四条眞妃は飾りたい (秋野親友)
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第一話 四条眞妃は奪いたい

 朝、私立秀知院学園高等部の校舎入口。2年B組の靴箱の前に、一人の少女が立ち尽くしていた。髪をすべて結ってサイドにまとめていて、高校生にしては幼い印象を与える。だが、目の下にはあどけない顔立ちに似つかわしくない大きな隈があり、緊張からか顔は不健康な程に白くなっていた。そして、その手に握られているのは──

 

 翼くんへ♡

 

 やってしまった……少女は胸の中でひとりごちた。差出人の名前は書かれていないが、ハートのシールで封がしてある桜色の封筒は、誰が見てもラブレターと分かるものだった。後悔の念に苛まれながらも、もう後には引けないと心を決める。この手紙を彼に渡せば全てが変わるのだと自分を奮い立たせて、少女は想い人の靴箱を開けた。あの二人がイチャイチャしているのをただ見ているだけなんてもう耐えられない。彼の隣にふさわしいのはあのヘンテコヘアピン女じゃない──

 

 渚から彼のことを奪ってやる……いや、取り返してやる!

 

 

 

 

 

 

 遡って昨日、四条は自室でその日の出来事を振り返っていた。

 

 お風呂上り。机に向かって座り、湯気ののぼるマグカップを口に運んでいる四条の雰囲気は、学校でのそれとはまったく異なっていた。いつもサイドに結っている髪も家にいる時は下ろしているし、きりっとした目つきも今は柔らかい、少し眠たそうなものになっている。普段の幼げな雰囲気と打って変わって、憂い気な表情で頬杖を突く姿は、髪型の変化も相まってどこか大人びていた。

 

 彼女の名前は四条眞妃。四大財閥の一つに数えられる四宮家の正統な血筋を受け継ぐ名家の令嬢であり、名だたる旧家名家の子息、息女が集まる名門校私立秀知院学園に於いても、ひと際強い存在感を放つ生徒の一人である。それに加え、学園をまとめ上げる生徒会の会長・白銀御行、副会長・四宮かぐやに次ぐ実力を持ち、前期期末考査において学年三位を飾った天才である。

 

 突出した血筋、実力、そしてその可愛らしい容姿から、密かに男子からの人気も高かったりするのだが、『氷のかぐや』などとはまた違った刺々しさ、近寄りがたい雰囲気から彼女に告白するような勇気ある者はおらず、誰かとお付き合いに至ったという話もない。名家の令嬢として育ったが故の真面目さからか、元々恋愛などというものに興味が無いのか……

 

 「翼君……」

 

 否、彼女には既に想い人がいるのである。翼、彼もまた病院院長の息子という強力なステータスを持った少年である。が、そんな肩書きに惹かれる四条ではない。彼女が「私にふさわしい男」なんて言い出した日には、それこそ白銀に匹敵するような類稀なる実力か、四宮に勝るとも劣らない才能を有する者しか四条の隣に立つ事は許されないだろう。

 そんな天才たちと比べれば平凡とも言える翼の何処に惹かれたのか。四条曰く、翼は

 

 (一見ヘラヘラしているように見えるけど、ちょっとキツい事を言っても嫌な顔一つしないで笑いかけてくれる。包容力があって、一緒にいると心が安らぐ、兎に角温かい人……)

 

 四条が今日初めて口にした好きな人の好きなところ。

 

 曖昧なようで翼の全部が詰め込まれた風に感じる言葉たちは、頭に並ぶだけで胸がくすぐったくなる。こみ上げる恥ずかしさを押し戻すように、再びハーブティーを一口飲んだ。

 四条の翼への恋心は突然芽生えた訳では無い。むしろ翼と知り合った頃は、かなり冷たく当たっていた。だが、金銭や身分を目当てに軽々しく近づいて来るような男たちに辟易していた四条が、何の打算も無く笑いかけてくれる、それが当たり前だというように優しくしてくれる翼を好きになるのは、時間の問題だった。

 

 四条にとって、温かくも、少し苦々しい翼との思い出……

 

 「四条さん、これ、落としましたよ」

 「……ふん」

 

 翼君との初めての会話。どうせ彼も『四条』の名前だけを目当てに近づいてくる男の一人だろうと、その優しさを突っぱねた。

 

