俺ガイル主にサキサキの短編集(仮) (なごみムナカタ)
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小町、結婚するよ
小町の結婚前夜に、おにいちゃんを慰めてみた。


『――――明日、結婚する。』


小町の結婚式前夜、自宅でちびちび酒をやりつつ項垂れた八幡。
そんなとき家の電話が鳴り……
官能的に慰められる八幡の胸中は……

(R-15)


prrrr... prrrr...

 

 電話の呼び出し音を聞きながら、ぼんやりとロックグラスに目を落とす。不快ではあったが、どうしても出るのが億劫だった。一人一台スマートフォン時代、なんで家に電話なんて引いちゃったのか。

 

「あ、おにいちゃん、出るから」

「……すまんな」

「……はい、比企谷です」

 

 その声を確認してロックグラスに注がれた無色のカクテルをちびちびと舐めるように飲む。甘味が足りない。細工してステアすると先ほどより白く濁る。

 こんな日は一気に呷りたい気分なのだが、こんな日だからこそなのか自制する。理性の化け物は未だ健在のようだ。

 

 大学を卒業し無事就活を乗り越え晴れて社会人となって5年が過ぎた。10年前、職場見学志望調査票に書き込まれた夢の『専業主夫』はまさに儚く散った。人が夢と言うから叶わなかったのか。目標と宣っていれば実現していたのだろうか。そんな益体のない考えも勤め始めるとすぐに頭から消え去った。無我夢中で仕事を覚え、苦手であった他人との関係を築き、酒で失敗もした。グラスに注がれているカクテルは”カミカゼ”といい、その名は高校時代に所属した奉仕部における俺の行動を思い起こさせる。レシピにウォッカが入ってるのでアルコール度数は一般的な酒よりずっと高く、飲み方を間違えようものなら再び苦い記憶を再現することになるだろう。苦い味わいは人生と酒だけで十分だ。

 

 それに今回だけは酔い潰れるわけにはいかない。明日は大切な用事がある。

 

 大学生になってから始めた一人暮らし。最初は一人の時間を存分に満喫できると心躍るものがあったが、高校時代昼飯を購買のパンで済ませていた悪癖が一人暮らしにも影を落とし、自炊などほとんど出来なかった。小学6年生くらいまでは忙しい両親の代わりに料理を作っていたのに、必要に迫られなければ怠惰を咎める理性は働かず、買い弁、外食、飯抜きなんてのが当たり前になっていく。女には鉄壁だったが怠惰の前では理性の化け物といえど無力だったようだ。その反動からか、この頃は小町の手料理が恋しくてしかたがなかった。その小町が……

 

 ――――明日、結婚する。

 

 相手は、姉が不良化したと小町に相談した川崎大志だ。あの毒虫め。初めに会った時から俺のことをお兄さん呼ばわりしてきやがった。総武に入学してからは比企谷先輩に変わったが、二年ほど前からまたお兄さん呼びに戻っていた……いや、今度のはお義兄さんか。

 

 大志と知り合ったのは高校時代。あいつの悩みを小町が俺に持ってきて仕方なく引き受けたのがきっかけだ。意識下では小町に近づく毒虫として認識する一方、無意識下ではあんな行動にでられる大志を凄いとも感じていた。

 

 俺は何でも一人(ぼっち)でこなしてきた。頼れる者がいないから。そう為らざるを得なかったから。だからだろう。素直に他人に頼るということが出来ない性格になっていた。他人に弱さを見せることを良しとしなくなっていた。俺は兄だから自立せざるを得なかった。そうして妹を守ってやるのが当たり前の存在なんだという自覚があった。そのせいもあり元々猜疑心が強かった俺は人に頼ろうと思わなくなっていた。

 

 どうしてあそこまで大志に対して当たりがきつくなっていたのか今なら理解できた。姉の為に弱さをさらけ出し助けを求められるあの姿勢に、他者を信頼するという俺に出来ないことが出来る大志を……羨望していたんだと思う。

 今となっては羨む理由もなく、心ならずも祝ってやろうと考えているのだが、感情というものは些か厄介だと改めて認識する。

 

 小町が結婚して幸せになることも、その相手が総武に入学してから交流も増え情が移った大志であることも、もう俺が大志に劣等感を抱いていないことも、条件全てが明日を祝福するに相応しいはずだが、素直に祝う気持ちが湧いてこない。

 頭では分かっていても感情とは御しがたく、これは単純に小町を奪られたくないという俺のエゴそのものだ。

 この機会に妹離れ出来なければもしかしたら小町に迷惑をかけてしまうんじゃないかという不安が過る。

 

 小町達のことを考えつつ、虚ろな目でロックグラスを眺める。それを手にしてまた一口。マックスコーヒーと比べるべくもないが甘味がありフルーティーで飲みやすいカクテル。

 酔いたい。酔って潰れてしまいたい。だが、明日は結婚式。俺の恥は小町の恥だ。小町の晴れ舞台にごみいちゃんが醜態を晒すなど縁を切られて末代まで呪われるに違いない。泰然と式に臨んで小町を安心させなければならないというのに、心が言うことをきいてくれない。明日はきっと泣くだろう。なんだったら親父より泣ける自信がある。

 

「……電話なんだって?」

「おにいちゃんに、明日に備えて早めに寝なさいだって」

「……わざわざ電話でそんなこと言ってきたのか、小町……」

「うん」

 

 そう短く返事をすると、酒とジュース、氷を入れた3ピースシェイカーを振り始めた。どうやら俺のとは違うカクテルを作っているようだ。手首を柔らかく使って二段シェイクするその所作は流麗で見ているだけでも気持ち良い。その姿に大志の依頼が思い浮かぶ。

 

 大志の姉・川崎沙希が自分の学費を憂い年齢詐称してまで深夜のアルバイトをしていた。その事情を(おもんぱか)り彼女に寄り添った提案が功を奏したものの、結果だけ見れば取るに足らぬ問題で教師や予備校に通う友達に相談すればすぐに解決できたはずだ。原因は俺と同じく生粋の長子属性で、誰かを頼ることができない彼女自身にあった。

 

 カシャカシャと小気味いい音が俺の耳を刺激した。先ほどの電子音と違い、ずっと聴いていられそうだったがそんな願いが叶うはずもなく足の長いカクテルグラスに注がれる。橙黄色(とうこうしょく)の液体がグラスの縁まで届くと表面張力によって美しい形状が生み出された。調和のとれた情感溢れる流線。何となく見ていて心地いいそれはよく耳にする黄金比に基づくものなのか。高校受験が終わった段階で捨てたはずだった理系科目が今再び呼び起こされ気分が落ち込んだ。ただでさえ明日のことで落ちているのに俺をこれ以上煩わすのは止めていただきたい。

 

 さすがに溢れそうなカクテルグラスを持ち上げるわけにはいかないのか、こぼさぬよう口から迎えにいく。その唇は瑞々しく艶やかで赤味を帯びていた。それがグラスに吸い寄せられると女性らしい肢体が煽情的なボディラインを作り出し視線を奪われてしまう。溢れる心配がなくなるとグラスの細い足を持って俺の方へと(にじ)り寄ってきた。

 頬は朱に染まり酔い心地のピークであろう。当然だ。俺はロングカクテルなので長い時間をかけてまだ1杯目を飲んでいた。だがショートカクテルの消費期限は短い。注がれたグラスの長い足は体温でぬるくなるのを防ぐ為であり、3口で飲めとも言われているそれは既に5杯目だ。式に影響こそないだろうがこのまま飲み続ければどうなるか分かったものではない。

 

「おい、それくらいにしとけよ。明日に備えろって今さっき電話で言われたばかりだろ」

「はーい。おにいちゃんは真面目だなー」

 

 分かってるのかいないのかという返事をしながらさらに俺の傍へ。ソファの隣に座り、なんだったら領空侵犯する勢いで密着する。このパターンはやばい。今日のこいつは酒も入って上機嫌で、何より明日結婚式だ。俺は手に持ったロックグラスをテーブルに置いて事に備えた。

 

「おにいちゃ~ん♪」

 

 侵犯ギリギリだった双丘が侵犯どころか着弾する。俺に抱きついたその(たわ)わは左腕のラインに形状を変え、柔らかな感触と共に大人の女性特有の香りが鼻腔をくすぐった。

 こいつは酔うとすぐに抱き付く。なんなら酔わなくても抱き付いてくるが、酒が入ると加速度的に回数が増える。俺ももちろん嫌ではなのだが、さすがに公共の場で必要以上の密着は勘弁してほしい。

 

「お、おい、こぼれるからグラス置いてからにしろよ」

「置いてからじゃ抱き付こうとしてるのバレるじゃん。おにいちゃんの驚く顔見ながら感触を楽しむのがいいのです!」

 

 言いながら器用にカクテルグラスのバランスを維持していた。度数は高いが確かにまだ5杯目。10杯未満なら酩酊まではいかないだろう。……ペース配分さえちゃんとしてれば。

 まるで猫がバンティングして所有権を誇示しているかの如く俺の肩に鼻先を擦り付ける。八幡成分の補充も兼ねているのかもしれない。一頻(ひとしき)り擦り付けると顔を上げた。互いの双眸(そうぼう)が交わり頬は心なしか先ほどよりも上気しているようにも見える。

 

「…………」

「なんだ?」

 

 訊くのは野暮というものだが、今にもこぼれんとするカクテルグラスを持ったままのこいつに雰囲気だけで事に及ぶとどうなるか想像に難くない。そうならない為の『なんだ?』なのだから。

 この曖昧な言葉に返事など求めず顔を近付ける。双瞳を瞑るその顔に。もう幾度も繰り返してきた予定調和。

 

「ん……」

「……んむ……ちゅ……はぁ……」

 

 俺も目を閉じてゆっくりと唇を重ねた。舌で抉じ開けると唾液どころか口に残るカクテルの甘味と苦みと僅かな酸味が感じられた。こいつ、これがやりたくて口の中に残してたんだな。

 唇を離し眼前に飛び込んできたのは蕩けた表情。カクテルを口移した側のくせにさっきより双頬が紅潮してないか? とそれが酔いと関係ないのは明白で潤んだ瞳に吸い込まれ、もう一度キスした。

 

「ちゅ……れろ……ぁ…………ふぁ……」

 

 静かに唇を離すとお互いのおでこ同士を合わせて俯いた。

 ふと視線をカクテルグラスにおとすと、その色と移された風味で中身がサイドカーだと判明しちまったじゃねえか。付け加えると俺はそこまで酒好きでもなければカクテルソムリエってわけでもない。家で作るのがそれほど種類が多くないってだけだ。店じゃあるまいし、そんなに作れる種類を増やしたら家が材料の酒だらけになっちまう。平塚先生じゃあるまいし。いや、先生の家行ったことないから本当のところはどうか知らんけど。

 こいつが家で作ると言い出してから最初に出てきたのがこのサイドカーだった。飲んでみるとフルーティーで口当たりもよく女性が好みそうなカクテルなのだが起源はとても女性向けではない。なんだよ戦時中サイドカーに乗って退却するフランス軍将校が追手に襲われる恐怖を紛らわす為にレモン齧ってブランデーとキュラソーがば飲みしたって。言葉にしたらギャグじゃねえか。

 せっかくだからマックスコーヒーを使った甘いものを開発してもらおうとお願いするも却下されたのが悲しかった。カルアミルクなら作ってくれるが今日のようなカクテルを出された時は彼女が見てないところでこっそり練乳を足しているのはトップシークレットである。

 

 そんな比企谷家の家飲み文化が浸透した頃、カクテルにも花言葉のようにカクテル言葉があるのだと知った。サイドカーは口移しテイスティングで判断できるようになるほどの頻度で飲まれているのだ。

 

 俺がその手にある琥珀色のグラスを見ていたのに気づき別の意図を察したのだろう。あろうことか残った液体を一気に呷り三度、俺の唇を貪る。

 

「んむ⁉ ……ん、ふ……ちゅ……んぐ……クチュ」

「ピチャ……レロ……あむ……ちゅく……ふぅっ……ちゅぱ…………ぷはっ」

 

 含んだカクテルを口移されそれを嚥下する。首にはしなやかな両の細腕が巻き付いてきた。応えるように後頭部を右手で押さえて引き寄せ、お返しとばかりに長い時間をかけて口内を蹂躙し舌を咥え込み絡め唾液を交換した。呼吸するのも忘れるほどに夢中で情熱的に貪り続ける。口が離れるとその間に透明な糸が伸びたが俺達は気にも留めなかった。

 

「……今度は」

「ん? なんだ?」

「今度はおにいちゃんから飲ませてよ」

 

 俺の首に絡めていた左腕を離してロックグラスに伸ばした。

 

 キィン

 

「あ、ごめん、指輪……グラス傷付いちゃうね」

「気にすんな。俺だってよくやる」

 

 グラスを取り俺の口に液体を注ぎ込む。

 

「ぐむ……ん……」

 

(……ちょっと?)

 

「……んむ……ごっ……」

 

(…………多くない?)

 

「あれ~、おにいちゃんなにフグみたいな顔してるの? うふふ……ふふ……」

 

 こうしないと酒がこぼれるって分かっててやった犯人が何か言ってますね。って少し飲んじまえばいいんじゃねえか。酔いのせいか俺もかなり残念な頭になってるぞ。

 

「あ、飲んじゃダメだヨ、おにいちゃん♪」

 

 拷問かよ。

 

「あーんして?」

 

 拷問でした。

 

「……ん……あぁ……ん」

 

 少しだけおとがいを上げて角度を作り口内のカクテルがこぼれないよう口を開けた。鯉が餌を貰うような、我ながら間抜けとしか言い様がない姿だ。まあ、俺に選択肢なんてないのだが。

 

「んふふ……んむぅ、ちゅぱっ、じゅる、ぢゅるり……」

「⁉」

 

 あたかもそれがグラスの縁であるかのように俺の下唇を啄み咥えて甘噛みもしながら溜まった液体を音を立てて吸い飲み込んでいく。時には猫のように舌で口内の酒をぴちゃぴちゃと掬い取って飲み干そうとする。前髪が俺の顔を撫でながらふんわりと匂いを残していく。甘くて淫靡な香りが鼻腔をくすぐり、行為と相まって頭がくらくらしてきた。

 

「ぴちゃっ……ちゅく……んく……ぁ…………残り……ちょう、だい……」

 

 脳が蕩けそうになる甘ったるい声で囁かれ理性など消し飛んだ。両手で俺の双頬を押さえ唇に吸い付く。それに応えるようにくびれたウエストに手をやり優しく引き寄せた。すぐ舌をねじ入れて口内をかき回す。残りのカクテルを全て飲ませた後も舌の咥え合いは止まらない。

 

「ちゅぱ……れろ……べちょっ……ふぁ…………んちゅ……」

 

 口の中を隅々まで舌が這い回り目を開けているのも辛くなってきた。このまま瞼を閉じ快楽に身を任せてしまいたい。そんな葛藤の中、快楽の片棒を担ぐように

 

ツッー

 

俺の太股を白魚のような指が伝う。

 

「んん⁉ ん、ぐっ、ちゅぱ……んむ……あぁ……」

 

 声を上げそうになるのを見越してか、更にねっとりと濃厚に口を抉り舌を捕らえて離さないこいつの舌はまるで別の意思を持つ生き物のようだった。俺の下半身を這い回る別の生き物(ゆび)繊手(せんしゅ)に変態し妖艶に蠢く。やわやわと太股を行き来する動きはシェイカーを扱う時のように流麗であった。この淀みない動きで既に勃ち上がっているアレに触れられたらどれほどの快感が得られることか。触れられたのがソレでない部分でもそこからぞくりと電流が走り、背筋を伝って脳髄に届きぶるりと震えた。

 

(ああ……明日結婚式なのに俺達は一体何やってんだ……)

 

 湧きあがる背徳感も相俟って抑えようのない昂りが俺の右手を突き動かす。求めるように彼女の腰を這い登りトンネル(衣服)を抜けるとそこは豊満な頂きであった。

 

「んっ……‼」

 

 堪えきれず短い悲鳴が上がる。畳みかけるように頂点を摘まみ上げた。力加減が出来ないほど酔ってはいないつもりだが、興奮のせいもあり少々強く刺激し過ぎてしまったかもしれない。

 

「んっ! ……んちゅ……んふぅ……ふぁ……ぴちゃ……」

 

 お返しのつもりなのか、俺の下半身を一層激しくさわさわとまさぐるものの肝心の部分には触れようとせず生殺し状態が続く。もういっそこの手を掴んで誘導しちまうか。そんなことを企んでいた矢先、するりとズボンから何かが抜ける感覚があった。

 

「ぷ、はぁっ…………おにいちゃん……なにこれ?」

 

 唇を離してその間を遮るように突き付けられたのは甘さが足りないカミカゼに仕込んだ練乳のチューブだった。俺の家飲みトップシークレットが詳らかにされてしまう。

 

「…………すまん」

「おにいちゃんのお口グラスから舐めた時、なんか甘いなーって思ったんだよね……作った本人が分からないと思った?」

「いや、確かに申し訳ない。だが明日は恐らく人生で最も苦い経験をすることになるんだからせめて酒くらいは甘いのが良かったっていうか……」

「…………」

「…………」

 

「…………はぁ……おにいちゃんにカクテルの意味を察しろって言う方が無茶な話だよね……」

「…………」

 

 呆れられた俺は押し黙るものの、カミカゼのカクテル言葉くらい調べてあった。よく作ってくれるから何らかの意味が込められてるんだろうとは気付いていた。表には出さないようにしていたが、仕事で辛かったり悩んでいたりした時に決まって出てくるのがこのカクテル。弱ってるの見透かされてたんだなという気恥ずかしさもあったが、それ以上に感謝で一杯になる。今日だってこうして俺を励ましてくれてるんだから……方向性がだいぶおかしいけどな。よく俺のやることが斜め下とかいうけどお前の今日のこれも大概だぞ。

 

「……なあ」

「んー? なーに、おにいちゃん」

「……そろそろやめねえか?」

「結婚を? 式は明日なんだよ。そんなの無理に決まってんじゃん」

「……そーじゃなくて」

「じゃあ、なに? ハッキリ言ってくれないおにいちゃんポイント低い!」

「……ああ、うぜえ」

「ひどっ⁉ ポイント爆下げだよおにいちゃん‼」

「…………だからその喋り方やめろ、沙希」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……………………せっかく義妹(いもうと)になったんだし、小町みたいに慰めてあげようと思ったのに」

「誰が義妹だよ。いや確かにお前のが俺より誕生日あとだけどよ……」

 

 小町と大志が結婚することによって俺と沙希は義理の兄妹という関係になった……のだが。

 

「小町の代わりにあんたを癒せたらなって思ったんだけどね……」

「いやいや、そもそも俺と小町はそういう関係になったことなんてないからね? どこの千葉の兄妹だよ? それに違和感ハンパねーわ。なに胸とか押し付けてんだよ、あれじゃ余計小町を感じないだろ」

 

 そう。小町も大人になり胸の方も確かに成長はしたのだが、さすがに沙希とは比較にならんほど慎ましい。

 

「だってあんた好きでしょ。その、あたしのおっぱいとか……」

「だから、それもう小町じゃないから。……ってかお前は義妹である前に俺の……その……嫁だから……な?」

「…………うん」

「お前にはお前の良いとこがあるんだし、そんな無理しなくても……こうして十分もらってる」

 

 ロックグラスを持ち上げ沙希を見つめ

 

「いつも救われてる。ありがとな。……愛してる。沙希」

 

 それを聞いた沙希は目を丸くして呆けていたが、すぐ我に返り彼女らしくこう言い放つ。

 

「きゅ、急になに言い出すのさ! …………ばか」

 

 頬どころか耳や首まで真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。嫁に『愛してる』って言って何がおかしい? ってかさっきまでしてたことのが恥ずかしいだろ。

 

「そこは小町なら『あたしはそうでもないけどありがと♪ お兄ちゃん!』が正解だぞ」

「…………」

 

 あ、失言だなこれ。ついさっきいった言葉と矛盾してるわ。

 

「……あたし小町じゃないから」

 

 そういって強い光を宿した瞳をこちらに向けた。

 

「…………あたしも」

「え?」

「……あたしも愛してる……はちまん…………ん……ちゅ……」

 

 俺の首にふわっと両の腕が巻かれ唇を奪われた。

 さっきまでの欲情に塗れたものではなく、純粋に愛を確かめるものだった。

 

 

 




 最後まで読んでいただきありがとうございます。


 近親〇姦のつもりで見ていた方々、申し訳ありません(・_・|

 ご覧の通りオチが騙しなのでタグに沙希と小町を入れようか悩んだくらいです。

 見切り発車で書いたのでうまいこといかなかったです。申し訳ない。

 ちなみに最初に電話をしてきたのは実家住まいの小町からです。苦しい表現でしたが、電話を受けた沙希を小町だと混同させる為に発信者と受話器を取った沙希、そのどちらにも『小町』と受け取れるニュアンスで八幡に喋らせたつもりです。

 最後は4パータンくらい書いてみたんですが、しっくりこなくて無難な感じで終わらせました。

 欲を言えばサイゼで比企谷兄妹と川崎姉弟の4人で総武高校について話したエピソードも入れたかった。
 入れる隙間がなくて……入るとしたら最後だったんですが長くなって蛇足感ハンパなかったので、それが没パターンの一つでした。

 ちなみにググればすぐ出ますがカクテル言葉紹介しておきます。

 カミカゼ  …… あなたを救う
 サイドカー …… いつも二人で

 だそうです。
 そろそろ赤ちゃんを……みたいな展開で終わることも考えましたが、沙希が最初からサイドカーを飲んでいたのであえなく没パターンになりました。

 シリーズ作品の『【続】サキサキのバレンタインは色々まちがっている。』の息抜きに……と思いましたが何とか書き上げられてよかった。あっちはようやく終盤なんですがキャラ掘り下げパートが残ってるから思いの外、長引きそう……がんばりますけど。


 不定期ですがまた何か完成したらUPするのでその時はまた閲覧していただけると嬉しいです。


なごみムナカタ


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初詣でお願いが叶っちゃった
「どうしたんだよ小町?」


奉仕部の二人と小町の四人で初詣でに行った冬のお話。

いつもなら怪我するんじゃないかって勢いで布団の上にダイブして起こしにくる小町が今朝はおかしいんだが……

一体なにがあったんだ……



小町(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/3.html
沙希(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/4.html


「あ! いっけなーい! 小町ったらお守りを買い忘れてしまいましたー」

「それに絵馬も書き忘れちゃったのでダッシュで戻りまーす!」

「ああ、お守りなら俺も買っとこうk……」

「お兄ちゃん何言ってんの⁉ ごみいちゃんのバカ! ボケナス! はちまん‼」

「は、八幡は悪口じゃねえだろ」

 

 初詣でいつものごとく小町に理不尽に罵倒され、それでも怒らない俺は本当に出来たお兄ちゃんである。小町が可愛すぎるせいもあるが。ただお兄ちゃんとして優秀でも人としては底辺なんですけどね。

 そう、いつもと変わらないはずだった。だが、その日は突然訪れる。

 

 

 

ヒッ⁉ ナンデネコガ⁉

コマチー、ハチマンオコシテキテネ。シゴトイッテクルカラ。

エ? エ? ハチマンテ…?

 

 

コンコン ガチャッ

「……ひっ、ひ……お、お……にいちゃん……起きて……る?」

「…………ん……小町ぃ……もうちっと寝かせてくれ……今日は日曜日じゃないだろ……」

 

 日曜朝はプリキュアがあるので早起きは当たり前だ。何だったら週5でプリキュアやってくれれば平日起きるのも苦じゃなくなるのに、といつもながらの益体のない妄想を膨らませていると顔に何かが当たることに気付く。

 

「……ん?」

「…………」

 

 顔の近くに熱を感じる。寝る時は暖房とめてるし他に熱源なんてあるはずがない。薄く目を開けて周囲を探るとその正体は至近距離にいた小町の吐息であった。

 

「…………え」

「…………ひゃいっ⁉」

 

 N極同士が反発しあうように飛びのく小町。あえてN極で例えたのは決してニートだからではないぞ。小町までニートになっちまうからな。大体、俺なんかがニートになろうとしたら親に勘当される。小町のように愛情を注がれた選ばれし者がなるべきだ。……やっぱり小町もN極なのかよ。

 

「小町……そんなにお兄ちゃん見つめてどしたの?」

「え、え、ううん、な、なんでもない、なんでもないから!」

 

 態度がなんでもなくないんだよなあ、キョドリ過ぎで。お前は俺か。確かに兄妹だけど似てるとこなんてアホ毛ぐらいしかないと思っていたのに。ってか顔赤くね? こいつ熱あるんじゃないのか?

 

「小町、ちょっとこっち来てくれ」

「え? な、なに、ひっ……お、にいちゃん」

 

 なんでさっきから俺のこと呼ぶ前に小さく悲鳴あげるんですかね。お兄ちゃんさすがに傷付いちゃうよ。と、そんなことより小町だ。俺は近づいてきた小町の後頭部に右手を伸ばし、優しく引き寄せた。

 

「はへ? ひっ、き⁉」

「……んー、ちょっと熱っぽいんじゃねえか?」

 

 おでこ同士をつけて熱を測る。心なしか高い気がするがこっちは寝起きで体温が下がり気味だし正確に比較はできない。じゃあなんでこんなことしたかって? そりゃ愛しの小町におでこをつけれるチャンスだったからだ。いや、この答えは完全にシスコンだからよそう。俺はシスコンじゃない。小町を溺愛しているだけだ。うん、シスコンだね。

 とにかく熱があるという疑いが浮上しただけでもおでこチョンした甲斐があるというもんだ。

 

「俺は着替えとくから熱計ってこい。風邪なら一緒に病院行ってやるから診察券と保険証用意しとけ」

 

 ここで用意しとくと言えればカッコよかったんだが、生憎そういった類は俺の管轄外なのでどこに仕舞ってあるのかも分からない。

 

「……小町?」

「…………あ、え、ああ、うん、熱計ってくるね」

 

 普段の快活さは何処に行ってしまったのか。

 俺がなにかする度に呆然と立ち尽くし、話しかける度にキョドる。

 いつから内面までお兄ちゃんに似ちゃったの。なぜ俺から学び取ってしまったの。反面教師にしてくれなかったの。

 

「……ま、体調が悪いせいかもしれないし治れば普段通りなるか」

 

 着替え終え一階(した)に降りると小町がキッチンに立っていた。熱はなかったようだがこれから朝飯作るのか?

 

「あ、ひっ、おにいちゃん、熱なかったから朝ご飯作るね」

「今から作るのか?」

「うん、今日はちょっと寝坊しちゃって……」

 

 俺はバカか。小町は受験生だぞ。もう本番まで一ヶ月に迫ってるんだぞ。朝飯くらい気を利かして作ろうとは思わないのか。それでも千葉の兄か。

 

「ああ……それじゃ俺が作るから小町は座ってていいぞ」

「え?」

 

 鳩が豆鉄砲をくったという表現がピッタリな小町の表情に自然と笑みがこぼれてしまう。あれ、そこまで驚かれるくらい珍しいですかね。珍しいんだな。

 普段、小町が自分でやるって家事を率先してるから元々怠け者である俺にシナジー効果を生み出してしまい何もやらなくなっていた。

 って何もやらないシナジーってなんだよ。何も生み出してねえだろ。使い方間違ってんな。玉縄のこと言えんわ。

 

「え? え? い、いいよ別に、ひっ、お、おにいちゃんは座っててってば!」

「遠慮するな。いつもやってもらってるし、たまにはいいだろ」

 

 反論を一切認めるつもりはないと行動で示す。晩飯を豪勢に、となるとかなり準備して料理本なども見なければいけないが、朝食程度なら小学6年生レベルな俺の家事能力でも事足りる。小町ほど手際は良くないが味噌汁の出汁をとり、サラダをトマト抜きで作ってとそれなりにテキパキこなしていく。

 

「お、鮭があるな。目玉も焼くか」

「あ、それ、あた……こ、小町、がやるから」

「んじゃ頼むわ」

 

 なにその『あた』って。この鮭、当たりなの? いつから鮭の切り身にガチャ要素できたの? などと細かいツッコミは控え、言われた通りフライパンの方を任せる。熱もないようだし不調の原因が今のところ思い浮かばん。

 やっぱあれか、受験勉強のし過ぎなんだろうか。地頭はいいと思うが基本的に小町はアホの子だし、勉強し過ぎて知恵熱でオーバーヒートでも起こしたのかもしれん。頭に虎徹や忍者でも付けて生活させてはどうか。ダメだな、別の意味でも終わってしまう画づらだ。

 

「…………」

「…………」

 

 キッチンに並んで作業していると小町がチラチラとこちらを見てくる。大丈夫、手も洗ったし毒なんて入ってないから。あ、でも比企谷菌の有無までは保証できない。

 

「……ひっ、おにいちゃん、サラダが緑ばっかなんだけど。トマトとかで彩りつけないの?」

「……やっぱ今日調子悪いだろ小町」

 

 俺がトマトを嫌いなのは知っているはずだ。皮肉なら調子ではなく機嫌が悪いのだが、当の本人はなんのことか分からないという表情。とぼけてるわけでもなさそうだ。

 

「? なんのこと?」

「……トマト嫌いって前も言っただろ」

 

 それでも食卓に出すのが小町クオリティだが、世の母親からすればそれは多数派だろう。やだ、小町って彼氏も出来てないのにオカンなの? 噂に聞くシングルマザーってやつなのかしら。あれ、視界が歪んで小町の愛らしいご尊顔がぼやけてしまうよ……。

 

「あ、ご、ごめん忘れてた。そっか、ひっ、おにいちゃんはトマト嫌いなんだよね」

 

 いよいよおかしい。普段ならたとえうっかり忘れていたとしても『そっかー、トマト嫌いだったよね、はいこれ』と言って更にトマトを乗せてくるはずだ。受験勉強のし過ぎで本格的に壊れてしまったのでは……?

 

「小町、ちょっと勉強しすぎなんじゃないのか? 時には休むことが必要なときもある。無理はするんじゃないぞ」

「⁉ う、わわわ…………お、おにいちゃん、へ、平気、だから……」

 

 いつもより労わり優しく頭をなでてやると「ふわぁ……」という嬌声が聞こえてきそうなくらい相好を崩して俯く小町が妙に愛らしい。いやいつも愛らしいんだけど、なんでか今日は別次元の可愛さ。やっぱ風邪か?

 元気な小町もいいが調子が出ずにあわあわ戸惑い気味の小町はさらに可愛い。この世の存在とは思えないほど可愛すぎる。戸塚、危うしな可愛さ。

 

「……顔赤いが? やっぱ熱とか……」

「へ、平気! 熱なんかないから、これはアレで、アレだから!」

 

 やだなにこの子。お兄ちゃんの生き写しみたいになってる。本気で普段の言動直さないきゃやばいと思ったどうも俺です。

 朝飯くってる時にチラチラ視線を感じるので食器洗ってくれのサインだと思い、さりげなく洗い始めたら慌てて小町があたしがやるからと止めに入り結局二人で洗っているどうも千葉の兄妹です。

 ていうか朝飯二人分の食器を二人で洗うとかそんな必要ねえんだよな。人的リソースの無駄としか言いようがない。

 

 起こしてもらっておいてなんだが今日はまだ冬休み。ただ明日から始業式なので、今日は日曜日じゃないのに夕方サザエさん症候群になりそうで怖え。誰か養ってくんねえかな。

 この季節の外気を下回る温度を眼差しだけで操る我が奉仕部部長の誕プレは既に準備済み。

 懸案がなにもない俺は去年からリビングに設置されている冬の要塞『KO・TA・TU』でぬくぬくと丸くなる。いやそれはカマクラだった。俺は普通に手足入れて机に顎つけてぐでーっとしてる。

 その斜向かいでは緊張した面持ちで受験勉強している小町。あれ、もしかして勉強の邪魔になってない? 俺ならこんな目の腐った奴が一緒の炬燵に入ってゾンビみたいな挙動を見せてるなんて気が散ってしょうがない。

 

カリカリ...

「…………」チラッ

「…………」グデー

カリカリ...

「…………」チラッ

「…………」

 

 やっぱ集中出来てないよな、時折りどころか2分に一回はこっち見てるし。せめて25分おきに5分間くらい俺を見つめてくれませんかね。なんだそれ、どこのポモドーロだよ。

 部屋でラノベでも読んで静かにしてるか。その前に珈琲でも淹れよう。

 

「小町、珈琲飲むか?」

「え、あ、うん、飲む」

 

 珈琲を持ってくると既に参考書と問題集が閉じられていた。やっぱり集中できてなかったのか。軽く溜め息を吐いてカップを渡す。

 

「もう勉強終わりか?」

「うん、終わったよ」

「え?」

 

 問題集を見せてもらうと確かに答えは埋まっている。ついでに解答と照らし合わせて採点してみるも間違いはなかった。つまり満点だ。

 

「どうしたんだよ小町? お前いつの間にこんな勉強できるようになったの?」

「む……別に大したことじゃないでしょ。授業聞いて塾でも勉強してれば分かるよ」

 

 うそ、なにが起こったの? 小町が雪ノ下のような優等生の発言をしている。今の小町なら俺より数学が出来そうな気がしてきた。なんだったら小町に教えてもらって苦手な数学克服したら国公立目指す未来まである。

 また夜にも勉強するんだろうが、ひとまず昼間の分を終わらせた小町は俺と同様ぐでーっと過ごしている。

 

ツン

 

 不意に小町の足に俺の足先がつんと触れる。ビクッとなった小町が驚いた様子でこっちを向いた。

 

 やめて!

 わざとじゃないから!

 お願いだから通報しないで!

 相手が雪ノ下なら通報待ったなしだが、小町なら平気か。平気、だよね?

