トーキョー・ファンタズム・クリンク (和泉キョーカ)
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エピソード・インブルーⅠ

◆レミリア・スカーレット
使用可能能力:怪力
使用不能能力:運命を操る程度の能力、飛行能力、高速移動能力、再生能力、その他吸血鬼としての能力
持続弱点:なし
無効弱点:流水、日光、にんにく、鰯の頭、柊の枝、その他吸血鬼及び鬼の弱点


 ここは日本、東京臨海副都心。侍が刀を佩いて草履で地を踏んでいた時代、異国の船艇対策として幕府が大砲台場を設置したこの地も、今では潮風が薫る人々の憩いの場所となっている。

 そんな海を埋め立てて固められた街の海辺のマンションのエントランス前で、ひとりの青年が傾き輝く落日を目を細めながら見つめていた。そんな青年の背後から声をかける影がひとつ。

「――本当に、良いのね?」

「構わないよ。元々こうなったのは僕のせいでもあるわけだしさ。」

「厳密には過干渉な迷惑神様のせいだけれどね。」

「その迷惑神様と契約しちゃったのは僕だよ。」

「破約条件が記載されていない契約だなんて、随分と時代遅れ(レトロ)な代物をしてくる物よねぇ。」

「それ、君が言う?」

 苦笑しながら、青年は影の方へと視線を移す。西日が作り出す暗がりの中に佇むその人物は、ドレスのようなロングスカートを潮風に揺らしながらとぼけたような声を出した。

「あら、何のことかしら。」

「今僕が君と締結したこの契約だって、破約条件が明記されていないけど?」

「時代遅れな世界に生きる時代遅れな妖怪ですもの、それも味ではなくて?」

「開き直るなよ……。」

「それじゃ、そういうわけでこれからしばらくよろしくね。」

「……はいはい。ここで何言ったって君は上手い事はぐらかすだけだからね。」

 青年が呆れたように首を振りながら了承すると、その場からふいに影の気配が消失した。青年はため息をつき、燃えるような赤毛が混じった黒い後ろ髪を掻きながらエントランスの中へと踵を返すのだった。

 

 僕が学校疲れを抱えながら一人暮らししているマンションの一室に帰り、のドアの鍵穴に鍵を差し込もうとすると、ドアノブに違和感を感じた。ドアノブを握ってみると、まるでハムスターの回し車のようにクルクルと回転するではないか。よくよく見てみると、凄まじい握力で握り壊された形跡がある。つまり、あの契約(・・・・)の第一の被害者が中にいるということだ。そして、僕の思いつく限りこんな芸当をするのは一人くらいしか思いつかない。

 僕が屋内に入ると、予想に違わぬ人物がテーブルの席にちょこんと座っていた。

「あら、こっちの人間ってのは案外暇じゃないみたいね。」

「当たり前でしょ。君たちと違って僕らの命は忙しないんだ。皆が皆短い時間の中で『自分自身』を証明するために足掻いているのさ。」

「その考え方がもう短い時しか生きることのできない下等生物の思考回路よね。」

 僕はドアを閉めながらノブを握り、滅茶苦茶に破壊されたそれを修復すると、靴を脱いで彼女の目の前に荷物を並べ置き、首元のネクタイを緩めた。

「あんた、事情は知っているんでしょう。」

「うん。全部紫さんから聞いたよ。随分と困った異変が起きたものだね。」

「はん、誰のせいだか。あの時の屈辱、まだ忘れちゃいないわよ。」

 そう言って優雅だが一切隙を見せない姿勢で椅子に座っていたのは、レースがふんだんにあしらわれた白っぽいピンク色のワンピース・ドレスのような衣装を身に纏い、ナイトキャップで青くも見える銀髪を抑え、背中から生える蝙蝠のそれのような翼をピコピコと動かす、齢十歳程に見える少女だった。

 その名をレミリア・スカーレット。僕らの世界で考えれば、華麗なるルネサンスの時代から生きている吸血鬼である。

「……まぁ、その時の責任を少なからず感じてるから、こうやって異変が解決するまでの間、君たちの受け皿になったんじゃないか。」

「私としてはそれなりに楽しいわよ、この状況。」

「そうなのかい? 幻想郷のルールから外れているんだよ?」

「おかげさまで怪力以外の能力を失ってるけど、代わりに弱点も無くなっているもの。まさか私が生きている間に生身のまま太陽の下を歩ける日が来るとは思わなかったわ。」

 僕は鷹揚に頷き、ドアをほんの少しだけ開けたまま自室に入った。上着とネクタイを脱ぎ、鏡の中に映る自分を見つめてみる。鏡の中の僕の髪の毛には、少し言い逃れできない量の赤毛が混じっている。未だに別の契約(・・・・)が履行されているおかげで情報の隠蔽に労力はいらなかったが、それでもこんな姿になってしまった自分を今一度見てみると、少しうんざりというか、げんなりしてしまう。