 「四条さん、良かったら僕のプリント見ますか?」

 「……余計なお世話よ」

 

 翼君との2回目の会話。私を誰だと思っているのかしら。ヘラヘラしたその態度が気に食わなくて、その小さな気遣いを嫌がった。

 

 「えへへ、四条さん、僕よりずっと頭良かったんだね」

 「……当然でしょ」

 

 翼君との3回目の会話。嫌味な私の態度に、それでもニコニコとしていて、何かがチクリと私の胸を刺した。

 

 「あ、僕も今からプリント出すころだから、一緒に出しておくよ」

 「……別に良いわ」

 「でも、職員室ってちょっと遠いし。あ、勝手に見たりはしないよ」

 

 翼君との4回目の会話。困った顔で、それでも笑いながら、その手を差し伸べてくれた。

 

 「四条さんも、チョコ一つどう?」

 「…ありがと」

 

 翼君との5回目の会話。打算を勘繰ることすら徒労と思える、何も考えていない様な彼の顔に、少しの安心感を覚えた。

 

 「それで、思わず握りつぶしちゃってさ」

 「ふふっ、何やってるんだか」

 

 18回目、どれだけ経っても彼は笑顔で、気付けば私もつられて笑っていた。

 

 あるとき、翼君が男子と話しているのが聞こえた。

 

 「髪の短い女の子が好みかな」

 

 勇気が出なくて、からかわれるのが怖くて、結局髪を結うようにしたのは2か月後だった。

 

 バレンタイン、せっかく作った本命チョコも、一応買った友チョコすらも渡せなくて、友達がチョコボールをあげるのを見て、何ともいえない気持ちになった。あれくらいなら私も、なんて考えたが、コンビニで買った一目で義理と分かるチョコなんて、尚更彼には渡せなかった。

 

新学期、また同じクラスになれた事が嬉しくて、ずっとニヤニヤしていたのを友達に怪しまれた。

 

翼との思い出が次々と蘇り、暖かい気持ちに包まれる四条。部屋で温かい紅茶を飲み、好きな人に想いを馳せながら、恋する乙女は頬を朱に染めて……

 

 「うぅ……えっぐ……ぐすん」

 

 泣き出した。

 

 「渚……渚め……」

 

 翼には既に恋人がいるのである。彼女の名前は柏木渚、奇しくも四条の古い友人である。柏木が、四条から翼を奪った泥々の三角関係、なんていう生々しいものではなく、むしろ告白したのは翼の方だった。

 だが、四条にとっては関係のないことだ。柏木が翼と付き合っているという事実は変わらないのだから。

 それまでは順調に翼と距離を縮めてきた四条(本人談)であったが、翼の予想外のアクションで全ての計画が狂ってしまったのだ。

 その告白の勇気と策を与えた存在が判明した暁には、週刊文秋だろうがヤホートップページだろうが四条家の権力で全てを捻り潰す覚悟だった。

 恨めば恨む程、記憶が蘇ってくる。優しく笑いかけてくれた翼君の顔……彼との思い出……私を差し置いて、幸せそうに笑う恋人達の姿……

 

 

 

 そして今日の放課後の部活動中、私の後ろでいちゃつく二人に耐え切れなくなって、自然と足が生徒会室に向いていた。勝手に部屋に侵入した私を咎めずに、紅茶まで淹れて迎えてくれた二人に、すっかり気持ちが落ち着いて、普段人に言わないような親友とその恋人に対する愚痴を感情のままに吐き出した。私の好きな翼君を、よりによって親友である渚に取られてしまった。告白したのが翼君だったのだから尚更やるせない。私の方が、ずっとずっと彼の事を好きでいるのに……

 

 気持ちを言葉にして吐き出したことで、一層想いが明確になっていく。憎たらしい二人の姿が鮮明になっていく。

 

 私は彼に好かれていると信じていた。いつか、翼君が私に告白してくれると、信じていた。

 

 彼が好きになったのは、私の親友だった。目を閉じれば浮かんでくる。静けさの中に聞こえてくる。二人のじゃれ合う姿が、互いに囁く甘い言葉が、

 

 

 「柏木さん、僕と付き合ってください!」

 「ひゃっ……は、はい」

 

 

 羨ましくて、

 

 

 「付き合って半年記念のプレゼント」

 「うれしい……」

 

 

 妬ましくて、

 

 

 「ちょっと、マキちゃんにばれちゃうって」

 「大丈夫だよ、ドキドキして楽しいでしょ?」

 

 

 憎たらしくて、

 

 

 

────────ぷつん

 

 

 

 だから、奪ってやる。




お気軽に感想などお送りください!

