧ヘンダーソン飛行場と呼んだ方が馴染み深いでしょうか」

 

 質問者でないにもかかわらず榊原は絶句した。そんな馬鹿な、と言いたいが言葉が出てこない。まるで舌だけがピンポイントで雷に打たれてしまったようだった。

 

「空襲は、何処の……」

「詳細は不明です。が、襲ってきたレシプロ機にミートボールマーク、日の丸が確認されたとの情報があります。おそらくご想像の通りかと」

「急がねばならない」

 

 それまで黙っていたブロドリックが腕を組んだまま言った。

 

「航空機だけで済むはずがない。軍艦が復活すれば救出は非常に困難になる」

「説明を続けさせていただきます」

 

 よろしいですね?というケアードの視線に、榊原は頷いた。

 

「キャンベラのほか我が軍の駆逐艦1隻、そしていなづま、及びフリゲート3隻で艦隊を構成。ガダルカナル島北部海域にてキャンベラから上陸用舟艇4隻を発進、両国民を各島より回収、その後キャンベラと駆逐艦、フリゲート2隻は来た道を戻る形でオーストラリア本土へ。残るフリゲート1隻でいなづまを太平洋まで護衛いたします」

「少々お待ちいただきたい。我が国の大型商船舶はどうなるのですか」

 

 説明が一区切りついたところで榊原は疑問を呈した。

 今説明がなされたのは、ソロモン諸島から国民を救出するプランのみ。26隻にも及ぶ日本国籍の大型船がどのようにして太平洋に出るのか明らかにされていない。

 ケアードはこともなげに答えた。

 

「貴国の大型商船舶はいずれも10万トンを超えるほどに大きく、救出作戦に追随させるのは不適当です。故にまず珊瑚海を通り、ソロモン諸島最南端のマキラ島を迂回、太平洋に出ていただきます。その後同じように太平洋に出た「いなづま」と合流し、日本本土に戻られるとよろしいでしょう」

「それはあまりに危険です。26隻もの大型船が隊列を組んで航行するなどできるはずがない」

「護衛及び指揮艦として、我がオーストラリア海軍よりフリゲート2隻を付けます。両艦の艦長はたとえ命に代えても商船を守ると明言しております。必ずや任務を果たすでしょう」

「では我が『いなづま』を商船護衛に回していただきたい。護衛は多い方が」

「それは――」

「ミスターサカキバラ、貴公はこの作戦の意味を理解しているのですか?」

 

 ケアードと榊原の言葉をブロドリックが遮った。

 

「意味ですか?」

「左様。今回の作戦は単なる救出作戦ではない。オーストラリア海軍と海上自衛隊の共闘であるからこそ、我々は日本の商船を守り、ソロモンに残された日本人を助けるのです。貴国が商船につきっきりとなり、ソロモンを放棄するというのなら、我々に日本人を救出する理由はない」

 

 その眼差しには酷く冷たいものが感じられた。それは敵愾心というよりも、失望という言葉がよくあてはまるかもしれない。空気がずしりと重くなり、冷や汗が染み出てくる感覚があった。

 

「そもそも、危険度が高いのはマキラ島沖合ではなくソロモン諸島です。危険な場所に突入するからこそ、我々は貴艦の援護を求めるのです。そして何より、大勢の軍艦で敵を北に引き寄せる、いわば貴国の商船のための囮になることにもなるのですよ?」

 

 その声色は、榊原自身もぞっとするほど異様な雰囲気に満ちている。

 

 いなづまがソロモン諸島に行けば、商船は一応オーストラリア海軍によって守られる。

 一方いなづまが商船を守りに行けば、ソロモン諸島の日本人は救出されない。恐らくその先に待っているのは死だ。

 いなづましかオーストラリアにいない以上、選べる答えなど1つしかない。

 

「……お約束いただきたい。必ず商船は守り抜くと」

「軍の誇りにかけて、最善を尽くします」

 

 ブロドリックは力強く言った。ブルーの瞳で真っ直ぐ榊原を見つめている。この感情に嘘はないように思えた。

 

 数秒後、視線は穏やかなものになり、一瞬にして空気の重さが霧散した。

 

「まずは全艦艇、全船舶に燃料を補給せねばなりません。作戦発動は早くとも3日後になります。それまでゆるりとダーウィンで休まれるといいでしょう」



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24.海上走艇

西暦20XX年8月10日 ソロモン諸島 ガダルカナル島

 

 ガダルカナル島は世界的なスキューバダイビングの名所として知られている。

 連日多くの観光客が未知の経験をし、満足感を抱えて帰ってゆく場所だ。

 

