語らぬ傭兵の黙示録 (久遠ノ語部)
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序章
プロローグ


--今はもう、白き砂と消えた遠き異邦の地、それが残っていた最期の時代。住人の姿は既に無く、残されたのは街を連ねる幾多の建物のみ。

 

 「儂が案内出来るのはここまでじゃ」

 「悪いな、本当は俺の足で行くつもりだったんだが」

 

杖を持った老人が胸の内を吐き出すように深く、深く息を吐く。国一番の規模を誇った大聖堂を老人の肉眼でも捉えられるところまで近くに来てしまった。

 

 「そもそも、此処までお主が関わる必要もなかっただろうに」

 

老人に問われた男はまぁ、そんなもんだろう、と一言返す。そして、両肩に乗せていた自身の武器、騎士が扱う剣をそのまま柄の先端に取り付けたような槍を肩から下ろす。

 

 「じゃが、お主は良かったのか」

 「何だ。今更そんなことを聞くのか」

 

当然じゃ、と老人は頷く。大聖堂に入ってしまえば、男はもう戻ることは出来ないことを分かっている。にも関わらず、男の姿に震えるような素振りも恐れもないことが老人には不思議でならなかった。

 

 「そうじゃ。今度こそ死ぬかもしれないんじゃぞ」

 「は、生きてりゃ誰だって死にかけるだろ。今回もそんな中の一つってだけだ」

 「じゃが、今回は」

 

尚、語気を強めて言い募る老人を、男はいい、と一言。

 

 「いいんだ、それで」

 

諦観がありながら納得すら感じさせる声色に、ますます老人は顔の皺を深くする。彼の他にそれを討果す可能性を持った人物がいないため、彼が向かうこと自体は不思議ではない。だが、無為の犠牲を嫌った彼女が、男を逃がすように遠ざけたことを老人は知っていた。

 

 「じゃが、お主は、お主は何の為に行くのじゃ」

 

気付けば、そんな言葉が出ていた。そう、老人にとって最も不可解なのは、彼女が逃していることを男も理解している筈なのに、この地にいることだった。

 

 「おいおい、分かり切ったことを聞くんじゃねえよ」

 

穏やかに話す男と皺を寄せて険しい表情を浮かべる老人を分かつように一陣の風が吹く。

 

 「自分以外の誰かを思ってきた奴が、その全てに裏切られて死ぬっつうのを黙って見ていろってか。偶然だが、それを排除出来る力を持った奴が此処に居る、と言うのによ」

 「お主は……」

 

ここで老人は、男の人となりを改めて思い知った。そう、そうであれば大人しく身を引くことなど、それこそ男には有り得ない選択だったのだ。

 

 「さて、俺はそろそろ行く。また生きて会うことがあったら、酒でも呑もうぜ」

 

老人の答えを聞かず、彼は人の居ない大聖堂へ駆け出していった。

 

 

 



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一章 放浪する傭兵
黒の傭兵


ギェェェ……ギャピ……

茜色の輝きを見せる夕暮れ時、力無い叫びが僅かに響く。

だが、その叫びが他の仲間に届くことはない。それも仕方ない、群の中で生き残った最後の一匹なのだから。彼らの住処は、一人の男によって黄緑色と濃緑の肉塊が無数に転び、噎せ返るほど体液が臭う墓場と化した。

 「……さて、これで終わりだな」

面倒な仕事が終わった、と黒のマントを左腕に巻き付けた男が気怠げに息を吐いてから、大人が手を伸ばしても届かない程の長い柄に子供の体躯ほどある穂先を持つ黒い大槍を、肩に乗せて気怠そうに立ち上がる。そうして、討伐する過程で大槍に付着した体液を慣れた様子で拭き始めた。

 

 さて、男が受けていた依頼は[洞窟に住み着いたゴブリンの掃討]、生存競争に負けたのか、或いは増えすぎたのかは分からないが、付近の森からゴブリンが逃げ出すように集団で現れたかと思えば、森外れの丘の洞窟を根城にしてしまったため、討伐して欲しいという依頼だった。既に地元の狩人だけでなく、街路を通る旅人や商人が襲われており、早急に解決する必要性があったのだ。

 「面倒とは思っていたが、こりゃ他の奴がやりたがらない訳だ」

ゴブリン自体は強くないものの群れる性質がある。そもそも、ゴブリンとは小さい個体は人の腰ほどの、大きい個体では人の肩ほどのため、単体であれば苦もなく撃退出来る黄緑色の外見をした害獣である。知性が低く成人男性程度の力しか持たない彼らだが、その弱さ故に群を成し、高い繁殖力を以て種を維持している。一匹見つけたら三十匹はいると思えという格言があるほどの繁殖力を持つ彼らは、厄介なことに雄の数に対して雌が少ないため、他種属の雌を浚って繁殖する習性がある。そんな性質もあるため、放っておいてもいいことがない。男はそれを理解して依頼を受けたのだが、改めて疲れた様子で息を吐き出した。

 「それにしてもゴブリンの巣を叩いたらトロールが出てくるとは。放っておいたらマズいから、と聞いて安めに受けなきゃ良かったか。まぁ、いいか」

トロール、それはゴブリンの上位種とも言われ、人の二倍、大きい個体では三倍ほど高く、例外なく隆々とした体躯をしており、その丸太のような手足や分厚い胴体を簡単に裂くことは難しく、ただ殴る、蹴るだけでもその攻撃は深く重い。まともに受けてしまえば、鉄鎧などに身を包んだ騎士でも重傷を負うだろう。そのため、戦えない旅人などが遭遇したら、追いかけられなくなるまで逃げなければならない。それでもこの男からすれば、手間が掛かった程度の相手のようだが。

 「体も洗いたいし、さっさと帰るか」

 

 

 

 その男がある村に戻ったのは、日が沈み、辺りが暗くなった頃だった。巡回していたのか、暗がりながらも男を発見した村人は男から臭う死臭を嫌がるように、鼻を片手で隠す。そうして村に戻り、開口一番に事実のみを伝える。

 「依頼は終えたぞ。まさかトロールまでいるとは思わなかったが」

依頼を受けた村に戻った男は入り口付近に集まっていた村人たちに依頼を終えたことを伝えた。しかし、ゴブリンしかいないと思っていた他の村人には疑わしい目で見られたものの、同行していた狩人に確認を取ると、殆どの村人が文字通り腰を抜かし、あっさりと手のひらを返す。あり得ないといった様子で村の男衆からは崇められるような視線と驚きの声が挙がり、女子供からは好奇の視線と感謝の声があちこちから挙がる。

だが、男はそんな様子など見ておらず、奥からゆっくりと歩いてくる男性に視線を送っていた。初老を過ぎ、髪はほとんどが白く染まった男性は、男に向かって深く頭を下げた。

 「この度は……誠にありがとうございました」

 「まぁ、ついでだ。とりあえず報酬の前に体を洗いたいんだが……用意はできるか」

 「ええ、今しがたお待ちを……」

と、男が頭一つ低い白髪混じりの男に声をかける。村長と呼ばれた男は頻りに頭を下げる。

 「え、ええ。先ほど狩人達から経緯は聞きましたが、まさかトロールまで排除して下さるとは……本当にありがとうございます」

 「まぁ、同じ巣に住み着いていたみたいでな、粗方片付けたと思ったら奥から出てきやがった。そりゃあ片付けない訳にも行かないだろ」

 「私共もトロールは確認出来ず申し訳ない」

 「まあ相当倒さないと出てこなかったからな、そっちの落ち度とは言えないだろ。とりあえず、渡しておいた依頼書のサインと報酬は頼んだぜ」

男は何度も頭を下げる村長を置いて、宿の部屋に戻ることに。どの道、この後行う歓迎の宴に呼ばれているのだ。その前に、と急ぎ足で体を洗いに宿へ向かった。

 

 

 日が完全に暮れて、夜空の星や月が主な光源となる村では討伐祝いの宴を行っていた。そのため、普段は家から漏れる木漏れ日と月と星明かりだけが村人の照明代わりなのだが、今日に限り、村の広場では焚き木が為され、お祭り騒ぎとなっていた。そんな中、他の家よりも一回り大きい村長の家では、男と村長が話をしていた。

 「確かに先払いの報酬と依頼書は受け取ったぜ」

 「報告の方はこちらからも行いますのでご安心を、この度は助かりました」

 「ま、仕事だしな」

男は慣れた様子で羊皮紙を確認しつつ、村長の礼もあっさりと受け取って背を向けようとしたが、村長の機嫌を図るような視線が視界に移る。

 「まだ何かあるのか。早いとこ酒を飲みてぇんだが」

すると、村長が話を促すと両手で抱えていた布で包んだ何かを取り出した。それを男が受け取ると、付け加えるように村長が説明する。

 「初めに提示した報酬には、トロールなどいないものと判断しておりましたので、申し訳ございません。あれでは些か釣り合いが……」

つまりは追加の報酬である。包みに入った金は銀貨が両手で数えるほど。

 「申し訳ないのですが、今出せる報酬がこれぐらいしかなくて……」

 「ま、確かに少ないな、こりゃあ」

男の声に表情を強張らせる村長。

 「あまり金は出せない、と」

 「え、ええ。出来れば私どもも追加報酬として何かお渡ししたいのですが、群が出来てから行商人などもあまり立ち寄っておらず……」

 「まぁ、それはあっちで聞いていたからな。そもそも報酬に拘ると言うなら、そもそもこんな依頼なんて受けてねえ」

思いもしなかった言葉に思わず男を二度見する村長だが、男は気にすることもなく話を続けた。

 

 「実は最近、討伐系の依頼が多くてよ。今は結構稼げていてな」

 「し、しかし……」

 「分かっているさ。対価を見合わない依頼を受けさせたなんて噂が近隣に流されたら……次、何かあった時に街で依頼が出せなくなるからな」

その事態を想像したのか、村長の顔が青ざめる。が、気楽な態度を崩さず男は話を続ける。

 「と言ってもそこまで金に困ってないからな。どうするか……」

席を立ち、辺りを眺めるように左右へと視線を移し、ある場所で視線が留まる。

 「よし、あれだな」

 「な、何でしょうか」

村長が緊張から喉を鳴らす。男はそんな村長の様子を見て一つ、二つ間を置くと、村の母屋にある馬車小屋へ視線を送る。

 「明日俺がこの村に出る際、スコラまで乗せてってくれ」

 「……」

村長が驚いたまま、返答がないことを他所に話は続く。

 「いや、宴は好きなんだが酒に強くなくてよ。まぁ、何だ。明後日、スコラで会う奴がいるんだが、ここから歩いて行くのがちょっと、な」

男が何を意図したかに気付いた村長は、男の提案に乗る。

 「それでしたら、明日馬車を手配しましょう」

 「よっし、じゃあ呑んでも問題なさそうだ」

村長の一声で宴は再開され、夜も深く沈んだ頃には村人は家に、男は宿の者と共に部屋へ帰っていった。

 

 

 翌日、山々の間から日が昇り始めた頃に村人たちに別れを告げて馬車に乗ったものの、男の表情は暗い。宴の席にて飲み過ぎて二日酔いになったらしい。

 「あんた……あんな勢いよく呑む割に以外と弱いんだねぇ」

 「――誰にでも、弱いモノはある」

村人からの暖かい視線を背中に受けながら、男は口元を手で覆いながら馬車に乗る。

すると、既に準備を終えていた御者から間延びした声で何時でも出れる、と声を掛けられた。

 「分かった。寝れば何とかなると思うからよろしく頼む」

 「そうか、じゃあゆっくり行くけどよ。確認だがスコラにゃあ何時までに着きゃいいんだ」

 「翌日の夕方前までに着けばいい。あんたに任せるさ」

あいよ、と返事をする御者の声と共に、ゆっくりと馬車が進み始める。男が野性味のある顔を歪めながら体を預ける。すると、御者から明日の暮れ時なら余裕で着くからゆっくり進むぞ、とありがたい言葉を受けて一息ついたのか、半眼だった瞳がゆっくりと閉じられた。

 

 その後、特にモンスターが現れるといったこともなく、順調に馬車は進んでいき、翌日の太陽が高く昇ったころには、男を乗せた馬車は山を下りた先にある街、スコラへ到着した。御者が検問の順番を待っていると、いつの間にか目を覚ましていたらしい。唐突に男から声がかかった。

 

 「そんじゃ、この辺りで降りるとするか」

一瞬、反応が遅れた御者。

 「おっと起きていたのか、気付かんかった。もう降りるのか」

御者の声を聞きながら、男は武具と荷物を持って軽々と荷台から降りる。

 「ああ、久し振りに馬車で寝た。ああ、じゃなくて、通行税とかあるだろう」

二人は桟橋の前に立つ兵士の立会いの下に検問を終え、街へ入った。

 

 スコラは先日まで男がいた村と違い非常に活気がある街である。住人達から集合場所としても使われる円形の広場まで着けば、先に進む三つの通りからは商いに勤しむ声や客の声が辺りから届く程だ。

 「さて、ここらで用事を済ませたいんだが……」

 「あいよ、村にはよろしく伝えといてくれ」

 「おお、あんたはウチの村の恩人だ。しっかり伝えとくぞ」

簡素な別れを告げた男は三つの通りの中でも庶民が多く住み、食べ歩きの露店もある通りへ足を向ける。御者はそんな男を見えなくなるまで見届けた後、荷台に積んだ荷物を気にしつつ、男とは別の通りへ入っていった。さて、御者と別れて露店の多い通りへ入った男は道行く人々と接触しないように歩きながら欠伸を一つ漏らす。

 

 学院都市とも呼ばれるスコラは、約800年前にスコラを擁するカルセオ国家が生まれた頃から続く、国内で最も古い都市である。王都こそスコラから平野部に移設させたものの、150年前まではこのスコラが国の中心だったこともあり、現在も多くの人々が訪れる都市である。そんな街であることに加え、王都へ向かうにはこのスコラを経由する必要がある。すると、必然的にこの街には人が集まるのだ。

 「贋作から名工の作品までウチは色々あるよー。お客の見る目次第では名工の剣が普通の半額以下で買えるってもんだ」

こう売り出す武器商人がいれば、食ってかかるように傭兵風の男が試すような目つきで男を睨み、贋作なんじゃないかと喰ってかかる様子は日常茶飯事だ。別の露店では一組の男女がネックレスに興味を持っており、店員らしき若い女性が見合う品を用意する。

そんな人々の声で活気が満ちる様子がこの街の日常だ。そして、男自身も何度も来ているからか、人混みを慣れた様子で避けつつその歩みが止まることがない。

 「思ったより早く着いちまったが……日が暮れる前まではのんびりするか」

心地よい日差しを向ける太陽に向けて独り言ち、様々な商品が売っている露店街へ姿を消した。



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酒場と依頼

 茜色が空を染め、仕事を終えた人々が各々の目的地へ足を運ぶ。ある者は家へ、またある者は生き慣れた酒場へ今日の仕事の不満を漏らすのだろうか。

 

そんな人々に混じって歩く黒のマントを羽織った男は、人通りの多い道を掻き分けた先にある、他の飲食店よりも一回り以上大きい店の扉を慣れた手つきで開けた。

 

室内の木造のテーブルを囲い酒やつまみを置いて、様々な話に興じる人々に慌ただしく料理や酒を運ぶ下働きが室内を動き回っていた。入口近くにある横長のテーブルの4つと各テーブルを挟むように置かれた30以上ある椅子には仕事帰りに寄った男たちが占拠しており、我が物顔で酒を呷っている。その奥には6つのテーブルがあり、その座席には武装した者達が20以上ある椅子を同様に占領し、酒と共に食事をしている。いわゆる、この場所は地元の者だけではなく、男や6つのテーブルにいる傭兵も入れる大衆酒場といったところだろうか。

 

ただ、男はそのどちらにも目を向けず、扉からまっすぐ進んだ先の3席しかないカウンター席へ座る。男が座った際、調理場から茶と白が混じった髪の男がグラスを持ってカウンターに戻ろうとしていた。

 

 「よぉ、マスター」

 

 男の頭半分ほど低い背丈の、茶と白が混じった髪の男がこの酒場でマスターと呼ばれている。見た目は初老くらいの外見だが、その目や動きは何かしらの鍛錬を積んだ者のキレがあり、酒場に出入りする巌のような男たちにも負けないほどだ。マスターは一度男を見てグラスを拭く手が一瞬止まったものの、見間違いでないことに気付き改めて男を見た。

 「お、おお。往復で十日はかかると思っていたがもう戻ったのか……キョウ」

マスターは驚きを隠さず黒のマントを羽織った男、キョウをまじまじと見る。

 「あぁ、帰りは馬車だったから八日で済んだ。でよ、昼過ぎに誰か来たか」

 「それならあの依頼について村の使いが来ていたが……なるほど、それに乗ってきたか」

 「そういうことだ。とりあえずエールと依頼の完了処理を頼む」

欠伸をしながら村長から渡された紙を渡すキョウ、そして、マスターが用意したエールを呷る。

 全ての酒場で彼らのようなやり取りが交わされているわけではないが、酒場で依頼の掲示し誰かがそれを解決するという光景は日常的に行われている。言うまでもないが街には駐屯地があり、多くの依頼は其方に送られる。しかし、個人的な問題や街の兵士だけでは解決出来ない問題というのも非常に多いのだ。

 マスターの戻りを待つキョウは、グラスに入った酒を眺めながら舐めるように飲んでいく。程なくして酒が無くなったと共に、カウンター内部の扉が開いた。

 「キョウ、報酬だ。確認だが、ゴブリンはどの程度いたんだ。依頼書には百以上が巣を作って住み着いている、という話だったが」

 「ああ、それなんだがやたら多くてな。多分、三百はいたぞ」

その数を聞いてグラスを持つマスターの手が止まる。

 「……三百って全然違うだろう」

 「まぁそうなんだが。そんなことよりゴブリンを誘き出して潰していたらトロールが出てきた方が問題だろ」

 「……聞いた時は信じられなかったがいたのか。因みに数は」

 「そっちは指で数える程度でな、10だったか」

キョウの言葉を聞いてため息をつくマスター。

 「確かに聞いていた数と一致するな……それにしても最近多いな、こういうの」

 「俺らにとってはいい稼ぎ時だけどな。そうそう、もし追加報酬が出るならそいつはよこせよ」

 「それはいいが、お前はここにいるのか」

 「ああ、そもそも今回は次の依頼の穴埋めで請けたからな。何もなければこっちにいるはずだ」

 「そういうことか。なら、二週ぐらいしたらまた来てくれ。そういえば、請ける時にも時間潰しって言っていたな。それが、今回の仕事か」

 「ああ、今日会うことになってるから、しばらく居させてもらうぜ」

長居すると言ったキョウへ向けて、口元が上がるマスター。

 「ほう、じゃあ有り金が空になるまで飲んでもらおうか」

 「おいおい、それは出来ねえ相談だな」

キョウと軽口を叩き合ったマスターは通りがかった下働きに声をかけ、テーブル毎のオーダー確認をさせていく。

 「と、言うわけでもう一杯な」

 「あいよ」

 

 暫く時間が経ち、客の多い時間を過ぎたのか、満席だったテーブル席から帰り始める客が見える頃、青が混じる黒髪の青年が店に入る。その青年は食事や酒を飲みに来たわけではないようで、テーブルには興味を示さず、キョウやマスターのいるカウンターの脇にある掲示板に目を映していた。キョウは残り少ない酒を飲みながら横目でその様子を眺めており、マスターも酒場全体を見渡しながら様子を気にしているようだった。やがて、青年は請けたい依頼が決まったのか、一枚の紙を掲示板から外す。それを見ていたマスターが間を置かずに声をかける。

 「そこの坊主、その依頼を請けたいのか」

はい、と頷いた青年は手にした紙をマスターへ渡す。

 「薬草狩りの同行依頼か」

マスターは依頼を請けようとした青年を見る。なめし革の防具、右腰に携えた片手持ちの剣、恐らくこのような依頼は慣れていないだろう、そう判断した。ただ、青年が請けようとしている依頼はそう難しいものではなく、死ぬような目に遭う依頼でもなかった。

 「まあ、これならいいか」

経験にはいいだろう、と判断したマスターは依頼書を彼へ渡す際、彼の防具の下に着ていた服装に見覚えがあった。

 「ところで、どうしてこいつを請けようと思った」

 「そ、それは……」

青年はまさかマスターから依頼を請ける理由を聞かれると思っていなかったのか、言葉が詰まった。

 「見たところ、学院の生徒だろ。学院にも仕事があるだろう」

しかし、目的はあったのか、青年の答えは早かった。

 「学院にも依頼はあるのですが……最近はどうも雑用が多くて」

 「なるほどな。すると、ここで依頼を請けたことはない感じか」

 「……はい」

 「よし、分かった。といってもそんなに覚えることはないから安心しろ」

酒場の依頼は誰でも請けられるが、幾つかのルールがある。

 

一:マスターに確認をとり、他の誰かが依頼を請けていないか確認すること

二:依頼を請けるにはマスターに名前ないしは団体の名称を申告すること

三:依頼完了は依頼主から依頼書にサインを貰い、依頼を請けた酒場に提示すること

 

基本的に、この三つを各酒場のマスターに告げなければならない。

 

 「なるほど。じゃあ依頼が無事に終わったらサインを貰った依頼書をマスターに渡せばいいんですね」

 「ああ、それを持って依頼は完了だ。こっちも依頼されているからな。身の丈に合わない依頼なんかはこっちから取り消すからな。とりあえず今回の依頼はあまり難しくないから細かいことは抜きだ。これが依頼書だから無くすなよ。これを持って当日依頼人に渡しな」

 「ありがとうございます」

丁寧に返す青年に好感を持ったのか、マスターが一つお節介を焼く。

 「ところで、この場所は害獣が出るぞ……そこは問題ないか?」

 「学院の実習経験でゴブリンなどを倒したことなら」

 「そうか、最後に名前を聞こうか」

一つ、会話に間が空いた。

 「ギルウェ……いえ、ギルといいます」

 「分かった。ギル、だな。この薬草採取は朝方やることが多いしこの依頼の期限はあと一週を切っている。明日中には挨拶した方がいいぞ」

ギルが驚くのを他所に、慣れた手つきでギルへ依頼書を渡し、呆れたように黒い服装の男へエールを出す。呆気にとられたギルだったが、気を取り直してマスターに一礼、背中を向けた時、黒い服装の男から声が掛かる。

 「……聞こえたついでに言っておくぞ。どんな害獣がいるかと虫除けの準備くらいはしときな」

 「……はぁ。害獣は分かりますが、虫除けとは?」

突然のことに肩の力を落としながら再度カウンターへ振り替えるギル。

 「話を聞くに、よくある薬草採取の護衛だろう。が、意外と森は油断出来ねえぜ。害獣の駆除は倒せばいい。だが、虫ってのは見えない病気を持っていることがあるからな。その森に一度も行ったことがないなら確認した方がいい。何なら依頼主の薬師に聞くのが一番だな」

うんちくを語るようにも聞こえたが、言っていることは正論であった。

 「……それは確かに」

 「それと、ゴブリンなんざ地方の男だったら皆が倒せるような弱いモンスターだ。そんなのは倒した内に入らん。ま、死にたくなかったら相応の調べはしておけよ。戦闘で油断してたら誰だろうとあっさり死ぬからなあ」

死ぬ、その言葉が響いたのか、ギルは息を吸い、呼吸を整える。そして、改めて依頼書を懐に入れるとマスターとキョウに礼を言う。

 「ま、死なねえ程度に頑張りな」

ギルが酒場を出た後、珍獣を見るような目でキョウを見ていたマスターは興味深そうにキョウへ問う。

 「珍しいな。声をかけるなんて」

 「不思議なことじゃないだろ、俺もこの家業になって始めの頃は色々言われたもんだ」

と、大きく息を吐いてキョウはギルが出て行った扉を見つめる。

 「ま、それだけじゃないがな。何せこれから会う奴は学院関係者だからな。知らないかも知れねえが、依頼を請けた学生が死体で戻ってもいい気分しないだろ」

 「ほう、そうだったのか」

ふと、キョウが誰と会うのかが気になり、興味本位から聞き出そうとしたマスターだったが。

 「どうせ後から来る。というか、お前も知っている奴だ。変な探りを入れると大蛇が出るぜ」

 「おぅっと、そうかい」

そう問われると読んでいたキョウにあっさりと躱されてしまう。が、溢すようにキョウの口が語る。

 「詳しくは後から聞くつもりだが、昔の清算がしたいらしい」

その言葉を聞き、マスターの問う言葉が止まる。幸いにしてカウンター周囲には誰もおらず、今の会話は聞かれてはいないようだ。

 「その清算とは、何だ」

 「おっと、酒を貰えるか。そろそろ無くなりそうなんでな」

これ以上話すことはない、と言わんばかりに空いたグラスの底の縁で二、三度テーブルを叩いて音を鳴らす。マスターはそんなキョウに呆れつつグラスを回収、下働きに酒を注ぐよう指示を出した。そうして今更ながら、目の前の男が仕事の前に酒を呑んでいるという状況を思い出す。

 「今更だが、仕事の話の前に酔っ払ってもいいことはないんじゃないのか」

そう小声で尋ねながら、下働きから受け取ったグラスをキョウへ渡す。

 「本当に今更だな、それじゃあ、酔い覚ましも兼ねて何かつまみくれないか。あんまり重くないので」

何を今更、と言った風で追加の軽食を求めたキョウ。

 「豆か芋、あと肉があるな、どれがいい」

少し考える素振りを見せたキョウだったが、不意にお腹をさする。

 「やっぱ腹が減っていたわ。と言う訳で肉で頼む」

 「さっき、軽いのって言わなかったか」

おいおい、と呆れを含んだマスターにキョウはいやよぉ、と後頭部を掻きながら言葉を続ける。

 「よく考えたら朝食ってねえし、昼も塩焼きの魚を食っただけでな。思い出したら腹が減っちまった」

酒が入っているのか、心なしか大きな声で笑うキョウ。そんなキョウを見ながら頭が痛くなってきたマスターは大きく息を吐いた。

 「……まぁいい、しばらく待っていな」

そうして、近くを通りすがった下働きに肉を焼くように指示を出した。

 

 



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旧友からの依頼

 気付けば半円を描く月が夜空に昇り、酒場にいる人数もまばらとなった頃となっていた。閉店も間近となった酒場だったが、キョウは変わらずカウンターに居座ったまま。客でもあり、誰かから依頼を請けているという話があるため店を閉められず、顔を顰めるマスター。そんな中、新たな客の来店を告げるように扉が開けられる。

 「ああ、お客さん。悪いけど……」

と、夜も深いため、閉店だと告げようとした時、キョウがため息をつきながら立ち上がる。

 「ったく、ようやく来やがったか」

ローブを纏った人物こそ、キョウが待っていた人物のようだ。その人物は一言、遅れてすまない、と告げる。

 「キョウ」

 「ああ、ようやくお出ましだ」

 「主も済まんの。こいつをこの時間まで置くことになってしまって」

 「それを言うならさっさと来やがれ。とりあえず、そのローブでも脱いだらどうだ、ネイゲート」

キョウに勧められるまま、黒いローブを脱ぐ人物の顔を見て驚くマスター。その人物は顔や手に深い皺を刻んだ老人だ。しかし、健康的に焼けた肌や生気を感じさせる表情に加え、深い知性を感じさせる底のない瞳、そのような人物を誰が只の老人と思えるだろうか。

 「おい、お主相当飲んでないか」

 「そう思うならさっさと来やがれ。ま、正気を失うほど飲んではないけどよ。悪いがマスター、水をくれ」

 「そうか、ならいいんじゃが」

マスターから渡された水を呷るように飲み干したキョウは改まるようにネイゲートへ顔を向け、口元を片手で隠しつつ、小声で問う。

 「でよ、厄介事ってなんだ」

 「……間違ってはおらんが、前置きというモノはないのかお主」

周囲を確認しつつ、苦笑いを浮かべるネイゲート。現在、この酒場にはマスターとキョウの他には酔客が僅かにいる程度だ。

 「ふむ、そうじゃな……」

ふと、ネイゲートは酔客一人を帰したマスターへ視線を合わせる。

 「……どうしますか、ネイゲート殿」

 「殿なんぞ儂には似合わんよ」

 「いえ、そんなことは……」

 「まあ、儂がそう呼ばれることに慣れないだけなんじゃがな」

それはさておき、と言葉を続け、キョウとマスターにしか聞こえない声である相談をする。

 「……マスターよ、地下は空いておるか」

そう言われることを予期していたのか、マスターは頷いて二人をカウンターの内側へ招く。そして、他の酔客が二人を見ていないことを確認し、扉を開けた。

 

 年季の入った木の階段を三人が続けて踏むと、僅かにミシリと悲鳴を上げる。その階段を降りた先は人が五人ほど寛げる秘密基地のような空間が広がっていた。

円形の木製テーブルが中央に、それを囲むように背もたれ付きの椅子が五つ、奥に本棚が一つあるだけの簡素な部屋だが、よく手入れがされていた。

マスターに案内されるまま、キョウとネイゲートは椅子に腰掛ける。

 「ここなら誰に聞かれる心配もありません。うちを通す必要がある依頼なら俺に言ってください。店閉める時間になりましたら、改めて呼びますので」

マスターは二人の返答を待たずに地下の背を向けて、酒場の営業へ戻っていく。扉が閉まる音を皮切りに、キョウが口火を切った。

 「で、何の用だ。どうせ面倒事だろ、全く」

 「そうじゃの。そうでなければ、お主の力を借りることはせん。それも何じゃが……」

 「あ、何だ」

 「最近カルセオの南部以外で凶暴化したモンスター含めた害獣被害が増加していての。被害がそれなりに出ておるから、兵を挙げてその対応をしとるんじゃが、未だにその原因が突き止められておらんのじゃ。お主は何か知っておるかの」

キョウは天を仰ぐように頭を上げ、片手を耳に当て思案する。

 「最近多いよな。てきとうに討伐依頼はこなしていたが、詳しい調査はしてねえな。行く町で討伐以来があるんだが、何時からこの害獣騒動起きているんだ」

 「我々に話が出たのが半月前じゃから……問題が起き始めたのはもう少し前じゃろうな」

 「じゃあ軽く一月以上前か、結構日が経ってるな」

 「お主、旅が長いじゃろ。こんな広域ではなくとも類似した経験はあるかの」

キョウは再び天を仰ぐように頭を上げる。

 「そうだな。無くはないが……そんな依頼がこっちに回って来るってことは大体が国で対処できない状況がほとんどだ。そんな依頼は、だ。傭兵団だったら話は別だろうが、俺だったらてきとうな所で抜け出すな」

 「まあ、そうじゃろうな。若い頃の儂でもそうするの」

 「それだけじゃあないんだがな」

キョウの呟きを意外に思ったネイゲートが聞き返す。

 「傭兵団にしても俺みたいな連中でも言えるんだが、長くなると大体衝突するだろ」

思い当たる節があったのか、ネイゲートは皺の多い顔に眉間を寄せて、頭を抱える。

 「分かったようだな。そんな理由で短期間の経験はあるが、長期間での経験はない」

 「ふむ、短期間ならある、か。それはどんな依頼じゃったか話してくれるかの。何、言い辛かったら話さなくとも良い」

一つ間を置いて、そう、だなと天井を仰ぐキョウ。

 「こっちの話ではないが、昔受けた依頼でな……新種のモンスターだったか、魔に侵された害獣が暴れてるとか討伐依頼があった」

 「ほう、それはどうなったのだ」

 「俺が片付けた。そもそもその村は狩人や農民が戦力だった。ゴブリン程度は平気だろうが、トロールみたいなのが襲ってきたら塵芥よ。そんで、残った家族は仇討ちがしたかった、と。まぁ、放っても置けないから請けたってとこだ」

 「ちなみにその影響で、モンスターの大量発生とかは起きたりしたかの」

 「縄張りを追われた害獣が生息地を求めて人里に下りたくらいか。まぁ、よくある話だ」

 「なるほど……そうか」

キョウの話にネイゲートは相槌を打ちつつも僅かに肩を落とす。心なしか好好爺な声色も一段下がっている。その様子に嫌な引っかかりを覚えたのか、キョウは恐る恐る問う。

 「まさかと思うが……その地にいないモンスターが出てきたのか?」

問われたネイゲートはため込んでいた鬱憤を吐き出すように深く、深く息を吐いた。

 「そう、そうじゃ。巣を追われた程度の規模じゃったら、我々でも既に対処が終わっていたんじゃが……」

 「一番面倒なパターンだな。小競り合いはあるだろうが、カルセオってそんな他国といがみ合っていたのか」

 「詳細は話せないがの、今は隣国ともそこそこやっていたはずじゃ」

 「尚更解せねえな。つまり南部以外で誰かがモンスターを召喚しているとでも云うのか。内乱でも起きているのかと疑うぞ」

 「全くお主の言う通りじゃ、主犯格探しで疑心暗鬼に陥っているからの」

話を聞いていく内にすっかり酔いが醒めたキョウは、あまりの事態に声に呆れが混じっていた。

 「それでよ。心当たりがある奴は」

 「それが情けないことにさっぱりでの」

 「なんだそりゃ……お前が来る前に請けたゴブリンの掃討さえ、やたら数がいたぞ」

 「誰かが請けてくれて楽が出来たと聞いていたが、お主じゃったか。因みにどの程度いたのじゃ」

 「ざっと三百はいた。おまけにトロール十程度が住み着いてたぞ」

ゴブリンの数にも驚きを見せたが、それ以上にトロールと聞き、苦い顔を浮かべるネイゲート。トロールは正面から戦おうとすれば、一般兵士や並の傭兵では苦戦を強いられる相手だ。一般的には一人が大盾で攻撃を防ぎ、二人がトロールを弱らせるという三人編成で対応することが多い。

 「一応聞くが、どう倒したのじゃ」

 「急所は俺らと差して変わらないからな。一撃でしとめられないなら、足か腕を裂いて動けなくしてから止めを刺す。そんだけだ」

 「……お主に聞いたのが間違いじゃった」

 「おいおい、今更だろ」

一通り言い終えた二人の会話が止まる。

 「話を戻すがさっきの件、面倒くせえな。他を当たれ、と言いたいが……」

 「そもそも原因が分かっていない段階でお主に話したくなかったのじゃがな。が、何かあったら動けるようにしてくれると助かるの」

ここで、話の流れに疑問を覚えたキョウ。

 「……おい、狸爺」

 「何じゃ」

悪びれもなく答えるネイゲートに、キョウの握り拳に込められた力が強まる。

 「さっきから思っていたが……お前の依頼って、この件じゃねえよな」

 「少なくとも今はの。何か問題があったかの」

思わずキョウはネイゲートへ白い目を向ける。

 「こんの狸め。まあいい。本題は何だ」

そうしてネイゲートの本題を聞いたキョウは、古い知り合いだから、と気楽に話を聞く約束をした己自身に対して、盛大に後悔した。

 「実はのぉ、モンスターが発生し始めた一月前にの、4年前のように学生が誘拐されかけたのじゃ」

その言葉を聞いたと同時に、キョウは両手を卓に叩きつけて席を立つ。

 「帰る」

 「待て、キョウ」

 「絶対面倒だ。誰がやるか」

 「せめて、もうちょっと話を聞かんか」

と帰ろうとするキョウを止めるネイゲート。

 「お前、その件とモンスターの発生源の排除で俺を使う気だろ」

 「そうじゃが、依頼に対する報酬はしっかり出しておったろうが」

 「おいおい、さらっと肯定しやがったぞ、この爺」

ただ、何かを言われることが分かっていたネイゲートに幾らキョウが罵倒しようとも、柳に風。そのような態度が続くため、流石に諦めたキョウは全身からため息を漏らし、呆れた視線をネイゲートへ向けて再び椅子に座った。

 「……で、聞くに誘拐される事態は防いだようだな」

 「うむ、その場に居合わせた学生と講師が協力してくれたからの」

あまりのザル具合な警備を聞いて、更に呆れたキョウ。

 「おいおい、幾ら何でも無防備過ぎるんじゃないのか」

 「実は門番を付けたり、夜は学生一人では出歩けないようにして警備はしているんじゃがな……」

 「で、ある程度予想はついているが、お前は俺に何をさせたいんだ」

と、キョウがネイゲートから改めて聞こうとした時、ただ一つの扉が開く音がした。

 「キョウ、そろそろ出てくれないか。いい加減店を閉めたいんだが……」

 「分かった。どうせ他に客はいないんだろ。直ぐに済ませるから少しだけ待っていてくれ」

 「まだ途中だったか。悪い」

 「いい。そもそもこの爺が遅れるのが悪いんだ」

キョウの言葉を聞き、マスターは扉を閉めた。

 「す、済まんの。もうそんな時間じゃったか」

 「で、持ってきているんだろうな」

 「うむ、これじゃ」

そう言って、ネイゲートは懐に折り畳んでいた紙を渡しつつ、席を立つ。

 「で、詳しい話は何処でするつもりだ」

 「そうじゃな。明日の夕刻に儂の元に来れるかの」

 「学院だろ。なら問題ない。夕刻前に来るとしよう」

二人は酒場を後にして、キョウは月明りを頼りに宿へ帰っていった。

 



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スコラの学院1

 日が天頂まで昇った昼の頃、学院の講師二名を伴って学院の廊下を歩く老人ことネイゲート。一人は黒とも青ともいえる艶のある髪を胸の高さまで伸ばした女性で、濃紺のローブを羽織っている。もう一人は深みのある赤髪を耳にかからない程度に切りそろえた男性で、全身がよく鍛えられているのがひと目で分かる程だ。

 「本日の夕刻……ですか」

血色のよい指を唇に当てて、悩む素振りを見せる女性に対して、男性は問題ない、と一言。

それを聞いた女は手元から帳面を取り出して、予定を確認する。

 「そうですね、最後の講義が終わるのは……」

 「難しいかの、出来れば二人に同席して欲しいのじゃ」

それを聞いた女性は、迷いながらもこう口にする。

 「……それでしたら宵の頃だったら私は大丈夫です」

 「アルビーはそれで大丈夫かの」

 「本日の見回りは深夜からですので」

 「そうか、それでは宵の頃に私の部屋に来てほしい」

そう言ってネイゲートは二人と分かれ、石造りの階段を昇り、その先に見える学院長室と書かれたプレートが張られた扉を開く。椅子が五つほど並べられる広々とした机に並べられた、重なり過ぎて一冊の辞典のようになった書類を見て、一度小さく息を吐く。

 「さて、キョウが来るまでには片付けないといかんの」

 太陽が天頂から地平線に近づき空が茜色に染まる頃、何とかネイゲートは書類の束を片付け終えたらしい。休憩も兼ねて同室の小さな書斎にて本を読んでいた。切りが良くなったのか、読んでいた本に栞を挟み、立ちあがった時、控えめに扉を二回叩く音が部屋に響く。

 「入りなさい」

 「失礼します」

一礼して入室した人物は白髪が多く見える壮年の男で、この学院に長い間勤めている古株の一人だ。何故か顔を顰めているが。

 「ノイン、どうしたのじゃ怪訝な顔をして」

 「実は先ほど、キョウなる不審な男が正門前にて学院長を呼んでくれ、と」

その報告を聞いたネイゲートはおお、と一言。

 「来たか。それで、今はどうしておる」

 「正門前に待機させております」

 「分かった。言ってなかったが、その者は儂の友人での。それなりに重要な話をするからこの部屋まで案内しておくれ」

ネイゲートの思わぬ言葉に背筋が伸びるノインは了解しました、と一言述べて部屋を去り、元来た廊下を早足で歩いて行った。

 

 暫くして、ノインがキョウを連れて学院長室まで戻ってくる。

 「失礼します、学院長」

と、再びノックをして入ってきたノインと共に現れたキョウが不満げな顔を浮かべていた。

 「のう、キョウ。何故お主、そんな顔をしとるんじゃ」

 「話くらいは通しておけよ、ネイゲート」

棘を刺すような声をかけるキョウに、ノインは同情の目を向けている。そんな状況がよく分からず、返答が出来ないネイゲート。その様子を見て蟠りを吐き出すように、キョウは大きく息を吐いた。

 「全く、呼んだのはそっちだろうが。門番に話くらい通しておけ」

変わらずに非難の声をみせるキョウにようやく何かあったと気が付いたネイゲートがキョウへ問うと、ノインが緩慢な動きで二人から視線を外す。

 「嫌な予感はするんじゃが、何があったんじゃ」

 「ああ、それはだな……」

その時のことを思い出したのか、キョウはもう一度大きくため息をついた。

 

 それは空が茜色に染まった頃、キョウが学院の門番に到着した時のことだ。

 「さて、着いたはいいんだが……」

学院に辿り着いたキョウは独り呟く。かつてこの国を興した時代からその姿を変わらず残し続けているこの城は、国の財産であると共に少年少女達の学びの場ともなっていた。当然ながらそのような場所なので門には事務員と見られる男と槍を持ち、簡易な武装をした門番であろう男が待ち構えていた。人に道を尋ねるように、気軽に声を掛けて、要件を告げたのだが、相手が悪かったらしい。門番の男はあからさまに顔を歪めている。

 「ネイゲート学院長に合わせてくれ、だと」

 「ああ、とりあえず誰でもいいからよ。ネイゲートにキョウと名乗る男が来たって伝えてくれないか。ここで大人しくしているからよ」

そう言って、片手を挙げて見せるも門番の反応は悪い。ただ、渋々ながらも白髪の事務員は応じてくれるのか、一つため息をついて立ち上がった。

 「来客がいるとは聞いていないが一応、聞いてみよう」

 「しかし、ノインさん。このような男を通す必要があるのですか」

 「そこの男は待つと言った、確認して通さなかったらいいだけのことだ。それとも、また問題を起こす気か」

ノインと呼ばれた事務員にそう諭されるも、門番の男が警戒を解く様子はない。顎を落として呆れた顔をしたキョウ。

 「おーい、気持ちは分からんでもないが、そう堂々と警戒されるとこちらも疲れるんだが」

 「では、その大槍を持って学院に何の用だ」

 「あー、そういうこと。つっても俺は只の傭兵なんでな、仕事の話があるから持ってきた、でダメか?」

呆れながら答えた言葉に気を引いたのか、二人の目線がキョウへ向く。その様子を見逃さなかったキョウ、二人に向けて淡々とその中身を告げる。

 「何、奴から学生の誘拐未遂が起きた、と聞いてな。詳しくは知らんが学院の者では対処が難しい、と聞いたてよ……と」

話の途中で突き出された門番の槍をキョウは槍の柄で弾く。

 「……おっかねえな、お前」

 「黙れ、貴様何故それを知っている」今にも斬りつけようと門番の男は怒りを露にしてキョウを睨むものの、動じるどころか門番を見ずに慌てた様子の事務の方を向き、買い出しを頼むように要件を伝えた。

そうして事務員が戻る暫くの間、斬り合いも辞さないという気迫を見せる門番から距離を取ってやり過ごしていたキョウだったが、要件を伝えに行った事務員がそれが続いたのだった。

尚も門番が送る視線は変わらないものの、キョウは事務員の案内で学院長の部屋へ向かうことになった。道中、門前での非礼を詫びた事務員に対して、気にしていないと答えたキョウ。

 「あんたは別にいいが、あの門番はちと警戒し過ぎなんじゃねえか。まぁ、煽った俺も悪いけどよ」

 「すみません、よく言い聞かせておきますので」

 「頼むぞ。また来るだろうし。毎回ああなるとこっちも疲れっから」

 「すみません。悪い男ではないのですが、頑ななところがありまして」

あの門番に苦労しているのだろう、蟠りを吐き出すように肩から息を吐いて目を瞑る。

 「大変だな、それは」

と、キョウは先の門番の態度を思い出したのか、苦い顔を浮かべるのだった。

 

 話を聞いたネイゲートは、キョウが次の言葉を言う前に眉間に皺を寄せて詫びを告げる。

 「マジで頼むぞ。あんなのが毎回出られちゃ面倒だ」

ただ、ネイゲートにも言い分があった。

 「だが、お主もわざわざ煽るのはどうかと思うが」

 「門前払い喰らうよりマシだろ。そもそも、俺が来ることを伝えていれば何も起きなかっただろ」

が、今度こそ言い分が無くなったのか、ネイゲートは苦い顔を浮かべる。

 「ぐ、それを言われるとの弱いの」

 「まぁ、慣れてるけどよ」

二人の取り留めのない会話を聞いて問題ないと判断したのか、一礼して部屋から出ようとしたノイン。だが、それを止める声があった。

 「学院長、私に何か」

 「この後は空いておるかの」

 「空いてはおりますが、何用でしょうか」

 「大したことではない。アルビーとファリエ、それとキョウで話をするのじゃが、お主にもいて欲しいと思っての」

ネイゲートにそう言われ、視線を外して思案するノイン。

 「そこのキョウ様の話と合わせると、講堂内の事情に詳しい者が欲しい、ということでしょうか」

 「まぁ、そんなところじゃ」

 「それでしたら構いません。あのようなことを繰り返したくありませんので」

後ほど参ります、と一声かけてノインは部屋を去る。暫しの間沈黙を保っていたキョウが、ネイゲートへ問う。

 「いいのか、戦えない奴を巻き込んで」

 「今回の件、講堂の事情に詳しい者を巻き込まないと解決は難しいからの」

 「ま、それは確かに」

一度頷いたキョウは、ふと扉に視線を向ける。

 「で、集まって話す前に聞きたいんだが、ノインは普段何をしているんだ」

 「ふむ、この学院で事務や警備を任せておる。もう二十年になるの」

二十年、と思わず声に出して呟いたキョウ、傭兵として様々な地に赴くキョウは自身の半生以上になる期間を、同じ土地、同じ場所で生きるという実感が湧かないのだろうか。

 「後、ファリエとアルビー、と言っていたがそいつらは普段何を」

 「うむ。四年前からこの学院で教官をやっておる」

 「四年前、その前は何を」

 「二人は国の騎士と魔術士だったんじゃが、面倒な経緯があっての。色々あって学院の教官を兼任してもらっておる」

 「色々ってのは何だ」

何気なく問うたキョウ。

 「――儂が四年前に依頼した事件を覚えておるか」

当時のことを覚えていたのか、返答は早かった。

 「忘れるかよ。あの胸糞悪い事件を」

 「二人は元々、お主とは別方面で調査をさせていた騎士と魔術士じゃ。あの後にまぁ、色々あっての。今はこの学院の教官をしてもらっておる」

 「なるほど、お前からすれば他のどの教官よりも信頼出来てかつ実戦も行ける二人ってことか」

頷くネイゲート。

 「大体分かった。ところで、さっきの反応から見るに――ノインも例の事件での関係者だな」

 「――――――」

だが、ネイゲートから回答はなく、苦々しい顔を浮かべるのみ。

 「お前がどう考えていようと過去は変わらない。お前の顔から検討はついたが、依頼を請けるからには正しい情報を教えろ」

そう断言し、射抜くような視線を向けるキョウに負けたのか、やや間を置いて、観念したように答える。

 「――四年前のあの日に娘を一人亡くしておる」

 「そう、か」

キョウは扉を見て、大きく息を吐く。

 「あの時の被害者の家族、か。恨まれるかもな」

 「生きていて欲しいと思うのは当然じゃがの、あれを見てしまうと、の。儂はお主の行いこそ間違いがなかった、と今も信じておる」

 「――だといいが」

心なしか、キョウの返答には力がない。ふと外を見れば、茜色の空を深い群青が覆い始めていた。

 



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スコラの学院2

 日が沈んだ宵の頃、学院長室にはノインを除いた四人が揃った。しかし、一介の傭兵がこの場にいることに非を唱える声が一つ。

 「学院長ともあろう方が、傭兵風情に我々の問題を解決させるのですか」

ローブを纏った女性、ファリエは納得がいかず声を荒げて抗議する。アルビーも口には出さないものの、訝しげにネイゲートとキョウを見ていた。

 「まあ落ち着け、ファリエよ。儂とて何も知らない輩をここに呼ぶほど耄碌しておらんでの」

 「ですが、この問題は……」

尚も言い募ろうとするファリエだったが、全身を射抜かれるような視線に寒気が走り、口が止まる。

 「落ち着け、と言ったのだ。ファリエ」

 「すみません」

 「アルビー、お主もじゃ」

全てを見通すかのうような視線に、アルビーは思わず竦む。

 「――申し訳、ありません」

その様子を半目で眺めていたキョウ。

 「へえ、学院長らしい威厳もあるんだな」

尚、二人の視線はキョウを探るものだったが、当の本人は気にもかけていないのか、退屈そうに腕を伸ばすのみ。

 「でよ、見たところ俺のことを話していないみたいだが、お前が言えよ。そこまで俺が言うことか」

 「うむ、出来ればノインが来てから話そうと思っていたんじゃがの――」

と、タイミング良く扉を叩く音が部屋に響く。

 「ノインか、よいタイミングで来てくれた」

 「そ、そうでしたか。皆様お待たせいたしました」

 「よう、さっきぶりだな。ノイン」

ノインがキョウを見て一礼し、空いていた椅子に座る。

 「さて、改めてじゃが、な。皆、よく来てくれた。もう夜になってしまったからの。手短に済ませよう。まず、先月起きた誘拐の件について、何か進展はあったかの、ファリエ、アルビー」

ネイゲートに聞かれた二人は進捗を報告したものの、特に進展に向けた情報は二人から出なかった。

 「そうか。二人には引き続き誘拐未遂事件の調査をお願いしたい。そして、今回ノインも含めて集まってもらった理由じゃが、今後の調査にノインとこの男を追加したいんじゃ」

二人の視線がノインとキョウへ移る。

 「その件、承知しました。今後の為にも是非やらせて下さい」

 「まだやるって言ってないがまあいいか。そんな訳で、その調査を手伝えと言われた傭兵だ。キョウで通してるからそれで呼んでくれ」

簡素な自己紹介に一応の納得をしたファリエとアルビー、そんな二人を他所にノインはキョウへ問う。

 「キョウ、とはあまり聞かない名前ですね」

 「まあな。そもそも生まれがこっちの大陸じゃないんでね」

 「そうだったのですか。それにしては、随分言葉遣いも慣れていますね」

 「あぁ、こっちに来る前にな。ちょっとしたことから教えてもらっただけさ。ま、元々似たような言葉だったからそこまで苦労せずに済んだってところか」

そう言って、キョウはノインから視線を外す。

 「ところでネイゲート。お前が昨日渡した紙では、この講堂全体の調査と書いてあったが」

 「勿論、その調査もしてもらうつもりじゃぞ」

意味有りげに口角を上げるネイゲートを見たキョウは、わざとらしくため息を一つ零した。

 「おいおい――他に何をさせる気だ」

 「何、お主なら大体当てがついておるじゃろ」

飄々と語るネイゲートを見てか、キョウは呆れた表情を浮かべる。

 「遭遇したら捕えろ、と。お前さ、しっかり報酬払う奴なのは知ってるが、毎回振り回すのは止めてくれないか。特に前みたいなことは勘弁したいんだが」

 「それについては悪かったがの。使える人材を適所に使って尚ああなってしまったんじゃ」

 「せめて言ってくれ。それで四年前、色々あっただろうが」

と、誰も口が挟めないまま、色々あったらしい二人の口論が唐突に始まってしまう。だが、その言い争いは、太鼓のように響く爆発音によって打ち消されることとなった。

 「――宜しいでしょうか」

過激な行動にも関わらず、彼女の声は至って冷静そのものだ。――いや、彼女の顔をよく見れば、間違っても言えないが。

 「す、済まぬな。ファリエ」

 「ああ、悪い。見苦しいところを見せたな」

爆発音を鳴らした張本人は二人の謝意に答えぬまま、ネイゲートへ問う。

 「それと、学院長。今、キョウは四年前と言いましたね」

 「うむ」

 「それは――あの事件のことで間違いないでしょうか」

どう答えるべきか、ネイゲートの視線が自然とキョウへ向く。が、そのキョウはお前が言え、と云わんばかりの圧力を氷のような冷えた視線で示していた。観念したように、ため息を一つつく。