眞妃ちゃんが大好きです!!!


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第二話 四条眞妃は渡したい

 かくして、昨晩とうとう溢れ出した翼への想いは、四条の「告らせたい」「奪いたい」などという策略じみた理性を全て吹き飛ばし、気が付けば一晩かけて胸の内に秘めた偽りない恋心を一通の手紙にしたためていた。

 もう後戻りはできない。いや、まだ手紙は四条の手元にあり、まして靴箱に鍵は掛からないのだから、翼が靴箱を開ける前なら幾らでも計画を中止には出来るのだが、寝不足のせいで理性は枯れかけていた。四条の決意は揺るがず、頭に浮かぶ翼の困り顔さえも、渚の怒った顔さえも、その手を阻みはしなかった。そう、彼女の決意は固いのである。誓ったのだ。どんな手段を使ってでも、彼を手に入れてみせると。もう何物も彼女を止めることは叶わない──

 

「お、おはよう、四条。何やってるんだ?」

 

嘘である。呼ばれた声の方へ即座に振り向き、光の速さで手紙を後ろ手に隠す。そこには、四条よりも大きな隈、明るい髪に、胸元には輝く金色の飾緒を携えた男。いつもなら、全てを射抜き見破る様な鋭い眼光には、戸惑いの色が浮かんでいる。

 

「白銀……!」

 

人が来ないように朝早くに登校し、素早く事を済ませるつもりでいたが、よりにもよって事細かに事情を知る人間に出くわしてしまった。四条の様子を伺っていた白銀は全てを察したようで、いそいそと自分の靴箱へ向かう。

 

「ま、まあ恋愛というのは非常に繊細なものだ。お前の略奪を手伝う事は出来ないが、それを止める権利も俺には無いからな」

 

一瞬で四条の顔に血の気が戻った。今度は熱でもあるのかと疑ってしまうほどに顔を真っ赤にさせながら慌てて白銀に詰め寄ると、四条は必死に釈明した。

 

「ち、違うの!これは、そ、そう!渚に頼まれて!誰かに告白されたときに、翼くんがどうするのか知りたいって!」

 

「そ、そうなのか?まあ、どちらにしても早く済ませた方が良い。もう、ちらほら登校してくる生徒がいるはずだからな」

 

俺は生徒会室に用事があるから、と手早く靴を履き替えた白銀は早足で靴箱を歩き去っていった。

 

「ちょ、ちょっと、待ちなさいってば!」

 

白銀を引き止めようと叫んでみるが、すぐに視界からいなくなってしまった。残された四条は、荒い息を整えるように胸に手を当てて深呼吸をする。突然の出来事にすっかり気力を奪われて、怖気づいていた。

 慌てて握って少しよれてしまった手紙に目を落とすと、自分がしていることの滑稽さにだんだん悲しくなってきた。

 

 今日はやめておこうか、と少しづつ冷静になる四条に、本日二人目の訪問者が現れた。

 

「眞妃さん、おはようございます」

 

 背筋に悪寒が走る。冷えきった声色の挨拶に少し怯えながら振り向くと、そこにはにこやかに笑う悪魔が一人。まるで殺意でもあるかのようなどす黒いオーラは、もはや目に見えていると錯覚するほどだ。四条は負けじと不敵な笑みを浮かべ、いつも通りに皮肉を込める。

 

「おはよう、かぐや”おば様”」

 

ぴくぴくっ。と、額いっぱいにしわを寄せた、引きつった顔で四宮が応戦する。

 

「おや、その手に持っているのはなんでしょう?まさか、今どき殿方の靴箱に恋文、ですか?貴方のような全く可愛げのない子に振り向くような”きとく”な方が、果たしていらっしゃるのでしょうか」

 

