俺の彼女が120円だった件 (守田野圭二)
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1章:俺の彼女が120円だった件
初日(月) 米倉櫻が小心者だった件


 

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 人の記憶というものは底が知れない。

 何でも最近になって、人間の脳は従来考えられていたより十倍も記憶できると判明したとのこと。単位にすれば一ペタバイト……文字情報なら何と2000万文字である。

 先日情報の授業中に内緒でネットサーフィンをして見つけた雑学さえ、案外覚えていた自分に驚くくらいだ。まあ先生に名指しでバラされてクッソ恥ずかしかったけど。

 

「………………どっちだ?」

 

 そんなトリビアを自慢げに語る偉大な生物、米倉櫻(よねくらさくら)は今、数分前に記憶した僅か数文字を思い出せずにいた。

 右手にはシャンプー。

 左手にはリンス。

 ふむ、少し落ち着いて考えてみよう。

 目を閉じればほら、風呂場から呼び出してきた妹の声が聞こえてくるじゃないか。

 

 

『お兄ちゃ~ん! ――――切れてるから買ってきて~』

 

 

「ぬおおっ? 思い出せんっ!」

 

 九月半ばの雨の降る夜。普通ならこのコンビニまでは自転車で三分もかからない距離だが、それが徒歩となると実に面倒で往復するのは避けたいところだ。

 まあ待て、深呼吸をしてからもう一度だけ思い出してみよう。

 

 

『お兄ちゃ~ん! ――――切れてるから――――』

 

 

 何だか前より酷くなった気がする。これじゃ怒ってるみたいじゃん。

 いっそリンスインシャンプーという最終兵器を買ってしまうのも手だが、それはそれで敗北感が半端ない。兄としてのプライドにも関わるし、妹から文句も言われるだろう。

 

「ありがとうございました」

 

 そうこうしているうちに、店内の客は俺一人になってしまった。

 いつまでもシャンプーかリンスかで迷っている訳にもいかない。ちょっと頭を働かせてみれば、こんな問題は難しくも何ともないのだ。

 

「あ、袋いらないんで」

「かしこまりました」

 

 レジにいる店員さんへ、詰め替え用のシャンプーとリンス両方を差し出す。

 費用は倍になるものの、それで威厳を保てるならば良しとしようじゃないか。兄としてのプライド? 何それ美味しいの?

 

『ピッ――ピッ――』

 

 丁寧な手つきでバーコードリーダーを当てるのは、俺と同じ高校生くらいの少女。前髪を桜の花びらヘアピンで留めている、ショートポニーテールに髪を結んだ可愛い子だ。

 普通なら店員の顔なんて覚えないが、彼女は前にも一度見かけた気がする。

 印象に残っている理由は眩しい笑顔と綺麗な声。勿論営業スマイルだろうが、その微笑みは見ていて元気になるし、透き通るような声は聞いていて癒される。

 

夢野蕾(ゆめのつぼみ)

 

 財布から紙幣を取り出しつつ、適度に膨らんだ胸のネームプレートをチラリと拝見。夢野って良い苗字だな……少なくとも根暗を連想させる、どこぞの苗字より――――。

 

 

 

『夢野蕾 ¥120』

 

 

 

「…………」

 

 何度か瞬きした後で、再び少女のネームプレートを確認する。

 見間違いではない。

 ネームプレートにピッタリ収まる形で、名前の後に指先程度の大きさをした小さい値札のシールが貼られていた。

 えっと……つまりどういうことなんだこれは?

 

「――――あの……お客様……?」

「へぁっ?」

 

 非常事態に混乱していたあまり、不意の呼びかけに対してウルトラとかヒトデにマンが付きそうな返事をしてしまう。

 既に代金は表示されており、商品にシールを貼り終えた少女が困惑していた。

 

「お会計ですが、1000円からで宜しいですか?」

「あっ! す、すいませんっ!」

 

 手にしていた野口英世を慌てて差し出す。まるで支払うのを躊躇っていたみたいに見られたかと思うと、何だか滅茶苦茶に恥ずかしい。

 

「1000円からお預かりします」

 

 しかしこの状況、どうするべきだろう。

 やはり教えてあげるべきか……いやでも彼女の立場になって考えてみれば――――。

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 

 コンビニから出て来たのは、勇気を出せず敗走してきた男の姿だった。



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一日目(火) はよざっすが流行らない挨拶だった件

「はよざ~っす! お兄ちゃ~ん、朝だよ~っ!」

 

 妙な挨拶の後でギシッという音がしたかと思うと、腹の辺りに重みが加わった。目を開けずとも、妹である米倉梅(よねくらうめ)が馬乗りになったとわかる。

 

「う~む……死後二日ってところか……うわっ、白目キモッ!」

 

 どこぞの探偵みたいに強引に瞼を開けられた挙句、勝手にドン引きされた。

 しかしちょっと待て妹よ。死後二日とか適当に言ったんだろうけど、昨日お前のためにシャンプーを買ってきたのはリビングデッドか? リビングにいたお兄ちゃんだろ。

 ちなみにリンスは残量たっぷりな上に買い置きまであったため、親に請求することもできず引き出しに収納。ああ、これでまた財布事情が厳しくなりそうだ。

 

「お兄ちゃん! いつ起きるのっ?」

「ん……あと五日……」

「長っ! 五日後は日曜……ってそうじゃなくて、もう一回! いつ起きるのっ?」

「じゃあ五年」

「何で増やすのっ? 五年も過ぎたら……多分世界がヤバイ感じになっちゃうよっ?」

 

 マジかよ、寿命短すぎだろ世界。

 薄ら瞳を開けて見えたのは、半年前まで通っていた中学校のセーラー服。女子高生の短いスカートを見慣れてしまったせいか、中学生らしい丈の長さが幼く感じられる。

 パッチリした瞳に肩へかかる程度のショートカット。中二の癖に成長するところはしっかりと成長した、声だけで明るい雰囲気が伝わる妹は身体を揺さぶってきた。

 

「起きてよお兄ちゃ~ん! 起きないと松コースから竹コースになるよ~?」

「竹になるとどうなるんだ?」

「戦じゃ~っ! 元軍が鉄砲で襲ってきたのじゃ~っ!」

「元寇なら鉄砲じゃなくて毒矢だろ。後で種子島に来るポルトガル人が困るぞ?」

「そういうお兄ちゃんトリビアとかいいから!」

「いやこれ無駄知識じゃなくてテスト出るやつ。お前も中二なら習ってるだろ?」

「……………………起~き~て~よ~っ!」

 

 どうやら知らなかったらしい。俺も人のことは言えないが、大丈夫かよマイシスター。

 体力にステータス全振りの梅は、シーツを剥ぐという発想に至らない様子。起きろと言いつつ寝かす気なのか、電車の振動と同じで微妙な揺れが余計に眠気を誘う。

 

「む~。竹でも起きないなら、もう梅を食べて貰うしかないよ~?」

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「あ、起きた」

 

 ベッドから上半身を起こすと、机の上には梅干しの容器と箸が一膳。妹がつまらなそうに口を尖らせているのを見る限り、最初からこれを試したかったようだ。

 

「お前の朝練に合わせて俺を起こすなよ」

「だって(もも)姉いなくなっちゃったし、お母さん帰ってこないし、お父さん家出ちゃったし、お兄ちゃん起きないと一人でご飯なんだもん」

 

 言い方がアバウト過ぎるせいで、物凄く複雑な家庭に聞こえる。まあスキンヘッドの御方へボールをぶつけた際に『頭大丈夫ですか?』なんて失言をぶっ放す妹だしな。

 

「別に一人でもいいだろ」

「お兄ちゃん、そんなこと言ってると孤独死するよ?」

「嫁からATM扱いされる結婚死よりはマシだな」

「出た~。お兄ちゃんのそういう捻くれた意見聞かされると、梅引くわ~。根暗なんてあだ名付けられても仕方ないって、悲しくなっちゃうわ~」

「お兄ちゃんは慣れない相手にちょっぴりシャイなだけで、そんなあだ名を付けられた過去は忘れました。そしてお前は今、全国約5000世帯の米倉さんを敵に回しました」

「梅や桃姉みたく元気だったら、ちゃんとヨネとかネックって呼ばれるから大丈夫だよ! じゃあ早く来てね。音速ダァッシュ!」

 

 音速と比べれば2%くらいしかない速さで、妹はドタバタと階段を駆け下りていった。

 時計を見れば設定しておいたアラームが鳴る三十分前。しかし目が覚めてしまった以上は仕方なく、ひとまず着替えてから学校へ行く身支度を始める。

 別に両親が海外旅行中なんてことはなく、父は教師で母は看護師と双方サービス業なだけ。梅が中学生になった頃から、少しずつ朝や夜にいない日も多くなってきた感じだ。

 

「…………梅干し置いていくなよ」

 

 ちなみに梅が直接部屋まで俺を起こしにきたのは、親しき仲にも礼儀ありという父親の信条によるもの。過去に一度だけ面倒臭くて、二階で寝てる姉貴の携帯にリビングからモーニングコールを掛けた時には滅茶苦茶怒られた。

 そんな高一の俺と三つ離れた大学一年の姉も、キャンパスが遠いという理由により先月から一人暮らしを始めた次第。よって今は梅と二人きりである。

 

「「いただきます」」

 

 妹の手料理……なんてことはなく、親が事前に用意していた朝食を前に両手を重ねた。

 そして次々と目の前から消えていくおかず達。結局一人でご飯状態じゃねーか。

 

「ほうほう、ひ~てホニ~ハン」

「中国拳法とか使いそうだなホニーハン。とりあえず口に物を入れながら喋るな」

「ごっくん。聞いてよお兄ちゃん! 今週末、梅達の時代で初の練習時代だよ!」

「練習試合だろ? そんな辛そうな時代を俺は生きていけん」

「そいでねそいでね、梅の初めてをお兄ちゃんに見て欲しい訳ですよ」

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「はえ? 何が?」

「いや、何でもない。週末っていうと土曜か?」

「うん! ミナちゃんと一緒に、デートのついでで良いからさ~」

「悪いが無理だな。今の言葉を聞いて、尚更無理になった」

 

 というか100%無理。デートという単語を口にした時点で絶対に一蹴される。

 新生バスケ部キャプテンは俺の答えを聞くなり、ハムスターのように頬を膨らませた。

 

「まあ少し落ち着いて聞け梅。お前の兄は近々、大きな壁を乗り越えなくてはならないんだ。その壁を乗り越えるためには数多くの苦難と犠牲を――――」

「あ~、そういえばテスト近いんだっけ?」

「…………まあ、そうとも言う」

「そっか。お兄ちゃんのシンガポール行きはマズイよね」

「誰が赤道直下だ。普段から赤点取ってるみたいな言い方をするな」

「じゃあオーストラリアくらい?」

「赤道超えちゃった!」

「とりあえずミナちゃんだけでも誘っておいてね! ごちそうさまでした!」

 

 早々と食べ終わるなり自分の食器を洗った梅は、慌ただしく洗面所へと向かった。

 コイツを見てると、それこそ食パンとか咥えて登校してそうだと思う。まあもしそんな展開があったとしたら、俺はマーガリンとジャム持って全力でぶつかりに行くけど。

 

「ほんじゃ、行ってきます! 梅梅~」

「行ってら」

 

 はよざっすはともかく、うめうめは流行らないし流行らせない……絶対にだ。



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一日目(火) 屋代学園が大きいだけの高校だった件

 生徒総数は約2500人。一学年800人以上のマンモス校、屋代学園。

 これだけ聞くと凄そうだが、変な語尾の生徒も、財閥や理事長の子も、誰もが知るアイドルも存在しない。制服は地味だし校長もオッサンな、大きい以外は至って普通の高校だ。

 上から見ると携帯のアンテナマークみたく縦に並ぶ校舎。渡り廊下で繋がっている内部はAからFの六区画に分けられ、それぞれがハウスと呼ばれている。

 簡単に言えば小さな学校が六つくっつけられたような構造で、同じ中学の人間が同学年にいてもハウスが違えば会うことすら滅多にない。

 

「…………ん?」

 

 しかし登校が早かった今日は偶然にも、朝から顔見知りの姿を見かけた。

 駐輪場に自転車を止め昇降口へ向かう途中で、どうやら向こうも俺に気付いたらしい。

 

「よう」

「やあ」

 

 長袖のブラウスに身を包んだ、容姿端麗と言ってもおかしくない女子生徒。彼女こそ朝も少し話題に出た幼馴染、阿久津水無月(あくつみなづき)だ。

 腰の辺りまで真っ直ぐ伸びた綺麗な長髪に、やや短めなスカートの下から伸びるスラッとした脚。ついでに言うなら身体の凹凸も、高一女子としてはスラッとしている。

 色々な意味で近寄りがたい阿久津と短い挨拶を交わすと、通り過ぎた後で隣にいた友人らしき女子生徒が興味津々といった様子で尋ねていた。

 

 

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「何々? 水無月、知り合い? ひょっとして彼氏とか?」

「勘違いしないで欲しいけれど、近所の幼馴染であって彼氏でも何でもない。彼はボクにとって腐れ縁というか、奴隷というか、ペットというか、遊び道具みたいなものでね」

 

 …………第二声でこの破壊力である。

 友人って選択肢はないのかよ。しかも最後に至っては無機物じゃねーか。

 そんな説明で隣にいた女子生徒も納得したのか、ふーんとか口にしている始末。いやそこは三文字で流しちゃ駄目だと思うんだけどな。

 デートなんて死んでも口にできないと再確認した後で、Cハウスの昇降口に入る。

 上履きに履き替え数歩歩けば、ガランと広がる吹き抜けのハウスホール。一階にある教室はここから全て見渡せるが、まだ時間も早いため生徒は数人しか見当たらない。

 そして俺のクラスであるC―3には今日も一人、誰よりも登校の早い眼鏡のガリガリ男が自前のノートパソコンと向き合っていた。

 

「はよざっす」

「おいっす米倉氏……って、その挨拶は何ですと?」

「最近妹がハマってる挨拶」

「シスコン乙」

「黙れロリコン」

「ロリコンは正義ですしおすし。何でもオタクを悪にする風評被害乙」

「そんな歪んだ正義があってたまるか」

 

 一昔前のオタ語を喋るガラパゴスオタク、通称ガラオタの火水木明釷(ひみずきあきと)と挨拶を交わした後で、パートナーである青年の後ろの席へ座る。

 世の中には『二人組作って』なんてトラウマワードがあるが、俺が味わったのはそれ以上の悪夢。そもそも中学以降はこんな指示を出さず、名前の順に組ませるのが基本だ。

 

 

 火水木明釷 → 出席番号15番

 米倉櫻 → 出席番号16番

 

 

 入学式当日、高校デビューを飾ろうと早目に着いた教室にいたのはコイツだけ。自分の前に座る男へ話しかけないのも失礼と、声を掛けたのが失敗の始まりだった。

 男は堂々とオタ語を喋り出し、後から来たクラスメイトにそれを見られる始末。こうして重度のオタクでもない俺は、オタ友という無実のレッテルを貼られてしまう。

 最近アニメで増えている、ぼっち主人公なんて目じゃない孤独以上の苦痛。この状況にも名前が付いたら、ファッションぼっちみたいに自称する奴が現れるんだろうか。

 

「で、何してんのお前?」

「刀っ娘ラブのイベント最終日なので、統計取ってキリ番狙いな件」

 

 ソーシャルゲームって、そうやって遊ぶものじゃないだろ。

 ノートパソコンのキーボードを高速でタイプしながら、スマホを片手間に操作するアキト。繰り返すようだが、最初はこんな名前も存在もネタみたいな奴に心底絶望した。

 そう、入学当初は……だ。

 第一印象こそドン引きするオタクだが、コイツの凄いところは学業をしっかりこなしている点。一学期の成績は驚くことに、成績優秀者とされる評定平均4.3オーバーだった。

 そして掌を返すのが人間という生物。五月下旬のテストが過ぎた頃から周囲がアキトを見る目は少しずつ変化し、今では残念なオタクから凄いオタクと一転攻勢中だ。

 

「米倉氏もやってみそ? ヨンヨンマジ可愛いお!」

「ガラケーでも遊べるならな」

「さいでした」

「第一そういうのって課金前提だろ? 俺には無理だっての」

「無課金でも充分遊べる件。お金払って経済回すのは、大きな子供の役目ですしおすし」

 

 未来の大きな子供候補はドヤ顔で語る。頭が良いだけあって線引きはしているらしい。

 こうして学校でノートパソコンを弄る行為も、成績が良い故に許されている感がある。アキト自身もそれを分かっているのか、持ってくるようになったのは最近だ。

 というか今ふと気付いたけど、もしスクールカーストなるものがあればひょっとしてコイツ、俺より上にいたりするんじゃないだろうか?

 

「…………………………」

 

 考えれば考えるほど何だか無性に悲しくなってきたので、唯一アキトに勝利した得意教科の数学に磨きをかけるべく問題集を机に広げた。

 黙々と問題を解いていると、美男美女揃いなんてことはないクラスメイトが徐々に集まり始める。思春期らしく男女の交流は挨拶程度で、俺に声を掛けるのも男ばかりだ。

 

「おはよう櫻君。テスト勉強?」

 

 そんな野太い声から一転、山の空気みたいに澄んだ高めの声が聞こえた。

 しかし声を掛けてきたのは女子ではなく、女子っぽい男子生徒。華奢な身体になで肩の音楽部、名前の構成が僅か三文字の相生葵(あいおいあおい)である。

 

「もう二週間前だしな」

「はよざっす相生氏」

「えっ? お、おはようアキト君」

「米倉氏、やっぱこれ流行らないお」

「いや俺に言われても知らんがな」

「は、流行るって……? あ! は、はよざっす櫻君」

「気持ちは嬉しいが、無理してやる必要はないぞ葵。おはよう」

「お、おはよう」

 

 出席番号一番の女々しい少年(仮)は、律儀に頭を下げ挨拶を返した。

 アキト風に表現するなら男の娘。しかし女っぽくても所詮は男であり、ドキドキするなんて要素は一切ない。例え手が触れようと上目遣いをされようと、男は男なのである。

 

「ん……? なあ葵、肩にゴミが付いてるぞ」

 

 だからこそ特に意識もせず、何てことのない一言が口から出た。

 衣替え期間に入ったものの、まだ大半の生徒はYシャツもしくはブラウス姿。そんな中で葵は冷え性なのか、一足先にベストを着ている。

 

「えっ? あ、本当だ。ありがとう」

 

 周囲が白一色に対し一人だけ紺色のスイミー状態な友人が、肩に乗った糸くずを掃った。

 その姿を眺めながら、ふと我に返り考える。

 

(…………たったこれだけなんだけどな)

 

 ネームプレートに値札付いてますよ。

 友人に指摘した類義語を言えなかった昨日の自分を思い出し後悔していると、一日の始まりを告げるホームルーム開始五分前のチャイムが鳴り響いた。



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一日目(火) 阿久津水無月が幼馴染だった件

 海開きに夏休み、夏祭りに花火大会……そして文化祭。

 九月という時期は青春を謳歌するイベントの大半が過ぎた後……というか水着に浴衣と、昔の人は夏に道楽を固めすぎなんだよ。いっそ花火辺りは冬でも良いだろ。

 ちなみに俺がこの夏に何をしたかと問われれば、祭りに顔を出すこともなければ水着を目にすることもなく、せいぜい家の窓から花火を見たのと家族旅行に行ったくらいだ。

 文化祭も周囲の空気に乗りきれないまま、食販という特に盛り上がらないクラスの店番をさせられただけ。この調子では体育祭もふんわりと過ぎていきそうである。

 

「さてと……」

 

 ロングホームルームが終わった放課後。夏休み前までは真っ直ぐ家に帰りダラダラと過ごしていたが、高校一年の半分が過ぎた今になって俺の生活サイクルは変化した。

 昇降口を抜けると中庭を通り、アンテナマークの左端であるTの形をした芸術棟へ。四階から順に音楽・家政・書道と特別室が並ぶ中で、階段を上らず図書室傍にある広い教室のドアを開ける。

 

「おや、おはようございます米倉クン」

 

 粉っぽい部屋へ二列並んだ、六人掛けの大机と背もたれのない木製椅子。そしてその列の間には合計十二台の電動ろくろが置かれていた。

 その電動ろくろの一つに乗って、延々とくるくる回っている男が一人。傍から見てると物凄くシュールだが、この男が生徒ではなく若い教師だったりするから困る。

 

「こんにちは……何してるんですか先生」

「いやあ、一度はやってみたかったんですよねえコレ。米倉クンもどうです?」

「怒られそうなんで止めておきます」

「それもそうですねえ。あ、お二人には内緒でお願いします。先生も青春したいんです」

 

 本来は貴方が怒る人で、俺達生徒が怒られる側でしょうが。

 青春大好き伊東(いとう)先生は、電動ろくろを止めると地へ降り立つ。工芸を担当している癖に、恰好いいからという理由だけで白衣を着ている辺りでもうお察しだ。

 

「ではでは、今日も青春してください」

 

 狐のように細い目をくるくる回しながら、千鳥足になりつつ部屋を出ていく伊東先生……っていうかあの人、顧問の癖にマジで回るためだけに来てたのかよ。

 いまいち先生らしくない先生が姿を消してから数分後。特にやることもないので数学の問題集を解いていると、割と遠慮なしに物言う幼馴染がドアを開けて現れる。

 

「やあ」

「よう」

 

 長い髪を掻き上げた阿久津は定位置である入口傍、俺の向かいの席へ腰を下ろした。

 

「キミだけかい?」

「部長なら今日は用事で休みだと」

 

 屋代学園陶芸部。所属部員は僅か三名だが、部員を集めないと廃部なんてことはない。

 しかし総部活数が多いとはいえ、これだけ過疎化している部も珍しいと思う。三年の先輩は結構いたようだが、二年が一人もいないまま引退していったらしい。

 その結果「キミは暇だろう?」と阿久津から脅迫……じゃなくて勧誘され九月から入部したのが俺。まあ割と自由な部活だし、誘われたとあっては特に断る理由もなかった。

 

「数学ばかりじゃなく、少しは苦手教科もやったらどうだい?」

「大丈夫だ、問題ない」

「中学時代に『私は埼玉に住んでいます』を過去形にする問題で『私は武蔵に住んでいます』と解答した人間に言われても説得力がないね」

 

 …………何でそんなこと覚えてるんだよ。

 ちなみに阿久津もアキト同様、評定平均4.3オーバーの成績優秀者だったりする。その上コイツは俺がステータス全振りした数学の点をも凌駕しているため頭が上がらない。

 

「じゃあ英語やるから教えてくれ」

「ふむ。驚いたね」

「何だよ? 俺だって素直に頼む時は頼むんだぞ?」

「そうじゃない。キミに英語を教える手間と難しさを例えようとしたら、未だに柱で爪を砥いでしまうアルカスの悪癖以上に厄介だと判明した」

「猫の躾より面倒なのかよっ?」

「言うことを聞かないが見ていて癒されるアルカスと、言うことを聞かない上に癒しとは正反対なキミ。どちらが楽かは一目瞭然じゃないかい?」

 

 正論のように聞こえるが、猫と人間を比較する時点で間違ってる気がする。しかも癒しと正反対って、それじゃ俺が存在するだけで他人に苦痛を与えてるみたいじゃん。

 

「別に教えるのは構わないけれど、恐らくキミは根本から間違っている。英語に限らない話だけれど、勉強が苦手と思っている人達は自己暗示にかかっているだけだからね」

「成績優秀者のお前に言われてもな……」

「じゃあ聞こうか。キミはどうして英語が苦手なんだい?」

「そ、そりゃまあ、面白くないし……」

 

 あれれ~おかしいぞ~。これって異性と二人きりの時にする話かな~?

 頭の中でそんな恍けた声が再生される中、目の前の少女は名探偵ばりに質問を続けた。

 

「その抽象的な解答が出てくる理由は、目に見えた結果が無いからだろう? 例えばもし英語が数学同様に点数を貼り出すとして、そこに名前が載ったらキミはどう思う?」

「最高にハイってやつだ」

「勉強とはそういうものだよ。結果に繋がればどんな教科でも面白くなる。面白ければ自分の得意教科と認識して自然と学ぶ。キミが数学をやるのは、そんな理由だろう?」

 

 屋代では何故か数学のみ、テストの上位二十名が数学棟に貼り出される。もっとも貼られる位置が位置だけに注目は集めないが、それでも自分の名前が載っていると嬉しい。

 

「それが絵画や音楽といった芸術的要素ならまだしも、勉強における得意だの苦手だのという概念なんて各々が勝手に自分を評価して植えつけている暗示に過ぎないよ」

「ならどうすりゃいいんだ?」

「わからないからつまらない。つまらないからやらないという負の連鎖を断ち切るには、まず一度成功体験をすることさ。キミは数学で経験済だけれど、英語も同じだよ」

 

 ただし数学と他教科には大きな違いがあるけれどね。

 ポケットから税込30円の棒付き飴を取り出し、包みを開けながら阿久津は語る。一般人には耳の痛くなるこの話、語り手がコイツじゃなければ絶対に聞きはしない。

 

「覚えるだけで点を取れる他教科と、解き方を覚えても応用力がなければ問題を解けない数学。普通に考えれば難しいのは後者だけれど、それでもキミが数学は簡単と言うのは覚える量が少なくて済むからじゃないのかい?」

「ついでに付け加えると、周りが勝手に点を落としていくからだな」

「歪んではいるけれど正論だね。別にキミは馬鹿じゃない。世の中に馬鹿なんていない。いるのは努力を怠っているか、努力の方向性を間違えているかさ」

 

 …………だそうなので、全国の学生諸君は阿久津大先生の言葉を肝に銘じておこう。

 

「ちなみにキミは、言うまでもなく前者だよ」

「待て。俺は勉強してるぞ?」

「なら聞くけれど、今のキミは何割の力を出しているんだい?」

「そう言われると解答に困るが、全力でないことは確かだ」 

「勉強をやろうと思った時に限って部屋に親が入って来た、今丁度やろうと思っていたのにやる気が無くなったとか、つまらない言い訳をしていないかい?」

「ぐ……」

 

 仰る通りでございます。

 パッと見タバコを咥えているように見えなくもない阿久津は、鞄から取り出した英語の教科書を机に開く。俺の物と違い落書きなんてない、色々とメモが書かれた教科書だ。

 

「まずは章で扱った単語と文法を身に付ける。好きな曲の歌詞も歌えば覚えるように、記憶へ一番効果があるのは声に出して耳に入れることだね」

「ちょっと待て。ここで音読しろだなんて言わないだろうな?」

「別に家でもどこでも構わないけれど、本当に成績を上げたいと望むのなら騙されたと思ってやることを強く奨めるよ。羞恥心やプライドは一旦捨てて、後で拾えばいい」

 

 危うく勉強じゃなくて公開処刑が始まるところだった。

 既にプライドは拾えないくらいズダボロにされてる気がする。何かもう高温の油でジュージュー揚げられて、プライドがフライドになってるんじゃないだろうか。

 

「なあ阿久津、一つ聞いてもいいか?」

「キミの質問は一つ程度じゃ済まないだろう?」

 

 それもそうだがそうじゃない。

 勉強が嫌いな奴が誰しも口にするありきたりな質問を、俺は少女に問いかけた。

 

「何のために勉強ってするんだ?」

「キミが聞くべきことは、そんな哲学めいたものじゃないと思うけれどね」

 

 溜息を吐きつつ、阿久津はジッと俺の目を見る。

 改めて目を合わせられると何だか困ってしまい、俺は視線をやや下にずらした。

 

「先に言っておくけれど、勉強する理由を考えたところでモチベーションは上がらないよ。キミが今まで聞かされたような『将来のため』みたいな曖昧な解答と同じさ」

「そっか……」

「人が人であるため」

「ん?」

「今のが何のために勉強するかという問いに対する、ボクなりの解答だね」

「どういう意味だよ?」

「ボクは積み重ねたものを忘れたくない。ただそれだけさ」

 

 言ってる意味がいまいちわからないが、やっぱり勉強は積み重ねが大切ってことか。

 深く問いかけようとしたところで雑談はここまでと切られてしまった俺は、出していた数学の問題集を戻し渋々英語の勉強を始めるのだった。



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一日目(火) 120円の値札が付いたままだった件

 ―― 二時間後 ――

 

「案外、英語って単純なんだな」

「今声に出した軽口を、明日以降も言えるといいけれどね。キミみたいに努力を怠っているタイプは、身に付くのが速い代わりに忘れるのも早いのが難点だ」

 

 最初は意味不明な英文ばかりで嫌になったが、次第に意味がわかればあら不思議。授業を話半分で聞いていた俺でも、ある程度は問題が解けるようになった。

 まあ勿論その裏では理解できない文法を説明してもらい、テストに出やすい重要箇所を把握している阿久津大先生による援助があったことは言うまでもない。

 

「それでもまあ、キミが努力の方向性を間違えているタイプじゃなくて良かったよ」

「何でだ?」

「勉強したのに点数が上がらない。やっても無駄という自己暗示が掛かっているから、それを解く分だけ手間が掛かる。それに自分のやり方を変えるというのも難しいからね」

「成程……しかしお前、教え方上手いよな。先生とか向いてるんじゃないか?」

「他人へ遠慮しないボクに、教師は無理だろう」

 

 それがわかっているなら、変えようとは思わないのだろうか。

 自身を客観的に見ている阿久津は、本日二つ目の棒付き飴を取り出し咥える。

 

「好きだよなそれ」

「桜桃ジュースばかり飲んでいるキミに言われてもね」

 

 指差されたのは、机の上に置いている350ミリのペットボトル。幼い頃から飲み続けている一本であり、冬を除けば俺が買うジュースはこれくらいだ。

 

「まあボクも京都に行って自分の名前と同じ和菓子を見つけた際、つい買ってしまったから気持ちはわからなくもないよ」

 

 どこにでも売られている飲料と、地方にしかない名産は少し違う気もする。

 俺の勉強が一区切りついたからか、はたまた雑談を始めたからか。帰り支度を始めた阿久津を眺めながら、俺はふと聞いておくべき質問を思い出した。

 

「あ! なあ阿久津。一つ――――」

「無理だね」

「即答っ? まだ何も言ってないのにっ?」

「今の閃いた雰囲気から、キミが言い出す内容に予想を付けてみた」

「じゃあ当ててみろよ」

「ミナえもん、英語は助かったけど、このままじゃ他の教科が赤点だよ。シンガポールまっしぐらだよ。何か良いカンニングの方法を教えてよ」

「梅にシンガポール教えたのはお前かっ!」

 

 しかも何でちゃっかり求めてるのがカンニングなんだよ。まあ確かに心の奥底で、他の教科も教えて貰えないかと思ったけど……ちょっとな。ちょっとだけな。

 

「先に言っておくけれど、他の教科までキミを手伝うつもりはないよ。そんな暇があるくらいなら、ボクはアルカスに芸の一つでも身に着けさせるさ」

 

 くそ、羨ましい……じゃなくて恨めしいぞ猫風情が。

 阿久津は溺愛しているアルカスだが、正直俺はあんまり好きじゃない。というのも昔遊びに行った際、特に何もしていないのに問答無用の引っ掻き攻撃を受けたからな。

 そもそもあのふてぶてしい態度が気に入らない。きっとアイツの中では『阿久津 〉 アルカス 〉超えられない壁 〉〉〉 俺』という数式が成り立っているのだろう。

 

「そうじゃなくて、その……土曜って暇か?」

「次にキミが口にする内容次第だね」

「凄ぇ、現代社会において言いにくそうな台詞をさらっと言いやがった」

「当然じゃないか。自分の時間として過ごす以上に価値がないなら、無理して話に乗る必要もない。もっとも蓋を開けないとわからないことも、世の中には多いけれどね」

 

 まあ言いたいことはわかる。俺も『行けたら行く』って時々使うし。

 

「梅からの頼みだよ。自分達の世代になって初の練習試合があるから、見に来てほしいんだってさ」

「ふむ。そういうことなら予定を開けておくとしよう。時間は何時からだい?」

「あ、そういえば聞いてないな」

「一応確認しておくけれど、まさかキミは人を呼んでおきながら自分は行かないなんて無責任なことを考えていたりはしないだろうね?」

「ま、まさか。勿論ちゃんと行くつもりだったぞ?」

 

 …………半分だけ。

 もし阿久津が行かないと答えていたら、俺が行く確率は0%だった。一体何が面白くて、妹の練習試合なんてものを見に行かなければならないのか。

 

「なら尋ねよう。場所は南中と相手側、どっちの体育館かな?」

「さあ?」

「練習試合の相手はどこ中だい?」

「はて?」

 

 俺の答えを聞いた少女は、ジトーっとした目でこちらを見る。第三者的立場で眺めるなら良い表情だが、視線を向けられているのが自分だと別の意味で胸が苦しい。

 

「やはりキミは行く気がなかったようだね」

「いやいやそんなことないって! ただほら、昨日でテスト二週間前になっただろ? 範囲も配られたから土曜は勉強も視野に入れてだな」

「どうせ家でゴロゴロするだけだろう?」

 

 うぐぐ……正論だけに何も言い返せん。

 どうやら完全に見透かされているのか、呆れたように溜息を吐かれてしまった。

 

「まあキミがそこまで勉強に目覚めて、休日すら時間が惜しいと言うなら仕方ない。テストまで残り300時間はあるけれど、そのうち数時間も削れないと言うなら――」

「すいませんでした。行かせていただきます」

「当然の答えだね。もし梅君がボクだけを呼びたいなら、キミを通さず直接連絡してくる筈だよ。大方キミがくだらない理由で断ったから、ボクに任せたというところかな」

 

 マジかよあの妹、中々の策士じゃねーか。

 

「ったく梅の奴、大会ならまだしも何で練習試合なんかに呼ぶんだかな」

「キミも兄なら察したらどうだい? きっとお姉さんが家を離れて寂しいんだろう」

「いや、とてもそうは見えないんだが……」

「だからキミは通知表の思いやりに丸が付かないんだよ。もっと周囲に気を配るべきだね」

 

 小学生の頃は配り係ばかりやってたが、気は配るように先生から頼まれた覚えはない。

 そもそも通知表のあの欄はぶっちゃけ意味不明だと思う。地味だった奴が四個も五個も丸を貰ってるのに、俺は大抵一個しか丸が貰えなかったし。責任感って何だよ?

 

「とりあえず練習試合の件は、時間と場所だけでも聞いておいて貰えると助かるかな」

「ああ、わかった」

「それじゃあボクは先に失礼するよ」

「お疲れ」

 

 少女に合わせて帰り仕度を始めていたが、阿久津は一足先に陶芸室を出て行った。

 俺達の家は通学班が同じだったくらい近所だが、彼女は電車通学で俺は自転車通学。門を出るまでの五分足らずを共にする意味も特にないため、その選択は間違っていない。

 まあ、幼馴染なんてこんなものだ。

 わざわざ朝起こしになんて来ないし、家族ぐるみの付き合いもママ友レベル。屋根伝いに行き来できるとか欠陥住宅だし、一緒にお風呂とかいうやつは現実を見よう。

 

「………………」

 

 だからこそ阿久津水無月は揺るがない。

 例え俺が彼女に好意を抱いていようとも、米倉櫻という男はただの幼馴染なのだ。

 

「流石だな、男女間の友情は存在する会の会長は」

 

 勝手に命名した敬称を呟きつつ、陶芸室の電気を消した俺は帰路へ着いた。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「…………ん?」

 

 帰り道の途中で、ポケットの中から感じた振動。

 一旦自転車を止めるとガラケーを取り出す。世間はスマホで賑わっているが、俺は携帯を変えるつもりはない……というか変えられない。

 というのも我が家の掟では、携帯料金の支払いが小遣いから引かれるルール。あんな小型パソコンなんて手にした日には、壮絶な額を請求されお年玉まで消えるだろう。

 キツネとブドウみたいな話だが、スマホで便利なのはせいぜいSNSくらい。ゲームやネットサーフィンで金も時間も食う道具なんて、持たない方がいいと思う。

 

「もしもし?」

『もし~ん。お兄ちゃ~ん、今どこ~?』

「どこって言われても、一言で説明するとしたら墓地だな」

『お兄ちゃん、早まっちゃ駄目だよ?』

「他人の墓の前で死ねるか! 通学路の途中にあるんだよ」

『何だそゆこと。うん、帰ってる途中みたいだから、頼んで大丈夫そうだよ』

 

 母親に話を振る妹の発言で、電話の用件がお使いだと把握。何かと忙しい職業故に仕方ないのかもしれないが、我が家の母上は何かと買い忘れが多くて困る。

 

『あのね、帰りに卵買ってきてって。何と何と、今晩はすき焼きです! ただしお兄ちゃんが卵を買ってこないと、すき焼きが嫌い焼きになっちゃいますっ!』

「じゃあ嫌い焼きでいいよ。俺すき焼きに卵使わない派だし。汁取り出しちゃう派だし」

『お母さん。お兄ちゃんすき焼き嫌いやきに要らんって!』

「何で唐突に土佐弁っ? 要りますっ! 買ってくるからっ! ついでに言うとすき焼きのすきは、好き嫌いの好きじゃなくて農具の鋤だぞ」

『そういうお兄ちゃんトリビアとかいいから! それじゃあ宜しくね。梅梅~』

 

 一方的に電話を切られたので、再び携帯をポケットに入れると自転車を漕ぎ出す。

 ここから家まで帰る道中で上手い具合に寄れるコンビニは一件。そしてそこはつい昨日、シャンプー&リンスを買ったあの場所でもあった。

 

「!」

 

 自転車を止めた際に、客のいない店内でガラス窓越しにレジの店員さんと目が合う。

 勿論それは他の誰でもない、例の120円少女だ。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店内に入ってから、レジの前を通り過ぎる。

 チラリと目を向ければ、少女のネームプレートには依然として値札が付いたまま。まさかと思ったが、他の客や店員は一晩経っても気付かなかったらしい。

 はたまた気付いても、見て見ぬ振りをしていたのか……自分に価格が付いていることも知らずに、今日も彼女は笑顔で表示された代金を読み上げる。

 

「お会計、176円になります」

 

 財布から取り出すは231円。こういう暗算は得意な部類だ。

 乗せられた金額に対し不思議そうな表情を浮かべる少女だが、レジを打ちこむなり納得した様子を見せた。

 

「55円のお釣りと、レシートになります」

 

 差し出された硬貨と紙切れを受け取る。

 そして今日こそはと、呼吸を整えた俺は彼女にはっきり声を出した。

 

「あ、あの……」

「はい?」

 

 

 

「…………お箸、付けて貰っていいですか?」



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二日目(水) 冬雪音穏が匠だった件

「さ、櫻君、大丈夫? 体調悪いなら保健室まで付き添うよ?」

「別に……普通だし……」

「今日のお前が言うなスレはここですか?」

 

 四限が終わった後の昼休み。購買で買ったパンを山羊のようにモシャモシャ食っていると、先にお弁当を食べ終えた葵が心配そうな顔で俺を見てくる。

 

「で、でも今日は朝から元気ないみたいだし……何かあったの?」

「まあな……」

 

 ありましたとも。そりゃ大ありですよ。

 気付いた点は良し、声を出した点も良し…………しかしどうしてああなった。

 

「ぼ、僕で良ければ何でも聞くよ? 話せば楽になるかもしれないし」

「ん? 相生氏、今何でもって言った?」

「えっ? う、うん。何でも聞くって言ったけど、アキト君も何か悩んでるの?」

「強いて挙げるなら、何でもするじゃなくて何でも聞くだったことが今の悩みな件」

「自重しろアキト。葵が相手だと冗談に聞こえんぞ」

「さいですか」

 

 実際にこの目で見てはいないが、文化祭の女装コンテストへ無理矢理参加させられた挙句、優勝を勝ち取ってきたらしいクラスメイトの男の娘は不思議そうに首を傾げる。

 俺は深々と溜息を吐くと、念入りに二人へ確認を取った。

 

「先に言っておくけど、笑うなよな?」

 

 

 

 

 

「ちょまっ……デュフ、デュフフフフ……」

 

 やっぱり葵だけに話すべきだったかもしれない。

 笑いを堪えているのが尚更気持ち悪いアキトをよそに、俺の気持ちを汲んでくれている少年……じゃなくて青年はオドオドとしていた。

 

「だ、駄目だよアキト君」

「失敬……しかし生卵に割り箸って…………ぷげらっ!」

「よ~し☆ とりあえずお前のハードディスクを粉砕しよう❤」

「さ、櫻君、爽やかに恐ろしいことを言ってるよっ? お、落ち着いて……ね?」

「わかった! スマホをクラッシュすればいいんだな?」

「全然わかってないよっ?」

「じゃあ何を破壊すればいいんだ? コイツか? アキト本体をやれってかっ?」

「ど、どれも壊しちゃ駄目だってば! 二人とも、深呼吸深呼吸」

 

 仕方ない。ここは葵の奴に免じて、後で延髄チョップだけにしておいてやろう。

 

「で、でも理由がわかって良かったよ。もっと深刻なことだと思ったから」

「葵よ。俺にとっては割と深刻なんだが?」

「あっ! ご、ごめんっ!」

「ぶっちゃけ相生氏の言う通りですしおすし。そんなの知り合いでも二次元的イベントでもないならスルー安定でFAだお」

「いや気付いた以上は、無視するのも良くないだろ」

「その台詞を現状無視状態の米倉氏から言われても反応に困るやつでして」

 

 確かにそれを言われると、何も言い返せなかったりする。気付いたところで指摘しなければ、俺も見て見ぬ振りをした他の客と同じ穴のムジナに過ぎない。

 

「しかし値札を付けたままの店員とは、中々のドジっ娘ですな」

「新人かもしれないけど落ち着いた雰囲気だし、そういう感じでもないんだよな」

「そうなればひょっとすると、米倉氏を誘っている展開キタコレなのでは? 貴方のために値段を付けました。私も一緒に買ってください的な」

「お前の売ってる喧嘩を買ってやろうか?」

「フヒヒ、サーセン」

「で、でもそういうのって言いにくいよね。きっと僕も言えなかったと思うし」

「だよな! 一度や二度じゃ無理だっての!」

「それなら三度目は雑誌を温める展開にワクテカ」

「よしアキト、歯ぁ食い縛れ!」

「わーっ、タイムタイム! 暴力は駄目だって!」

 

 昼休みの恒例となっている男達の雑談は、値札の話で無駄に盛り上がるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……ヨネ」

「ん?」

 

 放課後になり鞄を背負った俺を、今にも消え入りそうな芯の無い声が呼び掛ける。

 振り返ればそこには、眠そうな眼をした小柄のボブカット少女が背後霊みたいにボーっと立っていた。リボンを外したブラウス姿が白装束に見えたくらいだ。

 

「……部活」

「言わなくてもちゃんと覚えてるって」

 

 クラスメイトかつ陶芸部部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)は無表情のまま小さく頷く。声を掛けてきた理由は何てことない、新入部員である俺に陶芸を教えるためだ。

 昨日部活に顔を出したのは、彼女の代わりに阿久津から手ほどきを受けられないかと考えてのこと。まあ実際は手取り足取りどころか、揚げ足を取られて終わったけどな。

 

「…………」

 

 クラスメイトとはいえ異性、それも無口とくれば会話らしい会話もない。先導するように教室を出る少女の後へ続き、ホールを抜け昇降口へと向かった。

 

「あ、悪い。ちょっと先行っててくれ」

「……逃走?」

「ちょっと待て。どんだけ信用ないんだ俺は?」

「……ミナから注意するよう言われてる」

「成程な。ただの栄養確保だよ」

 

 冬雪らしくない発言と思いきや、やっぱアイツの入れ知恵だったか。

 首を傾ける少女の前で財布を取り出し、昇降口傍にある自販機に三枚の小銭を投入。中から出てきた掌サイズのペットボトルを片手に、律義に待つ部長の元へ戻った。

 

「……いつもそれ」

「美味いからな。一口飲んでみるか?」

 

 買ったばかりの桜桃ジュースを差し出すと、少女は少し悩んだ後で受け取る。あんまり気にしなそうだから言ってみたが、ひょっとして間接キスとか意識するタイプか?

 封を切っていないペットボトルをまじまじと眺めた後でキャップを開けた冬雪は、毒味でもするように匂いを嗅ぐと艶やかで柔らかそうな唇をそっとボトルの口に付ける。

 

「……美味しい」

「だろ?」

「……待ってて」

 

 そう短く告げると、何を思ったのか自販機へ向かう冬雪。数十秒ほどした後で、少女は全く同じペットボトルを大事そうに抱え戻ってきた。

 

「……お返し」

「おう。サンキュー」

 

 感情豊かではない少女の純情な一面を垣間見て、自然と笑みがこぼれてしまう。差し出された新しい桜桃ジュースを受け取ると、俺は冬雪と共に陶芸室へ向かった。

 

「おや、おはようございます米倉クン、冬雪クン」

「どうも」

「……こんにちは」

 

 今日は電動ろくろで回ることなく、普通に黒板前の椅子へ座っていた伊東先生が出迎える。

 まあ陶芸で使うカンナ(輪カンナと言うらしい)をキャンプファイヤーみたいに積み上げているため、結局は何してるんだこの人という結論に収束するのは否めない。

 

「着替え始めたということは、今日は勉強ではなく陶芸をするんですねえ」

「……昨日は勉強?」

「そうなんですよ冬雪クン。先生、何か面白い展開にならないかとチラチラ覗いてました。大人である以上、高校生の青春を邪魔する訳にはいきませんからねえ」

 

 大人とは一体何なのか、この人を見てると逆にわからなくなる。辛さや忙しさを表に出さず、あえて明るく振舞っているとも考えられるが…………いや、ないな。

 

「そんなに暇なら顧問らしく、部員に陶芸を教えて下さいよ」

「申し訳ありませんねえ米倉クン。今の時代は下手に生徒へ触るだけで、例え同性だろうと犯罪扱いされる怖い時代なんです。先生、手を汚したくありませんからねえ」

「本当の理由って、最後の部分だけですよね? しかも物理的な方の意味で」

「…………」

「………………」

「では先生は仕事が残ってますので、後は冬雪クンに任せましたよ」

 

 謎の静寂を挟んだ後で、やる気のない陶芸部顧問は今日も部室から出ていった。

 そんな伊東先生を気にする様子もなく、大机の上に粘土を置いて着々と準備を進める冬雪。俺も用意された着慣れないエプロンを身に着けて腕まくりをする。

 

「……曲がってる」

「ん? ああ、悪い」

 

 どうやら背中で紐が曲がっていたらしく、わざわざ結び直してくれた。

 何かこうしてると夫婦の新婚生活みたいだな。よくある『貴方、エプロンが曲がっていてよ』的な……って、これ旦那が専業主夫になってるじゃん。

 

「……まず荒練り」

「あいよ」

 

 机に置かれた辞書サイズの粘土に両手で体重をかけ、押し出すように練り始めた冬雪。 何でも土の軟らかさを均一に整えるらしいが、この荒練りは単純で俺にもできる。

 

「……じゃあ菊練り」

 

 問題はこれだ。

 冬雪が土を回転させながら練り込むと、粘土の塊に菊の花のような模様ができていく。空気を抜くための練り方とのことだが、その手の動きは正に職人技だった。

 

「……ゆっくりやると、こうやってこう。慣れるまで少し難しい」

「慣れるって言われてもな……」

 

 見よう見まねで菊練りを始める。

 何でも空気が入ったままだと、作品を焼いた際に爆発する可能性があるとか。こんなに難しいなら、いっそ全自動菊練りマシーンでも用意してほしい。

 

「……シュウマイみたい」

「どうやったらそんな餅つきみたいにテンポよくできるんだ?」

「……練習が必要」

「練れば練るほど色が変わって」

「……色は変わらない」

「こうやってつけて……うんまいっ!」

「……食べちゃ駄目」

 

 テーレッテレーしてくれない冬雪をよそに、粘土は巨大肉まんと化していく。とりあえずそれっぽく練り続けていると、陶芸室のドアが開き阿久津が現れた。

 

「やあ音穏。やってるみたいだね」

「……ミナ、お疲れ」

 

 一足遅れで到着した少女は、鞄を置くなりこちらへやってくると横から覗き込む。

 

「菊練りというより、小籠包練りかな?」

「良いんだよ! これが俺の菊練りだ!」

「……今回はやっておくから、ヨネはろくろの準備」

「おう」

 

 用意するものはドベ受け(飛び散った粘土の受け皿的なもの)と、それにボールを二つ。確か片方には水を入れておくんだったかな。

 

「あれ? これだけだったか?」

「シッピキと、なめし皮を忘れているよ」

「指摘するくらいなら手伝ってくれよ。どこにあるんだ?」

「そこの小物入れの左側、三段目と五段目だね。練習ならキミが用意しなきゃ意味がないだろう? きっと制服のズボンも汚れるだろうけれど、それもまた経験だよ」

「エプロンしてるんだから、それはないだろ」

 

 あれ、何か今フラグ立てた気がする。

 前に見学した時はコテやらヘラやらも用意されていた気もするが、色々思い出している間に冬雪の菊練りが終わり準備もできたようだ。

 

「……お手本、見る?」

「一応、もう一回見せて貰ってもいいか?」

「……わかった。粘土は真ん中に」

 

 椅子に座った冬雪は、粘土を電動ろくろの中心に置くとペダルに足を乗せた。部室内はクーラーが効いているが、どうやら彼女は暑いのが苦手らしくエプロンを付けていない。

 

「!」

 

 女子高生の制服エプロンという至高が拝めないのは残念だが、冬雪はブラウスのリボンまで外しているため、このアングルだと緩んだ胸元が無防備だった。

 チラチラ見える鎖骨と瑞々しい肌に、つい視線がいってしまう。こんな絶景が拝めるなら、もっと早くに入部すべきだったかもしれない。

 

「音穏、これは付けておいた方がいい」

「……?」

 

 冬雪が着席してから数秒間の、短い至福は終了した。

 エプロンを付けられた本人が首を傾げる中で、阿久津からの視線が妙に痛い気がする。きっと目を合わせたら、汚物を見るかの如く冷酷な瞳で睨まれているのだろう。

 

「……踏むと回る。速すぎると危ない」

 

 昨日そこでクルクルしていた、残念な大人がいたことは黙っておくべきか。

 ゆっくりと回転を始める粘土に、充分に濡らした手が添えられる。

 簡単に剥がれないよう、少女の手によって下方向に押された粘土が形を変えていった。

 

「……固定して中心ができたら、小指に力を入れて上に伸ばしていく」

 

 冬雪が両手を密着させ力を込めると、粘土が描く放物線の傾きが大きくなっていく。

 みるみるうちに細長くなった後で、彼女は右手を頭頂部に宛てがった。

 

「伸ばした後は土殺し。斜め前に押す感じ」

 

 高くそびえ立った山が、今度はどんどん低くなっていく。

 容易に形を変えていく粘土へ、上げては下げてを繰り返した冬雪は形作りに入った。

 

「……お皿と湯呑み、どっちがいい?」

「じゃあ皿で頼む」

「……わかった。基本的に軽く力を入れるだけでいい」

 

 伸ばした粘土の頭頂部に両手の親指が添えられる。

 少女が触れた箇所が凹むと、その穴は徐々に深く大きくなっていった。

 触れていた掌がゆっくりと角度を変えれば、自然と皿の形が出来上がっていく。

 こうして改めて見ていると、それこそ魔法でも使っているのかと疑う程の手つきだ。実際あっという間に皿が完成すると、冬雪はカードサイズの布もどきを手にした。

 

「……形ができたら、なめし皮で整える」

 

 手触り的には厚みのある眼鏡拭きって感じだが、布ではなく何らかの皮らしい。

 濡らしたなめし皮を人差し指と中指で挟み、親指と人差し指で小さな膨らみを作るように持った少女は、回っている皿の縁に軽く添える。

 そして何周かした後で、綺麗になったのを確認すると電動ろくろの回転を止めた。

 

「……最後にこれ、シッピキを使う」

 

{IMG53639}

 

 手に取ったのは、木の棒の真ん中から糸が垂れているT字の道具。それを既に形が完成している皿の根元へ水平に当てると、冬雪は電動ろくろをゆっくりと回す。

 そして糸がぐるりと向こうを回って、手前の糸と交差した瞬間に引き抜いた。

 最後に、切り離した皿を用意しておいた板上へ両手でチョキをつくって運び終える。

 

「おお、流石だな」

「……こんな感じ」

「よし、後は任せろ!」



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二日目(水) 俺が期待を裏切らない男だった件

 ―― 一時間後 ――

 

「しかしキミはまた、随分と見事な作品を作り上げたね」

 

 何ということでしょう。

 そこには失敗作を大量に生みだした挙句、ズボンを粘土で汚した青年の姿が……。

 

「……最初は皆下手」

「これはひょっとしてペットボトルの蓋かい?」

「御猪口だよっ! 悪かったなっ!」

 

 湯呑みや皿など色々作ってはみたものの、最初に冬雪が作った皿と比べれば出来栄えは月とスッポン……いや、ティラノザウルスとミジンコレベルか。

 不器用なのは知っていたが、我ながらここまでとは思わなかったので少し落ち込む。

 

「励ますつもりじゃないけれど、形成の時にできた歪みは削りである程度は誤魔化せるよ。キミの作品もちゃんと削れば、来年の文化祭に売り出すくらいはできるだろう」

「そうなのか?」

「……来年までに、一人150個」

 

 首を縦に振った部長から、辛辣なノルマが告げられる。難しいのは慣れるまでなのかもしれないが、陶芸を好きになれるか心配になってきた。

 完成した作品は廊下にあるムロと呼ばれる場所に入れておく。何でも急に乾燥させると亀裂や歪みが生じるため、それを防ぐための安置所らしい。

 

「はあ…………ん? まだ作るのか?」

 

 ドベ受けやボールなど使い終えた道具を洗い、面倒な後片付けも一段落着いた頃。新たな粘土の塊を持ってきた冬雪は、俺の問いに対して首を横に振った。

 

「……菊練りだけ再練習」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 チラリと阿久津を見れば、悠長に棒付き飴を舐めながら勉強に戻っている。菊練りと英語を天秤にかけた結果、俺の中ではまだ菊練りの方が勝っていた。

 

「わかったよ」

 

 再び粘土を両手で持つ。

 すると突然、俺の右手に冬雪の掌が重ねられた。

 

「!」

「……こうやって、こう」

 

 練り方を教えるため、操るようにして右手が動かされる。

 手の甲越し伝わる温もり。

 異性と触れ合っているという実感が、何とも言えない興奮へと導いていく。

 

「……左手も」

「お、おう」

「……違う」

「っ?」

 

 隣にいた冬雪が俺の背後に回ると、後ろから両腕を伸ばし俺の手へ重ねた。

 当然、密着する。

 何て言うか、全てが柔らかい。

 女の子の身体ってこんなにぷにぷになのかと疑うレベル。

 僅かながら身体を預けると、背中に小さな胸が当たっている気がした。

 高鳴る鼓動にときめく心。

 今俺は、かつてない程に青春を謳歌している。

 

「……やってみて」

「お、おうっ!」

 

 全く、陶芸は最高だぜ!

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 すっかり菊練りにのめり込み、遅くなってしまった帰り道。

 特に買い物を頼まれた訳でもないがコンビニへ自転車を止めると、頭の中で色々なシミュレートをこなしつつ店内へ入る。昨日の今日で来るのは少し恥ずかしかったが、やはり値札が気になっていた。

 

「いらっしゃいませ。お待ちのお客様、こちらへどうぞ」

 

 客の並んだレジを見ると、手前には背の高い店員さんが一人。そして商品整理でもしていたのか、奥のレジに戻った少女が休止中の札を片付け応対を始める。

 

『夢野蕾』

 

 まあ結末はこんなものだ。

 前を通り過ぎる際にネームプレートを確認すると、少女は売り切れになっていた。

 客に指摘されたのか、はたまた他の店員が気付いたのか。最後まで言い出せなかった自分に若干悔いは残るが、解決した以上は喜ぶべきなのかもしれない。

 

「お会計、120円になります――――――――ありがとうございました」

 

 悩みが消えた後で改めて耳にすると、何度聞いても癒される声だ。

 のんびりと鑑賞するが特に買う物は無いため、適当に桜桃ジュースとガム類を手に取るとレジが空いた頃を見計らって少女の元へ向かった。

 

「…………っ?」

 

 商品をレジに置いた直後、異変に気付き目を疑う。

 幻覚ではない。

 

『夢野蕾 ¥120』

 

 ………………何で?

 つい先程までは名前だけだったネームプレートに、何故また値札がついているのか。

 混乱するものの二度目ともなれば、頭が正常に戻るまで時間は掛からなかった。

 そういえば少し前にいた客が、120円の商品を買っていた気がする。ひょっとしたら彼女は、剥がした値札を胸に付ける癖があるのかもしれない。

 

「お会計、380円になります」

 

 三度目の正直を見せるべく、500円硬貨を支払いつつ深呼吸する。

 そして意を決した俺は、少女の胸を指さしながらはっきりと告げた。

 

「その、120円なんですけど……」

 

 まるで喉に突っかかっていた骨が取れたような錯覚。

 いざ声に出してみれば何てことはない、今まで悩んでたのが馬鹿みたいだ。

 

「えっ?」

 

 少女が驚くのも無理はない。

 二度あることは三度あるというが、きっとこれを機に癖を直すだろう。

 

「お客様、お釣りが如何されましたでしょうか?」

「…………へ? お釣り?」

「はい。お会計が380円でしたので、120円のお釣りとなります」

 

 普通なら充分気付く筈の一言だったが、不運にも奇跡が起きていた。

 どうやら彼女は値札を示した俺の指と言葉を、握り締めていたお釣りの120円に対しての発言と受け取ってしまったらしい。

 最早アキトの奴が提案した『キミをテイクアウト』とかいう馬鹿みたいな台詞を口にするしかないのか……いやいや言ったら多分俺が死ぬ。死因は恥ずか死、もしくは羞恥死ん。

 

「!」

 

 しかしそんな絶望の最中、神は舞い降りる。

 普段なら縁もゆかりもない設置物を見た瞬間、俺は迷うことなく声を大にして応えた。

 

 

 

「募金でお願いしますっ!」



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三日目(木) 相生葵が救世主だった件

「イヒッヒィーッ! 120円で募金って、草生え過ぎて腹がっ! フヒッ!」

「…………もう草でも木でも好きなだけ生やしてくれ」

「木ィーッ! 木ィ生えるとか、大草原ならぬ大森林不可避ィッヒッ!」

 

 結果を報告するなり、当然とも言える反応が返ってきた。赤ちゃんみたいな引き笑いをするオタちゃんに対して、葵は真剣に悩んでおり決して俺を笑いはしない。

 入学当初にガラオタと友達になってしまい絶望した時も、コイツはアキトの喋り方に引くことなく接してくれたし、本当に優しくていい奴だ。

 

「げ、元気出してよ櫻君。き、今日のお昼も食べてないし……」

「食欲ない」

「だ、だけどちゃんとご飯食べなきゃ、授業中お腹空いちゃうよ?」

「したら寝る」

「だ、駄目だよ! ね、ねえアキト君、何とかならない?」

「ヒフヒッ? そう言われましても、最早わざとやっているとしか考えブッフォ」

「わざと値札貼る理由なんてあるかっての」

「いやいや店員だけでなく、米倉氏の方も? ここまでくると二人でコントしてるレベルですしおすし……フヒヒッ」

 

 こんなのコントじゃないわ! ただの公開処刑よ!

 そう応えようと思ったが「だったら言えばいいだろ!」と返されそうなので止めた。

 

「で、でも前の値札が外れてたなら二回目なんだし、きっと店員さんもすぐに気付くよ」

「そうだといいんだけどな……」

「え、えっと……き、昨日も聞いたかもしれないけど、店員さんが櫻君の知り合いって可能性はないんだっけ?」

「ああ。夢野蕾なんて印象的な名前、知ってたらそう簡単には忘れない……と思う」

「えっ?」

 

 俺が口にした名前を聞くなり、葵が驚いた声を上げた。

 パソコンを弄りながら未だに弁当を食べているアキトが、白米を飲み込みつつ尋ねる。

 

「どしたん相生氏?」

「う、うん。同じ名前の女の子が、音楽部の一年生にいるから驚いちゃって」

「本当かっ? ハウスはっ? 漢字はっ? 特徴はっ?」

「わわっ! お、落ち着いて櫻君。夢に野原の野、花が咲く前の蕾で夢野蕾さんだよ。身長はボクと同じくらいで、髪型は短めのポニーテール。ハウスはFハ――」

「行くぞスネーク!」

「えぇっ? スネークって……? ちょ、櫻君っ?」

 

 葵の腕を引っ張り上げると、俺は教室を抜けハウスホールを全力疾走した。

 

 

 

 

 

「こちらヨネーク。聞こえるかスネーク」

「だ、だから僕はスネークじゃないよ? 櫻君、ちょっと落ち着いて……ね?」

「了解だイザーク。目標は見つけたか?」

「う、ううん、まだだけど……って、イザークでもないからね?」

「通信を怠るなよ、スイーツ」

「す、すぐ隣に居るから通信も何もないけど……もう人名ですらなくなってるよ?」

 

 現在位置はFハウスのハウスホール二階。

 流石の葵もクラスまでは覚えていなかったため、まずは一階にある一年の教室を見渡せるこの位置からターゲットの確認をしようという作戦だ。

 

「あ! み、見つけたよ」

「本当かアイーンっ?」

「…………櫻君。僕、教室に戻っていい?」

「ごめんなさい」

「えっと……F―2の中央辺りに三人の女の子が立ってるけど、その真ん中の子」

 

 葵に言われた教室内部を、目を凝らして確認する。

 もし席替えをしていなければ、夢野蕾という名前から予想される座席は最奥の後部付近。ここからでは奥が死角になっているため、中央にいるこの機を逃す訳にはいかない。

 

「!」

 

 …………いた。

 服装がコンビニの物ではなく屋代の制服だが、あの顔は間違いなく彼女だ。

 ショートポニーに髪を結び前髪を桜の花びらヘアピンで留めている少女は、友人と思わしき女子達と雑談を楽しんでいる。

 

「ど、どうかな?」

「…………葵」

「ひ、ひょっとして違っひゃああっ?」

「葵ぃーっ! お前は最高だぁーっ!」

 

 か細い身体を抱き締めると、胸に顔を埋め擦り合わせた。

 ボタンが引っ掛かってちょっと痛いが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「さ、櫻君っ? 少し落ち着いてって!」

「葵ぃーっ! 愛してるぞぉーっ!」

「あ、愛してるって言われても、僕も櫻君も男同士だってば!」

「そんなことはないっ! 今や俺の愛は性別を超えているっ!」

「な、何言ってるのか意味がわからないよっ? とにかくこの手を離して――――」

 

 

 

「キミは一体何をしているんだい?」

 

 

 

 ――――思考停止。

 ちょっとした冗談のつもりだったが、思わぬ声を聞いて硬直した。

 ゆっくり顔を離し左へ90度回転させる。そこには女子トイレから出てきたと思わしき阿久津が、身も凍るほど冷酷な視線をこちらに向けていた。

 もう何ていうか、目で人を殺せるんじゃないかってレベルである。

 

「………………」

 

 そういえばコイツ、Fハウスだったわ。

 葵を抱き締めていた手を離すと、何事もなかったかのように静かに立ち上がる。

 

「いつからいた?」

「キミが彼へ、熱烈な愛の告白を始めたところからだね」

「どうしてここにいる?」

「それはこちらの台詞だと思うよ。キミの教室はCハウスだろう?」

「今、何を考えてる?」

「性別を超えた愛の誕生を、心より祝福すべきか考えているね」

「…………」

「………………」

「誤解だっ!」

「例え誤解だとしても、迷惑がっている彼へキミが求愛したのは事実だろう?」

「ぐはっ!」

 

 痛恨の一撃! 櫻は120のダメージを受けた!

 

「さ、櫻君っ?」

「葵……俺はもう駄目だ……お前だけでも逃げ…………ろ……」

「自己紹介が遅れて申し訳ない。ボクは阿久津水無月。櫻とは腐れ縁というか……いや、櫻と腐れ縁なのはキミの方かもしれないね」

 

 俺のリアクションを無視した阿久津が、淡々と話を進める。っていうか何ちゃっかり腐れ縁の意味を『腐ってる方々が喜びそうな仲』的な理解に変えてるんだよ。

 

「あ……ど、どうも。相生葵と言います。櫻君とは同じクラスでして」

「相生って苗字とキミの風貌から察するに、文化祭で女装した相生君かい?」

「そ、そうなんですけど、そのことはあまり触れないで貰えると助かるというか……」

「それはすまない。キミも色々と苦労していた訳だね。櫻のクラスメイトということだし、大方そこの同性愛者が迷惑を掛けたんだろう?」

 

 葵のコンテストには一切関わっていないのに、とんだ濡れ衣を着せられたもんだ。ここは一つ、心優しい友人に弁解してもらい誤解を解くとしよう。

 

「そ、そんなことありません……多分」

「多分かよっ?」

「何だ、もう生き返ったんだね。ちゃんと神父さんにお願いして1G払ったのかい?」

「安すぎるだろ俺の命っ! 薬草一つでも8Gだぞっ?」

「馬の糞の売値が1Gだから分相応だろう。寧ろ錬金に使えるだけキミより便利だね」

「もう止めろっ! 俺のライフはとっくに0だっ!」

「まだ0だったのかい?」

「逃げるぞ葵っ!」

「えっ? 逃げるって……さ、櫻君っ?」

 

 このままだと精神的な面で抹殺される。

 戦略的撤退を決め込んだ俺は、悪苦痛……じゃなくて阿久津から全力で逃走した。

 

「…………ね、ねえ、櫻君」

 

 ハウスとハウスを繋いでいる、モールと呼ばれる渡り廊下を歩いていた途中のこと。思わぬ情報を手に入れ意気揚々とする中で、声を掛けてきた救世主の方へ振り返る。

 

「ん? 何だ葵?」

「ゆ、夢野さんがFハウスにいるって知って、その後はどうするの?」

「…………」

 

 教室へ戻った俺に、アキトから『ストーカー乙』というトドメの一撃が加えられた。



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三日目(木) 昔のアルバムが黒歴史だった件

 まだ作品が乾いていないため、今日の部活は削りの工程に入らず勉強会だった。

 ちなみに阿久津はといえば、大魔王からは逃げられないとばかりに精神攻撃を仕掛けてくる始末。心無しか冬雪の見る目まで冷たかった気がしなくもない。

 

「はあ……」

 

 そんなこんなで疲れ果てた俺は現在、重い足取りで自転車を漕いでいる。

 値札の件はそれとなく気付かせて貰えないかと葵に頼んでみた。つまりこれでようやく、ストーカー呼ばわりされる生活も終わりという訳だ。

 

「ん?」

 

 コンビニを通り過ぎようとした丁度その時、ポケットの中で携帯が振動する。取り出してみれば電話じゃなくメール、それも噂をすれば葵からだった。

 

『ごめん、言えなかった』

 

 …………何でこう、絶妙なタイミングで送ってくるかな。まあ本文の後に付いている不等号の顔文字が無駄に可愛いから許すけどさ。

 ガラケーを閉じようとした瞬間、今度は間髪入れずに電話が掛かってくる。ただその相手は葵じゃなく、画面に表示されているのは能天気な妹の名前だ。

 

「もしもし?」

『もし~ん。お兄ちゃ~ん、今どこ~?』

「…………まさかお前、買い物してこいなんて言い出さないだろうな?」

『流石はお兄ちゃん! 梅とはツーカーの呼吸だね!』

「どんな呼吸だよそれ? 正しくは阿吽の呼吸、もしくはツーカーの仲だ」

 

 揃いも揃って、そんなに俺をあのコンビニへ行かせたいのか?

 …………いや待て。葵から数秒前に言えなかったと連絡が来たなら、きっと音楽部は今終わったばかり。つまり今あのコンビニに彼女はいない筈だ。

 

『助けてよお兄ちゃ~ん。緊急事態だよ~。冷蔵庫に何も飲み物が無いよ~。喉カラカラでもう喋れな……い……』

「蛇口を捻れば水が出る。日本は素晴らしい国だぞ?」

『梅、お兄ちゃんのジュース飲みたいな~』

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

『っぷはぁ~、生き返った~』

「飲んでるだろお前っ? 俺の許可どうこう関係なく、既に飲んでるだろそれっ?」

『えへへ☆』

 

 えへへじゃねーよ。まだ可愛げのある妹だから許せるけど、これが横綱みたいな妹だったら回し蹴りを喰らわせ……ようとしたら百裂張り手を返されそうだな。

 非常用もといテスト勉強をする際のガソリンとして置いていた桜桃ジュースだが、飲まれてしまっては仕方ない。後で一割増しの代金を請求してやろう。

 

『ま~ま~。お礼に梅、何でもす――――』

「ん? あ……」

 

 梅が余計なことを言いかけた矢先、携帯の電池が切れた。

 最近の懐かれ具合は異常な気もするが、これも姉貴がいなくなった影響なんだろうか。困った妹だと呆れつつも、何だかんだでコンビニへ向かう。

 

「いらっしゃいませ」

 

 何の注意も払わずに店内に入ってからの硬直。

 レジでは昼にFハウスで目撃した少女が、営業スマイルを俺に向けていた。

 …………双子の妹?

 いやいや名前とか同じだし、流石にあり得んだろそれは。

 つまりあれだ。考えられる可能性としては既に音楽部の活動はとっくに終わっていて、葵が俺にメールしたのが遅かっただけとか、そういう感じのやつか。

 

「…………恨むぞスネーク」

 

 できることなら、段ボールをかぶってここから脱出したい。

 勿論そんな真似をする筈もなく、桜桃ジュースを含めた飲み物をいくつか買った俺は意を決しゆっくりレジへ向かった。

 入店した時からわかってはいたが、彼女の胸には今日も120円の値札が付いている。

 

「あ、あの……」

「はい?」

 

 少女に言われた代金を支払い、お釣りを受け取る前に自然と口が開いた。

 鼓動が速くなっていく中、肺に空気を送り込む。

 

「言いにくいんですけど……その、ネームプレートに……値札が……」

 

 普通に発したつもりだったが、後になるにつれて小さく弱々しくなっていた声。

 アキト以外の友達を求めて葵に声を掛けた時も、確かこんな感じだった気がする。今思えばアイツから見た俺は、相当滑稽だったに違いない。

 

「………………すいません、ありがとうございます」

「えっ?」

 

 声が届いていたことに驚く。

 彼女は恥ずかしがることもなく、慌てることもないままニコッと微笑んだ。

 数日へ渡り目にしていた120円の値札は、少女の手によって簡単に剥がされる。

 

「300円のお釣りと、レシートになります」

 

 そしていつも通り渡される、お釣りが乗せられたレシート。

 商品を受け取ってからレジを去ろうとした俺に向けて、彼女の口元が僅かに動いた。

 

 

 

 ――――ばいばい、米倉君――――。

 

 

 

 小さな小さな呟き。

 小心者だが難聴ではない俺は、決してその綺麗な声を聞き逃しはしなかった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「だから悪かったってば~お兄ちゃ~ん」

 

 ソファで寝転がっている俺の腰を、勝手にマッサージしてくる妹。帰るなり黙りっぱなしの姿を見て怒っていると勘違いしているようだが、その理由は勿論別件である。

 

『ばいばい、米倉君』

 

 振り返った時には別の客を対応しており聞けなかったが、夢野蕾は俺を知っていた。

 文化祭の女装で一躍有名になった葵じゃあるまいし、広い屋代で米倉櫻という名前を見るとしたら、せいぜい数学テスト上位の貼り出しくらい。ただ顔と名前が一致していたことを考慮すれば、彼女の情報源は恐らく違うだろう。

 となると知り合いである可能性が高いが、俺には一切心当たりがなかった。

 

「…………なあ梅。夢野蕾って女の子、知ってるか?」

「はえ? 新しい芸能人か何か?」

「いや、やっぱ何でもない」

「何々? お兄ちゃん、ひょっとして怒ってるんじゃなくて考え事してたの?」

「いつ誰が怒っていると言った?」

「だってだって、途中で電話切っちゃうんだもん」

「そういやそうだった。ほれ召使い、コイツの充電を頼む」

「はいは~い……って、電池切れだったんか~い!」

 

 ノリ突っ込みする妹を放置し、昔のことを思い出してみる。

 中学校……小学校……幼稚園…………、

 

「いや無理だろ」

 

 覚えていると言っても、せいぜい小学校までの断片的な記憶だけ。幼稚園に至っては、どこに何の遊具があったかすら思い出せない。

 

「さっきからお兄ちゃん、何一人でブツブツ呟いてるの?」

「ちょっと訳あって昔の知人らしき人物に会ったんだが、何一つ思い出せなくてな」

「さっき言ってた名前の人?」

「ああ」

「ふ~ん」

 

 ゴロリと仰向けになり、傍らに置いていた桜桃ジュースへ手を伸ばす。

 もしも彼女が俺と顔見知りで、あの120円の値札も声を掛けさせるための意図的な行動だったとしたら……?

 いつぞやアキトが言っていた絵空事に近い想像だが、指摘された後の反応を見た限りではその線も否定できないのが正直な感想だ。

 

「よいしょっと」

「…………ん? 梅、何だそれ?」

「えへん。察しのいい妹から、お兄ちゃんへ愛の奉仕活動だよ」

「だからそういう表現は誤解を招くから……って、へぇー。こんなのがあったのか」

「やっぱ知らなかったんだ? お兄ちゃん、こういうの興味持たないもんね」

 

 一度見た後は闇の世界に封印し、大掃除の際に発掘したら作業を中断。小学校や中学校の卒業アルバムなんて、個人的にはそんな認識でしかない。

 梅がテーブルに置いた冊子の束は、小学校一年から六年における計六冊のクラス文集。そして何より驚いたのは、一番上に置かれている卒園アルバムだった。

 

「暇だし、梅も探すの手伝ってあげる! えっと、何だっけ?」

「夢野蕾だ。引っ越した子の可能性が高いから、梅は文集の方を低学年から順に見てくれ。俺は卒園アルバムを見てから、お前が見たのを追いかけていく」

「らじゃ~」

 

 

 

 ―― 五分後 ――

 

 

 

「あははははっ! 二年生のお兄ちゃんの作文、何これ~」

「…………」

「他の子は二重跳びとか逆上がりとか25メートル泳げたって作文ばっかり書いてるのに、一人だけ『逆さごま』って。駄目、無理だよぉ~。お腹痛い~」

「………………」

「あっ!」

「見つけたのかっ?」

「昔のお兄ちゃんの写真可愛いっ! 何これっ? 誰っ?」

「俺だよっ!」

 

 

 

 ―― 十分後 ――

 

 

 

「四年生のお兄ちゃんのページ紹介~。イエ~イどんどんパフパフ~」

(また何か始まったし……)

「先生に一言! 一年間ありがとうございました」

「ふむ」

「一年間で楽しかったこと! お楽しみ会で遊んだこと」

「ふむふむ」

「生まれ変わったら! 大きくて強い木になりたい」

「………………」

「しかも二十年後の似顔絵が一人だけ髭の生えたおじいさん! もう駄目、お腹痛い~」

「真面目に探せっ!」

 

 

 

 ―― 十五分後 ――

 

 

 

「楽しかった修学旅行」

「あ?」

「僕は修学旅行へ行きました」

「ふむ」

「そこで、短歌風にまとめました」

「は?」

「バスに乗る・いっぱい人が・乗っている・みんなで遊んで・面白かったよ~」

「…………」

「グループで・自由行動・してたらね・途中で迷子に・なったかな~」

「止めてくれっ! マジ勘弁してくださいっ!」

「ホテルでね・色々探検・してみたら・滅茶苦茶広くて・ビックリだよ~」

「ノォォォォォォン!」

 

 

 

 ―― 二十分後 ――

 

 

 

「…………で、収穫は?」

「う~ん、お兄ちゃんの赤裸々な過去? あっ! 昔のミナちゃん可愛い~」

「…………」

 

 もう『あっ!』の時点で反応するのは止めにした。

 梅の奴が作文や自己紹介や写真といった、どうでもいいページばかり見ているせいで一時間が経過。しかしこれといった成果はないまま、現在は梅が幼稚園のアルバム、俺が小六の文集(二度目)を確認中だ。

 

「こういう写真見てると、近所で遊んでた頃が懐かしいね~」

「まあな」

 

 確かにあの頃は幸せだった。第一に阿久津の奴が優しかったし、それに阿久津の奴が可愛かった……ってあれ? 今と変わったのってアイツだけじゃねーのこれ?

 

「桃姉もお兄ちゃんもミナちゃんも、みんな中学校に入ったら遊んでくれないんだもん。いつの間にか呼び方も変わっちゃって、一人残された梅は寂しさMAXだよ?」

「中学生になったら色々大変なのは、現在進行形のお前ならわかるだろ?」

「部活と勉強で忙しイング!」

「わかれば宜しい。しかしこれだけ探しても手掛かりなしか……」

「お兄ちゃんの勘違いだったんじゃない? えっと、何蕾さんだっけ?」

「夢野だよっ! お前は今まで何を探してたんだっ?」

「ちゃんとそれっぽい感じで覚えてたもん! 何かこう、ヤ行っぽいな~みたいな?」

 

「…………(ペラリ)」 ←もう一回見直し始める。

 

「あ~っ! 信じてないでしょっ? これでも梅はお兄ちゃんをぬか喜びさせないように気を遣って、夢野じゃない蕾さんを見つけても報告しないであげたのに」

「それ以前に余計な報告が多すぎだっての。第一夢野じゃない蕾さんって何だよ?」

「えっと、確か……土浦……だったかな?」

 

 パラパラと幼稚園のアルバムをめくる梅。

 そして俺のいたタンポポ組ではなくヒマワリ組のページを開いた妹は、集合写真に写っている一人の幼い女の子を指差した。

 

「そうそう、この子この子。やっぱり土浦蕾さんだ! 梅の記憶力は世界一ぃ~!」

「記憶力を誇るなら、元寇で使われた武器を覚えてから…………っ?」

「ぎゃんっ!」

 

 アルバムを見ようとして梅を突き飛ばしてしまったが、詫びるのは後回しだ。

 どうしてこんな当たり前の可能性に気付かなかったんだろう。

 俺は夢野という苗字ばかり探しており、蕾という名前を見ていなかった。

 

「あ痛たた。も~、いきなり突き飛ばさないでよお兄ちゃん」

「ああ、悪い」

「その子だけど、苗字違うよ?」

「…………」

 

 確かに苗字は違うが、この顔にはどことなく面影がある。

 十年以上もの月日を遡り、俺はとうとう夢野蕾との関わりを見つけたのだった。



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四日目(金) 伊東先生が大人だった件

「こりゃ楽しそうだな」

 

 陶芸部部室にて、削り作業を見学中。

 冬雪がL字のカンナ(超硬カンナと言うらしい)を添えるように当て電動ろくろを回転させるだけで、リンゴの皮剥きみたいに粘土が削れていく光景が実に面白い。

 

「……こんな感じで、高台を作る」

「コウダイ?」

「茶碗でも湯呑みでも、底にちょっとした円状の台座があるだろう?」

「んー……あったか?」

「そうなるとキミは、アルカスと同じようなエサ入れで食事していたことになるね」

「あった! 物凄くあった気がする!」

「……削り過ぎに注意。底が抜けると失敗」

「了解だ」

 

 手本も終わったところで、一昨日作った出来損ないの湯呑みを手に取る。

 それを逆さにして電動ろくろへ乗せた後で、中心を合わせたら四方を粘土で軽く固定。回転させながらカンナの刃先を当てると、面白い具合に削れていった。

 

「ひょおおお。もしかして陶芸で一番面白いのって、削りなんじゃないか?」

「……かもしれない」

「確かにキミみたいな不器用でも比較的簡単にできるという点では、一番向いている工程かもしれないね。ただしあんまり調子に乗っていると底が抜けるよ」

「くっくっく、俺を舐めて貰っちゃ困るな阿久つぁぁっ?」

「少しばかりフラグ回収が早すぎないかい?」

「お、俺の湯呑みが……なあ、抜けた底をくっつけたりできないのか?」

「……これは無理」

「残る作品は四つ。この中から一体どれだけが生き残れるか楽しみだね」

 

 悪の大魔王かお前は。

 

 

 

 ―― 一時間後 ――

 

 

 

「ふぅ、終わったぁ」

「……お疲れ」

「思ったより生き延びたようで何よりだよ」

 

 結局あの後にもう一つ底が抜けてしまったが、残り三つは無事に削り作業が完了。一つは高台を作れず平坦な底になったが、それでも二つはまともな作品だ。

 

「こうやって完成すると、何かこう……込み上げてくるな」

「トイレなら部屋を出て右だね」

「尿意じゃねーよっ!」

「……底にマーク」

「ん? マークって何だ?」

「このままだと、どれがキミの作品かわからなくなるだろう? まあこれならマークを付けなくてもボクや音穏の作品とは区別できるけれど、今後を考えて一応ね」

 

 相変わらず一言多い阿久津。割と良くできたと思うんだけどな。

 

「……高台の凹み部分に軽く掘る」

「しかし突然マークって言われてもな……二人は何にしてるんだ?」

「……音符」

「ボクは三日月にしているよ」

 

 各々が自分の名前をもじった、実に分かりやすいマークだ。

 となると俺のマークはこれ以外にないだろうと、完成品の一つを手に取り軽く掘る。描いた模様は例の120円少女が髪を留めているヘアピンと同じものだった。

 

「ま、こんな感じだな」

「これは犬の足跡かい?」

「違う」

「……キツネ?」

「違う!」

「まさかハートとか、気持ち悪いことを言い出したりはしないだろうね?」

「最早わざと間違えてるだろお前?」

「……桜の花びら?」

「正解! 冬雪さんに1ポインツ!」

 

 3ポイント集めた解答者には、アキトのパソコン粉砕チケットをプレゼントだ。

 そんなくだらないやり取りをしている中で、俺の湯呑みを手に取った冬雪は考え事でもしているのかジーッと眺めたまま固まっている。

 

「ん? どうかしたのか?」

「……何でもない」

「音穏の考えていることが気になるなら、ボクが教えるよ」

 

 代弁して答えた阿久津が、自分の作品と思わしき湯呑みを棚から持ってきた。

 受け取れという意味なのか何も言わずに差し出されたが、落として割りでもしたら何を言われるかわからないため両手で慎重に受け取る。

 

「!」

「わかったかい?」

 

 少女の言う通り、手に取っただけですぐにわかった。

 二つの湯呑みの圧倒的な違い。

 

「うわっ……俺の作品、重すぎ……?」

「そういうことだよ。最初のうちは仕方ないさ」

 

 湯呑みを回収した阿久津は、元あった棚へと戻す。入部してから今までコイツが陶芸をしている姿は見たことがないが、やはり人にものを言うだけの腕はあるらしい。

 

「それならそうと、はっきり言ってくれよ」

「……いいの?」

「遠慮されたところで、俺の腕は成長しないからな」

 

 寧ろ絶対に落ちる。俺SUGEEとか自己満足して終わること間違いなし。

 

「……じゃあ50円」

「ん? 何がだ?」

「……文化祭で売った場合の値段」

「…………マジですか?」

「……マジ」

 

 陶芸者としての道のりは、まだまだ遠そうだ。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「なあ阿久津。土浦蕾って知ってるか?」

 

 削りの作業は後片付けも少なく、一段落着いた後はいつも通り勉強部へ変身。阿久津が冬雪に色々教えるのを話半分で聞きつつ、その合間で少女に質問した。

 

「なんだい? 藪から棒に」

「いや、知らないなら別にいいんだ」

「ボクと同じヒマワリ組だった女の子のことかい?」

「覚えてるのか? マジで凄いなお前」

「いいや。同じ小学校に行ったならともかく、幼稚園の頃に同じ組だっただけで別の小学校に行った同級生の名前なんて流石に覚えていないよ」

「え? じゃあ何で知ってたんだよ?」

「きっと質問してくるだろうから、何か知っていたら教えてあげてと梅君から連絡があってね。これでジュースの借りはチャラだそうだよ」

 

 どうやら梅のやつが、余計な世話をしてくれたらしい。ジュース一本分の支払いすら踏み倒そうとするなんて、アイツも中々に金欠みたいだな。

 

「まあ残念ながら、ボクはキミが求めているような情報は何一つ持ち合わせていないね。いっそ筍幼稚園に直接行って思い出した方が早いんじゃないかい?」

「おや? お二人は筍幼稚園出身でしたか」

 

 削りが終わった頃に「遊びに来ましたよ」とか言って現れた伊東先生が、回転椅子をぐるりとターンさせて振り返る。

 黒板に書いていたのは『Do you know me? どう、湯呑み?』なんて微妙なギャグ。多分その謳い文句じゃ新入部員は入らないですよ先生。

 

「まさか先生もそうだったんですか?」

「いえいえ。先生は違いますよ。ただ先生の親友が今、丁度勤めているんです。もし筍幼稚園に行かれるんでしたら、打ってつけの話がありますけどねえ」

「打ってつけの話?」

「はい。お二人は『休日ふれあいの会』というのを覚えていらっしゃいますか?」

「いや全然」

「ボクもちょっと……どういった会なんでしょうか?」

「保護者の方やボランティアの学生さんが子供と一緒に遊ぶ、筍幼稚園で月に一度あるイベントらしいですが……お二人がいた頃はなかったんでしょうかねえ?」

 

 そう言われてみると、何だかあった気がしないでもない。

 阿久津は相変わらず思い出せないようだが、伊東先生はそのまま話を続けた。

 

「その休日ふれあいの会ですが、どうも最近集まりが悪いみたいでして。もし皆さんが宜しければ、手伝っていただけたりすると先生的にも助かっちゃいます」

「……私も?」

「勿論、冬雪クンもですよ。何ならお友達を呼んでもらっても構いません。人数は多い方が賑やかになりますし、子供達も喜ぶと思いますからねえ」

「明後日となると、こんな直前に参加表明をしては迷惑ではないでしょうか?」

「正規申し込みの期限がいつまでかは知りませんが、迷惑どころか大歓迎みたいですねえ。人数さえ教えていただければ、連絡や手配は先生の方でしておきますので」

 

 白衣からスマホを取り出し操作し始めた伊東先生は、今正にリアルタイムで連絡を取っているかの如くさらりと答える。

 人の縁はどこで繋がるかわからないというが、まさかこんな提案をされるとは思わなかった。即答できず悩んでいると、斜め向かいに座る少女が手を挙げる。

 

「……行く」

「「え?」」

 

 意外にも、最初に参加表明したのは冬雪だった。

 少女の返事に対し、伊東先生はニコニコ笑いながら黒板に名前を書く。

 

「テスト一週間前、それも知らない幼稚園だというのに冬雪クンは優しいですねえ」

「……子供、好き」

「ふむ。音穏が行くなら、ボクも参加しよう」

「これまた意外だな。お前は子供とか嫌いだと思ってたけど」

「性善説派のボクは、大人より子供の方が好きだね。言葉を返すようで悪いけれど、子供が苦手なのは近所でもお兄ちゃんをできていなかったキミじゃないかい?」

 

 だってアイツら、素直すぎて遠慮しないじゃん。はないちもんめとかやっても姉貴や阿久津や梅の名前ばっか呼ばれて、俺が呼ばれることなんて皆無だったし。

 

「冬雪クンも阿久津クンも、ご協力ありがとうございます。米倉クンはどうしますか?」

「えっと……ちょっと待ってもらってもいいですか?」

「はい。明日まで待てますよ」

 

 流石にそこまで待ってもらう必要もなく、席を立つと携帯を取り出しつつ一旦陶芸室の外へ。そして電話帳の一番初めに登録されている友人へと電話を掛けた。

 

「…………もしもし?」

『も、もしもし櫻君、どうしたの?』

「相生か? 実はかくかくしかじかで――――――」

『えっと……うん、大丈夫。そういうことなら、ボクも手伝うよ』

「悪いな。今度何か奢るわ」

 

 陶芸部の活動もそうだが、男一人に女二人だと色々アウェーだからな。

 相生なら冬雪ともクラスメイトだから問題なし。ついでに言えば阿久津とも先日顔を合わせているので、正に打ってつけとも言える。持つべきものは友だ。

 

『あ……ね、ねえ櫻君。冬雪さんと阿久津さんも来るって聞いたけど、人数制限ってあったりするの?』

「ん? いや特にないし、多い方が助かるって話だな。誰か呼びたいのか?」

『う、うん。友達に保育士を目指してる女の子がいるんだけど、呼んでも大丈夫かな? 他にも女の子がいるなら、話も合うかもしれないし』

「勿論オッケーだ。詳しいことは後で連絡する」

『うん、ありがとうね』

 

 通話を切った後で溜息を吐く。断るのも悪いのでついOKと答えてしまったが、仲間を増やすつもりなのに結局男一人に女四人……じゃなくて男二人に女三人か。

 こうなったら仕方ない、あまり気は進まないがコイツにも聞いてみよう。

 

「もしもし?」

『俺だ。今機関のエージェントに追われている』

「すいません間違えました滅びよ」

 

 ノータイム通話切り。

 やっぱ止めておこうと思った矢先、アキトの方から折り返し電話が掛かってきた。

 

「…………もしもし?」

『間違い電話なのに滅びよとか言っちゃう米倉氏の塩対応、マジぱねぇっす』

「用があるのはこっちなのに、電話を受けた側が意味不明な状況報告を始めるからだ」

『フヒヒ、サーセン。つい癖でやっちゃったお。んで、どしたん?』

「実はかくかくしかじかで――――――」

『幼女と触れ合いですとっ?』

 

 …………やっぱコイツに話したのは失敗だったかな。

 少し後悔しつつも、今はガラオタの手も借りたいので仕方ないと諦める。

 

「ふれあいの意味が違う。それといつ誰が幼女に限定した話をした?」

『冗談冗談。イエスロリータ、ノータッチだお!』

「わかった、欠席な」

『ちょまっ! オタクの人権尊重を示すためにも、ぜひ参加したいでありますっ!』

「はあ……んじゃ、詳しいことは後で連絡するから」

『おk把握』

 

 通話を切った後で陶芸室へ戻ると、チョーク片手に並ぶ三人の姿。どうやら木偏の漢字を書くゲームをしていたらしく、黒板にはずらっと木ばかりが並んでいた。

 しかし『櫻』の傍にある漢字が『朽』や『枯』と悪意ありそうなものばかりなのは何故なのか。もっと『様』とか書くべき漢字があっただろ、犯人の阿久津よ。

 

「おや、お帰りなさい米倉クン。援軍要請は如何でしたか?」

「クラスメイト二人に、その友達が一人参加することになりました。なんで俺を含めて男子三人、女子一人追加でお願いできますか?」

「勿論です。流石は米倉クン、人数を倍にするなんて凄いですねえ。冬雪クンと阿久津クンも、お友達を呼んでいただいて構いま……先生、閃いちゃいました」

 

 黒板に『構』を書く伊東先生だが、二人は既に漢字を思い付いていたようで『棚』と『朴』が返される。どうやら状況は劣勢らしいが、他に何かあったかな?

 

「船頭多くして船山に登ると言いますし、ボクは大丈夫です」

「……同じく」

「それでは暫定六名で向こうには伝えましょう。その他の詳細は米倉クンに連絡しますので、残りのメンバーへの通達は米倉クンにお任せしても大丈夫でしょうか?」

「了解です」

「持つべきものは生徒ですねえ。皆さんご協力ありがとうございます。ではでは先生は仕事に戻るので、青春の続きをどうぞ」

 

 伊東先生はそう言うなり、スキップしながら陶芸室を出ていった。珍しく随分と慌てていたみたいだが、もしかすると本当に仕事が忙しかったのかもしれない。

 

「ほら櫻、キミの番だ」

「ん? このゲーム続けるのか?」

「当然だろう? 伊東先生は、キミの代役として参加していたんだからね」

「……敗者が勝者にジュース奢り」

「…………マジですか?」

「……マジ」

 

 前言撤回。責任取ってくださいよ先生。



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四日目(金) 米倉桃がマンモスだった件

「コンシール・~を隠す。コンシール・~を隠す。コンシール――――」

 

 現在時刻は午後九時。現在位置は自分の部屋。別に怪しげな儀式を始めた訳ではなく、前に阿久津が言っていた音読による記憶中だった。

 騙されたと思ってやってみたが、これが意外に頭へ入ること入ること。単語一つにつき大体十回。音読する時は恥ずかしがらず、はっきり声に出して読むのがコツだ。

 

「テンプト・~を誘惑する。テンプト・~を誘惑する。テンプト――――」

 

 ちなみに今日もコンビニに立ち寄ってはみたものの、珍しく夢野蕾はいなかった。まあ月曜から毎日いた訳だし、彼女もテスト勉強する時間は必要だろう。

 

「お~邪魔~虫~」

「~を誘惑する」

「はえ? う、うふ~ん?」

 

 風呂上がりのパジャマ姿で現れた梅が、胸元のボタンを開けると腰をくねくね動かす。とりあえず面白いから許すが、前後の文脈を考えると俺がお邪魔虫ってことになるな。

 

「ノックもせずに人の部屋へ入ってくんなよ」

「ま~ま~、固いこと言わずに~」

 

 何か用でもあるのかと思いきや、梅はプールの飛び込みの如くベッドへダイブした。

 そして中途半端なクロールとバタ足をした後で動作停止。そのまま人の枕に顔を埋め溺れた妹を放置して、俺は単語の記憶から長文との睨めっこに切り替える。

 

「………………しりとり」

「あ?」

「しりとりだよお兄ちゃん。しりとりしよ」

「リボン」

「ンドゥール」

「続ける気満々かよ……ルパン」

「ンジャメナ」

「ナン」

「ん……ん…………ん~、何でンばっかり押し付けるの?」

「甘いな梅。ンを言っても終わらないなら、ンが言えなくなるまで続けるまべっ」

 

 語っている途中で枕を投げつけられた。単語が言えなくなったら負けという正式なしりとりのルールに則っている筈だが、一体この妹は何が不満だと言うのか。

 

「そういうこと言うから、お兄ちゃんは女心がわかってないって言われるんだよ」

「ちょっと待て、今のしりとりにそんな要素ないだろ? そもそもそんな乙女チックな台詞、言われたことないぞ? 言ってくれる相手すらいないぞ?」

「夜中に兄の部屋へやって来た、純真無垢な妹の心境くらい察してよ」

「どこが純真無垢だ。それとそういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「………………」

「何お前。ひょっとして、明日の練習試合が不安とか?」

「…………うん」

 

 まさかの一発正解。ノーベルお兄ちゃん賞取れるんじゃねこれ?

 

「何でだよ? 大会じゃあるまいし、数ある練習試合の一つに過ぎないんだろ?」

「でも梅達の初陣だし……」

「始まる前から責任感じすぎだっての。お前も小心者だな」

「自分に声を掛けてきた相手が誰か、直接聞けないお兄ちゃんに言われたくないし」

 

 あれ、何で励ましたのに蔑まれてるんだろう。

 俺にはいまいちわからないが、部長とはそういうものなんだろうか。こういう時こそ先々代部長の阿久津に相談すればいいだろと思いつつ、ガラケーを手に取る。

 

「じゃあ松竹梅から選べ」

「しょ~ちくばい?」

「知らないのかよ……松と竹と梅、どのコースを希望だ?」

「松」

 

 絶対そうくると思っていたので、既にとある宛先へメールを一通送っておいた。

 流石と言うべきか、はたまた暇なのか。一分も経たずに着信が入る。

 

「お兄ちゃん、携帯鳴ってるよ?」

「タイミングいいな」

 

 松だけに待つと思ったが、ベッドで寝ている妹へ枕共々ガラケーを放り投げる。

 耳元へ着地して鳴り続ける携帯に、不機嫌そうに顔を上げる梅。しかし画面に表示されている名前を見るなり目を丸くすると、慌てて通話ボタンを押し耳に当てた。

 

「もしもし桃姉っ? 梅だよっ! あのねあのね――――」

 

 話し始めただけでこの変わり様。普通の兄妹よりは仲が良い俺と梅だが、姉妹の繋がりとなれば当然それ以上だ。

 ちなみに俺が送ったメールはこんな感じ。

 

『梅部長が明日の練習試合を前にナイーブなう。暇なら偶然を装って俺の携帯に電話しつつ、それとなく妹を励まして頂けると助かりマンモス』

 

 最後の方が予測変換で変なことになったが、意味は通じるのでそのまま送っておいた。

 梅が阿久津や姉貴に連絡しない理由は、迷惑をかけたくないという思いによるもの。その辺りの女心もしっかり察した、これ以上ない松コースである。

 

「うん! うんそうなの! でもフランが厳しくてさ――――」

 

 フランというのはバスケ部顧問であり、別名はザビ。頭のてっぺんが薄い歴史上人物が由来で、495年も生きたロリ吸血鬼みたいな教師ではないのであしからず。

 

「うん! うん! あっ、今お兄ちゃんにも代わるね~」

「いや、俺は別にいいから」

「いいからいいから~。でも話終わったら梅に返してね」

 

 これ、俺の携帯だからな?

 すっかり元気になった妹から、ガラケーを渋々受け取り耳に当てる。

 

「もしもし?」

『マンモスマンモス~♪』

「………………ああ、こっちは問題ないから。じゃあ梅に返すわ」

「はえ? もういいの?」

「おう」

「わかった~。もしもし桃姉? え? もっかい? お兄ちゃん、テイク2だって」

「…………もしもし?」

『マンモ~マンモ~♪ ウゥ~ッ、マンモ~♪』

「NGで」

「はえ? もういいの?」

「ああ。終わったら切っておいてくれ」

 

 大学生って馬鹿なんじゃないか?

 アキト以上に性質の悪い姉に溜息が洩れる。とりあえず風呂でも入ってくるか。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「――――あ、お兄ちゃん戻ってきたから代わりま~す。梅梅~」

 

 あれから結構経ったが、風呂から戻ると梅はまだ話していた。

 最初の不安はどこへやら、すっかりニコニコな妹から携帯を受け取り耳に当てる。

 

「もしもし姉貴?」

「ボクはキミの姉になった覚えはないね」

「あくっ――!? げほっ、えほっ…………」

 

 返ってきたのは聞き慣れた幼馴染の声。

 予想外の相手に咳き込みつつジロリと梅を睨みつけると、どうやらわざとではなかったらしく『あっ』と何かに気付いた様子の妹は舌をペロっと出した。

 

「も、もしもし……?」

「姉の次は悪魔呼ばわりかい? それとも不要な上澄み液の方だったかな?」

「わ、悪い」

 

 何で謝ってるんだろう俺……別に悪くもなんともないのに。

 学校の先生に『お母さん』と呼んだ時みたいな恥ずかしさを想起しつつ、椅子に座った俺は自分のペースを取り戻すべく大きく息を吐き出す。

 

「で、どうしたんだよ阿久津?」

「どうしたもこうしたもない。明日の練習試合が何時からか聞いておくよう前もって頼んでいたと思うけれど、未だに連絡がないから電話したまでさ」

「あっ! えっとだな……」

「もう梅君から聞いたよ。幼稚園の方の連絡は滞りないよう願いたいね」

 

 社会に出たら、こういう上司とか絶対いるんだろうな。

 まあ実際悪いのは俺の方だが、できることならもう少しオブラートに包んで欲しい。

 

「何なら明日の朝は、ボクがキミを叩き殺しに行くべきかい?」

「ちょっと待て! 今叩き殺しにって言ったよなっ?」

「何を聞き間違えているのやら。叩き起こすと言ったんだよ。まあキミが望むなら、ボクとしてはどちらでも構わな……あ、こらアルカスっ!」

「凄いこと言いかけたぞお前っ?」

 

 流石は男女間の友情は存在する会の会長。幼馴染が起こしに来てくれるなんてトキメキシチュエーションも、残虐なワンシーンへと大変身か。

 猫より構うべきところがあるだろと思いつつ、未だに電話越しでニャーニャー鳴いている声をバックミュージックに話を続けた。

 

「とりあえず明日は現地集合でいいだろ?」

「別に構わないけれど、寝坊して梅君を失望させでもしたら相応の処置を取るよ」

「何するつもりだよ?」

「キミが卒業アルバムに書いていた作文を、音穏に見せようと思う」

「ぐはっ……何て恐ろしい罰ゲームを考えやがる……」

「恐ろしいも何も、作文という形式を無視して短歌風にした挙句、それを掲載させるという常人では考えられない愚行を犯したのは過去のキミ自身じゃないか」

 

 当時の担任の先生。どうしてあんな作文にGOサインを出したんですか。

 そして当時の俺よ。もし賞があったならお前の作文は金賞……いや禁賞だぞ。

 

「まあボクとしても現地集合の方が助かるね。用件はそれだけだから、失礼するよ」

「おう、また明日」

 

 通話が切れると、肩から一気に力が抜ける。

 風呂場で落としてきた筈の疲労がカムバックする中、元凶である妹に目を向けた。

 

「テヘペロ☆」

「うーめー?」

「ゴメンゴメン。桃姉の電話を切った直後に掛かってきたから、つい取っちゃった」

「いくら見知った先輩からの着信でも、人の携帯で勝手に電話を取るな!」

「は~い……あっ! それよりお兄ちゃん! 明後日、筍幼稚園に行くって本当っ?」

「まあ、ボランティアでな」

 

 上手い具合に誤魔化された気がするが、明日の大会に免じて許してやろう。

 素直に答えると妹は目をキラキラさせ、人の枕を羽交い絞めにしながら何も言わずジーッと見つめてきた。もしコイツが犬とかなら、尻尾とか物凄い振ってたと思う。

 

「…………行きたいのか?」

「うん!」

「三回回ってワンと鳴け」

「ウゥ~~~ワンッ!」

 

 ベッドという名のステージ上で、スケーターみたいなターンを決めた犬が鳴いた。次は何をさせようかとも思ったが、下手に怪我でもされたら困るのでやめておく。

 

「はあ……わかったよ」

「やたっ! お兄ちゃん、大好き……じゃないけどグッジョブ!」

 

 一言余計だ。普通に大好きと言ってくれた方が、お兄ちゃんは嬉しいぞ。

 姉貴との電話に加え阿久津と話したことにより、すっかり不安がなくなった様子の妹は枕を放り投げると元気いっぱいに立ち上がった。

 

「そいじゃ明日ね! お休み~お兄ちゃん…………あ、梅梅~」

「ああ、お休み」

 

 …………寝坊しないように、いっそ今から徹夜で体育館に並んでおこうかな。



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五日目(土) 米倉梅がエースだった件

「キミは相変わらずギリギリの重役出勤だね」

「ちょっと待て阿久津。お前は五分前行動をギリギリと言うのか?」

「五分前は五分前でも部活動開始じゃなくて、試合開始の五分前だろう?」

「えっ? お前そんな早く来てたのっ?」

「練習が始まる前に見学する旨を伝えないと、迷惑になると思わないかい?」

「確かに…………何か悪かったな」

「別に構わないよ」

 

 体育館を使う部活動や生徒会でもない限り立ち入ることは滅多にない二階のギャラリーで、阿久津はこちらへ視線を合わせずに素っ気なく応える。

 

「どうしたんだい? そんなにキョロキョロして」

「いや……前にお前から聞いた話じゃ、この二階って虫の巣窟って聞いたからよ」

「それは夏の話だね。窓を開けても地獄みたいに暑い体育館。そこらの木々から蝉やら蜂が飛び込んでくるけど、灼熱の空間で干上がって勝手に死んでいくのさ」

「生々しいなおい」

 

 残暑から秋へと移り変わる季節だが、今日が涼しくて本当に良かった。しかし実は虫が苦手とか、そういうか弱い一面もないなんて……流石ですわお姉様!

 チラリと少女を見れば、ハンチング帽の下から伸びる長い髪。カーティガンを羽織った上半身はやっぱり胸を含めてスラっとしており、ジーンズを穿いた下半身はスカート姿より脚の細さが際立っていた。

 所謂ボーイッシュな格好という奴だが、普通に似合っていると思う。まあ感覚的な良し悪しなんて千差万別だし、正直ファッションはよくわからない。

 

「ボクをジロジロと見る暇があるなら、梅君を視界に入れてくれないかい?」

「そんなに凝視した覚えはない。人を変態扱いするな」

「キミの場合、変態というより変人の方が相応しいかな。作文的な意味でね」

「あれは才能と呼ぶべきだ。ほら、俺AB型だし。天才なんだよ」

「天才と変人は紙一重と言うけれど、キミの場合は天災違いな上に人災だろう? 見た者の腹筋を崩壊に至らしめる災厄だね。御蔭様でボクは二日続けて筋肉痛だよ」

「笑い過ぎだろっ?」

 

 もういっそ世界平和とかに役立つんじゃね? 俺の作文。

 棒付き飴を咥えた阿久津と話していると、ようやく試合が始まりそうな雰囲気を見せ始める。試合と言っても、今日だけで何試合も行われる最初の一戦に過ぎないが。

 ジャージの上からビブスを着た女子達がコートに集まる中、友達らしき女の子と話していた梅が俺の方を指差した後で、こちらを見上げ手を振ってきた。

 

『あれが梅のお兄ちゃん?』

『何か普通だね』

 

 聞こえてるぞ友人B。普通で悪かったな。

 何なら今から髪をモヒカンにして、ヒャッハーな世紀末兄になってやろうか。そう思いながらも大っぴらに応えるのは恥ずかしいので、小さく掌を見せるだけに留める。

 

「ミナちゃん先輩は、中身も入れると普通以下だって言ってるけどね」

「………………(チラリ)」

「何だい? そんな目でボクを見られても、通知表的には合っているだろう?」

「学力以外にも大切なものは世の中にいっぱいある! 愛とか勇気とか――」

「キミに愛や勇気があるのなら、是非見せて欲しいものだね」

 

 とりあえず隣にいたコイツから消毒すべきかもしれない。ってか妹のバスケを観戦しに来ただけの筈なのに、何でこんなに胸を痛めてるんだろう俺。

 その昔『愛と勇気だけが友達とかダサい』って笑ってた頃が懐かしい。でも実はエンディングで『アソパソマソはキミさ』って予言してるんだよな、あの歌。

 

『整列!』

 

 笛が鳴り中央のサークルに集まった十人がお互いに礼。元気な声でお願いしますと挨拶するだけで、いかにもスポーツマンな青春という空気を感じる。

 我らが黒谷南中の相手は黒谷中。名を轟かせるスーパールーキーなんて当然いないし、体格に特徴ある子すらいない。ジャンプボールを飛ぶ双方の身長も同じくらいだ。

 

「実況は櫻、解説は元部長の阿久津さんでお送りします」

「静かにしてくれないかい?」

「…………以上、黒谷南中の体育館ギャラリーよりお伝え致しました」

 

 ボールが高々と投げられる。

 二人のセンターが跳び上がり、弾かれたボールは南中ボールになった。

 相手が戻り始める前に、素早くパスが繋がる。

 

『ナイッシューッ!』

「ハンズアップ!」

『『『『はいっ!』』』』

 

 自陣コートへ戻った梅が声を出すと、守りについた残りの四人が応え手を上げた。

 ドリブルしながらボールを運んできた相手は、マークを避けつつパスを回す。

 

『鉄壁防御のディフェンスディフェンス! ディフェンスディフェンス!』

『シューッ! シューッ! シューッ!』

 

 コートの外では双方の一年生、そしてスタメンではない二年生達が声を上げ、手を叩いたり足を踏み鳴らしたりと応援合戦が始まった。

 阿久津にもこんな時期があったのかとチラリと横目で見れば、少女は俺に目もくれることなくボールの行き先を集中して眺めている。

 

「…………………………」

 

 真剣に後輩達を眺めている横顔。普段あまり見かけない綺麗な表情を目の当たりにして、数秒の間だが見惚れていたことに気付く。

 正直ドキッとしてしまった自分を戒めつつ、俺は黙って試合を見届けるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

『ビーッ!』

 

 流れるように相手のゴールが決まった後で、小さい薄型テレビみたいなタイマーの表示が0になりブザー音が鳴り響く。

 一クォーターは八分間だが、これで八、九回程やっただろうか。勿論梅が出突っ張りなんてことはなく、時折控えメンバーや一年生の練習試合も行われていた。

 

「ちょっと行ってくる。すぐ戻るわ」

 

 試合自体も半分以上は勝ってるし、梅の奴も緊張なんてすっかり解れただろう。

 退屈で欠伸が出そうだった俺は阿久津に声を掛け、ギャラリーから降りると気分転換に外へ出る。あまり良い思い出はないが、半年振りの母校だし少し見て回るか。

 

「?」

 

 行き先を考える中で、白いワンピースを着た少女が視界に入る。ギャラリーからも入口を通してギリギリ見える位置にいたため、試合を見ていたことは知っていた。

 上からは帽子で顔が見えなかったが、普通に考えれば阿久津同様バスケ部の関係者。俺が関わるような相手でもなく、声を掛ける気なんて毛頭ない。

 

「「…………え?」」

 

 気付いたのは、全くの同時だった。

 向こうも驚いたらしく、お互いの声が重なる。

 つばの広い帽子の下に隠れていた顔は、何度も見た店員の真新しい姿。

 

「米倉君……?」

「夢野…………さん?」

 

 名前を呼ばれた少女は、ニッコリと笑顔を見せた。

 普段見せていた営業スマイルは、どうやら彼女にとって自然な笑顔だったらしい。

 

「こんにちは」

「え? あ、ああ……こんにちは……」

「そっか。南中って米倉君のいた中学校だったんだね」

 

 植えられた木を背景に、画になりそうな少女は帽子を脱ぐ。

 普段と違い髪を結んでおらず、梅より少し長いセミロングの髪が風で揺れた。

 

「私の妹、黒谷中のバスケット部なんだ」

「妹……? じゃあ今日は応援に?」

「ううん。道案内してきたの。ちょっと用事があって部活に遅れたら、集合時間に間に合わなかったんだって。それで南中の場所がわからないって言うから」

 

 そういえば一人遅れて来た子がいたっけな。

 入口の傍で休憩していた、7番のビブスを付けた相手チームの女の子をチラリと見る。確かに言われてみれば、目の前にいる少女と似ていなくもない。

 

「米倉君は?」

「へ…………? いやいやいやいやっ! 違うからっ! アイツは彼女とかじゃなくて男女間の友情は存在する会の会長だからっ! ほら、俺もその副会長だしっ?」

 

 いつから副会長になったのかは聞かないで欲しい。

 意味不明な弁明を聞いていた少女は、ポカーンとした後でくすりと笑った。

 

「米倉君って、やっぱり面白いね」

「と、とにかく違うんだよ! アイツはバスケ部のOGで、俺が来たのは妹の応援!」

「妹さんって、ひょっとして4番の子?」

「えっ? そ、そうだけど、何で……?」

「何となくだよ。目元とか、米倉君に似てるかなって」

「へ、へえー」

 

 そんなの今までに一度も言われたことがない。

 寧ろ姉妹二人が美少女と呼ばれたのに対して、俺は微妙者と呼ばれてたし。一人だけ拾い子じゃないかなんて、親戚から茶化されたこともあった気がする。

 

「………………」

「……………………」

 

 そして訪れる沈黙。こういうとき、どんな話をすればいいかわからないの……。

 

(笑えばいいと思うよ)

 

 梅曰く、俺の作り笑いはキモいらしいので却下。

 向こうが色々と話題を振ってくれるのに、こちらはさっきから受け答えしかしてない。こんなことなら本屋で売ってる『困ったときの会話術』とか買っておけば良かった。

 

「そ、そういえば、今日は髪の毛、下ろしてるんだ?」

 

 苦労の末に、真っ白な脳から引きずり出してきた無難な話題。些細な変化を意識する女の子には効果ありだったようで、少女はその髪を見せるように首を傾げる。

 

「うん。どうかな?」

「似合ってると思うけど……あ! に、似合ってるよ!」

「けど?」

 

 無意識に口が滑ってしまい自爆した。

 余計な二文字に反応した少女は、わざとらしく俺に聞き返す。

 

「けーどー?」

 

 最早言い逃れはできそうにない。

 普段の落ち着いた接客姿しか見ていないため、彼女のこうした子供っぽい一面にギャップを感じつつも、誤魔化すのは無理と観念して正直に答えた。

 

「えっと…………お、俺的には、普段の方が好きかな…………なんて……」

 

 女心がわかってないと言われても仕方ない。

 少女は頬を膨らませてから、小さく微笑んだ後で手首に通していた髪ゴムを外す。

 

「ちょっと持ってて貰ってもいいかな?」

「え? あ、はい」

 

 変に丁寧な返事をしつつ渡された帽子を受け取ると、サラサラ揺れる髪を掬い取った少女は慣れた手つきで後ろに結んだ。

 いつも見ている普段の髪型だが、コンビニの服とも制服ともまた違う華やかさ。着ている洋服が違うだけで、こんなにも代わり映えするものかと目を疑う。

 

「これでどう?」

「うん。やっぱそっちの方が似合ってる」

「そっか。ありがとう」

 

 帽子を手にした少女は、正に純真無垢な表情で笑いかけてくれた。

 思わず心臓が高鳴るものの、その心の奥では隠しきれないモヤモヤが残っている。

 

「値札の件、聞かないんだね」

 

 先に核心へ触れたのは彼女の方だった。

 聞いて良いのか躊躇っていた話題だけに、驚くことはなく落ち着いて答える。

 

「何か意味があると思ってさ。でも、もし単なるミスだったら恥ずかしいかなって」

「優しいね、米倉君は」

 

 そんなことはない。

 勇気がなければ記憶もない、ただの心が小さな愚か者だ。

 

「最初は偶然だったんだ。知らない間にくっついちゃったみたい。米倉君が変な顔してたから不思議だったけど、すぐ店長さんに言われて気付いたの。凄く恥ずかしかった」

「じゃあ、最初以外は?」

「うん。わざとだよ」

 

 躊躇いの一つもない即答だった。

 純真無垢だった微笑みが、それだけで悪戯っ子みたいに見えてくるから不思議である。

 

「そもそもネームプレートに貼りつくなんてこと、滅多に起こらないから。ほら、コンビニで値札を貼るような商品って限られてるし」

「言われてみれば……」

「だから次の日もその次の日も、米倉君が来た時だけ値札を付けてたの。米倉君が挙動不審になるのが面白くて……あ、生卵に割り箸は最高だったよ」

「ってことは、お釣りが120円だった時も……?」

「あれは不可抗力かな? 最初は私も気付いてなくて、ちょっとしてから値札のことを言ってくれたんだってわかったんだけど、米倉君凄い顔してたから」

 

 変な顔とか凄い顔って、一体どんな顔を見せてたんだよ俺。

 生き生きと語っていた少女は、ふうっと息を吐いた後で視線を下げる。

 

「でもね、もう止めるつもりだったんだ」

「止めるって……バイトを?」

「ううん、値札のこと。いつまでも米倉君に迷惑掛けるのは悪いし、会えただけでも充分嬉しかったから。もう私のことは、ただの間抜けな店員さん扱いで良いかなって」

「…………」

 

 あの時、じゃあねと呟いた理由。

 もし今日こうして会わなければ、俺が彼女と話す機会はなかったかもしれない。

 

「あはは……改めてこうやって話しても、米倉君からすれば私が名前を知ってることも変な話だよね。葵君っているでしょ? 私も屋代の生徒で、彼と同じ音楽部なんだ」

 

 彼女は語る。

 葵から面白い人だと聞き、数学棟に名前も貼り出されていた俺に興味を持ったと。

 あの日アルバムを調べてなかったら、恐らくこの話を真に受けていたかもしれない。

 

「…………それだけ?」

「うん、それだけだよ」

 

 嘘だ。

 確認を取っても、少女の口からは偽りの答えしか返ってこなかった。

 

「学校で会った時は宜しくね。じゃあ――――」

 

 未だに核心は掴んでいない。

 彼女がそこまでして、自分のことを気付かせようとした真意を知らない。

 しかしそれでも、今言わなければ駄目な気がした。

 

「……………………同じ幼稚園にいたからじゃなくて?」

「えっ?」

 

 去りかけた少女が振り返る。

 俺から思わぬ単語が出たことに驚きつつ、改めて確認するように彼女は尋ねてきた。

 

「…………幼稚園のこと。覚えてたの?」

「いや……本当に悪いと思うけど、正直何も覚えてない。俺のことを知ってるってわかった一昨日の夜に、片っ端からアルバムを探して見つけたんだ」

「そっか。そうだよね……」

 

 初めて彼女が、いつもと違う笑顔を見せる。

 それはとても悲しそうで、今にも消えてしまいそうな儚い苦笑だった。

 そんな表情にさせてしまった原因が自分であると思うと、何だか胸が苦しくなる。

 

「でも、わざわざ探してくれたんだ……それなら……」

 

 それなら、一体何なのか。

 少女の小さな呟きは聞こえていたが、あえて尋ねはしなかった。

 

「じゃあ私、そろそろ行くね」

 

 体育館の中で、新たなクォーターが始まる。

 ボールが高々と投げられ応援合戦が巻き起こると、彼女は手にしていた帽子を被った。

 

「バイバイ、米倉君」

「ああ、また……」

 

 次に会う保証もないのに、俺はそんな言葉を口にする。

 最後にいつもの笑顔を見せた少女は、手を振った後で去っていった。

 残されたのは手を振り返す小心者と、虚しく響き渡るバスケ部の声。

 

「綺麗な女の子じゃないか」

 

 そして木陰から現れた、ハンチング帽の大魔王だった。



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五日目(土) ラッキースケベが快速だった件

「おまっ? おままっ? いつからそこにいたんだよっ?」

「確かボクが勝手に男女間の友情は存在する会の会長に任命されていて、キミがその副会長になっていた頃だった気がするよ」

 

 ほぼ最初からじゃねーかそれ。

 またこれをネタに精神攻撃でもされるのかと思いきや、阿久津は左手を口元に当て考えるポーズを取りつつ、右手の人差し指でバスケットボールを器用にくるくる回す。

 

「土浦蕾……いや、今は夢野蕾さんだったかい?」

「そうだけど、何か思い出したのか?」

「いいや。ボクはあんなお姫様系ヒロインを見たことはないね」

「何だよその例えは?」

「貴方が忘れた思い出を私は知っている。でも貴方自身の力で思い出して欲しいから口にはしない……彼女はどこぞの桃姫と同じで、ヒーローが来るのを待ち続けているのさ」

 

 もっとも、そのヒーローは姫の存在すら忘れていたようだけれどね。

 そんな的を得ている阿久津の一言一言が深々と突き刺さる。もしスター状態が精神攻撃も防げるなら、俺のメンタルが星屑となって散る前に助けて欲しい。

 

「キミが何を忘れているかは知らないけれど、彼女の行動は実に中途半端だね。見つけて欲しい気持ちの反面で、例え見つからずとも構わないような感じだよ」

「ひょっとして阿久津さん、怒ってます?」

「怒るというより、面白くないという表現の方が合っているね。ボクからすれば彼女の行為や言動はもどかしいというか、聞いていてあまり好ましく感じられない」

「俺が言うのもなんだが、そういう悪戯心みたいなのが女心ってやつじゃないのか?」

「………………」

 

 言葉通り面白くないという表情を浮かべていた少女は、回転の収まってきたボールを再び回し右から左の人差し指へ移動させながら無言で考える。

 思ったことを遠慮なく口にする阿久津本人に女心という言葉は縁がないかもしれないが、我が家にいるカマチョーな妹の心理を見抜けるなら理解はできる筈だ。

 

「確かにそうかもしれないね。前言を撤回しよう」

「いや、俺に言われてもな」

「それでキミは、彼女のことが好きなのかい?」

「躊躇いなく人の恋愛事情を尋ねるなよ。修学旅行で夜に盛り上がる男子かお前は」

 

 うっかり誰々が好きなんて口にした翌日には、噂が広まってるやつな。絶対秘密にするとか一生のお願いとか、そういうことを口にする輩は滅びてしまえ。

 

「可愛いとは思うけど、大して話もしてない相手をいきなり好きにならないっての」

 

 それに俺だって好きな人はいる。

 あくまでも片想いであって、その恋が成就することは永遠にないだろうけどな。

 

「しかし世の中には、一目惚れという言葉があるじゃないか」

「そういうのはアイドルを追っかけてるような、外面だけ見て中身も見たつもりになってる連中に使う言葉だろ」

 

 別に趣味嗜好を否定するつもりはないが、コンサートで自分に向けて手を振ってくれたとか勘違いするのはどうかと思う。米粒に見分けがつかないのと一緒だ。

 

「ただ仮に忘れてた思い出があるって言うなら、気になりはするけどな」

「前にも言ったけれど、幼稚園の頃の記憶なんて忘れて当然さ。そんな忘れていることを数え出したら、キリがないとボクは思うけれどね」

 

 確かにそうかもしれない。

 

「自分が口にした何てことのない一言が、知らないうちに他人へ大きな影響を与えるなんて生きていればよくある話だよ。その一語一句を、キミは覚えているのかい?」

「……………………」

「まあそれでも、キミの言い分はわからないでもない」

「おわっ?」

 

 指で回していたボールを止めた阿久津は、いきなり俺に向けてパスを出す。何とか受け止めたものの、投げた本人は背を向けるなりどこかへ歩き始めた。

 

「おい、どこ行くんだよ?」

「校庭さ。こういうときは身体を動かすに限るよ。キミも少し付き合え」

「身体を動かすって、梅の試合は?」

「梅君はもう大丈夫だろう。先に体育館を出ていながら、今更何を言っているんだい?」

 

 言われてみればそれもそうだ。しかしバスケをやると言っても、俺の実力は体育レベル。女バスの部長だった阿久津に勝てないのは目に見えている。

 少女が何度もやっていたボール回しを真似しようとするも、上手くできずに何度か転がしてしまいながら俺達は校庭のコートへ向かった。

 

「それにしてもこのボール、随分ボロボロだな」

「わざとボロボロの物を選んできたからね。本来部活のボールは全て室内用で、外に持ち出すのは禁止なんだよ。外用のボールはそこの体育倉庫の中さ」

「へー、そうなのか」

 

 軽く運動するためだけに、わざわざ体育倉庫の鍵まで開けて貰う訳にはいかないもんな。

 

「先攻はボクでいいかい?」

「ずっとお前のターンになると思うぞ」

 

 ボールを手にした阿久津が俺にパスする。そのパスを返した瞬間が始まりの合図であり、ドリブルを始めた少女は姿勢を低くすると一気に俺の元へ詰め寄ってきた。

 

「っ?」

 

 いや、速すぎだろおい。

 阿久津が背中を向けたかと思った瞬間、ターンして俺の脇の下を潜り抜ける。

 そのままゴールに向かうなり、ステップを踏んで華麗にレイアップを決めた。

 

「キミの番だ」

「んなこと言われてもな……」

 

 ボールを受け取った後で、一旦パスをしてからパスが返される。

 鞠つきみたいな緩いドリブルをした瞬間、獲物を狙う鷹のように伸びてきた腕を見て慌ててボールをキャッチしてしまった。

 ああ、こりゃマジだわ。

 一度ボールを掴んでしまった以上もうドリブルはできないため、俺にできることは闇雲にシュートを打つだけだ。

 

「!」

 

 当然入る訳がない。

 しかし、そんなことはわかりきっていた。

 元バスケ部である阿久津に、俺が唯一勝っている点がある。

 弾かれたボールを手にするべく、素早くゴール下に駆け寄ると高く跳んだ。

 

「くっ!」

 

 俺が適当なシュートを放った時点で油断したのか、阿久津は一瞬反応が遅れる。

 身長と腕の長さを生かしてリバウンドを制した位置は、当然ゴール下だ。

 

「ふんっ!」

 

 ここからならと、再度跳び上がりシュートを打つ。

 ボールはボードに当たった後でゴールに収まった。

 

「っしゃ!」

 

 たった1ゴールだが、これ以上ない成果に満足である。

 …………ってかぶっちゃけ、もう終わりでいい。

 

「やってくれるじゃないか。そうこなくちゃ面白くない」

「これしか作戦がないんだっての」

 

 拾ったボールを、不適に笑う少女へ渡す。

 わかりきっていたことだが、そこから先は阿久津の独壇場だった。

 ざるのような俺のディフェンスを抜け、時にはミドルシュートを打つ。こちらの責めも同じ戦法が通じる訳もなく、ポジション取りでリバウンドに負ける始末だ。

 

「はあ、はあ、はあ…………」

 

 そして何よりも体力が足りない。

 既にこちらが肩で息をしているのに、向こうはようやく軽く汗を掻き始めた程度。短距離とかは得意なんだが、どうにも持久戦は苦手である。

 

「どうしたんだい櫻? 最初の一本以来、からっきしじゃないか」

「元バスケ部長相手に……素人が点を取れたら……苦労はしないんだよ……」

「じゃあこうしよう。キミがもう一本シュートを決めるまで1ON1は続行だ」

「マジですか……?」

「マジだね」

 

 少女にボールを渡すと、パスが返される。

 そんなことを言われては、こちらも奥の手を見せるしかない。

 

「行くぞっ!」

 

 馬鹿の一つ覚えな、闇雲シュートからのリバウンド戦法。

 流石に何度も繰り返しただけあって、俺がボールを振りかぶるなり阿久津はポジション取りのためゴールの方を向く。

 

「…………っ?」

 

 しかし俺はボールを投げない。

 そのままドリブルすると、バウンド音を聞いた少女がフェイクと気付き振り返った。

 このままではスティールされるため、今度は阿久津に背を向ける。

 

「むっ?」

 

 今まで何度もやられた動きの見よう見まねに、驚いた少女が声を上げた。

 阿久津の場合は左右どちらにターンするかわからないが、俺は左手でドリブルなんて器用な真似はできないため反時計回りしか選択肢がない。

 ブレーキを掛けた脚に再び力を入れ、少女の腋の下を掻い潜るべく一歩踏み出す。

 

(いけるっ?)

 

 そう思ったこの作戦だが、実は盲点が二つあった。

 一つは予想以上に脚力がいる点。

 そしてもう一つは潜ろうにも、阿久津の身長が俺より低いという単純な話。

 

「おわっ!」

 

 既に自分の身体を支え踏ん張る力がない上に、砂という足場も悪かった。

 潜り込むどころか突っ込む形で、俺は少女を巻き込み盛大にコケてしまう。

 

「痛てて……悪い…………」

 

 顔を布地の感触が覆う中、ゆっくり身体を起こした。

 そして数センチ頭を上げたところで、今がどういう状況だったか気付く。

 目の前では仰向けに倒れている阿久津の姿。幸い脱げた帽子がクッションになったのか、後頭部を強打した訳でもなく意識はしっかり保っていた。

 問題なのは、数秒前まで顔を埋めていた位置が少女の慎ましい胸だった件。

 

「……………………」

 

 要するにラッキースケベと呼ばれる奇跡が起きたらしいが、物凄く悲しいことに何一つ実感がない。もっと埋めておけば良かったと、心の底から後悔している。

 だからこそ、こう例えよう。

 

『目の前をF1カー並の速度で、ラッキースケベが通り過ぎていった』……と。

「だ、大丈夫……か……?」

 

 恥ずかしがって顔を赤くされるか、はたまた怒って帰ってしまうか。その程度で済むなら寧ろマシであり、下手すれば人間関係を壊すくらいに尾を引くだろう。

 しかし理不尽とはいえ事実だけに仕方ない。スケベの烙印が押されるのを覚悟した上で、立ち上がった俺は倒れている阿久津へ手を差し伸べた。

 

「問題ない。次はボクの攻撃だね」

 

 意外! それは続行!

 素直に俺に手を掴んだ少女は、立ち上がるなり服や髪についた砂を軽く払う。そして脱げたハンチング帽をかぶり直すと、何もなかったかの如く口を開いた。

 

「早くボールをくれないかい? キミが点を決めるまで、ボクは百発百中を目指すよ」

 そんな彼女に敬意を払ってこう呼ぼう。『凄いよ、阿久津さん!』

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「何か梅より、お兄ちゃんの方がボロボロになってるね」

「ぢがえだ……」

「ミナちゃんとバスケしてたっぽいけど、何で二人で1ON1してたの?」

「そんなの、俺が聞きたいっての」

 

 結局あの後も何十回と繰り返され、最終的には俺の必殺闇雲シュートが入るというミラクルによって何とか終わりを迎えることができた。

 当然ながら阿久津は不満そうだったが約束は約束。帰宅後にベトベトな身体を洗い流し、夕食を食べてから自分の部屋で力尽きた矢先に梅が突入してきて今に至る。

 

「で、何しに来た……?」

「聞いて聞いて! 我らが黒南は勝ち越しました~っ! イェーイ!」

「イェー休み……」

「ちょちょ~いっ! ちょっと待ったお兄ちゃん! 寝る前に大事なこと忘れてない?」

「歯は磨いたし男も磨いた……後は何を磨けって……ZZZ……?」

「磨く以外の発想はっ? 寝惚けてないで幼稚園のこと!」

「幼稚園……? 幼稚園を磨いたら「おろしアタック」駄目が物凄く痛ぁいぃっ!」

 

 閉じていた瞼に何かが乗せられたと思ったら、目頭が急激に熱くなった。

 慌てて飛び起きるなり洗面所へ全力ダッシュ。何度か水で洗い流すと突発的な刺激は引いたが、瞼にはヒリヒリとした痛みが残る。氷袋でも持ってこようかな。

 

「あびゃああああああああああああああ~っ!?」

 

 

「おぐはぁっ?」 ←部屋に戻ろうとしたら、いきなり開いたドアに顔面が衝突。

 

 

「何す……げぶっ!」 ←悶絶していたところを、飛び出してきた梅がタックル。

 

 

「ぐえっ!」 ←そのまま倒れて、後頭部を床へ強打。

 

 

「梅おまはうっ?」 ←起き上がった妹、胸と顔を容赦なく踏みつける。

 

 

 立て続けに3HITした後で、見事なフィニッシュが決まった。

 梅が洗面所で必死に顔を洗う音が聞こえる中、何かもう起き上がるのも嫌になる。ぶっちゃけ思わず「泣きてえ……」って言葉が口から出かけたくらいだ。

 

「うぅ……これじゃ梅コースより酷いよぉ……」

 

 戻ってきた妹に踏まれるのも嫌なので、身体を起こして部屋に戻る。

 一体何が起きたのか確認すると、枕元には皿に乗った大根おろし。さてはあの馬鹿、俺の反応が予想以上だったんで自分でも試したな。

 

「こんな拷問、誰に聞いたんだよ?」

「お兄ちゃんが朝弱いって話したら、友達がこれなら絶対に起きるって……」

「後でその友達に伝えておけ。良い子は真似しちゃいけないやつだってな」

 

 しかしお陰様で目は覚めた。そして連絡を忘れていたことも思い出す。

 携帯を手に取ると、とりあえず梅を含めたメンバー全員に時間と集合場所をメールで送信。葵には友人にも伝えてもらうよう頼んだし、これで問題ないだろう。

 

「ね~ね~お兄ちゃ~ん」

「何だよ急に猫撫で声出して。明日の件ならお前の携帯に送ったぞ?」

「友達が見たって言ってたんだけど~、綺麗な女の人とお話してたって本当~?」

「その友達は、さっきの大根おろしの友達か?」

「うん」

「じゃあ後で伝えておけ。見られた以上は生かしておけない……って待て待て、おろしを手に取るな。わかった、俺が悪かったから」

「ね~誰誰~? あっ! もしかして例の何とか蕾さんっ?」

「夢野な」

「お兄ちゃんやるぅ~。ミナちゃんじゃなくて、蕾さんとのデートだったんだ~?」

 

 違うぞ妹よ。正しくは阿久津大先生による地獄の特訓だ。

 

「黒谷中の7番。遅刻してきた子がいたの、覚えてるか?」

「はえ? う~ん……あっ! あのフォワードの子?」

「その子が妹だとかで、応援に来たんだと」

「な~んだ。でもそうなると、梅のお陰で会えたってことだよね? ひょっとして梅、お兄ちゃんの恋のキューピーだったり?」

「いつからお前はマヨネーズになったんだよ」

 

 ツナマヨとかはよく聞くが、梅マヨって美味しいのかな?

 

「質問が済んだなら、明日のためにさっさと寝ろ。起きなかったら置いていくからな」

「お兄ちゃんに言われたくないし! じゃあお休み。梅梅~」

 

 妹が出て行き、ようやく静かになった部屋でふと考える。

 夢野蕾。

 もっとおしとやかなイメージだったが、実際に話してみればそうでもない。どちらかと言えば梅と同類な、ヤンチャとか悪戯っ子的な面も持ち合わせている少女だ。

 昔から彼女は、こんな性格だったのだろうか。

 それすら思い出せないまま目を閉じると、疲れきっていた俺は泥のように眠るのだった。



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六日目(日) 愉快な仲間達の私服が個性豊かだった件

 どうしてこうなった。

 今の状況を一言で例えるなら、それが一番的確だろう。

 

「アスレチック行く人、この指止ーまれ♪」

 

 透き通った声と共に上がる綺麗な人差し指。

 ブランコで遊んでいた子供達が、我先にと少女の指先へ集まる。別に心は歪んでいない(と思う)が、その光景は何となく餌に集るピラニアを彷彿とさせた。

 

「おねーちゃん、はやくはやく!」

 

 幼女に服の裾を引っ張られているのは、阿久津でも冬雪でも梅でもない。まあ冬雪がこんな風にキャラ崩壊したら、それはそれでどうしてこうなったって思うけど。

 改めて確認をしておこう。

 何を隠そう俺が筍幼稚園のボランティアを引き受けた理由は、夢野蕾に繋がる記憶の手掛かりを探すために他ならない。

 

「はいはーい。慌てない、慌てない。~♪」

 

 しかし今、その張本人は俺の目と鼻の先にいた。それも昨日のワンピース姿とは対称的な、長袖シャツに七分丈のズボンと随分ラフな格好で。

 十数人の子供を連れて、鼻歌交じりにアスレチックへ移動していく少女。その姿はさながらハーメルンの笛吹きで、危うく俺まで後に続いてしまうところだ。

 とりあえず話を遡れば、事件が起きたのは一時間程前になる。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「はよざ~っすミナちゃん!」

「おはよう梅君。連行、御苦労だったね」

「俺は囚人かよ」

 

 天気は快晴。雲一つない空で太陽が光るが、いよいよ秋らしく程良い気温だ。

 この時期の朝は特に布団が気持ちいい。しかし俺は理不尽にも母という強大な力によって、目覚ましが鳴る一時間も前に叩き起こされた。

 のんびりと準備してから筋肉痛でボロボロな身体を引きずり、待ち合わせ場所である新黒谷駅の東口に着いたのは何と集合予定時刻の十五分前である。

 

「いくら何でも早すぎだろ。お前の基準は何分前行動だ?」

「ケースバイケースかな。まあ今回は計算が少しばかりズレてね」

「計算? ふああ……いずれにせよ900秒の安眠が恋しいな」

「参加者の中にはボクの知らない、キミのクラスメイトもいるんだろう? いくら音穏も来るとはいえ、家が近いキミが早く来るべきじゃないかい?」

「世の中には家が近い奴ほど遅く来て、遠い奴ほど早く来る法則があるんだよ。俺はその考えを相対性理論ならぬ、早遠性理論と名付けてるけどな」

「とりあえずアインシュタインに謝っておくことを奨めるね」

 

 相変わらずファッション雑誌のボーイッシュ特集に載っていそうな少女は、棒付き飴を咥えつつ腕を組んだまま溜息を吐いた。

 そんな阿久津の裏に回った梅は、脚線美を眺めるように座り込んでいる。妙に静かだと思っていたら、何を思ったのか指でふくらはぎを突っついた。

 

「とにかくキミひゃあぅっ?」

「え?」

 

 普段の阿久津からは絶対に発せられない、実に女の子らしい声が出る。

 ピクピクと震えながら後輩を睨む先々代部長だが、当の本人は物凄いドヤ顔。そりゃもう悪戯が大好きな小悪魔みたいに、してやったりという顔をしていた。

 

「うっしっし~。さてはミナちゃんも筋肉痛ですな~?」

「せ、先輩をおちょくるとは良い度胸じゃないか…………っ!」

 

 計算がズレたって、筋肉痛が原因だった訳か。

 伸びてきた阿久津の腕をひらりと華麗に避けた梅は、身軽に数歩ステップを踏んだ後で痛みを堪えぎこちない動きの幼馴染に対し勝ち誇る。

 しかし妹よ、お前は一つ勘違いをしているぞ。

 

「ふふんっ! 捕まえられるなら――――」

「部長になって初の練習試合が、随分と不安だったらしいじゃないか」

「はぇっ? そ、そんなことないもん」

 

 運動力なんて、阿久津水無月という大魔王にとってはメラみたいなもの。これから始まるのが真の攻撃……もとい精神的口撃である。

 

「何でも前日には櫻の部屋に行ったとか」

「ぐうっ!」

「え? 何でもうダメージ受けてるのお前?」

「自ら落ち込んでいることを話して、励まして貰ったと聞いたけれどね」

「ぎゃ~っ! …………がはっ!」

「ちょっと待てぃっ! そこまで大ダメージなのかよっ?」

「当然だろう? 駄目な兄に頼った過去なんて、最大の汚点に違いない」

 

 できればもう少しオブラートに包んでほしい。

 どうやら全体攻撃だったらしく俺まで思わぬ被害を受ける中で、丁度駅の階段を下りてくる知り合い達の姿が目に入った。

 

「……おは」

「おう。一緒だったんだな」

「……さっきホームで会った」

 

 ショートパンツとニーハイソックスの間に輝く肌色が眩しい冬雪。絶対領域の破壊力に胸を撃ち抜かれつつ、視線をそのまま左へとスライドさせる。

 そこには薄地のパーカーを着た葵の姿。悪いがどう見ても女友達にしか見えない。

 

「お、おはよう櫻君」

「おっす。わざわざサンキューな葵」

「ううん、僕も楽しみだったから」

「楽しみなのは相生氏だけじゃない件。おっすおっす米倉氏」

「え? すいません、どちら様ですか?」

「ちょまっ!」

 

 そして薄々わかってはいたが、お約束を守るこのガラオタは流石である。

 一応アキトなりに手を尽くしたのか、隣を歩けるレベルになっただけマシだろう。前に買い物へ付き合わされた時は酷過ぎて、少し距離を置いて歩いたからな。

 

「とりあえず自己紹介は全員揃った後、幼稚園に向かいながらにしようかと思ったんだが……葵、お前の友達ってのは一緒じゃないのか?」

「あ、うん。地元だから直接来るって言ってたけど…………あ!」

 

 キョロキョロした後で、見つけた葵が手を振る。

 その視線の先にいたのは俺も知っている、昨日出会ったばかりの相手だった。

 思わず自分の目を疑う。

 

「おはようございます」

「おはよう夢野さん」

 

 次に自分の耳を疑った。

 ショートポニーに髪を結んだ少女は、葵と挨拶を交わした後で俺と目を合わせる。そして昨日とは違い、彼女は驚いた様子も見せずニッコリ微笑みかけてきた。

 だからこそ、最後は仲間を疑う。

 

(おい相生葵……おいあいおいあおい。これは一体どういうことだ?)

(えっ? ぼ、僕言ってなかった?)

(知らんがなっ!)

(ご、ごめん。夢野さんには昨晩、明日は櫻君もいるって伝えてたんだけど……)

 

 両手を前に重ね詫びる葵へ、少し考えてから気にするなと軽く応える。

 実際のところ、そんなに大問題かと聞かれればそんなことはない。ただ俺が彼女の意図とキャラを未だに掴めず、どう接すればいいのかわからないだけだ。

 無意識に溜息を吐きつつ、集合時刻五分前の時計を見た後で全員に声を掛けた。

 

「じゃあとりあえず行くから、ついてきてくれ」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 ナナ……それは一桁における最大の素数。

 世の中にはラッキーセブンなんて言葉もあるが、実際のところこの7という数は実に扱いにくい。2でも3でも割れない上に、倍数の見切りさえ判断がつきにくい始末だ。

 何が言いたいのかといえば、今の俺達は合計7人。それが列をなして歩く場合、均等に分けようとすると確実に溢れる人間が出てくる。

 さてここで、各々のコミュ力チェックといこう。

 

 米倉櫻……◎ ただし全員が顔見知りのため。

 米倉梅……◎ 誰彼構わず話しかけ、兄の調査と秘密を暴露する妹。

 相生葵……○ 一般人。至って普通の一般人。

 阿久津水無月……○ 遠慮なく物言うため△寄りかもしれない。

 冬雪音穏……△ ご存じ無口キャラ。子供は好きらしいが大丈夫なのか?

 火水木明釷……△ 初見組は多分ドン引きコース。冬雪はいけそう。

 夢野蕾……? 全てが未知数。とりあえず葵へパスすべきか。

 

 問題。ここから導き出される最良の組み合わせを答えよ(5点)

 梅が行くと口にした時点から予想できたこの難問。ちなみに梅抜きの場合なら俺&アキト、冬雪&阿久津、葵&音楽部友人というペアを想定していた。

 どのペアにも梅は入りにくそうだが、どうやら案ずるより産むが易かったらしい。

 

「……何クラスある?」

「俺達の頃は、年中と年長がそれぞれ二クラスずつだったかな」

「……じゃあ私の幼稚園と同じ」

 

 道案内を兼ねて先頭を歩くのは、俺&冬雪のチーム・ヨネオン。

 何故この組み合わせかといえば、単純に歩行速度が一番の要因だったりする。ひょっとすると彼女は楽しみが故に、自然と早足になっているのかもしれない。

 

「イエスロリータ、ノータッチ…………イエスロリータ、ノータッチ…………」

「今のうちに通報しておくか?」

「ちょま! 米倉氏、さっきから扱いが酷いお!」

「だ、大丈夫かな…………あ、歩きスマホは駄目だよ?」

 

 後に続くはアキト&葵のチーム・昼飯の集い。

 まあ正確には時々俺も介入するため、前四人はC―3の面々が固まった形だ。

 

「はいは~い! 妹さんがバスケ部ってことは、蕾さんもバスケ部だったの?」

「ううん、私は中学も高校も音楽部」

「音楽部と言えば、顧問はボクのクラスのタカミーかい?」

「はい。高宮先生ですけど、それじゃあ水無月さんはF―4なんですか?」

「そうだけれど、夢野君は何ハウスなんだい?」

「私もFハウスです! F―2です」

「驚いたね。ボクのクラスの向かいかい?」

「も~ミナちゃん、屋代トークは梅がついていけないよ~」

「悔しかったら来年、梅君も屋代を受験すればいい。それで夢野君――――」

「あ~っ! 絶対さっきの突っつき恨んでる~っ!」

 

 一番後ろを飾るのは梅&阿久津&夢野蕾のチーム・女子会カッコカリ。

 上手い具合に共通点のあった三人が、初対面と思えない程に会話を楽しんでいる。正確には昨日の時点で阿久津は彼女を見ているし、彼女も梅を見ていた訳だが。

 

「あ、梅ちゃん。忘れないうちに言っておくけど、スカートは気を付けてね」

「はえ? スカート?」

「うん。たまに悪戯っ子が、捲ってきたりするから」

「だとよアキト。聞こえたか?」

「ブッフォッ! 何故拙者に振ったしっ?」

「その一、耳を傾けて興味津々に聞いてる時点で心配。その二、目線くださいとか言って撮影に走らないか心配。その三、大きな悪戯っ子にならないか心配」

「テラヒドスッ!」

「お、落ち着いてよアキト君。本当にそう思ってるなら呼んだりしないよ」

 

 悪いな葵、俺は八割方疑ってるぞ。

 

「蕾さん、色々と詳しい~」

「うん、こういうボランティアは、色々な所に何回か行ってるから。筍幼稚園の休日ふれあいの会も前に行ったけど、久し振りだから楽しみで」

 

 流石は保育士志望、経験者がいると色々心強いな。

 こんな感じで2―2―3、時折4―3に分かれ話していると筍幼稚園に到着した。

 

「うわ~、懐かし~。こんなんだったっけ?」

「ここへ来るのも、大体十年振りかな」

「あ、新しい木が植えられてる」

 

 元筍幼稚園生である三人が思い出に耽る。一応俺もその一人なんだが、自分が本当にここで過ごしたのかと疑うほど記憶がない。

 

『…………?』

 

 既に登園済みらしき何人かの子供達が、不思議そうな眼で俺達を見ていた。

 そんな少年少女を見た梅が、キラキラ目を輝かせる。

 

「見て見てお兄ちゃん! 可愛い~」

「はしゃぎ過ぎだ。少しは落ち着け」

「子供いいな~。お兄ちゃん、子供欲しいっ!」

「近親相姦キタコレ」

「黙れガラオタ。それと梅、そういう表現は誤解を招くから今日は絶対に言うな」

「そ、それで櫻君、どうするの?」

「いや、俺に言われてもな…………どうすりゃいいんだ?」

「とりあえず挨拶だろう。あの人じゃないかい?」

 

 園庭にいた一人の男性教諭が、こちらに気付くと駆け寄ってくる。

 

「「「「おはようございます」」」」

 

 すかさず挨拶をしたのは常識人四名。誰かは言わずとも察して貰いつつ、俺を含めた残り三人もワンテンポ遅れてから頭を下げた。

 いかにも体育会系な、ガタイが良く背の高い男性教諭は笑顔で挨拶を返す。

 

「やあ、おはよう。君達が伊東の紹介してくれた愉快な仲間達かな?」

「はい。本日は宜しくお願い致します」

 

 筍幼稚園と伊東先生の両方を把握している阿久津が礼儀正しく答えた。やはり優等生だけあって、こういう時は本当に頼りになる。

 …………ってか愉快な仲間達って、一体どういう紹介したんだよあの人。

 

「じゃあ簡単に今日の説明を…………あれ?」

 

 ポケットから取り出した紙を見るなり、男性教諭は不思議そうな表情を浮かべる。そして何度か俺達と視線を往復させた後で、困ったように首を傾げた。

 

「どうかしたんですか?」

「いや……男子三人に女子四人って聞いたけど、メンバーが変わったのかな?」

 

 わかりますよ先生、初対面なら九割がそう答えます。

 事情を察した俺とアキトが、黙って葵の肩へそっと手を置いた。

 

「あ、あの…………僕、男です」

「えぇっ? 相生さんって男だったのっ?」

 

 お前も気付いてなかったんかい!



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六日目(日) 火水木明釷がペガサスだった件

 ――――という訳で、話は冒頭に戻る。

 

「みてみておねーちゃん! ここたかいんだよ!」

「あ、本当だ! じゃあ私も遊びに行こうかな」

「うん、きてもいーよ」

 

 アスレチックで子供と遊ぶ少女のやり取りは、とても真似できそうにない。

 俺達に与えられた役割は特になく、自由に子供と遊んでいいとのこと。児童の乗ったバスが到着した後に朝の会で簡単な紹介をされたが、他の学生ボランティアはいなかった。

 保護者達は教諭と簡単に話をした後で加わるらしいが、担当するのは遊びではなくちょっとした企画系統。ちなみに今日は秋らしく焼き芋だそうだ。

 

「おにいちゃん、みくちゃんはー?」

「ん? 大丈夫だタカシ君。すぐに見つけるさ」

「はやくはやくー」

 

 慣れた様子で子供と戯れる少女を見届けていると、ド○クエみたいに俺の後ろをついてきていた少年の一人が不満そうに声を上げる。

 筋肉痛で身体が思うように動かない今、かくれんぼこそが最大の武器。という訳で俺はのんびりと、隠れた子供を探しながら園内を散策していた。

 

「そこの茂みの陰が怪しいな…………ほら、ミクちゃんいたぞ」

「あびゃー……みつかっちったったー」

「おにいちゃんしゅごい!」

「はっはっは。かくれんぼマスターと呼べ」

「じゃーもっかい! ちゃんと10かぞえてねー」

「まってー。ぼくもいーれーてー」

「あたっちもー」

「「「いーいーよー」」」

「えっと名前は……ハヤテ君にキラリちゃんな」

 

 名札が平仮名だから読めるが、きっと今の二人も漢字にしたら凄いんだろうな。

 

「じゃんけんしよ! じゃんけん!」

「いや、鬼は俺がやるから」

 

 最初はジャンケンで決めようとしたが、ここは「後出し駄目だよ」とか口にしてる奴が堂々と後出しする世界。お前がするんかいって思わず突っ込んじゃったよ。

 身体が痛むのに室内で遊ばない理由もそれ。オセロに至っては挟んだコマだけじゃなく、ぷ○ぷよみたいに縦へ横へと連鎖した時には目からファイヤーだった。

 

「隠れていいのは園庭の中だぞ」

「「はーい」」

「よし、じゃあいくぞ」

 

 お兄ちゃんもとい鬼いちゃんを引き受けると、木に顔を伏せ1から数え始める。

 しかしこうして子供達と遊んでいると、少しだけ思い出した昔が懐かしい。かくれんぼの鬼がこの木の前で数を数えるのは、俺達の頃から変わらないみたいだ。

 

「――――8、9、10っと」

 

 ゆっくり10数えた後で、のんびりと捜索開始。範囲が範囲だし相手も相手、見つけるのは割と容易い……ってか開始時点で見えてる子もいるくらいだしな。

 あえて見て見ぬ振りをする俺の横を、別の子供達が走り抜けていった。

 

「待て待て待てぇ~い!」

 

 それを追いかけるのは一回り大きな子供……と思ったら我が妹じゃないか。

 コイツはレパートリーが鬼ごっこやケイドロ、氷鬼や色鬼といった走る遊びばかりのため、さっきからずっと園内を駆け回っている姿しか見ていない。

 ただ現役バスケ部の運動量についていける訳もなく、抜けていく子も多いようで徐々に参加人数は減っている。最後まで生き残れるか知らんが、頑張れ若者よ。

 

「…………ふむ」

 

 傍らで妹を眺めつつ、子供の隠れ場所は半分近く把握した。

 昔から何かとかくれんぼばかり遊んでいた俺に死角はない。多少なり園の構造が変わっていようと、隠れそうな場所がどこかくらい簡単にわかる。

 残りは建物近辺かと移動すると、保育室が盛り上がっていたので視線を向けた。

 

「はいよーぺがさすー」

「ずるいーっ! つぎぼくーっ!」

「ハァ……ハァ……」

 

 幼女に跨られた、哀れなオタクが一人……いや、一匹か。

 確認しておくが息切れは疲れによるものだよな? 決して興奮じゃないよな?

 

「ハァ……ヒィン」

 

 悲鳴か鳴き声かわからない、醜いペガサスは記憶から消しておく。頭脳派なのに何故肉体労働を選択したのか……いや、頭が良いからこそ選んだのか?

 やっぱアイツを呼んだのは失敗だった気がする。せっかくだしアキト以外の面々が何をしているのか、子供を探しつつ様子でも見に行ってみるかな。

 

「こっちこっち。すげーんだぜ」

「…………?」

 

 子供につられて走る子供。

 少年達が向かった砂場を見に行けば、そこは俺の知ってる砂場じゃなかった。

 

「しゅっげー」

 

 うん、確かにこれはしゅごいな。

 どこかに隠れている筈のミクちゃんが、知らぬ間にかくれんぼチームから砂場チームに移籍したらしく、堂々と仁王立ちして眺めていたくらい凄い。

 

「……できた」

『わぁー』

 

 子供達から歓声が沸く。その眼差しの先にあるのは砂場という限られた空間に堂々とそびえ立つ、砂の美術館に展示されていてもおかしくないレベルの城だった。

 一体どのようにしてこんな芸術品ができたのか、某番組風にお送りしよう。

 

 

 

 

 

 ――大改造! 劇的ビフォーアフター――

 

 黒谷町、筍幼稚園。

 砂に囲まれたこの静かな土地に、ある問題を抱えた一件のお城がありました。

 この城が抱える問題、それは…………。

 

『ありふれた城』

 

 築15分。約0.1坪。砂造二階建て。ここに依頼者が住んでいます。

 毎日ここで遊んでいる幼稚園児達。

 あり合わせの砂と水で作った夢のマイホーム。しかし様々な問題を抱えていました。

 まず目に飛び込んでくるのは、崩れかけていること。

 砂を入れたバケツをひっくり返して作った城の角は、所々欠けてしまっています。

 更に問題なのが、扉や窓は一切無いこと。

 この城を作った子供達は、一体どうやって生活するつもりだったのでしょうか。

 いくらなんでも、こんな城では満足できません。

 そんな問題を解決すべく、一人の少女が立ち上がりました。

 

『リフォームの匠、冬雪音穏(屋代学園一年、陶芸部部長)』

 

 常識に囚われない独創性を持ち、リフォームには手段を選ばない陶芸会の異端児。

 多くの部員(?)に、陶芸の素晴らしさを提供してきた冬雪。

 そんな彼女を人は、無口でジト目な匠系ヒロインと呼びます。

 この素晴らしい城をどのようにリフォームするのか、匠の挑戦が今始まろうと――。

 

「……じゃあ終わり」

『ええええぇあああああああああああぁぁーっ?』

 

 …………何と言うことでしょう。

 手にしていたシャベルを匠が振り下ろしたことによって、ナレーションがリフォームの過程を説明するより早く城が崩壊したではありませんか。

 これには子供達も歓声から一転、泣きそうになっている子もいて阿鼻叫喚です。

 

 ――大改造! 悲劇的ビフォーアフター 終――

 

 

 

 

 

 明らかな放送事故だが、現場はそれ以上にパニック状態である。

 何でどうしてと詰め寄る児童に対して、冬雪は静かに答えた。

 

「……壊さないと、新しいのが作れない。ここは皆で遊ぶ砂場」 

「でも――――」

「だって――――」

「うわああああ、おしろおおおお」

「……今度は地下帝国。まずは穴掘りから」

「「「ちかていこくっ?」」」

 

 …………子供って本当に単純なんだな。

 絶望していた目に希望が宿るのを見て、冬雪は城の残りを淡々と破壊していく。意気揚々し始めた子供は、シャベルや素手で我先にと穴を掘り始めた。

 

「おねーちゃん、これつかって!」

「……?」

 

 うわ、懐かしいなおい。

 一人の少年が持ってきたシャベルを見て、まだあったのかと笑みがこぼれる。

 

「あ! トンガリ!」

「かくしてたのだめなんだよ! いーけないんだー、いけないんだー」

「かくしてないもん! みっけたんだもん!」

 

 少年Aよ、それは少し苦しい言い訳だぞ。まあ問題を起こした政治家とかは似たような言い訳をするが、幼稚園児と同レベルと思うと悲しくなってくるな。

 筍幼稚園にあるシャベルは通常平べったく丸い物ばかりだが、園内には三本だけ細長い形をした恰好良いシャベルがある。

 それこそ通称トンガリ。子供達は遊ぶ時間になると、数の少ないレアシャベルのトンガリを、早い者勝ちで我こそはと競って取り合っていた。

 しかしある日、トンガリを手にした一人の児童は悪魔的発想を閃いてしまう。

 

『このトンガリをかくせば、つぎもぼくがトンガリをてにできる!』

 

 それ以来というものの、トンガリは砂の中や藪の中に隠される始末。こうして筍幼稚園に生まれてしまった悪習が『トンガリ隠し』なのである。

 

「あげる、おねーちゃん」

 

 トンガリを持ってきた少年は、褒めてもらいたいが故に冬雪へ差し出した。

 ところが彼女はトンガリをジッと見た後で、何かを察したのか静かに答える。

 

「……いらない」

「え…………?」

『えぇー?』

 

 がっ……拒否っ……! 冬雪、圧倒的拒否っ!

 ざわ……ざわ……する子供達。断られた男の子は予想外の返答に驚き、必死にトンガリの凄さをアピールし始めた。

 

「なんでっ? おねーちゃん、トンガリだよっ?」

「……独り占めは良くない。砂場の砂と同じ」

 

 トンガリを持ってきた少年の頭へ、冬雪はポンと手を乗せる。撫でる訳でもなく叩く訳でもないが、そのどちらとも受け取れる触れ方だった。

 

「……それにトンガリより、こっち方が使いやすい」

「じゃーぼくもおねーちゃんとおなじシャベルー」

「おれもー」

「あ! ずるいぞー」

 

 …………何と言うことでしょう。

 匠の一言によってシャベルの価値は一転。トンガリは見捨てられ、みるみるうちに普通のシャベルが使われていくではありませんか。

 

「…………」

 

 もし彼女が城を残していたら、うっかり破損させた子供は間違いなく責任を問われていたに違いない。それこそいーけないんだー、いけないんだーの合唱である。

 言葉数こそ少ないが、冬雪は良いお母さんになるだろう。崩れゆく城を眺めながら少し感動していると、今度は砂場の奥で葵を見つけ木陰から覗いた。

 

「おにいたん、あそぼ?」

「うん、いいよ。何して遊ぼうか?」

「えっとねー、むしさんあつめるの」

「む、虫さんっ?」

「ほらみて」

 

 女の子が両手を差し出し、掌をパーにする。

 小さな手の中から現れたのは、数え切れない程の団子虫。半分程は丸くなっているが、もう半分は所狭しと蠢いていた。

 

「う…………す……凄いね……」

 

 葵よ、声が裏返ってるぞ。

 ついでに顔もかなり引きつっている。アイツのあんな表情、初めて見るな。

 

「ね? おにいたんも、むしさんあつめよ?」

「む、虫さんより向こうでブランコ遊びしない? ほら、ブランコ楽し――」

『もうブランコなんてぜったいしない! きらいきらいきらいー』

「……………………」

 

 タイミング悪く、ブランコを嫌がり発狂している子供の声が聞こえた。まるで親の敵と言わんばかりに叫んでいるが、一体何があったんだ少年よ。

 

「ブランコつまんないって。むしさんあつめしよ?」

「む、虫さんは…………あ、櫻――――」

 

 呼ばれる前にUターン。気付かない振りをして早足で逃走する。

 そういえば俺はかくれんぼ中だったんだ。頑張れ葵、お前のことは忘れない。

 

「キミは他の子と一緒に遊ばないのかい?」

「ん?」

 

 保育室付近まで逃げてきたところで、どこからともなく聞き慣れた声がした。

 どこにいるのかと探して見つけたのは建物の裏側。阿久津が相手をしているのは今までのような集団相手ではなく、どうやら一人ぼっちの男の子らしい。

 

「だってぼく、ひっこしてきたばっかりだし」

「成程ね。それならまずは友達作りからかな」

「いいよ。ひとりでもあそべるし」

「一人遊びは限界があるだろう? それに人間は一人じゃ生きていけないさ」

「……」

「やれやれ。どこかの誰かに似て困った少年だね」

 

 全く誰に似てるんだか……いや、俺じゃないし。俺もっと素直だったし。

 子供相手でも理論的に語る阿久津は、溜息を吐くなり放置されている縄を見た。

 

「それじゃあボクからお願いだよ。一緒に遊んでくれないかい?」

「べつにいいけど」

「ありがとう。縄跳びはできるかな?」

「かんたんだよ。ぼく、おおなみこなみできるし」

「それなら見せてくれるかい?」

「うん。いいよ」

 

 木に括りつけた縄の端を持った阿久津が、歌を歌いながらゆっくり左右に揺らす。滅多に見られない光景に、携帯を取り出し動画撮影をしたいくらいだ。

 

「大~波小波~♪」

 

 振り子のように往復する縄を、男の子はリズムを刻みながら跳んでいく。

 

「ぐるりと回して――」

 

 言葉通り、縄がぐるりと回った。

 三度回転した後で、少年は最後の着地で両足を開く。

 

「にゃんこの目!」

 

 縄は足の間で上手く止まった。

 それを見た阿久津は、首を小さく縦に振りながらパチパチと拍手する。

 

「上手だね。驚いたよ」

「あー、なわとびー。いーれーて」

「…………」

「それじゃあ一緒にやろう。大波小波はわかるかい?」

「わかるー」

「じゃあいくよ? 大~波小波~♪」

 

 やってきた女の子が、左右に揺れる縄を跳ぶ。

 しかし縄が回転したところで、女の子は引っ掛かってしまった。

 

「えー、むずかしーよー」

「そんなことはないよ。キミ、彼女にお手本を見せてあげてくれないかい?」

「…………うん、いいよ」

 

 困惑していた男の子が得意気な様子で、再び縄を跳び始める。

 最後まで跳びきった少年に、興味津々といった様子で女の子が駆け寄った。

 

「すごーい! どうやるのー?」

「え、えっと……こうやって――――」

 

 どうやら問題ないみたいだな。

 各々の子供に対する接し方を眺めつつ、全員の隠れ場所を把握した俺はチビッ子達を一網打尽にしてみせるのだった。



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六日目(日) 桜桃ジュースが120円だった件

 ひとしきり遊んだ後に焼き芋タイムを挟み、ふれあいの会も終わりが近づく。

 

「いーれーてー」

「ぼーくーもー」

『いーいーよー』

「帰りの会もあるから、次が最後な」

『えぇーっ?』

「さいごなら、ほかのこもよんでくるー」

 

 もう何度かくれんぼをやっただろうか。

 飽き始めてきた俺とは対称的に、子供伝いでかくれんぼマスターの噂が広まってしまったらしく、参加者は少しずつ増えている傾向にあった。

 そして今や十数人。ここまで増えると流石に探すのもしんどくなってくる。

 

「いーれーてー」

『いーいーよー』

「梅~も~」

「ちょっと待てぃ! そこの大人一名!」

「え~? 何~お兄ちゃん?」

「お前にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いは……あ、俺お兄ちゃんだったっけ」

「そ~だよ~お兄ちゃん」

「皆で集まって、何かするのかい?」

「いや、そういう訳じゃないんだが……」

 

 いつの間にやら阿久津も合流。そして数人の子供に引っ張られて、恐らくお兄さんお姉さんの中で一番人気を誇った音楽部コンビもやってきた。

 

「おねえちゃんはやくはやく!」

「慌てなくても大丈夫だから……あ、米倉君。最後のかくれんぼ、私も混ぜてもらっていいかな?」

「え……まあ……」

「それじゃ~皆でかくれんぼだ~っ!」

『おぉー』

「ちょっと待て。この人数相手に、鬼が俺一人はないだろ?」

「自分探しが趣味のかくれんぼマスターともあろう者が、随分と弱気だね」

 

 何か余計な一言がついてる件。そんな噂を広めたのはどこのどいつだ。

 

「えっと……そ、それなら見つかった人も鬼になるルールは?」

「私達はそれで大丈夫だけど、子供達は帰りの会の準備にした方がいいかも」

「櫻一人に任せて長引くと困るし、ボク達は最初から鬼の方が良さそうだね」

「だめ!」

 

 阿久津の服の裾を、男の子がギュっと握る。例の縄跳びで遊んでいた少年だが、どうやらすっかり懐かれてしまったらしい。

 

「流石ミナちゃん、人気者~」

「じゃあ水無月さんは隠れる側ってことで」

「申し訳ないけれど、そうして貰えると助かるよ」

「え~、梅も隠れた~い」

「別に隠れたきゃ好きに隠れていいぞ」

 

 仮にコイツが見つからなかった場合は、置いて帰れば済む話だ。

 

「鬼が三人か……もう少し欲しいな」

「そ、それならアキト君と冬雪さんも呼んでこようか?」

「ああ、頼む」

「それじゃあ隠れるぞみんな~っ!」

『わぁー』

 

 子供達に加えて隠れる側になった、梅と阿久津が散っていく。

 葵も保育室へ向かったため、残されたのは俺と夢野蕾の二人だけとなった。

 

「鬼の木、行こっか」

「あ、うん」

「ふふ。米倉君、私と話す時だけ硬くなるね。他の人と同じ喋り方でいいよ?」

「そ、そう言われましても……」

 

 変に敬語を使ったことで更に笑われた。

 過去に彼女と接点があったとしても、少なくとも今の俺にとっては知り合ったばかりの異性。そんな相手に思春期な男子高校生が気楽に話せる筈がない。

 

「かくれんぼマスターかぁ。米倉君、確かにかくれんぼばっかりやってたっけ」

「好きだったんだよ。隠れるのも、見つけるのも」

「そっか。でも不思議だよね。昔も今も変わらずに、鬼がこの木で待つなんて」

 

 やはり彼女も、鬼の木のことを覚えていたらしい。

 よく恋愛物で『伝説の木の下で告白して生まれたカップルは永遠に幸せになれる』なんてのがあるが、物騒な名前である鬼の木は伝説の木に含まれるのだろうか。

 

「とりあえず数える?」

「よし」

 

 二人で声を重ねて、ゆっくり10まで数えていく。

 別にハーモニーを奏でている訳でもないが、何となく綺麗な音に感じた。

 

「「「「「10!」」」」」

 

 最後の数を口にした際、他数名の声が後ろから重なる。振り返れば冬雪とアキト、そして戻ってきた葵の三人が準備万端といった様子で待機済みだった。

「「「「「もぉーいぃーかーい?」」」」」

『…………』

「よし、行くか」

「えぇっ? いいのっ?」

「全員の準備が終わるまで待ってたら、いつまで経っても始まらないからな」

 

 最初の頃は『もぁーでぃだよー』なんて返事が聞こえたが、潜伏スキルを身に着けた子供達は応えたら場所が割れるのを理解したらしい。

 これだけの人数となると50くらい数えるべきだが、時間もそれほど残されていないため、俺達のラストミッションは奇襲気味にスタートした。

 

 

 

 ―― 十分後 ――

 

 

 

「お兄ちゃん、見つけるの早すぎっ!」

「お前が隠れるの下手すぎなんだよ」

 

 スカート姿にも拘わらず、木の上に隠れていた梅が飛び降り華麗に着地を決める。見つけたのが俺で良かったが、もう少し恥じらいを持ってほしい。

 

「どう? 忍者っぽいでしょ?」

「砂場の中に隠れてた子の方がよっぽど忍者だったな。大人しく鬼を手伝え」

「は~い」

 

 大勢で隠れると言っても所詮は狭い園内。次から次へと簡単に児童は見つかる。残りはどれくらいかと確認しに戻ると、保育室の前で冬雪とすれ違った。

 

「……残り二人。それとミナ」

「了解だ」

 

 そういや、まだ阿久津の奴を見つけてなかったか。

 目ぼしい場所は粗方探したため、少し考えた後で建物裏へと回る。

 

「………………まさかな」

 

 眺めているのは、敷地の隅にある茂った植物。あまり気は進まないが、出来る限り木を痛めないよう掻い潜りながら奥へと進んでみた。

 

「あっ!」

 

 敷地の中からは植物で見えないが、外から見れば丸見えな畳一枚分くらいのスペース。そこに少年が一人と、髪に木の葉を乗せた幼馴染が隠れていた。

 

「見ーつけたっと。さ、帰り仕度だ」

「わたさないぞ!」

「ん?」

「おねーちゃんはぼくんだ!」

 

 阿久津を我が物呼ばわりとは、中々のマセガキだな……おいちょっとそこ代わってくれませんかお願いします。

 かくれんぼである以上は見つけた時点で終わりだが、まさかのルール無視発言。どうしたものかと困っていると、少年に守られていた幼馴染が小さく笑う。

 

「見つかった以上は仕方ないね、大人しく戻るとしよう」

「でもでも――」

「ボクはルールを守らない子は好きじゃないかな」

「わかった! 戻る!」

 

 完全に手の内で踊らされている少年は、茂みの中を抜けて戻っていく。

 それを和やかに見届けた少女は、やれやれと小さく溜息を吐いた。

 

「モテモテだな。一体何を吹きこめば、俺があそこまで敵視されるんだ?」

「ボクが次に筍幼稚園へ来るのは、いつになるかわからないと話しただけだよ。きっと彼はかくれんぼを終わらせたくなかったんだろうね」

「おいおい。あの子、大丈夫なのか?」

「その点は本職に任せれば問題ないだろうし、一応ボクなりにフォローはしておいたさ。友達が100人できたらまた来ると約束をしてあるからね」

 

 達成した頃には阿久津の存在など忘れている、実に大人らしいやり方だ。

 

「しっかし、まだ残ってたんだなここ」

「園長先生の計らいか、もしくは彼のように偶然見つけた子がいたんだろう」

 

 幼い頃に遊んだ秘密基地。

 友達と力を合わせて茂みに潜り込み、奥でスペースを確保するため草木を折るという、今思えば割と地球に優しくないことをしていたがロマン故に仕方ない。

 秘密基地といってもやることは所詮ままごと程度で、色水作ったり砂を盛りつけたり。装飾代わりに足元へ敷いたBB弾は、流石に無くなっていた。

 

「こんなに狭かったか?」

「キミの図体だけが大きくなったんだろう。頭に葉っぱが乗っているよ」

「そりゃお互い様だ」

 

 言葉を返すと、阿久津は髪に指を通して探し始める。

 俺と違い長髪のため苦戦する少女へ、そっと手を伸ばし葉を取り除いた。

 

「ありがとう。残りは何人だい?」

「あと一人だな」

「それは惜しいことをした。ところで、少しは昔のことを思い出したかい?」

「まあ鬼の木とかトンガリとか、この秘密基地のことくらいは」

「その言い方だと、肝心なことは思い出せずかな?」

「そうだな……ん?」

『――カシく~ん! タカシく~んっ!』

 

 遠くから聞こえた梅の声に、俺は阿久津と目を合わせると秘密基地から出る。

 園庭には仲間達が集まっており、何やら困ったような顔を浮かべていた。

 

「どうしたんだ?」

「米倉君! タカシ君いた?」

「いや、まだ見つけてないけど……」

「も、もう帰りの会の時間だから、諦めて呼びかけてるんだけど……」

「ボクも手伝おう」

 

 タカシ君と言えば、かくれんぼの初期メンバーだった子だ。今まで隠れていた場所も普通な少年がいなくなったとなると、考えられる可能性は少ない。

 

「ぶっちゃけ園内から出たとか、そういう展開な希ガス」

「ああ、俺もそう思う」

「ひょっとして、危険な目に合ってる子供を助ける王道キタコレ?」

「ふざけた冗談言ってる場合かよ」

 

 しかしもし予想通り外に出たとなると、 敷地の外は車通りも多い。こんなことなら始める前に、改めてルール確認しておくべきだった。

 総出で探すも見つからないまま、少しして男性教諭が俺達を招集した。

 

「タカシ君を最後に見た人は?」

「かくれんぼをやることになって、集まった時にいたのは覚えてます」

「それじゃあ、その後に見た人はいるかな?」

 

 名乗り出る者はいない。

 そもそもタカシ君の顔を認識しているのは、恐らく俺と夢野蕾くらいだろう。

 

「そうか……困ったな……」

「た、大変ですっ!」

 

 電話の子機を手にした女性教諭が、慌てた様子でこちらへ走ってきた。

 嫌な予感が頭をよぎる中で、女性教諭は息を切らしながら口を開く。

 

「ご自宅に電話したら……タカシ君、お母さんと一緒に帰ってたみたいで……」

『……………………』

 

 確かに昔の俺もやった経験はあるけど、そりゃないだろタカシ君。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「よう、お疲れ」

「キミは遅刻癖がある割に、準備は早いのかい?」

「逆だな。寝坊するからこそ、遅れないために準備だけは早いんだよ」

「それを誇らしく言われても困るけれどね」

 

 他の仲間が帰り仕度をする中、用意を終えた俺は喉が渇いたので正門へ。そこには一足先に待機していた阿久津が、門に座り込み桜桃ジュースを飲んでいた。

 その前を通過し自販機の前で財布を探していると、少女が俺に腕を伸ばす。

 

「残り半分で良ければいるかい?」

「いいのか?」

「今は糖分より、さっぱりしたい気分だからね。お茶を持ってきていたことを、買った後に思い出したよ」

「じゃ遠慮なく……ってかお前は、間接キスとか気にしないんだな」

「そんなことを気にしていたら至る所で間接手繋ぎ、公衆の洋式トイレに至っては間接尻になるね。雑菌を気にしないのかという意味で尋ねたのなら、この雑菌だらけの世の中なんて生きていけないと答えるよ」

 

 今の発言を冬雪に聞かせたら、一体どんな反応をするんだろう。

 ありがたく桜桃ジュースを貰った俺は、特に間接キスを気にせず喉を潤す。色々ハプニングもあったが、ふれあいの会が無事に終わって何よりだ。

 …………夢野蕾本人がいたのに、大して関わらないまま終了したけどな。

 

「あらあら。二人とも、こんなところにいたのねえ」

 

 不意に掛けられたのは、随分とのんびりとした口調。振り返ってみれば真っ白なパーマのお婆さん、もとい昔から変わらない園長先生だった。

 

「お久し振りです」

「挨拶が遅くなってごめんなさい。久し振りに顔を見たけど、櫻君も水無月さんも変わりないようで何よりだわ。今日は来てくれて本当にありがとうねえ」

「俺と阿久津のこと、覚えてるんですか?」

「それはもう、ちゃあんと覚えてますよ。特に櫻君はここでそのジュースをよく飲んでたから、先生達の間ではチェリーボーイってあだ名ができててねえ」

 

 何その攻撃的なあだ名。わざとだろ先生。

 

「桜桃ジュースなんだから、ピーチボーイにしてほしかったですね」

「それも同じ意味だよ」

 

 …………どう足掻いでも絶望とはこのことか。

 

「お母さんは看護師さんで、お父さんは先生だったかしら?」

「え……あ、は、はい」

 

 てっきりボランティアで卒園者が来ると聞いてアルバムでも確認したのかと思ったが、園長先生は俺達のことを本当に忘れず覚えてくれていたらしい。

 

「櫻君のお家はお姉さんと妹さんもいたし、お友達を乗せた帰りのバスが出ていくのを毎日ここで眺めてた姿が印象的でねえ」

 

 姉貴の幼稚園時代は母さんが時間に間に合うよう努めたためバスでの送迎だったが、俺の頃には仕事が激務となってしまい迎えの時間に間に合わなかった。

 そういう場合は幼稚園でなく保育園に入れるべきだが、姉と同じ幼稚園に通わせたいと両親が希望。その結果俺だけは親が直接幼稚園へ迎えに来るまで待つことになり、帰りの会が終わると正門で皆を見送っていたのである。

 

「その節は色々とありがとうございました。そういえばこの桜桃ジュースも、最初は園長先生が買ってくれたんですよね」

「あら? そうだったかしら?」

「そうですよっ?」

 

 置物みたいに座っていた俺へ声を掛けてくれて、どれがいいと自販機を指さす。そして選んだのが、自分と姉の漢字が使われていた桜桃ジュースだ。

 漢字を知っていた理由は、当時書道教室に通っていた姉貴の影響。俺の名前は桜ではなく櫻だが、ドヤァと見せられた兄妹の漢字は『桃・桜・梅』だった。

 

「へえ。それはボクも初耳だね」

「まあ俺もさっき思い出したくらいだからな」

 

 ペットボトルのジュースを見て園長先生に奢ってもらったことを知った親は、翌日以降120円というお小遣いを支給するようになった。

 それからは必死に腕を伸ばして、桜桃ジュースのボタンを押す毎日に…………。

 

「!」

 

 そう、120円だ。

 そしてそれは、少女が胸に付けている値札と同じ金額だった。

 

「あぁっ!」

 

 唐突に蘇った過去の記憶に、思わず声を上げる。

 ビックリしたらしい園長先生と阿久津が、二人して目を丸くしていた。

 

「急に大声で、どうしたのよ櫻君?」

「園長先生、ありがとうございます! お陰で思い出せました!」

 

 礼を告げるなり、慌てて園内に戻ろうとする。

 しかしそんな俺を止めるかの如く、阿久津が目の前に立ち塞がった。

 

「うぉっ? 何だよ阿久――」

「本当に全部かい?」

「は?」

「何を思い出したのかを聞くつもりはないけれど、本当に全てを思い出したのかい? 中途半端な記憶で彼女を困らせないかと、ボクは危惧しているんだよ」

「そんなの、言ってみないとわからないだろ」

「それだけじゃない。大切な記憶を思い出したのは何よりだけれど、キミはそれを彼女に伝えた後はどうするつもりなんだい?」

「どうするって、ただ話すだけじゃ駄目なのか?」

「少なくとも、ボクはそう思うね。キミを止めた理由は、ただそれだけさ」

 

 論理的な阿久津にしては珍しく言葉を濁しており、いまいち意味が分からない。

 少女はくるりと背を向けると、黙って園の中へ戻っていった。

 

「あらあら。モテる男は辛いわねえ」

「え……? ああ。いや、阿久津とはそんなんじゃないですから」

「あらそうなの? 櫻君と水無月さん、幼稚園じゃラブラブだったと思うけど。向こうの角の所にあった落書きなんて、今でも残ってるんじゃないかしら?」

「落書き?」

「ええ。ほら、あそこの柵よ」

 

 園長先生が指差したのは秘密基地。外側から敷地沿いを歩けば丸見えの場所に小走りで向かうと、柵を傷つけて描かれていた一つの相合傘を目にする。

 

『さくら』

『みなづき』

 

 傘の下に書かれている相手の名は、今もよく知る幼馴染の名前だった。



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七日目(月) 南中バスケ部が光通信だった件

「バイバーイ! バイバァーイ!」

 

 少年は手を振っていた。

 バスが交差点を曲がり、見えなくなるまで一生懸命に振り続ける。

 別に寂しくはなかった。

 明日になれば、また皆に会うことはできるから。

 

「よーし!」

 

 だからこそ少年は、今日も一人で遊び始めた。

 門の傍にある蟻の巣を眺めたり、走り抜けていく車の数を数えたり。

 そしてある程度時間が過ぎた頃に、誰も乗っていないバスが戻ってくる。

 それを見た少年は、今日もポケットからガマ口財布を取り出した。

 

「むーん…………」

 

 投入口にお金を入れるだけでも一苦労だが、その後はもっと大変だ。

 ピンク色をしたパッケージのペットボトルを見上げた後で、つま先立ちになり精一杯腕を伸ばす。ボタンを押して激しい落下音を聞くと、安堵しふにゃりと脱力した。

 

「………………ドロボーしてるの?」

 

 初対面の相手に掛ける言葉としては、中々に衝撃的な部類だと思う。

 取り出し口に手を伸ばした少年が振り返ると、いつからいたのか見慣れない女の子がジーっとこちらを見ていた。

 

「違うよ! ちゃんとお金払ったもん!」

 

 今思えば証拠でも何でもないが、少年は空になった財布を見せる。

 しかしこれで通じるのが子供同士というもの。どういう理屈か知らないが、少女は泥棒じゃないとわかったらしくホッとした様子で門に腰を下ろした。

 

「いつもここにいるの?」

「うん。お母さんが来るまで、一人遊びしてるんだ!」

「寂しくないの?」

「全然! 凄く楽しいよ!」

 

 最初の頃は寂しかったこともあったが、少年は今やすっかり慣れている。

 そして自分とは対称的に元気のない少女へ、彼は首を傾げつつ尋ねた。

 

「お迎えは?」

「あのね、私のパパとママ、ジュータイに巻き込まれちゃったの」

「ほぇー」

 

 当時の少年は渋滞という言葉を知らない。そのため彼の脳内では、少女の両親が絨毯にぐるぐる巻きになっている図が思い描かれていたりする。

 暗い表情を浮かべている少女を見て、少年は励ますために手にしていた桜桃ジュースのペットボトルを差し出した。

 

「じゃーこれあげる!」

「え……いいの?」

「うん! それすっごく美味しいんだよ!」

 

 差し出されたジュースを受け取ると、少女は慣れない手つきでキャップを回す。

 口をつけた後で見せた笑顔は、今でも変わらない純真無垢な微笑みだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「はよざ~っす! お兄ちゃ~ん! 朝だよ~っ!」

 

 騒々しい声を耳にして、夢の世界から目を覚ます。

 いやまだだ……今ならまだ夢の続きが見られるかもしれない。

 

「決戦の時じゃ~、今こそ農民の誇りを見せるのじゃ~」

「あと五時間……」

「長すぎじゃっ! 前より減ってるけど、もう一段階単位を下げるのじゃっ!」

「じゃあ五分……」

「うん、それならまあ……じゃあ五分後にまた来るのじゃ~」

 

 これが所謂ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックというやつだ。

 最初に五分と口にしたら許されなかっただろうが、徐々にハードルを下げることで妹から睡眠の許可を得た俺は再び眠りにつく。

 

「…………………………」

「五分経過~っ! 一揆じゃ~っ!」

「ぶふぇっ」

 

 まあ、五分ってこんなもんだよな。

 ボディプレスを炸裂させた後で、年貢を減らせと歌い始める妹。米倉だけに米倉騒動と掛けたなんてことはなく、ただ五月蠅いだけなので渋々身体を起こした。

 

「ターゲット、竹コースでの起床を確認」

「竹槍コースの間違いだろ」

「じゃあお兄ちゃん、下で待ってるからね~」

「あ、ちょっと待て梅。聞きたいことがある。もしも白馬に乗った王子様が目の前に突然現れて、私と共に暮らしてくれないかと頼んできたらどうする?」

「とりあえず家の中だから、馬は外に追い出して貰う」

「オーケーわかった。王子様は白馬を逃がした」

「逃がしたって、馬無しで帰り大丈夫なの?」

「だぁっしゃいっ! お前はどんだけ馬が気になるんだよっ?」

 

 放置された王子様が泣いてる気がする。こんな妹で本当すいません。

 

「もしかしてその質問って、お兄ちゃんと夢野さんのこと?」

「何でそうなるんだよ?」

「だってミナちゃん言ってたよ? お兄ちゃんが『例えば』とか『もしも』って前置きして変な質問してきたら、恐らく夢野さん関連だろうって」

 

 妙に鋭いと思ったら、そういうことかよ。

 流石は南中バスケ部ネットワークとでも言うべきか。聞くべきじゃなかったと後悔するが、時既に遅く梅はニヤニヤして尋ねてくる。

 

「何々その顔っ? まさかお兄ちゃん、夢野さんから告白されたのっ?」

「されると思うか?」

「じゃあお兄ちゃんが夢野さんに告白したとかっ?」

「すると思うか?」

「う~ん……じゃあお兄ちゃん、乗馬でも始めるの?」

「何でまた馬を引っ張ってきたっ? いい加減に王子様を見てやれよ!」

「う~ん……顔と性格がよっぽど酷くなければ、別に梅は構わないよ!」

 

 素直な妹はケロっとした顔で答える。ぶっちゃけ人は見た目が八割だよな。

 

「じゃあもし梅に好きな人がいたら、どっちを取る?」

「馬!」

「王子様か好きな人の二択だよっ!」

「え~? それなら好きな人」

 

 どうやら梅の中では『馬 〉好きな人 〉王子様』という数式らしい。うちの妹と結婚したい物好きは、まず馬を目指すところから始めよう。

 

「王子様はいいのか?」

「国へ帰るんだな……王子にも馬がいるだろう」

「どこの少佐だお前は。しかも帰りを待ってるの家族じゃなくて馬かよ」

「あ、でも白馬だけ欲しいな。梅、馬に跨ってみたいし」

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「それよりお腹空いたから早く早く。お母さん、朝ごはん作って待ってるよ」

「わかったから、先に行ってろ」

 

 ドタドタと騒がしく馬……じゃなくて梅が階段を下りていく中、俺は未だに若干残っている筋肉痛に苦しみつつ身支度を始めるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 本日の天気は生憎の雨。

 普通なら合羽を着ての自転車通学だが今日は無駄に風も強く、親から自転車は止めておくよう言われたので久々の電車登校だ。

 

「よう」

「やあ。キミが電車とは珍しいね」

 

 偶然にも駅のホームで遭遇したのは、いつも通り棒付き飴を咥えた幼馴染。これといって友達と一緒でもないらしく、少女は強風で靡く長い髪を手でかき上げる。

 

「見ての通り、遅延だよ」

「いっそ休校にでもなってくれればいいんだけどな」

「それは無理だろう。屋代に繋がる全路線が運休にでもならない限り、休校なんて選択は話題にすらならないね」

 

 まあ、母集団が多すぎるから仕方ない。これから秋にかけて台風の時期だが、暴風の中で登校とかは流石に勘弁と願うのみだ。

 

「ところで王子様」

「ぶっ! 十数分前の話がもう伝わってるのかよっ?」

「情報化社会なら普通だよ。てっきりキミは『食パンを咥えた男子高校生と角でぶつかる』みたいな話をすると思ったけれど、随分と古典的な表現だったね」

 

 自分の境遇を美化しすぎじゃないかと指摘され、物凄く恥ずかしくなる。一人だけ技が無い癖に何故かモテる、どこぞの食パンヒーローになりたい。

 まあ最近は子供が真似したら困るという酷い理由で、カレーパンも口からカレーを吐かなくなったらしいけどな。クレーム時代もここに極まれりだ。

 

「幼い頃の思い出はそんなに大切かい?」

「藪から棒に何だよ?」

「いいや、もし子供の頃にした約束が適用されるなら、ボクはキミと彼女関係どころか結婚までする羽目になると思ってね」

「ケコッ――?」

「突然、鶏の真似をしてどうしたんだい?」

 

 顔色一つ変えることなく、飴を舐め終えた阿久津は棒をゴミ箱に入れる。

 平然と口にできるコイツがおかしいのか、はたまた俺が意識し過ぎなのか。そんなことを考えていると、ホームに電車がやってくるアナウンスが流れた。

 

「いずれにせよ、別に時間制限がある訳でもないんだろう? 焦って答えを出す必要もないなら、まずはテスト勉強に精を出すべきだね」

「………………なあ、阿久――――」

 

 呼びかけた途中で、電車がやってくる。

 速度が遅いため声は消されることもなく、少女は俺に聞き返した。

 

「何だい?」

「いや、何でもない」

 

 尋ねかけた質問を心に留め、幼馴染の後に続き電車へと乗る。遅延により混んでいる電車内で阿久津と距離が近づくものの、これといって話はしなかった。



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七日目(月) 夢野蕾が彼女だった件

「おっす」

「…………返事がない、ただの屍のようだお…………」

 

 教室に入りクラスメイトへ挨拶をした後で、自分の席へ鞄を下ろす。目の前で机に突っ伏しているアキトは、珍しく顔も上げないまま力なく答えた。

 

「筋肉痛か? パソコンもスマホも弄ってないなんて、雪でも降りそうだな」

「現在スタミナ回復中……肉体的にも、ゲーム的にも……」

 

 そりゃまあ、あんだけペガサスごっこやってりゃボロボロにもなるか。きっとショタでダメージ、幼女で回復の激しい戦いだったに違いない。

 

「しかし米倉氏、幼馴染&妹持ちとは中々やりますな」

「何を勘違いしてるのか知らんが、幼馴染は見ての通り男勝り。妹の方もお前が思い描くような理想を抱くのは止めとけ。現実は割と酷いもんだぞ?」

「今日のお前が言うなスレはここですか? 確かに阿久津氏は近寄りがたい雰囲気醸し出してましたが、梅たんはフレンドリーで優しかったですしょおおっ?」

 

 秘孔を突くイメージで、アキトの脇腹をズンッと二本の指で押した。

 悲鳴が上がると周囲から注目されたが、何事もなかったように椅子へ座る。

 

「人の妹をたん付けで呼ぶな。お前の眼鏡を痰漬けにするぞ」

「フ……ヒヒ…………サーセン」

「お、おはよう櫻君……何かホールまで悲鳴が聞こえたけど、何かあったの……?」

「いや何も……って葵! お前こそ、どうしたんだよその顔っ?」

 

 声を掛けてきた少年は、力なく首を傾げる。

 そして思い出したかのように、目の下に隈ができた顔で弱々しく笑いかけた。

 

「ああ、これ……? ちょっと悪い夢見ちゃって……寝不足なんだ……」

「悪夢の詳細キボンヌ」

「えっとね……起きたら目の前に団子虫がいてね……それで布団をめくったら、中にも虫がウジャウジャいて、それで――――」

「すいませんでしたっ!」

 

 見捨てたことへの詫びを込めて、地に足を付け土下座する。

 今ここで誓おう。もし次があるなら、その時は葵を助けてみせると。

 

「……何してるの?」

「これは冬雪氏。あ、そこに立ってると米倉氏にパンツ覗かれえいぇぇぁあっ!」

 

 そしてコイツは絶対に、絶ぇっ対に二度と呼ばないと。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「おや、米倉クンじゃありませんか。どうかしましたか?」

 

 放課後の職員室前。今はテスト前であり生徒の出入りが禁止されている。

 日直だった俺が学級日誌を届けに行くと、伊東先生が気付いて声を掛けてきた。

 

「あ、どうも。日誌なんですけど……」

「ご苦労様です。確か米倉クンはC―3でしたねえ」

「はい、ありがとうございます」

「こちらこそ先日はありがとうございました。屋代の生徒だけあって優秀だったと、先方も大層喜んでいましたよ」

「いや、別にそんな大したことはしてないんで」

「そう言っていただけると助かります。米倉クン達の青春に今後も期待ですねえ」

 

 鼻歌交じりで先生は職員室へ戻っていく。別に青春した覚えは一切ないんだが、一体どんな話を聞かされたのだろうか。

 

「さて……と」

 

 今日でテストも一週間前。ほとんどの部活は停止期間に入るものの、俺が向かったのは駐輪場ではなく陶芸室だった。

 

「………………あれ? いたのか二人とも」

「何だ、キミも来たのかい?」

 

 ドアを開けてみれば、二人の少女がろくろを挽いている。

 特に注目すべきは初めて見る阿久津の陶芸姿……というよりもエプロン姿。たかが布切れ一枚付けただけで、女の子らしさが普段の五割増しになるから不思議だ。

 

「……ヨネも陶芸しに来た?」

「いや、俺は自習だよ。家だとあんまりできないからな……ってか二人とも、一週間前なのにテスト勉強しなくて大丈夫なのか?」

「少し気分転換がしたくてね」

「……昨日ので創作意欲が沸いた」

「そりゃ良いことで」

 

 既に二人は、それぞれ二つずつの作品を仕上げている。やはり上級者だけあって失敗も少ないようで、粘土はまだまだ残っていた。

 この調子なら阿久津も冬雪も、できる作品の数は二桁になるかもしれない。

 

「……ミナ、どうするの?」

「ああ、その件はまた今度にしよう」

「?」

 

 二人でどこかに行く約束でもしていたのか、はたまた秘密の話をしていたのか。気になったものの尋ねはせず、机に問題集などの道具一式を広げた。

 電動ろくろの低音が聞こえる以外は、実に静かで自習には最適といえる。

 

「…………」

 

 しかしいまいち集中できない。

 今日の授業中も一日ボーっとしているだけだったし、恐らく今の俺はどこで何の勉強をしても頭に入らないだろう。勿論理由は言わずともがなだ。

 

(十年近く振りに再会しただけの相手に、普通そこまでするか……?)

 

 120円の意味はわかった。

 ただ彼女はそれを俺にアピールして、一体何を伝えようとしたのか。

 幼稚園時代の知り合いに遭遇し、自分が忘れ去られていたら普通はそこで終わる。仮に思い出して貰いたかったとしても、こんな遠回りをする必要はない。

 

「失礼します」

「っ?」

 

 そう考えていた矢先、俺はまたしても不意を打たれた。

 扉を開けて顔を覗かせたのは他でもない、夢野蕾本人だったからである。

 

「あっ、米倉君。それに水無月さんに冬雪さんも、こんにちは」

「……お久」

「驚いたね。夢野君じゃないか。伊東先生に用事かい?」

「あ、いえ、違うんです。ここに来たのは、ちょっと陶芸部を見てみたくて」

「……見学?」

「はい。テスト期間だからやってないかと思ったんですけど……ひょっとして陶芸部って一週間前じゃなくて三日前まで活動してる部活なんですか?」

「……そんなことはない」

「寧ろ全くの反対で、好きな時に来ればいい自由な部活さ。現にそこで一人、顔は出す癖に陶芸をしない輩もいる訳だからね」

 

 思わぬ引き合いにされたが、集中して聞こえない振りをする。ここで陶芸もしていると発言すれば『過去を勝手に変えるのはいけないことなんだぞ!』と語る某猫型ロボットの如く総突っ込みを受けるだろう。

 

「自由な部活って楽しそうですね! 作ってるところ、隣で見てもいいですか?」

「……構わない」

「ボクは見られるのに慣れていないから、手本なら音穏を見て欲しいところだね」

 

 三人が仲良く話す中で、黙々と問題集の穴を埋めていく。しかし動揺は隠せず、先程から同じ問題を解いては消してを繰り返してばかりだ。

 別に普通の友人として接すればいい話なのに、妙に意識している自分を馬鹿らしく思う。それこそ例えるなら、女子からちょっと優しくされただけで『コイツ俺に気があるんじゃね』と誤解するような間抜けぶりだろう。

 

「……体験する?」

「ごめんなさい。実はこの後、アルバイトがあるんです」

「……残念」

 

 再び陶芸室内が低音だけの静寂に包まれる。

 その沈黙に耐えられず、少し頭を冷やそうと席を立ちトイレへ向かった。

 

「…………はあ」

 

 窓の外を眺めれば、既に風が治まったものの雨は今も降り続けている。予報じゃもうじき止むらしいが、どうせ帰りも電車だし雨の中を帰ってしまおうか。

 

「あ、米倉君!」

「っ?」

 

 幸か不幸か、トイレから出るなり夢野蕾と廊下でばったり遭遇した。どうやらもう帰るようだが、何でこうも上手い具合にタイミングが重なるのだろう。

 

「もういいのか?」

「うん。ちょっと見に来ただけだから」

「そっか」

「どうしたの? 何だか、元気ないみたいだけど……?」

 

 少女は首を傾げ、まじまじと俺を眺める。

 

『別に時間制限がある訳でもないんだろう?』

 

 確かに阿久津の言う通りかもしれない。

 しかしこのまま悶々とする日が続けば、それこそテストに影響が出るだろう。

 一人悩んでいるくらいならと、意を決した俺は彼女の目を見ながら尋ねた。

 

「思い出したんだ。幼稚園の正門で初めて会った時のこと。ずっと120円の値札を貼ってた理由は、あの時に渡した桜桃ジュース……なのか?」

「うん、そうだよ」

 

 迷いなく少女は答える。

 どれだけ月日が経とうと変わらない、幼い頃の面影を残す笑顔を見せながら。

 

「だって米倉君、次の日に返そうとしたら「一日に二本も飲めない」って言って、ずっと受け取ってくれなかったんだよ? 毎日飲んでるのに」

 

 彼女はそう言うと、担いでいた鞄の口を開ける。

 その中から出てきたのは、あの時と同じペットボトルの桜桃ジュースだった。

 

「だから、はい! 今度は受け取ってくれるよね?」

「え……? これ、ずっと持って……?」

「まさか。そんなことしたら賞味期限が切れちゃうよ」

「じゃあ何で……?」

「内緒♪」

 

 少女は俺の手を掴むと、強引にペットボトルを握らせる。

 どうやら考え過ぎだったらしく、気が緩んだ俺は自然と笑みがこぼれていた。

 

「あ、今笑ったでしょ? まさかまた断ったりするの?」

「いや、ありがたく貰うよ」

 

 120円の思い出を受け取ると、傘立てから傘を手に取った少女を見届ける。

 彼女はくるりと振り返り、いつもの笑顔をこちらに向けた。

 

「じゃあまた、夢野さ――――?」

 

 閉じた口に柔らかい物が触れる。

 言葉を止めるように、少女の人差し指が俺の唇を優しく抑えていた。

 

「違うよ米倉君」

 

 彼女は静かにそう言いつつ、首を横に振る。

 違う?

 何が違うと言うのか。

 

「昔は、そう呼んでなかったでしょ?」

 

 言われてみればそれもそうだ。

 幼稚園の頃、少女は夢野蕾ではなく土浦蕾だったのだから。

 ちょっと待てよ……どうして彼女の苗字は土浦から夢野に変わったんだろう。

 

「米倉君は私のこと、忘れてたみたいだけど――――」

 

 少女の顔が近付く。

 そして俺の耳元で囁くように、夢野蕾はそっと小声で告げた。

 

 

 

 ――私はずっと、クラクラの彼女だよ――

 

 

 

 そう言い残した後で、少女は雨の中を去っていく。

 残されたのは、呆然と立ち尽くす間抜けな男が一人。

 

「……………………」

 

 心のモヤモヤを消すつもりが、余計に霧が掛かったような気分だ。

 少しして陶芸室のドアが開くと、板に作品を乗せた阿久津がムロの戸を開ける。

 

「…………?」

 

 出来上がっている数が妙に少ない。

 あれだけ粘土が残っていたのに、板の上にある完成品は僅か三個だった。

 

「今日はもう終わりか?」

「少し調子が悪いみたいでね。人に見られるのは苦手なんだよ」

「そうか」

 

 途中で止めたのか、はたまた全て失敗したのか。

 先に作られていた二つの湯呑に比べると、三つ目の湯呑は随分と無骨に見えた。



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末日(月) 俺の彼女が300円だった件

 人の記憶というものは底が知れない。

 しかし例え容量が一ペタバイトあろうと古い記憶は新しい記憶に埋められていき、奥に眠っているものを引っ張り出すのは一苦労である。

 先日幼稚園に赴くことで蘇った思い出さえ、発掘できた自分に驚くくらいだ。

 

「………………マジかよ?」

 

 そんな愚かな生物である米倉櫻は今、雨が上がり紅に染まる雲の下を歩きながら、掌に収まる小さな機械の差し込み口を必死に弄っていた。

 右耳は音楽。

 左耳は無音。

 どうやら、イヤホンの線が切れてしまったらしい。

 帰宅後に自転車で買いに行ってもいいが、駅からなら少し遠回りするだけで済む。

 

「いらっしゃいませ」

 

 コンビニの中へ入ると、見知った女性店員が明るく出迎えた。

 軽く目で応えた後で吊るされたイヤホンの一つを選ぶと、客のいないレジに脚を運ぶ。

 

「あ、袋いらないんで」

「かしこまりました」

 

 財布から紙幣を取り出している間に、バーコードが読み取られていく。

 

「?」

 

 商品にシールを貼り付けた後で、少女は自分のネームプレートにも何かを貼った。

 気付けば貼られていた今までとは違い、わざと俺に見せつけるように。

 

 

 

『夢野蕾 ¥300』

 

 

 

「…………」

「1000円からお預かりします」

 

 何度か瞬きした後で、再び少女のネームプレートを確認する。

 見間違いではない。

 貼られている金額が、いつの間にか値上げされていた。

 百分率で言えば250%増し。今買った980円のイヤホンなら、何と2450円にもなってしまう『へぁっ?』って感じの超絶インフレである。

 えっと……つまりどういうことなんだこれは?

 

「20円のお釣りと、レシートになります」

 

 動揺を隠せずにいる中で手を出せば、少女の柔らかい掌が重ねられる。

 まるで困っている俺を見て楽しむように、彼女はこれ以上ない笑顔で応えた。

 

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 

 

 

 コンビニから出て来たのは、勇気を出しても迷走している男の姿だった。

 

 

 

 

 

 …………誰にだって懐かしく感じる記憶はあると思う。

 馬鹿なことをして親に怒られた日。

 くだらない話をして友達と過ごした休み時間。

 そして、好きな子がいた思い出。

 

 人はそんな毎日を積み重ねて、前へと進んでいく。

 だけど時には、ふと立ち止まって見るのも良いかもしれない。

 後ろを振り返って、自分が歩いてきた道のりを眺めるのも良いかもしれない。

 

 これは現実味のある懐かしさと面白さを描いたライトノベル。

 思春期の男女による思い出と青春、そして成長の物語……。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の2章を楽しんでいただければ幸いです!


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2章:俺の彼女が300円だった件
初日(水) 後輩のお父さんが切り株だった件


『あだ名』

 

 とても身近なこの言葉には、実は二つの意味がある。

 一つは誰もが良く知る、愛称や蔑称としてつけたニックネーム。漢字で書けば渾名とか諢名、綽名なんて書くらしいが、いずれもぼやかすとか曖昧という意味の当て字だ。

 ならもう一つとは何か。

 漢字で書くと徒名または仇名……その意味は男女関係についての噂や色事の評判、濡れ衣など根拠のない悪い噂を示す言葉らしい。

 

「…………はっ?」

 

 そして古文の勉強中に『あだし』の意味を検索していた米倉櫻(よねくらさくら)は今、電子辞書という名の文明の利器が仇になったことに気付く。

 明日はテスト最終日。

 現在時刻は午後十時だが、ネットサーフィンならぬ電子辞書サーフィンを楽しんでいた結果、現代社会という暗記科目に未だ手を付けていない。

 

「何故俺はあんな無駄な時間を…………」

「お~邪魔~虫~」

「梅先生……勉強がしたいです……」

「はえ? すれば?」

 

 諦めた。試合終了した。

 パジャマ姿のマイシスター、米倉梅(よねくらうめ)は登場するなり首を傾げる。ちなみにコイツも昨日まではテスト期間だったが、俺より一日早く地獄から解放されていた。

 

「ノックもせずに人の部屋へ入るなって言ってるだろ?」

「ノックならしたよ?」

「ん? ああ、俺が気付かなかっただけか」

「心の中で」

「気付けるかっ! ただの心音じゃねーかそれっ!」

「お前なぁんか勘違いしとりゃせんか? お前の為にノックをするんじゃねぇ……ノックの為にお前がいるんだ!」

「ワンテンポ遅れた名台詞を言ってないで、用が無いならさっさと去れ。お兄ちゃんは今、時を賭ける青年だ。タイムリーブとかじゃなくて、時間との勝負中なんだよ」

「ふっふっふ……これな~んだ?」

「?」

「あ、ちょっ……ちょっとタンマ! テイクツーで」

「時間押してるから、巻きで頼むな」

 

 後ろ手に回した後で、尻ポケットから何やら取り出そうとして失敗したらしい。

 改めて準備ができたらしい梅は、二枚の紙切れを見せつけてきた。

 

「ジャン!」

「ん……? 捨てる神あれば拾う神ありって諺はあるけど、まさかお前が神を紙と勘違いしてるとはな……そんなの、どこで拾って来たんだ?」

「拾ってないよっ!」

「どこで拾ったか知らんが、ウチじゃ捨て紙は飼えないって前々から言ってるだろ。散歩に食事に、ちゃんと世話できるのか?」

「捨て紙って何っ? そうじゃなくて、後輩から貰ったの」

「あー、ジャンってのは後輩の名前か」

「も~お兄ちゃん、そんなにふざけて、後悔しても知らないよ?」

「後輩と後悔って似てるな」

「はぁ~……これこれ、よく見て。注目!」

「んー? なっ? こ、これはっ!」

 

 梅に近づけられた紙を見れば、どうやら映画の割引券らしい。

 しかもこれは今、絶賛話題沸騰中の名作『彼女の名は』を激安価格で見られる様子。とある少女の名前を思い出した俺にとっては、色々な意味でタイムリーなネタである。

 

「お、お前、これを一体どこでっ?」

「後輩のお父さんが切り株らしくて、それで貰ったんだってさ」

「それを言うなら株主だ」

 

 お父さんが切り株って、後輩は植物人間か……って、これはこれで怖い意味になるな。

 

「本当なら梅がマーちゃん達と行く筈だったんだけど、何かマーちゃんもミーちゃんも都合悪くなっちゃったんだよね~」

「そ、そうなのか」

 

 ならムーちゃんを誘えばいい。お前も入れたらメーちゃんまで完成じゃないか。

 普段ならそんな突っ込みを返すところだが、ここは様子を窺って梅を立てておく。俺にも兄としてのプライドがあるし、馬鹿正直に欲しいなんて口が裂けても言えない。

 

「お兄ちゃん、これ欲しい?」

「べ、別に余ってるって言うなら、貰ってあげなくもないんだからねっ!」

「無いわ~。お兄ちゃんツンデレとか聞かされると、梅引くわ~。チェリーボーイなんてあだ名付けられても仕方ないって、悲しくなっちゃうわ~」

「何故お前がそれを知っているっ? 阿久津かっ? 悪苦痛なのかっ?」

「あ、そうだ。ミナちゃんと見に行こうかな~」

「!」

「お兄ちゃん、欲しいの? 欲しくないの?」

「はい、欲しいです」

 

 あ、口裂けたわ。口裂け男になったわ。

 

「じゃあ三回回ってワンって鳴いて」

「ウゥ~~~ワンッ!」

 

 ベッドという名のステージ上ではないが、スケーターみたいなターンを決めてから鳴いた。何かこのやり取り、逆の立場で一週間ちょっと前に見た気がしないでもない。

 

「よしよし。じゃあお兄ちゃん、梅と一緒に見に行こっか」

「何でだよっ?」

「冗談冗談。梅はマーちゃん達と一緒に見るもん」

「ん? マーちゃんもミーちゃんもムーちゃんも、行けないんじゃなかったのか?」

「一人増えてるし……ふっふっふ。三人で行く筈だったのに割引券が二枚だなんて、おかしいと思わないお兄ちゃん? ちゃ~んと……あ、ちょいタンマ! テイクスリーで」

「ま、まさかっ?」

「ジャン!」

「おお!」

「ジャジャン!」

「おおっ?」

「ジャカジャン!」

「お、おお……?」

「ジャラジャジャジャンジャジャーン!」

「いや多過ぎだろっ!」

「梅だって最初は三枚でいいって言ったけど、くれるって言うんだもん」

 

 十枚はあろう割引券を、ババ抜きみたいに広げて見せられた。

 これがバスケ部の新世代部長によるカリスマの力なのか……我が妹、恐ろしい子。

 

「だからこれ、残ったの全部お兄ちゃんにあげるから!」

「あげるって……おいっ?」

「蕾さんとか相生さんとか、冬雪ちゃんにプレゼントしておいて! お休み梅梅~」

 

 言いたいことだけ言うなり、妹は俺に六枚の割引券を押しつけ去っていった。

 

「プレゼントって言われてもな……」

 

 机の上に置いたまま、未だ飲めずにいる桜桃ジュース。他の物は冷蔵庫の中なのに、一つだけ特別なペットボトルをチラリと見た俺は深々と溜息を吐くのだった。



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一日目(木) ガチャは自分で引くべきだった件

「ん? アキト、何で飯食うんだ?」

「それは『何故人は飯を食べるのか?』的な質問?」

「別にそんな哲学的な質問をした訳じゃないっての。俺はこの後陶芸部に寄るし、相生も音楽部がある。でもお前は帰るだけだろ」

 

 コンビニ弁当を開けながらスマホを弄るオタクが、キラリと眼鏡を光らせる。

 

「別に、ここで飯を食べてしまっても構わんのだろう?」

「何のフラグだよ?」

「脂肪フラグ的な」

「誰が上手いこと言えと。飯だけに美味いってか?」

「ブッフォ。米倉氏も中々やりますな」

 

 学年で有数の成績優秀者から褒められたのに、嬉しくないのは何でだろう。

 ガラパゴスオタクらしく笑う火水木明釷(ひみずきあきと)をよそに、隣では不思議そうな表情を浮かべている少女……じゃなくて少年……でもなく青年が首を傾げた。

 

「あ、あれ? アキト君ってパソコン部じゃなかったっけ?」

「葵、コイツが部活に行った回数を知ってるか?」

「えっ?」

「二回から先は覚えてないお」

「そりゃ行ってないんだからな。春に一回で夏に一回……もう幽霊部員を通り越して、季節部員とか新しい名前付けた方が良いんじゃねーの?」

「あるあ……ねーよ」

「で、でもそれなら、何で入部したの?」

「何と言いますか、オタサーの姫が入ってから世紀末ヒャッハー状態になりますた」

「そ、そうなんだ」

「お前はホイホイされないんだな」

「拙者は君らとは違うんです。ヨンヨン、マジ天使」

 

 どう見てもただのロリコンです。本当にありがとうございました。

 何だか最近アキトのガラオタ語が伝染しつつある中、意識高い系ならぬ知識高い系オタクは俺にスマホを差し出してくる。

 

「今日はその姫関係のせいで、面倒だけど顔出さなきゃいけない件。米倉氏、引いてみそ」

「ん? 別にいいけど、期待すんなよ?」

 

 熱を持ったスマホを受け取れば、十連ガチャと表示されている画面。デフォルメされた美少女に誘導され、これみよがしに用意されたボタンを押した。

 

「お! Rって出たけど、これレアじゃないのか?」

「レアガチャだから、Rは普通に出るお」

「あ、マジだわ」

 

 一枚一枚カードがスライドしていくが、どれもこれもRばかり。アキトの目当てが何かは知らないが、最後にSRのカードが出た後で十枚全てが表示される。

 

「ほれ。ラストで何か引いたぞ」

「なんですとっ? …………おうふ。レアばっかな上に、このスーレアは持ってる件」

「期待すんなって言っただろ」

 

 そもそも人に引かせてゲンを担ごうとする時点で間違いだし。そんなことをしても今みたいに微妙な空気になるか、自己中心的な責任転嫁をされるのがオチだ。

 

「ド、ドンマイだよ、アキト君」

「相生氏……いえ相生神、どうか御頼み申し上げます候」

「えぇっ? ぼ、僕っ?」

「気にするな葵。裁判になったら俺が弁護してやる」

 

 スマホを渡された相生葵(あいおいあおい)は、オドオドしながらも祈るように画面をタッチ。その一挙手一投足が実に女々しい中、澄んだ高めの声がカードを読み上げる。

 

「レア、レア、レア「ミディアム」レア、レア……? あっ! えっ? えっと……」

「おい何だ今の」

「フヒヒ、サーセン。で、どしたん相生氏?」

「えっと……SRが二枚出てきたけど、駄目かな?」

「どれどれ? おお、これは次イベの特攻! 流石相生氏、そこに痺れる憧れるぅ!」

「あ、あはは……どう致しまして」

「よくわからんが、お目当てのブツは引けたのか?」

「例えるならタイを釣るためのエビを手に入れた的な? イベントでランキング圏内に入れば、レアガチャどころかSR確定チケが手に入りますしおすし」

「チケットねえ……あ、それで思い出した。お前ら『彼女の名は』ってもう見たか?」

「うん! 勿論見たよ! 僕、感動して三回も見ちゃった!」

「相生氏、それは流石に見過ぎなのでは?」

「そ、そんなことないよ! 四回目を見に行こうか悩んでるくらいだし」

「その努力、入場特典フィルムのある映画での手伝いキボンヌ」

「んで、アキトは見たのか?」

「妹の付き添いで一回」

「えっ?」

「勘違いするな葵。何てったってコイツは、ゲーム機片手にライブデートして、トイレに彼女を置き忘れる男。二次元の彼女にまで逃げられた、伝説のオタクだからな」

「恋愛ゲームをやってたら、寝取られゲーになっていた件」

 

 残された彼女はきっと今頃、別の男に撫でられて頬を染めてるに違いない。まあ当初は絶望していた本人も、今やヨンヨンに夢中なんだからお互い様か。

 

「ちなみに二次元妹じゃなくて、実在する妹なんですがそれは」

「VRゲームのやり過ぎで、とうとう空想と現実の区別がつかなくなったか。ロリコンのお前に妹なんていたら、間違いなくシスコンになって携帯の待ち受けとかにしてるだろ」

「今日のお前が言うなスレはここですか?」

 

 失礼な。俺の待ち受けは家族の写真であって、断じて梅一人の写真とかじゃないし。

 

「さ、櫻君、少しは信じてあげなよ」

「え? マジの本当にリアルでいるの?」

「うん、とりあえず突っ込んだら負けかなと思ってる」

 

 このロリコンの場合、その台詞が別の意味に聞こえなくもないから恐ろしい。

 しかしアキトに妹がいたとは中々の衝撃的事実。サ○エさんのエンディングの歌詞が実は一番じゃなくて、二番と三番だったってくらいにビックリだ。

 

「拙者の妹話よりも米倉氏、映画がどうかしたん?」

「ああ、それなんだけど――」

 

 制服の胸ポケットを漁った後で、例の割引券を二枚取り出す。入手したカード整理に夢中なアキトに一枚、首を傾げた相生に一枚をそれぞれ手渡した。

 

「何でも梅の後輩のお父さんが株主で、多めに貰ったから良ければどうぞだと」

「えっ? この割引券、僕達にくれるのっ?」

「幼稚園の件で世話になったしな」

「拙者パスで」

「ん? 要らないのか?」

「あんなイケメンに限る物語、一度見ただけでお腹いっぱ…………キターーッ!」

「わっ?」

「驚かすなよ! 何だいきなりっ?」

「激レアの浴衣ヨンヨン、ゲットしますた! クールぶっておきながら天然なヨンヨンの魅力が、溢れんばかりに引き出てるお! ヌハーっ!」

 

 花より団子ならぬ、映画よりヨンヨンってか。

 興奮するガラオタを放置し、返却された割引券を音楽部の青年へ渡す。

 

「じゃあ葵、これ――――」

「ひょっとして、貰ってもいいのっ?」

「え……?」

 

 玩具を与えられた子供みたいに、キラキラと輝いた瞳が見つめていた。屋代の生徒多しといえども、この眼差しを前に堂々と断れる男子なんて俺くらいなものである。 

 

「あ、ああ。見たいんだろ?」

「やった! ありがとう櫻君!」

 

 …………断れるとは言ったが、今断るとは一言も口にしていない。

 間違っても女みたいな容姿の葵が可愛いと思ったなんて理由じゃなく、アキトから返して貰ったところで俺が二度行く筈もなく使い道に困るだけだろう。

 夢野さんに渡しておいて貰えないか……なんて都合の良いことを今更になって言える訳もなく、口にしかけた言葉は黙って桜桃ジュースと共に喉の奥へと飲み込んだ。



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一日目(木) やっぱり米倉櫻が小心者だった件

(かま)の番?」

 

 屋代学園陶芸室。普段は粉っぽい部屋の六人掛け机には、俺を含めて四人が座っている。

 隣に座っている白衣を着た糸目の陶芸部顧問、仕事を放置して生徒と一緒にUNOで遊ぶほど青春が大好きな伊東(いとう)先生は、ニコニコの笑顔で青のドロツーを出した。

 

「はい。米倉クン達に、窯の番をお願いしたいんですよねえ」

「……この時期に?」

 

 斜め前に座っているボブカットの似合う眠そうな部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)は無表情のまま淡々と答えつつも、さらりと赤のドロツーを返す。

 

「この時期にって、何かマズいのか?」

「……文化祭で販売した後だから、作品がない」

「それが皆さんのテスト期間中に整理整頓したら、誰の物かわからない素焼きの作品が山ほど出てきちゃいました。何個かは先輩達の作品なので、本焼きしてお届けしようかと」

「……通りで片付いてると思った」

「そうなんです。釉薬もある程度は整理したので、今ならやり易いと思いましてねえ」

「ユウヤク?」

「作品をコーティングする上薬のことだよ。ガラス質の部分だと思えばいい」

「へー……ってお前も持ってたのかよ」

 

 大変わかりやすい説明に添えてドロフォーを出したロングヘアーの少女は、梅の通う黒谷南中の先代バスケ部部長かつ幼馴染の阿久津水無月(あくつみなづき)だ。

 男女間の友情は存在する会の会長(本人公認?)である少女は、トレードマークとも言える棒付き飴を咥えながら不敵に笑い言葉を返す。

 

「素直に八枚引くことを奨めるよ」

「甘いな阿久津」 → ドロツー

「どうぞ」 → ドロフォー

「……ウノ」 → ドロツー

「だってさ」 → ドロフォー

「ぬわーーっっ!!」

 

 これがもし陶芸部ルールじゃなくて地元ルールなら、ドロフォーにドロツーは返せないのに……あ、それでも俺が八枚引く羽目になるだけか。

 

「……何枚?」

「二十枚だね。ところで伊東先生、窯焚きはいつやる予定なんでしょうか?」

「早ければ早いほど良いですねえ。それに翌日は学校がお休みの日と考えると、明日か来週の金曜日辺りなんてどうでしょうか?」

「……別に問題なし。あがり」

「ボクはちょっと親に聞いてみないと……ウノ」

「待て待て。ゲームも話もついていけてないんだが、そもそも何で金曜日なんだ?」

「……焼成は時間が掛かるから、窯の番は徹夜の泊まり込み」

「泊まるって、学校にか?」

「……(コクリ)」

 

 何それ、普通に面白そうじゃん。

 思わぬイベントに心を躍らせていると、阿久津が溜息を吐きつつ口を開いた。

 

「ワクワクなところ申し訳ないけれど、キミは少し勘違いしていないかい? あがりっと」

「あ……勘違いって、何がだ?」

「一応言っておくけれど、夜の学校探検なんてした日にはセキュリティが働いて警察騒ぎ。キミは屋代の笑い者になるからね」

「わ、わかってらい」

 

 危ねー。完全に屋代の七不思議を探しに行くつもりだったわ。

 ちなみに不思議の一つには『陶芸室の地下に眠る初代校長』とかあったりする。地下へ続く道は陶芸部の部員のみ知るらしいけど、初代校長まだ普通に生きてるんだよな。

 

「……楽しみ」

「ん? 冬雪も初めてなのか?」

「……今までは先輩がやってた」

「本来は親御さんを心配させないために男子生徒の方が助かるんですが、何せ部員が少ない今は米倉クンだけになっちゃいますからねえ」

「俺達が窯の番をしてる間、先生は何してるんですか?」

「家で寝てます」

「………………」

「そんな冷たい目で見ないでください。焼成は半日以上掛かるんですよ。先生、老体に鞭打ちたくありませんから、窯の温度を安定させた後は一回休憩させてもらいます」

 

 いやいや、貴方まだ若いでしょうが。

 お互いに残り枚数が少なくなる度ドロツードロフォーを出し合う、中々終わらない泥試合を二人で繰り広げている中で伊東先生はニコニコ応える。

 

「それに米倉クン達に頼めば学校にお泊まりという青春もできる訳ですし、一石二鳥のWINWINじゃないですか。あ、でも他の先生には内緒にしてください」

「無断なんですね……でも窯の番って、具体的に何すりゃいいんですか?」

「三十分に一度くらい窯の温度を確認して貰えれば、後は何をしていても大丈夫ですよ」

「へー……あっ! スキスキスキスキップ! 俺の番で、あがりですっ!」

「ウノを言い忘れたからペナルティだね」

「ウノォォォォォォン!」

 

 無慈悲な阿久津の指摘により、強制的に二枚引かされる。冬雪に至っては飽きてしまい、整理された棚に置かれている作品を眺めていた。

 

「でも一晩陶芸室に泊まりって、先輩達は何してたんですか?」

「そうですねえ……こうしてゲームしたり、雑談したり、後は勉強でしょうか」

「うん、ゲームだな」

「……菊練り練習」

「勉強なら、ボクも付き合おう」

「マジですか?」

「「……マジ」」

 

 うおお、目が真剣だよこの二人。

 菊練りはともかくとして、テストが終わったばっかりなのに勉強って冗談だろ?

 

「いやでもアレだ。もしかしたら親から泊まりの許可が下りないかも――」

「キミの家は放任主義だったと思うけれどね」

「ぐ……そ、そうだ。阿久津の家は泊まりとか、結構お堅い感じだっただろ?」

「心配いらないよ。何としても許可を取ってくるさ」

 

 何でそこまで燃えてらっしゃるんですか阿久津さん。

 チラリと視線を動かせば、いつもは眠そうな目をしてる癖にこういう時に限りシャキーンって感じになった冬雪がグッと拳を握る。

 

「……丁度良かった。ヨネにはとことん陶芸してもらう」

「落ち着け冬雪。ならこうしよう、勉強と陶芸とゲームで三等分してだな」

「……陶芸と」

「勉強で」

「「……二等分」だね」

 

 息ぴったり過ぎだろコイツら。

 熱血講師二人が妙にやる気を出している、どう足掻いても絶望なこの状況。神がいるなら救ってくださいとか考えてたら、紙が俺の胸元に巣食っているのを思い出した。

 いや待てよ俺。この二人……というか阿久津は、できることなら誘いたい。そして男が女を映画に誘うなら、もっとこう恰好良く決めなくちゃ駄目だろ。

 

「何か言い残すことはあるかい?」

「これで勘弁してください」

 

 訂正する。男としてのプライドより、我が身の安全が第一だ。

 完全にカツアゲな台詞と共に、取り出した割引券を両手で掬うように献上した。

 

「……彼女の名は?」

「話題映画の割引券なんて、一体どこで拾って来たんだい?」

「拾ってないからっ! ってかその反応、俺が梅にしたのと同じだっての」

「どこから盗んで来たのかと思ったけれど、仕入先が梅君と聞いて納得したよ」

「さりげなく悪化したっ?」

「……ミナ、日曜空いてる?」

「問題ないよ。テストも終わったことだし、一緒に行こうか」

「……行く。見たかった」

 

 あれ、ちょっと待って。何か展開おかしくない?

 渡した俺をよそに盛り上がる二人。会話に入れず困っていると、消耗戦になりようやく決着がついたウノの相手が何かを期待するような眼差しを向けていた。

 

「米倉クン、先生の分は?」

「あ、ないです」

「………………これが大人ってやつなんですねえ」

 

 割引券一枚でショックを受ける時点で、まだまだ伊東先生は子供だと思います。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 我が家から自転車で三分圏内にあるこのコンビニには、ちょっとした知人がいる。

 六区画に分かれた屋代の中で、阿久津と同じFハウスかつ葵と同じ音楽部。そして俺と同じ筍幼稚園に通っていた謎の多い少女は、今日も真面目にレジ打ちをしていた。

 

夢野蕾(ゆめのつぼみ)

 

 かつては120円の値札を付けていたネームプレートだが、その意味を理解した今は貼られていない。ただし300円という、新たに出された難題は未だに解けないままだ。

 ショートポニーテールに髪を結んだ可愛い女性店員と会うのも、テスト期間と合わせて十日振り。阿久津とも同じだけ会ってない筈だが、彼女の場合は不思議と久しく感じる。

 さて、俺が何故ここへ来たのかは言うまでもない。

 梅から貰った割引券は六枚。葵に二枚を渡して阿久津に冬雪、俺で各一枚ずつ……伊東先生に渡す分はないと言ったな。あれは嘘だ。

 

「…………」

 

 何を買うか悩む振りをしつつ、レジの前が混雑していないタイミングを見計らう。

 葵にすら頼めなかった小心者が直接渡すなんて、ハードルが高く感じるかもしれないがそれは違う。何故なら今回は割引券、出してしまえば済むだけの簡単な話だ。

 最悪、ト○ロのカンタ君が傘を渡すシーンみたいになってもいい。何度か頭の中でシミュレート後、空いた隙に乗じて桜桃ジュースを手に取ると少女が待つレジへと向かった。

 

「久し振りだね」

「テストお疲れ。あ、袋いらないんで」

「かしこまりました」

 

 割と自然に会話を交わせたことに内心ホッとしつつ、接客モードとなった少女が丁寧な手つきでバーコードを読み取る中、先に用意しておいた120円を払う。

 そして彼女が硬貨を手に取るタイミングに合わせ、胸ポケットから紙を取り出した。

 

「お会計、120円丁度お預かりします」

「あのさ、これ…………」

 

 これ…………何だ?

 

 胸ポケットから取り出したのは、チケットとは異なる白い紙だった。

 具体的に言うなら、今目の前にある機械から出てきた物と非常に酷似している……っていうか、どこからどう見ても完全にレシートである。

 いやいや、お礼にレシートあげるとかどんな嫌がらせだよ。こんなの『ンッ!』って渡されたら、サツキちゃんもドン引きだっての。

 思わずテンパり自問自答する俺をよそに、少女は笑顔でレシートを受け取った。

 

「はい。こちらで承ります」

「え?」

 

 呆然とする中で、桜桃ジュースに加えて台に乗せられるお茶のペットボトル。

 ちょっと待てよ。そう言えば今朝――――。

 

 

 

『はよざっすお兄ちゃん! ちょっと遅刻が朝練しそうだから用件だけっ!』

『…………んー?』

『このレシート、お茶と交換しといてっ! ここ入れとくからっ! 梅梅~』

『…………んー』

 

 

 

 ――――犯人はアイツかっ!

 

 コンビニでお茶と引き換えできるレシートクーポン。朝にギャーギャー喚いてたのは覚えてるけど、あの妹は一体どこに置いたのかと思ったら胸ポケットに入れてたのかよ。

 夢だけど夢じゃなかったなんて考えてる間に、領収書が切られ手渡される。

 

「レシートのお返しになります」

「あ、その……」

「?」

 

 中途半端に言葉が口から出てしまい、引くにも引けなくなってしまった…………いや違う、ここで引いたら何一つ成長してないじゃないか。

 首を傾げる少女に対し、慌てて胸ポケットを探る。名前しか知らない女性店員ならともかく、今や彼女は俺の友人みたいなものだ。

 

「もし良ければ、これ――――」

「あっ! 失礼致しました。もう一本ですね」

「…………」

 

 

 

 コンビニから出て来たのは、袋も無しに三本のペットボトルを抱えた男の姿だった。



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二日目(金) 窯と釉薬ときれいな青だった件

 科目の多い上級生は今日までがテストであり、その都合もあって俺達一年は半日授業。阿久津も無事に許可を取れたようなので、午後は予定通り窯焚きということになった。

 

「……こっち」

 

 昼食を食べ終えて現在は昼過ぎ。陶芸室から外へ出ると正面には教員用の駐車場が広がっているが、右前方を見ると校舎と繋がっていないプレハブ小屋がある。

 屋代自体がショッピングモール並みに広いため、こんな場所を知っている生徒は陶芸部くらいだろう。当然ながら初めて知った俺は、冬雪に案内され奥へと入っていった。

 中には木やガラスやら金細工の作品(失敗作と書いてあるが、持ち帰りたいレベルの代物)や、用途不明の機械類。怪しげな白い粉など、専門的な物がごちゃごちゃしている。

 

「……これ」

「へー。想像してたのと随分違うな。てっきりかまくらみたいなのかと思ったけど」

「……窯にも種類がある。これはガス窯」

「テレビで見たけど、業務用の冷蔵庫ってこんな感じじゃなかったか?」

「……確かに似てるかも。ここ、引っ張って」

「おう……ぬっ?」

 

 取っ手を引っ張ってみたものの、思ったより重い。

 少し力を込めると無骨な四角い鉄の箱はゆっくりとスライドし、十人は入れそうな巨大引き出しの中から数枚の板とコンクリブロック達が現れた。

 

「何だこりゃ?」

「……ここに作品を置いて、置けなくなったら仕切りを作る」

「こっちのブロックは?」

「……作品の高さを揃えて、ブロックもそれに合わせる」

「はー。成程な」

 

 四方にコンクリブロックを置いた冬雪は、その上へ石みたいに重みのある板を乗せる。この分なら、軽く十段くらいはスペースを作れそうだ。

 ブロックには長い物や短い物と多種多様だが、そもそも陶芸で作る作品自体が千差万別。一度で多くを焼くために考えた、先人の知恵といったところか。

 

「……こっちが釉薬」

「とりあえずオリベが緑色ってのは覚えたぞ」

 

 普段使っている食器の色が多彩なように、釉薬にも色々と種類がある。

 辺りには十リットルは余裕で入りそうなバケツがいくつか置かれているが、その蓋には織部やビードロ、トルコ青にアメ釉といった釉薬の名前がマジックで書かれていた。

 色のサンプルを窯へ来る前に見せて貰ったが、冬雪が蓋を開けると中に入っていた液体は白色や灰色。トルコ青なのに薄灰色だし、緑の織部も濃灰色っぽい感じである。

 

「……焼くとさっきの色になる」

「ほー」

 

 さっきから関心のハ行ばっかりだが、陶芸なんて中々経験しないから仕方ない。

 釉薬を掛ける手本を見せるため、腕を捲った少女は素焼きされた皿を手に取る。そしてバケツの傍に屈むと、リボンを外しているブラウスから鎖骨がチラリと見えた。

 

「……釉薬は沈殿しやすいから、掛ける前に混ぜておく。掛け方自体は簡単」

 

 冬雪はトロトロの液に左腕を沈め、グルグルと円を描く。少しして問題ないと判断した少女は、持っていた皿を釉薬の中に浸したと思いきや数秒もせずに取り出した。

 

「……持ってた場所にも、軽く浸けたり指で塗っておく」

「そんなもんでいいのか?」

「……厚く掛けると、焼く前にポロポロ剥がれたりする」

「もう乾いてる……まるで修正液みたいだな。これを窯で焼いたら、普段使ってる皿みたいになるって訳か」

「……そういうこと。釉薬を掛けた後は、高台だけ濡れたスポンジで拭き取っておく。じゃないと焼いた時、底が窯にくっついて取れなくなる」

「ほうほう……ん? この前に作った俺の皿、高台ないんだが……?」

「……そういう場合は、底が素焼きのままになる。内側には釉薬が塗られてるけど、お味噌汁とか入れると底がじんわり湿ってきたりする」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 今度から、ちゃんと高台を削らず残せるようになろう。

 スポンジで拭いた際にもそうだったが、この釉薬というものは水で簡単に洗い流せるらしい。冬雪が蛇口を捻ると、灰色に染まっていた腕がみるみる肌色へと戻っていった。

 

「大体三等分すると、一人当たり50個くらいかい?」

「……そうかも」

「じゃあ一時間もあれば終わりそうだね」

 

 後ろを振り返ると、入口にはジャージへ着替えた阿久津の姿。腰の辺りまで真っ直ぐ伸びた長髪はポニーテールに縛っており、バスケ部時代を彷彿とさせる。

 

「しかし随分と発掘されたもんだな。文化祭の時ってのも、これくらいあったのか?」

「合計数なら同じくらいだよ」

「……でも釉掛けは自分の作品しかしてない」

 

 まあ普通はそうだろうな。

 今回は先輩達の作品な訳だが、所詮は忘れ去られた遺物。浸ける色は自由に選んで良い上に失敗しても構わないとのお達しが出ているので、存分に練習させてもらうとしよう。

 

「最初はどれにしようかなっと…………ん?」

 

 元々知っていた釉薬は天目くらい(鑑定番組で見た『天目茶碗』の意味がわかって少し嬉しい)だが、奥へ隠れるように置かれていたバケツが目に留まる。

 蓋にはマジックで名前が書かれていない代わりに、鉛筆書きの紙が貼ってあった。

 

 

 

『きれいな青』

 

 

 

「これだっ! これにするっ!」

「何だい、いきなり」

「明らかに名前が浮いてる、怪しい釉薬を見つけたっ!」

「綺麗な青……? 音穏、知ってるかい?」

「……知らない」

「トルコ青とも違うみたいだけれど……随分と長い間、放置されていたみたいだね」

「何じゃこりゃっ?」

 

 阿久津が蓋を開けると、バケツの中はまるで干上がった大地。薄紫色をした釉薬の塊には、至る所に地割れみたいなヒビが入っている。

 

「見ての通り、水分が飛んで固まったんだろう。溶かせば使えるだろうけど……って、一応聞くけれど、キミはバケツを持って何を始める気だい?」

「溶かせば使えるんだろ?」

「その状態から溶かすのは一苦労だよ。そもそも何色になるかわからないしね」

「綺麗な青だ」

「……そんな色の釉薬、知らない」

「いいんだよっ! 俺はこの綺麗な青を信じるっ! 俺が信じる綺麗な青を信じろっ!」

「まあ、キミの好きにすればいいさ」

「……それなら、先にちょっと寝てくる」

「ああ。お休み音穏」

「……おひゃすみ」

 

 夜に備えて仮眠が取れるよう、準備室には簡単な寝床が用意されている。普段から眠そうな目をしている冬雪は、欠伸をしながら校舎へと戻っていった。

 窯焚きは先生の手が空く五時過ぎに開始予定。まだ三時間はあるし余裕だろ。



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二日目(金) 俺のキノコが浮上中だった件

 ―― 一時間後 ――

 

「ふう、終わりっと」

 

 そう声に出したのは残念ながら俺じゃなく、阿久津の方だった。

 二人きりだというのに大した会話もなし……というよりも、人に見られながらの作業が苦手と言っていた彼女は、喋りながらの作業も駄目らしい。

 何度か声を掛けてみたものの、返事を適当なものばかり。話しかけるなというオーラを察してからは、少女を眺めつつ油粘土みたいな感触の塊を水中で延々と握り潰していた。

 

「お疲れさん」

「そっちの進捗は?」

「キングスライムがスライム八匹になったくらいだ」

「まだまだ先は長そうだね。程々にして諦めたらどうだい?」

「愚問だな阿久津。今まで俺が諦めたことがあったか?」

「小六の家庭科で作ったエプロンは、確かキミだけが完成しなかった覚えがあるよ」

「う……」

「10万円貯まる500円貯金、習い事のそろばん、通信制ゼミの勉強、開設したブログ。他にも何かあったような気がするけれど、これだけの前例があれば確かに愚問だったね」

 

 本当に容赦ないなコイツ。

 まあどれもこれも紛れもない事実ばかりだから仕方ない。寧ろ『人生を諦めてる』とか、例え冗談でも言われたらどうしようかと思ったし。

 

「一応言っておくけれど、別にボクはキミが諦めがちな人間とは思っていないよ。エプロン以外は、続けた人より諦めた人の方が段違いに多いさ」

「ミシンの使い方が難しくてな」

「キミの場合、下糸を巻くのに夢中だっただけだろう? 最終的にはクラスメイトのボビンまで集めて、ボビンマスターを名乗っていた人間だからね」

「ボビンって響きからして好きだったんだよ! そもそもエプロンなんて作ったところで、料理もしない男子高校生に使い道があるかっての」

「ろくろを挽く時に使えばいいじゃないか」

「…………はっ!」

「エプロンを身につけるには、最適の環境だと思うけれどね。それじゃ、お休み」

 

 長いポニーテールを揺らしながら、幼馴染の少女は去っていった。

 家に帰ったら、どこぞに封印した作りかけの布切れを探してみようかな。

 

 

 

 ―― 二時間後 ――

 

 

 

「はあ~」

 

 思わず溜息を一つ。これ絶対に握力上がるって。

 水中で塊を掴んでは握り潰し、掴んでは握り潰しを延々と繰り返す。風呂の中で手をグーパーさせればわかると思うが、水の抵抗があるだけで拳が重く結構辛い。

 なんかもう酷使し過ぎて、手の節々が痛くなってきた。

 

『♪~』

 

 上にある音楽室から、ようやく合唱が聞こえ始める。幾度となく繰り返される発声練習に飽き飽きしていたが、歌になったところで知らない曲であり退屈なのは変わらない。

 一旦バケツから腕を抜き、屈んだ状態から立ち上がると腰を曲げ後屈した。

 もしも二時間前の俺に会えるなら一言伝えたい…………馬鹿な真似は止めておけと。

 

「くそ……ホワァタタタタタタタァッ!」

 

 掌サイズだったスライムは倒したものの、水の上に残された大量のダマへと戦いは続く。

 

 

 

 ―― 四時間後 ――

 

 

 

「デデッデデッデッデ、テケテッ♪ デレデッテッテッテッテッテッテッテ、デッテッテッテッテッテッテッテ、デッテッテッテッテッテッテッテッ、テッテッテッテ♪」

「……何の曲?」

「ふぬぉあいっ?」

 

 いきなり背後から掛けられた声に驚き、思わず身体がビクッと反応。撥ねた釉薬が頬に掛かる中、振り返るとそこには着替えもせず制服姿の冬雪が立っていた。

 

「い、いるならいるって言ってくれよ」

「……いる」

 

 相変わらず眠そうな少女は、ポケットから可愛いキャラ物のハンカチタオルを取り出す。そして俺の顔についた釉薬を、優しく拭き取ってくれた。

 

「悪いな、サンキュー」

「……どう致しまして。センセイは?」

「そういや来てないな」

「……ヨネ、まだ溶かしてたの?」

「ダマは九割方潰し終えたんだが、まだ細かいのが少しあるんだよ」

 

 冬雪は腕まくりをすると、俺の溶かしていた綺麗な青に右手を入れる。

 

「……これくらいなら大丈夫」

「おおっ! マジでかっ? なら早速……ん? 何だこれ」

「……それ、私の指」

「何だ、冬雪の指か」

 

 危うく釉薬の塊が残ってたのかと思って、握り潰すところだった。

 しかしプニプニして柔らかい指だ。ここが第一関節で、こっちが第二関節だろうか。

 

「……楽しい?」

「フニフニして気持ちいい」

「……人の指で遊ばないで、釉薬を掛けてほしい」

「ごめんなさい」

 

 ちょっと照れ臭そうな冬雪と共に、手分けして作業を始める。溶かした綺麗な青を中心に、何個かは個人的に色が好きだったトルコ青や織部を掛けることにした。

 釉薬を二重に掛けたり模様をつけたりと手慣れた少女に対し、普通に浸けるだけで手間取る俺。作業工程の差は明白にも拘わらず、先に終わったのは冬雪の方だった。

 

「どうもどうも、お疲れ様です。大分遅くなってしまってすいません」

 

 俺の釉薬掛けが終わり、高さの低い作品から窯へ入れ始めたところで白衣の顧問が登場。状況を眺めた伊東先生は、足下に置かれた薄紫色の釉薬を不思議そうに見つめる。

 

「おや? これは……?」

「……綺麗な青?」

「こんな釉薬があったなんて、知りませんでしたねえ」

「俺が見つけました! 干上がってたんで、溶かしたんです!」

「そうだったんですか。しかし米倉クン、よく溶かし方を知っていましたねえ」

「溶かし方? 水を入れて混ぜるんじゃないんですか?」

「えっ?」

「えっ?」

「…………えっと、干上がった状態のまま水を入れたんですか?」

「はい。ひたすら握り潰して溶かしました」

「えっ?」

「えっ?」

 

 何それ怖いみたいなリアクションをした伊東先生は、バケツを二度ほど見返す。

 そしてその後で、物凄く気の毒そうな顔をされた。

 

「何と言いますか、大変じゃありませんでしたか?」

「ダマを潰すのが物凄く大変でした」

「そういう場合はある程度砕いた後で水を入れて、暫く時間を置いてから混ぜると簡単に分散するんですよねえ。水の染み込む力で、粒子が解れるんですよ」

「……知らなかった」

「……………………………………」

 

 冬雪が知らないとなると、当然阿久津も初耳だろう。

 そもそも元はと言えば俺が勝手に始めたことであり、彼女達は奨めるどころか制していた。普通に考えれば、二人へ何かを求めるのは明らかに筋違いである。

 しかし何と言うかこう……救いが欲しい。誰かに俺の荒んだ心を癒して貰いたい。

 

「(チラリ)」

「……ドンマイ」

 四時間の対価としては、あまりに寂しすぎる一言が返された。人事だけに一言ってか?

 慰めの抱擁もなく(されたらそれはそれで困るが)これは握力のトレーニングだったと割り切る中、伊東先生は作品の位置を微調整してから振り返る。

 

「窯入れは先生がしておきましょう。焼き始めてから温度が安定するまでは結構時間が掛かりますから、お二人は休んでいてくだ…………はい、もしもし?」

 

 話の途中で着信音(何故か合唱曲)が鳴り、伊東先生が窯場から離脱。何だかどっと疲れてしまったため、お言葉に甘えて仮眠を取るとしよう。

 

「……(トントン)」

「ん?」

 

 肩を叩かれ振り返ると、冬雪が真っ白な機械を持っていた。

 パッと見た感じ音楽再生機器っぽく見えるが、そんな物をいきなり俺に見せつけて一体何だと言うのか。

 

「ふぁあ。何だよ冬……き……?」

 

 機械の先にぶら下がっている、妙な物に気付く。

 いやいや、そんなまさかな。

 ズボンのポケットに手をあてがう。

 本来そこにあるべき膨みはなく、布地越しに触れたのは自分の太腿だった。

 

「なあ、まさかそれ…………」

「……キノコが浮いてた」

 

 

 

「俺の携帯ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 

 

 面影が残っているのはキノコのストラップのみ。シイタケからエノキみたいなカラーリングになっているが、それよりも繋がっている本体の方が大問題なのは言うまでもない。

 真っ黒だった携帯のボディは、何らかの釉薬によって染められ純白と化していた。

 釉薬を掛けてる最中に、ポケットから落ちたのか?

 脳内が混乱する中で慌てて冬雪からガラケーを受け取ったものの、電化製品を水で洗うなんて自殺行為もできず右往左往してしまう。

 

「どどどど、どうすりゃ」

「何の騒ぎだい?」

「阿久津っ? 俺の携帯が……でも洗う訳にも――――」

 

 早足で歩み寄ってきた少女は、説明の途中で白くなったガラケーを強奪。そのまま水道へ向かうと蛇口を捻り、何の躊躇いもなく流水の中へと突っ込んだ。

 みるみるうちに本来の姿である黒へ戻ると、阿久津は携帯を水から上げ手際良く取り出した藍染めのハンカチで丁寧に水分を拭き取る。

 

「キミのことだから、何かしらやらかすとは思っていたよ。釉掛けはもう終わったのかい?」

「……終わった。窯入れは先生がやるって」

「それなら戻るとしようか」

「お、おう……」

 

 寝起きとは思えない少女へお礼を言うタイミングを逃しつつ、携帯を受け取った俺は二人と共に陶芸室へと引き返した。



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二日目(金) 陶芸部なのに卓球勝負だった件

 メール異常なし、電話異常なし、カメラ謎の白い粉あり。

 基本的な機能の生存確認をした後で、今度は音関係を調べるべくマナーモードを解除。適当に曲を鳴らしてみるが、心なしか普段より音量が小さくなっていた。

 

「思ったより問題はないみたいだし、良かったじゃないか」

「いやいや、大ありだっての」

 

 どうやら釉薬が至る所に詰まってしまった様子。俺の携帯は開いた後に画面を180度まで回転できる代物だが、捻ってみると普段に比べて格段に動きが重い。

 

『ターン!』

 

「……今の何?」

「ああ、マナーモード解除したからか。最近設定したんだけど、開いた時と閉じた時にも喋るんだよ。元々は効果音だったんだけどな」

 

『クローズ!』

 

 若い男による明確な発音。ちなみに大した意味もなく留守電メッセージも英語にしてみたが、親から「いきなり外人が出てビックリする」と怒られたのでそちらは戻してある。

 

「……ガラケーならでは」

「だろ?」

 

『オッ! オープン!』

 

「…………ん?」

 

 今、何か変じゃなかったか?

 冬雪と阿久津も感じたらしく互いに目が合った後で、確認のため再度閉じてみる。

 

『クローズ!』

 

「ふむ」

 

『オープン! オッ! オッ!』

 

「いや待てちょっと待て! 何だ今のっ?」

「……アキみたい」

 

 喋り方が完全にアキトっぽくなっているが、いくらガラケーと言ってもガラオタになる機能なんてない。頼むからリア充に戻ってくれと、願いを込めて携帯を閉じる。

 

『クッ! クロッ! オーッ? クローズ!』

 

 普段笑うことの少ない二人が、声を上げて大爆笑した。やるじゃん相棒。

 

 

 

 ―― 五分後 ――

 

 

 

『タッ! タッ! ターン! ターン! クロッ! オーッ? タッ! ターン!』

 

「頼むから、少し黙らせてくれないかい?」

 

 笑いのピークは過ぎたものの、未だ半笑いの阿久津が口を開く。

 一応言っておくが、別に俺が笑わせるために携帯を操作してる訳じゃない。ついに我が相棒は自立したらしく、触らずとも勝手に喋り出すレベルへ達していた。

 一番のお気に入りはターンらしく、やたらと連呼する始末。ちなみに開いて捻って閉じて挑戦してみたが『オーターク』と都合良く発音させるのは残念ながら不可能らしい。

 

「黙れって言われても、なあ?」

 

『オーッ?』

 

「……マナーモード」

「へいへいっと」

 

『タッ! ターンッ! クロッ! ター…………』

 

 流石にやかましいのでマナーを長押しすると、騒がしかった陶芸室がようやく静かになる。しかし捻る度に拭いた筈の白い粉が何度も出てくるし、何とかならないのかこれ。

 

「壊れるにしても、こう中途半端だと交換するか迷うな」

「メール,と電話が問題ないなら、キミの携帯には充分じゃないか」

「失礼な、ちゃんとアプリだって使ってるぞ」

 

 もっとも入ってるゲームは延々と障害物を避けたり、ひたすら上に登ったりするゲーム。葵やアキトから古いだのショボイだの散々な言われようだけどな。

 

「……スマホに替えたら?」

「それができたら苦労しないんだけどな」

「櫻の家は、携帯料金が小遣いから引かれるシステムだからね」

 

 我に返ってみると、結構凹んでくる。

 そんな俺を見かねてか、阿久津が妙な提案をしてきた。

 

「少し運動して身体でも動かそうか」

「身体を動かすって、今からバスケなんて言い出したりしないよな?」

「場所もボールもないのに、そんな無茶は言わないさ」

「じゃあ走って来いってか?」

「まさか」

 

 スッと立ち上がった少女は、陶芸室の隅にある棚の下から木箱を引っ張り出した。

 やや大きめな箱を開くと、中には卓球とバドミントンのラケットが二組ずつ。勿論シャトルやボールまで入っている。

 

「何でそんなのが陶芸部にあるんだよ?」

「モップとビー玉でビリヤードを始める物好きな先輩が置いていったんだよ。見た目じゃわからないよう改造したファミコンとか、扱いに困る物も残してあるけれどね」

「そんな変な先輩がいたのか?」

「……いた」

 

 伊東先生が電動ろくろで回ってたのも、その先輩の差し金な気がしてきた。

 卓球のラケットとボールを持ってきた阿久津は、大机の一つをずらして両側へ人が入れるスペースを作る。それを見るなり冬雪も立ち上がり、引き出しから30センチ物差しが太くなったような板を大量に取り出した。

 

「何だそれ?」

「……たたら板」

「ネットは流石に無いから、その代わりだよ」

 

 板を並べて積んでいくと、即席の卓球台が完成。本来の大きさに比べると僅かに小さく、表面は下敷き無しだと字も歪んでしまう木の机と滑らかには程遠い。

 

「総当たり戦の、三点先取で良いかい?」

「……問題なし」

「じゃあ最初は音穏と櫻で。サーブ権は一球ごとに交代だから」

 

 卓球は幼い頃、家族旅行でそれなりにやったため割と得意だ。

 当然ラケットに選択肢なんてないが、幸い二つとも両面あるシェークハンド用。かつて梅を泣かせるほど猛威を振るった、俺の必殺サーブを見せてやろうじゃないか。

 

「……勝負」

 

 両面ラケットにも拘わらず、冬雪の構えはペンホルダー型。俊敏に動く印象なんてまるでないが、片面用の構えで挑んでくる辺り中々のやり手に違いない。

 

「行くぞ冬雪っ! 雷光サーブッ!」

 

 低い弾道でボールが跳び出す。

 そして積まれた板に衝突すると、卓球では聞けないガラガラという崩壊音がした。

 

「あれ? おかしいな」

「ポイント0―1。破壊したネットの修復は自分で頼むよ」

「げ……そこは審判の仕事だろ」

「口答えするならテクニカルファールで、ポイントが0―2になるからね」

「何それ怖い」

 

 テクニカルファールって、さらっとバスケのルールを混ぜるなよ。

 しかしどうやらこの卓球台、本物に比べるとバウンドが低い様子。いちいちネット(という名の板)を直すのも面倒なので、残念ながら雷光サーブは諦めるとしよう。

 ボールを持った冬雪が構えると、リボンを付けてない胸元が緩む。サーブ権だけじゃなく視線まで移りそうになるが、あまり凝視していると阿久津に気付かれそうだ。

 

「……てい」

 

 放たれたのは緩々のサーブ。そりゃもう、彼女の胸元レベルで。

 センターラインのない机の中心でバウンドした球を、台の反発力を考慮して高目に打ち返す。少し山なりになったため反撃に備えるが、冬雪は見事に空振りした。

 

「ポイント1―1」

「…………」

 

 彼女が強者というのは、俺の思い違いだったらしい。

 こんな調子で残るゲームも進み、あっという間に決着がつく。

 

「ポイント3―1で櫻の勝ち」

「なあ冬雪。ひょっとしてお前、卓球苦手なのか?」

「……運動が苦手」

「卓球で良いなら教えるぞ」

「……じゃあ今度、教えてほしいかも」

 

 短く呟いた少女は、黒板に向かうと表を作り戦績を書く。同じクラスとはいえ体育は男女別のため、思わぬ一面を意外な形で知ることになった。

 

「さて、次はボクとキミか」

 

 口にはしないが、確実に頂上決戦である。

 バスケじゃ叶わないが、卓球なら勝機は充分。この独特な跳ね方をする卓球台にも慣れたし、携帯の一件の汚名返上にもここは勝ちたいところだ。

 

「勝負だ阿久津」

 

 ジャージ姿の少女が不敵に笑う。

 阿久津がボールを投げ上げると、割と速いサーブが放たれた。

 すかさず返すと、激しいラリーの応酬が始まる。さっきのはピンポンって感じだったが、テンポ良く音が刻まれる今の状況は紛れもなく卓球だ。

 

「中々やるね」

「なんの、まだまだっ!」

 

 まさかコイツが着替えたのって、全力で卓球するつもりだったからじゃないよな?

 そう疑いたくなるくらい本気の阿久津だが、何かに気を取られ視線が球から外れた。

 

「もらったぁっ!」

 

 油断した隙を狙ってスマッシュもどきの強打。弾んだボールは二つ先の大机まで飛んでいったが、少女は悔しがりもしなければ球を拾いにも行かず俺の後ろを見ている。

 一体どうしたのかと思い振り返れば、入口には二人の女子生徒がいた。



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二日目(金) 俺のあだ名がネックだった件

「こんにちは」

「やあ。これはまた、恥ずかしいところを見られたね」

 

 パチパチと拍手しているのは、未だ呼び方に困る幼馴染(仮)の夢野蕾。そしてその隣では見慣れない女子生徒が、呆然とした後でひそひそと耳打ちをする。

 

(ちょっとユメノン、本当にここ大丈夫なの?)

 

 内緒話の筈なのに、声がでかく普通に聞こえていた。

 すっかり白熱して気付かなかったが、どうやらドアが開きっ放しだったらしい。そりゃノックしようにもできず覗いた結果、陶芸部が卓球やってたら驚くのも無理はないか。

 

「大丈夫大丈夫」

(馬ヘッドかぶってナックル付けた男とか、出てこなきゃいいんだけど……)

 

 一体どこの世紀末ですかそれは?

 眼鏡を掛けた二つ結びの少女は、訝しげに陶芸部を眺める。ぽっちゃりとまではいかないが他の三人に比べると肉付きが良く、胸の膨らみがやたらと目立っていた。

 

「陶芸部って、卓球もできるんだね」

「時間があるなら、ゆ……二人も遊んでいけば?」

 

 妙に親切な俺の口調に、阿久津が何やら言いたげな様子。というか後で絶対に何かしら言われると思うし、今の内に言い訳を考えておこうかな。

 

「ゴメン。私、この後アルバイトなんだ」

「えっ? ユメノン時間平気なのっ?」

「うん。まだ大丈夫」

「えっと……そっちの人は、音楽部の友達?」

「ううん、クラスメイトだよ。色々あって部活を探してるの。さっき音楽部も体験して貰ったんだけど、ちょっと合わなかったみたいで……ミズキ、良い声してるのに」

「あんな真面目な練習とか無理無理。アタシ、緩くないと駄目なタイプだし」

 

 成程、それで陶芸部を紹介されたって訳か。

 

「……体験する?」

「体験って、まさか卓球の?」

「卓球が嫌なら、バドミントンかビリヤードでも――」

「……ヨネ」

「ごめんなさい冗談です」

 

 新入部員確保のために真面目な冬雪。対する阿久津はそれほどでもないのか、回収した卓球の球をラケットで撫でるように転がしている。

 

「……体験は粘土練ったり、ろくろ挽いたり」

「あー、えっと、今日は遅いし見学って感じでお願いできれば」

「……じゃあヨネと一緒に見せる」

「へいへい」

 

 冬雪一人で見せるより、俺も一緒にやった方が初心者は安心するだろう。

 どうせ後で菊練り練習させられるくらいなら、ここは素直に従った方が良さそうだ。

 

「ボクとの勝負は後回しになりそうだね」

「ん? 0―1で俺の勝ちだろ?」

「音穏。悪いけれど、櫻を少し借りてもいいかい?」

「……駄目」

「ふっ、モテる男は辛いな」

「えっと、アンタら三人ってそういう関係なの?」

「「……違う」ね」

 

 ノータイムで否定される思春期男子の辛さを、この女子校生二人に一時間くらいかけて語ってやりたい。その前に一時間ほど、陶芸を見せることになる訳だけど。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「じゃさじゃさ、次は瓶作って! こういう丸っこいやつ!」

「……瓶は難しい」

「ユッキーなら大丈夫だって!」

 

 バイトのため一足先に帰ってしまった同伴者なしで大丈夫か不安だったが、ムチッ娘は親しみ過ぎだろというレベルで陶芸部に溶け込んでいた。

 冬雪は未だに電動ろくろの前だが、俺は練った粘土量が少ない上に成形も失敗ばかり。早々に片付けを終えた今は、推理小説を読んでいる阿久津を前にまったり休憩中である。

 

「しっかし部員が三人とか、本当にあるんだ。ろくろは余り放題だし、メッチャ静かね」

「お前がお喋りなだけだろ」

「そう? アタシ的には全然普通なんだけど。っていうか、ちょっとネック。人の扱いが何か随分と雑になってない? 初対面での丁寧さはどこにいったのよ?」

「気のせいだ」

 

 遠慮なくあだ名で呼ぶような奴に、扱いが雑と言われても困る。

 ちなみに阿久津のあだ名はツッキー。冬雪のユッキーと被ってる上に、男女間の友情は存在する会の会長としてはいまいちな呼称である。

 

「ってか、普段もこんな遅くまで活動してんの?」

「いや、今日は特別でな」

「櫻」

 

 阿久津に呼ばれチラリとアイコンタクト……と言えば聞こえは良いが、多分これは睨まれたんだと思う。そういえば泊まりは無断だから、あまり話を広げるのはまずいか。

 

「特別って、何があるの?」

「それは入部してからのお楽しみだ」

「何それ? 気になるけど、まあ別にいっか」

 

 てっきり喰いついてくるかと思ったが、そんなことはなかった。

 瓶作りにウキウキな少女が冬雪の手捌きを眺めていると、ガラリと外へつながる扉が開き伊東先生が現れる。

 

「おや? お客さんですかねえ?」

「あ、えっと……」

「どうもどうも。先生、陶芸部の顧問をしている伊東と申します。こちらつまらない物ですが、宜しければどうぞ」

 

 白衣のポケットからチョコ菓子が取り出される。何でそんな物を持ち歩いているのかは知らないが、割と受けは良いらしく少女は目を輝かせた。

 

「えっ? 良いんですかっ?」

「はい。見学に来ていただいたお礼と言うことで。阿久津クンと冬雪クンの分もありますよ」

「先生、俺の分は?」

「あ、ないです。今あげちゃいましたからねえ」

 

 昨日のチケットの一件を恨んでいるとしか思えない所業。これが大人というやつか。

 チラリと視線を向けるが、これはアタシのと言わんばかりにチョコ菓子を抱える少女。胸に栄養が集まってるみたいだし、コイツ甘い物の類とか物凄く好きそうだな。

 

「……できた」

「凄い凄い! ユッキー、本当に上手いんだけど!」

「……そんなことない」

 

 謙遜する冬雪だが、傍から見てもやはり器用だと思う。俺が初めて見せてもらった時も、鮮やかに形を変えていく粘土を見て同じように感動した。

 最初は誰でも下手と彼女は口にしているが、あそこまで上手くなるにはどれくらい時間が掛かることやら……来年になって後輩が入る頃までには上達しないとな。

 

「さてさて。先生、疲れちゃいましたから帰りますので。後は宜しくお願いします」

「わかりました」

 

 冬雪が片付けを始め、阿久津は本を閉じると帰り支度の真似事を始める。

 

「へー。顧問の先生も緩い感じなんだ」

「まあ、珍しいタイプの先生だな」

「そっかそっか。じゃあアタシはお先に。ユッキー、今日はありがとね」

「……また来て」

 

 準備室へ戻る先生の後ろ姿をボーっと眺めていた少女は、勢い良く立ち上がった後で嵐のように去っていった。眼鏡を掛けてはいるが、文学少女とは正反対の活発さである。

 

「そういやミズキって呼ばれてたけど、アイツの苗字って聞いたっけか?」

「……聞いてない」

「まあ別に構わないさ。あの様子だと、またそのうち来そうだからね」

 

 アイツが入部したら、ここも随分と騒がしくなりそうだな。

 何はともあれ部外者は去ったことだし、いよいよ陶芸部の夜も始まりだ。



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二日目(金) カップ焼きそばがラーメンだった件

 勉強会……それは本来テスト前に行われ、各々が得意科目を教え合う会合。

 しかし実際には雑談や遊戯が始まってしまい大して勉強にならず、一人で復習した方が効率は良いというオチが定番でもある。

 だからこそ言おう。

 これは俺の知っている、ゆるゆるでウキウキな勉強会じゃない。

 

『ピピピピッ! ピピピピッ!』

「終わったあっ!」

 

 大きく身体を伸ばそうとしたが、椅子に背もたれがないため危うく倒れかけた。

 日付が変わると共に鳴り出したスマホを、持ち主の阿久津が止める。

 

「大袈裟だね。ほんの三時間程度じゃないか」

 

 嘘みたいだろ。テスト後なのに勉強してるんだぜ?

 先生が帰宅した後で始まった真・勉強会。85点を95点にするより55点を85点にする方が効率的という阿久津の指摘を受け、今日返された英語の復習をさせられた。

 時折わからない問題は質問したものの、解説以上の返事もなければ雑談もなし。集中していた阿久津は気付いてないだろうが、喋ったら負けと言わんばかりの重い空気だった。

 しかし三時間という長丁場を軽々とこなす辺り、流石は成績優秀者といったところか。普段からの努力が窺える中で、俺と同レベルな冬雪が大きく欠伸をする。

 

「……眠い」

「昼寝したのにか?」

「……昼寝は別腹」

「スイーツ好きのOLかよ」

「そういう櫻は元気そうだね」

「俺は普段から夜更かしだからな」

「その時間を苦手教科の勉強に当てるよう、梅君に伝えておくとするよ」

 

 洒落にならない夜襲が来そうだから勘弁して欲しい。これでも英語は前回より点が上がっているので、陶芸部で阿久津と勉強するだけでも充分な効果があるのは証明済みだ。

 

「ひとまず窯番はボクと櫻でしておくから、音穏は仮眠を取るといい」

「……そうする」

 

 冬雪はおぼつかない足取りで準備室もとい仮眠室へ向かう。元々半開きみたいな目が閉じ掛かっていたから眠そうだとは思っていたが、本当に大丈夫なのかアレ。

 

「さてと、窯を見に行こうか」

「ちょっと待ってくれ。栄養補給しないと、活動限界でヤバイ」

 

 既に満腹度0で、歩くとHPが減っていく段階。既に勉強会の最中で第一次、第二次空腹大戦が勃発しており、第三次なんて起きた日にはそれこそ大惨事になる。

 

「ってか冬雪もお前も、腹減らないのか?」

「言われてみれば、空いている気もするね。途中の仮眠と伊東先生から貰ったチョコで、満腹中枢が少し鈍っていたみたいだ。窯を見てから、夜食でも買いに行こうか」

「よしきた」

 

 鞄から財布を取り出し外へ出る。

 すっかり秋だが今日は温かく、空を見上げれば三日月と星達が輝く夜。バックミュージックには虫達の鳴き声に加え、阿久津と二人きりという夜の世界に心が躍る。

 

「何をそんなにウキウキしているのやら……もう深夜テンションかい?」

「こんな時間に外出なんて年末以外にしないだろ? なんかワクワクしてこないか?」

「キミの言いたいことは何となくわかるけれど、ボクは補導されないか不安だよ」

「ん? 警察に捕まったら、正直に窯番してたって言えばいいだろ?」

「そうすると学校側に連絡がいく可能性があるからね」

「あー、成程な………………うし、異常なしっと」

 

 割と静かにゴーっという音を鳴らし、中を覗ける隙間からはオレンジ一色が見えるだけ。その数値は驚きの1200度だが、そんなブーバーの体温みたいな温度がこれなのか。

 特に問題もないガス窯の確認を終えた後で、屋代の傍にあるコンビニへと向かう。時間が時間だけに、道路を走る車はほとんど見当たらなかった。

 

「そういや、お湯って陶芸部にあるのか?」

「伊東先生がポットを用意してくれているよ。キミはカップ麺にするのかい?」

「夜食といえばカップ麺だろ」

「ボクはおにぎりのイメージだけれどね」

 

 コンビニに入ると「らしゃーいまっせー」というやる気のない店員の声が出迎える。

 ひとまず迷いもせずに桜桃ジュースを確保。その後でカップ麺のコーナーへ向かうが、思いもよらぬ伏兵がそこにはいた。

 

『秋限定』

 

 ありきたりな宣伝文句がでかでかと書かれているのは、カップ麺ではなくカップ焼きそば。食欲の秋を丸ごと詰め込みとか、一体何が入っているのかつい眺めてしまう。

 

「神妙な顔をして、どうしたんだい??」

「ん? いや、まあちょっと悩んでるんだが……そっちは決まったのか?」

「欲しい味が売り切れていたから、たまにはカップ麺を食べてみようと思ってね。プロの目から見たお勧めはどれなのかな?」

「別にプロじゃないっての。んー、俺が好きなのはこれかこれだな」

 

 一つは王道なカップヌードル。そしてもう一つは別の意味で王道と言える、我が生涯に一片の悔い無し的なカップラーメンを指さした。

 

「じゃあボクはこっちにしよう」

 

 悩みもせずにシンプルなヌードルを手に取る阿久津。

 同じのを買うのも面白くないので、俺が買うのは必然的に北斗神拳の長兄……と見せかけて、少し悩んでからカップ焼きそばを手に取りレジへと持って行った。

 既に会計を済ませているかと思いきや、何故か阿久津はパンのコーナーで立ち止まっている。やっぱりパンにするのかと眺めつつ、先に支払いを終え外で待つことにした。

 

「すまない、待たせたね」

「カップ麺とパン……? それ、両方食べるのか?」

「まさか。音穏が起きた時、お腹を空かせていると思ってね」

「あ」

 

 ゴメンな冬雪、すっかり忘れてたわ。

 自分の分しか買ってない自己中心的な俺と違い、ちゃんと飲み物もお茶を二本買っている。こういう気配りに関しては見習わないと駄目だな。

 

「コンビニと言えば、夢野君の一件は無事に解決したのかい?」

「いや、新たな問題を出された」

「それはまたキミが忘れているであろう、彼女との関係性を示す問題かい?」

「ああ。多分そういうことなんだと思う」

「そして答えは見つからないと。道理で夢野君に対して、キミが一歩引いた喋り方をしていると思ったよ。だから全てを思い出したのかと尋ねたじゃないか」

 

 そんなこと言われても、簡単に思い出せたら苦労はしない。

 300円の商品なんて世の中には山ほどある。昔は夢野と呼んでなかったと言われても土浦と呼ぶのはおかしいし、蕾なんて軽々しく呼べる訳もなかった。

 そもそも下の名前で呼ぶ行為は、俺の中で恋人同士の特権みたいなものである。

 

「なあ。水無月……って、何月のことだったっけ?」

「六月だけれど、それがどうかしたのかい?」

「いや……三日月と水無月って似てるなって思って、一月から順に思い出してみただけだ。睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月――――」

 

 …………うん、やっぱり無理だったよ。

 思春期な男子高校生にとって、女子なんて○○さん呼びが基本。阿久津や冬雪みたいな呼び捨てが珍しいくらいであり、名前で呼べる相手なんて妹の梅くらいしかいない。

 

「てっきりボクの名前を呼ばれたのかと思ったよ」

「ああ、そういえば阿久津は水無月だったな」

「忘れられているとは心外だね」

 

 幼馴染の名前を忘れる訳がないだろ……普通にお前を呼んだんだよ。

 勿論そんなことは声に出して言える訳もなく、厳しい言い訳で露骨に誤魔化す。気付かれるかと思いきや、阿久津は夢野蕾の話から脱線した方が腑に落ちないようだった。

 

「話を戻すけれど、キミは夢野君が出した問題の答えを探すつもりかい?」

「そりゃできれば探したいけど、これといった当てがないからな。300円って言われて、パッと思いつく物って何かあるか?」

「300円ショップに行けば、いくらでもあるね」

「やっぱそうなるよな……後は、阿久津が知ってる俺のあだ名ってどんなのがある?」

「根暗」

 

 わかってはいたが、真っ先に出るのはやっぱりそれか。

 あの頃は『クール=恰好良い』という脳内数式を導き出し必死に演じていた。話しかけられても最小限の返事しか喋らずにいたら、付いたあだ名が根暗って何なんだよ本当。

 

「他にはヨネにネック……せいぜいそれくらいじゃないかい?」

「クラクラは?」

「少なくともボクは聞いたことがないよ。チェリーボーイなら知っているけれどね」

「それは忘れろ」

 

 クラクラなんて呼ばれ方をされた記憶はなく、仮にもしあるとするなら恐らくそれはまた遠い昔の話に違いない。

 結局何も思い出せないまま、補導されることもなく陶芸部へ到着したので夜食の準備へ。いつものようにパッケージを開けると、加薬と粉末スープを入れてお湯を注いだ。

 

「手慣れているね」

「まあな」

 

 容器に書かれた説明を見ながら、一つ一つ手順を踏んでいく阿久津が実に初々しい。

 カップ焼きそばと言えば湯切りの際に『だばぁ』することで有名だが、三秒ルールも適用されない陶芸部の流しでそんなミスを俺がする訳がなかった。

 

「あぁっ!」

 

 前言撤回。

 そんなミスをする以前に、別の大きな間違いを犯していたことに気付く。

 

「いきなり大声を上げて、どうしたんだい?」

「カップ焼きそばなのに、間違って先にスープ入れちった……」

「先に入れると、どうなるのさ?」

「…………焼きそばがラーメンになる」

「流石はカップ麺のプロだね」

 

 ラーメン状態のまま食べた焼きそばの味はとても薄かった。そりゃもう、涙で味付けできないかと思うくらいに。



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三日目(土) 俺が阿久津のペットだった件

「櫻」

「…………」

「櫻っ!」

「わっ? な、何だよっ?」

 

 制服へ着替え髪を解き、いつも通りの姿に戻った阿久津は俺を見るなり苦笑を浮かべる。

 

「船を漕いでいたけれど、流石のキミも眠いみたいだね」

「はっはっは。そんな馬鹿な」

「ついでに言うなら、涎も垂れている」

「っ?」

 

 慌てて袖で口元を拭う。ぬおお、これは酷い。

 俺と阿久津は食休みを挟んだ後で卓球を再開。ちなみに結果は3―2で俺の勝ちだが、この3―2はポイントではなく試合回数……つまり三点マッチを計五回もやっていた。

 拮抗し白熱した試合だったため気付かぬ間に試合数が増えており、最終的には俺の体力が無くなったため終了。再び休憩を挟んだ現在時刻は、もうすぐ午前二時になる。

 

「音穏を起こして、代わって貰うといい」

「寝てる冬雪を起こすなんて俺にはできん」

「それならボクが起こしてこよう」

「いやいや待て待て」

 

 躊躇いなく立ち上がり準備室へ行こうとした阿久津を慌てて止める。そういう意味で言った訳じゃないから。優しい米倉君キャーステキって流れだからこれ。

 

「ボクと音穏に任せて、キミは眠ればいいじゃないか」

「大丈夫だ、問題ない」

「キミがそう言うなら構わないが、次に船を漕いだら音穏を起こしにいくよ」

「よしきた」

 

 そんな簡単に俺がウトウトする訳がないだろう。

 確かに眠いのは事実だが、伊東先生が戻ると言ってた三時までくらいなら耐えられる筈だ。ただちょっと瞼が重いから、少しの間だけ目を閉じよう。ほんの五秒だけ…………。

 

「櫻」

「………………」

「櫻っ!」

「っ? ね、寝てないぞ!」

「それは寝かけていた人の言う台詞だよ。音穏を起こしてくるから――」

「嫌だっ! まだ寝ないっ!」

「クリスマスにサンタを待つ子供かキミは」

「ちょっと夜風に当たれば、すぐ目が覚めるから大丈夫だっ!」

 

 生温かい空間に頬杖をつける大机という、この環境が眠気の原因に違いない。

 扉を開け外に出た後で段差に座ると、阿久津も後に続き俺の隣に腰を下ろした。

 

「な、何だよ?」

「外で眠りでもして、風邪を引かれたら困るからね」

「だから寝ないっての! いっそコンビニに行って、眠気覚ましのドリンクでも買うか?」

「そんなことをしたら、ボクはキミを物理的に寝かせるよ」

 

 見るからにわかる作り笑顔を向けられた。薬物に頼るくらいなら大人しく寝ろという正論だが、そこまで言われると一体何をされるのか怖くて逆に目が覚める。

 

「こうしてみると夜勤って大変だな。さっきの店員も眠そうだったし」

「キミはバイトしたりしないのかい?」

「特に欲しい物もないし、そもそも面倒だからな。そういう阿久津はどうなんだ?」

「ボクにはバイト禁止令が出ているよ。学生の本分は勉強だと言われているからね」

「相変わらずお堅い家だな」

「そうでもないさ。こうして部活は許されているし、親からすれば充分にやりくりできるお小遣いを渡しているんだ。それ以上の金銭を欲する方がおかしいだろう」

「じゃあ社会経験のためにバイトがしたいって言ったらどうなるんだ?」

「ふむ……その理由は考えていなかったよ。恐らくだけれど、社会経験なら大学に入ってからすればいいと返されるかな」

「そういうもんか」

「夢野君はどっちだろうね」

「ん?」

「彼女もコンビニでアルバイトをしているじゃないか。金銭のためか、社会経験のためか」

「言われてみれば、考えたこともなかったな」

「昔あった彼女との繋がりを追うのは構わないけれど、今の夢野君を見てあげるべきだとボクは思うよ。どんなに懐かしがったところで、人は過去には戻れないんだ」

 

 確かにそれも一理ある。

 深い一言を呟いた後で、俺の応えを待たずに阿久津は立ち上がった。

 

「そろそろ時間だ。窯の様子を見に行こうか」

「だな」

 

 窯場へ向かうが、ガス窯はこれといって問題なし。温度が低くなったら携帯に連絡してくださいと伊東先生には言われたが、相変わらずの超高温を維持している。

 ここまで順調だと窯番の必要性を疑いたくなるが、何百という作品を焼いている訳だし早々異常なんて起こるものじゃないんだろう。いや、フラグじゃなくて。

 

「さて、戻ろうか」

「おう……わとっ?」

 

 中腰から姿勢を起こし向きを変えた際に、脚がもつれバランスを崩す。

 倒れると思った身体は、角度にして60度くらいで止まった。

 

「おっと」

 

 理由は単純で、前方にいた少女が受け止めてくれたから。

 もう少し言い方を変えると、俺が阿久津を抱き締める形で支えにしてしまった。

 

「!」

「ついには足元もおぼつかなくなったのかい?」

 

 60キロ近い体重により後方へ押されかけた少女は、無事を確認する意味で手を回すなりポンポンと背中を軽く叩く。

 密着したことで感じる、柔らかい感触と心地良い香り。眠気のせいで理性が正常に働いておらず、本能のまま衝動的にギュッと抱きしめようとした。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

「っ?」

 

 ギリギリの所で湧き出る欲求の歯止めとなったのは、ポケットの中で震える携帯電話。名残惜しさを感じつつも、ゆっくりと少女から身体を離す。

 

「わ、悪い」

「大人しく眠ってくれると、ボクとしては助かるんだけれどね」

「だ、大丈夫だ! ただ躓いただけだから!」

 

 というよりも、今のハグで完全に目が覚めたから問題ない。俺にとっては眠気覚ましのドリンクなんかよりも、充分過ぎる程に刺激的な薬だった。

 

「全く、キミは手が掛かるな」

 

 そう呟いた後で、阿久津は一人先に陶芸室へと戻っていく。

 手が掛かる……か。

 きっと彼女は俺のことを、一人の異性ではなく弟みたいに見てるに違いない。そう考えると告白なんて、夢のまた夢みたいな話だった。

 しかしこんな時間にメールなんて、一体どこの常識知らずだよ。

 

『陶芸部で水無月ちゃんと一緒にお泊まりなんだって? これは恋の急接近な予感! お土産話、楽しみにしてま~す♪ PS、実家に寄生なう』

「…………」

 

 その急接近を見事に引き離された件。土産話なんて、絶対にしてやるもんか。

 誤変換のせいでニートみたいな文面になってる姉からのメールを見て、俺は深々と溜息を吐いてから阿久津の後を追うのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「…………来にゃい」

「ああ、来にゃいね」

 

 現在時刻、午前三時ちょっと過ぎ。

 最早眠気で呂律すら怪しい俺の呟きに、勉強会から数えて三本目くらいになる棒付き飴を咥えながら読書中の阿久津が合わせる形で反応してくれた。

 

「何で来にゃい?」

「伊東先生も色々と忙しいからだろう」

「いつ来る?」

「キミが眠った後じゃないかな」

「待てにゃい」

「無理して待つ必要はないけれどね」

「モウガマンデキナイ!」

 

 これが本当の深夜テンションってやつなんだろうな。

 自分自身が酒に酔った人間みたいに面倒臭いことを自覚していながら、意味不明な発言を繰り返す。こんな奴でも相手にしてくれる阿久津さん、マジ天使ですわ。

 

「はあ……仕方ないな」

 

 酔っ払いの介護が流石に疲れたのか、少女は溜息を吐いた後で立ち上がった。

 俺の方へ回り込むなり、隣へ椅子をいくつか並べる。五、六個ほど横に揃えた後で、一番は端の椅子だけ少しずらしてから少女は腰を下ろした。

 

「にゃにして……わー」

「よいしょっと」

 

 肩を掴まれたと思いきや、そのまま横へ引っ張られる。

 抵抗する力もなく重力に従い倒れていくと、頬がプニッとした感触に辿り着いた。

 

「やれやれ。キミは本当に手が掛かる」

 

 本来なら触れることすら叶わない、短めのスカートから覗かせる太腿。ニーハイソックスは履いていないが、俗に絶対領域と呼ばれている禁じられたエリア。

 膝枕ならぬ太腿枕なんて普段なら間違いなく発情レベルだが、横になれば一秒足らずで眠れるのび太君状態な今は快適としか感じない。

 優しいソフトタッチで頭を撫でられると、あっという間に眠りへ堕ちていく。

 意識が途切れる直前に聞いたのは、少女の小さな呟きだった。

 

「よしよし。良い子だアルカス……じゃない。櫻」

 

 弟どころか、ペット扱いだったんかい。



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三日目(土) 梅と桃の梅桃コントだった件

「…………ん」

 

 背中が硬い。

 寝苦しさにゴロリと寝返りを打つと、何者かの手によって元の位置へ戻された。

 

「んぅ……?」

 

 また梅の悪戯か。

 邪魔者を退けるため腕を払うと、掌が左右から温もりに包まれる。

 

「……(ふにふに)」

 

 どうやら左手が捕まったらしいが、そのままツボをマッサージされるように手の腹から指先に至るまで揉まれていった。

 流石にそこで違和感が生じ薄目を開けると、そこには冬雪が熱心に俺の手を眺めている。

 

「…………」

 

 ナンデ、冬雪ナンデ?

 夢かと思い(そう思って夢だったことはない)呆然としていると、俺の瞳が開いていることに気付いたボブカットの少女と目が合った。

 

「……おはよ」

「お、おはようございます」

「……(ふにふに)」

 

 挨拶だけしてから、また触るのかよ。

 現在位置が陶芸室であることに気付くと、少しずつ意識が覚め状況を思い出す。空いている右手でポケットを探り携帯を取り出すと、現在時刻は午前七時過ぎだった。

 

「寝てたのか」

「……熟睡してた(ふにふに)」

「阿久津は?」

「……寝てる(もみもみ)」

「先生は?」

「……来てる(ぐいーん)」

 

 完全に人の手を玩具扱いしているが、釉薬の時の仕返しだろうか。

 しかし何と言うかこう、女の子に手を揉まれるというのは妙な気分だ。あまりに興味深そうに眺めているのを見て悪戯心が芽生え、いきなり力を込め握り締めてみた。

 

「……っ?」

 

 ビクッと驚きバタバタ慌てる冬雪が、いちいち小動物みたいで可愛い。阿久津が俺をペットとして見ていたが、案外人のことを言えたもんじゃないな。

 少女の手を解放した後で、ゆっくりと身体を起こし大きく伸びをする。

 

「そういや、作品は無事に焼けたのか?」

「……火は消えてるけど冷めるまで時間が掛かるから、窯出しは休み明け」

「じゃあ今日は終わりか?」

「……ミナが起きたら解散」

「了解……ってかこの椅子、冬雪がやってくれたのか?」

「……落ちそうだった」

 

 俺の記憶では並べられた椅子は一列だった筈だが、面積を広げるため陶芸室にある半分以上の椅子が集められていた。

 阿久津の言う通り大人しく準備室へ行けば良いものを、意地を張ったせいで随分と傍迷惑をかけたらしい。一つ一つの椅子を元の位置へ戻しつつ、少女に感謝を告げる。

 

「そりゃ悪かった。サンキューな」

「……どう致しまして」

「冬雪は何時頃に起きたんだ?」

「……三時半くらい? 先生も来たから、ミナと交代した」

 

 どうやらすれ違いだったらしい。

 阿久津に太腿枕されている姿を見られたのか気になる(思い出して少し顔が熱くなった)中で、扉が開くと外から休日なのに白衣姿の伊東先生が現れた。

 

「おや、お目覚めでしたか。おはようございます米倉クン」

「おはようございます」

「お陰様で焼成は完了です。上手く色が出ていると良いですが、何はともあれお疲れ様でした。先生、ハプニングもなく無事に終わって一安心です」

「ははは……」

 

 個人的なハプニングなら、色々とあった気がする。

 いくつかは記憶から抹消したいと思いつつトイレに向かい、再び陶芸室へ戻ろうとした際、ふと準備室にいる阿久津が気になり立ち寄った。

 音を立てないようドアを開けつつ中へ入ると、気泡緩衝材という正式名称が語られることのない通称プチプチが目に入る。陶芸部なので梱包用に用意してあるが、その姿は普段決して見ることのない巨大ロールだ。

 

「…………すぅ…………」

 

 切り取られた大きなプチプチを敷き布団代わりにして、先生が用意したクッションと毛布で熟睡している少女。無防備に寝息を立てている姿は、見ていてドキッとさせられる。

 サラサラとした髪。

 艶やかな唇。

 長い付き合いである幼馴染の寝顔を充分に堪能した後で、大人しく退散しようとした。

 

「ん…………くぅ……櫻?」

「あ、悪い。起こしちゃったか」

「今、何時だい?」

「大体七時だ」

 

 時間を聞いた阿久津は目を擦ると、上半身を起こし背筋を伸ばす。寝やすいようにブレザーは脱いでおり、慎ましげな胸がブラウス越しに強調された。

 

「音穏と先生は?」

「陶芸室にいる。焼成は終わったって言ってたな」

「ボク待ちだったみたいだね。それは悪いことをした」

「しかしお前、寝起きいいな」

「そうかい? 普通だと思うけれど」

 

 寝惚けたりするレアシーンを期待したが、全然そんなことはない普通の阿久津だ。

 少女は立ち上がるとブレザーに袖を通し、寝ていた布団類を片付ける。あの太腿に頬を擦らせていたと考えるだけで、自然と鼓動が速くなっている自分がいた。

 

「キミはあまり眠らなかったのかい?」

「いや、さっき起きたところだ」

「そうか。それなら良かった」

 

 昨日のことは全て夢だったんじゃないか。

 そう思うくらいに、俺と阿久津はいつも通り話した後で陶芸室へ向かうのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 窯の火も消えたので、後処理する先生を残して俺達三人は解散。帰宅した後で梅に聞けば姉貴は出かけたそうなので、睡眠時間が不足していた俺は二度寝に入る。

 再び目を覚ますと驚きの午後六時。体内時計が狂ったのか現在時刻に驚きつつも、夕食と風呂を済ませ部屋に戻りのんびりしていると上機嫌な声が聞こえてきた。

 

「たっだいま~」

 

 どうやら姉貴が帰ってきたらしい。出迎えに行こうかと思ったがその必要もなく、階段を駆け上がる音がしたと思いきやノックもせずにドアが開けられる。

 

「櫻~っ!」

「手を洗ってうがいをしろ大学生」

 

 現れたのはボンッキュッボンスタイルの、タレ目が特徴的な姉上様。元々は梅と同じショートヘアだったが、今はパーマでもかけたのかショートウェーブになっている。

 耳にはイヤリングを付け、すっかり女子大生と化した米倉桃(よねくらもも)は、縮地ばりのステップで一気に距離を詰めると身体をツンツン突いてきた。

 

「ね~ね~、どうだったの~?」

「どうだったって、何が?」

「またまた~。水無月ちゃんとの、窯の番♪」

「別に……」

「その様子だと、やっぱり進展なしか~」

「進展も何も、そもそも窯番をしてたのは俺と阿久津の二人だけじゃないっての」

「ま~ま~怒るな若者よ。こんなこともあろうかと……カモン!」

「イエッサーッ!」

「え、何お前? スタンバってたの?」

 

 合図に合わせて梅が現れる。とりあえず掛け声はイエスマムな。

 

「梅と!」

「桃の!」

「梅桃コント~」

 

(何か始まったし)

 

「ああ阿久津……俺はお前が愛おしい。この気持ちを今日こそ打ち明けてみせる」

「櫻。いきなり呼び出して、何の話だい?」

「阿久津っ! お前が好きだっ! 付き合ってくれっ!」

「残念だけれど、それはできない」

「な、何でだっ?」

「だってボク、オカマだし」

「カマだし」

「「窯出し!」」

 

 ハイッという元気な掛け声に合わせて謎ポーズを決められた。何この安っぽいコント。

 

「とりあえず梅の阿久津は割と似てたが、俺を演じてる方は帰れ」

「イエーイ!」

「え~っ? 納得いかないから、もう一本!」

「まだあるのかよ?」

「梅と!」

「桃の!」

「梅桃コント~」

 

(ああ、そこから始めるのね)

 

「別に俺はお前がオカマでも構わないっ! 結婚してくれっ!」

「ボ、ボクが結婚……? オカマなのに?」

「嫁は嫁入り」

「婿は婿入り」

「オカマは?」

「「窯入り! ハイッ!」」

「色々と突っ込みたいが、とりあえず窯入りじゃなくて窯入れな」

「……」

「…………」

「「窯入れ! ハイッ!」」

「息ぴったりだなおいっ?」

「どうも」

「ありがとうございました~」

 

 そう言い残して部屋を出ていく二人。本当に仲の良い姉妹で何よりである。

 静かになったと部屋で溜息を吐くと、数秒も経たずに姉貴だけ戻ってきた。

 

「元気出た?」

「元気引っ込んだ」

「え~? 仕方ないな~」

 

 またコントでも始めるのかと思っていたが、姉貴は机の上に置きっ放しだった二枚の割引券を手に取るとヒラヒラさせながら笑顔を見せる。

 

「それなら明日一日は、お姉ちゃんが付き合ってあげよう」

「は?」

「映画、水無月ちゃんの代わりに行ってあげる」

 

 どうやら梅から割引券の事情は聞いていたらしいが、余っていた割引券を阿久津に渡せなかった物と勘違いしているようだ。

 本当は渡したものの誘われなかったなんて言えば更に茶化されそうだし、どうせ余った一枚に使い道もない。そして多分これ、本当は姉貴が映画見たいだけのパターンだわ。

 

「へいへい。どーもありがとうございます」

「じゃあ明日、二時からので宜しく~」

 

 用件を済ませるなり、姉貴はくるくると舞いながら部屋を出ていく。

 別にこれといった予定もないし、運が良ければ阿久津や冬雪と鉢合わせできるかもしれない。そんな僅かな希望を夢見つつ、俺は三度目の眠りについた。



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四日目(日) ミズキの苗字が衝撃だった件

 姉がどんな人かと聞かれた際、俺はよくわからない人だと答える。

 当然「兄妹なのに?」と尋ねられるが、米倉桃には掴み所がない。本人にそれを言うと、ここにあるじゃないと豊満な胸を見せつけられた。そういう意味じゃねえ。

 大して勉強もせずに頭が良く、能天気な割にお節介。別に話をしない訳でもなく、誘われればこうして映画にも行く。大抵アプローチするのが姉貴なのは言うまでもない。

 

「ユウヤ君に携帯を突けた? 牙突的な?」

「釉薬! 誰だよユウヤ君!」

 

 黒谷町から電車で五駅。地元民が映画を見るなら定番とも言えるショッピングモール内を、そんな姉貴と共に先日陶芸部で起きた一件を話しつつ歩いていた。

 

「あ~ビックリした。浸けたって、ちゃっぽんの方ね。てっきり姉さん、櫻が変なプレイ始めたのかと思っちゃった。キノコとか言ってたし、何か白いの付いてるし」

「それが釉薬だよ。阿久津が洗い流してくれたんだけど、いまいち不調で――」

「笑い流し目くれた?」

「洗い流してくれた!」

「櫻を?」

「携帯をっ!」

 

 何で俺が洗われるのか。そもそも笑い流し目って、どこに需要あるんだよ。

 

「な~んだ。てっきり藍染の時みたいに、櫻ごと染まったのかと思ったのに」

「藍染?」

「覚えてないの? 小学生の頃に遠足で、藍染のハンカチ作ったじゃない。周りは手袋持参してきたのに一人だけ素手で体験して、ゾンビみたいな手になって帰ってきたやつ」

「あー」

 

 勇敢に素手で挑むまでは皆して盛り上がってた癖に、いざ実戦した後はドン引きされたやつか。魔王を倒した勇者が迫害される気分ってのは、多分あんな感じなんだろうな。

 手の表面に付いた藍でも落とすのに二日、爪の間に至っては二週間近く掛かった気がする。最初はゾンビとかウケてた奴らも、後半は「え、まだなの?」みたいな顔してたし。

 

「ところで、その恩人ならぬ恩キノコはどうしたの?」

「あ……外して洗って、陶芸部に置いたままだ」

「ふ~ん」

 

 映画館へ到着すると、キャラメルポップコーンの甘い匂い。SFっぽい色合いの広い空間内では、家族やカップルがジグザグに列をなして受付へ並んでいる。

 日曜日ということで混んではいるものの、流石に『彼女の名は』ブームも下火になっているのか、行き交う人の会話は他の映画についての話題も聞こえてきた。

 

「櫻、ちょっと待っててくれない?」

「ん? トイレか?」

「も~、デリカシーないな~。親しき仲にも礼儀あり。わかっても、そういうことは言わないの! 待ってる間、携帯にこれでも付けてなさい」

 

 姉貴はハンドバッグに結んでいたストラップを外す。

 差し出されたのは、何やらゴチャゴチャしたパーツのついた縦笛。例えるなら縦笛EXとか、最終形態って響きが似合いそうだった。

 

「何これ?」

「管弦楽団オーケストランの苦労人、クラリネットのクラリ君」

「うわっ、懐っ! あったなそんな教育番組」

 

 随分と年代物らしく、ストラップは至る所の塗装が剥げている。デフォルメされたキャラクターの面影すらないクラリネット、しかも姉のお古を正直付けたいとは思わない。

 

「何かしら付けてないと、映画見てる最中にうっかり携帯がポケットから零れ落ちて、そのまま失くしちゃいました~ってなるでしょ?」

「どこの子供だよ」

「いいから付けること。お姉ちゃん命令です」

 

 しっかりしているようで抜けている姉はそう言い残すと、俺にクラリ君を押しつけてトイレへ去っていった。

 別にストラップにこだわりもないので、仕方なしと溜め息交じりに付けてみる。コイツも先代のキノコみたいに、何かしら俺の携帯を救ってくれると助かるんだけどな。

 暇潰しに館内を見渡してみるが、これといって知り合いは見当たらない。梅が友達と一本前の上映を見ているため、すれ違いになるかと思ったが少し遅かったか。

 

「あれ? ネックじゃない」

「?」

 

 聞き覚えのある声と、あまり聞き慣れない呼び方。振り返ればそこには一度視野に入れたにも拘わらず、存在に気付かなかった顔見知りがいた。

 一度しか会ってない相手の私服姿とか、俺なら確信が持てず絶対に声なんか掛けられない。特に全体的にフリフリした私服へ身を包み、大きな胸を強調するように腕を組んでいるムチましい眼鏡少女が相手となれば尚更だ。

 

「ひょっとして、アンタ一人?」

「い、いや違うけど……ちょっと連れを待ってて……」

「そんな顔で言葉詰まらせて否定されると、何か嘘っぽいわね…………マジでぼっち?」

「突然声掛けられて、驚いただけだっての。一人じゃねえよ」

「怪しい」

「へいへい。じゃあ一人でいいよもう」

「それはそれで怪しい」

 

 じゃあどう答えりゃいいんだよ。

 まあ口籠った理由の一つには、待ち人が姉貴ってこともある。高校一年にもなって姉と二人で映画というのは、下手したらシスコンと勘違いされてもおかしくない。

 

「そういうお前はどうなんだ?」

「アタシ? アンタと違って、ちゃんとVIPな親友の付き添いがいるわよ」

「はあ?」

「じゃーん! これ、何だと思う?」

 

 ミキプルーンの苗木……とか適当に答えてやろうと思ったが、少女が薄紫色をした長財布から取り出した紙切れを見て目を丸くする。

 それは紛れもなく、俺が梅から貰った物と同じ割引券だった。

 

「ふっふっふ。刮目しなさい一般ピープル」

「……(ガサゴソ)」 ← ポケットから同じ割引券を取り出す。

 

「…………」

 

「………………」

 

「えぇぇぇえぇぇっ?」

 

「声がでかいっ! そして顔が近いっ!」

 

 いきなり大声を上げられ、一気に距離を詰められた。

 周囲から視線が集まってしまったので、何でもありませんと慌てて会釈する。

 

「な、何でアンタがそれ持ってんのよっ?」

「だから声が近いっ! そして顔がでかいっ!」

「だっ、誰の顔がでかいですってっ?」

 

 うっかり言い間違えた。でかいのは胸だから安心しろ。

 闘牛の如く興奮している少女へ、手にしていた割引券を渡して黙らせる。マタドールの如く挑発してやろうと思ったが、流石に人目をこれ以上集めるのは勘弁願いたい。

 しかし同じ物を持っていたとなると、コイツのいうVIPな親友とやらも株主関係者。梅に渡した後輩の父親とは別人だろうが、割引券だけに割と流通してるってか?

 

「本物みたいね」

「どこの鑑定士だお前は。偽物だったら捕まるっての」

「一体どこで手に入れたのか「お待たせ櫻~……あら?」説明しな…………」

 

 面倒臭いタイミングで、厄介な人が戻ってきた。

 二人は視線を合わせた後で、錆ついたロボットみたいにゆっくり首を動かすなり冷たい目で俺を睨む。とりあえずこっち見んな。

 

「「ひょっとして浮気?」」

「いやアンタら彼女でも何でもないだろ」

 

 どういう結論に辿り着いたら、彼女のいない俺に対してその台詞をハモるのか。浮気どころか気が重くなっていると、姉貴の後ろに重なっていた人影に気付く。

 

「やっぱり、米倉君も来てたんだ」

「っ?」

 

 ひょっこり姿を表したのは、ワンピースの上からカーディガンを纏った少女。清楚な雰囲気を感じさせる夢野蕾が、笑顔を見せながら小さく手を振ってきた。

 

「大変よユメノン! コイツってば、ろくでもない女ったらしだってば」

 

 そういうお前は、どこの火影だってばよ。

 興奮が収まらない友人を前に、笑顔の少女はピンと伸ばした人差し指を顔の前に出す。

 

「しーっ。落ち着いてミズキ。他のお客さんに迷惑だよ」

「ゴ、ゴメン……でも……」

「大丈夫大丈夫」

 

 まるで子供に接するような、優しいなだめ方。向こうの闘牛は落ち着いたようだが、こちらの桃牛はどうしたものか。

 

「…………」

「ん? どうしたんだよ姉貴」

「う~ん、何のコントしよっかな~って」

 

 あー、発想が斜め上すぎて無理だこれ。

 いっそひと思いにこの場から逃げてしまおうか悩んでいると、姉貴と呼んだのが向こうに聞こえてしまったらしく約一名が機敏に反応した。

 

「姉ぇっ?」

「「しーっ」」

 

 慌てて両手で自分の口を塞ぐ少女。そのまま暫くお口チャックな。

 とりあえずこの場は、双方を知ってる俺が紹介すべきだろう。そう言いたげな姉貴から肘で小突かれたので、コホンと偉そうに咳払いをする。

 

「頼れる姉の桃で~す♪」

「自分で言うのかよっ!」

「ハイッ!」

「誰がするかっ!」

 

 しまった、乗せられた。

 梅とやってた謎ポーズを公衆の面前で堂々とする姉に対し、同級生の二人はキョトンとした様子。そりゃ友人が姉といきなりコント始めたら、普通はこうなるよな。

 

「くすっ」

 

 あ、でも何かウケてる。

 微妙な空気にならなかったことにホッとする中、再び姉貴に肘で小突かれた。

 

「櫻がポーズ取ったら、二人とも笑わせられたって。次はやってよ?」

 

 いやいや、俺のせいじゃないし。

 そもそも両手で口を塞いでる奴を、一体どうやって笑わせるつもりだよ姉上様。

 

「とりあえず、紹介していいのか?」

「うんうん。彼女達は? 彼女の名は?」

「別に上手いこと言ってないから。いやドヤ顔とかしなくていいから。二人は同じ屋代に通ってる同級生で、ポニーテールの方が夢野蕾さん」

「初めまして。米倉君には、色々とお世話になってます」

「いえいえこちらこそ~、ウチの出来損ないがお世話になってます~」

「どこのオバちゃんだ。んでこっちが…………誰だ?」

「ちょっ――――」

「「「しーっ」」」

 

 ついには姉貴まで乗ってきちゃったよ。

 別にボケるつもりはなかったが、少女は眉間に皺を寄せつつ静かに口を開く。

 

「……………アンタ、良い度胸してるわね……」

「いや真面目に、お前の名前聞いてないぞ? 陶芸部の奴らも知らん」

「そう言えば私も紹介し忘れてたけど……ミズキ、言ってなかったの?」

「言われてみれば……まあ良いわ。火水木天海(ひみずきあまみ)よ」

「ヒミズキ……?」

「そ。火曜水曜木曜で火水木、天と海で天海ね」

「ちょ、ちょっと待て」

 

 ミズキって、名前じゃなかったのかよ。

 しかし問題はそれ以上に、随分と身近で聞き覚えのある苗字の方だった。

 

「…………まさかお前、兄貴いたりする?」

「いるわよ? そうそう、火水木明釷の双子の妹だけど、言ってなかったっけ?」

 

 彼女の名は。

 今の俺にとって、火水木天海以上にこの映画へ相応しい名前はない気がした。



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四日目(日) 俺の記憶が聴覚優位だった件

「はあ……少しは落ち着いた?」

 

 ショッピングモール内の喫茶店で、火水木が溜息を吐きながら呟いた。まさか同級生が映画を見てボロボロに泣くなんて、彼女も想像がつかなかったのだろう。

 正直言って俺もこんなことになるとは予想だにしなかった。いくら感動物といっても、涙を流すのは少し感受性が高すぎると思う。

 

「ズズッ……ああ、悪い」

「米倉君って、涙腺弱いんだね」

 

 …………泣いてたの、俺なんだけどさ。

 感動超大作とか盛り過ぎだろと思っていたが、いざ見たら滅茶苦茶ヤバイ。主人公が記憶喪失になった場面であまりの切なさにウルウルしてから、彼女の真名を思い出した後に二人が幸せなキスをするラストまで涙と鼻水が垂れ流しで止まらなかった。

 

「姉さんは面白かったけどな~」

「何であれを見て楽しめるんだよ……」

「泣いてる櫻が面白かった♪」

「映画見ろよっ! あれ見たら普通は感動して泣くだろっ?」

「そう言われても……ねえ?」

 

 姉貴が笑顔で二人と顔を見合わせる。泣いている客は女性を中心に沢山いたのに、目の前の少女達は誰一人として泣いた痕跡すらない。

 

「確かに感動したんだけど……その……」

「知り合いが鼻水啜って涙流してたらねえ……しかも男」

「泣いてる櫻で爆笑だった♪」

「悪かったなっ!」

 

 こうなるとわかってたら、隣でなんて絶対に見なかったぞ畜生。

 火水木がガラオタの妹という衝撃的事実を知った後、偶然にも並んで空いている四席があったため、姉貴の提案により俺達四人は一緒に映画を見ることにした。

 そしてその結果として今に至る。高校生にもなって同級生に泣き顔を見られたというのは中々に恥ずかしく、思い返すだけで声が出そうな黒歴史レベルだ。

 

「葵君に、後でお礼言わなくちゃ」

「あ、アタシの分も宜しく伝えといて」

 

 列に並んでいた時は同じことを考えていたが、今は全くの逆である。恨むぜ葵。

 実は二人が持っていた割引券は、元々は俺が葵に渡した二枚とのこと。彼女……じゃなくて彼は、受け取った二枚のチケットを夢野蕾に提供したらしい。

 

「葵が布教するのも納得の名作だったな」

「アンタ、ひょっとして鈍い?」

「ん? どういう意味だよ?」

「別にー」

 

 何やら含みのある言い方だが、まさか葵が俺と夢野蕾を引き合わせるために割引券を渡した……もしくは夢野蕾が俺と行きたいがために、葵からチケットを貰ったのか?