 「うむ。そうじゃ。キョウにはの、お主らとは違う立場からあの事件の調査をして貰っておった」

ネイゲートの回答と呆れたように頷くキョウを見たファリエとアルビー。

 「そう、ですか。いえ、でしたらキョウさん、疑ってしまってすみませんでした」

 「私からも済まなかった、キョウ」

謝意を示すファリエとアルビーに、気にしていないと返すキョウ。

 「さて、そろそろ話を戻そうか、依頼人さんよ。細かいところは置いておくが、お前は俺に講堂の調査をさせるって言っていたな。とりあえず現状を知りたいんだが」

その問いに後頭部を掻く素振りを見せる。それを見たキョウがあからさまにネイゲートから視線を外した。

 「お主に言わせればアホかと言いそうじゃがの――儂達は実行犯の逃走経路を見ていないじゃろう」

 「ああ、アホだな。そんなんでどうやって捕まえろ、と。あぁ、だから講堂内の調査をして逃走経路を見つけろ、と」

現状を改めて確認したキョウは、深くため息をついた。

 「聞けばお主、過去に旧時代の遺跡の調査もしておったじゃろう。それよりは遥かに楽じゃろう」

 「否定はしないがな、とりあえず分かっている範囲の地図とか貰えるよな」

 「無論じゃ。お主らもそれで良いな」

三人からの同意を得たところで、キョウが改まってネイゲートへ問う。

 「確認だが、今回の依頼は講堂内の調査がメインで可能なら誘拐犯の捕縛、か。後者は捕まえたら報酬は追加で出るんだろうな」

 「それは勿論じゃ。多分、痺れを切らして出てくると思うんじゃがの」

 「だといいが。まぁ、お前のそういう勘が当たるのはよく知っちゃあいるけどよ」

と、キョウが話を終わらせようとしていたところ、ノインがおずおずと口を開く。

 「ところで、キョウがこの依頼をするとして、学院での立場はどうするのでしょうか」

アルビーとファリエも同意見だったのか、ノインの言葉に同意を示す。対して、キョウは腫物に触れたような顔を見せる。

 「ふむ、彼にはの……」

と案を出したネイゲートだったが、それを聞いた四人の反応が頗る悪い。

 「な、何故じゃ。そんな悪い案ではなかろうに」

キョウが呆れを隠させないまま、大きく息を一つ吐く。

 「だろうと思ったよ」

続けて、アルビーが諭すように意見すると、ファリエも同意見なのか同じようなことを口にする。

 「教官として言わせてもらいますが、見ず知らずの者が行うのは荷が重いかと」

ノインは頭を抱えながら意見を述べる。

 「確かに学生として入れるよりは楽ですが……」

 「そ、そうか。良い案だと思ったんじゃが」

あまりの反応の悪さに、ネイゲートの声に力がない。

 「学院の規則はよく分からないが、流石に外部の者が勝手に出入りしちゃ不味いだろ。事務員で入るとか何か手段はないのか。また雑な対応されるのは困るぞ」

更に、キョウから追い打ちをかけられたことでネイゲートは返答に吃ってしまう。その様子を見かねたのか、アルビーが大きなため息と共に、自らの案を口にする。

 「はあ、分かりました。それでは教官をやらせるのではなく、私の補佐という形で入ることはどうでしょうか」

 「おお、頼まれてくれるか。アルビー」

 「元々、私は常に学院にいる身ではありませんから。何かあった時の代わりがいてもいいでしょう。ただし、条件が一つあります」

 「うむ、何じゃ」

ネイゲートに条件を問われたアルビーは、改めてキョウを見定めるような視線を向ける。一方、視線を向けられたキョウは何を思ったのか、席から立ち上がりネイゲートの部屋に置いていた自らの武器を手に取った。

 「キョウと手合わせをさせて欲しい」

ネイゲートが何か言う前に答えたのはキョウだった。

 「いいぜ。面倒な注文付けられるよりはよっぽど楽だ。早速行くか」

 「キョウも同意しているので、良いでしょうか」

二人の様子から止めることが出来ない、と早々に諦めたのか、ネイゲートは渋々了解する。

 「ノイン、済まないが二人の手合いを見届けてやってくれないか」

 「分かりました。ところで、キョウは何時頃こちらに来るのですか。それによっては……」

と、ノインが続けようとするのを止めたネイゲート。そして、さっさと手合いのために部屋を出ようとしていたキョウを呼び止めた。

 「キョウ、お主は何時まで宿を取っておるんじゃ」

 「明日の朝までだ」

 「分かった。では、明日の夕刻までに準備をさせるから、学院の空いている寮に泊まってくれんかの」

 「今後はそこから動け、と。あいよ、細かいのはそっちに任せる」

ネイゲートが答える前に、キョウはアルビーと共にさっさと部屋を出てしまった。

 「では、私が彼の案内をということでしょうか」

 「済まんが頼む。確か空き部屋があったはずじゃ、一つ貸してやってくれ」

 「承知しました。では、私はこれで」

そうして部屋にはネイゲートとファリエの二人だけが残される。

 「バタバタして済まなかったの。キョウが学院に来たところでまた詳しい話をするつもりじゃが……ファリエ、お主は儂に何を聞きたいんじゃ」

 「――そうですね。恐れながら一つ、宜しいでしょうか」

 「儂が答えられる範囲ならば」

緊張からか一度喉を鳴らしたファリエ、二度三度、自身を落ち着かせるように深呼吸した後、学院長であるネイゲートへ問う。

 「四年前の事件――学院の学生十数名および街の住人の五十余名攫われ、その半数以上が死亡した悪魔召喚未遂事件、私とアルビーさんは学院長はキョウさんへ何を依頼したのですか」

 「――まぁ、それは聞いて当然じゃろうな」

だが、躊躇うことがあるのか、答えようとしない。痺れを切らしたファリエが再度問うた。

 「……お主はあの事件、どのような結末を迎えたか、覚えておるか」

 「はい、犯行グループの処刑に加え、関わりの合った貴族院在籍のメンバーの除籍、領地追放、序列の剥奪、今もその殆どが労役に就いております」

だが、話を聞くその表情は険しいままだ。極めつけは報告を聞いた後の、答えだった。

 「――そうか、まだ死んでおらんのか」

その仇敵と顔を合わせてしまったかのような冷ややかに、冷徹さにファリエは全身の震えを抑えることが出来なかった。が、それを見られたことでバツが悪くなったのか、固まっていた表情を崩す。

 「済まんのファリエ。お主を不快にする気は無かったんじゃが」

だが、ファリエは再び射抜かれるような視線を受ける。

 「――先の質問に戻ろう。お主には、覚悟があるかの」

 「覚、悟?」

 「この件、実のところ本当の経緯を知っている者が殆どいなくての。儂とキョウぐらいしか全容を把握出来ておらんのじゃ」

さらりとネイゲートは言ってみせた。ただ、ファリエの方は理解がまだ追い付いていないのか、返事がたどたどしい。

 「分かっていることはの、首謀者によって、一度私が指名手配されそうになったということじゃ。しかもそれが誰か特定出来ない、と来たもんじゃ。まぁ実行犯は処刑したがの」

 「――」

開けてはならない箱を開けてしまったような衝撃に、何と意見したら良いか分からないファリエ。

 「まぁ、それも儂とキョウが深く関わり過ぎたからなんじゃがな。お主はそれに巻き込まれる覚悟があるかの」

 「……そ、それは」

――覚悟している。

が、その一言が出ない。いや、出せなかった。

 「良い、責めるつもりなぞない。じゃが、一つ。聞いてしまったからには、酷じゃが教えておこう」

 「……それは?」

恐る恐る、ファリエは先を求める。

 「見つかった犠牲者の多くは白骨化しておったじゃろ」

 「は、はい」

部屋の静寂さが緊張を誘発したか、ファリエが息を呑む。

 「――儂はの、被害者達を生きたまま焼くしか方法が無かった」

 「――今、何と」

あまりの内容に、ファリエはその先を続けることが出来なかった。魔術に関しては大陸でも指折りの実力を持つこの好々爺を以てしても、そのような手段を取ることしか出来なかった、ということを認めたからだ。

 「悪魔召喚未遂事件、そんなわけがあるか。高が術式の暴走程度であんな惨状になるわけがないのじゃ」

瓶から溢れ出した水のように零れた言葉は、犠牲者への悲嘆が、首謀者への憤りが、そして時が経過しても解決出来ていない、ネイゲート自身への憤りだった。

 「……と、済まぬな。今日は取り乱してばかりじゃ」

我を取り戻したのか、ネイゲートは学院長としてファリエに詫びを入れる。

 「いえ、こちらこそ無遠慮な質問をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 「お主が謝ることじゃあない。さて、今日は色々疲れたじゃろう。早く休んでしまいなさい」

 「お言葉に甘えます。それでは学院長、失礼致します」

 「うむ」

ファリエが静かに部屋を去り、部屋にはネイゲートが残された。

 「一週、いや二週か。それまでに対策を立てておかねばの」

独り言のように呟き、息を整えたネイゲートもファリエに続くように部屋を去った。

 

 



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二章 錆びた棺
薄れていく記憶


 それから三日後、ネイゲートの計らいにより、アルビーの補佐として学院に入ることとなったキョウ。ネイゲート主導でアルビー、ファリエ含めた教官らに簡単な挨拶を行った。表立って彼を揶揄する者はいなかったものの、その反応は余所者への警戒か、それともそれ以外の思惑か、とても歓迎とは言い難かった。それを見て何を考えたのか。ネイゲートは学院長の指示としてキョウ、アルビー、ファリエ、ノインの四名を残らせ、学院の見回りを終えた後に学院長室に集まるよう伝えた。学院長としての指示でもあったため、四人は見回りも兼ねて学院を歩いていた。始めは学院や学院の成り立ちについてキョウが質問していたのだが、その話は長続きしなかったようで、次第に話題が減っていく。そうして、教官の話となったところで、ノインが申し訳なさそうにキョウへ謝意を見せる。

 「先程の挨拶ではすみませんでした。まさか、他の方の反応がここまで悪いとは」

歯に物が詰まったような表情で頭を下げたノインが頭を再び上げた時に見たものは、何を言っているか分からない、と言いたげなキョウの顔だった。

 「キ、キョウさん?」

 「いや、あんなもんだろう、というか、思ったよりマシだったぞ。多分、ネイゲートの知り合いってのが効いたんだろうな」

 「そ、そうなんですか」

意外に思うノインを他所に、アルビーとファリエは品定めをするような視線をキョウに向けている。

 「色々な場所で仕事を請けていた、というだけはあるな」

 「ま、傭兵なんざ所詮は部外者、おまけに金にがめつい奴らが多いけどな」

 「ところで、何故簡潔に話を済ませた。あれでは初めて私たちが会った時のような反応になることは間違いないと思うのだが」

アルビーの意見にファリエとノインも同じ考えだったのか、頷きで相槌を打つ。アルビーが苦言を呈するのも当然で、ネイゲートから紹介されたキョウは、自身の経緯を殆ど説明せず、自己紹介のみ行い、他を全てネイゲートに任せっ放しにしたからだ。当然、他の教官から見たキョウはネイゲートの知り合いだとしても、教養のない男かつ自らの上官であるネイゲートを蔑ろにする人物という初対面としての態度は最悪、と云える程だ。

 「そもそも、上手い立ち回りなど俺には分からない。だったら、その辺はあいつに任せておけばいい。ま、それを差し引いてもああしていたが、な」

 「それは何故、だ」

当然とも言えるアルビーの問いに、キョウは即答した。 

 「そりゃあ、あの胸糞悪い事件には誘拐犯と繋がる誰かがこの学院内にいなければ、不可能な事件だったからだ」 

確信すら含んだ有無を言わさぬ物言いに、三人は否定の声を挙げることが出来ない。その沈黙をキョウは肯定と取ったのか、ふと視線を外してからわざとらしく息を吐く。 

 「――だったら、始めから警戒されつつ、それとなく話をし易い立場の方が俺にとってはやりやすい。まぁもう少し穏便に出来ないかと言われればそれまでだが、高が傭兵にそこまで期待しないでくれ」

 「なるほど。だが、この学院には貴族出身の教官が多いぞ」

キョウの心象を何となく理解したのか、アルビーの声に硬さが抜ける。

 「この学院には私も含め、階級のない教官もいるが、先程の態度や元々傭兵であることも含めると、話すらしないと思うが」

アルビーの最もな疑問にファリエとノインが同時に頷き、同意する。だが、キョウはそこについて懸念などしていないらしい。

 「普通に話そうとすれば、な。ただ、あの事件に関わっている奴がこの学院にいるのなら、貴族出身だろうが何だろうが必ず動く。だからあいつは俺を呼んだはずだ」

 「何故、そこまで断言が出来るのだ」

キョウは一度悩む素振りを見せる。

 「ネイゲートから聞いていないのか」

 「何をだ?」

その反応は三人同様、キョウが何を言っているかが分からない、という表情を浮かべていた。それを見て何を察したのか、罰の悪い顔を浮かべ、視線を逸らす。

 「……聞かなかったことにしてくれ」

何を言い出すのか、とアルビーとノインが詰め寄ろうとする。

 「いや、それは困る。我々は既に関わっている者同士だ。私たちが知らないことを共有すべきではないのか」

当然のことだろう、とアルビーが迫られる。そして、キョウは指を額に添えて大きく息を吐いた。

 「今のは俺が悪い。てっきりあいつが話しているものだと思っていたからな。何故、と思うだろうが、気になるならあいつに聞いてくれ」

キョウの交友関係から、あいつ、が誰を指しているかなど一目瞭然だ。

 「学院長が関係しているのですか」

ファリエが問うと、キョウは困ったように後頭部を掻いた。

 「魔術というか、何というか。あいつの変わった力みたいなものでな」

 「もしかして、学院長の魔力に関することなのですか」

 「ああ、関係ない時に視えてしまうことが面倒だ、と言っていたが、よく知らない奴に話しても、誤解しか招かないとあいつが言っていてな。悪いが、俺の口からは言えない」

キョウに聞いても、答えてくれない雰囲気があり、聞く手段を失う三人。

 「ま、知りたきゃあんたらで調べてくれ。そして、その結果をネイゲートにでも聞いてみな……と、そろそろ着くのか」

気付けば見回りは終わり、学院長室の前まで着いていた一行は扉の前で止まる。すると、ノインが失礼、と一言入れ、三度扉をノックした。

だが、反応はない。

不思議に思い、ノインが再度ノックをしようとする前、不意を突くようにキョウの手が扉の取っ手を引く。アルビーとファリエが止めようとしたが、もう遅い。

 「おい、入るぞネイゲート」 

しかし、二人の恐れていたことが起きないまま、扉は開いた。 

 「何じゃキョウ、侵入者排除の仕掛けを付けていたはずじゃが」

 「嘘つけ、盗み聞きする為に解除していただろ」

 「何じゃ、ばれておったか。つまらんのぉ」 

目の前で起きている二人の会話に三人はついていけず、扉の前で固まっていた。そんな三人を見兼ねて、ネイゲートが声を掛ける。

 「で、何の用だ」

 「何じゃ、分かっておらんか。とりあえず、主らも入るがいい」

キョウの後に続いた三人を入れて、扉を締める。

 「まぁ、現状を共有しようと思っての」

 「現状というのは、俺を紹介した時の反応ってところか」

 「そうじゃ」

 「で、俺を紹介した時に変な反応をした奴でもいたか?」

キョウの言葉にファリエ、アルビー、ノインが怪訝な顔を浮かべる。一体、何処をどう見たらそのような言葉が出るのだと。

 「……あれで?」

喉元で止まっていた言葉が漏れてしまったのはファリエ。ただ、同様の思いはアルビーとノインも抱いていたのか、同意するように頷いた。

 「ま、最もな反応だとは思うが、どうだった?」

 「流石に分かり易く反応した者はいなかったがの。一人、いや二人か。まさか当時のことを覚えている者がいるとは思わなかったが」

何処か話の軸がズレているような違和感があり、ファリエは首を傾げた。

 「へえ、四年前、しかも一週しか出されなかったものを覚えている物好きがいたのか。そりゃあ驚いた」

 「……あの」

おずおずとファリエが声を挙げる。

 「一体何の話をしているのでしょうか。私は誘拐犯の反応を探っているかと思っていたのですが……」

その問いを受け、ネイゲートは渋い顔を、キョウは半笑いを浮かべる。

 「どういうことでしょうか。我々も今一つ状況が掴めないのですが」

ノインの言葉にアルビーも同意を示す。それを見て、ネイゲートは更に顔を渋く、キョウは大きくため息をついた。

 「あんだけ苦労したのに簡単に忘れてくれるとは、という思いはあるが、逆に俺で良かったんだろうな」

やれやれ、と云わんばかりにキョウは肩を落とす。同様に、ネイゲートも大きく肩を落としている。

 「つまり、あの時の儂らの判断は間違ってなかった、ということか。悲しいがの」

 「ああ。で、そろそろ説明してやったらどうだ」

三人が何の話、と不思議に思っていると、ネイゲートが決心したように表情を引き締めるのが見えた。

 「さて、誘拐犯の前に、だ。四年前のおさらいをしておこう」

公式の記録では、スコラ南西部にて召喚の儀式を行ったものの、組んだ術式が暴走したことにより、儀式に使った学院の学生十数名および街の住人の五十余名の半数以上が死亡した悪魔召喚未遂事件、又の名をスコラの惨劇と呼ばれている。

 「じゃがな、この報告には幾つか誤りがあっての」

ネイゲートの言葉に目の色が変わるアルビーとノイン。そして、ファリエは視線を落とす。

 「まず一つ、実際には悪魔が召喚されてしまったことじゃ」

そうすると、誰が悪魔を倒したのか。

 「それでは、その悪魔は誰が、もしや学院長ですか」

ノインが懇願するように、ネイゲートへ問うものの、ネイゲートは首を横に振る。

 「儂でも不可能ではないがの。あの場では、後処理をしただけじゃ。倒したのは……」

ネイゲートの視線は同じ卓に座るキョウへ移る。確認するように目配せするネイゲートに、疲れたように頷いたキョウ。

 「ま、そういうことだ。召喚されたばっかりだったのがラッキーだった」

それほど実力を持つ男だ、ということに目を見張るノイン。

 「表沙汰にならなかったのは、そこにいるキョウが悪魔を倒したからじゃ」

驚きから言葉が出ない二人を置いて、ファリエは合点がいったように首を縦に振った。

 「やはり、そうだったんですね」

 「そうか、ファリエには話の弾みで言ってしまっていたからの」

それを聞いたキョウが、ネイゲートに訝しげな視線を送る。

 「一つ、お聞きしたかったことがあるのですが、宜しいでしょうか」

構わん、の一言を聞いたファリエは続ける。

 「先日の話の中で、学院長が指名手配されそうになったと仰っていましたが、そのことに関係あるのでしょうか」

その問いを聞き、ノインとアルビーは驚きから顎が下がる。そして、ネイゲートは天を仰ぎ、目を閉じて思いを巡らせる。そして内に抱えた思いを吐き出すように、三度に分けて深く、深く息を吐き切った。

 「キョウ、構わないだろうか」

視線はキョウを見据え、感情を抑え切ったような平坦な声で問う。問われたキョウは静けさの増した空気にやれやれと両手を挙げる。

 「気を使ったんだろうが、そういうことは先に話しておけよ。それに、隠すことでもないだろう」

不思議と、諦めと寂しさを感じさせる声だ。ファリエ、アルビー、ノインの三人から見ても、雲を掴むように飄々としている男だが、その過去の事件にどのように関わったのだろうか。

 「アルビー、ファリエ、そしてノインよ。今から話すことは他言無用じゃぞ」

そうして彼は、彼自身が知り得るスコラの惨劇について、閉ざされた棺を開けるように語り始めた。

 



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魔法科

 空が白み始め、東の空から太陽が昇る。何事もなく翌日を迎えた学院には、何度も目元を擦り、欠伸をしながら講義の準備をするファリエがいた。だが、その足取りは覚束無いもので、寝不足であることを隠せていない。魔術の研究が長引いて徹夜してしまうこともあるファリエだが、今回は仮眠すら満足に取れなかったらしい。その瞼には隈が出来ていた。そうして何とか準備を終えたものの、講義の時間には早い。眠りそうになる意識と闘っていると、扉を三回叩く乾いた音が部屋に響く。

 「キョウだ。間が悪いなら時間を外すが」

意外な人物の訪問により、気が抜けてしまったファリエ。

 「……あー」

反応の遅さから体調が悪いと思われたのか、入るぞ、の一言とキョウが入ってくる。そして、眠そうな顔を見て一言。

 「眠そうだな」

 「うるさいです。体力がない、という嫌味なら後にしてくれます?」

眠さの遠因であるキョウに少し当たりが強くなる。

 「そういう意図はなかったんだが、まぁいいか」

キョウは苦笑いを浮かべながら、乾燥した何かが入った瓶をファリエに手渡す。

 「これは?」

 「ちょっとした眠気覚ましだ。嗅ぐだけで効果はあると思うぞ」

 「へえ、そうですか」

覇気のない声で、いそいそと瓶の蓋を開ける。すると、微弱だが瓶の中から爽やかな香りが彼女の鼻孔を撫でた。

 「――これは、香草ですか」

 「ああ。茶の代わりによく使っているが、香油の材料になることもある。昔、足りない報酬の代わりに教えてもらってな」

他にもそのような技法を会得しているのか、と全く違う生き方をしてきたキョウへファリエは関心を抱きつつ、卓上に瓶を置く。ただ、ファリエにはそれ以上に気になったことがあった。

 「どうして、これを」

すると、キョウはガシガシと頭を掻く。そして、諦めたようにため息を一つ付いた。

 「俺の詰まらない話と狸爺に付き合わせてしまった詫びだ。俺は途中で外したが、あんたは長い時間付き合わせてしまったようだからな」

 「あー……」

確かに話が長かったのだ。見回りをすると言って早々に席を外したキョウと、かつての事件について話を聞いて帰った二人とは違い、魔術に関することも含めて質問してしまったせいか、殆どの者が寝静まった夜も半分を越えた頃になって、ようやく話が終わったのだ。

 「因みに、何時頃終わったんだ」

 「空に青さが、見えた頃ですかね」

明後日を見ながら答えるファリエに、キョウは思わず声を失う。ふと視線を外した先にあった卓上には、重ねられた書類と羽ペン、そして休憩用に用意していたであろう白い陶器が目に入った。

 「唐突だが、そこの陶器って市販の魔法具か」

 「ああ、はい。入れた水を温める程度の魔法瓶ですけど。ああ、そういえば茶葉を……」

 「ちょうどいい、借りるぞ」

 「……へ?」

キョウはファリエの返事を待たず、魔法瓶から白い陶器のカップに湯を少量注ぎ、カップから出る湯気を見た。

 「あ、あの」

ファリエの声に答えることなく、キョウは香草を詰めた瓶から4枚取り出すと、2枚を湯の中に、残りの2枚はカップに蓋をするように敷く。

 「全く、あの狸爺は依頼や魔術に関しては信頼できるが、あの辺りは相応の爺というか」

ここに居ないネイゲートへ呆れつつ、大きく息を吐く。

 「すみません、これは?」

そう言って、ファリエは香草の入ったカップに視線を移す。

 「あんまりにも見ていられなくて勝手にやってしまったが、茶みたいなものだ」

 「へ?」

まだ反応の鈍いファリエを見ないまま、キョウは背を向ける。

 「今の状態で講義するのは不味いだろ。それを飲めば少々落ち着けるはずだ」

それだけ言って、部屋を後にした。

一方、部屋に残されたファリエは茫然としたまま、市販の茶葉とは違う爽やかな香りに目を細める。

 「へえ、こんな香りが……」

講義が始まる時間まで、ファリエは束の間の休憩を取ることにした。

 

 

 

 天上から太陽が半ば降りた時間帯、キョウから香草を貰ったファリエは何とか持ち直し、自身が取り持つこの日最後の講義も終盤に差し掛かっていた。

 「――魔法というのは大気中の、若しくは自身の体内にある魔力を使った、現象への干渉全般を指します」

パチン、と指を鳴らすと同時に、4つの水球が彼女の周囲に浮かぶ。

 「皆さん知っているかと思いますが、確認しましょう。基本的に魔力はありとあらゆるものに含まれています。勿論、その量や密度に違いはありますが、石だったり、水だったり、動物であり、私たちであり、そこに大きな違いはありません。ただし、自身の魔力を感じ取ることが出来なければ、魔法を使うことは出来ません」

水球4つを維持したまま、更にファリエは拳ほどの火の玉を4つ浮かばせる。

 「では、魔法を使うにはどうしたらいいか。それには、3つの段階をクリアしなければいけません」

学生達の視線がファリエの方を向く。

 「1つ、魔力の感受。先ほども言いましたが、自身の魔力を使って現象を引き起こすことが殆どなので、これを意識的に使える訓練が必要です」

反応を確かめる為に講堂に座る学生達を見渡していたファリエは、ある一点を見て一瞬動きが止まる。が、それも束の間のこと。流れるように講義は進む。

 「2つ、魔力の制御。入学時に魔術適性があると言われた方はこの訓練を特に優先して下さい。これが出来ないと、魔法の暴発に加え、体調を崩すこともあります」

 「それから3つ、魔力による現象の構築。今の例で言うと、水球や火球ですね。【何かを形にすること、自身が起こしたい性質に最も近いものを想像し、魔力でカタチを与えること】、これが魔力による現象の構築です」

パチン、と指を鳴らし、魔力で構成した火の玉と水球が煙のように消える。

 「魔力の制御が出来ない方は暴発の危険性があるため、訓練が必要です。また、高熱になることが多いです。他にも無意識的に使った魔術が事故に繋がることもあるので、自衛の為にも必ず習得して下さい」

学生達が納得するように頷いた。

 「と、魔法について簡単に説明しましたが、全員が使えるわけではありません」

反射的に、そんなぁ、と悲嘆に暮れる反応が幾つか上がる。

 「かつて魔法とは、先天的な能力だと思われていました。そのため、戦乱が続いた時代の貴族を中心に、魔法が使える子供を挙って養子に入れて戦力とする時代もありました。ですが約百年前、あらゆる生命・物体に魔力が宿ることを確認されたことで、その前提が覆りました」

ほう、と低い声が漏れるのをファリエは聞いた気がした。

 「魔法の歴史と呼べる概要は以上です。質問がある方はいますか」

講堂に返るのは沈黙のみ。

 「では、少し早いですが、本日の講義を終わりにします。お疲れさまでした」

学生達は続々と席を立ち、友人たちと会話をしながら講義室を後にする。そうして学生が全員去った後、講義室にいた最後の一人が席を立つ。そして、ファリエが立つ教壇へ近づき、声を掛けた。

 「久し振りに講義というのを受けたが、結構分かり易かったぞ」

 「キョウさん、あなた何時から居たんです?」

そう疑問に思いつつ、何故か学生達に混じって講義を受けていたキョウへ問う。

 「初めからいたぞ。ネイゲートからどうせ暇ならお前も聞いておけ、と言われてな」

始めからいた、という言葉にファリエの表情が僅かに固くなる。

 「は、始めから、でしたか」

 「本当は様子だけ見て去ろうと思っていたがな。俺みたいな傭兵はしっかりと習う時間も金も無い連中が殆どでな。気が付いたら最後まで聞いていた」

その純粋な感想に、ファリエは笑みを見せる。

 「そうでしたか。これでも中々評判はいい方なのですよ」

 「それは分かる。分かり易い上に美人ときた。そりゃあ誰だって聞きたいだろうよ」

だが、それは聞き慣れた言葉だったらしく、あしらう様にキョウから一歩距離を置く。

 「よく言われますよ……って、そうでした」

が、何かを思い出したようにその足が踏み止まった。

 「何だ。用なら手短にな」

 「朝の件です、助かりました」

何の事か分からず反応が遅れたキョウだったが、直ぐに思い出したようで生返事ながら相槌を打つ。

 「どうせ薬屋と複数の商人に当たれば補充が効く。気にするな」

補充が効く、と聞いてファリエは目を丸くする。

 「そうなのですか。それにしては効き目があったのですが。それにあの爽やかな香り……一体、何の葉を使ったのですか」

 「あ、そんな珍しいものじゃないぞ」

やたら喰いつきがいいファリエに対して得心のいかない顔を浮かべたところ、ファリエは見当がついていない顔を浮かべており、本当に知らないのだとキョウは気付いた。

 「別に隠すものでもないからいいか。確かこっちじゃ、ミンテー……いや、ミントだったか。よく虫が寄り付かない雑草があるだろ、それだ。魔術の触媒とかで使うんじゃ無かったのか」

さも当然のように口にしたところ、ファリエが驚きを隠さないまま捲し立てる。

 「ミ、ミントって、無駄に増える癖にきつい香水とかに入っている、あのミントですか!?」

 「あ、ああ。そ、そうだが」

怒涛の勢いで言葉を重ねるファリエにキョウは若干気押される。

 「そのミントが、あんな、あんな爽やかな香りを出すのですか!?」

 「ああ、茶みたいに湯を通して飲むことで風邪予防に使えるって、足りない報酬の代わりに草の取り方とか教えてもらったんだが」

 「嘘でしょう。昔、魔術の講義で煎じたモノを飲みましたが……ほとんどの者が吐き出していましたよ」

その惨状を思い出し、頭を抱えるファリエ。

 「それが、魔術的な使い方と民間治療の違い、ってやつなんじゃねえか。詳しくは知らんが」

 「そ、そんな……」

その言葉が止めになってしまったのか、ファリエはがっくりと首を垂れた。

だが、それも一時のこと。何かを決心したように立ち上がると、キョウに頭を下げた。

 「キョウさん、あなたの知っている薬草の知識、教えて頂けますか」

その態度に呆気に取られて面食らったキョウ。

 「大層なものではないから別に構わないが、報酬がないとやらんぞ」

報酬、と聞きファリエは石のように顔を固める。

 「傭兵だからな、何かにつけて金をせびるのは性だと思ってくれ。ネイゲートの件が最優先だが、時間があればやってもいい。ああ、報酬は別に金である必要はないぞ」

キョウの言葉に、今度はファリエが面食らった顔を見せる。

 「え、傭兵はお金を取るものでしょう。何故金を要求しないのですか」

そう問われ、キョウはファリエから一度視線を外す。そして、講義室全体を見渡しながら答える。

 「今はそこまで困ってないし、傭兵が下手に金を持ちすぎてもいいことがない。それに、ここはカルセオでも有名な魔術の教育機関だ。そこでしか手に入らないものも多いのだろう」

キョウが何を言いたいのか、ファリエは理解した。

 「なるほど。報酬については少し考えさせて貰ってもいいですか」

 「ああ、まああまり価値が高すぎるもの渡されても困るけどな」

 「まぁ、それについては追々お願いします。それでは」

そう言って、ファリエは講義室を後にする。

 「って、そろそろアルビーのところに行かなきゃならん時間か。急ぐか」

ファリエの後を追う様に、今日も講義室を後にした。



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騎士科

 空が橙に染まった夕暮れ時、数十名の学生が講堂外の広間にて刃引きされた槍や剣を使って、各々素振りや対面による稽古を行っていた。そんな中、教官を務めるアルビーに呼ばれて集合すると、見慣れない黒い男がいた。経緯は不明だが、どうやらアルビーの補佐として代理の教官をすることになったらしい。

 「君たちも知っての通り、最近私の講義が休みになることが多かっただろう。そこで、学院長の推薦で彼を私の補佐として入れることになった」

 「……と言う訳で、お前たちの教官補佐として面倒を見ることになったキョウだ。ちょっとしたことで学院長とは少々縁があってな。暇していたところを呼ばれたわけだ」

肩をすくめ、ため息をつきながらよろしくな、と黒い男、キョウが挨拶する。しかし、いくら学院長の推薦と言えど、素性のよく分からない男が急に教官の補佐として入るというのだ。突然の話に学生達が不安げな顔を浮かべていた。それを見兼ねて、学生達には聞こえないように小声でアルビーへ問う。

「で、どうする。俺が入った経緯など説明出来ないだろう」

「何、それは既に考えてある」

アルビーがキョウの前に立つ。

 「突然のことで混乱しているとは思う。しばらくの間、私がいない時は彼が見ることになるだろう。とは言え、だ。いきなり素性の分からない男が入ってきても困惑するだろう」

その言葉に殆どの学生が同意を示す。その反応に当の本人すら苦笑いを浮かべるのみだ。

 「だから、いつもの演習はここまでとして、この後はキョウを知ってもらう時間とする」

その言葉に、キョウが呆れるように問う。

 「おいおい、知ってもらうって何をだ」

 「そんなもの、決まっている」

アルビーがどう動くのかを見守る中、持っていた修練用の素槍をキョウへ向ける。

 「この学生達は騎士を目指す将来有望な若者達だ。学院長直々の推薦だ、と言うのならば、私にその力を示すがいい」

アルビーは槍をキョウへ向けて、気勢よく宣告する。それを聞いたキョウの視線が、学生達からアルビーへ移ると共に、獲物を見つけた猛獣のような野性混じりの笑みへ変わる。

 「ほう、そういうことか。いいぜ、その言葉を後悔するなよ」

突然の展開に、明日は槍でも振るのではないか、そんな思いが学生達に過る。だが、目を擦ってもそれは現実だということを理解した学生達から熱気に満ちた声が上がる。そんな声が聞こえたのか、近くを散策していた学生が何事かと興味を示し、それを聞いた学生からも同様の声が上がった。

そんな様子を一瞥しつつ、キョウはアルビーに一歩近づき、彼だけに聞こえるように声を細めた。

 「で、乗ったはいいがどうするんだ。前に手合いはやっただろう」

 「何、仮にも私の教官補佐として入るのだ。その補佐が学生達に舐められては、な。故の手合いだ」

 「それはいい。というか、この状況で退けるか」

 「それもそうだな」

横目で学生達を確認すると、歓声が鳴り止むには多少の猶予があった。

 「で、何でもいいが武器は何を使えばいい」

 「武器は先ほどまで学生達が使っていたものを使ってくれ。私も同様の武器を使おう」

 「分かった」

キョウがアルビーに確認すると既に持っている槍を使うという。腰に掛けた剣についても聞いたが、騎士として持っておくものだ、と答えを濁された。それを聞いたキョウは何を思ったか、アルビーと同じ素槍を二振り手にした。

 「よし、これにするか」

キョウが選んだ武器が思いも寄らない選択だったのか、アルビーから不安げな声で問われる。

 「二、二槍か。だが、使えるのか」

しかし、キョウはそんな問いかけに対して、淡々と答えるのみ。

 「生憎、武器に拘りは無くてね。ただ、お前相手には手数が欲しい、それだけだ」

次第にキョウの声が低くなり、刺すような視線をアルビーへ向ける。それに気付いた一部の学生は緊張からか、息を呑むようにアルビーとキョウを交互に見るだけだ。

その視線を受け、アルビーも顔が引き締まる。

 「二槍だからって舐めてる内に負かせてやろう――そもそも、武器を選ぶ余裕はな、名を挙げてからやれってもんだ」

学生達にも聞こえるように張るような声で答えた後、両手に握った槍の具合を確かめるように何度か突き、払い、振り下ろしを試す。その様子を一部の学生達や様子を見に来ていた講師たちの目が点になる。武器に振り回される様子もなく、風を斬るような音を鳴らして素振りをする様子を見て、学生と様子を見に来ていた講師達の目が点になる。そんな様子を他所に準備を終えたキョウは、アルビーから距離を取った。

 「そろそろいいか、時期に日も暮れる。さっさと済ませようか」

左右の槍を持つ手は柄の中心。左足を前へ、十字に交差させるように構えるそれは、二刀で戦う剣士を思わせる。そんなキョウを見て、アルビーは左半身をキョウへ向け、右手を柄の先端を握り、左手を柄の中心に添える。風の鳴る音だけが辺りに響き、観戦している学生達や講師の緊張感を煽る。

 「そうだな、始めよう。行くぞ、その力、示すがいい」

気迫のこもった掛け声と共にアルビーが踏み込み、空を切るような刺突でキョウの腹部を穿たんとする。キョウは右肩を引きつつ、両手の槍で叩きつけることで刺突の威力を殺す。そのままアルビーの腕や胴を切り裂くように弧を二つ描く。しかし、その動きを見越していたのかその反撃はバックステップを取っていたアルビーへ届かない。

 「ま、簡単に決まるはずないよな」

小さく呟き、アルビーとの間合いを測るように二歩、三歩と距離を置く。そうして、両者の動きが一瞬止まると、かかってこいと言わんばかりにアルビーが挑発する。

 「二本使えば勝てると思っていたか」

 「まさか。考えなく二槍なんてしねえ、よ!」

その挑発に乗る様にキョウは左に持った槍を突き出すものの、横に跳んだアルビーには掠りもしない。しかし、跳んだ先にもう一方の槍が突き出される、それを。

 「フンッ!」

柄で受け止める、そしてキョウが槍を退かせる前にその柄を掴む。アルビーがキョウの様子を見ようとして、迫りくる何かに気付き、慌てて握っていた槍から手を放して後退する。と、殆ど同時にアルビーごと薙ぎ払うように槍が弧を描いた。

 「何だ、しっかり見えているじゃないか」

惚けたように声を掛けるキョウに、ますますアルビーは顔を引き締める。

 「全く、油断のならない男だ。左が囮かと思ったが、左の斬り払いが本命だったか」

 「生憎と傭兵生活が長くてな。騎士とは違って変な技だけ磨きがかかるのが困った所だ」

そうして、互いに一つ大きく息を吐く。

 「さて、続けるか」

 「ああ、そうだな」

 そこから先は見る者全てが息を呑む立ち合いだった。アルビーが攻めればキョウは二つの槍を駆使してその攻撃を抑えつつ、隙を見つけると一突きで攻守を反転させる。そして、キョウが攻めればアルビーは手数の多さに苦戦しながらも、素早くキョウの間合いから離れて不利な状況を立て直す。始めこそどちらが勝つかといった賭けを始めそうな周囲の観客だったが、直ぐに終わりそうで全く終わりが見えない立ち合いを目の当たりにし、次第に目を奪われていく。そんな二人の立ち合いが続く中、一人の老人がふらりと現れ、彼らに混じって観戦に混じる。そのことにアルビーが気付かないまま、二十を超える立ち合いを超えても尚、勝負を決める一突きを決めることが出来ずにいた。もう数えられない程の突きや斬り払いを繰り出すキョウの二槍から逃れつつ、風を斬るように放った反撃の一突きも、二槍の柄で防がれる。追撃するも、それを読んでいたキョウが先に二歩、三歩と距離を取るため、勝負を付けようにも一歩及ばない。そうして次第に表情が強張るアルビーを他所に、十二分に距離を取ったキョウから声が掛かる。

 「どうする。ここまでにしとくか。随分と暗くなったが」

既に空が橙から藍の色へ色づく頃合いだった。しかし、闘志に火が付いたアルビーは、武器を構えるように促す。

 「いや、まだだ。まだ互いの武器も十分に見えるだろうし、お前もまだまだ戦えるだろう」

 「――まぁ、そうだが」

キョウはある一方を見て困ったように息を吐き出した後、再び槍を構える。

 「とはいえ、始めてから結構時間も経っているからな。いい加減決めようか」

そう言いながら、キョウは再びアルビーの間合いへ踏み込んでいく。突き、払い、時には殴り付けるように二槍を扱い、アルビーへ迫る。しかし、アルビーは槍の柄を器用に扱い、何度か躱した先にキョウが繰り出した連撃を同時に受け切った。

しかし、そこから互いの槍が動かない。アルビーは槍の穂と柄でキョウの二槍を受け止めているものの、キョウを長く持って攻めている為に攻めに動くことが出来ない。対してキョウも、槍を長く持っているため、アルビーの槍を振り払うだけの力を出せないのだ。互いの槍の柄からミシリと嫌な音が鳴る。それを嫌ったキョウは、アルビーは、一瞬の隙を突いて片方の槍を弾き飛ばし、とばかりに鋭い突きを見舞う。これで勝負が決まった、と誰もが確信した。

だが、乾いた木の音と共に、アルビーの間合いから跳ねるように二歩三歩と退いたキョウと体を守るように柄を縦に構えるアルビーがいた。一瞬のことで理解が追い付かない周囲を他所に、キョウは弾き飛ばされた槍を拾う。

 「決まったと思ったんだがな。流石に驚いた」

 「それを言うのはこちらの方だ。今のが傭兵の技というものか」

 「咄嗟に出ただけさ。で、どうする。腕試しならもういいと思うが」

 「まさか、先日の立ち合いを忘れたのか、キョウ」

闘志に燃えるアルビーを見て、決着が着くまで終わらせることはないだろうと察したキョウは、呆れたように大きく息を吐き、と目を細めて再び槍を構える。

 「仕方ない、時間も時間だ、そろそろ終わらせようか」

 

 互いに向き合い、最後の立ち合いが行われた。結果として、アルビーに敗れたキョウだったが、アルビーと長時間戦えたという実績から学生や他の教官達にも認識されることになった。

 



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手合いの後に

講義を終えて後片付けを行う二人に、老人が拍手を送りながら近づいてくる。

 「中々見応えがあったぞ、二人とも」

 「が、学院長!」

学院長に気が付いたアルビーが慌てて敬礼する。一方、途中から観戦していることに気が付いていたのか、キョウは額に手先を当てながら、先ほど使っていた槍をネイゲートに見せた。

 「時間をかけて悪かったな。で、これは直せるか」

何のことだとキョウを見るアルビーに対し、ネイゲートもふむ、と思案顔を浮かべる。

 「やはり、そうなったかの」

 「やばいとは思ったが、やっぱり壊れるとはなぁ」

 「何だと?」

キョウが使っていた槍の柄には大きなひびが入っていた。アルビーとキョウの度重なる打ち合いに耐えられなかったらしく、使い物にならなくなっていた。

 「い、いつの間に……」

 「どうする、これ。薪の足しにでもするのか」

茫然とするアルビーを置いて、キョウは片手で灯りを持ちながら、ひびが入った二つの槍を改めて確認し、諦めたように息を吐く。

 「ふむ、既に傷んでおったようじゃの。まぁ、壊したお主が新しい備品を用意してくれればいいんじゃが……」

 「おいおい」

 「冗談じゃ。どうせお主のことじゃ、壊れそうな物を選んだんじゃろ」

図星だったのか、苦虫を飲んだような顔をネイゲートへ向ける。

 「うるせ、壊れない武器なんざ早々ないからな。どうせ壊れるなら傷んだモノからがいい」

 「やはりか、まあよい。最近は武器の補給が多くなったしの。兵士に渡せないような一部の不良品をこちらに回すとしよう」

 「悪いな、それで頼む」

備品の話が一段落着いた所で、何かを思い出したようにネイゲートがキョウへ声を掛ける。

 「キョウよ、後で儂の部屋に来てくれんかの」

 「それが本題か。別にいいが、呼び出し喰らうことをした覚えはないぞ」

怪訝な顔を見せるキョウの視線を受け流し、ネイゲートは話を進める。

 「そう構えんでよい。何せ、個人的な話が大きいからの」

個人的という言葉に納得したのか、キョウはネイゲートの話をすんなりと受け入れた。

 「分かった、何時頃行けばいい」

 「そうじゃな……宵の一刻、月が出始めた頃で良いかの」

 「分かった。片付けが終わった後に行くぞ」

引き続き片付けを進めようとしたキョウだったが、それをネイゲートが止める。

 「俺も講師としてここにいる。それ位はやるぞ」

 「ああ、そうではない。少しアルビーに聞いておきたいことがあっての」

納得したキョウはアルビーに片付けを頼む、と言い残してその場を立ち去った。キョウが講堂に入って行ったのを確認したネイゲートは、アルビーへ問う。

 「さて、アルビーよ。先日と合わせて二回手合いをしてみた感想はあるかの」

片付けを進めようとしたアルビーの手が止まる。

 「先日手合いをした時も思いましたが、強い、いえ、しぶとい男です」

率直な感想を言った所、何故かネイゲートの視線が遠くを向く。その視線に気付き、声をかける。

 「ああ、済まぬの、少し昔を思い出しただけじゃ。キョウがしぶとい、とな。確かにその通りじゃ」

 「はい、あれほどしぶとい男はそういないでしょう。盗賊や山賊共などが集った所で……いえ、首都にいる騎士でも数名、いえ数十名がかりで挑んでも勝負になるかどうか」

 「こんなことを言うのも良くないが、順当に負けるじゃろうな」

考える間もなく出された結論に、アルビーの眉が上がる。

 「差し出がましいですが、お聞きしても良いでしょうか」

ネイゲートから許可を得たアルビーは、調子を整えるように息を吐く。

 「私やファリエ講師から見ても、学院長がキョウを信頼していることは分かります。ですが、何故キョウを重要視するのでしょうか。首都にいる騎士や宮廷魔術士でも構わないのでは」

それは、率直な問いだった。何故、部外者であるキョウを学院長が必要としたのか。事件の調査は国として騎士団や魔術士による調査を行い、その結果を学院長自身が確認しているにも関わらず。それが分からなかった。

 「ああ、その事か。お主が疑問に思うのも分かるし、キョウが気に喰わないというのも理解する。実は、昨夜話していなかったことじゃがの、事件が終わって暫く経った後に、儂は宮廷魔術士や騎士団からの調査結果を見たんじゃ。が、どうも彼らの報告と、現場にいた儂やキョウと食い違いがあっての。今一つ信用ならんのじゃ」

 「つまり、報告した彼らを疑っている、と」

それを、ネイゲートは学院長として肯定した。

 「結果的にそうなるの。確かに、後々の調査結果と現場にいた儂らしか知らないことは分けても違和感が拭えなくての。そもそもじゃ。何故、事件当初は儂を犯人に仕立てようとしたのか」

その点はアルビーも思う所があるようで、深い頷きを見せた。

 「勿論、お主やファリエは信頼しておるが、危険には遭わせられん。その点、当時から深く関わっていた儂やキョウは変化がないからの。危ない所はまず儂やキョウが行くつもりじゃ」

方針は理解したものの、割り切れないアルビーの返事は鈍い。

 「済まぬの、調査が進んで全容が見えればもう少し動けるんじゃが」

そこで、視線を遠くに置いたネイゲートだったが、再び何かを思い出したらしい。

 「と、話が逸れてしまったの。お主に聞きたかったのはもう一つあっての。教える者としてキョウをどう見ておる」

だが、ネイゲートの期待とは裏腹に、アルビーの評価は逆だった。

 「技を教える、という意味ではあまり向かないかと思います」

 「な、何じゃと」

予想外の意見に思わず目が点になったネイゲート。

 「これは先日の手合わせを終えた後、キョウ自身も言っておりました。俺は殺す技しか使えない。騎士になる学生に教えろと言われたはいいが一体何を教えろと、と」

 「珍しいの、あ奴がそんなことを言っていたのか、らしくないのう」

アルビーから聞いた話が信じられず、ネイゲートは間延びした声を漏らす。だが、キョウを深く知るネイゲートには代替案が浮かんでいたのか、直ぐにアルビーへ質問する。

 「ところで、お主はキョウから何が得意とか聞いておるかの」

 「モンスターとの戦闘や集団戦ならば慣れている、と」

 「そうか。では普段の講義はどうしておる」

 「これは他の教官でも変わりませんが、基本は素振り、対面の稽古を中心に、日によっては走り込みをやらせております」

講義の内容を聞き、考え込む素振りを見せていたが、程なくして考えが纏まったらしい。

 「ふむ、ではこういうのはどうじゃろうか」

学院長として、キョウが取り仕切る講義内容を伝えた所、アルビーも納得出来るものだったのか、なるほど、という一言と共に共感するように頷いた。

 「確かにそれでしたら可能かと。しかし、キョウの体力は持つのですか」

 「問題ない、夜通しで戦闘と移動を繰り返したこともあったようじゃ。二度とやりたくないとは言っておったが」

夜通しで戦闘と移動を繰り返したというキョウの過去に、アルビーは同情から渋い顔を浮かべている。

 「な、なら問題なさそうですね、後でキョウと話す時にそれとなく伝えておいてくれますか。私の方でも後日伝えますので」

 「了解した。さて、これは何処へ片付ければよいかの」

話し込んでいたせいで、二人は講義の後片付けを進められないでいた。片付けを始めようとしたネイゲートを見て、アルビーは慌てて道具を纏めだす。

 「いえ、こちらは私の方で片付けておきますので」

 「ふむ、お主がそういうのなら任せようか。もし、キョウについて他に聞きたいことがあれば儂に聞くがいい。儂もそう多くは知っておらんが、自分の過去については話したがらないからの」

 「分かりました。その時はよろしくお願いします」

気が付けば、空が深い青に染まり始めていた。キョウとの約束を思い出したのか、ネイゲートはいそいそと講堂へ入っていった。

 

 空が深い青に染まり、東の空から月が昇り始めた頃、自室で休憩していたネイゲートの部屋の扉を三度叩く音が耳に届く。

 「おお、キョウか」

 「ああ」

扉からカチリ、と何かが外される音が鳴る。

 「済まんの、こんな時間に」

 「全くだ。街に出ていれば、今頃酒でも飲めたと言うのに」

 「おや、こんな所に酒瓶が」

勿体ぶった声と共にネイゲートが出したものは酒瓶一つにグラスが二つ。まさかの展開に思わずキョウは素っ頓狂な声を出した。

 「あれ、お前。聖職者、だよな」

 「別に宗教側の聖職者ではないから問題ない。それに、魔術で使う薬品には純度の高い酒を使うことも多いんじゃぞ」

魔術士、酒というキーワードに思い当たることがあったのか、額に手を当てる。

 「あぁ、酒に強い魔術士が多いとは思っていたがそういうことか」

 「うむ、そんな訳で一杯飲んでいくか」

今にも酒を注ぎそうな勢いを見せるネイゲートに、キョウは返って気が削がれたらしい。

 「いや、遠慮しとく。そもそも、そんなことでお前が俺を呼ぶかよ」

 「何じゃつまらん、という冗談は置いておくとしよう。頼んでいた講堂内部の調査はどうじゃ」

ようやく本題か、と独り言ち、調査結果をネイゲートに伝える。

 「ああ、お前たちが既に見つけていた隠し通路は一通り確認した。ただ、お前が言っていた通り魔術こそ仕掛けられていたが、その効果は侵入者払いと認識誤差を起こさせる程度だ。まぁ、魔術の素養がない兵士ならまず気付けないし、魔術士が魔力の動きに意識を傾けた所で、この城自体に仕組んである形状を維持する魔術式がカモフラージュになっているから分からない、と来た。確かに、中々見られないよ、こんなもの」

過去に様々な経験を踏んでいるキョウにとっても、驚きを隠せないものだったらしい。そんなキョウを他所に、ネイゲートは淡々と先を促した。

 「それで、過去に儂らが見つけた隠し通路には、学院の外に繋がるような道はあったのか」

しかし、キョウは両手を挙げつつ、緩慢な動きで首を横に振る。

 「残念ながら、ない。まあ、そんな所で見つけられるなら、お前も苦労していないか」

 「そうか、やはり無駄足になってしまったか」

 「何か見つかったら儲けものだったが、まあそんなものだろ」

始めからその結果を予測出来ていた二人に気落ちした様子はない。

 「それで、今日はどうするつもりじゃ」

 「ああ、学院の1階と外を中心に調査を続けるつもりだ。古い城の隠し通路は大体民衆や城の主を誰にも気付かれずに外に逃がす為のものだ。聞けば、建国当初からこの城はあるんだろう」

キョウから予想外の問いかけが飛び出し、ネイゲートは思わず吹き出しかけた。

 「よ、よく知っていたの。この国の者でもないのに」

 「以前、話していなかったか。まあいい、とりあえずそこにあると踏んで探すつもりだ。そんなに時間は掛からないとは思うが、まあ一週、十日以内には終わらせるつもりだ」

 「分かった。協力できることがあれば何でも言ってくれい」



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夜分の見回り1

話が着いたことで会話が止まった二人。深呼吸をするほどの間が空いた後、ネイゲートが徐にグラスへ酒を注ぐ。

 「ほれ、一杯ぐらい付き合わんか」

断れないと見たキョウはため息を一つ吐く。

 「これから見回りに行くんだが、仕方ねえな」

酒が注がれたグラスを持ち、静かに重ねて同時に酒を呷る。

 「そういえば、最近の調子はどうじゃ」

問われたものの、特に何も思い当たることがなかったのか、間延びした返事をする。ただ、それが面白くなかったのか、ネイゲートはグラスを置いて、キョウへ愚痴を言う。

 「何じゃつまらん、つまらんのう」

 「と言ってもなあ。最近はお前の依頼を請けるまでモンスター狩り、採集依頼なんかが多かったからな。というか、あの時みたいな危なっかしい依頼を請け続けていたら、命が幾つあっても足りねえよ」

至極最もな意見だったため、酒に任せて絡もうとしたネイゲートが思わず我に返る。

 「まぁ、命が幾つあっても足りない依頼なぞ、請けないに越したことはないか」

 「全くだ、傭兵は死んだらそこで終わりだ。まずは死なないように、怪我をしないように立ち回ることが大事なんだがねえ。最近は自身の力も分からずに力量に合わない依頼を請けようとする阿呆が多くてな。酒場のマスターに相談すらされたぞ、全く」

一人で活動しているキョウからすれば、そのような話を聞く必要がない。しかし、それでも話を聞くのだから、変わった男である。

 「意外とお主も大変なんじゃのう」

呆れ半分、感心半分でキョウの近況を聞いていたネイゲートだったが、

 「そちらも気になる所じゃが、今のお主の状況はどうなんじゃ」

分かっている、と全てを見透かすような視線をキョウへ向ける。

 「酒が不味くなるようなことを言うんじゃねえよ、気持ちは分かるが」

何を問われているかを理解しているキョウは肩を大きく落としてグラスを卓上に置いた後、徐に左の胸部を擦る。

 「まぁ、前に暴走しかけた以来は割と調子がいい。ただ、その時から時間は経っているから気を付けるとしよう」

 「あまり無理はするんじゃないぞ。それは儂でも止めることが出来ないからの」

 「分かっている。流石に三度目は御免だ」

心底嫌なのか、キョウの声には張りがない。それを聞いたネイゲートは安堵の息を吐く。

 「しかし、それでも四年前のあの日、お主は召喚された悪魔を倒すべくそれを使用した」

キョウは答えず、グラスの酒を呷る。

 「どうした突然、走馬灯でも見たか」

そして、得体の知れない物を見るような眼を向ける。

 「生憎とな、体は衰えようと魔術の腕は現役じゃ。良き後任が出来るまでは死ぬに死ねぬわ」

 「そりゃ大変だな、現役を引退出来ないじゃないか」

 「全く、儂も隠居したい所なのじゃが……」

そこで、乗せられていたことに気が付いたネイゲートが咳払いを一つ。

 「おっと、話が逸れたの。何、お主は割と無茶をするじゃろう。特に、お主の後ろに戦えない誰かがいる時、とかの」

キョウは答えず、グラスに口を付ける。

 「じゃが、今回はアルビーやファリエも居る。じゃから、お主がわざわざ危険を」

心配する声を遮るように、わざとらしく大きな欠伸をしたキョウ。

 「──そういえばあの時はそれのせいでここを追われたんだったな、忘れてたわ」

心配していたことが馬鹿馬鹿しくなるような、あまりにも暢気な物言いにネイゲートは思わずため息をつく。そして、その発現が無意味だったことを思い知らされた。

 「そうじゃ、お主はそういう奴じゃったな。ならば、精々周囲に被害を出すんじゃないぞ」

もう何も言うことはない、とグラスに注いだ酒を飲み干した。

「それは気を付ける。何せ巻き込まれたら他の連中が死ぬかもしれないだろ」

そう言ってキョウは席を立つ。

 「行くのか」

 「ああ、早い所、抜け道だけは見つけないとな」

 「頼んじゃぞ」

声に応えるように片手を上げて、部屋を後にした。

 