不自然な強調に、それが酷い皮肉だと気付いた四条だったが、いつにも増して棘のある口撃にたじろぎ、ボロを出す前にその場を離れることにした。

 

「おば様には関係ないでしょ」

 

 それじゃ、失礼するわね、と早々と靴を履き替えると、四条は校舎の奥に入っていった。

 

 そういえば、何故おば様はB組の靴箱に来ていたのだろう。そんなことを考えながら、四条は誰に見られているわけでもないのに、なるべく自然な動作で手紙を鞄の中に仕舞い込んだ。翼、白銀、そして四条は同じB組に所属しているから、あの場所で白銀に出くわしてしまうのはごく自然なことだった。しかし、四宮はA組であり、校舎に入って真っ直ぐ自分の靴箱に向かえば、普通B組の靴箱は通らないはずだ。たまたま通りかかったと言えばそれまでだが、もしやB組の靴箱に用事でもあったのだろうか。

 まあ、私には関係のないことだと、ぼんやり考えながら教室に向かう。ラブレターを靴箱に入れるところを誰にも目撃されないように、運動部の早朝練習が始まる時間よりも早く登校したので、ホームルームまでかなり時間があった。何をして時間を潰そう、昨日やり残していた課題はあったろうか、と意識的に先程までの出来事から思考を逸らそうとしてみる。彼女持ちの男子生徒の靴箱に、ラブレターを投函しようとした現場を他人に目撃された事で、四条はすっかり客観性を取り戻していた。自分の一連の行動を顧みながら、少なくとも今日はもう行動は起こすまい、そう心に決めるのであった。

 

 

一方四宮は、四条が廊下の角を曲がり視界から消えるやいなや、マッハを超える速度で白銀の靴箱を開けていた。

 

「無い……」

 

いや、そういえば四条は手紙を持っていたままだった。思わず意味の無い行動を取ってしまった自分に、どれだけ焦っているのかと自嘲気味に笑う。つまり、四宮の思考はこうである。

 

──四条眞妃は、白銀御行にラブレターを出そうとしていた

 

自分の靴箱に向かいながら、四宮は考えを整理していた。

 四条が手に持っていたのは間違いなく手紙だった。いくら末家の娘だとしても、不幸の手紙やその類に現を抜かしたりはしないだろう。世間知らずのお嬢様でも一応は学年3位の秀才である。そうであるならば、十中八九あれはラブレターのはず。

 四条が所属しているのはボランティア部、まさかこんな朝早くから活動したりはしないだろう。四条が朝早く登校していたのには別の理由があるはず。

 間違いない。四条はラブレターを投函しようとしていた。では、四条は一体誰にラブレターを送ろうとしていたのか。四条は白銀の靴箱の目の前に立っていた。四条と白銀は出席番号が近いので、単に自身の靴箱の前にいたとも考えられるのだが、そうだとすれば靴を履き替える時にわざわざ手紙を持っていたことになる。つまり……

 

(白銀は私のこと可愛いって言ってくれましたけどね)

 

(御行は私の友達よ)

 

 かくして四宮は『四条は白銀会長にラブレターを送ろうとしていた』という結論に到達した。

 会長が社交辞令で発した「可愛い」の言葉を真に受け、全生徒たちに向ける親愛を好意と勘違いしてしまったのでしょう。あぁ、罪な会長。四宮の末家が会長を振り向かせられる可能性なんて1nmもあるはずないのに……

 会長といえば、会長の靴箱には革靴が入っていた。もう登校して生徒会室に行っているのだろう。早く仕事を手伝ってあげようと、いそいそと生徒会室に向かう四宮の頭の中では、四条を亡き者にするための計画が着々と練られていった。

 




読んでくださってありがとうございました!

書き溜めているのはここまでで、ここからは結構時間がかかるかと思います。

楽しみにしてくださる方は、のんびりお待ちください<(_ _)>


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第三話 四条眞妃は近寄りたい

タイトルがしつこいですね。少し考えます。


 その日の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。一睡もしていないことに加えて、今朝の出来事で精神がすっかり疲弊してしまっていた。翼くんへラブレターを贈ろうとした現場を白銀に見られた挙げく、何故か怒り気味のおば様に絡まれるなんて、まさに泣きっ面に蜂だ。今日という日を思わず呪いたくなってしまう。

 

 「マキ、今日の部活の事なんだけど」

 

 そして放課後、疲れ切った四条に追い打ちをかけるように、渚が話しかけてきた。昨日の部活動で二人がイチャいちゃしているのを散々見せつけられ、生徒会室へ逃亡したばかりだというのに、今度は何だというのであろうか。

 

 「今日、私急用が入っちゃって、部活行けなくなっちゃった」

 

 突然の知らせに、四条の脳は良し悪しの判断に迷った。渚が部活に来られなくなった……つまり?