 いやいや、残念ながらその線はないだろう。現に彼女は俺じゃなく火水木を誘っている訳だし、こうして鉢合わせしたのは偶然に過ぎない。いくら何でも自意識過剰か。

 

「そういえば桃さんって、どういった大学に通われているんですか?」

 

 話を逸らそうとしてか、はたまた重くなりかけた空気を変えるためか、音楽部の少女は紅茶の入ったティーカップを置いてから姉貴に話題を振った。

 

「うちは医大だよ~」

「偉大?」

 

 確かにそっちの意味でも偉大ではあるが、そうじゃない。

 首を傾げる火水木だが尋ねた本人はちゃんと理解しているようなので、これといった突っ込みは入れずに黙ってパンケーキを食べる。うん、生クリームが美味い。

 

「凄い! お医者さんになるんですか?」

「えっ? 医大ってそっちっ? メッチャ頭良くないと駄目なやつじゃん!」

「あ~、医者とか無理無理。目指せフリーター♪」

 

 いや入学半年で諦めるなよ。

 話しているうちに人柄をわかってきたのか、二人も冗談と受け取っている。まあ仮に本気だったとしても、要領が良い姉貴なら何を始めても生きていけそうだ。

 

「でも医大って、ここからじゃ遠くありません?」

「そ~なの! 毎日電車で一時間! 立ちっぱの中、何度挑戦しても千切れない吊革! そんな地獄から解放されるために、少し前から一人暮らしを始めました~」

 

 変なことを何度も挑戦しないでほしい。確かあれ380キロまで支えられるって、昔テレビでやってた気がするし。

 

「いいなー一人暮らし。そういえばお姉さんって、今何歳なんですか?」

「ふっふっふ~。何歳に見える? ヒントは希ガス!」

「じゃあ二十歳な希ガスっ!」

「外れ~」

「いやヒントの希ガスって、そういう使い方しろって意味じゃないからな?」

「冗談よ。アタシはちゃんと答えわかったし」

「ではでは、解答権が蕾ちゃんに移りま~す。第二ヒントはタロットの大アルカナで月!」

「余計にわかるかっ!」

「えっと……十九歳ですか?」

「ん~~~残念っ! 答えは~櫻っ?」

「三歳」

「正解っ!」

「うぉいっ?」

 

 自分で言っておきながら、まさかそう返されるとは思わなかった。いっそ三十路とか、地味に嫌がりそうな年齢を答えるべきだったな。

 

「本当の正解は十八歳の大学の一年な」

「そして現在は免許取得中で~す」

「え? それは初耳なんだが」

「イエ~イ、ブイブイ! 車の方もブイブイ言わせてるよん」

「教習所って、どういったことをするんですか?」

「あ、アタシも聞きたい聞きたい!」

「それじゃあ桃姉さんがウィンカーと間違えて、ワイパーを動かしちゃった話からね」

「何でそこからっ?」

「大変だったのよ~? 慌ててたらウォッシャーまで出ちゃって、晴天なのにワイパーフル稼働! 教官に注意されちゃったから、前は外車に乗ってたんですって嘘吐いちゃった」

「いやバレてるからっ! 今が教習中だからっ!」

 

 こうして免許に始まり大学や一人暮らしについて等、二人が興味を示す話題は続いた。

 ひと月ぶりに会った俺も知らない話が多く、時には実家での話をネタにされたりもしたが、いずれにしても弟としては姉貴が元気にやっているようで何よりである。

 

「今日はどうもありがとうございました」

「ネックもこんな面白いお姉さんがいるなら、最初から言ってよね。まあ月曜から陶芸部でお世話になるし、許してあげるけど」

「いやいや、お前とは一昨日が初対面だから。会っていきなり姉の話とか怖すぎだから。そして今何かさらっと爆弾発言しやがったコイツ」

「免許取ったら、皆でどっか行こうね~。チョメチョメD的なテクを見せてあげる♪」

 

 その実験台になるの、多分俺と梅なんだよなあ。

 赤かった俺の目元が戻った頃(細かくトイレで確認してたら、頻尿とか言われたけど)ひとしきり話も落ち着いたので喫茶店を後にし、俺達は二人と別れを告げた。

 

「さて、帰るか」

「苦しゅうない。本当はカラオケでも寄ろうと思ってたけど、余は満足じゃ」

「誰の真似だよ」

「卑弥呼(CV若本)」

「どんなイメージなのそれっ?」

「まあ帰るって言っても、櫻とは駅までだけどね~」

「ん? 実家には寄らないのか?」

「お父さんにもお母さんにも梅にも、土産話は昨日散々話したからね。戻ってもコントくらいしかすることないし、このまま帰る方が電車的にも楽かな~って」

「コント以外にやることあるだろ」

「でも今日は失敗だったな~。まさか櫻のお友達に会うなんて、緊張したせいであんまりネタが披露できなかったクラ」

「あれで……? 一応聞くが、どんなネタがあったんだ?」

「例えば醤油差しを鼻――――」

「マジで止めてくださいお願いしますマジで」

 

 行ったのが醤油差しも冷凍ケースもない喫茶店で本当に良かった。

 姉が帰ると聞きポケットから携帯を取り出すと、借りていたストラップを外そうとする。

 

「ちょちょいちょい! 返さなくていいクラよ~」

「いや部室でキノコが待ってるし……ってかその突然始めた語尾は何なんだよ?」

「勿論クラリ君の真似。櫻が持ってる方がクラ……らああああっ?」

「うおっ? 突然大声出して何だよっ? 映画館にスマホでも忘れたのか?」

「違う違う! 思い出したのっ!」

「思い出したって、何を?」

「何って、つっちーを!」

「ツッチー? クラリ君の友達か?」

「そうじゃなくて! ほら、そろばん教室で一緒だった!」

「少し深呼吸でもして落ち着けって。何言ってるのかさっぱりだ」

「ヒッヒッフー。ヒッヒッフー」

「それ深呼吸じゃなくてラマーズ法だからな?」

「さっきの子! 夢野さんよ!」

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

「ひょっとして櫻、覚えてないの?」

「ちょ、ちょっと待てよっ! 姉貴、彼女を知ってるのかっ?」

「知ってるも何も、そろばん教室で一緒だったじゃない」

「そろばん教室って……俺がすぐ辞めたあれか?」

「あ~、そう言えばそうだったっけ。そのクラリ君、彼女から貰ったのよ」

「えっ?」

「最初に会った時から、どこかで見覚えがある顔だな~って思ってたけど……うん! 左手の小指にホクロもあったし、絶対に間違いない!」

 

 人は目で記憶するタイプと、耳で記憶するタイプに分かれると聞いたことがある。

 恐らく姉貴は視覚優位に違いない。対して小指にあったホクロの存在なんて認識すらせず、今日の火水木を見ても気付けずに声で反応した俺は間違いなく聴覚優位だろう。

 そして声というものは、男女共に変声期が訪れる。

 だから気付けない。

 

『そういえば桃さんって、どういった大学に通われているんですか?』

 

 夢野蕾…………旧姓、土浦蕾。

 今思えば何故彼女は初対面である筈の姉貴を見て、大学生と気付くことができたのか。外見から判断したのかもしれないが、高二や高三でも充分にあり得る話だ。

 300円の鍵となりそうな情報を前に、俺はクラリ君のストラップを強く握り締めた。



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五日目(月) きれいな青が表現し難い色だった件

 昔から算数は得意だった。

 掛け算九九は誰よりも早く言えるようになったし、計算ドリルに至っては解き過ぎたせいで、最後のページにあるシールを貼る場所が蟻の行列みたいになっていたくらいだ。

 そんな俺がそろばん教室に顔を出したのは小学二年生の時。小三でそろばんの授業を受けた姉貴が習い事として始め、二年が過ぎた頃だったという。

 前々からそろばんという道具には興味があったものの、それは玩具感覚で見ていたからに過ぎない。特にあの何とも言えない乾いた音が大好きだった。

 

『も~大変だったわよ? 先生の言うこと聞かずに暗算したり、そろばんで演奏始めたり』

 

 そんな理由で始めた習い事が、当然長続きする訳もない。アラレちゃんばりにヤンチャ

な俺(姉貴の冗談かと思ったがマジらしい)は、しょっちゅう先生に怒られたそうだ。

 結局続けたのは一ヶ月だけ。

 当時流行していた管弦楽団オーケストランの仲良し二人組、クラリネットのクラリ君にトランペットのトランちゃん。通称クラトラにあやかりクラクラというあだ名を付けられていた少年は、スタッカートの付いた音みたいに一瞬で消えていった。

 土浦蕾から米倉桃へと、小さな木管楽器のストラップが手渡された事実も知らないまま……。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ただいまより、裁判を始める」

「えっ? ど、どうしたの櫻君?」

「静粛に。傍聴人よ、私のことは裁判官と呼びなさい」

「はいはい、ワロスワロス」

「では被告人、火水木明釷。前へ」

「椅子に座ってる上に、これ以上前に進んだら裁判長の机にめり込むんですがそれは」

 

 テスト期間も完全に終わり、今日から通常授業が始まる。

 そんなホームルーム前にも拘わらず、顔を合わせている男が三人。正確には俺とアキトは席が前後のため、相生を呼び寄せたという方が正しいか。

 

「えっと……アキト君、何かしたの?」

「静粛に。被告人、火水木明釷は実の妹が双子かつ屋代に通っていたことを、米倉櫻及び陶芸部の面々に隠していた罪が問われておる」

「さいですか」

「そ、それって、火水木さんのこと?」

「む……? 音楽部では紹介してたの……しておったのか? 傍聴人よ」

「う、うん」

「傍聴人に証言してもらう裁判官乙。そもそもロリこそ妹の真髄。無駄に発育が良い双子の妹なぞシャリの無い寿司同然、拙者的にはノーカン&アウトオブ眼中ですしおすし」

「その寿司じゃない存在を、刺身と呼ばなかったことが問題なのだ。ではこれより弁護人による弁護タイムに入る」

「さ、裁判って最初は証人の証言を聞いて、その後で弁護人の尋問って流れじゃなかった?」

「…………静粛に。今から弁護人を呼んでくる」

「寧ろ今まで弁護士不在だったとかヒドス」

 

 仕方ないだろ、公民とか苦手だったんだから。

 一旦席を立つと、苗字は近いが席は前列の少女に声を掛ける。

 

「冬雪、ちょっといいか?」

「……何?」

 

 後ろからでは気付かなかったが、どうやら英語の予習をしていたらしい。

 そういえば今日は冬雪が指される番だったっけ。こちらの茶番に付き合わせて邪魔するのも悪いので、早々に切り上げるとしよう。

 

「陶芸部に新入部員が入ったら嬉しいか?」

「……勿論」

「よしわかった」

「……入るの?」

 

 凄ぇ、眠そうな目なのに光ってる。椎茸みたいになってる。

 尻尾とかあったら物凄い勢いで振っていそうな少女へ、意味深な笑みを浮かべた。

 

「それは今日の放課後をお楽しみに」

「……不気味」

「悪かったな!」

 

 用件は済んだので再び法廷へ戻る。裁判中なのにスマホを弄っている被告人とか、もし裁判長が持ってるハンマーみたいなやつがあったらスイングしてるところだぜ。

 

「では判決を下す」

「えぇっ? 弁護人の弁護はっ?」

「忙しそうだったから聞いてきた」

「ブッフォ! 最早突っ込んだら負けだと……ブフッ!」

「やっぱ許せんっ! お前には、あの裁判長専用の木槌が必要だっ!」

「お、落ち着いて櫻……じゃなくて裁判長! あれは被告人を殴るための道具じゃないし、そもそも日本じゃ使われてないよ!」

「何だとっ? じゃあ誰を殴る道具なんだっ?」

「な、殴っちゃ駄目だからっ! 裁判長が暴行罪で捕まっちゃうから!」

「ちなみに正式名称はジャッジ・ガベルだってお。密林でのお値段、7680円なり」

 

 ちょっと買うには金銭的に厳しいな。

 まあ過程はどうあれ新入部員が入った訳だし、冬雪も喜んでいるので許すとしよう。

 

「被告人、火水木明釷…………無罪!」

「よ、良かったねアキト君」

「当然の結果ですが何か」

「では続いての裁判に入る。被告人、相生葵。前へ」

「ぼ、僕っ?」

「相生氏、何したん?」

「静粛に。被告人、相生葵は米倉櫻がプレゼントした『彼女の名は』の割引券を、同じ部活の少女に手渡した罪が問われておる」

「えっと、た、確かに渡したけど……」

「待った!」

 

 キーボードを高速タイプしたガラオタが、眼鏡をクイっと上げる。

 

「相生氏が持っていた割引券は、既に米倉氏より譲渡された物。その場合は刑法第2編第39章『盗品等に関する罪』に規定されている『盗品等関与罪』は適用外だお!」

「だが問題はその後、米倉櫻の精神的苦痛が」

「異議あり! 精神的苦痛というと刑法第2編第27章、傷害の罪において――――」

「ええいっ! 黙れぃっ! ノートパソコンとスマホをフル活用して、それっぽい法律ばっかり調べてくる悪徳弁護士め! とにかく有罪じゃあ! 者共、であえであえーっ!」

「ええぇっ? 時代劇になってるよっ?」

 

 こうして裁判は閉廷した。今度はもう少し勉強してから開廷しようと思う。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……ヨネ、暇?」

「ん? まあ暇っちゃ暇だな」

 

 昼休みになり昼食を食べ終えた後、珍しく冬雪から話しかけられた。教室ではあまり関わりも少ないので、何とも言えない違和感を覚える。

 

「もしや米倉氏にデートのお誘いキタコレ?」

「……違う。窯、見に行く?」

「あー、そういや焼き終わったんだっけか。うっし、行こう」

「陶芸厨乙」

 

 つまらなそうに呟いたアキトを置き去りに昇降口へ。中庭にてベンチでイチャつくカップルを妬ましく思いつつ、冬雪と共に芸術棟へと向かうと入口で阿久津と出くわした。

 

「よう」

「やあ。考えることはお互い同じみたいだね」

「……気になる」

 

 ぶっちゃけ俺はすっかり忘れてたんだけどな。

 しかしこうして思い出してみれば、あれだけ時間を尽くした綺麗な青が気掛かりではある。無人の陶芸室を抜けて窯場へ足を踏み入れると、ガス窯は開かれ空っぽだった。

 

「伊東先生が窯出し済みかな?」

「……あった」

「おお!」

 

 冬雪が指差した先を見て、思わず声を上げてしまう。

 何故ならそこには店頭で並んでいてもおかしくない皿や湯呑、普段から見ている食器と化した色鮮やかな作品達が、ずらりと置かれていたのだから。

 

「うん、割と上手く出来たね」

「……でもこれは失敗」

「ん?」

 

 どれどれと覗いてみると、垂らした釉薬が外部を伝って底で固まったらしく、高台に薄い塊が付いてしまっている。こうパキッと簡単に折れそうなんだけどな。

 他にも釉薬が厚過ぎてヒビみたいな模様が入ってしまった作品や、思うような色が出なかった物など、十個に一つくらいの割合で失敗はあるようだった。

 そんな中で俺は、一つの湯呑を手に取ると静かに笑う。

 

「ふ……ふふふ…………」

「どうしたんだい?」

「二人とも見るがいいっ! これが俺の集大成、綺麗な青だっ!」

 

 それはそれは鮮やかな青色の湯呑を、印籠の如く掲げてみせた。想像していた色はもっと水色っぽい感じだったが、これはこれで綺麗なので良しとしよう。

 

「……それはトルコ青」

「え……?」

「音穏の言う通り、それは違うね。キミが大量生産した割に、数が少ないだろう?」

「確かに言われてみれば……じゃあ俺の綺麗な青は……?」

「多分これじゃないかい?」

 

 阿久津が一枚の皿を手に取る。

 それを見た俺は、二度ほど目を擦った後で口を開いた。

 

「い……いやいや、まさかそんな訳ないだろ」

「キミは自分が釉掛けした作品を覚えてないのかい?」

 

 正直言って、あんまり覚えてない。

 しかし大量に鎮座している食器達の大半が同じ色に染まっていることから、目の前の皿が丹精込めて溶かし上げた綺麗な青なのは明白だった。

 

「ほ、ほほう。そうかそうか。これはまた味わい深くて、表現し難い色だなー」

「……灰色」

「どう見てもグレーだね」

「違う! これは綺麗な青だっ!」

「……どう見ても青じゃない」

「仮に百人に聞いても、全員が灰色と答えるかな」

「青なんだあおおおおぉっ!」

 

 数分後、俺は黙って釉薬の名前を書き換えておいた。次に誰かが同じ過ちを犯さないように『きれいな青』から『物凄い灰色』へと。



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五日目(月) 火水木天海が音楽家だった件

「――――って訳で改めてユッキーもツッキーも、陶芸部を大いに盛り上げるための火水木天海をどうぞ宜しく!」

「……こちらこそ」

「宜しく頼むよ天海君」

 

 適当な自己紹介を終え、昨日の宣言通り火水木が陶芸部へと入部した。部員が四人になることは歓迎だが、一対三という男女比率は立ち位置の危険を感じさせられる。

 

「……じゃあマミも、レッツ陶芸」

「オッス! オナシャス部長!」

 

 新入部員ができてウキウキな冬雪が粘土の塊を準備。人に見られるのが苦手な阿久津&教える域に達してない俺は特に手伝いもせず、読書に傍観といつも通りの部活動だ。

 

「まず荒練り」

「オッスオッス!」

 

 双子の妹だけあって、発言の所々にガラオタな兄の影響を感じる。

 随分と威勢の良い返事をしているが、順調なのは荒練りまでだ。菊練り入門の厳しさを味わうがいい。

 

 

 

 ―― 三十分後 ――

 

 

 

「……マミ、筋が良い」

「マジっ?」

「……マジ」

 

 何ということでしょう。

 そこには匠に褒められている新入部員の姿が。予想通り菊練りという初見殺しには苦戦していたものの、電動ろくろによる成形は割と上手にできているではありませんか。

 

「アイツ、器用だな」

「キミが不器用なだけじゃないかい?」

「勘違いするな阿久津。俺はまだ本気を出してないだけだ」

「強がりを言う暇があるなら、一緒に練習するべきだと思うけれどね」

「…………(携帯のマナーモード解除)」

 

『ターン! オッ、オーッ? タッ! クローズ! オーッ?』

 

「っ! げほっ! えほっ!」

 

 ガラケーのなきごえ。こうかはばつぐんだ。

 耳が痛くなった時に使えるなと思いつつ、貴重な阿久津の笑う姿を充分に堪能する。

 

「まあ、後輩ができる来年の四月までには上達するさ」

「だそうだよ音穏」

「……録音してなかった」

 

 あれ、ちょっと信用されなさすぎじゃね俺?

 少なくとも、今日は陶芸をする気にはならない。そういえばキノコを放置したままだったと思い出し、干してある窯場へと気分転換がてら回収に向かった。

 

「…………ふぅ」

 

 火の点いていない静かなガス窯の前で小さく溜息を吐く。悩みの種は言わずもがなだ。

 姉貴に聞いた話から察すると、恐らく300円とはこのストラップのことに間違いない。

 記憶には残ってないがそれが事実だとすると、気になるのは渡した相手が俺じゃなく姉貴だった件。可能性として考えられるのは、既に俺が辞めていて渡せなかった……とか?

 

「へー。ここが窯場なんだ」

「!」

 

 エプロンに粘土を付けたままの火水木が、興味津々に辺りを見回しながら現れる。同じエプロン姿でも胸の大きい女子が付けると、何かこう……違った良さがあるな。

 

「よう、お疲れさん」

「片付けがまだだけどね。ネックは何してんの?」

「忘れ物の回収」

「何でストラップなんて忘れるのよ?」

「色々あったんだから仕方ないだろ。それよりお前、映画見て俺が泣いたことは二人に絶対言うなよ?」

「えー、どうしよっかなー? 頼むなら頼み方ってものがあるんじゃない?」

「マジで勘弁してくださいお願いします。何でもしますから」

「ん? 今何でもって言ったよね?」

 

 それ絶対に言うと思ったわ。

 小悪魔めいた笑みを浮かべる火水木。これがあのガラオタだったら、間違いなく拳を握り締めていたと思う。

 

「そういうお前だって、一回目にアキトと見た時は泣いてたんじゃないのか?」

「な、泣いてないわよっ! ってかアンタこそ、それユメノンに言わないでよねっ!」

「は? 何を?」

「アタシがあの映画、実は二回目だったってこと! ユメノン、知らないんだから」

 

 確かに既に一度見たと言ったら、普通は誘われないもんな。

 嘘を吐いてまでコイツが映画を見に行った理由は、相生同様に『彼女の名は』が好きだったからか、はたまた別の理由なのかは聞かないでおこう。

 

「じゃあお互い内緒ってことで」

「そうね。ところでそっちのストラップ、もしかしてクラリ君じゃない?」

「知ってるのか?」

「だってアタシ、オーケストランが好きで吹奏やってたし」

「ん? お前吹奏楽部だったのか?」

「中学時代はね。こう見えて、割と楽器とか得意なんだから」

「ふーん……」

「アンタ、絶対信じてないでしょ? ちょっとそこで待ってなさい」

 

 中々に鋭い火水木は、そう言い残すなり駆け足で窯場を去っていく。やたらと絡んでくる面倒な新入部員の扱いに悩んでいると、一分もしないうちに小さなオカリナを手にした少女が戻ってきた。

 

「何でそんなの持ってるんだよ?」

「ずっと昔に兄貴から貰ったプレゼントなんだけど、色々便利だから持ち歩いてるの」

 

 何だかんだ言って、あのロリコンも妹に溺愛だったんじゃねーか。

 息を整えた後で、火水木がオカリナに唇を当てた。

 

「――――」

 

 静かな窯場にオカリナが響く。

 静かな入りから奏でられる旋律。その響きは例えるなら故郷を思わせるような感覚で、どこか儚く寂しげだが心を落ち着かせる音色だった。

 時々小さな息継ぎが聞こえる中、幻想へ魅入られ更なる深みを味わうために瞼を閉じる。

 気付けば火水木が一曲吹き終わり、自然と拍手をしている自分がいた。

 

「凄いな……知らない曲なのに、何て言うか物凄く胸に響いたよ」

「少しは見直した? 言っておくけどオカリナだけじゃなくて、ピアノは勿論ヴァイオリンだっていけるんだから。吹部の時はフルートだったし」

「そんなにできるなら、何で吹奏楽を続けなかったんだ?」

「屋代の吹部ってスパルタじゃない? アタシ、堅苦しいのは嫌なの。だから緩そうなパソコン部に入ったんだけど、何かオタサーの姫扱いされて面倒臭くて」

 

 それで辞めようとしたから、あの日アキトがパソコン部に呼ばれてたって訳か。

 これだけの演奏ができるなら、音楽部へ見学に行ったのも納得がいく。音楽が好きな癖にリコーダーしか吹けない俺からすれば、火水木の演奏能力は正直羨ましかった。

 

「なあ、他にも色々聴かせてくれよ」

「別にいいけどその前に一つ、ネックに聞いておきたいことがあるのよね」

「ん? 何だ?」

「単刀直入に聞くけど、アンタってユメノンのこと避けてない?」

「べ、別に避けてなんかないっての!」

「ツンデレみたいな反応とかいいから、正直に答えなさい」

 

 真剣な目をしている火水木だが、仮に俺が避けているとしたらそれは完全に無意識だ。

 どう答えるべきか少し考えた後で、胸に溜まっていた空気を吐き出してから口を開く。

 

「嘘は吐いてない。ただ、ちょっと接し方に困ってるところはあるな」

「何でよ? アタシみたいに、普通に話せばいいじゃん」

「そう簡単にはいかない事情が色々とあるんだよ」

「ふーん…………そっか」

 

 てっきり掘り下げてくるかと思いきや、火水木は納得したらしく妙な笑顔を見せた。

 

「そういうことなら、その色々な事情とやらをさっさと片付けなさいよ」

「ああ。ちょっとした用事もできたし、明日には俺の方から会いに行くさ」

「宜しい! ではもう一曲吹いてしんぜよう!」

「あ、ちょい待った。どうせなら阿久津達にも聞かせたいから、向こうで頼めるか?」

「ほいほいっと」

 

 Uターンする火水木と共に、静かな窯場を後にする。傍から見ていた彼女が避けていると思ったなら、恐らく本人はそれ以上に感じていたのかもしれない。

 幼稚園時代の仲良しを忘れていた小学二年生の俺の分と合わせて、彼女には明日謝りに行こう。300円の答えでもある、とっておきのプレゼントを用意して。



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六日目(火) 店長がノブオだった件

「はよざ~っす……ヴェエエエッ? お兄ちゃんが起きてるっ?」

「朝からなんちゅう声出してるんだお前は」

 

 リビングにいた俺を見るなり、妹がリアクションの手本みたいな反応を見せる。まだ髪がアホみたいに跳ねてる寝起きだというのに、テンション高いなコイツは。

 

「起きたっ! お兄ちゃんが起っきしたっ!」

「誤解を招く表現を止めい! それっぽい声真似までしてクララが立った風に言ってるけど、実はその台詞を言ったのハイジじゃなくてペーターだからな」

「出ました、久々のお兄ちゃんトリビア! 3へぇです」

「採点機能が追加されたか。じゃあ300円くれ」

「間違えました0へぇです。今月の携帯料金がピンチです!」

 

 現金な我が妹よ、その気持ちは痛いほどわかるぞ。

 紅茶を飲みながらパソコンを弄るという、まるでアキトの日常生活みたいな朝。勿論これには理由があり、俺は苦悩している真っ最中だった。

 

「はれ? お父さんは?」

「ついさっき慌てて出てった。何かやり忘れてた仕事を思い出したんだと」

「ふ~ん」

 

 ちなみに母は夜勤なので、帰ってくるのは俺達が家を出た後。朝食は我らが父上力作の、御飯に味噌汁&目玉焼きとシンプルイズベストなメニューになっている。

 梅が着替えたら一緒に食べるつもりだったが、パジャマ姿の妹は後ろから抱きついてくるなり、頬をくっつけるようにしてパソコンの画面を覗いてきた。

 

「そいでそいで、お兄ちゃんは朝早くから何してんの?」

「探し物」

「まさかエッチなサイトっ?」

「そうだな。梅も勉強がてらAVの一つでも見るか?」

 

 デスクトップにある櫻フォルダ開くと、中にあるAVの文字をダブルクリック。いくつかあるショートカットの中から、適当に一つ選んで動画を再生させた。

 

 

 

『ニャー』

 

 

 

「え……お兄ちゃんってケモナー?」

「そこはAVってアニマルビデオか~的な流れだろっ?」

 

 ダミー用の猫動画をまじまじと眺める梅。ちなみに本命はと言えばCドライブの中、適当にプログラムっぽい名前を付けたフォルダの中と完璧な隠し場所である。

 

「ねえねえ、この子ミナちゃんのアルカスに似てない?」

「いや、アイツはもっとブサイクだろ」

「いやいや、お兄ちゃんに言われる筋合いはないと思うよ?」

 

 それって俺が猫以下ってことか?

 決して気に障ったからではなく、本来の目的を思い出したので動画を閉じる。口を尖らせた梅からブーブー言われたが、今はこうして遊んでる場合じゃない。

 

「はあ、参ったな」

「何が?」

「探し物が見つからん」

 

 元々は軽く調べてから店へ買いに行くつもりだった。

 しかし該当のストラップは見つからず。通販やオークションを中心に探してみても、トランちゃんどころかオーケストランの誰一人として売られていない。

 まあ落ち着いて考えてみれば当たり前のこと。十年近く前にやっていた教育番組のキャラクターのグッズなんて、いくらそこそこ人気があっても今じゃ需要は0だ。

 

「何探してるの?」

「オーケストランのトランちゃん、知ってるか?」

「知らない」

「だよな」

 

 俺ら世代ならまだしも、二つ下の梅は流石に覚えてないだろう。

 こうなったらストラップは諦めて、他のトランちゃんグッズで代用するしかないか。

 

「ほれ、さっさと用意しないとまた朝連に遅れるぞ」

「しまったっ! 音速ダァッシュ!」

 

 相変わらず音速には全然届いてない。まず風速くらいから始めような。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「おっす」

「おいっす米倉氏」

「今日は一番かと思ったんだけどな。お前は一体何時に登校してるんだよ?」

「二位じゃダメなんでしょうか?」

「いや別に競ってないし、登校に一位も二位もあるか」

 

 昇降口から吹き抜けのハウスホールを抜け、一階にあるC―3の教室へ。普段よりかなり早い時間に登校したものの、教室にはいつも通りアキトが席についていた。

 鞄を置いて腰を下ろした後で、ノートパソコンを眺めながら少し考える。蛇の道は蛇というし、聞くだけ聞いてみても損はないだろう。

 

「なあアキト。お前の腕を見込んで、ちょっと探して欲しい物があるんだが」

「もしかして:ジャッジ・ガベル」

「違うっての。オーケストランって知ってるか?」

「確か昔やってた教育番組だった希ガス」

「そうそう。そのストラップで、これのトランちゃんバージョンを探してるんだよ」

 

 ガラケーを取り出し、ぶら下がっているクラリ君を見せる。

 塗装の剥げたストラップをまじまじと眺めたガラオタは、くるりと方向転換してノートパソコンを素早く操作し始めた。

 

「とりあえず密林とオークションは大体見たんだが、見当たらなかった」

「んー……ちょい待ち」

 

 どうやら本気モードになったのか、アキトは鞄からワイヤレスマウスを取り出す。IT企業の社員みたいなキーボード裁きを見せると、画面に複数のウィンドウが表示された。

 オーケストラン関係や知らない通販サイトが次々出るものの、中々望みの物は見つからない様子。というかページ切り替えるのが速過ぎて、正直目が追い付いていかない。

 

「べ、別に無いなら諦めて、他のグッズにするから――」

「諦める? 刀っ娘ラブで鍛えたこの脳内に、妥協の二文字などあんまりないっ!」

 

 お前の頭はソシャゲーで鍛えられるのかよ。

 ガラオタのプライドにかかわるようで、何やら熱くなっているアキト。こちらとしてはありがたいことだが、少ししてキーボードとマウスを操作する手が止まった。

 

「こうなったら仕方あるまいて」

「?」

 

 そう呟いた後で、彼はスマホを操作し耳に当てる。大抵持ち主がゲームしている所しか見てないから忘れてたけど、そういえば携帯電話だったんだよなこれ。

 

「もしもし俺だ。二億用意するから、株を全部買い占めろ」

「………………」

 

 この第一声で、電話掛けられた相手は大丈夫なのか?

 投資家の真似をする友人に溜息を吐きたくなるが、一応俺の問題でもあるので黙って見守る。クラスメイト達よ、頼むからまだ登校しないでくれ。

 

「おいっす店長、お疲れっす。拙者仲介での注文だお」

 

(店長っ?)

 

「管弦楽団オーケストランのストラップシリーズから、トランペットのトランちゃん。クラトラのセットになってるやつじゃなくて、単品の方キボンヌ…………お、ある?」

「!」

「流石店長、そこにシビれる! あこがれるゥ! ん……ああ、予算? 今聞くお」

「…………(指を三本立てる)」

「3000円以内で……って必死に首振って、どしたん米倉氏?」

「……(三・0・0と順に示す)」

「訂正だお。上限は3300円で――――」

「違ぇよっ! 300円だっての!」

 

 3300円とか、来月の携帯代が払えなくなるわ。

 沈黙を破った俺の言葉を聞いたアキトは、黙って受話器に耳を傾けた後で何を思ったのかスマホを差し出してきた。

 

「直接交渉した方が早いだってお」

「お、おう……」

『もしもしだ』

 

 慣れない薄っぺらな携帯を耳に当てると、スピーカー越しに聞こえてきたのは男の声。店長と言う割にまだ若々しく、年齢は二十か三十代くらいなんだろうか。

 

「も、もしもし」

『アンタ、何用だ?』

「え?」

『自分用、保存用、他人用。どの目的でトランちゃんが欲しいかだ』

「た、他人用に……」

『俺ん所に電話してくるってことは、どうしても欲しかったってことだ。誰に渡すかは知らんがよ、そこまでするくらいなら大事な人へプレゼントするに違いないって話だ』

「ま、まあ」

『そのプレゼントが、たかが300円ぽっちで良いのか……俺が言いたいのはそれだけだ。言い換えりゃコイツの価値を決めるのは、アンタのプレゼントしたい気持ち次第だ』

「っ!」

 

 確かに元の値打ちは300円だったとしても、時は金なりタイムイズマネーだ。

 失った時間は永遠に戻らない中で、俺は彼女を10年も忘れていた。ならば店長の言う通り、このストラップは彼女にとって10倍以上の価値があってもおかしくない。

 

「…………いくらなら売っていただけますか?」

「3000円だ」

「買いますっ! 売って下さいっ!」

『商談成立だ。アンタが急ぎなら今日中にでも届けるが、どうなんだ?』

「本当ですかっ? ぜひお願いしますっ!」

 

 流石は店長、客に対する気配りが行き届いている。

 最初は怖い人かと思ったが、この人は物凄く理解のある大人かもしれない。

 

『支払いと受け取り方法は『ノブオー?』明釷の奴から…………なっ?』

「?」

『ちょっとノブオ! 聞こえてんでしょっ?』

『バッ! 入ってくんなよ! 今クライアントと電話中で――――』

『アイアントだかアイアンアントだか知らないけど、電話なんかしてないで早く御飯食べないと学校遅刻すんでしょうが! 母さんそんなの絶対許さないからねっ!』

『わあってるよ! すぐ行くから、いいから出てけって!』

『あっ! それとアンタ、昨日お弁当箱出してないでしょ? 自分で洗――ブツッ』

『――――ツー、ツー、ツー』

「…………………………」

「ん? 終わったん?」

「物凄く理解のある大人だと思ってた店長の本名がノブオで、お弁当を持たされてる学生かつ実家暮らしってのが判明した後、母親に怒られてるところで通話が切れた」

「店長オワタ」

 

 あだ名ならあだ名って最初から言えよ。紛らわし過ぎだろ店長。



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六日目(火) 音楽部しか知らない秘密の屋上だった件

 自分の下駄箱へ店長宛てに包んだ金を入れておけば、放課後までに目的の商品が届く。

 通販もビックリな支払い&受け取り方法をアキトから聞いた俺は、半信半疑になりながらも言われた通り、財布に入っていたなけなしの3000円を包み靴箱へ入れた。

 うっかり第三者が金を見つけて盗まないか不安で仕方なく、休み時間の度に下駄箱を確認してから昇降口を徘徊する。あまりに細かく席を立ち過ぎていたため、トイレに行っていると勘違いした相生から体調の心配までされてしまった。

 

「!」

 

 そしてホームルーム後、待ちに待った放課後に予定通りの変化が生じる。

 靴箱を開けると封筒が無くなっていた代わりに、ビニール包装されたトランちゃんのストラップ……更にはご丁寧にラッピングペーパーとリボンまで準備されていた。

 破損や汚れもなく、完璧な新品にすら見える商品。仲介料とか言ってアキトが代金の一割(実際は昼飯の奢り)を要求してきただけあって、中々の仕事っぷりである。

 しかし学生にも拘わらず放課後までに用意するなんて、一体何者なんだノブ……じゃなくて店長。まさか屋代の学生なのか、ノブオ……じゃなくて店長。

 

「さてと」

 

 当初は店を歩き回りバイト後に渡すつもりだったが、目的の品を手に入れた以上は早い方が良いだろう。というか夜まで待つとか、その方が色々考えてしまい落ち着かない。

 そう判断し誰もいない教室で不器用なりにラッピングを終えると、授業以外で立ち寄る機会なんて滅多にない芸術棟の四階、音楽室へと向かった。

 

『だからそんなんじゃ駄目だっつってんだろぉっ?』

「っ?」

 

 階段を上り終えるなり響いた怒号。その発生源は全日本コンクールの常連、火水木もスパルタと言っていた屋代自慢の吹奏楽部からだ。

 行事や文化祭で演奏を聞くことはあるものの、こうして練習風景を見るのは初めてのこと。噂に名高い鬼顧問の罵詈雑言に怯えながらも、アウェーな空間の奥へと歩を進める。

 電子オルガン部と吹奏楽部を抜け、音楽部に到着するも止まらず通過。それとなく横目で覗いてみたが、前屈などのストレッチをしており相生ですら見つけられなかった。

 

「…………」

 

 廊下をある程度進んでから、何かを思いついた素振りをしてUターン。再び音楽室の中を確認したが、やはり夢野蕾は見当たらない……というか仮にいたとしても、この様子じゃ声を掛けるのは無理だろう。

 音楽部なんてパート練習と称しつつ馴れ合い、皆で歌って楽しむだけ。そんなイメージとは対称的に、準備運動ですら真剣に行う部員達の姿が目の前に広がっていた。

 

「…………ふっ」

 

 確かに火水木の奴に、この空気は無理かもしれない。

 久し振りに『部活動』を見たことで陶芸部の緩さ、そして伊東先生のありがたみを改めて感じつつ、色々考えていた頭をリセットしながら四階の階段を下りていった。

 やっぱり大人しく、バイト後に渡すとしよう。

 

「あれ? 米倉君?」

「ふぉおっ?」

 

 踊り場でまさかの遭遇。思わず声を上げ一歩退いてしまった。

 その姿が滑稽だったのか少女は微笑むが、俺の脳内は依然として混乱中。エンカウント音が聞こえて『夢野蕾はいきなり襲いかかってきた』的なメッセージが流れている。

 

「どうしたの? 先生に用事だったとか?」

「いや、先生じゃない」

「じゃあ葵君?」

「葵でもなくて……その、ちょっと話があるんだけど、今時間ある?」

「えっ? ひょっとして、私……?」

「わ、悪い。忙しいなら後でいいんだ。急ぎの用って訳じゃないから」

「ううん、大丈夫だよ? 今日は日直で部活には遅れるって伝えてあるし全然大丈夫!」

「そっか。それなら…………って、ここじゃマズイか」

 

 もし音楽部の顧問が吹奏楽部並みに怖いなら、こんな場所で彼女を引き止めて話し込むのは得策じゃない。そういう意味じゃ、あの部活風景を先に見ておいて良かったと思う。

 しかし一階まで下りて陶芸部へ連れていくのも悪いし、さてどうしたものか……。

 

「ねえ米倉君、ちょっと付いてきてくれる? 良い場所があるの」

「?」

 

 軽快なステップで階段を上がり始める少女。まさか音楽部に向かったりしないよなと不安になりつつ後へ続くと、四階に着いた彼女は周囲を確認してから更に上を指さした。

 

「こっちこっち」

「えっ? でも――」

「しーっ」

 

 AからFまでのハウスは三階、今いる芸術棟は四階までの構造だ。

 ところが彼女は生徒立ち入り禁止と書かれた看板を無視して、屋上へと続く階段を足早に上る。それを見た俺も人がいない間に素早く階段を駆け上がっていった。

 辿り着いた先は小窓と扉が一つずつあるだけの行き止まり。ちょっとした物置代わりに使われているのか、ボロボロになった机や椅子が並べて置かれている。

 

「良い場所って、ここ?」

「まさか。こんな埃っぽい場所、米倉君も嫌でしょ?」

 

 普段から埃っぽい陶芸室にいるとはいえ、確かにここは勘弁願いたいな。

 しかし正面にある屋上へ続く扉は当然鍵が掛かっており開かない。学生にとって屋上とはロマンの宝庫とも言える存在なのに、飛び降りたりしないから解放してくれよ本当。

 

「本当は屋上に出られたら良いんだけどね」

 

 俺と同じことを考えていたらしい少女は、向かって右側にある小窓へ手を掛ける。こちらも鍵が掛かっているのかと思いきや、何故か窓はいとも簡単に開いた。

 

「ちょっと窮屈だから、頭ぶつけないように気を付けてね」

 

 彼女はそんな案内をしつつ、机を踏み台に小窓を抜ける。後へ続くと広がっていた世界は紛れもなく外界だが、屋上とは室外機で隔離された小さなスペースだった。

 

「へえー。こんな場所があったのか」

「音楽部しか知らない秘密の屋上……なんてね」

「屋代七不思議?」

「あ、米倉君も知ってるんだ! ねえねえ、陶芸部しか知らない秘密の地下室って本当にあるの?」

「少なくとも、俺は知らないよ」

「そっかー。やっぱり部外者の私には教えられないよね」

「いや本当に知らないんだけどっ?」

「うんうん、ちゃんとわかってるから。それで、話って?」

 

 一体どういう方向で理解されたのか不安になるな。

 自分が何の為にここへ来たのか思い出しつつ、軽く咳払いをした後で口を開いた。

 

「あ、ああ。その……答え合わせと、これを渡したくて」

 

 我ながら頑張って包装を施したストラップをポケットから取り出す。少女は驚き目を丸くすると、ゆっくり手を伸ばしプレゼントの包みを受け取ってくれた。

 

「何だろう……開けてもいい?」

「うん」

 

 普段とは違う、それこそクリスマスの子供みたいな笑顔に応える。

 綺麗な手によって丁寧にリボンが解かれていくと、中から現れたトランペットをデフォルメしたキャラクターに歓声が上がった。

 

「トランちゃん!」

「その、300円のお返しに探してきたんだ」

「え……?」

 

 携帯を取り出すと、変わり果てたクラリ君を見せる。

 もし俺が受け取っていたならこんな姿では済まなかったし、ひょっとしたら失くしていたかもしれない。姉貴が今でも持っていてくれて本当に良かった。

 

「一緒のそろばんに通ってたこと、映画へ行った時に姉貴が気付いてさ。話を聞いて少しは思い出したんだけど、正直あんまり覚えてなくて……何て言うか、本当にゴメンっ!」

 

 深々と頭を下げる。

 静寂の後で、小さな吐息が漏れた。

 

「…………くすっ」

 

 下ろしている頭上にやんわりと手が乗せられる。

 そして許す意志の表れなのか、少女は俺の頭を優しく撫でた。

 

「よしよし。なんちゃって」

 

 前言撤回。またもペット扱いだったらしい。

 柔らかい手が離れた後で頭を上げると、少女は俺の前に屈みこむ。危うく流れで頭を撫でそうになったが、どうやら携帯にぶら下がっているクラリ君を眺めているようだ。

 

「クラリ君って、米倉君に似てるよね」

「へ?」

「皆に振り回されてる苦労人。ちょっぴりドジなところもあるけど、決める時にはビシっと決めるオーケストランの人気者…………」

 

 私もトランちゃんみたいになりたかったな。

 そう小声で呟いたのが聞こえたものの、うろ覚えの俺にはその意味がわからない。そもそも今の説明を聞いても、クラリ君が自分に似てるとすら思わなかった。

 

「トランちゃん、探すの大変じゃなかった?」

「まあ、程々に」

「そっか。ありがとうね」

 

 

 

 ――――でも、外れだよ♪



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六日目(火) 夢野蕾が悪戯っ娘だった件

「…………………………はい?」

 

 外れって、何が?

 言葉の意味がわからずにいると、少女は立ち上がり笑顔を見せる。それはコンビニで見せる営業スマイルでもなければ、先程見せた無邪気なものでもない。

 例えるなら小悪魔というべきか……そういう類のニヤリとしたほくそ笑みだった。

 

「120円の時は、米倉君が私に桜桃ジュースをプレゼントしてくれたお返しだったでしょ? 今回の300円も同じ、私からのお返しだよ?」

「ちょ、ちょっとタイム。えっと…………」

「米倉君が私にお礼するんじゃなくて、私が米倉君にお礼したいの。300円のね」

「でもそれならクラクラは? 昔の呼び方ってのは――――」

「間違ってないよ」

 

 俺の唇を、少女の人差し指が優しく抑える。

 二週間ちょっと前、120円の桜桃ジュースを受け取った時と何一つ変わらない。

 

「私はクラクラの彼女であって、米倉君とは友達だから」

「…………?」

 

 いまいち言ってる意味が分からない。

 まるで俺とクラクラが別人みたいな言い草に悩んでいると、少女は呆れ半分に笑った。

 

「米倉君って真面目だよね」

「え?」

「そんな理由で、私の呼び方に悩んでたんでしょ?」

「なっ?」

 

 どうやら気付かれていたらしい。

 俺の心が見透かしていた少女は、こちらが言い訳する前に口を開く。

 

「私の一言なんて、そこまで気にしないでいいってば。わざと気になることばかり口にする、ただの構ってちゃんだよ。米倉君が思ってるより、ずっと性格悪いんだから」

「そうなのか?」

「うん。借りてた120円を、十年間返さないくらいにね」

 

 それは性格が悪いとは違う気がする。そもそもあれは貸したというより、あげたつもりだったんだけどな。

 

「じゃあ練習! 米倉君の好きな呼び方でいいから、私のこと呼んでみて?」

「ゆ、夢野さん」

「それは駄目」

「何故にっ?」

「だって米倉君、水無月さんのこと何て呼んでるの?」

「え? 阿久津だけど……」

「冬雪さんは?」

「冬雪」

「火水木天海」

「火水木」

「福沢諭吉」

「福沢」

「ね?」

「いやちょっと待てっ! 最後何かおかしいぞっ?」

「まあまあ、そんなノリで。はい、私は?」

 

 満面の笑顔を見せつつ、悪戯っ娘は自分を指さす。好きに呼んでいいと言いつつ選択肢はないらしく、俺はやれやれと溜息を吐いてから彼女を呼んだ。

 

「わかったよ、夢野」

「うん。今はそれでいいかな。そうだ。米倉君、携帯貸して」

「ん?」

「連絡先。まだ交換してなかったでしょ?」

「ああ、言われてみれば。赤外線は……できないんだったっけ」

「うん。私がアドレス打ち込むから」

 

 あんなに便利だったんだから、スマホにも赤外線通信が搭載されればいいのにな。

 言われた通り自分のデータを表示させたガラケーを手渡すと、夢野は操作しながら淡々とした口調で質問してきた。

 

「そういえば米倉君って、水無月さんのこと好きなの?」

「それ、前にバスケの練習試合で夢野と会った時にも、阿久津から同じようなこと言われたぞ? キミは彼女のことが好きなのかいってさ」

「何て答えたの?」

「修学旅行の夜に盛り上がる男子じゃあるまいし、躊躇いなく人の恋愛事情を聞くな」

「えー? じゃあもし私が米倉君のこと、好きって言ったらどうする?」

「梅じゃあるまいし、そういう誤解を招く発言は困るからやめい」

 

 口振りから冗談とすぐにわかったが、思春期男子にそういう挑発やら質問は勘弁してほしい。幼稚園の時でも仲良く話してたし、この三人って割と考え方とか似てるのかもな。

 そんなことを考えつつ、話題を変えようと周囲を眺める。改めて見ると屋上っぽさはないが、見える景色は中々のものだった。

 

「この場所って、音楽部全員が知ってるのか?」

「ううん、そんなに知らないらしいよ。私も葵君に教わったんだ」

「ほー。葵がねえ」

「芸術棟がFハウスから近ければ、ここでお昼も良いかなって思うんだけど……送信っ」

 

 携帯が少女から返却される。

 受け取った直後にメールが届き、そこには彼女の電話番号と簡素な一文が書かれていた。

 

『米倉君の誕生日って、バレンタインだったんだね♪』

「………………」

 

 そういや電話番号とかアドレスのところに、一応登録しておいたんだっけ。

 本命どころか義理ですらない「誕生日なんだ? じゃあ用意してあげる」という『同情チョコ』を渡される敗北感を避けるため、正直あまり知られたくはなかった。

 

「夢野の誕生日はいつなんだ?」

「私は九月八日だよ。だからこのトランちゃんは、一ヶ月遅れの誕生日プレゼントかな」

「それはそれで、何か恩着せがましい気がするな」

「ううん、凄く嬉しかったよ。ありがとう!」

 

 喜んで貰えて何よりだが、これで状況は振り出しに戻るか。

 過去の自分が300円の何を渡したのかボーっと考えていると、夢野がくすりと笑う。

 

「米倉君、考えてること顔に書いてあるよ」

「それはマズイな。消しゴムで消さないと」

「ふふ……じゃあ今回は特別に、私のお願いを聞いてくれたらヒントをあげよっかな」

「お願いってのは?」

「こう、両手広げてみて」

 

 頭上に?を浮かべつつ、言われるがまま身体で十字架を描くように両手を広げる。右指から左指までの長さが身長と同じになるらしいが、まさかそれを調べる訳でも…………。

 

 

 

 ――ギュッ――

 

 

 

「………………」

 

 ええと、落ち着いて状況を整理しよう。

 とりあえず目の前にいた少女が、どういう訳か身を寄せている。それも寄りかかるとかじゃなくて完全に向き合い、俺の胸に顔を埋める形で。

 更に彼女は両手を背中へ回している。つまり俺達の身体はピタリと密着していた。

 

「えっ? あ……えっ?」

「手、下ろしていいよ?」

「は、はいっ!」

「そうじゃなくて、背中に回してほしいな」

「――――っ!?」

 

 要するに抱き締めろという意味の他にはない。

 脳の処理が追いついたことで余計に混乱し頭が真っ白になる中、言われるがまま操り人形のように関節を曲げる。

 丁度頭一つ分くらい差のある少女の背中へ、ゆっくりと手を回した。

 

「!」

 

 ブレザー越しなのに、驚くほどに柔らかい。

 布越しに伝わる肌が、皮膚が、身体の全てが男の物と異なっている。阿久津もそうだったが、どうして女子というものはこんなにもプニプニなのか。

 あの時とは違い眠気こそないものの、思春期男子にこの状況を堪えろというのは中々に辛い話。強く抱き締めたい気持ちを必死に抑え、手を添えるだけに留める。

 ほんの数秒だったのか、はたまた数分だったのか。

 心臓が飛び出してしまいそうな勢いで時を刻む中、やがて終わりが訪れた。

 

「うん、ありがとう」

 

 きっと俺の心音は、彼女にも伝わっていただろう。

 ゆっくり手を下ろすと、少女も俺から手を離し一歩後ろへ。自分の顔が赤いと分かるくらいに熱くなっているが、抱きついてきた夢野は耳まで真っ赤になっていた。

 

「一回ね、こうやって男の人に抱き締められてみたかったんだ。ほら、米倉君って身長あるから……ゴメンね? 変なお願いごとしちゃって」

「い、いや全然?」

「じゃあ私、部活行ってくるね! トランちゃん、本当にありがとう!」

「あ、ああ。どう致しまして」

 

 ひょっとして彼女は、俺のことが好きなんだろうか?

 自意識過剰と思われそうな考えに葛藤していると、校舎へ戻った筈の少女が小窓から顔を覗かせる。

 

「言い忘れてた! 300円のヒントは、バナナだよ!」

「バナナ?」

「うん、バナナ! じゃあまたね!」

 

 シンプルなヒントを告げた少女は、仲間が待つ部活へと向かう。

 最後に見せられたとびきりの笑顔の意味を考えつつ、俺は小さな屋上を後にした。



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末日(火) 俺のバナナが健全だった件

『あだ名』

 

 辞書で調べると愛称の項目に含まれるこの言葉には、実は二つの英訳がある。

 一つは誰もが良く知るニックネーム。ニックとは一体何だろうと思って調べたら、ボブやらジョニーが出てくる変な創作話がヒットして信じかけたのは内緒だ。

 そしてもう一つはペットネーム。

 やたら頭を撫でられ犬猫扱いされた俺には、ある意味ピッタリな響きかもしれない。

 

「…………ふう」

 

 色々あった一日を振り返りつつ、悩める青年である米倉櫻は湯船に浸かり心身を癒していた。初めての風呂シーンは梅ではないッ! この櫻だッ!

 

「お~邪魔~虫~」

「ん?」

 

 曇っている浴室ドアの向こう側、洗面所にマイシスターが現れる。先程まで食後の一番風呂を巡ってじゃんけんによる死闘を繰り広げた好敵手は、突然クイズを出してきた。

 

「問題です。口の中に棒を入れたり出したりして、最後に白い液体を出すものな~んだ?」

「ああ、歯磨きしに来たのか」

「ぶ~ぶ~。お兄ちゃん、つまんな~い」

「誰が引っ掛かるか。そしてそういう誤解を招く問題を出すな」

「でも今学校で流行ってるんだよ?」

「そんなのが流行するって、大丈夫かよ黒谷南中……じゃあ俺からも一問。狐はFOX、靴下はSOX、6はSIX、じゃあアレは?」

「THIS!」

「斜め上の方向に間違えやがったっ! アレはTHATだろっ!」

「あれ~?」

「上手いこと言った風にして誤魔化すな! 南中よりお前の方が心配になってきたぞ」

「ふぁいひょふ、ふぁいひょふ」

 

 毛の生えた棒で歯を磨き始めた妹は、誤解を招きかねない返事をする。バナナってのもこの手の連想クイズの答えになりがちだが、流石に300円とは関係ないだろう。

 浴槽から出た後でシャンプーへ手を伸ばすも、キュポキュポという中身のない空振りのプッシュ音が響いた。こういう補充をし忘れるのは、我が家では大抵父親か妹である。

 

「梅」

「ガラガラガラ……ふぁふぃ~?」

「歯磨き終わってからでいいから、シャンプーの詰め替え出してくれ」

「ふぁふぁっふぁ~」

 

 ラスボスの笑い方みたいな返事を聞いた後で、頭から洗うのを諦めて石鹸を泡立てた。

 自分の身体を洗いながら、異性との肌触りの違いを感じる。放課後の一件を思い出した後で、うがいを終え洗面台下の収納スペースを探し始めた梅に声を掛けた。

 

「なあ梅、男に抱きつかれてみたいか?」

「いきなり何言ってんのお兄ちゃん? あ、漂白剤出てきたけど使う?」

「ナチュラルに人を汚れ扱いするな。そうじゃなくて、ドラマのラブシーンとか憧れるよねって、クラスの女子が話してたのを聞いたんだよ」

「ふ~ん。ドラマなら梅、ラブシーンよりもドア蹴破るシーンやってみたいな」

 

 どうやら聞く相手を間違えたらしい。

 女子が誰に対しても抱きつけるものなのかを尋ねたかったが、ひとまずそういうものだと割り切って考えておこう。少なくとも嫌われてはいない……と。

 

「あれ~? どこだっけ?」

「左の奥の方にあるだろ? もし無いなら、買ってきてくれ」

「え~……あっ! でも今コンビニ行ったら、蕾さんいるかな?」

「さあな」

「また会いたいな~。お兄ちゃん、学校で会ったりするの?」

「屋代は広いから、ハウスが違うと早々見かけないぞ。まあ今日は偶然にも音楽室で会って、ちょっとした連想ゲームを出されたけどな」

「連想ゲーム?」

「300円とバナナで思いつくもの何だ」

 

 一通り洗い終えた身体の泡を流していく。

 シャワーで会話が一時的に中断されたが、水音が消えると思わぬ答えが返された。

 

「それって遠足じゃない? あ、シャンプー見っけ!」

「遠足? 一体何をどう考えたら遠……足……」

「だってほら、遠足のおやつは300円まで。バナナはおやつに『ガラッ』入りま…………へん…………?」

「梅、我が妹よ! 俺はお前を誇りに思うぞ!」

「梅はお兄ちゃんを埃以下だと思うよ。妹相手に下半身丸出しで現れて、シャンプー要求かと思ったら真顔で意味不明な宣言して、梅引くわ~。悲しくなっちゃうわ~」

「あ、悪い」

「はいこれ」

 

 強引に詰め替え用シャンプーを押しつけられた後で戸を閉められる。言葉は辛辣な癖に俺のバナナを直視していなかった辺り、まだまだ妹がウブなようで少し安心した。

 そして何より、思わぬ収穫でもある。

 夢野のヒント……300円の答えは、恐らく遠足を示していたに違いない。

 

「………………でっていう」

 

 小中共に違う学校である以上、一緒の遠足に行く筈がない。

 謎が全て解けたと思った直後に生まれた新たな問題。そして梅から手渡されたのが詰め替え用リンスだったのを見て、俺は肩を落としてから深く溜息を吐くのだった。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の3章を楽しんでいただければ幸いです!


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3章:俺の彼女が○円だった件
初日(金) ハロウィン・ヒロイン・プロテインだった件


 三角関係という言葉は間違っている。

 AはBを好きだが、BはCに恋していた。一見何の問題もないように見えるが、この恋愛状況を△で結び付けるのは少しばかり変じゃないだろうか。

 何故ならCはAに恋していない。

 A(女)B(男)C(女)と性別を当てれば一目瞭然。逆の場合もまた然りだが、CとAは必ず同性になるためレズゥやホモォな展開になってしまう。

 ライバルという意味で線を引く場合もあるが、それは恋愛ではない上にAからCへも伸びる相互の矢印。画像検索してみると三角関係というよりはシクロプロペン関係だ。

 恋のトライアングルというくらいなんだから、恋愛以外の線を書き込むのはナンセンス。結局描いて完成するのは変なトライアングル……いや、デュオアングルと言うべきか。

 

「どうだっ?」

 

 そんな三角関係もといVの字関係の中にいるかもしれない米倉櫻(よねくらさくら)は、左手と右手に一本ずつチョークを持った三名の少女に向けて勝利のVサインを掲げていた。

 

「驚いたね。キミにこんな特技があったなんて」

「へー。ネック、やるじゃん」

「……上手い」

 

 語っている場所は陶芸室。しかし褒められているのは陶芸の腕ではない。

 少女達が称賛しているのは、俺が黒板に描いた三角形と円。それは左手で△を描きつつ右手で○を描くという難題を、四人の中で唯一クリアした証でもあった。

 

「……コツは?」

「うーん、そうだな……左手と右手の神経を切り離す感じだ」

 

 俺のアドバイスを聞いて、陶芸部部長の冬雪音穏(ふゆきねおん)が再挑戦。粘土の扱いはピカ一な彼女だが、描いた図形の出来は一番酷かったりする。

 大きく息を吐き出した少女がチョークを動かせばあら不思議。一度目同様に左手と右手の動きは綺麗にシンクロし、○と△と□が混じったような歪な形が二つ誕生した。

 

「……難しい」

「大丈夫だよ音穏。今の助言で上手くなったら驚きだ」

「待て阿久津。俺のアドバイスに問題があるって言うのか?」

「そんな人間離れした技はキミしかできないからね。別の比喩で例えられないのかい?」

「他に例えろって言われてもな…………そうだ! 実は冬雪の中にはもう一つの人格、千年粘土に眠る闇冬雪がいるってのはどうだ?」

「どこのデュエルキングよアンタは」

「まあ別にこれができたからと言って、何かの役に立つ訳でもないから構わないけれどね」

 

 そんな元も子もないことを口にした幼馴染、阿久津水無月(あくつみなづき)はポケットから棒付き飴を取り出す。構わないとか言っている割に、その表情はどことなく悔しそうに見えなくもない。

 

「もしかしたら就職に役立つかもしれないぞ?」

「えー、米倉ネックさん。特技は○と△を同時に描くこととありますが――」

「すいません。履歴書の名前が間違ってます」

「失礼しました、ヨネックラさん」

「リラックマみたいに呼ばないでください」

「それで○△同時書きが陶芸社において働く上で、一体何の役に立つんでしょうか?」

「はい。左手でメラゾーマ、右手でマヒャドを唱えることでメドローアが撃てます」

「メドローアですか……どうします部長? 副部長?」

「「……採用」」

「テレレレッテッテッテー♪ 櫻は年齢が上がった! 力が1ポイント下がった! 素早さが2ポイント下がった! 年金が3万G引かれた! 生命保険が2万G引かれた!」

「世知辛いなおいっ!」

 

 そこのガラオタ妹と阿久津はともかく、冬雪は絶対元ネタわかってない気がする。

 入部してから二週間ちょっと。すっかり陶芸部の一員と化した火水木天海(ひみずきあまみ)は、チョークで竜っぽい絵を描いた。音楽は得意でも絵心はないらしい。

 

「……部員、もっと増えてほしい」

「まあ四人になったっつっても、戦力は二人のままみたいなもんだしな」

「聞き捨てならないわネネック。アタシはまだ本気を出してないだけよ」

「人をミミックみたいに呼ぶな。そんなこと言ったら、俺だって本気出してないだけだ」

「本気どうこう以前に、二人とも遊んでばかりじゃないか」

「削りは好きだけど、菊練りが嫌なんだよな」

「陶芸は面白いけど、片付けが面倒なのよね」

「「…………」」

 

 視線を合わせた阿久津と冬雪が、困ったように溜息を吐いた。

 チョークを置いて窓の外を眺めると、パラパラと音を立てて雨が降っている。もし天気が晴れていたなら、俺達はこうして部室でダラダラと過ごしてなんていない。

 運動部の運動部による運動部のための祭り。

 そんな文化祭に続くリア充イベントなんて、本来なら俺には到底関係のない筈だった。

 

「体育祭も二回中止になったんだから、もう諦めていいと思わない?」

「「……賛成!」」

「少しくらいは運動もした方が良いと思うけれどね」

「「「うぐっ」」」

「?」

 

 阿久津は別に悪気があって言ったつもりじゃないようだが、体力不足&運動音痴&ぽっちゃりな各々には言葉の刃が深々と突き刺さる。

 本来なら先週の金曜に予定されていた体育祭は雨天により延期。予備日である今日も見ての通り中止となり、来週の金曜日にまで引き延ばされる始末だ。

 

「ユッキーが棒引きで、ツッキーはHR(ホームルーム)対抗リレーに出るんだっけ?」

「……(コクリ)」

「そうだね。天海君は確か、綱引きと棒引きだったかな?」

「YES! で、ネックは?」

「秘密だ」

「だから何で隠すのよ? やっぱムカデリレー? 転ぶの見られたくないんでしょ?」

「さあな」

「じゃあ騎馬戦だっ! 上半身裸が恥ずかしいんだっ!」

「そうかもな」

 

 既に先週先々週と二回も同じやり取りをしているのに、コイツもしつこい奴だ。

 仮にムカデや騎馬戦に出るなら、別に隠しなんてしない。口にするだけで筋肉が付くものだと勘違いして、生まれて初めてのプロテインを飲むこともなかっただろう。

 

「ねえユッキー、教えてくれたらコレあげる」

「お菓子で冬雪を買収しようとするな」

「あ! お菓子って言えばもうすぐハロウィンだけど、陶芸部って何かするの?」

「……考えてない」

「ハロウィンか……陶器でジャック・オー・ランタンを作ってみたら面白そうだね」

「駄目駄目! そんなんじゃ普段と変わらないじゃん!」

 

 引き出しの一つをお菓子入れにしている少女は、人差し指をピンと伸ばし左右に振る。

 彼女が言いたいことを察していたのは、どうやら俺だけらしい。

 

「ハロウィンって言えば、やっぱコスプレでしょっ!」

 

 平然と言い放った火水木の言葉に、二人はキョトンとした顔を見せるのだった。



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一日目(月) 今日は十月二十七日だった件

「はよざ~っす! お兄ちゃん朝だよ~っ!」

「………………まだ朝じゃない……」

「朝だよ~っ! 十日十月と書いて朝~っ!」

「…………書いたら萌になった……」

「じゃあ萌でもいいから起きてよ~っ! お兄ちゃん萌だよ~っ!」

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「あ、起きた」

 

 これが遅刻しそうな兄を起こしに来たというのなら俺も文句はない。しかし現在時刻は午前五時五十分と、気象庁の天気予報用語的にはまだ朝ではなく明け方である。

 

「…………?」

「ふっふっふ~」

 

 仕方なくベッドから身体を起こしてみたものの、少しある胸を張り両手を腰に当てた誇らしげな(うめ)の姿を見た後で黙って首を傾げた。

 いつも通りのセーラー服ではなく、秋になり冷えてきたにも拘わらずノースリーブ。そしてその胸には『KUROTANI MINAMI』の文字と数字の4が書かれている。

 

「聞いて驚け! 見て笑え!」

「我ら閻魔大王様の一の子分」

「ムサシ!」

「コジロウ……ってこれ違うやつじゃないか?」

「お兄ちゃんこそ、反応が違うよ~」

「ちゃんとわかってるっての。身長が伸びたんだろ?」

「ニャーッ!」

「おう落ち着け我が妹よ。お前はこのお兄ちゃんに、ユニフォーム姿を見せに来たと」

「うん!」

「一つ聞くが、それを貰ったのはいつだ?」

「昨日!」

「なら何故、昨日の夜のうちに見せに来ない?」

「だって梅、一日練で疲れて寝ちゃってたもん」

「…………おやすみ」

「起~き~て~よ~っ!」

 

 布団に潜ろうとしたところを、抱え込むようにして止められた。

 しかしバスケのユニフォームって、何でこう肌の露出が多いんだろう。こんなんじゃ脇とか丸見えだし、身体のラインも浮き出てるし兄としては不安でならないぞ。

 そして少し考えてみれば、このユニフォームを阿久津が着ていたのか。卒業アルバムの写真くらいでしか見たことはないが、一度で良いから生で見たかった気もするな。

 

「ねえ、どうどう? 似合ってる?」

「どうどう、落ち着け。そうだな、後ろも見せてくれ」

「ジャーン!」

「…………(黙って布団を被る)」

「梅ダァァァンクッ!」

「ピボォッ」

 

 ダンクと言いつつ、体重を乗せられてのボディーブロー。布団が無ければ即死だった。

 俺のダメージなどお構いなしに、梅は短い髪を揺らしつつ瞳をキラキラさせながら決めポーズをとる。

 

「ねえねえ、何点っ?」

「2点。だってダンクだろ?」

 

 追加で竹ダンクと松ダンクを入れられた。ユニフォーム姿に点数をつけてほしかったなら、最初からそう言ってくれよ。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……ヨネ」

「ん?」

「……体育祭の種目、何で話したら駄目?」

 

 ホームルームが終わった放課後。

 共に陶芸室へ向かう途中、冬雪は眠そうな目で俺を見つめつつそんなことを尋ねる。

 

「絶対に負けるからだ」

「……やってみないとわからない」

「いいか冬雪? ウサギとカメが競争しても、普通に考えてカメは勝てないだろ?」

「……昔話は勝った」

「100メートルのリレー中に、昼寝する間抜けがいると思うか?」

「……全員がバトン落とす間抜けかもしれない」

「どんだけヌルヌルだよ、そのバトン」

 

 生徒総数は約2500人。一学年につき800人以上の屋代学園は人数が多過ぎるため、一部の種目は体育祭前にタイムレースによる予選が行われる。

 そして4×100メートルリレーもその一つ。俺の出場した競技であり、あろうことか我らがクラスC―3は本戦出場の十二チームにギリギリで入ってしまった。

 

「優勝争いで盛り上がるのはせいぜい五位くらいまで。予選が体育祭の一週間前なんだから、早々順位なんて変わるかっての。一体何をどうすればビリの俺達が勝てるんだよ?」

「……バトン練習とか?」

「そんなんで埋まるタイム差じゃないし、そういう練習をする面子でもないだろ」

 

 ハウス対抗リレーには男女一名ずつ、つまりクラス内で一番足の速い奴が選ばれる。

 次にHR対抗リレー。これはハウス対抗の出場者と重なっても問題なく、出場人数は男女四名ずつ。中学時代でもそうだったが、運動部の連中の腕の見せ所だ。

 

「バスケ部に野球部、サッカー部にラグビー部」

「……HR対抗リレーの男子?」

「ご名答。対して4×100はテニス部。卓球部。帰宅部。そして陶芸部と」

「……期待してる」

「何をだよっ?」

 

 4×100リレーに出場できるのは、前述のリレー二種目に出場していない選手のみ。足が速い順に上から八人なんて言ったら、クラスの男子の約半分である。

 そこそこ足が速い程度の俺が選ばれたのは、そんな下手な鉄砲を数撃たれて当たったような理由。運動部なんかに勝てる道理もない、とんだ噛ませ犬ポジションだ。

 

「……私は真面目に期待してる」

「そう言ってくれるのはありがたいけどな。とにかくこの話はもう終わりだ」

 

 俺一人ならともかく、リレーとあっては期待に応えられそうにない。

 考えるだけで頭が痛くなりそうな会話を中断し、陶芸室へと足を踏み入れた。

 

「やあ」

「よう」

 

 今来たばかりらしい阿久津と、いつもながらの短い挨拶を交わす。

 部屋の中にいるのは彼女だけではなく、いち早く電動ろくろの前に腰を下ろしている少女が一人。削り作業中である火水木の前には、順番を待つように作品が十個ほど並んでいた。

 

「おーおー。本当にやってるんだな」

「当然でしょ」

「一つ、良いことを教えてやろう。ルーローの三角形って知ってるか?」

「何よそれ?」

「ロータリーエンジンに使われたり、ドリルにしたら正方形に穴が開けられる図形でな。この前火水木が黒板に描いたような、正三角形をちょっと膨らませたような形なんだよ」

「へぇー。それが削りにどう関係するの?」

「いや何も」

「どこが良いことなのよっ?」

「うっかり底に穴を開けないよう気をつけろっていう、俺からの遠回しなメッセージだ」

「そんなミス、する訳ないじゃない」

 

 フラグっぽい台詞を口にした少女は、湯呑の高台を作り始める。つい先日まで陶芸に手をつけていなかった彼女が、いきなり熱心になり始めたのは当然理由があった。



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一日目(月) 火水木の湯呑が300円だった件

『……コスプレ?』

『一応尋ねるけれど、一体誰がするんだい?』

『そりゃ勿論、全員でしょ』

『……嫌』

『えぇっ? 何でよユッキー』

『できればボクもお断りしたいところだね』

『ツッキーまでっ? 二人とも、やってみたら絶対に面白いって!』

『……やらない』

『やろうよーっ! お願いっ! この通ぉーりっ! 何でもしますからっ!』

『……じゃあ陶芸して』

『それくらい、お安いご用よっ! 作品作ったらやってくれるのっ?』

『……もしハロウィンまでに100個作れたら、コスプレしてもいい』

『ひゃっ……?』

『お安くないご用だね。その条件なら、ボクも考えても良いかな』

『ふ……ふふふ…………この火水木天海、やったろうじゃないのっ!』

 

 

 

 ――――以上、回想終了。

 まあ冬雪や阿久津がコスプレをしたくない気持ちはわかる。俺だってやりたくない。

 しかし火水木のコスプレをさせたいという気持ちもわかる。俺だって見たい。正直見たい。滅茶苦茶見たい。心の底から見たい。まあそんな欲望、絶対見せられないけど。

 

「なあ冬雪。いくら何でも100個は多すぎないか? まだ火水木は初心者で経験も浅いし、今まで作った個数から考えても絶対に無理だろ」

「……コスプレも同じくらい無理」

 

 それとなく譲歩を求めようとしたが、残念ながら条件は変わらなそうだ。

 しかし俺達の会話を聞いている火水木は、まだ諦めていないのか熱心に削り続ける。

 

「期間はたった一週間。経験に関係なく、ボクや音穏でも厳しいだろうね」

「大体一回の成形に一時間だよな。阿久津でも一度に作れるのは十個くらいか?」

「更にそれを乾かした後の削り作業で、生き残るのは大体七、八個かな」

「先週の金曜と今日、それに火・水・木を加えても、一日に三時間以上は陶芸しないと無理な計算かよ……一時間やっただけでお腹いっぱいだっての」

「しかし理由はどうあれ、櫻もあの姿勢を少しは見習ってみたらどうだい?」

「そのうちな」

 

 思い返してみれば冬雪は、来年までに一人150個が目標と言っていた。その3分の2を一週間で作れというのは、結婚を申し出た貴族に対するかぐや姫の難題に近しいものさえ感じられる。

 もし火水木がそのノルマを知っていたら、必死になって陶芸をすることもなかっただろう。部長の口車にまんまと乗せられるとは、哀れだなちょろインよ。

 

「…………ん? 待てよ? そもそもハロウィンって金曜だよな?」

「……体育祭当日」

「当日にパーティーができないなら、前日にするまでよっ! ハロウィンイブ!」

 

 その発言が期限を一日減らしているという事実に、コイツは気付いているのだろうか。

 フラグ回避には成功したらしく、無事に削り終えた湯呑を火水木が棚板の上に置く。傍から様子を見ていた冬雪は、完成した作品を手に取ると少し考えてから口を開いた。

 

「……200円」

「何だとっ?」

「な、何? どうしたのよ?」

 

 聞き捨てならない値段を耳にして、思わず席を立ち上がる。今日はのんびり読書に耽るつもりだったのか、本を用意していた阿久津も興味を示すと腰を上げた。

 

「なあ冬雪。俺の聞き間違いだと思うんだが、今いくらって言ったんだ?」

「……200円」

「はっはっは。桁を一つ間違えてるぞ」

「……2000円は高過ぎ」

「違う、そうじゃない。そういえば冬雪のスカウターは旧型だったもんな。そのうちボンって爆発するぞ? 阿久津の新型スカウターで見て貰えって」

「凄いじゃないか。釉薬の掛かり方次第だけれど、ボクは300円でも良いと思うよ」

「……じゃあ300円」

「本当っ?」

「何だとっ! この星の奴らは、値段を自在に操れるのかっ?」

「アンタどこの星出身よっ?」

 

 惑星サクーラ……何だかチェリーボーイだけが集まりそうな星だ。

 阿久津から湯呑を受け取ると、重くない上にちゃんと高台もある代物。店頭に売られていてもおかしくない、かつて俺が作った駄作とは違う傑作だった。

 

「馬鹿な、俺の六倍の陶芸力……まさかコイツ、あの伝説のスーパー湯呑人なのか?」

「陶芸力……たったの50円か。ゴミめ」

「……私は?」

「「53万!」」

 

 お決まりの数値を火水木とハモる。こういうネタを共有できる相手がいるのは嬉しいな。

 

「しかしもうこんなに上達してるなんて驚きだよ」

「ツッキーに褒められるとか、滅茶苦茶嬉しいんだけどっ!」

「……ヨネを超えたかも」

「む?」

「確かに、櫻より上手いかもしれないね」

「ちょっと待て二人とも。俺だってこう見えて日々成長してるんだぞ?」

「身長の話かい?」

「それは今朝、俺が梅に返したボケだ。どうやら少しばかり、この米倉櫻の本気を見せる時が来たみたいだな」

 

 恰好つけつつ学生服を脱いでから、Yシャツの袖のボタンを外し腕まくりする。

 そして鞄の中から、愛用のMP3プレーヤーを取り出した。

 

「ネックって音楽聴きながらやるの?」

「……見たことない」

「米倉櫻という生き物は周囲からの刺激に敏感でな。本来の力を発揮するためには、何者にも邪魔されない隔離された空間、マイワールドが必須なんだよ」

「……赤ちゃんみたい」

「ごぐふっ! はい傷ついたっ! 今ので深く傷ついたっ! 癒しが必要ですっ!」

「赤ちゃんより性質が悪いね」

「…………」

 

 癒しどころか追撃が来たので、大人しく引き籠ることにする。

 コードが邪魔にならないよう服の中へ通しつつ、イヤホンを装着すれば準備完了。一度陶芸を始めたら手が汚れて操作できないから、音量と曲選択は慎重にしないとな。

 

「耳栓じゃあるまいし、そんなんで本当に大丈夫なの?」

「安心しろ。何も聞こえない」

「聞こえてんじゃん!」

「まだ曲を再生してないからだよっ! じゃあマイワールドに入るから、何か用事があるときは肩を叩くなりしてからイヤホンを外してくれ」

 

 そう言い残した後で、俺は外界から音をシャットアウトした。

 

「ちょろいね」

「……ちょろい」

 

 曲が再生するまでの間に、そんな声が聞こえてきたのは気のせいだろう……うん。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ただいま」

「んふ~ふ~」

「お帰りの一言は嬉しいが、口に物を入れながら喋るな。どこのキノコだお前は」

 

 リビングにて妹の横を通り抜けつつ、洗面所で手を洗う。

 陶芸の方はと言えば本気で挑んだ結果、失敗をすることもなく十一個の作品を生成。三人から受けていた過小評価をひっくり返すことには成功した。

 しかしその一方で削りに失敗するかもと言われる始末。よって明日もまた本気を出すことになったが、何だかまんまと罠に嵌められている気がしないでもない。

 

「ふう……」

 

 起動させておいたパソコンの前に腰を下ろす。

 その理由は300円という値段を聞いて、ちょっとした宿題を思い出したからだ。

 バナナというヒントを貰ってから、色々と考えてみたものの答えは出ず。ひょっとして遠足という発想が間違っているのではと、今日はグーグル先生に聞いてみることにした。

 

 

 

『家に帰るまでが遠足です』

 そんな言葉を聞き流していたら、なんと我が家が消えていた。

 裏で手を引いていた担任の陰謀。

 突如訪れた親友の死。

 おやつは300円までに秘められた暗号とは? そしてバナナはおやつに入るのか?

 劇場版『ENSOKU』 COMMING SOON!

『………………俺達の遠足はまだ終わってない』

 

 

 

(どんな映画だよっ?)

 

 思わず突っ込みを入れそうになってしまった。梅は二階に上って行ったが、キッチンでは母親が夕飯の支度中。画面に話しかける危ない息子と思われては堪らない。

 しかし『バナナ 300円』と調べても出てくるのは遠足関係のみ。となると考えられるのは、やはり単純に俺が彼女へと繋がる何かを忘れているということか。

 

「…………」

『夢野蕾(ゆめのつぼみ)』

 

 冗談半分で名前を検索してみたら、アーティストのアルバムがヒットした。

 あの抱きつかれた日以来、彼女とは会っていない。

 交換した連絡先へ何度かメールを作成したものの、中身のない本文を見直して送信せずに削除ばかり。答えがわからない以上は合わせる顔もなく、コンビニにも寄らずにいた。

 

(まあ、結果としては正解か)

 

 向こうからのコンタクトも一切ない辺り、俺は少しばかり思い上がっていたようだ。

 彼女が自分のことを好きなんじゃないかとか、そういう思春期特有の勘違いをして自爆してきた奴らは中学時代に山ほど見ている。危うくその一人になるところだった。

 全く、自惚れも甚だしい。

 彼女はただ単に、俺へ恩返しがしたいだけなんだろう。

 自分が過去に一体何をしたのか、グーグル先生でヒットすればいいのにな。

 

『名前占い。米倉櫻』

 

 ふざけ半分で自分の名前を検索してみたが、表示されたのは見知らぬ社長だとかフェイスブックくらい。暇潰しがてらに、パッと目についた占いのリンクをクリックしてみる。

 しかしページを開かれると、どういう訳か名前と全然関係ないエロサイトが現れた。

 

「お兄ちゃ~ん、ストレッチ手伝っ……テ……?」

「あ」

 

 タイミング悪く、階段を駆け下りてきた妹が登場。

 画面を見るなり固まる梅。口を半開きにして、完全に凍りついていた。

 

「お、落ち着け梅。勘違いするな」

「アー、ソーダヨネー」

「何を納得したっ?」

「オニーチャン、オトコダモンネー。ウメ、ヒカナイヨー」

「いや引いてるからっ! ドン引きされてるからっ!」

「ネーネー、オカーサーン!」

「違ぁぁぁあう!」

 

 勿論ちゃんと誤解を解いたのは言うまでもない。まさか自分の名前がこんなに卑猥だったとは、チェリーボーイの名は伊達じゃないな。



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二日目(火) 俺の周囲が静かだった件

「あ! 櫻君。明日って、何か持って行く物とかあるかな?」

「明日? 何がだ?」

「えっ?」

 

 六限が終わった後の清掃時間。Cハウス三階である社会棟の一室にて箒と塵取りでゴミを回収しながら聞き返すと、男の娘……じゃなくて男の子は目を丸くする。

 驚いた顔もまた女々しい相生葵(あいおいあおい)だが、明日と言われても普通の平常授業だし体育祭までこれといった行事はない筈。もしや俺が先生の話を聞き逃したのか?

 

「えっと……明日パーティーするんだよね?」

「待て葵! それ以上言うなっ! これ駄目なやつだ……誘われてると思った俺が実はハブられてるのを知らず、うっかり話題に出しちゃって不穏な空気になるパターンだ……」

「えぇっ?」

「だって俺、パーティーの話とか一切聞いてないぜ……? ギルティーなら聞いたけど」

「な、何で有罪っ? 寧ろギルティーをどこで聞いたのっ?」

 

 やはり文化祭の打ち上げを欠席したのはマズかったか。

 しかしまさか俺が仲間外れにされていたとはな……うちのクラスって割と虐めとかもないし平和だと思ったのに、上げてから落としてくるなんて酷過ぎる。ギルティーだ。

 

「で、でも櫻君――」

「もう止めろっ! 俺のライフはとっくにマイナスだっ! これ以上話を聞いたら、小さい秋見つけたを熱唱した後で爆発して死ぬことになるっ!」

「ええぇっ?」

「今北産業」

「あ! 丁度良かった! アキト君も明日のパーティーの話って聞いてるよね?」

「モチのロン」

「だ~れかさんが~だ~れかさんが~だ~れかさんが~みぃつけたあああああぁっ!」

 

 眼鏡をクイッと上げた火水木明釷(ひみずきあきと)の返事を聞くなり、手にしていた箒をギター代わりにして激しく掻き鳴らしながらシャウトした。

 ガラオタにさえ話が通っているというのに、俺には知らされていない事実。どうせガラケーが悪いんだろ……うっかり連絡し忘れてたとか、そうやって誤魔化すつもりだろ。

 

「お、落ち着いて櫻君!」

「小さいあ~き~小さいあ~き~小さい」

『ガラッ』(アキトが黙ってドアを開ける)

「あきぃ…………」

「で、どしたん米倉氏?」

「そ、それが櫻君、パーティーのこと知らないって言ってて……」

「そんな訳がアルマジロ。天海氏は陶芸部の許可は得たって言ってたお」

「…………天海?」

「腐ってる妹ですが何か」

「ひょっとしてパーティーって、陶芸部のハロウィンの話?」

「う、うん。あれ? 僕、言ってなかった?」

 

 黙って首を縦に振る。葵がパーティーって言うんだから、普通はクラスだと思うだろ。

 手にしていた箒の根元を持つと、少女もとい少年の頭を柄で軽く小突いておいた。

 

「しかし妙だな。火水木の奴、明日がパーティーって言ってたのか?」

「う、うん。そう聞いたけど……どうかしたの?」

「葵はコスプレの話とかって、何か聞いてたりするか?」

「えっ? コスプレ? ううん、知らないよ」

 

 あれだけ執着していたのに、流石に100個は無理だと気付いて切り替えたのか。

 しかし陶芸部は毎日がパーティーみたいな部活だし、それなら普段と大して変わらない。ゲストとして葵&アキトを呼んだというのも、少しばかり違和感がある。

 

「…………なあアキト、火水木のコスプレ歴は?」

「とりあえず拙者も火水木であることを突っ込んだら負けだと思ってる」

「わかった訂正しよう。賞味期限切れなお前の妹はコスプレイヤーなのか?」

「天海氏は別にレイヤーじゃないお。フレと何度かした程度で、ソロプレイの経験はないですしおすし。どちらかと言うと、他人に着せたいが故に一緒にやる的な?」

「そ、そういうコスプレする人の衣装とかって、お店で売られてたりするの?」

「もち! でも微妙なのも多いから、自分で作る人もいるお」

「へぇー」

「火水木の奴はどうしてるんだ?」

「米倉氏は知ってると思うけど、大半は店長に頼んでる希ガス」

 

 アキトだけじゃなくて、アイツもノブ……店長の存在を知ってるのか。つーかコスプレ衣装まで持ってるとか品揃え良すぎだろ。ノブオ店長……一体何者なんだ?

 

「今、店長と連絡って取れるか?」

「多分いけるけど、何故に?」

「火水木の奴がハロウィンのコスプレ用に、服の注文をしてるか確認したい」

「おk把握」

 

 大して掃除していないアキトから箒を受け取ると、一緒に片付けておく。

 スマホを耳に当てていたガラオタは、少ししてからいつも通りの挨拶を口にした。

 

「ああ、私だ。予想以上に早くアポカリプスが近付いている」

「さ、櫻君、アポカリプスって何?」

「知らん。アホガラオタなら目の前にいるけどな」

「おいっす店長、お疲れっす。天海氏から注文について、ちょいと質問だお…………あ、やっぱあるのね…………ん、リスト確認でよろ。守秘義務? 何それ美味しいの?」

 

 通話していたアキトが、メモの準備をしろというジェスチャーをする。

 俺は慌てて携帯を取り出し新規メール作成画面を開くと、言われた衣装を入力した。

 

 

 

・ウィッチ(帽子・ミニスカ)

・ドラキュラ(マント・シルクハット)

・キョンシー(帽子・着物)

・悪魔(女物)

・メイド(ミニスカ・ゴスロリ)

・ナース(ミニスカ)

・巫女さん(ミニスカ)

 

 

 

「以上七着と。さいですか。ほいほい」

「…………」

「………………」

「どう見てもコスプレするつもり満々です、本当にありがとうございました」

「いや、突っ込むところそこじゃないけどな?」

 

 前半四つはまだ納得できる。しかし後半三つは何だこれ、完全にハロウィン関係ないじゃん。しかもミニスカ・ミニスカ・ミニスカってアイツ、ミニスカートの神様かよ。

 

「拙者的には、用意された衣装が七着というのも気になるんですがそれは」

「俺に葵にW火水木、それに冬雪と阿久津と……確かに、六人だな」

「えっと……櫻君、夢野さんが抜けてるよ?」

「ああ、やっぱり夢野も呼ばれてるのか」

「え…………う、うん…………」

「個人的には、冬雪氏のヨンヨンコスが見たいですな」

「コスプレを一番嫌がってたのが冬雪だから、絶対に着ないと思うぞ?」

「おうふ」

 

 しかしこうなると、尚更わからない。

 衣装の用意さえしてしまえば、ゴリ押しで何とかなるという算段だろうか。

 

「ね、ねえ二人とも。僕も気になることがあるんだけど……」

「ん?」

「どしたん相生氏」

「そ、その……七着ってことは、ボク達もコスプレするの?」

「天海氏の性格を考えれば恐らく」

「陶芸室でも、全員って言ってた気がするな」

「で、でもこれ、男物二着しかないよ?」

「……………………?」

「…………………………?」

 

 俺とアキトは、不思議そうに目を見合わせる。

 そんなの最初からわかりきっていたことなのに、今更何を言っているのやら。

 

「「頼んだっ!」」

「えええぇっ?」

 

 文化祭の女装コンテストへ無理矢理参加させられた挙句、優勝を勝ち取ってきた青年に満面の笑顔で応えた。きっと火水木もそう考えていたに違いない……頑張れよ葵。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 掃除が終わった後、今日は七限にホームルームがある。

 そしてその内容は一部の学生にとって嬉しい、小さなイベントだった。

 

「それじゃあ元気でね米倉ちゃん。ちゃんとお昼は好き嫌いせずに食べるのよ? それから授業も居眠りしないで受けるのよ?」

「田舎のお母さんかお前は。どうせ昼飯は集合するだろ」

「忘れ物は無いか? タンスの中も調べ……ぬわーーっっ!!」

「何で薬草入れたタンス調べて断末魔なんだよっ!」

 

 アホみたいなやり取りをアキトとしている理由は、今日でこの席も最後だからだ。

 入学してから半年と少々。最初の頃は席替えが恋しかったガラオタの後ろというポジションだが、すっかり慣れた今になってから替えられるのは少し淋……しくもないな。

 

「どうか後ろが引けますように……っと」

 

 男子17名、女子19名。合計36名が座る6×6の座席。

 次々とくじが引かれ黒板に描かれたマスに名前が埋まる中、ついに俺の番が訪れる。袋に入っている折り畳まれた紙の中から一枚を選ぶと、祈るように中を開いた。

 

「お帰りんこ。おお、大当たりキタコレ」

「日頃の行いが良いからな」

 

 評議委員が黒板に俺の名前を書いた位置、6番のくじをアキトに見せる。出入り口に最も近い最後尾であり、当然授業中に内職もできる最高の席。唯一の欠点と言えば日が当たらないため、休み時間に光合成という名の昼寝ができないことくらいか。

 

「明釷、行きまーす」

 

 たまに授業中スマホを弄っているガラオタ(ただし成績優秀者)は意気揚々と出発するも、パッとくじを引いて確認するなり重い足取りで帰ってきた。

 

「あるあ……ねーよ」

「おめでとう。逝ってらっしゃい」

「ぬわーーっっ!!」

 

 見せられた番号は7番。俺と番号は一つ違いだが席位置は教師の目の前であり、地獄が埋まったのを見た他の男子達もホっとしていた。そう、アキトは犠牲になったのだ。

 口から阿弥陀像を出す空也上人の如く魂が抜けているガラオタをよそに、残る席の行く末を眺める。いくら天国とはいえ端の席、前の男子と隣の女子は割と重要だ。

 

 

 

 ―― 十分後 ――

 

 

 

(…………どうしてこうなった)

 

 全員の新しい席が決まり、各々の移動が終了する。

 最後尾を引いた時にはウキウキな俺だったが、今は何とも言えない気分だった。

 

(前が見えねえ)

 

 出席番号17番。C―3最後の男、渡辺(わたなべ)

 以前は俺の後ろの席であり、入学当初はアキトの呪縛を逃れようと話しかけた男、渡辺。

 イケメンの癖にクールで寡黙な男、渡辺。

 本当は難しい漢字な男、渡邊。

 別に苦手な訳じゃないが、無駄に身長が高いから黒板が見えにくい。ただそれよりも大きな問題なのは、クラスにいる男子で一番静かな人間が前の席という点にあった。

 

「…………」

 

 チラリと左を見る。

 隣にいるのは女子の中で一番小柄な少女。目を隠すような前髪と編み込んだ後ろ髪が特徴的な如月閏(きさらぎうるう)は、冬雪の友人である。

 テレパシーでも使っているのかと疑問に感じるくらい、いつも静かに昼食を食べている二人。地味と言っては失礼だが、如月は目立たないし喋らない。冬雪を無口と言うのなら、彼女は無音と表現するレベルだ。

 か細い声を聞けるのは授業中くらいで、基本的に首を振るだけ。男子が苦手なのか、声を掛けられるだけでビクつく。ここまでくると小動物を通り越して微生物である。

 

「……ルーと一緒で良かった」

 

 そんな友人の前の席になり嬉しそうな冬雪。俺の周囲にいる三人の中では、彼女が一番話せる相手なのかもしれない。

 まあ前の前には葵もいるし、そこまで嘆くことはないだろう。もっともその姿は全国苗字ランキング第六位、渡辺という名の防壁によってほとんど見えないんだけどさ。

 

「距離が近いから先生のホクロ毛が気になって集中できません。後ろの席をキボンヌ!」

 

 視力の関係で黒板が見えない人が問われる中、堂々と言い放ったアキトにチョップの制裁が与えられた。周囲のクラスメイトも割とウケてるし、結構楽しそうだなアイツ。

 まあ席替えなんてものは好きな異性がいてこそ盛り上がるもの。必死に阿久津の隣になろうとした昔を思い出していると、ホームルーム終了のチャイムが鳴り響いた。



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二日目(火) 俺が猫と同族だった件

「米倉櫻さんの湯呑、その驚愕の値段はCMの後っ!」

「作った本人が司会進行かい?」

 

 仕方ないだろ。こういう役回り担当の火水木が、削り作業に超集中してるんだから。

 放課後の陶芸部にて、今日もマイワールドに浸りながら無事に作品が完成。まじまじと俺の力作を冬雪が眺める中、鑑定中っぽい怪しげなBGMを口ずさんでみる。

 

「さあそれでは見てみましょう! オープン・ザ・プライス! 一! 十! 百! 千!」

「売る商品は基本的に三桁だよ」

「……200円」

「か~ら~の~?」

「……じゃあ100円」

「すいません調子乗りました。200円にしてください」

「……釉掛け次第で300円」

 

 要するに火水木の作品と同等か、やや低い程度の評価ってことか。個人的にはこれ以上ない会心の出来だったんだが、前は50円だった訳だし匠の鑑定結果に文句は言うまい。

 

「ちゃんとキミも成長していたんだね」

「当然だ。人は俺のことを陶芸界の桜木花道と呼ぶ。櫻だけにな」

「そんな大口を叩いていると、作品を2万個作ってもらうことになるよ」

「2万で足りるのか?」

「足りるどころか、普通は卒業までに200個も作れれば充分なくらいさ。いずれにしてもこのレベルの湯呑を作れるなら、この調子で普段から本気を見せてくれると助かるね」

 

 力作の湯呑を眺めながら簡単に言ってくれる阿久津。でも音楽を聴きながらの陶芸って集中できる代わりに孤独で寂しいから、俺としては正直あんまりやりたくないんだよな。

 

「ん? 卒業までに200個って、前に冬雪が言ってた目標と大分誤差ないか?」

「……目標?」

「ほら、来年までに150個ってやつ」

「……目標は目標」

「予定は未定にして決定にあらずってね」

 

 …………もしかして俺、騙されてた?

 よくよく考えてみれば、この前の窯番の際に釉薬を掛けた作品が合計で大体200個。文化祭に売った数が同じくらいだって言ってたんだから、一人頭150個はどう考えてもおかしい。

 別に不可能って訳じゃないが、その目標を達成することがあるならそれは陶芸部が『部活動』となった時くらいだろう。冬とか水も冷たいだろうから、陶芸やりたくないし。

 

 

 

「終わったああああああああああああああああっ!」

 

 

 

「……っ?」

「うぉっ! ビックリした」

「どうしたんだい? いきなり大声を出して」

「できたのよっ! 100個目がっ!」

「へ?」

 

 一週間で100個なんて尚更無理な話。

 そう思っていた矢先の、誰もが驚きを隠せない衝撃的発言だった。

 

「……本当に?」

「マジもマジっ! 大マジよっ!」

「昨日削った分を含めても、まだ半分もいってないだろ?」

「ふっふっふ。甘いわネック! ついて来なさいっ!」

 

 テンションが上がると平常時の声まで大きくなる少女は、外へ出るなり窯場へと向かう。

 焼成以外では立ち寄ることもない空間へ足を踏み入れると、俺達三人はズラリと並んでいる作品を見るなり目を丸くした。

 

「え……これ全部、お前が作ったのか?」

「当然でしょ?」

 

 どこぞの昭和の怪物が持ってた隠し預金ばりに、一つの棚板に作品が10個……それが九枚ずらりと並んでいる。今陶芸室にある板が十枚目……つまり合計は丁度100個だ。

 

「で、でも一体いつの間にこんな数の作品を作ったんだい?」

「土日にイトセンに陶芸室を開けてもらって、朝から晩まで一日中ろくろ回してたの! 100個作って削ったんだけど、2割くらいは失敗しちゃったから新しく作って、もう大変だったんだから」

「先生も陶芸部で休日出勤させられるとは思いませんでしたよ」

伊東(いとう)先生」

「火水木クンの叫び声が聞こえたので、もしやと思いましたが無事に完成したようですねえ。おめでとうございます。それでこそ青春。先生、協力した甲斐がありました」

「イエーイ!」

 

 何故か白衣を身に付けている陶芸部顧問は、火水木とハイタッチを交わす。俺達三人がそれを呆然と眺めていると、伊東先生は首を傾げつつ口を開いた。

 

「ひょっとして疑ってますか? 全部火水木クン一人の力です。先生は何も教えてませんし、アドバイスもしてません。陶芸室を開けた後は、準備室で動画を見てました」

 

 それはそれで問題な気がする。

 別に俺達は疑っている訳じゃない。例え伊東先生の証明がなくとも、短期間でここまで腕を上げた火水木を見れば努力の程が充分に窺えた。

 強いて問題があるとするなら、その活力が道具的条件付け……すなわち二人にコスプレをさせたいという、不純な理由であることくらいだと思う。

 

「えっへっへー。覚悟しなさいユッキーっ!」

「……マーク掘ってないから無効」

 

 冬雪さん、それは流石に無理があると思います。

 詭弁を返す少女の肩へ、大人しく諦めた様子の阿久津がポンと手を置く。

 

「音穏の気持ちもわかるけれど、自分から口にした約束を破るのは良くないかな」

「……仕方ない。でもマークは付けなきゃ駄目」

「マークって?」

「自分の作品だってわかるように、底にマークを描くんだよ。ほら、これが俺の」

「何これ? 豚の蹄?」

「桜だよっ!」

「ああ、そういうこと? じゃあアタシは音符にしよっかな」

「音符マークは音穏が使っているね」

「そっか。みんな、名前を元にしてるんだ。それならアタシは……何かの惑星?」

「三日月は阿久津が使ってるけどな」

「……月は惑星じゃなくて衛星」

「お、おう」

 

 阿久津ではなく冬雪からの訂正とは珍しい。そして兄は曜日で妹は惑星と、火水木家って何か色々と名前で楽しんでるな……まあ我が家も人のことは言えないけど。

 

「うーん……どうしよっかな」

「単純に火で良いんじゃないか? 画数も少ないし」

「惑星なら土星が描き易そうだね」

「……何なら音符は譲る」

「先生、お魚を奨めます。最近食べていないんですよねえ」

「よしっ! 決めたっ!」

 

 約一名どうでも良いことを言っていた気がするが、火水木は大きな胸を支えるように腕組みをして悩んでから置いてあったカンナを手に取ると皿を手に取りマークを付けた。

 

「何にしたんだい?」

「じゃん!」

 

 見せつけられた皿の裏側には星の印。単純な☆ではなく、一筆書きのできる五芒星だ。

 恐らく惑星的な意味だろうが、火水木のイメージだと魔法陣って感じがしないでもない。

 

「うん、良いと思うよ」

「でもこれ全部に描かなきゃいけないのよね」

「頑張ってください。明日のパーティーは先生も楽しみにしていますからねえ。ではでは」

 

 そう言い残すと、伊東先生は一足先に窯場を去って行った。楽しみにしてるというのが俺達のコスプレに対しての意味なら、あの人にも何らかのコスプレをさせたいところだ。

 

「そういや俺達の他に来るのはアキトに葵、それと夢野の三人だけか?」

「うん。その三人だけ……ってかネック、情報早いわね」

「ちょっと待った。さも当たり前のように話しているけれど、その三人を呼ぶのかい?」

「呼ぶってかもう手配済みなんだけど、何かマズかった?」

「まずいも何も、ボク達はコスプレをさせられるじゃないか。それならどう考えてもギャラリーは少ない方が、ダメージが少なくて助かるんだけれどね」

「大丈夫大丈夫。皆でコスれば怖くないって! 写真とかは無しって言ってあるし!」

 

 阿久津が頭を抱えると共に、隣にいる冬雪が物凄く不安そうな表情を見せる。着せられる服の選択肢を知ったら、この二人は一体どんな顔をするんだろう。

 

「しかし明日とはまた突然だな」

「音楽部の二人が空けられる日が、そこしかなかったのよ。イトセンも体育祭前日は早く帰りたいって言ってたし」

「成程。何か持って行く物はあるのかって、葵が気にしてたぞ」

「衣装は手配済みだし…………あ、お菓子は持参ね! 忘れた人には悪戯しちゃうぞ!」

「へいへい。マーク付け、頑張れよ」

「おーっ!」

 

 片っ端から星を刻み始めた火水木を窯場に残し、見るからにテンションが下がっている二人と外へ出る。陶芸室へ戻ろうとした途中、不意に阿久津が足を止めた。

 

「ん? どうかしたのか?」

「猫だ」

 

 恐らく開かれたままの裏門から入ってきたのだろう。阿久津が指さした先には茶色の野良猫が一匹、アスファルトにごろりと寝転んでいた。

 

「……可愛い」

「珍しいね。キミはどこから来たんだい?」

 

 日向ぼっこしている猫の前に、阿久津は屈みこむと優しく問いかける。猫はニャーと答えることもなく、黙って起き上がると少女の横を悠然と通り過ぎた。

 

「ん?」

 

 どこへ行くのかと思えば、何故か俺へ歩み寄る猫。そして足と足の間を八の字を描くようにして、うろうろと歩き回ったかと思うと目の前で再びごろりと横になる。

 

「……ヨネ、懐かれてる?」

「動物に好かれやすい体質でな。野良犬と追いかけっこしたり、学校で飼ってた兎に俺だけは噛みつかれなかったり、カラスから挨拶代わりに糞を落とされたこともある」

「……最後のは違うと思う」

 

 静かに否定した冬雪が猫の正面に回り込みしゃがむ。見えそうで見えないスカートへ視線が吸い込まれかけたが、凝視していると阿久津に気付かれるためチラ見で堪えた。

 まあパンツが見えることなんて都市伝説みたいなものであり、大抵の女子はハーフパンツなりブルマなりスパッツを下に穿いている。それでもブルマ辺りなら充分嬉しい。

 

「しかしまさか本当に作り上げるとはね」

「ん? ああ、火水木か」

「……ヨネも見習ってほしい」

「見習えというなら、まずはそれ相応の報酬が必要になるな」

「仮に同じ条件である一週間に100個として、何が報酬だったらキミは作るんだい?」

「………………」

 

 浮かんできたのは、とても言えないような煩悩ばかりだった。

 中一くらいまでの俺だったらデートやキスという、本人を前には言えないもののまだピュアな解答を想像しただろう。それが今では……父さん母さん、息子は健全に育ってます。

 

「……考え過ぎ」

「実際にやるわけでもないのに、キミは変なところで真面目だね」

「や、やるかもしれないだろ!」

 

 こういう質問ってずるいよな。どこまでが超えていいラインかわからないんだぜ?

 悩みに悩んで悩み抜いた末、俺はイメージを崩さない程度の無難な答えを返した。

 

「お、お弁当……とか?」

「……そんなことでいいなら、毎日買ってくる」

「いや昼飯の奢りとかそういうのじゃなくて……その、手作りのお弁当が欲しいな……なんて」

「…………」

「………………」

「な、何だよ? 二人して黙って」

「……お弁当箱は、ろくろ成形じゃなくてたたら成形」

「違うからっ! 手作りのお弁当って、お弁当箱を作れって意味じゃないからっ!」

「何というか、随分と安い男だねキミは」

「悪かったな!」

 

 どうやらセーフラインより遥かに手前だったらしい。寧ろコスプレという丁度ライン上みたいな条件に匹敵する案があるなら、誰でもいいから俺に教えてくれよ。

 男子高校生にとっての憧れを一蹴した二人は、動こうとしない猫と戯れる。陶芸室前の段差に腰を下ろして少女達を眺めていると、作業が終わった火水木が窯場から顔を出した。

 

「終わったーっ! って、三人で何して……ふぉおおお、猫じゃん!」

 

 興奮し過ぎだろ。縄張りを主張してんのかお前は。

 こちらに答える間も与えず、状況を把握し合流する少女。しかし猫は火水木の股下を通り抜けると、何故か三人から離れ座っている俺の脚の間を再び八の字に歩く。

 

「……またやってる」

「何々? ネック、マタタビでも持ってるの?」

「持ってるわけないだろ。動物全般に懐かれる特殊能力だ」

「うちの猫には嫌われているけれどね」

「アイツは例外なんだよ」

「へぇー。ツッキーの家って猫飼ってるんだ。どんな子どんな子? 名前は?」

「アルカスって言うんだ。ちょっと待っていてくれるかい?」

 

 阿久津はスマホを取り出すと、画面を操作して写真を表示させたらしい。覗きこんだ火水木は、絶対に言うだろうと思った女子高生にありきたりな反応を見せた。

 

「可愛いーっ! いいなー猫。うちってペット禁止なのよね………………ん……?」

「どうしたんだい?」

「え? ううん、良い名前だなって。ネックはアルカス知ってるの?」

「知ってるも何も、引っ掻き攻撃を喰らった。何とか無事に致命傷で済んだけどな」

「……それ、無事じゃない」

「ふーん。同族嫌悪ってやつかしら」

「何で俺が猫と同族なんだよ?」

「別にー」

 

 まあ阿久津からペット扱いされたことはあるけどな。

 妙に上機嫌な火水木をよそに、その日の部活動は日が暮れるまで猫と戯れるのだった。



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三日目(水) コスプレがノリノリだった件

「こほん。レディース・アーンド・ジェントルメーン!」

「天海氏、ボリュームでかいお」

「あー、あー、これくらい?」

「おk」

「マイクも使ってないのに、どこを調節する必要があるんだよ」

 

 いつも通りの平日。何の変哲もない授業が終わった放課後、これといった装飾も施していない普通の陶芸室には見知った顔が集まっていた。

 伊東先生が差し入れしてくれたジュースや菓子類をいただきながら各々が談笑していた中、声も胸もボリュームある少女は頃合いとばかりに前へ出ると全員の注目を集める。

 

「それでは本日のメインイベントですっ!」

「……いきなりメイン?」

「最初からクライマックスなのよっ! ハロウィンと言えば、そう! コスプレっ!」

 

 その四文字を聞いた瞬間、三人の少女(ただし一人はこれから女装させられる少年)が頭を抱えたり溜息を吐いたりする。盛り上がるどころか盛り下がってるじゃねーか。

 

「ん? どうしたの米倉君?」

「いや、夢野はコスプレが嫌じゃないんだな」

「ううん、私だって恥ずかしいよ? でも皆でやるなら良いかなって」

 

 ケロリと答えられるが、耐性があるというより吹っ切れた感じらしい。

 アキトは俺と同じ考えなのか冷静な様子。相生みたいに女装させられるならまだしも、ドラキュラやキョンシーに扮するだけで女性陣のコスプレが見られるなら安いもんだ。

 

「衣装は全部で七着あるから、公平にあみだくじで決めるわよっ!」

 

 既にくじは用意していたらしく、一枚の紙が俺達の前に差し出された。

 並んだ七本の平行線から、梯子のように横線が乱雑に引かれている。他の面々がどれにするか語り合う中、違和感に気付いた俺とアキトは黙って視線を合わせた。

 

「…………おい火水木」

「何よ?」

「線が男女で分かれてないぞ?」

「当たり前じゃない! 男装も女装もありありよ!」

「………………ガラオタのお兄様よ、これは一体どういうことだ?」

「どう見ても予想外です、本当にありがとうございました」

 

 内訳は男性物が二着で女性物が五着だから、女装させられる確率は約71%。高みの見物を決め込んでいた俺達は、天国から地獄へと突き落とされた。

 

 

 

 ―― 十分後 ――

 

 

 

「流石だな」

 

 白のカチューシャに黒のミニスカート。ゴスロリチックなデザインのメイド服を着る羽目になった葵は、言われ慣れているであろう褒め言葉に対し深々と溜息を吐いた。

 

「ほ、本当はあんまり、女装はやりたくなかったんだけどなあ……」

「引き当てた以上は仕方ないだろ」

 

 多分逆の立場だったら、こんな余裕ある言葉を返すことは絶対にできなかったと思う。

 そう、神は俺に味方してくれた。

 くじを引いた後で詳細は伝えられないまま、火水木から手渡された紙袋。その中に入っていたのは、だぶだぶの着物に個性的な帽子&お札というキョンシーの衣装だった。

 

「今北産業……って来年の出し物はメイド喫茶キタコレ」

「た、例えそうなっても、僕は女装しないからね?」

「それよりどこ行ってたんだお前は」

「ちょいと秘密兵器を受け取りに」

 

 てっきり準備室で着替えている女性陣を覗きに行ったのかと思ったのは内緒だ。

 アキトは紙袋に手を突っ込むと、中から現れたのは随分とヒラヒラした黒い布。一体何かと思ったが、白いマスクを見せられてお化けのコスプレだと理解する。

 

「えっ? アキト君、それどうしたのっ?」

「店長お急ぎ便で早急に手配しますた」

「えぇっ? そ、それじゃあ僕の分も――」

「悪いな相生氏。この予備の衣装、一人分なんだ」

 

 がっくりと項垂れる葵。本当に一着しかなかったのか疑わしい話だ。

 用意した衣装が何か知っているのは、事前に店長から聞き出した俺達三人を除けば火水木のみ。そこに気付くとは、やっぱコイツ成績優秀者だけあって頭の回転が速いな。

 

「ちなみに本当の受け取り品は?」

「ミニスカナースとか、あるあ……ねーよ」

 

 確かにそれは見たくない。多分R―15指定とかされると思う。

 しかし俺がキョンシーで葵がメイド、アキトがナースだったとなると、残る衣装はドラキュラ・悪魔・巫女・ウィッチの四着か。誰が何か想像するだけでワクワクしてくるな。

 

「もしもーし、ちょっと入っても大丈夫?」

 

 ドアの向こうから、火水木のでかい声が聞こえてきた。

 チラリとアキトを見ると、制服の上からでも着られるローブだったらしい。あっという間にお化けと化した青年と、スカート丈を気にしているゴスロリメイドに許可を取る。

 

「大丈夫っぽいぞ」

「お邪魔しま…………はあっ? ちょっと兄貴っ! 何よそのコスプレっ?」

「渡されたナース服があまりにもミニスカ過ぎでワカメちゃん状態だったので、こんなこともあろうかと事前に用意しておいた予備を着用した所存。反省はしている」

「む……まあそういう理由なら仕方ないし、自分で用意したなら許すけどさー」

 

 本当は着てすらいないというのに、このガラオタ本当に策士である。

 中に入ってきた火水木の頭には三角帽子。そしてチャームポイントが更に強調されるかの如く、胸元が大きく開いている魔女というより魔法少女っぽい服を着ていた。

 

「で、何し来たんだ? 忘れ物か?」

「そうだった! ネック、アンタのズボンちょっと貸してくんない?」

「は? 何でだよ?」

「ドラキュラの衣装にインナーが入ってなかったのよ。多分制服の上から着ろってことなんだろうけど、スカートじゃ恰好つかないからプリーズ!」

「そういうことなら……ほれ」

「サンキュ」

 

 流石の店長も、男装や女装は予想外だったみたいだな。

 普通に谷間とか見えそうなのに恥ずかしさの欠片も見せない少女は、俺から制服のズボンを受け取るなり礼を告げると足早に去って行った。

 

「アキト君、ずるいよ……」

「次があるなら、相生氏には着ぐるみとか用意しておくお。仲介料は500円なり」

「その時には俺の分も頼む」

 

 ワンコインでプライドが守れるなら安いものだ。

 火水木が出て行ったから一分くらい過ぎた後で、ガラリと陶芸室のドアが開けられた。

 

「ドキドキワクワクが足りてない皆さん! おー待ーたーせーしーまーしーたーっ!」

「それにしてもこの天海氏、ノリノリである」

「男性陣も中々の揃い踏みですが、やはりコスプレの華と言えば女の子っ! それでは一人ずつ入場して貰いましょう! まずは陶芸部の巨匠ことユッキー、どうぞ!」

「!」

 

 魅了の魔法とか使いそうなウィッチ火水木の案内に合わせて、紅白の巫女服を身に纏いお祓い棒を手にした冬雪が姿を見せる。

 本来ならミニであるスカートは、小柄な彼女にとって程良い長さだった様子。ボブカットの髪形も清楚な雰囲気とマッチしており、思わず黙って見惚れてしまった。

 

「めちゃんこ似合ってる件」

「……誰?」

「おうふ! 拙者拙者!」

「気をつけろ冬雪。今流行りの拙者拙者詐欺だ」

「もしもし秀吉? 拙者拙者、そう信長! 今ちょっち裏切られちゃって、腹切らなきゃヤバイ状況なり。それで十万石ほど必要でして……うん、本能寺にいるお」

 

 色々とアニメ出演が多い信長だけど、流石にここまで酷いのはいないだろう。そもそも飛脚で連絡が届く頃には手遅れだし……あ、三日天下ってそういうことなのか?

 

「さあさあ、続いては頭脳明晰に品行方正。文武両道といった四文字熟語が似合いそうな我らの陶芸部が誇る副部長、ツッキーの入場です! カモンッ!」

 

 ノリノリの火水木が高らかに宣言する。今回の企画において一番の楽しみであり、色々なコスプレ姿を想像するあまり昨晩は中々寝付けなかったくらいだ。

 容姿端麗な阿久津なら、何を着ても可愛いだろう。滅多に動揺を見せない彼女がミニスカ衣装を着ることで、赤面や恥ずかしがる姿なんて見れた日には感無量である。

 

「キョンシーにお化けに……女装を引き当てたのは相生君か。何というか、災難だったね」

「…………」

 

 そんな胸を高鳴らせていた俺の希望は、見事なまでに裏切られた。

 自分の姿を気にするどころか、他人を気遣う余裕を見せつつ威風堂々と入室する少女。それもその筈、何故なら彼女のコスプレはミニスカでも何でもないドラキュラである。

 

「音穏の巫女もおかしいと思ったけれど、メイドはハロウィンの仮装なのかい?」

「まあまあ、そこは言いっこなしで!」

「あ、阿久津さん。衣装交換しない?」

「悪いけれど、それは遠慮しておくよ。コスプレも、こういう衣装なら中々に面白いね」

 

 チェンジで……と、思わずそう言いそうになった。

 襟立てマント&シルクハット姿も中々に洒落ているが、その方向性は可愛いじゃなくて恰好いい。スカートではなくズボンに穿き換えたことで、素肌の露出も減っている。

 

「そして最後の一人っ! 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花! 全世界を震撼させる最高の衣装を引き当てた最高の音楽少女ユメノンの登場です! ヒァウィゴゥ!」

 

 よくもまあ、ペラペラと言葉が出るもんだ。

 やたらハイテンションな火水木の台詞を聞いて、残る衣装が何だったか思い出す。

 

「――――――――」

 

 しかし少女の姿を目にした途端、頭の中は真っ白になった。

 コウモリみたいな羽。ニョキっと生えた二本の角。矢印みたいな尻尾。

 やたらと付属品の多い悪魔のコスプレだが、何より驚いたのは素肌の面積の多さ。恐らくは今回用意された衣装の中で、一番露出が多いだろう。

 

「あでっ!」

「おうふっ!」

「痛いっ!」

 

 キャミソールとニーハイソックスが織り成す絶対領域もまた魅力的で、思春期男子の俺達には大当たり。思わず目が釘付けになっていると、冬雪にお祓い棒で叩かれた。

 

「……見過ぎ」

「ね、ねえミズキ? やっぱりこれはちょっと……」

「えー? 一応衣装はナース服が残ってるけど、兄貴が一回着ちゃったのよねー」

 

 ここで嘘だと明かせば夢野のナース姿が見られるが、今の悪魔っ娘も捨てがたい。そんな葛藤に苛まれていると、シルクハットをかぶるドラキュラ少女がマントを脱いだ。

 

「それならこれを着るといい。同じ悪魔同士、見た目も大して変わらないだろうからね」

「ありがとう。ごめんね?」

「男性陣には、これくらいの気遣いが欲しいわよねー」

「…………(キョンシーのお札を差し出す)」

「…………(お化けのマスクを差し出す)」

「…………(メイドカチューシャを差し出す)」

「いらないわよそんなもんっ!」

 

 内側が赤で外側が黒の襟立てマントを夢野が身に着ける。阿久津の予想した通り違和感は無いものの、渡した本人からは吸血鬼要素が減りマジシャンみたいになっていた。

 

「葵君の女装姿、やっぱり凄く似合ってるね」

「そ、そう言われると嬉しいけど、あんまり見ないでほしいな……」

「……ヨネ。お札の位置がおかしい」

「正面に付けると前が見えないんだから仕方ないだろ」

「そのお札、どうやって付いているのかと思ったらマジックテープなんだね」

「冬雪氏、冬雪氏。拙者、言ってほしい台詞がありまして(ごにょごにょ)」

「……うん、わかった」

「ん? 何だよ?」

「……おはらいは任せろー『バリバリ』」

「やめて!」

 

 いざこうして全員が揃ってコスプレをしてみると、思った以上に盛り上がっている様子。何だかんだで火水木の策略通りと言ったところか。

 その後もカチューシャや角を皆で回して付けたり、誰に何の衣装が似合いそうか話し合ったり、色々と混ぜ合わせた融合幻獣を生み出したりと、俺達は楽しいハロウィンパーティーの前半戦を存分に満喫した。



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三日目(水) 人生ゲームが波瀾万丈だった件

『ヨン! ヨン! ヨン! ヨン!』

 

「……何の音?」

「あ、拙者の携帯なり………………はい、もしもし?」

「?」

 

 画面を見たアキトは席を外すと、珍しく普通に応答しながら廊下へ出ていった。

 お化けのコスプレをしたままだが、マスクさえ外しフードをかぶっていなければ大して目立たない。寧ろ某魔法学校の生徒みたいなローブ姿は、若干恰好良いくらいだ。

 

「さてと。それじゃあ、そろそろ出しちゃおうかな」

「何をだ?」

「ふっふっふ。刮目しなさいっ!」

 

 魔法少女ムネカ・マジカこと火水木は不敵な笑みを浮かべつつ立ち上がると、普段お菓子入れにしている引き出しを開ける。

 どうやら強引に突っ込んで入れたらしく中身を取り出すのに手間取りつつも、少女は引き出しのサイズと同じくらい長細い箱を引っ張り出してきた。

 

「じゃーん! 人・生・ゲェェェェェェェムッ!」

「また持ってくるのも大変だったろうに、いつの間に用意していたんだい?」

「勿論、日曜に! こういう時間が掛かるゲームは、流石に普段できないでしょ?」

「あれ? ミズキ、これ2~6人用って書いてあるけど?」

「嘘ぉっ?」

「大丈夫だ、問題ない」

 

 通話を終えて戻ってきた第七勢力、アキトはドヤ顔で応える。てっきり「一番良いゲームを頼む」とか言ってくるのかと思いきや、ガラオタは着ていたローブを脱ぎ始めた。

 

「拙者は参加できないので、丁度リミットぴったりだお」

「ああ、9歳以上向きだもんな」

「ヒドスッ!」

「もしかして店の手伝い? それならアタシも――――」

「天海氏は企画者ですしおすし」

「えっと……お店って?」

「良い質問だお相生氏。火水木家は代々、文具店なのである」

「そ、そうだったんだ」

「まあ文具店って言っても、漫画雑誌とかプラモデルとか置いてあるけどね。この人生ゲームも、店に置いてあったのを持ってきた感じだし」

「えぇっ? そ、それ、大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫!」

 

 何となく、この二人がオタクに染まった過程が見えた気がする。過程っていうより、家庭って漢字の方が相応しいかもしれないけど。

 

「家を継ぐのは長男の役目。ここは拙者に任せていただこう」

「アキト……お前…………」

「この店番が終わったら拙者、刀っ娘ラブのアナログ型マクロ作るんだ」

「お前……最近ちょっと丸くなってないか?」

「ちょま」

「確かに前にボランティアで顔を合わせた時よりも、一回り太ったような気がするね」

「ぶっしゅ!」

「ひょっとして兄貴、ナース服も実はパッツンパッツンで着れなかったとか?」

「あぐもんっ!」

 

 割とガリガリだったイメージのガラオタだが、ふと胸を張った姿を見て思わず突っ込み。追加攻撃が入った辺り、どうやら俺の気のせいではないらしい。

 脱いだローブを黙って鞄に詰め込んだアキトは、結果にコミットするダイエットCMを真似するように俯いたままゆっくり回転し始めると低音を口ずさむ。

 

「ブゥーチッブゥーチッ♪ ブゥーチッブゥーチッ♪」

「「ウェンザナイッ!」」

 

 まさかの打ち合わせなしに火水木とハモった。

 笑いの渦が巻き起こる中、ペーペケッペッペペーペーペペできなかったアキトは下を向いたまま退場していく。きっと店の手伝いが、丁度良い運動になるだろう。

 出口前でされた敬礼には皆で応えてガラオタを見送りつつ、人数的な問題も解決したところで俺達の人生ゲームが始まった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ほいこれ説明書、ユメノン宜しくっ!」

「はいはい。まずは車を決めてください」

「ぼ、僕、青の車でもいいかな?」

「葵だけに青ってか?」

「車の色くらい、早いもの勝ちで決めても良いんじゃないかい?」

「ならアタシ、赤い車がいい!」

「じゃあ俺は緑で」

 

 ――少女散策中――

 

「あれ……? 緑の車はあるけど、緑色の旗が無いみたい……」

「おい不良品だぞ、火水木文具店」

「あー、だから脇によけてあったのかしら? まあその程度、別にいいでしょ?」

「人生の最初から随分と不吉だね……夢野君、旗はどういう時に使うんだい?」

「えっと、家を建てた時とかに目印として使うんだって」

「じゃあネックは旗の代わりに人を使うってことで」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……野球選手に就職」

「うーんと、これかな? 冬雪さんが高収入の職業ゲットでーす」

「……女で野球選手は厳しい」

「いや、そこにリアリティを追求するなよ」

「次はアタシの番ね! そぉいっ!」

 

『カラララララララララ――――』

 

「ひ、火水木さん。あんまり強くやると壊れちゃうよ?」

「これくらいやらないと、でかい数も出ないってもんよ!」

「十だね」

「ほら見なさいっ! 何々、このマスまでに就職できなかったらフリーター……へ?」

「大は小を兼ねると言うけれど、何でも大きければ良いというものでもないかな」

「………………」

「気のせいか今キミは、随分と失礼なことを考えていなかったかい?」

「滅相もございません」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「好きな数字二つに金を賭けてルーレットを一度だけ回し、当たったら賭け金の五倍が手に入る……だそうよネック。面白そうじゃない」

「期待値は低そうかな」

「やってやろう。全財産七万三千ドルを、今この時に全てつぎ込む!」

「えぇっ? 櫻君、まだ序盤だよっ? 本気なのっ?」

「まあ落ち着けって葵。最初だからこそ後で巻き返せるし、こういう時は勢いが大切だ。俺の才覚と潔さをとくと見るがいい! 指定する数字は櫻の三と九だっ!」

 

『カラカラカラカラカラッ』

 

「……四」

「夢野! 俺に約束手形の準備をっ!」

「はいはい」

「確かに潔いね」

「ま、負けたのに恰好良く見えるけど……何か複雑だなあ……」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「えっと……あっ! 結婚だ! 夢野さん、女の人を貰ってもいいかな?」

「はい、どうぞ」

「今乗った女の人がオイオイなんでしょ?」

「えぇっ? 違うよっ? 仮にそうだとしたら今まで僕の車には誰が乗ってたのっ?」

「んー……ネック?」

「勝手に人をカップリングするな。俺はちゃんとマイオープンカーでドライブ中だ」

「でも前に確か、キミの愛は性別を超えたとか何とか――――」

「さあさあ次は誰の番だっ?」

「……ユメの番」

 

『カラカラカラ』

 

「子供が生まれて出産祝い。全員から二千ドル貰う……だってよ」

「えー? 仕方ないなー。おめでとユメノン」

「お、おめでとう夢野さん」

「……おめでとう」

「僅かばかりだけれど、お祝いだよ」

「俺からの餞別だ。遠慮なく受け取ってくれ」

「米倉君! さりげなく約束手形を渡さないの!」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「やったねツッキー、昇進できるよ!」

「おいやめろ」

「ネックって結構こういうの知ってるけど、ひょっとしてオタ?」

「お前の兄貴の影響だよっ! それより先生って、昇進すると何になるんだ?」

 

『ペラリ(校長先生)』

 

「確かに給料は増えるけれど、下からも上からも板挟みになりそうな立場だね」

「あ、阿久津さんの校長先生って、どんな感じなのかな?」

「スピーチの最中に寝てる奴とかいたら、一人ひとり名指しするとかじゃないか?」

「先日、生徒が廊下を走っていました櫻。転んで大怪我をしないようにするために櫻。そして他の人にぶつかって櫻。怪我を櫻。させない櫻。ため櫻にも櫻」

「最早ただの語尾じゃねーかそれ」

 

『カラリ……』

 

「冬雪さんも昇進?」

「……メジャーリーガーは流石に無理」

「戻すな戻すな! 別になっても大丈夫だから!」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「いい加減フリーターから脱したいわね……せいっ!」

「あ! ミズキ、家を買えるマスへようこそ。はい、旗」

「……フリーター、家を買う?」

「お金がねー……一番安いマンションにしておくわ」

「子供五人に対して、フリーターでマンション暮らしは中々に過酷そうかな」

「次は俺の番か」

 

『カラカラカラカラッ』

 

「米倉君も家を買うマスだけど、どうする?」

「約束手形をくれ! 一番高い家を買うぞっ!」

「キミはお金を湯水の如く浪費していくね。普段の倹約っぷりが嘘みたいだよ」

「はい、どうぞ。あ、でも緑の旗が……」

「そうだったな。仕方ない」

 

『ブスリ』

 

「えぇっ?」

「躊躇いなく自分を屋根に刺したわね」

「大方、借金に手が回らなくなったんだろう。あの家には近寄りたくないね」

「勘違いするな。これはあれだ……ほら、家の屋根についてる……シャチハタっ?」

「「「シャチホコ!」」」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「お土産として高級時計を手に入れる……だそうだよ」

「はい葵君、高級時計」

「あ、ありがとう」

「これで五万ドルとは驚きだね。どうも物の価値やセンスはいまいちわからないよ」

「でも前に水無月さんがボランティアで着てた服、凄く可愛かったよ?」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、あれは売られていたコーディネートをそのまま着ただけなんだ。服の合わせ方というのは、いまいちわからないかな」

「じゃあじゃあ、今度四人でショッピングとか行かないっ?」

「……行きたい」

「いいね。楽しみだよ」

「それなら……ってゴメン、私の番だったっけ」

 

『カラカラカラ』

 

「夢野君もアイテムみたいだね。珍獣を手に入れる……だそうだけれど」

「え、えっと……珍獣珍獣…………へ?」

「どうしたの葵君?」

「ち、珍獣、二十万ドルだって……」

「何だとっ?」

「後半になって価格が高騰してきたのかな? ボクは一回休みだから、天海君の番だね」

「それならアタシも、何かしらアイテムをゲットよ! ふぉいっ!」

 

『ガッ! カララ……』

 

「ライオンを飼うことになり、五万ドル払うそうだよ」

「……フリーター、ライオンを飼う?」

「ユメノン! 約束手形プリーズ!」

「どんどん経済格差が激しくなっていくな……そして火水木、地獄へようこそ」

「ま、まだまだこれからよっ!」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……バナナの皮で派手に転んだ。生命保険を払わなければ四万ドル払う」

「アンタ屋根に突き刺さってる筈なのに、転ぶなんて凄いわね」

「どうするの米倉君?」

「勿論、生命保険だ」

「流石は人生ゲーム。ギャンブルは良くないという教訓が伝わってくるよ」

「絶望っ……! ネック、地下行き確定っ……!」

「お前も借金持ちだろ」

「で、でもバナナの皮で転んで四万ドルって、どんな大怪我したのかな?」

「そりゃ決まってるじゃない。バナナだけに――――」

「言わせねーよっ?」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「あ、あれ? これって櫻君がやったギャンブルマス?」

「うーんと、ちょっと違うみたいね。好きな数字一つにお金を賭け、ルーレットを一度回し当たったら賭け金の十倍が手に入る……だから、ネックのより厳しいっぽいわ」

「ほほう、さあ葵よ。お前も全財産を賭けるのだ!」

「えっと……じ、じゃあ賭けるのは一万ドルで、数字は一にしておくよ」

「何だとっ? それでも男かっ?」

「期待値的にも正しい選択だね。そこのギャンブラーは放っておこうか」

 

『カラカラカラカラッ』

 

「えっ? や、やった!」

「何……だと……?」

「……大当たり」

「おめでとうございまーす。賞金の十万ドル進呈です!」

「ええいっ! こうなったら大魔王自ら、手を下してくれるわっ!」

「あっ! 櫻君、僕の車を池に沈めないでよっ!」

「流石ですぜ大魔王様! 次はあっちの二十万の珍獣を持つユメノンの車を――――」

「……お祓い」

 

〈2HIT!〉

 

「「すいませんでした」」

「まるで子供だねキミ達は」

「衣装的に、悪魔は私と水無月さんの筈なのにね」

「で、でも人生ゲームの大魔王って、もしいるなら一体何になるのかな?」

「「「「「…………」」」」」

「えっ? えっ?」

「聞きましたか大魔王様。あのメイド、触れてはいけない禁忌を口にしましたぜ」

「愚か者め! 旗となり永遠の時を悔やむがよいっ!」

「ええっ? あっ! 止めてよ火水木さんっ! 僕を屋根に刺さないで――――」



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三日目(水) ハロウィンパーティーが大成功だった件

「やっとゴールか……」

「結局トップは夢野君だったね。次いで音穏、それからボクと相生君かな」

「……珍獣パワー凄い」

「はあ、約束手形だけでも返せて良かったわ。借金まみれの人生とかまっぴら御免よ」

「でも面白かったね。気付けば結構いい時間になっちゃったし」

 

 夢野の言う通り、窓の外ではオレンジ色をした夕日が沈み始めていた。

 充分に楽しんだ人生ゲームを片付けていると、ガラリとドアが開き伊東先生が現れる。

 

「トリックオア陶芸。中々に盛り上がっていますねえ」

「あ! お、お邪魔してます」

「どうもどうも。皆さん若いだけあって、とても良く似合っていますよ」

「イトセンもコスプレする?」

「先生、既にコスプレ済です。マッドサイエンティストですよ」

「……いつもと同じ白衣」

「まあそう言わないでください冬雪クン。ここでコスプレせずとも先生、近いうちに仕事で強制的にやらされますから」

 

 コスプレさせられる仕事って、この人は教師以外に売り子でもしてるんだろうか。

 各々が頭の上に?を浮かべる中、伊東先生は細い目で人生ゲームをまじまじと眺める。

 

「対象年齢は9歳以上ですか。先生、22歳以下とか書かれてなくて安心しました。大人になると夢を追えなくはなりますが、夢を見られなくなったら終わりですからねえ」

「でも先生って公務員だし、勝ち組ですよね?」

「確かに世間一般論では米倉君の言う通りかもしれません。しかし大切なのは人生を楽しんでいるかどうかだと先生は思います。一流企業に勤めるサラリーマンも、コンビニバイトの売れない音楽家も、毎日が面白ければ良いじゃないですか」

 

 俺達の誰もが、思わず感心していた。

 普段は子供みたいなことばかりしている伊東先生だが、やはりこの人も立派な大人だ。

 

「流石はイトセンっ! それでこそアタシが見込んだ教師よっ!」

「あんまり調子に乗ってはいけませんよ火水木クン。そういう上から発言は生徒を指導する教師という立場上、流石に見過ごせませんからねえ。先生のいない所でお願いします」

「はーい」

「い、いない所でならいいっていうのは、何か違う気がするんですけど……」

「そんなことはありませんよ相生クン。陰口や噂話なんて誰もがするものです」

「えっ? な、何で僕の名前を……?」

「火水木クンから聞いていますし、文化祭における女装コンテストの写真は先生も拝見していますからねえ。職員室でも評判でしたよ」

 

 メイド服を身に着けた青年は、肩を落とすと深々と溜息を吐く。確かにこういう情報は、本人のいないところで話した方が良さそうだ。

 

「何にせよハロウィンは大成功ねっ! この調子でガンガン次も企画していくわよっ!」

「ひ、火水木さん。企画って……?」

「よくぞ聞いてくれましたっ!」

 

 火水木は眼鏡を光らせ黒板の前に立つと、チョークを手に取り箇条書きしていく。

 

・クリスマス

・初詣

・スケート

・花見

・旅行

・海

・七夕

・夏祭り

・バンド

 

「とりあえずパッと思いついたので、こんな感じかしら?」

「……無理」

「即答しないでよユッキーっ!」

 

 恐らくはスケートや海、バンドという単語を見ての判断だろう。しかしこうして定番のイベントを並べられると、ものの見事に家族と一緒orスルーしてきたな俺。

 

「人生で一度きりの高校生活、こういう青春してみたいと思わないっ? 勉強して部活してテストするだけの三年間とか、つまんないじゃないっ!」

「バンドがしたいなら、軽音楽部を掛け持ちすれば済む話じゃないか」

「わかってない! ツッキーもユメノンと一緒で、青春を全然わかってないわ!」

 

 伊東先生の青春病が、土日を共に過ごしたことで火水木に移ったのだろうか。

 そんな風にさえ思える程に熱く語る少女は、チョークで葵から順番に指し示していった。

 

「男の娘!」

「えっ?」

「無口系!」

「……私?」

「ボクっ娘!」

「否定はしないよ」

「そしてこの緩々な部活! あの理解ある顧問! アタシはこの個性溢れるメンバーでこそ、バンドがやりたいのよっ!」

「そう言われると先生、照れちゃいますねえ」

 

 少し目を離していた隙に、伊東先生はとんがっているコーン的なお菓子を両手の指に嵌めていた。理解あるっていうより、単に大人げないだけな気もする。

 そして火水木さんに尋ねたい。夢野には既に話してたみたいだから暗黙の了解だとして、今挙げたメンバーの中に一名入ってないんですが……と。もしかして俺、いらない子?

 

「そんなに熱く語られても、バンドをするには楽器と環境と経験が必要だろう? 軽音楽部でもない高校生に、それらを求めるのは難しいと思うけれどね」

「うーん、じゃあバンドは諦めよっかな」

 

 阿久津の至極真っ当な正論に折れる火水木。流石の店長と言えど楽器まではカバーしてないだろうし、俺達だってバンドがしたいなら陶芸部や音楽部に入部はしない。

 

「でも学園って響きに期待して入学したのに、屋代って大きい以外は割と普通の高校よね。髪色は仕方ないにしても、変な語尾で喋る子とか誰もが知ってるアイドルとかいないし」

「変な語尾なら、それこそパソコン部とかにいるんじゃないか?」

「あんな濃すぎる連中はノーカンよ! 部室内で馬ヘッド被ってメリケン付けるような男となんて、一緒に青春を楽しめる訳ないでしょっ?」

「えぇっ?」

「マジだったのかよそれ……」

「とにかくアタシは高校生活を充実させたいの! 皆でボーリングとかカラオケとかショッピング行ったり、誰かが休んだらお見舞い行ったり、泊まりでワイワイしたいのよ!」

 

 オタクで眼鏡で音楽家……そんな個性に溢れた少女は笑顔を浮かべつつ夢を語る。

 確かに彼女の気持ちは分かるが、現実的には厳しいものも多いだろう。風邪で休んだらお見舞いとかなんて、親からすれば感染を懸念して部屋に入れたくないと思うし。

 

「今日だってアタシが持ってきたチョコ、誰か酔っ払ったりしないかと思ってお酒が入ってるのにしたんだから!」

「ええぇっ?」

「もしかしてお菓子持参って、このチョコで酔わせるのが目的だったのか?」

「だってベロベロになったユッキーとかツッキー、見てみたいじゃない!」

「あ、確かにそれは私も見たいかも」

 

 今まで友人の熱弁を黙って見守っていた少女が口を開く。勿論俺も同じことを考えた訳だが、決して声に出すことはない。

 

「個人個人の酔い易さにもよるけれど、チョコに入っている程度のアルコールじゃ酔うにはそれなりの量が必要だろうね」

「量って、どれくらいなのよ?」

「流石にそこまではボクもわからないよ。気になるなら、自分で実験してみるといい」

「あ、それはちょっと勘弁かも……」

 

 平凡な日常を精一杯楽しもうとする少女は、体重でも気にしているのか苦笑を浮かべた。

 しかし火水木がここまで必死になるのも頷ける。無口少女くらいなら如月もいるし中学時代でもシャイな奴はいたが、男の娘&ボクっ娘&こんな教師は確かに珍しい。

 全校生徒2500人という規模ならではかもしれないが、そんな屋代でも制服は奇抜でも何でもない普通の紺色。財閥や理事長の子なんて存在は、噂すら聞かない訳である。

 

「………………」

 

 もっとも阿久津がボクと名乗るようになった原因は俺なんだけどな。

 当の本人が覚えているのか眺めていると、不意に視線が合ったため黙って逸らす。

 

「その様子だと夢野君は、この手の話を聞き慣れているようだね」

「うん。お昼とか一緒に食べてる時、ミズキが喋ることってこういう話ばっかりだから。後は男の子同士の話とか――――」

「ちょっ? ユメノンっ! 音楽の話とかもしてるでしょっ!」

「たまにね」

 

 悪戯めいた笑顔で応える少女に、ギャーギャーと火水木が叫ぶ。若干腐っている彼女だが、今回みたいな企画を躊躇いなく提案してくれるのは正直ありがたい。 

 もしも男である俺がコスプレを言い出していたら、間違いなく引かれていただろう。本人が気付いているかは知らないが、彼女みたいな存在こそ青春に一番必要な個性な訳だ。

 

「さてさて。外も暗くなってきましたし、今日はこの辺りでお開きにしましょう。残ったお菓子は先生が食べておきますので、皆さんはどうぞ着替えてきてください」

「はーいっと」

「ありがとうございます」

 

 夢野が丁寧に伊東先生へ頭を下げた後で、魅力に溢れていた女性陣が陶芸室を出ていく。秋になり制服も衣替えしているため、これでガードの甘かった胸元とは完全にお別れか。

 

「あ!」

「ど、どうしたの櫻君?」

「俺のズボン、阿久津が穿いたままだ……」

 

 ここで今なら間に合うとか考えて、準備室に乗り込んだらラッキースケベだよな。

 勿論そんな真似をすることはなく、小心者の俺は着替えが終わるまで大人しく餅菓子を食べるのだった。実はキョンシーの弱点が餅米とも知らずに、それはもうパクパクと。



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三日目(水) 側溝の100円玉は拾う物だった件

「一番事故の多い時間帯だけれど、二人とも気を付けて」

「うん。ありがとう水無月さん」

「……お疲れ」

「ネック! 罰ゲーム忘れるんじゃないわよっ?」

「わかってるっての」

「じ、じゃあまたね夢野さん、櫻君」

 

 校門を出たところで、阿久津・冬雪・火水木・葵と別れを告げる。四人は電車通学であり、自転車通学なのは俺と夢野だけだった。

 ちなみに罰ゲームというのは、人生ゲームのビリがトップにジュース一本。六人もいるなら大丈夫と高を括っていたが、いざこうなると懐事情が厳しい俺には地味に痛い。

 

「じゃあ私達も帰ろっか」

「ああ」

 

 一緒に帰ると言っても自転車の並走は違反のため、俺の後へ夢野が続く形になる。風を切っているため声も聞こえ辛く、信号で止まった時以外は大した会話もしなかった。

 そもそも自転車による下校でロマンを求めるなら、普通は一台を二人乗りするのが定番中の定番。そして今のご時世では、それも当然違反なのは言うまでもない。

 長い長い下り坂をゆっくり下ることもないまま二人で疾走した後、夢野が働くコンビニ前の横断歩道で止まると自転車から降りて財布を用意する。

 

「櫻君に奢って貰うの、久し振りだからワクワクしちゃうな」

「ああ、幼稚園の時の以来ってか?」

「さあどうでしょう?」

 

 恍けるような返事をしつつ、少女はペロっと舌を出した。

 信号が赤から青へ変わったため、片手で自転車を押しながら小銭を手に取る。

 

『チャリン』

 

「あ」

 

 100円玉を二枚取り出したが、重なって出てきた三枚目が落ちてしまった。

 そして暗闇の中をコロコロ転がっていった硬貨は、あろうことか側溝へとダイブする。

 

「…………マジか」

 

 自転車を一旦止めると携帯を取り出し、カメラを起動してからライトで照らした。

 銀色をした格子の奥へと落ちた100円玉。たまに外れる物もあるため手を掛けてみるが、残念ながらこの蓋は固定されビクともしない。

 世の中何でもそうだが、横着はするものじゃないな。

 

「米倉君、ちょっと待ってて」

「?」

 

 溜息を吐いて諦めかけた矢先、夢野はそう言い残すとコンビニの中へ入る。一体どうするつもりか疑問に思っていると、少しして彼女は割り箸とテープを片手に戻ってきた。

 

「これで取れないかな?」

「サンキュー。やってみる」

「ゴメンね。もっと役立つ物があれば良かったんだけど……」

「これで充分だよ。大助かりだ」

 

 割った箸をテープで縦に繋げ、一本の長い棒にする。

 そしてその先端へ粘着面が外側になるようテープを貼り付け、側溝内をライトで照らしつつ落ちている硬貨へ接着による救出を試みた。

 …………が、失敗。

 割り箸に貼りつきはしたものの、持ち上げていく途中で100円玉は落ちてしまう。

 

「あっ! 惜しい!」

 

 

 

『――――あっ! 惜しい――――』

 

 

 

「っ?」

「…………? どうしたの? 米倉君」

 

 顔を上げた俺と目が合った少女は、不思議そうに首を傾げる。

 

「いや……前にもこんなことがあった気がして……」

「それってデジャヴ? でも米倉君なら、溝にお金とか落としてそうかも」

「悪かったな」

「ゴメンゴメン。何か他に何か役立ちそうな物がないか、私もう一回見てくるね」

 

 二度目の挑戦にも苦戦している俺を見て、少女は再びコンビニへ。これがバイト先でもない普通の店とかだったら、相手の迷惑を考えてしまい中々できない行動だ。

 

「…………」

 

 夢野の反応を見た限り、演技とかではなく本当に心当たりがない感じだった。

 以前どこかで同じようなことを経験した気がしたが、俺の勘違いだったんだろうか。

 

「ただいま。どう?」

「絶賛苦戦中」

 

 器用な人ならこれ一本でも取れるのかもしれないが、俺では到底技術不足だ。

 夢野が持ってきた新たなお助けアイテムは、割り箸とテープに加えスプーン。先程俺がやったのと同じように、少女は長い棒を作ると先端にテープ付きスプーンを付けた。

 

「これでペタってできないかな? あ、携帯は私が持つよ」

「悪い」

 

 右手の粘着棒と左手のスプーン棒を、格子状になってる蓋の奥へ。地面に対して垂直に立てたスプーンへ、粘着棒で持ち上げた硬貨をくっつける。

 

「いけるか……?」

「頑張って!」

 

 震える両手の棒で100円玉を挟み込んだまま、そのまま慎重に上へ持ち上げていく。

 格子の高さを超えた瞬間、携帯を持っていた夢野が硬貨の下に手を添えてくれた。

 

「やった!」

「よっしゃ!」

 

 苦戦した救助作業が無事に終了。二本の棒を置くと、少女から携帯を返される。

 俺達は互いに笑顔を見せると、そのままハイタッチを交わした。

 

「悪いな。色々用意して貰って」

「ううん、このくらいお安いご用だから。じゃあ米倉君、あと20円くださいな」

「何にするんだ?」

「勿論、米倉君の愛用品!」

 

 一応聞きはしたものの、やっぱりそうだよな。

 少女と共にコンビニへ入った俺は道具提供に協力してくれた店員にお礼を告げた後で、彼女の希望に応えて桜桃ジュースを奢るのだった。



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四日目(木) 突然のバンドがカオスだった件

 サーッという音を立てて、雨が降っている。

 風も時折強く吹き荒れ、足元では濡れた雑草が揺れていた。

 そんな悪天候の中で、人影が二つ見える。

 一人は立ち、もう一人は正座っぽい感じだが、暗くて誰かわからない。

 

「…………?」

 

 雨と風の音に加えて、笛の音が聞こえてきた。

 それに合わせるようにして、三味線がゆっくりと弾かれていく。

 

 ――和――

 

 古くから伝わる邦楽の音色。ゆるやかな曲調と合わせて気持ちは安らぎ、心を和ませる。

 激しい風雨の中で、俺は思わず聞き入っていた。

 

『ギュンッ!』

 

「っ?」

 

 瞬間、世界が変わる。

 アンプから弦をスライドさせたようなベース音が発せられた途端、曲調が一気に激しくなり光が差し込んだ。

 スポットライトを浴びたのは正座していた人影。

 それに加えて新たに二人、唐突に姿を現した少女達を見て思わず目を疑う。

 

 三味線を奏でる、ドラキュラ阿久津。

 ベースを弾く、巫女冬雪。

 ドラムを叩く、ウィッチ火水木。

 

(…………は?)

 

 状況が理解できないまま曲が進むと、新たにスポットライトが当たる。

 今度は立っていた人影と、やはりそれに加えて二人の少女が現れた。

 

 フルートを吹く、小悪魔夢野。

 エレキを掻き鳴らす、ナース梅。

 琴の前で待機している、キョンシー如月。

 

(………………………………………………)

 

 何が何だかわからない。

 異常な姿をした六人は、和風戦闘BGMみたいな激しい曲を弾き続ける。

 ボーカルのいないバンドによる演奏がサビみたいな盛り上がりを経てから再び、全員が現れた最初の旋律へ。そして今度はメイド服を着た葵が、フルートを片手に現れた。

 同じ楽器を持つ夢野と軽く拳を突き合わせた少年は、息を合わせて演奏に加わる。

 

「――――」

 

 夢野が奏でる旋律とは少し音をズラした、綺麗なハーモニーが生まれた。

 二度目のサビを迎えて、曲は更に盛り上がっていく。

 そしてメンバーは各々の楽器を奏でながら、横で見ていた俺に視線を向けてきた。

 

(何だ? …………えっ?)

 

 気付けば目の前に大太鼓が置かれている。

 これが自分に割り当てられた楽器なのは一目瞭然だが、太鼓なんて叩いた経験はない。

 この場から逃げたい気持ちを堪えつつ、サビが終わると同時にバチを構える。

 己の感性のままにリズムを刻み、半ばヤケクソ気味に叩いた。

 

(どうだっ?)

 

 自分でも驚くほど会心の出来だったと思う。

 曲も台無しにしないで済んだらしく、三度目となるAメロが始まった。

 いつもなら夢野、梅、冬雪の三人のパートだが、そこに加わるドラムの火水木。どうやらオリジナルだったらしく、他の面々は演奏しながらも驚きを隠せない。

 そんなメンバーに対し火水木は笑顔で返すと、負けじとBメロで梅が続いた。

 

「!」

 

 今まで阿久津が弾いていた三味線に、エレキギターが重なる。

 新旧バスケ部部長が顔を見合わせ、実に楽しそうに演奏していた。

 三度目となるサビを迎えると、夢野と葵が力強くフルートを吹く。今まで大人しく琴を奏でていた如月までもが忙しそうに手を動かし、冬雪はベースを弾きつつ見守る。

 全身全霊を込めた仲間達の曲へ、完全に魅入っていた。

 

 そして鳴り響く雷鳴。

 

 それがまるで合図であるかのように、盛り上がりきった曲がフッと無くなる。

 スポットライトも、二人の少女だけを残して消えた。

 静かに降る雨の音がする。

 ゆるやかな曲調へと戻り、静かに奏でられる三味線とフルートが響いていた。

 その音色も、徐々に小さくなっていく。

 最後の一音と共に演奏が終わった後も、雨音だけはいつまでも耳に残り続けるのだった。

 

 

 

『チュンチュン』

 

 …………という夢を見たんだ。

 ガバっと起きるなんてことはなく、ゆっくりと布団の中で目が開く。とりあえず言いたいことは色々あるし、最早突っ込みどころしかない。

 

(何で雨が降ってたのに、服が透けてないんだよ)

 

 最初に注目するところは多分違うと思うけど、割と大事な点だよなこれ。

 明らかに先日のハロウィンパーティーが印象的過ぎた結果とも言える今朝の夢。流石にこれだけ要素が入り混じっていると、最早夢診断でも調べられそうにないレベルである。

 しかしあの和風ロックっぽい曲は、めちゃくちゃ良かった。起きた今となってはあんまり覚えてないけど、もし俺に音感があったなら楽譜に書き出していただろう。

 

「はよざ~っす!」

「うぉっ?」

「人の顔見ていきなりマグロ呼ばわりとか、お兄ちゃん中々に失礼だよ?」

「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」

「はえ?」

 

 お前にとって魚はマグロ限定なのかよ。

 身体を起こした瞬間ノックもせずに現れた妹に驚くと、梅は俺が起きているにも拘わらず部屋から去ることなく中へ入ってきた。

 

「えっへん。梅のお陰で、お兄ちゃんも朝に強くなってきたでしょ?」

「いや、今朝は変な夢と雀の鳴き声で目が覚めただけだし」

「何だ~、朝チュンか~」

「そういう表現も誤解を招くから止めなさい」

「そいでそいで、変な夢って?」

「高校の友達に混じって、梅がナース服を着てバンドしてた」

「何それ?」

 

 いや俺に言われても知らんがな。

 そもそも梅と火水木、如月辺りは面識すらないっていう。そして阿久津も夢の中でくらい、ドラキュラじゃない別の衣装を着てほしかった。

 

「ちなみに梅さん、楽器の経験は?」

「はい! リコーダーを少々!」

「ですよねー」

「でも梅、リズムゲーム得意だよ? この前も太鼓でフルボ……コンボしたもん!」

「今フルボッコって言いかけたドン」

 

 そして我が妹よ、あのゲームの難易度は『難しい』が最高じゃないんだぞ。

 ギターなら姉貴が持っていたが、梅は鳴らすよりポーズを取って「恰好いい?」とかはしゃいだだけ。エレキギターを弾くなんて夢のまた夢みたいな話だ。まあ夢だったけど。

 

「あ! あと梅、これできるよっ! 左手で△を描きながら」

「右手で○を描くってやつなら、俺もできるぞ?」

「ふぇ? 間違ってるよお兄ちゃん? 左手で△を描きながら右手で□を描くの。こうやって、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ――――」

 

 てっきり最近部活でやってたアレかと思いきや、梅が始めたのは少し違った。

 要するに左手で三拍子を刻みながら右手で四拍子を刻めということらしい。確かに上手にできているが、その軍隊みたいに気合の入った掛け声は何とかならないのか?

 

「簡単そうだな」

「ふっふっふ~。お兄ちゃんには…………」

 

 ポカーンと口を開けたまま梅が固まる。

 どうやら我ながら、この手の何の役にも立たなそうな技は得意っぽい。ちなみに後で調べてみたら、この三拍子と四拍子を同時に描くのはポリリズムというとか何とか。

 

「ねえ、ねえ、今、どんな、気持ち?」

「イリーガルオブユースハンズ!」

「おっと! すぐ、手を、出すのは、良くない、ぞ、梅。暴力、反対、だ!」

 

 順調にリズムを刻んでいた俺の手を叩こうとしてきた梅を華麗に避ける。というかバスケのファール名を必殺技にするなよ。しかもそれ今は名前が変わってるだろ。

 ぐぬぬという表情を浮かべる妹に対し、大人げなくポリリズムを見せつける俺。覚えておくんだな梅、兄より勝る妹なぞ存在しないと。

 

「………………(梅、黙って俺の携帯を手に取る)」

「?」

「はい」

 

 見せつけられた画面に表示されていたのは、阿久津水無月という名前&電話番号。当の本人がいる訳でもないのに、そんな数字如きでこの俺の心が揺らぐと……あれ?

 

「流石はお兄ちゃん! よっ、小心者!」

「くそっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 

 先程まで描けていた△と□は、息を荒げても両方□になるばかりだった。物理に強いのに精神攻撃に弱いとか、RPGのラスボスは務められそうにないな。



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四日目(木) 手紙の差出人が不明だった件

 一学期は五分前登校やチャイムギリギリが定番だった俺の通学も、二学期になってからは十五分前……日によっては二十分前に登校する日もあるレベルになってしまった。

 それもこれも姉貴がいなくなった上に自分達の世代が始まり、朝練へ付き合わせるかの如く(正しくは朝食に付き合わされる)律儀に起こしに来る梅のせいである。

 しかしそんな妹に今日、俺は初めて感謝した。

 

「ん?」

 

 下駄箱を開けて靴を入れた後、上履きに乗っている封筒に気付く。

 てっきり店長かと思ったが、クラリ君の一件以来はこれといった注文をしていない。新商品入荷のチラシでも入れてきたのかなと、何の心構えもせずに封筒を開けた。

 

 

 

『明日の体育祭で閉会式が終わった後、スタンド裏の広場にある桜の木の下で待ってます』

 

 

 

「…………………………………………」

 

 第一に取った行動は、手紙から顔を上げ周囲を見渡す。

 登校時間が早いこともあって誰もいないのを確認した後、昇降口傍にある自販機の裏へ隠れるように移動。見間違いじゃないかと、再び手紙の文面を読み直した。

 女の子特有の丸文字でもなければポップな感じでもなく、水色のボールペンでとても丁寧に書かれた簡素な一文。どう考えても、果たし状には思えない。

 

(ラブレター…………だよなこれ?)

 

 期待が胸に満ち溢れ、自然と鼓動が高鳴っていく。

 下駄箱を入れ間違えた可能性も考えたが、こんな大事な物でそんなミスは流石にないだろう。待っている場所が桜の木の下というのもミソ。自分の名前が櫻で本当に良かった。

 問題は、一体誰がこれを出したのか。

 気持ちを落ち着けつつ、可能性を考えてみる。

 

◎本命……夢野蕾

○対抗……阿久津水無月

▲単穴……冬雪音穏

△複穴……火水木天海

 論外……如月閏

 

 競馬風に予想してみたものの、阿久津が対抗っていうのは違和感しかない。寧ろこうして手紙という形となると、冬雪の方がワンチャンあるだろうか。

 考えれば考える程、落ち着くどころか盛り上がっていく。とりあえず手紙を鞄に入れると、まだクラスメイトの少ないC―3の教室へ足を踏み入れた。

 

「おいっす米倉氏」

「よう」

 

 この手紙がガラオタによる悪戯の可能性……というのは確実にないだろう。コイツはそんな子供染みた真似をして喜ぶような奴じゃない。

 いつも通り着席しているアキトの後ろ……ではなく、教室の一番端へ。その周囲には普段は俺より遅い筈の冬雪と葵、そして如月までもが今日に限って早く着席していた。

 

「……おはよ」

「おはよう櫻君」

「おう」

 

 挨拶を交わして自分の席へ。既に登校しているとなると、手紙の主が葵という可能性も……いやいや、いくら見た目が男の娘でも火水木が大好きなホモォ展開はないだろう。

 こうなると残りの候補である三人が、今学校にいるのか気になってくる。

 

(ちょっと待てよ……もしかしたら昨日、俺が靴に履き替えて部室へ移動した後に入れられたかもしれないな。だとしたら、今ここにいないクラスメイトの可能性も――――)

 

『おはよー』

 

「っ!」

 

 挙動不審な女子がいないか調べる自分が一番挙動不審だと気付くことなく、いつもと違い妙に周囲が気になる一日が始まるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「……今日は用事があるから休む」

「そっか。じゃあそう伝えておくわ」

「……助かる」

「じゃあ、また明日な」

「……お疲れ」

 

 まだ一日だけの話だが、席位置が近くなり冬雪と話す機会は少し増えた気がする。

 授業中や休み時間も時折見ていたが、少女はこれといって変わりない様子。ならば差出人はやはり他のメンバーかと、若干早足になりつつ陶芸室へ向かった。

 

「おや、おはようございます米倉クン」

「こんにちは」

 

 部屋の中にいたのは白衣を着た顧問一人だけ。それもこう言っては失礼だが珍しく仕事をしており、削り等で失敗した粘土の再利用するための機械を動かしていた。

 とりあえずいつもの定位置に腰を下ろす。ハロウィンの際に阿久津が持ってきた棒付き飴をポケットから取り出し、他の面々が来るのをのんびり待つことにした。

 

 

 

 ―― 三十分後 ――

 

 

 

「珍しく今日は、誰も来ませんねえ」

「………………そうですね」

 

 作業を終えた伊東先生が、大きく伸びをしながら口を開く。ただ待っているのも恥ずかしいから勉強していたというのに、こういう日に限って誰も来ないのは何故なのか。

 主に駄弁るばかりの火水木は休む日も割と多い。しかし例え陶芸をせずとも推理小説を読んでいる阿久津が、陶芸部へ顔を出さない日というのは中々に珍しい。

 体育祭を控えているからか、はたまた別の理由なのか。

 いずれにせよこのまま待っていたところで、今日はきっと誰も来ないだろう。

 

「じゃあ俺も明日に備えて帰ります」

「はい。お互い頑張りましょう」

 

 お互いって言われても、伊東先生が一体何を頑張るというのか。

 これといって深入りもせず、陶芸室を後にした俺はのんびりと帰路へ着く。盛大に始まると思った一日は、これといった変化もせず普通に終わるのだった。



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五日目(金) 帰ってきた梅桃コントだった件

「「はよざ~っす!」」

 

(…………ん?)

 

 いつも通り、アラーム代わりの騒がしい声に目を覚ます。

 しかし気のせいか、梅の声が二重になって聞こえた気がした。まあ寝惚けていただけだろうと、ごろりと寝返りを打って二度寝の体勢に入る。

 

「梅と!」

「桃の!」

「目覚まし梅桃コント~」

「…………」

 

 そういえばそうだった。

 無事に免許を取得した姉貴、米倉桃(よねくらもも)は最近、週末になる度に帰ってくる。昨日も大学が終わるなり、金・土・日と三連休らしく我が家へ訪問してきた。

 その理由は友達との旅行に車を使う許可を得るため。放任主義な米倉家でも流石に運転ともなれば干渉するようで、免許取り立ての娘によそ様を乗せるのはどうかという話だ。

 結論としては旅行までの間、運転技能をテストしてもらうことに。そのため休日の度に姉貴は母さんを乗せて買い物に行ったり、父さんを乗せて職場へ送迎したりしていた。

 

「いや~桃さん! 今日は清々しい朝ですな~」

「その通りですな~梅さん。このクラリ君のストラップも、満面の笑顔ですな~」

「はよざっす、クラリ君!」

「窓の外では小鳥さんも楽しそうですな~」

「はよざっす、小鳥さん!」

「この窓も、心なしか輝いているように見えますな~」

「はよざっす、窓!」

「英語で言うと?」

「ハローッ! ウィンドウ!」

「ハローウィンドウ」

「「ハロウィン! ハイッ!」」

 

 多分謎ポーズを決めているんだろうが、絶対に目を開けはしない。はよざっすって「やあ」的な意味合いで使える便利用語なのかよ……という突っ込みもしないでおく。

 

「そういえば今日はハロウィンでしたな~桃さん」

「ハロウィンと言えばあれですな~梅さん。苦い瓜と書いて~」

「そりゃゴーヤ!」

「冬の瓜と書いて~」

「そりゃトウガン!」

「糸の瓜と書いて~」

「そりゃ…………(何だっけ?)」

「(ヘチマ)」

「そりゃヘチマ!」

 

 おい、ネタ飛んでるじゃねーか。

 小声の会話まで聞こえている天然っぷり。まさに木の瓜と書いて木瓜(ボケ)ってか?

 

「西に瓜と書いて~」

「そりゃスイカ!」

「中々当たりませんな~」

「まあまあ。ここらで一息、お茶は如何ですかな桃さん」

「いただきましょう梅さん。これは美味しい! 何茶ですかな?」

「若返り効果のある、ごぼう茶ですな~」

「ごぼう茶」

「ごぼ茶」

「「カボチャ! ハイッ!」」

 

 いや、そこまで言ったなら普通に南の瓜と書いてカボチャの流れでいいじゃん。

 人が寝ているのに止まらないコント。まあ寝た振りだってわかってるんだろうけどさ。

 

(起きないよ桃姉?)

(今のは「そこは普通にカボチャでいいだろ」って突っ込んでくると思ったんだけどね)

(どうする?)

(勿論あれよ、あれ)

(オッケー)

「それではお待ちかね、大好評の櫻&水無月ちゃんシリーズより――――」

「誰に好評なんだよっ?」

「あっ! 起きたっ!」

 

 流石にあの下手な物真似をされては黙っていられない。目を開けて身体を起こすと、ハロウィンと言っても当然ながら何のコスプレもしていない二人がいた。

 そして姉貴の寝癖が酷い。俺を起こしに来るより先に、そのボンバってる髪の毛を何とかした方が良かったんじゃないかってレベルである。

 

「お兄ちゃん、トリックアンドトリート! お菓子も悪戯もしちゃうよ?」

「多分それ、直訳するとお菓子を渡したら悪戯するってなるぞ? つまり渡さなければどうということはない」

「え~っ?」

「うんうん正解。じゃあ櫻、トリックイェットトリート!」

「…………わからん。答えは?」

「お菓子はいいから悪戯させなさい♪」

「却下」

 

 二人がかりで起こしに来られては二度寝する気になれない。それに今日の俺の送迎を担当してくれる姉貴が起きているなら、少しくらい早起きするとしよう。

 

「…………あ、喜ぶといいぞ梅。トリートなら一番下の引き出しに入れたままだ」

「本当っ?」

 

『ガラッ』 ← 一ヶ月半前に買ったリンス(一話参照)

 

「トリックオアトリートメント……なんつってな」

「お兄ちゃん、デッドオアアライブ!」

「ホワィッ? 最早ハロウィンの原形がオアしかねえっ!」

「オゥア、オゥア、オゥア……」

「そこっ! 格ゲーみたいな死に方すんなっ!」

 

 ちなみにこの後、姉貴からリンスとトリートメントの違いを説明された。何でもリンスの上位互換がコンディショナー、その上位互換がトリートメントらしい。知らんがな。



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五日目(金) 体育祭(起)が公開処刑だった件

 ついにこの日この時、この場所へと来てしまった。

 屋代学園体育祭……それは生徒数があまりに多いが故に校内では実施されず、近隣にある運動公園の陸上競技場にて行われる年に一度の聖戦(ジハード)である。

 一般的には連帯感・協力・調和・団結力などを養うなんて言われているが、俺からすれば運動のできる男子が、女子へ恰好いい姿を見せつけるだけのイベントに過ぎない。

 

「勝てる気しねーな」

「任せろって! プロテイン飲んできたからよ!」

「うわ、マジで? 楽勝じゃん」

 

 プロテインだけで速くならないのは、一週間前の俺が既に調査済みだっつーの。

 長い長い開会式がようやく終了。いつまでも終わりが見えない来賓挨拶という恒例行事に対し『残り来賓カウンターとかあったら良い希ガス。あと○人、頑張れ! みたいな?』なんてアキトの冗談も普段なら爆笑だが今は笑えない。

 何故なら一番最初の種目は4×100mリレー本戦。予選を勝ち抜いた十二クラスの中から今、決勝へと進む六クラスが選ばれようとしていた。

 共に出場するメンバーである但馬(たじま)太田黒(おおたぐろ)の、くだらない雑談に付き合いながら入場門へ向かう。帰宅部の男、渡辺も一緒だ。

 

「運動会プロテインパワーで、華麗にトップを維持してバトンをパスしてやんよ!」

「で、第二走者の俺がビリで渡辺に渡すと」

「だそうだ櫻」

「それは完全にコイツのせいだろ…………悪い、ちょっと先行っててくれ」

「ん? どうしたんだ米倉?」

「トイレだよトイレ」

「軽量化も程々にしておけよ!」

 

 ああ、それは割とアリかもな。

 仲間達に一言告げた後で、メインスタンド裏通路を引き返す。これでも一応確認はしたつもりだったが、軽く走っただけでも足に物凄い違和感がした。

 こう言うとまるで怪我を押しての出場みたいで恰好いいが、全然そんなことはない。

 

・裏技① 足首に輪ゴムを巻き、一回捻じってから親指へ引っ掛ける。

・裏技② 靴のかかと部分にプチプチ君を入れる。

 

 これが違和感の原因。昨日ネットで必死に調べた、足の速くなる方法である。

 ぶっちゃけこんなんで大丈夫なのかと疑いもしたが、世の中にはプラシーボ効果という自己暗示もある訳だし、今はこの裏技を信じる他にないだろう。

 

「……ヨネ」

「おっ?」

「……いないから焦った」

「どうしたんだ?」

 

 トイレを済ませた後で、AからFまでそれぞれ赤・黄・白・緑・水色・青に分けられたハチマキを巻く生徒とすれ違う中、通路へ寄りかかるように冬雪が立っていた。

 普段見慣れないジャージ姿&白ハチマキを巻いた少女は、後ろへ隠すように回していた手を前に出す。するとそこには、見慣れた桜桃ジュースが握られていた。

 

「……元気の素」

「くれるのか?」

「……頑張って」

 

 開会式前にざっと見渡したが、この競技場にある自販機に桜桃ジュースは無かった気がする。ひょっとして事前に買っておいてくれたのだろうか。

 これだけ俺を気遣ってくれるなんて、やっぱり手紙の送り主は冬雪かもしれない。そう思いつつも、ありがたく貰ったペットボトルのキャップを開けて口を付ける。

 

「その期待には応えられるかどうかわからないけど、サンキューな」

「……ヨネが活躍すれば、陶芸部も注目される」

「………………」

 

 

 

『嘘っ? Cハウス速くないっ?』

『あの足の速いアンカー、誰か何部か知ってる?』

『C―3の子に聞いてきたけど、陶芸部だって!』

『マジっ? 私も陶芸部入ろっかな~』

 

 

 

「いやされないだろっ!」

 

 少し想像してみたが、流石に無理がありすぎる。

 これは照れ隠しの冗談なのか、はたまた真面目に言っているのか。いつも通りの眠そうな表情をしている冬雪は、グッと顔の前で両拳を握り締めた。

 

「……ファイト」

 

 思春期男子にとって、女の子の応援ほど力になるものはないだろう。しかしテンションが上がって足が速くなり勝てるのかというと、それはまた別の話なのは言うまでもない。

 

「へいへい。残りは飲んでもいいし、要らないなら俺の荷物の上に置いといてくれ」

「……置いておく」

 

 ゲームですらスーパーハイテンションになっても、素早さは上がらなかった気がする。まるで勝てる気がしない俺は桜桃ジュースを返すと、処刑台へと向かうのだった。

 

「…………はあ」

 

 入場を前にして溜息を吐く。周囲の面々はいかにも運動部な男達だ。

 ここにいる一年の中にはFハウスの青いハチマキを付けた輩もいるが、阿久津や夢野達のクラスメイトではないのは事前に調査済みである。

 最終的にはハウス毎に順位がつくため、基本は同じハウスの生徒を応援する体育祭。しかし自分のクラスでなければ注目度は半減であり、スタンドでは雑談している奴も多い。

 

『――――それでは選手の入場です』

 

 女子の一年から三年までレースが全て終わったらしく、放送部によるアナウンスの後で先頭集団が競技場内へ駆け足で入っていく。

 第一走者、第二走者、第三走者と順番に集団が入場していった後で、アンカーである俺達のグループも所定位置へ向かって走り始めた時だった。

 

「櫻」

「……?」

「米倉君!」

「…………っ?」

 

 気のせいかと思ったが、空耳ではなかったらしい。

 声を掛けられたのはスタンド上からではなく、その下にある救護スペース。ジャージ姿で髪を結んだ阿久津が腕を組み、同じくジャージ姿の夢野が手を振っていた。

 

(………………マジですか?)

 

 冬雪がいたら、きっと「……マジ」と応えてくれた気がする。

 目が合った以上は気付かない振りをする訳にもいかず、小さく手を挙げつつ通過した。

 あの二人が保健委員だったのは仕方ないとしよう。だとしても当番制になっているであろう救護担当の生徒が、何でよりによってこの競技で阿久津と夢野なのか。

 

(…………あ。4×100で勝ち残ったクラスに、Fハウスの生徒が少ないからか?)

 

 何かもう絶望を通り越して、冷静に推理している自分がいた。

 アンカーであるが故に、救護スペースは走る姿が一番見やすい特等席。どう考えても公開処刑としか考えられない中、俺を含めた第一レースの六人がスタート位置へ並ぶ。

 

『位置についてーっ! よーいっ!』

 

 乾いた音を立てて銃声が鳴り響いた。

 こうなったら俺にバトンが回る前に、圧倒的大差が開いていることを祈るしかない。勿論言うまでもなく、勝ってる方じゃなくて負けてる方で。

 第一走者はテニス部の但馬。こういう時に限ってナイスなスタートダッシュに成功し、プロテイン効果なのか二位と言う好成績なまま太田黒へバトンパスを決める。

 

『うぉーっ!』

『頑張ってーっ!』

 

 頼むから頑張らないでくれ……いや冗談じゃなくマジで。

 第二走者の太田黒は卓球部であるため地力の差か、一人二人と抜かされていく。それでも四位をキープしたまま、第三走者の渡辺へとバトンが繋がった。

 

『ワタナベーッ!』

 

 意外にも足が速い男、渡辺。

 長い脚を生かして大きなストライドで駆けていく男、渡辺。

 四位から順位は下がるどころか、一人抜いて三位に浮上。決勝へ残れるかどうかはアンカー次第という、最高の見せ場もとい最悪の見せ場が到来しようとした瞬間だった。

 

「あ」

 

 バトンをスムーズに受け取るために、他の生徒達が背を向け助走を始める。

 しかし俺は視線を外すことなく、渡辺を眺め続けていた。

 その理由は至って単純。

 彼が手にしていたバトンが、コース外へと飛んで行ったから。

 それこそまるでヌルヌルだったかの如く、物凄い勢いですっぽ抜けていった。

 当然その間もレースは止まらない。

 

「悪い」

 

 慌てて拾いに行った渡辺が戻ってきた時には、既に他の連中がゴールした後のこと。

 謝る青年に対して、俺は差し出されたバトンを受け取る。そして開会式の選手宣誓通りスポーツマンシップに則った、これ以上ないほどに爽やかな笑顔で応えた。

「ドンマイ! 気にすんなって!」

 誰もいないコースを走るのも中々に恥ずかしいが、それでも戦犯扱いよりはマシだろう。

 公開処刑の身代わりになってくれた男、渡辺。俺はお前の尊い犠牲を忘れない。



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五日目(金) 体育祭(承)が傍観だった件

「さあっ! 続いての種目はムカデリレーっ! 実況はわたくし米倉櫻、解説は火水木アキト氏。そしてゲストに冬雪音穏さんを招いてお送りさせていただきますっ!」

「……ヨネ、行く前と正反対」

「自分の競技が超絶平和的に終わって、ウッキウキの猿状態ですしおすし」

「猿! 猿と言えば桃太郎! そして桃太郎と言えば? そう、ムカデですね!」

「ちょまっ? 桃太郎のどこにムカデ要素があるのか、流石に無理ありすぎだろ常考」

「そんなことはありません。かつて桃太郎は犬、猿、ムカデと共に鬼が島へおおっとレースが始まりましたっ!」

「……キジは?」

「それにしてもこの米倉氏、ノリノリである」

 

 第二種目のムカデリレーは一クラスにつき男女四人ずつが出場。先にスタートする女子四人のムカデが一直線に進み、同じ道を男子四人のムカデが戻ってくる。

 一ハウスにつき一年は四クラスであるため、合計八匹のムカデによる四往復のハウス対抗勝負。勿論4×100リレー同様、それが学年ごとに行われる訳だ。

 

「この競技には我々C―3より相生葵選手が出場しております。競技の見所としては、どの辺りになるんでしょうかアキトさん」

「そりゃ勿論、相生氏の無双に限るお」

「無双……と申しますと、圧倒的な力の差が見られるということでしょうか?」

「流石の秘密特訓だけあって、その様子だと米倉氏も知らないようですな」

「何やら気になる発言ですね。では冬雪さんはどうお考えですか?」

「……あれ、ユメ?」

「ん?」

 

 C―1の女子から始まりC―1男子、C―2の女子と進んでいくリレーを実況かつ応援しながら眺めていると、ふと冬雪が一番手前にいるFハウスのムカデを指さす。

 青いハチマキを頭に巻いた、女子四人の最後尾にいるポニーテールの少女。スタンドからは距離が遠くて判断しにくいが、確かに言われてみれば夢野に見えなくもない。

 

「どう見ても夢野氏です、本当にありがとうございました」

「えっと、解説のガラオタさん。何故ちゃっかり双眼鏡を持っているんでしょうか?」

「必需品ですが何か」

「……ユメ、ガンバ」

 

 アキトが眼鏡を輝かせる中、冬雪が絶対に聞こえていないであろう声援を呟く。

 ハウス対抗とはいえ知り合いの応援くらいは咎められない。しかしテンションが上がっていたものの、大声で彼女の名前を呼ぶのは何となく躊躇ってしまった。

 

『行け行けCハっ! 負けるなCハーっ!』

「……ルー、ファイト」

 

 そしてついにC―3女子へ。現在はBFCADEという順番であり、先頭のBハウスを僅差のFハウスとCハウスが追っている形である。

 

『1・2・1・2――――』

 

 耳を澄ませば微かに聞こえるムカデの声。でもこれ多分如月は言ってないか、冬雪の応援みたいに小さすぎて聞こえないんだろうな。

 特に番狂わせはないまま、女子から男子へタッチ。先頭に我らが葵を据えた、C―3男子のムカデが出動した………………って、速っ?

 

『キャーッ!』

 

 湧き上がる歓声。そりゃそうなるわな。

 屋代のムカデリレーは足首を紐で結んだタイプであり、スキー板みたいな長板へ固定する形式じゃない。それ故に早歩きや駆け足のムカデが大半を占めている。

 しかしそんな中で一匹、全力疾走と言っても過言じゃない速度のムカデがいた。いや、多分あれをムカデと呼んではいけない。例えるならそう、害虫Gのようである。

 

「うはっ! 勝ち確キタコレ!」

「……凄い」

 

 倒れることもなくあっという間にFハウスを抜き、更にはBハウスも抜いてトップへと躍り出た葵達は見事にC―4女子へとパスを繋いだ。

 

「おいおい、何だよあの速さは」

「それでは説明しよう。米倉氏、拙者の発言に続く形で『おい』って突っ込みキボンヌ」

「おい」

「あい」

「おい」

「あい」

「おい」

「これがC―3男子のムカデ必勝法、名付けて相生作戦だお!」

「…………」

 

 一体誰が考えたんだよ、こんな掛け声。

 最終的に一位を飾りはしたものの、あの速さの秘密は黙っておいた方が良さそうだ。

 こうしてムカデリレーでは大活躍した俺達C―3だが、続く午前最後の種目である全員参加の大縄跳びでは僅か九回という大失態をしでかす。

 まあ練習もしてないし当然ともいえる結果。縄に並ぶ際『隙間は同人誌一冊分』とかコミケスタッフの真似をして滑ってたアキトを陰で笑いつつ、体育祭は昼休憩を迎えるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 昼食を終え、午後の第一種目はトーナメント形式の綱引き。四クラスからそれぞれ男女二人ずつが選ばれた、合計十六人同士によるガチンコ勝負だ。

 Cハウスは第一回戦でAハウスに勝利し、続く二回戦はシードを引き当てたFハウス。我らがガラオタVS腐女子火水木の熱い兄妹バトルが今、盛大に始まろうとしていた。

 

「この勝負、火水木の勝ちだ」

「そ、それって、火水木さんが勝つってこと?」

「いいや違う」

「えっ? じゃあアキト君が勝つってこと?」

「それも違う。言っただろ? 火水木が勝つって」

「ど、どっちも火水木だよっ?」

 

 そんなくだらない会話を葵としているうちに、勝負開始の銃声が鳴り響く。

 オーエスオーエスと双方の引っ張り合い。勝負は中々に均衡しているようだ。

 

「綱引きのオーエスって何なんだろうな。助けでも求めてるのか?」

「さ、流石にSOSじゃないとは思うけど……」

「葵の中学でも、やっぱりオーエスだったのか?」

「う、うん。櫻君は?」

「俺の所もオーエスだったんだけどさ、うちの中学は優勝したクラスのチームが職員と保護者の混合チームと戦うって企画があるんだよ」

「へぇー。何か面白そうだね」

「その職員保護者チームの掛け声が、そいっ! そいっ! そいっ! でさ」

「えぇっ?」

「参加した父さんに後で聞いたら『オーエスなんてリズムが遅くて駄目だろ。もっとテンポ良く引っ張らなきゃ』って言ってたんだよな」

「た、確かにそうかもしれないけど……」

 

「「…………」」

 

「や、やっぱり、オーエスじゃないかな?」

「ああ。やっぱオーエスだよな」

 

 結論が出たところで、試合が動き始めた。

 少しずつ中心がFハウスの方にずれていく。一度こうなると立て直すのは難しい。

 

「あっ! 頑張れアキト君ー」

 

 隣で声を上げ始める葵。実に健気だが、その澄んだ高い声は届いているのやら。

 実はアイツだけオーエスじゃなくて、パソコン的なOSと発音してるんじゃないか……なんてくだらないことを考えていたら決着がついた。

 再び銃声が鳴った瞬間、負けた俺達Cハウスの生徒が一気に引っ張られていく。兄より勝る妹は、思ったより存在するらしい。

 

「あ……負けちゃったね」

「案ずるな葵。きっと俺達を破ったFハウスは、頂点まで上り詰めてくれるさ」

「う、うん」

 

 …………しかしこの想いが届くことはなかった。

 Cハウスとの死闘に全てを出し尽くしたFハウスは続く決勝戦、Bハウスにウソのようにボロ負けした。



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五日目(金) 体育祭(転)が接戦だった件

 4×100mの決勝という退屈な時間が過ぎた後は男の熱い決闘、騎馬戦だ。

 もっとも午前の時点で出場種目が全て終了している俺は、上半身裸の男達がぶつかり合う姿をスタンドで眺めるだけ。スタンドに残っている男子は少なく肩身が狭かった。

 

「た、ただいま……」

「おう。お疲れ…………って誰だお前っ?」

「おうふ! 拙者拙者!」

「何だアキトか…………はっ? 気をつけろ葵っ! 今流行りの拙者拙者詐欺だ!」

「お、落ち着いてよ櫻君! 本物のアキト君だよ!」

「本物なら、ガラオタっぽいことを言ってみろ!」

「夜戦突入前に轟沈しますた!」

「あ、本物か」

 

 そういえば一学期の体育は眼鏡を掛けたまま受けられる授業ばかりだったし、アキトが眼鏡を外した姿は入学してから初めて見たかもしれない。

 口を開けばいつものガラオタでホッとするが、もしかしてコイツって眼鏡を外して黙ってれば割とイケメンな部類だったり……いや気のせいだ。認めんぞ俺は。

 

「相生氏の裸体で悩殺できると思いきや、そんなことはなかったお」

「そ、そんな理由で敵陣に突っ込んだのっ?」

「男の娘とくれば定番中の定番ですしおすし」

 

 試合開始早々に特攻かまして崩れた騎馬があったが、どうやらコイツらだったらしい。中には傷を負って戻ってくる生徒もいるが、パッと見た限り外傷はなさそうで何よりだ。

 まあ怪我の発生率なら騎馬戦よりも、次の種目の方が多いかもしれない。

 

「いよいよ、次はお待ちかねの棒引きですな」

「お、お待ちかねって?」

「普段温厚な女子の豹変! すなわち三次元の限界! 二次元に屈服する瞬間である!」

「そんな目で棒引きを見るのはお前だけだ」

 

 中央に並べられた十一本の棒。これをより多く自陣へ持ち帰った方の勝ちという、至ってシンプルな女子種目。よくある別名は竹取物語と、かぐや姫を想像させる美しい響きだ。

 しかしその実は激しい棒の争奪戦が繰り広げられると専らの噂。かの陶芸部顧問である伊東先生は、棒引きについて尋ねると遠い目をしながらこう語っていた。

 

『例えるなら主婦のバーゲンセール……竹取物語というより、猿蟹合戦でしたねえ……』

 

 その比喩だと死者が出ないか不安だが、一体あの人は何を目の当たりにしたのか。綱引き同様トーナメント形式である初戦は、俺にとって注目のCハウス対Fハウスだ。

 半袖短パンの体育着姿となった女子達がズラリと並ぶ中、アキトがゴクリと唾を飲む。

 

「実は裏で凶暴な冬雪氏……それはそれでアリなような、ナシなような……」

「で、でも火水木さんとかは、普段とあんまり変わらなそうだよね」

「変わらないというより、ブリッ子してる連中の化けの皮を剥がすって息巻いてたお」

「アイツは一体何がしたいんだよ……」

「ややっ! 隊長、既にCハウスにおいて一部女子の表情が殺気立っておりますっ!」

「誰が隊長だ。そして何の隊長だ」

 

 双眼鏡を覗きながら、嬉しそうに報告してくるアキト。俺の視力は良くも悪くもなく普通のため、この距離だと表情は目を凝らさなければ見えなかったりする。

 まあ棒引きに出場しているクラスメイトで、活発な姿が想像できないのは冬雪くらい。それこそ如月が豹変でもしたら興味も沸くが、当の本人はスタンドで観戦中だ。

 

『パァンッ!』

 

 試合開始の音を合図に、双方が一気に中央へ駆け出した。

 足の速い女子達が、端にある棒を引っ張り合いになる前に素早く持って帰る。

 

「夢野さーんっ! 頑張れーっ!」

「!」

 

 必死に声を出す葵だが、応援しているのは敵である同じ部活の少女だった。

 出場していると知らなかった俺は、競技場内にいる青い鉢巻きをつけた女子を探す。程なくして見つけた夢野の立ち回りは中々に上手く、少人数で引っ張り合いになっている棒へ仲間と共に駆け付け加勢していた。

 ついでに見つけた戦闘民族の火水木はと言えば予想通り、一番人数が集中している中央で奮闘中。眼鏡を外しているようだが、壮絶なバーゲンセール状態でよく見えない。

 

「それにしてもこの冬雪氏、いつも通りである」

「ん?」

 

 残りの本数が減ってくると、一本一本に女子が群がる。冬雪はと言えば掴み所のないくらい密集している棒を前に、持つ場所はないかと右往左往していた。

 

「完全に傍観状態な件。棒だけに棒観……なんつって」

「くだらん冗談は放っておくとして、冬雪が棒引きを選んだのは理由が理由だからな」

「し、知っているのか米倉氏!」

 

 

 

 

 

『なあ冬雪。何で棒引きにしたんだ?』

『……陶芸部だから』

『何だそりゃ?』

『……一つの作品を作るのに、一個の粘土玉を使うのが一個引き』

『ふむ』

『……まとめて土を乗せてから必要な分を使って、作品部分だけを切り取るのが棒引き』

『普段部活でやってるやつか。それでそのイッコビキとボウビキが……棒引き?』

『……陶芸部だから、棒引き』

 

 

 

 

 

「――――ということだ」

「冬雪氏、マジ職人。略してFMS」

 

 どこのラジオ局だよそれ。

 綱引きなんて陶芸用語がなければ、きっと彼女は来年も棒引きに出るだろう。思った以上に壮絶でもなかった種目(※ただし一年に限る)は、無事に終わりを告げた。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 競技も残るはリレー二種目のみ。先に行われるのはクラスで選抜された男女四人ずつ、計八名を一つのチームとして競い合うHR対抗リレーだ。

 

「ん? アキト、どっか行くのか?」

「拙者、厠へ少々」

 

 運動部を揃えたC―3メンバーが敗北を喫した後で、ガラオタはトイレへと席を立つ。

 正直他のクラスの連中なんて顔も名前も知らない奴ばかり。運動部なら部活仲間や先輩で盛り上がる所だが、俺達みたいな文化部には正直退屈な時間だ。

 

「あ! 阿久津さんって、運動する時は髪の毛縛るんだね」

「ああ」

 

 部員が少ない上に先輩もいない陶芸部なら尚更だが、今年は少し例外とも言える。

 奇数走者が女子で偶数走者が男子のHR対抗リレー。長い髪が目立つ陶芸部の少女は第七走者の位置で待機していた。

 

「さ、櫻君って、阿久津さんと幼馴染なんだよね?」

「向こうから言わせたら腐れ縁というか、奴隷というか、ペットというか、遊び道具みたいなものらしいけどな」

「えぇっ? そ、そんなことないと思うけど……」

 

 残念ながら葵よ、これは当の本人が実際に口にした事実なんだ。

 もっとも九月の頃はトゲトゲしていた彼女も、最近は少し角が取れた気がする。まあ阿久津からアクが抜けたら、津しか残らないんだけどな。

 

「で、でもそういう話を聞くと、やっぱり幼馴染って普通の関係とは違うんだね」

「そりゃまあ、ある程度には長い付き合いだからな」

 

 流石に高校で出会ったばかり、もしくは共に過ごして一年程度の相手から罵倒されては堪らない。仮にそんな奴がいたら、逆にそいつの人生が大丈夫なのか不安になる。

 

「櫻君は――」

『位置についてーっ! よーいっ!』

「何だ?」

「う、ううん、始まったし後でいいよ」

 

 六人の生徒がスタートを切り、女子から男子、そしてまた女子へとバトンが渡っていく。

 第三走者が走り出した後で、第七走者の女子達がレーンに並び始めた。周りはきっと陸上部とかソフトボール部とか、それこそ現役バスケ部とかだろう。

 そんな強者に囲まれながらも、阿久津は昔と何一つ変わらずに堂々としていた。

 

『キャーッ!』

 

 第六走者の白い鉢巻きを巻いた男子の速さに、周囲が盛り上がる。

 先頭集団と後続に差が生まれ始め、トップ3はF、D、Cでほぼ確定。CハウスがDハウスを抜き、Fハウスへ追いつきそうなところで第七走者へとバトンが移った。

 

「!」

 

 一位でバトンを受け取る阿久津。バトンパスは問題なかったし、速度も決して遅くない。

 しかしその差は確実に詰まっていた。

 逆転の期待で盛り上がる周囲とは対称的に、俺の目は青い鉢巻きだけを追う。

 時間にして十秒ちょっとの筈が、随分と長く感じた。

 

「っ」

 

 応援したところで速くはならない。

 そう分かっていながらも、俺は自然と立ち上がり敵である少女の名を大声で叫んだ。

 

 

 

「負けんな阿久津ーーっ!!」

 

 

 

 その声が届いたのか、はたまた持久力で勝ったのか。

 Fハウスはギリギリ一位を維持したまま、第八走者の男子へとバトンを繋げる。トップ争いは大接戦の末、Cハウスは逆転できず二位に終わった。

 

「…………」

「何だよ?」

「ううん、何でもない。櫻君、嬉しそうだなあって思って」

 

 そう言ってきた葵の方が、随分と嬉しそうに見えるけどな。

 阿久津との関係性を掘り返される前に、俺はアキトと入れ替わる形で逃げるようにトイレへと向かうのだった。



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五日目(金) 体育祭(結)が衝撃だった件

「やっほー」

「ん?」

「天海氏に阿久津氏とは、珍しい組み合わせキタコレ」

 

 CハウスのスタンドへやってきたFハウスの二人。俺としては陶芸部で見慣れている凸凹コンビ(胸的な意味)であり、ジャージ姿でもその格差は変わらないらしい。

 

「どうしたんだ?」

「音楽部が集まってタカミーの応援するっていうから、陶芸部も集まってイトセンの応援してあげようと思って」

「ああ、そういや葵がそんなこと言ってたな……って、伊東先生出るのかっ?」

「ボクも知らなかったけれど、天海君から話を聞いた限りそうらしいね」

「アタシ言ってなかったっけ? 日曜日に陶芸室開けてもらった時に『若いからといって何でも押しつけないでほしいですねえ』って愚痴ってたわよ」

 

 各ハウス一年から三年の計十二クラス二十四名を一つのチームとした最終種目、ハウス対抗リレーには第七レーンに教師チームが参加する。

 てっきり運動部の先生で編成が組まれるとばかり思っていたが、言われてみれば高宮先生も音楽部顧問。どうやら若い先生は強制的に出場させられるらしい。

 

「冬雪。今の話、聞こえたか?」

「……(コクリ)」

「知ってたか?」

「……(フルフル)」

「そんな距離で会話してないで、こっちに呼べばいいじゃない」

「いいんだよ」

 

 冬雪は如月と一緒に観戦中。このアウェー空間に内向的性格の少女を呼ぶのは可哀想だし、だからといって冬雪一人を呼ぶのもどうかという話だ。

 いまいち納得してない様子の火水木だったが、まあいいわと言うなり目の前を横切る。そして空席は充分あるにも拘わらず、俺とアキトの間へ割って入ってきた。

 

「そういうことだから、お邪魔させて貰うわよ」

「何でわざわざそこに座る?」

「この兄貴に用があるからよ。棒引きで勝つためには垂直抗力だの最大摩擦力だの言ってたけど、姿勢を高くするより低くした方が有利だったって文句言いたくてね」

「いやいや天海氏。それは開始直後に持ち帰る場合の話であって、乱戦時は――――」

 

 応援しに来たんだが、兄妹喧嘩をしに来たんだかわからねーなこりゃ。

 右隣でギャーギャーと火水木が騒ぐ中で、阿久津が静かに左隣へと腰を下ろした。

 

「失礼するよ。ボクもキミに言いたいことがある」

「ゴメンなさい」

「何かやましいことでもあるのかい?」

「いや……これといってない……よな?」

「ボクに聞かれても困るけれど、後ろめたいことがないなら無暗に謝るべきじゃないね」

 

 そんな少女の返答に対して、早速スマンと謝りそうになった。言いたいことがあるなんて改まった発言自体が、もう長年の経験で嫌な予感しかしないんだよな。

 

「さっきのHR対抗リレーで、ボクの応援をしてくれただろう?」

「聞こえたのか?」

「キミの声は聞き慣れているからね。ただその礼を言いたかっただけだよ」

 

 こうして面と向かって感謝されると、何だか照れてしまう。

 素直にどう致しましてと答えれば良いものを、頭の中で浮かんだ感想が自然と口から洩れていた。

 

「お前、最近少し丸くなったよな」

「キミはひょっとして、ボクに喧嘩を売っているのかい?」

「………………へ?」

 

 数秒の思考停止。

 その後で自分がした発言の意味を理解し、慌てて訂正する。

 

「あっ! ち、違うっ! そういう意味の丸くなったじゃないっ! もっとこう性格的な方の意味で、人間として丸くなったっていうか――――」

「仮に性格的な意味だったとしても、元から尖っていたつもりはないけれどね」

「そ、そうか? 陶芸部に勧誘しに来た頃とか、割と辛辣だったぞ?」

「仮にキミがそう感じるとしたら、それはボクが変わったんじゃない」

 

 

 

 ――――変わったのはキミだろう?

 

 

 

 一体どういう意味なのか。

 阿久津の何気ない一言に対して、そう尋ねようとした俺の声は火水木にかき消された。

 

「あっ! イトセン発見っ!」

「仕事でコスプレをさせられるとは言っていたけれど、こういうことだったとはね」

 

 競技場内を見渡してみると、運動部の顧問は自分が受け持っているであろう部活のユニフォームないしジャージを着ている。

 それは文化部でも同じこと。例えば葵達が応援している音楽部顧問も、オーケストラの指揮者みたいなジャケットとスーツに身を包んでいた。

 そうなると陶芸部の衣装とは何だろうか?

 

「………………」

 

 いつもの癖で白衣を着た人物が目についてしまったが、あのスキンヘッドは伊東先生じゃない。知らない先生ではあるものの、恐らくは化学部の顧問とかだろう。

 トレードマークを奪われた本人は何を着ているのかといえば、水色とも緑とも言い難い中途半端な色をした、丈夫な布で作られている作業服……要するにツナギだった。

 

「うわー、イトセンの白衣以外の姿って超変!」

「確かに……何つーか、違和感が半端ないな」

「でも陶芸に関して言えば、エプロンよりツナギでする方が良いかもしれないね。最初のうちは割と汚れるけれど、ツナギなら制服の上から着て全面カバーできる」

「あっ! それあるかも! この前アタシも撥ねた粘土がスカートに付きすぎたから、最終的にクリーニングに出す羽目になったし! ツナギ買おっかなー」

 

 俺としては断然エプロンを推奨。寧ろエプロンこそ陶芸部のチャームポイントだろ。

 当然そんなことを堂々と主張できる訳もないまま、最後の競技開始を告げる銃声が響く。伊東先生は序盤も序盤の第四走者らしく、既にレーンでスタンバイしていた。

 

「イトセーンっ! 頑張れーっ!」

 

 こういう時だけは、火水木のでかい声も中々に便利だ。

 俺達に気付くなり、恥ずかしそうに小さく手を挙げ応える伊東先生。A・Eハウスに続く形で、バトンを受け取った陶芸部顧問は走り出す。

 そして、スタンド中を震撼させた。

 

『ちょっ? 何だあれっ?』

『速っ! 速いけど、何か変っ!』

 

 まさに一言で例えるなら、それ以上でも以下でもない。

 伊東先生は生徒に負けず劣らず速かった。ただその走り方がどこか変だった。

 ちゃんと腕も振っているのに、何かが普通とは明らかに違う。明らかに違うはずなのに、一体どこがおかしいのかと言われたら上手く表現ができない。

 例えるなら某人型決戦兵器とでも言うべきか。そんな違和感ありありな走法にも拘わらず、伊東先生は二人を抜き去りトップに躍り出ると見事にバトンを繋いだ。

 

『あの土木作業員ヤバっ?』

『凄ぇぞ、土木作業員っ!』

「「「「…………」」」」

 

 応援するために集まった筈の俺達は、誰一人として声を上げずに黙っていた。ハウス対抗リレーが終わった後も、変な走り方をする土木作業員の話題は尽きなかったという。



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五日目(金) 手紙の差出人が意外だった件

 最後の最後で波乱万丈だった体育祭も、無事に閉会式を迎え解散する。

 始まる前は地獄としか思っていなかったが、何だかんだで平和的に終わって本当に良かった。正直な話、食品販売の店番をさせられただけの文化祭よりは楽しめたと思う。

 そして何よりも忘れてはいけない、とっておきのイベントが俺には残っていた。

 

「……………………っ!」

 

 正面から見知らぬ女子生徒が歩いてくる。

 しかし少女はスマホを操作しつつ、俺の横を黙って通り過ぎていった。

 

(また外れか……これで何人目だ?)

 

 通りがかった女子生徒の人数でも数えていれば、少しは暇潰しになったかもしれない。

 手紙に書かれていた通り、俺はスタンド裏の広場で差出人を待っていた。花をつけていなければ桜もただの大木だが、プレートが掛かっているため判別はできている。

 先程から女子が通る度にチラリと視線を向けるものの、誰一人として当たりではない様子。桜の木は他にも数本植えられているが、それらしい姿はどこにも見当たらない。

 

(…………桜だったよな?)

 

 ひょっとしたら桃や梅と見間違えたのか不安になり、ポケットから手紙を取り出すと再確認。二、三回に渡り読み返してみるが間違いなく桜の木だ。

 仮にこのまま誰も来なかったら、やはり下駄箱を入れ間違えたと考えるべきだろう。ひょっとしたら通り過ぎた女子の中に、呼び出した少女がいたのかもしれない。

 渡辺を呼び出そうとしたら、一つ前の米倉の靴箱に入れていた。そんな可能性は充分にある訳で、きっと差出人も俺を見て内心では慌てふためいていたに違いない。

 

「さ、櫻君……?」

「っ? あ……何だ、葵か」

 

 背後から掛けられた高い声に、慌てて手紙を後ろ手に隠しつつ振り返る。てっきり女子が来たのかと勘違いしたが、そこにいたのは見慣れた友人だった。

 

「どうしたんだ? こんな所で」

「う、うん。櫻君に聞きたいことが……って、手紙の差出人が僕だったこと、驚かないんだね」

「…………は?」

「えっ?」

「ちょ、ちょっと待て葵。手紙って、まさかこれか?」

「う、うん……」

「THIS IS YOU?」

「さ、櫻君。文法がおかしくなってるよっ?」

 

 持っていた手紙を見せると、申し訳なさそうに頷いた葵。

 視線を何度か往復させてから、ラブレターではなかったことに溜息を吐き脱力する。

 

「ご、ごめんね! でも、どうしても櫻君に直接聞きたいことがあって……」

「何だよ?」

「そ、その……櫻君って好きな人とか……いる?」

「さあな」

「そ、そうだよね……そう簡単には教えられないよね……」

 

 誤魔化すように苦笑いを浮かべる葵。わざわざ呼び出すくらいだから重要な話かと思いきや、それこそ修学旅行の夜にでも話しそうな内容だ。

 ………………いや、ちょっと待て。

 こんな話がしたいだけなら、何でわざわざラブレターじみた手紙で呼ぶ必要があるのか。それも桜の木の下という、いかにも告白スポットと言わんばかりの場所で。

 

「ぼ、僕はね……いるんだ」

「?」

「す、好きな人がいるんだ」

 

 …………何だろう、この空気は。

 再確認しておくが相生葵は男子生徒だ。例え挙動や振る舞いが女っぽくても、女装コンテストで優勝していたとしても、性別は男のまま変わることはない。

 そりゃ冗談で女扱いすることはあるし、下手すりゃ一部の女子より可愛いと思う。しかし例え男の娘だろうと♂であり、少なくとも俺は恋愛対象として見たことはなかった。

 

「今日は櫻君にそれを伝えたくて呼んだんだよ」

 

 真面目な顔をした葵は大きく息を吐き出す。

 そして馬鹿みたいな勘違いをしている俺に向けて、聞き間違える余地もないくらいはっきりと言った。

 

 

 

 ――――僕、夢野さんのことが好きなんだ――――

 

 

 

 葵の言葉を聞いて、自分は一体どんな顔をしていたのだろう。

 安心だったのか。

 驚きだったのか。

 困惑だったのか。

 緊張だったのか。

 少なくとも心の中では、そういった感情が複雑に入り混じっていた。

 しかし最終的には納得に落ち着く。

 何故なら相生葵もまた、俺と同じ至極普通の高校一年生なのだから。

 

「こ、こんなこと突然言われても困るよね……でも最近になって櫻君、夢野さんの呼び方とか接し方が変わったでしょ?」

 

 幼稚園のボランティアに夢野を誘ったのも――。

 映画のチケットを夢野に渡したのも――。

 

「ひ、ひょっとしたら櫻君も、夢野さんのことが好きなんじゃないかって不安で……」

 

 別に葵は、俺と夢野を引き合わせようとした訳じゃなかった。

 この前のハロウィンパーティーだって、女装が嫌なら無理して来る理由もない。

 

「だから僕、知りたかったんだ。櫻君は好きな人が、夢野さんなのかどうか」

 

 弱々しいイメージだった少年は、真正面に俺を見据えつつ問いかける。

 米倉櫻が好きな相手は阿久津水無月だ。

 もしも夢野蕾のことを好きだとしたら、きっと彼女の提示した300円という思い出を死に物狂いになって探している筈だろう。

 そう自分へ言い聞かせるような確認をした後で、俺は葵の質問に対して静かに答えた。

 

「安心しろって。俺も好きな人はいるけど、夢野じゃない」

 

 不安そうだった表情がパァッと明るくなる。

 ほっと胸を撫で下ろす友人を見ながら、心の中では小さな疑問が沸いていた。

 

「そ、そっか……良かった。やっぱり櫻君は、阿久津さんが好きなんだね」

「勝手に阿久津って決めつけんなって」

「じ、じゃあ誰なの?」

「さあな」

 

 傍から見てもわかるものなのか、はたまた葵が鋭いだけか。見事に言い当てられたのを適当に誤魔化しつつ、話題を切り替える。

 

「それよりそういうことなら、こんなラブレターみたいな呼び出しは勘弁してくれよ」

「ご、ごめんっ! で、でも大切な話だったし、櫻君の口から直接聞きたかったから……」

「危うくお前が見た目だけじゃなくて、中身まで乙女なのかと思ったぞ? ホモォ」

「そ、そんなことないってば!」

 

 しかしこうなると結果的にはラブレターというより、果たし状に近かったかもな。

 無事に用件も済んだ葵は、広場の時計をチラリと見る。

 

「じ、時間取らせちゃってごめんね」

「全くだ。時間より俺のトキメキを返せ」

「そっちなのっ? こ、今度奢るから……」

「なら許す。まあ今日はお疲れ、また休み明けにな」

「うん、櫻君もお疲れ様。本当にありがとう!」

 

 礼を言った後で小さく手を振り、葵は駆け足で去っていく。

 そんな後ろ姿を眺めながら、俺の胸の中では消えることのない疑問が渦巻いていた。

 

 

 

 好きとは一体何なのか。

 俺と夢野との繋がりは、本当に単なる男女間の友情なのか……と。



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末日(金) 好きな理由が不明だった件

 三角関係という言葉は間違っている。

 しかし四角関係という言葉なら、性別的にも何らおかしくはない話。ただし今回のケースは三角関係がVの字だったように、四角ではなくコの字関係とでも表現すべきか。

 もっとも夢野の好きな相手は憶測であり、葵と両想いの可能性だってある。

 

「あれ? 米倉君?」

「!」

 

 そんな思わぬ告白を振り返る思春期の高校生、米倉櫻は拾った枝で砂にコの字を無数に書いていると不意に声を掛けられた。

 顔を上げると、そこにいたのは話題に上がったばかりの少女。いつも通り変わらない笑顔を浮かべた夢野を見て、内心動揺しつつも枝を置いてゆっくり立ち上がる。

 

「こんな所で絵なんて描いて、どうしたの?」

「何でもない。ただの迎え待ちだ……夢野は?」

「私、こっちに自転車止めたんだ」

「そうか」

 

 屋代までに比べたら少し距離があるものの、彼女は今日も自転車で来たらしい。確かに黒谷方面から来たなら、正面の駐輪場に回り込むよりこっちの方が止めやすいな。

 砂に書いたコの字を足で消していると、夢野はまじまじと俺を眺める。

 

「米倉君、何かあった?」

「ん?」

「そんな顔してるなーって。私で良ければ、話聞くよ?」

 

 絶対に話せないであろう相手に、そう優しく言われてしまった。

 別に何もないと嘘を吐いても良いが、変に隠すより適当な理由を付けて誤魔化した方がいいだろう。

 

「気持ちだけで充分だよ。ちょっと知り合いと一騒動あっただけだ」

「そっか……少し意外。米倉君も、喧嘩とかするんだね」

「いや、喧嘩って訳じゃないんだが……まあ人間関係で色々あってな」

 

 記憶に残ってないヤンチャだった幼少期は別として、喧嘩なんて今まで片手で数えられる程度しかやったことがない。基本的に口喧嘩も暴力も、全く勝てる気がしなかった。

 

「じゃあ、魔法掛けてあげよっか?」

「魔法?」

 

 夢野は先程まで俺が使っていた木の枝を拾い上げる。

 てっきり杖にして呪文でも唱えるのかと思いきや、彼女は消されずに残っていたコの字へ短い二本の線を書き足した。枠の中に縦と横へ一本ずつ、垂直のマークを描くように。

 そして完成したのは、小学生でも知っている簡単な漢字だった。

 

「…………円?」

「うん。円く収まりますように……なんてね」

「随分簡単な魔法だな」

「でも米倉君、顔が笑ってるよ?」

「そりゃ人の落書きを、こうも上手い具合に使われたらな」

 

 夢野の気持ちが明確になっていない今、俺が悩んだところで何も始まらない。複雑なコの字関係か円満に解決するかは、結局のところ彼女次第だろう。

 

「サンキュー夢野」

「どう致しまして。それじゃあ、またね」

「ああ。またな」

 

 小さく手を振る少女に応えた後で、駐輪場へ向かう後ろ姿を見届ける。

 迎えがやってきたのはその数分後。目の前で停止した車の助手席には監視役が乗っておらず、驚き呆然としていると窓が開けられ姉貴がウインクしてきた。

 

「お待たせ~」

「母さんは?」

「一人運転の許可、ゲットだぜ!」

「マジかよ」

 

 その記念すべき最初の犠牲者が俺っていうのが、素直に喜べないから困る。行きの運転を見る限り大丈夫だとは思うが、助手席に乗るとシートベルトをしっかり締めた。

 

「安全運転でお願いします」

「大丈夫大丈夫! パトカーに追われても振り切っちゃうから!」

「そういう安全は求めてねーよっ! 真面目に事故だけは勘弁してくれな」

「オケッ! ヤーヤーヤーヤーヤー♪」

「ちょっと待てっ! 何で狂ったタクシーのテーマを歌い出すっ?」

「出会ったぜ♪ よぉ前暗ぇ♪ ザにゃ~にゃらTシャツ、いいじゃん凄ぇ♪」

「ヤーヤーの部分しか歌えんのかいっ!」

 

 最終的には鼻歌になりつつも、車はゆっくりと発進する。

 ドリフトすることも空へぶっ飛ぶこともない、至って普通の運転。ハンドルを握っている本人も手慣れた様子で、こちらへ話しかけてくる余裕すらあった。

 

「体育祭、どうだった~?」

「可もなく不可もなく」

「食べたパンの中身がつぶあんだった……みたいな?」

「パン食い競争なんてないっての」

「校長先生を借りたら、中身がつぶあんだった……みたいな?」

「借り物競走も……いやおかしいだろそれっ?」

「うんうん。やっぱりこしあんよね~」

「そこじゃないっ!」

 

 屋代七不思議に『校長先生の頭からはみ出るこしあん』とかあったら物凄く嫌だ。

 ウキウキでドライブを楽しむ姉に対して、俺は少し考えた後で問いかける。

 

「…………なあ姉貴」

「ん~?」

「好きな人っているか?」

「そりゃ勿論、お父さんもお母さんも梅も鈴木さんも大好きよ~」

「誰だよ鈴木さん。そして何で俺が入ってない」

「全国180万人の鈴木さん頑張れ~。佐藤に負けるな~」

「…………」

 

 やっぱり聞くだけ無駄だった気がする。

 突っ込みもせずに黙っていると、姉貴も察したのか真面目に答えた。

 

「ラブの意味での好きなら、今はいないかな」

「前はいたのか?」

「そりゃ桃姉さんだって、昔は思春期の女の子だもの」

「何でその人が好きだったんだ?」

「ん~、何でだろ? 人を好きになる理由なんて、いちいち考えないってば」

「姉貴らしいな」

「そういう櫻は、水無月ちゃんのどこが好きか言えるの?」

「ん?」

 

 好きな理由を答えるとしたらまず外見だが、それだけなら夢野だって引けを取らない。

 子供の面倒見が良い……やはりこれも同じことが言える。

 だとしたら阿久津の魅力は恰好いいこと。勉強もできるし、運動もできるし――――。

 

(…………あれ?)

 

 理由を並べてみて、ふと気付いた。

 これは憧れであって、好きとは違う気がする。

 じゃあ俺が阿久津を好きな理由って、一体何なんだろうか。

 

「ね? 難しいでしょ?」

「!」

「私も初めて告白された時は、自分が信じられなくてつい聞いちゃったな~。何で私が好きなのかとか、付き合うってどういう意味なのかとか。今思うと凄く面倒臭い女だわ~」

「…………」

「ま~ま~焦るな若者よ。恋愛に答えなしってね」

「…………姉貴」

「ん~? 改めて桃姉さんを尊敬しちゃった~?」

「道、間違えてるぞ」

「マンモーっ?」

 

 確かに言われてみれば、あまり考えたことはなかったかもしれない。

 どうして俺がアイツを好きになったのか、300円の記憶と一緒に少しずつ思い返していくとしよう。男女間の友情は存在する会の会長、阿久津水無月のことを。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の4章を楽しんでいただければ幸いです!


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4章:俺の彼女が305円だった件
初日(金) 俺がリアル大貧民だった件


 もしも時間が戻ったら……そんなことを誰もが一度は考えると思う。

 未来の自分へ手紙を書くなんて企画は割とある話だが、過去の自分へ手紙を送ることはできない。普通は+があれば-もある筈なのに、時間という概念は不可逆の一方通行だ。

 未来人が会いに来ないのも、タイムマシンの実現は不可能という証明。戻った時点で別の世界線が生まれるなんて理論もあるが、それでは顧客が本当に必要だった物とは違う。

 しかし仮に未来から今の自分へ、今から過去の自分へメッセージを届けられるなら、一体何を伝えるだろうか。

 

『ぐぅ~ぎゅるるる~』

 

 とりあえず俺は一週間前の米倉櫻(よねくらさくら)に、メールを控えろと言うだろう。

 学期末の午前授業を終えた昼過ぎ、いつも通りの陶芸部にて雑談をしながらの大富豪中。あまりにも大きな腹の虫の鳴き声は、馴染みの面々にも聞こえてしまったらしい。

 

「……凄い音」

 

 眠そうな眼をこちらに向け、芯の無い声で正論を呟いたボブカットの少女は冬雪音穏(ふゆきねおん)。陶芸部の部長にして、無表情系少女である。

 

「昼食を抜いていれば、当然だろうね」

 

 呆れた様子で長い黒髪をかき上げ、税込30円の棒付き飴を咥えつつ正論を述べる凛とした少女は阿久津水無月(あくつみなづき)。陶芸部の副部長にして、幼馴染である。

 

「買うのが嫌なら、無理して残らないで帰ったら? 家で食べればいいじゃない」

 

 指で眼鏡を押さえながら、不思議そうな顔をして正論を尋ねた二つ結びの少女は火水木天海(ひみずきあまみ)。陶芸部の企画担当にして、腐女子である。

 

「こんな速い時間に帰ったら、支給された昼飯代が没収されるだろ」

「何でそんなに金欠なのよ?」

「いいか火水木? 米倉家の携帯料金は自腹で、小遣いからやりくりする必要がある。そして先週のテスト前にアキトへ質問しまくった結果、今月の請求がリミットブレイク!」

「あー、そういえば兄貴がボヤいてたわね。今時画像付きメールとかプギャーって」

「要するに自業自得じゃないか」

「それを言われたらぐうの音も出ないな」

 

『ぐぅ~』

 

「……出てる」

「スマン。ちょっとはみ出たわ」

「いくら何でも鳴りすぎじゃない? どんだけよそれ」

「んー、カバオ君を食べるレベル?」

「何でそっちっ? パンを食べなさいよっ!」

「元が0なら元気百倍でも0だけれどね。ん……これで先にあがらせてもらうよ」

「あ」

 

 くだらない会話をしていたら、富豪だった阿久津に一抜けされてしまった。空腹じゃなければ負けはしないのに、俺の脳が働いたら負けだとニート化し始めている。

 

「あっ! アタシもあがりっと!」

「なぬっ?」

 

 更には貧民だった火水木が続く。しかし俺の残りカードはハートのエース一枚のみ。いくら何でも大貧民だった冬雪にまで負けはしないだろう。

 

「……(パシッ)」 ←9の二枚出し

「パス」

「……(パシッ)」 ←6の二枚出し

「パスゥ」

「……(パシッ)」 ←5の二枚出し

「パズゥゥーッ!」

「……あがり」

「シィタァーッ!」

「大貧民おめでとう。今の君にピッタリな役職じゃないか」

「ちくしょーちくしょーっ! お年玉……お年玉さえ手に入ればーっ!」

「どこの人造人間よアンタは」

 

 ルールに従いトランプをシャッフル&配り直す雑務を行う。米倉家ルールなら大貧民は正座しなければならないが、陶芸部ではそんなペナルティもなく平和な世界だ。

 

「そうそう。そういえばクリスマスと大晦日って集まれそう?」

「……クリスマスは大丈夫。大晦日は駄目」

「ボクも受験を控えている後輩と、初詣に行く約束があるね」

「俺は――」

「やっぱ年末は無理よねー」

「俺はっ?」

 

 まあ尋ねられたところで二人と同じ。大晦日は大掃除をした後に家でダラダラとテレビを見てから、年越しに合わせて近場の神社へ家族で初詣に行くのが恒例である。

 

「とりあえずクリスマスパーティーができればそれでいっか。じゃあ各自プレゼントと具材を一つずつ用意しておいてね。プレゼントは1000円までってことで!」

「ちょっと待て」

「何よリアル大貧民」

「その呼び方に対する文句は置いておくとして、具材って何の具材だよ?」

「冬のパーティーでやることって言ったら、闇鍋に決まってるでしょ! アタシ、一度でいいからやってみたかったのよね」

 

 火水木の答えを聞くなり、阿久津がやれやれと溜息を吐いた。冬雪はといえば鍋と聞いて器の方に創作意欲が湧いたのか、何やら形作るようなジェスチャーを取る。

 

「あ、この中でアレルギーとかある人?」

「……ない」

「ないよ」

「ないな……って、誰がリアル大貧民だ!」

「置いてたの拾ってきたっ? とりあえず具材のルールは生きてないもの、溶けないもの、生で食べても大丈夫なもの…………うん、そんな感じで! ユッキー、カード頂戴」

「……どうぞ」

 

 トランプを配り終え、富豪と貧民が一枚のカード交換。そして俺の手札はといえば、こんな時に限ってジョーカーと2の最強タッグが舞い降りていた。

 

「無事に終わるといいけれどね。櫻、カードを貰おうか」

「ほらよ大富豪様」

「その態度、大貧民の癖に生意気ね」

「……もっとひれ伏すべき」

「いや冬雪さん、貧民ですからねっ? 俺と大差ないよっ?」

「中々に良い物をくれたじゃないか。お返しはこれでいいかい?」

 

 大人しく最強タッグを差し出すと、阿久津から不要カードが渡される。

 最初は大貧民からスタートだが、受け取った二枚のトランプを見た俺は不敵に笑った。

 

「ふっふっふ」

「その笑い……まさかネックっ?」

「そう、革命じゃーっ!」 ←5の四枚出し

「返すよ」 ←ジョーカー&4の四枚出し

「ムスカァーッ!」

 

 断末魔と共に、第二次空腹大戦の開戦を告げる音が腹から鳴り響く。プレゼントに具材と更なる出費がかさみそうだが、そういう企画への投資なら悪くないかもな。



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一日目(月) 通知表はイランだった件

「おおう……」

 

 終業式を終え、通知表という名のネクロノミコンを確認した俺は思わず呻いた。

 ヤクザの組長みたいな面構えをしたモジャモジャ頭の担任が、羽目を外し過ぎないようにという定番の注意を話し終えると、長かった二学期も終わり冬休みへと突入する。

 普段なら俺も周囲同様にウキウキの筈だが、英語に五段階評価の2という前代未聞の数字がついたのを目の当たりにしては喜べない。やはり期末でやらかしたのはマズったか。

 

「……ヨネ、今日は?」

「おう、行くか」

 

 席替えをしてから約二ヶ月。周囲を無口集団に囲まれた無人島は、やはり最後尾だけあって授業に集中せず居眠りや内職三昧だった。間違いなくこれが成績低下の原因である。

 一次的狂気に陥りそうだった俺を止めたのは、癒しの少女冬雪。席替えによる一番の変化と言えば、陶芸部まで移動する際に彼女から声を掛けられるようになったことだろう。

 以前もたまには一緒に向かう日もあったが、それでも毎日という訳じゃない。席が近くなったからか、はたまた新密度が上がったのか。

 

「……通知表どうだった?」

「だ~れかさんが~だ~れかさんが~♪」

「……もう冬」

 

 前言撤回。外に出るなり、いきなりSAN値チェックさせられるとは思わなかった。

 空気が冷え込んでいる中、冬雪はブレザーの下にセーターこそ着ているもののコートは身に着けていない。スカートから伸びている綺麗な脚も、タイツを穿かずに素肌を晒している。

 夏はリボンまで外して苦しんでいた辺りから察するに、どうやら暑さに弱く寒さには強い様子。冬雪という苗字の通り、氷系属性を持ってるって訳か。

 

「成績ねえ……例えるならヒューストンって感じだな」

「……ハーバードレベル?」

「アメリカってイメージだけで繋げるなよ。普通にこう、ヒュー……ストンって感じだ」

「……なら私はギニア」

「成程、わかりやすいな。ギニァって感じだったのか」

 

 如月と見せ合っているのがチラリと見えてしまったが、パッと見た限り冬雪の成績は俺と大して変わらない中の下から中の中、要するに平均レベルだ。

 彼女は俺と違い真面目に授業を受けているため、もっと良い成績を取っていそうなイメージだったが……ああでも、匠だけにテスト期間も家で勉強せず何か作ってそうだな。

 くだらない想像と会話をしながら芸術棟へ入ると、一階にある陶芸室のドアを開けた。

 

「おはようございます米倉クン。冬雪クン」

「ちわっす」

「……こんにちは」

 

 電動ろくろの並ぶ部屋で俺達を出迎えたのは、白衣を纏った糸目の若い男。青春大好きな陶芸部顧問の伊東(いとう)先生は、疲れているのか珍しく机に突っ伏している。

 

「どうしたんですか?」

「学期末というのは、教師陣にとって色々と忙しい時期でしてねえ。先生、流石に疲れたのでここで皆さんから青春パワーを貰うことにしました」

「……お疲れです」

「おお、ありがとうございます冬雪クン。女子高生に肩もみなんてされたら、元気百倍ですねえ。先生やってて良かったなって思います」

「高校教師の生きがいがそれって、色々と駄目な気がしますけど」

「そう言われましても、先生も人間ですからねえ。それに裏で何を考えているかわからない教師より、こうしてはっきりと口に出して喜ぶ方が自然で安心じゃありませんか?」

 

 言われてみればそうかもしれないが、結局どっちも変わらない気がする。

 冬雪のマッサージに恍惚としている伊東先生を眺めていると、ドアが勢いよく開けられ火水木が現れた。コイツもマフラー程度と防御が薄いが、まあ脂肪があるから納得だ。

 

「おっす」

「やっほー……って、イトセンどうしたのよ?」

「おはようございます火水木クン。先生、青春パワー補給中ですねえ」

「売春パワーの間違いじゃなくて?」

「………………冬雪クン。もう結構です。ありがとうございました」

 

 火水木の一言がショックだったのか、伊東先生はムクッと起き上がる。そして傍らに置いていた袋からおにぎりを取り出すも、開け方に失敗して海苔が真っ二つに裂けていた。

 

「……マミ、お疲れ。通知表どうだった?」

「何々? 見せ合いとかしちゃう?」

「いや、見せ合うんじゃなくて国名で表現してくれ」

「何よそれ? うーん…………」

 

 胸を強調するように少女は腕を組み考える。

 忘れていたがコイツは今学期も成績優秀者を維持したガラオタの妹。そして今のリアクションを見た限り、スカウターが壊れんばかりの成績力を持っていそうだ。

 

「ルクセンブルクって感じ?」

「そうか、ルクセンブルクか……わかんねーよっ!」

「唐突に国で例えろって言う方が間違ってんでしょうがっ!」

「そんなことはない。冬雪はちゃんと答えられたぞ」

「……ギニア」

「今日も元気そうで何よりだけれど、廊下まで声が聞こえているよ」

 

 現れるなり冷静に指摘する阿久津の言葉を聞いて、火水木がハッと我に返る。興奮すると声がでかくなる癖は昔からなのか、相も変わらずといった様子で治りそうにない。

 

「よう」

「やあ」

 

 手袋とマフラーに加えコートを身に着け、細い脚には黒タイツを穿いた少女。本来あるべき冬の女子高生らしい恰好だが、露出が減って残念ではある。(ただしタイツは除く)

 いつも通りの挨拶を交わし、阿久津は着ていた上着を脱ぐ。真っ直ぐ伸びた黒髪は腰を超えスカートに届き、すれ違えば誰もが振り返るような長さになっていた。

 

「おはようございます阿久津クン」

「こんにちは伊東先生」

「じゃあいきなり振られて例えられるかどうか、ツッキーで試してみようじゃない」

「いや、アイツは相応しい国名はカタールと決まってる」

「何でよ?」

「カタールまでもないからな」

「うわっ、さぶっ!」

 

 冬だから仕方ない。勿論この陶芸室にはちゃんと暖房が付いているけどさ。

 

「何の話だい?」

「ネックが成績を国名で表現しろって言うから、ルクセンブルクって答えたのよ」

「ルクセンブルク……ちょっとわからないね」

「……ギニア」

「うん、音穏のはわかりやすいよ」

「そして俺はヒューストン!」

「自信満々に宣言しているけれど、それは国名じゃないという突っ込み待ちかい?」

「確かに国じゃナイジェリア!」

「そもそも成績を表現するなら、キミにはシンガポールという相応の国があるじゃないか」

「だから誰が赤道直下だっ! 赤点は取ってないっての!」

 

 今で大体タイくらいだろう。もし期末英語のやらかしを中間でもやっていたら、シンガポール直行だったかもしれないけどな。

 言っても反感を買い言わずとも反感を買う。そんなどう足掻いても絶望な成績優秀者らしく、阿久津は自分の結果に触れないまま弁当箱を取り出す。

 

「櫻は今日も昼抜きかい?」

「俺のことは放って置いてくれ」

「お腹を黙らせてから言ってほしいわね。じゃあこれあげる」

 

 てっきりおかずなり手作り弁当の一つなりくれるのかと思いきや、火水木から渡されたのは一冊の本。それも血液型占いという、中身の無さそうな表紙だった。



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一日目(月) 俺の血液型がAB型だった件

「火水木、血液型は?」

「O型……って何で自分を調べる前に人を調べようとしてんのっ!」

「えーっと、O型女子の草・格闘タイプと……飛行が四倍弱点だな」

「そんなの書いてないでしょうがっ! そもそも何でアタシが草と格闘タイプなのよっ?」

「いやだって草生やしてそうだし、体育祭の棒引きで格闘してただろ?」

「そう言われたら…………と、とにかくちゃんと血液型を調べなさいよ!」

「いや俺こういうの信じないからさ。朝にテレビでやってる星座占いで、十二位にはアドバイスを与える癖に十一位には何のアドバイスも無しかよって思ってる人間だし」

 

 とある番組では最下位だったのに、別番組では第一位とか意味不明すぎる。ラッキーアイテムはシチューですとか元気一杯に言われても、そんなの持ち歩けないし急に用意もできるかっての。

 

「……ヨネ、A型は?」

「A型の粘土もとい岩・氷タイプは格闘四倍。火水木とは相性が悪いな。ラッキーアイテムは食べ残し…………を俺にくれ」

「だから何でポ○モンなのよっ!」

「放送したら苦情が出そうなラッキーアイテムだね」

 

 ちなみに口にはしないが、阿久津は悪・毒タイプ。毒を鋼にするか悩んだが、こっちの方が四倍弱点もないし中々に合っていると思う。得意技は多分ふいうちかな。

 

「ん……? 火水木がO型で冬雪がA型ってなると、全部の血液型が揃ってるんだな」

「あー。確かにネックってB型っぽいわね」

「いや違うから。俺はAB型」

「嘘っ? 似合わなっ!」

「血液型で似合わないって言われてもな……毎日エビでも食えってのかよ? ちなみにAB型の性格は自由奔放・素直になれない・行動派・平和主義者・努力は苦手……だとさ」

「……割と合ってる」

「いやいや、勘違いするな冬雪。これは心理学用語でバーナム効果と言って、誰にでも当てはまる内容が書いてあるだけなんだぜ?」

 

 本日のお兄ちゃんトリビア。いや、今日の場合はお兄ちゃんとリビアか。

 この手の性格診断で一つだけ言えるのは、AB型は自分の血液型に誇りを持っている奴が多いと思う。だって二面性とか天才肌とか、何か厨二っぽくて恰好いいし。

 

「じゃあツッキーがB型ってこと? 意外かも」

「どういう訳か、よくA型と間違えられるよ。言われてみれば確かに揃っているけれど、キミもよくボクの血液型を覚えていたね」

 

 阿久津水無月、六月三日生まれの双子座。血液型はB型だが、バストサイズは多分A。幼馴染かつ片想いの相手となれば、忘れる方がおかしいくらいだ。

 …………そう、決して憧れや贖罪ではない。

 例え好きになった理由が言えずとも、米倉櫻が阿久津水無月に恋心を抱いているのは紛れもない事実。その気持ちだけは昔から今に掛けて、俺の中で唯一変わらない物だから。

 

「それはお互い様だろ」

「キミの場合は兄妹含めて、色々と覚えやすいから特別さ」

「……色々?」

「気にするな。そういやパーティーの日だけど、何で変更になったんだ?」

 

 土曜日に火水木から『アンタもスマホ買いなさいよ』という文句と合わせてメールが届いた。SNSができないだけで、そこまでガラケーを虐めないでほしい。

 内容はクリスマス当日ではなく、イブの予定が空いているかの質問。理由は聞かずに大丈夫と返事をしたら、パーティーの日時変更の知らせが届いた訳である。

 

「あー、アンタには言ってなかったっけ? 音楽部がクリスマスにパーティーするんだって言うのよ。だからユメノンとかオイオイに合わせて、こっちはイブに決行と」

「集まるのはハロウィンの時と同じメンバーか?」

「イエス!」

「その件について、伊東先生はイブで大丈夫なんでしょうか?」

「先生、独り身ですから。どうせその日は当番で学校にいますし、サタンクロースとシングルヘルするくらいなら陶芸部で青春を眺めていたいですねえ。青春ですよ、青春」

 

 阿久津の心遣いに対して、物凄い遠い目をしながら伊東先生が答える。火水木は気付いてないようだが、多分これさっきの売春発言を滅茶苦茶引きずってるっぽいな。

 

「そうそう。パーティーは構いませんが、年末は部室の大掃除もお願いします。冬は水が冷たくて陶芸する機会は少ないでしょうし、床から窓まで綺麗にしちゃいましょう」

「えー」

「床を綺麗にって、ろくろ運ぶんですか?」

「勿論です。先輩は一人で運んでいましたので、米倉クンは力の見せ所ですねえ」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 電動ろくろの重さは一つ約四十キロ。一台ならまだしも十二台も一人で運ぶとなると正直キツイので、そこは無駄にハードルを上げないで欲しかった。

 

「昨年は三十日にやりましたが、日程は皆さんにお任せします」

「……三十日で大丈夫」

「ボクも空いているけれど、二人はどうだい?」

「あ、ゴメン。アタシ三十日はちょっと無理かも」

「どうせコミケだろ」

「悪かったわねっ! 他で空いてる日は――――」

 

 大掃除の日程を決める傍らで、血液型の本をパラパラ眺めていると相性診断のページを見つける。

 

 AB型(男)→B型(女)……気まぐれな行動についていけない時も。

 B型(女)→AB型(男)……お互いに歩み寄る必要があるよ。

『遠回しな言い方では伝わらないこともあるので、ハッキリ言葉で伝える強気な恋愛を!』

 

 はっきり言葉で伝えない恋愛なんてあるのかよと思いつつ、俺は黙って本を閉じた。こんな物を参考にするくらいなら、アキトが以前付き合ってた二次元の彼女を相手にする方がまだ勉強になりそうだ。



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一日目(月) 梅の誕生日がイブイブだった件

「櫻」

「ん?」

 

 血液型本やカードゲーム、そして他愛のない雑談で日が傾き始めるまでダラダラと過ごした後、帰ろうかとなったところで阿久津に呼び止められた。

 

「キミに渡しておく物がある」

 

 ちょっとドキッとさせられる一言と共に、棒付き飴を咥えた少女が鞄から取り出したのは綺麗に包装された薄っぺらな箱。それが何を意味しているのかはすぐに察したが、俺は少し驚きつつ応える。

 

「あ、ああ。了解だ」

「……ミナ、それ何?」

「プレゼントだよ。明日が誕生日の後輩にね」

「何? ネックってば、天皇陛下と同じ誕生日だったの?」

「話聞いてたか? 後輩だって言ってるだろ」

「天皇陛下が?」

「どういう発想してんだお前はっ! 怒られるぞっ?」

 

 阿久津から箱を受け取ると、中身がほとんど空気な鞄の中へ。戸締りの確認をしていたせいで話半分だった火水木が合流した後で、電気を消し陶芸室を後にする。

 

「確かに同じ日だけれど、渡す相手は梅君だよ」

「梅? 誰それ?」

「俺の妹だ」

「嘘っ? ネック妹いたのっ? お姉さんだけじゃなくてっ?」

 

 アキトが顔を合わせているものの、火水木は知らなかったらしい。そんなに驚くことでもないと思うが、俺も同じような反応をコイツの兄貴にした覚えはあるからお互い様か。

 

「あれ? 天海君は桃ちゃんのことを知っているのかい?」

「あー、うん。前に映画館で偶然会ったのよ」

「……ヨネにお姉さん、初耳」

「そういや言ってなかったかもな。でも俺だって冬雪の家族構成とか知らないぞ?」

「……小学生の弟が一人」

「ほー、小学生ね。やっぱり冬雪に似て、おとなしいのか?」

「……(コクリ)」

 

 ネオンの弟とくれば、やっぱりアルゴンとかそういう化学っぽい名前なんだろうか。例えば有言と書いてアルゴン……漢字的には中々に良いが、感じ的にはいまいちな気がする。

 たまに用事で部活に顔を出さない日は、ひょっとしたら弟と一緒に過ごしているのかもしれない。冬雪の私生活と言われるとあまりイメージできず、色々と興味が湧いてきた。

 

「いいなー。アタシも弟とか妹とか兄妹が欲しいーっ!」

 

 対して火水木の私生活は、何も言わずとも察するレベルだ。

 どうやら成績優秀な兄貴の存在はノーカンらしい。まあガラオタも前に似たようなことを言ってたし、やはり双子だけあって同じ思考なんだろう。

 

「それじゃあ、宜しく頼むよ」

「わざわざサンキューな」

「……お疲れ」

「明後日の具材とプレゼント、ちゃんとビックリするような物を用意しておきなさいよ」

「もやし二袋は?」

「却下に決まってんでしょうがっ!」

 

 中々に良いと思うけどな。プレゼントにもやしとか、絶対ビックリするじゃん。

 電車通学の女子三人と別れて駐輪場へ向かう。すっかり季節も冬になってきたため、夕日が射していても手袋や上着無しじゃ自転車通学は辛い時期だ。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

 沈みゆく太陽を眺めながらのんびり漕いでいる途中で、ポケットの中の携帯が震える。

 一時停止してガラケーを手に取ると、画面には先程話題に上がったばかりである『米倉梅(よねくらうめ)』の文字が表示されていた。

 

「もしもし?」

『もし~ん。お兄ちゃん、今どこ~?』

「アメリカの大都市、ヒューストンだ」

『お母さん、アフリカだって~』

「おい待てっ!」

 

 頼むから親にギャグを報告しないでほしい。しかもわざとなのか電波が悪かったのか知らんが、たった一文字間違えたせいで大都市から大草原不可避じゃねーか。

 

『サバンナでもジパングでもいいから、帰りに洗剤買ってきてってさ~。あっ、食器用なら何でもいいって!』

「ん? 今何でもいいって言ったよな?」

『言ったよ? じゃ~宜しくね~。梅梅~』

 

 華麗にスルーされ通話を切られてしまった。まあ梅が俺にちょっかいを出してくるのは姉貴がいない時の話であって、仲良し姉妹が揃っていれば兄の立場なんてこんなもんか。

 友人の思わぬ告白を聞いてから一ヶ月半。別に関わるのを避けたつもりはなかったが、金欠だったことも相俟ってコンビニへ寄るのも随分と久し振りだ。

 下り坂を超え横断歩道を渡り、駐車場を抜けて建物前に自転車を止める。ガラス窓越しに店内を覗きこむと、そこには見知った同級生の姿があった。

 

「いらっしゃいませ……あっ!」

 

 自動ドアが開いた後で、透き通るような声で挨拶する店員。夢野蕾(ゆめのつぼみ)と書かれたネームプレートを付けた少女は、俺だと気付くなり満面の笑顔を見せる。

 そんな夢野に手で応えつつ、適当に安い食器用洗剤を手に取るとレジへ向かった。



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一日目(月) 300円のグロリアスレボリューションだった件

「ここで会うの、何か久し振りだね」

「ちょっと金欠でな」

「ひょっとしてこれ、明後日のパーティーのプレゼント?」

「いやおかしいだろ。あ、袋なしで」

「はい。かしこまりました」

 

 ショートポニーテールに髪を結んだ少女は、バーコードリーダーで商品を読み取る。そして慣れた手つきで洗剤にシールを貼ると、俺が置いた硬貨を受け取りレジに打ち込んだ。

 

「お会計、103円からお預かり致します。15円のお釣りと、レシートのお返しです」

 

 俺の掌へ手を重ねるようにして、丁寧にお釣りが返される。仕事モードから通常モードへ戻った少女は、意味深な笑みを浮かべると何やら店の端の方を指さしてきた。

 

「?」

 

 行けばわかるという意味なのか、とりあえず何も聞かずに雑誌コーナーへ向かう。

 そこにいたのは漫画雑誌を立ち読みしている茶髪の女性。見知らぬ相手なら絶対に声を掛けはしないが、俺はその姿を見るなり近付くと黙って肩を叩いた。

 

「…………? わぁお♪」

「わぁお♪ じゃねーよ。何してんだ姉貴?」

「何って、見ての通りスタンダップリーディングだけど?」

「英語で答えると無駄に恰好良いなおい」

「ちょっと待ってね。今いいとこだから」

 

 スタイル抜群で多趣味な姉、米倉桃(よねくらもも)の本日の髪型は、耳よりも上の位置の髪を後頭部でまとめたハーフアップ。以前にかけていたパーマも大分緩くなっている。

 大学も冬休みを迎え今日実家に戻って来るとは聞いていたが、まさかコンビニに寄り道しているとは思わなかった。別に時間を潰す理由もないんだし真っ直ぐ家に向かえばいいのに、本当に自由奔放な姉である。

 

「ん~、終わった~」

「何で一仕事終わった感を醸し出してるんだよ? さっさと帰るぞ」

「はいは~い…………あれ? あれれれ?」

 

 出入り口まで向かった後で、ずいっずいっと店の奥へ引き寄せられていく姉貴。別に謎の引力が発生している訳ではなく、行き着いた先は夢野のいるレジだった。

 どうやら入店した際に気付いていなかったらしく、これで人違いだったらどうするんだというくらい覗きこんでから、起き上がり小法師みたいに勢い良く戻る。

 

「やっぱり蕾ちゃんだっ! 久し振り~っ!」

「お久し振りです桃さん」

「この前の映画の時以来? ひょっとしてここでアルバイトしてるの?」

「はい。あ、いらっしゃいませ」

「ほら、仕事の邪魔したら悪いだろ」

「も~櫻ってば、感動の再会なのに~。バイバイ蕾ちゃん。まったね~」

「ありがとうございました」

 

 他の客が来たのを見て、姉貴の腕を引っ張りつつ外へ出る。自転車の籠に鞄と洗剤を入れると、これも宜しくと言われたハンドバッグを上に乗せた。

 

「何々? 櫻は知ってたの?」

「知ってたって、夢野のバイトのことか? それなら俺だけじゃなくて梅も知ってるぞ」

「うそんっ? 桃姉さんの情報、遅すぎ……?」

「そりゃ一人離れて暮らしてるんだから仕方ないだろ」

「え~? ちょくちょく戻ってきてるじゃない」

 

 家までの道のりを、自転車を押しながら姉貴と共に歩く。体育祭の日に運転許可を貰ってからは一度車を借りに来た程度で、こうして話すのは割と久し振りだ。

 

「そういや、阿久津から梅宛てのプレゼント貰ったぞ」

「流石は水無月ちゃん! 今年も用意してくれるなんて、本当に後輩想いの先輩ね~」

 

 姉貴の言う通り、阿久津は幼い頃から欠かさず梅にプレゼントを用意してくれている。勿論俺もそれを知っているからこそ、箱を見てすぐに誕生日プレゼントだと察した訳だ。

 ならどうして驚いたのか。

 その理由はプレゼントに対してではなく、俺を経由したということ。姉貴は特に気にしていないようだが、小学校高学年から中学時代は直接渡していただけに少し違和感が残る。

 

「櫻も部活の後輩に何か贈ってあげたら?」

「いや、帰宅部に先輩後輩ないし」

「何を言ってるんですか先輩っ? 通学路を無視しての最短帰宅時間競争! 究極のエロ本と至高のエロ本探し! 俺達の汗と涙の帰宅争いは一体何だったんですかっ?」

「そんな帰宅部ねーよっ!」

「でも部って言ってる以上は、部活らしいことすべきじゃない? 今日の帰宅は道草を食っちゃうんすかっ? よもぎ団子作るとか、先輩マジパねえっす! みたいな」

 

 それリアルに道草食ってるじゃねーか。そんな行動力があるなら料理部入れよ。

 

「で、水無月ちゃんから何貰ったの?」

「あ、聞き忘れた」

「仕方ないにょ~ん。ちょっと見せてみなさい」

「鞄の中に箱が入ってるから、出してくれ」

「ふむふむ。桃姉サーチ!」

 

 自転車を押すのに手が塞がっているためそう応えると、姉貴は歩きながら俺の鞄のファスナーを開ける。大して中身は入っていないから、すぐに見つかる筈だ。

 

「ね~櫻~? 鞄の中に教科書もノートも無いけど、どこの道草食べてきたの?」

「食べねーよ! 終業式に授業はないだろ?」

「あ~、そっかそっか。それでこの薄い本が水無月ちゃんのプレゼントと」

「どこがだよっ? 通知表じゃねーかっ!」

「冗談よ冗談。これでしょ?」

 

 ある意味見られたら恥ずかしい薄い本を鞄へ戻した姉貴は、阿久津からもらった薄い箱を取り出す。重さを調べたり軽く揺すったりした後で、そのまま鞄の中へ戻した。

 

「あ……桃姉サーチ!」

「技名言うの遅っ!」

「見えます………………み、みえ……みえ…………三重だっ!」

「はいはい。それで、中身は?」

「薄くて、ふわふわした物。色は緑ですね」

「どこの透視捜査官だよ? ふわふわ……ああ、タオルか?」

「多分だけどね~。まあ仮に外れてたら、櫻がスポーツタオルも買うってことで」

 

 クリスマスにはケーキこそ食べるものの、プレゼントは流石に小学生で終わり。そんな米倉家だが、誕生日プレゼントに関しては家族の誰もが必ず用意している。

 明日の梅の誕生日には俺がリストバンド、姉貴がバスケットシューズを購入予定。流石に中二ともなれば、こちらで選ぶより使う本人が決めた方がいいと考えて一緒に買い物だ。

 

「携帯料金払うので一杯一杯だから無理」

「櫻も蕾ちゃんを見習って、バイトの一つでもしてみたら?」

「バイトねえ……姉貴は高校生の時、何してたんだっけ?」

「年末の郵便局と、コンビニと、ファミレスと、あと……忘れちゃった!」

「一番楽だったのは?」

「どれも一長一短よ~? それに楽かどうかより、やりたいバイトを探しなさい♪」

「やりたい仕事って言われても、これといってないんだよな」

 

 この前に書かされた進路希望調査も『実家の文房具店を継ぐため経済を学ぶ』だの『映画関係に興味があるから芸術学部』といった友人二名と違い、俺は宙ぶらりんだった。

 そもそも高校一年生というこの時期に将来の夢なんて聞かれても、明確な希望なんてないに決まってる。とりあえず知っている大学を適当に書いて提出するだけだ。

 

「ま~ま~悩め若者よ。困ったことがあったら、桃姉さんが相談に乗ってあげましょう」

 

 仮に相談するならバイトよりも優先すべきは、このままにしておけない成績の方だろう。もし稼ぎたいなら平日は部活があるし、春休みか夏休みの短期程度か。

 まあそう簡単に自分の恥を晒せる訳もなく、適当に話題を変えることにする。相談というよりは質問だが、掴みどころのない姉貴なら何かしら思いつくかもしれない。

 

「じゃあ聞くけど、300円とバナナって言われて何思い浮かべる?」

「ん~。随分高いバナナだな~って思った! スーパーで見かけるバナナなら二房、安いのなら三房は買えそうかな~」

「いや、そういうんじゃなくて…………」

「あ、でも前に高いバナナで一房298円っていうのがあってね、一回だけ買ってみたら凄かったの! もうグロリアスレボリューションって感じで――――」

 

 遠足のえの字も出てこないまま、姉貴がバナナ話に花を咲かせ始める。聞けば聞くほど余計に腹が減ってきたが、家に到着しても夕飯の時間にはまだ早いだろう。

 かれこれ数ヶ月悩んだものの、遠足から蘇る記憶は一つだけ。ひょっとしたら遠足という発想が間違ってるのかもなと思いつつ、俺の腹では本日何度目かわからない空腹大戦が勃発するのだった。



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二日目(火) 梅桃コント+だった件

「「イェセガンガンガンガンガンガンガンガンガ~ンッ!」」

 

 冬のクソ寒い朝っぱらにも拘わらず、奴らは盛大にドアを開けて現れた。今回は入場曲まで歌いながらの登場だが、あれは『Yes we can can can――――』と言っていたらしい。

 

「「はよざ~っす!」」

「梅と!」

「桃の!」

「「梅桃コント~」」

 

 何で祝福される側の人間がコントをやっているのかと突っ込んではいけない。寒いので上半身を起こさずに、首だけ動かして布団の中から視聴させてもらうとしよう。

 相変わらず寝癖フィーバーな姉貴は、いきなり床に寝転びモゾモゾ蠢き始めた。

 

「大物釣るぞ~っ! てりゃっ!」

「ピチャン! ぼくイワシ」

「そりゃっ!」

「チャポン! あたしサンマ」

「うりゃっ!」

「ザバァン! めでたい。タイです」

「おりゃっ!」

「かぷかぷ。クラムボンは笑ったよ。カニだよ」

「どりゃっ!」

「ジャパァン! 俺っち、ブラックバスでい!」

「バスでい」

「「バースデイ! ハイッ!」」

 

 普段なら黙って眺めるだけだが、極寒の中で身体を張った一芸に拍手の一つも贈ってみる。しかし二本目のコントは始まることなく、限界だった妹がベッドに飛び込んできた。

 

「さぶいっ!」

「うおっ? 冷たっ!」

 

 勢いよくダイブするなり人の布団に潜り込む梅。そのまま左腕に絡みつかれると成長途中の胸が当たるものの、それ以上に極寒で冷やされた肌の冷たさに思わず叫ぶ。

 

「いや~、今朝は一段と冷えるわね~」

「姉貴も無理やり入って来んな! 定員オーバーだ!」

「大丈夫よ。このベッド三人用だから」

「一人用ですよっ?」

 

 ダブルベッドなら用途もわかるけど、トリプルベッドって使い道ないだろ。し○かちゃんとジャイ○ンをベッドに呼んで、スネちゃまは一体何をする気なんだよ。

 強引に俺の上へ半分のしかかりつつ、姉貴がベッドに入ってくる。大きな胸に右肘が押し潰されたが、頭がボンバってる実の姉の姿を見ては興奮もしない。

 

「そんなことより櫻。お祝いの言葉の一つでも言わなきゃ駄目でしょ?」

「あー。梅、誕生日おめでとう」

「梅おめでとう」

「「うめでとう! ハイッ!」」

「ネタだったのかよっ?」

 

 とりあえず、うめでとうは流行らないし流行らせない……絶対にだ。

 俺を挟んで布団の中で謎ポーズを決める二人に溜息を吐きつつ、身動き一つ取れないこの窮屈な状況から脱する方法を考える。ってか声には出さないが正直言って姉貴が重い。

 

「あ、そうだ。阿久津からプレゼント預かってるぞ。ベッド下の端の方にあるから」

「本当っ? とうっ!」

 

 勢い良く起き上がり布団を跳ね飛ばした梅は、トランポリンみたいにベッドから飛び降りる。一人いなくなったことでスペースが確保され、ようやく重石から解放された。

 プレゼントの箱を見つけた妹は丁寧にテープを剥がそうとして失敗。包装を若干破りつつ箱を開けると、そこには緑ではなく青だが姉貴の予想通りスポーツタオルが入っていた。

 

「恰好いい~っ! 流石はミナちゃん!」

「じゃあここで祝福の桜桃コントを」

「やらねーよ」

「え~? 梅の誕生日くらい櫻も何か面白いことしてよ~」

 

 姉貴から無茶振りをされた俺は、仕方ないなと身体を起こし枕元のガラケーを手に取る。

 

「喜べ梅。俺の携帯も、お前の誕生日をラップで祝ってくれるそうだ」

「あっ! 桃姉知ってるっ? お兄ちゃんの携帯、凄い面白いんだよっ!」

「何々?」

「行けっ! 相棒っ!(マナーモード解除)」

 

 

 

『……ザザ………………トゥー……ン…………』

 

 

 

「あれ? お兄ちゃん、ターンタターンっていうやつは?」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 ターンタターン誕生日と祝う筈が、変なノイズ入りな上に随分と覇気が無かった。

 ついこの前までは何もせずとも五月蠅いくらい叫んでいたのに、久々のマナーモード解除で寝惚けているのだろうか。180度まで回転できる画面を必死に捻るも反応がない。

 

『バギッ!』

 

「「「あ」」」

 

 妙な音と共に、画面がぐるりと一回転した。

 しかし明らかに崩壊を告げる音だったにも拘わらず、待ち受けは普通に表示されている。

 

「あらら。壊れちゃった?」

「いや、普通に動かせる……」

「え~っ? 何それっ?」

 

 確かめるようにもう一度捻ってみると、やはり180度という限界を超えて一周した。

 液晶は普通に表示されており、操作性もこれといって問題ない。ふとL字に折り曲げたまま画面を握り締めると、操作部をカウボーイみたいにビュンビュンと回す。

 

「お~っ?」

「櫻っ! 今こそあの必殺技をっ!」

「グ……グロリアスレボリューーーション!」

 

 日本語訳は知らんが適当に叫んだら滅茶苦茶ウケた。やるじゃん相棒。



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二日目(火) 女性は大抵ショッピング好きだった件

「…………疲れた」

「え~っ?」

 

 黒谷町から電車で五駅。以前に映画を見た馴染みのショッピングモールにて、かれこれ一時間半ほど買い物へ付き添った後にフードコート前で足を止める。

 とりあえず梅のプレゼントであるバッシュとリストバンドは購入完了。時間が掛かったのはスポーツ用品店へ向かうまでの間に、洋服やアクセサリー店へ寄り道したからだ。

 

「買いもしない商品を眺めて、一体何が面白いんだよ?」

「友達が言ってた新発売の物とか確認したり」

「これ着たらどんな風になるかって想像してみたり」

「「ね~」」

「成程、わからん」

 

 そういや阿久津達も四人で買い物に行ったらしいが、女性という生物はどうしてこうもショッピングが好きなのか。商品を見るだけなら、ネットサーフィンすればいいのにな。

 自転車通学のため運動不足とは考えにくいが、ふくらはぎがパンパンで少し辛い。どうやらペダルを漕いで鍛えられる筋肉は、歩く際に使われる物とは違うようだ。

 

「色々見て回ったことだし、少し休憩しないか?」

「仕方ないな~。じゃあお兄ちゃん、飲み物買って?」

「俺の財布事情知っててわざと言ってるだろ。姉貴に頼んでくれ」

「はいはい。これで好きな物を飲みなさい」

 

 さらりと千円札を妹に手渡す姉貴。これが大学生の余裕ってやつなのか。

 ウキウキで飲み物を買いに行く梅を眺めつつ、近場の席に腰を下ろす。今日の目的がこれで終了なら良かったが、実はもう一つ俺達には買い物が残っていた。

 

「櫻も喉乾いてるなら買ってきたら? 遠慮したら負けよ~?」

「ああ、俺は大丈夫。それよりどうすっか?」

「ん~、まあ何とかなるんじゃない? 三人寄れば文殊の知恵って言うし…………あ! 見なさい櫻。ここに三本の矢があります」

「いや無いけど」

「金の矢と、銀の矢と、鉄の矢です」

「混ざってる! それだと泉の女神様出てきちゃうから!」

「一本だと簡単に折れます」

「その話を聞く度に思うんだけど、矢を作った職人が可哀想だよな」

「三本にすると……あれ、二本しかない」

「お婆ちゃん、一本目ならさっき折りましたよ?」

「…………ハイッ!」

「何も思い付かなかったんかいっ!」

 

 真面目に考えているのかわからない能天気な姉貴に溜息を一つ。残っている用事というのは、両親へ贈るクリスマスプレゼントについてだった。

 昔自分達が貰ったお礼として、何かお返しをしようという初の試み。そんな提案を仲良し姉妹がしたのは良いが、渡す物が決まらないまま探し回っている最中である。

 

「まあプレゼントについては梅が戻ってきたら話し合うとして、ここらで桃姉さん情報収集タイム! とりあえず気になる、櫻と蕾ちゃんの関係はっ?」

「ただの友達だ」

「か~ら~の~?」

「フレンズだ」

「あ~、フレンズなんだね~」

 

 そこで納得するのかよ。しかも使い方、間違ってるからなそれ。

 確かに夢野は可愛いと思うし、ドキッとさせられたこともあった。ただ300円という接点を忘れている限り、こちらからアプローチを掛けることはないだろう。

 寧ろ友人が彼女に片想い中だとわかった今、300円という金額はパンドラの箱かもしれない。杞憂に終われば問題ないが、仮に俺が好意を抱かれていたとしたら?

 

「……」

 

 考えれば考える程どうして良いかわからなくなり、最終的には考えることを放棄した。この繰り返しを、もう何度やったかは覚えていない。

 

「そういえば暫く会ってないけど、水無月ちゃんは元気してる?」

「相変わらずの優等生だ」

「うんうん、偉い偉い。まだ棒付き飴は舐めてるの?」

「舐めてるな」

「髪も伸ばしてる?」

「…………ああ、伸ばしてるよ」

「ふ~ん。変わりなしか~」

「ただいま帰還しましたっ! 桃軍曹っ! こちらがお釣りになりますっ!」

「うむ、御苦労である! 梅中尉!」

 

 中尉って軍曹より四つ上の階級なんだが、脱線しそうなので指摘はしないでおく。

 チルドカップのミルクコーヒーを手にした梅が、敬礼した後で着席。ストローを使うことなく蓋を外し、カップに口を付けた妹を眺めつつ俺はさらりと話題を戻した。

 

「やっぱプレゼントなら、仕事にも使えそうな日常品が無難じゃないか? 万年筆とかさ」

「え~っ? 梅としては、もっとクリスマスっぽい物が良いな~」

「さっき見た肩こりに効くネックレスはどう? コリスマス、なんちゃって」

「どんなギャグだよ。そもそも二人とも、ああいうの付けなそうだし」

「「「う~ん」」」

 

 行きの電車でも同じような話し合いはしたものの、全員がピンと来るものはなく見て回ろうということに。しかし目ぼしいプレゼントは、今のところ見当たらない。

 ぶっちゃけ俺としては安けりゃ何でもいいんだが、あまり適当な意見を言うと二人から怒られる。どうしたものかと考える中、ミルクコーヒーを眺めていた梅が口を開いた。

 

「そういえば昔、皆でサンタさん待ったことあったよね」

「は?」

「お父さんは疲れて寝ちゃってたけど、梅と桃姉とお兄ちゃんとお母さんの四人で、サンタさんにコーヒー用意して」

「あ~、あったわね~っ! いくら待っても来ないから、結局眠っちゃったやつ! 次の日の朝に起きたら淹れておいたコーヒーが空になってて、ハガキに筆記体でありがとうって印刷されてたんだっけ?」

「言われてみればあったような…………」

 

 多分姉貴がサンタの正体をギリギリ知らなかった小学校の高学年。俺は中か低学年で、梅に至っては入学しているかどうかといった頃の話なのに、よくもまあ覚えているもんだ。

 

「ピコーン! それよ梅っ!」

「はぇ?」

「私達がサンタさん側になって、あの日のお礼ですってコーヒーを用意しておくの! そしてその隣にはプレゼントのスペシャルなマグカップが!」

「あっ! さっき見つけた、あのマグカップっ?」

「ピンポンピンポン大正解~っ! 梅ちゃんに100ポインツ!」

「えっと……もう少し詳しく説明していただけません?」

「弛んどるぞ櫻少佐!」

「少佐の癖に生意気だ!」

 

 何で少佐なのに怒られてるんだろう。中尉より二つ、軍曹よりは六つも上の階級なのに。

 てっきりいつも通りふざけたアイデアでも言い出したのかと思いきや、予想以上にまともかつ面白い姉貴の提案に賛成する。満場一致でプレゼントは決まりだった。

 

「じゃあ俺は休んでるから、二人で探してきてくれ」

「駄目! 三人で行くの! 桃姉、お兄ちゃん立たせるの手伝って!」

「そういう誤解を招く発言をするなっての」

 

 渋々立ち上がるとショッピング再開。例の如く色々な店に寄りながらではあったが、目的の品物である種と仕掛け付きのマグカップを無事に購入できた。

 その代償として断食によりコツコツ貯めていた財布の中身が、あっという間に千円札一枚と硬貨数枚へ。まあそれも残り一週間、お年玉が手に入るまでの辛抱だ。



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二日目(火) 店員さんは色々と大変だった件

「やっと見つけた」

「あら。どうしたの櫻?」

「少し目を離したら二人していなくなってたんだろ……ん? それ梅の荷物だよな?」

「ちょっと預かってるよう頼まれちゃったのよ」

「それで、梅はどこに行ったんだ? トイレか?」

「…………キミのような勘のいいガキは嫌いだよ」

 

 どこぞの国家錬金術師みたいなことを言われた。お花摘みと答えるべきだったかな。

 しかし広い店内ではぐれた際に合流するのって、地味に面倒だと思う。今は携帯という便利品があるものの、俺に限っては電話なんて金の掛かる行為をする筈もない。

 

「姉貴は何見てたんだ?」

「ん~? これいいな~って思ってね~」

 

 本日何度目になるかわからない目移りをしている姉貴が眺めていたのは、スノードームと呼ばれるいかにもクリスマスなインテリアだった。 

 ドーム型の透明な容器の中に入っているのは、ミニチュアのサンタ人形と白いパウダー。動かすことで雪の降っている風景を作り上げる洒落た一品だ。

 

「へぇー。綺麗だな」

「でしょ~? しかもこれ、クリスマスソングのオルゴールが鳴るのよ! どうですお兄さん? 気になるあの子にうってつけのプレゼントに一つ!」

「いつからこの店の回し者に…………あ!」

「どうかしたの?」

「陶芸部でプレゼント交換するの忘れてた。参ったな……何にすっか」

「じゃあこれにしたら? 桃姉さんのお墨付きよ~♪」

 

 確かに姉貴は俺と違ってセンスがある。このスノードームもプレゼントとしては中々に良いと思うが、問題はその価格が予算を大幅にオーバーしていることだ。

 

「プレゼントは1000円以下って話になってるから、買うとしたらこの辺りかな」

「う~ん……」

「こっちじゃ駄目なのか?」

 

 予算以内のスノードームもいくつかあるが、我が姉上は俺の指さした商品に対して微妙な表情を浮かべる。大して変わらないように見えるが、プロにしかわからない違いってやつか。

 

「オルゴールが付いてないのよね~」

「それだけかよ! そこ、そんなに重要か?」

「重要も重要、最重要よ~。オルゴールが付いてたら、ふとした時に鳴らしたりするじゃない? 音楽は旧石器時代から続いてる、人の生活に欠かせない文化なんだから」

 

 姉貴の主張はわからなくもない。生活に欠かせないというのは少し大袈裟に聞こえるが、少なくとも音楽には感情を左右させる効果があると思う。

 

「む~、1000円以下か~」

 

 一つ一つ商品を見て回るが、安いのはどれも純粋なスノードームのみ。オルゴールが付いている物となると、やはり少しばかり値が張ってしまうようだ。

 悩みに悩んだ末、セレクター桃は何か閃いたようにポンと手を打つ。

 

「櫻、これにしなさい!」

 

 差し出されたのはオルゴール付きの中では一番小さなスノードーム。中に入っているのもサンタにツリーとシンプルだが、問題の表示価格はクリスマス特価と書かれていても2498円(税抜き)だ。

 

「いや、だから…………」

「ふっふっふ。桃姉さんに任せなっさ~い」

 

 姉貴はドンと大きな胸を張った後で、近くにいた若い男性店員の元へ向かう。

 そういえばこういう展開、前にアニメで見たことがあるぞ。まさか自信満々だったのはこの店員が知り合いとか、顔が利いて割引できるとかそういうことなのかっ?

 

「あのすいませ~ん。これネットでは1000円だったんですけど、安くなりません?」

「…………………………」

 

 そんなことは全然なかった。しかもどこで学んだか知らんが、やり口が雑過ぎるだろ。

 店員のお兄さんも流石に1000円は嘘と見抜いているのか、困った顔を浮かべている。何ていうか、うちの愚姉がご迷惑をお掛けして本当にすいません。

 

「で、どうだった?」

「値引きできても2000円までだって」

「そりゃそうだ」

 

 寧ろよく値下げに応じてくれたなとさえ思う。マジでごめんなさいお兄さん。

 頭に指を当てて考える姉貴だが、やはりオルゴール付きはどう考えても難しい。

 

「スノードームじゃない、ただのオルゴールにするってのはどうだ?」

「それだとクリスマスプレゼントじゃないし、スノードームってところがミソなのよね~」

「成程、やっぱりわからん」

「ピコーン! 良いこと思い付いちゃった!」

 

 再び手をポンと叩いた後で、ハンドバッグからお洒落な長財布を取り出す姉貴。

 一体何を閃いたのかと思いきや、俺の手首を掴むなり掌の上へ千円札を乗せてきた。

 

「テレレレレ~。スペシャルクーポン券~」

「ちょっと何言ってるか分からないです」

「要するに、櫻の払う金額が予算以内なら良いんでしょ?」

「いや駄目だろ」

 

 つまりモモえもんは、クーポンという名目で半額出すと言いたいらしい。いくら何でもそこまでしてもらうのはどうかと思うし、それなら他のプレゼントにする方が良いだろう。

 

「スノードームにこだわる理由はないんだし、姉貴に払って貰うくらいなら適当にノートとかペンでも選んで買うから別にいいっての」

「お兄さ~ん、これくださ~い」

「無視かよっ? ちょっ、おいっ!」

 

 俺の制止も無視して話を進める姉貴。流石に値引きしてもらった上にここまで買う雰囲気を出しては断るのも申し訳なく、結局オルゴール付きのスノードームを購入した。

 

「何か悪いな。お年玉で返すから」

「倍返しだっ!」

「だから使い方が違うっての! しかも勝手に貸しておきながらそれ言うのかよっ?」

「冗談よ冗談。別に返さなくていいってば。困った時は桃姉さんに頼りなさい」

「あ~っ! 二人とも、こんな所にいたっ! はれ? お兄ちゃん、何か買ったの?」

「ちょっと部活で必要な物をな。さてと……ん?」

 

 現在時刻を確認しようとポケットから携帯を取り出すが、画面が真っ暗になっている。電源ボタンを長押ししても起動せず、一度電池パックを入れ直してみたが駄目だった。

 

「…………え? マジで?」

「もしかしてタターン、壊れちゃったの?」

「完全に名前扱いだなそれ。ちょっと修理できるか、ショップ行ってくるわ」

「いっそ新しいのにしたら? 足りるかわからないけど、これ貸してあげるから」

 

 俺の財布事情を察してか、姉貴がさらりと紙幣を差し出す。しかもそれは先程までのお札と比べて、0が一つ多い一万円札だった。

 

「ちゃんとお年玉で返しなさいよ~?」

「万札って……良いんですかお姉様?」

「携帯以外にも年末は色々と使うでしょ? ただし今度、桜桃コントに付き合うこと」

「やらせていただきます」

「うむ、よろしい」

「じゃあ貧乏なお兄ちゃんに、梅も寄付してあげましょう」

「いや待て梅よ。いくら貧困な兄とはいえ、流石に妹から金は借りんぞ?」

「これで好きな物を飲みなさい」

 

 姉の真似をした妹が差し出してきたのは、先程飲んでいたミルクコーヒーのストロー。ふむふむ成程、確かにこれなら好きな物が何だって飲めるな。

 

「おお、サンキュー………………モスキートアタック!」

「ふぎゃあああああっ!」

 

 開封したストローをブスリと首筋に突き刺す。妹の絶叫により人目が集まったのを見て、耳に息を吹きかける程度にすれば良かったと後悔した。

 

「首筋を蚊に刺された時って、キスマークと誤解されて困るのよね~」

「うう……お兄ちゃんにキスマーク付けられた……」

「公衆の面前で誤解しか招かないような発言をするなっての! じゃあ行ってくるから、二人は適当にショッピングの続きでもしててくれ」

「了解! では梅中尉、行くぞ~っ!」

「イエッサー」

「だからサーじゃなくてマムだっての」

「イエッマム!」

 

 合ってるけど間違ってる梅は姉貴に任せ、俺は一旦二人と別れた。

 手にしたストローを指でくるくる回しながら、建物内の地図を確認して携帯ショップへ向かう。道中でごみ箱は無いかと探してみるが、これが中々見つからない。

 

「駄目か」

 

 ストローを咥えると空いた両手で携帯を色々と弄ってみるが、復活する様子はなかった。

 ごみ箱も見つからないまま携帯ショップへ辿り着く直前で、ふと鏡に映った自分の姿が目に入る。こうしていると、まるで棒付き飴を咥えている阿久津みたいだ。

 仕方なくストローをポケットに入れてから入店。都合良く店内が空いていたので、これといって待つこともなくカウンターへ案内された。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「えっと、携帯が動かなくなっちゃって」

「それでは携帯電話の方を拝見させていただいても宜しいでしょうか?」

「これなんですけど、今朝になって画面がこう……一周するようになったんです。あと開いたり閉じたりした時に音が鳴るように設定してたんですけど、それも駄目みたいで」

「そうですか。誠に恐縮ですが、何かお心当たりはございますか?」

「あ、はい。調子が悪くなったのは、二ヶ月くらい前に携帯を釉薬に落としてからなんでそれが原因かなって」

「ユ、ユウヤク……と申しますと……?」

「あっ! えっとですね…………何て言うか、こう……ドロっとしてる液体で…………えっと…………この隙間に付いてる白い粉みたいなやつなんですけど…………」

 

 悲報。櫻氏、店員に釉薬の説明ができない。

 普通に考えれば絶対知らない代物だろうし、下手したら陶芸という単語すら首を傾げる人もいるだろう。ここに来て思わぬ緊急事態が発生してしまった。

 目の前にいる女性店員も、困っているのが目に見えてわかる。下手したら誤解を招きかねない表現だが、実際のところ事実だけに仕方ない。

 

「と……とにかく変な液体に浸かっちゃって、水で洗い流したんです!」

「そ、そうですか。少々お待ち下さいね」

 

 携帯を手にしたまま、店員さんは他の人へ相談しにいく。いや本当にすいません。

 どうやら少しばかり時間が掛かりそうな様子。元々が購入した当時売られていた中でも相当古い型だった上、釉薬なんて意味不明な単語を出されては扱いに困るのも仕方ない。

 

「………………」

 

 待たせて貰っている間、ここ数ヶ月に渡り遠足というキーワードから俺が導き出した思い出を改めて振り返ってみるとしよう。

 ヤンチャで優しさだけが取り柄だった、馬鹿な少年の昔話を…………。



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二日目(火) 遠足の思い出が棒付き飴だった件

 あれがいつの季節だったか、どこへ行く遠足だったのかは覚えていない。

 ただし小学校二年生だったことだけは確実に言える。両親に聞いてみたが幼稚園の時は親子遠足だったし、三年生からは遠足ではなく社会科見学という呼称になるためだ。

 一年生じゃないと判断する理由は、これが初めてではなかったから。彼女は遠足という名の通り、遠くへ足を運ぶための長時間に渡るバス移動が二度目故に嫌がっていた。

 

「あぁ、いらっしゃぃ」

 

 自動ではないガラス戸を開けると、椅子に座った老婆が絞り出すような声を出す。もしここがコンビニだったら、絶対にレジを任せはしないであろうヨボヨボのお婆さんだ。

 家の近所にある小さな老舗。

 今では潰れてしまった小売店だが、当時はよく親と一緒に立ち寄り駄菓子を買って貰った。勿論この日、ここへ来た理由も遠足のお菓子を買うために他ならない。

 

「こんちゃ! ふんふふーん♪」

「…………」

 

 店に入ってきたのは二人の子供。呑気に鼻歌を歌っているのが、昔の櫻少年である。

 そして隣で浮かない顔をしている、毛先が肩にかかるくらいのセミロング少女がロリ時代の阿久津水無月。確かこの頃の呼び方はまだ、幼稚園の時と同じだった筈だ。

 

「どしたの、みなちゃん?」

 

 マイペースにお菓子を選んでいる途中で、ようやく幼馴染の様子がおかしいと気付く間抜け。ここに来るまでの間に察しない辺りが、本当にどうしようもない奴だと思う。

 今でこそ弱点らしい弱点が少ない阿久津だが、幼い頃は不得手なものが色々あった。そんな彼女にとって、バスは四倍弱点くらいに苦手だったのかもしれない。

 

「…………私、やっぱり買うのやめる……」

「はぇ? 何で?」

 

 少女の一人称はまだ『私』……彼女がボクっ娘になるのは、もう少し先の話だ。

 お菓子を買わないなんてとんでもないと言わんばかりの馬鹿な少年。一年の遠足で起きた事件を、能天気な彼はすっかり忘れていたらしい。

 

「だって私、酔っちゃうもん……」

「あ!」

 

 そう、当時の阿久津は乗り物に弱かった。

 具体的に言うなら、酔い止めを飲んでいても吐いてしまうレベル。もし克服しなかったら、類い稀なゲロインの称号が間違いなく与えられていただろう。

 

「うーん…………お婆ちゃん、食べたら酔わなくなるお菓子ください!」

「そうさねぇ。飴でも舐めてりゃ、少しは気が紛れるんじゃないかぃ?」

 

 意図的か偶然かは不明だが実はこのお婆さん、割と的を射た解答を出していたりする。飴やチョコといった甘い物で血糖値を上げると、脳が活性化して酔い止め効果があるらしい。

 他には梅干しなど唾液が出る物を食べれば三半規管のバランスを。炭酸水などを飲めば胃の調子及び自律神経を整える働きがあるというのは、最近調べて知った話だ。

 

「じゃあ僕、これにする!」

 

 改めて繰り返すが、米倉櫻は本当に馬鹿な少年だったと思う。

 彼は税込30円……いや、当時は消費税が8%じゃなくて5%だったから、もう少し安かったかもしれない棒付き飴を大量にレジへと持っていった。

 

「みなちゃんもこれなら、きっと酔わないよ!」

「で、でも、さくらくんのお菓子は?」

「へ? これだよ?」

「いいの?」

「うん。だってこの飴、美味しいもん!」

 

 …………馬鹿だった癖に、やっていることは割と男前だから困る。

 結局二人分のお小遣い600円は、全て棒付き飴に使われた。どう考えてもこれだけの飴を遠足で舐め切れるとは思えないが、いざとなれば友達と交換すればいい話だ。

 しかし当日になって彼らは、大きな問題に直面する。

 

『バスの中ではお菓子禁止』

 

 先生によっては定められるこのルール。普通の飴なら隠れて舐めることもできたかもしれないが、よりによって二人が買ってきたのは全て棒付き飴だった。

 単純に咥える姿が恰好いい&味が好きだからという理由で選んだ、少年の馬鹿さ加減が窺える。隣に座る少女が不安そうな表情を浮かべる中、ついにバスが発車してしまった。

 

「みなちゃん。これやろ、これ」

 

 ゲームで遊べば、酔いなんて忘れるに違いない。

 そんなことを考えていたならまだ恰好良いが、実際は単純に退屈で楽しみたかっただけに過ぎない少年は、両方の握り拳を親指が上になるよう重ねつつ前に出すのだった。

 

 

 

 

 

・名もなきゲームその①、立てた指の数を当てるゲーム

 ルールは掛け声に合わせて親指を上げ、本数を当てたら片手を下ろす。先に両手を下ろした方が勝ちという、手で遊ぶゲームの中では一番メジャーと思われるアレだ。

 

「いせのせ2!」

「いせのせ3! やった!」

「いせのせどぅーん!」

 

 負けそうになったら手をパーに開き自爆するのは、黒谷町オリジナルの外道技である。

 

 

 

 

 

・名もなきゲームその②、指が五本になったら負けのゲーム

 互いに人差し指を出して、順番に相手の手のどちらかに触れる。選ばれた手は選んだ手の指の数が足され、丁度五本になったら手は消滅。先に両手を消滅させたら勝ち。

 ちなみに合計が六本以上になった場合、黒谷町ルールでは過ぎた分の本数になる。分裂や合体なんてルールもあるが、回数制限を設けないと延々と続いてしまうゲームだ。

 

「分裂っ!」

「さくらくん、指一本だったよ?」

「これレーテンゴ本だもん!」

「れーてんご?」

 

 両手の小指を半分だけ曲げた、1から0.5×二本という謎分裂。小数を知らない筈の小学二年生に、こんな卑怯な技を教えたのが一体誰なのかは言うまでもない。

 

 

 

 

 

・名もなきゲームその③、20を言ったら負けのゲーム

 一度に言える数は最大三つまでで、1から順番に数字を宣言していき20を言った方が負け。ちなみにこのゲーム、相手に四の倍数を言わせれば良いという必勝法がある。

 

「――――10、11」

「12」

「13、14、15」

「16」

「17、18、19」

「21!」

 

 20を言ったら負けなら、言わなければどうということはない。

 

 

 

 

 

・名もなきゲームその④、相手の指を崩すゲーム

 両手を組んでから小指を合わせ、相手の合わせた小指に振り下ろす。攻撃側も防御側も問わず、重ねた指が外れた場合には次の指である薬指へと移行していく。

 攻撃は交互に行い、最終的に人差し指が崩れたら負け。物理的な攻撃を行うため、地味に痛かったりするゲームだ。

 

「唸れ! 小指ブレードっ!」

「守れ! 薬指ソードっ!」

「切り裂け! 中指セイバーっ!」

「耐えろ! 人差し指サーベルっ!」

「あ……崩れ――」

「まだまだ! 必殺、親指ランスっ!」

 

 地域によっては親指もOKらしいが、黒谷町ではルール違反である。こうして思い出してみると、我ながら本当にヤンチャなクソガキだったと思わざるを得ない。

 

 

 

 

 

「じゃあ次! あれやろ、あれ……あれ? みなちゃん……?」

 

 出発してから十数分。名もなきゲームその⑤、手を二回叩いた後に波○拳やガードといったアクションをする遊びを始めようとしたところで、少女の異変に気付いた。

 今思えばゲームをしている最中から、少しずつ顔色は悪くなっていたのかもしれない。喋る余裕がなくなった少女は、網ポケットに用意済みだったエチケット袋を手に取る。

 

「!」

 

 何度も繰り返すようだが、少年は本当に馬鹿だった。

 ゲームではルール違反をする癖に、先生の定めたルールを破る勇気はない。今の俺とは違い、隠れて飴を舐めるなんて発想には至らなかった。

 少年は慌てて身体を伸ばし、前に座る先生へと声を掛け馬鹿正直に許可を求める。

 

「――――――――――――」

 

 自分でも何て言ったのか、詳しくは覚えてない。

 ただ売店のお婆ちゃんから教えて貰った飴の件だけは必死に伝えたと思う。

 以前の遠足では同じような状態になった際、先生は彼女を横に連れて行った。しかし今回はそういうことならと、事情を察した先生は少年に許可を出す。

 

「っ」

 

 すかさずリュックを開けると、おやつを入れた巾着袋を取り出した。棒付き飴のビニールを剥がしてから、呼吸を荒くしている少女に差し出す。

 

「みなちゃん! これ!」

「…………」

「いいから!」

 

 少し躊躇った後で、少女はパクリと棒付き飴を咥えた。

 効果があるかはわからないが、危機に瀕した彼女に対して頼みの綱は他にない。

 先生から背中を摩るようアドバイスを受け、何度も繰り返して軽く擦る。

 

「みなちゃん、遠くの緑見て! 緑が無いなら……きっと青でも大丈夫だから!」

 

 必死にアドバイスをするが、少女は相変わらずエチケット袋を手放さない。

 バスの中では先生が他の児童達に、阿久津が酔い止めのために飴を舐めていることを伝える。優しい皆ならわかってくれるよねと尋ねると、全員が納得し『はーい』と答えた。

 

「みなちゃん、頑張って! 後五分くらいだって!」

 

 とにかく励まし、背中を摩り続ける。

 棒付き飴の効果だったのか、はたまた少女の意地だったのか。五分と言いつつ実際は七分のドライブを経て目的に到着するなり、青白い顔だった幼馴染は真っ先にバスを降りた。

 介抱する先生を手伝おうとしたが、他の子と一緒に並ぶよう指示される。確か阿久津が合流したのは、人数確認が終わった後くらいだっただろうか。

 

「さくらくん、ありがと!」

 

 回復し血色の戻った少女から言われたお礼は、今の俺ならこれ以上ない勲章である。

 しかし当の少年はと言えば、先生から言い渡された数少ないおやつタイムに歓喜し、棒付き飴を咥えつつ呆けた顔で答えるのだった。

 

「もういはひはひへ!」

 

 

 

 

 

 ――――とまあ、こんなところだろうか。

 ちなみに帰りのバスでは先生が最初から棒付き飴を許可しており、比較的平和に帰還することができた。そして阿久津が乗り物に苦しんだのは、この小学二年生が最後となる。

 三年生になった彼女は姉貴の影響もあり一輪車に乗り始めたが、どうやらバランス感覚と共に耐性を得たらしい。多少酔いはしても、吐いたという話は一切聞かなくなった。

 

「…………」

 

 当たり前の話ではあるが、やはり何度振り返っても同じ小学校じゃない夢野は出てこない。勿論一年の遠足でも同じことが言える。

 幼稚園の親子遠足に関しても、母上から話を聞いた限りこれといった情報はなし。お泊まり保育で親離れできておらず大泣きして大変だったとか、どうでもいい話を聞かされた。

 

「お待たせ致しました」

 

 さて携帯の方はと言えば、戻ってきた店員さんから保証対象外であることを告げられる。どうやら修理するよりは、新しい物を買った方が良いらしい。

 店頭に並んでいる商品の大半はスマホとなった今の時代だが、俺は相変わらず時代遅れともいえるガラケーを選ぶ。SNSが無くてもメールで何とかなるし、毎月の請求を考えれば仕方ない。

 スペックはどんぐりの背比べだったので、形と大きさと値段から判断して適当に購入。ややゴツかった先代ガラケーより、少し小さく軽い新品を入手した。

 

「あっ! お兄ちゃん見っけ!」

 

 細かい手続きを終えクラリ君のストラップを付け直し、試運転&合流のためにメールを送ろうとした丁度良いタイミングで、仲良し姉妹が携帯ショップの前にやってくる。

 

「あらら。またガラケー?」

「借金状態だしな。それで二人は何を買ったんだ?」

「マッチョTシャツ!」

「モアイ像のティッシュケース!」

「何を買ってんだっ?」

「わ~、ビックリして耳が大きくなっちゃった~」

「できてねーしっ! 失敗してんじゃねーかっ!」

 

 テヘペロする姉貴に溜息を吐きつつも、長かった買い物もようやく終わり俺達は帰路へ着くのだった。マッチョマッチョと喜ぶ妹は、一体どこを目指しているのやら。



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三日目(水) 闇鍋が宵闇鍋だった件

「それでは先生は職員室に行ってきますけど、くれぐれも問題だけは起こさないようにお願いします。特に火の扱いは充分に気を付けてくださいねえ」

「心配し過ぎだってばイトセン。アタシに任せてよ」

「………………冬雪クン、阿久津クン。後のことは任せましたよ」

「わかりました」

「……了解」

「ちょっ? アタシはっ?」

 

 声を大きくした少女をスルーして、伊東先生は陶芸室を去っていった。火水木の奴が信用ならないのは仕方ないとして、俺の名前が呼ばれなかったのは何故なのか。

 目の前には卓上用のガスコンロ。その上に乗せられた鍋の中には先生が用意してくれた出汁が湯気を立てており、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。

 

「まあいいわ。レディース・アーンド・ジェントルメーン!」

「ミズキ、ボリュームボリューム」

「あー、あー、これくらい?」

「うん、大丈夫」

 

 本来の指摘役であるガラオタは、何でも風邪を引いたらしく今回は欠席。火水木曰く布団の中で刀っ娘ラブのクリスマスイベントをこなすくらいには元気らしい。

 そのため本日集まったのは男二人、女四人の計六名。女にもカウントできそうなもう一人の男子、相生葵(あいおいあおい)は闇鍋が不安なのか浮かない表情をしていた。

 

「それじゃ始めるわよっ? イッツ・カオス・ターイム!」

 

『パチン』

 

 カーテンの閉められた陶芸室で、火水木の手によって電気が消される。

 いよいよ闇鍋が始まろうとする中で、俺達は黙って顔を見合わせた。

 

「「「「「「………………」」」」」」

 

 言い換えれば、互いの表情が判別できるくらいには見えていた。

 カーテンを閉めたとはいえ今は昼であり、広い部屋は真っ暗にはならず薄暗い程度。隙間から差し込む光だけで、割と普通に見えちゃうんだな。自然の力ってすげー。

 

「ちょっ? 全然暗くないじゃないっ!」

「んなこと言っても、流石にこれはどうしようもないだろ」

「闇鍋というより、宵闇鍋といったところだね」

「や、やっぱり普通に電気付けてやらない?」

「却下よ。こうなったら宵闇鍋でもいいわ! とりあえず、各自用意した具材を入れていくわよ? 入れる順番はアタシから時計回りで、入れてる間は各自伏せるように!」

 

 火水木に言われた通り、各自が机に突っ伏す。俺の左隣を定位置としている少女は、ガサゴソと鞄を漁った後で何かを投入したらしい。

 

「今のがアタシの分で、これが兄貴の分っと」

 

 今度はビリっと袋が開き、ザーッと放り込まれチャプチャプ音がした。察するに何かのお菓子っぽいが、参加しない奴の用意した具材だけに不安でしかない。

 

「オッケー。次はユッキーね」

 

 左斜め前から袋の開封音がした後で、聞こえてきたのはポチャポチャという音。先程のお菓子(仮)よりは大きそうだが、冬雪が用意した物ならきっと安全だろう。

 

「……入れた。ミナの番」

「ふむ。成程ね」

 

 正面にいる阿久津が、何やら納得するような一言を口にした。本来なら鍋の中身は見えないものなのかもしれないが、どうやら宵闇鍋は入っている具材が判別できるらしい。

 ちなみに聞こえてきたのはパカッという、何かの蓋を開ける音だけだった。

 

「終わったよ夢野君」

「入れる音が聞こえないと、何だか少し怖いね」

 

 具材が増えてくれば自然なことではあるが、そういう夢野も音を立てずに何かを投入した様子。袋や蓋を開ける音などは一切せず、次の指名までの時間も妙に短かった。

 

「はい、葵君。どうぞ」

「う、うん」

 

 右隣に座る葵が応えると、ビッと袋を破きチャポンチャポンという音がする。入れてる時に机の下へ潜り込めば絶景が拝めるんじゃないかと妄想していたら、ラストである俺の番がやってきた。

 

「いいよ、櫻君」

「おう」

 

 さて鍋の中身はどんな酷いことになっているのか。

 ハラハラとワクワクが入り混じる中、ゆっくりと顔を上げ中身を覗き込む。

 

「…………?」

 

 この薄暗さだと中に入っている具材が何となくわかるが、ざっと確認する限りごちゃごちゃしてはいるものの比較的美味しくいただけそうな物が多い。

 予想以上に混沌ではない普通の鍋に拍子抜けしつつも、俺が持ってきたのは家の冷蔵庫に入っていたカニカマ。人のことは言えない無難な具材を、ポトリポトリと一つずつ入れていった。

 

「ちょっとネック、まだなの?」

「もう少しだから待ってくれ。うし、終わったぞ」

「じゃあ全員、顔を上げて…………って、何か思ってたより普通ね」

 

 顔を上げるなり、俺と同じような感想を火水木が呟く。一度箸に取った物は食べなければならないというルールだが、これなら何を掴んでも大丈夫な気がしなくもない。

 いい出汁……じゃなくて言い出しっぺの少女が、じゃあアタシからと鍋の中へ割り箸を入れる。ちなみに取り皿は陶芸部らしく自作の陶器だが、火水木の作品はまだ焼いていないため冬雪の物だ。

 

「ドローっ!」

 

 掴み上げたのは肉団子っぽい球体。少女が訝しげに眺めた後で口へ運び熱さにハフハフする様子を、他のメンバーは黙って見守る。

 

「出汁が染み込んだ甘美な皮。とろっとした柔らかい中身に入っている、上品なタコの旨味。うん、これは美味しい! まいうーの宝石箱ね」

「何でグルメリポート風なんだよ?」

「このたこ焼きを用意したのは誰だぁっ!」

「……私」

 

 小さく手を上げたのは我らが陶芸部部長。薄暗い上に先程まで伏せていたためか、眠そうな目がいつもより閉じているように見えた。

 

「鍋にたこ焼きは合うから、雪ちゃんは当たりだね」

「……(コクリ)」

 

 ショッピング効果なのか知らぬ間に夢野が雪ちゃんと呼んでいることに驚く中、静かに頷いた少女が鍋から取り出したのは親指サイズの得体のしれない物だった。

 

「……?」

「何だそりゃ? 油揚げか?」

「ふっふっふ、引いたわねユッキー。それは兄貴が持ってきた具材、おかきよ!」

「……美味しい」

「嘘ぉっ?」

 

 慌てて実食してみる火水木だが、その様子を見る限り普通に美味しかったらしい。一見マズそうで実は美味いという、絶妙なラインを攻めてきたなアイツ。

 

「これはカニカマかい?」

「あ、それ俺のだわ」

「てっきりキミは変な物を持って来ると思ったけれど、随分と普通の具材だね」

 

 長い髪をかきあげ、フーフーと息を吹きかける阿久津。正面にいる彼女の姿は鍋で半分隠れているが、その仕草がチラリと見えて少しドキッとしてしまう。

 平和な宵闇鍋が続く中で夢野が引き当てたのは、火水木同様たこ焼きだった。

 

「あぷい!」

 

 熱の籠った球体を口に入れてから、少女は不等号二つで表現できそうな表情を見せる。純粋に鍋を楽しんでいるようで、見ているこちらもほっこりさせられた。

 

「よ、良かった。ネギ……だよね?」

「薬味として用意したけれど、必要なかったかな?」

「そ、そんなことないよ! あ、櫻君の取ったウィンナーは、僕が用意したんだ」

「うん、美味いな」

 

 何と言うか、本当に普通の鍋を食べている気分だ。

 ハプニングと言えば重い上に高台が無い俺の器だけ、釉薬の掛かっていない底がじんわりと温かく湿っていたくらい。鍋に関しては本当に至って平和だった。

 

「なーんか違うのよねー」

「ち、違うって?」

「アタシの思い描いてた闇鍋って、もっと阿鼻叫喚な感じで地獄絵図だったんだけど」

「ボクとしては、食べ物を粗末にするのはいただけないね」

 

 そういや阿久津の家って、そういうことをするお笑い番組とか見るの禁止だったっけな。

 

「大丈夫よツッキー。いざという時のために、ちゃんとカレールーも用意してあるし」

「カレー?」

「味の誤魔化しじゃない? カレー味って、色々と隠せるから」

「ユメノン大正解! 嫁の飯がマズイ時にはカレー味よ!」

 

 お前は嫁側の人間なんだから、誤魔化すよりも飯マズ料理を作らない努力をしてほしい。

 高校生男女が闇鍋をすると宵闇鍋ならぬ良い闇鍋になるという新たなトリビアが生まれる中で、思い通りにならなかった火水木は深々と溜息を吐いた。

 

「そもそも出汁の味が崩壊してない時点で、もう普通の鍋なのよねー」

「そ、それなら電気を付けても良いんじゃ……」

「却下! まだアタシの具材が底に埋もれたままじゃない」

「じゃあこのちくわぶは夢野のか。誰も食べないなら貰うぞ」

 

 実は関東ローカルな食材ちくわぶ。一品物だけあって誰も食べようとしなかった、細長く大きな塊を遠慮せず箸で掴むとパクリと一齧り。

 

「ヴェエイッ?」

 

 そして思わず変な声を上げた。あまりにも突然の出来事に、周囲の仲間達も驚く。

 

「ど、どうしたの櫻君っ?」

「こ、こいつ……ただのちくわぶじゃない! 正体をみせろーっ!」

「ドゥハハハハ…………って、本当に何よそれ?」

「さて、何でしょうか?」

 

 ただ一人答えを知っている少女は取って貰えたことが嬉しいのか、ニッコリと笑顔を浮かべていた。ニョキっと小さな角が生え、小悪魔めいた姿に見えるのは気のせいだろう。

 改めて口に入れてみると、心の準備もできていればそれほど驚きはしない。しかし味はどうかと言われたら、正直言って美味しいとはお世辞にも言えなかった。

 

「これは…………バナナか?」

「うん。バナナだよ」

「流石はユメノン! そうそう、闇鍋はこうでなく……ちゃ……」

「……マミ、それ何?」

「アタシの用意した桃缶の桃……」

 

 自分で用意した外れを自ら引いてきた火水木に、阿久津がやれやれと溜息を吐く。

 結局今回の外れはバナナと桃で、引き当てたのは俺と火水木が二回ずつに葵が一回。リアクションを見たかった正面の三人は、宵闇鍋を普通に美味しくいただくのだった。

 

「来年よ……来年こそは…………」

 

 お前、一度でいいからって言ってたじゃん。



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三日目(水) プレゼントが月とスッポンだった件

「ここの6止めてる人、正直に言いなさい。今ならまだ怒らないから」

「……私」

「お前か冬雪ぃっ!」

「米倉君、それ怒ってない?」

「いつ怒るのか? 今でしょ!」

「まあ大抵の大人は、今ならまだ怒らないと発言した時点で既に怒っているけれどね」

 

 食材を粗末にすることもなく、きっちり完食した鍋を片付け終えてから食休み。今回はハロウィンの時のような人生ゲームも特に用意されていないらしい。

 もっともトランプ一つあればゲームは事足りる。火水木のオカリナ演奏や葵の手品(意外だが中々に凄かった)といった余興も経て、パーティーは中々に盛り上がっていた。

 

「たっだいまー。そろそろお待ちかねのプレゼント交換といくわよ!」

「そ、それはタクローの靴!」

「サンタクロースのそんな略し方は初めて聞くけれど、キミは一体サンタの何なんだい?」

 

 そりゃ息子だろう。だって父親は昔サンタだったし、俺もいつかはサンタになる日が来るのかもしれない…………あれ、これ結構良いこと言ってない?

 いち早く勝ち抜けし席を外したため、てっきりトイレにでも行ったのかと思いきや、陶芸室に戻ってきた火水木はお菓子の詰まったサンタブーツを抱えていた。

 

「ふっふっふ。ネック、これがどういう意味かわかるかしら?」

「アイツの靴がここにあるってことは…………」

「……きっと困ってる」

「確かに。片足だけ無くなってたら、サンタさんも驚くよね」

 

 違う、そうじゃない。

 考え方が平和的な二人に思わず突っ込みかけるが、それより先に誰もが聞きたかった質問を葵が尋ねた。

 

「ひ、火水木さん。どこから持ってきたの……?」

「準備室よ。これはイトセンのプレゼント。先生も交換したいので、やる時にはこれも混ぜてお願いしますって言われてね」

 

 あの人らしいと思いつつも、伊東先生の線引きがいまいちよくわからない。参加せずに見守ることもあれば、こうして参加することもあるのは気分次第なんだろうか。

 

「とりあえず各自、用意したプレゼントを真ん中に置いて頂戴」

 

 言われた通り、各々が鞄から取り出した品々が机の中央へと集められる。どれもこれも包装されたり箱や袋に入っていたりで、サンタブーツ以外は中身の判断が不可能だ。

 

「じゃあ誰かしらのを適当に取って、音楽が流れたら時計回りに回すわよ」

「火水木君の分と、伊東先生の分。二つの余りはどうするんだい?」

「ひとまずアタシの所に三つ置いといて、適当に回していくわ。自分のプレゼントが戻ってきちゃった人の交換用ってことで。それじゃ、音楽スタート!」

 

 

 

『イェセガンガンガンガンガンガンガンガンガ~ンッ!』

 

 

 

「ちょっと待てぃっ!」

「あ、間違えた」

「プ、プレゼント交換って感じの音楽じゃなかったけど……」

「ちゃんと交換用の曲も用意してるってば! 改めて、音楽スタートよ!」

 

 仮にミスだとしても、何故その曲が即座に再生できる状態にあるのかは聞かないでおく。

 仕切り直しでクリスマスソングが流れると、プレゼントを回し始める仲間達。伊東先生のサンタブーツだけが物凄く回しにくかったが、一分もしない内に曲が止まった。

 

「はいストーップ! 自分のが回ってきた人は?」

 

 各々が顔を見合わせるが、特に該当者はいないらしい。

 俺が手にしたのはノートサイズの薄いプレゼント。誰からとは書かれていないが、最初に中央へ集めた際に誰が置いた物かはしっかりと覚えていた。

 

「じゃあ一人ずつ見せていくわよ。今度は逆回りでネックからね」

「ん? 俺からか」

「キミのプレゼントはボクが用意した物だね。中々良い物が思い付かなくて困っていたけれど、受け取ったのがキミで良かったよ」

「どういうこ……あ」

 

 盛大にテープを剥がすのを失敗。梅と同じミスをする辺り、流石は兄妹と言うべきか。

 阿久津の贈り物は綺麗に開封できないというジンクスが生まれつつも、少女の意味深な言葉に期待しつつ包装を解いていく。これ程のワクワクは久し振りだ。

 

「…………」

 

 そしてこれ程の落胆もまた、随分と久し振りかもしれない。

 

「……ミナらしい」

 

 ノートサイズの薄いプレゼント中身は、まさかのノートそのもの。俺も一度は考えた選択肢である、ペンや消しゴムも加えた学生の必需品セットだった。

 それも相手が阿久津からだと、暗に勉強しろと言われた気分になる。確かに俺にはピッタリなプレゼントだが、色々と妄想を膨らませる発言のせいでショックを隠せない。

 

「ちょっとネック。そんな顔したらツッキーに失礼でしょ?」

「わ、悪い。サンキューな阿久津」

「どう致しまして。次は相生君の番だよ」

「う、うん。開けるね……?」

 

 幼馴染の少女は、俺の反応など気にも留めずに淡々と次を促す。何だか縮まってきた距離がまた少し開いた気がするが、現状が離れ過ぎているので深く考えるのはやめた。

 葵が持っているのは丁寧にラッピングされた掌サイズの箱で、渡し主もわかるように夢野と付箋が貼られている。そのため心なしか嬉しそうに、彼は中身を取り出した。

 

「わっ! 可愛い!」

「おぉー。ユメノンってば、流石の女子力ね」

「……凄い」

 

 中から出てきたのはサンタの服を着た小さな狐。夢野が働いているコンビニのマスコットで、確か名前はコン太君とかそんな感じだった気がする。

 

「これ、手作りか?」

「うん。羊毛フェルトって知ってる?」

「あー、あれな。葵が歌ってそうなパートだろ?」

「えっ? あ、アルトなら女性パートだけど……」

「じゃああれだ。電圧の単位!」

「それはボルトでしょうが」

「何だかコントみたいだね」

「五人もいれば誰かが突っ込むな……よし。第一回ポイント制、突っ込み大会だっ!」

「えぇっ?」

 

 

 

「カレーやスープは!」

「……レトルト」

「乳製品なら!」

「ヨーグルトだよね」

「超常現象!」

「オ、オカルト……?」

「標準設定!」

「はいはい、デフォルトデフォルト」

「都会の足元は!」

「……コンクリート?」

「違うよ音穏。アスファルトだ」

「アネックブーン!」

「それサマーソルトじゃなくてソニックブームでしょうがっ!」

「テニスで失敗!」

「ダブルフォルトだっけ?」

「音楽家だな!」

「W・A・モーツァルトかい?」

「車に乗ったら!」

「……シートベルト」

「崩壊するもの!」

「ゲシュタルトね」

「アメリカの大統領!」

「セオドアとフランクリン。ルーズベルトは二人いるよ」

「ソーセージ的な!」

「……アメリカンドッグ?」

「それだと衣が付いちゃうから、フランクフルトじゃないかな?」

「相手モンスターを全て破壊する!」

「サンダーボルト……って、マニアック過ぎでしょアンタ」

 

 

 

「勝負あり! 優勝は火水木っ! 商品はコン太君だ」

「ええぇっ?」

「イエーイ! ってそうじゃなくて、今は羊毛フェルトの話でしょうがっ!」

「ちゃんとわかってるっての。俺の伯父さん、羊毛フェルトみたいなもんだからな」

「どんな伯父さんよっ?」

 

 予想以上に突っ込み大会が上手くいった後で、再びコン太君に注目が集まる。しかし改めて見ると、店で売られていてもおかしくないレベルの完成度だ。

 

「……ユメ、器用」

「そんなことないよ。羊毛を針で突くだけだから、今度雪ちゃんも一緒にやってみる?」

「……(コクリ)」

「じゃあ続けるわよ。次はユメノンの番ね」



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三日目(水) プレゼント交換はセンスが必要だった件

「ああ、それは俺からだ」

 

 可愛いコン太君の登場によりハードルが随分と上がったものの、あれなら見劣りすることもないだろう。そう考えると、姉貴には改めて感謝すべきかもしれない。

 

「それじゃあ、開けるね」

 

 箱を丁寧に開け、夢野が中身を取り出す。

 ガラスに包まれた小さな銀世界を前に、少女の口から自然と声が漏れた。

 

「わぁ……綺麗……」

「ちょっ? ネックってば、凄く良い感じの持ってきたじゃない!」

「いや、実は姉貴に選んで貰ってさ」

「「「あー」」」

 

 面識のある少女三人が納得した様子で首を縦に振る。何か俺、馬鹿にされてないか?

 中に入っていた説明書を読んだ夢野は普通のインテリアでないことに気付いたらしく、底に付いているスイッチをオンにした後でひっくり返した。

 和やかなクリスマスメロディーが流れると共に、皆に見えるよう机の中央へ置かれるスノードーム。逆さにしたことで、ガラスの中では白く輝く雪が静かに降っている。

 

「…………」

 

 その様子を、誰もが黙って眺めていた。

 買ってきた俺自身も、店で見た時とは違う雰囲気に思わず魅入ってしまう。

 やがて曲が止まった後で、何故か意味もなく拍手が贈られた。

 

「流石はネックのお姉さん! オルゴール付きとかセンスありまくりよ!」

「……作りたい」

「しかしよくこれを1000円以内で見つけられたね」

「まあ、色々あってな。ほら、次は阿久津の番だぞ」

 

 あまり掘り下げられては困るので、適当に切り上げ誤魔化しておく。

 阿久津が持っているのは、プレゼントの中では一番小さい箱。中を開けて出てきた二枚のチケットを見れば、誰が贈ったのかはすぐにわかった。

 

「ほ、本当は映画のギフトカードにしたかったんだけど、それだと予算オーバーになっちゃって……B級映画の前売り券よりは、そっちの方が良いかなって思ったんだけど……」

「映画の展覧会チケット……それも『彼女の名は』じゃないか」

「葵君、映画好きだもんね」

「う、うん。もし要らなかったら、別の物も用意してるんだけど……」

「とんでもない。ありがとう、楽しませてもらうよ」

 

 二枚と聞いて誘われないか考えるが、阿久津なら以前と同様に冬雪を誘うだろう。

 しかし展覧会の前売り券とは、あわよくば夢野と共に行けないかという葵の意図が見え隠れする。彼は彼なりに考え、色々と頑張っているようだ。

 

「……私の番?」

「あ、ユッキーのそれはアタシからよ。ぴったりのプレゼントだから」

 

 ついさっき似たようなことを言われて、肩透かしを食らった男がここに一人。

 何となく嫌な予感のする発言を耳にしつつ、冬雪が手にした袋の中身を確認する。そして一体何が入っていたのか、少女は俺達に見せないまま黙って袋を鞄に入れた。

 

「……じゃあ」

「ちょっ? アタシのプレゼントの公開はっ?」

「雪ちゃんが拒否してるけど、ミズキまた変な物用意したの?」

「べ、別に普通よ!」

「音穏、見せてくれるかい?」

「……(コクリ)」

 

 冬雪の鞄から袋を取り出した阿久津が、中に入っていたプレゼントを机に出す。

 見せられたのは彼女が何も言わず封印するのも納得がいく、絶対に使い道がないであろう黒い猫耳カチューシャだった。ひょっとしてコイツ、また店長から仕入れたのだろうか。

 

「お前、もしこれが男に当たってたらどうするつもりだったんだよ?」

「兄貴ならアタシが貰ったし、オイオイは問題ないでしょ? ネックは姉も妹もいるんだし、イトセンは…………ドンマイってことで!」

「ぼ、僕が貰った場合が問題しかないよっ?」

「それにカチューシャだけじゃなくて、ちゃんと他にも入ってるわよ!」

「……こっちは嬉しい」

 

 どうやらプレゼントはカチューシャだけじゃなかったらしい。阿久津から袋を受け取った冬雪が新たに取り出したのは、肉球のついた指なし手袋だった。

 実際に少女が身に着けると、実によく似合っている。そして猫耳カチューシャを付けた姿も見たいという、火水木の気持ちもわからなくない。

 

「これよこれ! カチューシャもちょっとでいいから! ね?」

「私も付けたところ見たいかも」

「せっかく貰ったプレゼントだし、一度だけでも付けてみたらどうだい?」

 

 流石に三人に言われては仕方ないと諦めたのか、冬雪は渋々カチューシャを受け取る。

 そしてまじまじと眺めた後で、意を決したのか頭に装着した。

 

「うん、よく似合っているよ」

「雪ちゃん可愛い!」

「目線くださーいっ! 目線お願いしまーすっ!」

 

 火水木が興奮するのもわかる破壊力だが、個人的には普段無表情な少女が若干赤面している辺りもポイントが高いと思う。

 完全な猫と化した冬雪だが、数秒もしないうちにカチューシャと手袋を外した。

 

「……お返し。マミのは私から」

「何が出るかなっと」

 

 嬉しそうな顔を浮かべる少女が見せてきた中身は、翡翠みたいに深緑色に輝く勾玉。小さな穴には紐が通してあり、首から下げられるようになっている。

 

「ひ、ひょっとしてこれ、冬雪さんが作ったの?」

「……(コクリ)」

「流石は匠って感じだな」

「……キットがあるから、ヨネでも作れる」

 

 仮に作れたとしても、ここまで精度の高い物は無理だろう。

 ピカピカに輝く勾玉を早速首から下げた火水木は、見せびらかすように胸を張った。

 

「どうどう?」

「良く似合っているよ」

 

 確かに似合ってるが、勾玉の位置が丁度膨らんだ胸元だったりする。まじまじと眺めていると、そのことに気付いたのか少女が両腕で胸を隠した。

 

「ちょっとネック、どこ見てんのよっ!」

「勾玉だよっ! お前が見せてきたんだろうが!」

 

 正しくは二割が勾玉で、八割が胸だったかもしれない。

 周囲からの疑惑の視線が痛々しいので、残る二つのプレゼントへ話題を逸らす。

 

「ってことは、そこにあるのはアキトの用意したプレゼントか?」

「残っているのは伊東先生のサンタブーツだから、必然的に交換ということになるね」

「アキト君は何を用意したのかな……?」

「アタシも知らないから、ちょっと見てみようかしら」

 

 どうせまたヨンヨン関係の、貰ったところで誰得な代物だろう。

 あまり期待もしない中で火水木が封を開けると、中から出てきたのは災害時に役に立つ手回し式の携帯充電器。何と言うか至って普通な選択に、全員がポカーンとしていた。

 

「闇鍋の具材といい、今回の兄貴は随分と普通ね……怪しいわ」

「単純にミズキがアクセル全開だから、ブレーキ掛けたんじゃない?」

「そ、そんなことないわよ! とりあえずイトセンのサンタブーツは、アタシから兄貴に渡しておくから」

「食うなよ?」

「食べないわよっ!」

 

 気のせいか小さな声で「全部は」と聞こえたような気がする。結局食うのかよ。

 予想以上にハイクオリティなプレゼント交換を終え、不特定多数に喜ばれる贈り物というのは難しいと改めて感じた。仮に来年もやるとしたら、また姉貴に頼むとしよう。



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三日目(水) クリスマスイブは冬休みの一日だった件

「あ、櫻君」

「葵、ここは男子トイレだぞ」

「えっ? って、僕は男だよっ!」

 

 俺がトイレに入ると、既に用を済ませたらしい男の娘が手を洗っていた。当たり前っちゃ当たり前だけど『性別:葵』なんてトイレは存在しないから仕方ないか。

 

「さ、櫻君のスノードーム、綺麗だったね」

「そういう葵のプレゼントも良かったな。あの食い倒れ人形」

「えぇっ? そんなプレゼントしてないよっ?」

「悪い、間違えた。『仲良しタヌキぽんぽこ♪ ~~タヌキ汁の代償~~』のチケットだったか」

「ええぇっ? そのサブタイトルで仲良しなのっ?」

 

 もし映画ができるなら『仲良しタヌキぽんぽこ♪』と教育番組風に明るく言った後、ドスの聞いた声が『……タヌキ汁の代償』と言うタイトルコールになりそうだ。

 適当な冗談も程々にしつつ用を足すと、ハンカチで手を拭く友人の隣で蛇口を捻る。

 

「展覧会のチケットってのも、中々に洒落たプレゼントだったと思うけどな」

「そ、そうかな……あ! 僕、そのことで前々から櫻君に謝りたいことがあって……」

「ん?」

「そ、その、前に貰った映画の割引券、無断で夢野さん達に譲っちゃってごめんね」

「何かと思えばそんなことかよ? 別に渡した時点で葵の物なんだし、煮るなり焼くなり好きにして大丈夫だっての」

「あ、ありがとう」

 

 寧ろ渡してくれたからこそ、俺は夢野と火水木に偶然出会った。そしてあの場に姉貴が居合わせたことでクラリ君の一件も思い出せたのだから、感謝するのはこちらである。

 両手を重ねて謝った葵は、ふと鏡に映っている自身の姿を見て溜息を吐いた。

 

「………………僕って、やっぱり女っぽいかな……?」

「女装コンテストで優勝するくらいだからな。中学時代は言われなかったのか?」

「す、少しはあったけど、今みたいに女装させられたりはしなかったよ」

 

 要するに主な原因は、高校生特有の悪ノリってことか。

 一度定着したキャラクターは、そう簡単には変えられない。中学時代に似たような体験を味わっている俺は、洗い終えた手を制服で拭いつつ応える。

 

「別に男らしくなくても、葵は葵のままで良いだろ」

「で、でもそれだと、恋愛対象として見られなくない?」

「幼稚園児は優しけりゃモテるし、小学生は足の速い奴がモテる。中学生と高校生は顔と髪型が良けりゃモテるんだから大丈夫だ。俺からすれば葵は羨ましいくらいだっての」

「そ、そんなことないよ!」

 

 ちなみに大学生は顔と大学名で、社会人になれば顔と金らしい。逆から読んでも『世の中ね、顔かお金かなのよ』なんて回文を考えた人は、本当に神じゃないかと思う。

 

「そういや明日の音楽部でのパーティーってのは、具体的にどんなことするんだ?」

「た、確かビンゴとかクイズって先輩は言ってたけど……」

「あれだけ部員も多いと、陶芸部みたいにプレゼント交換なんてできないか」

 

 いくら部活が同じとはいえ、葵と夢野の関係が前進するのはまだ先の話になりそうだ。もっとも俺も同じ部活に所属している幼馴染とは、何ら進展もないため人のことは言えないか。

 葵君と名前で呼ばれているにも拘わらず、その理由は単純に音楽部で相生がもう一人いるから。そんな悩める友と共にトイレを出ると、仲間達のいる陶芸室へと戻った。

 

「……赤マキガミ青マキヤミ黄マキマミ」

「雪ちゃん、言えてない言えてない」

「どうだい?」

「マイヤミがヒットしたわね」

 

 部屋の中では早口言葉を音声認識させようと盛り上がる女子勢。職員室から帰ってきた伊東先生がそれをニコニコ眺めていたが、戻ってきた俺達を見るなりパチンと手を叩く。

 

「さてさて。宴もたけなわですが、そろそろお開きにしましょうかねえ」

 

 冬になったことで日も短くなり、時間としてはまだ早いが既に空はオレンジ色だ。

 先生の言葉を聞いて時計を見た面々は、素直に返事をしてから帰り支度を始める。

 

「そうそう。陶芸部の皆さんですが、明日は十時集合ということで宜しくお願いします。お昼は特別に先生の方で用意しますので、持ってこなくて結構ですよ」

「わかりました」

「ねえミズキ。明日って?」

「そりゃ勿論、闇鍋リターンズよ!」

「帰ってくれ闇鍋マン……いや、闇鍋ウーマン」

「明日は大掃除だね」

「へー。陶芸部はクリスマスに大掃除なんだ」

「……私のせい」

「それは違うぞ冬雪。元はと言えばコイツがコミケに行くからだ」

「アーアー、キコエナーイ」

 

 冬雪は明後日から二泊三日で家族旅行に出かけ、帰ってきた翌日は丁度火水木の戦いが開始。全員のスケジュールが空いているのは、必然的にクリスマスだけだった。

 それこそ誰かしら予定が入っていそうなものだが、恋人もいない高校生にとっては所詮冬休みの一日に過ぎない。キリストの誕生日ですと口にする顧問に関しては言わずもがなだ。

 

「それではまた明日、大晦日イブイブイブイブイブイブにお会いしましょう」

 

 クリスマス何それ美味しいのと言わんばかりの伊東先生に挨拶をしてから、俺達は陶芸室を後にする。そして電車通学の四人とは校門で別れると、またも夢野と二人きりの下校になった。

 

「ねえねえ、米倉君」

「ん?」

「私が貰ったスノードーム、1000円以内じゃないでしょ?」

 

 女の勘というやつは中々に恐ろしい。

 正直に答えたら、彼女から提示される値段がまた一つ増えてしまいそうだ。信号待ちの際に隣へ並んだ少女から尋ねられた質問に対し、俺は平静を装いつつ答えた。

 

「何でそう思ったんだ?」

「値札が付いたままだったから」

「しまった!」

「まあ、嘘なんだけどね」

「しまってない!」

 

 ある意味で夢野らしいカマを掛けられた結果、うっかり引っ掛かってしまう。俺の反応から察した少女はくすくすと笑った後で、いつも通りの可愛い笑顔を見せた。

 

「ありがとう。大事にするね」

「ちょっとオーバーしただけだし、気にしなくていいって」

「あのね……あ!」

「ん?」

「ううん、後でいいよ」

 

 夢野が何か言おうとしたところで信号が青になったため、再び自転車を走らせる。その後は特に止まることもなく、別れる地点であるコンビニ前に到着した。

 

「じゃあ、またな」

「あ、ちょっと待って」

「?」

「はいこれ、私からクリスマスプレゼント!」

 

 沈み始めた夕日で紅色に染まった空の下。自転車に跨る少女が身を乗り出して鞄を探り、中から取り出したのは葵に渡した物と似ている掌サイズの箱だった。

 色々と突っ込みを入れる前に、とりあえず差し出されたプレゼントを受け取る。何かと思い開けてみると、入っていたのは羊毛フェルトで作られた愛らしい猫だ。

 

「え……っと、聞いてもいいか?」

「うん」

「何で猫なんだ?」

「さて、何故でしょう?」

 

 そんな言い方をするということは、これもまた何かのメッセージなんだろうか。

 別に我が家では猫なんて飼ってないし、俺が知っている猫なんて阿久津の飼っているマンチカンのアルカスくらい。この渡された猫の種類すらわからないんだよな。

 

「あ、300円とは何の関係もないよ」

 

 言葉を付け足す夢野だが、その表情は明らかに何かしらの答えを期待しているようだ。

 確かに猫である理由についても疑問ではあるが、これがプレゼント交換のコン太君とは別に俺用として準備されていたことの方が実は気になっていたりする。

 思春期特有の自意識過剰な発想に陥りかけつつ顔を上げると、掌で五からカウントダウンをした少女はペロっと舌を出し時間切れを告げた。

 

「残念でした。答えは来年のクリスマスに……なんてね」

「正解は一年後って、どこのテレビ番組だよ」

「本当はね、私から梅ちゃんへの誕生日兼クリスマスプレゼント。ミズキから昨日が誕生日だって聞いてたから、少し遅くなっちゃったけど作ってみたの」

「ああ、成程。何か悪いな」

「ううん、私が渡したかっただけだから」

 

 梅と夢野の交流は幼稚園のボランティア以来これといって無い筈だが、こうも気を遣って貰うと何だか申し訳なくなってくる。

 そもそも火水木が梅の誕生日を知ったのは一昨日のこと。そうなると夢野が制作したのは昨日ということになるし、今度何かしらお礼の一つでもするべきなんだろうか。

 

「クリスマスと誕生日が近いと、やっぱりプレゼントとかも一つにまとめられちゃうの?」

「うちはちゃんと二つだったな。まあクリスマスプレゼントは小学生までで、今は誕生日プレゼントだけってなってるけど……ああ、でもケーキは今でも二つ食べてるよ」

「そうなんだ。米倉君の家は仲良しなんだね」

「まあ、姉貴があんな感じだからな」

 

 改めて羊毛ニャンコを眺める。子子子子子子子子子子子子と書いて『猫の子子猫、獅子の子子獅子』と読むなんてトリビアしか思い浮かばない俺とは違い、梅なら種類もわかるだろう。

 何よりアイツは犬より猫派だし、きっと喜ぶに違いない。手作りのふわふわした猫を丁寧に箱へ戻した後で、俺はジッとこちらを見つめる少女に礼を告げた。

 

「ありがとな」

「どう致しまして。それじゃあ、良いお年を」

「おう。良いお年を」

 

 年末には一週間ほど早いが、彼女と会うのはこれが最後になるだろう。今年ラストの挨拶を互いに交わした後で、自転車で走り去っていく少女の後ろ姿を見届けた。

 

「…………」

 

 そういえば、結局何で猫だったんだろう。

 ひょっとしたらボランティアの時点で、梅が猫好きと聞いていたのかもしれない。あまり深くは考えることなく、俺はペダルを漕ぎ出すとイブの街並みを駆け抜けるのだった。



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四日目(木) 俺の両親が予想の斜め上だった件

「…………はよ」

「あらおはよう。今日は珍しく早起きね」

「何か目ぇ覚めた……」

 

 暖められたリビングに下りるなり、台所で米を研いでいる母親と挨拶を交わした。

 大人にはクリスマスなんて休みは存在しないらしく、平日であれば当然仕事がある。我らが母上の仕事は看護師だが、本日は午後からの勤務らしく割とのんびりしていた。

 

「はよざっす、お兄ちゃん」

「おっす」

 

 俺同様に朝が弱い姉貴はまだ寝ているようだが、いつも元気な梅は既にストーブの前で待機済み。両親がクリスマスプレゼントに驚く様を見る準備は万端といったところか。

 これから何が起こるのか……その答えを説明するために六時間ほど遡ってみよう。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

(どうだ?)

(カンペキング!)

 

 テーブルの上には購入したマグカップと、ケトル&コーヒー粉を用意。そしてその傍らに筆記体で書いたメッセージカードを置いた姉貴が、小声で呟きガッツポーズする。

 ちなみに内容は『昔コーヒーを淹れて貰ったお礼に、ささやかなお返しです』というもの。筆ペンで書かれたカードは、いかにもな雰囲気の字でセンス抜群だった。

 

(お父さんとお母さん、ビックリするかな?)

 

 ワクワクのあまり、満面の笑みを浮かべている梅が嬉しそうに囁く。実はこのマグカップ、お湯を注ぐと模様が変わるという秘密が隠されていた。

 まず起きた両親は思わぬクリスマスプレゼントに驚くだろう。そしてマグカップにコーヒーを注いだ結果、模様が変わって更なるドッキリという二段構えの完璧な計画だ。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 …………そう、完璧な計画の筈だった。

 

(で、状況は?)

(完全スルーであります)

 

 チラリと米研ぎを終えた母さんを見れば、淡々と朝食の準備を始めていた。未だテーブル上のマグカップは箱に入ったままで、気付いてはいるだろうが開けられてはいない。

 まあ準備が一段落すればコーヒーを飲むだろうし、まだターゲットはもう一人いる。

 

「………………おはよう」

「「「おはよう」」」

 

 そう考えた傍からナイスタイミングで父上が登場。寝起きのボーっとした目で頭をポリポリ掻きつつ、フラフラ歩きながらテレビの上に置いてある眼鏡を装着した。

 そのまま台所へ向かうと、母さんがついにケトルを手に取る。

 

「お父さん、コーヒー飲みます?」←普段使ってるカップ

 

 何故だ母上。何で用意されているマグカップを使ってくれないんだ。

 ことごとく期待を裏切る母親をよそに、父さんがテーブルの上のマグカップを見る。

 

「ん? 何だこれ……?」

「「!」」

「そうそう。何かマグカップが置いてあったんだけど、ひょっとして櫻の?」

「いや、違うけど……」

「梅でもないし櫻でもないなら、きっと桃のかしら」

(…………どうしよう、お兄ちゃん)

 

 何で手を付けないのかと思ったら、どうやら自分達へのプレゼントだと理解していなかったらしい。このままでは普通のマグカップにコーヒーが注がれてしまう。

 どうにかできないかと必死に考えていたら、テーブル席に着いた父上がメッセージカードの存在に気付いてくれた。そう、そうだよ父さん。それを読んでくれ!