 だが現在、同島の海岸に詰めかけた大勢の人々にそんな様子は微塵も見えなかった。

 

 時計の針は既に0時を過ぎ、空には月齢の若い月が浮かんでいる。

 半月よりも小さい僅かな光が彼らを照らし出す。人種は様々だが、誰もが不安や恐怖、焦りを露にしている。何かから身を隠そうとするように息をひそめ、囁くような話し声だけがあたりを覆っていた。

 

「どうしてこんなことに……」

 

 そんな人々に交じって、1人の男が自分の運命を呪うような声を上げる。

 

 彼の名は並木哲夫。齢30代前半の愛知県庁国際課に所属する公務員だ。

 公務員といっても、別に有給を使って南国でバカンスをしていたわけではない。

 

 愛知県は知多半島におけるスキューバダイビングを観光産業にと考えており、地方振興のひとつとして力を入れている。そのノウハウの学習と交流を併せた海外視察に、運がいいのか悪いのか並木が選ばれてしまったのだ。

 海外視察といっても、必ずしも英語がペラペラである必要はない。実際の英語業務は国際交流員というマルチリンガルがサポートしてくれる。だが場所が場所なだけに、少なくとも外国語と外国人に対するアレルギーがないことが最低条件になる。

 おそらく自分の最終学歴が国際学部だったことが選考の理由だろうと並木は考えていた。

 

「大丈夫ですか、哲さん」

「ああ。だが少し疲れたよ」

 

 傍にいた国際交流員の青年、盛田翔が並木に声をかける。

 並木は虚ろな目で、大きなため息をついた。

 

 県庁から国外に退避するよう通達が届き、ホニアラ国際空港に到着したあたりまでは、並木は事態を軽く見ていた。

 

 だがそこで見た光景は想像を絶していた。

 突然プロペラ機の集団が飛行場を襲い、乗り込む予定だった旅客機が目の前で大爆発したのだ。空港に転がる無数の死体によって、彼は初めて事態の深刻さを悟った。

 噂が噂を呼びソロモン諸島全域は瞬く間にパニックになった。同国政府にこれを抑える力はなく、暴動や略奪が随所で頻発した。

 

 自分はここで死ぬかもしれない。薄々覚悟を決め始めていたそんな時。

 ソロモンの日本大使館から1つの通達が届いたのだ。

 

――自衛隊がオーストラリア軍と救助に来る。指定の海岸に集合せよ。

 

 絶望していた現地の日本人たちにとってその通達は、まさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸だった。帰国を固辞した一部を除き、大勢が指定された海岸に詰めかけた。最小限の手荷物と共に。

 

「にしても、本当に来るんですかね。こんなところに」

「来る。自衛隊ならきっと来てくれる」

 

 盛田にというより、自分に言い聞かせるように並木は言い、遥か彼方に目をやった。

 

 南の楽園とも呼ばれ、穏やかに太陽の暖かな光を浴びて煌めく海の姿はそこにはない。どこまでもどす黒く、それそのものが巨大な化け物のようだった。

 

(早く来てくれ、頼む……!)

 

 祈るような気持ちで、並木は心の中で叫んだ。

 その時、誰かの叫び声が聞こえた。

 

 並木は声の方向を見る。そしてそこに見えたものを見て、目を疑った。

 いつの間にか海上に灯りが浮かんでいた。それは爆音を響かせながら徐々に近づき、姿が鮮明になってくる。1隻ではない、2隻いる。どうやら後ろの巨大なプロペラで推進力を得ているらしい。

 

 それらは砂浜に直接乗り上げると、集まっている人々の前で横並びに停止した。

 

「ホバークラフト……?」

 

 どこともなく戸惑いの声が上がる。

 正面のハッチがゆっくりと開くと、中から軍服に身を包んだ数人の兵士が降りてくる。その手には銃が握られていた。

 

 兵士の1人が拡声器を使って呼びかけると数人が歓喜の声を上げた。静かにするよう呼びかけられていたが躊躇の様子はない。

 ざわめきが広がっていく。

 傍らの盛田を見ると、彼も声こそ出していないが右手で小さくガッツポーズを作っている。自分を見ている並木に気が付いたのか、彼は上ずった声で言った。

 

「哲さん、救助です。オーストラリア海軍ですよ」

「そうか……」

 

 並木はぽつりと呟いた。まだ助かったという実感がなかったのだ。

 兵士の前に列ができ、許可されたものから順番に2隻のホバークラフトに乗り込んでゆく。やがて並木の順番が来た。

 

「パスポートを」

「あ、えーと……どうぞ」

 