 

 「じゃあ、今日は部活動は休みってことね」

 

 ボランティア部なのだから、元々根を入れて活動する部活でもないだろう。2日も続けて二人の恋愛の刺激薬になるのはこちらとしても願い下げだ。

 

 「でも生徒会に出さなきゃいけない会計報告書、提出期限が今日なんだよね。だから、悪いんだけど」

 

 続いた言葉に、人生悪い事ばかりでもないのかな、なんて思ってしまった。

 

 「翼と二人で書き上げて、生徒会室に出しに行ってくれる?」

 

 「はーい、了解」

 

 が、今日に限っては人生悪い事ばかりであると、私はこのあと思い知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これだね、生徒会に提出する書類。うん、これなら渚がいなくても大丈夫そうだね。時間もかからなそうだし」

 

 部室で書類を確認しながら翼が告げる。そう、今日の活動内容は時間がかからない簡単な書類仕事である。睡眠不足で疲れ気味の四条は当然、仕事を早く片付けて──

 

 「ごめん翼くん、それなら先に今日配られたプリント課題終わらせたいんだけど、良いかしら?」

 

 否、先延ばし!そして、

 

 「あぁ、そういえば今日やったとこ、難しそうだったね。僕も一緒にやっても良い?分からなそうだから教えてほしいな」

 

 「別に良いけど、先ずは自分でやらなきゃ駄目よ?」

 

 ──計画通り!

 

 四条はニヤけそうになるのを必死にこらえながら、数学のプリントを取り出す。

 

 先述の通り、ボランティア部は渚と翼の愛が非人道的に育まれる愛の巣、もとい悪の巣窟と化していた。そこに降って湧いた翼との二人きり、そんな千載一遇のチャンスをたかが寝不足如きでふいにする四条ではない。渚の認知のもとに行われる翼と二人きりの部活動である。彼女へのささやかな報復も込めて翼へのアプローチを目一杯楽しむつもりでいた。

 

 

 かりかり、かりかり。

 

 四条の向かいに座っている翼は真剣に数学のプリント課題に取り組んでおり、気が逸れている様子もない。一方言い出しっぺの四条はと言えば、プリントを進めつつも、時折顔を上げては翼の顔を覗き見ていた。渚と翼が恋仲になった今、真正面からまじまじと翼の顔を見る機会など滅多にないのだ。四条はここぞとばかりに彼の優顔を見つめていた。

 そして、四条に更なるチャンスがやってくる。

 

 「うーん、駄目だ。全然分からないや」

 

 「しょうがないわね、全く。ちょっと見せてみなさい」

 

 かたん、と椅子を引いて立ち上がり、翼の横へ歩いていく。勉強を教えるとなれば、隣に座るのはごくありふれた事であり、自然な展開である。かくして翼の隣を勝ち取った四条は、なるべく可愛げがあるようにと、結った髪に手を触れながら翼のプリントに目を落とした。

 

 「あぁ、ここね。一般項について考える前にn=2の場合で考えてみるのが鉄則で……」

 

 いくら寝不足とは言え、やはり学年3位の秀才である。プリントを一瞥しただけで翼が躓いている部分を即座に見抜き、丁寧に手解きをしていく。

 

 「……で、後はどうすればこの形に持っていけるか、工夫しながら数式を整理すれば大抵は解けるわ」

 

 「すごい!僕もなんか解けそうな気がしてきた!」

 

 「解けるように出来てるんだから当然よ」

 

 「マキちゃんの説明が分かり易かったお陰だよ。ありがとう!」

 

 「はいはい、どういたしまして」

 

 少し棘のある返答をしてしまうが、相変わらず翼は優しく言葉を返してくれた。思わずはにかんでしまったが、幸い翼には見られていない。

 