 

「ん……何か書いてあるけど、母さん読める?」

「え? お父さんも読めないの?」

「何語だこれ? 英語か?」

 

 …………駄目だこの両親、早く何とかしないと。

 つーか昔残してあったカード、筆記体だったんじゃないのかよ。パソコンで作ったとか知人に頼んだとかそういう事情は知らんが、まさか本人達が読めないとは完全に予想外だ。

 仕方ないので立ち上がると、それとなく台所へ向かいカードを覗き込む。俺も筆記体は書けないし読めないが、大体の意味は姉貴から聞いているし一部の単語は判断できた。

 

「クリスマスって書いてあるし、何かサンタからのプレゼントっぽいけど?」

「あらそうなの」

 

 そのままさりげなく台所を通り過ぎて洗面所へ。若干計画はズレたものの、最終的にはコーヒーを淹れてビックリしてもらえれば問題ないだろう。

 普段使っているマグカップを手放し、新しいマグカップに興味を示した母親を見てホッと一息。それでもまだ油断はできないと、顔を洗いながら両親の動向をチラリと観察した。

 

「…………ふーん」

 

 あのですね母上様、中に入っていた説明書を先に読まないでください。

 確かに新しい道具を使う際には、まず説明書を読むという行為は正しいですよ。しかし当然そこには色が変わることも書いてある訳で。もう駄目だぁ……おしまいだぁ。

 

「ね~お母さん、使わないの?」

「え? ほら、すすぐの面倒じゃない」

「それくらい梅がやるよっ!」

 

 もう驚かなくていいから、せめて使ってほしい。

 俺と同じ気持ちだったのか、ついに痺れを切らした妹が動き出す。母さんの代わりに手早くマグカップを洗い、テーブルの上に置いた後で俺と共にストーブ前へと戻った。

 流石にここまで下準備をすれば、もう大丈夫だろう。

 

『トポポ』

 

 コーヒー粉を入れたマグカップへお湯が注がれる。

 しかしここまで用意しても、我らが母上は俺達の期待を見事なまでに裏切ってくれた。

 

(お兄ちゃん……)

(ああ。入れた量が少なすぎて、ほとんど変わってねえ……)

 

 模様が変わったのはマグカップの容量に対して半分にも満たない程度。最早わざとなのかと疑いたくなる中で、父さんがコーヒーを飲もうとカップを手に取った。

 

「ありがとう……ん?」

「「!!」」

 

 握り締めたマグカップを、未だ説明書を読んでいない父上が不思議そうにまじまじと眺める。どうやら神は俺達を見捨てなかったらしく、思わず梅と一緒に身を乗り出した。

 

「…………最初からこんなんだったか」

「「違うよっ!」」

 

 うん、やっぱ神様なんて信じるべきじゃないよな。

 結局その後で母上から、模様が変化する種を明かされる始末。俺達が考えた最強のドッキリは、予想以上に天然を見せつけてくれた両親により大失敗で終わるのだった。

 

「あら。確かその時に用意したの、コーヒーじゃなくてココアじゃなかった?」

「「え」」

 

 まあ仮にココアを用意しても、結果は変わらなかったと思うので一言。知らんがな。



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四日目(木) 俺の記憶に残る一言だった件

「ふう……四人だと結構しんどいな」

「来年に後輩が入ってくれれば楽になるけれどね」

「……勧誘、頑張る」

「あーあー。クリスマスなんだし、雪でも降れば良かったのに」

「雲量1、今日は快晴だよ」

 

 俺がクソ重い電動ろくろを運び、阿久津と火水木が机を移動。その間に冬雪が棚を掃除しておき、一通り動かし終えたら床へ水撒き&デッキブラシとモップ掛け。

 陶芸室に集合するなり大掃除の工程をさらりと伊東先生から説明されたが、実際にやってみると明日が筋肉痛になること間違いなしの肉体労働だったりする。

 

「ふんっ…………と。まだ半分も残ってるのかよ……」

「ちょっとネック。そこだと邪魔だから、休憩なら隅っこでして頂戴」

「へいへい。わかりました」

「ふむ。一番大きなゴミも片付いたことだし、だいぶ掃除が楽になったね」

「俺ゴミ扱いっ?」

「冗談だよ、半分はね」

「半分かよっ!」

 

 久々の阿久津による罵声だが、冗談めかした雰囲気に以前ほどの破壊力はない。

 腕が疲れたので一休みしつつ、目の前にある掃除用ロッカーを眺める。この中に異性と二人で押し込められる展開とか、どう足掻いても起こりはしなそうだ。

 チラリと冬雪を見てみたら、椀の中に溜まっていた粉を飛ばそうと息を吹きかけた結果、全て自分の顔面に跳ね返り咳込んでいた。無口だけじゃなくドジっ娘属性まで付けたか?

 

「あーあー。掃除なんかするなら、やっぱりバンドしたいわね」

「まだ言ってんのかお前は」

「ツッキーって、何か楽器できないの?」

「一応幼い頃にピアノを習っていたよ」

「じゃあユメノンと二人でキーボードね。ユッキーは?」

「……鍵盤ハーモニカ」

「キーボードばっかじゃないっ! …………ネックは?」

「聞いて驚け。ソプラノリコーダーだっ!」

「そんなドヤ顔して言う楽器じゃないでしょうがっ!」

 

 火水木の野望(何かこう言うと某シミュレーションゲームみたいだ)を話半分で聞きながら作業再開。一通り電動ろくろを運び終えたところで、丁度良く机の移動も終わる。

 スッキリした部室へ交代制で放水を担当し、三人で床にこびり付いた粘土をデッキブラシで擦って落としていると、あっという間に時間は昼過ぎとなっていた。

 

「お疲れ様です皆さん。ここらでお昼休憩にしてはどうでしょうかねえ」

 

 丁度小腹が空いてきたタイミングで、コンビニの袋を抱えた伊東先生がやってくる。

 移動させた机の一つに袋を置くと、その中から四つのボリュームある弁当とペットボトルのお茶。その他にもパンやおにぎりといった単品やデザートまでもが並べられた。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ。大掃除もまた青春ですから……おや? お箸が一膳足りませんねえ」

「だってネック」

「何で俺に言うんだよっ?」

「店員さんが入れ忘れてしまったようですねえ。少し待っていてください」

 

 一旦準備室へ戻った伊東先生は、一分も経たずに戻ってくる。その手にはプラスチックスプーンと、一膳どころか十膳はありそうな量の割り箸を持っていた。

 

「ちょっ? イトセン、多過ぎでしょっ?」

「こういう時は誰かしらお箸を落とすのが定番ですからねえ」

「だとよ火水木」

「何でアタシに言うのよっ?」

「それでは先生はゴミ捨てに行って参りますので、皆さんはゆっくりしていてください」

 

 中にぎっしりゴミが詰まった袋を結んだ伊東先生は、よっこいしょと肩に担ぎあげる。

 

「……サンタクロースみたい」

「いいえ。サンタコロースです」

 

 狐みたいに細い目が、一瞬カッと開いたように見えたのは気のせいだと思いたい。

 短調にアレンジした切ない雰囲気のクリスマスソングを、器用に鼻歌で口ずさみながら去って行く陶芸部顧問。その哀愁漂う背中を眺めた後で、ありがたく弁当をいただくことにする。

 

「……」

「どうしたんだい音穏?」

「……閃いた」

 

 食べている途中で手を止め、ボーっと割り箸を眺めていた冬雪。一体何を思いついたのか立ち上がるなり、引き出しの中から輪ゴムとハサミを持ってきた。

 

「ああ、成程ね」

 

 阿久津が納得する中で、匠は三膳の割り箸を六本に割る。そして慣れた手つきでハサミを使い切れ込みを入れると一本を半分に折り、別の一本は四分の一サイズに折った。

 残った長い割り箸四本のうち三本を、真ん中一本だけが飛び出している形で輪ゴムを巻きつけて固定。その辺りで彼女が何を作ろうとしているのか、俺もようやく理解する。

 

「うわ、懐かしいな」

 

 その棒へ半分に折った二本の割り箸を垂直に取り付け、先端をVの字に結べばグリップが。更に引き金である四分の一サイズの物を付けたら、あっという間に割り箸鉄砲の完成だ。

 

「……いる?」

「ユッキー、貸して貸して!」

 

 冬雪本人は作った時点で満足らしく、火水木に渡すなり昼食を再開。玩具を受け取った火水木は何か的はないかと辺りを見回し、スポンジを手に取ると別の机に立てる。

 

「目標をセンターに入れてスイッチ!」

「外してるじゃねーか」

「あれ? おかしいわね……」

 

 目標の斜め上に狙いがずれている中で、火水木は輪ゴムを再装填。二発、三発と立て続けに外し、四発目にしてようやくスポンジを倒すことに成功した。

 

「どうよっ?」

「下手だな。ちょっと貸してみろ」

「言ってくれるわね。それなら一発で決めて貰おうじゃない」

「任せておけ。こう見えても俺は『ごんぎつね』の学芸会で、ごんを打ち抜いた男だ」

「別に関係ないでしょうが!」

「確か配役の関係上ごんに何匹もの兄妹がいる設定になったせいで、ラストシーンは兵十役のキミが銃を乱射していた覚えがあるね」

「何それ怖いっ!」

「そりゃもうガンガン撃ったな。逃げ回るゴンさんをバキュンバキュンと」

「アンタそれ『ボ』って蹴られるわよ?」

 

 火水木から割り箸鉄砲を受け取ると、▽形のグリップに指を入れクルクル回す。無駄に恰好つけた後で銃を構えると、片目を瞑り少女が立てたスポンジへ照準を定めた。

 ゆっくり息を吐き集中する。

 

 

 

『――――あっ! 惜しい――――』

 

 

 

「!」

 

 引き金を引いた瞬間、以前にもどこかで聞いたことのある声が脳内に響いた。

 飛んでいった輪ゴムは外れることもなく、見事スポンジに命中しパタリと倒れる。

 

「相変わらずキミは、この手の無駄なことが得意みたいだね」

「何か納得いかないわね……ユッキー、アタシに一番良い銃を頼むわっ!」

「……じゃあマシンガン作る」

「遊ぶのは構わないけれど、外した輪ゴムの片付けは忘れずに頼むよ」

 

 冬雪が再び工作を始め、阿久津は溜息を吐いていた。

 俺は手にしていた割り箸鉄砲を置くと、ペットボトルのお茶に口をつけつつ考える。

 

「………………」

「どうかしたのかい?」

「ん? いや、何でもない」

 

 思い出せそうで思い出せない記憶。

 喉の辺りまで出かかっていたそれは、幼馴染に声を掛けられ消えていく。昼食を終え大掃除が片付いた頃には、再び記憶の彼方へと忘れ去られているのだった。



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大晦日(水) 今年一番の思い出だった件

「今年も終わりだね~」

「そうですね」

「冬なのにアイス食べたくなってきちゃった!」

「爽ですね」

「あっ、そういう感じ? えっとね……SEEの過去分詞!」

「SEENですね」

「…………し~~~ん…………」

 

 真面目に答えたら何か滑ってるみたいな扱いをされた。もぅマヂ無理。

 最近になって屋代を目指すとか口にし始めたアホの子である妹と共に、未だにクリスマスの電飾が残っている家や寂しげに灯る店のネオンを眺めながら寒い夜道を歩く。

 

「ここでお兄ちゃんにインタビューです。来たる新時代に向けて何か一言お願いします」

「そんな厨二病みたいな言い回しをする妹の日本語が、不安で仕方ないっす」

「おや? そんなことはない、大丈夫だと画面の前で妹さんが抗議してますね」

 

 何で画面の前と中継が繋がってんだよ。

 そんな突っ込みをしようとしたらマイクを向け……る素振りかと思いきや、拳を頬に当てられグリグリされた。うん、誰かこのリポーターをクビにしてくれ。

 

「それでは今年一年を振り返って、何か思い出はありますか?」

「んー…………昨日妹が作ったホットケーキっす」

「聞きましたか皆さん? 美味しい手料理を振舞ってもらえるなんて、素晴らしい思い出ですね。おや? 画面の中の妹さんも喜んでいますよ」

「二次元な上に美味しい手料理まで作ってくれる妹か。うちのスクランブルホットケーキを作る妹とチェンジで……痛い痛い。リポーターさん、マイクが食い込んでます」

「む~、最後はちゃんとできたもん!」

 

 先日の朝食に梅が作ったホットケーキはフライパンに貼りついて取れなかったらしく、皿に盛られたのはオムレツの出来損ないみたいな粉っぽい生焼けの物体だった。

 ぶっちゃけパリパリしている欠片の方が、クッキーみたいで美味かったレベル。まあ二度目は形も丸くなり、三度目は綺麗な狐色をしたホットケーキだったから良いけどさ。

 

「そういう梅は、今年一番の思い出って何かあるのか?」

「ん~…………やっぱりお姉ちゃんがいなくなっちゃったことかな」

「それだと死んだみたいだぞ? まあ現在進行形で倒れてるから、あながち間違ってはないけど」

 

 年末恒例の歌やバラエティ番組を見た後で、年越しまでは残り十数分。本来なら家族全員で初詣に行くタイミングだが、今年は姉貴がインフルエンザに掛かっていたりする。

 そのため両親は家に残ることになり、神社には梅と二人で行く羽目に。家族全員じゃないなら見送りという案も出たが、古い御札の処分やら厄年である姉貴にお守りなど色々お使いを頼まれてしまった。

 

「到~着~っ!」

 

 痴漢に注意と書かれた看板を横目に木々へ囲まれた小道に入ると、美味しそうな香りを漂わせる屋台が並んでいる。

 知り合いと鉢合わせしないように目を背けつつ通過すると、そこそこ人で賑わっている地元の神社の入り口へと辿り着いた。

 

「あっ! 甘酒見っけっ!」

 

 パイプテントを見るなり梅が駆け出す。父親&姉貴と一緒に乾杯して飲みまくるのが毎年恒例の光景だったりするが、俺はあの味の良さがわからないので母親と共に傍観だ。

 ただ今年は一人で可哀想だし、一杯くらいは付き合ってやろう。大晦日を祭りの如く楽しむ妹の後を追い甘酒を受け取ると、無邪気な笑顔を見ながら紙コップを当てた。

 

「乾杯~っ!」

「乾杯」

 

 正月の御神酒もそうだが、どうやら俺は酒が合わない人間らしい。独特の香りがする甘酒を一気に飲み干した後で紙コップを返却し、御札の納め所を探し辺りを見回す。

 境内ではちょくちょく巫女さんの姿を見かける。ハロウィンで冬雪のコスプレ姿を見たせいか、ロングスカートだとコレジャナイ感が半端ないな。

 

「ぴゃ~っ! 酔っちゃったぜ~い!」

「いや酔うほどのアルコール入ってないから」

 

 いつぞや阿久津が言っていたチョコ同様、甘酒に入っている量も微々たるもの。元から酒が入っているようなテンションの癖に、一体何を言ってるんだかコイツは。

 

「美味いっ! もう一杯っ!」

「ほれ、とりあえず御札納めるぞ」

 

 三杯目となる紙コップを手にした梅を連れて、参拝客の間を抜けていく。お賽銭を入れようと並ぶ人の行列を横目で見ながら歩いていた時だった。

 

「あれっ? (のぞみ)ちゃんっ!」

 

 どうやら梅が知り合いを見つけたらしい。

 マーちゃんでもミーちゃんでもなく、普段聞いたことのない普通な呼び方の名前。反射的に他人の振りをしてそっぽを向き、古神札納所に向かうと御札を納める。

 

「米倉さん!」

「も~、梅でいいってば~。望ちゃんも初詣?」

「はい。お姉ちゃんと一緒に…………」

 

 雑音に紛れながら聞こえていた会話が、年越しのカウントダウンにかき消された。

 十から始まり減っていく数。昔は年越しの瞬間にジャンプして『宙に浮いてた』とかいう馬鹿な真似をしたが、どうやらまだアホがいたらしく肩をトントンと叩かれる。

 

「あのな――――――?」

 

 時間が止まった。

 勿論、そんなことは現実的にあり得ない。

 世界は動き続けており、カウントが0になるとハッピーニューイヤーと騒ぎ立てる。

 

 

 

 ――――あけましておめでとう。米倉君――――



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大晦日(水) 初詣が疑似デートだった件

 止まったと錯覚した俺の時間が、少女の白い吐息と共に動き出した。

 周囲の雑音は耳に入らず、透き通るような声だけが届く。

 

「……………………へ?」

 

 目の前にいたのは妹の梅と、その友達と思わしきお団子の少女。

 そして暖かそうな手袋に身を包み、可愛いニット帽をかぶった夢野だった。

 

「お兄ちゃん! 蕾さん! 望ちゃん! あけましてうめでとう!」

 

 目の前で少女達が新年の挨拶を交わすが、俺の脳内は新年早々大混乱だ。

 夢かと思ったが夢じゃない、夢野である。

 

「お兄ちゃん、うめでとうは?」

「え? あ、ああ。あけましてうめでとう……っておいっ!」

 

 あまりに驚いていた結果、流行らない新ネタまでやらされてしまった。

 そんな俺を見て微笑む夢野は、隣にいたお団子少女へバスガイドみたいに掌を差し出す。

 

「紹介するね。妹の望」

「お久し振りです。夢野望と言います」

 

 お団子少女は礼儀正しく頭を下げる。どこかで見たことがあると思ったら、前に梅の練習試合を見に行った時に遅れてきた相手チームの子か。

 黒谷南中と黒谷中の交流は何度かあっただろうし、梅には夢野の妹がバスケ部という話もしていた。どうやら俺の知らぬ間に、新たな友情が生まれていたらしい。

 

「望ちゃん望ちゃん。これが米倉家の長男と言いつつ実は二番目。立てば突っ込み座れば根暗、歩く姿は貧乏人の櫻お兄ちゃんだよ」

「普段カマチョー裏ではビビリ、買い物すればマッチョTシャツな妹が迷惑かけて悪いな」

「かけてないもんっ!」

「こちらこそ米……梅さんには色々と御世話になってまして……」

 

 パッと見た感じ性格は温厚で礼儀正しそうだし、活発な我が家の妹とは対称的だな。

 ぷくーっと頬を膨らませた梅だったが、ふと我に返ると傍を通り過ぎていく参拝客に目を向ける。別にこれといった特徴もない家族だが、一体どうしたというのか。

 

「…………あ……白バス……」

「ん?」

「気付いた望ちゃんっ? さっきも持ってる人いたから、どこかに屋台があるのかもっ!」

「本当ですかっ?」

「お兄ちゃん! ちょっと梅、望ちゃんと見回ってくるね!」

「行ってきます!」

 

 どうやら目的はアニメグッズだったらしい。姉妹だけあって実によく似ている笑顔を見せた後で、言うが早いか二人は運動部らしく駆け足で去っていった。

 残された夢野はといえば妹を呼び止めるタイミングを逃し、滅多に見せない驚きの表情を浮かべている。そんな少女を横目で見つつも、さてどうしたものかと頭を掻いた。

 

「もう、望ったら…………米倉君は、もう参拝済ませちゃった?」

「いや、まだだけど」

「それじゃあ、とりあえず並ぼっか」

「ああ」

 

 成り行きとはいえ、夢野と一緒の初詣は後ろめたさを感じる。もしも葵の事情を知らなければ、この疑似デート的な体験を思春期男子らしく素直に歓喜していただろう。

 

「そういやプレゼント、梅の奴も喜んでたよ。アイツの代わりに改めて礼を言うわ。本当にありがとうな」

「ううん、ちゃんと梅ちゃんからお礼は聞いたよ」

「え?」

「実は望経由で、連絡先は知ってるんだ」

「あ、そうだったのか」

 

 バスケ部ネットワークの浸食に驚きつつ、二列に並ぶ行列の最後尾に到着する。

 

「でもまさか米倉君もここで初詣だったなんて、ビックリしちゃった。桃さんも一緒?」

「いや、普段は家族で来てるんだけど、今年は姉貴がインフルに掛かってさ」

「えっ? 大丈夫なの?」

「大掃除手伝わなくてラッキーとか言ってたくらいだし、仮病を疑うくらいに元気だな」

「良かった。何だか米倉君の家って、行事とインフルエンザがよく重なるね…………あ、米倉君、先に行ってきていいよ」

 

 何やら気になる話の途中で、夢野は参拝者が身を清める手水舎を指さす。少女に任せて一旦列を離れ、看板に描かれている作法に従い左手、右手、口をそれぞれ洗い漱いだ。

 

「はい」

 

 水に触れた手が空気に当てられ冷える中、列に戻るとハンカチを差し出される。手を拭く物を持ち歩いていなかった俺は、ありがたく好意を受け取ることにした。

 

「悪い。サンキューな」

「どう致しまして」

 

 ハンカチを返すと今度は手袋を外した夢野が手水舎へ。一挙手一投足が丁寧な後ろ姿を眺めていると、戻ってきた少女は寒そうに掌を擦りながら息を吹きかける。

 

「ふぅー……寒いね」

「!」

 

 リスみたいな仕草を見せる夢野が可愛く、思わずドキッとしてしまった。

 俺は何も考えずポケットへ手を突っ込んでいたが、確かに清めたなら参拝まで手袋は付けるべきじゃないだろう。これが恋人同士なら手を繋いだり……なんて妄想をする中で、悟られないよう適当に話題を切り出す。

 

「そういえば、音楽部のクリスマスパーティーはどうだったんだ?」

「うん、楽しかったよ。でも陶芸部には負けちゃうかな」

「まあ、あれは規格外だからな。主に火水木が」

 

 逆に言えば、アイツがいるからこそ部活が楽しい。阿久津と冬雪と俺の三人だった頃は陶芸と勉強ばかりで、ゲームは先生を交えてたまに遊ぶくらいだった気がする。

 

「クリスマスって言えば、米倉君の家も何かやったって聞いたよ?」

「サンタの真似事をして大失敗だ。夢野の家には、まだサンタは来るのか?」

「ううん。うちのサンタさんは五年生が最後。六年生にはいなくなっちゃったんだ」

「珍しいな。普通は六年まで来そうなもんだけど」

「うん。六年生はサンタさんの代わりに、ヨンタさんが来てくれたの」

「何だその進化っ? まさか今でもゴータさんやロクタさんやセントさんが来てるのか?」

「クリスマスはヨンタさんが最後だよ。貰ったプレゼントも、それが最後」

 

 俺のボケが華麗にスルーされる中で、参拝の順番が少しずつ近づいてきた。

 かじかんだ手でお賽銭を準備しようとする夢野を見て、ポケットに入れていた五円玉を差し出す。梅の分として念のため用意した物だが、アイツも五円くらい持っているだろう。

 

「はいよ」

「え? ちゃんとあるから、大丈夫だよ?」

「梅のプレゼントの件もあるし、これくらい奢らせてくれ」

「うーん……それじゃあ、御言葉に甘えちゃおうかな」

 

 普段とは逆の立場となった夢野が、わざとらしく掌を差し出す。

 その意味を察した俺は少女を真似て手を重ね、お釣りを返すように五円玉を手渡した。

 

「ふふっ、ありがとう。米倉君の五円なら、御利益ありそうだね」

「別に普通の五円だっての」

 

 先に俺の順番が回ってきたので、前に出て軽くお辞儀をしてから賽銭を投げる。鈴を鳴らし二礼二拍手して祈っていると、隣で夢野が鈴を鳴らす音が聞こえた。

 

(昨年はありがとうございました。今年も宜しくお願いします)

 

 神様を信じちゃいないが、罰が当たるのも嫌なので真面目にお参り。願いを言わないのは欲がないとかじゃなく、参拝は来たことを報告する場なんて話を以前耳にしたからだ。

 最後に一礼をしてから列を離れる。神様に粗相のないようニット帽を脱いで参拝中の少女は、丁度両手を重ねて目を瞑ったところだった。

 梅達との合流も考えながら、遠くに並んでいる屋台を凝視する。勿論そう簡単には見当たらず探すのを諦めようとした矢先、ふと目に留まるものがあった。

 

「………………」

 

 売られているのは300円のバナナ……それ以外の何物でもなかった。 

 改めて考えてみれば、300円という価格自体が充分なヒントだったのかもしれない。

 何かの値段にしては随分とキリの良い、消費税を無視したような金額。

 桜桃ジュースも自動販売機で買えば120円だが、コンビニやスーパーで買えば価格も変わる。バナナなんて尚更な話で、姉貴も言っていた通りピンキリだろう。

 

『――――あっ! 惜しい――――』

 

 ただ世の中には消費税なしの、300円で売られているバナナが存在する。

 場所によっては200円。安ければ100円だってあるかもしれないが、いずれにしても消費税のないピッタリな金額であることに変わりはない。

 300円とバナナから遠足なんて用語を連想する遠回り……もしも素直に300円のバナナを探していれば、もっと早い段階でこの答えに辿り着けたと思う。

 

「っ!」

 

 そしてそのバナナは、特別な時にしか出てこない。

 だからこそ、遥か彼方へ忘れ去っていた記憶を呼び戻すまでに時間は掛からなかった。

 

「お待たせ。米倉君、どうかしたの?」

「………………思い出した」

「え?」

「あの時の……夏祭りの、チョコバナナか……?」

 

 決して全てを思い出した訳ではなく、蘇ったのは断片的な記憶のみ。

 そんな俺の答えを聞いた夢野は、ニット帽をかぶりなおした後で微笑みながら答えた。どれだけ月日が経とうと変わらない、幼い頃の面影を残す笑顔を見せながら…………。

 

 

 

「うん、正解だよ」と。



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元旦(木) 夏祭りのクラクラがヒーローだった件

 黒谷祭りは、町の割にそこそこ規模の大きい夏祭りだ。

 道端には屋台が山ほど並び、山車は出ないが神輿は担がれる。組まれたやぐらの上では遠くまで響き渡るお囃子が披露され、夜になると花火大会も行われていた。

 話は遡ること、小学三年生の夏休み。

 有り余る休日が既に半分ほど過ぎているにも拘わらず、ワークも自由研究も歯磨きカレンダーも何一つ手を付けていない少年は、呑気に黒谷祭りを満喫していた。

 

『そういえば米倉君、お祭りには家族で来てたの?』

『いや、友達とだったな。確か屋台を見て回ってたら、いつの間にかはぐれてた気がする』

 

 確かあの日は親からお小遣いを貰って、ウッキウキだったっけ。

 だからこそ四方八方に目移りしていた結果、少年は運命的な出会いを果たす。それこそ例えるなら一昔前の定番でもあった、食パンを咥えた転校生とぶつかるような展開だった。

 

「わっ?」

「――――っ!」

 

 屋台の陰から突然現れた女の子との衝突。のんびり歩いていた少年の胸に、猪の如く突撃してきた少女の頭がぶつかり、そのまま尻もちをついてしまう。

 

『女の子に対して猪は酷くない?』

『じゃあ猛牛か?』

『もう!』

 

 倒れた少年が顔を上げると、そこにいたのは短いツインテールの少女。色鮮やかなリボンで髪を留めており、お祭りらしく華やかな桃色の浴衣を着ていた。

 

『どちらかというと、ツーサイドアップだけどね』

『何が違うんだ?』

『結ぶ場所。頭の上の方で束ねてるでしょ?』

 

 ツーサイドアップの少女は、浴衣の袖で目元をごしごしと擦る。もしも顔を上げるのがもう少し遅かったら、彼女の目元が潤んでいたのを見逃していただろう。

 

「ご……ごめんなさい」

「ううん、大丈夫!」

 

 深々と頭を下げる少女に対して、問題なしとばかりに元気よくジャンプする少年。立ちあがってみれば身長は同じくらいで、丁度目線の高さが一致していた。

 

「っ!」

 

 目が合うなり、少女が驚いた表情を浮かべる。

 若干不思議に思いつつも、少年は涙の理由の方が気になっていた。

 

「そっちこそ平気? 泣いてたみたいだけど、どこか痛いの?」

「…………え……? う、ううん、大丈夫っ!」

 

 見られていたことが恥ずかしかったのか、少女は赤面しつつ再び目を擦る。

 そんな様子を見ていた少年は、見覚えがあることに気付き顔をまじまじと覗き込んだ。

 

「あれ? あれれ? ひょっとして……」

「わ、私のこと……覚えてる……?」

「やっぱり! うん、覚えてるよ! 久し振りだね!」

 

 今思えば、既にこの時点で二人はすれ違っていた。少年の認識はそろばんの子という記憶のみであることに対し、少女は幼稚園の思い出を含めて尋ねていたのだろう。

 遥か昔に交わした恋の約束は、忘れ去られたまま話は進んだ。

 

「うん! 久し振り!」

 

 悲しみから驚きに変わった表情が、今度は喜びへと変化する。

 何年経とうと心に残り続ける様な、とびきりの笑顔だった。

 

「クラクラ、一人で来たの?」

「違うよ! 皆が勝手にどこか行っちゃったから、探してるところ!」

『…………って言ってたけど?』

『…………記憶にございません』

 

 はぐれたのは自分なのに、よくもまあ偉そうに言えたもんだ。

 

「じゃあ私も手伝ってあげる!」

「本当っ?」

「うんっ! だってクラクラは「蕾っ!」――っ?」

 

 背後から聞こえた名前を呼ぶ声に対し、少女はビクッと身を震わせると慌てて振り返る。

 そこには息を切らしながらも、必死に探していた娘を見つけ安堵している母親がいた。

 

「ちょっと目を離した隙にいなくなって……心配したのよ……? あら、お友達?」

「うん! クラクラだよ!」

「初めまして! こんばんは!」

「はい、こんばんは。蕾と仲良くしてくれてありがとうね」

「ねえお母さん! 私、クラクラと一緒にお祭り回ってもいい?」

「えっ?」

「クラクラ、お友達探してるみたいだから手伝ってあげるの!」

 

 少女の母親は、どういう訳か娘の発言に驚いている。

 しかし少し悩んだ後でOKサインを出すと、少女は飛び跳ねて喜んだ。

 

「じゃあお母さん、ここで待ってるからね」

「はーいっ! クラクラ、行こっ?」

「うん!」

 

 

 

『結局友達を探すって言っておきながら、何だかんだで屋台を回っただけだったよね』

『そうだったか?』

『覚えてない? 例えばほら、ヨーヨー釣りとか』

 

「その桃色のがいい!」

「任せて! これだっ! ……って、えぇっ?」

 

『ああ、輪ゴムだけ釣れたんだっけ』

『他にも、射的でも遊んだし』

 

「あっ! 惜しい! クラクラ、今の凄く惜しいっ!」

「ファイナルスペシャルアタックシュゥゥゥゥゥゥゥウウウトッ!」

 

『そうだそうだ。確か店のおじさんに命中して、危うくお持ち帰りするところだったよ』

『金魚すくいもやったよね』

 

「銀魚! 銀魚がいる!」

「よっ! ほっ! ていっ! まだまだっ!」

 

『ポイの紙が全部破れても枠だけで取ろうとする、本当に傍迷惑な奴だったな』

『でも私は、本当に楽しかったよ』

 

 

 

「そういえば蕾ちゃん。右腕、蚊に刺されてたよ?」

「え……? っ!」

 

 金魚すくいの際に浴衣が濡れないよう、少女は袖を捲っていた。その時に小さな膨らみを見掛けていた少年は、次の屋台に向かう途中でそんなことを口にする。

 しかしその言葉を聞いた少女は唐突に足を止め、右腕を庇うようにギュっと握った。

 

「どうしたの? 痒くなっちゃった?」

「…………ううん、違うの」

 

 少し考えた後で、少女は首を静かに横へ振る。

 そして躊躇いながらもゆっくりと裾を捲り、か細い腕を少年に見せた。

 

「ここ、触ってみて」

「はぇ?」

 

 見せられた腕には、一点だけぷっくりと膨らんだ箇所がある。言われるがまま触れてみると虫刺されとは明らかに違い、皮膚の中にビー玉が入っている様な感覚だった。

 

「何だか石みたいだね」

「私ね、手術するのが嫌で逃げ出してきたの……」

「えっ? 病気なのっ?」

「うん……お薬とかじゃ駄目で、手術しないと治らない病気なんだって……。お母さんは大丈夫って言ってたけど、手術って失敗したら死んじゃうから……私、怖くて……」

 

 手術にも色々あるが、ドラマなどで知識を得た子供からすればそんな印象だろう。

 出会った時同様に目を潤ませた少女は、震える声で弱々しく呟いた。

 

「私、戻りたくないよ……ねえクラクラ……このまま私と一緒に――――」

「駄目だよっ!」

「っ?」

 

 きっと自分の味方になってくれる。

 そう思っていた少女の期待を裏切り、少年は大きな声で否定した。

 

「逃げちゃ駄目だよっ! 手術しないと治らないんでしょっ?」

「で、でも……」

「ぼ……俺だって注射は嫌だったけど、病院で働いてるお母さんが言ってたよっ? 病気からは逃げちゃ駄目だって! ちゃんと戦って、勝たなきゃ駄目だってっ!」

 

 世の中そんなに何でもかんでも、ゲームみたいにはいかないけどな。

 蕾ちゃんなら大丈夫という何一つ根拠のない励ましをする少年の言葉を聞いて、少女はボロボロと泣き始める。そして流れる涙を拭いながら、コクコクと首を縦に振った。

 

「あっ、そうだ! ちょっと待ってて!」

 

 何かできることはないかと財布を取り出した少年は、遊び歩いたせいで残り少ない中身を確認した後で、傍にあったチョコバナナの屋台へ駆け出す。

 

「おじさん、これください!」

「あいよ。300円ね」

 

 黒だけでなく白や水色など色とりどりのバナナが割り箸に刺さって並ぶ中、財布を逆さにして全財産を支払った少年が選んだのは桃色のチョコバナナだった。

 トッピングにチョコレートソースやナッツ、カラフルな砂糖菓子が塗されたバナナを受け取るなり、涙も止まり落ち着いた少女へと手渡す。

 

「これ食べたら、手術も大丈夫だよ!」

「え? どうして?」

「だって綺麗だし、美味しいでしょ? 元気があれば病気は逃げてくってお母さんも言ってたから、蕾ちゃんも元気出して!」

 

 元気づけるならお守りとか、形に残るものを渡すべきだったと思う。

 花より団子な少年の言葉を聞いた少女は、目元を赤くしたまま笑顔で応えた。

 

「うん。ありがとう」

「どう致しまして…………あれっ? おーいっ!」

 

 偶然にも通りがかった友人へ手を振ると、向こうも手を振る少年に気付いたらしい。

 こちらに駆け寄る短髪小僧を見た少女は、嬉しそうな顔を浮かべる。

 

「お友達、見つかったね」

「うん!」

「私もお母さんの所に戻らなくちゃ……ねえクラクラ。また来年もここで会えるかな?」

 

 最後の最後で、少年は大きな勘違いをした。

 再会を望む少女の問いかけを、不安の言葉だと誤解する。きっと彼女は手術が失敗して、二度と祭りなんて行けない自分の姿をイメージしているんだ……と。

 

「うん! 勿論!」

 

 だからこそ、勇気づけるために約束を交わす。

 答えを聞いた少女の返事はなく、その代わりに少年の頬に柔らかい物が触れた。

 

「えへへ……大好きだよ。またね、クラクラ!」

 

 少年は、走り去っていく少女をボーっと眺める。

 そんな彼に向けて、死角となり口づけに気付いていない友人は合流するなり首を傾げた。

 

「櫻、どうしたの?」

「な、なな、なんでもない! それより、みなちゃ……みな! どこ行ってたのさ?」

「それはわた……ボクの台詞だけれどね」

 

 男と勘違いされるくらい髪が短い、ベリーショートだった幼馴染は溜息を吐いた。



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元旦(木) 出会いと別れと出会いだった件

「………………手術、上手くいったのか?」

 

 参拝の順路から外れた、人通りの少ない神社裏。

 石段に座り星がよく見える夜空を見上げている少女へ、今更な質問を尋ねた。

 

「触ってみる?」

 

 俺の問いかけに対して、夢野は服の袖を捲り右腕を見せてくる。女の子らしい細く魅力的な腕を前にして少し躊躇うが、いつまでも寒空の下で晒させるのも悪いので大人しく触れた。

 

「…………」

 

 柔らかい。

 プニプニとした肌を堪能していると、少女は艶めかしい声を上げる。

 

「んっ……米倉君、くすぐったいよ」

「わ、悪いっ!」

「それにそこじゃなくて、こっちなんだけどね」

 

 改めて指さされた場所を触ってみるが、やはりフニフニとしていて硬さはない。手術の痕すら判別できない腕から手を離すと、夢野は捲っていた袖を元に戻した。

 

「石灰化上皮種って言って、病気自体はそんなに重くなかったの。手術もあっという間に終わっちゃって、入院もしない日帰りだったから逆にビックリしちゃった」

「そりゃ良かったな」

「でも放っておいたら悪化する可能性もあるんだって。だからもしもあの時に米倉君が励ましてくれなかったら、大変なことになってたかもしれないんだよね」

「…………」

「だから私、米倉君と出会えて本当に良かった」

 

 300円の答え……そして夢野が今まで値札を貼っていた理由を理解する。

 要するに彼女は、少年に礼を言いたかったのだ。

 

「米倉君はね、私にとってヒーローだったんだよ」

 

 十年以上前に愛を誓った少女は、俺を見つめてそう言った。

 ただし彼女が大きな勘違いをしていることを、米倉櫻は今から伝えなければならない。

 まるでいつしか遊んだ人生ゲームの如く、共にスタートし何度かすれ違いながらも久々に同じマスへ止まった少女に、今の自分が山のような負債を抱えている事実を。

 

「本当にありがとう」

 

 やめてくれ。

 俺はそんな殊勝な奴じゃない。

 

「あのね米倉君。私――――」

「違う」

「…………え?」

 

 耐えきれず、思わず口をついて出た言葉がそれだった。

 隣に座る少女へ目を合わせず静かに立ち上がると、子供が手放してしまったであろう風船が引っ掛かった桜の木を見上げながら口を開く。

 

「桜桃ジュースも、チョコバナナも、何も考えずに渡しただけだ。現に俺は夢野のことを綺麗さっぱり忘れてたし、そんな大層な恩を感じるようなことじゃない」

「それは米倉君にとって些細だっただけで、私は助け――――」

「そもそも夢野がヒーローだって信じてたのは、俺じゃなくてクラクラだろ?」

 

 夢野の話を遮って喋り続ける。

 頭の中で想起されるのは、以前に小さな屋上で聞いた少女の一言。

 

『――――私はクラクラの彼女であって、米倉君とは友達だから――――』

 

 彼女が口にしたこの言葉が、一体どういう意味だったのかはわからない。

 しかし今の俺にとって、その言葉はピッタリ当てはまっていた。

 

「夢野を助けたのは、クラクラであって今の俺じゃない」

「違うよ、米倉君」

「違くないっ!!」

 

 思わず声を荒げた理由は、悟られたくなかったから。

 残念ながらそれは逆効果で、必死に堪えていたものが一気に崩壊した。

 

「悪い夢野……もういないんだ……」

「米倉君っ!」

 

 最後に絞り出した声が震えていたことに、夢野は気付いたのかもしれない。

 呼び止める少女を置き去りにして、俺はその場から全力で逃げ出した。

 

「くそっ!」

 

 拭っても拭っても、涙が溢れ出てくる。

 その理由は、自分が一番よくわかっていた。

 

 

 

『別に俺、みなのことなんて好きじゃねーし! あんな男っぽい女!』

 

 

 

『よぉ、根暗』

 

 

 

『またお前、授業サボる気かよ?』

 

 

 

『…………少なくともボクは、今のキミが大嫌いだよ』

 

 

 

 走っている間も次々と蘇る、忘れたい記憶。

 過去の自分から逃げようとすればするほど、消えるどころか逆に思い出していく。

 

「――櫻――?」

「っ?」

 

 そんな最中、参拝の列の中から聞こえてきた声へ反射的に振り返ってしまった。

 もし神様がいるのなら、心の底から恨みたい。

 何故ならそこには、今一番出会いたくない幼馴染がいたのだから。



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元旦(木) 逃げるは恥だが逃げるが勝ちだった件

「すまないっ! ちょっと失礼するよっ!」

「ミナちゃん先輩っ?」

 

 そんな声が後ろから聞こえた。

 追って来る足音を耳にして、俺は再び加速する。

 

「っ!」

 

 泣きながら逃げる青年と追いかける少女……普通は逆だろ、このシチュエーション。

 涙を拭いて神社を抜けた俺は、屋台の並ぶ小道を走った。

 脇目も振らずに走り続けた。

 

 

 

 ……………………そして、追いつかれた。

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――――」

 

 横へ並ばれた瞬間に気持ちだけで走っていた足が止まり、腰を曲げて両膝に手をつく。最初に夢野から逃げる時に一度、全力疾走したのが仇になったか。

 そんな恰好悪いことこの上ない俺を前にして、初詣だろうと変わらずボーイッシュな私服姿の阿久津は、肩で息をしながら長い黒髪をかきあげた。

 

「ボクから……逃げ切れると……思ったかい……?」

 

 どこの大魔王だよお前は。

 辿り着いた先は神社から少し離れた公園。誰一人いないという訳でもなく遠くでは大学生っぽい人達が戯れており、デートを楽しむカップルも少々といった感じだ。

 

「さて…………ん……? はい、もしもし?」

 

 どうやら電話が掛かってきたらしく、阿久津がスマホを耳に当てる。この隙に逃げようかと思ったら、どうやら読まれていたらしく左手でガッシリと手首を掴まれた。

 

「ああ、すまない。急な用事ができてね…………まあ、色々だよ。この埋め合わせは後で必ずするから………………ああ、本当に申し訳ない。感謝するよ」

 

 前言撤回。どこの社会人だよお前は。

 少女は通話を切るなり、今度はメッセージを打ち始める。一緒に並んでいた後輩以外にも連れがいたのかは知らないが、こうした気配りは実に阿久津らしい。

 アフターフォローが終わった頃には、お互いの息も充分に整う。幾度となく除夜の鐘が聞こえてくる中、幼馴染は俺の手首を離すなり傍にあるベンチを指さした。

 

「座って話そう」

 

 別に怒っても呆れてもいない雰囲気でやんわりと言われるが、米倉フィルターを通すとどういう訳か『座れ奴隷』と変換されているから不思議である。

 元旦の深夜に、片想いの女の子とベンチで二人きり。個人的にはブランコというのも悪くないと思うが、いずれにせよ普通に考えれば誰もが喜ぶであろうシチュエーションだ。

 しかし今の俺には、このベンチが公開処刑場となる未来しか見えない。

 

「新年早々に神社の裏手から走って来るなんて、黒谷町にも変な人が増えてきたと思いきや、まさかキミとは予想外だったよ。それも泣いているなんてね」

「季節外れの花粉症だ」

「そういう冗談は、花粉症体質の桃ちゃんに怒られるんじゃないかい?」

 

 同じ両親から生まれてきたのに、三兄妹の中では唯一花粉に弱いんだよな。

 既に涙は止まっているが、何度も拭ったせいで目元は赤くなっているだろう。何より直接見られている時点で、誤魔化そうとしても無駄なのかもしれない。

 

「人が泣く理由は色々ある。感動の涙。悲しみの涙。悔し涙。玉葱の涙。流石のキミでも、初詣に神社で玉葱料理をしていたなんてことは…………ふむ。あり得るね」

「いや、ねーから」

「そう言われても、キミは何かと普通じゃないから困る」

「悪かったな」

「別に否定はしていないよ。寧ろ個性は伸ばすべきだ」

 

 いつもと変わらない調子で語る阿久津。このままくだらない話で終わればいいのにな。

 普段は遠慮なく物言う少女だが、今日は珍しく遠回りしながら尋ねてくる。

 

「高校生にもなって涙を見られたことが、そんなに恥ずかしいのかい?」

 

 そりゃそうだ。

 徐々に踏み込んできた質問へ沈黙で答えると、阿久津はやれやれと溜息を吐いた。

 

「キミの泣き顔なんて、ボクは何度も見ているけれどね。一緒に佐藤君の家へ遊びに行った帰り道、一人で勝手に走り出したかと思ったら道に迷って泣いただろう?」

「…………」

「食べたアイスのゴミをドブに捨てたのは覚えているかい? キミは仲間の前で母親に叱られて大泣き。一緒に遊んでいた友達も全員、逃げるように帰っていたね」

「………………」

「先生にもよく怒られていたじゃないか。給食の時間に喋ってばかりだったり、自習の時間に出歩いていたり、宿題を忘れたり。その度にキミは泣いていた気がするよ」

 

 よくもまあ、次から次へと出てくるもんだ。

 小学校低学年から中学年にかけての、苦笑いを浮かべそうになる思い出を挙げていった阿久津は、口を閉じたままの俺を前に再度溜息を吐いた。

 

「別にボクは逃げるのを悪いと思わないけれどね。RPGのゲームだって、強敵が出てきたら逃げの一手を選択するだろう? 寧ろ逃げない方がおかしいくらいだよ」

 

 最近のRPGは戦歴システムがあって、そこには逃走回数が記録されるものもある。その表示を0のままにしたいが故に、逃走縛りをするプレイヤーは割と多いぞ。

 それに例えチキンナイフの方が強くても俺はブレイブブレイド派だから逃げないし、そもそも『しかしまわりこまれてしまった』をリアルでやったお前が逃げろとか言うなよ。

 

「勿論、時には逃げられない敵だっているさ。そういう場合は潔く全滅して、セーブ地点からやり直せばいい。そんなの当たり前なのに、今の世の中は電源を切る人ばかりだ」

 

 何だか自殺問題の比喩として使えそうな話だ。

 仕事が理由で鬱状態な社会人なら、職を辞めてしまえばいい。全滅して金半分みたいなペナルティはあるだろうが、電源を切る……つまり死ぬよりは遥かにマシである。

 

「ボクはキミを追いかけて捕まえたけれど、雁字搦めに縛り上げちゃいない。やろうと思えばいつでも逃げられるじゃないか。まあ逃げ続けるのもどうかと……ん……すまない」

 

 震えるスマホを確認した阿久津は、脱走する気はない俺の手首を再び掴む。

 先程より力の入っていない綺麗な手を、何も考えずにボーっと眺めていた。

 

「家族想いの優しい妹に感謝するんだね。今のキミは考えてもいなかっただろうけれど、どうやら夢野君の方は心配いらないそうだよ」

「えっ?」

「どうして夢野君と一緒にいたことをボクが知っていたか……かい?」

 

 思わず驚き振り向いた結果、ずっと逸らし続けていた目を合わせてしまう。

 阿久津は謎解きをする探偵みたいに、得意気な笑みを浮かべた。



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元旦(木) 俺の彼女が2079円だった件

「簡単な話さ。初詣に向かう途中で、梅君と夢野君の妹に会ったんだよ。別に梅君はキミについて何一つ話してはいないけれど、神社の裏か走ってきたキミを見れば察しが付く」

「じゃあ、電話の後で打ってたのは……」

「見たままの状況を梅君へ報告して、神社裏にいるであろう夢野君のフォローを頼んだ。彼女は妹と一緒に家へ帰ったそうだけれど、他に何か聞きたいことはあるかい?」

 

 普段から推理小説を読んでいる、観察力と洞察力が優れた少女の質問へ首を横に振る。俺の意味不明な特技と違って、色々と人間関係を築く際に役立ちそうで羨ましい。

 

「しかし新年早々デートに失敗するなんて、キミも中々に馬鹿な男だね」

「言っておくけど、夢野とは偶然会っただけだ。デートなんかじゃない」

「ふむ。そうなるとキミが流していた涙は、悔し涙だったというわけか」

「何でそうなるんだよ」

「目を背けたね」

「っ?」

 

 完全に無意識の行動だった。

 俺の反応を見て確信を得た少女は、ジーッとこちらを見ながら問いかけを続ける。

 

「振られた涙の線は消えた。そしてデートじゃないからこそ、キミは彼女と一緒に初詣を回った。なら逆にデートになりかけたからこそ、キミは逃げてきたのかと思ってね」

「…………」

「もしくは夢野君に関する大切な記憶を思い出した結果、彼女が自分の関係性を知ったキミは耐えきれずに逃げ出した……とかかな。こちらの方が当たってそうだね」

 

 まるで見ていたかの如く、正解を言い当てる阿久津。

 隠したところで無意味だと頭が理解すると、ヤケになり全てがどうでもよくなった。

 

「そうだよっ! その通りだよっ! 夢野は俺を勘違いしてるっ! 本当の俺がどうしようもないクズ野郎だってことは、お前が一番理解してるだろっ?」

 

 自分の過去を知る幼馴染に声を荒げて問いかける。

 あの頃の俺はクラクラでも米倉櫻でもない、本当にどうしようもない奴だった。

 

「夢野は俺に恩を感じてたっ! 俺のことをヒーローだって言ったっ! でもそれは今の俺じゃないっ! アイツが信じてたクラクラは、もうどこにもいないんだよっ!」

 

 ほとんど面影を残していない、ボロボロになったクラリ君のストラップこそ今の俺だ。

 そんな自分の恥を晒していくと、治まっていた涙が再び目を覆い視界が霞む。

 目の前に座る少女は、俺が袖で拭うより先に藍染めのハンカチを差し出してきた。

 

「確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ」

「!」

 

 潤んだ視界でもわかる。

 阿久津の言葉に嘘はなく、彼女は目を逸らさずに俺を見ていた。

 その瞳には、米倉櫻が映っていた。

 

「成程ね。ようやく話が見えてきたかな」

 

 受け取ったハンカチで涙を拭く俺を見て、少女は静かに立ち上がる。

 そして財布を取り出すなり、すぐ傍にある自動販売機で缶を二本購入した。

 

「これでも飲んで、少し落ち着くといい」

 

 長い付き合いだけに人の好みをよくわかっている幼馴染にハンカチを返すと、言葉に甘えて温かいコーンポタージュスープを受け取る。

 飲み口部分の少し下部分を凹ますという、コーンの粒を残さないための雑学も知っている阿久津は、一口飲んだ後で両手を温める俺を眺めながら口を開いた。

 

「悔しいという感情は大切だよ。人は悔しさがあるからこそ、成長することができる。ただどんなに悔やんでも過去を変えることはできないし、過去に戻ることもできない」

 

 仮に過去の自分へメッセージを届けられるなら、一体何を伝えるだろうか。

 そんな空想は考えるだけ無駄だと言わんばかりの、至極真っ当な正論だった。

 

「世間は『後悔するな』なんて謳うけれど、人間である以上そんなのは無理な話さ。まあ多少なり後悔を減らそうと努力することはできるから、間違ってはいないのかな」

「…………」

「ただ人は後悔と向き合って生きていくものだとボクは思うよ。忘れたい過去だからこそ、大きな失敗をしたからこそ、その経験を土台に成功した自分を積み重ねていけばいい」

 

 時には失敗から逃げるのもありだろう。

 だけどいつかまた、その失敗と向き合う時がくるかもしれない。

 

「成功を積み重ねる途中で、また新たな失敗もする。その汚点は決して消えないけれど、薄めることはできる。砂漠に落とした一本の針を、探そうとする人はいないからね」

 

 汚点なんて何一つ見当たらないような少女は、一呼吸置くように缶へ口を付けた。

 

「まあこれは、あくまでもボクの意見だよ。少なくともボクは、自分が今まで積み重ねた物を忘れたくない。例えそれが良い思い出でも、悪い思い出でもね」

「!」

 

 その言葉は以前どこかで聞いたことがある。

 確かあれは、陶芸室で一緒に勉強していた時だ。

 

『ボクは積み重ねたものを忘れたくない。ただそれだけさ』

 

 阿久津がこの台詞を口にした理由。

 それは俺か彼女に勉強する理由を尋ねたからである。

 

『人が人であるため』

 

 その言葉の意味が、今なら少しわかる気がした。

 きっと阿久津水無月は、阿久津水無月としてあり続けるために勉強しているのだろう。

 数少ない汚点を隠すため。

 後輩に慕われる先輩として、米倉櫻が誇りに思う幼馴染として見栄を張り続けるために。

 

「ありがとな」

 

 気付けばそんな一言が、自然と口から洩れていた。

 俺の言葉を聞いた阿久津は、缶の中身を飲み干すと淡々と答える。

 

「礼には及ばない……というより、言葉より態度で示してくれると助かるね」

「…………なあ、一つ聞いてもいいか?」

「何だい?」

「どうして俺を追いかけたんだ?」

 

 夢野が神社裏にいたことを推理していたなら、彼女の元に向かう選択肢だってあった筈だ。寧ろ女同士であることを考えれば、そちらを優先しそうなものである。

 

「何かと思えば、そんなことかい?」

 

 若干思い上がりだったかもしれない俺の質問に対し、少女は立ち上がるなり手にしていた空き缶をゴミ箱に捨てつつさらりと答えた。

 

「プレゼント交換のお詫び……いや、おまけとでも言うべきかな」

「は?」

「キミが受け取ったプレゼントは、他の皆が用意した物に比べていまいちだっただろう?」

「そんなこと気にしてたのか?」

 

 確かにあのラインナップだと、阿久津のノートは劣っていたとは思う。

 しかしそれならこのおまけは、他なんて比べ物にならないくらい嬉しいプレゼントだ。そう思いつつ、俺はおまけのおまけであるコーンポタージュスープの缶を開けた。

 

「人の気にする、気にしないなんて、案外そんなものさ。知らぬ間に誰かを救っていたり、思わぬ発言で誰かを傷つけることだってある」

「…………そうだな」

「いずれにせよ、夢野君には早いうちに詫びの一つでも入れておくことを奨めるよ」

「ああ。そのつもりだ」

「それじゃあボクは失礼させてもらおうかな。あまり遅いと親が心配するからね」

「じゃあな…………あ! 阿久津!」

「何だい?」

 

 帰ろうとした幼馴染が、空を見上げた横顔をそのままこちらに倒したような角度で振り返る。まさかこんな形で、リアルシャフ度を拝めるとは思わなかった。

 彼女が今の俺を見てくれているのなら、こちらも裏切るわけにはいかない。男女間の友情は存在する会の会長へ、俺は新年の挨拶を交わすのだった。

 

「あけましておめでとう。今年も宜しく」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 家に帰った俺は、リビングでウトウトしながらテレビを眺めていた梅と鉢合わせする。協力してくれたことに礼を言うと、寝惚け半分の少女は事情を聞いてきた。

 先に夢野へ電話で謝りたいことを説明すると、なら明日でいいよと部屋に戻る妹。梅梅がフメフメだったくらいだし、僅かに残っていた涙の痕は気付かれずに済んだようだ。

 

「…………」

 

 深夜に迷惑じゃないかとも考えたが、それこそ逃げては駄目だろう。何度か深呼吸してから電話を掛けると、五回ほどコール音がした後で透き通るような声が聞こえた。

 

「もしもし?」

「ゆ、夢野。今、大丈夫か?」

「うん。大丈夫だよ」

 

 普段と変わらない雰囲気だが、喋りは少しゆっくりとしている。

 電話であり姿なんて見えないにも拘わらず、俺は頭を下げつつ謝った。

 

「その……今日は本当にゴメン……」

「ううん、私の方こそゴメンね」

「何で夢野が謝るんだよ? 悪いのは俺だっての」

「そんなことないよ。私にも悪いところ、あったから」

 

 一体何をどう考えたら、そんな結論に辿り着くのか。

 互いに自分が悪いと主張し続けてはキリがないので、話を先へと進めることにする。

 

「俺さ、ずっと疑問に思ってたんだ。同じ幼稚園だった知り合いに再会したくらいで、値札を貼ってまでアピールするのかって。普通そんなことしないだろってさ」

「うん」

「でも今になってようやく理由がわかって、夢野が俺との思い出を今でも大切に覚えてくれてるって理解したんだけど……えっと……その…………つまりだな…………」

 

 色々と頭の中で考えていた筈なのに、ごちゃごちゃになって言葉が詰まってしまった。

 何を伝えたいのかわからなくなり混乱する中、夢野は俺に優しく語りかけてくる。

 

「米倉君に知られたくない私がいるように、私に知られたくない米倉君がいる」

「え?」

「きっと米倉君の言いたいことは、そういうことかなって思って……違ったかな?」

「いや……その通り……だと思う」

「うん。それなら私も同じだから大丈夫。誰だって、嫌いな自分はいるよ」

 

 寧ろ自分が好きな人間なんて、そう簡単にはいないだろう。

 何となく肯定してしまった少女の言葉は、本当に自分が伝えたいことだったのか。改めて考え直していると、黙り込んだ俺を不思議に思ったのか夢野が口を開いた。

 

「米倉君?」

「あっ! わ、悪いっ! ちょっと考え事してて……」

「そっか…………ねえ、米倉君」

「ん?」

「実はあと一つだけ、私が返してない物があるんだ」

「返してない物……? えっと、要するにまた何らかの値段ってことか?」

「うん。これが最後の一つ。聞くか聞かないか、米倉君が選んでくれるかな?」

「……………………」

 

 クラクラは俺であり、腐っていた米倉櫻もまた俺自身だ。

 昔の俺を追っている少女へ、今の俺を理解して貰うため。そして彼女にはもっと相応しい相手がいることに気付いて貰うため、少し考えた後で俺は答えた。

 

「思い出す保証はないけど、それでもいいなら聞かせてほしい」

「ありがとう。私の方こそ、間違ってたらゴメンね」

「間違ってたら……?」

「うん。貰ったのは確かなんだけど、はっきりとした金額のわからないものだから」

「成程な。それで、いくらなんだ?」

 

 120円に300円とくれば、最後は500円くらいだろうか。

 そんな俺の予想とは裏腹に、少女は桁違いな驚きの金額を口にした。

 

 

 

「2079円……かな?」

 

 

 

「………………………………値段、間違ってません?」

 

 敗走も迷走もしなくなった男は、店員ではない少女に金額を聞き返すのだった。



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末日(?) 一冊目

・9月15日(月)

 今日は思わぬハプニング。まさか知らない間に名札に値札がくっついてたなんて……彼が私をジーッと見てたのって、ひょっとしてこれが原因? やっぱり忘れちゃったのかな。

 

 

 

・9月16日(火)

 二日連続で彼が来てビックリ。声を掛けてくれないかと思って、気付いたら自分に値札を貼っちゃってた。これじゃ私の価値が120円みたいだけど、初めて会った時にくれた桜桃ジュースも120円だったっけ。

 

 

 

・9月17日(水)

 今週は月曜日が休みだったからシフトを入れてたけど、三日連続で彼が来てくれた! もしかして私に会いに……なんてボーっと考えてたら、せっかく120円のことを言ってくれたのに勘違い。

 …………やっぱりお釣りじゃなくて値札のことだったよね……私のバカ!

 

 

 

・9月18日(木)

 初めてコンビニに来てくれた時、同じ屋代の生徒だって知って衝撃だった。

 でも何度か顔を合わせていくうちに、彼の中に私はいないって気付いた。

 思い出してくれないか悪戯するのも今日で終わり。バイバイ、私の初恋。

 

 

 

・9月20日(土)

 さよならした筈だったのに、望の付き添いで南中に行ったらまさかの再会。私の名前を呼んでくれただけで嬉しかったけど、彼は女の子と一緒だったみたい。

 昔のことを覚えてる私の方がおかしいくらいだし、嘘を吐いて二度目のお別れ。そんなつもりが、彼の口から出た幼稚園って単語を聞いて思わず振り返ってた。

 覚えてないけど探してくれた、今でも優しいままの彼に涙が出そうだった。

 いつか私のこと思い出して……って書いてたら葵君から連絡が着てビックリ! 今日みたく沢山話せるかな? 明日のボランティアが凄く楽しみになっちゃった♪

 

 

 

・9月21日(日)

 いつもと同じボランティアなのにとっても楽しかった! 桃さんと似て元気な梅ちゃん。器用な陶芸部の冬雪さん。ミズキのお兄さんの火水木君。皆とも仲良くなれたし、また来てくれると嬉しいな。

 でもまさか彼だけじゃなくて、水無月さんも屋代だったなんて……それも同じFハウスだしライバル出現っ? ……なんちゃって、私が勝てる筈ないよね。

 付き合ってはないみたいだけど、幼稚園に残ってる相合傘は覚えてるのかな。

 

 

 

・9月22日(月)

 やっぱり彼のことは忘れよう。私は幼稚園で会っただけの友達でいい。

 そう思って、陶芸部へ見学がてら会いに行ってきた。今の彼の居場所って感じがして、私の入る隙なんてない。何だか物凄く邪魔しちゃった気がする。

 答え合わせをして桜桃ジュースを差し入れたら帰るつもりだったのに、何であんなことしちゃったんだろ? 思い出すだけで恥ずかしくなる……私のバーカ!

 

 

 

 

 

・10月2日(木)

 昨日でテストも終わったからか、久し振りに彼がコンビニへ来てくれた!

 何か私に渡そうとしてたのは気のせい? ひょっとしてもう300円がチョコバナナって思い出してくれたとか? 色々期待しちゃうけど、陶芸部へ顔を出すのは避けたいし……また来てくれるかな?

 

 

 

・10月3日(金)

 葵君から映画のチケットを二枚貰った。それも前に話してた『彼女の名は』の格安な割引チケット。ミズキはホの字って茶化してたけど、まさかね。

 紹介がてら陶芸部を覗いたら、彼が水無月さんと楽しそうに卓球してた。あんなの見せられたら、とてもじゃないけどチケットなんて渡せない。

 私への接し方も何だかぎこちなかった気がする。バイトアピールしてコンビニで待ってたけど、今日に限って来てくれなかった……本当、馬鹿みたい。

 

 

 

・10月5日(日)

 諦めようとする度に何で会うんだろう……神様は凄く意地悪だ。

 映画館のトイレで会った桃さんは私に気付かなかったけど、昔と何も変わってなかった。まさかと思ったら、やっぱり彼も一緒。相変わらず仲良し姉弟みたい。

 でも私への接し方は例によって避けてる雰囲気。ミズキは気のせいだって言ってくれたけど……うん、全部元に戻――――(滲んで読めない字)

 

 

 

・10月6日(月)

 ミズキから明日良いことがあるって連絡。一体何だろう?

 

 

 

・10月7日(火)

 放課後のことを思い出すだけで、今でもまだ顔が熱くなるしドキドキする。

 彼が私に会いに来てくれただけでも嬉しかったのに、トランちゃんのストラップをプレゼントしてくれるなんて思いもしなかった。

 もう悩むのは止めよう。

 水無月さんが米倉君を好きかわからないけど、私は彼のことが好きだから。

 

 

 

・10月11日(土)

 米倉君に合わせる顔がなかったから、コンビニに来ちゃったらどうしようかと思ったけど余計な心配だったみたい。でもそれはそれで寂しいかも。

 

 

 

・10月18日(土)

 今週はムカデ競走の特訓とか、コンクールの練習で忙しくて大変だった。その分バイトを減らしたけど、私のいない間に会いに来てくれてたり……ないか。

 

 

 

 

 

・10月25日(土)

 今週も米倉君に会えなかった。我慢できずにメールを送っちゃおうかと思ったけど、ミズキから連絡。陶芸部のハロウィンパーティーに誘われちゃった♪

 

 

 

・10月29日(水)

 人生初のコスプレは悪魔っ子! でも露出が多くて、すっごく恥ずかしかった。本当はドラキュラが良かったな。そしたら米倉君のズボンが……って違う違う。

 帰り道も一緒だったから、久し振りにいっぱい話しちゃった。奢って貰った桜桃ジュースは、何か辛いことがあったら飲むことにして大事に保管中♪

 

 

 

・10月31日(金)

 ようやく体育祭。水無月さんと一緒に救護で待機してたら米倉君を発見。私の声で反応してくれたことに、ちょっぴり勝った気分だったりして。

 競技は葵君のムカデが凄く速かった! あとミズキは棒引きで暴れ過ぎ!

 帰りに偶然スタンド裏で米倉君と会ったけど、何か悩んでたみたい。まだ夏祭りのことは忘れたままだけど、今回は私が元気づける番だったね。

 

 

 

・11月15日(土)

 コンクールも終わってミズキに水無月さん、そして雪ちゃんと一緒にショッピング! 凄く楽しかったけど、水無月さん……うーん、やっぱり水無月さんだよね。

 

 

 

・11月29日(土)

 ここ最近米倉君とお喋りしてない……移動授業とかですれ違うことは何度かあったけど、コンビニでも会えないままテスト期間に入っちゃった。

 せめて同じハウスだったら……屋代にクラス替えがあれば良かったのに。

 

 

 

・12月13日(土)

 休日を挟んでのテストって嫌い。しかも残りは数学と英語。どっちも中間テストで失敗したから、期末は頑張らないとって思ったけど……数学わかんないよー。

 

 

 

 

 

・12月19日(金)

 ミズキからクリスマスパーティーのお知らせ! 闇鍋の具材はバナナで決まりとして、プレゼントは……どうしよう? 時間もあるし色々やってみようかな?

 

 

 

・12月22日(月)

 久し振りに米倉君がコンビニに来てくれた! まさか来てくれなかった理由が、金欠だったなんてね。桃さんとも一緒に、もっとお喋りしたかったけど残念。

 プレゼントのコン太君も完成。だいぶ慣れてきたし、本番いってみよう!

 

 

 

・12月24日(水)

 今日は陶芸部のクリスマスパーティー♪ 闇鍋なのに普通に美味しかったけど、バナナは黒くならなくて失敗。米倉君が食べてくれたのは嬉しかったかも。

 そしてプレゼント交換で貰ったのは米倉君のスノードーム! 凄い綺麗! オルゴール付き! 何度もひっくり返してたら、望に怒られちゃった(笑)

 猫の意味には気付いてくれなかったけど、まず先に夏祭りだもんね。

 

 

 

・12月25日(木)

 今日は音楽部のパーティー。面白かったけど、昨日のパーティーに比べると……ね。葵君は私がプレゼントしたコン太君、凄く気に入ってくれたみたい。

 陶芸部にも寄ろうか悩んだけど、良いお年をって言っちゃったし我慢我慢。

 

 

 

・12月31日(水)

 

 

 

 

 

 ――――日記帳には、待人来ると書かれた大吉のおみくじが挟まっていた。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の5章を楽しんでいただければ幸いです!


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5章:俺の友人が片想いだった件①
初日(火) 節分が「鬼は外っ!」だった件


 表があるから裏があり、内を作るから外が「鬼は外っ!」生まれる。

 哲学書や小説などで「鬼は外っ!」この手の話は割とよく見られ「鬼は外っ!」るが……すまない。雑学の途中だが少しばかり待ってほしい。

 

「鬼は外っ!」

「ええいっ! 鬱陶しいっ!」

 

 この俺、米倉櫻(よねくらさくら)に向けて一粒ずつ飛んでくる豆。投げられているならまだ良いが、デコピンの要領で勢いよく射出されているため普通に痛い。

 妹の米倉梅(よねくらうめ)が散らかした豆を回収もとい口へ放り込む。コイツは豆撒きを『合法的に傷害行為を行える行事』と勘違いしているんじゃないだろうか。

 

「あっ! お兄ちゃん、梅のお豆さん食べた~っ!」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ? それより早く豆撒きしようよ~」

 

 そう、世の中には記念日が山ほどある。

 例えば今日、2月3日が節分なのは誰もが知っている記念日だ。しかし大豆の日や乳酸菌の日、のり巻きの日でもあることを知る人は少ないだろう。

 こうした記念日は企業が制定したものだが、実は2025年以降は節分が2月2日になる年があったり「鬼は外っ!」……すまん。ちょっと豆撒いてくるわ。

 

「あんまり遠くに撒いちゃ駄目だからね」

「は~い!」

 

 母上の指示を受け、豆の入った箱を片手に玄関へ。流石にこの年になると鬼を相手に投げる様な真似はせず、家の庭と入り口周辺に軽く撒く程度だ。

 

「鬼は~外~っ!」

「福はー内ー」

「鬼ちゃ~ん外~っ!」

「ん?」

「まくの~うち~っ!」

「おい」

 

 梅の身体が∞の字を描く……が、何かメトロノームみたいだな。

 第二声が可愛くちゃん付けしたのか「お兄ちゃん外」と言ったのか疑惑の判定を残しつつ、玄関を終えるとリビングに戻り雨戸を開けてから庭へ豆を撒く。

 

「お庭~外~っ!」

「福はー内ー」

「とよの~さとっ!」

「どこの相撲取りだよ?」

 

 一通り撒き終えた後は、のんびりテレビを眺めつつ年の数だけ豆を食べる。

『では続いてのニュースです。東京ネズミースカイの合計来場者数が、ついに10億人を突破しました』

 

「はえ~。10億人だってお兄ちゃん」

「一円ずつ巻き上げたら10億円か」

「そんなこと考えるくらいなら、夢野さんとかミナちゃんデートに誘えば?」

「俺は梅とデートしたいな」

「うわ~。お兄ちゃんのそういうシスコンなところ見せられると、梅引くわ~」

 

 面倒な話題を掘り下げられる前に、適当な冗談で誤魔化しておく。姉貴と三人だったら喜んで行く癖に俺と二人は嫌だとか、地味に傷つくんだよな。

 そりゃ俺だって、できることなら夢野や阿久津と遊びに行きたい。しかし自分から言い出すなんて到底無理な話であり、所詮は夢の国だけに夢物語だ。

 

(火水木の奴が提案でもしてくれればな…………)

 

 思わず溜息を吐いていると、今いくつ豆を食べたのかわからなくなってしまった。まあ多分十五は超えているだろうし、この辺りで終わりにしていいだろう。

 さてさて、節分といえば忘れてはいけない恒例行事がもう一つあった。

 

「お兄ちゃん見てっ! これ凄いキモくないっ?」

「はいはい」

 

 豆を半分に割って中を見せてくる梅。本人曰く豆開きという儀式で、中身の気持ち悪さナンバーワンを決めるらしいが……うん、何やってんだコイツ。

 勿論もう一つの恒例とはこんな謎行事ではなく、キャッキャと豆割りに没頭している妹の前に母上が作った太巻きが運ばれる。

 

「あっ! そうだった!」

 

 例年なら米倉家の節分は豆撒きで終わりだが、今年は流行しているゴリ押しイベントに母上が乗せられた結果、恵方巻きが導入された。

 元々は大阪の風習であり知識は曖昧。梅に至っては恵方巻きを恵方撒きと、投げられた鬼がドン引きするようなイベントと勘違いしていたくらいである。

 

「美味しそ~っ! えっと、西北東を見ながら食べるんだっけ?」

「そんな方角はない」

「お母さん調べといたけど、今年は南南東微南だからこっちじゃないかしら」

 

 スマホを操作して確認した母上の指示に従い、俺と梅がくるりと方向転換。目の前にテーブルがあるのにそっぽを向くのは、何だか物凄く違和感がある。

 

「いっただっきま~す」

「ちょっと待て梅。食べてる間は喋っちゃ駄目だぞ」

「はえ? そ~なの?」

「確か口から福が逃げないようにするため……だったかな」

「了解っ!」

「「………………」」

 

 友人から聞いたうろ覚えの知識を伝えつつ、俺と梅が黙々と食事を開始。テレビのニュースだけが聞こえる中で、不意に玄関の鍵を開く音がした。

 

「ただいま。お? 恵方巻きか?」

「あらお父さん、お帰りなさい」

「「………………」」

「二人とも黙ってそっぽ向いて、どうしたんだ?」

「何でも恵方巻きを食べる間は話したら駄目で、食べる際に向く方向が決まってるんですって。今年は南南東微南らしいけど、お父さんも食べる?」

「せっかくだし貰おうかな……ん? でも南ってこっちだぞ」

「「………………」」

 

 母さんの指示した方角とは90度ずれた方向を父上が指さす。

 口から福が逃げないようにする筈が、危うく口から噴くところだった。

 

「あら本当」

 

 あのですね母上様、節分なんだし、まめに確認してくださいよ。

 既に半分ほど食べてしまっている俺と梅は、正しい方向へ黙って向きを変える。

 

「若干東や西にずれることもあるけど、基本的にベランダがある方角が南だよ。そうじゃないと北にベランダがあったら、洗濯物が乾かないだろう?」

「「………………」」

 

 確かに言われてみればそれもそうだ。

 ウンチクを語った後で、父さんも一緒に太巻きを口にする。すると丁度テレビでも節分特集になり、ニュースキャスターが豆撒きや恵方巻きの話を始めた。

 

『――――そういえば今年の方角は北北西ですが――――』

「「「………………」」」

「間違えちゃった。南ってこれ、去年だったわ」

 

 そんな一言を聞いた犠牲者三名は、黙って母上に背を向けるのだった。



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一日目(木) 俺と阿久津と夢野と満員電車だった件

 灰色の曇り空から、しんしんと舞い降りる白い結晶。

 本来一週間前に行われた節分はその名の通り、季節を分けるという意味の行事。しかし立春が過ぎたにも拘わらず、本日の天気は珍しいことに雪だった。

 そうなると当然いつも通りに自転車通学という訳にもいかない。気持ち的には翼を奪われた天使の気分……なんて、目の前に広がる美しい銀世界と合わせてロマンチックな表現をしてみる。

 

『ガチャ』

 

 家を出るなりイヤホンコードの絡みを解きつつ、MP3プレイヤーを操作しながら数歩歩き出した際に、はす向かいの家の扉が開く音がした。

 振り向いてみれば、仮に先程のイメージを話したら「天使? テントウムシの間違いじゃないかい?」なんてコメントを返しそうな幼馴染が傘を差している。

 

「よう」

「やあ。おはよう」

 

 外気に触れる素肌の面積を少しでも減らすため、手袋とマフラーだけではなく耳当ても付けている少女。ただしスカートの下から伸びる細い脚だけはコートでも守りきれず、黒タイツのみと防御が薄い。

 そんな阿久津水無月(あくつみなづき)が積雪の上を歩いてくる姿を眺めつつ、俺は耳に入れかけたイヤホンを外すとポケットに入れた。

 

「どうせ降るなら、祝日だった昨日に降ってほしかったよ」

「それはそれで路面凍結して、結局俺は電車登校だけどな」

「その電車がまともに動いているかどうかさ」

 

 家を出る前に確認した限り、遅延しているものの運休はしていない。そして屋代に繋がる五つの路線が一つでも動いている以上、休校しないのが俺達の高校だ。

 人の足跡や自転車が通った車輪の跡が残る道を、共に駅まで歩き始める。今日に限っては騒々しく起こしに来た妹に感謝すべきかもしれないな。

 

「しかしキミにしては、珍しく早い登校だね」

「入学当初はギリギリだったけど、夏休み以降はこんなもんだぞ?」

「へえ。ボクはてっきり雪に喜んで早起きしたのかと思ったよ」

「雪が降ってはしゃぐのは馬鹿と子供くらいだろ」

「どちらもキミじゃないか」

「ふぉっ?」

 

 効果音にしたらズコーっという昭和的ずっこけをしそうになるが、別に阿久津の発言に対してではなく単純に雪で滑ってコケかけた。

 中々に絶妙なタイミングだったためか、幼馴染は小さく笑う。どうせなら転んだ拍子にラッキースケベとか、そういう平成的ずっこけがしてみたい。

 

「全く、何をやっているんだかね」

 

 俺を見て一瞬足を止めはしたものの、先に歩き始めた少女の背中を追う。

 元旦に色々ありはしたが、阿久津との関係は全く変わっていない。

 

「………………」

 

 関係は変わっていないが、一つだけ変化したものがある。

 すれ違った人が思わず振り返る程だった、チャームポイントでもある少女の黒髪。あのまま伸ばしていたらスカート裾へ届いていた長髪が、今では鎖骨の下くらいにまでバッサリと切られていた。

 

(屋代に入学した時が、これくらいの長さだったっけな……)

 

 冬休みが明けて学校が始まり、陶芸室で顔を合わせた時には思わず目を丸くした。ひょっとしたら丸どころか、三角になっていたかもしれない。

 別に散髪くらい普通なら何てことない話だが、こと阿久津に限っては例外である。

 何故なら彼女が髪を切ったのは、実に六年振りのことだったのだから……。

 

「やっぱり遅れているようだね」

 

 駅に着くと傘の雪を払い、電光掲示板を見上げた阿久津が呟く。

 ホームに待機しているのはサラリーマンばかり。わかってはいたが普通の高校は休校らしく、こんな天気でも登校するのは屋代の生徒くらいか。

 だからこそ、一人ポツリと立っている女子高生は目に留まりやすかった。

 

「!」

 

 ショートポニーテールに髪を結び、前髪を桜の花びらヘアピンで留めた少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)はこちらに気付くと小さく手を振ってくる。

 出来る限り人の少ない車両に乗るためか、彼女はホームの端で電車を待っていた。

 

「おはよう米倉君、水無月さん」

「おっす」

「おはよう夢野君」

 

 会うのは久し振りだが、あの日以降もコンビニで何度か顔は合わせている。やはり女子高生故に脚が寒そうではあるものの、彼女はいつも通り可愛らしい笑顔を見せた。

 

「そういえばこのイヤーマフだけれど、先日友人にも褒められてね」

「本当っ? 良かった」

「今度また付き合ってくれないかい? 夢野君達の協力は本当に助かるよ」

「どう致しまして。じゃあミズキにも聞いておくね」

 

 会話から察するに、女性陣で出かけた際に買った物っぽいな。

 

「そういえばF―2に来た留学生はどんな感じなんだい?」

「うん。ケビンっていうカナダの子。でも日本語が全然話せないから、先生くらいしかコミュニケーション取れないんだよね。ミズキがコレジャナイって」

「ふむ。天海君らしいね」

 

 そりゃまあ留学生って言ったら「デース」とかいう美少女が定番だもんな。

 傍から見れば両手に花と思われるこの状況だが、実際には案外そうでもない。女子二人の会話に入るのは至難の業で、せいぜい適当に相槌を打つくらいだ。

 もっとも男一人に女二人という状況は、どこぞの腐女子が来る前の陶芸部で既に経験済み。こうなることは目に見えていたので、俺はホームに避難している鳩と戯れる。

 

「もうすぐ入試の時期だけれど、夢野君の妹はまだ中二だったかな」

「うん。あれ? 水無月さんって兄弟姉妹いるんだっけ?」

「いいや、ボクは一人っ子だよ」

 

 もう入試を受けてから一年が経つのか……何だかあっという間だったな。

 中学が帰宅部である俺は縁のある後輩もいないため、そんな話を聞いたところで思い浮かべるのは入試休みという恩恵くらいだ。

 しかも今年は木曜・金曜なので、土日と合わせて四連休。直前にある期末テストが連休を挟む形にならなくて本当に良かった。

 

「あ!」

「思ったより早かったね」

 

 間もなく一番線に電車が参りますと、ホームにアナウンスが鳴り響く。確かに阿久津の言う通り、この時間なら遅延証明も必要なさそうだ。

 雪の影響を受けてか、普段よりのんびりとした速度でやってくる電車。その窓は温度差で白く曇っており、中の人が鮨詰め状態なのを見てげんなりする。

 

「マジかよ……」

「マジだね」

「電車に乗り慣れてないと、こういうのって辛いよね」

 

 階段付近の車両に比べたらマシではあるが、夏コミが冬コミになった程度の違い。人がゴミのよう……じゃなくて人混みが苦手な俺は深々と溜息を吐いた。

 ドアが開くなり何人か降りた後で、電車に乗り込むと奥へ奥へと押し込まれる。網棚の上に寝転がれたら思う奴は、きっと俺以外にも多い筈だ。

 

「っ」

「ご、ごめんね米倉君」

「いや、大丈夫」

 

 そんな妄想に耽る余裕すらなく、ドアが閉まる直前で更なる猛プッシュ。連打とかして電車に人を多く乗せるゲームとかあったら、割と人気出そうな気がする。

 

『ぴとっ』

 

 当然と言えば当然だが、満員電車である以上は密着する。

 しかし今の季節は冬であり、服の枚数が多い上に生地が厚過ぎて感触は伝わらない。二の腕辺りに夢野の胸が触れているが、効果音は『むにっ』じゃなかった。

 

「………………」

 

 ただこれだけ距離が近いと、少しドキドキはする。カップルにおける理想の身長差は15㎝というが、阿久津とは5㎝、夢野とは10㎝差くらいだろうか。

 静かな電車内でこれといった会話もなく、地獄を耐え抜き屋代駅で降りる。学園まで歩きながら雑談する二人と昇降口で別れた後に、俺は心の中で声を大にして叫んだ。

 

(明後日のバレンタインの話はっ? 俺、誕生日なんだけどっ?)



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一日目(木) コードネームがリリスだった件

「毎日毎日、よく飽きずにやってるよな」

 

 日課の如くソーシャルゲーム『刀っ娘ラブ』に夢中な友人A、火水木明釷(ひみずき あきと)に尋ねると、年明けは太っていたが一ヶ月半でガリガリに戻った青年は眼鏡を光らせつつ応える。

 

「そう言われましても、拙者の生きがいですが何か」

「じゃあサービス終了したら死ぬのか」

「ちょまっ! ちゃんとヨンヨンは生き続けるお!」

 

 スマホを操作したガラオタが見せてきたのは、彼の愛する銀髪少女が踊る動画。本家ではなく有志によって3Dモデリングされたキャラは、中々に完成度が高く可愛いと思う。

 

「どう見ても天使です。本当にありがとうございました」

「こ、こういうのって凄いけど、作るの大変そうだね」

「拙者も最近3Dの勉強がてら導入してみたものの、スカートが暴走するわ色々とめりこむわで、現状パンツ眺めるくらいしか扱えてない件」

「そ、そうなんだ……」

 

 質問に対して反応しにくい返事をされた友人B、相変わらず男の娘っぽい相生葵(あいおいあおい)は、苦笑いを浮かべつつ弁当箱を片付け始める。

 席替えしても三人で昼飯を食べる習慣は変わらない。以前は席位置の関係から前にアキトで横が葵だったのが、今は前に葵で横がアキトになっただけだ。

 

「「……」」

 

 変化らしい変化としては傍に二人の無口女子グループがいるくらいだが、これといって関わることもない。まあパンツ発言してる会話に入られても困るけどな。

 他の男子連中は栄養補給を終えるなり、外で盛大にギャーギャー騒ぎながら雪合戦の真っ最中。そんないかにもな男子高校生を、葵がボーっと眺めていた。

 

「何なら混ざりに行ったらどうだ?」

「ぼ、僕、寒いの苦手だから」

 

 確かに葵は寒がりで、学ランの下に着ている大きめのセーターで掌を半分隠している。本人にそんな意図はないんだろうが、着方一つでも女々しいんだよな。

 

「な、何て言うか、皆元気で男っぽいなあって思って」

「男っぽいっつーよりか馬鹿っぽいけどな」

「あれはどちらかというと、男女云々以前に体育会系のノリな希ガス」

 

 確かに窓の外で暴れ回ってる奴らは、ほとんどが体育祭のリレーに出たメンバーか。

 そんな中で帰宅部の男、渡辺(わたなべ)は窓際で高みの見物……という訳でもなく、本当はアキトが椅子を借りてるため席に戻れないだけだったりする。

 

「俺達は別に運動部でもないし、そもそも遊びたい奴が遊べばいいんだよ」

「しかし相生氏は元運動部な件」

「ん? そうだったっけか?」

「う、うん。僕、元卓球部だから」

「あー」

 

 言われてみれば、ずっと前にそんな話を聞いた気がしないでもない。入学して早々の社交辞令みたいな感じだったから、すっかり記憶から消えていた。

 

「そ、そういえば、アキト君って中学は何部だったの?」

「拙者は科学部だお」

「科学とオタクって響きが似てるよな」

「突っ込んだら負けだと思ってる」

「さ、櫻君は?」

「俺は帰宅部だ」

「略してオタク部ですな。ブーメラン乙」

 

 …………殴りたい、このドヤ顔。

 俺達の話していた内容を聞いてか、傍にいた無口女子Aこと冬雪音穏(ふゆきねおん)がいつも通り眠そうな眼で、向かいに座る友人を眺めつつ尋ねる。

 

「……ルーは、中学も美術部?」

「ゅ」

「……私は帰宅部。入りたい部活が無かった」

 

 少なくとも俺には、向かいに座る女子の口から「ゅ」の一文字しか聞こえなかったが、冬雪の奴は読唇術かテレパシーでも使っているんだろうか。

 授業でも一部の先生が指名するのを躊躇い始めた編み込みの少女、如月閏(きさらぎうるう)はエロゲーの主人公(この表現をしたのはアキトである)みたいに前髪で目を隠しているため表情も読み取りにくい。

 

「!」

 

 おまけに男性恐怖症なのかと言わんばかりの怯えっぷり。軽く目があっただけでビクつかれると、こっちも結構凹むんだけどな。

 冬雪経由で仲良くなるなんて都合のいい話もなく、俺は席を立ち上がる。

 

「ちょっと飲み物買ってくるわ」

「あ、僕も」

「二人だけでは心もとなかろう。厠までなら拙者も付き合おうではないか」

 

 僕の分も……なんて頼みはせずに、一緒に来る辺りが葵らしい。要するにトイレに行くだけの癖に、ゲームでありそうな台詞を言う辺りがアキトらしい。

 厠という言葉に聴覚的なサブリミナル効果があったのかは不明だが、気付けば三人でトイレへ向かう。尚お決まりの如く、アキトは葵に女子トイレを奨めていた。

 

「あ、あのさ、二人に相談したいことがあるんだけど……」

「ん?」

「おk」

「そ、その、夢野さんのことで……どうすれば進展できるかなって……」

 

 用を足し終え、手を洗っているところで葵の口から思わぬ名前が出る。思わず驚きアキトを見るが、ガラオタは眉一つ動かさずに応えた。

 

「どしたん米倉氏?」

「え……いや、アキトも知ってたのか?」

「そりゃズッ友ですしおすし。というかそういう話なら、名前を呼んではいけないあの人にコードネームでも作った方が良さそうだお」

 

 どこのヴォル○モートだよ。

 よく葵もこんな奴に話したなと思いつつ、適当な呼称を考えてみる。

 

「た、例えば?」

「夢だしドリームとか……蕾って英語で何て言うんだ?」

「バッドですな。蕾的な意味でも悪い意味でも。英語とか単純過ぎな件」

「うーん……じ、じゃあ蕾って花の前だから、ハとナの前でノトとかどう?」

「能登って言ったら、隣の担任と勘違いされるぞ?」

 

 これがロリ教師とかならまだ良かったが、そんな教師がいる訳もない。

 トイレを出た後で昇降口横にある自動販売機に向かうと、俺は迷わず桜桃ジュースを購入しつつ提案した。

 

「それならハロウィンでコスプレしてたし、何か小悪魔的な名前はどうだ? デビルとか」

「ひ、響きがちょっと……悪魔って言うと、サタンも悪魔だよね?」

「インプもだな」

「サたん萌えー……って米倉氏、今インポって言った?」

「制裁っ!」

「ちょまっ?」

 

 ヨーグルト系飲料を買おうとしたアキトの横から、桜桃ジュースのボタンを押してやった。嫌なら俺が貰うつもりだったが、まあいいやと納得した様子である。

 

「デビルもサタンもインプも、小悪魔的な意味にはならない件。ここは夢の悪魔と書いて、夢魔なんてピッタリなのでは?」

「それエロいやつだろ? サキュバス的な」

「現にあのコスプレはエロかったですしおすし。夢の悪魔が駄目なら逆に悪魔の夢と書いて悪夢、ナイトメアなんてのも恰好良いお」

「厨二臭いから却下」

 

 葵がカフェオレを買っても教室には戻らず、自販機の前で飲みながら話し合う。

 メアリーだの、こぁだの、セイレーンだの、様々な候補が上がるが中々に決まらない。仕舞いには悪魔から堕天使に変わり、アザゼルなんてあざとそうな名前まで出てきた。

 

「それにしてもこの米倉氏、却下し過ぎである」

「お前もだろっ!」

「も、もう適当な悪魔の名前でいいんじゃないかな?」

「さいですか。じゃあフンババで」

「「却下」」

「冗談ですしおすし。響き的には、リリス辺りが無難と思われ」

 

 それもサキュバスの一種だろと突っ込みそうになったが、まあ所詮は呼び方なので否定はしない。葵も納得した様子で、ようやく話が先へと進んだ。

 

「とりま、相生氏の現状報告キボンヌ」

「えっ? う、うん。えっと、部活では話すようになってきたんだけど、ただの友達としてしか見られてない感じ……なのかな?」

「遭遇イベでの好感度上げが充分なら、次はお出掛けイベを発生させるべきだお」

「お、お出掛けって、僕とゆ……リリスさんの二人で?」

「それはハードル高過ぎな件。天海氏という便利キャラもいることですし、パーティーをやった時のノリでどこぞに遊びに行く感じですな」

 

 ギャルゲーで培ったと思われる知識を語るアキト。まるでどこぞの落とし神だな。

 

「天海氏の性格を考えれば動くのは入試休み。拙者の方も情報を入手したら早目に報告するので、それまでは今まで同様に好感度上げでヨロ」

「そ、そのこともなんだけど……話すって、どんな話すればいいのかな?」

「基本的には聞くスタンスでおkだお。話題的にはリリスはバイトなり、ボランティアしてるのでその辺りから責めてみて――――」

 

 妙に的確なガラオタのアドバイスを、真摯に聞いて頷く葵。気付けば助言する側だった筈の俺まで、聞き手の立場になっていた。

 

「――――とまあ、拙者からこんなものですが米倉氏的には?」

「ん? あ、ああ……そうだな。今日は雪だから、ゆ……リリスも自転車じゃなくて徒歩だろ? 一緒に帰ったりしたらどうだ?」

「ナイスアイデアキタコレ」

「う、うん。そうしてみるね。二人とも、ありがとう!」

 

 …………葵がアキトに相談したのは正解だったな。

 ガラオタの眼鏡が光る一方で大した助言もできなかった俺は。友人二人の背中を追うようにして教室へと戻るのだった。



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一日目(木) 雪で喜ぶのは馬鹿と子供だった件

 毎度おなじみ、放課後の陶芸部。

 水が冷たい冬は陶芸をすることも少なく、部室に集まってはトランプなり雑談なり勉強をする毎日だが、今日の活動はそのいずれでもない。

 

「雪ー雪ーっ!」

 

 火水木天海(ひみずきあまみ)、ちちうしポ○モン。楽器を奏でるのが得意で、その音色にはインド象も感動する。表面は普通だが、中身は腐っている。声がでかい。

 

「ありのーままのーっ♪」

 

 窓の外で雪に喜び、眼鏡少女は盛大に踊り出す。仮に映画にするなら『馬鹿と雪の女王』ってとこだが、アイツ俺より頭良いんだよな。

 草・格闘タイプで氷弱点の癖に、何でそんな元気なのか……きっと特性で『あついしぼう』があるに違いない。まあ流石にこれを口にしたら殺されるけど。

 

「……」

 

 その傍らでは火水木の発言をユッキーと誤認識し、ちょくちょく反応している冬雪の姿。岩・氷タイプだけあって寒さには強く、雪を見て創作意欲が湧いたのか少女は何かを作り始めていた。勿論特性は『テクニシャン』だろう。

 

「ネックもツッキーも早く来なさいよーっ!」

「ほら、呼ばれてるぞ」

「キミは行かないのかい?」

「悪いが俺は雪アレルギーなんだ。触ったら死ぬ」

「それなら今すぐ雪を持ってこよう」

 

 …………悪・毒タイプで氷等倍なコイツの特性は『どくのトゲ』だな。

 実際には口だけで席を立つこともなく、阿久津は数学の問題集を淡々と解く。俺はその向かいでプリントへ赤シートをかざし、百人一首の上の句と下の句を確認中。二学期の期末は全体的に失敗したので、三学期で取り返す必要があった。

 

「キミはこたつで丸くなるより、喜んで庭を駆け回るタイプだと思ったけれどね」

「俺は犬でも猫でもないっての。ちなみにそれ、二番の歌詞な」

「一番はどんな歌詞なんだい?」

「桃はこたつで庭駆け回り、梅はお庭でとよのさと」

「どこの相撲取りかな?」

 

 うん、やっぱそう反応するよな。

 正しい歌詞は忘れたので適当に応えたが、姉貴が亀みたいにこたつを背負いながら庭を駆け回る姿を想像し不覚にも自爆してしまった。

 

「今度はいきなり噴き出して、気味が悪いね。何か悪い物でも食べたのかい? 幼い頃は雪を見たら、バクバクと片っ端から食べていたじゃないか」

「そのガキの頃に食べてた雪の方が、身体に悪い物だけどな」

 

 そう考えると、子供ってのは実に純粋だ。大人になると本当は汚いとか余計な知識を身に着ける訳だが、そんなの言われなきゃ気付かないだろうに。

 

「ちょっと、聞こえてないのー?」

 

 外から火水木が雪玉を片手に戻ってきた。そんな心配しなくてもお前のでかい声はガラス越しでも充分通ってるし、下手したら四階の音楽室にまで届いてるぞ。

 

「すまない。キリの良いところまで待ってくれないかい?」

「つーかお前、素手で雪持って寒くないのかよ?」

「平気平気! ケビンなんて半袖だったわよ?」

「マジでか」

「カナダの冬に比べたら、日本の冬は暖かいだろうからね」

「そんなことより雪よ雪! 勉強はいつでもできるけど、雪遊びは今だけ! 皆で雪合戦したり雪だるまとかカマクラ作ったりするわよ!」

 

 雪一つにここまでウキウキって、どんだけ子供なんだよお前。

 前が見えないくらいに眼鏡が曇っている火水木を眺めていると、阿久津は問題集を閉じるなり引き出しの中から取り出した軍手をはめて立ち上がる。

 

「まあ息抜き程度なら付き合うよ」

「おう。頑張ってこい」

「アンタも!」

「冷たっ!」

 

 有無を言わさず手首を掴まれると、軍手も用意させてもらえないまま引っ張られて外へ強制連行された。

 

「ユッキー、雪合戦するわよ!」

「……(コクリ)」

 

 一瞬ユッキー合戦と聞き間違えたのは内緒。冬雪だるまなら作れるかもな。

 ボブカットに雪を乗せた少女が作業を中断し、チーム分けを始める。

 

「行くわよ? グーチョー分かれっこ! って、ユッキーもツッキーもどうしたのよ?」

「出すタイミングが分からなくてね」

「……チョキ?」

「分かれる際の掛け声の地域差って激しいよな」

 

 俺はアキトがいるのでグーチョーは経験済みだったが、それでも最初は二人と同じ反応だった。グーパーと意見が分かれるけど、チョキパーってレアだよな。

 

「そういえばアタシのクラスにも何人かいたわね。ユッキーの所の掛け声は?」

「……グっとパーの分かれっこ」

「ツッキー達は?」

 

 

 

「「グーパーグーパーグゥーパァ!」」

 

 

 

「へ? も、もう一回言ってくんない?」

「グーパーグーパーグゥーパァだね」

「ああ、グーパーグーパーグゥーパァだな」

「ぶっ……あっはっはっは! 何それっ?」

 

 阿久津と共に応えてみたが、火水木が声を上げて爆笑する。何となくそんな気はしていたが、やっぱ兄妹だけあって反応が全く同じだった。

 もっとも隣では冬雪も小さく笑っているので、別に彼女を咎めるつもりはない。

 

「ど、どうしたんだい?」

「だってグーパー言い過ぎでしょそれ」

「うちのクラスの男子連中と同じ感想だな。覚えておけ阿久津。どうやら俺達黒谷民の掛け声は相当おかしいらしいぞ」

「そんなにおかしいのかい?」

「八頭身になったドラ○もんくらいにおかしい」

 

 困惑した表情を浮かべる阿久津だが、その気持ちは物凄くわかる。別に郷土愛じゃないけど、親しんできたものが否定されるのは何か辛いよな。

 結局グーチョーで何度か手を出し合った結果、チーム・ヨネオンVSチーム・ヅキズキとの対戦が決定。俺のパートナーは冬雪だが……大丈夫なんだろうか。

 

「ルールはどうするんだい?」

「簡単よ。顔面に当たったら死亡ね」

「死亡って子供かよ」

 

 そもそも学生の雪合戦ってキャッキャウフフしながら楽しむもんだろ。チーム分けとかルールとか決める時点で、色々おかしいんじゃないか?

 公式の競技ですら身体の一部に当たったらアウトにも拘わらず、顔面以外セーフという逆ドッヂボール状態で問答無用に試合が始まった。

 

「喰らいなさいっ!」

「……死んだ」

「冬雪ぃーっ?」

 

 そして開幕早々、相棒がヘッドショットされた。

 

「ふっふっふ。これで残り一人ね」

「そういえば聞くのを忘れていたけれど、石を入れるのはどうなんだい?」

「何故このタイミングで聞いたっ?」

 

 殺る気満々じゃないっすか阿久津さん。いやマジ勘弁して下さいよ。

 当然禁止と応える火水木にホッとしつつ、教員用の駐車場方面へ逃走。このまま真っ向勝負をしても二人に勝てる訳がないので、車の陰に隠れつつ機をうかがう。

 

「アタシの眼力(インサイト)にかかれば、アンタの隠れ場所なんてスケスケよっ!」

 

 …………そりゃ雪に足跡残ってるもんな。

 雪玉を空へ投げた後で、正面にも投げつつ素早く移動。二方向からの攻撃に当たってくれれば儲けものだが、そんな上手い話はなく二人は軽々と避けた。

 

「どこへ行こうというんだい?」

「どこの大佐だよお前は」

 

 最早雪合戦じゃなくて、一方的な狩りになっている気がしないでもない。チラリと冬雪を見ると、再び雪像制作に勤しんでるし……わざと死んだのかアイツ?

 

「潔く負けを認めなさい」

「まるで追い詰められたネズミだね」

 

 そっちが悪役めいた台詞ばかり並べてくるなら、こっちも正義を気取ってやる。

 再び雪玉を空へ投げた俺は、堂々と二人の正面に姿を現した。

 

「ようお前ら」

 

 決め台詞の途中なのに、すかさず振りかぶる二人。スポーツ漫画とかあるあるだけど、やっぱ時でも止めない限りこういうのは無理っぽいな。

 

「窮鼠猫を「冷たっ? ちょっ! 背中入ったっ!」だぜ」

 

 …………やられるなら大人しくやられろよ。

 せっかくの決め台詞が火水木の断末魔にかき消される。RPGの勇者だって「トドメだ魔王! 必殺『ウボァァァ!』剣ーっ!」とかなったら嫌だろ。

 

「やられたね……」

 

 頭の上に乗った雪を払いつつ、阿久津が小さく呟く。

 少女達の投擲より早く二人の頭上に雪が落下した理由は、俺が雪玉を電線に当てることで積もっていた少量の雪を落としたから。実に完璧な作戦勝ちだ。

 

「見たか? 正義は勝つ! 俺の勝ウボェッ! ぺっぺっ! 何すんだよっ?」

「何かイラっときたからつい」

「奇遇だね。ボクもだよ」

「理不尽っ!」

 

 そのまま二回戦が行われることはなく、平和な雪だるま作りへと移行する。ちなみに冬雪は雪像作りに夢中なので、雪だるまは俺達三人で作ることになった。

 

「とりあえずアタシとツッキーで身体作るから、ネックは首作りなさい」

「首って何だよっ?」

「あ……顔よ顔っ! 間違えたことくらい察しなさい」

 

 首は首でも雪だるまに付けられる首なーんだ。答えはちく……おっと、誰か来たようだ。

 小さく固めた雪玉を転がすと、少しずつサイズが大きくなっていく。しかしこうして阿久津と雪遊びをしていると、何だか昔を思い出してくるな。



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一日目(木) 始まりは些細な一言だった件

 ――ケンちゃんの作文――

 

 ある日、ケンちゃんの学校で作文の宿題が出ました。

 ケンちゃんはお母さんに作文を手伝ってもらおうと「お母さん、作文手伝ってよ」とせがみましたが「後でね」と言われました。

 なので作文に「後でね」と書いておきました。

 

 次はお父さんに「お父さん、作文って知ってる?」と問うと「おう。あったりめぇじゃねぇか」と威勢の良い答えが返ってきました。

 なので作文に「おう。あったりめぇじゃねぇか」と書いておきました。

 

 今度は誰に聞こうか悩んでいると、弟がアンパンマ○のビデオを見て「アンパ○マーン」と興奮していました。

 なので作文に「ア○パンマーン」と書いておきました。

 

 するとお兄ちゃんが帰って来たので「お兄ちゃん、作文教えて」と言いましたが、お兄ちゃんは電話中で「バイクで行くぜ!」と友達に話していました。

 なので作文に「バイクで行くぜ!」と書いておきました。

 

 

 

 次の日は作文の発表でした。

「ではケンジ君。作文を読んでみてください」

「後でね」

「ふざけているんですか?」

「おう。あったりめぇじゃねぇか」

「先生を誰だと思っているんですっ?」

「ア○パンマーン」

「後で職員室に来なさいっ!」

「バイクで行くぜ!」

 

 

 

 時期は小学四年生の二月末。この頃になってくると割と記憶も残っており、こんな創作話を誰もが語っていたのを覚えている。

 話し手によっては「学校が終わったらお家に伺います」からの「クッキー焼いて待ってるわ」と返す姉も登場するが、ビデオという辺りが地味に懐かしい。

 

「何度聞いても面白いね」

 

 そんな話をリクエストした幼馴染は、笑い過ぎて出た涙を拭う。

 髪はベリーショートで、隣にいる少年……いや、昔の俺より少し背は高い。当時も今も身長は平均程度だが、成長期の関係上この時期は女子の方が大きいものだ。

 

「みなにも教えてやるよ。お母さんが後でねで、お父さんが――――」

 

 雪玉を一緒に転がしながら、俺は偉そうに阿久津へ語る。真面目に聞く少女と復唱しながら、程良い大きさになったところで手を止めた。

 

「そろそろいいか。せーので持ち上げるぞ?」

「そっちは大丈夫かい?」

「ああ」

「「せーのっ!」」

 

 我が家の前に置いていた胴体の上へ、力を合わせて作った顔を乗せる。完成した雪だるまを前に、俺は阿久津とハイタッチを交わした。

 側面に枝を刺して顔に石を嵌め込み、頭にバケツをかぶせて完成。昨年は姉貴や梅と一緒に作ったが、確かこの年は姉貴が中学に進学し梅は風邪を引いていた。

 

「次はかまくら作ろうぜ!」

「構わないよ」

「じゃあ、みなの家の前に雪運ぶぞ!」

「ここでいいのかい?」

「おう! 集めるのは綺麗な雪だけな!」

 

 かまくらと言えば綺麗な白色であり、積もった雪の最下層にあるコンクリートが混じった雪や汚れた雪は集めたくない。

 これといった道具も使わずに手で雪を運び始めると、程なくして我が家のドアが開き母さんが顔を出した。

 

「櫻ー。ケンジ君から電話よー」

「はーい。ちょっと行ってくる」

 

 ちなみにケンジは冒頭の作文と一切関係ない、俺と阿久津の遊び友達だ。中学三年間で一度も同じクラスにならず、自然と関わりはなくなってしまったが……まあ、いい奴だった気がする。

 家に戻るとリビングでは延々と流れる保留中のメロディー。携帯のない頃はこうやって相手の家に電話を掛けていたが、今になって思うと物凄く懐かしい。

 

「もしもし?」

「サクラー? 今から遊ばねー?」

「今みなと一緒にかまくら作ってるから、ケンジも来いよ」

「まじで? 行く行く! あ! ユウキも呼んでいい?」

「おう!」

 

 学校が終わった後でも「帰ったら○○公園な」と集合して遊ぶ、小学生のフットワークの軽いこと軽いこと。何だかあの頃に戻りたくなってきた。

 阿久津に事後承諾を得た後で、少しすると二人が到着する。

 

「「おっす」」

「よう」

「やあ」

 

 小三の頃は男友達に交じれば少年と見られていた幼馴染も、最近は周囲の男子が声変わりし始めた影響で少し目立つようになってきた。

 結局その日は四人でかまくらを作っていたが、雪を山のように集めたところで門限になり中断。明日学校が終わったら穴を掘ろうと約束し解散する。

 ――――そして雪が止んだ翌朝。

 ランドセルを背負って家を出ると、そこにはスコップを手にした大人達がいた。

 

「お母さん、何してるの?」

「この道を通る人が滑らないように、雪かきしてるのよ」

「ふーん…………あぁっ!」

 

 キョトンとしながら母親を眺めていたが、あることに気付き大声を上げた。

 マンホールの上に雪を乗せて溶かしていた大人達。しかしそれで全てを処理できる筈もなく、残った雪は必然的に邪魔にならない道の脇へ集める。

 その結果、阿久津家の前に作ったかまくらへ汚れた雪が乗せられていた。

 

「昨日櫻達が雪かきしてくれたお陰で……って、どうしたの櫻?」

「ここに汚い雪乗せたの誰っ?」

「どうかしたのかい?」

 

 何も知らなかったらしい阿久津の父親が、不思議そうに首を傾げる。

 

「かまくらだよ! みな達と作ろうとしたのに…………」

「んん? この雪じゃ駄目なのかい?」

「綺麗な雪だけで作りたかったの!」

「まあまあ、かまくらはまた今度作ればいいじゃない。すいません阿久津さん」

「いえいえ。ごめんな櫻君。おじさん、知らなかったんだよ」

「行ってきます」

 

 やり場のない怒りに黙り込んでいると、ドアの開く音と共に黄色い通学帽子をかぶりランドセルを背負った幼馴染が現れる。

 汚されたかまくらを見て立ち尽くす少女と、そんな娘へ必死に謝る父親。阿久津もまたショックだったのか、一切口を開くことはなく俺達は学校へ向かった。

 

「…………ボクの父さんが申し訳ない」

 

 一列になった通学班で雪道を歩きながら、阿久津が静かに口を開く。本人は至って真面目だったが、今になって思い返せば正直言って笑える発言だ。

 まあ水をかけて固めもしなければ塩を使いもせず、ただ単に雪を積んでから穴を掘るつもりだったので、あのまま続けていても失敗した可能性は高い。

 

「みなは別に悪くないって。また今度作ればいいだろ?」

「ありがとう。ケンジとユウキにはボクが謝っておくよ」

「俺も一緒に謝るって」

 

 来年も再来年も、そのまた次の年も黒谷町に雪が積もる日は訪れる。

 しかし、また今度があるとは限らなかった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「よねー、大丈夫かー?」

「ああ。もう平気だ」

 

 給食からの昼休みを終えて、階段の踊り場を掃除中。何を心配されているのかと言えば、昼休みにドッヂボールで顔面HITし鼻血を出した一件についてだ。

 

「しっかし、水無月のボール凄かったよな」

「名前付けようぜー? エターナルフォースブリザードってのはー?」

「ディアボリック・デスバーストの方が恰好良いって!」

「ル・ラーダ・フォルオルだろ!」

 

 止めてくれお前ら。その技は俺に効く。

 

「それにしても櫻と水無月って、本当仲良いよな」

「ん?」

「あー、おれも思ったー」

「そりゃまあ、近所に住んでるし」

 

 こんな話になった理由は、阿久津と一緒に保健室へ行ったからだろう。

 もっともそれは投げた張本人である少女が謝罪の意を込めてのこと。優しいだけで弱かった小三の頃ならいざ知らず、今の俺は鼻血くらいで泣きはしない。

 

「いやー、仲良すぎだってー」

「ひょっとして水無月、櫻のことが好きなんじゃね?」

「!」

「なーなー、よねはどうなんだよー?」

「ラブラブか? 櫻と水無月ラーブラブ!」

 

 友人が口にした、小学生にありがちな発言。中学生になっても囃し立てるような奴はいるが、それを受け流せるくらい人間のできた子供なんて早々いない。

 だからこそ俺もまた、そのおちょくりに対して過剰に反応してしまった。

 

 

 

「別に俺、みなのことなんて好きじゃねーし! あんな男っぽい女!」

 

 

 

 …………偶然だった。

 教室掃除をしている彼女が、こんな場所にいる筈はない。

 しかし少女は……阿久津水無月は階段の上に立っていた。

 

「!」

 

 ゴミ出しに行く途中だったのだろう。

 大きな袋を抱えた幼馴染は、足を止めたまま動かない。

 階段を下りることもなく、ただ呆然と立ち尽くす。

 

「………………」

 

 その時の表情は今でも忘れない。

 黙って俺を見つめる少女は、かまくらの時よりもショックを受けていた。

 そりゃそうだ。

 何故なら阿久津は俺のために髪を切り、男らしくなったのだから。

 

「っ」

 

 気が付けば無意識に階段を駆け下り、その場から逃げ出していた。

 そう、全ての始まりは照れ隠しによる些細な一言だった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「――――ック、ちょっとネックってば!」

「…………ん?」

「何ボーっとしてんのよ? さっさと戻ってきなさい!」

 

 遠くから呼ぶ声に我へと返る。

 気が付けば随分と駐車場の奥まで来ていたらしい。作っていた雪玉を転がしながら陶芸室前まで戻ると、火水木は深々と溜息を吐いた。

 

「はあ……ネック顔でかすぎでしょ」

「俺の顔がでかいみたいな言い方するなよ」

「アンタだって前に映画館で、アタシに同じようなこと言ったじゃない」

 

 そういやそんなことあったな。まだ覚えてたのかよコイツ。

 とりあえずボーっとしながら作っていた結果、雪玉は火水木の指摘通り思った以上の大きさへ。ぶっちゃけこれは顔というより胴体サイズだ。

 

「ん? 何でお前ら、胴体二つ作ったんだ?」

「ツッキーがアタシの話を聞いてなかったみたいで、何か作っちゃったのよ」

「すまない。少し考え事をしていてね」

 

 阿久津が人の話を聞かないなんて珍しいな。今日は雪でも……降ってたわ。

 体調でも悪いのかと思ったが別にいつもと変わらない様子だし、百人一首の暗唱でもしながら雪玉を転がしていたのだろうか。

 

「それで、どうすんだこれ?」

「勿論積み上げるわよ? 三頭身の雪だるまでもいいじゃない」

 

 まあ日本の雪だるまは達磨(だるま)がモデルだから二頭身だが、外国のスノーマンは頭・胴体・足を表現するために三頭身らしいし問題ないか。

 俺達三人が作った雪玉は同じくらいの大きさだったので、協力して縦に三つ並べる。雪だるまというより串団子だが、装飾で何とかなるだろう。

 

「……できた」

「ん?」

 

 木の枝なりを刺して完成したところで、冬雪の雪像もできたらしい。降りかかる雪のせいで作業が難航していたようだが、一体何を作ったのやら。

 

「お、おお?」

「和洋折衷だね」

「ユ、ユッキー。これって……」

「……雪だるま」

「「「いやいや」」」

 

 違う、そうじゃないとばかりに三人で首を横に振る。

 本来の意味での雪だるま……要するに雪でリアルな達磨(だるま)を作った少女は、不思議そうに首を傾げた後で手をポンと叩いた。

 

「……目も入れとく?」

「ちょっ? 怖っ! ユッキーそれ怪しすぎだからっ!」

 

 完成品の不気味具合に突っ込む火水木。これでズッコケてくれたら『だるまさんがころんだ』ならぬ『だるまさんでころんだ』だったんだけどな。

 一通り雪遊びを終えた俺達は、霜焼けで真っ赤になった手をストーブで温めてから帰路へ着く。帰りの電車も阿久津と一緒だったが出てくる話題はテストの話ばかりで、今日は最後までバレンタインのバの字も出てこなかった。



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二日目(金) 心も鍵も簡単には開かないものだった件

 二月十四日が土曜や日曜といった休日である場合、俺達高校生にとって直前の金曜や直後の月曜が禁断のXデーとなるのは言うまでもない。

 しかし今年は幸か不幸か模試があるため、明日は土曜にも拘わらず登校日。そのため今日は実に平和な十三日の金曜日を迎えていた。

 

「……ヨネ」

「ん?」

 

 昼食に買ったコスパの良いスティックパンを早々に食べ終え、アキトのコンビニ弁当と葵家の手作り弁当をボーっと眺めていると、冬雪から声を掛けられる。

 教室で話しかけてくる機会は相変わらず少ないので珍しい。ついでに言えば普段は弁当なのに、今日は持ってくるのを忘れたのか購買のパンを食べていた。

 

「……これ、外せる?」

「外せって、どこをだよ?」

 

 てっきり知恵の輪でも出してくるのかと思いきや、差し出されたのは電子辞書。外す場所なんて電池の蓋くらいしかない文明の利器だが、中を開いて理解する。

 

『暗証番号を入れてください』

 

「ああ、つまりロックを外せと?」

「……(コクリ)」

「何で俺に頼むんだ?」

「……数学得意だから?」

 

 疑問に疑問で返さないでほしい。パンを抱えつつ首を傾げる姿が可愛いから許すけど、同じポーズを横にいるガラオタがやったら眼鏡をカチ割るところだ。

 そもそも解錠に数学は関係なく、わかるのは0000~9999まで一万通りあることくらい。とりあえず適当に入力してみるが、当然解除される筈もなかった。

 

「冬雪の誕生日は?」

「……二月十八日」

「へー。もうすぐか」

 

 0218を入力してみるもハズレ……ってか俺の誕生日と四日違いなんだな。

 

「……何で誕生日?」

「暗証番号に自分の誕生日って定番だろ?」

「……それ、私のじゃない」

「ん? じゃあ誰のだ?」

「……ルー」

 

 名前を呼ばれた編み込み少女は、ビクッとした後で顔を背ける。冬雪は普通に手渡してきたが、俺はこの電子辞書に触れて大丈夫なんだろうか。

 如月とは行動を共にする用事が今日の放課後にあったりするが、こんな調子では不安しかない。鍵を開けるついでに心も開いてくれないかなマジで。

 

「それなら如月さんの誕生日は……って、もう試してるか」

「……試してない」

「試してないのかよっ!」

 

 普通は真っ先に試すと思うんだが、匠の思考はいまいちわからない。

 ちなみに脳内では如月呼ばわりしているが、実際に声を掛ける場合は当然さん付け。これは陶芸部入部前の冬雪に対しても同じであり、クラスにいる女子は例外なく全員を苗字+さんの形で呼んでいる。

 これは他の男子連中も同じであり、C―3には火水木みたいな呼び捨てしやすいタイプの女子はいない。あだ名呼びくらいなら一応いるけどな。

 

「えっと、何月何日なんだ?」

「……十月二日」

「如月でも閏でもないと突っ込んだら負けだと思ってる。ごちです」

 

 弁当を食べ終えたアキトが、俺の心の声を代弁し小さく呟く。まあ二月二十九日に生まれる確率なんて約0.07%だし、如月ってのは苗字だからな。

 早速1002と打ち込んでみたもののロックは外れず。一応0229も試してみたが、これまた『暗証番号が違います』の一点張りだった。

 

「仕方ないな。最終手段を使うか」

「……分解する?」

「俺が分解した電子辞書を直せるように見えるか?」

「……数学得意だから」

「関係ねーよっ!」

 

 冬雪とって数学が得意な人間って何なんだよ。神なのか?

 

「アキト、お前の力を見せてやれ」

「ちょま。拙者に何をしろと?」

「ハッキングとかピッキングとか専門分野だろ? 怪しげな端子で電子辞書とパソコンを接続して、パスワードを読み取るみたいな感じでさ」

「あるあ……ねーよ。その手のパスを忘れた場合は、保証書添えてメーカーの修理相談窓口的な場所に送れば手数料支払って解除して貰えた希ガス」

 

 至って普通なアキトのコメントに対して、無口女子二人は乗り気ではない様子。まあそこまでするのは正直面倒だし、躊躇う理由は何となくわかる。

 

「ノブ……店長に頼めたりしないか?」

「店長はそんな万能戦士じゃない件。それに聞いたところで『修理するくらいなら買う方が得だ』とかコメント返されるだけですしおすし」

「誰が買うんだよ?」

「そりゃまあ、米倉氏が」

「何でだよっ?」

「数学得意だかラビィッ!」

 

 右手で素早く額を掴みアイアンクロー。頭の良さが俺と同程度の冬雪が発言する分には許せるが、成績優秀者のガラオタてめーは駄目だ。

 スーパーハカーでも何でもない友人は当てにならないので、少し考えて計算してみる。一パターン試すのに6秒掛かるとして……大体17時間くらいか。

 

「俺が預かってもいいなら、全パターン試して開けておくぞ?」

「……それはヨネが大変」

「いや、俺こういうの好きだからさ。それに退屈な授業の暇潰しにもなるし。多分一週間か二週間は掛かると思うから、テストに間に合うか微妙だけどな」

「流石は米倉氏。ゲームのレベルを99まで上げるだけじゃなく、ステータスカンストとかアイテムコンプまでするやり込みプレイヤーマジぱねぇっす」

「……ルー、どうする?」

 

 冬雪の問いに対して、如月はコクコクと首を縦に振る。揺れた髪の隙間から僅かに顔が見えるが、冬雪レベルには可愛いと思うんだよな。

 

「……お願いするって。ヨネ、ありがとう」

「あいよ」

「……後で何かお礼する」

「それなら拙者、冬雪氏の手作りチョこれ以上は関節が曲がらないぃっ!」

「アホなこと言おうとするからだ」

 

 別に見返りを求めたつもりはなかったが、お礼してくれると言うならありがたくいただこう。しかし女子のこういう一言って、色々妄想が膨らむから困るよな。

 煩悩を払いつつ早速0000から入力を開始。少しして葵が昼飯を食べ終えると、スマホもといヨンヨンを弄っていたアキトが一旦手を止めて顔を上げた。

 

「相生氏の準備もできたことだし、リリスのドロップについて定例会を始めるお」

「リ、リリスのドロップっていうと、死海のレクイエムとか?」

「俺は試練の山でアラーム使って銀のリンゴ集めのイメージだな」

「それにしてもこの二人、完全なゲーム脳である」

 

 刀っ娘ラブのバレンタインイベントに全力を注いだ結果、目の下にクマを作っているお前にだけは言われたくない。

 リリスをドロップ=夢野を落とすという意味に、少しして葵が気付いた様子。こういう言い方をされたら、確かにゲームの話にしか聞こえないな。

 

「とりあえず昨日の成果の詳細キボンヌ」

「う、うん。えっと……エ、エンカウントして仲間に加えたんだけど……フ、フンババも一緒だったから、あんまり話は……あっ! でも次の日曜にボラ……イベントがあるみたいだから、僕も行こうと思うんだ」

「さいですか」

 

 必死に言葉を選びながら語る葵だが、ジャンルが恋愛シミュレーションゲームから完全にRPG路線へ移っている気がしないでもない。

 パッと思い付いたからなのか、はたまたフンババって感じなのか。いずれにしても昨日は夢野の友人(※フンババ)と三人での下校だったようだ。

 

「拙者の方は、オススメの狩り場が大体判明した件」

 

 アキトが俺と葵にスマホの画面を見せてくる。普段ならゲーム画面なり動画を見せられるところだが、今回はメール作成画面だった。

 

『入試休みは東京ネズミースカイ』

 

 そこに表示されているのは簡素な一文。しかしそれがキーパーソン火水木の計画だということは、俺も葵もすぐに理解し首を縦に振る。

 

「パーティーメンバーは恐らくクリスマスイベと変わりなしだお。来たるランク戦に備えて、作戦的には本日も『ガンガンいこうぜ』ですな」

「えっ? あっ……う、うん」

 

 昨日の雪で予想通り路面凍結したため、彼女は俺同様に今日も電車通学だろう。この晴れ具合を見る限り、流石に明日は自転車で何とかなりそうだ。

 

「米倉氏からは何か?」

「いや、特に……」

「では定例会は終わりだお。米倉氏、雪隠へ行かぬか?」

「はいはい。トイレトイレ」

 

 丁度桜桃ジュースも空になったので財布を片手にアキトと立ち上がると、僕はいいやという葵を残して二人でトイレ&自販機へ向かう。

 

「なあアキト。自分で彼女作ろうと思ったりはしないのか?」

「何を仰る米倉氏。拙者の彼女はヨンヨン一択ですしおすし」

「悪かった訂正する。二次元と三次元は別腹として、現世に存在する質量を持った人間の女性を口説いたりしないんでしょうか?」

「めんどい」

 

 人が長ったらしく説明したというのに、僅か四文字で否定された。しかしその答えは実にシンプルで分かりやすい、アキトならではの最適解である。

 

「そもそも『知っている』と『わかっている』は別物だお。米倉氏の言い分だとテスト範囲が指示されたなら、満点なんて簡単に取れるって話になる件」

「確かに。でもその言い方だと自分からアプローチ掛けるのが面倒なだけで、相手から告白される分には別にいいのか?」

「ホモォとフンババじゃない限りオールオッケーでござる。拙者、ストライクゾーン広さには定評あるので」

「聞こえたかヨンヨン? コイツ浮気するぞ」

「勘違いするな米倉氏。拙者が誰かに告白される可能性があるとでも?」

「…………」

「………………」

 

 黙ってアキトの肩へ手を添えると、ガラオタは親指をグッと上げた。

 眼鏡をコンタクトにして喋り方を普通にすれば充分あり得るが、それを変えないのがコイツだ。きっとありのままの自分を見てもらいたいんだろうな。

 

「思えば米倉氏も、最初はドン引きしてたお」

「別にドン引きはしてないっての」

「またまた」

「ドドンズゴォンバゴォン引きくらいはしたな」

「それ、言い過ぎ」

「仕方ないだろ。人に寄生した眼鏡を見るのは初めてだったんだ」

「テラヒドスッ!」

 

 眼鏡掛けたオタクっぽい奴は何人かいたが、入学当初のコイツは長靴を履いた猫も裸足で逃げ出すレベルだったからな。

 

「それに比べて相生氏は大人の対応だったお」

「お前が遠足でヘバった時も、荷物を持ってくれたしな」

「尚、米倉氏は華麗にスルーした模様」

「…………スポーツテストの持久走とか、三人で一緒に走ったよな!」

「尚、米倉氏は途中で勝手に一人ペースを上げて先行した挙句、ゴール間近で体力0になったところを拙者達に抜かれた件」

「アーアー、キコエナーイ」

 

 そう、葵は優しい奴だ。

 そして女装コンテストの例にしても、人に頼まれたら断れないタイプである。

 

「しかしこうして相生氏の相談を聞いてると、米倉氏が値札で悩んでた頃が今となっては何とも懐かしいですな」

「お前あの時、正直ふざけてただろ?」

「フヒヒ、サーセン」

「成敗っ!」

 

 桜桃ジュースを買おうとしたアキトの横からヨーグルト飲料のボタンを押してやったが、昨日と違い反応もなく平然と飲むコイツの器が計り知れない。

 過去の思い出を語っていると、一呼吸置いた後でガラオタが口を開く。口調こそいつも通りだが、声のトーンはやや真面目になった気がした。

 

「リリスの件について、米倉氏から見た勝率は?」

「ん? 突然そんなこと言われてもな……五分五分だろ?」

「では仮に勝率を上げる方法があるとしたら? ミッション成功のため、相生氏の幸せのために、米倉氏は犠牲となる覚悟はおありですか?」

「犠牲のレベルによる」

「わざわざ拙者の口から言わずとも、米倉氏もわかっているのでは?」

「テレパシーじゃあるまいし、お前の考えがわかれば苦労しないっての。それにそんな小細工しなくても、顔も性格も良い葵なら大丈夫だろ」

「さいですか……」

 

 本当のことを言えば、アキトの言いたいことは薄々感じている。

 しかし勇気を出して相談した葵と違い、腹を割って話す度胸がない小心者の俺は、友人の問いかけを適当に返し教室へと戻るのだった。



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二日目(金) 初めて聞いた歌がラーメンソングだった件

 今日の七限は久々に委員会活動があった。

 俺が所属しているのは、屋代学園の生徒会誌を作成する編集委員。入学当初に手軽そうと判断して選んだが、予想通り楽で今までの活動は僅か二回だけである。

 

「――――以上で本日の委員会を終わりにします」

 

 前回の会議で決まったのはページ割りと作成上の注意点。そして今回の会議では編集方針を決め、来週までにクラスのページを提出するようにとのことだった。

 そんな話を耳に入れつつ、黙々と電子辞書をタイピング。一応1231まで試し終わったがロックは開かず、何かしらの日付という線はないらしい。

 

「如月さん、何かやりたい企画とかある?」

「(フルフル)」

「じゃあ俺が適当に決めちゃっていいか?」

「(コクコク)」

 

 編集委員のパートナーである如月に色々と尋ねてみるが、彼女は相変わらず首を振るだけ。きっと前世は扇風機だったに違いない。

 

「なら月曜……は振替で休みだから、火曜に何かしらアンケート取って放課後に集計しよう。ページまとめは頼んでもいい?」

「(コクコク)」

「うし、そんじゃそんな感じで。お疲れさん」

 

 口を小さく開いたように見えたが、如月の声は聞こえなかった。冬雪より身長は低いが発育は良いから、痴漢とか遭った際に大丈夫なのか不安になるな。

 時間も中途半端なので、今日は部活に寄らず家へ帰ることにする。

 

(それにしても、ネズミースカイか……)

 

 入るだけで5000円ってのは、俺の財布事情を考えると正直キツイ。今はまだお年玉が残っているが、春休みにバイトの一つでもやるべきか。

 でもコンビニは変な客に絡まれそうだし、飲食店は変な客に絡まれそうだし、ガソリンスタンドとかカラオケの店員は変な客に絡まれそうだ。

 

「フーン。フーフーフン。タンタンタンタンフンフンフン」

 

 日陰に雪が残っている人影のない道をバイトについて考えながら歩いていると、イヤホンから好きなゲームの曲が流れてきたので鼻歌を口ずさむ。

 結局何をするにしても仕事=新たな付き合いが生まれるもの。如月ほどじゃないにせよ小心者で人見知りな俺には、刺身の上にタンポポ乗せる仕事以外はハードルが高いかもしれない。まあ本当はタンポポじゃなくて菊だけど。

 

「ラーメン。ワンタンメン。タンタンタンタンメンメンメン――――」

 

 仮に始めるとしたらラーメン屋のバイトだろうか。休憩に賄いとしてラーメン食べたり、割引券を貰えたりするなら万々歳である。

 そんなことを考えながら、鼻歌をオリジナルソングに変えた後だった。

 

 ――トントン――

 

「?」

 

 不意に肩を叩かれる。

 一体誰かと思い振り返ると、頬に人差し指がプスリと刺さった。

 

「夢野っ?」

 

 目の前でポニーテールの可愛い少女が、小悪魔めいた笑顔を見せている。

 予想だにしない登場に驚いた俺は、慌ててイヤホンを外した。

 

「はよざっす、米倉君」

「お、おお。はよざっす」

「これ、前から言ってみたかったんだ」

 

 妹経由で伝わったのか、意外な挨拶をされ拍子抜けする。昨日言えば良かったのにと思ったが、阿久津が一緒にいたから恥ずかしかったんだろうか。

 

「今日は部活は?」

「え? あ、ああ。時間も中途半端だったから……夢野は?」

「私はアルバイトだから」

「成程な」

 

 葵もバイトのシフトまでは把握してなかったか。ドキドキ下校大作戦は失敗に終わったようだが、流石にこればかりは仕方ない。

 

「米倉君、何か良いことでもあったの?」

「ん? 何でだ?」

「らーめん♪ わんたんめん♪ たんたんたんたんめんめんめん♪」

「…………聞いてらっしゃったんですか?」

「そりゃもう、バッチリ」

 

 指で丸を作りつつ、再びニッコリと悪戯っ娘な笑みを浮かべる夢野。物凄く可愛いんだけど、それ以上に恥ずかしくて顔面を雪に埋めたくなった。

 

「何か良いことがあったかと聞かれたら、別にこれといって何もない一日だったな」

「こうして私と一緒に下校してるのは?」

「あー……って、それ自分で言うのかよっ?」

「後は委員会もあったでしょ? 米倉君って何委員?」

「編集委員だな」

「へー。編集委員って、具体的にどんなことするの?」

 

 二人きりで会話に困るかと思いきや、次から次へと自然と話題が生まれてくる。自分でもこんなに話しているのが不思議で、正直驚くほどだった。

 編集委員の仕事を簡単に説明すると、夢野が興味を持ち色々と尋ねられる。

 

「――――クラスのページって?」

「ああ。例えば何かしらのランキングを作ったり、皆を動物に例えたり……後は自己紹介ならぬ他己紹介とかも具体例で挙げられてたっけな」

「何か凄く面白そうだね。米倉君のクラスは何にするの?」

「まだ具体的には決めてないけど、適当なランキングでも作るつもりだ」

「そっか。楽しみだね」

 

 生徒会誌はAからFまで全72クラス分の内容が一冊に詰められるため、夢野や阿久津みたいな他ハウスのクラスページも見ることができる。

 F―2とF―4のページは一体どうなるのか。彼女達がクラス内では一体どのように見られているのかは、少し興味があり俺も楽しみだ。

 

「ランキングの項目って、例えばどんなのがあったの?」

「早く結婚しそうな人とか、面白い人とか、将来金持ちになりそうな人とか……そんな感じだったかな。何か良いアイデアあれば教えてくれ」

「うーん……ペットにしたい人とか?」

「お、それいいな」

 

 ただし俺の顔をジーっと見つめてから、真っ先に出てきた項目でなければ。過去に阿久津からはアルカス扱いされてるし、せめて人として見てほしい。

 

「ん? そういや夢野の家って、ペットとか飼ってるのか?」

「秘密♪」

「…………? 何だそりゃ?」

「あ! ペットにしたい人を作るなら、お父さんとかお母さんも作ったら面白いかも。弟にしたい人とか、妹にしたい人とか――――」

 

 そんな話が予想以上に盛り上がり、気が付いた時には駅へ到着。まだ電車が来るまで時間があるので、ホームの空いていたベンチに腰を下ろした。

 普通に夢野との雑談を楽しんでいたが、ふと自分の使命を思い出す。よくよく考えてみれば今の状況でも、葵の好感度を上げることは充分に可能だ。

 

「明日は模試だしテストも近いけど、米倉君は勉強進んでる?」

「そこそこは。夢野は?」

「私は駄目駄目。二学期の成績も悪かったから、最近はFハウスの三階で自習してるんだけど……米倉君は家で勉強してるの?」

「いや、家だと集中できないから陶芸部が多いな」

 

 各ハウスの三階には教科教室があるが、そこには生徒用の自習スペースもある。もっとも図書室のようなブースとは違い、人目にもつくオープンな感じだ。

 

「音楽部では勉強しないのか?」

「テスト前は部室閉められちゃうから、入れないんだよね」

「いや、そうじゃなくて音楽部で集まったりは? 葵とかと勉強会したりさ」

「ううん。特にそういうのもないよ」

 

 陶芸部が例外なだけで、普通は部活ってそんなもんだよな。

 少し攻めすぎな気もするが、別に嘘を言う訳でもないし提案してみるか。

 

「いっそやってみたらどうだ? よくクラスの男子連中がテスト前になると葵に質問するけど、わかりやすく教えてくれるって評判だぞ?」

「へー。葵君、凄いんだね」

「そりゃまあ、ウチのクラスが誇る有数の美男子だしな」

「米倉君も求愛したことあるくらいだもんね」

「はて、何の話でしょうか?」

「らーめん♪ わんたんめん♪ たんたんたんたんめんめんめん♪」

「勘弁して下さいっ!」

 

 葵の話題というジャブを積み重ねていたら、カウンターでワンツーを喰らった。ってか阿久津の奴、ほんの軽い冗談をここまで広めるなよ。

 

「夢野が歌うの初めて聞いたけど、やっぱ音楽部だけあって綺麗だな」

「えっ? そ……そんなこと――――」

 

 別にお世辞を言った訳じゃなく正直な感想を述べ、音楽部同士でカラオケ行ったりするのか聞こうとしたところでタイミング悪く電車が到着した。

 席へ座った後で夢野を見ると、照れているのか伏し目がちで両手を組み両方の親指をくるくるしている。あまり見ることのない姿を前に、自然と笑みがこぼれた。

 

「そういえば米倉君ってどんな曲聞くの?」

「普通にJPOPとか、後はゲームの曲だけど」

「例えば?」

「んー……例えばって言われてもな……」

 

 ポケットから愛用のMP3プレーヤーを取り出し適当に操作する。

 そんな小さな画面を覗き込むべく、身を寄せてくる夢野。シャンプーの良い香りが鼻をくすぐり、顔が近くなったことで鼓動が大きく脈打った。

 

「あ! さっきのラーメンの歌聞きたいな」

「お、おう」

 

 二人で片耳ずつイヤホンを入れて、電車に揺られながら曲を聞く。

 正直言って、楽しい時間だった。

 しかし葵の成功を祈っているなら、本来こんな行動は取るべきじゃない。

 

(…………何やってんだ俺は)

 

 だからこそ黒谷へ到着し、夢野と別れた後で我に返ると溜息を吐いた。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 その日の夜、俺の元に二通のメールが届く。

 一つは『何で今日来なかったのよ? 陶芸部で百人一首大会やるから、明日は絶対来なさい!』という、いつもながら唐突な火水木の招集。

 そしてもう一つは深夜0時になった直後に、夢野から届いたメールだった。

 

 

 

『誕生日おめでとう! ミズキから聞いたけど、百人一首大会頑張ってね。本日のご来店、プレゼントを用意して心よりお待ちしております♪』



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三日目(土) バレンタインの朝はドキドキだった件

「誕生日うめでとうお兄ちゃん! 梅から愛のプレゼントだよ!」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「そしてそしてバレンタイン! 梅の大好きなキノコだよ!」

「連続でそういう誤解を招く発言をするな」

「別に誤解じゃないもん。梅が大好きなのは~、お兄ちゃんの……キ・ノ・コ❤」

「お、おいっ! 梅っ?」

「わっ? お兄ちゃんの、凄い硬くなってる……梅の口に入るかな?」

「何してんだよお前っ?」

「いただきま~す。あ~~~んむっ!」

 

 

 

 

 

「――――的なことがあったのでほぶっ?」

「言いたいことは色々あるが、とりあえず破壊するわ」

「ちょまっ! 正直スマンかったっ! スマンかったからそれ以上いけないっ! 折れるっ! 最高のパートナーである拙者の右腕が折れるっ!」

「じゃあこっち」

「指ぃいいいいっ! ちょっ! マジ勘弁っ! ギブギブギブッ!」

 

 本日は二月十四日。異性に縁のない男は『煮干しの日』だの『ふんどしの日』だの現実から逃避するが、どう足掻いても世間がバレンタインなのは変わらない。

 天気は見事に青空が広がる快晴であり、これだけ良い天気なら通学途中に所々で残っていた雪も全て溶けてしまいそうだ。

 そんな清々しい朝の教室で、俺は爽やかにアキトの関節を極めていた。

 

「さ、櫻君、落ち着いてっ!」

鳩尾(みぞおち)突いて? よしわかった」

「違ふぼっ! ちがっはうっ! ちがぁああああっ!」

「血が? 安心しろアキト。関節技に血は出ないぞ」

「れ、冷静に話し合おうよっ?」

「ああ、そうだな。来世に話し合おう」

「えぇっ? 微妙に間違ってるよ櫻君っ! まずは怒りを鎮めてっ!」

「そうだな。錨を付けて海に沈めたい気分だ」

「ええぇっ?」

 

 慈悲はない……と言いたいがここら辺で勘弁してやろう。純粋な心を持ちながら激しい怒りによって、伝説の戦士へと目覚めるところだったぜ。

 俺がアキトを解放するとその場に膝をついたので、仲直りに手を差し伸べた。

 

「はぁ……ひぃん……し、死ぬかと思ったお」

「や、やりすぎだよ櫻君」

「いいか葵、想像してみろ。仮にクラスの男子連中がお前を女と見て、あんなことやこんなことを妄想してたらどんな気持ちになる?」

「…………うん。それは許せないかも」

「相生氏っ? 助け手ぇえええっ!」

 

 引き上げる際に掴んだ掌を握力で力の限り握り潰しつつ、骨をゴリゴリしまくってやった。陶芸で鍛えた成果なのか、どうやら効果は抜群らしい。

 

「で、でも暴力は良くないよ!」

「ふむ……葵、そこにあるアキトのスマホ取ってくれ」

「えっと……こ、壊したら駄目だよ?」

「安心しろ。精神的攻撃に切り替える」

「もちつけ米倉氏……拙者のスマホで何をする気だお……?」

「俺の考えうる限り、最高にダサイ恰好へヨンヨンを着替えさせておく」

「テラヒドスッ!」

 

 人の妹で勝手な妄想した奴には言われたくない。まだクラスにいるのが男子数名だったから良かったものの、下手すれば風評被害もいいとこだ。

 

「そ、それで話を戻すけど、妹さんからチョコ貰ったの?」

「ああ。黒い稲妻を渡された」

「キノコでもタケノコでもない件」

「ウチの妹を戦争に巻き込むな」

 

 ちなみに梅からは誕生日プレゼントも合わせて貰ったが、中身はまさかのノート五冊セット。いつぞやの阿久津を彷彿させる贈り物には悪意しか感じない。

 

「えっと……アキト君は、火水木さんからチョコ貰えた?」

「貰ったら負けだと思ってる。しかし恐らく貰う羽目になりますな」

「ど、どういうこと?」

「天海氏は友チョコを大量生産してるんだお。既に味見の段階でカロリーを気にしてたっぽいので、余った分は全部拙者に回ってくる希ガス」

「ホモチョコ?」

「否定できないでござる。くやしいのう、くやしいのう」

 

 友チョコなんて文化が生まれたのは、一体いつからだろう。姉貴が面倒臭いと言いつつ作っていたのが印象的だが、それならやらなきゃいいのにな。

 C―3でも女子達が登校するなり、まるで名刺の如くチョコを交換し合っている。しかし男子まで渡しに来るような女子は中々いない。

 

「相生様ーっ!」

「葵様ーっ!」

「女神様ーっ!」

「「「チョコのお恵みをーっ!」」」

「つ、作ってないし、女神じゃないよっ!」

 

 イケメン勢が登校するなり、葵へお決まりの冗談を言いに来る。きっとコイツらはきっと彼女なりマネージャーなり、チョコを貰える当てがあるんだろうな。

 余裕のない男子は今日に限って早く登校しているため、読書やスマホで誤魔化してもすぐにわかる。太田黒(おおたぐろ)と但馬(たじま)、お前らの気持ちはよくわかるぞ。

 俺だってもしも陶芸部に入ってなかったら、きっと今年のバレンタインは誰からも貰えなかったに違いない。

 

「そういえば米倉氏、誕生日おめ」

「覚えたのかよ」

「えっ? 櫻君、今日が誕――」

「ストップだ葵。あんまでかい声で言うな」

「ど、どうして?」

「葵、お前は何もわかってない」

 

 大抵の間抜けは俺の誕生日を知って「バレンタイン生まれとか、チョコとプレゼント両方貰えて羨ましい」とか馬鹿なことを言うがクソ喰らえだ。

 やれやれと溜息を吐いた後で、俺は大きく息を吸い込み静かに応える。

 

「元旦生まれはお年玉が沢山貰えるのか? クリスマス生まれはプレゼントが倍貰えるのか? 違うだろ。バレンタイン生まれだからって、チョコが貰える保証はないんだよ。寧ろ自分の誕生日にも拘わらず、別に誕生日でもない野郎共が女子からチョコを貰ってるんだぜ? 何なの? 喧嘩売ってるの? そのお前が貰ったチョコを、俺の嫉妬の炎で溶かしてチ○コに作り変えてやろうか? おら一文字違いだ食え――――」

 

 話の途中でアキトに肩を掴まれ、黙って首を横に振られた。

 声量は抑えていたが、どうやら大分ヒートアップしていたらしい。まだまだ言いたいことは山のようにあるが、残りは喉の奥へと飲み込んでおこう。

 

「ご、ごめん。色々と大変なんだね」

「わかってくれりゃいいさ……と、こんなもんか。ほれできたぞ」

「ヨンヨォーンッ!?」

「今日一日はそれな」

 

 テーマは世紀末。棘付き肩パッドなんて装飾品があったのでヒャッハーな感じにしてやった。髪型だけは変えられなかったのが残念でならない。

 ヨンヨンを弄り尽くして気が晴れたので、おもむろに鞄を開けると如月から預かった電子辞書を取り出す。

 

「あっ! 櫻君、ロック外せたの?」

「とりあえず2079までは試したけど、全くもって開く気配がない」

「そ、そうなんだ……2079ってことは、日付でも年号でもないんだね」

「しかしまた実に中途半端な数で止めましたな」

 

 聞いた誰もがそう思うだろうが、俺にとっては縁のある数だ。

 

『2079円……かな?』

 

 今年の最初に夢野から伝えられた、最後の金額。勿論心当たりは一切なく、そんな大金を昔の自分が出したことすら疑わしい。

 

「2079と言えばあれだお」

「何かあるのかっ?」

「2079年問題ですしおすし」

「あー、あったなそんなの」

「えっと……2079年問題って?」

「2079年になった瞬間、全人類がゆるキャラになる」

「えぇっ?」

 

 ※2079年問題とは、日付が2079年12月31日を越えると、コンピュータが誤動作する可能性があるとされる問題である(出典:俺ペディア)

 

「梨汁ブシャーッ!」

「青汁ブシャーッ!」

「ええぇっ?」

「ほら、葵も何かブシャーしろよ」

「え、えっと……み、味噌汁ブシャーッ?」

「わかってねーな」

「うむ。わかってないお」

「えええぇっ?」

 

 最近見なくなったけど、彼は今頃どこで何をしているんだろう。洋梨だけに用無しとか、そんなくだらないギャグを絶対に誰かしら口にしたと思う。

 

「話変わって相生氏。リリス攻略は順調で?」

「そ、それが昨日は会えなくて……」

「ああ。その件について、少し仕入れた情報がある」

「情報の詳細キボンヌ」

「昨日は俺が偶然エンカウントしたんだ。聞いた話によると、リリスは基本的にダンジョンFの三階でレベル上げをしてるらしい」

「おk把握」

「レ、レベル上げって?」

「テスト勉強」

 

 葵が納得した様子を見せた後で、俺は夢野が成績に悩んでいた旨を二人に話す。それを聞いたアキトは、眼鏡をクイッと押し上げた。

 

「となれば相生氏の行動は限られますな」

「た、確かに来週から部活停止期間に入るけど……ぼ、僕がFハウスの三階まで自習しに行くのは流石に不自然じゃない?」

「それに関しては拙者にいくつか策が…………おいっす冬雪氏」

「……おはよ」

 

 眠そうな少女にいち早くアキトが気付き、一旦話を中断させる。冬雪は自分の席へ鞄を置くと、電子辞書を弄る俺を見て首を傾げた。

 

「……開いた?」

「まだだな。今で全体の二割くらいだ」

「……頑張って」

「おう」

「……」

 

 …………あれ? 冬雪さん、バレンタインは?

 席へ着くなりペタンと机に突っ伏す少女……いやちょっと待てって。バレンタインっていつ渡すの? 今でしょ? 今しかないよねっ? なうっ!

 昨年が家族の分を除けば貫録の0個にも拘わらず、今年の俺が余裕なのは陶芸部という後ろ盾があったから……の筈が、思わぬ非常事態に焦り始める。

 

「……ルー、おはよ」

「ぅ」

「……これ、バレンタイン」

 

 やべーよ、先行きが不安になってきたぞ。

 自惚れも甚だしいが、冬雪からは内心貰えるとばかり思っていただけにショックがでかい。まさか今年もこのまま0個とか……いや流石にそれはないよな?

 

「……手作り」

「何ですとっ? 冬雪氏の手作りチョコとなっ?」

 

 余裕のなくなってきた俺をよそに、冬雪の言葉へアキトが食い付く。当然の如く如月がビクっと驚き、受け取った箱を守るように大事に抱えた。

 

「これは失敬。拙者は気にしないで、どうぞ」

 

 そう言われても視線が気になるのか、沈黙の少女はチラチラとこちらを見る。その後で丁寧に包みを剥がすと、ゆっくりと箱を開けた。

 

 

 

『北九州世界遺産・ネジチョコ』 

 

 

 

 中から出てきたのは、ビニールに包まれた茶色のボルトやナット。パッケージを見る限りどう見ても市販品であり、手作りとは思えない……ってか絶対違う。

 

「あっ! そ、それって本当のネジみたいに締められる話題のチョコ?」

「……そう」

「なあ冬雪。手作りって言ってなかったか?」

「……箱が手作り」

「箱かよっ!」

 

 確かに妙にお洒落だと思ったけど、力入れるのそこじゃないだろ。

 結局冬雪からチョコは貰えないまま、模試のため懐かしの出席番号順へ席を移る。そして隅の席へ移動した葵は、次々と女子から友チョコを渡されていた。

 

「米倉氏、ひょっとして拙者達……」

「ああ、完全に邪魔者扱いだったみたいだな」

「もう駄目ぽ」

「後で爆撃に行くか」

「異議なしっ!」

 

 俺達の教義は『イケメン殺すべし。リア充しばくべし』に決まりだな。



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三日目(土) 焦らしは効果抜群だった件

「……ヨネ」

「ん?」

「……部活」

 

 数学・英語の後で昼休憩を挟み国語という三科目を終え放課後になると、今日は初期の席位置だったにも拘わらず冬雪が俺の元へやってくる。

 今となっては習慣づいており違和感はないが、逆にこれだけ親しくなっているからこそチョコが貰える……そんな風に考えていた時期が俺にもありました。

 

「なあ冬雪」

「……何?」

 

 部活に行く前に、何か忘れてないか?

 そんな質問をしようとしたが、首を傾げた少女を見て諦める。頭にバの付くやつとかヒントを与えて、バルスとか言われ日には俺が破滅するわ。

 

「いや……その、顔に寝てた痕が残ってるぞ」

「……っ?」

「悪い、冗談だ冗談。行くか」

「……ヨネ、意地悪」

 

 まあ最後の国語で息絶えてた姿は、後ろから見てたけどな。

 普段が割と無表情なだけに、冬雪が時折見せる羞恥の姿は何ともそそられる。程良い身長差から頭を撫でたくなるが、同級生相手には中々できない。

 

「……模試、難しかった」

「それな。何が一番難しかったよ?」

「……数学」

 

 周囲の反応は冬雪と同じだったが、俺の中では一番できていたりする。難易度的には、やっぱ苦手教科になりつつある英語が辛かったか。

 しかし評論も小説も古文も漢文も意味不明で、わろしって感じだった国語も微妙。作者の気持ちを選べとか、知らんがなと激しく突っ込みたい。

 

「……ヨネは何が一番難しかった?」

「志望大学記入するやつ」

「……そこ?」

「いやマジで。東大とか書いたんだぜ?」

「……行くの?」

「行かねーよっ! ってか行けねーよっ!」

 

 第四希望まで枠を用意されても、こちとら知ってる大学なんてほとんどない。ジーマーチなんて言葉も、黒光りする害虫の行進曲と勘違いしてたからな。

 

「冬雪は進路とか何にしたんだ?」

「……とりあえず芸術」

「流石は匠だな。やっぱ陶芸家になったりするのか?」

「……そこまでは考えてない」

「一言に芸術といっても、学校の先生なんて選択肢もありますからねえ」

 

 芸術棟の一階に足を踏み入れた際、準備室から出てきた伊東(いとう)先生と偶然にも鉢合わせする。冬雪が学校の先生……それはそれで見たいかもしれない。

 

「……こんにちは」

「ちわっす」

「おはようございます。米倉クン、冬雪クン。休日出勤お疲れ様です」

 

 一緒に陶芸室へ入ると、まだ残りの二人は来ていないらしい。俺達は定位置に荷物を置き、白衣を着た陶芸部顧問は黒板前の椅子に腰を下ろす。

 

「そういえば、先生はどうして先生になったんですか?」

「ノリ……ですかねえ」

「軽っ? ノリでなれる職業じゃないですよね?」

「そうは言われましても、今の米倉クン達と大して変わりませんよ。何となく興味があったので教育系の大学に入った後は、勢いに流れるままでしたねえ」

 

 やっぱり将来なんてそんなものなんだろうか。ちなみに伊東先生を見て教師もいいなと考えた結果、今回の進路には教育系の大学を中心に書いていたりする。

 仮に教師になるとしたら、俺もああいう緩い先生になりたいな。

 

「……センセイ、バレンタイン」

「おお、嬉しいですねえ」

「……………………」

 

 前言を撤回する。あの人は俺の敵だ。

 斜め前で冬雪がゴソゴソと鞄を漁り一体何をしているのかと思いきや、如月にも渡していた手作りの小さな箱を取り出すなり伊東先生へ手渡していた。

 

(何でだ冬雪っ! 好みか? 先生みたいなタイプが好きなのかっ?)

 

 圧倒的な敗北感によるショックで机に伏せる。

 落ち着いて考えてみれば、義理チョコなんて所詮は返すのが面倒なだけの代物。いっそ貰えない方が勝ち組じゃないだろうか。うん、そうに違いない。

 

「……ヨネもバレンタイン」

「っ?」

 

 とりあえずマッハで起き上がった。あまりの速さに眩暈がしたくらいだ。

 眠そうなボブカットの少女が差し出してきた小さな箱。聞き間違いでも見間違いでもなく、それは誰でもない俺へと手渡される。

 

「お、俺にくれるのか?」

「……(コクリ)」

「マジでっ?」

「……マジ」

「冬雪ぃーっ!」

 

 …………と叫んで抱き締めそうになったが、葵ならまだしも目の前の少女相手では流石にマズイとギリギリのところで踏み止まる。

 伊東先生という人目がなかったら、割とマジで危なかったかもしれない。だって今の俺には冬雪が天使に見えるし。こんなん惚れてまうやろー!。

 

「ありがとうな。でも何で今なんだ? クラスで渡してくれれば良かったのに」

「……陶芸部とルーの分しか用意してない」

「あー」

 

 アキトの奴が傍にいたら、間違いなく「拙者の分は?」って聞いてたな。

 お預けを食らう犬はこんな気分なんだろうか。散々引き延ばされ絶望した後で貰ったチョコは、普通に渡されるより遥かに喜びで満ち溢れていた。

 

「ハッピーバレンタイーン!」

「おや、おはようございます火水木クン」

「……マミ、お疲れ」

 

 踏み止まって正解だったとばかりに、絶妙なタイミングで火水木が登場。もし衝動的に抱きついていたら、確実に噂が広まっていたところだ。

 火水木はいつも通り俺の隣へ鞄を置くなり、ネジチョコを遊びつつ食べていた伊東先生にラッピングしたチョコを差し出す。

 

「はいイトセン、プレゼント」

「ありがとうございます。この年になって女子高生からチョコレートを貰えるのは、高校教師……いえ、陶芸部顧問ならではの役得ですねえ」

「渡したら渡し返す。倍返しよ」

「それを言われると先生、何だか喜びが半減です」

 

 言うほど年でもなくまだまだ若いけど、そういや何歳なんだろう。

 伊東先生に渡した後で、火水木は俺にも同じ物を差し出してくる。冬雪もそうだったが、何で先生が先なんだ? 年功序列なのか?

 

「はいネック」

「おめでとう! ネックはハイネックに進化した!」

「くだらないこと言ってるとあげないわよ?」

「…………うん、普通だな」

「何よ? ひょっとしてアタシが、食べたら卒倒するような毒物でも作って来ると思ったの? そんな料理音痴がいるなら会ってみたいわよ」

 

 毒とまではいかずとも、うちの妹がそれに近い気もする。

 当然ながら貰えるのは嬉しいが、冬雪の時に比べると感動が薄い……いや、恐らく冬雪からも朝の段階で渡されていたら、きっと喜びはこの程度だった。

 チョコの所持数が0個と1個の違いなのか、はたまた焦らされた効果なのか。原因は定かではないが、別に火水木が劣っている訳じゃない。

 

「いや、こっちの話だ。サンキューな」

「どう致しまして」

 

 寧ろ手作りである分、ポイント的には火水木の方が上か。

 受け取った袋の中にはハートやら星型のチョコレートが何個か詰められており、大量生産の割にはクオリティも高かった。

 これで今年は二つ目。環境一つでここまで変わると考えると、健全なる男子高校生諸君は義理でもチョコが欲しければ女子のいる部活に入ろう。

 

「ネックも倍返し宜しくね」

「袋を二重にすればいいんだろ?」

「何でそこを倍にするのよっ! はい、ユッキーも。お返しとか別にいいから」

「おい」

「……私もマミに用意してある」

 

 冬雪が手作りチョコ(※ただし箱に限る)を火水木へ手渡す。どうやら中身は全て共通らしく、ネジチョコを見た少女は興味津々といった感じだった。

 

『ガラッ』

「!」

 

 そんな中でドアの開く音がすると、本命とも言える少女が現れる。この幼馴染から貰えるなら、義理どころかチ○ルチョコでも嬉しい。

 

「やあ」

「……ミナ、お疲れ」

「おはようございます阿久津クン」

「ツッキー、ハッピーバレンタイン!」

「ありがとう。手作りなんて、大変じゃなかったかい?」

「まあ量もあったから、ちょっとしんどかったわね」

 

 早速阿久津へ量産型ザク……じゃなくてチョコを渡す火水木。今日がバレンタインであることを強調させる、実にナイスなファインプレーだ。

 そして俺はといえば、百人一首のプリントを眺めつつ聞き耳を立てている。朝の余裕はどこへやら、結局は太田黒や但馬と同じでソワソワしていた。

 

「クラスメイトの分は、どれくらい作ったんだい?」

「とりあえず女子全員だから二十個くらい?」

「驚いたね。二十個なんて中々できないよ」

「……凄い」

「そんなことないってば。一個作るのも二十個作るのも、何なら四十個でも大して変わらないし。まあ男子全員にはポッキー渡してきたけどね」

 

 いやいや、それは流石に違うだろ。

 コイツのこういう積極性には本当に驚かされる。下手したらクラスで男子の一人や二人、冬雪現象(仮名)を起こして惚れている奴がいるんじゃないか?

 

「……ポッキー?」

「ほら、中には手作りを不気味がって嫌う男もいるじゃない? それにポッキーならアタシとしても色々……じゃなくて、ポッキーって美味しいし」

 

 前言を撤回する。やっぱりコイツはただの腐女子だ。

 きっと今日のF―2は『ウホッ! 男だらけのポッキーゲーム』な地獄絵図だったに違いない。ウチのクラスでも葵を誘うアホが数人いたっけな。

 

「……私からも、ミナにバレンタイン」

「ひょっとしてこの箱は、音穏の手作りかい?」

「……(コクリ)」

「えっ? そうだったのっ?」

「ありがとう。大切にするよ」

 

 一目見ただけで気付ける阿久津さん、マジぱないっすわ。

 心なしか嬉しそうな表情を浮かべる冬雪。しかし今の俺はそれよりも、目の前にいる幼馴染のチョコ事情が気になって仕方なかったりする。

 

「二人とも申し訳ないけれど、お返しはホワイトデーでもいいかい? 今年は模試のせいで作る時間が取れなくてね」

「……大丈夫」

「お返しとか別にいいってば。アタシが渡したいから作っただけだし」

「それならボクも返したいから作らせてもらおうかな」

「ありがと。でも友チョコって正直面倒よね。渡す相手とか――――」

 

 三者三様のバレンタインが語られる中、俺達男性陣は話に入れず……と思っていたら、伊東先生はいつの間にか逃げ出していた。大人ってズルイな。

 どうやら話を聞く限り、阿久津はチョコを作っていないらしい。ただ冬雪のケースがあったためか、表面で諦めていても心の底で期待している自分がいた。

 作る時間がなかったのは友チョコであり、もしかしたら俺の分は……そんな妄想をしていると、向かいに座り模試の自己採点を始めた阿久津が口を開く。

 

「ああ、そうだ……櫻」

「っ?」

「誕生日おめでとう」

「お、おお。サンキュー」

 

 丸付けをしていた阿久津が顔も上げずに、淡々と祝福してきた。

 それ以上のことは特になく、贈られたのはその一言だけ。バレンタインかと思った後の肩透かしだった上に、素っ気ない言い方で割と寂しい。

 

「……ヨネ、今日が誕生日?」

「ん? ああ」

「それならそうと早く言いなさいよ! バレンタインが誕生日なんて、チョコもプレゼントも二重に貰えて超ラッキーな一日じゃない!」

 

 間抜けがここに一人いた。まあ今回はチョコをくれたし黙っておこう。



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三日目(土) 百人一首が暗黒空間だった件

「さて、それじゃ早速始めるわよっ!」

「何をだい?」

「百人一首に決まってるじゃない! ネック、ろくろ移動させなさい」

「おいおい、床でやるのかよ? 机で良くないか?」

「こういうのは雰囲気が大事でしょ?」

 

 陶芸室で百人一首という時点で雰囲気も何もない。茶道部や華道部にお邪魔して畳の上でやるなら話は別だが、そんな真似ができるなら最初からSOS団なり隣人部なり奉仕部を設立していただろう。

 レジャーに行く訳でもないのに、大きなレジャーシートを取り出す火水木。そのスペースを確保すべく、戻すのに苦労しない程度で重いろくろを動かす。

 

「じゃんじゃじゃーん!」

「何で二組も持ってるんだよ?」

「困った時にはおいでよー♪ ああー火水木文具ー♪」

「テーマソングあんのっ?」

「ある訳ないでしょ。即興よ即興」

 

 その割にはCMのサウンドロゴみたいで、普通に完成度高かったな。

 

「あれやるわよ! グーパーグーパー……何だっけ?」

「「グーパーグーパーグゥーパァだよ」」

「……ハモった」

「はいはい。グーパーグーパーグゥーパァね」

 

 ここで百人一首というものについて、軽く確認をしておこう。

 単純なかるたの一種ではあるが、普通の違う点は読み手が上の句を読み上げるのに対し、俺達はそれに繋がる下の句を取らなければならない。

 そして百人一首には色々な遊び方があるが、今回は競技かるたのルール。百枚全てを使うのではなく、半分の五十枚を互いに二十五枚ずつ分けて並べてある。

 

「先生、今の時期は忙しいんですけどねえ」

「そう言わずに、青春に付き合ってよイトセン」

「青春なら仕方ありませんねえ。それでは始めますよ」

 

 火水木が伊東先生を呼び戻して準備完了。今回はトーナメント方式であり、一回戦の対戦カードは俺VS冬雪、阿久津VS火水木に決定した。

 

「……」

 

 チラリと正面を見ると、眠そうな少女がちょこんと正座している。

 高校生活において床へ座る……それも正座なんて滅多にない。短いスカートだと太股が露わになり、中々にグッドな光景だ。

 

「む――――」

「むっ!」

「ほぁいっ?」

 

 その速さは、正に変態だった。

 伊東先生が一文字目を口にした瞬間、勢いよく俺の膝へ札が飛んでくる。しかし動いたのは冬雪ではなく、隣のフィールドで戦っていた火水木だ。

 

「なんじゃあっ?」

「アタシが飛ばしたの」

「飛ばすなよっ!」

「何馬鹿なこと言ってんのよ? 競技かるたってこういうもんじゃない」

「天海君の言う通りだね。これは飛ばすための並べ方だよ」

 

 確かに阿久津の言う通り札は三段に並べているが、左右に離しており真ん中はガラ空き。右や左に吹き飛ばせと言わんばかりの配置だな。

 そして頭文字が『む・す・め・ふ・さ・ほ・せ』の七枚は一枚札と呼ばれ、一文字目で下の句が判別できる。でも今の超反応はヤバイって。

 

「続けますよ? 村雨の・露もまだ干ぬ・まきの葉に・霧立ちのぼる・秋の夕暮」

 

 回収しに来た火水木へ札を手渡した後で、伊東先生が続きを読んだ。

 俺達の側には該当の札はない。全部ではなく半分の五十枚を使っているため、こうした読まれない札、いわゆる空札もあったりする。

 

「もろ――――」

「はっ!」

「またかよっ?」

 

 再び膝目掛けて滑りこんでくる札。わざとなの? 狙ってるのこれ?

 さっきは一枚だったのが、今回は流星群の如く何枚かまとめて飛んできた。そして札を飛ばした張本人が、一々立ち上がるなり札を回収しにやってくる。

 

「すまないね」

 

 取りに来たのは阿久津。やはりお前も上級者だったか。

 スーパーサ○ヤ人の戦いを眺めているヤ○チャの気分ってのは、きっとこんな感じなんだろう。もうあの戦いが事実上の決勝戦でいいんじゃないかな。

 

「ひさかたの・光のどけき・春――――」

 

 対する冬雪はと言えば、これくらい読まれてようやく手が伸びる程度。札を吹き飛ばすこともない、実にのんびりとして平和な戦いだった。

 自分の陣地にある札を取った場合はそのまま続行だが、相手の陣地にある札を取った場合は自陣の札を適当に一枚選び敵陣に送る。これを繰り返し、先に自陣の二十五枚を無くした方が勝ちだ。

 

「……」

「…………なあ冬雪」

「……何?」

「ひょっとして、まだ覚えてないのか?」

「……半分くらい」

 

 上の句と下の句を覚えていなければ札は取れない。次々と読まれる中で少女が手を伸ばす頻度の少なさに疑問を抱き尋ねると、冬雪は静かに答えた。

 

「それならそうと早く言えよ。米倉式記憶術を教えてやろう」

「米倉式……」

「記憶術……」

「そこ二人。何でそんな胡散臭そうな目で俺を見る」

「別に何も言ってないわよ?」

「音穏、録音しておくといい。訴える際の証拠になるからね」

「理由がおかしいだろっ!」

 

 覚え方を教えるだけで、一体何を訴えられるというのだろう。ああでも女子に下ネタは流石にマズイか……ちょっと反応を見てみたいけど。

 

「憂かりける・人を初瀬の・山おろしよ・激しかれとは・祈らぬものを」

「例えばこれは『うっかりハゲ』だ。憂かりけるで、激しかれとは……だろ?」

「……うっかりハゲ……他には?」

 

 有名どころだと思ったが、どうやら冬雪は知らなかったらしい。まあ性格から考えても語呂合わせとか使わずに、真面目に覚えてそうだもんな。

 火水木が百人一首を企画した理由の半分はテスト勉強のため。隣で繰り広げられるような戦いも良いが、こうした教え合いも『いとをかし』だろう。

 

「みかの原・わきて流るる・いづみ川・いつ見きとてか・恋しかるらむ」

「ミカの腹は、いつ見てもキモい」

「……可哀想」

 

「天の原・ふりさけ見れば・春日なる・三笠の山に・出でし月かも」

「天の原のレールガンだな」

「……何それ?」

「サクラはサクラは知らないのかと驚いてみたり」

 

「高砂の・尾の上の桜・咲きにけり・外山のかすみ・立たずもあらなむ」

「ウチのクラスの高砂いるだろ? アイツ富山出身なんだよ」

「……そうなの?」

「いや、ぶっちゃけ知らん」

 

「嘆きつつ・ひとり寝る夜の・明くる間は・いかに久しき・ものとかは知る」

「嘆くイカちゃん……つっても知らないか」

「……覚えたでゲソ」

「知ってたっ?」

 

 こんな調子で札を取りながら覚え方を説明。他にも「ホトトギスがタダ」とか「足長おじさん」なんてのも教えたが、その辺りは覚えていたらしい。

 依然として隣からは札が吹っ飛んでくる。膝ならまだしも俺達の札へ突っ込むと並べ直しが面倒だったが、そんな感じで勝負は淡々と進んだ。

 

「淡路島・通ふ千鳥の・鳴く声に・いく夜寝覚めぬ・須磨の関守」

 

 俺の札は残り四枚……いや、これで三枚か。

 対する冬雪側はまだ十枚以上残っている。一方的な試合に退屈していないかと顔を上げた際、ふと今まで気にもしていなかった事態に気付いた。

 正面にいる少女の座り方は、疲れたのか正座を崩した女の子座りに。膝頭が離れたことで太股の内側が見え、その奥には見えそうで見えない空間が。

 

「………………」

「……ヨネ」

「っ? な、何だ?」

「……今の覚え方は?」

「え? あ、ああ。淡路島行くよ……だな」

「……覚えやすい」

 

 視線には気付かれなかったけど、ちょっとガン見し過ぎたな。

 しかし一度気付くと、気になって仕方ない。ちょっと姿勢を低くしたら見えそうだし、遠い位置にある札を取る際に覗けたりしないだろうか。

 

「きりぎりす・鳴くや霜夜の・さむしろに・衣かたしき・ひとりかも寝む」

 

 そんなことを考えていた矢先、上手い具合に冬雪側の札が読まれる。

 不自然にならないよう腕を伸ばしつつ上体を下げたものの、ギリギリ見えそうで見えない。もっと奥の札が読まれなきゃ駄目だな。

 絶対領域も魅力的だが、あのスカートに隠れた空間はそれ以上に違いない。ここまで視線を引き寄せるあの秘境を、暗黒空間と名付けよう。

 

「……ヨネ」

「っ? な、何だ?」

「……一枚、貰ってない」

「あ、ああ。悪い悪い」

 

 自陣にあった札を適当に選び冬雪へ手渡す。少し落ち着けよ俺。

 どうせスカートの下には、ハーパンやスパッツやブルマを穿いている。期待したところでパンツなんて見えないし、そもそもあんなのただの布だろ。

 

「みせ――――」

「てやあっ!」

 

 …………しかしその布に興奮するのが男ってやつだよな。

 例えハーパンでもスパッツでもブルマでも、スカートの中ということに意味がある。火水木や阿久津並の超反応で、飛びつくように札を取った。

 

(見え…………っ!?)

 

 ヘッドスライディングする勢いで、姿勢を低く維持する。

 そしてその光景に、思わず目を疑った。

 

(き、気のせい……か……?)

 

 いやいや……まさか、そんなことある訳ない。

 れれれ冷静になれ。まだあわわわわわわわわわわわ。

 

「……ヨネ?」

「お、おう!」

 

 …………もう一度だけ、確かめる必要があるな。

 冬雪に札を渡した後で自陣の残りは一枚となり、ラストチャンスが来るのを待つ。狙いは遠い位置にある札のみであり、それ以外は完全に無視だ。

 

「す――――」

 

 瞬間、俺は風になった。

 時間にしてコンマ数秒の出来事だったが、しっかりと目に焼き付ける。

 

 

 

(縞々だぁああああああああああああああああああっ!)

 

 

 

 ハーパンでも、スパッツでも、ブルマでもない。

 それは紛れもなく、白と水色の桃源郷だった。

 

(マジですかっ?)

 

 頭の中で興奮と疑問が次々と湧いて溢れだす。だってパンツだよ? 何で? それも縞パンだよっ? 何で? 世界平和の象徴だよっ!? 何で?

 

「……私の負け」

 

 ポツリと呟く少女だが、勝敗なんて最早どうでもいい。

 制服のスカートの下がパンツでないことは姉妹で確認済み。たまにクラスの女子も無防備な姿を晒しているが、見えるのは黒一色だった。

 

(何で穿いてないんですか冬雪さんっ? いやそう言うと誤解を招くけど、でも普通は穿いている筈なのに穿いてないって……ごちそうさまですっ!)

 

 ちょっとした興奮剤により俺のクララが立ち上がってしまったので、気付かれないよう上手く隠しつつ椅子へ座った。静まれ、静まりたまえ。

 

「勝ったのは櫻かい?」

「あ、ああ……」

 

 阿久津と火水木の二人も、いい勝負をしていたようだが決着は近い。残り枚数は一枚と三枚。優勢なのは阿久津で、火水木は黙って集中している。

 

「つく――――」

 

 二人が同時に動く。

 読まれたのは阿久津の右側、すなわち火水木の左側にある札。利き手側という僅かな差も影響したのか、札を飛ばしたのは阿久津だった。

 

「負ーけーたーっ! 悔しぃーっ!」

「良い試合だったよ」

「ツッキー、アタシを倒したからにはネックなんかに負けちゃ駄目だからね」

 

 何かスポ根ものっぽくなってるけど、こっちはそんなに熱い戦いを繰り広げてないんだよな……まあ、ある意味では胸熱だったけどさ。

 決勝の相手が阿久津に決まると、俺のペーターが再びヨーデルした。応援してくれるのは嬉しいが、頼むから試合中は立ち上がらないでくれよ相棒。



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三日目(土) ディフェンスに定評のある阿久津だった件

「――――ってことで、昔はブサイクだろうと和歌が上手けりゃモテたのよ。誰うまな掛け言葉にしたり、相手をホイホイ釣るような詩を作ったり」

「……例えば?」

「そうね…………適当に今っぽくするとこんな感じよ」

 

 

 

 音穏さん、俺と君は出会うべきじゃなかった……あれから君に会えないかとばかり考えて、毎日胸が痛くなるんだ。これが恋ってやつなのかな?

 

 

 

「……病院で診てもらうべき」

「辛辣っ! ユッキーって優しいかと思ったら、結構毒舌なのね」

「……本当に病気かもしれない」

「優しすぎいっ! 違うからっ! 病気とかじゃないからっ! いや恋の病っていう意味じゃ病気だけど、治せるのは医者じゃなくてユッキーだからっ!」

 

 発症したのは冬雪が原因だけどな。

 しかも下手な返事をすれば余計に悪化する始末。結局この手の恋心なんてのは、想い続けている間が誰も不幸にならない一番の平和だと思う。

 

「それで、ユッキー的にはこういう男ってどうよ?」

「……ちょっとキザかも」

「ってか、ぶっちゃけウザくないか?」

「そう? アタシは別に有りだと思うけど」

「お前の場合、男から男への手紙に脳内変換してるだろ?」

「と、とにかく平安とか鎌倉時代のセンスに文句言われても、当時はこれで惚れるちょろインが多かったんだから仕方ないじゃない!」

 

 現代も・そんな時代に・なればいい(櫻、心の一句)

 珍しくボロを出した火水木と俺が場所を交代して、決勝戦と三位決定戦の準備は完了。札を並べ終えた今は位置を覚える時間だが、隣は雑談タイムに入っていた。

 

「……逆は?」

「どういうこと?」

「……女から男の場合」

「ああ、そういうことね。じゃあメール風で、こんな感じじゃない?」

 

 

 

 久し振りにメールしちゃった。櫻君、元気してる?

 私は原因不明の病気で先週から学校を休み中。精密検査の結果もよくわからないし、不安で毎日泣いています。

 もうこのまま死んじゃうのかな……そう考えていたら、最期に会いたいのは櫻君でした。一度だけ……たった一度だけでいいから、会えたりしないかな?

 

 

 

「何で俺の名前を使った?」

「別にいいじゃない。それで、アンタはどうすんの?」

「いや、そりゃ行くだろ」

「ちょろいわネック。この詩、病気ってのは男の気を引くための嘘よ」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 ちょっと平安貴族を舐めていた。嘘だとわかった時点で印象が悪くなりそうだが、やはり可愛いは正義で許されてしまうものなんだろうか。

 

「こんな感じで百人一首は半分くらいが恋の詩だから、意味がわかると色々面白いわよ? 女みたいに女々しい詩を詠ってる男も結構いるし」

「……マミ、もっと教えて」

「オッケーオッケー。アタシに任せなさいって」

 

 火水木の雑学も気になるが、そろそろこっちに集中しよう。

 向かいに座っている幼馴染の少女は、真剣に札の位置を記憶している。足が痺れた様子もなく、腰を真っ直ぐに立てた姿勢の良い正座をしていた。

 

「随分と余裕そうじゃないか。ボクを見ている暇があるのかい?」

「まあ何とかなるさ」

「キミらしいね」

 

 阿久津は冬雪と違いガードが固く、手は膝の上に置かれている。下手したら俺の視線だけで察知され、養豚場の豚を見るような目で呆れられてしまいそうだ。

 しかし暗黒空間を……あの黒タイツの奥を覗ける隙はある。それは少女によって札が飛ばされた後、回収する際に立ち上がった瞬間しかない。

 

「どうせなら何か賭けるか」

「妙に強気じゃないか。乗ったよ、ジュース一本だ」

「本気でいくぞ」

「言われなくても、全力で相手させてもらうよ」

「では始めましょうかねえ」

 

 例え試合に負けようが、勝負に勝てればそれでいい。言葉だけなら熱い展開に聞こえるが、その裏では邪悪な陰謀が渦巻いているのは言うまでもない。

 俺を呼ぶなら、パンツァー櫻とでも呼んでくれ。

 

「難波江――――」

 

(おっ?)

 

『ヒュン』

 

 

 

 ――グサッ――

 

 

 

「ヌォオオオオオオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲッ!?」

 

 偶然目に入った札がいきなり読まれ、反射的に手を伸ばし絶叫する。

 札の上に手が重なった瞬間、横から物凄い勢いで現れた阿久津の手……もといドリルクラッシャーが紳士(パンツァー)の装甲(パンツァー)に深々と突き刺さった。

 

「いきなり大声上げてどうしたのよっ?」

 

 お前の声の方がでかいが、そんな突っ込みは置いておこう。

 少女の伸びた爪が刺さった結果、右手人差し指から血が出ている。この程度なら大した怪我じゃないが、あまりに不意打ちだったので叫ぶのも仕方ない。

 

「悪い悪い。ちょっと10tトラックと追突事故を起こしてな」

「すまない……手は大丈夫かい?」

「大丈夫だ、問題ない」

「問題ありだね。少し待ってもらってもいいかな?」

 

 出血している指を見た阿久津は立ち上がると、素早く鞄を探り出す…………あ、しまった。せっかく暗黒空間を見るチャンスだったのに見逃したな。

 少女は絆創膏(またの名をサビオもとい、カットバンもとい、バンドエイドもとい、キズバンもとい、リバテープ)を持ってくると俺に差し出す。

 

「これを使うといい」

「だから大丈夫だっての。この程度、唾付けときゃいんっ?」

 

 ガシっと手首を掴まれ、強引に引っ張り上げられた。

 そのまま阿久津に手を引かれ水道まで連行。少女は絆創膏を持った手で蛇口を捻ると、俺の傷口を洗い流すために自分の手もろとも流水の中へ突っ込んだ。

 

「確かに唾液は優秀だけれど、口内は雑菌が含まれているよ」

「ちょっと血が出たくらいで、大袈裟過ぎるだろ」

「はあ……キミが適当に止血するだけなら一向に構わないさ。でもそれで天海君の百人一首に血が付いたらどうするつもりだい?」

「う……」

 

 相変わらずコイツの言うことは正論で困るな。

 自分の手を拭き終えた阿久津は、ハンカチを俺に手渡す。いつも使っている藍染めの一品をありがたく借りつつ、血は付かないように注意して拭いた。

 

「わかったよ。俺が悪かった」

「別にキミが謝る必要はない。元はと言えばボクのせいだからね。ほら」

「サンキュー…………っておい!」

 

 ハンカチと引き換えに差し出されたのは、可愛い猫が描かれた絆創膏。阿久津にしては女子らしいグッズに少し驚きだが、別に突っ込んだ理由はそこじゃない。

 俺が受け取ろうとした瞬間に、少女は何故かサッと手を引いた。お礼の言葉はちゃんと言った筈だが、今度は一体何を言われるというのか。

 

「ボクが付けよう」

「…………へ?」

「利き手の利き指だと巻きにくいだろうからね。ボーっとしていないで、こっちに指を出してくれるかい?」

 

 思わぬ提案にキョトンする。

 ぶっちゃけ巻きにくいなんてことは全然ない。確かに俺は不器用だが、流石に絆創膏くらい利き指だろうと普通に巻ける。随分と甘く見られたもんだ。

 しかしここで反抗したら「失敗して絆創膏を無駄にされるのは困るけれどね」とか言い返される気がするし、黙って大人しく指を出すべきだろう。

 

「…………」

 

 少女の細い指先が、丁寧に俺の人差し指へと絆創膏を巻いていく。

 実際にやってもらってから気付いたけど、ひょっとしてこれ結構貴重な体験だったりするんじゃないか?

 シチュエーション的には、慣れない夕飯を作ろうとした夫のイメージだ。

 

 

 

『全く、包丁を使う時は猫の手と言ったじゃないか』

『悪い悪い。隣にいた嫁が可愛過ぎるせいで、よそ見しちゃってな』

『ば……馬鹿なことを言っていないで、早く残りを切ってくれるかい? 朝食がおかず抜きになってもボクは知らないよ』

『おかずならあるさ。ここにな』

『ボクをおかず呼ばわりとはね。メインディッシュじゃないのかい?』

 

 

 

(…………良い! 凄く良い!)

 

 心がぴょんぴょんして、トゥンクトゥンクもしてる。

 阿久津が水洗いをせずに俺の指を咥えてくれたら満点だったが、流石にそこまで贅沢は言うまい。ああ、これがラブコメの波動を感じるってやつか。

 

「しかしボクを10tトラック呼ばわりとはね。いい度胸しているじゃないか」

「………………すいませんでした」

 

 ラブコメの波動は、いてつく波動によって打ち消された。現実は非情である……っていうか阿久津さん、この絆創膏ちょっとキツくないですか?

 応急処置も終わり試合再開。冬雪が眠そうに欠伸をし、火水木が何故か眼を逸らし、伊東先生が妙にニヤニヤしていたのは全て気のせいだと思う。

 

「陸奥の――――」

『パシッ』

 

 札の位置を覚えていたのか、阿久津が早々に手を伸ばす。流れるように札を取っていく少女に手も足もでないが、そこは大した問題じゃない。

 俺の中で生じる微かな疑問。ひょっとしたら偶然かもしれないとも考えたが、ゲームが進んでいくにつれてそれは確信へと変わっていった。

 

「恋すてふ――――」

『ペタッ』

「逢ふことの――――」

『ピトッ』

 

 …………阿久津が札を飛ばさない。

 原因は間違いなく先程の一件だろうが、これは予想だにしない緊急事態。相変わらず正座を崩す様子もなく、このままでは暗黒空間すら見えないままだ。

 

「君がため・惜しからざりし――――」

 

 そうこうしている間に、どんどん枚数が減っていく。

 状況は3:7くらいで劣勢。どうすればいいか考えるせいで判断が遅れ、余計に差が開く一方という悪循環に陥っていた。

 

「…………なあ阿久津」

「何だい?」

「全力とか言った癖に手加減か?」

「そういう台詞は、優勢になってから言ってくれるかい?」

 

 確かにコイツの言う通りだ。

 そっちがそのつもりなら、こっちにだって考えってもんがある。

 

「由良――――」

「っ?」

 

 阿久津側にあった札を、勢いよく吹き飛ばした。

 五十枚全ての位置を把握するなんて集中力のない俺には無理だが、枚数が減ってくれば話は別。どこに何の句があるか段々と把握できてくる。

 

「わかったよ。ちょっと本気の本気出す」

「今更かい?」

「有馬――――」

「!」

 

 一旦、スカートの中を覗くことは忘れよう。

 迷いが晴れ集中した結果、連続で札を飛ばす。これでも米倉家で時折行われるトランプのスピード勝負では定評があり、反射神経と速さには自信があった。

 

「中々やるね」

 

 そんな俺を見た阿久津は不敵に笑う。まだまだ勝負はこれからだ。



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三日目(土) さしも知らじな・燃ゆる思ひをだった件

「やす――――」

「「!」」

 

 阿久津も動いていたが、僅かに俺の方が早い。そりゃ『札を取る』にはブレーキも必要だが『札を吹き飛ばす』ならアクセル全開で済むからな。

 一々取りに行ったり並べ直したりするのは面倒だが、目の前の少女にも札を飛ばして貰うためにはこの方法で追い詰めるのが一番効く……筈だった。

 

「少しキミを甘く見ていたよ」

「そりゃどうも」

「普段からこれくらい本気の本気を見せてくれると助かるね」

「たまに見せるから本気の本気なんだよ」

 

 高校受験でもそうだったけど、俺は基本的に追い上げ型だからな。

 阿久津側の札を取ったため、自陣に残っている印象の薄い札を選んで渡す。この中だとさっき阿久津から渡された『ものやおもふとひとのとふまで』か。

 

「そろそろお前も本気を見せろよ(スカートの中も見せろよ)」

「キミと違って、ボクは最初から全力だよ」

「最初だけの間違いだろ? これが飛ばすための並べ方だって言ったのはお前だぞ?(そして冬雪が暗黒空間の素晴らしさを教えてくれたんだぞ?)」

「今のボクが出せる全力はこれが限界さ。確かに競技かるたは基本的に飛ばすことが前提だけれど、無理して飛ばす必要もないじゃないか」

「飛ばしてくれなきゃ困るんだよ!(立ってくれなきゃ困るんだよ!)」

 

 半ば心の声が漏れているが、話を切り出すのは今しかない。

 ようやく五分五分にまで持ち込み今の一枚を俺が取ったことで、残り枚数は三枚VS四枚と逆転。自分でもここまで追い詰めたことに驚いている。

 こんなことなら賭けの条件を『負けた方が買った方の言うことを何でも一つ聞く』とかにしておけば良かった。まあそんな提案、絶対できないけどさ。

 

「困ると言われても、怪我をされる方が困るけれどね」

「そんなこと気にすんなっての」

「キミが気にしなくても、ボクは気にするよ」

 

 それ以上に俺は気になるんだよ!

 勿論そんな台詞を言える訳もない。こうなったら最後の手段を使うしかないな。

 

「俺に負けるのが怖いのか?」

「そんな安い挑発に乗ると思うかい?」

 

 来いよ阿久津! ガードなんか捨ててかかって来い!

 そんな感じで焚き付けるつもりだったが、効果は皆無のようだ。そりゃまあ格下に認識している男から煽られても、痛くも痒くもないか。

 

「筑波嶺の・峰より落つる・みなの川・恋ぞ積もりて・淵となりぬる」

 

 こうしている間にも、伊東先生によって次々と上の句が読まれていく。幸いにも空札だったが、時間はほとんど残されていない。

 

「じゃあ高級な挑発なら乗ってくれるか?」

「そういう問題じゃないけれど、内容次第で乗るかもしれないね」

「マ……マイヒップPENPEN!」

 

 熱くさせるどころか笑われてしまった。しかも隣で戦っている冬雪と火水木も話を聞いていたらしく、ツボに入ったようで噴き出している。

 

「玉の緒よ・絶えなば絶えね・ながらへば・忍ぶることの・弱りもぞする」

「キミがそこまでする理由が知りたいね」

「理由って言われてもな……強いて言えば全力じゃないお前に勝つよりも、全力のお前に負ける方がまだ気分が良いだけだ」

 

 本当は男のロマンという大切な理由がある。

 ただ阿久津に本気を出してもらいたいというのも、また嘘偽りない事実だ。

 

「…………確かに、キミの言う通りかもしれないね」

「わび――――」

「っ?」

 

 別に集中を切らしていた訳じゃない。

 しかし俺の手が触れるより一瞬早く、阿久津の手が札を払い飛ばしていた。

 

「そういうことなら付き合おう。櫻、三枚勝負だ」

「阿久津……おうっ!」

 

 立ち上がった瞬間に声を掛けられたため覗き損ねたが、不思議と心がワクワクする。いや別にそういう不埒な理由じゃなくて、真面目な方で。

 互いの陣地にある残り枚数は三枚ずつ……これが正真正銘ラストチャンスだ。

 

「夜もすがら・もの思ふころは・明けやらぬ・ねやのひまさへ・つれなかりけり」

「「…………」」

「瀬をはやみ・岩にせかるる・滝川の・われても末に・逢はむとぞ思ふ」

「「…………」」

「ちは――――」

「っ!」

 

『ちはやぶる・神代も聞かず・竜田川・からくれなゐに・水くくるとは』

 

 これは有名であるためしっかり覚えている。ただ逆に印象が強すぎるせいで、上の句と下の句全ての文章が頭に浮かんでしまった。

 一瞬スタートが遅れただけで、阿久津が俺の陣地にある札を飛ばす。

 

「甘いね」

「くそ……」

「これはキミに返すよ」

 

 そう言った少女は先程の俺が返却した『ものやおもふとひとのとふまで』を再び渡してきた。恐らくはこの句が印象に薄く苦手なんだろう。

 そして待ちに待ったチャンス到来だ……暗黒空間を拝むなら今しかない!

 

「ちょっとツッキー、追いつかれてるじゃない!」

「……ヨネ、強い」

「――――っ!?」

 

 残念ながら、阿久津が札を取りに立ち上がることはなかった。

 集中していて気付かなかったが、先程何枚か読まれた際に二人の戦いは終わっていたらしい。いつの間にか冬雪が隣で見守っており、逆側へ回り込んでいた火水木は飛んできた札を拾い上げると阿久津へ手渡した。

 

「ありがとう。勝ったのは天海君かい?」

「勿論!」

「……今度またやりたい」

 

 冬雪の提案は嬉しいが、ギャラリーが付いていては覗くに覗けない。この後で俺と火水木と勝負するなんて空気も一切なく、計画は完全に破綻する。

 

「今来――――」

「!」

 

 そして余計なことを考えたせいで、反応が鈍ってしまった。

 またも俺の陣地にある札を、少女が勢いよく吹き飛ばす。それを冬雪が回収する中で、阿久津は自陣に残っている二枚の札から悩むことなく一枚を選んだ。

 

「あーあ、勝負ありっぽいわね」

「最後まで諦めちゃいかん」

「諦めたら?」

「コラ画像みたいなことを言うな」

 

 しかし火水木の言う通り、残り一枚となったこの状況で阿久津に勝てる気がしない。こうなったら読まれる札にヤマを貼るしかないな。

 

『忍ぶれど・色に出でにけり・わが恋は・ものや思ふと・人の問ふまで』

『人はいさ・心も知らず・ふるさとは・花ぞ昔の・香に匂ひける』

『来ぬ人を・松帆の浦の・夕なぎに・焼くや藻塩の・身もこがれつつ』

『かくとだに・えやは伊吹の・さしも草・さしも知らじな・燃ゆる思ひを』

 

 残っているのはこの四枚。最初の三枚が俺の陣地にある札で『忍ぶれど』と『人はいさ』は先程阿久津から渡された句である。

 となると賭けるなら、恐らく彼女が苦手としているこの二枚しかない。

 

「明けぬれば・暮るるものとは・知りながら・なほ恨めしき・朝ぼらけかな」

「「…………」」

「ながからむ・心も知らず・黒髪の・乱れてけさは・ものをこそ思へ」

「「…………」」

「契りきな・かたみに袖を・しぼりつつ・末の松山・波越さじとは」

「「…………」」

「来ぬ――――」

「「っ!」」

 

 三度の空札が続いた後で、雌雄は決する。

 俺の陣地にあった札を、阿久津が凄い速さで払い飛ばした。

 

「という訳で第一回の優勝はツッキーでした!」

「くそ……こっちの二枚が来てたらな……」

「どうしてだい?」

「ヤマ張ってたんだよ。だってこれ、お前が苦手な札なんだろ?」

「別にボクは苦手な札をキミに渡した訳じゃないよ。得意な札だからこそ相手に渡す場合だってあるだろうし、他にも色々と理由はあるさ」

 

 となると阿久津の場に残っている『かくとだに』を狙うべきだったのか?

 まあ色々と考えたところで負けは負け。最後に立ち上がる瞬間に期待するも、黒タイツの奥は黒一色で暗くて見えないままだった。

 

「……こんにゃく」

「いきなりどうしたんだい音穏?」

「……覚え方」

 

 どうやら冬雪は俺の教えをしっかり身に着けていたらしい。来ぬやくやでこんにゃくと覚えていたが、ちょっと覚えにくいんだよな。

 

「キミも少しは、百人一首を意味で覚えるべきだね」

 

 自陣に残していた一枚を握り締めたまま、阿久津は溜息を吐くのだった。



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三日目(土) 家に帰るまでがバレンタインだった件

「そうそう。入試休みの二日間のどっちか、皆でネズミースカイ行かない?」

 

 帰り支度を済ませ陶芸室の電気を消した後で、靴に履き替えていた火水木が思い出したかのようにそんなことを口にする。

 アキトから前もって聞いていた情報通りの提案。入試休みのネズミーはアニメにおける水着回くらいに定番であり、ウチのクラスでもそんな話は出ていた。

 

「……金曜なら大丈夫」

「ボクは両方空いているね」

「ネックは?」

「ん? 空いてるけど、俺もか?」

 

 こういう誘いにおける火水木の言う皆=夢野を含めた女子四人組であり、普段なら俺が入ることはない。一応この場では知らなかった体を装っておこう。

 確かに入試休みのネズミーはお決まりだが、それは男のみや女のみのグループで行く場合。男女混合という話はハードルが高いのか滅多に聞かない。

 

「櫻を連れて行くのかい?」

「俺をパーティーに加えていると、たまに敵の攻撃を無効にするぜ!」

「RPGで割といるけれど、確率が低くて役に立たないイメージが強いね」

「そんな、酷い……」

「……敵って?」

「閉園後もネズミースカイに残ってると、いきなり背後から声がするんだ」

 

 

 

『ハハッ! どうしてこんな時間にゲストがいるのかな!』

 

 

 

「……ネズミーはそんなこと言わない」

「アタシも散弾銃持って追いかけてくるって聞いたことあるわね」

「……ネズミーはそんなことしない」

「二人とも、冗談はその辺にすべきだよ。夢の国をホラーワールドにしてどうするんだい? 音穏をからかって何かいいことでもあるのかい?」

「現実の厳しさを教えようと思った」

「ユッキーが良い反応するからつい」

「まあ今回の企画がパーになってもボクは別に構わないけれどね」

「「すいませんでした」」

 

 俺と火水木が揃ってマッハで頭を下げる。せっかくネズミースカイに行くってのに、こんな都市伝説を聞かされたらオチオチ夢も見られないよな。

 

「そうそう、メンバーの話だったわね。ほら、今までって陶芸室でパーティーばっかだったし、そろそろ皆で遊びに行ったりしたいじゃない?」

「同意を求められても困るね」

 

 そんなことはない。現に俺は物凄く一緒に行きたいぞ。

 

「……ヨネ以外も誘う?」

「一応予定としてはクリスマスの時と同じメンバー、陶芸部にユメノンとオイオイを追加した六人にするつもり。まだオイオイには聞いてないけど」

「ん? アキトは来ないのか?」

「あー、何か知らないけど今回はパスだって」

 

 アイツなりの気遣いかもしれないが、後で本人に聞いてみるか。

 話の途中で校門前に到着したため、詳細は後日連絡すると火水木が切り上げた。

 

「それじゃ、またネック」

「……お疲れ」

「ああ」

「浮かない顔をして、どうしたんだい?」

 

 棒付き飴を咥えた少女が不思議そうに尋ねてくる。

 その原因は言うまでもなく、未だに阿久津のチョコを貰っていないからだった。

 

「いや、ちょっと考え事をしてただけだ。じゃあな」

「ボーっとするのは構わないけれど、事故だけは勘弁してほしいね」

「わかってるっての」

 

 梅の誕生日プレゼントを貰った時みたいに呼び止められるかと期待したが、世の中そんなに甘くないと痛感。髪を切ったのは気まぐれだったのかもしれない。

 三人と別れた後で自転車に跨り溜息を一つ。貰えるかもという期待があっただけに落胆こそしたものの、ペダルを漕ぐ足はそれほど重くなかった。

 何故ならまだ俺には最終兵器彼女……ではないが、貴重なプレゼンターが残っている。当然忘れるなんてこともなく、真っ直ぐにコンビニへと向かった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 今ではすっかり見慣れた、コンビニ制服姿の夢野が笑顔で出迎える。

 そういやバレンタインに女性店員のレジでチョコを買って、わざと置き忘れることでチョコを渡して貰うなんて斬新な手法を昔やろうとしたこともあったっけな。

 

「…………」

 

 しかし今の俺には【約束された勝利の菓子(エクスチョコバー)】がある。

 店内に客がいなくなった後でレジへ向かう。何も買わずに会いに行って貰えなかったら恥ずか死なので、桜桃ジュースとガム類を補充のために買っておいた。

 

「あ、袋なしで」

「はい。かしこまりました。お会計、380円になります」

 

 いつも通りのやり取りを経て、500円で支払いを済ます。スタッフ募集中の張り紙がふと視界に入るが、数時間バイトすれば携帯料金なんて簡単に払えるのか。

 

「お箸はお付けしますか?」

「ん?」

「また募金する?」

「勘弁してください」

 

 見覚えのある金額が表示されたのを見て、少女が小声で囁く。夢野にとっては良い思い出かもしれないが、俺にとっては黒歴史に近いレベルだ。

 

「120円のお釣りと、レシートのお返しです」

「……………………」

 

 まさか阿久津だけじゃなく、夢野まで肩透かしか?

 そう諦めかけた矢先、少女は足元から紙袋を取り出す。

 

「こちら、サービスになっております……なんてね」

「えっ?」

「ハッピーバレンタイン。それに誕生日おめでとう米倉君」

「あ、ああ、ありがとうな!」

「どう致しまして」

 

 やっぱり落としてから上げられると効果が違う気がする。可愛い笑顔を見せる夢野へ釣られるように、紙袋を受け取った俺は自然と笑みを浮かべていた。



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三日目(土) 俺の誕生日がバレンタインだった件

「トントント~ン。幸せをお届けするデリバリー梅で~す」

 

 夕食を終え風呂も済ませ、火水木のチョコを自室で美味しくいただいていた時のこと。珍しくドアをノックした梅だが、こちらの返事も待たずに入って来る。

 

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ? お兄ちゃんにお届け物だけど、デリバリーって違ったっけ?」

「ん? いや、なら合ってるけど……何だそれ?」

 

 パジャマ姿の梅は、掌サイズの小さな箱を持っていた。別に密林で注文した記憶はないし、コイツからのバレンタインは既に貰っている。

 もし、仮に万が一あれがチョコだとしよう。そうすると我が家に直接届けに来るような相手は限られているが……ひょっとして、まさか阿久津が……?

 

「にっひっひ~。お兄ちゃん、このチョコ誰からだと思う?」

「何っ!? そいつをこっちに渡せ!」

「どうしよっかな~? よし、可哀想だから渡してあげよう」

 

 無駄に勿体ぶった妹は、卒業証書でも渡すかの如く丁寧に差し出す。慌てて受け取った俺はリボンを解くと、シンプルな小さい箱の中を開いた。

 

 

 

『ハッピーバース&バレンティン❤ 櫻の心にデュークホームラン♪』

 

 

 

「梅ぇぇぇぇーっ!」

「はえ? どったのお兄ちゃん?」

「覚悟しろよ! この虫野郎っ!」

「エェーッ? お兄ちゃん酷っ! 桃姉からのバレンタイン届けてあげたのに、何で梅が虫野郎呼ばわりされなきゃいけないのっ?」

「姉貴からなら姉貴からと先に言えっ! お前なんかアレだっ! テントウムシだっ! ショウリョウバッタだっ! カタビロトゲトゲだっ!」

「何その最後の虫っ?」

 

 せっかく諦めがついたのに、何故追い打ちをかけるのか。まあ阿久津がこんな手紙を添えてきたら、それこそショック・ショッカー・ショッケストだけどさ。

 

「あれ? ギョギョーッ! お兄ちゃん、まさか今年は貰えたのっ?」

 

 机の上のチョコを見て気付いたのか、梅がオーバーリアクションで驚く。虫呼ばわりされたのが嫌だからって、無理矢理に某魚様の真似すんなよ。

 完全に馬鹿にされているが、中学三年間の実績を考えると仕方ない。バレンタイン終了のお知らせなんてなかった。だって俺の誕生日も消滅しちゃうし。

 

「まあな。高校デビューしてきた」

「凄いすごーい! これ誰から貰ったの?」

「火水木だ」

「……………………」

「え? 梅さん、何でそんな冷たい視線?」

「梅引くわ~。いくら女の子から貰えないからって、超えちゃ駄目なラインを通り越して同性愛に目覚めたお兄ちゃんに悲しくなっちゃうわ~」

「は……? あ、そういうことか」

 

 姉貴が知っているから顔見知りのイメージだったが、コイツはアキトと会ったことはあるけど火水木とは面識がないんだったっけ。

 つまり梅の中では、俺が男からチョコを貰ったことになっている訳だ。これぞまさに友チョコならぬホモチョコ……って、やかましいわ。

 

「違うっての。お前がボランティアで会った火水木に、双子の妹がいるんだよ」

「いやいや、嘘吐くなら六つ子くらいにしてよお兄ちゃん」

「嘘松じゃねーよっ! 別に『ちょっと待って!』から始めてないし、盗み聞きもしてなければジュースも噴いてないだろっ? ちゃんと姉貴も会ってるっての!」

「あ、本当なんだ。良かった~」

「掌返すの速いなおいっ? 少しは兄を信じろよっ!」

 

 そもそも同性愛だって立派な恋愛だぞ。まあこのタイミングで言うと、また疑惑の目を向けられそうだから言わないけどさ。

 

「ま~ま~。双子ってやっぱ似てるの?」

「いや、微妙だな」

 

 異性の一卵性双生児は基本的に生まれないので、アイツらは二卵生双生児。まあ一卵性だろうと似てないケースもあるし、双子=そっくりとは限らない。

 初見で阿久津や冬雪も気付けなかったことを考えれば、アキトと火水木は似ていると言うほどではない。まあ中身の方は色々とそっくりだけどな。

 

「ちなみにそっちの箱が冬雪だ」

「冬雪ちゃんのっ? 見てもいいっ?」

「いいぞ」

 

『カパッ』

 

「…………お兄ちゃん、中身は?」

「食った」

「何を見せたかったのっ?」

「箱」

「梅チョップ!」

 

 真面目に答えたのに殴られた。兄妹揃って手作りとは気付かないか。

 箱について説明するのも何か面倒臭かったので、先に気になる最後の戦利品を取り出す。俺も未だに中身を見ていない、夢野からのバレンタインだ。

 

「まだあったっ! 全部で何個貰ったの?」

「これが最後だ」

「はえー。三つも貰えるなんて、モテ期到来だねお兄ちゃん! ホワイトデーのお返しだけじゃなくて、食べた後は感想も言ってあげなきゃ駄目だよ?」

「わ、わかってるっての」

「それじゃ練習! 梅のチョコに感想は?」

「あー、黒かった。黒くて、めっちゃサンダーしてたな」

「10点」

「マジかよ。あと5点欲しかったな」

「100点満点だよっ?」

 

 そんなこと言われても、駄菓子に感想なんてない。いっそ梅も姉貴を真似て手作りの一つでも……いや、失敗作の毒味をさせられそうだし黙っておこう。

 

「そいでそいで、これは誰からなの?」

「夢野からだよ」

「蕾さんっ? お兄ちゃん、本当にモテモテじゃん!」

 

 本当じゃないモテモテって何なのか教えてほしい。

 色々と深い事情がなければ、コイツと同じように考えて素直に喜んでいたかもしれない。見せて見せてとせかす梅のリクエストに応えて、少し大きめの箱を開けた。

 

「ジャーン!」

「…………」

「………………」

「……………………お兄ちゃん、何したの?」

「うん、何したんだろうな?」

 

 中から出てきたのは、ハート形をしたチョコレート。しかしそのど真ん中には、梅が白い目で見るのも納得できるくらい見事なまでに亀裂が入っていた。

 

「梅引くわ~。ヒビ入りハートを貰うお兄ちゃんとか、泣いちゃうわ~」

「いやいやいやいや、別に嫌われてるとかそういうやつじゃないからっ! 多分自転車で揺られてヒビが入ったに違いない。うん、きっとそうだ」

「それはそれで、デリカシーがないと思わないかい?」

「ぐはっ!」

 

 梅による阿久津の物真似がクリティカルヒット。しかも前よりクオリティがアップしている分だけ性質が悪く、ペタリと膝をつきorzな姿勢になる。

 それに今までの夢野の性格を考えると、わざとヒビを入れた可能性もあるかもしれない。仮に意図的だったら指摘しないのも変だし、偶発的なら話すべきじゃない……おお、どうすりゃええねん。

 

「…………ん?」

 

 ふと目の前にある紙袋の底に、小さな細長い包みが残っていることに気がついた。

 何かと思い取り出してから、ゆっくりと包みを開ける。

 

「わっ? 何それっ? ストラップっ?」

「みたいだな。こういうのって何て言うんだ?」

「お兄ちゃん知らないの? アイロンビーズだよ!」

 

 バレンタインが俺の誕生日と知っていた夢野はチョコとプレゼントを一纏めにすることなく、とっておきの贈り物を用意してくれていた。

 長年世話になったキノコストラップを外し、プレート状に細かいビーズでドット絵として表現された手作りのクラリ君を付ける。携帯には新旧二つのクラリ君が揃ったが、片方がボロボロ過ぎてとても同じキャラには見えなかった。



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六日目(火) アキトラップとオタノートだった件

「第一回!」

「チ、チキチキ……?」

「バレンタイン結果発表会だお!」

「「「イエーイ!」」」

 

 毎度おなじみ、昼休みの教室。台詞だけ聞いたらノリノリっぽいが、台詞の打ち合わせがあったり、実際は割と小声だったりするのは言うまでもない。

 まあクラスに残っている男子の中には火水木ばりに声がでかい奴もいるし、冬雪と如月が着替えに行っていない今なら別に問題ないけどな。

 

「エントリーナンバー一番。アキト選手の個数はっ?」

「七個だお」

「おおっと! これはいきなりのハイスコア! 優勝は決まりでしょうかっ?」

「す、凄いねアキト君」

「七個全てが天海氏の残りものですが何か?」

 

「「「…………」」」

 

「さあ気を取り直して、次の選手に参りましょう!」

「エントリーナンバー二番は米倉氏だお。一体何個貰ったので?」

「一応五個だな」

「リア充爆発しろ」

「さ、櫻君も凄いね」

「二個は家族からだし、誕生日効果付きで三個なんだぜ?」

 

「「「…………」」」

 

「さあ最後を飾るのはエントリーナンバー三番、葵選手ですっ!」

「ぶっちゃけこの結果発表、最初からこれが聞きたかっただけな希ガス」

「えっと……い、言わなきゃ駄目かな?」

「米倉氏。特別に許してあげてもいいのでは?」

「却下だ。チョコは甘くても、世の中はそんなに甘くないんだよ」

「誰うま」

 

 そうだ……この世界は……残酷なんだ。

 モジモジしながら視線を逸らす葵を見て、アキトが何やらぬるいことを抜かす。確かに可愛いは正義かもしれないが、男女平等パンチって知ってるか?

 

「さあ言え葵。ジャッジメントですの」

「に」

「死刑」

「えぇっ? な、何でっ? 僕まだ二しか言ってないよっ?」

「二個な訳ないだろうがっ! 二十個とかふざけんなっ!」

「ちょい待ち米倉氏。二百個の可能性も微レ存」

「ええぇっ?」

 

 優勝のわかりきっていた出来レースだが、文字通り桁違いの勝負だった。ってか二十個とか何なの? ぃみゎかんなぃ。もぅマヂ無理。アシカしょ……。

 

「オウッオウッオウッ!」

「と、突然どうしたの櫻君っ?」

「アオウッ! アオウッ! アオイッ! ニクイッ!」

「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!」

「で、でも僕もほら、全部友チョコと義理チョコだし」

「五個」

「七個カッコカリ」

「ご、ごめん……」

 

 謝られると逆に罪悪感を覚える不思議。アキトなら迷わずヘッドロックだが、そんなことをすればクラスメイトからのヘイトが増えること間違いなしだ。

 二十個も貰っていれば一つくらい本命がありそうなものだが、葵というキャラクターを考えると友チョコと義理チョコだけってのも普通にありえるか。

 

「あーあ。アホなことしたら眠くなってきたぞ。どうしてくれる葵」

「えええぇっ? ぼ、僕のせいなの?」

「先刻の授業の時点で既にウトウトだった件」

「何で先頭のお前がそれを知ってるんだよ?」

「後ろへプリントを回す際に、渡辺氏の陰に隠れた米倉氏が船漕いでるのを偶然にも目撃してますしおすし」

「なら話は早いな。アキト、生物のノート貸してくれ」

「そのパン一つくれるなら、拙者の机から持って行って構わないお」

 

 昨日でテスト一週間前になったが、暖房のせいで四限の生物にうっかりウトウト。一度黒板を写し損ねると、モチベーションって一気に下がるよな。

 今日の昼飯は購買じゃなく、たまの気分転換にコンビニで買ったスティックパン。それを一本渡してからアキトの席へ向かい、生物と書かれたノートを開く。

 

 

 

 国語「生物を勉強するようだな」

 数学「ククク……奴は五教科の中でも最弱」

 社会「一夜漬けでも何とかなるとは、理科の面汚しよ!」

 英語「My father is taller than you.」

 

 

 

「ぶふっ!」

 

 想定外の英文に思わず噴いた結果、傍にいた女子から疑惑の視線を向けられた。何でもないと慌てて誤魔化しつつ、自分の席へと早足で戻る。

 

「おいアキトっ! これ世界史だけじゃなかったのかよっ?」

「ふも?」

 

 もぐもぐと口を動かしていたガラオタに、ノートの一ページ目を見せた。

 

「その手のコピペなら拙者のノートには全教科書いてあるお」

「何でだっ?」

「勉強ってのは、いかに面白おかしくやるかですしおすし」

 

 昔の俺が数学で『兄を追いかける弟』とかに突っ込んでたのと同じか。何をそんなに毎回毎回忘れ物をして、そして何故兄は徒歩で弟はチャリなんだ。

 このアキトの罠、アキトラップに掛かったのは初めてじゃない。以前に世界史のノートを授業中に見せてもらったことがある。

 

 

 

【国語】 えー、中国に仏教伝来は67年です。

【数学】 10000011年でーす。

【理科】 ホルミウムっす。

【英語】 WRYYY(オライッ、オライッ)

 

 

 

 …………うん、確かこんな感じだった気がした。幸い当時は元ネタを知らず笑いのツボに入ることはなかったが、今思えば決まって英語がオチ担当なんだな。

 

「ど、どうしたの櫻君?」

「ほれ」

「…………っ! げほっ、えほっ」

 

 ガラオタノート……いや、オタノートを見て葵がむせた。心臓麻痺か?

 

「なあこれ、他のノートにはどんなアキトラップが仕掛けてあるんだ?」

「YOYO。見たいならYO。好きに見ていいYO」

「区切る所が違うんだYO」

 

 見ていい言われると気になってしまい、再びアキトの席へ向かう。適当にノートを三冊ほど抜き取った後で、自分の席に戻ってから中身を確認した。

 

 

 

 ――英語――

 

 英語「英語やりませんか……?」

 国語「ダメだよ! もっと自分の教科をアピールしなきゃ!」

 英語「え、英語やりませんかっ?」

 国語「下向いてちゃ何も伝わらないよ! もっと大声出して!」

 英語「英語やりませんかっ!」

 国語「やらない!」

 英語「Fuck!」

 

 

 

 ――数学――

 

 国語:生活する上で必須な勉強。

 理科:擬人化、フッ素が可愛い。

 社会:戦争。

 英語:何それ。

 数学:狭義には伝統的な数論や幾何学などの分野における研究とその成果の総称として、またそれらの成果を肯定的に内包する公理と推論からなる論理と理論の体系を指して言うものである。また広義には超数学(メタ数学)などと呼ばれる枠組みに従って、公理と推論規則が定められた体系一般を指す。現代的な数学においては(以下略)

 

 

 

 ――国語――

 

「パンツを見ない」が未然形。

「パンツを見ます」が連用形。

「パンツを見る」が終止形。

「パンツを見るとき」が連体形。

「パンツを見れば」が仮定形。

「パンツを見ろ」が命令形。

「パンツを見よ」も命令形。

「パンツで興奮する」のが変態。

 

 

 

「…………なあアキト」

「どしたん米倉氏?」

「これ書くのに掛かった時間は?」

「一時間ちょいってとこだお」

「その対価は?」

「こうして米倉氏と相生氏の笑顔を見たことでござる……なんつって」

 

 バカと天才は紙一重というが、頭の良い奴のやることはよくわからんな。

 生物のノートで抜けていた部分を写し終えると、全てのノートを返し終えた後で最近の恒例と化している電子辞書の解錠作業へと入る。

 

「どの程度まで進んだので?」

「丁度半分。まあ3000まで打って開かないから、気分転換がてら9999から逆に入れ始めて8000まできたところだけどな」

「そういうやり方をした場合に限って、3500とかだったりする希ガス」

 

 妙なフラグを立てるのは勘弁してほしい。まあそれより怖いのは全部入力してもロック解除されずに、最初からやり直すってパターンだけどな。

 

「進んだと言えば、リリスの方は上手くいったのか?」

「う、うん。今日から放課後、四人で一緒に勉強することになったんだ」

「四人?」

「えっと……僕と部活の友達と、リリスさんとフンババさん。そ、そういえばフンババって調べたんだけど、フンババさんは別にフンババって感じじゃないからね?」

 

 こうして何度も言われると、フンババって中々のパワーワードだな。

 

「話の響き的には、何か合コンみたいだお」

「フンババさんフンババさん、一人飛ばしてフンババさんっ!」

「えぇっ? フンババさん多すぎだよっ?」

「最早フンババがゲシュタルト崩壊を起こしてる件」

「まあ、順調みたいで何よりだな」

 

 リリスと一緒に勉強する約束を取り付けるまで、一体どんな過程があったのか詳しくは知らない。アキトの提案した作戦はSNSでのやり取りであり、ガラケーの俺には協力できることもなく無縁だったからだ。

 

「あ! ネズミースカイの話も聞いたけど、二十七日の金曜日でいいんだよね?」

「みたいだな。そういやアキト、何で来ないんだ?」

「拙者が行った場合は七人になって、何をするにも半端になるお」

「ちょっと待て。そんな理由でか?」

「そんな理由と言われましても、リリスとペアになる確率的にも死活問題では?」

 

 俺が悩んでいた自己犠牲を、コイツはこうも易々とやってのけるのか。

 さらりと答えるガラオタに、思わず驚きを隠せない。いくら友の恋愛を応援するためとはいえ、女子とネズミーに行く貴重な機会を普通は棒に振らないだろ。

 

「あ、ありがとうアキト君」

「それに拙者にとって夢の国は、ヨンヨンのいるスマホの中ですしおすし」

 

 怪しく笑うガラオタだが、無駄に恰好良く見えたりする。外見はオタクの癖に中身は秀才かつイケメンとか、マジで何なんだよコイツ最強過ぎるだろ。

 

「…………なあアキト、今日の放課後って空いてるか?」

「どしたん米倉氏?」

「編集委員でアンケートやるんだが、集計手伝ってくれると助かる」

「ジュース一本で付き合うお」

「サンキュー。ちなみに冬雪と如月さんも一緒だ」

「集計どころか統計解析まで全て拙者に任せてもらおう。キリッ」

 

 人手は多い方が良いが、誘ったのは建前に過ぎない。

 もしアキトが俺の立場だったなら、一体どんな行動を取ったのか。リリスの件について俺がどうすべきか、コイツの意見を聞きたくなっている自分がいた。



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六日目(火) 渡辺無双とアキト夢想だった件

「じゃあ最初は『第一印象と違う男子&女子』からな。火水木と川村。渡辺と菅原。火水木と田中……と、これくらいの速さで言って大丈夫か?」

「……大丈夫」

「うし、続けるぞ。渡辺と川村。火水木と中川」

「太田黒と川村!」

「但馬と川村!」

「おいそこ! ややこしくなるから不正投票すんな!」

 

 テスト勉強のために数人の生徒が残っている放課後の教室。俺が回収したアンケート用紙の名前を読み上げつつ集計し、冬雪も確認に正の字でカウントしていく。

 そしてアキトはノートパソコンを弄り下準備を始め、如月がページの下書きを作成中。ちなみに今回作ったランキング項目は全部で九種類だ。

 

 

 

・第一印象と違う男子&女子

・ミスターC―3&ミスC―3(早く結婚しそうな人。未来の夫、嫁候補)

・C―3家族(父、母、兄弟、姉妹、ペットにするなら)

・彼女にしたい男子&彼氏にしたい女子

・夢を実現させそうな男子&女子

・謎が多い男子&女子

・笑顔が素敵な男子&女子

・世界に飛び立ちそうな男子&女子

・面白い男子&女子

 

 

 

 各項目に相応しい男女をそれぞれ一人ずつ。家族は父と兄弟に男子、母と姉妹に女子、ペットは男女問わずで、基本的には一枚に計21人の名前が書かれている。

 項目が多くて面倒という意見もあったが、やはりこの手の企画は楽しみなクラスメイトが多い模様。何だかんだでアンケートの最中は盛り上がっていた。

 

「――――火水木と川村…………と、これで全部だ。どんな感じになった?」

「……こんな感じ」

「ん……特にズレもなさそうだな。アキト、お前が一位だぞ」

「粉バナナ! 米倉氏が拙者を陥れるために仕組んだバナナ!」

 

 カチャカチャカチャッターンした後で、新世界の神を真似るアキト。変な言葉で喋るオタクと思わせてからの、実は頭脳明晰と二度驚く存在だもんな。

 順位は男女それぞれ一位から三位まで載せていく。休む間もなく次の項目に書かれている名前を読み上げていき、十数分ほど経過したところで全ての集計が終わった。

 

「……………………」

「これこそまさに神降臨ですな」

 

 

 

 第一印象と違う男子ランキング第二位の男、渡辺。

 ミスターC―3ランキング第一位の男、渡辺。

 C―3家族において父親部門ランキング第一位の男、渡辺。

 彼女にしたい男子ランキング第三位の男、渡辺。

 夢を実現させそうな男子ランキング第一位の男、渡辺。

 謎が多い男子ランキング第一位の男、渡辺。

 笑顔が素敵な男子ランキング第三位の男、渡辺。

 

 

 

「いくら何でもこれは酷過ぎるだろ……何冠だ?」

「一位だけで四冠な件」

「除名しろっ! オタノートに名前を書けっ! 削除削除削除ぉっ!」

「駄目だこいつ……早く何とかしないと…………草不可避」

「…………ちょっと待て。お前ちゃっかり五つもランクインしてないか?」

「フヒヒ、サーセン」

「馬鹿野郎ーっ! ガラオタァ! 何を打ってる? ふざけるなーっ!」

 

 ちなみにアキトは『第一印象と違う』の一位以外に、『世界に飛び立ちそう』と『謎が多い』の二位、『夢を実現させそう』と『面白い』の三位に輝いている。

 そして葵も『C―3家族兄妹部門』の一位と『彼女にしたい男子』でダントツ一位、そして『笑顔が素敵』の二位にランクインしていた。

 

「……ルーも一位、おめでとう」

「(ブンブン)」

「嫌なら俺の名前を女子の一位に誤植してもいいぞ?」

「米倉氏、プライドプライド」

「そんなくだらないプライドは……捨てる」

「所有権放棄じゃなく職務放棄ですね、わかります」

 

 これでも色々考えて作ったんだけどな……ランキングってのは入れば面白いけど、入らなければウンコだと思う。俺とか、俺とか、俺みたいにさ。

 首を横に振る如月は『謎が多い』の一位と『C―3家族姉妹部門』の二位。冬雪も『謎が多い』の二位と『夢を実現させそう』の三位だ。

 

「走って良し、守って良し、打って良しの三拍子揃ってる相生氏は納得だお。しかしパシって良し、ハブって良し、逝って良しの拙者とか、コレガワカラナイ」

「それ言いたかっただけだろ? 別にお前でも納得だっての」

「オタクに対する世間の風当たりも、そんな風に変わる日が来れば嬉しいお」

「どうだかな……さて、修正すっか」

「既に準備おkであります」

 

 そんな訳で、修正作業という名の情報操作が始まった。

 票数が上手い具合にバラけてくれれば良かったが、世の中そんなに上手くいかない。そのため複数ランクインしてる男、渡辺みたいな奴には補正を入れる。

 全員の名前を上手い具合に載せるような調整は中々に難しそうだが、今回はアキトが表計算ソフトを使った結果すんなりと振り分けが行われた。

 

「捏造し過ぎなマスゴミ化を避けるとなると、この程度が無難かと思われ」

「どれどれ」

 

 補正を掛けても一位三つに二位一つの男、渡辺。

 対する俺はと言えば『C―3家族ペット部門』の三位のお情けランクイン。こんなことなら『桜が似合いそうな男子&女子』とか作るべきだったかな。

 

「全員入ってるしオッケーだ。その画面残したまま、女子の方できるか?」

「お安いご用だお」

 

 男子の最終結果を紙に書き写しつつ、チラリと如月の方を見る。

 どうやら下書きは順調に進んでいるらしい。美術部だけあって絵も上手く、ふわふわした枠とファンシーなキャラのいる女の子らしいページができあがっていた。

 

「へー。良い感じだな」

「っ」

 

 褒めた途端に隠されるとか、どう接すればいいんだよ。

 

「……ヨネ、覗いちゃ駄目」

「いやそれ、どうせ後で何千人って生徒が見るんだぞ?」

「っ?」

「……そうやってプレッシャー掛けるのも良くない」

「何でだっ? プレッシャーかこれっ?」

 

 別にたかが生徒会誌の一つや二つ、適当で良いと思うんだけどな。

 まあ如月のことは冬雪に任せて、俺は自分のやるべきことをやろう。

 

「米倉氏。確認よろ」

「ん……大丈夫そうだな」

 

 女子の結果は男子と違い、割と票がバラけていたため修正箇所も少ない。まあウチのクラスにはアイドル的存在どころか、群を抜いて可愛い女子もいないしな。

 仮にC―3に阿久津がいたら『彼氏にしたい女子』の一位、夢野なら『笑顔が素敵』の一位、火水木は『夢を実現させそう』の一位をそれぞれ取った気がする。

 

「じゃあ如月さん、これで頼む」

 

 名前を呼ばれビクっと驚く少女に、最終結果をまとめた紙を手渡す。如月は首を小さく縦に振った後で、また黙々と絵の続きを描き始めた。

 これにて俺の仕事は終了。後は完成を待つのみだ。

 

「うし、アキト。俺の割り勘で飲みに行くか」

「ではお言葉に……ってそれ、ただの割り勘では?」

「冗談だよ。ちゃんと一本奢るっての」

「トンクス」

 

 如月の作業を眺めると萎縮させるし、だからと言って先に帰るのは流石に薄情過ぎる。俺達は一旦席を立つと、昇降口横にある自販機へ向かった。

 

「何にする?」

「ココアでオナシャス」

 

 自分用に桜桃ジュースを買った後で、今日は素直にココアを購入。他の教室にも生徒は残っており、どこからともなく笑い声が聞こえてくる。

 

「斎藤とか田中もいるのに、まさかここまで渡辺に偏るとはな」

「寡黙なイケメンが最強でQ.E.D.」

「成績優秀で不思議の多い面白オタクってのも追加で」

 

 考えてみれば、コイツに票が入る要素は色々とあるんだよな。

 それに比べて俺はイケメンじゃなければ、これといって際立った特技も技術もない。こんな魅力の一つもない奴に、そりゃ票なんて集まる筈もないか。

 

「思えばこのキャラも、すっかり板についてしまいましたな」

「ん? 元からじゃないのか?」

「いくら何でもこんな喋り方、誰も好きで始めないでござる」

「またまた。オギャーと生まれずに、オタァーって生まれたんだろ?」

「コポォ」

「あとガラガラの代わりにサイリウム振って」

「ドプフォ」

「痛車の三輪車でドリフト決めてるのかと思ってたけどな」

「フォカヌポウ」

 

 そういや最年少のオタクって一体何歳くらいなんだろう。従兄弟のチビッ子が小学校の高学年だけど、もう既にアニメ見てラノベ読んでるって言ってたな。

 

「まあ話すと色々長くなるお」

「じゃあいいです」

「テラヒドスッ!」

 

 その話はまた今度にするとして、今は別件で聞いておきたいことがある。

 

「…………なあアキト。リリスの件について、お前の見解を聞かせてほしい」

「見解と言いますと?」

「お前から見て、葵の勝率はどんなもんなんだ?」

「現状だと二、三割程度の見込みだお。ただあくまでも話を聞いている限りであって、拙者の知らない相生氏の部活事情を考えると何とも言えませんな」

 

 葵も夢野からバレンタインを貰ったとは言っていた。

 ただそれが俺と同じ、手作りかつハートの形をしていたのかは聞いていない。

 

「じゃあもしアキトが俺の立場だったなら、一体どんな行動を取る?」

「そう言われましても、拙者は米倉氏の立場を完全に把握はしていないかと」

「今お前が見たままで考えてくれればいい」

 

 ココアを飲み干したアキトは、容器をゴミ箱に捨てる。

 そして何も言わずに腕を組み考え込んだ後で、ゆっくりと口を開いた。

 

「先に言っておくと、これから話すことは拙者の場合の話。米倉氏は米倉氏の思うがまま、好きなように行動すべきだと言うことを忘れないでほしいお」

「わかってる」

「…………米倉氏は自尊理論という言葉は?」

「いや、知らないな」

「簡単に言うと、人は弱ってると恋に陥りやすくなるお」

 

 自尊心が低い時……つまり傷ついた時、人は自分を肯定してくれる他者を求める。

 すると当然、求めている相手だからこそ魅力を感じる。そして魅力は恋愛感情へと発展し、気付けば相談に乗ってくれた相手を好きになるという訳だ。

 

「………………」

 

 そこまで語った後で、アキトは躊躇うように口を閉ざす。

 入学当初は後悔したけど、コイツが友人で本当に良かったかもしれない。そう思いつつ、俺は代弁するように答えた。

 

「要するに、俺がリリスを傷つける悪役になればいいってことか」

 

 そして弱ったところを葵が支える。

 至ってシンプルな答えが出る中で、問題はそれをやる勇気と覚悟だった。

 

「人から嫌われるのは、人から好かれるのと同じくらい難しいお」

 

 アキトの言う通り、できる筈もない。

 好き好んで嫌われ役を演じ、とことん自分を卑下してヒールに徹する。そんな真似をする物語の主人公を見たことがあるが、現実は誰だって嫌われるのは辛い。

 …………ましてや、相手は夢野である。

 仮にそんな真似をすれば火水木からも、冬雪からも、そして阿久津からも嫌われるだろう。とてもじゃないが、そんな真似をすることはできなかった。

 

「拙者の考えた方法は三つあるお」

「?」

 

 頭の中で色々と考えを巡らせていた俺に、アキトが三本の指を立てる。

 

「一つ目は自ら嫌われるように振舞うこと。ただしそんな自己犠牲は特別な相手のためでもない限り非現実的な上、どう考えてもバッドエンドだお」

「二つ目は?」

「リリスが告白するのを待つケース。ただこれは相生氏が納得しないと思うお」

 

 まあ、いつになるかわからないような話だもんな。

 それに告白された相手が夢野を振るという確証があるならまだしも、仮に受け入れられでもしたら葵からすれば目も当てられない。

 一つ目も二つ目も欠陥があるなら、最後の策しかないだろ。

 そう考えていた俺は、アキトの話を聞いて驚愕した。

 

「三つ目は――――――」



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七日目(水) 暗証番号が5989だった件

「開いっ?」

 

 帰りのホームルームの最中にも拘わらず、思わず声を出してしまった。

 黒板の前で話をしていた担任のモジャモジャ組長、通称モジャ長がチラリとこちらを見るが、俺が慌てて視線を逸らすと淡々と話を再開する。

 

(マジか? マジでマジか?)

 

 手にしていた電子辞書の画面を改めて確認した。

 見間違いではなく『暗証番号を入れてください』の表示が消えている。

 苦節五日間……3000まで入力した後、逆から8000まで打ち込み、再び3001から順番に入れていたパスワードがようやく判明した瞬間だった。

 

(キターッ!)

 

 この感動を今すぐにでも分かち合いたく、俺は隣にいる如月を見る。

 少女は真面目にモジャ長の話を聞いているが、俺は凝視して呼びかけた。

 

(…………きこえますか……きこえますか……如月さん……米倉です……今……あなたの心に……直接……呼びかけています…………割と胸、ありますね……)

 

「っ!」

 

 おお、意外と届くもんだな。

 視線に気付いた如月はこちらを見るなりビクッと身を強張らせ、前髪で隠れている顔を再び正面に向ける……と、ここまではいつも通りだった。

 

「っ?」

 

 時間差で俺が見せていた電子辞書に気付いたのか、再びこちらを向く少女。見事なまでの二度見を披露してくれたが、如月のこんなリアクション初めて見たな。

 

「っ! っ?」

 

 おーおー、チラチラ見られてる見られてる。

 普段視線を合わせてくれない如月がこうも俺を見てくると、何か新鮮だし物凄く面白い。流石はC―3家族姉妹部門の二位、父性を刺激させられるな。

 

(まだモジャ長の話は続きそうだな……)

 

 とりあえず他人の辞書となれば、やることは一つだろう。

 長きに渡り封印されていた電子辞書が正常かどうか調べるためにも、検索履歴のボタンを押した。顔に似合わず下ネタとか調べてたりしてな。

 

 

 

『ここ』

『だけ【竹】』

『の(音節)』

『はなし【話】』

『わたし【私】』

『は(音節)』

『あなた【彼方】』

『が(音節)』

『すき【好き】』

『です』

『しんりてきりあくたんす【心理的リアクタンス】』

 

 

 

「………………っ?」

 

 軽い気持ちで覗いた結果、想像だにしない履歴を目の当たりにする。

 慌てて如月の方に視線を向けるが、先程まで何度も首を動かしこちらを見ていた恥ずかしがり屋の少女は俯いたまま動かない。

 

「…………」

 

 えっと……つまりあれか? これは本当にそういうことなのか?

 いやいや、ちょっと落ち着けって。確かに如月らしい告白ではあるけど、解錠要求したのは冬雪であって別に俺が直接依頼された訳じゃない。

 しかしそうなると、如月が本当に告白したかった相手は冬雪ってことになる。あれ……それはそれでレズゥな展開でマズイんじゃ…………?

 

『ガタッ』

「!」

 

 いきなり立ち上がり俺をビックリさせる男、渡辺。何だよ驚かせるなよ、てっきり百合と聞いてスタンディングオベーションしたのかと思ったじゃねーか。

 どうやらいつの間にかモジャ長の話が終わっていたらしい。クラスメイト達が散開していく中で、前の前にいた葵が俺の元へやってきた。

 

「さ、櫻君。もしかしてさっき、僕のこと呼んでた?」

「ん?」

「ほ、ほら。先生が話してる最中に、あいって大きな声で……」

「ああ、悪い悪い。別に葵を呼んだ訳じゃないんだ。ほら、開いたんだよ」

「えっ?」

 

 とりあえず今は、何も見なかったことにしておくべきか。

 俺は平静を装いつつ、何故か俯いたままの如月に電子辞書を差し出す。顔を上げた少女は受け取るのを二度三度躊躇った後で、恐る恐る手を伸ばしてきた。

 

「ぁ」

「ん?」

「ぁ………………ぁり…………………………」

 

 受け取った如月の口が僅かに動く。

 普段は授業中にしか聞けない、今にも消え入りそうな声。周囲がザワついているにも拘らず聞こえるということは、彼女なりに相当声を張っているのだろう。

 

「がっ」

「ぬるぽ?」

「っ?」

 

『如月閏は逃げ出した!』

 

 そんなウィンドウが表示されていそうな、見事な脱走だった。

 電子辞書を抱えたまま教室を飛び出した如月。そしてせっかくのお礼の言葉を台無しにしたガラオタが、その後ろ姿をボーっと眺めた後で俺を見る。

 

「つい反省的にやってしまった。今は反射している」

「逆だろ。何を反射してるんだよお前は」

「フヒヒ、サーセン。ところで如月氏が電子辞書を持っているように見えましたが、ひょっとして先程のモジャ長への愛の発言はもしや……?」

「愛を哀に訂正しろ」

「……ロック、外れたの?」

 

 出て行った如月を気にしていた冬雪が、静かに呟き首を傾げる。

 

「苦労した甲斐あってな」

「す、凄いね。番号って何番だったの?」

「5989だ。こんなことなら途中で逆走しなきゃ良かったぜ」

「……お疲れ」

「5989となると、語呂合わせで告白ですな」

「!」

 

 アキトの発言を聞いて発覚する衝撃の事実。

 となるとやっぱりあの履歴は、そういうメッセージだったんだろうか。

 

「なあ冬雪。何で如月さんは番号を忘れてたのにロックを掛けたんだ?」

「……別にルーがやった訳じゃない」

「ん?」

「……ルーが従兄弟のお古を貰って、最初から鍵が掛かってたって聞いた」

「何だ、そういうことかよ。ビックリしたっての」

「どしたん米倉氏?」

「実はかくかくしかじかで――――」

 

 つまりあの履歴を作り上げたのは、その従兄弟ってことか。

 ひょっとしたら別の誰かに見せる予定だったのかもしれない。中々にハイセンスではあると思うが、やっぱり告白は自分の言葉ではっきりと言うべきだろ。

 

「成程納得。しかしそうなるとマズイ事態なのでは?」

「は? 何がだ?」

「電子辞書を持って行った如月氏が履歴に気付いた場合、そのメッセージを作ったのが米倉氏と勘違いされる可能性がワンチャンあるお」

「……」

「…………」

「………………」

「いやいや、そんなまさか…………ちょっと行ってくるっ!」

「ちょい待ち米倉氏! 下手に追いかけると尚更誤解が発展する希ガス。如月氏の荷物は残ってる訳ですし、ここで待つ方が得策だお」

 

 確かにアキトの言う通りかもしれない。コイツは頭の回転も速いな。

 問題は如月がいつ帰って来るかだが、そんな心配をする必要もなかったらしい。既に少女は戻ってきており、前にあるドアからこちらの様子を窺っていた。

 

「……ルー、お帰り」

 

 如月にいち早く気付いた冬雪が声をかけると、男三人の視線も集まる。そのせいか少女は顔を引っ込めてしまったが、数秒後に後ろのドアから戻ってきた。

 その右手には、解錠された電子辞書。

 そして左手には、桜桃ジュースのペットボトルが握られている。

 

「ぃ」

「ん?」

「礼」

「御辞儀をするのだヨッター」

 

 またアキトが阿呆なことを言い出すが、決してそういう意味の礼じゃない。どちらかと言えば、某カンタ君が傘を差し出すシーンの方が合っているだろう。

 

「お礼って、貰っていいのか?」

 

 そう尋ねると、如月はいつも以上に首を縦に振った。買ったのが桜桃ジュースということは、何だかんだで彼女の視界に俺はちゃんと映っていたみたいだ。

 

「そっか。サンキューな」

「(ブンブン)」

 

 どう致しましてとばかりに、如月は首を横に振る。いつも通りの沈黙少女に戻ってしまったが、会話でコミュニケーションが取れたのは大きな進歩か。

 その後で冬雪が事情を聞けば、やはり履歴は従兄弟によるものだったことが判明。俺への告白だとか百合な展開なんてこともなく、事件は平和に解決した。

 

「………………」

 

 ただこの騒動が、後に一人の青年の心に影響を及ぼす。

 しかし俺はそんなことに気付かないまま陶芸室へ。今日が冬雪の誕生日なのを忘れていた結果、阿久津にやれやれと溜息を吐かれるのだった。



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十六日目(金) チャージは小まめにするべきだった件

「ふぁああ……はれ? ほにーふぁあああ」

「喋るのか欠伸するのか、どっちかにしろ」

「ふぁああ……っくしゅんっ!」

 

 まさかのくしゃみという第三の選択肢で答えた梅は、ストーブの前で丸くなる。

 

「こんな朝から制服着てどこ行くの? また家出?」

「またって……一回やっただけで人を常習犯扱いするな」

「だって今日も学校休みなんでしょ?」

「言ってなかったか? ネズミースカイに行くんだよ」

「へー。ネズ…………ヴェエエエッ?」

 

 波線みたいに細かった寝起きの目が、いきなりカッと見開いた。両親には伝えてあるが、どうやらマイシスターは聞いていなかったらしい。

 

「何でいきなり一人ネズミーっ?」

「何でいきなり一人扱いっ?」

「一人じゃないのっ? じゃあホモミーっ?」

「どんな略だよっ?」

 

 コイツは一体兄を何だと思っているのか問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。

 

「まさかお兄ちゃん、本当にデート誘っちゃったとかっ?」

「んな訳あるか。前にボランティア行ったメンバーで行くんだよ」

 

 正しくはアキトがOUTで火水木がINだが説明するのも面倒だし、オタクが腐女子に変わったところで大して問題ないから別にいいだろう。

 

「それならミナちゃんも一緒でしょ?」

「ああ」

「いいな~。梅も行く!」

「お前は学校だろうが」

「だって行きたいよ~。行かせて行かせて!」

「そういう誤解を招く発言をするな」

 

 兄の遊びについてくる妹なんて、小学生くらいまでな気がする。まあコイツの場合は阿久津という偉大な先輩がいるからであって、別に俺は関係ないんだけどな。

 

「じゃあお土産にチョコクランチ買って!」

「確かにアレは美味いし俺も好きだけど、高いから却下だ」

「え~? バレンタインに黒い稲妻あげたじゃん!」

「わかった。お土産に白い変人を買えばいいんだな?」

「む~」

 

 早朝にも拘わらず散々喚いた梅は、ぷくーっと頬を膨らませる。ホワイトデーの前借にしては早すぎだし、チョコクランチ一つで黒い稲妻が三十個は買えるぞ。

 

「蕾さんの手作りチョコ真っ二つにしたこと、黙っててあげたのにな~」

「…………」

「梅のマッチョTシャツ、貸してあげてもいいんだけどな~」

「いや、それはいらん」

 

 そもそもサイズが合ってないだろ。俺が着たらパッツンパッツンになるわ。

 いきなり立ち上がった梅は、曲を口ずさみ不思議な踊りを始める。どうやらエレクトリカルなパレードのつもりらしいが、見ているだけでMPが吸われそうだった。

 

「…………わかったよ。買ってくればいいんだろ?」

「イエーイ! それと今度ミナちゃんと遊びに行く時は、梅も連れてってね?」

「へいへい、善処しますよ。んじゃ、行ってくる」

「絶対だよ! 絶対だかんね!」

 

 やかましい妹を適当にあしらいつつ、俺は逃げるように家を出た。

 土産代を立て替えて貰えないか、後で母さんにメールで聞いてみるか。テスト結果次第とか返されそうだけど、期末はそこそこ上手くいったし大丈夫だろう。

 

「…………」

 

 いつぞや窯の番で深夜に外へ出た時もテンションが上がったが、早朝というのもそれに近く何とも言えない高揚感を覚える。

 始発電車に乗るなんて、もしかしたらこれが初めてかもしれない。到着予定時刻は開園15分前だが、別にそんな朝一番に行く必要もないと思うんだけどな。

 まだ薄暗い空の下で白い息を吐きつつ、自転車を漕いで駅に到着。改札を抜けた辺りでアナウンスが聞こえ、割とギリギリだったがセーフだ。

 

「――――のかい?」

「うん。水無月さんは?」

「ボクはバレンタインは…………と、この話は後にしよう」

 

 階段を下りていくなり阿久津がこちらに気付いた。何の話をしていたのかバッチリ聞こえたんだが、気遣って中断するくらいならチョコくれよ。

 

「おはよう米倉君」

 

 少し遅れて夢野が振り返り、いつも通りの可愛い笑顔を見せる。

 企画者が制服ネズミーを提案したため、鞄以外は見慣れた姿の二人。阿久津がショルダーバッグで夢野がリュックと珍しくはあるが、個人的には私服が見たかった。

 

「おっす」

「おはよう。相変わらずキミはギリギリだね」

「文句なら梅の奴に言ってくれ」

「梅ちゃん、どうかしたの?」

「一緒に行きたいだの土産を買ってこいだの言われて、無駄に時間を食った」

「足止めされたのは数分だろう? もっと時間に余裕を持てば済む話じゃないか」

 

 ぶっちゃけ阿久津の言う通りだし、大して足止めはされていなかったりする。口止めならしておいたけど、今思えば口車に乗せられた感が否めない。

 本来の集合場所は乗り換える途中の駅であり、俺達三人がここで集まったのは偶然……いや、始発ということを考えれば必然なのか?

 阿久津が呆れた様子を見せる中で、ガラガラの電車が到着。左右を女子に囲まれるなんてことは断じてなく、端から阿久津・夢野・俺と順当な座り方だった。

 

「夢野君はネズミーによく行くのかい?」

「ううん、私はランドに一回だけかな。シーは行ったことないし、スカイも初めて。水無月さんは?」

「ボクはスカイだけで三回くらいだね。後輩と一緒に――――」

 

 やはり始まる女子トーク。以前と同じく相槌を打ちつつ聞くつもりだったが、電車の揺れという史上最高の眠気が襲いかかる。

 

「――で――」

「その――――」

「――くら――」

「――――――」

 

 

 

『――グイッ』

 

 

 

「っ?」

 

 浅い眠りから意識が戻る。

 パチリと目を開けると、耳元で甘い囁き声がした。

 

「朝ですよー」

 

 重い頭を支えるため、夢野に身体を預けていたらしい。お互いの二の腕が触れ合い、肩に顔を乗せる形で少女にもたれかかっていることに気付く。

 そして目の前に立ちはだかり、引っ張る準備万端とばかりに俺の右頬を抓んでいる阿久津。恐らく数秒目覚めるのが遅ければ、容赦なく引っ張られていただろう。

 

「…………ん……ひででででっ!」

「目は覚めたかい?」

「さべてるっ! さべてるからっ!」

 

 ちゃんと返事をした筈なのに理不尽な洗礼を受けた。夢野と夢の国に行くけど、この痛みはどう考えても夢じゃないの。

 

「494足す1729は?」

「…………………………2223!」

「2223掛ける2223は?」

「いやそれは難し過ぎだろっ?」

「答えは4941729だね。そろそろ降りるよ」

 

 さらりと答える阿久津だが、実際に携帯の電卓で確認したら本当になった。何これ凄い……凄いけど、絶対に目覚めたかの確認で出す問題じゃない。

 一問目の暗算を夢野に拍手で祝福されつつ電車を降りる。女子二人の後に続いて乗り換え先のホームへ移動すると、既に三人が集まっていた。

 

「あ! おはよう」

「……おはよ」

「無事に全員集合ね」

 

 やはり制服だと代わり映えしない仲間達。火水木もリュックで冬雪は手提げ。そして葵は俺同様に手ブラもとい手ぶらかと思いきや、巾着バッグを持っていた。

 適当に雑談した後で再び電車へ。六人が横に並ぶことはなく端から俺・夢野・葵と座り、正面には冬雪・阿久津・火水木という形になる。

 

「えっと……ゆ、夢野さんは何か乗りたい物ある?」

「あ、見せてもらってもいい?」

 

 葵のスマホを夢野が覗き込むと、当然ながら二人の距離が近づく。中々に盛り上がっているようだが、勉強会でもこんな感じだったんだろうか。

 向かいに座る女子達の暗黒空間も当然見えず、俺は壁に頭を付けて目を瞑った。

 

 

 

『――プニッ』

 

 

 

「…………?」

 

 再び浅い眠りからの覚醒。

 またも阿久津かと思ったが、今度の指は頬に軽く押し当てるだけだった。

 

「起きた?」

「ん……ふぁあああ。悪い、朝は弱くてな」

「そっか。でも米倉君の寝顔って可愛いね」

「こんな顔でいいなら、授業中いくらでも見せるぞ?」

 

 まあ中学時代と違って、ウトウトはあっても寝ることは少ないか。

 どうやら向かいに座っている冬雪も眠りかけていたらしい。阿久津の起こし方は言うまでもなく俺の時と違い、優しく声をかけつつ肩を揺さぶっている。

 乗客が少ないのをいいことに、そんな二人を火水木がスマホで撮影。もしかして俺の寝顔も撮られたのかと考えていると、電車は目的地へと到着した。

 

『ピンポーン』

「んあ?」

「ちょっと何やってんのよネック?」

 

 火水木は通す。冬雪も通す。櫻は通さない。

 そう言わんばかりに改札が閉じる。別に俺が米倉一族を捨てて逃げ出した意気地なしという訳じゃなく、単なるICカードの残金不足だ。

 

『ピンポーン』

「あ!」

 

 そして隣で全く同じことをやらかす葵。慌てた姿が無駄に可愛いんだが、これ周囲にいる人の何人かは男子の制服を着た女子と勘違いしてそうだな。

 

「先に行っててくれ。チャージしてくる」

「ご、ごめんね」

「じゃあ外で待ってるわよ」

 

 女子四人の後ろ姿を眺めつつ、俺は葵と一緒に券売機へ向かう。今日は何かと出費が多い一日になりそうだが、思い出はプライスレスだ。

 使う時には使うべきとアキトの奴が言っていたが、確かにその通りかもしれない。まあアイツはノブ……店長からの受け売りだって言ってたけどな。

 

「………………さ、櫻君」

「ん? どうした?」

 

 先にチャージを済ませた俺は、葵が終わるのを隣で待っていた。

 何かトラブルでも起きたのかと思いきや、別にこれといった問題も見られない。ICカードを回収した友人は、列を離れた後で小さく囁く。

 

「ぼ、僕ね………………今日、告白しようと思うんだ」

 

 唐突な宣言に、思わず驚き呆然とする。

 しかしその真剣な眼差しを前にした俺は、少し考えた後で一つだけ尋ねた。

 

「…………アキトは知ってるのか?」

「う、うん。昨日伝えておいたから……」

「そうか。頑張れよ」

「あ、ありがとう」

 

 友人を応援している筈の自分の言葉が、妙に薄っぺらに感じる。

 それ以外に何と応えれば良いのかわからないまま、俺達は特に深く語ることもなく女子と合流するなり夢の国へと向かうのだった。



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十六日目(金) カチューシャ絶叫グーチョキパーだった件

 開園と同時に、ネズミースカイは戦場と化した。

 アトラクションに優先して乗れるファストパスという名のチケットを巡り、並んでいた社会人や学生の一部が園内を全力疾走する。

 

「ああいう輩に限って、オタクはルールを守らないとか言うのよね」

 

 この手の争いに参加してそうなイメージの火水木だが、意外にもそんなことはなかった。棒引きで判断した格闘タイプは間違いだったのかもしれない。

 走っているのはコ○ッタとか使いそうな短パン小僧ならぬ半袖男。晴天とはいえ冬の海沿いにおいて明らかに服装を間違えており、きっと身体を温めたかったんだろう。

 

「駆け込み乗車もそうだけれど、余裕のない人は自分の都合しか考えないからね」

「何で俺の方を見る?」

「キミの時間ギリギリな行動は、早目に直しておくべきと思わないかい?」

 

 呆れ半分に答える少女だが、こうして言われている間はまだ幸せだ。見限られた時なんて、指摘しても無駄だと注意すらされなくなるからな。

 コミケの始発ダッシュばりな開園ダッシュの慌ただしさも、時間にして五分程度で終了し世界は平和に戻る。俺達も無事に目的のファストパスをゲットした。

 

「ねえミズキ。最初はどこ行くの?」

「そりゃ勿論――――」

 

 ネズミーカチューシャを装着し、夢の国の住人となった眼鏡少女の後に続く。

 人気のアトラクションはパスを使い、その待ち時間はそれぞれの行きたい場所へ順番で回る。そんな提案を開園前されており、まずは火水木セレクションだ。

 

「――――妊娠中のお客様、アルコールを飲まれているお客様、乗り物に酔いやすいお客様、規定の身長・年齢に達してないお客様はご利用頂けません」

「だってよ冬雪」

「……私、そこまで小さくない」

「寧ろ引っ掛かるとしたらキミの方じゃないかい?」

「ちょっと待て。俺に当てはまりそうな条件はないだろ?」

「精神年齢が規定に達していないね」

「ぷっ」

 

 阿久津の一言に火水木が噴き出す。お前だって同じようなもんだろうが。

 俺達が最初に乗るアトラクションはアトモスフィア・ホライズン。ネズミースカイ名物である三大ホライズンの一つであり、所謂ジェットコースターだ。

 

「ダイビング・ホライズンも好きなんだけど、今は点検中なのよね」

「えっと……ダ、ダイビング・ホライズンって、水に突っ込むやつ?」

「そうそう。夏場だと濡れて気持ちいいのよ」

 

 何それ超見たい……じゃなくて、そういう誤解を招く発言をするなよ。

 ちなみに来る途中と並んでいる最中に聞いた話だと、ネズミースカイに限った来場回数は火水木が二桁以上、阿久津が三回、冬雪が一回で他三人が初だ。

 実を言えば俺は初めてじゃなく幼い頃に一度だけ行ったことがあるが、梅がベビーカーに乗せられていたような頃だし全くもって記憶にない。

 

「それじゃグーチョキパーで」

「何作るの?」

「右手はチョキで左手もチョキで、可愛い子見ーつけた! ッアオ♪」

「…………何してんだお前?」

「な、何でもないわよっ!」

「あれ? 米倉君知らない? こういうネタする芸人さんがいるんだよ」

「「「へー」」」

 

 阿久津と葵も知らなかったらしく声が重なる。いきなり親指と人差し指を立てるなり、両手で四角を作って夢野を覗き出すから何かと思った。

 ノリノリでやった当の本人は、今更恥ずかしくなったらしい。火水木にしては珍しく若干顔が赤くなっているが、流石に「アオッ!」とか言ってたもんな。

 

「と、とにかく一緒に乗るパートナーを決めるの!」

「別に適当に二人組を作ればいいじゃないか」

「駄目よ」

「駄目駄目?」

「そこ、うっさい!」

「……何で駄目?」

「だって二人組にしたらネックが可哀想でしょ?」

「ふむ。それもそうだね」

「おい、仕返しでナチュラルに人を傷つけんな」

 

 アキトの差し金か知らないが、火水木の提案はありがたい。仮に自由だったら二人組で乗るアトラクションで、俺と阿久津がペアになる機会はなかったと思う。

 全員が一度乗った組み合わせになった場合はやり直しとすると、全パターンは6C2×4C2を3!で割った15通り。狙った相手と乗れる確率は2割か。

 

「グッチョッパーの分かれっこ!」

 

 掛け声は冬雪の「グっとパーの分かれっこ」の派生を採用。流石にグーパーグーパーグゥーパァをグーチョキパーにするのは無理だ……ってか口が回らん。

 綺麗に二人ずつ分かれるのは時間が掛かるため、ペアになった時点で抜けていく形式にした結果、今回は葵と冬雪、阿久津と火水木、俺と夢野に決まった。

 

「♪~」

 

 場内に流れている曲を、夢野が楽しそうにハミングする。別にテスト期間中も葵から目立った報告はなかったし、傍から見ている限り二人はいつもと変わらない。

 一体どうして急にあんなことを言い出したのか……確かにこういうテーマパークは告白にうってつけの場所だが、別に今日じゃなくてもいい筈だ。

 

「飛行士の皆さん、アトモスフィア・ホライズンにようこそ。宇宙船に乗りましたら、荷物を足元に置きセーフティーバーを締めてください。そして安全のため前方のバーをしっかりと握り、走行中は決して座席をお立ちにならないようお願い致します」

 

 笑顔を絶やさないスタッフの案内を受けた後で、前に乗っていた人達が帰還。おかえりなさいと温かい出迎えを受けた後で、俺達の番がやってくる。

 夢野の隣に座り安全バーを下ろすと、ゆっくりとコースターが出発した。

 

「米倉君、何か考え事してる?」

「ん? ああ、いや……何て言うか、こういう所って凄いなって思ってさ。ほら、スタッフさんの役のなりきり具合とかさ」

「もう、駄目だよ」

 

 夢野はそう言うと、そっと人差し指で俺の唇を抑える。

 まさかこんな場所でされるとは思わず、ドキッとしてしまった。

 

「ここは夢の国なんだから、純粋に楽しまないと」

「確かにそうだな」

 

 周囲で展開されるネズミー独特の世界観。建物の中にいる筈なのに、景色や空気の流れのせいか不思議と空へ上っていくような錯覚を受ける。

 そして物語はアトモスフィア……すなわち大気圏に突っ込む直前となり、それほど速くもなかったコースターに不穏な空気が流れ始めた。

 

「米倉君。実は私ね――――」

 

 バーを掴んでいた俺の手に、夢野が掌を重ねる。

 驚き振り向くと、こちらを見つめる少女は衝撃の告白をした。

 

 

 

「――――絶叫系、初めてなんだ」

 

 

 

「………………」

 

 

 

『キャアアアアアアーーーーーーッ!』

 

 

 

 加速した瞬間、無数の悲鳴が響き渡った。

 勿論叫んでいるのは夢野だけじゃなく、他の客の絶叫も混じっている。ちなみに俺は『シャァベッタァァァァァァァ!』を思い浮かべるくらい余裕だった。

 

「ここの隠れネズミーは見たことないのよね」

「確か月が見えた先だったかな」

「そうそう」

 

 慣れきっているベテラン二名も悠長に会話している。乗り物酔い云々の警告があったものの、阿久津は全く問題ないようでちょっと安心した。

 先頭にいる二人の様子はいまいちわからないが、この絶叫の中に冬雪の声も混じっているんだろうか。もしそうだとしたら、ちょっと聞いてみたい気はする。

 

『キャーッ!』

「!」

 

 美しい景色を眺めた後で大気圏に再突入すると、またもや悲鳴が響き渡った。

 重ねられた夢野の柔らかい掌がギュッと握られ、思わず意識が集中してしまう。気付けばあっという間に一周を終えて、俺達は宇宙船乗り場へと戻ってきた。

 

「おかえりなさーい」

 

 スタッフが出迎える中、夢野が重ねていた手をそっと離す。コースターから降りてアトラクションの外に出た後で、少女は名残惜しそうに振り返った。

 

「楽しかったね。これ、後でもう一回乗れるかな?」

「ほ、他にも沢山アトラクションはあるから、色々回った方が楽しいと思うよ」

「ひょっとして葵君、絶叫系苦手とか?」

「そ、そんなことないよ」

 

 否定してはいるが、得意って感じには見えない。何個か乗り回したらそのうちボロが出そうだが、葵の奴は大丈夫なんだろうか。

 

「じゃあ次……の前に、皆で写真撮らない?」

「構わないよ」

 

 偶然通りがかったネズミーマウスを見て、火水木が携帯を片手に駆け寄る。

 

「すいませーん。写真撮ってもらえますかー?」

 

 無言で頷いたネズミーはスマホを受け取る。

 そして火水木の方へ回り込むと、二人一緒に自撮りでピース――――。

 

「――――って、違うからっ!」

 

 思わず突っ込む火水木。何してんだよ中の人、面白いじゃん。

 ネズミーは「冗談だよ、ハハッ」と言わんばかりの動きを見せた後で、無駄にオーバーなリアクションを交えて俺たちを笑わせつつ写真を撮ってくれた。

 

「ありがとうございました」

 

 去っていくネズミーをボーっと眺める阿久津と、その背後に忍び寄る火水木。一体何をするのかと思いきや、ネズ耳カチューシャが幼馴染の頭にドッキングされた。

 

「ん?」

「次はツッキーが決めて頂戴。それは任命権の証」

 

 自分の頭に付けられた異物を確認のため手に取る阿久津。火水木の説明を聞いた少女は、渋い顔を浮かべてからやれやれと溜息を吐いた。

 

「付けないと駄目かい?」

「その代わり、次の指名者は好きに決めていいわよ」

「こういう時くらい、水無月さんも羽目外さないとね」

「……ミナもたまにはやるべき」

「はあ、仕方ないね」

 

 改めてネズミーカチューシャを頭に付ける阿久津。本来なら子供っぽい雰囲気になる筈だが、コイツの場合は十二支で一位に輝いた賢将ってイメージだな。

 

「に、似合ってるよ阿久津さん」

「阿久チューって件名で、梅に画像送っていいか?」

「却下だね。仮にそんな真似をしたら、キミの卒業アル――――」

「すいませんでしたっ! 写真も動画も撮りませんっ!」

「卒業?」

「気にしないでいいアルッ! それより早く次に行くアルヨッ!」

「何いきなり中国人になってんのよ?」

 

 せっかくSR阿久津ゲットのチャンスだったのに、卒業アルバムの短歌作文という黒歴史を掘り下げられては手を引かざるを得ない。くそ、何でや……何であんなもの書いてしまったんや。

 

「……ミナ、次どこ?」

「ボクとしてはタワドリの気分だね」

「GOOD!」

 

 俺もこれは乗りたかったけど、ジェットコースターの次に垂直落下かよ。

 立て続けの絶叫系アトラクションだったが、阿久津と火水木の悲鳴を聞くことはなかった。そして落下中の冬雪は「……ふぉおおおお」と静かに吠えていた。



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十六日目(金) 俺が不良品だった件

 タワー・オブ・ドリームで垂直落下した後はフードコートに立ち寄りつつ、俺達はファストパスを取ったアトラクション、スコールレーザーを楽しんできた。

 雷雲の中を飛行船で進み、手にした光線銃で次々と現れる標的を撃つ。的は100点・1000点・5000点・10000点の四種類だ。

 

「しかし隣で見ていても、相生君は見事だったね」

「ぐ、偶然だよ」

「実力がなければ、あんな点数は取れないさ」

 

 葵は謙遜しているが、実際のところ阿久津の言う通りある程度の腕がないと難しい。夢野にいいところを見せるため、事前に攻略サイトでも調べてたりしてな。

 

「ミズキも凄かったけど、何かコツとかってあるの?」

「最初のうちは自分の光を見失わないことね。後は高得点を狙うこと!」

 

 やり慣れているにも拘らず葵とは僅差だったが、俺達の中ではトップの火水木がドヤ顔で語る。夢野は阿久津や冬雪と同程度で、どんぐりの背比べな点数だ。

 

「……だって、ヨネ」

「言ったろ冬雪。あれは俺の光線銃が不良品だったんだ。十回くらい打った後で光が見えなくなったし、どう考えても弾切れならぬ光線切れしたとしか思えん」

「……でもゴールした後に試したら、ちゃんと光ってた」

「じゃあ光線がジャムってたんだな」

「そんな訳ないでしょうが! 大人しく自分が下手だって認めなさいよ」

 

 …………認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを。

 陶芸室の輪ゴム鉄砲の一件もあったせいで、の○太君ほどじゃないが射的に自信を持って意気揚々と乗り込んだのが運の尽き。俺はまさかのダントツビリだった。

 

「前にシューティングが苦手な後輩と来たことがあるけれど、それでも四桁には届いていたよ。流石に900は中々に見られない点数だね」

「100点だけを九回とか、逆にどんだけ器用なのよアンタは」

「狙ったからな」

「嘘を吐くにしても、もう少しマシな嘘はなかったのかい? キミのそういう中途半端に負けず嫌いで素直じゃないところは、本当に昔から変わらないね」

 

 その言葉は、お前にもそのまま当てはまると思うんだけどな。

 仮に不良品じゃないとしたら、きっと開始直後に阿久津が俺の銃をレーザーで撃って破壊したに違いない……あ、阿久チューを撃てば1兆点くらい入ったかな?

 もっともタワドリが終わった時点で、カチューシャは夢野の頭に移動済み。昼過ぎになり上着を脱ぐほど暖かい中で、俺達は彼女のリクエスト先を目指していた。

 

「ん?」

 

 これといって知り合いにも会わない中で、ふと人だかりを目にして足を止める。アトラクションもない道端の中心にいるのは、何てことのない清掃員の男だった。

 

「ユメノンストップ! ファンカストさん見に行かない?」

「ファンカストさんって?」

「正式名称はファンカストーディアルで、清掃員に扮したパフォーマーさんだよ。中には作業員の恰好をしている、ファンメンテナンスさんもいるけれどね」

 

 見物人は円状に広がっていたため、回り込み最前列で眺める。ネズミースカイの清掃員と言えば、ゴミ拾いを「夢を拾っている」とか「星の欠片を集めている」なんて洒落た答えをすることで有名だが、それとはまた違うみたいだ。

 阿久津の言う通り、目の前の清掃員は階段を掃除しているように見せているだけ。ただ面白いことに、その一挙手一投足の全てに効果音が付いている。

 階段に洗剤を噴き掛ける真似をすれば謎の液体音がして、手すりを拭けば擦れる音。そして決めポーズを見せれば、シャキーンという音がした。

 

『ド♪』

 

 掃除が終わった後で清掃員が足を乗せると、何故かピアノの音がする。

 男は俺達に向けて「今の聞きましたか?」と言わんばかりに顔だけで訴えると、恐る恐る階段という名の鍵盤を順番に上がっていった。

 

『ド♪ レ♪ ミ♪ ニャ~♪』

 

 四段目で猫の声がすると笑いが巻き起こる。

 清掃員は慌てて洗剤を噴き掛けると、ファの音が出るようになったかを踏んで確認。その後で客の一人を呼び寄せてから、階段を上るように言った。

 

『ド♪ レ♪ バキッ!』

 

 てっきりまた猫の鳴き声に戻っているのかと思いきや、男性客が階段を上っている途中でまさかの壊れた効果音。予想外の展開に思わず笑ってしまう。

 

「凄いな。どうやって音出してるんだ?」

「サウンドスーツのワイヤレススイッチを操作して、あのダストボックスから効果音を出していると聞いたことがあるね」

「……サウンドスーツ?」

「いまいちよくわからないんだが、スイッチを弄ってるようには見えないぞ?」

「聞いたことがあるだけで、本当かどうかは知らないよ。確かに不思議に感じるけれど、夢の国でそんなことを考えるのも野暮だからね」

「うーん……気になるな……」

 

 夢野にも同じようなこと言われたが、どうも仕組みを探そうとしてしまう。もっともマジックを見せられている感覚で、タネも仕掛けも全然わからないけどな。

 階段の調律を終えた清掃員は、マウスポインタみたいな指のついた指示棒をダストボックスから取り出す。しかし何かを指し示すために用意した訳ではなく、階段に指示棒の指先をあてがうとキュイーンというドリル音がした。

 

「ネジ抜けてる人いますか~? 締めてあげますよ~」

 

「「「お願いします!」」」

 

「はぁっ?」

 

 阿久津と夢野と火水木の三人が声を揃えて、俺を指さしつつ答える。あまりにも息ぴったりだったため、打ち合わせでもしていたのかと疑うレベルだ。

 ニコニコ笑顔で清掃員がやってくると、俺の頭に指示棒を添えてドリル音を鳴らす。他の客から笑いが起こる中、別の場所でもお願いしますと声が上がった。

 

「良かったね米倉君」

「これでアンタも少しはまともになるんじゃない?」

「ボクとしては、もう二、三本締めてもらった方が良いと思うけれどね」

「揃いも揃って人をポンコツ扱いしやがって……言ってやれ冬雪!」

「……でもヨネ、ネジチョコ食べた」

「あれが原因かよっ?」

 

 てっきり味方かと思ったが、そんなことはなかったらしい。ちなみに葵はこの手の類も映画並みに好きなのか、声を掛けることすら躊躇うほど目を輝かせている。

 

『ピリリリリ……ピリリリリ……』

 

 どこからともなくコール音が鳴ると、清掃員はダストボックスの中からアンテナ付きのバナナを取り出す。さっきの指示棒といい、まともな物が入ってないな。

 携帯バナナで受け答えをした男は、ダストボックスをバイクのようにブイブイ言わせると見物人の拍手で見送られつつ去っていった。

 

「流石は夢の国って感じだったな。あんなのが何人もいるのか?」

「そんな訳ないじゃない。結構レアな存在なのよ」

「……手品みたいだった」

「手品と言えば、クリスマスの時に相生君も凄いのをやっていたね。見せる側の人間からすると、ああいうのを見てタネがわかったりするのかい?」

「う、うん。ほんの少しなら」

「じゃあ葵君、ここでファンカストさんとしてアルバイトできるね」

 

 夢の国のキャストは美男美女が多いイメージだが、葵なら別に違和感もないだろう。仮に問題があるとすれば、男物と女物どちらの衣装を着るかくらいだ。

 

「あ、憧れはするけど、手品以外はできないし……」

「アタシは結構ありだと思うけど? オイオイがファンカストになったら、リアル男の娘としてまとめサイトに記事が載せられる未来まで見えてきたわ」

「えぇっ?」

 

 きっとタイトルは『ネズミーに降臨したリアル男の娘が天使過ぎてヤバイ』とか、そんな感じだろう。もしそうなったら『だが男だ』ってコメントしておくか。



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十六日目(金) お化け屋敷がデートスポットだった件

 寄り道をしながらも目的地へ到着した俺達は、恒例のグーチョキパーで分かれる。今回のチーム分けは俺と阿久津、夢野と冬雪、葵と火水木になった。

 

「…………お足元、お気を付けください…………」

 

 夢野が選んだこのアトラクション、ゴーストアパートだけは他と違い、キャストが笑顔を見せずに静かな口調で目を伏せながら不気味に見送る。

 その理由は名前の通り、ホラーなアトラクションであるため。本物の人間みたいな蝋人形が恐怖心を煽る暗闇の空間を、俺達は椅子型の乗り物に座り進んでいく。

 

「ここのアトラクションのキャストなら、キミでもできそうだね」

「おい、それはどういう意味だ?」

「…………? 物分かりが悪いと思ったら、櫻じゃなくてゴーストか」

「櫻だよっ!」

 

 お化け屋敷的なシチュエーションで二人きり……誰がどう考えてもデートの定番なのに、隣に座る幼馴染は恐怖と無縁らしく全くもっていつも通りだった。

 時折曲がり角になると、後ろにいる二人が視界の端に見える。夢野も割と平気そうで楽しんでいるが、冬雪はホラーが苦手なのか若干怯え気味だ。

 

「なあ阿久津。お前って怖いものとか、苦手なものとかないのか?」

「ボクだって苦手くらいあるさ」

「例えば?」

「櫻」

「それを平然と口にするお前がアトラクション以上に怖いっ!」

「冗談だよ。半分はね」

 

 残り半分は本気らしい。コイツにバファ○ン飲ませたら、優しくなるかな?

 

「そんなことを聞いて、ボクが怖がっている姿でも見たいのかい?」

「見たい」

「ふむ、そうだね。数学の解答が変な値になると怖いよ」

「そういう怖いじゃなくてだな……」

「後は櫻が時間を守ったりしたら怖いかな。陶芸をしている姿を見ても怖くなるし、真面目に勉強しているなんてことがあったら怖過ぎて声も出ないね」

「それ完全に饅頭怖いのパターンじゃねーか」

 

 女子が怖がるものと言えば、虫に雷にお化けの三つ。夏の体育館で虫の死骸を見慣れている上に、お化けも平気な阿久津が雷に怯えるとは思えない。

 まあネズミーのホラーは子供向けだし、この程度だから驚いていないという可能性もある。でもやっぱ男としては、腕に抱きつかれたりしたいんだよな。

 

 

 

『ガタンッ』

 

 

 

「ん?」

 

 流れるように進んでいたライドがいきなり止まる。別に停止するような場所でもなく不思議に思っていると、程なくしてアトラクション内に声が響き渡った。

 

『悪戯好きの亡霊がまた邪魔をしたらしい。諸君はそのまま座っていてくれたまえ。すぐに動き始めるから』

 

「何だこれ?」

「トラブルかな。前に乗った時も起きたけれど、ゴーストアパートは妙に多いね」

「本当に幽霊の仕業だったりしてな」

「まあそう考えた方が、夢の国らしいとは思うよ」

 

 一度ハプニングを体験済みだからか、それとも初めての時もこんな感じだったのか。阿久津は相変わらず至って冷静で、遠くのお化けを眺めていた。

 チラリと後ろの様子を見れば、縮こまった冬雪が夢野の腕にくっついている。いっそ俺がプライドを捨てて阿久津にしがみつくってのも、ワンチャンありかもな。

 

「…………」

 

 しかし男からすれば理想的な反応だが、あれ本当に大丈夫なのか?

 冬雪と一番付き合いが長い阿久津に確認を取るべく、俺は黙って少女の肩へ手を伸ばす……が、タイミング悪く彼女は斜めにしていた身体を起こした。

 

「ひあっ?」

 

 俺の指が阿久津の首に触れ、滅多に聞けない悲鳴が上がる。

 ただ接触しただけなら別に驚きはしないだろうが、昼とはいえ今は冬。心が温かい俺の手は冷たくなっており、それが首という敏感な場所に触れれば当然だ。

 

「あ、悪いってえっ!」

 

 弁解するより早く、問答無用に脳天を叩かれた。髪の毛が短くなったことで多少なり防御力も下がっていたんだろうが、百人一首を取る速さの手刀は普通に痛い。

 

「いきなり何のつもりだい?」

「誤解だから話を聞け! 別にお前を驚かそうとしたんじゃないっての!」

 

 黙って指で後ろを見るように促す。阿久津の位置から二人が見えるか微妙なところだったが、どうやら問題なく視認できたらしい少女はジト目で俺を見た。

 

「で?」

「いや、大丈夫なのか不安に思ってな」

「心配しなくとも、キミみたいに泣いたりはしないさ」

「一言余計なんだよ! とにかく俺はお前を呼ぼうとしただけだ」

「それならボクも、飛び出していたネジを直そうとしただけだね」

「あの直し方はネジじゃなくて釘だろっ! 完全に打ちつけてたぞっ?」

「これくらい衝撃を与えないとネジだけじゃなくて、キミの捻じ曲がった性格は戻らないと思ってね。それによく梅君は壊れた物は叩いて直すじゃないか」

「不良品扱いっ?」

 

 何にせよ、誤解が解けたようで何よりだ。

 ばつが悪いのか、阿久津はそっぽを向いた後で小さく応える。

 

「叩いて悪かったね」

 

 こうして謝られると、何だか逆に照れ臭い。

 だからこそ俺は、改めて少女の肩をトントンと叩いた。

 

「何だ――――」

 

 

 

『ブスリ』

 

 

 

「おっ! クリーンヒット!」

「…………何か言い残すことはあるかい?」

「ない! わざとだからな!」

 

 頬に指が刺さったまま、阿久津は笑顔でパーではなくグーを用意する。

 再び俺の頭が叩かれると同時に、トラブルが解消したようで椅子が動き出した。やっぱり壊れた時には叩くのが一番の治療法みたいだな。



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十六日目(金) 中身は腐ってるけど良い嫁になりそうだった件

 空に浮かぶ雲の海を、ボートに乗って進みながらカシャッと一枚。月のウサギと会話する参加型ショーを楽しんだ後、入口にてウサ耳ポーズでパシャリと一枚。

 俺や葵を経由したカチューシャが冬雪というベストポジションに収まると、カシャシャシャシャシャと連写。勿論、撮影者が誰かは言うまでもない。

 

「もし宇宙行ったら、ネックは何したい?」

「考えるのを止めたい」

「どこのカ○ズ様よっ?」

 

 そして今乗っているアトラクションは宇宙二万光年。俺はカメラガール火水木と一緒に一人用……じゃなくて二人用のポッドで銀河の中を漂っていた。

 他のアトラクションとは異なり完全な密室であり、前のポッドには葵と冬雪。後ろのポッドには阿久津と夢野が乗っているものの、中は見えず声も聞こえない。

 

「このアトラクションってカップル御用達なのよね」

「あー、密室だからか?」

「それだけじゃなくて、二人で窓を覗くから距離も近くなるじゃない? 途中で揺れたりもするから、ムードを盛り上げるにはピッタリって訳」

「ほー」

 

 火水木のネズミースカイ雑学に感心こそするものの、実際に使う機会はないと思う。言った傍からポッドが揺れると、目の前にいる少女の胸も揺れた。

 

「でも狙った相手と一緒になれないなんて、アンタもオイオイも運がないわね」

「何の話だ?」

「誤魔化したところで、オイオイがユメノンを狙ってるのバレバレよ?」

「………………」

「ああ、安心して頂戴。映画のチケットを渡された時も話したけど、本人は未だに気付いてないみたいだから。ユメノンって自分のことだと鈍いのよね」

 

 火水木の鈍いという指摘は、前に俺も言われたことがある。

 確かあれは『彼女の名は』を見終わった後の喫茶店だったか。あの時点で葵の好意に気付いてたとか、直感なのか洞察力なのか知らんがコイツ凄すぎだろ。

 

「それでネックは、ぶっちゃけどっちが好きなの?」

「一部と二部なら、俺は二部の方が好きだな」

「誰がジョジ○の話しろって言ったのよっ? ユメノンとツッキーの二人よ」

「じゃあツメノンで」

「その名前の付け方だと、もう一つの融合体がユッキーになるわね」

 

 言われてみればその通りで一瞬凄いと思ってしまったが、落ち着いて考えるとツッキーとユッキーで一文字違いなんだし全然そんなことはなかった。

 しかし何でこんな宇宙の果てに来てまで、修学旅行の男子部屋みたいな話をしなきゃならないのか……逆に考えるんだ。修学旅行の行き先が宇宙でもいいさ……と。

 

「そういう話は人に聞く前に、まず自分からだろ。お前こそどうなんだ?」

「アタシは三部が好きね」

「ジ○ジョの話じゃねーよ!」

「元はと言えばアンタが先に言ったんじゃない。そもそもアタシにそんなこと聞いたところで、答えなんてわかりきってるでしょうが」

 

 やっぱコイツも兄貴と同じで、二次元を愛する者って訳か。

 ただアキトは妙に恋愛観に詳しかったし、火水木もリアルを創作世界に近づけようとしている。二人とも完全に三次元を諦めたって感じじゃないんだよな。

 

「それで、結局どうなのよ? まさかユッキーに乗り換えたとか?」

「その言い方だと冬雪が快速みたいだな」

「あ、何ならアタシでもいいけど?」

「じゃあお前で」

「ちょっとは真面目に答えなさいよっ!」

 

 いいと言われたから指名したのに、何故か逆切れされた。そして声がでかい。

 

「でも中身は腐ってるけど、火水木って良い嫁になりそうだよな。バレンタインの気配りとか見てると、旦那とか大事にしそうだしさ。中身は腐ってるけど」

「二回も言わない。喧嘩売ってるんだか褒めるんだか、どっちかにしなさいよね」

「いや、割と真面目に答えたつもりだぞ?」

「…………何でアタシにそういうこと真顔で言うんだか……相手が違うでしょ? ユメノンとかツッキーに言ってあげなさいよ」

 

 褒められ慣れていないのか、火水木は若干照れつつ目を逸らしながら応える。普段見ない表情に少しドキッとしたが、これがギャップ萌えってやつか。

 しかし羊毛フェルトやアイロンビーズといった家庭的な趣味を持つ夢野はともかく、阿久津はどう考えても旦那を尻に敷くタイプだと思うんだよな。

 

「あーあ。アンタ達がもう少しわかりやすかったら、アタシも迷わず動けるんだけど」

「ん? どういうことだよ?」

「やっぱ鈍いわね。勝手に考えなさい」

 

 宇宙の旅も終わりが近づき、火水木が話を切り上げる。そんなに長い時間いた覚えはないが、ポッドを降りて外に出ると気付けば空はすっかり暗くなっていた。

 

「……お腹空いた」

「私もちょっとお手洗いに行きたいな」

「ぼ、僕も」

「それなら少し休憩にしようか」

「そうね。じゃあ合流は……トゥーンワールドでーす」

 

 マインドスキャンしてきそうな口調で火水木が答える。至る所にベンチは用意されているが、この辺りは人が多いし集合場所にすると大変そうだからな。

 現に先程も「どこにいる? え? ここじゃないの?」と彷徨うおじさんを見かけた。口にしているアトラクションがランドの乗り物で、根本的に場所を間違えていないか聞いてる方が不安だったけど……グッドラックおじさん。

 

「アタシも何か買ってこよっと。ユッキー、何食べに行くの?」

「……チュロス食べたい」

「いいわね。行くわよ!」

「……おー」

 

 基本的に小腹が空いた際にはスモークチキンやワッフルなどを食べ歩きしていたが、どうやら冬雪はチュロスが一番のお気に入りらしい。

 夢野と葵も別方向に歩き始め、二人ずつ散り散りに分かれる。その結果この場に残ったのは俺と阿久津だけだった。

 

「櫻は大丈夫なのかい?」

「トイレはさっき行ったし、腹は……まあ大丈夫だ」

「短縮授業の時の昼食抜きといい、キミの食生活は見ていて不安になるね」

 

 フードコートでの昼飯は付き添う形で食べたが、それ以外は節制していたのを見抜かれていたみたいだ。思い出はプライスレスでも、やっぱ高い物は高いんだよな。

 いっそ心配するなら、手作り弁当の一つでも作ってほしい。まあバレンタインチョコをくれなかった阿久津に言ったところで、軽く一蹴されるだけだろうけどさ。



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十六日目(金) パレードがセパレートだった件

「ん? 何かやるのか?」

「パレードだね…………間に合うかな?」

「何がだ?」

「パレードが始まると道が封鎖されるんだよ。そうなるとトゥーンワールドに行くまで、大分遠回りをする羽目になるから面倒だと思ってね」

「ほー。まあ大丈夫だろ」

 

 暗くなるにつれベンチにはイチャイチャするカップルが増えていく中、何やら人が集まり始めている道沿いを突っ切る形で通り抜ける。

 やがて小さな子供向けの公園に到着するが、この時間だと遊んでいる子はいない。休憩場所にしている人が多い中で、俺は阿久津と共にベンチへ腰を下ろした。

 

「金欠なら夢野君のコンビニでバイトさせてもらったらどうだい?」

「バイトするにしても春休みだろうし、短期のつもりだからコンビニは無理だろ」

「ふむ。それならボクがやってみようかな」

「………………」

 

 何だかんだで阿久津は気が利くし、割と観察力もあると思う。だが思ったことをハッキリ言い切るコイツが、接客をしているイメージが全く沸かない。

 

「何だいその目は? 無理だと思うなら、試してみるかい?」

「試すって?」

「キミが客をやればいい。ボクが店員をやろう」

「よし、じゃあいくぞ? ウィーン」

「ふっ」

「おいちょっと待て。何故に鼻で笑った?」

「すまない。まさか自動ドアから始められるとは思わなくてね」

「もう一回やるぞ? ウィーン」

「ありがとうございました」

「今入ってきたんだよっ!」

「さっき入ってきたなら、今は出て行ったんじゃないのかい?」

 

 確かにそうかもしれないが……いや、やっぱ違うだろ。

 コントみたいな前振りから始まった阿久津のコンビニ店員だが、実演されてみると思った以上に普通だった。ただ愛想が良いかと言われたら、正直微妙ではある。

 

「社会経験はしてみたいけれど、接客業はハードルが高そうだね」

「まあ、そりゃそう…………ふぇっくしょい! あー、誰かに噂されてんな」

「そんな迷信を信じているのかい?」

 

 一に褒められ、二に憎まれ、三に惚れられ、四に風邪……三と四はどこも一緒だが、一と二が逆だという節もあったりする。今回はどっちだろうな。

 昼は温かかったが、日も沈めば冬の夜。ファンタジックな形の照明がぼんやりと照らす中で白い息を吐いていると、不意にふんわりとした布が首に掛けられた。

 

「え……?」

「ちゃんと防寒しないからさ。それで少しはマシになるだろう」

「お前は大丈夫なのか?」

「ボクはカイロを持っているよ」

 

 夢の国でも棒付き飴を咥えた少女は、得意気にシャカシャカと振って見せる。

 阿久津のマフラーを改めて手に取った俺は、自分の首に巻いていった。暖かいだけでなく、どことなく懐かしい幼馴染のいい匂いがする。

 

「………………」

 

 あれ、ひょっとしてこれって結構いい雰囲気なんじゃないか?

 そんな錯覚を受けてしまうから、女の優しさってのは本当に怖い。二人で寄り添ってマフラーを一緒に巻くという、恋人みたいな妄想を思わずしてしまった。

 実際そんな勇気はないし、提案すれば引かれるのは分かりきっている。脳内に浮かんだビジョンは、マフラーで首を締められる悲惨な光景にすり替えておこう。

 

「もう入試から一年が経つんだね」

「ああ。あっという間だったな」

「正直、櫻が屋代に入るとは思っていなかったよ」

「その言葉は男連中から聞き飽きたっての。まあ内申がボロボロだったから驚かれるのも仕方ないし、本番で解ける問題が多くて運が良かっただけだしな」

「そんなことはないさ。キミなりに努力したんじゃないのかい?」

「それなりには」

 

 その努力したきっかけも、元はと言えば阿久津が屋代に行くという話を偶然耳にしたため。もし知らないままだったら、俺は今この場にいなかっただろう。

 

「そういや、梅の奴も屋代を目指すんだと」

「学力的には大丈夫なのかい?」

「全然。当時の俺といい勝負かもな」

「全くキミといい、どうして無理に屋代を目指すんだか……」

「そりゃ、お前がいるからだろ」

 

 梅にとって阿久津は、もう一人の姉みたいな存在だ。

 俺がさらりと答えると、幼馴染の少女はポカンとした表情を浮かべた。

 

「…………ああ、成程。確かに梅君はそうかもしれないね」

「ん? 何か俺、変なこと言ったか?」

「兄妹揃って言葉足らずなのは何とかならないのかい? てっきりキミが屋代に来た理由も、ボクがいるからなんて言い出したのかと勘違いしたよ」

「っ」

「まあ、それだと困るんだけれどね…………ん、すまない」

 

 返答しにくい話をされたところで、天の救いか阿久津がスマホを取り出す。

 しかし少女は画面を見るなり、珍しく困ったような表情を浮かべた。

 

「少し荷物を頼むよ……………………もしもし?」

 

 阿久津は立ち上がるなり、ベンチから離れつつスマホを耳に当てる。そんな姿を眺めながらも、最後の一言だけが頭から離れない。

 

「それだと困る……か」

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ……』

「?」

 

 程なくして今度は俺の携帯が震え出す。

 画面に表示されている火水木の名前を見て、首を傾げつつ通話ボタンを押した。

 

「もしもし?」

『あーネック? ツッキーの電話繋がんないんだけど、一緒にいる?』

「ああ、いるぞ」

『アンタ達、もうトゥーンワールド行っちゃった?』

「そうだけど、どうしたんだ?」

『オイオイとユメノンが渡り損ねちゃったらしいのよ。二人はパレード見たいって言ってるし、仕方ないから合流はパレード終わった後ってことにしたわ』

「マンメンミ」

『アタシはユッキーともう一回ラビットチャット行ってくるから、アンタもツッキーと好きにやって頂戴。トゥーンワールドならダイレクトアタックにもピッタリよ』

 

 好きにできるような隙がない相手であることは、お前だって百も承知だろ……なんて突っ込むよりも早く、用件を告げた火水木は通話を切っていた。

 暗くなってきたテーマパークで二人きり。告白するにはこれ以上ない絶好のチャンスだが、一体どれだけの人間がこのシチュエーションに惑わされたんだろう。

 

 

 

『――――だから米倉氏は米倉氏の思うがまま、好きなように行動すればいいお』

 

 

 

 ふと思い出したのは、アキトが口にした三つ目の方法。

 葵がパレード中に告白するなら、俺は何もせず見届けるだけだ。

 

「パレードが始まったみたいだね」

 

 そんなことを考えていると、通話を終えた阿久津が戻ってきた。やや浮かない表情をしているように見えたが、あえて触れずに火水木からの伝言を話す。

 

「――――――――ってことだが、どうする?」

「ふむ。キミが回りたいアトラクションはあるのかい?」

「いや、別にこれといってないな」

「それならボク達もパレードを見に行こうか。後輩と来ると中々見れなくてね」

「何でだ?」

「パレード中はアトラクションが空いているんだよ」

「成程な。だから火水木達もラビットチャットって訳か」

 

 聞いているだけで愉快になりそうな音楽の鳴る方へ阿久津と共に向かうと、無数の電飾で暗闇を色鮮やかに照らしつつ移動する大きな乗り物が見えた。

 その上にはダンサーやマスコットが乗っており、俺達に向かって手を振っている。正に夢の国と言わんばかりの、盛大なパフォーマンスも見せていた。

 

「綺麗だな」

「そうだね」

 

 人が少なめの場所で足を止めた俺達は、通り過ぎていくパレードを眺める。

 時には阿久津と一緒に手を振り返し、演出に一喜一憂する。気付けば童心に返っていたのか、俺は幼馴染と一緒に笑顔を浮かべて楽しんでいた。

 …………ただし、夢は必ず覚めるものだ。

 

「!」

 

 偶然だった。

 俺達とは反対側で、パレードの光に照らされている見知った二人の姿。

 他の客が光り輝く車両を見上げる中で、葵と夢野は時折視線を合わせ何かを話す。

 既に告白した後なのか。

 はたまた、これから告白しようとしているのか。

 真剣な顔を見せている葵を見て、思わず息を呑んだ。

 

「どうかしたのかい?」

「い、いや、何でもない」

 

 そんな俺を見て阿久津が首を傾げるが、つい反射的に誤魔化してしまう。

 しかしそんな見え透いた嘘が、幼馴染に通じる筈もない。

 

「…………成程、そういうことだったんだね…………」

 

 程なくして気付いたのか、阿久津は静かに納得する。

 盛大な音楽にかき消されてしまいそうな、小さい小さい声。

 不思議と俺には、その声がしっかりと聞こえていた。

 

「……………………」

 

 ただ言葉の意味は聞かないまま、黙ってパレードを眺めるだけだった。



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十六日目(金) 自尊理論と夢の跡だった件

「三つ目は米倉氏が誰かしらに告白して付き合うことだお」

「…………は?」

 

 アキトに言われた第三の案は、正直いきなりすぎて意味がわからなかった。

 第一の案で『嫌われるように振舞うこと』の引き合いに出されたのは理解できる。親しくなった友人に嫌われたら、夢野に限らず誰だって傷つくのは当然だ。

 そう自分を誤魔化しながら、俺はアキトに問いかけた。

 

「ちょ、ちょっと待てって。それが夢……リリスにどう関係するんだよ?」

「さっき話した通り、自尊理論ですしおすし」

 

 人は弱っていると恋に陥りやすくなる。

 これまでのアキトの案は全て、傷心状態の夢野を葵が助ける筋書きだった。

 

「…………俺が誰かと付き合ったら、リリスが傷つくって言うのか?」

「相生氏の好感度がハート二個分なら、さしずめ米倉氏はハート四個分かと」

「ハンバーガー四個分の間違いだろ」

「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」

 

 俺の冗談に対して、アキトらしい返しをされる。

 せっかくコイツがヨンヨンとの時間を潰してまで相談に乗ってくれているのに、質問したこっちがふざけてどうするんだよ。失礼過ぎるだろ。

 

「悪い、続けてくれ」

「付け加えるなら拙者の予想だと先程話した二つ目。リリスが告白するのを待つケースについても、仮にされるとしたら恐らくは米倉氏になる希ガス」

 

 そうは思わない。

 …………いや、考えないようにしてきた。

 確かに夢野は、俺に気があるような素振りを見せたことがある。

 しかしそれは単なる思い上がりだと、何かある度に自分へ言い聞かせた。

 

「いくらなんでも飛躍し過ぎだっての」

 

 そして予想通り彼女は、俺の過去を追いかけていたに過ぎない。

 傷つき落ち込んでいた自分を助けてくれたヒーローを探していただけだ。

 それこそ自尊理論だろう。

 恐らく彼女の中で、クラクラとの思い出は美化されていたに違いない。

 ただそれだけ。

 今の米倉櫻を見て、恋愛感情なんて沸く筈がない。

 

 

 

『それ絶対、米倉のこと好きだって』

 

 

 

『何を言い出すのかと思えば、冗談も大概にしてくれないかい?』

 

 

 

 中学時代の俺だったら、また馬鹿みたいに乗せられて告白していただろうか。

 もうあんな後悔は二度としたくない。

 そう身体が訴えているのか、頭の中で嫌な記憶が蘇る。

 

「米倉氏」

「…………何だ?」

「そんなに難しい顔して悩むと将来ハゲるお」

「は?」

「あくまでも米倉氏に言われた通り、拙者視点で考えた結果ですしおすし」

「!」

「だから米倉氏は米倉氏の思うがまま、好きなように行動すればいいお」

 

 重苦しい空気を変えるように、アキトはスマホを取り出した。

 頭ではわかっていた筈なのに、改めて指摘されて我に返る。元はと言えば俺が言い出したことであり、参考程度に聞くつもりだったがすっかり呑まれていた。

 

「華麗な知恵を持つ拙者は鯛。米倉氏に華麗なんて言葉が似合うと思うか? 米倉氏はカレーだ。ルーにまみれろよ」

 

 直接は語らず遠回しな言い方だったのも、コイツなりの気遣いかもしれない。

 あわわわなコラ画像を見せつつ名台詞を改悪した友人のボケを華麗にスルーした俺は、桜桃ジュースを飲み干すとモヤモヤと一緒にゴミ箱へ勢いよく叩き込んだ。

 

「そうするわ。サンキューな」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 ――――以上、回想終了。

 楽しかったネズミースカイだが、ガラオタという犠牲があったことをふと思い出す。今度どこかへ行く時は絶対に、絶ぇっ対にアイツも呼んでやらないとな。

 

「あーあ、終わっちゃったわね」

「……楽しかった」

「ねえユメノン。クラスの打ち上げもネズミースカイにしない?」

「………………」

「ユメノーン?」

「え? あ、ゴメンね。ちょっと疲れちゃってボーっとしちゃってた」

「……ユメ、大丈夫?」

「うん。雪ちゃんこそ、カチューシャ付けたままだよ?」

「……っ」

 

 てっきり気に入ったのかと思いきや、そんなことはなかったらしい。駅に向かう帰り道で冬雪は慌ててネズ耳を外すと、ブーブー文句を言う火水木に返却する。

 女子四人組が歩いている後ろを俺と葵が続く、行きと何ら変わりない光景だ。

 

「はぁ…………」

 

 ただ違う点があるとすれば、隣にいる友人が溜息を吐いていること。

 パレードが終わるなり合流した葵は、俺だけに聞こえる声で小さく囁いた。

 

 

 

 ――――告白、できなかったよ――――

 

 

 

 まあ結果としてはこんなオチである。

 だからといって何も進展がなかったかといえば、決してそんなことはない。少なくとも今日の一日で、二人の距離は確実に一歩近づいただろう。

 

「落ち込み過ぎだっての。選択としては、間違ってなかったと思うぞ?」

 

 絶対に失敗しない代わりに、絶対に成功もしない最高の選択。

 それは前を歩く幼馴染に対して、俺がやっていることでもある。結局は今の関係を壊さないこと……選択しないことこそが、一番の選択なのかもしれない。

 

「そう慌てなくても、チャンスはまだまだあるだろ」

 

 運命の悪戯か知らないが、最後に乗った『スターライト・ホライズン』では、火水木と冬雪・葵と夢野・俺と阿久津というペア分けだった。

 しかもコースターが上がりきった絶好のタイミングで花火が打ち上がるという、間違いなく胸がときめくシチュエーションのおまけつき。伊東先生が聞いたら青春と喜びそうだが、残念ながら季節はまだまだ冬らしい。

 

「…………さ、櫻君は不安にならないの?」

「何がだ?」

「そ、その……何て言うか……誰かに取られちゃうかも……みたいな?」

「本人が幸せなら、それはそれでいいんじゃないか?」

「そ、そっか……そうだよね…………」

 

 何とも言えない反応をされるが、別に葵は間違ってないと思う。

 こんな綺麗事を言えるのは、単にそんなケースを考えていないだけに過ぎない。阿久津が誰かと付き合ったらなんて、想像しただけで過呼吸になりそうだ。

 

『――――危ないですから黄色い線までお下がりください』

 

 閉園時間より三十分程前にネズミースカイを後にしたものの、電車内はぎゅうぎゅう詰め。何駅か進んで人が減っていくと、ようやく席が空き始める。

 譲り合いの結果、眠そうな冬雪が最初に腰を下ろした。次の駅で反対側に二人分のスペースができたため、席の目の前にいた阿久津と火水木が座る。

 その次の駅になって大量に人が下りると、俺と夢野と葵もようやく腰を下ろす。立っていた位置のせいで、行き同様またも夢野を挟む形になってしまった。

 

「二人とも眠いなら寝ていいぞ? 駅に着いたら起こすから」

 

 疲れているのか、目がしぱしぱしている夢野と葵に声を掛ける。向かいに座っている火水木ですらウトウトと船を漕いでいるし、冬雪は言わずもがなだ。

 

「ご、ごめん。僕は大丈夫だから」

「無理すんなって。俺は夜行性だし、行きで寝かせて貰ったからさ」

「じゃあ言葉に甘えちゃおうかな」

 

 葵は慌てて目を擦ったが、夢野は素直に目を閉じる。

 目が冴えているのは俺だけじゃなくもう一人。向かいに座っている幼馴染は、何やら難しい顔を浮かべながらスマホを弄っていた。

 

「!」

 

 ふと顔を上げた阿久津と目が合う。

 しかし電車内で語ることもなく、少女は再びスマホに視線を戻した。

 

「…………」

 

 阿久津をあんな表情にさせる相手は、恐らく過保護な親だろう。

 トゥーンワールドで鳴った電話もそうだったとすれば、何か門限的なものでもあったのかもしれない。そりゃ気持ちもヤキモキして、寝てなんていられないか。

 

「?」

 

 そんな推理をしていると、ポサッと二の腕の辺りに重みを感じた。

 振り向けば睡眠モードの夢野が俺へもたれかかっている。その隣ではやはり眠気には勝てなかったのか、葵の瞼も完全に閉じていた。

 

「スゥー………………スゥー………………」

 

 スヤスヤと寝息を立てている癒しの少女。

 フワリといい香りがする中で見せる無防備な姿は、男心にグッとくるものがある。気付けば胸は高鳴り、ボーっと見惚れている自分がいた。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

 そんな最中、不意にポケットの中で携帯が振動する。放任主義の我が家からとは考えにくいし、チョコクランチを待ちきれない梅だろうか。

 夢野を起こさないよう慎重に腕を動かし、携帯を取るとメールを確認した。

 

『あまり女の子の寝顔を凝視するものじゃないよ』

 

 宛先には阿久津水無月の名前。顔を上げてみれば一体いつから見られていたのか、幼馴染の少女はジーッと冷たい視線をこちらへ向けている。

 何と言い訳したものかと考えつつ、俺は阿久津へ返事を送った。

 

『寝起きに頬を引っ張るのもどうかと思うけどな』

 

 少ししてメールを受信したのか、阿久津がムッとした表情を浮かべる。こういう一文でのやり取りは中々しないため、ちょっとしたSNS気分だ。

 

『あれはキミが引っ張って欲しそうな顔をしていたからじゃないか』

『どんな顔だよそれ』

『こんな顔だね(動物顔になるアプリで撮影された画像付き)』

『何で撮ってるんだよっ? 消せっ!』

『これでいいのかい?(普通に撮影された画像付き)』

『そうじゃねえよっ!』

 

 葵の奴も、夢野とこんなやり取りをしていたんだろうか。

 幼馴染とのメールによる会話は何度かに渡り続く。しかし最初は不敵に笑っていた阿久津だが、程なくして複雑な表情を浮かべると溜息を吐いた。

 

「?」

 

 少女は返事をしないまま、スマホをポケットに入れる。

 別に呆れさせるような内容は送っていない。

 寧ろ例えるなら夢から覚めたというか、我に返ったという感じだ。

 

『次は――――――』

 

 停車駅がアナウンスされるが、乗り換える駅まではまだ遠い。

 しかし阿久津は俺と視線を合わせずに、腕を組み広告を眺めるだけだった。



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末日(金) 恋の方程式が解なしだった件

 表があるから裏があり、内を作るから外が生まれる。

 哲学書や小説などでこの手の話は割とよく見られるが、いつも語られる選択肢は二択ばかり。表と裏があるなら、側面も生じることを忘れてはいけない。

 そして横から見てこそ、その本質を見出せる場合もある。例えば硬貨ならギザ十だとか、五百円玉の側面にNIPPONと書いてあれば価値が上がる訳だ。

 

「それじゃ、またね」

「おう。じゃあな」

「お疲れ様」

 

 今日俺は、葵と夢野の二人を第三者という立場から見た。

 それなら彼女には、俺と阿久津は一体どういう風に見えているんだろう……そんなことを考えながら、新黒谷駅に着いた俺達は夢野と別れた。

 

「バッグ乗せるか?」

「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」

 

 丁重に断った少女に合わせて、俺は自転車を押しながら隣を歩く。

 この時間なら二人乗りをしてもバレない気がするが、そんな提案は絶対しない。阿久津が拒否するのは勿論だが、一番の理由はコイツの父親が警察官だからだ。

 

「ボクに合わせずとも、先に帰って構わないよ」

「時間が相当やばいなら走るぞ。親から連絡着てたんだろ?」

「気付いていたのかい?」

「まあな」

「ここまで過ぎたら、今更走ったところで大して変わらないさ。それに悪いのは帰る時間を伝え忘れて、連絡もせず親を心配させたボクの方だからね」

 

 半ば開き直りつつ答える少女は、相変わらず達観している。

 ただ今回は色々と試行錯誤があったのかもしれない。最初からそんな考えだったなら、トゥーンワールドや電車内であんな表情を浮かべたりはしないだろう。

 

「それより、キミに聞いておきたいことある」

「ん? 何だ?」

「キミは夢野君のことが好きなのかい?」

「…………は?」

 

 相変わらずの、直球ストレートな質問。

 阿久津が夢野を初めて見た時にも、同じようなことを尋ねられた。

 コイツはいつだって、俺に対して遠慮なんてしない。

 

「いきなりすぎるだろ。何でそんなこと聞くんだよ?」

「決まっているじゃないか」

 

 

 

 ――――夢野君がキミのことを好きだからだよ――――

 

 

 

 思わず呆然と立ち尽くす。

 アキトが決して直接は口にしなかった推理を。

 俺が思い上がりだと言い聞かせた仮説を。

 阿久津水無月は、さも当然と言った様子でさらりと口にした。

 

「驚いているようだけれど、キミだって薄々気づいてはいたんじゃないのかい?」

「!」

 

 足を止めた俺を置いて、少女は一人で先へと進んでいく。

 慌てて早足で追いかけるが、返す言葉は何一つ持ち合わせていない。

 夢野と同じ女子だからなのか、はたまた阿久津だからなのか。不思議と彼女の言葉には説得力があり、俺は黙って話を聞くことしかできなかった。

 

「キミが大晦日に夢野君から逃げた訳が、今日になってようやくわかったよ。相生君が夢野君のことを好きだと、あの時には既に知っていたんだろう?」

「…………」

「そうでもなければ、いくらキミが卑屈でも逃げはしない。自分を好いてくれる少女を否定するなんて、聖人君子じゃあるまいし妙だとは思っていたよ」

「……………………」

「見たところ相生君はまだ告白していないのかな? 夢野君は彼の気持ちを知っているのか……いや、仮に知らなかったとしても今日で気付いたかもしれないね」

 

 どうやら渋い顔をしていた理由は、親の件だけじゃなかったらしい。

 阿久津は見解を語った後で、改めて俺に尋ねた。

 

「それでキミは、夢野君のことが好きなのかい?」

「…………どうなんだろうな」

「質問を変えよう。夢野君に告白されたら、キミはどうするんだい?」

「………………どうすればいいと思う?」

「質問に質問を返さないでほしいね」

 

 やれやれと阿久津は溜息を吐き、黙って俺の解答を待ち続ける。

 しかし一向に答えは出ないまま、とうとう家の前に辿り着いてしまった。

 

「ボクは付き合うべきだと思うよ」

「!」

 

 少女は足を止めると振り返り、何の躊躇いもなく答える。

 目を背けることなく、俺のことを真っ直ぐに見据えながら話を続けた。

 

「相生君の一件がなければ、キミは夢野君の告白に応えただろう?」

 

 確かにその通りだ。

 ただそれは夢野だからじゃない。

 言ってしまえば、相手が美少女なら誰でも応えていたと思う。

 だってそうだろ?

 可愛い女の子から告白されたら、思春期の男子なら誰だって首を縦に振る。

 ましてや俺みたいな魅力のない奴なら尚更だ。

 

(…………ああ、本当にどうしようもないクズだな)

 

 正当化しようとしている自分が改めて嫌になった。

 きっとこういう奴が、大人になってハニートラップに引っ掛かるに違いない。

 一体いつから、俺はこんな人間になったのか。

 できることなら、昔に戻りたかった。

 

「キミが夢野君を好きなら、二人は両想いじゃないか。相生君には恨まれるかもしれないけれど、悩む必要なんてない単純な話だよ」

「…………なあ、阿久津」

「何だい?」

「好きって何なんだろうな」

 

 俺が本当に阿久津を好きなら、こんなことで悩まないのかもしれない。例え本人が振り向いてくれなくても、他の女子には目もくれず一途に想い続けるべきだろう。

 若干投げやり気味に尋ねると、少女は額に手を当てて深々と溜息を吐いた。

 

「キミが聞くべきことは、そんな哲学めいたものじゃないと思うけれどね。それをボクに聞いて、明確な答えが返ってくるとでも思ったのかい?」

「いや、お前の意見を聞きたくてさ」

「数学の問題じゃあるまいし、そんな簡単に解けるなら誰だって苦労はしないさ。まあ時間を掛けてゆっくり考えてみるといい……それじゃあ、失礼するよ」

「ああ、またな」

 

 恋の方程式なんて言葉があるが、その答えに解はあるんだろうか。

 淡々と応えつつ背を向ける阿久津を見届け、俺は自転車を止めると我が家へと帰る。

 

「ただいま…………あ!」

 

 玄関に置いてあるスタンドミラーに映った自分の姿を見て、ふと首に巻かれたままだったマフラーに気付いた。そういえば借りたままだったっけな。

 我が物顔で使っていた俺も俺だが、気付かない阿久津も阿久津だ。アイツなら「いい加減に返してくれないかい?」とか素っ気なく言いそうなものである、

 

「おかえりんこっ!」

「ただいまん……そういう誤解へ導く発言をするな」

「はえ?」

 

 返すのは明日でもいいだろうと、俺は騒々しく現れた妹に土産を手渡した。

 今日、二月二十七日は冬の恋人の日。

 しかし男女間の友情は存在する会に属している俺達に進展はない。

 この時はまだ、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 …………数週間後、阿久津水無月が告白されるとも知らずに。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の6章を楽しんでいただければ幸いです!


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6章:俺の友人が片想いだった件②
初日(水) 俺の幼馴染がモテモテだった件


 ラバーダッキングという言葉を知っているだろうか。

 問題へ直面した際に、物に話しかけることで頭の中が整理され解決法を閃くという、主にプログラマの間で使われるテクニックだ。

 大切なのは誰かに話しかけるという行為。つまり相手が人間である必要はなく、ゴム製のアヒルの玩具=ラバーダッグを相手にしたことが名前の由来である。

 いつぞやこの俺、米倉櫻(よねくらさくら)が幼馴染の少女に教わった勉強方法はこれと似ており、語りかけるように声を出すと記憶にも効果的らしい。

 

「そういえば、如月さんって美術部だっけ?」

「(コクコク)」

「じゃあやっぱり大学も芸術関係に行ったりするのか?」

「(コクコク)」

 

 さながら沈黙のクラスメイトこと如月閏(きさらぎうるう)との会話はアヒルの玩具ならぬ、首が上下に動く赤べこを相手に話している気分だった。

 小学生サイズの小柄な身長と、準備に時間が掛かりそうな編み込みの髪。エロゲーの主人公並みに前髪が長く、ド○クエの主人公並みの無口っぷりだが、クラスにおける如月の立ち位置は村人Aといった感じである。

 

「芸術って理系と文系、どっちなんだ?」

「ぃ」

「えっと…………理系?」

「(フルフル)」

「へー。文系なのか」

 

 陶芸をやっていると幾何学模様とか聞くし、数学ってイメージなんだけどな。

 無言で歩くのも気まずいため色々と話しかけてみるが、如月は相変わらずの反応である。電子辞書の鍵を開けたくらいで親密になれるほど、世の中そう甘くはない。

 そんな隠れ巨乳疑惑のある少女と一緒に屋代学園二階の渡り廊下、モールを歩いているのは編集委員会の顧問に用事があるためだった。

 

「しかし移動教室の度に思うけど、こう遠いと動く歩道とか欲しくなるよな」

「(コクコク)」

「しかも理科棟ってFハウスの三階だろ? 俺はまだCハウスだからいいけど、Aハウスの理系なんて実験とかある度に物凄く面倒そう…………?」

 

 話している途中で窓の外を眺めると、偶然にも顔見知りの姿を見かける。

 そして彼女の向かいには、長身でツンツン頭の知らない男が立っていた。

 

「…………悪い。ちょっと用事思い出したわ。先に行っててくれ」

 

 如月が「えっ?」といった様子で固まる中、俺はモールを駆け抜ける。

 夕暮れに人気の少ない校舎裏で二人きり。

 阿久津水無月(あくつみなづき)に限ってそんなことはないと思うが、何となく嫌な予感がした。

 普段使うことのないFハウスの昇降口から、上履きのまま外へ出る。

 

「――――」

「――――――」

 

 二人には気付かれず、会話を聞き取れる位置。

 割と簡単そうな条件だが、実際にやってみると思った以上に難しい。仮に二人が人目を忍んでいるとしたら、そういう場所を選んでいるんだから当然だ。

 どこぞの全身黒タイツさんみたいに壁越しから様子を窺いつつ、例年よりも随分と早く蕾が開花し始めた桜の木の下にいる二人の会話を聞き取る。

 

「――――ボクを呼んだ理由は、そんな雑談をするためですか?」

 

 阿久津の言葉遣いは敬語だった。

 となると相手は上級生ということだろうか。

 何にせよ呼んだのではなく、呼ばれたと知って少し安心する。

 

「相変わらずキッツイなおぃ。水無月よぉ、もっと気楽にいこうぜ?」

「なら気楽に帰らせてもらいます」

 

 幼馴染の少女は急に方向転換して立ち去ろうとする。向いたのがこちら側ではなく反対側だったのでギリギリセーフ……危うく気付かれるところだった。

 

「ちょっ! 待てって!」

 

 先輩と思わしき割とイケメンな男は、阿久津の腕を掴んで引き止める。慌てて視界に入らないよう壁に身を隠し、耳へ神経を集中させ声を聞くだけに留めた。

 名前呼びをしている時点で気に食わないし、今の行動にはムッとする。仮に阿久津が如月みたいな性格なら助けに入るところだが、彼女にその必要はないだろう。

 

「何ですか?」

 

 冷静に言葉を返す少女。

 男に比べると小さいため、その声は若干聞き取りにくい。

 

 

 

「俺と付き合ってくれ」

 

 

 

 ――ドクン――

 

 耳を澄まして聞こえてきたのは、唐突な告白だった。

 いやいや、どうせアレだ。買い物に付き合ってくれとか、そんなオチだろ。

 

「買い物か何かですか?」

 

 俺と同じ反応を返す阿久津。

 今顔を出すと気付かれる可能性が高いため、その表情はわからない。

 

「そうじゃねぇ。真面目に答えてくれ」

「!」

「俺はお前のことが好きだっ!」

 

 真剣な男の声が耳に入る。

 聞き間違いでも勘違いでもない、紛れもない愛の告白。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン――

 

 

 

 心臓の鼓動が速く……そして強くなっていく。

 確かに阿久津は容姿端麗な上、頭も良いし運動もできる。

 今まで俺が知らなかっただけで、告白した男は他にいたかもしれない。

 …………告白?

 それだけで済むならまだマシだ。

 ひょっとしたら、既に誰かと付き合っている可能性すらある。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン、ドクン――

 

 

 

 ただそんな憶測は、今まで一切考えずにいた。

 考えたくもなかった。

 阿久津はいつまでも、俺の知っている阿久津のままでいると思っていた。

 

『キミは暇だろう?』

 

 だからあの日、声を掛けられた時は安心した。

 

『確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ』

 

 あの一言を聞いた時は、本当に嬉しかった。

 

「………………」

 

 沈黙が妙に長く感じる。

 頭が真っ白になる中で、幼馴染の少女は静かに答えた。

 

「すみません」

「っ!」

 

 その第一声を聞いた瞬間、緊張で止まっていた息を一気に吐き出す。

 …………良かった。

 ………………本当に良かった。

 告白する勇気すらない癖に、安堵している自分がいた。

 

「………………………………他に好きな奴でもいんのか?」

 

 男から威勢が消え、落ち込んでいるのが声だけでわかる。

 客観的に見ているからか、その質問は実に未練がましく感じた。

 聞いたところでどうにもならないのに、聞かずにはいられなかったのだろう。

 

「それをボクが答える必要はありません」

 

 揺らぐことのない幼馴染は、傷心の男へ淡々と答える。

 気休めでしかない慰めの言葉はかけず、論理に基づいた解答だった。

 

「俺の諦めがつく」

 

 人の振り見て我が振り直せ……いや、人の振られ見て我が振られ直せか?

 第三者の立場で話を聞いていると、もう潔く立ち去れと思ってしまう。他に好きな相手がいるか聞いた時点で諦めとは真逆だし、完全にその理由は我儘でしかない。

 メールやSNSでも『寝てた』とか『壊れた』なんて嘘を吐くくらいだし、恐らく大抵の女子は面倒を避けるために『好きな人がいる』と答えるんだろう。

 

「そうですか」

 

 ただ阿久津水無月という少女は、そんな嘘を吐いたりはしない。

 先輩だろうと関係なし。

 好きじゃないから付き合わないと、バッサリと切り捨てるだけだ。

 

 

 

「いますよ」

 

 

 

 ………………え? 何だって?

 真面目に「いませんよ」と聞き間違えたのかと耳を疑う。

 しかし難聴に優しい阿久津は、わざわざ丁寧に言い直すのだった。

 

 

 

「残念ですが、片想いの相手がいます。だから先輩とは付き合えません」



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一日目(木) 夢のような耳掃除だった件

「櫻」

「んぅ…………?」

 

 耳元で俺を呼び起こすのは、聞き慣れた幼馴染の声。

 目を開けると、そこはいつもの陶芸室だった。

 

「寝ていたのかい? ほら、反対だよ」

「反対?」

 

 顔を上に向けると、阿久津が俺を見下ろしている。

 頭の中は朧気なままだが、自分が膝枕をされていることは理解した。

 

「ボクの方を向いてどうするんだい?」

「え?」

「まだ寝惚けているみたいだね。全く、キミは本当に手が掛かるよ」

 

 耳かきを手にした少女は、やれやれと溜息を吐く。

 並べられた椅子の上という不安定な寝床から落ちないよう、阿久津は俺の身体を支えながら自分の方へ引き寄せると耳掃除ができる横向きにした。

 

「!」

 

 柔らかい太股に顔が乗せられ、黒タイツの感触が頬に当たる。

 目の前には短いスカート。

 少し上を見れば、ブレザー越しではわかりにくい控えめな胸が目に入った。

 

(ああ、そうだ……窯の番をしてて、眠気が限界だったんだっけ…………)

 

 あれからどれくらい寝ていたんだろう。

 そんな疑問を打ち消すように、幼馴染は耳元で囁いた。

 

「大人しくしているんだよ」

 

 その吐息にドキッとしていると、耳かきが入れられる。

 気持ちいい。

 耳の中を弄られる快感に恍惚としていた。

 

「何をしているんだい?」

「え? あっ――――」

 

 …………無意識だった。

 だらりと垂れ下がったまま、収まりの悪かった右手。

 置き場所に困っていたそれを、うっかり阿久津の太股へ乗せていた。

 

「動かない」

「っ!」

 

 すぐさま手を戻そうとしたが、少女に制止され黒タイツの上に留める。

 よくよく考えてみれば、頭を動かすなという意味だったのかもしれない。このまま太股に触れていて怒られるか、それとも動いて怒られるか……どう足掻いても絶望か。

 

「まあキミに触られようと、別にボクは気にしないけれどね」

(え……?)

 

 どうしたものか悩んでいると、阿久津が予想だにしない一言を口にする。

 つまりそれって、このまま触ってもOKってことか?