 

 月と星が灯りの代わりとなる夜の頃、人気がない学院は古代の遺跡のように静まり返っていた。学院長室から出たキョウは、最上階である五階から見回りを始め、四階、三階、二階、一階と学院全体をその日も代り映えのない見回りを行っていた。途中、自室から出てきた女教官に幽霊でも見たかのような驚き方をされたということこそあったが、抜け道を見つけることも出来ないまま、本日の見回りを終えてしまった。

 「それにしても建国当初から続いている魔術があるとはねえ、驚きだ」

あまりに退屈していたせいか、キョウは独り言を漏らす。

現在こそ国の若者に教養を与える学院の役割を果たしているが、建国されてから現在まで存在する古城であり、当時の姿を保っているという歴史的にも魔術的にも価値の高い城でもある。城全体に彫り込まれた魔術式が劣化を防いでいると言われており、定期的に魔術士から魔力を注ぐだけで外的な影響を殆ど無くすことが出来る、という破格の機能を保っている。しかも、その手法は現在になっても判明していない領域もある、他に一つとしてない城である。そして、キョウの預かり知らないことではあるが、その魔術式を彫り込んだと言われる魔術士は魔術の歴史を学ぶ際にも必ず出てくるような非常に有名な人物でもある。

 「そろそろ時間だし、あいつに報告して寝るとするか」

今日も成果を得られず、怠そうに階段を上っていると微かに男女の声が耳に入る。後は帰るだけで暇だったキョウは、音を殺して近づくことを決める。階段を上ると、言い争う声の様子が少しずつ分かってきた。

 「――――」

 「――――!」

どうやら、男が高慢な態度で女へ何かを迫っており、女はそれを拒絶しているらしい。それだけならキョウは無視していたのだが、女の声に聞き覚えがあった。

 「しかしですね、あなたの父君と約束したことなのですよ」

 「父があなたとそのような約束をするものですか」

険悪な雰囲気と男の態度から何かがある、そう感じたキョウは懐から拳大程の石を取り出して片手で握りしめる。そして、気配を殺して声の方に近付いて行く。

 「しかしだね、ファリエ嬢。仮に君の父上が約束しなかったとしても、家紋が入った書類はこちらにあるのだよ。我々は是非君の協力が欲しいところだし、もう一度考え直してみては如何かな」

 「何度言ったら分かるのですか。そもそも、父がそんな約束など結んでいるはずがありません。兄が調べても何も見つからなかった物を、何故あなたが持っているのでしょうか」

ファリエに力強く反論された男は、ファリエを舐めまわすように眺めてから含みを持たせるように口を開く。

 「では、君の兄にはこう伝えておくしかありませぬな」

碌なことではない、と聞かずとも分かる。

 「何をする気でしょうか」

灯りを持っていない手が震えていることに気付いたファリエは、慌てて握りこぶしを作る。

 「何、簡単なことですよ。約束を反故した罰を受けてもらう、ということです」

 「具体的にはどのような」

ニタリ、と醜悪な笑みをファリエに向ける。

 「具体的なことは私が決めることではありません。ですが、例えばですが領地の没収やあなたが築いてきた魔術資産の没収などがあるかもしれませんねえ、ええ」

あまりに横暴な内容に納得がいかないファリエは声に力が入る。

 「そこまでの処罰を受けさせられる理由がないかと思うのですが」

 「ですが、先に反故にしたのはそちらの方ですよ。ファリエ嬢」

 「謂れの無い約束など信じられるか」

怒りに震えるファリエが魔術を使おうと懐から杖を構えた時、杖から漏れる淡い光が彼女の周囲を薄く照らされる。ファリエが魔術を使おうと男の後ろに誰かがいることに気付く。そして、それが知っている人物だったことで顔を青くする。一方、杖を構えたことに顔を歪める男も不自然なファリエの様子に疑問を覚え、後ろを恐る恐る振り返った。

 「夜も遅い時間に何しているんだ、お二方」

そこには他人行儀で二人に話しかけるキョウがいた。

 「うおおっわああ!」

驚いたのは男一人、腹に蓄えた贅肉を揺らすと共にキョウから慌てて距離を取る。

 「お、お、お前こそ何をしている」

傍から見ていたファリエは、先程の怒りもキョウに聞かれた、という事実すら頭から飛んだのか、呆気に取られた顔で二人を見ている。

 「何って、学院長から見回りをして欲しいと言われてね。何しろ人攫いが現れた、と。その調査を手伝えと言われて、仕方なく見回りをしているだけだ。そうしたら、何やら話し声が聞こえたからよ。何かあるかと思ってここまで来ただけだ」

肩を竦めて答えたキョウに、男の声に幾分か毒気が抜ける。

 「い、一応事情は分かった。だが、何故灯りも付けずに見回りを。驚くではないか」

キョウが横目でファリエを見ると、男に同意するように、困惑が抜けきらない表情で頷いていた。

 「相手が暗闇に慣れた者なら、灯りを持って動いている時点で近寄りなどしないだろう、誘拐犯にとっては間違いなく敵だ。俺が誘拐犯だったら、一人になったタイミングで不意打ちを仕掛ける」

当然のように奇襲すると言ったキョウに腹回りの目立つ男が一歩引く。

 「お、恐ろしいことを言うな、貴様」

男を見るキョウの目は、哀れな物を見ているかのうようだった。

 「何を言っている。敵がいる可能性があるのに油断をするな、ということだ」

しかし、男はその視線に気が付かない。

 「なるほど、確かにその通りですね」

ファリエは男を見るキョウの視線に気付きつつ、意見に同意した。

 「その誘拐未遂とは別に、貴族による学生の誘拐事件があったらしいな。どうやらその後も酷い事件だった、と聞いている。その事件がこの誘拐未遂に繋がっているのか、など俺には分からん。分からんが、それを頼まれたからな。やれることはやっておかないと」

キョウが見回りをしていることは知っているファリエだが、その過程については聞いていなかった。

 「夜にも関わらずご苦労様です。ところで、学院長から依頼されたと言っていましたが、求めている手掛かりは見つかったのでしょうか」

キョウが視線を合わせて、小さく頷いた。

 「確かあなたは、ファリエ教官だったか」

初めて会話をするように名前を確認してきたキョウに合わせて、ファリエは会釈する。

 「ええ、キョウさん。私は魔術教官として学生に魔術を教えているファリエと申します」

 「朝は雑な紹介になってしまって悪かった。何せ、見ての通り育ちが悪くてな。多少の無礼は許してくれ。さて、質問だが、残念ながら見つかっていない」

降参するように両手を上げたキョウを見たファリエは、

 「そ、そうですか」

と気落ちした顔を見せる。

 「やれやれ、過去に学院長が調査した結果を基に見回りをしているが、上手くいかないものだ。もし、何か変わったことがあったら教えて欲しい」

腹回りが目立つ男にも情報提供を呼び掛けたキョウだったが、男は汚れたモノを見るような目と共に、

 「なるほど、事情は分かった。わざわざ何も起きないことに排水路を彷徨う鼠の如く動き回るとはご苦労なことだが、次からはくれぐれも驚かせないでくれたまえ」

高慢な声と共に立ち去ろうとする。それを見たキョウは値踏みするように彼を見た後、

 「つまり、スコラの惨劇の関係者である、と言うことでいいか、スティール教官」

講堂内部に響き渡る程の大きな声で、腹回りが一回り大きい男、スティールを呼び留めた。



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夜分の見回り2

  「い、一体何を血迷ったことを言うのだ、貴様は」

キョウに何を言われたか理解出来ずに固まったが、それも一瞬のこと。誹謗されたと気付いた瞬間、声を荒げて反論する。

 「学院長から事件の経緯を聞いている。その上で問おう。何故、スコラの惨劇についてあんたが何も知らないんだ」

 「今更そんなことを聞くのか、私は事件の前日から我が家で会合があって帰省していたのだ。他に理由が必要か」

スティールは虫を見る目で見下すものの、当の本人に怯む様子がない。

 「どう考えても不自然だけどな」

 「お前もだが、何度言っても言い分を聞くことをしないな。私は事件に関わってなどいないのに、どうして奴らに質問責めされなければならない。こちらにも仕事があるのだぞ」

嘆かわしいと言わんばかりに、スティールが盛大なため息をつく。その様子を見てファリエは眉を顰め、キョウが呆れたように顎を落とした。

 「何だ貴様。私に問題があるというのか」

ふんぞり返るスティールを見て追及する気が削がれたのか、全身でため息をつく。

 「学院長から聞いている話だとスティール教官の講義数は全教官の中で最も少なく、講義を受けた学生からの評判も悪いと聞いているんだが?」

キョウが困惑と呆れを露にしてスティールへ問う。しかし、尚もスティールの尊大な態度は変わらない。

 「学院長にも困りますな、私の講義に賛同して頂けないとは」

あまつさえ自身に何の誤りなどない、と自信を持って言い切った。思わずファリエは白目を剥きそうになり、キョウは呆れを超えて哀れに感じたのか、

 「さっき排水路を彷徨う鼠だとあんたは言ったが、俺が鼠ならあんたは家族と思い込んでいる家畜の間違いなんじゃないか」

目を点にしたまま、思ったこと口に出す。

 「あ、キョウさんそれは」

とファリエが注意する前に、仇を見るような目でスティールがキョウを睨みつける。

 「貴様、今何と言った」

 「あ、思わず声に出ちまった。悪い悪い」

淡々と切り返された謝りが、返ってスティールの機嫌を損ねてしまったらしい。見る見る内に顔が怒りに染まっていく。

 「貴様のような、浮浪者風情が。私を馬鹿にしているのか」

 「というか馬鹿だよな、アンタ」

平静に事実として語る口調が、更にスティールの怒りを誘う。

 「お前みたいな奴が傭兵、いや冒険者と言っておくか。そんな奴が仲間だったら俺は隙を見てモンスターの餌にするぞ」

当然のようにモンスターの餌にする、という言い放ったキョウに嫌悪感を示したのか、スティールがキョウから一歩離れる。

 「私を、餌にするだと」

 「ああ、使えない奴を生かしても只の穀潰しだ。話しているだけで頭が痛くなるからさっさと帰ってくれないか」

あまりの言動にスティールは腰に携えた剣に手を添える。しかし、キョウはそんなスティールすら無視して、ファリエに声をかける。

 「ところで、ファリエ魔術教官」

 「え、あの、後ろ」

スティールの様子が見えていたファリエは焦りを隠せない。

 「あなたからも知っていることを是非教えて欲しい。大体は学院長から聞いているが……」

 「き、貴様ぁぁあああ!」

そこで、散々罵倒された上に存在すら無視されたスティールが、怒りに任せてキョウへ剣を振り下ろす。悲鳴を上げそうになったファリエだが、剣はキョウを捉えず、鈍い金属音を鳴らして廊下を滑っていく。

 「え?」

 「で、そんな単調な振り方じゃ俺には届かねえぞ」

 「こ、この無礼者が、学院長のおかげで居場所を得ている浮浪者風情が!」

怒りに任せて声を荒げるスティールに対して、キョウの表情は冷めきっていた。

 「まぁ、結果的に浮浪者なのは事実だがな。というか、本来あんたらがやるべき仕事を俺に任されたんだ。そこを恥ずかしいとは思わないのか」

 「貴様のような奴が偉そうに」

威嚇するように息を乱すスティールだが、怒りからか余裕の無さからか、返す言葉に幅が無い。

 「だが、俺は生きていける。対して、自分では何も出来ないあんたは、力のある誰かに縋らないと生きていけないのでは、スティール卿」

図星だったのか、スティールの顔が屈辱に歪む。

 「ついでに言うと、だ。その浮浪者如きとの言い合いにすら負けて剣を抜くとか、貴族の矜持とやらは何処に行ったんだ」

 「クソッ!」

とうとう何も言えなくなったスティールは弾き飛ばされた剣を拾うため、キョウに背中を向ける。

 「浮浪者如きが、私にこれ以上関わるなよ」

そして、そんな捨て台詞と共に剣を拾い、階段を下りて行った。

 

 

 スティールの足音が聞こえなくなった後、キョウは懐に仕舞っていた石から光が消えたのを確認して、小さくため息をつく。

 「にしても、何でここに居られるんだか」

一つ嘆息して、ファリエに視線を向ける。

 「で、ファリエは何で残っていたんだ」

キョウに問われたファリエは困ったように息を吐く。

 「実は実験が終わっていなくて、もう少し早く終わるはずだったのですが」

 「終わった所を待ち伏せされた感じか」

ファリエが疲れたように頷く。

 「本当は休憩しようと思っただけなんですけどね。はぁ、余計に疲れてしまいました」

 「それはツイてないな」

げんなりするファリエを見て、キョウは苦笑いを浮かべる。

 「それで、実験は続けるのか」

 「いえ、今日は休みます。今の状態では失敗してしまいそうなので」

 「あんなのがあった後じゃあねえ」

冗談めかしく言ったキョウに釣られて、小さく笑みを見せるファリエ。

 「それじゃ、俺もネイゲートに報告して帰ろうかね」

怠そうに呟いたキョウに対して、ファリエの顔が固まり、背筋が伸びる。

 「どうした」

 「あ、あのキョウさん。さっきのことは……」

 「事件に関係ないなら話すつもりはない」

一安心したようにファリエが息を吐く。

 「大体な、貴族の揉め事は面倒しかないだろう」

嫌なことを思い出したように、キョウの顔が引き攣った。

 「ええ、その通りです」

 「ああ、けど一ついいか」

ファリエは表情を引き締める。

 「と言っても、あの馬鹿について確認したいだけさ」

スティールの話題、ということでファリエが反射的に眉を顰める。

 「話題にするのも嫌ですが、答えられるところなら」

 「悪い。あいつは剣術の教官で良かったんだよな」

 「ええ、評判は地の底よりも低いですが」

調子が戻ってきたのか、ファリエはスティールに対して辛辣な評価を下す。

 「ぶほっ、それは酷い。俺が言えた身じゃないが、伝手で入れた感じか」

辛辣な評価に思わず噴き出したキョウに対して、ファリエがため息をつく。

 「ええ、六年ほど前からいるみたいです」

 「六年前か、ネイゲートは調べたんだよな」

 「ですが、事件に関わった証拠を見つけられず、簡単な調査で終わってしまったそうです」

あの時に居なくなればよかったのに、と大きくため息をつく。

 「ところで、どうしてあの男を知っていたのですか」

何かを口にしようとして、キョウが前後左右に首を向ける。

 「話し辛いようなら、私の居室で話しますか」

 「いいのか」

 「ええ、どうせ目の前ですから」

それもそうか、と二人でファリエの居室に入る。

 「お茶でも用意しますか」

ファリエの誘いに、キョウは手を横に振る。

 「時間も遅いし、手短に済ませる。さっき、あいつは会合があるから帰省する、と言っていただろ」

ファリエが頷く。

 「その会合に一人だけ参加していない奴がいた」

 「それは確か、スティールの兄に当る人物、でしょうか」

 「ああ、そいつがな。あの現場に居たんだ」

その話を知らなかったのか、ファリエが目を点にする。

 「その反応を見る限り、知った経緯はネイゲートと関係なさそうだな」

キョウが学院長の名前を出した時、何か思う所があったのか、ファリエが明後日の方向を向いた。

 「――ああ、学院長が調査を中止させたのはそういうことでしたか」

無理矢理自身を納得させるように呟くファリエを見て、

 「何があったかは聞かないが、あんたらも面倒な目に遭ったようだな」

キョウが死んだ魚の眼の目で同情した。

 「っと、話が逸れた、先に言うとそいつは俺が斬った。だが、そいつの遺体が悪魔に喰われてしまった。だから、事件が終わっても俺以外に見た奴がいない。ネイゲートも追及出来なかったんだ」

キョウの話を聞いたファリエが、口元に指を添えた。

 「段々話が繋がってきました。四年前のあの日、学院長が悪魔召喚に関する疑いを掛けられた時、キョウさんが身代わりとして指名手配となった。そして、単身でスコラを脱出している間、学院長は無実の証明と事件の後処理を行っていた。ただ、指名手配犯が残した証拠を安易に使えば、再度嫌疑が掛かる為に動けなかった、という訳ですね」

 「──ああ、大体そんな感じだ」

 「昨日話をした時には、お二人ともそのことを言っていなかったですよね。何故、回りくどい真似を?」

キョウが明後日の方向を向いて、感傷を呑み下すように目元を細め、細く息を吐き出していく。少しの間を置いて息を吐き出し切ったキョウは、徐に目を開いた。

 「悪魔召喚の儀式など疾うに廃れていて、殆どの者が知らない。しかし、どうしてか。当時は悪魔召喚の儀式をネイゲートが行った、という前提で調査がされていたそうだ」

後からネイゲートに聞いた話だけどな。そう付け加えた後、吐き捨てるようにこうも続ける。

 「まぁ、それ以前に召喚された直後に俺が消したから、目撃者なんて俺以外殆どいないはずなんだが。どうしてネイゲートがやったと言えるんだか……これが何を意味するか分かるな、ファリエ」

その意味を理解したファリエが顔を青くする。

 「まあ、そういうことだ。恐らく危険な所は俺とネイゲートが請け負うことになるだろうが、そっちも注意してくれ」

他言するなよ、と釘を刺すキョウにファリエは何度も首を縦に振る。

 「まぁ、さっきのことも含めて、だ。何かあったらネイゲートに相談するのもいいと思うぞ」

早めに休めよ、そう言って、ファリエの居室を後にした。

 

 学院長室に戻り、遅くなったことを詫びた後、ネイゲートへ簡単な報告を終えたキョウ。学院長室を後にしたので、後は寝泊りしている宿舎に戻るだけのキョウだったが、講義の場所としても使う講堂の中庭へ腰を下ろす。暫しの間、瞑想をするように静かにしていると、雨音のような小さな音が僅かに響く。コツ、コツ、とテンポよく刻まれる音は誰かが講堂を歩いている音だろうか。静まり返った講堂では、そのような音すら耳を澄ませば聞こえる程。ただ、キョウが気にかかっているのは、その音が少しずつ大きく聞こえてくることだ。胸元へ何かを探るように何かを握り、来る誰かへ向けて対処しようとして、光が当てられる。その一瞬、キョウと誰かの視線が合った。

 「う、うわあああああああああっ!」

 「ちょ、え、どうし」

 「出たんだよ。幽霊が!」

一人が混乱したまま、息を乱すものの、もう一人は状況を掴めないからか、動けないでいる。

その様子を見るまでもなく、声で感じ取ったキョウは呆れを隠さずに息を吐き出した。

 「で、誰が幽霊だって、お前ら」

声を掛けられたことで慌てて逃げだそうとした二人だったが、逃げる間もなくキョウに首根っこを掴まれる。捕まった二人が灯り越しに恐る恐るキョウを見ると、冷ややかな笑みがそこにあった。

 「え、あ……キョウ、教官?」

 「あ、えーと……」

その笑みの裏から、どんな教官からも感じたことのない圧を感じ、二人が言葉を失う。

 「とりあえず、だ。話を聞かせてもらおうか」

抵抗を諦めた二人は冷や汗が止まらないまま、キョウに連れられて深夜の講堂を後にした。



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三章_街を往く風
三章_街を往く風


 翌日、日が天高く昇る頃、キョウは別の講義の付き添いを終えた後、ネイゲートの部屋へ寄っていた。

 「で、何の用じゃ、キョウ」

 「ああ、頼まれていた隠し通路の件、大体分かったぞ」

 「そうか。そろそろ来るとは思っていたが、流石だの」

分かっていた、と言わんばかりにネイゲートの反応が薄い。その反応を見て拍子抜けしたキョウだったが、その反応に見覚えがあった。

 「反応が薄いようだが……また視えたってことでいいのか」

キョウの問いに肯定するように、ネイゲートが済まなそうに頷く。

 「否応なく見えてしまうのも厄介だな、相変わらず」

 「全くじゃ。危機的状況にはありがたいがの。それで、隠し通路の入り口は何処じゃ。それから、その後はどうする気じゃ」

 「場所は中庭、四隅の内の一つだが、実はまだ開け方、閉じ方が分かっていない。ただ、この城……今は講堂と言うべきか。カルセオが統一される以前、争いが耐えなかった時代に建てられた城、と聞いている。なら、講堂の内側から開ける仕組みがあるはずだ。それと併せて、隠し通路の出口も探すつもりだ」

キョウの考えを聞いたネイゲートが、神妙な顔で口を開く。

 「悪いがその件、任せても良いかの。以前話したと思うが、モンスターの大量発生の件がの、中々収束する動きを見せんのじゃ。全く嫌なことは立て続けに起きるものじゃのう」

仕方ないか、とネイゲートの提案を受け入れたキョウ。

 「ところで、この城について調べようと思っている。そういう調べ事は蔵書室へ行けばいいのか。というか、俺が言っていいのか?」

 「そういうことなら、儂の方から奴に話しておこう。多分、奴はお主のことで問い質したいことがあるはずじゃからの」

学院の教官に対して心当たりがないキョウは首を傾げるばかり。

 「何、お主が何かをしたというよりは、奴の記憶力が良いだけじゃ。それで、今日の夕方頃にでも行ってみてはどうじゃ、確か講義もないのじゃろう」

 「そうだな。行ける時に行った方がいいか」

話が一段落したので、ネイゲートが他に何かあるか、と問いかける。

 「急ぎではないが、二つある」

話の続きを促すネイゲート。

 「一つはお前が前から怪しいと見ていたスティールと接触した」

 「お主は奴についてどう感じた。思ったことをそのまま言って欲しい」

ネイゲートは真剣に尋ねたのだが、キョウの反応は呆れたように盛大に息を吐くのみ。

 「事件が起きる前日に学院を離れていたと聞いているし、直接は関わっていないんじゃないか。少し話をしただけで、こっちが疲れてしまった」

話題にしたくもないのか、色々当ってみる、と雑に切り上げた。

 「それで、もう一つとは何じゃ」

 「ああ、昨日の深夜に少し、な。独断で見回りをしている学生に遭遇した」

知らなかった事だけに、ネイゲートの目が変わる。

 「何じゃと」

 「まぁ、事の顛末はこんな感じだ」

 

 それは、キョウが深夜に講堂に忍び込んだ学生二名を見つけた後のこと。二名の学生を連れたまま宿舎には戻らず、修練用の武具を保管する蔵まで連れて行った。

 「で、こんな時間に何をしていたんだ。お前達」

一人は冷や汗を浮かべながら、もう一人は苦笑いを浮かべている。

 「いや~、講堂に忘れ物をして、ですね」

 「分かり切った嘘は止めろ」

冷ややかなキョウの眼が、二人の肩を僅かに震わせる。そして、直ぐにこれは誤魔化せない、と観念した。

 「す、すいませんでした」

直ぐに謝った二人を見て、罪人を見るような視線を止めたキョウだが、その眼は二人の腰に携えている物を見逃さない。

 「そもそもだ、武器と灯りを持って忘れ物を取りに来る阿呆がいるか」

キョウの言葉に言い返せず、二人が沈黙する。

 「……まぁ、俺以外の誰かが見回りしていることは知っていたんだが、それがアルビーの講義を受けている学生とは思わなかったぞ」

 「え、僕達に……」

他の教官には気付かれないように見回りをしていた様子を見せる二人は、数日前に学院へ来たキョウが気付いていたことに驚きを隠せず、目を丸くする。

 「気付くわ、ガキ共。時間を外してバレないようにしていたらしいが、お前たちのやり方は下手過ぎる。お前たちは港町にいる灯台みたいなものだ」

 「灯台、ですか?」

キョウの言っている意味が分からず、見回りをしていた学生は思わず聞き返す。

 「要は、自分たちが此処にいる、と迂闊に教えているだけだ」

その意味が分かり、二人がため息をつく。

 「まぁ、お前達以外にもあの門番や事務員が灯りを持って見回りしていることはあるが、ただの見回りだからな。武器なんざ持っているわけがない」

次第に声が低くなることに気付き、二人の額に冷や汗が垂れる。

 「で、本題だが……何でお前たちはこんな時間にわざわざ武器を持って見回りをしていた」

 「あ……」

指摘されたくないことを改めて指摘され、思わず声が漏れる。

 「誰と戦うことを想定していた?」

試すような、それでいて凄みを効かせたキョウを見て、二人は全身から冷や汗が止まらない。ただ、黙ってばかりでは居られない、と。二人の内、一人が意を決したようにキョウを見返す。

 「仮に、そうだったとしても。それを、あなたに、言う必要があるのでしょうか」

震えながらも言い返す学生に、口角が上がる。

 「そうだな。言う必要性はないかもしれない。ただ、俺は学院長から見回りをするよう、直接頼まれているからよ、学院長以外には秘密にしてもいいんだが」

キョウの思わぬ言葉に、二人の硬い表情が崩れる。

 「ああ、今日のことを他の教官には秘密にしてやってもいい。ただ、流石に何の為に見回りしているか位は知っておかないと此方としても困る」

 「……」

尚も言い辛そうに口を閉じる二人を見て、ため息をつく。

 「そもそも、武器を持って見回りするなんざ外敵を警戒している証拠だ。しかも二人だけと言うことは、教官に言っても当てにならないからなのか、信用できないのかは分からんが……以前起きた何かに対して、警戒しているんだろう。そしてお前たちは当事者か、被害に遭った奴の友人、と言った所か」

 「な、何でそれを……」

 「逆に聞くが、それ以外あると思うのか?」

呆れるようにキョウから問われ、言い返すことが出来なかった二人は諦めて肩を落とす。

 「キョウ、教官の言う通りです」

 「まずは、お前達の知っていることを言いな。さっきも言った通り、ここで聞いたことは学院長以外に黙っておこう」

 「……いいんですか?」

尚も半信半疑でキョウを見る学生二人に、まどろっこしいと言わんばかりに自身の頭をガシガシと掻く。

 「俺は飽くまで学院長……いや、ネイゲートに雇われた傭兵なんでな。そもそも、他の連中に言う理由がない」

それが当然のことだ、と言い切るキョウを見た二人は、意見を合わせるように小さく頷いた。

 

 「……と、言う訳でその学生二名から情報を聞き出したところから、おおよその場所を掴んだ。まぁ、止めるようには言ったんだが、あの分じゃ今後も続けるぞ」

それまで話を黙って聞いていたネイゲートだったが、学生が関わっていたことで苦い顔を見せていた。

 「何とかならんか、キョウ。あの時とは違うと言えど、学生を巻き込みたくないんじゃが」

キョウがゆっくりと首を横に振る。

 「お前としてはそうしたいんだろうが、あの様子じゃ無理だ。教官が一人二人言った所で聞かねえよ。というかな、二人の様子からして学院には信用出来ない誰かがいて、そいつが分からないから全員を警戒している感じだ」

 「その誰かについて、名前とかは聞いておるか」

 「いや、それは分かっていないようだ。まぁ、言われても俺が分からないが。まぁ、少なくとも、講堂内に入れるのは学院にいるのは案内した奴か知っている奴がいるはずだ、と二人は言っていた。まぁ、同意見だ」

 「そうかの。まぁよい、話を戻すぞ。学生達についてだが、お主の方で案とかあるかの」

その点について、既にキョウには考えがあったのか、間髪入れずに答えが返ってくる。

 「その件だが、俺と一緒に行動させるではダメか?」

思わぬ提案に目を見開くネイゲート、キョウが傍に居れば、大抵の危険はないと信じられた。

 「良いのか?」

 「ああ。というか、そいつらにもそう言ってきたからな」

 「それはもう、事後承諾ではないか」

呆れを含んだため息をついた時、針の穴を通すような鋭い一言が掛けられる。

 「だが、それを断るだけの余裕が今のお前にあるのか?」

 「……ぐ、痛い所を突くの、相変わらず」

キョウの言っていることが正しいだけに、ネイゲートは否定が出来ない。

 「分かった、分かった。全て、お主に任せよう」

 「了解だ。俺の方はこれで全てだ。何かあるか」

キョウに問われ、考えを巡らせるように目を閉じたネイゲートだったが、それも一瞬のこと。

 「いや、儂はない。ただ、学生の安全には気を付けてくれ」

 「当然だ。じゃあ行くぜ」

振り返ることなく、キョウは部屋を去って行った。

 



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その弐

 日が橙に色付く夕暮れ時、蔵書室に担当がいると聞いていたキョウは日差しがあまり入らない講堂の一角、その蔵書室の扉を徐に開ける。

 「……タイミングが悪かったか」

多くの本がカテゴリ毎に収納されている蔵書室。魔術に関する本を借りに数十人がやっていると言うらしいが、この夕暮れ時には誰も居ない。

 「夜には見回りをするから早く済ませたい所だが、まあいい。面白い本はあるだろうか」

担当者の居場所が分からなかったキョウは、手近な所にあった本を手に取ると、卓に座り本を読み始めた。どうせ後からやってくるだろう、と踏んで。

 

 本を読み始めて暫く時間が経ち、段々と日が橙から濃い青に染まり始めた頃、本に読み耽っていたキョウが、唐突に本を閉じた。

 「──何か用か」

その声に驚いた声と共に姿を見せたのは、キョウよりも背の高い、細身の男だった。

 「先ほどまで本の整理をしていたんだ。君が居たことに気が付かなくて申し訳ない」

 「本の整理、か。ああ、あんたが蔵書室の管理人か」

 「はい、私はダット・オーレイト。あなたが言った通り、ここで蔵書室の管理をしています」

 「俺も一応名乗ろうか。俺はキョウ、ネイゲートに雇われた傭兵兼教官もどきだ」

二人が触れる程度の握手をする。

 「しかし、昨日は驚きました。腕試しとは言え、白兵戦でアルビー教官と互角に戦える方がいるとは」

 「ああ、何だ。あんたも見ていたのか。殺し合いじゃないとは言え、負けたのは久し振りだ」

負けたことについて引き摺った様子を見せないキョウに目を丸くするダットが、キョウの持っている本に気が付いた。

 「ところで、先程まで何を読んでいたのですか」

これか、とキョウがダットへ本のタイトルを見せる。

 「カルセオ建国紀、まぁ南北統一前も含めた歴史書だ。この城を知るには歴史書があれば書いてあるだろう、と思ってな。だがまあ……難しいな」

 「そ、そうでしたか。いきなりその分厚い本に手を付けるとは驚きました」

学院長から他国出身だという話を聞いていたダットは、まず本を読む、という行動に目を見張る。

 「と言っても、目的の資料を見つけることは出来なかったがな。流石に、モンスターや植物の図鑑みたいにはいかないな」

 「図鑑をよく読まれるのですか?」

傭兵は本など読まないだろうと決めつけていたダットが、キョウへ問う。

 「昔、情報不足が原因で死にかけてな。以降は色々と下調べをするようにしているんだ。まぁ、俺みたいな傭兵が本を読まない、という偏見を持つのは分かるがな」

 「っと、失礼しました」

 「気にしないさ。ただの事実だからな。ま、情報不足で死ぬ輩は俺のような傭兵、冒険者と言われるような連中は特に多いからな」

 「私の耳に入る中でも、他の街にある蔵書館でもお金がかかるから、と寄らない者から死んでいく、とよく聞いております。まぁ、傭兵、冒険者だけに限らないのですが……」

 「まあ、その日暮らしの冒険者や傭兵に知識を求めろなんて、そういうのを目的としない限り難しいだろうよ。で、今の口振りだと騎士も似たようなものなのか」

感慨深そうに呟くダットが大きくため息をついた。

 「ええ、ええ。そのせいか、最近の学生も魔術科の学生以外、此処に来ないのですよ。あなたの姿を見習って欲しいものです」

そのため息が、心底鬱憤を伴ったものだと分かり、同情するようにキョウが苦笑いを浮かべた。

 「そういや魔術科と騎士科に分かれているんだったか、早めにその辺を覚えないとな。って、話が逸れたな。まぁ、地道な作業は、痛い目見るか、面白いと思えなきゃ進んでやらないものだ」

 「……そうですね。魔術の本を借りに来る学生は多いのですが、騎士を目指す学生が中々来ないのが悩みでしてね。最近は、珍しいことに森に棲んでいる植物やモンスターを知りたい、と言って借りた学生くらいでしたか。騎士科の学生で本を借りたのは」

ダットの話を聞いて何を思ったのか、キョウがぼんやりと天井を見上げていた。

 「どうしました?」

 「──ああ、何か、どっかで聞いた話だと思ってな」

キョウが何を思い浮かべたのか分からず、疑問を飲み込むダット。

 「そう言えば昼頃に学院長から聞きましたが、学院長とは古い知り合いだとか」

 「腐れ縁だけどな。それにしては、定住する身分すら無い身だが、悪いか」

 「いえ、他の貴族の教官が何と言うかは分かりませんが、私は気にしません」

話の終わりを掴めず、さっさと要件を済ませた方が早い、と判断したキョウは、ダットが何かを言う前に声を強くして彼に尋ねた。

 「面倒なことは後にしたくないから先に聞いておこう。ネイゲートから聞いているが、質問したいこととは何だ」

ダットが一度、自身の考えを整理するように緩慢に息を吐く。

 「キョウさん、あなたは四年前、短い期間とは言えど、悪魔召喚未遂の首謀者として指名手配されていた、私はそのように記憶しています。確かに直ぐに撤回されましたが、国を挙げて指名手配された者、かつそれが冤罪だったなら、二度と同じ国へ足を踏み入れないと思います。見た所、何処でもやっていけるようにも見えますし」

様子を伺う様にキョウを見るが、氷のように変化がない。そのことに小さく嘆息をつき、話を続ける。

 「そして、そんなあなたが学院長の紹介でここへやってきたこと……そして、先日の誘拐未遂事件。無理な関連付けかと思いますが、四年前の事件もあなたが指名手配された同じタイミングで学生の誘拐事件が起きています。そして、その翌日の夜には悪魔召喚未遂が起きました。先日の事件を受けて学院長が独自であなたを此処に招き入れたことを考えると、一連の事件に無関係な人物と断言できますか。どうでしょうか」

暫く無言を貫いていたキョウが、称賛するように拍手する。

 「……よくそんな前の、数日程度のことを覚えていたな。それで、ネイゲートにも聞いたんだろう。何て言われたんだ」

そこで、ダットの頭が力なく落ちたのをキョウは見た。

 「あの男は儂の味方だ、とは言っていましたが、事件について話そうとするとのらりくらりと言って上手く躱されまして……」

 「なるほど。如何にもあいつらしいな。まぁ、それしか言われていないんじゃあ、話せないな」

キョウの答えに、ダットの顔が苦虫を噛み潰したように歪む。

 「しかし、だ。あいつがそう言うのにも理由があってな。けど、このままじゃ踏ん切りも付かないだろうから聞いておく。何故、知りたいと思った」

それがこの男から事件について知る最後のチャンスだと察し、気が付けば背筋を伸ばし、視線は真っ直ぐキョウの方を向いていた。

 「あなたは知らないかもしれませんが、あの事件の被害は大きく、街外れには慰霊の墓標が建てられました。そして、当時在籍していた学生や街の住人が現在も行方不明のまま……それが、何を意味しているかはもう分かっています。それがもし、それと同じことが今も起きていると言うのなら、何があっても防ぐべきです。私程度で何の力になるのか、と言われると返答に詰まりますが、出来ることはあるかと思っています」

 「それで、自身の身が危うくなっても、か?」

吹っ掛けるように問いかけても、ダットの視線は揺らがない。

 「一つ、確認だ」

ダットの意志を確認するように、キョウが問う。

 「何でしょう」

キョウの声が一段下がる。

 「この件、誰かに話したか」

ダットがため息をついた後、苦笑いを浮かべるのみ。

 「いえ。まぁ、地方男爵の三男坊の話を真剣に聞いてくれる貴族の教官が殆どいない、というのも大きいですが」

 「──よく分かった。ただ、過去の事件については、俺の口からではなくネイゲートから聞いて欲しい。所詮は雇われなんでな。とは言え、ネイゲートも話さないことも考えられるな」

キョウがどうしたものか、と思案顔を浮かべた時、ダットから質問の声が挙がる。

 「先程から気になっていたのですが、どうして学院長もキョウさんも詳しい情報を話すのにそんなにも躊躇うのでしょうか」

 「──その件も併せてネイゲートに聞いてくれ。俺もその紙が出回ってからここを出たから、その後のことは分からないんだ」

 「分かりました。細かい所も含めて、学院長に確認して見ます。ところで、学院長からの聞き出しですが、あなた方しか知らない事が一つや二つあるのでは?」

 「ああ、それだ。あいつにこう言えば通じると思う」

そうして、その内容を口頭で伝えた所、ダットの顔が信じ難いものを見る目となった。

 「え、それこそ本当の話ですか?」

 「ああ、ネイゲートはそれを見ているぞ」

 「わ、分かりました。そう言ってみます」

じゃあ、もう出るぞ、とキョウが本を置いて蔵書室から退室した。

 「あいつが関わっていないことは分かったが、どう出るかね」

空の様子を見れば、日は既に暮れており、講堂内には殆どの人が居なくなっていた。

 



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その参

  日が落ちて暫く時間が経った頃、学院には殆どの学生が宿舎へ戻り、講堂は主の居ない屋敷のように静まり返っていた。見通しの悪い廊下を慣れた様子で見回りしていたキョウが、講堂の入り口に目を向ける。

 「ああ、やはり来たか」

 「今更退ける訳ないでしょう。キョウ教官」

 「来いって言ったのは教官の方では?」

そこには、他の教官の目を盗んで講堂に忍び込んだ二人の学生が、暗闇に紛れて立っていた。

 「それにしても随分と慣れているな、悪ガキ共」

 「ここ三週くらいは毎日忍び込んでいたから、今更です」

 「僕はこいつ程悪ガキでは無いんですが……確かに今更か」

返事に違いはあれど、二人の眼には確かな決意があった。

 「いい目だ。ならいい、早速だが始めるぞ」

二人は同時に頷き、キョウに続いて夜の講堂に足を踏み入れる。しかし、隠し通路の捜索に当たるかと思いきや、キョウは二人を伴って階段を昇り、講堂内の上から順々に見回りを始め出した。

 「どうして今更、四階から見回りをするんですか」

 「俺以外の教官に見つかったら大目玉だろ、お前ら。それに、不審な動きをしている連中が講堂内にいるかもしれないからな、念のため、というやつだ。俺達が隠し通路を調査しようとしている時に後ろから刺されたいか?」

当然のように投げかけられた言葉に、背筋が凍る思いがした二人の口が閉じる。

 「防げる危険はな、どんな時でも減らした方がいい。その手間一つで命を拾えるなら儲けものだろう」

不意打ちされることを前提に言うキョウの言葉を飲み込めず、生返事のまま階段を下りていると、キョウがふと思い出したように問いかける。

 「そう言えばギル、だったか」

 「は、はい」

 「実は夕方頃、野暮用があって蔵書室に居たんだが、その時に図鑑を借りた学生がいたという話を聞いてな……そういえば、俺が学院に来る前、酒場に居なかったか」

心当たりがあるのか、暗がりながらもギルの顔が歪んだのが二人にも見えた。

 「どういうこと、ラザリ―。僕に黙って街に出たのか」

 「な、何のことだ、ベルー」

ラザリ―と呼ばれた学生の声に焦りが窺える。

 「この前居なかったのはそういうこと。後でしっかり聞かせてもらうよ」

 「何も無かったから、何も無かったからな」

ラザリ―がベルーを宥めようとしたものの、変わらずギルをジト目で見ている辺り、このようなことは一度や二度ではないようだ。

 「そう言って、何も無かった時なんて有ったか。今まで俺を置いて面白そうなことをしていたことが何度あったか。しかも、だ。その時は決まって、昔の名前を使っていただろ」

二人の様子を見ていたキョウが、ラザリ―に確認する。

 「ほう、ギルというのは幼名、ということか」

 「ええ、貴様など俺の子ではない、と言い掛かりを付けた奴がいましてね。それで母が改めて名付けた、という訳です。今となっては隠れて何かをする時に便利だから使っていますが」

吐き捨てるような物言いから、ラザリ―とその父の関係は良くない、ということが窺える。ただ、それを聞いて確信したようにベルーが一つ頷く。

 「やっぱり、僕に隠れて何かしていたんじゃないか」

 「あ」

そして同時に、二人は長い付き合いがあり、普段からギルがやんちゃしていることを理解したキョウは、意味深に二度三度頷きを見せる。そうしてポツリと一言。

 「やっぱり悪ガキじゃねえか、お前ら」

 

 その後、誰かに遭遇するということもなく、三人は講堂の入り口まで戻って来た。

 「さて、ようやく本題だ」

キョウがそう言って話を切り出す。

 「一月前に起きた誘拐未遂について、お前たちは逃走者を見たと言ったな。何処でどのように姿を見失ったかを教えてくれ」

ラザリ―とベルーが頷き、講堂の入り口から左右に分かれる廊下へ歩く。

 「あの日、剣の素振りをしていた僕達はあいつが黒い誰かに抱えられたのを見たんです。確か、三人組でした」

突き当りの角を曲がり、再び廊下を歩く。

 「なるほど、二人が運搬を、一人が見張りや逃走経路の確保、と役割を分けていたんだろうな。そして、お前たちは剣を持ったままそいつらを追いかけた、と」

二人が頷き、講義室と講義室の間の廊下を歩いて行く。

 「講堂に入った三人は角を曲がって中庭の方に逃げました。だから、僕達が急いで追いかけて中庭まで走ったんですが……既に黒い連中は姿を消していたんです」

そうして歩いた先は所々に芝生が植えられた中庭へ到着した。四方を囲うように建てられた講堂は、建設当時の姿を今も変わらず残している。

 「なるほどな。そこで見失ったか」

 「ええ、それと。中庭の中央に投げ捨てられたように横たわっていたカメリアが……」

悔しそうに拳を握るベルーの手に力が入る。

 「──カメリアってのは誰だ?」

キョウの問いに答えたのはラザリ―。

 「ベルーの幼馴染です。俺も小さい頃からの知り合いで、少し前まで魔術科の学生としてこの学院に居ました」

 「居ました、か。今はどうしているんだ」

 「精神的なショックを受けて実家に戻っています。落ち着いていると少し前に聞いたのですが、飽くまでそれは家の中だけで、外へ出ることを拒絶している、と聞きました」

ベルーが悔しそうに俯く。

 「なるほど、だから捕まえたい、と言う訳だ。そりゃあ他の教官に隠れて見回りもするわな」

ベルーの持つ灯りが小刻みに短い弧を描いて揺れている。

 「幼馴染が誘拐され掛けて、塞ぎ込んでしまった。何とかその仇を討ちたい。というのは分かった。ただ、焦るな」

語り掛けるようなキョウの声が二人の耳に抵抗なく届き、ベルーの持つ灯りの揺れが無くなった。

 「奴らが計画していたことを諦めていないならば、必ず現れるだろう。恐らくは此方にとって最悪のタイミングに。だから、だ。来ない時まで気を張っていたらいざ現れた時に対処出来んぞ。今は何処から逃げたのか、何処から再びやってくる可能性が高いのか、それをしっかり調べるぞ」

ラザリ―が頷くと共にベルーの様子を横目で見ると、何か疑問があるようで、思案顔を浮かべていた。

 「ベルー?」

 「すみません。キョウ教官はまるで、誘拐犯が必ずこっちに現れるような言い方をしましたが、そんな先のことを誰が分かるんですか?」

ベルーの指摘を聞き、その意味を理解したラザリ―は驚きを、キョウは感心したように息を吐く。

 「怒りに囚われているようで、よく聞いているじゃないか」

キョウが周囲を警戒するように、学院全体へ視線を移す。

 「ふむ、他に教官も学生も居ない、か」

キョウがわざわざ周囲を確認する理由が分からず、ラザリ―とベルーが疑問を浮かべた。

 「仮にも今はお前たちの教官だし、質問されたからには答えるとするか。まぁ、それが誰か、までは言えないがな。出来る奴は居るぞ、こっち側にな」

 「え!?」

ラザリ―とベルーの驚いた声が重なり、学院に響く。

 「阿呆、他の教官に見つかりたいのか」

慌てて二人がキョウへ謝る。

 「さっさと調べるぞ、まずは周囲の壁を灯りと照らし合わせてよく見るんだ」

 

そうして、空が深い夜に覆われた中での、三人による側壁の調査が始まった。しかし、灯り越しで学院の壁面を調べる、という作業は勝手が分からないために、二人で側壁の一面を調べ終える頃は、既に疲れ切っていた。

 「目が、目が……」

 「あと一面あるんだろ。いつ終わるんだ、これ」

すると、そこにキョウが二人の下へ歩いてくる。

 「おう、やっと終わったか」

だが、キョウは慣れているのか、疲れた様子がない。それどころか余裕の表情を崩さずに、こうも続ける。

 「流石に時間をかける訳にも行かなかったからな。残りは全部やったぞ」

ぽかんとした表情で二人が顎を落とす。

 「まぁ、そもそも。暗闇に慣れていないお前たちが、こんな時間に外で探し物をするなんて無謀だけどな」

 「……それは確かに」

 「で、隠し通路はどうなったんですか」

 「入り口は分かったが、どうやって入るかがまだ分からん。恐らく、入り口を開く鍵はここに無いんだろうな、それが収穫か」

キョウの言葉を聞き、疲れたように伸びをするラザリ―に思う所があるのか、ベルーが残念そうな声を洩らす。

 「じゃあ無駄足ってことか。まぁ簡単に見つかったら、俺達も毎日見回りなんてしていないか」

 「何を言っている、無駄足ではないぞ。此処に在ることは分かったが開け方が分からない、若しくはそのカギがここには無いことが分かった。現に、狩人なんかは大物を狩る為に何日も森に潜んで罠を仕掛けては、その大物を狩れるまで出てこないことなんかもあるぞ」

 「……そうか。じゃあ明日からは他を探せばいいのか」

 「そういうことだ。とりあえず、明日は折角の休校日なんだろう。街にでも出て気晴らししてこい」

明日もやります、とキョウへ主張するが、キョウはそれを一蹴する。

 「本当に意味が無いから止めておけ。何故か知らんが、明日は他の教官や事務員なんかが複数人でやる予定になった、らしい。しかもその理由が、末端がやるような仕事とは言えど、俺みたいな輩に任せているのが気に喰わないから、らしいぜ。そんな輩程、頭数だけは揃えてくる。最悪、他の教官に見つかるぞ」

二人がハッと我に返る。

 「だから休め。誘拐未遂が起きてから、お前たちは毎日やっているんだろう。幾ら何でも根を詰め過ぎだ。そんなんじゃ、いざという時に動けなくなるぞ。もう一度言うが、明日は折角の休みなんだ。さっさと帰って休め」

キョウの言葉に納得した二人が、キョウへ一礼して中庭を後にする。

 「それで、何の用だ。学生を見ても声を掛けなかった、ということは、だ。俺に用があるんだろう」

ラザリ―とベルーが後にした場所とは違う所から、灯りを持った女性が姿を見せる。

 「何時から気付いていたんですか、キョウさん」

 「最初に見回りしていた時だ。あいつらは見落としていたが、部屋の隙間から灯りが僅かに漏れていたぞ、ファリエ。大方実験でも長引いたか」

 「何故分かるのですか……今更気にしても仕方ないですが。ところで、どうして学生を連れて見回りなどを?」

その眼には、何故学生を巻き込んだのか、という非難の意思が見て取れた。

 「見られたし、聞かれたからには答えるか」

観念したように、一つため息をつく。

 「あの二人は、俺が来る前から学院内を見回りしていたようだ。俺が見回りしていた時に見つけて止めるように言っても、あいつらは退く気が無かったんだ。まぁ、ネイゲートから学生を危険に巻き込みたくない、とも言われていたからどうしたもんか、と思っていた中で、俺の監視下でやらせた方がいい、という結論で落ち着いたのさ。そうすりゃあ、一番危ない所を俺がいけばいいだけだからな」

 「そう、でしたか。ところで先程まで居た学生はラザリ―君とベルー君ですか」

何故見えても居ないのに、同行していた学生を特定することが出来たのか、キョウにはそれが分からず、問いかけるようにファリエを見る。

 「キョウさんが来る前に起きた誘拐未遂事件、その被害者であるカメリアさんは、私の講義をよく受けていましてね」

 「ああ、だから分かったのか」

ファリエが首を縦に振る。その表情は中庭を後にした二人を心配するものだった。

 「お前が心配する気持ちは分かる。無茶して怪我したら、そのカメリアという学生がより自分を責めるから、とかだろう」

肯定するようにファリエが頷く。

 「けどな、あいつらが見回りを始めた理由は、そのカメリアが学院に行けるようにするためなんだ。なら、二人が降りない限り、同行させる。勝手に動かれても困る、というのもあるがな」

 「え?」

 「ああ、俺が来る前から見回りしていたし、他の教官が見回りをしていたこともあいつらは分かっていた」

そこまで言うと、何かを懐かしむようにキョウが目を細めた。

 「……その上で、あの二人はこうすることを選んだんだ。なら、その意志くらいは買ってやらないと」

ファリエが安心したように息を吐く。そのことを不思議に思ったのか、キョウがどうした、と聞いてくる。

 「キョウさんは、学生とか教官とか、そういったことを気にしないのですね」

 「当然だ。俺のような傭兵稼業なんざ依頼を選ぶ所から、選ぶか選ばないかの連続だ。駄々捏ねる奴の意見は聞く気もないが、選んだ奴の意見は聞くのは当然だろう」

それが当然のことだ、と言い切ったキョウを見て、得心がいったように呟いた。

 「ああ、だから学院長は貴方を呼んだのかもしれませんね」

 「ん、何か言ったか」

いえ、何でも、とたおやかに返すとキョウへ背を向けた。

 「そろそろ帰ります。ここの所、実験続きで疲れてしまいまして」

 「確かに遅い時間だな。肌を悪くしたくないのなら、早く寝た方がいいんじゃないか」

キョウのデリカシーのない言葉に、思わずファリエの語気が強くなる。

 「気にしていることを言わないで下さい!」

駆け足で講堂を後にするファリエにを追うように、キョウも講堂を後にした。

 



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その四

 翌朝、学院の外へ出たキョウは、伸びをしながら街を歩いていた。

 「しかし、こうして歩くと意外に距離があるな」

スコラの象徴的な建造物にもなっている学院は、大陸の4割を占める大国になる前から存在した、古くから建つ城である。当然、そのような時代に建てられた城は、外敵から身を守るため攻め辛い土地に建っていることが多く、スコラでも例に漏れない。実は、ネイゲートや学生が居る学院は、街の中でも最も高い場所に建っている上、その周囲には街の拡大と共に使われなくなった古い砦や人工林が広がっているのだ。

 「しっかし、よくもまあ、こんな山間地帯に街を作ろうと思ったもんだ。城……じゃなくて学院か、そこまでの最短ルートは急激な坂道と砦がある癖に、城へ避難する道は比較的緩やかな坂道になっている、か。そりゃあ難攻不落の都市、と言われる訳だ」

 

坂を下り、川を挟んだ先に在る露店通りや酒場に到着したキョウは遠慮なしに看板の掛かっていない酒場の扉を開けようとする。だが、鍵が掛かっており開かなかった。

 「おや、前だったらこの時間には開いていたんだが……マスターの奴、何かあったか。仕方ない。久し振りにあっちへ行くか」

そうして、別の所へ歩こうとしたキョウの足が一度止まり、来た道を振り返る。が、それは一瞬のこと。欠伸をしながら、再び街の散策を始めた。

 

 それから露店街に戻ったキョウは大通りへ出ると、露店の多かった通りから歩く通りを変え、荷車を多く見かける通りへ足を進める。

 「久し振りに来たが……職人の住む通りで合っている、ようだな。服を買う気はないが……一応、見ておくか」

キョウが歩いている通りは、木製の家具や衣服等を作る職人が住む通りのようで、男性と同じくらい、女性の姿を見ることが出来る。ただ、通りを歩くキョウには、これといって興味を惹くものはないのか、衣服や家具といった日用品を作る職人の仕事や売り物を横目で見る程度に留めて、通りを横断するように散策していた。結局、何かを買うことも、興味を惹かれて足を止めるようなこともなく、職人の通りを通過して大通りへと出た。そのまま大通りに戻るように見えたものの、何かに気が付いて足を止める。

 「これは鉄の匂い──ということは、鍛冶通りか。入る通りを間違えたか」

どうやら、キョウは木工職人の通りや服飾職人の通りではなく、鍛冶通りに用があったらしい。人混みの隙間を縫うように歩き、あっという間に鍛冶通りへ姿を消した。

 

 先程までキョウが歩いていた木工・服飾職人の通りは比較的静かな通りだったが、鍛冶通りはあちこちから鉄の匂いや鉄を叩く音が響けば、褐色の肌を晒す大柄な男が鍋のような日用品や包丁や形状の違う武器を商人らしき者の荷台に積み込む姿が目に映る。また、親方と見える人物が大声で他の職人や見習いへ指示を飛ばす様子があちこちに見られるなど、熱気と活気に満ちた通りである。そんな通りを、商人や職人にぶつからないように歩いて行く。やがて、キョウの足はある職人の家の前で止まる。