 英語を何とか聞き取り、わずかな荷物の中からパスポートを取り出す。

 兵士はそれをパラパラと確認すると、持っていたリストに横線を引いた。

 

「結構」

 

 パスポートを返すと、兵士は左側のホバークラフトを指さした。

 

「乗船を」

「は、はい!」

 

 言われるままに並木は足を進めた。ホバークラフトの上は広く、真ん中に大きな箱のようなものがいくつも置かれていた。別の兵士に誘導されて箱の中に入ると、電車のように壁に多くの椅子がくっついている。そのひとつに座って待っていると、チェックを終えた盛田がやってきて並木の正面に腰掛けた。

 

「……ま、いろいろあったが、とにかく助かった」

「そうですね」

「随分と椅子は窮屈だがな」

 

 並木は苦笑を交えて言った。知らぬ間に冗談を言う余裕が生まれている。

 ようやく救出されたという実感が湧いてきたらしい。

 そんな彼に向かい合う盛田は、周りを見渡しながら口を開いた。

 

「ああ、これはPTMというものだそうです。兵士を運ぶための箱だとか」

「盛田君はこういうものにも詳しかったのか」

「いえ、チェックの時に兵士に聞いただけですよ」

 

 答えながら彼は笑う。なるほどな、と並木は思った。確かにマルチリンガルの盛田からしてみれば、兵士と会話するくらいどうということはないはずだ。

 そんな会話をしている間にも続々とPTMに人が乗り込んでくる。僅かな空席を残して中は満員になった。

 

 やがて1人の兵士がPTMの扉を内側から閉め、隅の椅子に腰掛ける。重い音とともに外部と遮断されると、兵士は笑って親指を立てた。

 

「出発するそうです」

 

 盛田がそう言うと同時に、ホバークラフトがふわりと浮き上がった。

 床を揺らしながら上昇していき、ある程度の高さまで来るとゆっくりと動き始める。船とも車とも異なる感覚が足元から伝わり、海岸から離れていくのが感覚で分かった。

 

 しばらく海上を疾走していたが、やがてホバークラフトの動きが遅くなっていく。

 

 やがて兵士が何かを呼びかけた。おぼろげながら聞き取れた単語の中から「キャンベラ」というワードが聞き取れる。

 キャンベラといえばオーストラリアの首都だ。そこに戻るのだろうか。

 そんなことを考えた並木を盛田はちらと見ると、短く言葉の内容を伝えた。

 

「キャンベラという軍艦が救出作戦の指揮を執っているそうです」

 

 同時に大きな衝撃とともにホバークラフトが揺れ、そして静止する。

 辛うじて兵士の「get off」という言葉は聞き取れた。

 

「ホバークラフトから降りて、キャンベラに乗り移ってもらうと言っています」

 

 盛田が耳打ちする。同時にPTMの扉が開き、順番に人々が降り始めた。

 外に出て辺りを見渡す。巨大な船の中だ、波の音も聞こえる。どうやら船の後部が開き、ホバークラフトが直接乗り入れられるようになっているらしい。

 

「凄い船だな……」

 

 そんな独り言を呟きながらタラップで移動する。そしてキャンベラに乗り移ったとき、まるで不動の大地の上に立っているように感じられた。

 

 ホバークラフトの入り口になっていた艦尾の扉がゆっくりと動き始める。

 そして重い金属音が轟いて扉が閉じたとき、艦内から爆発的な歓声が上がった。1人2人ではない、数百人が同時に上げる叫び声だ。

 人種の関わりなく、PTMからキャンベラに乗り移った避難民が喜びを爆発させている。

 

 瞬間、並木は胸の底から熱いものがこみあげてくるのを感じた。

 現地の暴動に怯え、未だ見ぬ敵の攻撃に死を覚悟する日々のすべてが終わったのだ。

 

 これからは日本に帰国する未来が待っている。

 そんな安堵を彼は噛みしめていた。

 

 

「キャンベラより報告、ガダルカナル島の避難民を収容完了とのことです」

 

 救出艦隊の護衛を務めるフリゲート『パース』の艦橋に、キャンベラからの報告があげられた。ツラギ島、サボ島からの避難民の収容は既に完了しているので、現時点をもって救出任務は完了したということになる。

 キャンベラを中核とする艦隊は、収容地点であるガダルカナル島北部海域から遠ざかりつつあった。

 

「帰国を拒否した者以外に欠員はなし、人数も事前の情報と一致しています」

「取り残された者はいなかったということだな」

 

 パース艦長のドルー・ウェイクマン中佐は報告に大きな満足感を覚えた。

 救出作戦と銘打った以上、可能な限り帰国させたい。しかし現実には取り残される者も少なからずいる。それはやむを得ないことだと考えていたのだが、結果として取りこぼしはなかったようだ。