 確認するように視線を上げるものの、少女は淡々と耳掃除をしていた。

 

 

 

 ――さわ――

 

 

 

 ほんの少し……一ミリだけ指先を動かしてみる。

 しかし少女の反応はない。

 

 

 

 ――さわ、さわ――

 

 

 

 もう一度、もう一度だけ。

 様子を窺っては指先を動かし、また様子を窺う。

 

「…………」

 

 動かす指を一本から二本へ。

 指が大丈夫なら、今度は掌全体で。

 何度か繰り返しているうちに、少しずつエスカレートしていく。

 気付いてもおかしくない筈なのに、阿久津は知らん顔で黙ったままだ。

 

「ゴクッ」

 

 思わず生唾を飲み込む。

 太股へ這わせていた掌を、徐々に付け根へと近づけていった。

 スカートの端に指先が触れる。

 それでも少女は俺の行為に全く触れない。

 

 

 

 ――ドクン――

 

 

 

 指先が布地の下へ潜り込んだ。

 本能に従い、そのまま奥へとゆっくり進めていく。

 禁断の領域へ手を入れている、その光景が何ともエロティックだった。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン――

 

 

 

 興奮で脈が速くなる。

 第一関節、そして第二関節と指がスカートの中へ入っていた。

 それでも下着には届かず、思った以上に暗黒空間は深い。

 

「櫻」

「――――っ!」

 

 何をしているんだ俺は。

 声を掛けられ、真っ先に抱いた感情は後悔だった。

 軽蔑されても仕方ない。

 興奮による高鳴りが、恐怖の鼓動へと一転した。

 

「耳かきは終わったけれど、どうするんだい?」

(っ?)

 

 お咎めなし。

 単に気付いていないのか。

 それとも、このまま続けてもOKという意味なのか。

 

「阿久津」

 

 幼馴染の名前を呼ぶ。

 少女の片想いの相手がもし、俺だとしたら?

 そんな疑問に答えるかの如く、彼女は黙って首を縦に振った。

 

(マジでかっ? これって夢じゃ――――)

 

 

 

 

 

 

 

 ――――チュン、チュン。

「…………」

 

 夢だった。

 夢だけど、夢だった。

 朝チュンならぬ、阿久チュンである。

 

「………………」

 

 熱心にシーツを撫で回す右手。

 未だにドクドクと激しく脈打っている心臓。

 何故かベッドの横に立っている姉貴。

 

「水無月ちゃんだと思った? 残念! (もも)ちゃんでした!」

「うぅうううううううおぉおおおおおおあぁああああああああーーーーっ!」

「きゃんっ?」

 

 反射的に掛け布団を掴み、力いっぱい投げつける。そのまま肌掛け布団も投げようとしたが、夢のせいもあってか激しい生理現象を隠すために手を止めた。

 

「もう櫻ってば、いきなり何するのよ~?」

「たった今、俺の中で何かが切れた」

「血管?」

「違ぇよっ! 堪忍袋の緒だっ!」

 

 大学生の春休みは二月上旬から約二ヶ月間。小学生の夏休みよりも長いという意味不明な話を手土産に、姉貴は久々に実家へと帰って来ていた。

 

「そ~れ~で~、どんな夢見てたの~?」

 

 改めて思い出せば突っ込み所満載だったが、ここ数年で一番と断言できるくらい最高の夢だった。しかしそれだけに目覚めた後の絶望感は半端じゃない。

 ましてや寝言を聞かれたとなれば尚更であり、姉貴はずっとニヤニヤしている。

 

「勝手に人の部屋に入ってくんな」

「あらら~? ちゃんとノックしたわよ~? コンコンコ~ンって」

 

 見るからにテンションの高いのが、また一段とムカつく。

 珍しく早起きしているが、相変わらず朝は寝癖でボサボサ。ボンッキュッボンを見せつけるように胸を張りつつ、ノックするジェスチャーを見せる姿がウザい。

 っていうかもう存在がウザい。顔がウザい。全てがウザい。

 

「せっかくお姉ちゃんが起こしにきてあげたと見せかけて、あえて起こさず弟の寝顔を優しく見守っててあげたんだから、まずはお礼の一言でしょ?」

「さようなら」

「う~ん、惜しいっ! 五文字違いっ!」

 

 要するにそれ、全部違うじゃねーか。

 夢から現実に引き戻されイライラする中、姉貴は一向に部屋を出て行こうとしない。穏やかな心を持っている俺でも、激しい怒りによって超サクラ人に目覚めそうだ。

 

「あ、ちょっと待った櫻。この日空いてる?」

「?」

 

 俺が部屋を出て行こうとすると、姉貴がカレンダーを指さしつつ尋ねる。

 示されたのは春休みの日曜日であり、当然ながら予定なんてない。

 

「…………空いてたら何なんだよ?」

「桃姉さんと一緒にバイトしない? 履歴書不要で、何と日給一万円~♪」

「………………仕事内容は?」

「イ~ベ~ン~ト~ス~タ~ッ~フ~」

 

 どこぞの猫型ロボット風に答える姉貴だが、相変わらず物真似は全くもって似ていない。ってかスタッフを杖的な意味にしたら、そんな秘密道具本当にありそうだな。

 前にバイトの相談をしたとはいえ、あまりにも唐突な誘い。しかも賑わい好きな姉貴にはピッタリなものの、俺には向いてない気がする……が、一万は捨てがたい。

 

「考えとく」

「今日中にね~」

 

 起こしに来たと言いつつ、人の布団で勝手に横になった姉貴は手を振る。人の領域に遠慮なく入ってくるこの性格は、本当どうにかしてほしいもんだ。



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一日目(木) 花粉症とドゥッペレペだった件

「ぶえっくしょい!」

「えっと……アキト君、大丈夫?」

 

 いつも通り昼休みに集まり、食事を終えたズッコケない三人組。その頭脳担当である火水木明釷(ひみずきあきと)は、花粉症のためマスクを着けていた。

 

「ゲーム実況者とか歌い手としてデビューするんだろ?」

「あるあ……ねーよ。仮に歌うなら拙者より、うってつけの人材がいるのでは?」

 

 ガラパゴスなオタクことガラオタが首で示した先にいるのは、可愛い担当の男の娘。冷え症なのか未だに掌が半分も隠れる大きめのセーターを着た相生葵(あいおいあおい)は、自分のことだと時間差で気付いたらしい。

 

「えっ?」

「確かに葵なら男も女もホイホイ釣れそうだな。何かそれっぽい真似してくれよ」

「えぇっ? ぼ、僕そういうの見ないからわからないよ」

「なら何の物真似ならできるんだ?」

「ええぇっ? も、物真似は確定なのっ?」

「ちなみに拙者はピ○チュウの真似ができるお」

「アキトのピ○チュウまで3、2、1、ハイッ!」

「ドゥッペレペ!」

 

 まさかのゲーム版かよっ!

 予想の斜め上の物真似に、俺と葵の腹筋が崩壊した。

 

「他には、某アンパンの真似もできるお」

「や……やってみてくれ」

「バ○キンマン、もう許さないぞ!(裏声)」

 

 お、今回はまともか?

 ただ姉貴のド○えもんよりクオリティは高いが、そっくりという程でもない。

 

「本当の本当に怒ったぞ!(裏声)」

「ん?」

「ガチのマジギレだぞ!(裏声)」

 

 腹筋が爆死した。本人が言いそうにない系の物真似は卑怯だろ。

 向かいでは完全にツボに入ったのか、葵が腹を抱えて笑っている。あーあー、笑い過ぎて咳き込み始めちゃったけど大丈夫なのか?

 

「相生氏、大丈夫? おっぱい揉む?」

「えっ……げほっ、えほっ!」

「更に追い打ちをかけるな。本当に花粉症かよお前は」

「問題ナッスィン! というより、拙者はまだマシな方ですので」

「あー、確かに。妹の方はゾンビみたいになってたな」

「そうそう、その腐った妹から伝言があったのを忘れてたお」

 

 双子の妹をぞんざいに扱う兄……いや、この場合の腐ってるは別の意味か。

 アキトはチラリと隣にいる無口少女二人を見た後で、声を小さくして話す。

 

「米倉氏と相生氏は、ホワイトデーのお返しを既に決めているので?」

「いや、全くだな」

「ぼ、僕もまだ……」

 

 雛祭りが何事もなく過ぎ去り、ホワイトデーは週末に迫っている。

 基本的にはバレンタインと同じ曜日になるが、今年は閏年だったため一日ずれこみ日曜日。今回は模試もなく、完全な休日であるため渡すとしたら月曜日だろう。

 

「決めてないなら今週の日曜、我が家で作らないかとのお誘いだお」

「は?」

「つ、作るって、手作りってこと?」

「手作りで貰ったなら、手作りで返すべきじゃない? とのことですな」

 

 確かにそうかもしれないが、女子の手作りと男子の手作りはハードルが違う気もする。現に外見だけなら中間的存在である葵も、難しい顔をして考え込んでいた。

 ネズミースカイから二週間。あれからリリスとの進展はないらしい。

 恐らく葵自身も焦り過ぎだったと気付いたんだろう。我に返った今はきっと、次のチャンスに備えて地道に好感度を上げているに違いない。

 

「仮に作るとして、どうしてアキトの家なんだ?」

「不器用な男が集まって、クッキー作りに四苦八苦してる姿が見たいらしいお」

「…………腐ってんな」

「サーセン」

「えっと……台所とか借りて、アキト君のご両親の邪魔にならないの?」

「昼は二人とも店なので、その辺りは問題ないお」

 

 店っていうと、噂の火水木文具店か。

 正直お返しをどうするか悩んではいたし、手作りなら費用も安く済む。それにアキトの家ってのも少し興味があるし、行ってみるのも面白そうだ。

 

「ん……俺は良いけど、葵はどうする?」

「じ、じゃあ僕も行こうかな」

「トンクス!」

「はいここでピ○チュウ」

「ドゥッペレペ!」

「ドゥッペレペ!」

「流石は米倉氏。バッチリだお」

「っ…………っ……っ――――」

 

 葵が呼吸困難になる魔法、ゲットだぜ。ドゥッペレペ~。



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一日目(木) ここは陶芸部だった件

 雪が溶ければ水になり、雪が解ければ春になる。水が冷たいと作業する気にならない陶芸部も、丁度良い陽気になったことで活動を始めていた。

 眠そうな眼にボブカットがトレードマークの部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)は今日もせっせと土を練った後で、俺の横を往復し電動ろくろを挽く準備をする。

 

「……その歩、危ない」

「へー。冬雪も将棋できるのか?」

「……盤から落っこちそう」

「そっちっ?」

 

 天然ボケをかましてくれた冬雪だが、その表情は若干不満そうである。まあこんな絶好の陶芸日和にも拘わらず、将棋を指していれば仕方ない話だ。

 ちなみに対戦相手は髪を二つ結びにした眼鏡少女。胸と声がでかいのが取り柄なアキトの妹である火水木天海(ひみずきあまみ)だが、今日は胸……じゃなくて声が小さい。

 

「王手っと。これで詰みだな」

「異議あり」

「それを言うなら待っただろ? どこの逆転する裁判だよ」

「アンタってこういうどうでもいい特技多いわね」

「余計なお世話だ……って、将棋盤の上にオセロを置くな。挟んだからって俺のと金を勝手にひっくり返して歩に戻すな」

「じゃあこう?」

 

 反転が駄目なら寝返りと、と金の向きを変えて自分の駒にする火水木。いつもよりテンションが低い癖に、妙に鋭いボケを見せてくるな。

 マスクを付けてパンダみたいに垂れていた少女は、箱ティッシュで鼻をかむ。米倉家は花粉症にならない体質なので経験はないが、見ているだけで大変そうだ。

 

「辛そうだけれど、大丈夫かい?」

「毎年のことだから。本当この時期は眼と鼻を取り外して洗いたくなるわ」

「……マミ、無理しないでいい」

「ツッキーもユッキーも、ありがとね」

 

 流石にこの状態だと、粘土を弄るのも難しいだろう。定価30円の棒付き飴を咥えた阿久津が、削り作業をこなしつつも心配そうに声を掛ける。

 

「…………」

 

 告白されたとは思えないほど、いつも通りに見える幼馴染。

 しかしそれは一日空いて、気持ちが整理されたからだろう。

 彼女は昨日、珍しく部活を休んでいた。

 

『――――片想いの相手がいます――――』

 

 あの後で先輩は本当に諦めがついたのか、話を切り上げ潔く去っていった。

 しかしそんな話を聞いた俺は、未だに気が気ではない。

 寧ろあれこそ夢なんじゃないかと思っている。

 

(あの阿久津が……ねえ……)

 

 やはりクラスメイトだろうか。

 バスケ部ネットワークのある妹でも、流石に聞き出すのは難しい案件だ。

 考えれば考える程もやもやする。

 

(ひょっとして俺だったり…………しないよな)

 

 言葉では否定するものの、内心どこか期待している自分がいる。

 可能性は0じゃない。

 というかその希望にすがらないと、とても平静を保ってはいられなかった。

 

「どうしたんだい?」

 

 将棋を片付けつつ阿久津をボーっと見ていると、うっかり目が合ってしまう。

 

「え? あ、いや、こんだけのゲーム、誰が用意したんだろうってさ」

 

 普段トランプとウノを入れている引き出しとは別の引き出し。その中には将棋やオセロの他にもジェンガに黒ひげ、カードで遊ぶ人狼ゲームなど色々と入っていた。

 いつぞや火水木が人生ゲームを用意していたが、最初からこの陶芸部らしからぬ引き出しの存在を知っていたら、わざわざ持って来ることもなかっただろう。

 

「物好きな先輩が置いていったんだよ」

「……モップとビー玉でビリヤードするような人」

「あ、あれか? 卓球とバドミントン置いていったっていう」

「……そう」

 

 確か前に卓球をした時に、聞いたことがあったっけな。

 夏休みが終わった後で入部している俺や火水木は、誰一人として先輩の顔を知らない。何人いたかは尋ねたことがある気もするが、正直記憶が朧気で曖昧だ。

 

「………………」

 

 そんな話をしていると、阿久津が難しい表情を浮かべているように見えた。

 削り作業に集中しているだけで、俺の気のせいかもしれない。

 もしかしてその先輩ってのは、あの先輩のことなのか?

 口調から考えられる性格や雰囲気は、充分にあり得ると思う。

 

「へー。その先輩、アタシと気が合いそうね」

「……ここは陶芸部」

「でもほら、たまに息抜きするくらいならいいじゃない」

「……マミ、最近は遊んでばっかり」

「目が、目がぁ~っ! 花粉症がぁ~っ!」

 

 随分と都合のいい花粉症もあったもんだ。どちらかというと大佐は大佐でも「陶芸をすると約束したな。あれは嘘だ」的な大佐の方が合っている気がする。

 

「……ヨネも遊び過ぎ」

 

 あれ、冬雪さん。ひょっとしておこですか?

 その先輩が遊び人だったとしたら、きっと陶芸大好きな彼女とは相性は悪かったに違いない。降りかかった火の粉が炎上する前に、適当に話題を変えておこう。

 

「そういえば、一つ聞いてもいいか?」

「……何?」

「いや、この中にバイト経験ある奴とかっているか?」

「……ない」

「ボクもないね」

「アタシは店の手伝いならあるけど、それがどうしたのよ」

「ちょっと春休みにやろうか悩んでてな」

「「「…………」」」

 

 え、何この雰囲気。俺が変えようとしたのは話題であって、別に空気を変えようとした覚えはないんだが……何か妙に視線が刺さる。

 

「……陶芸は?」

 

 うん、冬雪の視線は納得した。

 

「ふぇっくしょい!」

 

 火水木は単にくしゃみが出そうなだけかよ。紛らわしいなおい。

 

「アイスのショーケースに入りたいなら、安いのが七万円で売っているよ」

 

 そして削りを中断しスマホを手にした阿久津は、明らかに反応が間違っている件。バイトする理由がバカッター前提って、お前は俺を一体何だと思ってるんだ?

 

「あー何? アンタまた金欠なの?」

「まあそれもあるな」

「……そんなにアイスケース入りたい?」

「違いますよ冬雪さんっ? それ買うためのバイトじゃないからっ!」

「しかし春休みとはいえ、いきなりアルバイトだなんて櫻らしくないね」

「いや、ちょっとくらい社会経験も必要かと思ってさ」

 

 本当は姉貴に誘われたからだが、つい見栄を張ってしまう。もしも俺が自発的にやろうとしたら、求人広告を眺めたところで満足して終わりそうだ。

 

「ふむ。そういう理由ならやってみるべきかもしれないけれど、キミの場合だと学生の本分である勉強が疎かにならないか不安だね」

「何やるかもう決めてんの?」

「それっぽい候補はあるけど、具体的にはまだだな」

「候補? 教えなさいよ。アタシが遊びに行ってあげるから」

「断る。どうせ邪魔しに来るだけだろ」

「それくらい良いじゃない。大して話もできないままケビンはカナダ帰っちゃったし、花粉のせいで花見はできないしでイベント総崩れなんだから」

 

 まあ留学生なんてそんなもんだし、花粉で苦しんでるのはお前一人だけどな。

 結局誰一人としてバイト経験はなかったが、やってみようかなという気分にはなった。ちょっとした土産話もできそうだし、金も手に入るなら一石二鳥だろう。

 

「それはそうと、ユッキーが拗ねてるわよ」

「ん?」

 

 チラリと冬雪の方を見れば、ジトーっと見られた後でプイっとそっぽを向かれた。誤魔化してばかりの俺に不満らしく、口がへの字になっている。

 不貞腐れる冬雪なんて中々にレアだが、怒ってもマスコットはマスコットか。

 

「アンタは元気なんだから、ちょっとくらい頑張りなさいよ」

「ちょっと今日は気分が乗らなくてな」

「仕方ないよ音穏。櫻は元々この程度の人間だからね」

「む……」

「四月になれば頼れる新入部員がくるから、それまでは三人で頑張ればいいさ」

「ちょっと待て。俺が戦力外とは聞き捨てならないな」

「事実じゃないか」

 

 そこまで言われたら男として黙ってはいられないだろう。

 俺は学ランを脱ぎ捨てると、腕を捲った後でいじけている少女へ声を掛けた。

 

「冬雪、俺にもう一度聞いてみろ」

「……陶芸、いつやるの?」

「今でしょっ!」

「……古い」

「まるで北風と太陽ね。流石は幼馴染、よくわかってるわ」

「ただの腐れ縁だよ」

 

 遊び道具呼ばわりされていた頃から、俺も随分と成長したもんだ。

 ただ同じく成長した筈の陶芸に関しては若干腕が鈍っていたらしく、久し振りに挑戦した菊練りは以前にも増してシュウマイ化が進んでいた。



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一日目(木) 普段と違うコンビニの出会いだった件

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ……』

 

 信号待ちの途中、ポケットの中で携帯が振動する。

 画面に表示されているのは、いつも狙ったように俺の帰宅途中で電話をしてくる騒がしいマイシスター……ではあるものの、今日は妹ではなく姉の方だった。

 

「もしもし?」

「もしもし? 私桃姉さん。今貴方の後ろにいるの」

 

 

 

 チラリ(信号を待つ見知らぬおばさん)

 

 

 

「ぶはっ! げほっ! ごほんっ! んんっ!」

 

 くだらないネタなのに思わず噴き出す。メリーさん(40)とか嫌過ぎるだろ。

 笑っては失礼なので途中から咳き込む振りをして誤魔化した結果、幸い相手は不審に思っただろうが気付かれずには済んだらしい。何か本当にすいません。

 

「何よ~? 櫻ってば、こんなネタで笑っちゃうの?」

「違うっての! それより、どうしたんだよ?」

「さて問題です。どうしたんでしょうか?」

「知るか。切るぞ?」

「いゃ、ちょと待ってちょと待ってお兄さん~♪」

 

 

 

『ピッ』

 

 

 

『……ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ……』

 

 

 

「…………もしもし?」

「本当に切ることないでしょ~? 姉さん今のショックたよ~?」

 

 正直に言うと、一度こういう風に切ってみたかったんだよな。家族だからいいかなと思ったけど、やっぱりやられた方は割と傷つくらしいので止めておこう。

 

「で、用件は?」

「…………何だっけ?」

「忘れたのかよっ?」

「あ! 冗談よ冗談! バイトの件、どうするか決めた?」

 

 明らかに今思い出した雰囲気だったけど、面倒だし突っ込まないでおこう。

 

「ん……一応やってみることにするわ」

「了~解~。そうそう、それとお使いの要請で~す」

「今回は何だ?」

「週~刊~少~年――――」

 

 

 

『ピッ』

 

 

 

 …………うん、やっぱりモモえもん相手なら切ってもいいかな。

 程なくして携帯が震えるが、また電話かと思い確認してみると今度はメール。その本文は『努力・友情・勝利』と、買うべき雑誌を示唆する懐かしい字面た。

 どう考えても親じゃなく姉のお使いだが、渋々と馴染みのコンビニへと向かう。そこは友人かつ今は2079円の少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)のバイト先でもあった。

 

「あれ? 米倉君」

 

 前髪を桜の花びらヘアピンで留めたショートポニーテールの少女が現れるが、今日に限り彼女の第一声は「いらっしゃいませ」ではない。

 店内から出てきた夢野は、店員の制服ではなく屋代の学生服を着ている。どうやら今日はバイトではなかったものの、偶然コンビニに来ていたらしい。

 そして何故かその隣には、俺より先に帰っていた筈の阿久津がいた。

 

「随分と早いね。ちゃんと後片付けしたのかい?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それは余計に不安になる解答だよ」

 

 一体何を買ったのか、小さいビニール袋を手にした幼馴染は溜息を吐く。

 仮に同時に屋代を出たなら、電車の阿久津より自転車である俺の方がコンビニには早く着くだろう。しかし今日は中途半端な時間に陶芸を始めた結果、薄情な女子三人は後片付けしている可哀想な男子部員を置いて帰っていった。

 まあ遅くなったのは俺の自業自得だし、仮に待ったとしても校門ですぐに別れるだけ。当然の行動ではあると思うが……少しくらい残ってくれてもいいのにな。

 

「それじゃあボクは失礼するよ。色々とありがとう夢野君」

「どう致しまして。頑張ってね」

 

 家が近所にも拘わらず、阿久津は俺の横を抜けて一人先に帰ってしまう。少し気になる会話ではあるが、何を応援しているのか全くもってわからない。

 

「米倉君はいつもの栄養補給?」

「いや、今日は別件だ。夢野は阿久津と同じ電車だったのか?」

「ううん。駅じゃなくて、ここで偶然会ったの。普段アルバイトしてる時にも会わないから、私もビックリしちゃった」

 

 阿久津の母親は専業主婦だし、我が家と違って急な買い出しを頼むこともないからな。ついでに言うなら兄妹もいないから、パシリにされるようなこともないと。

 

「そういや夢野って、コンビニ以外にバイトしたことってあるのか?」

「ううん。私はずっとこのコンビニだけ」

「接客ってやっぱ大変か?」

「大変な時もあるかな……ひょっとして米倉君、アルバイトするの?」

「ああ。ちょっと社会経験に、春休みだけやってみようかなって」

「やっぱり! そっか、それで……」

「ん? 何がだ?」

「ううん。内緒♪」

 

 そう答える夢野は、何故か妙に嬉しそうだ。

 そんな微笑ましい姿を見て、ふと阿久津の言葉を思い出す。

 

 

 

 ――――夢野君がキミのことを好きだからだよ――――

 

 

 

 本当にそうなんだろうか?

 この手の誘惑で一度痛い目を見ているため、やはりそう簡単には信じられない。

 そもそもそれ以前に、俺は夢野のことをどう思っているのか。

 可愛い。

 家庭的。

 幼稚園時代に、彼女だった。

 

「どうかしたの?」

「ん、悪い。ちょっと考え事してた」

 

 …………本人を前にして考えることじゃなかったな。

 

「じゃあ、またな」

「あ、米倉君」

 

 別れを告げ店内に入ろうとした俺に、夢野は笑顔を見せつつ尋ねるのだった。

 

「明日、陶芸部の体験に行ってもいいかな?」



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二日目(金) 俺が米倉先輩だった件

 昔は入学式に咲いていた桜も、今じゃ時期がずれて卒業式に咲く。

 そして今日みたいな風の強い日は、桜吹雪の中を走るのが気持ちいい。更に登校時は追い風だったため、ペダルを漕がずの疾走は本当に幻想的で最高だった。

 

 ――――ビュォオオオッ――――

 

「うおっ?」

「……袋が飛んでる」

 

 そんな心地良い風は、放課後になり益々勢いを増していた。

 昇降口を出た矢先、音が聞こえる程の風が吹き荒れる。今にも飛んでいってしまいそうな冬雪の言う通り、強風に煽られたビニール袋が優雅に空の旅をしていた。

 

「これで春何番だ?」

「……三番?」

「(コクコク)」

 

 中庭を抜けて芸術棟に入るだけなのに、一分足らずの道のりが妙に遠く感じる。珍しく一緒についてきた如月は、風でバタつくスカートを手で押さえていた。

 その仕草は中々にそそられるが、この世に生まれて十六年。俺の辿り着いた結論は『風でスカートが捲れるのはアニメの中だけ』だったりする。そもそも落ち着いて考えてみれば、平坦な道で下から上に風が吹く訳ないんだよな。

 

「……ルー、バイバイ」

「ぃ」

 

 とてとてと去っていく美術少女を見送る陶芸少女。そういや百人一首の際に判明した『冬雪スカートの下パンツ説』だが、普段からなのかは未だに不明だ。

 陶芸室に入ると、細い目をした白衣の顧問、伊東(いとう)先生が欠伸をしている。今の時期は通知表その他諸々で忙しいらしく、こっちへ顔を出すのは久し振りだった。

 

「ふぁああ……ほや、おはようございます米倉クン。冬雪クン」

「ちわっす」

「……こんにちは」

 

 定位置に荷物を置いた後は、とりあえずまったり休憩。昨日成形した作品はまだ乾いていないから削れないし、これといってやることもない。

 普通はそうなる筈なんだが、冬雪は今日もろくろを挽く気なのかテキパキと準備を進める。冬にできなかった分だけ創作意欲が溜まったのか、秋以上にやってるな。

 

「そうだ、驚け冬雪。今日は体験が一人来るぞ」

「……ユメから聞いた」

「何だ、知ってたのか」

「先生はビックリしましたよ。春の勧誘に向けてやる気満々ですねえ」

「いや、別に勧誘した訳じゃ…………あ、成程」

「……?」

 

 納得して手をポンと打つと、冬雪は不思議そうに首を傾げる。てっきり陶芸サイボーグなのかと疑ってしまったが、これは体験に来る夢野のための準備だったのか。

 噂をすれば影が差したらしく、コンコンとドアが叩かれる。いつもなら火水木か阿久津が来るところだが、部員の二人はノックしたりはしない。

 

「失礼します」

「よう」

「……いらっしゃい」

「お久し振りですねえ夢野クン」

「はい。今日は宜しくお願いします」

「おや? 体験のお客さんは夢野クンでしたか。ではこちら、つまらない物ですがどうぞ。今回は一つしかないので、米倉クンと冬雪クンはお預けですねえ」

 

 恒例のチョコ菓子を白衣のポケットから取り出す伊東先生。チラっとデジカメが見えたような気がしたけど、何でそんな物まで持ち歩いているんだろう?

 

「ありがとうございます」

「そういや火水木は一緒じゃないのか?」

「あ! ミズキだけど、花粉症が辛いから今日は部活お休みするって」

「まあ昨日の時点で大変そうだったからな」

 

 普段……というか、ハロウィンやクリスマスにおける夢野は阿久津の隣の席、つまり俺の右斜め前に座っていたが、今日は火水木の定位置である俺の左隣に腰を下ろした。

 荷物を置いた少女は、ブラウス姿の冬雪を見てブレザーを脱ぎ始める。やや膨らみのある胸は、半年前に比べると少し成長している気がしないでもない。

 

「えっと、何からすればいいかな?」

「ということで冬雪部長、お願いします」

「……今日はヨネが体験指導」

「はい?」

「……新しい一年生が来た時の練習」

「マジですか?」

「……マジ」

「それじゃあそれは誰の分?」

「……私」

 

 陶芸サイボーグ冬雪が、今ここに爆誕した。

 

「そうですねえ。米倉クンも先輩になる以上、いつまでも冬雪クンや阿久津クン任せじゃいけません。ちゃんと後輩へ教えられるようになりましょう」

 

 本来指導すべき顧問にだけは言われたくない一言である。

 まあ確かに伊東先生の言う通り、もう一ヶ月もすれば俺達も二年生。頼れる先輩になるためにも、夢野で体験指導の練習をするのはありかもしれない。

 

「だって。宜しくお願いします、米倉先輩♪」

 

 冗談めかして応える夢野だが、ちょっとドキっとしてしまった。

 冬雪はマイペースにろくろを挽き始めたため、本当に完全に俺任せらしい。自分が体験をした時や、火水木が体験をした時のことを思い出してやってみるか。

 

「えっと……じゃあまずはこのエプロン付けてくれるか?」

「わかりました、先輩!」

 

 何でだろう……呼び方一つ変わっただけなのに超テンション上がるな。

 中学時代は帰宅部で後輩なんて縁のないものだったし、仮に部活へ入っていたとしてもこんな親しみを込めて先輩と呼んでくれる異性は絶対いなかっただろう。

 

「えっと――――」

 

 ひとまず粘土の準備を終えて振り返ると、そこにはエプロン姿の夢野がいた。

 ハロウィンに小悪魔姿のエr……じゃなくて可愛いコスプレは見たことがあったが、エプロンというのもまた実によく似合っている。

 

「先輩。準備できました」

「…………え? あ、ああ。じゃあこっちに来てくれ。練り方の説明するから」

 

 すっかり見惚れてしまっていたが、声を掛けられて我に返った。冬雪は陶芸に夢中みたいだし、この場に阿久津がいなくて良かったと一安心する。

 

「まず荒練りって言って、こうやって練って粘土を軟らかくするんだ」

「へー。何だかパン作ってるみたいですね」

「パンツ食ってる…………? ああ、パンか。確かにそうかもな」

「………………」

「な、何だよ?」

「米倉先輩のエッチー」

 

 どうやら脳内の誤変換に気付かれたらしい。そういや『ねえ、ちゃんと風呂入ってる?』ってので『姉ちゃんと風呂入ってる』とかも言われたっけな。 

 笑いながら茶化す夢野だが、エッチという言葉の響きに優しさと幼さを感じる。これがエロいだったら、同じ意味の筈なのに何だか生々しくなるから不思議だ。

 

「ところで何でまた突然陶芸体験しようって思ったんだ?」

「うーん、ちょっとした気分転換……かな? 本当は掛け持ちで陶芸部に入部しようか悩んでるんだけど、アルバイトもあるし幽霊部員は迷惑かなって」

「……ユメなら幽霊部員でも歓迎」

「本当? ありがとう雪ちゃん」

「……ヨネは駄目」

「まだ何も言ってないのにっ!」

 

 まあ入部当初は休む気満々だったんだけどな。

 とりあえず誰でもできる荒練りを教え終わり、いよいよ問題の菊練り。不格好な練り方を見せていると、ガラッとドアの開く音がした。

 

「――――っ?」

 

 阿久津が来たのかと入り口に視線を向け、そこにいた相手に呆然とする。

 

「うぃっす」

 

 見覚えのあるツンツン頭。

 何も考えてなさそうな軽い調子の声。

 忘れもしない、阿久津に振られたあの先輩だった。

 

「おや? (たちばな)クンじゃありませんか。お久し振りですねえ」

「センセイも変わらねぇなぁ」

 

 橘と呼ばれた男は部室内を見回す。その際に目が合い「いよぉ」と声を掛けられたが、先輩は俺達ではなく湯呑を作っていた冬雪の元へ歩み寄る。

 

「いよぉチビ助!」

 

 冬雪の頭をポンポン叩いてから、ボブカットの髪を慣れ慣れしく撫で回す……うん。俺の中でまた一つ、この人に対するヘイトが溜まったな。

 

「……こんにちは」

「相変わらず愛想のねぇ奴だなぁ」

 

 久し振りの再会にも拘わらずあの反応……チビ助と呼ばれている辺りを踏まえても、この人と冬雪の相性はあまり良くなさそうだ。

 ましてや彼が例のビリヤード先輩だとしたら尚更だろう。そんなことを考えていると、先輩は机の上に乗っていた粘土を見るなりこちらへやってきた。

 

「この時期に新入部員たぁ珍しぃな。ちょっと貸してみろぃ」

「え? あ、はい」

「菊練りってのはなぁ、こぅやんだよ」

 

 腕まくりもせずに、先輩は粘土を掴むと練り始める。

 

「!」

 

 …………上手い。

 阿久津や冬雪の練り方とは若干違うが、紛れもなくそれは菊練りだった。

 遊んでいたビリヤード先輩は別の人だったのか。

 それとも実力があるのに、単に陶芸をしない困り者だったのか。

 

「わ……凄いですね」

「そこのチビ助は一週間そこらでマスターしたからな。まぁ頑張れや」

 

 何も知らない夢野が、本当の練り方を見て感嘆の声を上げる。

 先輩は綺麗に粘土を球体へまとめ上げた後で、手を洗うと伊東先生に尋ねた。

 

「水無月の奴はいなぃんすか?」

「そういえば普段なら来ている頃ですが、今日はお休みですかねえ」

「んじゃ、また今度来ますわ。邪魔しました」

「はい。お待ちしております」

 

 やはり阿久津が目的だったのか、そう言い残した先輩は部室を去っていく。

 新入部員扱いされた一人の男に火が付いたことは、彼は知る由もなかった。



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二日目(金) 初体験と義理の妹だった件

「まあ、こんな感じかな」

 

 手本として湯呑を作ってみせると、夢野からパチパチと拍手が送られる。

 菊練りは多少適当でも何とかなるため不慣れなままだったが、成形はできないと何一つ作れない。幸いにもそこそこ上達した腕は落ちていなかった。

 

「そんじゃ、やってみるか?」

「はい!」

 

 土殺し等の面倒な工程を済ませた状態で夢野に椅子を譲る。未だに後輩ごっこは続いており、敬語口調に違和感を覚えるが悪い気はしない。

 

「えっと、手に水を付けて……こうですか?」

「そうそう」

「何ていうか……不思議ですね」

 

 微笑みながら応える夢野だが、その感覚は物凄くわかる。

 俺が後輩を育成している中、我らが部長はといえば珍しい来客の相手をしていた。

 

「雪ちゃん、変わらないねー」

 

 アホっぽい女の先輩が、冬雪の頬を優しく引っ張る。

 

「ここに来るのは……半年振りですか……?」

 

 幸薄そうな女の先輩は、懐かしそうに陶芸室を眺めていた。

 

「冬雪さん、部長の仕事は大丈夫? 大変じゃない?」

 

 これといった特徴もない、真面目そうな女の先輩が尋ねる。

 

「……ふぁいひょふれふ」

「「「可愛い」ねー」」

 

 伊東先生が準備室へと戻ってから少しした後で、ノックも無しに開けられたドア。てっきり阿久津が来たのかと思いきや、姿を見せたのは元陶芸部の先輩達だった。

 家庭研修期間の終わった三年生だが、どうやら今日は卒業式の予行があったらしい。屋代は生徒数が多すぎるため、式に参加する在校生は生徒会や吹奏楽部のみ。そのため一般生徒である俺達にとっては、全く縁のない行事だったりする。

 

「あっ!」

「ん? ああ、あるある」

 

 受験を乗り越えた先輩の話を聞いていたら、夢野が小さく声を上げた。

 振り向いてみると、少女が作っていた皿の縁がうねうねと波打っている。俺も前に同じミスをして花皿だなんて言ったことがあるが、あれは作り方が違うらしい。

 

「これはちょっと直しようがないな」

 

 上目遣いで見つめられるが、こうしたミスを繰り返して成長するもの。俺は粘土に手を添えると、ろくろを回して失敗部分を取り除いた。

 

「いきなり力を入れると今みたいに歪むから、ゆっくりと少しずつな」

「ゆっくり少しずつ……わかりました!」

 

 羊毛フェルトとかやってたし器用かと思ったが、陶芸は勝手が違うのか苦戦中の夢野。火水木はすんなりだったから、俺としては仲間ができたみたいで嬉しい。

 慎重に力を加え真剣な表情を浮かべる少女を見守りつつ、安定してきたところで手を洗いに流しへ向かうと、アホっぽい先輩が俺の元にやってきた。

 

「やーやー。君が新入部員かー。これからの陶芸部を宜しく頼むよー」

「え? あ、は、はい」

 

 何となく火水木を彷彿とさせる遠慮のなさだな。

 ニカッと笑い八重歯を見せた先輩は、いきなり声を小さくして囁く。

 

(ところであの可愛い子だけどー、ひょっとして彼女ー?)

(ち、違いますよ)

(なーんだー。でも雪ちゃんも水無ちゃんも上玉だからねー。青春しなよー)

 

 どうやら伊東先生の青春病は、こんなところにまで感染していたらしい。最早ここまでくると病気より、青春教という宗教扱いした方が良さそうだ。

 

「そういえば阿久津さんは?」

「……今日は休み」

「そっか。会いたかったんだけどね。伊東先生はいる?」

「……準備室」

「そんじゃー先生の所に行こっかー」

「お邪魔しました……頑張ってください……」

 

 去っていく先輩達に、冬雪がペコリと頭を下げる。当たり前といえば当たり前なんだが、何て言うか三人とも割と普通の人だったな。

 

「なあ冬雪。三年の先輩って何人いたんだっけ?」

「……五人」

「じゃあもう一人いるのか?」

「……いるけど、美術部と掛け持ちだったからほとんど来てない」

 

 そうなると三年の男子は実質、橘先輩一人だった訳か。

 更に上の代に男の先輩がいた可能性はあるが、さっきの三人と一緒に来なかった辺り女子との仲はそれほどでもなかったのかもしれない。

 …………いや、俺も人のことは言えないな。

 今でこそ冬雪と一緒に来るのが習慣になっているが、阿久津との関係が中学の頃みたいになったら部活に顔を出さなく……いや、出せなくなるだろう。

 

『キミは暇だろう?』

 

 あの夏の日、どうして声を掛けられたのか。

 阿久津のお陰で退屈だった学生生活は充実したが、今思えば本当に突然だった。

 

「先輩! 米倉先輩!」

「ん?」

「ヘルプです!」

 

 腕を組んで目を瞑りながら考えていると、不意に助けを呼ぶ声が聞こえる。

 皿を完成させたものの切断に困り、シッピキを手にしたまま待機している夢野。可愛い後輩を演じる少女に、俺は微笑みつつやれやれと溜息を吐くのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「いたいた。何してんだ?」

「……作品の数、どれくらいか見てた」

 

 伊東先生に挨拶をした先輩達は、残したままだった作品を回収するため冬雪と共に窯場へ向かった。以前に俺達が釉薬掛けした、あの作品達である。

 先輩達が帰った後で、夢野の体験も無事終了。一区切りついた少女が休んでいる間に、窯場から戻って来ない冬雪の様子を見に行くと残った作品の整理をしていた。

 

「……背の高い作品だけ焼くかも」

「焼くってことは、また泊まりか?」

「……ガス窯じゃなくて電気窯だから、泊まらなくて大丈夫」

「電気窯?」

「……あれ」

 

 冬雪の指さした先にあるのは、高さ1mくらいの銀の箱。ガス窯を業務用の巨大冷蔵庫とするなら、電気窯は一般家庭にある冷蔵庫だろうか。

 

「どう違うんだ?」

「……ガス窯で焼く時に邪魔になる、高さのある作品はこっちで焼く」

「へー、成程な」

「……あと電気窯は基本的に酸化焼成」

「酸化焼成?」

「……焼き方には酸化焼成と還元焼成がある」

「…………悪い、その説明はまた今度焼く時に頼むわ」

 

 何か理科っぽい用語が出てきたので、俺は理解するのを諦めた。一応進路は理系だが、数学以外はあんまり得意でもないんだよな。

 しかし焼く=泊まりかと思っていただけに、ちょっと残念ではある。まあ前と違って火水木もいるし、あの時みたいなことが早々ある筈もないんだけどさ。

 

「でも夏休み前に焼いた時は、あっちのガス窯だったんだろ?」

「……そう」

「じゃあ窯の番は誰がやったんだ?」

「……バナ先輩と、ダネ先輩の二人」

「ダネ先輩?」

「美術部と掛け持ちの先輩」

「ん? ああ、その掛け持ちの人って男だったのか」

 

 しかしバナ先輩にダネ先輩って、どっちもフシギが付きそうな呼び方だな。

 すっかり空になった棚には、まだいくつか残っている作品がある。その中の一つを手に取り裏を見ると、対角線の引かれた正八角形が掘られていた。

 

「これ、橘先輩の作品か?」

「……(コクリ)」

「妙に凝ったマークだけど、何なんだこれ?」

「……ミカンの輪切り」

 

 俺が桜の花びらをマークにしてるのと同じようなもんか。

 菊練りが上手かっただけあって、やはり作品の完成度も高い。適度に軽く持ちやすい湯呑や皿に限らず、とっくりや花瓶、壺など色々と作ってある。

 

「上手かったんだな」

「……でもヨネ以上に不真面目。遊んでばっかり」

 

 冬雪の言う通り、棚の片隅には某天空の城のロボット兵(頭部のみ)や忍者が使うクナイなど、どう考えても趣味で作ったとしか思えない嗜好品も置いてあった。

 例え不真面目だとしても、こういう技術力があるのは羨ましい。冬雪も前にブタさんの蚊取り線香入れを作っていたし、俺ももっと器用だったら色々できたのにな。

 

「……それに私もミナも、よくちょっかい出された」

 

 好きな子に意地悪する小学生かよ。

 棚に入っていたゲームは二人で遊ぶ物が多かったし、もしかしたら後輩である二人は色々と付き合わされたのかもしれない。

 

「……ミナは一昨日も絡まれてたっぽい」

「えっ…………? それ、阿久津が言ってたのか?」

「……ルーが言ってた」

「如月が?」

「……ヨネとFハウスに行く途中で見たって。気付かなかった?」

「あ、ああ。知らないな」

 

 何故かはわからないが、咄嗟に嘘を吐いていた。

 

「……ヨネがいなくなったせいで、大変だったって言ってた」

「わ、悪い悪い。猛烈に腹が痛くなって、トイレに駆け込んだんだよ」

 

 話の内容から察するに、俺が見ていたことは気付かれていないらしい。それに絡まれていたという表現を聞く限り、会話の内容も知らないみたいだな。

 ということは如月が現場を目撃したのは、俺が離れたすぐ後のことか。

 

「ん……? でも何で如月が阿久津と橘先輩を知ってるんだ?」

「……ミナは体育祭で教えた。バナ先輩は美術部でも邪魔してる」

 

 美術部と掛け持ちの先輩がいると言っていたし、恐らくはその繋がりだろう。

 阿久津に関しては体育祭でCハウスの応援席へ来ていた。あの頃は髪が腰まで届く程に長かったし、如月の印象に残っていてもおかしくない。

 

「こんな凄い作品作る先輩なのにな」

「……陶芸の腕以外は見習ったら駄目」

「へいへい」

 

 逆に言えば不真面目だけど、陶芸に関して一目置いてはいるんだな。

 冬雪と共に陶芸室へ戻ると、休憩していた筈の夢野が使った道具類を洗っていた。

 

「あ、米倉先輩。これってどこに戻せばいいですか?」

「いや後片付けは俺がやるからいいって」

「洗うだけなら私もできます。粘土が沢山ついた道具は、どうすればいいですか?」

 

 ああ……出来過ぎた後輩を持つと、逆に何か大変なんだな。

 結局一緒に後片付けをした後で本日の部活動は終了。いつも通り校門で冬雪と別れてから、俺は夢野と向かい風の中を自転車で走り出した。

 

「――――ぜ――ぃ――ね」

「えぇっ? 何だってっ?」

 

 流石にこれでは声も聞こえない。

 ペダルを漕ぎつつ後ろを振り返ると、夢野のスカートが風に煽られている……と、露わになっている太股の奥に潜む黒が一瞬見えた気がした。やっぱ履いてるよな。

 

「風! 強いですね!」

「ああっ!」

 

 強風に吹かれながらの運転では後ろを見続ける余裕もなく、大人しく前に向き直る。その後は大して会話もないまま、別れの場所であるコンビニ前へ到着した。

 

「今日はありがとうございました。凄く楽しかったです」

「いつまで後輩なんだ?」

「ふふ。米倉君はこういうの嫌い?」

「いや、別に嫌いじゃないけど……何か慣れなくてな」

「それなら慣れてるお兄ちゃん呼びにしよっか?」

「ぶっ」

 

 思わず噴いてしまった。これこそ俺の妹がこんなに可愛いわけがないってか。

 そんな俺を見て、夢野がくすくすと笑う。

 

「じゃあ、またな」

「うん、またね。米倉お兄ちゃん♪」

 

 小悪魔めいた笑顔を見せた後で、悪戯っ娘な義理の妹は去っていった。米倉お兄ちゃん…………録音しておけば良かったな。



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四日目(日) 次は貴様がこうなる番だった件

「えっ? こ、これっ?」

「ですな」

「…………でかくね?」

 

 それが火水木家を見た、最初の感想だった。

 昼過ぎに駅で合流した後、近場のスーパーで材料の調達。そのままマスクマンのアキトに案内された二階建ての家を前に、俺と葵は口を開けて呆然と立ち尽くす。

 別に広大な庭園だとか、プールやら噴水があるような豪邸ではない。ただ我が家が二つは余裕で入るくらい敷地が広く、庭にはバーベキュー用スペースまであった。

 

「そっちじゃなくて、こっちだお」

「「?」」

 

 案内されたのは玄関ではなく何故かその反対側。まさか裏口があるというのか?

 従来における俺の豪華は『トイレが二つある家』という定義だったが、この火水木家は全てを覆す予感がする。そしてその予感は程なくして的中した。

 

「えぇっ?」

「…………マジかよ」

 

 俺の人生において初めて目にした裏口のドア。

 それは普通に一階にあるのではなく、階段を経て二階へ直接繋がっていた。

 

「二人とも、驚きすぎでは?」

「「いやいやいやいや」」

 

 葵と一緒に手をブンブン横に振る。こんなの誰が見ても驚くだろ。

 階段を上がりドアを開けると、L字に折れ曲がった廊下が広がっている。二階の玄関という新たな環境で靴を脱ぐと、左右に一つずつあるドアのうち右側に案内された。

 

「ちなみにそっちは天海氏の部屋ですな。入ったら死ぬと思っていいお」

「ええぇっ?」

「じゃあ部屋の主は死体じゃねーか……あ! これが本当の腐った死体か」

「耐性のない人間が見たら、間違いなくSAN値直葬ですしおすし。あ、ちなみにトイレは裏口から入ってすぐのそこと、階段を下りた先にありますので」

 

 やはりトイレは二つか。家族の人数分あったらどうしようかと思ったぜ。

 火水木の部屋も気になるが、まずはアキトの部屋である。一体どんな混沌が待ち受けているのか心の準備をする間もなく、ガラオタは禁断の扉を開けた。

 

「……………………?」

 

 中に入ると、そこにはヨンヨンの特大ポスターが…………ない。

 透明なガラスケースには大量のフィギュアが…………ない。

 ベッドには痛々しい抱き枕が…………ない。

 

「ここ、誰の部屋だ?」

「いやいや拙者の部屋ですが何か?」

「な、何て言うか……普通だね」

「俺が思い描いていたアキトの部屋と随分違うな」

「オタクに対する偏見乙」

 

 俺の部屋より一回り広いガラオタルーム。まず目に入ったのは机の上に置かれているデスクトップパソコンだが、ノートパソコンもあるのに何に使うんだよ。

 そして肝心のオタクっぽい物は大して見当たらず、本棚に入っているのも俺が知っている漫画やラノベ類。せいぜいヨンヨンの卓上カレンダーがあるくらいだ。

 

「二人が思い描いたような部屋は、店長の家に行けば見れますな。拙者は買わないタイプですし、グッズに掛けるお金があるなら文房具でも買うお」

 

 そりゃまあネットでも売られていないクラリ君のストラップを取り扱っていたり、色々なコスプレ衣装を貸し出したりするノブ……店長ともなればそうだろうな。

 課金もしなければグッズも買わず、出てきた言葉は文房具を買うなんて優等生発言をする友人に拍子抜けしつつも、滅多に見ることのない同級生の部屋を物色する。

 

「あ! アキト君も500円貯金とかしてるの?」

「それはカッターの刃を安全に処理するためのケースだお」

「えええぇっ?」

 

 缶詰型の貯金箱を見つけた葵だが、予想外の返答に驚きの声を上げた。

 確かに一見貯金箱に見えるが、よく見ればケースの下にはカッターナイフのイラストがついている。普通の家にこんな物はないし、何とも紛らわしい。

 

「カッターはまだしも、何で部屋にライターがあるんだよ? 危ないぞ」

「それは鉛筆削りですな」

「…………」

 

 手に取ってみると確かに火は点かず、着火口が鉛筆を刺す穴になっていた。

 他にも生魚っぽいペンケースや注射器型のシャーペン、ベーコンそっくりのノートなど妙な文房具が次々と出てくる。流石は文具屋の息子といったところか。

 

「ひょっとしてお前も人間に見せかけた文房具か?」

「テラヒドスッ!」

「ひ、火水木文具店って、こんな変な物ばっかり売ってるの?」

「いや、それらは拙者が普通に買ってきたジョークグッズでござる」

「趣味かよっ? 文具屋の息子関係なしかっ!」

「店で売ってるのは普通の文具か、せいぜい珍しくてこの程度ですしおすし」

 

 そう言ってアキトが見せてきたのは、カード型の付箋やペンみたいなコンパス。修正テープと消しゴムが一体化した物など、割と実用的な商品だった。

 確かにこの手の道具は珍しくはあるが、学校で使っている奴も普通にいる。現にこの細いコンパス(ペンパスというらしい)は、中学時代に阿久津も使ってたしな。

 

「お?」

 

 匂い付き消しゴムや、パーツごとに外して遊べる消しゴム。バトルできる鉛筆など昔懐かしの文房具を見せてもらう中で、ふとベッド横の小さな日記帳が目に入る。

 

「へー、アキトも日記つけてるのか」

「米倉氏も書いてるので?」

「いや、俺じゃなくて妹がな。小学生の頃からずっと続けてる」

「梅たんハァハァ」

「葵。そこのハサミ取ってくれ」

「お、落ち着いて櫻君」

「それハサミじゃなくてボールペンですしおすし」

「…………ボールペンでもいいか」

「ちょまっ! その日記見せるから勘弁してほしいお!」

 

 他人の日記というのは、どうにも中身が気になってしまう。前に妹の日記をこっそり覗いたことがあるけど、その時はバレて父さんに滅茶苦茶怒られたっけ。

 一体このガラオタには俺達がどう映っていたのか。オタノートの一件もあるし何かしら罠が仕掛けられているかもしれないが、俺は日記帳を手に取ると中を開く。

 

 

 

『六月七日(土) 今日から日記を書く』

 

 

 

『六月八日(日) 二度と日記は書かない』

 

 

 

「一体何があったっ?」

「日記とか真面目に書いたら負けだと思ってる」

「じゃあ何で買ったんだ?」

「さて、ご希望に応えたところでそろそろ下に行くとするお」

「スルーかよっ?」

 

 オタはオタでも文具オタだったアキトの部屋を堪能した後で一階へと降りる。広いリビングには大きな薄型テレビがあり、実質三台目となるパソコンもあった。

 

「あ、やっと来たわね。いらっしゃい」

 

 ヘッドホンを付けて電子ピアノを弾いていた火水木が振り返る。アキトは家に入った時点で外したが、火水木は室内でも相変わらずマスクを付けていた。

 フリルの付いたブラウスに短いスカートとニーハイソックス。何か『童貞を殺す服』とかで見たことのある服装だが、でかい胸とムチっとした太股は中々にエロい。

 

「喉乾いてない? 牛乳と烏龍茶と青汁があるわよ」

「ちょっと待て。明らかに客に出す物じゃないのがあったぞ?」

「何よネック。まさかアンタ牛乳飲めないの?」

「違う。そこじゃない」

 

 確かにクラスで一人はいたけど、俺はそいつから貰う側だったな。

 人に勧めておきながら、青汁ではなく牛乳を飲む火水木。中学生の癖に胸のある我が妹もよく飲んでいるが、今度それとなく阿久津にも勧めてみるか。

 

「それでネックとオイオイと兄貴は、ホワイトデー何作るの?」

「ぼ、僕はクッキーを」

「俺もクッキーだな」

「拙者もクッキー☆だお」

「何か一人だけ変なのが混じってた気がするけど……まあいいわ。エプロンはそこに用意しておいたし、三角巾も好きなの使っていいから」

 

 別に何も言ってないのに、妙なところで準備万端な火水木。っていうかこれ、お前がエプロンなり三角巾を付けた姿を見てみたいだけだろ。

 

「相生氏のエプロン姿とかワクテカ」

「ち、中学校の調理実習以来かな」

 

 俺は陶芸部で付け慣れているが、確かにこの二人のエプロン姿なんて中々見ない。とりあえずアキトはクソ似合わないが、葵は…………うん、何か普通に可愛いな。

 

「アタシは気にせず、いつも通り好きにやっていいわよ」

 

 火水木はフカフカのソファに座ると、スマホを弄りながら俺達を観察する。もしかしてそのマスク、花粉症じゃなくてニヤついた表情を隠すためか?

 

「いつも通りって言ったら、あれしかないだろ」

「あ、あれって……?」

「勿論あれですな……うむ、閃いたでござる」

「第一回!」

「えっ? あっ! チ、チキチキ……?」

「厨二病卵割り大会だお!」

「「「イエーイ!」」」

「…………」

 

 目だけでも火水木がキョトンとしているのがわかる。ちなみに開始の宣言は俺がするものの、具体的に何をやるかはガラオタ次第なんだよなこれ。

 

「エントリーナンバー一番。アキト選手どうぞっ!」

 

『コンコン……カパッ………………グシャッ!』

 

「次は貴様がこうなる番だ」

「おおっと! これは中々の厨二臭! 優勝は決まりでしょうかっ?」

「い、痛くないのアキト君?」

「痛いというより痛々しいですな。エントリーナンバー二番は米倉氏だお」

 

『コンコン……カパッ』

 

「今のお前はこの卵と同じだな……中身がないんだよ」

「これはまたキリッが付きそうな台詞ですな」

「ふ、二人ともよく思いつくね……」

「さあ最後を飾るのはエントリーナンバー三番、葵選手ですっ!」

「えっと……えっと……………………あっ!」

 

『コンコン……カパッ』

 

「き、君だけが欲しい!」

「…………」

「………………」

「き、君と黄身を掛けたんだけど……駄目かな?」

 

『コンコン……カパッ――――――』

『コンコン……カパッ――――――』

 

『『グシャッ!』』

 

「「次は貴様がこうなる番だ」」

「えぇっ?」

「…………アンタ達、いつも何やってんのよ?」

 

 口でこそ呆れる火水木だが、その目はもっとやれと訴えているのだった。



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四日目(日) クッキー作りがシンプルだった件

 マーガリンをボウルに入れて溶かし、砂糖と卵を入れてよく混ぜる。そこにホットケーキミックスを投入し粗練り……じゃなくてゴムベラで掻き混ぜる。

 後はオーブンで十五分くらい焼くのみと、至って簡単なお菓子作り。まあこんなに楽なのも、調べるだけでレシピが出てくる文明の利器があってこそだ。

 

「…………で、アンタは何やってんのよ?」

「クッキー作りだな」(カチカチカチカチ)

「そうね。何枚作ったの?」

「大体千兆枚だ」(カチカチカチカチ)

 

 そしてその文明の利器の中で、俺は淡々とクッキーを作っていた。

 正しくは火水木家リビングにあるパソコンでクッキーをクリックして錬成し、そのクッキーでクッキーを作るためにお婆ちゃんなり工場なり宇宙船なり反物質凝縮器を買っている。何を言っているのかわからねーと思うが(略)。

 

「兄貴も一時期やってたけど、クッキー作るだけで何が面白いのよ?」

「増えていく数字に何とも言えない高揚感を覚えるな」

「だからって人の家に来てやることがそれ?」

「仕方ないだろ? 暇なんだから。ってかこれ、その兄貴のデータだぞ」

「何で残ってんのよっ?」

「クッキーだけに、クッキーを削除しないと消えない的なやつだお」

 

 一応補足しておくと前者のクッキーはポッキーと同じ発音であり、後者のクッキーはポッキーゲームのポッキーと同じ発音である。どちらも同じポッキーなのに何で発音が違うのかは俺も知らない……教えて偉い人。

 ちなみに真面目な方のクッキー作りは大した問題も起きず、一足先に焼き終えたアキトと入れ替わる形で現在はオーブンの中に入れてある。

 

「何て言うか、もうちょっとネックも力入れて良かったんじゃない?」

「こんな感じか?」(カチカチカチカチカチカチカチカチ)

「そっちじゃないわよっ! アンタが焼いてるクッキーの話っ! 例えばほら、絞り袋に生地を入れてバラみたいな形にするとかさ?」

「俺にそんな技術はない」

 

 見た目通り女子力のある葵はチェック柄なんて難しい挑戦をしているようだが、俺とアキトはシンプルに丸型や星型でくり抜いただけ。所要時間も一時間程度だ。

 

「確かに技術も必要だけど、こういうのって努力も大事じゃない。ネックだって不器用な女の子が一生懸命作ったクッキーとか萌えるでしょ?」

「それは可愛いは正義という前提条件があるから成立するだけだ。俺みたいな奴がバラ作りに失敗した巻き糞クッキーを渡したら、萌えるどころか燃やされるぞ」

「ブッフォッ! ホワイトデーに巻き糞クッキーとか神ですな」

 

 菊練りが小籠包練りになる俺なら、バラがウンコになる可能性も充分あり得る。年に一度あるかすらわからないクッキー作りで、そんな失態は演じたくはない。

 

「カチカチされながら言われてもね。暇ならオイオイ手伝ってあげなさいよ」

「俺が手伝ったら葵の手作りクッキーにならないだろ?」

「それはそうだけど……アンタって変なところきっちりしてるわね」

「AB型だからな。そういや葵って何型だ?」

「えっ? ぼ、僕はA型だけど……」

「「「っぽいわー」」」

「えぇっ?」

 

 俺達三人の中で一番作成量が多いにも拘わらず、一つ一つ丁寧に作ってるもんな。まあ数に関してはバレンタインでモテる奴が悪い。あれは葵に科せられた使命だ。

 

「はあ……何かアタシが想像してたお菓子作りと違うのよね」

「一体何を想像してたんだよ?」

「相生氏の頬に付いたクリームを米倉氏が舐め取るとかな希ガス」

「ええぇっ? わっ!」

「ちょっ? 違うわよっ!!」

 

 あまりに衝撃だったのか、葵が冷凍庫から取り出した生地を落としそうになっていた。対する火水木はと言えば、近所にまで聞こえそうなくらい声を荒げる。

 

「アタシが見たいのはそういう生々しいやつじゃないのっ!」

「じゃあ何が見たいんだ?」

「もっと男同士の友情っていうか、こう何も言わずとも意志の疎通が取れてる感じ? 阿吽の呼吸って感じのやり取りとか良いのよね」

「成程な……火水木。そこの帽子貸してくれ」

「帽子? 何に使うのよ?」

「つまり、こういうことだろ? …………行けっ! アキトッ!」

「ドゥッペレペ!」

「絶対に違うっ!」

 

 帽子のツバを後ろ向きにして被り、モンスター的なボールを投げるアクションをする。完璧に意志の疎通が取れたやり取りだったのに、一体何が違うというのか。

 

『ピピピピ、ピピピピ』

「お、できたか」

「ついでに余った拙者のクッキーでもドゾー」

 

 タイマーの鳴るキッチンへ戻るなり、アキトからの差し入れ。チョコチップの入った黒っぽいクッキーを一枚手に取り、ひょいと口に放り込むと普通に美味かった。

 

「お待たせ致しました天海氏。ホワイトデーのお返しでございます」

「ん、ありがと」

 

 渡す相手は妹だけなのに、わざわざ丁寧にラッピングしたクッキーを差し出すアキト。こういうところを見ると、やっぱ女心をわかってる感あるよな。

 

「歯ごたえのあるサクサク感。控えめな甘さに、上品なココアの味付け。うん、これは美味しい! しかも普通の材料で作ったクッキーじゃないわね?」

「小麦粉をおから、バターを豆乳で代用した低カロリーココアクッキーですな」

「略してロリコンクッキーか」

「誰が上手いこと言えと」

「ふーん。低カロリーの割にいい味じゃない。来年はアタシもこれにしよっかな」

 

 どうしてそんなクッキーをアキトが作ったのかといえば、クラスの男子全員にバレンタインを渡した妹にはこれから高カロリーなお菓子が次々と返されるからだろう。

 貰う時に嬉しい分だけ渡す時は割と億劫な行事だが、俺のお返しも何とか完成。オーブンからクッキーを取り出すと、やや肌色も混じっているが大体狐色に焼けていた。

 

「熱ちっ……待たせたな葵」

「う、ううん。丁度ピッタリだったから大丈夫」

 

 普通の生地とココアの生地をそれぞれ平らにしてから層状に重ね、冷やした後で切ってから互い違いに並べる。そんな作業を一体どれだけやっていたんだろうか。

 

「模様一つ作るだけで、こんなに苦労するんだな」

「その苦労が分かる子には、ちゃんと伝わるのよね」

「へー」

 

 胃袋に入ったら同じだと思うんだが……どうやら俺に料理は向いてなさそうだ。

 とりあえず皿に移した自分のクッキーが冷めるのを待ちつつ、完成品を一つ摘まんでみる。ハムッ、ハフハフ、ハフッ……うん、我ながら上出来なんじゃないか?

 後はこれをラッピングするだけだが、ここで一つ問題が生じる。

 

「…………」

 

 さて、どうしたものか。

 丸型と星型を三個ずつで六個入れるつもりだったが、五個の時点で既に袋がキツくなっている。無理に詰め込めば破れるかもしれないし、別に五個ずつでもいいか。

 アキトはリボンでアレンジし、葵もラッピングのためにレースペーパーやらマスキングテープを用意しているが、俺はシンプルに可愛い袋へ詰めるだけにした。

 

「これでよしっと。じゃあ火水木、味見頼むわ」

「ちょっとアンタ、それどういうことよ?」

「冗談だよ。さっき食べてみたけど、中々の出来だぞ?」

 

 ラッピングした手作りクッキーを手渡すと、火水木はまじまじと眺める。

 

「何ていうかネックらしいわね」

「何がだ?」

「別に」

 

 コイツの「別に」は割と重要なことが多いから困る。クッキーの形か色合いか、それともラッピングについてかと、心当たりは山ほどある俺も俺だけどな。

 包みを開けた火水木は、クッキーの一つを手に取りパクリと咥えた。さてさて今回はどんなグルメリポートが聞けるんだろうか。

 

「うん、合格」

「どういうことだよ?」

「冗談よ」

 

 さっきのやり取りをそのまま返される。俺の中では力作だったんだが、食レポをするほどでもなかったのか随分と普通のリアクションだ。

 まあ目玉焼き一つまともに作れない妹(大抵目玉が潰れる。何でそんな高い位置から卵を落とすのか)じゃあるまいし、レシピ通りにやれば不味くはならないだろう。仮にアイツが作ったら、クッキーも毒ッキーになったりしてな。

 火水木家のオーブンで並べきれなかった葵のクッキーは二、三回に分けて焼くことになり、俺達三人は先に後片付けをすべく使った道具類を洗い始める。

 

『パシャッ』

 

 そしてその並んだ後ろ姿を、火水木はスマホで撮影するのだった。一応許可は出してるし作成中も何枚か撮られたが、思い出と言いつつ一体何に使うつもりやら。



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四日目(日) ちょっといい気分だった件

 火水木家を後にして黒谷町へ帰還した俺は、真っ直ぐ家に帰らず寄り道をする。

 

「本当はユメノンも呼ぼうとしたんだけど、今日はバイトだったのよね」

 

 片付けが終わった後で耳にした火水木の呟き。もしかしたら当初の目的は、クッキー作りに奮闘する葵の姿を見せることだったのかもしれない。

 手作りである以上、渡すなら早いに越したことはない。既にバイトが終わっている可能性もあるが……そういや夢野って、普段は何時までやってるんだろう?

 

「らっしゃーせー」

 

 コンビニに入ると透き通るような美声の代わりに、中年男性のだるそうな声が出迎える。しかし夢野が不在という訳でもなく、少女はレジにいる客の対応中だった。

 

「こちらのお弁当は温めますか?」

「当たり前だろうが。あとタバコ」

「失礼致しました。申し訳ありませんが、何番のタバコでしょうか?」

「チッ……7番だよ」

「ありがとうございます。お会計が――――」

 

 コンビニでバイトをしていれば、きっとこういう嫌な客も多いんだろう。明らかに態度が悪いオッサンを相手に、夢野は笑顔を崩さずレシートに乗せたお釣りを渡す。

 

「ありがとうございました」

 

 見ているだけで胸糞悪いくらいなのに、少女は客が出て行った後も悪口どころか溜息一つ吐かずに笑顔で仕事をこなす。店員として立派な姿に感服だ。

 

「いらっしゃ……米倉君っ?」

「よう。あ、袋いらないんで」

 

 桜桃ジュースを片手にレジへ向かうと、滅多に見せない驚きの表情を浮かべる夢野。普段なら店員モードへ戻るところだが、今日は手を動かしながら話を続ける。

 

「突然だったから、ビックリしちゃった。いつの間に来てたの?」

「ついさっきだな。何か大変そうだけど大丈夫か?」

「え……? あ、うん。大丈夫だよ。もう仕事にも慣れてるし、きっとあの人にも色々とあったんじゃないかな。余裕がない時は、誰でもイライラしちゃうから」

 

 心配して声を掛けたつもりが、予想以上に大人な解答を返された。脳内で「タバコも温めますか?」と煽ってから、頭にバーコードリーダーを当ててやろうかなんて妄想していた自分が物凄く小さく見えてくる。

 

『パチパチパチパチ』

「もう、止めてくださいよ。あ、お会計……500円からお預かりします」

 

 中年の男性店員が無言で拍手をして褒め称える中、謙遜する少女は慣れた手つきでレジを弄る。お釣りを受け取った後で、俺は作ったばかりのクッキーを差し出した。

 

「ホワイトデー、今渡しても大丈夫か?」

「あっ! これ、ミズキの家で作ってきたの?」

「ああ。一応審査には合格したから、味の保証はする」

「ふふ。ひょっとして、このために来てくれたの?」

「まあそうなるな」

「そっか。ありがとう……あ、いらっしゃいませ」

「ん、そんじゃまたな」

 

 小さな袋を受け取り喜ぶ夢野は、自動ドアが開き新たな客がやってくると店員に戻る。そんな少女に別れを告げ、俺は桜桃ジュースを片手に家へと帰るのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「「イェセガンガンガンガンガンガンガンガンガ~ンッ!」」

「…………ぶふっ!」

 

 帰宅した後に夕飯まで部屋でまったりしようとした矢先、そのうち来るだろうと思っていた二人が予想通り部屋に入ってきた……が、思わず噴き出してしまう。

 服の変えがないため、母親が忘年会のビンゴで当てたダサTを着ている姉貴。そして妹の(うめ)は、いつぞや購入したマッチョTシャツを着ての登場だった。

 

「梅と!」

「桃の!」

「「梅桃コント~」」

 

 絵面は物凄く面白いが、これが自分の姉妹だと思うと少し悲しくもある。外見は良いんだから黙っていればいいのに……冬雪や如月の爪の垢を煎じて飲ませるか。

 

「聞いて桃姉! 梅、屋代目指すんだ!」

「それじゃあ桃姉さんが勉強を教えてあげましょう」

「わ~い」

「じゃあ今回は理科の植物。合言葉は『ひーへばった』よ」

「はえ?」

「『ひ』はひげ根。『へ』は平行脈。『ば』はバラバラ。『た』は単子葉類ね」

「バラバラって何が?」

「茎を断面図で見た時に、維管束が散らばってるの」

「茎」

「くき」

「「クッキー! ハイッ!」」

 

 途中までは凄く真面目な勉強……それも普通に高校受験で役に立つっぽい知識だったのに、一体どうしてコントにしてしまったのか。

 いつも通り掛け声と共に謎ポーズを決めた二人は、再び先生と生徒役に戻る。

 

「じゃあ次は維管束、つまり道管と師管の位置関係の覚え方です」

「は~い!」

「掌を道管、手の甲を師管と考えましょう。そうしたらまずは根から。手の甲と甲を合わせて、こう根っこみたいにしてみましょう。ひげ根~」

「ひげ根~」

「はい、梅さん。道管は外側と内側どっちになってますか?」

「外!」

「正解! じゃあ次は茎ね。掌と掌を合わせて茎のポーズ!」

「茎~」

「はい、道管は外側と内側どっち?」

「内!」

「正解! じゃあ最後は葉ね。にょきにょき伸ばした茎を、そのままパカッと開いて咲かせましょう! はい、道管は上側と下側どっち?」

「上!」

「よくできました! じゃあ一緒にやってみましょう。はい、根・茎・葉!」

「根・茎・葉!」

「画面の前の貴方も一緒に~」

 

 姉貴が俺もやれと促してきたので、仕方なく両手で二人の動作を真似る。新感覚、授業型コント……こんなネタをする芸人がいたら、何かブレイクしそうだな。

 

「「「根・茎・葉!」」」

「はい、大変よくできました!」

「桃姉桃姉!」

「どうしたの?」

「茎!」

「くき!」

「「クッキー! ハイッ!」」

 

 そしてまさかの同じオチ。授業の方に力を入れた分だけ、ネタの方が適当になっている気がする。ホワイトデーってクッキー以外にも色々あるだろ。

 

「続きまして」

「新ネタでございます」

(ん?)

「最近はリズムネタが流行っているので」

「梅桃コントにも取り入れてみました」

 

 小学生が企画した学芸会の司会みたいに、交代で台詞を言っていく二人。リズムネタをする芸人って、ことごとく一発屋な気がするけど……まあ別にいいか。

 

「それではどうぞ」

「聞いて下さい」

「「ちょっといい気分」」

 

 何か曲がある訳でもなく、いきなり姉貴と梅が手拍子を始める。やってくれという視線でこちらを見ていたため、やれやれと手を叩くと二人は謎ダンスを始めた。

 

 

 

「梅桃コントが始まるよっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「卵を割ったら黄身二つっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「時計を見たら1111っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「セ○ンイレブン営業中っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「気になるあの子が夢に出たっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「阿久津よ俺を罵ってくれっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「お前ら動くな強盗だっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「それでは皆さんまた来週っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ちょっといい気分~♪」」(ハモリ)

「「ハイッ!」」

 

「どうも」

「ありがとうございました~」

 

 

 

『パチパチパチパチ』

 

 手拍子を拍手へと変える。リズムネタらしくノリも良かったし、梅桃コントの初回は滅茶苦茶グダっていたが今回は最初とは思えないほど完成度も高かった。

 上手くいった理由の一つは、梅の台詞が「ちょっといい気分~♪」だけだからだろう。そんな妹が見せる謎ダンスも面白く、妙にキレのある動きが非常に良い。

 

「ネタの一部に悪意を感じたけど、まあ満点大笑は貰えるんじゃないか?」

「「イエ~イッ!」」

 

 姉妹が仲良くハイタッチを交わす。恐らくはこれから両親にも見せに行くんだろうけど、本当にまあ毎回よくやるわなこんなこと。

 

「そいでお兄ちゃん、梅のクッキーは?」

「気が早過ぎだろ。どこのクッキーモンスターだお前は」

 

 激しく動いたせいで汗まで掻いてるし、クッキーより水分の方が必要だろ。

 そんな心配をする俺をよそに、袋を取り出すと梅が飛びつく。バレンタイン&人の誕生日プレゼントは黒い稲妻だというのに、何とまあ現金な奴だ。

 

「ほら、姉貴の分」

「うむ、大義である! 誰の提案か知らないけど、手作りなんて頑張ったじゃない」

「火水木だよ。ほら、前に会っただろ?」

「あ~、あのゲゲゲの人?」

「…………アイツがそんなこと言ってるの聞いたことないぞ? 誰と間違えてんだ?」

「じゃあアニメソング界の帝王の人? ゼェーット! っていう」

「さっきのゲゲゲも口癖とかじゃなくてそういう意味かよっ? どっちも一文字足りないっての! そもそもその二人に会ったことないだろうがっ!」

「冗談よ冗談。火水木ちゃんって、あの眼鏡の子でしょ?」

 

 一応ちゃんと覚えていたらしい。眼鏡ってゲゲゲの人と勘違いしてないよな?

 

「うんうん。櫻も屋代で良い友達ができたみたいで何よりね。梅も屋代に入ったら、物凄く楽しい学生生活が待ってるわよ? 何たって華のJKだもの!」

「JK!」

「確かに今のままだと、誰がどう見ても難しいな。JK(常識的に考えて)」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと桃姉さんが家庭教師を雇ってあげるから」

 

 雇うとか言っておきながら、眼鏡を掛けて「桃先生と呼びなさい」とかやるのが目に見えている。まあ梅の場合は塾に入るより姉貴に教えてもらった方が良いかもな。

 そんな妹は花より団子とばかりに、ラッピングなど気にせず早速袋を開けてクッキー食べている。もう少し味わって食べてくれないと、お兄ちゃん泣いちゃうぞ。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ……』

 

 ポケットの中で携帯が震える。

 画面を確認すると電話じゃなくメールであり、送り主は他でもない夢野からだった。

 

『クッキーありがとう! 凄く美味しかったよ❤』

 

 どうして女子はハートマークを気軽に付けるのか。この一つにドキドキさせられる男子が世の中には五万といることを知ってほしい。

 

「?」

 

 短い本文だが、終わりを示すENDの文字がないことに気付く。

 そのまま下にスクロールすると、ひょっこりと追加の一文が姿を現した。

 

『欲を言うと、他の形も欲しかったな♪』

 

 やはり丸と星だけでは物足りなかっただろうか。でも火水木家にあった型はその二つと、それこそ残り一つはハートマークだったりする訳で……うん、それは無理だ。

 手の込んだメールを送る悪戯少女へ、俺は少し考えた後で冗談めかした返事を送る。

 

『じゃあ来年は湯呑とか皿の形に挑戦してみるか』

 

 こんな話をしておきながら、来年に貰えなかったら惨めでしかない。姉貴と梅が星型クッキーで一発芸を始める中、夢野の返信を見た俺は小さく笑うのだった。

 

『湯呑とかお皿はまた明日、削り体験の時にお願いしますね。米倉先輩♪』



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五日目(月) 空白の五ヶ月だった件

 今日から授業は午前のみ……そしてそれすなわち、俺の腹が減る日である。別に今は金欠って訳じゃないが、金はいくらあっても困らないからな。

 風が強いだけでなく雨まで降っている中、またもや芸術棟へ三人で移動してから如月と入り口で解散。陶芸室のドアを開けると、中には誰もおらず閑散としていた。

 

「ああ、そうだ冬雪。これ、ホワイトデーのお返し」

「……ありがとう」

 

 ジーッと袋を眺める冬雪。中のクッキーは手作りだが、外装は手作りじゃないぞ?

 程なくしてドアが開くと、入口で鉢合わせしたのか阿久津と火水木が一緒だった。夢野も来るかと思ったが、先に音楽部の方へ行ったみたいだな。

 

「やっほ……ほぁ……へくしっ!」

「……二人とも、お疲れ」

「よう」

「やあ……ん? 音穏、それはどうしたんだい?」

「……ヨネから貰った」

「櫻が? 正露○はあったかな……」

「おい」

 

 クッキーをまじまじと眺める阿久津。冬雪といい、そんなにジロジロ見られると何だか恥ずかしい。クッキーって見て楽しむ物じゃないよね? 食べ物だよねこれ?

 

「手作りだなんて、キミにしては力が入っているじゃないか」

「まあ、火水木に言われてな」

「何かしら裏があるだろうとは思っていたけれど、そういう理由なら納得だよ」

「アタシ的には、力以外にも色々と入れてほしかったんだけどねー」

「色々って何だよ? 毒か?」

「何で真っ先に浮かぶの……が……ふぇ……っくしっ!」

 

 雨でも花粉が飛んでいるのか、それとも粉っぽい陶芸室のせいか。相変わらずマスク着用の火水木は、舐めると甘いらしいセレブなティッシュで鼻をかむ。

 阿久津が正面の席に腰を下ろし、左隣には火水木が座る。そして左斜め前には冬雪と何一つ変わりない定位置だが、夢野の席は一体どこになるんだろうか。

 

「遅くなってすまないけれど、ボクからもホワイトデーだよ」

「!」

 

 思わずピクリと反応してしまったが、幼馴染が取り出したカップチョコの袋は二つ。ホワイトデーはバレンタインのお返しなんだから、当然と言えば当然である。

 日頃の経験から何となく居辛くなりそうな雰囲気を事前に察し、俺は今日削る予定の作品を取りに廊下へ出た。男一人だとこういう時が辛いんだよな。

 

「……美味しそう」

「ありがとツッキー。これ、クランチチョコ?」

「そのつもりで作ってみたけれど、中々上手くいかなくてね」

 

 中から聞こえてくる楽しそうな会話。あの場に残っていたら火水木か冬雪が一つくらい恵んでくれた可能性もあるが、欲しいとお願いして貰うバレンタインには敗北感しか残らないと過去に経験済みである。

 今日はイヤホンを付けて、マイワールドに入りながら削るとしよう。そう思いつつムロに置いていた作品を回収して、陶芸室へと戻ろうとした。

 

『トントン』

 

 不意に背後から肩を叩かれる。

 また夢野の悪戯かと思ったが、振り返った後で俺は硬直した。

 

「いよぉ。精が出るじゃねぇか新入部員」

 

 唐突な橘先輩の襲来に、危うく湯呑の一つを落としそうになる。

 今日は阿久津がいることを思い出し、心臓の鼓動が徐々に速くなっていった。

 

「ど、どうも……」

「悪ぃな。今日も邪魔するぜ」

 

 言うが早いか、ツンツン頭の先輩は陶芸室に向かう。後に続いて中へ入ると、三人は話を中断し唐突な来訪者を不思議そうに見ていた。

 

「お? また見ねぇ顔がいるな。新入部員その3か」

「ご無沙汰です。先輩」

「つれねぇなぁ水無月。別に久し振りでもねぇだろうが」

「ツッキーの知り合い?」

「引き出しに入っていたゲームの持ち主さ」

「へー、この人が……あ、アタシ火水木って言います。火水木天海です」

「俺は橘……つっても、ここに来るのは今日がラストだろうから別に覚えなくていぃぜ。その残してたっつーゲーム類を回収しに来ただけだしな」

 

 それが本当の理由なら、どうしてこの前来た時に持ち帰らなかったのか。

 黙々と削りの準備をしながら様子を窺う。橘先輩は阿久津の後ろにある引き出しを開けると、将棋やオセロなどを空だった鞄の中へと片っ端から入れていった。

 あまり好いていない冬雪に、初対面の火水木。そして振った相手である阿久津が先輩に話を振ることもなく、何とも言えない沈黙が陶芸室内に訪れる。

 

「おはようございます皆さ……おや? 橘クンも一緒でしたか」

 

 そんな空気を壊す救世主がナイスタイミングで現れた。

 白衣を着た陶芸部顧問は、黒板前の椅子に座ると大きく欠伸する。そんな気の抜ける姿を見ていると、若干重苦しかった陶芸室内の空気も少し和んだ気がした。

 

「邪魔してるぜ、センセイ」

「成程成程。今日はこちらの回収ですかねえ」

「……こちらの?」

「この前は工芸の授業で作った作品を持ってけって言われたんだよ。持ち帰ったところで使い道もねぇのに、面倒なことしてくれるぜ全く」

「まるで終業式の小学生ですね。こまめに持ち帰らなかった先輩の自業自得かと」

「俺が小学生なら、チビ助は赤ちゃんだな」

 

 ケラケラ笑う橘先輩に対し、ムッとした表情を浮かべる冬雪。チビ助という呼び方とその反応を見て、察しの良い火水木が二人の関係性を大体理解したようだ。

 

「先生の手を焼かせたという点では、橘クンも赤ちゃんですかねえ」

「ちょっと待てってセンセイ。俺のどこに手を焼いたってんだ?」

「合宿先の旅館で明け方、勝手に玄関の鍵を開けて散歩しに行った困ったさんは誰でしたかねえ? 先生、そのせいで御主人に物凄く怒られちゃいました」

「あれは……すんませんでした」

「ちょっ? イトセンっ! 陶芸部って合宿すんのっ?」

「おや? 火水木クンには話していませんでしたか?」

「いや、俺も初耳なんですけど……」

 

 冬雪と阿久津が揃って「話していなかったっけ?」と言いたげな表情を浮かべる。

 合宿と言えばそれこそ青春。基本的には運動部の定番であり、文化部となると屋代が力を入れている吹奏楽部か、夜に活動する天文部くらいしかやらないと思っていた。

 

「陶芸部が合宿って、いつどこで何すんのよ?」

「夏休みだね。今年は有名な焼き物の産地に行って、陶芸美術館で話を聞いたり指導所の見学をさせてもらったりしたよ。それに粘土も買ってきたかな」

「……二日目と三日目は、お昼から夕方までずっと陶芸漬け」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 何だろう……陶芸部の合宿としては正しい姿なんだが、俺の理想とは違う。

 チラリと隣を見ると、予想通りげんなりとした表情を浮かべている火水木。そんな少女を見た橘先輩は、安心しろと言わんばかりに話を付け足す。

 

「夜は花火に肝試し、それとゲーム大会もしたな。朝もラジオ体操やるとか意味不明な企画から鬼ごっこに発展したし、陶芸を忘れるくらい緩々で面白ぇ合宿だったぜ」

「「マジですかっ?」」

「嘘だと思うならセンセイに聞いてみな? 合宿の写真だってある筈だからな」

「……」

「何だよチビ助? 別に俺は嘘なんて吐いてねぇし、企画したのは先代部長様だろうが。しおりを作ったのも鈴木の奴だし、文句ならアイツらに言えよな」

 

 鈴木って言うと、確かアホっぽい先輩がそう呼ばれていた気がする。今年のメンバーを考えると俺が橘先輩、火水木が鈴木先輩のポジションを継ぐことになりそうだ。

 

「何だかんだで、夜は冬雪クンも楽しんでいましたからねえ」

「……そんなことない」

「いいじゃないですか。陶芸部ですから陶芸もしますが、合宿の目的は思い出作りでもあります。先生の休日を潰した分だけ、皆さんは青春を楽しんでください」

「大丈夫よイトセンっ! アタシに任せておきなさいっ!」

 

 合宿というこれ以上ない朗報を聞いて、花粉症のダルそうな雰囲気から一転した火水木がビシッとポーズを決めつつ答える。まだ半年先の話なのに気が早すぎだろ。

 

「その去年やったっていう合宿の話、詳しく教えてもらっていいですかっ?」

「おぉ、任せろぃ。まずは肝試しでチビ助がビビってた話からすっか」

「……ビビってない」

「よく言うぜ。始める前から顔白くして、水無月にベッタリだっただろうが」

 

 うん、何となく想像できる光景だ。

 仮に今年の企画を火水木が決めるなら、間違いなく肝試しは入れるだろうな。

 

「花火ではしゃぎ過ぎて、服を焦がしかけた先輩もいたけれどね」

「どっかの誰かさんも、周遊バスの券を無くしかけたよなぁ」

 

 阿久津が冬雪に助け船を出すと、すかさず橘先輩が言い返す。次々と出てくる合宿エピソードを、火水木はメモを取りながら聞いていた。

 そして俺は、幼馴染と思い出を語る橘先輩を見て密かに嫉妬心を燃やす。四月から八月にかけて接点のなかった五ヶ月間を、自慢されているような気分だった。

 

 

 

 …………阿久津が他の男子と話す姿って、こんなにも嫌に感じたっけな。



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五日目(月) 橘先輩と大乱闘だった件

「アタシ前から気になってたんですけど、テーブルゲームとか漫画はともかく何でテレビゲームのソフトまで入ってるんですか?」

 

 合宿話に華を咲かせた後で、火水木が橘先輩に尋ねる。

 確かにそれは俺も気になってはいた。携帯ゲーム機のソフトならまだしも、引き出しの中に入っていたのは随分と古い据え置き機のソフトやディスクだ。

 

「何であるかっつったら、そりゃ遊ぶために決まってんだろ」

「遊ぶって、ここで……?」

「ぁん? 知らねぇのか?」

 

 一応この陶芸室は授業で使われることもあるため、アンテナの繋がっていないテレビとDVDプレイヤーが置いてあったりする。しかしゲーム本体は当然ない。

 橘先輩はチラリと伊東先生を見ると、糸目の顧問は困ったように溜息を吐いた。

 

「仕方ありませんねえ。お別れ会ということで、今日だけは特別に構いませんよ」

「流石センセイ。話がわかるぜ」

 

 一体何を始めるつもりなのか、伊東先生が廊下側のカーテンを閉める。

 橘先輩は引き出しの奥底に眠る、教科書サイズの塊を取り出した。前々から気になってはいたが、一体何に使うのか見当もつかなかった一品だ。

 

「?」

 

 火水木が不思議そうに眺める中で、橘先輩は一度陶芸室を出ると窯場へ向かう。

 少しして戻って来た彼の腕には三色のコードやACアダプター、そして四本のコントローラーが抱えられていた。

 

「ちょっ? まさかそれ――っ?」

「そのまさかだ」

 

 テレビの前に持っていった正体不明の塊に、コード類が繋げられていく。そしてソフトを挿した後にスイッチを入れると、ゲームのデモ画面が表示された。

 

『――――大乱闘っ! スマーーーーーーーーーーーッシ――ピロッ! ピッピッ! ピッピッピッピッ! バーモーオエン!』

 

「ほら、やろうぜ。ストック3でいぃか?」

「…………ちょっと待って下さい。今考えてるんで……」

「ん? 何だよ? タイム制の方がいぃのか?」

「そうじゃなくてっ! 確かにアタシの中学にも学校にゲーム機を持って来る奴とかいましたけど、それ何なんですかっ?」

「そのまま置いてったらバレっから、外側のカバー外してカモフラージュしてんだよ。まぁセンセイが緩い人だったから、ぶっちゃけ必要なかったけどな」

 

 平然と答える橘先輩だが、火水木が驚き呆然とするのも無理はない。この人ならモップとビー玉でビリヤードもやったってのも納得だな。

 

「最後くらい、先生も参加しましょうかねえ」

「おっ? センセイ参戦! ってか? なら後二人は新入部員だな」

 

 このゲームは四人まで対戦可能であり、火水木が加わると空いているコントローラーが残り一つ。指名に応えて立ち上がろうとしたら、冬雪に肩を抑えられた。

 

「……ヨネは削りが終わるまで駄目」

 

 まさかのお預け。まあさっきから全然作業が進んでないから仕方ないか。

 冬雪は阿久津の方を見ると、少し考えた後で口を開く。

 

「……私がやる」

「ほぉ。チビ助が名乗り出るなんて、道理で今日の天気が大荒れな訳だぜ」

 

『バーモーオチームバーモーオエチーバーチーバーチーバーチー――――』

 

 サバイバルモードとチームモードの選択を連打しながら、橘先輩が冬雪を茶化す。

 選んだキャラクターは伊東先生がパワードスーツの賞金稼ぎで、火水木がパイロットの狐。冬雪が配管工の兄貴の方で、橘先輩が超能力少年か。

 

『スリーッ!』

 

「……ミナ」

 

『ツーッ!』

 

「どうしたんだい音穏?」

 

『ワンッ!』

 

「……動かし方教えて」

 

『ゴーッ!』

 

 …………何かそんな気はしてた。冬雪、ゲームとかやらなそうだもんな。

 阿久津が操作説明をする一方で、三人は容赦なく大乱闘を始める。動きを見る限り中々に上手く、火水木はともかく伊東先生もやり慣れているのは……意外でもないか。

 

「吹き飛ばされた時は、上とBを押すと復帰できるよ」

「……こう?」

 

『プィーン』(崖際にいた配管工が身を投げ出す)

 

「……落ちた」

「落ちたね。今じゃなくて、危なくなった時に使うんだ」

「……わかった」

 

 落ち着いて説明する阿久津だが、その声は若干震えている。他三人は気付いていないようだが、俺は決定的瞬間を目撃してしまっただけに危うく噴きかけた。

 

『ピーン』(配管工の元にカプセルが落下)

 

「アイテムはAで拾えるよ。それは取ってから、Aで投げられるね」

「……わかった」

 

『ポコッ!』(Aを押した結果、距離が少し遠いためキックになる)

 

『ボガァン!』(配管工が蹴ったカプセルが、突然爆発して火ダルマになる)

 

「……取れなかった」

「げほっ! えほっ! す、すまない」

 

 流石の阿久津も、今の流れは笑いを堪え切れなかったらしい。外れのカプセルを引き当てた冬雪は難しそうな顔を浮かべるが、見ているこちらは爆笑だ。

 傍らでそんなショートコントをしている間も、三人は死闘を繰り広げる。冬雪の方に飛んできた超能力少年が、憂さ晴らしに配管工を投げ飛ばして去っていった。他二人はスルーしてくれるのに、この先輩は容赦がないというか大人げないな。

 

「貰ったぁっ!」

 

 三人の中ではキャラ性能も操作も橘先輩が一枚上手か。下蹴りで地面にいた敵を跳ね飛ばしてから、空中でヘッドバッドを当てるコンボが次々と決まる。

 火水木のスマッシュ攻撃でストックを一つ落としたものの、敵を千切っては投げの繰り返し。伊東先生のチャージショットに至っては吸収される始末だ。

 

『ゲェームセットッ!』

 

 画面の中でバットを振り、勝利のポーズを決める超能力少年。次いで火水木、そして伊東先生といった感じで、最下位は言うまでもなく冬雪だった。

 

「替わって貰うんだな。チビ助には陶芸がお似合いだぜ」

「音穏。ボクが替わろう」

「……ミナ、いいの?」

「構わないよ」

「おぅ? いぃぜ、水無月には負けねぇからな」

 

 という訳で第二回戦。選んだキャラは橘先輩が変わらず、伊東先生が姫と名前を間違えられやすい剣士、火水木が裸ネクタイのゴリラ、阿久津がドゥッペレペだ。

 

『スリーッ! ツーッ! ワンッ! ゴーッ!』

 

 試合開始と同時に、超能力少年がドゥッペレペを狙う。

 阿久津の腕前なら橘先輩の強さに匹敵する筈……というのも俺達は小学生の頃、二人で友達の家に行ってはこのゲームを遊び続けていたからだ。

 初心者だった冬雪が抜けた分だけ、先程に比べると乱闘具合が増す。まあそれでも無敵になる星を取った先生が何故か落下死とか、妙なハプニングはいくつかあった。

 

「こうなったら最後の手段しかないわね」

「うぉっ? テメッ、それは止めろって!」

 

 裸ネクタイのゴリラが超能力少年を担ぐと、そのまま下へ落ちていく。いつ見ても回避は難しい、最強の自爆技だよなあれ。

 先生も投げ飛ばされストックが無くなると、残りは阿久津と橘先輩の一対一になる。

 

「後は任せたわよツッキー」

「……バナ先輩やっつけて」

 

 別にチーム戦じゃないのに、何故か生まれている女子同士の輪。そんな少女達に天も味方したのか、阿久津の元へ空からハンマーが落ちてきた。

 すかさずドゥッペレペがそれを取ると、一心不乱にハンマーを振る。当たりさえすれば相手を倒せることは確実……だが、橘先輩レベルを相手にこれは失策だ。

 

「甘ぇな」

 

 超能力少年が雷を飛ばし自らの身体に当てると、激しい体当たりがドゥッペレペに衝突。ハンマーのせいで復帰もできずに、そのまま奈落へ落ちていった。

 

「ハンマーってのは弱者が取る物なんだよ」

 

 勝利の笑みを浮かべて橘先輩が煽ると、女子三人がムッとした表情を浮かべる。

 

「櫻」

「ん?」

「キミの出番だよ」

「え? でも俺、削らなきゃ駄目って言われたし」

「……削るのは後でいい」

「はい?」

「あ、ツッキーはそのまま座ってて。アタシが替わるから」

「お、おい――――」

 

 火水木が席を立つなり、俺の元へやってくると手首を引っ張る。

 

「いいから、一回やってきなさいって」

 

 ――――それであのムカつく先輩をボコボコに叩きのめしなさい。

 決して声には出していないが、火水木の目がそう訴えている気がした。

 

「真打ち登場と言わんばかりじゃねぇか。強ぇのか? 新入部員よぉ?」

「いや、別にそんなことは――――」

「強いですよ」

「!」

 

 否定する俺をよそに、阿久津が答える。

 その表情はどこか誇らしげで、少女はそのまま自慢するように話を続けた。

 

「友人の家で遊び続けた結果、自分の家にソフトがないにも拘わらず友人より上手くなるくらいです。不機嫌になった相手は、コントローラーを投げましたから」

「……物に当たるのは良くない」

「中学の時もクラスで一番強いと自慢していた相手にハンデ付きで圧倒して、コントローラーどころか本体まで投げさせたっていう噂を聞いたことがあるね」

「アンタ一体何したのよ?」

「信じるなよっ! どう考えても盛られた嘘だろっ!」

 

 俺の知らないところで、そんな根も葉もない噂が流れていたとは驚きだ。

 しかし阿久津が俺のことをこんな風に語るのは、それ以上に衝撃だったりする。これがゲームの腕前じゃなければ、もっと恰好いいんだけどな。

 

「ほぉ。そいつは楽しみだな」

「……ヨネ、ガンバ」

 

 超能力少年を選ぶ橘先輩に対して、俺はピンクの悪魔を選択する。期待されていると思うと、自然とテンションが上がってきた。

 勝てば恰好良いが、負ければこれ以上ない恥だろう。ややプレッシャーを感じる中でステージが決定すると、運命を握る戦いの火蓋は切って落とされた。



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五日目(月) 何だかんだで良い先輩だった件

「あ、どうも……」

「随分とボコボコにしてくれたじゃねぇか」

 

 トイレで用を足していると、橘先輩がやってくるなり二つ隣の便器に立つ。

 結論から言うと、勝負の結果は俺の圧勝だった。

 

「すいません」

「謝んじゃねぇよ。所詮ゲームだろ」

 

 そのゲームでムキになって何度も挑んできたのは、他でもない先輩である。

 初戦は他二人がいなくなった時点で、俺と橘先輩はお互いに二ストックずつ。一度目は投げ飛ばした後で必殺のカッターをダイレクトにぶち当てて仕留め、二度目は復帰しようとしたところをドリルキックで容赦なく蹴落とした。

 リベンジに燃える二回戦では集中的に狙われたが逆に返り討ち。四人の中で真っ先に橘先輩がステージから姿を消すことになる。

 

『アイテム無しのサシでやらせろ』

 

 そう要求されての三回戦はタイマン勝負。俺もピンクの悪魔から先輩と同キャラである超能力少年にして挑んだ結果、力の差を見せつける形で完全勝利を収めた。

 負けっぱなしの橘先輩は次から次へとソフトを変えるが、どれも大乱闘に比べると腕は普通。レースゲームで火水木に負け、シューティングゲームでは阿久津に負け、爆弾男的なアクションゲームにおいては冬雪に負ける始末だ。

 

「新入部員。確か櫻っつったよな?」

「はい」

「水無月の奴と同中か?」

「そうです」

「何で陶芸部なんかに入ったんだ? 時期的にも、俺達が引退した後だろ?」

「えっと、阿久津に誘われまして……」

「成程な」

 

 俺が手を洗っている中で、橘先輩は隣に立つと静かに呟く。

 

「お前、水無月のことをどう思ってんだ?」

「え……?」

「…………いぃや、何でもねぇよ」

 

 思わず聞き返してしまったが、別に聞き取れなかった訳じゃない。

 先輩は苦笑いを浮かべると、一足先にトイレを出ていく。恐らくあの人は、阿久津の言っていた片想いの相手が俺だと勘違いしているんだろう。

 

(…………否定しても何にもならないか)

 

 米倉櫻という人間を知る幼馴染だからこそ、それはあり得ない話だ。

 自慢するように語られたことには驚いたが、褒められたのはテレビゲームの腕前。正直言ってあれを称賛ということ自体が間違っているのかもしれない。

 

「ナイスだよ音穏」

「……任せて」

 

 陶芸室に戻ると、四人はテニスゲームを楽しんでいた。

 

「先生、本気出しちゃいます。蝶のように舞い、蝶の如く刺しますよ」

「それただの蝶じゃないっ! っていうか何で刺すつもりよっ?」

 

 どうやら青春コンビは劣勢の模様。そりゃ二人ともパワータイプのゴリラを選べば、左右なり前後に振られて球に追いつけないのも当然である。

 対する阿久津はトリッキーに打球へスライスを掛けて翻弄。時折ネットプレイにも出つつ、拾えない球は冬雪がカバーする上手い戦術だ。

 

「………………仕方ねぇなぁ」

「?」

 

 楽しむ四人を後ろから眺めていた橘先輩は、小さく呟いた後で陶芸室を出ると窯場へ向かう。また新たなゲーム機でも用意する気かと思っていると、程なくして先輩が持ってきたのは置きっぱなしにしていた作品だった。

 そしてそれを緩衝材で包み荷造りしていく。陶器の量はそんなになかったが、元々入れていた漫画やテーブルゲーム類もあり鞄は限界近い状態にまで膨らんだ。

 

「聞け後輩共。俺は帰るが、そいつは置いてってやる。先輩から最後の土産だ」

「えっ? マジっ? ……じゃなかった、いいんですか?」

「見ての通り鞄がいっぱいだし、また来るのも面倒だからよ」

「……いらない」

「テメェも楽しんでんだろうがチビ助っ!」

 

 冬雪の頭をわしゃわしゃと撫でた後で、橘先輩は小さく笑う。

 そして阿久津の方へ視線を向けるが、何も言わないまま鞄を担ぐと背を向けた。

 

「ん、じゃあな」

「待って下さい橘クン」

「何だよセンセイ? 寄せ書きなり花束でも用意してくれたってか?」

「いえ。他の先生に見られては困るので、ドアを開ける時はそっとお願いします」

 

 振り返った先輩がポカーンとした表情を浮かべる。

 その後で噴き出すと、大きな声で高らかに笑った。

 

「了解了解。センセイが顧問で本当に良かったぜ」

「こちらこそ、色々と盛り上げてくれて嬉しかったです」

「…………色々と迷惑も掛けたけど、今までありがとうござぃやしたっ! これからも楽しくて自由な陶芸部で宜しくっす!」

「はい。橘クンも橘クンらしく、大学でも青春を楽しんでください」

 

 橘先輩は深々と頭を下げた後で、伊東先生とガッチリ握手を交わす。再び背を向けると振り返ることもないまま、陶芸部に道楽を導入した先輩は部室を去っていった。

 

「何だかんだで良い先輩だったじゃない」

「……良くない」

「三日も過ごせば、面倒な先輩だとわかるよ」

「あれで面倒なら、二人がパソコン部に行ったら一日もたないわね」

「「…………」」

 

 たった一言で二人を黙らせるとか、流石に世紀末の経験者は格が違うな。

 四人がゲームを再開すると、不意にドアがノックされる。あれだけ恰好良く出て行った後で戻って来るのはダサい……と思いきや、どうやら違ったようだ。

 

「失礼しま…………?」

「あっ! 来た来た。お疲れユメノン!」

 

 ゆっくりとドアが開き、顔を覗かせたのは橘先輩ではなく体験に来た夢野。テレビ画面を見て呆然とする少女だが、そりゃまあ驚くのも仕方ないよな。

 

「おはようござい……あ、ドアを閉めていただけると助かります」

「え…………? あっ! はい、すいません」

「……いらっしゃい」

「今の状況については、削りの手本と合わせて櫻が説明するよ」

 

 部長と副部長と顧問と親友を差し置いて、さらりと指導役にされた。まあ削りの最中だったし無難な選択……ってか、今日真面目に陶芸やってるの俺だけじゃん。

 

「宜しくお願いします。米倉先輩」

 

 今日も夢野は後輩モード。どうにも調子が狂うんだよなこれ。

 以前に話していた妹モードじゃないだけマシだが、阿久津に冷ややかな目で見られた気がする。無実を訴えようとするも、少女はぷいっとテレビへと向き直る。

 

「行ったわよユッキー」

「……大丈夫」

「阿久津クンは上手いですねえ」

「昔、よく遊んでましたから」

 

 夢野にここまでの経緯と削りについて説明しながら手本を見せる中、背後ではテニスで盛り上がる四人。別に悪いことなんてしてないのに、一体何の罰ゲームだよ?

 とりあえず皿に椀に湯呑と三つほど削ると、完成する度に夢野が感嘆の声を上げる。底が抜けたり高台が無くなることもなく、ミス一つないまま作業を終えた。

 

「まあ、こんな感じだな。やってみるか?」

「はい!」

 

 席を譲ると、少女が前に作った湯呑を固定する。

 

「えっと、持ち方はこうですか?」

「そうそう。そっと当てるように……あ、もう少し回転は速くした方がいいな」

「えっと、これくらい……ですか?」

「ああ…………ん?」

 

 ふと顔を上げると、テニスで戯れていた筈の四人がこちらを見ている。

 どうやら丁度一試合終わったタイミングだったようで、俺の説明を聞いていたらしい。持ち方も削り方も間違ってはいないと思うが、何か変だっただろうか。

 

「あれってネックよね?」(ひそひそ)

「……的確」(ぼそ)

「道理で今日はこんな天気になる訳だよ」

「聞こえてんぞ……ってか約一名、声を隠す気すらないだろ!」

「いやはや、米倉クンも上達していたようで一安心ですねえ……おや? もうこんな時間とは、すっかり遊んでしまいました。先生、そろそろ仕事に戻ります」

 

 昼過ぎから始めたから、少なくとも三時間以上は遊んでいただろう。最後に阿久津と組んで勝った伊東先生は、鼻歌まじりに陶芸室を出て行った。

 

「うし、じゃあ俺が――――」

「……今日は終わり」

「え」

「そもそもネックはユメノンのヘルプでしょ?」

「いや、そうだけど……」

「初心者を放置してゲームしようだなんて、どういう神経をしているんだい?」

「お前ら今までやってたよなっ?」

「キミが付いていたからね。四人掛かりで指導されても、夢野君が困るじゃないか」

 

 言っていることは正論かもしれないが、悪者扱いされるのは腑に落ちない。こういう時に味方がいればいいんだが……来年の新入部員は男子が欲しいな。

 冬雪と火水木がコントローラー類を窯場へ運びつつ(火水木は収納場所を確認しに行ったと思われる)阿久津は夢野の様子を……じゃなく俺が削った作品を手に取った。

 

「ふむ。キミがここまで成長しているなんて驚いたよ」

「まだまだお前とか冬雪には負けるけどな」

「そんなことはないさ。半年でここまで成長したことを誇るべきだ」

 

 何だろう……今日の阿久津は妙に褒めてくるぞ?

 俺の作品を戻した少女は、ゲームの本体やソフトを片付ける。そんな幼馴染を眺めながら夢野の削りを見ていると、無事に一つ目の作品が完成した。

 

「どうかな……じゃなかった。どうですか?」

「わざわざ言い直さなくていいっての」

 

 相変わらず笑顔の可愛い少女が仕上げた湯呑を手に取る。

 見た目は悪くないし、高台もしっかりできている……が、少し重い。底を抜かないよう警戒した結果、角の部分の削りが甘くなり厚さが目立っていた。

 

「うん、いいんじゃないか?」

「本当っ?」

 

 しかしそれを指摘はしない。初めて俺が作った時はこれより酷かった気がするし、下手に削って失敗するよりも最初のうちは成功体験の方が重要だ。

 

「何々? できたの?」

 

 タイミング良く窯場から戻ってきた火水木と冬雪へ、夢野の湯呑を見せた。

 

「いいじゃない!」

「……ユメ、上手」

 

 二人に褒められた少女は「よーし」と気合を入れる。そして次に削るための皿を手に取った後で、ふと思い出したように声を上げた。

 

「あっ! そうだ、まだ言ってなかったっけ」

「ん? 何がだ?」

「今日から陶芸部に入る夢野蕾です。どうぞ宜しくお願いします」

「へ?」

 

 唐突な挨拶に、思わず声が出る。

 傍にいた冬雪も驚いた表情を浮かべ、お馴染みの推理小説を読んでいた阿久津が顔を上げた。火水木だけは知っていたらしく黙って頷く。

 

「……ユメ、入ってくれるの?」

「前から入ろうか悩んでたんだ。色々と教えてね雪ちゃん」

「……嬉しい。任せて」

「ボクからも礼を言うよ。ありがとう夢野君」

「ううん。どう致しまして。音楽部と掛け持ちだし、アルバイトもあるから来れる日は少ないと思うけど、改めてこれからも宜しくね」

「これでアタシも次の企画を……ふぇっくしっ!」

「ふふ。ミズキも色々とありがと」

 

 一人ひとりに挨拶をした夢野は、最後に俺の方を見る。

 

「米倉先輩より、米倉師匠の方がいいかな?」

「どっちも却下だ!」

 

 思わず突っ込む俺に、悪戯少女はペロっと舌を出す。一体どういう経緯か知らないが、これを葵の奴が聞いたらまた前みたいなことになりそうだな。



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五日目(月) 夢野がにゃーにゃーにゃーだった件

「へー。こんな所があったんだ」

 

 完成した作品を窯場へ運ぶと、初めて足を踏み入れた夢野が辺りを見渡す。

 

「まあ来ることなんてないもんな」

「作品を焼く窯っていうのは?」

「あれが電気窯で、こっちの奥にあるのがガス窯」

「へー。何が違うの?」

「えっと……確か作品を沢山焼く時はガス窯で、少し焼く時は電気窯……だったかな。ガス窯の方は焼くのに時間が掛かるから、学校に泊まるんだよ」

 

 違いについては先日冬雪から聞いたばかりだが、いまいち覚えておらず適当に説明。記憶に残っているガス窯についての話を掘り下げる。

 

「米倉君も泊まったことあるの?」

「ああ。ほら、火水木が見学に来た日があったろ? 丁度あの日だな」

「水無月さんと雪ちゃんと一緒に?」

「そうだけど…………?」

 

 言いかけたところで、夢野がジトーっとした目で俺を見ていることに気付く。何やらあらぬ誤解を受けていそうなので、慌てて訂正すべく早口で言い直した。

 

「いや、泊まりって言ってもあれだぞ? 地獄の勉強会だったり、カップ焼きそばからカップ麺を錬成したり、遊んだのは卓球を少ししたくらいだって!」

「ふーん。私が待ってる間、そんなに楽しいことしてたんだー」

「だからそうじゃなくて……ん? 待ってるって?」

「米倉君がコンビニに来るの、あの日ずっと待ってたんだけどなー」

「え? 何でだ?」

 

 不思議に思い尋ねると、夢野は人差し指でそっと俺の唇を抑える。

 もう何度目になるかわからないが、これだけは耐性が付かずドキッとしてしまう。指の腹の柔らかさを感じている中で、少女は悪戯めいた笑顔を浮かべた。

 

「さて、何ででしょうか?」

 

 質問に質問で返した夢野は、くるりと180度方向転換する。

 別に会う約束なんてした覚えはない……筈だが、何しろ半年近く前の話。いまいち記憶が曖昧な俺は、モヤっとしたまま少女に続いて外へ出ようとした。

 

「ニャー」

「えっ?」

「何だ、またお前か」

 

 雨宿りか、それとも風避けに来たのか。以前にも見たことのある茶色の野良猫が窯場の中へ入るなり、ごろりと入口前でふてぶてしく横になる。

 

「よく来るの?」

「まあ何度かな」

「へー。名前とかあるの?」

「いや、特には付けてない……と思う」

 

 伊東先生辺りは、影でこっそり付けていそうな気がしないでもない。ひょっとしたらコイツが顔を出すのも、あの人が餌付けしてるからじゃないだろうか。

 

「米倉君は猫と犬、どっちが好き?」

「どちらかと言えば犬の方が好きだな」

「そっか。ふふ、そうなんだ」

「何だよ?」

「秘密♪」

 

 何か前にもこんなことがあった気がするな。

 デジャヴかと思ったが、少し考えてから思い出す。確かランキングの項目を考えて、夢野がペットを飼っているか聞いた時だったっけ。

 

「この子、どうしよっか?」

「流石に中に入れるのはマズイから、外で雨宿りしてもらうしかないな」

「だって。ゴメンね猫ちゃん」

「…………」

「嫌みたいだよ?」

「ほれ、行くぞ」

 

 やや気取りつつ、ついてこいとばかりに外へ出る……が、こういう恰好つけた時に限って猫はついてこない。全く、気まぐれな生き物だよな本当。

 猫じゃらしでもあればいいが、そんな物は生えていない。どうしたものかと悩んでいると、ハンカチを取り出した夢野が猫の前で屈みユラユラと揺らす。

 

「にゃーにゃーにゃー?」

 

 そして猫語を話す少女…………うん、可愛過ぎて正直萌えた。

 目の前でハンカチをチラつかせられた猫は、ムクッと起き上がると外へ出る。機敏に反応する訳でもなく「仕方ねーな」といった感じに見えたのは気のせいか。

 

「それじゃ、戻ろっか」

「あ、ああ。サンキュー」

「…………? どうかしたの?」

「いや、何でもない」

 

 窯場の戸を閉めた後で、再び寝転んだ猫に別れを告げ陶芸室へ戻る。

 先程まで冬雪は硬くなった粘土の再生、阿久津は読書、火水木は合宿の計画を練っていたが、今は伊東先生から貰ったホワイトデーを堪能中だった。

 

「お疲れユメノン! 窯場どうだった?」

「何かよくわからない物でいっぱいだったのと、猫さんが遊びに来てたよ」

「本当かい?」

 

 すかさず阿久津が立ち上がり窯場へ。冬雪も興味があるのかその後に続くが、火水木は陶芸室に残り夢野と語り合う。

 二人の座っている位置は、丁度俺の席の左右。流石にその間へ割って入るのは気が引けるため、外に出て行った部長と副部長コンビの様子を見る。

 しかし阿久津と冬雪は窯場の前でキョロキョロした後、すぐに戻ってきた。

 

「ん? いなかったか?」

「……(コクリ)」

「風も強くなってきたから、落ち着ける場所に行ったんだろう。ボク達もそろそろ帰ろうか」

 

 やや残念そうな幼馴染がそう言うと、俺達は帰り支度を始める。女子が一人増えただけなのに三人と四人では大分違い、何だか居場所を失ったような気がした。

 

「米倉君、自転車?」

「いや、今日は電車だな」

「そっか」

「……ユメは自転車?」

「うん」

「雨だけならまだしも、こんな風の中で大丈夫なのかい?」

「これくらいなら大丈夫かな」

 

 問題なしと答えつつ雨合羽を着る夢野だが、阿久津は不安そうな表情を浮かべる。陶芸室を後にして外へ出ると、差した傘が引っ張られるくらい風が強くなっていた。

 

「本当に大丈夫かい?」

「うん。それじゃ、またね」

「……気を付けて」

 

 自転車を取りに行っている間、強風の中で俺達を待たせるのも悪いと思ったのか、芸術棟を出るなり別れを告げる夢野。去っていく後ろ姿を眺めながら、引き止めるべきか悩む阿久津を見て火水木がそっと答える。

 

「ユメノン、ああいうところ頑固だから」

「そうなのかい? 意外だね」

「何にせよ、これからまた一段と楽しくなりそうね」

「……楽しみ」

 

 俺も葵かアキトを呼んで……この女子陣に対抗するのは無理そうだな。

 駅へ向かって歩き出すものの、隊列は三人と一人。フロントガラスに大量に花びらをつけながら走る車を眺めつつ、俺は女子三人の後ろを歩く。

 

「そういえば見たわよネック。ペット部門の三位とかアンタらしいわね」

「そういうお前もスピーカーにピッタリだけどな」

「へー。ちゃんとF―2のページも確認済みって訳?」

 

 編集委員で作成した屋代学園の生徒会誌が、今日になりようやく全校生徒へと配布。火水木と夢野のクラスは『電化製品に例えると?』という企画だった。

 スピーカーという、声のでかい少女にピッタリな家電を見て思わず納得する俺とアキト。色々な楽器が弾けるという意味かもしれないが……いや、ないな。

 

「電化製品に例えるならツッキーは冷凍庫で、ユッキーは炬燵っぽいわね」

「……何で?」

「そりゃツッキーって言ったらクールなイメージだし、ユッキーは癒しじゃない」

 

 炬燵って癒しより、誘惑とか魅了のイメージだけどな。

 ちなみに火水木と同じクラスである夢野は空気清浄機。きっと教室内の空気をクリーンにして、皆に笑顔を振りまいているんだろう。

 

「ネックを例えるなら……あれね。ほら、あの自転車に乗るロボット」

「家電じゃないだろそれっ?」

「櫻を例えるなら掃除機のイメージかな。ロボット掃除機だね」

「ほほう。つまり便利で愛嬌があるってことか」

「目を離すと行方不明になるし、掃除するかと思えばゴミ箱をひっくり返す。手の掛かるおっちょこちょいで、よくアルカスの下に敷かれているよ」

 

 どうやら阿久津家にいるル○バ的な存在は中々のドジッ子らしい。別におっちょこちょいじゃないし、迷子になったのも昔の話だろ。

 何か言い返してやろうとするも、コイツのクラスの企画は『十年後の自分へ一言』と至って平凡。阿久津のメッセージも『少しは成長したかい?』だったっけな。



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五日目(月) 物凄くいい気分だった件

『――――黄色い線の内側までお下がりください――――』

 

 駅に着くと、丁度いいタイミングでアナウンスが響く。

 しかし電車がやってきたのは反対ホーム。俺達の中で乗るのは火水木だけだ。

 

「んじゃ、お疲れ!」

 

 マスク少女に別れを告げた後で、残された俺達三人は人の少ないホームの隅へ移動すると大人しく電車を待つ。特に遅れてもないし、大体五分ってところか。

 

 

 

 ――――ビュォオオオッ――――

 

 

 

 そんな時、唐突に神は舞い降りる。

 風でスカートが捲れるなんて都市伝説。何故なら下から上に風が吹くなんて都合のいい場所は早々ない…………普段が自転車通学の俺は、そう思っていた。

 

「っ?」

 

 駅のホーム。

 それは風が吹き上げるには絶好のスポットだった。

 二人の少女の短いスカートが勢いよく捲れる。

 太股が露わになり、肌色の素肌が目に入った。

 

「「――――っ!」」

 

 黒いブルマ……そして白と水色の水玉模様。

 禁断の領域が見えたのは一瞬だけ。少女達は慌てて上からスカートを抑えつけると、一人は顔を真っ赤にして俯き、もう一人はジロリと俺を睨む。

 

「…………キミは何も見なかった。いいね?」

「ア、ハイ」

 

 淡々と告げた阿久津は、俺を避けるように冬雪を連れて距離を取る。若干照れているように見えなくもなかったけど……いや、気のせいか。

 別に何も悪くない筈なのに二人から距離を置かれたのは悲しいが、未だにスカートを抑えている姿を見て俺のつくしが芽吹きそうだったため助かった。

 

「音穏。夏はともかく、冬や春は穿くべきだよ」

「……でもゴムの部分が制服と合わさるの嫌い」

 

 小声の会話が聞こえる。冬雪が下に穿いてないのはそういう理由だったのか。

 ラッキースケベは最高にありがたいが、やはりその後の空気は気まずい。完全に孤立しつつも電車に乗ると、新黒谷駅で頬が赤い冬雪を残し幼馴染と共に降りる。

 

「…………」

「………………」

 

 せっかく一緒に下校しているのに、会話らしい会話もなし。そもそも二人きりなのに歩いているのは隣じゃなく、風を警戒しているのか阿久津は俺の半歩後ろだ。

 こちらから振る話題も特に浮かばず、結局何もないまま家の前へと到着。そのまま帰るかと思いきや、不意に幼馴染が口を開いた。

 

「そう言えば、夢野君にはちゃんと渡したのかい?」

「ん?」

「ホワイトデーだよ」

「ああ。昨日ちゃんと渡した」

「それを聞いて安心したかな」

 

 阿久津はそう言うと、鞄をゴソゴソと探る。

 一体何かと思いきや、取り出したのは小さな紙袋だった。

 

「誕生日には少し早いけれど、帰ってきているみたいだから渡しておくよ」

「ああ、梅と桃姉にか」

 

 姉貴の誕生日は四月一日。誰に教えても嘘吐き呼ばわりされる印象的な誕生日だ。

 陶芸部で出された時には期待したが、逆に今は諦めがついている。ぬか喜びすることも落ち込むこともないまま、俺は幼馴染から紙袋を受け取った。

 

「それだけじゃないけれどね」

「?」

 

 紙袋の中を覗いた俺に向けて、阿久津がさらりと応える。

 そこにはカップチョコの入った袋が一つ、二つ…………三つ入っていた。

 

「今のキミになら渡しても大丈夫そうだからね」

「…………え? これって…………俺の分か?」

「キミの両親にボクがホワイトデーを作ると思うかい?」

 

 慌てて首を横に振る。

 しかしあまりにも突然であり、いまいち実感が湧いてこない。

 

「いや……でも俺、お前にバレンタイン渡してないし……」

「仮に渡されたら不気味でしかないね」

 

 言われてみればその通り。一体何を言ってるんだ俺は。

 頭の中がぐるぐると混乱する中で、強く風が吹くと阿久津はスカートを抑えた。

 

「それじゃあ失礼するよ」

「ち、ちょっと待っててくれっ!」

 

 慌てて鍵を開けるなり家の中へ駆け込むと、全力で階段を駆け上がる。自分の部屋のドアを勢いよく開けると、机の上に置いたままだった包みを手に取った。

 俺がホワイトデーを返す予定だった相手は五人。

 そして六個入れるつもりだったクッキーを、袋の都合から五個ずつにした。

 要するに丁度一人分、五個のクッキーが余る。

 別に阿久津用として包んだつもりはない。

 そもそも、渡せるなんて思ってもいなかった。

 

「痛っ! つおぉ…………っ!」

 

 慌て過ぎてドアの角に小指をぶつけるが、痛みを堪えて階段を駆け下りる。

 再び外へ戻ると、風雨の中で待っていた幼馴染は不思議そうに尋ねた。

 

「いきなりどうしたんだい?」

「こ……これ……お返しに……」

 

 呼吸を整えながら、ラッピングしたクッキーの袋を差し出す。

 阿久津はきょとんとした後で、呆れるように溜息を吐いた。

 

「クッキー一つ持って来るのに、そこまで慌てなくてもいいじゃないか」

「いや……待たせるのも……悪いだろ……」

「そういう心掛けは、普段待ち合わせをする時に持ってほしいね」

 

 やれやれと少女は呆れる。

 呆れながらも、その表情は笑っていた。

 

「お返しということなら、ありがたく受け取っておくよ」

「お、おう」

 

 去っていく幼馴染を見届けた後で、俺も我が家へと戻る。

 ドアを閉めた後になってから、一気に喜びが沸き上がってきた。

 

「しゃっ! っしゃっ! いよっしゃっ!」

「…………何してるのお兄ちゃん?」

 

 幾度となくガッツポーズしているところを梅に見られる。

 その後ろには姉貴もいたが、俺は二人の姿を見て思わず聞き返した。

 

「いや、こっちの台詞なんだが…………そっちこそ何してんだ……?」

 

 梅の左手にはお鍋の蓋、そして右手にはフライ返しを構えている。その背後にいる姉貴は頭に鍋をかぶり、両手に十本近いフォークを握り締めていた。

 

「もしかして、さっきドッタンバッタン大騒ぎしてたのって櫻?」

「え? ああ、俺だけど……」

「「はぁ~」」

 

 一気に脱力する二人。どうやら不審者でも入り込んだのかと勘違いしたらしい。

 

「悪い悪い。ってか武装するなら、もっと色々とあるだろ?」

「だって桃姉が包丁は危ないって言うんだもん」

 

 確かにお鍋の蓋はドラ○エだけど、包丁はF○だもんな。混ぜるな危険。

 

「正体不明の這い寄る混沌を倒すには、フォークが一番だって読んだから」

「どこのニャ○子さんだよ!」

 

 安堵した二人とリビングへ戻ると、梅は装備を片付けた後でソファに座る。どうやら録画していたバラエティを見ている最中だったらしい。

 

「阿久津からホワイトデー預かってるぞ。姉貴にも誕生日プレゼントだって」

「ミナちゃんがっ?」

 

 座った直後で立ち上がり、室内で猛ダッシュする妹。そんな食いしんぼうに手渡した後で姉貴にも渡そうとするが、その視線は紙袋の中へ向けられていた。

 

「あらら~? ひょっとして、櫻も貰えたの?」

「ん、まあな」

「へ~。良かったじゃない」

 

 妙にニヤニヤしている顔が何かムカつく。このフォーク投げてもいいかな?

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん! 今の気分は?」

「は?」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

「やかましいわっ!」

 

 ちょっとどころか、物凄くいい気分だっての。

 ありのままを存分に解放すべく自分の部屋に戻ろうとすると、姉貴が思い出したように口を開いた。

 

「そうそう。言い忘れてたけど、今度のバイト水無月ちゃんも一緒だから」

「………………へ?」



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十八日目(日) 久し振りの四人だった件

 春休みは宿題も大して出ないため、年に三回ある長期休みの中で一番ゆっくりできる。

 終業式にパッとしない通知表を受け取ってから、あっという間に約一週間が経過。火水木が花粉症で苦しんでいるため、陶芸部で何か企画されることもなかった。

 

「ポーン。多分次辺りの交差点を、左に右折かもしれません」

「曖昧過ぎてナビになってないだろ。クビだクビ」

「お兄ちゃん、かもしれない運転知らないの?」

「いや、かもしれない運転ってそういう意味じゃねーからっ!」

「それ以前に左へ右折だと、ドリフトすることになりそうだね」

 

 カーナビの真似事をする梅に、俺と阿久津から突っ込みが入る。ちなみにチラリと本物を見れば、地図情報が古いため異空間の中へと突っ込んでいた。

 ハンドルを握るのは当然姉貴で、助手席には未だに眠気の取れない俺。後ろでは新旧バスケ部の部長が話に花を咲かせていたが、どうやら話題が尽きたらしい。

 

「む~。じゃあお兄ちゃんカーナビやってよ~」

「ポーン。安全のため今すぐ車を降りて、電車に乗り換えてください」

「ちょっと、ちょっとちょっと! 今日はこれ以上ない安全運転でしょ~? 櫻カーナビは駄目。水無月ちゃんカーナビに機能切り替えっと」

「…………はあ。とりあえず助手席の男を降ろせばいいんじゃないかな」

「どんなナビだよっ?」

 

 辛辣なガイドに梅桃コンビが爆笑する。こうして四人揃うのは相当久し振りだが、今思えば男1女3の状態に慣れている理由はコイツらが原因だったか。

 

「じゃあ次は…………山手線ゲームっ!」

「イェ~イ! どんどんパフパフ~っ!」

「ボクと櫻がやるから、桃ちゃんは運転に集中してくれないかい?」

「え~? それくらい大丈夫なのに~」

「喋ってたら、前みたいにまた道間違えるぞ?」

「順番は梅から時計回りで、お題はオーストの付く国名っ! オーストラリア!」

「オーストリア共和国」

「いや他にもう無いだろそれっ?」

「はいお兄ちゃんの負け~っ!」

 

 ゲーム開始から僅か二秒で終了した。循環するから山手線の名前が付いているのに、これじゃ新幹線ゲームじゃん。

 久々に阿久津と一緒でハイテンションな妹。まあ阿久津も満更でもないらしく、割と楽しんでいるようだし良しとするか。

 

「第二回戦はギニアの付く国名っ! ギニア!」

「パプアニューギニア」

「だから二つしか無いものをお題にすんなっ!」

「はいは~い! ギニアビサウ共和国!」

「「あるのっ?」」

「ギニア…………ふむ。確かにあるみたいだね。他にも赤道ギニア共和国があるよ」

 

 スマホを取り出し音声認識で調べる阿久津。その様子をバックミラー越しに見ていたのか、姉貴が感心した声を上げる。

 

「あらら~? 水無月ちゃん、すっかり乗り物強くなっちゃった?」

「少しは強くなったけれど、下を向いたり画面を見続けていると未だに酔うかな。それに食後とか長時間の運転、後は乱暴な急ブレーキも苦手だよ」

「だとさ」

「肝に銘じておきま~す」

「梅とゲームやってれば酔わないから大丈夫!」

 

 ああ、一応コイツなりに考えてはいたんだな。

 車に乗ってはいるものの、中学生の梅は法律上バイトができない。まあ子役や新聞配達とか例外的に中学生でも可能な仕事も一応あるが、今回は当然違う。

 なら何故付いてきたのかと言えば、単純に目的地へ興味があったため。本日の行き先は見学に買い物、体験と色々できるホビーショーだった。

 

「じゃあ今度は、英語言っちゃ駄目ゲームね!」

「はいアウト」

「キミもだね」

「む~。これからだもん! よ―いスタート!」

 

 だから即自爆してるんだっての。まあこれを指摘したら「今のはノーカン!」とか新たな自爆の連鎖反応が起きそうだし、一回くらいは見逃してやるか。

 

「…………」

「………………」

「……………………」

 

 あ、このゲーム駄目なやつだ。全員が喋らなくなるやつだわ。

 開始と同時に車内が静まる中、少ししてたどたどしく梅が口を開く。

 

「お兄ちゃん……何か……喋ってよ~」

「…………どこぞの声が遅れて聞こえる腹話術師かお前は」

「仕方ないわね~。ゲームに参加してない桃姉さんが協力してあげますか」

 

 とか何とか言って、ただ単に仲間に入りたいだけだろ。

 姉貴は「う~ん」と話題を考えた後で、阿久津に話を振った。

 

「高校一年生も終わりだけど、水無月ちゃんは何が楽しかった?」

「文化祭と体育祭かな。中学とは規模が違うからね」

「屋代なら尚更よね~」

「梅も行ったけど……ミナちゃんの陶器市……凄かったよ!」

 

 体育祭は地獄の公開処刑になりかけたし、文化祭は食販の店番をさせられただけ。他のクラスへ遊びにも行かず、アキトと空き教室で駄弁っていただけだ。

 それでも夏以降は割と充実した高校生活を過ごせたとは思う。仮に思い出を聞かれたら阿久津の膝枕に夢野のハグ、それと大晦日の夜の一件か。

 

「そっかそっか。でも水無月ちゃんが相変わらずで桃姉さん安心しちゃった。その可愛さに文武両道とくれば、男子も放っておかないんじゃない?」

「!」

「あっ! 梅も気になる! ミナちゃんのモテモテ事情!」

 

 姉貴には橘先輩の一件を一切話していないのに、何故こうもピンポイントな質問が出てくるのか。

 赤信号で車が止まった後で、阿久津は隠すことなく正直に答えた。

 

「そんなにモテはしないよ。ただ自慢になるけれど、告白はされたかな」

「OKしたのっ?」

「はい、梅の負け! OKは英語で~す」

「あ……って、それどころじゃないよ桃姉っ! ビッグニュースだよっ?」

「まあまあ、焦らない焦らない。話は最後まで聞いてからよん」

 

 興奮する梅をなだめつつ、姉貴は信号が青になったのを見てアクセルを踏む。

 ゲーム中だった俺達がすっかり忘れていた中での的確な審判。阿久津の発言を聞いて真っ先に俺の反応を確認した辺りも合わせて、色々と抜かりがない。

 

「そいでそいで、どうしたのっ?」

「苦手な相手だったからね。断ったよ」

「あじゃぱ~」

「まあ水無月ちゃんなら、きっとまた告白されるわよ。男子って中学生のうちは奥手だけど、高校生になると不思議と積極的になるのよね~」

「そうなの?」

「梅も可愛いから、高校生になったらモテモテよ~」

「本当っ?」

「本当本当」

 

 確かに中学時代は付き合った奴が囃し立てられたりすることもあり、周囲の視線を気にして告白しにくい空気が自然とできていた。

 だからこそ、阿久津に愛を告げるような輩もいなかった。

 

「隣で寝た振りしてる弟も、何か浮いた話があればいいんだけどね~」

「別にしてないっての」

「夢野君のことは話してないのかい?」

「別に夢野は……そういう関係じゃないだろ」

「バレンタインに、ハート型の手作りチョコを貰ったと聞いたけれどね」

「何それ桃姉さん初耳!」

「こっち見んな。運転に集中しろ」

 

 情報流出の犯人であろう、斜め後ろにいる妹をジロリと見る。しかし当の本人は不思議そうに首を傾げると、数秒遅れて疑惑の視線だと気付き慌てて否定した。

 

「違う違うっ! 梅言ってないってば!」

「ボクが夢野君から直接聞いた話だよ」

「へ~。良かったじゃない。櫻にもようやく春到来? 桜の季節だもんね~」

「だから違うっての」

 

 ハートが割れていたことを指摘されない辺り、どうやら梅は本当に喋っていないらしい。疑った詫びに、後で追加の口止め料として黒い稲妻でも買ってやるか。

 

「あっ! 見えたっ!」

 

 そう言われんばかりのミニスカートを穿いている妹が大きな建物を指さす。阿久津みたいにボーイッシュな服の方が似合いそうだが、ファッションは姉貴譲りだ。

 

「もう駐車は大丈夫なのか?」

「平気平気~」

 

 以前乗った時には「教習所で習ってない」とか言い訳をしながら相当苦戦していたが、今回は比較的スムーズに車を止める。

 今日はここで休憩を含め九時間も拘束される訳だが、一体何をやらされるのか不安でしかない。阿久津と姉貴はそんな様子もなく、全くもっていつも通りだった。

 

「あ! 言い忘れてた! 水無月ちゃん、バレンタインありがとうね~」

「バレンタイン……? ああ、チョコのことかい?」

「そうそう。シリアルがフルーツ入りで美味しかったわ~」

「はえ? フルーツ?」

「入ってたか?」

 

 思わず梅と一緒に尋ねると、姉貴と阿久津から冷ややかな視線が返される…………あれ、また俺なんかやっちゃいました?

 

「梅はまだしも、櫻は気付かなきゃ駄目でしょ~?」

「いやいや、ちょっと待て。俺達と姉貴が貰ったチョコが同じとは限ら――――」

「同じだよ」

「…………」

 

 ねじり鉢巻きにさらし姿のオッサンから「やっちまったなぁ!」と言われそうな失態。ちゃんと味わったつもりだけど、何が入ってるかなんて意識しなくね?

 

「そいじゃ梅は色々探検してくるねっ! 面白そうな所は見つけておくから、ミナちゃんも桃姉も暇になったら連絡宜しくっ! 音速ダァッシュ!」

 

 脱兎の如く逃げる妹……ってか俺は完全に空気扱いかよ。

 二人の後をついていくと、スタッフの人を見つけ挨拶を交わす。少しすると他のバイトと共に全体で説明が行われ、制服を受け取ると更衣室へ移動した。

 

「なあ、女の子のレベル高くね?」

「だよな! それ俺も思った!」

「…………そうか?」

「これあれだろ! ナンパでワンチャンありだろ!」

「おっ? やっちゃいますかっ?」

 

 大学生っぽい三人の男が、着替えながらそんな話をする。ここは更衣室であって好意室じゃないんだが、そういう目的でバイトする人もいるんだな。

 

「で、誰が好みだよ?」

「俺は断然ショートウェーブの子だな! 天然そうな感じがグーだぜ!」

 

 ああ。その人、いきなりコントとかやり出すから止めた方がいいですよ。

 

「いやいや、ここは黒髪ロングの子だろ。あのクールな雰囲気とか最高じゃん!」

 

 ああ。そいつ、ナンパしたらメンタルボロボロにされますよ。

 

「…………ヨンヨンが一番だし」

 

 ですよね。よくわかってらっしゃる。

 集まった男のバイトは年上が多く、仲良くなれそうな相手もいない。俺は一人で淡々と着替えを済ますと、指示された設営の手伝いをしに向かうのだった。



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十八日目(日) 着ぐるみが世紀末で地獄だった件

「…………疲れた」

「それは音穏の真似かい?」

「違うし……もう箸より重い物が持てん……」

「キミはもう少し体力を付けるべきだね」

 

 休憩室にて高そうな弁当のラスト一口を食べ終えた幼馴染の少女は、箸を持ったままバタンキューしている俺を見るなりやれやれと溜息を吐く。

 設営と聞いて文化祭のノリをイメージし、のんびり阿久津と話でもしながら準備できるかと思いきや大違い。男は力仕事を回され、共に行動する機会すらなかった。

 次から次へと指示が飛び交い馬車馬の如く働かされた結果、既に午前だけでクタクタ。目の前にある昼食も半分ちょっとしか喉を通らずにいる。

 

「俺の体力不足以上に仕事がキツかったんだっての」

「ふむ。とてもそうは見えないけれどね」

 

 少女が室内をぐるりと見渡す。休憩は交代制であり他にも何人かのバイトがいたが、今この部屋に残っているのは俺と阿久津の二人だけだ。

 その理由は限られた休憩時間を使ってイベントを見に行くため。疲れを知らない姉貴もその一人であり、今頃は梅と一緒に駆け回っているに違いない。

 

「阿久津は行かないのか?」

「ボクは別にホビーショー自体には興味ないよ」

「なら何でバイトしたんだ?」

「何故かと言われたら、まあ社会経験かな。目指している職業に直接結びつくことはないと思うけれど、職場で働く人を見て学んで損はないからね」

「目指してる職業って?」

「話していなかったかい? 獣医師だよ」

 

 もう将来を決めている辺り、流石は阿久津である。

 そこまで動物好きだったイメージはないが、アルカスを飼ってから変わったのかもしれない。俺にはあの猫のどこが可愛いのか、いまいちわからないけど。

 

「へー。獣医っていうと、やっぱ医学部とかになるのか?」

「獣医学部だね」

「この辺りにそんな学部のある学校あったか?」

「専門を除けば、月見野(つきみの)大学くらいかな」

「国立か。流石だな」

「キミだって充分に狙える力は持っているさ」

「まさか」

 

 成績優秀者の阿久津なら入ることも難しくないだろうが、俺なんかの頭では無理な話。こうして一緒に過ごせるのも残り二年足らずってことか。

 机に突っ伏したまま、陶芸部に入ってからの半年間をボーっと振り返る。

 

「それより、いつまでそうしているんだい?」

「…………ん?」

「今食べないと、午後の分の体力が持たないよ?」

「午後もあるって考えたら、余計に疲れが増した気がする」

「アルバイトとはいえ仕事である以上、大変なのは仕方ないじゃないか」

「ミナえもーん。オラに元気を分けてくれー」

 

 冗談半分で力なく応えると、阿久津はやれやれと溜息を吐く。

 こんなことならバイトなんてやらなきゃ良かったと後悔する中、手にしていた箸が指の間から引き抜かれた。阿久津さん、ひょっとして俺の弁当も食うの?

 

「全く、キミは本当に世話が焼けるね」

 

 椅子を引く音を聞いて顔を上げると、向かいにいた筈の幼馴染が隣へと座っていた。そして箸で唐揚げを挟むなり、呆然としている俺の口元へと運ぶ。

 

「勘違いしないでほしいから先に言っておくけれど、これは介護だよ」

「へ……?」

「ほら、口を開けて」

 

 ツンデレの常套句みたいなことを口にした幼馴染に従い、あーんをする。若干照れ臭かったが、それ以上にドキドキで気分が高揚していた。

 

「少しは元気が出たかい?」

 

 全速力で首を縦に振る。某アンパンヒーローの過去最高は元気三百倍らしいが、今の俺はそれを超えて体内からアンコが飛び出すレベルだ。

 

「介護というより、餌付けに近いね」

 

 嘲笑しながらそんなことを口にする阿久津だが、餌付けでも構わなかった。疲れきっていた俺は幼馴染の好意に甘んじて、その後も弁当を食べさせてもらう。

 

「…………」

 

 そして、一つの疑念が生じる。

 介護だと口にはしているが、ひょっとして阿久津も俺のことが――――?

 

「それじゃあ、ボクは先に行くよ」

「あ、ああ……サンキューな」

「キミのお守りをするくらいなら、ボクも桃ちゃんと一緒に行くべきだったかな」

 

 幸せな時間というものは、あっという間に過ぎるものだ。

 席を立ち自分の弁当を片付けた阿久津は、苦笑を浮かべつつさらりと告げると休憩室を出て行った。特に照れている様子もない、いつも通りの阿久津水無月だ。

 

「………………」

 

 やっぱり気のせいだよな。

 とりあえず貰った元気で気合を入れ直すと、俺も少女に続いて休憩室を後にする。

 

「あ! ちょっとそこの君い」

「え? 俺ですか?」

 

 廊下に出るなり、唐突に掛けられる声。

 何かと思い振り返ると、そこには小太りな中年スタッフが汗を流していた。

 

「そうそう。あ、もしかしてまだ休憩中だったあ?」

「いえ、今終わって戻ろうとしたところですけど」

「なら良かったあ。君、身長何㎝?」

「えっと……169……だと思います」

 

 そう答えると、中年スタッフは腕を組み考える。

 

「うん、ギリギリいけるかなあ?」

「へ?」

 

 

 

 ――五分後――

 

 

 

「えっと、これ何ですか?」

「知らない? ワンニャンマン」

「ワンニャン……犬と猫どっちなんですか?」

「犬でも猫でもない、ヒーローさあっ!」

 

 どや顔で言われても反応に困る。

 中年スタッフに連れて行かれた先で俺が目にしたのは、犬でもなく猫でもないヒーローの抜け殻……要するに着ぐるみだった。

 

「着てた人がちょっと体調崩しちゃって、君にやってもらいたいんだあ」

「えっ?」

「大丈夫大丈夫。ショーとかじゃなくて、子供と接するだけだからさあ。着ぐるみ着た経験とかって……あー、やっぱりないよねえ?」

「ないですし、そもそも俺このキャラ知らないんですけど……」

「別に喋らないし、知らなくてもいけるってえ。ちょっと着てみてくれない? 汗掻くからこれに着替えてもらって……あ、靴も脱いでくれるかなあ?」

 

 渡されたのは白の全身タイツ。コ○ンの犯人でもないのにこんなの着るのか。

 言われた通りに着替えた後で、身体に厚みを付ける謎パーツを装着。着ぐるみを手に取ると思ったより重く、前任者のものなのか嫌な汗臭さが残っていた。

 

「うん。身長的にギリかと思ったけど、大丈夫そうだねえ」

 

 ぶっちゃけ全然大丈夫じゃない……が、そうも簡単には言えない。

 手首や足首などをスタッフが確認した後で手袋と靴、そして頭をかぶせられる。目の部分から外が見えるものの視界は狭く、何より頭部は胴体よりも臭かった。

 

「ちょっと動いてみてくれるう? あ、できればオーバーな動きで宜しくう。着ぐるみ姿だと一回り大きくなるから、普段の動きが小さく見えるんだよねえ」

 

 無理難題を軽々と注文する中年スタッフ……鬼かよこの人。

 言われた通り腕を上げたり、少し歩いてみたりするが物凄く動きにくい。バトルものとかでありがちな、重力を操る攻撃でも受けたように身体が重かった。

 

「いいねいいねえ。あ! そこにある飲み物は飲んでいいから、水分補給だけはしっかり取ってねえ。ハケたい時は×サインしてくれれば何とかするよお」

「はい」

「返事は首振りでいいよお。寧ろ絶対に喋っちゃ駄目! それとワンニャンマンはヒーローだから、子供の悪戯には寛容に宜しく頼むよお」

「…………(コクリ)」

「そうそう。それじゃ早速行こうかあ」

(えっ? もうっ?)

「習うより慣れろってねえ。視界が悪いだろうから、足元に気を付けてえ」

 

 頭部が大きな作りとなっているため、自分の足元は全く見えない。まっすぐ歩く事すらままならないまま、俺は中年スタッフの後に続く。

 俺が知らなかっただけで割と有名なのか、配置に着いて暫くすると幼稚園児や小学生、そして時には中学生といった広い年齢層が反応した。

 

「ワンニャンマーンっ!」

 

 声援を浴びることから始まり、握手を求められたりポーズを要求されたりする。一緒に写真を撮ることもあり、ちょっとしたスター気分だ。

 中には大ファンなのか、女子中学生と思われる可愛い女の子からハグをされることもあった。何だ何だ、案外ワンニャンマンも悪くないじゃん。

 

 

 

 ――十分後――

 

 

 

『ヒャッハーッ!』

 

 時は世紀末、世界は核の炎に包まれた!

 周囲には殴ってくるお子様、蹴ってくる子供、叩いてくる坊主、タックルをしてくるガキんちょ、膝カックンしてくるガキ、頭を取ろうとするクソガキばかりだ。

 何て言うか、マジでコイツら容赦ない。人を見る目じゃない。顔の部分は堅い素材だが、体の部分は少し分厚い布程度なので普通に痛い。

 

「あっ! 中に人間入ってるっ!」

 

 下から見上げた一人のチビが堂々と言い放つ。やかましいわ。

 通気性が悪い着ぐるみで全身を覆われた結果、内部は熱が籠っていて地獄の暑さ。午前の肉体労働も結構辛かったが、たった数分でそれ以上にしんどかった。

 

「ほら見ろ! このワンニャンマンは偽物だー」

「本物だもんっ!」

「じゃあ証拠見せてみろよー」

「今からワンニャンマン空飛んでみせるもん!」

 

 おいそこの小坊主。負けそうだからって無茶を言うな。

 喉の渇きも限界だったため、×サインを出してヘルプを求める。最後の最後まで尻尾を引っ張られたが、中年のスタッフに助けてもらいつつ何とか逃走した。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

 控室へ避難するなり頭部を外すと、扇風機の風力を強にして涼みつつ水分補給。制止芸とか言って笑っていたけど、ド○ラの中の人って凄いんだなと改めて思う。

 

「お疲れ様。大丈夫かい?」

「しんどいですね」

「うんうん。でも着ぐるみの中とはいえ笑顔でいなくちゃ駄目だよお? 疲れた顔をしていると、不思議なんだけどお客さんに伝わるからねえ」

 

 いやいや、そんなの無理だって。

 立ちっぱなしで足腰も辛いし、既に体力は尽き果てヘトヘト。イライラも溜まってきており、頭部を取り外して子供に投げつけてやろうかと思った時もあった。

 

「それじゃあそろそろ行こうかあ。今度は風船を配って貰おうかなあ」

「マジですか」

「うん。宜しく頼むよお」

 

 いつもの冬雪の合いの手が恋しい……誰でもいいから、この地獄から助けてくれ。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「大丈夫お兄ちゃん?」

「…………無理……死にそう……」

 

 結局あれから四度も駆り出された上、着ぐるみ業務を終えての後片付け。精も根も尽き果てた俺にとっては、姉貴の車までの道のりさえも果てしなく遠く感じた。

 

「ほら、キミの元気の素だよ」

『ボトッ』

「…………本当に大丈夫かい?」

 

 阿久津が差し出してくれた桜桃ジュースが、掌をすり抜けて落ちる。

 受け取り損ねたペットボトルを拾った幼馴染は、軽く汚れを払った後で改めて俺の手を取るとしっかり握らせてきた。うん、これはどう見ても介護だわ。

 

「これが労働の厳しさよ~。櫻は500の経験値を手に入れた!」

 

 瀕死になるまで頑張って500ぽっちとか、人生ってクソゲーだな。

 子供達に夢を与える仕事と言えば聞こえはいいが、別に子供好きでもない俺にはただの重労働……いや、保育士希望の夢野でも価値観が変わるんじゃないか?

 

「ね~ね~桃姉。梅お腹空いた!」

「う~ん。本当は御飯でも食べに行こうと思ってたけど、櫻がこれじゃあね~」

「今すぐ風呂入りたい……そして寝たい」

 

 身体の節々は傷むし、所々アザになっている場所もある。今はただボロボロでベトベドな身体を洗い流し、軟らかい布団で横になりたかった。

 

「あっ! それなら梅、良い場所見つけたよっ!」

「良い場所?」

「うん! ほら、あそこっ!」

 

 梅の指さした方向を阿久津と姉貴が見る。尚、俺は見る元気もない。

 

「大きな『ゆ』の文字が見えるけれど、まさかあれのことを言っているのかい?」

「うん!」

「ナイスよ梅! 水無月ちゃん、時間大丈夫?」

「親に連絡すれば問題ないけれど、本当に行く気かい?」

「まあまあ、たまには裸の付き合いもいいじゃないの~。櫻もOK?」

「フロハイリタイ」

「はあ……仕方ないね」

 

 社会の片鱗を味わってわかったこと。働いている人には、もっと優しくしよう。



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十八日目(日) 桜も櫻も見せ場だった件

 梅が行こうと言った場所は銭湯というよりも、風呂だけでなくマッサージやトレーニングコーナー、食堂など色々ある健康ランドだった。

 一人男湯に入ると、疲れた身体を洗い流す。屋内の天井で男湯と女湯が繋がっているとか、露天風呂の柵の向こうで姉貴達の声が聞こえるとか、そんな構造になっている訳もない……ってか本当にあんのかよ?

 阿久津の旅館羽織姿は中々にレアだったが、それ以外は特筆すべき点も無し。座敷にて夕食を食べた後、もう一風呂浴びてから俺達は公衆浴場を後にした。

 

 

 

「――――で、あの後に回ったらね……わんこっち! あの懐かしのわんこっちがあったんだよ! 勿論にゃんこっちも一緒に置いてあって――――」

 

 元気一杯な妹の声が耳に入り、ゆっくりと目を開ける。

 どうやら車に揺られているうちに眠ってしまったらしい。それもかなり寝ていたのか、窓の外を見ると既に見知った辺りまで帰って来ていた。

 助手席に座る梅が姉貴にホビーショーの話をしている点は、目を閉じる前と何一つ変化なし。姉貴も疲れている筈だが、そんな様子は微塵も見せない。

 

「…………」

 

 ふと隣を見ると、阿久津は頬杖をついて外の景色を眺めていた。

 切ってもなお長い髪が、開けられた窓から入る風によってサラサラと靡く。黙っていれば可愛い横顔と合わせて、思わず見惚れてしまう程に綺麗だった。

 

「?」

 

 ボーっと眺めていて、ふと違和感に気付く。

 静かに口呼吸をしていた少女は、俺の視線に気付くと軽く視線を向けた。

 

「ん……起きたんだね」

「あ、ああ」

「………………」

 

 どことなく顔色の優れない阿久津は、おもむろにポケットへ手を入れる。取り出した棒付き飴を見て確信を得た俺は、少し考えた後で運転手へ声を掛けた。

 

「姉貴、代山(しろやま)公園で止めてくれるか?」

「え~? 突然どうしたのよ? 家までもうすぐじゃない」

 

 すぐと言っても、一分や二分は掛かる。

 今の阿久津にとっては、その僅かな時間が死活問題かもしれない。

 

「あっ! ひょっとして夜桜見に行くのっ?」

「成程納得っ! 櫻もたまには良いこと言うじゃない!」

 

 梅がとんちんかんな解答をするものの、幸い乗り気になった姉貴は代山公園へ車を入れる。先に阿久津だけ下ろすか悩んだが、駐車の腕が上がっていて助かった。

 棒付き飴を咥えつつ遠くを眺めていた少女は黙って車を降りる。口数が少なくなっている辺りから考えても、やはり食後の運転で酔っていたようだ。

 

「わぁ~っ!」

 

 とりあえず一安心と胸を撫で下ろす中で、梅が歓喜の声を上げた。

 幼馴染から視線を外すと、今更になって周囲の風景に気付く。

 

「――――」

 

 月明かりに照らされた満開の桜。

 桃色というより白色に近い花びらが、広い公園で淡く浮かび上がっていた。

 微かな風が吹くと枝は揺れ、粉雪のように花びらが散る。

 そんな絶景に思わず魅入っていると、梅と姉貴がビシッとポーズを決めた。

 

「ウメレンジャーッ!」

「モモレンジャーッ!」

「「二人揃ってサクレンジャーッ!」」

「錯乱ジャーの間違いだろ」

 

 他にも夜桜見物に来ている客はいるし、恥ずかしいからやめてほしい。

 再び阿久津に視線を戻すと、少女もまた櫻に……じゃなくて桜に目を奪われていた。遠くの緑じゃないけど、これで少しは回復してくれるだろうか。

 

「桃姉桃姉! トランクにレジャーシートとか入って…………はれ?」

 

 花見をする気満々の妹だったが、ミニスカのポケットからガラケーを取り出す。どうやら電話が掛かってきたらしく、耳に当てるなりいつも通りに応えた。

 

「もし~ん! うん、うん、一緒だよ? は~い」

「誰から?」

「お母さんから。桃姉にチェンジ!」

「そういう誤解を招く発言をするな」

 

 梅からガラケーを受け取りながらも、姉貴は不思議そうにポケットからスマホを取り出す。あちゃーという顔をしたため、どうやら電源が切れていたらしい。

 一応俺も自分の携帯を確認してみるが着信なし。まあ姉貴にベッタリなのは俺より梅の方だし、母上の判断は正しいと言えるがちょっと悲しくなる。

 

「はいは~い。うん、電池切れちゃってた。今? 代山公園だけど………………あらら? うん、うん、はいは~い。了解で~す」

「お母さん、何だったの?」

「緊急で車使うことになっちゃったって。お花見はまた今度ね」

「え~」

 

 通話を切った姉貴は画面を拭いてから、梅に礼を言いつつガラケーを返却する。俺はチラリと幼馴染を見るが、まだ安全ラインを確保したとは言い難い。

 ここからなら家まで歩いても十五分程度。しかし俺が徒歩での帰宅を提案すれば、阿久津は間違いなく「問題ない」と応え、無理をしてでも車に乗るだろう。

 

「それじゃあ桃姉さんは梅を乗せて先に家へ戻るから、櫻と水無月ちゃんの二人は花見を楽しんでから歩いて帰るってことで」

「!」

 

 まるで俺の心を読んだかの如く、姉貴がそんなことを提案する。

 当然ながら阿久津は不可解な表情を浮かべると、もっともな質問を返した。

 

「どうしてそうなるんだい?」

「この車、二人乗りなのよ~」

 

 いやいや、つい数分前まで四人乗りだっただろ。

 納得していない様子の阿久津だったが、姉貴が何やら耳打ちをする。流石に声が小さすぎて聞き取れなかったが、姉貴が耳元から離れるなり幼馴染は溜息を吐いた。

 

「櫻~。ちゃんとエスコートしてあげなさいよ~?」

「え? あ、ああ……」

「梅、カモンッ!」

「らじゃ~っ!」

 

 普段なら花見をしたいだの、ミナちゃんと一緒にいたいだの、色々とブーブー文句を言いそうな妹だが、今日に限って妙に物分かりがいい。

 阿久津の車酔いに気付いていたのか、はたまた単なる御節介なのか。姉貴と梅が車に乗り走り去っていく様子を見届けた後で、自販機でサイダーを購入した。

 

「ほら、俺の奢りだ」

「どういう風の吹き回しだい?」

「元気の素のお返しだよ」

「ふむ。そういうことなら、ありがたく貰おうかな」

 

 乗り物酔いには柑橘類の入っていない炭酸飲料が良い。素直に受け取った阿久津はプシュッと音を立ててキャップを開けると、一口飲んでから手すりに寄りかかる。

 

「…………すまないね」

「何で謝るんだよ?」

「ボクのせいで、疲れているキミまで徒歩に付き合わせたことさ」

「寝ると体力は全回復ってのは、どんなゲームでも常識だろ」

「確かにアンデッドにとっては数少ない回復方法だね」

「誰がアンデッドだ」

「車内で酷い寝顔を見せていたからさ。見るかい?」

「また撮ってたのかよっ?」

「冗談だよ。梅君に付き合って食べたデザートが失敗だったかな」

 

 そんなことして酔うほど阿久津も馬鹿じゃない。苦笑いを浮かべた幼馴染は静かに立ち上がると、大きく身体を伸ばしてから口を開く。

 

「せっかくだし、桜でも見て回ろうか」

「おう。思う存分に見ろ」(荒ぶる鷹のポーズ)

「………………はぁ」

「何で溜息を吐くんだよっ?」

「そこの桜がバラ科・スモモ属なら、キミの分類は愚科・低属かな?」

 

 どうやら罵倒できるくらいには回復したみたいだな。

 バ科にされなかっただけマシかと思いつつ、公園のジョギングコースをのんびり歩く。幼い頃に遊んだ公園だが、ほとんど昔と変わっていない。

 

「ここへ来るのも久し振りだね」

「そうだな」

 

 最後に来たのは……中学生の夏休みに風景画を描いた時だったか。最初は真面目に描いていたけど、失敗したから全部灰色にして曇り空って出した気がする。

 それより昔の幼い頃には阿久津や友人と一緒に蝶やクワガタ、トンボなどを捕まえに来た思い出の場所だ。

 

「覚えているかい? キミがトンボに噛まれた時のこと」

「ああ、あれだろ? ケンジの奴が自信満々に羽を持てば大丈夫って言うから、言われた通りに持ったらトンボがこう身体を捻って噛んできたやつな」

「そうそう。キミは似たようなことを、ザリガニの時もやっていたね」

「ん? ちょっと待て。そんなことあったか?」

「あったさ。だるま沼に行った時に――――」

 

 昔話で思い出話に花を咲かせながら、ふと改めて感じる。

 阿久津と過ごしていた時間は、本当に楽しかった。

 それは今でも言える。

 コイツといると安心して、不思議と落ち着いている自分がいた。

 

「……………………」

 

 公園内を半周した俺達は、何の変哲もない桜の木の下で足を止める。

 大した理由は無いのに、遊ぶ際の集合場所はいつもここだったっけ。

 

「さて、そろそろ帰っ――――」

 

 舐め終わった飴の棒をゴミ箱へ捨て、戻ってきた少女が躓いた。

 急に自分の方へ倒れてきた幼馴染を受け止めようとする……が、足が疲れきっていて踏ん張りが効かず、そのまま押し倒される形で俺達は芝生に倒れ込んだ。

 

「すまない! 大丈夫かい?」

「あ、ああ……」

 

 後頭部をぶつけたが、地面が地面なので痛みはない。

 胸に顔を埋める形で転んだ少女から、シャンプーの良い香りがする。

 そして俺は仰向けに倒れながらも、彼女を離さず抱きしめたままだった。

 

 

 

 ――ドクン――

 

 

 

 俺は阿久津が好きだ。

 だからこそ、今のままでいい。

 告白して関係が壊れるくらいなら、ずっとこのままでいい。

 

 

 

 ………………今までは、そう思っていた。

 

『残念ですが、片想いの相手がいます。だから先輩とは付き合えません』

 

『今のキミになら渡しても大丈夫そうだからね』

 

『全く、キミは本当に世話が焼けるね』

 

『確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ』

 

 

 

 ――ドクン、ドクン――

 

 

 

 …………阿久津はどうなんだろう?

 俺が感じていることを、同じように感じているんじゃないか?

 仮にそうなら……?

 彼女も俺のことを想っているとしたら…………? 

 

「なら良かった。それでキミは、いつまでボクを拘束するつもりなんだい?」

 

 両手を地面について、上体を少し浮かせた阿久津は静かに尋ねた。

 その質問には応えない。

 代わりに、少女の軟らかい肢体を抱える手に力が入る。

 

「……………………櫻?」

 

 

 

 ――ドクン、ドクン、ドクン――

 

 

 

「なあ、阿久津」

 

 倒れたままで恰好はつかないが、離したくなかった。

 綺麗な月が浮かぶ夜空を背に、俺は幼馴染を真っ直ぐに見つめる。

 

 

 

「お前のことが好きだ――――」



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十八日目(日) 月には叢雲、花に風だった件

「――――って言ったらどうする?」

 

 勇気を出して口から出た言葉。

 紛れもない告白だったそれを、俺は誤魔化して質問へと変えていた。

 

「…………まずは離してくれないかい?」

 

 返事を聞くまで離さない。

 ビシッと決めてそう返すつもりだったのに、何でこうなったんだろう。

 現実では、素直に拘束を解いている米倉櫻がいた。

 とんだ小心者……いや、半端者だ。

 雰囲気に呑まれず告白しない選択をした葵の方が、ずっと男らしい気がする。

 

「………………」

 

 阿久津は身体を起こすと、背を向けつつ軽く汚れを払った。

 そして俺の方へ振り返る。

 

 

 

 ――――その表情を見て後悔した。

 

 

 

「前にも言っただろう?」

 

 その一言だけで充分だった。

 しかし阿久津は誤魔化すことなく、はっきりと告げる。

 

 

 

「ボクはキミが嫌いだよ」

 

 

 

 真っ直ぐに俺の目を見て。

 偽りではないことを証明するように。

 彼女は、嫌いだとはっきり答えた。

 

「………………」

 

 何を勘違いしていたんだろう。

 阿久津とまた話すことができた。

 遊んだり勉強したり、一緒の時間を共有した。

 それだけで満足すべきだった。

 こうなることは、わかりきっていた筈だったのに……。

 

「そっか…………そうだよな…………」

 

 呆れ果てている少女へ、苦笑いを浮かべつつ応える。

 桜を照らしていた月は、気付けば雲の陰へと隠れていた。

 

「そんな馬鹿な質問をしている暇があるなら、夢野君とのデートプランでも考えたらどうだい? それこそ夜桜見物なんて、打ってつけだとボクは思うけれどね」

 

 幼馴染は静かにそう告げると、一人先に歩き出す。

 それから家に帰るまで、俺が阿久津と言葉を交わすことはなかった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「あら、お帰り~」

「…………勝手に人の部屋に入ってくんな」

 

 自分の部屋に戻ると、何故か椅子に姉貴が座っていた。

 それを無視して、着替えもせずにベッドで横になる。

 

「ミナちゃん、ちゃんと家まで送ってあげた?」

「ああ……」

「うんうん、ご苦労様~」

「…………」

「そう言えば櫻、この桜桃ジュースまだ置いてたの~? 大事にするのはいいけど、早く飲まないと賞味期限きちゃうわよ~?」

「放っといてくれ……」

「せめて冷蔵庫に入れれば良いのに~」

「…………」

 

『ギィ』

 

「はえ? 桃姉、合図は?」

「今回は無し! 撤収お願いしま~す!」

「何で? お兄ちゃんどうかしたの?」

「ノンノン。ちょっと新ネタ閃いちゃった! ただその前にお風呂で話した梅の勉強の件を櫻にも伝えておくから、先に部屋に戻っててくれる?」

「新ネタっ? 了解っ! 音速ダァッシュ!」

 

『ギィ』

 

「さ~て……新ネタどうしようかな~」

「…………」

「ちょっといい気分を、ちょっといい身分にするとか~」

「…………」

「ちょっといいを、丁度良いに変えたりするのもありよね~」

「…………」

「…………………櫻、何かあったの?」

「別に……」

「ふ~ん」

「…………」

「…………………」

「…………」

 

「桃姉さんね、一人で暮らしてわかったことがあるの」

 

「一人暮らしってね、物凄く寂しいのよ」

 

「ほら、話す相手がいないでしょ?」

 

「先月に風邪引いた時なんてね、誰も看病しに来てくれなかったんだから!」

 

「まあテスト期間で友達も忙しかったし、看病なんて来ないのが普通なんだけどね」

 

「本当に静かで、孤独で、凄く寂しかった」

 

「だからね、櫻は幸せなのよ?」

 

「余計な御世話だとか、邪魔だとか思うかもしれないけど」

 

「相談に乗ってくれる姉も、心配してくれる妹だっているじゃない」

 

「兄妹がいない子なんて、頼れる家族は両親しかいないんだから」

 

「親って反抗期にはハードルが高いし、相談なんて中々できないでしょ?」

 

「知らないと思うけど、桃姉さんも昔似たようなことがあってね」

 

「今の櫻みたいに、誰にも言わずに強がってた」

 

「でも洗濯物干しに来たお母さんが、不思議そうに尋ねるの」

 

「優しい声で「桃、何かあったの?」って聞いてきて」

 

「いつも通りにしてた筈なのに、親って凄いよね」

 

「何でもないって言おうとしたら、ポロポロ涙が出ちゃって」

 

「お母さんは忘れてるかもしれないけど、私は凄く嬉しかったな」

 

「以上、桃姉さんの深イイ話でした」

 

「よっこいしょっと…………ピッチャー第一球、投げましたっ!」

 

 頭に何かがぶつかる。

 黙って手を伸ばすと、それはティッシュの箱だった。

 

「似てないようで兄妹そっくりなんだから。梅には練習試合で悩んでた時に言ったけど、家族相手に見栄張ってどうするの? 強がらずに、弱がりなさい?」

 

 …………余計な御世話だ。

 ティッシュを一枚取ると鼻をかむ。

 

「櫻、何かあったの?」

 

 枕に顔を埋め声を抑えつつ、俺は泣いていた。

 涙が止まらなかった。

 悲しくて、悔しくて、何より自分が情けなかった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「どう? 少しは落ち着いた?」

「………………ああ」

 

 どれくらい泣いていただろう。

 涙を出し切った後で、ゆっくりと身体を起こした。

 振り返ればそこには、椅子に座りながら暖かい目で見守っていた姉がいる。

 俺は全てを話した。

 今日のことだけじゃなく、これまであった何もかもを語る。

 姉貴は途中で話を断つこともなく、時折頷きつつ真摯に聞いてくれた。

 

「本当、何やってるんだかな……」

 

 話を一通り聞いた後で、姉貴は何やら腕を組んで考える。

 一体何を気にしているのか……そう考えていると、一つ質問をされた。

 

「ねえ櫻。水無月ちゃんから言われたことってそれだけ?」

「え? ああ、そうだけど」

「そっか。告白なんてしなきゃ良かったって後悔してる?」

「…………まあな」

 

 改めて自分を見直してみれば、結果はわかりきっていた。

 優しいだけでモテるのは小学生まで。アニメじゃ魅力もない馬鹿な主人公がハーレム状態になっているが、普通に考えてそんな奴がモテる訳ない。

 ましてや俺みたいに口ばっかりで、いい加減な奴がOKを貰える筈がなかった。

 

「櫻は水無月ちゃんが他の男子と付き合っても良いの?」

「それは……嫌だけど……」

「はい、ちょっと正座」

 

 姉貴がビシっと俺を指さす。言われるがまま、ベッドの上で正座した。

 

「本当に水無月ちゃんが好きなら、行動しなくちゃ駄目でしょうが。後悔にしても行動したことを後悔するんじゃなくて、今まで行動しなかった自分を後悔しなさい」

「行動って?」

「一途に想い続けるだけで振り向いてくれると思う? 気になる相手なら、それに見合う人間になるように自分を磨くでしょ? 好かれる努力をするでしょ?」

「…………」

「何なら水無月ちゃんの気持ちを、桃姉さんが代弁してあげましょう」

 

 姉貴はコホンと咳払いをする。

 そして相変わらず似ていない物真似で、阿久津の台詞を口にした。

 

「ボクは『今の』キミが嫌いだよ」

 

 決して似ているとは言えない物真似。

 しかしその言葉は、先程聞いたものと少し違う。

 

「きっと本当はこうだったんじゃないかって、桃姉さんは思うよ?」

「昔の俺の方が良かったって言いたいのか?」

「櫻ってば、全然分かってないんだから。そりゃ桃姉さんだって戻れるなら、ラジオ体操を踊ってたあの頃に戻りたいわよ。でもそうじゃないでしょ?」

「?」

「昔を懐かしんでも昔は昔! 水無月ちゃんが言いたかったのは過去の櫻じゃなくて、未来の櫻の話よ。昔どころかそれを超える、これからに期待してるの!」

 

 俺に期待だって?

 阿久津が聞いたら、鼻で笑われる話だ。

 

「それは姉貴の勝手な想像だろ? 何でそんなこと言えるんだよ?」

「だって水無月ちゃん、櫻には言わなかったんでしょ?」

 

 

 

 ――――他に好きな人がいるって――――

 

 

 

「!!」

 

 確かにそうだ。

 思わず反応してしまったが、すぐに我に返り考え直す。

 

「それは先輩が聞いたから答えただけで、単に俺には言わなかっただけだろ」

「確かにそうかもしれないけど、告白もどきとはいえ櫻は二度目でしょ? 本当に片想い中なら、そういうしつこい相手にこそ諦めさせるために伝えることじゃない」

 

 確かにその通りだ。

 でも阿久津は俺にそのことを話さなかった。

 

「じゃあそれを教える価値すらない程に嫌われてるってことだ」

「そもそも、その嫌いっていうのがおかしくない?」

「何がだよ」

「もしも櫻のことが嫌いなら、お弁当も一緒に食べないで梅と回るでしょ? 疲れてる姿を見てジュース買ってあげるなんて、桃姉さんなら絶対しないわよ?」

「それは……幼馴染的な同情だろ」

「例え幼馴染だろうと水無月ちゃんが嫌いな相手にそんなことしないのは、他でもない櫻が一番よくわかってると思うんだけど」

 

 理解しているからこそ、陶芸部に誘われた時には驚いた。

 つまりこういうことか?

 阿久津は今の俺を好きじゃない。

 でも、嫌いでもない。

 

「高校生なんて思春期真っ盛りなんだし、誰だって気持ちはハッキリしないわよ。ただ水無月ちゃんが櫻を気に掛けるのは、櫻が蕾ちゃんのことを気にしてるのと似たような感じだと思うのよ」

「別に俺は……そもそも、夢野には相応しい相手がいるんだよ」

「それは自分に自信がなかった櫻の勝手な考えでしょ? じゃあ水無月ちゃんにも相応しい男が現れたら、櫻はそうやって諦めちゃうんだ?」

「…………………………」

「そんなの優しさじゃなくて、ただ逃げてるだけでしょ? はい、顔を上げる!」

「っ!」

 

 無意識に俯いていた顔を上げる。

 視線が合うなり、姉貴はニコッと笑顔を見せた。

 

「勝負もせずに諦めたら一生後悔するわよ? 好きなら好きで「俺が相応しい男になってやるっ!」くらいの心意気でしょっ? 押してダメなら更に押せよっ!」

「でもそういう奴がストーカーになるんじゃ……」

「一人で突っ走るのはそうだけど、第三者の保証があれば問題なし! 恋愛はそれくらい貪欲じゃなくっちゃ! 失敗を恐れるより、何もしない自分を恐れろってね」

 

 似たようなことは年末、幼馴染にも言われている。

 その意味を今になって改めて理解した気がした。

 今の俺を見ている。

 あの時、阿久津は俺に向けて確かにそう言った。

 しかし彼女が本当に言いたかったことは違ったのかもしれない。

 

「何にせよ自分を磨かないと、水無月ちゃんも蕾ちゃんも見放しちゃうんだからね。二人とも、いつまでも待ってはくれないわよ?」

「そっか……そうだよな……」

「どう? 少しは改心した?」

 

 俺は黙って首を縦に振る。

 一人で悩み考えていたら、こんな結論には到底達しなかっただろう。

 

「本当~? 決意なんて一晩寝たらリセットされちゃうんだから、人間そう簡単には変われないのよ~? 今回の経験が明日以降に繋がるか、桃姉さん不安だわ~」

 

 姉貴は椅子から立ち上がると、大きな胸を見せつけるように身体を伸ばす。不安そうなジェスチャーも含み笑いする笑顔もウザい姉だが、嫌いではなかった。

 

「ま~ま~焦るな若者よ。大切なのは毎日の積み重ねだからね」

「ああ、ありがとうな姉貴」

「は~い。どう致しまして」

 

 姉貴が部屋を出て行った後で時計を見ると、すっかり日付が変わっていた。

 エイプリルフールは三日後であり、今日の決意に嘘なんて何一つない。そんなことを考えながら窓から外を見上げ、夜空に浮かぶ蕾のように丸い月を眺める。

 

「…………」

 

 高校生の一年目は終わりを告げ、俺達は新たな春を迎えようとしていた。



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末日(日) アルカス

「ふにゃーお?」

 

「ん……おいでアルカス」

 

「にゃおん」

 

「よしよし。良い子だ」

 

「…………」

 

「………………少し、ボクの話に付き合ってくれるかい?」

 

「にゃおん」

 

「ふふ、ありがとう。キミは優しいね」

 

「…………」

 

「まず最初に確認しておこう。ボクは別に櫻のことを好きでも何でもない」

 

「にゃーん」

 

「バスケの練習試合に付き合ったのは桃ちゃんがいなくなって梅君が心配だったからだし、夢野君と楽しそうに話す櫻を見ても別に何も感じなかったよ」

 

「にゃーん」

 

「強いて言うなら、彼が嫌われないか不安だったかな。別に放っておいても良かったけれど、ボクが思っていた以上に櫻が陶芸部へ顔を出すせいでやたら目についてね」

 

「…………」

 

「だから櫻の恋路が上手くいくよう、少しフォローするようになったんだ。夢野君についての話を聞いたり、たまには褒めて上げたりしてね」

 

「…………」

 

「ただまあ、窯の番は色々と失敗だったかな。飴と鞭の使い分けは難しいよ」

 

「…………」

 

「コスプレをした頃だったかな。櫻が夢野君を呼び捨てにするようになっていて、ひょっとしたら夢野君も櫻のことが好きなんじゃないかと感じ始めたんだ」

 

「にゃおん」

 

「櫻も少しはまともになってきていたし、それならボクがフォローする必要もない。手の掛かる幼馴染の面倒を見るのも終わりだと思っていたよ」

 

「…………」

 

「………………そう思っていた筈なのに、何でだろうね」

 

「ふにゃーお?」

 

「別にボクが追いかける必要はなかったのに、気付けば走っていたんだ」

 

「…………」

 

「確かに櫻は梅君に任せて、ボクは夢野君の方へ行くべきだったのかもしれない。でも知り合いの泣き顔を見て追いかけるのは、別におかしなことじゃないだろう?」

 

「にゃーん」

 

「それにボクの方が事情は把握していたからね。探りを入れて鎌を掛けたら、思っていた通り夢野君関連さ。せっかく参拝に来ていたのに、本当に世話が焼けるよ」

 

「…………」

 

「何より傍迷惑なのは櫻が夢野君の気持ちに応えず、未だにボクのことを気にかけていたことかな。まあ、相生君の件もあったようだけれどね」

 

「…………」

 

「だから下手に勘違いされないよう釘を刺して……刺したのに……親の件でイライラしていたからかな? ネズミースカイの帰りの電車で、ボクは……………」

 

「ふにゃーお?」

 

「…………ボクは、邪魔をしていたんだ。夢野君の寝顔に見惚れていた櫻へメールを送って、茶々を入れた。一体何をしているんだと後悔したよ」

 

「にゃーん」

 

「そうだね…………中途半端にフォローしたボクが間違っていたんだと思う。優しくなんてせずに、中学の頃と同じように接するべきだったんだ」

 

「…………」

 

「櫻と夢野君が付き合うまで、何もすべきじゃなかった……バイトを始めるなんて言うから、てっきりコンビニだと思って安心していたのにね……」

 

「…………」

 

「もう大丈夫だろうと思ってホワイトデーも渡したのに、失敗だったよ。こんなことになるくらいなら、キミが一緒だと知った時点で今日は断るべきだったかな……」

 

「にゃーん」

 

「……………………」

 

「ふにゃーお?」

 

「ボクが怖いのはキミだよ…………キミのせいで変わっていく自分が怖い……」

 

「にゃおん」

 

「…………ボクはキミが嫌いだよ…………」

 

「にゃーん」

 

 

 

 ――プルルルル……プルルルル――

 

 

 

「……もしもし?」

 

「夜にすまないね音穏。また相談したいことがあるんだけれど、少しいいかい?」




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の6.5章を楽しんでいただければ幸いです!


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6.5章:俺の知らない物語だった件
四月(中) ……私と陶器とミナと


 ◆

 

 運動は苦手。

 でも中学にあった文化部は、科学部と美術部と家政部と吹奏楽部の四つだけ。

 入りたい部活はなかった。

 それに私が中一の時、弟はまだ小学生になったばっかり。

 家で一人は可哀想だから、中学は帰宅部にした。

 でも今は、やりたい部活がある。

 

「……失礼……します」

 

 ノックしてから、静かにドアを開けた。

 中にいた生徒は女の人が四人、男の人が一人。

 でもノックと声が小さかったせいで、誰も気付かない。

 

「おや? お客さんですかねえ」

「……初めまして」

「どうもどうも。先生、陶芸部の顧問をしている伊東(いとう)と申します」

 

 最初に気付いてくれたのは、白衣を着た先生……陶芸部なのに何で白衣?

 でも不思議な先生のおかげで、先輩も私に気付いてくれた。

 

「あ、ひょっとして見学に来てくれたの?」

「……(コクリ)」

 

 女の人が二人、笑顔でこっちに来る。

 自己紹介をされた後で、私の名前を尋ねられた。

 

「……冬雪音穏(ふゆきねおん)……です」

「へー。ネオンちゃんかー。珍しいけど可愛い名前だねー」

「冬雪さんは見学と体験、どっちにする? 体験は粘土練ったり、ろくろ挽いたり。全部やると一時間くらい掛かっちゃうけど……」

「……体験……したいです」

「それじゃあ用意するから、ちょっと待ってて。あ、荷物はそこに置いていいよ」

「今日は大繁盛だねー」

 

 言われた通り、大きな机に鞄を置く。

 机の端で漫画を読んでいたツンツン頭の男の人が、チラリと私を見た。

 

「いよぉ」

「……(ペコリ)」

「ちょっとバナ! 暇なら少しは手伝ってよ」

「やなこった」

「もう!」

 

 陶芸部なのに何で漫画?

 少し不安になってきたけど、女の先輩は優しく接してくれる。

 

「あ、冬雪さん。ブレザー脱いでもらって、これ着てもらってもいい?」

 

 渡されたのはシンプルな黒エプロン。

 向こうにいる女の人も、これと同じエプロンをしてる。

 

「難しいですね。何かコツとかあるんでしょうか?」

 

 腰の辺りまである長い髪の、綺麗な女子。

 ひょっとして、私と同じ体験?

 でもリボンの色は一年生なのに、凄く堂々としてる。

 

「菊練りのコツ……ズキちゃん、何かあります……?」

「私に聞かれてもねー。コツコツやるとかー? なんつってー」

「だそうで……あ、今回はこちらでやっておくんで、どうぞそちらへ……」

「ありがとうございます」

「もー、サっちんってば反応薄いー」

 

 女の先輩達は楽しそう……ちょっと安心。

 ボーっと眺めてたら、私の粘土を用意してくれてた。

 

「まずは土練りからね。荒練りと菊練りっていうのがあって――――」

 

 初めての陶芸体験は中三の修学旅行。

 ただその時は、手回しろくろで粘土をこねる手びねりだけ。

 それでも、凄く楽しかった。

 

「上手上手! 冬雪さん、もうほとんど菊練りできてるよ! ひょっとして経験者?」

「……未経験……です」

 

 土を練るのは初めてだから、首を横に振った。

 先輩みたいに綺麗じゃないけど、褒められたのは嬉しい。

 

「それじゃあ、ろくろ回してみよっか」

「……(コクリ)」

 

 電動ろくろの操作を教わる。

 お手本で見せられた成形は、まるで魔法みたいだった。

 

「こんな感じかな。それじゃあ、冬雪さんやってみる?」

「……(コクリ)」

 

 当たり前だけど、最初は上手くいかなかった。

 沢山失敗した。

 だけど湯呑やお皿ができた時は感動した。

 

「お疲れ様。後片付けは私がやるから、冬雪さんは休んでて」

「……ありがとう……ございます」

 

 暑い。

 エプロンを脱いで少し休憩……部屋を見渡す。

 

「……」

 

 もう一人の体験の子がいない。

 私が集中し過ぎて、気付かないうちに帰ってた?

 後悔で小さく溜息を吐く。

 少しくらい話すべきだった。

 

「明日だとまだ削れないから、明後日以降にまた来れる?」

「……大丈夫……です」

「良かった。それじゃあ待ってるから」

「まーた来ーてねー」

「ズキちゃん、私の手を振らずに自分の手を振ってくれます……?」

 

 三人の優しい先輩と先生に見送られて、最初の体験は終わった。

 次に陶芸室へ行ったのは、言われた通りの二日後。

 

「……失礼します」

「あ! 冬雪さん!」

 

 その日いたのは女の先輩三人だけ。

 男の先輩と先生はいなくて、体験も私一人きりだった。

 

「サっちんサっちん、ピザって十回言って」

「not pizza,but píːtsə」

「オー、アイムソーリーヒゲソーリー」

「まあ、ピザとピッツァは別物ですが……アメリカ風がピザで、イタリア風がピッツァなんです。イタリアでピザと言うと、地名のピサと勘違いされます……」

「へー。そーなんだー」

 

 女の先輩二人が、椅子に座ってのんびり話してる。

 そんな中で部長さんは私に削りを教えつつ、部活についても話してくれた。

 生徒数が多い屋代なのに、陶芸部には二年生がいない。

 三年生も五人だけ。

 

「冬雪さんが入部してくれたら、私達の引退後に部長かもしれないね」

 

 そんなことはない。

 初めて作ったお皿は底が抜けて失敗。

 無事に完成した湯呑も、何だか湯呑っぽくない形だった。

 それに今年入る一年生が、もし私だけだったら……?

 

「焼くのは少し先だから、作品ができたら届けに行くね。勿論私としては冬雪さんが、入部してくれたら一番嬉しいんだけど……」

「このとーり!」

「ズキちゃん、私の頭を下げずに自分の頭を下げてくれます……?」

「……ありがとうございました」

 

 二度目の体験も終わる。

 三度目の体験には行かなかった。

 入部するかしないか、ずっと悩んでた。

 お母さんは大丈夫だって言ってくれたけど、一人きりは不安だった。

 そんな日が一週間くらい続いた、ある日のこと。

 

「じゃあねミナ」

「お疲れ様。また明日」

「……?」

 

 帰りの駅で、聞き覚えのある声に振り返る。

 反対側のホームで電車に乗る友人を見送るのは、見覚えのある綺麗な女の人。

 くるりとこちらを振り向かれ、目が合った。

 

「あれ? ひょっとして、陶芸部の体験に来ていた……冬雪君だったかな?」

「……(コクリ)」

「やっぱり。ああ、自己紹介が遅れて申し訳ない。ボクは阿久津水無月(あくつみなづき)

「……冬雪音穏……です」

「別に同じ一年生なんだし敬語は要らないよ。同じ方面の電車とは奇遇だね。ボクは新黒谷駅だけれど、冬雪君はどこで降りるんだい?」

「……菊畑」

「となると下りるのはボクが先かな」

 

 私は口下手だとよく言われる。

 今の流行をあまり知らないから、話題が無いし話も続かない。

 

「冬雪君は、もう削りはやったかい?」

「……やった……阿久津さんは……?」

「ボクは昨日やったけれど、難しくなかったかい? どの程度削れば良いか加減がわからなくて、削り過ぎた結果は底が抜けて大失敗だったよ」

「……私も。でもちゃんと削らないと凄く重い」

「ふふ。やることはお互い同じみたいだね」

 

 何でだろう。

 初対面で話題が多いから?

 それとも陶芸の話だから?

 電車に乗った後も話は尽きず、時間はあっという間に過ぎていった。

 

「冬雪君は、陶芸部に入部するのかな?」

「……悩んでる」

「もし良ければ、ボクと一緒に入らないかい?」

「……!」

「菊練りをリベンジしたいけれど、先輩の引退後に一人は寂しいからね。勿論、他に入りたい部活があるのなら無理にとは言わないよ」

「……良かった」

「何がだい?」

「……私も一人かと思って、不安だった」

「最初の体験以来、ずっとすれ違いだったみたいだからね。ボク達が会っていないだけで、ひょっとしたら他に入る一年生だっているかもしれないさ。屋代は広いからね」

 

 もしかしたら、十人くらい来てたのかもしれない。

 そう考えると、何だかワクワクしてくる。

 

「校章を見る限り、冬雪君はCハウスなのかな?」

「……C―3」

「C―3…………一つ質問してもいいかい?」

「……何?」

「クラスメイトに、米倉櫻(よねくらさくら)って男子はいるかな?」

「……確かいた……知り合い?」

「まあ、顔見知りでね。いや、気にしなくていいよ。ありがとう」

 

 何で知り合い……あ、同じ中学かも。

 でもあんまり男子の顔覚えてない……今度ちゃんと見ておこう。

 

「……私も一つ聞いていい?」

「何だい?」

「どうして君呼び?」

「ああ、すまないね。色々あって昔からの癖なんだよ。冬雪さんの方がいいかな?」

「……名前でいい」

「そうなると音穏君……じゃなくて、音穏さんかな」

「……慣れないなら、呼び捨てで大丈夫」

「いいのかい?」

「……私もミナって呼びたい」

「成程ね。それじゃあ、これから宜しく頼むよ音穏」

 

 陶芸部に入ってできた、私の大事な二つの宝物。

 一つは我が家で煮物を入れる盛椀扱いの、初めて作った湯呑。

 そしてもう一つは、かけがえのない大切な友達。

 

「……ミナ、宜しく」



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五月(上) おSNS

・5月2日(金)

 

「届いてる?」

「えっと……何て呼べばいいかな?」

 

『届いてるよ♪』

『男子からは去年、夢野(ゆめの)とか夢野さんって呼ばれてたかな』

 

「それじゃあ、僕も夢野さんって呼ぶね」

「夢野はよそよそしい気がする(笑)」

 

『うん、ありがとう! 笑』

『私は何て呼べばいい?』

 

「うーん」

「あだ名とか無かったから」

「普通に名前とか、夢野さんの好きに呼んで大丈夫だよ!」

 

相生(あいおい)君だと二人いるもんね』

『あだ名……(あおい)だからブルーとか?』

 

「全国で600人くらいの、割と珍しい苗字なんだけど」

「ブルー(笑)」

「何だか落ち込んでそう(笑)」

 

『だよね 笑』

『じゃあ、葵君って呼ぼうかな』

 

「うん!」

「ブルーより葵君の方が嬉しいかも(笑)」

「あ、でもブルーでもいいよ?」

 

『葵君にする!』

『ブルーって、呼ぶ時に笑っちゃいそうだもん 笑』

 

「確かに(笑)」

「僕も笑ってる夢野さんを見て笑いそう(笑)」

 

『なら笑い堪える 笑』

『明日って部活あるよね?』

 

「午後からあるよ!」

「それを見て笑おうかな(笑)」

 

『ありがとう!』

『うわー』

『葵君はSだー 笑』

 

「確かタカミー先生、パート分けするって言ってたよね?」

「そういう夢野さんはMなの? (笑)」

 

『言ってた!』

『私はまともな人です♪』

 

「初めてだから楽しみ!」

「まともな人(笑)」

「時間大丈夫?」

 

『何その反応 笑』

『まともでしょー』

『私は時間大丈夫だよ』

『いつのまにか寝落ちしてるけど 笑』

 

「ま、まともだと思うよ(笑)」

「あ、それは僕もだから大丈夫!」

 

 

 

・5月3日(土)

 

『まともです♪』

『わかって貰えた! 笑』

『寝落ちしちゃった。ごめんね』

 

「おはよう!」

「朝早いね!」

「地震大丈夫だった?」

 

『地震で起きた!』

『びっくりしたー』

 

「同じく起きた!」

「知らない間に二度寝してたけど(笑)」

「ね、びっくりしたね」

 

『部活休んでたら、寝てるって伝えておくね 笑』

『最近地震多いよー』

 

「やめてー(笑)」

「地震きても寝てることが多い……」

 

『葵君は家で寝てまーす♪』

『私も結構寝てるかな』

 

「やめてー(泣)」

「お互い神経太いね(笑)」

 

『どうなんだろ?』

『私、絶叫系とか乗ったことないからビビリかも?』

 

「ビビリなんだ(笑)」

「いいこと聞いた!」

 

『嘘嘘! 怖いものなんてないよ!』

 

「またまたー」

「あるんでしょー?」

 

『ないないない!』

 

 

 ――――部活後――――

 

 

「ビビリな件、覚えておこっと(笑)」

「そういえばシフリ作品好きなんだね!」

 

『忘れていいよ 笑』

『うん! シフリ大好き!』

 

「僕も!」

「シフリだけじゃなくて、基本的に映画全般好き!」

「休日はDVD借りて見たり、映画館行ってばっかり(笑)」

 

『映画好きなんだー』

『彼女の名は、凄いブームになってるね!』

 

「彼女の名は!」

「ストーリーも音楽も最高!」

「もう既に二回見たけど、三回目を見に行こうと思う(笑)」

「夢野さんは見た?」

 

『ううん、まだー』

『二回見たの?』

 

「見たよー」

「何回見ても、物凄い感動する!」

「あれはオススメ!」

 

『いいなー』

『感動で泣いちゃった?』

 

「泣いてないよ!」

「でも泣きそうになった(笑)」

 

『涙ポロポロの葵君』

『面白そう 笑』

 

「いやいや」

「恥ずかしくて、とてもじゃないけど見せられない(笑)」

 

『えー? 見てみたいなー』

『普段落ち着いてるから、余計に面白そう! 笑』

 

「駄目(笑)」

「普段もそんなに落ち着いてないけどね」

 

『じゃあ裏の顔が……?』

『笑』

 

「そんなのないよー」

「夢野さんは裏の顔あるの? (笑)」

 

 

 

・5月4日(日)

 

『私は裏の顔も優しいから♪』

『おはようございます!』

 

「優しいんだ(笑)」

「朝早いね!」

 

『朝型なの 笑』

 

「朝型とか凄い!」

「僕なら二度寝しちゃいそう」

 

『休日だもんね』

 

「でも寝てるのも勿体ないかも……」

「もっと高校生を楽しまないと」

「青春したい! (笑)」

 

『私の友達と同じようなこと言ってる 笑』

『でも高校生らしいことはしてみたいなー』

 

「僕も(笑)」

「夢野さんって、彼氏とかいないの?」

「高校生らしいこと……何だろう?」

 

『彼氏いないよー』

『アルバイトとかやってみたいかも!』

 

「仲間!」

「悲しい仲間だけど(笑)」

「アルバイトするとしたら何する?」

 

『仲間なんだ 笑』

『うーん、コンビニとか?』

 

「コンビニ似合いそう(笑)」

「夢野さん、A型だもんね」

 

『A型関係ないよ 笑』

『葵君は何型だっけ?』

 

「几帳面だから仕事とか向いてるかなって」

「僕もA型(笑)」

 

『コンビニ似合いそう 笑』

『でも夏はコンクール終わるまで忙しそうだよねー』

 

「一応A型だけど、鶴も折れない不器用だから(汗)」

「あー、確かにー」

 

『そういえば昨日、頑張って折ってたね!』

『次は手裏剣かな? 笑』

 

「無理(笑)」

「折り紙とか久しぶりだったけど、案外楽しかった(笑)」

 

『意外とハマったねー』

 

「うん、少しだけハマった(笑)」

「幼稚園の頃はやってた……ような気がする!」

 

『幼稚園の時は、おままごと大好きだったかな』

 

「可愛い(笑)」

「女の子だね」

「僕は……戦いごっことか?」

 

『一応女子ですから♪』

『戦いごっこも可愛い! 笑』

 

「一応じゃないでしょ? (笑)」

「あの頃は若かったよね」

 

『あの頃に戻りたいな……笑』

 

「えー? 今の方が良いよ!」

「音楽部の皆に会えなくなっちゃう(泣)」

「何で戻りたいの?」

 

 

 

・5月5日(月)

 

『それは寂しいかも』

『だって勉強しなくていいんだもん! 笑』

 

「確かに(笑)」

「そして宿題に追われてる(汗)」

 

『私もー』

『先生宿題出し過ぎだよー』

 

「そういえばタカミー先生」

「昔ネズミーランドで働いてたんだってね!」

 

『そうなのっ?』

『ネズミーでアルバイトとか羨ましい!』

 

「大変そうだけど絶対楽しそうだよね!」

「あ、でも踊るのは無理かも(笑)」

 

『あんなに良い職場ないよー』

『大丈夫大丈夫!』

『葵君、着ぐるみ入れる身長じゃない? 笑』

 

「僕が踊ったら、お客さん帰っちゃうよー」

「きっと頭つき抜けちゃうね(笑)」

 

『帰っちゃうんだ 笑』

『ネズミーの頭から葵君……』

 

「それは怖い(笑)」

「夢を壊しちゃうね」

 

『笑ってもらえるかもよ? 笑』

 

「いやいや(笑)」

「笑うのは夢の見れない人だけかな?」

 

『じゃあ私は笑わないかなー』

『夢野だもん 笑』

 

「本当かなー?」

「あ、本当だった。夢持ってそう(笑)」

 

『でしょ? 笑』

『音楽部の皆でネズミーとか行きたいね』

 

「行きたい!」

「企画お願いします 笑」

 

 

 

・5月6日(火)

 

『私は企画するタイプじゃないよー』

『どうしよう! 宿題終わらない!』

 

「えー?」

「僕も終わらない(笑)」

 

『え? 葵君、今日誕生日なの?』

 

「うん! 16歳になりました!」

「ゴールデンウィークの振替になるから、あんまり祝われない(笑)」

 

『おー、おめでと!』

『(ケーキの写真)』

『画像でプレゼント 笑』

 

「ありがとう!」

「画像(笑)」

「うん、ありがたく受け取るね(笑)」

 

『丁度あったから 笑』

『16歳かー』

『結婚できるね♪』

 

「あったんだ(笑)」

「それよく冗談で言われる(泣)」

「男だから18歳までできないよー」

 

『よく言われるんだ 笑』

『葵君、女の子っぽいもんね』

 

「そんなことないよー」

「16歳、満喫しなきゃ!」

「夢野さんは誕生日いつ?」

 

『私は9月8日だよー』

『文化祭の頃かな?』

 

「文化祭!」

「楽しみだねー」

「クラスの男子が、女装コンテストに出ろって言ってくる(泣)」

 

『うん、楽しみ♪』

『女装コンテストなんてあるんだ 笑』

 

「あるみたいだよー」

「最初は屋代七不思議かと思ってた(笑)」

 

『何それ 笑』

 

「知らない?」

「屋代にまつわる都市伝説らしいんだけど」

「初代校長が陶芸室の地下に眠ってるとか(笑)」

 

『知らなかったー』

『陶芸室なんてあるんだね 笑』

 

「僕も知らなくて、先輩に教えてもらった(笑)」

「地下があるかは知らないけど、屋上があるの知ってる?」

「音楽部しか知らない、秘密の屋上!」

 

『屋上行けるのっ?』

 

「屋上っぽい場所に行ける(笑)」

「明日夢野さんにも教えるね」

「多分、感動すると思う!」

 

『楽しみにしてるね♪』

『そろそろ本格的に宿題終わらせないと!』

 

「うん、楽しみにしてて!」

「僕も終わらせないと(汗)」

 

『それじゃまた明日! お互い頑張ろ♪』

 

「うん、また明日!」



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六月(中) 火水木兄さんとオタ

「店長が我が家に来るとか、随分久し振りな希ガス」

「相変わらず変わらない部屋だ」

「一体何をどう変えろと?」

「とりあえず壁一面と天井をポスターで埋め尽くした後に、フィギュア棚を設置だ。後は抱き枕と痛クッション、それにPCのモニターも四つは必要だ」

「いやいや、それだと完全に店長の部屋ですしおすし」

「兎にも角にも、明釷(あきと)の部屋にはごちゃごちゃ感が足りないんだ」

 

 拙者のベッドの遠慮なく寝転がる店長。そこに痺れる憧れる。

 

「何にせよ今のお前がやるべきことは、俺とひと狩り行くことだ」

「しかしまた、随分と懐かしいですな。闘う相手は?」

「銀レウス」

「そっちの武器は?」

「ハンマー」

「おk把握。じゃあ拙者はガンスでがんす」

「尻尾は頼んだ」

 

『クエストを開始します』

 

「ん……ミステイクだ」

「どしたん店長?」

「回復薬忘れだ。まあ些細なこと……この程度の雑魚、応急薬で充分だ」

「さいですか。あ、いたお」

「何番だ?」

「三番ですな。ところで店長、今日は何しに来たん?」

「少しは部活に顔を出せ……だ」

「いや天海氏いると行きにくいですしおすし」

「その妹だが、パソコン部が居辛そうに見える…………だっ?」

 

『ゆうた希少種は力尽きました』

 

「ちょまっ! 店長、マジで何しに来たんっ?」

「勘が鈍っていただけだ。話を戻すが、最近の妹の様子はどうなんだ?」

「心配せずともクラスで仲良くやってるみたいだお」

「なら良いんだ。ついでに質問だが、お前の方はどうなんだ?」

「中間テストが終わって、拙者を見る目がようやく変わってきた感じですな」

「そんな喋り方だからだ」

「いや店長に言われましても――」

 

『ゆうた希少種は力尽きました』

 

「店長ぉぉっ?」

「入った瞬間のハメだ。大丈夫だ」

「問題しかない」

「質問だが、何故高校に入ってもそのキャラを続けたんだ?」

「身に着いた習慣ですな」

「馬鹿正直で糞真面目だった後輩も、随分変わったもんだ」

「フヒヒ、サーセン」

 

 目の前にいる師匠が大学に入って口調を改めたら、拙者も元に戻ることを考える必要がありそうですな。

 そう。店長の言う通り、少し前までの拙者はオタですらなかったのである。

 

 

 

 ―― 二年前 ――

 

 

 

「店長、相談があります」

「そーだんだ」

「いや待って。くだらないギャグ言ってないで真面目に聞いてくださいよ」

 

 火水木明釷、中学二年。

 趣味や特技はこれといってなく、帰宅後にやることは勉強と店の手伝いくらい。特に就きたい職業もなく、将来も家業の文具屋を継ぐだけの普通の学生だった。

 

「三行で説明しろ……だ」

「いきなり三行って言われても」

「一行終了だ」

「マジですかっ?」

「二行終了だ」

「ちょ……えっと、天海の件で真面目な相談なんですけど……」

「三百行で説明しろ……だ」

「多っ!」

 

 店長は近所の頼れる兄貴分である。

 そして今日をもって科学部を引退する一つ上の先輩であり、近々引っ越しするため離れ離れとなってしまう大切な親友でもあった。

 

「アイツが最近オタク趣味にハマり出したのって知ってます?」

「喜ばしいことだ」

「いや問題なのはその後なんですけど……あ、別にオタクを否定する訳じゃないですよ? 店長みたいに一見痛々しくても人間のできてるオタクはいますし」

「一言余計だ」

 

 ノブオ先輩から店長へ呼び方が変わったのは一年前。中二かつ厨二に目覚めた男の部屋に招かれ、並べられたグッズの多さに敬意を払い付けたあだ名である。

 ちなみに収集を始めたきっかけを聞いたら『外見のせいでオタに見られるから、いっそオタクになってみた』とのこと。外見の方を変えようとは思わないんですかね?

 

「それで、どうしたんだ?」

「何か好きなアニメだかゲームを友達に話したら、ドン引きされたみたいで……それがきっかけで、今ちょっと良くない感じになってるって言うか……」

「要は虐めって訳だ?」

「…………まあ、そんな雰囲気になり始めてます。ほら、アイツ太ってるじゃないですか? 最近になって、そのことも輪をかけて言われ始めたみたいで……」

「成程だ」

 

 火水木天海(ひみずきあまみ)、中学二年。

 ぽっちゃりどころか横綱みたいに肥えており、図体だけでなく態度もでかい生意気な妹ではあるが、双子の兄としては一応心配だったりする。

 

「ジャンルは何だ?」

「え?」

「妹が友達に話した内容だ」

「詳しくは知らないんですけど……あ、イケメンが沢山出る奴です」

「調査不足だ……潜入作戦の必要有りだ」

「はい?」

 

 

 

 ―― 一時間後 ――

 

 

 

「パターン青、使徒だ」

「いやそういうネタわからないんで」

「重要なのは方向性だ。女の場合まずは、腐っているかどうかだ」

 

 天海が帰っていないのを確認し、妹の部屋に足を踏み入れた店長は溜息を吐く。

 腐女子という単語は帰り道で聞いたばかりだが、裸のイケメンが抱き合うグッズを見せられたら友達も困るということだけは理解できた。

 

「アウトかセーフで言ったら?」

「馬鹿だ」

「バッサリですね」

「こういう趣味は、万人には受け入れられないもんだ」

 

 受け入れる人がいること自体、正直驚きです……いや、否定はしませんけど。

 話を聞けばこの作品も元々は健全なスポーツアニメだったらしいが、何でもこうしたカップリングで有名になり今では腐女子御用達らしい。

 店長が推測するに恐らく友人がこのアニメを知っており、裏事情も知っていると勘違いした天海が自爆した可能性が高いとのこと。全く何をしているんだか……。

 

「俺にも似た経験は有りだ」

「流石店長!」

「そこに痺れる憧れる……だ」

「?」

「はあ……しかし事態は深刻だ」

「えっと、とりあえず解決策はあるんですよね?」

「俺の考えた方法は三つだ」

 

 店長が三本の指を立てる。

 

「一つ目は、時間経過による解決法だ。手間が掛からないで済むが、噂が収まらない場合は卒業まで一年半の長期間を耐える必要があるのが難点だ」

 

 何だか見ているこちらが居た堪れない気分になりそうだ……却下。

 

「二つ目は、相手も同族に染め上げるんだ。俺は基本的にこの手法だが、流石に腐らせるのは難解だし女相手は面倒だ」

 

 既に相手は天海もといBLに対して嫌悪感を抱いているだろうし、知識ゼロの自分がマイナススタートからプラスにまで持っていくのは難しい……却下。

 

「三つ目は、お前がオタクになることだ」

「…………はい?」

「それも常軌を逸した、変なオタクだ」

 

 流石に今回ばかりは店長もお手上げか。

 そう思っていた矢先、突拍子もないアイデアを言われて耳を疑い聞き返す。

 

「まあ落ち着いて聞け……お前が異常なオタクになれば、周囲の視線は妹からお前に集中だ。そして兄妹揃ってキモいだのオタクだの蔑まれること確定だ」

「悪化してんじゃないですかっ!」

「ここで問題だ。何故オタクは蔑まれるんだ?」

「…………オタクの事件が報道されて、犯罪者予備軍と思われてるから?」

「それもあるが、一番の原因はコミュニケーションだ。という訳でオタク三銃士を連れてきたよ……だ」

「オタク三銃士?」

 

・挙動不審で、知らない人とはまず会話が出来ない奴。

・オタク以外にも平気でマニアックな話題を振る奴。

・三次元の女性にも興味が有り、相手に合わせた話題を持ち掛ける奴。

 

「オタクにも色々いるが、蔑まれるのは自分の趣味を優先する奴だ」

「成程」

 

 さしずめ店長は三番目の奴だろう。

 彼女はいないが友人は多く、周りから慕われており頼れる存在だ。

 

「まあこれを直接妹に伝えたところで、兄貴面するなと言われるだけだ。だからこそお前が身を持って実践することで、解決方法を妹へ見せるべきだ」

 

 昔からの付き合いだけあって、双子というものを良く分かっている。

 オタクになるなんて考えたこともなかったが、試す価値はあるかもしれない。目の前にいる手本のような先輩を見ると、馬鹿らしい提案もまともに聞こえてきた。

 

「この手の虐めをエスカレートさせず止めるには、反応せず無視し続けて相手を飽きさせること……そしてオタクだろうと、第三者が尊敬できるような力を持つことだ」

「店長……」

「という訳で布教活動開始だ。俺が今から持ってくるDVDを明日までに全部見るんだ。一クール五時間で見るとして二作品は見れる計算だ」

「明日までに十時間っ?」

「それから土日を使って、俺みたいなキャラ付けのための口調変更だ。それにソシャゲーもやってもらう……安心しろ、無課金で楽しめるやつだ。確か明釷は視力も下がり気味だったな……この際に眼鏡も購入だ」

 

 こうして火水木明釷もとい、ガラオタが爆誕する。

 最初はクラスメイトに笑われたが、徐々に冗談でないと理解するや否やドン引き。わかってはいたが天海の怒りも買い、挙句の果てに呆れられる始末だった。

 

「暫くの間は辛いだろうが、人間って奴は簡単に掌を返す生き物だ。お前は頭も良いから、蔑む奴らを見返すまでそんなにかからない筈だ」

「わかったお」

「結果が見れないのは残念だが、グッドラックだ」

 

 拙者を充分に調教……じゃなく仕立て上げた後で、店長は家を引っ越した。

 まあ引っ越しと言っても、家は屋代学園の目の前。そして一年半後、屋代に入学した拙者は店長のいるパソコン部へと入部する訳で。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

『ゆうた希少種は力尽きました』

 

「三乙です」

「ドンマイだ。次が本番だ」

「明日から本気出す的な?」

「あー、声聞こえると思ったらやっぱノブセンいたの?」

 

 という回想からの我らが天海氏、ここで登場でござる。

 色々と苦労はしたものの、腐女子騒動は無事に解決。相撲取り呼ばわりを見返すため痩せた結果、良い感じに胸だけ脂肪が残りムチッとした妹が上手にできました。

 

「パイを付けろパイを……ノブ先輩だ」

「いやいや店長、既に充分付いてますしおすし」

「言っておくけど、兄妹でもセクハラよそれ?」

「フヒヒ、サーセン」

「はあ……衣替えしてから、パソコン部の連中も妙にチラチラ見てくるのよね。ああいうのって普通に視線でわかるんだけど、あれ何とかならないのノブオ?」

「俺に言われてもな……そしてノブ先輩だ」

「あーあー。何か他の部活でも探そっかなー」

 

 それなら何故パソコン部に入ったのか、コレガワカラナイ。

 まあ例の一件を経て、天海氏も少しは拙者を兄として尊敬するようになったと。

 

「紅一点がいなくなるのは残念だが、それも有りだ」

 

 不敵に笑いつつ応える店長……懸念事項は杞憂に終わったみたいですな。

 

「あ、そうそうノブセン。今年の冬にコスプレするから、また衣装お願いね」

「了解だ」

 

 相変わらず腐っている妹ですが、この一言をもって結びさせていただく。

 

『拙者の妹は、こんなにゾンビですが何か?』



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八月(上) 少女の日の思い出

(もも)、忘れ物してない?」

「お財布よ~し! 鍵よ~し! 櫻のパンツよ~し! 携帯よ~し!」

「ちょっと待って桃姉っ! 今変なのあったよっ?」

「そうね~。やっぱ実家の鍵は置いていこうかしら~」

「そこじゃないよっ? パンツっ! 桃姉、何でお兄ちゃんのパンツ持ってるのっ?」

「何でって…………無断で拝借してきたから?」

「ヴェエエエッ?」

「ほら桃、だから言ったじゃない。やっぱりお父さんのパンツにしておきなさい」

「お母さんまでっ?」

 

 うんうん、流石は私の妹。良い反応するわ~。

 

「あら、(うめ)には話してなかった? 女性の一人暮らしは下着泥棒とか変質者に狙われやすいから、洗濯した時に男物のパンツを一緒に干しておくといいのよ」

「はえ~。 そ~なんだ~」

「ね~。桃姉さんもお母さんから聞いてビックリよ~。後は櫻の靴履いてっと」

「はえ? それも何かに使うの?」

「あ~した天気にな~れっ♪」

「占いたかっただけっ?」

「冗談よ冗談。はいは~い。準備オッケーで~す!」

「夏だから食べ物に気を付けて。後はたまには顔出しに戻ってきなさい」

「了解了解♪ ではでは行って参りま~すっ!」

「梅も行ってきま~す!」

 

 ドアを開けた瞬間、むわっとした熱気……本当、あつはなついわね~。

 そんな真夏にも拘らず駅まで見送ってくれる優しい妹と共に、十八年間過ごした我が家を出発。今日から桃姉さんの一人暮らしが始まろうとしているのでした。

 

「梅も一人で暮らしたいな~」

「寂しがり屋の梅には難しいんじゃない?」

「そんなことないもん!」

「本当に~? 桃姉さんがいなくても、ちゃんとやっていける~?」

「やっていける!」

「毎朝お兄ちゃん起こしてあげられる~?」

「あげられる……って、そんなことするのっ?」

 

 うんうん、流石は私の弟。見送りしないせいで梅からの評価が下がってるわ~。

 

「だって桃姉さんいなくなったら、櫻に構ってあげる役がいなくなっちゃうじゃない」

「む~……でも桃姉が出発する今日だって起きない薄情者だし……」

「それは梅の起こし方が甘かったからよ~。軽く揺さぶる程度じゃなくて、上からボディプレスとか洗濯バサミ使うとか色々工夫しなくちゃ!」

「そっか! じゃあ色々やってみる!」

「うんうん。梅のそういう素直で優しいところは、昔の櫻にそっくりね~」

「はえ? 昔のお兄ちゃんって、こんな感じだったの?」

 

 幼稚園の話は、桃姉さん既に小学生だったから詳しく知らないの。ただ女の子みたいに可愛くて優しい子だったから、割とモテモテだったみたい。

 小学校一年生の頃は、もう水無月ちゃんとラブラブ。ご近所さんで食事に行った時も「さくらくんちゅき~」「みなちゃんだいちゅき~」ってイチャイチャよ。

 

「そりゃもう、虫も殺せないくらいに優しかったんだから~」

「牛っ?」

「虫よ虫。牛を殺せない優しさって、ただのベジタリアンじゃない」

 

 二年生になると少しヤンチャになった……っていうより、何事にも興味津々だった感じね。隙あれば質問ばっかりで、お母さんが大変そうだったわ。

 そんな櫻が初めて大きな壁にぶつかったのは、きっと三年生かしら。

 

「昔の櫻の話、聞く?」

「聞きたい!」

 

 今から七年前、夏休みに入るちょっと前のこと……桃姉さんの昔話、始まり始まり~。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ただいま~」

「お帰り~。桃、ちょっといい?」

「どうしたのお母さん?」

 

(あ、これ昔の桃姉? 可愛い!)

(でしょ~? 六年生で~す!)

 

「櫻が何か悩んでるみたいだから、話を聞いてあげてくれない? お母さんには話してくれなかったけど、桃なら話してくれるかもしれないから」

「わかった!」

 

(お母さん、何で悩みがあるってわかったの?)

(ただいまの一声を聞けば、何かあったかくらいはわかるんだって)

(何それ凄いっ!)

(本当、偉大よね~)

 

「何かわかったら、夜ご飯はエビフライ三本!」

「高速ダァッシュ!」

 

(…………偉大……だよね?)

(偉大よ~。まあ結局エビフライは二本だったのよね~)

 

「櫻~、どうしたの~?」

「…………」

「話してくれたら、このチョコバットをあげても――――」

「要らない」(ボキッ)

「バァ~~~ットッ?」

 

(うわ~、梅引くわ~)

(反抗期なら仕方ないわよ。梅だってこういう時期はあったんだから)

(え~? 梅は反抗期なんて無かったよ?)

(皆そう言うのよね~。ちゃ~んと梅にもあったって、お母さん言ってたわよ?)

(む~……それより、桃姉はこの後どうしたの?)

(勿論、櫻のことを一番良く知っている人に聞いてみました♪)

 

『ピンポーン』

 

「あ! ももちゃん! どうしたの?」

「櫻が悩んでるんだけど、水無月ちゃん何か知らない?」

「さくらくんが? うーん……何だろ?」

 

(ミナちゃんだ……って、口調が変っ?)

(昔はこんな感じだったのよ。髪の毛もまだ、梅よりちょっと長いくらいね)

(今は物凄く長いもんね)

(まあ実はその前に…………と、今は話の続き続き~♪)

 

「じゃあ何かわかったら教えてくれる?」

「うん! 私もさくらくんに聞いてみる!」

 

(昔のミナちゃん可愛い!)

(でしょ~? という訳で、水無月ちゃんが一晩で調べてくれました)

(早っ! ミナちゃんって、昔から桃姉を凄く慕ってたよね)

(言われてみれば、何でかしら? まあまあ、話は進んで翌日よ~)

 

『ピンポーン』

 

「はいは~い。あら水無月ちゃん」

「ももちゃん……さくらくんが落ち込んでる理由、わかったよ」

「本当っ?」

「うん……わたしのせいなの」

「?」

「ドッヂボールで、友達に要らないって言われちゃって……」

 

(桃姉、どゆこと?)

(梅はトーリッチって覚えてる? ほら、二人の代表がジャンケンするやつ)

(うん! 覚えてる! メンバーを一人ずつ選んでいくあれでしょ?)

(そうそう。ああいう取り合いジャンケンって最後まで残されるだけでも傷つくのに、櫻は戦力外通告されちゃったのよね~。それも女の子相手に!)

(お兄ちゃん、弱かったの?)

(梅はまだ一年生だったから覚えてないか~。近所で遊ぶ時って基本的に走る遊びばっかりで、ボールはあんまり使わなかったでしょ?)

(リレーに高鬼、氷鬼、色鬼……本当だっ!)

(だからこの近所に住んでる子って、皆して脚だけは速くなったのよね~。たま~にドッヂボールもやったけど、櫻は投げるのも取るのも苦手で逃げてばっかりだったの)

 

「でもそれが、どうして水無月ちゃんのせいなの?」

「普段はその友達と私がジャンケンするんだけど、昨日の昼休みは私がウサギ小屋に行ってて……それで……」

 

(櫻の弱さが浮き彫りになっただけなのに、本当に優しい子よね~)

(ミナちゃんはドッヂボール強かったの?)

(桃姉さんや梅と一緒で、水無月ちゃんは球技得意だったわね~。それに小学校中学年の頃は、身体の発達の関係で男の子より女の子の方が強かったりするのよ)

(はえ~。そ~なんだ~)

 

「それじゃあ櫻を強くしなくちゃ!」

「え?」

「ドッヂボール! 櫻が取り合いになるくらい強くなれば、万事解決でしょ?」

「で、でもどうやって?」

「特訓よ! 桃姉さんと水無月ちゃんで、櫻を鍛えるのっ!」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「まあこんな感じで、櫻は優しい子から強い男の子になったのでした!」

「ぱちぱちぱちぱち~」

「梅も困ったことがあったら、一人で悩まずに相談しなくちゃ駄目よ?」

「うん、わかった!」

 

 まあこの話、実は続きがあるんだけどね~。

 残念だけどタイムアップの梅とは改札でお別れ。階段を下りるとホームには丁度良く電車が待機中……この炎天下の中で待たずに済んでラッキーラッキー。

 

「あら?」

「ん……やあ、桃ちゃんじゃないか」

「これまた凄い偶然ね~。水無月ちゃん、夏休みなのに今日も学校?」

「部活さ。文化祭も近いからね」

「確か……陶芸部!」

「正解だよ。そう言えば桃ちゃんは、今日が旅立ちだったかな」

「そうなのよ~」

 

 腰の辺りまで伸びる、長くて綺麗な黒髪。

 そんな水無月ちゃんだけど、物凄く髪を短くしていた時期があるの。

 それが小学三年生。

 櫻が悩んでた原因は、ドッヂボールの他にもう一つ。男女を意識し始める第二次性徴期に、水無月ちゃんと一緒なのは男友達から仲間外れにされる原因だったみたい。

 お母さんも桃姉さんも、それには気付かなかった。

 最初に気付いたのは、勿論この子。

 

『みなちゃんっ? その髪、どうしたのっ?』

『別に、どうもしてないよ。それよりさくらくん……じゃなくて、櫻』

『えっ?』

『これからわた……ボクを呼ぶ時は、みなちゃんじゃなくて呼び捨てにするんだ』

『話し方も変だよっ!』

『別におかしくなんてないさ。さあ、今日も特訓しようか』

 

 健気な女の子にここまでさせるなんて、我が弟ながら本当に罪な男よね~。

 でもそんな努力の甲斐あって、ミナちゃんは男子グループに溶け込んだみたい。二人で一緒に夏祭り行ったりもして、本当に仲良しだったわね。

 

「何を笑っているんだい?」

「さ~、何ででしょうか~?」

「桃ちゃんは相変わらず何を考えているかわからないね」

「あらあら~。そんなことないわよ~」

 

 二人が疎遠になり始めたのは、四年生の終わりの頃だったかしら?

 桃姉さんは中学生になってたし、そこから先はあまり知らないの。ただその頃から今に至るまで水無月ちゃんはずっと髪を伸ばし続けてる……きっとまた困り者の弟が何かしでかしたんでしょうね。

 

「それじゃボクは失礼するよ」

 

 棒付き飴を咥えた水無月ちゃんとは、屋代に着くとお別れ。わざわざ振り返って発車するまで律儀に見送ってくれる辺り、この子は本当に優しい子よね~。

 だから桃姉さん、ドアが閉まる直前で言っておきました。

 

「水無月ちゃん。私がいない間、梅と櫻のこと宜しくね~♪」

 

 物凄く何か言いたげな顔をしてたけど、桃姉さん知~らないっと。



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八月(下) 櫻取物語

「今日は忙しい中、ありがとうございました」

「……ました」

 

 八月も終わりが近づいてきたけれど、まだまだ暑い日は続く。

 元気に蝉が鳴いている中、今日は部員全員で陶芸部の大掃除。協力してくれた先輩達にお礼を告げて、綺麗になった部室に残っているのはボクと音穏だけだ。

 

「……ミナ、お疲れ」

「ん、音穏もお疲れ様」

 

 伊東先生に差し入れされた、お茶のペットボトルで乾杯する。

 中学の頃は部室なんてものが無かった。

 一応バスケ部には体育館の隅にある一畳サイズの小部屋が与えられていたけれど、大掃除なんてする機会はなかったし物が散乱していてボクは使わなかったかな。

 

「……どうかした?」

「いや、これからが大変になると思ったのさ」

 

 先輩達は夏期講習の合間を縫って手伝いに来てくれた。それどころか受験生にとって忙しくなる時期なのに、文化祭の販売までサポートしてくれたらしい。

 理由はボクと音穏が販売未経験の一年生であり、陶芸部には二年生が一人もいないため。そして先輩が引退した後に陶芸部へ残るのも、ボク達二人だけだ。

 

「音穏は明日筋肉痛になるんじゃないかい?」

「……(コクリ)」

「普段の活動をする分には何一つ問題ないけれど、大掃除や文化祭は人手がいるね」

「……部員欲しい」

「来年の勧誘には力を注ぐとして、当面の問題は冬の大掃除かな」

 

 一台につき四十キロ近い電動ろくろが十二台……普段は遊んでばかりの頼りない橘先輩だけれど、あの人がいなかったら正直もっと時間が掛かっていたと思う。

 必要なら冬も呼べとは言っていたけれど、流石にセンター試験前とかに呼ぶのは気が引ける。だからといって伊東先生に迷惑を掛けるのは申し訳ない。

 

「ふむ、男手か……」

 

 クラスで頼りになりそうな男子は……あまり当てにしない方が良さそうかな。

 ただ来年に部員が入る保証もない以上、対策を打つなら早いに越したことはない。

 

「音穏のクラスには、陶芸部に入ってくれそうな男子はいるかい? 部活に入っていないとか、転部や兼部を希望しているとか」

「……いるけど、私よりミナから言った方が良い」

「音穏は人見知りだからね。ただ面識があるならまだしも、顔も名前も知らないボクが教室に乗り込んで陶芸部に入ってくれなんて頼んだら相手も困るさ」

「……面識ならある」

「どういう……ああ、そういうことかい? 何を言っているのかと思ったけれど、そう言えばボクも知っている相手が一人だけいたね。すっかり忘れていたよ」

 

 米倉櫻。

 ボクの幼馴染……いや、馴染んではいないから幼知人かな。

 

「中学時代も帰宅部だったけれど、高校でも帰宅部なのかい?」

「……多分」

 

 屋代には陶芸部みたいに、他の学校にはない部活が沢山あるのに勿体ない。そんな消極的だと、また根暗なんてあだ名を付けられても仕方ない話だね。

 

「音穏。彼には期待しない方がいい」

「……何で?」

「まず飽きっぽいし、いい加減で、何より陶芸なんて柄じゃない。仮に入ったところで幽霊部員が関の山……長続きせずに退部するのがオチさ」

「……そうなの?」

「普段の様子を見て、そう感じなかったのかい?」

「……数学の時間に居眠りしてた」

「変わらないね」

「……でも、先生に指された問題は解けてた」

 

 そういえば数学棟のランキングに貼り出されていたかな。中学の頃から数学だけは得意だったからね……苦手だった英語辺りは、きっと今でもズタボロだろう。

 

「……ミナ、嫌いなの?」

「少なくとも、好きではないかな」

「……なら諦める」

 

 肩を落とし項垂れる音穏を見て、少し複雑な気持ちになる。

 確かに受験期は頑張っていたようだけれど、そんなのは当たり前のこと。マイナスからゼロに戻っただけの相手を褒めるべきじゃないだろう。

 そして何より、ここまで部員に期待している音穏をぬか喜びさせたくはない。

 

「そのうちフラっと誰か来るかもしれないさ。さて、そろそろ帰ろうか」

「……うん」

 

 気休めの言葉を口にした後で、ボク達は陶芸室を後にする。

 それにしても音穏から櫻の話が出るとは思わなかった。クラスで過ごしている彼は、部活に誘っても良いと思えるくらいには成長……いや、回帰したんだろうか?

 

「…………」

 

 夜になって、ボクは梅君に連絡を取った。向こうからメールはちょくちょく届いていたけれど、こちらから話を振るのは随分と久し振りかもしれない。

 

『桃ちゃんがいなくなって、変わったことはあるかい?』

『オカズの量が増えた!』

『それは何よりだね。櫻はどうだい?』

『相変わらず毎日ゴロゴロ。漫画読んでゲームばっかり!』

 

 夏休みに限らず、普段の平日や休日もそんな感じなんだろう。もしかしたら桃ちゃんがいなくなったことで、一層エスカレートしている可能性すらある。

 

『あ、でも今日は必死に勉強してたよ!』

『それは梅君と同じで、夏休みの宿題をやっていなかっただけじゃないのかい?』

『何でわかったのっ? ミナちゃんエスパータイプっ?』

『自分ではノーマルタイプのつもりだよ。勉強中に邪魔をしてすまなかったね』

『発明が舞い降りな~いっ! 創意工夫が浮かばな~いっ!』

『また面倒な宿題を残したね』

『良い風景が見当たらな~いっ! 本の感想が思いつかな~いっ! ワークが見当たらな~いっ! 研究しない自由が欲しい~っ! 助けてミナえも~ん!』

『諦めよう』

『試合終了しちゃった!』

『全く何をやっていたんだか……ボクと話している暇があるなら、次期部長としての面目が潰れないように一つでも宿題を消化するべきだよ』

『了解であります! それじゃ、梅梅~』

 

 昔は家に招かれて付き合わされたけれど、ここ数年はそんなこともなくなった。

 付き合うと言っても、当然ながらボクが宿題をする訳じゃない。せいぜい発明やら感想を引き出すアシストと、勉強する環境作りもとい監視役を引き受けるだけだ。

 

「…………」

 

 そう考えると期限に追われているとはいえ、自分でやっている櫻はまだマシ……いやいや、それはいくらなんでもハードルが低すぎるかな。

 こんなことで悩むくらいなら、せっかく買ったキャットタワーでアルカスを遊ばせる方法を考えた方が良さそうだ。全く、いくらなんでも無関心すぎないかい?

 

「よしよし良い子だ。おいでアルカス」

「にゃーん」

「やれやれ。キミも困った奴だね」

 

 本当、誰かさんにそっくりだよ。

 二学期が始まって、登校の際に偶然ボクと出くわした誰かさんとね。

 

「やあ」

「よ、よう」

 

 半袖のYシャツに身を包んだ、冴えない顔の男子生徒。斜め向かいの家から姿を現した彼こそ、梅君の兄である米倉櫻だ。

 ボクより少し大きいけれど高校男子としては平均的な身長に、大して筋肉質でもない細身の身体。陶芸室にある電動ろくろを、一人で持ち上げられるかも疑わしい。

 

「キミにしては随分と早起きじゃないか」

 

 この半年間、登校時間が重なることは一度もなかった。

 まあ櫻は自転車通学でボクは電車通学。一緒に居合わせるのは一分足らずだ。

 

「最近、梅の奴に毎朝起こされるんだよ」

「成程ね。それは何よりだよ」

 

 先日騒いでいた夏休みの宿題も無事に全部終わったと連絡が来たし、桃ちゃんがいなくなって自立したのは梅君の方だったかな。

 

『水無月ちゃん。私がいない間、梅と櫻のこと宜しくね~♪』

 

 …………全く、桃ちゃんは昔から本当に変わらないね。

 何も考えずに言ったのか、ああ言えばボクが気に掛けるとわかっての発言か。いつぞやドッヂボールを特訓した時も、企画だけしてボクに任せきりだったじゃないか。

 まあそれでも色々と世話にはなったし、借りは返しておくべきかもしれない。

 

「な、何だよ?」

 

 自転車に跨った姿をジーっと見ていると、櫻が気まずそうに尋ねてくる。

 

 

 

「………………キミは暇だろう?」

 

 

 

 一体何から話すべきか考えた結果、そんな言葉が口から出ていた。

 ポカーンとした表情を浮かべられたが、ボクは構わず話を続ける。

 

「梅君から聞いているよ。家に帰った後はゲームに漫画。少しは部活に入るなりアルバイトでもするなり、何かしら貢献したらどうだい?」

「バ、バイトなら……コンビニとか、そのうち――――」

「するとは思えないからボクから提案だ。陶芸部に来ないかい?」

「へ……?」

「こちらも少し人員が不足していてね。ああ、別に答えは今すぐじゃなくて構わないよ。寧ろ仮に来るとしたら、文化祭が終わった後にしてくれる方が助かるかな」

「いや、えっと……」

「興味があるなら詳しい話はキミのクラスにいる音穏……冬雪君から聞くといい」

「ふ、冬雪……?」

「まあキミがバイトを始めて忙しくなるなら、ボクは別に構わないけれどね。ただ家で毎日ゴロゴロするよりは部活動でもする方が、誰がどう見ても得策だと思うよ」

 

 これだけ釘を刺せば、少しは真面目にバイトを始める気にもなるだろう。

 仮に陶芸部へ来るなら、それはそれで構わない。音穏の期待を裏切って幽霊部員になっても、ボクとしては大掃除の時だけ協力してもらえればいい話だ。

 

「繰り返すようだけれど、キミは暇だろう?」

 

 もしも櫻が真面目に陶芸をしたら?

 それでもボクは今までと変わらず過ごすだけ……監視役を引き受けるだけさ。



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十月(上) ムチムチの喜

「あの相生って子、ユメノンにホの字だったりするんじゃない? 本当はきっと「僕と一緒に行かない?」って渡すつもりだったかもしれないわね」

「ミズキってば、すぐそういう方向に考えるんだから。それより音楽部どうだった?」

「あー、ちょっと堅苦しくて無理っぽいわ。もっと緩い部活じゃないと」

「緩い部活……一つ知ってるけど、行ってみる?」

「どこどこ?」

「陶芸部」

 

 芸術棟の四階から一階へ階段を下りるアタシ達。ここって工芸とか選択してないと、図書室に用事でもない限り足を踏み入れる機会は滅多にない場所よね。

 

「ユメノン、よく陶芸部なんて知ってたわね」

「前にしたボランティアの話、覚えてる?」

「ああ、ウチの兄貴も一緒に行ったっていう幼稚園のやつ?」

「そうそう。その時に一緒だった地元の友達が陶芸部だって聞いて、どんな場所か気になったから一回見学したの。あ、部室はそこだから」

「ふーん」

 

 こう言っちゃなんだけど、何だかジメジメしてそうな場所ね。

 そんでもって中からカツンカツン聞こえるんだけど、陶芸ってこんな音するの?

 

「中々やるね」

「なんの、まだまだっ!」

「…………」

 

 えっと……陶芸ってあれよね? 湯呑とか皿とか作るやつよね?

 開きっ放しだったドアから覗いた結果、中でやってるのはどこからどう見ても卓球。紹介したユメノンも目を丸くした後で、何か物凄く複雑そうな表情してるし……。

 

「!」

 

 あ、ジャージ着てる女の子がこっちに気付いた……ってかあの子、髪の毛を縛ってるから一瞬わからなかったけど、Fハウスで何度か見たことあるわね。

 物凄く髪が長いから印象に残ってたのもあるけど、何より普通に美少女で綺麗だし。イメージ的に運動部かと思ったら、まさか陶芸部(仮)だったなんてね。

 審判をしてるボブカットの子は初めて見るけど、この子も中々に偏差値高いかも。ただ綺麗っていうよりは可愛いって感じで、マスコットとかそっち寄りかな。

 

「もらったぁっ!」

 

 豪快にスマッシュを決めた後で、男子がこちらを振り返る。うーん……何か普通に冴えない平平凡凡。女の子二人に対して釣り合ってない感が半端ないわ。

 

「こんにちは」

「やあ。これはまた、恥ずかしいところを見られたね」

 

(ちょっとユメノン、本当にここ大丈夫なの?)

(大丈夫大丈夫)

(馬ヘッドかぶってナックル付けた男とか、出てこなきゃいいんだけど……)

 

 文化祭とか新入部員勧誘でやるならまだしも、あそこは毎日がコミケ状態のお祭り騒ぎ。TPOを弁えてるのはノブセンくらいで、他の連中の大半が残念なのよね。

 

「陶芸部って、卓球もできるんだね」

「時間があるなら、ゆ……二人も遊んでいけば?」

 

 妙にたどたどしくて、ぎこちない喋り方をする男子。ユメノンのことを呼びかけて言葉を選んだっていうか、どう対応していいのか困ってるように見えるわね。

 

「ゴメン。私、この後アルバイトなんだ」

「えっ? ユメノン時間平気なのっ?」

「うん。まだ大丈夫」

「えっと……そっちの人は、音楽部の友達?」

「ううん、クラスメイトだよ。色々あって部活を探してるの。さっき音楽部も体験して貰ったんだけど、ちょっと合わなかったみたいで……ミズキ、良い声してるのに」

「あんな真面目な練習とか無理無理。アタシ、緩くないと駄目なタイプだし」

 

 当たり前だけど音楽は協調性が大切。パソコン部みたく好きな時に来て好きな時に休むってこともできないし、途中からの入部って時点でアウェーなのよね。

 それにアタシが求めてる部活って音楽部みたいにスポ根的な青春じゃなくて、もっとこうダラーっとする感じ? 例えるなら奉仕部とか、隣人部とか、GJ部とか、ラノベ部とか、ごらく部とか、帰宅しない部とか、合唱ときどきバドミントン部とか、木工ボンド部とか、ちくわ部とか、囲碁サッカー部とか、さばげ部とか、SOS団とかね。

 

「……体験する?」

「体験って、まさか卓球の?」

「卓球が嫌なら、バドミントンかビリヤードでも――」

「……ヨネ」

「ごめんなさい冗談です」

 

 冗談半分で聞いたつもりだったんだけど、ちょっと待って。バドミントンはともかく、ビリヤードって何? ここって本当は陶芸ときどきゲーム部なの?

 

「……体験は粘土練ったり、ろくろ挽いたり」

「あー、えっと、今日は遅いし見学って感じでお願いできれば」

「……じゃあヨネと一緒に見せる」

「へいへい」

 

 黒髪ロングの子とは随分楽しそうに卓球してたし、こっちの子にもこの反応。別に女子慣れしてないって感じでもないし……やっぱりさっきのは何か違和感あるわね。

 

「ボクとの勝負は後回しになりそうだね」

 

 ちょっと待って、今ボクって言ったっ?

 てっきりただの美少女と思ったけど、これでボクっ娘とか点数高いじゃない。

 

「ん? 0―1で俺の勝ちだろ?」

「音穏。悪いけれど、櫻を少し借りてもいいかい?」

「……駄目」

「ふっ、モテる男は辛いな」

「えっと、アンタら三人ってそういう関係なの?」

「「……違う」ね」

 

 否定されると余計に怪しく見えるんだけど、コイツってそんないい男かな? エプロン姿も似合ってないし、これならさっきの相生……オイオイの方が良いと思うけど。

 

(ユメノン、三人とも知ってるの?)

(うん。米倉櫻君に、阿久津水無月さん。それに冬雪……音穏さん)

(ふーん)

 

 一人だけうろ覚えだったみたいだけど、個人的にはあの子が一番覚えやすいわね。無口キャラってリアルだと貴重だし、兄貴が好きなヨンヨンに少し似てるかも。

 とりあえずあだ名はネックにツッキー、ユッキーって感じで。

 

「……まず荒練り」

「あいよ」

「…………」

「……じゃあ菊練り」

「はいよ」

 

 危ない危ない、菊って言葉に反応するところだったわ。でも菊練りがあるなら薔薇練りとか百合練りも……って、そんな話を振る相手は流石にいないか。

 ユッキーみたいな子が隠れ腐女子ってパターンは多いけど、鞄を見る限りそれらしいグッズは見当たらないし、それに無口だけど根暗って感じじゃないのよね。

 

「…………」

 

 当たり前だけどハーレムなんてこともなし……と。

 真面目に陶芸を教えてるユッキーに、男には全く興味なしで推理小説を読んでるツッキー。寧ろアイツを食い入るように見てるのはユメノンの方ね。

 てっきり地元の知り合いってツッキーかと思ったけど、何かそんな様子でもないし……でもそうなると、ネックの方が知り合いってこと?

 

「それじゃあ、私そろそろ帰るね」

 

 陶芸部の面々へ別れを告げるユメノンだけど、ポケットへ手を伸ばしかけていたのをアタシは見逃さない。その中に入ってるのが、さっき貰ったチケットだってことも。

 結局その後は普通に見学したけど、顧問が緩いとか最高。陶芸も面白そうだし入ろうかなと思ってたら、夜にユメノンからSNSが届いて思わずニヤリよ。

 

『陶芸部どうだった?』

『うん、中々に良い感じ!』

『良かった。ミズキって日曜空いてる?』

『空いてるけど?』

『それなら映画行かない? 彼女の名は』

『行く行く! でもいいの?』

『何が?』

『その割引券、本当はネックに渡そうとしたんじゃない?』

『ミズキってば、すぐそういう方向に考えるんだから』

 

 本人は隠してるつもりかもしれないけど、傍から見てると結構バレバレなのよね。

 まあアタシの勘違いかもしれないし……なーんて思ってたら、映画館でネックとエンカウント。まさか一緒に映画見て、喫茶店まで行くとは予想外だったわ。

 それで米倉兄妹と別れた後は、ユメノンと一緒にショッピング。洋服とかアクセとか見た後で、フードコートで休憩中にネックとの関係を色々教えてもらったの。

 

「――――――――私、米倉君に嫌われてるのかな?」

「何でそう思うのよ?」

「私に対する米倉君の接し方、何かぎこちない気がして……」

「いやいやいや、気のせいでしょ。ユメノン考え過ぎだってば」

 

 一応フォローしてみたものの、それアタシも気になってたのよね。

 聞いた話から察するに、ユメノンはツッキーに引け目を感じてる。だからチケットも渡せなかったし、ネックの反応の件も相俟って自信を失ってるみたい。

 アイツが何を考えてるのかはわからないけど、陶芸部に入ることだし直接聞いてみるのが手っ取り早そう……一応兄貴も何か知らないか聞いてみようかな。

 

「うーん、でもネックかー」

「どうかしたの?」

「いやいや、こっちの話。アイツって別に恰好よくないし、映画見て泣くし、こう言っちゃなんだけど………………何かパッとしなくない?」

 

 本当は「姉と一緒に映画見るとか、シスコン入ってない?」って言おうとしたけど、よくよく考えたらアタシもこの映画は兄貴と一緒に見たんだっけ。

 

「そんなことないよ」

 

 好きな相手をイマイチ呼ばわりされたからか、少し不満そうなユメノン。こんな可愛い子から一途に思われてるなんて、アイツなんかには勿体ないわね。

 

「じゃあユメノンの知ってる、ネックのいいところって何?」

「米倉君のいいところはね――――――――」



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十月(下) 注文の多い陶芸部

 問、以下の質問に対してYESかNOで答えよ。

 

・共通編

 一、自分の苗字か名前が珍しい

 二、顔面偏差値は平均以上だと思う

 三、髪の色が黒以外だ

 四、誰にも負けない趣味・特技がある

 五、一人暮らしである。または実家暮らしだが両親は家にいないことが多い

 六、少人数の文化部に所属している

 七、通っている学校が他にない特色を持っている

 八、男の娘や雄んなの子の知り合いがいる。または自分自身がそうだ

 九、彼女(彼氏)いない歴=年齢だ

 十、財閥や理事長の子、アイドルや飛び級といった特別な生徒がいる

 

・男性編

 一、妹がいる

 二、幼馴染(幼稚園からの付き合い)がいる

 三、母親がかまってちゃんだ

 四、担任または部活動の顧問が若い女性だ

 五、料理ができる

 六、独り言が多い

 七、筋肉質ではない

 八、同性より異性の友人の方が多い

 九、物事に対して消極的または鈍感だ

 十、高校生になってから女子と一緒に出かけたことがある

 

・女性編

 一、身長が平均より低い

 二、バストがE以上だ

 三、アイドルには興味がない

 四、髪を下ろしたら腰より下まである

 五、大食いだ

 六、面倒見がいい、または世話焼きだ

 七、つい暴力を振るってしまうことがある

 八、同級生の男子に水着姿を見せてもOK

 九、更衣室以外の場所で着替えたことがある

 十、腐女子やレズ、エロゲー好きなど人に言えない趣味嗜好がある

 

 

 

「火水木クン。これ、教師編はないんですかねえ?」

「無いわね。イトセンは若いから今の自分でやってみても大丈夫そうだけど、まあ基本的に大人は高校生だった頃を思い出してやって頂戴」

「では、伊東は珍しい苗字に入りますか?」

「却下よ。伊東は伊藤判定もあるから、クラスにいそうなのはアウト」

「厳しいですねえ」

 

 はい皆さん、どうもおはこんにちばんは。本日の進行役を務める伊東先生です。

 今回の舞台は休日の陶芸室。ハロウィン前に作品を100個作ろうとする火水木クンに呼ばれた時の話ですので、出てくる女の子は一人だけなんですねえ。

 今までに比べると華が少ないかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると助かります。先生、面白おかしくなるよう頑張って話しますので。

 

「共通編と男性編、答えるのは全部合わせて二十項目でしょうか?」

「そそ。一問につき5点だから」

「先生、共通の九と男性の七しか当てはまりませんでした」

「10点とか余裕で失格ね」

「道理で先生、青春できなかった訳です」

 

 ちなみにこれは何かと言うと、火水木クンが作った『ラノベチェッカー』だそうです。自分がラノベの登場人物にどれだけ相応しいかわかるらしいですよ。

 テスト前なら仕事も沢山あったんですが、今は比較的余裕のある時期。事務作業もなくボーッと眺めていたら、暇ならやってみてよと渡されちゃいました。

 

「一応参考に学園ラブコメの男主人公を三人くらい調べたけど、主人公Rは65点、主人公Hは75点、そんでもって主人公Kは90点だったわね」

「しかし高校生云々というより、環境的な問題が多いですねえ。特に苗字や名前なんて改名するしか方法がないと思うんですが、そんなに重要なんでしょうか?」

「重要よ! 最重要事項よ!」

 

 削り作業を一旦止めた火水木クンは黒板へ。何かと思えば、チョークを手に取るなり『十六夜 小鳥遊 比企谷 都築 帝野』なんて書くじゃありませんか。

 さてさて皆さんに問題です。この五つの苗字、全て読めますか?

 

「はいイトセン、読んでみて」

「イザヨイとタカナシだけ読めますねえ。その次は……ヒキタニでしょうか?」

「それぞれヒキガヤ、ツヅキ、ミカドノよ。後は漢字は忘れちゃったけど、キリンヅカとかジュウリンザカ、それにウツリギなんて苗字もあったわね」

「何だか駅名みたいですねえ。先生も教師ですから、よく読めない名前とかに悩まされます。火水木クンも珍しい苗字ですし、間違えられませんか?」

「水木って苗字があるから間違いは少ないけど、悩んでる人を見かけることは多いわね。ウチの兄貴はこう書いて明釷って名前だから、もっと苦労してるみたい」

 

 再び削り作業に戻る火水木クン。最初は一切喋らず黙々とやってましたが、今では上達して作業に慣れたため話しながらやるくらいに余裕みたいですねえ。

 

「ちなみにアタシは45点。でも最近二つ増えたから今は55点ね」

「おお、凄いじゃないですか」

「まあいくら点数高くても無理無理。アタシみたいなの好きになる男なんていないし、ヒロインになるようなタイプじゃないって自分で一番よくわかってるから」

「そんなことはありません。見ている人は見てくれていますよ」

「ありがとイトセン。でも今は主人公とヒロインの恋愛を陰でサポートする、名脇役って感じの立ち位置に満足してるからいいの」

「確かに人の恋路を応援するのも青春ですねえ」

 

 先生も昔は『高校生』というものに夢を見ていた気がします。

 

 

 

 屋上が常に開放されてて。

 購買でパンを奪い合って。

 髪とか服装が自由で。

 保健室をいかがわしいことする為に使うカップルがいて。

 俺次サボるわーとか言って。

 テストの一位は常にチャラいイケメンで。

 文化祭にはベストカップル賞がある。

 

 

 

 …………まあ現実は、何一つそんなことはなかったんですけどねえ。

 

「入学前は自分で部活を作ろうとか考えてたけど、そんなの現実的にできる訳ないのよね。あーあ、こんなことならもっと早く陶芸部に入れば良かったなー」

「パソコン部に青春は無かったんでしょうか?」

「オタサーの姫扱いはされたけど、何か違うのよね。。まあこれといって入りたい部活がないから、知り合いと兄貴がいるって理由だけで行っただけだし」

「青春できる部活は色々あると思いますけどねえ」

「じゃあイトセン、片っ端から言ってみてよ」

 

 

 

「火水木クンですと、テニス部とか似合いそうですねえ」

「滅びよ……」

 

「バスケ部も良いかもしれません」

「頭が高いぞ」

 

「では水泳部はどうでしょう?」

「俺はフリーしか泳がない」

 

「剣道部では?」

「あんこ入り☆パスタライス♪」

 

 

 

「どれもこれも元ネタが分かりませんが、運動部は却下ということですかねえ?」

「暑苦しい青春はちょっとね。今の時代は文化部よ」

 

 先生の頃は運動部が定番だったんですが、何ともジェネレーションギャップを感じちゃいます。友情・努力・勝利の時代は終わってしまったんですねえ。

 

 

 

 

「文化部と言われると、屋代ならやはり吹奏楽部でしょうか?」

「吹奏楽部が舞台のアニメが増えてきたら考えるわ」

 

「となると軽音楽部はどうでしょう?」

「放課後にティータイムがあればねー」

 

「美術部も王道ですねえ」

「絵はちょっと苦手なのよ」

 

「芸術なら写真部もありました」

「うーん、たまゆらは撮ってみたいかも!」

 

「後は英会話部とか」

「仮に帰国子女が来ても、カタコトの日本語で話してくれるでしょ」

 

「演劇部なんて」

「色濃いキャラが多くて辛そう」

 

「手芸・料理部」

「女子力(笑)がいそうだから却下」

 

「書道部」

「地味」

 

「茶道部」

「地味」

 

「華道部」

「地味」

 

「陶芸部」

「地味」

 

 

 

「酷いですねえ。先生、割とショックです」

「少なくとも入学時はそう思ってたからスルーしたわね。ただ部活の善し悪しって、どちらかというと活動内容より顧問の方が大切な気がしない?」

「確かにそうかもしれませんねえ」

「その点、イトセンは大当たりね。陶芸部だってカラオケ行ったりボーリング行ったり、家庭科室借りて料理回とか唐突なスポーツ回とかすれば充分青春できるし」

「青春に協力したい気持ちはありますが、できれば先生という立場上あまり無理な注文や無茶な行為は勘弁してほしいところですねえ」

 

 今日みたいな休日出勤も辛いんですよ。運動部の先生、いつもお疲れ様です。

 …………ただ、火水木クンの言いたいこともわかります。

 先生、自分が生徒だった頃は同じように考えてました。だからこそ教師になった今、できる限り生徒の望みを叶えてあげたいと思っていたりします。

 

「分かってるってば。だからこうして陶芸だってちゃんとやってるじゃない」

「火水木クン一人のために部室を開けるのは疲れますが、先生も皆さんのコスプレには興味あります。100個目指して頑張ってほしいところですねえ」

「まあアタシが頑張ってるのは、コスプレのためだけじゃないんだけどね」

「違うんですか?」

「言うならばヒロインのサポートを務める脇役の仕事って感じ? こうでもしないと、何を遠慮してるんだか陶芸部に顔出さないんだから……っと、でーきたっ!」

「おおっ! ついに100個目が完成ですかっ?」

「20個くらい削りで失敗したから、念のため30個くらい作り直しね。イトセン、まだ時間あるでしょ? 二、三回ろくろ挽くから、もうちょっとだけ宜しくねん♪」

「はあ……仕方ありませんねえ」

 

 大人になると、夢を見ることは難しくなります。

 何故なら夢を見れなくなる代わりに、夢を見せることができるからです。

 未来を担う若者の青春を守るため、今日も先生は名脇役としてサポートしましょう。頑張ってる火水木クンには、差し入れの一つでも買ってくるとしますかねえ。

 

 

 

 …………先生、今物凄く良いこと言ったと思いません?(台無し)



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十一月(中) 白い耳当て

「見て見て! このブレスレット良くない?」

「……作るのは難しい」

「何で作ろうとすんのよっ?」

「うん。ミズキのそれ可愛いね」

「どうしよっかなー…………決めたっ! 買ってくる!」

 

 今日は私にミズキ、それに冬雪さんと水無月さんの四人でショッピング。このメンバーで出かけるのは初めてだけど、今はアクセサリー屋さんで物凄く楽しんでます。

 

「マグネットピアス……ふむ。こんなのもあるんだね」

「あ、それこの前テレビでやってたよ。磁石で取り外しできるし安いから、まとめ買いして友達と分けあう子とかいるんだって」

「この手の類は付けるだけで肩が凝りそうだよ。夢野君は何か買わないのかな?」

「うん。私もこういうのは見る方が好きだから」

「それもショッピングの醍醐味だね。ん……音穏、まさかそれを買うのかい?」

 

 冬雪さんがボーッと眺めてるのはタトゥーシール。花柄とかハート、キスマークなんて付けてるイメージが全然沸かないけど、こういうの好きだったりするのかな?

 

「……陶器に描く模様の参考」

「「あー」」

 

 納得して声が重なる。思わず顔を見合わせて、二人して笑っちゃった。

 そんな私達を見て不思議そうに首を傾げる冬雪さん。本当に陶芸大好きなんだね。

 

「おっ待たせー」

 

 ミズキがブレスレットを買った後は次のお店へ。今日のメインは洋服だけど、気になるお店があったら寄り道……なんて言ってたら、早速あったみたい。

 

「すまない。少し寄ってもいいかい?」

「あ、私も見たいかも」

「いいわね。行きましょ!」

 

 という訳でペットショップへ。若干早足になった水無月さんが真っ先に向かったのは、店員さんに抱きかかえられている猫ちゃんの所でした。

 

「へー。猫も爪とか切るのねー」

「隔週に一度くらいかな。ウチにもいるけれど、これが中々に大変でね」

「水無月さん、猫飼ってるんだ」

「あ、あれでしょ? アルカス!」

「よく覚えていたね」

「ふふーん。まあ覚えやすい名前だし?」

 

 ミズキのことだから、またギリシャ神話とかそういう感じなのかな?

 動物は可愛いけど、私がペットを飼った経験は二回だけ。一回目は夏祭りの日に釣ってもらった金魚……まあ本当は釣ったんじゃなくて、網が破れても続けようとしたクラクラにオジサンがサービスでくれたんだけどね。

 そして二回目も米倉君から……でも思い出して貰える日はまだまだ先かな。

 

「……」

 

 猫に夢中の二人を置いて店内を見て回ると、小さなケージの前でボーっと眺めてる冬雪さんを発見。何を見てるのかと思ったら、ペットといえばこれも定番だよね。

 

「冬雪さん……っと、呼び方、雪ちゃんでもいいかな?」

「……(コクリ)」

「ふふ、ありがと。ハムスターかあ……昔、友達が飼ってたっけ」

「……羨ましい」

「雪ちゃんの家はペット飼ってないの?」

「……ない。ユメの家は?」

「私もいないよ。でもハムスターとか、飼ってみたいな」

「……もし飼うなら、あれ作る」

「あれって?」

「……あの陶器の家」

 

 そう言って雪ちゃんが指さしたのは、ハムちゃんが住んでるどんぐりのお家。もしかしてケージを眺めてたのって、そっちが本当の目的だったり?

 

「私も何か作ってみよっかな。やるとしたら陶芸じゃなくて手芸だけど」

「……手芸……編み物?」

「うん。後は羊毛フェルトとか」

「あー、いたいた。二人で何見てんのよー?」

 

 ミズキ達と合流してから他の動物も見て回りつつペットショップは終わり。その後も手芸用品に100均、スポーツ用品にCDショップと色々回っちゃった。

 

 

 

「できた! ねえねえユッキー、読んで読んで!」

「……あなたのはーとにもえもえきゆん❤」

「この平仮名ワッペンの並びを見た客が、SNSにでも投稿しそうな絵面だね」

「もうミズキ! お店の商品で遊ばないの!」

 

 

 

「……100均は掘り出し物が多い」

「わかる! でもちょっと見ないうちに、すぐ品揃え変わっちゃうのよねー」

「それに安いし、私もついつい色々と買っちゃうかな」

「日常的に使える便利な物も多いからね」

「ってことで山手線ゲーム! 今まで100均で買った物! はい、ユメノン!」

「へっ? えっと……可愛いキャンドルとか?」

「……ミニルーター」

「付箋かな」

「セクシーボンバー」

「「「アウト」」」

「何でそんな目で見るのよっ?」

 

 

 

「そっか。水無月さん、中学時代はバスケ部だっけ」

「バスケかー。体育の授業中にジャンプボールで突き指して以来、苦手なのよねー」

「……悲惨」

「後輩の誕生日が近いけれど、プレゼントに悩んでいてね」

「バスケでプレゼントと言ったら、やっぱり白バスグッズでしょ! バスケやってる女子で知らない子なんていないって!」

「そういえば私の妹も好きだって言ってたっけ」

「それが申し訳ないけれど、ボクは知らないんだよ」

「嘘ぉっ?」

「うーん……他にプレゼントって言ったら、リストバンドとかタオルとか?」

「……ダンベルなら作れそう」

「音穏は少し作るという発想から離れようか」

 

 

 

「ミズキ、何聞いてるの?」

「ユメノンも聞く? はい片耳」

「あっ! これ新曲のっ?」

「そうそう」

「…………」

「………………」

「二人で何を聞いてるんだい?」

「あ、ツッキー。はい、アタシの方あげる」

「すまないね」

「…………」

「………………」

「……………………♪~」

「くす」

「ん? どうしたんだい?」

「水無月さん、鼻歌で歌ってたよ」

「!」

「ついでに言うと、身体も動いてたわね。あ、ユッキーこっちこっち」

「……ミナ、どうかした?」

「何でもないよ。次に行こうか」

「……?」

「へー。ツッキーってば本当にポーカーフェイスねー」

「え? あれで恥ずかしがってるの?」

「顔が赤くなったりはしてないけど、かなり恥ずかしかったと見たわ。自分から話さない辺りがそうだし、心なしか若干早足だし。何か手にもメッチャ力込めてるし」

「「……成程」」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「それにしても、パーソナルカラーなんて初めて聞いたよ」

「私も雑誌で読んだだけだから、あんまり詳しくは知らないんだけどね」

 

 途中でお昼ご飯も食べて、結局洋服を買ったのは午後になってから。ボーイッシュな服ばっかり選ぶ水無月さんに、女の子っぽい服を皆で奨め合ったりしたの。

 その後も色々とお店を歩き回ったりして今は休憩中。ミズキと雪ちゃんがお手洗いに行ってる間、私と水無月さんはベンチで荷物番です。

 

「きっと水無月さんは白が似合うと思うんだけど……違ったらゴメンね」

「いやいや、勉強になったよ。ボク一人ならマネキンが着ている服をそっくりそのまま買うだけで、耳当てなんて買わなかっただろうからね。本当にありがとう」

 

 人には生まれ持って、雰囲気と調和する色があるんだって。

 その色がパーソナルカラー。本来はいくつかの質問に答えて診断するんだけど、不思議と水無月さんは白系が似合いそうって思ったの。

 

「夢野君は普段、一人で買い物に行くのかい?」

「ううん。妹と一緒のことが多いかな」

「妹がいるのは羨ましいね。ボクも兄妹が欲しかったよ」

「でも最近妹がよく梅ちゃんと連絡取ってるみたいで、事あるごとに水無月さんの名前が出てくるからお姉ちゃんみたいだって言ってたよ?」

「家が近所だったから、よく桃ちゃん……梅君のお姉さんも交えて一緒に遊ぶことが多かっただけさ。確かにボクに妹がいたら梅君みたいな感覚なのかな」

 

 名前は出ていないけれど、きっとそこには米倉君もいたんだと思う。

 私に桜桃ジュースをくれた、心優しい男の子。

 いつもバスを見送っていた彼は、遊びの時間になると必ず数人の女の子が一緒だった。きっと優しかったから、色々な子から人気だったのかもしれない。

 

「じゃあ、米倉君は?」

 

 悪戯半分で、そんなことを聞いてみる。

 でも水無月さんは顔色一つ変えずに、考える間もなくさらりと答えた。

 

「手のかかるペット……いや、弟かな」

「そっか。でも二人って本当に仲良しだよね」

「勘違いしないでほしいけれど、ボクと櫻は単なる腐れ縁だよ」

「気になったりしないの?」

「まさか。ただ前に一度、櫻を見て胸がチクっと痛んだことがあったかな」

「え? それって……?」

「手を胸に当てたら物凄く痛むんだ。不思議に思って服の中を見てみたら、名札の安全ピンが外れて内側に刺さっていたんだよ」

「………………ぷっ」

 

 思わず声に出して笑っちゃった。流石にそれは恋じゃないか。

 

「寧ろボクには、櫻が夢野君のことを気にしているように見えるけれどね」

「そんなことないよ」

 

 それはただ単に、私の出したクイズについて考えてくれてるだけ。ここ最近はコンビニに来てくれないけど、忙しかったりするのかな?

 ミズキは事あるごとに陶芸部へ誘ってくれるけど、米倉君に会いたいって理由で入るのもどうかと思う……前まではそう考えてたけど、待つだけは少し寂しい。

 

「水無月さんこそ、昔は凄く仲良かったでしょ?」

「昔の話さ」

 

 私が「水無月さん」って他人行儀な呼び方を変えられない理由がこれ。

 本当、あんなに仲良しだったのに何があったんだろ?

 

 

 

『さくらくんは私と遊ぶの!』

『今日は私と遊ぶって約束したもん!』

『え……えっと……』

『私の方が先!』

『私の方が先だったもん!』

 

 

 

 二人して櫻君櫻君って引っ張り合ったこと、水無月さんは覚えてるのかな?

 三人で遊ぶことも時々あったけど、その度に米倉君が困ってた気がする。でも卒園が近づいて、進学先の小学校が二人と違うって知った時はショックだったな。

 だから私はあの日、水無月さんに内緒でこっそり米倉君を呼んだの。

 

 

 

『さくらくん。みなちゃんと私、どっちが好き?』

『勿論、蕾ちゃん!』

『じゃあ私、さくらくんの彼女になる!』

『うん! いいよ!』

 

 

 

 思い返すだけで笑っちゃう、幼稚園児同士の約束。

 秘密基地に二人の相合傘があることを知ったのは、ボランティアを始めた後のこと。もしかしたら米倉君、同じ質問をみなちゃんにもされてたのかな。

 でもこうしてまた彼と出会えたのは、偶然じゃないって思ってる。

 

「……ただいま」

「さて、そろそろ帰り時かな」

「あ! その前にあっちにプリあったから、皆で撮りに行かない?」

「うん! 撮ろっか!」

 

 二人が単なる腐れ縁なら、もう悩まないし諦めない。

 私は米倉君が好き。

 みなちゃんには負けちゃったけど、水無月さんには負けないんだから。



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三月(下) 梅すびポロリンすっぽんぽん

「ミナちゃん見て見てっ!」

「何だい?」

「安心してください、穿いてますよ」

「一応言っておくと、最初にポーズを取った時点で下着が見えていたかな」

「む~。やっぱ練習しないと駄目か」

「誰に見せるつもりか知らないけれど、遊んでいるなら置いていくよ」

「あっ! 待って! 梅も行くっ!」

「何湯があるか楽しみね~」

 

 今日はミナちゃんと桃姉、それにお兄ちゃんと一緒にホビーショーへ遊びに行きました。まあ遊びに行ったのは梅だけで、桃姉達はアルバイトだったんだけどね。

 そいでお兄ちゃんがあまりに疲れてボロボロゾンビーだったから、梅が見つけたお風呂屋さんで休憩することになったんだよ。梅、偉いでしょ?

 

「夕食時だからか、車の数の割には空いているね」

「じゃあじゃあ、露天風呂行こっ?」

「はいはい、慌てない慌てない。走るとうっかり転んだ挙句、水無月ちゃんの巻いてるタオルに手が引っ掛かってポロリしちゃうわよん♪」

「一体どこの少年雑誌の主人公だい?」

「わ~い! 貸し切りだ~っ!」

 

 石造りの浴槽に、お茶みたいな色のお湯。うんうん、お風呂はこうで……あっ、この風呂、熱いっ! 掛け湯もそうだったけど、ここやたら温度が高いよ!

 

「あ~良い湯ね~」

「桃姉、熱くないのっ?」

「丁度いい温度じゃないか。梅君はまだまだ子供だね」

「む~。ていやっ!」

「ひゃっ?」

 

 前までミナちゃんの後ろ姿って言えばカーテンみたいに長い髪だったけど、今は短くなった上にまとめてるから細い身体がバッチリわかるんだよね。

 防御の薄い今がチャンスと、湯船に入ろうとするミナちゃんを後ろから羽交い絞め。そのまま腕を前に回して、タオル越しだけど胸を鷲掴みしてゲットだぜ!

 

「い、いきなり何だい?」

「うっしっし~。おっぱいの大きさならミナちゃんの方が子供だもんね~」

 

『ぶちっ』

 

 あれ? 今何か切れた音した?

 てっきり梅の手を振り払うのかと思ったけど、何故かガッシリ掴むミナちゃん。そしてそのままお風呂の奥へ……って、ちょっと待って。このままだと梅ヤバくない?

 

「ストップ! ミナちゃん、落ちるっ! 梅落ちちゃうっ!」

「お~。凄いわね梅。身体が30度くらいにまで斜めになってるわよ~?」

「ひょっとしてミナちゃんおこっ? 梅のこと嫌いになっちゃったっ?」

「そんなことはないさ。せいぜい呼吸しているのが気になるくらいだよ」

「生きてることがアウトっ? 熱っ! あっ! あっ! 話せばわかるからっ! せめて準備体操させてっ? まだ梅、心の準備が――――」

 

 

 

『パッ』←ミナちゃん、抑えてた梅の手を放す。

 

 

 

『ツルッ』←梅、ミナちゃんの身体に凹凸が無いせいで滑り落ちる。

 

 

 

『バシャン』←結果、頭から湯船にダイブ。

 

 

 

「ぶはあ熱っつぅぅぅぅういっ!」

 

 あまりの熱さに飛沫をあげて暴れつつ、ぴょんぴょん跳びはねてお風呂から脱出。うう……こんなことなら素直に下半身から少しずつ入ればよかったよ~。

 

「こらこら。おっぱいの一つや二つで喧嘩しないの」

「…………胸なんて大きくても負担になるだけじゃないか」

 

 湯船に浸かった後で不満そうにボヤくミナちゃん。何を見てるのかと思ったら、桃姉のおっぱいがお湯にぷかぷか浮いてた……はえ~、すっごい。

 

「ま~ま~。それより水無月ちゃん、今年の夏って忙しい?」

「時々部活には行くつもりだけれど、どうしたんだい?」

「梅の家庭教師、お願いできないかな~って?」

「はえ?」

「そういうのは本職に任せるべきじゃないかい?」

「梅の場合はカリスマ塾講師より、ミナちゃんの方が合ってるのよね~」

 

 そう言いながら、桃姉は濡れた指先で石に英語を書く。

 

『Unknown』

 

「はい問題です。これは何て読むでしょう?」

「ウンコなう!」

「とまあこんな感じなのよ」

「中二じゃまだ過去分詞はやっていないんじゃないかい?」

「じゃあ第二問」

 

『Hour』

 

「ホゥアーッ!」

「重症だね」

「あっ? 違うっ! 嘘嘘っ! アワーでしょっ?」

「正解だけど1ホゥアーしたからアウト~」

 

 普段は全部小文字だから見間違えただけだし。こんなの引っ掛け問題だよ!

 

「こんな調子で屋代を目指すって言うから困っちゃって。本当は桃姉さんが教えてあげたいんだけど、大学って夏休みの始まりが遅いのよね~」

「そもそもどうして屋代なんだい? 別に他にも高校はあるじゃないか」

「だってお兄ちゃん、物凄く楽しそうなんだもん! 中学生の頃は毎日つまんなそうだったのに最近は生き生きしてるし、部活で帰ってくるのも遅いし」

「櫻が変わったのは、別に屋代と大して関係ないと思うけれどね」

「それだけじゃないもん! 梅だってミナちゃんと一緒に遊びたい! パーティーやったりゲームしたり、ネズミースカイ行ったりしたんでしょ?」

「随分と話を聞いているみたいだね」

「えっへん!」

 

 ちなみにパーティーについてはお兄ちゃんからじゃなくて、蕾さんの妹かつバスケ仲間の(のぞみ)ちゃんから聞いたんだよ。話を聞いて屋代が楽しそうって思ってるのは私だけじゃなくて、望ちゃんも同じ気持ちみたい。

 

「まあ梅君がやる気なら付き合うよ」

「宜しくお願いします! ミナちゃん先生!」

「ありがとうね~。春休みの間は桃先生がビシバシしごいておくから……あ、そうそう水無月ちゃん。ついでに櫻の英語も見てあげてくれない?」

「そういうことなら断るよ」

「「え~っ?」」

 

 ようやくお風呂に肩まで浸かれたところで、衝撃のミナちゃん掌返し。まさか梅がおっぱい浮くかどうか調べてたからじゃないよね?

 

「どうしてボクが櫻の面倒まで見なくちゃいけないんだい?」

「だって幼馴染じゃない?」

「関係ないね」

「でも陶芸部でお泊まりした時には勉強教えてあげたんでしょ~?」

「質問に答えただけで、教えた訳じゃないさ」

「じゃあ今回もそれで宜しくねん♪」

「…………それはできない相談かな」

「どうしてよ~?」

「櫻のことを想っている相手ができたからさ。彼も満更じゃないみたいだしね」

「あっ! それってひょっとして蕾さんっ?」

 

 梅の名推理にミナちゃんが黙って頷く。望ちゃんには聞いてないけど、年末の頃からそうじゃないかと思ってたんだよね~。ひょっとして梅って天才?

 

「もっとも夢野君は夢野君で別の男子からアプローチを受けていて、それを櫻も知っているから彼女の気持ちに応えられずにいるようだけれど」

「蕾ちゃんか~。櫻には勿体ない相手よね~。でも蕾ちゃんが櫻のことを好きなのと、水無月ちゃんが勉強を教えるのを断るのって何の関係があるの?」

「ボクが櫻と一緒に勉強したと聞いたら、夢野君が複雑な気持ちになるじゃないか」

「でも水無月ちゃんは別に、櫻のこと好きじゃないんでしょ?」

「そうだね。恋愛感情は持ち合わせていないよ」

「なら良いじゃない。蕾ちゃんも勉強教えるくらい許してくれるってば~」

「ボクはそうは思わないよ」

 

 う~ん、何かよくわかんなくなってきた……って熱っ! ここだっ! お風呂の中にある、この変な所から滅茶苦茶に熱いお湯が出てるっ!

 

「じゃあ蕾ちゃんも交えて四人で勉強会とかなら良いんじゃない?」

「はあ……そんなに心配しなくても、櫻ならもう大丈夫さ」

「あら本当?」

「この半年間は桃ちゃんに代わって面倒を見てきたけれど、もう保護者役は必要ないくらい人並みにはなっているよ。寧ろボクはもう関わらない方が良いくらいさ」

「あらあら? どうして?」

「櫻がまたボクに好意を持ったらどうするんだい?」

「その時は水無月ちゃんが櫻と結婚!」

「冗談は胸だけにしてほしいね」

「え~? 桃姉さん的には有りだと思うんだけどな~」

 

 しまった! 桶でお湯の出てる場所を塞いで遊んでたら、話あんまり聞いてなかった! 何か結婚っぽい話してるけど、話題のビッグウェーブに乗らなきゃ!

 

「二人が結婚したら、梅はミナちゃんのこと何て呼べばいいの?」

「そうね~。義理の姉だから、呼ぶ時はお義姉さんかしら」

「お姉ちゃんになるのっ?」

「家族が増えるわよ。やったわね梅」

「やめてくれないかい? 考えるだけで頭が痛くなりそうだよ」

「でもミナちゃんって、言う程お兄ちゃんのこと嫌いじゃないよね」

「一体何をどう考えればそんな答えが出るんだい?」

「年末の時、蕾さんを梅に任せてお兄ちゃんの方に行ったから!」

「…………単に梅君の足だと追いつけないと思っただけだよ」

「む~。そんなことないもん!」

「どうだかね……さて、ボクはサウナに行ってくるかな」

「サウナ! サウナ勝負しよっ?」

「望むところだね」

「行ってらっしゃ~い」

「え~? 桃姉も行こうよ~?」

 

 露天風呂でのんびりしてた桃姉だけど、ミナちゃんが一人先にサウナへ向かった後で梅の耳元に接近。親指をグッと上げつつ、物凄く嬉しそうに話すの。

 

「梅、ナイス!」

「はえ? 何が?」

「うんうん、特に考えもなくて無意識な辺りが梅のいいところよね~。でも櫻が水無月ちゃんとか蕾ちゃんといい感じになりそうな時は邪魔しちゃ駄目よ~?」

「了解であります!」

「桃姉さんちょっといい気分だから、もう少しここでのんびりしてるわね~」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

「そいじゃ梅、行ってくるね!」

「ミナちゃんから勉強のコツ、しっかり聞いてらっしゃい」

「うん! 梅梅~」

「は~い。梅梅~」

 

 お兄ちゃんも去年は頑張ってたし、梅だって負けないもんね!




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の7章を楽しんでいただければ幸いです!


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7章:俺の後輩が真摯だった件
初日(水) 僕の初恋が夢野さんだった話


 

 貴方の初恋はいつですか?

 そんな質問をされると、大半の人は何を初恋とするか考えると思います。

 

 幼稚園児や小学生の『大きくなったら結婚しようね』なんて約束?

 中高生の思春期におけるトキメキ?

 大人になってから人生の伴侶として相応しい相手との出会い?

 

 初恋の定義は人それぞれで、恋愛というのは割と曖昧です。

 僕の場合、小学生の頃に好きだった女の子は引っ越し。中学時代は周りの目が気になって行動に移せず、その子が別の男子と付き合うのを遠目から眺めるだけでした。

 いつだって、ぼんやりとしたものばかり。

 それはきっと高校でも変わらない……そう思っていた僕こと相生葵(あいおいあおい)は一年前の四月末、演劇部と音楽部どちらに入るかを悩んでいました。

 

『ボサッとすんなぁっ! 気合い入れろぉっ!』

「っ」

 

 屋代学園にある芸術棟の四階。ボーっとしながら歩いていたのでビックリしたものの、これは僕に向けた怒りじゃなくて吹奏楽部から聞こえてくる恒例の叱咤激励です。

 前に見学へ来た時は驚くと同時に、音楽部も怖い先生だったらどうしようかと物凄く不安になりましたが、幸い顧問のタカミー先生は優しかったので安心しました。

 一方で演劇部の先生も面白く、部活内容も甲乙つけがたいところ。部活動体験期間の終わりが近づく中、両方の部活を体験して決めようと音楽部へと向かいます。

 

「♪~」

「?」

 

 不意に聞こえてくる、ピアノに合わせて発声練習する声。

 しかしそれは音楽室からではなく、その向かいにある準備室の中からでした。

 先週見学した時に入部を決めた子が同様の発声練習をしていたため、タカミー先生が音域と声質を聞いてどのパートか判断しているんだと何となくわかります。

 

(…………先に挨拶しておいた方が良いかな?)

 

 じきに終わるだろうと、準備室の前で少し待機。

 耳を澄ますとドアの隙間から、透き通るような声が漏れてきます。

 

「♪~♪~♪~♪~」

 

 何てことのない、ただの発声練習。

 それなのにとても綺麗で心地良い、そよ風のような歌声でした。

 言うなれば一目惚れならぬ、一聴惚れでしょうか。

 

『ガチャ』

 

 恍惚としているとピアノの音が止み、ドアがゆっくりと開きます。

 中にいたのはタカミー先生と、声に相応した可愛い女の子でした。

 

「それじゃあこっちで……お! 相生君、また来てくれたんだね」

「は、はいっ!」

 

 深々と頭を下げた後で顔を上げると、女子生徒と目が合います。

 僕を見るなり、天使みたいな笑顔を返してくれる少女。

 今度は紛れもない、完全な一目惚れでした。

 

「あ、あの……音楽部に入部します!」

 

 きっとこれが僕の初恋。

 相生葵が夢野蕾(ゆめのつぼみ)さんのことを好きになった瞬間。

 何故ならあの笑顔を、僕は今でも鮮明に覚えているから……。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「――――葵君? どうかしたの?」

「えっ? あっ、ご、ごめん。少しボーっとしてて……」

「どうせまた映画のこと考えてたんだろ?」

「葵っちっぽーい」

 

 今日はゴールデンウィーク最終日。去年はこれといって何もなかった連休だけど、今年は僕と夢野さんに音楽部二人を交えた四人で一緒に映画を見に行ったんだ。

 最初はテスト前の勉強会で集まるくらいだったけど、SNSでグループ会話するようになってから少しずつ話が弾んで、どこか行こうって流れになったんだよね。

 

「でも面白かったね」

「そーそー。最後のシーンとか、ちょー良かったー」

「ああ、真っ暗になってから監督の名前が出るところな」

「えぇっ? そこっ?」

「わかってるっての。映画泥棒のダンスも良いって言いたいんだろ?」

「違うよっ?」

 

 企画してくれたのはこの冗談好きな友達。櫻君やアキト君同様に僕が夢野さんを好きだって知ってるから、色々と気を回してくれたり相談に乗ってくれたりするんだ。

 ちゃっかり二人は二人でいい感じみたいだから、いつかお互いが付き合ったらこの四人でWデートなんて冗談をよく言われたり……できたらいいな。

 

「んじゃ、またな」

「ばいばーい」

 

 路線が違う二人と駅で解散して、残ったのは僕と夢野さんの二人だけ。まあ夢野さんとは方向が逆だから、すぐに別れることになっちゃうんだけど……。

 

「(ニコッ)」

「ど、どうしたの?」

「はいこれ、葵君にプレゼント!」

「えっ?」

「明日、誕生日でしょ? 去年貰ったから、そのお返しに♪」

 

 驚きのあまり、物凄く間の抜けた表情を浮かべてたと思う。

 覚えててくれただけでも嬉しいのに、プレゼントまで用意してもらえるなんて考えてもなかった。夢かと思って頬を抓ったら、夢野さんがクスっと笑う。

 ちなみに去年の9月8日、夢野さんの誕生日に僕がプレゼントしたのはハンカチタオル。何にするか散々迷った挙句、この時は兄さんに相談したんだっけ。

 

「あ、開けてもいいかな?」

「うん」

 

 ワクワクしながら掌サイズの細い箱を受け取ると丁寧に開封する。四角いケースを開けば、その中にはシャープペンとボールペンが一本ずつ入っていた。

 

「わぁ、ありがとう!」

「どう致しまして。大した物じゃなくてゴメンね」

「そ、そんなことないよっ! 凄く嬉しいし、大事にするからっ!」

 

 良い雰囲気だった。

 今なら言える気がする。

 今日こそ僕の気持ちを、はっきりと伝えよう。

 

「…………あの、夢野さ――――」

『間もなく、一番線に電車が参ります』

 

 無情にも鳴り響くホームのアナウンス。

 遠くから近づいてくる電車が見える中、夢野さんは首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「う、ううん。ま、また皆で一緒にテスト勉強しようねって」

「うん。御世話になります……なんてね♪」

 

 そんなの、お安い御用だよ。

 頭の中ではそう男らしく応えるけど、実際には若干しどろもどろだった気がする。ここぞという時になると、いっつも緊張してばっかりだ。

 まだまだ一緒にいたい気持ちとは裏腹に、夢野さんの乗る電車が駅に到着。僕も一緒に乗って家まで見送るなんて、昨晩はそんなことを何度も考えたっけ。

 

「それじゃあ、またね」

「うん。また明日」

 

 そこまで踏み出せる勇気があれば、告白なんてとっくにできている。

 下手なことをして嫌われたらどうしようと不安しかなく、扉が閉まった後も手を振ってくれる少女を普通に見送ることしかできなかった。

 だから僕は電車が完全に見えなくなった後で、大きく溜息を吐く。

 

 

 

「…………今日も言えなかったなあ」

 

 ◆



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一日目(月) 二年の授業が選択だった件

 生徒総数は約2500人。一学年800人以上のマンモス校、屋代学園。

 これだけ聞くと凄そうだが、生徒会が学校を支配することもなく、風紀委員や理事長なんてものも存在しない。相変わらず大きい以外は至って普通の高校だ。

 ただ人数が多いためクラス替えという一大イベントはなく、教室の位置こそ変わったもののC―3の出席番号16番は未だに米倉櫻(よねくらさくら)のままである。

 

「ぶっちゃけ長距離走より、シャトルランの方が楽だし好きなんだよな」

「カウント読み上げが萌えボイスだったら好きになれる希ガス」

「どんなんだよそれ?」

「ドーレーミーファーソーラーシードー♪ ふぇぇ、3歳だよぉ……的な? 回数が増えると共に年齢が増していくシステムでござる」

「面白そうだけど、100超えた辺りで入れ歯が飛びそうだな」

「ちなみにギネス記録は375回な件」

 

 中々の名案だと思ったが、流石にそこまでは生きられない。途中からアンドロイドボイスになったりして……って、まさかあの無感情ボイスこそ人間の成れの果てなのか?

 

「米倉氏は何回の記録保持者で?」

「ん? 80くらいだった気がするけど、何でだ?」

「75回を超えた時点で距離的には長距離走の方が楽な件。シャトランタオリンピックは片道20mですしおすし」

「あー、成程な。確かにそうかもしれないけど、次々と脱落していく中での生き残りって考えると何かウキウキして楽しくならないか?」

「つまりは『ハッハッ。見ろぉ! 人がゴミのようだぁ!』ということですな」

 

 当たらずとも遠からず……ってか地味に物真似が似てる件。

 ガリガリからガリ程度になったガリオタ……じゃなくてガラオタの火水木明釷(ひみずきあきと)は、ちゃっかり新学期の委員会決めで評議委員というクラス代表を飾るまで昇進していた。

 パートナーの女子からは『火水木君なら安心』とか言われる始末。これが一年前だったらそれこそゴミを見るような目で見られただろうに、恐るべしオタクである。

 

「櫻君、一緒に走らない?」

「40秒でゴールしなっ!」

「えぇっ?」

 

 華奢な身体つきに高めの声。高校二年になっても、葵が男の娘なのは変わらない。

 恐らく今年もクラスの連中から女装コンテストなりメイド喫茶を奨められて断り切れず、女装やらコスプレをする未来が今から予想できるくらいだ。

 

「お忘れかな相生氏? 昨年拙者が同じように提案した時、米倉氏はOKと言いながら途中で裏切って一人先に走り去っていったことを。そして残り一周の所でバテた米倉氏を、拙者達が抜き返したことを」

「そ、そういえばそんなこともあったね」

「気を付けろ葵。コイツは一緒に走ろうと誘った相手を置き去りにする奴だ」

「オマエモナー。ダッシュするならゴール前だろ常考」

「言っておくがあれは別に裏切った訳じゃなくて、体力に余裕があった気がしたから途中でペースを上げた結果ガス欠になっただけだっての」

 

 本音を言えば、オタクと仲良し扱いされたくなかったのも少しある。少しだけな。

 運動部連中が猛スピードでスタートする中、俺達三人は悪目立ちしない程度にまったりペースで走る。

 

「これでやっとスポーツテストも終わりだね」

「しかし米倉氏の握力は衝撃でしたな」

「いや、正直あれは俺もビビったわ」

 

 

 

 

 

『握力か……自信ないんだよな』

『去年はいくつだったの?』

『確か右22で左19だった気がする』

『貧弱乙』

『ふんっ…………っと…………は?』

『ど、どうしたの櫻君?』

『ちょまっ! 65㎏とか、あるあ……ねーよ!』

『ま、待てっ! 左でもやるから…………ふんがっ!』

『56㎏……だね……』

『ブッフォッ』

 

 

 

 

 

「どう見ても陶芸部です、本当にありがとうございました」

「まあ粘土練ったり釉薬混ぜたり、色々と心当たりはあるからな」

「そ、そういえば結局リンゴは砕けたの?」

「ああ、家に帰ってからやってみたけど駄目だった」

 

 握力60オーバーは握り潰せると聞いて試してみたものの一向にリンゴは砕けず、偶然帰ってきた妹から『お兄ちゃん、包丁って知ってる?』とアホ扱いまでされた。

 その後で動画を検索してみたら、握り潰すというよりも指をへたに食い込ませて押し潰しているものばかり。何でも正攻法で握り潰すには80㎏くらい必要らしい。

 

「しかし陶芸にこんな効果があるとは思わなかったな」

「平部員の米倉氏ですらこれだけの握力UPということは、部長なり副部長クラスならリンゴを砕ける可能性も微レ存?」

「「「…………」」」

 

 

 

 

 

『……ヨネ、部活』

『悪い。今日は休――――』

 

 ――ブチブチッ――

 

『……次はヨネがこうなる番』

『行かせていただきます』

 

 

 

 

 

「いやいやいやいや」

「あ、あんまり考えたくないね……」

「想像したら負けだと思ってる」

 

 あの外見で握力80㎏とかだったら嫌すぎる。確かに小動物みたいだとは思うけど、動物ってそういう野性的な意味じゃねーから。

 

「俺の握力も大概だったけど、お前の長座体前屈は今年もヤバかったな」

「えっ? アキト君、身体柔らかいの?」

「逆だ逆。あまりにも硬すぎて、マイナスという未知の記録を叩き出した」

「えぇっ?」

「フヒヒ、サーセン」

 

 基本の位置についた時点でギブギブ言ってた挙句、始めの合図の瞬間に身体が縮まるという奇跡。当然計測し直しだったが、それでも13㎝はクラス最低だろう。

 

「葵は何かなかったのか?」

「ぼ、僕はこれといって普通だったけど……」

「相生氏の上体起こしがエロかったという話を耳にしたのですがそれは」

「誰が言ってたのっ?」

「そういや身体測定で、一人だけスリーサイズを測定したって噂もあるな」

「それもないよっ? 誰から回ってきたのっ?」

「「ん」」

 

 前方にいるクラスメイトを二人して指さすと、葵が走りながら溜息を吐く。ぶっちゃけ他にも噂を回してそうな容疑者は、クラスの半分近くいるけどな。

 いつかそのうちガチで告白するホモが出ないことを祈りつつ、体力と共に口数が減りながらも裏切り者は出ないまま三人で完走。無事に長距離走は終了した。

 

「しかし体育の後の移動が一番面倒だな」

 

 二年になると文系理系に分かれるため、授業形態は少し変わる。

 一年の頃は芸術系科目と数A、それと稀にある生物の実験くらいしか移動することはなかったが、今はコミュ英に保健、ホームルームくらいしか教室での授業がない。

 

「少し時間がヤバい希ガス」

「い、急ごう」

 

 屋代学園はハウスと呼ばれる六つの校舎に分かれており、AハウスからFハウスまでは驚きの徒歩八分。これだけ広いなら動く歩道があっても良いくらいだ。

 月曜の三限四限は社会であり、世界史や地理を選択した連中はCハウスの三階と階段を上がるだけ。しかし俺達三人が選択した日本史はF―2の教室と妙に遠かった。

 

「あ、来た来た」

 

 移動先の教室で、見慣れた眼鏡の少女が反応する。

 下ろした髪をストレートのまま二つにまとめた、全体的に肉付きの良い少女。火水木天海(ひみずきあまみ)は何を隠そうアキトの妹であり、腐女子でもあった。

 このF―2は彼女の教室であり、火水木も俺達と一緒に日本史を受ける。一年の時とは異なり、選択系科目の大半は他ハウスの生徒と混合したクラス編成だ。

 

「ギリギリだったね」

 

 見知った顔は火水木だけじゃない。

 彼女の後ろに座っているのは、笑顔が眩しいポニーテールの少女。桜のヘアピンで前髪を留めた夢野は、俺の幼馴染(仮)であり葵が片想い中の相手でもある。

 そして座席が葵・アキト・俺と縦に並んでいる中、上手い具合に葵の左隣は夢野だった。

 

「う、うん。スポーツテストが長引いちゃって」

「お疲れ様。体育の後だと大変だよね」

 

 傍から見ていて、二人の雰囲気は悪くない。

 ボーっと眺めているのもアレなので、大人しく授業の準備をする。

 

「あ、やべ……アキト、ルーズリーフあるか? ノートがラストだった」

「あるあ……ねーよ」

 

 ガラオタのネットスラングも、その使い方は地味に新しいな。

 オタノートを広げたアキトがページを破ろうとすると、前方で夢野と葵の会話を聞いていた火水木が静かに立ち上がり俺の元へやってくる。

 

「アタシ持ってるから貸してあげるわよ」

「サンキュー……って、返さなきゃ駄目か?」

「んな訳ないでしょ? そういう揚げ足取る奴って多いわよね。ティッシュ貸してとか、返される側にどんな得があるのか聞きたいくらいよ」

「天海氏の使用済みティッシュと銘打てばワンチャンあるのでは?」

「成程」

「何で納得してんのよっ?」

 

 そんな答えを一瞬で閃くとは流石ガラオタ……略してさすガラだな。

 火水木が呆れて溜息を吐く中で先生が登場。ルーズリーフをありがたく二枚ほど貰った後で、起立・礼・着席と号令が済むなり授業が始まる。

 日本史の先生は基本的に板書を書いて説明するだけで、質問に答えさせることもない。そのためウトウトしている生徒も割と多いが、俺は真面目に受けていた。

 

「!」

 

 たまに視線が合うと、笑顔を返してくれる夢野。

 その微笑みで目が覚めるというのも理由の一つだが、勿論それだけじゃない。

 三月末にした、小さな決意。

 色々と改善すべき点の多い俺が真っ先に見直したのは、授業に対する取り組み方だった。

 何故かと聞かれれば、中学の頃の自分を思い出したからである。

 

「…………」

 

 あの頃に比べれば授業を受けているだけまともだが、数学以外の成績が平均レベルなのも事実。下がっていたハードルを少しずつ上げていくべきだろう。

 そしてできることなら………………いや、流石にそれは高望みしすぎだな。



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一日目(月) 米倉櫻が理系だった件

 日本史が終わりC―3へ戻る途中、購買にて昼食を購入。葵とアキトは弁当持参のため、ここで買うのは基本的に俺だけのことが多い。

 今日の昼飯も惣菜パンと桜桃ジュース。いつもと変わらないラインナップだ。

 

「ね、ねえアキト君。ふと思ったんだけど、あのままF―2に残って一緒にご飯とか食べたりできないかな?」

「拙者も少し考えていたお。ただ相生氏一人が残るのは少し露骨かと。それとリリスは天海氏以外にも複数人と昼食を取っているので移動必須ですな」

「そ、そっか……場所なら良い所があるんだけど……」

 

 ちなみにリリスというのは、俺達が名づけた夢野のコードネーム。そんな少女の周辺事情に詳しいアキトだが、その情報の仕入れ先が妹であることは聞くまでもない。

 普段から相談に乗ってもらっている上、客観的なアキトの意見に助けられていることも多いのだろう。葵は素直に聞き入れるが、小さく溜息を吐くと肩を落とした。

 

 

「アキトも付いていけば、四人でいい感じになるんじゃないか?」

「その提案には一つ大きな問題があるお」

「お、大きな問題……?」

「何がまずいんだ?」

「米倉氏がぼっちになる件」

「…………」

「………………」

「……………………」

「…………………………いやいや、全然問題ないだろ」

「さ、櫻君。随分と間があったよ?」

「安心しろ。俺にはトイレという安息の地があるからな」

「えぇっ?」

「便所飯キタコレ」

 

 今は冗談で済んでるが、姉貴の話を聞く限り大学には普通にいるらしい。屋代には無いからわからんが、学食ってそんな恐ろし異世界……じゃなくて恐ろしい世界なのか?

 

「別に俺は但馬達とでも食うから大丈夫だっての」

「例え米倉氏が良くても、リリスと天海氏は疑問に思う訳でして」

「そ、そうだよね」

「よってこの作戦を決行する場合、必然的に米倉氏と拙者も一緒になってしまいますな。ただそれでも好感度上昇イベにはなるので、試してみる価値はありだお」

 

 確かにアキトの言う通り、一緒に授業を受けた後で俺だけが教室に戻るのは少し不審かもしれない。本当によくそこまで頭が回るなと驚くばかりである。

 日本史の授業は週に二度あるが、仮にするなら三限と四限にある月曜か。普通なら異性と一緒に昼飯なんて提案し辛いが、双子パワーがあれば協力を得るのも容易だ。

 

「それにしても最近は活動的だな」

「う、うん! 昨日も音楽部四人で映画を見に行ったんだよ」

「マジでか」

「リア充乙と言わざるを得ない」

 

 確かにこれこそが高校生活をエンジョイしている姿だと思う。友達と行く奴でレベル1、異性が交じっていればレベル5、姉と一緒に映画を見た俺はレベルマイナスってとこか。

 

「に、二年生になってから音楽部でカップルがどんどん増えてて……この前なんて二週間くらいで告白したって一年生もいたし、僕も負けてられないなって思って」

「そりゃまた凄い奴もいるんだな」

「ほ、他の男子に取られるのは絶対に嫌だったからって言ってたよ。それにいつまでも友達でいると、下手したら友達以上に見られなくなるって」

 

 ああ、それは何となくわかる気がする。

 今の自分の状況と照らし合わせながら考えていると、傍らから感じるアキトの視線。何やら閃いたみたいなので、新年度一発目を景気良くやるとしよう。

 

「第一回!」

「チ、チキチキ……?」

「映画のタイトル対義語大会だお!」

「「「イエーイ!」」」

「エントリーナンバー一番。アキト選手お願いしますっ!」

「犬の逆襲」

「おおっと! これはいきなりの名作! 優勝は決まりでしょうかっ?」

「えっと……あ、もしかして猫の――――」

「遺伝子組み換えによって生まれた人造犬が、人間達に逆襲する話だお」

「えぇっ?」

「恩返しならぬ怨返しってか」

「誰うま」

 

 何か聞いたことがある話だと思ったら、ミュ○ツーの逆襲じゃねーかそれ。

 

「では続いてエントリーナンバー二番、米倉氏の番だお」

「そうだな……悪魔にデスボイス……いや、悪魔に念仏をだな」

「あ、あれは名作だよね! 1も2も僕大好きだよ!」

「ちなみに悪念はどんな話なので?」

「もう略してるのっ?」

「ある日突然現れた悪魔が、寺の住職に恋する話だ」

「ええぇっ?」

「ブッフォッ! まさかの恋愛に草不可避」

「さあ最後を飾るのはエントリーナンバー三番、葵選手ですっ!」

「映画という得意分野だけに期待が高まるお」

「う、うん。今回は大丈夫!」

「「それではどうぞっ!」」

 

 

「下手」

 

 

「「…………」」

 

 ひょっとして下手→上手=ジョーズってことですか?

 思わずアキトと顔を見合わせた後で、俺達は黙って首を縦に振る。

 

「だ、駄目かな?」

「「下手糞かっ!」」

「えええぇっ?」

 

 他にも『女は楽しいよ』とか『だからアタシがやりました』とか色々あるだろと突っ込んでいると、あっという間に昼休みが過ぎていった。

 当然ながら午後の授業も教室移動であり次は数B。文系である葵は取っていないため、俺はアキトと二人でDハウスの三階へと向かう。

 

「葵の奴、良い感じみたいだな」

「それでも勝率が二、三割程度から、ようやく五分五分になったくらいだお」

「一緒に映画って、結構ポイント高くないか?」

「二人ならまだしも、大人数なら米倉氏も行ってますしおすし」

「俺の場合は偶然会っただけで、誘ったのとは違うだろ」

「席が指定されてたならまだしも、偶然会っても一緒に見るとは限らないお。それに陶芸部を兼部した件についても、割と重要ですしおすし」

「まあ、そうかもしれないけど……ってかお前、ちゃっかり妹から全部聞いてるのな」

「そりゃもう米倉氏が『彼女の名は』を見て号泣したことから、冗談半分で綱引きの縄を自分の身体に巻きつけて両側から引っ張られたことまで知ってるお」

「いや何それ俺が知らないんだけど」

「あれはマジで死ぬかと思ったでござる……」

「やったのお前かよっ?」

 

 どれだけ痛いのかは知らないが、良い子は絶対に真似しちゃ駄目だぞ。やっていいのは悪い子とガラオタとドMのお兄さんくらいだ!

 そんなくだらない話をしながら階段を上ると、教室へ足を踏み入れる。理系の大半は男子であり、中にいる女子は僅か三人だけだった。

 

「…………」

 

 そしてそのうちの一人は俺の幼馴染でもある。

 獣医師を目指す容姿端麗の美少女、阿久津水無月(あくつみなづき)は真っ直ぐに伸びた長い黒髪をかきあげつつ、静かに窓の外を眺めていた。

 既に桜の花は散り、見えるのはこれといって映えのない景色だけである。

 

「…………」

 

 俺が阿久津へ声を掛けることはない。

 席が離れているというのも理由の一つだが、何となく話しかけづらかった。

 もしも俺が「よう」と言えば、アイツは「やあ」と返すだろう。

 ただ、それだけだ。

 所詮は単なる社交辞令で、その後に話が膨らんでいくイメージが全く沸かない。 部室では何度も顔を合わせていた筈なのに、教室という空間の中で会うとまるで見えない壁があるようにさえ感じる。

 

「じゃあ宿題の答え合わせから。問1を阿久津さん、問2を――――」

 

 先生に指名された少女は淡々と黒板にベクトルの問題を解くと、こちらに目を合わせることもないまま席へと戻っていくのだった。



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一日目(月) 新入部員が二人だった件

 少し前までは放課後になると、クラスメイトかつ陶芸部部長である冬雪音穏(ふゆきねおん)に声を掛けられたが、どうやら好感度は席位置と共にリセットされたらしい。

 眠そうな眼をした小柄のボブカット少女は、友人である超絶無口系少女と一緒に芸術棟へ向かう。俺はアキトと軽く駄弁った後で、一人のんびりと向かった。

 

「げっ!」

 

 中庭を抜けて芸術棟に入ると、廊下で一人の女子生徒と出くわす。嫌悪感を示すには最適な一文字だが、人の顔を見るなり第一声がそれってのは流石に傷つくな。

 見るからにキツイ雰囲気が伝わる気の強そうなツリ目に、デコ出しの長いツインテール。胸は完全にまな板であり、寧ろ凹んでいるんじゃないかと疑うくらいだ。

 ムロと呼ばれる安置所から作品を取り出しているコイツの名前は早乙女星華(さおとめ せいか)。陶芸部待望の新入部員だが、俺は目の敵にされていた。

 

「何でぃすか、泣き虫根暗先輩」

 

 凝視していた訳でもないのに、敵意丸出しの鋭い眼光でギロリと睨まれる。

 早乙女は俺や阿久津と同じ黒谷南中出身。しかも一つ上……つまり俺達の同期に年子の兄がいるため、俺が根暗と呼ばれていた過去も知っていた。

 それだけならまだマシだったかもしれない。

 阿久津と共に初詣へ行っていたコイツは、年末の神社で俺が泣きながら走り去っていく姿を目撃している。あの時は気にも留めていなかったが、まさか屋代へ入学だけならともかく陶芸部に入ってくるなんて思いもしなかった。

 

「…………」

 

 挑発に対し反論はせず、黙って横を通り過ぎ陶芸室へ入る。

 すると入り口傍の席でトレードマークとも言える定価30円の棒付き飴を咥え、推理小説と思わしき文庫本を読んでいた阿久津がふと顔を上げた。

 

「ミナちゃん先輩ー。これって削っても大丈夫でぃすかぁ?」

 

 作品の乗った板を手に、背後から現れた早乙女が俺の前へと踊り出る。ぶっちゃけコイツが陶芸部へ入った理由は十中八九、阿久津がいたからで間違いないだろう。

 かつて黒谷南中バスケ部の部長だった阿久津だが、その後を継いだのが他ならぬ早乙女。そして我が家には更にその後を継いだ妹、現南中バスケ部部長の米倉梅(よねくらうめ)がいたりする。

 

『セーカ先輩? ん~とね~、とにかくミナちゃんが大好きで、ミナちゃんの前だと…………何て言うんだっけ? あ、思いだした! 皮かぶり! 皮かぶってるよ!』

 

 この発言に対して俺が「そういう誤解を招く発言をするな」と返したのは言うまでもない。意味的には伝わらなくもないが、それを言うなら猫かぶりだ。

 

「大丈夫かな。乾き具合は、これくらいがベストだよ」

「了解でぃす! 今日もご指導、お願いしますっ!」

「もうボクが教えることは無いと思うけれどね」

「そんなことありませんっ! 手取り足取り教えてほしいでぃす!」

 

 こんな調子で早乙女は金魚のフンの如く阿久津にベッタリ。声を掛けるタイミングを失った俺は、定位置である少女の向かいに黙って荷物を下ろした。

 

「あ、ちわッス。ネック先輩」

 

 新入部員は早乙女の他にもう一人いる。

 後輩らしい挨拶をしてきたのは、高校生では異端である茶髪の男子生徒。しかし彼を見てチャラ男だの不良だのと思う輩は恐らくほとんどいないだろう。

 別にナヨナヨしている訳ではなく、寧ろ中学時代は野球部でキャッチャーをやっていたとのことで、体格はガッシリしており筋肉も俺以上にあった。

 

「これ、テツが削ったのか?」

「うッス」

「へー。普通に上手いな」

「あざッス! ミズキ先輩の指導の賜物ッス」

「単にトールの呑み込みが早いだけよ」

 

 作品をいくつか削り終えた青年、鉄透(くろがねとおる)の頭を火水木が撫で上げる。野球部ではトレードマークとも言える、チョリチョリした感触のする後頭部を。

 実はテツの髪は染めているのではなく地毛が茶髪とのこと。爽やかなスポーツ刈りもそれを証明するためのものだが、既に行われた頭髪検査ではしっかり先生に呼び止められたらしい。まあ俺も最初は信じられなかったしな。

 

「運ぶの、手伝うか?」

「助かるッス!」

 

 作品がいくつか乗った板を持つと、テツと共に窯場へと向かう。

 中学時代が帰宅部だった俺にとっては初めての後輩らしい後輩……なのだが、好青年に見えるコイツも早乙女とは違った意味で癖のある奴だった。

 

「いやー、それにしてもマジでパないッスね」

「ん? 何がだ?」

「やっぱミズキ先輩、エロ過ぎッスよ!」

 

 男二人になった途端、この下ネタである。

 というかコイツと一対一でした会話って、下ネタ以外にないかもしれない。

 

「はあ……また胸の話か?」

「違うッスよ! 太股ッス! あの見るからに柔らかそうなプニプニ感! お願いしたらちょっと触らせたりしてくれないッスかね?」

「無理に決まってるだろ」

「ネック先輩は諦め早すぎッスよ! 膝枕されたいッス! 擦り擦りしたいッス! ムチムチした所に指とか入れてみたいッスよ!」

 

 …………うん、別に悪い奴じゃないんだ。

 何て言うかコイツは、基本的にノリだけで生きている。初めて俺と顔を合わせた時もアクセル全開……もとい全壊な返しに度肝を抜かれたもんだ。

 

 

 

 

 

『初めましてっ! 鉄透ッス!』

『米倉櫻だ。宜しくな』

『先輩ってサクラ感ないッスね。ワタルって感じッス!』

『そ、そうか?』

『サクラって女っぽいじゃないッスか。先輩は顔が岩手県っぽいッスから』

『顔が岩手っ?』

 

 

 

 

 

 尚この発言に対して現場に居合わせた火水木、冬雪の両名が撃沈。無表情系少女の笑顔というレアシーンを堪能できたのは良いが、その後でトイレに向かい鏡で自分の顔を見直したのは言うまでもない。

 

「この窯場って人気ないですし、色々エロいこととかできそうッスよね」

「お前の頭は本当にピンク一色だな。まあTPOは弁えてるからまだ良いけどさ」

「TPO? TINPOの略っすか?」

「違ぇよっ!」

 

 Time(時)とPlace(場所)とOccasion(場合)に追加されたIとNは一体何なのか。やろうと思えばマジで作れそうで逆に怖いな。

 

「何せ夢にまで見たハーレムッスからね」

「なあテツよ。人の夢と書いて何て読むか知ってるか?」

夢人(むじん)ッスかっ?」

「何だその恰好良さそうな種族はっ! 儚いだよ、儚い」

 

 ちなみに以前アキトに同じことを言ったら、(みまか)とかいう謎の言葉を返された。弄る所そこじゃねーし。何でタの部分を死に変えてるんだよ。

 

「そりゃ○らぶるみたいなのは無理でしょうけど、陶芸部の平均顔面偏差値って超高いじゃないッスか。見てるだけで目の保養になりません?」

「平均顔面偏差値って言葉を、俺は生まれて初めて聞いたぞ」

「ユッキー先輩とかミズキ先輩は国立レベルだし、ツッキー先輩とユメノン先輩は東大レベルと言っても過言じゃないッスよ。オレ、どこ受験すれば良いッスかね?」

「どこも高倍率だ。諦めろ」

「マジッスか」

 

 仮に俺達男を大学に見立てたら、定員割ればっかりになるんだろうな。

 早乙女はどうなのかと聞こうとしたが、アイツは定員一名の女子大だから論外。我ながら上手いこと言った気がするが、残念ながら聞き手である後輩の脳内はピンク一色だった。

 

「あー、ユッキー先輩に抱きついて頬ずりしたいッス! ツッキー先輩に罵られながら踏まれたいッス! ネック先輩、何か良い方法ないんスか?」

「そうだな。とりあえず去勢しろ。チ○コ切ってこい」

「解決法が重いっ! もっと軽い感じでお願いするッス!」

「オッケー♪ レッツ去勢☆」

「言い方の問題じゃないッスよ!」

 

 煩悩ダダ漏れな後輩を見ていると、犯罪を起こさないか不安になる。冬雪がスカートの下に履いてない(こう言うと別の意味に聞こえる)とか、コイツには絶対言えないな。



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一日目(月) 何かが足りない毎日だった件

「ネック先輩も語り合いましょうよ! 四人の中で誰が好みなんスか?」

「四人? ああ、早乙女を抜いたのか」

「だって早乙女っちってレズじゃないッスか」

「言い切ったっ!」

 

 単に中学からの先輩を慕ってるだけで、違うかもしれないだろ……と言いたいところだが、いくら尊敬してるとはいえ流石に阿久津のことを呼び過ぎではあると思う。何ならミナちゃん先輩カウンターを付けたいくらいだ。

 

 

「やっぱユメノン先輩ッスか? 今日は来てないッスけど、仲良いッスよね」

「さあな」

「えー? 教えてくれないんスかー?」

 

 テツを適当にあしらいつつ、一足先に陶芸室へと戻る。

 三月末に陶芸部へ入った夢野ではあるが、やはり音楽部とバイトを掛け持ちしている上でというのは中々に厳しいようで、来るのは週に一度程度だった。

 既に陶芸の技術は早乙女やテツの方が上かもしれない。ただそれは来る回数の問題であって、何故か夢野の指導担当にされている俺のせいではないと言っておく。

 

「ミナちゃん先輩! できましたぁっ!」

「上出来だね」

 

 ちなみに早乙女の指導担当は言うまでもなく阿久津。冬雪は最近大きな壺の制作をしており、三人の誰かしらがいない場合のヘルプという形を取っていた。

 大物ということもあってか、珍しく顧問である伊東(いとう)先生も協力中。あの人が真面目に陶芸を教えている姿なんて、初めて見たかもしれない。

 

「そう言えば明日でテスト一週間前ッスけど、陶芸部って部活あるんスか?」

「基本的に自由ね。部室は空いてるから、ツッキーは自習室代わりに使ってるし」

「!」

 

 早乙女の耳が一回りでかくなった気がした。アイツ、明日以降も絶対来るな。

 

「了解ッス! あ、どうせなら陶芸部でテスト勝負とかしません?」

 

 テスト勝負。

 それは高校生にとって定番だが、陶芸部で行われたことは一度もない。

 理由は至って単純。何故ならここには評定平均4.3オーバーの成績優秀者である阿久津水無月がおり、戦う前から勝敗は決しているようなものだったからである。

 

「良いわね。自信満々のトールの鼻をへし折ってやろうじゃないの」

「別に自信なんてないッスよ。ただこういうのあった方が盛り上がりません? 各教科のトップが、ビリの言うことを一つ聞くって罰ゲームアリで!」

「ボクも別に構わな…………逆じゃないのかい?」

「あ、バレました?」

 

 恐れを知らない新入部員の提案に淡々と答えた後で、少女は不敵に笑う。

 阿久津がOKなら当然早乙女も合意。数学という武器のある俺も断りはしない。

 

「ユッキー先輩もいいッスか?」

「……教科が違う」

「ふむ。確かにそこは重要だね」

「とりあえずコミュ英と社会系科目は全員取ってるでしょ? 一年の数Ⅰ・Aは理系の数Ⅱ・B、文系なら古典と政経って感じで合わせればいいんじゃない?」

 

 冬雪の小さな抵抗も虚しく、勝負科目を決めていく火水木。コイツも何だかんだ言って頭が良いし、今まで企画しなかっただけで結構ノリ気みたいだ。

 

「そうそう。テスト勝負も良いけど、試験が終わったら開校記念日があるでしょ? せっかくだし新入部員歓迎会ってことで、皆でパーっと遊びに行かない?」

「歓迎会には賛成だけれど、行く場所によるかな」

「実はもう考えてあるのよね。スポッチとかどう?」

「スポッチって何だ?」

「知らないんスかネック先輩? 各種スポーツは勿論、ビリヤードとかダーツとかカラオケとかゲーセンとか何でも遊べる場所ッスよ」

 

 そんな施設があるとは知らなかった……のは俺と冬雪だけらしい。

 

「スポッチか……久し振りにバスケがしたくなってきたかな」

「星華、今ならミナちゃん先輩に1ON1で負けないでぃすよー」

「決まりね。ユメノンにはテスト勝負の件と合わせてアタシから伝えておくから。花粉で何もできなかった春の分を取り返すわよっ!」

「……陶芸もできる?」

「ユッキー先輩、流石にそれはないッス」

 

 各々が盛り上がる中で、俺は先日成形した陶器を削る。

 先に削りを終えたテツに早乙女、そして火水木と阿久津の四人がトランプで盛り上がっているのを耳にしつつ作業していると、あっという間に時間は過ぎていった。

 帰りは早乙女が電車、テツは自転車だが俺とは逆方向であるため今までと変わりなく、夕暮れの空の下で一人黙々と自転車を漕いでいく。

 

「…………」

 

 阿久津や夢野と同じ授業もあるし、少々手のかかる後輩もできた。

 二年になって、以前より充実した高校生活を送れる環境にはなったと思う。

 ただ、何かが足りなかった。

 

 夢野との進展を嬉しそうに話す葵。

 阿久津との再会に歓喜する早乙女。

 

 そんな二人を眺めながら、俺は淡々と魅力のない日々を過ごす。

 何となく気が進まず、今回はテスト期間に陶芸室へ顔も出さなかった。

 ただ家での勉強は割と集中でき、テストの手応えもそれなりに良かったと思う。

 

 

 

 止まっていた歯車が動き出すのは、そんな二週間を過ごした後の話だった。



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八日目(月) 僕の友達がありがちなラブコメだった話

 ◆

 

 明日からいよいよ中間テストが始まる。

 でも僕としては、このままずっとテストが始まらないで欲しかった。

 別に勉強してない訳じゃない。

 どちらかというと、今は勉強するのが楽しいくらいだ。

 

「葵君、聞いてもいい?」

 

 隣に座っていた夢野さんが、開かれた教科書に書かれている英文を指さす。

 僕はそれを見るため、少し椅子を動かして身を寄せた。

 

「この文ってどう訳せばいいかな?」

「あ、これはね――――」

 

 こうして教えてると、距離が縮まってるのを実感する……物理的にもだけど。

 今日も音楽部四人で、Fハウスの三階にある自習スペースへ集まって勉強会。この時間がいつまでも続いてほしいと思えば思う程、時計の針は早く進んでく。

 

「ふぃー……気付けば結構良い時間になったな」

「うん。そろそろ帰ろっか」

「そ、そうだね」

「…………スー……スー……」

「おい起きろ。帰っぞ。起ーきーろー」

「…………ふぇあ……?」

「目ぇ覚めたかー? 酷い顔してっぞー?」

「……………………っ! し、してないしっ! ってかそゆこと言わないでよっ!」

「へいへい。ほら、ガム食うか?」

「…………食べゅ」

 

 もう付き合ってるんじゃないかと思う仲の良さ。本当に二人が羨ましいなあ。

 僕もこんな風に接することができたらいいなって考えるけど、仮に夢野さんが眠ってたら起こすのも忘れて寝顔に見惚れちゃいそうな気がする。

 

「そんな調子じゃ、勝負は俺の圧勝だな」

「負けないし……っと、それじゃ葵っちも蕾っちもばいばーい」

「うん。お互いテスト頑張ろうね♪」

「ま、またね」

「おう! 葵も頑張れよっ!」

 

 帰り支度を済ませて校舎を出ると、真っ赤な夕焼けが空を照らす。でもこんな綺麗な景色を夢野さんと一緒に見られるのは、ほんの数分だけだった。

 僕は電車通学だから分かれた二人と帰る方向は一緒だけど、今日も夢野さんの見送りという名目で一緒に駐輪場へ向かう。

 

「何て言うか、お似合いだよね」

「うん」

 

 夢野さんに対しては「二人の邪魔をしたくないから」なんて建前上の理由を言っている。まあ実際僕がいても邪魔になるだけだろうし、間違ってはいないんだけどね。

 …………夢野さんも電車通学だったら、僕も二人みたいに仲良くなれてたのかな。

 

「ま、また音楽部にカップルが増えそうだね」

「また?」

「えっ? 夢野さん、知らないの?」

 

 言っても大丈夫そうな公認カップルを話すと、ほとんど知らずに驚く夢野さん。アルバイトでいない日もあるし、その遅れを取り戻そうと部活でも集中してるから周りを見る余裕がないのかもしれない。

 

「へー、そうだったんだ。テストが終わったらお祝いしてあげなきゃ!」

「テ、テストって言えば夢野さん、今回は日本史ばっかり勉強してたね」

「うん。実は私も陶芸部でテスト勝負してるの」

「そ、そうなんだ」

 

 兼部したって聞いた時は複雑な気持ちだったけど、今はそうでもない……と思う。

 不安ではあるけどそういう不安じゃなくて、どちらかというと音楽部とアルバイトだけでも大変そうな夢野さんが体調を崩したりしないか心配だった。

 

「いつもありがとう。それじゃ、葵君も頑張ってね」

「う、うん」

 

 友達にも言われた言葉だけど、きっとその意味は少し違う。

 校門まで並んで歩いた後で、僕は笑顔で手を振って夢野さんを見送った。

 別れる時は名残惜しいけど、一緒に勉強したことを思い出すと元気が出てくる。このまま駅に向かうと自然と早足になって、二人と鉢合わせしそうなくらいだ。

 

「おや? 相生氏では?」

 

 高揚を抑えつつのんびり歩くと、背後から声を掛けられた。

 

「あ、アキト君も残って勉強?」

「これがまさかの部活だお」

「えぇっ? パ、パソコン部ってテスト前日も部活あるの?」

「店長代理として、架空請求に引っ掛かったドジッ子の尻拭いをしてたでござる」

「ええぇっ?」

「相生氏もエロい検索をして悪質サイトを踏んだら、恥ずかしがらず拙者に相談すべし。心配せずとも大抵は無視して問題ないですしおすし」

「そ、そうなんだ……」

 

 テスト前日とは思えない余裕っぷりだけど、アキト君は成績優秀者。きっと陰で努力してるにも拘わらず、そんな雰囲気を微塵にも出さないから凄いなあ。

 

「店長さんってパソコン部だったんだね」

「それも今では部長でござる。ただ最近は何かと忙しいみたいなので、幽霊部員だった拙者が月曜だけ店長代理として顔を出してるんだお。ところで相生氏は、今日もリリスとの勉強会で?」

「う、うん」

「さいですか。好感度上げは順調そうですな」

「…………本当に上がってるのかな?」

 

 あの二人を見た後だからか、思わずそんな疑問を呟く。

 負けた方が願いを一つ聞くテスト勝負をしてる二人。そして冗談か本気か、もしも勝った時には「俺と付き合ってほしい」って告白を願いにするなんて言ってた。

 僕はどうだろう?