 「ここだったか、確か」

扉に取り付けられたベルを鳴らす。すると、お父さーん、お客さんだよ、と声をかける少女の声が小さくキョウの耳にも届いた。その声を聞いてか、誰かが扉へ近付いてくる。

 「あぁ、何だ。こんな時間に客なんて聞いていな……」

威圧するように声を出しながら扉を開けた男がキョウを見る。──そして、キョウに気付くと、威圧するような声が一気に鳴りを潜めた。

 「あ、あんた……ま、まさか。あの時の?」

外見以上に苦労を感じさせる、皺の多い顔をした男の顎が落ちる。

 「ああ、結構迷ったがここでよかったか。こっちへ来る前にマスターから聞こうと思っていたんだが、開いてなかったから突然の来客になっちまった。悪いな」

 「あ、ああ。あんただったら何時でも歓迎だ。けど、どうしたんだ。あの時みたいに武器を持っていないようだが……」

 「あの時は急いでいたからな。それより、少し時間を貰えるか。出来れば、人が寄り付かない場所がいいんだが」

 「少しだけなら。因みにどんな話だ」

奥から少女が近づくことに気付いたキョウが、男へ近寄って耳打ちする。

 「……何、4年前の後始末だ。何か情報があったらと思って、ここまで来たんだ」

 「あの事件が……まだ、まだ終わってなかったのか」

肩を震わせて膝から崩れ落ちそうな男だったが、迷いが無いキョウの目を見て踏み止まる。

 「あんたはまだ、あの事件に関わるのか」

 「頼まれてしまったからにはな。どうせ、対処できる奴も少ないし、放っておいて後味悪い結末を指咥えて見る気もない。まあ、それはそうと、報酬は依頼人からしっかり貰うがな」

 「なるほど。だが、俺も今知ったばかりだ、あまり話せることはないぞ」

家の奥からやってきた少女が、父親である男に声を掛ける。

 「お父さん、どうしたの?」

 「ああ、お父さんは少しこの人と話しているから、今日は友達と遊んでおいで」

 「え、いいの、やったー。いってくるね、お父さん!」

少女は声と共に、あっという間に外へ出て行った。

 「悪い、手間掛けさせてしまったな」

 「いや、いい。嫁があの時死んぢまってから中々遊びにも行かせてねえし、ちょうどいいさ」

 「助かる」

この男とキョウ、過去に何があったのだろうか。

 

 男とキョウが出てきたのは、太陽が高く昇った昼の頃だった。

 「済まないな、折角来てくれたのにいい情報が無くて」

 「気にしなくていいさ。それに、そっちに情報が無いのなら、この地域にはその手が伸びていない、ということだ。もし何かあったら、酒場のマスターによこしてくれ」

別れ際、店の前でキョウが淡々と男に言うと、男は全身から空気を吐き出すように大きく息を吐いた。

 「あんたの頼みだ、仕方ねぇな。だが、間違っても死ぬんじゃねえぞ。俺らにとって、あんたは恩人なんだからよ」

男が鍛冶仕事によって鍛えられた手をキョウの肩に置こうとしたが、キョウはその手をあっさりと払う。

 「はっ、俺がそう簡単に死ぬ奴に見えるか?」

そう言いながら、キョウは口角を上げて余裕を感じさせる笑みを見せる。それを見た男は、一瞬でも心配したことを恥じるように右手を頭に乗せる。そして、肩を上下させて大きく笑い出した。

 「ほんっとうにお前、って奴は、全く。確かに、確かにアンタの死ぬ姿が想像出来ねえな」

 「そろそろ行くわ。何、今やっている仕事に目途が付いたら、また寄るからよ……っと、そうだ」

キョウが男に向けて、何かを投げる。

 「お、おい。これ……」

 「手間賃だ、気にするな。俺みたいな傭兵はな、持ち過ぎても持て余すだけなんでな」

男がそれを返そうとするタイミングを与えないまま、キョウは家を後にした。

 「全く、あの不器用さは前から変わらねえな。ったく、礼の一つでも言わせろよ」

そう呟く男の手には、情報収集の対価には大き過ぎる、一枚の金貨が握られていた。

 

 

 露店通りへ戻ったキョウは、再び看板の掛かっていない酒場の扉を開ける。すると、今度は鍵が掛かっていなかった。

 「マスター、邪魔するぞ」

入った瞬間、開店の準備をしていた下働きがキョウへ不審な視線を向ける。しかし、キョウはそんな様子を機気にも留めず、近くにいたマスターに用があること呼んで欲しいことを伝える。その内の一人から返事を受け、空いている席に座る。程なくして、マスターが地下室から出てきた。

 「キョウ、一体、何の用だ」

 「悪い悪い、ちょっとお前に聞いておきたいことが出来てしまってな、邪魔するぞ」

ずけずけと入ってくるキョウを追い払う仕草を見せるマスターだが、結局はキョウを受け入れる。

 「分かった分かった……で、改めて何の用だ。どうせ厄介事だろう」

 「話が早くて助かる。それで、だ。その件が少し混み入った話になりそうなんだ、地下で話をしたいんだが……大丈夫か?」

マスターが呆れた顔を浮かべる。

 「お前はいつも厄介な依頼を請けているな……で、今回もネイゲート様の依頼か」

キョウが疲れたように頷く。

 「ま、予想はツイていただろ。いつもの事だが、地位のある奴からの依頼というのは、全く以て面倒だ」

 「そうだな。真っ当な貴族もいるにはいるが、悪徳な貴族はやり方がヒドイものだ」

 「まぁ、その悪徳なやり方をする輩の横暴さが目立つんだけどな」

キョウとマスターが、二人して大きくため息をつく。

 「そんな世間話は後だ後。それと、話ついでに何か作ってくれないか。朝起きてから何も喰っていないんだ」

 「分かった分かった。ひとまず、だ。あいつらに指示を出してくる間に、何を食べたいか教えてくれ」

そうして一度マスターが席を離れ、下働きにテキパキと指示を出していく。

 「待たせたな。何が喰いたい?」

 「肉をパンにでも挟んでくれ。後、炒った豆って用意できるか」

 「よし、準備が出来たら地下で話すぞ」

マスターが料理をキョウへ渡すと共に、地下への扉を開けた。

 



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その伍

次回投稿時を目安に、現在投稿している部分について、サブタイトルを付けようと思います。




 地下のテーブルに料理を置いたマスターは、ため息をつきながら席へ座る。

 「……で、改めて聞くが、どんな厄介事なんだ」

 「あんたらにとっては、口にしたくもない話題だろうからな」

そんな、嫌な前振りをしてキョウがマスターへ、ネイゲートから請けた依頼の概略を掻い摘んで説明する。始めは頭を抱えるような表情を浮かべていたが、キョウやネイゲートの状況、学院の状況を伝えていく内に、次第に酒場の主ではなく、様々な冒険者へ依頼を渡すマスターの顔になっていく。

 「とまぁ、ざっとこんな感じか。あんたらにとってもかなり嫌な部類なんだろう。顔がそう言っているぞ」

 「……お前の言う通りだ。キョウ。それにしてもまだ……まだ、あの事件が終わっていなかったのか」

マスターの怒りを抑えた声を聞き、キョウがため息をつく。

 「ま、あの時の被害に遭った奴は多いからな、怒る気持ちも分かる。ネイゲートから事件を起こした連中は捕まえたが、計画した連中が分からなかった、と言っていたからな。嫌な予感はあったが、まさかまた、実行するとは思わなかった」

 「……それにしてもまた、厄介な依頼を請けたものだな」

 「全くだ、そんな依頼なんて当人同士でやってくれ。って、言う話だ」

炒った豆を摘まみながら、キョウが呆れたように息を吐いた。

 「確かにその内容ならば、ネイゲート様からの指名依頼、というのも納得だ。だが、それ以上に、お前が中に入っているのに、まだ終わっていないのか。珍しいな」

 「さっさと終われば楽だったんだがなぁ。けどまぁ、臆病なのか、慎重なのかは知らないが、奴さんが中々尻尾を出しやがらねぇ。多分だが、計画した奴はこの街に居ないんだろうな」

検討が付いているようなキョウの口振りに、思わずマスターが

 「……分かるものなのか?」

と、懐疑的に問う。

 「あのネイゲートが、4年前の時点で計画者の検討を付けられない時点で、な。マスターから見ても、街に住んでいる貴族がこんな大層、かつ阿呆な計画を立てると思うか?」

キョウの言う事に異論のないマスターはが頷く。

 「傍から見れば、様々な魔獣の群れを魔術一つで焼き払う化け物だ。魔獣を掃う力もない、権威に縋るだけの連中なら、そんな奴を陥れるなんてよっぽどの権力者に命令されるか、とんでもない阿呆じゃないと、な」

 「……化け物ってお前が言うか?」

マスターから呆れた顔で言われ、ハッと我に帰るキョウ。

 「それもそうだな……って話が逸れた。計画者がこの街に居ないと思った理由がもう一つあってな」

 「何だ、それは」

 「まぁ、ありきたりなんだがな。学院内に間者が居るみたいなんだ。それも複数」

マスターの顔が難色を示す。

 「……事件の後に聞いた話だと、当時の関係していた者達はネイゲート様が処分した筈だろう?」

 「当時の間者は殆ど、な。けどよ、4年経った今、別の間者がいる可能性だってある。それに、当時の間者がまだ残っていた可能性もあるだろう」

 「……本当にいるのか?」

 「何人か、までは特定出来ていないけどな。ただまぁ……」

何故か含みを持たせるように、キョウが大きく息を吸う。

 「休日で何をする訳でもなく街に出ただけなのに、尾行する輩がいる時点で、な。余程の事が無ければ尾行なんてしないだろう?」

 「……は?」

愕然としたマスターの呟きが地下と言う狭い空間に木霊する。

 「一応、鍛冶屋の爺さんと会う前には撒いてきた。だから、此処に来たことはバレてねえ、安心しろ」

 「いや、そういう事じゃなくて、だな」

さも当然のように答えた上で平然と話を続けようとするキョウに、マスターが静止を促すように両の掌をキョウへ見せる。

 「あ、どうした。マスター」

尾行されていると分かっていてなお、どうして余裕があるのか、それがマスターには分からない。

 「どうしたって、お前……どうしてそんなに落ち着いていられるんだ?」

 「あ、そりゃあさ、尾行するってことは誰かが俺を警戒している、ということだ。つまり、依頼人……まぁ、ネイゲートだな。そいつを陥れたい奴らにとって、俺は予測できない奴なんだ。監視しておきたいんだろうよ。精々泳がせて利用してやるさ。その程度の障害を気にする小心者か、不安要素を消そうとする用意周到な奴かはまだ分からん。分からんが、その内に痺れを切らして俺らの邪魔をするはずだ」

 「お、おう。そうか。だが、危険ではないのか?」

 「4年前に急遽、スコラ……いや、カルセオから脱出する羽目になった時よりは、遥かにマシだ。手配書を書いて捜索するまでに若干日があった、とネイゲートは言っていたがな。あんな面倒は二度とゴメンだ。そういやあの時、マスターは何か聞かれなかったのか。この街や周辺の小さい村から来る依頼も一手に管理するマスターとして」

不意にキョウから問われたマスターは、調子を整えるように咳払いする。

 「聞かれたさ。血走った目で怒鳴りつける貴族育ちの役人も居たけどよ。あの時は俺の娘が攫われていたんだ。俺も何て言ったか覚えてない。あの時に言えたことは、娘の恩人である、ネイゲート様とお前にだけは飛び火させないことだけだ」

 「そりゃ、迷惑を掛けたな。俺も俺で偽の罪を被って夜逃げする羽目になったし、でっち上げの主犯として一方的に問い詰められたネイゲートも随分苦労した、と言っていたな」

 「初めは俺の評判も下がるような真似を……とも思ったがよ。お前がカルセオから何とか逃げ出した後、ネイゲート様がここまでやってきてな。俺なんかに頭を下げたんだ」

当時を思い出したマスターが、胸の内に秘めていた思いを吐き出す。

 「この国で最も強い魔術士である方が、俺のような依頼利きもする一介の酒場の主程度に、だ。あんたらが居なかったら、娘は悪魔に喰われていたと言っていた。──流石に、何も言えなかったさ」

 「そうか。──さて、すっかり本題を忘れていた」

しんみりとした空気から一変したキョウに、思わずマスターの顎が落ちる。

 「──は?」

 「あのさぁ、わざわざ昔話をする為に来たんじゃないぞ俺は。で、聞きたいことはだ。ここ一月で、この街とか周辺で何か変わったことはあったか?」

何でもいいぞ、と言いながらキョウは豆を摘まむ。

 「変わったこと、と言われてもだな……」

 「そうだな。例えば、スラムみたいな場所で急を要する人の募集があったとか、貴族様の妙な依頼があったとか……って、それはこの酒場では無いか。後はそうだな、モンスターの発生も特定の地域で多く起きているとか。ちょっとした情報からでも欲しいんだ」

 「今ある依頼書を確認してくる。少し待っていろ……」

マスターが地下の部屋を後にする。

 「学院に居てもいい情報ねえからなぁ。何かいい情報があればいいが……」

マスターが戻るまで、炒った豆を摘まむキョウだった。

 

 

 豆が指で数えられる程になった頃、マスターが扉を開けて戻ってくる。

 「……表に貼っていた依頼書を確認してきたが、あまり参考になる資料はなかったぞ。ただ……」

先を促すキョウ。

 「下働きの一人が言っていた。上質な服を着た者が護衛を引き連れて旧砦区画に入った、とな。道を間違えたんじゃないか、とは言っていたが」

 「旧砦区画、というのは何処だ」

 「スコラは山岳側と平地側に門番があるだろう。旧砦区画は文字通り、旧砦がある付近の住宅街だ。とは言え、学院側と職人通りへ向かう下り坂の二ヶ所あるんだが、学院側の旧砦区画は貴族の分家が多く住んでいるし、その周囲は観光地にもなっている」

 「つまり、職人が多い方の旧砦区画はスラム寄りなのか」

キョウの淡々とした物言いに、マスターが眉を顰める。

 「それ、上で言うんじゃねえぞ」

 「ああ、悪い。だが、そういう所に入る貴族が居るって、いうのはな」

キョウが言いたい事を理解しているマスターは、大きくため息をつく。

 「まぁ、な。それに、以前もそんな事があった。その時は新しい鉱石場や農場が出来たから人員を募集する、という誘い文句だったが……」

 「……実情は悪魔を召喚する生贄だった、と言う訳か」

 「──ああ、その通りだ」

握り拳を作ってテーブルを叩いたマスターを見たキョウが席を立つ。

 「時間を取らせて悪かった。突然の訪問で悪かったがよ、そんな感じの情報を定期的に寄越してくれ」

 「おいおい。俺はそこら辺の酒場の主だぞ。そんな用で学院に入れる訳がないだろう」

その返答が予想外だったのか、キョウの動きが止まる。

 「……そうか、難しいのか」

 「そうでなければ、ネイゲート様がわざわざお忍びで此処まで来る必要がないだろう」

マスターから呆れたように言われ、渋々納得させたように息を吐く。

 「じゃあ、伝言は出来るか?」

 「そうだな……門番に話をする事くらいは出来るだろう」

 「じゃあ、それで行こう。ああ、そうだ。出来れば、ノインという奴だけに話をして欲しい」

 「なるほど、交代で対応している門番には話していないんだな」

 「まぁ、そんな所だ。そして、ノインからの話ならネイゲートも話を繋ぐだろうからな」

 「分かった。そのノイン、という奴に俺の名前は教えておけよ、キョウ」

 「ああ、それは勿論。後はこれだ」

キョウが金色に輝くコインを渡す。

 「お前……こんな物を急に渡す奴があるか」

 「何、この件が終わったらネイゲートから取り立てるさ。どうせ他の貴族も犯行に絡んでいるんだ。そこから元ぐらいは取れるだろ。それと、飯代と迷惑代って奴だな」

──それじゃあ、俺は行くぜ。そう言って、キョウは今度こそ、地下の部屋を後にした。

 

 



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四章_思考は影のように暗く
不穏な影


 翌日の太陽が高く上がった頃、キョウはマスターから聞いた情報をネイゲートへ共有しようと、キョウは学院長室へ赴いた。

 「キョウだ。入っていいか」

 「おお……キョウか。少し待っておれ」

疲れたようなネイゲートの返答を不思議に思いつつ、扉を開けるタイミングを待つ。

 「入っていいぞ、キョウ」

ネイゲートの了解を取ったキョウが、扉を開ける。

 「何故、そんなに疲れた顔をしているんだ」

キョウの顔を見たと同時に、ネイゲートが深いため息をつく。

 「少し、面倒なことがあっての」

 「何だ突然」

 「ウノニュクスという教官を覚えておるか」

先日遭遇した、高慢な態度をした男を思い返す。

 「……ああ、家畜みたいに太ったあいつか」

ネイゲートが反射的に噴き出した。

 「そんなに噴き出すことだったか。まぁいい、それで、そいつがどうしたんだ」

 「ゴホッゴホッ……相変わらず、お主は笑わせにくるのぅ、全く。うむ、実はな。奴が家の都合で暇を頂きたいと言い出しての。先日の誘拐未遂が解決しておらんから却下したんじゃが……」

 「それと疲れる理由に、何か関連があるのか?」

理由を聞けば、他の貴族との会合があるとのこと。しかし、ウノニュクス自身が数合わせでしかなく、参加する意義もあまりない事。それから最近のスコラの状況、これらを踏まえてまた今度にしろ、と指示を出したのだが……癇癪を起した上で返答を聞かぬまま部屋を去ろうとしたらしい。

 「……聞いていいか」

 「うむ、おおよそ検討はついておる」

 「どうして、此処に居られるんだ。そいつ。どうせ、身分でごり押しして就いているんだろうが」

顎を落としながら問いかけた質問は、ネイゲートも同じ思いだったらしい。

 「……じゃよなぁ。儂も、正直どっかに行って欲しいと思って居る。じゃが、肝心の騎士科の都合で難しいそうなんじゃ」

 「厄介だな、喚き散らす奴がでかい顔をしているのは。俺だったら、適当な依頼を請けた帰りに、魔獣の餌にするけどなぁ」

ゴトン、と何かが落ちるような音がする。

 「……儂もそう思うが、先のような言葉は儂の前だけにしておくれ」

一度、落ちるような音が鳴った方向を向くと、そこには扉が一つ。

 「あー、なるべく気を付ける。話を戻すが、何故あいつは此処に居られるんだ」

 「それがのぅ、国の取り決めで一定数の貴族を雇わなければならん、と言う訳じゃ。多くはダットのように真面目に勤めてくれるじゃが」

 「あー、悪い方が目立っちまう、ということか」

キョウとネイゲートが揃ってため息をつく。

 「おっと、そうだ。あまりの話に本題を忘れる所だった。昨日、街に行ってきたんだが……」

そうしてキョウは、昨日のことを掻い摘んでネイゲートに伝えていく。始めは街の住人や酒場の主の様子を頷きながら聞いていたものの、キョウが尾行されていたことを聞くと、顔の皺が一層深くなった。

 「それは、本当かキョウ」

 「まぁ、鍛冶屋のとこへ行くまでに撒いたがな」

 「……四年前の時に比べると大した事では無さそうじゃの、お主にとっては」

思わず、キョウの目が釣りあがる。

 「それは……誰が原因だと思っているんだ」

 「こう見えてもの、悪かったと思っておるんじゃぞ」

そんな飄々とした物言いに、思わずキョウの顔から青筋が立つ。

 「……はぁ、お前相手に苛立っても意味が無かったな。まぁ、そんな経緯があってな、街から聞いた情報は酒場のセイピオラから連絡をさせる事で話が付いている」

 「助かる、キョウ」

そう言った直後、ネイゲートがしまった、と言わんばかりの顔を浮かべる。

 「あ、どうした」

 「……そうじゃったか、あのマスターはセイピオラと言ったのか」

 「ああ、知らなかったのか。まぁ、俺も傭兵として酒場に居たことが殆どだったから、殆どマスター呼びだったけどよ。他の傭兵、まぁ冒険者とも呼ばれるが、そんな奴らもそれぞれの街にいるマスターの名前を知っている奴は少ないさ。気にする事じゃない」

 「お主が言うのなら、そうなのじゃろうな。ところで、その情報はどのように伝えさせるつもりじゃ」

 「ああ、それは……」

キョウが学院長室のある場所を見ながら、問いに答える。

 「まぁ、この事に関わっている面子も少ないからな。ノインを挟んだ方がいいと思っている。出来れば、門番にも聞かせない体でやって欲しい」

 「……お主」

 「念のためだ。それに、情報の流出は少ない方がいいだろう」

それだけの意味ではない事を、ネイゲートは良く分かっていた。

 「……分かった。その件は儂からもノインに念を押して伝えておこう」

 「助かる。これで俺の用は済んだが、お前からは何かあるか」

 「そうじゃの……お主の話を聞いて頼みたい事が出来た。また、夕刻頃に来れるかの」

懐から手帳を取り出し、予定を確認する。

 「夕刻か……その時間はあいつらの講義がある。片付けが終わった後ならいいぞ」

 「では、その時にこっちへ来てくれるか」

 「了解だ。あ、そうだ。後でダットに伝言を……書いた方が早いか」

そうしてキョウが何かを書き留めると、ネイゲートへ渡した後、部屋を去って行った。

段々と足音が遠ざかり、その音すら感じられなくなった頃、ネイゲートが一つ深呼吸して声をかけた。

 「……聞こえていたの、ノイン、ダット」

入り口とは別の、先程キョウが一瞥した扉からノインとダットが姿を見せる。そして、ネイゲートの声に頷いた。

 「ノイン、お主はスコラの酒場の主である、セイピオラが来たらその情報を確実に儂まで届けること」

 「了解しました」

 「ダット、詳しい事は追って伝えるが、なるべくキョウと連絡を取るようにして欲しい。儂が学院に居ない、若しくはキョウが学院に居ない場合はお主にも伝言をさせるかもしれん。それと、これを」

先程キョウが何かを書き留めた紙をダットへ渡す。

 「ふむ……何をするのでしょうか、彼は。この言伝の件、承知致しました──それにしても、キョウの言葉には驚きました」

 「あいつは殺すか殺されるか、が日常になっておるからの。お主らとは常識からして違うんじゃ。先ほどの言葉通り、敵には容赦や慈悲というものが通用しない男じゃ。まぁ、奴なりに甘い所もあるんじゃが」

だからこそ、話が出来るものなのじゃが、と独り言を漏らす。

 「そういう訳じゃ。ウノニュクスを始めとして、今回の件で調査に非協力的、かつこちらの動向を盗み見する者が居れば、直ぐに儂かキョウに伝えてとくれ。特にノイン、お主はセイピオラから何かしらの手段で情報を儂とキョウに伝達する役目がある。他の講師と比べて、危険が増す可能性があるが……任せても、大丈夫かの?」

 「はい、問題ありません」

硬い意志を伴った返事に、ネイゲートの顔が僅かに歪む。

 「二人とも、こんな時間に悪かったの。もし、何かあれば直ぐに連絡して欲しい」

そう告げて、話を切り上げた。

 

 

 日が西に傾き、空が橙色に染まり始める頃、その日最後の講義が始まっていた。そこに居たのはキョウと数十名の学生達、それと修練用の武具が置かれている。

 「突然で悪いが、アルビー教官は別件でこちらに居ない。そこで、本日は俺が教官として進めさせてもらう」

うえ―、と声を挙げる学生と苦い顔を浮かべる学生達。キョウが一人で教官として講義をするのは初めてにも関わらず、反応が悪い。

 「ほぅ、お前達。そんなこと言っていると、走り込みを倍にするか、重りを付けてやらせるぞ」

 「ひっ、すいませんでした!」

 「よし、と言う訳で、だ。まずは講堂の外を十周な」

唐突に放たれた宣告に、学生達が慌てて反論する。

 「増えています、既に増えています教官」

 「どうせ最後の講義なんだ。一周やニ周位、誤差だろ」

 「それでも五周も増えているんですが!?」

 「ダッシュしろとは言っていないんだ。それに比べたら楽な方だろ」

そう言いながら、おもむろに修練用の槍を握る。

 「まぁ、そう言うのも自由だけどよ……」

そして、暴風のような素振りが学生達の前で吹き荒れた。

 「最初から俺と手合いするのとどっちがいい?」

 「……い、いってきます。教官」

全員が逃げるように走り込みに動く。

 「宜しい」

……後にこの光景が定着することなど、当時の学生達は想像もしていなかった。

 

 「ぜぇぜぇ……」

 「はぁはぁ……マジか」

 「何だってあの人は」

走り込みを終えた学生達が一様に四つん這いになって、呻き声を上げている。そんな中、学生達と同様に走り込んで尚、息を乱さないキョウがそこに居た。

 「お前達、へばるの早くないか」

 「……あの、俺達。教官じゃないんですよ。最後の一周はダッシュって、最初言ってなかったですよね」

 「まぁな。けど、疲れ始めた時に追い込まないと意味が無いだろう。それに、この程度でへばってもらっちゃあ、いざという時に困るのはお前達だぞ」

本来アルビーが担当しているこの講義は、日が沈む頃が終了の合図である。しかし、空はまだ鮮やかな橙色、終わるには早すぎる時間である。

 「……この後に稽古をして貰おうと思っていたが、そんな状態じゃあ仕方ない」

キョウが立ち上がると修練用の槍を持つ。何名かの学生が見ている中、キョウは学院の空いたスペースに円を描いた。

 「何だ一体……」

 「何をやるにしろ、嫌な予感しかしないけどな」

学生達はゲッソリした表情でキョウの動きを見る。キョウはその視線を気にすることなく、学院の壁に立てかけていた修練用の武器を、疲れている学生達の近くへ持ってきた。槍と剣が15本ずつある為、キョウはそれを数回に分けて運んでいく。

そうして運び終えた段階で、学生達の体力も戻って来たようだ、何とか全員が立ち上がった。

 「よし、お前たちもそろそろ体力も戻ったな」

確認するようにキョウが問うと、学生達は渋々頷いた。それを聞き、今度は空いている場所に描いた円を指す。

 「今日は俺と手合いをしてもらう。とは言え、俺と1対1でやっても勝負にすらならないだろう……だから、だ」

ゴクリ、と学生達が息を呑む。

 「三人から五人位のグループを作れ、そしてそのグループ毎に俺が相手をする」

途中からキョウも学生達と一緒に走っていたため、多少の消耗はあるだろう、と踏んでいた学生達の目の色が変わったように見えたが、直ぐに現実を思い知らされることになる。

 

 

 それから時間が経ち、橙の空の下から青い色が見え始めた頃、地獄のような講義が終わりを告げる。

 「よし、今日はここまでだ」

その言葉と同時に、それまで気を張っていた学生達の膝が一斉に崩れ落ちた。一部は離れている所で気を失っているようにも見える。

 「俺に吹き飛ばされて伸びている奴は起こしておけ。それと、汗はしっかり落としておくように。武器は俺の方で片付けておくから、体力が戻ったらさっさと帰れよ。日差しが無くなった夜は冷えるからな」

限界まで行ったのか、返事は呻き声のみ。そんな死屍累々の様子を見ることなく、キョウは片付けをテキパキと始めていく。

 「……ほ、本当に、バケモンだ、あの人」

 「体力が切れる、って事を本当に、知らないよな」

 「何で、実戦稽古を、しておいて、息一つ切れないんだ、あの人」

その様子を、学生達は顎を落としたまま見ることしか出来ない。

 「……俺、足動かない……」

 「お、俺も……」

体を大の字にして疲れを落とす学生達を尻目に、キョウが片付けを終えて戻ってくる。そうして、立ち上がれない学生達を見るや否や。

 「お前ら、まだ立ち上がれないのか」

 「え……?」

寧ろ、何故動けるんだ、と困惑の視線を向ける学生を他所に、キョウは困ったように息を吐く。

 「……流石に待っていたら、時間が過ぎちまう、か」

 「……へ?」

 「悪いが、この後に呼ばれているからな、先に戻るぞ。立ち上がれるようになったら、早く戻って寝るように、以上だ」

キョウはその言葉を最後に、講堂へ戻っていく。

 「これ、アルビー教官が居ないと毎回こうなるの、か……?」

 「考えるな……今は、考えちゃ、いけない」

 そうして空が藍色に染まった頃、学生達は生まれたての小鹿のように脚を震わせながら寮へ帰って行った。

 



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影を明かしに 1

 片付けを終えたキョウが、いつものように学院長室へ足を運ぶ。

 「キョウ、来たか」

ネイゲートが力なくキョウを出迎えるものの、その表情が渋い面構えだったからか。

 「何かまた厄介なことでもあったか、顔に出ているぞ」

思わず、そんな言葉が口をついて出ていた。

 「……そうかの」

一方のネイゲートも自覚があるのかそれを否定せず、ただ首を垂れて大きくため息をつく。

 「……で、今度の相手は誰なんだ?」

 「口に出すのも嫌な相手なんじゃが、お主には言っておいた方が良いかの」

相当に嫌がっているのか、ネイゲートの顔は大樹の年輪を思わせるほど皺が寄る。

 「うわ、一層聞きたくねえな……というか、お前が誰かをそんなに嫌がる事があるなんてな」

 「お主も聞けば似たような顔をすると思うぞ」

愚痴を溢すようなネイゲートの不穏な言葉を聞き、キョウの眉間に皺が出来る。

 「それは……聞きたくないな。それはそうとして、このタイミングで会いに来るのか、普通。確か、モンスターの大量発生も目途が付いていないと、お前が言っていたよな。……絶対ロクなこと考えてないな」

 「全くじゃ。それに、事件に関わっていようがいまいが、このタイミングで会いに来ようとは思わないんじゃが。当時は当時で、こちらも証拠が掴めなくてどうにも出来なかったのは認めるがの。それでも、この状況で来る神経を疑うわ。譲歩して、モンスターの対策について教えを乞うのなら分かるがの」

 「ま、仮に教えたとしても、対処できなかったのはお前のせいだ、とか言いそうな輩だし、教えてやる義理もないわな。そこの領民には悪いけどよ」

 「まぁ、それはの。儂はそこを管轄してはおらんし、こればっかりはのぅ。何しろ、4年前の事件の中で儂の事を弾劾した貴族じゃからのう。お主の言う通り、何か被害が出れば此方のせいにされるわ。しかも、向こう側に司法官をやっている身内がいるそうじゃ」

あまりの話に、キョウはため息しか出せない。

 「……それは、なぁ。というか、断ることは出来なかったのか」

 「仮にも公爵家なんじゃよ。近年は目立った功績もないらしいからの、お飾りじゃな。別件で似たような対応をした貴族が居たらしいが、その後で一悶着あったそうじゃ。その時は何事もなく終えることが出来たそうじゃが」

 「っはぁ~、面倒臭いな。ウノニュクスみたいな奴が高い位にいるというのも辛いな。おまけに司法に預けりゃそいつの身内が暗躍する上、数で押し切られる……か」

捕捉するように、ネイゲートが口を挟む。

 「それに証拠を持ってきたとしても、握り潰される可能性も有り得る」

 「想像つくわ。聞けば聞く程ひっでぇ話だな。それはつまり、ガセネタでも有罪にさせることも出来る……」

そこまで言って、キョウが何かに気が付いたように顔を上げる。そして、ネイゲートと同じようにため息をついた。

 「……あぁ、4年前の件はそういうことか。それで、お前は狙われる理由に心当たりあるのか?」

 「確実に権力絡みじゃろう。儂の魔術に関する実績は中々真似できるものではないし、儂が作った魔術具などもファリエや王都の魔術局の魔術士くらいでなければ、再現すら出来ないじゃろうからな。盗もうと思っても出来る訳が無い。物そのものが欲しい、という程度の動機ならば、誰かを雇って盗みに来た方が早い」

 「……確かにな。成果は無理だが、お前しか持っていない貴重な魔術の媒体を奪いたい、とかならそれで十分だよな。……だったら、それしかねえよなぁ」

二人して、盛大にため息をつく。

 「そういうことじゃ。そいつの息子が魔術に多少の心得があったこと、近年は要職に就けていないこと、それが理由なんじゃろうよ、全く下らん」

 「そいつの息子がそこそこ魔術を使える魔術士だったことと、学院長がどうして繋がるんだ?」

ネイゲートが、心底呆れたようにため息をつく。

 「その息子もまた、自尊心と懐疑心が強くての。いや、あれは自身に都合の悪いことは誰かのせいにして、その事実から目を逸らす……が正しいかの」

 「そりゃまた関わりたくない性質をしているな」

 「全くじゃ。そしてその息子がの、年に一度行う王都の魔術士試験に落ちたそうなんじゃが……落選されたことに怒り狂ったその貴族がの、試験監督をしていた魔術士を手打ちにしようとしたのじゃ」

 「……は?」

想像していなかった展開に、思わずキョウの顎が落ちる。

 「どうやら、その息子が落ちた理由がその試験監督にあるんだ、と言い出したらしくての。因みに、この件はファリエも知っておる」

 「そこまで行くと感心するわ。何だ、そいつの面の皮と腸は何で出来ているんだ?」

 「お主をしてそこまで言わせるか、いやはや全くその通りなんじゃが」

ネイゲートが今日、何度目か分からないため息をつく。

 「こっちに来てからも、酷い依頼を回す癖に難癖付けてやらせようとした輩はいたが……そいつらと同類かそれ以上だぞ」

 「因みに聞くが、お主はそう言った輩についてどう対処していたのじゃ?」

その言葉を聞いた瞬間、ネイゲートはキョウの周囲が急激に冷え込む感覚を覚え、反射的にキョウから一歩離れた。

 「──聞きたいか?」

その視線の何と空恐ろしいことか。視線は小動物や子供を気絶させる程冷え切っているにも関わらず、それでいて口調は穏やか。そして何より、先程まで雑談に興じていたにも関わらず、一瞬でそれが切り替えってしまう辺りが、実に恐ろしく、頼もしい。

 「良く分かった。それで、お主はあのような仇名を……予想出来ていたとは言え、余計な事を言ってしまったの」

ネイゲートが謝ると、キョウは疲れたように息を吐く。

 「全くお前は……そもそもな。そんな依頼を人に押し付けようとする輩はどうして、自分たちがそうなる事を考えていないんだ。金を積めばやる奴はやるんだろうが、な」

 「世の常というものかのう。儂はそんなものに興味はないが、権威に執着する者は多いからの」

 「巻き込まれる身にもなれってもんだ。さて、かなり横道に逸れたが、話を戻そうか。そいつとは何時会うんだ」

話を戻されることを嫌がるように、ネイゲートが目を細める。

 「──口にしたくもないんじゃが、既にスコラに居るらしくての。面会自体は2日後じゃ」

全身で疲れたようにため息をつく様子から、会う事すら億劫に感じていることがキョウにも手に取るように分かる。

 「嫌なのは理解できるが……確認だ、その事は誰が伝えてきたんだ」

 「門番がその書状を預かったらしく、それを受け取ったノインが……」

続きを言おうとした所でキョウを見ると、思案に耽る顔を見せていた。

 「……どうしたんじゃ?」

 「いや、ウノニュクスじゃないんだな、と思っただけだ」

キョウの言葉を聞き、ネイゲートが考え直すように頷く。

 「……確かに、お主の言う事も一理あるの。だが、あ奴は仮にも教官じゃ。門番の方が渡しやすかっただけではないじゃろうか」

 「それもそうか。権力に媚びる奴なら有難く受け取り行くものだと思っていたが……」

 「お主の言う事にも一理あるが、どちらにしても今、気にしても仕方ない事じゃ。それで相談なんじゃが……その面会の時、お主も隠れて聞いていて貰えんかの」

ある意味で予想通りの相談に、キョウは露骨に顔を歪ませる。

 「気持ちは分かるがの、そこを何とか頼めんかの」

 「何故、俺なんだ。ファリエやアルビーを同席、若しくは隠れて聞かせればいいじゃないか」

だが、ネイゲートから反応はない。不審に思ったキョウがネイゲートを見ると、硬い意志を含んだ目で一度頷く。それを見て何を察したのか、キョウが何かを理解したように、大きくため息をついた。

 「あぁ~……そういう、そういうことでいいのか。場合によってはそれが必要、と考えているから今の内にターゲットを確認しておけ、と」

それを聞いたネイゲートが申し訳なさそうに深いため息をついたことで、自身の予想が当たってしまった事を確信した。

 「まさかお前からそんな依頼が来るとは、思わなかったがな」

 「そのつもりでお主を雇った訳ではないが、流石に見過ごせなくての」

 「いいぜ。昔は汚れ仕事もよくやったもんだし、必要な汚れ仕事というのはあるからな」

ほっとしたようにネイゲートが一息ついたものの、キョウの言葉は続く。

 「だが、一つ警告だ。必要な汚れ仕事はある、と言ったがな。その汚れ仕事に慣れた時、お前もまたターゲットにされる時だ」

 「その警告。有難く受け取ろう」

話の続きを嫌うように、キョウが乱暴に席を立つ。

 「必要なら仕方ないがな。出来れば、お前からそんな仕事を依頼される時は来て欲しくない、とは思っていた」

 「とは言えど、じゃ。今回の件で纏めて捕縛できればそんな必要も無くなるじゃろうし、まだ決まった訳でもない。儂から切り出しておいて何じゃが、後味の悪い話は止めにしようかの」

キョウが小さく嘆息する。

 「話を変えようかの。お主の今日の講義を見ていたが、あんなに厳しくて良いのか?」

 「は、魔獣の群れに囲まれた中での戦闘や、古い遺跡の罠を警戒しながら戦闘することに比べれば随分楽じゃないか」

あまりにも参考にならない比較材料に、ネイゲートが顔をしかめる。

 「お前と学生を比べては、のぅ。というよりじゃ。騎士ですら経験しないであろうことを、軽々と比較材料にするんじゃない。それは悪鬼の所業じゃぞ」

ダメ出しをされるように言われたのが若干応えたのか、キョウの声のトーンが下がる。

 「そこまで言うかぁ……まぁ、俺が可笑しいのは認めるけどな」

調子を整えるように息を一つ吐く。

 「ただ、近々必要になるかもしれないからな、何もしないよりはやっておいた方がいいだろう」

 「それは一体なんじゃ。もしかして、儂が眠っている時に視た光景を聞いて言っておるかの」

キョウが頷く。

 「そうだ、お前が昼に言っていた巨大な影……それがこの先どういう風に関わるかは分からないが、街に居る兵だけでは対応できないことも考慮した方がいい、と思ってな。だったら、戦力にはならなくても、住民の避難や逃げられる位には鍛えてやった方がいい」

 「だからと言ってじゃな……」

その先を続けようとしたネイゲートを、キョウが遮った。

 「お前の気持ちも分かるがな。戦場じゃあ、脚が動かなくなった奴から死ぬ、経験上な。俺だって、お前の視た光景がどう影響するかはまだ分かっていないんだ。けどまぁ、逃げるだけの体力位はあった方がいいだろう」

 「そんな状況だからこそ、今だけはああしている、ということか。……分かった。ならば、お主に任せよう」

その経験に基づいた考えが他の教官とは決定的に違っているからこそ、ネイゲートはキョウを信頼する。

 「その辺は横から入ったとは言え、仕事でもあるからな、その期待には応えよう」

おもむろにキョウが席を立つ。

 「ああ、言い忘れていたが、あいつらが居ない間に逃走通路を踏破する」

帰り際に、一番重要な事を言われたネイゲートが目を見開いて驚いた。

 「何じゃと。お主、既に掴んでおったのか」

 「ああ、学生二人と見回りしていた時に場所までは分かったから、後は仕掛けだけだったんだ」

 「それを今言うということは、その仕掛けも分かった、ということかの」

嘘は言っていないだろうな、と言わんばかりに鋭い視線を送るネイゲートを、キョウは何事もなく受け止める。

 「直接見てはないが、検討はついている。ただ、学生に見られるのは不味いだろう。だから、今日はあいつらをしっかり走らせて疲れさせた。まぁ、お前の言う通り、やり過ぎたんだが」

 「そ、そうじゃったのか」

 「流石のあいつらも、見回りが出来ねぇだろうよ。危険がある所こそ、俺が行かないとな」

それを聞いて、ネイゲートはほっとしたように息をつく。

 「助かる……ところで、その仕掛けというのは一体どういうものなんじゃ?」

 「興味があるなら付いてくるか。人手が欲しいから、もう一人呼んでいるが」

 



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影を明かしに2

投稿するのをすっかり忘れていた。orz
長編って先にある程度書いておかないと、続きが書けなくなるのが困る。ある程度構想は練った上でドキュメントは保存しているけど……
短編を複数書いた方がいいのだろうか……

まぁ、それは兎も角続きとなります。
それと、副題等のセンスの無さよ。書き続ければ良くなるかなぁ?


 キョウに促されるままにネイゲートが付いていった先には、仕事を終えて帰り支度を進めているダットがいた。

 「なるべく早く来たつもりだったが、遅くなってしまったか」

 「いいえ。そこまで遅くはなっていませんよ。それで、隠し通路が見つかったというのは本当ですか?」

 「ああ、見回りとかしている中で気になる場所が幾つかあったから、それを調べていく内に目星が付いたんだ」

 「キョウ、その場所は何処なんじゃ」

ダットを伴って、三人で廊下を歩く中、場所を早急に知りたいネイゲートが魔力を込めた石で灯りを付ける小道具、魔力灯を持って本題を聞く。

 「逸るな逸るな。その前に、この場所の再確認といこうか」

 「再確認、ですか?」

ダットが疑問符を浮かべるようにキョウへ問う。

 「ああ。蔵書室の本を少し読ませてもらったけどよ。カルセオが統一される前まで、スコラはそれなりに衝突があったみたいだな」

 「そうですね。現在の王都になっているレイリアは当時のカルセオと同盟を結んだ後、婚姻により統一された背景があります。しかし、街の外れにある旧砦地区や物見櫓のある区画から見るに、隣合わせにあった領主とは仲が悪かったようです。度々小競り合いをしていた、と書籍にも記載されていました」

 「そうじゃのう。そう言った事情から、今こそ学院となっているこの城には、様々な仕掛けがある訳じゃし」

二人の意見を肯定したキョウが階段を昇り終えたネイゲートを確認した後、こう続ける。

 「ああ、そうだ。そして、何処の大陸だろうが国だろうが変わらないものがある。それは、争いが絶えなかった時代における大国の領主というものは、何かあった時を想定した隠し通路や隠し部屋だ」

 「確かに、この学院には既に幾つかの隠し部屋がありましたね」

廊下を歩きながら思い返すように呟いたダットの声に、キョウが答える。

 「ああ、既に確認したが、今は魔術の実験室にも使われている地下の広い隠し部屋は恐らく牢屋だ。他にも通路の脇に隠し部屋があったが、あれは使用人を隠す為のものだと思う」

 「キョウ、地下は分かるが、通路脇の隠し部屋がそうだと言える理由は何じゃ」

ネイゲートがキョウへ疑問を問う。

 「ああ、それはな。隠し部屋の場所が、決まって大部屋の横だったんだ」

 「……どういう事ですか?」

 「隠し部屋といっても、平時は只の空間なんでな。そんな空間をわざわざ放置すれば、埃と蜘蛛が湧くだけだ。だから、何かしら使っておきながら有事には隠し部屋のスペースとして使うんだ」

何か閃く事があったのか。ネイゲートが軽く握った拳を自身の掌で叩いて音を鳴らす。

 「……もしや、平時は武器や掃除道具のような、風通しを気にしなくとも良い道具を仕舞っておったのか」

 「想像に過ぎないがな、大きくは間違っていないと思う。昔のくそったれな依頼の中で、主の居なくなった城とか古い遺跡を調査したことが何度かあったんだが、この学院と同じような部屋をよく見たよ。使用人が寝泊りする訳でもない、敷物が長く敷かれた跡もない……そんな変な空間が複数な。それが、どんな理由かはもう分からない。非戦闘員を守るためとか、魔術具を仕舞うためとか……そこら辺は俺の知った事じゃあない。真相とやらが知りたければ、学者にでも任せておけばいい……っと、話が逸れたな、今回の目当てである隠し通路はそれらとは同じ場所には無いと思っている」

キョウがそう言った理由の検討が付いていたのか、ネイゲートが間を置かずに答える。

 「その前振りをするんじゃからな。大方、使用人が開けてしまうという事態を防ぐためじゃろ」

ネイゲートの答えに先を歩くキョウが正解だ、と淡々と答える。

 「王族とか領主もだが、民を逃がす隠し通路でもあるんだ。そんな通路を只の使用人が知っている、とか、あってはならないだろう。ましてや、そいつが買収されれば、誰にも気が付かれないまま、城内への侵入を許すことになる」

その状況を想像したのか、ダットがわずかに身震いをする。

 「大方、そんな所じゃろう。だが、その隠蔽方法は一体何なんじゃ。魔術を使っても分からなかったんじゃが。ついでに、何処へ向かっておる」

キョウが呆れたように息を吐く。

 「年でも取って我慢が出来なくなったか、ちゃんと向かっているぞ。まぁ、その隠蔽方法を解く鍵が面倒な場所にあるから、苛立つのも分かるがよ」

 「魔術で隠している訳ではないのですか。より強い魔術の中で展開された別の魔術は優秀な魔術士でも気付き辛い、と聞いたことがありますが」

ダットの意見に、キョウが感心したように目を開く。

 「俺も詳しい仕組みは知らないが、よく知っていたな。昔はそんなトラップに引っ掛かって死にかけたけどよ……話を戻そう。この城には魔術による老朽化防止の術式が施されているから、そう思うのも無理はない。けどよ、ネイゲート。お前がそういう調査をして見つけられなかったのなら簡単だ。隠し場所には、そもそも魔術を使っていない」

 「何じゃと」

驚きから、ネイゲートの声が上擦った。

 「ああ、そもそも隠し通路が見えないように工夫を凝らす方法なんて幾らでもある……例えば不自然に取り付けられた鏡や絵画、そういった類は外せるようになっていることが多い。その場合は力業でどかすと隠し通路が見つかる、というのが良くあった」

 「力業ってお主……とは言えど、なるほどのう。じゃが、お主たちが見つけた場所は学院の中庭にある壁じゃ。あの場所には、隠せるようなモノがないぞ」

 「では、キョウさんは今回の隠し通路はどのようにして目星を付けたのですか」

どうしてキョウが其処にある、と断じたかが分からないダットがキョウへ尋ねる。

 「実はそこで、お前から借りた本が出てくるんだ。俺もあまり建造物には詳しくないがな、建てられた時代を考えれば、ある程度当たりが付くんだ」

 「時代……ですか。どんな特徴があるのですか」

 「部分的にしか読んでいないが……あの本にはカルセオが今の王都に移設されるまでの歴史、つまりこのスコラが王都だった時代までが書かれていた。その本によれば、建国当初は今ほど魔術士が多くない時代だったらしい。と言う事は、魔術士も貴重な戦力だった、と言う訳だ」

ダットがなるほど、と納得するように相槌を打つ。

 「お主の言う通りじゃ。かつては魔法を、魔術を扱える一族がいることが貴族の証として考えられておった。勿論、全員が使えた訳では無かったようだがの。まぁ、そのような者達は他の貴族の従者や騎士として生きていたらしい」

ネイゲートの補足に納得したのか、キョウの声のトーンが一段上がる。

 「ああ、なるほど。だから、昔は貴族以外の有力な魔術士が少なかったのか」

 「うむ。当代に魔術の素養を秘めた子供が生まれなかった場合、庶民から魔術の素養がある子供を探し出す慣習などもあったらしい。近年は考え方が変わったこともあり、庶民でも魔術士になることが増えてきておるが」

 「へぇ。じゃあ、意識はしていなかったが、この学院にいる学生も結構庶民が居る、ってことか」

今更ながら、と言わんばかりに呟くキョウを見て、思わずネイゲートがため息をつく。

 「おいおい、お主は一体此処を何だと思っていたんじゃ。まぁ此処は元々、将来の見込みがある若者を見つけるための場所だからの。お主からして見れば意外なんじゃろうが、庶民も多いんじゃ。まぁ、お主の懸念通り、それを嫌う貴族の子息も多いがの」

 「ああ、悪い。悪気は無かったんだ。昔の俺にはこんな場所には縁が無かったんでな、つい。それはそうと、魔術とか騎士の実技のような講義では、貴族も庶民も分けていないんだったか」

 「そうじゃ。そもそも、貴族優位の時代ではないのじゃ。そんな凝り固まった思想に毒されては、彼らも先行きが暗いじゃろう……ところで、学院の中をかなり歩いておるが、そろそろ着かんのか」

同じ思いを持っていたダットも頷いた。ただ、それに対するキョウの返しがあまりに酷かった。

 「おいおい。この程度の移動で疲れるのかよ。全く、老人だからと言って、体を動かさないでいると、直ぐに動かなくなるぞ」

あまりの言い草に、ネイゲートが顔を顰める。

 「キョウ、貴様は老人を労わるという言葉を知らんのか?」

 「知らんな。使えるものを全部使ってやっと何とかやっていけるのが、傭兵稼業の悲しい所でね、そんな些細なことは諦めてくれ。まぁ、それは置いておくとして、だ」

キョウがその場所で立ち止まる。そうして、前後左右を見渡して何かを確認しているようだ。

 「この辺……だな。後は上、なんだが」

 「上?」

 「あぁ、光の加減で見えるか分からないが……ダット、その持っている魔力灯を上に向けてくれないか?」

状況が良く分かっていないダットは曖昧な返事をして、持っていた魔力灯を上へ向ける。

 「ネイゲート、中に入っている石の魔力で光の調節は出来るのか?」

 「可能じゃ。石の方が魔力切れを起こすかもしれんが」

 「切れない範囲で頼む、俺では暴発するだけだからな」

 「まぁそう言うのなら……分かった、やってみようかの」

ダットの持っていた魔力灯にネイゲートが触れる。すると、周囲を照らすような放射状の光が段々と狭まっていき、強い日差しのような一筋の光となる。そうして、それに気が付いたのはダットだった。

 「おや、あんな所に……あれは鏡ですか?」

講堂の天井……その一部が、魔力灯の光を反射していた。

 「間近で確認していないから分からないが、鏡ではなくよく磨かれた石材だろう。講義の合間に魔力灯を借りて色々調べていた中で見つけてな」

 「お主、よくあんな場所を見つけられたの。儂ですら見落としていたぞ。待て、と言う事はこの先に……」

 「ああ、お前の想像通りだ、ネイゲート。この先の屋上に逃走経路を開ける為の鍵がある。さて、ここで問題なんだが……」

キョウが意味深に間を置くので、思わずノインがゴクリ、と息を呑む。

 「何じゃ」

 「あれ、どうやって開ければいい?」

素っ頓狂な事を聞かれた二人は思わず顎を落とし……

 「「……は?」」

唖然とした声を出すのだった。

 「……何でそんな顔をしているか分からないが、流石に学院の設備を壊すのは不味いだろ。古い遺跡じゃあるまいし」

ああ、だから聞いたのか、と理解した二人は苦笑いで返答する。

 「そ、そうかの」

 「こ、壊してしまうんですね、キョウさんは」

 「基本は壊さないが、状況次第ではな。魔術のトラップだった場合、壊さなきゃ死に繋がる場合もあるからな」

さらりと死、という言葉が出てきたことで、ダットとネイゲートに緊張が走る。

 「……お主、トラップがあると思っているのか。儂の見立てではトラップなど無いように見えるが」

 「お前がそう言うのなら、きっと無いだろう。俺も無いだろう、と検討は付けてはいたが。ただ、この手の隠し通路の場合、扉の先にモンスターが居た、とか古い遺跡じゃあ良くあったから一応、な」

当時を思い出したのか、キョウは疲れたように肩を落とす。その様子を見ながらキョウが先程まで見ていた場所を見上げる。

 「ノイン、梯子とか持ってきておるか?」

 「いえ、流石にそんな物は……」

 「じゃあキョウ、お主はあそこまで跳べるか?」

ネイゲートが指す場所は、大の大人が3人分ほどの高さがある講堂の天井だ。とても跳躍だけでは届かない距離だ、とダットは考えていたのだが、

 「あー……掴む所があればいけるな」

その発言に驚き、目を丸くする。

 「キ、キョウさんは届くんですか?」

 「ああ、あの程度ならな。ネイゲート、場所は分ったか?」

ネイゲートもその事には驚かないらしい。ダットを置いて話が進んでいく。

 「うむ、お主が見つけた石材があるじゃろう。その石材に出っ張りがあるようじゃ」

ネイゲートがその場所に光を当て、照準を合わせていく。

 「……あー、あそこ、か。ようやく見えるようになった。助かったわ」

そう言うや否や、キョウは天井へ向かって跳び上がり、ガコン、と何かを開く音を鳴らすと共にキョウが着地した。この短い間、ダットはキョウの身体能力に驚き、顎を落としていた。

 「やったか、キョウ」

 「ああ、魔力灯を向けて見な」

ネイゲートが魔力灯を先程の石材があった部分に向けると、屋上へと繋がる狭い通路が姿を見せた。

 「……これは」

 「ふむ、よくやったの……で、登るのか、キョウ」

だが、キョウは手のひらを天井へ向けて首を横に振る。

 「その前に、魔術で風を起こせるか。こういう所って、大体蜘蛛の巣が張っていることが多くてよ。幾ら魔術で老朽化しないと言っても、その類は防げないだろ」

 「まぁ、お主の言う通りじゃな。少し待っておれ」

 



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影を明かしに3

うーん、サブタイトルや作品概要辺りを改修したい欲に駆られるが……まずは完結させてからだな、うん。

年内にもう一つ投稿して、この隠し通路に関する話は一旦終わりにする予定です。


  学院の屋上はスコラの中でも高い場所にあり、其処に立つだけで冷たい夜風をその身に晒すことになる。手摺りもなければ、足元も魔力灯で確認しながら進まないといけない……はずなのだが、キョウとネイゲートは悠々とした様子で屋上を歩いていた。