 

 そんな被害妄想は杞憂だったようでそっぽを向いてまたぐでーっとなる小町。アホ毛がゆらゆらしてるのを見るとカマクラじゃなくてもじゃれたくなる。

 

チョン

 

「ん?」

「……………………」

 

 小町はそっぽを向いたままだ。たまたまか。

 

チョンチョン

 

「……………………」

 

 こいつ……

 この炬燵かなりデカいからこんな頻繁に足が接触することなんてありえない。通報を恐れた先ほどの行為を向こうから繰り返してくるとは。

 そっちがその気ならこっちからも手……もとい足を出してもいいよな、正当防衛だ。

 

ツン

「⁉」

 

 小町が目を見開きこっちに向き直る。俺はぐでーっとしながら視線を外す。あまりの白々しさに噴き出しそうになるのを堪えるので必死だった。

 

ツンツン

「‼ ~~~~っ」

 

 視線は逸らしても目の端に小町の顔は映ってる。表情がくるくると変わる様は見ていて愉快だ。

 

チョンチョン

ツンツン

チョンチョン

ツンツン

 

 チョンとツンのパンチ交換、もとい、キック(?)交換。こうしてじゃれ合うのは何年ぶりだろうか。小町が小学生くらいまではこんなことしてた記憶もあるが、俺の代わりに家事をするようになり所帯じみてからはこんなくだらないことしなくなったな。何だって今日は童心にかえってるんだろう。

 そういえば去年のクリスマス合同イベント打ち合わせ期間にも似たようなことあったな。

 あの時は炬燵の中で意志を持った柔らかいなにかか足に絡んできた。小町の脚といちゃこらしてると勘違いした挙句、気恥ずかしくて足で押し出したのはカマクラでした。そういうことしちゃうから俺に懐かないんだよな。八幡反省。

 

 水面下でチョンツン戦争を繰り広げながら、炬燵に入りながらミカン食うとどうして止まらないのだろうか、という哲学的な話をしていると小町がぽしょり呟く。

 

「…………なんか、部屋が広いね」

「は? 家は成長しないだろ。むしろ俺達がデカくなって部屋が狭く感じるはずだが」

 

 マンガやドラマでありそうな表現をするものの、まるで聞こえなかったかの如く華麗にスルーされ小町は呟き続ける。

 

「…………二人だと、広い、ね……」

 

 そういう意味か。昔、家出したことを思い出すかのような独白。

 大きくなってもうそんなことはないと思っていたが、まだ小町にはそんな幼いところが残っているらしい。童心を見せたのもこの言葉の布石だったようだ。

 俺は炬燵布団を捲り隣を空ける。

 

「…………ほれ」

「……………………え」

 

 あるぇ~?

 こうじゃなかった?

 お兄ちゃん空気読み間違えちゃったのかなぁ?

 モシャスでガハマさんに変化したい。空気読みセンサーの感度マックスでもう一度挑みたい。でもそれどころじゃなくなる気もするなあ。何とは言わんが、自分に実った果実二つに気を取られる未来しか視えない。

 そんな他人には口にできない妄想を働かせていると、察した小町がおずおずと隣に座り炬燵に足を入れてきた。

 

「……お、お邪魔……しま、す」

 

 なにこれ色っぽい。

 顔を赤くしながら足を入れる所作はまるで『混浴で恥じらいながらも湯船に浸かってしっぽりとする見返り美人』のような、なんだそれ頭おかしいな俺。妹になに抱いてんだよ気持ち悪い。

 自戒の念に苛まれている俺とは裏腹に小町はなんだか幸せそう。昔は炬燵に入る時、こうして隣同士で座ったもんだ。

 

「…………あの」

「ん?」

「…………課題終わらせたし、その、ご、ご褒美、ほしい……っていうか……」

 

 なんだかおねだりの仕方までいつもと違う。

 いつもなら『今日の課題もう終わっちゃった! 余った小町の時間をお兄ちゃんにプレゼントしちゃうからこれからデートしようよ!』などとそれらしいことを言って引くほど奢らされる未来が見えたものだ。まあ、そんなところも可愛いんだけど。

 こうやって控え目にお願いするのも新鮮でいいな、うん。っていうか慎ましい小町ってすっげえ可愛い。親父キラー改め親父スレイヤーと呼んでやろう。暴力的可愛さで親父を屠る者。うん、厨二っぽい。

 

「いいぞ。何がいい? ハーゲンダッツか? ケーキか? そんなんでいいならコンビニいってすぐに買って来てやるぞ」

「あ、そういうんじゃなくて…………」

 

 指を交差させくるくる。えー、いまどきこんなもじもじしてますアピールできる子いる? 一色ですら成し得ないであろうあざとさ。さすが小町!

 

「あ、頭……撫で、て?」

「へ?」

 

 お兄ちゃんスキルをして欲しいって? さっきもしたけどまだ足りないのだろうか。

 まあ小町の御指名だし、それで喜んでくれるなら安いもんだ。

 

「ぅぁ…………」

 蚊の鳴くような声にならない音が漏れる。

 うわっ、だらしなぁ……。人様には見せられん顔になってるぞ。見てるのが俺だけで良かった。小町のこの顔は俺だけのもんだ。

 

 しばらく撫で続けてると段々俺に寄りかかる比重が強くなり終いには胸に頭を埋めて寝息を立てていた。

 やっぱ疲れてたんだな。受験まであと一ヶ月ちょいだ。頑張れ小町。あ、頑張ってない奴に言われてもムカつくだけだったりするから去年小町自身に助言されたな。

 

「…………愛してるぞ」

「」ビクッ

 

 あれー、この子寝てたのでは? なんかプルプルが伝わってくるんですけど。

 世界でたった一台、新型スマートフォン『KO・MA・CHI・エクスペリア』このバイブ機能を体験してみよう。

 なにこれ、CMできそう。

 

 ってかこの反応、絶対起きてるでしょ。

 俺の「愛してる」に対してのテンプレ「小町はそうでもないけど、ありがとうお兄ちゃん!」はどうしたの?

 なんでしなだれかかったままなの。あざといよ小町ちゃん。

 総武に入学できても絶対生徒会とか関わらせないようにしなくちゃ。

 

 とはいえ甘えられるのは嫌じゃないし、っていうかめちゃくちゃ好き。なのでお兄ちゃんはお兄ちゃんの責務を果たすべく頭を撫で、時にはポンポンしたり、わしゃわしゃする。

 ああ、なにこれめっちゃ幸せ......

 

×  ×  ×

 

「…………ん……んにゃ?」

「…………おう、おはよう」

「‼ あ、あた、小町寝ちゃった⁉」

「ぐっすり寝てたな」

「どれくらい⁉」

「二時間くらいかな。とっくに昼過ぎてるけど」

 

 がばっと起き上がり机の上を片付けながら慌てて喋り出す。

 

「ご、ごめん、このあと約束があって、ついでに勉強も一緒にしてくるからお昼テキトーに食べてて!」

「あ、お、おう。それはいいんだが何時くらいに帰る予定だ?」

「えっと、18時くらいまでには帰るつもりだから」

 

 パタパタと自室に駆け込んだかと思えば、アーマリーシステムもびっくりの早着替え。

 小町ちゃん? あなたいくつのジョブできるんですか?

 そんなボケを独り言にした我が妹は颯爽と家を出て行った。

 

 小町が最後に残した言葉が気になる。

 

『――――勉強も一緒にしてくるから――――』

 

 …………誰と?

 

 

      × × ×

 

 

 ……………………遅い。

 

 

 17時半の連絡を最後に小町の携帯に繋がらなくなった。

 時刻はすでに20時を過ぎようとしている。

 テーブルに乗ってる俺にしては頑張った夕飯達の熱気も冷め、覇気のない様子で小町に食されるのを心待ちにしている。

 

 

 …………………………………………遅い!

 

 

 まさか一緒に勉強してる相手は男で、勉強にかこつけて小町を…………

 いや待て待て! 小町に限ってそんなことあるはずがない。

 あいつはあざとくて、しっかり者で、計算高い自慢の妹だぞ。間違ってもそこらの男の姦計などに引っかかるものか。

 ……ん? なんかそう評すと別の奴を思い浮かべそうになるが今は黙殺することにしよう。すまん、いろはす。

 

 そうなると別の心配事が脳裏に過る。

 考えたくはないが、非常に考えたくはないのだが、大事なことなので二回言ったが、代表的な心配事は…………

 

 ――――事故とか。

 

 有り得ない話じゃない。

 一番身近な交通事故でいえば日本だけで年間50万件近く起きているし、その死者数は3500人にも上るという。なにより俺自身がその経験者なわけでリアルに実感できる。

 

 料理が冷めていくのに比例して小町に対する不安の度合いが増していく。こんなことなら一緒に付いて行けば良かったと益体もないifに心を捕らわれてしまう。

 俺が事故に遭ったとき、小町はこんな気持ちだったのだろうか。いや、あのときは入学式前だったから帰りが遅くなるとか以前に連絡が入ったのでこんな心境ではないだろう。だが、突然の電話の相手が警察関係者や病院からだと分かった瞬間、平時ではなくなる。仮に今その類の電話がきたら俺は事態を小町に直結させるだろう。その不安、焦燥は筆舌に尽くし難い。

 

「小町はこんな思いをしてたのか……」

 

 退院した後もサブレを助けたことを追想し、あんな思い二度と御免だと思っていた。

 そう言いつつも同じ状況になればまた身体が勝手に動くんだろうなと己が在り方に諦念していたが、こんな思いを小町にさせるくらいならその在り方を矯正していくべきだろうと本気で考えていた。変わることが現状に対しての逃避と宣ったこの俺が、だ。

 

 ――――21時

 

 …………不安で一杯になり祈るように小町の帰宅を待つ。

 

 探しに行きたいがどこを探す?

 闇雲に探しても成果は上がらないだろうし小町の交友関係は俺と違って広い。まず無駄足になるだろう。それどころか家を空けて入れ違いになったり、もし、もしも家の電話に警察や病院から連絡がきたら対処が遅れてしまう。

 家を支配する静寂が、俺の心音をより際立たせる。それは徐々に早くなり、頭に浮かぶのは悪いことばかりだ。

 

 

ガチャッ

 

 

「‼」

 

ダッ

 

「ひっ、おにいちゃん、ただいm「遅いだろ‼」遅くなっ⁉ ……って…………」

 

 怒鳴りつけると小町は固まってしまう。俺が小町に怒るなんて滅多にないし、悪いとは思ったが抑え切れなかった。

 

「なんで連絡しなかった‼ 心配したんだぞ⁉」

 

 小町は答えない。というより答えられない。小刻みに震えている。それに気付いた俺は「やっちまったー」と叫びそうになったがなんとか押し殺す。

 

 いや、心配するのは当然だし自覚はしてもらいたいが、俺が小町を怯えさせてどうすんだよ。反省させるためには『叱る』じゃなきゃ…………『怒る』と個人的な感情をぶつけてこじれちまう。小町の為に、小町を愛してるが故にかけるべき言葉、するべき行動は…………

 

 俺は小町にゆっくりと近づいた。怯えて半歩後退る。それを見てどれだけ愚かな行為だったか痛感した。

 ゆっくりゆっくり。普段よりも優しく、壊れ物を扱うように。

 

 小町をそっと抱き締めた。

 

「……ひっ、お、おにい……ちゃん……?」

 

 はじめは強張ってた身体の力が徐々に抜けていく。

 落ち着いてくると小町の身体が冷え切っていることに気付く余裕が出てくる。

 

「…………ごめんな、怒鳴っちまって。お前のことが心配過ぎてつい、な」

「‼ ――――っ」

 

 小町の手が俺の背中にまわされた。もう十分伝わっただろうけどちゃんと言葉にしておかないと。俺に言葉足らずなところがあるせいで奉仕部でも軋轢を生んだ経験をしたわけだし。

 ていうか怒鳴りつけた後に優しい言葉をかけて安心させるとかDV夫のテンプレみたいだな。うん、気をつけよう。

 

「……どうして連絡してくれなかったんだ?」

 

 あくまでも理由を、原因を問う為の言葉。いつもの小町に話しかける優しい声音だったと思う。

 

「……スマホのバッテリー切れちゃって……勉強の後にあた、さ、沙希、さんとちょっと話してたら長くなっちゃったの……」

「そうか……」

 

 これで行先と原因は分かった。あとはどうすれば良かったのか、最善を模索する。

 

「川崎んちで電話借りて連絡することも出来ただろ? 今度からそうしろよ。予定より二時間も遅くなったらどう楽観的にみても不安になっちまう」

「…………うん、反省してる……」

「…………で、大志にちゃんと送らせたんだろうな?」

「え?」

「え? ってあの野郎、小町にこんな夜道を歩かせたのか。墓石抱かせて岩井海水浴場に沈めてやる…………」

「わー、待った待った! 大志、くん、にはちゃんと送ってもらったから、ひっ、おにいちゃんは手を汚す必要ないんだよ‼」

「そ、そうか……まあ、こんな大事なときに役に立ったことは認めてやってもいいかもしれんな」

「え? ひっ、おにいちゃんが、大志、くん、にそんなこと言うなんて……‼」

「うっ…………とにかく! 小町が無事で良かった。夕飯冷めちまったから温めなおして一緒に食おうぜ」

「え……つ、作って待っててくれたの……?」

「いつもやってもらってるからな。受験目前の妹に代わってこれくらいやるのはお兄ちゃんとして当然だろ」

 

 今日一の驚きを見せ次の瞬間、顔をくしゃりと歪めて瞳を涙で一杯にする。

 

「ぅぅう…………ひっ、おにいちゃ、ん…………ずるいよぉ…………」

「? なにがずるい?」

「…………そんなんされたら……諦められなくなっちゃう……よ……」

 

 主語がないので、いくら国語学年3位の俺でも汲み取るのが難しい。

 こういう場合は余計な質問をせずオート発動のお兄ちゃんスキルで乗り切るのが正解だ。そして本日三度目となるなでなでを敢行する。

 

「ホントに心配かけてごめんね……」

「俺も入学式の時、心配かけたしお相子だな」

「……………………入学式?」

 

 …………入院したこと忘れるなんて台無しだよ‼ お兄ちゃん泣くよ? これは泣いてもいいよね⁉

 

 夕飯のあとも小町とのイチャイチャはとどまるところを知らず、小町の部屋で耳掃除をしてもらうという至福まで味わってしまう。

 女子(妹)に耳掃除してもらうなんて初めての経験で、俺の耳の穴童貞は小町に捧げられました。って耳の穴童貞ってなんだよ。造語が気持ち悪すぎだろ。せめて穴はとれ。

 

 耳掃除も終わり、そのまま小町の膝枕で耳をマッサージしてもらう。受験生の妹に何やらせてんだよって思うかもしれんが、小町から言い出したことなんだぜ? やだ、この子お兄ちゃん好き過ぎでしょ!

 この世の天国を味わい意識が朦朧とする中、こんなことをいってきた。

 

「ひっ、おにいちゃん、明日始業式ですぐ授業もあるんだよね?」

「…………んー、あー……確か午後までみっちりなぁ……スケジュール設定したやつ誰だよ、いままでこんなんなかったろって感じだわ…………あー、行く前から帰りてぇ…………」

 

 なにこのダメな人間。ナマケモノだってもうちょっとマシな受け答えするわ。いや、実際ナマケモノと対話なんてしたことないから知らんけど。そんなダメダメな兄に対しても慈愛に満ちた声音で話しかける最愛の妹。

 

「……いつもパンでしょ? そ、その……お弁当作ってあげよっか?」

「…………あー…………えっ⁉」

 

 急に覚醒した。小町の弁当とか半年に一回とか年に数回レベルのレアアイテムだぞ! ガチャで当たり引けなくても小町に弁当作ってもらえたら、それだけでご飯三杯は軽い。あれ、表現が合ってるせいで逆に凄いと感じないじゃん。でも実際はそんなもんじゃないからな?

 

「マジか、頼むわ‼ 俺の妹が天使すぎるから早く家に帰りたい件」

「結局、帰りたいのに変わりないんだ……」

「家大好きだからな……………………お前がいるし」ポソ

「――――っ‼」

 

 ああ、ぽしょぽしょ言ったのに聞かれたわ。今日なんだよ、『家族羞恥プレイの日』かよ。新たに制定してほしい。どこに訴えれば通るかね。

 

「…………ってか勉強の御褒美が頭撫でるだけで、小町がしてくれるのが膝枕と耳掃除と弁当作りって釣り合い全然取れてなくね?」

 

 ずっと思ってたことがつい口を吐く。これ俺が得しかしてねえじゃん。

 今年のタイトルホルダーで言えば俺が松井裕樹を放出して小町から森・山川・中村の合わせて三冠王トリオを貰うようなもん。

 誰が膝枕と耳掃除と弁当作り担当だろう、興味が湧くな。いや、暗に松井裕樹をディスってるみたいになってるがセーブ王すごいことだからね? 俺の頭ナデナデも17年間のお兄ちゃん生活で培われた職人的な……すいません、黙ります、はい。

 

「じゃ、じゃあ……もうちょっと御褒美もらって、い、いい?」

「おう、なにがいい? ハーゲンダッツならお兄ちゃんすぐに走って買いに行ってくるぞ」

 

 これってむしろ俺がハーゲンダッツ食いたいんじゃね? って具合に押してるな。俺ってそんなハーゲンダッツ好きだっけ。自らに嗜好を問い質そうとするも小町に遮られた。

 

「ううん、このままでいてくれればいいよ……」

「えぇ…………いや、それって御褒美のターン、ずっと俺じゃん…………」

 

 などと正論で返すが、本当に! メッチャ‼ このまま永眠してもいいまであるくらい心地良いので思考を放棄した。

 

 はぁああぁぁぁ……今日の小町やさしー……いつもが優しくないとは決して思わないけど、それにしたって今日のは別格だ。こりゃ二ヶ月後の誕プレは奮発しないとな…………

 クリスマスのとき希望プレゼントリストに白物家電ってあったな。物によってはお年玉使い切っても足りねーよってのばっかだし何とかちょうどいいの見繕ってみるか。

 そういえば最後に『俺の幸せ』って書いてあったの思い出した。こうしてもらってるのが幸せだから俺が小町にプレゼントするのか小町からプレゼントされてるのかわっかんねーなぁ…………スースー

 

 身体が溶け出しそうに気持ちいい…………

 体温よりも少しだけ高い湯船に浸かっているような、自分と世界の境界線が曖昧な感覚。

 そんな甘美な環境に身を置くと自然と意識まで手放してしまう。

 だが、完全に眠るわけにはいかない。こんなところにこのまま寝たら小町が迷惑する。起きて自室に行くべきだ。

 そんな意志力が働いたのか、瞼は最後の抵抗をし薄くだか開かれ、一足飛びで時間を跨いでいく。

 

 ―――1分?

 

  ―――――――3分?

 

   ――――――――――――10分?

 

 朦朧とするどこかの意識の中で小町の顔がやけに大きくなった気がした。気がしたというだけで本当にそうなのか、いつだったのかなど不確かなことばかりだった。

 

「……………………んぁ……?」

............ゃん、おにいちゃん、そろそろお布団で寝てきなよ」

「あ、ああ、悪い、そうする…………」

 

 のそのそと、まるでカマクラにでも生まれ変わったような足取りで小町の部屋を出る。背筋だけはもともとカマクラだけどな。

 ベッドに入ると野比家の長男に勝てるかもしれない速度で眠りにおちた。

 

 

      × × ×

 

 

 いつものように寝起きが悪い俺を小町が起こしにきてくれたのだが様子が昨日と違う。

 いつも通り深いため息とともにそれは始まり……

 

「いつまで寝てんの、今日から学校でしょ? 早くご飯食べてくれないと片付かないでしょ。これだからごみいちゃんは……」

 

 ……なんだろう?

 昨日とのギャップが酷過ぎるせいか、いつもなら怪我するんじゃないかって勢いで布団の上にダイブして起こす工程がない分、優しく起こされてるはずなのに。あれ、目から汗が滲みでて…………。

 

「…………」モグモグ

「…………」モグモグ

 

 大した会話もなしに恙無く食べ終わる。いつも通りのはずなのにひどく物足りない。何かを期待している自分がいる。

 ――――そうだ。

 

「小町、そういえばもう弁当って作ってくれたか?」

「へっ? いつもお弁当なんて作ってないじゃん。それに小町まだ受験生だし、今は家事も忙しいお母さんに手伝ってもらってるくらいなんだから作る暇ないよ?」

「……………………え」

 

 カレンダーの日付を見る。時計の日付を見る。スマホの...以下略

 うむ、今日は一月九日だ。四月じゃない。昨日は四月一日で、一日経って一月九日になったんだな。それなら納得だ。

 

 ……

 ……

 ……

 

 って時空捻じ曲がってるだろそれ‼

 

 なんなの⁉

 昨日あんなに優しかった小町がすっごく普通なんだけど⁉

 四月バカだったとかでないと説明がつかない、いやもう俺がバカでも説明つくけどさ‼

 

「お兄ちゃん、朝からキモいよ? 今日は始業式なんだしピシッとしてよね。じゃ、小町さき行ってるね!」

 

 そう残して元気よく家を出ていく小町。

 

 ……小町……お前だけは俺を裏切らないと思っていたのに…………

 やっぱり最初から期待なんてするからショックが大きいんだな……ってちょっと待て。なんでショック受けてんだよ。小町は妹だぞ、マイシスター! なに彼女にしたいみたいに振舞ってんだよ、ってか俺乙女かよ、女々しいなオイ!

 

 朝起きたら優しい妹が元に戻っていた件について。なんてラノベのタイトルみたいな現象に頭がついていかなかったが総武高には着いていた。

 

「はぁ~、マジ今日の日程調整したやつ誰だよ……始業式の日に6限までフルに入ってるとか有り得んだろ……」

 

 だが始業式の日がそれだけだった場合はきっと昨日が始業式になっていただろう。

 

『どこかで帳尻は合せられる。世界はそういうふうにできている』

 

 やべ。あんなにカッコいい恩師の言葉を台無しにする使い方だわ。

 自嘲気味に笑うと自転車を停めて教室へ向かおうとする。そこに青みがかった黒髪の泣きぼくろが魅力的なクラスメイトの姿があった。

 えーっと、川上……川島……川なんだっけ、川なんとかさんでいっか。

 え……これ挨拶した方がいいの? いやするべきだよな、さすがに。俺のことヒキタニって呼んでるクラスメイトならいざ知らず、こいつはちゃんと比企谷って呼ぶしな。

 あれ、でも俺の方が川なんとかさんの名前覚えてねえじゃん。逆に俺のが川崎を知らないパターン。あ、川崎だわ、良かった。これでwin-winだね!

 

「…………お、よう」

「お、おはよ……」

 

 それだけ? それだけか。そりゃそうか。朝の挨拶だもんな。たまたま駐輪場で逢っただけだし、このまま一緒に教室とか行くとなんかバツが悪いしトイレでも……そう思っていると川崎に呼び止められた。その顔は赤い。うん、今日も寒いしな。納得。

 

「こ、これ、お弁当!」

「へ?」

 

 弁当を渡すとすごい勢いでダッシュして行ってしまった。

 あ、ちょっと、あなたスカート短いんだからそんなパタパタ走ると……

 

 …………うん、ご馳走様。まだ弁当食ってないけどな。

 

 っていうか…………

 

「…………………………………………なんで?」

 

 

 何故かクラスメイトがお弁当を作って来てくれた件について。

 

 ちなみにトマトは入っていませんでした。

 

 

 

了?




最後まで読んでいただきありがとうございます。

小町(沙希)視点がようやく完成しました。
小町(沙希)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/3.html


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「ひっ、お、お、おにいちゃん……‼」

大志と二人で初詣に出掛けた川崎姉弟のお話。

初詣で奉仕部の三人とその妹を見かけてしまい思わず出た願いは

『比企谷のこと諦められますように……』

であった。
沙希の身に降りかかる結末とは……



八幡視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/2.html
沙希(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/4.html


「大志、はぐれるんじゃないよ」

「分かってるって」

 

 受験まで一ヶ月に差し迫った新年。あたし達は初詣とお守りを買いに神社に来ていた。人混みは嫌いだけど今日は大志の為だし我慢できる。

 それにしても長い行列だね。皆こんな寒い中、並んでまで叶えたい願いがあるんだ。ま、あたし達もそのうちの一人なんだけど。

 教室では誰とも話さないからつい景色を見る癖がついてる。何気なく参拝の終わった人ゴミに目をやると

 

「あ……」

 

 いくつかの見知った顔ぶれが歩いていた。

 ボサボサ頭でアホ毛が伸びた目の腐った男。その横には同じくアホ毛の小柄な女の子。他に二人……

 

(……そっか。もう完全に修復できたんだ)

 

 四人を目で追いながら一人得心した。

 去年の生徒会選挙の時、比企谷に

 

『あの部活でやってるほうが合ってる』

 

 なんて言っちゃったし喜ぶべきことなんだろうけど……。

 

 参拝の順が自分達に回ってきた。何をお願いするかは決まっている。

 

『大志が総武高に合格しますように……』

『今年一年、家族が健康に過ごせますように……』

 

 あたしの受験は再来年だし来年の参拝でお願いするとして、神様には申し訳ないけどお願いを増やさせてもらおう。

 

『比企谷のこと諦められますように……』

 

 ……我ながらなんてお願いしてんだろ。

 あー、やめやめ! 早くお守り買って帰らないと。けーちゃんが寂しがるからね。

 

      × × ×

 

「…………ん」

「ひっ⁉ なんで猫が⁉」

 

 勢いよく起き上がり猫もびっくりしてベッドから飛び降りた。

 

 起きたら見知らぬ天井だった。

 布団の上には猫がいた。

 胸を見ると………………………………縮んでいた。

 

 鏡を見ると………………………………顔見知りが写っていた。

 

「え……これ……比企谷の、妹……?」

 

 大志の友達だし何度か会ってるので忘れようがない。

 あたし昨日、自分の家で寝たよね? それがどうして? 訳が分からない。

 

(……考えるのは後だ。もう結構時間経っちゃってるし、朝ご飯作らないと……)

 

 あたしはいつものように朝食の準備に取り掛かろうと思ったが、比企谷の家って母親が料理してるんだろうか? 勝手が分からないまま取り合えず部屋を出ると一階から女性に呼ばれた。恐らく比企谷のお母さんだろう。

 

「小町ー、起きてるー?」

 

(小町……あたしのことだよね……この子の喋り方ってどうだったっけ……?)

「う、うん、起きてるよー」

 

 うわぁ高くて可愛い声! 気持ち悪ぅ! 自分の声がハスキーだって自覚あるから違和感がすごい。

 

「小町ー、八幡起こしてきてね。仕事行ってくるから」

「え? え? 八幡て……?」

 

(ひ、比企谷のこと、だよね……)

 

 

コンコン ガチャッ

「ひっ、ひ(やば、比企谷って言いそうになった)……お、お……にいちゃん……起きて……る?」

「…………ん……小町ぃ……もうちっと寝かせてくれ……今日は日曜日じゃないだろ……」

 

 緊張しながらやっとの思いで話しかけて返ってきたのがこれだ。呆れるくらいの平常運転。あまりの比企谷らしさに少しだけ冷静さを取り戻せた。

 そう自覚すると比企谷の寝顔に目がいく。恐らく雪ノ下も由比ヶ浜も見たことがないであろうそれを、あたしは小町としてだが見ることができる。無意識に比企谷の顔を覗き込むと鼓動が早鐘を打った。

 

「…………」

「……ん?」

「‼」

「…………え」

「…………ひゃいっ⁉」

 

 瞼が開かれ腐った目で凝視された。急激に顔が熱くなり飛びのく。

 

「小町……そんなにお兄ちゃん見つめてどしたの?」

「え、え、ううん、な、なんでもない、なんでもないから!」

 

 あ、そっか。いまはあたしじゃないんだ。小町なんだ。

 

「…………」

「小町、ちょっとこっち来てくれ」

「え? な、なに、ひっ……お、にいちゃん」

 

 比企谷があたしの顔に手を伸ばしてきた。その手は顔の横をすり抜け後頭部に添えられ、優しく引き寄せられた。

 

「はへ? ひっ、き⁉」

「……んー、ちょっと熱っぽいんじゃねえか?」

 

(ひっ、比企谷に⁉ おでこ! ぴとって⁉)

 

 うわぁ、顔が熱い……顔どころか体全部が紅潮していくのが分かるよぉ……

 バカ! バカ! 比企谷、こんなことされたら熱上がるに決まってんでしょ!

 文化祭のときの『愛してるぜ』といい、体育祭のときの『服、作ってくんねぇか』といい、生徒会選挙の相談のときの『俺には必要なんだよ』といい、なんであんたはそう無自覚に人をドキドキさせるわけ⁉

 

「俺は着替えとくから熱計ってこい。風邪なら一緒に病院行ってやるから診察券と保険証用意しとけ」

「……小町?」

 

「…………あ、え、ああ、うん、熱計ってくるね」

 

 比企谷ってこんなに妹の面倒見がいいんだ……普段学校で見かけるときと全然違う……

 体温計の置き場所知らないし、そもそも熱がないのは分かってたので計った体でやり過ごそう。

 一階に降りてふと気づいた。誰もいない。比企谷のお母さんであろうさっきの人があんなに早く仕事に行き、父親らしき人もいないとなると普段小町がキッチンに立ってるんだろうか。

 

(そういえばスカラシップのこと教えてもらったとき小町が言ってたっけ、両親共働きだって)

 

 ならうちと同じように家事は子供が担当する。あの感じなら小町がやってるだろうね。比企谷はめんどくさがりだし。ってか比企谷がキッチンに立って料理してる画が想像できない。

 そう自得してキッチンへ。うちより広くて新しいせいかちょっとだけ浮き立ってしまう。冷蔵庫を見て何が作れそうか考えていると比企谷が二階から降りてきた。

 

「あ、ひっ、おにいちゃん、熱なかったから朝ご飯作るね」

「今から作るのか?」

「うん、今日はちょっと寝坊しちゃって……」

 

 それらしい嘘でなんとか誤魔化すとハミングしそうになるほど上機嫌で朝食の準備をする。今日ほど普段、料理していて良かったと思ったことはない。比企谷に食べてもらえる。ただそれだけなのに嬉しいなんて。

 だ、ダメだダメだ! 諦めるって神様にお願いまでしたのに!

 あたしが食事の支度に取り掛かろうとしていると、いつの間にか隣にいる比企谷に声をかけられた。

 

「ああ……それじゃ俺が作るから小町は座ってていいぞ」

「え?」

 

 え? なんで? なんで? 普段はあた……小町が作ってるんでしょ? どうして今日に限って?

 

「え? え? い、いいよ別に、ひっ、お、おにいちゃんは座っててってば!」

「遠慮するな。いつもやってもらってるし、たまにはいいだろ」

 

 学校では見られない強引さで朝食の準備を進める比企谷。さすがにあたしの目にはちょっともどかしく映るけど危なげなく、それなりにテキパキこなしていく。

 

「お、鮭があるな。目玉も焼くか」

「あ、それ、あた……こ、小町、がやるから」

「んじゃ頼むわ」

 

 ボーっとしてたけど、このままじゃあたしの仕事なくなっちゃう。慌てて比企谷を制し、せめておかずくらいは作ろうと思ったが、冷静になるとこれはこれで悶えてしまうような状況なことに気付く。

 

「…………」

「…………」

 

 キッチンに並んで一緒に朝食作るとか……これってもう……こ、ここ、恋人通り越して、ふ、夫婦……?

 比企谷はそんなこと思ってないだろうけど、こっちは緊張して何か話題がないか手を動かしながら必死に考える。

 

 ん?

 

「……ひっ、おにいちゃん、サラダが緑ばっかなんだけど。トマトとかで彩りつけないの?」

「……やっぱ今日調子悪いだろ小町」

「? なんのこと?」

「……トマト嫌いって前も言っただろ」

 

 しまった。そういえばあたし、比企谷の好みとか全然把握してないよ。

 去年、小町に呼ばれて大志と一緒にサイゼ行ったとき、ミラノ風ドリア食べてるくらいしか記憶がないね。

 ドリア好きなのかな……洋風は普段あまり作らないけど、今晩作ってあげようかな……

 ふふ、それにしてもトマトが嫌いなんて歳相応に幼いとこもあるんだ。いつもは斜に構えて人生に疲れた中堅サラリーマンみたいな言動なのにね。

 

「あ、ご、ごめん忘れてた。そっか、ひっ、おにいちゃんはトマト嫌いなんだよね」

 

 ……なんか比企谷が怪訝な表情でこっち見てる。あたしだってバレたりしないよね?

 ってか小町があたしとかそんなの気づくはずないでしょ。

 

「小町、ちょっと勉強しすぎなんじゃないのか? 時には休むことが必要なときもある。無理はするんじゃないぞ」

 

 ‼ ひ、ひひひ、比企谷が! あたしの、あ、頭、撫でてる⁉

 

「⁉ う、わわわ…………お、おにいちゃん、へ、平気、だから……」

 

 家では長女としてあまり家族に甘えることができないので、こんな風に撫でられるのは小さいとき以来だ。もうどんなだったか覚えていないお父ちゃんに撫でられた記憶が、なんとなく比企谷の手で思い起こされる気がした。

 

「……顔赤いが? やっぱ熱とか……」

「へ、平気! 熱なんかないから、これはアレで、アレだから!」

 

 …………もー! 一体なんなのさ⁉ テンパりすぎて比企谷みたいな返しになってる。

 普段、家じゃこんなにも妹のこと可愛がってるの? ちょっと羨ま……じゃなかった、シスコン過ぎでしょあいつ。

 

 出来た朝食を黙々と食べる。つい比企谷の反応が気になって見てしまうが、それを別の意味に捉えたのか食器まで洗い始めた。ご飯の準備までしてもらったのに食器も洗わせるなんて罰が当たるよ。いいから座っててって言っても聞かないし、結局また二人並んで洗うことになった。

 あたしが洗った皿を比企谷に拭いてしまってもらう。うわ……なにこれ、なんか恥ずかし……

 

      × × ×

 

 ご飯と片付けを済ませ人心地ついたあたしは、これから何をするべきか迷っていた。

 どうしてこんなことになったのかを調べるのが第一かもしれないけど、少し考えたら結論がでた。

 

『原因不明』

 

 こんなよく分からないことをどうにかしようってのがそもそも無理な話だと早々と諦めがついた。単純に時間経過によって事態が好転することを祈るしかない。

 そうだ、あたしの身体の方がどうなってるのか。いい方向へ導く鍵となる可能性がある。

 

 そもそもあたしが小町になってるからって、小町があたしになってるとも限らないんだよね。

 この身体で小町の意識が眠っている状態……てこともあり得るし。こっちにあたしの意識があるから自分の身体は抜け殻状態で眠り続けてるとか。そこまでじゃなくてもあたしの意識が分裂して両方に存在してるって可能性も……

 

 あり得ない状況だからこそ様々なケースが考えられる。とにかくあたし……の身体に連絡を取らないと。申し訳ないが小町の携帯のアドレスを見せてもらう。

 ……この子の登録件数すごいね。あたしの携帯なんて家と両親と大志と学校と病院とバイト先の番号くらいしかないよ。

 去年の生徒会選挙のとき大志経由で呼ばれたし、さすがに番号交換した記憶がない。もしあたしの意識が分裂してて、いまもあたしの身体にあたしが(ややこしい)存在してた場合、番号交換してない人からいきなり連絡きたら驚くだろうね……最悪大志が変な目で見られそうだし弟に迷惑かけない為にも先に大志と連絡とったほうがいいかな。

 

 

FROM :小町             

TITEL:大志へ            

今日そっち行きたいんだけどいい?