 確かに夢野さんとの距離は少しずつ縮まってると思う。

 だけど僕が求めてるのは、もっと大きな変化だった。

 

「アキト君は夢野さ……リリスが付けてるストラップ、見たことある?」

「トランちゃんですな」

「僕ね、あれを見る度に不安になるんだ」

 

 あのストラップは櫻君からプレゼントされた物だって、前に夢野さんから聞いたことがある。そして櫻君も、夢野さんから送られた手作りのストラップを付けていた。

 

「リリスが櫻君の話をする時って、僕と話している時より楽しそうに見えるんだよね」

「妖鬼百風無現剣っ!」

「痛いっ! 突然何するのっ?」

「何かと言われれば、ヨンヨンの必殺技でござる」

「えぇっ?」

「相生氏は自分に自信がなさすぎだお。C―3のイケメン渡辺(わたなべ)氏と並ぶ美少年であることは、それこそ米倉氏が作った生徒会誌で実証済みですしおすし」

「そ、そんなことないよ……」

「冥明風想斬っ!」

「ひょ、ひょっへはひっはらはいへ」

 

 チョップされたり頬を引っ張られたりで、剣でも斬でもない攻撃をされる。でも櫻君にはたまにやられるけど、アキト君が僕にこういうことするのって初めてかも。

 

「今の相生氏を例えるなら、テストで良い点を取っているにも拘わらず『80点だったわー。ヤバイわー』とか言ってるKYな奴と同じようなものでござる」

「そ、そうなの?」

「まあ相生氏らしいと言えばらしいですな。ただそうやって女々しくした結果、男からの人気が更に増そうと拙者は一向に構いませんがそれでも良いので?」

 

 確かにアキト君の言う通り、僕は女々しいのかもしれない。

 嫌われたらどうしようと不安ばっかりで、気付けば一年も過ぎている。

 

「くよくよ悩んでないで、相生氏なりに恰好いいところを見せればいいお」

「で、でもどうやって?」

「陶芸部は新入部員歓迎会と称して遊びに行くとのことですな。パソコン部もアキバでメイド喫茶を回るそうですが、音楽部にはそういった催しは無いので?」

「ぶ、部員が多いから、そういうのは中々できないよ」

 

 陶芸部でそんな企画があるなんて知らなかった。昨年までのハロウィンやクリスマスは誘われたけど、一年生からすれば僕は完全な部外者だし仕方ないかもしれない。

 何か良い方法がないか考え込むアキト君に、僕は少し悩んでから静かに尋ねた。

 

「…………僕も行けないかな?」

「その発想はなかった」

「う、ううん……何でもない。や、やっぱり無理だよね」

 

 別に音楽部の四人で、また映画に行くことだってできる。

 ただ僕の知らないところで、櫻君と夢野さんが仲良くしてたら……そんな不安から思わず口から漏れた無茶な注文に、アキト君は親指をグッと上げた。

 

「おk把握。天海氏に取り合ってみるお」

「えっ? い、いいのっ?」

「ぶっちゃけ何とかなりそうですしおすし。しかし焦りは禁物ですぞ。これから夏になればイベントが盛り沢山だお。相生氏の憧れるイチャイチャも、きっとできるでござる」

 

 お祭りとか花火大会なんて、告白するにはうってつけだと思う。

 そう考えると、何だかワクワクしてきた。やっぱり持つべきものは友達だなあ。

 

「う、うん。そうだよね。ありがとうアキト君」

「救い料は百億万円。ローンも可ですな」

「えぇっ?」

 

 ◆



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十二日目(金) 鉄透がアクティブだった件

 昨日でテストも終わり今日は開校記念日。今年は運良く三連休となった訳だが、もしこれが試験を挟む形だったら悲しい三日間を過ごしていただろう。

 他の学校の生徒が授業を受けている中、俺達は予定通りスポッチへ。ネズミーの時のように始発なんてこともなく、集合時間の午前十時には余裕をもって到着した。

 

「学生八人、フリータイムで!」

「かしこまりました。学生証を確認させていただいても宜しいでしょうか?」

「ツッキー、ホッシー、学生証出してー」

 

 会計中の火水木が、階下を眺めていた阿久津と早乙女に声を掛ける。

 大きな建物のうちスポッチが占めるのは四階と五階と屋上。今いる五階は吹き抜けになっており、四階にあるアミューズメントが一望できた。

 

「ネック先輩ネック先輩」

「ん?」

「葵先輩って、ガチで女の子みたいッスね」

「一説によると本人が男と思いこんでるだけで、本当は女の子らしいぞ」

「マジッスか! なら合法的に胸を揉めるじゃないッスか!」

「お前って本当にそればっかりだな」

「いやいや、太った奴の胸とか揉んだことありません?」

「少なくとも俺はない」

 

 陶芸部は七人だが、カウンターに並んだ学生証は八つある。

 その理由は夢野の友達かつ女装コンテスト優勝者として紹介された葵がいるため。人数が奇数で半端だったから呼んだと火水木は説明したが、本当の理由は聞くまでもないだろう。

 生意気にもスポッチ経験者だった妹の話によれば、この場所は奇数でも問題なく楽しめるとのこと。まあ初見である後輩達も気にしてないみたいだし別にいいか。

 

「ちょっ? げほっ! えほっ!」

「どうしたのミズキ?」

 

 …………あー、やっぱそうなるよな。

 いきなり激しく咳き込んだ火水木を心配する夢野。笑い過ぎて悶絶する少女はその危険性を伝えるかの如く、震える指でひっくり返した俺の学生証を指さした。

 

「…………くす」

「ぶっ! ちょっとネック先輩、なんスかこれっ!」

「仕方ないだろ? うっかり洗濯しちまったんだから」

 

 何だ何だと冬雪に葵、そして早乙女が覗き込む。

 生徒手帳に入れられた証明写真は色落ちしており、一人だけ昭和みたいなセピア調に。更に裏側には色移りしたのか、モザイクっぽくなった俺が鮮やかに写っていた。

 一同が大爆笑したせいで、必死に笑いを堪えていた店員さんまでもダウンする。笑っていなかったのは現物を見に来なかった阿久津くらいか。

 

「根暗先輩は写真まで人相悪いでぃすね」

「余計な御世話だ」

 

 こういう証明写真って、誰もが指名手配犯みたいに恥ずかしくなるもんだろ。

 学生証が返された後で、入場の証になるバンドを手首に巻かれる。まるで紙みたいな素材で、少し力を込めれば簡単に引き千切れてしまいそうだった。

 

「こ、これ破けたりしないかな?」

「大丈夫ッス。見かけによらず丈夫で、ハサミとか使わないと切れないんスよ」

「「へー」」

 

 葵と夢野もスポッチに来たことはないらしく、経験者との割合は丁度半々。そういう意味では、割とバランスは取れているのかもしれない。

 思ったより財布に厳しい料金を先払いし、受付を済ませるとゲート内へ入る。鞄や財布など邪魔になりそうな物をロッカーに納めると、いよいよ行動開始だ。

 

「さあここからは自由行動よ!」

「自由って言われても、どこに何があるかわからないからな」

「ミナちゃん先輩! バスケやりましょう! バスケ!」

「そうだね。行こうか」

「とりあえず屋上から回ってみる?」

「そ、そうだね」

 

 結局全員でゾロゾロと屋上に向かう。今日の天気は晴天だが、そんなことを気にしなくても大丈夫らしく、上には体育館みたいな照明のある屋根がついていた。

 各区画はネットで区切られており、テツから聞いていた通りバスケにテニス、バレーにバドミントンのコートは勿論、フットサルやパターゴルフ、アーチェリーまで用意されている。

 平日ということもあり他の客はおらず、実質俺達の貸し切りに近い状態だった。

 

「軽く練習してもいいかい?」

「勿論でぃす!」

 

 早速ハーフのコートへ向かう二人。相変わらず雑誌をコピーしたような私服の阿久津だが、相当バスケがしたかったのか既に髪を縛っており臨戦態勢だ。

 ちなみに早乙女の服装も、阿久津の真似をしているかの如くボーイッシュなもの。髪型は相変わらずツイン出しデコ……ではなくデコ出しツインである。

 

「バドミントンやる人ーっ!」

「はーい♪」

「は、はい!」

「……やる」

 

 火水木に夢野、葵に冬雪の四人はバドミントンコートへ。いやそこはC―3対F―2とか、陶芸部VS音楽部とかで俺の出番じゃ……あれ、冬雪でも成り立つなこれ。

 三人の私服は動きやすい恰好であり、以前幼稚園へボランティアに行った時と大差ない。火水木の私服は映画館で見たことがあるが、今日はボディラインの浮き出たタイトな半袖シャツにミニスカート&ニーハイソックスと、テツが歓喜する服装だった。

 そういえばその後輩の姿が知らぬ間に消えている……どこ行ったんだアイツ?

 

『8番』

「?」

 

 聞こえてきた音声の方へ向かうと、そこにあったのは制球力を試すゲーム。そして1~9まであるパネル目掛けて、野球部らしいフォームで投球しているテツがいた。

 

「うしっ!」

「8番じゃないぞ?」

「最終的に全部取れば問題ないッス!」

 

 その後も何球か投げるものの、パネルが減る毎に難易度は増していく。既に取ったパネルに当たったりフレームに弾かれたりを繰り返した結果、テツの記録は9枚中6枚だった。

「どうした元野球部」

「いやいや、普通にこれムズいんスよ。ネック先輩もやればわかりますって」

「任せろ。9枚全部取ってやる」

 

 

 

 ―― 三分後 ――

 

 

 

「よし、次行くぞ」

「予告通り9枚全部とか、ネック先輩マジぱないッスね」

「やかましいっ!」

 

 9枚は9枚でも、残ったのが9枚だった件。全然当たらねーよ何だアレ。

 俺達二人はそのまま隣にあるバッティングマシンへ。球速120㎞に入るテツを横目で見ながら、同じ轍は踏まないようにと一番遅い70㎞へ挑んでみる。

 バットを手にしたのは、一体何年振りだろうか。それっぽい構えを取った後で飛んできたボールにスイングするも、そのズッシリした重さに振り遅れて空を切った。

 

『カキーンッ!』

 

 遠くから聞こえてくる快音が羨ましく、そして憎らしくもある。

 何度かバットを振るものの基本的に『スカッ』ばかり。たまに当たるも『ボスッ』という鈍い音で、打球は完全にファール方向にしか飛ばなかった。

 もう開き直り打つのを諦めてキャッチしてやろうか、はたまた金属バットを手にしたままテツの元へ乗り込んでやろうかなと考え始める。

 

「ストラーイク♪ なんてね」

 

 しかしそんな思考は、透き通った声の審判にコールされ消え失せた。

 振り返るとそこにいたのは夢野と葵。どうやらバドミントンが一段落着いたらしいが、見るなら俺じゃなくてバカスカ打ってるテツの方を見てほしい。

 

「さ、櫻君。頑張って」

「そう言われても……なっ!」

 

 せめて当てようとバットを短く持ち直したが空振り。向こうに置いてあるテニスラケットでならいけるが、こんな表面積の小さい棒切れじゃ当たる気がしない。

 ファイトだの惜しいだのと後ろから声援を受けながらも、一向に快音の鳴る気配はなかった。

 

「ネック先輩、野球はツーアウトからッスよ」

「まだノーアウトのセブンストライクだから余裕だな」

「えぇっ?」

「それツーアウトのワンストライクッス!」

 

 先に終わったらしいテツが二人に合流する。となると俺の方も、残り数球で終わりってとこだろう。

 

「クロガネ君、凄い打ってたね」

「ユメノン先輩、聞こえてたならオレの方も見に来てほしかったッス」

「ふふ。ごめんね」

「ネック先輩! 約束通りこっちは勝ち上がったんで、決勝で待ってるッスよ」

「そうか。決勝戦頑張れよ」

「何で他人事なんスかっ! ユメノン先輩を甲子園に連れていくんでしょっ?」

「それなら陶芸部に入らないっての!」

 

 ガコンと球が装填される音がすると、電子パネルに映し出されたピッチャーが大きく振りかぶる。今更ながらふと思ったが、どれだけ恰好つけようとしたところで野球初心者のスイングである以上、傍から見たら滑稽なのかもしれない。

 開き直ってバットを長く持ち、投げ飛ばす勢いで全力フルスイングした。

 

『カキンッ!』

 

 一瞬だけバットの重みが増す。

 金属音と共に打ち上げられたボールは、ネットにぶつかるまで高く舞い上がった。

 

「おおっ? おっしゃ!」

「やったじゃないッスか。これで甲子園出場ッスね」

「お、おめでとう櫻君」

「いや、だから行けないし行かないっての」

 

 甲子園じゃなく美術展なら昨年は冬雪が出展したって聞いたが、そうなると『蕾を美術展に連れてって』とかいう発言になって意味不明すぎるもんな。

 ホームランというよりはフライだったが、それでも達成感はあり良いところも見せられたようで一安心。笑顔で拍手をする夢野に、俺はガッツポーズで応えた。

 

『ガコン』

「ぐぉうっ!」

 

 勝利の余韻に浸っていた俺を、バッティングマシンは許さない。

 バットを戻し外に出ようとしたところで、まだ球が残っていたらしく次弾が装填。別にそれだけなら何もおかしくはなかったが、あろうことか安全地帯である筈のバッターボックス内にいた俺の尻へ時速70㎞のボールが直撃した。

 

「さ、櫻君、大丈夫?」

「あー、ここの70㎞ってたまに暴投するんスよね」

「それを早く言えっ!」

 

 まあ俺には恰好つけるより、笑いを取る方が向いてるってことだろう。

 この後で夢野も挑戦したが、へっぴり腰の女の子らしいスイングが普通に可愛かった。デートでバッティングセンターってのも、案外有りなのかもな。

 

「いやー、男心にはストライクだったッスね」

 

 ただそれはコイツのように恰好つけられる場合に限る。上手いことを言ったつもりの後輩の刈られた頭を弄り回しつつ、俺達は屋上を後にするのだった。



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十二日目(金) ラッキースケベが準急だった件

 久し振りのバスケで盛り上がる阿久津と早乙女を残して五階へ。夢野も一旦飲み物を取りにロッカーへ向かい、葵がそれに付き添ったため俺達はバラける形となった。

 

「先輩方、ビリヤードやりません?」

「いいわよ」

「……初めて」

「俺もやったことないんだが、どうやってやるんだ?」

「ルールは簡単なんで大丈夫ッス。ビリヤードなんて家庭科みたいなもんッスから」

「いや全然違うだろっ? ビリヤードやってる人に怒られるぞ?」

「針に糸を通すのと大して変わらないって意味ッスよ」

 

 またノリで言ってるのかと思ったら、今回はちゃんとした意味があったらしい…………まあ俺、裁縫苦手なんだけどさ。

 ビリヤード台に着くと三角形の木枠(ラックと言うらしい)を使って、1~9の番号が振られたボールをひし形に並べるテツ。聞いた説明をアバウトにまとめると、台に六つあるポケットと呼ばれる穴へ1から順に球を落とし、最後に9を入れた奴の勝ちだそうだ。 

 

「じゃあブレイクショット、失礼するッス」

 

 テツがキューと呼ばれる細長い棒で白い手球を突くと、固まっていた球に勢いよく衝突。乾いた良い音がした後で、手球を含めた計10個の球が散り散りになる。

 

「トールってば、上手いじゃない」

「球と棒を使うスポーツは得意なんスよ!」

 

 …………間違ってはないが、何か言い回しが下ネタに聞こえるんだよな。

 二番手は俺だが、どうにも1番の黄色い球は狙いにくい位置。適当に打ってみたものの先に朱色をした5番の球へ当たってしまいファールとなってしまった。

 こうなると次の火水木は好きな位置から始められるようで、手球を持った少女はどのポケットに入れようかと考えながら台の周りをうろつく。

 

「やっぱここッスか」

「そうね」

 

 正面にいるテツのポケット目掛けて、火水木はしっかり狙いを定める。

 前傾姿勢になりキューを構えた後でショットを打つと、カシュッという抜けた音。当たりどころが中心からずれていたのか、手球は斜めに数㎝動いただけだった。

 

「あちゃー、たまにやっちゃうのよねこれ。はいユッキー」

 

 1番に当たらなかったためファールとなり冬雪の番へ移るが、狙うポケットは変わらないようで先程火水木が置いた場所と大して変わらない位置へ手球を置いた。

 前傾姿勢になりキューを構えた少女は、優しくショットを打つ。手球が衝突して弾かれた黄色い球は、吸い込まれるようにポケットへと入っていった。

 

「おお」

「やるわねユッキー」

「2番はこれッスね」

 

 台を回り込んで青い球を指さすテツ。球を入れた場合は連続して打てるため、冬雪は再び前傾姿勢になるとキューを構えて狙いを定める。

 

『カンッ! コロンッ!』

 

「うおっ?」

「マジッスかっ?」

「凄っ! ユッキー、上手くないっ?」

「……偶然」

 

 まあ初心者だしビギナーズラックかと思ったが、少女は徐々に頭角を現し始める。3番を落としたのはテツだったものの、4番はまたも冬雪が入れていた。

 あまり運動は得意じゃなかった陶芸少女が、ここにきて思わぬ才能を発揮。心なしか本人も嬉しそうで、次なる球を落としにかかる。

 

「5番はこれッスね」

「…………?」

 

 わざわざ冬雪の正面になるよう台を回り込み、朱色の球を指さすテツ。先程からやっている一見親切な行動だが、別に移動せずとも指示的できる位置にいた筈だ。

 

『カンッ』

 

「うーん、惜しいわね」

「でもやっぱユッキー先輩、上手いッスね」

「……得意……かも?」

 

 手球の位置が悪いため、キューを背中に回して構えるという無駄に恰好いい打ち方を見せるテツ。冬雪の落とせなかった5番を狙ったが、当たりはしたものの落ちないまま俺の番になる。

 

「…………」

 

 俺の時には回り込まず、ただ横で見ているだけの後輩。そんな一挙手一投足に疑惑は濃くなりつつも、球を落とせないまま手番は終わった。

 

「さて、アタシの番ね」

 

 火水木の番になるやいなや、テツはさりげなく移動し少女の正面へと回り込む。

 そんな後輩についていった俺は、コイツの狙いをようやく理解した。

 

「!」

 

 ビリヤードは手球を打つ時に前傾姿勢になる。

 正面に回り込んで見える光景は、豊満な胸を持つ少女の谷間という絶景だった。

 

(あ、ネック先輩も気づいちゃいました?)

 

 火水木が打ち終わった後で、後輩から送られるそんなアイコンタクト。こちらも目で応えようとする前に、俺達のいるポケットを狙って今度は冬雪の番が回る。

 一応言っておくが、別に見ようと思った訳じゃない。偶然目に入っただけだ。

 

「「!」」

 

 相変わらず暑がりなのか、胸元の緩いTシャツを着ている冬雪。そんな少女が前傾姿勢になった結果、首元から艶めかしい鎖骨……そして白い下着がバッチリ見えた。

 つまるところがブラジャーである。ブラチラである。

 

(テツ)

(ネック先輩)

 

『カンッ! コロンッ!』

 

「「イエーイッ!」」

「何でユッキーが入れたのに、アンタらがハイタッチしてんのよ?」

「……いえーい」

 

 全く、ビリヤードは最高だぜ!



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十二日目(金) 僕が幸せだった話と俺が不幸だった件

 ◆

 

「葵君、ダーツやってみない?」

「う、うん!」

 

 ダーツなんて投げるだけと思ってたけど、的の付いた機械を操作すると英語だらけ何が何やら。とりあえず何種類か遊び方があるみたいだ。

 傍らに置かれていたプレイブックと夢野さんと一緒に睨めっこしつつ、当てた点数が加算されていくだけの一番シンプルそうなゲームを選択する。

 

「えいっ!」

 

 バッティングの時も良かったけど、矢を投げる夢野さんも可愛い。

 お互いに三本ずつ投げて、刺さった矢を抜いたらボタンを押して交代。二人とも素人だから四方八方に飛んでいくし、枠外に当たることも多かった。

 

「あ、あの外側の細い所は二倍で、内側は三倍の点数みたいだね」

「真ん中って何点なのかな? 葵君、当てて当てて」

「えぇっ?」

 

 そう言われても、簡単には当たらない。

 得点もどんぐりの背比べで、割と白熱した勝負になってきた。

 

「あー、葵君ずるーい」

「い、今のはセーフだから」

 

 投げた矢が外れたものの、何故か失敗にはカウントされず。冗談半分で茶化す夢野さんに、照れ笑いしつつ応える。

 アキト君に無理言って参加させてもらったけど、来て本当に良かった。

 

「あー、またー?」

「セ、セーフセーフ」

 

 機械が古いのか何度かズルい判定があったけど、逆に一回投げただけで二度判定されるなんてハプニングもあったからおあいこだよね。

 点数的には僕が負けてるけど、何とかいいところを見せたいなと思った時だった。

 

『ズキューン!』

 

「やたっ!」

「わっ! 凄い!」

 

 三本目に投げた矢が、見事真ん中に命中する。

 思わず両手を上げると、一緒に喜んでくれていた夢野さんとそのままハイタッチ。一瞬……ほんの一瞬ではあるけど、僕の手が柔らかい掌と重なった。

 

「こ、これで逆転だね」

「うん、負けないよ」

 

 てっきり100点かと思ったけど、入った得点は50点。そうなると一番得点が高いのは真ん中じゃなくて、20点が三倍になる内側の細い所なのかな?

 その後も抜いて抜かれてを繰り返してると、ラウンドを告げる音が少し変わった。

 

「さ、最後のラウンドみたいだね」

「よーし」

 

 気合を入れる夢野さんだけど、力み過ぎたのか第一投は枠外に当たって弾かれる。ただ先程の僕同様に、失敗のコールは鳴らなかった。

 

「セーフなんだよね?」

「うん!」

 

 子供みたいに無邪気な笑みを浮かべる夢野さんに釣られて笑う。

 改めて投げると、最初の二回は7点に5点といまいちな点数。ただ最後の一投は、一番点数が高いとされていた60点に見事命中して差を広げられた。

 

「やった!」

「ま、まだわからないよ!」

 

 得点差は81点。追いつくのは少し難しいけど充分届く点数だ。

 

『ヒュン』

 

 取ったのは9点の二倍ゾーン。これで残りは63点差。

 

『ヒュン』

 

 今度は普通の14点。これで点差は49点になったから、真ん中を取るか17点以上の三倍ゾーンに当たったら僕の逆転勝ちだ。

 

「葵君、頑張って!」

 

 大きく息を吐いて集中する。

 慎重に投げた最後の一投。ゆるやかな弧を描いて飛んだ矢は、中心付近に突き刺さった……が、あくまで付近であり刺さった場所は1点。僕の負けだった。

 

「く、悔しいなあ」

「ふふ。私の勝ちだね」

 

 勝てなかったのは残念だけど、夢野さんが嬉しそうだし負けて良かったかな。

 何だかハシャギ過ぎたせいか、少し喉が渇いてきた。辺りを見回してみるけど、自販機は上の階にしかないのか見当たらない。

 

「どうしたの葵君?」

「ぼ、僕も何か飲み物を買ってこようかなって」

「私のお茶で良かったら飲む?」

「えっ? い、いいの?」

「はい、どうぞ」

 

 夢野さんからお茶のペットボトルを手渡されるけど、その口は既に開いてる。

 …………ひょっとしなくてもこれって、間接キスだよね?

 少しドキドキしながら、僕は貰ったお茶に口を付けた。

 

 ◆

 

 

 

 

 

「…………なあテツ」

「何スか?」

「どうすりゃお前らみたいに滑れるんだ?」

 

 ビリヤードを終えた後は四階に移動。受付をしていた時から気になっていたが、この階にはスケートリンクのような楕円形の広い空間があった。

 一体何をする場所なのかテツに聞いた結果、俺は今その身をもって体験している。両肘と膝にサポーター、頭にヘルメット、そして足にはローラースケートを付けて。

 

「ネック先輩はこういう諺があるのを知ってるッスか?」

「ん?」

「スケートはパンツのもと」

「お前の脳内辞書はどうなってるんだよ?」

「団地妻とか、こけしとか、マジックミラーとか、尺八とか、カルピスとか、菊とか、マグナムとか、エロくないけどエロそうな言葉が詰まってるッス」

 

 まあ失敗は成功のもととかいう根性論を言われても困る訳だが、だからと言ってスケートをスカートに変えても通じそうな諺にはもっと意味がない。

 確かにスケートつったら、男が滑れない女子のエスコートをするのが定番。うっかり転んでパンツが見えそうな恰好をしているのは火水木だが、これがまた上手いのなんの。

 

「誰だって昔は下手な筈だろ? 上手くなったコツとかないのか?」

「そうッスね……小学生の頃、担任の先生に『人の嫌がる事を率先してできるような人間になりなさい』って言われたんスよ」

「ふむ」

「だから休み時間に率先して女の子のスカートを捲ったら上手くなったッス」

「オーケーわかった。スカート・イズ・ノット・スケート。アンダスタン?」

「パーツン?」

「パードゥンまでパンツになりかけてるじゃねーかっ! パンツじゃなくてコツだっての!」

「いやコツって言われても、慣れとしか言えないッスよ」

 

 ヘルメットもサポーターも付けていない後輩は、軽く答えながら軽快に滑り去っていく。先程から火水木と二人で、楕円を描きつつ気持ち良さそうに風となっていた。

 その一方でローラースケート初挑戦の俺は三輪車並みのスピード。火水木のアドバイスに従い前傾姿勢になっているものの、一向に加速する気配はない。

 

「腰の曲がり具合が『人類の進化』って感じに見えるわね」

「誰がアウストラロピテクスだ」

「どっちかって言うと、バイオハザードのゾンビっぽくないッスか?」

「くそっ! うおっとっと?」

 

 見よう見まねで足を動かすと、すぐ転びそうになる。何とか転倒することは避けつつ端へ移動すると、境界の枠を手摺り代わりにして態勢を立て直した。

 

『クイッ、クイッ』

 

「ん?」

 

 何かと思えば、服の裾をチョイと摘んだ冬雪が上目遣いでこちらを見ている。本来なら可愛いであろうその仕草も、俺同様にフルアーマー装備中だと魅力は半減だ。

 

「……仲間」

 

 ビリヤードでは大活躍を見せた冬雪だが、ローラースケートでは通常運転。俺と一緒で蝶になれず青虫状態だが、その優しさが地味に嬉しい。

 差し出された手をがっちりと握手。そのまま「ナカーマ」と応えるつもりだった。

 

『ツルッ』

 

「……っ」

「ふぉあっ?」

 

 握手だけでバランスを崩した少女が、足を滑らせ後方へ倒れる。

 為すがまま引っ張られた俺は、冬雪へ覆いかぶさるような形になってしまった。

 

「だ、大丈夫か?」

「……大丈夫」

「あーっ! ネック先輩、何どさくさに紛れてユッキー先輩を押し倒してるんスかっ?」

 

 ヘルメット様々であると一安心していたら、脳内ピンクな後輩がアホな発言をかます。確かに構図的にはそう見えなくもないが、こんなフルアーマーカップルがいてたまるか。

 ただ少女の小さな身体は柔らかく、触れ合っていて悪い気はしない。

 

 

 

『…………まずは離してくれないかい?』

 

 

 

 数ヶ月前の苦い思い出が蘇る。

 あの時の阿久津は、きっとこんな視点だったんだろうな。

 

「壁ドンならぬ床ドンね」

「ったく、好き放題いいやがって」

 

 足にローラーが付いているだけで、起き上がるのも一苦労。うっかり冬雪に真空飛び膝蹴りを喰らわせないよう、慎重に身体を起こしていく。

 そしてようやく立ち上がり、一息吐いた俺は顔を上げてから硬直した。

 

「…………」

 

 明らかに敵意を示す冷酷な視線。

 吹き抜けになっている上の階から、阿久津と早乙女がこちらを見ていた。

 

「星華、ドン引きでぃす」

 

 そんな声が聞こえたが、勘違いしているであろう早乙女はどうでもいい。

 阿久津は事情を察しているとは思うが、特に何も言わず去っていく。何だかまた少し距離が開いた気がした俺は、深々と溜息を吐くのだった。



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十二日目(金) 音楽部の二人が息ピッタリだった件

「いやー。葵先輩、卓球上手いッスね」

「い、一応中学は卓球部だったから」

「あとちょっとで勝てそうだったんだけどな」

「いやいやネック先輩、完全に遊ばれてたッス」

「そ、そんなことないよ」

 

 男三人で熱い卓球バトルを繰り広げた俺達は、飲み物を買いに階段を上がる。運動して喉が渇いたものあるが、決勝戦で飲み物を賭けたせいで葵にお茶を奢る羽目になってしまった。

 まあ言い出したのは俺なので自業自得ではあるが、まさか葵がここまで強いとは少し予想外。あの変幻自在の魔球は卓球の王子様と言わんばかりだったな。

 

「あっ! 丁度いいタイミングに来たわね」

「ん?」

 

 財布を取りにロッカーへ戻ると、そこにいたのは火水木と夢野。眼鏡少女は受付の店員から籠を受け取っており、その中にはマイクが二本入っていた。

 

「もし良かったら米倉君も葵君もクロガネ君も、一緒にカラオケやらない?」

「いいッスね! どうせなら全員でやりません?」

「じゃあトール、残りの三人を探しに行きなさいっ!」

「了解ッス!」

 

 まだやるとも言ってないのに、勝手に話が進んでいく。しかしテツの奴は火水木とウマが合うこともあってか、良い感じにパシリとして使われてんな。

 

「あー、先に飲み物買って来てもいいか?」

「オッケー。部屋は3番だからね」

「わかった。葵、青汁で良いんだよな?」

「えぇっ? お茶はっ?」

「冗談だ。ちゃんと買うから先に行っててくれ」

「葵君、米倉君と何か勝負してたの?」

「う、うん。さっき卓球で――――」

 

 一旦分かれつつ自販機へ。運の良いことにラインナップには桜桃ジュースがあったため迷いなく買った後で、葵のお茶も購入しつつカラオケルームへ向かった。

 部屋に入るとL字型の椅子には奥から火水木、夢野、葵と座っていたため俺は葵の隣へ。早速一曲目を送信した火水木が、マイクを片手に立ちあがる。

 入れた曲はメジャーなバラード。てっきりアニソンかと思ったので少し拍子抜けだ。

 

「ほい」

「あ、ありがとう」

 

 買ってきたお茶を葵に手渡す。隣では夢野が何の曲にするか悩んでいるようだった。

 

「こ○ぁーゆきぃー♪」

 

 マイクと曲の音量を調整しながら口ずさんでいた火水木が、サビに入り真面目に歌い出す。音楽部に誘われただけあって中々上手く、そして予想していたが声がでかい。

 

「ひみぃーずきぃー♪」

「えぇっ?」

「おい」

 

 名曲の歌詞を勝手に変えた少女が二番を歌い終わった頃に夢野が曲を選択。画面端に表示されたタイトルはこれまた知ってる曲だが、バラード続きか。

 タッチパネル式の電子目録が葵に手渡されると、程なくしてドアが開いた。

 

「お待たせしましたッス!」

 

 扉を開けて入ってきたのは、一体どこから持ってきたのかマラカスにタンバリンと盛り上げグッズを手にしたテツ。その後ろには冬雪に早乙女が続き、そして――――。

 

「みなぁーづきぃー♪」

 

 きょとんとした後で、阿久津は小さく笑みを浮かべる。

 全員集合したことで席を詰めるが、座った順番はテツ、冬雪、阿久津、早乙女の順。これだけ女子がいて両隣が男になる確率を計算したら3%程しかなかったが、早乙女の奴が隣に来るよりは葵の方が気も楽なので良しとしよう。

 

「はい、櫻君」

「おう……ん? 名前縛りか?」

 

 前に来た客が何を歌ったのか調べようと履歴を確認してふと気付く。火水木は兎も角、夢野も葵も『蕾』だの『青い』だの自分の名前の一部が含まれていた。

 

「えっ? べ、別に意識したつもりはないけど」

「名前縛りなら、ネック先輩は山ほどあるッスね」

「まあな」

 

 バラード続きの流れにも従い、迷うことなく曲を選択。程なくして火水木が歌い終わると、恐らく皆が楽しみにしているであろう夢野へとマイクが手渡される。

 

「はい、葵君」

「えっ?」

 

 籠に入っていたもう一本のマイクを葵に差し出す夢野。確かにこの曲はデュエットだが、渡された音楽部の相方は驚きの表情を浮かべていた。

 

「ゆ、夢野さんが両方歌うんじゃないの?」

「何か恥ずかしくなっちゃって。前に部活で歌ったから、葵君も歌えるでしょ?」

「そ、それはそうだけど……」

「ね? お願い」

 

 そうこう言ってる間に始まる前奏。オロオロしていた葵だが、火水木が「いよっ! 音楽部コンビ!」と発破をかけると意を決したのかマイクを握り締めた。

 スペードとクローバーのどちらを担当するか、その割り振りをジェスチャーで即座に決める二人。やがて表示されたマークを見て、葵が先に歌い出す。

 

「…………ネック先輩」

「ん?」

「葵先輩って、本当に男ッスか?」

「性別:葵だな」

 

 初めて聴く歌声は音楽部だけあって上手かったが、何よりも普段以上に女子っぽさが増している。クラスの男子が聴いたらマジで惚れる奴が出そうなくらいだ。

 続く夢野の歌声は以前にラーメンソング(作詞作曲:米倉櫻)で聴いたことがあったが、あの時とは少し違い……何と言えばいいのか、暖かみを感じる。

 やがてサビになると二人の声が重なり、綺麗な一つの音になった。

 

「「――――空に~♪」」

 

 ハモるところはしっかりハモる二人。正直息も合っていて、お似合いだと思う。

 黙って聞いていた周囲は、曲が終わるなり拍手で二人を称えた。仮に採点機能を付けたとしたら、90点台を叩き出してもおかしくない上手さだろう。

 

「ユメノン先輩と葵先輩、息ピッタリで最高だったッス!」

「そ、そうかな?」

「ふふ。ありがとうね」

 

 休む間もなく続く葵の番。本人は遠慮して演奏中止を頼み込むが、電子目録を持っていたテツが「駄目ッス!」と拒否したため歌うことになった。

 アコースティックギターの演奏にマッチする葵の声。歌詞の内容も想いを伝えようとする切ないラブソングであり、そういう意味でもピッタリな曲かもしれない。

 

「何かこの後だと、物凄く歌い辛いんだが……」

「いいんスよネック先輩。カラオケってのは自分が楽しめればオッケーッス」

 

 まあ確かに前にアキトとカラオケに行ったことがあるが、アイツは俺が歌ってる最中ずっとスマホを弄ってヨンヨンと戯れてたもんな。

 葵からマイクを受け取ると、少し季節外れな桜を歌う。メジャーな曲だったためノっては貰えたが、阿久津辺りは何の曲を入れるか相談しているようだった。

 

「イエーイ! ネックも上手いじゃない」

「前二人とは比べ物にならないけどな」

「そんなことないよ。米倉君の声、私は好きだよ?」

 

 夢野なりのフォローだとは思うが、その言葉を聞いて内心嬉しくなる。

 こんな調子で和やかに進んでいたカラオケだが、これは嵐の前の静けさに過ぎなかった。



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十二日目(金) 夢野蕾が歌姫だった件

「屋代学園一年、鉄透っ! 行きますっ!」

「?」

 

 出番が来るなりテツはいきなり立ち上がると、画面の隣へ移動する。

 流れ出したのはバラードや縛りから一転した、48人いそうなアイドルソング。自分が楽しめれば良いということを実戦して見せるが、それだけには収まらない。

 何と茶髪坊主の後輩は、流れてきたアップテンポの曲に合わせて踊り出した。

 

「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! あー、よっしゃいくぞーっ! タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!」

「…………」

 

 まさかの衝撃的事実。

 合いの手に始まり画面を見ずに歌っている=歌詞を覚えているだけでも充分に凄いが、PV映像に時々映り込むアイドルダンスはテツの振り付けと完全に一致している。

 

「ヒューヒューッ!」

「……凄い」

「驚いたね」

 

 曲に合わせてタンバリンを叩き合いの手にも乗る火水木だが、他はあまりの衝撃にポカーン。いやまさかコイツがコアなアイドルオタクだったとは驚きだ。

 ここまで完璧に踊られると、何かもう恰好よくすら見えてくる。激しいダンスと歌に後半は若干息切れしつつも、テツは見事に最後のターンを決めた。

 

「あざっしたぁっ!」

「凄い凄ーい! クロガネ君、恰好よかったよ!」

「あ、汗も凄いけど大丈夫?」

「大丈夫ッス! いやあ、照れるッス!」

「トールってば見せてくれるわね! 次、ユッキー入れた?」

「……パスした」

「えーっ?」

「わかるぞ冬雪。今のを見せられた後だと歌いにくいよな」

「オレのせいッスかっ?」

「ちょっとトール、どうしてくれんのよー?」

 

 正直冬雪は歌うタイプに見えないし、カラオケは苦手なのかもしれない。そう察してか誰も無理に歌わせるようなことはせず、テツのパフォーマンスに原因をなすりつける。

 阿久津の番になり少し懐かしいバスケアニメの映像と共に曲が流れ出すと、マイクを二本取った少女は一本を早乙女にパス。どうやら二人で一緒に歌うらしい。

 

「いやー、懐かしいッスね。これ、オレも見てたッスよ!」

「まあ有名だよな。俺の家に単行本全巻あるし」

 

 毎回最新巻が出る度に、阿久津と梅と一緒にお金を出しあって買いに行った憶えがある。今でもたまに本棚に無い時があるけど、恐らく梅が友達に貸してるんだろう。

 阿久津の歌もカラオケで聞くのは初めてだったが、終始一緒に歌っていたため早乙女の声量に隠れがち。ただ時折、普段と印象の違う優しい声が聞こえた気がした。

 少し懐かしい思い出に浸りつつ映像を眺めていると、電子目録が回ってくる。何を入れようか思いつかず悩む中、二人が最後のサビを歌い終わった。

 

「さて、アタシも行くわよ!」

「期待してるッス」

 

 気付けば順番が一周したようで、次は火水木の番らしい。

 二人の会話を耳にしつつ曲を探していると、流れてきたのは緩やかな曲調のギター音。テツや阿久津達の時にはタンバリンを叩いてノリノリだった割に、意外とバラードが好きなんだな。

 

「I could not――――♪」

 

 聴き慣れない言語に顔を上げてみるとまさかの英語。カラオケで知らない曲を歌われると若干退屈に感じるが、洋楽だと歌詞も分からないため尚更である。

 まあテツの言っていた通り、カラオケなんてのは自分自身が楽しむもの。そう考えれば好きな曲を入れるのは当然であり、何を歌おうと別に文句はない。

 

「「「「「「…………」」」」」」

 

 しかしどういう訳か、周囲の面々はスマホを弄ることもなくジッと眺めている。

 まるで何かを期待するかの如く、退屈どころかワクワクしているようにさえ見えた。

 

「?」

 

 歌っていた少女は静かに立ち上がると、テレビの前へ移動する。

 優しいギターの音色が止んだ。

 瞬間、世界は一転する。

 

 

 

「クレナイだぁあああああああああああああああああああああーーーっ!」

 

 

 

 マイクを片手に火水木が叫んだ。

 知らないなんてとんでもない。

 洋楽と思っていた曲は、俺も良く知る邦楽の名曲……こんな始まり方だったのか。

 

『ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ』

 

 激しく鳴り響くエレキギターとドラム音。

 リズムに合わせて夢野がマラカスを振る。

 隣では葵もタンバリンを叩き、テツが激しく頭を振り始めた。

 

「――――――」

 

 自慢のでかい声を生かした、熱いシャウト。

 上手さ云々以上に、心に響いてきた。

 間奏に入るとエアギターを披露するノリノリの少女。

 そしていよいよサビを迎える。

 難しい高音を見事に出し切ってみせる火水木。

 更に盛り上がりは加速した。

。自然と身体が動く。

 電子目録を放置し、曲を入れることなんて忘れていた。

 気付けば阿久津や早乙女、冬雪と一緒に手拍子を合わせる。

 ライブ会場と化したカラオケルームは、まさに一体となっていた。

 

「――――Crying in deep redーーーー♪」

 

 やがて少女は歌い終える。

 曲が終わり盛大な拍手に祝福された火水木は、やりきった顔を浮かべた。

 

「いよっ! ミズキ先輩っ! マジ最高ッスっ!」

「す、凄かったよ火水木さん!」

「……恰好良かった」

「応援サンキューっ! 次も見物だから目を離しちゃ駄目よ」

「もう、ミズキってば」

 

 そう言うと火水木は夢野とハイタッチを交わし、熱の入ったマイクを手渡す。

 若干照れ臭そうな夢野だったが、彼女もまた立ち上がるとテレビの前に移動した。

 

「あ! 夢野さん、入れたんだ」

「えへへ」

 

 何やら知っている風な反応をする葵。とても想像できないが、まさか夢野もシャウトしたりしないよなと、今度はタイトルを見逃さずに確認する。

 少女が入れた曲は少し前にやっていた映画の主題歌。火水木みたいなヘヴィメタルではなく、バラードであることに少し安心した。

 ただ日本語版があるにも拘わらず、夢野が入れたのは英語版。誰もが知っている名曲であるため問題はないが、レリゴーをまともに歌えるというのだろうか。

 

「英語版だけれど良いのかい?」

「うん」

 

 同じことを阿久津も疑問に思ったようだが、夢野は笑顔を見せつつ頷いた。

 雪の降りしきる景色を彷彿とさせる、物寂しいピアノの前奏。

 大事そうにマイクを抱きしめていた少女は、ゆっくりと顔を上げて歌い始めた。

 

「The snow――――♪」

 

 優しい歌い出しから始まり、時に力強く、時に寂しげな感情が籠る。

 歌い慣れているのか、英語の発音も完璧だった。

 サビが近づくにつれ、声量が徐々に増していく。

 

「――――っ」

 

 そのピークを迎えると同時に、思わず鳥肌が立った。

 周囲の反応を見ることすら忘れ、完全に目を奪われる。

 いや、きっと他のメンバーも俺と同じだっただろう。

 歌姫と呼んでもおかしくない。

 夢野の歌っている姿は……そしてその歌声は、それほどまでに綺麗だった。

 

「!」

 

 チラリと夢野がこちらに視線を向ける。

 思わずドキッとした。

 何でだろう。

 不思議と心臓の鼓動が速くなる。

 自分に足りなかったものが満たされていく……そんな錯覚。

 やがて少女は静かに歌い終える。

 その瞬間、一斉に拍手が舞い起こった。

 

「ユメノンってば、相変わらず見せてくれるわね」

「す、凄く良かったよ夢野さん!」

「ああ、凄かった……」

「やばいッス! オレ、めっちゃ感動したッス! ほら、涙出てきたッス」

「……ユメ、綺麗だった」

「ボクも感動したよ。カラオケで感動するなんて初めてかな」

「す、凄かったでぃす」

「そんなことないってば。皆、ありがとうね」

 

 謙遜する夢野だが、これは充分に誇っていい上手さだと思う。保育士志望なのが勿体ないくらいで、お金を払ってでも歌声を聞きたいくらいだ。 

 

(…………葵の奴が惚れるのも納得だな)

 

 仮にまたカラオケへ行く機会があるとしたら、こうして皆が一緒の時だろう。

 その後もテツがマラカスをサイリウム代わりにしてオタ芸を披露したり、冬雪も阿久津と一緒に歌ったり、火水木文具のテーマソング(仮)を歌ったりとネタは尽きない。

 時にはボカロ曲、そしてまた時にはコミカルソングを歌い、最終的には皆で合唱曲を熱唱。そんなこんなで俺達のカラオケは幕を閉じたのだった。



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十二日目(金) 早乙女星華が夜空コンビだった件

 カラオケが終わった後は再び解散。阿久津、早乙女、夢野、火水木の四人が道具返しがてら受付方向へ向かい、先輩との交流に積極的なテツは葵&冬雪に声を掛けていた。

 俺は大きい方を催したので一旦トイレへ。戻ってきた後で、まだ見に行っていないゲームセンターゾーンへと足を踏み入れる。

 定番である太鼓などの音ゲー類は勿論、格闘ゲームやレースゲーム、シューティングゲーム等の豪華ラインナップが全て無料。各種アーケードゲームがボタン一つでプレイできるという違和感に驚きを隠せない。

 

「…………ん?」

 

 その一角にある、小さな薄暗い部屋が目に入る。

 中に冬雪がいるのが見えたため歩を進めるが、部屋の中は少し生臭かった。

 

「へー、釣り堀なんてあるのか」

「……(コクリ)」

「テツは一緒じゃなかったのか?」

「……クロなら飽きて、アオとゲームしに行った」

「成程な」

 

 冬雪の呼び方がコードネームみたいで無駄に恰好いい二人。桃なら一応いる訳だし、赤とか緑がいれば戦隊が組めそうだな……テツの奴が裏切りポジションか。

 備え付けの小さな釣竿を使って糸を垂らしている冬雪。釣り堀といっても別にそんな大それたものではなく、半径5mくらいの大きさをした池もどきだ。

 まじまじと池を眺めた後で、少女の隣へ椅子を運んで腰を下ろす。

 

「何が釣れるんだ?」

「……鯉」

「恋? …………あ、鯉か」

 

 一瞬何をいきなりロマンチックなことを言い出したのかと思った。ゴメンな冬雪、いつか鯉ダンスを考えてくるから許してくれ。

 

「餌って、これを付けるのか?」

「……(コクリ)」

 

 冬雪が竿を上げると、どうやら餌だけ食べられていたらしい。粉っぽい餌を丸めてから針に付ける少女を真似つつ、俺ものんびり釣りをすることにした。

 

「冬雪は普段釣りとかするのか?」

「……お父さんが好き」

「へー」

「……ヨネは?」

「俺は全くだな。小学生の頃に、ザリガニなら釣ったけどさ」

「……そう」

「…………」

「……」

 

 ………………何て言うか、釣りって暇だな。

 試しに竿を引き上げてみると、まだ餌は食べられずに残っている。本当に釣れるのか疑わしくもあったが、時々魚影が見えるため鯉はいるらしい。

 それなら餌の量を増やしてみようと、針を手元に引き寄せる。

 

「……ヨネ」

「ん?」

「……ミナのこと避けてる?」

「…………何だよいきなり」

 

 危うく餌じゃなくて指を刺すところだった。

 再び糸を垂らすと、冬雪は釣竿ではなく俺をジーっと見ながら呟く。

 

「……テスト前、部室来なかった」

「単に今回は家で勉強したい気分だっただけだよ」

「……トメがいるから?」

「だから別に避けてはいないっての。まあ早乙女は俺のこと嫌いみたいだけどな」

「……きっとトメは勘違いしてるだけ」

 

 冬雪のフォローはありがたいが、実際はそうでもない。

 だからこそ俺はアイツに何も言い返さず、黙って現状を受け入れている。

 

「……ヨネ最近頑張ってる。陶芸も勉強も」

「まあ、二年になったしな」

「……部員も増えて嬉しいけど、みんな仲良しがいい」

「こうして仲良くスポッチに来てるぞ?」

「……ヨネとミナ、全然喋ってない」

「そうか? 別に普段と変わらないっての」

「……やっぱり間違ってる」

 

 一体何が間違ってるというのか。

 柄にもなくよく喋る少女は、突拍子もないことを言い出した。

 

「……変わらないなら、今から私と一緒にミナの所に行く」

「…………はい?」

 

 冬雪は釣竿をそそくさと片付ける。

 そして立ち上がるなり、弱々しい力で俺の腕を引っ張り始めた。

 

「お、おい? 急にどうしたんだよ?」

「……私は前の方がいい」

「はあ?」

「……今のヨネとミナ、見てて寂しい」

 

 冬雪にしては珍しく、少し強めの口調だった。

 そんな少女に従い竿を片づけて釣り堀を後にすると、運が良いのか悪いのか一分も経たずにゲームセンターゾーンへ来ていた阿久津と早乙女を見つける。

 

「……ミナ、トメ、勝負」

「音穏……?」

「どうしたんでぃすか音穏先輩?」

「……こっち」

 

 俺から手を離した冬雪が、今度は二人の腕を引っ張っていく。

 

「事情はわからないけれど、少し落ち着いたらどうだい?」

「根暗先輩、音穏先輩に何を吹き込んだんでぃすかっ?」

「いや、別に俺は何も……」

 

 仕方なく後をついていくと、辿り着いたのはエアホッケー。チーム分けは当然のように俺&冬雪チームVS阿久津&早乙女チームという編成になった。

 冬雪がボタンを押すと、派手な音楽と共に機械がゲーム開始を告げる。

 

「よくわかりませんが、やるからには根暗先輩如きに負けられないでぃす! ミナちゃん先輩、久し振りに黒谷南中夜空コンビの力を見せる時でぃすよ!」

「そのコンビ名を言っていたのは星華君だけだと思うけれど、懐かしい響きだね」

 

 阿久津水無月に早乙女星華、夜空に浮かぶ月と星のコンビが身構える。俺と冬雪も判子みたいな弾く道具(正しくはマレットという名前らしい)を握り締めた。

 先にボール……ではなくパックを手にしたのは冬雪。基本的に運動全般が苦手な少女だが、ビリヤードで見せたコントロールがあればいけるかもしれない。

 

「……っ」

 

 よく狙いを定めた少女は、勢いよくパックを打ち出した。

 

 

 

『カカンッ』(テーブルの端で二度跳ね返る)

 

 

 

『カコンッ』(戻ってきたパック、見事俺達の陣地にゴールイン)

 

 

 

「……ごめん」

「…………ぷっ……くっ、あっはっは」

「……?」

「悪い悪い。いや、気にすんなって。ドンマイドンマイ」

 

 実に冬雪らしい第一打に笑いつつ応える。

 同じように二人が笑みをこぼす中、俺はパックを手に取った。

 

「うっし。そんじゃ次は俺がやってもいいか?」

「……お願い」

 

 こういうのは壁に反射とか、変にテクニカルなことはしない方が良い。

 真っ直ぐに狙いを定めて腕を素早くスイングすると、高速で打ち出されたパックは守ろうと反応した二人をすり抜けゴールへと吸い込まれていった。

 

「うっし!」

「……ヨネ」

「ん?」

 

 両手を高々と上げる冬雪。

 珍しいなと思いつつも、俺は少女と共にハイタッチを交わした。

 

「「いえーい」」

「言っておくけれど、勝負はまだ始まったばかりだよ」

「そうでぃす! 最後に笑うのは夜空コンビでぃす!」

「そっちこそ、チームヨネオンの力を舐めるなよ? 来るぞ冬雪!」

「……頑張る」

 

 こうして俺達の熱い戦いは始まった。



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十二日目(金) 運動する時は悩んでる時だった件

「……負けた」

「あと少しだったんだけどな」

 

 勝負は夜空コンビ優勢で進んでいたが、ラスト30秒で機械から謎のコール。何かと思えば一回で3点という驚きのサービスタイムに突入した合図だった。

 そこからは全力で追い上げたものの、あと2点……つまり1ゴール届かず。勝った二人はハイタッチを交わし、満足そうな表情を浮かべている。

 

「……次」

「はい? 何でぃすか?」

「……リベンジマッチ」

「受けて立とうじゃないか」

「……こっち」

 

 冬雪の後に続いて移動すると、少女が立ち止まったのはレースゲーム。定番である亀の甲羅やバナナを投げる方じゃなく、シンプルなタイプのゲームだった。

 四つある運転席に各々が乗りこむと、各自マシンを選択する。全員で同じコースに合わせ、レースが始まる直前になってから困ったことに気付いた。

 

「冬雪。どっちがアクセルでどっちがブレーキだ?」

「……知らない」

「なあ、阿久津――――っ!」

 

 いつもの癖で、つい呼んでしまう。

 思わず言葉を止めた。

 無意識に取ったその行動に、自分自身が驚く。

 何でだ?

 どうして呼ぶのを躊躇う必要がある。

 春休みの一件があったため、確かに話しかけ辛くはあった。

 でも別に阿久津のことを避けていたつもりはない。

 いつも通り話そうと思えば、普通に話せる筈だ。

 

(…………)

 

 いや、違う。

 俺は阿久津に話しかけるのが怖かった。

 以前のように言葉を返してくれないのではないかと、不安でしかなかった。

 何にせよ、もう遅い。

 右隣の運転席に座った少女は、俺の方を振り向く。

 久し振りだった。

 少女の整った顔を、この距離で真正面から向き合うのは。

 

「利き足がアクセルだよ」

 

 阿久津は淡々と答えた。

 いつも通り、不敵な笑みを浮かべながら。

 その表情が普段より少し嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 

「お、おう! サンキュー!」

 

 シグナルが赤から青へと変わる。

 その瞬間、俺は左足を力強く踏んだ。

 

 

 

『ブーン』(走り出していく三台の車)

 

 

 

「あれっ? えっ?」

「ああ、そういえばキミは利き手は右だけれど、利き足は左だったのを忘れていたよ」

「阿久津お前っ! わかってて教えやがったなっ?」

「さあ、どうだかね。まあ4割はボクが悪かったかな」

「半分以上俺のせいかよっ?」

「それより音穏の車がコースアウトしているよ」

「冬雪ぃっ?」

「……難しい」

 

 俺は右足を強く踏み込む。イニシャルSの力、見せてやろうじゃねーか!

 

 

 

 ――五分後――

 

 

 

「まさかあそこから逆転するとは驚いたよ。ゲームの腕は相変わらずだね」

「屈辱でぃす」

「これで一勝一敗だな」

「……最後はこれ」

 

 冬雪が選んだのは、普通のゲームセンターでは見慣れない大型のゲーム。目の前に大画面があり、手元には山ほどのボールが用意されていた。

 

「どうやって遊ぶんだ?」

「……知らない」

「いいじゃないか。やってみよう」

 

 そう言うなり、阿久津が手元にあったボールの一つを画面に投げる。するとゲームが始まり『ストーリーモード』と『ボスチャレンジモード』が表示された。

 

「どっちにするんだい?」

「星華、ストーリーが見たいでぃす!」

「良いんじゃないか?」

「……(コクリ)」

 

 選択肢にボールをぶつけると物語が始まる。どうやらブロックデビルなる悪者を倒せということらしく、基本的に手元のボールを敵にぶつければ良いらしい。

 

「これ、対戦じゃなくて協力っぽくな――――」

 

 そう言いかけた矢先、いきなりゲームが始まった。

 唐突に目の前へ現れる大量の敵。あまりにも突然の出来事に、俺達は慌てつつボールを掴むと手当たり次第に投げて投げて投げまくる。

 

「やばばっ? 量が多過ぎでぃす!」

「画面右側はボク達が引き受ける。左は任せたよ」

「わかった! 行くぞ冬雪!」

「……頑張る」

 

 もうこの際、勝負なんてどうでもいい……というかそれどころじゃない。

 アーケードゲーム特有の難易度なのか、溢れ出てくる敵の量がヤバいのなんの。暫くすると画面上にあったゲージがMAXになり、ボタンを押せという指示が出た。

 

「「!」」

 

 慌てて真ん中に置かれていた砲台のボタンを俺と阿久津が押す。やや俺の方が早く押したため、阿久津の手が上から重なる……というより叩かれる形となった。

 

「っ! すまない。大丈夫かい?」

「問題ない! それより次が来たぞ!」

 

 今度の敵は耐久が上がっており硬いのなんの。マジで設定おかしいだろこれ。

 ただのゲームだというのに気付けばすっかり熱くなっており、徐々にHPを削られゲームオーバーになったものの全員一致で迷わずコンテニューを選択する。

 時には外に転がってしまったボールを慌てて拾いに行き、時には下手な鉄砲数打てば当たるとばかりに両腕でボールを大量に抱えて一気に投げつけた。

 

「……疲れた」

「う、腕が痛いでぃす」

 

 プレイヤーへのダメージも大きく、額から垂れてきた汗を腕で拭う。

 しかし俺達は死闘の末、ついにここまでやってきた。

 大画面に現れしは、全ての元凶ブロックデビル。それを見るなり、疲れ果てていた早乙女と冬雪も最後の力を振り絞ってボールを手に取る。

 

「うおおおおおおおっ!」

 

 俺達は投げた。

 投げて、投げて、投げ続けた。

 ボールは投げても、ゲームは投げなかった。

 

『ボタンを押せっ!』

 

「「!」」

 

 俺と阿久津の手が再び重なる。

 叩きつけるようにボタンを押すと、ブロックデビルは砲弾を浴びて倒れた。

 

「やった! これで終わりでぃすか?」

 

 やってないフラグになりそうな発言を早乙女がするが、第二形態はないらしい。

 平和が戻ったブロック王国のエピローグを眺めつつ、俺達は大きく息を吐いた。

 

「恐ろしい奴だったぜ、ブロックデビル」

「……勝った」

「何と言うか、予想以上に疲れるゲームだったかな」

 

 阿久津の言う通り、あまりにも疲れ過ぎて次のゲームをやる元気はない。チームヨネオンVS夜空コンビの三本勝負は、どうやら引き分けに終わったようだ。

 

「喉が渇いたね……ボクは飲み物を買いに行くよ」

「星華も行きます」

「……(コクリ)」

 

 阿久津はそう言うと、早乙女を連れて去っていく。

 その後ろ姿を眺めつつ、冬雪は小さな声で呟いた。

 

「……ミナ、前に言ってた。悩んだ時は身体を動かすに限るって」

「ん?」

「……ミナが運動する時は、悩んでる時」

「いや、常にそうとは言い切れないだろ」

「……少なくとも、今回はそう」

「?」

「……とにかくヨネは、前みたいに接してほしい」

「お、おう」

「……………………音穏」

 

 俺達の会話は聞こえていなかったと思うが、阿久津が立ち止まり振り返った。

 早乙女は先に行かせたらしく、一人になった少女は淡々と尋ねる。

 

「少しいいかい?」

 

 阿久津に呼ばれた冬雪が、チラリと俺を見た。

 その意図はわからない。

 ただ何となく、特にこれといった理由はないが俺は少女に礼を告げるのだった。

 

「サンキュー冬雪」

「……(コクリ)」



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十二日目(金) クレーンの景品が犬と猫だった件

「あ! いたいた」

「ん?」

「結構いい時間だし、そろそろ帰らない?」

 

 桜桃ジュースを片手に休んでいると、火水木がやってきてそんなことを言う。ガラケーを取り出し時間を確認すると既に夕方で、気付かなかったが着信も入っていた。

 

「あ、悪い。電話してたのか」

「持ち歩いてたなら出なさいよ。ユメノンとオイオイは見つけたけど、ユッキーとツッキーとホッシーとトールが行方不明なのよね。どこかで見なかった?」

「冬雪ならゲーセンゾーンで釣りしてるかもな」

「じゃあユッキーの方はアタシが見てくるから、アンタも協力しなさい。誰か一人見つけたら入口に集合ね。あと電話にはちゃんと出なさいよ」

「了解」

 

 恐らくは同じような指令を夢野と葵にも出したんだろう。残りのメンバーが複数人で固まっていなければすれ違うことはない、地味に頭の良い方法な気がする。

 火水木が去って行った後で、空になったペットボトルをゴミ箱へシュート。心当たりがあるのは冬雪だけでなく、阿久津と早乙女の居場所にも薄々見当がついていた。

 

「…………」

 

 まあ、やっぱりここだよな。

 エレベーターに乗って屋上に行くと、ボールのバウンドするドリブル音が聞こえる。予想通り二人はバスケコートで、1ON1の勝負をしていた。

 

『……ミナが運動する時は、悩んでる時』

 

 ふと冬雪の言葉を思い出し、声を掛けようとしたが考え直す。

 そういえば前に一度、俺も阿久津と1ON1をしたことがあった。あれは確か梅の練習試合を一緒に見に行った時……昨年の9月だったか。

 あの時は夢野と俺の接点について一緒に悩んでくれていたが、今回はいまいち見当がつかない。アイツが俺のことで悩んでるとは考え辛いし、先日終わったテストの手応えが微妙とかそんな感じだろうか。

 

「…………」

 

 こちらに気付かず楽しんでいる二人の攻防をボーっと眺める。

 俺と違い早乙女は阿久津同様、元バスケ部の部長をやっていた程の腕前。阿久津の方がブランクは一年長いが実力は拮抗しており、戦況は一進一退を繰り返していた。

 

「?」

 

 そんな中、唐突に視界が真っ暗になる。

 瞼には柔らかい掌の感触が当てられ、背後から聞き慣れた少女の声がした。

 

「だーれだ…………って、声出したらわかっちゃうよね」

「そりゃまあそうだな」

「…………」

「………………ん?」

「ちゃんと答えるまで放しません」

「夢野だろ?」

「正解♪」

 

 視界が戻った後で振り返ると、少女は無邪気な笑顔を浮かべている。夢野以外には誰もおらず、夕日の差し込んでいたエレベーターのドアが閉まった。

 

「米倉君が戻ってこないから迎えに来ました」

「え? ああ」

 

 そういや、俺は二人へ帰ることを伝えに来たんだっけ。

 すっかり忘れていた本来の目的を思い出すと、夢野は首を傾げつつ尋ねてくる。

 

「水無月さんに見惚れちゃってた?」

「何でそうなるんだよ?」

「だって声も掛けずにボーっとしてるんだもん」

「…………冬雪が言ってたんだよ。阿久津が運動する時は、悩んでる時だって。別にそんな風には見えないけど、仮にそうなら止めるのも悪い気がしてさ」

 

 まあ、だからと言っていつまでもこうして眺めている訳にもいかない。

 俺が声を掛けに行こうとした矢先、夢野は納得したように小さな声で呟いた。

 

「そっか……うん。雪ちゃんの言ってることは合ってると思うよ」

「え?」

「私は悩んでる理由、分かる気がするな」

 

 どういうことだ。

 そう聞き返すよりも先に、少女は二人の元へと向かった。

 

「二人ともー。いい時間になってきたし、この後で一階にあるクレーンゲームとコインゲームが遊べるらしいからそろそろ帰ろうって!」

「そうだね。これが最後に一本だ」

「了解でぃす」

 

 ボールを持った阿久津が早乙女にパスをし、少女はパスを返す。

 それが開始の合図となり、早乙女は腰を低く両手を広げてディフェンスへ。阿久津はドリブルを始めると、徐々にボールが弾む音の間隔が短くなっていく。

 

「!」

 

 ボールを奪い取ろうと早乙女が腕を伸ばした瞬間、阿久津のドリブルに緩急がついた。

 ギアを一段上げたような速さで右手から左手へ移動するボール。そのまま左から切り込む素振りを見せると、早乙女は素早く反応する……が、それはフェイントだった。

 早乙女の身体が一歩後ろへと引いた瞬間、阿久津が右から一気にゴール下へ切り込む。しかし相手も元バスケ部だけあって、マークは完全には外れない。

 それでも少女はディフェンスがいることも構わず、ワンツーとステップを踏んで腕を伸ばす。綺麗なフォームによって放たれたレイアップは、バックボードに当たるとリングに吸い込まれた。

 

「ナイッシュー♪」

「ありがとう。待たせてすまなかったね」

「流石はミナちゃん先輩! ブランクがあるとは思えないでぃす」

「よく言うよ。終始ボクを圧倒していたじゃないか」

「そんなことないでぃ……」

 

 早乙女が俺に気付くなり、ムッと顔を顰める。それを不思議そうに見ていた阿久津だったが、少女の視線を見て納得したらしく溜息を吐いた。

 

「すまないね」

「あ、ああ」

 

 それは『わざわざ迎えに来てくれて』という意味か。

 はたまた『ボクの後輩が』という意味なのか。

 すれ違いざまに囁かれた言葉の真意は不明のまま、俺達四人はエレベーターで降りると残りの面々と受付で合流。入場の際に付けられたバンドを切ってもらった後で、火水木がチケットらしき物を人数分受け取っていた。

 

「ん? 何だそれ?」

「一階にあるキャッチャーが一回遊べる無料券と、ゲームセンターのメダルが10枚分。スポッチで遊ぶとサービスで貰えるのよ」

「へー」

 

 そういや、さっき夢野もそんなことを言ってたな。

 再びエレベーターに乗り一階へ移動すると、チケットをハイテンションな店員に渡す。

 

「らっしゃせーっ! 左右どちらになさっすかー?」

 

 遊べるクレーンゲームは指定されているらしく、案内されたのは小さなマスコットぬいぐるみの入ったもの。左には犬が入っており、右は猫が入っていた。

 

「右がいい人!」

 

 火水木が票を取ると手を挙げたのは火水木、阿久津、早乙女、テツの四名。もっとも早乙女は阿久津が手を挙げるのを見てから反応したのは言うまでもない。

 

「じゃあ右4、左4で」

「かしこかしこまりましたかしこーっ!」

 

 ぶっちゃけ俺としてはどちらでも良かったんだが、どうやら勝手に犬派にカウントされてしまったらしい。まあ人数も半々だし別にいいか。

 最初の挑戦者は冬雪と火水木。冬雪が正面からボーっと眺めつつ適当にボタンを押す中、眼鏡を光らせた火水木は横から斜めから慎重に判断しつつ操作する。取り方一つ見るだけで熱意の違いは一目瞭然だ。

 

「……難しい」

「まあクレーンゲームなんて、そう簡単に取れ――――」

「キタッ!」

「…………は?」

「おんめでとーございやーすっ!」

 

 ハイテンション店員が、五月蝿いくらいにガラガラと鐘を鳴らす。上手い具合にタグへアームを引っ掛けた火水木は、見事に猫のマスコットをゲットしてみせた。

 

「……マミ、上手」

「まあアタシにかかればざっとこんなもんよ」

 

 ドヤ顔で大きな胸を張る少女。多分普段からグッズとか集めてるから上手いんだろうな。

 しかしこんなちゃっちいストラップ、欲しがってる奴なんか…………。

 

「「…………」」

 

 心なしか阿久津と夢野が、妙に物欲しそうな目で見ている。あれ……えっと……ひょっとして阿久津さんも夢野さんも、やる気満々だったりする感じですか?

 

「ぼ、僕も取れるかな?」

「うっし、オレも続くッス!」

 

 二番手の葵とテツが挑戦するのをジーっと観察する阿久津。コイツのことだからアームが秒速何㎝とか、ボタンを離した後の制動距離とか計ってそうだ。

 一方の夢野は火水木に取り方のレクチャーを受ける。あの手のタイプは『トライアングル』とか『けさ取り』より『タグ掛け』の方が良いとか専門用語バリバリだった。

 

「む、難しいね……」

「ぬわーっ!」

 

 挑戦者の方は二人とも失敗。惜しくもなんともない空振りである。

 続いてデータ収集の人柱になる三番手は俺と早乙女……だったのだが、ぶっちゃけこの手のクレーンゲームは取れたことがない。

 

「夢野、俺の分もやるか?」

「え? いいの?」

「ああ。こういうの苦手だからさ」

 

 という訳で選手交代。三番手は夢野と早乙女の挑戦となった。

 悩みに悩んでいる夢野をよそに、ミナちゃん先輩のためにとデコを光らせる後輩。早乙女のアームは正攻法で掴みにいったが、パワーが足りずマスコットは落ちてしまう。

 

「ムキーッ! この猫、落ちそうで落ちないでぃす!」

「落ち着けって早乙女っち。どうどう」

 

 台パンしそうな少女を、暴れ馬を躾けるかの如くなだめるテツ。そんなやり取りをしている中で、早乙女同様に失敗した夢野が悔しそうな表情を浮かべる。

 そしていよいよ最後のチャレンジャー、夢野と阿久津の挑戦が始まろうとしていた。

 

「…………やっぱり米倉君、やってくれない?」

「ん? いや、景品が欲しいなら火水木に頼んだ方が良いと思うぞ」

「アタシだって絶対取れる保証はないってば。それにネックだってゲーム上手いじゃない」

「俺が得意なのはテレビゲームとパズルで、こういうクレーンとかは専門外だっての」

「ううん。取れなくてもいいの。せっかくなら皆で楽しみたいなって」

「まあ、そういうことなら……」

「ネック先輩、男の見せどころッス!」

「いやだから期待すんなって」

 

 葵にやるかと促してみるも、取れる自信がないためか手を横に振り拒否される。

 何だかんだで結局俺がやることになってしまい、集中している阿久津の隣に立つと何も考えず適当にボタンを操作した。

 

「おー?」

「あー」

 

 …………やっぱり、今回も駄目だったよ。

 アニメの主人公ならここで取るんだろうが、まあ世の中そんなに上手くはいかないもの。隣では猫が取れなかった阿久津が溜息を吐いており、結局取れたのは火水木だけだった。

 

「はいツッキー、これあげる」

「いいのかい?」

「勿論。アタシが貰っても使い道ないし」

「それならお言葉に甘えるよ。ありがとう」

「良かったね、水無月さん」

 

 メダルコーナーへ向かう途中、後ろからそんなやり取りが聞こえてきた。

 それを見ていた葵は立ち止まると、意を決したように小さく頷く。

 

「櫻君、僕ちょっと行ってくるね」

「ん? 行くって……おい、葵?」

 

 言うが早いか、クレーンゲームの方へ戻って行く葵。貯金箱に財布の中身を吸われなければいいが、とりあえず葵の分のメダルは俺が預かっておくとするか。



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十二日目(金) メダルゲームのハプニングだった件

 カウンターで受け取ったのは、10枚のメダルが入った掌サイズの小さなバケツ。そんな心もとない軍資金を葵以外の六人に一つずつ配ると、各自が戦場へと旅立つ。

 

「ツッキー先輩、競馬やりましょうよ競馬!」

「ちょっと鉄、ミナちゃん先輩を悪い遊びに誘わないでほしいでぃす」

「いや、少し興味はあるかな」

「いぃ?」

「……あれ、面白そう」

「じゃあ雪ちゃん、一緒にやろっか」

 

 阿久津に早乙女、そしてテツの三人が競馬ゾーンへ。冬雪と夢野はビンゴゲームの方に去って行き、残った火水木は葵がいるであろうクレーンゲームの方を見ていた。

 

「どうしたんだ?」

「別に何でも。ただオイオイは頑張ってるなーって思っただけよ」

「そうだな」

「アンタも少しは見習ったら? トールと一緒に行けば良かったじゃない」

「10枚なんてあっという間に無くなるんだから、何で遊んだって同じだろ」

「そういう考えが駄目なのよね。アタシに付いてきなさい」

「?」

 

 言われた通り火水木の後に続き、ピロリロピロリロとパチンコ店みたいに騒々しいメダルゲームコーナーへと入ると、少女はいくつかのマシンを眺めて回る。

 やがて辿り着いたのは、よくあるプッシャーゲーム。メダルを投入することでフィールド上にあるメダルを押し、こぼれ落ちたメダルが手に入るアレだ。

 

「これならいけそうね」

「何を見て回ってたんだ?」

「ジャックポットになりそうな台を探してたのよ」

「成程な……っと、あの穴にメダルを入れればいいのか?」

「そういうこと」

 

 長椅子に二人で座り、狙いを定めつつ投入口へメダルを入れていく。一枚一枚を丁寧に使うが消耗は避けられず、大体3枚入れたら2枚返ってくる程度だった。

 

「ねえネック、悩みは一人で抱えない方が良いわよ?」

「何だよいきなり」

「少し心配なだけ。ツッキーと喧嘩でもした?」

「別にしてないっての」

「じゃあ何? 告白して振られでもした?」

「何でそうなるんだよ?」

「変だからに決まってるじゃない。前はあんなに喋ってたのに、最近は全く交流なし。何かあったことくらい誰でもわかるわよ」

 

 核心を突かれ内心慌てたものの、何とか気付かれずには済んだようだ。

 互いにメダルを投入しながらの会話だから良かったが、もし面と向かって話していたら火水木は何かと鋭いため察知されていたかもしれない。

 

「そんなに違和感あるか?」

「バ○キンマンが石鹸使って手を洗ってるくらい変ね」

「別にふつ……変だっ!」

「もしくは空から親方が落ちてくるレベルよ」

「ヤバいだろそれっ?」

「まあ何があったかは聞かないけど、アタシで良ければいつでも相談に乗るから」

「ん、サンキュー」

 

 深くは詮索しないで、冗談を交えつつ励ましてくれる火水木。相談して解決するような問題でもないし、既に先程冬雪のお陰で解決したような気もするので、今は気持ちだけありがたくもらっておこう。

 

「キタキタ! あと一回でジャックポットよ!」

 

 俺達のメダルは混ぜており、気付けばその残りは僅か数枚。そしてこの中に葵の持ち分である10枚が入っていたことをすっかり忘れていた。

 今ここで葵が戻ってきたらどうしようかと悩む俺をよそに、そんな事情を知ってか知らずか火水木は今まで以上に慎重に狙いを定める。

 

「…………お前って悩みとかなさそうだな」

「失礼ね。こう見えても中学時代は悩みまくりだったんだから」

「へいへい……おっと」

 

 うっかり数枚しかない貴重なメダルを落としてしまい、足元に屈み込む。

 幸いにも機械の下に転がりこむようなことはなく、簡単に拾うことができた。

 

「ふう…………っ!」

 

 思わぬ光景に動きを止める。

 別に悪気はなかった。

 目の前には程良い肉付きの脚を包み込む、少女のニーハイソックス。

 吸い込まれるように視線を上げた結果、ムチっとした艶めかしい太股が目に入る。

 そしてその付け根、暗黒空間の奥にある黒い下着が見えていた。

 

「…………………………」

「ちょっと、まだ見つから…………」

 

 視線を下げた火水木と目が合う。

 やばい。

 パンツやばい。

 頭の中で必死に弁解を考えた。

 しかし少女は脚を閉じて隠すと、溜息を吐きつつ尋ねる。

 

「いつまで見てんのよ。別に怒らないから、さっさと上がってきなさい」

「え……?」

 

 膝蹴りの一発でもされるかと思ったが、意外にも火水木は落ち着いていた。

 予想外の返答に驚きつつ椅子へ戻ると、少女はやや呆れ気味に口を開く。

 

「一応聞くけど、わざと落としたの?」

「い、いや、違う! 偶然目に入って――――」

「あっそ。ならいいわ」

「…………怒らないのか?」

「最初に言ったじゃない。別に怒らないって」

「いやだってそれ、怒る奴の常套句じゃん」

「何よ? 怒ってほしいの?」

 

 慌てて首を横に振る。確かにこれじゃドMみたいだ。

 

「わざとじゃないんでしょ? ミニスカ履いてるアタシにも非はある訳だし」

「じゃあもしわざとって言ってたら?」

「そうね……ユメノンとかツッキーみたいな普通の女の子は嫌うから、絶対に止めなさいって警告するわ。女の子は視線に敏感だから、そういうのすぐわかるわよ」

「そ、そうか」

「例えばアンタとトール、ビリヤードの時に胸ばっか見てたでしょ?」

「………………すいませんでした」

 

 完璧に立ち回った筈なのに、まさか気付かれていたとは思わなかった。ひょっとして冬雪の奴も見て見ぬ振りをしてくれていただけなんだろうか。

 

「まあ男ってそんなのばっかりだし、アタシにもそういう風に見てもらえるだけの魅力が出たって考えたら悪い気はしないけどね」

「…………何かお前って本当凄いな」

「別にそんなことないわよ。ネックは女子高生が制服のスカートを短くしたがる理由って知ってる?」

 

 唐突な問題に答えが分からず沈黙。そりゃ見てる側としては短いに越したことはないし、俺達男子高校生は勿論、大人や老人に至るまで男にとっては目の保養だろう。

 

「答えは自分を可愛く見せたいから。自分を見てもらいたいからよ。まあ周りに合わせてるだけの子もいるし、ユッキーみたいに熱いからって子も稀にいるけど」

 

 阿久津は間違いなく周りに合わせているだけだろう。夢野も恐らくは同じだと思うが、ひょっとしたら前者の可能性が無きにしも非ずだ。

 

「あくまでアタシの考えだけど、見られるのは自業自得って思うのよね。セクハラとかされたら別問題だけど……まあ、アタシが怒らない理由はそういう訳」

 

 達観している火水木先生の女性論を聞いていたその時、少女が投入したメダルの一枚が穴に落ちる。

 回り出したスロットが停止すると、派手なエフェクトと共に音楽が流れ出した。

 

「キターっ!」

「マジでかっ?」

 

 まさかのジャックポット。機械内部の側面から次々とメダルが流れ出すと、フィールド上で溢れんばかりの量になったメダルが一気に押し出されて落ちてくる。

 そして実にタイミング良く、メダルを失った様子の阿久津達が戻ってきた。

 

「あーあ。3―9に賭けてればなー」

「五月蝿い! 3番と7番で良かったんでぃす!」

「まあ賭け事なんて元締めが勝つようにできているものさ。そっちはどうだい?」

「大当たり中よ!」

「うおっ? 何スかこれっ?」

「驚いたね」

「根暗先輩、さっさとそのメダルをこっちに寄越してください! 次はミナちゃん先輩の誕生日の6―3に一点張りでぃす!」

「ちょっと待ってろって。一通り落ち着いたら全員に渡すから」

 

 ジャックポットの時間を少しでも延長させるため、俺と火水木はメダルを入れ続ける。

 阿久津達同様にメダルが無くなったのか、程なくして夢野と冬雪も帰ってきた。

 

「メダル無くなっちゃった……って、すごーい! ――――、米倉君?」

「え?」

 

 ゲームのピロリロ音が一層大きくなっているため、夢野の声の一部がかき消される。地声のでかい火水木ならまだしも、冬雪に至っては完全に口パク状態だ。

 聞き取れなかったのを察してか、夢野は俺に歩み寄るとそっと耳元に唇を近付けた。

 

「凄いね。どうやったの、米倉君?」

「え……いや、その、俺じゃなくて火水木が当てて――――」

 

 近づく距離に不覚にもドキッとしてしまい、しどろもどろになりながら答える。

 やがてジャックポットが終わった頃には、最初に渡された掌サイズの小さなバケツが丁度一杯になるくらいのメダルが集まった。

 目分量で適当に再分配した後で、俺達は再び散り散りに。一人でのんびりゲームを選んでいると、クレーンゲームから戻ってきた葵を見つけた。

 

「あ、櫻君」

「おう。目的のブツは取れたのか?」

「う、うん」

「良かったな。財布は無事か?」

「えっ? ご、500円で取れたから……無事なのかな?」

「そうか。てっきり100000円くらい使ってくると踏んだんだが」

「えぇっ?」

 

 クレーンゲームで有り金全部溶かした葵の顔、見たい奴は大勢いると思うんだけどな。

 話を聞けば何度かやっているうちに、店員さんが取りやすい位置へ動かしてくれたとのこと。それは単に相手が親切だったのか、はたまた葵だったからなのか……。

 

「そうだ。これ葵のメダルな」

「あ、ありがとう。あれ? これ、10枚以上あるように見えるけど……?」

「ああ。落ちてたメダルをコツコツ集めておいた」

「ええぇっ?」

「冗談だ。火水木が大当たりを引いたんだよ」

「そ、そうなんだ。ビックリした」

 

 良い反応をした男の娘は、メダルを受け取ると去って行く。恐らくは夢野を探しに行ったであろう後ろ姿を眺めてから、俺はテツと合流して適当にゲームを楽しんだ。

 その後も火水木のメダルだけは尽きることがなかったが、最終的に時間が遅くなったということで競馬に全投入。当然の如くスッた後で、俺達はスポッチを後にした。

 

「久し振りに良い運動ができたかな」

「楽しかったでぃす!」

「いやー、陶芸部入って良かったッス!」

「次の企画は夏祭りね」

「……お祭り行きたい」

 

 火水木の言葉を聞いて心の中でガッツポーズ。夏祭りなんて一年前までは家族イベントでしかなかったが、同級生と行くとなると浴衣も花火も胸が躍る。

 

「葵君、ありがとうね」

「う、うん! どう致しまして」

 

 駅に到着すると電車の方向が違う葵、火水木、テツの三人と分かれた。

 男子二人がいなくなり、残された男は俺一人。阿久津と早乙女、夢野と冬雪が仲良く話し合う構図となったが、新黒谷駅へ着くと冬雪とも別れを告げる。

 そして改札を抜け階段を下りると、俺と夢野は駐輪場で自転車を取りに行った。

 

「それじゃあ夢野君、暗いから気をつけて」

「お疲れ様でぃす!」

「うん。それじゃまたね」

「ああ」

 

 夢野と分かれた後で、俺は徒歩の阿久津と早乙女に合わせて歩く。

 どうせこの二人といても会話に入ることはないだろうし、一人自転車に乗って先に帰ることもできたが、特に考えもなく気付けば自転車を押していた。

 

「ミナちゃん先輩、お疲れ様でぃす! 根暗な送り狼に気を付けてください」

 

 別れ際に頭を下げた早乙女は、こちらを睨みつつ余計な一言を残して去って行く。そんな後輩を見届けた後で、俺は幼馴染の少女と共に歩きだした。

 

「…………」

「…………」

「楽しかったな」

「そうだね」

「…………」

「…………」

 

 また以前のように話せると思っていた。

 しかし会話は広がらないまま、気まずい沈黙が続く。

 

「それじゃあ、失礼するよ」

「ああ」

 

 家に帰るまでの間、俺達が交わした言葉はそれだけだった。



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十八日目(木) テスト勝負がやばばだった件

 土・日と筋肉痛の二日間を経て、月曜からは普段通りの学生生活を送ること早四日。ようやく全教科のテストが返却され、陶芸部ではテスト勝負が始まろうとしていた。

 

「全員、準備はいいわね?」

「問題ないよ」

 

 平然と答えたのは阿久津だけで、他の面々は何とも言えない苦笑いを浮かべている。言い出しっぺのテツに至っては、既に真っ白に燃え尽きているようにも見えた。

 

「じゃあコミュ英からいくわよ」

 

 各々がコミュニケーション英語の答案を用意する。サモンという掛け声に合わせて召喚獣が出るなんてことはなく、せーのを合図に見せ合った。

 

「…………ボクの勝ちかな?」

「流石ミナちゃん先輩でぃす!」

「何よ、トールってば自分から提案した割に最下位じゃない」

 

 結果としては92点の阿久津が単独トップで、次いで早乙女の88点。ビリはテツの51点で、点数が低めだった夢野や冬雪辺りも少し危なかった。

 

「いや実はこれ16進法で表記されてるんスよね!」

「10進法に換算しても81点だし負けてるな」

「…………間違えたッス! 32進法で――――」

「そうなると161点になるぞ」

「ネック先輩、計算早すぎッス!」

「大人しく負けを認めなさい。とりあえずツッキーからトールね」

 

 黒板に『ツッキー→トール』と火水木が書きこむ。このままツッキーだらけにならなければ良いんだけどな。

 

「いやー、英語は苦手なんスけど、ちょっと高校の勉強舐めてたッス」

「英語はどんな受験でも使うから、しっかり勉強しておいた方がいいかな」

「じゃあ次は……このままの流れでもう一つの英語にいく?」

「げっ」

「大丈夫よ。ライティングはアタシも悪かったから」

 

 …………頭の良い奴の『悪い』ほど信用にならない言葉はないと思う。

 ということで続く二回戦も、英表もしくはライティングという英語科目に決定。各々がテストを用意した後で、合図に合わせて六枚の解答用紙が出揃……六枚?

 

「うん、私の負け! それじゃあ次の教科にいこっか!」

『『ガシッ』』

「駄目よユメノン。ちゃんと出しなさい」

「……ユメ、ずるい」

 

 さらりと流して次へ行こうとする夢野の肩を二人が掴む。俺や阿久津のような理系は英語表現を履修しており、文系の三人が取っているのはライティングだ。

 現状並んでいる答案を見ると、一位と二位はまたも阿久津&早乙女の流れ。そして最下位である冬雪の点数は32点で、英語は苦手と言っているが比較的勉強のできる火水木でさえ57点とあまり良い点数ではない。

 

「ライティング、難しかったのか?」

「……平均が31点」

「マジでか」

「……マジ」

「そういうことなら、別に恥ずかしがる必要はないさ。何よりテスト勝負へ参加した以上は、例え点数が悪くとも見せるべきだとボクも思うよ」

「…………ほ……本当に酷いからね……?」

 

 夢野は何故か俺をチラリと見てから、覚悟を決めたのかテスト用紙を見せる。

 折り曲げられた点数部分を綺麗な手がゆっくり開くと、そこには22という数字がはっきり書かれていた。

 

「ふむ。期末で頑張れば赤点は回避できそうだね。夢野君と音穏は暫く陶芸より勉強かな」

「……私も?」

「コミュ英の点数もいまいちだからね。赤点は一度でも取ると推薦が厳しくなるよ。皆が卒業して進学する中、一人だけ浪人なんてことになってもいいのかい?」

 

 冬雪と夢野が揃って首を横に振る。黒板には『ツッキー→ユメノン』と新たな阿久津の勝ち星が書かれる中、次の科目で一転攻勢とばかりにテツが意気込んだ。

 

「数学は負けないッスよ!」

 

 三回戦は数Ⅰ・数Ⅱ・古典だが、どうやらこの後輩は俺同様に数学が得意で英語が苦手らしい。まあ英語の点数は一年の頃の俺よりマズイ点数だったけどな。

 しかし悪いなテツよ……お前はもう負けている。

 

「せーのっ!」

 

 

 

 テツ→94点

 

 阿久津→96点

 

 俺→100点

 

 

 

「…………はい?」

「俺の勝ちだな」

「100っ? 100って何スかっ? ってかツッキー先輩も強っ!」

「ふん。どうせマグレでぃす」

「ネックってば、見せてくれるじゃない」

「今回の問題が簡単だっただけだっての。平均点も高かったしな」

「米倉君、凄いね」

 

 称賛してくれる夢野だが、古典の点数も悪く最下位だったためか少し切なげだ。

 点数から察するに恐らく一問ミスであろう阿久津を見ると明らかに悔しそうな表情を浮かべており、視線が合うなりプイっとそっぽを向かれてしまった。

 

「ま、まだ数Aが残ってるッス! こっちこそ勝ってみせるッス!」

 

 黒板ではツッキー無双が終了し『ネック→ユメノン』の文字が書かれる中、初めて数学で阿久津に勝った余韻もままならないうちに四回戦が始まる。

 教科は数A・数B・政経であり、先程トップ争いをした三人に注目が集まった。

 

「じゃあいくわよ? せーのっ!」

 

 

 

 俺→94点

 

 阿久津→94点

 

 テツ→96点

 

 

 

「うっしゃあああああああああ! 勝ったあああああああああ――――」

「ちょっとトール、よく見なさいよ」

「――――あああああああああ?」

 

 火水木→98点

 

「…………ああああああああああああああああああっ!」

 

 膝から崩れ落ちる見事なリアクション芸に全員が笑う。発音を表現するなら下がり気味の「ああああ」から、急上昇して「ああああ?」になった感じだ。

 という訳でハイレベルな勝負を制したトップは火水木。最下位は数学が苦手なのか、先程の数Ⅰでもイマイチな点数を取っていた早乙女だった。

 

「先輩達、強過ぎッスよ! オレのお願いがぁーっ!」

「まだ一つ残っているじゃないか」

「じゃあ最後いくわよっ!」

 

 ラストを飾るのは社会系科目の世界史・日本史・地理。合図とともに答案が出揃うが、全員の結果が僅差の団子状態でありトップとビリの判断に戸惑う。

 

「……………やった!」

 

 そんな接戦を制したのは夢野で、彼女の願いを聞く相手は俺に決定。別に手応えは悪くなかったが、残念ながら冬雪やテツと1点差で最下位だった。

 こうして全教科のテスト勝負が終了。黒板の結果を脳内変換して再確認する。

 

『阿久津→テツ』 

『阿久津→夢野』 

『俺→夢野』 

『火水木→早乙女』 

『夢野→俺』 

 

 とりあえず阿久津の一人勝ちという状況は防ぐことに成功。得意苦手が英語と数学で正反対の後輩二人は、負け一つの勝ちなしという結果に終わった。

 成績が平均的な冬雪は勝ち負けどちらもなし。意外だったのが夢野で、勉強はあまり得意じゃないのか日本史で勝ってこそいるものの全体的に点数は低めだ。

 

「ネック先輩、地味に頭良くないッスか?」

「地味は余計だ」

「言われてみればそうね。前はトール程じゃないけど英語が苦手だったのに、今回は結構良い点取ってるし…………あれ本当は誰の解答用紙?」

「俺のだよっ!」

 

 普段ならそういう冗談は、阿久津の専売特許なんだけどな。

 真面目に勉強を頑張った甲斐あってか、以前は冬雪と同レベル程度だった俺の点数は上昇。苦手な英語も足を引っ張ることなく、平均よりやや上に収まっていた。

 

「さて、早速だけれど鉄君に一つ頼んでいいかい? 実はもう決めていてね」

「うッス! 肩揉みでもマッサージでも何でもやるッスよ!」

「力仕事さ。窯場の片付けをお願いするよ。とりあえず釉薬……あのバケツの整理整頓と、重そうな物を一箇所にまとめておいてくれると助かるかな」

「…………了解ッス」

 

 願いの内容を聞いて見るからに落胆するテツ。仮に勝っていたら一体何を頼むつもりだったのか……何かコイツが勝たなくて良かったと改めて思う。

 

「実はアタシも決めてるのよねー。ホッシーはっと…………これこれ!」

 

 その一方でニヤリと怪しく笑みを浮かべる少女。今日に限って妙にでかい紙袋を持ってきているし、付き合いの長い陶芸部員なら火水木の頼みは薄々予想がつく。

 早速その中身が取り出されると、不思議そうに見ていた早乙女の顔が固まった。

 

「エ……えっと……これは何でぃすか?」

「コスプレ衣装! 早速そこのトイレで着替えに行くわよ!」

「おおっ! マジッスかっ? 流石ミズキ先輩っ!」

「み、ミナちゃん先輩っ! やばばでぃす!」

「負けた以上は仕方ないかな。数学の勉強を怠った星華君が悪いね」

「そ、そんなこと言わずにぃー」

 

 火水木に引きずられつつ、早乙女が退場していく。

 残された紙袋に衣装が残っているのを見て、その中身を夢野が取り出した。

 

「…………ミズキ、それぞれに合うコスプレを用意してたんだね……」

「……負けなくて良かった」

 

 入っていた衣装を見た全員が、冬雪の呟きに黙って首を縦に振るのだった。



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十八日目(木) 隠し事には不向きだった件

「早乙女さん、帰ってこないね」

「何ならオレ、様子見てくるッスよ?」

「女子トイレにかい?」

「大丈夫ッス! オレそういうの気にしないんで!」

「いやお前が気にするどうこうの問題じゃないからな?」

 

 早乙女が火水木に連行されて十分ほど経ったが、一向に戻ってくる気配はない。

 いつも通り阿久津は読書、冬雪は粘土で遊んでおり、俺と夢野とテツは雑談をしながら二人の帰りをのんびりと待っていた。

 

「水無月さんは私へのお願い決めた?」

「まだ考え中だけれど、今のところは買い物へ付き合ってもらうのが有力候補かな。まあ頼むとしたら、期末テストが無事に終わった後になりそうだね」

「ハイ……努力シマス……」

 

 痛いところを突かれ、しゅんと肩を落とす夢野。仮に阿久津もライティングを取っていたら、いつぞやの窯の番の時のような勉強合宿をさせられたんだろうな。

 

「ネック先輩はユメノン先輩にナニお願いするんスか?」

「まだ決めてないが、少なくともお前が考えるような内容じゃないことだけは確かだ」

「クロガネ君は何お願いするつもりだったの?」

 

 まず間違いなくセクハラ一歩手前なことだろう。

 夢野の質問にテツが答えようとした矢先、陶芸室後ろのドアから早乙女の制服を手にした火水木が元気よく現れた。

 

「たっだいまーっ! はいはい皆さん、ご注目っ!」

 

 少女がドアへ手をかざすと、少しして早乙女が陶芸室へ入って…………?

 

「……トメ?」

 

 冬雪が首を傾げつつ呟く。俺も思わず「誰だ?」と口にするところだった。

 俯きつつ入ってきた少女は黒いベストに赤いジャケット、下は白のプリーツスカートと、どことなくトランプカラーなアイドル衣装に身を包んでいる。

 髪ゴムから派手な赤リボンへと変わっているものの、髪型は普段同様のツインテール。それなのに何故早乙女と認識できなかったかと言えば、チャームポイント(?)であるデコが前髪で隠れていたからだ。

 

「うぉっふぉーっ! 早乙女っち、マジ乙女じゃん! 乙女っちじゃん!」

「うん。早乙女さん、可愛いよ」

 

 恥ずかしいのか赤面して黙りこんでいる早乙女は、確かに普段より少し可愛気があるように見える。テツの言う通り、乙女という苗字に少し相応しくなったか。

 

「に…………」

「「「「「に?」」」」」

「ニッコニッコニーっ!」

「「「「「…………」」」」」

「………………終わりDEATH!」

「あっ! ちょっとホッシーっ?」

 

 火水木の持っていた着替えを奪った早乙女は、音速ダッシュでトイレへ戻って行った。つーかさっきの、いつもの「でぃす」じゃなくて死の発音っぽかったな。

 個人的には『デッコデッコリーン』の方が良かった気もするが、仮にそんなことを口にしたら『ボッコボッコシーン』にされていたかもしれない。

 

「いやー、良いもん見れたッスねー」

「テスト勝負、期末は辞めよっか」

「……賛成」

「ちょっと待ってくださいッス! ユッキー先輩もユメノン先輩もやりましょうよ?」

「今回一つ勝てたから、私はもう満足かな」

「……別に願いもない」

「そんなこと言わずに! ね、ミズキ先輩?」

 

 ハロウィンの時は全員でコスプレしたから良かったものの、一人でコスプレしなければならない上にネタまでするとなると流石に俺でも抵抗がある。

 ただオタ芸を見せる後輩にとっては些細なことらしく、必死に食い下がるテツは助け船を出して貰うべく火水木に話を振った。

 

「そこまでして、アンタ一体何をお願いするつもりよ?」

「そんなの、決まってるじゃないッスか」

「何々?」

「叶えられる願いを1000個に増やすッス!」

「「小学生かっ!」」

 

 俺と火水木の息ピッタリな脳天チョップを喰らった後輩は、本当の願いについては恍けたまま意気揚々と窯の片付けに向かうのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「そういえば米倉君、私へのお願いは?」

 

 共に自転車を漕いでいた帰り道、信号で止まるなり夢野がそんなことを口にする。

 結局次回のテスト勝負に関しては未定。まあ期末は教科も増えるし、仮にやったとしても今回以上に阿久津無双となって返り討ちに遭うだけだっただろう。

 

「そういやすっかり忘れてたな。夢野は俺に何かあるのか?」

「うん。私はもう決めてるけど、その前に一つ聞いてもいいかな?」

「ん?」

「米倉君、水無月さんと何かあったでしょ?」

「火水木に聞いたのか?」

「ううん。ミズキにも聞かれたの?」

「バイキン○ンが石鹸で手を洗ってるくらい変って言われたな」

「ふふ。ミズキらしいね」

「まあ早乙女の奴がいるから、そう見えるだけだっての」

「本当に?」

 

 夢野はジーっと俺を見つめてくる。

 まるで心を見透かすような少女の眼差しに、思わず目を背けていた。

 

「米倉君って、嘘吐くの下手だよね」

「昔から隠し事はバレた方だけど、別に嘘は吐いてないぞ」

「ううん。本当は水無月さんと何かあったの隠してる」

「何でそう思うんだよ?」

「だって早乙女さんが理由なら米倉君から話しかけることがなくなるだけで、水無月さんは普段通り米倉君に話しかけてくる筈でしょ?」

「!」

 

 確かに夢野の言う通りだった。

 未だに阿久津との仲が若干ぎこちない理由……それは俺が避けていたからだけでなく、阿久津が俺に話しかけてくる機会が無に等しいからである。

 

「この前に雪ちゃんが言ってたっていう水無月さんの悩みも、きっとそれに関係してるんじゃないかな?」

「いや、それはない…………と思う」

 

 救いの手を差し伸べるかの如く青になった信号を見て、俺は自転車を漕ぎ出した。

 阿久津が話しかけてこない理由は単に俺と関わりあいたくないだけで、悩みというのは進路や勉強……はたまたいつぞやの(たちばな)先輩みたいなことだろう。

 少し考えた後で、再び信号で止まるなり俺は夢野に尋ねた。

 

「夢野の願いってのは、俺と阿久津に何があったか話せってことか?」

「ううん。違うよ」

「?」

「だってそれは二人のことで、私には関係ないから……それに私に話したところで、米倉君と水無月さんの問題は解決しないでしょ?」

 

 関係ないと言えば関係ないが、関係あると言えば関係ある。

 ただそんなことを言えるわけもなく、俺は改めて夢野に質問した。

 

「じゃあ何なんだ?」

「さて問題です。来週の木曜日は何の日でしょうか?」

「来週の木曜?」

 

 テストは終わったし、これといったイベントも面倒な課題もない。6月に祝日はないし…………ん、待てよ? 今日が5月27日だから、来週の木曜は6月3日……。

 

「ひょっとして、阿久津の誕生日か?」

「正解♪ 米倉君、プレゼント何あげるかもう決めてる?」

「いや……何も……」

「良かった。私もまだなんだ」

 

 安心する夢野だが、そもそも俺は用意するつもりがなかった。

 昨年も誕生日にはメールを一通送った程度で、プレゼントなんて最後に渡したのはいつかすら覚えていない。

 

「米倉君なら、水無月さんの好みも知ってるかなって思って」

 

 阿久津の好みと言われても、パッと思いつくのは棒付き飴とアルカスくらいだ。

 そんなことを考える中で夢野は笑顔を見せると、俺にお願いの内容を口にするのだった。

 

「だから今週のお休み、一緒に買いに行かない?」



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二十日目(土) π×スラッシュ=∞だった件

 どうしてこうなった。

 今の状況を一言で例えるなら、それが一番的確だろう。

 

「米倉先輩、お待たせしました!」

「何でまたその呼び方なんだ?」

「だって水無月さんのことに関しては、米倉君の方が先輩でしょ?」

 

 久し振りの後輩ごっこ……夢野みたいに優しい後輩は結局入ってこなかったな。

 まだ5月末にも拘らず、夏を思わせるほどの暑さになった休日の昼。乗車カードを持っていない少女は、切符を買うなり早足で戻ってきた。

 

「作らないのか?」

「電車はあんまり乗らないし、切符でもいいかなって思いまして」

「そうか」

 

 今日の夢野はスポッチの時と違い、以前黒谷南中の体育館前で会った時のような清楚な雰囲気。しかし俺は彼女を直視できず、あちらこちらへ視線を泳がせている。

 その理由は、夢野がたすき掛けにしている肩掛けカバン。ワンピースの生地に紐が食い込み胸の谷間が強調されている、俗に言うπスラッシュのせいだった。

 普段はあまり意識していなかったが、こうして見ると夢野の胸は結構大きい。コンビニの制服や学生服だとそうでもないのに、着痩せするタイプなんだろうか?

 

『女の子は視線に敏感だから、そういうのすぐわかるわよ』

 

 火水木の言葉がなかったら、間違いなくチラチラ見ていたと思う。しかし鶴の恩返しみたいな話だが、見ちゃいけないって言われると逆に気になって辛いんだよな。

 だって張りと形の良い胸がはっきりと浮かび出てるし、食い込んでるっていうよりも夢野の胸が紐を挟みこんでるって感じで…………うん、少し頭冷やそうか。

 

「暑いですね」

「もうすぐ夏だしな」

「米倉先輩はどの季節が好きですか?」

「んー、冬だな。暑いのはどうしようもないけど、寒いのは服着れば耐えられるし」

「冬生まれですもんね。春とか秋は駄目なんですか?」

「別に嫌いじゃないけど、雪を見るのが好きってのもあるからさ」

「あ、去年は水無月さん達と一緒に雪合戦したんですよね?」

「ああ。良く知ってるな」

「私もやりたかったなー」

 

 上目遣いでこちらを眺めてくる夢野。その仕草を可愛いと思う一方で、柔らかそうな胸を見ようと下へ動きたがる眼球を必死に留める。

 

「夢野はどの季節が好きなんだ?」

「私は春ですね」

「理由は?」

「桜が好きだからです」

 

 字面だけ見たらドキッとするが、発音を聞けば誤解せず木の方だとわかる。納得している俺を夢野がジーっと見つめる中、ホームに電車がやってきた。

 

「誕生日プレゼント、何がいいですかね?」

「そうだな……」

 

 電車に乗った後で、夢野が小声で囁くように尋ねる。気を紛れさせるには丁度良い難題であり、俺は少し考えてから答えを返した。

 

「阿久津が好きな物って言ったら、やっぱり動物のグッズとかじゃないか?」

「うーん……他には?」

「他か……」

 

 以前ならタオル等スポーツの必需品でも良かったが、今の彼女は陶芸部。そして陶芸の必需品と言われても俺は詳しくないし、基本的な道具は部室に揃っている。

 電車内ということで会話を控えつついくつか提案してみるも、結局パッとした答えは出ないまま俺達は目的地に到着した。

 

「とりあえず色々回ってみましょう」

「ああ」

 

 黒谷町民御用達の、電車で五駅先にあるショッピングモール。以前『彼女の名は』を見に来たり、姉貴や梅とクリスマスプレゼントを買ったりした場所でもある。

 

「ん、アクセサリーとかどうだ?」

「行ってみます?」

 

 真っ先に目に入ったショップへ向かうと、夢野と一緒に店内を回る。ブレスレットにイヤリング、指輪なんてのもあったが、ネックレスの前で足を止めた。

 

「…………何つーか、つけてるイメージが全然沸かないな」

「どれですか?」

「いや、別にこれってのはないんだけど……」

 

 並んでいる中で一番安い一品を手に取ると、貸してくださいと言って実際につける夢野……が、慣れていないのか手を首の後ろに回したまま苦戦しているようだった。

 

「米倉先輩、つけて貰えませんか?」

「え?」

 

 言うが早いか、夢野はくるりと背を向ける。こんな間近で後ろ姿を見る機会は滅多になく、艶めかしいうなじを見て思わず唾を飲み込んだ。

 ドキドキしつつネックレスの端を受け取ると、壊さないよう丁寧に扱う。

 

「ふう……よし、ついたぞ」

「ありがとうございます。どうですか?」

 

 振り返った少女は、ポーズをとりつつ俺に尋ねてきた。

 ネックレスというアクセサリの関係上、必然的に強調されている胸の辺りへ視線が釘付けになるが、これは流石に仕方ないと思いたい。

 

「うん、普通に似合ってるな」

「普通に?」

「あ、いや……」

「ふーつーうー?」

 

 余計な三文字に反応した夢野は、わざとらしく聞き返してくる。前にもこんなことがあった気がするが、少しして少女はクスリと笑いだした。

 嬉しそうに笑う夢野を見て、俺もつられて笑ってしまう。やがて鏡をまじまじと眺めた少女は、充分に満足したのか再び背を向けた。

 

「お願いします」

「おう」 

 

 意を汲み取った俺は首筋へ手を伸ばす。

 ところがネックレスを手に取る際、柔らかい肌に触れてしまった。

 

「ひゃん!」

「あっ! わ、悪いっ!」

「もう、くすぐったいですよ」

 

 可愛い声に動揺しつつも何とかネックレスを外す。ふと思ったがこれって付けるのは大変だけど、外すのは割と簡単だし自分でもできたんじゃないだろうか。

 

「プレゼントにしてはちょっと大人っぽいけど、結構良いかもな」

「うーん……」

 

 ネックがネックレスなんてくだらない洒落を考えていた俺をよそに、夢野は戻したネックレスを眺めつつ悩んだ表情を浮かべる。

 

「ん? いまいちか?」

「有りだとは思うんですけど、つける機会が中々ないかなって」

「あー、確かにそうかもな」

 

 夢野がつけているようなヘアピンならまだしも、こういう装飾品は間違いなく校則に引っ掛かるだろう。現に以前火水木が冬雪から手作りの勾玉ネックレスをプレゼントされていたが、身に付けていたのはネズミースカイの時くらいだ。

 

「他にも色々回ってみるか」

「はい」

 

 相変わらず後輩ごっこを続ける少女と、ショッピングモール内を並んで歩く。何だか夢野の方がプレゼント慣れしている感じだし、俺って必要なんだろうか。

 

「そこのカップルさん!」

 

 そんなことを考えつつボーっと歩いていると、横から声がした。

 振り向いてみれば、そこにいたのはエプロン姿の男。真っ先に陶芸を想起してしまったが、どうやらすぐ傍にあるカフェの店員みたいだ。

 

「今ならカップル割引中ですが、如何ですか?」

「…………?」

「いやいや、貴方ですよ貴方」

「え……あ……いや、大丈夫です」

 

 周囲を見回してみたが誰もおらず、呼ばれたのが自分達だったと理解する。別にまだ休憩するほど疲れてもいないので、軽く断った後でそそくさと去っていった。

 

「ねえねえ米倉君、聞いた?」

「ああ。割引中だって言ってけど、寄りたかったか?」

「そうじゃなくて、そこのカップルさんだって!」

「あー、まあ俺達くらいの男女が並んで歩いてたら、そんな風に間違えられても仕方ないんじゃないか? 前に姉貴と来た時も似たようなことあったし」

 

 夢野の発言が純粋な喜びによる「聞いた?」なのか、はたまた「笑っちゃうよね」といった感じの冗談めいたものなのか……ちゃんとそこまで警戒しておかないとな。

 男としては夢野みたいな可愛い子を彼女と勘違いされるのは嬉しいことこの上ないが、女子的にはどうなのかわからないため適当に言葉を濁しつつ答えておいた。

 

「………………えいっ!」

 

 少しして、可愛い声と共にいきなり腕が引っ張られる。

 何かと思えば、夢野が俺へ抱きつくように自分の腕を絡めてきた。

 

「お、おいっ?」

 

 ギュッと密着したことで、柔らかい膨らみの感触が肘に当たる。

 高鳴る心臓に巡る血液。

 冷静になれ米倉櫻、こんな時は円周率を数えて落ち着こう……3.14159265358979323846264338327950――『ぷにゅ』――π! おっぱい!

 

「米倉君は嬉しくないの?」

「え? い、いや、そりゃ嬉しいけど……」

「けーどー?」

 

 嬉しいけど、葵の気持ちを考えると素直には喜べない。

 そんなことを言えるわけもなく言葉に詰まっていると、少女は俺の腕を解放する。ただ今度は先程と異なり、夢野にしては珍しく頬を膨らませていた。

 

「もう、そんなだから米倉君は女心がわかってないって言われちゃうんだよ?」

「ちょっと待て。誰が言ってたんだ?」

「水無月さんも梅ちゃんもミズキも、皆言ってたけど?」

 

 …………梅はともかくとして、阿久津と火水木までも言ってたのかよ。

 気付けば後輩モードから普段通りに戻った少女からお説教されつつも、俺達は目についた店に入っては良さそうな物を次々とピックアップしていくのだった。



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二十日目(土) プレゼントは心だった件

「ジグソーパズルとかどうかな? インテリアにもなるし、水無月さん好きそう」

「お洒落で良いけど、阿久津はパズルとか苦手だから崩さないままになるかもな」

「そうなんだ。ちょっと意外かも……でも米倉君はこういうの得意そうだよね」

「まあ小さい頃によく遊んだし、割と得意な方だな。夢野は?」

「私はやってる人を見るのが好きかな」

「何だそりゃ?」

 

 

 

「これなんて良いんじゃないか? 脚に取り付けることで、寝起きと共に快適なマッサージをしてくれる目覚まし時計!」

「水無月さんって朝弱いの?」

「いや、滅茶苦茶強い。陶芸部で窯の番をした時も、寝起き二秒でいつも通りだったし」

「それじゃあそれが必要なのは、梅ちゃんに起こされてる米倉君だね」

「うぐ……い、いや、でも最近は俺もちゃんと自分で起きてるぞ?」

「そうなの? 朝が苦手なら、私が起こしに行ってあげようと思ったのに」

「え?」

「ふふ。何でもなーい♪」

 

 

 

「やっぱり無難にノートとかの方が喜ばれるかな? クリスマスのプレゼント交換でも、水無月さんが用意したのって勉強道具だったし」

「あれ、後悔してたみたいだったけどな」

「え? そうなんだ……うーん、じゃあこういうのは?」

「札束っ? …………ってこれ、メモ帳なのか」

「うん。水無月さん、使いそう?」

「いや、ジョークグッズとかはあんまり好きじゃないと思うぞ」

「そっか……えいっ(びしっ)」

「気持ちはわかるけど、商品で頬を叩くなよ」

「えへへ。やってみたくてつい」

 

 

 

「猫以外に水無月さんの好きな物……棒付き飴?」

「好きかどうかはともかく、何個か買ってプレゼントってのは有りかもな」

「じゃあ棒付き飴一年分!」

「一日一個として、一年分だと10950円だぞ? 一ヶ月分なら900円だけど」

「米倉君、計算速いね。じゃあ桜桃ジュース一年分だったら?」

「お値段…………43800円だな」

「凄い! どうやって計算してるの?」

「120×365は大変だから60×730に変えて、後は暗算で――――」

 

 

 

「いっそこれで良いんじゃないか?」

「もー。米倉君、真面目に考えてないでしょ?」

 

 太文字で『私が主役です』と書かれたタスキを見せると、夢野にジトーっとした目で見られる。男だったら問題ないが、女子同士のプレゼントでこれは流石にないか。

 お互いにアイデアを出し合ったが、未だに名案は浮かばず。ただ結構な時間を歩いているものの、不思議とあまり疲れてはいなかった。

 

「少し休憩しよっか」

「ん? ああ」

 

 俺のことを気遣ったのか、はたまた別の理由だったのか。特に疲れた様子もなく元気いっぱいだった夢野はそんな提案をすると、俺がベンチに腰を下ろした後でちょっと行ってくるねと化粧室の方へ向かった。

 

「…………」

 

 正面にある電気店をボーっと眺めつつ、さてどうしたものかと考える。

 阿久津の欲しがる物なんて俺は知らないし、これといった心当たりもない。梅なら知ってるかもしれないが、色々と茶化されそうなので聞いてこなかった。

 そもそもプレゼントなんてのは、心が大事なんじゃないだろうか?

 相手の喜ぶ物を贈りたいという夢野の気持ちも分かるが、何にしても想いが籠ってれば受け取る側は嬉しいし、アイツだって普通に喜ぶと思うんだけどな。

 

『ピトッ』

 

「ふぉあっ?」

 

 いきなり背後から頬に冷たい物を当てられ、思わず飛び上がる。

 慌てて振り返ると、そこには両手に缶ジュースを手にした夢野がクスクスと笑っていた。

 

「米倉君、ビックリしすぎ。ふぉあ! だって」

「夢野か。驚かせるなよ」

「ふふ、ごめんね。はいこれ、付き合ってくれてるお礼」

「ん? いいのか?」

「うん。私の奢り。いつものが無かったから、それっぽいのだけど」

「サンキュー」

 

 さくらんぼのイラストが描かれた、冷たい缶ジュースを受け取った。

 改めてベンチに腰を下ろすと、同じ缶を手にした少女が隣へ座る。奢ってもらっておいてなんだが、このままやられっ放しでいいのかと俺の中の悪魔が沸き出てきた。

 

「ん? 夢野、背中に糸くず付いてるぞ」

「えっ? どこどこ?」

「ちょっとあっち向いてくれ」

「うん。ごめんね…………ぴゃんっ?」

 

 缶で充分に冷やした左手で、仕返しとばかりに首筋へ触れる。

 先程の俺同様に飛び上がった少女は、こちらを振り返るなり頬を膨らませた。

 

「もう! 米倉君の意地悪!」

「やられたらやり返さないとな…………って、どうしたんだ夢野?」

「はい、米倉君はもう立てません」

 

 人のおでこに指を当てるなり、唐突に少女はそんなことを口にする。別に俺を抑えつけるような力も入っておらず、本当に軽く押し当てているだけだ。

 

「嘘だと思うなら試してみて?」

「いや簡単に……あれ……? ふんっ! ぬんっ!」

「ね? 立てないでしょ?」

 

 まるで催眠でも掛けられているかの如く、不思議と立ち上がることができない。必死に足掻く俺に向けて、夢野は小悪魔めいた笑みを浮かべる。

 

「やられたらやり返さないとね♪」

「えっと……夢野さん? ちょっとタンマっ! 待っ――――」

 

 結局この後、俺は夢野によって全身くすぐりの刑に処されるのだった。

 後で教えてもらったことだが、実は座ってる人間の額へ指を押し当てると重心の関係から立ち上がれなくなるらしい。家に帰ったらアホな妹で試してみようかな。



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二十日目(土) 超えてはいけないラインだった件

「そういやあれ、また新作が出たんだな」

 

 夢野と談笑していた俺が指さしたのは向かいにある電気店。その店頭で目玉商品として売りに出されているのは、掌に収まるサイズの小型育成ゲームだった。

 

「うん。あのシリーズも長いよね」

 

 初代の『わんこっち』と『にゃんこっち』は俺達が小学生の頃に一大ブームを起こし、あまりの人気っぷりから恐竜を育てる『ジュラっち』のようなパクリ商品も大量に生まれたくらいだった。

 中学の頃には『帰ってきたわんにゃんプラス』なんて形で復活を遂げたが、流石に人気は下降気味。今回の新作もスマホでの育成ゲームが主流となった今では微妙そうだ。

 

「うちは梅の奴がハマってたっけ」

「犬種は何に育ったの?」

「え? あ、ああ。初めてやった時はゴールデン・レトリバーだったけど……」

 

 ゲーム内での設定は賢さと忠誠心を兼ね揃えた、主人公格的な犬種だったりする。兄妹三人で手厚く面倒を見たこともあって、結構長生きしたんだよな。

 

「どうかしたの?」

「いや、よく持ってたのがわんこっちの方だってわかったなって」

「米倉君の考えてることなら、何だってわかるよ」

「っ」

 

 どうして女子は、こうも簡単にドキっとさせることを言うんだろう。

 夢野の言葉に何と答えて良いか困っていると、少女は笑顔を見せつつ言葉を足した。

 

「なんてね。だって米倉君は犬の方が好きなんでしょ?」

「ま、まあどちらかと言えば、だけどな」

「それで梅ちゃんは猫好きと……桃さんは?」

「んー、姉貴も梅と同じで猫好きだった気がするな」

「ふーん。そうなんだー」

 

 何故か嬉しそうな様子で応える夢野。個人的には犬猫には大して興味もなく、犬種とは言うが猫種とは言わない理由が気になる程度でしかなかったりする。

 プレゼントにどうかとも考えたが、値段を見て即断念。そもそもアイツには既にアルカスというペットがいる訳だし、こんな玩具は不要だろう。

 

「さて、そろそろ行くか?」

「うん」

 

 飲み終えた缶をゴミ箱へ捨てつつ尋ねると、少女は立ち上がり胸をアピールするように大きく背筋を伸ばす。本当、わざとやってたりしないよな?

 再び並んでショッピングモールを歩くこと数分、ふと天啓が舞い降りた。

 

「…………シュシュ……」

「シュシュがどうかしたの?」

「いや、プレゼントにどうかなって。ほら、アイツって運動する時に髪縛るだろ?」

「そういえば……見に行ってみよっか」

 

 普段髪を縛っている少女からの贈り物としては、中々のベストチョイスだろう。

 思い立ったが吉日と、早速洋服屋へ向かう夢野。さっき寄った100均でも売られていたが、女性物の髪飾りである以上余計な口出しはせず黙って後へ続いた。

 

「米倉君はどれが良いと思う?」

「いや、そう言われてもな……」

 

 壁に掛けられた多種多様なシュシュを前にそんなことを聞かれるが、髪を縛る機会なんて一切ない俺にはシュシュの善し悪しなんてわからず迷ってしまう。

 

「夢野ならどれを貰ったら喜ぶんだ?」

「え? 私? うーん、私は別に何でも嬉しいよ?」

「阿久津も同じで、夢野が似合うって思った物なら何でも良いと思うぞ」

「うん。私もそう思う。だから米倉君に選んで貰ってるの」

「ん? どういうことだ?」

「だってこれは私からじゃなくて、米倉君が水無月さんに贈るプレゼントだもん」

「…………はい?」

 

 思わず驚き聞き返す。

 すると夢野は呆然とする俺の唇に、人差し指をそっとあてがった。

 

「今日買いにきたのは、米倉君と水無月さんが仲直りするためのプレゼント。こうでもしなかったら米倉君、水無月さんの誕生日に何もしなかったでしょ?」

 

 そんなこと言われてもアイツだって、俺の誕生日には一言祝っただけである。まあその一カ月後のホワイトデーに、思わぬプレゼントは貰ったけどさ。

 俺の目を見てYESと判断したらしい少女は、ゆっくりと唇から指を離した。

 

「誕生日なんて年に一度しかないんだから、ちゃんとお祝いしてあげなくちゃ駄目だよ? 水無月さんも米倉君のプレゼントを待ってると思うし、それに……」

「それに?」

「…………私、水無月さんとは対等でいたいから」

「?」

「ううん、何でもない。それで、どれにするの?」

「改めてそう言われると、シュシュでいいのか悩むな」

「私は良いと思うよ? それともさっきの『私が主役です』のタスキにする?」

「すいませんでしたっ!」

 

 冗談半分で提案してくる夢野。自分が言い出した物ではあるが、仮にアレを渡したら仲直りどころか皮肉の一つでも言われること間違いなしだろう。

 少し考えた後で、シンプルなデザインの白いシュシュを手に取る。普段触れることのない肌触りを感じた後で、確認を取るべく夢野に差し出した。

 

「これとかは?」

「うん、良いかも!」

「本当に大丈夫か? センスがないとか馬鹿にされそうで怖いんだが……」

「そんなことないよ。考えて用意してくれたプレゼントなら、何でも喜んで受け取ってくれるんでしょ? 仮に言われたとしたら、それは照れ隠し」

「照れ隠し? あの阿久津が?」

「米倉君って、水無月さんのこと知ってるようで知らないんだね」

 

 知ってるなんて言った覚えは一切ないんだけどな。

 だからこそ今回の買い物も俺を呼ぶ意味はあるのか疑問だったが、夢野の目的が俺のプレゼント探しに手伝ってくれるということだったなら納得だ。

 選んだシュシュを店員さんに包んでもらい、店を出た後で少女に尋ねる。

 

「じゃあ次こそ夢野のプレゼント探しか?」

「ううん。私はちゃんと用意してるから大丈夫」

「何を用意したんだ?」

「見たい?」

 

 物凄くウキウキしながら俺を見る夢野。それこそ仮に彼女が犬だったら、耳なり尻尾を激しく振っていたこと間違いなしのレベルである。

 梅が相手なら「別に」の一言で済ますところだが、これだけ見てほしいオーラを出されたらNOとは言えない。眺めていて微笑ましくなる少女へ、俺は素直に答えた。

 

「ああ、見たいな」

「ちょっと待ってね…………じゃーん♪ 手作りアルカスー」

「おおっ!」

 

 手作りアルカスと聞いて錬金術的な想像をしてしまったが、πスラッシュの原因となっている肩掛けカバンから取り出されたのは可愛い白猫のぬいぐるみだった。

 

「凄いな! このぬいぐるみ、作ったのか?」

「ぬいぐるみじゃなくて編みぐるみだけどね。私はアルカス君を見たことなかったから、梅ちゃんに貰った写真を参考に作ってみたんだけど、上手にできてるかな?」

「ああ。上手い上手い」

 

 心なしか可愛さが5割増しになっている気もするが、梅や阿久津から見たらきっとこんな感じなんだろう。顔なんて、もっとふてぶてしくても良いと思うけどな。

 俺の携帯についているアイロンビーズの手作りストラップもそうだが、夢野のプレゼントは本当に心が籠っているのが伝わってくる。

 

「こういうのって作るの大変だろ?」

「ううん。私が好きでやってることだから。それに陶芸よりは簡単かな」

「いやいや、陶芸も慣れれば簡単だぞ?」

「先輩! 慣れるまでが難しいです!」

 

 こんな調子でくだらない雑談をしながら、目的の買い物が終わった後も俺達は店内を適当にぶらついた。この前のカラオケの話や陶芸部での出来事、お互いの妹についてなど色々話したと思う。

 正直、楽しかった。

 いや、それだけじゃない。

 …………この感じは、何と言うべきだろう。

 上手く表現することはできないが、夢野といると凄く落ち着ける気がした。

 

「そういえば米倉君、私へのお願い事は?」

「ん? あー、そういや忘れてたな」

 

 帰りの電車から降りた後、別れ際になってふと尋ねられた質問。若干お腹が空いていたこともあってか、パッと脳内に思い浮かんだワードを口にしかける。

 

「じゃあ手作りの…………」

「手作りの?」

「…………いや、やっぱ何でもない。今度までに考えとくわ」

「うん。それじゃまたね」

「ああ。じゃあな」

 

 …………手作り弁当が食べたいってのは、流石に超えちゃいけないラインだよな。



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二十二日目(月) 相生の相合傘だった件

「何か雨降ってきそうだし、悪いけどアタシ達先に帰るわね」

「お疲れッス」

「おう」

 

 冬雪は部長会で夢野は音楽部。阿久津は珍しく部活を休んだため早乙女も早々に帰り、オセロで戯れていた火水木とテツも雨が降る前にと帰っていった。

 窓の外を確認した俺は成形を再開し、残っている粘土で湯呑を作り始める。陶芸は準備と片付けが割と面倒なので、できることなら中断はしたくない。

 

「おや、米倉クンだけとは珍しいですねえ」

 

 入れ違いになる形でやってきた伊東先生が、欠伸をしながら黒板前の椅子に座る。

 こうして先生と二人になるのは、体育祭の前日以来かもしれない。あの時は確か謎のラブレターの差し出し人が誰なのかワクワクしてたんだっけな。

 

「最近頑張っていますねえ」

「まあ、陶芸の面白さが少し分かってきた感じです」

「と言いますと?」

「家に持ち帰った陶器を家族が使ってくれるんですよ。まあ重いって言われたり、高台が小さいせいで盛り付けるとすぐ倒れかけたりするんですけど」

「成程。それは嬉しいですねえ」

 

 今もこうして湯呑を成形しているのは、俺が自分の湯呑で茶を飲んでいたら「梅も世界に一つだけのマイ湯呑が欲しい」とリクエストを受けたからに他ならない。

 屋代に入学すれば作れるぞと返したら、本人も満更でもない様子。夢野の妹は頭が良いらしいが、ウチの妹は自分のアホさ加減すらわかっていないアホである。

 

「米倉君の家族が羨ましい限りです。先生なんてゴールデンウィークに実家へ帰ったら、結婚しろと言われてばかりでして」

「大変そうですね」

「兄妹も従兄弟も全員結婚しているせいで、先生に矛先が向くんですよねえ。まあそういう時は先生、姪っ子の遊び相手を受け持ちつつ逃げちゃいます」

「姪っ子って何歳くらいなんですか?」

「5歳ですねえ。この前はお医者さんごっこをして遊んであげました」

「何か犯罪臭がするんですけど……」

「姪っ子が執刀医で、先生がメスを渡す人です」

「手術だったっ!」

「ちなみに患者さんはア○パンマンでしたねえ。中にあんこを入れてあげました」

「製造工程っ?」

 

 恐らくはぬいぐるみ相手だろうが、言葉だけで想像したら物凄い光景である。もし姉貴が結婚して子供を産んだら、叔父になった俺も同じようなことをするんだろうか。

 そういえば阿久津が今年の正月、従兄弟の子供を面倒見てたっけな……うん、仮にあの少年がお医者さんごっこをやりたいって言ったら、間違いなく阿久津が医者役をやりそうだ。

 

「そういえば、冬雪クンが心配していましたよ」

「冬雪が? いきなり俺が真面目に陶芸をやり始めたからですか?」

「いえ、阿久津クンとの仲の方ですねえ」

「ああ、そっちですか」

 

 大型作品を制作しながらも、何だかんだ気にかけていてくれたらしい。そうした心配が積もりに積もった結果、この前みたいな行動に至ったのだろう。

 相変わらず阿久津とは大して言葉を交わしていない。ただ以前のように挨拶だけということはなく、少しずつではあるが関係は改善されつつある……と思う。

 

「テスト期間に陶芸室へ来なかったのは火水木クンも気に掛けていましたねえ。先生は準備室で作業していましたが、米倉クンの噂話には聞き耳を立てておきましたよ」

「いやいや、聞き耳立てたって準備室にいたら聞こえませんよね?」

「そうですねえ。火水木クンの声以外は正直あんまり聞こえませんでした」

「あー」

 

 思わず納得してしまった。アイツの声はデカイし良く通るからな。

 

「何でもお姉さんが美人だそうで」

「奇人の聞き間違いだと思います」

「おや? そうでしたか。残念ですねえ」

「そうなんです。中身がちょっと残念で……ってか聞き耳立てたのそこだけですか?」

「いえいえ、ちゃんと米倉クンの話も聞いていましたよ。何でも数学の解説が相当わかりやすかったようで、後輩達に絶賛していましたねえ」

 

 そういや前回テスト勉強をしていた時に、火水木が悩んでいた問題を教えたことがある。あれは単に火水木の理解度が高かっただけだと思うんだけどな。

 

「その話をしていた時は先生、お手洗いの帰りだったので廊下で聞いていました。米倉クンの説明が分かりやすいことに関しては、阿久津クンも肯定していましたよ」

「阿久津が?」

「はい。それこそ教員なんて向いているんじゃないかと言ってましたねえ」

 

 前に○と△の同時書きを説明した時には分かりにくいと一蹴された覚えがあるが、まああれは勉強と違って感覚的なものだし説明のしようがないから仕方ないか。

 仮に就くことができれば、安定と言われている公務員。過去にも何度か考えたことのある職業だが、伊東先生を見ていると割とありな気がしないでもない。

 

「米倉クンが教師になったら、先生と一緒に仕事をするかもしれませんねえ」

「それ、確率的には相当低いですよね?」

「世の中何があるかわかりませんし、学生である米倉クン達には無限の可能性があります。先生は授業をする時、この中から将来有名人が生まれるかもと思っていますよ」

「まあ、確かに可能性は0じゃないですけど……」

「だから仮に米倉クンが偉い人になってインタビューされた時には『今の自分がいるのは伊東先生のお陰です』と言ってください」

 

 …………伊東先生から教わったことって何かあったっけな。

 有名人になることはないだろうが、教員という仕事には興味がある。仮に教えるなら遠慮のない子供より、多少なり気遣ってくれる中学生か高校生の方が良さそうだ。

 

「おや、降ってきちゃいましたねえ」

 

 伊東先生がそう呟いたのを耳にして窓の外を眺めると、静かに雨が降り出している。まあ折りたたみ傘を持ってきているし、とりあえずは問題ない。

 成形も一段落ついたので、教師についての話を聞きつつ片付けを始める。別れ際に伊東先生から貰った大きなポリ袋で鞄を包み陶芸室を出ると、降っていた雨は少し強くなってきていた。

 駐輪場へ向かった後で、先日親に買って貰った傘スタンドに折り畳み傘を固定。これさえあれば合羽要らずという割には、予想以上に防御力低くて役に立っていなかったりする。

 

「…………ん?」

 

 自転車に跨りいつも通り校門を抜けようとしたところで、見知った顔を見かけた気がしてブレーキ。ビニール傘を差した男をまじまじと眺めて確認しつつ声を掛けた。

 

「…………アキト?」

「ふぉ? ちょまっ! しー、しー」

 

 俺を見るなり慌てて静かにするようジェスチャーするアキト。一体どうしたのかと不思議に思いつつ、手招きするガラオタに従い自転車から降りる。

 

「何してるんだ?」

「現在尾行中でござる」

「尾行? 誰を?」

 

 俺の質問へ答えるように、ガラオタはちょいちょいと道の先を指さす。

 示されたのは一本の桃色をした傘。本来傘というものは一人分しかカバーできない面積の筈だが、その下には二人の男女がいるようだった。

 

「あー、あれか。傘が一人用の道具だって知らないんだろうな」

「その発想はなかった」

「もしくはあれだろ? 同じような傘を持ってきた二人のうち一本がパクられて、残った一本が自分のか相手のか所有権を争いながら駅まで向かってる的な?」

「どう見ても相合傘です。本当にありがとうございました」

「はいはいそーですねっと。で、その相合傘を何でお前が尾行してるんだよ?」

「あれが相生氏だからですな」

「はい?」

 

 改めて桃色の傘を凝視すると、横顔が一瞬見える。

 驚いたことに相合傘をしているのは、他でもない葵と夢野だった。

 

「…………アイアイ♪」

「アイアイ♪」

「アイオイ♪」

「アイオイ♪」

「あおーいさーんだよー♪」

「ですな」

「…………」

「………………」

「アイアイ♪」

「まだ続けるので?」

「アイアイが相生傘だとっ?」

「おkわかった。とりあえずもちつけ」

「ウス!」

「うむ。流石は米倉氏だお」

「臼! 臼はどこだっ!」

「餅つく気満々っ?」

「はぁーどっこいしょーどっこいしょーっ!」

 

 臼の代わりに差し出されたアキトの手をペッタンペッタンついてみる。いやいやこんなことやってる場合じゃないだろと、最後に一発バチンと思いっきり叩いておいた。

 

「…………いや、驚いたな」

「ぶっちゃけ米倉氏が拙者と餅つき始めたことの方が驚きな希ガス」

「黙れガラオタ。状況は?」

「拙者にも何が何だか。それにしてもこの相生氏、策士である」

「じゃあ何で尾行してるんだ?」

「オマエモナー」

「俺はお前に付き添ってるだけだっての」

「拙者は帰り道ですが、米倉氏は逆方向な上に自転車通学ですしおすし」

「都合いいこと言いやがって」

「フヒヒ、サーセン」

 

 雨であるため顔は傘で即座に隠せるし、多少喋ってもこの距離なら声は聞かれていない。逆に言えば二人が何を話しているのかも、俺達には全く聞き取れなかった。

 ただ話している表情を見る限り、普通に良い雰囲気だと思う。

 

「む」

 

 やがて二人は、駅まで後少しのところで立ち止まった。

 それを見るなりアキトは脇道へと進路変更し、俺も黙って後に続く。

 

「止まったな」

「修羅場な希ガス」

 

 少しして回れ右をすると、二人に気付かれないよう建物の陰から様子を窺う。ちょっとしたスパイ気分でワクワクしていたが、それとは別のドキドキもあった。

 話しこんでいた二人が動きを見せたのは、数分後のこと。

 

「――――――」

 

 何を言っているかまでは耳を澄ましても聞こえない。

 ただ真剣な眼差しを向けた青年は、握手するよう手を差し伸べつつ頭を下げたのだった。



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二十二日目(月) 僕の告白が蕾だった話

 ◆

 

「あ、雨……参ったなあ」

「葵君、ひょっとして傘ないの?」

「う、うん」

「良かったら、駅まで一緒に行く?」

「えっ? で、でも……」

 

 それって、もしかしなくても相合傘ってこと…………だよね?

 これ以上ないくらい嬉しい提案だったのに、予想外の誘いで思わず言葉に詰まってしまう。すると夢野さんはニコッと微笑んで、まるで僕の心を読んだかの如く応えた。

 

「私は相合傘とか気にしないから大丈夫だよ。あ、でも葵君が嫌かな?」

「そ、そんなことないよ! む、寧ろ…………嬉しい…………かな……」

「え?」

「ご、ごめん、何でもない! そ、そうじゃなくて、その、夢野さん自転車だから逆方向だし、遠回りになっちゃうかなって思って」

「それなら大丈夫。実は今日、私も電車なんだ」

「えっ? 自転車じゃないの?」

「うん。朝起きたらパンクしてたから、慌てて電車に切り替えてね。危うく遅刻しそうになったし、もうドタバタして大変だったんだよ?」

「そ、そうなんだ」

 

 こういう時に限って、相談役の友達は一足先に帰っていたりする。でも仮にこの場に居合わせたとしたら、間違いなくGOサインを出している気がした。

 夢にまで見ていた一緒の下校。

 僕の答えを待つ夢野さんを、雨の中いつまでも待たせる訳にもいかない。

 

「そ、そういうことなら…………い、入れてもらっても……いいかな?」

「勿論」

 

 ありがたく言葉に甘えつつ、桃色の折り畳み傘に入れてもらった。何て言うか一緒の下校を夢見てはいたけど、まさか初めてが相合傘なんてドキドキが止まらない。

 雨に濡れないよう近づく夢野さん。未だかつてないほど距離が縮まる中で何をすればいいのかわからなくて、目をきょろきょろさせつつ必死に考えを巡らせる。

 

「か、傘持つよ!」

「ううん、大丈夫」

 

 それならせめてと、僕が車道側になるようさりげなく回り込む。頭が真っ白になってるせいで話題も中々浮かばず、パっと思いついた疑問をそのまま尋ねてみた。

 

「で、でも今から家に帰ったら、もう自転車屋さんも閉まってるんじゃ……?」

「それなら妹にお願いしておいたから大丈夫。元はと言えばパンクしてたのも(のぞみ)のせいだったから。もっと早くに気付いて欲しかったけどね」

「えっと……妹さんが夢野さんの自転車を借りたの?」

「ううん。借りたんじゃなくて、私の自転車って妹と共用なの」

 

 夢野さんの妹さんの話は時々聞くけど、姉妹の仲は良い方だと思う。だけど自転車が共用なのは仲が良いからじゃなくて、家庭の事情的な問題かもしれない。

 夢野さんと話してると「あれ?」って感じることが時々ある。

 何となくではあるけど、最近になってようやくその理由がわかる気がしてきた。

 

「まあ今日は雨も降ってるし、たまには電車通学も良いかな」

「い、今みたいに梅雨の時期だと自転車は大変だね」

「ううん。それ程でもないし、もう慣れちゃったから。ついこの前に入学した気がするけど、どんどん時間が過ぎてっちゃう……一年前の今頃って何してたっけ?」

「えっと……あ! 遠足とか!」

「遠足! 懐かしい! 葵君はどこ行ったの?」

「僕は……場所は忘れちゃったけど、山に登って滝を見たよ。夢野さんは?」

「私は牧場だったかな。牛の乳搾りとか体験したの。あとお昼は飯盒炊飯でカレーを作って、美味しかったし面白かったかな」

「ぼ、僕の所もカレーだったよ! 中々薪に火が点かなくて困ってたら、アキト君が何でか知らないけど着火剤を持ってきてて」

「本当? ミズキも持ってきてたけど、火水木君のお陰だったんだね」

 

 雨の並木道を歩きながら、懐かしい思い出話に花を咲かせる。

 音楽部での日常や夏の合宿。文化祭や体育祭といったイベント。それに陶芸部でやったハロウィンパーティーのコスプレにクリスマスの闇鍋と、思い返せば一年間色々あった。

 

「あっという間だったけど、楽しかったね…………私達、もう二年生なんだ」

「う、うん」

「二年生の夏は、去年以上に楽しくなったりするかな?」

「き、きっとなるよ! ぼ、僕が夢野さんを楽しませるから!」

 

 友達の真似をして少し気取りつつ応えてみる。言った後で調子に乗り過ぎた気がして恥ずかしくなったけど、夢野さんは僕に笑いかけてくれた。

 

「本当? じゃあ楽しみにしてるね」

 

 ドキンと胸が高鳴る。

 良い雰囲気だと思った。

 落ち着くよう、自分に何度も言い聞かせる。

 …………大丈夫。

 きっと上手くいくって、付き合った二人も言ってたじゃないか。

 

「ゆ、夢野さん……た、大切な話があるんだけど、いいかな?」

「どうしたの?」

 

 脚を止めた僕を、夢野さんが不思議そうに見る。

 あの時、ネズミーランドでは勇気を出せず言えなかった言葉。

 何度も家で思い描いていた場面は、正に今この瞬間だった。

 ゆっくりと息を吸う。

 そして僕は、大好きな少女の目を見つめながら想いを声に出した。

 

 

 

「僕、夢野さんのことが好きなんだ!」

 

 

 

 はっきりと気持ちを伝える。

 僕の告白を聞いた夢野さんは、突然のことに驚いていた。

 

「は、初めて音楽部で会ったときから、ずっと……ずっと好きでした!」

 

 伝えたいことは他にも沢山ある。

 しかし上手く言葉にできないまま、僕は頭を下げて腕を差し出した。

 

「ど、どうか、付き合ってくれませんか?」

 

 あんなにイメージしてた筈なのに、完成度の低い告白だったと思う。

 後は神に祈るだけと、目を瞑り黙って返事を待った。

 

 

 

「……………………葵君、濡れちゃうよ?」

 

 

 

「えっ?」

 

 返ってきたのは、いつも通りの優しい言葉。

 そしてポツポツと身体に当たっていた雨の冷たさが消える。

 不思議に思い顔を上げると、自分が濡れるのをお構いなしで夢野さんが僕を濡れさせないように傘を差していた。

 

「そ、それじゃ夢野さんが濡れちゃうよっ?」

「ううん、このまま聞いて」

「で、でも――――」

「私ね、告白なんて生まれて初めてされたからビックリしちゃった。葵君からそんな風に想ってもらえてるなんて凄く嬉しいし、幸せだと思う」

 

 夢野さんは雨に濡れながら、何とも言えない表情で静かに語る。

 そして胸に手を当てゆっくりと息を吐くと、僕の告白へ答えを返してくれた。

 

 

 

 

 

「…………でも、ごめんなさい。葵君とは、これからも友達のままでいたいかな」

 

 

 

 

 

 何でだろう。

 振られたにも拘らず、返事を聞いた僕は笑顔を浮かべていた。

 

「そ、そうだよね……ぼ、僕の方こそゴメン……」

「ううん。葵君は悪くないんだから、謝ることなんて――――」

「そんなことないよ……だって僕、夢野さんには好きな人がいるって知ってたから……」

「え?」

「夢野さん、櫻君のことが好きなんだよね?」

 

 どうしてこんなわかりきったことを聞いているんだろう。

 答えなくていいよと慌てて撤回するより早く、夢野さんは隠し事がバレた子供みたいにばつの悪そうな顔を浮かべつつ口を開いた。

 

「そっか、気付かれちゃってたんだ」

「う、うん」

「私としては隠してたつもりなんだけど、そんなに分かりやすかった?」

「そ、そんなことないと思うよ」

 

 建前でフォローしてみたけど、本音を言えば相当分かりやすいと思う。アキト君にも知られてた訳だし、もしかしたら陶芸部の人達も気付いてるんじゃないかな。

 差し出していた手を引っ込めた僕は、夢野さんが持っている傘に手を添えると、本来守るべきである持ち主に雨が当たらないよう角度を直した。

 

「だ、だから僕、応援してる! 夢野さんが櫻君と付き合うために、協力できることがあったら何でも言って! 僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど、できる限りのことは何だってするから!」

「葵君…………うん、ありがとうね」

「ど、どう致しまして」

 

 止まっていた脚を動かして、夢野さんと一緒に駅へ向かう。

 全てが終わったと思うと不思議と心が軽く、次々と浮かんでくる話題の数々。実は付き合った音楽部の二人は僕の片想いを知っていたというネタ晴らしだけで、道中の話は尽きることがなかった。

 

「それじゃ、また明日」

「うん」

 

 先に来た電車に夢野さんが乗ると、程なくしてドアが閉まる。

 ガラス越しでも手を振ってくれる優しい友人に、僕は最後まで笑顔で手を振った。

 完全に電車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。

 

「…………」

 

 未だに雨の降っている曇り空を黙って見上げる。

 夢野さんは友達のままでいたいと言ってくれた。

 それだけで充分だ。

 頬を一滴の雫が流れ落ちる。

 どうしてだろう。

 

 

 

 ついさっきまでは、ちゃんと笑っていられた筈なのに…………。

 

 ◆



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二十二日目(月) 答えの出ない問題だった件

 ――――一部始終を見ていた。

 顔を上げた葵が夢野と共に駅に行くまで黙ってアキトと共に見守り続け、二人が階段を上がって行くのを見届けた後になってようやく俺が口を開く。

 

「…………どう思う?」

 

 俺の問いに対して、アキトは黙って首を横に振った。

 何となくわかってはいたが、やはりそうかと再確認して溜息を吐く。

 

「…………だよな」

「ただ、悪い振られ方ではなかったと思うお。これはあくまでも拙者の推測ですが、相生氏が諦めなければ時間を置いた後でワンチャンあるかと」

「そうか」

「とりあえず拙者は様子を見て、必要そうなら励ましに行ってくるお」

「じゃあ俺も――――」

 

 そう言いかけたところで、肩をポンと叩かれる。

 

「気持ちはありがたいものの、今米倉氏が行くのは逆効果ですしおすし」

「…………悪い」

「これは拙者の役目であって、気にする必要はないお」

 

 俺には俺の役目がある……そうも受け取れる一言だった。

 確かに俺は葵を励ますよりも、考えるべきことがある。

 

「線路に飛び込むような真似は命に代えても止めるのでご安心あれ! 仮に葵氏が飛び込んだとしたら拙者も一緒に飛んで、二人でガ○ツしてくるでござる」

「お前ならあっさり100点取りそうだけどな」

「多分ネギ星人辺りで死ぬかと思われ」

「最初じゃねーかよっ!」

 

 いつも通りの馬鹿話をした後で、頼れる友人は駅の階段を上ると姿を消した。

 俺はアキトに後を任せつつ、傘を固定し直すと自転車を漕ぎ出す。

 葵が何と言われて断られたのかはわからない。

 ただ鈍感難聴系主人公じゃない俺は今回の一件を経て、アキトや阿久津が言っていたことをますます深く考えてしまう。

 

 ――――仮に夢野が俺のことを好きだとしたら?

 

 今までは葵のことがあったから、あまり意識しないようにしていた。

 しかし今は違う。

 夢野が葵の告白を振った今、その期待は無意識のうちに大きくなっていく。

 問題なのは、俺自身の気持ちだ。

 

『阿久津が好きだ』

 

 今まではずっと、そう思い続けてきた。

 でも本当にそうなのか?

 仮にそうだとしたら、夢野のことはどう思っているのか。

 

「……………………」

 

 考えても考えても答えは出ないまま、家に到着した俺は制服から着替える。やはり傘スタンドだと上半身は守れても、ズボンの裾や靴下はずぶ濡れだ。

 両親はまだ仕事らしく、テーブルの上には温めて食べられるよう夕飯が準備してあるが、まだお腹も空いていないし先に風呂に入ってしまおうとお湯を張った。

 

「たっだいま~っ!」

「お帰り」

 

 丁度準備ができた頃に帰ってきた妹の声を聞いて、タオル片手に玄関へ向かう。どうやら傘を持って行っていなかったのか、そこにはびしょ濡れになった梅がいた。

 水の滴るショートカットの髪に、色濃くなった学校指定のジャージ。その生地は身体に張り付いており、夢野ほどではないが発育した胸が浮き出ている。

 

「濡れた~。梅もうグショグショだよ~」

「そういう誤解を招く発言をするな。ほれ、タオル」

「ナイスお兄ちゃん!」

「風呂沸かしてあるから、風邪引く前にそのまま入って来い」

「どったのお兄ちゃんっ? 梅のためにお風呂まで用意してるなんて気ぃ利きすぎっ!」

「お前のために用意したんじゃないっての。入るなら早くしろ」

「了解っ! 音速ダァッシュ!」

 

 相変わらずのドタバタ走りで脱衣所へと向かう梅。少しして風呂場へと移動する音を聞いた後で、脱衣所に入った俺は自分の靴下も入っている洗濯機を操作する。

 

「ひょっとしてお兄ちゃん、洗濯もしてくれるの?」

「まあな」

「む~。何か怪しい……」

「そうか? 普段雨に打たれたら母さんがやってることだろ」

「お風呂沸かすくらいならまだしも、洗濯なんてお兄ちゃんやらないじゃん! あ! さては梅のパンツ頭にかぶるつもりでしょっ?」

「どういう発想だよ……仮にそれが目的なら、洗濯せずに黙って持ち去るだろ」

「それもそっか。じゃあ何か梅にお願い事?」

「別にないっての。単なる気まぐれだ」

 

 まあ梅の言ってることもわからなくもない。実際洗濯なんて普段は一切やらないし、こうして母親の代わりにやろうとしているのも何となく気が向いただけだ。

 適当にモードを指定してから洗剤を投入し洗濯を開始。後で親に指摘されて知ったことだが、下着類は伸びないようネットに入れる必要があったらしい。知らんがな。

 

「う~ん、それならミナちゃんと何か良いことがあってご機嫌とか?」

「ご機嫌に見えるか?」

「ご機嫌斜めに見える! あっ! お兄ちゃんキレてる」

「別に怒ってもないっての」

「そうじゃなくて、シャンプー切れてる!」

「そっちかよ」

 

 思えば夢野と話すきっかけになったあの日も、こんな雨が降ってたっけな。

 今回はしっかりと買い置きがあったためコンビニに脚を運ぶこともなく、俺は騒々しい妹へ詰め替え用のシャンプーを渡すと自分の部屋へと戻る。

 悩んだところで答えは出ない。

 考えることに疲れた俺は、気がつけば全てを放棄して眠りについていた。



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末日(木) 今日は阿久津の誕生日だった件

 初恋はレモンの味という言葉があるが、本当にそうだろうか?

 甘酸っぱいの意味を辞書で調べると『甘みと酸っぱみとがまじった味やにおい』とのこと。該当例がパイナップルやオレンジと言われると何となくわかる気がする。

 それならレモンはと言われれば、誰がどう考えても甘くはない。きっとこの言葉を作った人間は、初恋なんてものは大半が酸っぱいままで終わると知っていたんだろう。

 

「「「「「ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデートゥーユー♪」」」」」

 

 目の前のケーキにはイチゴやミカン、パイナップルにキウイといったフルーツが盛り沢山。生地にも挟まれている豪華っぷりだが、その中にレモンは当然入っていない。

 そんなホールケーキが用意されている理由は、本日6月3日が阿久津の誕生日だからだ。

 

「「「「「ハッピバースデーディア○△×☆~♪」」」」」

 

 肝心の名前部分で色々な呼び方が混ざると、阿久津は小さく笑顔を浮かべる。最後に夢野と火水木が綺麗なハーモニーを奏でた後で、少女は刺さっている蝋燭の火を吹き消した。

 

「おめでとうございます! ミナちゃん先輩!」

「……ミナ、おめでと」

「いやー、めでたいッスね」

 

 まるでどこぞの新世紀なアニメの最終回を彷彿とさせる祝福の数々。この流れだと俺はペンギン役として『クックックァーッウッ!』とか言うべきなんだろうか。

 ちなみにケーキは火水木の手作り。普段は飲み物を保管する程度にしか使われない陶芸室の冷蔵庫から、全員が揃うなり披露されたこのプレゼントには誰もが驚いた。

 

「こんなに祝われた誕生日は初めてだよ。本当にありがとう」

 

 最近うちのクラスでは誰かしらの誕生日になると全員で同じお菓子を用意してプレゼントする謎の風習が生まれているが、ケーキ付きで誕生日を祝ってもらうことまでは流石にない。

 しっかりと果物ナイフと紙皿も用意していた火水木が丁寧にケーキを切り分けていく中、早乙女と冬雪、夢野が各々用意したプレゼントを渡していった。

 

(ネック先輩)

「ん?」

(今日がツッキー先輩の誕生日だって知ってました?)

「まあな」

(じゃあひょっとしてネック先輩も、プレゼント用意してたりする感じッスか?)

「ああ、一応は」

 

 まるで友達と思って声を掛けたら別人だった時の如く、やらかしたという表情を浮かべる後輩。どうやら今回の誕生日祝いは、火水木が事前に声を掛けた訳じゃないらしい。

 

「オレ、ちょっとトイレ行ってくるッス。先輩方は先に食べててくださいッス」

 

 こっそり財布をポケットに入れると、テツは足早に陶芸室を去っていく。別に知らなくて当然なんだし、無理に用意しなくても無いなら無いで良いと思うんだけどな。

 一つ一つのプレゼントに盛り上がる少女達を眺めながら一段落するのを待った俺は、鞄から小さな箱を取り出すと主役である少女に差し出した。

 

「これ、梅からだ」

「すまないね。いつもありがとうと伝えておいてくれるかい」

「ああ」

 

 恐らくは阿久津も理解していたのだろう。預かった際に「17歳って結婚できるのっ?」などと間抜けな発言をした妹のプレゼントを受け取った少女は淡々と答えた。

 俺の用意したプレゼントも一緒に渡さない理由……それは別に怖気づいた訳じゃなく、他でもない夢野からの指示だったりする。

 

 

 

『米倉君。そのシュシュ、どういう風に渡すか考えてる?』

『どういう風にって……普通に渡すんじゃ駄目なのか?』

『ちゃんと仲直りしたいなら、他の人と一緒に渡すより別のタイミングで渡した方が良いかなって。水無月さんもきっとその方が喜ぶと思うよ』

 

 

 

 確かに冬雪からのバレンタインの時に焦らし効果の偉大さを知ったが、あれとこれとは違う話で阿久津が俺のプレゼントを待っているとは思えない。

 夢野の言い分はいまいちわからなかったが、とりあえず従って損はないだろう。そんな安直な考えの俺は、火水木の切ったケーキを受け取った。

 

「……美味しい」

「本当だね。作るのは大変じゃなかったかい?」

「この程度なら朝飯前よ」

「ら、来年は星華が作ってみせます!」

 

 ふわふわのスポンジに甘いクリーム、そしてフルーツのさっぱり感……なんて言ってみたものの味の良し悪しがわかるほどグルメじゃないし、不味いケーキに出会ったことのない俺にとっては例外なく美味しかったりする。

 中身があり過ぎるせいで、フォークを突き立てたら横に倒れてしまったケーキを堪能していると、片手にコンビニ袋を携えた後輩が汗だくになって戻ってきた。

 

「ツッキー先輩、お待たせしましたっ! プレゼントッス!」

「まさかとは思うけれど、わざわざ買ってきたのかい?」

「うッス! つまらない物ですがどうぞっ!」

 

 そう言うなり、テツは袋の中身を全員へ見せる。

 それを見た俺はチラリと夢野を見ると、夢野もまたこちらを見て笑顔を浮かべていた。

 

「ツッキー先輩、それ好きっぽいんで店にあったのを買い尽くしてきたッス!」

 

 やっぱり男って思考が単純なんだろうか。

 一ヶ月分はありそうな棒付き飴を後輩が渡す中「シュシュにして良かったね」と言いたげな様子の夢野に、俺は苦笑いで応えるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ちゃんと渡さなきゃ駄目だよ?」

「わかってるって。サンキューな」

「うん」

 

 いつものコンビニ前で夢野と別れを告げた俺は家に到着すると、偶然を装うべく空気を入れたり油をさしたりと滅多にしない自転車整備をしながら阿久津の帰りを待つ。

 ただ誕生日プレゼントを渡すだけの筈なのに、いざその時が近づいてくると無駄に緊張する不思議。通行人のフェイントが何度かあった後で、少女は姿を現した。

 

「よう」

「やあ」

 

 季節は皐月から水無月に移り変わり、制服も衣替え移行期間。今日は暑いためブラウス姿の阿久津は、テツから貰ったと思われる棒付き飴を咥えながら挨拶を交わす。

 そのまま横を通り過ぎて家へ向かおうとする少女に、俺は大きく息を吐き出した後で鞄から包みを取り出すと声を掛けた。

 

「あ、阿久津」

「何だい?」

「その……これ、俺から……」

「キミが? わざわざ帰り道で買ってきたのかい?」

「いや、用意してたんだけど、何つーか…………渡すタイミングが無くてさ」

「それは失礼したね。そういうことなら、ありがたくいただくよ」

 

 いつも通り、淡々とした様子で少女は包みを受け取る。

 

「開けてもいいかい?」

「あ、ああ。大したものじゃないけど……」

 

 阿久津は丁寧に包みを開けると、ゆっくりと中身を取り出した。

 そして俺のプレゼントにしては予想外だったのか、やや驚いた反応を見せる。

 

「意外だね」

「実を言うと、夢野に手伝ってもらってさ」

「夢野君に?」

「ああ。この前の休みに一緒に買い物に行って、色々探したんだよ。他にもアクセサリーとか候補はあったんだけど、それが一番良いかなってことになってさ」

「そうかい。随分楽しい休日を過ごしたようで何よりだね」

「お、おう……」

「それじゃあ、ボクは失礼するよ」

 

 阿久津は短く告げると、足早に去っていく。

 仲直りもできないまま残された俺は、ポカーンと立ち尽くした後で小さく呟くのだった。

 

 

 

「…………失礼するよって、それだけかよ……」




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の8章を楽しんでいただければ幸いです!


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8章:俺の夏が青春だった件①
初日(水) 短冊の願いが切実だった件


 七夕という行事について、詳細を知る人は意外に少ない。

 一般的に知られているのは、恋仲だった織姫と彦星が年に一度会える日ということくらい。何故二人が引き裂かれたのかといえば、実にくだらない理由だったりする。

 

『どうも、彦星です。牛追ってます』

『はいは~い、織姫パパンの天帝で~す。娘の織姫が毎日機織りばっかりしてるから、イケメンの彦星君を紹介して結婚させちゃいました~』

『音速ダァッシュ! 織姫ちゃんラブリ~っ!』

『彦星君、ちゃんと仕事もやりなさいよ~?』

『イチャイチャ、イチャイチャ』

『プッツ~ン! パパン激おこプンプン丸! 天の川パッカ~ン!』

『ヴェエエエッ?』

『イチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ~ホワチャアッ!』

『ひでぶ!』

『ザ・ワールドっ! イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ、イチャア!』

『ば……バカなッ! ……こ、この彦星が…………この彦星がァァァァァァ――――ッ』

 

 …………何かくだらない三文芝居を思い出したけど、大体こんな感じだったかな。

 バレンタインや節分と違い、商戦のない七夕は盛り上がりにも欠ける。分類としては雛祭りに近くスルーする家も多いが、我が家はそういった行事を重んじる方だ。

 

「できた~っ! お兄ちゃ~ん! 草どこ~? あの草!」

「笹な。草なのはお前のその発言だっての」

 

 本日は七月七日。期末テストが昨日で終わり心は雲一つない晴れだが、実際の天気は生憎と一日中雨であり、夜になった今でも窓の外では雨音がしとしと聞こえてくる。

 梅雨真っ只中なこの時期に、天の川が見えることなんて滅多にない。まあ今頃雨雲の向こうにいるであろう織姫と彦星も、イチャついているところを人に見られたくはないだろう。

 

「笹も草だし大して変わらないじゃん!」

「草を馬鹿にするな。雑草魂って言うだろ? 草は育って華になるんだぞ」

「はえ? 花は腐って……何?」

「何もかもが違うっ!」

 

 部分的に入れ替えただけで、全く意味の違う文章を生み出しやがったぞコイツ。 ドタバタとリビングを掛け回った妹の米倉梅(よねくらうめ)は、カーテンの裏やクッションの下といったどう考えても無いであろう場所まで捜し始める。

 

「お兄ちゃんもテレビ見てないで捜すの手伝ってよ~」

「ったく…………ほれ」

 

 先日も似たようなことがあったが、その時は放置していたら梅雨にかけた必殺技『梅の雨』とかいう謎の連続攻撃を仕掛けてきた。最近どんどん凶暴になってる気がするな。

 手加減を知らないアホな妹に溜息を吐くと、俺は部屋干しの後で放置されていたと思われる、洗濯バサミが沢山ついたお馴染みのアレを梅に差し出した。

 

「お兄ちゃん、話聞いてた? 梅が探してるの、洗濯物ぶら下げるやつじゃないよ?」

「正式名称はピンチハンガーだ」

「そういうお兄ちゃんトリビアいいから! ピンチなのは梅だよ~」

「これに『笹が欲しい』って願い書いて引っ掛けておけ」

「うわ~。手伝ってくれるどころか、そんな提案するなんて梅引くわ~」

 

 結局ひとしきり荒らし回った妹は入浴中である父親の元へ聞きに行く。我が家に笹を持って帰ってきた張本人なんだから、最初からそうすれば良かったのにな。

 昨年は梅以上に騒々しい姉も一緒だったが、今年は一人暮らし中で今はテスト前とのこと。母親も夜勤でいないため、今年吊るされる短冊は三枚だけになりそうだ。

 

「お兄ちゃ~ん。お母さんの短冊知らない?」

「ん? あるのか?」

「お父さんが朝に渡したから、どっかに置いてある筈だって」

 

 目的のブツである笹を無事発見したらしく、お祓い棒のように振りながら尋ねる梅。どうやら父親は願いを書き終えた後らしく、既に一枚の短冊が吊るされていた。

 

『髪が抜けませんように』

 

 …………また随分と切実な願いだな父上よ。

 こんな願いを見せられた織姫と彦星も反応に困るだろなんて思いながら、ふと傍らに置かれていた一枚の短冊に気付く。

 

「なあ、これじゃ――――」

『豆腐1個、長ネギ1本、スライスにんにく1個、めんつゆ大さじ3、酢大さじ2、ごま油大さじ1、酒大さじ2、水大さじ5、お好みで水溶き片栗粉』

「あったっ?」

「…………多分」

「どれど…………えぇ~」

 

 料理のメモにされた短冊を見て、物凄く微妙そうな顔を見せる梅。一体何を作ろうとしていたのかが中途半端に気になる中、不意に俺の携帯が震え出す。

 ガラケーを手に取って確認すればメールではなく電話。画面に表示されている名前は部活仲間である火水木天海(ひみずきあまみ)だった。

 

「もしもし?」

「やっほーネック。今大丈夫?」

「ああ。どうしたんだ?」

「今合宿の計画練ってるんだけど、アンタ何かやりたいことある?」

 

 俺の所属している部活動は陶芸部。合宿なんて必要ないだろとクラスメイトからは突っ込まれてばかりだが、正直言って俺自身も甚だ疑問ではあったりする。

 まあ一応行き先は陶芸で有名な場所だし、見識を深めるという意味では重要なのかもしれない。もっともそんな風に考えてるのは、部長と副部長だけかもしれないけどな。

 

「今の時点で何が決まってるんだ?」

「とりあえず肝試しに花火、それとバーベキューね」

「夏満喫セットだな」

「当たり前じゃない! 何てったって合宿よ合宿! 貴重な泊まりイベントなんだから!」

 

 まあ確かに火水木の言う通り、あのメンバーで宿泊と考えるとワクワクはする。

 ただその一方で、俺には気がかりなこともあった。

 

「…………やりたいことか……俺は特にないかな」

「あらそう? じゃあ思いついたら連絡頂戴。今週中ならギリセーフだから。向こうで食べたい物とか行きたい店でもオッケーよ」

「わかった。わざわざサンキューな」

 

 通話を終えた後で溜息を吐く。

 気付けば父さんが風呂から上がっており、入れ替わりに梅の奴が風呂に入ったようだ。

 

『最後の大会に勝てますように』

 

 妹が短冊に書いた願いを見て、まあそうだろうなと納得する。

 これといって何も思いつかなかった俺は『健康でいられますように』というありきたりな短冊を吊るしておいた。

 実を言うと既に学校でも短冊を書いており、これは二枚目だったりする。

 屋代で用意されるのはこんなショボイ笹ではなく、最早竹と呼んでもおかしくない10メートルはありそうな巨大笹。そしてそこには400人以上いるCハウスの生徒達が書いた、色とりどりの短冊が吊るされていた。

 

『幼馴染と仲直りできますように』

 

 織姫と彦星みたいな恋仲になりたいなんて高望みはしない。

 別に短冊の願いが叶うなんて思ってもいない。

 ただ仮に……もしもそんな奇跡が起こしてくれる力が織姫と彦星にあるとしたら、俺が笹に吊るした些細な望みを叶えて欲しい。そんな切実な願いだった。



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一日目(水) 合宿のしおりが手作りだった件

 本日の天気は晴れのちスコールレベルの雨。ゲリラ豪雨の多いこの時期だが今日の雨は一段と激しく、俺の通っていた中学校なら雨漏りが多発していたこと間違いなしだ。

 傘も役に立たないような強い雨が降り、水が溜まっている中庭を早足で抜けて芸術棟へ避難すると、茶髪の坊主頭という異様なルックスの後輩、鉄透(くろがねとおる)と遭遇した。

 

「あ! ネック先輩、ちわッス!」

「よう」

「今日何の日か知ってるッスか?」

「ん? 終業式だろ?」

「またまた恍けちゃって。オレが求めてるのは、そんなつまんない答えじゃないッスよ」

「じゃあ何だよ? 誕生日か?」

「違うッス。七月二十一日ッスよ、7月21日。常識じゃないッスか」

「?」

「答えはそう、オ○ニーの日!」

「せんせー、テツ君がまた変なこと……っていうか変態なこと言ってまーす」

「今日の雨とか、絶対に透けブラが度を増してエロエロになるじゃないッスか! いや本当、夏ってマジで良いッスよね! ビバ夏! ビバおっぱい!」

 

 幸い周囲に生徒は見当たらないが、どこで誰に聞かれてるかわからない状況でよくもまあそんな下ネタを堂々と言えるもんだ。コイツの頭は夏になっても春のままだな。

 

「陶芸部で海とかプールって行かないんスか?」

「行くと思うか?」

「いやー、合宿行くくらいだしあるかなーって思ったんスけどね。ぶっちゃけネック先輩だって女性陣の水着姿を見たいっしょ? ポロリするかもしれないッスよ?」

「先生に言われなかったか? 夏休みだからって羽目を外し過ぎるなって」

「え? ハメ過ぎるな?」

「いやー、それにしても凄い雨だな」

「ちょっ! 無視しないでくださいッス!」

 

 アホな発言は華麗にスルー。ってか挨拶の次にするような話じゃないだろこれ。

 湿気による蒸し暑さから逃げるようにクーラーの効いた陶芸室へと入ると、そこには座敷童子のようにボーっと立っている小柄のボブカット少女がいた。

 

「ちわーッス! ユッキー先輩、何やってるんスか?」

 

 夏になったことでブレザーを脱いでリボンを外し、胸元の防御が薄くなったクラスメイトかつ陶芸部部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)は眺めていた窓の外を指さす。

 

「……あれ」

「あれって、うおおっ? 凄ぇっ! ネック先輩、サンダルが浮いてるッスよ!」

 

 駆け寄ったテツがギャーギャーと騒ぎ出すので、俺も後に続き状況を確認。確かにアスファルトには中庭以上に相当な量の水が溜まっているようで、どこから流れてきたのかプカプカと片足だけのサンダルが浮いている程だった。

 

「マジかよ」

「……マジ」

 

 無表情のまま芯の無い声で冬雪が応える中、背後でドアの開く音が聞こえる。振り返ってみればFハウスに所属している四人の少女が一緒に入ってきた。

 

「やあ。どうかしたのかい?」

 

 トレードマークである定価30円の棒付き飴を咥えた長髪の少女、阿久津水無月(あくつみなづき)は、窓際で外を見ている俺達へ声をかける。

 暑さなど感じさせないクールな幼馴染は、透けブラという男のロマンを見せる片鱗も一切無し。変態な後輩曰く、安心と信頼の防御率0.00だそうだ。

 

「マジヤバイッスよ! ビッグサンダルスプラッシュッス!」

「何を訳の分からないことを言ってるんでぃすか?」

「大方そこの水捌けが悪いから、大洪水になっているってところかな」

 

 去年も同じようなことがあったのか、阿久津は惨状を言い当てつつ椅子へ座る。

 デコ出しツインテールのクソ生意気な後輩、早乙女星華(さおとめせいか)も首を傾げこそするが、さして興味もないのか敬愛する先輩少女の隣へ腰を下ろした。

 

「何あれっ? マジでヤバいじゃない!」

 

 席へ戻る冬雪と入れ違いになる形で様子を見に来たのは残りの二人。うっすらと透けて見えるブラのせいで胸の大きさが一層際立つ火水木は、外の光景を見るなり眼鏡をクイッと上げつつ驚きの声を上げる。

 その隣では「わーっ」と小さく声を上げている友人の姿。実は隠れ巨乳説のある夢野蕾(ゆめのつぼみ)と目が合うと、ニコッと向けられた笑顔にドキッとしてしまう。

 

「やっべ、テンション上がってきた! ちょっとオレ行ってくるッス!」

「行くって……ちょっ? トールっ?」

 

 言うが早いかいきなり扉を開け、豪雨の中へ飛び出すテツ。小さな段差から下りて着地するなり飛び跳ねた水の量を見て、改めて今日の降水量の異常さを感じる。

 

「うおおおおっ! フフ……フハハハハ! 雨よ、もっと降るがいい!」

「あーあー。アンタ、帰る時どうするつもりよ?」

「ミズキ先輩もどうッスか? 滅茶苦茶気持ち良いッスよ!」

 

 大声で叫んでも声が消される程の豪雨のため、両手を大きく広げ空を見上げながら高笑いする後輩は火水木の質問が聞こえていなかったらしく支離滅裂な答えを返す。

 まあこういう天気でそういう真似をしたくなる感覚はわからないでもない。全身ずぶ濡れになるのも気持ちよさそうだが、誘われた火水木は当然行く筈もなく溜息を吐いた。

 

「米倉君、今日も自転車?」

「ああ」

「そっか。じゃあ私と一緒だね。帰りまでには止むかな?」

「通り雨だろうし、多分大丈夫だろ」

 

 夢野は音楽部のコンクールと期末テストが終わって余裕ができたのか、ここ最近はこちらへ来る回数が増えており陶芸の腕も少しずつ上達してきている。

 あらぶる後輩を眺めながらそんな話をしていると、火水木が思い出したように手をポンと叩いて長机に置いていた鞄の中身を探り始めた。

 

「そうそう、忘れてたわ。じゃーん!」

「……何?」

「合宿のしおりよ。一応ユッキーに確認してもらおうと思って。まだ二つしか用意してないから、そっちの机で一つ、ユメノンとネックで一緒に見てもらっていい?」

 

 A5サイズの薄い紙束を手にした火水木は、三人の少女が座る長机に一部を置き、もう一部を俺に手渡すと引き続き窓の外ではしゃぐ……というか暴走する後輩を見守る。

 俺は定位置である阿久津の向かいには腰を下ろさず少し離れた位置で机に寄りかかり、隣から覗きこむ夢野にも見せるようにしおりを確認した。

 

「見えるか?」

「うん。大丈夫」

 

 表紙には和の雰囲気を醸し出している、筆ペンで大きく書かれた『陶芸部夏合宿』の文字。画力はないためか挿絵の類は描いておらず、中は割とシンプルな作りになっている。

 今回の合宿は二泊三日。最初の三ページはそれぞれ一日目から三日目にかけての日程表で、後半は周辺地図やバスの時刻表、見学に行く場所の情報などがまとめられていた。

 

「……マミ、ありがとう」

「これくらい御安い御用よ」

 

 パッと見る限りでは簡素なしおりだが、これを作るのも楽じゃないだろう。自ら率先して引き受けた少女は、そんな苦労を微塵も見せることなく軽々と答えた。

 内容もちゃんと陶芸部の合宿らしく、一日目は美術館や指導所の見学。二日目と三日目にはろくろによる制作時間が、それぞれ5~6時間ほど取られている。

 ただ宿舎の到着は午後4時40分と書かれており、その後には一切の予定が書かれていない。どう考えても寝るには早すぎる時間であり、花火や肝試し等の表記はない。

 

「宿舎に着いた後は何をするんでぃすか?」

「ふっふっふ。色々準備してあるから安心して頂戴」

「そう言われると、逆に不安になるね」

 

 かつての問題児だった先輩を思い出してか、少女は深く溜息を吐く。

 ひょっとしたら阿久津や早乙女、冬雪辺りには何をやるか教えていないのかもしれない。まあコイツらにやりたいことを聞いても、多分良い返事は返ってこないだろうしな。

 

「あ! それ、私がお願いして付けてもらったんだ」

「ん? そうなのか?」

 

 最後のページを開くと、夢野が嬉しそうに口を開く。

 そこにあるのは日付ごとにまとめられた6行のスペースがページを跨いで計三つ。何でも『このスペースに三日分の日記をつけて下さい』とのことだった。

 

「やっぱりこういう思い出って大切かなって。米倉君は日記とか書かないの?」

「俺は三日坊主だからな」

「それじゃあ、この合宿なら二泊三日だから大丈夫だね」

「確かに!」

 

 真顔で答えると夢野が笑い、つられて俺も笑う。昔梅の奴が日記を書いてた時に付き合わされたことがあるけど、この手の毎日コツコツはどうも長続きしないんだよな。

 

「おや、鉄クン以外は皆さん勢揃いですか。おはようございます」

「やっほーイトセン。トールなら外にいるわよ」

「外ですか? あららら、凄いですねえ」

 

 相変わらずズレた挨拶をした後で、伊東(いとう)先生は外を見て苦笑を浮かべる。

 各々がまばらに挨拶を返した後で、白衣を着た糸目の顧問はいつも通り黒板前の椅子へ着席。しかし今日はどことなく元気がないようで、先生は大きく息を吐いた。

 

「はあ…………いやあ、若さが羨ましくなっちゃいます」

「イトセン、何かあったの?」

「いえいえ。今日は朝からお腹の調子がいまいちでして……ただの体調不良ですので気にしないでください。それより皆さんが見ているそれは、合宿のしおりですかねえ?」

「……確認作業中……です」

 

 静かに立ち上がった冬雪は、しおりを先生へと手渡す。

 中身をパラパラと眺めた先生は、特に細かく見ることもなくしおりを閉じた。

 

「よくできていますねえ。火水木クン、お疲れ様でした」

「バッチリでしょ?」

「先生からのお願いとしては、当日は遅刻しないよう…………すいません。波がきたのでちょっと行ってきます。先生、今度こそいける気がします」

 

 お腹を擦りながら早足でトイレへ去っていく先生。そんな頼りない後ろ姿を見届けた後で、俺達は改めて合宿のしおりを眺めながらあれこれ雑談する。

 …………そんな平和な時間から一転、誰もが予想だにしない事件は起きた。



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一日目(水) Gが全人類の敵だった件

『きゃっ?』

『うわっ? マジかよっ!』

 

 伊東先生が慌ててトイレに向かったため開けっ放しだった後方のドアの先、廊下の方から何やら女子生徒や男子生徒の悲鳴とざわめきが聞こえてくる。

 一体何かと思い、陶芸部の面々が揃って顔を上げ視線を向けた。

 

「「「……!」」」

 

 真っ先に動いたのは冬雪。ガガガッという椅子を引きずりつつ慌てて立ち上がった少女は、この世の終わりとでも言わんばかりの表情を浮かべている。

 次いで立ち上がった阿久津と早乙女も、何やら深刻な表情でドア付近を見ていた。

 

「厄介だね……星華君、見張っていてくれるかい?」

「り、了解でぃす」

「何よ? どうかしたの?」

「……っ」

「雪ちゃんっ?」

 

 柄にもない機敏な動きで、冬雪がいきなり陶芸室を飛び出す。

 状況を理解できずにいると、今度は俺の隣にいた夢野が身を強張らせた。

 

「どうしたんだ夢野?」

「あ、あれ……」

 

 後方ドア付近の床を指さす少女。

 一体何だと目を細めて注視するが、示しているものは未だに伝わってこない。

 

「ユメノンまで、何だってのよ?」

 

 これといって何も見当たらない気がする中、同じく状況を呑みこめていない火水木が身を乗り出すと景色でも眺めるように額に手を当てつつジーっと観察する。

 そして動きを止めた。

 

「えっ…………えっ? ちょっ! 嘘でしょっ?」

 

 慌てて数歩退く少女を前にして、俺は不思議に思いつつも改めてよ~~~~く見た。

 別に何もないように見える。

 しかし次の瞬間、小さな物体が素早く蠢いた。

 

「っ!」

 

 カサカサと動く姿を見るだけで不快感を煽る、黒光りした醜いフォルム。

 名前の字面だけで人に嫌悪感を与える、最凶最悪の害虫。

 そこにいたのは全人類の敵……通称Gだった。

 

「高音に反応して向かってくるらしいから、悲鳴はあげないことを奨めるよ」

「うぉっ? おいっ! 俺を盾にすんなっ!」

「べ、別に良いでしょっ? ちょっと、どこ触ってんのよっ!」

「触ってんのはお前だろっ!」

 

 外へ逃げようにも生憎の豪雨という背水の陣……とは言っても陶芸室の隅を通って廊下へ逃げれば済む話だが、混乱している火水木は何故か俺の背後に隠れ右肩を掴む。

 更には隠れながらも身を乗り出して様子を窺っているせいで、背中にめっちゃ柔らかい物が何度も当たっている件。でかいとは思っていたが、予想以上のボリュームだ。

 

「ネック! さっさと何とかしなさいっ!」

「何とかって言われても……」

 

 我が家では専ら母上が処理してくださるため、正直言って俺もGの対処は慣れていない。それ以前にジェットな殺虫スプレーすらない現状でどうしろと言うのか。

 気付けば夢野まで俺の左肩を掴みながら隠れる始末。女子の良い匂いに包まれるという傍から見ればこれ以上ない幸せな状況だが、実際は冷や汗ダラダラである。

 

「参ったね。見当たらない……」

 

 何かしら対処できる武器を探していたのか、引き出しを片っ端に開けていた阿久津が困った様子で呟く。しかしアイツ、こんな状況でも相変わらず冷静だな。

 

「ほら! そのしおり使っていいから!」

 

 仮にしおりを丸めたとしても、そのリーチは約20センチ。誰がどう考えても明らかに短く、新聞紙ならともかくこれを使っての近接戦は流石に避けたい。

 機敏に動いては止まり、また唐突に動き出す……そんな不穏な動きを繰り返して部屋の中央に陣取るGと睨み合いの中、侵入の原因を作った顧問が呑気に戻ってきた。

 

「ふう……おや? 皆さん怖い顔をして、どうかしたんですか?」

「イトセン、ストップ! ストォーップっ!」

「はい?」

「そこ! そこ!」

「…………わお」

 

 Gを見るなり驚いた伊東先生は、回れ右をする。

 そのまま阿久津が探していたであろう殺虫スプレー的な武器を出すのかと思いきや、先生は退治するどころかそのまま陶芸室を出ていった。

 

「ちょっ? わお、じゃなくて助けなさいよっ! 何逃げてんのっ!」

『カサカサ』

「キャーッ!」

「ばっ! 押すなってっ?」

 

 火水木のでかい声のせいか、Gは地面を這いながらこちらへ距離を詰めてきた。

 完全に盾代わりとして押し出される中、必死に身を引こうとする。その際に俺の肘が火水木の身体の柔らかくて大きな胸にプニプニと当たり、何かもうおっぱいおっぱい……じゃなくていっぱいいっぱいだった。

 幸いにもGは途中で方向転換し、再び動きを止めて触角を動かす。

 

「だ、だらしないでぃすね! それでも男でぃすかっ?」

「無茶言うなよ! お前はしおり使って倒せるのかっ?」

「せ、星華は見張りで忙しいでぃす!」

 

 全然忙しそうに見えない件。阿久津同様に元バスケ部ということで体育館の暑さにやられた虫の死骸を見慣れている筈だが、所詮コイツは口だけらしい。

 

「仕方ないね」

 

 捜索を諦めた阿久津が、引き出しから梱包用の新聞紙を取り出して丸め始める。

 魔剣の錬成を終えた少女は、戦場へ赴くなり強敵と対峙した。

 

「どこへ行くか分からないから、部室の外へ避難することを奨めるよ」

「ゴ、ゴメンねツッキー。アタシGはちょっと……」

「誤解しないでほしいけれど、ボクだって慣れている訳じゃないさ」

 

 まるで「お前の仕事だろ」と言わんばかりに阿久津にチラリと見られた気がする。いや、それは単に俺の後ろめたさから生じた被害妄想なだけかもしれない。

 冷静さを取り戻したのか、火水木と夢野はゆっくりと俺から離れるなり出口へと移動開始。早乙女は部屋に残っているものの、完全に距離を置いており役立たずだ。

 

「キミは逃げないのかい?」

「え……? あ、ああ……」

 

 YESともNOとも受け取れる曖昧な返事をする。個人的には御言葉に甘えて退散したいところだが、それはそれで火水木辺りから絶対に何かしら言われるだろう。

 これがギャルゲーなら逃げるか逃げないかの選択肢が出てきて、逃げなかったら好感度アップの場面。そんなことを思いつつ鞄から取り出したプリントを丸めて構えるが、男女間の友情は存在する会の会長は「そうかい」と一言呟くだけだった。

 もっとも今の状況はギャルゲーというよりも、RPGの方が近いかもしれない。

 

「作戦は?」

「キミが最初から『おれにまかせろ』と言ってくれれば、こちらとしても助かるけれどね」

「よしわかった。ここは『バッチリがんばれ』でいくぞ」

 

 Gは様子を見ている。

 櫻は身を守っている。

 阿久津は身を守っている。

 

「…………」

「………………」

「いやー、マジで雨ヤバいッスよ」

「「!」」

 

 誰かがやらないと終わらないとわかっていながらも、譲り合いの精神を忘れない俺と阿久津。そんな中不意に扉が開くなり、水も滴る良い男が外から戻ってきた。

 

「ナイスタイミングだテツ!」

「でしょ? オレくらいになると空気が読めるどころじゃなくて、酸素が読める男って感じッスからね。あ、ネック先輩。オレの鞄からタオル取ってもらっていいスか?」

「いやそうじゃなくて緊急事態なんだよ!」

「こっちも緊急事態なんスよ。いや本当パンツの中までグショグショで――」

「人の話を聞けいっ!」

 

 こんなクソピンチな時にも拘わらず、マイペースな後輩は不思議そうに首を傾げる。

 状況説明するように黙って敵を指さす阿久津。俺達の視線の先に何がいるのか気付いたテツは、ようやく今がどういう事態なのか理解したらしい。

 

 

 

 作戦→『めいれいさせろ』 

 テツ→攻撃

 

「うぉっ? ゴっ? ヤバイヤバイっ! ガチのマジでヤバイじゃないッスかこれ!」

 

 テツは混乱している。

 

「ヤバイ時には歌を歌うッス! ラン、ランララランランラン♪」

 

 しかしGには効かなかった。

 

「あ! オレちょっと忘れ物したんで行ってくるッス!」

 

 テツは逃げ出した!

 

 

 

「あ、おいっ?」

 

 頼りになりそうな見た目をしている割に、全然そんなことはなかったらしい。

 Gが動いたのを見てギャーギャー騒ぐだけ騒いだテツは、再び豪雨の中へと去っていく。そんな姿に呆れつつも、本格的に活動し始めたGへ阿久津が身構えた。

 

「どうもお待たせしてすいません」

「!」

 

 少女が一歩目を踏み出そうとした瞬間、逃げた筈の顧問が戻ってくる。

 右手に殺虫スプレーを携え、左手にボウル型の容器を抱えた伊東先生は辺りを見回した。

 

「どこに行きま……っと、そこでしたか。隠れていないのは助かりますねえ」

 

 歩み寄り射程距離に近づいた先生はスプレーを発射。すかさず一目散に逃げるGだが、先生は容赦なく追いかけ噴射を続けると動きが鈍った瞬間を見てボウルを被せる。

 止めとばかりにボウルを少し持ち上げ、隙間から殺虫剤を噴くと再び封印。ボウルの上にスプレー缶を置いた先生は、任務完了とばかりに大きく息を吐いた。

 

「はい。おしまいです。後処理は先生がしますので、他の皆さんを呼んで構いませんよ。くれぐれもボウルをひっくり返さないよう、宜しくお願いします」

「ふう……伊東先生、ありがとうございました」

「救世主でぃす!」

「いえいえ、どう致しまして。先生、これでも先生ですからねえ」

 

 そう言った後で、伊東先生は殺虫スプレーを引き出しに入れると準備室へ戻っていく。

 そんな後ろ姿が妙に恰好良く見えつつも、俺は外へ逃げたテツへ声を掛けた。

 

「忘れ物は見つかったか?」

「見つかったッス。忘れてたのは、あの夏の日の思い出だったッス」

「やかましいわ!」

「しかしイトセン先生、超カッケェッスね」

「ああ、そうだな」

 

 そんでもって歌を歌って逃げたお前と、呆然としてただけの俺は超恰好悪かったよ。



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一日目(水) 俺の願いが付き添いだった件

「あ! 虹出てるじゃない!」

 

 激しいゲリラ豪雨も収まり、芸術棟から外へ出るなり火水木が一言。俺達が揃って空を見上げると、濃い目に浮かびあがった綺麗な七色がアーチを描いていた。

 

「……綺麗」

「随分とはっきり見えているね」

「虹なんて見たの、小学校のプール以来ッスね」

「ああ、シャワー浴びる時に見えるやつか」

 

 無意味に「修行!」とか言いながら、滝に打たれるかの如く浴びて馬鹿やってたあの頃が懐かしくなる。でもあれを虹って呼ぶのはちょっと微妙な気がしないでもない。

 水溜まりを避けながら進みつつ、俺と夢野とテツの三人は駐輪場で自転車を回収。電車組と一緒に校門まで歩いた後で、帰り道が逆である面々と別れを告げた。

 

「雨、止んで良かったね」

「流石にあれはヤバかったからな」

 

 詰まるところが今日も夢野と二人、帰宅という名のサイクリングへ。もっとも雨上がりで湿度が高いため、全然サイクリング日和じゃないことは言うまでもない。

 以前は週に一度程度だったが、最近は週の半分近く陶芸部へ顔を出している夢野。必然的に一緒に帰る日も増えているが、虹が出ていても交わす会話はくだらない雑談だ。

 

「そういやライティング、大丈夫だったのか?」

「うん。水無月さんのお陰でバッチリ!」

 

 中間テストで22点という大失敗をした少女に助け舟を出した阿久津大先生はライティングの授業を取っていない筈だが、本当にアイツは何でもできるな。

 今回はテスト前に陶芸室へ顔も出したが、阿久津とは相変わらず。違和感があると言っていた冬雪や火水木、そして誕生日プレゼントの件で協力してもらった夢野も、今の状態に慣れたのか特に詮索してくることはなかった。

 

「米倉君、期末も数学棟に名前貼り出されてたね」

「見たのか?」

「うん。ちゃんと毎回チェックしてるよ」

「まあ、唯一の取り柄みたいなもんだからな」

 

 とは言ってみたものの、実は今回の通知表は全体的に良かったりする。

 勿論得意科目である数学は数Ⅱも数Bも5だったか、それ以上に驚いたのが評定平均。一年は3.6程度だったのがジャスト4にまで急上昇し、衝撃のクラス5位を取っていた。

 3だと思っていたら4だった教科の多さに目を疑ったが、クラス順位に関しては単にウチのクラスの連中がアホなだけかもしれない。何せ文化祭の企画で『C―3萌え萌えメイド喫茶』を提案して、生徒会からNGを出されるくらいだからな。

 

「大学とか、もう決めてるの?」

「まあ、何となくは……」

「どこどこ?」

「いや、まだ夢みたいな話だからさ」

「うーん…………東大とか?」

「無茶言うなよ」

「じゃあ女子大?」

「それはもっと無理だっ!」

 

 入学できそうな友人はいるが、話題に出すのは何となく控えておく。あれから約二ヶ月が過ぎたがクラスでは普段通りで、女装コンテスト二連覇を期待されていた。

 

「そういう夢野は決めてるのか?」

「ううん。私はまだ全然。ちゃんと考えなくちゃ駄目だよね」

「そんなことないと思うけどな。寧ろ進路なんて決めてない奴の方が多いだろ」

 

 俺だってついこの間までは模試の志望校に東大を書いてたし、アホのクラスメイトは未だに書いている。全校生徒が2500人近くいる屋代と言えど、実際に目指す奴は一桁いるかどうかなんじゃないだろうか。

 

「やっぱり水無月さんも大学とか決めてるのかな?」

「まあ、アイツはな」

 

 国立、月見野(つきみの)大学。

 何を隠そう最近になって俺に目指そうと思い始めたのもそこだったりする。もっとも成績が上がったとはいえ、今のままじゃ志望大学というよりは死亡大学という漢字を当てた方が分相応なくらいだ。

 

「でも夢野も将来が保育士ってことは、そういう学部のある大学に行くんだろ?」

「行きたいけど、専門学校もありかなって思って」

「成程な」

 

 今でも夢野は幼稚園や保育園へボランティアに行っており、そこで起こった面白い話は帰りに聞かせてもらっている。最近ツボに入ったのは七夕の短冊で『野球選手になりたい』『プ○キュアになりたい』からの『からあげになりたい』だったかな。

 

「ところで米倉君、願い事は?」

「あ」

「もー、また保留?」

 

 信号で止まった際に尋ねてきた少女は、ぷくーっと頬を膨らませる。

 夢野の言う願い事というのは、陶芸部で行われたテスト勝負の勝利報酬。別に期末に再びテスト勝負をしたという訳じゃなく、中間テストの願いが未だに保留中だった。

 阿久津から夢野への願いも保留だったが、そちらは何でも最近二人で買い物に行ったとのこと。つまり残っているのは俺から夢野への願いだけということになる。

 

「そう言われても、これといって思いつかなくてさ」

 

 というよりも、どの程度のラインまで頼んでいいのか線引きが難しい。何でもやると言われて「今何でもって言ったよね?」なんて返せたらどんなに楽だろうか。

 一番無難なのが午前だけで授業が終わるこの時期、節約のため空腹真っ只中の俺に昼飯を奢ってもらうという選択だったが、結局頼めないまま終業式を迎えてしまった。

 

「あんまり保留してると、期限切れちゃうんだからね」

「あー、それは困るな」

 

 困ると言うよりは勿体ない……が、だからといって頼み事がある訳でもない。

 何かないかと必死に考えていると、ふとポケットの中で携帯が震え出した。

 

「悪い、ちょっといいか?」

 

 自転車を止めるとガラケーを取り出し画面を確認する。

 電話を掛けてきた相手が妹だとわかるなり、かけてきた理由に薄々予想が付いた。

 

「もしもし?」

『もし~ん。お兄ちゃ~ん、今どこ~?』

「帰宅中だ。どうせまた買い物だろ?」

『む~。違うもん!』

「じゃあ何だ? Gでも出たか?」

『う~ん……そういう感じの事件としてはHが出た!』

「そういう誤解を招く発言をするな」

『そんなことより、お兄ちゃんって今週の土曜日空いてる? 空いてるよね?』

「勝手に決め付けんなっての。空いてたら何なんだ? そんでもってHって何だよ?」

『言った! 今空いてるって言った!』

「一言も言ってねえっ!」

 

 俺の対応を見てか、はたまた梅の声が漏れていたのか隣で夢野がクスリと笑う。

 

『はえ? お兄ちゃん、もしかして今一人じゃない?』

「ああ。夢野と一緒だ」

『な~んだ。じゃあ後で言うから大丈夫! 梅梅~』

 

 一方的に言いたいことだけ告げた梅は、勝手に通話を切った。

 Hが何か気になりつつ携帯をポケットに入れると、夢野が首を傾げつつ尋ねてくる。

 

「電話、梅ちゃんから?」

「ああ。何か土曜が空いてるか聞かれたけど、結局よく分からなかったな」

「土曜日……ひょっとして、試合を見に来てほしいんじゃないかな?」

「あ」

 

 確かにそれは物凄くあり得る話かもしれない。

 普通なら姉貴に連絡しそうなものだが、今はテスト期間の真っ最中。最近は忙しそうな父さんと母さんに声を掛けるのも躊躇した結果、一番暇な俺に電話という訳か。

 

「勝ったら県大会で8月も続くけど、負けたら引退だもんね」

「引退か……」

 

 中学時代が帰宅部だった俺には縁のなかった話だが、三年間続けた部活の最後というのは一体どんな気持ちなんだろう?

 アイツはアイツなりに部長として頑張ってたみたいだし、その思い出は残したいに違いない。有終の美を飾るところくらい、姉貴の代わりにカメラマンとして行ってやるか。

 

「夢野は行くのか?」

「え? 私?」

「だってほら、夢野の妹にとっても引退試合だろ?」

(のぞみ)は梅ちゃんと違ってキャプテンでもないし補欠だから……」

 

 確かにそれは部活に打ち込んだ執念と時間が違うかもしれない。

 妹がバスケ部という同じ境遇かつ事情に詳しいため何となく聞いてみたが、この反応を見る限り夢野に行く予定はなかった様子。まあ、普通はそうだよな。

 

「でも仮に米倉君からお願いされたなら、私も一緒に行こうかな」

「え?」

「試合の応援。行ってあげなきゃ、梅ちゃん可哀想だよ?」

「まあそりゃそうだけど……いいのか?」

「コスプレとかお願いされるよりはね」

 

 冗談めかして答えた少女は、ニコッと微笑んでみせる。

 それを見た俺もまたつられて笑うと、夢野の提案に甘えるのだった。



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四日目(土) 写真を撮るのは苦手だった件

 本日の予想最高気温は36℃。こんな夏真っ盛りのクソ暑い日となれば、本来なら間違いなく家でクーラーという文明の利器の恩恵に与っていたところだろう。

 現在時刻は11時だが、既にこれ以上はないと思えるほどの暑さ。持ってきた桜桃ジュースは数分で空になり、現地調達した二本目ですらなくなりかけていた。

 

「あぢい……」

「暑いね」

「異常だろ、この温度は……」

「今日は今年一番の暑さになるって言ってたよ」

 

 涼しげなワンピース姿の夢野が、手でパタパタと仰ぎながら答える。まだ今年の夏は始まったばっかりだってのに、気象庁はその台詞をあと何回言うつもりだよ。

 俺達がやってきたのは近場の総合体育館。蒸し風呂状態になっているこの空間で、バスケットという激しいスポーツをやる連中の気がしれない。

 

「体育館って夏は暑いけど、冬は冬で寒いよね」

「溶ける……」

「ほーら、溶けないの! 頑張って頑張って」

「あぃ~」

 

 夢野が持参した、中の飲料を凍らせた冷凍ペットボトルを頬に当てられる。肌へと直接伝わった冷気の気持ち良さに、昇天しそうな声が出た。

 

「元気出た?」

「床暖房と床冷房を要求する! かき氷が食べたい!」

「ストーブなら冬に出るよね」

「あの業務用みたいなでっかいやつ、ぶっちゃけ焼け石に水だよな」

「そうそう、全然暖かくないよね。それに望はストーブよりもクーラーが欲しいって言ってたかな。寒いのは運動すれば温まるけど、暑いのはどうしようもないからって」

「まともな妹で羨ましいな。うちの妹はアホだから、未だに扇風機で耐えてるよ」

「ふふ。梅ちゃんらしいね」

 

 そんな妹の要求は予想通り、写真を撮ってほしいとのこと。普通ならスマホでパシャリだが、生憎と俺はガラケーなので親のデジカメを借りてきた。

 トーナメント形式である地区大会は三日間あり、一日目の今日は六試合も組まれている。梅の試合は12時半から始まる第四試合だが、俺達がこれから見るのは第三試合だ。

 

「お?」

「あ!」

 

 時間が近づきコートに姿を現したのは黒谷中の面々……つまり夢野の妹がいる学校であり、お団子頭の少女は二階の客席にいる俺達に気付く。

 バスケアニメなら観客で埋まっているイメージだが、中学生の大会なんて実際はスカスカ。小さく手を振る夢野を見て、真面目そうな妹は照れながらも小さく手を振り返した。

 

「夢野家って平和そうだよな」

「うーん、姉妹の仲は良い方かな? でも米倉君だって、梅ちゃんと仲良しでしょ?」

「別にそうでもないぞ」

「またまたー」

「いやいや、姉貴がいたから仲良さそうに見えるだけだって!」

 

 仮に俺と梅の二人兄妹だったら、険悪だったこと間違いなし。兄の俺を敬わずぞんざいに扱い、おやつを勝手に一人で食うような妹の可愛げを見出す方が難しそうだ。

 そうこうしている間に整列と挨拶が終わり、いよいよ試合開始。事前に話を聞いていた通り、夢野の妹はベンチで仲間達と共に応援に徹していた。

 

『シューッ! シューッ! シューッ!』

 

 足踏みからの手拍子に合わせて『ズンズンチャ』というリズムが刻まれ、以前にも聞き覚えのある応援合戦が始まる。

 試合展開は拮抗するかと思いきやそんなことはなく、予想以上のワンサイドゲーム。こちらが一本入れるのに対して、相手チームは三本も四本もシュートを決めていた。

 

「随分強いところと当たったな」

「去年は一回戦負けのところだって聞いたんだけど……」

「マジか」

 

 八分間の第一クォーターが終了して20対8。そのまま一分間のインターバルを挟んで第二クォーターが始まったが、試合の流れは変わらない。

 夢野の妹が試合に出るなら写真を撮ろうとも考えたが、カメラを使う機会もないまま第二クォーター、第三クォーターと一方的な試合展開は進んでいった。

 

「頑張ってるけど、負けちゃいそうだね」

「最後まで諦めちゃいかん……って言いたいけどな」

 

 ラストである第四クォーターが残り三分になったところで30点の点差。ここから逆転するなんて奇跡は流石に起こらないだろう。

 容赦ない相手チームのシュートが入りゲームが止まると、審判の笛が鳴った。

 

『ピピッ』

「あ! 出るのかな?」

 

 黒谷中の顧問も試合を諦めたのか、メンバーチェンジを指示したらしい。

 交代したのはスタメン五人全員。ベンチから出てきたメンバーの中には夢野の妹も含まれており、言ってしまえば負けが確定したことによる思い出出場だった。

 

「緊張してるっぽいけど、大丈夫か?」

「あの子あがり症だから、頭の中が真っ白になってるかも」

 

 別に勝負を決めるような場面じゃないが、彼女にとっては集大成を見せる大事な試合。若干ぎこちない動きの少女は、ポジションに付くとディフェンスをかわすために動く。

 夢野が妹のプレイをジッと見守る中、俺は慣れない手つきでカメラを起動。写真は撮るのも撮られるのも苦手なので、後で梅に文句を言われないためにも練習しておこう。

 

『望! 速攻!』

 

 仲間からパスを貰った少女が、カウンターでゴール下へと切り込む。

 ファインダー越しで眺めていた俺は、少女が高々と跳んだ瞬間にシャッターを切った。

 

『ナイッシューッ!』

「やった!」

 

 ボードに当たったボールがリングへ吸い込まれると、夢野が嬉しそうに声を上げる。

 コート上で仲間に称えられながら自陣へと戻る少女を見た俺は、その喜びに溢れた笑顔を残すべくもう一枚パシャリと撮っておいた。

 

『ピーッ!』

 

 少しして審判の笛が鳴ると試合終了。結果だけを見れば60対32と惨敗だったが、夢野の妹が良い思い出として残りそうなシュートを打てたのは何よりだ。

 

「米倉君、さっきのシュート撮れた?」

「ああ」

「じゃあ後で焼き増しお願いしてもいい?」

「そう言われると、ちゃんと撮れてるか不安だな」

「どれどれ? 見せて見せて」

 

 慣れない操作をしながら確認していると、夢野が横から覗いてくる。

 ふんわりと香ったリンスの良い匂いにドキッとしつつ、両親の撮ったどうでもいい写真の山を抜けた後で、先程撮影したシュートの瞬間をようやく発見した。

 

「こんな感じだけど、これでいいか?」

「うん。バッチリ! ありがとね」

「おう」

「…………ねえ米倉君、撮りたいものがあるんだけど、ちょっとカメラ借りてもいい?」

「ん? 別に良いけど、ちょっと待ってな」

 

 閲覧モードから撮影モードに切り替えると、俺は夢野にカメラを手渡す。

 

「ここ押せば良いんだよね?」

「ああ」

「じゃあ撮るよ? はい、チーズ♪」

「えっ?」

 

 レンズを自分側へ向けると、腕を伸ばした夢野が俺にくっつきつつコールする。

 突然の撮影に驚きながらも、身体は反射的にピース。撮り終わった写真を満足そうに確認した少女は、カメラを俺に返しながらニコッと笑顔を浮かべた。

 

「後で焼き増し、お願いね♪」

「お、おう」

 

 撮られた写真は美女と野獣とでも言わんばかりの不釣り合いさ。綺麗な少女が癒やしの笑顔を見せる一方で、存在自体が不快感を与える男が不気味な笑顔を浮かべている。

 何とか上手いこと加工して夢野だけにできたりしないか考えていると、いよいよ第四試合が始まるらしく4番のユニフォームを着た妹が姿を現した。

 

『!』

 

 早々に俺と夢野を見つけるなり、ブンブンと勢いよく手を振ってアピールしてくる妹。そんなアホ面を目の当たりにして、溜息交じりにパシャリと撮っておく。

 

「梅ちゃんはいつもと変わらないね」

「アイツは前日に緊張するタイプで、本番は出たとこ勝負って感じだからな」

「そうなの?」

「遠足の前日とか「眠れない~眠れない~」ってやかましいんだよ」

 

 挙句の果てには「興奮が止まらない」とか言い出す始末。勿論そんなコメントに対して俺が「そういう誤解を招く発言をするな」と返すのは言うまでもない。

 俺達に手を振り終えた梅は、キョロキョロしながら落ち着かない様子。一体どうしたのかと思っていると、背を向けて何かを見つけるなり再び手を振り始めた。

 

「!」

 

 梅が手を振っていた先……俺達のいる位置とは反対側の二階を見る。

 てっきり友達でも呼んだのかと思っていたが、そこにいたのは見知った二人の少女。先代部長と先々代部長である阿久津と早乙女の姿を見て、俺は硬直するのだった。



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四日目(土) 俺の妹が頼れる部長だった件

「水無月さん達も来てたんだね」

「可愛い後輩の激励でぃす」

「夢野君達はデートかい?」

「デっ?」

 

 そんなんじゃないと言いかけるが、幼い頃の失敗を思い出し慌てて言葉を呑み込む。

 動揺する俺とは対照的に、夢野はケロっとした様子で答えた。

 

「そう見える?」

「妹さんと梅君の応援に来たように見えたかな」

「正解!」

「蕾先輩に妹がいたとは初耳でぃす。しかもバスケ部だったんでぃすか?」

「うん。バスケ部って言ってもベンチだし、初戦で負けちゃったけどね」

「残念だったけれど、勝ち負け以外にも大事なことはあるさ」

「…………」

 

 思春期真っ盛りの男子高校生に、デートとかいう重要ワードを軽々と使わないでほしい。

 Tシャツにショートパンツという涼しげな恰好の阿久津と、それを真似たような恰好の早乙女。二人が夢野と女子同士の話に花を咲かせ始めると、俺は邪魔しないようにと黙ってカメラを覗く。

 …………しかし一体いつから来ていて、どこまで見られていたんだろうか。

 

「まさかキミも来ているとはね。最初は目を疑ったよ」

「悪かったな……ってか気付いてたなら声の一つくらい掛けてくれてもいいだろ」

「楽しそうに話す二人の邪魔をしちゃ悪いと思ってね」

「っ」

「鼻の下を伸ばす根暗先輩は惨めでぃした」

「伸ばしてねーよっ!」

 

 ちょっと前までの平和から一転、何かもう帰りたくなってきた。落ち着いて考えてみれば、こうなる可能性は充分に予測できた筈……何故気付かなかったんだ、昔の俺よ。

 

「しかし初戦の相手が松風中とはね」

「強い学校なの?」

「去年、星華達が負けた相手でぃす」

「一昨年にボク達が負けた学校でもあるかな。その時は優勝していたかな」

「へー。じゃあ宿敵だし、優勝候補なんだ」

「優勝候補というほど強い訳でもないよ。中学バスケなんて、その年によりけりだからね。昨年の優勝校が翌年は一回戦負けなんてざらにあるし、学校毎のレベル差も極端さ」

 

 てっきり毎年強い常連校とかがいるのかと思ったけど、案外そうでもないらしい。

 経験者だけあって詳しい阿久津の情報を聞いていると、いよいよ試合が始まるのか中央のサークルに整列。お互いに礼をした後で、ジャンプボールが投げられた。

 

『マーちゃん!』

『ミーちゃん!』

 

 零れ球を拾った選手から、流れるようなパスが繋がる。

 そのままボールを受け取った梅は、一気にシュートへと持ち込んだ。

 

「やった!」

「ナイスでぃす!」

「まずは先取点だね」

 

 特に緊張している様子はなく、動きも固くない。

 ナイッシューをと称えられた妹は、自陣に戻ると両手を挙げて声を張った。

 

『ハンズアップ!』

『『『『はいっ!』』』』

 

 写真を撮りに来るよう言われた時からいつになく気合いが入っていると思ったが、先程の阿久津の話を聞く限り引退試合だからという理由だけじゃないだろう。

 俺同様に変なところで負けず嫌いなアイツの性格を考えれば、阿久津に早乙女と二代続けて先輩達が負けた相手にリベンジするところを見せたいに決まっている。

 

『「「ナイッシューっ!」」』

 

 黒谷南のゴールが入る度、ベンチのメンバーと合わせて阿久津と早乙女も声を出す。

 12対10になったところで第一クォーターが終了。こちらがリードしているといっても1ゴール差で、お互いに守りが堅くロースコアゲームになっていた。

 

「強さは互角でぃすね」

「そうだね。良い勝負をしているよ」

 

 確かに先程の夢野妹達の試合のことを考えれば、双方の実力は拮抗している。

 短いインターバルを挟んで始まる第二クォーター。互いにメンバーや戦術の変化はないまま、第一クォーター同様に点の取り合いが淡々と続いていった。

 

『梅!』

 

 仲間からパスを受け取った妹は、3ポイントラインからシュートを放つ。

 弧を描いて飛んでいったボールはガガンッと音を立ててリングとボードに当たったが、弾かれた後でリングへ沿うように転がるとネットへ吸い込まれていった。

 

「すごーいっ! 梅ちゃん、ナイッシューっ!」

「ナイスでぃす!」

 

 ベンチがワッと沸き、隣にいた女子二人が歓声を上げる。

 一人黙っていた阿久津も、拳をグッと握り締め笑顔を浮かべていた。

 

『リバンッ!』

『速攻っ!』

『ドンマイドンマイっ! 取り返していくよっ!』

 

 コート上にいたのは、俺の知らない梅だった。

 時には鋭いパスを回し、また時には自らドリブルで切り込む。

 失敗した仲間には優しく声を掛けフォローし、必死になって点を取ろうとする。

 

「…………」

 

 正直、恰好良かった。

 部活で練習した全てを見せるようなプレイに目を奪われる。

 気付けばあっという間に八分が過ぎ、第二クォーター終了の笛が鳴っていた。

 

「いい調子でぃす! このまま逃げ切りでぃす!」

「まだ7点差だから油断できないけれど、悪くない感じだね」

「…………」

「米倉君、写真撮ってないけどいいの?」

「え…………? あっ!」

「誰もいないコートを撮ってどうするつもりだい?」

「そ、そうだな……」

「また何か考え事してたでしょ?」

「あ、ああ。いや、何かその……アイツ、恰好いいなって思ってさ」

「何を言うかと思えば、ここにきて唐突なシスコン暴露でぃすか?」

「違ぇよ!」

 

 普段見ないバスケをしている姿が新鮮というのもある。

 ただそれ以上に、妹が仲間から頼られていることが意外だった。

 

「当たり前じゃないか。梅君は三年間頑張っていたんだからね」

「そっか……そうだよな」

「それに部長さんだもんね」

「本当、部長はしんどいでぃす。星華の時も部員をまとめるのが大変でぃした」

「それは星華君の方に問題があったからじゃないのかい?」

「そ、そんなことないでぃすよ!」

 

 早乙女を茶化す阿久津を見て、夢野がクスクスと笑う。

 部長と言われてもいまいちピンとこなかったが、アイツも何だかんだ俺の知らないうちに成長してたんだな。

 

『ピーッ!』

 

 やがて第三クォーターが始まると、俺はファインダー越しに妹の勇姿を眺める。

 その活躍を残すべく写真を撮りながら、夢野達と共に声を出し応援した。

 時々ファールはあるものの、怪我等のハプニングはないまま試合は進んでいく。

 ただ梅達の表情は笑顔ではなく、徐々に深刻なものとなっていった。

 

「さっきからついてないでぃす」

「流れが相手にきているね。ここが踏ん張りどころかな」

 

 両チームのメンバーは勿論のこと、攻め方も守り方も変わっていない。ただ前半はスパスパ入っていた梅達のシュートが、ことごとくリングに嫌われていた。

 その悪い流れはプレーにまで影響を与え、パスをインターセプトされるといったミスも出始める。焦りが焦りを生み、点差は徐々に詰められていった。 

 そして、第三クォーターが終了する。

 第二クォーター終了時に開いていた筈の7点差は、あっという間に1点差へ。それもリードしているのは黒谷南中ではなく、勢いに乗って逆転した松風中だった。

 

「梅ちゃん達、大丈夫かな……?」

「まだ一点差だし、慌てるような時間じゃないけど不安になるな」

「追い上げられるのは精神的に辛いからね。インターバルでゲームが切れて良かったよ」

「我慢比べでぃす! まずは悪い流れを変えることからでぃす!」

『南中~っ! ファイッ!』

『『『『オーッ!』』』』

 

 円陣で気合いを入れた少女達は、笛が鳴るとコートに立つ。

 最後のクォーターが始まると、応援にも一層気合いが入っていた。

 

『跳べー跳ーべ! マーちゃん跳ーべっ!』

 

 中央のサークルで高々と跳んだ二人の少女がボールを弾く。

 相手チームが取るなり速攻に行こうとしたところを、すかさず梅が止めた。

 

『戻って!』

 

 その僅かな間に、仲間達がディフェンスへつく。

 相手がパスを回す中、狙っていたのか一人の少女がボールを奪い取った。

 

『かりん! ナイス!』

『梅!』

 

 仲間からパスを受け取った妹が、ドリブルしながら走り出す。

 しかし相手の戻りは早い。

 

『ミーちゃん! あっ?』

 

 一人抜いた後で二人目に阻まれた梅がパスを投げる。

 しかしそれが今度は相手にカットされ、カウンターを受ける形となってしまった。

 

「焦り過ぎでぃす!」

 

 状況は四対二と圧倒的不利な中、ゴール下へ潜り込まれる。

 相手がシュートを打とうとした瞬間、センターの少女が高々と跳び上がった。

 タイミングはピッタリ。

 放たれたシュートへ、ブロックショットが決まった。

 

「やたっ!」

「チャンスでぃす!」

 

 今度は逆にこちらのカウンターとなり、素早くパスが繋がっていく。

 あっという間にゴール下までいくと、少女のレイアップが見事に決まった。

 

『キャーッ!』

『ミーちゃん! ナイッシューっ!』

『マーちゃん先輩! ナイスブロックです!』

 

 ベンチが沸き上がり、シュートを止めた少女は仲間とハイタッチを交わす。

 これで再び逆転だが、まだまだ油断はできない。

 

『ハンズアップ!』

『『『『はいっ!』』』』

 

 悪い流れは断ち切られ、点取り合戦のシーソーゲームが始まる。

 

「よしっ!」

「あっ!」

 

 逆転してはガッツポーズ、逆転されては肩を落としての繰り返し。

 再び写真を撮ることすら忘れ試合を見ていたが、時間は刻一刻と過ぎていった。

 

「何やってるんでぃすか! しっかり守らなきゃ駄目でぃすよ!」

 

 残り三十秒を切ったところで相手のシュートが入り51対52。ヒステリーを起こした早乙女が叫ぶが、阿久津と夢野は黙って試合の行く末を見守る。

 狭いコートを走り回っては飛び跳ねるハードなスポーツ。既にどちらのチームのプレイヤーも相当な体力を使っている筈なのに、選手達は負けられない一心で動き続けていた。

 

『っ』

 

 相手チームがフルコートのマンツーマンでボールを奪いに来る。

 必死にパスを回す黒谷南中のメンバーだが、投げられたパスがカットされた。

 

「「「「!」」」」

 

 これを取られたらヤバい。

 ルーズボールに複数の選手が手を伸ばした。

 瞬間、梅がフロントコートへ全力疾走する。

 まさに音速のような速さのダッシュだった。

 

『梅!』

 

 投げられるロングパス。

 それをキャッチした妹は、相手をかわしつつステップを踏みレイアップを放つ。

 バックボードに当たったボールは、綺麗にリングへと吸い込まれていった。

 

「よっしゃあ!」

「梅ちゃん!」

「ナイスでぃす!」

「まだだよっ!」

 

 これで53対52と逆転。

 しかし最後の最後まで、何が起こるか分からない。

 

『ハンズアップ!』

『『『『はいっ!』』』』

 

 梅もそれは理解しているのか、仲間達へディフェンスの声を出す。

 残り時間は十秒。

 堅実にゾーンディフェンスを固める中、松風中のポイントガードへパスが回った。

 

『っ?』

 

 フェイクにかかった梅をかわし、相手は一気にゴール下へと切り込もうとする。

 すかさず仲間がカバーに入ると、苦し紛れのシュートが放たれた。

 

『『『リバンッ!』』』

 

 少女達が叫ぶ。

 しかし落ちてきたのは、ボードに当たった後でネットを通過したボールだった。

 相手のベンチが喜びのあまりキャーっと叫ぶ。

 夢野が祈るように両手を重ね、俺はごくりと唾を呑んだ。

 

『梅っ! 急いでっ!』

 

 残り時間は三秒。

 素早くボールを拾った少女がパスを出す。

 受け取った梅は、ドリブルしながら全力で走った。

 

「梅君っ!」

「打つでぃす!」

 

 時間がない。

 移動できたのは、コートの半分まで。

 

『いっけ~~~~っ!』

 

 思い切り振りかぶった妹は、ゴールを狙って全力でボールを投げた。



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四日目(土) 俺の姉が優しい眼鏡だった件

「………………あ」

「お疲れ様でぃす」

「惜しかったね」

「ミナちゃん……セーカ先輩……それに蕾さんも……何で?」

「俺はスルーかよ」

「ここにいれば会えるんじゃないかって、水無月さんが」

 

 試合後、トイレ前で待っていた俺達の元へ梅が姿を現した。

 いつもの陽気な雰囲気とは真逆で、見るからに落ち込んでいる少女は強がって笑う。

 

「えへへ……負けちった」

「それでも、ほんのちょっと差でぃす」

 そう、本当に後少しのところだった。

 

 

 

 

 

『いっけ~~~~っ!』

 梅が投げたボールは、緩い曲線を描いてゴールへと向かう。

 コースは悪くない。

 ボールはバックボードに勢いよく衝突すると、そのままリングに当たった。

 

 ――――ガゴンッ――――

 

 しかしボールは大きな音と共に弾かれ、高く舞い上がる。

 現実はそう甘くない。

 ドラマみたいな逆転劇が起こる訳もなく、そのまま地面に落ちると何度もバウンドした。

『ピーッ!』

 そして鳴り響く笛の音。

 それは黒谷南中の敗北を意味していた。

 

 

 

 

 

「ボクや星華君も戦ってきた相手だけれど、梅君達が一番良い試合をしていたね」

「梅ちゃん、凄く恰好良かったよ!」

「うん……」

「梅ちゃん……」

 

 掛ける言葉が見つからない。

 いつになく落ち込んでいる妹を黙って見ていると、早乙女に肘で小突かれた。

 

(兄なら兄らしく、何か元気の出る言葉くらい言ってやったらどうでぃすか)

(んなこと言われても、今はそっとしてやるべきだろ)

(本当に役に立たないでぃすね)

 

 そんな魔法の言葉があるなら、俺が教えてほしいくらいだ。

 尊敬している先輩かつ、今の境遇を理解している阿久津の言葉でさえ届かないとなると、例え俺が慰めたところで効果0どころかマイナスになりかねないのは目に見えている。

 仮に今の梅に元気を与えられる人間がいるとしたら、それは俺の知る限り一人しかいない。

 

「あら? あらあら~?」

「っ?」

 

 空耳かと思い、聞き慣れた声に慌てて振り返る。

 そこにいたのはスタイルの良いショートウェーブの女性。黙っていればそこそこ美人な、今日は伊達眼鏡を掛けている姉貴、米倉桃(よねくらもも)だった。

 

「やっぱり~。ジェアグゥィチトロノーナ~」

「何語だよっ?」

「桃さん! お久し振りです」

「久し振りね~。蕾ちゃん。元気してた~?」

「誰でぃすか?」

「梅君のお姉さんだよ」

「水無月ちゃんは春休み以来かしら。そちらは御友達?」

「初めまして。早乙女星華でぃす」

「あらあらご丁寧にどうも。いつも梅がお世話になってます」

 

 姉というよりは親のように礼儀正しく頭を下げる姉貴。チラリと梅の方を見れば完全に状況が理解できていないのか、ポカーンと口を開けて間抜けな表情を浮かべていた。

 

「皆、梅の応援に来てくれたのね~。こちらの男性の方も御友達かしら?」

「アンタの弟だっ!」

「ん~? あらあら、櫻だったの。眼鏡掛けてるから分からなかったわ~」

「眼鏡関係ないだろっ?」

「はいはい。これ貸してあげるから~」

 

 どういう訳か外した眼鏡を俺に渡す姉貴。もうマジで意味わかんねーなこの人。

 そんな姉を前に呆然としていた梅は、合わせる顔がないのか目が合うなり黙って俯いた。

 

「う~ん。頑張って走ったんだけど、間に合わなかったか~」

「…………」

「ごめんね梅~。桃姉さん、頑張って風速ダッシュしたんだけど…………梅?」

「…………負けちゃった」

「こらこら。可愛い顔が台無しだぞ~?」

 

 姉貴は梅に歩み寄ると、優しく頭を撫でる。

 徐々に感情が込み上げてきたのか、梅の目元が潤み始めた。

 

「そっか。負けちゃったか」

「うん……」

「よしよし。一年間、部長さんとして大変よく頑張りました」

「ん…………」

 

 姉貴が優しく梅を抱き寄せる。

 そして赤子を寝かすようにトン、トンと一定のリズムで背中を軽く叩いた。

 

「うんうん。悔しかったか。でも悔しいっていうのは大事なことなのよ。桃姉さんが一緒にいてあげるから、今は思いっきり悔しがりなさい」

 

 姉貴の胸に抱かれながら、梅が鼻をすすり泣き始める。

 あと一歩で勝てなかった悔しさ。

 試合に出られなかった仲間の分も活躍できなかった後悔。

 抱えていたものを全て捨て、部長という責任から解放された妹はわんわんと泣いていた。

 そんな光景を眺めていると、阿久津と夢野が静かに呟く。

 

「ボク達は失礼しようか」

「うん。そうだね」

 

 梅の頭を撫でつつ顔を上げた姉貴が、後は任せてという意味なのかこちらをチラリと見るなりウィンクする。時々両目を瞑っているが、そこはまあ目を瞑ろう。

 眼鏡を姉貴の頭へ乗せるように返してから、俺達は二人を残し総合体育館を後にした。

 

 

 

 

 

「薄情な根暗先輩とは違って、優しいお姉様でぃすね」

「悪かったな」

「今の梅君にとっては、これ以上ない特効薬だろうね」

「ああいうお姉さん、私も欲しかったな」

「いや、実際いたら割と面倒だぞ?」

「根暗先輩の方が面倒じゃないでぃすか?」

 

 お前が一番面倒だよと言ってやりたいが、ここは黙って大人な対応。うなぎのぼりな姉貴株は正直過大評価だと思うが、まあ実際いざとなったら頼れるのは事実か。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

「ん?」

「もしかして桃さんから?」

「ああ……もしもし?」

『ちょっと櫻~? 何で先に行っちゃったの~? あれから大変だったのよ~?』

「大変って、梅に何かあったのか?」

『梅? 梅なら元気一杯で戻っていったけど?』

「は? じゃあ何だってんだ?」

『大変だったのは桃姉さんの膀胱よ~。あの時、物凄くお手洗いに行きたかったから変わって~ってアイコンタクトしたのに、無視したでしょ~?』

「そういう意味だったのかよっ?」

『まあ櫻も水無月ちゃんと蕾ちゃんとのWデートで幸せそうだったから許して――――』

 

 ――ピッ――

 

「どうかしたの?」

「いや、何でもない。梅なら大丈夫だとさ」

「流石はお姉様でぃす」

 

 …………本当、流石としか言いようがないな。

 

「それじゃあ、ボク達はここで失礼するよ」

「お疲れ様でぃす」

「それじゃまた、水曜日に!」

 

 熱い試合を見て身体を動かしたくなったらしい二人は、このクソ暑い中バスケをやるとのことなのでここで解散。残された俺は夢野と共に顔を見合わせる。

 

「櫻君、お昼は?」

「別に考えてなかったけど……夢野は?」

「私も。良かったら涼みがてら、どこかで軽く食べない?」

「いいな。どこにする?」

 

 歩きながら話し合った結果、行き先はファーストフード店に決定。こんなことなら宿題も持ってくればよかったなんて夢野と語りつつ、俺はふと先程のことを思い出して無意識に溜息を吐いた。

 

「はあ……」

「どうしたの米倉君?」

「ん? いや、俺って兄らしいこと何もしてないなって思ってさ」

「米倉君自身が気付いてないだけで、私はそんなことないと思うよ?」

「そうだと良いんだけどな」

「それに姉妹と兄妹は違うから…………? ごめん、ちょっと待ってて」

「?」

「もしもし? はい……はい……えっ?」

 

 おもむろに携帯を取り出した夢野が、誰かと話し始める。

 特に気にも留めずボーっとしていると、通話を切った後で少女は両手を合わせた。

 

「ごめん米倉君! ちょっと急用ができちゃったから、私先に帰るね」

「ん? おお」

「本当にごめんね」

「気にすんなって」

 

 あの慌てよう……緊急でバイトでも入ったんだろうか?

 去っていく夢野の後ろ姿を見届けながら、俺はそんな呑気なことを考えつつ帰路に着くのだった。



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八日目(水) ヨネオン族は写真嫌いだった件

「全員揃ったところで改めまして、皆さんおはようございます」

「「「「「「「おはようございます」」」」」」」

「はい、元気でなによりです。それでは早速、出発しましょうかねえ」

 

 伊東先生の「おはようございます」が初めて正しく使われた気がする午前九時。待ち合わせ場所である駅のモニュメントに集合した俺達は改札に向かうと電車に乗る。

 服装は各々私服だが、一番驚いたのは初めて見る先生の私服姿。青いシャツにチノパンという大学生みたいな恰好を見て、正直最初は阿久津と冬雪以外の誰もが目を疑った。

 

「ミズキ先輩。その勾玉のネックレス、イカしてるッスね」

「でしょ? これはクリスマスパーティーのプレゼント交換で貰った、ユッキーの手作りなんだから」

「手作りとかマジッスかっ? しかもプレゼント交換なんて超楽しそうじゃないッスか!」

「勿論今年もやるから、今から楽しみにしてなさい!」

 

 …………あの時に阿久津から貰ったノート、丁度最近使い切ったんだよな。

 電車内の混み具合は席が埋まる程度であり、座席前に立っている火水木とテツは声を抑えながら話す。伊東先生は疲れているのか二人の目の前の席で睡眠体勢に入っているが、顧問があんな状態で大丈夫なんだろうか。

 

「今年行く場所は、昨年の陶芸部も行った場所なんでぃすか?」

「いいや、去年とは違う陶磁器の産地だよ。ボクと音穏も行くのは初めてだね」

 

 耳を澄ませば向かい側から聞こえてくる二人の会話。相変わらず阿久津にベッタリな早乙女だが、この場にあの先輩がいたら敵意剥き出しだったんだろうな。

 やたら話題に上がる冬雪はと言えば、先程から俺と夢野に挟まれる形でドアの前にへばりつきボーっと窓の外の景色を眺めている。

 

「何か面白い景色でも見えたか?」

「……電線?」

「ちょっと待て。見てたの、景色じゃないのかよ?」

「……電線の方が楽しい」

 

 どれどれと、夢野と一緒に窓の外を覗いてみる。

 電車という高速の乗り物から眺めることによって、弛んでいる電線はまるで動いているように見える。その軌道はバウンドするボールの軌跡を逆さにしたような感じだった。

 

「どの辺を楽しむの?」

「……下がり具合?」

「いやわかんねえよ」

 

 隣の車線を走る電車と追いかけっこ(大抵は勝負にならなかったり、相手が徐々に離れていく)は面白かった記憶があるけど、まさか電線で楽しむ奴がいるとはな。

 乗り換えを挟みつつ、電車に揺られること計二時間。目的地の駅に到着した俺達は無料バスに十分ほど乗った後で、陶芸の聖地(?)へと到着した。

 

「さて、行きましょうかねえ」

「あ! 待ってイトセン! 写真撮ってもいい?」

「まだ時間に余裕もありますし、構いませんよ」

「じゃあ全員、そこに並んで並んで」

「え? 撮るって、集合写真でぃすか?」

「旅の思い出は必要でしょ? ほらネック、逃げないの!」

「いや俺、写真撮られると魂抜ける体質なんだよ」

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと並びなさい!」

「ユッキー先輩も逃げたら駄目ッス」

「……魂」

「だから抜けないって言ってんでしょうが! アンタ達、どこの民族よっ?」

「「……ヨネオン族?」」

「まさかの息ピッタリッスかっ?」

 

 建物をバックにして撮りたいのか、火水木がカメラの置き場所を探す。その一方でテツが冬雪の逃走経路を塞いでいると、阿久津が溜息交じりに小声で呟いた。

 

「魂が抜けると言ってる割に、この前の夢野君とのツーショットはピースまでしていたじゃないか」

「っ」

 

 チクリとした一言……いや、グサリと刺さる一言だった。

 幸い周囲(というかテツと火水木)はワイワイやっていたため聞かれなかった様子。当の阿久津本人はと言えば、何事もなかったかのようにカメラの方を向く。

 別に不機嫌だとかイラついているなんてことはないが、だからといって俺を茶化そうとした訳でもない。確かに事実ではあるが、いまいち腑に落ちなかった。

 

「じゃあ撮るわよー」

 

 タイマーのスイッチを入れた火水木が駆け寄る。隣に立っているテツが早乙女の後頭部へ角のように指を立てていたが、まあ別にいいかと黙っておいた。

 

「……」

「…………」

「………………まだですかねえ?」

「まだ『パシャ』よ……あっ! ちょっ? 今のなし! 撮り直しっ!」

「もう、ミズキってば」

 

 その後も「今シャッター鳴った?」からの、様子を見に行った瞬間にパシャリといったハプニングを挟みつつ、ようやく俺達は陶芸美術館の中へと入る。

 入館料は大人が260円。高校生と大学生は210円で、小中学生なら120円。値札に貼られていた懐かしい金額を思い出し夢野を見ると、俺と同じことを考えていたのかニコッと可愛い笑顔が返された。

 

「本日は宜しくお願い致します」

「「「「「「「お願いします」」」」」」」

 

 伊東先生が頭を下げた後で、俺達も揃って頭を下げる。意外なことにテツと早乙女もしっかりと礼儀は弁えており、若干反応が遅れたのは俺だけだったのは内緒だ。

 案内役を受け持つ男性に挨拶した後で、パンフレットを片手に説明を聞く。陶芸部の合宿というよりは修学旅行気分だが、校長先生の話よりは眠くならなかった。



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八日目(水) おむすびが手作りだった件

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

「ご丁寧にありがとうございました。さてと、一旦お昼にしましょうかねえ」

 

 ショッピングモールのように広い建物内で用意されている施設の数々や、この地域が誇る焼き物の伝統についてVTRで見ると、時間は丁度正午になっていた。

 説明された施設の中には眺めの良いレストランも紹介されていたが、そこのメニューは事前に火水木が調査済み。最低価格が1300円というのは、高校生には少し厳しい値段である。

 ということでお昼は全員持参。美術館の外には陶器市やお祭りが行われる大きな森林公園があり、今日は暑さも控え目なため自然に囲まれた芝上の木陰で昼食となった。

 

「ネック先輩、今日はお昼用意したんスか?」

「まあ流石にな……って、そのおにぎり何個出てくるんだよっ?」

無限(アンリミテッド)握飯(おにぎりワークス)

「固有結界っ? ってかお前、あのゲームやってたのか?」

「好きなアイドルとコラボしてたんで、最近始めてみたんスよ! 確か『――――体は骨で出来ている』ってやつッスよね?」

「物凄く普通っ!」

 

 某ガラオタが中間テスト後くらいからハマりだし、やれあの子が可愛いだのこの子が萌えるだの言ってくるが、会話のオチはいつも決まって『ガラケー乙』である。

 四次元ポケットから道具を次々と取り出すド○えもんのように、どれから食べようかとコンビニ袋の中からおにぎりを出し続けるテツ。その数はなんと八個……買い過ぎだろ。

 

「ユメノンってば、今日も作ってきたの? さっすがーっ!」

「……ユメ、いつも手作り?」

「そうそう。普段はお弁当なんだけど、これがまた凄いのなんの! タコさんウィンナーとかウサギちゃんのリンゴとか入ってるし、味も美味しいんだから!」

「冷凍食品とか詰めてるだけだってば」

「夢野君のお弁当なのに、天海君が味の感想を言っているところが気になるね」

「さてはつまみ食いでぃすね」

「ち、違うわよ! ちょっとおかず交換してるだけ!」

「聞きましたネック先輩?」

「何がだよ?」

「オカズ交換ってエr」

「わかったから黙って食え」

 

 そういうウチの妹の専売特許みたいな発言は勘弁してほしい。ちなみにおにぎりとおむすびの違いは形状で、おむすびは三角形限定。おにぎりはどんな形でも良いという定義だったりする……本日のお兄ちゃんトリビアだな。

 他の面々も市販のパンやおにぎりの中、一人だけアルミホイルに包まれた手作りおむすび持参の夢野。流石に飲み物はバイト先で買ってきたのか、俺と同じ桜桃ジュースだ。

 

「ユメノン先輩、家庭的ッスね」

「ああ、そうだな」

「家庭的な女の子って男の憧れッスよね」

「そうかもな」

「やっぱ裸エプロンが最高にエロいッスね」

「ルールブレイカー!」

「あーっ? 何するんスかっ?」

 

 白昼堂々とアホなことを抜かす後輩の鮭おにぎりをペチャンコにしてやった。幸い小声だったので女子勢には聞かれなかったようだが、火水木が不思議そうに首を傾げる。

 

「アンタ達、さっきから二人で何やってんのよ?」

「気にするな。コイツがまた変なこと言ってきただけだ」

「変なことって、ユメノン先輩が家庭的って話してただけじゃないッスかー」

「別に家庭的とかじゃなくて、単に節約してるだけだよ」

「理由はどうあれ、自分でお昼を用意するなんて中々真似できることじゃないよ。断食して空腹を訴えてばかりいる、どこかの誰かさんも見習ったらどうだい?」

「同じ節約でも質が違いすぎでぃす」

 

 テツのせいで流れ弾が飛んで来た。流石におにぎりくらいは作れるが、そのために早起きするのは言うまでもなく面倒だし断食する方が楽なんだよな。

 安い割に本数の多いチョコチップスティックパンに桜桃ジュースという、合計金額300円以内に収めた節約昼飯をよく噛んで食べる。合宿費は出してくれたのに、何で昼飯代は自腹なんだよマイマザー。

 

「ごちそうさまーっと。ねえねえイトセン、公園あるしちょっと遊んできていい?」

「はい。一時までは自由時間で構いませんよ。先生もお手洗いに行ってきますので、皆さん時間になったらこの場所に戻って来てください」

「オッケー。ユッキーも行かない?」

「……行く」

 

 いち早く食べ終えた火水木と冬雪が遊具のある広場へと向かう。

 少しすると阿久津と早乙女も食べ終わり、食後のおやつとばかりに定価30円の棒付き飴を取り出した少女は、ゆっくり立ち上がった後で周囲を見渡した。

 

「星華君、散歩でもどうだい?」

「喜んで御供しまぁす!」

「もっ! オモもいっほひいいッフは?」

「食うの早っ!」

「構わないけれど、まずは口の中の物を呑みこんだらどうだい?」

「ほむっ! みょうはひッフ!」

 

 あっという間に八個をペロリと平らげたテツも、ペットボトルのお茶を一気に飲み干して後に続く。心なしか早乙女が殺意を込めて睨んでいたように見えたが、ちゃんと無事に帰ってくるんだろうか。

 気がつけば残されたのは少ない昼飯にありがたみを噛みしめて食べていた俺と、普通に食べるのが遅い夢野の二人だけになっていた。

 

「皆、行っちゃったね」

「まあ食後の運動は大切だしな」

「きっと合宿が楽しくて、自然と身体が動いちゃうんだよ」

「そういや、音楽部の合宿もこんな感じなのか?」

「ううん。二泊三日なのは同じだけど、こんな風にのんびりはできなかったかな」

「あー、やっぱ大変なんだな」

「先輩に褒められたりして成長するのは嬉しいけど、練習ばっかりで疲れちゃって。それに比べたら、陶芸部の合宿ってピクニックみたいだね」

「冬雪が聞いたら怒りそうだけどな」

「ふふ。そうかもね」

 

 確かに今日くらいの暑さなら、夢野の言う通りピクニック気分でいられそうだ。

 ちみちみ食べていたチョコチップスティックパンも底をつき、桜桃ジュースで喉を潤す。あれだけ顎を動かしても満腹中枢は誤魔化せないようで、未だ腹六分目といった感じだ。

 

「米倉君、もし良かったら食べる?」

「ん? いいのか?」

「うん。沢山作り過ぎちゃって、お腹いっぱいになっちゃった」

「そんじゃお言葉に甘えて。サンキューな」

 

 巻かれたアルミホイルを剥がすと、海苔の巻かれたおむすびをパクリ。中から出てきた具は明太子と無難で、程良い塩加減と共に口の中で混じり合う。

 

「美味い」

「本当? 良かった。米倉君、いつもお昼食べてないの?」

「いや、食べないのは午前授業の時だけだ。携帯料金のせいで基本的に金欠でさ」

「そうなんだ。あ! コンビニのアルバイトなら募集中だよ?」

「春休みにやった着ぐるみのバイトだけでもう懲り懲りだし、俺に接客は無理だな」

「そんなことないと思うけど? でも着ぐるみは大変だよね」

「夢野は着たことあるのか?」

「ううん。でも前に一回、コン太君が来たことがあったから」

「あー、あのコンビニのマスコットか」

「中に入ってたのが女の人だったんだけど、物凄く汗だくだったのが印象的でね」

 

 今の時期の着ぐるみなんて、考えただけで地獄でしかないな。

 その後も雑談に耽る中、貰った明太子おむすびをありがたく完食。腹八分目になった満腹感に満足していると、何やらジーっと夢野が俺を見てくる。

 

「ひょっとして顔に米でも付いてるか?」

「ううん。そうじゃなくて、米倉君のお昼も私が作ってあげようかなーって思って」

「えっ?」

「でもそんなことしたら「甘やかすべきじゃないよ」って水無月さんに怒られちゃいそうだよね」

「そ、そうだな」

 

 思わぬ提案に驚きかけたが、間違いなくそんな感じのことを言われそうである。

 というか改めて考えてみれば、さっき貰ったおむすびは夢野の手作り。全国の思春期男子が憧れる手作り弁当に限りなく近い訳だが……これは含まれるんだろうか。

 

「さてと、私も雪ちゃん達の所に行こっかな。米倉君も一緒にどう?」

「んー、俺はここでのんびりしてるよ」

「そっか。それじゃあ、荷物見て貰ってもいい?」

「おう」

 

 俺が食べ終わるまで待ってくれていた夢野は、片付けを終えた後で冬雪と火水木のいる広場へと向かう。

 その後ろ姿を眺めた後で、横になった俺はのんびりと入道雲を見上げるのだった。



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八日目(水) 怪談が快談だった件

「ねえ雪ちゃん。こういうのって、私達も作れるの?」

「……ビー玉とかと一緒に焼成すればできる」

 

 真面目にショーケースの作品の魅力を語り合う姿は、まさしく陶芸部員といったところか。

 最初に俺達が回ったのは、地元の高校生や愛好家達による作品の置かれた県民ギャラリー。特に知識のある先生や冬雪へ質問しながら、のんびりと展示品を眺めていく。

 

「いやー。鈴木さん、良い仕事してるッスね」

「さも友達みたいに語るなよ」

 

 テツの奴がふざけて作品の名前や値段をクイズにしてきたりもしたが、この手の美術館に来ることなんて滅多にないため割と真面目に見ていった。

 

 

 

・陶芸家の代表作品をテーマ別に紹介している展示コーナー。

・ゲーム感覚で陶芸を理解できるパソコンコーナー。

・各種芸術に関する書籍やミニ陶器、アクセサリーなどの雑貨が売られるショップ。

 

 

 

 広い館内を一通り見回っていると、あっという間に時間が過ぎていく。

 しおりに書かれていた予定では11時に到着してから16時までの5時間が見学と、そんなにも長い時間を飽きずにいられるか不安だったが、実際には丁度良い時間だったかもしれない。

 明日から陶芸を行う工房も確認してから美術館を後にすると、今回の合宿は朝食しか用意されていないため近場のコンビニで各自夕食を購入する。

 そして再びバスに乗ること約二十分で、本日泊まる宿舎へと到着。近くには林があるくらいで、住宅街からは少し離れた静かな施設だった。

 

「ここからは各自自由ですが、くれぐれも悪いことはだけしないでください」

 

 先生からそんな指示を受けた俺達は、宿舎を見て回りつつ部屋を満喫。一通りのんびり過ごしてから夕食を済ませたところで、突然火水木から招集が掛けられる。

 肝試し前に一体何だと、俺達が集合したのは火水木と夢野の部屋。ちなみに他の部屋割は俺とテツ、そして阿久津と冬雪と早乙女といった形だ。

 

「全員集まったわね。じゃあ始めようかしら」

「……何を?」

「トランプでもやるんでぃすか?」

「Yes we can」

「それはオバマだろ。しかも似てんのはこのチョリチョリの頭だけだし」

「あ、1チョリ100円ッス」

「金かかるのかよっ?」

「ネック先輩以外なら無料でオッケーッスよ」

 

 俺以外って、要するに女子限定ってことじゃねーか。

 いつの間にか有料になっていた後輩の後頭部を全力でチョリチョリしてやると、こほんと咳払いをした火水木が部屋の電気を消してスマホのライトを点けた。

 

「ふっふっふ。今からやるのは肝試しの下準備、怪談大会よ!」

「えっ?」

「……おやすみ」

「はいはい、寝ないのユッキー」

「大丈夫ッスよユッキー先輩。怖くなったら俺が付いてるッス」

「鉄が付いてる方がよっぽど不安でぃす」

 

 確かにそれには同意。今だって暗闇に乗じてセクハラとかしないか不安でしかない。

 

「……肝試しなんて聞いてない」

「そりゃそうよ。ネックとトールとイトセンにしか言ってないもの」

「ねえミズキ。肝試しって、どこでやるの?」

「表の林道ね。さっき下調べしてきたから、コースもバッチリよ!」

「いきなり部屋に呼んで何を始めるのかと思いきや、そんなことまで計画していたとはね。ボクは別に構わないけれど、その怪談は一体誰が話すんだい?」

「勿論アタシだけど? ちゃんとネットでいい感じのサイト見つけておいたから」

「ふむ。そういうことなら、一つ提案してもいいかい?」

「提案って?」

「天海君が用意した怪談を話すということは、一人だけ怖い思いをしないことになる。それは不平等だから、一人ずつ順番に話していくのはどうかと思ってね」

「別にいいでぃすけど、星華は怪談なんて知りませんよ?」

「怪談に限らず、自分が体験した怖い話でも何でもいいよ。特に思いつかないならパスでも構わないし、天海君が用意したっていうサイトを参考にするのも有りかな」

「オッケー。それでいくわよ! さあ全員座って座って」

 

 火水木が用意した座布団へ輪になって座る。話す順番は火水木から順に時計回りということでテツ、早乙女、阿久津、冬雪、俺、夢野という形になった。

 

「それじゃ、早速始めるわよ?」

 

 

 

 まず最初に、これは実際にあった出来事なんだけど……。

 ある真冬の日、男達が登山に出掛けたの。でも歩いてる間に雪が降り出して、夕方には猛吹雪……前にすら歩けないような悪天候になったんだって。

 そんな時、男達は運良く山小屋を見つけたの。

 勿論避難することにしたんだけど、小屋の中は無人で明かりも無い。眠ったら凍え死んでしまうくらいの寒さだったそうよ。

 そこで男の一人が提案したの。

 

「四人が部屋の隅に座って、一人目が壁に手を当てつつ二人目の場所まで移動してから肩を叩いて待機する。叩かれた二人目は一人目同様に移動して三人目の元へ……三人目も同じように繰り返し、順番に移動しながら肩を叩いて起こしあおう」

 

 こうして四人は朝までお互いの肩を叩き合って、無事生還する事ができたんだって。

 だけど下山した後に、男の一人がふと呟いたの。

 

「おかしくないか……?」って……。

 

 そう、この方法はできない……できる筈がなかったのよ。

 だって四人目が移動した先に、一人目はいないんだから……。

 じゃあ四人目が肩を叩いてた相手は………………?

 

 

 

「……~~~~っ!」

「おっと、大丈夫かい音穏?」

「……駄目」

 

 阿久津に抱きついた冬雪の声は、既に半泣きになっているようにも聞こえた。

 それを見た火水木とテツが、薄暗い中で怪しい笑みを浮かべる。隣にいる夢野も怖がっているように見えるが、ネズミースカイのゴーストアパートは大丈夫でもこういう怪談は苦手なんだろうか。

 

「しかしまさか乙女っちまでビビりだったなんてなー」

「だ、誰もビビってなんてないでぃすよ!」

「まーまー、そう強がるなって。いよっ! 流石は乙女っち! マジ乙女っ!」

「乙女呼ばわりしないでほしいでぃす!」

「うんうん。良い感じのスタートだけど、ネックとツッキーは反応がいまいちね」

「今の話、前にどこかで聞いたことあるんだよな」

「ボクもだよ」

「なーんだ。知ってたの?」

「確かスクエアって名前が付いていたと思うし、都市伝説では割と有名じゃないかな。それにこの話については、ボクなりに考えたこともあるから印象に残っていてね」

「考えたって、何をッスか?」

「何てことない話さ。男達の見つけた山小屋は四角形じゃなく、三角形だったんだよ」

「…………」

「………………」

「ほら。三角形なら、こんな風に四人で問題なくできるじゃないか」

 

 一度電気を付けた阿久津が、両手の指を使って実演する。最初だけ一箇所に二人が固まることにはなるが、確かに三角形なら問題なく肩を叩き合うことができていた。

 

「すごーい! 水無月さん、よく思いついたね」

「流石はミナちゃん先輩でぃす!」

 

 恐怖の空気から一転、絡まっていた糸が解けたようなスッキリ感。顔を上げて様子を見ていた冬雪も少し安心したのか、パチパチと手を叩き阿久津を称賛する。

 対して怖がらせたい派であるテツと火水木の二人は、実に不満そうな顔を浮かべていた。

 

「駄目ッスよツッキー先輩! 怪談中に電気を付けるのは禁止ッス!」

「話の腰を折って済まなかったね。続けるとしようか」

「次行くわよ次! 聞かせてやりなさいトール!」

「ウッス! とっておきの怖い話を思い出したッスよ!」

 

 鼻息を荒げつつ気合充分のテツは、声のトーンを変えて語り始める。

 

 

 

 これは友達が――とかじゃなくて、オレが実際に経験したことッス。

 その日は暇潰しに、パソコンでネットサーフィンしてたんッスよ。

 ブログとか動画サイトとか色々見て回って、もう寝ようかなって思った時ッス。

 最後の最後で、面白そうなサイト見つけたんッスよね。

 でも見ようと思って入口をクリックしたら、何か変なページに飛ばされたんッス。

 戻ろうと思っても、何か操作できなくなって……。

 でもページはどんどん、勝手に切り変わっていくんスよ。

 電源を切ろうとしても、画面は消えないままで……。

 オレ、怖くなってコンセントを抜いたッス。

 そしたらプツって画面が真っ黒になって、うんともすんとも言わなくなって……。

 安心したオレは、忘れることにしてそのまま眠ったんスよ。

 でも翌朝、血の気の引くような事件が起きたッス。

 オレがパソコンを付けたら、その画面には……………。

 

 

 

『ご登録ありがとうございます! 32800円、登録完了!』

 

 

 

「以上が、オレの体験した怖びぃっ!」

「単にウィルスと架空請求に引っ掛かっただけじゃないの!」

「いやでもマジでビビったんスよっ? 友達に金を借りようとしたり痛い痛い! 痛いッスよミズキ先輩! そんなこと言われても、怖い話なんてすぐには思いつかないッス!」

「全くもう、せっかくアタシが作った怖い雰囲気が台無しよ!」

 

 まあ火水木の話も、阿久津の一言で割と台無しだった感はあるけどな。

 一応似たような経験をしたことがある身としては、テツの話の怖さは充分にわかる。あの誰にも相談できない絶望感は、マジでどうすればいいのか困るやつだ。

 

「次はホッシーの番よ」

「うーん……特に思いつかないので、ミナちゃん先輩にパスでぃす」

「ボクもこれといって……ああ、一応こんな話があったかな」

「何々?」

 

 

 

 ボクの中学にいた社会の先生が、割と出張の多い先生でね。

 自習になることが多くて、授業が遅れ気味だったんだ。

 その先生がテスト前のある日、こんなことを言ったんだよ。

 

 

 

『最近ちょっと進みが遅れてるから、今日は鎌倉幕府を30分で滅亡させるぞ!』

 

 

 

「…………今思い出してみると、あれは中々に怖い発言じゃないかな」

「笑い話じゃないのそれっ!」

 

 真顔で語る阿久津に一同大爆笑。その先生を知っている俺と早乙女はともかく、意外にも夢野のツボに入ったようで、お腹を抱えてまで笑う姿は初めて見たかもしれない。

 

「次はユッキーだけど、怪談が思いつかないならアタシの用意した――――」

「……そういう話でいいならある」

「絶対に怖い話じゃないでしょそれっ?」

「……前にミナの家に遊びに行った時のこと」

「ボクの……? ああ、あれかい?」

「……そう」

 

 

 

 ……途中、お手洗いを借りた。

 ……そしたら、勝手に電気が消えた。

 ……怖かった。

 

 

 

「……おしまい」

「補足しておくと、ボクの家のお手洗いは自動消灯でね。本来なら人がいる時は僅かな動きでも検知する筈なんだけれど、少し反応が悪くて困っているんだ」

「あーもう、ユッキーってば何でそんなに可愛いのよっ?」

「怒るんだか笑うんだか、どっちかにしろよ」

「でも残念だけど楽しい怪談はここまでよ! ネック、アンタの力見せてやりなさいっ!」

「パス」

「ちょっ?」

 

 いやそんな顔されても全然思いつかないし、怖かった体験談もこれといってない。火水木の用意した怪談を話すという手もあるが、そんなことをしたら阿久津から睨まれそうな気がする。

 

「それじゃあ私の番だね」

「ユメノン、あるのっ?」

「私自身じゃなくて、実際に怖い体験をした人を見た時の話でもいい?」

「勿論!」

「それじゃあ、話すね」

 

 

 

 私が幼稚園で見掛けた、男の子の話なんだけど。

 その男の子はすっごく素直でね。

 幼稚園の先生から「ちゃんと手は綺麗にしましょう」って言われた通り、石鹸を泡立てて指の間に手の甲、爪のところまで時間を掛けて丁寧に洗ってて……。

 ずっと、ずーっと手を擦って、隅から隅まで綺麗にしてたの。

 そしたら手の水分が飛んじゃって、段々と泡が消えていってね。

 水で流してもないのに、全部泡が無くなっちゃって。

 そのまま「綺麗になったー」って、園舎に戻って行っちゃったの。

 でもその日は、午後に水遊びがあってね。

 それで何も知らない男の子が、プールの中に手を入れたからもう大変!

 手からどんどん泡が出てきて、もうパニックでパニックで…………ふふっ。

 

 

 

「だから笑い話じゃないのっ!」

 

 語っている途中で笑い出す夢野。それを皮切りに他の面々も釣られて笑い始める中、同じように笑みがこぼれている火水木が盛大に突っ込みを入れた。

 

「ごめんごめん。その男の子が物凄いビックリした顔が忘れなくて」

「とんでもない子でぃすね」

「確かにその男の子にとっては、紛れもなく怖い話だっただろうね」

 

 怖い話というよりは、不思議だった話という方が合っている気がする。

 実際あの時は何が起こったのか理解できず、魔法使い気分だったから間違いない。

 

「…………」

 

 チラリと夢野を見ると、目が合った少女は俺を見てニコッと微笑んだ。

 彼女の話を聞いた冬雪や火水木、そして阿久津は、登場人物である男の子がボランティアで出会った男の子だろうと思っているんだろう。

 

(…………本当、そんなことまでよく覚えてたな)

 

 同じ幼稚園に通っていた少女の思い出話を聞いて、手から泡を生み出した経験のある俺は思わず苦笑いを浮かべるのだった。



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八日目(水) 階段が怪談だった件

「実はアタシ霊感あるみたいで……さっきからそこで立ってるのが見えるのよ……」

「ああ、茶柱の話だね」

「ちょっとツッキー……って嘘っ? 本当に立ってるっ?」

「部屋に来た時から立っていたけれど、見てなかったのかい?」

 

 

 

「あれはオレがSNSで、自撮りの画像をあげ――――」

「あー、もういいわ。何となくオチ読めたから」

「そりゃないッスよ! 変な奴に付き纏われてマジで怖かったんスよっ?」

「加工もせずに自分の写真をネットに載せるなんてアホでぃすね」

 

 

 

「もしもし? ボクはメリーさん。今は星華君の……」

「後ろにいるんでぃすかっ?」

「かかったね? 後ろは囮のメリーさんさ。本物は上だよ」

「どこのバトルものよっ?」

 

 

 

 結局その後も大して怖い話が出ることはなく、後半に至っては電話を取って貰えなかったり道に迷ってたりするメリーさんのネタ話で盛り上がって怪談は終了した。

 これから肝試しを始めるとは思えないほど賑やかなまま外へ出ると、俺達が部屋に集まって怪談(仮)をしていたことを知らなかったらしい伊東先生と合流する。

 

「そういうことでしたら、先生も参加したかったですねえ」

「最初はアタシだけが話す予定だったから……ってイトセン、何か怖い話知ってるの?」

「ご期待に添えるか分かりませんが、先生が昔友人と心霊スポットへ度胸試しに行った時の話がありますよ」

「どこに行ったんスか?」

「二階建ての廃屋だったんですが、何でも女性が亡くなったとか。もっとも二階へ上る唯一の階段はボロボロに壊れていたので、現場である二階には行けませんでしたけど」

「それでそれで、何かあったの?」

「はい……実は、心霊現象が起きたんですよ」

 

「「「!」」」

 

「ドアが何度も激しくバンバンと開閉されたり、上の階からドンドンと足音が聞こえたり……後は呻き声のようなものが聞こえて、先生怖くてすぐ逃げちゃいました」

「うわっ! それマジでヤバいやつじゃないッスか!」

「…………と、ここで終われば怖い話だったんですけどねえ。実は種明かしをすると、心霊現象は先回りした友人の悪戯だったそうなんですよ」

「何でそれを言っちゃうのよ! 今良い感じだったじゃない!」

「そ、そんなことだろうと思ってました。幽霊の正体なんてその程度でぃす」

 一瞬顔を引きつらせていた夢野、冬雪、早乙女の三人がホッと胸を撫で下ろす。

 しかし今の話、何か違和感があるような……気のせいか?

「さて、それでは肝試しといきましょうかねえ。先生、折り返し地点に目印を置いた後で脅かし役として待機しますので、皆さんは二人組を作ったら順番に来てください」

 

 一体何を持っているのか、怪しげな紙袋を手にした先生は鼻歌交じりに肝試しコースへと去っていく。心なしかあの人が一番楽しそうに見えなくもない。

 

「それじゃあグッチョッパで分かれるわよ。三人ペアになったところはジャンケンして、負けた一人が残った二人と一回ずつ行くってことで――――」

「ちょっと待って欲しいッス!」

「何よトール?」

「肝試しと言ったら男女のペアじゃないッスか! だからここは俺とネック先輩がグーパーで別れて、女性陣もグーパーで別れてペアを作るべきッス」

「それだと米倉君と鉄君が何回も行くことになっちゃうけど、いいの?」

「全然余裕ッスよ! ね? ネック先輩」

「ん? ああ、俺は別に……」

 

 正直同じことを思ってはいたが、あえてどちらでも良いといった雰囲気で言葉を返す。火水木といいテツといい、自分の欲求を遠慮なく口にできる奴って本当に凄いよな。

 しかしこのまますんなり決まるかといえば、そんなことはなかった。

 

「異議ありでぃす!」

 

 …………ああ、コイツがいたっけな。

 男女ペアで喜ぶ訳がない早乙女が声をあげると、夢野と火水木もこれに賛同する。

 

「そうだね。肝試しだからって、男女にこだわる必要はないかも」

「トールの言いたいこともわかるけど、アタシとしては女子同士の肝試しも楽しみたいのよねー。ユッキーとかとペアになったら、色々と面白い写真も撮れそうだし」

「……面白くない」

「確かに女子同士は良いかもしれないッスけど、男同士はテンションだだ下がりッスよ。俺がネック先輩とペアになったら、どうやって楽しめって言うんスか?」

「別に良いじゃない」

「ちょっ?」

「男二人で手を繋いで、勝手に仲良く行けばいいだけでぃす」

 

 火水木は味方になってくれると思いこんでいたのか、予想外の返答に面食らうテツ。普段割と表に出さないから忘れがちだけど、そういやコイツ裏では腐ってるんだったな。

 

「ネック先輩も何とか言ってくださいよっ!」

「ん……そうだな。お前との肝試しだけは死んでも嫌だ」

「それは言い過ぎじゃないッスかっ?」

「じゃあグーチョキパーで分かれて、米倉君とクロガネ君がペアになった場合だけは決め直しっていう風にしてみたらどうかな?」

「うッス」

「オッケーでぃす」

 

 無難な折衷案に二人が納得したところで、俺達はグーチョキパーに分かれて肝試しのペアを決める。狙った相手と一緒になる確率は……今回は複雑そうだな。

 

「分かれっこ……分かれっこ……分かれっこ……あ!」

 

 何度か繰り返したところで、ついにペアが決定する。

 俺の出していた手はグーであり、他にグーを出しているのは二人。その手から腕を辿り顔へと視線を上げると、握り拳を出していたのは阿久津と夢野だった。

 

「それじゃ、ジャンケンしよっか」

「え? あ、ああ」

「最初はグー、ジャンケンポン」

 

 夢野の声を合図に、二回肝試しする人間を決めるべく俺達三人は互いに手を出す。

 二人の手はパーに対して俺はグーと、勝負は一発で決した。

 

「「異議あり」でぃす」ッス!」

「うおっ?」

「根暗先輩とペアなんて、ミナちゃん先輩が可哀想すぎでぃす!」

「ネック先輩だけ大当たりなんてずるいッス! やり直しを要求するッス! 未確定! このペア決めは不成立っ! ノーカウントっ! ノーカン! ノーカン!」

「はいはい。そういうのいいから」

 

 ノーカンコールのハンチョウ鉄に、火水木が容赦なくチョップを入れる。

 ちなみにテツが組んだ相手は早乙女であり、その少女もまた明らかに不満そうな表情を浮かべていた。つーか理由が可哀想って、その台詞を言われる俺の方が可哀想だろ。

 

「ミナちゃん先輩だって、不満に決まってるでぃす!」

「…………」

「水無月さん?」

「うん? ああ、すまない。さっきの伊東先生の話について考え事をしていてね。ペア決めに関しては二人とも納得して決めた以上、文句は言いっこなしだよ」

 

 阿久津の答えを聞いて、騒いでいた早乙女が大人しくなる。肝試しが嫌過ぎるあまり、子供みたいに頬を膨らませて黙りこんでいる冬雪を見習ってほしいもんだ。

 

「さっきから妙に静かだと思ったら、イトセンのなんちゃって怪談が何だってのよ?」

「伊東先生はドアが激しく開閉されたり、上の階から足音が聞こえたり、呻き声が聞こえたと言っていた。だけど現場である二階へ続く階段はボロボロで、上ることはできなかったとも言っていたんだ」

「それがどうかしたんスか?」

「そうなると二階へ上れなかったのは友人も同じだった筈。ドアの開閉や呻き声はともかく、どうやって上の階から足音を鳴らしたのかと思ってね」

「…………」

 

 言われてみれば確かにそうかもしれない。

 阿久津の思わぬ気付きに、一同が沈黙し不穏な空気が流れた。

 

「ほ、他に上る階段があったんじゃないかな?」

「でも普通の家なら、階段は一つじゃないッスか?」

「じ、じゃあきっと豪邸だったんでぃす!」

「イトセン、二階へ上る唯一の階段って言ってたわよ」

「………………」

「まあ単に何かしら物が落ちただけかもしれないし、伊東先生の記憶違いという可能性もあるからね。別に気にするほどのことでもない……さ……」

「水無月さんは気にしなくても、私は気にしちゃうかも……」

「星華もでぃす。せめて肝試しが終わった後に話してほしかったでぃす。これじゃあミナちゃん先輩と一緒じゃないと回れないでぃす」

「……ミナ、酷い」

「あ……そ、その……すまない……」

 

 今までのことを考えたら、決して怖がらせようとした訳じゃないだろう。

 滅多に見ない阿久津の困惑する姿に、火水木が満面の笑顔で親指をグッと上げた。

 

「ツッキー、グッジョブ☆」



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八日目(水) 肝試しがドキドキだった件

「ちゃんとエスコートしなさいよー? それじゃ、行ってらっしゃーい!」

 

 こうして始まった肝試し。二回行くという理由で一番手になった俺は唯一の明かりである懐中電灯を手にすると、パートナーである夢野と一緒に暗闇の中を進み始める。

 指定されたコースは基本的に道沿いで、周囲を木々に囲まれてこそいるものの迷うことはない。まあ仮に迷ったとしても、携帯の電波は届いてるし問題ないだろう。

 

「米倉君は怖いのとか大丈夫なんだね」

「まあ、驚かされたらビックリはするけどな。夢野は駄目なのか?」

「お化け屋敷とかは大丈夫なんだけど、こういう場所はちょっと……特にその、さっきの話みたいに、終わった後で何かおかしいって気付いたりするのが苦手で……」

「あー、成程な」

 

 伊東先生が脅かし役だしお化け屋敷と大して変わらない気もするが、そういう苦手なら納得できる。阿久津の気付きは、まさにド真ん中ストライクだった訳だ。

 もっとも怖がっていると言っても、距離が普段より少し縮まった程度。手を繋いだり腕を絡めるなんてことは当然ながら一切なく、シャツの裾すら掴まれないのが現実である。

 

「でもパートナーが米倉君で良かった」

「え……?」

「だって米倉君なら、面白い話で怖いのも消してくれるでしょ?」

「はは……」

 

 危うく別の意味に勘違いするところだった。しかも面白い話って言われると、地味にハードル上がって難しいんだよな。

 俺の爆笑トークを期待しているのか、ジーっとこちらを見つめる夢野。そのわざとらしい視線を無視できる訳もなく、俺は少し考えた後で適当な話を思い出しながら語る。

 

「そうだな…………そういやお化け屋敷のお化けって、客に触っちゃいけないんだってさ。だから怯えずに近づいていくと、逆に向こうが逃げていくらしいぞ」

「へー。そうなんだ」

「で、それをクラスの奴らが試そうとして、滅茶苦茶怖いって評判のお化け屋敷に行ってきたんだと。だけど実際は怖すぎて、試すどころか逃げ回ったらしくてさ」

「頭では分かってても、いざやるとなると難しそうだよね」

「それで走って逃げてる最中に一人が盛大に転んで仲間に置いてかれて、追ってくるお化けに「無理っ! マジ無理っ! 足攣ったっ!」って叫んだら、お化けの動きが止まって「大丈夫?」って心配されたらしい。肩も貸して貰ったって言ってたな」

「ふふ。お化けさん、優しかったんだ」

 

 くすくすと笑う夢野を見て、心の中でガッツポーズ。クラスメイトのアホな武勇伝も、たまには役に立つもんだな。

 その他にも幼い頃に夜空に見えた謎の光をUFOだと思ってたら、その正体がパチンコ店のライトだった……なんて話をしていると、気付けば目的地まで半分ほどが過ぎていた。

 

「伊東先生、見当たらないね」

「俺達が気付いてないだけで、もうとっくに通り過ぎてたりしてな」

「それはそれで何だか申し訳ないかも」

「まあ仮にそうだったとしても、帰り道で驚かせようと待機してるだろ」

「どんな風に驚かしてくるのかな?」

「そうだな……怪しい紙袋持ってたし、変装して追いかけてくるとかじゃないか?」

「それで追いかけてきたのが伊東先生じゃなくて、全く知らない不審者だったりして」

「怖っ! それはマジで洒落にならないだろっ?」

「うーん、でもきっと大丈夫だよ」

「何で――――」

 

 尋ねようとしたところで、夢野が前に回り込む。

 雲間から射す月明かりに照らされた少女は、そっと俺の唇に指を当てた。

 

「その時はきっとまた、米倉君が助けてくれるって信じてるから…………ねっ?」

 

 前に助けたというのは、夏祭りのことだろうか。

 それとも未だに俺が思い出す気配すらない、2079円の件なのか。

 

「そんなに期待すんなよ」

 

 少女の指が唇から離れた後で、俺は苦笑を浮かべつつ答えると再び歩き出す。

 最早肝試しであることを忘れ、散歩気分で雑談しながら進んでいた時だった。

 

「そしたらねミズキってばね……ひゃっ? な、何っ?」

 

 耳元に虫でも飛んできたのか、夢野が小さく悲鳴を上げ飛び跳ねる。身を強張らせながら首や肩の辺りをしきりに払うが、別にこれといって何も見当たらない。

 

「どうしたんだ?」

「う、うん。何か当たった気がしたんだけど……」

「別に何も付いてないぞ?」

「ほ、本当に……?」

『ボンッ』

「きゃっ?」

 

 ジーっと眺めていると、再び少女はビクッとして飛び跳ねた。

 正体不明の怪現象に夢野が不安そうな表情を浮かべる中、俺は少し考えてみる。

 手掛かりは二つ。

 一つはどこからともなく聞こえてきた『ボンッ』という謎の音。

 そしてもう一つは不自然に揺れた夢野の髪の毛。

 

「…………成程。わかったぞ」

「え?」

「安心しろ夢野。謎は全て解けた……真実の名にかけてっ!」

「米倉君、混じってる混じってる」

「じっちゃんはいつも一つ!」

「お爺さん、小食なの?」

 

 導き出された一つの結論。謎の怪現象の正体にピンと閃いた俺は、見えてはいけない物が見えているかの如く何もない空中を指さした。

 

「正体はこれだよ、これ」

「?」

「今から見せるから」

 

 俺は自撮りするように夢野側へ回ると、少女の前で両手を重ねる。

 ただし掌は真っ直ぐに伸ばさず、重ねた両手の中に空間を残すよう若干膨らませてから、ポンと音を立てるようにして叩いた。

 

「えっと、どういうこと?」

「わからなかったか? じゃあもう一回な」

 

 不思議そうに首を傾げている夢野を見て再び手を叩く。

 すると少女も理解したのか、掌から俺へと視線を戻しつつ答えた。

 

「ひょっとして、空気?」

「そういうこと…………ですよね? 先生」

 

 音が聞こえた気がした方向、そして夢野のうなじ辺りに当たったという条件から場所を推測した俺は、人の隠れられそうな茂みに懐中電灯を照らす。

 するとガサガサ音を立てつつ、ダンボール製の空気砲を抱えた先生が姿を現した。

 

「気づかれちゃいましたかねえ」 

「服、葉っぱだらけですけど……そこまで必死になって隠れなくても良くないですか?」

「そんなことはありません。先生、全身を蚊に刺されようとも青春のため必死に頑張ります。まあ米倉クンには見破られちゃいましたから、次のペアに備えましょうかねえ」

「はあ……」

 

 一体何がこの人をそこまで駆り立てるんだろうか……いや、良い先生だけどさ?

 空気砲以外にも色々用意しているらしく新たな準備を進める先生をよそに、先へ進んだ俺達は折り返し地点の目印である大木へと到着。その根元には着いた証として持ち帰るための、四分割された陶器の欠片が置かれていた。

 

「ふふ。陶芸部らしいね」

「そうだな。櫻は『陶器の欠片』を手に入れた……ってか?」

 

 どことなく響きがRPGのアイテムっぽいが、使い道は一切ない気がする。仮にゲーム内で使われるとしたら、多分わらしべイベントとかだろう。

 

「何だか、少しホッとしちゃった」

「宿に帰るまでが肝試しだぞ?」

「うん。そうなんだけど、最初は泣いちゃったりしたらどうしよっかなって思ってたから」

「いや、流石にそれはないだろ」

「そんなことないよ。私だって女の子だもん」

「まあ確かに伊東先生の罠に掛かってた時は、割と怖がってたもんな」

「ねえ米倉君。もし私が泣いちゃったらどうしてた?」

「どうしてたって言われてもな…………」

 

 唐突な夢野の質問に、これといった案が思いつかず考える。

 すると少女はニコッと微笑んだ後で、静かに答えを告げた。

 

「もしも泣いちゃったときはね、こうしてほしいな」

 

 そう言うと、夢野は身を寄せる。

 そして俺の腰へ両手を回し、ギュッと抱きしめた。

 

「ゆ、夢野っ?」

 

 以前にも抱きしめられたことはあったが、今回は薄着のため更に少女が近く感じる。

 腹部に当たる柔らかい双丘の感触は勿論、布地越しに体温まで伝わってきた。

 心臓が激しく脈打ち始める。 

 月明かりの下で抱きしめ合う二人の男女。

 これ以上なく良い雰囲気だと思った。

 

 

 

 ――――ボクはキミが嫌いだよ――――

 

 

 

 脳裏によぎる、春休みの出来事。

 あの日から、一体何を学んだのか。

 雰囲気に流され、今も後悔し続けている告白もどきの記憶が俺の口を閉ざす。

 

「………………」

 

 抱きついてきたのは夢野であり、阿久津の時とは違うかもしれない。

 それでも、俺の思い上がりの可能性はある。

 こうして笑い合える日常が崩れ去っていくのは、もう嫌だった。

 

「………………あのさ、夢野」

「何?」

「その……胸が当たってて……」

 

 胸を高鳴らせながらも少女を抱き寄せず、今の状況を正直に告げる。

 すると夢野はそっと身を離した後で、胸を腕で隠すように身構えつつ呟いた。

 

「…………米倉君のえっち」

「し、仕方ないだろ? 男なんだから」

「そういうのは仮に思っても、普通は口に出さないよ?」

「う……」

「女の子が泣いてて慰めてほしいときにも、米倉君はそういうこと言うのー?」

「ごめんなさい。俺が悪かったです」

「うん。分かればよろしい!」

 

 そう、今はまだこれでいい。

 仮に夢野が俺のことを好きだったとしても、今の俺に付き合う資格なんてない。

 

「でもそういうところが、米倉君らしいんだけどね」

「どういうことだよ?」

「さー、どういうことでしょー?」

「あっ! ちょっ! 待てって!」

「知ーらない♪」

 

 一人で先に歩き出した夢野は、チラリと俺の方を向くなり舌を出す。

 あっかんべーをした後で小さく微笑んだ少女を見て、俺もまた笑顔を浮かべながら来た道を一緒に戻っていくのだった。



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八日目(水) そういうところが大嫌いだった件

「いやー、良い絵が撮れたわー」

「……」

 

 俺と夢野の肝試しが終わった後で、次に出発したのは火水木・冬雪ペア。結果は大方の予想通り、宿の前に戻ってきたのはニコニコの火水木とマナーモード状態の冬雪だった。

 

「雪ちゃん、大丈夫?」

「……(ギュッ)」

「よしよし。頑張ったね」

 

 完全に保育士モードの夢野が、涙目っぽい冬雪を抱きしめて優しく頭を撫でる。これがお手本とばかりにチラリと目線を向けられた気がしたが、反応に困って頬を掻いた。

 

「おっしゃ! 行くぞメッチ!」

「誰がメッチでぃすかっ!」

 

 早乙女っち→乙女っち→メッチと進化した少女は、屈伸しながら牙を剥く。

 懐中電灯をテツが受け取るなり、二人はクラウチングスタートの構えを取った。

 

「アンタ達、何してんの?」

「位置について、よーい…………ドンッ!」

 

 阿久津の合図と同時に、勢いよく二人がスタートを切る。

 テツの方が僅かに速い中、あっという間に後輩達の姿は消えていった。

 

「ちょっ? 何よあれっ?」

「肝試しに走ってはいけないというルールはないからね」

「ミズキ達が行ってる間に、競争するってことで二人の意見が一致しちゃったみたい」

「はあ……まあ別に良いけど、あの速度だとイトセンの方がビックリしそうね」

「確かに。私達の時には空気砲だったけど、ミズキ達は何だったの?」

「そう! 一杯食わされたのよ! 最初はお経が流れてきたんだけど、途中から呻き声とか赤ちゃんの泣き声とかが混じってきて……あ、その時のユッキーの写真見る?」

「……見なくていい」

「それで音が聞こえてくる茂みに近づいたんだけど、置いてあったのはスマホだけでね。近くに隠れてるのかと思ったら、急に背筋が冷たくなったの」

「……マミ、ビックリしてた」

「だって霧吹きよ霧吹き! イトセンが木の上から霧吹きでアタシの首筋に水かけてきたの! 一杯食わされたって感じで、本当悔しかったわ!」

「私達の時より進化してるね」

「ああ」

 

 ひょっとして後になればなるほど、問題点が改善されていくんじゃないだろうか。

 火水木達の体験レポートを聞いていると、肝試しという名の徒競走を繰り広げていた二人が早々に帰還。差は大して開いてないまま、テツがリードを保ったまま先にゴールした。

 

「ゴォールッ! ふぅー。オレの勝ちっ!」

「はあ、はあ…………こんな奴に……負けるなんて……悔しいでぃす……」

 

 膝に手をつき肩で息をする早乙女が悔しがる中、テツがガッツポーズを決める。

 元バスケ部VS元野球部の仁義なき戦いに決着はついたようだが、走り終えた二人の様子を見ていた俺はテツを手招きしてから小声で尋ねた。

 

「ひょっとしてお前、手加減したのか?」

「当然じゃないッスか。メッチは懐中電灯持ってないですし、プライド高そうなんで圧勝するのは大人げないかなと。つっても、まあ割と本気でしたけどね」

「そんな気遣いができるなら、ちゃんと肝試しでエスコートしてやれよ」

「それはそれ、これはこれッスよ。せめてもうちょっと可愛げかおっぱいがあればなー」

「いつかお前、女の人に刺されるぞマジで」

「大丈夫ッス。挿すのはオレのムスk」

「オーケー分かった」

 

 ブレない後輩の発言を遮りつつ、懐中電灯を受け取る。

 

「ねえねえクロガネ君。伊東先生、どんな風に驚かしてきた?」

「え? あー、そういえば走ってる途中で木魚の音とか子供の笑い声とかは聞こえてきたッスけど、イトセン先生は特に見当たらなかったッスね」

「星華君も見なかったのかい?」

「見てないでぃすし、声とか音すら気付かなかったでぃす」

「あーあ。せっかく一生懸命準備してただろうに、今頃イトセンきっと泣いてるわよ?」

 

 実際のところ、泣くまではいかずとも落ち込んでる姿が想像できなくもない。

 そんな肝試しもいよいよラスト。俺は再び仲間に見送られながら、相変わらず怯える様子など一切ないパートナー阿久津と共に出発した。

 

「持つか?」

「いや、キミでいいよ」

「そうか」

 

 懐中電灯を揺らしつつ尋ねるが、景色を見ながら歩く少女は淡々と断る。

 周囲を警戒することもなく、時折空を見上げながら歩く姿は完全に散歩だった。

 

「夢野君は怖がっていたみたいだね」

「ん? ああ、お化け屋敷とかは大丈夫でも、心霊系の類が苦手なんだと」

「こういう場所だと幽霊より、熊や蜂の方がよっぽど危険な気がするけれどね」

「お前の肝が冷えることはなさそうだな」

「そんなことないさ。アルカスがGの死骸を枕元に置いていた時は肝が冷えたよ」

「怖っ!」

 

 そんなとっておきの怖い話があるなら、今になって喋らずにさっき話せっての。

 そう突っ込もうとしたところで、懐中電灯を持っていた俺はふと何かを見つけた。

 

「…………あれ、先生か?」

「かもしれないし、違うかもしれないかな」

 

 道のずっと先にいる、怪しげな人影。阿久津に確認を取るため一度照らしはしたものの、別人だった場合を考えて俺はすぐに足元へと戻す。

 顔は見えなかったが、着ている服はまず間違いなく違った。

 

「天海君や鉄君が言っていた、お経なり赤ちゃんの声が聞こえてくる気配はないけれどね」

 

 確かに言われてみればその通りだ。

 じゃああれは別人か?

 やや距離が近づいたところで、俺は再びサッと光を向けた。

 真っ白な装束を着た髪の長い女性は、ピクリとも動かずに立ち尽くしている。

 

「何か不気味だな」

「もしかしたら本物の幽霊だったのかも……と思わせる驚かし方かな」

 

 仮にそうだとしたら、今まで積極的に表に出てきたのはこのための伏線か?

 距離が近づいても女性は動かず、ただただ視線だけを感じる。

 確かにこの作戦は上手い。

 人違いや本物の幽霊である可能性を考えると迂闊には話しかけられないし、だからといって無視すればあれは一体何だったのかと気になって仕方が――――。

 

「すいません。少しお尋ねしたいんですが」

「…………」

 

 構わず特攻した少女に、思わず口をあんぐりである。

 長い前髪で顔を隠し、マスクを付けている怪しい女性に阿久津は話を続けた。

 

「この辺りで青いシャツを着てチノパンを履いた男の人を見掛けませんでしたか?」

「…………」

「すいません、ありがとうございました」

 

 首に一つさえ振らない怪しい女性に、少女は頭を下げ戻ってくる。

 そして俺に向けて、とんでもないことを言ってきた。

 

「しかし参ったね。まさか星華君が行方不明になるなんて……」

「行方不明っ?」

「あ」

 

 一切反応のなかった女性から聞こえたのは、外見に反した男性の声。

 その正体が予想通りの相手とわかるなり、振り返った阿久津がサラリと答える。

 

「お疲れ様です伊東先生。今のは嘘ですから安心してください」

「う……嘘でしたか。先生、本気で心配しちゃいましたよ。しかし顧問という立場を利用して脅かし役である先生の肝を試すのは、少しずるい気がしますねえ」

「これしか方法が思いつかなかったとはいえ、驚かせてすいませんでした。でも伊東先生も肝試しを始める前に、体験談と言いつつ作り話をしたのでおあいこですよ」

「えっ? あれ、作り話だったのか?」

「キミ達が肝試しをしている間に調べたら、似たような話がヒットしたからね」

「はい。その通りです。先生、こんなこともあろうかと事前に検索しておきました。意味が分かれば怖い話だったんですが、誰も気付いてくれませんでしたねえ」

「いや、それなら阿久津が開始直前に気付いて、結構怖がってましたけど……」

「本当ですか? いやー、流石は阿久津クンですねえ。先生、それなら満足です」

 

 予想以上に手の込んだ先生の策略に、俺達はまんまと引っ掛かっていたらしい。

 この恰好でいると不審者扱いされそうで怖いという伊東先生に頭を下げ、俺達は消化試合でしかない残りの道を進んでいく。

 

「しかしよくもまあ、あんな方法を思いついたな。もしも先生じゃなくて不審者とかだったらどうするつもりだよ?」

「その時は走って逃げるだけかな」

「…………」

 

 確かに足が速い阿久津の場合、それだけで済む話かもしれない。寧ろその場合いつぞやの年末のように、体力の尽きた俺が置いていかれそうな気がする。

 夢野とは真逆の意見に苦笑いを浮かべながらも、折り返し地点に到着。置いてあった最後の陶器の欠片を拾い上げた少女は、大木をジッと眺めた後でふと口を開いた。

 

「夢野君との進展は少しくらいあったのかい?」

「何だよ急に?」

「運良く肝試しのペアになれた上に、夢野君は怯えていたみたいだからね。告白までとはいかなくても、手を繋ぐくらいの成果はあってほしいところかな」

 

 手を繋ぐという過程をすっ飛ばして抱きしめられた訳だが、当然話すつもりはない。

 いきなり妙なことを言い出す阿久津に困惑していると、少女はそのまま語り続ける。

 

「それともまだ、過去の後悔を引きずっているのかい?」

「まあ、そうかもな」

「真面目に授業を受けて、陶芸も飽きることなく続けている。アルバイトだってこなした。テスト勝負の点数を見た限り、数学以外の勉強も頑張っているみたいじゃないか」

「どれもこれも、できて当然のことだろ」

「その当たり前をこなすのが難しいのは、キミが一番よくわかっている筈さ」

「…………そうかもな」

「キミはもう充分に成長したよ。一体いつまで夢野君を待たせるつもりだい?」

 

 成長した?

 本当にそうだろうか。

 マイナスが0になった程度の実感しかない。

 それを成長と呼ぶのは、少し違う気がする。

 

相生(あいおい)君に引け目を感じているのだとしたら、どうして夢野君が陶芸部に来るようになって、合宿にも参加したのか考えてみるといい」

 

 阿久津は(あおい)が振られたことを知らない。

 夢野が陶芸部に来る回数が増えたのは、音楽部に居辛かっただけの可能性もある。

 

「夢野君が好きなのは過去のキミであり、今のキミでもある。そうとわかっていて、どうして彼女の気持ちに応えようとしないのか、ボクには理解できないね」

「…………」

「ボクには告白できた癖に、夢野君にはできないのかい?」

「っ!」

「それともキープでもしているつもりかい?」

 

 そんなつもりはない。

 ただ一言、そう返せば済む話だった。

 しかし畳みかける阿久津の言葉に、俺の中でプツッと何かが切れる。

 

「違ぇよっ! 俺は俺で色々考えてるんだっての!」

「ならその考えを、是非ご聞かせ願いたいね」

「別にどうでもいいだろっ? 大体俺がいつ夢野に告白するかとか、何でお前に話す必要があるんだよっ? これは俺と夢野のことで、お前には関係ないだろっ?」

 

 人の気も知らず語る幼馴染に、心の中に溜まったものを吐き出す。

 すると阿久津は口を閉ざすなり、拳をギュッと握りしめつつ答えた。

 

「…………見ていてイライラする」

「はあっ?」

「イライラすると言ったんだよ!」

 

 その言葉は全然阿久津らしくなかった。

 見ていてイライラする?

 そんな論理性の欠片もない主張に、納得できるわけがない。

 

「何だよそれっ? 訳がわからないっての!」

「キミのそういうところが、ボクは大嫌いだと言っているんだ!」

「っ!」

 

 しかしながら少女の剣幕に押され、思わず退いてしまう。

 俺に向けて明確な怒りをぶつけた少女は、一人先に早足で歩きだした。

 

「待てよっ!」

 

 納得がいかず、阿久津を追いかける。

 しかし腕を捕まえるより先に、少女は勢いよく駆け出した。

 慌てて俺も走り出す。

 スタートダッシュの差は縮まらず、あと数歩が届かない。

 次第に体力が無くなり、その距離は徐々に開いていった。

 

「…………全然……わっかんねえよ……」

 

 やがて足を止めた俺は、呼吸を荒くしながら呟く。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 少女が闇夜に消えていく中、残された俺は重い足取りで戻るのだった。



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九日目(木) ラジオ体操とクローバーだった件

『腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動から……はいっ!』

 

 合宿二日目が始まり、現在時刻は午前7時。肝試しの折り返し地点だった大木前の広場にて、俺達は夏休みの小学生の如くラジオ体操をしていた。

 天気予報では「今日は一段と暑くなるでしょう」なんて言っていたが、久々に味わった早朝の世界は程良い涼しさであり、まだ夏が始まったばかりにも拘わらず秋が恋しくなる。

 

『――――胸の運動~足を開いて横振りっ! 斜め上っ! 5、6、7、8!』

「何だか懐かしいね」

「確かに懐かしいでぃすけど、何でこんなのが予定に入ってるんでぃすか?」

「仕方、ない、でしょ? 去年も、やったって、ユッキーが、言うんだから」

「……大事」

「そうッス! 大事ッスよ!」

 

 …………少なくともコイツは、動く度に弾む女子の胸が見たいだけだろうな。

 早朝ということもあってか、火水木はいつものように髪を二つに結んでいない。下ろしている姿は初めて見たが随分と印象が違い、割と長いことにも驚いた。

 

『腕を振って身体を捻る運動~左っ! 右っ! 左っ! 右っ! 左に大きくっ!』

「……ヨネ、逆」

「ん……」

「ネック先輩、朝弱すぎッスよ」

 

 まあ半分は、お前のいびきと歯ぎしりのせいなんだけどな。

 昨日の阿久津との一件のせいで寝つけなかった俺は睡眠不足。止まらない欠伸を何度もしながら、それこそ小学生のように左右を間違えつつ身体を動かす。

 

『――――7、8……………………ラジオ体操第二!』

「ちょっ? 続くのっ?」

「第二なんて、あのゴリラみたいなポーズしか知らないでぃす」

「一応第三まで用意していますが、やはり皆さん第一しか知らないですよねえ。そうそう、今年は物凄くアクロバティックなラヂオ体操第四というのも追加してみました」

「どんな感じなんスか?」

「ちょっと待っていてください」

『腕を鍛えながら股関節の運動。倒立から……1、2、3、4、開脚! 開脚!』

「無理ッス! 絶対無理ッス!」

 

 先生のスマホを覗いて映像付きで見たテツが全力で手を横に振る。言葉だけだと運動の内容はイメージし辛いが、倒立とかサラっと言ってる時点で無理なのはわかった。

 スタンプを押して貰えないラジオ体操が終わったところで時刻を確認。朝食は宿舎側が用意してくれているが、その時間は午前8時とまだ少し早かった。

 

「時間あるなら何かやりましょうよ! ケイドロとかどうッスか?」

「確かに準備運動も終わって、軽く運動したい気分だね。ボクは別に構わないよ」

「オッケー。じゃあグーパーで分かれて三人の方が警察ね」

 

「「「「「「グーパーグーパーグゥーパァ!」」」」」」

 

「何スかその掛け声っ?」

 

 唯一知らなかったテツが最早お決まりの突っ込みを入れながらもチームが決定。警察が夢野と冬雪とテツ、泥棒が俺と阿久津と火水木と早乙女となった。

 体育祭で謎の走法を見せつけた土木作業員こと伊東先生は当然のように参加せず、周囲の景色を撮り始める。俺もあんな風にのんびりする方が良かったな。

 逃げられる範囲も決めたところでゲームスタート。最初に狙われたのは――――。

 

「…………俺に三人がかりかよ」

「こういうのは足の速そうな人から捕まえるのが鉄則じゃないッスか。昨日の話じゃ体力はツッキー先輩が上でも、瞬間速度はネック先輩の方が上なんスよね?」

 

 ぶっちゃけ俺と阿久津の最高速度は大して変わらないし、ひょっとしたら早乙女にすら負ける可能性もあるんだが、そこはまあ黙っておくとしよう。

 のんびりと角で様子見をしていたら、完全に三方向から包囲されていた件。まあやろうと思えばフェイントをかけつつ、夢野と冬雪の間を抜くことはできそうだ。

 

「仕方ないな。ちょっと本気出すか」

「くるッスよ!」

「すいませんでした自首します」

「諦め早っ? 何で最後まで逃げないんスかっ?」

「いや、朝から全力疾走するのもな……」

 

 仮に二人をかわしたところで、テツの奴に追いかけられて捕まる未来しか見えない。

 そして何より今はやる気が起きなかったため、俺は大人しくお縄につくことにした。

 

「……確保」

「ちなみに罪状は何なんだ?」

「……陶芸やらなかった罪?」

「その罪なら俺より先に、そこにいる坊主頭の警察官を逮捕すべきだな」

「……確かに」

「ちょっ? あ、でも婦警コスのユッキー先輩になら捕まってみたいッス」

「ミズキが聞いたら、喜んで用意しちゃいそうだね」

「……着ない」

 

 そういや某ガラオタは『C―3萌え萌えメイド喫茶』が廃案になって、冬雪のメイド姿が見れないのを悲しんでた気がする。何でも友人の無口少女と合わせて『W寡黙ロリメイド』とかユニットを組む所まで妄想してたらしい。

 そんな冬雪に連行された俺は、牢屋という名の雑草地帯へ。残るメンバーの捕獲は夢野とテツの二人に任せ、少女はそのまま見張りとして腰を下ろした。

 

「四つ葉のクローバーでも探すか」

「……私も探す」

 

 朝からケイドロなんて疲れるし、最初からこれを提案すべきだったかもしれない。

 遠くでテツと夢野が阿久津を追い回す中、俺と冬雪は平和そのもの。時々は青空に浮かぶ入道雲を見上げつつ、黙々と四つ葉のクローバーを探し始めた。

 

「…………なあ冬雪」

「……何?」

「もしも俺が陶芸部辞めたいって言ったらどうする?」

 

 冗談めいたトーンで尋ねたにも拘わらず、まるでこの世の終わりとでも言わんばかりの悲しみに満ちている表情を見せる冬雪。罪悪感マジ半端ないなこれ。

 

「も、もしもだって。そんな顔するなよ」

「……またミナと何かあった?」

「別に阿久津は関係ないっての」

 

 あれから阿久津とは一言も喋っていない。

 懐中電灯も持たずに先行し、俺と距離を開けて帰ってきた少女に仲間達も最初は疑問を感じただろうが、どうやら帰りだけテツ達同様に競争したと伝えたらしい。

 付け加えて伊東先生の怪談が実は作り話だったと他の面々に説明。そちらに興味が向けられたため、俺との肝試しが険悪になったことを悟られはしなかった。

 

「ただ単に俺がいなくなったらどうなるのかなーって、ちょっと考えてみただけだ」

「……ヨネがいなくなったら、きっと皆いなくなる」

「何でそうなるんだよ?」

「……何となく」

 

 冬雪のとんでも理論に苦笑いを浮かべる。

 別に俺一人抜けたところでテツも火水木もいるし、騒がしさも大して変わらないだろう。

 

「……先輩が卒業して、最初はミナと二人だけで寂しかった」

「ん?」

「……そこにヨネが来てくれたから、マミが来て、ユメが来て、今はトメとクロもいる」

「それ、別に俺関係ないだろ?」

「……そんなことない。あった」

 

 どっちだよと言い掛けるが、どうやら別件だったようだ。

 冬雪は腕を伸ばすなり、見つけた四つ葉のクローバー摘み取った。

 

「……ヨネが辞めませんように」

「確か四つ葉のクローバーって見つけた人間に幸せが訪れるだけであって、何でも願いを叶えてくれるスーパーアイテムじゃなかったと思うぞ?」

「……またあった」

「見つけるの速いなおい」

「……ヨネとミナが仲直りできますように」

 

 冬雪が再び願いを呟く。

 そして眠そうな瞳でこちらを見つつ、微かに笑ってみせた。

 

「……ヨネのお陰で賑やかになったから私は幸せ」

「もっと部員が増えてほしいとか、そういう願いはないのか?」

「……今はいい」

「そうか。そりゃ何よりだ」

「……私は幸せだから、ヨネにも幸せになってほしい」

「幸せって言われても、いまいちイメージが沸かないな」

 

 恋人ができること?

 平穏な日常?

 どちらも幸せであることには間違いないだろう。

 

「……幸せは楽しいこと。ヨネはミナと話してる時が楽しそうだった」

「そうか?」

「……ミナも一緒で、ヨネのことを話す時は楽しそうだった」

「悪口言われてるイメージしか沸かないけどな」

「……そんなことない」

 

 確かに、阿久津とくだらない冗談を語り合っていた頃は楽しかったと思う。

 だからこそ調子に乗って告白した俺を、馬鹿野郎と全力でぶん殴りたいくらいだ。

 

「……だからミナだって、本当はヨネのこと嫌いになりたくない」

「ん?」

「……ミナもヨネと仲直りしたいと思ってる」

「とてもそうは見えないけどな」

「……ミナ、最近凄く悩んでる」

「アイツなら大抵の悩みなんて自己解決するだろ」

「……解決できないから、どうすればいいのかわからなくて困ってる」

「何だそりゃ?」

「……だから最近、凄くミナらしくない」

「!」

「……今のミナは間違ってると思う」

 

 間違ってるという言葉の意味はわからないが、阿久津らしくないという冬雪の一言には同感だった。

 いつになく喋る冬雪だが、少女はクローバーを探していた手を止める。

 

「……でもどうしていいのか、私にもわからない」

「…………」

「……ただヨネには、ミナのこと嫌いにならないでほしい。それに元気でいてほしい」

 

 眠そうな瞳が、ジッと俺を見つめている。

 上手く説明こそできていないものの、いつかまた笑い合える日を待ち望んでいるという少女の優しさだけは充分身に沁みて伝わってきた。

 

「わかってないな冬雪。俺は阿久津を嫌ったりなんてしないっての」

「……本当に?」

「何なら良い機会だし教えてやろう。米倉櫻に100の質問! Q1っ!」

「……多いからいい」

「いや一つくらい質問してくれよっ!」

「……Q1、好きな釉薬は?」

「マニアック過ぎませんっ?」

 

 最初の質問だし血液型くらいから入ってくるかと思いきや、とんだデッドボールを投げつけられた。このままだと残り99の質問も陶芸だけになりそうな気がするな。

 

「おし。冬雪が三つも見つけたなら、俺は五つ葉を見つけるか」

「……あるの?」

「六つ葉とかもたまにあるぞ。ちなみにギネス記録は五十六つ葉だ」

「……それ、クローバー?」

「知らん」

 

 何はともあれ、冬雪のお陰で少し元気が出てきた。

 くだらない雑談をしながら探していると、遠くから聞こえてきた確保の声。チラリと振り向けばテツが火水木を捕まえたらしく、俺達の元へと連行してくる。

 

「ユッキー先輩、後は宜しくッス」

「……任せて」

「ちょっとネック、何真っ先に捕まってるのよ?」

「ル~ルル♪ ルルルル~ルル♪ ルルルル~ル~ル~ル~ル~ルル~♪」

「……?」

「いきなり何か始まったわね」

「冬雪の部屋。本日は何とお忙しい中、この方が来てくださいました。頭の良いお兄さんをお持ちで、陶芸部の盛り上げ役でもいらっしゃいます、火水木天海さんです。どうぞ宜しくお願いします」

「……いらっしゃい」

「お邪魔しまーす」

「……マミ、髪解いたの初めて見たけど可愛い」

「本当っ? 照れるわねー。ユッキーは結んだりしないの?」

「……苦手」

「ラ~ララ♪ ララララ~ララ♪ ララララ~ラ~ラ~ラ~ラ~♪」

「慣れれば簡単よ。ところで今日のゲストがアタシなら、コイツが誰か気になるんだけど」

「……OPを歌う人?」

「ラァ~ラ~ラ~ラァ~♪」

「ルルララ歌ってる人に紹介されてたのっ?」

 

 仮に陶芸部メンバーで○○の部屋をやるとしたら、冬雪の部屋が一番平和な気がする。ただし司会進行は喋らなくて、完全にゲスト任せな番組になりそうだけどな。

 火水木も交えつつ四つ葉のクローバー探しに勤しんでいると、阿久津と早乙女が捕まらないままケイドロはタイムアップ。程良い時間になったところで、俺達は宿舎へと戻り朝食を堪能するのだった。



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九日目(木) 粘土と向き合う姿は魅力的だった件

 身支度を済ませバスで移動し、昨日下見した工房に到着したのは午前10時。ここから午後4時まで昼休みを除いた5時間、俺達はずっと陶芸をする予定になっている。

 一列にずらりと並んでいる電動ろくろに対し、それぞれマイろくろを決める部員達。普段使っている陶芸室との違いは大してないが、一つだけ大きな問題があった。

 

「……アー」

「駄目駄目ユッキー。そんなんじゃ全国大会は狙えないわよ!」

「何の全国大会だよ?」

 

 業務用のパワフルな扇風機に向かって、ダレた声を上げる冬雪。というのもこの工房、クーラーという文明の利器が付いていないのである。

 今年一番の暑さと銘打っただけあって気温は既に上がり始めており、暑がりな陶芸部部長は早々と無数にある扇風機の中からマイ扇風機を確保していた。

 

「ネック先輩、ネック先輩」

「ん?」

「髪ゴムを咥えてる女子って、一種の咥えゴムだと思いません?」

「ゴムゴムのピストルっ!」

「何のっ! ゴムゴムの腹筋っ!」

「ゴム関係ねえだろそれっ?」

「米倉君がゴムゴムしてるのに、クロガネ君もゴムゴムしていいの?」

「じゃあヒトヒトの腹筋で」

「チョッ○ーはそんなこと言わないっ!」

 

 冬雪に可愛いと言われて嬉しかったらしく髪を解いたまま過ごしていた火水木だが、ろくろを挽く際に邪魔になるためか普段通りに髪を二つ結びにする。

 そして今日の暑さを考えてか、珍しく髪を縛っている少女がもう一人。普段は運動するときにしか結ばないポニーテール姿の阿久津が戻ってくるなり、夢野が目を丸くした。

 

「わぁー。水無月さん達、気合い入ってるー」

 

 もっとも驚いた理由は髪型ではなく、その恰好だったりする。

 各々がジャージや汚れても良い私服へと着替えて戻ってくる中、阿久津と早乙女はまさかのツナギ姿。作業服を着る女子高生なんて、世界広しと言えど陶芸部くらいにしかいないんじゃないだろうか。

 

「伊東先生が体育祭で着ていたのを見た時から、ずっと買おうか悩んでいてね。この方が着替えるよりもずっと楽だし、これからは普段の部活でも使おうかな」

「ツナギ姿のミナちゃん先輩も恰好いいでぃす!」

「でもツッキー、それ暑くない?」

「中は薄着だから見た目より暑さは感じないよ。音穏には少し辛いかもしれないかな」

 

 確かに便利そうではあるが、男としてはエプロン姿の方がありがたい。テツの奴は肌の露出が減ったためか、どこか悲しげな表情を浮かべているように見えた。

 

「…………」

 

 もっとも俺もまた違う理由で、何とも言えない複雑な表情を浮かべていたりする。

 ポニーテールにした阿久津だが、その髪を結んでいるのは普通の髪ゴム。俺が誕生日にプレゼントした白いシュシュではなかった。

 しかしながら火水木も先日付けていた冬雪のネックレスを今は外しているため、陶芸で汚さないために普通の髪ゴムにしたという可能性もある……と思いたい。

 

「それでは皆さん、まずはお昼まで頑張っていきましょうかねえ」

「はい」

「うッス!」

「……頑張る」

 

 俺達は粘土を用意すると、まずは荒練りを始める。

 今回使う粘土は、この地域の焼き物で使われている粘土。普段と使っている再生させた粘土ではなく完全な新品ということもあり、随分と柔らかく練りやすかった。

 

「何か普段より上手くなってる感じがするわね」

「それな」

 

 早乙女はほぼ完璧、テツと夢野もそこそこ形になった菊練りをこなせるようになっており、各々が自分の粘土を練り終わると電動ろくろの前に座り成形を始める。

 回転する土を伸ばして縮めてを何度か繰り返した後で、指に軽く力を入れて椀の形へ。今やいっぱしの陶芸中級者になった俺の手元には、なめし皮やシッピキ以外にも様々な小道具が置かれていた。

 例えばこのU字の取っ手に針金を張った、文字通り弓の形をした道具『弓』なんてのは、凸凹している口の部分を切り落とすのに便利で頻繁に使っている。

 そしてスマホを持ってる気分にさせる仕上げ用木ゴテは、内側をより滑らかにするための物。こうした道具を使うことで、より一つ一つの作品の精度は上がっていた。

 

「……」

 

 当然ながら陶芸上級者である冬雪はその上をいく。

 今少女が作っているのは、市販の食器類のような五客セット。しかし電動ろくろを挽いてみれば分かるが、全く同じ形の作品を作るというのは難しい。

 トンボと呼ばれる竹トンボそっくりな道具を使い、成形した皿の高さと口径を確認する冬雪。シッピキを使って切り終えた湯呑を見れば、流石だなと思わず感服した。

 

「ふう……」

 

 30分ちょっとかけて、一つ目の粘土の塊を使い終える。完成した作品は7個

と、まずまずの結果だろうか。

 一度に練る粘土の量は人それぞれであり、既に夢野や冬雪は二度目の成形を開始。俺も作り終えた作品を棚へ収めてから、一呼吸入れつつ二度目の成形を始めた。

 

 

 

「あー、もー、歪んだー」

「心が歪んでるからッスよ」

「それ、トールにだけは言われたくないわねー」

 

 

 

「蕾先輩、速いでぃすね。何回目でぃすか?」

「四回目だけど、失敗ばっかりだから」

「失敗は成功の素でぃす! 星華も負けてられないでぃす!」

 

 

 

 誰かが口を開いたり、土練りのタイミングがあったりした時には話すものの、ろくろを使っての成形時は集中していることが多いため静かな時間が訪れる。

 聞こえるのは扇風機の回る音と、外から聞こえてくる蝉の鳴き声くらい。途中で昼休憩を挟んでのエンドレス陶芸は、午後になっても延々と続いた。

 

「さて、後半は先生も作りましょうかねえ」

「えっ? イトセン先生って陶芸できたんスかっ?」

「鉄君は伊東先生を何だと思っていたんだい?」

「そりゃまあ、狂気のマッドサイエンティスト的な?」

「先生、鉄クンからどういう風に思われていたのか不安で仕方ありません」

「アタシも一回二回くらいしか見たことないし、これに関してはイトセンが悪いわね」

 

 片付けや手が汚れて面倒ということで普段は全くやらない伊東先生も、今回は珍しく成形をすることに。滅多に見られない熟練者の手捌きには「おぉー」っと歓声が沸いた。

 しかし流石に後半にもなると、5分10分の休憩をする回数が増えてくる。暑さからの避難や飲み物の購入、気分転換に美術館の方へ行くことも何度かあった。

 

「皆さん、お疲れ様です。そろそろ良い時間ですし、切りの良いところで終わりにしましょうかねえ。先生、アイスを買ってきますので頑張ってください」

「アイスっ? よし、ラストスパートかけるわよー」

「いよっ! イトセン先生! 太っ腹ッスね!」

 

 アイスと聞いて、長時間に渡る戦いに疲れ果てていた面々が息を吹き返す。

 既に粘土が少なかった俺は、最後に皿を作って成形終了。使い終わったドベ受けやボール、その他の用具類を洗った後で、作り上げた最後の作品達を棚へ置いた。

 

「…………」

「……ヨネ、どうかした?」

「いや、ここにあるの全部俺が作ったんだなって思うと、何かこう…………さ」

「壊したくなるんでぃすか?」

「違ぇよっ!」

 

 自分の制作した物がずらりと並ぶ棚を改めて見て感銘を受ける。

 休憩込みで6時間という長丁場、真面目に取り組んだ自分を良くやったと褒めたい。

 

「ネック先輩、何個ッスか?」

「ん……47だな」

「よっしゃ! 3個差でオレの勝ちッスね」

「甘いなテツ。削るまでが陶芸なんだよ」

「しっかし我ながら、こんなに作れるなんて思いもしなかったッスね」

「それな」

「……普段からやってほしい」

「ユッキー先輩が部活中コスプレしてくれるなら、毎日100個くらい作るッスよ?」

「……それは無理」

 

 ニヤニヤしながら提案するテツに対して、冬雪は静かに首を横に振る。毎日100個は流石に無理だと思うが、コスプレのために成し遂げた火水木の前例もあるからな。

 今日作った作品達は、明日の最終日に削り作業へ入る。そして削った作品達は後で送ってもらい、去年のように陶芸部の窯場で焼くという訳だ。

 

『パシャッ』

 

 一足先に終えた面々が片付け始める中、戻ってきた伊東先生が俺達に向けてシャッターを切る。成形していた時にも何枚か撮られたため、流石にカメラにも慣れてきた。

 

「…………」

 

 阿久津と夢野の二人はまだ成形中。前に夢野を教えた時にも思ったが、陶芸って粘土と真剣に向き合ってる姿が何かこうグッとくるんだよな。

 

「何をジッと見てやがるんでぃすか」

「別に、ただボーっとしてただけだっての」

「自分が終わったからって、ミナちゃん先輩の邪魔をしないでほしいでぃす」

「へいへい」

 

 しっしっと虫を払うような仕草をする早乙女を適当にあしらいつつ、先生が買ってきてくれたアイスを味わいながら再び棚へ向かう。

 早乙女の作品は確かこの段…………よし、個数では負けてないな。

 

「?」

 

 心なしか、阿久津の成形した作品数が少ない気がする。

 部長の冬雪は俺達の倍近く作っており、キャリアを考えれば副部長である阿久津も同程度の筈。しかしながら幼馴染である少女の作品は、俺達と大差ない数だった。

 最初は棚を間違えたのかとも思ったが、やがて成形を終えた阿久津が最後に作り上げた作品を置いた段は予想通りの場所。となると調子でも悪かったんだろうか。

 

「片付けは星華にお任せを! ミナちゃん先輩は先に着替えてきてください」

「すまないね」

「ユメノンの分はアタシがやっておくから」

「ありがとう! ごめんね?」

 

 こうして全員が作業と片付けを終了しアイスを堪能。再びバスで移動して午後5時過ぎには宿舎へ着くと、夕飯であるバーベキューまでは自由時間ということになった。



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九日目(木) 溜めこむよりも話すべきだった件

「…………ん? 火水木、どこ行くんだ?」

 

 風呂に入り汗を洗い落としてからロビーに置かれていたマッサージチェアで一日の疲れを癒していると、外へ出て行こうとする火水木を見つけ声を掛ける。

 

「ちょっと歩いた橋の所で、蛍が見れるかもしれないのよ」

「こんな時間に光るのか?」

「下見よ下見。バーベキューとか花火ができそうな場所が近くにあるなら、一通り楽しんだ後で蛍観賞ができるかもしれないじゃない。ネックも暇なら来ない?」

「ん、そうだな。行ってみるか」

 

 日も沈み始め暑さもマシになってきたため、重い腰を上げると火水木と一緒に外へ出る。どうやら肝試しやラジオ体操をした大木のある広場とは反対方向らしい。

 

「そういえば、トールは何してるの?」

「人狼のリベンジしがてら、女子部屋見てくるって言ってたけどな」

「本当、ブレないわねー」

 

 人狼というのは会話と推理を中心としたパーティーゲーム。正式名称は『汝は人狼なりや?』であり、割と有名になってきた昨今ではスマホアプリにもなっている。

 今日の昼休憩時に話題となり、実際に俺達七人でテツのアプリを使って挑戦。俺は初っ端から人狼という、正体を隠さなくてはならない役職を引き当てた。

 

 

 

『ネック先輩、さっきから黙ってばっかりで怪しくないッスか?」

『いやいや、単に村人だから話すことがないだけだっての』

『……村人?』

『市民の間違いじゃないッスか?』

『えっ? あ、あー、そういやそうだった』

『……怪しい』

『じゃあとりあえず最初はネック先輩を吊り上げるってことで』

『賛成でぃす!』

 

 

 

 ――――という凡ミスにより、その後の弁明も虚しく俺は真っ先にゲームオーバーにされた。前にクラスの奴らとやった時には村人だった筈なのに、いつのまに市にランクアップしたんだよ?