 「……うむ、この時期はまだ冷えるのぅ」

 「そうか、俺には丁度いい位だが」

一方で、二人から大きく遅れているのがダットだ。手元の魔力灯で足元を慎重に確認しながら進んでいくものの、高い所に慣れていないようだ。ダットが持つ灯りは常に揺れている。

 「……ふ、二人方、こ、怖くないのですか?」

気が付けば、そんな質問が出ていた。

 「確かにそれなりに高いが、十分に歩ける幅はあるじゃろう」

のんびりとした口調で答えるネイゲートと、

 「この程度、高い内に入らないだろ」

歩道から小川を眺めるように、全く気にする様子のないキョウ。

 「いやいや、キョウよ。此処はそれなりに高いじゃろ」

 「そうかぁ?」

ネイゲートが不審な目で、ダットが有り得ないものを見るような目でキョウを見る。

 「高い所ってのは……降りる先の地面が見えない時くらいしか思わなくてな」

そう言いながら、キョウの目線が明後日の方向を向く。

 「……お主、一体何があった」

冷静に返すネイゲートと顎を落とすダット。

 「……はぁ、昔の依頼でよ。巨木みたいにデカいモンスターを仕留めたのは良かったんだが、底の見えない崖に落ちそうになった時があってな。いや、あの時は流石に焦ったよ。苦し紛れに投げた鎖が木の幹に引っ掛かってなかったら、間違いなく死んでいたな」

 「どんな依頼を請けたらそんな目に遭うんじゃ、お主」

 「…………」

ネイゲートは呆れ切ったように額に手を添えて深くため息をつく。そして、ダットはあまりの話に、持っていた魔力灯を落としそうになった。何とか落とさずに済んで安心したダットが安堵の息をつきながら顔を上げた時、

 「よし、着いたぞ」

そんな、キョウの声が耳に入る。

 「案外、早かったの」

三人の眼前に映るのは、煙突のように高く、人が入れる程太い柱。

 「この柱が、ですか。確か……他の場所にもありますが、どうして此処だと?」

 「ああ、それはな。此処の真下が扉のあった場所だからだ」

 「なるほど、それで」

ダットは納得したように魔力灯を柱へ向ける。すると、ネイゲートが柱に付いている出っ張りに気が付いた。

 「……これは取っ手かの?」

 「お、そこにあったか」

そう言いながら、キョウは迷わずそれに手を掛けると、ギギギ、と年期の入った音を響かせながら扉が横へスライドする。

 「やっぱり、当たりだったな」

 「学院にこんな場所が……」

 「……私も知りませんでした」

扉の先には、人一人入れる程度の狭い螺旋階段があった

 「記憶が正しければ、この場所の2階だか3階だったか。あそこだけ他の場所と比べて少なかったはずだ。恐らくは其処だろう」

しかし、キョウがそこから足を進める様子がない。

 「どうした、進まんのか?」

 「どうせ埃か蜘蛛が集っていると思うぞ。お前がいるんだったら、払ってくれないか?」

ネイゲートが呆れたように息を吐く。

 「全くお主と言う奴は、もっと老人を労わっても良いのでは?」

 「後で咳き込むより、今払っておいた方がいいだろう、俺がやろうとすれば危ないだけだしな」

ネイゲートが魔術を使うかと思いきや、隣にいたダットに声を掛ける。

 「……ダット、キョウが言った事は出来るか?」

 「は、はい。その程度なら」

キョウがポカンとした顔でダットを見る。

 「お前、魔術が使えたのか」

 「ファリエ教官や学院長のような立派な魔術を使える訳ではありませんが、本の保管にも使っていたりしますよ」

 「へぇ、そういうものなのか。では頼めるか、さっきも言った通り、俺では危な過ぎて使えないからな」

 「……先程から話を聞いていて思ったのですが、危な過ぎるとはどういうことですか?」

ダットの質問に、キョウがどう答えようか眉間に皺を寄せた時、ネイゲートが口を開く。

 「まぁ、キョウの魔法、というか魔力が少し、の。昔色々あって、今は一人で傭兵をしておるんじゃ」

 「ハ、少しで済んだら一人で傭兵なんざやってねえよ。そんな下らない話は色々終わってからにしてくれ。とりあえず頼む、ダット」

話の続きを嫌うように、キョウが無理矢理切り上げて扉の前から離れた。何か聞けるか、と期待したダットが残念そうな顔を浮かべながら扉の先の空間に立ち、銀のリングを付けた右手を向ける。そして、キョウにも聞こえない程度の小さな声で何かを呟くと、銀のリングが淡く光ると共に、弱い風が彼の右手を中心に発生する。

 「おお、俺はその辺の加減が全く出来ないからぁ」

 「お主、生まれつき使えた訳では無さそうじゃしのぅ」

そんな戯言を無視し、ダットは扉の先に向けて、右手を広げた。

 「もっと埃が溜まっているかと思ったが、そうでもないな」

 「籠城戦になる事も無くなったから、随分と前に使われなくなったんじゃろうな」

そうして、ダットの魔術で室内を換気した三人は魔力灯を持って、扉の先を進んでいく。

 「人通りが無くなった遺跡だと埃の代わりにネズミの骨が転がっていたりするが、此処は扉も閉まっていたからか。思ったより汚れてないな」

そう言っている内に、三人は少し広い空間に踏み入れる。

 「ここは広いですね……」

 「どうやら、お目当ての場所に着いたようだな。ダット、灯りをこっちに向けてくれ」

 「はい……え、これは?」

灯りで見えるようになった仕掛けを見て、ダットが困惑の表情を浮かべる。

 「滑車、かのう。随分と原始的じゃな」

彼らの眼前に現れたのは、大人の腰まである滑車が両手の指の数だけ取り付けられた仕掛けだった。魔術を使ったものかと思いきや、人力の仕掛けだったことに驚いていた二人を他所に、キョウは別のモノを見つけていた。

 「持ち手の所……よく見たら錆か、これ」

 「……学院全体に保全の魔術が掛けられているのに、どうして錆が付くのですか?」

ダットの疑問にネイゲートが答える。

 「……この下が外に繋がっておるからじゃな、キョウ」

 「多分な。だが、そうで無ければこの場所はもっと澱んでいるか、きれい過ぎるままか、だろうよ」

そう言って、キョウは天井に取り付けられた滑車に灯りを向ける。

 「よし、早速やるか。重くないといいんだけどな、と」

手に錆が付くことを厭わず、持ち上げる為の鎖を慣れた手つきで引いていく。程なくして、何かが擦れるような音がダットとネイゲートの耳に届く。

 「ムッ」

 「今のは?」

二人の声を聞き、キョウが鎖を引く手を一度止める。

 「恐らく扉が少しだけ持ち上がったんだろう。とは言えど、まだ通れるだけの高さは空いていないはずだから、引けるだけ引くつもりだ」

キョウは二人にそう声を掛けて、鎖を引く作業に戻る。その作業を一人で黙々と進めるキョウを見て、ダットがポツリと呟く。

 「……ところで、何故私は呼ばれたんでしょうか」

 「……じゃろうな」

ダットには有耶無耶にしたものの、キョウが人を呼んた理由が分かったのか、曖昧な表情を浮かべるのみ。

 「今、何と仰いましたか、学院長」

 「……何でもないぞ」

そんな様子をダットが不審に思っている間に、キョウはどんどん鎖を引き上げていく。

 「おお、こんなものが学院に備え付けられていたとは」

 「それにしても……見るからに重そうですね、これ」

やがて、下に取り付けられていた滑車がダットとネイゲートの眼にも見えるようになった。

 「よし、こんなもんか」

二人が滑車を興味深げに見ていると、キョウが鎖を引き終えたらしく、呼吸を整えている所だった。

 「キョウさんはこれからどうするのですか」

 「これから扉の先に行くんだが」

 「じゃあ、それはどうするのですか」

キョウが手に持つ鎖は何処かに引っ掛ける場所も無く、手を離せば折角持ち上げた労力も水の泡だ。

 「何を言っている、その為にお前を呼んだんだぞ、ダット」

 「……ゲ、そういう事ですか」

呆れと諦めを含んだため息を吐き、キョウの代わりに鎖を持つ。

 「……って、重!!」

が、想像以上に重く、思わず体を屈めて何とか下がらないようにするのが精一杯だった。

 「……鍛え方が足りないんじゃないか、ダット」

 「な、何を言っているんですか、キョウさん!?」

 「元々人が引き上げる事を想定して作られているんだ。その程度持てないと他の遺跡に行っても、足手まといにしかならないぞ」

 「遺跡に行く予定はないんですけどねぇぇ!?」

思わず、返す言葉にも力が入るダット。

 「して、キョウよ。下に着いたらどうする気じゃ」

 「ダットもしばらく保ちそうだし、適当に魔力灯を上に向けるか、声でも出すさ」

思わず青い顔を見せたダットだが、二人が気付く様子はない。

 「おいおい、聞こえなかったらどうするんじゃ」

 「少なからず滑車の下が繋がっているんだ、どうにかなるだろう。ダット、聞こえているとは思うが、俺の声が聞こえたらその鎖は下ろしていいからな。ただ、急に放すと揺れると思うから、まあゆっくりとな」

 「出来るだけ……早くお願いします」

ダットの声を聞く前に、キョウは螺旋階段を軽快に昇っていく。

 「ふーむ、それにしても、じゃ」

 「どうされ……ましたか、学院長」

 「何、キョウは鎖を引き上げただけのようじゃが……そんなに重いんじゃ。引っ掛ける場所が無いのは不自然じゃと思っての」

それを聞き、ダットは懇願するように声を出す。

 「早めに、見つけてくれると……助かります。踏ん張ってはいますが」

 「では、少し明るさを調節するかの……」

そうしてネイゲートが灯りの調節を手早く終えた頃、聞こえるはずの無い声が下から響く。

 「……?」

 「──るか、……えるか?」

キョウの声が滑車の下から反響して二人の耳に入る。

 「その声……キョウかのぅ?」

 「ああ、下ろして──」

ネイゲートがダットにゆっくり下ろすよう促すと、ガコン、という音を立てて滑車がゆっくりと下りていく。やがて、ズシン、という大きな音を立てて、滑車はその動きを止めた。

 「ふぅ~~……つ、疲れ、ました」

 「手間をかけたの。ダット」

 「それにしても、こんな重い滑車を平然と引っ張れるとは……」

ただ、そんなキョウの力強さを目の当たりにしても、ネイゲートは特に驚く様子がない。

 「まぁ、奴のような数奇な生き方をしている男もそうは居らんからの」

 「一体、キョウさんはどんな生き方をしてきたのですか。空いている時間に聞いてもはぐらかされまして……」

 「そうじゃろうなぁ。何せ儂も、多くを知っている訳ではないからの。今日は助かった。また、明日からも宜しく頼むぞ」

鎖から手を離したダットはネイゲート同様、鎖を引っ掛ける場所を探そうとして……直ぐにその場所を見つけたのだった。



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影を明かしに4

とりあえず今年中に間に合ったからセーフって事で。


 一方、キョウは真っ暗闇になった通路を魔力灯片手に慎重に進んでいた。

 「……思ったより高さも幅もある、これは意外だな。人を連れ去ろうとしたなら、這うことはないだろう、と踏んではいたが。とは言え、流石に槍は無理だな……まぁ、短剣なら持ち込めるか」

背を屈めて通る事も視野に入れていたキョウだったが、立って歩いても支障のない高さや幅である事に、驚きを隠せない。

 「考えたくないんだが……他にも出口があるのか、これ?」

そこに考えが至ったキョウは、大きくため息をついて魔力灯を周囲の壁に向ける。そして、突起物や凹んだ場所などが無いか慎重に確認して進んでいく。しかし、魔力灯しか灯りがない状況であることと土を掘り抜いて作ったような抜け道からか、如何に慎重に調べてみるものの分かるはずも無かった。

 「まぁ、そんな上手く行くはずがないか……それにしても、やけに湿気ているな。ここ」

諦めに似たため息を一つ溢し、キョウは再び通路の先を進んでいく。

程なくして、魔力灯を下に向けて歩いていたキョウは、あるものを発見した。

 「……足跡、か」

この通路の出口が水気のある場所であることに加え、直近で誰かが出入りしていたのか、魔力灯を近付けると足跡と思わしき部分だけ色が違っていた。それを見たキョウは早足で出口まで向かい、街の何処かを流れる川が見えた所で……何かに気が付き、魔力灯を消して足を止める。

 「どう──、──あった」

川の音で殆どかき消されているが、抜け道の外に誰かが居るらしい。

 「──今この辺りで、何か──様な……」

向こう側にいる誰かが何かを察したような声を出したにも関わらず、キョウは退くどころか、音を立てないように、しかし自然体を保ったまま近付いていく。

 「──いにして、学院──気付いていない、と聞いている。鼠か何かだろう。流石の我々も、次の失敗は────」

頭領らしき者の発言から情報は十分、と判断したのか、キョウは音を立てないように歩いてきた道を戻っていく。

 「……少し無茶をしたが、価値はあった……とは言えど、あれは追えないな、勘付かれる。出来れば強襲して戦力を削ぎたい所だったが……あいつの予測がブレちまう」

ため息交じりに呟きながら隠し扉の方へ歩いていたキョウが、ある事に気が付く。

 「あ……あいつら帰ったよな、流石に。……あれ、そうすると、此処で暫く待機ってことか?」

間が悪い事に魔力灯も切れてしまったらしい、キョウが触れても再度点灯する様子もない。

 「マジか……居ないだろうが、声を掛けてみるか」

ダメもとで何度か試したものの、声が帰る様子はなかった。

 「……それなりに時間も経ったからな、仕方ないか。明るくなる前には流石に居ないだろうから、此処で休むか」

盛大なため息をついたキョウは壁に寄っかかり、暫く仮眠を取ることにした。

 

 翌日の朝日が昇った頃、一人で正門の近くに居たノインが、最近見慣れた人物を発見する。ただ、外出しているとは聞いていなかったので、内心驚きながら声を掛ける。

 「どうして教官の貴方が外に出ていたのですか。門番から外出されたという話は聞いていませんが……」

何があったのか気になった為、咎めつつも事情を聞こうと試みる。

 「あー、ノインか。そりゃそうだ、正門からは出てないからな。はぁ、まさかスコラの街中で、洞窟みたいな場所で一晩過ごす羽目になるとは……」

何を言っているかが理解できず、ノインは疑問符を浮かべながらキョウへ言葉を投げかける。

 「貴方には空いた部屋を割り当てていたはずですが……どういう事ですか?」

 「知っているだろ、俺が夜に学院の見回りをしているの。まぁ、いつもの見回りをしていたんだがな。普段人が通らない道を見つけたはいいが、そこに行ったせいで学院に戻れなかったのさ」

大きく欠伸をするキョウの言葉の意味が分かり、ノインは大きく目を見開いた。

 「……もしかして、誘拐犯たちが使っていた隠し通路を見つけたのですか?」

キョウはのんびりとした表情を消し、肯定するように頷いた。

 「まぁ、そういうことだ。他の連中に聞かれたら外出していた、とか適当にふらついていたとかで誤魔化してくれ」

話が終わったかと思いきや、正門を見上げていたキョウが、何かを思いついたように声を上げる。

 「どうしました?」

 「そういやマスターは……いや、セイピオラは定期的に来ているんだよな」

時間は不定期ながら、ノインは毎日必ずやってくる男を思い出す。

 「ええ、キョウさんも偶には顔を出してくれ、と言っていましたよ」

 「ああ、どうせ酒場に寄って酒でも頼んで金を落とせって事だろ、全く。ま、この件では助かっているし、その内に顔を出すか。それで、情報以外に何か変化はあったか?」

ノインは何を思ったのか、門番が近くに居ないことを再度確認してキョウに小さな声で話す。

 「実は、昼の門番がセイピオラさんから貰う情報に異様なほど興味を示していまして……」

 「よく知らないんだが、門番の交代ってどうなっているんだ?」

 「日の出ている時間と夜間で分かれています」

一度考える素振りを見せたキョウは、何か思いついたのか、ノインにこんな事を尋ねる。

 「そういや……俺が此処に来た時に突っかかってきた門番がいたよな。あいつが昼の門番でいいのか?」

ノインが肯定する。

 「奴がそうであれば……来るのは明日だし、やってみる価値はあるか」

 「……何のことですか?」

キョウの言っていることが分からず、ノインが聞き返す。

 「ああ、ネイゲートから聞いたんだが、誰か来るらしいな、明日」

その人物を知っているノインはその人物を思い出したからか、顔に皺が寄る。

 「……ええ、厄介な人物ですよ」

 「ほぅ、お前も知った奴か」

 「ええ、何しろ四年前、学院長を召喚者として偽りの訴えを出した方なんですから」

ノインの話を聞き、キョウがネイゲートと話していた内容を思い返す。そして、周囲に人が居ないことを確認した後、ノインへ小声で尋ねる。

 「……なぁ、そいつの家系は目立った功績が減ってきた、お飾りの公爵家だったりしないか?」

 「よく知っていますね。もしかして、ネイゲート様から聞かれましたか?」

ネイゲートの話していた人物が何をしてきたのか、段々と繋がっていくことを理解して、キョウは大きくため息をつく。

 「何でそんな奴が捕まっていないんだ……って言いたい所だけど、どうせ身分が高いのを利用してもみ消しでもしたか」

 「その辺りの事情は私では分かりませんが……恐らく」

呆れたように呟いた後、キョウは片手を頭に添えて、考えに耽る素振りを見せる。二つ、三つほど深呼吸出来る時間が経った時、何かを思いついたのか目を開けたキョウが、ノインに視線を向ける。

 「……なぁ、ノイン。一つ、芝居を打ってくれないか?」

唐突なキョウの提案に、ノインが素っ頓狂な声を出す。

 「し、芝居、ですか?」

 「ああ……」

キョウがノインに、ネイゲートとその人物が対面するに至った経緯を話す。

 「それは構いませんが……証拠はあるのですか?」

 「無い。何しろ、お前の話を聞いて思いついたからな。当たればラッキー、外れればそれまでだ。お前の状況も踏まえると、一番リスクが少ない案だと思うが、どうだ?」

キョウの案が理に適っていたこともあり、ノインはその提案に乗ることを決める。

 「分かりました。この件は、後で学院長に話しておきます」

 「助かる。じゃあその方向で頼む。何か動きがあったら教えてくれ」

ノインが頷く。

 「そう言えば……」

話が終わったはずなのに、まだ聞くことがあったのだろうか、とノインが不可解な顔を浮かべる。

 「どうしました?」

 「ネイゲートが会う奴の名前を聞いて……」

そこで何かに気が付いたのか、キョウの言葉が止まる。

 「──悪い、誰かがこっちに来ている。また後で話をしよう」

そうして、そそくさと逃げるように正門へ入っていった。

 「え、あ、はい」

キョウの行動に困惑したノインだったが、その理由を直ぐに理解した。

 「──今、誰か来ていなかったか」

 「──おはよう、ゲイトさん。ええ、最近よく来る方ですよ。本日は立ち話だけでしたが」

一瞬、訝し気にノインを見たゲイトだったが、

 「──そうか、不審者で無ければいい」

ぶっきらぼうに答え、息を一つ吐く。

 「ところで、どうしてあの者は貴方を指定して会いに来るのだ。言付けならば、私でも出来ると思うが」

話していた相手を追及されなかったおかげで、多少の余裕が出来たノインは涼しい顔で答える。

 「そう……ですねぇ。私も詳しい理由は分からないのですが、私に頼むのは在籍年数が長いからでしょうか」

 「そういうものか?」

 「まぁ、私はかれこれ二十年は此処に居ますからねぇ。流石に、突然の事で驚きましたけど。今日の天気とか行事の話でしたら、話せるんですけどねえ……おっと、忘れない内に伝えに行かないと。ちょっと席を外しますね」

 「その話、重要なことであれば、私にも話してはくれないか?」

ノインとゲイトの視線が交錯する。

 「……そうですねぇ、私の判断で話すことは出来ません、昔に起きた事件のように、誰かが無暗に話したことで事態が悪化したのを避けたいので。念のため、学院長に話をしてからで良いでしょうか」

ノインの言っている事に間違いはない。ただ、何を思ったか、ゲイトはノインに見えないように握り拳を作っていた。

 「……それもそうだ。もし、話せる内容であれば、話してほしい」

 「そうですね……それでは、一旦失礼しますね」

ゆっくりと正門を後にして講堂へ向かったノインを、ゲイトは獲物を見るような視線でじっと見つめていた。

 

 

 ノインが正門から歩いて講堂へ向かっていると、何処から現れたのか、キョウが音もなく姿を見せる。

 「悪い、気付くのが遅れた」

突然姿を見せたキョウにギョッとしつつも、ノインは呆れたようにため息をつく。

 「全く、突然で驚きましたよ。姿を消した理由は理解しましたが」

 「あいつには疑われなかったか?」

 「ゲイト自身は愚直な者ですからあまりそのような……しかし、少し疑われてしまったかもしれません」

キョウの表情に影が差す。

 「キョウさんが気にしても仕方ありません。そもそも、貴方が居なかったら我々は此処まで辿り着いていないのですから」

 「……そうだな、気にしていても仕方がない。これからに目を向けるか」

講堂の扉を開き、二人は室内へ入る。

 「そうですね。向こうの動きがもう少し分かればいいのですが……」

 「学院としても、何時来るか分からない襲撃を警戒するのも限度があるからな。だからと言って、向こうも襲撃しないという選択肢はないだろうが」

何故、キョウが襲撃をすることを前提として話をしているかがノインには分からない。その事をキョウへ伝えた所、これは憶測だがな、という前置きを置いてこう答える。

 「ああ、過去にも一度、そして一月前にも失敗しているんだろ、はっきり言うと普通の悪党なら逃げる。何しろ足が着くかもしれないからな。犯罪集団はな、それを一番恐れるものだ。だが、それをする様子がないという事は、逃げられない程の多額の金を既に貰っている筈なんだ」

 「そういうもの、なのでしょうか?」

 「ああ、その手の連中はな、捕まるか、根城をバラされるが一番ヤバイと考えている。少額の金なら依頼人から逃げるか、殺せばいい。そうすりゃ、自分たちの足は着かない。まぁ、後者は後々ヤバいんだがな。下手な真似したらそっちからも追われる羽目になる」

話を聞けば聞く程、そのような裏事情を良く知っている理由がノインにはますます分からなくなる。

 「そのような裏事情、良く知っていますね」

感心と畏怖が交じった呟きに、キョウはため息を付きながらその理由を答えた。

 「昔、よく殺りあったからなぁ。やり口位、嫌でも覚えるさ」

 「……え?」

思わず、キョウを思わず二度見する。

 「……あ、どうした?」

 「い、いえ。何でも」

そんな経験を軽い調子で言える、ということはその経験を多くしているということだ。キョウの過去に何があったのか、そんなこよをノインが思案する暇も無く、キョウはため息交じりに話を続ける。

 「そうか。だが、ネイゲートはそれ込みで俺を雇ったと思うぜ。この一連の動き、どう見ても単発の殺し屋がやる行動じゃないからな」

 「……」

 「だから、気を付けろよ。巻き込んだ癖に言えた身ではないがな……この手の連中は消すのに躊躇いがない。俺やネイゲートみたいに、不意打ちにも慣れている奴ならいいが……あんたらは不慣れだろ。死にたくなかったら、ある程度で抜けていいからな」

キョウの優しさとも、拒絶とも取れる声が静かな講堂に響く。暫く答えることが出来ずに歩いていたノインだったが、意を決したようにキョウへこう答えた。

 「──そのご心配は有難く受け取りますが、私にも意地があります。私はかの事件で娘を失った、その仇を討つ機会が来たのです。貴方や学院長がその当時、我々の想像の付かない敵と戦っていたのだと分かった今、退く事など出来ません。どうか最後まで、お付き合いさせて下さい」

堅い意志の宿った眼がキョウを見る。その眼に根負けしたか、そっぽを向いて息を吐いた。

 「……分かった、ネイゲートにもそう伝えておくか」

気が付けば、学院長室の扉は直ぐそこにあった。




ここまで思ったより長かったなぁ。もう少し省略すればよかったか。
いや、それだと学院の人無能過ぎない、ってなるよなぁ。

ようやく曲がり角といった所か。
この辺は書き慣れるしかないなぁ……後、更新速度か。



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その眼は誰の影を視る

 厚い雲が空を埋め尽くした翌日、ネイゲートは嫌々ながらある人物を迎えていた。

 「さて、チャーチル殿。本日は遠い所からよく来てくれましたの。大したものは出せませんが、此方をどうぞ」

 「ええ、頂きます」

チャーチルと呼ばれた男がティーカップに注がれた茶を一口付ける。

 「……大したものはないと仰いましたが、この茶葉は中々の品ではないですか。これは異国から仕入れた茶葉でしょう」

 「流石に舌が肥えておりますな。他国から輸入された茶葉を商人が仕入れていたので、知り合いに勝って頂いたのですよ」

 「なるほど、レイリアで手に入る茶葉はもう少し渋みが出ていた気がしますが、茶葉を変えるとこのような違いがあるのですか……それとも、淹れ方にコツがあるのでしょうか」

さっさと本題に入りたいネイゲートだが、チャーチルが露骨に本題を避けているため、茶葉についての違いを熱弁しようとするその口を、咳払いで黙らせる。

 「……ところで、今日はどのようなご用件で。これでも私は忙しい身なので、手短に済ませたいのですが。カルセオの定例報告までには幾ばくか時間はありますが、どうして今日は此方に来られたのでしょうか」

 「ええ、ええ。よく聞いて下さいました……実は、別件で此方へ伺った際、とある噂を耳にしましてな」

 「ほう、それは何でしょうか。私はこの学院の魔術科における責任者でもありますからな。魔術に関する話であれば、是非お聞きしたい。貴族で思い出しましたが、この学院に勤めていた貴族の教官が、魔術を悪用した事件を起こしたこともあったので」

貴族の教官という言葉をネイゲートは敢えて強調する。それが効いたのか、チャーチルの顔には僅かに皺が寄った。

 「……それでは、このような噂はご存じでしょうか」

それからチャーチルが口にした内容は、セイピオラを通じて得た情報と変わりないものであった。内心ではそれらを退屈そうにしながら一通り聞き終えたネイゲートが、調子を整えるように茶を一口飲む。

 「……なるほど、よもやスコラでそのようなことが起きていたとは。私も別件の対応に追われておりまして手が回っていなかったのです。教えて頂き、感謝します」

しかし、ネイゲートは知らない素振りを見せるのみ。

 「ところで、その件を私に話す意味は何ですかの」

あまつさえ、年老いて耄碌した老人のようにチャーチルへ問う。本当に心当たりがない様に語るネイゲートの口振りから、思わずチャーチルの口角が上がる。

 「……思い出してください、四年前のあの事件が起きる前、人々が災いを感知するように、スコラから人が出て行った時があったでしょう」

 「おお、お陰で思い出してきましたわ。年を重ねるのも嫌ですな、全く。ええ、あの時は学生が誘拐されておりましたからな。その対処に追われている中で、そのような事も起きていた、と聞いておりました。……もしや、チャーチル卿。そのような事態がまた起きる、とそう予感されているのでしょうか」

 「ええ、ええ。このままではあの時と同じことが起きないかと心配になりまして、こうして馳せ参じた次第でございます」

 「そうかそうか。それは有難い限りなのじゃが……この話、スコラの議長達に告げてあるのかの」

一瞬、チャーチルの目が陰る。

 「ええ、同じように話をさせて頂きましたが、世迷言を言うな、と追い出されてしまいまして……」

 「左様でございましたか。それはご苦労なことです」

言葉こそ丁寧だが、ネイゲートの目は骨董品の鑑定をするように据わっている。しかし、チャーチルはその視線に気付けていないらしい。

それはネイゲートがチャーチルに悟られないよう、しかし、自然体を崩さずに話を進めているからだろう。

 「もし、かの事件のように何かありましたら、お知恵をお借りしてもよろしいですかな」

 「そうですね。それでご相談があるのですが……」

 「……お聞きしましょう」

ネイゲートは神妙な態度で話を聞くことにする。

 「ありがとうございます。実は、我が息子が魔術の修行に出ると言って旅に出て以来、帰ってこなかったのですがね。先日、我が家に戻って来まして。話を聞いた所、魔術の腕も付けてきたということでした。そこで、今回の事態解決に向けた戦力とする為に、学院の教官として協力させて欲しいのです」

懇願する物言いだが、要は自分の息子を学院の教官として入れろ、ということだ。

 「そうですの……折角のお話ですが、少し考えさせて頂けますかの」

そう返される理由が分からないチャーチルは、愕然とした顔を見せる。

 「……理由をお聞きしても?」

 「うむ。今まで黙っておりましたが、学院から生徒が誘拐され掛けるということが一月前に御座いました」

突然の話にチャーチルが咳き込んだ。

 「……失礼致しました。それで、学生は無事だったのですか?」

 「恥ずかしながら、たまたま近くに居た勇敢な学生達が、誘拐を阻止してくれたようなのです」

話の流れから言えば、一層戦力が欲しいはず。何故、自身の提案を断るかが分からないチャーチルは、心底不思議そうにネイゲートへ尋ねる。

 「……それでは、一層の戦力増強が必要なのでは?」

 「うむ。儂もそう思う。しかし、どうしても気にかかる事があるのじゃ」

ネイゲートの真意を聞くため、チャーチルは相槌を打って話の続きを促す。

 「既に帰宅していた者も多い時間であったことを踏まえても、じゃ。何故、教官や門番が気付けなかったか、じゃ」

 「確かに、ネイゲート殿の言う通りですな」

 「既に帰宅した者や、儂含めて学院に居なかった教官や事務員は除くとしよう。しかし、じゃ。チャーチル卿が入ってきた正門には見張りは立てておったし、学院にも教官が居た事は分かっておる」

間髪入れず、チャーチルが口を挟む。

 「もしや、その教官と門番が学院へ潜入するのを手引きしたのではないでしょうか」

 「無論、当初は儂もそう考えた。だから、その日にいた教官や門番に話を聞いてみたんじゃ。教官から聞いた話では、声を荒げた学生が講堂内に響いたのを不審に思い、中庭へ出た所で学生達が誘拐され掛けた学生を保護した場面に出くわしたそうじゃ。次に門番へ話をしたのじゃが、その日の昼から夜にかけて、正門から誰かが出入りした記録がないのじゃ。では、塀から侵入したのじゃろうかとも考えたが、連中は魔術が使える学生を誘拐したかったようじゃ。人を運ぶのに塀から侵入するのは考え辛いじゃろう」

 「……確かに。しかし、話を聞く限り、その教官と門番が結託して嘘を付いている可能性があるのでは?」

 「門番は事務の男を使って確認させた。じゃが、やはりそんな記録が残っておらん。そもそも門から講堂までは距離があるからの。騒ぎがあったとしても気付かないのは仕方ないと言えば仕方ない。そして、教官も別で話をしたがの。こちらは音が届き辛い部屋に居たようじゃ。これだけ聞けば教官が怪しいと思うじゃろうが、その教官は力作業が向かない教官なのじゃ」

 「恐れながら、その教官が犯行を唆したのではないでしょうか」

 「その可能性はゼロではないが、犯行側が勝手に誘拐を進めるならば学院の事情に詳しい者が横流ししていれば、その場に居らずとも可能じゃろう。頭が痛い話じゃがな」

 「しかし、ネイゲート殿。貴方は貴族派の教官を独断で処断したのでしょう。しかし、また事件が起きたということは、貴方の立場に近い者や賛同する者が行った、ということなのでは?」

挑発的な言葉を放つチャーチルの言葉を聞き、それまで温和な老人を気取っていたネイゲートの視線が、氷のように冷たい視線へ変わる。

 「そうじゃな。お主のような冤罪を積極的に作りに行き、事態の解決はおろか有耶無耶にしようとする人物なぞ、居ても害にしかならん。じゃから、そんな人物に加担した教官を処断しただけじゃ。それが偶々貴族優位を推したい貴族派の教官が多くいた、と言うだけじゃ」

 「…………」

反論出来ないのか、チャーチルは言い返せない。

 「それに、儂が処分したのは事件に関連性があると証拠が出せた者だけじゃ。処罰する対象にならなかった貴族の教官は今もこの学院に居りますよ。貴方方のように冤罪を作っておきながら、旗色が悪くなったら別の貴族に罪を被せるような真似はしたくありませんので。言っておきますが、儂は貴族派の教官であろうとそうでなかろうと、公平に処罰を下したいと考えております」

その視線と冷ややかな声に思わずチャーチルの動きが止まる。そして、頬から薄っすらと冷や汗が垂れていく。

 「──当時につきましては私の早計でした、申し訳ございません。そして、ネイゲート殿であればそのような勢力は全て払っていたもの、と思っておりました故」

その謝罪をどう見たのか、他人が居たら逃げ出したくなるような、痛い程の沈黙が二人の間で流れる。

 「……これ以上は時間の無駄じゃな、話を戻すぞ。どうも、犯行グループは教官や門番の行動を理解した上で動いたように見えたのでな、ならば今は事件に関わり合いの薄い者達から情報を集めつつ、今後の対策を練った方が良い、という判断じゃ」

 「……ネイゲート殿。やはりそれは、この学院内に内通者がいる、と言う事でしょうか」

その意見をネイゲートは肯定する。

 「そんな事情がある故、外部の手を借りる前に少しでも内通者を探し出す必要がある」

 「そう、でしたか。もし、手が足りないようならば言ってください。信頼できる者を呼びますので」

 「それは有難いことです。ですが、既に手は打っておりますので、ご安心を」

 「……流石はネイゲート殿です。私の進言など無用でしたか」

息を吐きながら、チャーチルは残念そうな顔を浮かべる。

 「いえいえ、必要なアドバイスを頂けるのは有難いことです。ところで、一つ質問していいかの?」

 「何でしょうか?」

 「四年前の事件の時、どうしてお主達の一派は、あの儀式について何の確認をしないまま、儂を犯人じゃと決めつけたのじゃ」

痛い所を突かれたのか、チャーチルは苦虫を噛んだような顔を見せる。

 「その節は申し訳ありませんでした。魔術の類の事件であったこと、あの手の魔術を行使できるのは貴方位にしか出来ないものだと、我々の軽率さにその責があります」

ただ、その言い訳もあまり上手とは言えないものだ。

 「魔術の事件であれば儂と断ずるにはあまりに稚拙な判断じゃと思うがな。儂以外の魔術士もいれば、王都にも魔術士がいる。魔術士で良いのならば流れの傭兵を使えばいい話なのじゃから。さて、現場を改めて確認したが、あの手の術式は肉体と魂という生贄を前提とした儀式じゃった。実はその類はの、生贄という媒体と術式さえ知っていれば、使うこと自体は難しくないものじゃ。……さて、問おう。当時、儂はそのような事をしておったかの?」

冷静に尋ねるネイゲートを見て、チャーチルの額に薄っすらと冷や汗が垂れる。

 「……い、いえ」

 「そういえばあの時、儂は知り得なかったが、お主らの傘下にある貴族が人員を募集していたと報告を受けておる。それある貴族の領地に集められたらしいが、ある日を境にその殆どが姿を消したらしいのぅ。その貴族に確認したが、足掛かりの地として貸しただけ、と聞いたので事件の事を聞いても関係なさそうな様子じゃったが……さて、お主らこそ、事件の核心に関わる何かを知っているのではないかの」

 「その時募集をかけた理由ですが新規事業を開拓していた所、当時は廃坑でしたが、新たに鉄や魔鉱石が採掘出来る事が分かった為で御座います。確かに事件の当時、そのような動きはありましたが、犯行に関わるような内容ではございません」

チャーチルを値踏みするように見ながら、ネイゲートは話を続ける。

 「廃坑だった場所を再開発と称して再調査した結果、廃坑の最奥から魔鉱石が取れる事が分かった、か。……そんな場所から流通させるだけの魔鉱石が眠っていた理由と後天的に現れた理由がかなり気になるがの。さて、話を戻させてもらうが、事件に協力する意思は有難いがの、まずは自前の戦力で出来る対策を打っておきたい。それでどうしても戦力が足りない場合は……まずは傭兵として、その戦力をお借り出来れば、と思います」

 「……分かりました。他にも何かあれば、お声を掛けて頂ければ幸いに御座います」

 「うむ、お主の聞いた情報を踏まえて新たに対策を練る必要が出てきたしの。話は変わるが、近年魔獣の発生が多く報告されておるが、お主の方ではどうなのじゃ」

 「実はその件、我々も頭を悩ませております。幸い、傭兵などで対処が出来る範囲ですが、これが長期となると……」

こちらについては同様の悩みを抱えているのか、不安げな様子を見せる。

 「成程、やはりお主の所でも出ておるか。不思議と、南部の方では出ていないというのが気になるが……何が原因なのやら、こちらについても何か分かったら教えてくれると助かる。さて、今日の所はこれで終わりとさせて頂きたいが、宜しいかの」

 「……えぇ、また良い話が出来れば、と思います」

チャーチルが立ち上がり、扉に手を掛ける。

 「……今日はありがとうございました」

 「うむ。チャーチル卿も大変かと思いますが、良い話があれば、またの機会にお願いしよう」

チャーチルが去った後、日の光が部屋の窓から僅かに差し始めた。




うーん、書き方がブレているような気がする。
もっと短期間で書き上げるか、短編形式の方がいいのだろうが……グヌヌ


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影にこそ、その悪意は潜む

 チャーチルが部屋を去り、部屋にはネイゲートが大きくため息を吐いて椅子に深く腰掛ける。

 「もう出てきていいぞ、キョウ」

ドアノブを捻る音と共に、小部屋からキョウが姿を見せる。

 「皮が厚くていいのは魚の皮だけでいいんだがな。闇討ちでもしてこようか?」

 「止めてくれ、その面倒事が表になっていないし、余計なことで疑われたくないわ……ふぅ、奴とは久し振りに話をしたが、話させるだけで此方がイライラしたわ。それでいて、肝心の証拠を出さないのじゃから、蛇のように厄介な男じゃよ」

 「流石にあれは、なぁ。まぁ、何だ。これでも飲んで機嫌を直せ」

キョウが別室で作っていた茶をネイゲートに渡す。

 「おお、気が利くの……うむ、やはりお主の入れる香草の茶は落ち着くの」

 「そりゃどうも、ファリエにも似たようなことを言われたよ」

 「それにしても、そんな技術を何時手にしたのじゃ」

 「あー……何時だったかなぁ。こっちの大陸に来る前……だから十年以上は前、か。ある依頼の報酬代わりに教えて貰ったんだったか。折角だから、出来る時はやっていただけなんだけどな」

 「前から思っておったが、傭兵辞めてもやっていけるんじゃないか、お主」

感心したように呟いたネイゲートだが、キョウはそれに答えない。どころか、自らを嘲笑するような笑みすら見せた。

 「──は、無理に決まっているだろ。探し物も見つかっていない上、俺自身の問題も残っているんだからさ」

 「その探し物、前々から聞いておるが、モノなのか生き物なのかすらも分かっていないのじゃろう。それで、本当に見つかるものなのか。もし、此処に滞在するというのなら、此処の教官を本格的にしてみてはどうじゃ。お主には何かと貸しも借りもあるし、此処なら色々と情報が集まるとは思うが」

 「その申し出は有難いがな」

そう言いながら、キョウは自身の左胸部に片手を添える。

 「ある程度前兆が分かるとは言え、暴走しちまったら時に街に居たとしたことを考えると、な。自由に街に出入り出来る身分の方がやりやすい。それに、お前は四年前に見ているだろう」

 「まぁ、無理には勧めんよ。お主の希望があれば、の話じゃからな」

キョウが断るのを見越していたのか、あっさりと話を切り上げる。

 「マスターから聞いたが、あの場所は今も立ち入り禁止なんだろ。元々人が来る所でも無いが」

気持ちを入れ替えるように、ネイゲートが香草の茶を一気に飲み干した。

 「──さて、本題に戻るが……どう感じた、キョウ?」

 「まぁ、関わりはあるんだろうな。事件についてもある程度知っているようにも聞こえたが」

 「それについては儂も同意じゃ。ただ、気になる事があったんじゃが……チャーチルが話しておった情報、セイピオラから聞いた話と殆ど変わらなかったんじゃが……舐めておるのか?」

ネイゲートの口調に苛立ちが混じる。

 「ああ、それは、な。もうちょっと別の情報あってもいいだろ、と思った位だが」

キョウの話し方に違和感を抱きつつ、ネイゲートは大きくため息をつく。

 「……全く、とんだ時間の無駄じゃった」

 「そうでもないさ。糸を張っただけでも、分かる事はある。いや、もう少し変化加えてくるとは思ったが」

ただ、その違和感は間違っていなかったらしい。

 「先程から、お主の言動が気になるんじゃが、何をしたんじゃ」

 「何だ、ノインから聞いていないのか」

 「何故、此処でノインが出てくるんじゃ」

一つ、小さく息をついてキョウが答える。

 「少し協力して貰ったんだ。あのチャーチルとやらがマスターと同じ話をしていたのは、俺とノインで仕組んだ事だ。まさか、同じ話をして帰るとは思わなかったが」

 「お主、何故隠しておる。儂とお前の仲じゃ、気になる事があれば言えばいいじゃろう」

 「どうせなら、一番身近に接する奴から話させた方がいいだろう」

キョウが何の為にそんな行動をしたのか。そして、ノインがキョウの考えに協力した理由……それに気が付かない程、ネイゲートは耄碌していない。

 「……まさか」

 「おっと、言い過ぎたか。そういう事だから、そっちに関してはノインに聞いてくれ。きっと、その方がいい。さて、講義の前には一度来るからよ、何か話したいことがあったらその時に伝えてくれ」

 「ちょっと待て、キョウ」

ネイゲートの声を聞き、キョウが立ち止まる。

 「アルビーから伝言がある」

 「何だ、そういえば今日は見かけないが体調不良か。鍛え方が足りないんじゃないか」

ネイゲートが首を横に振る。

 「違う。アルビーは此処の教官をしておるが……王都騎士団に名前を残しておってな。今まで言っていなかったが、これはファリエもじゃ。名前を残している以上、定期的な報告が必要なのじゃ。それで何じゃが……明後日から六日程度学院に居ないんじゃ」

その話を全く聞いていなかったのか、驚きのあまりキョウが顎を落とす。

 「…………マジで?」

 「うむ、マジじゃ」

 「じゃあ、姿を見かけなかったのは準備のため、か。今日の講義には出るのか」

 「うむ、明日には出るらしいから来ると思うぞ。最近は色々あって準備が遅れていたようじゃから、荷物の引き取りも兼ねて来る筈じゃ。後で儂の方からも言っておくが、お主からも早めに戻ってくるように言っておいてくれんかの」

体に溜めた空気を全て吐き出すように大きく、大きくため息をついたキョウは、観念したように事実を受け入れた。

 「了解。全く、離れちゃ不味い時期に行かせるものかねえ。ま、そういう職なら仕方ないだろうが。ただ、図ったようなタイミングだな」

 「それは、お主の言う通りじゃ」

 「攻める側で考えたら、強い奴が居ない内に襲った方が効率いいからな。それで、新しい何かは視えたか?」

キョウの問いに答えるように、ネイゲートが深く頷く。

 「うむ、あれは……森じゃったか。数体が走っていたようにも視えた」

 「前は巨大な影とか言っていたような……まぁ、変わることもあるか。ところで、方角や行先は分かるか?」

 「うむ、終わり際に開けた場所に出たからの。森から平原部、恐らくスコラ郊外に出たんじゃと思う」

自然とスコラ郊外へ目線が動く。スコラ郊外、旧砦地区とは正反対に位置する平原。

 「……今度は何を出す気やら。まぁ、分かった。お前が視たならそうなんだろう。因みに、アルビーは最短で何日で戻って来れる?」

 「うむ、片道一日から一日半程度じゃ。そんなに長引く要件ではないからの。急かせば五日程度で戻って来られるじゃろう」

話が終わった、と判断したキョウが席を立つ。

 「分かった。他に何か視たら、教えてくれるか」

 「当然じゃ。講義の後は何時ものように見回りか?」

 「ああ、あの学生達はやたらやる気がある。結構扱いているから、講義が終わる事には殆どの学生が地面に寝っ転がるんだが、あの二人だけは夜の見回りまで出てくるからな。そんな状態で下手に休むと疑われるさ。それに、ウノニュクスのような間者が動けない場を作らないとな」

 「面倒な役割を任せて済まんの」

 「それが仕事だろ。それに、これは前の仕事の後処理だ」

そう言って、キョウは部屋を後にした。

 

 

 陽が沈む頃、街の住宅とは違い、庭や塀がある一際大きな家が並ぶスコラの一角。その家の一角で話をする二人の男がいた。

 「……それで、学院の様子はどうだった」

 「内通者について疑われておりますが、概ね計画通りで御座います。気にされていた例の逃走経路ですが、ネイゲートにはまだ把握されていないようです」

 「そうか。大金払って雇った連中が学生如きに遅れを取る集団とは思わなかったが、それであれば計画は続けられるだろう。それで、何時頃なら動けそうだ」

 「その点なのですが、良い報告が。あの時も我々の邪魔をした騎士教官のアルビーが定期報告の為に明日から学院を離れるようです」

しかし、男の顔色は依然として暗い。それが気になったもう一人の男が問う。

 「その割には難しい顔をしているが」

 「はい。それに合わせてなのか、ネイゲートは代わりの教官を入れたようです。その人物についても探してみたのですが……結局、コンタクトを取ることが出来ませんでした。我々と近しい意見を持つ他の教官から話を聞いてみたのですが……我々と同じ貴族派の教官とは馬が合わないらしく、殆ど話をしていないようでして」

 「……コンタクトを取れなかったのは仕方ないとしよう。話した所で我々の味方にはなり得ない無礼者でしかない。それで、その男は王都の騎士団から引き抜いてきたのか」

 「いえ、それがどうやら単独で動いている冒険者であり、ネイゲート個人の判断で雇った、と聞いております」

その話を聞いた男が、大きな声で笑いだす。

 「ハハハハハハハ、最早ネイゲートはその程度の男しか頼れる相手が居ない、ということか。奴の危機対応力には散々苦労させられたが、流石の奴もとうとう運に見放された、という訳だ」

ただ、余裕を以て笑う男を前にしても、男の表情が暗いままなのが気に入らない。

 「……何だ、何かあるなら言ったらどうだ」

 「はい……実は、その男。あの時の男の可能性がありまして……」

あの時の男という含みのある言葉を理解出来なかった男が、訝し気に眉を顰める。

 「高が一冒険者をそんなに気にする必要があるのか」

 「……只の粗暴な冒険者だったら気にしなかったのですが、白兵戦ではアルビーに近い実力があるようです」

 「うむ……情報が些か足りないから判断が付かんな。因みにその男、騎士科か魔術科か程度は分かるな」

 「騎士科ですね。人伝に聞いた話では、魔術は碌に使えないと言っていたようです」

 「ならば、支障は無いだろう。如何に強い傭兵一人雇った所で高が知れている。仮に密偵を使って、我々や学院内の探りを入れていたとしても、だ。我々の作戦を邪魔する事は出来まい」

 「確かに……その通りです」

 「ああ……くれぐれも私の事や計画については話していないよな?」

視線を恐れてか、チャーチルが体を震わせる。

 「それについては問題ありません。彼から入る情報が今回は手広く入ったので、その辺りと此方の状況を中心に話しましたので」

 「ならばいい。始める前に乗り込まれてしまっては意味がないからな」

 「はい」

 「お主は一度領地に戻った後、予定通りあの場所まで彼らを連れていけ」

 「は、数日ほどかかりますが、宜しいですか」

 「構わん。伝達は置いておく」

チャーチルが一礼して、男の部屋を後にした。

 



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五章 探り合い
学友1


 アルビーが学院を出た翌日、いつものようにファリエは講義を行っていた。

 「……最後に魔法と魔術の違いについて説明します。括りの違い、というのが正しいのですが。魔法は前回も説明した通り、魔力によって起きる現象全般を指します。

それに対して、魔術とはその起きる現象に対して、術者や使用者が指向性を与えることを指します」

帳面にメモを取る学生達を確認しつつ、講義室を見渡していると質問があるのか、学生が手を上げていた。

 「それじゃあ、一般的に言えば違いがないということでしょうか」

 「その通りです。ただ、魔術には細かい分類があります。以前、私が見せたような魔力でカタチを与える魔術が魔想術と呼ばれます。市販されている魔術具などは殆どが魔想術を使っています」

 「それだと、全ての魔術が魔想術なのではないでしょうか」

 「確かにそう思うかもしれません。実際、魔想術から派生した魔術は多いですからね。ただ、神への祈りや信仰を源にする聖術や火や水の力を宿す精霊を扱う精霊術は魔想術には含まれません。

魔想術の一つに治癒に関連する魔術も存在しますが、聖術の方が有効であること、死霊などのモンスターに対して有効な魔術がないことから、大きい村や街にはそのようなモンスターの退治や治癒を専門に行う施設があるのです」

なるほど、と学生達が理解した所を確認していると、講義の終わりを迎える鐘が鳴った。

 「それでは時間となりましたので、本日の講義はここまでとしましょう」

ファリエの声と共に、学生達が次々と講義室を後にする。

数名の学生から質問を受け、それの返答をしている内に、講義室に残ったのはファリエだけになった。一息ついて片付けを終えた時、誰かが講義室に入ってくるのが見えた。学生ではないので、反射程に身構えてしまったが……

 「よぉ、お疲れ」

 「……って、キョウさんでしたか」

 「誰に対して警戒していたんだか。どうせ、ウノニュクス辺りだとは思うが……気分の悪くなる話は辞めとくか。実は、話しておくことがあってな」

キョウが教室と後方を確認する。

 「その話とは?」

 「何、学院の中に連中の協力者が居るから注意しろよってことと、誘拐犯が使っていた抜け道は見つけたぞってことだ」

誰にも見つけられなかった抜け道を発見したと聞いて、思わず目を丸くする。

 「抜け道の対策はネイゲートと話して決める所だから後にするとして、だ。連中の協力者についてだ、分かっているのは二人。教官ではないが、昼の門番。それとウノニュクスだな。

ウノニュクスに関して確証はないが、やたら昼の門番と話をしていたし、間違い無いと思う」

 「ありがとうございます。それにしても、やはりウノニュクスは……」

 「まぁ、予想通りだろ。ただ、奴が中心人物とは思えないが」

キョウの推測はファリエも同じ意見だったらしい。首を縦に振る。

 「それはそうですね。ところで、どうして昼の門番が怪しいと?」

 「俺とネイゲートが酒場の主と知り合いだから、ノインを通じて情報を渡して欲しいと頼んでいたんだ。そうしたら、ノインにやたら昼の門番が絡むようになったと聞いてな……たまたま隠し通路を見つけた朝にノインに会ったから、ノインがカマをかけたんだ」

 「そういうことでしたか……ありがとうございます。その二人と話す時は気を付けますね」

要件を伝えたのでファリエに背中を向けて講義室を後にしようとしていたが、何かを思い出したようにその足を止める。そして、再びファリエの方を向いた。

 「他に何か御用ですか?」

 「大したことじゃあない、というか余計なお節介なんだが……何か抱えていることがあれば、ネイゲートにだけは話した方がいいぞ」

思う所があったからか、ファリエの顔が一瞬だけ固まった。

 「……学院長ですか。確かに私は学院長に師事していた時期はありましたし、魔術の師として信頼していますが……」

 「あ、そうなのか?」

 「……え?」

つまりキョウは、ファリエの師がネイゲートであることを知らない上で、ネイゲートに話した方がいいと言ったのだ。

 「今のはどういう意味ですか?」

そのことは想定外だったのか、キョウが片手で目元を隠す。

 「参ったな、俺もざっくりとしか話せないからな……似たような経歴を持った奴の話を知っている。それでいいか?」

その内容はよく分からないが、話をしてくれるらしい。キョウに促されるまま頷いた。

 「その昔、賢者と呼ばれた者は夢を視たそうだ。避けることの出来ない国難という、そんな凶事を夢で視ることが出来たらしい。

そして、その賢者は国難を乗り越える為、様々な手段を使ったそうだ。当時では有り得なかった、貴族以外に居るとされた魔術士の登用、名が知られた傭兵を騎士と同様の戦力として登用、とある王城に様々な防衛の術式を張り巡らせるなど、な」

 「……それは何時の話でしょうか。そしてそれで、どうなったのでしょうか?」

思わずそう聞いたのは、目の前で話している男が別の人物になったかのような錯覚を覚えたからだ。

 「最初の質問だが、カルセオが建国された前後の話らしい。最も、俺もそれを聞いただけだから、正確さは保証できないがな。

それで、もう一つの質問だが、視えた国難は実際に起きた上、完全には乗り越えることが出来なかったそうだ。それでも、被害は想定されたものよりマシだったらしいが。

恐らくだが、夢で視た凶事は避けることが出来ない……だが、それが分かっていれば変えられる可能性があるってことだ」

何故、話した方がいいかを悟ったファリエはキョウを薄く睨む。

 「……抱えていることを話して、視えるようにしろ、と?」

 「さっきも言ったが、これはただのお節介だ。傭兵として色々見てきたが、やばい時に一人で根詰めた所で碌な結果にならないのが相場なんでな。ただ、視えたことで出来る対策……というのもあるだろう」

これが学院長に関係していることは事実なのだろう。そうしてふと考えを巡らそうとして、気付く。

 「待ってください。それでは、四年前に貴方が学院長へ協力していたことと、今、貴方が此処に居るのは……」

確信すらあった問いをぶつけた所、キョウが徐に顔を逸らした。

 「さぁ、俺はネイゲートではないからな。その辺は分からないさ。ただ、俺を呼ぶのを決めたのは最近らしいぞ。それが何を意味するかは何となくしか分からないさ。ま、案外言わなくても何とかなる気はするがな。戦力的にも戦略的にもな。