受験勉強って名目で行くから何時くらいなら

平気か連絡ちょうだい。

 

 

 ――――送信

 

 ……あー……文面が普段のあたしになっちゃってた。大志相手だからって油断し過ぎたか。

 

 返事はすぐに来た。お昼過ぎあたりなら大丈夫らしい。

 さて、それまでどうしようか……比企谷へ向けてのポーズなら受験勉強してくるって言って部屋で引き篭もるのもいいけど、あまり小町の自室でプライベートに触れるのは悪い気がする。でも受験間近だし何もしてないのも怪しまれるし……折衝案としてリビングで勉強するのがいいかもしれない。

 

 あたしは勉強道具を持って炬燵で勉強を始めた。

 比企谷家はリビングの天井も高いし、炬燵も大きい。うちのはもっとこじんまりしてる上、家族が多いからこの家の炬燵に戸惑っちゃう。

 あたしが炬燵で編み物をしてると隣でいつも京華がくっついてきたね。蜜柑食べてうとうとしてあたしの膝枕で寝ちゃったりとか炬燵エピソードは沢山ある。

 

「いっ⁉ ね、ねこ⁉」

 

 丸々とした白猫が炬燵に入って来た。猫は炬燵大好きだし、しょうがないか。それに、いまは小町の身体だし懐いてるんだろうね。当然アレルギーもないし、触って、みよう、かな?

 最初はおっかなびっくり触れてみるも、猫が逃げず手触りもいいことから知らず知らずの内に夢中で撫でまわしていた。

 

(うちじゃ飼えないし、そもそもアレルギーでこうして気軽に触ることすら出来ないからそれに関してはこの現象に感謝だね…………あっ、いけない、勉強しとかないと比企谷に怪しまれる)

 

 我に返り三年前のように高校受験の勉強を始めた。

 

カリカリ...

「…………」チラッ

「…………」グデー

カリカリ...

「…………」チラッ

「…………」

 

 斜向かいで炬燵に入りながら机に顎をつけてぐでーっとする比企谷を見る。お行儀悪い、ってうちでは京華を窘めてるところだけどこの格好ってなんだかたまの休みでくつろいでるお父ちゃんみたいで噴き出しそうになってしまった。

 

「小町、珈琲飲むか?」

「え、あ、うん、飲む」

 

 ちょうど勉強が終わったタイミングで珈琲を勧められた。学力は今のままだし当然つっかえることもなくスラスラ解けたからね。

 

「もう勉強終わりか?」

「うん、終わったよ」

「え?」

 

 懐疑的な視線を向け問題集を要求する比企谷。そのまま正誤チェックも始めてしまう。終わると表情は驚きに塗り替えられていた。

 ……小町ってそんなに勉強苦手なのかな。疑問を見透かされたような科白が比企谷の口を吐いた。

 

「どうしたんだよ小町? お前いつの間にこんな勉強できるようになったの?」

「む……別に大したことじゃないでしょ。授業聞いて塾でも勉強してれば分かるよ」

 

 これって小町には似つかわしくない言葉だったかもしれない。現に比企谷の表情には驚愕の色がありありと浮かんでいた。

 

 大志との約束にはまだ時間は十分ある。あたしはそれまでどうやってその時間を使うか炬燵に入り蜜柑を食べながら悩んでいた。

 普段は暇があったら京華の相手か、京華が寝てるなら勉強、部屋の掃除あたりがあたしの時間の使い方だ。でも現状、ここはあたしの家じゃないわけだし勝手に何かするのは憚られる。小町のプライバシーが気になり、部屋で勉強している体で過ごそうというのもやめたくらいだ。こうして勝手に蜜柑食べてるのだってちょっと気が引ける。

 

ツン

「⁉」

 

 いまの比企谷⁉ しかいないよね。猫はあたしの足先に触れてる。急な出来事に比企谷の方を見るとバツが悪そうにしていた。たまたま足が当たったらしい。

 

(……家族なのにそんなの気にするほうが変か)

 

 今が特殊な状況だからつい忘れちゃうけど、炬燵の中で足が当たるくらいでヤイヤイ言う家族なんていやしないね。それこそうちなんてしょっちゅうだし、子供の頃はよく大志と足の押し出し合いしたもんだ。相手が比企谷だからって過剰に反応し過ぎだよ。

 

ツン

「⁉」

 

 反射的にまた比企谷を見る。さっきと違いぐでーっとしながらそっぽを向いていた。あのバツの悪い顔はどこへいったんだ。

 

ツンツン

「‼ ~~~~っ」

 

 またちょっかいかけてきて……しかも白々し過ぎるよこの!

 ……比企谷にもこんな子供っぽいとこあるんだ。

 ……小町が相手だから、かな?

 

ツンツン

ツンツン

 

 いい加減くどいのでさすがに窘めようとした矢先、猫があたしの太股のあたりまで移動し寄りかかって来た。それと同時にちょっかいが止む。

 

(これってもしかして……)

 

 くくっ、ちょっかいの原因に気付いたあたしは忍び笑いが止まらない。なるほどね、しつこいとは思ったけどそういうことだったの。あんなに用心深くて頭の切れる男が猫に騙されて……ある意味らしいといえばらしいかもしれないけど。

 

 ちょっかいが止むと約束の時間まで本当にやることがなくてぼーっと考え事をしてしまう。

 いま起こってる超常現象についてではなく、自分の家と比企谷家の違いについて耽っていたのだ。

 四人家族なのにうちより広くて立派な家。それだけで単純に比較はできないかもしれないけど、比企谷家はうちより所得が多そう。多分、比企谷も小町も私大に行かせてもらえるんだろうな。ぼんやりとそんな考えが思い浮かぶが、少しも羨ましく感じないことを不思議に思った。

 授業料の安い国公立を目指す為の前段階であんな苦労して深夜のアルバイトで予備校費用を稼いでいたのに。比企谷家に生まれていればそんなことしなくてもよかったのに。なのになんで羨ましくないんだろう。

 

 答えは簡単だった。

 

 家が広いのは良くもあり、悪くもある。きっとこの広さが、侘しさが嫌いなんだ。それに比べ川崎家はちょっと狭いし家族が多いけどその分、賑やかで温もりがある。ときどき京華の元気過ぎる声に困らされたりもするが、あたしはあの家に生まれて良かったって思ってる。そんな想いが無意識に口を吐いた。

 

「…………なんか、部屋が広いね」

「は? 家は成長しないだろ。むしろ俺達がデカくなって部屋が狭く感じるはずだが」

 

 見当外れな返しをする比企谷にもう一度。

 

「…………二人だと、広い、ね……」

 

 こんな広い家にたった二人で寂しくないの? 暗にそういったつもりだったんだけど比企谷の理解はまた少し違くって

 

「…………ほれ」

「……………………え」

 

(ひ、比企谷が、隣に、あたしを誘って、る?)

 

 今まで一度だって比企谷がこんなのしてくれたことない。いつもちょっとあたしのこと怖がりながらキョドって必要があるときだけ話しかけてくる。そのくせドキッとすること言ってきてあたしを悩ませるスケコマシだ。これもその一つなんだろうか?

 この辺からもうあたしはあたしが小町だっていう意識が希薄だったんだと思う。

 

「……お、お邪魔……しま、す」

 

 おずおずと比企谷の開けてくれた炬燵に足を入れる。

 意識しちゃってるのがありありとしてて気恥ずかしい。

 こんなのあたしのキャラじゃない。

 でも……なんか胸の奥がぽかぽかする……

 

「…………あの」

「ん?」

「…………課題終わらせたし、その、ご、ご褒美、ほしい……っていうか……」

 

 ……ホント何言ってんだろ。熱に浮かされてるみたいに思考力が低下してる。

 そもそも勉強は自分の為にやるものでそこにご褒美が発生する考え方自体が間違っている。

 言ってしまった後に猛省しているとそれがまるで間違いであるかのような喜々とした声がかけられた。

 

「いいぞ。何がいい? ハーゲンダッツか? ケーキか? そんなんでいいならコンビニいってすぐに買って来てやるぞ」

 

 ……こいつは本当に……

 学校では全く見せない側面(かお)にドギマギさせられる。こっちもそれに対抗して要求を突き付けた。

 

「あ、そういうんじゃなくて…………」

 

「あ、頭……撫で、て?」

「へ?」

 

 ……バカじゃないの?

 ホント何言ってんのあたし?

 小町になったせいであたし自身もおかしくなっちゃったの?

 こんなのあたしのキャラじゃないしって何回同じこと言ってんのよ。

 目まぐるしく変わる思考の波を無視し、思いのほか大きな手があたしの頭に触れる。 

 

「ぅぁ…………」

 

 自然に声が漏れた。その手はこの身体のことを熟知し巧妙に快感を生み出していく。

 

(な、に、これ……気持ち良すぎて、ふわふわ、して……)

 

 身体に力が入らない。まるで全身の力が比企谷の手に吸い取られていくみたいだ。自然と体を比企谷に預ける形になる。

 そういえばこうして誰かに寄りかかるなんてこと、最近した記憶がない。

 家では忙しい両親の代わりに弟妹達の面倒を見なきゃ……頼れるお姉ちゃんじゃなければいけない。あたしが弱みを見せたら下の子達が不安になる。そうやって肩肘はって生きてきた結果、こんなに目付きが悪くなっちゃったのかも……比企谷もあんな目になったのには理由があるんだろう。

 比企谷の胸を借りてこんなにも気丈夫になれるとは思わなかった。弟妹達はあたしに対してこんな風に感じてくれてるのだろうか。それだったら頑張ってきた甲斐があるんだけどね。

 

 比企谷に包まれた安堵感から目を瞑って身体を委ねる。とくんとくんと聴こえる心音が子守唄のようにあたしの精神(こころ)に働きかけ眠ってしまいそうになる。そう考えた矢先、かつて聞かされたあの言葉を再び耳にすることとなる。

 

「…………愛してるぞ」

「」ビクッ

 

 ドキッ‼

 どっと汗が吹き出しくる。炬燵のせいじゃなく顔中どころか身体全体が熱い。寒さと違う羞恥の震えが起こる。

 きゅ、急に何言い出すのよこいつは⁉ 恥ずかしぃ……顔、見れない……見せられない……

 顔を隠すように比企谷の胸に埋め擦り付ける。

 だが比企谷は追撃の手を緩めない。撫でる手を休めないばかりか、時にはポンポンしたり、わしゃわしゃしてきたりと手を変え品を変えあたしの動揺を誘ってくる。

 ああ、もうだめ……ダメになる......

 

 知らないうちにあたしは意識を手放した。

 

×  ×  ×

 

「…………ん……んにゃ?」

「…………おう、おはよう」

「‼ あ、あた、小町寝ちゃった⁉」

 

 しまった! 完全に寝ちゃった⁉

 

「ぐっすり寝てたな」

「どれくらい⁉」

「二時間くらいかな。とっくに昼過ぎてるけど」

 

 大志と待ち合わせがあるのに寝坊だなんて!

 

「ご、ごめん、このあと約束があって、ついでに勉強も一緒にしてくるからお昼テキトーに食べてて!」

「あ、お、おう。それはいいんだが何時くらいに帰る予定だ?」

「えっと、18時くらいまでには帰るつもりだから」

 

 自室に駆け込み適当な服に着替えると家を後にする。

 今まで比企谷の家に来たことはなかったが、弟妹が同じ塾に通ってるという時点で薄々近いとは思っていた。どうやら予感は当たっていたようで自転車で通った記憶もある場所だ。

 

(よかった、これなら迷わない。早いとこ大志と合流しなきゃ)

 

 しばらく走ると馴染のある通りに出た。冬真っ只中の季節だけど、走ったお陰でそれほど寒さを感じなかった。

 

「自転車でくればよかったかな……でも小町の自転車あるのかも分からなかったし」

 

 比企谷が自転車通学なのは知っているから最悪それを借りれば……だめだ、比企谷の自転車なんて乗ったらどうにかなっちゃいそう。

 『比企谷の』と銘打つだけで、眠る前に撫で繰り回されたのを想起してしまう。

 ただ、その効能なのか、よく眠れたし寝覚めがいいしスッキリした気分だ。これなら勉強も捗りそう。

 

(――――って、あたしホントに勉強しに行くわけじゃないんだった。……でも普段は教えてるだけだけど、大志と一緒に教え合いながら勉強できるって嬉しいかも……)

 

 大志に教わるという時点で色々と問題ある行動なのに気付かない辺り、冷静じゃなかったんだろうね。あたしは家路に着いて、もう一人のあたしに会うことに高揚してたのかもしれない。

 

      × × ×

 

「ひ、比企谷さん、い、いらっしゃい! ど、どうぞ」

 

 大志に案内され居間へ通された。それくらいの常識は持ってるようで安心したよ。もっとも自室に招いてもあたしがいるだろうし間違いは起こりえないけど。

 

 ん? 今日ってあたし予定あったっけ? 親は仕事だし京華は保育園に預けてるし、いつもならこの時間は勉強か縫い物してから夕飯の買い物に……

 いやいや、前提条件が不確かなせいでうまく推測できない。比企谷家を出る前にも考えてたけど本当に小町があたしと入れ替わってるのかすら未確認なんだ。何が起きてても不思議じゃない。

 もしあたしの半身(半心)が残ってるなら普段通りの行動で読み易い。一番厄介なのは小町が入れ替わっててパニックになり家を飛び出して行方をくらませたりすることか。抜け殻説もなくはないのでそれとなく大志に訊いてみるのがいいかもね。

 

「……ねえ大志、あんたのお姉ちゃん今日はどうしてるの?」

「えっ⁉ ね、姉ちゃんすか? 姉ちゃんなら朝飯の後、用があるっていって出掛けたっす」

 

 早くも計画が頓挫する。最悪、会っても原因が分からないかもしれないけど会えなきゃ状況すら整理できない。でも抜け殻ってことはないみたいだ。あとはあたしか小町かの二択。

 

(……あたしだとして、今日なんか用あったっけ……)

 

 冬期講習もないし特に用事はなかったはずだ。急用だったら別だけど、そもそも知り合いが少ないから急用が入る可能性すらゼロだし。などと比企谷をオマージュしてしまうところに今のあたしの闇の深さが窺える。

 

「ひ、比企谷さん、きょ、今日はいつもと、なんか……違うっすね」

(やば、もっと小町に寄せてかないとバレちゃうかも)

「や、やだなー、そんなわけないでしょ大志ってば、いつも通りだよー♪」

(こ、こんなんでいいんだっけ? 小町とほとんど会ってないから普段が全く分からないんだけど……ってか相手が大志だとどうしても素が出ちゃうよ)

「…………」

(大志だまっちゃったし……怪しまれてなけりゃいいけど……)

 

 時間は刻々と過ぎていき、ただ大志と受験勉強しているだけの状況にもどかしさや焦りを感じていた。その上、何故か大志は小町(あたし)に対して比企谷につかうような変な敬語を使ってくるし、友達ならもっと対等に話せないの? と現状とは無関係な苛立ちも今の気分に拍車をかける。

 

「ねえ、ちょっといい?」

「な、なんすか?」

「……その言葉遣い直してくんない? その体育会系民族共通敬語みたいなやつ」

「え、え、どうすればいいんすか?」

「……普通に話してよ、あたしと同じように」

「え⁉ 同じように、すか?」

「ほら、また言った。敬語禁止ね」

「分かったっす、あ、わ、分かったよ」

 

 ついに我慢できなくなり、それを指摘してしまう。本人のいないところで関係性を変えるような行動が好ましくないのは分かっていたがこんな調子じゃ、将来比企谷みたいに卑屈な人間になりかねないからね。

 

 あたし(沙希)が帰ってこないまま日の入りが近づいてきた時分、ついにその時が訪れた。

 

「ただいま~……」

「姉ちゃん、おかえり」

「‼」

 

 あたしだ。あたしが帰ってきた。あたしってこんなにダウナーだっけ? と疑いたくなる気怠さと疲労感を身にまとった川崎沙希を目の当たりにする。

 

「遅かったじゃん。どこいってたの?」

「ん、ちょっとね。あ、小町来てたんだ? いらっしゃい」

「は、はい、お邪魔してます」

 

 あたし(沙希)はそう言い残して部屋に引っ込んでしまった。

 う~ん、小町……小町かぁ……あたしだったら『妹ちゃん来てんだ?』か『ん、いらっしゃい』って言うと思うけど、小町って呼んでも不思議じゃないのかなぁ……これ(川崎沙希)はあたしか、それとも小町か、正体を計りかねるね。

 

(……一言「小町?」って訊けば済む話といえばそうなんだけど……)

 

 もし違ったら、小町の立場からすると『ラノベと現実の区別がつかないの?』的妄想発言によって失うものは大きい。大志とあたしをポカンとさせ見る目を変えるほどのポテンシャルを持つ事案、違えてはダメだ。確証が欲しい。

 そう指針を決めると途端に打つ手が少ないことに気付く。あたしは小町のことをそんなに知らないし逆もまた然り。お互いの行動の何が自然で何が不自然なのか予測できず『入れ替わっている』を知らせるサインが出しづらい。

 そもそも早々と部屋に引っ込んでしまったあたし(沙希)に接触するのは今の小町(あたし)にはハードルが高い。

 

 大志と勉強を続けてると、徐々に頭の回転が鈍ってくるのが分かる。午前中はあんなにスラスラ解けたものがつっかえるようになった。疲れてきたかな。そう思って軽く息を吐くとお茶が差し出された。

 

「ん、お疲れ。二人ともちょっと休憩したら?」

「ありがとう、姉ちゃん」

「あ、ありがとうございます」

 

 どうやってあたし(沙希)を部屋から引っ張り出そうか思索を巡らせていたところだ。渡りに船とはこのことか。と思ったらすぐに自室に引っ込もうとする。

 え、なにこれ? もしかしてあたしのこと避けてない? 確かにあたしは小町のことちょっとだけ苦手かもって思うことはあるけどここまで露骨に避けるほどでもないと思うけど。

 

 それより急がないとまた自室に行っちゃう。あたし(小町)小町(あたし)の接点なんて大志以外作り出せないんだから一緒に勉強してる今しかチャンスがないんだ。無理を言ってでも引き延ばさないと。

 

「さ、沙希さん、さっきまで何処行ってたんですかー?」

 

 うわ、これさっき大志が訊いて濁されたやつじゃん。あたしバカなの? 己の話術の拙さが恨めしい。そういえば学校で人と話すことがほとんどないし無理もないか。

 

「……どこだっていいでしょ」

 

 真っ向からの否定。そりゃあんな考えなしの質問したらこう返ってくるよね。でもここで終わったら本格的に絡む機会を失ってしまう。第一、まだ小町(あたし)の連絡先すら交換できてない。そうなれば下手をすると一生『比企谷小町』のまま過ごすんだろうか?

 

(ん? ……それはそれで……いやいや何考えてんの!)

 

 頭お花畑か、あたしは。今まで生きてきた『川崎沙希』を捨てて別人になるなんて有り得ない。絶対に元に戻る糸口を見つける。

 お世辞にも高いとは言えないコミュ力を駆使し、あたし(沙希)に食い下がろうとするもまさかのキラーパスが向こうから出された。

 

「あ、たいしー、そろそろ京華のお迎え行って来てくんない? あたし夕飯の支度するから」

「分かった。ちょうど区切りいいし行ってくる」

「⁉」

 

(これだ! 夕飯の準備を手伝いながら小町かどうか確認できれば……)

 

「あた、こ、小町もご飯の準備手伝いますよ沙希さん!」

「え……いいよ、悪いし……」

「全然そんなことないですから!」

 

 やはり退嬰(たいえい)的に受け流されるが、意外なところから援護が得られた。

 

「姉ちゃん、いいじゃんか。俺も一緒に食べたいし、きっと京華も喜ぶよ!」

 

(ナイス、大志! やっぱりあんたはあたしの大事な弟だよ‼)

 

「う……わ、分かったから。でもご飯を一緒に食べる代わりに大志と一緒に京華迎えに行ってやってよ。それならいいよ」

「(うぅ、肝心の二人きりを避けられたか)は、はい、分かりました。大志、行こ!」

「う、うん」

「え⁉ ちょ⁉」

 

 こうなればスピード勝負だ。早いとこ京華を連れ戻ってまだ準備ができてないところを無理矢理手伝う。これだ!

 強引に大志の手を引いてお迎えに行く。

 

(……あ、比企谷の夕飯作らなくちゃいけなかったんだ。連絡しとかなきゃ……)

 

 仮初の兄の夕飯を思い浮かべ電話しようとスマホを取り出すが、あのシスコン(比企谷)なら電話口の声だけで隣に大志がいるのを嗅ぎ付けるんじゃないか。そんな空恐ろしい事態を想像してしまいメールにした。

 

(なるべく早く帰らないと……)

 

 あたし(沙希)の正体も重要だが、小町(あたし)にとって比企谷の夕飯も大事なんだ。それを思うと自然と早足になる。むしろあたしが先陣を切って保育園に向かった為、怪しまれる場面もあった。

 

      × × ×

 

「今日はさーちゃんじゃなくてたーくんがお迎え? あ、えーっと、こ、こー、小町だぁ!」

「そうだよー、小町だよー、京華ちゃんよく覚えてたねー」

 

 京華だ、京華だ、今朝は会えなかった反動からあたしはギュッと抱き締めてしまう。

 

「こまちー、苦しいぃ……」

「あ、ごめんごめん、さ、帰ろっか?」

「うん!」

 

 京華の左手をあたしが、右手を大志が繋いで家族のように家路へ着く。いや、家族なんだよ、ホントは。

 

「な、なんか……こう、照れるっすね……」

「ん、こぉら大志、また敬語になった」

「す、すんませんっす……」

「あたしとおんなじように喋ってみなって。緊張しないでいいから」

 

 逆効果なのは分かっていたが言わずにはいられない。当然、余計緊張してるんだけど。

 

「じゃ、じゃあ、いくっす。じゃなくて、いくよ」

 

 どこに?

 

「お、俺達、ふ、夫婦みたいじゃない? こ、小町」

 

 ぶっ、だから緊張してたのか。照れてる大志が可愛すぎる。ついいつものように空いた左手で大志の頭を撫でる。

 

「まったく、あんた可愛いね」ナデナデ

「⁉ ひっ、比企谷さん⁉」

「小町でしょ? こーまーちー」

 

 京華に会えてあたし、なんか変なテンションになってるのかもしんない。大志や京華と夫婦ごっこしながら歩くのがなんだか楽しかった。

 

      × × ×

 

 家に着くと急いだのが功を奏し、まだ料理は完成には至ってなかった。

 小町(あたし)は予定通り手伝おうとする。だが、あたし(沙希)は頑なに拒否を貫き、気に病むのなら京華の相手をしてやってほしいと言い張る。

 小町(あたし)も負けじと「なら沙希さんの料理してるとこ勉強させてください」などと適当な理由をでっち上げ、あたし(沙希)に張りつく。

 大した駆け引きでもないけどお互い意地になり、片や二人きりでいたくないのをありありと出して、片や絶対に離れてやらないと隠すこともしない。

 そうしてぶつかり合うも基本的に手の空いていないあたし(沙希)には小町(あたし)をどうこう出来るはずもなく、こうして傍にいるのを許容していた。

 

 そういえば材料は昨日のうちに買ってあったし、里芋があったら里芋の煮っころがし作るよね?

 鍋を覗いてみると小町(あたし)の得意料理である里芋の煮っころがしがグツグツと煮立っていた。

 

「あ、沙希さん、お皿用意してますね」

「ん、ありがと……」

 

 勝手知ったる我が家のキッチン。何が何処にあるのかを熟知しているから、この配膳振りを見るだけでも小町(あたし)あたし(沙希)って分かりそうなもんなんだけどね。

 

「「「「いただきまーす」」」」

 

 夕飯が出来ると結局小町(あたし)もご相伴することになったわけだけど、これが決定的だった。

 

「‼」

 

 確かに美味しい。小町もあたしと同じで毎日料理をしてるであろう学生専業主婦だが里芋の煮っころがしがなんというか、不味くはないんだけどまだ未完って感じで作り慣れてない出来だった。煮込みは十分なのに味が上手く染みてない。でもこれ以上煮ると煮崩れる。そんな痛し痒しな状態。

 いつも食べ慣れてる大志や京華にも違和感だったらしく、特に正直な京華には「美味しいけどいつもと違うね」と言われるなど散々だった。

 まさかあたしの得意料理が決め手になるなんて。

 

 小町(あたし)は帰ってまた家で食べるつもりだったので少しで済ませ京華に食べさせることに集中した。

 さあ小町(と思われるあたし)これ見て思うところないの?

 あんたの(京華)を世話し慣れてる小町(あたし)をおかしいと思わないの?

 これだけの重圧(プレッシャー)を与え、漸く反応があった。

 食事中、ちらちら様子を窺うとあからさまに目を逸らすのだ。その態度はまるで何か後ろめたいことがあるかのようで触れてくださいといわんばかりだった。

 京華はまだ食べる量が少ないし、案外すぐ食事は終わってしまう。これでようやくあたし(沙希)と話ができる、はずだったが。

 

「ご、ごめん! ちょっと出てくる!」

「‼」

「姉ちゃん⁉」

「さーちゃん⁉」

 

 唐突にあたし(沙希)が家を飛び出した。一番早く反応したあたしは自分の荷物もそのままに小町(あたし)のコートとあたし(沙希)のコートを手に取り後を追った。

 

「ごめん大志、京華のことお願い。あたしが行ってくる!」

 

 なんとか見失わないよう追いかける。あたし(沙希)がサンダルで飛び出していなかったらフィジカル面で完敗している小町(あたし)じゃ簡単に振り切られていただろう。それほど突っ掛け履きとは運動に不向きな履物だ。

 

 あたし(沙希)が本当に小町だとしたらこの辺は比企谷家にもほど近く地理的に明るいだろう。案の定、公園に入って行きベンチかブランコに腰を下ろすつもりだ。

 ブランコを選んだところにますます小町らしさを感じてしまう。おっと、さすがにそれは偏見か。

 

「…………沙希さん」

「‼」ビクッ

 

 動揺がブランコに伝わりガシャリと鎖が軋む音が響く。逃げないことを確認すると、あたしはゆっくりと近づいた。まるで警戒する猫を刺激しないように。時間が止まってしまったように固まったあたし(沙希)はまるで置物と見紛うほどで、口元に見える薄っすら白い霜が生きていると証明していた。

 

 「…………これ」

 

 小町(あたし)が持ってきたコートを掛けてあげる。一月の寒空に家着で飛び出して風邪を引かれては困る。あたしの身体だし受験を目前に控えた大志もいるんだ。

 

「…………ぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 

 あたし(沙希)が声を上げて泣き出した。理由は分からなかったけどここに至るまでの経緯で何となくこうなるとは分かっていた。泣きじゃくるあたし(沙希)の頭を胸に抱き締め背中をさすって落ち着かせる。京華がぐずった時にやるように。

 

……

……

……

 

「……すみません沙希さん、取り乱しちゃって……」

 

 あたし(沙希)はあっさりと小町(あたし)を川崎沙希と認識した。どう切り出していいものか迷っていたのでその点は助かったが、依然としてここまでの小町の行動原理が不明なままだ。

 あたしは缶コーヒーを買って来て小町に渡す。小町の財布だがこの時ばかりは躊躇しなかった。

 

「……こんなことになったの、小町のせいなんです……」

 

 衝撃の告白――から続く科白で虚脱する。

 

「小町が初詣で変なお願いしちゃったばっかりに……」

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「……………………は?」

 

 ひっ⁉ と声にならない悲鳴を上げる小町。我ながら物凄く醒めた低い声が出たと思う。小町の声質というよりむしろあたしに近い。あまりにも突拍子もないこと言ってきたから出た声音であり、決して怒っているわけじゃない。

 

「元旦に初詣に行った時、小町神様に変なお願いしちゃったんです……それで……」

「えっと小町が何言ってんのか分からないんだけど……?」

 

 よくよく訊いてみると『スカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりたい』みたいなことをお願いしたらしい。もう受験間近だし、むしろそんなありがちな願いでなんであたしと入れ替わるってことになんのよ。

 神様の中ではスカラシップの代名詞ってあたしなの?

 スカラシップの申し子なの?

 スカラシップはあたしの為にあるの?

 最後のだけは同意できる。あたしみたいなのにスカラシップは酷く画期的なシステムだったし、それを比企谷に教えてもらってから生活はいい方向に向いたから。

 

「それでさっきまで稲毛浅間神社に行って元に戻るようお願いしてきたんですけどね、ダメでした……あはは……」

 

 この子の中ではこの超常現象が神頼みだって確定しちゃってるわけだ。百歩譲ってこれが願いのせいだとしても、その願いでこうなる合理性が薄い。スカラシップならそれこそ一番身近な比企谷だって取っている。性別は違うけど入れ替わるならそっちのが自然ではないのか。

 

「……小町、なにかあたしに隠してないかい?」

「‼ か、隠してなんていませんよ! どうしてそう思うんですか⁉」

「だってその願い事の叶え方があたしとの入れ替わりってどう考えても変でしょ」

「それは…………クシュッ‼」

「……コート持ってきたとはいえ寒いね、どっかお店で話そっか。お金はあとで返すから」

「いえ、構いません。だってこのまま…………」

 

 そこまで言って小町は口を噤んだ。一生このままかも、と言おうとしたんだろう。隠しても当事者なんだからすぐ分かる。小町が神社で願いをし直して戻れないことで事態を重く受け止めている。あたしはその説を完全に信じたわけではなかったが、その情動に中てられ軽々に言葉を発せられなかった。

 

      × × ×

 

……しょうもない。

 

…………本っ当にしょ――――もない!

 

 あれから二人で喫茶店へ行き、暖を取りながら色々推論を立てたが何一つ具体的な方策は浮かばなかった。

 無理もない。あたし達がどうにか出来る範疇を超えた事件なのだから。諦めかけたが、それでも何とか糸口をと藁にも縋る思いで小町が頑なに喋らなかった秘密を聞き出した…………のだが。

 

「…………なにそれ」

 

 内容はしょうもないの一言に尽きる。問い詰めて損した気分になるくらいどうしようもない話で完全に毒気を抜かれてしまった。そこで区切りが付いたのかどちらともなく帰ることにした。

 小町はサンダルで飛び出してきたし、あたしも財布とコートだけを持って出たので川崎家に帰り荷物を取りに戻らないといけない。隣を歩く沙希(小町)を見ると俯き加減で少し猫背だ。消沈を身体で表現しているんだろう。冷静に分析するあたしも内心では酷く堪えている。

 

 このままいけば、小町は高校受験をすっ飛ばして来年大学受験へと向かう。丸二年以上も学校生活をスキップしてしまったらとても授業にはついて行けないはずだ。そうでなくても総武はこの辺で有数の進学校。三年分と受験対策をたった一年で詰め込むのはハッキリ言って不可能であり現実的に考えれば専門学校か就職になるだろう。

 

 それに比べればあたしの方がだいぶマシ、いや見方によっては人生が好転してると言えなくもない。

 

 今日初めて比企谷家で過ごしたがあの感じからしてうちより経済的に裕福そうだ。子供は少なく、うちと同じく共働き。比企谷は理数系がダメなのは知っている。恐らく大学も受験に理系科目が必要のない私大に進学するのだろう。家でのヒエラルキーも小町のが上と聞いているからあたしも望めば私大や一人暮らしもさせてもらえそう。大志と付き合っちゃうことだってできる。

 

 ……でも今日感じた侘しさが胸にこたえる。

 諦めたいと願ったこの想いもあいつと暮らす障害になるかもしれない。

 

 そんな一利一害に悩みながら今は寒空の中、大志に比企谷家(うち)まで送ってもらっている。受験間近なのに申し訳ないが、一人で帰るのは沙希(小町)にも大志にも強く拒絶された。

 大志と一緒に帰ることは偶にあるけど、送ってもらうのは初めてで何とも言えない気分だ。

 

「……もうそろそろ着いちゃう……な」

「…………うん」

 

 喋り方を変えただけでちょっと頼り甲斐があるように見えてしまう。いや、大志は優しいし頼りになるよ? あたしがバイトで朝帰りしてた時も親はなにも言ってこないし怒りもしなかったのに、あたしに疎ましがられてもしつこいくらい食い下がってきて比企谷達に相談までして止めてくれたんだから。

 でも一番の功労者はもうすぐ着く家にいる。

 

(あ、そういえば最後に連絡したの夕飯食べる前だった)

 

 しまった、と心の中で舌打ちした。既に目視できる距離まで近付いているのでもう連絡する気は失せていた。

 

「じゃ、じゃあ、明日学校と塾でな。…………おやすみ、こ、小町」

「う、うん、大志も送ってくれてありがとね」

 

 お互い照れながら別れの挨拶を済ました。これがおやすみ沙希だったらもっとポイント高いんだけどね。おっと、小町に染まってきちゃったかな。

 

ガチャッ

 

「ひっ、おにいちゃん、ただいm「遅いだろ‼」遅くなっ⁉ ……って…………」

「なんで連絡しなかった‼ 心配したんだぞ⁉」

 

 玄関に入った途端、比企谷に怒鳴られた。いままで見たことがない形相と物凄い剣幕だった。

 

 怖い。

 

 怒られてこんなに恐怖を感じたのは初めてかもしれない。

 気付けば小刻みに震えていた。血の気が引いていくのが分かる。手足が冷たいのは寒気のせいだけではないはずだ。

 

 比企谷はゆっくりと近づいてきた。

 身体が強ばり半歩後退る。

 ぶたれるんじゃないか。だが、そんな懸念は杞憂でしかなかった。

 

 比企谷はあたしをそっと抱き締める。

 

「……ひっ、お、おにい……ちゃん……?」

 

 はじめは強張ってた身体の力が徐々に抜けていく。

 

「…………ごめんな、怒鳴っちまって。お前のことが心配過ぎてつい、な」

「‼ ――――っ」

 

 それを聞いて瞳が潤むのがわかった。今度は縋るように比企谷の背中に手を回す。

 

「……どうして連絡してくれなかったんだ?」

 

 学校では一度も聞いたことのない優しい声音。

 心苦しかったけど本当のことを言うわけにもいかずいくつか嘘を混ぜてそれらしく弁明する。

 

「……スマホのバッテリー切れちゃって……勉強の後にあた、さ、沙希、さんとちょっと話してたら長くなっちゃったの……」

「そうか……」

 

 家を飛び出した沙希(小町)を追いかけるのにコートしか持ち出せなかったと言ったら比企谷のことだ、きっと沙希(小町)を心配して理由を訊いてくるだろう。

 あんたのスタンスなら余計なことには首を突っ込まないはずなのに、それを曲げてでも困った人に手を差し伸べちゃうんでしょ。そっちもあんたらしいって、知ってるから……

 

「川崎んちで電話借りて連絡することも出来ただろ? 今度からそうしろよ。予定より二時間も遅くなったらどう楽観的にみても不安になっちまう」

「…………うん、反省してる……」

「…………で、大志にちゃんと送らせたんだろうな?」

「え?」

「え? ってあの野郎、小町にこんな夜道を歩かせたのか。墓石抱かせて岩井海水浴場に沈めてやる…………」

「わー、待った待った! 大志、くん、にはちゃんと送ってもらったから、ひっ、おにいちゃんは手を汚す必要ないんだよ‼」

 

 危ないところだった。もし今ここで大志を呼び捨てにしてたら……ってかなんでよりによって岩井海水浴場なのよ!