 

「多分この辺りね」

 

 大木までの往復くらいの距離を歩いたところで小さな橋に到着。流れている小川の音が心地よく、自然にも囲まれて落ち着けそうな場所だった。

 

「広そうな所もないし、やっぱ蛍はお預けね」

「別に向こうで花火とかやった後で、こっちまで見に来ればいいんじゃないのか?」

「それで蛍がいなかったら、ただの骨折り損でしょ? せっかく花火で盛り上がった後の空気が台無しになるじゃない」

 

 それはそれで残念でしたで良いと思うんだが、ここは立案者の少女に従うとしよう。

 一応蛍がいないか軽く探索したものの、やはりこの時間帯は見当たらず。これといって何の成果もないまま、ひとまず帰ろうかという話になった。

 

「夜にユメノンでも誘ってみたら? もし蛍がいたら最高に良い雰囲気になれるわよ」

「何でそこで夢野の名前が出てくるんだよ?」

「だってネックってば、ツッキーと絶賛喧嘩中じゃない。昨日で更に悪化したみたいだし」

 

 別に喧嘩って訳でも…………あるか。

 阿久津は誤魔化せたと思っているかもしれないが、勘の良い火水木は肝試しで何かあったことを既に気付いている様子。しかし少女は深入りせず、呆れて溜息を吐くだけだ。

 

「本当、なーにお互いにツンツンしてるんだか……」

「…………………………だと…………」

「え?」

「何で夢野に告白しないのか、見ててイライラするんだってさ」

「それ、ツッキーが言ったの?」

「ああ。肝試しの時に言われた」

「どういう過程があって、そんな話になったのよ?」

 

 俺は昨日のことを思い出しながら、愚痴るように語り始める。

 葵の一件については、火水木兄妹は一部の情報を共有しているため把握済み。話しているうちに気が付けば、昨日どころかネズミーランドの頃まで遡っていた。

 春休みに阿久津へ告白したことは伏せようとしたが、ここまで言ったらバレているも当然と開き直り、一切隠すことなく全てを吐き出す。

 

「――――とまあ、大体こんな感じだな」

 

 一通り話し終えると、少し胸がスッとした気がした。

 時折頷きつつ俺の話を真剣に聞いてくれていた火水木は、少し間を置いてから口を開く。

 

「そんなことだろうと思ったわ。それで、ネックとしてはどうなの?」

「どうって?」

「ユメノンに告白しない理由、何かあるんじゃないの?」

「…………何て言うか、ずるいと思ってさ」

「ずるい?」

「この際ぶっちゃけるけど正直夢野は可愛いし、彼女になってくれたらそりゃもう滅茶苦茶嬉しくて自慢しまくると思う。だけど俺は葵みたいに一途に思い続けてる訳じゃなくて……やっぱこう、阿久津のことも気になってさ……」

「うん」

「そうなると自分の気持ちが曖昧なままなのに夢野が可愛いから彼女にするとか、好かれてるから付き合うって何かこう……卑怯な気がするっていうか……」

 

 いや、違う。

 俺はそんな殊勝な奴じゃない。

 この期に及んで見栄を張ろうとするな。

 告白を自制している訳じゃなく、単に人の目を気にしてできないだけだ。

 

「その…………そういう風に思われたくないから、ちゃんと考えたいんだよ」

「誰に思われたくないの?」

「誰にって…………」

 

 

 

『相生君の一件がなければ、キミは夢野君の告白に応えただろう?』

 

 

 

「阿久津に……だな」

 

 真っ先に頭に浮かんだのは、幼馴染の少女の言葉だった。

 ああ、そうか。

 俺がクズだった時をアイツは知っている。

 だからこそ、これ以上クソ野郎になる姿は見せたくない。

 

「そのこと、ちゃんとツッキーに話した?」

「え?」

「今はまだ自分の気持ちがわからないから、ちゃんとユメノンを好きだって明確にしてから告白したいってことよ」

「いや、言ってない……」

「どうして言わなかったの?」

「そこまで自分の考えも整理できてなかったし、そもそも言いにくかったし……第一仮に言ったところで、またアイツに否定されて余計に関係悪化するだけだろ」

「全然そんなことないわよ。アンタはツッキーのことを完璧超人に思ってるみたいだけど、ちゃんとネックだって自分なりにしっかり考えてるんだから自信持ちなさい」

「そうか?」

「いくらツッキーの頭が良くても、恋愛に正解なんてないんだから」

 

 無駄に恰好いい台詞を口にした少女は、やれやれと溜息を一つ。どこの主人公だよ本当。

 

「寧ろネックの考えを理解してないツッキーもまだまだね」

「単に嫌いな相手が考えるなんて、興味がないだけなんじゃないか?」

「別にツッキーはネックのこと嫌いじゃないわよ」

 

 似たようなことは今朝、冬雪からも言われた。

 単に俺を慰めるだけと思っていた言葉だが、火水木は更に一言付け加える。

 

「ツッキーが冷たくなったのって、ネックにユメノンのことを考えさせるためだと思うのよね。じゃないとアンタ、ずっとツッキーのことばっかり考えてたでしょ?」

「いや、別にそんなことは…………」

 

 葵を言い訳にしたり、考えることを放棄したり。

 少なくとも、夢野の気持ちと真っ直ぐに向き合ってなかったのは事実だ。

 

「…………ある……かもしれないな」

「正直で宜しい。だからって、ツッキーの対応が正しいとは限らないけどね。何にせよアンタがすることは、ちゃんと自分の考えを話すこと。黙ってちゃ何も伝わらないわよ?」

 

 恋愛伝道師火水木は、ふふんと得意げに大きな胸を張る。

 

「本人に話しにくいって言うなら、何ならアタシから言ってあげよっか?」

「いや、俺から言う」

「ならよし! 絶対に話しなさいよ? 怖気づいたり妥協しないこと!」

 

 気合いを入れろと言わんばかりに、少女は俺の頬を挟むように両手で軽く叩く。

 霧のかかっていた心の中は、いつの間にやらすっかり晴れていた。

 

「何か話したらスッキリしたよ」

「前にも言ったでしょ? 相談ならいつでも乗るって。せっかくの合宿なんだし良い思い出にしたいんだから、一人で溜め込まないでよね」

「悪いな。相談っていうか、愚痴みたいになって」

「全然構わないわよ。寧ろアタシとしては、ネックが話してくれた方が嬉しかったし」

「そっか。サンキューな」

「どう致しまして。まあ仮にネックが告白したところで、ユメノンがOKしてくれるなんて保証はないんだけどね。ついでに言っておくと、クラスの男子からも結構人気だし」

「うぐっ」

「オイオイだって諦めてないかもしれないから、あんまりのんびりして取られても知らないわよ? バーベキューでちょっとは男らしいところ見せて、ポイント上げておきなさい」

「そんなお前の兄貴みたいな芸当はできないっての」

 

 軽く笑い合った俺達は宿舎へと戻る。

 日も沈み丁度お腹も空いてきたところで、いよいよバーベキューの始まりだ。



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九日目(木) 俺がニック先輩だった件

「うん、炭に火が点いたわね」

「メッチ、何か燃やせる物くれー」

「燃やせる物、燃やせる物…………」

「おい。何で今、俺の方を見た?」

「流石に駄目でぃすね。湿気ってそうでぃす」

「いや駄目な理由そこじゃねえよ。選択肢に入れること自体が間違ってるからな?」

 

 貸し出されたバーベキューセットと椅子やテーブル、そして食材を大木前まで運んだ俺達は、それぞれが役割を分担して準備に取り掛かっていた。

 一番大変な火起こし班に立候補したのはテツと火水木。二人とも慣れており手際が良く、うちわを片手に炭へと酸素を送りスムーズに着火へと進んでいる。

 

「一通り終わったな。余った竹串、どうすっか?」

「うーん……えいっ♪」

「あうっ? 何故に俺を刺すっ?」

「えへへ」

「……マシュマロを刺せば、後で焼ける」

「そっか。流石は雪ちゃん!」

 

 好きな物を適当に刺すよう言われた竹串班は、俺と夢野と冬雪の三人。とりあえずピーマンやカボチャ、玉葱といった野菜類に肉を挟み、大体の作業が終了した。

 

「これでバッチリでぃすね」

「何か手伝うことはあるかい?」

「こっちは大丈夫。ありがとうね」

 

 残った阿久津と早乙女はセッティング班。各種食器や割り箸といった食べる準備に加えて、出てきたゴミ類をまとめてくれたりと地味に助かる。

 伊東先生は相変わらずの撮影班……と言いつつも、サボってるだけに見えなくもないな。

 

「火の方もオッケーだし、じゃんじゃん焼いていくからガンガン食べてて頂戴」

「ネック先輩、いつでも焼き土下座いけるッス!」

「しねえよっ!」

 

 トングをカチカチ鳴らした火水木が、串に刺さなかった肉類を網へと乗せていく。

 ジュージューと肉汁が音を立て、煙を上げつつあっという間に焼き上がった肉が皿に乗せられると、テツがウェイターのように振る舞いつつ運んできた。

 

「お待たせ致しました。こちら…………牛肉と、牛肉と、牛肉でございまス」

「どこの部位かわからないんでぃすか?」

「美味しいところと、凄く美味しいところと、物凄く美味しいところでございまス」

「このウェイターはクビにすべきでぃすね」

「それじゃあ申し訳ないけれど、先にいただかせてもらおうかな」

「火水木クンも鉄クンも、何でしたら先生が代わりますよ?」

「いいからいいから。イトセンも食べてて頂戴」

「そうですか。では、お言葉に甘えさせていただきましょうかねえ」

「ミズキ、ありがとうね」

 

「「「「「「いただきまーす」」」」」」

 

「……お肉、美味しい」

「うん、美味いな」

「お客様、そこはもっとねるねる風にやっていただけまスか?」

「ぅんまいっ!」

「…………」

「テーレッテレーの部分、やってくれないのかよっ?」

「テーレッテー♪」

「それは処刑用BGMの方だろっ!」

 

 自然に囲まれて食べるだけで、何かこう新鮮味があって旨味が増すから不思議だ。

 人参、茄子、カボチャ、エリンギ、トウモロコシ、そして肉、肉、肉。空腹という最高のスパイスも合わさり、箸は止まることなく進んでいく。

 

「そろそろ代わろうか。天海君達もゆっくり食べるといいよ」

「お疲れ様でぃす」

「じゃあお願いするわね」

「あざッス!」

 

 額の汗を拭いながら焼いていた火水木&テツと、阿久津&早乙女の夜空コンビが交代。俺もそろそろ名乗り出ようとしていたが、タイミングを失ってしまった。

 

「ホルモンは焼き加減がいまいちわからないね」

「いざとなったら、根暗先輩に渡すから大丈夫でぃす」

「…………」

「この豚肉は、もう大丈夫かな?」

「生焼けでも、根暗先輩なら問題ないでぃす」

「おい、全部聞こえてるからな?」

 

 運ばれてきた肉が本当に食べても大丈夫なのか、一気に不安度が増した気がする。まあ何だかんだ言って阿久津のことだし、ちゃんと確認はしているだろう。

 暫くして腹八分目になったところで、隣に座っていた夢野と目が合った。

 

「そろそろ交代しに行く?」

「ん? ああ、そうだな」

 

 確かに、頃合いとしては丁度良いかもしれない。

 別にペアを決めていた訳ではないため誘われたことに若干驚きつつも、俺は夢野と共に立ち上がると二人の元へ。肉を焼く阿久津の汗を早乙女が丁寧にハンカチで拭っているのを見て、自分もあんな風にしてもらえたりしないかなんて淡い期待が湧く。

 

「水無月さん、早乙女さん。代わろっか?」

「いいのかい?」

「うん。もうお腹いっぱいだから」

「それなら宜しく頼もうかな」

「焦がした肉は、全部根暗先輩が食べるんでぃすよ」

「へいへい」

 

 阿久津はトングを置いて、早乙女と共に席へ戻っていった。

 残る食材を見れば野菜類が若干多めで、肉は串焼きが少々残っているだけ。〆の焼きそばとマシュマロ以外の食材を、程良い配分になるよう焼いていく。

 

「ネックー、お肉まだー?」

「ちょっと待ってろって」

「ネック先輩、肉が食べたいッスー」

「ネックー」

「ニック先輩ー」

「誰だよニック先輩っ?」

「やはり皆さん成長期ですねえ。先生、もう少し買い足しておくべきだったと反省です」

 

 心なしか野菜ばっかり食べている気がする伊東先生がポツリと一言。正直あの二人はノリで言っているだけで、分量としては丁度良かったと思う。

 焼き終えた野菜と串焼きを皿に乗せると、夢野がテーブルへ運んでいった。

 

「大変お待たせ致しました。こちら、本日のオススメでございます」

「ユメノン先輩のウェイトレス、良いッスねー。美味しくなる魔法とか掛けてもらいたいッス」

「……掛けるのはタレ」

「違うッスよユッキー先輩。こう『おいしくなーれ、萌え萌えキュン❤』ってやるんス」

「オムライスならまだしも、串焼きに魔法は聞いたことないわね」

「今の鉄の魔法……いえ、呪いのせいで串焼きが不味くなりました。ここはミナちゃん先輩の魔法で上書きしてもらうしかないでぃす」

「残念だけれど、MPが足りないかな」

 

 確かにMPとかSAN値的なものを使いそうな行為ではあるが、阿久津の場合だと魔法は魔法でも回復魔法というより攻撃魔法になりそうな気がする。ハート型にした手から熱光線みたいなのが出て「燃え燃えドーン」って感じで。

 そんな客から大好評のウェイトレス夢野だが、流石に魔法のリクエストには応えず。何度か注文の品を運んだ後で、肉が無くなったのを見るなり焼きそばの袋を手に取った。

 

「焼きそばは私が作るね」

「サンキュー。美味しくなる魔法も掛けてくれるのか?」

「もー、米倉君までそういうこと言う」

「冗談だよ、冗談」

 

 ぷくーっと頬を膨らませた夢野に、笑いながら言葉を返す。

 しかし小悪魔めいた笑顔を浮かべた少女は、俺の耳元で小さく囁いた。

 

「魔法は、また今度掛けてあげるね」

「お、おう…………?」

 

 言葉の真意は分からなかったが、とりあえず返事だけしておく。耳に当たる吐息にドキっとさせられたが、ひょっとしてこの行為が既に魔法なんじゃないか?

 網から鉄板に変えると、夢野は慣れた手つきで焼きそばを作り始める。鼻歌交じりに調理する少女の後ろ姿は、思わず見惚れてしまう程に魅力的だった。



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九日目(木) 花火が夏の風物詩だった件

 最後には焼きマシュマロを堪能し、楽しかったバーベキューも終わりを迎える。

 後片付けを一通り済ませた俺達は、残された最後のイベントを始めようとしていた。

 

「イトセーン、火ー頂戴ー」

「くれぐれも取扱いには気を付けてくださいねえ」

「オッケーオッケー」

 

 バーベキューの時にも使ったガスライターを受け取る火水木。既に俺達は一人一人が手持ち花火を持っており、火水木の花火から火を貰う準備は万端だ。

 

「あれ? 水無月さんの花火、先っぽの紙が付いてないね」

「本当でぃすね。不良品でぃす」

「ああ、これはボクが外したんだよ」

「ちょっ? ツッキー先輩、それ外したらヤバくないッスかっ?」

「そんなことないさ。意外と知られていないけれど、その紙は本来外してから点火するものだよ。ほら、ここにもそう書いてあるだろう?」

 

 先生が用意した花火の袋を阿久津が見せると、仲間達が関心した声を上げる。

 確か元々は火薬漏れ防止のために固定してた紙で、不要になった今は名残で残ってるだけ。千切るように指示してるのは、変に温まって火薬が破裂するのを防ぐためだったかな。

 

「……知らなかった」

「先生も初耳でしたねえ。流石は阿久津クンです」

「完全に火を付ける場所と思いこんでたわ……っと、点いた! くるわよくるわよー?」

 

 火水木の花火の穂先に灯った小さな火が、火薬部分へと移っていく。

 すると一気にシューっと音を立て、オレンジ色をした色鮮やかな火花が散り始めた。

 

「わぁー♪」

「……綺麗」

 

 次々と他のメンバーの花火にも火が点き、緑や紅といった色が混じり出す。

 仲間達が次々と離れて花火を楽しみ始める中、約一名だけ未だに着火しない男がいた。

 

「燃えろっ! 燃え上がれオレのハートっ!」

 

 しかし火水木の花火は勢いをなくし、小さな火の玉となって消えていく。

 それを見るなり花火以上に燃え上がっていた後輩は、俺の元へとスキップでやってきた。

 

「ネック先輩! ネック先輩ならオレのハートに火を点けてくれますよねっ?」

「よし分かった。この花火でお前の心臓を焼けば良いんだな?」

「ちょっ? 冗談ッス! 冗談ッスから!」

 

 やがて火が移り花火が燃え上がると、テツは嬉しそうに吠えながら去っていった。

 例年なら花火なんて近場の祭りの打ち上げ花火を家の窓から眺める程度。ましてや手持ち花火となると、随分と久し振りにやった気がする。

 煙と共に夜の闇に浮かびあがる、パチパチと咲いた火の花。その幻想的な光景をボーっと眺めながら、時には軽く振ったりして変化を楽しんでいた。

 

「サンキュー冬雪」

「……(コクリ)」

 

 新たに手に取った花火の炎は紅色。確か炎色反応の語呂合わせは『リアカー無きK村加藤は馬力で努力するべえ』だったから、これはストロンチウムだろうか。

 時には二本同時に持ったり、また時には軌跡で文字を作ろうとしたり。火が消える度に仲間に点けてもらうリレーを繰り返していると、あっという間に手持ち花火は無くなった。

 

「じゃあ最初に消えた人から順に、重い荷物持ちってことで」

「決まりだね」

 

 そして締めといえばやはり線香花火。当然のように生き残りを賭けた勝負が火水木によって提案され、バーベキューセットの荷物持ちという罰ゲームも決まった。

 

「米倉君、何してるの?」

「いや、線香花火ってこうしておくと長持ちするらしくてさ」

「またまたー、そんな訳ないじゃないッスか」

「根暗先輩らしい悪あがきでぃすね」

「……ミナも同じことやってる」

 

「「「「「…………」」」」」(全員が慌てて真似を始める)

 

「おい」

 

 俺と阿久津がやっていたのは、火薬部分をギュッと捻って締めただけ。更に着火後は動かさず地面に対して斜め45度を維持するというのが、小さい頃に姉貴から聞いた裏技だったりする。

 全員が花火の先を一箇所に集めると、ガスライターの炎で着火。こういう時に限ってテツの線香花火には真っ先に火が点いたが、その他の面々はほぼ同時にスタートした。

 

「何かこうしてると、終わりって感じがするね」

「甘いわユメノン。まだまだ夏は始まったばっかりよ」

「……明日も削りが残ってる」

「そっか。うん、そうだよね」

 

 とはいえ、しんみりとしていた夢野の気持ちもわからなくもない。

 先端に火の玉ができるなり、やがて激しく火花を発し始める線香花火。しかしその輝きも長くは続かず、徐々に低調になり今にも消えそうな儚い火花と化していく。

 

「そうッスよユメノン先ぱ…………ああっ? オレのマグナム01がっ?」

「まずは一人脱落でぃすね」

「ってか名前付けてたのかよ?」

 

 無駄な決めポーズを取ったせいで、明らかに燃えていた途中で落下するテツの線香花火。それを火蓋に次なる犠牲者は誰かと、それぞれが競い始めた。

 

「ユッキーのそれ、もう消えてない?」

「……そんなことない」

「根暗先輩の癖に、中々しぶといでぃすね…………ふー、ふー」

「息吹きかけて落とそうとすんなっ!」

 

 最終的にしんみりムードはぶち壊しになったが、これはこれで良かったのかもしれない。

 結局阿久津が優勝し、楽しかった合宿二日目もあっという間に終了。入浴を済ませてから部屋へ戻ると、しおりの最後に付いていた日記をササッと書きあげる。

 

「ネック先輩、オレに気にせず夜這いとか行って来ていいッスよ」

「行かないっての」

 

 明日には合宿が終わってしまうが、未だに阿久津とは話していない。花火の際に機会を窺ってみたものの、やはり二人だけの時にすべきだろう。

 昼に陶芸で集中したこともあり疲れていたのか、俺は割と早く眠りについた。

 

 

 

「――――――んごぉおおおおおおお…………んごぉおおおおおおお…………」

 

 

 

 …………しかしながら、上の段のベッドから聞こえてきた騒音に目を覚ます。

 今日も豪快にいびきを掻いているテツ。ただそれだけなら、まだ耐えられたかもしれない。

 

『ガギッ』

「っ!」

 

 問題なのは時折聞こえてくる、とんでもない音を立てた歯ぎしり。ぶっちゃけ歯が砕けてるんじゃないかと疑いたくなるレベルだが、本当に大丈夫なんだろうか?

 何とか残っている眠気で再び眠りにつこうとするが、またも聞こえてきた歯ぎしりの音で意識が完全に覚醒。こうなってしまうと、もう眠れそうにはない。

 携帯で現在時刻を確認すれば11時と、まだ布団に入ってから一時間ちょっとであり日付すら跨いでいない。とりあえず歯ぎしりが収まるまで、ロビーにでも避難するか。

 

「…………あ」

 

 ひょっとして、今の時間なら蛍が見られるかもしれない。

 そんなことを思い出した俺は靴に履き替え、昼に火水木と通った道をのんびり歩く。

 

『夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし』

 

 清少納言は枕草子でこんなことを語っていたが、千年経っても夏の夜が良いのは変わらないらしい。

 空は満月じゃないし雨も降りそうにないが、明かりが少ないため星がよく見える。周囲から聞こえてくる虫の鳴き声も、心を落ち着かせる良いバックミュージックだ。

 

「ん?」

 

 さて、肝心の蛍が飛び交っているのかというところで、俺はふと足を止める。

 遠くに見えた人影が二つ。どうやら先客がいたらしい。

 

「…………っ?」

 

 目を凝らして確認するなり、予想外の人物に慌てて身を隠す。

 木陰から覗いてみれば、そこにいたのは阿久津と夢野……見知った二人の少女だった。

 

「――――――ために――――」

「――――――ない」

 

 何やら話しているようだが、耳を澄ましても声は僅かにしか聞き取れない。

 二人の前には蛍と思わしき小さな灯がフワフワといくつか飛んでいるが、傍から様子を見る限りそれを見に来たという雰囲気でもなさそうだ。

 しかし、一体何の話をしているのか。

 

「何をコソコソしてるんでぃすか?」

「っ?」

 

 もう少し近づこうかと思ったところで、不意に背後から声を掛けられる。

 慌てて振り返ると、そこにいたのは他でもない早乙女だった。



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九日目(木) 変わる呼び方と昔話だった件

「な、何でお前がここにいるんだよ?」

「そっちこそ、どうしてミナちゃん先輩がここにいると知ってたんでぃすかっ?」

「しーっ! 声を抑えろ!」

「何で静かにする必要があるんでぃすか」

「見れば分かるだろっ? あれだよあれっ!」

 

 俺は小さな橋の上で話している阿久津と夢野を指で示した。

 それを見た早乙女は、隠れもせずに堂々と二人の元へ向かおうとする。

 

「おい待て」

「だから何で待つ必要があるんでぃすか」

 

 え、何コイツ。質問には質問で返してくるし、日本語通じないの?

 いや落ち着いて考えろ俺。この空気の読めないアホに状況を伝える方法はある筈だ。

 

「アノフタリ、ジャマスル、ヨクナイ」

「ぶっ飛ばしますよ?」

「ボウリョク、ヨクナイ」

「付き合ってられないでぃす」

「ちょっ! だから待てって! 見るからに深刻そうな話してんだろっ!」

「深刻な話があるなら、ミナちゃん先輩は星華に相談する筈でぃす」

「いや、それはなへぶっ!」

 

 遠慮のないボディーブローが入った。マジでコイツ容赦ねえなおい。

 

「ぶっ飛ばしますよ?」

「いやもうぶっ飛ばした後だろ!」

「そこまでして止めるなら星華の質問に答えてください。そもそも何で根暗先輩がここにいるんでぃすか。夢遊病でぃすか? 死に場所を探してたんでぃすか?」

「どんな発想だっ? 俺は単にテツのいびきが五月蝿くて眠れないから、火水木から聞いてた蛍を見に来ただけだっての。そしたらあの二人が先にいたんだよ」

「怪しいでぃすね」

「そう思うなら後で俺の部屋に行ってみろ。地獄すら生温いレベルだぞ?」

「そこじゃないでぃす。蛍なんてどこにもいないじゃないでぃすか」

「いやメッチャいるだろ。向こうで光ってるの、見えないのか?」

 

 早乙女が目を凝らしてジーっと二人のいる方を見る。そんなに凝視しなくても朧気とはいえ遠目で見て分かるくらいには光ってるんだが、コイツ目が悪いのか?

 

「…………確かに、よく見たらいるみたいでぃすね。てっきりミナちゃん先輩が光り輝いているのかと思ってました」

「馬鹿だろおまへぶっ!」

「マジでぶっ飛ばしますよ?」

「だから殴ってから言うなってのっ!」

 

 前言撤回。悪かったのは目じゃなくて頭だ……間違いない。

 

「仮にそうだったとしても、どうして盗み聞きしてるんでぃすか?」

「単に二人の話の邪魔をしたくないから隠れてるだけで、別に盗み聞きはしてねえよ。そもそも何を話してるのかなんて、この距離じゃ聞こえないだろ?」

「星華の地獄耳なら、ミナちゃん先輩の声は断片的に聞こえます」

「阿久津限定かよ」

「…………櫻…………」

「ふむ」

「…………根暗…………」

「ん?」

「…………海に沈める…………」

「絶対嘘だろっ?」

「今のは冗談でぃす」

「じゃあ本当は何て言ってるんだ?」

「…………山に埋める…………」

「大して変わってねえっ! つーか今アイツ喋ってなかっただろっ!」

「こんな距離で聞き取れる訳ないじゃないでぃすか」

「まさかの逆切れっ?」

「そもそもミナちゃん先輩は、邪魔されて困るような話を星華以外にしないでぃす」

「ちょっ? だから待てって!」

「何勝手に触ってるんでぃすかっ? バカアホドジマヌケゴミクズゲス童貞中二病変態底辺無能キモオタチキンミジンコ税金泥棒の根暗先輩、セクハラで訴えますよ?」

「よくもまあこの一瞬でそこまでの罵倒が出てくるなおいっ? つーか手首掴んだだけで訴えんなっ! お前が行こうとするからだろうがっ!」

「だから何で隠れる必要があるのかと聞いてるじゃないでぃすか。万が一ミナちゃん先輩が悩んでたとしても、蕾先輩と一緒に相談に乗ってあげれば良いだけでぃす!」

「あっ! おいっ?」

 

 俺の制止を振り切り、早乙女が二人の元へ向かう。こうなった以上は仕方なく、一人で隠れている訳にもいかないため俺も少女の後を追った。

 近づいてくる俺達に気付くなり、阿久津と夢野は驚いた表情を浮かべる。

「米倉君っ? それに早乙女さんも……?」

「これはまた、随分と珍しい組み合わせだね。二人も蛍を見に来たのかい?」

「目が覚めたらミナちゃん先輩が見当たらなかったので宿舎内を探してたんでぃすが、外へ行く怪しい根暗先輩を見つけたので尾行してきました」

「それはすまないことをしたね。少し寝付けなくて夜風に当たっていたら、偶然夢……いや、蕾君と出くわして、蛍を見に行かないかと誘われたんだよ」

 

 いつも通りの呼び方ではなく、何故か名前で呼び直す阿久津。それを聞いた夢野は嬉しそうな表情を浮かべた後で、早乙女の後ろにいる俺の方を見てきた。

 

「米倉君も水無ちゃん探し?」

「え? あ、いや、俺はテツのせいで眠れなかったから、蛍を見にきただけで……ほら、夢野と同じで火水木からこの場所のことは聞いてたんだよ」

「そっか。でもクロガネ君のせいで眠れないって、どうかしたの?」

 

 後輩の殺人的ないびきと歯ぎしりについて話すと、夢野は笑い阿久津は呆れた様子。ありのままを伝えたにも拘わらず、大袈裟だと言われ信じてもらえないのは少し悲しい。

 それにしても花火の時点では水無月さん呼びだった筈の夢野までもが、どういう訳か今では水無ちゃん呼び。早乙女は気にも留めていないが、一体何があったというのか。

 

「ミナちゃん先輩も人が悪いでぃす。蛍が見れるなら、蕾先輩に誘われた時に星華も起こしてほしかったでぃす」

「確実に見られる保証は無かったから、無駄足にさせるのも悪いと思ってね」

「その時はその時で、ミナちゃん先輩との夜散歩を楽しむだけでぃす」

「慕ってくれる後輩がいて、水無ちゃんは幸せ者だね。そういえば前から気になってたんだけど、二人はいつからの付き合いなの?」

「星華とミナちゃん先輩の出会いは、聞くも涙、語るも涙でぃすね」

「初めて顔を合わせたのは恐らく部活動見学だっただろうから、どちらかというと流していたのは涙じゃなくて汗だったと思うけれどね」

「部活動見学って、バスケ部?」

「そうでぃす。中学生になった星華は、とあるアニメの影響でバスケ部に入りました。しかし小学生の頃に運動なんてしなかった星華にとって、運動部の練習は辛かったでぃす」

「あ、もしかしてそのアニメって白バス?」

「蕾先輩も見てたんでぃすかっ?」

「ううん。私は見てないけど、妹がバスケ部に入ったきっかけもそれだったから」

 

 そういや年末に会った時も、白バスのグッズに反応してたっけ。

 梅の奴も友人から勧められて漫画を読んでいたが、アイツは広く浅いタイプなので面白がってたもののハマりはしなかった様子。そういう所は多趣味な姉貴に似てるかもな。

 

「華やかな白バスとは裏腹に、現実は外周を走った後で腕立て腹筋背筋の筋トレ。やっとボールに触れたと思ったら、延々とチェストパスをさせられるだけの毎日でぃす」

「同じようなことを妹も言ってたけど、やっぱりどこの学校も同じなんだね」

「休日の練習で先輩と混じればキツいフットワークに付き合わされ強いパスを投げつけられ、ツーメンやスリーメンも足を引っ張ってばっかりの自分が嫌になりました」

「一年のうちは誰でもそうさ」

「そして辞めようかと思っていたある日、不幸にも星華は飲み物を忘れてしまったのでぃす! そんな危機に手を差し伸べてくれたのがミナちゃんなのでぃす!」

「正直、ボクはその時のことを全然覚えていないけれどね」

「例えミナちゃん先輩が覚えていなくとも、星華はあの時のスポーツドリンクの味を今でも忘れません! あれがあったからこそ星華のやる気は燃え上がったのでぃす!」

 

 美談として語る早乙女だが、喉が渇いてたなら蛇口を捻って水を飲めば良いと思う。勿論そんなことを声に出したら、絶対にタダじゃ済まないだろうけどな。

 

「そして三年生の引退後にミナちゃん先輩が部長になったのを見て、一年後にミナちゃん先輩から部長を引き継ぐのは星華しかいないと心に誓ったのでぃす!」

「へー。てっきり小学校の頃からなのかと思ったけど、二人は中学からだったんだね」

「時間は関係ありません! 大切なのは密度でぃす!」

「そっか…………うん、そうだよね」

「現に星華は根暗先輩よりも、ミナちゃん先輩のことを知り尽くしてます!」

 

 ふふんと得意気に無い胸を張る早乙女だが、別に悔しくはない。仮に阿久津の理解度を競う阿久津選手権があったとしたら、梅どころか姉貴にすら負ける自信がある。

 

「ねえ早乙女さん。もう一つ気になってたことがあるんだけど、聞いてもいい?」

「何でぃすか?」

「その呼び方なんだけど、どうして米倉君が根暗先輩なの?」

「!」

 

 ボーっと蛍を眺めながら話を聞いていたところで、不意に夢野がそんな質問をした。

 それを聞いた早乙女は、さも当然のように答える。

 

「蕾先輩は知らないんでぃすか? この男は――――」

「星華君」

 

 そう、夢野は何も知らない。

 だからこそ早乙女の言葉を遮るように、阿久津が口を開いた。

 

「その話は、ボクがしよう」

「止めるなよ」

「櫻……?」

「言いたいことがあるなら、好きなだけ言わせろって」

 

 草の上に止まった蛍を見ながら、俺は苦笑を浮かべつつ言葉を続けた。

 

「俺や阿久津が話すよりも、早乙女が話した方が一番遠慮なく言ってくれそうだしな」



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九日目(木) 中学時代が黒歴史だった件

『別に俺、みなのことなんて好きじゃねーし! あんな男っぽい女!』

 

 始まりは小学四年生の時に口にした、照れ隠しの些細な一言。とはいってもそれが全ての原因という訳でもなく、様々な変化が積み重なった結果でもあった。

 少女の心を傷つけた一言を機に、俺と阿久津は一緒に遊ぶことが少なくなる。それまでは毎日のように遊んでいたのが、普通の友人程度になったとでも言うべきか。

 そして五年生になると近場にアパートが建った影響で低学年の児童が増え、今までは同じ通学班だった俺達は別々の通学班で班長をさせられることになった。

 今までは当然の如く一緒に過ごしていた時間が、次から次へと減っていく。

 何よりも一番影響が大きかったのは、四年連続で同じだったクラスが離れ離れになったことだろう。

 こんな経験はないだろうか。

 

 物凄く仲良しだった奴がいたのに、クラスが変わっただけで不思議と話さなくなった。

 

 俺にとって阿久津というのはそういう存在だった。

 向こうは向こうで新たな友人を作り、こっちはこっちで新たな友人を作る。

 喧嘩をした訳でもないのに、阿久津との関係は疎遠になっていた。

 アイツがアルカスを飼い始めたのも確かその頃だったが、見に行ったのは片手で数える程度。俺の興味はゲームしかなく、新しくできた友人の家へ遊びに行ってばかりだ。

 それは六年生になっても変わらない。

 阿久津は近所の子と遊ぶ、面倒見の良いお姉さんになる。

 対する俺は六年生になっても家でゲーム。たまに梅に呼ばれて阿久津達と遊ぶこともあったが、この頃には二人だけで遊ぶなんてことは一切なくなっていた。

 

 そして中学生活が始まる。

 阿久津とはまたもや別のクラスだったが、俺は特に気にせず平和に過ごしていた。

 異変が起き始めたのは数ヶ月が過ぎた夏のこと。

 中一の頃は成長期のピークであり、色々な身体的変化が生じる。

 身長の増加は勿論のこと、体格も大きくなるし声変わりやニキビなんてのもそうだ。

 

『何か臭くね?』

 

 その変化の一つに、体臭がある。

 ただし俺の場合は元々が風呂嫌い、歯磨き嫌いだったため自業自得だった。

 軽い茶化しから始まったものの、周囲の反応は当然ながら徐々に悪化。原因が原因ということもあり最終的には解決したものの、一度ついた悪印象は中々取れない。

 性格の悪い連中が続ける嘲笑を、俺はことごとく無視する。

 

『よぉ、根暗。テストどうだったよ?』

 

 そして気がつけば、そんなあだ名が付けられていた。

 それでも体臭の時に比べればマシだったし、名前の一部ということもあり気に留める程でもない。寧ろ「どうせ根暗だよ悪かったな」と開き直る時もあったくらいだ。

 楽しかったのは入学してから一、二ヶ月くらいまでか。

 幼馴染がバスケ部で頑張っている一方で、俺は退屈な毎日に飽き飽きしていた。

 そして中二になり、久々に阿久津と同じクラスになる。

 

「じゃあ遠慮なく言わせてもらいます。そもそもこの男はサボり魔だったんでぃすよ」

 

 早乙女の言う通り、丁度その頃から俺は時々授業をサボるようになっていた。

 休むのは美術や技術、家庭科のような主要五科目と違って影響の少ない科目ばかり。最初は気分が悪いと保健室へ行く程度だったが、それも次第にエスカレートしていく。

 アニメやドラマならサボりの定番は屋上だが、当然のように施錠されており出られず。その鍵を何とか開けようと画策して、屋上前で50分を過ごすこともあった。

 

「根暗先輩が根暗と呼ばれ始めた理由がそれかは知りませんが、星華が見た限り雰囲気からして根暗って感じでぃしたね。先輩は口ばっかりの陰キャとも言ってました」

 

 辛辣な言葉だが、全くもってその通りだろう。

 好き放題やっていたのは親や教師にバレない範囲。それ故に不登校になるようなことこそなかったものの、中途半端にイキっている反抗期真っ盛りなクソ野郎だった。

 ついでに言えば思春期真っ盛りに突入し、当時の脳内はテツ並にピンク一色。特に女子の胸に色々と妄想を膨らませ、姉貴のブラジャーですら一喜一憂したくらいだ。

 そんな俺が再び阿久津を意識し始めたのは夏になった頃。知らない間に優等生となっていた幼馴染が、バスケ部の部長になったことを耳にしてからだろうか。

 小四の頃は男と見間違えるくらいにベリーショートだった髪の毛も、気付けば肩にかかるほどにまで伸びており、阿久津は傍から見ても可愛くなっていた。

 

「そんな問題児の根暗先輩が成績優秀で文武両道だったミナちゃん先輩に対して、誰がどう見ても明らかに不釣り合いなのに慣れ慣れしく話しかけてくるんでぃす」

 

 虎の威を借る狐……いや、それとはまた少し違うかもしれない。

 少女が積み重ねていた努力など一切知らない俺は、一緒に遊んでいた幼馴染の頃のイメージしかなく、未だに自分と対等の存在だと思っていた。

 阿久津に声を掛ける頻度は、少しずつ増えていく。

 単に話す機会がなくなっただけで、言葉を交わせばあの頃と何一つ変わらない。

 そう思い、当たり前のように話しかけていた。

 

「何より許せなかったのは、根暗先輩のかけてくるちょっかいでぃす。ミナちゃん先輩は優しいから許容してましたが、本心で迷惑がっているのは明白でぃした」

 

 受け入れてもらえたからこそ、俺は余計調子に乗る。

 反動形成。

 好きな子を虐めたくなるアレだ。

 阿久津が本気で俺を嫌っていると気付かされたのは、かなり後になってからのこと。

 夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬を迎えようとしたある日の授業中だった。

 

 

 

 

 

「またお前、授業サボる気かよ?」

「しー。大声で言うなって」

 

 普段なら体育は受けているが、陸上練習という延々と走らされるだけの授業は退屈でしかない。呆れる友人をよそに、その日は保健室で過ごすことにした。

 気持ち悪そうな雰囲気を装えば、保健の先生は簡単にベッドでの仮眠を提案してくる。ただし再び保健室に向かうと早退を奨められるので、これができるのは一日一回だ。

 

「――――zzz」

 

 大して眠くもない筈なのに、布団に入れば不思議と熟睡してしまう。

 起きたのは授業が終わる十五分くらい前。普段ならチャイムが鳴った後で保健の先生に声を掛けられるが、その日の目覚ましはノックされたドアの開く音だった。

 

「失礼します」

「…………?」

 

 聞こえてきた声は、幼い頃から聞き慣れた幼馴染のもの。

 驚いた俺はゆっくり身体を起こすと、カーテンの隙間から様子を窺う。そこにいたのは思っていた通り阿久津だったが、体操着姿の少女は膝から血を流していた。

 

「どうしたんだ?」

 

 カーテンを開けて阿久津に歩み寄る。今日の気温での半袖&クォーターパンツは見ているだけで寒そうだが、運動中は脱げという体育の謎ルールは本当に何なんだろう。

 

「…………先生がどこに行ったか知っているかい?」

「さあ? そのうち戻ってくると思うぞ」

「そうかい」

「で、どうしたんだよ?」

「走っている途中で転んだだけさ」

「どうせ景色か何かに見惚れてたんだろ? お前って昔っからそうだもんな」

「………………」

 

 椅子に腰を下ろした阿久津は、返事もせずに窓の外を眺める。

 そんな幼馴染を見ながら、俺は数時間前に友人とした会話を思い出していた。

 

 

 

『ぶっちゃけ米倉って、阿久津のこと好きだろ?』

『はあっ? 何でそうなるんだよっ?』

『見りゃわかるって。だってお前、廊下で見掛ける度に声掛けに行くじゃん』

『だからそれは幼馴染だからだっての』

『そうか? 向こうも満更じゃないと思ったんだけどなー』

『満更でもないって、どこがだよ?』

『昨日お前みたく頭をポンポンってしたら、物凄く自然に手を叩かれてさ。口では言われなかったけど、触るなってオーラ満々で超怖かったんだぜ?』

『へー。そんな風にされたことないけどな』

『それ絶対、米倉のこと好きだって』

 

 

 

 …………本当にそうなんだろうか。

 目の前にいる少女の肢体をジーっと眺める。

 できることなら撫で回し、谷間へと指を入れたくなるような瑞々しい太股。

 掌フィットの小振りなサイズだが、揉んでみたいという欲求を沸き上がらせる胸。

 触れ合ったらどんな感触なのか気になる、柔らかそうな唇。

 

「…………」

 

 仮に付き合ったら、エッチなお願いを聞いてくれるかもしれない。

 そんな脳内妄想が捗り、興奮して身体が熱くなる。

 完全に浮かれていた。

 だからこそドキドキしながら、俺は後先を考えずに少女へと尋ねる。

 

「な、なあ阿久津。聞いてもいいか?」

「何だい?」

「その、お前ってさ…………もしかして俺のこと、好きだったりする……?」

 

 改めて思い出すと、本当に呆れて物も言えないレベルだ。

 阿久津の表情が変わる。

 溜まりに溜まっていたものが爆発し、堪忍袋の緒が切れたんだろう。

 幼馴染の少女は目を瞑りゆっくりと息を吐き出した後で、照れ隠しだなんて勘違いさせる余地もないくらいに冷酷な視線を向けつつ、はっきりと断言した。

 

「何を言い出すのかと思えば、冗談も大概にしてくれないかい?」

「え……?」

「昔からの付き合いだからこそ目を瞑ってきたけれど、流石に我慢の限界だから言わせてもらうよ。キミは一体何様のつもりなんだい? いい加減にしてほしいね」

「な、何そんなに怒ってるんだよ?」

「キミが一人で好き勝手するのは自由だけれど、そこに人を巻き込まないでほしいと言っているのがわからないのかい? こっちはキミのやる事なす事、全てが迷惑なんだ。授業中に話しかけてくるのも、一々からかってくるのも、気安く頭を叩いてくるのも」

「っ」

「授業をサボっていることに関しても、キミは恰好良いとでも思っているのかい? 当たり前のことすらできない人間に対して、ボクがどこを好きになるというんだい?」

 

 別に恰好つけているつもりはなかった。

 単に面倒くさいからサボっていただけだが、そんなのは単なる屁理屈だ。

 当然のことすらできていない。

 そんな現実を突きつけられて、何一つ言い返せる筈がない。

 

「周囲の友達はキミを受け入れているのかもしれない…………それでも――――」

 

 少女は呆れ果てた様子で俺を見る。

 そして嫌悪感を剥き出しにして、最初の問いかけに答えた。

 

「…………少なくともボクは、今のキミが大嫌いだよ」

 

 忘れもしない少女の言葉。

 その時の光景は、俺の中で今でも残り続けている。

 記憶が脳に焼きついているのか、時には夢に出てくることすらあった。

 心の中にポッカリと空いた穴。

 かつてそこにいた筈の少女へ、手が届かなくなっていたことにようやく気付く。

 ショックだった。

 俺は何をやっているんだろう。

 自分の愚かさに呆れ、何もかもを後悔した。

 やがて俺はサボらなくなり、真面目に授業を受けるようになる。

 それでも阿久津と言葉を交わす機会はないままだった。

 少女と同じ屋代学園に入学して、陶芸部に誘われるまでは…………。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「これが根暗先輩の本性でぃす。ああ、思い出すだけでもムカムカします」

 

 悪口を全て言い切ったと思いきや、そんなことはないらしく早乙女が不満そうに呟く。

 もっともコイツは阿久津に告白をした保健室の一件までは流石に知らない。そのため語られた主な内容は、俺がしてきた悪行の数々だった。

 窓を割るような真似こそしなかったものの、ドライバーを使って窓枠のネジを外したり、無意味に天井を外したりといった屋上へ出るための問題行動。

 そして一番の問題である阿久津へのちょっかい。特にボディタッチの際にはドサクサに紛れて胸を触っていたことまで見抜かれていたらしく、罵詈雑言の嵐を浴びせられる。

 その他にも何から何まで、俺の黒歴史は洗いざらいバラされた。

 

「今だって猫をかぶってるだけで、どうせ心の中ではよからぬことを考えているに違いないでぃす。そのうちボロが出て、またミナちゃん先輩に迷惑をかけるに決まってます」

「…………」

「ミナちゃん先輩は優しすぎるんでぃす。例え謝ろうと、星華は絶対に許しません」

 

 こんな話を聞かされたら、間違いなく夢野も失望するだろう。

 そう考えると、とても目を合わせることなんてできない。

 あの微笑みが見られなくなる。

 覚悟はしていた筈だが、胸が苦しかった。

 でも、これでいい。

 いつかは話さなくちゃいけないことだったんだから。

 もっと早く話していれば、葵の奴だって振られずに済んだかもしれない。

 俺に勇気が無かったばっかりに、アイツには悪いことをしたな。

 

「…………ねえ早乙女さん。もう一つだけ聞いてもいい?」

「何でぃすか?」

 

 黙って話を聞いていた夢野が口を開く。

 しかし少女が最初に口にした言葉は、意外なものだった。

 

「早乙女さんが冷たかった理由とか、米倉君がした悪いことって、それだけ?」



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九日目(木) 俺の過去が杞憂だった件

「へ? それだけって……蕾先輩、星華の話を聞いてなかったんでぃすかっ?」

「ううん。ちゃんと聞いてたよ。確かに悪いことばっかりだったけど、想像してた程じゃなかったから少し拍子抜けっていうか、何だか安心しちゃって」

「安心?」

「米倉君が私に知られたくないことが、もしも犯罪だったらどうしようって不安だったから……実は前科一犯で少年院にいたり、万引きとかしてた訳じゃないんだよね?」

「せ、星華の知る限りではそうでぃすけど……隠れてやってた可能性はあります!」

「水無ちゃんはそういう話、聞いたことある?」

「流石にその手の悪評は聞いていないけれど、本人に確認してみたらどうだい?」

「だって。どうなの? 米倉君?」

「え? いや、やってないけど……俺が証言して信じてもらえるのか?」

「だって米倉君、わかりやすいから。ね? 水無ちゃん」

「仮に何かしらやっていたら、きっと目を背けていただろうね」

「ミナちゃん先輩がそう言うなら、犯罪には手を染めてないと認めます。それでも根暗先輩の本性が、極悪非道な人間であることには変わりありません!」

「うん。あー、良かったー」

「全然良くないでぃすよっ?」

「あ、ごめんね」

 

 夢野は大きく息を吸うと、ゆっくりと吐きつつ胸を撫で下ろす。

 色々と予想外だった反応に驚かされて呆然とする中、心の底から安心した様子の少女はチラリと俺と目が合うなり、今までと変わらない笑顔を見せてくれた。

 

「早乙女さんが怒る気持ちもわかるけど、それが米倉君の全てだって決め付けるのは少し違うと思うよ? 何て言うか、本性っていうよりは悪い一面って言うべきかなって」

「それは蕾先輩が騙されているだけでぃす! 現に根暗先輩はミナちゃん先輩をストーキングして、屋代に入学するだけじゃなく陶芸部にまで付いてきてるのが何よりの証拠でぃす!」

「あれ? 早乙女さん、知らないの? 米倉君は自分から進んで陶芸部に入ったんじゃなくて、他でもない水無ちゃんに誘われて入部したんだよ?」

「ミナちゃん先輩がっ? 何ででぃすかっ?」

 

 知っているのかと思いきや、意外にも阿久津から聞いていなかったらしい。

 今日一番の衝撃と言わんばかりに大声を出して驚いた早乙女は、鳩が豆鉄砲を食らったかの如く目をパチクリさせると、確認を取るべく阿久津の方へ慌てて振り返る。

 

「ボクと音穏の二人だけじゃ、荷物運びも大掃除も大変になりそうだったからね」

「二人って、蕾先輩も天海先輩もいるじゃないでぃすか!」

「天海君が入部したのは十月に入ってからだし、蕾君が入部したのは三月だよ。この辺りの話は前にしたことがなかったかい?」

「そ、そういえば聞いたような……でもそれは言い換えれば、蕾先輩や天海先輩が最初からいたなら根暗先輩が呼ばれるなんて絶対にあり得なかったということでぃす!」

「私はそんなことないと思うよ? それにもしも米倉君がいなかったら、きっとミズキも私も陶芸部には入部しなかったかもしれないし」

「えっ? どうしてでぃすかっ?」

「じゃあ早乙女さんに問題。ミズキが見学に行った時、水無ちゃん達が何してたと思う?」

「何って、陶芸じゃないんでぃすか?」

「ぶぶー。答えは卓球でしたー」

 

 そういえばそうだったっけな。

 一般人に聞いたら間違いなく正答率0%になりそうな問題を出した夢野は、当時のことを思い出したのかクスリと笑う。

 

「あの時は本当にビックリしたけど、物凄く楽しそうで羨ましかったな。ああいう遊びって水無ちゃんと雪ちゃんの二人だけだったら、絶対にやらなかったでしょ?」

「間違いなくやっていないだろうね」

「だよね。今でこそミズキとかクロガネ君が中心になって色々とやってるけど、陶芸部がそういう雰囲気になったのは米倉君がいたからだと思うんだ」

 

 放任主義の緩い顧問とか、卓球用具なりゲーム機なり遊び道具の数々を残していった先輩とか、俺以上に根本的な原因となっている要素は他にも色々とある気がする。

 しかしながら冬雪にも似たようなことは言われているし、俺が来る前の二人だけだった陶芸部を想像してみれば、夢野の主張も一理あるため否定はしない。

 

「それに早乙女さんが私の見たこともないような悪い米倉君を知ってたみたいに、私も早乙女さんがビックリするくらい優しい米倉君を知ってる…………ううん。私だけじゃなくて、水無ちゃんも知ってたからこそ誘ったんじゃないかな?」

 

 中学時代の悪行が全てではないと知っていたから。

 幼い頃を覚えていたから。

 だからこそ、阿久津は俺を陶芸部へと呼んだ。

 

「学校に残って徹夜で窯の番をした時は一番眠らずに頑張ってたって雪ちゃんが言ってたし、大掃除の時には重いろくろを必死に運んだってミズキも言ってたよ? 米倉君にも、良い所は沢山あるでしょ?」

「そ、そんなことないでぃす! ミナちゃん先輩は単に猫の手も借りたかっただけで、仕方なく根暗先輩を呼んだに過ぎません! 本当は迷惑な筈でぃす!」

「仮にそうだとしたら、梅ちゃんの練習試合へ一緒に応援しに行くと思う? ハロウィンのコスプレは米倉君のズボンを借りてたし、ネズミーのパレードも二人で見てたよ?」

「…………そうなんでぃすか?」

「まあ、間違ってはいないかな」

「………………」

「ねえ早乙女さん。昔じゃなくて、今の米倉君はどういう風に見える? この三ヶ月間、早乙女さんが見てきた米倉君はどんな感じだった?」

「それは……高校デビューしたつもりなのか知りませんけど、まあ確かに昔よりは……少しだけ、まともになってるように見えます……でも、ほんのちょっとだけでぃすよ?」

「うん。それなら水無ちゃんと同じように、今は見守ってあげてほしいな。誰よりも一番昔のことを後悔してて、一生懸命に変わろうとしてる今の米倉君を…………ね?」

 

 早乙女がチラリと阿久津を見る。

 幼馴染は何も語ることなく、黙って首を縦に振った。

 

「し、仕方ないでぃすね……根暗先輩、ちょっと立ってください」

「ん?」

「せいっ!」

「へぼっ?」

 

 てっきり仲直りの握手でもするのかと思いきや、不意打ちのビンタが炸裂した。

 バチンと乾いた音が盛大に夜空へと響き渡り、頬が滅茶苦茶ヒリヒリする。完全に油断していたこともあり、先程喰らったボディーブローより数段痛い。

 

「言っておきますけど、星華は認めてないでぃすよ? ミナちゃん先輩や蕾先輩が許しても、根暗先輩にはまだまだ反省が必要でぃす!」

「痛てて…………ああ、ちゃんとわかってるよ。早乙女、ありがとうな」

「な、何でぃすかいきなりっ? 気持ち悪いでぃす! ぶっ飛ばしますよっ?」

「それは勘弁してくれ」

「ふふ。早乙女さん、ありがと。蛍も充分に見れたし、そろそろ戻ろっか」

 

 歩き始める少女達の後に続くが、何だか不思議な気分だった。

 どことなくふわふわした感覚で、いまいち地に足を着けている実感がない。

 そんな俺の方へ振り返った夢野が、歩くペースを緩めて隣に並ぶ。

 

「米倉君、私に嫌われると思った?」

「え? あ、ああ……そりゃまあ……正直、軽蔑されるかなって……」

「うん。ちょっとショックだった」

「…………だよな」

「水無ちゃんの身体には興味津々だったのに、私ってそんなに魅力ないのかなーって」

「へ?」

「ふふ。冗談だよ。米倉君も男の子だし女子の身体が気になるのは仕方ないけど、そういうエッチなことはちゃんと相手の了承を得ないと駄目だからね?」

「は、はい……」

 

 …………確かにその通りではあるが、夢野特有の幼稚園児に向けたお説教みたいな言い方のせいで随分と軽く聞こえる。

 

「米倉君は深く考え過ぎかな」

「え?」

「そういうヤンチャな子なら、ウチの学校には米倉君以上の子がいたよ? 教育実習の先生相手にマウントポジション取って、泣かせちゃったりしたんだけど」

「マジかよ……そりゃまた随分と凄い話だな」

「でしょ? だからそれくらいじゃ私は嫌いにならないし、水無ちゃんだって本当は米倉君と早乙女さんが考えてるほど怒ってなかったんじゃない?」

「いや、流石にそれはないだろ」

「そう? でも米倉君がずっと自分を責め続けてた間、ずっと水無ちゃんは待ってたと思うよ? 昔みたいに戻るのを……ううん。それ以上に恰好良くなるのを」

 

 仮にそうだとしたら?

 もしも保健室で怒られた時に俺が素直に謝り、即座に自分の姿勢を改めようとしていたら、二年間にも渡る仲違いをすることはなかったのかもしれない。

 

「………………だって、今だってきっとそうだから」

「え……?」

「ううん。何でもない。それより早乙女さんに猫かぶってるって思われないように、もっともっと頑張らないといけないね」

「あ、ああ。そうだな」

 

 そんな話をしているうちに俺達は宿舎へと到着する。

 しかし最後の最後で事件は起きた。

 

「ミナちゃん先輩、部屋に戻ったら……? あれ……?」

「どうしたんだい?」

「あ、開かないでぃす……」

「「「え?」」」



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十日目(金) 普段が優しい人ほど怒ると鬼だった件

「誰か携帯を持ってる人は?」

「ごめん……部屋に置いてきちゃった」

「俺もだ」

 

 阿久津も夢野も俺も、元々は少し夜風に当たる程度の考えだったため不携帯。そんな中で一人だけ、別の理由で動いていた少女が不敵に笑うなり平らな胸をドンと叩いた。

 

「バッチリ持ってます」

「助かったよ星華君」

「夜空コンビかつミナちゃん先輩の右腕として、当然のことをしたまででぃす」

 

 ポケットから取り出されたスマホを見て、俺達三人は安堵の息を吐く。

 これで宿舎にいる三人へ連絡を取れるが、そうなると誰に助けを求めるべきか。

 

「音穏は朝まで熟睡するタイプだから、電話を掛けても起きるか不安だね」

「テツの奴は起きそうだけど、この状況を知るなりギャーギャー騒いで宿舎の人とか先生まで起こすことになりそうな気がするな…………やっぱ火水木か」

「うん。ミズキなら大丈夫だと思う」

「了解でぃす!」

 

 俺達に蛍のことを教えてくれた張本人だし、普段は声がでかくてもTPOは弁えている。何となく夜も強そうなイメージがあるし、全会一致で呼ぶ相手は火水木に決定した。

 スマホを操作した後で電話を掛ける早乙女。何はともあれこれで一段落かと思いきや、少しした後で少女は不思議そうにスピーカー部分から耳を離すと画面を見る。

 

「ち、ちょっと待ってください」

「繋がらなかったのかい?」

「い、いえ……その……電池切れみたいでぃす」

「「「…………」」」

「だ、大丈夫でぃすっ! 電源を入れ直せば復活するかもしれないでぃす!」

 

 電池カバーを外して取り出した電池パックを、無駄にブンブンさせた後で再び装着。しかし電源ボタンを長押ししても、スマホの画面が起動することはなかった。

 

「天海君の携帯に掛けた時、コールは鳴ったかい?」

「い、一応ワンコールだけなら……」

「ミズキ、気付いてくれたかな?」

「起きていたならまだしも、寝ているとなると厳しそうだね」

「も、申し訳ないでぃす」

 

 前に伊東先生が「去年は明け方に散歩へ行くと言って、勝手に鍵を開けて外に出た悪い先輩がいた」なんて話をしていた覚えがあるが、これではその二の舞である。

 中にいる面々と連絡が取れなくなった今、とりあえず他に入れる所がないか周囲を確認。宿舎をぐるりと一回りしてみたが、そんな都合の良い侵入経路は当然なかった。

 

「ふむ。思いついた選択肢は三つかな」

 

・誰かしら中にいる人が気付くのを待つ。

・野宿できる場所を探す。

・コンビニまで行って充電器を買う。

 

 阿久津が提示した三つの方法を聞いて、俺達は頭を悩ませる。

 宿舎の中の人間に気付いて貰えるかは完全に運頼み。物音でも立てれば助けは来るだろうが、出来る限り騒ぎを起こさないで済ませるとなると待つしかない。

 野宿は夏ということもあり気温的には不可能じゃなく、星空の下で眠るというのもロマンチックではあるが、当然寝袋はないし女子三人を危険に晒す可能性がある。

 それならコンビニはどうかと言えば距離が遠いのが難点。昨日地図を見た限りでは、この宿舎から最も近い場所ですら片道で一時間は掛かりそうだった。

 

「うーん、どうしよっか……」

「星華が走ります」

「え?」

「こうなったのも、星華のスマホが電池切れになったのが原因でぃす。走れば三十分ぐらいで何とかなりそうでぃすし、先輩達はここで待っていてください」

「星華君、財布は持っているのかい?」

「あ」

「ちなみに、この中でお金を持っている人は?」

「「…………」」

「コンビニ案は無しかな。残るは待つか、野宿するかだね」

 

 責任を感じているのか、シュンとして肩を落とし落ち込む早乙女。先程の電話に火水木が気付いた様子もなく、今が何時なのかすらわからないまま時間は過ぎていく。

 少女三人が二つの案で悩む中、俺は静かに立ち上がった。

 

「どうしたの米倉君?」

「いや、ちょっと用を足してくる」

「こんな時に呑気でぃすね。変に期待させないでほしいでぃす」

 

 一応バーベキューをした広場に公衆トイレがあるとはいえ、こうした排泄的な点を考えても野宿は望ましくないと考えながら、俺は宿舎の裏側へと回る。

 用を足すとは言ったが、大小便をするつもりはない。

 先程一周した時に気付いたことだが一階と違って二階は窓が開いており、その傍には葉の生い茂った大きな木が生えている……となれば、導き出される答えは一つだ。

 

「よし」

 

 不可能ではないと再確認した後で、太い幹に手を掛けて登り始める。

 仮にこんな考えを提案していたら、間違いなく阿久津や夢野には止められただろう。脚立的な物でもあれば話は別だったが、見つからない以上は仕方ない。

 

「ふう」

 

 何年振りになるかわからない木登りに若干苦戦しながらも、枝分かれしている上部に到達すると窓の方へ伸びている枝の上に足を乗せ慎重に歩を進める。

 徐々に足場は細くなっていき、小さく聞こえるミシっという音に息を呑んだ。

 

「米倉君っ?」

「!」

 

 不意の声に驚き、バランスを崩しかける。

 よそ見をする余裕はないが、どうやら戻ってこない俺を三人が探しに来たらしい。

 

「蕾君と星華君は万が一に備えて、下で受け止められるように待機してくれるかい?」

「う、うん!」

「了解でぃすっ!」

 

 二人へ指示を出した阿久津は木に登り始めたのか、後方に気配を感じる。キャッチできるように下でスタンバイする二人が視界に入ったが、集中を切らさずに前進を続けた。

 

「戻ってくるのが遅いと思ったら、キミは一体何をしているんだい?」

「見りゃわかるだろ? 気分転換の木登り中だ」

「ボクには枝渡りに見えるけれどね。いずれにせよ、その作戦は無茶があるよ」

 

 どうやら俺のやろうとしている事は、全部全てスリッとまるっとお見通しらしい。そうやって反対されると思ったから、一人でやろうとしたんだけどな。

 俺の体重を支えている枝がミシミシという音を立ててしなる。流石にこの辺りが限界のようだが、ここからジャンプして窓枠に手が引っ掛かるかというと微妙なところだ。

 それでも、やるしかない。

 

「合宿が二度とできなくなくなってもいいのかい?」

「!」

「キミがやろうとしていることは不法侵入だからね。仮に木を折れば器物破損も追加かな。宿舎の人が気付けば黙ってはいないだろうし、優しい伊東先生でも罰を下すさ」

「…………」

「それに例え上手くいったとしても、そんな成功をボク達は望んでいないよ。まだ外で夜を明かして、無断外出したことを素直に伊東先生に謝る方がマシだね」

 

 実に阿久津らしい、冷静かつ論理的な説得。

 問題を解決することに固執して、周りが見えていなかった俺は溜息を吐いた。

 

「わかったよ。俺が悪かった」

 

 その場でくるりと方向転換する。

 息を切らしつつ木の上まで登ってきていた少女は、俺と目が合うなり不敵に微笑む。

 正面から向き合って見るのは久し振りな、阿久津の笑顔だった。

 

「わかればいいさ。油断して足を滑らせないように頼むよ」

 

 心配そうに見られる中、細心の注意を払いながら安全圏である太い幹へと戻る。突然ポキッと枝が折れるなんてハプニングもなく、俺達は無事に木から下りた。

 

「もう……米倉君、無茶しないの!」

「根暗先輩の癖に、恰好つけすぎでぃす」

「悪かったな。あれくらいならいけると思ったんだよ」

「じー」

「…………反省してます。すいませんでした」

「うん、分かればよろしい! でも水無ちゃん、木に登るの早かったね」

「前に脱走したアルカスが木に登って下りられなくなったから、少し練習した時期があってね。まあキミがアルカスと違って、言葉の通じる人間で何よりだったかな」

「はいはい、全面的に俺が悪うございましたよっ!」

 

 猫と同レベル扱いされヤケクソ気味に謝ると、夢野がクスリと笑い出す。

 釣られて阿久津の頬が緩み、俺と早乙女も笑みを浮かべた。

 

「でも、どうするんだ?」

「キミがいない間に三人で話し合ったけれど、野宿は危険だから誰かが気付くのを待ちながら一晩語り明かそうということになったよ」

「明日……っていうか今日が辛くなるかもしれないけど、それが一番良いかなって。それに米倉君の中学時代だけじゃなくて、小学生の頃とか水無ちゃんの話も聞きたいな」

「じゃあ眠らないようにあれやりながら話すか? 四人で四角形になって、順番に移動しながら肩を叩いて起こしあうやつ」

「スクエアかい?」

「「絶対駄目」でぃす!」

 

 やや怖がりな二人が全力で首を横に振り拒否する中、俺達は宿舎の入口へと戻る。

 しかしながら、救援は思っていた以上に早くやってきた。

 

「話し声がすると思ったら、皆さん一体何をしているんですか?」

「「「「!」」」」

 

 タイミング良く、鍵の掛かっていた戸が開かれる。

 姿を現したのは寝巻なのか、竜の絵が描かれた白い甚兵衛を着ている伊東先生だった。

 

「助かりました先生! 実は俺達四人、締め出されちゃ……って…………?」

 

 説明の途中で言葉を止める。

 そして救いの手に喜ぶどころか、ごくりと息を呑んだ。

 

「詳しい話は先生の部屋で聞きます。全員、付いてきなさい」

 

 普段なら糸のように細い目が開眼し、ジロリと俺達を睨みつける。

 その日、俺は温厚な陶芸部顧問の新たな一面を目の当たりにして思うのだった。

 

 

 

 …………普段優しい人ほど、怒ると超怖ぇ。



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十日目(金) シュシュが和解の印だった件

「こういう問題を起こされると、来年は合宿なんてできなくなります。先生が皆さんを信頼しているように、皆さんも先生の信頼を裏切らないでくれると嬉しいです」

 

 合宿三日目。

 最終日の今日は予定が少し変更され、晴天にも拘らずラジオ体操をやらなかった。

 というのも伊東先生が深夜に俺達四人へ説教した後、今朝になり改めて部員全員を招集。昨晩あったことを説明し、注意を促す時間になったからである。

 

「イトセンも怒ることがあるなんて、ちょっと意外だったわね」

「昨日……ってか今日の夜の時は、あんなもんじゃなかったけどな」

「嘘? どんな感じだったの?」

「別に物を叩いたり怒鳴ったりとかされた訳じゃないんだけど、あの眼光と声色……それと沈黙がマジでヤバかった。何ていうか、心の底から申し訳なくなったわ」

 

 そして何より言葉の一つ一つには重みがあり、全てが正論だった。

 いつも優しい伊東先生の静かな怒りだからこそ、逆に俺達の心へと響く……いや、思い返してみれば怒られたというのは少し違うかもしれない。

 感情をそのままぶつけたのではなく、俺達に圧を掛けるような叱り方でもない。例えるならこれこそが『指導』とでも言うべきだろうか。

 

「ちゃんとアタシが気付けば良かったんだけど、本当ゴメンね?」

「別に火水木は悪くないっての。寧ろこっちこそ連帯責任で迷惑掛けて悪かったな」

 

 自分に非があると認識したからこそ、先生の悪口を言うようなこともない。寧ろもしも教師を目指すとしたら、こういう指導ができるようになりたいと思ったくらいだ。

 重苦しい空気を残すこともなく、それでは最終日も頑張りましょうと最後は普段通りの笑顔で締めた伊東先生と共に、俺達は朝食を取ってからバスで工房へと移動した。

 

「ねえねえ雪ちゃん。外側を削る時に、手がブレにくくなる方法とかってある?」

「……ユメ、カンナ持って構えてみて」

「うん。いつもはこんな感じで削ってるんだけど」

「……こう、カンナを持ってる方の手は上に持ち上げる感じにして、それを左手で抑えつけるように押し下げて削ると上下のバランスが安定してふらつかなくなる」

「へー。流石雪ちゃん! ありがとうね」

 

 一日が過ぎて粘土は程良く乾いており、削りなら成形と違って汚れる心配も少ないため、今日の夢野は着替えることなくエプロンを付けただけの姿となっていた。

 そんな少女にテニスのコーチでもするかの如く、背後から両腕を伸ばした冬雪が手首を持って操る。ベッタリとくっつく二人を眺めながら、羨ましそうにテツが呟いた。

 

「いいなー。オレもユッキー先輩から、あんな風に指導してもらいたいッス」

 

 コイツは知らないが俺は菊練りの際に同じようなことをされているため、陶芸の指導だったら冬雪は喜んでやってくれると思う……まあ、絶対に教えないけどな。

 

「オレ思うんスけど、ユッキー先輩って陶芸大好きじゃないですか」

「そうだな」

「もしもオレが陶芸になったら、好きになってもらえますかね?」

「本人に聞いてきたらどうだ?」

 

 すたすた。

 

「ユッキー先輩! オレ、陶芸になります!」

「……頑張って」

 

 とぼとぼ。

 

「駄目でした」

「知ってた。馬鹿だろお前」

「ネック先輩がいけるって言ったからじゃないッスか!」

「言ってねえよっ!」

 

 寧ろ今の会話の流れで、何がどうなったら成功するのか俺が知りたいくらいだ。そもそも粘土になるとか陶器になるとかならまだしも、陶芸になるってなんだよ。

 

「でもブラ見えたんで満足ッス」

「…………色は?」

「White!」

「オーイエー」

 

 相変わらずアホみたいなことしか考えない後輩に若干毒されていると、今日もツナギに着替えてきた阿久津と早乙女が帰還。それを見るなり、テツは二人の元へと向かった。

 アイツも昨日は結構な量を成形したんだし、のんびりしてると削りが終わらなくなるんじゃないかと思いつつ、俺は視線を下ろすと自分の作業に集中する。

 

「――――あれ? ツッキー先輩、シュシュなんて珍しいッスね」

「っ?」

 

 そんな会話が聞こえ、慌てて顔を上げた。

 ポニーテール姿の幼馴染を見る。

 流水のような長髪は、俺が誕生日にプレゼントした白いシュシュで留められていた。

 

「似合わないかい?」

「メッチャいいッス! 超可愛いじゃないッスか!」

「……ミナ、似合ってる」

「ありがとう。そう言ってもらえると何よりだよ」

「ミナちゃん先輩が可愛いのは当然でぃす。星華の言った通り、付けて正解でぃしたね」

 

 どうやら付けるか付けないか悩んでいた阿久津を早乙女が後押しした様子。もしもあれが俺からのプレゼントだって知ったら、全力で否定するんだろうなアイツ。

 そのままこちらへ来ることはないまま、阿久津は準備を始める。俺は心を躍らせながら作業を再開すると、調子も良くミスもないまま気付けば昼休憩を迎えていた。

 

「シュシュ、良かったね」

 

 阿久津と早乙女が美術館へお土産を買いに向かい、冬雪とテツは粘土を買う伊東先生の手伝い。火水木がお手洗いで席を外すと、不意に夢野からそんな話を振られる。

 

「ああ。好評だったし、夢野のお陰だな」

「私は何もしてないよ? 選んだのは米倉君でしょ?」

「そうだけど、昨日の夜に阿久津と二人で蛍見ながら何か話してただろ? ひょっとしたらそれが理由なんじゃないかと思ってさ」

「うーん、関係ないんじゃないかな。だって私が何か言ったところで、もしも水無ちゃんに付ける気がなかったら合宿に持ってきてない筈でしょ?」

「…………確かに……じゃあ昨日は何の話をしてたんだ?」

「それ聞いちゃうの? 勿論、秘密♪」

「だよな」

 

 他の面々は水無ちゃん呼びへ変わったことに違和感ない様子。俺にとっては幼稚園時代を彷彿とさせる呼称なだけに、ほんの少し懐かしい感じだった。

 昼休憩後も好調は続き、他の面々が作品を残している中でいち早く削りが終了。やることがなくなりどうしたものかと思っていると、冬雪が俺の元へやってくる。

 

「……ヨネ、お願いしたいことがある」

「ん? 何だ?」

「……多過ぎて終わりそうにないから、もし良かったら私のも削ってほしい」

「別にいいけど、俺がやって大丈夫なのか?」

「……ヨネなら問題ない。できたのはヨネのにしていいから」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 部長からまさかのお墨付きをもらい、板に乗った作品を何個か受け取る。改めて見ると成形の時点で無駄がない冬雪の作品は削る量も少なそうだが、こういう技術を俺も真似できるようになりたいもんだ。

 

「ツッキー、良いもの食べてるわね。アタシにも一個頂戴!」

「構わないよ。熱中症の対策にと思ってね」

「あ、オレもいいッスか?」

「星華も欲しいでぃす!」

 

 黙々と湯呑を削っていると、終わりが見えてきたところでそんな会話が耳に入ってくる。何かと思い顔を上げれば、阿久津が塩キャラメルを配っていた。

 

「キミもどうだい?」

「え? あ、ああ。サンキュー」

「一つ千円だよ」

「高っ! 定価超えてるじゃねえか」

 

 冗談交じりに渡されたキャラメルで塩分を補給して、ラストスパートを掛ける。

 これといったハプニングもないまま、予定時刻である四時前には全員が無事に作業終了。後片付けと帰り仕度を終えた俺達は、二日間お世話になった工房を後にした。



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十日目(金) 四ヶ月越しの仲直りだった件

 バスに乗り電車に乗り、すっかりいつも通りな伊東先生から「家に帰るまでが合宿ですからねえ」なんてありきたりな台詞を言い渡されつつ、徐々に仲間達とも別れていく。

 

「それじゃ、またね」

「夢野も気を付けてな」

「お陰で楽しい合宿だったよ。ありがとう」

「お疲れ様でぃす!」

 

 そして黒谷の地へ帰ってきた俺達は、夢野とも駅で解散した。

 自転車で走り去っていく少女を見送り、徒歩で来た俺は阿久津や早乙女と共に歩く……がフォーメーションは相変わらず2―1であり、会話に混ざることもない。

 

「ミナちゃん先輩、お疲れ様でぃした!」

「星華君も気を付けてね」

「了解でぃす! ………………根暗先輩も、お疲れ様DEATH」

「お、おう。お疲れさん」

 

 挨拶をされたことに驚くが、どことなく悪意が込もっている気がする。まあ例えそうだったとしても、以前より少しくらいは認められたのかもしれない。

 早乙女と別れて虫の鳴く夜道を二人で歩く中、先に口を開いたのは阿久津だった。

 

「…………すまなかったね」

「え?」

「肝試しの時のことさ。一方的に好き放題言って、挙句の果てに自分勝手な理由で怒鳴るなんて少しどうかしていたよ。本当に申し訳ない……ボクらしくなかったね」

「あ、いや……あれは自分の考えを説明できなくて開き直った俺も悪かったし……」

「それも元はと言えばボクの煽りが原因であって、キミは悪くないよ。でもまさか中学の話を星華君に打ち明けさせるとはね。正直驚いたというか、感心したかな」

「いつかは知られることだし、年末の時みたいに逃げる訳にはいかないからな。あれから色々と悩んで自分の考えが少し整理できたんだけど、良かったら聞いてくれるか?」

「構わないよ」

「その、今はまだ夢野に対する自分の気持ちが分からなくてさ。付き合って分かることだってあるのかもしれないけど、好かれてるから告白ってのは何か違うと思うんだ」

 

 俺の言葉を聞いて、阿久津がピクッと反応する。

 何か変なことを言ったかと不思議に思ったが、少女は話を続けるよう促した。

 

「それにまだ、夢野が俺のことを覚えててくれた理由も全部わかった訳じゃないしさ」

 

 2079円。

 その金額が何を意味しているかは、未だに謎のままだ。

 

「告白するにしても、それだけ大切にされてた昔の記憶を思い出してからかなって。とは言っても見つかる気配がないから、正直に謝ってヒントを貰えないか考えてる」

「そういうことなら納得だね。仮に付き合った後で実は思い出せなかったなんて言われたら、いくら器が広い蕾君でも流石に傷つくと思うよ」

「まあ、その前にもっと自分を磨くべきなんだろうけどさ」

「それも良いけれど、もっと蕾君のことを理解してあげるべきだとボクは思うかな」

「ん?」

「蕾君が櫻の過去を知らなかったように、キミも彼女の過去を知らないだろう? 楽しかったことも辛かったことも、共有して損はないんじゃないかい?」

「確かに」

 

 夢野は小学生時代や中学生時代をどんな風に過ごし、育っていったのか。卒業アルバムの写真や文集の作文なんてものがあるなら、是非見てみたいところだ。

 

「それとキミは気にしていないか、はたまた忘れているのかもしれないけれど、蕾君には大きな謎が一つ残っているからね」

「謎?」

「いや、これについては余計なお世話だったかな。ひょっとしたら単にボクが知らないだけで、もう既にキミは知っているのかもしれない。気にしないで構わないよ」

 

 そう言うなり、阿久津は大きく息を吐く。

 そして何を思ったのか、こちらに向けて手を差し出してきた。

 

「飴一個だね」

「え?」

「今回のキミの不始末を、飴一個で許そうかな」

「不始末って、俺が悪いのかよ?」

「勿論さ。ボクは煽って怒鳴ったこと以外、落ち度は無い筈だからね」

「そうか?」

「ついでに言うなら、キミは相変わらず女性に対する配慮が欠けているかな。自分磨きの一環として、せっかくだからボクが一つ教えておこうか」

 

 そう言うなり、阿久津は出していた手を引っ込めるとポケットへ入れる。

 取り出したのは俺のプレゼントである白いシュシュ。それで髪を結んだ少女は、ポニーテールになった長い髪を綺麗に靡かせながら首を傾げつつ尋ねてきた。

 

「似合わないかい?」

「い、いや、似合ってる!」

「全く、せっかく人が付けたのに無視されるとは思わなかったよ」

「ち、違うっての! 別に無視した訳じゃなくて……その……」

「まあボクは気にしていないけれどね」

 

 ケロっとした様子で答える阿久津だが、目の前で再び披露する辺りタチが悪い。ちゃんと言おうと思ってたけど、人前で褒めるのが照れ臭かっただけなんだよな。

 

「そうそう。来週からキミの家に通うことになるから、飴はその時で構わないよ」

「はい?」

「前に桃ちゃんに頼まれてね。梅君の家庭教師役として受験勉強を見てあげることになったから、夏休みの間は何度かお世話になるかな」

「あの、初耳なんですが……」

「キミも一緒に夏休みの課題を終わらせたらどうだい? ボクはそのつもりだよ」

 

 確かに去年の夏課題で地獄を見た俺にとっては、ありがたい話かもしれない。

 阿久津は星の浮かぶ夜空を見上げた後で、何を思ったのか小さく呟く。

 

「…………ボクも負けていられないね」

「ん? 何がだ?」

「何でもないさ。こっちの話だよ」

 

 星空を背景に笑みを浮かべる幼馴染を見て、俺は理由もなく自然と笑ってしまう。

 これでやっと元通りだな。

 四ヶ月に渡った冷戦は終わりを告げ、俺は再びスタートラインへと立つのだった。



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末日(木) 蛍合戦

「蛍の情報を提供してくれた天海君は誘わなくてもいいのかい?」

 

「見れるかわからないならいいって言ってたし、ミズキもう寝ちゃってるから」

 

「成程ね。それじゃあ行こうか」

 

「うん。蛍、いるかな?」

 

「時期と時間帯を考えれば、いる可能性は充分にあると思うよ」

 

 

 

 

 

「もう明日で終わりなんて、あっという間の合宿だったね」

 

「音穏も言っていたけれど、まだ削りが残っているよ」

 

「そうだけど、もっと続けばいいのになーって」

 

「今年は去年以上に楽しかったからね」

 

「そうなの?」

 

「これも夢野君や天海君が入部してくれたお陰だよ。ありがとう」

 

「そんなことないってば」

 

「実際ボクと音穏だけだったら合宿に行くことは無かっただろうし、仮に行ったとしても天海君みたいに色々な企画をすることはなかったよ」

 

「あ、それはそうかも」

 

「音穏も何だかんだ楽しんでいたし、たまにはああいうのも良いかな。来年の夏は一体どんな企画をしてくれるのか、期待して待っているよ」

 

「ミズキのことだから、今年とは違うことばっかりやりそうかも」

 

「少なくとも普通の合宿にはならないだろうね。音楽部の合宿はどんな感じなんだい?」

 

「ふふ」

 

「?」

 

「ううん。水無月さん、米倉君と同じこと聞いてるなーって思って」

 

「こんな合宿しか経験していないと、本来の合宿がどんな風なのか誰でも気になるさ」

 

「そうかな?」

 

「そういうものだよ」

 

「音楽部は…………あれ? もしかして向こうで光ってるのって……?」

 

「これは驚いたね」

 

 

 

 

 

「ねえ水無月さん、聞いてもいい?」

 

「櫻の話かい?」

 

「うん。わかっちゃった?」

 

「顔にそう書いてあるからね。こんな綺麗な光景まで見せてもらった訳だし、夢野君が知りたいのならボクも誤魔化さないで包み隠さず正直に答えるよ」

 

「それじゃあ単刀直入に聞くけど、水無月さんはどうして米倉君を避けてるの?」

 

「これはまた少し予想外な質問だったね。どうしてかと尋ねられると、強いて言うならこれ以上勘違いさせないためかな」

 

「勘違いって?」

 

「前にボクが優しくした時、櫻は好かれていると思ったらしくてね。そんな誤解をされても困るし、今は自分を本当に想ってくれている人がいると気付いてほしいのさ」

 

「それって、もしかして私のこと?」

 

「少なくともボクが知る限り、櫻に好意を寄せているのは夢野君くらいかな」

 

「米倉君のことが好きかもしれない人、私はもう一人知ってるよ?」

 

「初耳だね。ライバル出現かい?」

 

「うん。ずっと昔から……幼稚園の頃からのライバル。ね? 水無ちゃん」

 

「冗談はよしてほしいね。櫻はボクにとって、ただの幼馴染でしかないさ」

 

「ただの幼馴染なら、何で冷たくするの?」

 

「だからそれは夢野君のためであって、櫻が同じ過ちを繰り返さないようにだよ」

 

「…………そうやって私のせいにしないでほしいな」

 

「!」

 

「私はそんなことされても嬉しくないし、例え米倉君が水無ちゃんに夢中になってたとしても、自分の力で振り向かせたいと思ってる。そうしなきゃ米倉君の心の中には、いつまでも水無ちゃんが残り続けるでしょ? そんなのずるいよ」

 

「…………」

 

「それに前に米倉君、言ってたよ? 水無ちゃんは『男女間の友情は存在する会の会長』だって。水無ちゃんが冷たくする本当の理由は、自分の気持ちが変わるのが怖いから……友達のままでいられる自信がなくなってきたからじゃない?」

 

「………………」

 

「嫌いでもないのに冷たくするなんて、私は間違ってると思う。そんな風に自分を押し殺したところで、私も、米倉君も、それに水無ちゃんも、誰も喜ばないよ?」

 

「…………正直、ボクも今の自分の気持ちがよくわからないんだ。ただ櫻への態度に関しては、音穏からも似たようなことを言われたかな」

 

「雪ちゃんに?」

 

「それでもボクが櫻にどんな気持ちを抱いていようと、二人が付き合えば問題ないと思っていた。だからこそ、進展しない二人がもどかしく感じたよ」

 

「それって、もしかして嫉妬?」

 

「そうかもしれないし、違うかもしれない。ただボクは夢野君の言う通り、今まではキミのせいにすることで考えることを放棄して、櫻から逃げていただけだったね」

 

「じゃあ、これからは?」

 

「付き合うことで分かることもあるのかもしれないけれど、それは少し違う気がするかな。とりあえず以前のように幼稚園から小中高と時間を共にした理解者かつ、腐れ縁の友人としてちゃんと向き合いつつ考えてみようと思うよ。でも、いいのかい?」

 

「?」

 

「もしも櫻に対する気持ちが好意だったとしたら、ボクもアプローチを掛けるかもしれない。それに次に告白されるようなことがあれば、断らないことになるよ?」

 

「うん! 私だって負けないから!」

 

「お互いに恨みっこなしだね…………と、噂をしたら影かな」

 

「え……?」

 

 

 

「米倉君っ? それに早乙女さんも……?」

「これはまた、随分と珍しい組み合わせだね。二人も蛍を見に来たのかい?」




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の9章を楽しんでいただければ幸いです!


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9章:俺の夏が青春だった件②
初日(木) 俺の夏休みが四日間だった件


『ペットは家族なのか』

 

 この問いに対する答えは大きく割れるだろう。

 今やペットシッターは勿論のこと、ペット用の保育園に始まり老犬ホームなんてものまである始末。ついには葬式や墓にまでペット産業は手を伸ばしてきた。

 洋服を着せて高級な食事やケア用品を買い「うちの子」なんて口にする。そんな親バカならぬペットバカの飼い主は、迷うことなく家族と答えるに違いない。

 そうなると、家族とは一体何なんだろうか。

 俺はこう思う。

 恐らく家族とは、愛を与えてくれる存在なのだと。

 

 

 

・問1、次の文を訳しなさい。

『Long,long ago a little girl lived with her mother near the woods.』

 

「長い長いアゴの小さな女の子は、ここの木で彼女のお母さんとライブしました!」

 

 愛ではなく哀を与えてくれたアホ妹のトンデモ和訳を聞いて、溜息を吐いて頭を抱える。何と言うか流石にこれは酷い。中三の頃の俺でもここまでズダボロじゃなかったぞ?

 大きな目をパチクリさせ、不思議そうに首を傾げるキャミソール姿の米倉梅(よねくらうめ)を見れば、誰もがこう思うに違いない。ああ、頭に回すべき栄養が胸に回ったんだなと。

 

「悪いことは言わん。屋代は諦めろ」

「え~? 違うの~?」

 

 夏休みも折り返しに差し掛かる中、妹は相変わらず危機感がないらしい。

 一応弁護しておくと、これでも成長した方だったりする。最初の頃に『doで聞かれたらdoで答える』という基礎を説明された時なんて酷かったもんだ。

 

『Do you like coffee?』

『ドゥ~』

『Do you play basketball?』

『ドゥッ!』

 

 ウソみたいだろ。中学三年生なんだぜ。これで……。

 そんなルー語ならぬdo語を生み出していた梅に勉強を教えているのは俺じゃない。というか仮に俺が教えていた場合、この部屋のクーラーがつくことすらなかっただろう。

 

「正しい訳は『昔々森の近くに、少女がお母さんと一緒に住んでいました』かな。agoは前、livedは住むの過去形、nearは近いだね。ここはhereだよ」

「はえ~」

 

 反クーラー派である梅が冷房をつけて丁重に招き入れた幼馴染もとい家庭教師役の阿久津水無月(あくつみなづき)は、酷い解答を聞くなり適切にミスを指摘した。

 ラフな格好の阿久津は、運動する訳でもないのに長い黒髪を白いシュシュで留めている。いくらこの部屋が涼しくても、トイレに行くだけで汗を掻くような気温だもんな。

 

「理社は身に着いてきたことだし、これからは英語を中心に強化していこうか。まずはここにある単語と動詞の活用形を、お盆休み明けまでに覚えてくること」

「ヴェエエエッ? こんなにっ?」

「それに加えて他の教科も宿題を出すからね。国語は漢字プリントの⑩~⑬で、数学は学校課題の残り全て。理社はボクの用意したこのワークの、ここから……ここまでかな」

「無理無理! 絶対無理だって! 理科と社会だけで両方十ページずつだし、他もあるとか死んじゃう! そんなのミナちゃんじゃないと絶対に終わらないよっ!」

「勉強のやり過ぎで過労死した例はないから大丈夫さ」

 

 どこからともなくプリントの束を取り出した阿久津先生は、平然とした様子でサラリと答える。これだけ聞けばブラック企業の発言に聞こえなくもないな。

 ムンクの叫びみたいなポーズを取りながら嘆く梅だが、教材の一部は二年前に阿久津が使った物であり、そこから出している宿題となれば当然の如く分量もちゃんと考えている。

 

「一日は二十四時間あるけれど、これを三等分しよう。八時間は睡眠で、八時間は食事やお風呂や自由時間。残った八時間は勉強に当てられるね」

「梅、八時間も勉強したら禁断症状が出て、お兄ちゃんにダンクしちゃうよ?」

「おいやめろ」

「それなら半分の四時間で構わないよ。お盆休みは四日間あるから、合計で十六時間。これを五教科に等分すると、一教科につき三時間ちょっと勉強ができることになるね」

「四時間ならできそうだけど、こんなに終わらないもん!」

「例えば社会を見てみようか。ボクの出したワークだけれど、梅君は丸付けと確認まで含めて、この一ページを終わらせるのにどれくらい時間が掛かりそうだい?」

「う~ん……二十分くらい?」

「実際は十五分掛からないと思うけれど、じゃあ仮に二十分としておこうか。そうすると三時間ちょっとあれば十ページできる計算になると思わないかい?」

「む~」

「理科も同じ形式だし、国語の漢字プリントだって一枚に一時間も掛からないだろう? 数学は困ったら櫻に聞けばいいし、英語は前にやった代名詞の変化と同じで声に出せばすぐに覚えるさ。梅君は物覚えが早いからね」

「えっへん!」

「まずは騙されたと思って、実際にやってみるべきかな。この調子で頑張り続けて夏明けに偏差値40から60くらいにまで上がれば、屋代も見えてくるからね」

「うん! 頑張る!」

 

 これぞ阿久津式説得術。理詰めの言い包めによって納得する梅を見ているとあまりにもチョロ過ぎて、兄としては不審者に騙されないか不安になってくるな。

 それでも何だかんだ文句を言う割に阿久津の指示は忠実に守り、記憶なり解き方なりをしっかり身に付けているため、梅の学力は確実に上がってはいるようだ。

 

「時間になったし、今日の授業はここまでにしようか」

「ありがとうございました! やっと終わった~っ! むぉ~っ!」

 

 礼儀だけは欠かせない妹は、お礼を言った後で大きく身体を伸ばした。

 八月に入ってから毎週の水曜・日曜以外は午前の九時半に始まり、一時間半の授業を午前は二コマ。昼休憩を一時間挟んだ後で午後に三コマ行い、全部が終わるのは午後六時という塾の夏期講習みたいな生活を俺達は繰り返している。

 三十分程度で終わるという宿題も合わせれば梅は計八時間の勉強をしていることになるが、本人は気付いていないのか幸いにも禁断症状のダンクを受けたことは一度もない。

 ただ問題なのは、その勉強生活の七時間半に俺も付き合わされていることか。

 

「梅梅~」

 

 ドタドタと階段を下りて阿久津を見送りに行った妹の声が聞こえる中、疲れ果てた俺はテーブルに突っ伏してバタンキュー。一緒に勉強と聞いて最初は喜びもしたが、前に窯番をした時の勉強会を考えればこうなる未来は目に見えている筈だった。

 

「さ~て、宿題宿題っと。あ~、お兄ちゃんまた死んでる~」

「…………」

「大丈夫~? 元気の出るアオカン補給する~?」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ?」

 

 元気だけは底無しな妹から青い缶のエナジードリンクを受け取った俺は、ようやく訪れたお盆休みに安堵する。たった四日しかない夏休み……いくらなんでも短過ぎだろ。



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一日目(火) 物の価値を決めるのは気持ちだった件

「さあ始まりました、三分間待ってやるクッキング」

「どう見ても放送の途中で調味料が目に入りそうな番組名です。本当にありがとうございました」

「紹介してくださるのは、名前を読める人が少ないことで有名なこの方。うっかりシャーペンを逆さに持って指をグサってやってそうな男、三年連続ナンバーワンに輝いた火水木明釷(ひみずきあきと)さんです。宜しくお願いします」

「あるあ……ねーよ。そもそも今日はクッキングじゃなくてメイキングな件」

 

 予想最高気温が37℃という平熱すら上回る驚異的な暑さの中、俺は勉強会からの避難も兼ねて豪邸(仮)の火水木家へと遊びに、もとい作業しに来ていた。

 というのも数週間後に控える9月8日は夢野の誕生日。以前に貰ったアイロンビーズの手作りクラリ君に対し、お返しをどうすべきか相談したのが事の始まりである。

 

『貰ったのが手作りなら、こちらも手作りでお返しだろJK』

『じゃあアイロンビーズでトランちゃんのストラップか?』

『お揃いというのも悪くないですが、そこは別方向で攻めた方が良いかと。例えばこんな感じのキーホルダーを作ってみるのは如何でござるか?』

 

 そんなやり取りをメールでして、指示に従い用意したのは透明なプラ板とキーホルダー用の金具とUVレジンなる謎の液体。ちなみにどれも100均で揃う品物だ。

 

「えー、本日は可愛いキーホルダーの作り方を教えていただけるということですが」

「完成した物がこちらになるお」

「おお! 可愛い! こんな感じにできるんですね」

「それではまた来週」

「作り方はっ?」

「技術ってやつぁ、自分で編み出すものぜよ!」

「番組の趣旨、全否定じゃねーか」

 

 くだらない冗談を織り交ぜながらも、手本であるヨンヨンのキーホルダーを眺める。コイツは器用だから完成度も高いが、不器用な俺にこんなのが作れるか不安でしかない。

 

「手作りにこだわるなら、自分で描いたイラストをキーホルダーにすることも可能だお」

「中学時代の美術の成績は10段階で4だ。作った時計は鍋敷きに使われてる」

「おk把握。それならまずはキーホルダーにするイラストを選ぶでござる」

「こういうのって、著作権とか大丈夫なのか?」

「販売用じゃなくて個人で使うだけなら、許してもらえるかと思ってる」

 

 絵の上手い知り合いがいるなら頼めば済む話だが、当てになるような友人は皆無。一応クラスに美術部所属の沈黙系少女がいるが、お願いできるような仲ではない。

 そんなことを考えつつ俺が画像を選ぶ中、どこからともなくヘアスプレー持ってくるアキト。そして床に新聞紙を敷くとプラ板を置き、スプレーを噴射し始めた。

 

「決めたけど……何してんだ?」

「そのままプラ板に印刷するとインクを弾くから、それを防ぐための処置でござる」

「ヘアスプレーなんて用意する物になかったのに、何か悪いな」

「じゃあワンプッシュ5000円で」

「オーケーわかった。ライター借りるぞ?」

「火炎放射ですねわかります。まあライターじゃなくて鉛筆削りなんですがそれは。どうせ使ったのは数回の代物ですしおすし、これくらいはサービスだお」

「サンキュー。やる時の注意とかってあるか?」

「スプレーは15~20センチくらい離して、満遍なく噴き掛ける感じですな」

「北海道で例えると?」

「稚内から函館まで満遍なく……何故に北海道?」

「メロン食いたくなった」

「唐突っ!」

 

 アキトはアキトで新たなキーホルダーを作るつもりらしく、画像の検索を開始。選手交代した俺はヘアスプレーを受け取ると、プラ板に向けて適当に噴射する。

 スプレーが充分に乾いた後で、互いに選んだ画像を印刷。実はプリンターがプラ板に対応していないなどと不吉なことを言われたが、壊れることもなく印刷は終了した。

 

「何か滅茶苦茶でかいし、色も薄いけど大丈夫かこれ?」

「この後に小さくなって、色も濃くなるので問題ないお。これを大体の形に切る訳ですが、ハサミの先端だとプラ板が割れるので真ん中か根元を使うとよろし」

「本州で例えると?」

「埼玉でおk。そして何故に本州で例えさせたし」

「次は世界地図な」

 

 輪郭に沿って細かく切る必要はないらしく、これなら不器用な俺でも問題ない。トランちゃんの周囲に少し余裕を作りつつ、外側を象るようにして切っていく。

 

「アキトは夏休み中、何してたんだ?」

「店の手伝いが9割ですな」

「毎日良く飽きないな」

「そりゃ仕事だけに、商いですしおすし」

「誰が上手いことを言えと」

「切り終えたら、キーホルダー用の穴を開けるお。ほい米倉氏」

「ん? 何だこれ?」

「トランスフォーム!」

「うおっ? 穴あけパンチなのかよっ?」

 

 ペンケースに入りそうなコンパクトサイズの直方体を差し出されるなり、ボタン一つで驚きの変形。相変わらずの面白文具を見せられつつも、作業は終盤へ向かう。

 場所を移動して火水木家の一階に移動するなり、アキトは一度くしゃくしゃにして凹凸のできたアルミホイルをオーブンに敷く。こうすることで接する面積が減り、熱したプラ板が剥がれなくなるのを防げるらしい。

 そしてオーブンに160度設定でスイッチを入れ、少しして内部が温まったのを確認するなり眼鏡を光らせた。

 

「ここが一番重要なところですな。まずは拙者が手本を見せるお」

「おう」

「勝負は一瞬……プラ板を箸で摘み、素早くオーブンの中へ――――ちょまっ?」

「落としたぞ。これが手本か」

「ほっ! はっ! 投入っ! 封印っ!」

「うおっ? すげえっ!」

 

 密閉するなり中に入れたプラ板はぐんにゃりと歪み、みるみるうちに小さくなる。

 ほんの数秒でオーブンの蓋を開けたアキトは慌ててプラ板を箸で摘むなり、すかさず開いていた雑誌の上に置いたもう一枚のクッキングペーパーへと移動させた。

 そしてプラ板をペーパーで挟み込むように素早く雑誌を閉じ、上に重い辞書を乗せる。

 

「ふう……ざっとこんな感じですな。あんまり入れ過ぎるとインクが焦げるお。オーブンから取り出すタイミングの目安は平らになったと思ったらいい感じでござる。それと慌て過ぎても本を閉じた際にプラ板が吹っ飛ぶので注意ですな」

「オッケーだ。小さな頃に豆を摘み大会で優勝した腕前を見せてやるぜ」

「子供会の定番キタコレ」

 

 アキトに倣ってオーブンの中へトランちゃんを投入。変形する様子を眺めながら、頃合いを見計らってオーブンから取り出しキッチンペーパーで挟むと重石を乗せた。

 一瞬見た限り焦げた形跡は無く、少しした後で雑誌を開く。クッキングペーパーの中から姿を現したのは、商品としてあってもおかしくないトランちゃんだった。

 

「おおっ!」

「悪くない出来ですな。最後にこのUVレジンを塗って完成だお」

「ずっと気になってたんだが、そのUVレジンってのは一体何なんだ?」

「いわゆる紫外線硬化樹脂でござる。このままだと濡れたらインクが滲むから、表面をコーティングする必要がある訳ですな。樹脂が固まるとぷっくりして綺麗にもなるお」

「紫外線か。あー、UVカットとか言うもんな」

「レジンを塗る時は開けた穴に入らないように、つまようじを差し込んでおくとベストだお。後は米倉氏が希望するなら、装飾もしてみるのもありですな」

 

 部屋に戻るなり、星や雪の結晶といった薄いスパンコールを取り出すアキト。前もって用意していたのか、はたまた常備していたかは不明だがありがたい限りだ。

 穴あけパンチで開けた穴も小さくなっており、つまようじがピッタリ入る大きさになっていたため、俺は言われた通り星型のビーズと適当に散りばめつつレジンを塗った。

 

「こんなもんか?」

「後は天日干しにして、完成を待つだけだお」

「…………」

「どうかしたので?」

「いや、思った以上にあっさりできたし、材料費だって大して掛かってないからこれで良いのか不安になってきてさ」

「物の価値を決めるのは気持ちだ、By店長。普段は手作りなんて一切することのない米倉氏が、少なからず時間を割いて一生懸命作ったなら良いと思われ」

「そっか。手伝ってくれてサンキューな」

「どいたま。その様子だとリリスとは順調なので?」

「順調って言うか、話すと長くなるけど色々あってな。まあ聞いてくれよ」



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一日目(火) ラッキースケベが各駅だった件

「――――って訳で、毎日が勉強地獄過ぎで死にそうなんだが」

「しかしそのお陰で今年は宿題が無事に終わったのでは?」

「そりゃもう、バッチリな」

 

 昨年の夏休みは最終日に徹夜コース。特に英語は問題集の答えを丸写しするという作業を、アキトにメールで実況もとい愚痴りながらやっていたのは記憶に新しい。

 それに比べて今年は提出が初回授業日のものまで完璧に終了。残り二週間はのんびりできるかと思いきや、阿久津大先生曰く「宿題が終わってもやるべきことは沢山あるじゃないか」との厳しい一言である。

 

「やるとしたら復習と予習どっちがいいんだ?」

「拙者的には自分でやるなら復習を奨めるお。予習は新たな知識を0から身に付ける訳でして、先輩なり講師的な先導者がいないと効率が悪いでござる」

「じゃあ一年の復習をするとして、仮に英語だったら?」

「優先すべきは単語ですな」

「あー、単語なら阿久津の奴に毎回みっちりテスト勝負させられてるから大丈夫だ」

「さすが阿久津氏! そこにシビれる! あこがれるぅ!」

「問題用紙を互いに作って出し合うんだけど、範囲が毎日40単語もある上に、週末に五日間で覚えた200単語を総復習するんだぜ? お盆休みを抜いた八月の三週間だけで600単語も覚えるとか、無茶言うよな」

「米倉氏が覚えたポ○モンを600匹ほど、いち、にの……ポカンすればいけるお」

「櫻は新しくwisdomを覚えたい……! しかし櫻は英単語を四つ覚えるので精一杯だ! wisdomの代わりに他の単語を忘れさせますか?」

「はい→鳴き声」

「鳴き声を忘れるって、よくよく考えるとヤバくね?」

「穴を掘るとか、糸を吐くとか、吠えるとか、お前が忘れちゃ駄目だろ案件も多いですな」

 

 こういうくだらない雑談も、アイツと勉強してると話せる空気じゃないから困る。ちなみに英単語テストの戦績は九戦三勝六敗と、俺にしては大健闘中だ。

 阿久津曰く大切なのは繰り返しとのこと。例えば100単語を十日間で覚える場合も一日10単語ずつ覚えるのではなく、20単語ずつ覚えるのを二周した方が良いらしい。

 

「単語がおkなら文法ですが、米倉氏は既に志望大学を決めているので?」

「一応、第一志望は月見野(つきみの)だけど」

「まさかの国立とは、これまた随分と高い目標ですな。本格的に目指すとしたら、店長が苦しんでた古典の勉強を奨めるお。勉強の仕方は英語と同じで単語からでござる」

「三兄妹で金銭的にもアレだし、屋代目指してる妹が危なそうだからな。つっても俺が国立なんて妹の公立以上に夢みたいな話だし、無難に教育学部のある私立になると思う」

「それにしてもこの米倉氏、意外に家族想いである。確か米倉氏には姉君もいたかと思われますが、もし姉君の参考書が残ってるならそれを使っての勉強もありだお」

「かもな。後で聞いてみるか」

「それにしても、幼馴染と一緒に勉強とかテラ羨ましす」

「俺の知ってる青春と違うんだが?」

 

 コイツの想像しているようなキャッキャウフフの勉強会ではないことは、今日こうしてアキトの家に避難していることが何よりの証明だったりする。

 隣同士で密着して教え合うなんてことはなく常にテーブル越しだし、夏の私服にも拘わらず露出も少ない。スカート一つ履くだけでもテンション100倍なんだけどな。

 

「ぶっちゃけ、拷問に近い気がするぞ」

「それでも普通の男子高校生の夏休みなんて、SNSなりネットサーフィンに時間を費やす以外は飯食ってクソして寝るだけですしおすし。米倉氏は充実してるお」

「そっちも充実してたんじゃないのか?」

 

 部屋の傍らには数日前に行われた聖戦の戦利品か、萌え萌えしい銀髪少女が描かれた紙袋が置かれている。紳士の礼儀として中身は見ないが、中身はずっしり入ってそうだ。

 

「それは店長の引き取り待ちでござる」

「アキトは何を買ったんだ?」

「ヨンヨンのキーホルダーとクリアファイル、そして薄い本を少々」

「少々?」

「衝動買いしたら負けだと思ってる。そもそも店長の依頼をこなすのに精一杯だった件」

「お前らしいな。妹の方はどうなんだ?」

天海(あまみ)氏は散財タイプだお。お年玉から小遣いまで全てを使い切ったかと」

「そういやさっき帰って来てたっぽいけど、今日はどこ行ってたんだ?」

「文化祭の準備ですな」

「あー」

 

 文化祭……それは高校生にとっての一大イベント。

 今年は夏休みが明けてすぐの土日が文化祭だが、メイド喫茶がボツ案になった俺達のクラスはオカマ喫茶という誰得な企画だったりする。

 去年のドーナツ屋も店番をさせられた退屈な思い出しかなく、女装なんて断固拒否な俺は陶芸部の方が忙しいという理由で無事に当番を回避。その代わり阿久津の夏期講習の合間を縫って、外装の手伝いには少し顔を出していた。

 

「合宿が終わってから音沙汰ないけど、アイツのクラスって何するんだ?」

「リリスから聞いていないので?」

「それが夢野も最近見てなくてさ」

 

 文化祭の手伝いがてら陶芸部へも足を運んだものの、来ていたのは陶芸大好きな部長と脳内ピンクな後輩だけ。たまにもう一人の後輩も来るらしいが、F―2所属の二人の姿は見ていないとのことだ。

 もっとも今週末には素焼きを終えた作品の本焼きをするため、釉薬掛けをする際に会うかもしれない。そして俺には去年もやった泊まりがけの窯番が待っていたりもする。

 

「ちょいまち。F―2は……牛丼の食販ですな」

「うわっ? お前これ全クラスまとめてあんのかよっ?」

「我がクラスの稼ぎを少しでも多くするために、他クラスの動向はチェック済みだお。文化祭商戦も、少しはマーケティングの勉強になる希ガス」

 

 パソコンのディスプレイに映し出されたエクセルを見て思わず口をあんぐり。何か意味のわからんグラフとかあるし、俺の知ってる文化祭じゃない件。

 しかし食販となると大して忙しくもないだろうに、一体どうしたというのか。夢野は音楽部の方が忙しいとしても、火水木が陶芸部に顔を出さないのは珍しい気がする。

 

「なあアキト、そのデータって販売価格もわかるのか?」

「現時点で判明してるものは入力済みだお。気になる店でもあったので?」

「いや、何でもない。それよりちょっとトイレ借りるわ」

「二階のトイレが調子悪いので、一階のトイレの使用を奨めるお」

「調子悪いってのは?」

「最悪、これを使うことになるかと」

 

 トイレのスッポンもといラバーカップ型のマグネットを見せられて事情を把握。っていうかそんな磁石、一体どこで使うつもりなんだよ?

 部屋を出ると階段を下りて一階へ向かい、用を足しながらふと考える。税抜き価格だった300円のチョコバナナじゃあるまいし、文化祭で2079円なんて高額ありえないか。

 

「あー、そういえば二階のトイレ駄目なんだっけ。まだ直ってないの?」

 

 トイレから出るなり、聞き慣れた声に振り向いた。

 そして硬直する。

 そこにいたのは、バスタオル巻いただけの少女だった。

 肩を出し。

 太股を根元まで晒し。

 大きな谷間がバスタオルを膨らませている。

 普段二つに結んでいる髪を解き、眼鏡も掛けていないため別人に見える火水木だった。

 

「――――」

 

 いや。

 いやいや。

 いやいやいや。

 火水木さん、いくらなんでも堂々とし過ぎじゃないですか?

 以前に偶然パンツを見てしまった時は許され、今回も同じような偶発的事故ではあるが、目の前のむちましい少女は恥ずかしさの欠片も無く平然とした様子で立っていた。

 

「どうしたのよ兄貴? ってか、そんな服持ってたっけ? 新しく買ったの?」

「!」

 

 どうやら俺をアキトと勘違いしているらしく、平然と話しかけてくる火水木。道理で落ち着いている筈だと状況を理解するが、鼓動の高鳴りは止まらない。

 そりゃそうだ。

 姉や妹ならともかく、同級生の裸に近い姿なんて初めて見る。

 というよりもこんなラッキースケベ、俺の人生で最初に最後なんじゃないだろうか。

 頭は混乱しながらも、視線は少女の肢体に釘付けになり声が出てこない。

 

「んー?」

 

 流石に様子がおかしいと思ったのか、火水木は目を細めつつ覗きこんできた。

 距離が近づく。

 水滴の付いた艶めかしい肌が迫る中、思わず息を呑んだ。

 

「…………」

 

 そして少女は固まる。

 俺をまじまじと眺めた火水木は、細くした目をぱちくりさせた。

 見間違いかと目を擦った後で、再度よ~~~く確認する。

 

「○※△☆×◆~?」

 

 まあ、そうなるよな。

 耳がキーンとなるレベルで悲鳴を上げた少女は、珍しく顔を真っ赤にさせながら声になってない悲鳴を上げつつ慌てて脱衣所へと戻っていった。

 

「な、なな、何でネックがいるのよっ?」

「あっ、いや、火水木? 違うんだよっ!」

「ちょっ! ちょっと待って! 今頭の中整理してるからっ!」

「だから、その――――」

「アーアー、キコエナーイ」

 

 何とか弁明しようとするが、お互いにパニックな状況に陥る。普通の家なら見慣れない靴がある時点で気付いたかもしれないが、俺は二階に直通している裏口から来たため気付かれなかったのも仕方がない。

 天岩戸の如く引き籠った火水木を放置し、俺は慌てて部屋へと戻った。

 

「緊急事態だアキトっ!」

「何があったので?」

「おっぱいから風呂が出たっ!」

「ブッフォッ!」

「だからその、トイレから出たらバスタオル姿の火水木がいて、俺をアキトと勘違いされて近寄られて、もう何か色々とヤバかったんだよっ!」

「ラッキースケベ乙。米倉氏、マジぱねぇっすわ」

「そんなこと言ってる場合かよっ?」

「そう言われましても、別に米倉氏は悪くない訳ですしおすし。強いてやるべきことがあるとしたら、ちゃんと天海氏に言うべきことを言うくらいですな」

「ごめんなさいか」

「ありがとうございましただろJK」

「言えるかっ!」

「いやいや、天海氏はそっちの方が喜ぶかと」

「冗談言ってないで、ちゃんと誤解を解くの手伝っ――――っ!」

 

 ゆっくりと階段を上がってくる音がする。

 やがてその足音が部屋の前で止まると、ノックの後で部屋のドアが開かれた。

 

「…………」

 

 姿を現したのは、いつも通りの姿になった火水木。髪を二つに結び、眼鏡を掛け、シャツ&ショートパンツ姿になった少女の手には、旅行土産と思わしき木刀が握られている。

 

「ねえネック」

「はい」

「何か言うことは?」

 

 …………どうしてそんな物騒な物を持っているんでしょうか?

 言いたいことはそれに尽きるが、一言を発した瞬間に俺の脳天を割られる気がする。

 許されるのは一言だけ。

 チラリとアキトを見ると、ガラオタは真っ直ぐに俺を見て首を縦に振った。

 

「あ…………」

「あ?」

「ありがとうございましたっ!」

 

 我が生涯に一片の悔い無し。

 どうぞ切ってくださいとばかりに、土下座をしつつお礼の言葉を告げる。

 訪れる沈黙。

 一撃に耐えるべく頭に力を込めていると、少しして深い溜息が聞こえてきた。

 

「はあ……全く、何言ってんのよ……」

「?」

 

 顔を上げるが、火水木は怒っていないらしい。

 赤かった顔を耳まで真っ赤にしており、視線を背けている少女を見て安堵する。

 

「天海氏のダイナマイトバディで、米倉氏の股間がでっかくなっちゃった! ですな」

「兄貴、ちょっとこっち来て?」

「はい? 何故に拙者が……ちょっ? 天海氏っ? 腕を掴む力が半端無いんですがっ? 血圧測定するアレ並にヤバいんですが、もしかして怒ってらっしゃ…………アッー!」

 

 閉じられたドアの向こうで、アキトの犠牲になった音がした。さらば我が友よ、お前のことは忘れない…………新しい英単語を覚えて、いち、にの……ポカンするまでは。



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四日目(金) ハーレムは幻想だった件

「……掛け方は大体こんな感じ。釉薬はすぐに沈殿するから、掛ける前によく混ぜて。それと掛け終わった後は、底の釉薬を必ずスポンジで拭き取ること」

「拭かないとどうなるんスか?」

「……窯にくっついたままになる」

 

 一年近く前に俺がしたようなやり取りを聞いて、思わず笑みを浮かべた。

 ここ数日の地獄のような暑さに比べれば少しマシな午後一時過ぎ。窯場に集まった部員達に向けて我らが陶芸部部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)が釉薬の掛け方を説明する。

 俺と阿久津以外の四人にとって釉掛けは初めての経験であり、教える相手が沢山いることが嬉しいのか普段は無表情な冬雪も今日はいつになく楽しそうだ。

 

「……注意点は……これくらい?」

「強いて言うなら、うっかり携帯を釉薬に落とさないようにすることかな」

「またまたー、そんなアホみたいなことする訳ないじゃないッスかー」

 

 俺の心にグサリと刺さる答えを返したのは、茶髪の坊主という異様な外見の後輩、鉄透(くろがねとおる)。アホみたいなことばかり言うコイツにアホと言われるのは屈辱でしかない。

 

「そんなことやるのは根暗先輩くらいでぃすね」

「何で知ってるんだよっ?」

「…………? まさか、本当に落としたんでぃすか?」

「え? あれ? 知らなかったのか?」

「人がせっかく伏せていたのに、自ら墓穴を掘ってどうするんだい?」

 

 てっきり阿久津から聞いたのかと思いきや、まさかのカマかけ……いや、窯場での釉薬掛けだけに略して窯掛けとでも言うべきだろうか。

 やれやれと呆れて溜息を吐く幼馴染の隣で、デコ出しツインテールのまな板少女、早乙女星華(さおとめせいか)が真似をする。コイツがやるとムカつくのは何故だろう。

 

「ユメノン、眠そうだけど大丈夫?」

「え? あ、うん。大丈夫大丈夫」

 

 透き通るような澄んだ声で大丈夫と答えながらも、前髪を桜の花びらを象ったヘアピンで留めているショートポニーテールの少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)は目を擦る。

 手を口に当てつつ欠伸する姿を見て、思わずつられて欠伸をしそうになっていると、常時眠そうな半目の部長が思い出したように手をポンと叩いた。

 

「……今回は酸化じゃなくて還元だから、色見本はこっち」

「了解だ」

「酸化とか還元って、何の話ッスか?」

「……陶器の焼き方は二種類ある。酸化焼成と還元焼成で、釉薬の色も変わる」

 

 酸素が充分な状態で焼けば当然ながら完全燃焼するため酸化焼成。それに対して意図的に不完全燃焼状態を起こして焼くことを還元焼成と言う。

 例えば酸化焼成をした際に水色になったトルコ青の釉薬は、還元焼成だとやや濃い青色へ。綺麗な深緑色だった織部に至っては、全く異なる赤茶色になったりする。

 

「合宿の美術館でも説明されてただろ? 聞いてなかったのか?」

「言ってましたっけ? あれだったら覚えてるッスよ! ほら、窯の温度を調べるやつで、ふにゃって折れ曲がる三本の…………とんがりコーンみたいなやつ!」

「忘れてんじゃねーか」

「それを言うならゼーゲルコーンでぃす」

 

 形的には間違っていないが、カラーコーンしかり○○コーンってのは大体が錐体だからな。ちなみに早乙女が訂正したゼーゲルコーンというのは、一種の温度測定器具だ。

 例えば1200度で焼成したい場合は、1180度で折れ曲がる物、1200度で折れ曲がる物、1230度で折れ曲がる物を用意。温度を上げていき一本目が曲がり、二本目が曲がった状態で温度を維持すれば1200度で焼成できる。

 

「全く、何のための合宿でぃすか」

「そりゃ勿論、肝試しとかバーベキューとか花火とか! 来年は海なんてどうッスかっ?」

「……行かない」

「そんなこと言わずに行きましょうよっ! 今年は海もプール行かなかったから、先輩達の水着姿とか拝めなかったじゃないッスか! ね? ミズキ先輩」

「水着はアタシもパス」

「何でッスかっ?」

「確かに水着回は定番中の定番イベントだけど、女子だけで行くならともかく男付きは流石にちょっとね。その手の類だと、せいぜい浴衣でお祭りが限界ってとこじゃない?」

「じゃあ祭り行きましょうよ!」

「今年は日程が合わなかったし、合宿で充分青春したからいいじゃない」

「足りないッス! オレの肝試しなんて、こんなのと追いかけっこッスよ?」

「誰がこんなのでぃすか!」

 

 ギャーギャーと喚き合う後輩二人。コイツら、何だかんだで仲良いよな。

 火水木の当初の計画としては皆で夏祭りというのも入っており、俺も予定を聞かれてはいたものの、夢野の都合が合わなくなったため結局廃案になっていた。

 

「……説明、続けていい?」

「あ、すいませんでぃした」

「……どうしても酸化焼成したい作品がある場合は、電気窯の方で焼くから言って」

「了解ッス! 今日のユッキー先輩、何か部長っぽいッスね」

「逆に今までは何だと思っていたんだい?」

「そりゃ勿論、マスコット的な!」

「……違う」

 

 ムッとして表情を見せる冬雪だが、そんな姿もマスコットっぽい可愛さがある。

 一通り説明も終わった後で各々が作業開始。沈殿している釉薬を適度にかき混ぜた後で、作り上げた湯呑や皿を手にして釉薬へと浸していった。

 

「しかし櫻も鉄君も、ボク達に合わせて昼にやらなくても夕方からで良かっただろうに。そんな調子で夜の窯番は大丈夫なのかい?」

「ああ。後で仮眠を取るつもりだ」

「オレは夜型なんで大丈夫ッス。それにこういうのは全員でやりたいじゃないッスか」

「前に同じようなことを言っておきながら午前二時を過ぎた辺りから寝惚けたことを言い始めて、最終的に力尽きた先輩がそこにいるけれどね」

「全くだ。なあ冬雪」

「……私じゃない」

「ネック先輩、ツッキー先輩と窯番したことあるんスかっ?」

「冬雪も入れて三人でだけどな」

 

 早乙女からジーッと睨まられたため、早々に否定しておいた。寝惚けていたとはいえ阿久津に膝枕をしてもらったなんて知られたら、帰り道に背中を刺されかねないな。

 以前から楽しみにしていた学校に泊まりがけの窯番だが、先日の合宿での無断外出の一件もあったため今年は原則通り男子のみ。つまり俺とテツが学校に残ることになった。

 陶芸に疎い二人で大丈夫かと不安になったのは意外にも俺だけ。冬雪も阿久津も心配だなんて声をあげることなく、経験者がいるなら問題ないとあっさり答えている。

 

「超羨ましいじゃないッスかっ! 何で今回はオレとネック先輩の二人なんスかっ?」

「元々が男子だけでやる決まりだったからね。男手のいなかった前回が例外なだけだよ」

「いいなーいいなー。そうだ! ネック先輩、一時的に陶芸部辞めてもらえません?」

「どんだけ自己中な理由だよっ? 仮に再来年になっても男が入ってこなかったら、テツだって早乙女と窯番することになるんじゃないか?」

「あ、それはいいッス」

「こっちだって断固お断りでぃす!」

「まあ来年以降がどうなるかはわからないけれど、そういう可能性を考えても後輩である鉄君には窯番の経験をしておいてもらいたいところかな」

「了解ッス。でも泊まりがけって、先輩達は三人で一晩ナニやってたんスかー?」

「「「……勉強?」」」

「またまたー。そんなこと言って、本当は色々やってたんじゃないんスか?」

「「「……陶芸?」」」

「それ以外にやることないんスかっ!?」

 

 そんなこと言われても、他にやったことなんて卓球くらいしか思い浮かばない。

 脳内ピンクなコイツのことを考えると、恐らくは別の解答を期待していたんだろうか。未だにハーレムがあると信じて疑わない後輩に、俺は大きく溜息を吐いた。



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四日目(金) 夢野が眠そうだった件

「ネック、ちょっといい?」

「ん? 何だ?」

「何だかユメノン凄く眠そうだから、一緒に釉薬掛けしてあげてくれない?」

 

 俺の元へやってきた火水木が、珍しく声を抑えつつ囁く。

 チラリと夢野の方を見れば確かに作業をこなしてはいるものの、どこか気の抜けた様子でボーっとしている。スローな動きは覚束なく、見ていて不安になるのも納得だ。

 

「アンタが一緒なら、面白トークで少しは目も覚めると思うから」

「ハードル上げるなって。まあ了解だ」

「うん。宜しくね」

 

 先日の風呂あがり事件を気にしている様子もなく、普通に声を掛け頼られたことに一安心する。ようやく阿久津と元通りになったのに、ここで火水木と険悪にでもなったりしたら流石に気まずすぎるもんな。

 十リットルは入りそうな大きなバケツを前に屈み、湯呑を持っていた夢野の元へ。少女は俺に気付かずウトウトしており、こっくりこっくりと船を漕いでいた。

 やがて湯呑は夢野の手から零れ落ち、トロトロの釉薬へトプンと音を立ててダイブ。我に返った少女はハッとした顔を浮かべる中、その様子を見ていた俺は思わず笑う。

 

「恥ずかしいところ見られちゃったね」

「浸し掛け、流し掛け、吹き掛け、塗り掛けに続く、新しい釉薬の掛け方だろ?」

「ふふ。じゃあそういうことにしよっかな」

「名前は……落とし掛けってところか?」

「でもこの方法だと、顔とかにも撥ねちゃいそう」

「まあ水で簡単に洗い流せるけどな。夢野も顔洗ってきた方が良さそうだぞ」

「嘘っ? 付いてるっ?」

「いや、眠そうだったからさ」

「もう!」

 

 クスクスと笑い合いながら、作品を釉薬にササッと浸していく。夢野も少しは目が覚めたらしく、俺の掛け方を眺めながらスムーズに釉薬を掛け始めた。

 

「寝不足か?」

「うん。最近色々忙しくて」

「後で電気窯で焼くことだってできるから、無理に今日やらなくても良いんだぞ? それにさっき阿久津も言ってたけど、夕方からでも充分間に合うし」

 

「ううん、大丈夫。それにこの後もちょっと用事があって……」

「バイトか?」

「ううん。別のこと」

「そうか。そういや文化祭だけど、そっちは牛丼屋なんだって?」

「うん。米倉君の所は?」

「こっちはオカマ喫茶だな」

「えっ? じゃあ米倉君もオカマになるの?」

「全力で陶芸部の店番に逃げるつもりだ」

「えー?」

 

 詳しい事情は聞かないまま、他愛ない話をしつつ作業をこなしていく。

 別の釉薬を掛けるため移動する頃になると夢野もすっかり普段通り元気になっており、冬雪や火水木といった他の面々とも雑談をしながら俺達は作業を進めていった。

 

「おっ? 先輩先輩っ! 何か怪しげな釉薬見つけたッス!」

「ん?」

「ほらこれっ! きれいな青って書いてあったっぽいんスけど、×で消してある上に物凄い灰色って書いてあるんスよ。かなりハイセンスな名前じゃないッスか?」

「どう見ても胡散臭い名前でぃす」

「ああ、それな。ぶっちゃけ綺麗でも物凄くもない普通の灰色に……って、ちょっと待てよ? なあ冬雪、あれも還元なら綺麗な青になる可能性があるのか?」

「……かもしれない」

「だってよ。使いたければ混ぜてみたらどうだ?」

「うッス! やってみるッス! どっちになるんスかね?」

 

 去年の秋のように干上がっているなんてことはないが、すっかり沈殿してしまっている釉薬を混ぜ始めるテツ。さしずめあの時の俺はこんな風に見られてたんだろうな。

 作り上げた作品数には差があるため、夢野や早乙女の釉薬掛けが一早く終了。俺も釉薬を垂らしたり筆を使って簡単な模様を描いたりと、工夫を交ぜつつ作業を終えた。

 

「……ヨネ。ちょっと手伝ってほしい」

「おう。何だ?」

「……釉掛けするから、一旦陶芸室に運ぶ」

 

 そう言って冬雪が指さしたのは豪邸とかに置いてありそうな胴体サイズはある大きな壺。俺の知らない間に、こんな大作を作っていたとは驚きである。

 

「あれ、冬雪の作品だったのかよ。いつの間に作ったんだ?」

「……夏休み中。来年はヨネ達も全員、一人一個は大きな作品を制作すること」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 確かに今回大きな作品を制作したのは、冬雪以外に阿久津だけ。その幼馴染も作り上げた大皿に釉薬を流し掛けするため、後輩に手伝ってもらっていた。

 

「つーかこれ、どうやって釉薬掛けるんだ?」

「……スプレーで噴きかける」

「ってことは、終わったらまたこっちに戻す訳か。運ぶ時にうっかり割りそうで怖いな」

「ネック先輩! 割ったら切腹ッスよ!」

「……物はいつか壊れるから、その時は仕方ない」

「達観し過ぎだろっ?」

 

 運ぶリスクはあるものの、確かにこの窯場で作業するのは少し厳しい。エアコンなんて無いから蒸し暑いし、何より物がごちゃごちゃしており狭すぎる。

 大皿を大事そうに抱える早乙女を横目で眺めつつ、冬雪と息を合わせて壺を陶芸室へ。タイミング良くやってきた伊東(いとう)先生から足元に注意してくださいと連呼される中、電動ろくろの上まで無事に運び終えた。

 

「ふう。こんな感じで大丈夫か?」

「……ありがとう」

「おう」

「……窯入れはやっておくから、ヨネは夜に備えてほしい」

「そうだな。ちょっと休ませてもらうわ。何かあったら起こしてくれ」

「……(コクリ)」

 

 数十分程度のうたた寝なら突っ伏すだけで充分だが、昨年の失敗を繰り返す訳にはいかない。夜に備えて数時間の熟睡するためにも、ここは横になっておきたいところだ。

 準備室もとい仮眠室はクーラーが効いていないため、俺が事前に用意したのはクラスにあったダンボールの余り。これを陶芸室の隅に敷くのではなく筒状に組み立て、人目の気にならない簡易式の寝床を作成すると中へ潜り込む。

 テツ達が戻ってくれば多少騒がしくなるだろうが、ある程度ならイヤホンで遮断できるだろう。悪くない寝心地を確認した後で、寝る前にトイレと陶芸室を出た。

 

「お? いよぉ。久し振りだなぁ」

 

 不意に声を掛けられる。

 どこかで聞いたことがあるものの、思い出せない声の主。

 振り返った俺の前にいたのは、長身で割とイケメンな男だった。

 

「…………?」

 

 明らかに校則に引っ掛かりそうな、金髪に染め上げたツンツン頭に見覚えは無い。

 耳にはピアスを付けており、着ている私服からはチャラそうな印象を受ける。

 

「っ!」

 

 最初は誰かわからなかったが、やがて俺は驚き目を見開く。

 以前に見た時は黒髪かつ、制服姿だったため気付かなかった。

 

「た、(たちばな)先輩…………?」

 

 そこにいたのは、陶芸部を自由な部活にした開祖の男。

 かつて阿久津に告白をしたことのある、三日も過ごせば面倒と噂されていた先輩だった。



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四日目(金) 茶髪と金髪の意気投合だった件

「だぁーっはっはっは!」

「…………」

 

 目を覚ますなり最初に聞こえたのは笑い声。寧ろその躊躇のない豪快な笑いによって目が覚めたと言うべきだろうか。

 ただダンボールハウスでの仮眠はいまいちで、正直あまり寝つけず。目を閉じ眠ろうとする中で「櫻は?」「……あの中」みたいなやり取りが何回か聞こえた気がする。

 ポケットから携帯を取り出し、僅かに開いた目で時刻を確認すれば寝ていたのは大体二時間ほど。本来ならこの倍の時間は眠る予定だったが、これだけギャーギャー騒がれれば眠れるものも眠れないため諦めて起きることにした。

 

「……おはよ」

「おう」

「……少しは眠れた?」

「まあ、程々にはな」

 

 狭い箱から外へ出るなり、作業していた冬雪が首を傾げつつ尋ねてくる。

 少女の前にある大きな壺にはマスキングテープが雷の如くジグザグに貼られており、今はテープの上からスプレーを噴きかけている最中だが、寝る前に見た状態からの進展はいまひとつのようだ。

 陶芸室にいるのは冬雪以外に、阿久津と早乙女と橘先輩。そして丁度テツが窯場から戻ってきたようだが、他にこれといって変わった様子は――――。

 

 

「あ、どうしたんスかネック先輩」←返り血を浴びた体操着姿

 

 

「お前がどうしたんだそれっ?」

「いやー、イトセン先生の作品の釉薬掛けやってたら、盛大にやらかしました。でかい花器をドポンと落としちゃいまして、ガチの「何じゃこりゃああ!」だったッス」

 

 橘先輩が腹を抱えて笑っている理由は、どうやらコイツだったらしい。液体の色が白や灰色の釉薬ならまだしも、赤茶色なだけあって実に返り血っぽく見える。

 

「クロガネっつったか? お前マジ最高だなおぃ!」

「いやー、照れるッス。釉薬も滴るいい男って感じッスか?」

「そのまま焼ぃたら、もっといぃ男になるんじゃねぇか?」

「それただの火葬じゃないッスか!」

「いやぃや、ぃけっだろ! 日焼けみてぇなもんじゃねぇか」

「1200度ッスよねっ? それじゃあ日焼けは日焼けでも火の方の火焼けッスよ!」

 

 どうやら俺が寝ている間にすっかり意気投合したらしく、ノリだけの会話で盛り上がる二人。そんな様子を眺めている阿久津と早乙女は、呆れた様子で溜息を吐いている。

 火水木と夢野は姿が見当たらないが、テツ同様に先生の手伝いでもしているのだろうか。

 そう思いつつ窯入れの状況確認がてら二人を探しに窯場へと向かうが、業務用冷蔵庫みたいな大きい鉄の箱もといガス窯の前にいるのは、伊東先生一人だけだった。

 

「おや? 米倉クン。おはようございます」

「おはようございます。何か手伝うこととかありますか?」

「先程まで阿久津クンと早乙女クンに手伝ってもらいましたし、窯入れは大体終了したので大丈夫です。先生の作品の釉薬掛けも、鉄クンが終わらせてくれました」

「あれ? 夢野と火水木は……?」

「先生は窯場で作業していましたが、こちらでは見掛けていませんねえ」

「そうですか。ありがとうございます」

「もう少ししたら焼き始めますが、前回同様に温度が落ち着き次第先生は一旦帰らせていただきます。また午前三時頃には戻りますので、後のことは米倉クンにお任せしました。くれぐれも問題だけは起こさないよう、宜しくお願いしますねえ」

「はい。充分気を付けます」

 

 どうやら釉掛けは大体終わったようだし、もう片付けても大丈夫だろう。

 釉薬の入った重いバケツを移動させ、ごちゃごちゃしていた窯場を整理整頓しておく。少しは歩きやすくしておかないと、そのうち通れなくなりそうだ。

 

「ありがとうございます。橘クンといい、そうした些細な心遣いは嬉しいですねえ」

「橘先輩が? 単に遊びに来ただけって言ってましたけど……」

「それは建前であって、本当は窯番をする男手がいなくて困っているんじゃないかと思っての来訪でしょう。そうでなければ先生に本焼きの日を尋ねたりしませんからねえ」

 

 つまり伊東先生は橘先輩が来る可能性があることを前々から知っていたらしい。それならそうと事前に教えて欲しかったと感じるのは、きっと俺だけじゃないだろう。

 最初はてっきり阿久津に会いに来たのかと思い困惑したが、陶芸室の中に入っても冬雪に茶々を入れるだけで阿久津と絡む気配はなし。早乙女の様子を見る限り、俺が寝ていた間に何かしら事件が起きたということもなさそうだった。

 

「卒業生が応援に来てくれるのはありがたいことです。米倉クンも卒業して大学生になっても、陶芸部のことを忘れないでいてくれたら嬉しいですねえ」

「忘れようにも忘れられませんし、窯番が必要ならいつでも来ますよ」

「それは何よりです。先生も廃部にならないよう頑張ってチョコを配りますので」

 

 確かに今年入った新入部員は二人だけだし、来年は勧誘を頑張る必要があるかもしれない。ただ問題なのは陶芸部という響きに、普通の高校生は魅力を感じないことか。

 いかにして陶芸の面白さを伝えるかという、冬雪が普段から悩んでそうなことを考えながら、ざっと窯場を片付け終えると再び陶芸室へ戻る。

 

「おぅ、戻ってきやがったな」

「ネック先輩! パーティーやるッスよ、パーティー」

 

 釉薬まみれの体操着から制服に着替えた後輩が何を言っているのかと思いきや、ほんの数分いなかった間に随分と状況が変化していた。

 セッティングされたゲーム機とテレビ画面を前に、コントローラーを握っているのは橘先輩とテツ。これも陶芸部の魅力の一つにカウントしていいのだろうか。

 

「言っとくがテメェに拒否権はねぇ。強制参加だ」

「ああ言っているけれど、無視しても構わないよ。夜に備えて寝直さなくて大丈夫かい?」

「眠れそうにないし、充分寝たから大丈夫だ」

 

 橘先輩に聞こえないよう、小声で尋ねてきた阿久津に小声で返す。そんな俺達のやり取りを見てか、先輩は不満そうに舌打ちをした。

 

「ちっ。分かってんだろうが、この勝負が終わったらリベンジだからな」

「リベンジって、また大乱闘ですか?」

「当たり前だろぉが! 俺が何のために大学行ったと思ってやがる?」

「そんな理由でっ?」

「単位を犠牲にして磨きに磨ぃた俺のフレーム回避を見せる前に、まずは積もり積もった積年の恨みをパーティーで晴らしてやるぜ」

 

 一体この人は大学に行って何を学んだのか。そもそもあれから半年しか経ってないし、橘先輩と会ったのも片手で数えられる程度で積もるような回数でもない。

 ちなみに刺さっているソフトは、超有名なシリーズであるパーティーゲーム。プレイは四人まで可能であり、俺の分を抜いてもコントローラーは残り一つ空いている。

 

「おぃ水無月。テメェもさっさと用意しろ」

「音穏の手伝いをするから遠慮します。星華君、どうだい?」

「やったことないでぃすし、星華もミナちゃん先輩と一緒に音穏先輩の手伝いをします」

「そこまで人手は要らないし、ゲームの方は必要ならボクがサポートするよ」

「メッチはチキンだし、やったところで負けるだけっしょ。コンピュータの方がマシッスよ」

「ちょっとあの生意気な坊主頭をボコボコにしてきます」

「おっ? やるかっ?」

 

 足早に画面の前へ向かうと、コントローラーを手に取る早乙女。やる気満々というより、殺る気満々なオーラが伝わってくるんだが…………大丈夫だろうか。

 

「そういえば、夢野と火水木はどうしたんだ?」

「……二人とも、それぞれ用事があるって」

「そうか」

 

 スプレーを噴き終えた大きな壺から、淡々とマスキングテープを剥がしつつ答える冬雪。来年は制作するよう言われたが、こんな大作を作れる気がしない。

 俺は早乙女の隣に椅子を用意して座ると、最後のコントローラーを握り締めた。

 

「ずっと昔に一回やって以来だな……じゃあプレイヤー一人とCOM三人で」

「おぃ待てやコラ」

「冗談ですよ冗談。早乙女はやったことないって言ってたけど、テツは経験者なのか?」

「こう言っちゃなんですけど、オレ結構得意ッスよ! 橘先輩はどうなんスか?」

「初代から最新作までコンプしてるぜ」

 

『イヤッフー』

『でっていう』

 

 道理で自信満々な訳だと思いつつ、それぞれがキャラクターを決める。橘先輩が主人公の配管工で、テツはゴリラ。早乙女は自称スーパードラゴンで、俺は偽主人公を選択した。

 

「マップは好きに決めていぃぜ」

「やっぱ一番難しい此処しかないッスよ」

「初心者なんだし、早乙女が選んだらどうだ?」

「ミナちゃん先輩、オススメはどこでぃすか?」

「それぞれギミックが違うだけで、難しさは大して変わらないよ。好きに選んで問題ないかな」

「じゃあそこでいいでぃす。鉄のホームでこてんぱんにしてやります」

「オレの実家新潟だから、このステージじゃ負けないッスよ」

「いや新潟関係ないよなっ?」

「ターン数はどうするんスか? 無難に20くらいッスかね?」

「短けぇな。100ターンで行くぞ」

「「多っ!」」

 

 橘先輩ならやりかねないが、実際に設定できるのは最高でも50ターンだったりする。

 結局は二人の意見の間を取って30ターンに決定。俺の記憶だと大体二時間~三時間は掛かった覚えがあるが、まあ丁度良いくらいだろうか。

 最後の最後で大逆転の可能性が生まれるボーナスも有りに設定し、順番を決めるためのサイコロブロックを順番にジャンプして叩き止めていく。

 

 

「まぁ見てろって。プロってのは順番決めでも持ってるもんだからよ」←1

「おっしゃ! これはオレが一番ッスね」←9

「止めるのはAボタンでぃすか?」←10

 

 

 …………何かもう、どんな目を出しても大体の順番が決まってるだろこれ。

 

「ネック先輩、11とか出すんスよね?」

「無茶言うなよ」

 

 結局5という可もなく不可もない数字を出したところで、早乙女→テツ→俺→橘先輩という順番に決定。各プレイヤーには10枚のコインが支給される。

 そして四人のキャラクターは、戦場である双六のようなマップへと移動した。

 

「どういうゲームなんでぃすか?」

「ギミックやミニゲームでコインを集めて、20枚持っている状態であのマスを通過すればスターと交換できるんだ。最終的にスターの一番多いプレイヤーが勝ちだね」

「了解でぃす」

 

 一番手である初心者の早乙女がサイコロを止めると、出目はまたもや10。無駄な豪運を見せつけながら、操作キャラである自称スーパードラゴンは先へと進んだ。

 

「ここを通過する度に5コイン取られるんでぃすか?」

「その代わりピッタリ止まれば、今までに貯まった分のコインを一気に貰えるよ」

 

 銀行マスを通り過ぎながら、相手のコインやスターを奪えるマスやアイテムもあるとレクチャーされる一方で、手番を迎えた経験者のテツがサイコロを止める。

 そのまま俺、橘先輩と順番が回った後で1ターン目が終了。毎ターンの終わりにはコインを獲得できるミニゲームがあり、今回は『4PLAYER GAME』と全員が敵だ。

 

「あぁ、これか。余裕だぜ」

「余裕ッスね」

「ちょっ、待った待った。操作説明くらいは見せてくださいって」

「あぁん? 仕方ねぇなぁ」

 

 当然の如く説明を飛ばそうとする橘先輩を止める。本当にマイペースだなこの人は。

 今回は玉に乗ったキャラを体当たりで浮島から落とすミニゲーム。慣れている二人がスティックでキャラをあらぶらせる中、俺と早乙女はルールと操作方法を確認する。

 

「大丈夫でぃす」

「じゃあ、行くぞ?」

 

『START』

 

 発音の良いスタートボイスを合図に、四方にいたキャラが中央で衝突……しなかった。

 

『ムワアアアアアアア!』

 

「ちょっ? ネック先輩、何速攻で自爆してるんスかっ?」

「あ……落ちたの俺か。違うキャラ見てたわ」

「ぎゃははははっ! 自分のキャラ間違ぇてんじゃねぇよ!」

 

 残った三人がぶつかり合い、弾き弾かれながら落とそうとする。

 やがて橘先輩がテツにぶつかると、弾かれたテツにぶつかって早乙女が島から落ちた。

 

「あっ! 何するんでぃすかっ!」

「見たかっ? 後はテメェだけだぜ、クロガネェッ!」

「負けないッスよぉっ!」

「落ちろ蚊トンボがぁっ!」

「ふんぬらばっ!」

「ぜぁああああああああああああああああああっ!」

「きぇええええええええええええええええええっ!」

 

『ふぃにーっしゅ!』

 

 白熱した戦いが繰り広げられるものの、結果はつかないまま時間切れ。勝負は引き分けになったため、全員のコインは変わらないままとなり俺としては結果オーライだ。

 

「中々やるじゃねぇか」

「これ、両方が上手いと時間内に決着つかないんスよね」

 

 固い握手を交わす二人だが、この友情ごっこがいつまで続くか見物である。

 一周目が終わり、再び早乙女の番。流石に三連続はないものの、7という高目の数字を出した少女は先へ先へと移動した後で普通のコインマスへと止まった。

 

 

『なんと!! 隠しブロックを見つけました!』

 

 

「何でぃすかこれ?」

「中々に運が良いね。コインとかスターが追加で手に入るんだよ」

「いやぃや」

「またまた」

 

 

『隠しブロックの中にはスターが入ってました!!』

 

 

「「ふざけんなぁーっ!」」

「何がでぃすかっ?」

「ぃきなりスターだとっ? せいぜぃコインだろぉがっ!」

「まだ2ターン目っしょっ? お前メッチ何だお前っ?」

「気にする必要はないよ。単なる嫉妬だからね」

「了解でぃす」

 

 チートだのコンピュータだの、完全に理不尽な物言いをする二人。まさかこうも早々にスターを獲得するなんて、ビギナーズラックって本当にあるんだな。

 

「根暗先輩は文句を言わないんでぃすか?」

「文句って、単に早乙女の運が良いだけだろ? それにまだ2ターン目だしな」

「あぁ? 聞き捨てならねぇな。強者の余裕か?」

「そんなんじゃないですって」

「そもそもゲーム一つでそんなに熱くなる方がどうかと思うけれどね」

「やかましぃっ! 水無月は黙ってろぃ!」

「…………」

 

 橘先輩の一喝を聞くなり、早乙女が露骨に不機嫌そうな顔をする。そういやさっき阿久津の名前が軽々しく呼ばれた時も、敵視するように先輩を睨んでたっけ。

 もっとも阿久津リスペクトな早乙女が橘先輩と敵対するのは充分予想できていた話。誰とでも仲良くなれそうなテツと違って、コイツは好き嫌いが極端だからな。

 

「勝つっ! 絶対に勝ってやるぜっ!」

「負けないでぃす! 負けられないでぃす!」

「おっ? バトルミニゲーム! 行くしかないッスね!」

「賭け金は10か。悪ぃがコインは俺がありがたくぃただくぜ」

「これは反射神経勝負ッスね……って、あれっ? 誰かボタン押しました?」

「俺じゃぁねぇぞ?」

「まだ説明を読んでないでぃす!」

「操作方法はっ?」

 

『START』

 

「真ん中の花の絵と同じだったら、速攻でAを押すだけッス!」

 

 平和だった空気が一変し徐々に雲行きが怪しくなると、いよいよパーティーが始まった気がする。ここから先は一位の潰し合いという、醜く浅ましい争いの始まりだ。



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四日目(金) 昨日の敵は今日の友だった件

 米倉櫻。

 ゲームという枠の中に限り、その適応能力はズバ抜けて高い。

 かつて友人と交代でゲームを進めた際には、最初は交互にクリアしていたものの後半になるにつれて『友人が敗北→その敵を倒す』という負の連鎖が生じたという。

 そしてまた時にはクラスでアプリゲームが流行り、クラスメイトが2000だの2010だのとスコアを刻んで競う中、一人2400という大幅な記録更新を達成してしまい仲間達は呆然。そのままブームを廃らせた経験は一度だけでなく何度かあった。

 それ故に、人は俺のことをこう呼ぶらしい。

『ゲーマーの櫻』……と。

 

 

「またこのミニゲームでぃすか」

「確か先に5周したら勝ちだったよな?」

「そうッス。これオレ苦手なんで、また橘先輩に持って行かれちゃいそうッスね」

「今度は二周差をつけて勝ってやるぜ」

 

『START』

 

「ああもう、何でそう曲がるんでぃすかっ!」

「インッス! インを突いて…………やっべ、引っ掛かった!」

「…………」

「ちぃっ! 中々付ぃてきやがるじゃねぇかっ!」

「凄いッスあのムワアアアアアアア! 何者ッスかっ?」

「………………」

「ブレーキングドリフト完璧ッス! ガードレールギリギリっ?」

「仕掛けるポイントは……この先のカーブ!」

「オーバースピードッス! ブレーキイかれたんスかっ?」

「抜かせてたま……何だとぉっ?」

「抜いたぁっ!」

「…………どこのチョメチョメDだい?」

 

 

 

 

 

 橘先輩。

 シリーズ全ての経験者と語ったこの人は、とにかく勝ちに飢えている。

 それ故に勝負に勝つためには手段を選ばず、配置を覚えてアイテムを並べる記憶ゲームが始まれば、どこぞの中忍試験の如く全力で他人の並べ方をカンニングしていた。

 また自分は他人に真似されないようギリギリまで違う物にカーソルを合わせていたり、先に脱落した際にはどうでもいい話や野次を飛ばす妨害行為も欠かさない。

 だからこそ、俺はこの人のことをこう呼ぼうと思う。

『執念の橘』……と。

 

 

「三対一……俺が一人か。やってやろぉじゃねぇか」

「あ! この綱引きは一人側が不利なゲームなんでオレ達の勝ちッスよ!」

「操作はスティックを回すだけか」

 

『START』

 

「おっしゃ!」

「うぉりゃーっ!」

「これ、手が痛いでぃす!」

「ぅがぁああああああああああああああああああああああああっ!」

 

『ピロピロン』

 

「おぃ誰だ止めた奴っ? ……ふんがぁあああああああああああああっ!」

 

『ふぃにーっしゅ!』

 

「はぁ……はぁ…………どぉだオラァッ?」

「マ、マジッスか……三人側が負けるとか……初めて見たッス……」

「はぁ……はぁ……手の皮……剥けたけどな……超痛ぇ……」

「うわっ? どんだけ勝ちたいんですかっ?」

 

 

 

 

 

 鉄透。

 普段からそこそこゲームの話もする後輩は、中学時代に野球部の仲間達とこのゲームでよく遊んでいたらしいが、その光景は何となく想像できる。

 得意と言っていただけあって、ミニゲームの名前が表示されるなりルールは把握済み。理解しているが故の動きと立ち回りによって、高頻度で上位を取っていた。

 ただその真価が発揮されるのは、普段卑猥な動きをさせている指を痙攣させた時である。

 よって今日から、俺はコイツのことをこう呼ぶことにした。

『連打のテツ』……と。

 

 

「オレとバナ先輩のチームッスね。おっしゃ! ピザきたっ!」

「ああ、これは覚えてるな。確かひたすら連打するやつだろ? 最後まで綺麗に食べないと駄目で、カス一つ残っててもアウトだったから気を付けろよ早乙女」

「とにかく、Aを連打すれば良いんでぃすね?」

 

『START』

 

「…………」

「………………」

 

 ――――カチャカチャカチャカチャカチャカチャ――――

 

「……………………」

「…………………………」

 

『ピロピロン』

 

「だから誰だゴルァッ?」

「オレじゃないッスよ」

「星華でもないでぃす」

「俺でもないですけど?」

「…………俺だったぜ。悪ぃな」

 

 ――――カチャカチャカチャカチャカチャカチャ――――

 

「オレ左行くッス」

「おぅ! 右は任せろぃ!」

 

『ふぃにーっしゅ!』

 

「鉄、食べるの速すぎでぃす!」

「自慢ですけどオレ、長谷川以外に負けたことないッスから!」

「誰だよ長谷川っ?」

 

 

 

 

 

 早乙女星華。

 経験こそないものの開始早々に星を取りビギナーズラックを見せた後輩は、その後も豪運が発揮して運ゲー全般を持っていく…………なんてことは一切なかった。

 冬雪ほどではないがあまりゲーム慣れしていないらしく、ミニゲームの説明を見てもルールの理解は遅い。最初は背後にいたブレイン阿久津が説明したが、流石に毎回の如く質問する姿を見兼ねて今では俺やテツが教えるくらいだ。

 そしていざミニゲームが始まっても操作は中の下……いや、下の上程度であり、大抵の場合は早乙女が最初に脱落するのが定番になってきている。

 ということで、誰もが彼女に対し心の中でこう思い始めていた。

『どん尻のメッチ』……と。

 

 

「あれ? 今オレと誰がペアでした?」

「俺が橘先輩とだから、テツは早乙女だな」

「あっ……」

「何でぃすかその顔は!」

「いやー、実質一対三だなーって」

「どういうことでぃすかっ?」

「どうどう。とにかく落ち着いてよく聞けメッチ。この薪割りはAかBかZのボタンを表示されたら押すだけだからな? 物凄ーく簡単だからな?」

「それくらいちゃんと理解済みでぃす!」

 

『START』

 

「あっ? あれっ?」

「終わった……」

「星華はちゃんとボタンを押してますっ! ちぃがぁいぃまぁすぅ!」

 

 

 

 

 

 以上の四人で地獄絵図《パーティー》が繰り広げられて早数時間。互いのコインやアイテムを奪い合い、亀の大魔王様に場をかき乱されながらも俺達の戦いは終わらない。

 伊東先生は予定通り一旦帰り、早乙女に基本的なルールを説明し終えた阿久津は冬雪の手伝いをしながら、時々こちらの様子を遠目からチラリと見る程度になっていた。

 

「バナ先輩っ! 後は任せましたっ!」

「おぅ!」

「バナ先輩いけるッス!」

「ふんっ! くっ! つぁっ?」

「えー? バナ先輩、何やってんスかー」

「テメェが速攻で死んだからだろぉが!」

 

 熱い手のひら返しをするテツの頭を、橘先輩がチョリチョリというかグリグリする。

 そんなこんなで残りは5ターンとなり、スターの数はテツと橘先輩が3枚、俺が1枚で早乙女が0枚という状況。ちなみに早乙女が最初に手に入れたスターが無くなっているのは、橘先輩が幽霊を使って容赦なく奪い取ったからだ。

 

「どいつもこいつも星華を狙い過ぎでぃす……クソゲーでぃす……」

「コインを沢山持ってる奴の方が多く取れるだけで、別に狙ってはねぇぜ」

「そこにメッチがいたから取っただけッスよね」

 

 互いのコインを奪い合うゲームで一人だけ-30という、ある意味驚異的な数字を叩き出した早乙女は事ある毎にクソゲーと呟き不貞腐れ気味。もっとも執拗に橘先輩のことを狙った結果、単に返り討ちに遭っていただけな気がしないでもない。

 全員がコインを稼げる釣りゲームでは一人だけ0枚だったし、鼻や口や眉を弄って指定された顔に近づけるゲームでも普通にやれば90点は取れる筈が、妙なアヘ顔を作り撃沈。最初の威勢はどこへ行ったのかといった感じだ。

 

「うっしゃ! オレ、スター取っちゃっていいッスかね?」

「取れるもんなら取ってみやがれ」

「7以上、7以上……ふんっ! おっしゃ! 7っ! あざッス! いただきまーす!」

「そこ左だぜ」

「いやいや、下ッスよね? 3、2、1…………あれっ? あ、あれっ?」

「だぁーっはっはっはっは! マスの数、数え間違ぇてんじゃねぇか!」

 

 平気で人を間違えた方向に誘導しようとしていた橘先輩が、一マス届かなかったテツを盛大に笑う。一位を争うこの二人は、無駄にテンションが高い。

 続く俺がサイコロを止めると、小さな大魔王が舞い降りてくる。

 

『ジャジャーン! アイテムチャーンス!! 次の質問に答えろよな。勉強は好きか?』

 

 →いいえ。

 

『正直なヤツだなー。気に入った!!! 持てるだけのアイテムをあげちゃおう!』

 

「うわー、ベルとかマジッスか? ネック先輩、次のターン絶対使うじゃないッスかー」

「まあ、コインはあるからな」

 

 貰ったのは相手からコインやスターを奪う幽霊を呼べるベル。これで逆転の目が見えてきた訳だが、心なしか質問の返答が気に食わなかったらしい阿久津の視線が痛い。

 そんな中で橘先輩のターン。止まったサイコロが10の目を出すと、マスの上を進んでいく配管工がテツのゴリラを追い抜き――――。

 

「おっ? 届ぃたぜ」

「オレのスタァーっ?」

 

 目前だったスターは取られ、橘先輩が4枚目でトップに。新たな場所へと移動したスターが行き着いた先は、早乙女が操作するスーパードラゴンの近くだった。

 

「今更一つ取ったところで、何の意味もないでぃす……」

 

 ボソリと早乙女が呟く中、ターン終了時のミニゲームは2VS2GAME。チーム分けはテツと橘先輩チームVS俺と早乙女チームという形になり、内容はムカデリレーだ。

 

「操作はスティックだけで、こう右、左、右、左って感じだな」

「了解でぃす」

「テンポは今のくらいでいいか? 右、左、右、左」

「「右、左、右、左」」

「よし。最初はせーので右からな」

「分かりました」

 

 相手は相手で打ち合わせを行い、お互いの声が混じり合う中で双方の作戦会議が終了。ゲーム開始のボタンが押されると、スタートの合図に合わせて声を出した。

 

「せーの!」

「「みぎっ! ひだりっ! みぎっ! ひだりっ! ひぎっ!」」

 

 二人ずつ声が重なる中、ヒートアップしてくると自然とスピードが上がっていく。打ち合わせも無いまま徐々にテンポが上がっていき、やがて向こうのムカデが転倒した。

 

「ちぃっ! 行くぞぉらっ?」

「いっせーの、右。左…………あれっ?」

「だぁっ? 何やってんだクロガネェ!」

「一旦落ち着いて立て直すッス!」

「「みぎっひだりっみぎっひだりっ!」」

 

 起き上がった後で再び歩み出すも、相手の足並みは乱れてバラバラ。その間も俺と早乙女は声を揃えて左右を押しながら、一度も転ぶことなく無事にゴールした。

 

「よし! 完璧だったな」

「これは良いゲームでぃした」

 

 現金な後輩に苦笑を浮かべながら残りは4ターン。早乙女がサイコロを振るとピッタリ銀行マスに止まり、溜まっていたコインを入手する。

 

「2か3、2か3、2か3! くぅー、8ッスかー」

「2の3乗だったな」

 

 狙ったマスに止まれないままテツのターンも終わり、俺のターンが回ってくる。

 うっかりアイテムを使い忘れるなんてイージーミスをすることもなく、俺は先程手に入れたベルを迷うことなく使用。幽霊にコイン50枚を払いスターを奪うよう指示した。

 

「取る相手は勿論トップのバナ先輩ッスよね?」

「まぁ待てや。確かにトップは俺だが、コインを考えたらクロガネだろ?」

「何でコインを考えるんスかっ?」

「分ぁった分ぁった。それなら、ぉ任せってのはどぅだ?」

 

 巧みな誘導もとい醜い争いが行われるものの、誰を選ぶかは既に決まっている。

 カーソルを配管工に合わせるなり、橘先輩が「止めろ」だの「良心はねぇのか」だの喚き始めたが、早乙女からスターを奪った人からそんなことを言われても説得力はない。

 

「テメェ、後で覚えてろよ」

「数的にもトップですし、橘先輩だってベル持ってるじゃないですか。それにちゃっかり、ハプニングスターも狙ってますよね?」

「ちっ。気付ぃてやがったか」

 

 分岐で止まるマスを選べる場合、ハプニングマスの方ばかり選んでいるのは見え見え。ちなみに他のボーナススターであるゲームスターとコインスターは、誰になるか見当もつかない。

 何にせよこれでスターの数はテツ3、橘先輩3、俺2、早乙女0。橘先輩のターンが終わると、ドラムを叩いた順番を覚えて最後に自分が一個追加する記憶ゲームが始まる。

 

「BABA……A」

「BABAA……Zっと」

「もうZ入れてくるんスか? BABAAZ……Aッス!」

「ババァーズァ……Bだな」

「BABAAZ……B…………あれっ? 何ででぃすかっ?」

 

 結局いつも通り最初に早乙女が脱落。その後で暫くしてから橘先輩が脱落し、AだとBだとBAKAだのと妨害されながらも何とか俺が勝利した。

 いよいよ残りは3ターン。早乙女がサイコロを止めるが、スターには少し届かない。

 

『ラッキー! ハッピー! アイテムチャンスです! 質問に答えてください。アイテムを貰えるとしたら、どのアイテムが欲しいですか?』

 

「こんなの、スターの所へ行ける魔法のランプ一択じゃないでぃすか」

 

『…………貴方は欲張りですね。差し上げるアイテムはありません……さようなら』

 

「人に欲しいアイテムを聞いてきた癖に、何でぃすかこのクソキノコはっ!」

 

 正直早乙女の気持ちはわからなくもない。確か駄目なアイテムを選ぶと『貴方は正直ですね』とか、意味のわからないこと言ってアイテムをくれるんだよなあのキノコ。

 このまま何事も無く終わると思ったその時、サイコロを止めたゴリラが行き着いたのは『!』の描かれたマス。それを見るなり操作していたテツが拳を握り締め、橘先輩が声を上げた。

 

「よっしゃ! きたッスよー」

「ぁんだとっ?」

 

『CHANCE TIME』

 

「うぉおおお、緊張してきたッス!」

 

 このマスはチャンスミニゲームのマス。三つのスロットを止めることで『誰が』『誰に』『何を』渡すかを決める訳だが、渡す物の選択肢にはコインだけでなくスターもある。

 

「はい…………はい…………はい…………ここっ! 2枚かー。まあ上々ッスね」

 

 今回最初に動いたのは『何を』のスロット。一つ目は目押しが可能な速度であるため、落ち着いてタイミングを計ったテツはスター2枚で止めてみせた。

 次に動いたのは『誰が』のスロット。当然狙うのは同率トップの橘先輩だが、一つ目のスロットよりも速度は若干上がっており狙って止めるのは難しい。

 

「はい……はい……はい……ここっ!」

「あっ」

「あっ」

 

 スロットが止められる。

 選ばれたのは橘先輩の配管工……ではなく、テツの操作キャラであるゴリラだった。

 

「だぁーっはっはっはっは! クロガネ、お前良い奴だなぁ」

「マジッスか……」

 

 腹を抱えて爆笑する橘先輩とは対照的に、誰か星を二つ献上することが確定してしまい呆然とするテツ。これで渡す相手が橘先輩だったら優勝は確定だろう。

 とても目押しなんてできそうにない最後のスロットをテツがヤケクソ気味に止めると、選ばれたのは自称スーパードラゴン。それを見るなり退屈そうだった早乙女が、突然パァッと明るくなった。

 

「星華でぃすかっ?」

「だな」

「オレのスタァー」

 

 早乙女にも勝ち目が出てきたところで、俺と橘先輩のターンが終わりミニゲーム。今回は3対1で、現役陶芸部員の三人VS橘先輩という構図になった。

 ゲームの内容は三人側が歯車の上に乗り、その歯車を橘先輩がレバーで左右に回して落とそうとするもの。制限時間終了までに一人でも生き残れば俺達の勝ちだ。

 

『START』

 

「ぉらぁっ!」

「やべっ? あちゃー」

「何やってるんでぃすか鉄!」

 

 開始早々に珍しくテツが落下。まだ先程のショックが残っていたのかもしれない。

 時間が半分ほどになったところで早乙女も落下し、残るは俺一人だけとなる。

 

「落ちろぉゴルァッ!」

「ネック先輩、あと10秒ッス!」

「根暗先輩、死んでも生き残ってください!」

「どっちだよそれ……おっと!」

「あと5秒ッス!」

「そっちは危ないでぃす!」

「ちぃっ!」

「3!」

「2!」

「「1!」」

 

『ふぃにーっしゅ!』

 

「ふう……」

「ナイスでぃす!」

「イエーイ!」

 

 何とか生き残り安堵の息を吐くと、俺に向けて掌を見せたテツとハイタッチを交わす。するとテンション上がっていたのか、驚いたことに早乙女も手を挙げてきた。

 俺は思わず笑みを浮かべつつ、少女に応えてパチンと掌を重ねる。

 

「「イエーイ!」」

 

 不満そうな橘先輩をよそに、最後は後輩同士でハイタッチ。昨日の敵は今日の友と言うが、またチーム分けが変わった途端に今日の友が明日の敵になるに違いない。

 結束において共通の敵は必要不可欠……ウキウキでコントローラーを握り締める早乙女を眺めつつ、俺は一時的にだが後輩と和解できたことに安心するのだった。



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四日目(金) リアルファイトなパーティーだった件

 長かったパーティーも残り2ターン。早乙女はまたもスターに届かず、テツのターンでは全員がコインを賭けて行われるバトルミニゲームが始まった。

 

「50こい50こい50こい」

「まだ諦めてないんでぃすか?」

「コインスターとミニゲームスターを取ればワンチャンある!」

 

 賭けコイン数は30となり、全員から収集したコインは合計にして100枚近く。緊張感が高まる中、選ばれたミニゲームは外れプレートを選ぶとリタイアになる運ゲーだ。

 

「オレわかるんスよ。ここはセーフッスね」

 

『ウホォオオオオオオ!』

 

「だぁーっはっは。まずは一人脱落だな。そこがアウトなら、隣はセーフだろぉが」

 

『ホワァアアアアアア!』

 

「そんじゃ全然関係なさそうな所で」

 

『ムワアアアアアアア!』

 

「「「…………」」」

「何もしてないのに勝っちゃいました」

 

 結果として一位の早乙女と二位の俺にコインは分配。俺と橘先輩のターンが終わった後で音楽隊による音ゲーを行い、勝負はいよいよラストターンを迎える。

 

「これで一位でぃす!」

 

 まずは順当に早乙女がスターをゲット。順位は橘先輩と早乙女が3枚と並び、俺が2枚でテツが1枚だが、コインの枚数的には早乙女が一位だ。

 しかしながらスターが移動した先は、まさかの橘先輩の近く。サイコロで大きい目が出れば、このラストターンでも充分に届きうる範囲だった。

 

「うぉっしゃぁっ!」

「うわっ? マジッスかっ?」

「何でそっちに行くんでぃすかっ?」

「けっけっけ。日頃の行ぃってやつだぜ」

 

 先程のバトルミニゲームで橘先輩の持っているコインは交換枚数である20枚に足りなくなったが、この人にはそれを打開できるアイテムがある。

 一位の行方がどうなるかわからない中、トップ争いから離脱したテツのターン。勝負を捨てていない後輩が止まったのは、ギャンブルマスだった。

 

「この大勝負に全てを賭けるッス!」

「まだ諦めてないんでぃすか?」

「ここでコインを稼げば、コインスターで二枚目! 運が良ければミニゲームスターで三枚目! 更に奇跡が起こればハプニングスターで四枚目の大逆転が!」

「ねぇだろ」

「狙うは大穴! 行くッスよぉおおおおおおおおおお!」

 

 

 

 ―― 一分後 ――

 

 

 

「………………」

「燃ぇ尽きやがったな」

「ギャンブルなんてそんなものでぃす」

 

 スポッチに行った時、競馬ゲームにメダルを注ぎ込んでたのはどこの誰だったっけな。

 そうそう上手い話はなく、当然の如くスった後輩をよそに俺はサイコロを止める。

 

「お?」

 

『CHANCE TIME』

 

「うぉおおおおおおおっ? マジッスか!?」

 

 辿り着いたマスを見るなり、応答停止していたテツが復活。最後の最後で止まったマスは、先程悲劇が起きたチャンスミニゲームのマスだった。

 

「ネック先輩! オレにスターのお恵みを!」

「ミ・ス・れ! ミ・ス・れ!」

「…………」

 

 一人は両手を合わせ神に祈り、また一人は小学生のようなコールを始め、最後の一人はわかっているなと言わんばかりにジロリと睨んでくる。もうやだこのゲーム。

 今回の最初のスロットは『誰に』だったため、慎重にブロックの動きを見定めてから当然の如く自分を選択。これで俺が損をすることはなくなり、テツが再び希望を失った。

 次のスロットは『何を』だが、ギリギリ目押しできなくもない速度。橘先輩による野次を無視して、心の中でリズムを刻んでからスロットを止める。

 

「何でそこで止めるんでぃすかっ?」

「うわー。ネック先輩、持ってるッスねー」

 

 選ばれたのは『スター全部』という一番ベストな選択。集中力を使い切った俺は大きく息を吐いた後で、目押しできそうにない最後のスロットを止めた。

 その結果、犠牲になったのは………………。

 

「あ…………その、スマン。何かマジでスマン」

「ハハ………ハ…………」

 

 ゴリラは……二度刺すっ……!

 二度っ……刺すっ……!

 選ばれたのはゴリラっ! 圧倒的ゴリラっ!

 結果、テツの心! 折れるっ! 完全に折れるっ! 真っ二つ!

 

「ふぅ……ハラハラさせんじゃねぇよ」

「まあ星華じゃなかっただけでも良しとします」

 

 残った二人は安心した様子で、ふぅーっと大きく息を吐く。これでスターは三人が3枚と並び、コインもスターも全てを失った男が一人か。

 そして最後を締めくくるのはスターが近い配管工。橘先輩は20枚に届かないコインを補うため、本来ならスターを奪わせるつもりだったベルを使い幽霊を呼び寄せる。

 

「行けっ! 取ってこぃっ!」

「だから何で星華なんでぃすかっ?」

「持ってるコインが多いからに決まってんだろぉがっ! 取れっ! 全部取ってこぃっ!」

「ムッキィーっ!」

 

 橘先輩が早乙女を選択すると、取られるコインを減らすべく少女はボタンを連打する。どうでもいいけどムッキィーってリアルに言う奴、初めて見たな。

 

「17、18、19、にじゅ…………はぁあああっ?」

「はぁ……はぁ…………ふう……幽霊なんて……一昨日きやがれでぃす……」

 

 早乙女の根気が奇跡を呼び起こしたのか、最後の最後で妖怪一足りないが登場。橘先輩がサイコロを止めると出目は充分に足りていたが、コイン不足でスターは交換できない。

 

「おぃ! コイン1枚、誰でもいぃから貸しやがれ!」

「貸すコインがないッス……キノコしか持ってないッス……」

「ぶふっ」

「畜生がぁあああ!」

 

 テツの自虐ネタに笑いつつ、最後に旗揚げのミニゲームをやって勝負は終了。四人のキャラクターは双六のマップから移動し、いよいよ結果発表の時間となった。

 

『お疲れ様でした。それでは結果の発表です! 最初にスターの数を見てみましょう。皆さんのスターの数は……こちらでーす!』

 

・早乙女3枚

・俺3枚

・テツ0枚

・橘先輩3枚

 

『では、ボーナススターの発表です。選ばれた人にはスターが一つずつ与えられます』

 

「コインスターはメンチだが、ミニゲームスターとハプニングスターで俺の勝ちだな」

「誰がメンチでぃすかっ!」

「そうッスよバナ先輩。メンチじゃなくてメッチッス! もしくは乙女っちッスボェッ!」

「その呼び方は止めるよう、前に言った筈でぃすよ?」

 

 遊んだミニゲームの中にパンチでアタックなんて名前のものがあった気がするが、早乙女がテツの腹へとパンチでアタック。やっぱりリアルファイトゲームだなこれ。

 

『まずはコインスター。この賞はゲームの中でコインを一番集めた人に与えられます。今回のコインスターはでっていうさんです!』

 

「やっぱそうッスよね」

「これ、スター貰えるんでぃすか?」

「ああ」

 

『次はミニゲームスターです。この賞はミニゲームでコインを一番稼いだ人に与えられます。今回のミニゲームスターはムワアアアアアアアさんです!』

 

「はぁっ?」

「マジか。いや、取れるとは思ってなかったな」

「ネック先輩、何だかんだで結構勝ってましたもんね」

 

『次はハプニングスターです。この賞は?マスに一番多く止まった人に与えられます。今回のハプニングスターはでっていうさんです!』

 

「えっ?」

「えぁっ?」

「あっ、ありがとうございますっ?」

 

『それでは優勝者の発表をするぞ!』

 

 スターの上に乗っていたキャラクターが、最下位から順に落ちていく。

 最後の最後に残ったのは、早乙女の操る自称スーパードラゴンだった。

 

『優勝は…………でっていうじゃー!』

 

「やった! ミナちゃん先輩! 星華、やりましたっ!」

「見ていたよ。最後の最後で見事な大逆転だったね」

「えへへ」

 

 結果の詳細も見ずに、コントローラーを置いて阿久津の元へ駆け出す早乙女。残った男三人は、止まったマスの数の詳細やミニゲームで勝った回数などを確認する。

 

「やっぱあのチャンスマスが痛かったッス」

「結局スター3枚全部だもんな」

「あーでも、あれが無かったとしてもネック先輩がスター4枚で一位ッスね。ってかオレのバトルマスの回数、地味にヤバくないッスか?」

「確かに」

「ちっ! 手さぇ痛めてなけりゃ、最後のスターを取って勝ってたのによ」

「先輩が最後のスターを取って4枚になったとしても星華君が5枚でトップですし、コインの枚数的にも櫻の方が上ですから順位は変わりませんね」

「ふふん。初心者の星華に負けるなんて、男三人は大したことないでぃす」

「るせぇっ! ハプニングもミニゲームも一回差じゃねぇか!」

 

 負けた先輩が荒れる中、かくして俺達の地獄絵図《パーティー》は星華だけにスターに愛されていたのかもしれない早乙女の勝利で幕を閉じるのだった。

 

「ぉらっ! 次は大乱闘だっ! ボコボコにしてやっから覚悟しやがれっ!」

「その手で大丈夫なんですか?」

「いぃからやんぞっ!」

 

 この後、俺が橘先輩をボコボコにしてしまったのは言うまでもない。鍛え上げてきたというフレーム回避も、掌の怪我のせいで不発のまま終わるのだった。



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四日目(金) 男はエロい生き物だった件

「指とか火傷した時、女の子にパクって咥えてもらえるの良いッスよね」

「あぁ、わかるぜ。こぅ、心にグッとくるよなぁ」

「あれって舌を火傷したら、キスとかしてもらえないッスかね?」

「その理論だと、チ○コを火傷したらヤベェことになんだろ」

「そんな手があったとは盲点だったッス!」

 

 一体何が盲点なのか……明日には捕まってたりしないよなコイツ。

 阿久津と早乙女と冬雪の女子勢が帰宅して残されたのが男三人になるなり、まだ深夜でもないのに陶芸室では下ネタオンパレードの会話が繰り広げられていた。

 

「そういえばオレ、前に陶器でチ○コ作ったんスよ! ペニ丸って名前も付けて! そんで思ったんスけど、陶器のバ○ブとかってあるんスかね?」

「普通に考えりゃ、角があって怪我に繋がるからねぇだろぉなぁ。あぁ、でも縁起物としてならぁるかもしれねぇぜ? チ○コを象った祭りもぁるくれぇだしなぁ」

 

 日本史の授業で、縄文時代には呪術や祭祀で使われる石棒という男根を模した石器があると学んだが、この二人の発想は縄文人のそれに近いんじゃないだろうか。

 陶芸王者フユキングが聞いたらガチのマジでブチ切れそうな話をしていたテツは、水を得た魚のようにノリノリで語った後で俺に振ってくる。

 

「ネック先輩も、この際だから語っちゃいましょうよ」

「何をだよ?」

「そりゃ勿論、陶芸部女子陣のエロいところッス」

「はいはい、エロいエロい」

「聞いてくださいよバナ先輩ー。ネック先輩、合宿の時だってこんな感じで全然話してくれなかったんスよー?」

「あぁ? せっかく後輩が心を開ぃてるってのに、テメェそれでも男か?」

「本当、ネック先輩はムッツリで困り者っス」

 

 コイツの脳内だと、オープンスケベ以外は全員ムッツリ扱いしてそうだな。

 別にその手の話は嫌いじゃないし、中学時代の友人やアキトとは普通に話して盛り上がることもあるが、いかんせんこの後輩の話題は生々しすぎて反応に困る。

 

「陶芸部の女子って顔面偏差値高いのに、妄想しないなんて勿体ないッスよ! しかもミズキ先輩とかは、エロに対しても寛容な雰囲気じゃないッスか」

「ミズキっつーと、ぁの眼鏡か?」

「そうッス。オレの見立てだと、あれは恐らくDはあるッスね」

「確かに良ぃ肉付きしてやがったな。太股もムチムチだったぜ」

「流石バナ先輩! わかってるッス! マジ揉みたいッス! 挟んでもらいたいッス!」

「女ってのは痩せたがるけどよぉ、ぽっちゃりくらぃが丁度良ぃんだよなぁ」

「ッスよねっ? ネック先輩もそう思いませんっ?」

「まあ、何事も程々なのが良いんじゃないか?」

 

 そのナイスバディの風呂上がり姿を見たって言ったら、殺されそうな空気だな。

 確かに火水木の身体は魅力的ではあるが、アイツの良い所と言ったら何よりも器が広いところな気がする。双子の兄がいるためか男についても理解があり、こちらの期待通りのイベントを企画してくれる異性というのは本当に貴重な存在だ。

 陶芸部が賑やかなのは火水木のお陰と言っても過言じゃない。夢野や阿久津の件でも世話になってるし、そのうち何か恩返しでもするべきだろうか。

 

「エロに寛容っつったら、ユッキー先輩もッスよね。もうガードゆるゆるな所がマジで最高ッス! 透けブラどころか鎖骨まで見放題じゃないッスか」

「チビ助ねぇ……悪ぃが俺ぁ幼児体型はちょっとな。クロガネは何でもぃけるクチか?」

「下は小4、上は50・80喜んでッスね」

「だぁーっはっは。保険会社かっつーの」

「いやでもユッキー先輩はブラチラもパないんで、先っちょのピンクが見えないかと試行錯誤してるっス。これはチビ助って言うよりチ○ビ透けッスね」

「どこのオッサンだテメェは? 完全にオヤジギャグじゃねぇか」

「ネック先輩も、ユッキー先輩は良いと思うッスよね?」

「まあ、そうだな」

 

 実はスカートの下はハーフパンツを履いておらず、ダイレクトパンツであるという事実は未だに気付かれてないらしい。正直ブラチラや透けブラに関しては、申し訳ないが俺も目の保養にしている時があったりする。

 それでも冬雪はエロいというより、可愛い部類だろう。アキトはヨンヨンに似ているという理由で萌え対象として見ているし、クラスメイトからもマスコット扱いだ。

 もっとも仮に冬雪が陶芸をしている姿を見たら、そのイメージも少しは変わるかもしれない。一心不乱に集中している職人モードの冬雪は、それこそ心にグッとくるものがある。

 

「後はユメノン先輩ッスね。あ、途中で帰ったポニーテールの人ッス」

「あぁ、ありゃかなりの上玉だな」

「最近気付いたんスけど、ユメノン先輩って隠れ巨乳じゃありません?」

「巨乳って程じゃねぇが、割とぁるようには見ぇたぜ」

「ですよねっ? でもユメノン先輩は、ネック先輩が狙ってるんスよねー」

「ぁん?」

「何でそうなるんだよ?」

「いやいや、今日だって一緒に釉薬掛けしてたじゃないッスか! しかも超楽しそうに!」

「あれは夢野が眠そうだったから、火水木に頼まれただけだっての」

「本当ッスかー? まあ結婚式には呼んでくださいね! オレ余興頑張るんでっ!」

 

 仮に誰かしらと挙げるにしても、コイツを呼ぶのは物凄く不安でしかない。

 最早テツの中では、完全に俺が夢野狙いだと決めつけている様子。一応否定はしているが、今日みたいなものを見せられればそう思われても仕方がないとは思う。

 2079円。

 久し振りに会うことができた今日も、眠そうだったため値段のヒントは結局聞けず。まあ月末の大掃除には来ると言っていたし、その時に聞いてみるとしよう。

 

「最後はツッキー先輩ッスね」

「もぅ一人はいぃのか? テメェと仲が良かった……そぅそぅ、メンチだメンチ」

「メッチッスよ。アレはオレの管轄外なんで」

「下は小4、上は50・80も喜べるストライクゾーンだったんじゃねぇのかよ?」

「それはあれッス。オレは有理数なら何でもOKッスけど、メッチは無理数ッスから」

「つまりアイツは√なりπってことか。中々弄り甲斐があるよぉに見ぇたけどな」

「あんなまな板以下なπのどこを弄るって言うんスか?」

「チビ助も似たようなもんだろぉが」

「いやいや。ユッキー先輩は膨らみありますけど、メッチは0どころかマイナスッスよ」

 

 この会話、録音して早乙女の奴に聞かせたら間違いなく半殺しだろうな。

 確かに早乙女は性格に難ありというか、阿久津を尊敬するあまり周囲が見えていない一面はある。ただ俺が敵視されていたのは自業自得だし、それも少しは見直され始めてきたことを考えても別に悪い奴ではない。

 そもそも管轄外と言っている割に、テツは事ある毎にちょっかいを出していたりする。ひょっとして裏では狙っていたり……いや、流石にそれは考え過ぎだろうか。

 

「それよりツッキー先輩ッス! あのクールな感じが良いッスよね」

「水無月はクールっつーよりドライって感じだけどな」

「いやー、罵られながら踏んでもらったりしたいッス。でも、あの固いガードを抜けてデレたところも見てみたいんスよね。自分にだけ見せてくれる一面みたいな」

「そぅか」

 

 告白して振られた相手ということもあってか、橘先輩の反応はいま一つ。そうとは知らずに脚の魅力について語るテツは、ペラペラ話し続けた後で大きく溜息を吐いた。

 

「はあ…………オレ、彼女が欲しいッス。いつでもおっぱい揉ませてくれる相手が欲しいッス。あーあ、エロいことしても許してくれる美少女が空から降ってきたらいいのに」

「ったく、テメェは何も分かってねぇなぁ」

「何がッスか?」

「良ぃかクロガネ。彼女が欲しけりゃ、相応の努力をしなきゃならねぇ」

「エロテクッスか?」

「違ぇよ。テメェはエロを求め過ぎだ。確かに男ってのはエロぃ生き物だが、世の中にぉける大半の女が男に求めてるものはエロじゃねぇんだぜ?」

「エロじゃないなら、何を求めてるんスか?」

「愛だ」

「それってS○Xじゃないッスか」

「だから違ぇっつってんだろぅが! 女が語る愛ってのはな、もっとロマンチックなもんなんだっつーの。例えば二人で一つのマフラーを一緒に巻くとかな」

「このクソ暑い中でマフラーとか、どんなプレイッスか?」

「例えばっつってんだろぉがゴルァッ! マフラーは冬だ冬っ!」

 

 脳内ピンクな後輩のボケ続きに、流石の橘先輩も一発小突く。俺がコイツの話をスルーしたくなる気持ちも、そのうち分かってもらえるだろう。

 

「いぃか? 女が愛を求める以上、男は性欲を堪えて女の愛に応ぇなくちゃならねぇ。例ぇ彼女ができても、好き勝手にエロぃことができる訳じゃねぇんだぜ?」

「えっ? そうなんスかっ?」

「当たり前だろぉが! 彼女っつーのはエロぃことをしても許される称号じゃねぇんだ。そんな野郎は瞬く間に愛想を尽かされて破局だろぉな」

「じゃあどうすればいいんスか?」

「ここは俺が一丁、テメェらに女の落とし方を教えてやるか」

「バナ先輩、彼女いるんスかっ?」

「今はいねぇ」

「…………」

「…………」

「んなこたぁどぉでもいぃんだよ! とにかくテメェら、俺の後に続ぃて復唱しやがれ!」

「おッス!」



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四日目(金) 橘先輩が嵐だった件

「男が女を落とすにはぁ!」

「「男が女を落とすには!」」

 

「服装や頭髪をしっかり整ぇ!」

「「服装や頭髪をしっかり整え!」」

 

「常にエンターテイナーとして振る舞ぃ!」

「「常にエンターテイナーとして振る舞い!」」

 

「食事は当然のよぉに奢る器の大きさを見せぇ!」

「「食事は当然のように奢る器の大きさを見せ!」」

 

「時には気持ちの籠ったプレゼントを贈りぃ!」

「「時には気持ちの籠ったプレゼントを贈り!」」

 

「他の女には見向きもせずぅ!」

「「他の女には見向きもせず!」」

 

「女の話をしっかりと聞きぃ!」

「「女の話をしっかりと聞き!」」

 

「女の些細な変化にも気付きぃ!」

「「女の些細な変化にも気付き!」」

 

「運命や共感を感じさせぇ!」

「「運命や共感を感じさせ!」」

 

「決して諦めることなくアタックを続けるぅ!」

「「決して諦めることなくアタックを続ける!」」

 

 

 

「以上だっ!」

「…………面倒臭過ぎないッスか?」

「女に好きになって欲しかったら、これくらぃのことはしねぇと話になんねぇな。女のYESは、YESにもNOにもなりやがる。好きに決めていぃなんて言われりゃ答えは一つで、不服な顔をしながらそれでいぃっつーのが女って生き物なんだぜ?」

「うわ……マジッスか……」

「今度は逆バージョンだ。しっかり付ぃてきやがれ!」

 

 

 

「女が男を落とすにはぁ!」

「「女が男を落とすには!」」

 

「脱ぐっ!」

「「脱ぐっ!」」

 

 

 

「以上だっ!」

「「少なっ?」」

「これが男と女の違ぃってもんだ。YESはYESで、NOならNO。嫌なら嫌と主張して、女と一緒とあれば大体エロぃことしか考えてねぇだろぅが」

「そうッスね」

 

 いやいや確かにそうかもしれないし、俺みたいに恋愛経験がないタイプの男なんかは脱ぐどころか優しくされるだけで簡単に落ちるのは否定できない。

 ただイケメンを落とすとなると、女子だって色々と努力していることはあると思う。橘先輩も顔は割とイケメンの部類なのに……やっぱり外見だけじゃなく中身もある程度は必要か。

 

「だが目の前に女がぃるなら、そんな気配は微塵にも見せねぇのがモテる男だ。本当は女の柔らかぃ胸に顔を埋めて甘えてぇところを、グッと我慢して自分の胸に女を抱き寄せる」

「おおっ!」

「勿論世の中にゃエロぃ女もぃるだろぅが、女としては頼りになる男の方が惹かれるに決まってんだ。男が甘ぇてぇ以上に、女は甘ぇてぇと思ってることを忘れんな」

「成程納得ッス!」

「わぁったら、今はエロに焦るんじゃねぇ。その欲求は別の物で発散しろ。生の女を前にグッと堪ぇて、堪ぇて、堪ぇ続けて、初めて道ができんだ。ちったぁ理解できたか?」

「おッス!」

 

 何だかんだ言っても二個上の先輩。人生経験は俺達より豊富な橘先輩の話を聞いて、恋愛に関する見識が深まったような気がした俺は小さく頷いた。

 性欲ダダ漏れなテツも、これを機に少しはまともになってくれるかもしれない。そんな希望の兆しを垣間見ながら、俺は確認のため一旦窯場へと向かう。

 温度の方は依然として問題なく、陶芸室に戻ろうとすると橘先輩が外に出ていた。

 

「どうしたんですか?」

「クロガネがウンコっつーから、ちょっと夜風に当たりにきただけだ。こんだけ絶好のロケーションだってのに男だけで窯番なんてよ、大人ってのは本当に器が小せぇよな。ま、ウチのセンセイはまだこれでも理解ぁる方だけどな」

 

 月の見える夜空を見上げつつ、橘先輩が一人楽しそうに笑う。以前に阿久津達と窯番をした時にも思っだが、静かな夜の学校というのは確かに良いシチュエーションだ。

 

「テメェ、ぁの夢野ってポニテが好きなのか?」

「わかりません」

「誤魔化すんじゃねぇ」

「逆に先輩に聞きたいくらいですよ」

「ぁん?」

「好きって何ですか?」

「何だその乙女チックな質問はよぉ。テメェの好きはどこからだ? 喉からか? 鼻からか?」

「…………」

 

 こちらの質問に対し、橘先輩はどこぞの総合感冒薬のCMみたいに冗談交じりで答える。

 しかし俺の表情を見るなり真面目であることを察したのか、少し黙りこんだ後で深々と溜息を吐くと頭をポリポリと掻きつつ答えた。

 

「好きってのはな、相手を知りてぇと思ぅことだ。趣味、好き嫌ぃ、普段の生活……どんどん興味が沸ぃて、気付けばふとした時にソイツのことばっか考ぇるよぅになる」

「!」

「自分のことも知ってもらって徐々に距離が縮まると、毎日が楽しくて堪らなくなる。一緒にいてぇってなる。辛ぇ時も、楽しぃ時もな。少なくとも、俺ぁそんな感じだったぜ」

 

 …………それは阿久津に対してだろうか。

 そんなことを考えながらも、橘先輩の話を黙って聞く。

 

「好きが何かわからねぇってのは、恋愛経験が少ねぇからだ。他人に興味がねぇか、過去に傷つぃたからもぅ恋愛をしたくねぇとでも思ってんだろ」

 

 そうなんだろうか。

 

「ただなぁ、色々分析したところで好きって気持ちは理屈じゃねぇんだ。小難しぃことを考ぇるよりも所詮は感覚、心にビビッとくるもんなんだっつーの」

 

 そうかもしれない。

 

「テメェの頭ん中には誰がぃやがる? テメェが楽しぃのは、誰と一緒にぃる時だ?」

「…………そうですよね。ありがとうございます」

「けっ。大学で狙ってる女が似たよぉな寝言を抜かしてやがったが、まさかテメェにこんな話をする羽目になるとはなぁ。くだらねぇことしちまったぜ」

「オレの腹、大復活っ! 二人して外で何してるんスかっ?」

 

 話に区切りがついたところで、タイミング良くテツが帰還。陶芸室の中から出てきた後輩を見るなり、橘先輩は大きく欠伸をしてからさらりと答えた。

 

「俺ぁ眠ぃから帰るって話だ」

「えっ?」

「いやいや早過ぎッスよ! まだまだ夜はこれからじゃないッスか!」

「元はと言ぇば、窯番の男がコイツ一人じゃ役不足だと思って来ただけだからな。クロガネがぃるなら俺ぁ必要ねぇだろ。そもそも俺ぁ卒業生、下手したら不審者だぜ」

「そんなことないッスよ! それにもっと色々聞かせてほしいッス!」

「また気が向いたら、そのぅち来てやっからよ。後はテメェらで頑張れや」

 

 あまりにも突然の発言で驚く中、橘先輩は本当に帰るつもりらしく支度を始める。てっきり伊東先生が戻ってくるまで残るのかと思いきや、どういう風の吹き回しなのか。

 

「あぁ、そぉだ。テメェら、連絡先だけ教ぇろや」

「いいッスよ! じゃあオレが読み取るんで!」

「おぅ……ぁん? だぁーっはっは。テメェ、今時ガラケーかよ?」

 

 テツがスマホを出す一方で、俺のガラケーを見て笑う橘先輩。これがクラスメイトや後輩だったら、ガラケーの方が電池は長持ちだぞと張り合うところなんだけどな。

 

「よく言われます。スマホにしたいんですけど、毎月の料金が払えないんですよ」

「そりゃよく調べてねぇからだろぉが。世の中にゃ格安のもぁんだぜ」

「えっ? そうなんですか?」

「仕方ねぇ。クロガネの奴に連絡先送っとくから、後でこっちに送ってこぃや」

「わかりました」

「そんじゃ、達者でな」

「お疲れッス! 今日は色々とあざっしたっ!」

「ありがとうございました」

 

 こうして嵐のように現れた橘先輩は、荒らし……じゃなくて嵐のように去っていった。いざこうして終わってみれば、相変わらず良い人か悪い人かよくわからない先輩だ。

 

「ネック先輩、送りましたよ」

「サンキュー…………ん?」

「どうしたんスか?」

「いや……文字通り嵐みたいな人だったなって思ってさ」

 

 テツから送られてきたメールに表示されていた電話番号とメールアドレス。そして最後に書かれていた橘嵐という名前を見て、俺は笑いつつ答えるのだった。



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五日目(土) メールの最後が膝枕だった件

 橘先輩が帰った後、俺達はコンビニで夜食を購入。まだまだ続く深夜に備えて栄養補給した後は、俺が英単語の記憶を。テツは残っている夏課題へ取り組み始める。

 しかしながら三十分もすると、後輩は集中力が切れて課題を中断。カブトムシを探してくるなどと唐突に言い出し、駐車場で側方倒立回転を始めていた。

 何かやりましょうよと人を堕落へ引きずり込む気満々のテツだが、俺はそれを華麗にスルー。生憎とその手の面倒な輩への対応は、妹で慣れていたりする。

 

「――――――んごぉおおおおおおお……ガギッ……ゴギッ…………」

「…………」

 

 そして現在時刻は日付を回って午前0時半。昼に大丈夫だと豪語していた後輩は、伊東先生が戻って来るまで二時間以上残っているにも拘らず爆睡していた。

 歯ぎしりが激しくなってくると、黙々と英単語を覚えていた俺は一旦休憩。大きく身体を伸ばした後で、三十分に一度の温度確認を行うが一向に問題はない。

 

「んごぉおおおおおおお…………ずびぃいいいいいいい…………」

 

 陶芸室へ戻るなり、盛大ないびきが出迎える。騒音被害を訴えたいレベルにも拘わらず、この凄まじさを知っているのは俺だけというのが今一つ納得いかない。

 何となく悪戯心が沸き、ノートを千切りつつテープを用意。でかでかとペンで『いびきと歯ぎしりがマジでヤバイ』と書いてから、テツの背中にペタリと貼る。

 そしてその姿を写真に撮ると、メール作成画面を開いた。

 

「………………」

 

 昼の時点で眠そうだったし、夢野はきっともう寝ているだろう。

 時間が時間であり下手に起こすのも悪いので、宛先には阿久津のアドレスを挿入。本文に『結局俺一人の窯番になった』と添えて写真付きメールを送信した。

 

「…………」

「んごぉおおおお……ごっ………………」

「っ?」

「…………ずびぃいいいいいいい…………んごぉおおおおおおお…………」

「………………」

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

「!」

 

 時折いびきが止まり不安になる中、送信から二、三分で携帯が震え出す。

 どうやら阿久津は起きていたらしく、返信を確認してから新たに返事を作成した。

 

 

 

『先輩は帰ったんだね。キミは大丈夫なのかい?』

 

『橘先輩なら二時間くらい前に帰ったな。俺の方は昼に寝たからバッチリだ。さっきまでは明後日の勝負に備えて単語を覚えてたけど、見ての通り思わぬ妨害が入った』

 

『それは災難だったね。合宿の時にも言っていたけれど、いびきと歯ぎしりはそんなに酷いのかい?』

 

『60デシベルは軽く超えてるだろうな。掃除機くらい……いや、セミの鳴き声レベルか? 信じられないって言うなら、いっそ録音して後で聞かせてやるぞ?』

 

『それは遠慮しておこうかな。それだけ大きいとあれば、仮にキミがうっかり寝るようなことがあっても目覚ましの代わりになるじゃないか』

 

『今回は大丈夫だっての。そんなに不安か?』

 

『勉強が嫌いらしいキミが単語の記憶なんて眠くなりそうなことをしていると聞いて、少し不安になったかな。まあこうしてボクにメールを返している限りは安心だけれどね』

 

『今は休憩中だからな。そっちはもう寝るところだったか?』

 

『いいや、もう少し起きているよ。話し相手がいなくて退屈なら付き合おうか』

 

『サンキュー。眠くなったらいつでも寝ていいからな。そういや梅の奴は、阿久津から見てどんなもんなんだ?』

 

『屋代に受かるかどうかと言われると、今のところはまだ何とも言えないかな。ただ夏明けは間違いなく伸びるだろうね』

 

『マジか。流石だな。夏期講習代は姉貴に請求しておいてくれ』

 

『単にボクが好きでやっているだけだから、その必要はないよ。それに点数が上がったとしても、それは単にキミと同じで梅君の呑み込みが早いだけさ。指示した宿題もしっかりやってきてくれているからね』

 

『いやいや、阿久津が教えてなかったら絶対あそこまでやらなかったからな。例え梅の呑み込みが早くても、アイツが勉強する気になったのは阿久津のお陰だって』

 

『褒められたところで何も出ないけれど、そう言ってもらえるとお役に立てたようで何よりかな』

 

『夏課題を放り出して遊び始めた後輩を見て、やる気を出させることの難しさがわかった気がしてさ。コイツの宿題の残り具合を見てると、一年前の自分を思い出すよ。これは最終日に徹夜コースだ』

 

『受験を控えた中三の夏と、入学して数ヶ月の高校一年生ならやる気も違うさ。そう思うなら、起こしてあげたらどうだい?』

 

『いや、最終日になって痛い目を見るまでは起こしても無駄だろうな。まあ俺も梅の勉強に付き合わされなかったら、まだまだ課題が残ってただろうけどさ』

 

『キミは昔から溜めこむタイプだったからね。小学生の頃の歯磨きカレンダーだって、最終日になってから一気に色を塗っていただろう?』

 

『あったあった! 青、青、青、青、黄色、青、青って感じで、時々わざと駄目な日を交ぜたりしてたわ。歯磨きカレンダーとか、懐かしいな』

 

『できることなら来年の宿題はしっかり自分で管理してもらいたいところだね』

 

『流石に来年は大丈夫だろ。ってか今気付いたけど、もうちょっとしたら高校生活も半分が終わるんだな。入学したのって、ついこの前じゃなかったか?』

 

『時間が経つのはあっという間さ。前にやった窯の番ですら一年近く前じゃないか』

 

『今日のテツを見てると、あの時の俺はこんな感じだったのかって思うな。色々と迷惑掛けてすいませんでしたっ!』

 

『ボクの苦労がわかってもらえたなら何よりだよ』

 

『本当、サンキューな。陶芸部に誘ってくれたこと、マジで感謝してる』

 

『…………寝惚けているのかい?』

 

『何でそうなるんだよっ? 寝惚けてないっての!』

 

『寝惚けていないとなると、明日は雪だね』

 

『台風なら向かって来てた気がするけど、明日の天気は晴れだったな。いっそ雪でも降って、暑い夏がさっさと終わってくれた方が個人的には助かる』

 

『冬になって修学旅行が終わったら、後はもう受験しか待っていないかな』

 

『それはそれで嫌だな。ってか、俺が礼を言うのってそんなにおかしいか?』

 

『時間が時間だからね。てっきりまた膝枕でもする必要があるのかと思ったよ』

 

『仮にここにいたら、してくれたような口振りだな』

 

『してほしいのかい?』

 

『そりゃしてもらえるなら、してもらいたいけどな』

 

『それならこうしようか。残り四回の英単語勝負でキミがボクに一度も負けなかったら、膝枕してあげても構わないよ』

 

『言ったな?』

 

『できるものならね。この方が、キミも英単語の記憶に熱が入るだろう?』

 

『じゃあそっちが全勝したら、俺が膝枕をしてやる』

 

『どうしてそうなるんだい?』

 

『じゃあ何枕が良いんだ?』

 

『どの枕も遠慮しておくよ。それじゃあ悪いけれど、ボクはそろそろ寝かせてもらおうかな。伊東先生が戻ってくるまでの残り一時間ちょっと、宜しく頼んだよ』

 

『おう。付き合ってくれてサンキューな』

 

 

 

「…………」

「――――んごぉおおおおおおお――――」

「………………」

「――――ガギギッ! ゴギャッ……ずびぃいいいいいいい――――」

「おっしゃ!」

 

 気合いが再注入された俺は、いびきなど気にも留めず英単語の記憶を再開する。

 月曜の分だけじゃなく火曜、木曜、金曜の範囲も覚えていると、気付けばあっという間に午前三時となり伊東先生が帰還。そして寝ているテツの破壊力(物理)を見るなり、苦笑いを浮かべるのだった。



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九日目(水) 文化祭準備が博多弁だった件

 夏休み終了まで残り一週間を切る中、今日は文化祭準備のために登校。クラスメイト全員が協力的なんてことは当然なく、集まっているのはほんの二、三割程度だ。

 もっとも去年の俺も準備には一度も行かず、参加したのは当日の店番だけ。今年は仕切っているのがアキトであることと、当日のオカマ役を回避するため参加しているだけに過ぎなかったりする。

 

「第一回!」

「チ、チキチキ!」

「御伽噺4コマ大会だお!」

「「「イエーイ!」」」

 

 七枚前後の花紙をまとめてハリセンのようにジグザグに折り、真ん中を輪ゴムで止めてから一枚ずつ広げ花にするという単調な作業を繰り返す中で大会は始まった。

 卓を囲んで花紙を折っている男は四人。向かいに座っている女子っぽい声の男子こと相生葵(あいおいあおい)は準備に協力的ではあるものの、残念ながらオカマ役は強制らしい。まあ間違いなく人気ナンバーワンになるだろうから仕方ないか。

 

「…………何言ってんだお前ら……?」

 

 素っ気ない反応を返したのは斜め前に座る寡黙な男、渡辺(わたなべ)

 今まで準備には一度も参加していなかった男、渡辺。

 うっかり夏課題の答えを失くした男、渡辺。

 アキトに解答を借りるついでに手伝いに来た男、渡辺。

 文化祭ではオカマの男、渡辺。

 葵が男からの推薦が多かったことに対し、イケメンなコイツは女子からの推薦が多かったらしい。他のメンバーも面の良い奴ばっかりだし、オカマですら所詮は顔なんだな。

 

「そういえば渡辺氏は初参加ですな」

「渡辺。考えるな、感じろ」

「無茶言うなよ……」

「え、えっと……僕もルールを聞きたいんだけど」

「とりあえず最初は拙者が4コマ目を担当するので、渡辺氏、相生氏、米倉氏と反時計回りで順番に御伽噺っぽいワンフレーズを言っていけばおkだお」

「エントリーナンバー一番。アキト選手のオチをどうぞっ!」

 

 

 

「…………? 昔々……」

「お、お爺さんとお婆さんは」

「老眼で」

「桃に気付かなかったとさ」

 

 

 

「えぇっ?」

「息ピッタリだなお前ら……」

「おおっと! これは中々の高評価! 優勝は決まりでしょうかっ?」

「実にナイスなアシストだったお」

 

 バチンとハイタッチを交わす俺とアキト。我ながら中々のキラーパスだったが、それを華麗なゴールへと瞬時に変えたコイツのアドリブ力は流石と言ったところか。

 要するに一人一人が起承転結を担当して物語を作る訳だが、重要なのは3コマ目の転。これ次第で、場合によっては方向を180度変える必要がありそうだ。

 

「エントリーナンバー二番は米倉氏のオチだお。最初の3コマは拙者、渡辺氏、相生氏の順ですな」

「う、うん」

 

 

 

「ウサギ氏、ウサギ氏。このカチカチという音は何でござるか?」

「確かカチカチ鳥……だったか……?」

「い、一方その頃、亀さんは?」

「虐めてきた子供達を返り討ちにしていました」

 

 

 

「えぇぇっ? そっち?」

「ん? あっ! 何でいきなりカメなのかと思ったら、ウサギとカメってことか!」

「カチカチ山にウサギとカメ、そして浦島太郎のコラボレーションだお」

「まさか葵がそんなトリッキーなパスを出してくるとはな。くそ、芸術点は無しか」

「芸術点って何だ……?」

「エントリーナンバー三番は相生氏ですな。米倉氏、拙者、渡辺氏と回してきたパスを、華麗に落としてもらうお」

「じ、自信ないなあ」

「安心しろ葵。刀抜けって」

「えぇぇぇっ? 力じゃなくてっ?」

「よし、行くぞ!」

 

 

 

「時は世紀末っ!」

「世界は核の炎に包まれる中っ!」

「…………お爺さんとお婆さんは、こう言いました……?」

「わ、ワシの名前を言ってみろぉ!」

 

 

 

「…………」

「…………」

 

『パチパチパチパチ』

 

「えっ? 何で拍手なのっ?」

「アドリブ力が上がったな、葵」

「父さん、嬉しいお」

「えぇっ?」

「…………今の、御伽噺か……?」

「さあ最後を飾るのはエントリーナンバー四番、渡辺選手です!」

「ぶっちゃけ渡辺氏がどんなオチを作るのか、楽しみでござる」

「じ、じゃあ始めるよ?」

「ん……」

 

 

 

「な、夏休みのこと」

「火水木アキトは」

「聖戦に行ったでござる」

「…………それがいけなかった……」

 

 

 

「拙者に一体何があったのでっ?」

「そう口にしたアキトの背中には」

「えぇぇっ? 続くのこれっ?」

 

 最終的には『いつ・どこで・誰が・何をしたゲーム』っぽくなりつつ、用意された花紙を全て折り終えたため戯れは終了。俺と渡辺は内装、アキトと葵が外装に取り掛かる。

 ちなみに教室内には俺達同様に『HEYHEYお姉ちゃんお茶しない?』と書かれた、普段着には絶対できそうにないクラスTシャツを着ている仲間達が片手で数える程度。その中には冬雪もおり、仲良しの友人である如月閏(きさらぎうるう)の手伝い中だ。

 前髪で目を隠し後ろ髪を編み込んでいる人見知りな地味っ子は、喫茶店のシンボルともいえる看板を制作中だが、美術部ということもあって流石に絵は上手い。

 

「……ルー、ここは?」

「ぃ」

「……わかった」

 

 相変わらず消え入りそうな小声は聞き取れないが、冬雪にはしっかり伝わっている様子。この二人、そのうちテレパシーでも使えるようになるんじゃないか?

 如月がデザインした看板の背景が冬雪によって塗られる中、俺と渡辺は教室内の装飾を現時点で可能なものだけ進めていく。

 先程作った花を壁に留めていったり、涼しさを醸し出すため天井からスズランテープを垂らしたり。最終的には風船を大量に用意し、ほんわか空間にするらしい。

 

「こんなもんか……?」

「だな。アキト、ちょっと確認頼むわ」

「了解でござ…………おうふ。何かと思えば、スズランテープだったお」

「何に見えたんだ?」

「いや、単に得体の知れないものに見えまして。最近眼鏡の度が合ってない気がするので、そろそろ新しいのを買おうか悩んでるお」

「アキパンマン、新しい眼鏡よ!」

「視力百倍、アキパンマン!」

「百倍ってヤバくないか……?」

「「確かに」」

 

 仮に元の視力が0.1でも百倍すれば驚きの10。マサイ族といい勝負だ。

 アキトに確認してもらっている間、外装はどんな感じかと様子を見に行く。成程成程、この怪しさなら一般客はまず間違いなく立ち寄らないだろうな。

 

「こ、こんなので大丈夫なのかな?」

「まあ企画が企画なんだし、物好きしか来ないだろ」

「そ、そうだよね」

 

 屋代学園は昇降口を抜けると、大きな吹き抜けのハウスホールが広がっている。一年から三年までの教室が見渡せる構造のため、俺達のクラスが異様なのは一目瞭然だ。

 梅の奴が来るようなことを言っていたが、このA級危険区域には近寄らないよう伝えておこう。部屋の中はアイテムのないモンスターハウスで、敵と罠がいっぱいだろうしな。

 

「そ、そういえば櫻君、夢野さん最近どう?」

「夏はあんまり陶芸部に来てなかったけど、音楽部の方に行ってたんじゃないのか?」

「えっ? お、音楽部の方も最近休みがちだったから、てっきり陶芸部に行ってるんだと思ったんだけど……そ、それにたまに来ても、何だか凄く眠そうだったから……」

「ああ。こっちでも眠そうだったな」

 

 音楽部でもないとなると、残る可能性はバイトだろうか。

 今日みたいな文化祭準備の日は、乾いた喉を潤すため行きや帰りにコンビニへと立ち寄ることが多かったが、確かに夢野の姿は割とよく見掛けていた。

 

「そ、それに音楽部の合宿にも今年は不参加だったから、何かあったのかなって」

「合宿も……? そうか。今度会ったら、少し聞いてみようと思うわ」

「う、うん。ありがとう」

 

 夢野に振られた後も、葵は俺を恨むことなく自然に接しくれている。そして今でも時々夢野のことを心配し、気に掛けているようだ。

 心優しい友人に応じた後で再び教室へ。ふと傍らへ目を向ければ冬雪がポツンと一人で作業しており、一緒にいた如月の姿が見当たらない。

 どこへ行ったのか気になりつつも、アキトからオーケーを貰い今日の作業は終了。渡辺が課題の解答を欲する中、俺は尿意を催しトイレに向かった。

 

「ん?」

 

 トイレ傍にある自動販売機の陰で、携帯電話を耳に当てている如月を見つける。

 どうやら通話中らしいが、話している声も相変わらずの小ささ。受話器の向こうにいる相手には通じているのかと疑問に思いつつ、そのままトイレに向かおうとした。

 

「そげなこつで電話してきよったと? お兄ちゃん」

「!?」

「確か洗面所に置いたばってん」

 

 聞き間違いかと思い、自分の耳を疑う。

 慌てて足を止め、物陰に隠れると耳を澄ませた。

 

「あったんよ?」

「…………」

「だから何回も言うてるやろ?」

 

 如月は独特の訛り口調で、囁くように喋る。

 そんな少女の意外な一面に興味が沸き、俺は思わず聴き入っていた。

 

「もう切るちゃ」

「………………」

「米倉氏ぃーっ! 拙者にヨーグル一本オナシャス!」

「っ?」

 

 如月の電話が終わるなり、タイミング悪くアキトの大声がホールに響く。

 自販機傍にいた俺を見て教室から声を掛けるという行為に、普段なら二つ返事で答える所だが、今日に限っては両手で頭の上に丸を作って答えた。

 ――――が、当然の如く如月は気付く。

 

「あ…………よ、よう!」

 

 俺を見るなり硬直していた少女を前に、とりあえず挨拶をした。

 しかし如月は完全に混乱しており、どうして良いのかわからないらしくオロオロしている。

 

「ま、まあ落ち着けって」

 

 冬雪レベルの無口なら中学にもいたが、如月レベルは滅多にいない。二次元なら萌え要素でも、リアルだと大人になって大丈夫か不安なコミュ症でしかないもんな。

 だからこそ如月の存在は衝撃的だったが、こうして超絶無口だった理由が何となくわかった今となっては、慌てる本人とは真逆に安心さえ覚えてくる。

 それを踏まえた上で、俺は何と言うべきか。

 考えに考えを重ねた結果、未だに困惑している少女に親指を立てつつ答えた。

 

「博多弁、俺も最高だと思うですたい!」

「~~~~~~っ」

 

 

 

『如月閏は逃げ出した!』

 

 

 

 前にも見たことのある、経験値を沢山持ってそうな華麗なる脱走。どうやら返すべき言葉を間違えたらしいが、別に方言くらいで恥ずかしがる必要はないと思うんだけどな。

 トイレで用を足した俺は、頼まれていた乳酸飲料を購入して教室に戻る。如月はどこへ行ったのか戻ってきていないようだが、友人である冬雪は彼女の秘密を知っているんだろうか。

 

「ほれ。人件費含めて500円な」

「どう見ても暴利です、本当にありがとうございました。ところで先程、如月氏が走り去っていくのがチラリと見えましたが何かあったので?」

「あー、何て言うか……いや、多分お前に話したら刺激が強過ぎて死ぬからやめとくわ」

「何があったのでっ?」

 

 まさか無口な目隠れのロリ巨乳(?)に加えて、実は博多っ子の妹キャラなんて都市伝説みたいな萌え要素の集合体がこんな身近に実在してたなんてな。ビックリですたい。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「いらっしゃいませ……」

 

 帰り際にいつものコンビニへ寄ると、今日もレジには夢野がいた。

 しかし入店した際に最初に聞こえてきた挨拶は、やはり普段に比べて元気がないというか、どことなく疲れている声に聞こえなくもない気がする。

 

「あっ!」

 

 俺が来たと気付くなり笑顔を見せてくれた夢野に応えつつ、いつもの桜桃ジュースとガム類を購入。レジへ向かうと、財布から500円玉を取り出した。

 

「お会計、380円になります」

「あ、袋なしで」

「はい。かしこまりました。500円からお預かりします」

「大丈夫か?」

「え?」

「いや、最近忙しそうだからさ」

「うん。大丈夫。もしかして、心配して来てくれたの?」

「まあな」

「ふふ。ありがと。120円のお釣りと、レシートのお返しです」

 

 仕事に関しては慣れていることもあり、卒なくこなしているらしい。

 夢野の様子が何となく気になるが、後ろに客が並んでいたため撤退。お釣りとレシートを受け取った俺は、仕事に勤しむ少女を眺めつつコンビニを後にするのだった。



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十一日目(金) 昼食がチャーハンだった件

『――――ヒュオオオオオオオオオ――――』

 

「ねえお兄ちゃん、forgotってどういう意味だっけ?」

「忘れた」

「も~、これだからお兄ちゃんは~。ミナちゃん先生、forgotとは?」

「忘れた」

「ヴェエエエッ?」

 

『――――ヒュオオオ……ビュオオオオオオオオオ――――』

 

 本日は梅講習の最終日。わざとボケてるんじゃないかと思うような質問をする妹をよそに、台風が近づいてきている外では風が激しい音を立てて一段と強く吹き荒れていた。

 窓越しに空を見れば、今にも雨が降り出しそうな一面の灰色。厚く覆われた雲は移動しているのが数秒でわかるほど速く動いており、遠くにある木々は風によって激しくしなっている。

 

「forgotはforgetの過去形。forgetは忘れるだよ」

「な~んだ。ビックリした~」

 

『――――ビュワアアアアアアア――――』

 

「うわ~、風、どんどん強くなってるね~。あっ! 見て見て! 袋飛んでる!」

「そりゃまあ、台風だからな」

「さて梅君。台風は何が発達したものだったかな?」

「はいは~いっ! 熱帯低気圧!」

「正解」

「えっへん! もうこれは合格確定でしょ~。発表日当日の掲示板には118、119、120、米倉梅、121、122……テッテレーッ! 梅、大勝利~」

「いやおかしいだろそれ。お前の番号は120、5か? 完全に裏口入学じゃねーか」

「しかも一人だけ実名で、単なる公開処刑になっているね」

 

 学力云々以前に、一般常識関係で不安しかない。本当にこんなのが大人になって大丈夫なんだろうか?

 

「あ、雨降ってきた」

「そろそろ本格的に強くなってきそうかな」

「ねえねえミナちゃん、今日のお昼どうするの?」

「いつも通り、一旦帰る予定だよ」

「この風と雨の中で?」

「家はすぐそこじゃないか」

「それでも濡れるってば! せっかくだし、今日はウチで食べていこ~」

「濡れるくらい問題ないけれどね」

「ま~ま~、そんなこと言わずに~。お世話になってるお礼だから!」

「…………そういうことなら……少し電話してくるよ」

 

 昼は要らないと親に伝えるためか、阿久津は携帯を片手に立ち上がり部屋を出る。確かにこの風雨となると、例え家が近所で傘を差していようと多少なりは濡れるだろう。

 俺に向けてドヤ顔を見せてきたのは猛烈にウザいが、間の抜けた発言から一転して中々に気の利いた提案をした我が妹。しかし名案ではあるものの、ここで一つ疑問が生まれる。

 

「なあ梅」

「ん~? ミナちゃんと一緒にお昼できて嬉しいなら、お礼はシュークリームがいいな~」

「アホか。それより昼飯、どうするつもりだよ?」

 

 大人に夏休みはなく、父は学校へ事務作業に。母は病院へ看護に行っており、我が家には相変わらず俺と梅しかいない。そして余裕がある時は母上が冷蔵庫に昼御飯を用意しておいてくれるものの、今朝はドタバタしていたらしく何もなかった。

 普段なら冷凍食品やインスタントのラーメンで済ませるところだが、ウチで食べていけと偉そうに言っておきながら流石にそれはどうかという話だ。

 

「大丈夫大丈夫。梅が作るから」

「それが一番駄目な選択肢だな。お前は阿久津を殺す気か?」

 

 メシマズ嫁なんて言葉があるが、ウチの場合はメシマズ妹。まあこういう奴が将来的にはメシマズ嫁になるんだろうなと思わずにはいられなかったりする。

 例えばカレー一つを作るにしても、パッケージの裏にはしっかり作り方が記載済み。しかし梅の奴は目分量で量ったり、工程を逆にしてしまったりというおっちょこちょいだ。

 その結果として先日完成したのはトロトロじゃなくサラサラなルーであり、上から掛けても透過して御飯の下へ沈み込むという前代未聞のカレー。ついでに言えば入れた筈のジャガイモに関しては、煮込み過ぎたせいか消滅したとのことだった。

 

「お兄ちゃん酷~いっ! そんなことないもん! 梅のオカズとか最高でしょ?」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ? あっ! そ、そういう意味じゃないもん!」

「お?」

 

 どうやら最近になって、ようやくその手の知識を学んできたらしい。今までは知能が小学生のままで、オッパイとか口にするだけで喜ぶようなアホだったからな。

 

「っていうかお兄ちゃんだって、料理できないじゃん!」

「カレーとかシチューとかチャーハンくらいならできるし、レシピさえ調べれば大抵の料理はその通りにやれば作れるっての」

「そんなの、二十歩百歩だもんね~」

「それを言うなら五十歩百歩だろ。減った三十歩はどこへいった?」

 

 確かに梅の言う通り、俺が料理をすることなんて滅多にない。というかアニメに出てくるような料理の上手い男子高校生なんて奴、クラスに一人いるかどうかだ。

 思えば中学時代に家庭科の調理実習でやったジャガイモの皮剥きでは、一緒の班だった仲間達が驚くような軽量化に成功。まあ指を切るのが怖いからと、皮剥きじゃなくてゴボウとかでやるような『ささがき』をしていれば当然の結果である。

 そもそもリンゴじゃあるまいし、ジャガイモの皮なんて茹でた後でゴシゴシやれば簡単に剥ける件。仮にそのまま剥くにしても、ピーラーという文明の利器があるんだよな。

 

「何の話だい?」

「あっ! ミナちゃん、お昼はお兄ちゃんが作るって~」

「櫻が? 大丈夫なのかい?」

「ほらね~?」

「まあ待てって。なあ阿久津。梅と俺、どっちの作った昼飯がいい?」

「…………ボクが作るという選択肢を増やそうか」

「「何でっ?」」

 

 当然ながら客人に作らせるなんて選択肢は却下するも、結局は阿久津の提案によって三人で協力して作るということに決定……というか上手い具合に言い包められた。

 午前の勉強の最後は阿久津との英単語勝負で締めくくり、昼を迎えるなり俺達は一階へ。三人が入るには少し狭い台所にて、冷蔵庫の中身を確認しメニューを考える。

 

「で、何にする? 御飯ならあるぞ」

「さっきお兄ちゃんが作れるって言ってたチャーハンは?」

「ボクは構わないよ」

「じゃあ梅は卵を溶いてくれ。俺が切るから、阿久津は皮を剥いてくれるか?」

「え~? 梅、皮剥きがいい~」

「それなら梅が皮剥きで、阿久津が卵溶きな」

 

 ピーラーを持たせることすら不安な妹を考慮した割り当てだったが、芽をちゃんと処理しておかないと地獄を見るジャガイモのような具材もないので良しとしよう。

 よくよく考えればコイツは卵一つ割らせても殻が入るとか以前に暴発させそうで充分危なっかしいし、何をやらせても大して変わらないかもしれない。

 

「見て見てお兄ちゃん! 梅の皮剥きテクニック!」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ?」

 

 駄目だこの妹……早く何とかしないと……。いっそミナちゃん先生が保健体育も懇切丁寧に教えてくれると、こちらとしては物凄く助かるんだけどな。

 ぎこちない包丁捌きでウィンナーを切り終え、梅が皮を剥き終えた人参を受け取る。適当に小さく切り終わった後で何やら視線を感じて振り返ると、卵を溶き終えた阿久津がジーっとこちらを見ていた。

 

「どうしたんだ?」

「いや、ちゃんと猫の手で切っているところが微笑ましくてね」

「え? 何かおかしいか? だって家庭科でこう習っただろ?」

「確かにそうだけれど、何というかこう……見ていて面白いかな」

「何でだっ? ちょっと阿久津切ってみてくれよ」

「まあボクも上手いという訳じゃないけれどね」

 

 包丁と長葱を受け取るなりトン、トン、トンと俺よりは手際よく切る阿久津。慣れていると言う程ではないが、母親が専業主婦だし料理をする機会なんて少ないか。

 

「でもミナちゃん、お兄ちゃんより上手だよね。梅、感動して涙が出てきちゃった」

「それは葱を切ってるからだろ。口から息を吸って鼻から吐けば出なくなるぞ」

「そういうお兄ちゃんトリビアとかいいから!」

「玉葱ならともかく、長葱でも駄目なのかい?」

「うん。梅、涙腺弱いから」

「いや関係ないだろそれ。しかも人の包丁捌きで感動って、どんな涙腺だよ」

 

 涙が出る理由は、切った時に出る硫化アリルという成分。特に玉葱は断面が大きいため揮発する量も多く涙が出やすいが、人によっては長葱でも充分に効果はある。

 そんなトリビアを語りつつ阿久津が豚肉を切った後で、フライパンに油を引いて卵を投入。少ししてから切った野菜や肉を適度に炒め、その後で御飯を入れた。

 ついでにスープでもあればと、鍋に水を入れてから空いているコンロで火に掛ける。

 

「ね~ね~お兄ちゃん、あれやってよ! あれ!」

「あれって何だよ?」

「ほらほら、テレビとかで料理の人がやってる、こういうやつ」

 

 梅が片手でフライパンを激しく振るようなジェスチャーをする。どうやら鍋振りのことを言いたいようだが、料理が不得意な俺には当然できる訳がない。

 

「やるとご飯がパラパラになって美味しいっていうけど、まあ確実に無理だな」

「じゃあ梅がやるから貸して!」

「やっても良いが、条件がある」

「何?」

「仮にこぼした場合、それは全てお前のチャーハンだからな?」

「じゃあやだ! ミナちゃんやって~」

「生憎と、ボクも鍋振りは無理できないよ」

 

 梅のアホみたいな提案を却下しつつ、インスタントの素を使って作ったスープと共にチャーハンが完成。三つの食器へと盛り分ける中、阿久津はジーっと食器棚を眺めている。

 

「どったのミナちゃん?」

「いや、櫻が作った陶器を見ていてね。普段から使っていたりするのかい?」

「うん! これとかよく使ってるよ」

 

 佃煮や黒豆、漬け物などちょっとしたおかずを出す場合に使っている陶器を取り出す梅。本当は小さくなってしまった失敗作の湯呑なんだが、エメラルドグリーンな色が良いためか割と好評だったりする。

 

「梅もマイ湯呑作りたいな~。ね~ね~ミナちゃん、文化祭で陶芸体験とかできないの?」

「部員が多ければ体験コーナーを作ることもできるかもしれないけれど、今は正直販売だけで手一杯かな」

「そっか~。それなら絶対に合格しないと!」

「そのためにも、しっかり栄養を補給して午後に備えてもらいたいね」

「うん! いっただっきま~す!」

「「いただきます」」

 

 席に着くと、料理を前にして両手を揃える。こうして三人でテーブルを囲んでの食事なんて小学生以来……いや、親抜きということを考えると初めてかもしれない。

 炒めるのに若干苦戦したチャーハンも中々の出来で、スープと合わせたこともあり阿久津と梅には満足してもらえた様子。雑談を交えながら、俺達は昼食を充分に堪能した。



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十一日目(金) 得点が偏差値だった件

「午後も宜しくお願いします! 赤ペン先生!」

「今日は過去問を解いてもらう予定だよ」

「洗い物はお願いします! 赤点先生!」

「誰が赤点先生だ。やっといてやるから、頑張ってこい」

「わ~い! お兄ちゃんありがと~っ! ふんっ!」

「うぼぇっ! 何しやがるっ?」

「一日一万回! 感謝のせいけんづき!」

「使い方が違うだろそれっ!」

 

 食後のデザート感覚で定価30円の棒付き飴を咥える幼馴染を眺めつつ、二人が二階へと上がる中俺は使った食器類やフライパンを洗っておく。

 その後で部屋に戻るなり、視線の合った阿久津が指を顔の前に当てシーっというジェスチャー。どうやら県で行われている模擬試験の過去問を、時間を計って解いているらしい。

 

「…………」

 

 普段なら「う~」やら「あ~」の呻き声が聞こえるところだが、練習とはいえ本番を意識して臨むよう事前指導でもあったのか、梅はいつになく真剣な様子だ。

 一教科50分で、合間合間に休み時間が10分。休憩を迎える度にやれ解けただの、やれ難しかっただのと騒がしくはなるが、それでも普段に比べれば静かな方か。

 当然のように阿久津は黙々と勉強しているため、外の風音だけがやたらと耳に入る。台風は接近してきているのか一段と強くなっていく中で、五教科全てが終わった頃には時間も六時を迎えた。

 

「さて、結果発表といこうか」

「お願いします!」

 

 阿久津が梅の前に出した紙を、俺も横から覗きこむ。

 

 

 

・国→54

・数→64

・英→56

・理→67

・社→60

 

 

 

 …………まあ、夏前に比べれば少し成長したってところだろうか。

 全体的に良くも悪くもない点数。これといって苦手科目があるという訳ではないが、80点、90点に達するような得意科目があるという訳でもない微妙な結果だ。

 平均点が低くなりがちな数学は良いかもしれないが、恐らく他四教科の偏差値は大体40後半~50前半程度。偏差値60ちょっとの屋代にはまだまだ程遠い。

 

「平均偏差値は三教科がジャスト58、五教科は60.2だね」

「ん……? ちょっと待て阿久津。今偏差値って言ったか?」

「言ったけれど、どうかしたのかい?」

「えっ? まさかこれ、点数じゃなくて偏差値なのか?」

「点数の方も見るかい?」

 

 阿久津はそう言うと、梅が解いた答案用紙を俺の前に差し出してきた。

 

 

 

・国→66点

・数→68点

・英→60点

・理→83点

・社→73点

 

 

 

「…………」

 

 ちょっとどころじゃなく、以前に比べて格段に成長している結果に思わず呆然。特に理社なんて前は50~60点だったのに、一目で分かるほど点数が伸びている。

 

「これなら合格圏には充分届いているかな」

「いやった~っ! やっしろ♪ やっしろ♪ やっしっろ~♪」

「喜ぶにはまだ早いよ。梅君は内申の方はどうなんだい?」

「内申?」

「通知表の数字だよ」

「それは……あんまり……」

「最終的には内申や資格も係わってくるから、目標は安全圏だね。数学と理科はよくできているけれど、国語と英語、それに点の取りやすい社会はもう少し頑張れそうかな」

「え~?」

「とは言っても夏休み前に比べたら、この一ヶ月で格段に成長はしているよ」

「うわ~い! ヒュ~ヒュ~ドンドンパフパフ~っ! ちょっといい気分~♪」

「調子に乗ってると、夏明けの模擬試験で痛い目見るぞ?」

「そんなことないもん! 学年ビリのギャルだって偏差値40上がったんでしょ?」

「よそはよそ、ウチはウチだからな」

 

 夏休み前までは東大レベルの人間とヤンキーが一緒のクラスにいるだの、同じ試験を通過してる筈なのに四則演算すら怪しいアホだっている筈だのと漫画の話ばかり出してきたが、現実的な話を例に挙げるようになった辺りでも少しは成長したらしい。

 テンションが上がりに上がって、とうとう謎ダンスまで始める梅。何だかんだで必死に頑張ってたみたいだし、今は妹の成長を素直に喜ぶべきか。

 

「さてと、それじゃあボクは――――」

 

『――――ビュオオオオオンビュワアアアアアアア――――』

 

「…………」

「………………」

「風も雨も、昼より酷くなってるな……」

「ね~ね~ミナちゃん。せっかくだし、今日は泊まっていったら?」

「家はすぐそこだし、流石にそれは迷惑だろうから遠慮しておくよ」

「全然迷惑じゃないってば! 梅、よくマーちゃんとかミーちゃん呼んで御泊まり会してるし、ミナちゃんともパジャマパーティーしたいもん!」

 

 確かに長期休みになると、一回は梅の友達が泊まりに来てる気がする。

 俺のゲーム機を借りてワイワイするのは別に良いんだが、トイレとか行った際に偶然鉢合わせた時の気まずさと言ったら……多分あれ、部屋に戻った後で話題にしてるよな。

 

「お風呂はウチで入っていけばいいし、パジャマはお母さんのがあるから大丈夫!」

「何で母親をチョイスしたっ? そこは自分のか、せめて姉貴のを提供しろよっ!」

「ちゃんとお客さん用の布団だってあるし、何なら梅のベッド大きいから二人でも大丈夫だよ!」

 

 …………コイツの友達から、蹴落とされたって被害報告は無かったのか不安になるな。

 梅の言葉を聞いて阿久津は悩んでいる様子。別に俺の部屋で寝る訳じゃないし、俺としては泊まっても泊まらなくても大して関係なかったりする。

 ただこの風じゃ数メートルを歩くのも大変だろうし、下手したら何が飛んでくるかわからない。家が目の前とはいえ、台風の中で帰らせるというのはいただけない話だ。

 

「あー、もし梅の部屋で寝るのが嫌なら、姉貴の部屋も空いてるぞ?」

「いや、別に梅君の部屋で寝ることは構わないけれど……いいのかい?」

「勿論!」

「…………そういうことなら、ちょっと待っていてくれるかい? 電話して聞いてみるよ」

 

 昼の時同様に、阿久津は親へ電話を掛けるため携帯を片手に部屋を出る。するとまた梅が、俺に向けて猛烈にウザいドヤ顔……ドヤヤ~ンフェイスを見せてきた。

 

「梅、お礼はホールケーキがいいな~」

「アホか。ちゃっかりシュークリームから変わってんじゃねーか」

「ふふん。梅、もうアホじゃないもんね~」

「後で阿久津にちゃんとお礼言っておけよ。それこそシュークリームでも買うとかな」

「え…………で、でもでも、ミナちゃんならきっと「お礼なんかよりも、ボクとしては良い点を取って来てくれる方が嬉しいね」とか言いそうだもん!」

「確かに」

 

 その通りではあるが、俺同様に金欠であり明らかに金を払うのを渋った妹が言うと説得力に欠ける。しかしコイツ、相変わらず阿久津の真似が上手いな。

 

「お兄ちゃんもミナちゃんにしごいてもらったら?」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ?」

 

 いきなりナニを……じゃなくて、何を言い出したのかと思いきや勉強をってことか。

 梅がワクワクしながら待っている中、俺は部屋を出ると廊下で受話器に耳を当てている阿久津の前を通り過ぎてトイレに向かった。

 

『――――ビュワアアアアアアア――――ガガンッ――――』

 

 しかし本当に風が強いな。

 どうやらどこかで何かが吹き飛ばされたのか、物の倒れるような音が聞こえてくる。打ちつけるような雨の激しさを感じつつ、俺は用を足すとトイレから出た。

 

「――――――――駄目かな?」

「?」

「確かにそうだけれど、どうしても駄目?」

 

 どうやらまだ阿久津は電話中らしく、階段の上から声が聞こえてくる。

 お堅い家の阿久津家は事前に約束した宿泊ならともかく、唐突な泊まりは本来なら許されないルール。もしかしたら今回も目の前なんだし帰ってきなさいと、ある意味ごもっともな正論を言われているのかもしれない。

 

「今回だけ大目に見てもらえませんか?」

「…………」

「お願いします」

 

 きっと阿久津の親だけあって、阿久津もタジタジな論破をしているんだろう。何となくその姿を見るのも悪いと思い、俺は二階へ上がらずに階段の下で待機していた。

 

「久し振りに梅君と……それに櫻とも話がしたいんだ」

「!」

「…………うん。うん、大丈夫。ありがとう、お母さん」

 

 やがて通話を終えた少女は、梅の部屋へと戻っていったのかドアの開く音がする。家が目の前かつ親同士が親しいということもあってか、どうやら今回は奇跡的に宿泊の許可が下りたらしい。

 こうして阿久津の泊まりが決定する中、幼馴染の口から意外な言葉を聞いた俺は、大して関係ないにも拘わらず無駄にテンションが上がるのだった。



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十一日目(金) 部屋の片づけは万全だった件

 阿久津の泊まりが決まった直後に母親から、そこから少し遅れて父親からも、共に台風のせいで帰りが遅くなるという連絡が入ったため夕飯はまたもやセルフになった。

 女子会と言ったら鍋かタコパと盛り上がる梅だが、そんな都合良く冷蔵庫の中に鍋やらたこ焼きの具材が揃っているなんて筈もない。結局葱を切って麺を茹でるだけと、シンプルかつ夏バテにも優しい蕎麦で済ませた。

 

「おい、何で俺一人なんだ?」

「だってお兄ちゃん、無駄に強いじゃん」

「当然のチーム分けだね」

 

 その後は両親がいないというのを良いことにリビングを占拠しつつ、俺も交じってのゲーム大会が開始。リモコンを振って遊ぶゲーム機を使い、スポーツだのリズムゲームだの大乱闘だのを数時間に渡り楽しんだ。

 やがて時間を見た俺は途中で抜けると風呂を洗い、沸かしている間に皿を洗う。本来なら片方は梅に任せるつもりだったが、久々に阿久津と遊べたことがよっぽど嬉しいのか、いつになく楽しそうだし今日は特別にサービスしてやろう。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん! お風呂にこれ入れてっ!」

「うんこ入浴剤……まだ残ってたのかよ?」

「最後の一個、ラストうんこです! あ、クイズにするからミナちゃんには内緒ね」

 

 何でも去年の誕生日に友達からプレゼントで貰ったとのこと。箱を開けて中を取り出すと、ソフトクリームみたいにとぐろを巻いた巻きグソ型の入浴剤が出てくる。

 うんこと言っても匂いはバラの香りであり、湯船に投入した後の色も抹茶色。これが何の入浴剤かと言われて、うんこと答えられる人間は早々いないだろう。

 てっきり二人は一緒に入るものかと思ったが、そんなこともないらしい。うんこ風呂(こう言うと物凄く嫌だな)には俺→梅→阿久津と三人で交代に入っていった。

 

「お」

 

 風呂から上がった後は自分の部屋でのんびり。祭りが終わった後の如く普段通りに過ごしていたが、トイレから出た際に風呂上がりの阿久津と偶然出くわす。

 当然ながらバスタオル一枚なんてことはなく、着ているのは梅から借りたパジャマ。それでも阿久津のパジャマ姿という、滅多に見ないレアな恰好は中々に新鮮だ。

 

「やあ。お風呂、ありがたくいただかせてもらったよ」

「おう」

「梅君から問題を出されているけれど、あれは何の入浴剤だったんだい?」

「それは後で梅に聞いてくれ」

 

 自然体かつ無防備な雰囲気を放つ阿久津の後に続き、階段を上がっていく。ドライヤーで乾かされた長髪が揺れると、ふんわりとシャンプーの良い香りがした。

 梅講習中は基本的にシュシュで留めたポニーテール姿だったため、八月に入ってから髪を下ろしている姿を見たのは釉薬掛けの時くらい。久し振りだからか、はたまた風呂上がりということもあってか、見慣れていた姿の少女は一段と綺麗に見える。

 

「櫻」

「ん? 何だ?」

「少しキミの部屋を見せてもらってもいいかい?」

「お、おお。別にいいぞ」

 

 実は夏休みに阿久津が我が家へ来ると知ってから、部屋はいつ見られても大丈夫なようにしっかりと整理整頓済み。年末の大掃除並に頑張ったかもしれない。

 そういう意味では待っていましたとばかりに、俺は阿久津を部屋へ招き入れた。

 

「ちゃんと片付けているじゃないか」

「まあな」

「梅君から聞いた話と違うけれど、ひょっとしてボクが見に来る可能性を考えて準備でもしていたのかい?」

「そ、そんなことないっての! 単に梅が大袈裟なだけだ!」

 

 南中バスケ部ネットワークの情報量を甘く見ていた。あの妹め、後で覚えてろよ。

 俺が椅子に座ると、阿久津はベッドに腰を下ろす…………かと思いきや、そのまま屈みこむとベッドの下を確認した。真っ先に見るの、そこなのかよ。

 

「ふむ。これはやっぱり梅君のデマだったみたいだね」

「アイツは一体何を言ったっ?」

「キミの性格を考えれば、流石にこんな見え見えの場所に隠してはいないだろう」

 

 阿久津の言う通り、隠し場所はそこじゃなくて机の引き出しの奥。俺の宝を見つけて茶化すつもりだったのか、少女は残念そうに溜息を吐くとベッドに座り周囲を見渡す。

 

「それにしても、随分と変わった気がするね」

「そりゃそうだろ。最後に来たのなんて、何年前だ?」

「8年前だよ」

「即答かよ。よく覚えてるな」

「壁に掛けてあった、マジックテープのダーツが無くなっているね」

「流石にアレはもうないっての」

「そこにあった、夜に髪の伸びそうな日本人形はどうしたんだい?」

「あれなら今は一階の和室にあるけど、何でそんなのまで覚えてるんだよ?」

「それはもう印象的だったからさ。後は…………確かここには、キミが10万円貯めてみせると意気込んでいた500円玉の貯金箱が置いてあったかな」

「あれ、我慢できなくて開けちゃったんだよな。今はこっちに50円貯金があるぞ」

「武器にでもする気かい?」

「推理小説の読み過ぎだろ」

 

 袋状の物に硬貨を詰めて鈍器にした後、自動販売機とかに入れたりして証拠を隠滅する推理物あるある。確か通称はブラックジャックだったかな。

 ビニール紐に繋いでネックレスにできるくらいには集まっているが、いざ身に付けてみると重いし50円玉同士の隙間に肉が挟まるしで散々だったりする。

 

「逆に昔から変わらない物とかって何かあるか?」

「勿論あるよ。例えばペン立てとかね」

「ああ。三年生の社会科見学で貰ったやつだな。阿久津の家にもあるだろ?」

「そうだね。後はこのハサミなんて、幼稚園の頃から使っている物じゃないのかい?」

「言われてみれば……もう切れ味はボロボロだけどな」

「他にも懐かしいと言う程じゃないけれど、そこの木製の小物入れはキミが技術の時間に作っていた物だったね。先生に怒られていたけれど、確か理由は釘の打ち方だったかな」

「何でそこまで知ってるんだよ?」

「まあ、キミのことはちゃんと見ていたからね」

「え……?」

「パソコンを使う授業中に隠れてソリティアをしていたり、デスクトップの背景を勝手に変えたり」

「えっ?」

「掃除の時間に水の入ったバケツを回して「遠心力~」とか何とか言いながら調子に乗った挙句、うっかり天井にバケツをぶつけて頭から水をかぶっていたなんてことも」

「もう止めてっ!」

 

 相変わらず人のライフを0にするのが得意な幼馴染は、まだまだネタは沢山あるとでも言いたげな表情を見せる。俺が脳内から消した記憶を、一体どこまで覚えているのか。

 

「それはそうと喉乾いてないか? 飲み物とか持ってくるぞ?」

「お構いなく。そう言えばさっき夕飯の時に台所で使っていた鍋敷きだけれど、あれは元々美術でキミが作った時計じゃなかったのかい?」

「さーどうだったかー。あっ! 中学校の卒業アルバムでも見るかっ?」

「奇遇だね。ボクも同じ物を持っているよ」

「小学校のもあるぞ?」

「キミが作文でセンスの溢れる短歌を書いた卒業アルバムがね」

「ノォオオオオオオオオオンッ!」

 

 …………俺の人生って、どこを振り返ってもマジで黒歴史ばっかりだな。

 何かしら話題を変える道具でもないかと引き出しの中を探していると、覗きこむように首を伸ばしていた阿久津が何やら懐かしい物を見つけたらしく声を上げた。

 

「あっ! 今のは…………」

「ん?」

 

 閉じた引き出しを再び開けるが、この段には色々な小物類が入っている。一体何に反応したのかと思ったが、少ししてから気付いた俺はそれらしき物を手に取った。

 

「ああ、もしかしてこれか?」

「まだ持っていたんだね」

「まあな」

 

 幼い頃に誕生日プレゼントで貰った、綺麗な深緑色をした玩具のエメラルド。上部に小さな穴が空いていたため阿久津は首飾りにしてくれたが、チェーンではなくタコ糸という辺りに幼さが垣間見える贈り物だ。

 

「そういや、何でエメラルドなんだ?」

「それは勿論、キミの誕生日である二月の誕生石が…………」

「エメラルドなのか?」

「…………いや、アメシストだね」

「違うのかよっ! ってかアメシストって、アメジストじゃないのか?」

「正式名称はアメシストだよ。ちなみに和名は紫水晶かな」

「へー。じゃあ六月の誕生石は?」

「パールにムーンストーン。それとアレキサンドライトだね」

「二月と違って、随分と多いんだな。エメラルドは何月なんだ?」

「流石にそこまでは知らないよ」

 

 阿久津のことだし、誕生石どころか宝石言葉とかまで全部暗唱してみせるなんてことがあってもおかしくなさそうだが、全然そんなことはなかったらしい。

 ベッドに座っている少女は、腕を組みつつ難しそうな顔をして考える。

 

「さて、どうしてだったかな。ボクはキミにそれをプレゼントしたことすら忘れていたからね。幼い頃の話だし、ひょっとしたら理由なんて単に綺麗だからかもしれないよ」

「そんなもんか」

「それにしても、キミがそれを付けてくれた記憶が一度としてない気がするね」

「あー、いや……実はこれ、付けようにも頭が入らなかったんだよ」

「…………ぷっ」

 

 キョトンとした顔を浮かべた阿久津は、意外な返答だったのか思わず笑い出す。当時は何とかして頭に入らないかと、子供ながらに割と必死だったんだけどな。

 俺も小さい頃は何かしらのプレゼントを渡していたと思うが、一体何を贈っていたのか。そして阿久津はそれを今でも持っているのか……そんなことを考えながら玩具のエメラルドを元に戻すと、幼馴染は思い出したように口を開いた。

 

「そういえば、蕾君の誕生日がもうすぐじゃなかったかな?」

「9月8日だな」

「プレゼントはちゃんと用意したのかい?」

「ああ。バッチリだ」

「それなら安心だね。キミのことだから、またうっかり忘れていたりするんじゃないかと思ったよ」

「ここ最近はそんなこともないだろ?」

「確かに、そうかもしれないね」

 

 合宿の時だって時間には余裕を持って行動してたし、以前は目覚まし時計状態だった梅の「はよざっす」も、しっかり起きるようになった今ではリビングでの挨拶になっている。

 

「この前の蕾君は妙に眠そうだったけれど、一体どうしたんだい?」

「いや、それに関しては俺も聞かなかった」

「そうかい」

「…………」

「………………」

 

 一通り語り合ったところで話題がなくなる。

 しかし阿久津は梅の部屋に帰ることなく、俺を観察するように眺めていた。

 

「何だよ?」

「いいや、何でもないさ。キミの方こそボクをジーっと見て、どうしたんだい?」

「俺はただ、お前の髪が伸びてきたなーって思ってただけだっての」

「そうかい? まあ前と同じくらいまで伸びたら、またヘアドネーションするつもりだよ」

「ヘアドネーション?」

「切った髪の毛を、ウィッグを作るために寄付することさ」

「へー。そんなのがあるのか」

 

 阿久津は腰の辺りまで伸びている長い黒髪を手に乗せつつ答えた。

 掌から零れ落ちた髪はシャンプーのCMに使われてそうなくらいにサラサラしており、頭頂部から先端まで指を櫛のようにして梳いてみたいという欲求がそそられる。

 

「あまりにもジーっと見ているから、てっきり膝枕でもしてほしいのかと思ったよ」

「あー、あとちょっとだったんだけどな」

 

 月曜と火曜は全問正解同士による引き分け&俺の勝利と順調だったものの、木曜に敗北してしまったため望みは叶わず。しかも勝敗を分けたのは、たった一問の差だった。

 dialectの意味は『方言』だが、これを『量』を意味するdealと間違えてしまう痛恨のミス。先日の如月の博多弁と相まって、今の俺の頭の中にはdialectが深々と刻みこまれていたりする。

 

「こんなことなら、最初から言っておけば良かったかな。最初は軽い冗談のつもりだったけれど、まさかここまでやる気になるとは思わなかったよ」

「そりゃまあ……」

「膝枕の何がいいのか、ボクにはいまいちわからないね」

「男にとってはロマンなんだよ。膝枕一つで男の9割は救われるぞ? アニマルセラピーとかミュージックセラピーに続く心理療法として、俺は膝枕セラピーを提唱する!」

「そこまで言うなら、使ってみるかい?」



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十一日目(金) 膝枕が男のロマンだった件

「え?」

 

 さらりと提案をされ、思わず聞き返す。

 阿久津はポンポンと自分の太股を軽く叩きつつ、ケロッとした様子で答えた。

 

「木曜日に負けたにも拘らず、今日は全問正解だったからね。勝敗に関係なく真面目に勉強していたみたいだし、この夏に頑張った分の御褒美も兼ねてかな」

「御褒美って、俺はペットか何かかよ?」

 

 本当は柔らかそうな太股に顔を埋めたいところだが、橘先輩の教えを思い出しグッと我慢。勝負に勝ったならまだしも、負けたのに膝枕してもらうなんて男としてのプライドが許さない。

 

「しないのかい?」

「…………する」

「そういうキミの馬鹿正直なところは、ボクは嫌いじゃないよ」

 

 させてくれると言うのなら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらう以外に選択肢なんてない。男としてのプライド? 何それ美味しいの?

 見知らぬ相手には臆病な小心者の癖に、見知った相手には全てを晒し踏み込み過ぎる。そんな0か100かみたいな極端な性格が自分としては嫌いなんだが、今回は欲望に従って正解だったらしい。

 心臓の鼓動が早くなっていく中、俺はベッドに腰掛けている阿久津の隣へ座る。

 そしてゆっくりと横になり、位置を調整しながら少女の太股の上へと頭を下ろした。

 

「…………」

「………………」

 

 ……………………うん、何か気まずい。

 後頭部に感じる柔らかい感触は良いが、仰向けに寝ている今は下から阿久津を見上げる形。必然的に少女と目が合い、視線の逃げ場を求めてキョロキョロしてしまう。

 

「ち、ちょっとタイム!」

「何だい?」

「姿勢変えてもいいか?」

「別に構わないよ」

 

 ゴロリと寝返りを打つようにしてポジションチェンジ。入口を見るような形の横向きになったが、阿久津の身体が見られる反対向きにすべきだったかもしれない。

 今回は制服じゃなくパジャマのため、頬が触れている太股は布地越し。以前より興奮度は若干薄いものの、それでも充分感動に値するレベルだ。

 

「頭が乗っている場所は太股なのに、どうしてこれが膝枕と呼ばれているんだろうね」

「ああ。それなら膝って言葉には意味が二種類あって、世間一般が呼んでるのは膝頭なんだよ。だけどもう一つの意味は『座ったときの腿の上側にあたる部分』だから、膝枕でも間違いないって前に見たな」

 

 仮に膝頭枕だった場合、寝るというよりは頭が寄りかかっているだけ。頭部に伝わる感触は凸な形だし、長時間続けると首が痛くなりそうな姿勢になるだろう。

 

「流石は膝枕マイスターだね」

「いや、単に膝枕が男のロマンってだけで、別にこだわりがあるとかそんなんじゃないからな? 仮に膝枕マイスターなんて称号があるとしたら、百人の膝枕を試してみましたとかそういう人に与えられるもんだろ?」

「それならキミは何人の膝枕を経験したんだい?」

「…………多分、二人だな」

「ボク以外にやってくれた人がいたことに驚きだね。ひょっとして夢野君かい?」

「そんな訳あるかっての。ずっと前に姉貴が突然アニメの名シーンを再現したいとか言い出して、それに付き合わされたんだよ」

「成程。確かに桃ちゃんならやりかねないね」

 

 あの時はジョジョ立ちをしたり、エネルギー波で吹き飛ばされた雰囲気を装ってジャンプした瞬間を撮影したりと、何ともくだらないことばかりやらされたな。

 先程のような気まずい沈黙にならないよう他愛ない雑談を話す一方で、接している肌を、頬の細胞一つ一つを、脳に伝わる感覚神経をフルに使って布地越しの太股を堪能する。

 

「…………」

 

 それにしても、膝枕というのは本当に素晴らしい。

 触角だけでなく嗅覚にも及ぶ幸せのひと時。いつか見た夢のように耳掃除もしてもらえたらなんて思いながら、阿久津の肌の柔らかさと心地良い匂いに恍惚としていた。

 

「それで、ボクの膝枕に関して何か感想は?」

「最高です。ありがとうございます」

「それは何よりだけれど、このまま眠ることだけは勘弁してもらいたいね。よくアルカスがボクの膝の上に乗った状態で眠るから、足が痺れて困るんだよ」

「起こせばいいだろ?」

「あんな気持ちよさそうな寝顔を見せられたら、そんなことはできないさ。前に陶芸室でキミを寝かせた時も、同じような顔をしていたけれどね」

「お前って、つくづく俺をペット扱いするよな」

「大抵の原因はキミにあるけれどね。今だってアルカスと大して変わらないじゃないか」

 

 そう言いながら、阿久津は毛づくろいでもするかの如く俺の頭を撫で始める。その優しい手の動きがまた実に気持ちよく、思わず眠くなり猫のように欠伸をしてしまった。

 

「しかし今日は久し振りに思いきり遊んだけれど、やっぱり兄妹がいるのは羨ましいね。ボクも梅君みたいな妹が欲しかったし、桃ちゃんみたいなお姉さんも欲しかったかな」

「そうか? いたらいたで結構面倒なもんだけどな。特に妹なんてやかましいし、何度言っても部屋のノックはしないし、勝手に人の物を持っていくし……」

「そんなことないさ。それにボクは、キミみたいな弟も欲しかったよ」

「弟かよ。確かに誕生日的には俺の方が年下だけどさ」

「ボクとしては弟より兄の方が欲しいけれど、キミが兄というのは少し頼りないからね」

「そんなことはない。遠慮なく兄さんと慕って良いんだぞ?」

「兄さん。ボクの膝枕は気持ちいいかい?」

「げほっ! えほっ!」

 

 阿久津としては「膝枕してもらうような兄がいるか」というつもりで言ったんだろうが、あまりにも不意打ちな兄さん呼びに思わず咳き込む。萌えた。普通に萌えた。

 

「キミが頼れる兄だったら、梅君はボクを頼ってくれなかっただろうからね。そういう意味では、キミが頼れない兄でいてくれて助かったかな」

「どうせ俺は兄らしくないっての。ただ梅の件に関しては、本当にサンキューな」

「前にも言ったけれど、単にボクが好きでやっているだけだから気にする必要はないよ。それにボクはただ指示を出しただけで、頑張ったのは梅君自身さ」

「それでも、やっぱり阿久津じゃなかったら絶対にあそこまで伸びなかったって」

「ボクはそうでもないと思うけれどね。梅君の苦手もキミと同じで、部活が忙しかったあまり努力をしていなかっただけさ。目に見えた結果を出した今、負の連鎖は断ち切れたよ」

 

 結果に繋がりさえすれば、どんな教科でも面白くなる。そのためにはまず一度成功体験を経験すればいいという、一年近く前に話していたことを実践しただけって訳か。

 身に付くのが速いタイプは忘れるのも早いという阿久津の教えを思い出し、まだまだ油断はできないと思っていると、俺の髪を弄っていた少女は何かに気付き手を止めた。

 

「…………ふむ」

「どうしたんだ?」

「いや、ここに白髪が生えていてね」

「色々と苦労してるんだよ」

「電子辞書のロックを開けるために、暗証番号を一から試して外したりかい?」

「あー、そんなこともあったな。冬雪に聞いたのか?」

「その件に関しては音穏が大絶賛していたからね。他にもキミの話は色々と耳にしているし、数Bの授業前に火水木君と話している雑談も聞こえてくるかな」

「アイツとの話って言っても、しょうもない話しかしてないだろ」

「二年になってからは勉強に力を入れているようだけれど、志望校でもできたのかい?」

「まあ…………実は、俺も月見野を目指してみようと思ってさ」

「月見野を?」

 

 阿久津の手が止まる。

 しかし少しして、少女は再び俺の頭を撫で始めた。

 

「それはまた、随分と高い目標だね」

「学部は教育だから、獣医学部よりは少しだけ低いけどな」

「それでも国立である以上、レベルが高いことに変わりはないさ。そういう理由で勉強していたとなると、まだまだ今後のキミの成長が楽しみだね」

「ああ。まあ見てろって」

「期待しているよ」

 

『バタン』

 

「お~邪魔~虫~。お兄ちゃ~ん、消しゴム貸し…………」

「…………」

「………………」

「ちょっといい気分~♪」(ハモリ上パート)

 

『バタン』

 

「ちょっ、待て梅っ! 話を聞けっ!」

「ボクが行こうっ! その方が丸く収まるっ!」

「頼んだっ! 関節を極めようが秘孔を突こうが、どんな手を使ってもいいから姉貴への連絡だけは断固阻止しろっ! 永遠とネタにされる羽目になるぞっ!」

「わかっているよっ!」

 

 こうして楽しい楽しい米倉家の御泊まり会は、第一次梅梅大戦と化す。

 阿久津が一体どんな方法を取ったのかは不明だが、どうやら口封じには無事成功したらしい。翌日の朝に顔を合わせた梅は、梅干しのようにシワシワなっているのだった。



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十四日目(月) 突撃! 隣の夢野家だった件

 台風一過により地獄のような気温が舞い戻ること数日。今日は天候に恵まれたと言っていいのか、釉薬掛けの日同様に普段よりは少しマシな程度の暑さになった。

 夏休みも明日で最終日という中、俺達は陶芸室の大掃除。昨年の冬にやった時と同様、机と電動ろくろを移動させてから床に水を撒きデッキブラシとモップ掛けを行う。

 部員が四人だった頃は一つ約四十キロという電動ろくろを俺一人で運ぶのに苦労したが、今回は元野球部の頼れる後輩、テツという男手もあったため作業はかなり楽になった。

 

「そういや、宿題は終わったのか?」

「大丈夫ッス!」

「へー、意外だな。てっきりそろそろ慌てる頃だと思ったけど」

「まだ明日があるんで大丈夫ッス!」

「それ、完全に終わらないパターンだな。違う意味で終わったになるやつだぞ?」

「いやいや、後は英語の問題集だけッスから」

 

 お昼には少し早い時間だったが区切りが良いということで、伊東先生が用意してくれたコンビニ弁当を仲間達と食べつつテツの話を聞く。その英語が一番大変なんだっての。

 思い返してみれば、俺も一年の時はこんな感じだったかもしれない。最終的には初回授業までという、夏休みが終わった後でも夏課題を進めるなんて状況に陥るんだろうな。

 大掃除が終わった後には窯出しも行い、それぞれが焼き終えた作品を見に行く。還元での焼成は初めてだったが、出来栄えは全体的に味のある雰囲気になっていた。

 俺達がいない間に冬雪が完成させた壺は、大掃除の前に他の残っていた作品と一緒に電気窯へ入れて酸化焼成を開始。焼き上がった姿を見られるのは始業式後だそうだ。

 

「そういえば、鉄が使った綺麗な青とかいうのはどうなったんでぃすか?」

「……多分、これ」

「灰色じゃないでぃすか」

「どこからどう見てもグレーだね」

「結局酸化でも還元でも綺麗な青になんてならない、普通の灰色だったってことか」

「違うッスよネック先輩! これは普通の灰色じゃないッス! 物凄い灰色ッス!」

「一年近く前にも似たような反応を見た気がするよ」

「だから胡散臭いと言ったじゃないでぃすか」

 

 最初に『きれいな青』なんて名前を付けた人は、一体何をどう勘違いしたのか。

 全力で否定するテツをよそに俺は傍迷惑な釉薬の前へ腰を下ろすと、自分が一年近く前にバケツの蓋に書いた『物凄い灰色』の『物凄い』の部分を二重線で消しておく。

 値段を付けたり作品を運んだり、陶器を売る教室の装飾といった本格的な文化祭準備は夏休み明けに行うとのこと。各自宿題が残っている可能性を考慮した伊東先生の指示により、今日のところは早々に解散となった。

 

「それじゃあ米倉君、また……わっとと」

 

 西日が強く照りつける中、今日も夢野と一緒の帰り道。別れ場所であるコンビニ前の横断歩道で一時停止していた少女は、信号が青に変わったのを見てペダルに足を掛ける。

 しかしバランスを崩したのか、自転車に跨ったまま俺の方に倒れてきた。

 

「おっと!」

 

 すかさず手を伸ばし、咄嗟に夢野の二の腕を支える。

 危うく俺ごと倒れそうになったが、何とかギリギリのところで持ち堪えることができた。

 掌に布地越しの柔らかい感触が伝わる中、少女は謝りつつ体勢を戻す。

 

「よいしょっと……ふう。ごめんね?」

「大丈夫か?」

「うん。ちょっとよろけちゃっただけだから大丈夫。それじゃあ、またね」

「ああ。気を付けてな」

 

 改めてペダルを漕ぎ出し、横断歩道を渡る少女の後ろ姿をジッと眺める。

 大掃除の最中も、夢野はボーっとしていることが多々あった。

 火水木に限らず阿久津や冬雪も心配しており、俺も不安だったため普段の帰り道は前を走っていることが多いが、今日は夢野の後ろを走って様子を見ていたくらいだ。

 

「…………」

 

 本当に大丈夫なんだろうか。

 歩行者信号の青が点滅を始める中、俺はハンドルを切る。

 そして勢いよくペダルを漕ぎ出すと、横断歩道を渡り夢野に追いついた。

 

「はよざっす!」

「えっ? 米倉君、どうしたの?」

「やっぱ不安だから、家まで見送ろうと思ってさ」

「そんなの悪いし、大丈夫だよ。さっきのはちょっとよろけただけだから」

「じゃあ大掃除の時、危うくゴミ箱にダイブしそうになってたのは?」

「あ、あれもちょっと足がもつれただけで……」

「でも置いてあったバケツにも足を引っ掛けて、水を盛大にぶちまけてただろ?」

「う……」

「後はおにぎりの開け方だって間違えて、海苔も大変なことになってたし」

「それは単にうっかり!」

「最終的にはデッキブラシに跨って飛ぼうとしてたもんな」

「やってたの私じゃなくてクロガネ君!」

「まあそんな冗談はどうでもいいとして。真面目な話、皆も心配してたし俺も不安だからさ。駄目って言われても勝手に付いていくぞ。突撃! 隣の夢野家ってな!」

「もう。大丈夫なのに……」

 

 そう言いながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべているように見えた少女の後に続いていく。

 最初は知っている景色だったが、徐々に入り組んだ道を進むと見知らぬ場所へ。やがてコンビニから五分も掛からずに到着したのは、二階建ての小さなアパートだった。

 

「ここなのか?」

「うん。このアパートの101が私の家」

「へー。それじゃ、俺はこの辺で」

「…………ねえ米倉君。せっかくここまで来てくれたんだし、もし時間があるなら上がっていかない?」

「えっ? いや、時間なら全然問題ないけど、突然邪魔するのも悪いだろ?」

「ううん。親は帰ってくるの遅いし、今は家に誰もいないから」

「えっと……それは…………誤解を招くというか…………何と言うか……」

「…………? あっ! そ、そういう意味で言った訳じゃなくて……ね?」

「お、俺もそんなつもりはないからっ!」

 

 あたふたしながら顔を赤くしつつ、掌を横に振る夢野。心の中で考えるだけに留めておけばいいものを、馬鹿正直に反応してしまった俺も俺で恥ずかしくなり慌てて訂正した。

 しかし夢野の家と聞いて興味はある。もしかしたらこの中には、最後の問題である2079円に繋がる何か重大なヒントがあるかもしれない。

 

「じゃあせっかくだし、少しだけお邪魔させてもらってもいいか?」

「うん。自転車、そこに止めて大丈夫だから」

 

 夢野の自転車の隣に自分の自転車を止めると、一階の一番奥にある101号室へ。ドアポストに入っていた広報誌を抜いた少女は、鍵を挿しこむとドアを開けた。

 

「あ……ちょっとだけ待ってもらってもいい?」

「おう」

 

 ドアを開けっぱなしにした夢野は、そそくさと家の中へ入っていく。

 てっきり見られてはいけない物の片付けでもするのかと思いきや、早足で進んだ少女は換気をしているらしく、中から窓を開ける音が聞こえてきた。

 

「お待たせ。どうぞ」

「お邪魔します」

 

 一分もしないうちにひょこっと夢野が顔を出す。誰もいなかった家の中は若干熱がこもっていたが、吹き抜ける風で小さく鳴った風鈴の音を耳にしつつ俺は靴を脱いだ。

 玄関を抜けるとダイニングキッチンがあり、少女に案内されたのは左側の部屋。よくよく考えてみれば女子の部屋に入るなんて機会、家族を除けば小学生の時の阿久津の部屋以来かもしれない。

 今更になってドキドキし始める中、俺は禁断の聖域へと足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 部屋に入るなり目に入ったのは二つの机。どうやら夢野と妹の二人で一部屋を使っているらしいが、不意の来訪にも拘わらず素晴らしいことにどちらも綺麗に片付いていた。

 置いてある教科書などを見る限り、恐らくは左側が夢野の机なんだろう。横の壁に掛かっているコルクボードには、友達と映っている写真が貼られている。

 本棚の中には夢野の妹が好きだと言っていた白バスの漫画。タンスの上には可愛い動物のぬいぐるみがいくつか置かれており、クッションなどの小物も全体的に女の子っぽい。

 女子独特の良い匂いがする中、キョロキョロと辺りを見ていると夢野が笑った。

 

「そんなに珍しい?」

「そりゃまあ、女子の部屋なんて滅多に来ないからな。この写真、中学の頃の夢野か?」

「うん。よく(のぞみ)に似てるって言われるんだけど、そんなに似てるかな?」

「んー、言われてみると似てるような気がするけど、夢野の妹は何回か見た程度だからな」

「そっか。そういえば、あの時の写真は?」

「あの時の写真って?」

「ほら、引退試合の応援に行った時の写真!」

「あ……悪い悪い」

 

 正直見直すのが恥ずかしくて、カメラごと封印したままだったりする。梅の奴が使うとか言い出す前に、データだけでもパソコンに移しておかないとな。

 

「おっ? これって、クリスマスのだよな?」

「うん。すっごく大事にしてるよ」

 

 夢野の机の上に置いてあったスノードームを見て思わず笑みが漏れた俺は、手に取った後で逆さにしつつ底にあるスイッチを入れる。

 鳴り出したのは、今の時期には不釣り合いなクリスマスソングのオルゴール。そして元に戻せば、ガラスの中ではキラキラと綺麗な雪が降っていた。

 

「自分用にも一つ、買っておくべきだったかな」

「ふふ。良いプレゼント貰っちゃった」

「まあそこは引き当てた夢野の運が良かったってことで…………ん? おっ! 懐かしい物を発見っ! これ、夢野も持ってたのか?」

 

 続けて見つけたのは、以前に電気店でも見掛けたことのある小型育成ゲームの初代シリーズ。米倉家にあったのが『わんこっち』なのに対し、夢野の机に置いてあったのは『にゃんこっち』だった。

 

「うん。今でも育ててるよ」

「マジかっ?」

 

 確か我が家の『わんこっち』は最初こそ兄妹で大切に育てていたものの、電池切れになった後は電池交換もせずに放置され、挙句の果てには行方不明になった気がする。

 夢野の『にゃんこっち』は所々に傷があり、塗装も剥がれ、日に焼けてこそいるが、スリープモードを解除すれば画面の中では可愛い猫が『ZZZ……』と寝息を立てていた。

 

「へー。凄いな。この猫、種類は何なんだ?」

「シャム猫だよ」

「シャム猫…………あれ? 確かシャム猫って、まめに世話をしてないと進化しない、一番頭の良い猫種じゃなかったっけ?」

「うん。私と望の二人で、大事に育ててるからね」

「じゃあ名前とかも付けてたりするのか?」

「一応チェリって名前はあるんだけど、恥ずかしくてあんまり呼んでないかな」

 

 前に夢野にペットを飼っているか聞いた際に「秘密♪」と意味深に返されたことがあったが、確かにこれは何とも返答し難いところかもしれない。

 せっかくなのでチェリに御飯をあげ、ご機嫌取りのゲームで遊んで戯れる。何だか久し振りに育てたくなってきたが、我が家の『わんこっち』も姉貴か梅が隠し持っていたりしないだろうか。

 その後も夢野の部屋にある物を色々と物色していると、ふと少女は思いついたように手をポンと叩いた。

 

「ねえ米倉君、お腹空いてない?」



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十四日目(月) 初めての手料理が冷やし中華だった件

「え?」

「お昼御飯早かったし、何か軽く作ろうかなって思って」

「いやいや、いきなり邪魔した上にそれは悪いだろ。それに夢野は疲れてるんだし」

「だから別に疲れてなんてないってば。お昼は少し考え事してただけ。それにどうせ望の夕飯も用意しなくちゃいけないから、作ることには変わりないよ?」

 

 そう言うなり、夢野は部屋を出るとキッチンへ向かう。

 そして冷蔵庫を覗きながら悩んだ後で、くるりと振り返り首を傾げつつ尋ねてきた。

 

「ねえ米倉君。冷やし中華とかどう?」

「あ、ああ……じゃあ俺も手伝うよ」

「いいからいいから。米倉君はお客さんなんだし、ゆっくり待ってて」

 

 先日阿久津が米倉家で昼飯を食べる話になった時に似たような主張をしたが、頼りないと一蹴されたのを思い出す。やっぱり夢野にもそんな風に見られているんだろうか。

 とはいえ、確かに料理に自信があるわけでもない。台所に立ちエプロンを付ける少女に歩み寄るも、肩を掴まれくるりと180度回転させられたため大人しく席に座った。

 

「そういや妹は?」

「今日は図書館に勉強しに行ってるよ。家だと集中できないって」

「あるある。まあ受験生だもんな」

「受験生と言えば、梅ちゃんの調子はどう?」

「夏休み中は阿久津に鍛えてもらったお陰で、かなり成長したみたいだ」

「そっか。屋代に合格できるといいね」

「夢野の妹と一緒にな」

「うん」

 

 火の前にいて暑いだろうにも拘わらず、夢野は扇風機を俺の向きへ固定。麺を茹でるためのお湯を沸かしながら、溶き卵をフライパンに薄く広げる。

 鼻歌を歌いながら作っている後ろ姿を見る限り、体調はこれといって問題ない様子。夢野の言う通り単に考え事をしていただけで、余計な心配だったんだろうか。

 

「♪~」

 

 ポニーテールの尻尾が揺れ、綺麗なうなじがチラチラ見える。スカートの下から伸びている太股、そして膝の裏側も何とも魅力的だ。

 わざわざ俺のために夢野が料理を作ってくれている。

 その実感が徐々に沸き上がりテンションが上がる中、更なる興奮剤が投与された。

 

「そういえば米倉君、文化祭当日って忙しかったりする?」

「ん? いや、クラスの当番からは逃げたし、せいぜい陶芸部の店番くらいだな。もしかして、F―2の牛丼を食べに来てくれって宣伝か?」

「ううん。もし良かったら、一緒に文化祭回らない?」

「えっ? 一緒にって……俺と、夢野が?」

「うん。駄目かな? ちょっと行きたい所があるんだけど、一人じゃ心細くて」

「いやいやいや、全然OK! OK牧場!」

「ふふ。良かった。二日目のお昼くらいなんだけど、時間とか大丈夫?」

「ああ。陶芸部くらいしか予定もないから、夢野に合わせるよ」

「それじゃあ、後でまた連絡するね」

「ちなみにその行きたい場所ってどこなんだ?」

「それは当日までのお楽しみ♪」

 

 焼いた卵を細切りにして錦糸卵を作りつつ、少女は嬉しそうに笑う。

 きゅうりやハムといった他の具材も、料理慣れしている包丁捌きで軽快にテンポ良くサクサクサクと刻んだ後で、夢野は麺を茹で始めた。

 

「…………」

 

 台所に立つ女子の後ろ姿って、眺めてるだけで物凄くそそられるな。

 制服の上にエプロンという姿は陶芸室で頻繁に見ている筈だが、そこに料理というシチュエーションが加わっただけで、何でこう……ギュっと抱きしめたくなるんだろう。

 今になって気付いたけど、単に手料理を振る舞ってもらうだけじゃなく作るところまで見られるなんて、ひょっとしてこれ結構貴重な体験だったりするんじゃないか?

 シチュエーション的には、新婚生活を始めたばかりの夫婦のイメージだ。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

『腹減ったー』

『もう。料理中は危ないから駄目だよ?』

『大丈夫大丈夫。ハグしてるだけだから』

『そんなにお腹空いちゃった?』

『空いた空いた。お、ここに美味しそうな肉まんが!』

『ひゃんっ? 料理中は駄目だってば!』

『柔らかくて美味しそうなのが悪い。良い匂いもするしな』

『だーめ! 食べるなら、夕飯の後でね?』

 

 

 

 ★★★

 

 

 

(…………良い! 凄く良い!)

 

 心どころか身体までぴょんぴょんしそうになって、いとトゥンクしてる。

 気が付けば目が釘付けになっており、良からぬ妄想が留まることなく悶々と広がっていく。

 

「――――あるの? …………米倉君?」

「はいっ?」

「米倉君って、食べられない物とかあるの?」

「だ、大丈夫です! 何でも良く噛んで食べますっ!」

「ふふ。食べられない物を聞いたんだけど、突然どうしたの?」

「わ、悪い。えっと……アレルギーとかもないし、家だと好き嫌いするなって言われてるから、これといって食べられないって物はないな」

「じゃあ好きな物は?」

「んー。ラーメンとか、麺類全般だな」

「らーめん♪ わんたんめん♪ たんたんたんたんめんめんめん♪」

「まだ覚えてたのか」

「それはもう、バッチリ! ふーふん♪ ふんふんふん♪」

 

 俺の作ったラーメンソングを鼻歌で歌いながら冷やし中華を作る夢野が可愛すぎてヤバい。もしも傍に立っていたら、無意識のままギュっと抱き寄せていた気がする。

 本能と理性が激しい攻防を繰り広げる中、少女は茹で上がった麺をざる上げして流水で冷却。熱が逃げた後は氷水に入れ、少ししてから水気を切り皿へと盛りつけた。

 その上に切った具材であるハム、きゅうり、錦糸卵を麺の中央へ立て掛けるように乗せられ、最後にはカニカマをトッピング。付属のタレをかければ、赤・桃・黄・緑と色とりどりな夢野手作りの冷やし中華が完成した。

 

「はい、どうぞ」

「おおっ! 美味そう! それじゃありがたく、いただきます!」

「召し上がれ♪」

 

 用意された箸を借り、感謝を込めつつ両手を合わせる。

 箸で持ち上げた麺を口に入れれば、暑い夏にはぴったりな冷たさ。そしてその食感と味も最高で、向かいに腰を下ろした少女へ素直に感想を告げた。

 

「美味いっ! 超美味いっ!」

「本当に? 良かった」

 

 前に梅の奴も冷やし中華を作ったことがあるが、その時は麺を茹でる際に箸を折るというミラクルを起こした上に完成品も……いや、思い出すのはやめておこう。

 夢野が嬉しそうに微笑む中、俺の箸はどんどん進んでいく。

 

「ん…………夢野は食べないのか?」

「うん。私は後で妹と食べるから、気にしないで」

「そっか。何か悪いな。夕飯って、いつも夢野が作ってたりするのか?」

「別にいつもって訳じゃないけど、ここ最近はそうかな」

「へー。そういや前に、弁当も自分で作ってるって言ってたっけ」

「だからそれは冷凍食品とか詰めてるだけだってば」

 

 謙遜する夢野ではあるが、手際を見ても料理慣れしているのは一目瞭然だ。

 しかしまさかこんな形で手料理を食べさせてもらえるとは思わなかった。これは全国約150万人近くいる男子高校生の誰もが憧れる貴重な体験に違いない。

 あっという間に冷やし中華を食べ終えてしまった俺は、再び感謝の祈りを捧げるように両手を合わせた。

 

「ごちそうさまでした」

「御粗末様でした。足りなかったかな?」

「いやいや、これ以上ないほどに満足……あ。後片付けくらい俺がやるって」

「駄目。お客さんでしょ?」

「ん……何から何までサンキューな。今度何かしらお礼させてくれ」

「じゃあ、楽しみにしてるね」

 

 目には目を、歯には歯を、キーホルダーにはキーホルダーをときたら、やはり手料理のお礼は手料理で返すべきなんだろうか? 今度アキトの奴に相談してみるかな。

 残った二人分の冷やし中華は、麺が伸びないようにタレは掛けずにラップをして冷蔵庫へ。俺の食器まで洗ってくれた夢野は、ようやく一段落ついたとばかりにエプロンを外して席に着くと大きく身体を伸ばした。

 

「悪い、ちょっとトイレ借りてもいいか?」

「うん。お手洗いはそこだから」

 

 夢野の指差したドアに入ると、芳香剤の良い香りがする。

 色々と懐かしい物や新しい発見はあったが、結局2079円のヒントになるような物は見当たらなかったし、やはり本人に直接聞くしかなさそうだ。

 

「?」

 

 そんなことを考えながら用を足した後で食卓へ戻ってみれば、そこにはテーブルに突っ伏している夢野の姿。何だかんだ言ってもやはり疲れていたんだろう。

 考えてみれば元々は見送るだけのつもりだったのに、逆に色々と気を遣わせてしまったかもしれない。長居するのも悪いし、聞くのはまた今度にしてそろそろ帰るべきか。

 そう思いつつこっそり歩み寄り、少女の顔を横から覗き込む。

 

「…………」

 

 可愛い。

 その魅力的な寝顔に、思わずドキッとしてしまった。

 このまま眺め続けていたいが、そんなことをしたら再び本能が暴れ出しそうな気がする。

 理性が残っているうちに起こそうと、俺は夢野の額を人差し指で軽く押した。

 

「っ?」

 

 気のせいだろうか。

 俺は指一本だけではなく、掌を少女の額へと当てる。

 ――――熱い。

 自分の体温と比べてみても、明らかに平熱ではなかった。



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十四日目(月) お姫様抱っこはコツが必要だった件

「ん……米倉君…………?」

「夢野! ちょっと熱っぽいぞっ?」

「ううん……大丈夫だよ」

「いや駄目だろっ! 何か顔色も良くない気がするし、とりあえず寝た方がいいって!」

「ごめんね。ここのところ……少し調子悪くて。さっきまではだいぶ良かったんだけど……きっと寝たら治るから。あ……米倉君、そろそろ帰らなきゃだよね」

「俺のことなんてどうでもいいからっ!」

 

 何でもっと早く気付かなかったのか。

 自分の馬鹿さ加減に後悔しつつ、力なく身体を起こそうとする夢野を慌てて止める。

 落ち着け。

 どうすればいいか考えろ。

 呼吸はしっかりしてるし、辛そうだが意識もある。

 それでも額に触れただけで熱があると判断できる以上、相当な高熱に違いない。

 誰かしら帰ってくるまで待つにしても、両親の帰りは遅いと言っていた。

 

「………………夢野、ちょっと待ってろ!」

 

 そうなると、この状況で頼れる相手は一人しかいない。

 俺は素早くポケットからガラケーを取り出すと、梅の携帯へと電話を掛ける。

 今日も真面目に勉強していたのか、幸いにも僅かワンコールで通話は繋がった。

 

『もし~ん。どったのお兄ちゃん?』

「梅! 緊急事態だ! お前、夢野の妹の電話番号知ってるか?」

『望ちゃんの? 知ってるけど、何かあったの?』

「詳しくは後で説明する! 今すぐ俺の携帯に番号を送ってくれ!」

『うん! わかった!』

 

 聞き分けの良い妹が電話を切るなり、一分も経たないうちにメールが届く。

 俺はそこに表示されている番号へ即座に電話を掛けた。

 

『プルルルル……プルルルル……』

 

 頼む……出てくれ……。

 そう願いながらガラケーを耳に当てつつ待っていると、やがてコール音が途切れる。

 

『…………もしもし……?』

「もしもしっ? あ、えっと、夢野さん……望さんでしょうか?」

『はい、そうですけど……』

「俺、米倉櫻って言って……あの、梅の兄貴の……わかるかな?」

『あっ! はいっ! わかります!』

「良かった。突然電話して申し訳ないんだけど、ちょっと一大事なんだ。今、色々あって家の方にお邪魔してるんだけど、ちょっと夢野が熱っぽくてダウンしちゃってさ」

『お姉ちゃんがっ? わ、わかりました! すぐに戻ります!』

「あ! ちょっと待ってくれ! どこかに使っていいタオルとかあったりするか?」

『えっと……タオルでしたら和室の中の右側の襖を開けた、引き出しの中にあるのを使ってください。ご迷惑をお掛けしてすみません』

「和室の右側の襖を開けた引き出しだな?」

『はい。宜しくお願いします。私も十分くらいで戻れるとは思いますので』

「わかった!」

 

 夢野妹との通話を切った後で右側の部屋を確認するが、中は小さな洋室。どうやらリビング代わりなのかソファにテレビ、バルコニーとくつろげる空間になっている。

 四人家族で過ごすには少し小さい気もするが、今はそれよりも和室探しが優先。ここが外れだったとなると、残っているもう一つの部屋が当たりに違いない。

 

「…………ごめんね……風邪、移ったら……」

 

 電話の会話を聞いてか、はたまた単なるうわ言か。テーブルに寝そべったまま辛そうに呼吸をしている夢野は、閉じかけの瞼で俺を見ながらそんなことを呟く。

 ひとまずタオルを探すよりも先に、フラフラな少女を横にさせるべきだろうか。

 

「まだそんなこと言ってんのか。いいから寝…………しまったな」

 

 夢野家は俺の家みたいにベッドではなく、布団だったことをすっかり忘れていた。

 二人の部屋にある閉ざされたクローゼットの中に布団はあるだろうが、勝手に人の家を漁る訳にもいかないし何か代わりになりそうな物は…………と、周囲を見渡したところで洋室のソファが目に入る。

 

「夢野。ちょっと持ち上げるから、動かないでいてくれ」

 

 前にアキトから教わった『正しいお姫様抱っこのやり方』が、まさかこんなところで役に立つなんて思いもしなかった。介護で使うとか言われても半信半疑だったが、何事も学んでおいて損はないもんだな。

 俺は夢野が座っている椅子を引き、少女の前で片膝をつく。そして背中へ左手を回すと夢野の身体をずらして、自分の腿の上へ座らせるように乗せた。

 そして支える際に最も重要となる、少女の腿の下に右腕を回す。一般的にお姫様抱っこと言えば膝の裏に腕があるイメージだが、実際それをやると腕力だけで持ち上げることになり大変らしい。

 

「ふっ!」

 

 本来は安定感を増すために首に手を回して抱きついてもらいたいところだが、今は贅沢を言っていられない。そのまま背筋を伸ばし、汗を掻いている夢野の身体を自分へ引き寄せるようにして持ち上げた。

 例え持ち方が正しくても、いかんせん俺の筋力が弱い。こんなことならもう少し筋トレをしておけば良かったと思える程度に重みを感じる。

 重心はやや後ろに維持しつつ、決して落とさないよう慎重に運ぶ。何とか隣の洋室へ辿り着くと、ゆっくりと夢野の身体を下ろしてソファへと寝かせた。

 

「ふう……」

 

 後はタオルだが、和室の…………右だったよな?