 ちらと開けておいたドアの隙間からリビングの方を見ると、レミリアは退屈そうに足をばたばたと交互に揺らしながらテーブルに突っ伏していた。彼女がこの東京にいる理由は、やや複雑だ。『そういう異変』と言ってしまえば片は付くが、それでも今彼女は尋常でない怪力を持っただけのただの幼女なのだ。

 

「幻想外れ?」

「そう、幻想郷のルールと常識から外れ、外の世界……貴方達の世界のルールと常識が適用されてしまう状態のことを、幻想外れと。今のところは称することにしたわ。」

「つまり、幻想郷で使えていた能力や妖力が使えなくなった状態で、僕らの世界行きの片道切符を切られちゃうってわけ?」

「そう思ってくれて構わないわ。そしてその原因が――。」

 

 僕、というわけなのだ。かつて妖怪の大賢者を苛つかせるレベルで大暴れをしてしまった僕の影響力は今も幻想郷の地を蝕んでおり、その修復の反動がこのような形で顕現している。その責任を取る形で、僕はその大賢者と契約(・・)をし、この騒動が完全に収まりきるまで『幻想外れ』の被害者を一時的に匿うことになったわけで。

 虚像の僕は呆れたような苦い顔をして溜息をつき、鏡から離れた。

「お嬢様、お買い物の時間だよ。」

「……はぁ?」

 僕は肩掛けカバンを首に通しながらレミリアに立ち上がるよう促したのだが、当の彼女は信じられないという風な表情で僕を睨みつけてきた。

「今日の夕飯の食材を買いに行くんだ。君も一緒においで。」

「誰に向かって物を言っているのかしらこの猩々。」

「僕そんな毛深くないんだけど……あ、もしかしてこの赤毛のこと言ってる?」

「とにかく私は嫌よ、買い出しなんて使い魔かメイドのすることだわ。」

 まぁ、そう言うと思ったけど。短い時間とは言えこの家に居候する身なのだから甘えたことを言ってもらっちゃ困る。

「いやぁ、来てほしいなぁ。」

「だが断る! このレミリア・スカーレットの最も好きなことのひとつは、自分と同等の存在だと思い込んでいる奴に『NO』と断ってやることよッ!」

 人にパンの枚数聞いたり吸血鬼だったり、この幼女はホントに奇妙な冒険してそうだよなぁ……。まぁ、どうしても嫌だと言うのなら仕方がない。最後の手段と行こうかな。

「お嬢様、『幻想外れ』の詳細は知ってるかな?」

「幻想郷の常識やルールが適用されず、外の世界の常識とルールがそれに成り代わるように自身の中に刷り込まれる……あっ!」

「そ、君は今犬歯が鋭くて翼が生えていて少し馬鹿力ってだけの小娘なのさ。」

「ひ、卑怯よアンタ!」

「吸血鬼の状態であれば一日二日絶食したとて問題はないだろうねぇ。あ~、でも残念だなぁ、今の君はほとんど人間に近い。一日二日絶食すれば空腹で動けなくなってしまうかも……。さて、もうわかるね?」

「こンの……虫ケラ風情が粋がって……ッ!!」

「はっはっは! まぁ今君はそんな虫ケラに寄生しなくちゃ生きていけない非力な存在なのさ。わかったら一緒に買い物行くよ。」

 要するに、『言うこと聞かなきゃごはん抜き』とか言う、誰しも子供の時分に両親に一度は言われたことがあるお達しである。僕は不貞腐れるレミリアの外見情報を改竄して、淑女をエスコートするようにその手を取り、外界へと足を踏み出した。勿論、修復したドアノブに鍵をかけて。

 

「お嬢様、何が食べたい?」

「肉!」

 至極シンプルで大変助かる。最初こそ「どうして私が」、「人間風情が生意気に」、とかぶつくさ言っていたレミリアだったが、モノレールで数駅の場所にある大型商業複合施設を見た途端に機嫌を直し、まるで外界に初めて触れた子犬のように興味の向くまま駆け出していった。