 あそこ子連れとかファミリー向けの長閑(のどか)な場所なのに地引網で大志の水死体打ち上げさせてトラウマ植え付ける気なわけ⁉

 

「そ、そうか……まあ、こんな大事なときに役に立ったことは認めてやってもいいかもしれんな」

「え? ひっ、おにいちゃんが、大志、くん、にそんなこと言うなんて……‼」

 

 そして比企谷はさらにあたしを驚かせる。

 

「うっ…………とにかく! 小町が無事で良かった。夕飯冷めちまったから温めなおして一緒に食おうぜ」

「え……つ、作って待っててくれたの……?」

「いつもやってもらってるからな。受験目前の妹に代わってこれくらいやるのはお兄ちゃんとして当然だろ」

 

 あたしなんかの為に、こんなに……

 

 いつ以来だろう。料理を作って出迎えてもらったのは……

 いままで弟妹達の面倒も看てきたし家事も率先して手伝ってきた。そのせいで両親に強く怒られたことなんてなかった。

 朝帰りでバイトしてた時ですら怒ってもらえなかったあたしを、両親は愛していないんじゃないかって少しだけ疑ったこともあったくらいだ。

 そんなあたしを比企谷は本気で叱ってくれた。

 込められた意志を感得すると視界がぼやけ瞳は涙で一杯になった。

 

 ……それって愛されてるってこと、だよね……

 

「ぅぅう…………ひっ、おにいちゃ、ん…………ずるいよぉ…………」

「? なにがずるい?」

「…………そんなんされたら……諦められなくなっちゃう……よ……」

 

『比企谷のこと諦められますように』

 

 知ってしまった今、それがあまりにも堪え難い願いだと自得する。

 また気付いてもいた。いまこの情愛を向けられている対象はあたし(沙希)じゃない……小町であるということに。

 

 だからあたしは苦悩する。

 この感情であたし――川崎沙希――を溶かして欲しいと望んでしまう自分がいることに気付いたから。

 

「ホントに心配かけてごめんね……」

「俺も入学式の時、心配かけたしお相子だな」

「……………………入学式?」

 

 一年生の時は比企谷と別クラスだったし、というか何より認識したのが屋上で出会った時だから内容が理解出来ず曖昧な表情で誤魔化してしまう。

 その時の比企谷の顔は何とも言えないもので、あたしは悪くないはずなのに少しばかりの罪悪感に苛まれた。

 

      × × ×

 

 うち(川崎家)での夕飯は相当抑えてたので、比企谷が作ってくれたご飯は無理なく食べれた。

 意外にもちゃんとしてて美味しかった。比企谷に対する補正ボーナスが入ってるせいなのかもしれないけどあたしが満足なら何だっていいよね。

 

 普段は小町が先に入浴(はい)るみたいだし、帰りが遅くてあたしの身体が冷えてるから先にと勧められたが固辞した。

 先だと比企谷に気を遣ってゆっくりできないし、出てからしてあげたいことに都合がよかったから。

 

 お風呂から上がると髪も乾いて寛いでる比企谷にこんなお願いをしてみた。

 

「ひっ、おにいちゃん、耳掃除してあげよっか? っていうかさせてほしい」

(……このくらいなら諦めてたってしてもいいよね、兄妹だし)

 

 驚いたものの素直に聞き入れてくれた。やっぱり小町(あたし)が相手だとそこまで捻くれてないんだね。

 膝の上をポンと叩き(いざな)うと照れながら頭を乗せてきた。

 耳に触るとくすぐったそうにする比企谷が可愛くて炬燵のお返しと言わんばかりにさわさわと掃除に関係ないことして弄り倒し、マッサージする。

 

(……そうだ、兄妹だしお弁当作ってあげるのも当たり前だよね)

「……いつもパンでしょ? そ、その……お弁当作ってあげよっか?」

「…………あー…………えっ⁉」

「マジか、頼むわ‼ 俺の妹が天使すぎるから早く家に帰りたい件」

「結局、帰りたいのに変わりないんだ……」

「家大好きだからな……………………お前がいるし」ポソ

「――――っ‼」

 

 膝枕してる距離で聞こえないとでも思ってんの⁉

 どうしてこいつは……もう‼

 

「…………ってか勉強の御褒美が頭撫でるだけで、小町がしてくれるのが膝枕と耳掃除と弁当作りって釣り合い全然取れてなくね?」

 

 前々から思ってたけど比企谷ってこういうとこ案外細かいんだね。

 体育祭で衣装作り頼まれた時も借りとして認識して律儀にお礼するとかいってきてたし。

 

「じゃ、じゃあ……もうちょっと御褒美もらって、い、いい?」

「おう、なにがいい? ハーゲンダッツならお兄ちゃんすぐに走って買いに行ってくるぞ」

 

 小町どんだけハーゲンダッツ好きなのよ。コペンハーゲンも好きそう。あたしも確かに滅多に食べたことないけど。だって、110mlで三百円弱もするなんてバカじゃないの? 同じ容量の牛乳何個買えるのよ。

 

「ううん、このままでいてくれればいいよ……」

「えぇ…………いや、それって御褒美のターン、ずっと俺じゃん…………」

 

 あたしの膝の上で心地良さそうな表情を見せる。その腐った目もうつらうつらして頭を撫でていると完全に閉じられ規則正しい寝息が聴こえてきた。

 

 撫でた手と反対の手をベッドに突いて身体を支えていると指に触れる物があった。何の気なしに見るとそれは神社で買ったであろう恋愛成就のお守りだった。

 

(初詣の時に小町が買ったんだろうね)

 

 小町の好きな人がどんな男か想像できない。

 姉としては悲しいけど多分大志じゃないと思う。

 

 ……それじゃあたしの好きな人は?

 

 

 ―――比企谷

 

  ―――――――やっぱり

 

   ――――――――――――諦めるなんてできない

 

 

 あたしはお守りに手を置きながら神様にそう願うと同時に、比企谷の顔を覗き込んだ。

 

「……………………」

 

 それは目の前にどんどん迫っていき、ついに比企谷とあたしの唇の距離がゼロになった。

 

 

――――――

――――

――

 

「……………………はっ⁉」

 

(あたしの……部屋?)

 

 見知った部屋には天使のように可愛い京華がいた。絵本の読み聞かせの最中、眠ってしまったのか。

 

「夢……だったのか……な?」

 

 時計を見るとさっきまで比企谷に膝枕してた時間と一致していた。

 

「……ん……さーちゃん、絵本読んで……」

 

 睡魔に抗いながらも懸命に読んで欲しいと強請る最愛の妹にこれだけは訊きたかった。

 

「けーちゃん、今日は小町と遊べて楽しかった?」

「うん! また小町と遊びたい! はーちゃんも!」

 

 本当に嬉しそうに答える京華に対し、あたしの返事は決まっていた。

 

「そっか、今度頼んでみるから楽しみに待ってようね」

 

 それを聞いた京華は満面の笑みを見せてくれた。

 眠りについた京華を布団へ運び、あたしも床に就く。

 

(……ホントに神様の仕業だったのかもね)

 

 昨夜小町と話したときバカにしちゃったし今度謝っとかないと。

 

 だって神様はあたしのお願いを二度も聞いてくれたんだもの。

 

 妹になってあいつを諦めたこと。

 諦めるのをやめてあたし(沙希)に戻れたこと。

 

 ……そういえば明日お弁当作るって約束したんだっけ。早く寝ないと。

 

 小町(あたし)が交わした約束だというのも忘れ、明日作るお弁当のことに想いを馳せる。

 けれど、目を瞑りながら最も強く思い浮かべたのは小町としての最後の瞬間だった。

 

 

 

了?




最後まで読んでいただきありがとうございます。


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「お、おにっ、ひ、比企谷……‼」

初詣で小町が新たに願い事をするお話。

初詣の帰り道、八幡と雪乃を二人きりにする為、神社に戻った小町はあるお願いをする。

次の日、小町の身に起こったこととは……


八幡視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/2.html
小町(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/3.html


「お兄ちゃん何言ってんの⁉ ごみいちゃんのバカ! ボケナス! はちまん‼」

「は、八幡は悪口じゃねえだろ」

 

 バカだよお兄ちゃんは。せっかく気を利かせてるのに。

 雪乃さん……はちょっと分かりづらいけど、結衣さんなんてあんなに分かり易く矢印出てるのに。

 あの分なら近いうちお義姉ちゃんが出来そうで小町は嬉しいのです。

 ああやって気が遣える小町ってホント、お兄ちゃん想いでポイント高い!

 

 ……だってお兄ちゃんてば小町がお兄ちゃんのシャツ一枚でソファに五時間も寝てるのにバスタオル掛けて興味ないって態度だし、二人乗りで学校まで送ってくれた時も意識して当ててるのに全然気づいてくれないし……

 

(……小町は妹だから、お兄ちゃんがそういう好きになってくれるわけないもんね……)

 

 元来た道を引き返し再び稲毛浅間神社に向かった。

 絵馬やお守りなんて方便だし別に無理して戻らなくてもよかったんだけどせっかくだからもう一度お願い事しにいこうかな。

 

 また列に並ぶなんてこれじゃホントに願い事し忘れたみたいじゃん。

 さっきと違って話し相手がいない今は景色を見るくらいしかやることがない。何気なく目をやると知り合いを発見してしまう。

 

(あ、大志君と沙希さんだ)

 

 一瞬声をかけようかと思ったけど、手荷物でもう帰るところだって分かったから辞めといた。もうそろそろ順番だからさすがにいま列を抜け出してまで『明けおめ』はコスパが悪すぎる。

 

(あの二人も仲いいなぁ)

 

 とはいえうちには敵いませんけどね。

 こんなことに対抗心燃やしちゃうなんて小町もブラコンだな……

 だってしょうがないじゃん! お兄ちゃんはコミュ障で目が腐ってて大してカッコよくもないし時々笑い方がキモいけど家出した小町を探しに来てくれる優しいお兄ちゃんだもん。

 

 再び順番が回ってきた。

 さっきのお願いは『総武に受かりますように』っていう無難すぎる感じだったからちょっとだけアレンジしてみようかな。

 ちょっと考えたあと、これだ! っていうのを思い付いた。

 

『お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりますように』

 

 でもこれってさっきお願いしたのとほぼ変わらないのにお賽銭二回入れてるから追加でお願いしてもいいか。

 次にパッと思い浮かんだお願いがこれだった。

 

『……おっぱいが大きくなりますように』

 

 さっき二人乗りしてるときのこと思い出したら自然とこれが出てきた。私欲に塗れすぎてるけど、叶ったらお兄ちゃんも得するしいいよね?

 

 あ、いけない。お兄ちゃんには素敵な彼女さんと幸せになってもらわないと……

 我に返った小町は身を切る思いで願った。

 

『お兄ちゃんを好きな人が現れますように』

 

 ホントは雪乃さんか結衣さんと結ばれますように、の方がいいかもしれないけど二人とも小町にとって大事な友達だしどっちかだけを応援するのは悪いしなあ。それに最有力候補に変わりはないんだけど、あの二人は親友同士だからどちらかを選ぶとなるとお兄ちゃんにも少なからず負担がかかりそうなんだよね。

 むしろそれなら二人は奉仕部仲間として親友として今の関係性を維持しつつ第三勢力に出て来てもらった方が割とすんなり事が運びそう。三国志だとそのせいで長編戦争大作になっちゃったけど。

 そんな算段から出た最後の願いだけど、小町の胸がきゅっと締め付けられる。

 

(……ああ、ホントにブラコンだなぁ……)

 

 参拝が終わるとそんな兄の為に恋愛成就のお守りを買ってしまうのだった。

 

 

      × × ×

 

 

「…………ん、もう朝か……およ?」

 

 なんだろう、ちょっと息苦しい。

 胸の上に何か乗ってみたい。さてはカーくんだな。普段なら足を枕にして絡みついてくるのに珍しいこともあるもんだ。

 

「……あれ?」

 

 布団の上には何も乗っかっていないが、胸の辺りが膨らんでる。

 

(あれー? 小町こんなに胸あったっけ……)

 

 仰向けに寝て息苦しさまで感じてしまうくらいの重量感。

 光の速さで成長ホルモン分泌しちゃった?

 横になったまま両の手で掴んでみるとかつてないボリュームで自分のバストじゃないみたいだ。

 勢いよく起き上がると胸だけでなく何故か頭も重たい気がした。

 

(え、なにこれ? 怖い怖い怖い!)

 

「小町いつから獣の槍所有者になっちゃったの?」

 

 重さの正体は髪の毛だった。

 伸びた髪に手をやりながら、兄を飛び越えて親世代にしか分からない昔の漫画を例えに出してしまう。

 気付いたのはそれだけじゃなかった。

 布団もパジャマも部屋も見たことがないどころか自分の声まで変わってる。

 怖くなったのでドアをそっと開けて部屋の外の様子を窺う。やっぱり見たことのない家だった。

 

(ど、どうしよう……小町もしかして拉致されちゃったとか……怖いよ、お兄ちゃん…………)

 

 突然放り込まれた非日常に不安と冷や汗が溢れてくる。そして一番信頼するお兄ちゃんのことを想い縋った。

 

 もしかしたら小町を付け狙う変態ペドが……って小町は十五だしペドは違うな。じゃあロリか……いや、ロリも十二歳以下とか聞いたことあるし、ただの異常者でいいや。

 その異常者が小町をお人形みたいに愛でる為に自分好みの髪型にして服を着せてとかされちゃったの⁉ 想像すると怖気が走る。

 

(……でも縛られてるわけでも監禁されてるわけでもないし、こんな無防備に放置とかするかな……)

 

 時間が経って少し冷静になると色々とおかしな点に気付いていく。

 部屋に戻って鏡に写る自分の姿を見て驚愕した。

 写っていたのは、川なんとか……沙希さんだったから。

 

「……………………え」

「……なんで⁉ どうして⁉」

 

コンコン

『姉ちゃん、デカい声出してどうしたの?』

「た、大志君⁉」

『京華もう起きてるし相手しとくから、ご飯作ってくれる?』

「あ、う、うん、分かった」

 

(なんなの、どうなってんの一体⁉)

 

 混乱しつつも流されるまま朝食を作る小町なのです。

 

 

      × × ×

 

 

 川崎家では朝はお米派だった。うちはどっちでもいけるけどお米のが腹持ちがいいよね。

 ああ、もう大志君って家ではお行儀悪いね。もっとお兄ちゃんを見習ってよ。トマトは残すけど魚の食べ方なんか綺麗だし、こぼしたりしないもん。

 京華ちゃん食べてる顔幸せそう! 小町のご飯美味しい? 嬉しくてついついペースを考えないで口に運ぶが放り込み過ぎて抗議されちゃったよ。小町ったらテヘペロ!

 

 川崎家は朝から忙しない。お世話する沙希さん(小町)は大変だ。

 小町も普段お兄ちゃんのお世話してるけど、よく手が掛かるとか言ってるのは単にお愛想で実際はそんなことない。

 まず服とか脱ぎっぱなしにしないし洗濯物を取り込んだり畳んだりもしてくれる。

 自分の部屋だっていつも綺麗にしてるし、食べた後、食器も洗ってくれる。

 小町が疲れてソファで寝てたりすると毛布を掛けてくれたり、珈琲を淹れて労ってくれる。

 小町はまだ結婚したことないけど、いい夫婦ってこういうものなんだと思うんだ。

 お兄ちゃんは相手を尊重して扱ってくれる旦那さんみたいに小町に気を遣ってくれるし甘えさせてくれるからいつも愛されてるって実感が湧く。そんなところが小町的にポイント高い。

 

 そういった意味でいえば4歳児のお世話は楽しいけどガチで大変だ。大志君もやっぱり男子中学生って感じでまだまだガキっぽさが抜けず気遣いがいまいち。まあ、お兄ちゃんと比べちゃ仕方ないか。

 っていうかこれは沙希さんが甘やかし過ぎてる可能性もありそう。うちも掃除に関してはお兄ちゃんを甘やかしてて自分の部屋以外お掃除させない。色々雑だから結局はじめから小町がやった方が手間が増えなくていいとか、効率考えるとそういうふうになっちゃうんだよね。あれじゃいつまでたっても掃除は上手くなりそうもないな。

 

 普段と違う環境でいつも以上に目の回る忙しさが上手く作用して自然と現実逃避ができてしまってた。でも親が京華ちゃんを保育園に送る時間になったら急に手持無沙汰になっちゃってこの現象に目を向ける余裕がでてしまう。

 

 嫌な汗もかいちゃったしお風呂でも入浴ってこよう。

 家に大志君がいるけど部屋で勉強してるし、沙希さんの身体だしね。

 ……沙希さんて随分大人っぽい下着つけてるんだ。小町とは真逆のタイプでちょっとドキドキしてきたよ。中でも黒い下着がお気に入りなのか沢山あった。

 

 シャワーを浴びながらいつもより目線が高くなった身体をまじまじと見る。特にお胸がすごい。千葉村で水着に着替えた時、結衣さんのを見たけどそれと遜色ないくらい。

 それと同時におっきいと肩が凝るって初めて知った。

 もちろん噂では聞いてたし知識としては知ってたよ? でもそれと実際に体験するのとでは全然違う。小町は控え目だから結衣さんを見て羨ましく思ったこともあるけど育ってみてこうもツラいと考え改めちゃう。濡れて重くなった髪の毛も肩凝りに拍車をかけてる気がする。早く洗髪してまとめちゃった方がいいみたい。

 湯舟に浸かるとまた新たな体験をした。

 

「…………おっぱいって、浮くんだ」

 

 湯冷めしないようにしっかり髪の毛を乾かし、部屋で寛いでいると扉をノックされた。

 

『姉ちゃん、ちょっと数学で分かんないとこあるんだけど見てくんない?』

 

 うええぇぇ、た、大志君⁉ 小町いま沙希さんだから教えれるか分かんないよ⁉ って、あれ? 逆か? とにかく、教えたらボロが出るから沙希さんじゃないのがバレちゃう‼

 

「あ、うん、ちょ、ちょっとごめん、いま無理、アレがアレだから」

『なにお兄さんみたいな常套句言ってんの、いいから教えてって。入るよ』ガチャッ

「暇そうじゃん、ちょっとだけだから頼むよ」

「あ、ああ、うん、分かった……」

 

(やばいやばいやばいやばい⁉ お兄ちゃんにもよくアホ妹とか心無い言葉かけられるくらいの学力しかないのに教えるとかハードル高すぎる!)

 

 部屋にまで入ってこられ観念した小町の目はお兄ちゃんと同じくらい腐っていることでしょう。諦めながら大志君の持ってきた参考書を開き質問された問題を見てみると……

 

(ん? んん?)

 

 小町も苦手な証明問題だったけど、問題文を読んでくうちに自然と次の展開が湧き出て組み立てられていく。

 

「ここの〇〇より同位角は等しいので~……対頂角は~……ここは〇〇だから平行四辺形だって分かる? したがって……」

 

 小町が小町じゃないみたいにスラスラと大志君に教授する。自分でもびっくりだよ。

 大志君がお礼をいって自分の部屋に戻っていく。

 

 過ぎ去った憂い事が後回しにしていた事態の異常さを思い出させた。

 小町は数学が苦手だ。お兄ちゃんに教えてもらえないのも遠因になってる。それなのに何でさっきはあんなに的確に教えれたんだろう。

 そういえば…………初詣に行ったときの願い事を思い出す。

 

『お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりますように』

 

 何気なく沙希さんの教科書を広げてみる。数学Ⅱとか数学Bとか中学生の小町には馴染みない題名だけどパラパラと捲っていると分かる問題もあった。そして次第に、まるで思い出していくかのように内容の理解が進んでいく。

 

(うそ、なんで⁉ 小町まだこんなの習ってないよ⁉ 身体だけが沙希さんなんじゃないの⁉ 身体だけが沙希さんとかも意味わかんないけど)

 

 沙希さんの学力まで入れ替わってる?

 もしかして、神様が願いを叶える為に小町と沙希さんと入れ替えたの?

 いや、それだと入れ替わるのに相応しい人は他にもいるはず。

 どうして絡みが少ない沙希さんなのか。他にも総武高生の友達は学年トップの雪乃さんだっているしお願いに『お兄ちゃんみたいに』って文言がついてんだから、むしろ血が繋がったお兄ちゃんと入れ替わるほうが自然なんじゃない?

 突拍子もないことだけどそう考える方がしっくりくる。

 何か見落としてるのでは……頭を捻り初詣のことを注意深く思い出していくと

 

(あれ、そういえば小町、他にもお願いしたような……)

 

『……おっぱいが大きくなりますように』

 

 願ったな願ったわ叶ったわ。

 って、そんなお願い追加したせいで沙希さんになっちゃったの⁉

 確かに雪乃さんは一つ目の条件は満たしてるけど、二つ目はむしろ小町のが条件満たしてるまであるし、結衣さんだったら二つ目が完璧だけど、一つ目が絶望的だし……お兄ちゃんもよく言ってるけど、あの人ホントどうやって総武に受かったんだろう?

 だから沙希さんかー、そーかー

 そんな風に自得すると次にやることが見えてきた。

 

(早く元に戻らないと!)

 

 何の疑いもなく稲毛浅間神社に向かった。小町この時は元に戻れるって信じてたんだけど……

 

(勉強は自分で頑張ります! 胸もいますぐ大きくならなくてもいいです! だから小町を元に戻してください‼)

 

 結果は惨敗。

 やっぱり、いますぐ大きくならなくてもっていう含みを持たせた言い方がまずかったかも……

 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

 バッカじゃねーのバーカバーカ小町のバーカ‼

 お兄ちゃん風にいえばアイデンティティークライシス!

 ここに来るまでだって胸とかちらちら見られたし小町別に胸元見える服着てないんだよ?

 Vネックじゃなくてタートルネックだよ?

 しかもコートも羽織ってるんだよ?

 それで見られるとか沙希さんのお胸ってどんだけフェロモン放ってるんのって話じゃん!

 こんなんじゃちっぱいのがいいまであるじゃん!

 肩凝らないしジロジロ見られないし!

 って初詣の時の小町に言ってやりたい‼

 初詣の願い事が原因と仮定して、お願いしてからこうなるまでにタイムラグがあったことを考えるといま解けなくても希望はあるはず。でもこの非現実な状況に陥って不安で一杯な小町にそんな余裕はない。

 

 誰にも事情を喋れないことで否が応でも不安が増していく。

 いつもなら小町が不安そうにしてるとお兄ちゃんが「どうした?」って声をかけてくれる。その安心をくれる声に、気遣いにいままでどれだけ救われていたか無くしてから気付かされる。

 スマホを出してアドレス帳を開く。沙希さんもお兄ちゃんと似て人付き合いに疎いから番号が少ない。その中に……お兄ちゃんの番号はなかった。

 空で覚えてるお兄ちゃんの番号を入力して通話ボタンにタッチしようとしては思い止まって、を何回も繰り返す。

 

(お兄ちゃんと話したい……でも登録されてない番号からいきなりかかってきたらお兄ちゃん出てくれないかもしれないし、沙希さんに迷惑かかっちゃうかも……)

 

 仮に電話してもこんな訳の分からないことを真剣に話したら沙希さんの頭が大丈夫か疑われるまである。

 

 はあ……これからどうなるんだろう……

 

「あ、サキサキだ」

 

 途方に暮れてると後ろからそんな声がした。え、どこにチーズなんてあるの?

 

「サキサキ、無視しないでよ」トントン

「え? こ、こま、わたし?」

 

 親しそうに肩を叩いてきたのは、肩口で切りそろえられた髪型と赤いハーフリムの眼鏡がよく似合う清楚系な美少女だった。

 一瞬パニックになりつつもこの人どこかで見覚えがある。さっき考えてたことがヒントになった。

 

(‼ そうだ、千葉村のボランティアで会った人だ。結衣さん達のクラスメートの、えーと……そう、海老名さんだ)

 

「あ、ああ、久しぶり、明日もう学校だね」

「そーなんだよねぇ、始業式の日に6限まであるとかどうなってるんだって感じだよ」

 

 得意のコミュ力を遺憾なく発揮する。そういえば小町明日から総武高校に通うの? 合格どころか受験も終わってないのに?

 

「あ、いまサキサキ一人だよね? これからちょっと時間ある?」

「なにかあるの?」

「それがさー、親戚が勤めてるケーキ屋さんのクーポン券たくさんもらっちゃって。家族の分と優美子達の分を確保してもなお余ってるっていうか」

「(確か……葉山さん? でいいんだっけ)えっと、は、葉山とか、あのべえべえ煩いの、なんだっけ、それの分とかで使えば?」

「あ、うーん、それは考えたんだけどみんな色々忙しいみたいでなかなか集まれなかったんだ。クーポンの期限も迫ってるし」

「ふーん」

 

 コミュ力自慢の小町といえど沙希さんの学校での行動を見たことがないので迂闊な行動は控えたい。できるだけ素っ気無くして話を切り上げようと舵取りしたけど海老名さんも引いてくれない。手強い。

 

「というわけでサキサキ、一緒に行かない?」

「え、こ、わたし? いいの?」

「もちろん! タダじゃないけどすごい値引きされるからお得もお得! 弟さんと妹さんのお土産にもいいんじゃない?」

「……じゃ、じゃあ、行こうかな」

 

 本当はそれどころじゃないんだけど、生来の甘いもの好きの虫が顔を出して誘いに乗ってしまう。

 お店に入ってみるとさっきまでの憂慮も紛れるくらいの彩り豊かで煌びやかなケーキ群が小町達を出迎えた。

 

「これおいしーよ、あとこれとかこれとかもお勧め」

「じゃあ……これとこれ」

 

 大志君達のお土産とは別にお店で食べる用のケーキをチョイスした。海老名さんと二人で四種類頼んでシェアする。

 

 「あ、ホントに美味しい」

 

 家ではお兄ちゃんが偶にコンビニのケーキを買ってきてくれるくらいで小町一人で買いに行ったり食べに行くことはない。だって一人で食べてもなんとなく美味しくないし。

 でもお兄ちゃんが御褒美で買って来てくれたケーキは美味しいけどね。例えそれがコンビニのでも。

 

「……サキサキ、誰のこと考えてるの?」

「え、別に、おに、ひっ、比企谷のことなんて!」

「あれぇ、わたし別にヒキタニくんのことなんて言ってないけど?」

 

 嵌められた。

 ってかさっきからずっとお兄ちゃんのことばっか考えてる。

 入れ替わって不安なときお兄ちゃんのこと思い浮かべて、川崎家で家事してて大志君達をお兄ちゃんと比べたり、神社でお願いして元に戻れなくて途方に暮れたときも電話でお兄ちゃんの声を聞きたくなったり、ケーキ見てお兄ちゃんが買って来てくれたこと思い出したり……

 どうにか誤魔化そうと頭を捻ってると間髪入れず畳みかけてきた。

 

「まあ、予想はしてたけど。よく授業中もヒキタニくんのこと見つめてるし」

「⁉」

 

 沙希さんがお兄ちゃんのこと見つめてる⁉

 わたしは知っちゃいけない沙希さんのプライベートを聞かされてなんとなく居心地が悪い。

 迂闊に喋るとボロが出そうだし沙希さんも口数多そうなイメージないから様子見を続ける。

 ってかヒキタニって誰。

 

「…………」

 

 海老名さんは明後日の方を眺めながら「んー」と呟き思索を巡らす。

 

「……サキサキはさ、それでいいの?」

「え?」

 

 海老名さんの言葉が漠然とし過ぎて返しに困っていると真面目な表情でさらに続けた。

 

「このままだと二人に比企谷くんとられちゃうよ」

「‼」

 

 二人というのは雪乃さんと結衣さんのことだろう。沙希さんはもしかしたらって印象はあったものの二人を押し退けて割って入るとは想像すらしていない。

 それに確か海老名さんて結衣さんとも親しくなかったっけ。結衣さんの気持ちに気付いてないわけないと思うんだけどなー

 

「……こ、わたしにそんなこと言うって由比ヶ浜のことはいいわけ?」

「んー、それはまあ……ちょっとしたお返し、かな?」

 

 顎に手を当て考える素振りを見せるとよく分からない返しをしてきた。

 この『お返し』が恩讐どちらの意味かは分かるけどこれが結衣さんへの恩義ですることには思えないし、かといって結衣さんへ報讐というのもピンとこない。友達の嫌がることなんて絶対しない素直で優しい性格の人だから。

 

「わたしは結衣の友達だし、こういうの本当は良くないって分かってるけど」

 

 そう前置きした上でこう続けた。

 

「結衣が比企谷くんのこと好きだからって、サキサキが想いを伝えちゃいけないなんてことにはならないよね」

「う……」

 

 確かにお兄ちゃんは結衣さんと付き合ってるわけでも、ましてや雪乃さんとも付き合ってるわけでもない。好きって言われたわけでもない。もし沙希さんがお兄ちゃんを好きだとしたら想う権利は等しくあるはずだ。海老名さんの「お返し」っていうのは未だに解明されてないけど。

 

「それになんとなく比企谷くんは二人を選べない気がするんだよね」

 

 それは小町も思ってたことだ。だからこそ第三勢力をと望み初詣でお願いし……

 

『お兄ちゃんを好きな人が現れますように』

 

 ああ……

 そうだよ、小町願っちゃってたよ!

 お兄ちゃんを好きな人って沙希さんだったんだ!

 ん? でも沙希さんはいま小町なわけでそれだと願いが叶ったっていえるの?

 

「えと、海老名は、こ、わたしのことどうしたいわけ?」

「言葉通りだよ。もし結衣達に遠慮してるならそんなの止めて自分の思い通りに行動すればいいんじゃないかなって」

「ぶっちゃけ結衣達って比企谷くんとそういう仲になっても合わないかなって思うんだよね」

 

 マジでこの人ぶっちゃけたなあ!

 

「あ、悪い意味じゃなくていい意味でね」

 

 どうとればいい意味になるのそれ⁉

 

「ほら、あの三人ってさ、今のかたちで綺麗に完成されてるっていうか、わたしはそんな気がするんだよね」

「もうこれ以上なにかを積んだら崩れてしまうっていう絶妙のバランスで成り立ってるような関係に見えるの」

「だからさ、もしさらに歩み寄って比企谷くんがどちらかとそういう関係になったとしても、それまでと比べたら満たされないんじゃないかなって」

 

 結衣さんにはちょっと酷かもしれないけど海老名さんの言いたいことは分かる。

 仮にお兄ちゃんが結衣さんを選んだとして雪乃さんは……っていう典型的な三角関係。

 きっと結衣さん達もこの関係が壊れるのが怖くて踏み出せないんじゃないかな。

 より素晴らしい世界が広がるって約束されるなら踏み出す勇気がでるかもしれない。ただ現実は酷く不確定で、海老名さんが言うように今が一つの完成されたカタチであるならば、その先は絶望かもしれない。

 

「それなら無理に踏み出さなくてもいいんじゃないかな……って思って……」

 

 そう呟く海老名さんの瞳はすごく仄暗い。ハイライト消えてる。見てるわたしが吸い込まれそうになるくらい底なしの闇。実感籠ってるっていうか、まるで自分のことのように評してる。

 

 自分の思い通りに……

 海老名さんの話を聞いてあの関係は一つの解であると得心した今、小町の考えは揺らぎ始める。

 

 初詣の時、お兄ちゃんと雪乃さんを二人きりにする為、小町は嘘をついて神社に戻った。今にして思えばあれは結衣さんに対しての背信行為だったのかもしれない。三人があのままの関係を望むなら小町のしていることは余計なお節介というやつで……

 でも、そうなるとお兄ちゃんは?

 あの暗くてキモくて中二病から高二病を患った病歴の持ち主を貰ってくれる女の子なんて結衣さん達以外いるわけない。いや、いいところだって結構あるんだよ? でも捻くれててそれに気付ける人が小町以外はその三人くらいしかいないから結衣さん達に脱落されたら困る。神様が叶えてくれた頼みの綱の沙希さんだっていまは小町になっちゃってるから……って、ん? んん?

 考えてるうち抱いた疑問を確かめるべく海老名さんに質問してみる。

 

「……あの、わたしが授業中におに、ひ、比企谷のこと見つめてたっていつから気付いた?」

「んー、文化祭終わってからちらちら見てたって感じかな」

 

 やっぱり。

 これは神様のお願いとは別口だ。沙希さんはもとから(・・・・)お兄ちゃんのことが好きだった。

 じゃあ、この現象は?

 神様はどんな意図があって小町を沙希さんに入れ替えたのか。

 

 ――――心当たりがある。

 理屈を当て嵌めるには些か超常的すぎる現象だけど、それしか思い浮かばない。

 

『小町は妹だからお兄ちゃんがそういう好きになってくれるわけないもんね』

 

 そんな小町の意思を汲んでくれたとしか思えなかった。

 今は沙希さんだから。

 小町はお兄ちゃんの妹じゃないから。

 比企谷八幡を好きでいても許されてしまったから。

 

『お兄ちゃんを好きな人(小町)が現れますように』

 

 そんなふうに願いが叶ってしまったんだ。

 そう自覚すると無意識に心の奥底へ仕舞っていた感情が溢れ出た。

 兄妹だから望んではいけない関係。

 結衣さんか雪乃さん、どちらかと上手くいけばいい。そう願いつつ、二人にはそうなれる資格があるのに踏み込まないでいるその態度に、ずっともやもやしてた。

 お兄ちゃんがヘタレって言えばそれまでなんだけど、それは結衣さん達の見方であってお兄ちゃんにだって言い分はある。

 お兄ちゃんは今まで勘違いで失敗して悪意に晒されてきた。そのせいで他人の好意が自分に向けられるのはおかしいと感じることで自己防衛するくらい臆病になってしまった。だから結衣さん達が素敵な女性であればあるほどお兄ちゃんはその好意に疑念が湧く。自分なんかがこんな女性に好かれるはずがないからと。

 でも8ヶ月だよ? 奉仕部で二人と知り合って8ヶ月以上も経つのにこの警戒が解けないなんてむしろ結衣さん達に原因がある気がしてきた。

 そんな人達に大切なお兄ちゃんを任せるくらいなら小町がお兄ちゃんを……

 

 お兄ちゃん、を?

 

 お兄ちゃんをどうするの?

 好きだって言うの?

 ……この姿で?

 

 今の小町は沙希さんなんだよ。好きだって伝えて仮にお兄ちゃんが応えてくれても、その想いは、気持ちは沙希さんに向けられたものなんだよ。

 いまこの身に起きてることよりその事実に絶望を感じてしまう。

 せっかくお兄ちゃんを好きでいることが許されたのにお兄ちゃんは小町を見てくれない。

 それだけじゃない。

 沙希さんがお兄ちゃんを好きなのが分かってしまった以上、その恋慕もこの現象(お願い)によって閉ざしてしまった。

 

 二つの問題に懊悩しケーキの味も分からなくなってしまう。小町の落ち込み様を気遣ってか海老名さんはその後さして追及もなく解放してくれた。

 帰路に着くも途中うっかり比企谷家に向かっていることに気付き行先を変更してまた落ち込む。

 自分が比企谷の人間じゃなくなったことを実感してしまったから。

 お兄ちゃんの妹じゃなくなったと思い知らされたから。

 

 お兄ちゃんに会えない。会う切っ掛けすらない。

 会ったとして何を話すの?