 夢野妹の言葉を思い出しつつ、俺は和室と思わしき最後の部屋を開ける。

 六畳ある畳の部屋に足を踏み入れるなり、どこか知っている匂いを感じた。

 

「!」

 

 部屋の隅に置かれていた予想外な物を目の当たりにして、思わずその場で立ち止まる。

 そこにあったのは、先祖を供養するための祭壇。

 位牌が祀られ、短くなった線香の煙が上がっている仏壇だった…………。



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十四日目(月) 夢野望が礼儀正しい子だった件

 ソファで横になっている夢野の額に、冷やしたタオルを乗せてから見守ること十数分。玄関のドアの鍵が開く音がすると、図書館から走ってきたのか汗だくになっている夢野の妹が帰って来た。

 俺と挨拶を交わした後で、辛そうにしている姉の姿を見た少女は体温計を用意。熱を測らせている間に布団を敷いたり着替えを用意したりと、慌てふためくこともなくテキパキ行動していく。

 

「お姉ちゃん、起きられる? 布団敷いたから……それとこれ飲んで」

「ぅ……ん……」

 

 ひとまず以前に病院で貰った風邪薬の残りがあるとのことで服用。本来はあまり良くないらしいが、これは母親が看護師の我が家もやっていたりするので良しとしよう。

 再び運ぶ必要があるかと待機していたものの、どうやら心配なかった様子。その体温は38℃と、どう考えても微熱と言うレベルじゃない夢野は弱々しく立ち上がるなり、若干よろけながらも着替えと布団が用意された自分の部屋へと向かった。

 

「ふう…………ご迷惑をお掛けしてしまい、本当にすみませんでした」

「いや全然。こっちこそ急に呼び出したりしてゴメンな」

「そんな、とんでもありません!」

 

 慌てて手を横に振り否定した夢野の妹は深々と頭を下げる。梅の奴から俺について変なことを吹き込まれていたらどうしようかと思ったが、どうやらそんなこともないらしい。

 顔を上げた少女がハンカチを取り出し額の汗を拭うのを見て、少しは年上らしく頼りになるところを見せようと思った俺は呼び方に悩みつつ尋ねる。

 

「何か必要な物とかあるかな? 何だったら、ちょっとひとっ走りして買ってくるよ」

「いえいえ! 流石にそこまでしていただかなくても大丈夫ですので」

「そうは言っても、夢野一人を残して望ちゃんが買いに行ったら何かあった時に困るだろ? 遠慮なんて全然しなくていいから、要る物があったら言ってくれ」

「色々とすみません……では一つお願いしてもいいでしょうか?」

「ああ」

 

 望ちゃんの注文を聞いた俺は、夢野家を出ると自転車に跨りコンビニへ向かう。

 到着するなり購入したのは冷却ジェルシートと2Lのスポーツドリンク。とりあえず頼まれたのはこの二つだけだが、ついでに桜桃ジュースも買い物籠に入れておいた。

 その際にふと梅のことを思い出し、店内で涼みがてら妹の携帯へと電話を掛ける。

 

『もし~ん?』

「あ、もしもし? さっきはサンキューな。お陰で助かった」

『も~、せっかくギネスに挑戦中だったのに、何があったのか気になってそれどころじゃなくなっちゃったよ~』

「勉強してたんじゃなかったのかよっ? 何してんだお前はっ?」

『ちょっと休憩中に挑戦してただけだもん! あのねあのね、歯ブラシでバスケットボールを回転させるギネス記録が64秒なんだって!』

「知らんがなっ! ボールを回す暇があったら頭を回せっての!」

『ちゃんと回してますよ~だ。そんなことより、結局お兄ちゃんの緊急事態って何だったの?』

「あー…………先に言っておくけど、無暗に話を広げてあんまり大事にするなよ? 特に阿久津には絶対伝えないこと。シュークリーム買ってやるから」

『本当っ? じゃあ梅、大きいカスタードのやつがいいっ!』

「へいへい」

 

 うっかり口を滑らせそうで不安ではあるが、口止め料代わりのシュークリームを籠の中へ一つ放り込む。ついでに望ちゃんにもと、もう一つ追加しておいた。

 無理をして倒れたなんて話を阿久津が耳にしたら、夢野に大掃除を手伝わせたことを後悔するだろう。ついでに言えば情け無用の容赦ない説教が夢野(と俺)に振りかかる可能性もあるな。

 

「実は今日、色々訳あって夢野の家にお邪魔してたんだけど、どうにも夏風邪っぽかったらしくて寝込んじゃったんだよ」

『はえ~。蕾さん、大丈夫なの? 梅も高速ダッシュで応援に行こっか?』

「別にそこまで酷くはないし、今は望ちゃんが看病してくれてるから大丈夫だ。そもそもお前が来たところでギャーギャー騒ぐだけだろ?」

『む~。そんなことないもん』

「俺も少し様子を見て落ち着いたら帰るから、気にせず勉強してろ。望ちゃんは頑張ってたみたいだから、お前も負けるなよ。そんじゃな」

『は~い! 梅梅~』

 

 電話を切った後でレジにて会計を済まし、夢野家を目指して自転車を漕ぎ始める。

 行きは何となく大通りの方向へと進みどうにかなったが、いざ戻るとなると困った話。夢野の後についていった時を何とか思い出しつつ、微妙に道を間違えながらも何とか帰還することができた。

 

『ピンポーン』

 

 インターホンを押して少しすると、俺が出ていた間に汗を洗い流したらしく先程の私服から着替えたキャミソール姿の望ちゃんが出迎える。

 改めて見ると姉妹らしく夢野に似て整った顔立ちであり、後ろ髪の上半分を両側面から後頭部にかけてまとめたお団子ハーフアップの髪が特徴的な少女は深々と頭を下げた。

 

「米倉先輩。お気遣いありがとうございます」

「これくらい御安い御用だって」

 

 身長は梅と同じくらいで、胸は梅より小さめ……というか中学生としては普通の体型だが、梅と同い年とは思えない程に礼節を弁えている少女の後へ続き家に入る。

 頼まれた物を手渡すと、どうぞと椅子を勧められたためキッチンで座って待機。少しして部屋から戻ってきた望ちゃんは、俺の向かい側の席に腰を下ろした。

 

「お姉ちゃん、眠っちゃったみたいです」

「そうか。とりあえず一段落だな。あ、これ良かったら食べてくれ」

「えっ? そんな、いただけません」

「いいからいいから。勝手に妹経由で番号を聞いた上に、勉強中のところを電話で妨害して迷惑掛けたお詫びだからさ。梅の奴も普段から何かと世話になってるみたいだし」

「と、とんでもないです。私の方が梅ちゃんには御世話になってますし、それにこちらこそ色々と迷惑を掛けて本当にすみませんでした」

「いやいや、全然迷惑じゃないって。仮に望ちゃんがいらないって言うなら、冷やし中華を作ってくれたお礼ってことで夢野に渡しておいてくれればいいからさ。あ、もしかして甘い物とか苦手だったか?」

「い、いえ、そんなことはないですけど…………そういうことでしたら、ありがたくいただきます。本当に何から何までありがとうございます」

「どう致しまして」

 

 ペコリと頭を下げた望ちゃんはシュークリームの袋を開くと、小さな口を開けパクッと一口。その可愛い姿を眺めながら、俺は気になっていたことを尋ねる。

 

「夢野について、少し聞いても良いかな?」

「はい」

「ここのところ陶芸部だけじゃなくて音楽部の方も休みがちだったって聞いたし、たまに来た時もウトウトしてたり眠そうに欠伸してばっかりでさ。コンビニで会った時も結構疲れてたっぽい感じだったけど、何かあったのか?」

「その…………実は、お母さんが入院してしまいまして……」

「入院っ?」



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十四日目(月) 夢野の旧姓が土浦だった件

「あっ、いえ、そんなに重い病気とかじゃないんで大丈夫です。来週には退院しますし」

「それなら良かったけど…………入院って、いつ頃からしてたんだ?」

「えっと……丁度私が大会の日だったので、一ヶ月ちょっと前ですね」

 

 大会の日…………。

 あの日は確か、俺が夢野と一緒に梅や望ちゃんの応援に行って――――。

 

 

 

『良かったら涼みがてら、どこかで軽く食べない?』

 

『もしもし? はい……はい……えっ?』

 

『ごめん米倉君! ちょっと急用ができちゃったから、私先に帰るね』

 

『本当にごめんね』

 

 

 

 …………もしかして、あの時の電話がそうだったんだろうか。

 一ヶ月前のことを思い出しながらも、望ちゃんの話の続きを聞く。

 

「お姉ちゃん、本当は陶芸部の合宿も休もうとしてたんです。でも一年に一度だけなんだし、あんなに楽しみにしてたんだから行って来なさいってお母さんに言われて……」

「…………」

「だから合宿が終わった後は、お母さんの分も頑張ろうってはりきっちゃって。私達の御飯を作ったり、アルバイトのシフトも前より増やしたり、お母さんのお見舞いにも行ったりして、それで…………」

 

 道理で陶芸部にも音楽部にも顔を出していなかった訳だと納得する。疲れていた理由はバイトだけじゃなく、ましてや文化祭の準備なんかではなかった。

 この前の釉薬掛けの日も午後は用事があると言って帰っていたが、もしかしたらあれも母親のお見舞いに行っていたのかもしれない。

 

「お父さんは仕事で帰りが遅いですし、私は勉強に集中しなさいってお姉ちゃんに言われて……でもこんなことになるなら、やっぱり私も手伝うべきでした」

「!」

 

 お父さん。

 そのワードを聞いて、和室で見た仏壇が脳裏をよぎる。

 パッと見た限り、写真は置かれていなかった。

 それなのにどうして祖父や祖母ではなく、父親の仏壇であると考えたのか。

 望ちゃんが図書館から戻ってくるまでの間、今更になって思い出したことがあった。

 

『それとキミは気にしていないか、はたまた忘れているのかもしれないけれど、蕾君には大きな謎が一つ残っているからね』

 

 恐らく阿久津はこのことに気付いていた……いや、覚えていたんだろう。

 一体俺が、どういう経緯で夢野と知り合ったのか。

 どうやって彼女のことを思い出したのか。

 夢野との距離が縮まる中で、俺は大切なことをすっかり忘れていた。

 

 

 

『あ~っ! 信じてないでしょっ? これでも梅はお兄ちゃんをぬか喜びさせないように気を遣って、夢野じゃない蕾さんを見つけても報告しないであげたのに』

『それ以前に余計な報告が多すぎだっての。第一夢野じゃない蕾さんって何だよ?』

『えっと、確か……土浦……だったかな?』

 

 

 

 夢野蕾。

 旧姓、土浦蕾。

 幼稚園時代のアルバムが、全てを物語っていた。

 苗字が変わる理由は離婚や再婚以外にも、養子縁組というケースだってある。

 ただそういう事情があるという可能性を、俺は全く考えていなかった。

 

「お母さんが退院するのと同じくらいにお姉ちゃんの夏休みも終わりますし、学校が始まれば無理するようなことはないと思うんですけど――――」

 

 ――ピーッ、ピーッ――

 

「ん?」

「あっ! すみません、ちょっと待っててください」

 

 何やら部屋の方から電子音が聞こえると、望ちゃんは慌てて椅子から立ち上がる。

 夢野が寝ている部屋に早足で向かい数秒した後、戻ってきた少女が手に持っていたのはにゃんこっちだった。

 

「ああ、成程な。二人で育ててるんだって?」

「はい。大事に育ててます。本当、あのコンビニの一件といい今回といい、米倉先輩には私もお姉ちゃんも御世話になりっ放しで…………」

「ん? あのコンビニの一件って?」

「あっ! な、何でもないです! 今のは忘れてください!」

 

 俺が不思議に思い尋ねるなり、目の前の少女は慌てて掌を横に振る。

 望ちゃんを初めて見たのは去年の夏に黒谷南中の体育館でやっていた練習試合の時だし、それ以外に会ったのは年末の神社と一ヶ月前の引退試合くらいしかなかったと思うが……コンビニとは一体何のことだろう。

 

「…………ぞみ…………のぞみぃ…………」

 

 どうやら先程のアラーム音によって、寝ていた夢野が目を覚ましたらしい。

 ドアの向こうから聞こえてきた消え入りそうな声を耳にするなり、望ちゃんは再び部屋へ。俺が先程の何やら気になる一言について考える中、二人のやり取りが耳に入る。

 

「どうしたのお姉ちゃん?」

「米倉君……まだいるの……?」

「うん」

「ちょっと……呼んでもらっても……いいかな……?」

「あの、米倉先輩。お姉ちゃんが呼んでるんですけど、少しいいですか?」

「ああ、聞こえてた。大丈夫だよ」

「どうもすみません」

 

 顔を覗かせた少女のいる部屋にお邪魔させてもらい、布団の傍へと腰を下ろす。制服からパジャマへ着替えて横になっていた夢野が、俺を見るなり弱々しく笑った。

 

「また……恥ずかしいところ……見られちゃったね……」

「見られたくなかったら、あんまり無理しないこった」

「うん……そうする……迷惑掛けてごめんね……?」

「妹と同じこと言ってるぞ? 別に迷惑なんかじゃないっての」

「そっか……ありがと……」

「夏休みも明日で最後だからな。今日と明日でしっかり休んで体調を治さないと」

「あ……でも、明日はバイトがあるから……」

「望ちゃん」

「はい。ちょっと電話してきます」

「頼んだ」

 

 目を合わせ名前を呼んだだけで完全なる以心伝心。電話番号を知ったばかりとは思えない連係プレーによって、望ちゃんは部屋を出ると休みを告げる電話を掛けに行った。

 

「ちょ……望……大丈夫だから……」

「駄目だ。俺が許さん。明日のバイトは休め」

「でも……休むと迷惑掛けちゃうし……」

「体調悪いまま来られる方が、よっぽど迷惑だと思わないか?」

「それなら……明日になって様子を見てからでも……」

「連絡するなら早いに越したことはないし、当日キャンセルされる方が困るだろ?」

「じゃあ……」

「いいから明日のバイトは休むこと。わかりましたか?」

「…………はい…………」

 

 こちとら伊達に論理的な幼馴染とやり合って……いや、やり合ってはないけど、アイツのダンガンロンパは耳にタコができそうなほど聞かされてるからな。

 時折頑固な一面を見せる夢野だが、説得の甲斐もあって諦めがついたらしい。しゅんとなった少女をジーっと眺めていると、柔らかそうな唇がゆっくりと動く。

 

「ねえ……米倉君。ちゃんと休むから、一つお願いしてもいい……?」

「何だ? 喉が乾いたのか?」

「ううん……私の手、握っててくれる……?」

「ああ、いいぞ」

 

 風邪の時は人肌が恋しくなるというし、その程度の頼みなら御安い御用だ。

 もぞもぞと動いた夢野の手が布団の中から出てきたのを見て、俺はその柔らかい掌を覆うように優しく握り締めた。

 

「…………ん……ありがと……」

「とにかく今はやるべきこととか全部忘れて、ゆっくり身体を休めてくれ」

「うん…………そうする……」

 

 そう静かに呟いた後で、夢野はゆっくりと目を閉じた。

 少しして電話を終えた望ちゃんが戻って来たが、俺は鼻の前に指を当てシーっというジェスチャーで応える。そのまま十数分もすると夢野は眠りに落ちたようで、すやすや寝息を立て始めた少女を見てからそっと手を離すと静かに部屋のドアを閉めた。

 

「眠りました?」

「ああ。バイトの方は?」

「はい。大丈夫です。お姉ちゃん頑固だから、米倉先輩が言ってくれて助かりました」

「お役に立てて何よりだよ」

「すっかり遅くまで、本当にすみませんでした」

「いやいや、こちらこそ長居しちゃってゴメンな。それじゃあ俺もそろそろ帰ると…………あ、ちょっとだけ待ってもらってもいいかな?」

「?」

 

 買っておきながら結局開けていないままの桜桃ジュースを見て、俺は鞄からペンとノートを取り出すとページを一枚千切った後で夢野宛てのメッセージを残す。

 

「これでよしっと。夢野の目が覚めたら渡しておいてくれるか?」

「はい。わかりました」

「それじゃ、後は宜しくな」

「今日は本当に色々とありがとうございました」

「おう。望ちゃんも勉強頑張ってな。屋代の後輩になるのを楽しみに待ってるよ」

「はい! 文化祭、遊びに行きますね!」

 

 見ているだけで幸せになりそうな姉そっくりの可愛い笑顔を見せてもらいつつ、俺は夢野家を後にする。ああ書いておけば、夢野も無理をすることはないだろう。

 週末に迫る一大イベントを前にして、今年はテンションが上がっていく。未だかつてないワクワクを感じながら、ペダルを漕ぐ足は自然と速くなるのだった。

 

 

 

『文化祭で一緒に回るためにも、しっかり休んで治してくれ。楽しみにしてるからな!』



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十四日目(月) 二人の妹の出会いが練習試合だった件

「ただいま」

「「おかえり~」」

 

 何気ない挨拶一つにふと温かみを感じながら、帰宅した俺は声のしたリビングへ向かう。

 台所で夕飯の支度をしている母親と一言二言交わした後で扇風機の前に陣取り涼んでいると、ソファで寝転がっている妹がリングで留めた単語帳を捲りつつ尋ねてきた。

 

「蕾さん、どうだった?」

「ああ。もう大丈夫そうだ。それより梅、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」

「ふっふっふ~。もしかしなくても梅のギネスチャレンジでしょっ? 5秒くらいできるようになったよっ! 見たいっ?」

「違うっての! そんな大道芸、別に見たくもなんともないわっ!」

 

 よくよく見れば、リビングの傍らに何故かバスケットボールが転がっている。ひょっとしなくてもコイツ、またギネスに挑戦してたんじゃないだろうな。

 

「じゃあ聞きたいことって……あっ! ストップ! 梅、当てるから! お兄ちゃんの考えてることを当てる新しいギネスにチャレンジするから言っちゃ駄目!」

「どんなギネスだよそれ?」

「むむむむむ……ズバリそれは、丸い物が関係するでしょう!」

「アバウト過ぎだろ」

「見えます、見えます…………その丸い物とは、バスケットボール!」

「んー、まあ関係してるっちゃしてるか」

「でしょっ? そして更にもう一つ! それは月に関係してるでしょう!」

「あー、外れだ。もしかして阿久津のことだと思ったのか?」

「え~? 違うの~? おっかし~な~。偏差値が上がってギネスに挑戦した梅なら、お兄ちゃんの考えてることくらい余裕のよっちゃんだと思ったんだけど……」

 

 相手の思考を読み取るのに偏差値もギネスも関係ない件。こういう発言をする辺り、学力が上がってもアホなのは変わりないとバレるから黙っていてほしい。

 

「むむむむむ……じゃあそれは、歯ブラシが関係――――」

「してねーよっ! 単に練習したギネス見せたいだけじゃねーかっ! 聞きたいのは望ちゃんのことだよ。お前、一緒に遊んだりしてるんだろ?」

「む~。この前も映画見に行ってきたばっかりだけど、それがどったの?」

「今まで望ちゃんと一緒の時に、コンビニで何かあったりしたか?」

「はえ? 何かって?」

「詳しくは俺もわからんが……そうだな。例えるならガラの悪い客に絡まれそうになったのを助けたとか、失くした財布を見つけたとか、そういう望ちゃんをサポートするような感じのことだ」

「何それ? 別に無かったと思うよ~」

 

 ギネスチャレンジを見たくないと言ったせいか露骨に不機嫌になった妹は、頬を膨らませそっぽを向くと再び単語帳をパラパラ捲りながら面倒臭そうに答えた。

 仮にそんな客がいたとしたら梅より先に店員が対応するだろうし、アホな妹ならまだしも真面目で几帳面そうな望ちゃんが財布を失くすなんて事態も考えにくいだろう。

 仮に夢野みたいに店員として仕事中だったとかならあり得る話かもしれないが、まだ中学生の彼女がバイトしているなんてこともない。

 

「初めて望ちゃんと会ったのって、いつ頃のことだったか覚えてるか?」

「ん~? いつだろ? そんな昔のこと、もう忘れちゃったし~」

「お前が書いてる日記とか見たらわかるだろ? ちょっと調べてくれ」

「え~? 梅、今勉強中なんだけど~」

「ほれ」

「音速の約340㎧ダァッシュ!」

 

 買ってきたシュークリームを見せると、梅は勢いよく跳び上がりドタドタと階段を上がっていく。相変わらずドタバタと騒がしい奴だが、まあアレはアレでアイツの取り柄か。

 相変わらずチョロ過ぎる妹に不安を抱きつつ、俺はもう一人の妹の言葉を思い出す。

 

『はい。大事に育ててます。本当、あのコンビニの一件といい今回といい、米倉先輩には私もお姉ちゃんも御世話になりっ放しで…………』

 

 コンビニの一件。

 帰り道でも色々と考えてみたものの、望ちゃんが口にし掛けた言葉に心当たりはない。

 彼女がコンビニで偶然俺を見掛けたという可能性は無きにしも非ずだが、少なくともあの場所で俺が望ちゃんに声を掛けられるようなことは無かった筈だ。

 梅に聞けば何かしらわかるかもと思ったが、見たところそんな様子も無し。そうなると更に昔……夢野のケースのように、俺が彼女と会ったことを忘れているのかもしれない。

 

「等速直線運動からの~~~~~慣性っ!」

 

 勉強したての理科用語を無駄に口にするようになった妹が、ボロボロの日記帳を数冊携えて戻ってくる。コイツの日記も長い間、よくもまあ続くもんだな。

 

「うわっ! 焼き芋大暴走ペリカン事件とか懐かし~っ!」

「どういう事件だよそれ」

 

 思い出を懐かしんでいるのか時には声を上げ、また時には唸りつつ日記のページを捲る梅。そんな一喜一憂する妹を眺めていると、少しして該当箇所らしき時期を見つけたのか、とあるページを基準に進んだり戻ったりを繰り返す。

 

「えっとね~、多分だけど中二の秋くらいからっぽい感じかも…………あっ! あったあった! 練習試合の時に声掛けられたって書いてあるっ!」

「練習試合っていうと、俺が見に行った時か?」

「はえ? そんなことあったっけ?」

「お前が部長になって最初のやつだよっ! 阿久津と一緒に見に行ってやっただろっ?」

「あ~、梅の応援しに来たとか言っておきながら、お兄ちゃんがミナちゃんと二人で仲良くバスケしてた時のこと? あれじゃなくて、ユニフォーム貰った日の練習試合!」

「別に仲良くバスケしてた訳じゃないんだが……まあそれは置いといて、中二の秋ってなると思ったより後だったんだな。何でまた声を掛けられたんだ?」

「初めましてって言われて何かと思ったら、蕾さんの妹だって聞いてビックリ。お兄ちゃんにも教えてあげようとしたけど、ユニフォーム馬鹿にされたから梅ダンク!」

 

 質問に答えるかの如く日記を読み上げる梅。あの時のあれはマジで痛かったな……。

 てっきりもっと早い時期に知り合ったのかと思いきや、梅が望ちゃんと仲良くなったのは俺が彼女を初めて見た後。そうなるとコイツはこれといって関係なさそうだ。

 

「わかった。サンキューな。ほれ、報酬だ」

「わ~い!」

「梅。もうすぐ夕飯だから食べるのは後にしなさい」

「え~?」

 

 母上からお預けを喰らい、梅はまたもや頬を膨らませる。

 まあそりゃそうだろうと呆れていると、俺はふと聞き忘れていたことを思い出した。

 

「そうだ梅。わんこっちってどこにあるか知ってるか?」

「知らないっ!」

 

 再び不機嫌になった妹を見て、思わず苦笑いを浮かべる。

 長かった夏休みも、いよいよ明日で終わりか。

 明後日から始まる二学期……そして週末に控えている文化祭のことを考えながら、俺は宿題に迫われていない平和を満喫しつつ軽やかに階段を上っていくのだった。



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十九日目(土) 展示品が天目色絵大皿だった件

 生徒総数は約2500人。一学年800人以上のマンモス校、屋代学園。

 その文化祭は人数が多いだけあって高校の中では非常に大規模であり、校長先生の話によれば昨年の一般の来場者数は二日間で20000人近くまで上ったらしい。

 校門にある無駄に恰好良いカウントダウンのパネルが『00日』となった今日は文化祭一日目。体育館で行われた開会式では、全校生徒一人一人が作った折り紙を組み合わせて完成した巨大な一枚のモザイクアートが公開された。

 開会を告げる大きなくす玉も見事に割れ、盛り上がる進行役と沸き上がる生徒達。ある者は叫び、ある者は肩車をして、最終的にはステージ上で校長が踊り出す。そんな興奮に包まれた異様な光景の開会式が終われば、いよいよ祭りの始まりだ。

 

「いいかぁっ! お客様は神様だぁっ!」

「「「応!」」」

「おもてなしの心を忘れるなぁっ!」

「「「応!」」」

「いらっしゃいませぇー」(野太い声)

「「「いらっしゃいませぇー」」」(野太い声)

 

 …………そして俺達のクラス、3―Cは万魔殿(パンデモニウム)と化していた。

 フリフリの服を身に纏いウィッグを付けた屈強なる男達……いや、化け物共のリミッターは外れ、まだ一般公開まで時間はあるにも拘わらずテンションは最高潮だ。

 

「相生! 渡辺! 気合いが入ってねえぞぉっ!」

「もっと腹から声出せや!」

「さん、はい!」

「「「いらっしゃいませぇー」」」(野太い声)

「い、いらっしゃいませ……」

「…………お前ら、元気良すぎだろ……」

 

 太田黒(おおたぐろ)但馬(たじま)が目も当てられないクリーチャーと化しているのに対し、やはりイケメンはオカマになってもイケメンなのか渡辺は意外と悪くない。

 しかしやはり安定しているのが葵であり、最早オカマというよりは単なる女装。客からすれば「どうして普通の女子がいるの?」と思われること間違いなしだろう。

 

「……ヨネ。待たせた」

「おう。行くか」

 

 そんな野郎共と関わり合いにならないよう遠目から眺めていると、何やら用事があるということで如月と一緒にどこかへ行っていた冬雪が一人で戻ってくる。

 文化祭の手作りうちわをパタパタと扇ぎながら暑さを凌いでいる少女と共に階段を上がりCハウスを出ると、二階の渡り廊下であるモールを通って芸術棟へ向かった。

 

「相方はどうしたんだ?」

「……美術部の準備」

「そうか。美術部って何するんだ?」

「……ブラックライトアート」

「成程わからん。何となく綺麗そうな響きだな」

 

 慌ただしく行き交っている生徒達を眺めながら、安直な感想を述べる。この広い渡り廊下でさえも、一般開放された後は人ごみでごった返しになるのだから驚きだ。

 普段は昇降口から外に出て中庭を抜けるところだが、この廊下の途中にある空き教室こそが陶芸部の販売場所。パンフレットでの名前は『陶器市』となっている。

 

「……ヨネ」

「ん?」

「……後で大事な話がある」

「何だよ改まって。大事な話って、陶芸市の当番についてか?」

「……違う。後でいい」

 

 もしも夢野みたいに「……一緒に回りたい」なんてお誘いだったなら俺にもモテ期到来のお知らせな訳だが、陶芸王者フユキングに限ってそんなことはないだろう。

 女子が口にする『大事な話』は男にとって重みのある意味深ワード。そんな風に言われると逆に物凄く気になって仕方がなくなる中、隣が入試相談コーナーという何とも微妙な場所に用意された『陶器市』の暖簾が掛かっている部屋へと足を踏み入れた。

 

「やっと来た。ネックもユッキーも遅いわよ」

 

 中で待っていたのは、クラスTシャツ&スカート姿の火水木。隣にいる冬雪もそうだが、この恰好をしている女子は何となく普段の制服姿より可愛く見えてくる。

 火水木が着ているTシャツは、前に担任のイメージ像と思わしきブルドッグのイラスト。そして後ろにはクラスメイト全員の名前が書いてあるというオーソドックスなものだ。

 薄い生地のせいで一段と膨らんで見える大きな胸により、ブルドッグは3D機能を搭載しているかの如く立体的。思わず目が釘付けになりかけるが、少女に悟られないよう視線を上げつつ挨拶を交わす。

 

「よう。早いな」

「……マミ、おはよ」

「おはよ。ネックはともかく、ユッキーがそのTシャツ着てると面白いわね」

「……去年の方が良かった」

 

 俺と冬雪の背中に書かれた『HEY! HEY! お姉ちゃんお茶しない?』の文字を見るなり、ごもっともな感想を言う火水木。仮に冬雪が言わなそうな台詞ランキングとかを作ったら、間違いなくトップ10に入りそうなパワーワードだろう。

 遅いと言われたものの、既に陶器市は昨日と一昨日でほぼ準備済み。黒板前には受付用として長机が置かれ、部屋の中央には回の字の形に机が並べられている。外側の机に置かれているのがメインとなる販売品で、内側の机に置かれているのは展示品だ。

 

「あれ? こんな名前付いてたか?」

「そうそう! アタシも見てビックリしたんだけど、これってイトセンが付けたの?」

「……(コクリ)」

 

 和風の布が敷かれている机の上に添えられていた綺麗な造花を眺めていると、展示品である壺や大皿の前にネームプレートが置かれていることに気付く。

 そこには制作者である冬雪や阿久津の名前と共に『藁白染付壺』だの『天目色絵大皿』という、厨二病患者の好きそうな仰々しい名前が付けられていた。

 

「藁白とか天目っていうのが釉薬だって分かるけど、染付だの色絵だのはさっぱりね」

「……それは模様のこと」

「釉薬の名前が作品に付けられるなら、仮にあの『きれいな青』を使った場合どんな感じの名前になってたんだ? 例えば阿久津の大皿とかさ」

「……きれいな青色絵大皿になる」

「ダサッ!」

 

 ここまで恰好いい名前が並んでいるのに、台無し感が半端ない。勝手に『物凄い灰色』とかに書き換えてたけど、釉薬の名前って割と大事だったんだな。

 展示品として並んでいるのは冬雪の作品が三つに阿久津の作品が二つ。後は伊東先生の作品が一つの計六つと思いきや、見知らぬ大皿がもう一つ置かれている。運んだ時には気付かなかったが、一体誰が――――。

 

『織部大皿 作:火水木天海』

 

「火水木っ? お前、作ってたのかっ?」

「ネックってば気付くの遅すぎよ。ユッキーもツッキーも一年生の時には作ってたみたいだし、アタシも一つくらいは作らないとね。それに展示品が二人とイトセンだけなんて寂しいでしょ?」

 

 そう言うなり、俺に向けてVサインを見せる火水木。織部の色が酸化焼成の緑色であることから察するに、どうやら冬雪の壺と一緒に電気窯で焼いたのだろう。

 その出来は阿久津が一年の頃に作ったと思われる大皿以上で、入部した順番が先である俺としてはここまで上手くなっていたのかと若干嫉妬してしまうくらいだった。

 

「それにアタシ、この夏は色々忙しくて陶芸部に顔出せなかったじゃない? ユッキーにも寂しい想いさせちゃったみたいだから、これはその罪滅ぼし」

「……マミ、ありがとう」

「どう致しまして。ギリギリになっちゃったけど、何とか間に合って良かったわ」

「驚いたな……また前みたいに、冬雪のコスプレを引き合いに出したのか?」

「してないわよっ! アタシだってやる時はやるんだから!」

 

 来年は俺もここに展示する作品を作れるように頑張ろうと思いつつ、150円~300円程度の値段が付けられた商品を眺めた後で、中央からは隔離されている窓際ゾーンへと視線を向けた。

 ここに置かれているのは50円~100円の安物コーナー。主に小物や出来の悪い作品、その他に冬雪が戯れに作った小物類が並べられているが、100円ショップの食器と比較すると形や重さが悪くても見栄えは良いのでお得感はある。

 ちなみに陶器の値段を付けたのは基本的に制作者であり、同じ100円の商品でも冬雪と俺の匙加減は当然ながら違うため、中には安くて質の良い掘り出し物も多い。

 

「冬雪のこのヒヨコの置物とか普通に欲しいんだけど、先に買っちゃ駄目か?」

「……駄目。売れ残ったならいい」

「いや絶対に売れ残らないだろ」

「……欲しいなら自分で作る」

 

 それができたら苦労しないんだよなと苦笑を浮かべつつ出入り口を見る。

 そこには『ご意見、ご要望等がありましたら、お気軽にどうぞ』と、一冊のノートを用意。これは来年に向けた改善のため毎年置いているそうだが、今の要望を書いたら流石に怒られるだろうか。

 

「それより店番だけど、片方はユッキーが入るとしてネックは先がいい? 後がいい?」

「んじゃ、後で頼むわ」

「オッケー」

 

 陶器市の店番は二人で足りるとのことだが、経験者が阿久津と冬雪しかいないということもあり、一日目は仕事を覚える意味も込めて三人での当番制となった。

 今日は何時に入っていたかと、長机の上に置かれている紙を改めて確認する。

 

 

 

●一日目(11時~16時)

 

・11時~12時→冬雪、米倉、火水木

・12時~13時→阿久津、夢野、早乙女

・13時~14時→冬雪、阿久津、鉄

・14時~15時→冬雪、火水木、早乙女

・15時~16時→米倉、夢野、鉄

 

 

 

●二日目(9時~15時30分)

 

・9時~10時→阿久津、早乙女

・10時~11時→米倉、夢野

・11時~12時→冬雪、阿久津

・12時~13時→早乙女、鉄

・13時~14時→冬雪、鉄

・14時~15時→阿久津、米倉

・15時~15時30分→冬雪、火水木

 

 

 

 各々クラスの当番や用事、夢野の場合は音楽部の仕事もあるため、都合の悪い時間帯を考慮して割り振った結果、店番に入っている頻度は大体均等の形になった。

 主な仕事は一人が金銭関係を担当し、もう一人が買われた商品を新聞紙で梱包する係。二人の背後で待機している俺は、ひとまず冬雪の梱包を見て覚えることになる。

 

「さー、ガンガン売るわよーっ!」

 

 時刻は午前十一時。いよいよ文化祭の一般公開が始まった。



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十九日目(土) 陶器市がガラガラの大繁盛だった件

 一般公開開始から約三十分。窓から外を見下ろしてみると、日差しが強いにも拘わらず校門からは中学生と思わしき少年少女や家族連れが次から次へと吸い込まれるようにやってくる。

 去年は何一つ面白味のない文化祭だったため大して記憶に残っていなかったが、こうして改めて来場者を見ると普通の高校三つ分の規模だけあって本当に多い。

 

「ねえユッキー。去年もこんな感じだったの?」

「……そんなことない」

「こんなペースじゃ、せっかくの作品が売れ残っちゃうじゃない」

「……でも去年はほぼ全部売れた」

 

 それに対して我らが陶器市はと言えば、閑古鳥が鳴くような静けさに包まれていた。

 来た客と言えば、おばさんとオバサンとOBASANくらい。先程去っていた老夫婦を加えたところで合計人数はまだ十人にも達しておらず、こうした販売において究極系ともいえる聖戦の激しさを知っている火水木は特に退屈そうだ。

 

「まあ場所が場所だしな。こっちまで来るのって、Aハウスに行く人くらいだろ?」

「そうよねー。そこの角でパソコン部も何かやってるみたいだけど、そこに用事があるようなオタク層は誰がどう考えても絶対ここには来ないだろうし……」

 

 B~Dハウス辺りは体育館へ続く廊下にも近いため人通りが多いものの、広い校舎の端に位置しているこの辺りは人目につきにくい。

 陶器市の更に奥である、芸術棟へ向かう階段の横。普段から光が当たりにくく薄暗い廊下には写真部やパソコン部、美術部などがいるが、向こうも繁盛はしてなさそうだ。

 

「やっぱりここはユッキーが猫耳コスプレの売り子になって、陶芸の魅力を宣伝していくしかないわね」

「……しない」

 

 仮にそれをやったら集客力はアップするだろうが、客層は間違いなくオタクへと変わるだろう。下手したらパソコン部の連中まで雪崩れ込んできそうだな。

 しかしこのままのペースでは火水木の言う通り大量に売れ残るのは確実。やや不安そうな様子の部長を見て、俺は少し考えた後で尋ねる。

 

「なあ冬雪。去年はやってたけど今年はやってないこととか、何かしらやり忘れてるようなことってないのか?」

「……そう言えば、去年は先輩が外で呼び込みしてた」

「何でそれを早く言わないのよっ? ネック! 交代!」

「ん? おお」

 

 冬雪の話を聞くなり立ち上がった火水木は、意気揚々と廊下へ出る。そして持ち前の声の大きさを生かし、歩いていく人々に向けて宣伝を始めた。

 

「陶器市でーす! 安くて良い品物が沢山売られてまーす! お一つ如何ですかーっ? あ! そちらのお父様お母様! いい陶器ありますよ?」

 

 文房具屋の娘としての血が騒ぐのか、無駄に営業トーク力を発揮する火水木。早速声を掛けられた中年夫婦が陶器市へと入ってきたため、俺達も「いらっしゃいませ」と挨拶をする。

 仮に冬雪をマスコットとするなら、火水木はキャンペンガールのようなもの。明るい雰囲気は勿論のこと、膨らむ双丘に魅入られて来る男性客が増えるかもしれない。

 

「ありがとうございましたー」

 

 中年夫婦が去った後には、入れ替わる形で中学生を連れた別の夫婦が入ってくる。恐らくは隣にある入試相談コーナーに立ち寄った帰りなんだろう。

 その後も火水木の呼び込み効果か、はたまた単純に他ハウスを見終わった客がこちらへと来る時間帯になったためか、少しずつ陶器市に寄っていく客も増えていった。

 これには冬雪も喜んでいるだろうと、流れが一旦途絶えたところで隣を見る。

 

「……」

「難しそうな顔して、どうしたんだ?」

 

 増えてきた客に喜ぶ様子も見せず、まるで何かに悩んでいるかのように俯き気味の冬雪を見て、受け取った硬貨を整理しながら尋ねる。

 すると眠そうな半目の少女は、いつにも増してジトーっとした目で俺の方を見た。

 

「……ヨネ、大事な話がある」

「ん? ああ、さっき言ってたやつか」

「……ルーの話」

「如月の?」

「……ルーの方言のこと、誰かに言った?」

 

 どうやら友人である冬雪は、如月が博多弁を喋ることを知っていたらしい。

 思えばあの日以来、如月からは避けられている気がしないでもない。しかしながらこれといって誰にも喋っていない俺は、真っ直ぐに見つめてくる少女へ正直に答えた。

 

「いや、別に話してないぞ」

「……本当に?」

「ちょ、冬雪さん、顔が近いんですが……」

「……本当の本当に誰にも言ってない?」

「ほ、本当だって!」

「……アキにもアオにも?」

「言ってないっての!」

「……なら良かった」

 

 いつになく圧のある雰囲気で迫っていた少女が身を引き、ホッと胸を撫で下ろす。

 廊下から火水木の大きな声が聞こえる中、客のいない部屋で冬雪は静かに呟いた。

 

「……内緒にしてほしい」

「内緒って、方言のことか?」

「……(コクリ)」

「元々言いふらすつもりなんてなかったし、そんなに心配しなくても誰にも話さないから大丈夫だって。如月にもそう伝えておいてくれるか?」

 

 もしもアキトなら「黙ってて欲しかったらスカートたくし上げですな」とかふざけたボケをかましていただろうが、俺はそういうキャラじゃないので真面目に答えておく。

 方言なんてそんなに気にするようなことでもないし、博多弁で喋る方が今の無口状態よりも断然良いと思うが、まああまり深くは聞かないでおくべきだろう。

 

「……伝えておく。ありがとう」

「どう致しまして。ってか、別にお礼を言われるようなことじゃないと思うけどな」

「……そんなことない。ヨネは優しい」

「そうか? 別に普通だろ……っと、いらっしゃいませー」

「……いらっしゃいませ」

 

 悩みの種だった大事な話も終わったことで、浮かない表情だった冬雪も元通りに。傍から見れば無表情でも俺から見れば僅かに嬉しそうであり、喜んでいる気配もひしひしと伝わってきた。

 陶器市の方も波に乗って来たのか、徐々に人が集まり始める。部屋の中に三人、四人がいるような場面もあり、ついには最初となるノート執筆者も現れた。

 

「ありがとうございましたー」

 

 客のいなくなった合間を見計らって立ち上がると、先程の婦人が何を書いたのかノートを確認しに行く。

 開かれているページには、綺麗な字で短い文が書いてあった。

 

『良い作品ばかりで驚きました。また来年も来ようと思います』

 

「…………火水木! 火水木!」

「何よネック?」

「これ見てみろって!」

 

 嬉しさのあまり、廊下にいた火水木を思わず呼び寄せる。

 俺の隣でノートを覗きこんだ少女は、短い一文を目にした後で嬉しそうに声を上げた。

 

「滅茶苦茶テンション上がるわね!」

「な!」

「こうなったら、もっともっと呼んでいくわよ!」

「言ってくれれば、俺もいつでも代わるからな!」

「……ヨネもマミも、ありがとう」

 

 はりきって廊下に戻っていった火水木が、再び呼び込みを始める。

 やってくる客の年齢層はウチの母親くらいの年代が多いが、大半の人は入試相談コーナーに用事があった様子。そう考えると、この配置は意外に悪くないのかもしれない。

 たまに大学生くらいに見える若い人が来ることもあるが、同年代である高校生や親子連れ以外の中学生のみが来ることは皆無。やがて交代時間の十分ほど前になったところで、二人の高校生が陶器市へとやってきた。



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十九日目(土) 三人の先輩が大学生だった件

「よう。二人とも、随分と早く来たな」

「何事も始まりは問題が起こりやすいものだからね。どんな感じだい?」

「……まずまず」

「表でミズキが呼び込みしてたからビックリしちゃった」

 

 机の上の作品を眺めながら状況を確認する夢野は、火水木と同じブルドッグのクラスTシャツ姿。そして阿久津が着ているのはクラスTシャツならぬクラスポロシャツだ。

 黒いポロシャツに描かれているのは、車両通行止めのマークに引っ掛かっている長髪の女の姿。F―4バスターズと書かれているパロディ要素満載なシャツを見れば、クラスの出し物がお化け屋敷系統であるということは一目でわかる。

 

「最初はガラガラだったけど、火水木のお陰で結構来始めた感じだな」

「それは何よりだね。交代時間には少し早いけれど代わろうか」

 

 レジ係だった俺が夢野と交代し、梱包係だった冬雪が阿久津と交代。最後の一仕事として冬雪が販売用の陶器を補充していく中、俺は廊下にいる火水木へ声を掛ける。

 

「ちょっと早いけど、もう交代でいいだとさ」

「オッケー。ユメノン、ツッキー。後は宜しくね」

「うん。ミズキも頑張って」

「呼び込みありがとう」

 

 何かしら別の用事でもあるのか、火水木は二人に声を掛けるなり足早に去っていく。性格的にも祭りを楽しむタイプだろうし、友達と一緒にクラスを回る約束でもしていたりするのかもしれない。

 そんな忙しそうな少女とは対照的に、これといって何一つ予定の入っていない俺はと言えばこの後の時間をどう潰すか悩みもの。下手にクラスに戻ってオカマ役をやらされては堪らないし、また去年みたいにアキトの奴と駄弁って時間でも潰すか。

 

「おやおやー? そこにいるのは、いつぞやの新入部員君じゃないかー?」

「…………?」

 

 聞き覚えのある陽気な声に振り返ってみれば、そこにいたのはアホっぽいというか能天気そうな女性。初めて見る私服姿も相俟って最初は誰だかわからなかったものの、隣にいる真面目そうな元部長と幸薄そうな先輩が一緒なのを見て気付く。

 

「やっぱりー。おっひさー。ブイブイー」

「ズキちゃん、私の手でピースせずに自分の手でピースしてくれます……?」

「まーまー。サっちん操縦するのも久し振りなんだからさー」

「操縦……それと二年生の彼を未だに新入部員と呼ぶのは、少々失礼な気がします……」

「大丈夫大丈夫ー。問題ナッスィン!」

 

 思えば姉貴も卒業するなりイヤリングを付けたり、髪を色々と弄るようになったりしたため、これが俗に言う大学デビューというやつなんだろう。

 橘先輩が金髪へ染めていたように、ズキちゃんと呼ばれているハイテンションな先輩も茶髪へとチェンジ。元部長も髪を染めてこそいないものの、伸びた髪にはパーマを掛けており化粧のせいもあってか別人に見えた。

 幸薄そうな先輩は…………二人とは対照的に、これといって変わってなさそうだな。

 

「どうも、お久し振りです」

「こんにちは。陶芸部はどう?」

「はい。お陰様で楽しくやってます。一年生も二人、入りましたよ」

「そっか。良かった」

「それじゃーお邪魔しまーす!」

「どうぞ。冬雪、お客さんだぞ」

「……いらっしゃいませ」

 

 先輩達の姿を見るなり、こちらへ駆け寄ってくる冬雪。梱包用の新聞紙を前にして座っていた阿久津もペコリと頭を下げたのを見て、俺は少女の元へ歩み寄ると声を掛ける。

 

「せっかく来てくれたんだし、店番なら俺が変わるから阿久津もゆっくり話してきたらどうだ? 何だったら一緒に文化祭を回ってきてもいいぞ」

「いいのかい?」

「これといった用事もなくて暇だったからな。冬雪の仕事を見てちゃんと梱包も覚えたし、これくらいの客入りなら俺と夢野でも大丈夫だからさ」

「そういうことなら、御言葉に甘えて少しの間お願いしようかな。もしも何かしらの問題が起こった時は、連絡してくれればすぐに駆けつけるよ」

「そんな心配しなくても、この手の仕事のプロだっているんだから大丈夫だ」

「うん。接客なら慣れてるから任せておいて!」

「それは頼もしいね。蕾君も、ありがとう」

「ふふ。どう致しまして」

「すまないね。埋め合わせは後でするよ」

「気にすんなっての」

「……梱包は丁寧に」

「了解だ」

 

 俺は阿久津と入れ替わると、夢野の隣へ腰を下ろす。先輩達は展示されている陶器や各種販売品、そして入口に置いてあるノートを見て回っていった。

 

「まだ一時間足らずで既に書き込まれている辺り、今年は客入りが多そうですね……」

「去年はバナが妙にはりきって廊下で声出してたけど、あれあんまり意味なかったのかもね」

「……今年もやりました」

「えー? 誰がー?」

「あの人みたいなタイプの部員が一人いまして。天海君……と言ってわかるでしょうか? 少し前までそこにいた、眼鏡を掛けた二つ結びの女の子なんですけど」

「うーん、ちょっと会えなかったかも」

「……マミは陶芸部の盛り上げ役」

「去年のハロウィンやクリスマスにはパーティーを企画してくれたし、合宿もバーベキューに肝試し、花火に蛍観賞と、昨年以上にイベント盛り沢山だったからね」

「蛍見たのっ? いいなーいいなー」

「……でもミナ、それでセンセイに怒られてた」

「それは詳細が気になる話ですね……」

 

 阿久津と冬雪が先輩達のいなくなった後の出来事を語る中、もう一人の当番である早乙女が陶器市に姿を現す。

 本来であれば一緒に店番をする筈の阿久津は、見知らぬ相手と会話中。そして何故か阿久津のいるべき場所に座っている俺という謎の光景を目の当たりにして、不思議そうに首を傾げた後輩は夢野の背後へ回り込むと小声で尋ねてきた。

 

「誰でぃすか?」

「OGの先輩だって」

「まあ陶芸部に残ってるメンバーで一緒に活動してたのは、阿久津と冬雪の二人だけどな」

「そうなんでぃすか。それで、どうして根暗先輩が店番をしてるんでぃすか?」

「阿久津と交代したんだよ」

 

 黒地に白い文字で『我等友情永久不滅』と書かれているだけという何とも微妙なセンスのクラスTシャツを着ている早乙女は、交代と聞くなり滅茶苦茶げんなりした顔を浮かべる。そんなにショックを受けなくても、明日の最初の店番はお前と阿久津の二人だろ。

 先輩達が入口のノートにメッセージを書き終え、阿久津と冬雪と一緒に陶器市を後にした頃になると再び客足は増え始め、数分後にはピークを迎えることになる。

 

「これは学生さん達が作ったの?」

「はい。販売品は全て部員が作ってます。それぞれマークを決めておりまして、例えばそちらの湯呑ですと私の描いたサクランボのマークが後ろに掘ってあるんです」

「あら本当。じゃあこっちのFeっていうのは、イニシャルなのかしら?」

「いえ。部員にクロガネ君という子がいるんですが、漢字で書くと鉄という字になりまして。それが原子記号だとFeなので、そのマークにしたいみたいです」

「そうだったの。それにしても、皆さん本当にお上手ねえ」

「はい。ありがとうございます」

 

 バイトで培った接客技術は伊達じゃないらしく、営業スマイルは勿論のことお釣りを用意しながら雑談を交わす夢野は流石といったところか。

 ちなみにマークと言えば、やたらと悩んだのが早乙女だったりする。自称夜空コンビの少女は阿久津が月と聞くなり星にしようとしたが、火水木の五芒星と被るため断念。それならば星華の『華』から花にしようとすれば、俺の桜の花びらと被ってしまう。

 結局最終的には月とセットになるものという理由で太陽にするという、早乙女星華の名前とは一切関係ないマークに決定。仮にお客さんに聞かれたら、何て説明すればいいんだろうな。

 

「早乙女、梱包頼めるか? 慌てなくていいから、一つ一つ丁寧にな」

「了解でぃす」

 

 流石に一人では手が回らなくなってきたため、後ろで見ていた早乙女にも梱包を手伝ってもらう。客足が途切れることは一切無くなり、最初の暇が嘘だったかのような繁盛だ。

 中には毎年来ているリピーターも割といるようで、屋代の陶器市が低価格で良い品物を買える穴場だと認識している人は意外にも多いらしい。

 

「お買い上げありがとうございます。こちらで少々お待ち下さい」

 

 お一人様につき五点までという上限に従いしっかり五つ買っていく人が増えてくると、梱包慣れしていない俺と早乙女の二人では捌く速度が追いつかなくなる。

 やがて受付には二、三人の列ができ始めるが、慌てて作業を雑にすることない。隣にいる早乙女の様子を確認しながら、冬雪の指示通り一つ一つを丁寧に梱包していった。

 

「お待たせ致しました。ありがとうございました」

「ありがとうござい……ミナちゃん先輩!」

「待たせたね。ボクも手伝おうか」

 

 ノートを書いている姿を見掛けても見に行く余裕が無いほどに忙しい中、三十分ほどしたところで救世主阿久津が帰還。早乙女の隣に加わると、梱包を手伝い始める。

 三人態勢になったことに加え、やはり手慣れている少女の存在は大きい。冬雪同様に手早く丁寧な阿久津の梱包技術を見て学びつつ、何とか列を捌き終えた。

 

「大体落ち着いたし、後はボクと星華君で大丈夫だよ」

「そうか? じゃあ後は頼むわ」

「米倉君。ありがとうね」

「お疲れ様でぃす」

 

 客入りも一段落し二人でも充分なレベルになったところで、俺の役目は終了。陶器市を後にするなり、とりあえずアキトに連絡を取ってみるのだった。



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十九日目(土) 俺の居場所が陶器市だった件

『栄えある優勝は…………エントリーナンバー一番、相生葵さんです!』

「キタコレ!」

「二連覇とかマジでか」

 

 中庭にあるステージ上で、マイクを持った司会の女子生徒が名前を呼ぶ。

 横にずらりと並んでいた女装男子達(※ただし半分近くがネタ枠)が一斉に右を向いて一番端にいる男の娘を見る中、俺はアキトとハイタッチを交わした。

 

『葵さん、優勝おめでとうございます! 昨年と合わせて二連覇ですが何か一言どうぞ』

「え、えっと……3―Cでオカマ喫茶をやってるので、良かったら来てください」

『はい! ありがとうございました! 後夜祭でのパフォーマンスも楽しみにしてます!』

 

 優勝したと言うこともあって、まるで葵以外にも可愛い娘がいるように聞こえなくもない宣伝。しかし実際は行ったが最後、待っているのは死あるのみだけである。

 開き直っている他の女装連中と違い、未だに葵はモジモジとしており恥ずかしさが残っている様子。ただその羞恥心もまた、二連覇へと導いた要因の一つに違いない。

 

「「相生くーん!」」

「「「葵~っ!」」」

 

 どうやら音楽部の仲間も見に来ていたらしく、葵の名を呼んだり口笛を吹く男子や女子の集団がちらほら。メイクの協力をしたウチのクラスの女子陣を含め、より一段と女子力を上げた友人の雄姿を一緒に見届けつつ拍手で見送った。

 

「なあアキト。葵の後夜祭でのパフォーマンスって、去年は何したんだ?」

「それは勿論、相生氏自慢の歌だお」

「成程な」

 

 あの歌声なら、さぞ魅了される奴が出てくること間違いなしだろう。

 女装コンテストが終われば次は男装コンテスト。こちらにはこれといって知り合いの出場者もおらず興味もないため、俺はアキトと共に中庭を離れた。

 

「さてと……今年はどこで暇潰しするよ?」

「申し訳ないのですが、拙者はそろそろ相生氏と一緒にオカマタイムですな」

「あー、マジか。行ってら」

「逝ってくるお」

 

 死地へ向かう友人を見送りつつ、どうしたものかと時計を見る。腹ごしらえはアキトと済ませたし、店番の交代時間にはまだ少し早い。

 普通なら楽しい文化祭だが、俺は人混みが苦手だし一人では回る気にならず。友人二人がオカマタイムとなると、これといって暇を潰す方法がなかった。

 

「…………」

 

 確か今の時間、阿久津は店番に入ってなかったよな。

 ふとそんなことを考えるが、仮にアイツに一緒に回らないかなんて声を掛けたところで「何を言うかと思えば、ボクはキミと違って忙しいよ」とか一蹴されるだけだろう。

 校舎が広すぎるせいで迷子放送まで流れる中、行き場所のない俺は結局陶器市へと戻る。また火水木が声を出しているかと思いきや、少女の姿は廊下には見当たらなかった。

 

「よう」

「ネックじゃない。どうしたのよ?」

「人手不足で困ってないかと思ってきたけど、忙しい時間帯は終わった後みたいだな」

 

 今の時間の店番は冬雪と火水木と早乙女だが、三人は受付でのんびり過ごしている。

 しかしながらずっと平和だったという訳でもないらしく、陶器市の中を見渡してみれば既に一日目用に準備した商品の8割近くが売れているようだった。

 最初はどうなるかと思ったが、まだ一般公開終了までは一時間半ほど残っていることを考えると、冬雪の言っていた通り今年も全部売れてしまいそうな勢いかもしれない。

 

「本当、最初に見た時はビックリしたわよ。アタシのいない間に何があったのって感じだけど、聞いた話じゃネックは残ってホッシーと一緒に頑張ったんでしょ?」

「まあ忙しい時間帯だったといえばそうだけど、それでもまだ結構残ってたぞ? これだけ売れたとなると、あれ以上にヤバい時もあったんじゃないか?」

「……お昼の後はいつも大変」

 

 チラリと分担表を確認してみれば、13時~14時を担当したのは冬雪と阿久津とテツの三人。明日の同じ時間帯にも冬雪は入っているし、最初から忙しくなるのを見越していたのかもしれない。

 

「やっぱり冬雪のヒヨコは売れちゃったか。欲しかったんだけどな」

「……ヨネが展示用の大皿を作ったら、また新しく作ってあげてもいい」

「お、言ったな?」

 

 何だかんだでお客さんもしっかりと商品を見定めているらしく、現時点で売れ残っている作品はまだ技術の甘いテツや夢野、次いで早乙女や俺の陶器が多めだった。

 もっとも釉薬が上手く掛かっていないお皿だったり、手に取ってみると削りが甘く重い湯呑だったりと、売れ残るのも納得できる商品ばかりではあるが……50円でも駄目か。

 

「ノートの方も結構書かれてるわよ」

「マジか」

「……マジ」

 

 新たな客がやってくる中、火水木の言葉が気になりノートを確認しに行くと、既に二ページ目となっていたためペラリと捲り前のページから見ていく。

 

『頑張れ少年少女しょくん! つかめ青春! レッツ陶芸!』

『今年は去年以上の個数を作っていたようで驚きました。来年も頑張ってください』

『皆が元気そうで何より。これからも陶芸部を宜しくね♪』

 

 所々平仮名になっている勢いのある字に、とめ、はね、はらいのしっかりとした字。そして女子らしい丸文字で書かれたメッセージは、三人の先輩が書いてくれたものだろう。

 他に書かれている内容は『来年もまた来ます』だの『生徒さんが作ってるなんてビックリ』だの『もっと早く来れば良かった』といった嬉しいものが多いが、中には『もう少し大きめのお皿が欲しかった』なんて要望も。この辺りは来年に向けての改善点か。

 

「ちわッス! あれ? ネック先輩、早いッスね」

「暇だったからな…………って、お前のクラスTシャツ何だそれ? 凄いな」

「これッスか? 他のクラスからも注目の的になってる自信作ッスよ」

 

 のんびり陶器やノートを眺めていると、気付けば交代時間の五分前になっていたらしい。

 声を掛けられ振り返ると、どこかで見覚えのあるジュースのキャラっぽい『おっちゃん』と書かれたクラスTシャツを着ているテツが部屋に入ってくる。

 特にこだわりを感じるのはラベル風になっている背中側。名称はB―7というクラス名、原材料名にはクラスメイト&先生の名前、内容量は40人で製造元は屋代学園との表記。更には元気80%、勉強50%、団結力100%という成分表示やバーコードにまでネタが盛り込まれており、誰もが思わず目を留めてしまいそうな完成度だった。

 

「しかもこの案を産み出したの、実はオレなんスよね」

「へー。ひょっとしたらクラスTシャツ賞とか取れるんじゃないか?」

「そうしたら鼻高々ッスね。こっちは一段落ついてきた感じッスか?」

「……(コクリ)」

「それを聞いて一安心ッス。あのラッシュはマジでヤバかったッスから」

「そんなに凄かったんでぃすか?」

「凄いも何も、ユッキー先輩とツッキー先輩がいなかったら終わってたって!」

 

 誇張表現なのか、はたまた本当の話なのか。オーバーリアクションで語るテツの話を聞いていると、やや遅れて夢野も到着したため俺達は店番を交代した。

 既にピークは過ぎた上に一般公開終了まで残り一時間となり、陶器市に限らず文化祭全体の来場者が減っているためか、最初並に平和な店番タイムが訪れる。

 

「あっ! やべっ!」

「どうしたんだ?」

「あまりにも忙しかったんで、ユッキー先輩とツッキー先輩と一緒に店番した時にフィーリングカップルの番号聞き忘れてたッス。ユメノン先輩、何番だったッスか?」

「私? じゃーん! 120番!」

「あー、惜しいッスね。オレは69番ッス」

「それのどこが惜しいんだよ? 51番違いとか最早無関係だろ」

「そういうネック先輩は何番なんスか?」

「俺? 何番だったかな…………っと」

 

 ポケットの中を探り、文化祭前に配られた一枚の紙を取り出した。半分になったハートみたいな形をしている紙には紐が通してあり、首から下げられるようになっている。

 これはフィーリングカップルなる企画のための物であり、各生徒は配られたカードの中から自分と同じ色&番号のカードを持つ異性を探すとのことだ。

 出会いを求めている生徒は一応それなりに多いようで、大半はテツのように首から下げて見えるようにしているが、中にはSNSを使い躍起になって探す生徒も少なくないらしい。まあ男はともかく、女子ってこういう運命的な出会いとか好きそうだもんな。

 

「77番だな」

「うわっ! 羨ましいッス! メッチャ幸運そうな数字じゃないッスか!」

「そうか? 別に参加するつもりもないし、欲しいならお前にやるぞ?」

「マジッスか? そういうことならありがたく貰うッス!」

「米倉君は相手の人を探したりしないの?」

「どうせ見つからないだろうし、仮に見つかったとしても初めて会う相手だろ? 俺の場合だと会話とか続かなくて、出会い以前に気まずい空気になりそうだからさ」

「私はそんなことないと思うけど?」

「いやいや、あるって。コイツくらいトーク力があったら考えたかもな」

「よっしゃ! これでオレの運命力が二倍になったッスよ!」

 

 こんな感じで、ズルい奴は十枚近いカードを隠し持っているなんてケースもあるとか。まあそうでもないと遭遇確率は僅か数%だろうし、仮に自分と同じ番号の相手を見つけたとしてもアキトみたいなオタク的外見だった場合は声すら掛けられないだろう。

 

「ユメノン先輩、ミズキ先輩の番号とかって覚えてないッスか?」

「うーん、流石に覚えては…………あれ? ミズキ? どうかしたの」

「ちょっと忘れ物しちゃって。ああ、それよそれ」

 

 噂をすれば影が差す。出会いを求めるテツが番号について尋ねた直後、数分前に出ていった筈の火水木がどういう訳か陶器市へと戻ってきた。

 キョロキョロと周囲を見渡した少女は、隅に置いてあった手提げ袋を無事に発見。先っぽだけ見えている二本の棒が何なのか気になっていると、新たな人影が二つ陶器市へとやってくる。

 そしてそのうちの一人は俺を見るなり、無礼にも指を差しつつ声を上げた。

 

「あ~っ! お兄ちゃんいた~っ! それに蕾さんもっ!」



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十九日目(土) 俺がお義兄さんだった件

「梅ちゃん。いらっしゃい」

「そんな大声出すなっての」

「お、お邪魔します」

 

 来るとは聞いていたものの、運良く俺と夢野が店番をしているタイミングで梅と望ちゃんがやってきた。

 お兄ちゃんという発言を聞くなり、陶器市から出ていこうとした火水木が一時停止。そのまま数歩戻った後で、首を伸ばし梅の顔を覗き込む。

 

「ひょっとして、この子がネックの妹さん?」

「ああ」

「へー。兄貴の言ってた通り、滅茶苦茶可愛いじゃない」

「外見だけはな」

 

 顔面偏差値がそこそこ高いことは認めるが、中身の方は……ああ、でもこの夏でリアル偏差値の方もかなり上がったんだっけ。

 それでも騒々しいし、デリカシーはないし、姉貴と一緒でアホなことばっかりすることには変わりない。望ちゃんと話をしてから、大人しい妹が一層羨ましくなったくらいだ。

 

「初めまして。アタシは火水木天海。前に幼稚園のボランティアに行った火水木明釷っていうオタクがオタク被ったようなメガネの双子の妹なんだけど、覚えてたりする?」

「あっ! ひょっとしてバレンタインでお兄ちゃんに手作りチョコをプレゼントしてくれた火水木さんっ?」

「そうそう! よく知ってるわね」

「その節はウチの冴えないお兄ちゃんに、手作りチョコをありがとうございました」

 

 仮にも敬愛すべき兄のことをオタクがオタクを被ったようなメガネだの、冴えないお兄ちゃんだのと平然と言う辛辣な妹達。どうして妹ってのはこうなんだろうな。

 

「どう致しまして。ノゾミンも、会うのは物凄く久し振りだけど覚えてる?」

「はい。お久し振りです、火水木先輩。いつも姉が御世話になっております」

「相変わらず礼儀正しいわねー。あーもう、ネックもユメノンも呼ぶなら呼ぶって言いなさいよ! せっかくの話すチャンスを逃す羽目になったじゃない」

「いや別に言う程のことでもないからな」

「またいつでも話せるから。それよりミズキ、時間は大丈夫なの?」

「やばっ! アタシは用事があるから行くけど、二人とものんびりしていって頂戴」

「ありがとうございます」

「お兄ちゃんとかミナちゃんとか蕾さんのこと、宜しくお願いしま~す!」

 

 どうやら火水木と望ちゃんは顔見知りだった様子。そして俺だけならまだしも、阿久津や夢野のことまで宜しく頼む我が妹は一体何様のつもりだよ。

 望ちゃんが深々と頭を下げ、梅がバイバイと手を振る中、軽く挨拶を交わした火水木は手提げを片手に早足で陶器市から出て行った。

 

「ね~ね~お兄ちゃん。ミナちゃんとかセーカ先輩は?」

「阿久津は知らんが、早乙女ならちょっと前までいたぞ。会わなかったか?」

「うん。ここで待ってたら来たりする?」

「今日の店番は俺達がラストだから、会いたいなら連絡取って探すしかないな」

「え~? じゃあいいや」

 

 相手の都合を考えてか、はたまた単に面倒臭いだけか。まあこの人の多さだと屋代の構造を把握している俺達ならまだしも、梅達じゃ待ち合わせをするのも一苦労だろう。

 

「う~む、流石は冬雪ちゃん。このヤクシロセンプ壺は中々に良い仕事をしてますな~」

「どこの鑑定士だお前は。ちなみにそれ、読み方は藁白染付(ワラジロソメツケ)壺だからな。一文字しか合ってないし、藁を薬は明らかに違うだろ」

「む~。ちょっと見間違えただけだもん。あ! お兄ちゃんの作品って、この豚の蹄が描かれてるやつでしょ? ここに売れ残ってるの、梅が何個か買ってあげよっか?」

「豚の蹄じゃなくて桜のマークだって言っただろうが! そんな心配しなくても余ったら持って帰るし、そのうち売れるかもしれないから別にいいっての。つーかお前、そうやって作品を手に取って見るのは良いけど、うっかり割ったりするなよ?」

「そんなことしないもん!」

 

 やろうと思ってやる奴はいないから言ってるんだが、わかってるんだろうかコイツは。

 無暗に商品に触ろうとせず、眺めるだけに留めている望ちゃんみたいなしっかり者の妹なら安心して見ていられるのにと思っていると、隣に座っていた夢野がクスリと笑う。

 

「どうしたんだ?」

「ううん。米倉君と梅ちゃん、相変わらず仲良しさんだなーって思って」

「どこがだよ? 何かしら問題を起こさないか、見てて不安になるだけだっての。そこに置いとくから、欲しけりゃくれてやるぞ?」

「お兄ちゃんお兄ちゃん」

「何だ?」

「滅茶苦茶可愛い妹!」

「やかましいわっ! 火水木の社交辞令を鵜呑みにすんなっ! ポーズ付けてドヤ顔しながら自分で可愛いとか言ってる時点で可愛くないっ!」

「ぶ~ぶ~。例えそうだったとしても、もっと言い方をビブラートに包むべきだ~」

「それを言うならオブラートだってのぉおぉおぉおぉおぉ~」

 

 俺としたことがアホみたいなネタに付き合ってしまった。まあ夢野にも望ちゃんにもウケてるみたいから良しとしよう。

 

「蕾さん蕾さん。部活の掛け持ちって大変?」

「うーん。掛け持ちする部活の種類にもよるかな」

「このノートって、私達が書いても良いんでしょうか?」

「ああ。寧ろ書いてくれるとありがたいくらいだよ」

「…………欲しいッス…………」

「ん?」

 

 他の客が来る気配もないため二人と他愛ない雑談を交わしていると、先程から妙に静かだと思っていたテツが小さい声で何やらポツリと呟いた。

 一体何が欲しいのかと背後に座っていた後輩を見れば、タコのように顔が真っ赤になっている。そして梅達には聞こえないような小声で、早口になりながらも囁いてきた。

 

「ネック先輩の妹さん、滅茶苦茶可愛いじゃないッスか」

「…………夢野、目薬持ってないか?」

「もしも持ってたら、米倉君にさしてあげたかな」

「そうか。やっぱりスタンガンとかの方が良いか」

「いやいや冗談とか抜きで、ガチのマジでオレのドストライクッス!」

「そりゃそうだろ。確かお前のストライクゾーンって下が小4、上は50・80も喜べる、熊のプニキもビックリなダイナミック悪球打ちだもんな」

「いやそういうギャグとかじゃなくて、リアルにど真ん中ストライクなんッスよ!」

 

 いつになくギラギラしている目を見れば、テツが真剣なのは充分に伝わってくる。

 これが梅に向かって「結婚を前提にお付き合いください」とかいきなり言い出すとかならまだ笑えるレベルだが、本人に聞こえないよう小声なのが逆に怖いくらいだ。

 

「ネック先輩……いえ、義兄様と呼ばせてください」

「誰が義兄様だ。お前にウチの娘はやらん」

「米倉君。娘じゃなくて妹だよ?」

 

 貰い手があるのは結構だが、流石にこんなエロいことしか考えていない後輩が彼氏とか勘弁願いたい。つーかテツが義理の弟とか、考えただけで嫌過ぎる。

 

「ね~ね~お兄ちゃん。さっきから何コソコソ話してどったの?」

「ああ。お前の先輩になるかもしれないし、一応コイツを紹介しておこうと思ってな」

「ネック先輩……いえ、ネック神!」

「初対面で人の顔を見るなり、岩手県に似てるとか言い出した失礼かつ変態な後輩だ」

「ちょっ? 何で今そういうこと言うんスかっ?」

「事実だろ?」

「確かに事実ッスけど、でも長崎県とかよりはマシじゃないッスか!」

「長崎に似てるってどんな顔だよっ? 千切れてるじゃねーかっ!」

「とにかく、今はそんなことはどうでもいいッス!」

 

 義兄様とか呼んでおきながらどうでもいいとか、ちょっと酷くないですかね。

 鼻息を荒くしながら勢いよく立ちあがったテツはズイっと前に出るなり、柄にもなく深々と頭を下げた後で礼儀正しく自己紹介をした。

 

「屋代学園一年B―7組所属、鉄透ッス! 気軽に透と名前で呼んでください!」

「初めまして。お兄ちゃんの妹の梅です」

「ど、どうも。夢野望です。いつもお姉ちゃんがお世話になってます」

「こちらこそ……ん……? 夢野って、ひょっとしてユメノン先輩の妹さんっ?」

「は、はい。夢野蕾の妹ですが……」

「マジッスかっ? でもそうなると、二人は一体どういう関係で――――」

 

 さっき話に出ていたにも拘わらず、どうやら本当に梅のことばかり気になっていたのか何一つとして聞いていなかったらしい。戻ってきた火水木の番号を確認し忘れたことなんて、最早すっかり記憶から消えてるみたいだしな。

 二人の馴れ初めや屋代を目指しているという話を聞くなり、テツのテンションが一段と上がっていく。とりあえず夢野と共に接客をしながら様子を見ていたが、これは思わぬ悩みの種になりそうだ。

 

「お兄ちゃんも蕾さんも、梅梅~」

「うん。梅梅♪」

「望ちゃん。申し訳ないけど、隣にいる騒がしい奴が問題を起こさないように宜しく頼むな」

「は、はい。お邪魔しました」

 

 やがて充分に陶器市を堪能した梅と望ちゃんは、ノートに記入した後で去っていく。アイツのことだし変なことを書いていないかと、俺は早々に確認をしに行った。

 

『絶対に合格するぞ~!』

『素敵な陶器市でした。入部できるように、私も頑張りたいと思います』

 

「…………ん? 望ちゃん、陶芸部に入ってくれるのか?」

「うん。合格できたらの話だけどね。滅多にない部活動だし、興味あるみたい」

「そりゃ嬉しい話だな。冬雪の奴も喜ぶぞ」

 

 俺達の代が抜けた後はテツと早乙女の二人しか残らないため不安だったが、これで来年の新入部員候補は一人確保。後は望ちゃん(とついでに梅)の合格を祈るばかりだ。

 

「はあ…………」

 

 その一方で溜息ばかり吐いている後輩が一人。まあ時間が時間だけに客も帰り始めたため接客に問題はないが、流石にこのままでは今後に支障をきたす。

 

「テツ、一つ良いことを教えてやろう」

「何ッスか?」

「梅はエロい奴は嫌いだぞ」

「うッス。もう二度と下ネタなんて口にしないッス」

「…………後はドルオタも嫌いだったな」

「今日限りで引退するッス」

「………………そんでもって、鉄透って名前の男も嫌いだそうだ」

「どういう好き嫌いッスかそれ! 絶対適当なこと言ってるッスよねっ?」

 

 流石にこれは少々露骨過ぎたらしい。作戦失敗か。

 ぶっちゃけ梅の奴は、その手の類を気にするようなタイプじゃないと思う。あまりにも気にしな過ぎて、家に帰ったら鉄透という名前すら忘れてそうなくらいだ。

 そもそもあのアホな妹が合格できる保証はないため、あまり期待せずにフィーリングカップルを探せと諦める方向に言い包めて一段落。やがて一般公開終了の放送が聞こえると、俺達は陶器市を簡単に片付けてから各々のクラスへと戻った。

 

「おう! 遅いぞ櫻!」

「ん? 遅いって、何かやるのか…………ぬおっ?」

「容疑者確保! これより裁判を始める!」

「はあ?」

 

 てっきり葵の二連覇の祝賀会でも開くのかと思いきや、教室に戻るなりオカマ姿の気持ち悪い但馬に手首を拘束される。その隣には太田黒や、その他のオカマ連中も一緒だ。

 

「被告人米倉! お前はオカマ役を放棄し、美少女と一緒にいたという証言がある!」

「美少女?」

「俺は見たぞ! お前の隣にいたあのポニーテールの可愛い子、一体誰なんだよ?」

 

 ポニーテールというと、恐らくは夢野のことだろう。

 どうやら但馬の奴が偶然にも陶器市前を通りがかった際に目撃したらしい。こうして第三者から可愛い子だなんて言われると、ぶっちゃけ照れるしテンションも上がる。

 

「誰って言われても、陶芸部の部員だけど」

「何だと? それなら俺も陶芸部に入るぞ!」

「俺もだ!」

「来んなっ! つーかお前ら、テニス部と卓球部だろうがっ!」

「畜生! 女テニはバイオハザードなのに、どうして陶芸部なんかに可愛い子がいるんだ! テニサー男子はモテるんじゃないのか?」

「判決! 被告人米倉はオカマの刑に処す!」

「「「異議なし!」」」

「うぉいっ? 馬鹿野郎っ! 止めろってっ! ヘルプだアキトっ! 葵っ!」

「助けたら負けだと思ってる」

「せっかくのオカマ喫茶なんだし、櫻君も一回くらいは女装してみても良いんじゃないかな?」

「裏切るのかお前らっ? ちぃっ……陶芸パワー全開っ!」

「ぐあ!」

「罪人が逃げたぞ! 追え!」

 

 明日はその美少女と一緒に文化祭を回るなんて言ったら、間違いなく死刑確定だろう。

 まるでどこぞの異端審問会のような理不尽な裁きが下される中、俺はオカマ軍団を強引に振り解くとクラスを飛び出し必死になって逃げ出すのだった。

 

「……そんなところで陶芸パワーを使わないでほしい」



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二十日目(日) 夢野と一緒の海底散歩だった件

「この中央にあるのは売ってないのかしら?」

「申し訳ございません。そちらは展示品となっております」

「あらそう。もう少し大きいお皿があると嬉しいんだけど」

「大きめのお皿は大変人気がありまして、大半は一日目に売れてしまった形ですね。本日新たに出した物もあるのですが、そちらも既に売り切れとなってしまいまして……」

「そうだったの。残念ね」

「もし宜しければお手数ではございますが、こちらのノートに書いていただけますと来年には今年以上の数をご用意させていただきます」

「そうしようかしら。来年はもっと早く来るから、良い作品を宜しくね」

「はい! ありがとうございます! また来年もお待ちしております!」

 

 文化祭二日目は開会式がないため、一般公開の時間は一日目よりも二時間早い九時からのスタート。今日の店番は二人組ということで、今は阿久津&早乙女の夜空コンビからバトンを受け継いだ俺と夢野が担当している。

 一日目に比べると客入りも好調。相変わらず素晴らしい接客力を見せつける少女を横目に仕事をこなしていると、交代時間の五分前になり阿久津と冬雪がやってきた。

 

「……お疲れ」

「おう」

 

 一足先に陶器市を出るが、芸術棟の階段前で壁に寄りかかり待機。少しして夢野も部屋から出てくると、周囲をキョロキョロと見渡した後で俺を見つけるなり駆け寄ってきた。

 

「お待たせ」

「今来たところだから大丈夫だ」

「うん。知ってる」

「だよな」

 

 二人してクスッと笑った後で、夢野が文化祭のパンフレットを取り出す。その中は各ハウスでページ毎に分かれており、それぞれのクラスの出し物の名前が書かれていた。

 

「夢野の行きたい場所ってのは、お昼過ぎからなんだっけ?」

「うん。まだ二時間くらいあるから、それまでは色々と回ってみない?」

「ああ。どこかお勧めの場所とかってあったりするのか?」

「あるにはあるけど、米倉君は行きたい場所とかないの?」

「俺の? んー、ちょっと見せてもらってもいいか?」

 

 夢野のパンフレットを捲りつつ眺める。文化祭の出し物なんて今までは一切興味なかったため、どこで何が行われているかもさっぱりわからなかった。

 改めて見ると初めて知るイベントもかなり多い。例えば中庭では昨日行われていた男装女装コンテスト以外にもカラオケ大会といった催し物や、空手部に応援部にダンス部といった各種部活のパフォーマンスが行われているようだ。

 他にも体育館では吹奏楽部や邦楽部や軽音楽部、その他にも教員や学生によって結成されたバンドのライブといった定番のイベントあるが、特に行きたいと思うものはない。

 

「んー、これといっては――――」

「「美術部でーす。ブラックライトアートやってまーす」」

「!」

 

 道行く人々の話し声や遠くから聞こえてくる音楽に紛れて、薄暗い廊下の方から耳に入ってきた呼び込みの声にパンフレットから顔を上げて振り向く。

 萌えキャラの看板を表に置き、シューティングゲームの動画を垂れ流しているパソコン部の奥。そこには光が入らないように窓一面が覆われている部屋があった。

 

「夢野、ちょっと付き合ってもらってもいいか?」

「うん。どこか行きたい場所、見つかった?」

「ああ。まあ、すぐそこなんだけどさ」

 

 発泡スチロール製と思わしき岩によって作られた、水族館みたいな雰囲気を醸し出している入口の傍には、海底イルミネーションという看板が置かれている。

 陶器市以上に目立たない位置にあるため、見に来ている一般客や生徒はほとんどいない様子。貸し切り状態に近い部屋の中に入ると、俺と夢野は揃って感嘆の声を挙げた。

 

「…………凄いな」

「綺麗……」

 

 美しい光景に思わず目を奪われる。

 薄暗い部屋の中に広がっていたのは、思わず口から洩れた『凄く綺麗』という言葉でしか言いようがない、どう表現すればいいのか困ってしまうような芸術だった。

 海底の世界。

 仮に説明するとしたら、まさにそれに限る。

 

「米倉君って、絵とかにも興味あったりするの?」

「いや、クラスに美術部の子がいてさ。どんなことやってるのか気になっただけだったんだけど……正直ここまで凄いことをやってるとは思わなかったからビックリしてる」

「そうなんだ。そういうことなら、来て良かったね」

「ああ」

 

 こんなに凄いのに人が少ないと何だか勿体ない気がするが、そのお陰で夢野とちょっとしたデート気分を楽しめていたりもする。これは思わぬ当たりを引いたな。

 神殿のような建物の周囲を泳いでいるのは、深海に住んでいると思わしき見たこともない生物達。蛍光塗料で描かれた幻想的な壁画は、ブラックライトによって淡く光り輝いており今にも飛び出してきそうだ。

 

「何だかこうして見てたら、海底の筈なのに小さい頃に行ったプラネタリウム思い出しちゃった」

「まあ深海に行くのは宇宙に行くより難しいって言うし、案外共通点はあるかもな。プラネタリウムって行ったことないんだけど、こんな感じなのか?」

「うーん。どんな感じって聞かれると、ちょっと言葉では説明しにくいかも。興味あるなら、今度一緒に行ってみる?」

「えっ? あ、ああ。夢野が良いなら……」

「ふふ。私は別に良いよ」

 

 俺の返事を聞くなり、少女は嬉しそうに微笑みつつ答えた。

 てっきり『陶芸部の皆で』とかいうオチが付くのかと思いきや、そんなこともない様子……え? これって二人きりのデートとか、そういうお誘いだったりするのか?

 プラネタリウムの入場料ってどれくらいなんだろうと、割と本気で考えながら海底の世界を堪能していると、説明役として待機している美術部員の中に見知った姿を発見した。

 

「悪い夢野、ちょっと待っててくれるか?」

「うん。大丈夫だよ」

 

 一枚の大きな絵の前に夢野を残し、俺と同じクラスTシャツを着ている目隠れ少女の元へ向かう。当の本人はこちらに気付いていないらしく、他の客に対しても同じようにしていたのか話しかけられないようにくるりと背を向けた。

 

「あー。えっと、如月さん? 俺だよ俺」

「っ?」

「冬雪からブラックライトアートやってるって聞いてさ。どんなのか興味あって来てみたんだけど、滅茶苦茶凄くて驚いたよ。これ全部美術部の部員が描いたんだろ?」

「(コクコク)」

「やっぱり画材とかブラックライトとか、そういう準備とかも全部やったのか?」

「(コクコク)」

「だよな。いや本当、良いもの見せてもらったよ」

「ぅ」

「ん?」

「ぁ…………とぅ」

「ああ、どう致しまして……って、礼を言いたいのはこっちだって。ありがとな」

「(フルフル)」

 

 相変わらず声は小さく、極力喋ろうとしない如月はそんなことないとばかりに首を横に振る。もしかしたら陶器市同様に、生徒が来ることは珍しいのかもしれない。

 今思えば去年の文化祭でウチのクラスには黒板アートが描かれていたが、あれもきっと如月が描いたのだろう。そんな美術部の凄さを改めて感じつつ、俺は少女に別れを告げる。

 

「そんじゃまた…………ああ、そうだ。もう冬雪から聞いたか?」

「?」

「あれ? まだ聞いてないのか。あのことなら誰にも言ってないから心配すんなって」

「!」

「ただ余計な御世話かもしれないけど、そんなに恥ずかしがる必要もないと思うぞ? 少なくとも俺は好きだし、黙ってるよりは良いと思うからさ。そんじゃ、また後でな」

 

 方言は育った地域の証なんだから、大切にすべきだと何かの漫画にも書いてあったことを思い出しつつ、俺はその場を後にすると夢野の元へ戻る。

 そして先へ進んだ俺達は海底の世界から浮上。教室の外が随分と眩しく感じた。

 

「さて、どうすっか?」

「うーん……米倉君って、まだ他のハウスを見て回ったりとかしてない?」

「ああ。Cハしか見てないな」

「それじゃあ時間もあるし、全ハウス回ってみよっか」



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二十日目(日) 友達の親は大抵優しそうだった件

 とりあえず校内を順番に回ることになった俺達はAハウスへ。辿り着くなり真っ先に目に入ったのは、吹き抜けになっているホールの中央で噴水のように水を噴き出している巨大なクジラだった。

 各ハウスにはテーマが決められており、Aハウスのテーマは海賊。部屋の端には大きな海賊船もあり、これらのモニュメントは一般来場者や教師陣の投票によってどのハウスが一番良かったか閉会式に表彰される。

 

「あの噴水って、どういう仕組みなんだろうね」

「んー、全くもってわからんが、水があるだけで涼しく感じるな」

「うん」

 

 これといって回りたいクラスは無かったため、手摺りに寄りかかりつつ二階からモニュメントと各種装飾を堪能してAハウスは終了。人の行き交うモールを歩いてBハウスへ向かうと、こちらはサーカスらしく入口が紅白のテント風になっていた。

 トレードマークとも言えるピエロは勿論のこと、曲芸をする動物達や散りばめられた風船。そして一体どうやって装飾したのか、高い天井を見上げれば空中ブランコまで作られている徹底っぷりである。

 

「BハはB―7のお化け屋敷が凄いって評判だったよ」

「もしかしなくても、あの物凄く混んでるやつっぽいな」

 

 教室を見下ろすと、夢野の言うお化け屋敷は長い行列ができている様子。案内をしている生徒のTシャツを見てテツのクラスだと気付くが、出し物のクオリティまで高いとは中々やるな。

 

「結構時間掛かりそうだし、先に他の所に行ってみよっか」

「そうだな」

 

 Bハウスを後にして、顔見知りに遭遇しないことを祈りつつ我らがCハウスへ。テーマはフランスということで入口は凱旋門。そしてメインのモニュメントはエッフェル塔だ。

 至るところにあるワイングラスのオブジェや、教科書で見覚えのあるナポレオン像などは制作過程から見ているが、先程見た噴水や空中ブランコも含めてこういう完成度の高いものを作れる文化祭実行委員や生徒会は一体何者なんだろう。

 そしてその一角には怪しげなクラスが……やはりこの世界観にオカマ喫茶は若干浮くな。

 

「米倉君のお勧めは?」

「ない。よし、次はDハだな」

「うーん、私にはあそこに面白そうな喫茶店があるように見えるんだけどなー」

「それだけはマジで勘弁してくれ」

「ふふ。冗談冗談」

『トントン』

「ん?」

 

 夢野と談笑していると、不意に背中を叩かれ慌てて振り返る。

 まさかクラスメイトに見つかったのかと思いきや、そこにいたのはもっと意外な相手。笑顔で手を振る母親と「よっ」というポーズを取る父親を見て驚き声を上げた。

 

「来てたのっ?」

「だって来年には梅も入るかもしれないし、せっかくだから一回くらいは来てもいいじゃない。そうそう、櫻のクラスの……オカマ喫茶? 行ってきたけど、凄いわねーあれ」

「行ったのっ?」

「お店の前までね。流石のお母さんも、あの中に入るのはちょっと抵抗があって無理でした。一人だけ物凄く可愛い店員の子がいたけど、あれも男の子なの?」

「店の中にいる奴だったら全員男だから、多分それが葵だよ」

「葵君って言うと、オタクの子?」

「それはアキト。ほら、女装コンテストで優勝したっていう……」

「へー。あの子が葵君なのねー」

 

 中学時代の全体集会で『保護者の皆様はお子さんの元へどうぞ』とアナウンスされた時、他の親が出方を窺う中で一人真っ先に俺の元へ来た母上でも流石にあの魔境は厳しいようだ。昨日聞いた話じゃ、入ってくる客の九割は生徒らしいしな。

 母親が友人の女装姿に感心する中、様子を窺っていた夢野が俺に尋ねてくる。

 

「もしかして、米倉君のお父さんとお母さん?」

「ああ」

「どうも初めまして。米倉君と同じ陶芸部の夢野蕾です」

「夢野さんって、ひょっとして噂の夢野さん?」

「噂のって……ああ、その夢野だよ」

「あらそう! どうも櫻の母です。何でも櫻だけじゃなくて梅まで御世話になってるみたいで、本当に色々とありがとうね」

「いえ、とんでもないです。米倉君には私の方が御世話になってますし、妹も梅ちゃんのお陰で初詣とか映画とか楽しんでましたから。こちらこそありがとうございます」

「兄妹揃って迷惑かもしれないけど、これからも仲良くしてあげてもらえる?」

「はい。よろしくお願いします」

 

 自分の親と友人の会話に居合わせるのは何とも気恥ずかしい。母上と夢野が挨拶を交わす中、背後で黙っていた父上と目が合ったので居場所のない者同士として歩み寄る。

 

「可愛い子だな。コレか?」

「違うっての」

 

 小指を立てつつ囁かれるが、どうして親というのはすぐそういう思考にいくのだろう。

 魅力的なダンディなんてことは一切ない、普段通りの恰好をしている冴えない父親を見て、改めて血の繋がりを感じた俺は溜息を吐きつつ答えた。

 

「そうそう櫻。陶器市ってどっちに行ったらあるの? この地図、どうも見にくくて」

「向こうにあるBハの角を曲がって、真っ直ぐ進んで行ったら左側にあるよ。入試相談コーナーの隣。見に行くのは良いけど、別に買ったりしなくていいから」

「どうして?」

「いやわざわざお金出して買わなくても、俺が作って持って帰ってるじゃん」

「だって櫻が作ってくるお皿って、バランスが悪かったり小さかったりするじゃない。梅から聞いたけど、水無月ちゃんの作った上手な陶器が沢山あるんでしょ?」

「それなら今度からはちゃんとしたの持ち帰るからっ! とにかく勿体ないから買うなよっ?」

「はいはい。わかりました」

 

 売られている陶器を買うくらいなら、財政難の原因になっている俺の携帯料金を払ってほしい。友人達は親に出してもらっているというのに、何故我が家は自腹なのか。

 呑気な両親は夢野とも別れを告げ陶器市へと向かう。今の店番は阿久津と冬雪の二人であり、我が母上は間違いなく阿久津に声を掛けるだろうから、冬雪にも両親を目撃される羽目になりそうだ。

 何だかドッと疲れてしまったが、このCハウスに留まるのは危険すぎる。更なる災難から逃れるためにも、俺は夢野と共にDハウスへと移動を開始した。

 

「優しそうなお父さんとお母さんだったね」

「友達の親って大体そういう風に見えないか? 隣の芝生は青いってやつでさ」

「そうかな? 二人とも米倉君と同じで、明るくて楽しそうな人に見えたけど?」

「やっぱり今日こそ目薬を持ってきておくべきだったか」

「もう。米倉君はそう言うけど、私は梅ちゃんだって可愛いと思うよ?」

「優しそうなのも可愛く見えるのも外面だけだからな。そんなこと言うなら俺は梅なんかより望ちゃんの方が可愛いって思うけど、夢野は否定したりするんだろ?」

「ううん。別に否定しないよ? 私も望は可愛いと思うから」

「マジでか」

 

 やはり兄妹と姉妹じゃ色々と違うらしい。仮に梅の奴が妹じゃなくて弟だったとしたら、俺も一緒にゲームで遊んだりして仲良し兄弟になれ……る気がしないな。

 兄弟だろうが姉妹だろうが年子は高確率で犬猿の仲になっているイメージだが、年が二つ離れているとそうでもないのかもしれない。まあ妹が望ちゃんなら納得もできる話だ。



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二十日目(日) エレクトーンとスパッツだった件

「あ! ねえ米倉君。ちょっと休憩がてら、聞いていってもいいかな?」

「ん? ああ」

 

 丁度休みたいと思っていると、タイミング良く夢野からそんなことを口にした。

 大きな校舎の折り返しとなるこの辺りからは、人口密度もグッと上がる。モールの賑わいが一段と増していることもあり、広い廊下の傍らで出し物をしている部活も多い。

 少女が指さしたのは、十個程度の椅子が客席として並べられた小さなステージ。そこにはわざわざ芸術棟の四階から運んできたのか、大きなエレクトーンが置かれていた。

 

「丁度始まるところみたいだな」

「うん」

 

 人目の多い廊下ということあってか、座って聴く人はあまりいないらしい。貸し切り状態の椅子に俺達が座ると、背もたれのない椅子に電子オルガン部の少女が腰を下ろす。

 そして演奏を始まった瞬間、俺は思わず息を呑んだ。

 

「――――」

 

 声をかき消す大きな音色に、モールを歩いていた人達の視線が一気に集まる。

 例えるなら、たった一人のオーケストラとでも言うべきか。

 二段ある鍵盤の上段で右手がメロディーを弾き、下段では左手が伴奏。そして何より目を引くのは、ステップを踏むようにして華麗にベースラインを奏でている左足だ。

 

「凄いな……」

「ね」

 

 エレクトーンの演奏を見たのは初めてじゃない。

 去年と今年の四月に一回ずつ、新入部員勧誘の一環として昼休みにハウスホールで演奏していた時があったが、その時も吹奏楽部に負けず劣らずの大迫力だった。

 

『パチパチパチパチ』

 

 やがて一曲目が終わると、周囲で拍手が巻き起こる。俺達のように座って聴いている人は数人増えた程度だが、立ち止まって聴いていた人は割と多くいたらしい。

 背中に波の絵が描かれているクラスTシャツを着た、阿久津ほど長くはない黒髪ロングのエレクトーン少女は、椅子に座り直すと続けて二曲目を弾き始める。

 

「弾いてる最中に音色が変わったりしてるけど、エレクトーンってどういう構造なんだ?」

「うーん。前にちょっと聞いただけだから私も詳しくは知らないけど、確か事前に音を設定しておいて右足で切り替えるって言ってたかも」

「右足で?」

 

 確かに足元の鍵盤を弾いているのは左足だけだが、まさか右足まで役割があるとは思わなかった。両手だけでも大変なのに、両足までも使うなんて凄過ぎだろ。

 曲目も某名探偵のテーマや某海賊映画のメインテーマ、某大泥棒三世のテーマ等、知っている曲ばかりだったこともありすっかり聞き入ってしまう。

 ついでに言えばエレクトーン少女の太股と脚線美も中々に魅力的で、その足捌きにも見惚れていると気が付けばあっという間に三十分もの時間が過ぎていた。

 

『パチパチパチパチパチパチパチパチ――――』

 

 最後は一段と盛大な拍手で締められ、やがて足を止めていた客が離れていく。

 演奏を終えたエレクトーン少女は、紙パックのジュースを手に取り水分補給。その後で夢野の方を見ると、おっとりした口調で話しかけてきた。

 

「蕾、来てたの?」

「うん。エリ、恰好良かったよ!」

「ありがとう。そっちのお兄さんは?」

「前に話してた、私の恩人の米倉君」

「へー、そうなんだ。初めまして」

「ど、どうも」

 

 恩人という紹介にはいちピンとこないが、とりあえず簡単な挨拶をしておく。話している雰囲気から察するに、どちらかというと冬雪みたいな口下手タイプっぽいな。

 顔見知りかつ人見知りだったらしいエレクトーン少女は、夢野と二言三言喋った後でチラリと俺の方を見たかと思いきや予期せぬ提案をする。

 

「蕾、お兄さんと一緒に写真撮ってあげようか?」

「いいの? じゃあ、お願いしよっかな」

 

 初対面の上に異性の相手となれば、話すことがないのは当然の話。かといって無視するのもどうかと思った気遣いなのかもしれないが、写真が苦手な俺にとっては逆に心苦しい。

 ポケットからスマホを取り出したエレクトーン少女は、構えながら口を開いた。

 

「蕾もお兄さんも、もっとくっついて…………はい、チーズ」

 

 指示に従い身を寄せてきた夢野と二の腕が触れ合う。相変わらずの柔らかさと良い匂いにドキドキしつつ、ぎこちない笑みを浮かべるとパシャリと音がした。

 

「後で送っておくから」

「ありがと。それじゃまたね」

 

 エレクトーン少女と別れを告げ、ようやくDハウスへ到着。テーマは教会ということで、中に入るなりパイプオルガンの音色が聞こえると共にセーブできそうな雰囲気が広がる。

 

「さっきの子、知り合いだったのか」

「うん。同じ中学なの。ほら、私の部屋にあった写真の子。覚えてる?」

「あの子か! 全然気付かなかったな」

「Aハだし語学系だから、学校で会えることはほとんどないんだけどね」

 

 夢野家の写真で見た時はそばかすが印象的だったが、さっき会った時は全く気にならず。普通に可愛かったし、あの手の『自分にしか心を開かなそうなタイプ』の女子が好きなアキトにとってはストライクかもしれないな。

 

「DハはD―1のジェットコースターと、D―8の迷路がお勧めだってミズキが言ってたよ」

「火水木が? じゃあ行ってみるか」

 

 大きな鐘の音が響き渡る中、螺旋階段を下りて一階へ。ハウス内の構造はどこも変わらないが、Cハウスの隣であるDハウスは窓の外の景色すら同じように見える。

 左右に広がるクラスは選り取り見取り。こんなことなら俺もアキトの奴にでもお勧めスポットを聞いておくべきだったかなと思いつつ、D―1とD―8の混み具合を確認した。

 

「空いてるのは迷路の方みたいだな」

「うん。行こっか」

「おう」

 

 お勧めされる程の迷路とは一体どんなものなのかと思いつつ、D―8へ向かい並ぶこと数分。俺達の番が回ってくると、入口では何故かペンライトが手渡される。

 先程立ち寄ったブラックライトアートのように窓が覆われているのが気になっていたが、教室を覗いてみれば中は真っ暗。迷路というよりはお化け屋敷のようだった。

 

「真っ暗だね」

「まあ迷路なんて、普通に作ったら簡単に攻略されそうだもんな」

 

 ダンボール製と思わしき壁に沿って移動を開始。教室という限られた面積での迷路なんて余裕に感じるが、明るければサクサク進める道も暗くて先が見にくいと慎重になる。

 

「左と右、どっちにする?」

「うーん、じゃあ左で」

「了解」

 

 周囲をライトで照らしながら前進していく中で、意外に難しいのか教室のどこかからは「あれ? ここさっき通らなかったか?」とか「出口どこ~?」なんて声が聞こえてくる。

 お化け屋敷のように驚かされる要素がないだけ安心だが、うっかり夢野と逸れるなんてことがないように時折後ろを確認しながら進んでいると徐々に方向感覚が狂ってきた。

 

「真っ直ぐと右、どっちにする?」

「右はさっき行かなかった?」

「あれ? マジでか。どっちがどっちか、わからなくなってきたな」

「私はちゃんと後についていくから、こっちを振り返って確認しなくても大丈夫だよ?」

「いやいや、そうやって言っておきながらいざゴールに辿り着いたら一人になってましたー……とかいうことになったら笑えないだろ?」

「ふふ。それはそれで面白そうかも」

「入口にいた子とかは間違いなく「コイツは一人でライト持って出てきた薄情者だ」って冷たい目で見るだろうな」

 

 もしも阿久津や早乙女に知られたらボロクソに言われること間違いなし。まあこうして二人で文化祭を楽しんでいることを知られた時点でアウトか。

 

「じゃあ、こうしよっか」

「ん……? ――――っ!」

 

 掌に伝わる、温かく柔らかい感触。

 驚き思わず振り返ると、夢野が俺の手をギュッと優しく握り締めていた。

 

「ね? これなら大丈夫でしょ?」

「お、おう」

 

 この前夢野が寝込んだ時にも手は握ったが、あの時とは訳が違う。

 女子と手を繋いで歩くという行為は、男の夢であり大きなハードル……世の中にいる何人もの勇者が、辿り着くことのないまま屍と化した魔の領域だ。

 今までハグされたり腕を絡められたりということはあったが、それとはまた異なる喜びに包まれる。

 繰り返す。

 俺が。

 夢野と。

 手を繋いでいるんです。

 火水木よ……この場所を勧めてくれて、本当にありがとう。

 

「段差になってるから、足元に気を付けてな」

「うん」

 

 幸せな気分に浸りながらも、手汗が気持ち悪いとか思われていたらどうしようなんて心配になってきた頃になって、正解の道に辿り着いたのか目の前に階段が現れる。

 四段、五段と上がり頭が天井に付きそうになったところで、最後に待っていたのは滑り台。斜面の先は布で隠されており、どうなっているのかはわからない。

 

「この先がゴールみたいだね」

「そうっぽいな。とりあえず俺が先に滑るけど、ライトはどうする?」

「そのまま持っていって大丈夫だよ」

「そうか。それじゃ、お先に」

 

 流石に二人で滑るのは無理なので、名残惜しいが繋いでいた手を離す。時間にして僅か一分ちょっとの、短い至福の時だったな…………。

 角度が緩く摩擦もあるため大して怖くもない滑り台を滑ると、布を抜けた先に待っていたのはクッション代わりに用意された、丸められている新聞紙のプールだった。

 

「いよっと……うし、思いっきり滑ってきて大丈夫だぞ」

「うん。じゃあ行くね」

 

 布の向こうにいる少女の返事を聞き、滑り降りてくる地点をライトで照らす。

 数秒してから滑り降りてきた夢野は、新聞紙のプールへと勢いよくダイブした。

 

「!」

 

 その姿を照らしていた俺は、思わず目を見開く。

 滑り終えた少女の短いスカートが、着地の衝撃で大きく捲れていた。

 露わになった、艶めかしい太股。

 更にその付け根まで、ペンライトの光は照らし出す。

 履いていたマイクロミニのスパッツを隠すべく、夢野は慌ててスカートを抑えた。

 

「あ、あはは……お、お見苦しいものをお見せしました……」

「い、いや、そんなことないから!」

 

 冬雪のように生パンツなんてことは流石になかったものの、思わぬラッキーに心の中ではガッツポーズ。火水木様、マジでこの場所を勧めてくださり心の底から感謝致します。

 そのまま出口へ進み迷路は終了。やや頬を赤く染めている夢野と共に先程の出来事を誤魔化すように雑談をしながら、俺達はEハウスへと向かった。



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二十日目(日) 悪戯娘におしおきだった件

 鳥居のように真っ赤な竜宮の門をくぐった先は竜宮城。そんなEハウスに到着した俺達は、運動部と思わしき男子達が必死になって回す人力コーヒーカップを楽しむ。

 その後で丁度お腹も空いてきたため、インクを撒き散らす某イカゲームがテーマになっているFハウスへ向かうと、夢野のクラスであるF―2で牛丼を購入した。

 

「はーい、お待たせー」

「ありがと♪」

 

 クラスメイトと思わしき少女は、容器を二つ夢野に手渡す。そして一歩引いて待機していた俺と目が合うなり、何やら含みある笑みを浮かべた。

 F―2には日本史の授業で何度も来ているし、普段から夢野や火水木と話しているところを見られていることもあってか、これといって声を掛けられはしない。

 しかしながら何も聞かれないというのも逆に怖いもので、心なしか男性陣からの視線は痛い気もする。中には「マジかよ……」とボヤいた後で、項垂れたまま去っていくクラスメイトと思わしき男子もいたが、あれはやっぱりそういうことなんだろうか。

 

「行こっか」

「ああ」

 

 牛丼屋の売れ行きは好調らしく、混雑するピークの時間帯ということもあって店の周りには人ばかり。そのため俺達は落ち着いて食べられる場所まで移動することにした。

 

「ここに来るのも久し振りだな」

「前に来たのは、米倉君がまだ私のことを「夢野さん」って呼んでた頃だもんね」

 

 ということでやって来たのは芸術棟四階……の更に上。生徒立ち入り禁止と書かれた看板の先にある小窓から行くことが可能な、音楽部しか知らない秘密の屋上だ。

 真夏日だったら流石にキツいが、今日程度の日差しなら問題ない。心地よい風を感じつつ遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏に耳を傾けながら、割り箸をパキッと折る。

 

「もし私が米倉君のこと、好きって言ったらどうする?」

「っ?」

「そんな質問もしたよね」

「そ、そうだったか?」

「うん。そういう誤解を招く発言は困るからやめろって怒られたんだよ?」

「あー、言われてみればそんなこと言ったかもな」

 

 唐突な発言に一瞬ドキッとさせられてしまい、箸がとんでもない割れ方をした。恐らくは意図して紛らわしい言い方をしたであろう少女は、クスクス笑いつつ話を続ける。

 

「アドレス交換したり、プレゼントしてもらったり……懐かしいね」

「300円の答えがクラリ君だと思ってたからな」

 

 どうしても見つからなかったからアキトに頼んで、店長に用意してもらったんだっけ。まあ結果としては大外れで、本当はチョコバナナだったなんてのも今では良い思い出だ。

 夢野のスカートのポケットからチラリと顔を覗かせているトランちゃんのストラップを見ながら、懐かしい話に花を咲かせつつ「いただきます」と声を揃えた俺達は、道中の自販機で二人して買った桜桃ジュースと合わせて牛丼を堪能する。

 

「この間は迷惑掛けて本当にごめんね」

「ん? ああ、別にいいっての。それにそういう時は謝るよりも、お礼を言う方が良いって誰かが言ってたぞ」

「そっか。それじゃあ改めて、本当にありがとうございました」

「どう致しまして。それで、お母さんの容体はどうなんだ?」

「うん。無事に退院したから大丈夫」

「それなら良かった。あんまり一人で抱え込んで無理するなよ? 望ちゃんがいなかったら大変なことになってたし、陶芸部のメンバーだって心配してたんだからな?」

「はい、反省してます……お母さんにも同じようなこと言われちゃった」

「そりゃそうだ。二つの部活とバイトを掛け持ちしてるだけでも大変なのに、それに加えて家のこともするなんて、いくらなんでも無茶し過ぎだっての」

「部活は単に私がやりたいことだし、バイトも自分のためだから。それに米倉君にお姫様抱っこしてもらえたし、頑張った甲斐はあったかも……なんてね♪」

「倒れるまで頑張ったりしなくても、俺で良いならお姫様抱っこなんてお安い御用だぞ。言ってくれれば、いつでもどこでも喜んでやってやる」

「ふふ。ボーっとしててあんまり覚えてないから、それなら今度またお願いしよっかな」

 

 いつでもどこでもと言ってはみたものの、今ここでやってとか言われたらどうしようかと思ったので一安心。来るべき時に備えて、少しずつ筋トレを始めておこう。

 お祭りの賑わいから離れた空の下、二人で過ごす静かな時間。他愛ない雑談をしながら牛丼をペロリと平らげた俺は、少女が食べ終わるのを待ちつつ桜桃ジュースを飲む。

 

「夏休みの宿題とかは大丈夫だったのか?」

「うん。ちょっと危なかったけど、ちゃんと提出日には間に合ったよ」

「そっか。それにしてもあっという間の夏休みだったな」

「米倉君の一番の思い出は?」

「んー、やっぱ合宿か? 中学の頃は帰宅部だったから部活で泊まりなんて初めての経験だったし、肝試しとかバーベキューとか花火とか楽しかったからな」

「私も一番は陶芸部の合宿。美術館とかの見学も勉強になったけど、イベント盛り沢山で本当に面白かったよね。それに私の知らなかった米倉君の昔話も聞けたし」

「昔話って言うよりは、完全に黒歴史だけどな」

 

 今でもたまに自転車に乗りながら思い出したりすると「あーっ!」と思わず声を上げてしまう程に忘れてしまいたい過去なんだが、都合の悪い記憶だけを抹消する研究はまだ完成しないんだろうか。

 牛丼を食べ終え箸を置いた少女が桜桃ジュースで喉を潤す中、恥ずかしい中学時代の話を掘り下げられたくない俺は冗談交じりに質問してみる。

 

「夢野は黒歴史とかないのか?」

「私? うーん……パッと思いついたのは、この前バイトしてた時にレジにお客さんが来て「いらっしゃいませ」って言うところを「いただきます」って言っちゃったことかな?」

「それ、その後どうなったんだ?」

「お客さんポカーンってしてて、すっごく恥ずかしかった」

 

 てっきり「めしあがれ」とか「食べないでください」みたいな返しをしてくれたのかと思ったけど、まあ普通ならそんな反応にもなるか。

 

「でもこれって黒歴史なのかな?」

「恥ずかしい話ではあるけど、人に話せるレベルなら黒歴史じゃないかもな」

「だよね。うーん…………黒歴史かどうかわからないけど、人に話しにくい恥ずかしい話ならそれっぽいことがあるにはあるけど……聞きたい?」

「超聞きたい」

「えー? うーん、まあ米倉君ならいいかな。中学の体育の時間の話なんだけどね、準備体操で…………やっぱり恥ずかしいし、言うのやめてもいい?」

「いやそこまで話したなら最後まで話してくれないと、気になって眠れないっての」

「その……準備体操でジャンプしてたらね……ブラのホックが外れちゃったことがあって……」

「へっ?」

「テニスの授業だったんだけど、何とかそのまま頑張って続けて……休み時間に付け直したんだけど、あれは本当に恥ずかしかったかも……」

「そ、そうなのか……落ちたりしなくて良かったな」

「え?」

「ん?」

 

 思わぬ黒歴史(仮)を聞いてしまい、若干反応に困りつつも言葉を返す。しかしそれを聞くなり、どういう訳か夢野は不思議そうな顔を浮かべつつ首を傾げた。

 何か変なことを言ったかと思っていると、少女は確認するように尋ねてくる。

 

「もしかして米倉君、ブラのホックが外れたら服の隙間から落っこちると思ってる?」

「えっ? 違うのっ?」

「違うよっ? 確かにチューブトップのブラとかもあるけど、普通のブラって肩にも紐が掛かってるから、ホックを外しただけじゃ落っこちたりしないの」

「へー。そうなのか」

「桃さんとか梅ちゃんの、見たりしないの?」

「見ることはあるけど、そこまで研究することはないな」

 

 よくよく考えてみれば、肩の出ている服を着ている際にブラ紐が見えるときがある。もしかしなくても高校二年生くらいになれば、ブラの構造というのは知っていて当然ともいえる常識的な知識だったのかもしれない。

 一応の言い訳をするなら、こんな勘違いをしたのはアキトが原因だろう。アイツに奨められて見たアニメの大半には水着回があり、ヒロインのビキニが波に攫われるという定番のラッキースケベばかりだったせいで防御の薄さが印象づいたんだ。そうに違いない。

 

「ほらここ、触ってみて」

「!?」

 

 くるりと俺に背中を向けた夢野が、自分の肩の辺りを指さす。

 唐突な誘いに若干躊躇いはしたものの、気が付けば本能に従い弾力のある丸い肩へと手を添えていた。

 確かにそこにはクラスTシャツ越しに、紐と呼ぶには少し太い感触がある。

 

「これか?」

「うん。それだよ」

 

 当の本人は全く気にしていないようだが、布越しとはいえ下着に触れているという状況に興奮しない訳がなく、俺の脈拍は徐々に速くなっていく。

 それだけじゃない。

 無防備な少女のうなじもまた、目が釘付けになるほど魅力的だった。

 

「で、こういって……ここに繋がると……」

 

 まるで研究でもするような素振りを見せつつ、ちゃっかり服の上からブラ紐をなぞる。

 肩から肩甲骨、そして背中へ……。

 夢野が止めないのをいいことに、俺の指先はホックと思わしき箇所へと辿り着いた。

 

「じゃあ仮に今これが外れても大丈夫なのか」

「大丈夫って訳じゃないけど…………外してみる?」

 

 

 

 ――ドクン――

 

 

 

 心臓が大きく脈打つ。

 外してみる?

 つまりそれは、外しても良いということなのか?

 前に夢野はこう言っていた。

 

『そういうエッチなことはちゃんと相手の了承を得ないと駄目だからね?』……と。

 

 布越しに触れていた背中の留め具をそっと摘む。

 少女は動かない。

 そのまま軽く持ち上げてみるが、抵抗する気配はなかった。

 ゆっくりと左手も近付ける。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン――

 

 

 

 右手だけじゃなく両手の指先を使い、ホックを外しに掛かる。

 どうすれば外れるのか。

 興奮で無我夢中になりながら、適当に弄っていた時だった。

 

「ぁ……」

 

 夢野が小さく声を上げる。

 偶然にもホックは外れ、両手で摘んでいた一本の紐が左右に分かれた。

 ドキドキが止まらない俺をよそに、少女はこちらへ見返りつつ口を開く。

 

「ね? 落ちてこないでしょ?」

 

 可愛い笑顔だった。

 悪戯好きの小悪魔みたいなその表情に、完全に魅了される。

 夢野だったら、何をしても許してくれるんじゃないだろうか。

 そう思い、俺は欲望のままに尋ねた。

 

「じゃあ肩のも外れたらどうなるんだ?」

「勿論そうしたら落ちちゃうけど…………っと!」

 

 その答えを聞くなり、素早く右手を肩のブラ紐へと向かわせる。

 しかし少女の柔らかい手は、その進行を遮るように肩へ乗せられた。

 

「だーめ♪」

「やっぱり駄目か?」

「うん。これ以上は駄目です。阻止します」

 

 左肩もガードした夢野は、余裕ある雰囲気で答える。

 俺が見たアニメの主人公なら、この辺りで既にヘタレて止めていただろう。

 しかし本当の思春期男子は止まることを知らない。

 

「…………」

 

 俺は黙ったまま、何とかして夢野の手をどかそうとする。

 しかしながら少女の防御は固く、手を引っ張っても思うように動かない。

 それならばと肩と掌の隙間を縫うように指先をねじこみ、そのまま奥へ潜り込ませた。

 

「もう、駄目だってば」

 

 指先が再びブラ紐に触れると、夢野の声が若干焦り始める。

 少女の制止も無視して、指先を首元から肩へ擦りブラ紐をずらしていく。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン、ドクン――

 

 

 

 少しずつではあるが、確実にずれていくブラ紐。

 抵抗も虚しく、夢野の手が守る位置もまた徐々に移動していった。

 首の根元から肩、そしてとうとう二の腕にまで辿り着く。

 最早ブラは下着の役割を果たしていない。

 落ちることこそ無いが、肘からぶら下がっているだけの例の紐のような状態。

 そんな惨状になったところで、俺はようやく進撃を止めて手を離した。

 

「!」

 

 ホッとした様子の夢野が、慌ててブラの位置を元に戻そうとする。

 しかし俺はそんな少女の両手首を掴んだ。

 

「えっ?」

 

 そのまま夢野の前に持っていき、手首同士を近づけさせる。

 そして大きな掌を使い、右手だけで少女の両手首を抑え込んだ。

 こうすることで、俺の左手がフリーになる。

 それが何を意味しているのかを理解してか、夢野は拘束を逃れようと必死に手を動かす。

 しかしながら陶芸で鍛えられた俺の握力は65㎏。そう簡単には外れない。

 

「よ、米倉君……思ったより力強いね……」

「だろ?」

「ちょ……待って……」

 

 腰を捻って逃げようとする夢野だが、Tシャツの裾からゆっくりと左手を侵入させる。

 目指す先は言うまでもなく、守りを失った双丘だ。

 服の中へ手を突っ込んでいるという光景が、一層興奮を加速させる。

 股間に集まる血液。

 心臓が飛び出しそうなくらいに脈打ち、精神状態も極限に達していた。

 もう止まらない。

 元はと言えば挑発した夢野が悪いんだ。

 

 

 

 ――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン――

 

 

 

 脇腹から先に進もうとした俺の左手を、夢野が必死に肘で防ごうとする。

 その程度の防御、迂回すれば問題ない。

 奥へ、奥へ。

 少女の魅力的な肢体を、俺の左手が蛇のように這っていく。

 あばらを超えた辺りで、役目を失ったブラに手の甲が触れた。

 もうすぐだ……。

 あと少しで夢野の胸に到達する…………そんな時だった。

 

「米倉君!」

 

 いつも以上に大きな声が発せられる。

 何かと思い左手を止めると、少女はハッキリと俺に告げた。

 

「それ以上は本当に怒るよ?」

 

 

 

 ――ドクン――

 

 

 

 その声色は、今までとは少し違った。

 冗談めいたものではない、真剣な雰囲気が伝わってくる。

 後ろから羽交い絞めをしているような体勢のため、夢野が一体どんな表情をしているのかはわからない。

 

「………………」

 

 胸はすぐそこ……あとほんの数㎝手を動かすだけだ。

 夢野が怒る。

 女子の胸に触れるチャンス……ましてや直接だなんて、そんな貴重な機会を逃すのか。

 まだ許してくれるかもしれない。

 今なら思う存分に揉める……乳房を鷲掴みにすることだってできるんだぞ。

 でもこの先に行ったら、もう二度と引き返せない。

 そんなのは所詮建前……ここまでやった以上、既に手遅れだってのはわかってるだろ。

 どうする。

 どうしたい……。

 どうすればいい。

 悩みに悩んで悩み抜き、やがて俺は結論を出した。

 

「!」

 

 名残惜しさを感じつつも、夢野の服の中からゆっくりと左手を抜く。

 抑えていた両手首も解放すると、夢野は肘の辺りまで下がっていたブラを戻し始めた。

 …………わかっている。

 怒らないから正直に言いなさいなんて言葉で、実際に怒られなかった試しなんてない。

 今更止めたとしても、間違いなく夢野は怒っている……いや、呆れているだろう。

 まだ許してくれるなんて、世の中そんなに甘くはない。

 そう理解していながらも、小心者の俺は夢野に嫌われたくはなかった。

 本当、何を浮かれていたのやら。

 夢野から好かれているなんて勘違いも甚だしい。

 目先の興奮に負けてしまった自分の愚行を深く後悔する。

 

「…………ゴメン」

 

 謝って許されると思っているのか?

 そうわかっている筈なのに、俺の口からは謝罪の言葉しか出てこなかった。

 

「ふー。ちょっと米倉君のイメージ、変わったかも。ビックリしちゃった」

 

 後ろに手を回しホックを止めた夢野は、くるりとこちらを振り返りつつ答える。声色は普段通りの優しい雰囲気に戻り、赤みがかった顔が浮かべていた表情は苦笑いだ。

 それを見た俺は、少女に頭を下げつつ再度謝る。

 

「その……本当にゴメン!」

「別に気にしてないから大丈夫だよ。それより、そろそろ時間だし行こっか」

「え?」

「私の行きたかった場所。もしかしたらここより暑いかもしれないし、飲み物も新しいの買っていった方が良さそうだから、思ったよりギリギリになっちゃうかも」

 

 空になった牛丼の容器とペットボトルを手に取った夢野は、立ち上がるなり小窓を抜けて校舎の中へと戻っていく。

 その後ろ姿をポカーンと眺めていると、特に怒っている様子もない少女は動かない俺を急かすのだった。

 

「ほーら。のんびりしてたら置いてっちゃうよ?」



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二十日目(日) 夢野の目的がバンドだった件

「な、なあ、夢野……?」

「何?」

「その……怒ってないのか?」

「別に怒ってないよ?」

「…………何で怒らないんだ?」

「何でって言われても、米倉君は私に怒られたいの?」

「そういう訳じゃないけど……じゃあ、呆れてるとか……?」

「もう、あんまりそういうこと言うと本当に怒るよ?」

「え……いや、でも…………ゴメン……」

「さっきから米倉君、謝ってばっかりだね」

 

 夢野の言う通り、口からは謝罪の言葉しか出てこない。

 それもその筈。あれだけのことをしでかした俺の脳内は今、後悔でいっぱいだった。

 しかしそんな反省の裏では、触りたかったという欲も残っている。記憶に刻まれている感触だけでも興奮してしまう、そんな救いようのない自分がいるのもまた事実だ。

 それを理解しているからこそ、未だかつてないほど自己嫌悪に陥る。

 米倉櫻という馬鹿野郎に、心底嫌気が差していた。

 

「やっぱりこの時間帯だと混んでるね」

「あ、ああ……そうだな……」

「うーん、外から行くべきだったかな?」

 

 本来なら口を利かれなくなってもおかしくない筈なのに、夢野は声を掛けてくる。

 その優しさが逆に、俺の罪悪感を一層加速させていた。

 阿久津の時みたいに見放された方が、まだ心が楽だったかもしれない。

 

「…………」

 

 普段通りに振る舞う少女の気遣いも虚しく、反応が悪い俺のせいで若干気まずい空気になり始めた頃になって、どこが行き先なのか何となくではあるが見えてきた。

 小さな学校が六つあるような広さを持つ屋代は、当然ながら部活動も多種多様。そのためな体育館もまた用途別で複数あったりする。

 文化祭においてはバレー部が招待試合を行うのが第一体育館、新体操部の発表は第二体育館といったように分かれており、夢野が向かっていたのは文化祭の定番ともいえるバンド演奏の発表をメインとしている第三体育館だった。

 

「良かった。間に合ったみたい」

 

 道中でゴミを処分してから新たな桜桃ジュースも購入し、準備万端になったところで熱気の籠っている屋内に足を踏み入れる。

 体育館の中は全ての暗幕カーテンが閉められており、ライトアップされているステージ上ではイケメン男子四人組による激しい演奏が行われていた。

 所詮は学校の文化祭。有名バンドのライブのように観客で埋め尽くされるなんてことは一切ない……というよりも立ち見が基本なのか、椅子が用意されていなかったりする。

 それでも母数が多い屋代では客もそこそこ集まるらしく、ステージ付近には既に数十人の生徒が密集していたため俺達は端の方へと移動した。

 

「ありがとうございまーす! いやマジ、物凄く下手な演奏でスンマセン! それもこれも全部、コイツが今朝の午前二時半に電話してきたせいなんです!」

「ちょ、それ話すのかよ?」

「文化祭当日の午前二時半ですよっ? 何かハプニングとかあったのかと心配するじゃないですか! それなのにコイツ、何て言ってきたと思います? ほら、言ってみろよ!」

「ビ……ビデオ通話、試してみたくて…………」

「聞きました? 午前二時半ですよっ? しかも結局ビデオ通話できてなかったから、やり方を教えちゃいましたよ! 深夜二時半なのにっ!」

「いや本当悪かったって」

「次の曲は、そんなコイツが大好きな曲です。弾いてる俺達の演奏は下手糞なんですけど、元になってる曲は滅茶苦茶に恰好良いんで聴いてくださいっ!」

 

 客の笑いを誘うMCも流暢にこなすイケメン男子達。その中の一人は夢野と同じクラスTシャツを着ているが、まさか見たかったというのはコイツのことなんだろうか?

 曲が始まると音楽に合わせて手拍子が始まる。男のバンドということもあって、前の方でノリノリになっている大半はメンバーの友人と思わしき男子生徒が多い。

 イケメンパワーなのか女子生徒もそれなりにはいるものの、全体をざっと見た限りでは七割近くが男子であり、一人じゃ心細いという少女の言葉にも納得できる。

 

「夢野ってこういうバンドとか好きだったりするのか?」

「え?」

「バンドとか好きなのかっ?」

 

 スピーカーから鳴り響く激しい音に遮られたため、声を大きくしてもう一度尋ねた。

 周囲ほどノリノリではないにしろ、リズムに合わせて小さく身体を揺らしていた少女は少し悩む素振りを見せた後で答える。

 

「ライブを見に来たのは初めてだよ。今回はどうしても見たかったから」

「そ、そうか……」

「でも楽器とか弾ける人って、恰好いいよね」

 

 ステージ上にいる男子をジーッと見つめながら、そんな言葉がポツリと呟かれた。

 夢野はクラスでも人気があると、火水木が言っていたのを思い出す。

 どうしてだろう。

 前に夢野が葵の話をしていた時には、こんな気持ちにはならなかった。

 葵が片想い中だった頃は二人の恋を素直に応援できていた筈なのに、相手が知らない男子だからなのか、あの時と今では異なる感情が心の中に渦巻いている。

 

「…………」

 

 例えるなら、橘先輩が阿久津に告白したのを目撃した時と似たような感覚。

 それを何と表現すれば良いのか、俺にはいまいちわからない。

 確かに言えることは、この一年間で夢野は単なる知人ではなくなったということ。

 ネームプレートに値札を付けていた謎のコンビニ店員であり、幾度となく出会っていた幼馴染であり、一緒に陶芸部で活動するようになった彼女は、今の俺にとって掛け替えのない存在となっているということだけは間違いないだろう。

 

『――――サザンクロスの皆さんでした』

 

 一人で色々と考えているうちにバンドグループの演奏が終わっていたらしく、拍手が沸き起こった後でお約束とも言えるアンコールの掛け声が重なる。

 しかしながらタイムテーブルの関係もあってかイケメン男子達が再びステージ上に姿を現すことはなく、無情にも司会は次のバンドの紹介を始めた。

 

『続きまして、夢幻泡影によるバンド演奏です』

 

 それを聞くなりアンコールと叫んでいた男子連中も諦めて去っていき、入れ替わるようにして後ろにいた女子達が前へと向かう。

 同じTシャツを着ている男子数人とすれ違った後で、夢野は大きく息を吐いた。

 

「ふう……私達も行こっか」

「ああ…………ん?」

 

 てっきり帰るという意味かと思いきや、前の方へ行こうという意味だったらしい。

 人の間を縫うようにして進む少女の後に続き、ステージが見えやすい位置まで移動するものの、暑い上密集した空間に息苦しさを感じ始めた俺は思わず夢野に尋ねる。

 

「見たいバンドって、他にもあるのか?」

「…………? 他も何も、私が見たいのはこの次だけだよ?」

「え? それってどういう――――っ?」

 

 話していた途中で歓声が上がり始めたため、俺はステージ上へと視線を向ける。

 拍手に迎えられて現れたのは五人の女子生徒……そしてその中の一人、ドラムの前で立ち止まった作務衣姿の少女を見て呆然とした。

 周囲にいた観客の女子達は、応援に来たバンドメンバーの名前を声に出す。

 

「ミズキーっ!」

 

 隣にいた夢野も負けじと、俺もよく知る陶芸部員の名を呼んだ。

 俺達に気付いた火水木は笑顔を見せると、ドラムスティックでリズムを刻む。

 

「1、2、3、4、1、2、3!」

 

 大きな声が発せられた後で、ギターによるテンポの良い前奏が始まる。

 軽快なリズムに合わせてボーカルとキーボードの少女が手を叩くと、それを見ていた俺達もまた他の観客と一緒になって手を叩き始めた。

 この曲は知っている。

 五人の少女によって演奏された最初の曲は、有名な軽音アニメのもの。メンバーの人数や楽器構成が全く同じである辺りからは、どことなく火水木の意志を感じた。

 

 

 

『――――アタシはこの個性溢れるメンバーでこそ、バンドがやりたいのよっ!』

 

 

 

『あーあー。掃除なんかするなら、やっぱりバンドしたいわね』

 

 

 

 バンドがしたい。

 思えば火水木は、事ある毎にそんなことを言っていた。

 しかしコスプレや闇鍋程度ならまだしも、楽器の演奏となると容易じゃない。

 ましてや音楽に関しては素人に近いであろう陶芸部のメンバーでバンドを組むなんて、誰がどう考えてもできる筈がなかった。

 テツや早乙女が入部した時にも楽器ができないか聞いており、最近は話に出すこともなくなったため流石に諦めたのかと思ったが、どうやらこういうことだったらしい。

 

「どうも! 夢幻泡影です!」

 

 一曲目が終わったところで、ボーカル兼リードギターを務めている華やかなピンク色の着物を着た少女が挨拶を交わすと、バンドメンバーの紹介をしていく。

 担当する楽器と名前に加えて、何故か華道部という所属部活まで名乗る少女。サイドギターを担当する渋い抹茶色をした着物少女の紹介でもまた、茶道部であることを言及した。

 そしてベースを務める三人目は、タスキを掛けた袴姿の少女。その所属が書道部と明らかになったところで、観客も違和感に気付きざわつき始める。

 

「更に更にー、ドラムは陶芸部! ミズキーっ!」

 

 作務衣を着ている火水木が紹介されたところで、ここまでのメンバーが音楽要素のない芸術尽くしな部活動ばかりであることに小さな笑いが起こった。

 最後に残った忍装束のキーボード少女が演劇部と明かされると、体育館内は笑いだけじゃなく拍手にも包まれる。本当、見事なまでにバラバラだな。

 単に和風ロックバンドをイメージした衣装なのかと思ったが、どちらかといえばそれぞれの部活動を連想させなくもないものを選んだというべきだろうか。

 

「こんな私達がバンドを組めたのは、そこにいる店長ことノブオ君のお陰だったりします! 実は今日の私達の衣装も、ノブオ君がはりきって用意してくれました!」

「せーの!」

「「「「「店長! ありがとーっ!」」」」」

 

 まさかのプロデューサーの名前を聞いて思わず驚き目を丸くする。

 俺もいつぞや世話になった店長の御尊顔を拝したいところだが、女子五人からの黄色い声援を受けた当の本人はといえば、周囲にいた男子連中の嫉妬により揉みくちゃにされているようで姿までは見えなかった。

 考えてみれば部活動が華道部や茶道部と言っても、着物なんて易々と用意できるようなものじゃない。それに先程のバンドグループは普通にクラスTシャツだったし、登場した時の観客の反応を見ればこうした衣装を着るのは珍しいことなんだろう。

 道理で凝っているとは思ったが、店長がバックに付いていたなら納得もできる話。しかし非売品やコスチュームの手配だけじゃなくて人材派遣サービスまでやってるとか、マジで何者なんだよ店長……。

 

「それじゃ二曲目! 聞いてください!」

 

 息の合った五人のメンバーがハーモニーを生み出す。

 楽しそうにドラムを叩く火水木を見て、俺の身体は自然とリズムに乗っていた。

 一体どれだけ練習したんだろう。

 夏合宿以降、陶芸部に姿を見せなかったのも納得がいく。

 夢野が見たかったもの。

 それはイケメン男子の演奏なんかではなく、大切な友人の晴れ舞台だった。



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二十日目(日) 俺と阿久津が店番だった件

「いやマジでさっきの客の量は昨日以上にヤバかったッス! ユッキー先輩の手が阿修羅みたく六本に見えたし、二秒間で千発のパンチを打てるレベルだったんスよ?」

「……そんなことない」

「いやいや、あの梱包速度は人類を超越してましたって! ぶっちゃけ隣で見てて超恰好良かったんで、やり方とか教えてほしいッス!」

「……(コクリ)」

 

 火水木のバンド演奏を堪能した後、音楽部の仕事があるということで夢野とは解散。相変わらず行く場所のない俺は、交代まで三十分ほど早かったが陶器市へと向かった。

 今の時間の当番は冬雪とテツ。TPOを弁えない後輩が陶芸一途な純情少女にセクハラをしていないか不安だったが、どうやら忙しさのピークでそれどころではなかったらしい。

 

「ってか思ったんスけど、オレばっかり忙しい時間帯の店番に当たりすぎじゃないッスかね? ひょっとしてオレ、客を呼び寄せる幸運の招き猫だったりして?」

「…………」

「ネック先輩ー。さっきからオレの話、聞いてますー?」

「んー? ああ、悪い。ちょっと考え事しててな。お前がウンコなんだって?」

「何でそうなるんスかっ?」

「漢字で書いたら運子だし、大体合ってるだろ。そんでもって今の下ネタを含めて、今までお前がしてきたセクハラ発言の全てを梅の奴に報告しておけばいいんだよな?」

「サーセンっした! 肩でも胸でも揉むんで、それだけはご勘弁をっ!」

 

 冬雪式高速梱包の実践中だったからか、早速うっかり口を滑らせるテツ。反射的に出てくる言葉がこれだと、こんなんで将来は大丈夫なのかと気を揉むな。

 客足はすっかり落ち着いており、たまにやってくる客に対して二人が対応する様子を後ろでボーっと眺めながら、先程夢野に言われた言葉を思い出す。

 

『ふー。ちょっと米倉君のイメージ、変わったかも。ビックリしちゃった』

 

 火水木のバンドで有耶無耶になっていたものの、思い返す度に大きく溜息を吐いた。

 どうしてあんなことをしてしまったのか。

 いつまでも後悔が頭から離れない中、交代の時間が近づくと阿久津がやってくる。

 

「どんな感じだい?」

「……二日目も昼過ぎだけは三人いた方が良さそう」

「ふむ。とりあえずピークは過ぎたけれど、大変だったみたいだね」

「いやマジでヤバかったッス! 聞いてくださいよツッキー先輩ー」

 

 俺にもしていたと思われる苦労譚が、ドタドタだのシュバババだのと擬音マシマシで語られる。とりあえず大変だったことと、冬雪が凄いことだけは充分に伝わった。

 阿久津に話を聞いてもらって満足したテツは、クラスの当番があるということで足早に立ち去る。冬雪も商品の位置を整えたり売り上げのチェックをしたりと、全体の細かい確認をしてから出て行き、部屋の中には俺と阿久津の二人が残された。

 

「いつ頃からいたんだい?」

「半くらいだったかな」

「それはまた随分と早いね。音穏と鉄君を手伝ってくれていたのかい?」

「いや、俺が来た時には落ち着き始めてたよ」

「それでも二人を心配して早目に来てくれたのは助かるよ。ピークの時間帯は年によって多少のバラつきがあるし、今年は一段と大変だったみたいだからね」

「単にやることもなくて、暇だっただけだっての」

「クラスの当番とかは入っていないのかい?」

「去年はほぼずっと入ってたけど、今年はオカマ喫茶だから逃げてきた」

「成程ね。そういう事情なら納得だよ」

 

 俺のクラスのモンスターハウスっぷりを知ってか知らずか、阿久津は苦笑いを浮かべる。

 仮に某風来ゲームで例えるなら、昨日はパワーハウスで今日はゴーストハウス。どちらにせよ一歩足を踏み入れた途端『テケテケテン♪』というBGMと共にレベルの高い変態共が襲いかかってくる恐ろしい状態だ。

 

「…………」

「………………」

 

 既に商品は八割近く売れているため平穏な時間が続く。

 午前に夢野と店番をしていた時にはそこそこ客も来ており、束の間の休憩で雑談をするという程良い感じだったが、こうも時間に余裕があり過ぎると話すこともなくなる。

 昨日の当番は三人態勢だったが今日は二人である上に、相手がお喋りな火水木やテツではなく阿久津ということも相俟っての静寂のため、別に居辛い訳じゃない。

 ただ考える余裕もないほどに忙しかったなら少しは気も紛れただろうが、気付けば無意識のうちに頭の中で先程の一件のことを思い起こしていた俺は再び自己嫌悪に陥っていた。

 

「…………随分と浮かない顔をしているように見えるね」

「ん……そうか? まあ、ちょっと考え事をしててな」

「蕾君とのデートのことかい?」

「デっ? 何で知ってるんだよっ?」

「陶器市に来たキミのご両親が、懇切丁寧に教えてくれたからね」

 

 …………どうして親というのはそういう余計な情報まで伝えてしまうのか。

 バレないよう隠していた訳じゃないが、いざ知られると反応に困るのも事実。相手が阿久津ということもあって、俺は若干動揺しながらも素直に答える。

 

「べ、別にデートって訳じゃなくて、ただ夢野と一緒に文化祭を回ってただけで……」

「世間一般じゃ、それをデートと言うんじゃないのかい?」

「それは……そうかもしれないけど…………」

 

 …………いや、違う。

 心のどこかでそう思い込み浮かれていたからこそ、あんな失態を晒したんだ。

 いつものように論破されそうになったところで、俺は阿久津に言葉を返す。

 

「仮にデートと呼ぶなら、この前してもらった膝枕はデート以上だぞ?」

「あれは単にキミの頼みを聞いてあげただけじゃないか」

「それなら今回も似たようなもんだっての。夢野は行きたい場所があったんだけど一人じゃ心細いから、一緒に見に行く相手として俺を誘っただけだよ」

「キミの方から誘ったんじゃないのかい?」

「ああ。色々なところを回ってたのだって、単なる時間潰しだしな」

「ふむ。その行きたい場所というのはどこだったんだい?」

「第三体育館でやってた、火水木のバンド演奏だよ」

「バンド? 天海君が?」

「他に四人のメンバーがいたんだけど、華道部と茶道部、それと書道部に演劇部だったかな。全員がその部活っぽい感じのコスプレして、火水木は作務衣姿だった」

「それはまた見事なまでにバラバラだね」

「でも演奏は本当に凄かったんだよ。アイツ、こっそり練習してたみたいでさ――――」

 

 俺は体育館で見た夢幻泡影の演奏、そして火水木のドラム捌きについて語る。

 もっともブラックライトアート同様に、芸術というのは言葉では表現しにくいもの。あの衝撃と感動を自分なりに説明し、阿久津も関心を持って聞いてくれたものの、やはり直接見聞きした時に比べれば半分程度しか伝えられなかった気がした。

 

「まさかバンドを組んでいたとは驚きだね。でも、それを聞いて安心もしたよ」

「安心?」

「夏休みの間、天海君が陶芸部に顔を出していなかったのを音穏が気に掛けていたからね。まあ展示用の大皿を作ると言い出してからは、不安も解消されていたようだけれど」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」

「しかしそれだけ凄い演奏だったなら、ボクも一緒に見に行きたかったかな」

「また来年もやるんじゃないか?」

「どうだろうね。来年の今頃は受験勉強で忙しくなっているだろうし、やりたいことが自由にできたり、呑気に楽しめたりするのは今年までかもしれないよ」

「今年まで……か」

 

 そう言われると、退屈だと思っていた今までの時間が急に勿体なく感じてくる。

 一年目は人混みを嫌って店番ばかりしていた学園祭も、夢野と一緒に回っていた時は一切気にならなかった。寧ろ昨日の夜までは混雑を理由に手を繋いだりなんてできないかと妄想していたくらいだが、ピークの時間帯でも逸れるほどに混むことはないらしい。

 結局のところ祭りというものは一人じゃなく、仲間と楽しんでこその行事なんだろう。

 考えてみれば幼い頃は人混みなんて気にすることなく毎年行っていたのに、今ではめっきり行かなくなってしまった理由も単に一緒に行く相手がいなくなっただけか。

 

「阿久津はどうだったんだ?」

「何がだい?」

「学園祭、充分に楽しんだのかって思ってさ」

「面白そうな場所や気になったクラスの出し物なら、音穏やクラスメイトと大体は回ってきたかな…………と、いらっしゃいませ」

 

 例え俺がいなくなっても、阿久津には祭りを一緒に楽しめる仲間がいる。きっと中学の頃も、初詣みたいに早乙女なり部活の仲間達と一緒に行っていたんだろう。

 目ぼしい陶器がなかったのか、やってきた客は何も買わずに去っていく。残りは二十個程度しかないため仕方のない話だが、それでも阿久津は礼儀として「ありがとうございました」と丁寧に挨拶をした。

 

「楽しんだというよりは、楽しんでいるだね」

「ん?」

「キミはまるでもう学園祭が終わったかのような言い草だけれど、まだ一般公開の時間は残っているよ。それに加えてボク達には後夜祭だってあるじゃないか」

「あー、そういえばそんなのもあったな。ぶっちゃけ存在自体を忘れてたけど、そもそも後夜祭って何するんだ?」

「ボクも行ったことはないけれど、確かダンス部とか応援部とか吹奏楽部辺りのパフォーマンスだね。後は昼にやったカラオケ大会の優勝者なり、男装女装コンテストの優勝者が何かしらして、最後に打ち上げ花火じゃなかったかな」

「そりゃまた随分と豪華なラインナップだな」

 

 コンクールで毎年金賞を取っているような屋代の吹奏楽部の演奏は、普通なら聴くだけでも金が掛かるレベルらしいが、その学校に通っている身だといまいち実感が沸かない。

 まあ踊りながら演奏するマーチングバンドとかは普通に凄かったし、閉会式ですらテンションがヤバいことになる学園祭の最後を飾るとなれば盛り上がりも半端じゃないだろう。

 

「そういえば今年の女装コンテストも相生君が優勝したらしいね」

「ああ、よく知ってるな」

「二連覇ともなれば耳にも入るさ。後夜祭でのパフォーマンスは何をするんだい?」

「さあ? 去年は歌だったらしいけど」

「相生君の歌となると尚更人気が上がりそうだね」

「そうだな」

 

 阿久津も、火水木も、葵も……そして夢野だってそうだが、俺の仲間達は周囲の人間からも尊敬されるような人柄なり特技を持っている奴ばかりで本当に凄いと思う。

 それに対して、俺自身には何もない。

 

「蕾君には誘われていないのかい?」

「だとしたら存在を忘れてたりなんてしないっての」

「意外だね。てっきり後夜祭も一緒に行くのかと思っていたよ」

「夢野は夢野で、クラスの友達なり音楽部の仲間と一緒に行ったりするんじゃないか?」

「確かにそうかもしれないけれど、キミの方から誘ったりはしないのかい?」

「俺から?」

「ボクのイメージとしては、そういう誘いは男からするものだと思っていたよ」

 

 確かに阿久津の言う通り、誘うとしたら男からの方が恰好は付くだろう。

 しかし今の俺には誘う資格なんてない。

 もっとちゃんと夢野と一緒に後夜祭を見に行っても恥ずかしくないような、そんな中身を伴った人間になること……それが俺のすべき最優先事項だ。

 

「もしかしたら蕾君も、キミの誘いを待っているかもしれないじゃないか」

「それはないな……と、いらっしゃいませー」

 

 中身を伴った人間とは言ったものの、具体的には何をするべきか考えてみる。

 とりあえず学力の目標は成績優秀者。評定平均4.3以上を目指して、ただひたすらに勉強しまくるしかない。

 この前のお姫様抱っこのこともあるし、それに加えて身体も鍛えておいた方が良いか。

 部活の方も火水木みたいに、展示用の大きな陶器を作らないとな。

 

「そうそう。鉄君のクラスのお化け屋敷が大評判らしいね」

「ん? ああ、悪い。テツが何だって?」

「B―7のお化け屋敷さ。かなり完成度が高いそうだけれど、もう行ったかい?」

「いや、行ってないな」

「何でも噂だと、準備の段階で既に他クラスの先生や警備員の人を恐怖のドン底に陥れていたそうだよ。ボクも興味があったけれど、並んでいたからまだ行っていなくてね」

「へー」

 

 阿久津の話に空返事をしながら、橘先輩が語っていた内容を思い出す。

 俺も髪型とかを少し弄ったりして、お洒落にも気を遣ってみるべきだろうか。

 後は夢野みたいにバイトをして、社会経験だって身に付けておくべきかもしれない。

 

「…………」

「………………」

 

 そして何よりも、もっと自制できるような真人間になろう。

 次から次へと浮かんできたやるべきことに決意を固めていると、あっという間に交代の時間を迎える。賑やかだった文化祭も終了まで残り三十分となり、最後の店番を務める冬雪と早乙女が戻ってきた。

 

「……ただいま」

「ミナちゃん先輩! お疲れ様でぃす!」

「それじゃあ二人とも、後は宜しく頼むよ」

 

 二人とバトンタッチした俺達は、揃って陶器市を後にする。

 互いに自分のハウスへと戻るため同じ道を歩いていたが、少しして数歩先にいた阿久津が足を止めるなり、深々と息を吐き出してから身体を大きく伸ばした。

 座りっぱなしで疲れていたらしい少女の隣を、何から始めるか考えていた俺は黙って通過する。

 

「櫻」

「ん?」

 

 背後から声を掛けられ、何かと思い振り返った。

 人の顔を見るなり呆れた様子で溜息を吐くという、割と失礼なことを平然でやってのけた幼馴染は、俺の元に歩み寄りながら以前どこかで聞いたことのある言葉を口にする。

 

「キミは暇だろう?」

 

 まあこれといった用事はないが、やるべきことだらけな俺に暇なんてない。今だって残り三十分の文化祭を勉強と筋トレ、どちらで過ごすべきか悩んでいたところだ。

 しかしながら阿久津はそんなこちらの事情など一切考えず、唐突に思わぬことを言い出す。

 

「少し散歩に付き合ってくれないかい?」



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二十日目(日) 阿久津と一緒のお化け屋敷だった件

「散歩って……何だよいきなり?」

「B―7の行列も、今の時間帯なら少しはマシになっているんじゃないかと思ってね」

「はあ? B―7っていうと、さっき言ってたテツのクラスのお化け屋敷か?」

「そうだけれど、忙しかったかい?」

「いや別に予定とかはないし時間も空いてるっちゃ空いてるけど、行きたいなら一人で行けばいいだろ?」

「一人で行ってどうするんだい? ボクは別にお化け屋敷マニアじゃないからね。驚かそうとしてくるお化けの存在よりも、一人で寂しく並んでいる方が怖いよ」

 

 文化祭が一人だと面白くないのは、誰よりも俺が一番よく知っている。ましてやお化け屋敷ともなれば尚更だろう。

 そんなことは分かりきっていた筈なのに、動揺したあまりつい反射的に言葉が口から出てしまった。

 

「だからって何でわざわざ俺を誘うんだよ?」

「理由がいるのかい?」

 

 無駄に恰好いい台詞を返された気がする。早乙女が聞いたら大喜びしそうだな。

 

「音穏は怖いのが嫌いだから来てくれないだろうし、星華君も店番に入っているからね。一緒に行ってくれそうな友人も、今はクラスの方の当番をしているんだよ」

「じゃあ夢野とか火水木は?」

「確か蕾君は今の時間、音楽部の方の仕事中じゃなかったかい? 天海君は既に一度行っていたようだから、二度目をボクに付き合わせるのもどうかと思ってね」

 

 それならテツはと思ったが、アイツは自分のクラスだし種も仕掛けも知ってる訳か。

 しかしまさか阿久津から誘ってくるなんて予想外でしかない。驚き呆然とする俺をよそに、いつもと変わらない様子の少女は淡々と言葉を続けた。

 

「そんな難しい顔をして色々と考えなくても、これは別にデートでも何でもないよ。キミが蕾君と回った時みたいに、ボクをエスコートする必要はないさ」

「エスコートなんて一切してないし、どっちかって言うと俺がされてた方だっての」

「まあ櫻がお化け屋敷は嫌だと言うなら、無理にとは言わないかな。何せ男子ですら悲鳴を上げるほどに怖いらしいし、キミもボクの前で恥ずかしい姿は見せたくないだろう?」

「む……誰が行かないなんて言った?」

「何かと理由を付けて断ろうとしているように見えたけれど、違うのかい?」

「文化祭のお化け屋敷なんて怖くも何ともないっての」

「それなら決まりだね」

 

 どうやら俺は阿久津に相当舐められているらしい。これでも男としてのプライドはあるし、逃げたと思われるのは癪なので挑発とわかっていながらも誘いに乗ることにする。

 それにコイツは夢野と違って特に深い意味なんて一切なく、言葉通りお化け屋敷に興味があるだけ。そうとわかりきっているからこそ、俺も妙な気を起こすようなことはない。

 サーカス風のBハウスへと入ると、階段を下りてB―7へ。夢野と来た時に比べれば多少なり空いてはいるが、それでも列はできている相変わらずの人気っぷりだ。

 

「らっしゃーせー、どうぞー。らっしゃーせー、どうぞー」

 

 丁度テツが受付を担当しているタイミングだったらしく、並んでいる客に何やら謎の紙を配っている後輩の姿を眺めながら俺と阿久津は最後尾へ。少しして向こうもこちらに気付くなり、妙に含みある笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。

 

「らっしゃーせーっ! 先輩方、ひょっとしてデートッスかっ?」

「「違う」よ」

「息ピッタリじゃないッスか」

「評判を聞いて、どんなものか見てみたくなってね」

「俺はただの付き添いだ」

「それならそうと言ってくれればオレがエスコートしたのに、ネック先輩ずるいッス!」

「ずるいって言われてもな……ってか開催側のお前がエスコートしちゃ駄目だろ」

「しかしいつ見ても列ができているし、本当に大繁盛しているね」

「あざッス! 十分くらい掛かると思うんで、これでも読んで待っててください!」

 

 そう言うなり後輩が差し出してきた紙を見ると、そこに書かれていたのは注意書き。それに加えて、雰囲気作りのためと思われる都市伝説が書いてあった。

 どうやらこのお化け屋敷はその怪談に紐付けたものらしく、俺は阿久津が受け取った紙を横から覗き込み、若干背筋がヒヤッとするような話を読んでいく。

 

「ふむ。待ち時間を考慮してこんな物まで用意しているなんて、勉強になるよ」

「そういえば阿久津のクラスもお化け屋敷なんだっけか」

「ボク達のクラスは、これといってストーリー性なんて皆無だけれどね。ボクだって髪が長いからなんて理由だけで、テレビを突きぬけて這い出てくるお化けの役さ」

「あー。そりゃまた大変そうだな」

 

 てっきり容姿が良い阿久津は受付とかを担当しているのかと思っていたが、まあ髪の長さを考えればこれ以上ない適役かもしれない。こんなことなら実際に行って、一度この目で見ておくべきだったな。

 

「いっそキミのクラスの化け物屋敷も、こういう怪談を採用してみたらどうだい?」

「化け物屋敷って……あれ一応オカマ喫茶だからな? ってか、行ったのか?」

「ボクは行っていないけれど、相生君目当てで足を踏み入れた友人が「あそこはウチのお化け屋敷よりも別の意味で物凄く怖い」と言っていたよ」

「まあ、否定はできないな」

 

 前後に並んでいる女子は都市伝説の書かれた紙を読んで怖がっていたり並ぶのを止めようと話したりしているが、阿久津は一切そんな様子を見せず至って普通だ。

 時折教室の中から聞こえてくる悲鳴と叫び声とバックミュージックにしつつ、出口から飛び出してくる客を何度か眺めていると、ようやく俺達の順番が回ってくる。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

 入口にいた生徒に見送られ、ライトも持たされないまま暗い教室の中へと足を踏み入れる。ドアを閉めれば得体の知れない不気味な音楽が微かに聞こえてきた。

 夢野と行った暗闇迷路と違って道も広いため二人並んで歩いていると、俺側の壁の窪みが突然パッと光り出し、ライトアップされた傷だらけの生首を見て思わずビクッと反応してしまう。

 

「ただのマネキンじゃないか。何をいきなりビビっているんだい?」

「別にビビってないっての!」

 

 今度は阿久津側の窪みが光り出し、血だらけの生首が照らし出された。

 隣にいる幼馴染の少女は驚く様子も見せずに「ふふん」と得意気な様子。窪みがある時点で予想は付いてたし、俺だって二度目だったなら驚かなかったっての。

 

「しかしマネキンの首なんてどっから用意したんだろうな」

「クラスの中に親が美容院で働いている子とかがいるんじゃないのかい?」

「成程」

 

 確か入る前に渡された都市伝説だと、四つの生首が何だかんだと書いてあったっけか。

 その怪談に合わせているらしく窪みは丁度左右二箇所ずつの計四箇所あり、再び俺側の窪みから三つ目のマネキンが登場。傷や血の量が増えている生首は実にリアルで、夜の学校でこんなのが並んでいたら騒ぎが起きてもおかしくないだろう。

 

「ふむ。恐らくこれが先生や警備員さんを驚かせたのかもしれないね」

「かもな」

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「っ!」

「うぉあっ?」

 

 阿久津側から現れた最後の生首が、唐突に動いて叫び出す。

 あまりにも見るに堪えない生傷だらけで注視もしていなかったため、どうせまたマネキンだろうと思っていた俺は完全に不意を突かれ思わず声を出してしまった。

 

「少しばかり驚き過ぎじゃないかい?」

「いや、今のはお前だってビクってしてただろ?」

「それでもボクはキミみたいに情けない声を上げたりはしていないよ」

「ぐっ……そ、それにしても傷メイクって言うのか? 本物みたいに良くできてるな」

「ボク達のクラスでもやっているし、割と簡単にできるみた――――」

 

『ドンドンドンドンドンドンドン!』

 

「ぴっ?」

「うひゃあっ? 何だっ?」

 

 唐突に聞こえてきた、何かを激しく叩くような物音。言うまでもなく俺はまたもや驚いてしまった訳だが、喋っていた阿久津も小さな悲鳴を上げていた……ような気がする。

 警戒しながら先へ進むと、教室の隅で動きますよと言わんばかりに剣道の防具を着ている人が座っているのを発見。先程の怪談を思い出した俺達は揃って足を止めた。

 

「…………絶対に動くよなアレ」

「まず間違いなく、確実に動くだろうね」

「何でお前も止まるんだよ?」

「キミが足を止めたからに決まっているじゃないか」

「それならお先にどうぞ」

「普通は男子が先に行かないかい?」

「いやいや、レディーファーストって言うだろ?」

「使い方が間違っているよ」

 

 呆れるようにやれやれと溜息を吐いた阿久津は、慎重に歩を進めていく。

 横を通り抜けようとした瞬間。予想していた通り剣道防具を身に付けた相手の右手が動き出し俺達は反射的に身を強張らせた…………が、何か様子がおかしい。

 落ち着いてよく見れば、動いている右手の先には糸。防具は単に引っ張られて動いているだけであり、面の中身も人間ではなくマネキンだった。

 

「何だよ……ビックリさせやがって…………」

「完全に掌の上で踊らされているね」

 

 確かに阿久津の言う通りかもしれない。このお化け屋敷の仕掛けを考えた奴は、中々に頭が良さそうだ。

 ホッと安堵の息を吐いてから、俺達は先へと進んでいく。先程のように激しい物音などが鳴り出す様子もなく、不気味な静けさの中で怪しい音楽だけが聞こえていた。

 

「あの物語だと、次に来るのは何だったかな」

「確か…………?」

 

 ふと後ろに気配を感じた気がして、何も考えずに振り返る。

 いつからいたのか。

 俺達の背後ギリギリのところに、剣道防具を着た男が付いてきていた。

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!」

「「あああああああああああああああああああああああああっ!?」」

 

 流石のこれには二人揃っての大絶叫。特に背後の存在を確認すらしていなかった阿久津は俺以上の不意打ちを喰らう形となり、俺達はその場から逃げるように全力疾走する。

 

「ヴヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ぎゃあああああああああああああああああっ!」

「ぴぃぃぃぃぃぃっ?」

 

 その後も不気味な風を浴びたり、掃除用具入れの中から化け物が飛び出してきたり、最早何が何だかわからないような魑魅魍魎共に追い回されたりと、気が付けば足を止める余裕なんてものはなく阿鼻叫喚になっていた。

 俺は事あるごとにギャーギャーと騒ぎ、普段は冷静沈着な阿久津も超音波みたいな悲鳴を上げながら、二人してドタバタと出口まで逃げ回りドアから脱出する。

 

「お帰りなさいませ。お疲れ様でしたー」

「あっ! 先輩方、どうでした? 楽しんでもらえたッスか?」

「はぁ……はぁ…………ヤバ過ぎだろここ……」

「油断した隙を突くのが上手いね……してやられたよ……」

「あざッス! 今なら空いてるんで、もう一回入っても良いッスよ?」

「「断る」よ」

「やっぱ息ピッタリじゃないッスか」

 

 前評判通り賞を取ってもおかしくない完成度ではあったが、二度と来ることはないだろう。俺は阿久津と声を重ねた後で、B―7の教室を後にするのだった。



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二十日目(日) 俺の長所が優しさだった件

「何だかドッと疲れたな……」

「近くに落ち着ける良い場所があるけれど、少し寄って行くかい?」

「落ち着ける場所? どこにあるんだ?」

「この真上さ」

 

 二階にあるB―9を指さす阿久津。確かパンフレットでは『茶屋』となっており、地味な和風の外装を見ても特に目を引くような要素はなかった気がする。

 叫び疲れて喉が乾いたので自販機で飲み物を買ってから、階段を上り目的の教室へ向かうと、その入口には『完売しました。庭園だけでもどうぞ見ていってください』と書かれた看板が立っていた。

 

「ほー」

 

 中に入ってみれば、目の前に広がっていたのは教室の半分近くを使って作られた美しい庭園。すだれで囲まれている空間の足元には石が敷き詰められており、真ん中にある小さな池の周りには草木も生い茂っている。

 そして何より驚きなのは、ししおどしまであること。流石に教室の中では『コーン』という爽やかな音までは鳴らないようだが、チョロチョロと流れている水が溜まり重くなるなり竹筒は『ガコン』としっかり頭を下げてから元の位置に戻った。

 

「どうだい?」

「良い場所だな。見てて心が落ち着きそうだ」

 

 赤い野点傘が差されている傍には真っ赤な布が敷かれている縁台が四つあるが、既に販売が終了したということもあってか教室の中に客はいない。

 仕事が終わった今では完全に放置状態らしく、本来は団子や茶を出していたであろうカウンターにも店員と思わしき生徒の姿は誰一人として見当たらなかった。

 俺は阿久津と共に縁台へ腰を下ろすと、涼しげな庭園を眺め風鈴の音に癒されつつ桜桃ジュースに口を付ける。

 

「キミは行っておきたいクラスとかはないのかい?」

「んー。元々文化祭なんて興味なかったし、今年は色々回ったから特にないな」

「それは何よりだね。色々と回った結果、良い場所はあったのかな?」

「ああ、美術部のやつがマジで凄かったぞ! 陶器市のすぐ傍でやってるんだけど、ああいうのはお前も好きそうだし絶対に見ておくべきだって! 超オススメだ!」

「美術部の展示となると、ブラックライトアートのことかい?」

「何だ。もう行ってたのか?」

「あれならボクも音穏と一緒に見に行ってきたよ。眺めていて心が落ち着くような、素晴らしい深海の世界だったかな」

「だよな! 阿久津の方はどこかオススメとかあったのか?」

「印象に残っているのはA―1がやっていたサーティツーのアイスと、E―5の人力コーヒーカップ。それとF―9の謎解きが楽しかったよ」

「E―5のコーヒーカップなら俺も行ったけど、確かにあれも凄かったよな!」

 

 俺達はお互いに回ってきたクラスや各ハウスのモニュメント、校内を歩いていた生徒の面白いクラスTシャツなどについて語り合う。

 すると不意に阿久津が小さく笑みを浮かべたため、不思議に思った俺は少女に尋ねた。

 

「ん? どうしたんだ?」

「いいや。少しは悩みも紛れたかい?」

「ん? 何だよ急に? 別に悩んでなんてないぞ?」

「その割に陶器市で店番をしていた時は、随分と難しい顔をしていたように見えたけれどね」

「ああ……まあ、悩んでたっていうよりは自分に呆れてたって感じだな」

「どういうことだい?」

「冬雪は大きな壺を作れるくらい器用だし、火水木は楽器が弾けたり呼び込みしたり積極的だろ? 夢野もバイトで接客慣れしてたり縫いぐるみ作ったりできるし、阿久津はスポーツ万能な上に勉強もできる。何て言うか、皆凄いなって思ってさ……」

 

 アキトの奴はパソコンスキル、葵は歌と女子力(仮)。如月には絵がある。

 後輩であるテツや早乙女だってそれぞれ野球部やバスケ部で培ってきた運動能力があるし、何よりも中学時代の三年間運動部を続けられただけの根性がある。

 

「…………それに比べたら、俺って何もできないだろ?」

 

 歌も絵も人並みで、技術や家庭科が得意な訳でもない。勉強や運動だって平均より少し高い程度で誇れる程じゃないし、ゲームが得意なんてのは何の役にも立たないだろう。

 ただの取り柄のない人間ならまだしも、あれだけ呆れていた後輩のことを棚に上げて夢野にまでセクハラしてしまうロクデナシ……それが米倉櫻という男だ。

 

「だから色々と頑張らなきゃいけないって考えてたんだよ。勉強とか陶芸だけじゃなくて、家事とかも手伝ったりしてさ。それにバイトして社会経験を積んだりするのも大事だろうし……とにかく、もっとまともな人間にならないと駄目だなって思ったんだ!」

 

 時間を掛けて考えに考え抜いた決意を阿久津に熱く語る。

 しかしながら俺の話を聞いた少女は、どういう訳か呆れた様子で溜息を吐いた。

 

「一体何を考えているのかと思えば、そんなことを悩んでいたのかい?」

「そんなことって、大事なことだろ?」

「確かに目標を決めて努力することは大切かもしれないけれど、言うは易し行うは難しだよ。勉強一つだけでもどれだけ大変だったか、夏休みのことをもう忘れたのかい?」

「う……」

「それに何よりも櫻が今掲げている目標は、根本的に間違っているかな」

「間違ってるって、何がだよ?」

「キミの言う『まともな人間』なんて、この世には一人もいないさ。誰だって長所があれば短所だってある。単にそれが表面に見えているかどうかの違いだね」

 

 阿久津は「食べるかい?」と言いつつ、定価30円の棒付き飴を差し出してくる。それを俺が受け取ると、少女はもう一つ同じ物をポケットから取り出した。

 

「現に今のボクは別にスポーツ万能なんかじゃないよ。キミからそう見られているのは悪くない気分だし、運動神経は良い方だと自負しているけれど、陶芸部に入ってからは体力も落ちる一方だからね。今じゃ体育でも中学の頃みたいにはいかないさ」

「そうとは思えないけどな」

「キミは少しボクを買いかぶり過ぎだよ。こう見えても料理や洗濯は親がするから家事なんて自分の部屋の掃除くらいしかしていないし、バイトに関してはご存じの通り春休みにキミや桃ちゃんと一緒に行った一回きりだけだからね」

「仮にそうだったとしても、お前は陶芸も勉強もできるだろ?」

「陶芸はボクが半年先に入部したから経験の差があっただけで、合宿の作品数はキミの方が上だったじゃないか。それに売れ残りを見ればわかると思うけれど、キミの腕だって充分にお客さんを満足させる域に達しているよ」

「確かにそうかもしれないけど、それでもお前の上手いと俺の上手いには差があるだろ?」

「それは差じゃなくて個性と言うべきさ」

 

 阿久津の作品を良いと思う人もいれば、俺の作品の方が良いと思う人だっている。

 俺達の違いは展示品を作れるだけの技術があるかどうかくらいだと語った後で、幼馴染の少女は棒付き飴を指先でクルクルと器用に回した。

 

「人間性も芸術と一緒だよ。答えなんて一つじゃない。キミが友人を見て凄いと思うように、ボクだってキミのことが羨ましいと思う時はあるさ」

「いやいや、こんな奴のどこが羨ましいんだよ?」

「ボクが積み重ねているのは勉強だけ……というよりも、それだけで手一杯だったと言うべきかな。本当ならもっと色々とやりたかったけれど、いかんせん呑み込みが悪くてね。それに比べたらどこかの誰かさんは、少し勉強しただけで急成長中じゃないか」

「元々の中身が空っぽだったから、乾いたスポンジみたいに吸収してるだけだろ。それこそ俺を買いかぶり過ぎだし、お前みたいに続けられるかも不安だっての」

「それを理解しているなら、あれやこれや色々やろうとせずに目標を絞ってみたらどうだい? 高い理想を掲げるのは大事だけれど、高すぎると空想でしかないよ」

「でも…………」

「結果を求めたい気持ちはわかるけれど、何事も焦りは禁物だね。自分のことは自分が一番よく知っているからこそ、キミは短所ばかり見ていて長所が見えていないのさ」

 

 俺には俺の良さがあり、阿久津には阿久津の良さがある。

 確かにそうなのかもしれないが、気休めの言葉にしか聞こえず実感はない。

 

「じゃあ呑み込みが早い以外に、俺の長所って何かあるんだよ?」

「それをボクに言わせるのかい?」

「何かおかしいか?」

「逆に聞くけれど、キミはボクの長所を言えるのかい?」

「まず容姿端麗で文武両道だろ? 沢山の後輩からも慕われてカリスマ性もある上に、それに応えるために何事にも努力する頑張り屋でもある。それに周囲をよく見てて気配りもできて、子供の面倒見だっていい。論理的で考えにも筋が通ってるし、悪いことをした時はハッキリと相手に指摘する。せっかくの夏休みを費やして梅に勉強を教えるくらいお人好しだし、今だって俺が色々と悩んでたのを察して声を掛けてくれたんだろ? 去年の大晦日の時だって迷惑掛けたのに、こうしてまた俺に付き合ってくれてる。後は――――」

「もういいかな」

「ん? 何でだよ?」

「キミが真剣に話しているのを聞いていたら、ボクの方が恥ずかしくなってきたよ」

 

 ぷいっとそっぽを向きつつ、阿久津が呆れた様子で言葉を返す。

 何かやらかしてしまったのかと思っていると、棒付き飴を手にしたままの少女は空いている手で長い髪を弄りつつ深々と溜息を吐いた。

 

「…………はあ……ごほん。先に言っておくけれど、一度しか言わないからね」

「え……?」

「丁度、二年前になるかな。梅君も来週やることになる夏明け一回目の大事な模擬試験で、不運にも数学の時間にボクのコンパスの調子が悪くなったんだよ」

「そりゃ災難だったな」

「ボクは勿論そのことを試験官に伝えたけれど、替えのコンパスは用意してもらえなくてね。そんな時、前の席にいた優しい男子生徒がボクにコンパスを貸してくれたのさ」

「へー」

「まあ、その男子の名前は米倉櫻って言うんだけれどね」

「…………はい?」

「正真正銘、紛れもなくキミのことだよ。覚えていないのかい?」

「マジでか……全然記憶に残ってないんだが……」

「自分が何も考えずにした行動が、他人にとってプラスにもマイナスにも大きな影響を与えるのはよくあることだね。更に遡った話もしようか」

「ん?」

「小学校二年生の時、出席確認の際に先生がボクの名前を読み飛ばしたことがあったんだ。それに気付いたキミはすぐさま先生にそのことを伝えてくれたことがあるんだけれど、覚えているかい?」

「いや……」

「ボクの中では印象的な思い出かな。要するにキミの長所は…………」

「長所は? 何で止まるんだよ?」

「……………………優しいところ……」

 

 阿久津は俺から視線を逸らしたまま、ポツリと小さな声で呟く。

 そして大きく息を吸った後でゆっくり吐き出すと、改めて言葉を続けた。

 

「キミは素直で、馬鹿正直で、それでいて優しい。幼稚園の時も、小学校の時も、それに中学校の時だって、それだけはずっと変わらない。昔から今まで、根は優しいままさ」

「…………」

「よく笑う人とよく怒る人、どちらと友達になりたいかと言われたらよく笑う人だろう? 笑顔の元に笑顔は集まるように、キミの性格だって立派な才能の一つだよ」

「………………」

「仮にキミの言う通り米倉櫻が何の取り柄もない人間だったとしたら、周りには誰も集まらない。今の櫻が優しくて、陽気で、友達になりたい人間だからこそ皆もいる」

「……………………」

「ボクが今こうしているのだって、単にキミと一緒にいると面白いからさ。だからこそキミが浮かない表情をしていると、ボクはこう……何と言うか寂しくなるんだよ」

 

 阿久津はそう言い終えると、再び大きく息を吐いた。

 尊敬している幼馴染から純粋に褒められるだけでなく、予想を大きく超える称賛の言葉で称えられた俺は呆然とした後で、思わず自然と笑みを浮かべながら頬を掻く。

 

「何て言うか……そういう風に言われるとちょっと照れるな」

「さっきまでのボクがどういう気持ちだったか、少しは理解できたかい?」

「悪い。でもお陰で少し自信が出てきたわ」

「調子に乗り過ぎるのも良くないけれどね。とにかく今はキミにできることを、確実に一つ一つやっていけばいいだけだよ。焦りは禁物で、小さな目標の積み重ねさ」

 

 しかしコイツは人のことを本当によく見てるな。

 阿久津ですら勉強だけでいっぱいいっぱいとなれば、俺如きが他もこなすなんて明らかに無茶な話。危うくまた以前のように口だけになるところだった。

 悩みが晴れて大きく深呼吸をすると、阿久津は棒付き飴の包みを開きつつ不敵に笑う。

 

「全く……この貸しは高くつくかな。キミは本当に手が焼けるよ」

「ん、いつもサンキューな」

「どう致しまして。そろそろ行こうか」

「ああ」

 

 いつかコイツが困っていたなら、相談に乗って助けられるようなそんな頼れる男になろう。そう思いながら茶屋を出ると、俺達はBハウスを後にした。

 そのままCハウス前に到着し別れる手前になったところで、ふとスカートのポケットに手を入れた阿久津が足を止める。そのままゴソゴソと探っていた少女は、少ししてからふーっと軽く息を吐いた。

 

「何か失くしたのか?」

「いや、大したことじゃないさ。どこかにフィーリングカップルの紙を落としてきたみたいでね。恐らくはお化け屋敷で走り回った時かな」

「あー、まあドンマイだな。ってか、探してたのか?」

「まさか。相手が誰かわかっていない上に、会える確率を考えれば探すだけ無駄さ。そういうキミはどうなんだい?」

「全然。特に興味もなかったし、珍しい番号でテツの奴が欲しがってたから譲ったよ」

「興味が無いからと言って譲るのもどうかと思うけれどね。欲しがるくらいに珍しい番号というと、1番とか100番とかかい?」

「いや、77番だ」

「それはまた奇遇だね。ボクも77番だったよ」

「マジでか。番号が同じになる確率だけでも相当なもんだろ」

「大体4%くらいだったかな。キミは何色の77番だったんだい?」

「確か青だったかな。阿久津は何色だったんだ?」

「…………」

「ん? いやいや、まさか…………冗談だろ? 青だったり……します?」

「………………するね」

「…………水色とか紫じゃなくて?」

「あれは間違いなく青色だったよ」

「マジですか?」

「マジさ」

「…………」

「………………」

 

 まさかこんな身近にペアとなる相手がいるとは思わず、お互いに驚き呆然とする。そうと知っていたら肌身離さず持っていたのに、どうして渡してしまったのか。

 いやいや、普通に考えたら相手は屋代の女子約1200人のうちの一人……遭遇確率0.08%とかレアアイテムのドロップ率より酷いし、見つかる訳ないと思うじゃん。

 

「全く……キミって奴は、どうして譲ったりするんだい?」

「そ、そんなこと言ったら、落としたお前だって大して変わらないだろ?」

「ボクが落としたのは不可抗力だけれど、キミのは人為的じゃないか」

「いや、結果として無くなってるのは同じじゃん」

「いいや違うね。ボクのはお化け屋敷に戻れば落し物として届いているかもしれないよ」

「それなら俺だって、必要となれば土下座してでもテツに返してもらうっての!」

「そこまで言うなら、探しに行ってみようじゃないか」

「おお! やってやろうじゃねーか!」

 

 そんな感じで、俺達は再びお化け屋敷へ突入。タネがわかっている二度目なら安心と思いきや、動き出す生首が三番目に変わっていたり化け物が違う場所から飛び出してきたりと、一度目とは仕組みが変わっている驚愕の仕様のせいで再び絶叫する羽目になった。

 そんでもって結局阿久津のカードは見つからず。まあコイツの性格を考えれば、こういう運命的な出会いとかには興味があるように見えないし別にいいだろう。

 そもそも同じ番号の相手を見つけた場合、どこで何をしてどうなるかすら知らなかったりする。最初からフィーリングカップルなんて無かった……そう思うことにしよう。

 

「あざっした! また来てください!」

「「もう二度と来ない」よ」

「どんだけ息ピッタリなんスか……」



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二十日目(日) 後夜祭が夏の終わりだった件

 文化祭の公開時間が終了した後は、全校生徒が体育館に集まっての閉会式。去年もそうだったが、これがまた式とは思えないくらい異常なまでに盛り上がりを見せる。

 まずは各ハウスにおいて優秀なクラスの出し物を決めるHR審査が発表されていくが、その度に呼ばれた教室のメンバーは感激のあまり立ち上がっての大歓声。ハイタッチを交わす生徒や雄叫びをあげる生徒、そして女子に至っては涙を流している生徒も多い。

 

「Cハウスの優秀賞は…………」

『オォォォォォォォォォォォォォォォォォオッ?』

「C―4の――――」

『キャアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 こんな感じの発表をA~Fハウスまで計六回した後で、ハウスの装飾審査とクラスTシャツコンテストの表彰も行われる。ちなみに俺達陶芸部のメンバーの中では評判通り、テツ達のクラスがBハウスのHR審査において優秀賞をゲットしていた。

 表彰が終わっても盛り上がりの勢いは止まらず、テンションの上がりきった生徒達はスポーツを観戦している客のようにウェーブを始める。

 

『ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォオッ!』

『返せ返せ!』

『ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォオッ!』

 

 Aハウスの生徒達が両手を上げジャンプするとBハウス、Cハウスと伝わり、Fハウスまで到達。さらにその後で再び波が返ってくるというのは、最早毎年の恒例だ。

 そんな往復を三回も四回も繰り返した後でようやくの校歌斉唱だが、普段は口パクに近い校歌でさえもこの日に限っては誰もが肩を組んでの大合唱になる。

 最後には大きなくす玉も無事に割れ、二日間に渡る盛大な祭りはようやく終わりを迎えた…………というところまでは、去年の文化祭と大して変わりない。

 

「おーい明釷ー、櫻ー、早く行こうぜー?」

「ちょま! 渡辺氏、本当に行かないので?」

「閉会式で疲れたし俺はいい……後でどんな感じだったか教えてくれ……」

「おk把握」

 

 そして始まる、エンディングセレモニー的な後夜祭……ここからは未知の領域だ。

 昨年は家に帰ってしまったが、今年は女装コンテストで栄光の二連覇を果たした我らがC―3希望の星である葵のパフォーマンスを見に行くため、俺とアキトは我慢できずに教室を飛び出した男子連中の後を追ってメインステージである中庭へと向かう。

 

「…………」

 

 移動しながらポケットから携帯を取り出し最後の確認をするが、夢野からの連絡はない。

 それもその筈。こちらから誘っていないのだから、そもそも来る筈がなかった。

 多分、今はまだこれでいいんだと思う。

 夢野は気にしていないとは言っていたが、だからと言って易々と誘うのもどうかという話だし、俺も少し時間を置いて頭を冷やした方が良い気がした。

 もしかしたらまた向こうから誘ってきてくれるかもしれないなんて、無意識に心の中で描いていた都合の良い期待を捨てて昇降口を抜ける。

 キャンプファイヤーの周りでフォークダンスを踊るなんてベタなイベントこそないものの、既に中庭には優に百人は超えていそうな数多くの生徒達が集まっていた。

 

「ん?」

 

 そんな賑わいの元へ向かおうとした途中、ふと芸術棟の方を見ればどういう訳か陶芸室の電気が点いているように見える……伊東先生が残業でもしているんだろうか。

 

「おーい! 明釷ーっ! 櫻ーっ! こっちこっちーっ!」

「米倉氏、どうかしたので?」

「ああ、何か部室に誰かいるみたいでさ。ちょっと寄ってくるから、先に行っててくれ」

「さいですか」

 

 一旦アキトと別れ芸術棟へ向かうが、やはり見間違いではないらしい。陶芸室の電気が点いているくらい大した問題じゃない筈なのに、俺の足は自然と速くなる。

 冬雪か。

 阿久津か。

 火水木か。

 それとも夢野なのか。

 人気のない校内へ足を踏み入れると、ゆっくりとドアを開けた。

 

「…………?」

 

 部屋の中に部員の姿は誰も見当たらない。

 ただし長机の上には鞄が二つ置かれており、部員のいた形跡が残っている。そしてそれが誰なのかも、鞄の置かれていた席から何となく察しが付いた。

 

「――――」

 

 俺も自分の定位置へ鞄を置くと、外から聞き慣れた声がした気がする。

 窓から外を覗いてみれば、阿久津と冬雪が陶芸室の椅子を外に持ち出して座っているのを発見。ガラス戸を開けると、二人の少女がこちらを振り向いた。

 

「……ヨネ?」

「やあ。キミも来たのかい?」

「よう。二人して、何してるんだ?」

「……ここは特等席」

「後夜祭で上がる打ち上げ花火が、ここからだとよく見えるんだよ」

「へー。そうだったのか」

 

 イメージ的に今回の売上やノートに書かれた内容の確認だとか、誰の作品がどれだけ売れ残っているかを調査して今後の陶芸部の行く末について話し合っているのかと思ったが、決してそんなことはなく二人でまったりしていたらしい。

 まあ阿久津も冬雪も騒ぐタイプじゃないし、恐らく後夜祭は花火だけ見ることができれば満足なんだろう。普通の生徒はこんなところまで来ないし、ここなら人混みも気にならずのんびりと見られること間違いなし。まさに打ってつけの場所って訳か。

 

「それを知らなかったキミは、どうしてここに来たんだい?」

「電気が点いてたから誰がいるのかと思ってさ」

『ガサガサ』

「お? お前もいたのか」

「……アメ、おいで」

「ニャーン」

 

 ガサガサと茂みの中から現れたのは、相変わらずこの辺りに居座っているらしい野良猫。冬雪はアメと呼んでいるが、その由来は毛色である茶色の釉薬『飴釉』からだそうだ。

 しかしながら名前を付けたところで所詮は野良猫。気まぐれに現れただけのアメはこちらへ寄ってくることもなく、毅然とした態度で駐車場の方へと歩き去っていく。

 その後ろ姿を三人でボーっと眺めていると、背後で唐突にガラス戸の開く音がした。

 

「もしかしたらと思ったけど、やっぱりアタシの思い通りだったみたいね」

「火水木? それに……夢野も……?」

「二人とも、どうしたんだい?」

「ここなら花火がよく見えるんじゃないかってミズキが言い出して、明かりが点いてるのが見えたから来てみたんだけど……もしかして皆もそんな感じで集まったの?」

「……(コクリ)」

「大正解だね。てっきり天海君は見に行っているのかと思っていたよ」

「後夜祭なら去年行ったし、今年はユメノンとのんびりしようかなーって。それにしても打ち合わせもなしに自然と集まるとか、以心伝心してるって感じでテンション上がるわね! ところで、何でネックは一人ボーっと突っ立ってんのよ?」

「あ、いや……俺は…………」

 

 鞄を置いた火水木と夢野もまた、陶芸室の椅子を外に運んだ後で腰を下ろす。

 陶芸室にいたのは阿久津と冬雪の二人だったと分かったし、頃合いを見計らってアキト達の元に引き返すつもりだったが、そんな風に言われると戻りにくい。

 

「櫻は空気椅子で問題ないらしいよ」

「へー。やるじゃない」

「そんな訳あるかっての! ったく……」

 

 俺も二人と同じように椅子を外に運ぶと腰を下ろす。そしてポケットから携帯を取り出しアキトにメールを送ると、十秒も経たないうちに『おk把握』という返事が来た。

 確かに火水木の言う通り、こうして顔を見合わせれば何だかんだで陶芸部二年の五人全員が揃っている。電気が点いていたからという理由こそあれど、それでもこうして集まるのは凄いと思うし、誰もが陶芸部の居心地が良いと感じているんだろう。

 遠くからは後夜祭の盛り上がっている音なり声が聞こえてくるが、それを遠くから聞いている儚さがまた祭りの終わりという雰囲気を一層感じさせる。

 

「今年の文化祭もこれで終わりなのよねー。何かあっという間って感じがするわ」

「……そういえばマミ、バンドで物凄い演奏したって聞いた」

「情報が早いわねユッキー。もう最高に楽しかったわよ!」

「……私も見に行きたかった」

「ボクも聞きたかったよ。それならそうと教えてくれれば良かったじゃないか」

「いやー……ほら、アタシ陶芸部でバンド組みたいってしつこかったじゃない? あれだけ言っておきながら他のメンバーと組んだのを見に来てほしいなんて、ちょっと自分勝手すぎかなーって思って言い出しにくかったのよねー」

「……そんなことない」

 

 冬雪の言葉を聞いてホッとしたのか、大きな胸を撫で下ろす火水木。そんな友人を見た夢野は、優しい眼差しで見つめながらクスッと笑った。

 

「オッケー。また来年もやるから、その時は良かったら見に来て頂戴!」

「来年は忙しくなっていると思うけれど、大丈夫なのかい?」

「バンドの練習ばっかりして今年より作品数が減ったら、冬雪が激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームになるらしいぞ」

「ふふ。ミズキの場合、雪ちゃんが怒るところの方が見てみたいって言いそう」

「……怒るよりも、今年は寂しかった」

「ユッキーってば、そんな不安にならなくてもアタシは陶芸部を辞めたりしないわよ。それに言われなくても、来年は質も量も今年以上に作るから安心しなさいって!」

「……じゃあマミの来年のノルマは倍」

「ちょっ?」

「……ノートに作品の数が少ないって要望が書いてあった」

 

 やはり既にノートはチェック済みだったらしい。余計なことを言ってしまい後悔しているのか肩を落とす火水木を見て、俺と夢野は思わずクスクスと笑ってしまった。

 

「他人事のように笑っているけれど、櫻と蕾君には展示用の作品作りが待っているかな」

「う……」

「はい……」

「いつまでもショーケースの中がボクと音穏の作品だけじゃ物足りないし、今はスペースも随分と余っているからね。そろそろ二人にも頑張ってもらうよ」

 

 芸術棟へ向かう際、広い廊下の片隅に置かれているショーケース。以前まではその中に先輩達の作品が収められていたが、今では阿久津と冬雪のものしかない。

 しゅんとする俺と夢野を見て、今度は火水木がニヤリと笑みを浮かべる。そんな俺達を見て阿久津と冬雪が小さく笑い、それに釣られて俺達もまた笑い合った。

 

「あーあ。こんなことなら最初から陶芸部に入っておけば良かったわ」

「うん。私も」

「俺もだ」

「……嬉しい」

「そう思ってもらえて何よりかな。確かに高校生活も今で丁度折り返しくらいだけれど、逆に言えばまだ半分も残っているよ」

「でも三年生になったら、きっとあっという間だよね」

「こうなったら、二年生の残り半年間を全力で楽しむ必要があるわね! また今年もハロウィンパーティーでコスプレしたり、クリスマスパーティーで闇鍋したりするわよ!」

「……コスプレは嫌」

「そんなことをしなくても、冬には修学旅行だってあるじゃないか」

「それはそれ! これはこれよ!」

「もう、ミズキってば」

「そういや、Fハウスの修学旅行って行き先はどこなんだ?」

「キミ達と同じ沖縄だよ」

「へー。そうなのか」

 

 屋代では修学旅行の行き先もハウス毎によって違う。場所は年によって変わるが、行き先が同じ沖縄となると向こうで会うこともあるかもしれないな。

 そんなことを考えていると、不意に空が光り輝き大きな音が響き渡った。

 

「あ!」

「……始まった」

「たーまやーってね」

 

 空に咲いた大きな花に、遠くからも歓声が上がる。

 方向からすると、グラウンドの方で上げているのだろうか。スポンサーがいない割に規模の大きい打ち上げ花火は、次から次へと夜空を照らしていった。

 

「なんかこうしてると、アタシ達青春してるーって感じするわね」

「そうかい?」

「ふふ。何となくわかるかも」

「……綺麗」

 

 横に並ぶ四人の華と共に花火を眺めながら、俺は黙って青春を謳歌する。

 長いようで短かった夏が今、静かに終わりを迎えようとしていた。



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末日(水) 答えは日記の中だった件

『ペットは家族なのか』

 

 この問いに対する答えは大きく割れるだろう。

 ましてや今の時代では育成ゲームのような電子ペットや、動物型ロボットのような玩具もあるし、ロボット掃除機をペットと見なし名前を付ける人だっているくらいだ。

 例え機械だろうと、愛着が湧けばペットにも家族にもなりえる。逆に言えば家族にも拘わらず、子供に首輪をつけて問題沙汰となったケースだってある。

 血縁関係は『家族』という言葉の定義に過ぎず、やはり何よりも大切なのは愛の有無なんだろう。

 

『梅が知らないなら、桃姉さんにはちょっとわからないぴょん☆』

 

 そう考えれば姉妹愛が強かった我が家において『わんこっち』が家族の一員になれず、行方不明になってしまったのも仕方ない話……だと思いたい。

 謎の語尾と☆マークが地味にウザい姉貴のメールに『了解』と短い返信を送った俺は、しとしと雨が降っている曇り空を見上げてから傘を差す。

 本日9月8日は夢野の誕生日だ。

 しかしながら月曜に文化祭の片付けを終えた俺達屋代の生徒は、昨日と今日が土日の振替休日となり学校は休みだったりする。

 恐らくは火水木のことだから冬雪の誕生日を祝った時のように、夢野の誕生日も明日陶芸部で祝うことになるだろう。渡すのはその時でも問題ないかと思ったが、誕生日がいつも休みで祝ってもらえない姉妹を見ている身としては当日の方が良さそうな気がした。

 

「いらっしゃいませ」

 

 夢野が今日バイトでコンビニにいることは、勤務の時間帯まで含めて把握済みだ。

 どことなくストーカーの発言に聞こえなくもないが、その情報源は妹である望ちゃんに聞いたものであり一応の許可は得ていたりする。

 

「よう。お疲れさん」

「米倉君は栄養補給?」

「まあそれもあるかな」

「?」

 

 結局あの後、夢野とは元通りの関係に戻っていた。

 険悪になることもなければ進展するようなこともなく、普段と変わらないままだ。

 俺は購入する桜桃ジュースと共に、手作りキーホルダーを包んだ袋を少女に差し出す。

 

「誕生日おめでとう。これ、良かったら」

「えっ? ありがとう! ちゃんと覚えててくれたんだ。それにプレゼントまで……」

「大した物じゃないから、あんまり期待しないでな」

「もしかして、このために来てくれたの?」

「まあな…………と、それじゃあまた明日!」

「うん! 本当にありがとうね!」

 

 新しい客が来てしまったため、邪魔しても悪いと思い早々に話を切り上げる。

 のんびり歩いて帰宅した俺は自分の部屋へ戻り、課題テストに備えて勉強しようとしたところで筆箱の中の消しゴムがないことに気付く。

 そういや梅の奴に貸したままで、返してもらってなかったな。

 

『コンコン』

 

 妹は学校に行っているため当然反応はなし。それでもちゃんとノックはしたので、遠慮なく部屋の中へと侵入する。元はと言えば借りパクしたアイツが悪い。

 机の上をざっと探してみるが、やはり学校に持って行ってしまったのか見当たらず。しかし阿久津がいた時はしっかり片付けてたのに、今のゴチャゴチャ具合は俺の部屋といい勝負な辺りが血の繋がりを感じずにはいられないな。

 

「…………?」

 

 捜索を諦めようとした時、ふと机の下に転がっていた数冊の日記帳を見つける。恐らくはこの前に俺が頼み、引っ張り出してきてもらったせいだろう。

 一体いつから書いているのかと一番古い物を確認すれば、どうやら始めたのは小学四年生からの模様。きっかけは親から日記帳をプレゼントされたことらしい。

 開きっぱなしのまま転がっていたページを覗けば、ふと目に入ったのは『お兄ちゃんが怒られてた』だの『お兄ちゃんなんて大嫌い』の文字。前に一度梅の日記を覗き見して親に叱られたし、同じ失敗を繰り返して更に怒られないためにもこの辺にしておこう。

 

『――――にゃんこっち――――』

 

「?」

 

 そう考え視線を外そうとした直前、ふと興味のある単語が目に入った。

 …………わんこっちならまだしも、にゃんこっち?

 疑問に感じた俺は再び日記帳を覗き込む。

 そこには俺が親に怒られ、梅に嫌われていた理由が汚い字で詳しく書いてあった。

 

 

 

『今日はクリスマスなのに、お兄ちゃんがものすっごくおこられてました。せっかくサンタさんがわんこっちとにゃんこっちをプレゼントしてくれたのに、梅はにゃんこっちをもらえませんでした。お兄ちゃんなんて大っきらい! 大大大大大きらい!!!』

 

 

 

「――――――」

 

 それを見た俺は、間抜けにも口を開いたまま硬直していた。

 思い出す。

 この日に、一体何があったのか。

 それだけではない。

 頭の奥深くに眠っていた記憶が呼び起こされる。

 断片的だった遠い昔の思い出と、数多くの疑問が繋がっていく。

 バラバラだったパズルのピースは、やがて一つの結論を導き出した。

 

「そうか……そうだったんだ……」

 

 放心したまま、無意識に呟く。

 ようやく全てを理解した。

 俺の彼女が120円で、300円で、そして2079円だった、その理由を…………。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の9.5章を楽しんでいただければ幸いです!


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9.5章:俺の知りかけた物語だった件
四月(中) Let's search for harem.


 ◆

 

 オレ、鉄透(くろがねとおる)! 念願の屋代学園に合格した高校一年生!

 通い始めて一週間ちょっとが経ったけどクラスの雰囲気は良い感じだし、茶髪っぽい地毛のお陰で自己紹介の掴みもバッチリ! 元野球部同士、話が合う友達だってできた!

 だけど今、オレには物凄~~~~く深刻な悩みがある……。

 

「おっぱいが揉みたいっ!」

「また唐突だなー」

「野球部時代にやってた筋トレだって自分の脱いだジャージの胸部分に友達のジャージを仕込んで、おっぱいに顔を埋めるパフパフ式腕立てとかにしたっしょ?」

「あー、確かにやってる奴はいたわー」

「メロンパンも、クリーム大福も、シュークリームも、ピザまんも試したし、布団の角に触ったり、自分のふくらはぎとか尻を揉んだり、水泳キャップに水を入れて揉んだり、水風船とかも使ってみたけど、どれもこれもしっくりこないんだよなー」

「試し過ぎじゃねー? そこまでするなら、おっぱいマウスパッドとか買えよー」

「そんな物を買うくらいなら、オレは本物のおっぱいを揉みたい!」

「確か時速60キロだか80キロだかの状態で車から手を出すと、おっぱいの感触と同じになるっていうのを聞いたことがあるよなないような…………」

「時速60キロだ! Dカップのパイ圧は約88パスカルで、時速60キロの風圧も約87パスカル。ただしこれはおっぱいを0.5センチ押し付けたときの圧力だぜ!」

「詳しいなー」

「それを聞いたオレが実践しようとしたら、馬鹿野郎と親に思いっきりぶん殴られて死ぬほど説教された。感触としてもいまいちだったし、絶対止めておいた方がいいぜ!」

「そりゃそうだろー。どう考えても危ないし、対向車が来たら腕が千切れてたぞー」

「じゃあオレは一体どうやったらおっぱいを揉めるんだっ?」

「そう言われてもなー。彼女ができたら揉ませてくれるんじゃねー?」

 

 中学生の頃からずっと、疑問に思っていた。

 どうしてオレには、毎朝起こしに来てくれる幼馴染がいないのか。

 勝手に部屋に上がり込んで布団を強引に引き剥がし、朝勃ちを目の当たりにして「キャーエッチー」なんて叫ぶツンデレ巨乳美少女の幼馴染がいてもいいのに!

 もしくは「あー遅刻遅刻」とか言いながらパンを咥えつつ衝突してくる、ドジっ娘パンチラガールがいてもいいのに! そしてうっかりオレのモノを咥えてもいいのに!

 

「透ー。お前ってさー、江口さんのこと好きだろー?」

「モチのロン!」

「いやいやー、見てたら分か……って、隠そうとしないのかよー」

「まあもう振られたけどな!」

「はい……?」

「先週の金曜に告ったんだけど、あっさり振られちまったぜ!」

「ちょ……ちょっとタンマ……学校始まって、まだ一週間だぞー? もう告ったのかよー?」

「同じようなこと言われたけど、恋に時間とか関係なくね?」

「やべーわー。何か恰好いいこと言ってるわーコイツー」

 

 そう……オレは何としても彼女が欲しい!

 この高校生活を充実させるため、女子と共に過ごす毎日を送りたい!

 

「ってか、振られても全然落ち込んだりしないのなーお前ー」

「傷ついた心は握手会で癒してもらった!」

「あー、成程なー。ってかてか、その追っかけてるアイドルの子がいるなら何で江口さんに告白とかしたんだよー?」

「それはそれ。これはこれっしょ。それに江口さん、かなり良くね? おっぱいでかいし、太股ムチムチだし、ちょっと馬鹿っぽくて抜けてる感じとか最高だし、そもそも苗字からしてエロそうな雰囲気だし、ガチのマジでドストライクだったわ!」

「あー、とりあえず全国の江口さんに土下座しとけー?」

 

 しかし元々は向こうから声を掛けてきたから脈ありだと思ったのに「まだお互いのことをよく分かってないから」とかマジで意味がわからん。そんなのこれからいくらでもわかるし、何ならオレの身長、体重、趣味、特技、性癖の全てを教えたのにな。

 

「それにクラスにいる女子の九割は可愛いし、問題なんて全然ナッスィン!」

「九割ー? 一割の間違いだろー」

「いやいや、オレのストライクゾーンには九割入っから! 告白とかされることがあったら、ほぼ全ての女子にオッケーって返すから!」

 

 だからスタートダッシュこそ失敗したけど、オレの青春計画に支障はナッスィン! ぶっちゃけ誰でも良いから付き合いたい! おっぱい触らせてもらったり、太股をスリスリさせて貰ったり、膝枕とかして貰ったり、そして何よりもエッチなことがしたい!

 

「そういや結局あの後に行った硬式野球部の方はどうだったんー? 女子マネいたー?」

「五人いたぜ!」

「おー。やったじゃーん」

「ドドリアさん! ドドリアさん! 二人飛ばしてドドリアさん!」

「あー、そりゃ災難だったなー。でも飛ばした二人は良かったんだろー?」

「ザーボンさん第二形態とフリーザ様第三形態!」

「アウトー」

「第一形態ならいけたけど、ストライクゾーンが広いオレでも流石にアレはちょっと厳しかったわ。ってことだから運動部は諦めて、今日は文化部を見て回ろうぜ!」

「あー、俺は軟式の方に決めたからいいわー」

「軟式におっぱいのある女子マネ入ったのかっ?」

「いやいやー、俺は最初からおっぱい目当てじゃないからさー」

「このムッツリロリコンめ!」

「えー?」

 

 という訳で本日の部活動探索は一人で行くことに。候補の部活としては適当にやっていけそうな写真部とか文芸部とか天文部……後は可愛い子がいそうな放送部に演劇部、それとチアの子と親しくなれそうな応援部もありか。

 とりあえず江口さんが駄目だった以上、可愛い女子が沢山いる部活を探すしかない。美少女に囲まれたゆる~い環境に身を投じていれば、うっかりラッキースケベでおっぱいを揉むことだってできるかもしれない! そして彼女だって作れるかもしれない!

 あー、美少女だらけのハーレムな部活とか、どこかにないもんかなー。

 

「ねーねーユメノン。ゴールデンウィークってどこか空いてる? せっかくの連休なんだし、部活のメンバーで泊まり掛けの旅行とか行ってみない?」

「ごめんねミズキ。もうバイトとか予定入れちゃったから、泊まりはちょっと難しいかも」

 

 むむ、息子が勃k……じゃなくて、父さん、妖気を感じます!

 チアガールのパンツでも拝みに行こうと応援部のいる中庭を歩いていたところ、おもむろにそんな会話が聞こえてきたので、クロガネサーチをオンにせずにはいられない。

 説明しよう……クロガネサーチとは、女性をGP(顔面ポイント)、OP(おっぱいポイント)、HP(太股ポイント)の三要素と性格によって評価するオレのセンサーだ!

 

『綺麗な先輩:GP95、OP80、HP80。フレンドリー。総合90点!』

『エロい先輩:GP60、OP90、HP90。アクティブ。総合81点!』

 

 おお! 滅茶苦茶に綺麗な先輩と、滅茶苦茶にエロい先輩じゃないか! 50点以上は充分に合格圏だけど、80点オーバーに90点とか二人とも超絶にレベルが高いぞ!

 

「えー? せっかく温泉のある旅館とか探してたのにー」

「あ、でも皆で温泉は行ってみたいかも!」

「でしょでしょ? お風呂上がりには卓球大会とかしたら面白そうじゃない?」

 

 温泉っ?

 お風呂上がりに卓球っ?

 うっかり浴衣がはだけてポロリっ?

 そんな聞き捨てならないワードを耳にしたら、男としてついて行くしかないっしょ!

 

「日帰りじゃ駄目なの?」

「うーん、アタシ的には一泊していきたいところなんだけど……とりあえずツッキーとかユッキーにも予定聞いてみて、行けそうだったら今年は日帰り。泊まりは来年ね」

 

 …………ここは……陶芸室?

 ってことは、あの美しくエロいお姉様方は陶芸部の先輩か?

 

「やっほー雪ちゃん」

「……ユメ、マミ。お疲れ」

「ユッキー、今日はネックと一緒じゃないの?」

「……ヨネなら日直」

 

 どうやら中にもう一人いるみたいだし、その人を見て判断するか。

 ということで……ドアの前を通りすがりながらのクロガネサーチ、オン!

 

『可愛い先輩:GP85、OP75、HP75。パッシブ。総合79点!』

 

「失礼しゃす! ここは陶芸部ッスか?」

「そうだけど、ひょっとして見学? それとも体験?」

「見学ッス! 自分、鉄透と言いますっ! お気軽に名前で呼んでくださいッス!」

「……見学!」

 

 小動物みたいに可愛い先輩が目をキラキラさせる……え? オレがロリコンかって?

 確かにこの先輩のおっぱいはそんなに大きくないし、どっちかって言われたらまず間違いなくロリの部類だけど、こう父性を刺激させるようなタイプの女の子も守ってあげたいって感じで、お姉様タイプとはまた違った方向のストライクゾーン圏内っしょ。

 

「じゃあアタシ、イトセンからチョコ貰ってくるわ」

「チョコ?」

「うん。陶芸部はね、見学に来てくれた人にチョコを渡してるの」

「へー。知らなかったッス。ちなみに部員って何人いるんスか?」

「えっと…………二年生が五人で、一年生が一人だから……合計六人かな?」

「……(コクリ)」

「うん。合ってるみたい。他にも質問があったら、遠慮なく聞いてね」

「うッス!」

 

 ヤッベ! この笑顔マジヤッベ! 惚れるって! この先輩マジで超可愛いって!

 しかもパッと見た限りおっぱいも割とありそうだし、この優しさなら土下座して全力でお願いすればワンチャン揉ませてくれたり……いやいや、焦るな鉄透!

 とりあえずこのチャンスを逃す訳にはいかん! 今は何か適当な話題を…………。

 

「…………あれ? そうなると先輩方は二年生で、三年生は誰もいないんスか?」

「……(コクリ)」

 

 つまりここにいるお姉様方とは、丸々一年半の間を一緒に過ごせるってことか!

 そうなると気になるのは残りの部員……どうかイケメン男とかがいませんように!

 

「おや? ひょっとして見学かい?」

 

 む……女の気配……クロガネサーチ、オン!

 

『美人な先輩:GP95、OP75、HP85。クール。総合90点!』

『デコッパチ:GP40、OP50、HP50。エネミー。総合40点……』

 

「初めましてっ! 鉄透ッス! 今日は陶芸部の見学に来たッス!」

「来てくれてありがとう。チョコはもう渡したのかい?」

「丁度今、ミズキが取りに行ってるところ」

「流石だね」

「ミナちゃん先輩! 今日は何をするんでぃすか?」

「今日は削りだよ。昨日成形した作品をムロから持ってきて貰えるかな」

「了解でぃす!」

「よし。私も頑張らないと!」

 

 陶芸室から出ていく綺麗な先輩と他一名。先輩って呼んでた辺りアイツが一年生だろうから、これで二年生が四人に一年生が一人……あと残り一人ってことか。

 ここまで女子しかいないとなると、これは残り一人も女子確定コースっしょ!

 

「……………………音穏。櫻は?」

「……日直」

「そうかい」

 

 ふっふっふ……やはり予想通り、最後の先輩の名前はサクラ先輩か。名前からして美少女っぽいし、ここまでの二年生四人のレベルを見たら期待が高まってくるぜ!

 

「やっほーツッキー」

「やあ。行動が早くて助かるよ」

「これくらい御安い御用よ。はいこれ……と、そういえば自己紹介がまだだったわね。アタシは火水木天海(ひみずきあまみ)。それでそっちの子がユッキーで、こっちがツッキーよ」

「その紹介は分かり辛くないかい?」

「大丈夫ッス! ツッキー先輩に、ユッキー先輩ッスね!」

「そうそう。それで今戻ってきたのがポニーテールの子がユメノンで、ツインテールの子が新しく入った一年生のホッシー。そう言えば、トールは何ハなの?」

「Bハッス!」

「そうなると、ボク達とは誰とも被っていないかな」

「ようやくCハとFハ以外の部員ができたわね。あ、ちなみに今ユッキーがやってるのが土練り。それでユメノンとホッシーがこれから始めるのが削り作業よ」

 

 怪しげな機械に腰を下ろすユメノン先輩は神々しいエプロン姿! 更に前傾姿勢で座ってるあの体勢、夏とかに上から覗いたらおっぱいが見える予感がする!

 ラッキースケベの環境も完備とか、何なんだここはっ? 楽園かっ? 天国かっ? TGB4……いや、サクラ先輩も含めたらTGB5かっ!?

 

「そうそう! ツッキーもユッキーも、ゴールデンウィークって空いてる?」

「……一応空いてる」

「内容によるかな」

「せっかくだし新入生の歓迎も兼ねて、皆で温泉とか行かない?」

「……温泉、いい」

「それはまた随分な企画だけれど、自費での旅行となると少しばかり難しくないかい?」

「そこら辺はアタシが何とかして安い旅館とか見つけてみせるから!」

「それなら詳しい話はその旅館を見つけて、各々の日程の都合が合ってからかな」

「くっ、やっぱりツッキーは強敵ね。普通ならこういう時は誰かしらが別荘とか持ってたりするもんだけど、そんなの絶対あり得ないし……」

「部活のメンバーで旅行とか、結構行ったりするんスか?」

「旅行はまだ無いけど、合宿なら行くわよ! それとハロウィンとかクリスマスにパーティーしたり、卓球とかバドミントンとかトランプで遊んだりもするんだから!」

「……ここは陶芸部」

「はいはい! ちゃーんと分かってるってば! 例え今年が無理でも来年には絶対……」

 

 ヤッベ! 他にも回ってから決めようと思ったけど、陶芸部……神過ぎじゃねっ?

 美少女揃いのハーレム! 制服エプロンを拝める環境! そしてイベントも盛り沢山!

 そんでもって更に、オレは重要なことに気付いたのだ!

 部屋の所々に置かれてる業務用っぽい扇風機……見た限り滅茶苦茶に風が強いんだが、あの風力ならTシャツとか着せたらおっぱいの感触も味わえるんじゃね? ……と。

 

「陶芸部、いいッスね!」

「でしょっ? 青春したいなら超オススメな部活よ!」

「青春かどうかは分からないけれど、こちらとしては男手がいると助かるね」

「うッス! オレ、入部するッス!」

「……入部!!」

「ふふ。良かったね雪ちゃん」

 

 こうしてオレの青春ハーレムのページがついに幕を開け『ガラッ』……と、まさにそんなグッドタイミングで最後のヒロイン、サクラ先輩が――――。

 

「よう……と、見学か?」

「良いタイミングねネック。丁度また一人、入部が決まったところよ」

「…………?」

 

 クロガネサーチ、オン!

 

『オトコ』

 

 …………クロガネサーチ、オン!

 

『男。総合65点』

 

「あ、あのミズキ先輩……この人がサクラ先輩ッスか?」

「そうそう。あだ名はネックだけど、どうしたのよ?」

「いや、男子もいたんだなーって思って」

「トールも入れて、二人しかいないけどねー」

 

 サクラ先輩、まさかの男だった説っ!

 それを言うなら『二人しか』じゃなくて『二人も』でしょうが! しかもサクラ先輩はこの一年間、ハーレムを過ごしてたってことになる訳で……ナンテコッタイ!

 い、いや待て! 大丈夫! この冴えない先輩が四人全員を手駒に取っているとは思えないし、鉄ハーレム計画を諦めるにはまだ早い! きっとおっぱいだって揉める筈だ!

 

「初めましてっ! 鉄透ッス!」

「米倉櫻だ。宜しくな」

「先輩ってサクラ感ないッスね。ワタルって感じッス!」

「そ、そうか?」

「サクラって女っぽいじゃないッスか。先輩は顔が岩手県っぽいッスから」

「顔が岩手っ?」

 

 こうしてオレは陶器じゃなくて彼女を作るため、陶芸部に入部したのだった。

 ちなみに念願だったおっぱいの感触については、例の業務用扇風機を使ってバッチリ味わうことができたのでとりあえず満足! 皆も買おうな、業務用扇風機!



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八月(下) 夢野世界を

「おはよう(のぞみ)。今何時?」

「おはようお姉ちゃん。十一時ちょっと前だけど、もう少し寝てたら?」

「ううん。一晩休んで大分楽になってきたから大丈夫。それに昨日から眠り過ぎちゃって、もう横になっても眠れないってば」

「それなら起きてもいいけど、油断しちゃ駄目だよ? 米倉先輩もしっかり休めって言ってたでしょ? とりあえずちゃんと熱を測ってから!」

「はいはい」

 

 この様子なら病院とかに連れて行く必要はなさそう。でも米倉先輩が厳しく言ってくれてなかったら、きっと今日も無理してバイトに行ってたんだろうなあ……危ない危ない。

 やっぱり昨日の熱は熱中症を起こしたとかクーラーに当たって風邪を引いたとかじゃなくて、単なる疲れによるものだったみたい。今の体温は36.5℃……薬を飲んでこれだからまだまだ油断はできないけど、とりあえずは大丈夫なのかな?

 

「お姉ちゃん、喉とか乾いてない?」

「喉は乾いてないけど、少しお腹空いちゃったかも」

「食欲あるなら、お粥でも作ろうか?」

「うん。食べたい。でも望、ちゃんと作れるの?」

「もう、お姉ちゃんってば。私だってレシピがあれば料理くらいできるよ」

 

 そういえば料理って、いつ頃からできるようになればいいんだろう?

 お姉ちゃんは中学生の時から色々作ってた気がするし、私もいつかは結婚するかもしれないんだから、将来のために少しずつ料理する習慣とか付けた方がいいよね。

 お母さんはどれくらいから作り始めたのか、今日お見舞いに行って聞いてみよう。

 

「米倉君と一対一で話してみて、どうだった?」

「突然電話が掛かってきた時はビックリしたけど、お姉ちゃんの言う通り優しい人だった」

「でしょ?」

「初対面なのに話しやすかったし、シュークリームまで貰っちゃった」

「いいなー。私の分は?」

「病気の人には、あと十分くらいでお粥できるから」

「えー?」

「文化祭に行った時に、何かお礼の品とか米倉先輩に持って行った方が良いかな?」

「お礼なら私がしておくから、望はそういう余計なこと考えなくていいの!」

 

 考えてみたら私が米倉先輩と会ったのって、まだ片手で数えられる程度……たった五回だけなんだよね。

 五回目はお世話になった昨日のこと。

 四回目はお姉ちゃんと一緒に応援しに来てくれた、この前の最後の大会。

 三回目は梅ちゃんが偶然見つけてくれた、年末の初詣。

 二回目は去年の秋に私が遅刻してきた、黒谷南中での練習試合。

 そして最初の一回目は私がまだ小学校四年生の時に、コンビニで…………。

 

「そんなことより望。米倉君とはどんな話したの?」

「どんな話って言われても、別に大した話はしてないよ? お姉ちゃんのこと、凄く心配してくれてたし……」

「そっか。米倉君に何か余計なこととか話したりしなかった?」

「とりあえずお母さんのことは話しておいたのと、後は……危うくにゃんこっちのことまで話しそうになっちゃったけど、米倉先輩は気付いてなかったから大丈夫だと思う」

「もう! そのことは話しちゃ駄目って言ったでしょ?」

「でも米倉先輩、本当に覚えてないみたいでちょっとビックリしちゃった」

「仕方ないよ。もう一、二、三、四……五年? も前の話だし、そもそも望だってあの時に会った相手が米倉君だったなんて気付かなかったでしょ?」

「だって私はお姉ちゃんと違ってまだ四年生だったし、会ったのも初めてだったんだよ?」

「ふふ。それもそっか」

「でも、また米倉先輩に助けてもらっちゃったね」

「本当だね。私ってば、いつも助けてもらってばっかり」

「お姉ちゃん、このまま思い出して貰えなかったらどうするの?」

「うーん……その時は、またその時になってから考えよっかな」

「…………」

 

 私のお姉ちゃんは米倉先輩のことが好きだ。

 筍幼稚園に通ってた頃はよく一緒に遊んで、別々の小学校になってからは会う機会も無かったけど、不思議なことに辛いことがあると助けに来てくれたらしい。

 こういうのも何だけどそこまで恰好良い外見とは思わないし、直接話してみても普通の人にしか感じなかったけど、きっとお姉ちゃんには王子様みたいに見えてるんだと思う。確かこういうのをハロー効果とか背光効果って言うんだって、前に梅ちゃんから聞いたっけ。

 

「くしゅん!」

「もう、起きるなら起きるでちゃんと着ないと」

「誰かに噂されてるだけだってば。平気平気」

「駄目! 何か羽織るものとか持ってくるから!」

 

 今日も気温は暑くなりそうだけど、熱があるなら身体は冷やさない方が良いよね。

 部屋に戻ってパジャマの上から着られそうな薄手の長袖と靴下を用意。後は首に巻いてもらうためのタオルを取りに和室へ……どうせならネギも一緒に巻いて貰おうかな?

 

「…………あっ!」

 

 呑気にそんなことを考えていたけど、パパの仏壇を見てふと気付く。

 こんなに大事なことに今更気付くなんて……どうしよう……。

 

「お姉ちゃん……ごめんなさい……」

「どうかしたの?」

「もしかしたら……ううん。間違いなく……その…………米倉先輩にタオルの場所を聞かれて、和室にあるって教えちゃったから…………」

「和室…………? あ……そっか……」

「本当にごめんなさい……どうしよう……私……」

「そんなに気にしなくても大丈夫だってば。それよりもお粥、そろそろできたんじゃない?」

「う、うん……」

 

 とりあえず持ってきた洋服と靴下とタオルをお姉ちゃんに渡して、動揺しながらもお粥の仕上げに掛かる。

 米倉先輩は、パパの仏壇を見てどう思ったんだろう……。

 それにお姉ちゃんだって平気そうにしてるけど、今まで話してなかったのは知られたくなかったからだろうし……私が全部台無しにしちゃった……。

 

「望、ありがとうね」

「え……?」

「いつかは話さなくちゃいけないことだったし、幼稚園の頃の私の苗字が土浦だったことは米倉君も知ってるから。それにもしかしたら今回のことがきっかけで、あのことを思い出してくれるかもしれないでしょ?」

「そ、そうかもしれないけど……本当に良かったの?」

「うん。きっとパパが協力してくれたんだよ。だから望は責任なんて全然感じなくていいの。寧ろ私の方がそろそろ我慢できなくて、ヒントあげようとしてたくらいだもん」

「お姉ちゃん…………ありがとう」

「ふふ。どう致しまして」

 

 そういう風に考えたら、少し気が楽になった気がする。

 米倉先輩に負けず劣らず優しいお姉ちゃんに感謝しながら、ようやくお粥が完成。軽く味見もしてみたけど、我ながら上手にできたんじゃないかな?

 

「はい、召し上がれ」

「わー! 思ってた以上に美味しそう!」

「だからレシピさえあれば、私もちゃんと作れるってば!」

「いただきます!」

「お味の方は?」

「うん、美味しい♪」

 

 高校生になったら、私もお姉ちゃんみたいにアルバイトを始めてみようと思う。せっかくだし飲食店とかにすれば、きっと料理も学べて一石二鳥だよね。

 今回みたいなことがまた起こらないように、もう少し私も自立しなくちゃ。

 

「さーて、これ食べ終わったら夏休みの宿題も終わらせないと!」

「え…………お姉ちゃん、今日で夏休み最後なのにまだ終わってなかったの……?」

「高校生の課題は中学生と違って多いの!」

「もう! それでまた知恵熱とか出さないでよ?」

 

 しっかり者のお姉ちゃんだけど、勉強だけはちょっと不安……本当に大丈夫かな?

 私が溜息を吐いていると、お姉ちゃんは笑顔を見せながら枕元を指さす。

 

「心配しなくても大丈夫。ちゃんとお守りだってあるから」

 

 そこにあったのは、米倉先輩が置いていってくれた手紙と桜桃ジュース。キーホルダーやスノードームに続いてまた一つ、お姉ちゃんの宝物が増えたみたい。

 だけど私は、時々考えることがある。

 お姉ちゃんのその気持ちって本当に……ううん、余計なことは言うべきじゃないよね。

 

「ごちそうさまでした!」

「御粗末様でした。あ、ちゃんと薬も飲んでね?」

「はいはい」

 

 今はただ、米倉先輩が思い出してくれるのを待っているだけで良いんだと思う。

 さーて……私も屋代に合格できるように、今日も勉強を頑張ろう!



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九月(上) 心の声

 初めまして。

 私の名前は如月閏(きさらぎうるう)と言います。

 私は屋代学園に通う高校二年生です。

 しかし、私は今とても困っています。

 

「唐突に何ば言いだしたんかて思えば、学校に行きとねえ? どげんしたと?」

「…………お兄ちゃんのしぇいばい」

「何ば言いよーったいお前は」

「お兄ちゃんが電話ばしてきたけん、うちが博多弁ば喋りよーところば見られたんばい」

「それが?」

「どうかしたと?」

「~~~~っ」

「閏! どこさ来るたい!」

 

 …………何故なら、私のお父さんとお兄ちゃんが分からず屋だからです。

 私は中学二年生の時に引っ越しをしました。

 新しい学校で会った人達は、標準語を話していました。

 私が自己紹介をすると、クラスの皆は驚いた表情を浮かべていました。

 女の子達は優しくしてくれましたが、男の子達は私の喋り方を笑っていました。

 私は、男の人が怖くなりました。

 ある日、私は別のクラスの男子に告白されました。

 私はビックリして、思わず断ってしまいました。

 すると、優しかった女の子達まで私の陰口を言うようになりました。

 結局、私は新しい学校で友達を作ることがほとんどできませんでした。

 だから私は、できるだけ人と話をしないようになりました。

 

「…………」

 

 高校で私の方言のことを知っているのは、友達の音穏ちゃんだけでした。

 ある日、私が音穏ちゃんと話している時に、うっかり喋ってしまったからです。

 私は、勇気を出して正直に打ち明けました。

 音穏ちゃんは私の方言のことを聞いても気にも留めず、他の子にも黙っていてくれました。

 だけど先日、私はある人に方言を聞かれてしまいました。

 きっとこの一週間で噂は広まり、既に私はクラスの笑い物になっているかもしれません。

 昨日で夏休みも終わり、今日から学校が始まります。

 もしも学校に行ったら、あの人から話を聞いた皆が私のことを笑うに違いありません。

 だから私は、学校に行きたくありませんでした。

 

「閏、何かあったと?」

「!」

「アンタ、泣きよーと?」

「泣いとらん」

 

 部屋に閉じ籠っていた私に声を掛けてきたのは、お母さんでした。

 私の家族の中でお母さんだけは、元々の住まいの関係もあって標準語も話せます。

 それなのにどうしてお母さんが博多弁を話すのか、私には理解できません。

 前に私はお母さんを真似て標準語を話す練習をしたこともありました。

 でも私が実際に話してみると、アクセントやイントネーションが違っていたみたいで、やっぱり笑われるだけでした。

 

「…………クラスん人にうちが方言ば喋ることがバレたけん、学校に行きとねえ……」

「方言んこと、友達は知っとーんじゃなかったと?」

「知っとーんな一人だけやし、今回は別ん人。それも男ん子ばい…………」

 

 音穏ちゃんに話したのは、信頼できたし秘密を守ってくれそうだったからです。

 だけど、あの人は違います。

 もしもあの時、秘密にしてほしいとお願いできていたとしても、あの人は友達に喋っていたと思います。

 

「そん男ん子は、何か言うとったと?」

「…………博多弁、最高ですたいって言うとった」

「良か子やなかと」

「そげんことなか。ふじゃけた雰囲気やったし、絶対に陰で馬鹿にしとー」

「勝手に決めつくるんな良うなかて思うばい。それともそん子はそげん悪か子と?」

 

 私とあの人は去年、編集委員として一緒に活動していました。

 あの人は私に仕事を押しつけたりせず、ちゃんと分担して手伝ってくれました。

 音穏ちゃんは、悪ノリもするけど意外に頼れる人だと言っていました。

 

「…………別に悪か人やなかけど……前にうちが言うとった、電子辞書んロックば解除してくれた人やけん……」

「ちかっぱ良か子やなかと」

「ばってん……」

 

 それでも私には、あの人が秘密を守ってくれるようには見えません。

 それにやっぱり、男の人は怖いです。

 

「…………お母しゃん、学校ば休みたか……」

「馬鹿なこと言うとらんで、しゃっしゃと御飯食べて学校に行きんしゃい!」

 

 …………やっぱりお母さんも分からず屋です。

 気が重い中、私は御飯を食べると電車に乗って学校へと行きました。

 

「……ルー、おはよ」

「ぉ……ょぅ」

 

 教室の中は、いつもと変わらないように見えます。

 音穏ちゃんと挨拶をした私は、目立たないよう静かに席へと座ります。

 男の子も女の子も、話している内容は文化祭のことばかりです。

 

「アキト……この世界を涼しくする技術の開発を要求する……」

「それはまた唐突ですな」

「小さい頃に読んだ絵本で、こんな話があったんだ。大きな箱を用意して、夏の温かい空気をその中に入れる。それを冬に開ければ、きっと温かくなるんじゃないかってな」

「外気温に影響されず一定の温度を保ち続けられる箱さんマジぱねぇっス」

「マジでそんな魔法でも使わない限り、世の中の気温がヤバ過ぎてやっていけないだろこれ。お前もオタクならマヒャドとかブリザガとか唱えてくれよ」

「無茶振り乙。別に拙者は履歴書の特技欄にイオナズンと書いた訳じゃないですしおすし」

「仕方ない。そんなお前に魔法のアイテムを渡してやろう。何でもこの団扇を俺に向けて扇ぐことで、エアロの魔法が唱えられるらしいぞ。さあやってみるといい」

「実は寝ている間に耳の中にはGが……マヒャド!」

「うぐっ!」

「家に帰ったら母親に見つかってしまった秘蔵のエロ本達が机の上に……ブリザガ!」

「溜めたチケットで引いたガチャが全部外れた……リフレク!」

「ひでぶっ?」

「お、おはよう……二人とも、何やってるの?」

「突然相生氏が筋肉ムキムキのマッチョマンになっていた……フリーズ!」

「ぐああああああっ!」

「えぇっ?」

 

 …………あの人達以外は、文化祭のことばかり話しています。

 不思議なことに、私の話をしている人は誰もいません。

 本当に、普段と何一つ変わらない教室です。

 

「!」

 

 あの人が私と目が合うなり「よっ」と挨拶するポーズを取りました。

 私は思わず目を背けてしまいましたが、あの人は私に対して何も言いません。

 友達と茶化してくるようなことも、一切ありませんでした。

 

「…………?」

 

 結局、始業式の日は何事もなく過ぎ去りました。

 翌日も。

 そしてその次の日も。

 そのまた次の日も、今までと何一つ変わらない一日でした。

 そんな毎日を、私は不安を抱えたまま過ごし続けていました。

 

「……ルー、何かあった?」

「っ?」

「……ここ数日、様子が変」

「…………」

「……どうしたの?」

 

 文化祭前日になって、私は音穏ちゃんに方言を聞かれてしまったことを話しました。

 そして不安を吐露すると、音穏ちゃんは私の肩にそっと触れました。

 

「……大丈夫」

「?」

「……ヨネは良い人だから、笑ったりなんてしない」

「…………」

「……それにちゃんと言えば、秘密だって守ってくれる」

 

 音穏ちゃんにそう言われて、私は少しだけ気持ちが楽になりました。

 そして文化祭二日目になって、あの人は私達美術部の展示に突然やって来ました。

 

「そんじゃまた…………ああ、そうだ。もう冬雪から聞いたか?」

「?」

「あれ? まだ聞いてないのか。あのことなら誰にも言ってないから心配すんなって」

「!」

「ただ余計な御世話かもしれないけど、そんなに恥ずかしがる必要もないと思うぞ? 少なくとも俺は好きだし、黙ってるよりは良いと思うからさ。そんじゃ、また後でな」

 

 あの人が去っていく後ろ姿を、私はボーっと眺めていました。

 この喋り方を笑うどころか、好きだなんて言われたことに驚いていました。

 

「お母しゃん」

「?」

「こん前に言うとった男ん子、良か子やったばい」

「良かったやなかと。閏はお母しゃんに似てあいらしかっちゃけん、もっと自信ば持ちんしゃい」

 

 …………黙ってるよりは良い。

 去り際にあの人が言っていた言葉は、不思議と私の心に残っていました。

 

「…………」

 

 うちん名前は如月閏。屋代学園に通う高校二年生ばい。

 ばってん、うちゃ今少し困っとー。

 

 …………あん人と面と向かって、ちゃんと会話しきるか不安ばい。



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九月(下) 秋の日の贈り物

「それじゃあ蕾ちゃん、今日も宜しく頼むよ」

「はい!」

 

 9月26日、日曜日。天気は晴れ。

 私は今日、筍幼稚園で月に一度あるイベント『休日ふれあいの会』にお邪魔しています。そう、今から約一年前、米倉君達と皆で行ったあのイベントです。

 将来保育士を目指している私は定期的に顔を出していますが、ここ数ヶ月は色々と忙しかったので筍幼稚園に来るのは久し振りだったりします。

 今日来ている学生ボランティアは私の他に男子と女子が一人ずつ。二人とも今回が初めてじゃなくて何度か来ていたことがあるから、すっかり子供の対応にも慣れています。

 

「おねーちゃん、いっしょにあそんであげる!」

「本当に? ありがとう」

「すなばいくひと、おねえちゃんのゆびとーまれ!」

『はーい!』

「おしろつくろー」

「えー? とんねるつくりたーい!」

「それじゃあ、両方作ろっか」

 

 雪ちゃんが革命を起こして価値が下がった細長いシャベル……通称トンガリも、一年経ったらやっぱり元通り。筍幼稚園では、相変わらず隠し合いが続いてるみたいです。

 水無ちゃんが遊んであげた男の子も、今では沢山友達ができています。最初の頃は「友達100人作ったら、またあのお姉ちゃんが来てくれるんだよ!」とはりきって友達作りを頑張ってたけど、あの様子だと流石にもう忘れちゃったかな?

 

「おねーちゃんおねーちゃん! てつぼうやろーよ! ぼく、さかあがりできるんだよ!」

「えー? ギンガ君、逆上がりできるんだ。凄ーい!」

「そんなの、オレだってできるし!」

「でもぼく、れんぞくもできるんだよ! アルトくん、できないでしょ?」

「できるし! オレなんて、かたてでもできるし!」

「うっそだー」

「なんなら、かたあしでもできるし!」

「うーん。鉄棒もやりたいけど今は皆でお城とトンネルを作ってるから、ギンガ君も一緒に作るのを手伝ってくれたら嬉しいなー」

「いいよ!」

 

 このまま放っておいたら「手も足も使わずに逆上がりができる」なんて言い出しそうなアルト君。負けず嫌いなのは良いけど、嘘を吐いちゃうのは良くないよ?

 だけど子供って見てて本当に面白い。クレヨンが描けなくなったら「電池が切れた」って言い出したり、雪だるまを作ったら溶けるのが嫌だからって一生懸命フゥーフゥーしたり、そんな姿を見せられると私も思わず笑っちゃう。

 ボランティアを始めた最初の頃は、玩具の取り合いから喧嘩を始めちゃった時とかどうすればいいのか困ったけど、最近は保育士さんの対応を見てきたこともあってか対処にも慣れてきた気がする。

 それでも泣き声を聞いて駆けつけたら二人の子供が互いに悪いと言い合って泣いてる……なんて場面に出くわしたりすると、今でも少し困っちゃうけどね。

 

「おねーちゃん! おだんごつくった! たべる?」

「わーい、ありがとう! いただきまーす。ムシャムシャ……おいしーい♪」

 

 こうして砂場でお城を作りながらおままごとをしてると、昔のことを思い出しちゃうな。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「じゃーこれあげる!」

「え……いいの?」

「うん! それすっごく美味しいんだよ!」

 

 私が米倉君と出会ったのは年長になってある日のこと。私のお母さんが迎えに来られなくて落ち込んでた時に、桜桃ジュースをプレゼントしてくれたのが全ての始まり。

 家に帰った私がお母さんにそのことを話すと、お母さんは私にお礼のための120円を渡してくれた。今思えばこれで同じように飲み物を買ってあげれば良かったんだよね。

 当時(今も?)頭が回らなかった私は翌日、硬貨を握り締めたまま園内を捜索。米倉君は思ったより簡単に見つかって、外でかくれんぼの鬼をしてました、

 

「――――8、9、10!」

「櫻君」

「あ! 昨日の蕾ちゃん!」

「うん。その、これ――――」

「あっ! 僕のお金っ?」

「ち、違うよ! これはママに貰ったお金だから」

「じゃあもしかして、蕾ちゃんもジュース買うの?」

「ううん。そうじゃなくて、昨日のお礼をしなさいってママが……」

「じゃあいらない!」

「どうして?」

「だって一日に二本も飲めないもん! そんなことより、一緒にかくれんぼやろうよ!」

「えっ? でも……いいの?」

「うん! かくれんぼ、凄く面白いよ!」

 

 結局その日は、米倉君と一緒にかくれんぼで遊んじゃいましたとさ。

 ポケットに入れた120円はそのまま家に持ち帰って、次の日に再び渡そうと米倉君の所へ。だけどやっぱり受け取ってもらえず、一緒にかくれんぼをしちゃった気がする。

 そのまた次の日も、更にまた次の日も同じことの繰り返し。今思えば「一日に二本も飲めない」っていうのはお腹がいっぱいって意味だけじゃなくて、ジュースを二本飲んだらいけないっていう米倉君の家のルールとかでもあったのかな?

 

「かくれんぼする人、この指止ーまれ!」

『わーい!』

 

 気付けば私は米倉君が大得意だったかくれんぼの常連。米倉君のお陰でヒマワリ組だけじゃなくタンポポ組の友達も沢山できて、毎日が本当に楽しかったんだと思う。

 当時の米倉君は優しくて恰好良くて、特に女の子達からはモテモテの引っ張りだこ。そしてその傍には、いつだって水無ちゃんが一緒だったんだよね。

 

「櫻君! 水無ちゃん! あーそーぼ!」

「「いーいーよ!」」

 

 私達は毎日と言ってもいいくらいに、本当によく三人で遊んでたと思う。

 遊びの内容を決めるのはいつだって米倉君で、私と水無ちゃんは反対なんて一切なし。それこそカルガモの親子みたいに、米倉君の後にひたすらついていったっけ。

 

「僕が勇者で、ミナちゃんがパラデン! 蕾ちゃんが僧りーね!」

「うん!」

「わかった!」

 

 時には見えない魔物を相手に戦って、一緒に冒険の旅をしたり。

 

「忍法、忍法の術!」

「術!」

「術!」

 

 また時には米倉君が考案した『忍法術ごっこ』で遊んだり。

 

「山はこう書いて、川はこう! それに1たす1は2なんだよ!」

「へー」

「櫻君、凄い!」

 

 桃さん直伝の博識を披露する米倉君に、勉強を教えて貰ったこともあったよね。

 そんな楽しい毎日を送っていたら、一週間も一ヶ月も一年も本当にあっという間。夏、秋、冬と過ぎていって、季節は桜の花が芽吹き始めた三月になってたかな。

 

「あれ? 水無ちゃんは?」

「ミナちゃん、今日はお休みなんだって」

 

 その日は私と米倉君の二人だけだったのを覚えてる。

 そして私達の今日の遊びは、秘密基地でおままごとをすることに決定。秘密基地って言っても米倉君が年少の時に友達と一緒に作った、敷地の隅にある茂みの中の小さなスペースなんだけどね。

 

「いただきまーす!」

「めしあがれ♪」

 

 楽しかった幼稚園での毎日も、後少しで終わり。

 この時の私は、米倉君と違う小学校に進むことをお母さんから聞かされてた。

 

「ねえ、櫻君?」

「なーに、蕾ちゃん?」

「水無ちゃんと私、どっちが好き?」

「蕾ちゃん!」

「じゃあ私、櫻君の彼女になる!」

「うん! いいよ!」

 

 思い出しただけで笑っちゃうような会話だけど、これが私と米倉君の始まり。

 きっとあの時の彼は八方美人で何も考えてなかったかもしれないけど、私の想いは櫻君に対しても、クラクラに対しても、そして米倉君に対しても変わらない。

 

「櫻君、だーいすき!」

 

 

 

『チュッ』

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ただいま」

「おかえりお姉ちゃん……あ、今日はボランティアの方だっけ?」

「うん。望もまた来てくれたら助かるんだけどね」

「あはは……子供の相手は、私にはちょっと大変過ぎて無理そうだったから……」

「一回行っただけで無理だって決め付けずに、また今度参加してみない? もう一年近く前の話になっちゃうけど、梅ちゃんは鬼ごっこで良いお姉ちゃんしてたよ?」

「うーん……じゃあ受験が終わったら、梅ちゃんと一緒に行ってみようかな」

「そうこなくちゃ」

 

 望の受験が終わる半年後には、筍幼稚園のあの子たちも卒園する頃か。

 私は卒園式のことを今でも覚えてる。

 米倉君と会える最後の日、私は彼に想いを込めた手紙を用意した。

 

『先生、さようなら。皆さん、さようなら。小学校に行っても、頑張ります!』

 

 …………だけど卒園式の日、米倉君の姿はどこにも見当たらなかった。

 理由は、まさかのインフルエンザ。

 だから私の書いた手紙は、彼の元に届くことはないまま――――。

 

「お姉ちゃん、ボランティアから帰るといつもそれ見てるよね」

「いいの!」

 

 ――――届くことはないまま、今も私が持ち続けてる。

 ずっと渡せなかった120円と共に、アルバムの奥で大事に保管してる。

 いつか米倉君が全てを思い出して、これを渡せるような日が来たときのために……。

 

『――――さくらくん、ずっとずっとだいすきだよ。つぼみ』



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十月(中) あの素晴らしい日々をもう一度

 屋代学園の修学旅行は、二年の終わりが見えてくる年明け……一月中旬にある。

 中学の時とは違って、学を修めるという割には少し早い気がする時期だけれど、逆に言えば大学受験というのはそれだけ大変ということなんだろう。

 二泊三日に渡ってボク達が行く場所は、綺麗な海と暖かい冬が味わえる沖縄だ。

 一日目はクラス行動で二日目は民泊のグル―プ行動だけれど、三日目は自由行動。だから今日のLHRで、ボク達は自由行動の班とコースを決めた。

 

『……大体そんな感じ』

「ふむ。それならこっちの行き先とも重なっているし、一緒に動けるかもしれないね」

『……ミナがヨネと一緒にいられるよう、私も頑張る』

 

 どうやら他ハウスでも今日のLHRでは同じようなことを決めたらしい。帰り際に音穏から電車内でそんな話を聞いてはいたけれど、その時は気にも留めていなかった。

 そして夜になった今は、別件で連絡が来たため通話中。無事に用件は解決し、雑談として互いの自由行動のコースについて話していると、櫻と一緒の班らしい音穏がそんな聞き捨てならない台詞を呟く。

 

「一応言っておくけれど、無理して櫻とボクを引き合わせる必要はないよ。コースが重なるからといって、櫻と一緒に観光するなんて微塵も考えていなかったからね」

『……でも、したいと思ってる』

「ボクは別に…………と、やっぱりそういう風に言われると、つい反射的に否定してしまうよ」

『……ミナはもっと素直になるべき』

「改めて心の整理をしたいんだけれど、久し振りに付き合ってもらってもいいかい?」

『……勿論』

 

 悩んでいるときは身体を動かすに限る。

 中学生の頃になってから、ボクはそんな解決方法を取るようになっていた。

 身体を動かすことに神経を集中させて頭の中を切り替えれば気が紛れるし、悩んでいた時には思いつかなかったようなアイデアや解決方法を閃く場合だってある。

 今までは、それで問題なかった。

 しかし何度考えても、解決せずに逃避を繰り返しただけの悩みがあった。

 膝の上にアルカスを乗せながら、受話器越しに大きく息を吐く。

 

「まず大前提として再確認しておくけれど、櫻はボクにとって近所の幼馴染に過ぎない。例えるなら手のかかる弟のような存在であるというのがボクの主張だよ」

 

 少なくともボクは四年以上に渡り、櫻のことをそういう目で見ていた。

 だからもしもボクに弟がいたとしたら、櫻と同じように接していたと思う。

 中学生の頃なんてまさに、反抗期の弟がいるような気分だった。

 それでも話しかけられたなら普通に応えるし。

 胸を触られても思春期なら仕方ないと思っていたし。

 授業をサボっていたことには目を瞑っていたけれど、仮に目に余るような悪事をはたらきそうだったなら間違いなく止めていただろう。

 桃ちゃんとは別のもう一人の姉として、困ったちゃんな弟を見守っていた。

 

「仲が良かったのは小学校の四年生くらいまでで、クラスが別々になってからは一緒に遊ぶこともなくなっていたし、中学生になってからは完全に疎遠になっていたこと。櫻からの告白も明確に断っていて、間違いなく好意がなかったことは前にも話したかな」

『……うん』

「そんな櫻を陶芸部に呼んだのは、単に大掃除の負担を減らす男手が欲しかったから仕方なくだね。入ったところで幽霊部員になるか、長続きせずに退部するとボクが大反対していたのを覚えているかい?」

『……覚えてる』

「すぐに飽きて来なくなると思っていたからこそ、予想以上に陶芸部へ顔を出してきたから驚いたよ。それでも窯の番をする前だって、櫻を当番要員に加えて大丈夫なのか不安だったから音穏に相談したのを覚えているだろう?」

『……そんなこともあった』

「だからその頃の認識は中学の時と大して変わらない……うん、ここまでは確実に断定できるよ」

 

 窯場で抱きつかれた時だって。

 睡魔に負けかけて騒々しかった櫻に膝枕をしてあげた時だって。

 コスプレで櫻のズボンを借りた時だって。

 体育祭で応援された時だって。

 プレゼント交換で櫻のスノードームが蕾君に渡され、ボクの文房具セットが櫻の手に渡った時だって。

 この頃はまだ間違いなく、単なる腐れ縁というか、奴隷というか、ペットというか、遊び道具みたいな幼馴染もとい反抗期の弟に過ぎないような存在だった。

 

「…………やっぱり櫻を見る目が少し変わったのは大晦日の時だね。例えるなら雛鳥の面倒を見る親の心境というか……あれを境にボクの中で櫻の危なっかしさが増して、誰かしらが面倒を見てあげないと不安に感じたのさ」

『……前に言ってた、ヨネが泣いてた大晦日?』

「その大晦日だね。ただそれだって今までの反抗期真っ盛りだった弟から、普通の弟へと昇進した程度に過ぎないかな。例えるなら音穏の弟君に対する気持ちくらいだよ」

『……弟は可愛い』

「反抗期が来ていなければそうだろうね。まあ櫻の場合は可愛いとまではいかないけれど、面倒を見ていてこう……微笑ましく感じる程度にはなったかな」

『……わかる』

「ただ、そんな櫻の面倒を見るようになってから、ボクの中で櫻に対する認識がまた少しずつ変わっていった……これに関しては音穏に言われるまで気付かなかったよ」

 

 百人一首で対決した時も。

 皆でネズミースカイへ行った時も。

 一緒にアルバイトをした時も。

 桜の咲き乱れる公園を散歩した時も。

 弟に過ぎない筈の櫻と過ごしている時間は、不思議と充実していた。

 

「確かに改めて考えてみれば、櫻と一緒にいたボクは楽しんでいたかもしれない。蕾君のことを応援している一方で、櫻と交わすくだらないやり取りを満喫していたね」

『……それなのにミナ、中々認めなかった』

「仕方ないじゃないか。櫻のサポートをしていたつもりだったのに、自分の方が楽しんでいたなんて…………今でも認めるのが恥ずかしいくらいだよ」

『……意地張って、ヨネと険悪になった』

「例え櫻がいなくても、ボクは問題なく楽しい日常生活を送れるということを音穏に証明したかったからね」

『……ミナ、本当に頑固だった』

「そんなボクの考えを知っていた筈なのに、スポッチで無理矢理に櫻とボクを引き合わせて勝負を挑んできた音穏も中々に頑固だと思うよ」

『……それでもヨネと一緒の方が楽しんでるって認めなかったミナの方が頑固』

 

 あの時は本当に驚いた。

 音穏が怒っているところなんて、今まで見たことがなかったから。

 初めての喧嘩だった。

 

「あの時のこと、怒っているかい?」

『……ちゃんと仲直りしてくれたから許す。私とも、ヨネとも』

「ありがとう。今は音穏の言う通り、櫻と仲直りして良かったと思っているよ」

 

 夏休みには梅君を交えながら一緒に勉強をして。

 文化祭も一緒にお化け屋敷へと入って。

 大皿を作るために手取り足取り教えて。

 再び櫻と共に時間を過ごすようになってから、考えていたことが一つある。

 

「どうして音穏は、ボクが櫻のことを好きだと思ったんだい?」

『……ミナ、ヨネと一緒だと幸せそう』

「そうなのかい?」

『……それにヨネだって、ミナと一緒だと幸せそう』

「それは蕾君の場合でも同じだと思うけれどね」

『……そんなことない。ユメの時の幸せとミナの時の幸せは違う』

 

 ボクは櫻のことを好きなのか、その答えは未だによくわからない。

 長年に渡って櫻のことを想い続けていた蕾君の恋心を考えると、一緒にいて楽しいと感じる程度のボクの気持ちを恋と呼ぶのはどうかと思う。

 それこそ恋も数学みたいに証明することができたら楽だった。例えば背理法を使うとして、ボクが櫻のことを好きだと仮定する。その好きという気持ちに矛盾があれば、ボクの櫻に対する感情は恋じゃないと証明できる……なんて、そう上手くはいかないか。

 

『……ミナには幸せになってほしい』

「ボクは今のままでも、充分に幸せな人生を歩んでいると自負しているよ」

『……じゃあ修学旅行のコースは変えておく』

「音穏もそういう意地悪をするんだね」

『……素直にならないミナが悪い』

「確かにね。ボクが悪かったよ。全く、音穏には勝てないかな」

 

 本当に我ながら、優しくて仁徳のある良い友人を持ったと思う。

 こうしてCハウスとFハウスの行き先が同じになったのも、きっと何かの縁だろう。

 膝の上で寝てしまったアルカスの頭を撫でながら、ボクは音穏へ素直にお願いをした。

 

「櫻と一緒に修学旅行を楽しみたいから、協力してくれるかい?」

『……頑張る』

 

 受話器越しの親友は、きっと小さな笑みを浮かべているんだろう。

 声を聞いてそう感じたボクもまた、クスッと笑いながら礼を言うのだった。



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十二月(上) 仰げば尊い

「範囲票を見せてもらってもいいかい?」

「了解でぃす!」

「数学は……三角比がメインみたいだね。二年生になったら三角関数へと繋がる大事な単元だけれど、星華君は理数と人文どっちに進むんだい?」

「人文でぃすね」

「それなら今回は時間もないし、最低限点数を取るために確実に出るであろう問題から対策をしていこうか。とりあえずは公式を覚えているか確認だね」

「お願いします」

 

 できることならミナちゃん先輩と同じ理数系に行きたいところでぃすが、高校数学がこんなにも難しかったとは……早乙女星華(さおとめせいか)、一生の不覚でぃす。

 今は期末テスト前で部活動休止期間中。今日も陶芸室には音穏先輩や天海先輩、それと根暗先輩とか鉄の阿呆が自習に来てましたが、有象無象が帰った今はミナちゃん先輩と星華の二人だけ。苦手な数学を付きっきりで手取り足取り教わってます。

 

「三角形の面積公式は言えるかい?」

「へ……? 底辺×高さ÷2でぃすよね?」

「それは今までの話だね。その様子だと正弦定理や余弦定理も厳しそうかな?」

「わ、わからないでぃす……」

 

 ああ、何たる失態! 恥! 屈辱! まさかこんな醜態を星華が晒すことになるなんて……こんな……こんな筈じゃなかったのに!

 違うんでぃす、違うんでぃすよミナちゃん先輩。それもこれも全部あのエリマキトカゲみたいなクソ教師が日本語を話さないのが悪いんでぃす! 憎い! 憎ぃいい!

 

「それならsin、cos、tanの関係式は言えるかい?」

「関係式……えっと、三つあるやつでぃすか?」

「そうだね」

「それなら大丈夫でぃす! 一つ目が――――」

 

 ミナちゃん先輩は「数学を教えるならボクより櫻の方がわかりやすいよ」なんて謙遜してましたが、例え少しまともになったからと言っても根暗先輩から勉強を教えてもらうなんて反吐が出ますし、何より星華のプライドが許しません!

 それに何でも聞いた話じゃ夏休みの間、ミナちゃん先輩があの梅っ子に勉強を教えた結果みるみる成績が上がったとか何とか。本当に流石としか言いようがないでぃすね。

 あのアホの子の代名詞が急成長したなら、星華だって負けるわけにはいきません。ミナちゃん先輩に仕える者として相応しくなれるよう、何としても頑張らなければ!

 

「ふむ。ちゃんと覚えていたみたいだね」

「と、当然でぃす」

「三角比の単元で特に重要なのは、その三つの公式と正弦定理、余弦定理、面積公式……後は内接円の半径の求め方くらいだよ。他にも角度を変換する公式だとかヘロンの公式なんてものもあるけれど、まずは基本的な問題を解けるようにしていこうか」

「了解でぃす!」

 

 何とか汚名返上できましたが、正直危ないところでぃした。サインだかコサインだか知りませんが、こんな何の役にも立たなそうなことを勉強するとか意味不明でぃす。

 問題集を開くなり、テストで出やすい問題に印を付けてくれるミナちゃん先輩。星華、ミナちゃん先輩が先生だったら100点どころか120点を取れる気がします。

 

「正弦定理や余弦定理を使うタイプの問題は、最初に図形を描いておくといいよ」

「わかりました!」

 

 その後は淡々と問題を解いていきましたが、出てくる問題は三角にサンカクにさんかくに△……三角形ばっかり描いてたら、この間のハロウィンパーティーでミナちゃん先輩がかぶっていた三角帽子を思い出してきました。

 可愛い魔法少女に変身したミナちゃん先輩の姿を思い出せば、こんな問題なんてマジカルパワーでチョチョイのチョイっと解き終える筈でぃす!

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「ま、まだ入ったら駄目なんでぃすか?」

「天海君が一人ずつ呼んでいくから、もう少し待つ必要があるね」

「うう……こんな姿を根暗先輩と鉄に見せるだけでも末代までの恥なのに、もしも通りすがりの人に見られたら……はあ、どうして星華がこんなことを……」

「……わかる」

「でも雪ちゃんのメイド姿、物凄く可愛いよ?」

 

 陶芸室のドアの前で待機している星華達。前にテスト勝負で負けた際に天海先輩の命令でアイドル衣装を着せられた星華にとってはコスプレなんてトラウマものでぃすが、ミナちゃん先輩も参加すると聞いて渋々やることにしました。

 引き当てた服が巫女服と聞かされて安心したのも束の間、渡されたのはミニの巫女服。キョンシー姿の蕾先輩曰くこれでもマシな方とのことでぃすが、仮にこれが当たりの衣装だとすれば外れは一体どれだけ酷い衣装なんでぃすか。

 

「ハラハラウキウキが足りてない皆さん! おー待ーたーせーしーまーしーたーっ!」

「いよっ! 待ってたッス!」

 

 一足先に中へ入っていった天海先輩も際どいミニスカナースの筈なのに、どうしてあんなに堂々としていられるのか星華には全く理解できません。

 唯一の癒しは三角帽子をかぶって、露出の多い服とミニスカ魔法少女になったミナちゃん先輩だけ。ああ、本当に目の保養……いえ、心が洗い流される凄まじい可愛さでぃすが、こんな素晴らしい御姿を飢えた狼共に見せて大丈夫なんでぃしょうか?

 何でも去年はドラキュラの衣装を着たらしいでぃすが、寧ろそっちの方が見たかったでぃす。あわよくば星華の首筋に牙を突き立てて、血を吸ってもらいたかったでぃすね。

 

「男性陣も中々の……うん、本当に中々の揃い踏みですが、やはりコスプレの華と言えば女の子っ! それでは一人ずつ入場して貰いましょう! まずは今年のニューカマーことホッシー、どうぞ!」

「は、入っていいんでぃすか?」

「……(コクリ)」

 

 はあ、これでようやく誰かに見られるかもしれない不安からバイバイできます。

 星華が中に入ってみれば、そこには去年のミナちゃん先輩とは対極的なこと間違いなしの冴えないドラキュラな根暗先輩と、それに…………それに……………………っ!?

 

「よっ! メッチっ!」

 

 …………化け物でぃす。

 そこには、紛れもない化け物がいました。

 コウモリみたいな羽。

 ニョキっと生えた二本の角。

 矢印みたいな尻尾。

 そんなパーツを付け、キャミソールを着て、ニーハイを履いた、筋骨隆々の男でぃす。

 その姿はデビルマンでも何でもない、単なる露出狂でぃした。

 はっきり言って尋常じゃない鉄のキモさに、思わず吐きそうに――――。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「――――星華君、星華君」

「はっ!」

「ペンを持ったまま固まって、どうしたんだい?」

「い、いえ……何でもないでぃす」

「解き方のわからない問題があったら、遠慮なくボクに聞いてくれて構わないよ」

「了解でぃす!」

 

 ミナちゃん先輩の魔法少女姿でやる気を出す筈が、危うく記憶から消し去りたい最悪なものを思い出すところでぃした。本当、何なんでぃすかあの変態は……。

 気を取り直して三角比の問題を解いていきますが、今度は単位円を描く問題ばかり。何度も描いているうちに円が歪んできて、体育祭の陸上競技場を思い出してきました。

 あの時のミナちゃん先輩の声援を思い出せば。こんな問題なんて瞬殺できる筈でぃす!

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 星華は足がそこそこ速いので、出場した種目は4×100mリレー。本当は去年のミナちゃん先輩と同じ、HR対抗リレーに出場したかったでぃす。

 予選を勝ち抜いての決勝戦。アンカーだった星華はスタンド前を走ります。

 

「星華! 頑張ろうね!」

「当然でぃす!」

 

 こうして走る姿を見せる以上、ミナちゃん先輩に恥ずかしい姿を見せるわけにはいきません。特に星華が抜かれるなんてことは言語道断でぃす。

 

『パァン!』

 

 スタートの銃声が鳴り第一走者、第二走者、第三走者とバトンが繋がります。

 星華達のクラスは二位……一位と、かなり順調のままバトンが回ってきました。

 

「星華!」

 

 練習の甲斐もあってバトンパスは問題なし。他のクラスとの差は僅差でぃす。

 

「メエェーッチ! メエェェェェェッチ!」

 

 何やらスタンドの方で変な羊が鳴いています。そんな力が抜けそうな変な応援のせいで、僅かに開いていた差が縮まり並ばれてしまいました。

 

「頑張れーっ! 早乙女ーっ!」

 

 本当に、余計なお世話でぃす。

 どこからともなく聞こえてきたムカつく応援のせいで、抜かれることこそないものの隣を走っている生徒を抜くこともできないままデットヒートが続きます。

 

「ホッシー、ファイトーっ!」

 

 天海先輩は声がでかすぎでぃす。

 そんなに叫ばれると、星華が求めてるミナちゃん先輩の声が聞こえません。

 

「――――星華君――――」

「!」

 

 それでも星華の耳には、はっきりと聞こえたのでぃす。

 星華を応援する、ミナちゃん先輩の声。

 その麗しい声が聞こえた以上、絶対に負けるわけにはいきません。

 激しい死闘の末に勝敗は決し、走り終えた星華はトイレの前で偶然にも根暗先輩と音穏先輩に出くわしました。

 

「……トメ、お疲れ」

「…………」

「惜しかったな。あと一歩の差だったぞ」

 

 本当、根暗先輩に同情されるとか思い出しても反吐が出ます。

 星華は黒谷南中の夜空コンビとして、華々しい勝利を飾る筈でぃした。

 あと一歩どころか、ほんの数ミリの差だったのが悔やまれます。

 

「おい、どこ行くんだよ? この後のハウス対抗リレーは陶芸部で集まって伊東先生の応援するから、Fハウスの席に集合って火水木から聞いてるだろ?」

「…………星華はいいでぃす」

「はあ? 全く……体育祭くらいで気にし過ぎだっての。もしかしなくてもお前のことだから、リレーで負けたから阿久津に顔向けできないとか考えてるんだろ?」

「……トメは頑張ったから、落ち込む必要はない」

「…………」

「いいから来てみろって。お前が負けたことなんて皆の記憶から吹き飛ぶくらいに、強烈なインパクトある走りを伊東先生が見せてくれるからよ」

「…………?」

 

 

 

『土木作業員キターッ!』

『何でも聞いた話によると陶芸部の顧問らしいぞ!』

『相変わらず凄ぇ走り方だ……あれが汎用人型決戦兵器、トウゲリオンか!』

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「――――星華君、星華君」

「はっ!」

「随分と念入りに見直しをしているようだけれど、何か不安があるのかい?」

「い、いえ……何でもないでぃす。これで大丈夫でぃすか?」

「ふむ。確認をしてみようか」

 

 ミナちゃん先輩の声援で元気を出す筈が、無駄に伊東先生のとんでもない走り方を思い出してしまいました。本当、何なんでぃすかあの走法は……。

 再び気を取り直して、赤ペンを手に取り星華の解答に○を付けていくミナちゃん先輩を眺めます。赤ペン先生になったミナちゃん先輩も素敵でぃすね。

 勉強ができて、運動もできて、陶芸もできる。

 そんな何でもできるミナちゃん先輩だからこそ、付き纏う悪い虫はファンクラブ会員一号の星華が追い払う……いえ、焼き払わなければ駄目なのでぃす。

 最近だと根暗先輩と妙に親しげに話してるのが星華は気になります。まあ幼馴染ということでぃすし、昔より少しはマシになったようなので免じてあげてますが…………少しでも粗相をしようものならブチコロ確定でぃすね。

 

「全問正解だよ。流石星華君だね」

「えへへ……」

 

 ミナちゃん先輩に褒められるとか、星華にとってはこの上ない感激でぃす。

 後は期末テストをしっかりこなして、星華の勉強の成果を見せれば完璧でぃすね。

 

「そういえば星華君、大晦日は空いているかい?」

「勿論でぃす! 今年の初詣は梅っ子の合格祈願でぃすね」

「流石だね。話が早くて助かるよ」

 

 言葉を交わさずとも想いが伝わるツーカーの仲。それが黒谷南中の夜空コンビなのでぃす!

 

 ◆




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の10章を楽しんでいただければ幸いです!


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10章:俺の彼女が2079円だった件
初日(金) 一年前のヒントだった件


 クリスマス。

 それは長い人生において、認識の仕方が大きく変化する一日だと思う。

 幼い子供の頃は、ケーキやプレゼントが楽しみだった。

 中学生を超えた辺りになると、プレゼントは無くなり単なる冬休みの一日と化す。

 大学生や社会人になれば、家族ではなく恋人と迎える特別な日になるかもしれない。

 そして親になった時は、我が子へ夢を与える平日となる。

 ただし異性と縁がない場合は、中止のお知らせをするくらいに忌むべき祭日だ。

 

「ふーふふーふーん♪ ふーふふーふーん♪」

 

 ちなみに俺達陶芸部にとっては、今年もパーティーの日だったりする。

 俺は透き通るようなハミングで『きよしこの夜』を歌っているニット帽の少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)と共に、すっかり葉が落ちてしまった並木道を自転車で走り抜けていた。

 夢野と一緒に帰りながら鼻歌を聴くことは別に珍しいことじゃなく、普段なら『夕焼け小焼け』や『故郷』といった夕方の曲や『ちいさい秋みつけた』みたいな季節に合ったものが多い。恐らくは保育園や幼稚園でも歌われている童謡や唱歌だろう。

 

米倉(よねくら)君はクリスマスソングって言ったら何が好き?」

「そうだな…………チャンチャンチャーン、チャンチャンチャーン」

「あ! ジングルベル?」

「タラララランタンターン。残念、青い山脈だ」

「えー? ちゃんちゃんちゃーららーん♪ じゃないの?」

 

 耳が痛くなるほど冷たい寒空の中で、夢野が別の意味で耳の痛くなりそうな陽気な音楽を歌い返す。電飾が灯るこの季節では町の至る所で流れているが、それこそコンビニでバイトなんてしていたら飽きるほど聞かされていること間違いなしだろう。

 日の入りの時間もすっかり早くなり、沈んでいく太陽によって雲が綺麗な紅色に染まっている。楽しかったクリスマスパーティーに加えて心癒される夕焼け空を目の当たりにしたせいか、今日の夢野はいつも以上に御機嫌だ。

 

「また来年も皆で一緒にパーティーできたらいいのにね」

「推薦とかで合格が早く決まれば、来年もできるんじゃないか?」

「そっか。じゃあ頑張らなくちゃ!」

 

 そう言ってはみたものの、流石に来年は厳しいだろう。ちなみに今年のクリスマスパーティーも内容は昨年と大して変わらず、メインイベントは宵闇鍋&プレゼント交換だった。

 昨年のリベンジに燃える少女と加減を知らないアホな後輩のせいで、今年は随分とえらいことになった宵闇鍋の味が未だに鼻に残っている。ちゃんとカレールーが用意されていたから良かったものの、危うく食べ物を粗末にするところだったぞアレは。

 

「そういえば米倉君、(うめ)ちゃんの誕生日は何かプレゼントしてあげたの?」

「ああ。鉛筆を渡しておいた」

「ひょっとして、合格祈願の?」

「いいや、バトル鉛筆だ。あれならアイツも困った時にコロコロして決められるからな」

「ふーん。わざわざ(もも)さんと一緒に買い物まで行ったのに?」

「情報が早いな。(のぞみ)ちゃんか?」

「ふふ。そうやって梅ちゃんをおちょくる冗談ばっかり言う米倉君には秘密でーす♪」

「一応これでも応援はしてるっての。まあ、合格鉛筆なんて所詮は気休めだけどな」

「ううん。それでもプレゼントしてあげたのは梅ちゃんの自信になったと思うよ」

 

 確かにアイツの場合、普段は能天気な癖にいざとなるとプレッシャーに弱いから、気休めでしかない神頼みも満更捨てたもんじゃないか。

 今年も昨年同様に兄妹三人で両親のクリスマスプレゼントを選ぶ買い物に行ったりもしたが、ひょっとしたら今の夢野にはその辺りの情報まで望ちゃん経由で伝わっているのかもしれない。

 

「米倉君も、当たるといいね」

「ん? 闇鍋の食あたりか?」

「もう。そっちじゃなくて、プレゼントの宝くじ!」

「あー。万が一大当たりで一億円が当たったとかなんてことになったら「やっぱり返してください。先生、お金欲しいです」とか言われたりしてな」

「ふふ。確かに言いそうかも」

 

 陶芸部のプレゼント交換も、今年は無難な物が多かった気がする。

 ざっとまとめると、大体こんな感じだ。

 

 

 

米倉櫻(よねくらさくら)のハーブティーセット → 伊東先生へ。

阿久津水無月(あくつみなづき)の入浴剤セット → 火水木へ。

・夢野蕾の手作りハンドタオル → 阿久津へ。

冬雪音穏(ふゆきねおん)のお手製キャラ陶器 → 早乙女へ。

火水木天海(ひみずきあまみ)の面白アイマスク → 鉄へ。

鉄透(くろがねとおる)のアルコール入りチョコレート → 冬雪へ。

早乙女星華(さおとめせいか)のアロマオイル → 夢野へ。

伊東(いとう)先生の年末の宝くじ三枚 → 俺へ。

 

 

 

 俺は今年も姉貴に相談して選んだプレゼントだが、他の面々は実に個性がわかりやすいプレゼントだったと思う。特にテツのチョコなんて、いつぞやの火水木と同じ発想だ。

 そんな和気藹々としたクリスマスパーティーも終わってしまうと、今年も残り一週間。このクリスマス→大晦日→元旦の流れは、毎年のことながら本当に忙しなく感じる。

 文化祭が終わった後の九月、十月、十一月は体育祭とハロウィンくらいしかイベントがないんだし、いっそのこと一つくらい分けてあげてもいいんじゃないだろうか。

 

「ねえ米倉君。去年のイブのこと覚えてる?」

「ん? パーティーの内容は今年と大して変わらないし、まあ覚えてるっちゃ覚えてるな」

「じゃあ問題です。去年ここで、私が米倉君に渡したものは何でしょうか?」

「ああ、羊毛フェルトで作った猫だろ? 梅の誕生日プレゼントにって」

「正解♪」

 

 別れ場所である横断歩道前で止まるなり、質問をしてきた夢野は微笑みつつ答える。数ヶ月前に梅の部屋へ足を踏み入れた時にもパッと見た感じでは大事にしているっぽい雰囲気だったし、流石にそのことは覚えていた。

 

「実はね、今年も用意したの」

「マジか。何か悪いな」

「一日遅れになっちゃったけど…………さて、問題です。この中身は何でしょうか?」

「うーん。じゃあ犬とか?」

「半分正解♪」

「半分?」

「うん。半分だけ。はい、どうぞ」

「中、見てもいいのか?」

「うん」

 

 夢野は鞄の中から掌よりやや大きいサイズの箱を取り出すと、俺に差し出してくる。

 半分だけ正解となると、まさか合成魔獣キメラでも産み出したのだろうか……なんてアホなことを考えながら箱を受け取った後で確認してみれば、中に入っていたのは羊毛フェルトで作られた可愛い招き猫と招き犬だった。

 

「猫は梅ちゃんへのプレゼントで、犬は米倉君へのプレゼント」

「俺に?」

「うん。梅ちゃんの分だけ作るのもあれかなーって思って」

「大変だろうに、わざわざ作ってくれたのか。何か悪いな」

「ううん。簡単にできるから。梅ちゃんに受験勉強頑張るように伝えておいて。黒猫って不吉とか縁起が悪いって言われることもあるけど、昔は魔除けとか厄除けとか幸運の象徴だったんだって」

「ああ。きっとアイツも喜ぶよ。本当にありがとな」

「どう致しまして。それじゃあ、良いお年を」

「おう。良いお年を」

 

 水が冷たくなった今の時期は、陶芸をすることもあまりない。それに今年は大掃除も早目に済ませてしまったため、次に会うのは冬休みが終わった後になるだろう。

 夢野と別れを告げた俺は、後ろ姿を見届けた後で自転車を漕ぎ出した。

 去年は猫。

 今年は犬。

 もしかしたらこの羊毛フェルトは梅への誕生日プレゼントとしての意味だけじゃなく、俺のために用意してくれたヒントの一つだったのかもしれない。

 2079円。

 その金額が何を意味しているのか、一つの仮説を立てたのはかれこれ三ヶ月も前のことになる。

 しかし俺は未だに、最後の謎の答えを夢野に話すことができていない。

 本当に伝えていいのか。

 伝えた後に、どうすればいいのか。

 かつて少女が120円だった理由を思い出した時には気にも留めていなかったことが、今の俺にとっては大きな問題となっていた。



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元旦(土) 正月気分は正午までだった件

「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」

「はい、今年も宜しくお願いします」

 

 年越し蕎麦を食べながら年末のテレビを楽しみつつ、歌合戦の後にある年越し番組が鐘の音と共に『0:00』を表示させたところで、この時間まで起きていた母さん及び実家に帰省している姉貴と親しき仲にも礼儀ありの丁寧な新年の挨拶を交わす。

 ちなみに梅の奴は阿久津&早乙女の先代部長コンビに誘われたらしく、同期のバスケ部仲間を引き連れて初詣を満喫中。今頃は皆で合格祈願のお参りをしている頃だろう。

 

『明けまし天丼。おめでトンカツ。新年ガチャで神降臨キタコレ!』

『明けましておめでとう! 櫻君、今年も宜しくね』

『あけおめことよろッス! 陶芸部メンバーで初詣とか行きません? もしかしたら女子陣の着物姿が拝めるかもしれないじゃないッスか! そんでもって着物といったらノーパンノーブラ! これはもうネック先輩が提案するしかないッスよ!』

 

 新年を迎えて次々と届く、クラスメイトや部員達からのあけおめーるに返信を送る。中には新年早々に告ってオーケーを貰ったなんて報告をしてくる奴もいたため、爆ぜろリア充と祝福の返事をしておいてやった。

 何年か前まではあった新年の挨拶による通信遅延の風物詩も、ここ数年ではすっかり無くなった様子。十分もすると返信も一段落し、他愛ない話をする姉貴と母さんをよそに新年を感じさせる第一段階が終了した俺はベッドで除夜の鐘を聞きながら眠りにつく。

 そして朝を迎えると、眠っている間に追加で届いていたあけおめーるに返信した。

 

『明けましておめでとう。昨年は色々あったけれど、今年も宜しく頼むよ』

 

 その中にはモーニングコールをするかの如く明け方になって送られてきた阿久津からのメールもあったが、内容はアイツらしく至ってシンプル。こちらも梅の初詣に付き合ってくれたことへ礼を言いつつ、当たり障りのない無難な返事をしておく。

 起きるなりリビングへ向かうと、昨日はテレビも見ないで早々に寝た父さんが駅伝を視聴中。新年の挨拶を交わしていると、トイレのドアが勢いよく開き梅が現れた。

 

「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」

「あ! はよざっすお兄ちゃん! あけましてうめでとう!」

 

 リビングに戻ってきた梅は新聞を開くと、三が日の番組をチェック。姉貴は未だに眠っている中、俺は束になっているチラシに付いていたクロスワードパズルに挑戦する。勿論の応募するつもりなんてなく、梅が新聞を見終わるまでの暇潰しだ。

 

「ヴェエエエッ? エマージェンシーエマージェンシー! 8時から9時かぶった~」

「格付けチェックは譲れんな」

「お母さ~ん! ジャンケンしよ~」

 

 どの番組を見てどの番組を録画するかというテレビ争奪戦も正月恒例。もっとも家族で見る番組は大体決まっており、主に録画枠を取り合うのは梅と母親だ。

 熱いジャンケンバトルの行く末を聞きつつ、クロスワードを埋められるところまで解き終えた俺は悩んでいる箇所を父親に質問。何とか完成にまで至った後で、ふと宝くじのことを思い出しパソコンを起動する。

 当選番号を検索してみるが、そう上手くはいかず無事に全て外れ。そうこうしているうちに、母さんの手作りおせち料理の準備も終わったようだ。

 

「そろそろ桃起こしてきて頂戴」

「は~い! 音速は水中だと1500㎧くらいダァッシュ!」

 

 これぞ米倉家という一連の流れ。姉貴がいた頃の休日はいつもこんな感じだったっけな。

 ようやく起きてきた姉貴や梅と共に、父さんの御神酒(という名の普通の酒)に一杯だけ付き合いつつ、家族で豪華な朝食を堪能した後は待望のお年玉を貰う。大体この辺りになったところで新年を感じさせる第二段階が終了だ。

 それから少しして郵便屋さんのバイクの音を聞くなり、梅が勢いよく飛び出し年賀状を確認。携帯を持っていなかった頃は俺も楽しみだったが、今となっては0枚が当たり前だ。

 

「お父さん、お父さん、お母さん、お父さん、梅! お父さん、桃姉、梅! お父さん、お母さん、お父さん、桃姉、梅! 梅! お父さん、お兄ちゃん、お父さん――――」

「ん? 俺?」

「うん。蕾さんから届いてるよ~」

 

 ウキウキで年賀状の仕分けをしていた梅が、俺に一枚の年賀状を差し出す。確かに去年は夢野からあけおめーるが届いていたが、今年はまだ見ていなかった。

 受け取った年賀状の表を眺めると、流れるように綺麗な字で丁寧に宛名と住所が書かれている。恐らくは望ちゃん経由で梅の奴に聞いたんだろう。

 

『明けましておめでとう♪ 昨年は陶芸について教えて貰ったし、体調を崩した時とか本当にお世話になりました。米倉君のお陰で楽しい一年だったよ。今年も宜しくね!』

 

 裏を見れば色鉛筆で描かれた可愛い干支のイラストと、気持ちの籠ったメッセージ。ほんわかしつつ顔を上げれば、梅と姉貴がニヤニヤしながら覗きこんでいた。

 

「うめでとうお兄ちゃん! 良かったね~」

「へ~。ふ~ん」

 

 その顔がまたウザいのなんの……姉妹揃って張り倒したくなるな。

 とりあえず母さんから余っていた年賀状を貰い部屋に戻るが、いざ返事を出すとなると何を書いてよいかわからず試行錯誤。気が付けば家族で初詣に行く時間となっていた。

 例年は年明けに合わせて夜の出発だったが、今年は梅が阿久津達と行っていたため初となる昼の初詣。夜に比べると気温も暖かいし、来年以降もこうしようかなんて話が出る。

 

「合格しますように……合格したいです……合格させてください……」

 

 心の声が漏れているのか、盛大に鈴を鳴らし大きく手を叩いた妹が隣でブツブツと呟く。

 俺も両手を合わせると、普段は存在なんて気にも留めない癖に都合の良い時だけ頼ろうとしてごめんなさい。そんでもってウチの騒々しい妹が二度も顔を出して本当にすいませんでしたと、神様にしっかり謝っておいた。

 そして二週間後と二ヶ月後にそれぞれ私立と公立の受験を控える梅には合格祈願。俺には学業成就。姉貴には無病息災の御守りが母上から支給。父さんと姉貴と梅の三人が甘酒を飲んでいる間に昨年の御守りや御札を納め、米倉一家の初詣は終了した。

 

「ごちそうさまでした」

 

 帰宅した後で昼食に雑煮を食べれば、新年を感じさせる第三段階……というよりも正月らしい行事は大体終了。ぶっちゃけ正月気分を味わえるのは年が明けてから半日程度で、午後になった頃には普通の休日に戻っている気がしなくもない。

 例年ならゴロゴロまったり過ごすところだが、今年は悩んでいた夢野への年賀状を作成。結局シンプルになってしまった返事を書き終えた後で投函しに家を出ると、タイミング良くはす向かいの家の扉が開き幼馴染の少女が姿を現した。



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元旦(土) 久し振りのミナちゃんだった件

「よう。あけおめ」

「やあ。明けましておめでとう。今年も宜しく頼むよ」

 

 新年になっても私服は相変わらずボーイッシュ。ジーンズを履きニット服の上からコートを着ている、流水のような長髪がトレードマークの阿久津と挨拶を交わす。

 家の中から現れたのは幼馴染の少女だけではなく、その背後からひょこっと見慣れない少年が顔を覗かせる。身長が阿久津のお腹の辺りくらいまでしかない、まだ幼い男の子だ。

 

「みなちゃん、あれなに?」

「櫻だね」

「へえー。こんにちは! さくら!」

「こ、こんにちは……」

 

 人のことを物扱いしてから無礼に指さした上に、呼び捨てという出会い頭のトリプルコンボ。まだ顔を合わせて僅か二秒足らずだが、俺の中でこのガキんちょの評価は50点くらいにまで落ちた気がする。

 

「駄目だよ。ちゃんと櫻お兄さんと呼ばないとね」

「さくらおにいさん」

「はい。よくできました」

「えへへ」

 

 前言撤回。あの阿久津から「櫻お兄さん」なんて貴重な発言を引きずり出すとは、ナイスファインプレーだ。ただそれだけで頭を撫でられてるのは気に食わんがな。

 阿久津に手を握られた少年は、腕をブンブンと大きく振り回す。

 

「新年早々、大変そうだな。どこに行くんだ?」

「南小だよ。あそこには色々と遊ぶ物があるからね。そういう櫻はどうしたんだい?」

「ちょっと年賀状を出しにな」

「羨ましいね。ボクには一枚も来なかったよ」

「まあ今はそれが普通だろ。俺も去年は来なかったし」

「みなちゃん、はやくはやく!」

「まあまあ。そう慌てなくても学校は逃げないよ」

「はーやーくー」

 

 急かす少年に手を引っ張られて歩き出す阿久津。それを見ていた俺は取り出しかけた自転車の鍵をポケットに戻すと、二人に合わせて歩き始めた。

 

「あのね、ぼくすっごいんだよ!」

「その子は?」

「ハル君だよ。ボクの従兄の子供だね」

「えっと……要するに、はとこか?」

「いいや。はとこはボクの子供と従兄の子供の関係かな。ボクも呼び方が気になって調べてみたけれど、従兄の子供は従兄違いとか従甥(じゅうせい)と言うらしいよ」

「ほー。そうなのか」

「ねーえー」

「ゴメンゴメン。ちゃんと聞いているよ。何が凄いんだい?」

「あのねあのね――――」

 

 米倉家の親戚の集まりは明日だが、阿久津家では今日だった様子。近所から時々幼児の鳴き声が聞こえていたが、あれもひょっとしたら阿久津のところだったのかもしれない。

 しかしこのハル君、とにかく喋りまくる。休む間もなく「あのね」から始まり、少しでもスルーすると聞いて貰えるまで繰り返す……お喋り九官鳥と名付けてやろう。

 

「ハル君、何歳なんだ?」

「さんさい!」

 

 …………と言いながら指を四本あげるハル君。一体どういうことなのと阿久津を見る。

 

「早生まれだからまだ三歳だけれど、もうすぐ四歳で今度年長になるよ」

「ああ、成程な」

「いいかいハル君。まだ三歳だから指はこうだね」

「さんさい!」

「そうそう。よくできました」

「さんじゅっさい!」

「それは少し違うね」

「じゃあひゃくさい! えへへ」

「いつの間にお爺ちゃんになったんだい?」

「さくらはひゃくさい!」

「俺かよっ?」

「えへへ」

「櫻お兄さんだよ」

「さくらひゃくさいおにいさん。えへへ」

「全く……すまないね」

「別にいいっての」

 

 この脈絡のないぶっ飛んだ会話で笑うハル君。多分ウンコチンコ言うだけで無駄に喜んだりしそうだし、今になって考えると子供のツボってマジで意味がわからないな。

 いくら櫻お兄さんと正したところで、ハル君は阿久津が櫻と呼んでいるのを真似して呼び捨てにしている気がする。阿久津はそのことに気付いていないようだし、何かもう面倒くさいので呼ばれ方に関しては諦めることにした。

 

「ポストならそっちだけれど、こっちまで付いてきていいのかい?」

「南小の前にもポストはあるだろ?」

「気を遣ってもらってすまないね」

「どうせ家にいても暇してたから気にすんなって」

 

 その後もハル君によるあのねのねを聞かされながら、かつて通学路だった筈の道が驚くほど変わっていたことに寂しさを感じつつ歩くこと数分。俺達は懐かしの黒谷南小へと到着した。

 ポストに年賀状を投函してから校門の中へ入ると、似たような境遇で子供に引っ張り回されたと思わしき親子連れが何人か来ている様子。中には凧揚げをしている人もいるが、今日は風があまりないため調子は悪そうだ。

 

「わあーっ! にんにん!」

 

 安全の保証された校庭へ着いてから阿久津が手を離すと、弾けるように駆け出していくハル君。そして何をするかと思いきや、真っ先に取った行動は砂場へのダイブだった。

 

「うわー。お笑い芸人並に身体張ってるなー」

「はあ……多少なり汚れるとは思っていたけれど、いきなりとは参ったね。後で着替えとお風呂を用意してもらうよう連絡しておかないといけないかな」

「大変だな。ハル君の両親は何してるんだ?」

「従兄にはハル君の他に小学一年生の男の子と二歳の女の子がいるんだけれど、三人もいると流石に手が回らないみたいでね。大抵ボクが世話役を任されるんだよ」

「そりゃまた災難だな。親も親で任せっぱなしなのか」

「普段面倒を見て疲れている分、こうして集まっている時くらいはリラックスしたいだろうさ。それにボクとしても、子供の面倒を見るのは嫌いじゃないしWINWINだよ」

「成程な」

 

 こちらの苦労も知らず、起き上がるなりエヘヘと笑うハル君。更には見て見てと再びダイブしてからゴロゴロ転がる姿を前にして、阿久津が深い溜息を吐く。

 そして起き上がるなり両手を重ね、人差し指を伸ばす忍者ポーズを取った。

 

「にんにん!」

「ニンニン」

「えへへ」

「今の子供は忍者がブームなのか。あ、もしかして放送してる戦隊物が忍者とか?」

「いいや、何でも最近従兄夫婦が忍者村へ旅行に連れていったらしくてね。家の中でも兄弟揃ってやっていたし、単にハル君の中でのマイブームなだけだよ」

「成程な」

「あ! みてみてみなちゃん! きれいないしみつけた!」

「本当だ。綺麗だね」

「こっちにも! こっちにもあった!」

 

 砂場から出るなり、コンクリートの欠片を拾い始めるハル君。どれもこれも同じにしか見えないし、どの辺が綺麗なのかいまいちわからないが……まあいいか。

 

「ねーねーさくらー。いまからいしなげるから、どのいしかあてて!」

「ん? 動体視力の特訓か? 難しそうだな」

「め、つむって!」

「音だけで当てろとっ?」

「はーやーくー」

「わかったわかった。はい、瞑りました」

「いくよー?」

 

 瞑ったと言いながらちゃっかり薄目を開けておき、ハル君が投げた欠片の軌跡を追う。投げたのが石ならまだしも、欠片だと小さすぎて音とかほとんど聞こえないじゃん。

 

「はい! あてて!」

「よし。見てろよ?」

 

 投げられた欠片の落下地点は大体わかっているため、速やかに移動して候補を絞る。それっぽい欠片は何個かあったが、恐らくはこれだろう。

 

「わかった! これだ!」

「ぶぶー」

「んー。じゃあこっちか?」

「ぜんぜんちがう! にんじゃしっかく!」

 

 そんなこと言われても、生まれてこのかた忍者の修行なんてやったことがない件。仮に挙げるとすれば中学時代の運動会の種目で、忍者ハットリ君とかいう長い巻き物を片手に持って走り相手の巻き物を踏みつけるリレーがあったくらいか。

 自称一流忍者らしいハル君は、俺のいる落下地点とは見当違いの方向へ駆け出した。

 

「これでしたー」

「いやいや、さっきのと形とか違うだろ?」

「しょうがないから、もういっかいね」

「スルーですか、そうですか」

「つぎはみなちゃんも!」

「ボクもかい?」

「め、つむって!」

 

 どうせ違うと言われるだろうが、再び薄目を開けておく。保育園でボランティアをしている夢野は、一体どんな風な気持ちで子供達と触れ合っているんだろうか。

 ハル君の合図で目を開けた俺達は、それぞれ別の方向へ向かい欠片を拾い上げた。

 

「これだろ?」

「ぶぶー」

「これかな?」

「せいかい!」

「アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」

「全く、子供相手にムキになってどうするんだい? ボク達は大人なんだから、ちゃんとレベルを合わせてあげないと駄目じゃないか。薄目を開けてまで当てようとした罰だよ」

「うぐっ」

 

 出来レースに勝利した阿久津が溜息を吐きつつ呟く。相変わらずこちらの考えは完全に見透かされていたらしく思わずぐぬぬとなるが、確かに言う通りかもしれない。

 最初は綺麗な石探しをしていた筈なのに、気付けば石当てへと派生。更にハル君は校庭の遊具も本来の使い方ではなく、障害物として次々と新しい遊びを生み出していく。

 

「したにおちたら、まぐまでしぼうね!」

 

 半分だけ埋められたタイヤの陸地に上るなり、いきなりそんなことを言い出すハル君。どうせ自分は落ちてもバリアーを張ってるからセーフとか言うんだろう。汚いなさすが忍者きたない。

 

「お! ハル君。阿久津が落ちてるぞ?」

「あくつじゃないよ! みなちゃんだよ!」

「ん? あー、そうか……」

 

 阿久津の親戚となれば大半は阿久津姓であり、阿久津のことを阿久津と呼ぶ人はどう考えてもいない。ミナちゃんというのも、恐らくは従兄の呼び方を真似たものなんだろう。

 ハル君に訂正されて今更ながらそのことに気付いた俺は、先程阿久津に注意されたことを思い出す。ここで否定するのは容易い話だが、仮に俺の呼び方を真似して阿久津と呼び捨てにし始めるようなことがあっては教育上あんまりよろしくないだろう。

 俺はチラリと阿久津の方を見た後で、改めて名前を言い直した。

 

「そうだったな。ハル君、ミナちゃんが落ちてるけどいいのか?」

「みなちゃんはいま、むてきつかってるからせーふ! にんにん!」

「マジかよ」

 

 まあ確かにアイツなら無敵とか使えそうな雰囲気あるし、案外間違ってもないか?

 大体予想通りの反応に苦笑いを浮かべ、これでいいんだろと阿久津の方を見る。

 

「――――」

 

 しかしながら当の本人はと言えば、普段見せないような表情でこちらを見ていた。

 心なしか頬が染まり、唇を緩ませ、くすぐったいような顔つきだ。

 

「…………何だよ?」

「な、何でもないよ……」

 

 俺が声を掛けるなり、幼馴染の少女は俯き加減に視線を逸らす。

 確かに小学生以来の呼び方ではあったが、軽く流されるとばかり思っていたため、そんな反応をされるとは思わずこっちの方が照れてくるのだった。



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元旦(土) ラッキースケベが急停車だった件

「ねーねーみなちゃん。さくら。ておしずもうやろー」

「構わないよ」

「手押し相撲?」

「これのことだよ」

 

 そう言うなり阿久津は、パントマイムでもするかの如く両手の掌をこちらに向ける。そのジェスチャーを見た俺は、何だそれのことかと理解した。

 要するに手押し相撲というのは一種のバランス崩しゲーム。お互いの掌を押し合って相手の体勢を崩し、先に足が動いてしまった方の負けというアレのことらしい。

 重要なのは押すと見せかけて手を引くフェイントで、これを上手く使えば単純な力が弱くても相手の攻撃を空振りさせてバランスを崩させることができたりする。

 

「じゃあまずはぼくとみなちゃんね!」

 

 この身長差で一体どうやって勝負するつもりかと思いきや、阿久津は砂場の砂を平らにならした後でハル君と向き合うなり視線を合わせるようにしゃがみこむ。そして僅かに踵を浮かせると、それこそ相撲の立会みたいに不安定な姿勢を自ら取った。

 

「よーい、どん!」

 

 マイペースにスタートの合図をしたハル君が怒涛の突っ張り攻撃を放つ。最初は軽く受け流していた阿久津だが、反撃の隙を与えない連続攻撃が止まる気配はない。

 演技なのか本気なのか、少しして押され続けていた阿久津がバランスを崩す。そのままゆっくりと後退する身体を持ち直すことができず、少女は構えていた両手を後ろに突いた。

 

「ぼくのかちー」

「ハル君は強いね。ボクの負けだよ」

「えへへ。つぎはさくらね!」

「おう」

 

 先程の阿久津を真似するように、ハル君と向き合うなり踵を浮かせてしゃがみこむ。思っていた以上にアンバランスな姿勢のため、変に手加減をする必要もなさそうだ。

 既に勝利を確信しているのか、ウキウキなハル君が差し出してきた手を見ると俺の掌の半分ほどしかなく、クリームパンみたいに丸っこくて瑞々しい手だった。

 

「よーい、どん!」

 

 まるでハイタッチでも交わすかのように、阿久津の時と変わらず連続攻撃を仕掛けようとしてくるハル君。それを見越していた俺は手が重なった瞬間にカウンターの要領で力を込めると、小さく柔らかいプニプニした掌を一気に押し返した。

 作用反作用の法則で反動を受けてよろけたハル君は、後退し足を動かしてしまう。

 

「にんにん!」

「あれ? 今ハル君、動かなかったか?」

「うごいてない!」

「審判」

「問題ないよ。続行だね」

「八百長じゃねーか」

 

 例え仕切り直しになろうと、俺はわざと負けるつもりなど毛頭ない。世の中そんなに都合良くいかず、手押し相撲界の厳しさを教えるというのもまた大人の役目だ。

 再び配置につくと試合開始。しかしながらワンパターンの攻撃は至って読みやすく、今度はやや強めに放ったカウンターによる一撃必殺でハル君は完全に敗北を喫した。

 

「はっはっは。どうだ? 櫻お兄さんは強いだろ?」

「全く、キミって奴はどうしてそうなんだい?」

「いやいや、甘やかしすぎるのは良くないだろ。世の中は厳しいんだし、ちゃんと超えるべき壁を作ってやらないとな」

「つぎはさくらとみなちゃんやって!」

「ん?」

「え?」

 

 てっきりトーナメント方式かと思いきや、まさかの総当たり戦だった模様。唐突なハル君の発言に対して、俺と阿久津はお互いに顔を見合わせた。

 

「ふむ。ハル君の敵討ちをするのも悪くないね」

「ほう? 俺に勝てるかな?」

 

 俺達は互いに向き合うなり両手を前に出して構える。先程のようにしゃがんでの勝負ではなく、本来の手押し相撲のスタイルである立ちながらの勝負だ。

 

「みなちゃんがんばれー」

「いつでもいいぞ」

「それじゃあ始めようか。ハル君、スタートの合図をお願いできるかい?」

「よーい、どん!」

 

 試合開始直前に一方だけ応援をするという不平等な審判の言葉を合図に、阿久津が素早く両手を押し出してくる。相手がどの程度の力を込めているのかを見抜くため、あえて受け流しの体勢を取ると重なった掌同士がバチンと音を立てた。

 間髪入れずに放たれた追撃が迫ってくるが、今度は手を左右に逃がしてひらりとかわす。やや前傾姿勢になった少女の掌へカウンターを仕掛けるが、阿久津は先程の俺同様に掌を後方へ引かせることで攻撃を受け流した。

 どうやらコイツの力の込め具合は大体七割ほど。俺のカウンターに負けない力加減かつ、仮に攻撃を空かしたところでバランスを崩して自爆しないギリギリの強さを保っている。

 互いに牽制の応酬ばかりで、致命打には中々繋がらない膠着状態が続いた。

 

「中々やるね」

「そっちもな」

 

 実はこの手押し相撲、アキトの奴が無駄に得意だったりする。前にクラスの男子連中で勝負した際には無双していた訳だが、後になって話を聞いたところちょっとしたコツがあるようで、しっかり伝授させてもらった。

 まず一つ目は真っ直ぐに立つのではなく、微妙に内股になっておく。こうすることで正面から受けた力を真後ろだけでなく斜めに分散させることができ、足の親指にも重心がかかりやすく安定した状態を維持できるらしい。

 そしてもう一つは相手を押す際にも真っ直ぐ押さずに、下から上へ押し上げるようにする。これによって腕の力だけじゃなく、足腰を使うためより大きな力で押すことができるとのことだ。

 

「ふんっ!」

「!」

 

 そして千載一遇のチャンスは訪れた。

 俺が両手を押し上げると、阿久津はカウンターを仕掛けようとしていたのか掌に重い感触が伝わる。しかし内股気味の俺が体勢を崩すことはなく、相殺した力も僅かにこちらが勝っており阿久津の上半身は大きく後退した。

 必死に体勢を戻そうとする少女へ、俺はトドメの一撃を加えるべく両手を伸ばす。

 

「もらった!」

 

 …………が、あまりにも勝ちを焦り過ぎた俺は力を込め過ぎていた。

 それこそ半分ほどの力で押すだけでも充分に阿久津を倒すことはできた筈なのに、あろうことか全力で押してしまった俺の一撃は瀕死の少女に回避されてしまう。

 

「うぉっ?」

 

 勢い余った俺は大きく腰を曲げて前傾姿勢に。普通なら衝突を避けるため斜め前に一歩踏み出すところだが、ここで思わぬハプニングが発生した。

 このアキト直伝の内股作戦、後方への耐久力は飛躍的に上昇するものの、前方へバランスを崩した場合は外側へ足を踏み出しにくい。ちゃんと慣れていれば緊急時の対応もできるのかもしれないが、俺が実践で使ったのはまだ片手で数える程度だ。

 

「――――っ!」

 

 そんな致命的な弱点に気付いていなかった上、勝利を確信して完全に油断していたこと。更には前傾姿勢になった際、ニットの服を緩やかに膨らませている阿久津の胸が目の前に迫り動揺してしまったのも良くなかったと思う。

 結果として足をもつれさせた俺は、後方へ大きくバランスを崩していた阿久津を巻き込み、覆いかぶさるようにして思いきり倒れ込んでしまった。

 

『ふにゅ』

 

「!」

 

 …………おかしいな。デジャブなのか、前にもこんなことがあった気がするぞ。

 顔を埋めた鼻先に伝わる柔らかい感触。季節が冬ということもあって服の生地は厚いが、そのソフトな質感は明らかに衣服によるものではなかった。

 過去に同じような経験をしているからこそ、脳はパニックにならず冷静に分析する。

 

「んっ……ううん……」

 

 恍惚としていたのも束の間、頭上から聞こえてきた少女の声を耳にして我に返った。

 足元が校庭の地面に比べれば柔らかい砂場であり衝撃は少なかったとはいえ、仰向けに倒れたとなればどこか打っているかもしれない。

 禁断の領域への名残惜しさを感じつつも、ゆっくりと身体を起こす。

 

「悪い…………大丈夫か……?」

 

 数センチ頭を上げたところで、今の状況を再確認。やはり数秒前まで顔を埋めていた位置は少女の慎ましい……いや、一年前よりは僅かに成長した気もする胸だった。

 倒れていた阿久津は後頭部や背中を強打した訳でもなく、意識はしっかり保っており呼吸もしている。それを見た俺は、ホッと胸を撫で下ろし安堵の息を吐いた。

 以前はスケベの烙印が押されたり気まずい空気が尾を引かないかと危惧していたが、阿久津がこうした事故に対しては気にすることもなく許してくれるとわかっている今ではそんな不安もない。

 どうせ今回もケロっとしながら「今のは勝敗がわからなかったから、もう一度やろうか」とかなんとか言い出すんだろう。そう思いつつ、俺は何事もなかったかの如く平気そうな顔を浮かべているであろう阿久津に手を差し伸べ――――?

 

「……………………」

「あ、阿久津? 大丈夫か? どこか怪我したのか?」

 

 俺が予想していたクールな少女は、そこにはいなかった。

 上半身を起こした阿久津は、俺の手を握り返すことなく黙ってこちらを見ている。その目はジトーっとした感じで、明らかに何かを言いたげな様子だ。

 

「ど、どうしたんだよ?」

「だからあくつじゃなくてみなちゃんだってば!」

「お、おう……そうだったな」

「みなちゃん、どこかいたいの? ぼくがいたいのいたいのとんでけしてあげよっか?」

「ありがとう。大丈夫だよ」

 

 俺の呼びかけはスル―しておきながら、ハル君に対しては応える阿久津。僅かに頬を膨らませている少女は、明らかに先程の事故を意識しているようだった。

 いやいや、前に同じようなことがあった時は全然気にしないで「問題ない。次はボクの攻撃だね」とか言ってたじゃん。そんな目で俺を見ることとか無かったじゃん。

 

「よかった。じゃあみなちゃんのかちー」

「えっ? 今の阿久……じゃなくて、ミナちゃんの勝ちなのかっ?」

「うん!」

「…………キミの反則負けだよ」

「えっ? 反則って……あ、あの、阿久津さん? 怒ってます?」

「さあね」

 

 ボソッと小さな声で呟く阿久津。ハル君による訂正が再三に渡り行われるが、幼馴染の予想外な反応に驚いている俺はそれどころではない。

 

「あく……じゃなかった。ミナちゃん? おーい、ミナちゃーん?」

 

 先程ミナちゃん呼びした時の反応といい、今日は妙に普段らしくない一面を見せる少女は、ゆっくり立ち上がると服や髪についた砂を軽く払う。

 俺は正面に回り込んで顔色を窺うが、ぷいっとそっぽを向かれる始末。その後も何度も回り込んでみたものの、阿久津は暫くの間こちらと顔を合わせてはくれなかった。



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元旦(土) 駄々っ子は子育ての悩みだった件

「もしもし? 水無月ですけれど、今から帰ります。それでハル君の服なんですが、申し訳ないことに泥だらけになってしまいまして…………はい。お願いします」

 

 何だかんだで一時間以上は遊んだだろうか。阿久津の機嫌も何とか元に戻ったらしく、家に帰る旨を電話で伝え終えた少女は大きく息を吐いた。

 ちなみにハル君はといえば、遊ぶことに全力を出し切ってしまい歩く体力すら残っていない様子。阿久津が電話を掛けていた今は俺がおんぶしているが、どうやらあっという間に眠ってしまったのか背中からは寝息が聞こえている。

 

「すまないね。代わるよ」

「寝ちゃったみたいだし、このままでいいぞ」

「大丈夫かい?」

「これくらい余裕だっての」

 

 とか言ってはみたものの、ぶっちゃけ結構重かったりする。なあハル君よ、そろそろおんぶは卒業して、自分の足で歩いて帰る体力を残すことを覚えような。

 それでも不定期ながら続けている筋トレの成果を見せるには丁度良い機会かもしれない。数年振りにやってきたものの通学路と違い何一つ変わる気配のない小学校を改めて見渡した後で、俺は阿久津と共に校門を抜けて帰路に着く。

 

「本当にすまないね。すっかりこんな時間まで付き合わせた上に、服も汚してしまって」

「気にすんなって。何だかんだで楽しかったし、いい気分転換になったよ」

「気分を転換する必要があるような正月を過ごしていたのかい?」

「いや、寧ろ正月気分を終わらせる意味での気分転換だな。昨日と今日は単語の記憶をサボっちったし、冬課題の残りもちょっとだからさっさと終わらせないと」

「…………」

「ん? 何だよ? そんな顔をして」

「キミは誰だい?」

「米倉櫻だゆぉっ? 頬を引っふぁんな頬を!」

 

 人がハル君をおんぶしていて手出しできないのをいいことに、俺の頬を摘むなりグニグニ上へ下へと引っ張る阿久津。痛みを感じるほど強く引っ張られてはいないし、異性に触られるというのは中々に新鮮であり気分は悪くなかったりする。

 しかしどこぞの怪盗じゃあるまいし、ベリっと剥がれて正体を現したりする訳がない。ひとしきり俺の頬で遊んだ少女は、ようやく手を離すと腕を組んで納得した。

 

「ふむ。夢じゃないみたいだね」

「本人確認じゃなかったのかよっ? 夢かどうか調べるなら自分の頬を引っ張れよ!」

「いや、すまない。正直、驚いてしまってね。まさか冬休みも単語の記憶を続けているとは思わなかったし、冬課題だってキミのことだから未だに手を付けていないんだろうと決めつけていたよ」

「そりゃまあ、今までの行いを考えればそれが普通だし疑うのも仕方ないけどな。それにそんなに驚いてるけど、阿久津は冬課題なんてもう終わらせてたりするんだろ?」

「終わらせたのは昨日だけれどね。年を越す前に済ませておきたかったんだよ」

「流石だな」

「そんなことないさ。キミだって頑張っているじゃないか。英単語を一通り覚え終わったら次は文法だね」

「…………」

「ん? そんな顔をして、どうしたんだい?」

「いや、何でもない……」

 

 心の奥底では阿久津に物凄く褒めてもらえるんじゃないかなんて、早乙女みたいなことを考えて頑張っていたものの、さらりと新たに激重な課題を提示されてげんなりする。

 正直に言って、御褒美の一つや二つ貰ってもおかしくないくらい努力した。それこそいつぞやみたいに膝枕をしてくれるとか、そんな妄想を幾度となく繰り広げたことか。

 まあ勉強は誰のためかと言えば自分のためなんだし、阿久津に対価を望むのは間違っていると充分理解しているが…………もしも勉強したら癒してくれる異性を一人一人に配備する制度とかが始まれば、日本の学力って物凄く上昇するんじゃね?

 

「そういえば宝くじはどうだったんだい?」

「全部外れだ」

「それはまた残念だったね」

「まあ元から大して期待はしてなかったし、ウチも明日には親戚の集まりがあるから暫くはお年玉で何とかなるさ」

「仮に子守り役が必要だったら、呼んでくれれば今度はボクが付き合うよ」

「いや、ウチは集まるのが婆ちゃんの家だし、まだ結婚してる従兄もいないからこういう風に子守りをすることはないな」

「ふむ。それなら役に立てそうにないね」

 

 逆に言えば子供が生まれた場合、今回みたいな状況が訪れる可能性がある訳か。まあ仮にそうなったとしても、梅辺りが面倒を見ると思うし多分何とかなるだろう。

 

「そっちは随分と盛り上がってたみたいだな」

「そうだね。親戚一同による、叩いてかぶってジャンケンポン大会で白熱していたよ」

「遊びが古いっ! 従兄はゲームとかやらないのか?」

「ボクよりも年上ばかりだし、基本的に遊ぶ場合はトランプが多いかな。優勝者には図書カードなりクオカードの景品も用意されてね」

「へー」

 

 阿久津家の正月事情なんて今まで知る機会が無かったが、やはり一人っ子の正月は色々と違う様子。トランプなんて陶芸部で週に二、三回は遊んでるのにな。

 

「その叩いてかぶってジャンケンポン大会は誰が優勝したんだ?」

「父親さ」

「流石は現職警察官」

「今年は少しハプニングもあったんだよ。用意されたのがボクの生まれた時から使っていたプラスチック製の桶だったんだけれど、それが叩いた際に壊れてしまってね」

「プラスチックが壊れたって、何で叩いてたらそうなるんだ?」

「新聞紙を軽く丸めただけの、柔らかい棒さ」

「そりゃまた恐ろしい親戚がいるもんだな。ゴリラ並のパワーなんじゃないか?」

「壊したのはボクだよ」

「え」

 

 思わぬ種明かしをした後で、阿久津は肩を落としつつ大きく溜息を吐く。軽率な自分の発言を後悔するが、少女が落ち込んでいたのは全く別の理由だった。

 

「長年使われていた物だから多少なり脆くなっていたんだろうけれど、かれこれ17年の歴史を持つ大事な物を壊してしまったと思うと気が重くてね」

「そうは言っても、形ある物はいつか壊れる訳だしな。こればかりは仕方ないだろ」

「キミの言う通りだよ。ボクも頭ではわかっていたつもりだったけれど、何だかんだでショックは隠せなかったかな。そんな時に丁度ハル君がぐずりだしたから、気分転換にボクも付き添うことにしたのさ」

 

 こうして外に出て遊んだことで少しは気が晴れたらしく、話している阿久津の口調は軽い。前に冬雪が言っていた通り、悩んでいる時は身体を動かすに限るってことなんだろう。

 

「しかしこの辺りも、少し見ないうちに随分と変わったね」

「ああ。向こうにあった中華料理屋が無くなってたのはショックだったな。学期末で午前授業になった時、帰り際に覗いてみたら窓ガラスの向こうで先生達が御飯食べてたことがあったのとか覚えてるか?」

「懐かしいね。区画整理も進んで知らない道も増えているし……ここは何の店だろうね?」

「何だろうな? 雰囲気的に居酒屋とかじゃないか?」

「居酒屋なら行くことはなさそうかな。ボクも付き合いで少しお酒を飲まされたけれど、何が美味しいのか全くもってわからなかったよ」

「おい警察官の娘」

「仕方ないじゃないか。ボク以外の親戚は全員二十歳を超えているし、その警察官が「これはお神酒だから問題ない」なんて言って奨めてきたんだからね」

「いい加減だな…………ん? ああ、そういうことか!」

「何がだい?」

「いや、何でもない。こっちの話だ」

「?」

 

 阿久津の様子が普段と違い、色々とおかしかったことに思わず納得する。恐らくは飲まされたお神酒のせいで、一種のほろ酔い状態になっているんだろう。

 当の本人に自覚はないみたいだし、ここは余計なことを言わずに黙っておいた方が良さそうだ。寧ろ阿久津同様にお神酒を飲んでいる俺は大丈夫なのか不安になってくるな。

 

「さてと……ハル君。家に着いたよ」

「んぅ…………?」

「無理に起こさなくてもいいんじゃないか?」

「どうせこの後で着替えてお風呂に入ることになるからね。櫻、下ろしてくれるかい?」

「そういうことなら……よっと」

 

 泥だらけの身体をゆっくり下ろすと、ハル君は寝惚け眼を擦る。空いていた手を阿久津が握ると、寝起きの少年の意識が少しずつ覚醒していくのが手に取るようにわかった。

 

「ほら、ハル君。お風呂が待っているよ」

「おふろ……みなちゃん、いっしょにはいろう?」

「ぶっ」

「ボ、ボクとかい?」

「うん。みなちゃんいっしょがいい」

「お家に帰ったらママもパパも待っているよ?」

「やだやだ! みなちゃんといっしょ!」

「ママやパパと一緒に入らないのかい?」

「やーだーやーだーやぁーだぁーっ!」

 

 最後の最後になって本日一番の駄々をこね始めるハル君。これには流石の阿久津も困った様子で、どうしたものかという表情を浮かべている。

 

「仕方ないね。構わ――――」

「駄目だ阿久津! こういうところで甘やかしたらいかん! ちゃんと親にやらせろ!」

 

 ほろ酔いのせいか危うく了承しかけた少女の言葉を即座に止めた。ハル君よ、そんな我儘が許されると思ったら大間違いだ。俺だってミナちゃんと一緒に入りたいんだぞ?

 

「甘やかすなと言われても、ハル君はまだ子供じゃないか。それにボクも汚れているし、どうせ入ることになるなら別にハル君と一緒でも同じことだろう?」

「いいかよく聞け阿久津。仮に電車の中で泣いている子供がいたとする。そして親が静かにさせようと努力していたなら、子供なんだからと暖かく見守って許すのはいいことだ」

「そうだね」

「ただ親が何もせずに、泣いているのは子供なんだから仕方ないと言い出すのはおかしいだろ? 子供なら座席に靴で立っていいのか? 荷台に上がって良いのか? 世の中には守るべきルールってものがあるだろ」

「それは……そうだけれど……」

「例え子供だろうと守るべきルールを破った場合、子供なんだから仕方ないと許すんじゃなくて、注意してあげることこそがその子供のためになるんだ。違うかっ?」

 

 ルールを破った時まで子供なんだからと許してしまうのは寛容じゃない。ただの妥協だ。

 そして言っておくがこれは断じて嫉妬じゃない。ただの躾だ。

 

「キミの言うことも一理あるけれど、幼稚園児にはまだ少し早くないかい?」

「…………」

「………………」

「ハル君は大きいから、もう一人でお風呂に入れるよな?」

「やだ」

「ミナちゃんと一緒じゃなくても、一人でできるもん!」(裏声腹話術)

「やーだー」

「ほら見ろ! 大丈夫だって言ってるぞ!」

「キミの頭が大丈夫かい?」

「それでも駄目だ! とにかく駄目だ! 絶対駄目だ!」

「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだーっ!」

 

 まるでラッシュでも打ちそうな勢いで騒ぎ始めるハル君。中々に信念を曲げない黄金の精神を持っているようだが、こちらも負けるわけにはいかない。

 

「やっぱりボクが――――」

「しなくていいから! 泣けば思い通りになると勘違いした我儘小僧になるぞ! 両親だって育て方の方針とかあるんだろうし、お前がそこまでやる必要はないっての!」

「方針……確かにそうかもしれないね」

「ハル君の将来のためを思うなら、駄目なことは駄目とはっきり言うべきだ。わかったら早く親の所に連れていけ。そんでもってお前は少し休め」

「ふむ。ひとまずそうさせてもらおうかな。さあ、行こうかハル君」

「やぁーーーーーだぁーーーーー」

 

 これくらいのことも正常に判断できないなんて、やっぱり阿久津は酔っていたんだろう。子供の面倒を親が見るのは当然の話だ……うん。俺の言い分は間違ってないよな?

 こうして思い通りにならず泣き叫ぶハル君は、警察官の娘によって家へと連行されていくのだった。これも忍者ならばインガオホー! オタッシャデー!

 

「ふう…………ただい……ま……?」

「梅と!」

「桃の!」

「「梅桃コント~」」

「…………」

「それではどうぞ」

「聞いて下さい」

「「ちょっといい気分」」

 

 ドアを開けるなり、玄関前でニヤニヤ顔の姉妹が出迎える。

 スマホの画面をタップするなり音楽が鳴り出し、リズムに合わせて謎ダンスが始まった。

 

「梅桃コントが始まるよっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「今日はぶっつけ本番でっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「蕾ちゃんから年賀状っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「新年早々ミナチャンスっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」

 

「それでは皆さんまた明日っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ちょっといい気分~♪」」(ハモリ)

「「ハイッ!」」

 

「どうも」

「ありがとうございました~」

 

「…………」

「あうっ!」

「痛いっ! ちょっと櫻~? 暴力反対よ~」

「やかましいわっ!」

 

 脳天チョップをかましてもニヤニヤが止まらない姉妹をよそに、新年一日目にしてドッと疲れた俺は自分の部屋へと戻るのだった。どいつもこいつも酔っ払い共め!



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一日目(水) 修学旅行の始まりだった件

 新年を迎えてから一週間が経つと、残っていた冬休みもあっという間に終了。三学期が始まると共に三年生がセンター試験を目前に控える中、俺達二年生の間では空前絶後のカップルブームが怒って……いや、起こっていた。

 その理由は高校生活三年間に置いて一度しかない文化祭以上の一大イベント、修学旅行が迫っていたため。大切な思い出を恋人と過ごしたいという気持ちは男女共に同じらしい。

 現に俺達C―3のクラス内でも、そこはかとなく幸せオーラを出している疑わしい人物が複数名おり、バレンタインでもないのにソワソワしながら過ごす奴も多かった。

 

「そんじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃ~い! お兄ちゃん、パイナップルチョコちんすこうだからね? 普通のちんすこうじゃないからね? 絶対に買ってきてね?」

「へいへい。何回目だよそれ? ちゃんと買ってくるっての」

「イエ~イ! ちんすこちんすこちんすこすこ♪」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ?」

 

 そして二週間が過ぎ去るとセンター試験も終わり、三年生が残り数日で家庭研修期間に入ろうという時期の中で俺達は修学旅行当日を迎える。

 CハウスとFハウスの二泊三日の旅の行き先は沖縄であり、空港に集まった生徒達は飛行機に搭乗。俺にとっては初めての飛行機体験であり、今か今かと中々離陸しない飛行機が動き出し浮かび上がった瞬間は感動ものだった。

 

「スゥー、ハァー。スゥー、ハァー」

「おいアキト、大丈夫か?」

「ツヅキヲ……クイズノツヅキヲ……」

 

 そんな感動とは裏腹に、大空へ飛び立った巨大な鉄の塊の中で余裕のない男が一人。

 普段のオタク口調を喋る余裕すらなく、俺の隣で呼吸を荒くしながらロボットみたいにカタコトの返事をしているのは親友の火水木明釷(ひみずきあきと)。驚いたことにこのガラオタ、実は高所恐怖症だったらしい。

 その衝撃的事実を聞かされたのは、ほんの数十分前のこと。大丈夫なのか尋ねたところ「寝れば問題ないと思われ」なんて言っていた癖に、いざ離陸した結果がこのざまである。

 

「あ、ああ。えっと……辛に線を一本足すと幸になるけど、幸に線を二本足してできる漢字って何だ?」

「ミナミ」

「くそっ、正解だ。後は……そうだ! あれがあった! スイカ、バナナ、りんご、ももを積んだトラックが走っている。このトラックが急カーブで落としたものは何だっ?」

「ソクド」

「うぐ……あ! とっておきのを思い出したぞ! 生年月日が同じで両親も同じなのに、その子供達は双子じゃない。それは何故だっ?」

「ミツゴダッタカラ」

「即答かよっ!」

「ツヅキヲ……クイズノツヅキヲ……スゥー、ハァー。スゥー、ハァー」

 

 クイズ番組や学校行事の催し物で出されていたなぞなぞを思い出して片っ端から出してみるものの、無駄に頭の回転が早いアキトには全てが秒殺されていく。

 最早このクイズゾンビを止める方法は……いや待て。考えてみれば別にクイズじゃなくても、コイツの気が紛れさえすれば何でも良いんだ。

 

「食パンの袋を留めてるアレの名前は?」

「バッグクロージャー」

「くっ……視力検査のCのやつの名前は?」

「ランドルトカン」

 

 …………こういう奴が高校生クイズとかに出場するんだろうな。

 なぞなぞが駄目なら雑学方向へとシフトしてみたものの、その情報源はネットで見たものばかり。ガラオタであるコイツも俺と同じ記事を見ていたに違いない。

 

「段差に落とすと面白い、虹色のバネの奴の名前はっ?」

「………………」

「おっ?」

「シラナイ……コタエハ?」

「ふっ……俺が知ってると思うか?」

 

 後になってから調べてみたところ、正式名称はスリンキーとのこと。由来は『しなやかで優美』という英単語らしいが、言われてみれば玩具が主役だったネズミーの映画において身体がバネになってる犬の名前もそんな感じだったっけな。

 最終的には出題者である俺が、物の名前を尋ねるだけの質問大会と化す。床屋の前にある三色のぐるぐる回る看板がサインポール(または有平棒)なんて正式名称だとか、知ったところで今後の人生において役に立つ機会は滅多にないだろうし、仮にあったところでその頃には忘れていること間違いなしだろう。

 

「…………ヨネクラシ」

「何だ?」

「ボクノクビヲシメオトシテクダサイ」

「無茶言うなよっ! 目を瞑って素数でも数えてろ!」

「ソスウ……ニ、サン、ゴ、ナナ、ジュウイチ、ジュウサン、ジュウナナ――――」

 

 前日を徹夜で過ごして寝る準備は万全とのことだったが、結局不安なのか眠れない様子。気を紛らわせるためのクイズもネタ切れになったため、羊を数える要領で素数をカウントさせてみる。

 

「なあ渡辺(わたなべ)。何かクイズとか知らないか?」

「ふー。ふー」

「渡辺?」

「悪い。酔った……」

「………………御客様。御客様の中で、渡辺の背中を擦りたい方はいらっしゃいますか?」

「――――ロクジュウナナ、ナナジュウイチ、ナナジュウサン、ナナジュウキュウ、ハチジュウ……サン、ハチジュウ……キュウ、キュウジュウ…………ナナ、ヒャク………………イチ――――」

 

 他のクラスメイト達はワイワイ楽しんだり、呑気な男子連中なんて機内で見つけたゆるふわ系スッチーをナンパしに行ったというのに、どうして俺だけこんな目に遭っているのだろうか。

 三桁間近になってようやく暗唱速度が下がってきた素数マシーンのアキトと、イケメンなのにエチケット袋を握り締め呼吸を荒くしている渡辺に挟まれながら空の旅は続く。

 まあそれでも窓の外に広がる空みたいに綺麗な海や、丸く見える地球。時折機長が案内する島の数々は、それなりに見ることができたから良しとしておこう。

 

『皆様。只今沖縄、那覇空港に着陸致しました。これより、駐機場まで移動して参ります。シートベルト着用のサインが消えるまでお席でお待ちください――――』

 

 着陸直前や着陸の瞬間は結構揺れもしたが、約二時間半に渡る高度一万メートルの旅は無事に終了。現在の外の気温等についてアナウンスが聞こえてくる。

 音読した数字が全て合っていたのか判断する術はないが、最終的に四桁の1009まで素数を暗唱してみせたガラオタは安心するように大きく深呼吸をした。

 

「アキト、生きてるか?」

「ハイ」

「今の高度は?」

「ロー」

「オーケー。問題ないな。渡辺は大丈夫か?」

「まだ外に出たら駄目なのか……? 空気が吸いたい……」

「ああ。まだみたいだな。それと一応言っておくが、お前が今吸ってるのも空気だぞ?」

「ふー。ふー。酸素が欲しい……」

 

 乗り物酔いの対応は阿久津で慣れているが、生憎と今は飴の持ち合わせがない。帰りの時には何かしら酔い止めになりそうな物を用意しておいてやろう。

 鮮やかなステンドグラスが目に入る空港で、人数確認を終えた頃には二人とも完全に回復。この後のバス移動は大丈夫なのか不安だったが、長時間でなければ渡辺も問題ないらしく俺達は『めんそーれ』の文字に見送られながら出発した。

 

「なあアキト。一つ聞いてもいいか?」

「今の拙者に答えられないことなど、ほとんどない!」

「確かお前、前に俺達がネズミースカイに行くって話になった時に「拙者が行った場合は七人になって、何をするにも半端になるお」とか恰好良いことを言ってたよな?」

「あー……確かにそんなことを言ったような希ガス……」

「今になって思えば、あれって単にお前が乗り物に乗れなかっただけだろ?」

「どう見ても高所恐怖症が原因です、本当にありがとうございました」

「よし、卒業旅行はネズミー決定だな」

「テラヒドス! 仮にそうなった場合、拙者は延々とハニーハントしてるお」

 

 そんな雑談をしながらバスの外の景色を見てみると、空港付近の海もそこそこ綺麗だったが更にそれを上回る美しい海が広がっていた。

 沖縄は雨が多いと聞くが、今年は天候にも恵まれた様子。向こうでは手袋とマフラーが必須の寒さだったがこっちは完全に不要であり、学ランを脱いでYシャツの腕を捲り始める者も何人かいる中、最初の見学場所である平和祈念資料館へ到着する。

 

「…………」

 

 名前が『塔』なだけに、最初は高くそびえ立っている建造物を想像していたが、実際にそこにあったのは白い横長の慰霊碑。そこには犠牲者の名前が刻まれていた。

 中に入り資料館の見学をした後は、講和を聞いて歴史を学ぶ。証言がリアルなVTRを見たり、生々しい展示の数々を見たりして具合が悪くなった生徒も何人かいたようだ。

 

「大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫。ごめんね」

 

 友人の相生葵(あいおいあおい)もそんな生徒の一人。女子のように高い声の美少年は外に出るなりそう答えるものの、やはり気分が優れないのか青白い顔を浮かべている。

 

「無理はするべきじゃないお。ぶっちゃけ拙者も先程金縛りに遭ったですしおすし」

「えっ?」

「お前のは単なる睡眠不足だろ」

「フヒヒ、サーセン」

 

 もっとも自称霊感のある生徒が言うには、ここには何かしら感じるものがあるとのこと。どうにも胡散臭くて信用ならないが、まあ単に俺が鈍いだけかもしれない。

 平和祈念資料館の後に向かったのはガマと呼ばれる洞窟だが、これまた自称霊感のある生徒曰くこっちの方が格段にヤバいとのこと。その真偽はともかくとして、実際のところ葵を含めた何人かは体調が優れず中には入らないまま外で待つことになった。

 

「………………」

 

 塔の次は洞窟とダンジョンみたいな名前の場所が続くが、今回は本当に文字通り完全な洞窟。それも人が生活していたとは思えないくらいに中は暗かった。

 ガマにも色々な種類があり、歩くには適さないゴツゴツした岩場を進んだり狭い所を潜り抜けるような場所もあるそうだが、俺達が入った場所はまだマシな方とのこと。それでも心なしか重苦しく感じる冷たい空気が漂っている気がした。

 

「黙祷」

 

 懐中電灯を消した俺達は、ガイドさんの声に合わせて一分間の黙祷を行う。

 目を開けようが閉じようが暗闇の空間……隣にいるクラスメイトの姿すら見えない。

 

「………………」

 

 修学旅行って、こんな感じだったっけ?

 我ながらそう思ってしまうくらいに真面目な空気だったものの、歴史を学ぶための旅をしていたのはこの辺りまで。ガマ見学を終えた後で再びバスに乗りホテルへと移動した頃になると、飛行機に乗っていた時と同じいつもの雰囲気へと戻るのだった。



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一日目(水) ホテルがリゾートでデートスポットだった件

「すっげーっ! 広過ぎだろっ?」

「見て見て! プールまである!」

 

 昼の見学は嵐の前の静けさに過ぎなかったとばかりに、ホテルへ到着するなり騒ぎ立てるクラスメイト達。それもその筈で、俺達が泊まるホテルはとてつもないリゾートだった。

 一言で説明するならとにかくでかい。プールどころかプライベートビーチやゴルフ場まであると聞いて、人生で二度と来ることができない場所に感じたくらいである。

 

「おっしゃ! アキト、葵、行こうぜ」

「う、うん!」

「これはワクテカですな」

 

 到着するなり着替えた俺達は当然のように探検を開始。学校によっては修学旅行全体で私服が許可されている高校も多いそうだが、俺達屋代の生徒はホテル内のみ私服が許可されていた。

 休日に行われた打ち上げに参加する以外では決して拝むことのできないクラスメイトの貴重な私服姿に男女双方の目が光り、ここで大きくポイントを上げる者も多いだろう。

 

「川村さんとか、結構可愛くね?」

「いやいや、菅原さんも中々のセンスだぞ」

 

 俺はファッションに詳しくないので、正直センスの良し悪しはわからない。そんなことをヒソヒソと話している非モテコンビ、太田黒(おおたぐろ)但馬(たじま)の私服だって可もなく不可もない、至って普通の私服に見えた。

 まあ結局のところファッションなんて同じ服を着ても顔次第みたいなところがあるし、そもそも男子で洋服に気を遣う奴は大抵クラスカーストの中位から上位な気がする。モテる男子がオシャレなのか、はたまたオシャレだからモテる男子なのか…………。

 

「火水木くーん。写真撮ってくれなーい?」

「了解でござる」

 

 そんな野郎共に対し、普段からショッピング等に行くことが多いであろう女子の私服は全体的に新鮮。陶芸部である冬雪以外の私服は初めて見たが、ファッションについては分からなくとも可愛いと感じるものはある。

 今日もしっかり後ろ髪を編み込んでいる目隠れ少女、如月閏(きさらぎうるう)辺りはTシャツにロングスカートとシンプルだが、逆にそれはそれで意外にボリュームのある胸を強調させていたり。当の本人は絶対に気付いてないだろうけどな。

 

「おい聞けお前ら! 相生が男湯に入ってくれるぞ!」

「嘘だろっ? マジかよっ?」

「大丈夫だ我が息子よ。例え相生の正体が女じゃなくても、ふたなりという可能性がワンチャン…………くっ、鎮まれ! 鎮まりたまえ!」

「相生氏。もしも貞操の危機を感じたら拙者と米倉氏に任せるお」

「そうだな。何なら片っ端から金玉蹴り飛ばしてもいいぞ」

「えぇっ?」

 

 しかしながらクラスの男子連中が囃したてる気持ちもわからなくもない。言葉にこそ出さなかったが、華奢で細身な葵の裸体は後ろから見ると確かに女子みたいだった。

 大理石の豪華な風呂に入り、美味しい夕飯を食べ終えた後は完全な自由時間だ。

 ある者はカップルで驚くほど広いホテルの敷地内にあるイルミネーションを見に行き、またある者はカップルで満天の星空を眺めるためプライベートビーチに向かう。

 

「櫻を潰せぇっ!」

「応!」

「えぇぇっ?」

「サバイバル戦なのに集中攻撃かよっ?」

 

 …………そして俺達C―3男子はと言えば、大乱闘の真っ最中だった。

 クラスメイトの半分近く……主にカースト下位を中心とした野郎共が一部屋に集合し、但馬の持ってきた据置と携帯の両方に対応しているハイブリッドなゲーム機をホテルのテレビ画面に繋いでのゲーム大会もとい、傷の舐め合いである。

 

「おいっ? あそこでフラッグを掲げてストック増やそうとしてるセコい奴がいるぞっ?」

「今はお前を潰すのが先だっ! 行くぞ相生っ!」

「う、うん!」

「くそ……おっ? よっしゃ! 行けっ! 俺のアシストっ!」

 

 今遊んでいるのは俺が得意としていた大乱闘ゲームシリーズの第六作。前にアキトの家で何度か遊んだことがあるものの、初代の頃とは別ゲーと言っても過言でないくらい仕様が変わっており、そう簡単に無双できるような代物ではない。

 それなのにアキトの奴が「米倉氏はゲームがクソ強いお」なんて火水木から聞いたと思わしき情報でヨイショしたため、まだ大して慣れてもいないのに狙われる羽目になっている。

 

「喰らえっ! 必殺っ!」

「しまっ……ぐわあああああああ!」

「ふう、まずは一人……」

「あれっ? 僕のキャラどこっ? あっ!」

「…………よし、これで二人っ!」

「よくぞここまで生き残ったと褒めてやりたいところだが、既に満身創痍だな。最後は持ち主である俺が直々に相手をして……のわっ? アピール中に攻撃なんて卑怯だぞっ!」

「やかましいっ! フラッグ使って残機増やした上に、遠距離攻撃ばっかりして良いとこ取りしようとする卑怯者に言われたくないわっ!」

「確かに但馬氏の戦術は少々卑怯でしたな」

「良いぞ米倉っ! ここまでいったなら但馬もやっちまえっ!」

 

 勝つためには復帰際を潰す技術等も重要だが、それ以上にいかにして強いアイテムを取ることができるか。そして葵のように自分のキャラを見失わずにいられるかが鍵となる。

 ギャラリーが味方に付き始める中、タイマンならいけるかもしれないと神経を集中。最後はお互いに爆発で吹き飛び、本当にギリギリの差で俺が勝利を飾った。

 

「いよっしゃあ!」

「櫻マジTUEEE!」

 

『ガチャ』

 

「ん? おおっ! 太田黒が帰ってきたぞっ!」

「で、どうだったんだっ?」

「…………撃沈した」

 

 このリゾートホテルでの幸せのひと時を過ごすため、俺達二年生の間でカップルは増加していたが、それは何も修学旅行前だけじゃない。夜景やイルミネーションという絶好のシチュエーションを使い、修学旅行中に勇気を出して告白しに行く輩だっている。

 この部屋の中にも「ちょっと散歩してくる」とか怪しいことを言って抜け出す奴がいたように、大抵は陰でこっそり挑戦しに行くもの。しかし勇者太田黒は正々堂々「告白してくる!」と宣言をして威勢よく出て行った。

 

「太田黒氏、これでも食べて元気出すお」

「仕方ねえな……俺と変わっていいぞ太田黒! お前には櫻を潰す権利をやろう!」

「何でだよっ?」

「相生が今晩は抱き枕にされても良いってよ」

「えぇぇっ?」

 

 王様に『おお勇者よ。振られてしまうとは情けない』と言われてしまいそうなくらい心がボロボロになっている太田黒を、俺達は温かく出迎える。

 それでも傷は癒えず深々と溜息を吐く勇者の肩を、友人である但馬がポンと叩いた。

 

「仕方ねえなあ。俺がとっておきの物を見せてやろう。ほれ!」

「ん……? お……おおおっ!」

 

 そう言うなり太田黒に見せられたのは、SNSにアップされていたクラスメイトの女子達の動画。何でもジャンプする瞬間を撮影したかったようだが、一時停止されているその静止画はスカートが大きく捲り上がりパンツが見えていた。

 

「お前ら……よっしゃ! こうなったら今日はとことんやるぞっ! くたばれ米倉ぁ!」

 

『ガチャ』

 

「ん? おお、橋本。随分と長い散歩だったな」

「ああ! 星がめっちゃ綺麗でさ!」

「あ、橋本君。良かったら僕と変わる?」

「へへっ! 悪いな!」

「「「…………」」」

 

 本人は隠しているつもりかもしれないが、明らかに幸せオーラが溢れ出ている橋本を見れば何があったのかは一目瞭然。俺達に『疑わしきは罰せず』なんて精神はない。

 

「わかってるな?」

「ああ」

「オーケーだ」

「ん? 何がオーケーなんだ?」

 

『スリーッ! ツーッ! ワンッ! ゴーッ!』

 

「「「橋本を潰せぇっ!」」」

「はぁっ?」

「俺は駄目だったのに、羨ましいぞクソ野郎っ!」

「太田黒! これを使え!」

「行け太田黒! 俺もろともでいいから奴を吹っ飛ばせ!」

「うぉらぁっ!」

 

 俺と但馬の二人で、太田黒のストレス発散を全力でアシストしていく。

 そんな祝福のフルボッコをしていると、不意に但馬の携帯が鳴り出した。

 

「まさかっ?」

「但馬氏にお呼びがっ?」

「…………親からだった…………」

「「「………………ぷっ」」」

 

 一同が爆笑する中、太田黒が黙って但馬の肩をポンと叩く。

 告白する男子がいるということは、逆を言えば女子に呼び出されるケースだってある筈。

この部屋にいる男子の大半は、心の底ではそんな期待を胸にワクワクしていたりする。

 しかしながら実際に呼ばれる者はいないまま夜は更けていき、疲れた奴から徐々に解散。俺も頃合いを見計らって同室であるアキト&葵と共に部屋へ戻ることにした。



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一日目(水) 沖縄の星空が絶景だった件

「ZZZ……」

 

 前日の徹夜で睡眠不足だったアキトは、流石に限界が来ていたのかベッドに入るなり一分ちょっとで就寝。まだ眠くもないらしい葵は、ベランダからウッドデッキへと出る。

 

「わあー」

 

『ガチャ』

 

「えっ? 櫻君っ? 何で鍵掛けたのっ?」

「女子の部屋、夜這に行くまで入れま10! スタート!」

「えぇっ?」

 

 そんな冗談を言い残した後で、用を足しに一旦トイレへと離脱。再び戻ってくると葵はウッドデッキの椅子に腰かけ、空に向かって携帯を掲げていた。

 

「よっと。おお、流石に夜は少し冷えてくるな。カーディガンいるか?」

「と、取ってもらってもいい?」

「了解っと。ほれ」

「あ、ありがとう櫻君。昼は半袖でも良いくらい暖かかったのにね」

「そうだな。で、何してたんだ?」

「う、うん。星空が綺麗だから写真に撮ってたんだけど、もっと性能の良いカメラとかじゃないとあんまり綺麗には写らなそうみたいで……」

「どれどれ? んー、そうか? これでも充分綺麗に見えるぞ?」

「で、でもこの絶景に比べたら見劣りしちゃうかなって思って……」

「あー。そりゃまあ、肉眼の景色と比べたらそうかもな」

 

 葵の向かいの椅子に腰を下ろしつつ、星が瞬いている綺麗な夜空を見上げた。

 綺麗の一言で片づけるのは勿体ないくらい壮大な景観。本当に地元で見ている夜空と同じなのかと疑いたくなるくらいに、無数に散らばっている星の一つ一つがまるで生きているかの如く色々な光度と光彩を放ち幻想的な世界を作り上げている。

 

「おっ! ひょっとしてあれが噂のサザンクロスかっ?」

「み、南十字星はあれじゃないと思うよ。確かに沖縄県の南半分なら見える筈だけど、見られる場所としては波照間島が有名だよね」

「悪い。ノリで言っただけで、そこまでは知らなかった」

「えぇっ?」

「しかし世界って広いんだな。こんな景色を見てたら、悩みなんて吹っ飛びそうだ」

「ロ、ロマンチックだよね」

「この地球の偉大さに比べたら、俺なんて鼻くそみたいな存在なんだよな」

「えぇぇっ? そ、そんなことないよっ?」

 

 月明かりなら向こうでも味わえるが、星明かりというのは滅多に経験できない。大空を埋め尽くしている星々の灯火により、夜なのに空が黒く見えないくらいだ。

 こういう景色を見せられると、天文部に入るのも有りだったかなんて考えてしまう。まあ陶芸部でも火水木辺りが「天体観測するわよ」とか言い出したら変わらないか。

 

「ま、前に見た映画でこういう綺麗な星空のシーンがあって、あれも凄く綺麗だったんだけど、やっぱり生で見ると全然違うよね」

「ああ。CGなりVR技術はそのうち発達するかもしれないけど、それでも本物の景色に比べたら勝つのは難しいだろうな」

「そ、そうだよね。海といい星空といい沖縄だけでこんなにある訳だし、大学生になったら日本中を回って色々な風景を写真に撮っていきたいなあ」

「日本中って、そりゃまた凄い夢だな」

「う、うん。大学生って春休みが長いみたいだし、もしかしたらそういうこともできるかなって思ったんだ。アルバイトして良いカメラとか買って、免許も取って――――」

 

 楽しそうに未来の夢を語り始める葵。話を聞けば幻想的な景色に興味があったようで、前々から映画の舞台になった気になる場所については調べていたらしい。

 これが映画じゃなくアニメだったら、まさにオタクの聖地巡礼って訳か。カメラを首にぶら下げつつ車を運転する劇場カメラマン葵……想像できそうにないな。

 その後もデザインフェスタというコミケとは似て非なる存在の話だの、写真を掲載するブログを書いてみたいだのと、趣味ということもあってか葵にしては珍しく饒舌だった。

 

「――――乗馬もやってみたいし、わんこそばを食べてみたくて。後は日本三大祭りも見に行きたいし、富士山に登ってみたり海外旅行に行ってみたりもしたいんだ」

「そんでもって最終的には世界一周か。葵の場合、写真を撮るよりも撮られる方になりそうだな。目指せハリウッド!」

「えぇっ? え、映画は好きだけど俳優はちょっと……」

「冗談だ冗談。しかし色々と夢があるみたいで、葵が羨ましいよ」

「さ、櫻君は大学生になったらやってみたいこととかってないの?」

「やりたいことか……これといって特に思いつかないな」

「ど、どういう進路に進むんだっけ?」

「とりあえず教育学部のつもりだけど、その理由だって何となく先生とかって面白そうだなーくらいしか考えてないからさ。多分大学生になっても春休みはゲームのレベルを99に上げてから、全アイテムコンプリートとか挑んでそうだし」

「えぇぇっ?」

 

 アクティブな我が姉は約一ヶ月後に控えている春休みでボルダリングだのワカサギ釣りだのと、相変わらず四方八方へ多趣味な予定を入れているご様子。その中のいくつかは梅も一緒で、俺も誘われはしたものの丁重に断っておいた。

 葵みたいにやりたいことを考えておかないと、本当にゲーム三昧の毎日になりかねないな。卒業したら家庭教師なり塾講師なり、将来に役立ちそうなバイトでも始めるか。

 

「ん? 待てよ? こんな滅多に来れないリゾートなんて、絶好のシャッターチャンスだろ? あんなむさ苦しい男だらけの部屋でのゲーム大会に参加してて良かったのか?」

「う、うん。写真はいつでも取れるけど、皆との思い出は今しか作れないから」

「太田黒の奴が聞いたら、感動で号泣しながら抱きついてきそうな台詞だな」

「えぇぇぇっ? そ、それはちょっと……でも、僕達もあと一年ちょっとで卒業なんだね」

「そうだな」

「…………」

「………………」

「……………………ね、ねえ櫻君。聞いてもいいかな?」

「ん? 何だよ? 改まって」

「そ、その……さ、櫻君は、夢野さんに告白とかしないの?」

 

 星空を眺めながらくだらない話をして、少々沈黙を挟んだ後で葵が申し訳なさそうにそんなことを尋ねてきた……が、俺が答えるよりも早く首を横に振り始める。

 

「ご、ごめんっ! や、やっぱり……何でもない……」

「そこまで言った後で、何でもないって言い直すのは流石に無理だな」

「だ、だよね……で、でも僕なんかが聞くようなことじゃなかった気がするし、きっと櫻君には櫻君の考えとかもあると思うから……その…………」

「遠慮すんなって。思ったままのことを言っていいぞ」

「で、でも……」

「いいからいいから。寧ろ葵がビシッと言ってくれた方が俺も助かるからさ」

「え、えっと……櫻君、やっぱり阿久津さんのことが好きなのかなって……」

「…………」

「も、もしそうだったら、夢野さんにそのことを伝えてあげるのも優しさだと思うんだけど……そうじゃないと、その……夢野さん、ずっと待ってるから可哀想で……」

「………………」

「あっ! べ、別に櫻君が諦めたら僕にもチャンスがあるとか、そういうことを考えてる訳じゃなくて…………何て言うか…………」

「ああ。ちゃんとわかってるよ」

 

 音楽部で共に過ごし、夢野のことを誰よりも見ているであろう葵からそう言われ、答えを待ち続けている少女のことを思うと胸が痛くなる。

 

「何て言うか、俺も自分の気持ちがよくわからなくてさ。色々と考える時もあるんだけど、最終的に答えは出ないまま……いや、単に考えることを放棄してるだけか」

 

 こんなのは、ただの言い訳に過ぎない。

 俺は少し悩んだ後で意を決し、信頼のおける友人に語り出す。

 

「葵は夢野の旧姓が土浦だったってこと、知ってるか?」

「えっ? う、ううん……知らなかった……」

「実は夢野を産んだ父親は亡くなってるみたいでさ。俺もついこの間まではそんなこと知らなかったんだけど、それを聞いてようやく全てを思い出したんだ」

 

 俺は夢野との過去の関わりについて葵に説明する。

 幼稚園で親の迎えがなく寂しかった時に、桜桃ジュースを渡してあげたこと。

 小学三年生の夏祭りで手術を前にして不安だった時に、チョコバナナを渡してあげたこと。

 更にもう一つ。

 夢野が俺のことを覚えていただけじゃなく敬っていた大きな理由について、思い出した記憶を基に一つの仮説として話す。

 そしてようやく、自分が何に怯えているのか見えてきた気がした。

 

「…………ああ、そうか。多分そういうことなんだろうな」

「ど、どうしたの?」

「いや、俺が告白できない理由が少しわかった気がしてさ。今の自分の気持ちが分からないってのもあるけど、正直に言うと告白するのが怖いんだと思う」

「えっ?」

「中学校の頃に同じようなことがあってさ。友達から阿久津は俺のことが好きに違いないって言われたから、それを鵜呑みにして告白したんだけど盛大に振られたんだ」

「そ、そうだったんだ……」

「信じられないかもしれないけど、アイツとは二年くらいずっと話してなかった時があってさ。高校に入ってからまた少しずつ仲良くなれたんだよ」

 

 こうして再び話せるようになれたのは、本当に奇跡としか言いようがないと思う。

 それなのに俺は去年の春休みに再び告白し、同じ悪夢を繰り返した。

 幸いにも険悪だったのは四ヶ月で済んだものの、三度目は間違いなく絶交だろう。

 

「で、でもそれは阿久津さんの場合であって、夢野さんは違うよ?」

「だと良いんだけどな。俺って不器用だから、仮に告白して振られたら葵みたいに自然と話すこともできなくなって、確実に縁が切れて気まずくなると思うんだよ」

「…………」

「今は毎日が充分に楽しいし、このままでも良いかなって考えちゃうんだよな。こんなのただの甘えなんだろうけど、何て言うか……前に進むのが怖くてさ……」

「そ、そっか……櫻君は、それで満足できるんだね」

「ああ……」

「…………ぼ、僕は違った……夢野さんと一緒に色々楽しみたかったよ」

「!」

「学校で一緒にお昼御飯を食べたり、休日には二人で映画を見に行ったり、こういうリゾートで星空とかイルミネーションだって見たかった」

 

 目の前に座っている友人は、真っ直ぐにこちらを見据えながら口を開く。

 そして広大な星空を仰ぎ見ながら、先程夢を話した時と同じく楽しそうに語る。ただその表情はどこか切なげで、虚勢を張っているようにも見えた。

 

「今のままでも充分に楽しいかもしれない。だけど恋人でしか楽しめないことだって沢山あると思うんだ。だから櫻君も、そういう風に色々と夢のあることを考えてみてよ」

「夢の……あること……」

「うん。そうしたらきっと夢野さんと阿久津さん、どっちのことが好きなのかもわかると思うから。想像の中の櫻君の隣には、誰が座ってるのかって」

 

 葵に言われて、俺は大きく深呼吸をすると綺麗な星空を見上げる。眺めているだけで悩みなんて吹き飛んでしまうようなこの景色を、一緒に見たい相手……か。

 

「ご、ごめん。こんなこと偉そうなこと言って、何様のつもりだって話だよね」

「いや、言われた通り想像してみたよ」

「ど、どうだった?」

「座ってるのは葵だったな。隣じゃなくて向かいだが」

「えぇっ?」

「ふう……サンキュー葵。お陰で自分がどうするべきか分かってきた気がした」

「そ、それなら良かったよ。どう致しまして!」

「さてと。スッキリしたことだし、今からいっちょ海に泳ぎにでも行くかっ!」

「えぇぇっ?」

 

 この修学旅行中に、やっぱりちゃんと伝えるべきだろうか。

 そんなことを考えながらベッドに潜ると、修学旅行一日目の夜は幕を閉じた。



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二日目(木) 民泊がなんくるないさーだった件

「ほら渡辺。これでも舐めておけ。酔い止めになる」

「飴か……サンキュー……」

「あ、あの、そこって遠かったりしますか?」

「この道ちゃーまっすぐー行ったら、すぐ着くよー」

「だそうで。良かったですな渡辺氏」

「くぬ木がデイゴぬ木やさ。デ~イ~ゴ~の~――――」

 

 修学旅行二日目は民泊であり、昼間は宿泊先の人の案内によるグループ行動。俺のグループはアキトと葵、それに渡辺を加えた計四人だ。

 道路の脇に植えられている木を指さすなり陽気に歌い出す、冬なのに肌の焼けた気のいいオッチャンの車でドライブし、俺達はハブとマングースのショーを見に行ったり、沖縄そばを食べたり、バナナボートに乗ったりと色々な場所へ連れて行ってもらった。

 

「お、お邪魔します」

「めんそ~れ~」

 

 道が空くなり急加速する荒めの運転で沖縄の名所を渡り歩いた後は、宿泊先であるオッチャンの家に到着。中にいたのはこれまた気の良さそうな恰幅のいいオバチャンと、小麦色の肌をした小学生くらいの女の子だった。

 

「幼女キタコレ」

「自重しろアキト。泊まる宿が刑務所になるぞ?」

「フヒヒ、サーセン」

 

 昨日のホテルで入った大理石の豪華な風呂とは対照的に、今日は水を大事にするように言われ風呂ではなく水圧の弱いシャワー。そもそも沖縄の人は湯船に浸かる習慣がなく、シャワーで済ませることが多いらしい。

 入浴を終えた後は夕飯の時間。お腹を空かせた俺達が食卓へ向かうと、そこにはテーブルがお皿で埋め尽くされるくらい、とてつもなくボリュームのある夕食が用意されていた。

 

「これはまた……」

「何とも……」

「驚きの量ですな……」

「い、いただきます……」

「あー、ゴーヤぐゎー食べるねー?」

「「「「えっ?」」」」

 

 若い上に男の子なら食べ盛りだろうとオッチャンが笑う中、オバチャンは更に追加で次から次へと料理を出してくる。いやいや、ちょっと揚げ物とか多過ぎないですかね?

 当然ながら味は美味しく、沖縄料理を食べさせたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。だからこそ簡単に残す訳にもいかず、俺達は大食いバトルでもしているような状態へ。そして数十分後には身動きが取れないほど満腹……というか満身創痍になっていた。

 

「うっぷす……苦しい……消化しきれん……」

「それにしても……この米倉氏……完全に爆発寸前のセル状態である……」

「多分3キロくらい太った気がする……うっぷす……」

「流石にあの量はヤバ過ぎですしおすし……」

「ん……? 葵と渡辺は……?」

「幼女に捕まったでござる……」

「…………俺、イケメンじゃなくて良かったと初めて思ったわ」

「ご愁傷様だお」

 

 一人っ子ということもあって寂しかったのか、あの子はイケメンの渡辺と葵に対して兄と姉(もしかしたら冗談抜きで性別を誤解しているかもしれない)のように接していた。

 何だかんだで所詮は顔なのかと不貞腐れる俺達をよそに、食事前は喜んで面倒を見てあげていた二人だったが、あれだけのカロリーを摂取してろくに動くことすらできない今では、きっと地獄のような状況になっているだろう。

 

「あるあ……ねーよ」

「ん? 何がだ?」

「どうやら太田黒氏達も地獄を見たようですな」

「第一回チキチキ大食い対決か?」

「農業体験という名の、一日丸々土掘りをやらされたそうだお」

「…………マジかよ」

「掘っても掘っても美少女は見つからなかったそうでござる」

「見つかったら大事件じゃねーか!」

 

 ひとえに民泊と言っても内容は千差万別。俺達がオッチャンガチャのSRを引き当てた一方で、アイツらはNを引き当ててしまったらしい。太田黒、とことんついてないな。

 膨れた腹のアキトが他の仲間達の情報を仕入れる中、俺は仰向けのまま首を横にして窓の外を見る。相変わらず夜空には星が沢山だが、今日は虫も沢山な一日だった。

 

「拙者、腹に溜まっているものを排出しに行ってくるお。今なら排出率アップの10連ウンコで、UR級が期待できるかと思われ」

「ウンコにもレアがあるのかよ?」

『ヨン! ヨン! ヨン! ヨン!』

「ぬ? …………はい、もしもし?」

『ヤッホー兄貴。そっちはどう? 今何してんの?』

「米倉氏と二人で食後の休憩中ですな」

 

 不意にアキトのスマホが鳴り出したが、その会話は筒抜けで受話器の向こうにいる相手が火水木であることはすぐにわかった。

 しかしスピーカーモードでもないのに、マジで声でかすぎじゃねアイツ。アキトも耳から30センチくらい離して、マッスルポーズしてるみたいな変な持ち方になってるじゃん。

 

『あー、それなら丁度いいわ。ちょっとネックと変わってくんない?』

「承知。ということで米倉氏、無料通話なので好きなだけ喋っていいお」

「好きなだけって言われてもな……もしもし?」

『…………』

「あれ? 火水木? おーい、もしもーし? もしーん?」

『………………』

「もっしもっし亀よ~、亀さんよ~?」

『世界のうちで~お前ほど~♪』

「っ!?」

 

 危うく消化中のゴーヤを噴き掛ける。聞こえてきたのは透き通るように綺麗な歌声だった。



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二日目(木) 夢の夜と流れ星だった件

 火水木の大音量ボイスに鼓膜を破られないよう備えていたが、慌てて携帯を耳に近付けると共にアキトの方を振り返る……が、どうやら用を足しに行ってしまったらしい。

 

「ゆ、夢野かっ?」

『正解。ビックリした?』

「あ、ああ。驚いたよ」

『ふふ。ミズキにお願いして変わってもらっちゃった』

「そ、そうか。そっちはどんな感じだ?」

『夜御飯も御馳走になって、今はのんびりしてたところ。米倉君は?』

「こっちも同じだな。泊まり先のオバチャンが物凄い量の御飯を作ってくれてさ。もう破裂しそうなくらいお腹いっぱいで動けないから、今は夜空を眺めながら絶賛消化中だ」

『食べてすぐ横になると牛さんになっちゃうけど大丈夫?』

「なんくるないさー!」

 

 使い方が合っているか今一つわからない覚えたての沖縄弁で答えると、受話器の向こうにいる夢野がクスッと笑った。他にもオッチャンがよく口にしていたワッター(私達)とか、テーゲー(適当に)とか、デージ(凄く)辺りは印象に残っていてお気に入りだ。

 

『米倉君は今日、どこに行って来たの?』

「どこって言われても、色々な所に行ってきたからな。とりあえず最初はハブとマングースの戦いを見に行ったんだけど、今は動物愛護法で戦わせるのが禁止になったらしくてさ」

『えっ? そうなの?』

「ああ。俺も知らなかったから驚いたけど、蛇を使ったショーとかやってくれて面白かったぞ。マフラーみたいに首に巻き付けられた時は、生きた心地がしなかったけどな」

『首に……ハブを……? 大丈夫だったの?』

「いや、首に巻かれたのは毒のない蛇だよ。名前は……何だっけ?」

 

 ハブの扱いに関しては、ショーのおじさんもかなり気を付けていた様子。厳重に鍵の掛かっているポリバケツの中から長い棒みたいな物を使って取り出し、器用に扱いながら毒液が垂れている牙などを見せられた。

 

「肝心の対決部分は昔の映像で見せてもらったんだけど、思ったよりも呆気なくて試合開始! ガブッ! 終了! みたいな感じだったな」

『どっちが勝ったの?』

「マングースだよ。あれだけハブのことを持ちあげたのに、勝つのは大抵マングースらしいぞ。まあハブは夜行性でマングースは昼行性ってのも大きいと思うけど――――」

 

 お土産に良さそうなハブグッズも沢山あったので、金運に効くというハブの皮でできた御守りを姉貴への土産に一つ買っておいた。こういう変なの好きそうだしな。

 インパクトとしては今日一番だったんだが、夢野の反応はいまいち。改めて考えてみれば所詮は爬虫類だし、女子に語るような内容ではなかったかもしれない。

 俺の話を親身になって聞いてくれてこそいるものの、徐々に不安そうになっていく少女の声を耳にして、今更ながらそのことに気付き話題を変える。

 

「その後は海に行って、シーカヤックに乗ったな」

『あ! シーカヤックって、カヌーみたいなのだよね?』

「そうそう。左右の両方で漕げるようになってるパドルっていうのを使って漕ぐんだけど、これがまた結構難しくてさ。中々真っ直ぐ進まなかったけど、転覆はしなかったぞ」

『いいなー。私も乗ってみたい!』

「そんでもってバナナボートにも乗ったんだけど、これがまたネズミーのアトラクションみたいな感じで最高に面白くてさ。救命胴衣を着てボートに乗った俺達をジェットスキーで引っ張る運転手のニーチャンが意地悪で、全力で俺達を振り落としにくるんだよ」

『うんうん』

「皆で「うっひゃーっ!」って騒いでたんだけど、猛スピードでカーブを曲がった瞬間に俺の目の前にいたアキトが突然消えたんだよ。それで横を見たら「ふぉおおおおおおお」って言いながら吹っ飛んでてさ。思わず「アキトォォォッ!」って叫んで爆笑だったわ」

 

 その時の光景が蘇り思い出し笑いをしてしまったが、夢野にもしっかりウケている様子。シーカヤックもバナナボートも、カップルで乗ったりしたらもっと面白いんだろうな。

 

「夢野はどこに行ってきたんだ?」

『私? えっとね、最初に行ったのは民芸品作りができる工房かな。海のランプとか色々作っちゃった』

「海のランプ?」

『うん。珊瑚の欠片とか、貝殻とか、ガラスの欠片とかを使って電球を飾りつけするの。何かこう、ピストルみたいな道具を使ってくっつけたんだけど……何だっけ?』

「グルーガンか?」

『そうそう。グルーガン!』

 

 アキトの家にそんな物があったのを思い出す。工作する人間にとっては常識的な道具で100均でも普通に売られているらしいが、生憎と不器用な俺は知らなかった。

 

『それから、サーターアンダーギーも作ったよ! お土産用に沢山あるし、日持ちもするって言ってたから帰ったら米倉君にもあげるね』

「マジか。サンキュー」

『後は……あっ! お昼にもずくの天ぷらを食べに行ったんだけど、猫ちゃんが物凄く沢山いてね。食べるためには椅子から猫ちゃんを下ろして、テーブルから猫ちゃんを下ろして、大変だったの!』

「ぷっ、どんな状況だよそれ?」

「後で写真見せるけど、本当に沢山いたんだってば!」

 

 大事そうに猫を抱えては下ろし、抱えては下ろしを繰り返す微笑ましい夢野を想像してしまい思わず笑ってしまう。こっちも虫だらけじゃなくて、猫だらけなら良かったのにな。

 その後も俺は夢野と沖縄体験について語り合う。一日目に泊まったホテルのことや、さんぴん茶にゴーヤチャンプルー、タコライスといった沖縄グルメを堪能したこと。話しても話しても話し足りないくらいで、話題は尽きることが無かった。

 

『私の友達なんて、せっかく遠くから来たんだしってお酒まで奨められたって言ってたよ』

「いや流石にそれは駄目だろ! …………ん?」

『どうかしたの? 米倉君?』

「…………いや、何でもない。そういや火水木はどうしてるんだ?」

『ミズキなら今頃、きっと部屋で友達と恋バナとかしてるかも』

「そうか。アイツらしいな」

 

 ようやく消化が進み身体も少し動かせるようになったため上半身を起こすと、背後に一枚の紙飛行機が落ちていたことに気付く。

 何かと思い中を開いてみれば、そこには『満腹で動けない米倉氏には断られたので、拙者と相生氏と渡辺氏の三人で夜散歩にでも行くお』とのメッセージ。一体いつ投げられたのかは知らないが、本当に余計なことまで気遣いのできる兄妹で困るな。

 宿泊先によってルールは違い、俺達は夜の外出を許可されているが夢野達の家では禁止らしい。勿論女子ということもあるが、これに関してはクラスメイトの男子でも駄目と言われた奴がいたようなので、単に俺らのオッチャンが緩い人だったということだろう。

 

「でもアイツ、何か用事があって電話してきたんじゃないのか?」

『うん。陶芸部のお土産の話なんだけど、伊東先生の分は私とミズキが決めて、早乙女さんの分は水無ちゃんが決めるから、米倉君と雪ちゃんはクロガネ君の分をお願いって』

「成程。了解だ」

『…………それとね、理由はもう一個あるの』

「ん? 何だ?」

『昨日泊まったホテルのイルミネーションが、凄く綺麗だったって話したでしょ?』

「ああ」

『それでね、どうしても米倉君の声が聞きたくなっちゃって』

「イルミネーションで俺の声? どういうことだ?」

『米倉君と一緒に、こんな景色を見たかったなーって……ね?』

 

 優しい声で囁かれた言葉を聞いて、思わずドキッと心臓が高鳴る。

 俺が返答に詰まっていると、夢野はそのまま話を続けた。

 

『米倉君、明日は水族館の方なんだよね?』

「ああ。確か夢野は首里城だったよな?」

『うん。米倉君も首里城を選ぶと思ったんだけどなー』

「確かに俺としてはどこでも見に行けそうな水族館よりは、沖縄でしか見られない首里城の方が良いかなって思ったんだけど、多数決で負けてさ」

『そっか。それなら沢山写真撮って、後でお土産話とか聞かせてあげるね』

「サンキュー」

 

 二つの場所は遠く離れているため、俺と夢野が遭遇する確率は限りなく0に近い。可能性があるとしても自由行動の終盤、空港付近で会えるかどうか程度だろう。

 それ故に豪華なホテルのイルミネーションも、そしてこの綺麗な星空も、何一つとして生かすことがないまま俺の修学旅行は終わりを告げることになる。

 

『それにしても、沖縄って星が本当によく見えるんだね』

「ああ。凄い綺麗だよな」

『…………』

「…………」

 

 きっと夢野も、俺と同じ空を見ているんだろう。

 ひとしきり話をして、そろそろ話題も無くなってきた。

 ――――そんな時だった。

 

『「あっ!」』

 

 ボーっと眺めていた星空に、一筋の光が降り注ぐ。

 俺達の声が重なり、先に言葉を続けたのは夢野だった。

 

『流れ星っ!』

「夢野も見たかっ?」

『うんっ! もしかしたらまだ見えるかも!』

 

 俺達はワクワクしながら次の流れ星を待つ。

 しかしながら、新たな星が空から舞い降りてくることはなかった。

 

「俺、流れ星って初めて見たよ」

『私も流星群じゃない流れ星は初めてかも。あれで終わりかな?』

「まあ、そう簡単には見られないだろ」

『米倉君、お願い事は言えた?』

「あの一瞬で三回言うとか、絶対無理だろうな」

『ふふ。流れ星も見れたし、そろそろお互い明日に備えて寝よっか』

「ああ、そうだな」

 

 …………本当にこれでいいのだろうか。

 星が瞬く夜空を見上げながら、昨日葵と話したことを思い出す。

 

『沢山話しちゃってゴメンね?』

「いや、寧ろ助かった。お陰様で、ようやく夕飯を消化できたからな」

『良かった。それじゃ――――』

 

 これでいい筈がない。

 この修学旅行が終わってしまえば、俺達はあっという間に三年生だ。

 

「…………なあ、夢野」

 

 おやすみと言い掛けた夢野の言葉を上書きする。

 その先は何も考えることなく、自然と口が動いていた。

 

「空港で解散した後、何か予定とかってあるか?」

『え? ううん。特にないけど……?』

「そうか。それならちょっと俺に時間を貸してくれないか?」

『うん。大丈夫だよ。どこか行きたい場所があるとか?』

「いや、最後の問題の答え合わせがしたいんだ」

 

 一瞬の沈黙が訪れる。

 受話器の向こうにいる少女は、静かに息を吐いた後で返事をした。

 

『うん。わかった』

「ありがとう。詳しい場所と時間は後でまた連絡する』

『うん。明日、楽しみに待ってるね』

「ああ。それじゃ、おやすみ」

『おやすみなさい』

 

 俺は携帯を耳から離すと通話を…………ちょっと待て。これどうやって切るんだ?