「肉と言ってもなぁ……色々あるし。」

「そうねぇ……久しぶりに白人の――。」

「ごめん、現代日本のスーパーには畜生の肉しかないわ。」

「えー、じゃあ犬でいいわよ。」

「牛か豚か鶏か羊!」

「嫌よそんな下賤な肉!」

 レミリアは「あんたに持たせていると私の欲しいものが入れられない」と僕からひったくった買い物カゴを片手に提げ、精肉コーナーで渋い顔をしている。

「……じゃあ羊でいいわよ。」

 そう言って一番高いラムチョップをカゴの中に大量に放り込んだ。随分な食欲である。お金足りるかな。

 その後も気の向くままにスーパーの中を散策していたレミリアだったが、あるコーナーでその足を突如止めた。

「……ねぇ、これ何?」

「ん? 氷菓食べたことない?」

 それは、アイスクリームやカップアイス、氷菓子が大量に並べられた冷凍庫だった。レミリアは興味津々と言った表情で瞳をきらきらさせながら冷凍庫に額をぴたりと押し付ける。

「かき氷や湖の氷とかアイスクリンなら食べたことあるけど……これはそういうのではないの?」

「ちょっと違うかな。どう違うかって言われても僕はアイスの知識はあんまりないから説明できないけど……。とにかくおいしいよ。う~ん、でもレミリアでも食べやすい物って言ったら……これかな。果汁入りの氷のお菓子。アイスバーって言うんだ。」

 僕らはそこらで買い物を切り上げ、複合施設の外に出た。そして、海の見えるベンチに座り、互いに買ったアイスの包装を破く。

 僕は小分けになったチョコアイスを口に含みながら、アイスバーをおいしそうに舐めるレミリアを見守った。

「ん……これ、おいしいわね! 帰ったら咲夜に作らせようっと!」

「そういえば……帰る手段って何なんだろう。」

「ほふぇ?」

 口にアイスバーを咥えたままきょとんとした顔で僕を見上げるレミリアを傍目に、僕は考え込む。

 ただ単純に結界が緩んだだけならば、あの大賢者が回収することは容易なはずだ。実は当の本人である僕も、一体僕の力がどのように作用して今回の異変を起こしているのかと言うのは一切聞かされていない。ただ、こちら側の世界に弾き飛ばされた幻想郷の住民を保護してほしいとだけ頼まれたのだ。もしもこのまま、こちらの世界にずっと留まることになったら、レミリアはどうするつもりなのだろうか……。

「――ねぇ! ねぇったら!」

「ん、ん?」

 はっと我に返ると、レミリアの顔が僕の鼻先にあった。

「何か変なこと、考えているでしょう。帰る手段が存在しなくて、私がこのままこの世界に居ることになったら、とか。精々そんなところじゃない?」

「……。」

 僕が無言のままでいると、レミリアは特に気にした様子もなく、僕が持っていた串に刺さったままのチョコアイスをぱくりと食べてしまった。

「ん、甘い! こっちもおいしいわね。――未来のことをウジウジ悩むのは、短い時を生きる虫ケラの特権ね。私はそういうの、少し羨ましいと思うわ。でもね。」

 レミリアは指で僕の膝の上の箱からチョコアイスを奪い取って、また口に放り込む。

「誇り高きツェペシュの末裔たるこの私は不確定な事象や未だ来ない明日のことに悩んだりしないのよ。今一瞬、この一瞬を全力で楽しんで生きるの。だから帰れないだとか帰る手段だとかはどうでも良いわ。

 向こうはこっちよりも時間の流れがゆっくりだって言うのは知ってるでしょう? 少しくらい帰るのが遅れたって、この私に不平を言う輩もいないしね。」

 そう言って海に沈みゆく燃える太陽を眩しそうに見つめながら、レミリアは足をじたばたと振り、チョコアイスを頬張り続けていた。



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エピソード・インブルーⅡ

◆レミリア・スカーレット
被改竄情報:吸血鬼であること
要奪取情報:運命を操る程度の能力


 ほんの少し、違和感を覚えることがあった。昼と夜を何度も何度も繰り返し、石油のような色の夜空に浮かぶ純白の月が満ちていく都度に、レミリアの周囲で小さな異変が起きていた。詳しく言うと、日に日に怪力が強くなっていっている。つい先日など、とうとうドアノブを握り潰してしまった。そして、今までどうということもなかった流水も、振れれば水膨れを起こしてしまうようになっていた。