 

 そう判断すると、彼は今後の予定について考えを巡らせた。

 

 現在この海域にいるのは、旗艦キャンベラと護衛の駆逐艦シドニー、そしてフリゲートのスチュアート、パラマッタ、パースの3隻と海上自衛隊のいなづまから成る艦隊だ。

 そのうちパース以外の駆逐艦1隻、フリゲート2隻はキャンベラを護衛してオーストラリアに戻り、パースは太平洋の出口までいなづまを護衛する算段になっている。

 

「敵の動きについて情報は入っていないか?」

「現在のところ新情報は入っておりません。付近に艦船及び航空機の反応はなし、キャンベラの帰路にも問題はないかと」

「よし」

 

 最も恐れるのはオーストラリアに戻る最中のキャンベラが攻撃されることだ。

 もし彼女が撃沈されてしまえば、大勢が海に投げ出されることになる。そしてその多くは軍人ではなく民間人だ、犠牲者は半端なものでは済まされない。そうならないためにもキャンベラの安全確保は最優先事項だった。

 

 とはいえ、今のところ艦隊に危険が迫っている様子はない。救出作戦の最中に敵が仕掛けてくるかとも思ったが、そのような兆候は一切ない。

 正直なところ拍子抜けだった。

 

「キャンベラより通信、パースは所定の行動を開始せよとのこと」

「了解したと伝えろ」

 

 指示を受けて士官が通信を返した。

 キャンベラの周囲では慌ただしい動きが起きている。駆逐艦とフリゲートがパースといなづまを除き、再度輪形陣を形成しようとしているのだ。現状敵影がないとはいえ長居は禁物。急ピッチで撤退にかかるのも至極当然といえた。

 

 そして、残されたパースも次なる作戦に移行する。

 

「イナヅマに発光信号、ブエナ・ビスタ島の西を北上する」



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25.護衛完遂

西暦20XX年8月11日(現地時間) ソロモン諸島 マライタ島沖合

 

「来た!」

 

 オーストラリア海軍のフリゲート、パースの艦橋で双眼鏡を覗いていた艦長のドルー・ウェイクマンは、視界の先に映ったものを認識して思わず叫んだ。

 

 現海域はマライタ島、ソロモン諸島で太平洋に面した島嶼の沖合。

 

 パースは海上自衛隊との救出作戦を終えたのち、同護衛艦『いなづま』と共にソロモン海を縦断。そして2隻とも被害を受けることなく、夜明け前には現海域、つまり太平洋に出た。

 しかし待てど暮らせど、当初の計画で合流予定だった日本国籍の商船がやってこない。とはいえ無線封鎖中であるため呼びかけるわけにもいかない。

 

 結局パースといなづまま待ち続けるしかなく、そのレーダーが商船らを捉えたのは、夜が明け始めた頃だった。

 作戦では深夜に合流する予定だったところがこの時間まで延びたのは、単純にタンカーやコンテナ船といった商船の速力が鈍足であることもあったが、それ以上に船団を構成しての行動が非常に難しかったために他ならない。

 

 一般的に船団というものは、大きさや性能が同じくらいの船で構成するのが一般的である。

 複数の船を組み合わせた場合、全ての船が最も遅い船にあわせて航行することになり非効率極まりないためだ。

 とはいえ、オーストラリアに避難していた26隻もの大型商船を一気に日本まで帰国させるにはこの手法しかない。

 

 かくして船団は、商船団の護衛を命じられたフリゲート『バララット』『トゥーンバ』と共に、水平線から差し込む曙光を背に登場する形となったが、その構成はくじ引きで船を集めたかのような乱雑さだ。水平線から身を乗り出してくるシルエットは、お世辞にもバランスの取れたものとはいいがたい。

 やがて船団の先頭に位置する小さなシルエット、フリゲートのバララットからパースへと通信が飛んだ。

 

 

「パースより報告です。商船は全船が健在。鉱石運搬船4、LNGタンカー4、原油タンカー8、コンテナ船10、計26隻現着しました」

「よくぞ……」

 

 海上自衛隊の護衛艦『いなづま』の艦橋。

 報告を受けた艦長の榊原秀平の口からは、感極まった言葉がこぼれた。

 

 よくぞ1隻もはぐれなかった。よくぞ敵に襲撃されずに済んだ。よくぞここまでたどり着いてくれた。複数の思いが溢れ出しそうになったが、言葉にできたのは「よくぞ」の3文字だけだった。

 榊原は膝に手をつき、全身から疲労が浸み出すような安堵と共に、深いため息を漏らす。

 