 しょうがないわね。隣の方が教えやすいし、翼くんも質問しやすいだろうし。

 誰かへの言い訳を並べ立てながら、向かいの席にある自分の勉強道具を引き寄せた。翼の隣に居座る恥ずかしさを誤魔化すように、四条もプリントに取り組むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 課題を終わらせた後、会計報告書も書き終えた四条と翼は、二人で連れ立って生徒会室へと向かっていた。横並びになっているため翼は気付いていないが、四条の顔は緩みきっており、寝不足なんてどこ吹く風といった様にニコニコとしている。

 課題プリントを済ませるという名目で生み出された二人きりの時間であったので、決して会話が多かった訳ではなかったが、時折翼が放つ質問に対し、素っ気なくも丁寧に回答し、感謝の言葉をもらう。これだけのやり取りが堪らなく心地よかった。

 

 渚へのささやかな復讐を成し遂げたという満足感も加わって、四条はたいそうご満悦である。人の彼氏と二人きりで勉強をすることが復讐だなんてお可愛いにも程があるが、元々四条は復讐や憎悪などの感情にはあまり縁の無い純粋な少女である。

 そして二人きりの勉強会で翼への気持ちが募った四条は、更に彼との距離を縮めようと目論んでいた。翼の意識をなるべく渚から遠ざけて、自分のことを知ってもらえるような話題を探す。そういえば来週、進路調査を兼ねた親を交えての3者面談がある。

 

 翼くんの希望進路はたしか……

 

 「そういえば、翼くんは外部進学希望って聞いたんだけど。やっぱりお医者様になるのが夢なの?」

 

 「うん、小さい頃から親の活躍を見てたからね。気付いたらなりたいって思うようになってたな」

 

 私も外部進学希望で、渚はというと内部進学希望。どうだ渚め、羨ましいだろう。

 同じ外部進学希望だからと言って通う大学も同じになる訳では無いのだが、こんな事でもちょっとした優越感を感じる。……なんだか同時に虚無感も込み上げてくるがそれは無視する。

 

 「でも渚は内部進学希望なんだよね、たしか」

 

 「う、うん。そうだったかもね」

 

 「やっぱり一緒の大学に通うのは難しいかな」

 

 私の希望進路よりも渚との未来ってわけね。良いわ、意地でも渚から話題を逸らしてやる。

 

 「生徒会の会長と副会長が付き合っているっていう噂、本当なのかしらね?」

 

 「白銀会長に聞いたけど、違うみたいだよ?でも、渚の事でもお世話になってるし、なんか恋愛経験豊富そうだよね」

 

……あんにゃろ

 

 「会計報告書を提出するのは生徒会会計の人よね。確か一年の石上ってやつだったかしら?」

 

 「そっか、石上くんって会計担当だったんだね」

 

 「あ、翼くんも彼のこと知ってるんだ」

 

 「うん。前に渚を怒らせちゃった時、なんで怒ってるのか一緒に考えてくれたんだ。恋愛マスターって感じで何でも答えてくれたよ」

 

 「……そうなんだ」

 

 白銀、石上、あんた達の事は良い友達だと思ってたんだけどね。明日あんた達が死ぬとしても私は助けないわ。

 くそう、どうやっても渚に行き着く。確かに彼女は一応私の親友、かつ翼くんの恋人だし、共通の親しい人が会話の種になるのは自然な事だけど……やっぱり悔しい。

 それなら逆に渚を利用してやる。翼くんの渚に対する不満を引き出して、『恋人についての愚痴を聞いてくれる女友達』というポジションを勝ち取る。そうすれば更に翼くんとの距離を縮める事が出来るはず。

 

 「そうそう、渚ってばちょっとした事で怒ったり、結構ワガママな所あるわよね。翼くんも大変じゃない?」

 

 「確かにそういう所もあるけど、でもそこが可愛いっていうか!」

 

 「……渚のヘアピンってちょっと変よね!?」

 

 「そ、そうかな?」

 

 「ごめん、なんでもないわ」

 

 そうこうしている内に生徒会室に到着した。このイライラは翼くんにバレないように生徒会役員達にぶつけるとしよう。




読んでくださってありがとうございました!


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