「力が戻っているってことなのかな……?」

 至極真っ当な僕の予想を聞いても、レミリアは眉ひとつ動かさず、興味なさげに翼をぱたぱたと揺り動かすだけだった。

 僕の家のカレンダーは日付の右隣にその日の月の形がデザインされているタイプのものなのだが、それは完全な上弦の月の前日だった。夕食を優雅な所作で口に運ぶレミリアが、ふとナイフとフォークを動かす手を止め、僕に告げてきた。

「……私、多分明日には完全に元通りになると思う。」

「どういうこと?」

 僕が尋ねると、レミリアはおもむろに右手に持ったナイフで、左手の小指をすっぱりと切り落としてしまった。驚愕する僕の目の前で、肉と骨と皮の塊と化した細い小指、そして真っ赤な血液がテーブルに零れ落ちる。しかし、次の瞬間にはレミリアの左手の小指はまるで何もなかったかのようにフォークの柄を支えていた。

「ほら、再生能力まで戻ってるわ。最近、私の力が段々私の中に戻ってくる感じがしてたのよ。」

「それは……よくここまで力を振るうのを我慢できたものだね。」

「あら、私はもう人間を支配しようだなんて考えていないわよ? 少なくとも、今はね。」

 何とも恐ろしい一言を添えると、レミリアはナプキンで口元を拭い、あてがわれた自室の方へと去っていった。

 

 そして次の日、僕は学校で任されている仕事の作業に手間取ってしまい、マンションのエントランスに到着したのは、既に綺麗な上弦の月が夜空に煌めくような時間帯だった。普段通りに開いてしまうドアノブに違和感を覚え、家の中に入ると、何と全ての部屋の照明が消えていた。

「レミリア?」

 名を呼べど、その返事は聞こえない。根拠のない焦燥感が僕の心臓を震わせた時、僕が交わした第一の契約の力が身体の奥底からどこかへと向かっていく感覚がした。その感覚に従って来た道を引き返し、エレベーターの上昇ボタンを押してエレベーターに乗り込むと、僕の指は勝手にそのボタン――最上階の数字を押していた。

 ちぃん、と鈴のような音を響かせ、エレベーターが最上階、屋上庭園へと到着する。小走りでエレベーターから飛び出し、周囲を見回すと、上弦の月を見上げるレミリアの背中があった。

「レ――!」

 呼ぼうと思った、その瞬間。

「こんばんは、詐欺被害者さん。」

 僕の背後から声がした。聞き間違えるはずもない。その声の主の方を振り向くと、やはり僕の直感通りの人物がそこには立っていた。レミリアのそれにもよく似た帽子を被り、ロングドレスの裾をふわふわと揺らしながら、手の中の日傘を転がし弄ぶ、金髪の少女。

「紫さん……!?」

 名を、八雲紫(やくもゆかり)。僕が交わした第二の契約の契約主。僕に幻想外れをしてしまった幻想郷の住民たちの受け皿になるようにと依頼をしてきた張本人だった。

「ど、どうしたんだい? レミリアを迎えに来たの?」

「あら、貴方には世界が一筋縄で太刀打ちできる安易な物に見えているようね。若さの特権かしら。」

 紫は手にした日傘で、海の上に燦然と輝く上弦の月を指し、口を開く。

「水平線は水と空の境界線。つまり結界の境界よ。そして上弦の月は鏃が水平線へと向けられた弓の月。弓は此処から彼方へと力を届ける物。そして届ける力とは……当人が当人であるための証明となる力。」

「な、何が言いたいの?」

 その真意が掴めずに狼狽する僕へと、紫は淡々、言葉を紡ぐ。

「その力を奪い取り、他人事のように慌てふためく半神半人を打倒し、その力を自らの元へと取り戻したその時、水平線は彼の地への道を切り拓く……。」

「紫さん!!」

 僕が叫んだ時には、既に紫の姿はそこにはなかった。代わりに、悪寒がするような圧力が僕の背後から伝わってくる。恐る恐るそちらを向くと、そこには相変わらず優雅な立ち居振る舞いでこちらを見つめるレミリアがいた。彼女の背の奥で純白に輝いていたはずの上弦の月も、いつの間にか昨日テーブルの上に広がった血のような深紅色に染まっていた。

 優しく微笑むレミリアは、静かに、そして荘厳にその言葉を僕へと投げかけた。

「ねぇ……あんた、あっち(・・・)で私にしたこと、覚えてる? 覚えてないかもしれないから教えてあげるわ。私の首から下をちぎっては再生させてちぎって、それを一週間ぶっ続けで繰り返したのよ。