 民間の商船を26隻、それも10万トン、20万トン級の超大型船を他国の艦船に委ねるのには大きな不安があった。作戦内容をオーストラリア海軍司令部で協議した折、フリゲート2隻の艦長は命に代えても商船を守る、と聞かされてはいたが、正直なところその技量には疑問符をつけていた。

 

 だがその疑念や不安はたった今払拭された。

 

 2隻のフリゲートは懸命に船団をまとめ、1隻の落伍も出さずここまでたどり着かせたのだ。両艦の指揮官は非凡な手腕を発揮したといえるだろう。榊原は瞬間、目の前にいるわけでもないオーストラリアの軍人たちに尊敬と畏怖を覚えた。

 

 だが決して油断はできない。ここからは『いなづま』単独で、この26隻を日本まで送り届けなければならないのだ。

 現海域からマリアナまで約3000キロ、そしてマリアナから日本の経済水域まで約1200キロ。計4200キロを護衛し続けなければならない。

 いなづまの航続距離は5800海里、10000キロ以上だからスペック上は無補給で日本まで航行できるが、乗員がそれだけの長期にわたる護衛任務に耐えられるかは未知数だ。

 訓練通りにやれば不可能ではないが、訓練通りにいかないのが実戦なのだから。

 

 だがオーストラリア海軍は自らの職務を全うし、しかも最善の結果を出したのだ。

 ならば自分も彼らの誇りに応えねばならぬと、榊原は気を引き締めた。

 

「艦長、パースより無線が入りました。音声通信で交信を求めています」

「わかった」

 

 榊原は小さく頷き、受話器を手にした。送受信ボタンを押して回線をつなぐ。

 

「いなづまへ、こちらパース艦長ウェイクマン中佐」

「艦長の榊原二佐だ、貴軍の助力に心より感謝する」

 

 榊原が謝辞をかけると、ウェイクマンはやや声のトーンを抑えた口調で答えた。

 

「できることならば商船の護衛はイナヅマに任せたかったが、今回の作戦に求められていたのは豪日の協力だ。共にソロモンへと赴くべしというのが艦隊司令部の判断だった。貴官らには非常に心苦しい判断をさせたと思うが、作戦成功のためだったと理解して貰いたい」

 

 受話器から聞こえてくる声は、疲労こそ隠せてはいなかったが、とても力強い。

 

「救出については、される側も最大限の努力をすべし。それは我々も理解している」

「貴官がその認識を持ってくれたおかげで、我々は救出を無事に完遂しただけでなく、絶望の中にある国民にも希望を与えられた。国は諸君を決して見捨てぬという希望を」

「それはこちらも同様だ。貴軍が商船を残らず守り抜いてくれたおかげで、我が国はシーレーンを維持することができた。これは日本にとって大きな支えになる」

 

 榊原の言葉に受話器の向こう側で一瞬の沈黙があり、笑ったような息遣いが小さく聞こえた。

 

「貴軍との間にあったわだかまりは、どうやら解けたようだな」

 

 そう言ってから、ウェイクマンは少しだけ砕けた口調になった。

 きっと作戦のすり合わせの折に、商船の護衛に関して僅かながら意見の衝突があり、自衛隊の側が不本意な形で引き下がらざるを得なかったことを言っているのだろう。

 

 だがそれは、今となっては些末なことに過ぎない。

 

「これからも期待していますぞ、我が国の勇敢なる同盟国に」

「こちらこそ、よろしく頼みます。豪州の誇る勇猛果敢な軍隊に」

 

 通話を終え、榊原はふっと表情を和らげる。

 

(同盟国……か、なるほど)

 

 同時に、海域にいた3隻のフリゲートが反転し、艦隊を形成してゆく。

 逆三角形のような陣形で『バララット』『トゥーンバ』の2隻を先頭に、その後ろを『パース』が征く。

 

 海域には多数の商船といなづまが残った。

 商船に通信を送り船団を形成させながら、これでいい、と榊原は思った。

 

 オーストラリアとの関係はおそらく深いものとなってゆく。

 今回の件を経て、両国の関係は一層強固なものとなるに違いない。

 それは非常に望ましいことだ。

 

 榊原は再び艦橋を見渡し、部下たちの顔を眺める。皆一様に疲れ果てていたが、どこか満足げな表情を浮かべていた。

 

 軍人であれば誰であっても、友軍の勇敢な行動を見れば感動する。

 しかもそれが、かつて日本と敵対した海軍なのだ。

 

 かつての戦場で、かつての敵が日本を救ってくれた。

 

 これを皮肉に捉えるほど、彼らは愚かではなかった。



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