あーあ、全くネイゲートと付き合いが長いからか、俺まで老けちまったみたいだ」

自分に対して呆れたのか、わざとらしく手の平を上に向けてため息をつく。

 「フフフ、そうかもしれませんね。少し、気が楽になりました……おや?」

誰かが走っているのらしい、軽快な音が講堂から響いてくる。

 「あ、あれ。ファリエ教官まだいらっしゃったんですか。あ、そうだ。カメリアは何時戻ってきますか?」

 「あら、チェリカですか。実は先日話を聞きまして……2日後には戻ってくるそうですよ」

 「ああ、やっと戻ってくるんですね……」

ふと視線を外したチェリカがキョウに気付く。

 「え、噂の冷徹教官……ですか?」

 「可笑しいな、そこまで言われる覚えは無いんだが」

覚えがないと言わんばかりの表情を見せるキョウに、チェリカは若干引いた顔をする。

その僅かの間にキョウとファリエは視線を合わせ、ファリエが一つ頷いた。

 「キョウさん、あれは騎士科の学生だけではなく、魔術科の学生からも言われるだけはあると思います。それはそうとチェリカ、講義中に堂々と余所見をしていた発言は如何なものかと」

ファリエ教官からフォローが入ったかと思いきや、まさかの方向へ話が向いたため、チェリカが慌てて弁明する。

 「え、や。これは……カメリアからベルーの様子を伝える為にですね……」

 「冗談です、新しく入った教官がどんな人物かは気になりますからね。私も詳しくは知らないのですが……この人、最近は貴族の教官から当たりが強いらしいですよ」

 「威張り散らしているだけの教官なんて、いないのと変わらないだろ。一回、実力行使で黙らせたんだが……全く、小細工だけは達者な奴らだよ。全く、教官とか言っておきながら、自身は下っ腹を蓄えているだけの連中なのによ。

おまけに、指示すら碌に出来ないんだ。それなら、モンスターの餌代わりにして痩せさせればいいんじゃないか。きっと、いい見世物になるぞ」

ファリエの他に教官が居ないからか、キョウが辛辣な発言をする。その発言に思わず、ファリエが噴き出した。

 「フフフフフ……確かに、それは面白そうです」

一方で、貴族の教官や学生が居る中で、問題とも言える発言をあっさり言うキョウを見て、チェリカが真顔になる。

 「チェリカだったか。何か可笑しなことを言ったか?」

尚も、何とも思っていない態度を見て、チェリカは同意を求めるようにファリエの方を向く。

 「……キョウ、教官はいつもこんな感じなのですか?」

 「ええ。他の教官とは色んな意味で違って、飽きませんよ?」

ファリエの言い方に引っ掛かったキョウが訝し気な視線を向ける。

 「ファリエ教官、俺は観賞用の動物か?」

 「そういう訳では無いのですが……そう。見ていて為になる、と思っていますよ」

結局、柔らかい笑みを見せたものの、キョウの問いを否定しなかった。

 「まぁいいけどよ……って、やっべ。そろそろ講義の準備をしないと。とりあえず、ファリエ教官。要件は伝えたからな」

 「ええ、わざわざありがとうございます」

最後に、キョウは講義のない学生は早めに帰るんだぞ、と声を掛けて講義室を後にした。

 「初めて顔を見ましたが……あの人がアルビーさんの不在を補う教官ですか。ラザリーとベルーから話は聞いていましたが、何処からあんな人を見つけてきたんですか?」

 「私も詳しいことは知らないのですが、学院長とは旧知の仲だそうで」

学院長、という言葉が出たので思わず目を見開く。

 「え、あの人、学院長の知り合いなのですか。やっば、失礼なことを言っちゃった?」

 「そんなこと気にしないと思いますよ。それよりも、ふんぞり返っている貴族の教官の方を余程嫌っているみたいですし」

先程の発言を思い返せば、納得しかない。

 「あー……だから、ファリエさんにとって、話しやすいのですね……って、そうだ。忘れ物!」

チェリカが向かった先から取り出したのは……

 「それは?」

 「講義のメモを書いた帳面です。カメリアの分ですけど」

 「チェリカは口では色々と言いますが、優しいですね」

顔を一度赤くするも、思う事があるのか、その表情は暗い。

 「……大丈夫、ですよね。カメリアが戻ってきても」

カメリアが誘拐されるようなことがまたあれば、今度こそ戻って来られないかもしれない。そんな不安がチェリカの顔に表れていた。

 「…………」

ファリエは短い時間ながら、チェリカにどう安心させようかと考えを巡らせる。

 「先程のキョウ教官がこの学院に入ったのはその為だと聞いています。だから、チェリカは心配しなくてもいいですからね」

 「……はい」

そう言ってみたものの、チェリカの不安は払拭されていないのが表情から分かってしまう。

 「…………」

チェリカの友人であるカメリアは当事者とも言えるが、話せる内容でもない。

 「……分かりました。言えないんですよ、ね?」

不意を突くように呟かれた声に、思わず視線を逸らしてしまう。

 「……もし」

 「……」

 「もし、私に出来ることがあったら言って下さい。カメリアをあんな目に遭わせたくないので」

強い意志が宿ったその眼を、ファリエは無下にはぐらかすことが出来なかった。

 「……どうしても、手が足りなくなった時は、ね?」

 「はい、ありがとうございます」

その返事をどう捉えたかは分からないが、チェリカは一礼して講義室を後にした。



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学友2

GWなので、時間が取れた次第……投稿できそうなので投稿します。

次回は普段通り1ヶ月くらい先になると思います。


 夜、人通りの無い講堂をいつものように見回りしているキョウ、ベルー、ラザリー。一通り確認した所で解散させようとした時、ラザリーが疑念を含んだ声でキョウへ問う。

 「よし、今日はこれで終わりだな。二人共帰っていいぞ」

だが、ラザリーとベルーは立ち止まったままだ。

 「……何時まで同じことをするつもりですか」

 「何を言っている、何かが起きないようにする為の見回りだろう」

 「誤魔化さないで下さい」

 「そろそろ、本当のことを話してくれませんか。キョウ教官」

ベルーとラザリーの二人が、改まった様子でキョウを見据える。

 「もう、隠し通路は見つけているのでしょう?」

 「おいおい、何を言っているんだ。それも見つける為にこうして見回りをしながら、毎日一緒に探しているじゃないか」

 「事実だけ話すならその通りですが……その隠し通路を見つける部分だけ進展が無いのは何故ですか?」

ラザリーの言葉に付け足すように、ベルーも口を開く。

 「私もラザリーも教官に会ってから日が短いです。ですが、教官なら直ぐに別の手段を探し、動くと思うのです。この数日でも色々驚かされました。音が響き易い講堂でもなるべく音を消して歩く方法、視界に入らずとも人の気配を察する人なんて、今まで見たことも聞いたことも無かったので」

 「おいおい、買い被り過ぎだぞ」

キョウはそう言いながらも、感心した様子で二人を見る。

 「本当にそうでしょうか。他の教官から聞きましたが、キョウ教官は学院長に直接雇われたのだとか」

 「まぁ、此処に来る前に知っていた奴なんてネイゲート以外、居ないからな」

 「であれば、意味が違います」

引っ掛かる物言いをしたベルーへ顔を向ける。

 「これはキョウ教官が学院へ来る前に二人で見回りをしていた時に、他の教官から聞いた話なのですが……数年前にも似たような事件が起きたそうです」

 「……へぇ、昔もそんな事件が遭ったのか。大丈夫なのか、この学院は」

実は当事者なのだが、彼らに言ったら余計な面倒を招くだろう、とキョウは知らない振りをする。

 「私も詳しくは知りませんが、貴族の教官がその事件に関わっていたとかで学院長自らが対応したらしいです。その時の影響からか、学院長は信頼の置ける教官にしか頼みごとをしない、と聞きました」

 「………………」

その事件に心当たりしか無いキョウは、彼らに気付かれないように渋っ面を浮かべる。

 「それ、誰から聞いたんだ。と言うか、俺に話してよかったのか?」

 「……別の教官達が屯している時の会話が聞こえまして」

その教官達に対して、本格的に呆れたキョウは盛大にため息をついた。

 「おいおい。聞いてしまったものは仕方ないが、そんな話は広めない方がいいぞ。面倒に巻き込まれるからな」

 「既にこの状況が面倒事だと思いますが」

最もなツッコミが入り、返答に詰まる。

 「ま、まぁそれは間違いないな。間違いないが、余計な事に突っ込み過ぎると、痛い目に遭うのが相場だぞ。適度な所で……」

窘めるつもりで声を掛けたキョウだったが、二人の雰囲気が硬くなったことに気付く。

 「……どうした。退けない理由でもあるのか?」

 「……はい。どうしても退きたくないのです」

 「俺も、ベルーと同じです」

その意志は固く、余程の事が無いと退きそうにない確信があった。片手を額に添えて、困ったようにため息をつく。

 「全く、仕方ないな。あまり聞きたくないんだが、聞くしか無さそうだ。が、場所を変えよう」

 「此処ではないんですか?」

キョウは首を横に振る。

 「最近は面倒なことが増えているから他の教官もピリピリしているんだ。仮に、他の教官に見つかったら面倒なことになるだろう」

納得したのか、二人が同時に頷いた。

 「それならよ。大したものは出せないが、俺が寝泊りしている部屋で話を聞こう。そこなら、他の教官も寄り付かないだろ。特に噂話をしているような教官なんかは居ないからな」

 「分かりました。ラザリーもそれでいい?」

 「いいけど……この時間だと裏側からこっそり戻ろうにも、寮母のおばちゃんに見つかりそうだな?」

同様の問題に気が付いたベルーも口を大きく開けて声を漏らす。

 「なら、入り口から入ればいい。何せ合鍵を持っているからな。そこで見つからなければどうにでもなるさ」

 

 月が天頂へ登り切った頃、ある一室に学生が二人座っていた。

 「流れで上がらせて貰ったけど……」

 「あぁ」

その二人の視線は、ある一点に向けられていた。

 「あれ……キョウ教官の武器、のはずだよな……持てるか?」

 「まさか……祭事用、だよな?」

二人がそれの存在に気を取られていると、部屋の主であるキョウが戻ってきた。

 「大したものではないが、これでも飲んでおけ」

 「あ、ありがとうございます」

 「わざわざすみません」

そうしてキョウが渡したのは、湯気が立っている緑色の液体。受け取った二人は、紅茶ではない香りを気にしつつ、口をつける。

 「ちょっと癖がありますが、意外に飲めるものですね。これ、何のお茶ですか?」

 「ああ、香草の茶だ。飲むと喉がスッキリするだろう」

 「確かに……ただ、好き嫌いが出そうですね」

ラザリーは特に気にした様子もなく飲むが、ベルーは慣れない味に少し戸惑いがあるようだ。

 「確かに、癖があるからな。ファリエから聞いたが、魔術用の香草は香りが強くて飲用にはならないらしいな。ああ、別に無理して飲む必要は無いからな」

 「これ位の香りなら、慣れれば大丈夫です」

飲めない訳ではないからか、

 「そうか……じゃあ、飲みながらでいい」

一つ息をついて、キョウが二人へ問う。

 「お前達はどうして、この問題に固執する。ただの学生だろう、お前達は」

その質問に対して、やや間を置いてベルーが答える。

 「……俺達が、この事件の当事者だからです」

 「当事者だからと言って、無理に関わる必要はないんだぞ。俺もまだ誘拐犯達を見た訳じゃないが……恐らく、目的の為ならあらゆる手を尽くしてくる相手だ。それこそ、邪魔をする奴は容赦無く殺すだろう。そんな奴らが相手に関わるなど、無謀だと思うが」

教官という立場から二人を諭してみるが、その眼から簡単に諦める様子は見えなかった。

 「それでもです。それでも……」

ラザリーがベルーへ目を向ける。

 「カメリアが、カメリアが学院に戻ってきても、問題なく過ごせるようにしたいんです」

 「そのカメリアに何が……あぁ、そういうことか」

唐突に出てきたカメリアという人物に心当たりが無かったキョウだったが、二人の経緯や、ファリエへ言伝をしにいった時に話した内容を思い出す。

 「攫われかかった魔術科の学生は、元々お前達の友人だったのか」

 「騎士科の学生じゃないから知らないと思っていましたが、知っていたんですね。はい、僕達の幼馴染がもう直ぐ休校期間を終えて学院に戻ってくるんです。ですから、戻ってくる前に解決したかったのです」

そう言って、ベルーが暗い顔を浮かべる。

 「どうした。もうじき戻ってくるのなら、嬉しいことじゃないのか?」

尚も表情が暗いベルーは、一度ラザリーと視線を合わせる。

 「……今から話すこと、誰にも言わないでくれませんか?」

二人がキョウへ視線を合わせる。

 「いいぞ、俺には他の教官に言う義理もないからな」

 「……ありがとうございます。実は、俺達の幼馴染でもあるカメリアは、誘拐されかけたことで精神的に塞ぎ込んでしまいました。手紙などで状況を聞いているのですが、近くに知り合いが居ないと体が震えることもあると聞いて……」

ベルーが悔しそうに両手を握りしめる。

 「なるほど、そりゃあ言い辛い。その状況だと、学院に戻ったところで一人だと学業どころじゃないような……」

 「はい。更に、学院に戻ってもその事件が解決していないことを知ると、きっと不安を抱えると思ったから……だから、どうしても何とかしたかったんです」

 「それはお前もか、ラザリー」

ラザリーが頷く。

 「あいつが戻ってきても、普通に過ごせるようにしたいのは俺も同じです。あの時は二人で打ち合いをしていたから、偶々武器を持っていた。そして、相手が武器を持っていなかったから何とかなった。けど、次がそうとは限らない。だから、自分たちでも出来ることをするんです」

ラザリーとベルーが真っ直ぐとキョウを見据える。強い意志を持った強い目だった。

 「全く……困った奴らだ」

キョウが困ったように頭を掻く。そうして息を整えた後、二人へ問う。

 「分かった。簡単に退きそうにないことはよく分かった。その上で聞こう。

それを解決するためにお前たちは……知らない誰かを殺せるか?」

キョウの冷たくも強い眼を見て、二人が肩を震わせる。

 「……そ、それは」

 「……」

ラザリーは何かを堪えるように両手を強く握りしめ、ベルーは痛い所を突かれたように狼狽する。

 「……それでいい。もし、あると即答したら、本気でぶん殴っていた」

 「「え」」

二人の冷や汗交じりの声が重なる。数人掛かりで手合いを挑まれた時でさえ、加減していたと自称した教官だ。本気で殴られたら体に風穴が開くかもしれない。そんな物騒な光景が頭を過ったのか、二人して冷や汗が垂れる。

 「お前達にとっては残念かもしれないが、例の通路の開け方を教えることは出来ない。それは、一番危険な部分はお前にこそ頼みたい、と依頼を請ける前にネイゲートから言われているからだ」

これ以上は関われない、と感じてがっくりと肩を落とした二人だが、キョウの話は終わっていなかった。

 「ただ、困ったことに……信頼できる面子が少ないのが直近の大問題でな。他の教官も協力の姿勢はあるんだが……どうも、貴族の立場を優位にしたい教官達はそうでも無いらしい。何の後ろ盾があるかは分からんが、そんな事情で人手が足りないというのが事実だ」

 「え?」

 「どうして、そんな事を?」

二人が反応したことを受けて、続きを話す。

 「俺が危険な所へ行く……それは織り込み済みだ、以前もそんな感じだったからな。しかし、だ。アルビーが学院を離れた今、何かが起こった時に対処が出来るよう、見張りが欲しいと思っていた。勿論、他の教官も協力はしてくれるようだが、騎士科のトップがガチガチの貴族派らしく、ネイゲートのことも良く思っていないとか」

 「あー、確かに」

 「そう言えば、まだあの人でしたね」

二人の反応から見るに、評判が良くない事を再確認したキョウが話を続ける。

 「俺はそいつを詳しく知る気も無いがな。飽くまでネイゲートに雇われた身だ。従えたきゃ負かせてみろ、って話だ。それが出来ないから嫌がらせをするんだけどな、あいつら。

……おっと、話が逸れたな。まぁ、そんな訳で協力してくれる教官もいるんだが、そいつの目があるから、ネイゲートの指示ありきになってしまうんだ」

 「じゃあ、俺達にも何か出来ることがありますか」

ラザリーの質問に、キョウが頷いた。

 「表立った所ではないが、協力できることはあるとはずだ」

キョウは信頼できる面子としてベルーとラザリーが頭数に入っているらしい。

 「やります」

 「やらせて下さい」

故に、二人は迷わずに答えを返す。

 「それは有難いが……もしかしたら、敵とはいえど人と斬り合いになる可能性がある。それでもやるのか?」

キョウが試すように二人へ問う。しかし、二人の意志は固い。

 「斬り合いならば、前回もやっています」

 「今更、聞かれるまでもありません」

その眼に、迷いはない。

 「いいだろう。さっきも言ったが、人手が欲しいとは思っていた。危険ではない範囲で動けるような、それでいて疑われない立場にいるな」

内心でネイゲートに詫びつつも、キョウは二人を巻き込むことに決めた。

 「とはいえど、今日はもう遅い。体を休める時はしっかり休めておくべきだ。細かいことは明日以降、話をしよう」

これから詳細を話すものだと思っていた二人は肩透かしを食らう。

 「あ、あれ。これから話すんじゃ……」

 「変に頭が起きて眠れなかったら、明日の講義に響くだろ。お前達は学生だ。飽くまで講義優先だ、いいな」

それが最もな意見だったため、それを二人は受け入れた。

 「分かりました……あ、そうだ。帰る前に一つだけいいですか、教官?」

ベルーが部屋のある部分へ目を向ける。

 「あれ……何ですか?」

ラザリーと同じことを思っていたベルーが、首を縦に振る。

 「ああ、俺の武器だが」

 「……え?」

 「いや、めちゃくちゃ重そうなんですけど」

それは、大人二人分程の長さがある黒い大身槍。

 「まぁ、重いし取り回しも悪い。だが、遭うまでは持っておかないといけないからな」

 「何故、持っていなければいけないんですか?」

当然の疑問をしたものの、キョウにとってあまり話したくない事柄らしい。

 「色々あるんだよ。珍しい例だとは思うが、放浪生活が長いとそんな巡り合わせもあるもんだ。ほら、もう遅いんだからさっさと休みな」

話は終わった、と言わんばかりに部屋に戻るよう催促する。

 「分かりました。明日からもお願いします」

 「失礼します。教官」

そうして、二人はキョウが寝泊りしている部屋を後にした。

 



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己の在処

 翌日、修練用の武具を持ちながらキョウが講義の場所に向かって歩いていると、それを邪魔するように数人の教官が顔を見せる。

 「少し良いですかな、キョウ教官」

 「講義の時間が近いので手短して頂けると助かりますが……一体、何の御用でしょうか」

普段は交流のない教官達だったため、比較的丁寧に返したキョウだったが……

 「何、アルビー教官の代理を降りてもらいたいと思いましてね」

その教官からあまりに自分勝手な要望を出されたため、その教官達の話を聞く気が失せてしまった。

 「それ、アルビーに確認したのか?」

思わず、丁寧に話すことすら止めてしまう程に。

 「ええ、本人も了承しておりますよ」

 「その証拠はあるのか?」

大方、普段の嫌がらせであることを理解したキョウは、丁寧に接する必要がないと態度を改める。

 「何故、貴方相手にそんなことを言う必要が?」

段々と相手にすることがアホらしくなったキョウは、教官ではなく校庭に集まりつつある学生を見る。

 「そもそも、本人が居ないタイミングで言ってくるような奴の妄言なんて信じられんだろ。只でさえ、お前たちの鍛え方が甘過ぎる、とアルビー自身が言っていたんだぞ」

 「その発言、初めてお聞きしたのですが、本当にアルビー教官が言っていたのですか?」

 「ああ、これは飽くまで騎士の訓練と比べて言っているかもしれないが。まぁ、その辺りは本人に確認してくれ。講義の時間も近いから、手前勝手な苦情は後にして欲しい」

相手にする事すら疲れそうだったのでテキトウに話を切り上げようとしたが、尚もその教官らは食い下がる。

 「キョウ教官、貴方は学院での立場が分かっていないようだ」

目配せをすると、キョウが通れないように道を塞いでしまう。それを見て呆れたように肩を落とす。

 「どうでもいいな。それに、学院ではなく、お前たちの都合だろう。さっきも言ったが、アルビーが居る時にもう一度言って貰えないか。本人がいない時に言うってことは、面と併せて言えないからなんだろ。なら、そんな話を真面目に聞く必要もない」

キョウの言葉に何名かが問い詰めようとしたが、それを先頭に立つ男が諫める。

 「随分と言ってくれますな。我々はこの国の騎士を育てる教育機関の者として、勤めを果たしているのですが……その点、貴方はどうだ。この国の出身ですらない者がこの神聖な場所に足を踏み入れるなど、本来あってはならないことです」

同調するように、取り巻きの教官が賛同する。その中には、夜の見回り時に遭遇したウノニュクスもいた。

 「まぁ、お前の言う事に一理はあるな。確かに俺はこの国どころか、出身が大陸から違う。切っ掛けが無かったら縁の無い場所だろう。だが、それでも。

それでもネイゲートは俺を雇った。お前らが都合のいい妄言を俺に言うのは勝手だが、それは間接的にあいつを貶しているんじゃないのか?」

 「いえいえ、学院長の魔術の腕はこの国随一の実力です。その腕を誰が貶す必要がありましょうか。私達が言いたいのは、学院長に恥を掻かせる前に立場を弁えた方がいい、と言う事です」

フォローの言葉すら浮かばない程に呆れたキョウが、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる男達へ呆れたように言葉を零す。

 「……全く、ネイゲートが俺に助力を求める訳だ。自己保身しか考えない教官共がゴブリンのように群れているんだからよ」

あまりの言い草に何人かの教官からは額に血管が浮き出し始めていたが、キョウの言葉はまだ続く。

 「こう言っていて思ったんだが、お前達……お零れとして学院に拾ってもらった落ちこぼれなんじゃないのか。そりゃあ、優秀な学生を作れない訳だ。

一つ言っておくと、お前達が思っている以上に傭兵稼業は楽じゃないぞ。もし、俺が同じチームの頭だったら、お前達のような奴らは適当な所でモンスターの餌にでもするぜ」

モンスターの餌、と聞いて教官達が一斉に息を呑む。

 「そんなだから、最近起きているモンスターの異常発生にも関われないんだよ、お前達は。……お前達こそ、その態度を改めた方がいいのでは?」

じゃ、俺は講義があるんで、と道を塞ぐ彼らとは逆方向に歩き出し、階段を下りて行った。

 「……あの放浪男め、学院長に気に入られているから、と。気に入らないな……」

あまりの発言に怒鳴り散らそうとした教官達だったが、周囲を考えて何とか声を荒げることは抑えたようだ。しかし、その口調には苛立ちと隠し切れない怒気があった。

 「どうしますか、このままでは我々の立場も……駄目元で学院長に言ってみましょうか。既に彼の講義を受けている貴族出身の学生から苦情が出ているようなので」

 「…………うむ、今すぐ奴を斬りつけたいが……まずは、それで様子を見るとしよう」

先頭に立っていた男が、キョウを憎悪すら含んだ目でその背中を追っていた。

 

 

 キョウがいつも通り学生達をしごいた後、学院の見回りに行く前にネイゲートの元へ訪れた時、扉を開けてから早々にネイゲートが呆れたように声を掛ける。

 「キョウ、他の教官から苦情が来たんだが、何か言ったのか?」

 「ようやくそっちにも話がいったのか。遅くねぇか」

呆れたように椅子に座り、アホらしいと言わんばかりに欠伸をするだけだ。

 「その反応を聞くと、前々から言われていたように聞こえるのだが」

 「ああ、初日に雑な挨拶をしたおかげか、貴族主義の連中から嫌味は毎日のように言われていたぞ。ま、そんな事言う奴は只の暇人だ。放っておけ」

 「全く、お主という奴は……」

貴族主義の教官とキョウがどんなやり取りをしていたかが容易に想像出来たネイゲートは、疲労の溜まった顔を見せる。

 「だが、予想できただろ。ふんぞり返っているだけの奴を俺が嫌いな事くらい」

 「まぁ、のぅ」

 「そもそも、売られた喧嘩を買っただけだ。何しろアルビーが居ない時に動く程度の、そこら辺の野盗のようなせこい仕掛けしかしない奴らだ。まともな受け答えをする方が阿呆らしい」

あまりの言い草に、苦笑いを浮かべるしかない。

 「そこまで言い切らなくても良い気がするのじゃが……怪我人は出していないじゃろうな」

 「その辺は加減しているぞ、今日は口で黙らせたがな。そいつら以外にも何人か手合いを申し込む教官がいたから付き合ったこともある。まぁ、アルビーほど強い教官は早々いないみたいだが」

 「そうで無くては困る。アルビーは現役の、それもこの国でも有数の騎士じゃぞ。他の教官は退役したり、怪我を負ったりと様々な事情があるからのぅ」

キョウが納得したのか、二度、三度首を縦に振る。

 「なるほど、通りでアルビーが強い訳だ。ちょっと経験が少ない気もするが……それでも、サシで負けたのは久し振りだったよ」

 「うむ……如何に冒険者で戦力を補うことが出来た所で、自前の国力が無いと有事に対応出来ないからの」

 「全くだな。所詮、戦力としての傭兵は一時的なんだが、それが分からない冒険者も多いんだよな。

以前マスターから聞いた話だと、ある依頼を終えた後にそのまま雇うか雇わないかで揉めたってのもあったな、大して役に立っていないのに言い出したんだとか。結局、そのパーティは出禁になったらしい」

 「ほぅ、そんな話もあるんじゃな……」

中々酷い話に、ネイゲートも思わず返答に詰まってしまう。

 「で、そんな奴らに限って横暴だからな。ちょっと頼まれて黙らせたこともある。ああいうのは沢山いるから、マスターにとっても、俺みたいな傭兵にも頭が痛い話だ」

 「お主もお主で悩むことがあるんじゃな。ちょっと意外じゃった。

……そう言えばお主、傭兵と冒険者を頑なに言い分けるが、何か理由でもあるのか?」

大したことではないが、気になってしまったので尋ねてみた所、キョウは明後日の方向をぼんやりと向く。

 「意味は大して変わらないんだけどな……個人的な理由で言い分けているだけだ」

 「何じゃそら」

 「強いて言うなら約束がある、果たしていない約束が。それが終わるまでは、簡単にくたばるつもりは無いってところだ」

 「ああ、もしやそれは……」

その約束に思い当たることがネイゲートにはあるらしい、意味深に頷くだけだった。

 「そうか。変な質問をしたの。……話は変わるが、お主に言い寄っていた教官の名前は?」

 「個人的な理由で言い分けているだけだ、お前が気にする必要はない。

それで、俺なんかに言い寄っていた教官だな。残念だが、貴族の教官ってことしか覚えていないぞ」

 「まぁ、そんな気はしていた」

念のために聞いてみたものの、ある意味で予想通りの回答だった。

 「あー……ただ、お前と似た立場の教官はいなかったこととウノニュクスがいたことは覚えている。あいつ、俺には見えないように立とうとしていたが、横が広いからどう足掻いてもバレるんだよな。せめて堂々と立てよ、と思ったが」

キョウからこれ以上聞くのは時間の無駄と判断し、別の質問をしてみる。

 「……そうか。では、お主が手合いしてお主を認めた者はどうじゃ」

 「ああ、庶民出身の元騎士が三人、貴族でも実力主義らしい教官とも数人手合いをしたが、終えた後は態度がまるで変わったな。今では、時間が空いた時に稽古して欲しいと言われるくらいだ。そういうのは嫌いじゃないから、時間が空いていたら受けるようにしているな」

意外な話に、思わず興味が湧く。

 「ほう、他の教官とはそれなりに交流を取っておるようだな」

 「一人になる前はメンバーとよく手合わせをしていたからな、懐かしくもあったよ。そもそも、些細でも交流をしていなかったら、俺はここにいないだろ」

 「確かにのう」

 「折角だから学院の事を、俺からはモンスターを倒すコツとかを話しながらだがな。困ったことと言えば、指名手配の件か、事件について覚えている教官を早々に炙り出しをしたかったからとはいえ、名前が分からないことか」

キョウが困ったように、片手を頭に添える。

 「おいおい、同じ学院にいるんじゃから覚えてやってくれ。てっきり儂はアルビーやファリエ、ノイン、ダット以外と話さないと思っていたが……そうでもないんじゃな」

 「いやいや、必要があったから雑な対応をしたが、そればかりで傭兵を続けられるか。よっぽどの依頼じゃない限り、こっちから剣を出したりはしないぞ……って、何か言いたそうな眼だな」

視線に気付かれたので、思ったことを隠さずにキョウへぶつけることにする。

 「……それ、そんな依頼が昔は多かったって事じゃよな」

 「ああ、そうだぞ。人の欲ほど恐ろしいものは早々無いからな」

何の動揺も、躊躇いもなくキョウは言い切った。それが頼もしくも、哀しくもある。そんなことを表情には出さないように、小さくため息をついた。

 「まぁ、今更だ。過去は誰にも変えられねえさ……そうだ。モンスターの異常発生はどうなっているんだ」

 「変わらんよ。他の地域でも出撃が相次いでいる。まぁ、ペースが少し落ちたらしいがの。多少の余裕が出てきたようじゃが……油断は出来ない状況じゃ。聞いた報告じゃと、出てきたモンスターは元々生息しているものばかりじゃったらしいぞ」

 「そうか。状況に変わりはない、か」

そう、キョウの言う通り、何も進展していない。それが大きな課題だった。

 「うむ。困ったことにこの噂が学内にも広まりつつあるようじゃ。そもそも、隠し通せるとはそもそも思ってなかったが。そういう状況じゃから何とかしたいんじゃが、発生要因が分かっていないのがのぅ……」

 「一つ気になったんだが……いいか?」

先が気になったネイゲートが、続きを促す。

 「モンスターの発生原因だが、召喚されていることも視野に入れた方がいい」

 「何じゃと、モンスターを眷属として召喚している、とでも言うのか?」

有り得る話だが、そんな組織的にモンスターが動くのだろうか。そんな疑問からキョウへ再度問う。

 「ぶっちゃけ勘だ。ただ、長期間モンスターの討伐をしていたら数が少なくなるはずなんだが……実際の所はどうだ。在来のモンスターばかりとは言え、長引いていることに違和感はないか」

 「それは儂も気になっておった……じゃが、誰がそんなことを?」

 「知るか。一部を除くとは言え、国全体にそんなことが出来る奴なんて殆どいないがな。……だからこそ、拠点があるはずだ」

拠点、そう言われてキョウの意図に気付く。

 「そういうことか。召喚場所を探ってみろ、と」

 「それだったら、状況と合致する。眷属召喚なのか、魔術陣による召喚なのかは分からないが、な」

 「取り急ぎ、解決する方が優先じゃからな。なるほど、王都の方にも伝えておこう」

気になることも片付いたのか、キョウが立ちあがった。

 「それじゃあ、いつも通り見回り行ってくるわ……そういえば、何か視えたか?」

 「いや、まだじゃ。しかし、アルビーがエレインに向かっただけなのに妙な胸騒ぎがする。やはり、何か起きそうじゃ」

 「分かった。侵入されていないか位はしっかり見ておくとしよう。そっちも何か視えたら直ぐに教えてくれ」

 「分かっておる。それでは頼んだぞ」

 

 

 夜も深い頃、スコラの外れで何人かの男たちが灯りを頼りにしながら、地面に刻んだ何かを確認していた。

 「よし、これで陣は問題ない筈だ。後は起動させる魔力と生贄を用意すれば……我々の仕事は終わりだ。後は勝手に獣共がスコラの街を弱らせるだろう」

どうやら、遅い時間にも関わらず魔術陣の確認を行っていたようだ。夜も遅い時間、それも周囲が木々に囲まれた場所でやる必要があるらしい。

 「しかし、今回もまたとんでもないな。こんな大規模にやる必要あるか、これ?」

 「ここに主が居ないとはいえ、言葉には気を付けろよ」

この集団、別の誰かに雇われているようだ。

 「はいはい。ただ、最近はモンスターの襲撃が多いとはいえ、これは不自然過ぎるだろ。全く、スコラを滅ぼす気なんじゃないのか、お頭はどう思います?」

 「そうでもしないと、あの学院にいる賢者に勝てないという判断だろう」

 「ま、そんなところか。それにしてもこの仕事……本当に大丈夫かねぇ」

何か思う所があるのか、男がぼやくように口にする。

 「前回は一体しか用意しなかった為に失敗したが……今度こそ失敗は許されん。そもそもこの依頼、我々は結果が分かるまで逃げることも赦されていないのだ。気を引き締めろよ」

 「分かっていますよ。だからこそ、前回から場所を変え、より確実に強襲できる体制を作ったんだ……それにしても、逃げられない依頼というのも面倒臭いな」

 「それについては同感だ。それでも、逃げる準備は最低限整えておけよ」

 「分かっていますよ。それにしても、お頭は何をそんなに警戒しているんですかい?」

お頭は依頼の是非に関わらず、別の何かを警戒していることが気がかりだった。

 「万が一だ。万が一あの時の男が戻っていた場合、この作戦が成功するかが私にも分からない」

 「あの時の男……それって、まさか」

男も、お頭が警戒する人物に心辺りがあったのか、僅かに手が震え出した。

 「ああ、かつて我々が召喚した悪魔を一撃で葬った……依頼者殺し、だ」



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再会

 翌日の夕日が見える頃、休学していた学生が戻って来ると知らせを聞いたチェリカが、その学生を迎えに正門の前で待機していた。そういて待つこと暫くして、街の方から歩いてくる見慣れた人物が姿を見せた。

 「……カメリア。やっと戻ってきたね」

 「う、うん……」

正門から学院に入った二人は、寮に行かずに講堂へ入る。学院に入った後で出来た友人であるカメリアは、以前と変わらない学院の風景に安心しつつも不安を隠せないらしい。少し、顔が沈んでいる。

 「大丈夫だって。前回はラザリーとベルーが助けてくれたんでしょ。それにあの二人、新しく来た教官の元でかなり鍛えているらしいから安心しなって」

 「そ、そう、なんだ」

誘拐事件に巻き込まれてしまったからか、最後に会った時よりも塞ぎ込み易くなった友人を気の毒に思う。

 「……全く、そんな不安な顔をするくらいなら、二人に顔を見せて来なさい。一緒に行ってあげるから」

 「……うん。ありがとう」

だから、この友人が落ち着くまではなるべく近くにいようと考えていた。

 「あ、忘れない内に聞きたいんだけど、休んでいた間の講義についてだけど……」

ただ、真面目な気質は変わっていなかったらしい。

 「他の講義も基礎的な部分が多かったし、カメリアだったら分かっている範囲の筈よ。一応、帳面は取っているから後で見てみる?」

カメリアにとっては久し振りに歩く講堂で他愛のない話を続けている内に、ようやく心の余裕が出来たらしい。緊張したようにカメリアが一つ深呼吸する。

 「ところで、ベルーとラザリー君は何処?」

 「あー……あの二人はね」

記憶が正しければ、例の教官の講義だったはずだ。どんな惨状になっているかを予想しつつ、徐に外を見る。釣られて、カメリアも外を見る。

 「そう言えば、この時間は騎士科の学生は実技の時間だったっけ……え、何あれ?」

その視線の先には……死屍累々と言った様子の学生達と、まだまだ余力を感じさせる教官らしき人物が一人。一体、どんな訓練がされていたのだろうか。

 「……えーと、何をやってああなっているの、かな?」

 「カメリアが理解できないのは仕方ないわ。さっき話したよね。新しい教官が来たって」

今日は何をしていたんだろうか。相変わらずの惨状だが、毎回蹴散らす教官は本当に何者なのだろうか。

 「それが……あの教官なの?」

よくよく見れば、地面に描かれた円の中心にその教官が立っている。一対一で打ち合いをしている内に、学生達が外に追いやられたのだろうか。その割にはあの教官、まだまだ余裕があるようにも見える。

 「ええ。稽古もあの教官が相手をしている上にネイゲート学院長が連れてきた、っていう噂の教官よ」

 「え、学院長が連れてきた?」

貴族の教官がコネで入ることはあるが、貴族以外では退役した者しか入れないという噂を聞いたことがあったからか、カメリアが思わず聞き返してくる。

 「ええ。私も詳しくは知らないけど、以前は一人で傭兵をやっていたとか」

 「だから、あんな厳しい実技をやっても何も言われないんだね。……でも、貴族の教官が止めに来そうな気がするなぁ」

そうして目当ての二人を見つけたカメリアは、そんな講義を受けている二人を見て悲痛な顔を浮かべる。

 「あそこで倒れているラザリーとベルーから聞いたけど、貴族の教官達に数人掛かりで勝負を仕掛けられたことがあるそうよ。まぁ、平然と返り討ちにしたらしいけど」

 「え?」

 「おまけに、他の教官達は修練用とはいえ武器を持っていたのに、あの教官は素手で相手をしたとか。それと、その手合いが終わった後も息を切らす様子が無かったらしいわ。未だに信じられないけど」

あまりの話に顎を落としかけた時、その教官のものと思われる力強い声が耳に届く。

 「よし、今日はこんな所だな」

学生達は陸に打ち上げられた魚のように横たわっている。驚くべきことに、そんな状況にした張本人は応えていないようだ。

 「初めの頃と比べると、体力も少し付いたようだな。だが、行軍なんかは一日中移動することもあると聞く。お前たちも将来騎士になるというのなら、今の内に体力をつけておくことだ」

何人かが弱弱しい返事を返したのか、その教官が一度頷いた。

 「よし、今日も片付けはやっておくから、早めに戻れよ」

そうして、学生達から修練用の武器を回収したその教官は、学生達から修練用の武器を回収して武器庫へ向かう。その様子を見て、驚きを通り越えて呆れるしかなくなった。

 「まぁ、そんな教官だから、まともに相手が出来るのはアルビー教官位だって専らの噂よ」

知らない間にとんでもない教官が入った事実に、カメリアの頭が追い付かないようだ。呆然とした顔を浮かべている。

 「……す、凄い教官なんだね。アルビー教官って、国でも五本の指に入る実力があるって聞いたことあるけど、その強さに並ぶんだ……」

 「聞けば聞く程、信じられないわよね。それと、この前知ったけど、ファリエ教官とも交流があるみたい。前は暇つぶしと称して講義を聞いていたこともあったとか」

ただ強いだけの人物かと思いきや、魔術に関しても素養があるようにも見える。

 「えー……どんな人か、ますます分からなくなってきた……」

全く以て同意である。ただ、戦闘面では相当頼りになる人物なのだ、とも思う。

 「あ、ベルーとラザリー君が立った」

どうせ暫く立ち上がらないだろう、と雑談を続けようとしていた時、カメリアの呟くような声が耳に届く。

 「え?」

すると確かに、ゆっくりとだがベルーとラザリーが立ち上がり、歩き始めていた。

 「あぁ、今日も容赦なかったな」

 「それにしても、どうしてキョウ教官は息を軽く切らす程度で済むんだろう。俺達との模擬戦闘を何度も受けている上に、別の教官とも交流も兼ねて手合いしていた所、見たことあるぞ」

 「考えるな、それは考えちゃいけない」

周囲を見れば死屍累々、貴族の子息ですら威勢を張る余裕が無いこの有様で、何故二人だけはぜいぜいと息を切らしながらも立ち上がれたのか。

 「……え?」

あの教官が来た頃は、二人も同様に地に伏していたはずだ。この短期間で何があったのだろうか。

 「……チェリカ?」

 「いえ、何でもないわ。それより、まずは顔を見せに行きましょう」

 

 立ち上がったとは言え、依然として歩く速度はそう速くはない。二人が講堂の門に着く前に追い付くことが出来た。

 「ベルー、ラザリー」

 「あれ、チェリカ……あ、カメリア、戻って来たんだね」

 「よぅ、久し振りだな、カメリア」

 「……うん、やっぱり二人共変わってないね。良かった」

穏やかな笑みを見せるカメリアを見て、ベルーが照れくさそうに視線を逸らす。

 「そりゃそうだ。もしかしたら見ていたと思うけど……最近は今までの講義が何だったんだろうか、って思ってしまう程の厳しい訓練をさせる教官がいるんだよ」

 「さっき上から見ていたけど……キョウ教官だっけ?」

名前を知っていたことにラザリーの動きが止まる。

 「あれ、知っていたのか」

 「さっき、チェリカが教えてくれたんだ」

納得したラザリーがこちらを向く。そして、疲れたように呟く。

 「ああ、そっちでも噂になっていたか」

寧ろ、噂にならない理由がない。

 「まぁね。私も最近まではやたら厳しい教官としか思わなかったけど……あそこまでぶっ飛んでいるとは思わなかったわ」

先日のやり取りを思い出し、眉間に皺が寄る。その様子と物言いが気になったのか、ラザリーが何かあったのかと聞いてきたため、忘れ物を取りに講義室まで戻った時にキョウ教官と会った日のことを話す。一通り話を聞いた三人の反応はそれぞれだった。

 「…………」

他に教官がいなかった場とは言え、すっぱりと言い切ってしまうキョウと呼ばれる教官に何も言えないカメリアに。

 「あー……うん。あの人らしい、かな」

精一杯の苦笑いを見せるベルー。

 「だよな。あの人の講義と分かると、武官志望の貴族の学生すら逃げようとするからな」

ラザリーに至っては、キョウ教官に慣れてしまったらしい。他の学生や教官が聞けば驚きそうな内容にすら、動揺がない。

 「やっぱり、逃げようとするんだ」

 「そうだぜ。見ての通り厳しいのと、貴族だろうが俺のような平民だろうが、公平にボコボコにするからな。そういうのを見られたくない奴は特に」

 「見栄を気にする奴は途中から逃げていた気がするな。今は少しだけ落ち着いてきたけれど、初日のあれを受けたら……っていうことを思えば、分からなくもない」

 「……って、話がかなり逸れたわね。折角カメリアも戻って来たし、食堂で話をしない?」

これには二人共即答するかと思っていたが、ベルーとラザリーが私達から少しだけ離れて話合っていた。が、それも数度言葉を交わすだけで終わる。

 「ごめん、ちょっと教官に呼ばれているんだ」

ラザリーの思わぬ言葉に、カメリアが目を見開く。

 「え、もしかして補講とか?」

そう聞かれたラザリーが一瞬だけ目を逸らす。

 「……まぁ、そんな所。そろそろ行かないと怒られるから、また明日な」

ラザリーがそう言って、階段を登って行った。

 「全く仕方ないわね、ラザリーは。とりあえず、食堂に行きましょう」

きっと、今問い詰めても話すことはないだろう。それは、カメリアの隣にいるベルーも同じなのだろう。

 

 

 元は城に勤務している文官や兵士の食堂でもあったこの場所を、現在の食堂として利用しているようだ。ただ、学生の人数と広さが合致していないのか、食事のタイミングを逃してしまう学生も多くいるようだ。

 「うん、ここの食事も久し振りだね」

 「そうね、カメリアは暫くいなかったからね。それでも、実家の方が豪華だったんでしょう」

カメリアは貴族の令嬢だ。きっと豪勢な食事を取っていたのだろう。

 「実家が恋しい訳ではないけどね。あそこだとチェリカやベルーには会えないから、少し寂しかったかな」

 「…………」

まさか、思わぬ反撃が来るとは思わなかった。

 「まずは食べてしまおう。今は空いているが、その内に人が沢山来るからな」

 「……そうね」

やたら冷静なベルーが気になるが、言っていることは事実だ。そうして夕食を取りながら話をしていたが、やはり話題はカメリアがいない間の学院についてだ。……結局は一番変化があったラザリーとベルーが受けている講義が中心となっていたが。

 「え……辛くないの。その講義」

 「まぁ、今までで経験したこと無い位、しんどいし辛いぞ」

ほぼ毎日のように走り込みと打ち込み、それから教官を通した実践的な訓練がされていたとは思わなかった。

 「よく耐えられるわね」

今までの講義を振り返り、ベルーが疲れたようにため息を一つついた。

 「俺もそう思う。ただ、他の教官の実技を受けるよりはタメになるよ」

 「そう、なの?」

カメリアも思わず聞き返す。

 「どんな感じなの、実際の所」

聞いただけだと、キョウ教官の訓練だけ異常に厳しい、という印象しかないのだ。

 「他の教官だと学生同士で一対一の稽古をするのが殆どなんだが、あの人は一人で集団戦をする時の戦い方から逃げ方なんかもやってくれるし、一人をどう攻めるのか、受けるべきかもやってくれる。そんな方法、他の教官じゃあ、まず教えてくれない。しかも、その全てをあの人は受け切った上で俺達を倒している。毎日のようにな」

話を聞いていく内に、顎が下がっていく。それを毎回行っているの、あの教官は。

 「え、とんでもないとは聞いていたけど……そこまで?」

 「ああ、おまけに、カウンターみたいな技で倒されることもあれば、俺達が教官の姿を見失っている間に倒されることすらある。弓だけは使えないって言っていたけど、それ以外は大体扱えるみたいなんだ」

 「本当に何者なの、その……人?」

そこまで強いと、同じ人なのか疑いたくなってしまうものだ。

 「それは俺も思う。だけど、そのおかげで短い間でも多少強くなったと思っている。それでも、ラザリーと二人がかりでアルビー教官やキョウ教官から一本取る事は難しいとは思うけど」

最早、苦笑いしか出ない。

 「そんな教官がいたら……どんな敵でも簡単に倒してしまいそうだね」

 「……私も、そんな気がしてきた」

ふと周囲を見れば、私達は既に食事が済んでいたものの、食堂に人が集まっていない。後は部屋に戻るだけなので、どうしようかと思った時、ある噂を思い出す。

 「そういえば……学院に戻る時も、戻った後にも聞いた話なんだけど……モンスターの襲撃が増えているって話、何か知っている?」

 「噂だけは聞いたことが……」

心当たりがあったベルーが、声を小さくするようジェスチャーを出す。

 「他の教官が言っていたが、騎士の数が足りていないみたいだ。場合によっては、冒険者を使って補うって話なら聞いたことがある」

 「え、そんなに不味いの?」

スコラはカルセオの国内でも五本の指に入る大きな街だ。常在している兵の数も比較的多い筈なのだが……

 「俺も他の教官が話していたのを偶々聞いただけだから詳しいことは分からない。けど、学院長達も認識して対策を取っているらしいぞ」

 「そ、そうなんだ……」

 「何かあったら指示が出ると思うし、気にしても仕方ないよ」

ふと周りを見れば、段々と食堂に集まる人が増えてきた。流石に此処で話を続けるのは無理だろうと立ち上がった時、ベルーが見慣れた人物を見つけたらしい。

 「あれ、ラザリー?」

え?