 あぁ……綺麗な月。さぁ、こんなに月も紅いから……。本気で殺すわよ。」

 

 僕が交わした第一の契約とはすなわち、異界の神が持っていた『現実世界に干渉する事象に関する情報を改竄する力』。それが幻想郷であれこの世界であれ、人間が住まうことのできる世界において具現化できる『事実』を書き換える力だ。故に僕がこの力から解放されたのは紫の隙間の向こう側であった。

 閑話休題、僕は弱まったとはいえ健在な第一の契約の力を用いてレミリアが放った巨大な炎弾を掻き消すと、思い切り前方に向かってジャンプし、その首元に盛大に右ストレートを叩きこむ。どうやら自分に対して行う情報改竄も未だ使用できるようで、レミリアは僕の思い通りに屋上のフェンスを突き破り、地上二百メートルの夜空へと放り出された。

 だが、その場でくるんと一回転し、まるで空の上に立っているかのように静止したレミリアは、余裕綽々といった表情で、先程よりも巨大な炎弾を同時に十数個生成した。

「デタラメが過ぎないかなぁ、さすがに……。」

「あら、あんたの能力の方がよっぽどデタラメじゃない。」

「僕、もうほとんど一般人みたいなものなんだけど!」

「あらあらまぁまぁ、こっちの世界の一般人も空を自由に飛べる物なんだねぇ。」

 そう言ってキシシと笑うレミリアの言葉通り、僕もレミリアが飛ばす炎弾をマンションに直撃させないよう、レミリアと同じ高度を浮遊していた。

 先程自分で言った通り、僕の中の第一の契約の力は日に日に薄れており、大規模な情報改竄は既に不可能になってしまっている。できて『自分の腕力はレミリアのそれより下である』という事実と、『自分は何の助力もなしに空を飛ぶことはできない』という事実に関する改竄程度。少し前であれば『空気は金属ではない』、『小枝は金剛より脆い』等の事実すら改竄できたのだけど……。

「でも、あんたは今最高に私の癪に障る力を持っているわ。――何か、わかる?」

「え――?」

 その瞬間、レミリアは手中に深紅の魔力で作り上げた大槍を生み出し、裂帛の雄叫びと共にそれを僕目掛けて投擲した。

「『スピア・ザ・グングニル』ッ――!!」

 咄嗟の出来事に僕の反射神経は追いつけず、ダメージ覚悟でその場で防御の姿勢を取った。しかし、その大槍は僕を貫くことは無く、僕の耳元を掠めてマンションの外壁を盛大に崩壊させた。

「――……わかったかしら。あんたが今無意識化で持っているもうひとつの能力。私が幻想外れした一番の要因。」

 

「あんたは今――私の『運命を操る程度の能力』を意識せずに発揮しているのよ。」

 

 唖然とした。茫然とした。愕然とした。深紅の月を背に優雅に浮遊するこの幼女が口にしたその『事実』は、僕の動きを止めるのに十分な威力を持っていた。何故なら、納得してしまったのだ。心の中でモヤモヤしていた自分も知らない能力があること自体はレミリアがこちらにやって来てから幾度となく感じていた。その正体が、レミリアの口から放たれたその一言で一気に腑に落ちた。

 それと同時に、紫が僕を受け皿にした真意も。紫はこう言った。『その力を奪い取り他人事のように慌てふためく半神半人を打倒し、その力を自らの元へと取り戻したその時、水平線は彼の地への道を切り拓く』と。

「君たちが幻想入りできる条件は……僕から(・・・)自分の能力を(・・・・・・)奪い返すこと(・・・・・・)――?」

「さぁね。」

 レミリアは短くそう返すと、再び冷酷な表情で手の平の上に悪魔の炎を呼び出し、静かに死刑宣告にも等しいその言葉を紡いだ。

「紅く美しい夜の夢は、終わらない――! 『スカーレットデスティニー』……!!!」

 次の瞬間、僕の体躯は紅い魔力を纏ったナイフによって隙間なく突き刺されていた。

「かはっ――!?」

 ナイフが重りとなってその場で反転してしまった僕の背にも、また隙間なくナイフが無数に食い込む。それでも僕は死なない。第一の契約は神との契約。ほぼ失ったとは言え、神に匹敵する生命の頑丈さは健在なのだ。