 いまの小町は沙希さんだからお兄ちゃんに甘えることも悩みを打ち明けることも出来ない。

 そしてそれと同じくらいにツラいのは沙希さんがお兄ちゃんに想いを打ち明けられなくなってしまったこと。沙希さんの意識が何処に行ってしまったのかも心配だし小町にできることは少ないしで憂患は尽きない。

 

(……そういえば小町の身体っていまどうなってんだろう?)

 

 そんな最大の疑問にようやく考えが及んだ頃、日が暮れ始め、ようやく川崎家に辿り着いた。

 

 

×  ×  ×

 

 

「ただいま~……」

「姉ちゃん、おかえり」

 

「‼」

 

 こ、小町⁉ わたしが来てる⁉ なんで⁉

 大志君と勉強する約束なんてしてたっけ⁉ いや、ないない、そんなのない! 男の子の家にあがるなんて初めてなのに約束を覚えてないなんてありえない!

 もしかして、沙希さん、なの?

 だとしたらまずいよ……なに話していいのか全然わかんない……責められるのが、こわい……

 

「遅かったじゃん。どこいってたの?」

 

 神社に行ったなんて言うと、どうしてってなるし言わない方がいいか……

 それより小町に対して何て言えばいいの?

 沙希さんってどんな口調だっけ?

 

「ん、ちょっとね。あ、小町来てたんだ? いらっしゃい」

「は、はい、お邪魔してます」

 

 こ、この対応でいいんだよね? 怪しまれたりとかしてないよね?

 っていうかこの小町って本当に沙希さんなの?

 考えてみればそんな保証どこにもないじゃん。小町が影分身しちゃったっていう可能性だってあるじゃん。こっちの小町は沙希さんだけど。あれ、影分身と変化の術の合わせ技とか小町って下忍の中でもなかなか出来る忍者じゃない?

 なんにせよ鏡に写った姿なら見慣れてるけど、意思をもって動く自分は初めて見るし、声も自分の耳に入ってくる時と聴こえ方違うし。大袈裟に言えばちょっと気持ち悪い。同族嫌悪の最上級なのかもしれない。

 挨拶もそこそこに部屋へ引き篭もる。嫌悪感に因るところか、沙希さん(かどうかは分からないけど)への罪悪感からか、もしくはその両方が作用したのかこれ以上顔を合わせることに耐えられなかった。

 一人、部屋で勘考するとちょっとないなと反省する。家に来た弟の友達に碌なもてなしもしないなんて。

 改めて、でも最小限に接する。

 

「ん、お疲れ。二人ともちょっと休憩したら?」

「ありがとう、姉ちゃん」

「あ、ありがとうございます」

 

 頭使って甘いものが欲しいだろうとココアを用意した。珈琲でもよかったけど、ついお兄ちゃん用にどばどばシュガーとミルクと練乳を入れてしまわないよう配慮した結果だ。

 

 二人は手を止めてココアを受け取る。

 見れば見るほど小町そのもので、つい視線を奪われちゃう。あ、目があっちゃった。やばい。

 中身が沙希さんかどうか確証が欲しいけど、もしそうだったら藪蛇だし、まだ小町の中で気持ちの整理もできてないし遠ざけておかないと。

 って思ってたのに呼び止められる。

 

「さ、沙希さん、さっきまで何処行ってたんですかー?」

 

 直球!

 でもそれに答えるわけにはいかんのですよ!

 

「……どこだっていいでしょ」

 

 うわー、自分で言っててぶっきらぼー!

 でもなんか沙希さんっぽい‼

 ただ小町(沙希さん)は諦めず話を続けようとしてるみたいだし、遮る名目としてはこれしかないかな。

 

「あ、たいしー、そろそろ京華のお迎え行って来てくんない? あたし夕飯の支度するから」

「分かった。ちょうど区切りいいし行ってくる」

 

「あた、こ、小町もご飯の準備手伝いますよ沙希さん!」

 

 諦めないなこの人!

 

「え……いいよ、悪いし……」

「全然そんなことないですから!」

「姉ちゃん、いいじゃんか。俺も一緒に食べたいし、きっと京華も喜ぶよ!」

 

(ぐっ、この、なんでこう空気が読めないの大志君! 小町的にポイント爆下げだよ‼)

 

「う……わ、分かったから。でもご飯を一緒に食べる代わりに大志と一緒に京華迎えに行ってやってよ。それならいいよ」

「は、はい、分かりました。大志、行こ!」

「う、うん」

「え⁉ ちょ⁉」

 

 小町は大志君を引っ張るようにお迎えに出掛けた。……でも

 

(た、大志って、呼び捨て⁉ やっぱりあれ沙希さんだ……)

 

 男の子を名前で呼び捨てにする自分を見たら、なんだか遣る瀬無くなっちゃったよ……

 

(ああ、そうだ、ショック受けてる場合じゃないや。晩御飯なにするか決めなきゃ……)

 

 冷蔵庫を開けると所狭しに食材が詰められていた。根菜が多くて冷蔵庫が畑の土なんじゃないかってくらい。特に目についたのは里芋だ。

 

(これは……筑前煮とか里芋の煮っころがしを作るつもりだったのかな)

(小町あんまり煮物は得意じゃないんだよね)

 

 こういう時に頼りになるのがスマホだ。レシピくらいいくらでも出てくるし、レシピさえあれば小町なら余裕で作れる。

「さて、始めますかね」

 

 うちと違うキッチンに戸惑いながらスマホ片手にクッキングタイムが始まった。

 

 

      × × ×

 

 

 三人が帰ってきた。早い。早すぎる。

 小町(沙希さん)が手伝いを名乗り出たけど小町は頑なに拒否。

 

「手伝いは別にいいから、京華の相手しててあげて」

 

 だってレシピ見ながら料理してるとこ見られたら小町だってばれちゃう。

 そうなれば沙希さんにどれだけ責め咎められることか。

 沙希さんの大好きな家族をとっちゃったばかりか、小町になることで想い人(お兄ちゃん)と結ばれる芽を摘みとっちゃった。

 そんな小町をどうして許せようか。

 

「なら沙希さんの料理してるとこ勉強させてください」

 

 結局、拒んでも食らいついてくる熱意に負けスマホを手放さなきゃならなくなった。

 ど、どうしよう、試験官が隣に立ってカンペ見れなくなったみたいじゃん!

 いや、小町はカンニングなんてしたことないけどね!

 

「あ、沙希さん、お皿用意してますね」

「ん、ありがと……」

 

 なにこれ、なんで小町が川崎家の食器の場所知ってるの? これ絶対沙希さんじゃん、まごうことなき沙希さんじゃん、比企谷さんちの子だけど沙希さんじゃん、比企谷沙希さんじゃん! あれ、意味違くない?

 様々な思惑が交錯しながら夕飯が完成した。レシピが見れなかったから煮物はイマイチかな……

 

「「「「いただきまーす」」」」

「‼」

「⁉」

「?」

 

 皆が里芋を口に入れた時、場の空気が変わる気がした。

 あれ? 美味しくない? 小町頑張ったんだけど。

 

「美味しいけどいつもと違うね」

 

 京華ちゃんのその一言が小町にとってかなりショックだったのは言うまでもなかった。

 

 小町(沙希さん)が甲斐甲斐しく京華ちゃんにご飯を食べさせてる。頼んだわけでもなくごく自然な行動に見えた。

 ああ、やっぱ家族大好きなんだなこの人……

 目尻が下がって頬もゆるゆるで、小町こんな顔できるんだ。家だといつこんな顔したっけ。ってかしたことあったっけ?

 心当たりを探ってみる。

 

 あ、あったかも。

 それは去年、お兄ちゃんが修学旅行から帰って来て喧嘩したとき、些細なことで喧嘩して久々の冷戦状態になった。

 きっかけ自体は些細だったが原因となる出来事は重大で……悩み続けていたお兄ちゃんが唯一相談相手に選び打ち明けたのが小町だった。内心ではお兄ちゃんの特別に選ばれた喜びが爆発してて乱暴に撫でられた時、自然と笑いがこぼれ全身がくすぐったい様な気持ちいい様な物凄い多幸感に見舞われたのを覚えてる。

 きっと、その時の小町はこんな表情(かお)だったんだろうな。

 

 沙希さんにとって京華ちゃん達家族と一緒にいるのはそれくらい幸せなことなんだろう。

 そう意識してしまったら後戻りができなくなった。

 後悔、慚愧、焦燥、罪悪感、あらゆる負の感情が小町を包み込んだ。

 だって小町からお兄ちゃんを奪っちゃうくらいのことを、沙希さんにしちゃったんだよ?

 そんなの申し訳なさ過ぎてもうまともに小町(沙希さん)の顔なんて見られないよ!

 そんな小町の思いとは裏腹に、小町(沙希さん)は京華ちゃんにご飯を食べさせ終わると、気付かない方が不自然というくらいに小町(わたし)を見てきた。そのプレッシャーに耐え切れず身体が勝手に動いていた。

 

「ご、ごめん! ちょっと出てくる!」

「‼」

「姉ちゃん⁉」

「さーちゃん⁉」

 

 突っ掛け履きで家を飛び出した。

 真冬の外気が肌を刺すのも意に介さず闇雲に走った。

 川崎家はうちとさほど離れてはいないが近所と呼べる距離でもない。あまり見慣れない景色が流れていく中、ふと頭の片隅に残った記憶がちらついた。

 

(⁉ あ、ここって……)

 

 そこはかつて家に誰もいない寂しさに負け家出した時、辿り着いた児童公園だった。

 過去と同じようにブランコに腰かけると、油の足りない金属と金属の擦れるイヤな音が耳に届く。

 記憶の頃よりもあらゆる遊具が小さく感じる。それだけ小町が大きくなったということだけど今やってることはあまり変わらなかった。

 

(……はぁ……やっちゃった……小町全然成長してないよ……)

 

 あの時と同じように家族に心配をかけてしまう後先考えない行動に辟易してしまう。

 お兄ちゃんが迎えに来てくれた時の喜びは今も忘れられない。こうしてればまたお兄ちゃんが来てくれるかも、そんな有り得ない期待を胸の奥底に秘めてしまうくらいに。

 でも大きな胸が小町を現実に引き戻す。今は沙希さんだからお兄ちゃんが来てくれることはないんだよね……

 

 はぁ……またお兄ちゃんのこと考えちゃってるよ。小町どんだけお兄ちゃんのこと好きなの? よくお兄ちゃんに「小町はそうでもないけど」とか言っちゃってるけど嘘じゃん、ありまくりだよ、ありまくってむしろ小町の方がブラコン過ぎてヤバイレベルな気がしてきたよ。

 

「…………沙希さん」

「‼」ビクッ

 

 静かだけどはっきりした声で呼ばれた。心臓をキュッと握られたみたいな不快感を伴い、人生で最も見慣れたその人物が歩み寄ってきた。

 一番会いたくない人に見つかってしまい、何を言われるか気が気じゃなかった。呼吸するのにも手こずるくらい緊張していると、何かをそっと差し出してくる。

 

 「…………これ」

 

 それはコートだった。部屋に掛けられてた沙希さんので、それを見て自分が薄着であることに初めて気付かされた。小町(沙希さん)は無言でコートを肩に掛けてくれて、さっきまで責められることばっかり考えた小町にとってその優しさはある意味で最強の攻撃力が備わっていた。

 

「…………ぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 

 ずっと謗られると身構えていた末に起こされたアクションがコートを掛けること(やさしさ)だった。身体の力が抜けるのと同時に心の隙間から堰を切ったように感情が流れ出した。

 

……

……

……

 

「……すみません沙希さん、取り乱しちゃって……」

 

 小町は種明かしがないままの小町(沙希さん)に向かってそう告げた。何か言いたそうにしては口籠ってを繰り返してたし、この方が面倒がなくていいと思ったからだ。

 買ってきてくれた缶コーヒーの熱が痛く感じるくらいに小町の手は冷え切っていた。

 

 言わなきゃいけない。でも怖い。でも言わなきゃ何も進まない。

 意を決して口を開いた。

 

「……こんなことになったの、小町のせいなんです……」

「小町が初詣で変なお願いしちゃったばっかりに……」

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「……………………は?」

 

「ひっ⁉」

 

 怖いよ、沙希さん怖いよ!

 今は小町の姿だけど、小町って怒るとこんなに怖かったの⁉ お兄ちゃんにも見せたことあったっけ? これじゃお兄ちゃん最初から全面降伏だよ‼

 そんな恐怖を乗り越えおずおずと説明を続ける。

 

「元旦に初詣に行った時、小町神様に変なお願いしちゃったんです……それで……」

「お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができますようにってお願いしたらこんなことに……」

「えっと小町が何言ってんのか分からないんだけど……?」

「それでさっきまで稲毛浅間神社に行って元に戻るようお願いしてきたんですけどね、ダメでした……あはは……」

 

 ううぅ、沙希さんの視線が痛い、冷たい、不穏!

 小町だって訳わかんないんだもん、小町ばっか責めないでくださいよ!

 

「……小町、なにかあたしに隠してないかい?」

「‼ か、隠してなんていませんよ! どうしてそう思うんですか⁉」

 

 鋭いよ、沙希さんの怖さが倍増しちゃったよ!

 

「だってその願い事の叶え方があたしとの入れ替わりってどう考えても変でしょ」

 

 ごもっとも。もっと言えば願い事してこんなの実現しちゃうこと自体が変なんだけど。

 

「それは…………クシュッ‼」

「……コート持ってきたとはいえ寒いね、どっかお店で話そっか。お金はあとで返すから」

「いえ、構いません。だってこのまま…………」

 

 あっちゃー……不吉なこと言いかけちゃったよ。

 でもね、小町も昼間沙希さんのお財布でケーキ食べたからむしろそのお財布から出してくれたほうが良心の呵責に悩まされないで済むんだよね。ケーキの栄養自体は沙希さんの身体に吸収されたけど美味しいって感覚は小町が味わっちゃったわけだし、やっぱり沙希さんごめんなさい。

 心の中で懺悔しながら二人で喫茶店へ向かった。

 

 

      × × ×

 

 

 朝起きてからのことをお互い情報交換した。

 さっきまで寒空の公園で話していたことと大差がないから会話はすぐ途絶えちゃったけど。

 

「……やっぱりなんか隠してるでしょ小町」

 

 沙希さんは小町の説明に納得してないようで怪訝な表情と胡乱な視線を向けて詰問してきた。

 

 ……だってしょうがないじゃん!

 本当はお兄ちゃんのことを好きだからそのお願いも一緒に叶えて貰えたなんて口が裂けても言えないもん!

 

「…………」ジーッ

「…………」

 

 疑念が解けない。このままじゃ吐くまで吊るし上げられちゃうかも。

 そういえば嘘をつくときはちょっとした真実を混ぜたほうが真実味が増すってお兄ちゃんが言ってた気がする。ってかもう今日の小町お兄ちゃんのことしか考えてないよ、なんかやばいよ、これ本気でやばいから! なにがやばいって第二の高坂家になっちゃうから!

 

「えっと、その…………」

「はやく」

 

 追い詰められた小町は最悪を回避できるならば他のことには目を瞑る判断を下した。

 

「…………おっぱいが大きくなりますように……って、神様に、お願い、しちゃいました……」

「……………………は?」

「…………なにそれ」

 

 それから小町(沙希さん)が向ける視線はちょっと大袈裟に言うとゴミを見る目だった。

 ああ、お兄ちゃんはいつもこんな目で小町達から見られてたんだね。

 ホントごめんね、お兄ちゃん、これからはもっと優しくするからどうか小町を嫌いにならないで。

 

 それと同時に沙希さんの熱が急速に引いていくのが分かった。

 小町の名誉を犠牲にした嘘(ではないんだけど)で真相をうまく暈せたみたい。大体、現象自体が雲を掴むような話なのに解決策なんて出るはずない。今はとりあえず逃避して成り行きに任せる他に手立てがないことも事実だ。

 

 川崎家に向かう小町の足取りは重く、お兄ちゃんばりの猫背を披露していた。

 沙希さんは小町よりも順応してるみたいで家に着いてから京華ちゃんのお世話についてあれこれ指示してくれた。代わりに兄扱い説明書でも書いて渡したいところだったけど、沙希さんがお兄ちゃんを好きなのは知ってたし小町の姿で本気のアプローチしたらどんなことになるのか予想がつかないから、普段の小町の家事についてだけ教えておいた。

 

 大志君に小町(沙希さん)を送らせて京華ちゃんをお風呂に入れる。歯磨きさせて絵本の読み聞かせして寝付かせるまでが沙希さんの役割だ。

 すごいな沙希さん、もう完全にお母さんって感じ。初めて会ったときは怖そうな感じの人だったのに家ではこんなだったなんて。深夜バイトしてた頃の変貌を見たら、そりゃ大志君も心配で相談するよ。

 でも比企谷家も負けてはいないんだけどね。今頃は家に帰って夕飯作って二人で食べて、手のかかる兄のお世話してから炬燵に入って受験勉強しながら小町が寝落ちしたらお兄ちゃんが「風邪引くぞ」って心配して起こしに来ても小町が眠くて歩けないって甘えるとお兄ちゃんは小町をおんぶして部屋で寝かしてくれたりとか……弟みたいに手が掛かるかと思ったら偶にお兄ちゃんらしく頼りになって甘えさせてくれて……

 

「…………」

 

 お兄ちゃん……やっぱりお兄ちゃんに会いたいよ。

 たとえ好きになるのが許されなくても沙希さんとしてじゃなくて、小町を見て欲しい。

 前に小町はお兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなかったら絶対近づかないとか言ったけどあれも嘘だ……今の沙希さん(小町)は兄妹じゃないのに一緒に居たくてたまらないよ……お兄ちゃんこそ妹じゃない今の沙希さん(小町)には近づきすらしないじゃん……

 隣で寝付いた京華ちゃんを起こさないように頭を優しく撫でながら望郷のようにお兄ちゃんを想う。

 

 もし元に戻れなかったら……

 それを考えると絶望すら感じてしまう。

 多分、学力とかは沙希さんのままだし、このままちゃんと勉強すれば国公立に受かるかもしれない。この身体(沙希さん)は小町が羨むくらい美人だしスタイル抜群だし、十五年の愛着がある小町の姿と比べても気持ちが揺らぐ魅力的な容姿だ。京華ちゃんは可愛いし大志君は……まあ友達だし家族になるのに問題はない。実際それほどマイナス要素はないように思える。

 

 でも……

 

 その中にお兄ちゃんがいないだけで、小町の世界から色がなくなっちゃうような気がした。

 うちは家族仲良いけど、やっぱり両親の仕事が忙しくて滅多に一緒に居られないし、小さい頃から助け合って暮らしてきたのはお兄ちゃんだ。小町にとって他所の家庭での母親のような役割をしてくれているといっても過言じゃない。小町にとって安心をくれる母親であり、ちょっと手のかかる弟でもあり、頼りになって甘えさせてくれるお兄ちゃんなんだ。そんなお兄ちゃんがいない生活なんて身を裂かれるよりつらい。

 

(神様お願いします、どうか小町を元の姿に戻してください!

 もう我が儘言いません!

 お兄ちゃんのこと困らせるような好きとか言わないから、どうか小町を

 

 お兄ちゃんの妹でいさせてください‼)

 

 

――――――

――――

――

 

 

「……………………えっ⁉」

 

(お、おに、お兄ちゃんの顔、ちか! くち、触れてる⁉ キ、キス、して、る⁉)

 

 頬が熱くなっていくのが分かる。びっくりして顔を離すもちょっとだけ後悔した。

 辺りを見回すと自分の部屋で、鏡に写る姿もさっき別れた小町だった。

 

「夢……じゃないよね……?」

 

 どきどきが治まってくると冷静になってくる。手に触れた何かを見てみると初詣の時に買った恋愛成就のお守りだ。さっきまでこの身体の制御権を持ってた沙希さんがこれに触発されて事に及んだんだって推測できた。

 

(…………初めての相手はお兄ちゃんかぁ……)

 

 時計を見るとさっきまで京華ちゃんを寝かしつけてた時間と同じだった。

 

 お兄ちゃんの寝顔を間近で見て改めて考える。

 兄妹だからこんなにお兄ちゃんの傍にいられるんだ。恋人や夫婦と違って、兄妹ならずっと一緒にいられるじゃん。むしろ小町が妹だから、お兄ちゃんがこんなにいっぱい愛してくれるんだよ。小町はラッキーなんだよ。雪乃さんも結衣さんも沙希さんだってなり得ない唯一の存在なんだから。

 

「............お兄ちゃん、お兄ちゃん、そろそろお布団で寝てきなよ」

「……………………んぁ……?」

「あ、ああ、悪い、そうする…………」

 

 寝ぼけ眼でふらふらと部屋を出ていく。

 ああ、危なっかしい。こんなんじゃ小町は片時も目を離してなんていられないね。

 もっともっとお兄ちゃんのお世話してあげないと。

 

 ずっとずっと、ず――――っとね。

 

 

      × × ×

 

 

「いつまで寝てんの、今日から学校でしょ? 早くご飯食べてくれないと片付かないでしょ。これだからごみいちゃんは……」

 

 いつものように二人での朝食。

 頬の筋肉が緩みそうになるのを懸命に抑えて食べている。ちょっとでも気を抜くとニヤニヤが止まらなくなるからだ。起こした時に悪態をついたのもその裏返し。こうでもしないと昨日神様にしたお願いを反故にしかねないくらいお兄ちゃん大好きって溢れてきちゃうから。

 

「…………」モグモグ

「…………」モグモグ

 

 お兄ちゃんと向かい合ってご飯食べるのがこんな嬉しいことだって知らなかったよ。そういう意味では昨日の出来事に感謝してもいいくらい。あれがなかったら、小町はきっとこの先ずっとこれが幸せだって自覚しないままお兄ちゃんが家を出てから後悔してたんだろうな。

 

「小町、そういえばもう弁当って作ってくれたか?」

「へっ? いつもお弁当なんて作ってないじゃん。それに小町まだ受験生だし、今は家事も忙しいお母さんに手伝ってもらってるくらいなんだから作る暇ないよ?」

「……………………え」

 

 急に予想外なこと訊いてくるお兄ちゃんにありのまま答えてしまう。

 あー、昨夜膝枕して小町の身体でこっそり、キ、キスしてたし、沙希さん攻めたんだろうなー。きっと今日作ってきてくれるはずだから、しょーがない、今から作る時間もないし、お弁当は沙希さんに譲るとしますかね。

 

「お兄ちゃん、朝からキモいよ? 今日は始業式なんだしピシッとしてよね。じゃ、小町さき行ってるね!」

 

 そう残して元気よく家を出た。

 あ、自転車で送って貰えば良かったか。いいや、明日からお願いしよっと。

 

「あ、小町、おはよ」

「おはよー小町、冬休みどうだった?」

「あ、おはよー! ちょっと不思議な夢みたくらいかなー、よく覚えてないんだけどねー」

 

 根掘り葉掘り訊かれるのは面倒なんでそう予防線を張っておく。

 おや、昨日一日だけの弟くんが登校してきた。

 小町がいつものようにフランクな感じで挨拶しようとするととてつもない爆弾をおとしてきた。

 

「あ、小町、おはよう。昨日は楽しかったね」

「「「⁉」」」

 

 友達二人も固まってるけど、それ以上に小町の石化具合は酷いもんだったと思う。

 この口調、どっかの無駄にキラキラした人みたいなんだけど大志君どうしちゃったの?

 

「…………えっと……なにそれ、なんのことかなぁ?」

「えっ! 昨日うちで一緒に勉強して夕飯食べたじゃん、覚えてないの小町?」

「……それは覚えてるんだけど、その、なに、呼び方っていうか、いつから大志君はうちのお兄ちゃんになったわけ?」

 

 小町を名前で呼ぶ男の代名詞がお兄ちゃんだって告白してるみたいで恥ずかしいはずだけど何故か気にならない。小町はそれ以上にショックを受けてるみたいだ。だって小町を名前で呼んでいいのはお兄ちゃんだけだもん。お兄ちゃんの湧き上がる殺意の波動が小町にも伝播してきちゃったよ!

 お兄ちゃん譲りの殺意をなんとか抑えていると大志君は核地雷級のエピソードをぶっこんできた。

 

「昨夜家まで送って行ったときに俺の頭撫でながら小町の方から言ってきたんだけど……」

「――――っ⁉」

「「きゃー♪」」

 

 沙希さんかー、沙希さんだなー、この核地雷は沙希さん作だなー!

 せっかく花を持たせてお兄ちゃんのお弁当を作る権利を譲ったのに忘恩の徒とはまさにこのことか。まあ、そんなこと沙希さんは知る由もないことだけど。

 

 決めた!

 明日からお兄ちゃんにお弁当作って沙希さんの邪魔してやる!

 愛妹パワーみせてやる!

 覚悟してくださいよ‼

 

 おっと、その前に

 

「ん、んん! ……えーっと……誰でしたっけ? んー、かわ……川越? 川島? まあなんでもいいや、川なんとかさんで。川なんとかさん、遅刻しちゃうんでもう行きますね。

 そ・れ・と、気持ち悪いんで小町のこと名前で呼ぶの止めてもらっていいですかねー、虫唾が走るんで」テヘ

 

 そこまで一気に捲し立てて可愛く敬礼。丁寧に喋ってるけど声は低いし目は笑ってなかったと思う。女友達はドン引きしてたし、

川なんとかさんは抜け殻のようになっていた。

 

 だってしょうがないじゃん。名前呼ばれた瞬間、たいs……じゃなかった。川なんとかさんが生理的に無理ってなっちゃったんだもん。名前呼びは当分の間、お兄ちゃんだけの特権でいいや。

 

 ……やっぱり小町はブラコンでお兄ちゃんを愛してる。

 

 

 




あとがき


 最後までお読みいただきありがとうございます。

 同一の短編を視点別に三つ作ってみました。
 想像以上に長くなってしまい申し訳ありません。予定だと各話一万文字以下で完成させたかったんですけどね。まとめるの下手すぎ……
 そもそも不可解な現象なので沙希と小町が元に戻る明確な条件が上手く表現できたとは言い難いですけどこんな感じで勘弁してください。
 本当はこんなにお兄ちゃんラヴさせるつもりなかったんですけど、書いてるうちにそうなっていってしまいました。
 大志一人だけ損してる気がしましたが、小町【沙希】視点のコメント欄(pixiv)の民意です。大志、強く生きるんだよ……!

 あと今更気付いたのですが、初詣のちょい後って時系列だとクリパに参加してない小町は京華のことを知らない状態でした。その辺の整合性が取れてないのは申し訳ありません。


 思い浮かんだ短編がこれでやっと出来たので、サキサキシリーズの続きに着手できそうです。
 想定してたプロットが中盤くらいまでは進んだと思うのですが、まだ具体的に何話くらいで終わるか予測できません。これ来年のバレンタインきても終わんないな……

 宜しければ今後もお付き合いください。


なごみムナカタ


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さーちゃんはバイトがしたい
幼馴染? 違うよ。あたしたちは……


青みがかった黒髪の美少女が朝起こしに来てくれるお話。


 ……寒い。

 時候の挨拶では「立春が待たれる頃」という時期だが春という言葉に反してとにかく寒い。

 何が言いたいかというと寒すぎてベッドから出られないのは仕方がないのだ。

 誰に言い訳してんだろうな。

 

「……ーちゃん、はーちゃん」

「んん……あと、五分……」

「そろそろ起きないと遅刻するよ」

「…………ヒーローは遅れてやってくるものなんだよ……つまり遅れることは正義であって……」

「はいはい、いいからちゃっちゃと起きちゃってよね。あたしまで遅刻しちゃうじゃん」

 

 俺をはーちゃんと呼ぶ青みがかった黒髪の少女。川崎と呼ぶと他人行儀なのが嫌なのか少し拗ねるのでさーちゃんと呼んでいる。

 最初は恥ずかしかったがいまでは慣れてしまった。

 慣れって恐ろしい。

 

「母ちゃんもう出たのか」

「さっきね。はーちゃんのこと任されたんだから早くご飯食べちゃってよ」

「へいへい」

「あんまおばさんに世話かけちゃダメだよ。共働きで忙しいんだから。ほら、トマトよけないの」

「お前は俺の母ちゃんかよ。なんか最近似てきてないか」

「あんたマザコンなの? いいから食べる」

「ふぁーい」

 

登校中

 

「はぁ~……」

「……どした? マジの溜め息とか珍しいな」

「ん? ……ああ、ごめん。鬱陶しいよね」

「んなことはねえけど。悩みとか聞くだけでいいなら言ってみれば? 解決できるかは別問題だが聞くだけなら」

「聞くだけって……しかもなんで二回言ったのさ」

「…………」

「…………」

「ね、はーちゃん、今日、昼休み屋上で食べない?」

「家出たらその呼び方はよせっていってるだろ」

「ごめん、つい。で、どうなの?」

「ひと気のない場所は大歓迎なんだが、この季節に外弁は厳しくないか?」

「今日だけ。……その時、話すよ」

 

学校

昼休みの屋上

 

「ちょっとこれ広げて」

「なんだ、レジャーシート?」

「そ、温かいお茶も持ってきた」

 

 用意周到過ぎるだろ。屋上で外弁するの家出る前から決定事項だったのかよ。それでよく「屋上で食べない?」とか質問調な訊き方が出来たな。

 とはいえ、こうして川崎の用意してくれた弁当で餌付けをされている俺に断るという選択肢はないわけで。

 玉子焼き、煮物、揚げ物、別のタッパーにサラダやフルーツとバランス良く彩られ、いつもながら見事なものだと感心してしまう。

 水筒やレジャーシートといい、嫁度を超えてオカン度にまで達してしまった女子高生がいる。

 だが口にはしない。正真正銘、褒めてるんだが前にこういったら皮肉と捉えられたのか不機嫌になってしまった。

 

「この前、バイトの面接に行ったんだよ。採用の通知が届いたんだけど、それをうちの親が見ちゃってさ」

「……もしかして、反対されたのか?」

「うん。あたしだって別に遊び金欲しさにバイトするわけじゃないのに……」

「理由は……ちゃんと言ってもダメなのか?」

「う……それは……」

「なんだよ、理由も言わないなら反対されても文句言えんだろ?」

「うぅ……そうなんだけど……」

 

 俯いて頬を染める。なにその表情、惚れちゃうからやめて。

 言い出そうか散々迷った挙句、口を開いた。

 

「……そろそろ母さんの誕生日近くなってきたから、その、バイトして誕生日プレゼント買おうかと、おも、って……」

 

 まだ今年始まったばかりだしお年玉は残ってるだろうが、お年玉や小遣い捻出して買うのと働いた金で買うのじゃ結果は同じでも意味合いは全く違う。

 

「なるほどな。そりゃ確かに親には言えん。でも親父さんにだけ言ってみたらどうなんだ?」

「反対してたバイトを急に許可したら母さんに勘繰られるでしょ。あんたんとこと同じでうちも母さんが圧倒的に強いからお父ちゃん追及されたらあっさり堕ちるよ」

「幼馴染とはいえ家庭内ヒエラルキーまで把握されてるのはどうかと思うんですよ……」

 

 川崎の手作り弁当を食みながら二人で考えるも妙案は浮かばず、昼休み終了のチャイムが鳴った。

 

「はぁ……はーちゃんのおばさんからも頼んでもらってよ」

「なんでうちの母ちゃんが関係すんだよ?」

「使えるものは何でも使えって言うでしょ?」

「言わねーよ、それを言うなら立ってるものは親でも使えだろうが。なんだよその人を利用し尽くすことに特化した思考回路は。碌な人間になりませんよ?」

「……将来の目標が専業主夫とか言ってるあんたに言われたくないんだけど」

 

下校

 

「それじゃ、おばさんにバイトの件お願いしといてよ?」

「わーったよ。一応頼むだけは頼んでみるけど期待はすんなよ?」

「ん、それでいいから。じゃあね」

 

比企谷家

 

「ご飯できたよー」

「…………」

「あんた、返事くらいしなさいよ」

「……へーい」

「……ま、いいでしょ。それじゃいただk……」

 

ガチャッ タダイマー

 玄関から気怠くこの世全てを呪っているかのような「ただいま」が聞こえてくる。会社で何があったかその声音で概ね予想がついてしまう。うん、今日も絶好調だな親父。俺は絶対に働かない。その選択が間違いじゃないことを親父がいま証明してくれた。

 

「おかえり」

「……おう、ただいま」

「親父、今日は早いんだな?」

「たまたまだ。それより飯待っててくれたのか?」

「んなわけねえだろ。これから食おうってとこでゾンビのようなただいまが玄関から聞こえて来たから手が止まったんだよ」

「コラ、おとーさんになんてこと言うの!」

「お前も大人になればこうして社畜になる人生が待ってんだから今のうちに青春を謳歌しとけよ」

「へいへい、俺は専業主夫を目指すからその心配はありませんけどね」

「……全く、誰に似たのやら……早く手洗って来て。せっかくだしご飯先にしよ?」

「ああ、分かった」

 

「もぐもぐ、ん……なあ、母ちゃん」

「なに?」

「別に無理なら無理でいいし期待もしてないし、なんだったら今無理だと言ってくれた方が俺としては嬉しいんだが……」

「言ってみな?」

「……そこは『無理』って言ってくれよ……」

「そういう風に言う時は大抵他人からの頼まれ事でしょ?」

「読まれたよ……」

「当然。年季が違うよ」

 

 言いながら親父の方に流し目を送る。

 ちょっと? 息子と話してる最中にイチャつくのやめてもらえませんか?