 「あ、まだいたのか」

 「そっちこそ、今日は早かったな」

カメリアは気付いていないようだが、今日は、とはどういうことだろうか。

 「今日ぐらいはこっちにいた方がいいだろう、って」

 「あー……」

つまり、二人は連日何かを行っているらしい。訝し気な視線を向けたところ、ベルーとラザリーが徐に視線を外した。何をしているのだろうか、何となくここで問い詰めても不味い事だけは分かるけど。

 「とりあえず、俺達は食べちゃったし、そろそろ混んできたから先に戻っているぞ」

 「ああ、分かった。それじゃあ、カメリアもチェリカもまた明日な」

 「うん。お休み」

二人を追求したい気持ちに駆られたが……カメリアが横にいる。

 「…………うん、お休み」

開きかけた口を閉じて、声を掛けるだけに留めたチェリカだった。

 

 同じ頃、ある大きな家で言い争いをする一組の男女がいた。

 「分かっているのですか、旦那様!これはネイゲート様……ひいてはこのカルセオへの敵対行為ですよ!」

 「……分かっている」

身なりの良い服を着る男は、苦々しい顔を浮かべるのみ。

 「スコラには貴方の妹もいるのでしょう。なら、どうして!」

強く握りしめた拳からは、必死に怒りを抑えているようにも見える。

 「分かっている。分かっているが、あの家に逆らえない以上は……」

 「私のことは構いません。ならば、今すぐにでも此処を出て……」

怯む様子の無い目で夫を見る妻。

 「それはならん。今、戻っても私もお前も良い未来などない」

 「ですが……!」

二人の言い争いを遮るように、大きな声が家に響く。

 「主、ただいま戻りました!」

それに気付いた男が妻を諫めて、帰ってきた男の元へ向かう。

 「無理な指示をして悪かった。学院の方へアルビー氏の情報は渡せたか」

 「はい。それと併せて、報告が」

夫婦の視線が男へ向く。

 「アルビー様の状況を伝えに行くために学院へ行った時、ネイゲート様が個別で雇った傭兵が教官として在籍している、という話を聞きまして」

 「なるほど、1月前の事件を受けて、対策を打ったということか」

 「はい。私も詳しい話こそ聞けませんでしたが、白兵戦でアルビー氏とほぼ互角の試合をされたとか」

思わぬ話に、男が疑惑の視線を向ける。

 「……それは本当か?」

 「ええ。他にも、ファリエ様とも面識があるとか。その教官と顔を合わられなかったのは残念でしたが……名前を聞くことは出来ました」

 「その者は何と言う?」

 「キョウ、と呼ばれているそうです……どうされますか?」




一月に一度で問題なく投稿は出来ているけど、やっぱり遅いかなあ……


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予知夢

学院長室にはネイゲート、キョウ、ファリエ、ノイン、ダットが集まっていた。その理由は、度々発生するモンスターの対策。その兆候がスコラの外れで起きているという噂が流れたためだ。

「……さて、どうしたものか」

「何だ、街の協力は得られそうだし、講義も休みにして対応する手筈は整えたんだろう。何をそんなに悩んでいる」

「お主はそう言うがの。あまり時間が残されていない中で、今の対応で何処まで持ちこたえられるかが分からんのじゃ」

キョウには、ネイゲートが何故そんなに悩んでいるかが分からない。

「酒場には既にマスターを通じて討伐の依頼を掲示しているし、こっちも教官を使って魔術を使った対抗措置を取るんだろ。後は騎士隊も付けて襲撃に備えるだけなんじゃないのか。

既にやれることはやっているんだ。後は冒険者の実力と教官次第だろ。それに、実力主義の教官だったら指揮くらいは出来るだろ。何がそんなに不安なんだ」

「うむ。仮に強いモンスターが現れた時、何処まで対応出来るかが全く読めなくての。アルビーが戻っていれば、前線はある程度問題ないと思うんじゃが……」

今までネイゲートの発言を聞くに留めていたノインが口を挟む。

「実は、今日の朝方に酒場のマスターと情報共有している時に旅人から言伝を預かっておりまして……アルビー教官は明日に戻られるそうですよ」

その報告を聞き、ネイゲートの声のトーンが上がる。

「そうか。それは朗報じゃ。後は内の襲撃くらいじゃな」

内の襲撃と聞いてピンと来ない三人は不可解な顔を浮かべていたが、キョウだけはそのことに懸念を示していた。

「あぁ、確かに、それじゃあ戦力が足りないな。そっちは俺の担当だろうし」

「うむ、問題は……視たモンスターが彼らで対応出来るかどうか、じゃな」

「その辺はなぁ……知識があったら別だろうが、分かっていてもどうしようもない奴も居るからなぁ」

放っておくとどんどん話についていけなくなる、と判断したファリエが二人の会話に割って入る。

「すみません。何の話か説明してもらってよいでしょうか」

「おお、すまん。キョウと話を進め過ぎておった。簡単に言うと、次の襲撃と未知数のモンスターについてじゃよ」

そう言われても、話がまだ見えない三人の反応は薄い。

「襲撃ってあれだぞ。先月現れたっていう誘拐犯のことだ。それで、未知数のモンスターってのは、どっかの傍迷惑な奴が召喚するだろう、厄介なモンスターのことだ」

その様子を見兼ねたキョウのフォローが入ったことで、三人はようやく話の流れを理解した。

「あぁ、それで……内の襲撃ですか」

ノインが納得して頷き……顔を引き締める。

「……やはり、彼らは来るのですか?」

ファリエの不安げな目が二人を見る。

「来るじゃろう。酒場のマスターから情報を定期的に仕入れておるが、どうやらスコラの外でうろつく不審な集団や、夜間に旧砦地区の方へ移動する集団が出ていると聞いておる。そこから進展こそ無いが……恐らく準備しているのじゃろう」

「では、先んじて森の中を捜索すればいいのでは?」

ファリエの提案はキョウとネイゲートが即座に却下した。

「それは難しいじゃろう。そこまで回せる手が既にこちらにはない」

「俺も同感だ。というか、この状況を利用しない方が考え辛い。最近起きているモンスターの発生原因がどうであれ、混乱に付けこむのは定石だ。

現に、あいつらは何度かここの下見に来ていたが……今まで使っていた通路がまだ俺達にバレていないと思っている。仕掛けるなら、その時だろう」

ダットがそれまで聞いた話を纏めつつ、学院長とキョウへ確認する。

「つまり、外のモンスターの襲撃と内側の襲撃の両方を同時に対策しておく必要がある、ということですか」

「そういうことだ。厄介なのが出てきそうな予感がする、とネイゲートが言っている。困ったことに、俺は内側の襲撃に対応するからさ、街の兵や冒険者である程度対応出来る策を練っておかないといけないんだ」

「状況は分かりました。ところでキョウさん、厄介なモンスターとはなんでしょうか」

聞かれたキョウが一瞬、目線だけネイゲートを見るが、直ぐに逸らした。

「……俺も見ていないから分からないが、四年前の時がそうだったんだ。あいつら、誘拐と併せて、厄介なモンスターを召喚していたからな。

召喚するのに誘拐が必要だったのか、召喚がバレないようにするために誘拐をしたのかは今も分からないが……恐らく、今回も何か厄介なのを召喚すると思っている。前回は1体だけだったから俺が叩き斬ったが……まさか、前と全く同じ手法は取らないだろう。

だから、今回は厄介なモンスターを複数体召喚すると思うんだ。これは予想の範囲だけどな」

「どういったモンスターが召喚されるか、検討はつきますか?」

ファリエの質問に、キョウとネイゲートが渋い顔を浮かべる。

「こればかりは……見ていないから何とも言えないな」

「……うむ、視ただけでは特定まで出来んがの、キョウの言う通り、今回は複数体を召喚してくるじゃろう」

「先程から気になっていたのですが視た、とは何でしょうか。学院長」

「…………」

不意を突いた質問だったのか、ネイゲートが珍しく仏頂面を見せる。

「おいおい……他人には黙っとけ、と言った奴が自分でボロを出すのかよ」

ここで、ファリエはキョウが曖昧な言い方をしていた理由に気付き、キョウと同じように生温かい視線をネイゲートへ送る。

「……ウォッフォン」

「今更年寄り臭くした所で威厳どころか、ボケが進んだようにしか見えないぞ」

辛辣な一言がネイゲートを刺す。

「喧しいわ。まぁ、お主の言う通りじゃが。それにしてもいかんな、お主がいると少々緊張が解けるようだ」

「何だそれは。まぁ、俺とお前なら、大体のモンスターならどうにかなるとは思うけどよ」

襲撃の可能性があるのに、尚も緊張感の無い二人にノインとダットが困惑する。

「え、えーと、学院長?」

「さっきの質問じゃが、簡単に答えよう。儂は未来に起きる危険を寝ている時に視ることがあるんじゃ。所謂、予知夢じゃな」

初めて聞いたことにノインとダットが目を丸くする。一方で、竹を割るように話したネイゲートに思わずキョウが呆れた顔を見せた。

「ばらすと決めたら、想像以上にぶっちゃけたな。隠したいのか隠したくないのかよく分からないな」

「喧しいわ。一々口を挟まないと気が済まんのか……まぁ、それでじゃ。

そこのキョウはその予知夢の事を既に知っておっての。そんな訳で視た内容を色々と話しておったんじゃ……因みに、無暗に広めると儂の安眠が妨げられるから、この件は他言無用で頼むぞ」

「ああ、だからあまり知られたくなかったのか」

「お主も他人の悪夢のような話を無理矢理見るのは嫌じゃろう」

「全くだ。そんなものは自分のだけで十分だ」

三歩進んだかと思えば二歩戻るような軽口を叩き合うキョウと学院長のやり取りに慣れてきたファリエは、会話の流れを切るように割り込んだ。

「学院長、キョウさん。話を戻させてもらうと……モンスターの対策ということで宜しいでしょうか」

「そうじゃ」

「ああ、本題から逸れていた」

「その複数のモンスター、学院長や私などの教官達の魔術で倒せるものでしょうか」

ファリエの問いに、悩みながらもネイゲートが答える。

「恐らく、足止めは可能じゃろう。複数体を召喚するのなら、一体当たりの強さは下がるはずじゃ。……じゃが、困ったことに儂は街の守りの為にそっちへ出ることが難しいじゃろう」

「どうしてでしょうか」

「スコラにいる貴族とスコラの議会が許さないのと、学院の守りが必要じゃからだ。

つまり、モンスターの討伐は基本的に儂とキョウを除いた戦力で対応しなければならないんじゃ」

想像していた以上の難題に、ファリエの眉に皺が寄る。

「そこら辺の賊程度ならどうにかなると思うがな。最近はモンスターの発生頻度が高い上、人為的に召喚されたモンスターが出てくることを考えると……相当の被害は覚悟した方がいいだろうな。俺も襲撃者を片付けたら応援に行くが……それまでにどれだけ食い止められるのやら」

「……なるほど。そういうことでしたか。ただ、スコラの兵士は王都並みの練度を備えた者ばかりですよ?」

キョウの発言に多少の不快感を持ったファリエが反論する。

「もしかして気に障ったか。なら、悪いな。ただ、そうじゃないんだ、問題は」

「……と、言いますと?」

「慣れたモンスターの相手は街の兵士だろうが、冒険者だろうが出来るはずだ。ただ、初めて見たモンスターに対応できる騎士や冒険者って少ないんだ。何しろ、俺だって様子見をするくらいだ。その様子見の過程で被害が出ることは間違いない。

それと、その辺の冒険者との連携なんざ期待するな。飽くまで臨時の兵力として考えてくれ。下手な期待をして余計な被害が出るのも嫌だろう。それに、街の兵士は万全の状態と言えるか?」

「……それは」

確かに、その通りだった。ここ最近、学院の内部に噂が流れてしまう位には、モンスターの出没が各地で起きているのだ。それに対応する兵士が万全の状態とは言い難い。

「出てくる前にある程度検討をつけたいところなんだが……そう上手くはいかないよなぁ」

それまで話の流れを掴む為に黙って聞いていたダットが口を開く。

「それでしたら、私の方で調べてみましょうか?」

「いいのか?」

「ええ、私は明日も大したことは出来ませんし、それ位ならお力になれるでしょう」

キョウとネイゲートが安堵したように息をつく。

「それは助かる。儂も対策のために色々と動かないといけなかったから、調べる時間が取れなくて困っておったんじゃ」

「ネイゲート、お前が視たモンスターや風景について、もう一度話してみてくれないか」

「そうじゃの。儂もまだ未確定の部分があるんじゃが、聞いてくれるかの?」

ダットを含めた全員が頷いた。

「うむ。儂が視た風景からじゃが……」

その話し合いは深夜になるまで続いた。

 

 

 

 同刻、殆どの者が眠りに着く時間にて、静まり返った街を駆け抜ける集団がいた。彼らは一様に黒い衣装を纏っており、髪や目、口元以外が周りから見えないようになっていた。

「主、陣の準備および攫う為の逃走経路の確保が完了しました」

「そうか。では、チャーチルからの動きが分かり次第、実行に移せ。くれぐれも学院から学生の誘拐はしくじるなよ。あの男を追い落とすには必要だからな。もし、陽動が必要ならあの男を使ってもいい」

「ハッ」

恰幅の良い男が黒づくめの男の報告を聞いた後、帰るように指示を出す。それに従い、黒ずくめの男が部屋を後にした。

「ふふふふ……あの邪魔な老いぼれを追い落とせば、我々貴族の役割も正しく元に戻る。我々がいたからこそ、このカルセオは続いてきた。故に、我々が統治している状態こそ、カルセオのあるべき姿なのだ。

それをあの王は……爵位の低いあの老いぼれに学院長をさせているかと思えば、我々の職務すら他の庶民を入れている始末……これ以上、見ていられぬ。前回はあの老いぼれに上手く躱されたが、今度こそは……」

不気味な笑みが静かな部屋を満たす。

その独り言を、帰ろうとしていた二人の黒づくめが聞いていた。

「お頭、あれ正気ですか?」

「あまり大きい声を出すな」

「分かっています。ただ、あまりにも現実が見えていないと、言うか」

「まぁな。だが、それが仕事だ。上手くいけば仕事が増える……そう思うだけに留めておけ」

二人はそれだけ言うと、夜の闇に混じって姿を消した。

 



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見えない備え

ちょっと期間が開いてしまった……
ちょっとバタバタしていたこともあったけれど……
後、短編と言うか一気に作り上げないと伏線とかの管理が大変なことになるんだな……
とりあえず、書き上げるまでは頑張らないと……


 翌日、突然の呼び出しを受けたキョウは、面倒臭そうに学院長室の扉を開いた。

「どうした、朝っぱらから呼び出すとは珍しいな」

「すまんな、キョウ。昨夜も遅かったのに」

朝っぱらから呼び出されたこともあり、悪態の一つでもついてやろうか、と内心で考えながら部屋に入ったものの、何かしらの懸念を孕んだネイゲートの顔を見たことで取り下げる。

「で、何だその面は……何かを視た?」

ネイゲートの顔が一抹の不安を抱えた顔だったからだ。

「……話が早くて助かる。一つ、頼みがある……ノインを、ノインを守ってほしい」

それが何を意味するのか、付き合いの長いキョウは直ぐに理解する。

「まず、どんな状況だった?」

「うむ、ノインと……恐らく槍じゃったな。それを突き出す所までが視えたよ」

嫌な光景が目に焼き付いてしまったたからか、ネイゲートが眠そうに欠伸をする。

「なるほど、槍を向けたのは分かるか?」

「うむ、そこまでは視ることが出来なかった。じゃがまぁ……珍しい類の穂先ではなかったはずじゃ」

「なるほど、癖の冒険者だったら、ポールアックスとか、鎌槍とか使う傾向があるけど……そうなると、普通のランスを使ってきた、ということか」

「そう……なるんじゃろうか」

武器にはあまり詳しくないネイゲートは、キョウに問う。

「経験的な話だけどな。問題は誰がやってきたか、ということだろう」

「お主の中で怪しいと思う人物はおるか?」

「目星だけは。ところで、門番は何をしていたんだ?」

キョウの問いに、思う所があったのか。顎に手を添えて口元を隠す。

「……確かにの。複数人に襲われた所を狙われたんじゃろうか」

「武器の特徴は明確じゃないんだよな」

「うむ」

「……実は以前、ウノニュクスとあの門番が会話しているのを見ていてさ。それ以降、少し警戒しているんだ。確かあの門番も……並み程度だが、槍を使った記憶があってさ」

「何じゃと?」

「ああ、まぁ確証も無いし、追及するには情報が少なすぎるから泳がせているが……警戒した方がいいかもな。──それにしても、だ。お前のそれ、相変わらず突然だな」

同意なのか、視た本人であるネイゲートすらため息をつく。

「儂も驚いた。視えたとしても、召喚された危険なモンスターを視るものじゃと」

「もしかしたら昨日、ノインがお前のそれを聞いたからかもしれないな。それにしても……俺があの隠し通路で誘拐犯共を迎え撃つ訳だろ。それが終わったら終わったで、モンスターの襲撃に加わる予定だから……そっちには行けないぞ」

ネイゲートも分かっているのか、キョウの言葉に同意を示すように頷く。しかし、想定外のことに頭を悩ませているようだ。

「うむ。しかし……それではノインを見殺しにしろ、と言っているようなものじゃ」

「もう一度聞くが……視た光景はノインと突き出される槍だったな。誰かまでと人数までは分からない……で、いいか?」

「視た光景では刺されていたのか、それとも既に死んでいたのかは分かるか?」

「……すまん。覚えておらん。ただ、視えた武器の数が少ないからそう多くはないと思う」

「覚えていないのは仕方ないな」

キョウは目を瞑って思案する。──それからしばらく目を瞑っていたキョウだったが……考えが纏まったからか、おもむろ目を開いた。

「そうだな。何処まで出来るかは分からないが、打てる手は打っておこう」

キョウの言葉に、ネイゲートは一筋の光を見出す。

「頼まれてくれるか?」

「……多少の宛がある。それで何とかしてみよう。それで話は終わりか」

ネイゲートが頷く。

「分かった。確か、アルビーが戻って来た後、教官を集めてモンスター襲撃の件で会議をする、とか言っていたと思うが……俺は出ないぞ。まぁ、いると面倒なことになりそう、とも言えるが」

「分かっておる。そもそも、隠し通路の件を知らない教官の方が多いのじゃ。お主のことは外せない用事を頼んでいる、と言って通しておく」

「分かった。因みにさっきの話……ノインに伝えたのか?」

ネイゲートは首を横に振る。

「ノインは家族を殺された経緯がある。話した所で、今更退かないじゃろう」

「分かった。ノインには伝えず、それとなく対策をしておこう。それから、後でセイピオラ……酒場のマスターの所へ行くが、伝言はあるか?」

「今回の件が終わったら、呑みにいくと伝えてくれ」

「了解だ」

キョウはそう言って、部屋を後にした。

「……ノインのことを頼んだぞ、キョウ」

 

 急遽講義が中止となった学生達、しかし学院の外へ出ることが禁じられていたため、暇を持て余していた。ある学生は図書室へ行って本を借りに、ある学生は友人と話して時間を過ごす、ある学生は部屋でゆっくり休む……と様々だが、そのどれにも当てはまらない学生達もいた。

その学生達は先ほどまで中庭で訓練をしていたが、最近になって関わりが多くなった教官がその場に現れた中断していた。

「よう。折角の休日なのに、よく励んでいるな」

「お、おはようございます。キョウ教官」

「おはようございます、教官」

キョウに気が付いたラザリーとベルーが挨拶をする。

「お前ら。突然で悪いが、少し時間を貰えるか?」

「はい」

「大丈夫です」

突然の話だが、講義自体がないので時間はある。だからこそ、迷わずに返事をした。

「助かる。それでは、少し場所を変えるぞ」

「……もしかして、ここでは話し辛いことですか」

ベルーの言葉にキョウは頷く。

「ああ、あまり大きな声で言えないのと……出来れば、他の教官に出くわしたくないからな」

思わぬ話に、ラザリーとベルーが二人で顔を見合わせる。

「分かりました。何処へ行きましょうか」

「それじゃあ……林道辺りで歩きながらにしよう」

二人が歩き始めた時、キョウは二人から視線を外し……講堂のある一点へ視線を送る。

「──どうしました?」

「ああ、何でもない。てっきり後をつけている悪趣味な教官がいないか、気になっただけさ」

そう言って、キョウは視線を外し、この学園の外れにある林道へ向かっていった。

 

 学院内には様々な施設がある。講堂内には魔術の研究室や蔵書室があれば、かつて兵士が使っていた武器の保管庫や修練場、祈りを捧げる小さな教会もある。その中でも一風変わった場所が……学院の敷地内にある林道だ。

「そう言えば、木がある所を歩くのは薬草採りの手伝いをした時以来か」

「全く、一人で依頼を請けに行くとかズルいぞ。俺も行きたかったのに」

ふと懐かしい話が二人から出たので、キョウもその話に加わった。

「そういえば……あそこでお前と会ったんだったな。まぁ、偽名を使っていたのは驚いたが。そう言えばあの後、依頼は上手くいったのか?」

「はい、ちょっとしたモンスターこそ出ましたが、図鑑で確認していたので問題なく倒せました。おまけに、そのモンスターから毒が取れたので報酬もちょっと上乗せされたのでラッキーです」

後半の話を初めて聞いたベルーが、笑みを見せたラザリーに目を向ける。

「……おい、何だその話。俺、聞いてないぞ。俺に隠れて楽しそうなことしやがって」

「あ、やっべ」

「喧嘩は後にしな。とは言え、だ。その知識の有無で評価が分かれることもある。だから、案外難しいぞ。冒険者を長く安定して続けるのは」

キョウの言葉が腑に落ちたラザリーは間延びした声で答える。

「あー……確かに」

「ところで、この場所に学生が来ることってあるのか?」

他に人が居ないかを確認しながら尋ねたキョウの問いかけには、ベルーが答えた。

「詳しくは知らないのですが、妙な噂があるみたいで……滅多に来ないと思います」

「ああ……あの話だっけ?」

しかし、その妙な噂を知らないキョウ。

「何だ、その妙な話ってのは」

ラザリーとベルーが二人で面を合わせて……一度、頷いた。

「出る、らしいんですよ。ここ」

ベルーの意味深な言い方から、キョウは何となく話を理解する。

「ゴーストの類か。だが、この学院には祓える戦力くらいあるだろ」

「そうなんですけど……見た人がいないんですよ、誰も」

「じゃあ、何で噂になるんだ」

キョウの疑問に答えたのは、ラザリーだった。

「一時、この林道を無くそうっていう話があったらしいんですけど……それを担当することになった木こりと賛同した教官が、夜な夜な魘されたとか。その中で、若い女性の亡霊が出てきたらしいです」

「何だそれ。俺も初めて聞いたけど、誰がそんな話を?」

「その時丁度、林道付近を歩いていたノインさん」

意外な人物の登場したことで、キョウもその話に興味を持つ。

「学生と事務員ってあまり関わりがないものだと思っていたが、そうでもないんだな」

「そうでも無いですよ。まぁ、あの人が話しやすいと言うか。あの日も、うざったい教官の講義をサボっていた時に見つかったんですが……それを咎めることもなく、色々話してくれたんです」

「あー、ウノニュクス辺りの講義?」

ベルーが確認するように尋ねると、ラザリーは頷いた。

「あからさまに見下すからな、あいつら」

見下される理由に検討がついたキョウが呆れたように口にする。ついでに、他に学生がいないかを確認するように後ろを向く。

「……よくある身分の差別って奴か」

「慣れましたけどね。元々、貴族の庶子ということもあって、貴族の教官からは印象が悪いみたいで。まぁ、ベルーやカメリアにそんな視線が行っていないからいいですけど」

ラザリーの身の上話を聞き、キョウはようやく合点がいった。

「ラザリーとベルーとカメリアは幼馴染とお前達が話していたが……そういう事情だったのか。それにしても、貴族の庶子は貴族の子供と関わりが薄いと思っていたが、そうでも無いんだな。

……む。そういえば、お前達の幼馴染だと言うカメリアは貴族の娘なのか」

「まぁ、そんな感じです。俺としてはカメリアも付き合いの長い友人ですし、身分についてあまり気にしないから気が楽なんですが……あの一件以降、塞ぎ込むようになりまして」

ベルーとラザリーの二人が目元を落とす。

「なるほど、例の誘拐未遂に巻き込まれたことで塞ぎ込んだのか、そりゃ何とかしたいと思う訳だ」

「──まぁ、そんな所です。ところで、話って何ですか?」

気恥しい話題だったのか、ラザリーが話を逸らして本題に踏み込んだ。キョウが前後を再度確認し、ある一点を凝視する。

「どうしました。キョウ教官」

「何か、見えるんですか?」

諦めたように視線を逸らすのには何か理由がある、と考えたベルーが踏み込んで聞いてみたものの……

「……いや、気のせいみたいだ」

「え?」

「もう居なくなったからな、気にしなくていいぞ」

露骨に話を逸らされてしまった。気になるものの、本題ではない。大人しく話の続きを聞くことにした。

「で、本題なんだが……お前達にしか任せられない仕事がある。実はさっき出てきた……ノインがいる正門の護衛を頼みたい」

「な、何故でしょうか」

「お前達、ここ一週の講義が中止になった理由は知っているな」

事前に他の教官を通じて何度も説明があったためか、二人は何度も頷いた。

「それのせいで、魔術が扱える教官や指揮が出来る教官は学院から離れる可能性が高いんだ。そうすると学院の守りが弱くなるんだが……人数合わせをしておきたくてな」

内容は分かったが、何故それを学生に頼もうとするのか。その意図が掴めないベルーとラザリーがキョウに疑問をぶつける。

「そうだとしても、普段からいる門番はモンスターの襲撃に向かわないのでは?」

「だよな。それにモンスターが学院までやってくるなら、それこそ終わりのような……」

二人が抱いた疑問を、キョウは否定しない。

「ああ、そうだ。そもそも、その為の護衛じゃないからな」

「それってどういう……いや、待ってください。それは」

キョウの言葉の意味を考えていたベルーが、ある可能性に気付く。

「……何に気付いたんだ、ベルー?」

「お前の考えている通りだ。先に言っておくが……これから話すことは他の教官には言わない、と約束出来るか?」

キョウはそう言いながら、ある方向へ再度視線を向ける。ただ、それも一瞬のこと。二人に気付かれる前に、それを打ち切った。

「……だから、俺達に話したんですよね」

ただ、状況を上手く掴めていない学生が一人。

「ベルー、キョウ教官。どういうことですか?」

「ベルー、簡単に説明してやれ」

ラザリーへ簡潔にその状況を説明すると、次第に顔が引き締まっていく。

「恐らく襲撃者は複数いるかもしれないが、一人じゃないかと踏んでいる。もし、複数やってきた時は即応援を呼べ。今のお前達なら、三人程度なら身を守るくらいは出来ると思っている」

「でも、応援って誰を呼べば……」

「学院に残っている教官だ。一応、そんなことが起きないように追加の戦力を依頼するつもりだけどな」

「誰に……でしょうか。街の兵士は討伐へ向かうんですよね」

そう言って、街の方を向く。

「学院にはいない知り合いだ。出来るかどうかは分からないが、大きな借りがあるから協力してくれるはずだ」

「……キョウ教官って、知り合いが多いですよね。酒場の時もそうでしたけど」

ラザリーの言葉にはベル―も同意だったらしい。息を合わせて頷いている。そんな様子を見ながら、キョウは苦笑いを見せて。

「妙な生き方していると、妙な伝手が出来ていくんだよ」

疲れたようにため息をついた。

 

 

 一通り話を終えた時には、三人は既に林道を歩き終えていた。

「いきなり時間を取らせて悪かったな」

「いえ、話して頂いてありがとうございます」

礼を言うベルーに対して、ラザリーは何か思う所があるらしい。

「これ、キョウさんからの依頼なら、何か報酬って要求していいんですか?」

「ちょ……ラザリー、お前!」

しかし、そんなラザリーの要求に対して、キョウが面白いと言わんばかりに口角を上げる。

「言ってくれるじゃないか……そうだな。上手くいった時は……まず、街で飯でも奢ってやるよ」

「それだけですか?」

「まぁ、割と重要だからな。もう少し報酬を用意してやりたいが……そっから先は後でもいいか?」

ニヤリ、とラザリーが口角を上げる。

「言質取りましたよ、キョウ教官」

「ああ、いいぞ。ベルー、お前もだ」

「え、あ、はい」

「じゃ、頼んだぞ。俺はもう少しこの辺りを歩いているから、先に戻っていいぞ」

二人と別れて、キョウは再び林道の中へ入る。そうして、二人が見えなくなったことを確認したキョウは……

「……と言う訳だ、話を聞いていたな。もう出てきていいぞ」

「……何で分かったんですか」

キョウの正面から、少女の不満げな声だけが返る。

「視線がこっちを向き過ぎだ。それから、魔力の漏れが強過ぎる。魔術が使えるなら誰でも気付くぞ」

「う」

「あの二人は魔術を使った異変に鈍いから効くけどよ。魔術では誤魔化しが効かない場合もある、と知っておいた方がいい」

「……例えば、どんな場合ですか」

少女は僅かな対抗心から、姿を見せないまま質問する。

「建物を歩く時や葉っぱを踏んだ時のような音の影響は、その魔術で隠すことが出来ない。さっき使った魔術は自分の姿を周りの風景と誤認させるものだな」

図星だったのか、唸るような声が返る。

「何、誰かを追跡するのによく使われる魔術だが……それは夜や見晴らしの良い場所で使わないと効果がない」

「な、何故ですか?」

どうやら少女は、自身が扱った魔術の欠点に気付いていないらしい。そのことが少し微笑ましく感じたのか、キョウはそれを解説する。

「気付いていなかったようだな。お前が立っていたところ辺りの所だけ、木の枝だけあって幹が見えなかったんだ」

「……どういう事ですか?」

「じゃあ聞くぞ。幹が見えない木なんて、気が付いてしまえば違和感しか無いだろう」

あるべき場所にある筈の物がない。そんな現象は誰かが魔術を使っている証だ、と暗に示す。

「あ……だから、キョウ教官はこの林道に」

「まぁ、そういうことだ。中庭にいた時からお前の視線には気付いていたよ。まぁ、流石に誰かまでは分からなかったが……声でようやく分かったよ。魔術科の学生は全然覚えていないし、尾行されるほど用事なんて無いだろうと思っていたが、お前ならあるわな……チェリカだったか」

とうとう観念したのか、ため息をつきながら少女……チェリカが魔術を解いて姿を見せる。

「ハァ……その時からバレていたんですね」

「その魔術は簡易な尾行でよく使われたから嫌でも対策を覚えるさ……それで、お前はどうしたい」

「……聞きたいことがあります。二人を巻き込んだのはキョウ教官ですか?」

その視線は鋭い。魔術を放つ準備すらしているようだ。

「いや、あいつらは勝手に関わってきた。まぁ、同じ目的で動いているなら、協力した方がいいだろう」

「どうして、教官なら危険な行為はさせないべきでは?」

「逆に質問しよう。あいつらは何であんな真似をしていると思う」

「……そ、それは」

チェリカは既にそれを聞いてしまった。だからこそ、返す言葉に詰まっている。

「あいつらはそれなりに覚悟を持って関わってきた。だからこそ、俺は協力させている。後はまぁ……そうだな。例えどんな結果であったとしても、関われなかった時の後悔ほど尾を引くことは……ああ、良く知っているからな」

「じゃあ、あの二人は……」

「間違いなく、最後まで関わるだろう。ま、一番危険な部分は俺がやるがな……それにしても困った。襲撃の可能性があるのに、門番の防衛が不十分だという話を聞いてしまってなぁ。俺で対処出来ればいいんだが、別の所で襲撃者を撃退しなきゃならん。全く、人手が足りないというのは困ったものだ」

キョウが何を言いたいのかが分からないチェリカではない。

「それで、私に協力しろ、と。別に良いですけど」

「それは有難い。それじゃあ、さっき使った魔術をあの二人に使ってやってくれ」

思わぬ言葉に、目を丸くする。

「それでいいんですか。さっき、使えないと言ったのはキョウ教官ですよ」

「何事も使い方次第だ。例えば、目で見える魔術と見えない魔術……お前ならどっちが怖い?」

「それは勿論見えない方がいい……って、そういうことですか」

「あいつらが一太刀で決められるならそれで十分だ。ダメだったとしても、他の魔術で支援すればいい。それに、だ。急ごしらえで使えるようにした魔術より、使い慣れた魔術の方が暴発の危険が少ないだろう?」

「分かりました。出来る範囲で、二人のサポートをやらせていただきます」

「頼んだぞ。ああ、それからさっきの飯を奢る話だが……お前も来ていいからな」

「え?」

「何、金はネイゲートに持たせるさ。それじゃあ、俺は行く所があるんでな。後は任せたぞ」

キョウは手を振って、林道を後にする。その背中を見送ったチェリカは気合を入れるように大きく深呼吸をした。

「私に……出来ること、か」

意を決したチェリカも、キョウと同様に林道を後にした。

 

 



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モンスター対策会議

最近バタバタしていたこともあり、時期が開いてしまいました……
投稿期間が空いてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。



 騎士、魔術教官が集まっている講堂では、翌日にも姿を見せるというモンスターの軍勢に対する対策会議が行われていた。ある者は街の兵士だけで十分だ、と意見するものもいれば、街の兵士の疲弊を考えれば、冒険者の力も借りるべきだという声も挙がっており、話の落しどころが見えていない状況とも言えた。

「皆の者、もう少し落ち着かんか」

ネイゲートの落ち着きのある、かつ威厳のある声が他の教官を黙らせる。しかし、ネイゲートに意見する者もいた。

「しかし、此度の襲撃が如何なるものか見えていない段階で、冒険者の力を借りる必要があるかと言われれば……疑問が残ります」

その者は、騎士科のトップを勤める学院の騎士長。ネイゲートと同じく、学院では高い地位を持っており、貴族出の教官と親交が深い。そんな男の言葉だからか、貴族出の教官の多くが同意するように頷いた。しかし、この言葉にネイゲートは眉を顰める。

「儂としても、既存の兵力で対応出来るならば気にしないのじゃが……度重なる討伐で疲弊している、と街の議会に所属している者から聞いたのじゃ。そうであれば、対策を講じるべきだと思っているのじゃが……学院騎士長、これについての意見をお聞きしたい」

「学院魔術長、この度のモンスターの襲撃は連日続いた規模と同等のものです。わざわざ教官を動員してまで、今回のモンスター襲撃に対応する必要はないかと」

学院騎士長はその証拠として先日から警戒を強化しているものの、ここ数日はモンスターの数が減少していること、やってきたとしても兵士の半分程度しかいないことを挙げた。

「なるほど。それで、今出撃出来る兵士の総数をお主は把握しておるのか」

「…………」

どうしてか、学院騎士長から回答はない。

「実際はどの程度じゃ。儂も人伝に聞いただけの話じゃが、半数は怪我をしている状態と聞いたぞ。例え、遠視の魔術である程度把握出来た所で、実際に出られる兵士がいなかったら意味を為さないじゃろう」

「……ところで、あの男、キョウはどうしたのですか。このような有事の為に雇ったのでは?」

学院騎士長のどうあっても前線に出たくない……という腹を察し、あからさまにため息をつく。

「話を変えようとするでない。後で揉めても面倒じゃから先に言うが、この場でいない理由は儂からある頼みごとをしているからじゃ。それがどうしても外せない用事故、欠席となっておる」

前線に出る準備をしていた騎士の教官達が、学院騎士長に対して諦めた視線を向ける。が、肝心の学院騎士長はそれに気付いていない。

「だとしても、今は騎士科の教官としてここに居るのです。私の指示に従って貰わないと困るのですが」

「それを話すのならば……そもそも、あの男を雇ったのは儂じゃ。付け加えて言うのならば……キョウが学院騎士長の言う事を素直に聞くのじゃろうか。キョウが入って間もない頃、数名の教官を嗾けた上に負けた、という話があるのじゃが……」

耳の痛い話なのか、学院騎士長が返事に詰まる。

「確かに、あの男の戦闘能力は稀なのは事実じゃ。故にそれに頼りたい、という気持ちも分かるがの。それは所詮、キョウの戦闘力に依存した防衛じゃ。口にする気は無かったが……自分たちの力で自衛すら出来ないと王から見なされれば、騎士科の学院長としても立場が危ぶまれるかと思いますが、如何かな」

更に追撃され、学院騎士長は唇を噛み締める。

「……それに今回の件は街としても学院の教官を使ってでも対処すべき内容だ、と意見を貰っておる。お主はたまたま欠席しておったが、街の議会の方では兵力不足が既に問題視されており、冒険者へ募集をかけておる状態じゃ。そんな状態で防衛が可能なのかは大いに疑問が残る。さて、確か騎士科からも代理で別の者が出ていた筈じゃが……どうしてお主がそのことを認知しておらんのだ」

「そ、それは……」

その理由を全て把握しているためか、ネイゲートは呆れた様子を隠さずに話を続ける。

「貴族区の安全を図る動きも必要じゃと思うが……襲撃が近くまで迫っているのに、随分と暢気じゃのう。まずはスコラへの被害を最小限にして襲撃を退けることが第一ではないのか」

騎士科、魔術科を問わずネイゲートの言葉に頷いたことで、学院騎士長の顔が次第に苦い虫を噛んだように変わっていく。

「一応、キョウもモンスター討伐の方には参加させるが……先に言った通りその用事を終えないと来ることが難しい。先にも言ったが、街の兵士たちは既に疲弊している。それ故に、今回の襲撃は冒険者と併せてこの襲撃を退ける。その為にも、騎士教官達にも現場へ出てもらうぞ」

学院騎士長は言い返せる言葉を失くしたため、力なく頷いた。

「ああ、言い忘れておったが、今回は魔術教官にも出てもらうぞ」

思わぬ発言に、今度は魔術教官達が騒めく。

「出来るだけ被害を少なくして討伐する必要があるからの、今回は魔術教官達に罠となる魔術陣を敷いてもらう。それと、今回は冒険者を臨時戦力として投入するが余計な騒ぎは起こさぬように。まぁ、勝手に暴走した冒険者は知らんが、共闘する限りは連携をしっかり行うことように」

「話は分かりましたが……共同でモンスターを討伐するだけですよね。何か問題が起きるのでしょうか」

話を聞いていた魔術教官から、そんな質問が挙がる。研究に精を出しているからか、戦闘には詳しくない教官からの質問だった。

「うむ。大いにある。功を焦る冒険者達が必要以上に前へ出るなどは良くある話じゃ。知り合いのマスターに話を通してこそいるが、暴走する者は暴走する。それから、魔術士同士の連携が為されていないと流れ弾が当たる……までは稀有な例じゃが、標的に魔術をぶつける前に魔術同士が相殺されてしまうことがある」

「魔術同士が相殺……それじゃあ、肝心のモンスターには当たっていないのでは?」

その状況を想定し……顔を青くする教官。

「そうじゃ。故に、戦力の分担、互いの守りをしっかりと行わなければ、余計な被害を出すことがある。これは10年前の記録にも残っておる」

「ご教授痛み入ります。ところで、今回の襲撃には学院魔術長も出られるのでしょうか?」

質問をした教官がそんな疑問を投げかける。ネイゲート自身が実戦で扱う魔術を多数扱えるためだ。

「街の議会からは最後の砦として残って欲しいと言われたんじゃが……気が変わった」

おぉ、と声を挙げる教官達。

「うむ。何より学院騎士長の腰の引きようを見る限り、儂が出た方がいいじゃろう」

ネイゲートの、他の教官から白い眼を向けられ、更に立場を悪くした学院騎士長。

「そ、そうですか……それは何とも、心強いことです」

「さて、お主らにとっては急な話じゃろう。他の教官達も質問があるのではないか。気になることはここで聞くが」

学院騎士長から視線を外して騎士科、魔術科の教官達へ質問を促す。

その直後、騎士科、魔術科の教官を問わず質問が幾つも挙がったが、その全てをつつがなく答えていく。そうして質問が十を超えた所でめぼしい質問が挙がらなくなり……

「最後に、現在作らせている資料を夜に共有したいと考えておる。興味がある者は本日の夜に儂の部屋へ来るように」

ネイゲートの言葉と共に、事前準備の会議は終わりとなった。

 

 

 事前準備の会議が終わり、多くの教官が部屋を後にした頃、会議の直前に学院へ戻って来たアルビーが魔術学院長に向かって歩いてくる。

「すみません。もう少し早く着けたら良かったのですが」

「気にしておらんよ。それより、よく戻ってきてくれた」

アルビーが恭しく一礼する。

「定例報告を済ませた後、久し振りに泊まって行ってはどうかと誘いはありましたが……こちらの方が重要事項ですので。ところで、キョウは何処へ?」

「先程も言ったが、今は別用を頼んで不在じゃ」

殆どの教官が部屋を去った後ですら口を濁したことから、他の者には頼めない依頼をしたとアルビーは悟る。

「そうですか。話しておきたいことがあったのですが」

「あ奴は一度戻ってくる筈じゃが、他の者がいない時間になるじゃろう。言伝であれば聞くが、どうする?」

「承知いたしました。それでは、こちらの手紙を渡してはくれませんか──」

アルビーがネイゲートに、ある羊皮紙を渡す。

「この家紋はもしや──分かった。キョウが来た時に渡しておこう。それで……先にも言ったが、作戦については他の教官にも伝えておきたいこともある。落ち着いたら部屋に来てもらってもよいじゃろうか」

「承知いたしました。それでは準備の方に移らせていただきます。現在の兵力の再確認、装備の確認を学院騎士長が怠っていた分を誰かがやらなければなりませんので」

今すぐ準備に取り掛かろうとするアルビーを呼び留める。

「これこれ、そう焦るな」

「しかし、襲撃にあたって、兵士の様子も見ておかねば余計な被害が出てしまいます。それがこちらの不備であれば、その責は誰が……」

焦りからなのか、アルビーの口調が先程から早口になっている。それを宥める為にも、敢えてネイゲートはゆったりと話しかける。

「それらも大事なことじゃが、お主の他にも騎士教官はおるのじゃ。彼らだってやる気があるのじゃから任せてみるのもよいじゃろう。お主だって、王都の騎士として部隊の指揮を執っておったじゃろう。それと同じじゃ。そう焦る必要は無い。それに、先はああ言ったが、学院騎士長の言う通りでもある。実際、モンスターの襲撃自体はそう大きくない。負傷した街の兵士達だけでは難しいだけでの」

「……すみません。少し、気が急いていたかもしれません」

多少の落ち着きを取り戻したのか、アルビーが大きく深呼吸をする。

「もし、お主に役割があるとするならそれは、極めて強力なモンスターが現れた時じゃ。其の時がお主は寧ろ、指示する側としてどっしりと構えておればいい」

「承知しました。ところで、夜に見せる資料とは何でしょうか」

「聞かれたから答えるが、戦闘に向かない教官達が会議に参加していなかったじゃろう」

「そう言われれば……もしかして、彼らに別用を任せていたのですか」

「うむ。夜に見せる資料とはスコラ周辺に生息しているモンスターのリストじゃ。明日の朝には街の兵士たちにも共有されるじゃろう」

「それは助かります。予め分かっていれば防衛もやり易いでしょう……ところで」

言葉を続けようとしたアルビーだったが、何かに気が付いたらしい。

「……いえ。後程、部屋の方に改めて伺います」

アルビーがわざと足音を立てて部屋を出ようとした時、タッタッタッ……と誰かが走り去っていく音が僅かに響いた。

「……噂好きの学生にも困った者ですね」

「全くじゃ」

「それでは、今度こそ失礼いたします」

そう言って、アルビーは部屋を後にする。そうして自身以外に誰も居なくなった自室で一人、大きくため息をつく。

「全く、この期に及んで権力争いを起こすなぞ、状況が読めていないにも程がある……全く、権力だけで今の地位にいるからそうなるのじゃ。あの馬鹿者め」

ネイゲートは学院魔術長として、学院騎士長の部屋がある場所へ視線を向けた。

 



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酒場にて

 ネイゲート達が会議を行っている最中、学院を出たキョウはセイピオラがいる酒場へ足を運んでいた。

「よう、マスター」

「……キョウか」

しかし、今日に限って酒場の中は閑古鳥。普段であれば、美味しい依頼しか狙わない冒険者が屯している所だが……今日に限っていないことの検討が付いていた。

「この時間なのに随分と人が少ない……ということは、やっぱりモンスター討伐の依頼か」

そう話しかけながら、マスターの近くにある椅子に座る。

「ああ、お陰で暇をしているよ。街からの正式な依頼ということもあって、報酬目当てに受ける奴らも多くてな。いつもなら煩いだけの阿呆の相手をする必要もない。だから、今日は気が楽だ」

「それで、どの位のチームが請けたんだ。あの依頼」

キョウも関わっていると知っているマスターは、隠すことなく答える。

「6チームだ。と言っても、その中の3チームはあまり期待出来ない。何せ、普段は屯している数だけの5人メンバーの阿呆2チーム。それと、新人冒険者が1チーム……こっちは3人だったな。まぁ、そんな感じだ。半分は数合わせといった感じだ」

「成りたての奴らは仕方ないにしろ……請けたチームの内、半分が外れってのは困るな」

キョウの最もな指摘に、マスターが苦い顔を浮かべる。

「しかし、今回は頭よりも数が物を言う。贅沢は言ってられん。幸い、残りの3チームの内、2チームはそこそこのチームだが……今回の依頼程度なら十分に対応出来る」

「へぇ、それで最後の1チームは?」

「ああ、それなりに名前も聞くチームで、俺も耳にしたことがある位だ。6人チームでリーダーを中心にまとまりがいい。安定して成果を出せるチームだから、余程の例外が無い限りはどうにでもなる筈だ」

マスターの評価を聞き、キョウは思わず目を見開く。

「へぇ、それは期待出来るな。で、そのチームに任せたのか」

「ああ、そうしないと前線に出過ぎて無駄死にさせる。その辺りの調整はするさ」

「それなりの手付金は渡したんだろうが、よく引き受けたな」

「どうしても手数が必要だったことと報酬の増額で手を打った。後はあの新人達次第だ」

新人という言葉を聞き、何か思う事があったキョウ。

「そうだな。それにしても新人か、最近はどうも学生の相手をしていたから、そっちが思い浮かぶ」

「そういえば今は学院にいるんだったか。折角だから聞いておきたかったんだが、この依頼……どうなんだ、実際」

「討伐自体はどうにでもなる……が、嫌な予感がしている」

「お前が言うと不穏だな。聞きたくないが、その内容はなんだ」

ネイゲートが視た内容の詳細を伏せつつ、キョウは出来る限り答えられる範囲で答える。

「それなんだが、俺も漠然とした予感でしか言えないし、ネイゲートも全て把握しきれていない。それでもあえて何か言うのなら……予定外のモンスターが出てきそうなんだ、それが厄介そうでな」

そうして……あからさまにため息をついた。

「そのモンスターまでは流石に分からないよな。俺はてっきり、学院の教官として入っているんだから、四年前の事件と関連した相談があるかと思っていたんだが……」

セイピオラがマスターとしてキョウの表情を伺い……己の予想が正しいことを知った。

「……まさか、また?」

「話が早くて助かるが、残念ながらマスターの予想通りだ。例の奴らがこのタイミングで攻めてくる、らしいぜ。ネイゲートを学院魔術長の座から引き摺り落とすきっかけとして、街も学院も守れなかった証拠を作りたいんだとか」

「聞けば聞く程腹ただしいな、どうにか出来ないのか」

「ま、誘拐する連中は俺が狩るからどうにでもなるとして……だ。今回は前回と同じ手法は取らないはずだ。そうすると、奴らはどう仕掛けてくると思う?」

キョウの質問に考える間も無く、答えは出た。

「……学院に直接、か」

「そういうことだ。通常なら攻めようとも思わないが、学院の教官はモンスターの襲撃に向かうからな。攻めるなら、そのタイミングしか無いだろう」

「今回は大丈夫なのか」

自身にも関わることだ。思わず詰め寄ってキョウへ問う。

「奴らの手もある程度読めているから大方は……それでも、不安要素が残っているけどな」

「何だそれは。学院の教官の腕は知らないが、お前とネイゲート様がいれば倒せない敵なんて早々いないだろう」

「だけどな、俺らがいない場所での不意打ちは対応出来ない」

「それはそうだが何処で……そうか、だから学院か」

「どうせ攪乱目的だから人数は割けないとは思うが」

ここで、ある疑問が浮かんだ。どうしてキョウはここに足を運んだのか。モンスターの襲撃が近いと言われているのに……そうして、その理由に気付く。

「……俺はどうすればいい?」

キョウの口角がおもむろに上がる。

「今回のモンスター討伐を請けたチーム、一チームだけこっちに回すことは出来るか?」

「厳しいな……そっちの方が楽だと言って荒れる可能性がある」

しかし、キョウに悲観した様子は見られない。それどころか、マスターにとって予想外のことを口にした。

「それは仕方ない。じゃあ、お前は戦えるか?」

「……昔使っていた槍は持っているが、何人が相手だ?」

「多くて二人と見ている。あぁ、先に言っておくと、学生も二人参加するからそんなに苦戦はしない筈だ」

「おいおい、学生に戦わせるのか。お前は……」

「そいつらは自ら関わりに来た。それ位は覚悟してもらわないとな。ま、その学生達も俺がいる間に扱いたから、お前がいなくともそれなりに粘れる想定だ。ついでに、魔術が使える学生にも粉をかけたから……そいつも加われば、結構楽だとは思う」

一瞬、報酬の為に仲間を殺すような冒険者達が頭に浮かんだマスターだが……キョウが思った以上に手を回していたことに気付かされた。

「だったら、俺がいなくてもいいだろう」

「これでも一応、ネイゲートから学生を危険に巻き込まないでくれ、と言われている。だから、補佐を付けたいんだ」

「……仕方ないな。お前には大きな借りがあるし、その依頼はネイゲート様の頼みでもあるんだろ。だが、高いぞ。俺は」

「その辺りはネイゲートに言ってくれ。ああ、それと」

キョウが懐から二つ折りにした紙を取り出す。

「そっちの片が付いたら、学生達にこれを渡して欲しい」

「……これは伝言か、いいだろう。ところで、ネイゲート様は今回の討伐に出られないのか?」

「今頃やっている会議次第とは言っていたが……出ると思うぞ。学院騎士長とやらが保身に走っているらしい、とネイゲートから聞いた」

「随分と悠長だな……モンスターの集団は明日か明後日くらいに来るんだろう?」

「魔術で捉えているモンスターの動向ではそうらしいな」

「なら……今回は何とかなるのか?」

しかし、キョウの顔は芳しくない。

「何かまだ不安要素があるのか?」

「まぁ……ちょっと手が足りていないのは事実だ」

「何故だ。学院の襲撃も、モンスターの襲撃も想定外が起きる可能性こそあれど、準備は進めているんだろう」

「お前には伏せる理由が無いから言ってしまうと……実行犯の確保だ。以前は人里外れた森で危険なモンスターの召喚を行った結果、その召喚者や関連する人物を取り逃がした。後で聞いたが、召喚の際に主要な関係者が軒並み死んだとか。だから、今回こそ証拠を掴みたいんだが……今更、戦力を分けることなんて出来ないだろう?」

「そうだな。俺としても何とか手を貸してやりたいが……厳しいな」

何かないものかと悩むキョウを見ながら、何か情報がないかとマスターも記憶を探る。そして、ある噂を思い出した。

「そういえば一つ、気になる話がある」

「何だ、良い情報か」

「分からない。これは鍛冶屋のコランダムを通じて聞いた話なんだが……スコラを流れる水路があるだろう」

「ああ。確か、上流部にある塀の先は森に繋がっているんだよな」

「良く知っているな。で、その上流部なんだが……ここ数日間で貴族が夜毎に訪れている、という噂を聞いた……と言っても、スコラを囲う塀の外で馬車を走らせる音がするという話なんだがな、実際は」

その場所に何か思う事があったのか、キョウの目が何かを見定めるかのように細まった。

「気になるな。塀の外だから誰かは分からないだろうが……思い当たる節はあるか?」

「分からない。だが、この街に駐在している貴族の分家ではないことは確かだ」

「証拠でもあるのか」

「ああ、といっても単純な話だ。貴族の馬車がスコラから出るのなら、必ず門番で確認される。只でさえ、各地の貴族はモンスター退治に追われている状態で、用も無いのに分家の者を呼び戻す理由もない。その上、連日街を出て行った馬車もいないという話を街の駐屯場で聞いたからな」

「……そういうことか。だから、街には駐在していない貴族が来ている、と」

「憶測かもしれないし、馬車じゃない可能性もあるがな」

マスターとしては気になる程度の話だったが、キョウにはそれなりに満足いく話だったらしい。そうか、と声をかけて席を立った。

「助かった。時間があれば確認する。さて、ネイゲートの所に戻って色々と共有しないとな」

また今度顔を出すと言って、キョウは酒場を後にした。

その様子を見送ったマスターは、一つ大きくため息をつく。

「…………全く、俺はもう引退したっていうのに」

そして、カウンターの奥にある扉へ入っていった。

 



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酒場にて②

サブタイトルを考えるのが面倒になってきたこの頃。



 スコラのある宿の一室に冒険者のチームと思われる6人が集まっていた。そんな彼らは、マスターから依頼を請けたチームである。

「それにしてもこの依頼……やたら報酬がいいけど大丈夫か?」

「私も気になっている。基本の報酬ですら普段より3割もいい、というのはちょっとね。あのマスターが出す依頼に……変な噂はあまり聞かないんだけど」

その内、2人は請けた依頼について、妙だと感じているらしい。

「気にはなるが、アダンはどうしたい?」

「私も同じ。それで、アダンはどう考えているの?」

男性4人、女性2人から構成されるこのチームは他国にチーム名が届く事こそないが、多くの依頼を熟してきたチームだ。しかしながら、依頼を通して多くのマスターが顔を知っており、その実績から依頼を頼むマスターが多いという。

「皆の言う通り、最近は需要があるからただの討伐でも報酬が良いのは分かる……それでも妙だが。よっぽど、街の兵士が疲労している状態なのか。それとも、それ以上にそうするだけの事情があるのか。何れにしても気になることばかりだ」

「だが、この依頼を逃げるつもりは無いだろう」

「あぁ、これを達成すれば、かなり余裕が持てるからな。とは言え、今回は新人もいるから無理な真似はしないつもりだ」

アダンの決定に、他のメンバーはどう思ったか。

「報酬が欲しいから欲張りたいけど、流石にねぇ……」

「ま、そうだよな。下手に武器を傷めて補修費用が嵩むよりはマシだろうし」

「新人の手当てが付くんだ。まずはそこで様子見だな」

異論はなく話が終わる……かと思いきや、杖を持った女性が何かを思い出した。

「そういえば、アダンだけはマスターから呼ばれているんだっけ?」

「ああ、何やら他のチームのリーダーだけ集めて話したいことがあるらしい」

「まぁ、あの場にいた全員を集めて話すのは面倒が起きそうだもんな」

「とんでもない無茶振りじゃなきゃいいんだけどね」

「その点も気になっている。只でさえ、街に襲来するモンスターを討伐するだけの依頼に……わざわざ呼び出す理由が、な」

「そうよね……特に、私達は新人君を見ることになった訳だし。気になることは聞いておきたいわね」

「ああ、だから聞きたいことを今の内に俺へ話して欲しい。その時に確認する」

杖を持った女性が立ち上がる。

「あの子達も呼んでくるわ。こういう事も含めた報酬なんだろうし」

「分かった。連れて来てくれ」

そうして新人達を入れたチームメンバー達は、マスターに聞くべき内容を纏め始めていった。

 

 

 

 日が落ちて、空の色が深い群青の色に染まった頃、冒険者のリーダー達は酒場に集まっていた。その知らせを下働きから受けて、セイピオラはマスターとして仕事をしようとカウンター奥の扉から姿を見せて……

「さて、集まってくれて感謝する……ん?」

要請をかけていたチームリーダーは5人。しかし、実際に集まっていたのは3人だった。

「おい、あいつらは何処行った?」

そのぼやきを、席に座っていたチームリーダーの1人、ニコラードが返答する。

「マスターが呼んだ2人はさっきまでいたけど、報酬の話じゃないと知るや街に出て行ったぞ」

「おいおい……」

マスターとして呆れるしかないが、実は予想が出来ていた。冒険者とは総じて金にがめついものだが、2人が率いるチームは目先の利益に対して、特に食い付き易い傾向があり、それが原因で過去には揉め事も起こしていた……悪い意味で名を知られていたチームだったからだ。

「まぁいたらいたで、彼らはいるだけで空気を悪くするだけでしょう。それで、わざわざ我々を呼んだ理由は何でしょうか」

嫌味混じりに話すのは、ニコラードとは別のチームリーダー、ブライソン。彼は家柄が良いらしく、冒険者自体は武者修行の一環と考えている節があるらしい。

「ま、妙に報酬がいいし、何かあるとは思っているけどよ」

「我々としても気になるところがあったので、是非話を聞きたいと思っていた所です」

「……そうか。まぁいい。他の者が来た時に聞かれたくないから、上に上がってくれないか」

マスターの言葉を聞き、集まっていたリーダー達の目が丸くなる。

「あ、ああ……」

「わ、分かりました」

「…………」

各マスターは各々の裁量で依頼に合わせ、依頼の詳細を個別スペースで説明する時がある。単純な依頼故に思う所があった彼らは、納得半分、驚き半分でマスターに続く。

 

 二階に上がり、全員が席に着いた所で、マスターが口を開く。

「さて、今回の依頼だが……話していなかったことが色々あってな」

「まぁ、そうでしょうね。で、その話は何ですか」

「そうそう、折角来たんだ。知っていることをしっかり話してもらうぜ」

酒場の主と同時に、冒険者のチームに依頼を手引きするマスターは人を見る目がなければならない。そのマスター歴が10年近いセイピオラの目から見ても、2人が率いるチームはそれなりの場数を踏んでおり、込み入った依頼でなければ頼り易いチームだ。

「腹が据わっていて助かる。さて、その話だが……まず、街にいる兵士の半分が負傷して出撃出来ない。その代わり、駐屯場などからの要請で学院の騎士教官と魔術教官が派遣されることになった」

「ま、そんなことだろうとは思ったが。最近は色んな街でモンスター騒ぎが起こっているからよ」

「私達としては稼ぎ時なので有難いですが、こんな依頼ばかりなのは気になりますね」

ただ、チーム名やリーダーの名前は周辺の街や村が知る程度。これから名を広めていくにはもう一歩の経験が必要だ……そんなことをも感じていた。そんな中、今まで黙っていたアダンが口を開く。

「マスター、本当にそれだけか。襲来するモンスターの処理を我々が多く負担する故に報酬の増額は分かる……だが、それだけの為に我々を呼んだのか」

「これはまだ想定の範囲だが……非常に危険なモンスターが出るかもしれない、と聞いた」

「どうして、それが分かるんですか?」

「俺も人伝に聞いただけだから半信半疑だが……この国の賢者と言われたら、お前達は誰を思い浮かべる?」

「そりゃあ……ネイゲート氏ですね」

ニコラードの言葉に、アダンとブライソンの2人が息を合わせたように頷く。

「実は訳あって、ネイゲート氏とちょっとした知り合いなんだが……今回のモンスター襲撃に乗じてある連中が強力なモンスターをスコラに嗾ける可能性がある、らしい」

「予言の賢者とも言われるネイゲート氏が言うなら、起きそうですね……」

「だとしたら……幾ら俺らでも全滅する可能性が出る奴の相手はしたくねぇな」

その状況を頭に思い浮かべた2人が、苦い顔を見せる。

「だからこその高額報酬だ。多い分は危険手当と思ってくれ。出ないに越したことはないが、出てきた際は最大限に警戒して欲しい。只でさえ、ネイゲート様でもどんなモンスターが出るか分かっていないそうだ」