 超高温の大玉弾幕に身を焦がされようと、脆くなった皮膚に突き刺さるナイフが臓腑を捻じ切ろうと、僕は死ぬことを許されなかった。

「タ――ス……ケ、テ。」

 潰れた喉で声にならぬ命乞いをしようと、レミリアは弾幕を止めようとはしない。彼女は一体どんな表情で僕を嬲り殺しているのだろう。灰燼に帰した眼球はその姿をとらえることができない。人の形すら保っていない僕にひたすらナイフの嵐をぶつけて、悦に浸っているのだろうか。感覚すら喪失した僕にはもう何もわからなかった。

 

 気が付くと、僕はマンションの駐車場の入り口で五体満足、無傷のまま倒れていた。身に纏っていた学校の制服は綺麗な状態だ。無意識のうちに『自分の耐久度は有限である』、『自分の人体は再生不可能である』及び『自分が身に着けている物質は再生不可能である』という事実を改竄していたようだ。

 周囲にレミリアの気配はない。夜は既に明けようとしており、水平線の向こうに月が沈もうとしていた。エレベーターに乗り込み、自室のドアの前に戻ってくると、ドアノブが律儀に握り潰されていた。しかし、部屋の中に人の気配はない。代わりにテーブルの上には紅茶が注がれたティーカップが置かれており、一口分だけ飲まれていた。

「……つまり、運命は再びあの子に宿ったってことなのかな。」

 そんなちょっぴりサムい独り言を漏らす部屋に響いていた幼子のワガママはもう聞こえない。何だか変な気分だ。殺されかけたと言うのに、怒りや悲しみよりも寂しさの方が強い。一人暮らしゆえの感想なのだろうか。

 しかしそんな時、インターホンが静寂を破って鳴り響き、僕はドアノブを直すのを忘れていたのを思い出しながらドアの方へと歩み寄った。そしてドアをおもむろに押し開けると、そこにいたのは。

「あっ、お久しぶりです! 今日から少しの間お邪魔することになりました、現人神要素のなくなったただの巫女です!」

 新たな客人が立っていた。



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エピソード・デーティⅠ

◆東風谷早苗
使用可能能力:風を操る力
使用不能能力:奇跡を起こす程度の能力、風祝としての祈祷力、現人神としての力、飛行能力
持続弱点:なし
無効弱点:なし


「今日から少しの間お邪魔することになりました、現人神要素のなくなったただの巫女です!」

 彼女はそう言って満面の笑顔で手にしたお菓子の包み紙を僕に渡してきた。一番こちら側の世界に来ても何の支障もない人間が来てしまった。そもそもちょっと時代感覚にズレがあるだけの女の子が幻想外れの被害に遭ったところで、特にこれと言って僕が受け皿になるほどの非常事態でもないだろうに。

「そうでもないですよ? 基本的に文無しなのでご飯は困るし。」

「まず寝床のことを考えようよ。」

 見る角度によっては緑色にも見えるほど明るい色の長髪を持ち、日本人にしては異質な青色の瞳のその少女の名は、『東風谷早苗(こちやさなえ)』。博麗の巫女と毎度の如く信仰心稼ぎを競争している妖怪の山に住む巫女。こう見えても人ながらにして神となった現人神(あらひとがみ)であり、かつて大きく栄えた大神の巫女を務めているはずなのだが。

「お邪魔しますねー! ……そういえば生まれてこの方同年代の男の子の家に勝手に上がったことってなかったなぁ。」

「勝手に上がんないでよ。せめて許可取ってよ。」

「と言っても、諏訪子様に『外の世界に飛ばされることがあったら遠慮なく彼を頼りな』って言われているので……。あ、この部屋使っていいですか?」

「あっ、だからちょっと待ってってば! レミリアのお嬢が出てったばっかりで洗濯してないんだよ!」

 どうにも威厳がない。頼むからずかずか人の家を歩き回らないでほしい。そしてテレビの薄さだのIHコンロだのにいちいち驚かないでほしい。とても鬱陶しい。しかし僕が何よりも一番気になったのは、彼女の服装だった。

「なんでセーラー服なの。」

「いつもの巫女服だと怪しまれるじゃないですか、社務所から引っ張り出してきたんですよ。」

 縮んでへそが顔を出してしまっている、赤いリボンが目を引く紺色のセーラーと、身体の成長に置いていかれ、ミニになってしまった同色のスカートに身を包んだ早苗は、どこからどう見ても上京したての田舎娘にしか見えなかった。