 

「何だよ年季って……確かに俺が生まれてずっとだし読まれるよな。あのさ、今日さーちゃんから頼まれたんだけど」

「うん」

「なんかアルバイトの面接行って、採用通知届いたんだけど」

「うん」

「親にそれ見られてバイト止められたんだって」

「うん?」

「だから、母ちゃんに両親の説得頼みたいんだと」

「う……ん……」

 

 あれ、なんでちょっと顔歪めてんの? そんなに嫌なの? やっぱ第一声で無理って言ってくれればよかったじゃん。

 親父の方を見てみると、こっちは何故か苦笑している。

 

「そ、そうだね……もう高校生だし、バ、バイトくらい許してあげても……い、いいんじゃないかな?」

 

 親父が気持ちの悪い忍び笑いをしていた。笑いの出処が分かる時点で忍んでないか。ただ気持ち悪く笑ってただけだったわ。

 

「あー、なんでバイトするか訊いたのか?」

 

 珍しく親父が首を突っ込んできた。これ話していいんだっけ。まあ、頼む立場だし疚しくないから包み隠さずいうべきなんだけど。

 

「サプライズ要素があるから親には言いづらいんだとよ。でも疚しいことは何もない」

「そうか。でもそれじゃ説得は難しいかもな。ちゃんと理由を打ち明ければ再考の余地はあると思うが」

「だよなぁ、俺もそう言ったんだけど……無理なら無理って明日言っとくから別にいい。母ちゃんにお願いするより先に理由を話すように言うわ。ごちそうさま」

 

 食器を流しに置き二階に上がる。リビングには夫婦二人が残されていた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………くく……」

「…………笑うな……」

 

      × × ×

 

prrrr... prrrr... ガチャッ

 

「もしもし、比企谷ですが……」

『はい、川崎でs……おにいさんじゃないっすか⁉ お久しぶりっす‼』

「そんな久しぶりでもねえだろ。ってか正月会ったから。なに、正月のことすらお前の記憶に残しておけないくらい俺という存在は希薄なの?」

『おにいさん、その自虐久しぶりっす!』

「声でけえよ、落ち着け。……今日はちょっと話があってな……」

 

      × × ×

 

翌朝

登校中

 

「……あんた何したの?」

「あん?」

「とぼけてる?」

「いや、さっぱり。なんだよ?」

「……今朝、急にお父ちゃんがバイトしてもいいって」

「は? なんだそりゃ。良かったじゃねえか。何が不満なの?」

「不満はないけど……もしかしたらあんたが何かしたんじゃないかって思って……」

「残念ながら何も出来なかったぞ? 親に話したけど手応えなしだ」

 

 うちの親にサプライズのこと話すのはセーフだよね? セーフって言って! いや、川崎には言えないが。

 

「ふーん……ま、いいや。とりあえずありがと」

「ほー……とりあえずどういたしまして」

「……真似しないで」

「えぇ……」

 

「……ずいぶんと仲が良いじゃないか。遅刻するにももう少し慌てたりと可愛げのある姿を見せてくれないかね?」

 

 校門前まで来ると、門番をしていた教師が俺達のやり取りを見咎め皮肉を込めてそう呟く。

 ってかこの人、教頭先生じゃなかったか? こんな仕事もすんの? 若手にやらせろよ若手に。

 

「あ……これは、その……じゅ、重役出勤って言葉があるじゃないですか。つまりエリート志向の強い俺は今から重役になったときのために予行演習をですね」

「あんた専業主夫希望じゃなかったっけ?」

「…………」

「ば、ばらすなよ! ……あ、あれです。そもそも遅刻が悪という認識がもう間違いなんですよ! いいですか? 警察は事件が起きてh……」

「もういい。聞くに堪えん。名前と学年クラスを申告したまえ」

「ぐっ……1年F組、比企谷八雲(やくも)です」

「……1年F組、川崎沙綾(さや)

 

「……ヒーローは遅れてやってくる。つまり彼らは事件そのものには遅れているがそれを責める者がいるのか。これはもう逆説的に遅刻は正義、そう言いたいのか比企谷」

 

 なんでだよ。俺の言いたいこと全部言われちゃったよ。さては教頭先生、俺のファンだな。ストーカーだったら勘弁していただきたい。

 

「教頭先生、俺のストーカーなんですか? 思ってたこと100%言い当てられてさすがに引くんですけど」

「安心しろ。二十年以上前に同じ言い訳を聞いたことがあるだけだ」

「誰ですかそれ言ったの。俺、友達いないですけどそいつとは仲良くできそうな気がします」

「……くっく、血は争えんな。一言一句同じとはね」ボソッ

「え、いまなんて?」

「いや、なんでもない。それなら君の家は家庭円満で安心だ。両親にもそう伝えておいてくれ」

「よく分からないですけど、はぁ……」

「それと、二人には遅刻のペナルティーとして反省文の提出を命じる。放課後、私のところまで持って来なさい」

「はい……」

「……わかりました」

 

 その後、教頭に部活を勧められた。

 なんて名前だったかな、確か……

 

 

 




下書き用ファイル開いたらほとんど完成してた短編があったので出しちゃいました。

いつも無駄に文字数多くて読みづらくなってたのでクオリティ低いけど5000文字切って終わらせられたのは満足してます。


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お互いの初めてを捧げ合った日
もっともバカと呼ばれた日


 体育祭の衣装作りでお礼をするといった八幡。
 実行に移そうと考えるも沙希の喜びそうなものに心当たりがない八幡は断腸の思いで大志に連絡をとる。
 お前のねーちゃんの好きそうな物という、らしくない質問から誕生日をお祝いしてくれるつもりなのかと訊き返され、沙希の誕生日が目前であることを認識する。結果、らしくないついでに沙希の誕生日を祝うのを含めたお礼をすることにした。
 準備が整い本人に日程調整するのだが、そこから喜劇が始まる。

時系列
体育祭終了後でおそらく修学旅行前くらい。
原作中で正確な日付は出ていないが7巻開始あたり。


FROM 大志

TITLE nontitle

そういえば今週の土曜日、姉ちゃんの誕生日なんすよ。

 

 差出人は川……、川越? 川島? なんでもいいか、川なんとかサキさん略して川崎の弟であり、小町の永遠の友達にして不倶戴天の毒虫・大志である。

 何故そんな共存できない相手からメールが届くのかというと話は二ヶ月半前まで遡る。

 

 八月頭頃の予備校で偶々こいつの姉・川崎沙希と夏期講習が一緒だったのだが、どういうわけかあっちから声をかけてきた。

 内容はスカラシップが取れたことの報告とお礼という名目だが、そのままサイゼでお茶をしながら別件の相談事を受けたのだ。その時、一緒にいたのがこの大志とかいう無駄に暑苦しくて、小町の友達という果てしなく目障りな奴だった。

 これから受験する総武高校について訊きたいと言ってきたらしいがその実、女子のレベル、いわゆる美女偏差値を教えてもらいたかったようだ。確かにこんなこと姉には訊けねえよな。

 小町から永遠のお友達宣告を受けた大志に同情し、俺と川崎の総武高を受験する理由を話してやると琴線に触れたのか、メアドの交換までされてしまい現在に至る、というわけだ。

 アドレスを知られても連絡しなければいいだけではと不思議に思う人間は多いだろうが、今回は特殊な事情ゆえに今こうしてメールのやりとりをしていた。

 

 体育祭では時間も人手も足りず、ないない尽くしの苦しい台所事情で運営を強いられていたとはいえ、川崎に衣装作りを手伝わせてしまったのには申し訳なく思っていた。

 こっちから頼んだもののむしろノリノリで企画立案してくれた海老名さんとは違い、川崎にはなんらメリットがない。本人が「暇だし」と言ってはいたものの、作業効率のみならず衣装代の予算カットにも大きく寄与してくれた。これはもう川崎の労働時給を体育祭実行委員会がタダで奪ったのと同義である。今にして思えばよく頼みを聞いてくれたものだ。

 その意気に応えようと俺の口から出たのは「そのうちお礼はするから」である。当の本人からは「別にいらない」と返って来たが、一方的に施しを受けるのは俺の主義に反する。よって今、その借りを返そうと大志から情報を引き出しているのだ。

 

「誕生日か……お礼するにはうってつけなシチュだな……」

 

 他人の誕生日を祝ったことなどないが。なんだったら俺の誕生日を祝われたことも良く思い出せないくらいだ。いや、誕プレは貰ってますよ? 去年の誕生日は現金一万円だったな。親父、母ちゃん、産んでくれてありがとう!

 

 川崎が欲しがりそうな物を大志から訊き出し、冷やかされるのも覚悟の上で小町にも相談した。

 一人で買いに行くのつれぇわ……勉強の息抜きに小町連れ出して一緒に行ってもらおう。

 受験生連れ出すとかお兄ちゃん失格だな。今度から暗記の仕方だけじゃなく、もうちょっと真面目に勉強教えてやろう。……数学以外。

 

 

放課後

 

 SHRが終わるとすぐに教室を飛び出していく者、ゆっくり帰り支度をする者と様々だが、これから話しかけようとする相手は前者なので急がなければならない。

 文化祭以来、川崎は俺と目が合うと軽い悲鳴を上げて余所余所しく距離を取り露骨に顔を背けるのだ。その上、すぐ教室を飛び出す習性まで備わっているとなると、冗談抜きにスタートダッシュで置いてかれると話しかけるチャンスがない。

 教室を出て下駄箱までの道すがら待ち伏せしていると川崎が近づいてくる。視線がぶつかると小さな悲鳴を上げ回れ右しそうになるが、下駄箱はすぐそこだと思い止まったようだ。代わりに歩速を上げ、すり抜けようとするも俺の声によって阻まれる。

 

「……よう」

「ひゃっ‼」

 

 短い悲鳴を上げ、数歩バックステップした。勢いあまって窓にぶつかりそうになる。これ、ぶつけて怪我したり窓ガラス割ったら俺に訴えや請求くるやつでしょ。なにそれ、俺の人生無理ゲー過ぎでは。

 

「…………なに」

 

 睨みながら訊いてくるも赤くなった顔が隠し切れていませんよ。

 

「あ、その…………」

「…………」

 

 お互い口下手で上手い事会話が回せない。沈黙が続くせいでお互いもじもじするし悪循環に陥り出した。

 いかんいかん、こっちもこれから部活だし、早いとこ約束に漕ぎ着けよう。

 

「……あれ、覚えてるか?」

「え⁉ お、覚えてる、けど……」

「俺は言ったことの責任はちゃんと取る」

「え、え、あ、その、」

「ちょうど今度の土曜日だし、その日にするから」

「えっ、土曜⁉ 明日⁉ そんな急に⁉」

「いや、急でもないだろ。確かに伝えたのは急かもしれんが前々から決まってたことだし」

「で、でも、そんな、いきなりなんて心の準備が……」

「あー、だよな。実は俺も初めてだし緊張してる」

 

 呼ぶことも呼ばれることもなかった誕生日パーティー。しかも相手が同級生の女子とくれば俺でなくとも緊張もしよう。

 

「え、あんたも? いや、でもおかしくもないの、かな……」

「そういや、学校で軽くならあるか。ちゃんとしたわけじゃないが」

 

 由比ヶ浜に誕プレはあげたしな。

 

「え⁉ 学校で⁉」

「驚き過ぎだろ。一応奉仕部の二人とは仲間なわけだしな」

 

 誕プレあげないくらい薄情な奴だと思われてるわけ? まあ普段の言動を顧みればそう思われてても不思議でもない。

 川崎は見ていて気の毒になるほどもじもじしながら、やっとの思いで口を開いた。

 

「わ、分かったよ、ちゃんとしてくれるなら……」

「ちゃんとはしたことないから分からんが、善処はする」

 

 由比ヶ浜にはちゃんと誕生日パーティーしたわけじゃないし、友達の誕生日にも呼ばれたことはないからな。何がちゃんとしているのかの基準が俺の中にそもそも存在せん。

 

「ちゃ、ちゃんとしてよ、じゃないと困るよ!」

「分からんのに約束はできんぞ」

「ぅう…………分かった、こっちでなんとかするよ……」

 

 こっちでなんとかする? なにそれ? 祝われる側になんか作法とかあるわけ? 誕生日パーティーの経験値が不足し過ぎて理解不能なんだが。まあ、小町にでも訊けばそのちゃんとしたパーティーってのの作法は分かるだろう。まず誕生日パーティーを誕パと呼ぶところからレクチャーされてしまうかもしれん。

 あとは場所だな、どこにするか……こいつんちでいいか。

 

「んじゃ、お前んちでいいか?」

「だ、ダメに決まってんでしょ、バカ!」

 

 ええ……お前の誕パじゃねえか……。家族が祝わんでどうすんだよ……。

 

「なんでだよ? 弟も妹もいるだろ」

「だからでしょ、あんたバカなの⁉」

 

 なに? 弟妹に祝われるのがそんなに嫌なわけ?

 ああ、そうか、恥ずかしいのか。確かに俺に祝われるところなんて大志に見られたら辱められたって訴えられるレベルだもんな。俺も祝うとこ見られるなんぞ耐えられん。

 でも、家族抜きって寂しくねえか? いや俺はいつもケーキ代込みで現金渡されて済ませられるんだけど、こいつの場合は家族大好きそうだし両親に祝われたいって思うだろ。

 

「両親忙しそうだし、一緒には居られないのか?」

「あんたそれ本気でいってる?」

 

 怒らせちまったか。そうだよな。両親共働きでなかなか一緒に誕生日祝ってもらえないの分かり切ってるのに、俺なんかに指摘されちゃ機嫌も悪くなるよな。

 とにかく川崎んちは無理そうか。他にあてとかあるのかね。

 

「じゃあ、どこがいいんだよ?」

「そ、そりゃ……そういうこと出来るとこ、とか……」

「外か。予約とかしないといけないのかね。あんま外出ねえから詳しくないんだがな」

 

 リア充どもの誕パ会場はカラオケやボーリングやビリヤードなどバラエティに富んでいると聞いたことがある。この千葉ではデスティニーランドという鉄板の選択肢もあるが、さすがに料金面の問題で却下だ。

 

「あ、あたしだって、は、初めてだし、詳しいわけないじゃん!」

 

 キッチン付き個室のレンタルスペースなんかもあるらしいが、家事能力小学校6年生の俺では使いこなせる自信がないし、小町の協力が必要になるな。

 そうか、うちなら小町に協力を仰げるし金もかからず問題は全て解決する。

 

「ふむ……んじゃ、うちこねえか?」

「あ、あんたんち⁉」

「妹もいるからお前も緊張しないで済むだろ」

「ば、バカじゃないの! 妹と一緒にとか、あんたシスコンも大概にしなよ!」

 

 なんでだよ。俺の最愛の妹にまで祝われるのに何の不満があるんだよ。むしろ俺が祝われたいまである。

 

「小町もダメ、お前の弟妹もダメじゃ、どうすりゃいいんだよ?」

「あ、あんたと、ふ、二人きりに決まってんでしょ……」

「ぅえ⁉」

 

 え、二人きり? なにそれ、間が持たないし、ハッピーバースデイの歌とか口パクでやり過ごせないじゃん。一人で歌うの? 俺が?

 

「そ、それは、ハードルが高いっつーか……」

「なんで妹と一緒の方がやりやすいみたいにいってんのさ」

「いや、だって、えぇ⁉」

 

 いやどう考えても妹と一緒のがやりやすいだろ。一人アカペラで歌うとか、いや伴奏とかあると余計歌いにくいけど問題はそこじゃない。

 

「と、とにかく、あんたんちに二人で! じゃないとさせてあげないから!」

 

 捲し立て顔を真っ赤にして走り去ってしまった。

 うわー、マジかー。川崎の前でソロで歌うとか心が挫けそうだ……。

 善処すると言ったし、とりあえずアマゾンでそういうパーティーグッズ的な物を見繕って予算と相談してららぽで買ってくるか。

 

土曜日夕方

比企谷家

 

 土曜日も仕事な両親たちの社畜っぷりには頭が下がる。

 今日は川崎の誕生日パーティー略して誕パを催す日。時間は昼頃とかを予定していたのだが川崎曰く「ひ、昼間っからとか、ば、バカじゃないの⁉」と散々なじられた上、行く前に準備することがあると言われこの時間になってしまったのだ。こっちもなんだかんだで緊張してんだから、早く済ませて楽になりたかったんだよ。夕方過ぎとかもう今日一日その心配で潰れちまったじゃねえか。開始が遅いし川崎が猫アレルギーだから小町はカマクラ連れて友達の家に泊まりに行ってまで二人きりにしてくれたんだぞ。

 そんな妹天使エピソードで心温めているとインターホンが鳴った。というか今日の主賓を来させるのも如何なものかと思う。

 俺は玄関まで出迎えて川崎を家に上がる。

 

「……ど、どうも」

 

「お、おう……んじゃ、ま、とりあえずあがってくれよ。リビングはこっちだ」

 

 小町と一緒にセッティングしたお誕生日おめでとうの飾付けがされたリビングへ案内しようとするが、川崎は慌てた様子で手をわちゃわちゃさせながら呟いた。

 

「ちょ、なんでリビングなの⁉ あ、あたし、あんたの部屋が、いいんだけ、ど……」

「はぁ⁉ 俺の部屋⁉」

 

 想像だにしない要求に度肝を抜かれた。

 あれー? 誕パって自室でやる習わしなのー? 小町そんなこと言ってなかったよね? 一緒にリビングで準備してたし。

 そうはいっても今日の主役がそう仰っているので俺に拒否権などない。そもそも今日だけでなく生まれ堕ちて17年、俺に拒否権というものは認められていないんですけどね。ついでに俺の存在自体も認められてないまである。生まれてすぐ堕ちちゃってるし。

 

「あー、別にいいんだけど、ちょっと片付けと準備に時間かかるかもしれんぞ?」

「じ、じゃあ、先にシャワー借りて、いいかな……?」

「ファ⁉」

 

 更に豪快な要望をしてくる川崎に俺のキャパがオーバー寸前だが、主賓には逆らえない。奉仕部で鍛えられた社畜魂がここでも遺憾なく発揮された。

 どうせ俺の部屋で準備するのに時間もかかるし、待ってる間に浴びてもらう方が効率もいいか。

 

「じゃあ、リビングから移動させるが準備するとこ見られると興醒めだし、悪いがちょっとだけ外で待っててくれ」

「え、え? 移動……? ……うん、わか、った……」

 

 ちゃんとして、と言われたのだ。応えるためにもやるべきことはしよう。

 一旦外で待たせておき、リビングを彩った飾りつけを全て外して自室へ。

 

「おう、移動完了だ。ただこれからまた準備するから、ゆっくりシャワー浴びてきていいぞ。呼ぶまではリビングに居てくれ」

 

 川崎にシャワーを使わせている間、自室の壁にオーナメントをセットしていく。色紙で作った鎖や花の装飾はチープな印象が否めないがアマゾンで買うと二千円前後するし無駄に数量も多い。手間こそかかるが使ったあと気軽に捨てられる手作りがベストだ。それにこの誕パをちゃんとした体裁たらしめる主役は風船付きのHappy Birthdayガーランドである。千円と安いのに他の装飾よりちゃんとした感が色濃く出せてコスパが高い。

 

 火の灯る蝋燭を立てたケーキとオーメント類のセッティングが完了し、部屋の電気を消しておく。

 これから祝うのが照れくさいからか、どうも顔を合わせづらい。俺は川崎の気配がするリビングの前で立ち止まり、扉越しに声をかけた。

 

「待たせた。準備できたから上がって来てくれ」

『え? あ、その……えっと……』

「? なんだよ?」

『あ、あんたは、その、シャワー……浴びなくて、いい、の?』

「」

 

 下に降りて川崎を呼びに行くとそんなエキセントリックな質問をぶつけられた。

 さっきの「先にシャワー借りていい?」の「先に」って俺より先って意味だったの? 誕パより先にって意味じゃなくて?

 何故、俺までシャワーを浴びる前提で話が進んでいるのだろうか。いや、確かに今日も風呂入るよ? でも今じゃないでしょ。これから誕パなのに準備完了した部屋に主賓待たせてシャワー浴びるとかないでしょ。ないわー、べー。……やっべ、一瞬、戸部の霊が口寄せされちまったよ。

 

「い、いや、シャワーはまた後で浴びるから、いまは、その、な?」

『う、うん、あ、あんたが、そう、いうなら…………』

 

 なんとか川崎を説き伏せると部屋へ案内する。廊下の明かりも絞ってあるので足元に気を付けるよう指示し中に招き入れた。蝋燭の灯だけがぼんやりと光るこの部屋で二人きり。得も言われぬ雰囲気が漂う。

 

「……座ってくれ」

「う、うん……ベッドでいい?」

「? お前がそうしたいなら好きにすればいいが。蝋燭の明かりでベッド見えるよな? 転ぶなよ」

「あ、ありがと」

 

 ベッドに腰かけるとギシリと軋む音が耳に付いた。川崎は女子にしては身長がある方だがそういう意味から出た音でなく、部屋が静か過ぎ衣擦れすら拾ってしまう環境に因るものだ。

 というかベッドからケーキまで距離あるがこっから火を吹き消せるのか? まあ消す時に近寄るか。

 

「ひ、比企谷も、ベッドに座ったら?」

「? そうか? わかった」

 

 蝋燭の淡い光に照らされ、ベッドに座る川崎の模糊とした姿が浮かび上がる。促され流されるまま隣に座ると、沈んだベッドの傾斜が彼女を引き寄せた。

 うわぁ……なんだこいつ、めっちゃいい匂いしてくる。風呂上りってだけでここまでフレグランス効果高いのかよ。ボディソープとか持ち込み? うちの石鹸こんないい匂いしたっけ?

 そういや小町も同じ石鹸使ってるはずなのに俺と匂い全然違うよな。川崎もそうであるように女子特有の現象といえそうだ。なんかくらくらしてきた。親父なんて風呂上りでも石鹸では隠し切れない玉葱の腐臭がするのにな。

 

 さあ、ここからが最大の難所である『ハッピーバースデーの歌』だ。

 川崎にちゃんとしてと言われた手前、歌わざるを得ないのだがどんなテンションで歌えばいいんだよ。過去を振り返ってもこのレベルの黒歴史的羞恥プレイはなかなか思い出せん。

 いや、あったか。あれは確か中学時代、好きな子の誕生日に寝ないで編集したお勧めのアニソン集をプレゼントした。次の日、それをお昼の校内放送で「オタ谷くん」という架空の人物による虚構のリクエストによって流されたあの惨劇のような黒歴史。

 それに比べたら自分で歌うとはいえ、二人きりだし川崎もぼっちだし広まる心配はない。

 

 この俺が、同級生しかも女子の誕生日を祝い、あまつさえ誕生日ケーキの蝋燭を前に二人きりで面と向かってハッピーバースデイを歌う。

 あれほど青春とは悪であり唾棄すべきものとして認識していた半年前の俺が聞いたら割腹ものだろう。だが、いまも悶えそうなくらい恥ずかしいが、それ自体が嫌というわけではない。本人に望まれているのが分かるからそう感じるのだろう。むしろ存外に奮っているのか、信じられない質問をぶつけてしまう。

 

「あっと、その、……苗字と名前、どっちで呼んだほうがいい?」

 

 ハッピーバースデイ・ディア・川崎~、なのか、ハッピーバースデイ・ディア・沙~希~、のどちらで祝うのか。

 今日の俺はどうかしているのかもしれない。だが、川崎は『ちゃんとしてくれるなら』との御所望だった。手を抜いたらそれこそこの誕生日パーティー自体を意味のないものに貶めてしまう。だから、俺はきちんと全うする。

 

「あ…………うん、な、名前で、いい、よ……」

 

 名前かー。ちょっと難易度上がっちまったな。ついでに語呂まで悪くなった。

 どう考えてもハッピーバースデイ・ディア・川崎~のが語感いいんだよな。二文字はないわ……だが依頼人の要望は可能な限り叶えなければならん。社畜の鏡。

 

「……よし。じ、じゃあ、いくぞ?」

「う、うん」

 

 これから戦場にで向かうくらいの覚悟を以って、もしくは由比ヶ浜の作ったクッキーを食べる意気込みで、今まで小町くらいにしか歌ったことがないハッピーバースデイを歌う。

 って由比ヶ浜の料理って戦場と同義かよ。完全に兵器レベルの代物じゃねえか。てっきりジョイフル本田に売ってる炭かと思っていたんだが、バイオ兵器だったのか。

 

 すーっと息を吸って吐き出す。心を落ち着けないと歌えそうにないからな。それと隣にいる川崎を見ながら歌うのはさすがに無理なんでケーキの方を見ながら歌い出す。

 

「……は、ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・ディア・沙ー希ー♪」

 

 ぐおおおお、羞恥心が臨界点突破する!

 

「ハッピーバースデイ・トゥーユー♪‼」

 

 ケーキしか見れねえ……川崎を見るのが怖い、っていうか恥ずかし過ぎる。

 

「…………」

「…………」

 

 あれ? こういうのって歌い終わったら主賓が蝋燭吹き消すって相場が決まってなかったか? いや、経験値が少な過ぎてどれがスタンダードなのか知らんけど、合ってるよね?

 不審に思い、やっとの思いで川崎の方を向くと茫然という言葉を体現したかのような表情でこちらを見ていた。

 

「ほ、ほれ、消してくれよ、蝋燭」

「え、え?」

 

 未だに混乱している川崎は理解が出来ていないようだが促されるままになんとか火を吹き消した。

 電気を点けクラッカーを鳴らす。

 

パァン‼

「誕生日、おめでとさん」

 

 川崎に向き直り祝辞を添えてやる。その時の顔といったら、こいつ、こんな顔できるの⁉ ってくらい見たことがないものだった。

 顔立ちが整っているくせに今そこにあるパーツは、何処を見てるのか分からんような目、ぽかーんと半開きな口。福笑いなら満点解答の配置であるにも関わらず、どこか滑稽で笑いが込み上げてくるような顔面偏差値である。眼球偏差値底辺の俺が言えることじゃありませんね。

 顔ばかりに目がいってしまい気付くのが遅れたが川崎全体に意識が及ぶととてつもない違和感を覚えた。

 

「⁉」

 

 部屋が明かるくなりはっきり視認できるようになるとその恰好に驚き、興奮を抱く。カーディガンを羽織っているものの、その下はバスタオル一枚を巻いただけだったからだ。

 初めて出逢ったときの、おい、でかしたこの風マジよくやった! よりも興奮した。興奮してる。大事なことなので二回言いました。

 

「――――え? きゃっ⁉」

 

 なにその可愛らしい悲鳴。ってか自分の着てる物に今初めて気付いちゃった?

 慌てて自身の身体を抱くように手を交差する。あ、それやばい。圧迫されたお胸とお胸が押し競饅頭した挙句に生み出された魅惑の峡谷が俺を更に興奮させる。もはや興奮の坩堝。嗅覚を刺激され視覚で掻き立てられ、これで襲わないとか俺マジ理性の化け物。陽乃さんのネーミングが的確過ぎた件。

 

「で、出てって‼」

 

 川崎は手元にある自分の荷物で俺を叩くと中身が散乱する。それに気にも留めず退出を命じてきた。

 あれー、ここ俺の部屋なんですけどねー、これから誕生日パーティーをするはずの部屋なんですがー、泣いていい?

 

………………

…………

……

 

日曜日

 

「たっだいまー」

「おう、お帰り小町」

 

 二階のリビングのソファで寛ぎながら読書していると小町が帰って来た。そろそろ昼だしちょうどいいタイミングだな。むしろ昼に合わせて帰ってきたのかもしれん。だとしたら良く出来た妹過ぎる。

 

「お昼まだでしょ。これから作っちゃうから一緒に食べよ。ほら、カーくんも半日振りのおうちだよー」

 

 やはり昼飯を見越してだったか。愛妹の嫁力は53万ですと材木座あたりに宣言したい。元ネタを知ってるあいつなら「ほざけー」と言って向かってくるどころか泣きながら逃走する未来まで視える。向かってきたら腕もげちゃうしね。

 下らないことを考えているとケージから飛び出したカマクラが俺の部屋に逃げ込んで行った。

 

「おう、カマクラ、俺の部屋に入るなんて珍しいな」

「猫だし、やっぱり他人様のおうちは緊張してホームシックになるんだよ」

 

 なら入り慣れた小町の部屋かリビングのソファに来そうなもんだが、なんで滅多に入らない俺の部屋なんだよ。ホームシックの定義どこいった。

 とはいえ、カマクラが部屋に入って来てくれて内心嬉しがる自分がいる。何だかんだ言っても飼い猫だし可愛いしな。

 半日振りのカマクラを愛でるべく自分の部屋に移動すると、小町も後に付いてきた。

 

「悪いな小町にカマクラ。無理言って家空けてもらって」

「いえいえー、お義姉ちゃん候補の誕生日祝うなんてらしくないお兄ちゃんに協力するのは妹の務めってやつですよー」

 

「そ・れ・よ・り・も~、昨日はどうだったの? プレゼント、沙希さん喜んでくれた?」

「ああ、まあ、な。多分、おそらく、ひょっとしたら……」

「うわぁ~、お兄ちゃんの自信のなさが小町にまで伝染しそうだよ……一緒にプレゼント選んであげたんだし喜んでくれてるよ、きっと」

「そうか。そうだなぁ、喜んでくれてるといいなぁ」

「……スンスン……ところで、この部屋なんかいい匂いしない?」

「俺の部屋でアロマなんぞ炊いてないが」

「そういうんじゃなくて、女の人の移り香みたいなのがほのかに匂うっていうか」

 

 なんだこいつの鼻は。川崎の匂いに感付いちゃったの?

 俺の部屋で誕パしたのを隠すわけじゃないんだが、なんとなくバツが悪いんだよ。説明もしづらいし。

 言い出そうか迷っていると、カマクラがベッドの下に前足を延ばして何やらじゃれて引っかき出そうとしていた。ベッドの下なんてベタなとこにお宝は隠さないし、何かあったかと疑問に思っていると俺の思いを代弁するようにカマクラに話しかける小町。

 

「お、カーくん、お兄ちゃん所蔵のエッチな本でも見つけちゃったかなー? でもざーんねん、そこにはないんだよねー…………え…………」

 

 小町もないことが分かっているので軽口を叩きながらカマクラを抱っこすると、

 

 

 カマクラの、

 

 

 右前足の爪に、

 

 

 

 コンドームがぶら下がっていた。

 

 

 部屋の温度も5℃は下がった気がする。出てきたのが人の指とかならホラーだが、この場合はなんと表現すべきか。使用済みが出てこないだけマシだろう。いや、それはそれでホラーだな。本人に覚えがないのに誰が行為に及んでんだよ。

 逆に小町の体温は上昇しているようで、みるみる顔が赤くなっていく。

 

「……お、お、お兄ちゃん……」

「……落ち着け小町、これは俺のものじゃ……」

「お兄ちゃん! 二人きりにしてくれって言ったのはこういうことだったんだね‼ 大人の階段のぼっちゃったんだね‼」

「ちょっとまて小町、話を……」

「お昼ご飯ちょっと待っててね! 今からじゃさすがに作れないから、小町お赤飯買ってくるよ‼」

 

 ちょっとー? 小町ちゃーん? 帰って来てー?

 SAN値直葬レベルの現実を前にした俺は、小町が家を飛び出していくのを止めれるはずもなかった。

 

 

 

了?




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あいつをもっともバカと呼んだ日

 来週は修学旅行。浮き立つクラスメイトを他所に川崎沙希は冷めていた。
 そんな折、比企谷のとんでもない告白に沙希は動揺し……
 喜劇はそこから始まった。

時系列
体育祭終了後の修学旅行前くらい。正確な日付は出ていないが7巻19頁あたりをご都合主義で金曜日ということにして開始。


(R-15)


FROM 大志

TITLE 誕生日おめでとう

ちょっと早いけど姉ちゃん誕生日おめでとう。

ケーキも用意してあるし、親は仕事だけど俺達がお祝いするから。

 

 

 休み時間に大志から届いたメールは、明日に迫ったあたしの誕生日のお祝いについてだ。もう受験まで半年切ってるし、自分のことに集中してほしい。そう思う一方で、ふと頬も緩む。

 教室へ戻ると自然と顔も引き締まる。今のにやけ顔見られてないよね。心配になって周囲を確認すると視線がぶつかった。

 

「ひっ!」

 

 視線の主は否が応でも意識してしまうクラスメイトの比企谷。

 もともと興味もなく認識もしていない奴だったが二年に進級して一ヶ月も経った頃、弟に頼まれてあたしのバイト先に乗り込んできたのが始まりだった。

 あたしの家の問題を解決する切っ掛けをくれて、大志の相談にも乗ってくれてた。

 

 口下手で人付き合いが苦手なあたしは周りに対し素っ気無く少し攻撃的に接して寄せ付けないスタンスを貫いていた。今まで何の感情もなく出来ていたそれが、こいつにだけは上手く出来なくなってるって自覚し始めてる。

 

 文化祭では衣装係に推薦され、体育祭でも衣装作りの協力を頼まれた。

 文化祭の時は、ちょっと、ほんのちょっとだけどやってみたいって思ってたし由比ヶ浜と海老名にも押されて引き受けた。

 体育祭の時は、なんていうか、断ることも出来たはずなんだけど、あいつが真剣な表情で、ちょっと困ってるみたいで、そんな顔見てたら断るなんて出来なくて、むしろ叶えて喜ばせたいって思っちゃう自分がいて。

 ……でもやっぱり一番意識した切っ掛けはあの出来事だった。

 

『サンキュー! 愛してるぜ川崎!』

 

 文化祭最終日、屋上への入り方を教えて返って来たのがその言葉。

 愛してる、なんて口に出したら安っぽいって思ってたけど、実際に言われてみると、想像してたよりもなんていうのか、それに相手は比企谷だよ、それも想定外だからかもしんないけど、

 

 …………悪くは、なかった。

 

 顔が熱くなって、心臓バクバクいって、女の子みたいな悲鳴あげちゃって、女なんだけど。

 あの日からあいつと目が合ったり近づいたりすると、驚悸して目を逸らして距離をとって、これってむしろ驚喜なんじゃないかって自分の気持ちを見つめ直しても、比企谷の態度が変わらないのもあって、考えることを辞めて、でも態度だけはこうして残っちゃって。

 今だってあいつはもう顔を伏せ寝た振りで次の授業に備えてる。そんなあいつを見てるとやきもきしてるのがバカみたいで、あたしも別のことで頭の中を埋めるようにした。

 修学旅行か。班決めあるんだよね。別にどこでもいいし、空いたとこに入ればいいか。

 ……も、もしかして、比企谷と同じ班、とか、なるかも……あいつも余りそうだし……ってまた比企谷のこと考えてんじゃん、あたし。

 結局、やきもきしている内に授業が始まった。

 

 

放課後

 

 SHRが終わるとすぐに帰り支度を整える。明日は大志達があたしの誕生日を祝ってくれるみたいだし、それに備えて買い物を済ませるつもりだった。大志は受験生だし、祝われるとはいえ料理を始め全ての準備を任せるわけにもいかないから。一人でやらせたらちょっと心配だし、あたしとしては全部してくれるより一緒に料理とかを手伝ってくれた方が嬉しい。

 

 教室を出て下駄箱に向かうと壁に寄りかかり、まるで待ち伏せしてるみたいな比企谷を発見した。視線がぶつかると、つい漏れ出るあたしの悲鳴。回れ右しそうになるが、下駄箱はすぐそこだし迂回なんてしたら校舎半周くらい余分に歩かされそうだ。代わりに歩速を上げ、何食わぬ顔ですり抜けようとしたけど無情にも当の本人に呼び掛けられる。

 

「……よう」

「ひゃっ‼」

 

 いたっ、数歩バックステップした勢いで窓枠にぶつけた。ガラスに当たらなくてよかったよ。

 

「…………なに」

 

 睨め付けながら訊くも顔が熱い。多分赤くなってるだろうと自覚しているし、見られてると思うと更に熱くなっていく。

 

「あ、その…………」

「…………」

 

 なんなのよ一体。用あるんじゃないの。

 沈黙が気まずく手持無沙汰でつい袖口をいじったりスカートの裾を握ったりする。

 

「……あれ、覚えてるか?」

 

 あれ? あれって⁉

 

「え⁉ お、覚えてる、けど……」

 

 そう問うてくる比企谷は神妙な面持ちで茶化すような雰囲気は微塵もない。

 愛してるぜ川崎! と告白したことについて言ってるのだと直感した。

 

「俺は言ったことの責任はちゃんと取る」

「え、え、あ、その、」

 

 せ、責任⁉ え、責任って、どういうこと? 愛する責任って、それって、あの、

 

「ちょうど今度の土曜日だし、その日にするから」

「えっ、土曜⁉ 明日⁉ そんな急に⁉」

 

 する⁉ するってナニ⁉ するってアレ⁉

 あ、あ、明日はちょっと予定が、で、でもでも、比企谷からこんな、こんなっ!