「でも、出てきたら対処しなきゃいけないでしょう、誰がやるんです。幾らネイゲート氏でも、数が多ければ対処が難しいのでは?」

「それには一つ当てがある。今回の依頼したメンバーには居ない戦力が一つ、な」

「一体どんなチームなんですか。そんな、どんなモンスターかも想像が付いていない段階で、マスターから見ても倒せてしまいそうな手合い……まともな奴でいるんですか?」

「俺も詳しくは聞いていないが……ネイゲート様が直接引き抜いたらしい」

「へぇ、そんなチームがいたんですね。ネイゲート氏であれば、名のあるチーム名を引き抜くかと思いましたが……」

棘のある言葉に苛立ちを覚えたセイピオラだったが、その空気を嫌ったニコラードが口を挟む。

「まぁ詳しいことはよく分からんが……要は、時間さえ稼げば当てはあるってことだな」

「ああ、そういうことだ。だから、前線に立ち過ぎないように注意してくれ。これは恐らく、街の兵士にも似たような指示が出ているはずだ」

「マスター、一ついいか」

それまで話を静観していたアダンが口を開く。

「マスターが過去に冒険者だったことは知っているが……何故、部屋に槍を?」

「……俺だって偶には槍を振るいたいという時もある。実際、冒険者を引退してこの酒場をやっているが、普段の動きだけじゃ物足りない時があってな。置いているのはそれだけさ」

そう言って誤魔化したつもりのセイピオラだったが……

「だとしても、わざわざ武器を持つ必要なんて無くないか?」

「あまり深入りすべきではないのですが、気になりますね」

質問しなかった二人からも、不信感を持たれてしまった。とどめに、確信すら含んだアダンの質問が刺さる。

「……その依頼、本来は我々に振る予定だったのですか?」

その眼を見て、隠し通すことを諦める。それは、ここでアダンに降りられたら色々と不都合ということもあった。

「……実の所、急に振られた話だ。だが、街に住む者として請けない訳には行かなかったし、お前達に振ろうにも、タイミングが悪かった。だから、俺が動くことにした、それだけだ。それよりまず、お前達は自分たちの依頼をしっかりやってくれ」

詳細こそ話せないが、そもそもキョウから請けた立派な依頼でもあった。

「マスターの金銭感覚が狂って、いよいよボケでも始まったかと思っていましたが……そっちもそっちで大変ってことですか。分かりました」

「ま、仕方ないか」

「マスターからの話は終わりか?」

「ああ、直前でこんな話をして悪かったな」

「いえ。お陰で背景は理解できましたし、気を付けることも分かりましたので」

「そうそう。何も言わないで依頼に行かせるマスターもいるからなぁ。それに比べればずっとマシでしょ」

そう言って、2人のリーダーは部屋を後にする。1人残ったアダンにも帰るよう催促した時。

「そう言えば、マスター」

「何だ、まだ聞きたいことがあったか」

「大したことではないですが……娘さんがいましたよね。1人にさせるんですか?」

「そっちまで気にしてくれるとは、流石はアダンだな。だが、問題ない。知り合いの所に預けることにした」

「そうでしたか……もし、何かあったら言って下さい。出来る援助は行います」

「その心遣いは助かる。が、まずは自分たちのことを気にしてくれ。ネイゲート様にも分からない危険なモンスターの足止めは、かなり厳しい筈だ」

「そうですね。まずは依頼の方をしっかりとやらせていただきます。それでは、失礼」

最後に残ったチームリーダーもそう言って部屋を去って行った。

「さて、早めに片付けばいいんだが」

そうして、最後に残ったセイピオラも、自身の槍を持って部屋を後にした。

 

 一方、マスターからの招集をサボった二組のチームは、店員が全員女性、かつ煽情的な姿をしている酒場で酒を呷っていた。

「いよし、いやぁ最近は金の入りがいいぜ、本当によぉ!」

「全くだ。以前は酒も女も満足出来なかったからな。とはいえ、明日から仕事だ。今日くらいは抑えておかないとなぁ……」

それでも、卓を見れば全員が片手程のジョッキを4杯は呷っている。

「でもよぉ、リーダー。マスターに呼ばれていたんだろ、行かなくて良かったのか?」

「あの渋ちんの親父にはこっちから手柄挙げて、貰えるだけの報酬をぶんどればいい。何、俺達だったら出来るだろう?」

そう言いながら、視線は店員の女性に映っている。ただ、その視線は慣れているはずであろう売り子達も嫌気が差しているのか、声を掛けないと近寄ろうとしない。

「ははは、全くだ!」

「おおい、姉ちゃん。酒を追加だぁ!」

「はーい。お酒追加、頂きましたー」

明るい声とは裏腹に、彼らから視界を外した瞬間、冷めた視線を向けた売り子が注文を取りに行った。

 




時間が空いてすみません<(_ _)>

バタバタしていると書けないものですね。
これですら、キョウ以外の視点としてこんな動きもあるよ~程度に書いていて、元々は投稿範囲に入れる気は無かった話だけど……話は作っておくものですね。


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六章 防衛戦
前夜


 空が深い藍に染まる頃、十数名前後の教官らはダットやノインから渡された資料に目を通していた。遅れてやってきたアルビーが資料を一通り読んだ後、ネイゲートへ近付き、他の者には聞かれ辛い様に声量を抑えて口を開く。

「キョウはどうしました?」

恐らく、自身が持ってきた情報についてどう感じたか聞きたかったのだろう、だが。

「済まん、もう出て行ったようじゃ」

「そうでしたか……」

そう言って、困ったようにため息をつく。だが、それについては問題ない。

「一つ、言伝がある……裏を叩いてから合流する、だそうじゃ」

「分かりました。ならば、あの男が合流するまでにモンスターを掃討してみましょう」

「うむ、その意気込みは頼もしいの」

一礼して、他の教官達の元へ戻る。

「ところで皆の者。モンスターのリストには目を通したかの」

最後にやってきたアルビーが読んだので、確認の意味も込めて尋ねると、その場にいた全員が頷いた。

「もう読んでいるから分かっているとは思うが、先程渡した資料は今回の防衛に際して、現れると考えられるモンスターの一覧じゃ。元々がスコラ周辺に生息しているものばかりじゃから、戦いやすい相手ではあるじゃろう。しかし、油断はしないで欲しい。群れたモンスターは時に連携して攻撃する上に、街の兵士の数も限られておる。故にお主達の力で早期撃墜を図り、兵士の負担を減らすのじゃ」

教官達から士気の高い返事を聞いたので、今日はこれで終わりかと思っていたが……

「すみません、学院長」

何か質問があるらしい。資料に不備でもあっただろうか。

「何か聞きたいことがあるかの」

「はい。この時間に我々だけ呼んだ理由は何でしょうか。私はてっきり、学院長が独断で登用されたキョウという男の動きも聞けるのか、と思っていたのですが」

今、この場にいる教官達は自分自身が声を掛けた騎士教官、魔術教官達だ。彼らに共通する点は、貴族の権力と言う柵に関わりが薄いこと。

「……昼の会議でも、キョウ教官がここに居ないことを話ししたじゃろう」

「はい。だからこそ、今一体、何処で何をしているのでしょうか」

確かに、内部にいる間者を危惧して信頼できる者にしか詳細を話していなかった。だからこそ、ここまでスムーズに事が運べたとも言える。ならば、後は……

「……まぁ、そろそろ言っても良いか」

そうして大きく、ため息をつく。キョウが眉を顰めるのは分かっているが、これは仕方ないだろう。

「確かにお主達には何も話していなかったからの、事情が分からないのも仕方ない」

あの当時をことを思い返そうとすると、苦々しい日々であった、その動機に苛立ちを覚えたのは一度や二度ではない。

「……皆は4年前の事件を覚えておるか」

当初から協力してくれたアルビーやファリエ、そして何よりキョウが居たからこそ、自分自身がまだこの場所に居られるのだろう。

「今まで言っていなかったんじゃが、あの時も儂は秘密裏にあの男へ依頼をしたのじゃよ」

「……それは、どのような依頼でしょうか」

そんな自分の様子に何を感じたのが、質問した教官が恐る恐る声を絞り出す。

「うむ、当時動いていた誘拐犯の殲滅じゃ。まぁ、余計な厄介事が加わってしまったがの」

ああ、全く。キョウには苦労をさせている。それは間違いなく、この場にいる他の誰にも出来ない役割だ。

「誘拐犯の殲滅以外の厄介事ですか」

初めて話したからだろう、アルビーとファリエ以外の教官達が思わず目を見開いた。この分なら、この背景から話してしまっても大丈夫だろう。

「あ奴が去った後にでも触れる程度に話そうとは思っておったが、ここまで疑問を持たれていては仕方ない。要約すると、4年前の事件の続きなんじゃよ。今回の件」

ああ、やはり。この場に集まっていた教官達は愕然とした顔を見せた。

「さて、この状況。主らが儂を追い落とそうとする立場なら、どうやって攻めると思う」

「…………このモンスターの襲撃を利用して、ですか?」

及第点、じゃな。

「その通りじゃ。現に奴らは、今もこの学院に入るタイミングを図っておるはずじゃ」

「では、ここを我々が空けては不味いじゃないですか!」

最もな意見ではあるが……今から言うそれを誰が出来るのだろうか。

「では聞くが、お主達は何処から暗殺者が入ってくるか読めておるか。それから、暗殺者十数人を1人で始末出来るか」

「え……?」

やはり、返答に窮している。それも当然だ。事件が終わった後に学院内部の調査を行ったものの、それらしい痕跡を見つけることが出来なかったため、塀の上から侵入した、と記録しているからだ。後者の質問も同様だ。暗殺者の排除という点も、数人で掛かれば倒せる者もいるだろう。だが、1人という条件が付くと……果たして、どれだけの者が出来るだろうか。

「故に、儂はあの男に依頼した。まぁ、暗殺者の始末はこれからなんじゃが」

「……」

ふむ、何と言おうとしているか困っているようじゃな。既に余談なのだからそろそろ締めにしてもいいだろう。

「今、話した通りじゃ。学院の守りは既に用意した。じゃからこそ、お主らはモンスター襲撃に専念して欲しい」

学院魔術長お墨付きとは言え、実力しかない冒険者風情と思っていた男は、初めから誰よりも前線に立っていたのだ。

「ハッ!!」

ふむ、モンスターの方は予定外を除けば問題ないだろう。力強い声と共に一礼して教官達は部屋を後にしていく。ただ、アルビーとファリエがその場に残った。

「他に聞きたいことがあるかの、両名」

アルビーが一礼してから口を開く。

「あのタイミングでキョウの話をして良かったのですか?」

ああ、ファリエも同様の思いがあったのか、その質問に小さく頷いておる。

「まぁ、彼らも疑問に思っていた頃じゃったし、裏切るタイミングは疾うに過ぎた。じゃから、話しただけじゃ」

「なるほど。それからもう1つ、私達はお聞きしていた危険なモンスターについて、あの資料に記載されていなかったようですが……」

「儂も分かれば良かったんじゃがな……流石に奴らの魔術陣を見ることが出来なかった。じゃから、どのような輩が現れるか分からん以上、書けなかったんじゃ」

「それは仕方ないですね。多少の不安は残りますが、何とかこの街を守って見せましょう」

「それでは、学院長……明日もあるのですから早めにお休みください。我々もここで失礼いたします」

目の前にいるのは、元々王都に席を置いていた優秀な人材……その彼らが、スコラにいることを有難いと思いつつも、勿体ないと感じてもいた。それ故、息を吐くように独り言つ。

「儂には勿体ない2人じゃのう……全く、苦労ばかり掛けさせる」

その独り言を聞く事なく、2人は部屋を後にした。

「あの時と同様の胸騒ぎじゃ。何処まで対応出来たかは分からんが……後はやはり、キョウ次第じゃな」

自身が信頼する最大の協力者を信じ、一息つくために冷や水を飲む。

「あ奴が鍵じゃ。防衛線は最終的に崩されるじゃろうが……出てくるであろう凶悪なモンスターを薙ぎ払う。ノインの件も何か対策をしてくれたじゃろう」

そうして、襲撃前の夜は更けていく。

 

 

 

 

 一方その頃、話題に挙がっていたとは露とも知らない本人は……

「さて、潜入は慣れているが……暇だな」

昼も夜も無い暗い通路、キョウはそこで来るべき時に備えて待機……なのだが、セイピオラの元へ行ってから一度休んでいたため、体力に余裕がある。そのため、時間を持て余していたので体を動かしていた。

「体が動かせるだけ、マシだけど、さ!」

蹴り、拳による突きといった動作を通して、体を慣らす。風圧で音が鳴りそうなほど強い蹴りに加え、反響する程の踏み込みから、灯りの側で見てもなお追えない速度で突き出される腕。もし、他の教官や学生が今のキョウを見ていたら、驚きから顎が落ちていただろう。

 

そんな準備運動も十分と判断したのか、キョウは無雑作に座り、再び時間が過ぎるのを待つ。そして、その手には一枚の羊皮紙が握られていた。

「で、深夜に来ると言っていたが、何時頃来るんだ?」

キョウが持っていたのは、ネイゲートから渡されたメモ……元を辿れば、アルビーからの言伝であった。それが渡されたのはこの地下通路に潜入する前、報告の為にネイゲートの部屋へ足を運んだ時のことだった。

 

 

 日が西に沈み始め、空が橙から深い藍に染まり始める頃、キョウはネイゲートの部屋にいた。それが渡されたのは自身が部屋を後にしようとした時だ。

「よし、それじゃあそろそろ出るぜ」

「おお、キョウ。最後に渡しておくものがある」

ネイゲートから紙を受け取り、内容を一読する。

「……誰がこの話を?」

その内容に、思わず眉間に皺が寄る。

「アルビーがスコラへ戻る為に移動していた時、主から言伝を頼まれた、という者から聞いた話じゃそうだ」

「おいおい。早速、胡散臭いな。というか、何故アルビーは留めなかったんだ」

「どうやら、こちらに戻ることを優先していたようじゃ。まぁ、従者の主については名乗っていたかもしれないが……馬の蹄の音でかき消されてしまったらしい。まぁ、そういうこともある」

思うことはあるが、得られなかったものを気にしても仕方ない。

「ま、お前がそれでいいならそういうことにしておくさ。で、誰の従者なんだろうな。一応、整理だけはしておくか」

「そうじゃな。先に言っておくと、その従者は家紋が刻まれた服を着ていなかったらしい」

「まぁ、そうじゃなきゃ聞きそびれていたとしても、アルビーなら気付けるよな。単に家紋を刻んだ衣服を渡されなかっただけかもしれないが……逆に言えば、周囲にも同じように立ち振る舞う必要があったとも言える、か」

「ふむ。お主はどう見る。儂としては後者の方が有難いが」

只の下働きか、それとも家臣がわざわざ身分を隠す必要があったか。それは当然……

「俺もそっちの方が助かるけどな。今の俺達じゃあ、どう足掻いても召喚現場まで行って、術者を捕まえるだけの足と戦力がない……それがもし、使える手だとするのなら、使いたいところだ」

「お主とは何だかんだと言いながら長年の付き合いじゃ。それを見込みでじゃ。この件、お主の判断に任せたい……良いか?」

「全く、面倒ばかり振ってくる。ま、分かったよ」

「頼んだぞ……それと、死ぬなよ」

全く、どっちが言えたことか。

「誰に言ってんだよ。それに、俺が死ぬ時はもっとやべえ相手じゃねえとな」

 

 

 

 そんな夕暮れの一時を思い返していた時、ある筈の無い人の気配を感じたキョウは、迷いなく灯りを消す。

「…………」

暗殺者であれば戦いは避けられない。しかも、キョウは逃げる場所も無ければ隠れる場所すらない一本道の地下通路にいる。早期に姿を見られてしまったならば、熟練の戦士でさえ、死を覚悟するだろう。

「…………」

故に、息を殺し、気配を殺す。そうして、地下通路に屯すネズミすら危機を感じず、通り過ぎる。

「……」

水の音に混じり、薄っすらと足音が聞こえる真っ暗な通路。

そこを歩く何者かは、ゆっくりと学院の方へ向かっている、人数は足音から2人と見る。

敵だった場合を想定し、地下通路へ潜入する時に持ってきた小振りのナイフを握る。しかし、敵にしては違和感があった。話す声が聞こえる、足音を抑えるような様子が見られない。しかし、こういった場面では、一瞬の油断が死を招く。ただ単に、気が抜けている暗殺者が不用心に話しているだけかもしれない。そう気を引き締めていたが……

「──へぇ」

思わず声が出てしまう程に、違う点があった。

出で立ちの良い服を着た仮面をつけた男と護衛と思わしき兵士は……あろうことか、灯りを持っていた。

剣こそ携えているが、鞘から抜く素振りも魔術を使う素振りもない。これならば、返り討ちにも出来るだろう。

「護衛が1人、か……随分、大胆じゃないか」

故に、声を掛ける。すると、仮面の男が口を開く。

「貴方が彼の事件で暴れたという依頼者殺し……ですか」

……!

「おいおい。その名前で俺のことを聞くなんて、大概がろくでなしなんだが」

思わず、ナイフを握る力が強くなる。さて、斬るべきか、否か。だが、まだ情報が足りない。兵士は既に警戒を露にして剣を抜いている。本人は気付いていないようだが、この場所で戦うには刃が長過ぎる。対して、仮面の男は構える素振りすら見せない。

「そうでしたか。それは失礼しました……では、キョウさん。貴方と取引をしたい」

……さて、乗るべきか、否か。向こうは何かしらの考えがあるのだろう、だが。

「……俺は雇われだ。話す相手が間違っているぜ」

さぁ、この仮面の男はどうでるのか。

「ですが、ネイゲート様は貴方のことを信頼している、とお聞きました。ならば、貴方の判断をネイゲート様が受け入れることもあるでしょう」

何故、そのことをこの男が知っているのか。やはりアルビーの言伝通り、話をする為に来たのは裏切る為なのか。だとしても、何故裏切る必要があるのか。

「……そうか、まずは話を聞くとしようか。だが、その前に素性を明かしな。この地下通路の出口には人が居ないんだ。それ位はしたらどうだ」

すると、仮面の男は露骨に息を吐いた。ため息というよりは、安堵のようにも見える。

「そうですか。それは有難い」

そう言って、男は仮面を取る。

「──そうか、そういう……」

その顔にキョウは見覚えがあった。正確に言えば、似ている顔立ちを学院で知っていた。

「──スコラの学院では、妹が世話になっています」

「そういうこと、か。じゃあ、話を聞こうか」

一つ、大きくため息をつく。そして、ナイフから手を離した。

 

 

 とある街のある一室で、老人と中年の男が月明りを照明代わりにして話をしていた。

「フン、後はあの小僧の仕事だけだな」

「しかし、本当に動くのですか。私としては、不安なのですが」

「不安になるのも分かるがの、奴はやらざるを得まい。そうしなければ、あの小僧は自身の家が取り潰されるからな」

自身の作戦に自信を見せる老人だが、男が眉を顰めている。

「どうした……あの小僧が何か不審な動きでもしていたか」

「気になることが、一つ」

「言ってみろ」

自身の方針に水を差す目の前の男が気に入らないものの、そう考えるだけの理由を聞かなければならない。

「今回の作戦に一番反対しそうな筈のあのイオレイトが、一歩も家の外へ出ずに粛々と準備を進めているのです」

「良いではないか。何を恐れる理由がある」

「ですが前提として、あの男の妹がスコラにいます。その状況で便りの一つも出さず、着々と準備を進めるとは考え辛いのです」

「知れたこと、あの小僧は妹より己の父と儂の孫を優先した……それだけの事じゃ。作戦が成功した暁には、爵位を上げてやっても良かろう。万年男爵のあの家には良い報酬じゃろうて……で、それだけなのか」

そんな考えであれば叱咤の一つでもくれてやろう……そう考えていた老人だったが、耳を疑う報告があった。

「イオレイトの家から出てきた従者が王都の方へ向かいました」

「スコラではなく、王都、だと?」

「はい、スコラへ向かうのでしたら捕まえるよう暗殺者には命じておりましたが、王都の方へ早馬で向かったことから取り逃がしました」

「どうして捕まえなかった!」

「……間に合わなかったのです。我々も追手を差し向けましたが、従者が王都への街道に入った段階で撤退しました」

そんな報告が今まで無かったこと、そして、そんな行為をむざむざと許した目の前の男に怒りが湧く。

「王都へ着く前に捕まえれば良かっただろうが!」

「彼らは暗殺者です。下手に街へ近付けば、検問で引っ掛かるでしょう。そうなれば、検問の兵士を暗殺する必要が出てきます。流石に、そこまでのリスクを負えなかったのです。また、そんなことがすれば、我々の顔を知っているあの男が我々を密告したはずです」

「フゥゥーーー……」

男のミスに苛立つものの、それを今責めても仕方ない。だが、期待通りの働きをしない男と、監視出来ていなかった男と暗殺集団には怒りが収まらない。

「いいか、この作戦はもう失敗できないのじゃ。我々がこのカルセオを支配する最後の機会なのじゃ。失敗した場合は……分かっておるな」

「……ハッ」

「もう、良い。さっさと下がれ」

男が一礼して部屋を後にする。

「通りであれの到着が遅い訳じゃ……作戦が明日の明朝だというのに。まさか、このタイミングで裏切るつもりか、あの小僧。我らの宿願を邪魔するつもりか」

自らを祝福する筈の夜空は、何時の間にか厚い雲で覆われていた。

 



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街道にて

うーん、だいぶ期間が空いてしまった(読んで下さっている方には申し訳ない)

上手く時間を使って書かなきゃいけない事と、期間が空くことで当初考えていた構想を忘れていないか、とても不安である。とりあえず、キリが良い所までは書かないと。


 スコラの街から伸びるなだらかな平原には、王都までを繋ぐ街道が引かれており、多くの商人や旅人、冒険者などが通る道だ。街道の間には幾つかの休憩所や中間地点の村があり、彼らはそこで馬や自らの足を休ませ、最後に川を越えると王都まで到着する。他に比べれば、護衛がいなくとも旅ができるような比較的安全な街道だ。しかし、そんな街道に今、街の兵士や学院に所属する教官、他にも追加戦力としてか幾つかの冒険者チームがその場所で何かを設置し、森に居る誰かに対して警戒を露にしていた。

 

 事情を知らぬ旅人や商人は何事かと話をするも、準備に忙しい街の兵士からは重要な情報は貰えず、安全を確保したいなら先に進んで欲しいと言われるだけ。そのように忙しなく準備を進めている中で気に喰わない、と言いたげな顔でその状況を眺める一人の男がいた。

 

「全く、なんでこんなことを我々が……街の兵士に任せていればいいだろう」

 

憎々しげに呟く男は学院騎士長。立場こそ学院の中では優遇されているが、ネイゲートという目の上のたんこぶがいる為、何をするにも自由にことを進められない。故に、日頃から自分の立場に不満を抱いていた。

 

「……全く、私に決定権があれば、もっとコンパクトにするというのに」

 

今回の作戦すらも現場の指揮こそ任された身だが、ネイゲートの指示で動いているようなもの。そんなネイゲートが学院から消えるならば、この防衛作戦すら失敗してもいい。決して口には出さないが、そんなことすらも頭に過る程に彼の不満は積み重なっていた。

 

「学院騎士長、事前準備が終わりました。想定されている襲撃の時間まで陣形の確認を」

 

しかし、彼は気付かない。いや、気付こうとしない。勿論、彼の意見が取り下げられる理由には、ネイゲート自身の見識の高さに叶わない事や他の者には告げていない力……それらもあるだろう。

 

「分かった。ところでアーベルト、どうしてネイゲートは冒険者共にも学院で作った資料を共有した。こちらの資料なのだ、わざわざ見せてやる必要などないだろう……奴らが前線に出たとしても、幾らでも代わりがいるだろう」

 

しかし、彼の意見が通らないのは、物事に対する傲慢な姿勢に他ならないのだから。

 

「いい加減に状況を理解するべきかと、学院騎士長」

「しかしだ。ネイゲートが言うには、想定されるモンスターの総数も多くないと聞く。その状況で前線へ出ろ、というのも変な話だろう」

「そうであったとしても、スコラに常駐している兵士の5割が戦前へ出られません。その状況での防衛なのですから、我々も前線へ出るのは当然でしょう」

 

直属の部下なのに、自身よりもネイゲートの考えに賛同を示した為、返答にも苛立ちが混じる。

 

「チッ……わざわざ魔術教官や騎士教官の殆どを動員する必要はないだろう」

「確かにその点は私も気になっていますが……学院魔術長のことです。必要だから配備したのかと。恐らく、状況を俯瞰できる騎士教官を動員することで、冒険者達を含めて被害を軽減する狙いでしょう」

「学院魔術長は冒険者が余程大切なようだな。確か、自身も経験したことがあったからとか。チッ、それ故の判断か」

「しかし、今の我々にとって貴重な戦力です。如何に流れ者であっても、その戦力をかき集めた魔術学院長の判断は間違っていないかと」

「チィッ、それは確かだな」

 

苛立ちを抑えようにも抑えきれない。それも、部下の意見自体が間違っていないからだ。だが、ネイゲートの言いなりになるのはもっと癪だった。

 

「そう言えば、ネイゲートが雇った流れ者の男は何処にいる?」

 

自己の保身も兼ねて何とか矛先を逸らそうと、個人的に気に入らない男の話題を持ち出す。

 

「その件ですが……昨日の会議でも話していた通り、あの男は学院魔術長の指示で個別に動いており、その姿を誰も見ていません。昨晩、学院魔術長に招集された教官から少しだけ話を伺いましたが……彼らも何処にいるかまでは分からないそうです」

「そうか。学院魔術長が招集をかけていた、か。そう言えば、似たようなことが前にもあったな」

そう呟いて、全身が竦む感覚に襲われる。

「……どうしました?」

「いや、気のせいだ」

「そうですか……では、陣形の確認等をお願いします」

 

一礼して教官がその場を後にする。

 

「ハァッ、念のためにあいつの用意した陣形を事前に見たが、多少厚くしていること以外何の問題もありやしない。一体、今更何を確認すればいいと言うのやら……だが、あれだけは気になるな。あいつ、何の為に設置しやがった」

 

街道と森の中間地点に設置された、襲撃時には前線から離れる直前の位置にあるそれらを見て、呆れるようにため息をついた。

 

 

 襲撃の準備をしているのは彼等だけではない。街の兵士や今回の招集に応じた冒険者達もいる。そんな彼らも襲撃に向けて準備を進めている中、ダットらの作った資料が街の兵士にも行き渡り、その一部が冒険者のチームリーダー達も確認していた。

 

「リーダー、それ何ですか?」

 

人数不足から街の兵士と共に準備を進めていた冒険者のチームメンバーは、アダンが何か持っていることに気付き、チームメンバーである8人が続々と集まってくる。

 

「ああ、この辺りに出るモンスターについて、街の方から資料を共有してくれたんだ」

「マジですか。珍しいこともあるんですね」

「ああ。見た所、俺達が今まで戦ったのと大差ないから問題ないと思うんだが……」

 

気になることがあるのか、他のメンバーより頭一つ大きいチームのリーダーが眉を顰める。

「何か、気になることがあるんですか」

「だからこそ、マスターが言っていた……想定外のモンスターに要注意だな」

 

他のチームメンバーも同様の思いがあったのか、同様に気難しい顔を見せる。

 

「そう言えば、今日はマスターが朝から出かけていると聞きました。雑用している人は事情を知らないらしいですけど……マスターの方でも何かあるのかも」

「何れにしろ、俺達はマスターから頼まれた新人の面倒もある。まずは出来ることを確実に行おう」

 

チームで意思疎通を図った後、彼らは新人にも資料の共有を図る。ただ、話を聞いていた新人は新人らしい疑問をぶつけてくる。

 

「でも、モンスター退治って倒せば倒すほど報酬が増えるんですよね?」

「まぁ、そうだな」

「じゃあ、前線に出て沢山倒せばいいじゃないですか。あの前線より前にいるチームのように」

「だからと言って、貰える報酬が治療費で消えてしまっては意味がないだろう」

 

そんな様子を懐かしく思いつつ、苦笑いを浮かべる。

 

「それはそうですが報酬が……でも、確かに大怪我したら治療費が嵩む、か」

 

逸る気持ちが先行していた新人のリーダーだが、年長者の意見を聞く器量はあったようだ。落ち着いてその意見を反芻し……素直に受け入れて頷いた。

 

「今回は幸いなことに、人数が多い。今回は俺の方でマスターから面倒を見るように言われている。だからこそ、俺の指示に従ってもらうぞ」

「はい!」

 

他の2チームを資料を共有し、気を引き締めているようにも見えた。しかしながら、討伐の準備をしている冒険者達の中で、一際浮いている存在があった。

 

「とりあえず、一通りぶっ倒して酒代を稼がないとな!」

「おうよ!」

 

彼らはセイピオラの招集をすっぽかしたチーム。力自慢だが度々問題を起こすような彼らは、街の兵士からも、他の冒険者チーム達からも避けられているようにも見える。街の兵士達から見た資料も只で貰えると勘違いし、返してもらう必要があると知って悪態を吐いた後、渋々と返した程だった。

 

「今回は報酬もそれなりに出ると聞いたし……どうせなら女も買っていくか!」

「いいねぇ。最近はそっちもご無沙汰していたしなぁ!」

 

最近は討伐の依頼が多いので懐が比較的暖かい彼らだが、報酬が大いに越したことはない。誰よりも報酬を獲得しようと気合を入れる彼らは、意気揚々と前線へ近い場所でモンスターたちを待ち構える。

 

「あーあ。今回の報酬もいいが、もっといい報酬のある仕事がありゃあなぁー」

「全くだ。ま、それでも俺ら向きの依頼が多いから助かっているけどな」

「違えねえ」

 

街道と森の中間地点に設置されたそれらよりも前、モンスターが現れる中で最も前線で構える彼らは、多くのモンスターを倒すことで報酬の増額を目論んでいるのだろう。

 

「にしても、どうして他の連中は街の兵士と近い位置にいるのやら」

「ハッ、楽に稼げるからじゃねえの?」

「だとしたら、厄介なモンスターが出てきた時に上手く押し付けられないな」

「そん時は分散して逃げながら、あいつらに押し付ければいい。二人一組で逃げればとりあえずは何とかなるだろ」

 

その時に何が来るかも知らないまま、彼らは自らの武器を構えて襲撃を待ち望んでいた。



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怪物

お久しぶりです。
しばらくお休みしていましたが、ちょっと全体構成等に悩んで投稿が遅れてました<m(__)m>
一気に書き上げるだけのスピードと技量があれば、と思うのですが……







 太陽が高く上がる頃、街道を挟んでスコラの街へ続く森の近くでは、数十体ものモンスターの死骸が散乱していた。それに対して、冒険者や街の兵士の損害は殆どない。これは、今彼らがいる場所で陣を組むよう指示したネイゲートと、最前線にいる力自慢の冒険者達の力が大きかった。そのお陰で、この襲撃以前に何度も対応していた街の兵士達は緊張感こそ切らしていないが、武器を振るわずに済んでいた。しかし、それでも痺れを切らしている者達もいた。その人物たちは今回の依頼で特に成果が欲しいと思っている、新人の冒険者達である。

 

 「くそ、俺達も前に出ないと不味いんじゃ……次に、こんな依頼貰えるのかよ」

 

彼らは合同チームとして、そのリーダーのアダンの指揮下で動いているが、前線に出ることなく、かと言ってモンスターを倒して成果を出すことすら出来ていない状態だった。

 

 「なぁ、アルナンド。俺達も前に……」

 

元々チームを組んでいる自身のリーダーに意見してみたが、首を横に振った上でアルナンドから説得すらされる。

 

 「ケーレ、今のチームリーダーは俺じゃないだろ!」

 

 「でも、ここで成果出せなきゃ、俺達は何時活躍できるんだよ!」

 

思う所があったのか、アルナンドは返答に詰まってしまう。その隙を突いて、アルナンドの前へ出て力自慢の冒険者達がいる場所まで走ろうとして……未遂に終わる。

 

 「あ……」

 

それは、合同チームのリーダーであるアダンが険しい顔を浮かべて進路を塞ぐように立っていたからだ。

 

 「アルナンドの言う通りだ。仮とは言えお前達は今、俺のチームの下で動いている。なら、向こう側で異常が起きるまで待機、だ。勝手な真似をするな」

 

 「く……」

 

ケーレが悔しさから拳を握りしめる中、追いかけてきたアルナンドが息を切らしながら声を掛ける。

 

 「おい待て、ケーレ!」

 

 「アルナンド、いいのかよこのままで。俺達、何時までもこのままだぞ!」

 

アルナンドがアダンに向けて頭を下げ、アダンは二人ではなくその先の戦場となっている場所へ目線を移す。

 

 「ケーレ、確かに俺達はまだ活躍なんて出来ていないし、昨日もマスターから合同チームという条件で入れてもらった事は忘れてないよな」

 

 「ああ、だからこの依頼で実力をみせなきゃいけないんだ!」

 

 「気持ちは分かるけどさ。マスターとアダンさんは、そんなことを頼んだか?」

 

 「……認めさせるだけだ。問題ないだろ」

 

二人は気が付いていないものの、他のチームメンバーも話がどう流れるのか気になっているのか、こっそりと聞き耳を立てていた。

 

 「問題しかないぞ、馬鹿ケーレ」

 

 「誰が馬鹿だって!?」

 

 「そういうところだよ。考えてみろ、勝手に暴走するお前と誰が一緒に組みたいと思うんだ。冒険者になっても目立った成果が出てないから、苛立つのも分かるけどよ。こんなことで一人になるつもりか?」

 

 「……」

 

 「他のチームでやったら捨てられるぞ。前に見ただろ、そういう冒険者」

 

その時のことを思い出したのか、周囲から見ても焦っているように見えたケーレの態度が和らいだように見えた。

 

 「あの夜に言ってくれただろ、3人で何とかやっていくって。きっかけ作ってくれたお前が、そんなこと言うなよ」

 

 「……そうだったな。ごめん」

 

 「それを言う相手は、俺じゃない」

 

 「ああ、そうだな」

 

何処かすっきりとした表情すら見せたケーレが、アダンに向かって頭を下げる。

 

 「アダンさん、迷惑を掛けてすみませんでした」

 

 「勝手な暴走には関与しない、次はないぞ」

 

 「はい」

 

言葉こそ厳しいものだが、それでも尚チームとして動くことを認められた。故に、ケーレが迷いなく、力強く返事をした。それを元のメンバー達が何処か微笑ましく見ている中、若い冒険者チームの一人、ガリエードがアダンに話しかける。

 

 「あの、すみません。少し話しても良いでしょうか」

 

 「手短にな」

 

 「ありがとうございます。モンスターの脅威はもうじき去ろうとしているのに……どうして、皆さんはそんなに顔が険しいのですか?」

 

アダンの元々のチームであるメンバーや他の冒険者のチーム含めて、その全員から張り詰めたような空気をガリエードは感じていた。

 

 「前線にいる彼らこそ気が付いていないが……この状況こそ、不自然じゃないか?」

 

 「え?」

 

そう言われてもピンと来ない三人が、思わず目を見合わせる。

 

 「遠目だが、モンスターや動物たちの動きを見ていろ。あいつらの習性をお前達が知っていれば、奇妙な点に気が付くはずだ」

 

 「は、はぁ……」

 

言われるまま、彼らは力自慢の冒険者達によって倒されていくモンスターを見る。その異変に気が付いたのは……

 

 「あれ、何であんな動きなんかするんだ、あいつら」

 

 「どういうこと、ケーレ?」

 

 「狩りの仕方がなってない。特にあの10匹くらいの白狼、森で会った時は群れの1匹……多分、群れのボスだろうけど周囲を警戒して残りが連携して襲ってきたことがあっただろ。だけど、あそこにそういうことをしている白狼はいるか?」

 

ケーレの言葉に従って、アルナンドとガリエードも同じ方向を見る。

 

 「確かに……え、じゃあ。何で、こっちに向かっているんだ?」

 

彼らも多少はモンスターを倒した経験があったのか、彼らの言う異変に直ぐに気が付いた。何も知らない村人が見れば、森から現れたモンスターや動物達が家畜などを襲う為に出てきたようにも見えるが……習性を知っている彼らが離れて見れば、それが間違いだと気付く程に。確かに、彼らは一目散にスコラへ繋がる平原へと走っていくが、襲撃と言うよりは逃走。群れ単位での動きから、後ろから来る何かに怯えているとも考えられる。そして、何よりも。

 

 「何か咥えている白狼もいるけど……あれって、もしかして子ども?」

 

戦っている個体とは別方向に走る、少数の白狼がいた、三人が見た中でも子どものような小さな白狼が何匹もいたことから、とても狩りに出てきたようには見えない。最前線にいる彼らは、その母子を逃がす為に奮闘していることすら気が付いていないようだが、明らかな異常事態だ。

 

 「もしかして、ケーレの両親は狩人か」

 

 「はい、アダンさん。この依頼で活躍できたら、次から貰える仕事の幅が少しでも広がると思ったんです」

 

 「なるほど。成りたての時に成果が欲しくて焦るのはよく分かる。ただ、こういった視点も大事だろう」

 

 「はい。だとしたら……尚更、何がいるんですか、あの先には」

 

暫くすると、前線に立っていた冒険者によって、森から現れたモンスター達は戦意を持つ個体の殆どが討伐されていた。時折、一向に動かない街の兵士や冒険者達に罵声を上げていたような気もしたが、傍から見たら分かる程の異常を感じれば感じる程、その背後にいるだろう何かに警戒心を強めるだけだった。

 

 「お前達、昨日の話を覚えているか?」

 

三人が強く頷く。

 

 「俺もこの場の空気を感じるまでは、マスターからの忠告を含めても半信半疑だったが、な。兵士達の方も見るといい」

 

彼らは一様に警戒態勢を解いていない。処か、不思議な場所に設置されたそれらには既に、何らかの魔術を行使した形跡が見られる。次に対する警戒が露だった。

 

 「でも、いいんですか。それがもし、本当に来たのなら……あの人達は死にますよ?」

 

 「あいつらはな、その警告をしてくれたマスターの呼び出しすら面倒だ、と言ってサボったんだ。その警告の機会を、あいつらは自ら捨てたんだよ。そんな奴らを、果たして俺達が助ける理由あるか?」

 

 「……あ」

 

それは先ほどまで、自分がしようとしていたことと同じではないか。そこに思い至ったケーレの顔が見る見るうちに青くなる。

 

 「昨日、お前達にも話をした筈だ。いいか、他人の忠告すら聞けない奴らは詰まらない所で死ぬものだ。依頼で一番大事なことは成功じゃない……死なないことだ」

 

 「……はい」

 

 「気を付けろ。あのモンスター達が群れ単位でわざわざ森から逃げてきたんだ。相当獰猛な……下手すると、俺達ですら手が付けられない可能性すらある。身を守ることだけは、忘れるな」

 

 そうして、アダンはチームリーダーとして指示を出す。同様に、付近で戦前を構えていた他の冒険者のチームも動き始めた。

 同じ頃、前線でモンスター狩りに励んでいた力自慢の冒険者チームは、仕事が終わったとばかりに武器に付着した血を拭き取り、森の近くから平原へ戻ろうとしていた。

 

 「いやぁ~、仕事した仕事した」

 

 「でも、報酬の割に楽な仕事だったな」

 

多くのモンスターが現れたとは言え、突っ込んでくるだけだったので大きな苦労をせずに倒せた彼らは、仕事が終わったとばかりに自らが狩ったことを示す部位や金になる部位を集めていく。

 

 「この程度のモンスターが相手なら、マスターからの呼び出しはやっぱり俺らへの注意っぽいな」

 

 「だとしても、今回はあいつらが前に出てこなかったんだ。文句なんて言わせねえ……それに、これだけ倒せば暫く金にも困らないからなぁ……他所へ言ってもいいかもな。ここでも最近、いい仕事をあのマスターが寄越してくれないからよ」

 

 「確かに。高額の依頼もお前達には無理だ、で見せてもくれなかったからなぁ……」

 

 「あの時は、高がゴブリンの数十匹討伐だろ。俺らからすれば、楽勝なはずだけどな」

 

彼らは知らない。その依頼は別の者が請けたはいいが、その実態はゴブリン数百匹とトロール数体の討伐だったこと、その依頼を彼らが請けていた場合、彼らの実力では半分が負傷、若しくは死傷に至る惨禍になり得たことを。そして、その男が人知れず、スコラの街にいて、この戦いに人知れず関与していたことを。

 

 「……あ?」

 

 「どうした?」

 

だからこそ、彼がいない今。その脅威に立ち向かえる人物は、彼らのいる場にはいなかった。

 

 「あいつら……何で、街に戻っていないんだ?」

 

 「もう終わったろ。逃げたモンスターも街に逃げた訳じゃないし、あいつらも動かないし……何で、あれを片付けていないんだ?」

 

 その時、森の方から枝葉が揺れる音ではなく、ポキリと折れるような音がしたかと思えば、続けて二度、三度と彼らの耳に入る。

 

 「……何だ、何が来ている?」

 

 「もしかして、思ったより大物か?」

 

 「かもな。少し下がって、手に追えないなら道を譲ろう。俺達で手に追えないなら、それとなく逃げて押し付ければいい。俺達は仕事をしたんだし、ここで下がっても問題ないだろ」

 

 「だな、あいつらが今まで仕事をしていなかった分の仕事をするだけだしな」

 

そんな余裕を見せていた彼らだったが、余裕を残していた顔がついに青ざめる。

ドゴォォン!!

 「……は?」

 

地鳴りのような音がした直後、彼らの頭上を越えて落下したものは……

 「……は?」

幹の途中が抉られた、1本の大木。青々とした枝葉が幾つも付いていることから、朽ちた木ではなく、生きた木だったのだろう。つまり、今からやってくるものはそういうものだ。彼らのリーダーは全身が粟立つ感覚と共に、悲鳴にも似た声で叫ぶ。

 「全員、逃げるぞ!」

しかし、地鳴りのような複数の足音にかき消されたと同時に、木々をなぎ倒してその原因が姿を見せた。

 

 「な、何なんだよ、コイツらは!」

 

それらを直視した彼らは、あまりの事態に己の武器すら捨てて逃げ出した。それも仕方ない。

 大人二、三人の背丈を合わせてやっと肩まで届く程の体躯は、黒い巨岩と見紛う程に雄々しい。その上、その巨岩のような体躯の体毛は、見る者の肌が逆立つような禍々しさを帯びていた。余程の強者でない限り、彼らを直視しては平常心を保つことすら難しいだろう。

現に、逃走を図った彼らだが、数名は膝が笑って動かなくなる始末だった。

 

 「ァ、ァァァ……」

 

それだけでも彼らにとって十分な脅威だが、何よりも異様なのはその全身の作りだった。全身像は熊に近いが、彼らには只の熊には在り得ない……異常な発達をした肩部から生えた、四本の腕があった。そして、一体だけであれば逃げ切れる者もいただろう。ただし、その場には……3体もいた。それが、彼らの運の尽きだった。

 

 「ギィヤアアアアアッ!!!!」

 

抵抗する時間も逃げる時間も取れないまま、力自慢だった10人の冒険者達はモンスターを狩っていた彼らのようにあっさりと喰われていった。



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魔法の力

 街の兵士や学院の教官達が冒険者の動向を監視していたものの、轟音と共に木の幹を吹き飛ばしながら現れた強大な魔獣達に驚きを隠せずにいた。

多くの者が驚きと恐怖のあまり硬直してしまったが、数名はそれが分かっていたかのように動き出す。その一人である学院騎士長は固まっている兵士たちに檄を飛ばした。

 

「全員、魔術教官達が設置したあれの前まで急げ!」

 

あれとは事前に配置するよう言われ、意図を理解出来ないながらも設置した置き盾。厚めの木の板に木の棒を突き刺したそれらは百ほどあり、最初は何に使うものなのか、

何の意味があるのか理解し兼ねていたが、ここにきてその真意に気付く。あれはスコラの街を守る最後の砦なのだ、と。

 

「で、ですが!」

 

声に反応し、我に返る他の教官や兵士たち。

 

「あれが何の為に設置されているかは知っているだろう!」

 

「そ、それはそうですが、何のために行くのですか!?」

 

「この事態をあのネイゲートが予期していない筈が無い。それに魔法陣とは地面に描くものが普通だが、あれらは直接盾に描かれていると資料に書いてあったではないか!」

 

自身も走り出しながら、全員へ指示を飛ばす。

 

「つまり、盾に教官達の魔術の効果があるのだ。怪我が残っている者が優先して盾を取れ。二人で一つの盾を持つのだ!」

 

「全員、急げ!」

 

叩きつけるような声を出して、街の兵士達や教官達を鼓舞する。

 

「それから、手の空いている者はあの冒険者達を連れ戻す準備を!」

 

「へっ、あ、はい!」

 

「彼らの中にも魔術士がいる。こっちの手助けにはなるだろうし、何よりあの状況だ。脚を取られる者もいるだろう!」

 

「盾の数は百、交代で直ぐに対応出来るよう、手の空いている者も準備をしておけ!」

 

自らの敵である魔獣達が、一番前線にいた冒険者たちを食い荒らす様子を見た兵士達が恐怖のあまり怯えた声を上げる。

 

「臆するな。この盾で守らなかったら、誰が街を守るのだ!」

 

「っぉおおおおお!」

 

誰を守るのか、そのことを思い出した兵士たちが声を上げて盾の元まで走る。それと同時に、魔獣達が逃げている冒険者や兵士たちに向かって走り出した。

 

後ろで待機していた魔術士達が更に魔術を行使したらしい。遠目からでは見えなかった青白い光が一層輝き、円形の盾に青白い光が纏わりつく。そうしてそれらはそれぞれの盾の表面でバチバチと音を鳴らす。その光が持ち手についていないことから、触れたら何かしらの痺れがあるのだろうか。

 

「あの盾が守りの要であり、魔獣の突進で動くのなら、兵士に持たせることで魔術教官達の負担を減らせるはずだ。急げ、無駄死したいのか!」

 

兵士たちが盾を取っている様子に気が付き、逃げてきた冒険者のリーダー達もそれに気が付く。

 

「これを持てばいいんだな!」

 

「ネイゲート様が魔術を使うまでの時間稼ぎらしい。無理はしなくていいとのことだ!」

 

そうして続々と街の兵士や冒険者達が武器を仕舞い、盾を構える。その間に先行していた冒険者達を食べ終えた魔獣が彼らに気付き、ドシン、ドシンと音を鳴らして彼らの元へ走り出す。他の冒険者達も同様に追い付き、防御態勢が整ったかと思ったが……

 

「あっ……」

 

「オリアーナさん!」

 

冒険者の一人である杖を持った女性が躓いて倒れてしまう。そのことに気が付いた仲間の冒険者達が助けようとするも、あっという間に魔獣は距離を詰めていく。

 

「いや……いや!」

 

「急いで!」

「早く!」

 

近くで走っていた若い冒険者の二人が両腕を持って立たせるも、女性は恐怖から足がうまく動かないらしい。

 

「あ、足が……」

「急げばまだ、間に合うって!」

「いくぞ、ケーレ!」

「いよっしゃ、ガリエード!」

 

二人が冒険者のオリアーナを抱えて走り出すも、それよりも早く魔獣達が追い付いてしまう。だが、守らせようにも、兵士達の態勢が整っていない。学院騎士長の経験から間に合わない、と気が付いてしまった。状況が分かってはいる中でも、恐怖を振り切って走り出す若い二人を見るが、彼らと魔獣に距離はない。

 

苦渋の末、彼らが倒された後の指示を出す。騎士教官から白い目で見られたが、仕方ないことだった。そうして、彼らの守りが間に合うことなく間に魔獣の腕は振り下ろされ…………一つの影が混じると共に、鈍い音が鳴った。

 

「っおおお、あああああああ!」

 

「リーダー!」

「アダンさん!」

 

その影は、三人を襲う一撃を止めたのは、彼らを纏めるチームリーダーだった。

 

「アダンさん!」

 

しかし、魔獣の力が強すぎたのか、その一瞬だけで片腕が逆方向を向いていた。

 

「早く……そう、長くは……ない!」

 

「アダン、腕が!」

 

「後にしろ!」

 

続けて飛び出したのはアダンの仲間である冒険者達。

 

「アダンに続け!少しでいいから時間を稼ぐんだ!」

 

「オリアーナを早く連れてこい!」

 

「はい!」

 

他の冒険者が割って入ったのを見て、素早く指示を出す。

 

「急げ。さっきなら兎も角、今なら助けられる筈だ!」

 

結果として、盾を持った街の兵士たちと冒険者が割入り、三人を何とか下がらせることに成功した。が、魔獣自体はあと二匹もいる。

 

「ゲッ」

 

「まずい!」

 

その二匹が、奇声のような雄叫びを上げて、左右から突進をかましてきた。

一匹だけであれば彼らでも何とか出来ただろうが……二匹の突進を同時に防げる訳もない。ただ、幸いにも街の兵士達が近くに居た。

 

「おおおおおおおお!!!」

 

そのお陰で、飛び出した冒険者達は無事だったが……

 

「うわあああ!」

 

魔獣の力強さと兵士達の体勢が悪かったことも相まって、たったの一撃で兵士達は大きく弧を描いて吹っ飛んでいき……体を強く打ち付けて意識を失った。

 

その様子の一部始終を見て、あまりの事態に冷や汗が垂れる。だが、その動揺を押さえつけ、自身と同じように動揺していた兵士達を一喝する。

 

「ええい。小癪だが、一体辺り、十名体制で応戦せよ。ただし、前に出るな。前線の維持が目的だ。飽くまで我々は、ネイゲートや他魔術教官達の時間稼ぎに過ぎない。絶対に無理はするな。他の冒険者も盾の持ち手に回ってくれ!」

 

それらの指示はネイゲートらと事前に会話をしていないにも関わらず、そのすべてが的確であった。

 

 

 魔獣達の攻撃を受け続けて暫し時間が経過した。死者こそ出ていないが、戦闘不能な冒険者や街の兵士は半数を超えた。初めこそ魔術を施した盾に驚いていた魔獣達だったが、暫くすると慣れてしまい、盾の効力も半減。残っている盾も三分の一以下になり、嫌でも後退を余儀なくされていた。

 

「負傷者は意識の無い兵を連れていけ!」

 

そう指示を出す学院騎士長自身も盾を持ち、騎士教官と共に魔獣達の攻撃を受け続けている。初めこそ人数と盾の数で優位を取っていたが、既に形勢は逆転していた。時折、援護の魔術が飛んでいるものの、その威力は魔獣達を倒すに至らず、精々が負傷者を逃がす為の目晦まし程度だ。

 

最早、一刻の猶予も無い状況だ。それ故に焦りを隠せない学院騎士長は、悪態を付きながら何とか持ちこたえていた。ただ、次の瞬間。地鳴りのような音と共に一匹の魔獣が姿を消す。

 

「な……?」

 

気が付いた時にはすでに遅い。魔獣の一匹が彼らを軽々と越えていき魔術士達の集まる所まで跳躍したのだ。

 

「しま……グオオオオッ!!」

 

慌てて戻ろうとするも、その場にいた魔獣の攻撃を十分に防げず、盾を手放して吹き飛ばされる。

 

「ックソ!」

 

受け身を取ったからか意識だけは何とか手放さずにいられたが……兵士達や騎士教官達と離れた場所へ飛ばされてしまった。

 

「しまっ!」

 

相手が強大な上に指揮の乱れた戦場は残された者にとって致命的だ。

 

「不味い……!」

 

盾が剥され、魔獣の腕の一振りで吹き飛ばされる。盾に施された魔術も一応効果を維持しているのか、吹き飛ばされている程度で済んでいる。だが、防御自体が崩壊している事実には変わりない。そうしてとうとう、魔術士を守る砦が無くなった。

 

「何とかしろ、ネイゲート!」

 

それなりの時間を稼いだのだ。何とかして欲しい。そんな思いのままに悪態をついた時、遠目からでも無数の剣を象った魔法が魔獣達へ飛んでいき、魔獣達に突き刺さるのが見えた。直後、金切り音と共にそれらが一斉に爆発し……魔獣の呻き声が響いた。

 

「やったか!?」

 

しかし、遠目からでもまだ、立ち上がる姿が見えた。

 

「く、くそ……まだ倒れないか!」

 

だが、魔術士達の攻撃にはまだ続きがあった。無数の剣を模した魔法の攻撃とは別に、魔獣達の頭上には太陽を思わせる火球が既に浮かんでいた。そしてそれは、あらゆる物を焼き尽くすような熱があるのか、その火球の回りの空気が揺らいでいた。それらがゆっくりと魔獣達へ迫っていく。無数の剣に襲われた魔獣達はまだ、それに気が付いていない。

 

これはイケる……そう確信した瞬間、一匹の魔獣が上を見上げて苦しそうな咆哮を上げる。

 

「っチ、そう上手くはいかないか!」

 

しかし、倒し切れてこそいないが、ダメージ自体は相当に蓄積しているらしい。力強く暴れまわっていたその動きは鈍くなり、内一匹は立ち上がることすらも難しそうであった。ただ、それでも二匹は立ち上がり、何とか動き出そうとする。その様子を見ていた数人の街の兵が、決死の覚悟を以て盾を突撃する。盾で動きを塞いで、諸共倒すつもりなのだろう。

 

「あの馬鹿達が!」

 

彼らなりの決死の覚悟なのだろうが、それに何が残るのだろうか。戦場にはいるのに指示を出せない自身を恨みつつ、それを攻めて見届けようとしたが……突如として、彼らが背を向けて逃げ出した。

 

「あ……?」

 

突然の行動に驚いたものの、直ぐに状況が分かった。砕けた盾から伸びる鎖が逃げ出そうとしている魔獣達に絡み付き、あろうことか火球の真下に移動させたのだ。

 

「あれは……ネイゲートか」

 

恐らくは既に使った魔力の残滓から、体格差のある相手を縛り上げたのだろう。が出来る者など、一人しか浮かばない。これなら逃げられないと安堵し、火球が三匹を捉える瞬間を見届けた。

 

何もかもを焼き尽くすような、遠くからでも感じる喉を焦がすような熱気。

 

「今度こそ……やったか!?」

 



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