「今、田舎娘みたいって思いましたね!」

「オモッテナイヨ。」

「私にはわかるんですよ! むむむ、奇跡の力が告げています……。あなたは次に『目のやり場に困る』と言いますね!」

「随分と前に着てたものなのか知らないけど、サイズもうかなり小さいじゃないか。目のやり場に困るから僕の服でも着て……ハッ!?」

「これが奇跡の力です!」

「奇跡みみっちくない?」

「みみっ!?」

 膝をついてしきりに「みみ……みみ……」と復唱し続ける早苗をその場において、僕は空き部屋のベッドのシーツやふとんを洗濯機に詰め込み、ゴミを片付けて掃除機をかけ、居住できるだけの環境を整備する。

 

 部屋が綺麗になったあたりで早苗は正気に戻り、僕がテーブルの上に用意していたお茶を飲み始めた。ひと心地ついた様子の早苗に、僕ば幻想外れの現状について説明を始める。

「第一被害者のレミリアは、月が上弦の形になっていくにつれて力が戻っていっていたんだ。紫さん曰く……あれ、なんて言ってたんだっけな。まぁとにかく、君たちが幻想郷に帰るためにはどうやら上弦の月を待たないといけないみたい。」

「こっちの月は今どんな具合なんですか?」

「それが……昨日レミリアが帰ったばっかりでね。多分あと一か月は帰れないんじゃないかな……。」

 僕は早苗が愕然とするかと思っていたけれど、予想に反して早苗はケロッとしていた。流石蛙の巫女。

「そうですか。まぁこちらの一か月なんて向こうにしてみれば一週間程度ですから、大した支障もないと思いますよ。それよりも! 私はこちらの世界に来なくなって久しいので! 一か月もあるなら色々案内してほしいんですよ!」

「えぇ……。まぁいいけどさ、そろそろ僕も夏休みだし……。」

「あぁっ! 夏休み! とても懐かしい響きです!」

「発言が年寄り。」

「としっ!?」

 湯呑を両手で握りしめながら「とし……とし……」とぼやき続ける早苗の心ここにあらずと言った表情を見ながら、僕は彼女が受けた幻想外れの影響について思索を巡らす。

 彼女には大まかにみっつの能力がある。ひとつは彼女を大きく象徴する、『奇跡を起こす程度の能力』。甘いものを酸っぱくしたり、空から蛙を降らせたりするみみっちぃ能力だ。もうひとつが、風祝(かぜほうり)と呼ばれる彼女の本来の役職由来の風を操る力。――と言っても、すべての風祝が風が操れるかと言えばそうではなく、単純に現人神の風祝である早苗だからこそできる芸当だ。最後のひとつが空を飛ぶ能力。博麗の巫女と大して変わらないものだけれど、まぁこの力は幻想郷の陣貝の間では必須レベルの代物だから……。

 さぁ、果たして早苗は何を失い、何を持続しているのだろう。……いつまでぼんやりしてるんだこの子。

「早苗?」

「わひぇ!? 何でしょう!」

「君、自分が何の能力を失ってるか自覚できてる?」

「いいえ、できてません!」

「ドヤらないで!?」

 最高のドヤ顔だった。もう後光すら見えるほどキラキラと眩く輝くドヤ顔だった。自分のことなのに。自分のことなのに。

 でも昨日の記憶が確かなら、早苗が力を取り戻していく過程で僕が無意識のうちにみんなから奪ってしまった能力が目覚めるはず。その時になって考えればいいのかもしれない。

「そ・れ・よ・り・も! 早くどこか行きましょうよ! ここ、お台場でしょ!? 私お台場って終ぞ行かないまま幻想郷に来ちゃったんですよ! ねぇねぇ、お台場観光案内、頼まれてくださいよぉ!!」

 まるで遊園地にやってきた幼子のようにテーブルを両手でバシバシと叩いてそう催促する早苗をなだめて、僕はひとまず外出準備に取り掛かる。

「そういえば君、そのセーラー服以外にどこかに行く服、持ってるの?」

「持ってませんよ?」

 まぁ、だろうね。いや、人に見られる外見に関しては僕の第一の契約で何とかできる。レミリアの翼や髪色、ドレスの見た目を変えられたんだから、早苗のパッツパツのセーラー服だって女子大生みたいな服装に変えられるだろう。

 でも、それは人から見た見た目(・・・・・・・・)であって、本来の外見情報が見えている僕の精神面によろしくない。一応まだ高校生の手前、生理的なアレコレで際どい服装を見ると非常に顔を合わせづらい。

「えーっとね、早苗……。」

 僕は何とか早苗を説得して、僕の服を着てもらうことにしたのだった。

 