 ガラケー人間の俺がスマホの使い方を理解している筈もなく、焦りながらも色々と操作して何とか通話終了。単に夢野の方から切っただけかもしれないが、まあ結果オーライだ。

 

「ただいま帰還でござる。無事に通話は終わったので?」

「ナイスタイミングだアキト。空港付近に良い感じの場所ってあるか?」

「良い感じの方向性次第ですな。詳細キボンヌ」

 

 何はともあれ、これで賽は投げられた。

 俺達の修学旅行はいよいよ明日、最終日を迎える。



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三日目(金) ナマコが引きニートだった件

 楽しかった修学旅行もあっという間に三日目。日の入りが遅い代わりに日の出も遅く、日は出てなくても寒くない沖縄の冬の朝を迎えるのも今日がラストになる。

 葵が事前に沖縄弁でさようならは「ぐぶりーさびら」であると調べていたものの、驚いたことに沖縄の人は同じ島で暮らすためか、さようならをあまり言わないらしい。

 そんな豆知識を最後にオッチャンから教えて貰いつつ、一晩お世話になった一家とお別れ。そして今日の自由行動は葵や渡辺とも違う班のため別行動だ。

 

「冬雪氏、如月氏、川村氏、オッスオッス!」

「……おはよ」

 

 俺の班はアキトに加えて、修学旅行でも相変わらず眠そうな目をした冬雪と、無口少女と見せかけた隠れ博多っ娘の如月。そしていつぞや行われた第一印象と違う女子ランキングで、見事第一位に輝いた川村の女子三人を含めた計五人だ。

 現在時刻は午前八時半。開館時刻と合わせて最初に向かった場所は水族館だが、俺達以外にも修学旅行生が多いこと多いこと。屋代の生徒以外も結構来るんだな。

 

「ではまた一時間半後、十時に集合ということでオナシャス」

「……(コクリ)」

 

 のんびり見るには若干時間不足だが、リーダーアキトの命により集合時刻だけ確認すると、それぞれが自由に行動を開始……したものの、すぐに五人全員が足を止める。

 三階にある入口から中に入るなり俺達を出迎えたのは『イノーの生き物たち(タッチプール)』と書かれた看板。イノーというのは沖縄方言でサンゴ礁に囲まれた浅い海という意味らしく、そこには貝やヒトデ、ナマコといった浅瀬の生き物達が沢山いた。

 

「……ヨネ、触ってみて」

「何で俺なんだよ? お前の出番だ、アキト!」

「カカロットォ……カカロッカカロッカカロッカカロットォ……」

 

 タッチプールという名の通り、ここの生き物は自由に触って良いとのこと。誰もがその見た目に触れるのを躊躇う中、耐性ありのガラオタは躊躇いなく手を伸ばすなり一番ヤバそうなナマコをツンツンつっついた。

 

「おうふ。何と言うかプニュプニュで、思っていた以上に良い感じですな」

「だそうだ」

「ヒトデの方は……これまた不思議な感触だお。ヘアッ!」

 

 これといって頼まれてもいないのに、アキトはヒトデを撫でながら感想を述べる。

 お客さんに説明していた解説員のお兄さん曰く、ナマコには目や耳や鼻といった感覚器官が無く、更には脳も無いとのこと。その上、心臓までも無いというのだから驚きだ。

 

「ナマコ氏……お前はもう死んでいる」

「感覚器官が無いなら、経絡秘孔も無いんじゃないか?」

 

 ナマコがジッとしたまま動かない理由も、単純に筋肉が無いからとのこと。そもそも動物が動く主な理由は食べ物を探すためだが、ナマコの主食は海底の砂についている有機物や藻類の破片であり、動き回って探さずとも周りは餌だらけという訳だ。

 

「俺、生まれ変わったらナマコになるわ」

「どう見ても引きニートです。本当にありがとうございました」

「いや待てアキト。単に怠け者なだけで、ちゃんと自給自足はしてるだろ?」

 

 動物が動くもう一つの理由は捕食者から逃げるためだが、ナマコは栄養のない皮を分厚く硬くすることで食べられることを回避しているらしい。更には身体にホロスリンなる対魚用の毒を持っている上に、しつこい相手には内臓を噴出して防御態勢も取るそうだ。

 

「逃げるための筋肉を付ければ付けるほど美味しい餌になるなら、逆に自分の魅力を無くせば良いと考えたナマコさん、マジぱねぇっす」

「コイツ、脳みそ無い癖に頭良いな」

「それにしてもこの米倉氏、容赦ない罵倒である」

「……ヨネ」

「ん? 何だ冬雪?」

 

 如月の操作していたスマホを覗き込んでいた冬雪が、その画面を俺に向けてくる。見せられたのは某ペディア的なネット百科事典のナマコのページだ。

 

『――――食用になるのはマナマコなど約30種類。寿命は約5―10年』

 

「…………」

「米倉氏。お前はもう死んでいる」

「……ナマコはナマコで大変」

「はい。すいませんでした」

 

 充分にナマコ談議も堪能したし、時間も限られているためアキトと共に次なる場所へ移動……しようとしたところで、何やら背後から身体を引っ張られる。

 一体何かと思って振り返ると、俺の制服の裾を冬雪が摘んでいた。

 

「……ヨネ、持ち上げて」

「はい? 仕方ないな……行け、アキト!」

「ドゥッペレペ……と言いたいところですが、拙者は川村氏と共に新天地へと向かうので、ナマコキャッチャーは米倉氏に任せるお」

「ちょっ? アキトさん? アキト様ー?」

 

 川村と共に先へと進んで行ってしまう相棒。俺は冬雪&如月と共に残された形となったが、どうにもナマコキャッチャーに挑まない限り冬雪は解放してくれそうにない。

 隣にいる無口少女が助け船を出してくれたりしないかと、淡い期待をしながらチラリと視線を向けてみる。

 

「…………ても……ぃぃ?」

「ん? 如月さん、どうかしたのか?」

「しゃ…………写真、撮りたか……」

「………………」

 

 いつもより頑張って声を出したのか、少女が呟いた博多弁は随分と聞きとりやすかった。でも違うんだよ。俺の求めていた台詞はそれじゃないんだよ。

 携帯を大事そうに抱えている如月は、どうやら俺がナマコを掴んでいるところを撮りたい様子。そんな写真を求める理由は意味不明だが、流石に二人から頼まれたら拒否権なんてないようなもんだ。

 

「はあ……仕方ないな」

「……裏側が見えるようにしてほしい」

「…………」

 

 撮影対象は俺じゃなくてナマコだったらしい。え……何? 俺ってナマコ以下なの?

 女子二人からカメラを構えられるという傍から見ればモテモテな光景も、その実はナマコファンクラブ会員一号と二号。こんな脳無し引きニートのどこが良いのか、女子高生の人気はいまいちわからないな。

 

「それじゃ、持ち上げるけどいいか?」

「(コクコク)」

 

 思わず溜息を吐きたくなるが、どう足掻いてもナマコルートは回避できそうにない。恐る恐るナマコに触ってみると、ブニョーっとした何とも言い難い感触がした。

 そしてそのまま掴むと、指の触れている部分がギューっと硬くなる。アホなマイシスターがいたら「太くて長くて硬い!」とか、また誤解の招きそうな発言を言いかねない物体だ。

 

「……織部みたいで綺麗」

「そうか? 流石にナマコを陶芸と関連付けるのは無理があるだろ」

「……そんなことない。ちゃんとナマコ釉って釉薬もある」

「マジですか?」

「……マジ」

「ちなみにその釉薬、何色になるんだ?」

「……綺麗な青?」

「なん……だと……」

 

 まさかナマコが陶芸に関係しているとは思いもしなかった。ナマコを漢字で海鼠と書く理由は夜になるとネズミのように這い回ったり、ネズミの後ろ姿に似ているためと語る解説のお兄さんですら知らない情報なんじゃないだろうか。

 冬雪は持ち上げたナマコをまじまじと眺め、中々見つけにくいらしい口を探し始める。

 

「しかしそんなことまで知ってるなんて、流石は冬雪だな」

「……陶芸部なら常識」

「いやいや、無茶言うなよ」

「…………うちも……」

「ん?」

「うちも……呼び捨てでよか……」

「え…………のわっ?」

 

 如月が唐突にそんなことを口にしたため驚き呆然としていると、手にしていたナマコがいきなり白いドロドロした変なものを出してきた。

 それが傍にいた二人の少女の顔に掛かる……なんてエロしか頭にない後輩が考えそうなミラクルが起こる訳もなく、俺は反射的に持っていたナマコを放り投げてしまう。

 

「あー、ビックリしたー。あれが噂の……スリザリンなのか?」

「……ヨネ、混ざってる。ホロスリンは毒の名前で、今のは防御態勢の内臓の方」

「内臓って……うひーっ!」

「……ルー、写真撮れた?」

「(コクコク)」

「……口の場所、いまいちわからない」

 

 マイペースな二人をよそに、俺はタッチプール横にある手洗い場へ移動。白いドロドロを洗い流しハンドドライヤーで乾かすと、ハンカチを抱えた如月が背後で待っていた。

 

「つ、使うて……」

「ん? 良いのか?」

「(コクコク)」

「悪い。えっと……如月? サンキューな」

「(コクコク)」

 

 言われた通り呼び捨てで呼んでみたものの、特に驚かれたりはしていない様子。高校生活二年目の終わりになって、ようやく少し仲良くなれた気がするな。

 如月にハンカチを返した後で、相変わらずタッチプール前に陣取っている冬雪の元へ。スマホを眺めた後で周囲をキョロキョロと見回しているが、何を探しているんだろうか。

 

「よし、じゃあ俺達も行こうぜ」

「……まだ駄目。今度はヒトデ」

「いやいや。一時間半しかいられない訳だし、他にも色々と見所はあるだろ?」

「……ヒトデの口の部分が見たい」

「じゃあ俺は先に行ってるから、ゆっくりと『ガシッ』観察して…………」

「……ヨネ、持ち上げて?」

「えっと、そんなに見たいんですか?」

「……見たい」

「冬雪が掴むという選択肢は?」

「……ヨネじゃないと意味がない」

「何でだよっ?」

 

 一体何をそんなにこだわっているのか知らないが、冬雪は水槽の中にいる一匹のヒトデを指さす。うーん、どう見ても俺にしか掴めない伝説のヒトデには見えないな。

 ヒトデにも色々いるようで、一般的な星型以外にも細長い棒人間みたいなヒトデや、限りなく五角形に近い形をしているヒトデがいるが、どれもナマコ同様に動く気配はない。

 

「硬いような柔らかいような……何て言うか、ザラっとしてるな」

 

 これまた解説のお兄さん曰くナマコは約1500種類に対し、ヒトデの種類は約2000種類もいるとのこと。ナマコ同様に脳は無く、身体に流れているのも血管ではなく水管。要するに血液ではなく海水を身体に循環させて酸素を取り込んでいるらしい。

 腕の先端には明るさを判別できる程度の目が付いており、その数は星型なら五つ。中には腕が二十本もあるヒトデもいるそうだが、そこまでいくと最早イカとかクラゲである。

 

「目がこれで……口は……ここか? いまいち分からん」

 

 冬雪が見たいと言っていた口は裏側に付いているようで、餌を食べる時には胃を外に出して食べるとのこと。それっぽい場所を見つけはしたものの、合っているかは全くもってわからない。

 如月による写真撮影が再び行われた後で、冬雪が目をキラキラと星にして……というよりは目をヒトデにして感心しながら眺める中、不意に横から腕が伸びてくる。

 

「口はこっちだね」

「っ?」

 

 俺の持っていたヒトデを指さしつつ、得意気に答える聞き慣れた声。まさかと思い振り返ってみると、そこにいたのは笑みを浮かべている幼馴染の少女だった。



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三日目(金) 水族館がまたいつか行きたい場所だった件

「阿久津っ?」

「やあ。元気そうで何よりだよ」

 

 驚きのあまりヒトデが掌からこぼれ落ち、チャポンと水の撥ねる音がする。まさかこんな所で会うことになるとは思ってもいなかった。

 

「お、驚いたな」

「何をそんなに驚いているんだい? ボクの自由行動がキミ同様に水族館からスタートすることは、確か前に部室で話していたと思うけれどね」

「そりゃそうだけど……」

「あ~、閏ちゃんだ~」

「!」

 

 阿久津の後に続いてやってきたのは女子二人組。どうやら如月の知り合いらしいが、確かこの二人は文化祭の時にブラックライトアートの展示前で声を出していた気がする。

 

「……ミナ、おはよ」

「おはよう音穏」

「あ~、この子が噂の音穏ちゃん~?」

「どもども。いつもウチの水無月と閏がお世話になってます」

「……こちらこそ」

「一体ボクがいつお世話になるようなことをしたんだい?」

「(コクコク)」

 

 女子同士での挨拶が始まる中、水槽内のナマコの如く孤独になった俺は再び手洗い場へ。とりあえず冬雪の依頼も無事に達成したことだし、一足先に進むとするか。

 

「へ~。タッチプールなんてあるんだ~」

「何これ? メッチャブニュブニュしててウケるんだけど!」

 

 俺があれだけ敬遠していたナマコを、いとも容易く触るだけじゃなくガッチリ掴み上げている女子二人。どの辺がウケるのか教えてくれませんかね? いやマジで。

 若干自分の情けなさを感じつつアキトと合流しようと先へ進めば、そこは綺麗なサンゴの海。エメラルドグリーンに輝く世界に、思わず目を奪われる。

 

「ふむ。水槽に屋根が付いていないから、直接太陽の光が差しこんでいるんだね」

「ああ……ふぁっ?」

「何を変な驚き方をしているんだい?」

「いやお前、さっきの連れは?」

「まだタッチプールでナマコやヒトデと戯れているかな。音穏がナマコの口を見せてほしいなんてリクエストをしていてね。少し時間が掛かりそうだったから、混み始める前にメインスポットを見に行こうと思ったんだよ」

「メインスポット?」

「キミも一緒に来るかい? いくつか水槽を飛ばすことにはなるけれど、空いているうちに足を運んでおいた方が良いらしいからね」

「ほー」

 

 こういうときはコイツに付いていく方が、何かと正解だったりするんだよな。

 そんな長年の経験に基づき、俺は阿久津の後に続いて『サンゴ礁への旅』がテーマの三階から『黒潮への旅』をテーマとしている二階へ降りると先に進む。

 

「――――――」

 

 その先に待っていたのは、紛れもない海そのものだった。

 何もかもがでかい、水の中の世界。

 あまりの美しさに圧倒され、完全に言葉を失う。

 

『黒潮の海』

 

 俺達の目の前に広がっているのは、そう呼ばれているこの水族館のメインスポット。建物は四階建てだが、その一階から二階をも貫く世界最大級の水槽だった。

 まるで映画館のスクリーンみたいに巨大な水槽の中をジンベエザメが、マンタが、カツオの群れが、色鮮やかな魚達が優雅に泳いでいる姿は、まさに圧巻としか言いようがない。

 未だかつて見たことのない光景を前にして、俺はすっかり魅入ってしまっていた。

 

「凄いね」

「ああ」

 

 少しして阿久津がポツリと呟く。

 恍惚とするあまり、それ以外の言葉は浮かんでこない。

 幼馴染の少女が隣で写真を撮り始める中、時間が過ぎるのも忘れて夢中になっていた。

 何分くらい眺めていただろうか。

 三階から順に回ってきた人達も徐々に集まり始め、開館して間もないにも拘わらず見所だけあって混んでくる。すると阿久津が頃合いを見計らって口を開いた。

 

「そろそろ次の場所に行ってみるかい?」

「まだ他にもメインスポットがあるのかっ?」

「この『黒潮の海』を下から見上げるアクアルームもオススメだそうだよ。時間限定で水槽の上に行けるプログラムもあるみたいだけれど、流石にそこまで見るのは難しそうかな」

「下からっ? 行こう!」

 

 阿久津が移動を始めると、俺もそれに合わせてついていく。

 テンションも上がりワクワクしながら先へ進むと、目的地に到着するなり思わず声を上げてしまった。

 

「うおー。でっけー」

 

 再び目の前に広がる壮大なパノラマ。半ドーム状になっているアクアルームの天井をなぞるように悠々とエイが下りていき、再び上へと戻っていく。

 実際にやった経験はないが、スキューバダイビングをしている人の気分とでも言うべきだろうか。前後左右に加えて上方向を水に囲まれた中、先程見たジンベエザメやマンタを今度は下から見上げる形だ。

 

「これはまた凄いね」

 

 阿久津は感心しながら再びスマホを取り出すと、別アングルの魚達を撮り始める。

 陶芸部の合宿や文化祭の時に写真を撮っているイメージはなかったので、単純に水族館が好きなのかもしれない。まあ、こんな光景を見せられたら撮りたくもなるか。

 水槽が背景になるように子供の写真を撮っている親を見て、俺はいつになく生き生きしているように見える幼馴染の少女へ声を掛けた。

 

「なあ阿久津。せっかくだしお前も撮ってやろうか?」

「いいのかい? それなら、あの辺りで頼めるかな」

 

 あんまり撮るのは得意じゃないが、まあ何とかなるだろう。

 俺のガラケーより数段画質の良いスマホを受け取ると、阿久津の指差した方向へ移動。この位置って要するに、バッグにジンベエザメを写せってことだよな?

 

「はい、チーズ」

 

 ピピッという音と共に撮影完了。撮った写真を見せるが、上手い具合にジンベエザメが寄って来てくれたこともあって満足してもらえたみたいだ。サメ君、サンキューな。

 

「ありがとう。キミも撮ってあげようか?」

「いや、俺はいいよ」

「旅の思い出は必要だろう」

「思い出は写真に撮って残すよりも心に刻む派なんだ。それにもしも欲しい写真があったら、後でお前とかアキト辺りから貰うからさ」

「そうかい。まあ無理にとは言わないけれどね」

 

 やれやれと溜息を吐いた阿久津は撮影を再開する。口にこそ出さないものの、コイツが楽しそうに写真を撮っている姿を眺めているだけで充分な旅の思い出だ。

 アクアルームの客も少しずつ増え始める中、あまりにも凄い光景を前にしたせいか少年が一人口を開けたまま固まっていた。さっきの俺、ちゃんと口は閉じてたよな?

 

「あのー、すいませーん」

「はい?」

「もし宜しければ、写真を撮っていただけないでしょうか?」

「いいですよ。場所はここで大丈夫ですか?」

「はい」

 

 夢中になっている少年の母親と思わしき人から声を掛けられ、俺はデジカメを受け取るとカメラを構える。サメ君、もういっちょ良い感じで宜しく頼むぞ。

 

「撮りますよー? はい、チーズ」

「ありがとうございます」

「もし良ければ、お二人も撮りましょうか?」

「え?」

 

 デジカメを返すなり、少年の父親からそんなことを言われた。思わぬ返しに驚いていると、いつの間にやら俺の背後にいた阿久津がスマホを差し出しつつ答える。

 

「すいません。お願いしてもいいでしょうか?」

「はい。構いませんよ」

「え? いや、俺は別にいいって」

「せっかく撮ってくれると言ってくれているんだから、ご厚意に甘えるべきだよ」

 

 ここまで話が進んでしまうと、今更断るのもどうかという話。俺は阿久津と共に水槽を背にすると、スマホを構える御主人に向けて精一杯の作り笑いを浮かべた。

 

「それじゃあ撮りますよ? はい、チーズ」

「どうもありがとうございます」

 

 撮ってもらった写真を横から覗きこんでみれば、まさに美女と野獣。この隣にいる不気味な奴は、一体どこのどいつなんだろうか。

 自分の顔は普段視界に入らないため全く気にしないものの、こうして写真に撮られると傍からはこういう風に見えているのかと実感させられるため嫌になる。

 

「さっきまでは子供みたいな顔をしていたのに、どうしてこうも表情が硬いんだい?」

「写真は苦手なんだから仕方ないだろ。そんなことより、ここの次は何があるんだ?」

「さて、何だったかな。ボクは水族館のスタッフじゃないからね」

「ヒトデの口の位置まで知ってた癖に。メインスポットといい、事前に調べてきたのか?」

「まあ、ある程度はね。滅多に来ることができない場所だし、せっかくこうして行く機会ができたなら満喫したいじゃないか」

「確かに。下手したらさっきの水槽とここだけで、一時間半くらい余裕で過ごせそうだもんな。そういや阿久津は水族館の後はどこに行くんだ?」

「予定としてはこんな感じだよ」

「へー。午前中は俺達とほぼ一緒だな」

 

 幼馴染に見せられたスマホの画面に映っている一日の計画を確認すると、次の目的地は俺達と行き先と同じで色々と体験できるガラス工芸館だった。

 今回の自由行動が首里城ではなく水族館コースになった理由は、こうした芸術の鑑賞や体験といった要素が多いため。阿久津の班にも美術部員が二人いたことを考えると、冬雪や如月と同じような考えだったんだろう。

 

「すっかり置いてくる形になったけど、他の連中と回らなくて良かったのか?」

「ボクの班は男子は男子でつるんでいるし、あの二人は音穏達と一緒に回っているだろうから問題ないさ。そういうキミこそ、ボクと一緒で良いのかい?」

「ん? いや、俺はお前のお陰で楽しませてもらってるから、逆に礼を言いたいくらいだけどな」

 

 アキトと川村は自由に歩き回っているだろうし、冬雪と如月は一緒だから問題ない。そもそも冬雪も如月も割とマイペースだから、芸術鑑賞となれば一人でも楽しんでいる気がする。よくよく考えてみると俺の班、マイペースな奴が多すぎじゃね?

 

「それならお互い様だよ」

「?」

 

 アクアルームを後にして歩いている途中で、阿久津がポツリと一言。俺が礼を言われるようなことをした覚えはないが、何がお互い様なんだろうか。

 二階をざっと回り終わったところで階段を下りると、辿り着いたのは『深海への旅』と書かれた一階。どうやらここの水族館は入口のある三階が浅瀬から始まり、下の階へ行くにつれて海の底へと潜っていくようなイメージで作られているようだ。

 深海という文字を見て文化祭で夢野と見に行ったブラックライトアートを思い出したが、一言で深海と表現しても定義としては水深200メートル以降の海域を示すらしく、中に入ってみると美術部の描いたような海底の世界ではなかった。

 

「部屋も深海って感じで暗くなってるんだな」

「確かに雰囲気のことも考えているだろうけれど、それ以上に飼育方法の都合が関係していると思うよ。水深200メートルなら光以外にも水温や圧力だって違うだろうし、深海の生物を育成するのは難しいんじゃないかな」

「はー。成程な」

 

 一つ一つの水槽を眺めながら先へ進んでいくと、水深600メートル付近の温度を体験できるコーナーを発見。確かに阿久津の言う通り、その水温は9℃と物凄く冷たかった。

 その更に奥にあったのは、海のプラネタリウムという名前の部屋。暗めの部屋の中ではまるで蛍みたいに光を発している魚や、紫外線を反射して輝くサンゴの様子が何とも分かりやすい。

 

「櫻。こっちに来てくれるかい?」

「ん? 何だよ?」

「キミにピッタリな魚がいると思ってね」

 

 何かと思い見てみれば、阿久津が指さしているのはサクラダイ。名前にサクラが付く魚なんて割と結構いそうだが、突っ込むのは止めておいた。

 滅多に見ることができない深海世界を前にして、普段はクールな阿久津も若干ウキウキな様子。それこそ子供みたいに水槽に張りついている姿を見せられたりすると、こちらも自然と口元が緩んでしまう。

 

「この水槽は空に見えるけれど、一体どこにいるんだろうね」

「あ! あれじゃないか?」

 

 時には面白い動きをする魚を一緒に見たり、また時には水槽の中に隠れている生き物を二人で探したりと、水族館での会話は自然と弾んだ。

 

「どこだい?」

「ほら、あそこにいる小さい奴だって」

「んー?」

「っ!」

 

 小さめの水槽の端に隠れていた変な形の魚を指差すが、見つけられない阿久津は身を寄せてくる。意図していなかった接近と触れ合う肩にドキドキさせられるが、今日はアルコールも入っていない当の本人は特に意識していないのか純粋に楽しんでいるようだ。

 

「あっ! ひょっとしてあの隅っこにいるのがそうかい?」

「そ、そうそう!」

「ふむ。流石にあれは中々気付か――――」

 

 不意に阿久津がこちらを振り向く。

 間近で見る整った顔立ち。

 当然ながら目が合い、一時停止していた少女はハッと我に返ると距離を取った。

 

「つ、次に行こうか」

「あ、ああ……」

 

 いまいち阿久津らしくない反応を見せられ違和感を覚える。まさかとは思うが、夢野が言っていた民泊で酒を奨められた生徒ってコイツのことだったりしないよな?

 深海の旅も終わりを迎えると、抜けた先にあったのは出口とショップコーナー。改めて考えてみると、最初から最後まで阿久津と一緒に回る形になっていた。

 しかし時間は思っていた以上に過ぎていたらしく、腕時計を見た阿久津が口を開く。

 

「ふむ。丁度頃合いだね」

「ん? うわっ? マジかっ! 最初に通り過ぎた三階とか、ほとんど見てなかったぞ? それに四階なんて全然行くことすらできなかったし」

「そんなことを言い始めたら、黒潮の海の水上観覧コースにイルカショー、アクアラボと行きたい場所はキリがないよ。また大学生になってからでも来れば良いじゃないか」

「うーん、大学生か。仮に来る機会があるなら、今度はあのでっかい水槽の前にあるカフェでのんびりできるくらい、充分に余裕を持ってゆっくり見たいもんだな」

「そのためにはアルバイトでもして、旅費を貯める必要がありそうだけれどね」

「だよな」

 

 鼻で笑う阿久津に対し、俺は苦笑いを浮かべる。

 集合時間まで残り十分という程良い時間配分をした少女と共にお土産に良さそうな物があるか探しつつ、シークヮーサーが出てくる蛇口の話など阿久津の二日目について聞いていると、程なくして冬雪達もやってきた。

 

「四人一緒に回っていたのかい?」

「……(コクリ)」

「うんうん。楽しかったよ~」

「?」

 

 阿久津の友人二名が妙にニヤニヤしている気がするが、水族館特有の爆笑ハプニングでも見ることができたんだろうか。後で冬雪に聞いてみるとしよう。

 それから少しして集合時間ギリギリになりアキトと川村、更には阿久津の班の男子達が早足気味に帰還。あの様子だと前半をゆっくり見て、後半の深海辺りは駆け足だったんだろうな。

 

「なんだい? ボクの顔に何か付いているのかい?」

「いや、何でも」

 

 ツアーガイド阿久津による案内に、改めて心の中で感謝しておく。

 またいつか来る機会があれば良いなと思いつつ、俺達は水族館を後にした。



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三日目(金) ペンギンが日本列島だった件

 

「なあアキト。サンドブラストって何なんだ?」

「それは勿論、古より伝わりし必殺の奥義ですしおすし。強力な全体攻撃な上、喰らった相手には50%の確率で命中率低下の状態異常を付加するお」

「そうかそうか……魔導レーザー!」

「アウチョッ!」

 

 バスでの移動を終え到着したのはガラス工芸館。ここでは体験は色々な種類があり、阿久津達とは目的地こそ同じだったものの流石に体験内容までは違ったらしい。

 ガラス工芸館へ行くということまでしか知らなかった俺は、これから行うサンドブラストなる体験について今更ながらアキトに尋ね、返された厨二的解答を聞くなり脇の下へ人差し指をブスリと刺しておいた。

 

「拙者も軽く調べた程度で具体的には理解してないですし、どうせ中に入ったら説明があるかと思われ」

「それなら中途半端な理解でいいから三行で頼む」

「砂を吹きつけて、表面を削ると、曇りガラスっぽくなる」

「…………何言ってんだお前?」

「オートボウガン!」

「ぐはっ!」

 

 そんなアホなやり取りをしながら建物の中へ。売店には食器に花器、風鈴やアクセサリーといった様々な種類かつ色鮮やかなガラス製品が並んでいる。

 

「冬雪氏に聞いてみては?」

「いや、今の冬雪に水差すのはちょっとな」

「おk把握」

 

 楽しみにしていたガラス細工や制作工程を目の当たりにして、いつになくテンションが高めの冬雪。相変わらず表情の変化には乏しいが、目を輝かせ心ぴょんぴょんしそうな動きを見れば喜んでいるということは付き合いの長い俺じゃなくてもわかるようだ。

 それならばと、方向性こそ違うが冬雪同様に芸術を志しており、何となくその手の知識に詳しそうなイメージがある如月の方を見る。

 

「如月さ……じゃなくて、如月はサンドブラストって何か知ってるか?」

「(フルフル)」

 

 俺が如月に尋ねる一方で、アキトも川村に聞いてみるが収穫は無し。もっとも如月の場合は、例え知っていたとしてもアキトや川村がいる今は喋ってくれないだけかもしれない。

 しかし体験内容を決めた本人しか知らないって、流石に適当過ぎるだろ俺達。

 

「……♪」

「それにしてもこの冬雪氏、ノリノリである」

「陶芸部でも滅多に見ないレベルだからな。合宿で美術館に行った時くらいか」

「見ていて微笑ましいですな」

「そう! あれこそ人呼んでクラフトデザイナー、エリュシオン冬雪!」

「略してCDEF! …………これ、単にアルファベットを羅列しただけだお」

 

 この上なく幸せそうな冬雪を先頭にして作業する部屋に案内されると、そこに用意されていたのは色々な形や大きさをしている粘着性シートで覆われたグラス達。それに加えて、そのグラスに描くことのできる絵柄の数々だった。

 スタッフの人から話を聞いた限り、大体の作業工程としては好きな絵を描いた後でカッターを使って切り取る。するとその切り取った箇所に砂が吹き付けられ、白い曇りガラスのような模様になるらしい。

 

「……別にこの中から選ばずに、自由に描いても大丈夫」

「(コクコク)」

 

 確かに美術部の如月なら、こんなお手本を使う必要もないだろう。画力があることを羨ましく思いつつ、俺は細長いグラスとペンギンの絵柄を選び終える。

 描くといってもカーボン紙を当てて絵柄を転写するだけでオーケーのため、絵のセンスがなくても問題なし。飲むときの口当たりを考えてグラスの口付近には模様がこないようにするという注意点もしっかり守り、思っていた以上にスムーズに進めることができた。

 

「……」

「…………」

 

 しかしながら難しいのはここから。転写を終えた俺はカッターを手に取ると輪郭に沿って慎重に切り始めるが、粘着性シートの抵抗によって思うように手が進まない。

 グラスは曲線であるためカッターの刃が表面をつるりと滑ってしまいがちであり、だからといって力を入れ過ぎると今度はグラス本体の方を傷つけてしまう危険がある。

 

「………………」

「……………………」

 

 各々が作業に没頭し、無言の時間が続く。

 ハートマークや星マークといった簡単な絵柄は輪郭を切り取るだけで完成だが、俺が挑戦しているペンギンは背中や頭は黒だがお腹は白い生き物。そのため輪郭を切り取っただけでは終わらない。

 作業開始から三十分ちょっと過ぎた頃になって、お腹部分の枠取りがようやく終了。ペリペリっと綺麗に剥がれた瞬間は、ちょっとした快感だった。

 

「ふう……我ながら未だかつてないくらい上手くできた気がするんだが、見てくれよこれ」

「ほほう。米倉氏、中々に良い仕事をしてますな」

「だろだろ?」

 

 不器用である俺はこの手の類に挑戦すると、大抵理想と大きく異なる結果になり溜息を吐くのが定番だが、今回は限りなく理想に近い出来具合だ。

 勿論複雑な薔薇の絵柄を切り抜いている冬雪や、ネズミーのキャラクターを自分で描いた如月のグラスに比べれば完成度は大きく劣るが、それでも個人的にはかなり満足である。

 

「拙者の方も無事に完成したみたいだお」

「お?」

 

 サンドブラスト機に掛ける工程は、スタッフの人がやってくれるとのこと。俺が自信作であるペンギングラスを預けると、一足先に切り抜く作業を終えサンドブラストされたアキトのグラスが入れ違いで帰還する。

 眼鏡をクイッと上げたガラオタがゆっくりと粘着性シートを剥がしていくと、そこには切り抜いたイルカの絵が曇りガラスとなって白く映っていた。

 

「おお! へー、こんな風になるのか」

「かがくのちからってすげー!」

 

 試しに触れてみるとサラっとした感触。この曇りガラスが金剛砂と呼ばれる研磨材であり、圧縮空気に混ぜて吹き付けることでこうなるんだとか。成程わからん。

 友人の完成品を目の当たりにして、自分のグラスはまだかとテンションが上がっていく。女子三人が切り抜く姿を眺めつつワクワクしながら完成を待っていると、ナイスタイミングで俺達より先に別の体験を終えたと思われる阿久津達がやってきた。

 

「やっほ~。音穏ちゃ~ん。閏ちゃ~ん。遊びに来たよ~」

「調子はどうだい?」

 

 男子達はお土産コーナーに行く旨を告げ、女子二人は如月と冬雪の切り抜いているグラスを覗き込む中、阿久津は待機中である俺の隣に座りこむ。

 

「ふっふっふ。もうすぐ完成だ。楽しみにしておけ」

「ふむ。こういうのはキミの苦手分野だと思っていたけれど、いつになく自信ありげだね」

「まあな。そっちはどうだったんだ?」

「それなりに上手く出来たよ。完成品は二日くらいかけて冷ます必要があるらしいから今は手元に無いけれど、写真を撮ってもらったから見るかい?」

「おう。見たい見たい」

 

 阿久津達が体験したのは吹きガラスと呼ばれるもの。筒状になっている長い竿の先端に溶かしたガラスを巻きとり、息を吹き込むことでガラスを膨らませるという製法だ。

 

「竿から切り離した後の、飲み口の仕上げが中々に難しくてね」

「へー。そっちも面白そうだな」

「サンドブラストはどんな感じなんだい?」

「ああ。最初にグラスと形と絵柄を選んで――――」

 

 ここまでの工程について簡単に説明すると、ついに待ち焦がれたマイグラスが帰還。丁度いいとばかりに、阿久津の前で完成品であるペンギンの姿を披露した。

 

「見るがいい! これが俺の…………」

「俺の、何だい?」

「何じゃこりゃあっ?」

「ボクに言われてもね。これは日本列島かな?」

「米倉氏、一体何があったの……ブッフォ!」

「……輪郭の切りが細すぎるとこうなる」

 

 粘着性シートを剥がしてみれば、曇り加工がされて白くなったのはお腹部分だけ。冬雪の言う通り輪郭部分を太く切らなかったため、ペンギンを象っている一番大事な線が消滅してしまい何が何だかわからない物が誕生した。

 

「違うんだ! ペンギンなんだよ! ペンギン! ほら、これ!」

「ふむ。ああ、そういうことかい? 実にキミらしい失敗だね」

「あァァァんまりだァァアァ」

 

 阿久津が笑い、アキトが腹を抱えて爆笑し、初対面に近い女子二人にまでも嘲笑される。違うんだよ。切った段階までは未だかつてない完成度だったんだよ。

 残った冬雪達も無事にオリジナルグラスを完成させる中、俺のサンドブラスト体験だけは得体の知れない造形で終了するのだった。サンドブラストって何なんだ?



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三日目(金) さらば沖縄めんそーれだった件

 アキトや川村がガラス工芸館で売られている色鮮やかなグラスをお土産に選ぶ中、食器なら陶器で作れば良いと判断して買わない俺。何だかんだで知らない間に、すっかり陶芸部らしい思考が染み付いていたようだ。

 ここまで行動を共にしていた阿久津達とも別れ、お昼には沖縄そばを食べる。その後も道端に生えているヤシの木を眺めながら、バスに揺られて色々な所を観光した。

 そんな楽しかった旅も終わりが近づき、最後の目的地である国際通りに到着。約1.6㎞近い繁華街を最初は五人でのんびり歩いていたが、気が付けばアキトと川村は二人でどこかへ行き、如月は店の前で写真を撮っているため今は冬雪と二人きりだ。

 

「んー、テツのお土産に良さそうな物あったか?」

「……悩み中」

 

 先程までハリネズミカフェの看板を見つけるなり、入りたそうにジーっと眺めていた冬雪は首を横に振る。

 家族には元祖紅いもタルトなりパイナップルチョコちんすこうといった沖縄名物を購入する中、後輩へのお土産は未だにピンとくる物が見当たらない。

 

「確かアイツって辛い物が好きって言ってた気がするし、こんなのなんてどうだ? 向こうに帰った後もこれ一つあれば沖縄の味が楽しめる、島とうがらし!」

「……却下」

「駄目か。いい線いってると思ったんだけどな。じゃあこっちなんてどうだ? 第5回全国47都道府県代表おやつランキング準グランプリ受賞! とろなまマンゴープリン!」

「……食べ物より、形に残る物がいい」

 

 テツの性格を考えると花より団子の方が良さそうな気がするが……しかもプリンの方に至っては、名前からしてあの脳内ピンクな後輩にはピッタリだと思うんだけどな。

 やはりこの手のお土産もプレゼント同様にセンスが問われるため、正直言って俺の得意な部類ではない。だからといって冬雪も決断力に欠けていたりする。

 

「いっそアイツに何が良いか聞いてみるか?」

「……(コクリ)」

 

 南国ならではの植物エキスをたっぷり配合し、美容効果も期待できる……なんて謳い文句が書かれた、シーサー型の美容マスクを眺めていた冬雪は黙って首を縦に振った。

 俺は携帯を取り出すと、パパッとテツにメールを送る。

 

『お土産を買ってるんだが、何か欲しい物とかあるか?』

 

 

 

 ――――ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ――――

 

 

 

『沖縄名物ゴーヤコンドームが欲しいッス!』

 

「…………」

「……返事きた?」

「ああ。沖縄名物なら何でもいいってよ」

 

 俺は『来年に自分で買え』と返信しつつ答える。アイツの修学旅行の行き先が沖縄になるかは知ったこっちゃないが、そんな物をお土産に買えるかっての。

 

「そうだな……阿久津は早乙女のお土産に何を選んだかとかって聞いたか?」

「……聞いてみる」

 

 冬雪はスマホを指でなぞりつつ答える。その一方で俺の携帯にはテツから『ゴーヤコンドームが駄目なら、別に何でもいいッスよ』と予想通りのメールが届いていた。

 夢野達にも聞いてみるべきかと思ったが、向こうは土産を渡す相手が伊東先生のため参考にならないかもしれない。やはり後輩への土産という点で同じ阿久津に聞くのが無難だろう。

 

「……これだって」

「ん? 何だこれ?」

「……ケーブルバイト」

「ああ、あれな。ケーブルバイト。200㎏を超える握力から繰り出される必殺技だろ?」

「……違う。ここの部分に付けるマスコット」

 

 冬雪の説明を聞いた限り、どうやらケーブルバイトとはスマホ用品の一つ。充電ケーブルの接続部分が断線してしまうのを防ぐ、ちょっとしたアクセサリーらしい。

 阿久津は沖縄の守り神であるシーサーのケーブルバイトを買った様子。まあ恐らくどんな物を選ぼうと、阿久津からのお土産と聞けば早乙女は喜ぶこと間違いなしだろう。

 

「あれ? 何か画面消えたんだけど、これどうすればいいんだ?」

 

 未だにスマホ慣れしていない俺が助けを求めると、冬雪は俺が手にしていたスマホの画面をタッチする。その際に判定がタップではなくスライドになったらしく、表示されていたシーサーのケーブルバイトから画像が切り替わった。

 

「……」

「…………」

「………………冬雪さん?」

「……何?」

「これは何でしょうか?」

「……写真」

「そんなことは見たらわかる。問題はこれを誰が撮ったかだ」

 

 スライドしたことにより表示された写真は、俺と阿久津が水族館で水槽を眺めているツーショット。恐らくは『深海への旅』だと思われるが、ここで写真を撮られた覚えはない。

 

「……楽しそうだったから、こう、パシャリ」

「パシャリ……じゃねーし! 犯人はお前かっ?」

「……撮ったのはミナの友達」

「傍にいたのかよっ? 勝手に盗撮すんなって!」

「……それを送って貰って、私がミナに送っておいた」

「何してくれてんのっ?」

 

 つまりはこの画像が阿久津の元にも届いているということになる。相変わらず写真写りが悪い俺の……と思ったが、改めて見ると案外そうでもなかった。

 

「……ヨネもミナも、楽しそうで何より」

「ほほう。そうかそうか。それなら俺にも考えがあるぞ」

「……?」

「ちょっとこっちに来なさい……おーい、如月ー」

 

 俺は冬雪の手首を掴み店の外へ出ると、写真を撮っていた如月の元へ向かう。

 目には目を。歯には歯を。写真には写真をだ。

 

「ちょっとスマホ貸してくれないか? 俺も撮りたい写真があるんだ」

「(コクコク)」

「サンキュー。これ、連写モードとかってできるか?」

「……っ」

「おっと、逃がさんぞ冬雪。さあ、楽しい楽しい思い出作りをしようじゃないか」

 

 写真を撮られるということがどういうことか、その身を以て味わうがいい。

 

 

 

 ――十分後――

 

 

 

「オッスオッス。やっと合流できましたな。おや? 冬雪氏、どうかしたので?」

「……ヨネに酷いことされた」

「ブッフォ! まさかの事案発生っ?」

 

 先に酷いことをされたのは俺なんだが、これで少しは懲りただろう。

 ちなみに悩みに悩んだ末、テツへのお土産はシーサーの置物という何とも無難な結果に。ぶっちゃけ錬金術師ならぬ錬土術師の冬雪なら、これくらい粘土で作れそうだけどな。

 

「そういやアキト、お前モノレールは大丈夫なのか?」

「ダメデスガナニカ?」

「うぉいっ? 飛行機ですらアレだったのに、どうすんだよ?」

「ソノタメノガチャダオ」

 

 空港へ戻るためのモノレール乗り場を前にして、またもや壊れ始めるアキト。まだ口調こそ維持できているが、その手は暴走するミシンのようにスマホをタップしている。

 不安になりつつモノレールに乗ると、気を紛らわせるためのガチャ作戦が功を奏したのか運良くお目当てだったバレンタイン仕様のヨンヨンが手に入った模様。まあそんな精神状態じゃ物欲センサーも働かないだろうし、災い転じて福となすってところだろう。

 

「飛行機に乗ったらもう修学旅行も終わりか。何かあっという間だったな」

「……またいつか来たい」

「(コクコク)」

「次に来る時は船旅がいいお」

 

 この三日間で一体何枚撮ったのか、綺麗な海に沈み始める夕陽をアキトが撮影。空港で別れの『めんそーれ』を見た俺達は、楽しかった沖縄の地から飛び立つ。

 一日歩き回って予想以上に疲れていたのか、帰りの飛行機はぐっすり就寝。今回はアキトも眠れたようで、偏西風の影響もあり乗っていた時間は行きより短かった。



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三日目(金) 展望デッキの夜景も絶景だった件

「明釷ー。櫻ー。皆で飯行こうって話があるんだけど、お前らこの後って空いてるか?」

 

 空港のロビーで解散式が行われ、家に帰るまでが修学旅行と言われたばかりにも拘わらずクラスメイトから声を掛けられる。まあ解散場所が空港かつ丁度お腹が空く時間帯とくれば、真っ直ぐ帰らずにその手のことを考える輩は他にもいそうだ。

 

「悪い。ちょっと用事があってさ」

「マジかー。用事なら仕方ないな。明釷はどうだ?」

「問題ないお」

「オッケー。おーい、葵ー」

 

 用事について詮索することもなく、陽キャな友人は葵や渡辺達といった他の連中の元へ向かう。ウチのクラスはつるんでいるメンツこそイケメン勢と陰キャ勢に分かれているものの、全体の雰囲気は悪くなく比較的平和だ。

 

「米倉氏、グッドラック!」

「おう。色々と調べてくれてサンキューな」

 

 アキトと共に誘いに乗ることはなく、俺は親友に別れを告げる。

 一人で向かった先は、アキトが事前に調べておいてくれた良い感じの場所。飛行機の離着陸や綺麗な夜景が見えるという、空港の展望デッキだった。

 

「おお……」

 

 足元に点滅するLEDライトが散りばめられた幻想的な空間。画像は見せて貰っていたものの、実際に行ってみると予想以上の光景に驚かされる。

 そして滑走路の方を見れば誘導灯がイルミネーションのように光っており、スカイツリーは勿論のこと東京タワーやレインボーブリッジまで見えるロマンチックな夜景が広がっていた。

 

「…………」

 

 周囲にはカップルの他に、夜景を撮影しようとカメラを構えているおじさんもいる。屋代の生徒も何人か見掛けはしたものの、今の時間はまだあまり人が多くない。

 とりあえず連絡を取ろうと携帯を取り出したところ、タイミングよく夢野からメールを受信。むこうも展望デッキに到着してこちらを探しているとのことだ。

 

「!」

 

 薄暗い周囲を見渡すと、大きな荷物を抱えたポニーテールの少女を見つける。

 人違いの可能性を考慮して、横から覗きこむように顔を確認した。

 

「…………あ!」

「よう」

 

 携帯の画面を眺めていた夢野は、俺に気付くと嬉しそうに微笑む。

 見慣れた制服姿ではあるものの、綺麗な夜景をバックにした少女は実に絵になっていた。

 

「わざわざ来てもらってゴメンな」

「ううん。こんなに綺麗な所があるなんて知らなかったから、寧ろ来て良かったかも」

「そう言ってもらえて何よりだ。ちょっと向こうの方に行ってみるか」

「うん」

 

 座って話すことのできるブースもあるが、俺と夢野は展望デッキの探検がてら人の少ない方へと移動する。

 人工的な照明が強過ぎるせいで空を見上げても星はあまり見えないが、この夜景は沖縄の星空とはまた違った意味で良い。

 

「伊東先生へのお土産は何にしたんだ?」

「色々悩んだんだけど、最終的にはコーヒーにしたの。珊瑚で焙煎されたコーヒーっていうのがあったから、沖縄っぽいし良いかなって」

「コーヒーなら準備室とか職員室で見掛けた際にも飲んでるし、良いんじゃないか?」

「本当? 良かった。ミズキは最初お酒にしようって言ってたんだけどね」

「流石は夢野。ナイス判断だな」

「米倉君達はクロガネ君のお土産、何を選んだの?」

「これくらいの、小さいシーサーの置き物だよ」

「もしかしたらそれ、私が見たのと同じだったりして。望のお土産にしようか考えてた可愛いシーサーがあったんだけど、結局沖縄の合格グッズにしちゃった」

「夢野は優しいな。ウチなんて本人のリクエストがパイナップルチョコちんすこうだぞ」

「ふふ。梅ちゃんらしいかも」

 

 ちなみにこのパイナップルチョコちんすこう、どこから仕入れた情報か知らないが試食してみたらこれがまた美味いのなんの。普通のちんすこうはあまり口に合わない俺でも、ネズミーのチョコクランチに似ている食感でストライクだった。

 一緒にいた冬雪と如月にも好評で、二人とも家族への土産に購入。今になって思うとテツへの土産もこれにしておけば、一つくらい摘み食いできたかもしれないな。

 

「そういえば、水族館はどうだったの?」

「思ってた以上に凄くて驚いたよ。こう、映画のスクリーンくらい滅茶苦茶でっかい水槽があったんだけど、ジンベエザメとかが泳いでて――――」

 

 俺は自分が見た水中の世界や、深海のプラネタリウムについて話す。

 文化祭で火水木のバンドを阿久津へ説明した時同様に、やはり言葉だけでは上手く伝わらないが、真摯に話を聞いてくれていた夢野は首を傾げつつ尋ねてきた。

 

「写真とかは撮らなかったの?」

「携帯はこれだし、デジカメ借りるのも面倒だったからな。それに思い出は写真に撮って残すよりも、心に刻む派なんだよ」

「えー? 思い出は共有しないと! 米倉君が感動した水族館の景色、見たかったなー」

「まあ俺が写真を撮らなくても大抵は他の奴が撮ってるからさ。水族館だってアキトとか阿久津が山ほど撮ってたみたいだし、言えば見せて貰えると思うぞ?」

「え? 水無ちゃんと一緒だったの?」

「ああ。入口で偶然会ったんだよ。ヒトデの口の位置とか水族館の見どころとか、事前に色々調べてたみたいだったから付いて行ったんだけどさ」

「…………」

「ん?」

 

 話している途中、人気も少なくなってきたところで不意に少女が足を止める。

 どうしたのかと思い振り返ると、夢野は唐突に俺の腕へギュッと抱きついてきた。

 

「!?」

 

 幸か不幸か、制服の生地が厚過ぎるため胸が当たっている感触はあまりない。

 視線をやや下げてみると、そこには珍しく頬をぷくーっと膨らませながら不満そうにこちらを見上げている夢野がいた。

 

「水無ちゃんだけずるい!」



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三日目(金) 修学旅行の思い出だった件

「はいっ?」

「いいなー。私も米倉君と水族館デートしたかったなー」

「いやいや、ちょっと一緒に見ただけで――――」

「ちょっとー?」

「えっと……一時間くらい……?」

「二人で一緒に写真撮ったり?」

「撮ったっていうか、撮られたっていうか……」

「水槽を見ながら楽しく話したり?」

「楽しいっていうか、いつも通りっていうか……」

「じー」

「と、とにかく一緒に回っただけで、別にデートとかそういう雰囲気じゃなかったから! どっちかって言うと夢野と一緒に文化祭を回った時の方がデートっぽかったし!」

「本当にー?」

「マジのマジ! 大マジだから! 嘘だと思うなら阿久津に聞いてみろって!」

「ふーん。じゃあ、そういうことにしておいてあげよっかな」

 

 滅多に見られないふくれっ面も可愛かった少女は、俺の腕から離れるなり仕方なさそうに口を開いた。とりあえず理解してもらえたことに安堵する一方で、恋人気分だった至福の時間が終了しちょっと寂しかったりもする。

 文化祭の時も阿久津から似たようなことを言われた気がするが、夢野と一緒に回ったのはデートと言われても仕方ない。しかし阿久津と一緒に回ったアレをデートなんて言った日には、間違いなく俺が躊躇いのない罵詈雑言でフルボッコにされるだろう。

 

「首里城の方はどうだったんだ?」

「楽しかったよ。全体的に物凄く赤かった!」

「何だそりゃ?」

「ちょっと待ってね。米倉君のために、沢山写真撮ってきたから……ほら、これ!」

「おお! 確かに物凄く赤いな」

 

 スマホを取り出し操作した夢野は、俺にも画面が見えるように身を寄せてくる。見せられた正殿の写真は言葉通り、建物から地面に至るまで赤一色だった。

 写真をスライドさせて最初に戻ると守礼門から始まり、市街を見下ろせる城壁や静かな雰囲気の庭といった景色の数々を経て正殿の中へと進んでいく。

 

「それで、これが琉球国王の王冠なんだって」

「へー。この王冠、何で横からでっかい釘が貫通してるんだ?」

「これは釘じゃなくてかんざし!」

「じゃあこの電飾みたいに沢山付いてるイボイボは?」

「これはレプリカなんだけど、本物は金とか銀とか七種類の宝石が付いてるらしいよ」

「マジか」

 

 センスの良し悪しが分からない俺でも、この王冠は華やかというよりはゴテゴテしていて見栄えが悪く微妙に見える。王冠であると教えられていなかったら、ぶっちゃけ足つぼマッサージの道具か何かと聞いてしまいそうな見た目だ。

 こうして写真を見せられると、行ってみたいという欲望が掻き立てられる。中には撮影禁止の場所もいくつかあったらしいが、紅芋とマンゴーのソフトクリームを食べる二人なんて微笑ましい写真も挟みつつ、夢野は説明を交えながら色々と見せてくれた。

 

「俺も今度から、少しくらいは写真を撮ってみようかな」

「思い出、残したくなった?」

「まあそれもちょっとあるけど、こういう風に何かしら共有したいものがあって説明する時とかは写真があった方がわかりやすいなって思ってさ」

「ふふ。でしょ? それじゃあ早速撮ろっか」

「ん? いや、俺が言ったのは景色とかであって――――」

「いいからいいから」

「お、おいっ?」

 

 言うが早いか、カメラモードに切り替えた夢野が腕を絡めてくる。

 距離が近づきふわっと良い匂いがする中、綺麗な夜景がバックに入るよう精一杯に腕を伸ばす少女。そして俺が止める間もなく、あっという間にコールがされた。

 

「撮るよー?」

「…………」

「ふー」

「ひょわっ? 何するんだよっ!」

「はい、チーズ!」

「っ?」

 

 不意に耳に息を吹きかけられ驚いたが、抗議する間もなくコールされる。

 表情を作る間もなく慌ててポーズだけ撮ると、撮影音が鳴り響いた。

 

「うん。バッチリ!」

「そうか?」

「じゃあもう一枚撮る?」

「勘弁してください!」

 

 確かに普段よりは写真写りが良いものの、やはり所詮は美女と野獣。それにこうやって自撮り形式である以上は仕方ないが、夜景はあんまり写っていなかった。

 

「夢野は自分が撮られるのとか嫌じゃないのか?」

「うーん。こういうときは特別だし、あんまり気にしないかな。それに友達と写真を撮るときは普通に撮るよりも、こっちで撮ることが多いし……あ! 米倉君可愛い!」

「あー、成程な。確かにこれなら納得だ」

「それじゃあもう一枚ね♪」

「何ですとっ?」

 

 スマホを軽く操作した夢野は、再びギュッと抱きつきつつ腕を伸ばす。

 今回は先程と違い、顔認証システムにより半自動的に加工や合成ができるアプリを利用しての撮影。画面に映っている俺と夢野の鼻は犬の鼻になり、頭には犬耳が付いていた。

 

「リラックスリラックス。米倉君の表情が硬くなったら、またふーってやっちゃうよ?」

「そう言われてもな」

 

 少し顔を近付ければキスできるくらい間近にいる夢野は嬉しそうに微笑む。

 これが硬くなる原因なんだよなと思いつつ、息を吹きかけられないよう笑顔を作った。

 

「はい、チーズ!」

 

 アプリの影響で先程以上に夜景が映っていないが、撮れた写真を見て夢野は納得した様子。腕を解放された俺は、高鳴っている鼓動を落ちつけるべくゆっくり息を吐く。

 

「最初で最後の修学旅行なんだから、思い出は沢山作らないとね」

「まあ、そうかもしれないけどさ……」

「それじゃあもう一つ、思い出作ろっか」

「まさか、また写真かっ?」

「ううん。じゃーん♪」

 

 夢野は財布を手に取るなり、その中から一枚のお札を取り出す。

 そこに描かれていたのは人物の肖像画ではなく、先程写真で見たばかりの守礼門。今となっては伝説にすらなりかけている、二千円札だった。

 

「おー。そういえば沖縄だと普通に流通してるって聞いたことがあったけど、ちゃんと存在してたんだな。買い物とか結構したけど、一度も見なかったよ」

「欲しい?」

「ん? 欲しいって言ったらくれるのか?」

「うん。答えが当たったらね」

「!」

 

 確かに金額的には近いが、そのために手に入れたんだとしたら本当に用意周到だな。

 俺は大きく深呼吸をした後で、古い記憶を遡る。

 そして最後の謎である、2079円の答え合わせを始めるのだった。



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三日目(金) 俺の彼女が0円だった件

『うん。貰ったのは確かなんだけど、はっきりとした金額のわからないものだから』

 

 一年前の元旦、夢野は2079円という金額を口にする前にそんなことを言っていた。

 結論から言うと、この金額は間違っている。

 それなら正しい値段はいくらだったのかと言えば、俺はこう答えるだろう。

 

「当たったとしても受け取れないっての。実質0円だったからな」

 

 そう、あれは今から五年前の話になる。

 俺と夢野の……いや、土浦蕾の最後の出会いは、小学六年生のクリスマスだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

『グーパーグーパーグゥーパァ!』

 

 冬休みが始まって二日目の今日はクリスマスイブ。めっきり冷え込む曇り空の下、窓の外ではこれから行われるリレーのためのチーム分けをしている声がする。

 メンバーのリーダー的存在になっているのは、最高学年かつ通学班の班長でもある阿久津。同じ学年だったものの面倒見が良くない俺は中心になることもなく、通学班も高学年がいない少し離れた区域の班長をさせられていた。

 

「位置に着いて~っ? よ~いっ! どんっ!」

 

 阿久津の元に集まった近所の子供達の中には、当然ながら梅の奴もいる。

 姉貴が中三となり高校受験を控えている今、我が妹の遊び相手はすっかり阿久津となっており、今日も外で姿を見つけるなり即座に家を飛び出していったくらいだ。

 別に遊ぶ約束をした訳でもないのに誰か一人が外で何かしらしていると、それを見て二人、三人と次々に人が集まってくるのだから近所というのは本当に不思議である。

 

「…………」

 

 そんな風の子達が天真爛漫に遊ぶ一方で、俺は一人ゲームに勤しんでいた。

 遊んでいるゲームは専ら一人用のRPGばかり。梅の奴とレースゲームや格闘ゲーム、パズルゲームで対戦することも時にはあったが、大抵は俺がボコボコにしてしまうため最近は誘っても断られるようになってきている。

 逆に俺が外に出て遊ぶ時があったかというと、人数合わせとして呼び出されでもしない限り稀な話。それこそ梅と一緒にゲームをするくらいの頻度と同じくらいだった。

 

『ピロリロリロピロリロリロピロリロリロピロリロリロ!』

 

「えっ? あっ! タマが成長するっ!」

「本当っ?」

「見たい見たい!」

「あーっ! マンチカンだーっ!」

「本当かい? ボクのアルカスと同じだね」

「いいなー」

 

 その一方で社会現象になるほど爆発的な人気を誇っていたのが、キーチェーン型の小型育成ゲーム。特に数年経った後も人気が続くことになる携帯ペット『わんこっち』と『にゃんこっち』シリーズの第一弾は、まさに一世を風靡していた。

 ブームになったきっかけは口コミだけじゃなく、影響力の強かった芸能人が有名番組で紹介するといったマスコミの影響も相俟ってのこと。テレビでは徹夜で店に並ぶ姿が放送されていたくらいである。

 

「あ~あ~。梅もにゃんこっち欲しかったな~」

「誕生日プレゼントで買って貰えるんじゃなかったのかい?」

「サンタさんが持ってきてくれるかもしれないって」

 

 俺が小4の頃にはもうサンタの正体を知っていたが、ウチのアホな妹は未だにサンタを信じているらしい。去年とか某有名玩具量販店のシールが貼ったままだったのに気付かない辺り、本当に間抜けとしか言いようがないな。

 梅が誕生日プレゼントで買って貰ったのは、スケートボードだかブレイブボードだか、そんな感じの物だった気がする。今になって思えば誕生日プレゼントがにゃんこっちじゃなかった理由は、親が俺のことも配慮していてくれたからなのかもしれない。

 最早わんこっちやにゃんこっちを持っていることは一種のステータス。梅ほど欲していた訳じゃないものの、貰えるとなれば何だかんだで俺も心の底では楽しみだった。

 

「それじゃ、バイバ~イ!」

 

 やがて日が暮れて夜になると、今年こそサンタを見たいと梅がはりきり始める。同じ部屋である姉貴も大変だなと思いきや、当の本人はノリノリで応援していた。

 親からしてみても、こういう反応の方が微笑ましいのかもしれない。ただし小学六年生にもなると、クリスマスは物を貰える日で正月は金を貰える日というクソ生意気な考え方をするようになってくる。

 クリスマスも現金がいいなんて言い出すようになっていた(当然ながら親には却下された)俺は、梅の発言を馬鹿らしく思いつつベッドの中で瞼を閉じた。

 

「…………?」

 

 そして普段通り、クリスマスの朝を迎える。

 てっきり現物が来るものとばかり思っていたが、枕元に置かれていたのはわんこっちの引換券。もしかしたら仕事が忙しくて、交換に行く時間がなかったのかもしれない。

 当然ながら妹の枕元にも同様の引換券が置かれており、今朝は念願のにゃんこっちが手に入る喜びからテンションマックスで騒々しいに違いない……そう思っていた。

 

「櫻。朝御飯できたから、桃を起こしてきてくれる?」

「あれ? 梅は?」

「和室で寝かせてるけど、インフルかもしれないから入っちゃ駄目よ」

「へー」

 

 昨日の遊びが原因か知らないが、今朝になって梅は熱を出してしまったらしい。仕方ないのでアイツの分の骨付き肉とクリスマスケーキは、俺がありがたく食べておいてやろう。

 

「そうそう。櫻にちょっと頼みがあるんだけど、わんこっちを取りに行く時にこれもお願いできる?」

 

 朝食を食べた後で母親に呼び止められるなり、にゃんこっちの引換券を渡される。病は気からと言うし、熱が下がったら遊んでいいとか言えばすぐにでも回復しそうだ。

 母親から命を受けた俺は風邪をひかないようにマフラーと手袋を装着し、寒さ対策を万全にしてから二枚の引換券を手にして家を出た。

 

 例えクリスマスだろうと、平日ならば冬休み中でも学校に行く父親。

 仕事が休みだったものの、豪華な夕飯を準備するため忙しかった母親。

 米倉家の中では最初の受験生であり、入試が近づき勉強に勤しんでいた姉貴。

 本来なら取りに行く筈だったものの、風邪を引いてしまった梅。

 

 そんな一つ一つの要素が折り重なったからこそ、俺は一人でコンビニへと向かう。

 仮に誰かしらと一緒だったなら、間違いなくこんなことにはならなかっただろう。

 

「――――えぇぇぇええええん」

「?」

 

 念願のわんこっちとにゃんこっちを手に入れた後でコンビニを出ると、入る時には聞こえなかった泣き声がどこからともなく聞こえてくる。

 

「そうやってずっと泣いてるなら、もう知らないからねっ!」

 

 続けて聞こえてきたのは、少女の怒声だった。

 何かと思い様子を見に行ってみれば、コンビニの裏で膝を抱えて泣きじゃくっている女の子が一人。そして買い物袋を片手に早歩きで去っていく人影が遠くに一つある。

 

「ひっく……えぐっ……うぇぇえええええええええええん」

「…………どうしたの?」

「うあぁぁあああ……あぁぁあああああああああああん――――」

 

 放ってもおけず声を掛けてみるが、女の子は顔すら上げてくれず泣き続ける。

 隣に腰を下ろした俺は「友達と喧嘩した?」とか「お母さんに怒られた?」と色々聞いてみたものの、全くもって答えてもらえなかった。

 

「…………っく……ひっぐ……」

「うーん……あっ! ちょっと待っててね」

 

 どうしたものかと悩んでいると、ふと手に持っていた育成ゲームの存在を思い出す。

 わんこっちは自分で育てたいが故に、俺は梅の分であるにゃんこっちを開封。所詮は小学六年生であり、自分のゲームを渡すなんて聖人君子みたいな精神は流石に持ち合わせていなかった。

 

『ピー』

 

「…………?」

 

『ピッ。ピッピッピッピッピッピッピッピッ。ピッピッピッピッ――――』

 

 自転車の鍵に付けていたキーホルダーを使って裏側の凹みにあるリセットスイッチを押してから、コンビニの中の時計を覗き見て大体の現在時刻を設定し終える。

 そしてゲームを始めると、画面の中には空を飛んでいるコウノトリの姿。そのくちばしには何かが包まれた風呂敷を咥えており、ゆっくりと左から右へ移動していく。

 

「…………」

 

 聞き慣れない電子音を耳にしてか、はたまた泣き続けて感情が収まってきたのか。蹲り鼻をすすっているだけだった女の子がようやくチラッと顔を上げた。

 どうやら俺が手にしているにゃんこっちに興味があるようで、食い入るようにジーっと眺めている。しかしながら俺が視線を向けると、また隠れるように顔を伏せてしまった。

 

「一緒にこれで遊ぼっか?」

「!」

 

 にゃんこっちを差し出しつつ声を掛けると、女の子は再び顔を上げる。そして縦にも横にも首を振ることはないまま、黙ってにゃんこっちを受け取った。

 大事そうに両手で握り締めると、画面の中を飛んでいくコウノトリを黙って見つめる。

 

「…………?」

 

 少しして女の子は、画面下に付いている三つのボタンを順番に押した。

 しかしながら、コウノトリは一切の反応を示さない。

 

「確か届くまで少し待つ必要があるって言ってたような」

「…………」

 

 友達から話を聞いたり、それなりに操作をしたこともあるため知識だけはある。

 説明書なんて一切読もうとせず女の子と一緒になって画面を凝視する中、コウノトリが卵を届けるまでの時間は五分と掛からなかった。

 

『ピリピリピリピリピリピ!』

「!」

「あっ! 届いたっ?」

『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「えっとね、そうしたら左のボタンで御飯を選んで、真ん中のボタンで決定して…………ああ、行き過ぎ行き過ぎ。右のボタンで戻って戻って」

 

 風呂敷の中から現れた幼い猫は、早速御飯をねだって鳴り始める。画面上部と下部には食事やゲーム、注射にトイレといった各種アイコンがあり、用途に応じて選択する形だ。

 返事こそしないものの、女の子は言われるがままボタンを押す。まずは食事ということで小さな魚を与えると、幼猫はパクパクと食べていった。

 

「!!」

 

 それを見た女の子は次から次へと魚を食べさせるが、幼猫はあっという間にお腹いっぱいになってしまう。すると今度はおやつ代わりのキャットフードを食べさせ始めた。

 

「食べさせてばっかりじゃなくて、ゲームでも遊んであげないと」

「…………?」

「ちょっと貸してみて」

 

 そう言って腕を伸ばすも、女の子は「やー」と俺の腕から逃げる。

 仕方ないのでゲームで遊ぶ方法を口頭で伝えると、ちゃんと指示には従ってくれる様子。

無事にゲームの遊び方を理解したらしく、幼猫とのあっち向いてホイが始まった。

 

『ピーリーリーリーリ、リーピリッピリッピリッピリッピ! プープー』

「…………」

『ピリッピリッピ! ピロリンッ♪」

「!」

 

 外れた時はムッとした表情を浮かべ、当たった時はパァッと笑顔になる。

 隣で見ていた俺も遊びたくなり、わんこっちを開封させると時間を設定した。

 

『ピーリリーリリー。ピロリンッ♪』

 

 その後も女の子は御飯を食べさせては遊んでを繰り返す。

 幼猫は時にうんちをしたり、また時には病気になったりもした。

 

『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「…………ドクロ……猫ちゃん、死んじゃうの……?」

「大丈夫だよ。そういうときは、注射を打ってあげれば治るから」

「本当っ?」

 

 徐々に操作にも慣れてきた女の子と、少しずつ言葉を交わすようになる。

 俺は時々口を挟みつつ、コウノトリによって届けられた幼犬を育て始めた。

 

「寝ちゃった……」

「そうしたら、電気を消してあげなくちゃ」

 

 コンビニ裏の地面に腰を下ろしたまま、にゃんこっちに夢中になること約三十分。女の子と戯れていた幼猫は『ZZZ……』という吹き出しと共に眠りにつく。

 幼猫でやることがなくなってしまった女の子は俺のわんこっちの画面を覗いてきたが、こちらもこちらでお腹ゲージと御機嫌ゲージが共にマックスでやることがなかった。

 

「そういえば、どうして泣いてたの?」

「………………パパ」

「パパ? お父さんに怒られたの?」

 

 女の子は黙って首を横に振る。

 そして小さく体育座りをすると、目元を潤ませながら俯き気味に呟いた。

 

「パパ……パパに会いたい……」

「お父さんが、どこか遠くに行っちゃったの?」

 

 女の子は黙って首を縦に振る。

 俺はその言葉の意味を、単身赴任や出張と履き違えていた。

 

「パパ……ひっく…………」

「あぁっ! 変なこと聞いてゴメンね! もう泣かないで!」

『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「あっ! ほらっ! 起きたみたいだよっ?」

 

 女の子は今にも泣き出す寸前だったが、電子音を耳にするなり服の袖で目元を拭う。

 迂闊に事情も聞けない俺は、タイミングを見計らってにゃんこっちを返してもらおうと画策していたものの、女の子の気が済むまで待つことにした。

 

『ピロリロリロピロリロリロピロリロリロピロリロリロ!』

「えっ?」

「あ! 大きくなったね!」

「わぁーっ!」

 

 ゲームを始めて一時間くらいが経ったところで、幼かった猫が一回り大きくなる。

 自分が育てた猫の成長が嬉しいのか、女の子は目をキラキラさせていた。

 そんな中、俺達の元へ足音が近づいてくる。

 

「良かった……まだここにいた……」

「あっ! お姉ちゃん!」

 

 コンビニの陰から現れたのは、息を切らしているポニーテールの少女だった。

 それを見るなり女の子は立ち上がると、育て上げたにゃんこっちを握り締めつつ駆け寄る……が、目元を赤くさせた少女はその小さな身体を大事そうに抱きかかえた。

 

「お姉ちゃんと一緒に帰ろう。お母さんが美味しいケーキ作って待ってるって」

「本当っ?」

「うん。さっきは怒ってゴメンね」

 

 少女はゆっくりと身体を放し、女の子の頭を撫でる。

 そしてその小さな手が握り締めていた、小型育成ゲームの存在に気付いた。

 

「お姉ちゃん見て! 育てた猫が大きくなったんだよ!」

「これって……にゃんこっち? どうして持ってるの?」

「うん! あのお兄ちゃんがくれたの!」

「えっ?」

「えっ?」

 

 女の子に指を差され、少女と俺は続けざまに驚く。

 あげるなんて口にした覚えは一切ないが、こんな風に言われてしまうと返してくれとは言い辛い。ましてや俺の手元にはわんこっちが残っている。

 それでも別に悪いことは何一つしておらず、素直に事情を説明すれば済む話だった。

 

「あ、あの――――」

「大丈夫大丈夫! よいしょっと」

 

 目があった少女が何かを言い掛けるが、俺は平然と立ち上がりパンパンと尻を叩く。

 そしてにゃんこっちの入っていたパッケージを、笑顔の女の子に手渡した。

 

「はいこれ。もう泣いちゃ駄目だよ? それと、大事に育ててあげてね」

「うん!」

「えっ? で、でも――――」

「いーからいーから」

 

 同年代の女の子を前に恰好つけたかったのか、はたまたちょっとしたヒーロー気分だったのか。今になって思えば、この時の自分が何を考えていたのか本当にわからない。

 これまで妹のことをアホだの間抜けだのと散々罵ってきたが、所詮は血の繋がっている兄妹。妹以上に馬鹿な兄は、わんこっちを籠に入れると自転車に跨る。

 ただ透き通るような少女の声は、去っていく俺に感謝の言葉を告げていた。

 

「――――ありがとう――――」…………と。

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「どこ行ってたの! あまりに遅いから心配になって、桃に探しに行って貰おうと思って……? ちょっと櫻。わんこっちしか持ってないけど、にゃんこっちはどうしたの?」

「逃げた!」

 

 …………こんなバレバレな嘘で、よくもまあ隠し通せると思ったもんだ。

 俺は過去最大レベルで怒られると共に、ゲーム禁止令を下される羽目になる。育てたわんこっちは取り上げられ、にゃんこっちの代わりとして梅に与えられるのだった。



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三日目(金) 問題はこれでおしまいだった件

 クリスマス。

 それは俺の人生において、未来が大きく変化した一日だったんだと思う。

 小学校最後に訪れた悲劇のクリスマスを忘れていたなんてことはない。あの日に夢野や望ちゃんと出会っていたことを、俺はしっかりと覚えていた。

 問題なのはそれが頭の中から消してしまいたいような苦い記憶だったということ。二人との遭遇以上に親の怒りが印象強く残っており、思い出そうとする機会はなかった。

 

「パパはね、癌だったの。判明した時にはステージ4って言って、一番重い状態でね。夏の始めにいきなり倒れてから、四ヶ月くらい入院したんだけど駄目だったんだ。ある日突然コロっと元気になったりしないかなって、望と鶴を折りながらずっと思ってた」

「…………」

「私はお母さんが頑張って働いてる姿を見て甘えていられないって思ったんだけど、望はお葬式が終わった後も夜になる度に布団の中でずっと泣いてばっかりだったかな」

 

 ぼんやりと光っている滑走路の誘導灯を眺めながら、夢野は静かに語る。

 望ちゃんが泣いていた理由を、当時の俺は知る由もなかった。

 しかしながら梅の日記を見て思い出した際、夢野の旧姓が土浦だったこと……そして家にお邪魔した際に見てしまった父親の仏壇が脳裏によぎったのは言うまでもない。

 そんな俺の仮説が正しかったと証明するように、夢野は話を続けた。

 

「あの日はお母さんからクリスマスケーキのための買い物を頼まれててね。でもコンビニの中に入った辺りで、望がパパのことを思い出しちゃって泣き出しちゃったの。あそこのコンビニ、よくパパと一緒に行ってたんだ」

「そうだったのか」

「うん。パパがタバコを買う時について行くと、私も望もお菓子とかアイスとか色々買って貰えたりしてね。本当に優しくて、笑顔の絶えない人だったかな」

「…………使うか?」

「ううん。大丈夫」

 

 夢野の声が震えていることに気付き、俺はポケットからハンカチを取り出す。

 しかしながら少女は首を横に振ると、軽く目元を拭ってから涙を堪えるように大きく深呼吸した。

 

「にゃんこっちを貰ってからね、望は夜に泣かなくなったの。まるで魔法でも掛けられたみたいに、泣き顔が笑顔に変わってね。お母さんもビックリしてた」

「そうか。それなら良かったよ」

「米倉君は犬の方が好きで梅ちゃんは猫が好きだって知った時に、もしかしたらって思ったんだけど、やっぱりあのにゃんこっちは梅ちゃんのだったんだね」

「ああ。まあ最初はギャーギャー騒いでたけど、最終的にわんこっちで満足してたよ」

「望の我儘で梅ちゃんが楽しみにしてたクリスマスプレゼントを貰っちゃって本当にごめんなさい。あの頃と今じゃ値段も違うかもしれないけど……」

「別にいいって。さっきも言ったけど俺が払った訳じゃないから実質0円みたいなもんだし、そもそもお返しなら手作りの可愛い猫と犬を充分に貰ってるからな」

「でも――」

「いいから。サンタさんだって現金はプレゼントしてくれないぞ?」

 

 夢野が差し出してきた二千円札を、俺は受け取ることなく丁重に断り返却する。もしも梅の奴が事情を聞かされ渡されたとしても、きっと同じように答えた筈だ。

 

「それに今でも大切に育ててくれてるくらいなんだし、にゃんこっちも望ちゃんで良かったって喜んでるって。仮に梅の手に渡ってたら、今頃は埃をかぶってただろうからさ」

「米倉君……ありがとう」

「お礼なら五年前に聞いてるっての」

 

 俺が冗談交じりに答えると、夢野はクスっと笑う。

 彼女が俺を慕っていた理由はこれが全てだ。

 幼稚園に始まり、小学三年生、そして六年生と三度に渡り行われた救済。そのいずれも意図していたものではなく、適当な行動が偶然にも少女を救ったに過ぎなかった。

 

「しかし俺の顔って、子供の頃からそんなに変わってないか?」

「そんなことないよ?」

「でも夢野はあの時、俺を見て気付いたんだろ?」

「ううん。面影が少し残ってただけだったし、もしかしたらって思ったくらいかな。仮に違う人だったとしてもちゃんとお礼がしたかったから、また会えないかと思って事あるごとにコンビニへ行ったりもしたんだけどね」

「そうだったのか。何か悪かったな」

「私が勝手に待ってただけだから、謝る必要なんてないよ。結局あの時に渡してくれた相手が米倉君だったって確証が持てたのは、高校生になってからだったかな」

「ああ、コンビニで会った時か」

「ううん。実は夏じゃなくて、一年生の冬休みに入るちょっと前くらいだったの」

「一年の冬?」

「さて、問題です。どうして私は米倉君だとわかったでしょうか?」

「うーん……そう言われてもな。何かヒントとかないのか? ほら、今回は何円だとかさ」

「ふふ。金額はちょっと分からないかな。ヒントは今も米倉君が身に付けている物です」

「今も身に付けている物?」

 

 そう言われるなり、自分の身体を確認してみる。

 今の俺が身に付けているものと言えば、学生服に靴下と靴。それと手袋に…………。

 

「もしかして、マフラーか?」

「正解♪ そのマフラー、あの日も付けてたよね?」

「あー。確かに言われてみれば、そうだったかもな」

 

 冬にしか使わない上、多少身体が成長したところで首に巻く分には問題ない。そんな理由で幼い頃から使い続けていたマフラーが、思わぬ証拠に繋がったようだ。

 

「だからクリスマスプレゼントとして、梅ちゃんに羊毛フェルトの猫を作ったの。そうしたら大晦日に米倉君が300円のことを思い出して、本当ビックリしちゃった」

「じゃあ仮にもう少し早くチョコバナナのことを思い出してたら、2079円のことは言わないまま終わりだったかもしれないのか?」

「うん。望に聞いても覚えてないって言うし、もしも別人だったら大変だったかも。クラクラが米倉君だって確証は、コンビニで会った時すぐにわかったんだけどね」

「ん? 何でだ?」

「アルバイトを始めたばっかりの時、駄目元で店長さんに聞いてみたの。ここのコンビニに、よく桜桃ジュースを買っていく学生さんとか来てますかって」

「へー。そんなに買ってはいないんだけど、覚えられてたのか。何か恥ずかしいな」

「ふふ。そういう意味でも、やっぱりあそこは思い出のコンビニかな」

「そうか」

「…………」

「………………」

 

 全ての答え合わせが終わると、お互いに口をつぐみ静かな時間が流れていく。

 言わなければならないことがあるんじゃないのか?

 黙っていては何も始まらないだろ。

 頭の中では理解しているものの、いざ言葉に出そうとすると出てこない。

 

「……………………」

「…………………………」

 

 これ以上ない絶好のシチュエーションを前にして、小心者の俺は何もできなかった。

 やがて夢野はゆっくりと息を吐きつつ、大きく身体を伸ばす。

 

「あーあ。終わっちゃった」

「え?」

「私がここまで頑張ってこれたのは米倉君のお陰だって伝えることもできたから、意地悪な問題はこれでおしまい。本当、迷惑だったよね?」

「い、いや、そんなことないし……寧ろこっちこそ色々と忘れてて本当に悪かった」

「ううん。それが普通だと思うし、こうして思い出して貰えたから。それにもしかしたら米倉君だって、私が忘れちゃった昔のことを覚えてたりするかもしれないよ?」

「そうしたら、今度は俺が問題を出す番になったりしてな」

「ふふ。そんな風になったらいいな」

 

 長い時間を掛けて離陸準備をしていた飛行機が、ようやく速度を上げて動き出す。

 光の道を走り抜け夜の空へと跳んでいく中、夢野は小さな声で呟いた。

 

「…………今まで付き合ってくれて、本当にありがとう」

 

 何故だろう。

 お礼を言う少女の姿が、俺にはとても儚く見えた。

 

「それじゃあ、そろそろ帰ろっか」

 

 夢野はくるりと背を向けて歩み出す。

 無意識だった。

 その後ろ姿を見て、反射的に腕が伸びる。

 気が付いた時には、去ろうとする少女の手を握りしめていた。

 

「どうしたの?」

 

 夢野が不思議そうにこちらを振り返る。

 自分でも、何がしたかったのかはわからない。

 思考と行動の矛盾に驚き、慌てて手を離すと戸惑いながら口を開く。

 

「あ……えっと……悪い。何て言うか、その……あ、明後日の日曜って空いてるか?」

「えっ?」

「ほ、ほら。前に話してたプラネタリウムとか……夢野と一緒に行ってみたくてさ」

 

 その言葉に嘘偽りはない。

 唐突な俺の誘いに、夢野は驚いた表情を浮かべていた。

 そしてちょっと待ってねと手帳を取り出すなり、日曜の予定を確認する。

 

「うーん……来週の日曜と再来週の土日はバイトが入ってるからちょっと厳しいかも。その次の日曜日……十三日なら大丈夫なんだけど、そこでもいいかな?」

「全然オッケーだ! じゃあこの近くでどこか良い場所があるか、調べておくから!」

「ふふ。ありがと。それじゃあ、楽しみにしてるね」

 

 手帳を閉じた少女は嬉しそうに微笑む。

 美しい夜景をバックにしたその笑顔は、かつてない程に綺麗で可愛かった。

 俺が見惚れる中、夢野は歩み寄ってくる。

 目と鼻の先の距離まで顔を近付けると、透き通るような声で囁いた。

 

「…………大丈夫だよ」

 

 そしてそのまま身を乗り出す。

 いつものように唇を人差し指で優しく抑えられるのかと思った。

 しかしながら、触れたのは俺の唇ではない。

 ましてや、少女の指でもない。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 触れ合ったのは頬と唇。

 背伸びをして顔を傾けた少女が、俺の頬に口づけをしていた。

 

「あの時は離ればなれになっちゃったけど、今度は一緒でしょ?」

 

 唇を頬から離した後で、夢野は真っ直ぐに俺を見つめる。

 そして幼い頃を彷彿とさせるように、優しく笑ってみせるのだった。

 

 

 

「私はどこにも行かないから、大丈夫だよ」



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末日(?) 二冊目

・2月12日(木)

 昨日の夜遅くから降り始めた雪が積もって、起きてみたら一面の銀世界!

 凄く綺麗なのは嬉しいんだけど、自転車での登校は難しそうだから今日は電車。会えるかなって考えてたら、同じ電車だったみたいで米倉君と水無月さんとバッチリ鉢合わせ。

 満員電車は嫌いだけど米倉君とくっつけたし、ちょっと幸せな一日でした。

 

 

・2月13日(金)

 まだ雪が残ってたから今日も電車で学校へ。行きは会えなかったけど、帰り道で米倉君を発見。何だか面白い歌を口ずさんでたけど、お腹が空いてたのかな?

 色々お話をしたり、電車の中で一緒に音楽を聴いたり。今日もとっても良いことのあった一日でした。らーめん♪ わんたんめん♪ たんたんたんたんめんめんめん♪

 ただ休みを入れてたアルバイトが、急遽ヘルプで明日入らなくちゃいけなくなったことだけが残念かも。陶芸部の百人一首大会、私も参加したかったな。

 

 

・2月14日(土)

 今日はバレンタイン! それに米倉君の誕生日でした!

 手作りチョコもクラリ君のストラップも上手にできたけど、アルバイトがあるから陶芸部には行けず。でも米倉君がコンビニに来てくれたから、ちゃんと渡せて本当に良かった♪

 本当はもっと色々話したかったけど、米倉君の嬉しそうな顔を見ただけで満足。ミズキから入試休みにネズミースカイのお誘いも来てたし、最近幸せなことがいっぱいかも❤

 ちなみに模試は……ちょっとイマイチだったかも(苦笑)

 

 

・2月27日(金)

 今日は皆で制服ネズミー♪ ネズミースカイは初めてで、すっごく楽しかった!

 葵君がシューティング上手だったり、雪ちゃんが怖がりだったり。行きの電車で米倉君の寝顔も見れたし、アトモスフィア・ホライズンで手も繋いじゃった❤

 駅と宇宙二万光年で水無月さんと話す機会があったから色々と聞いてみたけど、模試の勉強で忙しかったからバレンタインも誕生日も渡してないみたい。

 でも米倉君にマフラーを貸してたりするし……うーん、水無月さんの気持ちがイマイチわからないかも。本当に単に幼馴染なだけ? 私には好きなように見えるんだけど……。

 

 

 

 

 

・3月11日(木)

 コンビニに忘れ物を取りに行ったら、水無月さんがいてビックリ。しかもジーっと求人を眺めてるし、声を掛けたら色々とコンビニのアルバイトについて聞かれるんだもん。

 まさかこの前に店長が言ってた新しく入るかもしれないアルバイトって、水無月さんのことなのかなとか思ったけど、その後で今度は米倉君とバッタリ! 水無月さんと同じようなことを聞かれたから、思わず納得しちゃった。

 もしかしたら春休みは、米倉君と一緒に仕事ができちゃったりして? まだ悩んでるみたいだし、明日はアピールがてら陶芸部へ体験に行ってきます!

 

 

・3月12日(金)

 初めての陶芸体験は、すっごく面白かった! 陶芸だけじゃなくて、米倉君との先輩後輩ごっこも楽しかったかも(笑)

 今日は水無月さんがお休みだったみたい。きっと二人は普段からこんな風に話してたりするんだよね。一緒にいられる時間があるって、本当に羨ましいな。

 …………今まではコンビニで会えれば良いと思ってたけど、もしも水無月さんが米倉君と一緒にアルバイトすることになったりしたら、私も陶芸部に入っちゃったりして。

 

 

・3月14日(日)

 今日は嫌なお客さんがいつもより多くてちょっと辛かった。それはここじゃ使えないって言ってもオバちゃんは話を聞いてくれないし、タバコを買ったおじさんからは舌打ちされるし……唯一の癒しはやっぱり子供のお客さんくらい。

 本当はアルバイトを休んで米倉君達と一緒にミズキの家でお菓子作りしたかったな。バレンタインといいついてないかも……なんて思ってたら、コンビニに米倉君が来てくれたの! 手作りクッキー、本当に美味しかった。

 でも食べてるうちにもっと米倉君と一緒にいる時間が欲しくなってきちゃって、困った時のミズキに相談。そうしたら「待ちくたびれたわよ」って笑われちゃった。

 

 

・3月15日(月)

 今日は削り体験……の筈が、中に入ってみたらミズキと雪ちゃんと水無月さんが先生も交えて一緒にゲームをやっててビックリしちゃった。陶芸部って本当に何でもありなんだね。

 それで色々考えた結果、やっぱり陶芸部に入ることにしました♪

 音楽部もアルバイトもあるから難しいと思ってたけど、陶芸部なら大丈夫ってミズキは言ってたし……それに水無月さんには負けられないもんね!

 

 

・3月28日(日)

 新しく来たアルバイトの人、米倉君でも水無月さんでもなかった……。

 もしかして私、物凄い勘違いをしてたっぽい?

 でも米倉君も水無月さんも求人を見てたし、店長が同年代の子って意味深に言ってきたりしたら、もしかして来てくれるのかなって誰でも思うってば!

 でもまあお陰で陶芸部に入る踏ん切りがついたし、これはこれで良かったのかな?

 

 

・4月12日(月)

 あっという間に春休みが終わっちゃった。結局アルバイトしかしてなかったかも。

 シフトを入れた時は米倉君から遊びに誘われたらどうしようとか考えたりもしたけど、そういうお誘いは全然なかった。もっとメールとか送ってアピールすべきだったかな?

 あ、でもビッグニュース! 日本史が米倉君と同じクラスだったの!

 一緒の教室で勉強するのは夢だったから物凄く嬉しい! 日本史、頑張っちゃおうかな♪

 

 

・4月28日(水)

 明日からゴールデンウィーク! 部活動体験期間も終わって、沢山の後輩ができました♪ 陶芸部の方は最終的に、クロガネ君と早乙女さんの二人だったのかな?

 陶芸部には週一くらいで顔を出してて、今は菊練りに苦戦中。うかうかしてたら一年生の二人に追い越されちゃいそうだけど、雪ちゃんは焦らないでいいって言ってくれた。

 ただ気になるのは、米倉君と水無月さんがどこかよそよそしくて変な感じ。

 ミズキもおかしいって言ってるし、何かあったのかな?

 

 

 

 

 

・5月5日(水)

 最終日は音楽部四人組で映画へ。久し振りの映画だったけど、すっごく面白かった!

 葵君に誕生日プレゼントも渡せたし、これでゴールデンウィークもおしまい。あっという間にテスト二週間前に……って書いてたら、丁度ミズキからメール。

 陶芸部でテスト勝負って、私が勉強苦手なの知ってる癖にそんな企画しないでよー。

 

 

・5月17日(月)

 今日もいつもの音楽部メンバーで、すっかり恒例になってきた勉強会。心なしか二人の仲が良い感じかも。正直お似合いだと思うし、見てて羨ましいな。

 でも帰り際に葵君から、音楽部でカップルが次々にできてるって聞いてビックリしちゃった。私もそのブームに乗りたいところだけど、今は恥ずかしい点を取らないように勉強しなくちゃ。集中集中!

 

 

・5月21日(金)

 開校記念日のお休みを有効活用して、陶芸部の皆でスポッチへ行ってきました!

 バドミントンしたりバッティングしたりダーツしたり。それにゲームセンターとかカラオケまであって、クレーンゲームで葵君からワンちゃんをプレゼントして貰っちゃった。

 でもやっぱり米倉君と水無月さんが険悪な雰囲気。ミズキがそれとなく事情を聞いてみたけど、詳しくはわからなかったって……何があったんだろ?

 

 

・5月27日(木)

 テストが全部返ってきたけど、全体的にまた少し下がっちゃった。

 米倉君は数学で100点を取ったっていうのに……アルバイトだけじゃなくて、ちゃんと勉強も両立させないと駄目だよね。もっと努力しないと!

 こんな点数じゃ下手したら全部私の負けなんじゃないかって心配だったけど、水無月さんと米倉君からお願い事を一つずつだけで済んで良かった。

 それと日本史だけは頑張った甲斐があって、逆に私から米倉君にお願い事を一つできることに。水無月さんの誕生日プレゼントを口実にしつつ、土曜日は米倉君と買い物へ行くことに決まりました♪

 

 

・5月29日(土)

 今日は米倉君と一緒にショッピング!

 ネックレス付けて貰ったり、カップルさんって呼ばれたり、ちょっとくっついてみたり。水無月さんへの誕生日プレゼントそっちのけで、何だかんだ私が楽しんじゃった。

 途中で偶然にゃんこっちも見かけたけど、やっぱり小六の時に会ったことは忘れちゃってるみたい。思い出してくれる日がくるか不安……でも、焦っちゃ駄目だよね。

 誕生日プレゼントは色々悩んだ結果シュシュに決定。これで二人が仲直りできるといいな。

 

 

・5月31日(月)

 今日は生まれて初めて告白をされました。

 まさか葵君に好きって言われるなんて思ってなかったから、頭の中が真っ白になって、どうしたら良いのかわからなくなって…………私、酷いこと言っちゃったかな。

 …………本当、どうしたら良かったんだろう。

 

 

・6月21日(月)

 コンクールが終わって、ようやく忙しかった音楽部の練習が一段落。

 あの日以来どう接していいかわからなくて悩んでたけど、最近になって葵君もまた前みたいに私に話しかけてきてくれたりして本当に良かった。

 久し振りに陶芸部にも顔を出してみたら、ミズキの情報通り水無月さんの誕生日から暫く経ったのに二人は相変わらず。米倉君はちゃんと渡したみたいだけど……うーん。

 

 

・7月9日(金)

 水無月先生のスパルタ指導のお陰で、テストは結構手応えあったかも!

 でも米倉君との仲は未だに良くない感じ。ミズキだけじゃなくて雪ちゃんも悩んでるみたいだし、二学期もこのままなんて私も嫌だから直接聞いてみようかな。

 

 

 

 

 

・7月21日(水)

 今日は終業式……だったけど、陶芸部にゴキちゃんが入ってきてもう大変! 米倉君と水無月さんが立ち向かったりして、最終的には先生が処理してくれたから一安心。

 そしてついに米倉君からお誘いが! お誘いって言うよりも誘ってもらえるように私からお願いしちゃったんだけど、土曜日に梅ちゃんと望の応援に行くことに決定♪

 

 

・7月24日(土)

 お母さんが倒れた。

 幸い命に別状はなかったみたいだけど、暫くは入院する必要があるって。

 お父さんは仕事で忙しいし、望も受験で大変だから私が頑張らなくちゃいけないんだけど……ありがとうお母さん。この合宿だけはどうしても行きたいから……ごめんなさい。

 

 

・7月28日(水)『合宿のしおりの日記より』

 合宿一日目の今日は美術館に行って色々と学びました。

 そして夜は怪談に肝試し大会。私は米倉君とペアでしたが、物凄く楽しかったです。

 陶芸部の合宿っていうよりは、ちょっとした観光気分でした。

 

 

・7月29日(木)『合宿のしおりの日記より』

 今日は朝からラジオ体操にケイドロ。どっちも小学生以来で、懐かしかったです。

 お昼は工房で成形作業。こんなにも長い時間ろくろを挽き続けたのは初めてで、自分がこんなにも作品を作れるなんて思いもしませんでした。

 夜には花火にバーベキューもやって、本当に楽しかったんですが……続く。

 

 

・7月30日(金)『合宿のしおりの日記より』

 夜中に勝手に宿舎を抜け出して、蛍を見に行ったことを伊東先生から厳重注意されました。確かに少し浮かれ過ぎていたので反省……本当にごめんなさい。

 お昼は工房で昨日作った作品を削り、皆で仲良く楽しい時間を過ごせました。

 あっという間の三日間だったけど、来年もまた行きたいです。

 

 

・8月31日(火)

 久し振りの日記。夏休みの間は本当に書く余裕がないくらい忙しかった。日記を見直してみたら、一ヶ月以上も書いてないとは思わなくてちょっとビックリ。

 この一ヶ月は色々なことがあったけど、とりあえず一番嬉しかったのは合宿で米倉君と水無ちゃんが仲直りしてくれたこと! それに水無ちゃんと本音を話し合えたこと!

 それで久々に日記を書いたのは、昨日とんでもないことが起こっちゃったから。米倉君を我が家に招待して手料理を振る舞ったところまでは良かったんだけど、私が熱でダウンしちゃって……まさかお姫様抱っこされるなんて考えてもなかった。

 今思い出しただけでもドキドキする……あれって夢じゃないよねっ?

 文化祭も一緒に回る約束したし、この夏は色々頑張ったから神様からの御褒美かな?

 

 

・9月5日(日)

 文化祭二日目の今日は、米倉君と念願のデート♪

 美術部のブラックライトアートは凄く綺麗だったし、ミズキのバンドだけじゃなくてエリのエレクトーンも聴けて、本当に最高の一日だった!

 一緒にコーヒーカップに乗ったり、迷路では手も繋いじゃったりしてドキドキ。ドキドキと言ったら、お昼の時はドキドキし過ぎて心臓が飛び出るかと思っちゃった。

 …………もしもあのまま米倉君が止まらなかったら、どうなってたんだろう?

 米倉君が相手なら嫌じゃなかったし、きっと受け入れちゃってた気がする。

 でもやっぱり最初は…………って、あーもう、何考えてるんだろ私。鏡見たら耳まで真っ赤になってるし、さっきも布団かぶってバタバタしてるところ望に見られちゃったし。

 でも最後には皆で一緒に花火も見て、本当に幸せで楽しかった文化祭でした。本当、このままずっと時間が止まってたらいいのにな。

 

 

・9月8日(水)

 今日は誕生日。米倉君がちゃんと覚えててくれて嬉しかった!

 プレゼントはトランちゃんの手作りキーホルダー。宝物がまた一つ増えちゃった♪

 お母さんも元気になったし、陶芸部の雰囲気もすっかり元通り。いつまでもミズキの企画に頼ってないで、文化祭の時みたいに誘っていかないと駄目だって頭ではわかってるんだけど、あの日みたいなことになったらって考えちゃうと……あーもう、どうしよう!

 

 

・9月26日(日)

 今日は筍幼稚園のボランティア。前に皆で一緒に行った時からもう一年も経つんだなって気付いて、何だか時間が過ぎるのがあっという間な気がした。

 もうちょっとしたらテスト二週間前なんて、本当に時間が経つの早過ぎ! あ、でも来週の体育祭は楽しみかも♪

 

 

・10月18日(月)

 米倉君と水無ちゃんに沢山教えて貰ったお陰で、テスト結果はまずまず。

 でも学力で二人に追いつくのは難しいかも。陶芸室で楽しそうに勉強の話をしてる二人が、ちょっとだけ羨ましかったな。

 そして今日は修学旅行の自由行動の行き先決め。首里城と水族館のどっちにするか悩んだ結果、私達の班は首里城に決定。米倉君も首里城だったら、一緒に回れたりしないかな?

 

 

・10月29日(金)

 今年もハロウィンパーティーはコスプレ! 米倉君のドラキュラは恰好良かったし、水無ちゃんの魔法使いに雪ちゃんのメイドさん、それにミズキのナースも早乙女さんの巫女姿も、皆本当に可愛かった。ただクロガネ君の悪魔は……ちょっと凄かったかも。

 ちなみに私の衣装は、去年米倉君がやったキョンシーでした。もしも衣装が二つあったら二人でダブルキョンシーとか、ちょっとやってみたいかも♪

 

 

・11月22日(月)

 少し前に中間テストが終わったばっかりなのに、あっという間に期末テスト二週間前。二年生に入ってから、時間が過ぎるのが本当に速い気がする。

 でも米倉君達と一緒に勉強するのは楽しいから、前よりは嫌じゃなくなったかな。

 

 

・12月16日(木)

 二学期も残り一週間。陶芸部は今年もクリスマスパーティーをやるらしいから、今日はその準備のために買い物へ行ってきました。

 交換用のプレゼントと闇鍋の材料は何にするかまだ決めてないけど、米倉君と梅ちゃんに贈るクリスマスプレゼントは決まってるから製作開始。もうすぐ一年経っちゃうけど、2079円の存在自体を忘れられてたらどうしよう(汗)

 

 

・12月24日(金)

 陶芸部でのクリスマスパーティーが楽しかった!

 プレゼント交換で私に当たったのは、早乙女さんが用意してくれたアロマオイル。試しに早速一つ使ってみて、良い匂いに包まれながら日記を書いてます♪

 ちなみに私の用意したハンドタオルは水無ちゃんへ。気に入ってもらえたらいいな。

 酷い味だった闇鍋も面白かったし、米倉君にもちゃんとプレゼントを渡せて良かった。良いお年をって挨拶したけど、また今年も年越しで会えちゃったりして……?

 

 

・12月31日(金)

 今年の初詣は米倉君と会えなかった。

 ううん。会えたらいいななんて、偶然を待ってちゃ駄目だよね。

 今までに何度も偶然が奇跡みたいに続いたお陰で、ここまでこれたんだから。

 来年は最後のチャンス。もっと自分から積極的に行かなくちゃ!

 

 

・1月20日(木)

 望が滑り止めの私立に無事合格。梅ちゃんも問題なく合格したみたいだけど、二人ともこれからが本番だもんね。二人とも頑張ってるし、屋代に受かってほしいな。

 残り一ヶ月ちょっと……私も体調を崩さないようにしないと。

 

 

・1月28日(金)

 修学旅行の三日目の今日は、色々なことがあった。

 首里城も良い思い出になったけど、それ以上に印象に残ってるのは沖縄から戻ってきた後の空港でのこと。ついに米倉君がにゃんこっちのことも思い出してくれた。

 本当は全部打ち明けた後に告白するつもりだったんだけど、勇気が出なくて言えないまま。水無ちゃんと一緒に水族館を回ったって楽しそうに話す米倉君を見て、やっぱり私じゃ駄目なのかなって諦めようとしてた。

 そうしたら突然、米倉君からプラネタリウムのお誘いがあってビックリ。もう嬉しくて……本当に嬉しかったから、衝動的に米倉君のほっぺにキスしちゃった。

 ようやく私も水無ちゃんに追いつけた気がする。あの時みたいに私と水無ちゃんのどっちが好きか聞いたら、また私を選んでくれたり……なんて、ズルは良くないよね。

 今回は時間もあるんだし、問題もこれで終わり。ここから先は正々堂々勝負しないと!

 

 

・2月13日(日)

 

 今日は米倉君とデート! デート……で良いんだよね(笑)

 念願のプラネタリウムを一緒に見に行ったけど、沖縄の星空に負けず劣らずで本当に綺麗だった。二人で一つのシートに座って、ずっと心臓がバクバクいってたかも。

 それから御飯を食べた後はボウリング! 私はあんまり得意じゃなかったんだけど、米倉君に投げ方を教わったりして、幸せな時間を過ごしました❤

 最後には勝負もしたんだけど接戦の末に敗北。あと少しで勝てたのになー。悔しい!

 そして皆に内緒で一日早い誕生日プレゼント。喜んでもらえて本当に良かった。

 ミサンガに込めた願い、叶うといいな。

 

 

・3月20日(日)

 

 

 

 

 

 ――――日記帳には、映画チケットの半券が挟まっていた。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き『俺の彼女が120円だった件』の11章を楽しんでいただければ幸いです!


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11章:俺の受験がスタートだった件
初日(火) 俺の妹の合格発表日だった件


 受験……それは人生において大きな分岐点であり、数少ない自分との戦いだ。

 基本的には中三と高三、中学受験も含むなら小六の時が受験ということになるが、進級した直後は単なる最高学年に過ぎず真の意味で受験生になったとはいえない。

 受験を意識するようになって、人は初めて受験生と呼ばれるべき存在になる。

 例えば高校受験の場合なら、部活を引退した周囲の仲間達が勉強をし始めることによる危機感から、夏休みの頃に受験生となる者が多いだろう。

 その学校に通いたいという意志を持ち、自ら定めた目標に向かって走り続け、どれだけ自分を厳しく律することができるか。努力なくして学力は身につかないものだ。

 

「何事かと思えば、合格発表でござるか」

「ああ。そうだな」

 

 そして我が家にもまた一人、高校受験という厳しい戦いを終えた妹がいた。

 運命の審判を迎える今日、移動教室のため二階の渡り廊下を歩いていると、階下にいる中学生の群れを見て友人である火水木明釷(ひみずきあきと)がポツリと呟く。

 今の時代はネットで合否を確認することもできるが、屋代は貼り出されるのが午前九時に対してホームページでの発表は午後一時だったりする。

 まだ掲示まで十分ちょっとあるにも拘わらず、募集人員も志願者も普通の高校の倍以上あるマンモス校だけあって、普段は部活動の成果を掲示している校舎前のスペースには多種多様な制服を着ている少年少女達が既に集まり始めていた。

 

「米倉氏から見て、妹君の合格確率は何パーセントで?」

「五分五分だ」

「それはまた随分と厳しいですな」

「元々は勝率一割もなかったことを考えれば、これでも頑張った方だと思うぞ」

「さいですか」

 

 そんな話をしながら教室に入り席に腰を下ろすと、始業のチャイムが鳴り響く。

 どうしようもない妹ではあるがアイツなりに頑張ってたみたいだし、俺も兄としてできることはやったため悔いはなく、全てが終わった今となってはどんな結果でも受け入れるしかない。

 いや本当、我ながら良い兄貴っぷりを見せたと思う…………。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

「…………行ってきます…………」

「ま~ま~緊張するな若者よ。こんなこともあろうかと……カモン!」

「イエスマムッ!」

「はえ? お兄ちゃん……?」

(さくら)と!」

(もも)の!」

「櫻桃コント~」

 

「ふっ……謎は全て解けた」

「なんですってっ? こんなに難しい問題がもう解けたというのっ?」

「この程度の事件、落ち着いて考えれば簡単ですよ」

「事件は簡単」

「事件」

「「受験! ハイッ!」」

 

「同じ血を引いている貴女にだってわかる筈ですよ」

「そんな……そんなの嘘よ! こんなに難しい問題、私に解けるわけがない!」

「貴女はもっと自分に自信を持つべきだ。頭の良さは互角なのに」

「互角なのに」

「互角」

「「合格! ハイッ!」」

 

「どうも」

「ありがとうございました~」

「桃姉……お兄ちゃん……うん! 行ってきます!」

 

 

 

 ★★★

 

 

 

 相変わらずプレッシャーに弱い妹のために、初めてやった姉貴とのコント。事あるごとに見せられていたため割と上手くいき、笑顔にさせるという使命も達成できた。

 夏休み以降は模擬試験の判定は安定して合格圏に入るくらいには成長していたし、一度だけ安全圏を取ったこともある。本番でミスさえしなければ合格できる可能性は充分にある筈だ。

 気掛かりとしては一年と二年の内申があまり良くないこと。そして帰宅後に手応えを聞いたら、浮かない表情で微妙と言っていたことくらいだが……と、その時だった。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

「!」

 

 ポケットの中でバイブレーションによる振動を感じる。

 先生が黒板に書いている隙を見て、俺は携帯を取り出すと受信メールを確認した。

 

『祝! 合格!』

 

 米倉梅(よねくらうめ)と表示されている送り主からの本文は至ってシンプル。しかしながらこれでもかというくらいに貼られている大量の絵文字を見れば、喜んでいる様子が充分に伝わってくる。

 一斉送信されているメールの宛先欄を見ると、俺以外に送っていた相手は姉貴に加えてお世話になった家庭教師(仮)。長い春休み中を我が家でくつろいでる姉貴に送る分には問題ないが、、アイツも俺も今は授業中だっての。

 文字だけでも伝わってくる騒々しさに呆れて溜息を吐きつつも、俺は先生の目を盗みつつ一ヶ月後には後輩となる妹へ返信を送るのだった。

 

『よく頑張ったな。うめでとう!』



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一日目(月) 俺が評議委員だった件

 生徒総数は約2500人。一学年800人以上のマンモス校、屋代学園。

 AからFの六ハウスによって構成されている校内で、最高学年に進級した俺達C―3の教室は吹き抜けになっているハウスホールの一階から二階へと移動している。

 二週間あった春休みもあっという間に終わり新学期がスタート。今日のロングホームルームでは最初にやるべきことである係や委員会決めが行われていた。

 

「では評議委員をやりたい者は手を……おお、米倉か」

「おっ!」

「櫻とかマジかよ」

「不服か?」

「やべえ! コイツ王下七武海だ!」

「食べたのがヨネヨネの実なのかサクサクの実なのか、気になるところだお」

 

 あだ名的にはネクネクの実とか、クラクラの実って名前もありかもな。

 クラス替えはなく代わり映えのしない顔馴染みのクラスメイト達が冗談交じりに囃してくる中、周囲を見渡してみるが他に手を挙げている立候補者はいなかった。

 こうして男子の評議委員はすんなりと俺に決定し、続いて女子が尋ねられる。しかしながら女子陣は立候補する生徒がおらず、誰も手を挙げる気配がない。

 勿論クラスの中にも積極的な女子は二名ほどいて、一年の時はジャンケン。二年の時も一発で決まったものの、一度やったためか今年は二人とも遠慮している様子。別に男子が俺だから敬遠されているとか、そんなことは決してないと思いたい。

 

冬雪(ふゆき)ちゃん、やってみたら?」

「……私?」

「うん。それアタシも思ってた。男子が米倉君だと、女子は音穏(ねおん)って感じするよね」

「わかるわかる!」

 

 …………何だか押し付けあいっぽく見えるんだが……物凄く不安になってきた。

 俺はキングボ○ビーじゃないと自分に言い聞かせる中、評議委員なんて全くもって似合いそうにない眠そうな半目の少女は、少し間を置いた後で手を挙げる。

 

「……やります」

 

 こうしてマジで優しい冬雪さんと共に評議委員になると、俺達は前に出て最初の仕事を開始。司会進行役として、他の係や委員会の希望者を確認していく。

 基本的には俺が声を張り冬雪が黒板に書いていくというスタンスだったが、これといった問題が起こることもなく無事にクラスメイトの分担は決まりホームルームが終了した。

 

「なあ冬雪。評議委員になって本当に良かったのか?」

「……どうして?」

「いや、何て言うか俺のせいで無理矢理に決められたみたいな感じだったからさ」

「……そんなことない」

 

 放課後を迎えると、俺は冬雪と共に芸術棟へ向かいながら質問をする。少女の隣には友人である目隠れ編み込み博多っ娘、如月閏(きさらぎうるう)も一緒だ。

 今日は頭髪検査があったため、年に数回しか見ることのできない如月のレアな姿を拝むことができたが、数時間経った今ではすっかり元通り。個人的には普通に可愛い部類だと思うし、前髪で顔を隠さない方が良いと思うんだけどな。

 

「……決めたのは私だから問題ない」

「まあ、そう言ってくれると助かるけどさ。何かしら困った時は去年やってたアキトの奴に色々聞いてみるし、俺も色々と頑張るから一年間宜しく頼むな」

「……(コクリ)」

 

 三年になって俺が評議委員に立候補した理由。それは一年や二年の頃の委員会選択とは違い、何となくだとか楽そうだったからとかではない。

 一つは内申上昇効果を少しでも期待してのこと。そしてもう一つは、俺も周囲から一目置かれるような何かをやり遂げてみたいという欲が沸いたためだった。

 要するに今でも続けている英単語の記憶や筋トレといった自己研鑽の一種であり、クラスをまとめる評議委員をやったら少しは自分に自信が付くかもしれないという浅い考えだったりする。

 

「う、うちも……」

「……?」

「うちも……手伝う」

「……ルー、ありがとう」

 

 三人でいる時は喋る機会も増えてきた如月に別れを告げると、俺達は陶芸室の中へ入る。

 今日から見学や体験も始まる部活動だが、そこには既に先客が一人いた。

 

「……マミ、お疲れ」

「あー、お疲れ……」

「相変わらず辛そうだな」

「最悪よ。スギとか全部焼き払いたいくらいだわ」

 

 長机に置いていた鞄へ顔を乗せてスマホを弄っていたのは、髪を二つ縛りにしているむちましいマスク少女。昨年同様にこの時期は花粉症で辛いらしく、普段より声のボリュームが半減している。

 そんな火水木天海(ひみずきあまみ)の向かいに冬雪が鞄を置き、俺は火水木の二つ右隣の椅子へ腰を下ろす。新入部員が入ってきたら、この定位置もまた変わるんだろうか。

 

「やあ」

「よう」

「……ミナ、トメ、お疲れ」

「お疲れ様でぃす」

 

 少しして陶芸室に入ってきたのは、阿久津水無月(あくつみなづき)早乙女星華(さおとめせいか)の二人。人呼んで黒谷南中の夜空コンビだ……呼んだことはないけど。

 相変わらず長い黒髪がトレードマークの阿久津は冬雪の鞄が置かれた隣の席へ。そしてそんな先輩が大好きなデコ出しツインテールの後輩は阿久津の隣へと腰を下ろす。

 

「今日はウノとトランプ、どっちが良いでぃすか?」

「……どっちも駄目」

「見学の子が来た場合に備えて成形と削りを一人ずつくらいはやっていた方が良いだろうし、体験の子が来た場合は人手が足りなくなるかもしれないからね」

「じ、冗談でぃすよ。星華もやります!」

 

 冬の間は水が冷たく遊んでばかりいたため、すっかり毒されて習慣づいていた早乙女が開けた引き出しを慌てて閉める。心なしかマスク越しに火水木がニヤリとしている気がした。

 冬雪と早乙女が成形をするなら、見学用の人員は充分に足りているだろう。俺は阿久津や火水木同様に体験が来た場合の指導役として待機がてら、英語の参考書を取り出すと文法を覚えていく。

 

「ちわッス!」

「よう。今日は珍しく遅かったな」

 

 十数分経った後で陶芸室にやってきたのは、地毛は茶色だが脳内はピンクの後輩。かつては坊主頭だった鉄透(くろがねとおる)だが、昨年の夏終わり辺りから髪を伸ばし始めたらしく、今ではすっかりチャラ男っぽい男子生徒になっていた。

 

「いやー、頭髪検査に引っ掛かっちゃいまして」

「毎度のことながら大変そうだね」

 

 俺のクラスでも髪を染めてる奴はスプレーで黒くさせられたりしていたが、コイツの場合は地毛であるため説得が大変とのこと。担任はともかく、他の教師の頭が固いらしい。

 そんな苦労話をしながら、テツは俺と火水木の間へ。阿久津の正面であるその席は昔の俺の定位置だったが、大抵の場合はコイツの方が早く来るためすっかり奪われてしまった。

 

「新入部員来るッスかね?」

「まだ初日だから厳しいと思うけれど、来てほしいところだね」

「他の部活は昼休みにハウスホールでパフォーマンスしたり、中庭で勧誘とかしてましたけど、陶芸部はああいう感じのやらないんスか?」

「昼休みのパフォーマンスはともかく、中庭での勧誘に関してはやらないというよりやる人がいない感じかな」

「あー、成程納得ッス」

 

 阿久津がチラリと火水木に視線を送ると、それを見てテツが察する。確かに本来なら間違いなくやりそうな性格だが、この時期だけは花粉のせいで外に出たくないんだろう。

 

「とりあえず一人は候補がいる訳だし、友達を連れてきてくれるかもしれないぞ?」

「もしかしてウメちゃんが来てくれるんスかっ?」

「違うっての。(のぞみ)ちゃんだよ」

「あー、ユメノン先輩の妹さんでしたっけ?」

「そういえば去年の文化祭で、ノートにそんなことを書き込んでくれていたね」

「すっかり忘れてたッス。そういえば今日はユメノン先輩って休みなんスか?」

「何で俺に聞くんだよ? 聞く相手はそっちだっての」

「いやー、ネック先輩なら知ってるんじゃないかなーって思いまして」

 

 恐らくは単なる冗談かと思われるが、ズバリ言い当てられて動揺しかける。

 普段なら俺の右隣に座っている少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)とは春休み中にも何度か会っており、その際に新学期の最初は陶芸部に行けなさそうという話を聞いていた。

 

「ユメノンなら音楽部が忙しくなるから四月はあんまり来れないって言ってたわよ。本当はいつも忙しいけど、この時期はパート分けとか新歓で特に大変みた……ふぇっくしっ!」

「大丈夫ッスかミズキ先輩? 肩揉みましょうか?」

「それでこの苦しみから解放されるなら、土下座してでもお願いするわよ」

 

 鞄の中からポケットティッシュではなく、箱ティッシュを取り出す火水木。本当に大変そうだなと思って眺めていると、テツが俺に小声で耳打ちしてくる。

 

「ミズキ先輩がくしゃみすると、おっぱいぷるんぷるんッスね」

「…………お前がいると新入部員は男子だけになりそうだな」

「何でっスかっ?」

 

 こうして陶芸部でくだらない話をしながら、のんびり過ごせるのも残り三ヶ月か。

 この時はまだ、悠長にそう考えていた。



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八日目(月) やっぱりここは陶芸部だった件

 今日は日直だったため、書き終えた学級日誌を職員室へ届けてから部活へ向かう。

 陶芸室の中へ入ると、そこには先週も体験に来ていた少女の姿があった。

 

「お?」

「あっ! こんにちは。米倉先輩」

 

 その呼び方をされると、いつぞや夢野としていた先輩後輩ごっこを思い出すな。

 見ていて弄りたくなるようなお団子ハーフアップの髪。そして陶芸部に置いてあるエプロンを制服の上から身に付けて俺を出迎えたのは、夢野の妹である望ちゃんだった。

 

「いらっしゃい。今日も体験か?」

「いえ、入部させていただきました! これから宜しくお願いします」

「マジか! こちらこそ、宜しく頼むな」

「はい!」

 

 先日体験に来ていた時にはクラスメイトらしき女子と一緒だったが、見たところ今日は一人の様子。恐らく友達は別の部活に行ってしまったんだろう。

 その辺りの話はあえて聞かないでおき、俺は定位置へ鞄を置く。丁寧に礼をしていた望ちゃんは顔を上げると、ウキウキしている冬雪の元へ指導を仰ぎに行った。

 

「いやー、華が増えるっていいッスね」

「大掃除のことを考えると、男子も欲しいところだけどな」

「男の娘ならワンチャンありッスけど、オレとしてはハーレムを味わいたいッス」

「本当に懲りないなお前は。ひょろひょろの男の娘じゃ大掃除の戦力にならないだろ? 仮に女子だけってことになると、霊長類最強系の子が必要になるぞ?」

「いいじゃないッスか! オレ、ムキムキ系女子も好きッスよ! 腹筋とか背筋とか胸筋とか色々触らせてもらいたいッス!」

「じゃあお前がセクハラ発言をした時には、その子に腕をへし折って貰うよう頼むわ」

「なんでそうなるんスかっ? ネック先輩だって入部してくるなら筋肉モリモリマッチョマンの変態よりも、華のある女子の方が本当は嬉しいんでしょ?」

「比較対象が極端すぎるだろそれ。でもまあ、そうだな……実際こうして厄介な後輩に手を焼いている訳だし、まともなのに入ってもらいたいところだ」

「あー、わかるッス。確かにメッチみたいなのは困るッスよねー」

「早乙女のことじゃねーよ。鏡見ろ、鏡」

「誰が筋肉モリモリッスか!」

「違う、そこじゃない」

 

 ちょっと会話しただけでドッと疲れる後輩に溜息を吐く。

 今日は体験が来ていないものの、ろくろの前では火水木と早乙女の二人が作業中。特に早乙女は何があったのか知らないが、ここのところ毎日のように頑張っていた。

「…………」

 

 音楽部との兼部かつバイトがある夢野が休みなのは仕方ないとして、それ以外のメンバーは以前なら週の半分以上が全員集合していたにも拘わらず今回は一週間ぶりだったりする。

 というのも先週の月曜に顔を出して以来、珍しいことに阿久津が火曜から金曜まで休んでいたため。久し振りに来た今日も、問題集を開いてペンを握ったままボーっとしている。

 

「阿久津?」

「………………」

「おーい、阿久津ー? 大丈夫かー?」

 

 少女の目の前に手を出し、横に軽く振ってみた。

 すると阿久津は顔をあげるなり、小さく溜息を吐く。

 

「何だい?」

「いや、何か固まってたからさ」

「少し考え事をしていただけだよ」

「そうか」

 

 そう言うなり、再び少女は問題集へ視線を下ろす。

 普段に比べると、どこか覇気がないように感じるが……気のせいだろうか。

 少し心に引っ掛かりながらも俺は一旦陶芸室を出ると、先週の金曜に成形した作品の削り作業を行うためムロから作品を取ってきた。

 

「……ノノ、上手」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 

 相変わらず文字通り手取り足取りの密着指導で菊練りを教えている冬雪。テツの時は無事に回避できたが、仮に体験で男子が来た場合は俺が教えないと駄目だな。

 ちなみに上履きの色を見た限り、望ちゃんは俺や冬雪と同じCハウス。ひょっとしたら陶芸室だけじゃなく、ハウスの中で見掛ける機会もあるかもしれない。

 

「ネック先輩。ウメちゃんは陶芸部にいつ来るんスか?」

「知らん。そもそも来るなんて言った覚えは全くもってないんだが?」

 

 部員は増えた方が嬉しいと思うが、あのアホな妹だけは例外だ。家で一緒にいるだけでも騒々しいのに、この平穏な陶芸室で暴れられたら面倒でしかない。

 幸いにもアイツのハウスはDハウスのため、学校内で会うことは滅多にないだろう。その点は屋代の構造に感謝している……仲が良い望ちゃんには悪いけどな。

 

「いやいや……いやいやいやいや! オレの輝かしい部活動恋愛計画はっ?」

「知らねーよっ! 寧ろ何を計画してんだお前はっ?」

「そりゃ勿論、ミズキ先輩が卒業した後は企画担当がオレに引き継がれる訳じゃないッスか。合宿とかハロウィンとかクリスマスだけじゃなくて、更にイベントをマシマシで――――」

「「ここは陶芸部だ」でぃす」

 

 望ちゃんに指導中の冬雪の代わりに思わず突っ込むと、早乙女と意見がかぶった。チラリと成形作業中の少女の方を向くと、やや不満そうな顔を浮かべぷいっと視線を逸らす。

 

「そうですねえ。盛り上がるのは結構ですが、程々にしておいてほしいものです」

 

 一人離れた席に腰を下ろし、俺達の会話を傍から眺めていた伊東(いとう)先生が苦笑いを浮かべつつ口を開く。

 相変わらず見学や体験の生徒、そして新入部員にも陶芸の手本を見せるようなことは一切せず、チョコを配るだけの白衣の顧問は狐のような細い目で俺を見た。

 

「時々名前を聞きますけど、その梅さんというのは米倉クンの妹さんでしょうか?」

「あ、はい。そうです」

「そうでしたか。仮に陶芸部へ来た場合、呼び方に困ってしまいますねえ。今もこうして夢野クンが二人になったのでどうやって呼び分けるべきか、先生悩んじゃってます」

「普通に名前呼びじゃ駄目なんスか?」

「今は何かとセクハラが怖い時代ですからねえ。ここはやっぱりフルネーム呼びでしょうか。まあ、その時になったら考えることにしましょう」

 

 こうしていると本当に呑気で平和的な先生だが、あの怒りの夜を忘れることはない。それに関してはきっと、実際にその身をもって経験した早乙女によって語り継がれるだろう。

 ハロウィンやクリスマスのパーティーで節度をわきまえた結果、冬雪から話を聞いた限り今年も無事に合宿は行えそうな様子。俺達のせいで中止なんてことにならず一安心だ。

 

「ネック先輩ー。何でウメちゃん呼んでくれないんスかー。こう見えてもオレ、陶芸部を盛り上げるために色々と計画してたんスよー?」

「一応聞いておくが、何を企んでたんだ?」

「ほら、去年の開校記念日に新入生歓迎会を兼ねてスポッチに行ったじゃないッスか。あんな感じで遊べる場所とかも色々調べましたし、仮に陶芸室でパーティーを開くことになった場合でもバッチリ盛り上がる内容を考えてたりしたんスよ」

「だそうだが、火水木、早乙女、冬雪、どう思う?」

「アウトね」

「アウトでぃす」

「……アウト」

「スリーアウトチェンジだ」

「どうしてそうなるんスかっ? まだ具体的な話は何一つしてないじゃないっスか!」

「日頃の行いだろ。悔い改めるんだな」

「とか何とか言って、ネック先輩は企画内容を聞いたら絶対賛成するッスよ!」

「じゃあ一応聞くが、その盛り上がる内容ってのを一つ挙げてみろ」

「そうッスね。例えばポッキーゲー」

「アウト。退場!」

「早いっ! 何でッスかっ?」

 

 コイツが考える企画となると、十中八九ろくなもんじゃないとは思っていたが予想通り。ポッキーゲームとか自分でやる分には構わないが、夢野や阿久津を相手にコイツがやるなんて場合になったら許せる筈がない。

 そんな話をしているうちに刺激されたのか、成形を終えて片付けも一段落ついた火水木が、大きく身体を伸ばした後でゆっくりと口を開いた。

 

「そうね。部活動体験期間も折り返しに入ったし、そろそろ決めておこうかしら」

「決めるって、何をだよ?」

 

 少女が使っていた隣のろくろで削り始めていた俺は、一旦手を止めつつ尋ねる。

 誰もが思っていたであろう疑問に対して、火水木は意気揚々と答えた。

 

「勿論、ゴールデンウィークの予定よ!」



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八日目(月) これが高校生のゴールデンウィークだった件

「ゴールデンウィークって、まだ二週間くらいあるだろ」

「それを言うなら、もう二週間しかないの間違…………ふぇっくしっ! ふぁ……ふぇっくしっ! とりあえず各々、二十九日から五日までの予定が空いてる日を教えて頂戴」

「そんな体調で大丈夫なんでぃすか?」

「駄目でもやんのよ! まずは忙しそうなツッキーからね」

「…………」

「ちょっとツッキー、聞いてる?」

「ん? ああ、すまない。何の話だったかな?」

「ゴールデンウィークの予定についてでぃす」

「ふむ。ゴールデンウィークは予備校次第だから、何とも言えないね」

「ちょっと待って。ツッキーが予備校とか初耳なんだけど、いつから通ってたのよ?」

「言っていなかったかい? 今月からだよ」

 

 さらりと答えた阿久津は、解いていた予備校のものと思わしき問題集を見せてくる。先週の火曜以降ずっと休んでいたのは、予備校が理由だったってことか。

 成績優秀な幼馴染は既に受験に向けてスパートを始めている。そんな衝撃的事実に焦りを感じると共に、思わぬ一大ニュースに正直驚きを隠せない。各々の反応を見た限りでは、冬雪と早乙女の二人は既に知っていたようだ。

 

「うーん。それじゃあ現状で確実に空いてる日とかってある?」

「そうだね。確実となると日曜と月曜くらいかな」

「ゴールデンウィーク中だと……五月の一日と二日ってことよね。二日は普通に学校あるし……三十日の土曜って休めたりしないの?」

「少し待っていてくれるかい?」

 

 今年のゴールデンウィークは金・土・日という三連休の後に平日を一回挟み、再び火・水・木の三連休の後に平日が一回。最後に土・日の連休という、これ以上ないくらいに微妙な形だったりする。本当、十連休くらいになれば良かったのにな。

 阿久津が鞄の中から手帳を取り出してスケジュールを確認する中、冬雪が小さく手を挙げるなり申し訳なさそうにポツリと呟いた。

 

「……一日は私が無理」

「はいユッキー。理由は?」

「……家族で旅行中」

「じゃあ家族旅行は中止で!」

「おい」

 

 さらりと無茶苦茶なことを言う火水木に対し、思わず突っ込みを入れる。普段なら何かしら言いそうな阿久津は、ボーっと手帳へ視線を下ろしたままだ。

 思い返してみれば、冬雪は昨年もゴールデンウィークには旅行へ出掛けていた気がする。その時に貰ったお土産が、これがまた滅茶苦茶に美味しかったような記憶があるな。

 

「仕方ないわね。ユッキーの旅行は何日から何日なの?」

「……二十九日から一日まで」

「じゃあ残る可能性は三日から五日しかないわね」

「あのー、オレも三日は実家で田植えの手伝いが」

「却下!」

「ッスよねー。何とかするッス」

「あ、五日は星華が無理でぃす」

「ホッシーは何があるのよ?」

「友達とイチゴ狩りに行ってきます」

「メッチ友達いたのがふっ!」

「ぶっ飛ばしますよ?」

「殴ってから言うなし……ってかイチゴ狩りとか乙女過ぎぁすっ!」

 

 削りを中断して素早く歩み寄ってきた早乙女が、見事なボディーブローを二発ぶちこんで去っていく。イチゴを狩るより先に、テツのイノチが刈り取られそうだな。

 

「そういうことなら五日はなしね」

「田植えは駄目でも、イチゴ狩りはオッケーなんスかっ?」

「アタシも五日に丁度行きたいフェスがあったのよ。まあ仮に他全員の空いてる日が四日五日だけだった場合は、諦めるつもりだったけど」

 

 確かにそれだけの覚悟があったなら、田植えくらいは何とかしろって話にもなるか。

 有給を取る際に一々理由を聞いてくる上司とかってきっとこんな感じなんだろうなと思いつつ、中々日程が合わずヤキモキしている火水木の話を聞きながら削り作業を続ける。

 

「じゃあ三日と四日で他に駄目な人は?」

「…………」

「いないっ? それなら三日と四…………あ……駄目だわ……」

「どうしてっスか?」

「四日だけはユメノンが無理って言ってたのよ…………はあ……去年が無理だったし今年こそはって思ったんだけど、早速計画が頓挫したわね」

「……三日は?」

「二日間ないと駄目なんスよユッキー先輩」

「……どうして?」

「それは勿論、泊まりで行くからに決まってるじゃない」

 

 道理で随分と早くから聞いていると思ったら、そういうことだったらしい。昨年も同じようなことを言ってた気がするけど、合宿の泊まりで満足してなかったのか。

 

「七日と八日の土日じゃ駄目なんスか?」

「アタシの経験から言って、大抵その頃になると課題に追われて旅行どころじゃなくなってる気がするのよね。そもそも土日で行けるようなら、毎週のように行ってるわよ」

「大丈夫ッスよ! 課題なんて何とでもなるッス!」

「そう言ってる本人が一番危なく見えるけどな」

「あーあ。こういう時はバッチリ予定が合って、都合良く海の見える別荘持ちの同級生とかがいて、皆で車に乗ってドライブしながら楽しい旅行をするのが普通でしょ?」

「どんな普通でぃすかっ?」

「……そもそも別荘持ちなんていない」

「いや、持ってそうな奴の心当たりならあるぞ」

「マジッスか?」

「そんな知り合いがいたならもっと早くに言いなさいよ!」

「そいつの家は滅茶苦茶でかい上に、何と二階へ直通する裏口があってな。更にはトイレも一階と二階に一つずつあるし、庭でバーベキューもできるんだ」

「トイレはともかく、バーベキューができるのは凄いッスね」

「ねえネック。まさかとは思うけど、それってアタシん家のことじゃないわよね?」

「情~熱~の♪ 赤い~薔薇~♪」

「はあ……ちょっと期待して損した気分だわ。まあ仮にネックのクラスメイトなり中学時代の友達にそんな御曹司がいたとしても、今から親しくなったところでゴールデンウィークに間に合わないのよね」

 

 卒業してしまった店長なら別荘ですら持ってそうなイメージだが、火水木の口から名前が出てこない辺り流石にそれはないらしい。仮に持ってたとしても所有権は親だろうしな。

 まあ高校生のゴールデンウィークの過ごし方なんて、半分近くが部活動に勤しみ残り半分近くは家でゴロゴロ。最終的に課題に追われるというのが普通である。

 

「第一、車っていうのも誰が運転するんでぃすか?」

「アタシの理想としては、やっぱりイトセンが良いんだけど」

「前にも言いましたが、無茶を言わないでください。仮にそんなことをしたら先生、何かあった場合に責任なんて取れません。下手したら懲戒免職になっちゃいます」

「ってことなのよ。店長はまだ仮免だって言ってたし…………ネックのお姉さんとかは?」

「却下……というか無理だろうな。姉貴本人はノリノリでオーケーと言いそうな性格だけど、親から許可が下りる筈ないし」

「まあそうなるわよね」

 

 結局のところ免許を持っていたとしても、車が親の物である以上は厳しいだろう。

 ことごとく理想を否定された火水木は、大きく溜息を吐きつつ肩を落とした。

 

「仕方ないから別荘もドライブも泊まりも諦めるわ。今回は日帰りにするとして、各自行きたい場所とかある?」

「はいっ! はいはいはいっ! プール行きたいッス! 行きましょうよ!」

「絶対に行かないでぃす」

「…………メッチのペタンコには興味ないっての」

「今何か言いやがりました?」

「別にー」

 

 隣にいた俺にはバッチリ聞こえていた件。阿久津は……手帳を戻して問題集を見ているけど、やっぱり聞いてなかったみたいだな。

 後輩同士が一触即発の火花を散らす中、火水木が溜息を吐きつつ呟く。

 

「プールかー。確かに定番ではあるんだけど、女子は行きたくないって意見が多いから難しいのよね。ユメノンも嫌って言いそうだし、ユッキーだってそうでしょ?」

「……そもそもまだ春」

「何言ってるんスかユッキー先輩! 子供の日を過ぎだら暦の上では立夏ッスよ! それに温水プールなら年中無休で問題なしッス! ですよねっ? ネック先輩!」

「いや、俺も正直あんまり行きたくない」

「何でッスかっ? 女子陣の水着姿を見たくないんスかっ? カナヅチッスか?」

「いや普通に泳げるけど、ずっと前から足の裏に変なできものができててさ。体育の時間とかも当たると痛いから、あんまり運動はしたくないんだよ」

 

 …………と言っても泳ぐ分には大して問題なく、これは建前に過ぎない。

 本音を言えば俺だって女子陣の水着姿は見たいが、普段から願望丸出しなテツはともかく、俺が行きたいなんて言った日には間違いなく引かれるだろう。

 

「そもそもゴールデンウィークに何かするって、元々は新入部員への歓迎会を含めてなんだろ? いきなり旅行とかになると、ちょっとハードルが高すぎないか?」

 

 実際のところ先程から時折様子を窺っていたが、新入部員の望ちゃんは完全に置いてきぼりな状態。ここまでぶっ飛んだ話題を聞かされたら、それも当然の話だ。

 

「確かに、言われてみればそれもそうね」

「そうッスか? オレは入部した時、普通に楽しみだったッスよ? それにプールならスポッチと大して変わらないと思うんスけどね」

「お前は色々と思考回路がおかしいだけだ」

 

 結局その後も色々と話し合った結果、今回は初心に戻って部室でパーティーをすることに決定。日時はゴールデンウィーク中を予定しているものの、今週か来週に入ってくるかもしれない新入部員の都合と阿久津の予備校の次第ということで、また後日になってから決める形となった。

 

「…………」

 

 具体的に何をやるか話し合い盛り上がる中、俺はチラリと幼馴染の少女を見る。

 他のメンバーには問題集に集中するあまり反応が遅れているように見えていたのかもしれないが、その日の阿久津はどこか虚ろな様子で終始ボーっとしているのだった。



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十一日目(木) 駐輪場での語り合いだった件

「そういや、パソコン部の方に新入部員はどれくらい入ったんだ?」

「寧ろ拙者が新入部員状態ですが何か?」

「相変わらず行ってないから知らないってか」

「最早部外者的な意味で、ここは侵入部員と呼ぶべきレベルですな」

 

 サーッと静かに雨音が響く放課後。今日は陶芸部へ行かずに、友人であるガラオタと共に帰るべく昇降口を出る。

 

「去年は花粉症で辛そうだったけど、今年は大丈夫みたいだな」

「全く問題ないお。寧ろ去年がイレギュラーかと」

「でも花粉症ってあれだろ? 身体の中に容器があって、それが一杯になって溢れると発症する感じで、一度なったらそれ以降は毎年なるって聞いたことあるぞ」

「恐らく拙者の容器は穴が開いていると思われ」

「マジかよ。どんな構造してるんだお前は」

「父さん。容器を感じます」

 

 頭の上に親指を立ててアンテナを張る火水鬼太郎。花粉症にならない人は容器がバケツで、なりやすい人は容器がグラスなんて話は聞いたことがあるが、穴開きなんてのは初めて聞く。

 

「ところでアキトに聞きたいんだが、お前って予備校に通う予定とかあったりするのか?」

「通ったら負けだと思ってる」

「何でだよ?」

「浪人しているならともかく、拙者達は学校教育を受けている身ですしおすし。予備校にいるプロフェッショナルでこそないものの、困ったら先生に聞けば済む話だお。屋代には講習もいくつかありますし、予備校よりも圧倒的に経済的かと」

「ほぁー」

 

 思わず感心して間抜けな声を上げてしまった。授業の一分一秒には何円が支払われているから真面目に受けないと勿体ないとか、コイツの考えって何かと大人びてるよな。

 

「しかし米倉氏の口から予備校とは、また随分と唐突ですな」

「まあな」

「何かあったので?」

「リリス関係にも繋がるから、話すとちょっと長くなるぞ?」

「付き合うお」

「サンキュー」

 

 リリスと言うのは夢野のこと。こうして周囲に聞かれたら困る場所で話題に出す場合は、未だに使っていたりする便利なコードネームだ。

 電車通学にも拘わらず、アキトは俺に合わせて駐輪場へとついてくる。屋根の下に入るなり傘を閉じた後で、俺は自分の自転車のサドルに寄りかかった。

 

「俺が月見野を目指してるって話は前にしたよな?」

「聞いた希ガス」

「それで阿久津が予備校に通い始めたらしくてさ。俺も通った方が良いのかなって」

「まあ金銭面で問題がないなら、行っておいて損はないですな」

「そうか」

 

 クラスメイトの男子が話しているのを聞いていた限り、半分近くは既に塾なり予備校に行っている様子。運動部の連中も引退後には通い始める予定だと言っていた。

 

「大学受験は、高校受験の二ヶ月前倒しで考えるべきだ。高校受験は夏休みからで間に合ったが、大学受験はその二ヶ月前のゴールデンウィークから本気を出せ。by店長」

「ああ、何かそんな話を誰かから聞いたことがあるような、ないような……」

「悩んでるようなら、五月の模試が終わってから考えるという手も有りかと」

「五月の模試って言ったら、結果が返ってくるのは六月くらいになるんじゃないのか?」

「そこは手応えと自己採で判断する感じだお」

「うーん……どうすっかなー」

「ちなみに米倉氏的には、第一志望は完全に月見野確定なので?」

「そう、それも問題なんだよ」

「ちなみに前回の模試の判定は?」

「E判定……合格の可能性20%以下の要検討だ」

「それはまた厳しい挑戦ですな」

「元々はアイツが行くって言ってたから、俺も一緒に行けたらいいなーくらいで考えてたんだ。だから別にそこまでこだわる理由なんてない筈なんだけど……」

 

 仮に教員を目指すとして、月見野にこだわらずとも教育学部のある大学は他にいくらでもある。俺の学力を考えれば、アキトが言いたいであろうことは至って正論だ。

 

「でも去年の夏休みにアイツに月見野を目指すことを話した以上、諦めるのも良くないかなって。罪滅ぼしって言うか、使命感っていうか……何て言えばいいんだろうな」

「まあ言いたいことは何となくわかるお」

「それでこうやって意識してる自分がいるって思うと、やっぱり今でもアイツのことが好きなのかなって考えたりしてさ。こんな状態でリリスの気持ちに応えるのもどうかって感じで、未だに踏み出せなくて……何かもう、どうすればいいんだろうな俺」

「そこで繋がってくると」

 

 修学旅行が終わって以来、夢野とは一緒にプラネタリウムへ行ったり、映画を見に行ったり、それこそデートみたいなことを何度かしてきた。

 モテない俺としては、こうして異性と出掛けるだけでテンションが上がるもの。ドキドキするようなことも沢山あったし、何よりも二人でいる時間が楽しかった。

 

「いやー米倉氏、青春を満喫してて羨ましい限りですな」

「傍から見たらそうかもしれないけど、こっちとしては割と深刻な悩みだっての。それにアイツ、何か最近ちょっと変なんだよ」

「変と言うと?」

「予備校が始まってから陶芸部に来る回数も減ったのは仕方ないんだけど、たまに来ても妙にボーっとしててさ。何て言うか、アイツらしくないって言うか……」

「それは単に疲れが溜まっているだけでは?」

「勉強で疲れるような奴じゃないと思うんだけどな」

「では予備校でイケメンを見つけて、一目惚れしてしまったという説を唱えてみるお」

「…………」

「あの米倉氏、ここは突っ込むところなのですが……?」

「いや、そういう可能性もあるのかもしれないなと思ってさ。アイツが一目惚れしたのかもしれないし、逆に誰かしらから告白されて執拗に迫られて困ってるのかもしれないし」

「後者の場合は米倉氏が彼氏役を演じるイベント発生ですな」

「いやない……と思うけど、万が一頼まれた場合はどうすればいいんだろうな」

「断る理由があるので?」

「いや、こういう風にどっちつかずなのって、やっぱり良くないよなって思って……」

「それは恋愛対象として見ているか、単に心配しているかによって違うお。例えば米倉氏が予備校に行こうと思ってる理由が、阿久津氏と同じ予備校で一緒に時間を過ごしたいとかになれば話は別ですな」

「いや、そういうことは全然考えてない。予備校は本当に学力的に心配なだけだ」

「それなら問題はないかと。彼氏役も単なる人助けと思えば問題ない話でござる。ボーっとしてるのが気になるのも、幼馴染で長い付き合いだからこその心配なのでは?」

 

 本当に幼馴染だから気にしているだけなんだろうか。

 屋根からポツポツと雫が定期的に垂れてくる中、アキトの意見を聞いて少し考えてみるが、落ち着いた時に改めて振り返る方が良さそうだ。

 

「リリスの件も予備校の件も、もうちょっと考えてみるわ。また何かあったら話聞いて貰ってもいいか?」

「お安い御用だお」

「サンキュー。悪いな、時間取らせて」

「拙者としてもどうなるのかワクテカで楽しんでる身なので、問題ないでござる」

 

 ホルダーに傘を固定してから、自転車のスタンドを蹴り上げる。校門へ移動しアキトと分かれてから、俺は雨の降る中を走り抜けて帰宅した。

 家に帰宅後、傘を差しても濡れてしまった靴下を脱ぐ。その際にうっかりバランスを崩しかけてしまい、慌てて強く足を踏ん張ると足の裏から痛みが生じた。

 

「っ」

 

 チラリと足の裏を見ると、そこには数ヶ月前から残り続けているできものが一つ。いつの間にやらできていたポコっとしているそれは、一向に無くなる気配がない。

 当たらなければ問題がないため大して気にしないでいたが、流石にここまで続いていると気になってくるもの。前々から親にも行けとしつこく言われていたため、雨なら待ち時間が少ないかもしれないと思い俺は病院へ向かうことにした。

 

「米倉さーん」

「はい」

 

 病院なんて滅多に来ることがないためどうして良いかわからず、探り探り受付で保険証を出してから待つこと数十分。ようやく自分の番が回ってきた俺は扉の奥へ入る。

 白衣の天使なんて言葉とは裏腹に、うちの母親と同年代っぽいオバサン看護師の案内に従い医者の前に腰を下ろすと、俺は予想だにしない宣告をされるのだった。

 

「あー、こりゃ手術だね」

「………………え?」



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十二日目(金) メールのやり取りが日常だった件

「「「手術っ!?」」」

 

 いつも通り放課後の陶芸室。阿久津が来ているのに早乙女が休みという少し珍しい状況の中、部室に来ていた火水木とテツ、そして望ちゃんの三人が驚き声を上げた。

 驚いていないのは阿久津と冬雪の二人。恐らく冬雪は教室でアキト達に説明していたのを聞いていたんだろう。阿久津はまあ、平常運転といったところか。

 ひとまず昨日医者から言われたことを、俺は仲間達に説明する。

 

「ああ。粉瘤(ふんりゅう)って言うらしいんだけど、足の裏に腫瘍があるから手術して取るんだと」

「腫瘍って、それヤバいんじゃないの?」

「良性って言ってたし、多分問題ないと思う。実際大して痛くもないしな」

「手術ってことは、手術台とか乗せられて麻酔とかするんスかっ? 入院とかして白衣の天使に囲まれながら、色々とお世話とかされちゃうんスかっ?」

「入院はしないっての。そもそも看護師さんは白衣の天使なんて呼べる余裕がないくらい忙しそうだったし、どっちかっていうと白衣の戦士って感じだったぞ」

「あ、あの、米倉先輩……本当に大丈夫なんですか?」

「別にそんなに痛む訳じゃないし、全然問題ないよ。心配してくれてありがとうな」

 

 俺も手術なんて初めての経験であるため、唐突に医者から言われた時は思わず呆然としたものの、一晩経った今は割と落ち着いていたりする。

 日曜日に夢野へメールで伝えた時もそうだったが、大して痛くもないのに手術と言うだけで心配してもらえるのは悪くない気分だ。

 

「手術日とかって、もう決まってたりするんでしょうか?」

「ああ。明後日だよ」

「それならゴールデンウィークは問題ないッスね」

「粉瘤だか何だか知らないけど、ヤバくなったらちゃんと言いなさいよ?」

「……無理しないで、休んでもいい」

「サンキュー」

 

 仲間達からの優しい言葉を受け取りつつ、今日は体験に備えて待機する。

 斜め前には普段通り阿久津が座っていたが、黙って話を聞いていた幼馴染はフーっと大きく息を吐くと、静かに一言だけ尋ねてきた。

 

「本当に大丈夫なのかい?」

「ん? ああ」

「そうかい」

 

 ……………………心配したよ。

 視線を逸らした直後にボソッとそんな言葉が呟かれ、慌てて阿久津の方へ振り返る。

 しかしながら少女は既に問題集へ視線を下ろし、声を掛け辛い態勢に入っていた。

 

「来ないわねー」

 

 今日も普段通り……というよりは、正しい陶芸部としての部活動が始まって数十分。電動ろくろの前に座り削り作業をしていた火水木が大きな声でぼやく。

 今週も見学や体験には片手で数えるほどの生徒が来たものの、再びドアを叩いてくる者は未だに望ちゃん以外は0だった。

 

「まあ陶芸部なんて、ぶっちゃけ地味ッスからね」

「……そんなことない」

 

 テツの言葉を聞いて冬雪がムスっと不貞腐れる。何かしらフォローしてやりたいところだが、青春真っ只中の高校生であることを考えると地味なのは否めない。

 結局その後も最後まで新入部員がやってくることもなく、本日の部活動は何事もないまま終了。俺達六人は共に陶芸室を出ると、電車組と自転車組に分かれる。

 

「米倉先輩、今日も自転車で来たんですか?」

「ああ。漕いでも問題なさそうだったからさ」

 

 今までは帰るタイミングが異なっていたが、今日は一緒に部室を出た望ちゃんも夢野同様に自転車通学。しかもハウスは同じCハウスであるため、駐輪場も同じ場所だ。

 

「米倉先輩って、普段はお姉ちゃんと一緒に帰ってるんですよね?」

「ああ。夢野が部活に来てる日は大体そうだな」

「それじゃあ今日は僭越ながら、私がお供させていただきます。心配ですし」

「僭越ながらって、日常会話で初めて聞いたぞ?」

 

 そんな改まって言われなくても帰る方向は同じな訳だし、望ちゃんさえ嫌じゃないなら俺が断る理由は何一つなかったりする。

 夢野がいる場合は三人で帰ることになるんだろうか……なんて考えながら、俺は自転車に乗ると望ちゃんと共に縦に並んで走り出す。

 

「陶芸部はどう?」

「はい。とっても賑やかで楽しいです」

「まあ、それだけが取り柄みたいな部活だからな。無理に合わせなくても、ゴールデンウィークの歓迎会とかだって嫌だったら断ってもいいからな?」

「そんなことありませんよ。お姉ちゃんからハロウィンとかクリスマスにやってたパーティーの話は聞いてましたし、嫌どころか物凄く待ち遠しくてワクワクしてます!」

「それなら良いんだけどさ。まあ困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。テツからセクハラをされたとか、火水木からコスプレを強要されたとか、冬雪が厳し過ぎるとか」

「鉄先輩は面白いですし、火水木先輩は色々と教えてくれますし、冬雪先輩は優しいですよ?」

「それはアレだな。部活動体験期間による初回キャンペーン中だからだ」

「そうなんですか?」

「俺の予想だと、歓迎会はカオスになるぞ」

 

 実はゴールデンウィークに行われる今回の歓迎会は、火水木じゃなくテツが企画する。

 最初は思わず他の面々と顔を見合わせたくらい不安ではあったが、俺達が引退した後は引き継ぐということを考えて、一度試しにやらせてみることになった。

 

「でも、お姉ちゃんは楽しみにしてましたよ?」

「うーん……まともな企画だと良いんだけどな……」

 

 気まずい沈黙が続いたらどうしようなんて考えもしたが、そんな心配は無用だったらしい。望ちゃんとの会話が弾む中、気が付けばあっという間にいつものコンビニ前にある横断歩道へ到着していた。

 

「米倉先輩、今日はありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」

「ああ。望ちゃんもな」

 

 相変わらず丁寧に頭を下げる少女と分かれた後で家に帰宅。夕飯を食べて風呂に入り今日のノルマである英文法を記憶していると、不意に携帯が鳴り出した。

 

『望は元気そうだったって言ってたけど、本当に大丈夫? 実は不安だったりしない?』

 

 受信ボックスを確認してみると、表示されたのは夢野からのメール。手術と聞いて懸念している少女の気持ちをありがたく受け取り、俺は小さく笑いつつ返事を送る。

 

『夕飯をおかわりするくらい元気一杯だから大丈夫だ! 心配してくれてサンキューな』

 

 二年の時は日本史が一緒だったが、三年は同じ授業もなく部活以外で夢野と顔を合わせる機会は中々ないものの、こうしたメールのやり取りは春休み頃から頻繁にしている。

 基本的にどちらかが寝落ちするまで語り合うため、翌日には前日なり深夜にしていた話題の続きから開始。そんな調子で俺達は毎日のように画面越しに話し合っていた。

 

『私の中学校の先生が前に言ってたんだけど、大丈夫って聞かれて大丈夫って答える人は大丈夫じゃないかもしれないんだって!』

『何だその哲学めいた文章は? 大丈夫がゲシュタルト崩壊してるぞ?』

『元気な人は大丈夫か聞かれたら「何が?」って反応になるでしょ? 逆に元気がない人は大丈夫か聞かれた時に、周囲に迷惑とか心配を掛けないように大丈夫って答える人が多いんだって。だから大丈夫じゃないって答えるのは、物凄く勇気がいることなんだよ』

『成程。確かにダイジョーブ博士は大丈夫じゃないけど大丈夫って言うし、どこぞの天界に住んでる元農民も「大丈夫だ、問題ない」って言った後でボコボコにされてたもんな』

『ゴメン。どっちも元ネタわからないかも(笑)』

『気にするな。まあ痛みとかは全くないし、本当に大丈夫だから心配すんなって』

『本当にー? 米倉君、駄目な時でも大丈夫って言ってるから心配だなー』

『ちょっと待て。俺がいつそんなことをした? 心当たりがないぞ?』

『陶芸で削り過ぎちゃって高台を作る余裕が無くなった時とか』

『すいませんでしたっ!』

 

 こんな調子で夢野とメールで話しながら、宿題なり課題をこなすのが日課になりつつある今日この頃。それ故に夢野の近況も大体把握していたりする。

 そして最後のコンクールは音楽部の一員として全力を注ぎたいという話を聞いたからこそ、俺も何かをやり遂げたいという気持ちになり評議委員へ立候補した訳だ。

 

『もしも不安になったら、今度は私が元気づけてあげるね♪』

 

 幼い頃に手術を経験した少女からのメールを見て、思わず笑みを浮かべる。

 その日も俺と夢野の雑談は、夜遅くまで続くのだった。



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十五日目(月) 阿久津が受験生だった件

「はよざ~っす!」

「…………はよ……」

「うわ~、今日のお兄ちゃん、機嫌だけじゃなくて人相まで悪そ~」

「頭が悪そうなお前に言われたくない」

「ふっふ~ん。梅もうアホじゃないもんね~」

「そんなこと言ってると、あっという間に元通りだからな? 高校は学区別じゃなくて学力別で集まってるんだから、周りは全員お前より頭が良いと思え」

「え~? 受験の時は周りがアホだと思えって言われてたのに~?」

「それはそれ、これはこれだ」

 

 まだ入学したての癖に、生意気にも制服のスカートを短くしている妹に溜息を一つ。望ちゃんは普通の丈だったしあんなにも素直なのに、何でコイツはこうなんだ。

 もっとも梅の言う通り、今の俺の機嫌はすこぶる悪かったりする。その理由は単純明快で先日行われた粉瘤、別名アテロームの切除手術が原因だった。

 …………クッソ痛い。

 手術前は全然痛くなかったのに、麻酔が切れた後は滅茶苦茶に痛いという歯の治療みたいな罠。こんなことなら病院なんて行かなければ良かったと心底後悔している。

 切ったのだから痛いのは当然と言えば当然だが、暫くの間は痛みが続くという話を聞かされたのは手術後……それならそうと事前に話しておいてほしかった。

 

「はあ……行ってきます……」

「むっふぁふぁっふぁーい!」

 

 一週間は入浴も不可能でシャワーのみ。激しい運動や患部に圧が掛かるようなことも控えるように言われたため、今日の体育の授業も受けられず見学である。

 体感的には歩くより自転車の方が負担は少ない気がするが、登校中に傷が開いたりしたら洒落にならないため、今週は大事を取って電車で行くことにした。

 

「…………ん?」

 

 自転車と違い電車通学は融通が利かず乗り過ごすと面倒なため、時刻表を確認しつつ普段よりやや早い時間に家を出たが、いきなり阿久津と出くわし思わず足を止める。

 ひょっとしたら駅で会うかもしれないとは考えていたものの、まさか外に出た瞬間にドンピシャで遭遇するとは予想外であり、反射的に弛んでいた表情が引き締まった。

 

「よう」

「やあ。全く、何分待たせる気だい?」

「へ?」

「もう一本前の電車に乗ると思っていたけれどね。積もる話は歩きながらしようか」

 

 まるで待っていたような言い方をする幼馴染の少女を前にして、俺の頭の中では「?」が大量発生する。

 自転車ではなく電車で登校することまで熟知しており、一緒に登校するという約束でもしていたかのような口振りだが、そんな覚えは当然ながら一切ない。

 

「思っていたよりは元気そうに見えるけれど、足は今も痛むのかい?」

「何で知ってるんだ?」

「麻酔が切れるなり櫻もキレたと、昨日梅君から連絡があってね」

「ちょっと待て! 確かに多少なりイラついてはいたけど、断じてキレるようなことはしてないぞ? アイツ絶対に上手いことを言いたかっただけだろ!」

「腫瘍を取ると言っていた時点で、何となくこうなる未来は目に見えていたよ。それで予想通り今週は電車で登校すると聞いたから、こうして無事を確認しに来た訳さ。必要とあればキミの荷物を持っても構わないけれど、本当に大丈夫なのかい?」

「いやいやいやいや。流石にそこまでは痛くないから」

 

 女子に荷物を持たせる男子とか、周囲からの視線が辛すぎて逆に心が痛くなる。

 しかしながら俺の知らない間にそんな連絡が行われていたとは、黒谷南中のバスケ部ネットワークは相変わらず情報が早い様子。心なしか歩くペースもこちらに合わせてくれている阿久津へ、ふと疑問に感じたことを尋ねてみた。

 

「じゃあ、わざわざ俺が家を出るまですっと待ってたのか?」

「時間にして十分ちょっとだね」

「それならそうと、昨日の時点でメールなりしてくれれば良かっただろ?」

「キミが「大丈夫だ、問題ない」と意地を張ってボクの提案を断るのは目に見えていたし、どうせ待つことに変わりないなら連絡する必要もないと思ってね」

「俺が集合時間に遅れる前提みたいな言い方だなおい」

「そんなことはないさ。もしもキミが五分前行動をするなら、ボクは十分前行動をしているという意味だよ」

「じゃあ俺が十分前行動をしたらどうなるんだ?」

「十五分前行動だね」

「何でそうなるんだよっ?」

「人を待たせるのは、借りを作るみたいで嫌じゃないか」

「そうか? 別に借りでも何でもないと思うし、仮にそうだとしたら尚更時間を合わせた方がいい気がするけどな。阿久津が待たせた相手は、借りだらけになる訳だろ?」

「ボクが待つ分には気にする必要はないよ。やりたいようにやっているだけだからね。今日だって単にキミが家を出たら、偶然にもタイミングよくバッタリ出会ったと考えれば済む話じゃないか」

「それなら第一声が明らかにおかしいだろ。思いっきり「何分待たせる気だい?」って言ってたからなお前。偶然とか一言も言ってなかったからな?」

「櫻には随分と貸しが溜まっているからね。ちょっとした催促代わりだよ」

「うっ! 足がっ! 足がぁああああっ!」

 

 コイツに対する借りとなると、既に利子すら返済できないくらい山ほどある気がする。

 二ヶ月前にあった俺の誕生日にも、以前にプレゼントしたシュシュのお返しとして、時折部室で自転車の鍵が無いと慌てる姿を見兼ねてかキーケースを貰ったばかり。少しくらい借りを返す機会をくれてもいいんだが、阿久津が俺を頼るとか絶対にないよな。

 

「実際のところ足はどんな状態なんだい?」

「ああ。とりあえず腫瘍は切除して、来週に抜糸するってさ」

「それで完治なのかい?」

「いや、暫くの間は月一くらいで通院する形だ」

「傷が完全に塞がるまで様子を見る感じかな? 思っていた以上に大変みたいだね」

「まあ、何とかなるだろ」

「初めての手術はどうだったんだい?」

「手術って言っても十分くらいで終わってさ。手術台とかに乗せられることもなかったし、麻酔も足だけで思ってた以上に呆気なくて――――」

 

 こうして話していると、気が紛れて痛みも少し和らぐ。

 ここ数日元気がないように見えた阿久津も、今日は普段と変わらない様子だった。

 

「まあ、あまり無理はしないでもらいたいね」

「そっちこそ大丈夫なのか? 部室に来る日は減ってるし、何か最近ボーっとしてるように見えるけどさ」

「そうかい? 少なくとも授業中はしっかり集中しているから問題ないよ」

 

 阿久津とは昨年数Bが一緒だったが、今年も数学探求という授業が同じクラス。確かに授業の時には普段通りだが、どこか寂しげなのが少し気になる。

 

「やっぱり予備校が忙しいのか?」

「部活を休んでいたのは予備校じゃなくて、サテラーに行っていたからだね」

「あれ、お前も申し込んだのか」

「その言い方だと、キミもやっているのかい?」

「ああ。まだ一回しか行ってないけどな」

 

 サテラーというのは、衛星通信方式の講義名。予備校で行われている授業の録画版を見ながら勉強するようなもので、自分の好きな時にいつでも行くことができる。

 屋代ではFハウスの三階にサテラ―用の自習室が用意されており、そこにはヘッドホンを付けて支給されたテキストを開き、画面の中の講師の説明を聞いている生徒が沢山いた。

 一回の授業は一時間半。勿論録画なので途中で止めることもできるし、聞き逃した話は巻き戻して繰り返し確認することもできる。

 

「その調子だと、いつぞやの通信制ゼミみたいに溜まりそうだね」

「うぐ……ちゃんと行くっての」

 

 車の免許を取る際のシステムもこんな感じらしく、姉貴は面倒臭くて教習所に中々行かなかったという話を前にしていたが、こういうところは血の繋がりを感じずにいられない。

 七限まである日は一回分で下校時刻になるが、六限までの日ならギリギリ二回分見ることも可能。ただ問題なのは、前回一時間半やっただけでクタクタに疲れたんだよな。

 

「じゃあ予備校はいつ行ってるんだ?」

「曜日にもよるけれど、サテラーに寄った後だよ」

「マジか…………凄いなお前」

「これからは毎月のように模試があるからね。ボクだって本当は毎日のように陶芸部へ顔を出したいけれど、あえて我慢して毎週の月曜日だけにしているんだよ」

「そんな勉強ばっかりで、辛くないのか?」

「…………そうだね。できることなら、いつまでも部室でのんびり楽しんでいたい気分かな。それでも、何事にも終わりは来るものだからね…………」

 

 そう呟いた阿久津を前にして、俺は思わず自分の目を疑う。

 その姿は普段では考えられないほど弱々しく、まるで消えてしまいそうなほど儚く見えた。

 

「まあ週に一度は楽しみがある訳だし、ゴールデンウィークの歓迎会や夏の合宿を控えているだけ今はまだ幸せな方だよ。そういうキミこそ大丈夫なのかい?」

 

 しかしながらそんな風に見えたのは一瞬だけであり、幼馴染の少女は普段と変わらないケロっとした様子で俺に質問を投げかけてくる。

 

「高校受験の時と違って、大学受験はそう簡単にはいかないよ。仮にキミが月見野を本気で目指すつもりなら、今の自分の状況を改めて見直すべきだね」

「わかってるつもりではいるんだけどな」

 

 どうやら人の心配をする前に、自分の心配をしておくべきだったようだ。

 いつまでも居心地の良い陶芸部に入り浸ってはいられない。阿久津と一緒に登校しながら話を聞いていた俺は、自分が受験生であることを自覚し始めるのだった。



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十六日目(火) 三人での登校は二度目だった件

 午後に雷雨が予報されているとは思えないほど晴天の中、昨日に続き今日も電車での登校。相変わらず約束をした覚えは一切ないものの、幼馴染の性格を把握しているからこそ俺は昨日より十分早く家を出る。

 実は一緒に登校なんてサービスタイムは昨日だけであり、今日は既に一人で出発済み。置いてきぼりにされていることにも気付かず阿久津を待ち続けるなんてことになったら、とんだピエロだな……なんて可能性を考える必要は一切なかったようだ。

 

「よう」

「やあ。おはよう」

「今日は何分待ったんだ?」

「大体五分くらいかな」

「これを繰り返していったら、そのうち始発に乗る羽目になりそうだな」

「差は縮まっているんだからそれはないさ。どちらかと言えばアキレスと亀だね」

「アキレスと亀?」

「仮に明日キミが五分早く家を出たとしても、ボクは更に二分半キミより早く家を出て待っている。櫻がボクより先に家を出ることは、いつになってもあり得ない……といった感じの話だよ」

「いやそれはおかしいだろ。五分早く出たら二分半の差がつくとしても、十分早く家を出て五分の差が縮まったんだから、もう十分早く出れば追いつける計算じゃないのか?」

「その通りだよ。これは単なる詭弁、パラドックスさ」

 

 幼馴染と一緒に登校という、言葉だけ聞いたら羨ましがられるかもしれないシチュエーションだが、その会話内容が少々おかしい気がするのは俺だけだろうか。

 昨日も後半は予備校関係の話ばかりだったが、反応を見ていた限りでは誰かが阿久津にアプローチを掛けているとか、その逆の可能性は今のところないらしい。

 個人的には「ボクは予備校へ友達作りじゃなく、勉強しに行っているんだよ」というバッサリ一刀両断する発言が、実に阿久津らしくてホッとしたくらいだ。

 

「そういえば…………?」

「どうしたんだ?」

「いや、あそこにいるのは蕾君じゃないのかい?」

「え?」

 

 駅が見えてくるなり、不意にそんなことを言われる。

 駅前にいた屋代の制服を着ている女子生徒をよく見ると確かに夢野であり、携帯を眺めている少女は階段を上る気配もなく誰かを待っているようだった。

 

「キミが心配で電車に変えたのかもしれないね」

「まさか。昨日はいなかったし、流石にそれはないだろ」

「キミが電車で登校することを、望君経由で昨日知ったんじゃないのかい?」

「いや、夢野には日曜にメールで話してたからさ」

「ふむ。そうなると確かに妙だね」

 

 やがて俺達が近づくと、前髪を桜のヘアピンで留めたショートポニーテールの少女がこちらに気付き手を振ってくる。久し振りに見る、天使のように眩しい笑顔だ。

 

「米倉君。水無ちゃん。おはよう」

「おはよう蕾君」

「おっす。どうしたんだ?」

「今朝になって自転車がパンクしちゃって」

「それはまた不幸だったね」

「うん。少しでも空気が入ってくれるなら何とかなるんだけど、空気を入れてもすぐに抜けちゃう状態だったから、流石に無理かなーって思って電車にしたの」

「あー、それはパンクじゃなくて、虫ゴムが原因かもな」

「虫ゴム?」

「自転車の空気入れる場所にある部品だよ。黒いキャップを外した、あの根元の部分のやつ。前に俺もなったんだけど、あそこが劣化してたりすると空気がすぐ抜けてさ」

「へー。そうなんだ」

 

 パンク修理よりも値段が安く済んだため、割と印象に残っていたりする。ちなみに虫ゴムという名前の由来は、虫のように小さいパーツだから……だったかな。

 

「それで米倉君が今週は電車で行くって言ってたし、間に合うかと思ってメールを送ったんだけど、返事が来なかったからまだ乗ってないのかなーって思って」

「マジかっ? マジだっ! スマンっ!」

「ううん。大丈夫。私もついさっき着いたばっかりだから」

 

 慌てて携帯を確認すると、確かにメールを一件受信している。どうやら家を出た直後に届いていたようだが、全くもって振動に気付かなかった。

 

「二人は待ち合わせしてたの?」

「待ち合わせと言うよりは、待ち伏せと言うべきかな」

「ちょっと待て。お前は怪我人である俺に攻撃でもするつもりだったのか?」

「まあ、場合によっては」

「どんな場合だよっ?」

「ふふ。やっぱり水無ちゃんも米倉君が心配だったんだ」

「昔から櫻が口にする大丈夫は、今一つ不安だからね」

 

 夢野と同じようなことを言われて思わず苦笑い。心当たりがないと言いたいところだが、仮にそんなことを口にしたらコイツは閻魔の如く俺の罪を挙げ連ねてくるだろう。

 女子二人に挟まれながら階段を上ると、改札を抜けて電車が来るのを待つ。

 

「陶芸部、新入部員はどう?」

「望ちゃん以外はからっきしだ。音楽部はどれくらい入ったんだ?」

「うーん、大体去年と同じで、二十人くらいかな?」

「流石だな」

 

 この時期は昼休みになると、宣伝としてハウスホールでパフォーマンスする部活も多い。文化祭で聞いた電子オルガン部によるエレクトーン演奏もその中の一つで、今回も相変わらず豪快かつインパクトのある演奏だった。

 他にも屋代を代表する吹奏楽部の演奏は勿論、応援部が声を張り上げたり空手部が板を割ったりしていたが、音楽部が歌を披露している姿は見ていない。

 しかしながら宣伝していないという訳でもなく、思い出したように阿久津が口を開く。

 

「そういえばこの前、中庭でパフォーマンスをやっていたね」

「うん。新入生と一緒に歌うミニコンサートとかもやったりしてるんだけど、今年はそれに加えてゴールデンウィーク明けにやるミュージカルの練習もあって大変」

「ミュージカルまでやるのかい?」

「うん。中庭で歌ってた曲がミュージカルの曲だよ」

 

 俺も音楽部=合唱コンクール的な感じで歌うだけのイメージだったため、美少女と猛獣のミュージカルをやるとメールで聞かされた時には正直ビックリした。

 まあ吹奏楽部だって演奏するだけじゃなく踊ったりするマーチングがある訳だし、そう考えれば別におかしいことではないのかもしれない。まあどっちかって言うと、何となく演劇部っぽい気もするけどな。

 

「そういえば陶芸部の歓迎パーティー、明後日になったんだよね?」

「ああ。言い忘れてたけど、情報が早いな」

「キミ以外のメンバーには全員、グループでメッセージが送られているからね。櫻にだけ毎回メールを送るのが面倒だと、前に天海君がぼやいていたよ」

「三年生になったんだし、この機会に米倉君もスマホにしてみたら? 今ならゴールデンウィークで安く買えるかもしれないよ?」

「今の携帯にしてまだ一年半くらいだし、壊れるか卒業したら考えるんだけどな」

「ふむ。そうなると夏休みの可能性が高そうだね」

「もう二度と釉薬には落とさないっての」

 

 月曜日だった昨日は阿久津も部活に顔を出しており、夢野以外のメンバー全員が集合。その際に二日に行う予定だった歓迎会を、急遽明後日の放課後へと変更した。

 理由は連休の関係上、俺が抜糸を行える都合の良い日がそこしかなかったため。幸いにも他メンバーはすんなり受け入れ、それどころか心配してくれたくらいだ。

 

「具体的に何をやるかって、もう決まったの?」

「ボクは何も聞いていないけれど、どうなんだい?」

「俺も具体的には知らん。当初の予定としては休日だったらたこ焼きパーティーにするつもりだったらしいけど、平日になったから中止にしたってのは聞いたな」

「ふむ。それだけを聞けば普通だけれど、何と言っても今回は主催が鉄君だからね。企画してもらう身で悪いとは思うけれど、正直に言って不安ではあるよ」

「そうなの? 私は楽しみだけど」

「いやいやいや、火水木が『ネ○リーグ』とか『マジカルバ○ナ』とかやるのに対して、アイツは『笑ってはいけない陶○部』とかやりかねないレベルだぞ?」

「まあ今後のことを考えて、ブレーキ役を星華君に頼んでおくよ。ボク達が引退した後で望君が苦労するようなことになったら大変だからね」

「そうだな。頼んだ」

「うーん。ミズキの企画もクロガネ君の企画も、私は大して変わらないと思うよ? 去年のクリスマスにやった闇鍋のこと、二人とも忘れてない?」

「あー」

「…………そう言われると、確かに否定できないね」

「でしょ?」

 

 俺達は思わず苦笑いを浮かべながら、ホームにやってきた電車へ乗る。

 その後も他愛ない雑談が続いたが、以前に三人で登校した時は阿久津と夢野の会話に入ることもなく置き去り状態だったものの、今日は妙に二人から話を振られるのだった。

 …………今思えば、これは予兆だったのかもしれない。

 俺の未来を大きく変える運命の日がすぐそこまで迫っていたことに、この時はまだ気付きもしなかった。



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十六日目(火) 蕾と雷と下校だった件

 今日からは阿久津を見習いサテラーに行こう……そう思っていた。

 しかしながら世の中というのは、何かしら決意をした時に限って不思議と誘惑なり邪魔が舞い込んでくるものである。

 例えるならダイエットを始めようとした矢先に普段食べられないような豪華なものを食べるチャンスが舞い込んできたり、勉強を始めようとした矢先に母親が部屋へ入ってきて「アンタいつ勉強するの」と叱られることで今やろうと思ってたやる気が削がれたりといった形だ。

 

『――――もし良かったら、一緒に帰らない?』

 

 そんな謎の法則に従うかの如く、昼休みに俺の携帯へ届いたのは夢野からのお誘いメール。詳しく話を聞いてみれば、今日は自転車を直すために音楽部を休むとのことらしい。

 今までは一緒に帰ることが結構あったものの、三年生になってからは未だに0。それに加えて今日は普段の自転車での下校と違い、滅多に機会のない電車での下校となれば、俺の返事は必然的に決まっており即答でOKと返した。

 昨日は昨日で阿久津が陶芸部に顔を出す日だったため、結局俺も普段通り部室へ行ってしまったという体たらく。明日から頑張ると言いたいところだが、明後日になると今度は新入部員歓迎会のパーティーがあるため、水曜だけ行くのも中途半端でどうかという話。サテラーに行くのはゴールデンウィークが明けてからになりそうだ。

 

(明日から本気出すというニート発言にしか聞こえないね)

 

 脳内に住みついているプチ阿久津が苦言を呈して呆れているが、決してそんなことはない。サテラー以外の勉強は、連休中にしっかりやるつもりだ。

 まだまだ自分に甘い俺は、そんな言い訳ばかり心の中に言い聞かせる。

 

「お待たせ」

「おう」

 

 放課後を迎えるなり昇降口を出ると校門に向かい、今にも雨が降って来そうな曇り空の下で待つこと数分。駅へ歩いていく他の生徒達を眺めていると、ショートポニーテールの尻尾を揺らしつつ夢野がやってきた。

 今朝振りに再会した少女と共に並んで歩くが、いざ一緒に帰るとなると徐々にテンションが上がってくる。いやいや、だからって調子に乗ったらいかん。

 

「米倉君、何か良いことあった?」

「ん? どうしてだ?」

「何だか凄く嬉しそうだから」

 

 前にも似たようなことを聞かれたような気がする。確かあれは雪が残ってた日……うっかり俺の即興ラーメンソングを夢野に聞かれてしまった時だっただろうか。

 その時のやり取りを思い出し、思わず笑みを浮かべつつ少女の質問に答えた。

 

「まあ、そうかもしれないな。こうして夢野と一緒に下校してる訳だし」

「ふふ。そんな風に褒めても、何も出てこないよ?」

 

 夢野もまたあの日のことを思い出したのか、可愛い笑顔を見せる。冗談めかしつつ言ったのでお世辞に受け取られたかもしれないが、俺の言葉は決して嘘ではない。

 整った顔立ちに優しい性格。

 緩やかな曲線を描いている胸に、スカートの下から覗かせている綺麗な脚。

 見ているだけで元気になる眩しい微笑み。

 

「……………………」

 

 ――――そして、艶やかな唇。

 修学旅行の最終日、頬にキスをされたことは夢じゃない。

 最近になってようやく直視できるようなってきた……と思っていたが、あの柔らかい感触を思い出してしまうと未だに顔が熱くなり、不気味なニヤけ顔になってしまう。

 何てったってKISSである。

 言い換えれば接吻。

 フランス語ならベーゼ。

 頬や額、手の甲といった部位への場合はライトキスとも呼ばれるらしいが、ほっぺにチューしてもらった高校生とか全国の1%にも満たないんじゃないか?

 考えれば考えるほどにウキウキして足が速くなりそうだったが、今は隣を歩く少女にペースを合わせる。一人だったら間違いなく全力疾走してたなこれ。

 

「雨、今にも「降りますよーっ!」って感じの空だね」

「ああ。天気予報でも午後は降るって言ってたしな」

「今日は電車にしておいて正解だったかも…………きゃっ?」

 

 唐突に空がピカッと強く光る。

 間隔を空けてゴロゴロと雷鳴が轟く中、夢野は両手で耳を抑え身を強張らせていた。

 

「ひょっとして、雷が苦手なのか?」

「うん。あんまり……建物の中とかにいれば、まだ平気なんだけど……」

「そういうことなら、止むまでどこかに寄ってくか?」

「ううん。今のはいきなりでちょっと驚いただけだし、そこまで駄目って訳じゃないから大丈夫。心配してくれてありがとうね」

 

 梅雨入り前や梅雨明け辺りになると授業中に雷が鳴る時があるものの、怖がっているのはせいぜいクラスに一人か二人くらい。見ている分には守ってあげたい気持ちになる可愛い反応だが、女子校生ともなれば割と珍しかったりもする。

 合宿で肝試しをした時にはお化け屋敷は大丈夫でも心霊スポット系は駄目と言っていたし、恐らくは自然的な物が苦手ということなんだろう。最初の一回目ほどではないものの、その後も空が光って雷が鳴る度に夢野はビクッとしていた。

 

「俺も子供の頃は傘を差してたら自分に落ちてくると思ってたから、雷は苦手だったよ」

「今は怖くないの?」

「まあな」

 

 寧ろ個人的には雷が鳴った後の、この今にも夕立が来そうな瞬間が大好きだったりする。雲が薄い時とかは空が紫色になり、滅多に見られない世界の終焉みたいな雰囲気っぽくなるため厨二心をくすぐられるんだが……夢野にはわかってもらえなさそうだ。

 まあ稲光を見るのも、世界の終焉を楽しむのも、異常なくらい激しい雨にワクワクするのも、理想を言えば建物の中がベスト。自分が雨に打たれるのは勘弁願いたい。

 

「グラウンドみたいに周囲に高い物がない場所ならならともかく、この辺りなら俺達より先に木とか家に落ちるだろうからさ。木の下とか軒先で雨宿りしてたら感電しやすいから危ないけど、近づいてさえいなければ問題ない筈だぞ」

「本当に?」

「そんなに心配なら、とっておきの奥義を教えておくか?」

「奥義?」

「雷しゃがみって言って、海外の雷が多い地域とかだと必須らしいんだけどさ。踵を合わせながらつま先立ちでしゃがむんだよ。そうすると上半身に電気が流れないで右足から左足に電気が逃げるし、流れる量も少なくて済むんだと」

「踵を合わせながら、つま先立ちで…………こんな感じ?」

 

 大通りより一本裏道を歩いていたため、夢野は周囲に人目がないことを確認してから頭を抱えつつその場にしゃがみこむ。

 本人は至って真面目な様子だが、どこぞのゲームのカリスマガードを彷彿とさせる感じで、見ていてほっこりしてしまったのは内緒だ。

 

「そうそう。それが奥義、雷しゃがみだ。この構えさえあれば雷さえも防げるぞ!」

「へー。でもこれ、光った瞬間にやっても間に合うの?」

「…………」

「………………」

「……………………光速を超えれば防げるぞ!」

「えーっ?」

 

 言われるまで全く気が付かなかった衝撃の事実。それこそ格ゲーじゃあるまいし、雷が光るのを見てからガード余裕でしたとか絶対無理に決まってる。

 光速ダッシュならぬ光速ガードという梅みたいなことを言っていると、雷に対する恐怖心が和らいだ様子の夢野は立ちあがるなり首を傾げつつ尋ねてくる。

 

「ちなみに、誰から教えて貰ったの?」

「教えて貰った訳じゃなくて、小さい頃に見たテレビでやってたんだよ。もしかしたらやるタイミングとか説明してたのかもしれないけど、流石にそこまでは覚えてないな」

 

 我が家の場合は兄妹がアレなので、この手の知識が紹介された場合は実際にやってみることが多々あった。例えるなら『テレビの前の皆さんは今すぐ○○を用意してください』とか言われる場合は、しっかり準備をしていたくらいである。

 クイズ番組は参戦でもしているかの如くテレビの前で解答しながら見ていたとか、この辺りは兄妹あるあるかもしれない。答えが分かる場合はペラペラ喋る癖に、知らない問題が出た途端に静かになるんだよな。

 

「へー。今度、幼稚園の子にも教えてあげよっかな」

 

 仮に梅の奴を相手にこの手の知識を話したら「そういうお兄ちゃんトリビアとかいいから」なんて一蹴されるところだが、夢野は素直に感心してくれている。こういう反応だと、教えたこちらとしても嬉しい限りだ。

 

「幼稚園児の場合、教えたら教えたで何か別の形に派生しそうな気がするけどな」

「うーん。誰が一番、雷しゃがみの姿勢を維持していられるか……とか?」

「そうそう! そういう感じのやつ!」

「ふふ。確かにそうかも。子供って何でもゲームにしちゃうんだよね」

 

 元旦のハル君の一件が脳裏に浮かび上がり、思わず苦笑いを浮かべる。あんな子達を相手にしていると考えると、保育士って本当に大変だな。

 

「あー、何かそんな感じの遊びってなかったっけ? 何が落ちたって聞くやつ」

「うん。あるよ。落ーちた落ちた♪」

「何が落ちた?」

「リンゴ!」

「むむ……閃いたぞっ! これを万有引力と名付けようっ!」

 

 握り拳を掌にポンと当てるポーズをして、ニュートンっぽい物真似を披露すると夢野がクスッと笑う。アキト辺りのツボに入りそうなネタだし、今度昼休みにやってみるか。

 

「確かリンゴはこう、支えるんだよな。他にどういうバリエーションがあったっけ?」

「よくあるのはげんこつが落ちたら頭を抑えて、雷が落ちたらおへそを抑えるくらいかな。年長さんとかになると雨とか、桜の花びらとか追加するときもあるけどね」

「ん? 雨は傘を差すんだろうけど、桜の花びらってどうするんだ?」

「こう、バチンってやってキャッチす――――」

 

 ――――ゴロゴロゴロゴロ――――

 

「…………るの……」

「間違ってるぞ夢野。雷が落ちた時に抑えるのは耳じゃなくてへそだろ?」

「もう。そういうこと言って、米倉君にげんこつが落ちても知らないからね?」

「そうそう。その意気だ。知ってるか? 夢野が笑ってれば雷も落ちないんだぞ?」

「どうして?」

「蕾って漢字から草を取ったら、雷になるからな。草を生やすくらいに笑えば大丈夫だ」

「え? …………本当だっ! 米倉君、凄いっ!」

「更にもう一つ! 夢野の元気がないと雨も降るんだぞ」

「元気がないと……? うーん。ちょっとわからないかも。どういう意味なの?」

「蕾って漢字から苗って漢字を取ると、雨が残るだろ? 蕾が萎えとると雨が降るってな」

「凄い凄い! 米倉君、よくそういうの思いつくね!」

「まあ伊達に万有引力の研究をしてな…………ん?」

 

 徐々に近くなっているのか雷鳴の頻度が増していく中、個人的には雷よりも雨の方が気になるところ…………と思った傍から、額に何か冷たい物が当たった気がする。

 どうやら気のせいではなかったらしく、数秒もするとポツポツと大粒の雨が降り出してきた。

 

「降ってきちゃったね」

「だな。夢野は傘持ってるのか?」

「うん。大丈夫」

 

 夕立の雨はあっという間に激しくなるため、慌てて鞄から折り畳み傘を取り出す。隣を歩く少女に尋ねてみると、彼女も折り畳み傘をしっかりと持ってきていた。

 俺は普段から傘を鞄に入れっぱなしで常備しているため、今日みたいに朝の時点で雨を感じさせない天気だったなら相合傘ができるかもしれないなんて思ってもいたが…………ちょっと待て。俺が忘れた振りでもすればワンチャンあったのか?

 

「米倉君。手術した足、濡れたりしても大丈夫なの?」

「ん? あー、まあ風呂は駄目でもシャワーは許可が出てるし、多分問題ないだろ」

「うーん。やっぱりどこかで雨宿りして行こっか」

「いやいや、駅までちょっとだし大丈夫だって」

「本当にー?」

 

 この手の雨は一気に激しくなる代わりに少ししたらすぐ落ち着くだろうが、夢野が部活を休んだのは自転車の修理のため。のんびり雨宿りした結果サイクルショップが閉まっていた……なんてことになったら、流石に申し訳なさすぎる。

 傘を差していても足は濡れやすく、まだ手術後二日目であることを考えれば正直あまり良くはないのかもしれない。それでも昨日や一昨日に比べたら痛みは大分マシになっているし、これくらいどうってことないだろう。

 

「そういう夢野こそ、本当は雷が怖くて雨宿りしたいんじゃないのか?」

「そんなことな――――」

 

 少女が否定しかけた直後、雷様が空気を読んだのか一段と強く空が光り輝く。

 そして今までとは異なり、どこかに落ちたと思わせるような一段と激しい雷鳴が轟いた。

 

「おー、今のはでかかったな」

「…………」

「おーい、夢野ー? 大丈夫かー?」

「…………だいじょうぶ……」

「本当に~?」

「…………米倉君の意地悪……」

 

 雨も激しくなってきたが、駅が近づいてくると歩くのは高架下。降り出したタイミングが遅かったこともあり、俺達は大して濡れることもないまま電車に乗ることができた。

 窓ガラスへ勢いよく打ち付けてくる雨粒や、時折ピカッと輝く雷雲を眺めていると、俺の隣で一緒になって外を見ていた夢野が小さな声で囁いてくる。

 

「もうすぐゴールデンウィークだけど、米倉君の予定は?」

「予定か……陶芸部の歓迎会も明後日になったし、これといってないな。夢野は?」

「私も音楽部の練習くらいかな。本当は米倉君と行きたい場所があったんだけどね」

「ん? どこだ?」

「藤まつりって知ってる?」

「いや、知らないな。この時期にお祭りなんてあるのか?」

「うん。ちょっと待ってね…………ほら、これ」

 

 見せられたスマホの画面に映っていたのは、藤まつりと大きく書かれた広告。そしてそこには紫色をした綺麗な藤の花が咲き誇っている写真が載っていた。

 内容は踊りに和太鼓に吹奏楽といったパレードに加えて、出店なども並び賑わっている様子が窺える。それこそ夏のお祭りと何ら変わりない盛り上がりっぷりだ、

 

「へー。こんなのがあったんだな。よし、行こう!」

「駄目です。怪我人は安静にしましょう」

「いやいや、最終日の頃なら足も大分良くなってると思うぞ?」

「それでも駄目。お祭りは夏まで我慢です」

 

 こういう時の夢野は絶対に引かないというのが、最近になって少しわかってきた。

 少し残念ではあるものの、今回は大人しく諦めることにしよう。それに藤まつりよりも夏祭りの方が気温が上がってる分、浴衣姿を拝める確率も上がるかもしれない。

 

「わかったよ。まあ、ゴールデンウィークが明けたらテスト二週間前だしな」

「そうそう。ちゃんと勉強しないと…………今回もお世話になります」

「お世話してるのは主に阿久津とか火水木だけどな」

「そんなことないよ。米倉君の説明だって、凄く分かりやすいから」

「そうか?」

「うん。私のレベルに合わせてくれてるっていうのかな? ちゃんとわからない人の気持ちになって教えてくれる感じがして、一番分かりやすいよ」

「それは単にあの二人に比べた場合、俺のレベルが低いだけだと思うぞ?」

「そんなことないってば…………あっ!」

「どうした?」

「いいこと思いついちゃった。米倉君、ゴールデンウィークの予定は空いてるんだよね?」

「ああ。まあ大体は空いてるけど……」

 

 俺の答えを聞くなり、夢野は無邪気な笑みを浮かべる。

 藤まつりを諦めた少女の口から発せられたのは、予想だにしない唐突な提案だった。

 

「一日の日曜日、米倉君の家にお邪魔してもいい? 一緒に勉強会しない?」



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十七日目(水) リア充勉強しろだった件

「――――ということがあったんだが」

「とりあえずこれだけは言っておきたいお。リア充乙」

「流石に否定はできないな」

 

 夢野とまさかの家デートもとい勉強会をすることが決まった翌日の放課後。普段なら駐輪場で話すところだが、今週は俺が電車通学だったため駅に向かいつつアキトに事情を伝える。

 

「とりあえず課題をやるにしても、そんなに長い時間はもたないだろ? こういうときってどういうことをするのか、愛の伝道師に是非ご教授を願いたいんだが」

「拙者が愛の伝道師とか、クソワロリーヌもいいところですな。電動歯ブラシの間違いでは?」

「逆にお前と電動歯ブラシの共通点ってなんだよ?」

「…………」

「ノリで言っただけかーい!」

 

 仮に勉強会の相手が阿久津だったら、それこそ文字通り耐久レースの如く何時間も勉強だけやらされること間違いなし。しかしながら夢野が相手となれば、勉強以外にも何かしら息抜きをする時間があるだろう。

 アキトみたいな男友達なら時間潰しの方法も色々あるが、異性と二人きりとなるとこれが難しい。普段からしている雑談は流石にネタ切れになりそうだし……本当、何すりゃいいんだ?

 

「思いついたお。拙者も電動歯ブラシも、どちらも取り扱いが難しいでござる」

「少なくともお前はそんな気難しい奴じゃないだろ。いまいちだな。2点」

「では、どちらも子供には刺激が強いでござる」

「割と合ってるかもな。7点……って、自分から聞いておいてあれだけどそうじゃなくて、何かしらアイデアを分けてくれ」

「アイデア以前に、家に呼ぶとなると心に固く誓って気を付けておくべきことがあるお」

「ん? 何だよ?」

「前にも言ったことがありますが、焦りは禁物ということでござる。単刀直入に言うなら、欲情厳禁ですな。これは米倉氏の童貞卒業を嫉妬して防ごうとしてるとかではなく、割と真面目な話だお」

「!」

「自分の部屋となると住み慣れた閉鎖空間ですしおすし、拙者達みたいな思春期真っ盛りの男子高校生ともなればその手の行動をしてしまう可能性が高くなるお。実際は単なる独りよがりで、大抵の場合は相手を傷つけるだけでござる」

 

 文化祭で夢野に魅了されて、危うく暴走しかけた話はアキトにはしていない。

 それにも拘らず心の中を見透かされたような注意を受けて、俺は思わず息を呑んだ。

 

「ましてやリリスは恋人でもないので尚更ですな。まあ小心者の米倉氏なら問題ないかと思われますが、以前に大丈夫だと思ってた店長が盛大にやらかしたのを聞いているので一応でござる。二度とあの悲劇を繰り返してはいけないお」

「その…………聞いていいのか分からんが、何があったんだ……?」

「三年生のー店長さん。おっぱい揉んでーパンツ見て。ビンタされ、罵られ、破局した」

「言い方ぁっ!」

「フヒヒ、サーセン」

 

 今となっては笑い話で済むエピソードなのか、アキトはどこかで聞いたことのある童謡の替え歌風にして説明する。前科一犯……いや、阿久津の件も合わせたら同じような失敗をしてる俺も、充分肝に銘じておかないとな。

 

「とまあそれはさておき、時間潰しとなると定番は卒アルだお」

「ソツアル? ナニイッテルカ、ワカリーマセーン」

「確かアメリカの場合はイヤーブックですな。卒アルと違って在校生も含めた、一年間の記録が毎年作られるでござる」

「マジかよ。毎年って、黒歴史が何倍にもなるじゃねーか」

「そうでもないかと。お固い日本と違って自由の国ですし、掲載されてる写真とか加工されまくりでもオーケーな感じだったと記憶してるお」

「逆に凄いなそれ。そんでもってよくそんなことまで知ってるな」

「前に写真の下に載っている面白メッセージのまとめを見て爆笑した希ガス。ちょいまち」

 

 信号で立ち止まるなり、素早くスマホを操作するアキト。お目当てのまとめサイトはすぐに見つかったらしく、俺は見せられた画面を覗き込んだ。

 

『ある日朝起きて、自分がチキン・ナゲットだったらどうする?』

『風呂に入る時、時々電気を消して子宮の中にいるフリをするんだ』

『私が笑ってるからあんたも笑ってるけど、私が笑ってるのは屁をこいたからだよ』

 

「ぶふっ!」

「日本もこれくらいのユーモアがあってほしいでござる」

「確かに。卒アルに載せる作文とか、基本的に堅っ苦しいもんな」

 

 ただしその作文で五・七・五・七・七の短歌を書いた奴が一人だけいるとか何とか。我ながらユーモアに満ち溢れていた自分の才能が恐ろし過ぎるぜ。

 

「何とかして卒アルは回避する方向で頼む」

「他の案としては、DVDを借りてきて一緒に見るなんてのも定番かと思われ」

「DVDは色々と厳しいな。お前の部屋にはパソコンがあるからいいけど、俺の部屋にはテレビもパソコンもないからさ」

「ノーパはないので?」

「家にあるのはデスクトップのパソコン一台だけ。それもリビングだ」

 

 自分の部屋にテレビがある奴とか、正直言って羨ましい。俺の部屋なんて未だにクーラーすらなかったりする……梅の部屋は元々姉貴の部屋だから付いてるんだよな。

 それこそ我が家の両親が夫婦で仲良く旅行にでも行ってくれればリビングを占拠できる訳だが、そんな都合のいい話がないのだから困っている。

 

「後は一緒にゲームというのも……いや、米倉氏の場合は一方的にボコボコにしてしまうので却下ですな。仮にやるとしても運要素が大きいものくらいだお」

「いやいや、別にそんなことないっての。ゲームは有りだと思うけど、他に何かないか?」

「スマホのアプリで遊ぶのも結構な時間潰しになるかと…………あっ」

「察したか? 悪かったな。どうせ俺はガラケーだよ」

「いやいや、リリスのを借りればワンチャンあるかと」

「ちなみにもしもお前だったら、具体的にどういうアプリを使うんだ?」

「写真アプリ一つでも遊びの要素は様々ですし、それこそゲームだってあるお。アプリに限らず動画を見ることもできますし、性格診断とかするのもありですな」

「成程。時間潰しにもってこいだよな本当」

 

 久々に電車登校をして感じたことは、本当に誰もがスマホを見てばかり。椅子一列に座ってる人の全員が見てるなんて当たり前の世界で、タブレットの人も結構多かった。それこそあの中でガラケーなんて取り出した日には、笑われるんじゃないかと思ったくらいだ。

 

「まあ本来なら男がリードするものではありますが、誘ってきたのがリリスということなら向こうも向こうで何かしら考えているかと思われ。というよりぶっちゃけそんな心配をしなくても、二人で喋るだけでも時間が過ぎてたなんてオチな気がするお」

「だと良いんだけどな」

「それにしてもこの男、家デートまで誘われるとは幸せ者である。拙者としては付き合ってないことが逆に不思議なくらいですな。やはり阿久津氏が気になるので?」

「気になるっていうか何ていうか……何なんだろうな。一昨日から今日までアイツと一緒に登校してるんだけど、やっぱ話してて落ち着くっていうか気が楽っていうか……」

「ちょいまち。それは初耳だお」

「ん? 言ってなかったか? 俺の足が不安だからって、朝になると待ってるんだよ」

「幼馴染が起こしに来るとか、それなんてエロゲ?」

「いや起こしには来てないっての」

「フヒヒ、サーセン」

 

 一時代を築いた定番のシチュエーションではあるが、よくよく考えてみれば単なる不法侵入でしかない。仮に親公認だとしても、どんだけ親同士が仲良しなんだよって話だ。

 

「いやしかしそれは家デートと同レベルに衝撃ですな。仮に米倉氏から誘っていたのであれば、思わずこの虫野郎と叫ぶところだったお」

「俺からアイツを誘うことは絶対にないっての。まあ向こうは単に心配してるだけだろうから、変に期待したら駄目なんだけどさ」

「しかしそれでも一緒に登校というのは、相当ハードルが高いかと。クール系美少女幼馴染と一緒に登校とか……どう見てもリア充です、本当にありがとうございました」

 

 確かに早乙女の奴と一緒に登校していないのか聞いたところ、以前は待ち合わせをしていた時もあったが、毎回の授業で英単語の小テストが行われるようになってからは電車の中でも勉強したいため断ったと言っていた。

 その時は納得して終わったが、それなら俺と登校してるのは小テスト勉強以上には重要であるということになる。まあ一緒といっても一週間程度だし、問題ないんだろうか。

 

「結局のところ、予備校はどうするか決まったので?」

「とりあえず保留したよ。姉貴は通わずに頑張ってたし、俺もできる限り頑張ってみようとは思うけどな。金銭面を考えても、妹はアホだから大学は私立だろうしさ。ゴールデンウィーク明けからはサテラーにも本格的に行って、マジで頑張ろうと思うわ」

「そうですな。リア充勉強しろ」

 

 高校受験は上手くいったが、大学受験はそう簡単にはいかない。

 あの時にもっと勉強しておけば……なんて後悔しないためにも、今のうちからしっかり頑張っていかないとな。



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十八日目(木) 王様ゲームが健全だった件

「レディース・アーンド・ジェントルメーン! こんな感じッスよね?」

「うんうん。いいじゃない」

 

 火水木の時と違って、ボリューム調節の必要もないテツの司会進行によって始まる歓迎会。こうして八名の部員全員が揃うのは、何だかんだで初めてだったりする。

 一応今日が部活動体験期間の最終日だったりするが、少し待ってみたものの新入生が来る気配はなし。まあ四月末となれば、大抵の生徒は既に部活を決めてしまっているだろう。

 結局今年の新入部員は望ちゃんだけということになり、早乙女の隣が定位置となりつつある少女は改めて全員に自己紹介。その後で伊東先生のポケットマネーで買ってきた飲み物やお菓子を摘んでいると、いよいよメインイベントの時がやってきた。

 

「オレがやりたかったことは、ズバリこれッス!」

 

 そう言うなりテツが意気揚々と俺達に見せてきたのは、封の開けられていない四膳の割り箸。どうやら先程コンビニへ買い物に行った際、ちゃっかり貰ってきたようだ。

 それを見ただけで何をしようとしているのか、火水木は完全に把握した様子。夢野と阿久津も何となく察したような雰囲気だが、冬雪や早乙女、望ちゃん辺りはこの手の知識に疎いらしく、未だに何をするかピンと来ていないように見える。

 

「……割り箸鉄砲?」

「違うッスよ! 王様ゲームッス!」

 

 王様ゲーム。

 それは高校生が仲間内で遊ぶゲームというよりは、大学生が合コンでやるイメージの強い、ちょっとムフフな体験ができるかもしれないゲームだ。

 似たような物としてツイスターゲームが挙げられるが、あちらは定価にして二千円前後掛かる道具の準備が必要な上に、異性と遊ぶとなると少々ハードルが高すぎるせいで最早都市伝説になりつつある。

 それに対してこの王様ゲームというのは、人数分の割り箸とペンさえあればできてしまうお手軽さ。そして命令次第では至って健全かつ男女共に欲を満たせるゲームであるが故に、リア充の間では頻繁に行われるとか、行われていないとか……。

 

「何て言うか、また際どいところを攻めてきたわね。まあ王様ゲームなら盛り上がるだろうし、アタシもこのメンバーでやってみたかったからいいわよ」

「おっしゃ! ミズキ先輩の許可ゲットしたッス!」

「その割り箸、こっそり細工とかしてあるんじゃないのか?」

「してないッスよ! そう言われると思ったから、この場で新品を開けたんじゃないっスか! しかも疑ってきたのがネック先輩とか、オレ地味にショックッスよ?」

「悪い悪い。軽い冗談だっての」

「一応言っておくけど、命令の内容は自重しなさいよね?」

「うッス! わかってるッス!」

「ミナちゃん先輩。王様ゲームって、何でぃすか?」

「げっ? まさかメッチ、知らねーのっ?」

「……私も知らない」

「ユッキー先輩なら知らなくても仕方ないッスね。じゃあルール説明するッス。王様ゲームっていうのは――――」

 

 早乙女が広いデコに皺を寄せてテツを睨みつける中、王様ゲームの許可が下りて舞い上がっている後輩は割りばしの袋を開けると、綺麗に半分に割っていく。

 そして油性ペンを用意するなり、ルールを説明しながら割り箸の持ち手側に1から7までの数字を記入。残った一本には王の一文字と、王様を意味する王冠マークを描いた。

 

「――――って感じッスけど、試しに練習で一回やってみます?」

「……(コクリ)」

 

 テツが番号を見えないようにして持った割り箸を、俺達はそれぞれ一本ずつ引く。

 これで王様を引き当てた人は、番号を指定した後で自由に命令をすることができるというのが王様ゲームのルール。当然ながら誰が何番を持っているかは本人以外に知る由もなく、例えどんな無理難題だろうと王様の命令は絶対である。

 

「じゃあいくッスよ? せーのっ!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「ボクだね」

「ツッキーの場合だと、何か本当に女王様って感じがするわね」

「ふふ。確かに、ちょっとわかるかも」

「ツッキー先輩、命令をどうぞ!」

「そうだね。とりあえず五番にスクワットを三十回してもらおうかな」

「…………」

 

 周囲の面々が自分の割り箸を見て、ホッとした表情を浮かべる。

 運悪く一発目に当たったのは、他でもない俺だった。

 

「阿久津水無月! きさま! 見ているなッ!」

「単にキミがのんびりと引いていたから、番号が目に入っただけさ」

「マジで見えてたのかよっ? 卑怯だろそれっ!」

「ツッキーにしては酷な命令だと思ったけど、そういうことだった訳ね」

「根暗先輩。さっさとスクワットしてください」

「いやいや待て待て。これは練習で、次が本番だろ?」

「駄目ッスよネック先輩。例え練習だろうと、王様の命令は絶対ッス!」

「そうだね。足が痛むようなら、腕立て伏せでも構わないよ」

 

 優しい気遣いに見せかけて、さらりとやる方向へ持っていく阿久津女王。仮に冬雪や望ちゃんに当たったら、練習だからと言って免除するつもりだったに違いない。

 ここで駄々をこねても男が廃るだけなので、俺は溜息を吐いた後で立ち上がる。

 

「いくぞ! 一、二、三――――」

 

 メンバーの視線が集まる中、両手を後頭部に当ててスクワットを開始。俺が筋トレする姿なんて見たところで一体何が面白いのか問いたい。小一時間問い詰めたい。

 

「――――十九、二十…………ふー」

「まだ十回残ってるのに、もうバテたんでぃすか?」

「やかましいっ! ちょっと休憩しただけだ! 二十一、二十二――――」

 

 その後も二十五回で一旦止まったものの、三十回のスクワットは無事に終了。阿久津女王様の命令をこなした俺は、息を切らしながら椅子に腰を下ろした。

 

「……ヨネ、お疲れ」

「米倉先輩、足は大丈夫ですか?」

「足の裏よりも……太股の方がしんどいな……」

「とまあ、基本の流れは大体こんな感じッス」

「いいでぃすね。面白そうでぃす」

「ユッキー先輩も、本番始めて大丈夫ッスか?」

「……(コクリ)」

「ルール追加だ。人の番号を盗み見るのは禁止だからな」

 

 最初の命令が俺の苦痛だったためか、先程までルールすら知らなかった早乙女が俄然乗り気になっている様子。王様ゲームの真の恐ろしさも知らずに愚かな奴だ。

 いつまで楽しい空気でいられるか若干不安になりつつも、俺達陶芸部メンバーによる健全な全年齢版王様ゲームは威勢の良い掛け声と共に始まりを告げた。

 

「せーのっ!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「あ、私でした」

「ノゾミちゃん女王様。どうぞご命令を!」

「どうしよう……えっと……じゃあ、三番の人が三回回ってワン! とかで」

 

 自分以外が全員年上ということもあってか、遠慮気味な望ちゃんの命令はスクワットに比べれば随分と平和的。しかしそんな簡単すぎる命令では大して盛り上がることないまま、あっという間に終わってしまうだろう。

 誰もが間違いなく、そう考えていたに違いない。

 …………三番の割り箸を持った阿久津が、ゆっくりと腰を上げるまでは。

 

「三番はボクだね」

『!?』

 

 立ち上がった少女を見て、全員の視線が釘付けになる。

 俺も思わず、ゴクリと息を呑んだ。

 

「一……二……三……ワン! これでいいかい?」

 

 阿久津が。

 あの阿久津水無月が。

 三回回って、ワンと鳴いた。

 もう一度言おう。

 あのクールで品行方正で物真似なんて絶対にしないであろう幼馴染が、スカートを翻しながら華麗に回転した後で、やや力の入った犬の真似をしたのである。

 

「ノノ!」

「は、はいっ?」

 

 いきなり望ちゃんのあだ名を呼んだ早乙女が、その手をガシッと握り締める。

 そして神でも崇めるかの如く、深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます! 最高でぃした!」

「へ? え、えっと……ど、どう致しまして?」

「ノゾミン、ナーイス!」

「いやー、いいもん見れたッスねー」

「…………ボクが三回回ってワンと鳴くのは、そんなに珍しいことなのかい?」

「ふふ。滅多に見られないと思うよ?」

「……(コクリ)」

 

 少なくともここにいるメンバーの中では、一番やらなそうだもんな。

 不思議そうに首を傾げる阿久津とは裏腹に、周囲は大盛り上がり。一部のメンバーが更なるやる気を出したところで、割り箸が回収されるなり第二回戦が行われた。

 

「いくッスよー? せーのっ!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「じゃーん! 私だよ♪」

 

 姉より優れた妹なぞ存在しねぇとばかりに、望ちゃんに続く形で今度は夢野が王様を引き当てる。自慢げに割り箸を見せてくる少女だが、その一挙手一投足が微笑ましい。

 

「それじゃあ命令はねー、一番が七番に懺悔!」

「お? 一番は俺だけど、七番は誰だ?」

「アタシよ」

「うーん、火水木に懺悔って言われても、これと言って思い浮かばないな」

「根暗先輩なら、とっておきのがあるじゃないでぃすか?」

「とっておき?」

「生まれてきてすいませんでぃした、でぃすよ」

「何でそこまで卑屈にならなくちゃいけないんだよっ?」

 

 相変わらず容赦のない早乙女だが、その言い方は以前と異なり冗談めかした雰囲気がある。どちらかと言うと本格的な悪意は、俺よりテツに向けられていることが多いくらいだ。

 ネタとしては有りかもしれないが、こうして先に言われてしまった以上はもう使えない。まあ仮に言ったとしても、阿久津辺りから「それだけかい?」と追撃が来そうだしな。

 王様の命令もそうだが、あまり長く考えすぎるとグダるし何かしら適当で謝っておくべきか……と、そんなことを思っていたところで冬雪がポツリと口を開いた。

 

「……ヨネの懺悔なら、あれがある」

「あれ?」

「……アイス」

「ふむ。そういえば、そんなこともあったね」

「あー、そうだな。火水木よ、俺はお前に謝らないといけないことがある」

「アイスって、何のことよ?」

「いやな、もう随分と前のことだし時効なんだけど、伊東先生が大福的なアイスを買ってきてくれたことがあってな。二個入りのが二つで、計四個あった訳だ」

「…………それで?」

「その日はお前が休んでて、部活に来てたのは俺と阿久津と冬雪の三人でさ。まあ当然ながら一個余る計算になるだろ? それで仕方ないから俺が……ぐえっ!」

「何で食べたのよっ? あれアタシの大好物なのよっ? そこに冷凍庫だってあるじゃない!」

「いや、初めて食ったんだけど、あまりにも美味しくてつい……」

「ボクと音穏は残しておくように言ったけれどね」

「ネーッークー?」

「ずびばぜんでじだ……ぐるじい……」

「最低でぃすね」

「まあまあ。ミズキ、落ち着いて」

 

 食べ物の恨みは恐ろしいというが、まさかここまで怒られるとは思わなかった。

 夢野女王の制止を受けて、火水木は俺を絞め上げていた手を放す。

 

「はあ……まあいいわ。懺悔した訳だし、許してあげる。次行くわよ、次!」

「せーのっ!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「お? 俺だ」

 

 掛け声に合わせて自分の割り箸を見ると、何とそこには王冠マーク。名乗りを上げるや否や、テツが「わかってるッスよね?」と熱い視線をぶつけてきた。知らんがな。

 

「そうだな……じゃあ六番は王様ゲームが終わるまで、語尾にニャンを付けるってことで」

「ネック先輩ーっ!」

「何だよ? 六番だったのか?」

「違うッスよっ! 何ひよってんスかっ? 本当はもっとしてもらいたいことが――――」

「はいはい。で、六番は誰だ?」

「私です……ニャン」

 

 小さく手を挙げた望ちゃんが、俺の命令に従い猫語になる。以前クリスマスパーティーのプレゼント交換で火水木が冬雪にプレゼントした猫グッズが欲しくなるな。

 

「王様ゲームが終わるまでって、割と酷な命令よね」

「米倉君がこういうのが好きだったなんて、ちょっと意外だったかも」

「ボクも初耳だね」

「悪趣味でぃす」

「……ノノは今日の主役」

「…………」

 

 個人的にはそこそこ無難かつ、盛り上がりそうな命令を選んだつもりなのにこの言われようである。王様ゲームって、王様になった人が罵られるゲームだったっけ?

 理不尽にもスクワットをさせられ、懺悔したのに首を絞められ、挙句の果てには国民から反逆されて心が折れそうになる中、第四回戦の抽選が行われた。

 

「せーのっ!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「あ、また私でした…………あ! ニャン」

「マジッスかっ? ユメノン先輩の一族は運が強いッスね」

「えっと、それじゃあ四番の人は一発ギャグをお願いしますニャン」

「……私」

「冬雪がっ?」

「ユッキーがっ?」

「雪ちゃんがっ?」

「「「一発ギャグっ?」」」

「これはどんなネタが出るのか、ボクも興味があるね」

「……じゃあ、猫の真似…………ふにゃ~お」

『……………………』

 

 疑惑の判定に、メンバー一同が視線を合わせた。

 確かに可愛いし完成度は高いが、これは少しズルい気がする。

 

「駄目ね」

「駄目ッス」

「駄目かどうか決めるのは王様じゃないのかい?」

「えっと……じゃあ、もう一つお願いします」

「……それなら、ソー○ンスの真似」

「ん?」

「えっ?」

「はいっ?」

「……だから、ソー○ンスの真似ならいい?」

「だ、大丈夫ですニャン」

「ユッキーのソー○ンスの物真似までー、三、二、一、キューっ!」

「……ンスォォォォォォォォナンスゥッ!」

 

 ――――その瞬間、宇宙は誕生した。

 それはまさにビッグバンと呼ぶに相応しい、フユキニウムの指数関数的急膨張。

 真顔の冬雪から発せられた強烈なインパクトのある物真似は、陶芸室内は一瞬にして笑いの渦に包みこむと共に、次から次へと大爆笑の連鎖を引き起こす。

 テツは机をバンバン叩き、阿久津は腹を抱え、夢野は涙を流す。火水木に至ってはツボに入ったのか「ヒーッ、ヒーッ」とラマーズ法の呼吸みたいになっていた。

 

「~~~~」

 

 かくいう俺も呼吸困難になりかけるレベルで爆笑中。まさかこんなにも普段とギャップのあるキャラをチョイスし、しかも超絶に上手いとは予想できる筈がない。

 

「ちょっ……ユッキ……動画……動画撮りたいから……もう一回……」

「……もうやらない」

 

 やった本人は恥ずかしくなってきたのか、ぷいっとそっぽを向く。恐らく今後において何かしら罰ゲームをやる際、冬雪には間違いなくこれがリクエストされるだろうな。

 思い出し笑いというビッグバンの余波が残り、暫くの間は迂闊に飲み物を口に含むことすらできなかったものの、少しして落ち着いてからゲームは再開された。

 

「せーのっ!!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「ふっふっふ……星華が王様でぃす! この時が来るのを待ってました!」

 

 望ちゃん、夢野、俺と比較的平和な国王が続いていたものの、ここにきて暴君が誕生する。心なしか暴君と星華って、字面的にもちょっと似てる気がするな。

 怪しげな笑みを浮かべた早乙女は、まるで阿久津の番号が分かっているかの如く自信満々に命令を言い放った。

 

「バスケで鍛えた星華の動体視力は伊達じゃありません! 命令はズバリ、二番が王様の目の前で萌え萌えキュンを披露することでぃす! さあ! ミナちゃん先輩!」

「ボクは三番だよ」

「へ? じゃあ二番は誰でぃすか?」

 

 

 

『ガタッ』←立ち上がるテツ

 

 

 

『ダッ』←逃げようとする早乙女

 

 

 

『ガシッ』←その手首を捕まえる阿久津

 

 

 

「やっ! ちょっ? ミナちゃん先輩っ?」

「王様の命令は絶対だからね」

「自業自得だな」

「あんまやりたくないけど、命令なら仕方ないッスね――――」

「――――にぎゃああああああああああああああああああっ!」

 

 ハロウィンのコスプレで見せられた悪夢再びといったところか。聞きたくもない俺は黙って耳を塞ぎ目を瞑ったが、早乙女の悲鳴だけはしっかりと耳に入ってきた。

 数秒した後に目を開いてみれば、そこには真っ白に燃え尽きた少女の姿が。口からは生気のようなものが抜け出しており、自慢の動体視力を誇った目には光が宿っていない。

 

「そもそもバスケットで動体視力って鍛えられるもんなのかしら?」

「少なくともボクは聞いたことがないね」

「私もちょっと……あ、あの、早乙女先輩、大丈夫なんですかニャン?」

「王様ゲームを甘く見た結果だな。そのうち復活するだろうから気にしなくていいぞ」

「さあさあ、次いくッスよっ! 次っ! せーのっ!!!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

 未だに一度も王様になれていないテツの掛け声が、徐々に気合いの増したものになっている気がする。しかしながら残念なことに今回も引けなかったようで、欲望の塊である後輩は肩を落とした。

 こうして平和な世界が再び訪れた……かと思いきやそんなこともなく、新たな暴君が誕生することになる。それも今回は早乙女とは比較にならないほどに厄介な暴君だった。

 

「イエーイ! アタシが王様ーっ!」



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十八日目(木) ドンドンゴリゴリクイックイだった件

 火水木女王の誕生と聞くなり、周囲に緊張が走る。

 今までに数限りない様々なイベントを企画してきた火水木。彼女がいたからこそ楽しかったことは数え切れないほどあるが、その中にはコスプレ、闇鍋、肝試しという、一部のメンバーにとっては苦い思い出を残したものもあった。

 そんな当たり外れの大きい少女が下す命令ともなれば、何も知らない望ちゃん以外は当然ながら警戒する。逆にその手のハプニングを期待しているテツだけは喜んでいた。

 

「さーて、何にしようかしら。やっぱりここはプロとして、手本を見せてあげるべきよね」

「何のプロだよ?」

「王様ゲームっていうのは、誰に当たっても盛り上がるような命令をしなくちゃ。ホッシーみたいに王様自身の欲を満たすのも有りだけど、自分を指定して自爆するなんて愚の骨頂よ。王様の欲を満たしつつも、指定された番号の人なり見ている人が喜びそうな命令がベストね」

「分かるッス! そうッスよね!! そうッスよね!!!」

「ってことでアタシの命令は、五番が六番を壁ドンからの顎クイして互いに下の名前で呼び合いなさい!」

「ぐぁああああ! 何で五番と六番なんスかっ? そこは一番ッスよぉおおおお!」

 

 涙でも流しそうな勢いで、外れたことを悔しがるテツ。コイツとことんツイてないな。

 確かにその願いなら、やる方も見る方も盛り上がりそうな内容ではある。仮に俺とテツの男同士ペアが当たってしまった場合でも、火水木なら問題ない……というか、寧ろ本当はそれを狙ってた可能性すらあるんじゃないだろうか?

 男としてはちょっとやってみたいシチュエーションではあるものの、俺の割り箸に書かれているのは残念ながら四番。という訳で必然的に、当たるのは女子同士のペアとなる。

 

「五番はボクだよ」

「っ?」

 

 放心していた早乙女がガバッと起き上がり復活するなり、自分の割り箸を素早く確認。そして壁ドンされる相手が自分ではないという現実を知るなり、またしぼんでいった。

 

「六番は私だけど」

「はいはい。それじゃあユメノンは……そうね。そこの壁際に立って頂戴。一応ツッキーに確認しておくけど、壁ドンも顎クイも知ってるわよね?」

「知識としては知っているけれど、こうして実際にやるのは初めてだよ」

「だからこそやってもらうんじゃない! それじゃあしっかり頼むわよ? ちゃんとお互いの名前を呼び合うまでね! よーい…………アクション!」

 

 火水木がニヤニヤしながらスマホを構える中、言われるがまま二人は配置に着く。

 そして壁を背にする夢野に対し、阿久津は勢いよく右手を突いた。

 更に左手を夢野の顎に添えると、そのまま軽くクイッと顔を持ちあげる。

 

「蕾君」

「み、水無ちゃん……」

「………………はいオッケー! うんうん、宝塚って感じの良い絵が撮れたわ」

 

 まるで映画監督のように頷く火水木。陶芸部の壁際には棚が多く、今回はコンクリの柱部分を背にしてやったため、壁ドンというよりは壁ペチという感じだった。

 それでも傍から見ていて自分もやってみたいという気持ちにはなったし、早乙女に至っては嫉妬心から机にデコをガンガン打ち付け始めている。そのうち暴れ出したりしないか、本気で不安になってきたな。

 

「ふむ。これの何が良いのか、今一つわからないね」

「やられる側としては、ちょっとドキっとしちゃったかも」

「そうなのかい?」

「そうッスよ! 壁ドンはやられる側になってなんぼッス! ここは一丁オレが――――」

「はいはーい。そういうのは自分が当たってからにして頂戴。次いくわよー」

「すぇーぬぉっ!!!!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「……私」

「神様、仏様、ユッキー先輩様、オナシャス! 作品を百個でも二百個でも作るんで、どうかオレに希望を与えるような命令を! 陶芸神の御加護をお恵みくださいッス!」

「……じゃあ、二番と四番は一分間手を繋ぐ」

「いよっしゃあぁああああああっ! 四番! 四番は誰ッスかっ?」

 

 どうやら二番だったらしいテツは、勢いよく立ち上がるなり勝利のガッツポーズを取る。そして手を繋ぐことのできる相手を求めて、座っている残りのメンバーを見渡した。

 

「こういう時に限って、ネックだったりするのよねー」

 

 各々が自分の割り箸を確認した後で、火水木と同じようなことを考えていたのか妙に周囲からの視線を感じる。まあ確かにこれで俺だったら、色々と面白いんだけどな。

 

「残念。俺は七番だ」

「セェエエエフっ! 何でそういう不吉なこと言うんスかっ!」

「別に不吉でも何でもないわよ。仮にネックでも男同士の友情って感じでいいじゃない」

「ネック先輩と握手なんて、ヨネクランドに行けばいつでもできるじゃないッスか」

「ちなみにそのヨネクランドとやらには、他にどんなアトラクションがあるんだ?」

「…………」

「握手できるだけかよっ?」

「それで、結局誰が四番なんだい?」

 

 アホな会話をしている間も、一向に誰一人として名乗りが上がる気配はない。

 疑問に感じた阿久津の問いかけに対して、他のメンバーは違うとばかりに首を横に振る。

 …………ただ一人、悲しみのあまり机に潰れている後輩以外は。

 

「もしかして、早乙女さん?」

「………………………………そうでぃす」

「げぇーっ? よりによってメッチかよぉー」

 

 上がりきっていたテンションが一気に下がったテツは、大きく肩を落とす。

 そして露骨に溜息を吐きながらも、動く気力すらない早乙女の元へ歩み寄った。

 

「じゃあユッキー先輩、カウントオナシャス」

「……(コクリ)」

 

 躊躇いもなく早乙女の手を握り締めるテツ。

 しかしながらまだコイツは、これから始まる悲劇の未来に気付いていなかった。

 ムクッと起き上がった早乙女は、囁くような小声で呟く。

 

「…………………………覚悟はいいでぃすか?」

「へ?」

 

 恐ろしく汚い萌え萌えキュンをされた恨み。

 阿久津に壁ドンして貰えなかった嘆き。

 溜まりに溜まった怒りのエネルギーが放出される。

 例えるなら、こんな感じだろう。

 

 

 

『さおとめは すべての いかりを ときはなった!』

『ぼうそうした わんりょくが ばくはつを おこす!』

 

 

 

「ふんっ!」

「みぎぃぇぁああああああああああああああああああああああっ!」

 

 手を繋ぐと言うよりは、ガッチリとした握手が交わされた。

 心なしか握った瞬間に、メキっという音が聞こえてきたような気がしないでもない。

 

「痛ててててててててっ! ちょっ! 骨っ! 骨をグリグリすん痛ででででっ!」

「……十秒」

「十秒というよりは、重病になりそうな握手ね」

「ああ、そうそう。きっと望ちゃんも一年後には結構強くなってると思うぞ。陶芸部に入ると粘土を弄ることが多いから、握力が物凄く上がってさ」

「そ、そうなんですね。でも……その、あれ……大丈夫なんですか……ニャン?」

「この二人は普段からこんな感じだからね。気にする必要はないよ」

「そうそう。喧嘩するほど仲が良いってやつね」

「いや全然仲良くないッスから! ってか、どう見てもおかしいッスよねこれっ? 何でナチュラルに焼き土下座みたいな拷問っぽくなって痛っでぇええええっ!」

「……三十秒」

 

 強いといっても女子の握力はせいぜい40にいかない程度。普通に握られただけなら大して痛くもない筈だが、早乙女は執拗にテツの骨という骨をゴリゴリしている。

 改めて自分が当たらなくて良かったと安心する中、絶叫の続いた一分間が終了。ややスッキリした様子の早乙女が席に戻り、テツの右手は真っ赤に燃え……はせず、やや赤くなっており単純に痛そうだった。

 

「さー、続けていくわよー」

「すぇぇぇぬぉぉぉっ!!!!!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「ふっふーん。またアタシねー。今度は何にしよっかなー」

「肘ドンッスかっ? 足ドンッスかっ? 床ドンでもいいッスよっ? それともおでこトンとか肩ズンとか、いっそのこと腕ゴールテープでも大歓迎ッス!」

 

 火水木が親になったと聞くなり、ビシッと姿勢を正しつつアピールするテツ。名前からして壁ドンや顎クイの派生らしいが、よくもまあそんなに知ってるもんだ。

 

「顎ドンなら、星華がしてやってもいいでぃすよ? 今すぐにでも」

 

 …………それは多分、脳が揺さぶられるやつだと思う。良い子は真似したら駄目だぞ?

 今度は一体どんな命令が下されるのかと思っていると、眼鏡クイをした少女は何やら良からぬアイデアを閃いたのかニヤリと笑みを浮かべだ。

 

「それじゃあ二番には七番を口説いて貰おうかしら。何なら告白でもいいわよ」

 

 随分と簡単そうに言ってくれるが、これはまた地味に恥ずかしそうで厄介な命令だ。

 今度は一体誰と誰が犠牲になるのか……そんな他人事気分で自分の割り箸を確認する。そこに書かれていたのは、まさかの火水木が口にした数字……それもあろうことか、よりにもよって二番の方だった。



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十八日目(木) 俺の口説き文句が完璧だった件

「…………げっ?」

「その反応っ! さてはネックが二番ねっ?」

「はあ……ああ、そうだよ」

 

 まるで垂らしていた釣り竿に魚でも掛かったかの如く嬉しそうに目を輝かせる火水木へ、うっかり引き当ててしまった不幸の割り箸を渋々見せた。

 ここで大きな問題となってくるのは、口説く対象である七番が誰かということ。俺としては下手に女子を相手にさせられて気まずい雰囲気になるよりも、こういう場合こそ男子に当たってくれた方がネタにもなるし色々と気が楽だったりする。

 

「…………」

 

 そう思いチラリとテツへ視線を向けるが、相変わらず運のない後輩は今回も外れたらしい。そうなると必然的に、火水木を除く女子五人の中から相手が選ばれる訳だ。

 一体誰なのか。

 緊張の一瞬の中で、一人の少女が名乗りを上げた。

 

「……七番」

 

 先程見事なソー○ンスの物真似を披露したとは思えないほど芯の無い声で、手にしていた割り箸をこちらに見せてきたのは、他でもない我らが陶芸部部長だった。

 

「冬雪か。宜しくな」

「……(コクリ)」

「ふっふーん。これはこれで面白いことになりそうね」

 

 何やら含みありそうな台詞を言いつつニヤニヤしている火水木だが、今回の命令なら俺としては五人の女子の中では一番のベストパートナーだと思う。

 少なくとも阿久津や夢野を相手にさせられるよりは間違いなくやりやすいし、早乙女を相手にした場合は先程のテツのように後が怖すぎる。望ちゃんはまだ馴れ合って日が浅いし、下手したらトラウマを抱えて退部してしまうかもしれない。

 

「しかし口説くって言われても、具体的にどうすりゃいいんだ?」

「そりゃ勿論プロポーズッスよ! プロポーズ! オレの味噌汁を作ってくれ的なあれッスね!」

「ちょっと違う気もするけど、まあそれでいいわよ。ほら二人とも、立って立って」

 

 言われるがままに立ち上がると、俺は冬雪の元に歩み寄りお互いに向かい合った。

 眠そうな半目の少女が、身長差により上目遣いっぽくジーっとこちらを見つめてくる。ほんの数秒まではリラックスしていたのに、俺の言葉を待っているような少女の視線を前にすると、何だか妙に緊張してきた。

 

「じゃあいくわよー?」

「ちょ、ちょっとタイム! まだ何も考えてないっての!」

「仕方ないわね。その代わり、ちゃんとビシッとした口説き文句を決めなさいよ?」

 

 そんなことを言われても、告白らしい告白なんて今まで一度もしたことがない。臆病風に吹かれた告白もどきなら二回ほど経験があるが、あんなのは口説き文句として絶対に言っては駄目なやつだろう。

 慌てるな……落ち着いてイメージするんだ。アキトが遊んでいるゲームのように、冬雪ルートを攻略するためにはどうすればいいか思い描けばいい。

 俺は何度かに渡り深呼吸をしながら、脳内で妄想を膨らませる。舞台は……そう、修学旅行で泊まったあのホテルのウッドデッキ。大学生になって付き合い始めた俺達は、二人で旅行に出かけたんだ。

 

 

 

『よっと。おお、流石に夜は少し冷えてくるな。カーディガンいるか?』

『……大丈夫』

『冬雪は暑いのは駄目だけど、寒いのは平気だもんな』

『……(コクリ)』

『何してたんだ?』

『……星が綺麗だから見てた』

『あー。こうやって沖縄に来るのも数年振りだけど、本当に綺麗だよな』

『……ヨネ、ありがとう』

『ん? 何だよいきなり』

『……今回の旅行も、凄く楽しかった』

『満足してもらえたみたいで何よりだ』

『……ヨネと一緒だと、いつも幸せ』

『俺も冬雪が傍にいてくれると幸せだよ』

『……退屈してない?』

『全然』

『……良かった』

 

 

 

「――――――なあ冬雪。大事な話があるんだけど、聞いてくれないか?」

「……何?」

「お前に、俺の茶碗を作ってほしいんだ」

「ぶふっ!」

 

 頭の中で充分にムードを盛り上げ、向かい合っている少女の目をじっと見据えながら、脳裏に浮かんだ冬雪にピッタリの言葉を贈った瞬間、唐突に火水木が噴き出した。

 

「ぷっ……くく……ぶぁーっはっはっは!」

 

 更には火水木に続いて、テツまで何かに耐え切れなかった様子で笑い始める。俺が冬雪に話しかけている最中に、思わぬハプニングでもあったのだろうか。

 そう思い他のメンバーへ視線を向けると、残る四人は何とも言えない複雑な表情やら呆れ顔、苦笑いといった微妙なものばかりで、今一つ事情が呑み込めない。

 

「何だよ? 二人とも、いきなりどうしたんだ?」

「いやー、ネック先輩。確かに味噌汁を作ってくれ的なあれとは言いましたけど、いくらなんでも茶碗を作ってくれはないッスよ」

「カーット! カットよカット! やり直しよ!」

 

 一体何事かと思いきや、どうやら原因は俺の口説き文句だったらしい。こちらは真面目も真面目、大真面目にやっていたというのに、どこが問題だと言うのか。

 

「何でだよ? どこが駄目だったんだ?」

「駄目に決まってんでしょうが! アンタ、他の子にもそれ言うつもりなの?」

「言う訳ないだろ? 冬雪のためだけに考えた言葉なんだぞ?」

「っ」

 

 俺の反論に対して火水木が口を閉ざす。

 我ながら今の発言はちょっと臭かった気がしたが、映画監督のように振る舞っていた少女には会心の一撃だったらしく、どこかばつが悪そうな顔を浮かべていた。

 

「ユッキーのためだけに……ね。ユッキー的には今の口説き文句、どうだったの?」

「……良かった」

「マジッスかっ?」

「……凄く真剣で、ちゃんとヨネの気持ちが伝わってきた」

「はあ……それなら仕方ないわね。オッケーってことにするわ」

 

 迫真の演技の甲斐あって、冬雪には満足して貰えた様子。意図していたような結果にならなかったらしい火水木は深々と溜息を吐いているが、何はともあれこれにて一件落着だ。

 

「全く、トールが変なこと言うから、ただのギャグになっちゃったじゃないの!」

「オレのせいッスかっ?」

 

 火水木がテツに不満をぶつける中、俺は自分の席へ戻る。心なしか隣に座っている夢野と斜め前に座っている阿久津からジーっと見られているような気がするが、茶碗を作ってくれってプロポーズはそんなにも駄目だったんだろうか。

 

「しゅぇぇぇぇぇぬぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」

 

 

 

『王様だーれだ?』

 

 

 

「ボクだね」

「!」



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十八日目(木) 懺悔がいい話だった件

 王様を引き当てたのは、女王と言うよりは魔王と呼ぶに相応しい幼馴染。練習の時以来となる魔王阿久津の爆誕に対して、俺は当然のように自分の番号が見られていないか念入りに警戒する。

 

「ふむ。何かしら面白い話が聞けるかもしれないし、ボクに対する懺悔をしてもらおうかな。番号は…………そうだね。一番の人にお願いするよ」

 

 俺の番号は六番であるため無事に回避。どうやら今回はちゃんと正々堂々、ランダムに数字を言ったらしい。

 それなら一番を引いたのは誰なのかと言うと、先程に続いて二連続となる冬雪だった。

 

「雪ちゃんが水無ちゃんにする懺悔って、ちょっと興味あるかも」

「確かにそうだな」

「さっきも一発ギャグで、未だかつてない面白いものが見れたッスからね」

「陶芸部三年目の付き合いにして、意外な真実とか明らかになったりするんじゃない?」

「……ミナに懺悔したいことは色々ある」

「そうなのかい?」

「……最初は、陶芸部に入部したばっかりの時」

「おっ? 最初はってことは複数懺悔する感じッスか? これは尚更期待ッスね」

「いいから大人しく聞いてやがれでぃす」

「……ミナは私に気を遣って、いつも話しかけてくれた」

 

 冬雪は静かに語り始める。

 まるで思い出の糸を辿るように。

 懺悔ではなく、感謝をするように。

 

「……ミナがいてくれたから、先輩とも仲良くなれた」

「…………」

「……夜遅くまで大皿を作ってた時は、一緒になって残ってくれた」

「………………」

「……部員が欲しい私の愚痴を聞いてくれて、ヨネに声を掛けてくれた」

「……………………」

「……いつだって嫌な顔一つしないで、私の我儘に沢山付き合ってくれた」

「…………………………」

「……ミナに迷惑を掛けてばっかりだったことが私の懺悔。本当にごめんなさい」

「何かと言うかと思えば、そんなのを気にしたことなんて一度もないよ。ボクだって音穏には色々と迷惑を掛けているから、お互い様じゃないか」

 

 黙って話を聞いていた阿久津が、冬雪に向けて手を差し伸べた。

 

「寧ろボクの方こそ音穏に懺悔したいくらいさ。副部長らしい仕事なんて、何一つしていないからね。音穏がいなかったら、ボク達の陶芸部は始まらなかった。こうして楽しく毎日を過ごせる環境があるのは、音穏が部長として頑張ってくれたからだよ」

「……ミナ…………ありがとう」

「こちらこそありがとう。これからも宜しくお願いできるかい?」

「……うん」

『パチパチパチパチパチパチ』

 

 冬雪の話を聞いて感動したのは、俺だけじゃなかったらしい。

 固い握手を交わす二人に対して、部員全員から盛大な拍手が巻き起こった。

 

「俺も冬雪のお陰で自分の湯呑とか食器とか作れたし、陶芸の面白さもわかったからな。最初の頃とか菊練りが苦手だった時に一生懸命教えてくれたし、本当に感謝してるよ」

「うんうん。イイハナシダワー」

「私達も二人のお陰で今が凄く楽しいよ。雪ちゃん、水無ちゃん、ありがとうね」

「音穏先輩の気持ち、星華もわかります! ミナちゃん先輩は、いつだって最高でぃす!」

「ユッキー先輩が引退した後は、オレが立派に引き継いでみせるッスよ!」

「私も冬雪先輩を見習って、これから頑張っていこうと思います! あっ! ニャン!」

「……ヨネ、マミ、ユメ、トメ、クロ、ノノ……みんな、ありがとう」

 

 本当に、最高の部活だと思う。

 だからこそ、ついつい足を運んじゃうんだよな。

 

「懺悔ではなかった気もするけれど、これはこれで良かったかな。大団円みたいな雰囲気になったことだし、王様ゲームはこの辺りで終わりにしておこうか」

 

 思わず聞き入ってしまっていた結果、これが王様ゲームの最中だったことをすっかり忘れていた。確かに阿久津の言う通り、終わるにはベストな空気だろう。

 

「そうね…………と言いたいところだけど、納得してないのが一人いるわよ?」

「ん? ああ、そういえば、結局一度も王様になってないんだな」

「………………」

 

 終わりという言葉を聞くなり、悲壮感に満ちた表情を浮かべている後輩が一人。俺はそんな落胆しているテツの元に歩み寄ると、優しくポンと肩を叩いた。

 

「まあ元気出せよテツ。また今度やればいいだろ?」

「ネック先輩、知ってます……? せーのって、イタリア語でおっぱいって意味なんスよ……いっせーのって掛け声は、いいおっぱいって意味になるんスよ……」

「おーい、テツー? もしもーし? あのー、聞こえてますかー?」

「はい……あのーはイタリア語でケツの穴って意味ッスね……あのーすいませんって、ケツの穴ちょっといいですかって意味になるんスよ……」

「駄目だこりゃ……ん?」

 

 テツは完全に放心状態であり、その口からはボソボソと下ネタが漏れてくるだけ。どうしたものかと思っていると、ふと俺のポケットの中で携帯が震えだした。

 何かと思って画面を確認してみればメールではなく電話……それも相手は梅からだった。

 

「ちょっと悪い…………もしもし?」

『もし~ん? お兄ちゃん、まだ学校いる~?』

「いるけど、どうした? まさか買い物って訳じゃないだろ?」

『家の鍵忘れちゃったから貸して~っ! 陶芸室でいいんだよね?』

「ああ……って、お前『ブツッ』ここに…………はあ……」

 

 今月の携帯料金が厳しい状況なのか、用件を伝えるなり即座に電話を切る妹。できることならアイツにはここに来てほしくないし、そういう理由なら俺が行ったんだけどな。

 

「梅君かい?」

「ああ。ちょっと俺に用事があるから、ここに来ると思う」

「マジッスかっ?」

「うおっ?」

 

 数秒前まで魂がどこかへ飛んでいた筈なのに、一瞬で息を吹き返すテツ。梅の奴をコイツに引き合わせるのはどうにも気が引けるが、まあ今回は仕方ないし良しとするか。

 

「じゃあ王様ゲームはこれでおしまいってことでいいな?」

「続きはまた合宿の時ッスね! その時こそはオレの野望を叶えてみせるッス!」

「鉄の野望が何なのか、不安で仕方ないでぃす」

「えっと、もう普通に喋っても大丈夫ですか?」

「あ……その、本当にゴメンな」

「と、とんでもないです! 米倉先輩は悪くありませんし、楽しかったです!」

 

 こういう気遣ってくれる望ちゃんの優しさを、少しでいいからアイツにも分けてあげてほしい。兄を慕う気持ちがあってこそ、理想的な妹なんだよな。

 それに対して我が家の愚妹はと思っていると、ガラっとドアの開く音がする。もう梅が来たのかと思いきや、中に入ってきたのは伊東先生だった。

 俺達は揃って挨拶をする中、明日からゴールデンウィークということもあって普段よりも元気がある先生は、机に転がっていた数字の書かれた割り箸を手に取る。

 

「王様ゲームが盛り上がっていたようで何よりですねえ。先生のところまで皆さんの楽しそうな声が聞こえてましたよ」

「あっ! ねえねえイトセン、写真撮ってくれない?」

「構いませんよ」

「それじゃあ全員、適当に割り箸持ってー。あ、トールは王様でいいわよ」

「やべえっ! 全然嬉しくねえっ!」

 

 火水木が渡したスマホを伊東先生が構えると、俺達は揃って割り箸を見せつつピースサイン。少ししてパシャッという音が鳴った後で、撮られた写真を確認する。

 

「オッケー。じゃあ今度はイトセンも一緒ね!」

「いえいえ。先生は結構ですよ」

「駄目ッスよ! イトセン先生あってこその陶芸部じゃないッスか! 王様の命令ッス!」

「お? テツにしてはナイスな命令だな」

「……(コクリ)」

「皆さんのような心優しい生徒が部員で、先生は幸せ者ですねえ」

 

 それを言うなら、伊東先生みたいな理解ある顧問を持った俺達の方が幸せなくらいだ。

 割り箸の代わりに輪カンナを手にしたノリのいい先生と共に、陶芸部メンバーの誰もが満面の笑みを浮かべつつ再びピースをするのだった。



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十八日目(木) 俺の妹がお邪魔虫だった件

「おっ? これなんて面白そうッスね! えー、貴方は沢山の動物と旅をしてる旅人ですが、旅を続けるのが困難になってきたので動物達と別れることになりました。ライオン、象、羊、馬、牛、猿の中から、別れる順番とその理由を答えてください……だそうッス!」

 

 気が付けば王様ゲームだけで結構いい時刻になっていた夕方の陶芸室。普段なら解散するところだが梅が来るため待たなければならず、他メンバーもそんな俺に付き合ってくれていた。

 その待ち時間にやっているのが、テツの企画が破綻した場合を見越して火水木が用意していた心理テスト。ジャンケンで順番を決めた俺達は、本の中からテストを一つ選んでは全員に答えてもらいを繰り返し、交代で回している最中だった。

 

「ふむ。動物の部分をもう一度言ってもらえるかい?」

「ライオン、象、羊、馬、牛、猿の六種類ッスね」

 

 この手の心理テストは自分でやる分には何も考えずに答えられるが、どうにも人から出されると何を示しているのかという本質を深読みしてしまいがちになる。

 普通に食費の掛かり具合や役立ち度から考えれば、象、ライオン、猿、牛、羊、馬の順番で別れるのがベストな気がするが……大抵の場合は身体とか体重の大きい動物ほど、何かしら重要な意味とか役割が与えられてそうなんだよな。

 

「全員、決まったッスか? じゃあ答え合わせいくッスよ?」

「オッケーよ」

「……(コクリ)」

「これは貴方が人生において窮地に立った時に、親、子供、パートナー、金、仕事、プライドの中から何を優先して捨てていくかわかる心理テストです。理由はそのまま捨てる理由になります……ってことらしいッスけど、最初にライオンと別れる人います?」

 

 俺は象とライオンの二択で悩んでいたものの、意外にも手を挙げたのは阿久津のみ。百獣の王と呼ばれている割にはあまり強くないライオンを、他のメンバーは大事にしているらしい。

 

「ライオンはプライドッスね。ちなみにツッキー先輩、捨てる理由は何だったんスか?」

「唯一の肉食動物だったし、共食いを防ぐためかな」

「流石はツッキー。理由が現実的ね」

「でも水無ちゃんの理由だと、プライドを捨てる理由とは噛み合わないような……?」

「まあ、所詮は心理テストだからな」

「ライオンの群れのことをプライドと言うけれど、ひょっとしたらそれに掛けているのかもしれないね」

 

 阿久津の雑学に対して、エアへぇーボタンを押す俺達。やはり獣医師志望だけあって動物全般に詳しいのか、はたまた単にネコ科の生き物だから知っていただけかもしれない。

 

「次は最初に象と別れる人ッス」

「俺だ」

「象は親ッスね」

「流石は根暗先輩。薄情者でぃす」

「いやだから心理テストだっての」

「大丈夫ッスよネック先輩。オレも象ッスから」

 

 決して口には出さないが、捨てる理由が大して役に立ちそうにないし食費が掛かりそうだからって、我ながらこれ以上ないくらいに酷過ぎると思う。

 幸いにも理由は尋ねられないまま、テツは次の選択肢である羊を選んだ人を確認。しかしながら手を挙げたのは、これまた早乙女の一人だけだった。

 

「羊はパートナーッスね」

「ホッシーのパートナーって言えば、間違いなくツッキーよね」

「そうなると、理由が気になるところかな」

「星華がミナちゃん先輩を捨てる筈がありません! 所詮は心理テストでぃす!」

「掌クルックルじゃねーか」

「次は馬ッス」

「はーい♪」

「あ、アタシも!」

「F―2コンビッスね。馬は仕事ッスよ」

「あー。ユメノン、バイト辞めるか悩んでる訳だし合ってるんじゃない?」

「そうなのかい? 初耳だね」

「うん。受験が終わるまでは暫く休もうかなーって思って」

 

 その件に関して、俺は既に聞いていたりする。

 今までは同じような毎日の繰り返しだったが、高三になってからは阿久津の予備校といい、止まっていた針が動き出したかの如く誰もが少しずつ変わっていく。

 だからこそ、俺もまた変わらなければならない。

 

「牛は金ッスね。最初に猿と別れた人はいない感じッスか?」

「鉄クン。猿は何でしょうか?」

 

 牛の時に冬雪と望ちゃんが手を挙げ、これで全員の診断が終了……と思いきや、一人離れた席に腰を下ろして俺達を眺めていた伊東先生が小さく手を挙げつつ質問した。

 

「猿は子供ッス」

「先生、子供はいないので問題ありませんねえ」

 

 伊東先生の自虐ネタに思わず苦笑いしていると、突然ノックもなしに前方のドアが開く。

 全員の視線が集まる中、ひょこっと顔を覗かせたのは他でもない俺の妹だった。

 

「やあ梅君。いらっしゃい」

「お~邪魔~虫~っ! …………あっ! お邪魔します。失礼します」

 

 今頃になって伊東先生の存在に気付いたのか、丁寧に挨拶をし直す梅。我が家では勿論のこと学校でもノックなしとか、入試の面接の時は大丈夫だったのかコイツ。

 

「梅ちゃん!」

「望ちゃ~ん!」

 

 同級生の友人を見つけるや否や、パチンと二人がハイタッチを交わす。実は望ちゃんが陶芸部へ入ったと知るなり、梅も陶芸部へ入部するかは悩んでいる様子だった。

 しかしながら黒谷南中バスケ部部長の入部が三代続くことはなく、俺の妹は高校でもバスケを継続。今日も練習を頑張ってきたのか、髪の毛がグッショリと濡れている。

 ちゃっかり望ちゃんの隣の椅子に座った妹は、長机の上のお菓子を見るなり目を輝かせた。

 

「梅も食べていいっ?」

「駄目だ。ほら、鍵持ってさっさと帰れ」

「む~。じゃあお兄ちゃんのそれで我慢する」

「人の話を聞け……ってうぉい! 勝手に取んな! お前が取りに来たのは鍵だろうが!」

「お兄ちゃんの物は梅の物! そして梅の物は~、お兄ちゃんの物~」

「いやー、助け合いの精神って素晴らしいッスね」

「どこが助け合いの精神だよっ? お前の目は今すぐ取り換えてこいっ!」

 

 俺の手元の上にあったチョコを勝手に奪い、食べ終わったゴミを俺の元にリリースする不届き者に溜息を吐く。正直言って、コイツが陶芸部に入らなくて本当に良かった。

 食べるものを食べて満足したら鍵を持ってさっさと出ていってほしいところだが、テツから心理テストの本を受け取った夢野が微笑みながら良からぬ提案をする。

 

「もし良かったら、梅ちゃんも一緒に心理テストやっていかない?」

「心理テストっ? やりたいやりたい!」

「盛り上がってるところ申し訳ありませんが、そろそろ時間も遅くなってきましたので、次で最後にしていただけると助かりますねえ」

「えー? アタシの番で、とっておきのやろうと思ったのにー」

「また合宿の時にでもやればいいじゃないか」

「そうッスね! いやー、合宿が今から楽しみッス!」

 

 何だか梅の奴も参加する方向になっているが、まあ一回だけならと仕方なく認めよう。夢野と望ちゃんみたいな仲良し姉妹なら問題ないかもしれないが、コイツと一緒にいると何を言われるか分かったもんじゃないし、できる限り避けたいんだけどな。

 夢野はパラパラと本を捲っていたが、やがて良い問題を見つけたのか音読し始めた。

 

「今日は恋人と遊園地でデートです。最新の絶叫マシンからメルヘンちっくな気分に浸れるものまで、色々なアトラクションがあるこの遊園地で、来たからには絶対に体験しておきたいと貴方が思うアトラクションは次のうちどれでしょうか?」

 

 一番、世界最大の大きさを誇る大観覧車 。

 二番、勇気と度胸のバンジージャンプ。

 三番、気分はレーサーのレーシングカート。

 四番、絶叫マシンの王様ジェットコースター。



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十八日目(木) 心理テストがバーナム効果だった件

「何て言うか、いかにもユメノンが選びそうな心理テストね」

「むむむ~。恋人と一緒に遊園地って辺りから、ズバリ恋愛観を知るテストと見たっ!」

「ふふ。さて、どうでしょうか?」

 

 火水木や梅の言う通り恋愛関係のテストな気がするものの、それがわかったところで答えは見えてこない。今回も大人しく、素直に考えてみるか。

 とりあえず観覧車はでかいと一周の時間も長いから、半分くらいで満足して後半が微妙になる気がする。バンジージャンプも遊園地でやることじゃない気がするし、相手が嫌がるかもしれないことを考慮すると却下だな。

 

「もーいーかい? まーだーかな?」

 

 残るは三番と四番だが、男同士で行くなら間違いなくレーシングカートだろう。しかし恋人と行くとなると、やはりここは無難にジェットコースターにするべきか。

 かくれんぼ風に確認する夢野が可愛い中、全員が決め終わると結果が明かされた。

 

「このテストでは貴方がハラハラ・ドキドキを好むか好まないかの観点から、どれくらい惚れっぽい性格かを探ってみます。まず一番の観覧車を選んだ人」

「はい」

「……はい」

「雪ちゃんと望は段階を踏みながら親密さを増していくタイプで、惚れっぽさは低め。ただ思い切りは悪い方で、何か違うと途中で思っても関係を白紙に戻すよりは、相手に期待を抱きつつ現状維持を選ぶことが多いでしょう……だって」

「二人とも、割とイメージに合っている気がするね」

「比較的刺激の少ない乗り物だけに、平和な相手を選ぶってことかしらね」

「じゃあ次ね。バンジージャンプを選んだ人は?」

「うッス!」

「星華もでぃす」

「バンジージャンプの人は惚れっぽさが相当高く、見つけた意中の異性を獲得するために積極的にアプローチするタイプです。良く言えば天真爛漫で率直ですが、悪く言えばやや無責任で自己中心的と言えます」

「合ってるな」

「合ってるわね」

「オレのどこが自己中ッスかっ?」

「こんなのと同じにしないでほしいでぃす!」

 

 似た者同士で睨み合う二人だが、それぞれ思いっきり好意をアピールしている件。今までにやってきた心理テストの中では、一番的中率が高い気がするぞこれ。

 

「次はレーシングカートを選んだ人ー」

「…………え? アタシだけ?」

「いや、向こうで先生が小さく手を挙げてるぞ」

「はい。先生もです」

「惚れっぽさ度はそれほど高い方ではありませんが、異性の何気ない行動や仕草を「自分のことを好きなのかも」と良い方に解釈して気持ちを盛り上げるタイプです。相手のことを知ろうとする意欲に欠け、好きと言う気持ちだけで突っ走るので「こんな人とは思わなかった」と一転するような結果になることも……? だそうです」

「ああ。わかりますねえ。先生、自分のことを好きになってくれるような女性が現れたら、例えどんな人であろうときっと好きになると思います」

「イトセン、まだ若いのに諦め過ぎじゃない?」

「大人になると、自分から努力しない限り出会いなんて滅多にないものなんですよねえ。最近は実家に帰ると、教え子でもいいから結婚しろなんて言われ始めました」

 

 もしかしたら明日からのゴールデンウィークも、実家へ帰る日だけは億劫なのかもしれない。遠い目をしながら日の沈む空を眺める伊東先生の言葉は、実に説得力があった。

 

「米倉君と水無ちゃんと梅ちゃんは、ジェットコースターでいいんだよね?」

「はいは~い!」

「ああ」

「そうだね」

「ジェットコースターを選んだ貴方は、標準的な惚れっぽさ度を持ち、行動力も程々の平凡型。適度に交際を重ね、適度に相手のことを知り、恋心を燃え上がらせるタイプです。映画や小説のようなドラマチックな恋愛に憧れないこともないのですが、出会ってすぐに恋に落ちるということはありません。多少我儘に走るところもあるようなので、その点に注意して恋愛気分を盛り上げていってください……だって!」

「はえ~。当たってるかも~」

「そうかい?」

「心理テストを真に受けるなっての。どうせバーナム効果だろ」

「ナパーム効果?」

「バーナム効果だ! 誰にでも心当たりがありそうな曖昧なことを言って、自分に当てはまると勘違いすることだよ。ナパーム効果って、逆にどんな効果だそれ?」

 

 極端な話この結果だって、標準だの平凡だの言われれば誰にだって該当するだろう。

 自分も手を挙げた癖に、何故か俺と阿久津を交互に見ながら当たってると口にした妹は放っておき、楽しかった歓迎会もこれでお開き。俺達は帰り支度を始めた。

 

「ちなみに蕾君はどれだったんだい?」

「私もジェットコースターかな」

 

 …………心理テストの結果は当てにしないが、夢野がジェットコースターを選ぶということに関しては覚えておいて損はないだろう。

 ちゃっかり聞き耳を立てながらも、夢野、望ちゃん、梅の自転車組とは校門前で解散。残った電車組も駅に到着した後で、方向の違う火水木&テツと別れを告げる。

 こうして残るのは俺、阿久津、冬雪、早乙女の四人だが、帰りの会話は相変わらず一対三の状態。月曜の帰りもそうだったが、テツや火水木がいなくなった後は完全にぼっち状態だ。

 

「ミナちゃん先輩。それとついでに根暗先輩も、お疲れ様でぃす」

「お疲れ様」

「お疲れさん」

 

 そして最終的には、行きだけじゃなく帰りも阿久津と二人きりに。まあ行きに比べれば一緒といってもほんの数分だが、この僅かな時間が貴重だった頃もあったっけな。

 

「何となく分かってはいたけど、やっぱり阿久津も心理テストとかは信じないんだな」

「科学的根拠のある精神分析なら信憑性もあるけれど、ああいった本に書かれているようなものはキミも言っていた通りバーナム効果が多いだろうからね」

「あー。精神分析って、フロイトだのユングだのが言ってたやつか」

「極端なことを言うなら、心理テストなんて自分で新しく作れそうだと思わないかい?」

「そうか?」

「それじゃあ櫻に一つ質問をしようか。仮にキミ自身とボクのイメージカラーを聞かれたら、それぞれ何色が似合いそうだと答えるんだい?」

「んー。俺は黒で、阿久津は青かな」

「全てを吸収した色である黒を選んだ貴方は、明るい色の引き立て役。他の色と交わることはない孤独を好んでいるけれど、心の底では寂しがり屋な一面もある感じだね」

「おお! 確かに何かそれっぽいな!」

「まあこれは実在するテストだからね」

「実在するのかよっ? じゃあ青は何なんだ?」

「さて、何だったかな? もう忘れたよ」

「嘘つけっ! その顔は覚えてる顔だっ!」

「何だっていいじゃないか。キミは心理テストを信じていないんだろう?」

「信じないとは言ったが、答えた以上は気になるだろ?」

「ゴールデンウィークが終わった頃には忘れているだろうから問題ないさ」

「覚えてろよ! 覚えてるからな!」

「さて、どうだかね。それじゃあ、ボクは失礼するよ」

 

 不敵な笑みを浮かべた少女を見て、俺もまた小さく笑う。

 そして阿久津は何かを思い出したかの如く、去り際にこちらを振り向いた。

 

「また月曜の朝に会おう」

「ああ。またな」



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二十一日目(日) 米倉家の勉強会が思い出話だった件

「ごめんね。わざわざ来て貰っちゃって」

「全然。元々迎えに行くつもりだったし、この辺りは結構入り組んでるから迷うのも仕方ないって。小学校とか中学校の時も、先生が家庭訪問に来た時は車でグルグルしてたしな」

 

 ゴールデンウィークの半分が経過した五月初日の昼過ぎ。今日は待ちに待った夢野との勉強会ということで、俺は自転車を押しながら道に迷った少女へ道案内をしていた。

 我が家には望ちゃんが何度か来ていたし、住所も知っていたため大丈夫と言っていた夢野だが、地図を見るのは少々苦手らしい。準備万端で待機していたところに『黄色い看板を右に曲がったところだよね?』という逆方向を示すメールが届いたのを見て、俺は素早く自転車に跨ると夢野を迎えに行った訳だ。

 

「そうなんだ。でも足、平気だった?」

「手術してから数日はマジで地獄だったけど、今はもう大して痛くないな。何なら明後日でも明々後日でも弥の明後日でも、藤まつりに行く準備はバッチリだぞ?」

「だーめ。明日には抜糸なんでしょ? 安静にしてなくちゃ。そうやって油断してると、また終わった後になってから痛くなるかもしれないよ?」

「確かにあの先生、抜糸が終わった後になってから「暫くは痛みが続くと思うからー」なんて言い出したりしそうなんだよな…………と、ほら。ここだよ」

「へー。これが米倉君の家なんだ。それじゃあ水無ちゃんの家は?」

「あっちの角の家だ」

 

 俺が指さすと、夢野は興味深そうに阿久津の家を眺める。

 確か日曜は予備校が休みと言っていた気がするが、まあ会うことはないだろう。

 

「よっと。どうぞ」

「お邪魔します」

「いらっしゃーい」

 

 働いている病院は今日と明日が営業日ということで、母親は本日も仕事へ。カレンダー通りの休みである父親はリビングでテレビを見ており、ドアの向こうから挨拶が聞こえた。

 ちなみに梅の奴は今日も部活で屋代に行っており、姉貴が帰省するのは明後日の予定。米倉父は米倉母に比べて干渉しないタイプだし、比較的平和に過ごせそうだ。

 俺達は手を洗った後で階段を上がり二階へ。この日のために大掃除をしておいた自分の部屋へ招き入れると、夢野は感動でもするかの如く声を上げた。

 

「わぁー」

「そんなに驚くような部屋でもないと思うけどな」

「米倉君が私の部屋に来た時も、きっと似たような顔してたと思うよ」

「ん? そうか?」

「だってあの時の私と似たようなこと言ってるから」

「そうだったっけ。まあ適当に座ってくれ」

「うん!」

 

 勉強するための場として、卓袱台と座布団は準備済み。俺が腰を下ろすと、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡していた夢野は向かいに腰を下ろした。

 お互いにゴールデンウィーク前半をどう過ごしたか、特に変わりない近況を話した後で学校から出されている課題を開始。俺が数学を進める中で、夢野は英語を解いていく。

 

「…………」

 

 ハンドバッグを置いたことでπスラッシュ状態は解除。今日は涼しいこともあって夢野の私服はロングスカートであり、普段の制服姿よりも脚の露出は少なかった。

 これなら百人一首の時みたいに、スカートの中を覗こうとしようなんて悪巧みを考える余地はない。うっかり消しゴムを落としてパンツが見えるなんてラッキースケベも、心のどこかでは少しだけ期待していたものの絶対に起こらないだろう。

 

「ねえねえ米倉君。この文の並べ替えってどうしてこういう順番になるの?」

「ああ、それは確か分詞構文で……ちょっと待っててな。あったあった。これだよ」

 

 数学に比べると英語は上手く説明できる自信がないため、一緒になって調べながら解説することで自分自身も知識を再確認していく。

 学校のテストレベルならそこそこ点数を取れるだけの力はついてきたが、模試レベルの問題となると悩みどころ……今度本屋に行って参考書を探してみるべきか。

 

「ふー。肩凝っちゃった。んんーっ!」

「ちょっと休憩するか」

「賛成!」

 

 去年の夏休みに阿久津と勉強をした時は一時間半に対して十分間の休憩だったが、一時間経過したところで夢野が息を吐くと身体を大きく伸ばす。

 

「何か飲み物でも持ってくるか?」

「ううん。大丈夫。ねえねえ、米倉君の卒アル見てみたいな」

「卒アル? 卒寿でアルバイトの略か?」

「探したらいるかもしれないけど、物凄く大変そう……じゃなくて、卒業アルバム!」

 

 いの一番で避けたかった話題を振ってくる夢野。せっかく時間潰しのアイデアを色々考えていたものの、こうして見たいと言われてしまった以上はどうしようもない。

 

「卒アルか……正直言ってあんまり見せたくないんだよな」

「えー? 私は小学校とか中学校の米倉君とか水無ちゃん、見てみたいんだけどなー。今度私のも見せるから、ね? お願い!」

 

 夢野はきっと小学生の頃も中学生の頃も可愛いだろうからいいが、俺の卒業アルバムは黒歴史以外の何物でもない。それこそ短歌風にまとめた作文とか、恥ずかしいにも程がある。

 しかしながら両手を合わせたおねだりポーズで懇願されては断ることもできず、俺は棚の奥に封印していた小学校と中学校の卒業アルバムを用意。その後でちょっと待つように言い残してから部屋を出ると、二年生と四年生の時に作った文集を持ってきた。

 

「色々あるんだね。どれから見よっかなー」

「中学から遡っていく方がいいぞ」

「そうなの? どうして?」

「不味いものは先に食べた方が良いと思ってさ」

「えー? そんなことないと思うけど?」

 

 人生の汚点の口直しとして見てもらうための文集は卓袱台の上に残され、夢野は俺の奨めに従い中学校の卒業アルバムから手に取ると中を開く。

 

「米倉君と水無ちゃんって何組だったの?」

「俺も阿久津も二組だよ」

 

 校歌や校長先生と教頭先生の写真&コメントに始まり、クラス毎に分けられた個人写真のページへ。滅多に笑わない生徒ですら笑顔で映されている中、夏に撮影したため俺の写真は汗なのか油なのか妙にテカっており、逆向きから見ても本当に気持ち悪かった。

 

「米倉君は今とあんまり変わらないね」

「え」

 

 …………それは今も汗なり油でテカってるってことなんでしょうか?

 夢野の一言で微妙に凹むものの、自分の容姿レベルに関しては鏡を見る度に実感させられている。マイナスから0くらいにはなったと思っていたが、確かにプラスじゃないことには変わりないか。

 とりあえず中学の一件以来は体臭なり口臭に充分気を付けているし、この部屋に沁みついていたであろう男臭さも全力で消臭したため、そこに関しては大丈夫な筈だ。

 

「水無ちゃん、やっぱり可愛いね」

「写真では笑ってるけど、普段は仏頂面で近寄りがたかったんだぞ?」

「本当に? そうは見えないけど」

 

 更にページを捲ると今度は部活動紹介。普段は幽霊部員の癖にちゃっかり映っている知り合いが数名いる中で、帰宅部だった俺がどこにもいないのは夢野も知っているため、見たのは女子バスケ部の写真だった。

 運動部のユニフォーム姿なんて運動会の部活動対抗リレーくらいでしか見る機会がなく、二の腕まで露わになっている阿久津の貴重なユニフォーム姿も、ここにある集合写真とフリースローを打っている写真の二枚だけである。

 

「水無ちゃん、恰好良い! カッコカワイイ!」

「みなちゃん(可愛い)がいるなら、みなちゃん(可愛くない)もいるってことか?」

「それならきっと米倉君(恰好良い)もいるよね?」

「あー、もう絶滅したらしいぞ」

「えー?」

 

 ちなみに米倉君(恰好悪い)なら被害が出るほどに大量発生していたりする。そのため現在は米倉君(普通)に品種改良できないか鋭意努力中だ。

 

「米倉君って何委員だったの?」

「流石にもう忘れたな」

 

 部活動の次は委員会のページ。意気揚々と探し始める夢野だが、一分も経たないうちに給食委員で不審人物を発見。何でそんな委員会を選んだのかなんて全く覚えてないし、具体的にどんな活動をしていたのかすら一切記憶には残っていない。

 先へ進めば今度は行事のページ。屋代の文化祭に比べると規模の小ささを実感させられる文化祭や、正直面倒だった持久走大会に合唱コンクールなど三年間通して行われた行事。そして修学旅行は勿論のこと、スキー教室や職業体験学習なんてものまであった。

 

「あっ! スキー教室は私も行ったよ。初心者コースだったけど、スキーって難しいよね」

「そうか? 俺も初心者だったけど、最終的には割と何とかなったイメージだぞ」

「本当? 歩くだけでも難しくなかった? あんなに長い板を履いて歩くことなんてないから、普通に歩いてるつもりが知らない間に後ろで板同士が重なってたりして、そのまま足を上げようとしては転んでの繰り返しばっかりだったんだけど」

「あー、確かにそれはわかる」

「後は一番最初にインストラクターさんが「まずは転んだ時に起き上がる練習をしましょう」って言って説明を始める前から転んで迷惑掛けちゃったし、キックターンとかも足が全然上がらなくて大変だった記憶しかないよ」

「キックターンって、片足上げて方向転換するアレか。そんなのもあったな」

「米倉君は、何かそういう大変なことなかったの?」

「そうだな……足をハの字にしたら止まるって聞いたのに、どんどん加速して全然止まらなくてさ。まだ滑り始めでストックも持ってない時だったから、必死に両手でブレーキ掛けたことはあったぞ。こう、うおおおおおおおおおおおおっ! って感じで」

 

 屈んでいる姿勢から両手をついた、蛙倒立の準備段階みたいなジェスチャーを交えつつ説明すると、その時の様子を想像したのか夢野がクスクスと笑う。

 結局のところはスキー板を縦に立てるようにすることでブレーキが掛かる訳だが、そんなことは教わっていない。できればハの字(立体)とか言って欲しかったところだ。

 

「職業体験学習とかも懐かしいね」

「夢野はどこに行ったんだ?」

「私は保育園だよ」

「そう! そういうのが普通だよな!」

「どういうこと?」

 

 不思議そうに夢野が首を傾げる中、俺は待ってましたとばかりに語り始める。

 

「いやさ、俺の時も黒板に色々と選択肢が書かれた訳だ。保育園、ファーストフード、本屋、消防署、家電量販店、老人ホーム……そんな中で、明らかに変なのがあったんだよ」

 

『○○保育園』

『ワクドナルド』

『△△書店』

『□□消防署』

『☆☆電気』

『河城組』

『老人ホーム◇◇の里』

 

「えっ? 河城組って何っ?」

「だろっ? そうなるだろっ? それで俺達もザワついた訳だ。あれ、これヤバくねって。完全に暴力団とかヤクザとかそっちじゃねって。全然何をする場所かわからなかったし、当たり前だけど誰も希望者がいなかったんだよ」

「うんうん」

「俺は本屋を希望してたんだけど、人気が高くてジャンケンになってさ。それで負けた結果、河城組に行く……いや、カチコミすることになったんだけど」

「ふふ。カチコミって」

「いざ到着したら意外と普通の人が出迎えてくれてさ。ホッと一安心しながら案内された部屋に荷物を置いて、さあ見学に行こうってなった時にヘルメット渡されたんだよ。危ないからこれをかぶってくれって」

「ヘルメットっ?」

「本当に何の職業を体験するんだよ俺達って思ったけど、種を明かすと建設系の会社でさ。クレーンとかも作業して危ないからかぶってくれってことだったんだよ」

「なーんだ。ビックリしちゃった。どんな体験したの?」

「コンクリの耐久度テストをするところとか見せて貰ったり、壁を作る工程の一部を手伝ったりとかかな。それとお昼のお味噌汁が凄く美味かった」

「へー。あ! ひょっとしてこの写真?」

「そうそう。それは壁の溝に入ってるゴムを取ってるところだな。本屋に行った奴とかは本を貰ったりしてたのが羨ましかったけど、何だかんだでいい場所だったよ」

「そうなんだ。それにしても河城組って、名前だけ聞いたら絶対に勘違いしちゃうね」

「実際アキトに話した時も同じような反応だったな。向こうが「職業体験はどこに行ったので?」って聞いてきたから「河城組」って答えたら思いっきり噴き出してたよ」

「河城組……ふふ」

 

 インパクトのある名前に夢野がクスクスと笑う。苗字+組が企業名になっている会社は意外にもかなり多いことを後になってから知ったが、やっぱりそっちのイメージが強いんだよな。

 他にもいつの間に撮られていたのか疑問になるような写真や、無駄にカメラ目線の生徒がいる写真を眺めた後で、最後に在校期間中の出来事を記した年表ページをチラリと見てから中学校の卒業アルバムは閉じられる。

 続いて夢野が手に取ったのは小学校の卒業アルバム。中身の構造は大して変わらず、先程同様にクラスを聞かれた後でページが開かれた。

 

「米倉君、可愛いね」

「いや、これはもう劣化の進行が始まってるな」

「えー? そんなことないよ」

 

 優しく否定する夢野だが、この後で四年と二年の文集に貼ってある集合写真を見れば全てを理解するだろう。

 姉貴や梅からも称賛され、自分でもどうしてこんな突然変異をしてしまったのかと思うほどに可愛かった幼き日の俺を前にしてどんな反応を示すか、今から楽しみで仕方ないくらいだ。

 

「あっ! 水無ちゃんの髪が短い!」

「それでも長くなってきた方だったけどな」

「もっと短い時があったの?」

「ああ。四年生までは男子と見間違えられるくらい短かったよ」

「ふーん。そうなんだ」

 

 別のクラスのページに移るなり、笑顔を浮かべている阿久津を見て夢野が驚く。

 かつてベリーショートだった少女の髪は、肩に掛からない程度のショートカットにまで伸びていた様子。そしてこの髪は、高校一年の冬まで切られなかった訳だ。

 

「さーて、米倉君と水無ちゃんは何クラブかなー?」

「夢野は小学生の頃、何クラブだったんだ?」

「私は家庭科クラブだよ」

「成程、合ってるな」

「見ーつけた!」

 

 人数を見る限り男子に人気だったのはスポーツゲームやソフトサッカーや卓球といった運動系のクラブで、女子にはバレーボールやバドミントン、それとバトンクラブ辺りが人気だったらしい。

 そんな中で阿久津は男女共に人気があったミニバスケットクラブという納得の選択に対し、俺が入っていたのは室内ゲームクラブ。この頃はデュエリストとして人生を謳歌していた気がする……桜花だけにな

 

「米倉君は書き初めとか得意だった?」

「本来なら『親しい友』と書くべきところを、うっかり『新しい友』と書くくらい苦手だ」

「それは苦手に入らないと思うよ? 寧ろどうしてそうなったの?」

 

 笑いながら尋ねてくる夢野だが、正直言って俺にも分からない。

 毛筆は苦手どうこう以前に使い終わった筆をちゃんと洗っていなかったため、先端以外はろくに曲がらないカチンコチンな状態で書いていた記憶しかなかったりする。

 

「書き初めといい風景画とかポスターといい、賞を取る奴って毎回大体決まってたよな」

「そうそう! 私も金色の折り紙が貼られたのは一回だけだったなー」

 

 通常授業の風景に始まり、水泳や書き初めといった懐かしい授業。そして林間学校や鼓笛による交通安全パレードといった行事の写真に懐かしさを感じつつ眺めていく。

 そして一番の問題である作文ページに入る直前で、とあるページが目に留まった。

 

「米倉君、人気者だったんだね」

「担任の先生が良い先生で、クラスも仲良しだっただけだよ。中学の卒業アルバムにも一番最後に付いてたけど、あっちは真っ白だっただろ?」

 

 夢野の手によって開かれたのは、元々は白紙だったページ。友達や先生からのメッセージを書くスペースとして用意されている、寄せ書きのためのページだった。

 卒業式の当日に渡されてメッセージを書いて貰うのは中々に大変だが、小学六年生の俺はそれなりに頑張った様子。大半は中学校に行っても頑張ろうだの宜しくだのと同じ内容ではあるものの、そこにはクラスメイト全員からのコメントが残っていた。

 

「六年生の頃から算数、得意だったんだ」

「まあな」

「これからも面白いギャグをどんどん言ってね……だって!」

「その辺は今と大して変わらないかもな」

「この『タコタコタコタコタコタコ』って書かれてるのは?」

「その書いてる奴、タコ好きだったんだよ。別に罵られてる訳じゃないぞ?」

「ふふ。そうなんだ。あれ? 水無ちゃんからのメッセージは?」

「アイツは違うクラスだったからな」

「そっか」

 

 阿久津との関係は疎遠になり始めていた時期だが、それでも何だかんだでこの頃は本当に楽しかったと思う。

 だからこそ中学生になってからは、ずっと小学生に戻りたいと思っていた。

 だけど今は違う。

 この高校生活をいつまでも続けていられたら……最近はそう思ってばかりだった。



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二十一日目(日) 性欲とは異なる幸福だった件

 寄せ書きを見終わった後は問題の作文ページへ。阿久津が『六年間の思い出』という素晴らしい作文を書いていた中で、俺の短歌風作文を読んだ夢野は当然ながらお腹を抱えるほどに笑っていた。

 口直しがてらに見た四年と二年の文集でも作文は相変わらずカオスだったが、集合写真を見た夢野は予想通り今日一番の反応を示す。特に二年生の俺に対しては可愛いの連呼で、これ以上ないくらい盛大に褒めてもらった。

 二年と言えば、そろばん教室で俺と夢野と再会した時でもある。俺からすればこの無邪気で可愛い男の子こそがクラクラと呼ぶに相応しい存在だと思っているが…………本当、どうしてこうなった。

 

「そろそろ再開するか」

「うん!」

 

 何だかんだで十分どころか三十分近くアルバムや文集を見た少女は、充分な休憩が取れたのか気合いを入れ直す。夢野は英語を続ける中、俺は化学へと教科を変えた。

 自腹で買った参考書を元に、無機化合物における重要箇所を手帳サイズのノートにまとめていく。赤シートを当てた時に消えるよう、覚えるところは勿論オレンジ色のペンだ。

 この自腹で参考書を買うというのは、アキト直伝の勉強方法。こうすることで「こんな物のために1400円+税なんて大金を払ったのか……」という強い後悔を胸に抱き、悲しみと怒りのパワーを勉強に向けられるという訳である。

 

「ねえ米倉君。おやつにしない?」

「おやつ?」

 

 再び一時間ちょっとの勉強をしたところで、夢野が唐突に子供っぽい提案をしてきた。時刻は三時半とおやつには少し遅いくらいだが、言い方が可愛いので問題ない。

 

「私、ブラウニー作ってきたんだ」

「マジか! それならティータイムだな。紅茶でいいか?」

「うん。あ、何か手伝うことある?」

「大丈夫だ。夢野はお客さんなんだし、ゆっくりしててくれ」

 

 俺は部屋を出ると一階へ下りる。バレンタインでもないのに夢野の手作りお菓子が食べられると聞いて、テンションは上がり気付けば鼻歌を口ずさんでいた。

 リビングへ向かうと、そこにはソファでいびきをかいて寝ている父上が。こんな姿はとても見せられないと思いつつ、点けっぱなしだったテレビを消すとお湯を沸かして紅茶の用意をする。

 

「んー」

 

 こちらも何かしら紅茶に合うものを出そうと探してみたが、棚に入っていたのは柿ピー及びスナック系の菓子類のみ。母上がいたなら秘蔵の一品が出てきたかもしれないが、流石にその隠し場所まではわからないので仕方なく諦めることにした。

 そうこうしているうちにお湯が沸騰したため、二つのティーカップに紅茶を注ぐとお皿やフォークと合わせてお盆に載せつつウキウキで階段を上る。

 自分の部屋に戻るとそこには、起き上がって仲間になるブラウニーしか知らない俺にとっては神々しく見える、それはそれは美味しそうな焼き菓子が用意されていた。

 

「おお…………って、どうしたんだ?」

「ううん。何でもない。映画館で撮ったプリクラ、そこに飾ってるんだね」

「ああ、それな」

 

 部屋に戻るなり、挙動不審に素早く元の位置へと戻った夢野。どうやら俺の机の上の透明なマットに挟んである、以前映画へ行った時に一緒に撮ったプリクラを見ていたらしい。

 写真が苦手であるため今までは拒否したり隠れていたものの、今回は断ることもできずに覚悟を決めたが、いざ撮影してみると写真とは完全に別物。夢野の手によって加工が施された結果、俺ですら見られるレベルになるのだから本当に驚きだ。

 

「私としては、もっと持ち歩くものとかに貼ってほしかったな。携帯とかお財布とか」

「そういうところに貼ると失くしそうでさ……っと、砂糖とミルクは?」

「ううん。大丈夫。あ! このお皿、米倉君が作ったお皿でしょ?」

「陶芸部だからな」

「じゃあこっちのマグカップは?」

「それはちょっと勘弁してくれ。湯呑ならあるんだけどな」

「ふふ。でも、こういうマグカップも陶器で作れたりするのかな?」

「ああ。前に冬雪が作ってたのを見たことがあるけど、湯呑の成形をした後で取っ手部分を付けるだけだよ。ただその作業がちょっと大変そうでさ」

「へー。陶芸って何でもできちゃうんだね」

「そりゃまあ、部室で卓球できるくらいだからな」

「そういう意味じゃなくて!」

 

 夢野お手製のブラウニーがそれぞれの皿に移されると、チョコレートの香りがふわーっと漂ってくる。それだけでもう美味しそうで、思わず涎が出てしまいそうだった。

 

「いただきます」

「めしあがれ♪」

「うん! 美味い! メッチャ美味い!」

「本当っ? 良かった」

 

 アイスのような冷たさと、濃厚なチョコレートが口の中に広がる。表面は程良く硬いが中身はしっとりとした生地で、甘過ぎることもなく紅茶にピッタリだ。

 

「うん、凍ってたらどうしようと思ったけど、程良く解凍されてるかも」

 

 普段ならパクっと平らげてしまうところだが、今日はちびちびと丁寧に味を噛み締める。

 俺がフォークは進めている中で、ふと夢野が手を止めてこちらを眺めていたことに気付いた。

 

「ん? どうしたんだ?」

「ううん。米倉君が幸せそうで嬉しいなーって思って」

「そりゃ幸せだよ。こんな美味しい物を食べられるなんて思ってもなかったからさ」

「普段からテスト勉強の時はお世話になってるし、作るのもそんなに大変じゃないから。これくらいでいいなら、いくらでも食べさせてあげるよ?」

「マジか。ぜひ頼みたいところだな」

「うん。いいよ。じゃあ食べさせてあげる。はい、あーん」

 

 そう言うなり、夢野が自分のブラウニーを乗せたフォークを差し出してくる。

 一瞬戸惑いはしたものの、その笑顔に魅入られるかの如く身を乗り出すと、若干照れ臭かったがダブルミーニングで食べさせてもらった。

 のろけに聞こえるかもしれないが、同じブラウニーの筈なのにこれだけで更に美味しく感じるのだから本当に不思議である。

 

「ねえねえ、私にもお願いしていい?」

「え? あ、ああ」

 

 あーんしてもらったことすら、去年の春休みのバイト休憩中に阿久津から一度してもらっただけであり、人にあーんをする立場なんて初めての経験だ。

 自分の皿に乗っていたブラウニーをフォークで刺すと、やや震える手で夢野に向けて差し出す。そのまま口元へ運ぶと、夢野はパクッと口を閉じた。

 

「うん。美味しい♪ これ、一度やってもらいたかったんだ」

 

 嬉しそうな夢野を見て、自分がブラウニーを食べた訳でもないのに心が満ち溢れる。こんなに幸せだと、明日の抜糸が失敗したりしないか不安になってくるな。

 

「ごちそうさまでした」

「御粗末様でした。ねえ米倉君。米倉君は何か私にしてほしいことってないの?」

「いやいや、テスト勉強を手伝ったくらいで、そこまでしてもらわなくても大丈夫だって。こうやってブラウニーを作ってくれたりしてくれるだけで充分嬉し過ぎるくらいだよ」

「ううん。勉強のお礼だけじゃなくて、プラネタリウムに誘ってくれた時以外は私から提案してばっかりだったから。この前の映画も、今回の勉強も。文化祭の時だってそうでしょ? どこか行ってみたい場所とかないのかなーって」

「んー、そうだな……」

 

 腕を組みつつ悩むが、行きたい場所はあっても金銭面が辛かったりする。今日みたいにお金が掛からない場所なら問題ないが、今は夏祭りに備えて貯金中だ。

 

「夢野が誘ってくれる場所が、俺にとって行きたい場所でもあるからさ」

「本当に? 私の独りよがりじゃない?」

「そんなことないって。現に俺がつまらなそうにしてたことなんてなかっただろ?」

「それは確かにそうだけど、でも何だかいつも我儘に付き合わせちゃってる気がして。私も何か米倉君の願いを叶えてあげたいんだけど」

「そう言われても、これといって特にないからな」

「えー?」

 

 まるで何でも叶えてくれるみたいな口振りの夢野に対し、紅茶を飲みつつサラリと答える。

 言うまでもなくこれは建前であり、本音を言えば煩悩だらけ。今の俺の脳内では邪鬼眼を封じるかの如く「鎮まれ! 鎮まるんだ俺の欲望!」といった状態だ。

 

「じゃあ肩揉んであげるね」

「いや、いいって」

「いいからいいから。遠慮しないで」

 

 ブラウニーを食べ終わるなり立ち上がった夢野は、俺の背後へと回り込んでくる。

 そして少女の細い指が俺の肩に添えられ、優しいマッサージタイムが始まった。

 

「お客さん、凝ってますねー」

「そうか? あー、今は大丈夫だけど、高校受験の時に一回だけ物凄く肩が凝ったことあったっけ。多分変な姿勢で勉強してたからなんだろうけど、あれは驚いたな」

「米倉君、勉強のやり過ぎだったんじゃない?」

「そんなことないっての。寧ろ本当にマジでやらないとヤバかったくらいだよ。正直に言って、今年の梅を馬鹿にできないくらいにギリギリだったからさ」

「ふーん……よいしょ! 大丈夫? 痛くない?」

「ああ。丁度いいし、気持ちいいよ」

「良かった。足とか背中もマッサージしてあげよっか?」

「いやいや、全然凝ってないし、流石にそこまではやらなくて大丈夫だって」

「私のマッサージ、気持ちいいってお母さんに評判なのに」

 

 今の状態ですら吐息を感じるだけで興奮するくらいなのに、そんなことをされた日には俺の理性が決壊まで秒読みになってしまう。これ以上ない魅力的な提案なのに、断らなければいけないという辛さ……平然と振る舞ってはいるが血の涙が出てきそうだ。

 

「寧ろ夢野は他に行きたいところとかあるのか? 俺にしてもらいたいことでもいいぞ」

「うーん。いっぱいありすぎて困っちゃうかも」

「そんなにあるのか。例えば?」

「プリクラを持ち運ぶ物に貼って貰うこと!」

「それ、そんなに重要度高かったのか?」

「うん。物凄く高いよ? 後は…………やっぱり呼び方かな」

「呼び方?」

「だって米倉君、望のことは名前で呼んでるんだもん」

「別におかしくないだろ? 伊東先生も似たようなこと言ってたけど、夢野って呼んだらどっちを呼んでるのかわからなくなるんだし」

「それなら私のことを名前で呼んでほしかったなー」

「夢野が夢野じゃなくなって望ちゃんが夢野になったら、それはそれで今度は俺が混乱するっての。夢野がゲシュタルト崩壊を起こすから、呼び方変更の申し立ては却下だな」

「えー?」

 

 してもらいたいことがあるか聞きはしたものの、叶えるとは言っていない。例え本人が呼んで欲しいと言っていても、名前呼びは周囲の反応を考えると流石に抵抗がある。

 俺の肩をトントンと軽快に叩いていた夢野は次なる願い事を考えているのか、うーんと悩むような声を出すと少ししてから手を止めた。

 

「後は……こうしたいかな」

「!」

 

 そう呟くなり、少女はそっと身を寄せてくる。

 俺は背後から抱きつかれるような形で、優しくハグされていた。

 

「あ……えっと……夢野……さん?」

「駄目?」

「いや、駄目じゃないけど……その……」

 

 合宿の時に言ってはいけないことだと学んだが、布越しに二つのプニュっとした物がムニュっと押し付けられている感触ばかり気になってしまう。

 更には全身を抱擁されているが、夢野の腕がまた柔らかい。密着したことで良い匂いもする一方で、このお預け状態に発情してはいけないというのが辛いところだが、同じ失敗を繰り返す訳にもいかず冷静になるよう自分に言い聞かせる。

 

「本当はもっと色々な所に行きたいけど、受験生ってなるとそうも言ってられないよね」

「ま、まあそうかもな」

「これで中間テストが終わったら、またあっという間に期末テストで…………ずっとそんな繰り返しばっかりだったのに、もう三年生なんて嘘みたい」

「そうだな。ついこの前まで一年生だった気がするよ」

「私も。このまま高校生が続けばいいのに。いつまでもこうしていられたら良かったのにね」

「夢野……」

 

 寂しげに呟いた少女は身を寄せたまま、ゆりかごのようにゆっくりと身体を揺らす。

 そうしているうちに、俺も夢野が抱きついてきた理由が何となくわかってきた。

 

「男の人の背中って大きいね」

「そうか?」

「うん。米倉君、温かい……それに私の好きな匂いがする」

「どんな匂いだ?」

「米倉君の匂い……かな?」

 

 幸福感とでも言うべきだろうか。

 語り合い、肌が触れ合い、一緒にいられる。

 たったそれだけのことなのに、不思議と心が満たされていく。

 

「夢野」

「何?」

「ありがとな」

「うん」

 

 性欲とは全く異なる快楽……今こうしている自分がいるという喜び。

 人の温もりを感じたいという気持ちを、今になってようやく理解できた気がする。

 夢野に背中を預けた俺は、これ以上なく幸せだった。



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二十一日目(日) 相性診断が28%で100点だった件

「そういえば、この前の歓迎会について望ちゃん何か言ってなかったか?」

「物凄く楽しんでたけど、どうして?」

「いや、心理テストはともかく王様ゲームがカオスだったからさ。一年生は一人だし、あの空気についていけなくて陶芸部が嫌になったりしないか不安で不安で」

「そんなことないってば。あの子、落ち着いてるように見えて賑やかなの大好きだから。ああいうパーティーとかお祭りとか、それこそ大歓迎だと思うよ?」

「そうか。それなら良かった」

「あ! 心理テストで思い出した! 米倉君にやってほしいことがあるんだけどいい?」

「ん? 何だ?」

「ちょっと待っててね」

 

 ティータイムを終えた俺達は再び一時間の勉強タイム……と言いたいところだが、流石に集中力が切れてきており三十分ほど経ったところで雑談が増え始めてきた。

 気付けば絵しりとりで遊んだりしながらダラダラ勉強していたところで、夢野がふと思い出したように口を開くとスマホを取り出す。

 それを見た俺もペンを置くと一休み。スマホでやってほしいことと言われて真っ先に思いつくのは、よくクラスメイトから「俺の記録を抜いてみろ」とやらされるゲームの挑戦状だが、まさか夢野もハマっているゲームがあったりするんだろうか。

 

「はい、これ。よく当たるんだって!」

 

 差し出されたスマホを受け取って画面を確認すると、そこには『二人でやる相性診断』の文字。一体何かと思えば、いかにも女子が好きそうな占いだった。

 相性診断なんて、中学の頃に電卓でやった時以来かもしれない。名前を数字に変換して2で割りまくるなり√ボタンを押しまくるなりして、最終的に少数第二位までとか下二桁とかが相性を示すパーセントになるとか、一体誰が広めたのかそんな変な占いが流行ってたんだよな。

 

「二人でやるって、ちょくちょく交代してやるのか?」

「ううん。まずは米倉君が一通り答えて、全部答え終わったら私が答える感じ」

「成程。了解だ」

 

 よく当たると言われても、当然ながら俺は相性診断も心理テスト同様にあまり信じてない。まあそんなことを言ったら興醒めだし、当然ながら黙っておいた。

 冒頭には注意書きで『見栄などを排除し、素直な心で、率直かつ直感的な回答を心掛けてください。悩み過ぎず「なんとなく」で回答してください』とのこと。名前に性別、生年月日を入力すると、早速質問が始まる。

 

 

 

『あなたに当てはまるもの、およそ同意できるもの、を全て選んでください』

 

・日本人がハロウィンに浮かれるのは、違和感がある。

・べつに楽しければ良いのではと思う。気持ちは分かる。

・なんでクリスマスにカップルで過ごすのかが、正直よく分からない。

・理由はともかく、それで良いと思う。深く考える必要はないと思う。

 

 

 

「…………」

 

 基本はこんな感じで、正反対の質問が交互に並んでいる様子。時にはどちらもあてはまらないためスル―したり、逆に両方当てはまる場合もあった。

 慣れない手つきでスマホを操作しながら淡々と答えていくと、今度は一風変わった問いかけをされる。

 

 

 

『彼氏彼女ができたと仮定して、あなたは相手に甘えたい人ですか? 放っておかれたい人ですか? ニュアンスが近いものを、無理にでも、一つ選んでください』

 

・ベタベタに甘えたい。安心してうずくまりたい。大事にされて、ケアされたい。

・基本的には好きなように自由に生きたい。放置されたくないが、見守っていてほしい感じ。

・甘えたいときもあるが、尊敬できる人と高め合って、ついていきたい感じ。素敵だとも思われたい。

・尊敬されたいしカッコよく強くありたい。甘えたくはない。ついてきてほしい、という感じ。

・甘えたいというより、守ってあげたい。親密で、安心感のある関係を築きたい。気持ちを分かってあげたい。

・基本的に好きなように生きたいが、いざというときは頼れる存在でありたい。親密というより、遠目で見守る感じでいたい。

 

 

 

「………………」

 

 これは一つだけを選ぶということなので、俺は『甘えたいときもあるが、尊敬できる人と高め合って、ついていきたい感じ。素敵だとも思われたい』を選択する。

 更にその後も、再び一つ選ぶタイプの質問が続いた。

 

 

 

『次のうち、あなたの好きなタイプを、あえて一つに絞って選んでください。無理にでも一つ選んでください』

 

・かわいらしくて心優しいが、弱くて、ほっとけない人。寂しがり。

・生意気だったり偉そうなところもあるが、なんだか、かわいさもある人。

・物腰柔らかで、明るく、すっきりしていて、ちゃんとしている人。

・しっかりしていて、前向きで、強い気持ちや強い意志を持った人。

・優しくて、思いやりや癒しがありつつ、安定感や安心感のある人。

・尊敬できて、偉大で、小さなことにこだわらず、あまり干渉してこない人。

 

 

 

「……………………」

 

 思わず手を止め、チラリと夢野の方を見る。

 俺が答え終わるのを待っていた少女は、目が合うなり首を傾げつつ尋ねてきた。

 

「終わった?」

「いや……もうちょいだ」

 

 いざ自分の好きなタイプを聞かれると、どれもこれも当てはまってしまいそうな気がして困ってしまう。ぶっちゃけ『かわいらしくて』と『かわいさもある人』とか同じだし、『ちゃんとしている人』と『しっかりしていて』も変わらないだろ。

 直感で答えるよう最初に言われていたものの、少し悩んだ後で『優しくて、思いやりや癒しがありつつ、安定感や安心感のある人』を選ぶ。やっぱり一緒にいて安心する人が一番大切…………なんだろうか?

 

『二人目の方に操作を渡します。二人目の方がすぐそばにいるなら、下のほうにある「次の質問」に進み、この携帯(またはPCの操作)を渡すだけでOKです。下の「つづきURL」をコピーして相手に送るのも良いでしょう』

 

 最後に趣味や興味があるものを聞かれ、ようやく俺の回答タイムが終了。次の質問を押した後で、楽しそうに出番を待っていた夢野にスマホを返却する。

 

「ん、終わったぞ」

「ありがと」

 

 今度はスマホを受け取った夢野が診断を開始。時折断片的に口に出てくるワードを聞いている限り、どうやら答えているのは同じ質問らしい。

 五分ちょっとが過ぎたところで夢野も回答を終え、いよいよ診断の結果発表。向かいに座っていた少女は立ち上がると、俺にも見えるように隣へ移動して腰を下ろした。

 

「じゃあ、いくよ?」

「おう」

 

 二人でピタッと寄り添いながら、小さい画面を覗きこむ。

 夢野の細い指によってページがスライドしていき『タップ/クリックで表示』と書かれている総合的な相性の項目を軽くタッチした。

 

 

 

『28%』

 

 

 

「…………」

「………………」

「……………………30%満点か?」

 

 予想以上に反応に困る数字が出てきたため思わずポツリと一言。そんな俺のボケが夢野にはウケたようで、一瞬静まりかけた部屋の空気が和みあるものへと戻る。

 ちなみに判定基準としては95%以上が『極めて良い』から始まり、5%刻みで『とても良い』『良い』『まぁまぁ良い』『普通』『微妙な感じ』とランクが下がっていく。そして60%~69%が『残念』で、50%~59%が『危険』となり、50%以下は『しんどい』とひとまとめ。そう考えると28%というのは、ある意味で中々の数字だ。

 

『細かな差異は当然にありますが、全体で眺めると「似た者同士」です。似すぎです。似た者同士は、付き合うのが楽ですし分かり合いやすいのですが、発展性や新鮮味が足りなかったりドキドキ感が薄れやすく、関係が緩み切ってしまう可能性があります。またスタート時に気持ちに火がつかない(良い友達として終わる)可能性も高いでしょう』

 

 でかでかと『似すぎ』と書かれた項目の下の説明を読んでいく俺達。しかしながら最後には小さく※印で『似た者同士の二人、正反対の二人、どちらが良いということではありません。一長一短あります』という、結局どっちつかずなコメントが添えてあった。

 

「私と米倉君の似てるところってどこだろうね?」

「んー、のんびり屋な性格とか?」

「うん。それは合ってそう」

 

 総合的な相性評価の後に続くのは性格の比較。四種類の観点から比べて点数付けをしているものの、これまた最初には『なお、「性格が違う=相性が悪い」ということではありません』という注意書きがしてあったりする。

 

 

 

【性格比較その1。論理性や正しさを大事にするか、気持ちや感じ方を大事にするか】

 

・米倉櫻さん

 論理性や正しさよりも、やや、気持ちや感じ方を重視する傾向にある。たまに目先の気持ちに振り回されて、重要なことを見失うこともあるが、この傾向が「強すぎる」わけではないので、極端な人ではない。バランスは取れている。

 

・夢野蕾さん

 論理性や正しさよりも、気持ちや感じ方を重視する。その傾向が強すぎるので、しばしば「筋が通らない」「目先のことしか考えない」状態に陥る。ただし人間としては魅力があり、分かりやすく、シンプル。

 

・この点での相性は?

 中途半端に近いので、分かり合いやすい面はありますが、いまいち惹かれなかったり尊敬し合えないかもしれません(スコア、60点)

 

 

 

「心当たりあるかも」

「俺もだ」

「お互い目先の気持ちに振り回されないようにしないとね」

「そうだな」

 

 真っ先に思い浮かんだのは文化祭の時の暴走。これもバーナム効果ではあると思うが、こんな診断にまで警告されたような気がして改めて反省する。

 夢野が論理性よりも気持ちを大事にするというのは割とイメージ通り。仮にこれが阿久津だった場合、言うまでもなく論理性に極振りになるに違いない。

 

 

 

【性格比較その2。 競争や力を重視するか、協調性や思いやりを重視するか】

 

・米倉櫻さん

 ときに力の論理を重視し、ときに思いやりや協調性を重視する。どちらにも偏っていない。

 

・夢野蕾さん

 やや「思いやり」「協調性」を重視する傾向にある。例えば結果が出なくても「結果が全て」ではなく「頑張ったことが大事」などと考えがち。様々な経緯や背景なども含めて考えるので、単純に弱いのが悪い、能力が低いのが悪い、などと考えない。優しいが、現実を前にして多少は甘いところがある。

 

・この点での相性は?

 この点ではとても似通っています。長期的な摩擦は減りますが、お互いの尊敬や刺激、という点では物足りないかもしれません(スコア、20点)

 

 

 

「基本的に似てると点数が低いんだね」

「そうみたいだな。それにしてもさっきから俺、中途半端な結果ばっかりじゃないか?」

「ふふ。私は合ってると思うよ?」

 

 そして心なしかこの診断、やたら尊敬について示唆してくる気がする。付き合った後も長続きするためには、尊敬されるような人間にならないと駄目ってことか。

 

 

 

【性格比較その3。野心や向上や生産を重視するか、日常や平穏や消費を重視するか】

 

・米倉櫻さん

 目標を達成したり、努力で何かを積み上げていこうという人ではない。完全に、毎日をハッピーに、穏やかに、できればダラッと生きていきたいタイプ。ガツガツしている人にとって清涼剤のような存在にもなり得るし、お荷物にもなり得る。

 

・夢野蕾さん

 どちらかと言えば、毎日の小さな幸せを噛みしめるよりは、目標を達成したり、価値あることをしたいと思うタイプ。尊敬や感心されやすい人だが、一緒にいると落ち着かないかもしれない。

 

・この点での相性は?

 成功や向上すること、毎日を平穏に暮らして気持ちを満たしていくこと、どちらも重要だということを理解し合う必要があります。分かり合えれば、良い組み合わせだと言えるでしょう(スコア、80点)

 

 

 

「ようやく中途半端じゃなくなったと思ったら、滅茶苦茶に言われてる気がするぞ?」

「今もこうやって勉強、一生懸命頑張ってるのにね」

「よし! いっそのこと主夫になるか!」

「米倉君、料理できるの?」

「ラーメンとカレーとシチューなら任せろ!」

「小学生の好物みたいなラインナップだね」

 清涼剤ならまだしも、お荷物にはなりたくないところ。清涼剤という言葉は隣に寄り添っている少女にこそピッタリな気がするが、何だかんだで夢野はしっかり者だもんな。

 

 

 

【性格比較その4。マメにコミュニケーションを取るか、取らないか】

 

・米倉櫻さん

 マメに気持ちを伝え合ったり、普段から何気ないことも共有したがるタイプ。どうでもいい内容のメッセージなども送りたがる。この傾向がとても強い。同じような姿勢を持った人とでなければ、トラブルを生じると予想される。

 

・夢野蕾さん

 マメに気持ちを伝え合ったり、普段から何気ないことも共有したがるタイプ。どうでもいい内容のメッセージなども送りたがる。この傾向がとても強い。同じような姿勢を持った人とでなければ、トラブルを生じると予想される。

 

・この点での相性は?

 どちらもマメで、しっかりコミュニケーションを取る人。とても相性が良いと言えます。(スコア、100点)

 

「100点!」

「同じ結果だな」

「いえーい♪」

「イエーイ!」

 

 笑顔で手を挙げてきた夢野に、パチンとハイタッチを交わす。

 この項目に関しては同じだからこそ相性が良いらしい。実際のところ俺と夢野は毎日のようにメールで語り合っているが、お互いにWINWINの関係だったってことか。

 性格比較が終わると、最後は興味関心の方向について。二人の趣味や興味が重なった数は二個と少なかったが、方向性の合致スコアはこれまた100点であり俺達は再度ハイタッチを交わす。

 

「全体的に点数は高い気がするけど、どうして28%なんだろうね?」

「確かに。何でだろうな。他の診断もやってみるか?」

「うん!」

 

 割と当たっていた気がする相性診断にすっかりのめり込んでいた俺は、肩にもたれかかっている少女と共に次なる診断を始めるのだった。



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二十一日目(日) 夕暮れ時の別れと出会いだった件

「ふー。やっと終わったー」

 

 面倒だった課題の一つが終わったことで、夢野が大きく身体を伸ばす。俺も一緒になって進めていたのは英語で書かれた薄い副読本、サイドリーダーの翻訳だ。

 長期休みに入る度に出されている厄介な課題だが、今回の物語はゴールデンウィークという短い期間であるため比較的文章が少なめ。その内容も男が時計を売って彼女の髪に合う櫛を買ったら、彼女は髪を売ることで男の時計に合う鎖を買っていたというすれ違い系ラブロマンスであり割と読みやすかった。

 

「日も沈み始めてきたし、そろそろお開きにするか」

「そうだね。米倉君のお陰で、すっごく進んじゃった。本当にありがとう」

「おう。どう致しまして」

 

 外が暗くなってからでは何かと危ないだろうし、のんびりしていると母親や梅が帰ってきて色々と面倒になる可能性もあるため、立ち上がると帰り仕度を始める。

 勉強以外に卒アルとティータイム、そして相性診断と色々挟んだ結果、時間潰しの方法を考えていたことが無駄に思えるくらいあっという間に時間が過ぎていった気がした。

 

「そういえば夢野は専門学校って言ってたけど、その場合センターって受けるのか?」

「ううん。私はAO入試と推薦入試で、もしも駄目だった場合は一般入試かな。来月には願書受付も始まるし、試験も早かったら八月から十月くらいには終わっちゃうかも」

「八月っ? 随分と早いんだな」

「入試って言っても面接と書類審査のところが多くて学力試験のあるところは少ないし、早く終わる分だけ楽できちゃう感じかな」

「いやいや、それでも大変じゃないか?」

「ううん。私なんかより、米倉君の方が比べ物にならないくらい大変だと思うよ? 国立ってなると、五教科全部勉強しなくちゃいけないんでしょ?」

「私立なら三科目で済むんだけどな。まあ、正直に言って中々にしんどかったりするよ」

 

 国語は現・古・漢の全て必要であり、特に厄介なのは古文。英語同様に単語なり文法を覚えていなければ何一つわからないため、今は姉貴のお下がりの語呂で暗記する参考書を読み始めている途中だ。

 数学もセンターならⅠ・AとⅡ・Bだけだが、二次試験となると数Ⅲも必要。数Ⅲは学校の授業で学んでいる基本でさえ数Ⅱと比べて段違いに難しいのに、そこから更に応用問題となってくると数学が得意な俺でも解ける気がしない。

 英語の大変さは最早言うまでもなく、更にのしかかってくるのは物理と化学と現代社会。一年や二年の勉強をサボったツケが回ってきており、この辺りは一から勉強をし直していると言っても過言ではない状態だったりする。

 

「よしよし。頑張れ頑張れ」

 

 大きく溜息を吐いて肩を落とすと、夢野が背伸びしつつ優しく頭を撫でてくれた。こうしているだけで心が癒され、頑張る意欲が沸いてくる。魔法の撫で撫でと名付けよう。

 

「サンキュー。ちょっと元気出た」

「ちょっとで足りる?」

「充分だ。夢野は大丈夫か?」

「うーん……それじゃあ、私も分けて貰っていい?」

「おう」

 

 俺は少女の頭を撫で返そうと腕を伸ばす。

 しかしながら夢野は、俺の身体へ絡みつくようにギュッと抱きついてきた。

 

「っ?」

 

 思わず倒れかけるが、姿勢をしっかりと維持する。

 夢野はそのまま俺の胸元へ頭を埋め、心音を聞くかの如く耳を当てた。

 

「米倉君、凄くドキドキいってる」

「そりゃ……まあな」

「相性診断で刺激がないって書いてあったけど、これなら大丈夫そうだね」

「寧ろ刺激がありすぎだっての」

 

 苦笑いを浮かべつつ、夢野の頭にそっと触れる。

 そしてサラッとしている綺麗な髪の線に沿って、何度かに渡って優しく撫でた。

 

「ふー。充電完了♪」

 

 やがて夢野は離れると、ニコッと可愛い微笑みを見せる。

 ハンドバッグを肩に掛け再びπスラッシュモードになった少女の胸元に甘えたい気持ちをグッと堪えつつ、忘れ物が無いか確認した後で階段を降りると玄関へ向かった。

 

「お邪魔しましたー……って、米倉君。無理しないでいいってば」

 

 父親は未だに寝ているらしくリビングからの反応はなし。靴を履いて外に出た夢野の後に続くと、俺の足を心配した少女が慌てて静止を促す。

 

「大袈裟だっての。そもそも帰り道、ちゃんとわかるのか?」

「うん。バッチリ! 私は大丈夫だから、ゆっくり休んで」

「了解。まあもしも道に迷った時は、また連絡してくれ」

「だーかーらー、迷わないってばー」

 

 頬をぷく―っと膨らませた後で、夢野はクスッと笑う。

 俺は門扉に寄りかかりつつ、そんな可愛い友人に手を振り見送った。

 

「今日は本当にありがとう。それじゃあ、またね」

「ああ。またな」

 

 笑顔で手を振り返した後で、夢野は去っていく。

 角を曲がり姿が見えなくなったところで、俺も家に戻ろうとした。

 

「――――?」

 

 瞬間、足を止める。

 ふと視界の端に映った人影を、慌てて二度見した。

 はす向かいの家の二階……網戸で防いですらいない、開きっぱなしの窓。

 そこにいた気がする幼馴染の姿は、今はどこにも見当たらない。

 

 

 

 ――ガララララララ――

 

 

 

 時刻は夕暮れ時であり、別の家が雨戸を閉めている音がする。

 阿久津家の窓は、まさにその作業の途中であるかのように見えた。

 まるで雨戸を閉めようとした際、何かを見て中断した……そんな感じだ。

 

「…………」

 

 俺の考え過ぎだろうか。

 黙って眺めていたものの、阿久津が現れる気配はない。

 そもそも仮に見られていたとしても、別に隠すようなことでもない筈だ。

 …………それなのに、どうしてだろう。

 心のどこかで幼馴染のことを気にしつつも、俺は家に戻るのだった。



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末日(月) 俺の幼馴染の告白だった件

 受験……それは人生において大きな分岐点であり、数少ない自分との戦いだ。

 高校受験は多くの学生にとって最初の壁となり、大学受験は多くの学生にとって最後の受験になる。

 全てが終わった時には懐かしく感じる道のりも、走っている最中は地獄でしかない。

 そして俺達はまだ、その道を走り始めたばかりだった。

 

「よう」

「やあ」

 

 今日が終われば再び三連休になるという、ゴールデンウィーク間の微妙な登校日。連休前と変わることなく、家を出ると門扉の前には阿久津が待っていた。

 

「足の調子はどうだい?」

「問題なし。今日の抜糸が終わって大丈夫そうなら、金曜からは元通り自転車の予定だ」

「そうかい。それは何よりだね」

「ああ。電車通学の間、わざわざ付き合ってくれてサンキューな」

「気にする必要はないよ」

 

 こうして阿久津と一緒に登校するのも、今日が最終日かもしれない。

 相変わらず歩調を合わせてくれている幼馴染に感謝しつつ、俺達は駅へと向かう。

 

「ゴールデンウィークも折り返しだな」

「そうだね」

「お前のことだから、やっぱりもう課題は終わってたりするのか?」

「いいや、まだだよ」

「へー。意外だな。こっちは梅の奴がヤバそうでさ」

「そうかい」

「ああ。アイツ高校の勉強を完全に舐めててさ。あれは絶対に最終日に地獄をみるやつだって」

「確かに、そうかもしれないね」

「…………」

「………………」

「予備校の休みの日とか、気分転換にどこか行ったりしたのか?」

「いいや。家にいたよ」

「やっぱり学校の課題に加えて、予備校の宿題とかもあると息を抜く暇もないのか?」

「そうだね」

「マジでか。大変だな。俺も見習わないと…………でもこうやって勉強ばっかりしてると、不思議と物凄く陶芸をやりたくなってくるよな」

「そうだね」

 

 …………何故だろう。今日は話が広がらない。

 最初に足の心配こそされたものの、阿久津から話しかけられたのはそれだけだ。

 今までは何かと話しかけてきたし、俺から話題を提供した場合でもしっかりと会話のキャッチボールをしていたが、今はボールが返ってこない。

 

「なあ阿久津。どこか体調でも悪いのか?」

「どうしてだい?」

「いや、何か元気なさそうだからさ」

「少し考え事をしているだけだよ」

「そうか」

 

 体調ではなく機嫌が悪かったらどうしようかと思ったが、そんなことはなかったようだ。

 しかしこんな調子では連休前に話していた心理テストの答えなんて聞ける空気じゃないし、昨日の夕方に夢野が俺の家へ来ていたのを見ていたのかも質問しにくい。

 

「何か悩みか? 俺でいいなら相談に乗るぞ?」

 

 考え事となると、やはり予備校関係だろうか。

 阿久津が俺に相談なんてする訳がないと理解していながらも、いつもみたいに軽口の一つでも言ってもらわなければこちらも調子が狂うため、サムズアップしながら尋ねてみる。

 

「…………大きな悩みは二つあるんだけれど、そのうちの一つは星華君と音穏が相談に乗ってくれていてね。もう一つの方は……キミの意見を聞いてみたいかな」

「お? 何だ何だ?」

 

 返された意外な反応に、思わず身を乗り出す。

 あの阿久津が俺に意見を聞くなんて、こんなことは二度とないかもしれない。溜まりに溜まった借りを返すチャンスが、ようやく到来したという感じだ。

 この時は、呑気にそう思っていた。

 浮かない表情をしていた少女の口から、予想だにしない言葉が発せられるまでは……。

 

 

 

 

 

「――――仮にもしボクが櫻のことを好きだと言ったら、キミは今でもまだボクのことを好きになってくれるかい?」



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あとがき

 ここまで『俺の彼女が120円だった件』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。

 

 櫻達の物語は卒業まで続きますが、大変申し訳ないことにハーメルン版は一旦ここで完結。12章以降は最も読んでくださっている方が多く、書籍化打診の可能性が高いと思われるカクヨムでの更新とさせていただきます。

 

 当初はマグマクにて公式連載から書籍化という流れの筈でしたが、運営が出版業務を縮小するということで辞退。書籍化を目指す道のりは再スタートを切る形となりました。

 

 そのため大変お手数ではありますが、もしも『俺の彼女が120円だった件』を応援してくださる方はカクヨムへ読みに来ていただきたいと思っております。

 

 また図々しいお願いではありますが、より多くの人に本作のことを知っていただくため、楽しかったということであれば評価等も入れていただけたら嬉しいです。

 

 12章の更新開始はカクヨムコンに合わせて11月29日にスタート。完結である13章の最終話まで休むことなくノンストップで投稿させていただきます!

 

 本という形で櫻達の物語を皆様のお手元へお届けするためにも、何卒ご理解ご了承のほど宜しくお願い致します。

 

 

 

 三年間に渡った物語も、ようやく終わりが見えて参りました。

 どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。

 書籍化が決定した際には、改めて最新話としてご報告の更新をさせていただきます。

 

↓『俺の彼女が120円だった件』カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884910267/episodes/1177354054892169327

 

↓作者ツイッター

https://twitter.com/nig0117

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

※ハーメルンでは最低1000文字ないと投稿できないため、ツイッターで投稿していたミニ劇場を貼っておきます。

 

・120円劇場~バレンタイン編~

 

「お兄ちゃ~ん! チョコ作ったから毒味して~」

「毒味って……味見じゃないのかよ」

「どう?」

「まあ悪くは……ん? おい、ビニールっぽい何かが入ってたんだが?」

「か、隠し味かな~」

「んな訳あるかっ!」

「当たりが出たからもう一個!」

「食うかっ!」

 

 

 

・120円劇場~七夕編~

 

「お兄ちゃん。短冊に何書いたの?」

『書籍化』

「うわ~、梅引くわ~」

「そういうお前は?」

『https://www.magnet-novels.com/novels/50743』

「スパムかよっ? 何の業者だっ!」

「桃姉は?」

『家族仲良くいられますように』

「「まともっ!」」

 

 

 

・120円劇場~10/01編~

 

「今日は眼鏡の日らしいな」

「10/01って眼鏡よりも、πスラッシュに見えるわね~」

「見て見て桃姉! π/」

「梅がπ/なら、桃姉さんはπXよ~」

「じゃあお兄ちゃんは?」

「πXXかしら? はい、絆創膏4枚」

「やらねえよっ!」



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