 

「いや、急でもないだろ。確かに伝えたのは遅いが前々から決まってたことだし」

「で、でも、そんな、いきなりなんて心の準備が……」

 

 ち、ちょっと待ってよ、あ、あたし、初めてなんだよ⁉

 

「あー、だよな。実は俺も初めてだし緊張してる」

「え、あんたも? いや、でもおかしくもないの、かな……」

 

 真っ先に思い浮かぶのは奉仕部の二人。でも、雪ノ下の性格からそういったことに進展するのは想像もできない。逆に由比ヶ浜ならあいつと関係持てば雰囲気が変わるのとか伝わってきそうなもんだし。

 

「そういや、学校で軽くならあるか。ちゃんとしたわけじゃないが」

「え⁉ 学校で⁉」

 

 うそうそ、さっきまでの話、何だったの⁉ え、学校で、軽く⁉ 軽くナニ⁉

 そもそも家とかホ、ホテルとか飛び越して学校ってのが有り得ないでしょ⁉

 

「驚き過ぎだろ。一応奉仕部の二人とは仲間なわけだしな」

 

 いやいや、その発言てもう部室でしてるよね、してるってことじゃん。

 

 で、でも、そんなことがあっても、愛してるって言った責任とるってことは……

 あ、あたしのこと、愛するって、つまり……

 

「わ、分かったよ、ちゃんとしてくれるなら……」

 

 やっぱり、その、出来ちゃったら、困るし……

 

「ちゃんとはしたことないから分からんが、善処はする」

 

 なに、何でもないことみたいに、とんでもないこと言ってんのよ⁉

 

「ちゃ、ちゃんとしてよ、じゃないと困るよ!」

「分からんのに約束はできんぞ」

 

 こいつは……こんな時にまで頑固だね……しょうがない、こっちが折れるしかないか。

 

「ぅう…………分かった、こっちでなんとかするよ……」

 

 確かああいうのってコンビニで売ってたはずだよね。コンビニは高い印象だし、ドラッグストアでいっか。

 

「んじゃ、お前んちでいいか?」

「だ、ダメに決まってんでしょ、バカ!」

「なんでだよ? 弟も妹もいるだろ」

「だからでしょ、あんたバカなの⁉」

 

 明日は両親こそいないけど、あたしの誕生日で大志達がお祝いしてくれるし、うちでなんてとんでもない!

 

「両親忙しそうだし、一緒には居られないのか?」

「あんたそれ本気でいってる?」

 

 普通、親がいたら絶対NGでしょ、あんたそんな強心臓の持ち主だっけ?

 

「じゃあ、どこがいいんだよ?」

「そ、そりゃ……そういうこと出来るとこ、とか……」

 

 初めてでやっぱり不安もあるし、理想はあたしのうちだけど弟妹がいて留守のタイミングなんてほぼないから現実的には無理だよね……

 

「外か。予約とかしないといけないのかね。あんま外出ねえから詳しくないんだがな」

「あ、あたしだって、は、初めてだし、詳しいわけないじゃん!」

 

 え、ああいうとこ(ラブホテル)って予約いるの? そんなの聞いたことないよ。いや、使ったことないし知らないから、そうだとしても否定できないんだけど。

 

「ふむ……んじゃ、うちこねえか?」

「あ、あんたんち⁉」

 

 ひ、比企谷の家⁉

 そ、それって、ある意味、うちより理想っていうか、女なら憧れるっていうか、……あたしも比企谷の部屋見てみたい……

 

「妹もいるからお前も緊張しないで済むだろ」

 

 夢見がちなピンク思考に支配された直後、出てきた言葉が『妹』だった。これにはさすがに引いたし、現実に引き戻される。

 

「ば、バカじゃないの! 妹と一緒にとか、あんたシスコンも大概にしなよ!」

 

 あんた妹に見てもらいながらあたしとする気⁉ なにそれ、そういうプレイ? 性癖なの? ってかあんたの妹中学生でしょ、あの子に女の身体のこととか教わってるわけ? 言ってて恥ずかしいんだけど⁉

 

「小町もダメ、お前の弟妹もダメじゃ、どうすりゃいいんだよ?」

 

 妹もなしだけど、その口ぶりだと大志と京華の前で同じことさせようと思ってたわけ?

 なにその地獄、軽くとかじゃなく本気で引くんだけど。

 

 ……こんな当たり前のこと言わせないでよ、ホント、ばか…… 

 

「あ、あんたと、ふ、二人きりに決まってんでしょ……」

「ぅえ⁉」

「そ、それは、ハードルが高いっつーか……」

「なんで妹と一緒の方がやりやすいみたいにいってんのさ」

「いや、だって、えぇ⁉」

 

 こいつの中で妹という存在はどうなってるのか知りたくなってきた。シスコンには違いないだろうが、好きのベクトルがおかしくない?

 

「と、とにかく、あんたんちに二人で! じゃないとさせてあげないから!」

 

 さ、させる、とか言っちゃった……。

 捲し立てた内容を反芻したら一気に顔が熱くなって弾かれるように駆け出した。

 

      × × ×

 

 帰りに買い物をしている最中の記憶が全くなかった。それでも袋には必要な材料が入っていたので、これはもう身体に刷り込まれた所作みたいだなと自らの主婦力に驚嘆する。

 

 ぁ……そういえば、アレ(ゴム)、用意しないといけないか……

 全く、女の子に買わせるなんて……妊娠検査薬よりこっちのが買いづらいんだよ、まるで肉食系みたいじゃないのさ。

 だけど、さすがに今は制服姿だしついでに買ってこれる代物じゃない。

 ……明日、でいっか……それより、そういう経験も知識もないし、ちょっと、というかだいぶ不安ではあるよね。

 そういうことが載ってる本とか、買っといた方がいいかな、書店に寄ってこ。

 

 最初は女医監修の『あなたのセックスはまちがっている。100選』みたいなガチのマニュアル本を手にしたんだけど、制服姿でこれを買えるのか、買った後どこに隠すのか、もし見つかったら一発アウト、そんなリスクがあたしを思い止まらせた。

 それにちょっとだけ立ち読みしてみたけど、これって女性の身体のことを分からない男性に、女性がどうされると気持ち良くなれるのか学ばせる指南書で、むしろ男側に見て欲しいやつだった。

 

 結局、何を買えばと悩んだ挙句、無難にJK向け女性誌を購入。投稿者の体験談なんかが載ってるし、もし大志に見つかってもセーフ。今のあたしにぴったりといっていい本。……この雑誌、偏差値だいぶ低そうだけど。

 

 はぁ……なんだろ、こんな気持ちで明日の誕生日パーティーを迎えるとかどんな嫌がらせよ……

 

コンコン

『姉ちゃん、お兄さんからメール来たんだけど、姉ちゃんに』

「⁉」

 

 あたしはすぐにドアを開けて大志の携帯をひったくる。

 

「ね、姉ちゃん?」

「ご、ごめん、ありがと!」

 

 大志の携帯画面を見ると比企谷からのメールが開いてあった。

 

FROM お兄さん

TITLE 明日の予定

お前の姉ちゃんのアドレス知らんから、明日何時くらいなら平気か訊いといてほしいんだが。

 

 そういえばアドレス交換してなかった。あたしのメアドとケー番を打ち込み返信する。程なくして携帯に着信があり、それを持って外に出る。

 

『……あ、川崎さんの携帯ですか?』

「あんた、本気でバカなんじゃないの⁉」

『あ? いきなりなんだよ』

「お、弟にメールで予定訊いてくる、なん、て」

 

 さっきの内容じゃ、ばれないけどまかり間違って匂わすような文面だったとしたら、想像しただけで恐ろしい。

 

『しょうがねえだろ。アドレス知らんし、連絡手段がなかったんだから』

「だ、だからって、お、弟経由で訊く⁉ こういうことを!」

『あー、まあ場合によっては、ってとこだろ』

「この場合はなしのやつでしょ、あんた油断し過ぎだよ‼」

『へいへい、悪うございましたよ』

 

 ムカつく、ホントに、なんでこんな奴と……

 

 明日、会うのが……楽しみなんだ、よ……

 

「はぁ……もういいよ。……で、明日の予定だっけ」

『ああ、出来れば昼にでも始めたいんだが……』

「‼ ひ、昼間っから⁉」

『そうだが?』

「あ、あ、あんた……」

 

 もう今日は何度ばかばか言ったのか。間違いなく出会ってからこいつを最もバカと呼んだ日だ。

 

「ばっかじゃないの‼」

『ぇぇ……』

「昼間っからなんてダメ! こっちも明日準備するものあるし16時くらいからがいい」

『え、あ、おう、分かった。じゃあ、16時にうちに来てくれ。住所とか行き方書いてメールで送るわ』

 

 ご近所中に聞こえてしまったんじゃ、と思えるくらいの声量で明日の約束を取り付けた。

 

      × × ×

 

土曜日午前

 

「お誕生日おめでとー!」

「さーちゃん、おめでとー!」

「みんな、ありがとう」

 

 両親こそ居ないけど、弟妹達に囲まれ温かな気持ちのこもった誕生日パーティー。でも頭の片隅には常にあいつの存在がちらつく。パーティー中ずっと気もそぞろだったのはそのせいで、大志達に申し訳なかった。

 

 片付けは大志がしてくれるっていうし、アレも買わないといけないのでそろそろ家を出ることにする。

 

「あ、姉ちゃん、いってらっしゃい。お兄さんに宜しくね」

 

 ぶっ! あああ、あんた、それどこで聞いて、ってそんなの比企谷からしかないよね、あんのシスコン!

 なんだろ、あいつって身内に情事を知られることに性的な興奮を覚える質なのかね。あとで恨み言の一つでもぶつけてやろうと心に誓う。

 これからアレ買ってこなきゃいけないし、ここはぐっと堪えて大志の言葉を聞かなかったことにする。

 

 

 ドラッグストアに着いた。ブツはあっさりと見つかったが、初めて見たそれは割と大きめの箱で驚く。目薬くらいかと思ってたのに。昨日、制服姿のまま買いに来なくて良かったよ……

 

 ずいぶん種類あるんだ……0.03? なんなのこの数字……あ、厚さか……

 ゴムって呼ぶくせにゴム製じゃないやつもあるんだ……あたしって猫アレルギーだけどゴムアレルギーもあったりするかな……

 なにこれ、0.02って同梱数多いのに0.01より安いじゃん、どう違うわけ?

 あ、そっか、雑誌には薄い方が、き、気持ちいいとか書いてたっけ、薄い方が高級なんだ……

 ね、熱伝導に優れてるって、じ、重要、なの……?

 

 最初は周囲を警戒してたけど、途中から気にする余裕なんてなくなった。箱に書いてある商品特性は知らないことばかりでつい夢中で読んでしまう。

 比企谷の精力が分からないので取り合えず安くて多い0.02のほうを購入しようとするも、薄いほうが違和感が少ないって雑誌に書いてあったのでやっぱり0.01の方にした。

 ご、五個も入ってるし、足りる、よね?

 

 

土曜日の夕方

比企谷家

 

 うちと国道を挟んだ向こう側にある比企谷の家は、学区が違うだけで気軽に来れる距離だった。

 立派な一軒家で絵に描いたような中流家庭のマイホームって感じ。うちの家は古くて兄弟も多いし、一言でいうなら昭和? って印象。いや、あたし平成生まれだけどさ、雰囲気でそう感じるだけ。

 ただでさえ初めての営みに緊張してるのに、実は他人の家に上がるのも初めてで、つまり今日は初めて尽くしなわけで、ってあたし何考えてんの。

 数回深呼吸してインターホンを押す。あたしだって分かるとすぐに扉を開けて、中へと促してくれたのだが、

 

「……ど、どうも」

「お、おう……んじゃ、ま、とりあえずあがってくれよ。リビングはこっちだ」

 

 え、リビングって、もしかしてリビングでするつもりなの⁉

 

「ちょ、なんでリビングなの⁉ あ、あたし、あんたの部屋が、いいんだけ、ど……」

「はぁ⁉ 俺の部屋⁉」

 

 そこになんで驚くのよ。もしかしたら、まずはリビングでお茶出して緊張解いてから、だったりしたら早まったこと言っちゃったかなとも思ったけど、この反応だとホントにリビングでする気だったみたい、なんなのこいつの性的嗜好。

 

「あー、別にいいんだけど、ちょっと片付けと準備に時間かかるかもしれんぞ?」

「じ、じゃあ、先にシャワー借りて、いいかな……?」

「ファ⁉」

 

 ちょっと、それどういう反応よ。普通、する前にシャワー浴びるでしょ。でも今まで見てきた性偏向から察するにこいつの普通がそうじゃない可能性も十分にある。

 

「じゃあ、リビングから移動させるが準備するとこ見られると興醒めだし、悪いがちょっとだけ外で待っててくれ」

「え、え? 移動……? ……うん、わか、った……」

 

 ……リビングでどんなことしようと思って準備してたのよ。正直、あたしもその努力の片鱗を見たくなかったから疑問をぶつけないで、大人しく外で待つ。

 

「おう、移動完了だ。ただこれからまた準備するから、ゆっくりシャワー浴びてきていいぞ。呼ぶまではリビングに居てくれ」

 

 準備準備ってホント、なにしようとしてるわけ?

 あたし、初めてって言ったよね?

 あれ、言ってないっけ、言ってないかも。

 どうしよう、もしかしたら経験豊富とか思われちゃってるのかな、だとしたら、いやだ、な…… 

 

 様々な思惑が頭を巡りながらのシャワーは、他所の家で裸になる羞恥すらも忘れさせてくれた。

 これからまた脱ぐからとバスタオル姿のままでいたが、リビングで比企谷を待っているうちに段々恥ずかしさがぶり返してきたのでカーディガンを一枚羽織ることにした。こっちが準備したアレの所在も確認しておく。

 

 や、やっぱりこういうのってバッグ手元に置いといて、すぐ取り出せるようにしといたほうがいいよね。どんなタイミングで渡せばいいの? そういうサインとかあるの? 装着()けるとことか見れるのかな、ってか行為中は暗いはずだよね、電気消さないとかあるの? あ、あり得ないよね⁉

 

『待たせた。準備できたから上がって来てくれ』

 

 廊下からドア越しに声がかかった。悲鳴こそ上げなかったものの身体がビクッてなっちゃうのは恥ずかしいやら情けないやらで。

 それよりも、もう上がってするの? あ、あんた、汗、流さないわけ……?

 

「え? あ、その……えっと……」

『? なんだよ?』

「あ、あんたは、その、シャワー……浴びなくて、いい、の?」

『』

 

 え、なんで固まってんの、あたし変なこと言った?

 

『い、いや、シャワーはまた後で浴びるから、いまは、その、な?』

「う、うん、あ、あんたが、そう、いうなら…………」

 

 うう……やっぱりそういう性癖なんだ……。

 自分の匂いを強く残したまま行為に及びたいって嗜好があるんだね……。

 確かに抵抗はあるけど、ちょっとだけ、それもいいかなって感じてる自分もいる。あたし匂いフェチってわけじゃないけど、そういうことする相手の匂いとかって、やっぱ、興味あるじゃん……。

 

 リビングを出ると廊下の明かりが絞ってあった。手摺りを頼りに比企谷の部屋にたどり着く。扉は開いていて、そっと中に入ると蝋燭の灯だけがぼんやり灯り、その炎の揺らめきで部屋の姿全体が明滅していた。

 

「……座ってくれ」

「う、うん……ベッドでいい?」

「? お前がそうしたいなら好きにすればいいが。蝋燭の明かりでベッド見えるよな? 転ぶなよ」

「あ、ありがと」

 

 ベッドに腰かけるとギシリと軋む音。それが恥ずかしくて身を縮み込ませる。もっとダイエットしとけば、そんな益体のない考えを打ち消してこれから起こることに集中する。

 

「ひ、比企谷も、ベッドに座ったら?」

「? そうか? わかった」

 

 比企谷が座った拍子にあたしの身体が傾いて肩が触れた。

 

 やぁ……、なに、これ、ゾワッてした……

 

 全然イヤじゃなくって、むしろ気持ち良いっていうか、……気持ち良いとかなにいってんのあたし、

 

「あっと、その、……苗字と名前、どっちで呼んだほうがいい?」

 

 ‼ ひ、比企谷が、名前で、呼んでくれ、る?

 

「あ…………うん、な、名前で、いい、よ……」

「……よし。じ、じゃあ、いくぞ?」

「う、うん」

 

 いよいよ、その、……され、ちゃうんだ……

 震える声で一言返事をするのが精一杯だった。

 

 

「……は、ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・トゥーユー♪ ハッピーバースデイ・ディア・沙ー希ー♪」

「ハッピーバースデイ・トゥーユー♪‼」

「…………」

「…………」

 

 えっ、なに、なんなの、あ、あたしの誕生日か、そうだった、って違う! いや、違くないんだけど! そういうことじゃなくて、ええっと、ああ、もう、わけわかんない‼

 

「ほ、ほれ、消してくれよ、蝋燭」

「え、え?」

 

 お、お祝いしてくれるのは嬉しいけど、こ、これからするんでしょ? え、するよね? するのが誕生日プレゼントって言いたいわけ? あ、火は消さないと危ないか、

 

フーッ

パァン‼

「誕生日、おめでとさん」

 

 ⁉

 え、えっ、なんで電気点けるの、恥ずかしいから消してよ、お祝いしてくれるの、嬉しいんだけど今だけは、その……

 

「⁉」

 

 あれ、これって……。

 部屋を明かるくされて、あたしの姿をまじまじと見つめる比企谷。

 その表情で、身体を支配していた熱量が急激に下がっていくのが分かる。空気が変わったのを肌で感じ取ると奥の方から羞恥心が湧き上がってきた。

 

「……え? きゃっ⁉」

 

 今の恰好を思い出して身体を抱き隠す。やってから気付いたけど、こんなことしたら胸とかより一層強調しちゃうし、バスタオルも余計緩んじゃう。

 

「で、出てって‼」

 

 女の本能なのか、反射的にバッグで叩いてしまう。その衝撃で中身が散乱するも、構わず叩き続けた。

 比企谷が部屋を出て、一人残されると冷静に現状を確認できた。

 

 壁に貼られたオーナメント、風船のついたHappy Birthdayのガーランド、そしてテーブルを彩る料理に、バースデイケーキ。

 昨日までの会話を(つぶさ)に思い出してみると、なるほどあたしの思考回路の方に問題があったと言わざるを得ない。

 

 『初めて』とか『ちゃんとしたことない』って『誕生日を祝う』って意味だったんだ……。リビングから『移動させる』ってこれのことね……。

 比企谷は全然悪くないのに部屋から叩き出しちゃった罪悪感とイヤラ思考で勘違いした羞恥心が綯い交ぜになって、居た堪れなくなった。

 服を着て散らばってしまった荷物を片付けていると、比企谷の勉強机に置いてあるラッピングされた袋を発見する。

 

 ぁ……これって……もしかして、プレゼン、ト……?

 視界が滲んでよく見えなくなった。あいつ、こんなものまで用意して……。

 さっきまでの羞恥はどこにいってしまったのか、いまは比企谷への感謝で呼吸すらうまく出来なくなっていた。

 

 

「…………もういいよ」

『……失礼します』

 

 ケーキを挟んであたしと対面に座った。今日は一応あたしが主賓だから入り口から遠いこっち(上座)側に座るのは正解なんだけど、プレゼントらしきラッピング袋が同じくこちら側にあるというのが大きく間違っていて。

 場違いなことを考えてると申し訳なさそうにぽしょぽしょと呟いてきた。

 

「……あの、悪かった、な。やっぱり俺が誕パとか気持ち悪かったか」

「え?」

「いや、だって、その、ほら……」

 

 自分の目を指さす比企谷。え、いつも通りに腐ってるけど、って、ああ、あたしの目のことか。まだちょっと腫れてるし、泣いたのばれちゃったね。

 

「……泣くほどイヤだったのかな、って」

「⁉ そ、そんなことない‼」

 

 自分で出した声に驚いてしまうほどの声量だった。比企谷も身体が少し浮くくらいびくっと反応してる。

 

「ち、違うの、これは、その、…………嬉しいから、なの……」

「ほ、本当か?」

「……うん、誕生日、お祝いしてくれるんでしょ?」

「あ、ああ」

 

 比企谷はなにやらスマホを取り出して操作する。メールでも来たのかと思ったが、部屋のコンポスピーカーからBGMが流れ出す。スマホのプレイリストをそっちから流しているんだろう。

 ゆったりとして落ち着いた雰囲気の曲。あたしはファッションはチェックしてるけど音楽とかの流行に疎いからそれがどんな曲なのかは分からなかった。でも、いい曲だな……。

 

「……いい曲だね、なんて曲?」

「……それ訊いちゃう?」

「なんでさ、普通訊くでしょ。訊いても分かんないかもしれないけど」

「……実はな、これはゲームの音楽なんだ」

「え、ゲーム?」

「本当はネットで調べてバースデイに相応しい曲とか色々出てきたんだよ」

「DJ 〇ZAMAのバースデイソングだとか〇KAM〇T〇’Sのハッピーバースデイやらアップテンポでアゲアゲとかいう由比ヶ浜が喜びそうなフレーズが溢れ出た、無難オブ無難みたいな候補がな」

「でも、川崎には合わない気がして白紙に戻して、俺が聴いた中で川崎に合いそうなゲームの曲を選んだ。どうだ? 引いたろ?」

 

 自信満々でそう自虐する顔を見て吹き出すを止められなかった。

 

「ぷっ、く、くく……」

「はは、笑え笑え、泣くより笑ってくれたほうがいいわ」

「…………やっぱり、嬉しい……」

 

 体裁を取り繕うんじゃなく、自分の気持ちで、あたしの為に、選んでくれたのが嬉しかった。

 

「そうだ、プレゼントあるんだよ、ってそっち側かよ。最後まで締まらねえな」

 

 そう言ってあたしの背中側にあるラッピング袋をとって渡してくれた。

 

「ありがとう……開けていい?」

「大したもんじゃないから期待はするなよ。その方が精神的ダメージが少なくて済む」

 

 包みを開けると、出てきたのはパステルピンクのエプロンだった。

 あたしが持ってるのとちょっと違う。

 

「着けてみていい?」

「ああ」

 

 肩紐と腰紐の色がベースカラーと変えてあってそれがアクセントになってる。

 腰紐を腹側で結ぶのが特徴的でオシャレ感を出しているのに動きやすく、ファッション性と機能性を兼ね備えていた。

 何より色が好みだった。

 

「……ありがとう。この色、好き……」

「そうか、シュシュと同じ色にしたんだ。お前の髪色にも合うかなって思って」

「‼」

 

 ば、ばか、ばか!

 そんなん言われたら、あんたの顔見られないじゃないの!

 

 その後、比企谷は最近読んで面白かった本やゲームの話をしたり、あたしは編みぐるみの話をした。共通の話題じゃないから会話はかみ合わなかったけどこうして喋るだけで満たされていく感じがした。

 来週に迫った修学旅行の話になると、比企谷の『社会生活の模倣』という自論に呆れながら、あたし達にしては笑いの多い時間だった。

 この時、初めて家族以外の人間に誕生日を祝われ、浮かれていたあたしは気付けなかった。

 バッグにしまったコンドームの数が足りなかったことに。

 

 

 




八幡視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/6.html


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はーちゃんパパ、さーちゃんママ……!
はーちゃんはパパになる


「…………なにしてくれてんだよ……」
「…………ごめん……」

京華ははーちゃんと結婚する!
初めて会って八幡を気に入った京華がそうゴネる。沙希が懸命に説得するも聞き入れられず、苦肉の策で『はーちゃんはもう結婚してるからダメ』と嘘で納得させようとした。相手が誰か問われるが他人を巻き込むわけにもいかず、自分がお嫁さんだと嘘に嘘を塗り固め……

時系列:京華と会った後、クリスマス合同イベント中。


「ただいま」

「ぉ、ぉ、おか、えり……」

 

 川崎家の玄関で『ただいま』と嘯く俺と『おかえり』とぽしょる川崎。

 古今東西において、歳近き血の繋がらぬ男女がこの挨拶を交わすのは男女の契約を結びし証拠。つまり婚姻関係であり、古くは明治31年に……

 

「ひっ、ひき、がぁ、ぁ、あなた!」

 

 現実へ引き戻すのに過分すぎる一言が川崎の口から紡がれた。過分すぎるって意味重複してるよね。漢字にすると『過分過ぎる』。うん、おかしいな、頭痛が痛いみたいになってるな。そこに疑問を持つとはさすが俺、国語学年3位だけのことはある。

 

「お、お風呂にする? ご飯にする? それとも、あ、あ、ぁぁあ、あた、ぁたぁ、あたたぁっ……!」

 

 いつから一子相伝の末弟になったんですか。怒りで服とか破れちゃうの? 実は胸に七つの傷があるとか? だとしたら是非見たい。いかんいかん、目がエロキモいな。略してエモい。いやそれ意味違っちゃってるから。

 エプロン姿の川崎は顔を露店のりんご飴のように赤くして、お約束の新妻文句なのか悪党を屠る正義の奇声か判別のつかないお出迎えの言葉を呟く。もしこれが完成系なら、お風呂か、ご飯、もしくは秘孔、ということになる。仕事から帰ってきて33%の確率でひでぶするとか世紀末過ぎて離婚待ったなし。

 でも離婚できない理由がある訳で、その元凶が俺の足元にトテトテと近づく。

 

「パパとママ、お帰りのちゅーがまだだよ」

 

 とびっきりの笑顔で爆弾を投下してきた川崎家のエンジェル(京華)、いや小悪魔だな。

 

「け、けけ、けーちゃん! い、いい加減にしないと……」

 

 さすがに度が過ぎたのか川崎が叱りつけようとしたが、その瞳が潤み出すと態度が180度変わった。

 

「さ、さぁ、おかえりの、ち、ちゅーね!」

 

 おい、待て川崎、それはまずぃ……って何この手は? 俺の頬を両の手で押さえて顔を寄せてくるが、右手の親指だけやけに唇に近くね? 秘孔突かれちゃうの? ならせめて有情拳にしてほしい。トキのような慈悲深さで頼む。

 

「んむっ⁉」

「……ん……ふぅ……んちゅ………………っはぁ」

 

 ……お分かり頂けただろうか。

 川崎は右手の親指を俺の唇に当て、その上から自分の唇を押し付ける。

 つまり?

 偽装ちゅーである。

 

 …………

 …………

 

 いや、アウトだろ。これって俺が川崎の指舐めしてるってことだからな?

 なんでこれをセーフだと思ったのか。ある意味、有情拳チックだったのは賞賛したい。気持ち良……いや、キモイわ、俺の存在が。

 

「じ、じゃあご飯にしよっか!」

 

 俺に決定権ねえじゃねえか。あ、いつものことでしたね。

 そして流れに身を任せていると川崎が台所へと移動し本当に料理を始めてしまう。あれ、これママゴトじゃなかったの?

 

「けーちゃん、美味しい? ほら野菜も食べなきゃ」

「ひきっ、ぱ、パパもトマトよけない、けーちゃんに示しがつかないでしょ」

 

 遠くを見ながらおかずを口に運ぶが緊張で味がしない。

 どうしてこうなった?

 

………………

…………

……

 

数時間前・放課後

 

「……ねぇ」

「あん?」

 

 予備校のない日なのに話しかけてくる青みがかった黒髪の少女。川……なんとか沙希さん、略して川崎。同じクラスだが、話すのはこの前、保育園で偶然出会った時以来だった。

 

「なんか用か?」

「……あ、あの、保育園で会ったあたしの妹のこと覚えてる?」

「ん、そりゃな。そこまで記憶力悪くねえし」

 

 小さい頃の小町を彷彿とさせ、素直でお淑やかな子に育ってほしいと願ったものだ。お姉ちゃんが怖いから。

 

「そのけー、……京華なんだけど、またあんたに会いたいってダダ捏ねちゃって」

「へ、なんで?」

「し、知らないよ、この前、あんたに何かされて気になっちゃったんじゃないの」

 

 人聞きの悪いことを言う。俺がなにをしたというんだ。ただ右と左を教えただけだぞ。

 

「そ、それで、今日暇があるなら一緒に迎えに行ってあげて欲しいんだけど」

「暇……暇かぁ……んー」

 

 普段なら暇なのにアレがアレでと面倒がって断るのだが、今は本当に忙しい。一色のサポートでクリスマス合同イベントの会議に出席しているのだが、相手校の生徒会が特殊過ぎて何も決まってないせいだ。

 

「……無理なの?」

 

 とはいえ、体育祭の衣装係や生徒会選挙の相談に乗ってもらったりと世話になってるので無碍にはしたくない。こいつも一人で何でもこなすタイプなので、こうして頼み事をされるのは稀だ。むしろ、お礼代わりに率先して引き受けたい気持ちもある。

 

(まあ、会議もないし今日くらい、いいか)

 

「分かった。んじゃ、行くか」

「ほ、ホント⁉ た、助かるよ!」

 

 保育園に着くと、けーちゃんは嬉しそうに抱き付いてきた。

 

「わーい、はーちゃんパパだ」

「おう、はーちゃんだぞ」

 

 『パパ』という言葉に疑問を感じるも幼女の言うことだから。そう結論付けて聞き流す。しかし、このとき追及すべきだったと後悔することになる。

 川崎家に到着し、俺が帰ろうとするとそれは起こった。

 

「夫婦だったら、お帰りなさいのちゅーするんだよ!」

「は?」

「け、けーちゃん!」

 

 川崎によると、こうなる兆候はあったらしい。

 保育園で初めて会って(いた)く俺のことが気に入ったけーちゃんは、恋人になると宣言していたそうだ。うん、最近の幼女はませてるな。

 川崎は必死で説得したが聞き入れてもらえず、ついには『は、はーちゃんはもう結婚してるから恋人にはなれないの!』という嘘でやり過ごす愚策に出たらしい。

 え、それダメなやつじゃん、って聞いた瞬間思ったわ。だって、そうなれば次にくるのは『お嫁さんはだーれ?』だからな。子供お得意の『なんでなんでループ』の始まりだ。疑問が湧いたらすぐ次の質問、また次の質問と永続的に繰り返される尋問劇。

 けーちゃんを諦めさせる為の偽装結婚話だったが、その相手が誰かと問われ川崎は大層困ったそうだ。最初はけーちゃんが知らない人間、たとえば俺の交友関係から雪ノ下や由比ヶ浜が相手と言おうと考えたらしいが、迷惑になるかもと止めたようだ。

 確かに本人のうかがい知れぬところで勝手に婚姻関係結ばれてたらたまらんわな。特に俺とだし。まあ、子供に言う嘘だけど。それでも真面目な川崎は気にしたらしく、俺の嘘嫁は誰にも迷惑のかからない自分を使うことにした。

 つまりけーちゃんの中では俺と川崎は夫婦らしい。

 

「…………なにしてくれてんだよ……」

「…………ごめん……」

 

 事情を聞いた俺達は、また玄関から入り直し『ただいま』『お帰り』の茶番劇を始めたというわけ。

 

 今現在、俺達は三人で風呂(・・)に入っている。

 いや、待て、待ってくれ。事情があるんだ、聞いてくれ。

 

『夫婦は一緒にお風呂はいるんだよ』

 

 この(けーちゃん)の一声で実現してしまったものの、さすがに全裸ではない。けーちゃんは全裸だが、俺はタオル一枚、川崎は黒ビキニだ。

 ……うん、スレスレだな。正直審判の匙加減でどうとでもなってしまう際どさ。

 

 ジャッジ三銃士の判定をどうぞ!

 

ジャッジ・一色いろは

「年下好きとは思ってましたがそこまでいくとロリコンですね、ごめんなさい」

 

ジャッジ・由比ヶ浜

「ヒッキー、キモい!」

 

ジャッジ・雪ノ下

「通報ね、面会には足を運んであげるから感謝なさい」

 

 もちろん! 『YU・U・ZA・I(ギルティ)・♪』でした。

 

 待て、違うんだ、これはけーちゃんと川崎からオーソライズ(公認)されているMA・MA・GO・TOの一環であり俺はそれのファシリテーション(支援)ロイヤリティ(忠実)にこなしてるだけなのだ。だってそうだろう、俺のようにリスクマネジメント(危機管理)できている人間が卑猥なマインド()でけーちゃんを見てどんなベネフィット(利益)があるというのか。剰え欲望をリーク(漏らす)しようものならハレーション(周囲への悪影響)は計り知れない。むしろ、川崎の水着姿に対してそれを向ける方がまだリスクヘッジ(危機回避)出来てるといえよう。その場合、川崎のレスポンス(反応)は怖いが。

 

 会議で玉縄に提言し、保育園と小学校を巻き込んでけーちゃんと出会う切っ掛けを作ったビジネス用語がここに来て漏れ出てしまった。って使い方が微妙に間違ってるのは動揺してる証なわけで。

 

 だってしょうがないんだって。けーちゃんが裸なのは許容できるとして、むしろそこに異を唱える方が見方によっては事案成立だし、俺は学校の帰りに寄ったから水着なんて持ってない。つまり、不可抗力なんだ。信じてくれ。それでも俺はやってない。

 

 俺はロリコンじゃないし川崎のこともあって、不自然なほどにそっぽを向いて身体を洗っていたのだが、やけに視線が絡みつくのを感じた。

 え、見えてないよね?