 東京臨海副都心――お台場と言えば、何があるか。お台場に住んでいる人間から言わせてもらえばあるのは毎日のように続く開発工事、朝から晩まで騒ぐマナーの成っていない観光客、海から吹き荒ぶ冷ややかな潮風。基本的に見晴らし以外に住むメリットがない。

 でもそれは住んでいる側の人間の主張。度々訪れるからこそ、お台場の魅力は輝くのだろう。僕の隣でしきりにはしゃぐ元女子高生が良い例だ。無人走行のモノレールの最前席に座っている早苗は、先程から区間内をひたすら往復して乗り続けている。始点駅から終点駅、乗り終えたらまた終点駅から始点駅。もう三周目だ。

「ロボットのコックピットみたいで燃えますね!!」

 もうこのセリフも数十回は聞いた。毎日これに乗って通学している僕からしてみれば退屈極まりないのだが。平日の昼間から僕は何をやっているのだか。

 やがて早苗は、僕としては気付かないままでいてほしかったものに気付いてしまった。

「あれ何ーっ!!?」

 そう、レミリアと足を運んだあの複合商業施設……その敷地内には、とあるテレビアニメに登場するロボットの等身大立像がそびえている。早苗はその施設の最寄り駅で駆け足に降りると、僕も追いつけないほどの速度でその立像めがけてダッシュしていってしまった。

 僕が息も絶え絶えに早苗に追いつくと、それはもう無邪気に瞳を輝かせた早苗が立像を見上げて鼻息を荒げていた。

「ぼ、僕、能力が残ってても100m14秒なんだけど……! もうちょっと加減して……!」

「それよりもこれ! これなんですか!?」

「えーっと、――っていうアニメに出てくるロボットだよ。あと数分したら多分変形するよ……。」

「変形!!?」

 ワクワクしている早苗の目の前で、僕の宣言通り立像はその上半身を大きく展開させた。胸部や頭部、肩部の装甲がパカッと開き、中のLEDライトが明るく煌めく。それを目の当たりにした早苗はもう狂喜乱舞し、しきりに僕の背中を叩いて言語化しきれていない悲鳴混じりの日本語を叫んでいた。

「あー! ロボット見てたら喉が渇いちゃいました! 何かないですか? こう……最近っぽいやつ!」

「また雑なオーダーを……。」

 しかし最近っぽいものか。少しブームは過ぎているけれど、やはり女子高生の『最近っぽいもの』と言えばアレ(・・)しかないだろう。

「……これ、何ですか?」

 早苗を連れて複合商業施設の内部に入った僕が彼女に渡したのは、黒い球体――タピオカが十数個沈んだミルクティーだった。

「タピオカだよ。知らない?」

「たぴ……あぁ、菫子ちゃんが言ってた奴ってこれだったんですね! へぇ、意外と大きい。」

「どういう風に聞いてたんだ……。」

「蛙の卵みたいなのが沈んでいると聞きましたよ?」

 悪意がありすぎる。菫子は今でも二ヶ月に一度くらいの間隔で会ったりするけれど、そんなひどい人間だとは思っていなかった。

「まぁ、物は試しですから! ずごご。」

 ずごごって。今ずごごって音鳴ったよ。曲がりなりにも由緒ある神社の風祝がタピオカミルクティーのストロー咥えてずごごって言ったよ。

「ずごごごごご。」

 二度も言った上に今度は一度目よりも長い!

 早苗はそんな調子でまるまると練られたタピオカを吸引しながら、ミルクティーをあっという間に飲み干してしまった。

「あっ……。」

「あ?」

「あまあぁ~~~いっっ!!! 幻想郷じゃ味わえない甘さですよっ! あぁ、こういうの昔たくさん食べてたなぁ!! とっても懐かしい!! ので! もっと色々食べさせてください!」

「えぇ!?」

 その後も、フードコートの中にあったスイーツ店を巡っては買い、巡っては買いで、いつの間にか早苗の手だけでは足りず、僕の両手すらもお菓子やスイーツでいっぱいになったトレイで塞がってしまった。

 モンブラン、ショートケーキ、シュークリーム、落雁、ロールケーキ、パフェ、タルト、ムースケーキ、フロマージュ、ボンボンショコラ、クリームサンド、最中、ゼリー、マカロン、ハッロングロットル、羊羹、ガナッシュケーキ、ヌガー。

 そのどれもにそれぞれ違った表情を浮かべて喜び、そして無邪気に悶絶する早苗の姿は、大変愛らしく思えた。そう、その費用のどれもが、僕の財布から捻出されていることさえ看過すれば――。



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