 

 

 風呂から上がると、けーちゃんもお眠の時間で川崎に絵本を読み聞かせを強請っていた。長い時間一緒にいたせいか川崎も俺に対する警戒心がかなり緩んでいて、こうしたプライベートな姿を見せることに抵抗を示さなくなりつつある。現にいま布団でけーちゃんを寝かせつつ、俺と川崎が添い寝して挟んでる状態だからだ。

 

「……はーちゃん、さーちゃん、一緒に……寝よう……」

「け、けーちゃっ⁉」

 

 うとうとと船を漕ぎながら必死に俺達の服を掴むけーちゃんにお兄ちゃん属性を刺激され頭を撫でる。おい、川崎、顔赤くして照れんなよ、可愛いから。

 けーちゃんの提案はまたも俺達を困らせる。明日も学校があるしさすがにな。川崎も同様なのか困り顔で俺とけーちゃんを交互に見る。

 

「けーちゃん、ひきg……はーちゃんは明日も学校があるからおうちに帰らなきゃいけないの」

「……なんでぇ……はーちゃんはパパなんだから一緒に寝るんだよぉ……」

 

 けーちゃんにパパとか言われると物凄くいけない気分になるな……おっとそんな場合じゃねえか。

 

「……けーちゃん、今日はずっとどうしたの。いつもはもっと聞き分けがいいのに……」

「…………な……から……」

 

 聞き取れないほど弱々しい囁きに俺達は耳を欹てた。

 

「……ぅ……パパもママも……いつも、いない、からぁ……パパもママもけーかのこと、嫌い……だか、らぁ……」

 

 嗚咽交じりで絞り出したその声と憂いを帯びた顔が心に刺さる。

 

「け、けーちゃん、そんなことないから! パパもママもけーちゃんのこと、大好き、だよ……」

 

 川崎は懸命にけーちゃんを抱き締めて言い聞かせる。

 

 そうか。これはけーちゃんの代償行動の一種だったのだ。

 川崎家の状況は俺にも多少の推察ができる。もともと両親が共働きで家事は川崎が行ってるような状態だ。家には普段、父親はおろか母親すら居ないのだろう。実際、けーちゃんを寝かし付ける時間だというのに未だ両親は帰って来ていない。受験生の大志はなかなか妹を構ってやれないし、なんなら川崎から勉強の邪魔にならないよう気を回されてる可能性もある。

 川崎も頑張っているとは思うが家事全般に予備校通いとスカラシップの維持。少ないが今もバイトをしてるらしいし、どうしても妹に目が届かないことはあるだろう。

 こうして寂しさを募らせたけーちゃんが高い代償価を必要とした結果、俺達に疑似父母であることを求めるに至った。

 涙をこぼして訴えるけーちゃんを申し訳なさ気に抱き締める歳の離れた姉。彼女は妹のために出来ることをしてきたし、いまも尽くしている。

 うちも両親が共働きで俺が小町の面倒を見てきたが、寂しさで家出させてしまった過去がある。その時と同じような遣る瀬無さを今の川崎も感じていることだろう。それを取り除いてやりたいと願った俺の口は自然に動いていた。

 

「大丈夫だぞぉけーちゃん、はーちゃんパパはこのまま一緒に寝るからけーちゃんも安心して寝るといい」

 

 けーちゃんの向こう側にあった姉の顔に驚きの色が浮かぶ。

 同級生の女子宅で一夜を明かすことに抵抗を感じないわけではないが、それが瑣事であることは今の二人を見れば明らかだ。風呂も入れてもらったし自転車もある。教科書は家で勉強する時だけ持って帰ってるので基本机に入れっぱなし。今夜、寝る場所が違う、ただそれだけのこと。

 俺の一言に安心したのか川崎が頭を撫でた賜物か、けーちゃんは規則正しい寝息を立てていた。

 

 パパ、なんぞ恥ずかしい言葉を漏らしてまともに顔も見れずにいたが、彼女の方からぽしょりぽしょりと呟き始める。

 

「……今日は……ありがと。京華が寂しい思いしてるのに気付いてあげられなくて、恥ずかしいとこ見せちゃったね」

 

 個人的にはもっと恥ずかしいの(指舐め偽装キス)とかこっちだけ恥ずかしいの(俺だけ裸で混浴)とかあったけどそこはグッと飲み込んどく。

 

「けーちゃんは今日みたいなことを両親としたいんだろうな。忙しいのは分かるが今度、親に頼んでみたらどうだ?」

「ん……ありがと。でも、しばらくは平気だと思う」

「なんでだよ」

「今日、あんたがしてくれたんじゃん。今だってこうして添い寝してくれてるし、京華も満足したんじゃないかってね」

 

 そう言ってふっと微笑む川崎の顔がなんだか眩しくて目を逸らしてしまう。

 だが、あれだけでけーちゃんが満足したとも思えんし、こういったことは継続性が大切なのだ。小町の時も家出以降ずっと俺が早く帰っていたから二度と起こらなかった。……と、思いたい。

 しかし、今日みたいなことを今後続けるのは現実的でないし別の提案をする。

 

「……クリスマス」

「え」

「今度のクリスマスで海浜と合同イベントやるんだが、けーちゃんの保育園にも参加要請してるんだわ」

「ああ、京華と初めて会ったときにあんなとこ来てたのは、そゆこと」

「まだ詳細は決まってないが皆で劇をやったりする予定なんだよ。だから、忙しいとは思うが、その……お前にも、衣装とかの裏方で参加してもらえないかなって……」

 

 ほんの少し間を置いて、その言葉が欲しかったと言わんばかりの答えが返ってくる。

 

「‼ ……うん! 当たり前じゃない、きっと京華も喜ぶと思うし」

 

 どうしたって普段から両親が一緒にいてあげることは出来ないんだし、ああいう日常にないイベントで満足度を高めれば今日みたいな我が儘は減るだろう。

 この様子だとけーちゃんより川崎のが喜んでると言えなくもないけどな。

 

「本当に、今日はどうもありがとう……」

 

 学校にいる時には想像もつかないような柔らかい表情と丁寧な謝辞。ここが彼女の家でありテリトリーだからなのか、本来の川崎沙希を見せられている気がした。そして俺はその姿にどきりとする。

 なんだかそれが悔しくて、ダメだと分かっていてもいつものような憎まれ口を添えてしまう。

 

「こちらこそありがとうだわ。水着とはいえ混浴なんて初体験だったからな」

 

 空間に亀裂が入ったんじゃなかろうか、そう錯覚するほど空気がピリついた。

 

「ばっ‼」

 

 叫ぶ直前、けーちゃんのことを思い出し自分で口をふさいだ。怒鳴れない代わりにさぞ俺を睨み付けているだろう。怖いので天井を向いたまま視線は合わせない。

 

 しばらくして冷静になった川崎がひそひそと話しかけてきた。

 

「……それじゃ、おやすみ……明日もお仕事(クリスマスイベント)がんばってね、パパ」

「⁉」

 

 川崎の方を振り向くと、既に寝息を立てていた。いや絶対寝た振りだろ、バレバレだぞ。

 

 さっきの軽口で得たアドバンテージ(優位性)もその一言でイニシアチブ(主導権)を取り返される。

 ……なんて、明日の会議に向けて一人頭の中で準備運動するのだった。

 

 

 

了?



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「浮気は、めっ! なの‼」

「はーちゃんにはさーちゃんがいるから浮気は、めっ! なの‼」
「え、え、」
「……なにしてくれてんだよ……」
「…………ごめん」

忙しいクリスマス合同イベントの合間をぬってカップル限定タピオカパフェを食べに行く八幡達。
先日、川崎家でけーちゃんを納得させるために沙希と偽装恋人をしたばかりの川崎姉妹と遭遇してしまうというお話。

時系列:京華と会った後のクリスマス合同イベント中。

はーちゃんはパパになる→https://syosetu.org/novel/194482/8.html の続き。


 眼前に聳え立つは瑞々しき果肉(フルーツ)の宮。グラスの縁に刺さるマリーゴールドカラーの果肉(オレンジ)。幾重にも刻み並べられた萌黄色の果肉(キウイ)(うずたか)く積み上げられた紅緋色の果肉(イチゴ)

 そんなフルーツ三銃士が囲い骨子としての役割を果たすアイスクリーム。雪のように真っ白なホイップクリームに灌ぎ浴びせられたマンゴーソースが作り出す中黄色ラインの自然美。その下にはフレーク・パイン・バナナのグラデ層を挟んで底部にたっぷりのチョコレートソース。

 なんなのよ、このカロリーモンスターは。こんな規格外のモンスターを一人で討伐しなければいけないなんて……許すまじ我が友、かおり‼ と一緒に討伐するはずだった同調モンスターに毒づく。

 どうしてこうなった……

 

 

 休日の今日、花の女子高生がよく似合うオシャレなカフェ(笑)で一人テーブル席に座っているとスマホから『シュポッ』という緑でお馴染みSNSアプリ独特の通知音が鳴り、

 

kaori's mobile

『ごっめーん千佳、クリパイベントがカキョーに入ってるから今日行けなくなっちゃった』

『ホント、マジごめーん♪』

 

 マジか、こいつ……『佳境』くらい漢字使えや。わたしの名前にその漢字入ってんでしょ。……んん! 違った。怒るとこそこじゃないない。

 おい、かおりさんや、わたしはこの日の為に今週始めからずうぅぅぅっとカロリー調整し続けて、今日というタイトルマッチに挑んだんだよ。それなのにドタキャンとか、あんたに人の心はないのか! 軽量オーバーでもしたの? 罰則として店出禁にするよ?(そんな権限はない) 

 

 ……なーんて、確かに手伝いとはいえクリパイベント忙しそうだったし、しょうがないか。わたしは今の気持ちにぴったりな落ち込むJKのキャラスタンプを押した。

 はぁ~あ、この前の葉山くんとのデートといい最近のわたしって不運続きだよ……

 

 念願の葉山くんとのデート、一応ダブルデートとでもいうのかな。それは、かおりがおな中の男の子と偶然出会って、そいつの隣にいた知り合いの美人さんが葉山くんを紹介してくれて実現した。

 

 最初は楽しかったし、浮かれててそいつに何言ったのかすら覚えてなかったけど、ううん、特に会話らしい会話なんてなかった。葉山くんにしか興味がないわたしはそいつのことをかおりに任せっきりにしていたし、そいつも自分から話しかけてくるタイプじゃなかった。今にして思えば、ただひたすら邪魔にならないように空気に徹していた感すらある。

 

 かおりはその陰キャをいじられキャラとして扱っていたのでわたしもその馬尻に乗って同じように接した。だって、わたしにはそいつがどういう人間なのかも分からないし付き合い長い人に倣うのは当然でしょ。でも、葉山くんはそれがお気に召さなかったようで、

 

『比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない』

『君たちよりずっと素敵な子たちと親しくしてる。表面だけ見て、勝手なこと言うのはやめてくれないかな』

 

 それまで向けられていたキラキラとした爽やかな笑顔なんてどこかに消え失せ、声には敵意さえ込められていた。恫喝するような強く鋭い視線にわたしの膝が震えていくのが分かる。

 わたし達は逃げるようにその場を後にして、かおりと二人で重苦しい雰囲気になったものだ。

 

 日が経つにつれ、わたしは徐々に、かおりはもっと早く立ち直っていった。

 クリスマスが近づくとわたしのメンタルは再び下降していったけど、かおりは更に上昇していくんだよねえ。クリスマス迫っててあんたも彼氏いないのに、なんでよ? よくよく訊いてみると、どうもその原因はあの時の陰キャみたいで……。

 まあ、何にしてもわたしはあいつに興味がないわけで、落ちたメンタルの回復を図るべく、パフェが売りのこの店に来たわけですよ。

 

 ここは色んなパフェを提供してて、豪勢なのにリーズナブル! お得感がすごくてインスタ映えもする流行に敏感なわたしたちには外せない。ただ、栄養面もダイナミックで特に『チャレンジパフェ』と呼ばれる特大サイズは摂取カロリー9000以上というお化けメニュー。何それ、標準的な女子ならそれだけで一週間近く食い繋げるレベルなんですけど。

 もちろん、そんな食物と呼んでいいのかも怪しいネタ枠メニューを頼んだりはしない。いま目の前にあるのはお一人様用フルーツパフェ。ただしそれでもデカい。

 

 美味しくて見栄えが良くて安いと牛丼みたい(早い・安い・美味い)な評判のこの店だが、唯一(女子にとって)の難点は『量が多い』んだよね。うん、女子を殺しにきてる。

 だからこそ、かおりと約束してシェアして一緒に食べようとしてたんだけど、さっき届いた通知が計画を御破算にして、タイトルマッチをデスマッチに変貌させたんだけど。

 

 え、だったら頼むなって? ごもっとも。これはわたしの単なる自爆。葉山くんにフラれた鬱憤を食べることで晴らそうとしているんだ。

 

 店内は暖房が効いているけどクリスマス間近の真冬にパフェってどうなんだろうね。アイスクリームを口に運びながら、文明の利器バンザイと讃えたくなる贅沢空間を謳歌する。

 今週食後のデザートとかお菓子減らしたからカロリー相殺されてるはず。最近はパッケージにもメニューにもカロリー表示されてる便利な世の中ですわい。

 

 ぼんやりと店内を見ながら滔々(とうとう)と食べ進んでいると、また新たなお客が来店するもあろうことかその人物に見覚えがあったのよね。

 

「いらっしゃいませ、何名様でしょうか」

「ひとr……二名です」

 

 わたしをどん底に突き落とした腐り目のそいつは、あろうことか女連れだった。

 

 

(なんなのよ、あいつ……わたしですら彼氏いないってのに、お前ごときが!)

 

 向こうからすればとばっちり以外の何物でもないけど、やっかむ気持ちも理解してほしい。だって連れてる女子が、なんていうか、すっごくすっっっごぉぉく、可愛いんだもの。あとそれ以上に不快なのは、この前、葉山くんと出掛けたとき最後に会った二人の美少女のどちらか……でもないんだよ、これが。

 

 なんだお前、マジなんなんだよ? 葉山くんにあんな素敵な子たちと親しくしてるーなんて言わせといて、もっと親しくしてるオンナいんのかよ、この前の黒髪ロングとお団子巨乳は袖かよ、ちっ。なんだお前? お前ごときが‼

 せっかくこのパフェ食らうために空けといた摂取カロリーだけど、そこにたっぷり糖質詰め込んでも発散し足りなそうだわ。どうかこの溜飲を下げてよ神様!

 

 一度意識してしまうと、もう目が離せない。ただでさえ、一人で『お一人様パフェ完食デスマッチ』開催中なせいで喋る相手もいない。ってか、むしろかおりがここにいたら、そりゃもう親の仇ってくらいネタにして弄り倒してるよね。結局、あいつから目離せないんじゃん、わたし。取り合えずかおりに報告でしょ。

 

chika's mobile

『ねー、葉山くんと一緒に遊びいったあんたとおな中のあいつ、いま可愛い子とこの店来てんだけど』

『しかも、連れてるのがあの時の二人と違う子なんだよね、あれってそんなモテるの?』

 

(送信っと。……うっわ、あいつら、カップル限定パフェ頼んでやがるぅ!)

 

 遠目からでもすぐに分かるそれは、カップル限定タピオカパフェ。メニューに載ってるってのもあるけど普通のパフェには見られないストロベリーソフトクリームのローズピンク配色が目立つこと目立つこと。しかも、これ見よがしにハートを形作ってて正常な人間ならまず注文できない代物だ。するやつは頭ん中までローズピンクだね。ほら、あいつも運ばれてきたパフェみて引いてるもん。カップルはみんな正常じゃないかと思ったけどあいつは冷静なんだ。女性関係が穏やかじゃないけど。

 

 彼女さん目を輝かせちゃってるよ。んー、幸せそう、実はタピオカって単位グラム当たりでアイスよりカロリー高いんだよね。茹でてない状態のグラム当たりだけど。でもカロリーキングのチョコレートソースが底の方にたくさん入ってるしモンスターには違いない。

 カロリー過多で肥え太って爆発しろっ♪

 そして(かおりに)通報♪ きゃぴっ☆

 

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「あぁ、二名で、す……⁉」

「ふたりー!」

 

 来店したポニーテールの女性が手に持つ買い物袋からはネギが突き出ていて所帯じみてる。もう片方の手は元気な女児の手を引いていた。その二人が見ている先が偶々わたしと同じ人物を捕らえていた。

 

「あー、はーちゃんパパだぁ!」

「け、けーちゃん!」

「ぱ、ぱぱ⁉」

 

「⁉」

 

 え、なにそれ。パパ? パパってあれ? パパ活のパパ? いやいや、彼がお金持ってるとは思えないし、ってかもうこれ普通に通報案件だよね。してやるか、世間的に合法だし、個人的にも溜飲下げれるし!

 などと冗談半分でスマホを手にしたまま静観していると新たな、そして衝撃の展開。

 

「うー……はーちゃんパパ、浮気ー?」

「ちょ、ちょっと、けーちゃん、」

「はーちゃんにはさーちゃんがいるから浮気は、めっ! なの‼」

「え、え、ど、どういうこと、なの? お、八幡せんぱい?」

 

 修羅場キター‼

 二股確定! おまけに実は四股の可能性にもアタックチャーンス(児玉清のモノマネをする華丸風)

 あいつにはオマケのヤリチンって二つ名をくれてやろうか!

 (かおりに)通報通報っと。っていうか……

 

(え、ってか、あの子って彼のなんなの? もしかして、む、娘⁈)

 

 ん、んー、ギリッギリなくもないかも……14歳の母とかってドラマもあったくらいだし、あいつが中学生の頃にうっかり八幡しちゃったらありっちゃありな歳だよね。かおりー、こんな面白い時になんでいないのよー⁉

 

「あの、失礼ですがお客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」

「ああ! す、すいません! こ、こら、けーちゃん、ひき、はーちゃんのことはいいから、あっちでケーキ食べよ、ね?」

「だめー、はーちゃんパパ、さーちゃんと一緒にお風呂入ったのに、浮気しちゃダメなのー」

 

――――シーン

 

 これには子供の発言だからと聞き流せなかった。むしろ子供の方が事実を喋ってしまうこともある。

 はい、(かおりに)通報っと。

 

「……あの、お客様……」

「…………お、八幡せんぱい……」

 

 うわっ、すっごくすぅっっごぉく飯ウマ‼(最低)

 やだもー、パフェのおかわり頼んじゃおうかしら♪ きゃぴっ☆

 最初に連れてた彼女の戸惑い様ったらないわ。いやー、名前も知らない彼女さんごめんねー。わたしはあなたに寄り添うことが出来ないけど別れる前にせめてそのカップル限定パフェを存分に味わっちゃいなYO♪ わたしもこのパフェを、なんならおかわりしちゃうからSA♪

 

 店内が静まり返った後、喧騒が戻った。戻ったというか喧騒の質が確実に変わったんだけど。

 いま漂うのはぞわりぞわりと虫の足音みたいに這い寄る囁き声。そのどれもが一様にして核心である『あいつ(比企谷くん)女連れてるくせに、他の女と一緒に風呂入る関係とか最低じゃね?』に由来するものだ。

 

「はーちゃんパパ、今日もおうち来て。一緒に寝よ? さーちゃんも」

「…………」

「…………」

「……あの、お客、様……」

 

 あー、もう幼女が洗いざらい吐いてさすがにわたしも同情しちゃうよ、この空気♪(笑)

 風呂も大概だけど、同衾もなかなかよね、そこんとこkwsk!

 ほら、彼女さん(悲)なんて目を丸くしちゃってんじゃん。たった今、カップル限定パフェとか頼んだ直後にNTRとか、あいつって特異点なわけ? つーか、その程度の変化しか起きないとかショボい特異点だなぁ(笑)

 はいっ、(かおりに)通報ぽちっ♪ 

 

 いいスパイス(修羅場)のお陰でパフェが美味い。なんて思ってると比企谷くんは呆れたように呟いて子連れのポニテが応じた。

 

「……なにしてくれてんだよ……」

「…………ごめん」

 

 えー……なんでそこで女側が謝っちゃうわけ⁉ イミフなんだけど⁉

 そこは『あんた、あたしとこの子というものがいながら浮気とかいい度胸してんじゃん、顔はやめてやるからボディだしな』とか言っちゃって刺されちゃうとこじゃないわけ⁉ いやーん、すぷらった☆

 てっきり腹パンかと思いきや刀傷沙汰を想像するあたり、どんだけ彼のこと嫌いなの、わ・た・しっ♪

 

 ん? んん⁉

 ど、どうしちゃったの、ポニテの子が申し訳なさそうに身を縮ませてる横で、比企谷くんと二号(?)さんがウエイターに頭下げてる……。

 え? なんで? なんか全く状況理解できないんですけど?

 ここは比企谷くんがポニテと二号に謝るとこじゃないの? そんで二号にビンタされてポニテに腹刺されるまでが浮気のテンプレ、きゃはっ☆

 発想がサイコパスチックでわたしの精神状態やばくなーい? かおりがいたらアグリー♪ って同調しそうだけどそこは濁せよ、どんだけ勢いだけで生きてんだよ⁉

 って、どう話がついたんだって我が目を疑う。またしても特異点が発動したんじゃないかという信じられない現象が繰り広げられた。

 

①比企谷くんと二号がウエイターに謝罪

②比企谷くん達のテーブルにポニテと幼女も同席

③四人でカップル限定パフェを仲良くつつく ← いまここ

 

 はぁっ⁉

 かおりー、あんたのおな中、謎人物すぎない?

 どうやったら修羅場が団欒になんのよ、こんな『ザ・ゾーン』みたいな、葉山くんしかできないようなことできちゃう比企谷くんてどういう奴なのよ、むしろかおりは告られてなんで断れたわけ? いつものアグリーどうしちゃったの⁉

 

 だめだ……理解が追い付かない……

 わたしは溶けてスープ状になったパフェをスプーンで掬いながら、かおりにLINEした。

 

chika's mobile

『比企谷くんってそのうち刺されるかもしれないね』

 

× × ×

 

後日

コミュニティセンター

 

八幡side

 

「なあ、お前、うちの演劇でるか?」

「……お前じゃない。留美」

 

 えぇ……女の子を下の名前で呼ぶの……。せめてけーちゃんとか愛称なら呼びやすいんだが。

 躊躇してると会いたくないランキング上位ランカーの同調モンスターがそこにいた。

 

「比企谷ー、おつかれー」

「おう……ってか今まさに佳境だろうが。こんなとこで油売ってないで作業戻れば」

「うっわ、超イヤそうなんだけど、ウケる」

 

 イヤそうって分かってて出るリアクションじゃないですねえ。ホント、俺にとって未知の生命体だわ。

 

「訊きたいことあるから来たんだけど」

「あ? まあ、答えられるものなら答えるが。それ聞いたら戻れよ」

「おっけー。ねえねえ、比企谷って二股してるの?」

「ぶふっ! なんでだよ、ソースはどっからだ? この前、葉山が呼んだあの二人は単なる部活仲間なのは分かっただろ」

「ああ、そっちじゃなくて。なんかさー、女の子とカップル限定パフェ一緒に食べてるとこを子連れの本妻に見つかって修羅場ってたって海浜じゃ結構有名になってんだよねー」

「な、なんだ……と……?」

「…………八幡、くわしく」

 

 

おまけ

数日前

 

「ん~……つっかれたぁ~」

「ほれ、珈琲」

「わぁお、ありがとお兄ちゃん♪」

「クリスマスも同級生と勉強するんだってな」

「うん、受験近づいてるからそんなこと言ってる場合じゃないんだけど、それでもクリスマスに一人なのが許せないって子が多くて皆で勉強しようってなっちゃったんだよねぇ~」

「お、お兄ちゃんは許しませんよ? ここ、小町にかか、彼氏なんぞ……!」

「お兄ちゃんキモい。それに小町はまだ彼氏なんていらないよ。お兄ちゃんがいるからね。あ、いまの小町的にポイント高い!」

「最後のがなければ八幡的にポイント高かったんだがな……」

「照れない照れない。そんな小町に彼氏が出来ない原因を作ってるお兄ちゃんへ相談なのですが~」

「なんだ、いってみ。聞くだけはきいてやる」

「あのね、受験勉強で疲れた小町の脳には甘さ(糖分)が必要なのですよ」

「それはよく分かる。よし、お兄ちゃん秘蔵のマッ缶を……」

「ん~、ちょ~っとそれは小町的にポイント低いかなぁー?」

「なんでだよ、マッ缶だぞ? チバニアンの液体燃料がポイント低いとか小町は何人の血が流れてるんだよ」

「千葉県人の前に日本人だからね。ってそんなこと言いたいんじゃなくて」

「ああ、すまんすまん、話が進まんな。んで?」

「うん、実はさ、最近パフェの美味しいカフェがSNSで流れてきてさ、そこにはカップル限定パフェってのがあるんだって……」

「ほうほう」

「それでね…………」

「…………え、マジで?」

 

 小町はにぱっと小悪魔的笑顔で微笑んだ。

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございました。

あとがきっぽいのは活動報告にて。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=230712&uid=273071


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サキサキ生誕祭2021
わたしの気になる先輩。


サキサキ誕生日おめでとう記念SS2021!

なんとか間に合いました。
推敲が足りないので追記できそうなところ見つけたら手直ししてきます。とにかく期限優先だったもので。
ちょっと変化球な作りですが読んでいただけると嬉しいです。

一色いろはが一年の春頃に川崎沙希と出逢っていたら……。
原作2・3・5・6・6.5・8・9巻あたりの沙希が出るとこを満遍なく拾い上げていきます。


《 Side Iroha 》

 

 ――――惜春の候

 

「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ――!」

 

 かしゃーん、と屋上の床を叩く音が鳴り響いた。

 原因は投げつけた棒針。犯人はわたし、一色いろは。

 

 普段ならわたしの築いてきたイメージがぶち壊れるんでこんな行動しないんだけど、お昼休み屋上にわたしだけという神に愛されたとしか思えない僥倖で気も緩んでいた。

 

「何なのこれ地味っ!」

 

 わたしってー、どちらかというと派手めなのが好きじゃないですかー? だからー、こういう単調な作業の繰り返しが苦手っていうかー。

 ……僥倖をくれた神様に言い訳してしまうくらい逃避してた。

 

 これは葉山先輩に贈るクリスマスプレゼント用手編みのマフラー……を練習中。

 総武校どころか近隣高校中の女子が憧れる葉山先輩。その葉山先輩が所属するサッカー部のマネージャーは入部するのに高い倍率を誇る。ま、とーぜんわたしは受かる側の人間ですけども。

 マネージャーとして務め始めるとそれをやっかんでか、わたしに対する女子の当たりがキツイんだよねー。なので、編み物なんて教室で出来るはずもなく、屋上を見つけてからは日々ここで練習している。

 家でやるのが一番落ち着くんだけど、仕事を家に持ち帰る? 的な感覚が何かこう、めっちゃ嫌。あと隠れてやっててもいずれは誰かに見つかるし、バレたそれが編み姿なんて男子に見られたらこれ以上ない女子力アピールじゃん? バレる危険を好機に変えるわたしマジ策士! ……ここ人いないけど。

 

「……ちょっと」

「いっ、……ふえ⁉」

 

 おっと、素で返すとこだった。

 人いたの? やっべー、奇声上げたの聞こえたかな?

 

「もうちょっと静かにしてくんない? あたし今寝てんだよね……」

「す、すいません!」

 

 思わず敬語で答えちゃったけど、一年の校舎で見たことない人だし多分上級生。

 屋上からさらに上へ突き出た部分、梯子を上った先にある給水塔。女生徒はそこから覗き込むように見下ろしてた。

 睡眠を邪魔されたからか目付きが怖い。でも顔立ちは整ってて綺麗。うん、充分に美人だ。わたしとタイプが違うんで比較できないけど例えるならポメラニアンとシベリアンハスキー。片っぽは可愛いより強そう。っていうかめっちゃ睨んでる。怖い、この人怖っ⁉

 ってよく見ると視線はわたしの持ってる毛糸と投げ付けた棒針に向いていた。

 

「……」「……」

 

 しばらく睨め付けた後、その先輩(多分)は給水塔の方へ引っ込んでいった。

 

 

 

 

 その後も屋上に行くと必ず怖い先輩が給水塔で寝ていた。

 あそこってあの先輩の巣なの? リ〇レウスなんですか? 古代樹の森16番エリアなんですか? なにそれ、タワーリング・イ〇フェルノのラストみたいに給水塔爆破したい。

 いけないいけない。これパパ世代じゃないと分からないよね。

 

 いつものようにスマホで見本動画流しながら編んでいると視線を感じた。これは男子のべったりとした厭らしいものじゃない。女子特有の怨嗟や陰湿なものでもない。

 ……この世にMとF以外の視線ってあったっけ。動物? と思ったら給水塔のリオ〇ウスがこっち見てた。やっば! その表現めっちゃ怖いんですけど⁉

 

 ぶっちゃけゲームだったら怖くも何ともないですけどねー。

 いつもわたしは貢がせた弾丸を手にライトボウガンでぺしぺししてますし、従者の男の子たちにランスと大剣と太刀でも持たせて尻尾斬りとブレスの盾させたり、たまに男の子たちを後ろから撃って怯んだところにレ〇スが突進したりもするけど『ごっめーん、当たっちゃったー☆』って謝ればおーるおっけーだし、モン〇ンってちょろくないですか?

 

 おっと話が逸れた。

 今は給水塔からこちらを見ているリオレウ〇……じゃなかった。あの先輩をなんとかしないと。

 どうしようかと頭捻ってるとリオ〇ウス……じゃなかった。先輩の方から話し掛けてきた。

 

「ねえ」

「⁉ は、はいー、なんですか!」

「それって何編んでるの?」

「え、あの、……マフラー、ですけど」

「ふーん。……だったらアクリルかウール使った方がいいんじゃない? それ綿糸でしょ」

「ふえ?」

「棒針ももうちょっと太いの使ったら? 細いと編むのに余計な力入れるから疲れるよ」

「あ、えっと……」

 

 え? これってもしかして、……アドバイス、してくれてる?

 

「手付き見てると慣れてないみたいだけど編み図とかないの?」

「あ、編み図? 編み図ってなんですか?」

「……ないんだ。練習なら別にいいけど」

「一応、スマホで動画見ながらやってますけど……」

「画面小さいし、両手塞がってたら見逃したとことか戻せないじゃん」

 

 そーなんですよねー。まだ慣れてないから表裏表とか切り替わるともたつくことも多くて、それで動画に置いてかれちゃうとリカバリーがしんどい。動画戻すために糸から手を離したら表裏が訳わかんなくなっちゃうし。

 

「そーなんですよねー……。隣で一緒に編んでくれる人がいれば最高なんですけど、うちのママは編み物できなくて」

 

 それが家でやらない理由の一つでもあった。

 まあ、わたしも続くかどうか分からないし、完成しなくてママに嫌味とか言われたくないんで。

 予防線と打算に塗れた愚痴をこぼしていると、いつの間にか隣にいた先輩はわたしのスマホ動画を見ている。

 

「……これなら編めるから一緒に編もうか?」

「へ?」

 

 隣を見ると、怖かったはずの先輩は顔を赤く染めていた。シベリアンハスキーがトイプードルになったなんてもんじゃなく、リオレ〇スがオトモア〇ルーになるくらいの変わり身。もう原型すらない可愛さ。

 

「い、いいんですか⁉」

「いいよ。……そんなに驚くこと?」

 

 女子から優しさを向けられるなど滅多にないわたしは、驚きで先輩を引かせてしまう。感動で取り繕うことも忘れてしまった。

 

「じ、じゃあ、明日も昼休みに来ますから! あ、わたし、一年の一色いろはっていいます!」

「あたしは二年の川崎沙希」

 

 こうして、わたしは川……なんとかさんっていう怖い人と知り合った。

 ……やっぱり先輩だったか。敬語で話してて正解でしたね。

 

 

 

 ――――薫風の候

 

「あ、そこ違う。こうね」

「はーい」

 

 あんなに地味でつまんないと思ってた編み物も、川崎先輩にお手本を見せてもらいながら編むと楽しい。見た目が怖いだけで普通にいい人って感じ。最近は一緒にお弁当も食べて、おかずを交換したりもしてる。それを機に少しずつ話すようになっていく。

 

「――で、ちょーっとわたしが男子にちやほやされてるからって妬みと僻みで女子が排除しようとするんですよ?」

「そ、そう……」

 

 いけない。川崎先輩が引いてる。今までこの人から彼氏の話はおろか友達の話すら一切なかったし、クラスの人間関係になんて興味ない人なのかもしれない。その価値観からはわたしの悩みなんて到底理解できないだろうし、この手編みも男子受けを狙ってのものだって白状したら見放されちゃうかな。

 でも、その割りには川崎先輩ナチュラルに女子力高いですよね。手編みも出来るし料理も上手だし。お弁当の見栄えは、……うん、まあ地味だけど。美味しければいいよね、地味だけど。……地味、なんだよね……。

 

「そ、そういえば川崎先輩、最近ここで寝てないですよね。生活スタイル変えたんですか?」

「え、ああ。前はちょっとバイトが忙しくて寝不足だったけど、お節介な奴のお陰で違うバイトに変えたから……」

「へー」

 

 何となしに話題を振ったけど、川崎先輩が他人を示唆するその言葉に少しだけ興味を魅かれた。

 

 

 

 ――――白露の候

 

 夏休み明け。まだくっそ暑いのにもう休みが終わるとか文部科学省は一体何をしてるんだろう。わたしが入省した暁には10月まで夏休みになるよう法案を提出しようと思う。……いつの間にか国会議員になってるぞわたし。

 日差しを避けてなお容赦ない猛暑にそんなことを考えていると、いつの間にか隣に川崎先輩の姿があった。

 

「……川崎先輩、夏休みどっか行きました?」

「んー、予備校の夏期講習と家の手伝いとバイトくらい」

「……どっか遊びに行ったとかしてないんですか?」

「……サイゼにあいつ呼び出して弟の進路相談してもらった、かな。そんくらい」

「……」

 

 あいつ? 川崎先輩が他人のことを口にするのはこれで二回目。もしかして、

 

「あいつ? それってこの前話してた『お節介な奴』って人のことですか?」

「うっ……そ、そう、だけど」

「へー」

 

 あ、いまなんか顔がちょっと照れた。この人も可愛いとこあるんだ。

 

 

 

 ――――寒露の候

 

「……ねえ、愛してるって言われたことある?」

「はぁ?」

「……な、なんでもない、忘れて!」

「はぁ。……沙希先輩そこ違いますよ。表表裏です」

「あ」

 

 文化祭が終わってから沙希先輩がちょっと……いや、だいぶおかしい。

 横で編んでてもぽつぽつわたしが指摘する立場になることがある。

 

 

×  ×  ×

 

 

 文化祭に引き続き、体育祭の衣装も担当することになったらしい。

 うわ、面倒くさそう……この人、本当に手芸が好きなんだな。

 

「でも沙希先輩って目立つの好きじゃないのによくやる気になりましたよね」

「……あいつに頼まれたから仕方なく、ね」

 

 あいつ、ね……。

 多分、沙希先輩をポンコツにした張本人。

 沙希先輩に血を通わせたあいつ、わたしまで興味が湧いてきちゃった。

 さすがに教えてはくれないだろうな……。

 

 

 

 ――――朔風払葉

 

「はぁ……」

「……」

「はぁ……」

「……なんか、あった?」

「! い、いえ、別になんにも!」

 

 やばっ、沙希先輩に気づかれる。

 あんなにため息ばっか吐いてたらそりゃそうだよね……。

 

 ついに女子たちの嫉視が『生徒会長立候補』という名の悪意に変貌した。

 城廻先輩に相談して、奉仕部ってところを紹介してもらったけど、話し合いが上手くいかなくて空気が悪い。最悪、このままなし崩し的に信任投票で決まってしまいそうだ。

 それを思うと、どうしてもため息が漏れるのを止めれなかった。

 沙希先輩には相談できない。相談してもどうにもならないからっていうのもそうだけど、予備校通いに弟妹のお世話とこの人が色々忙しいのを知っている。手編みに付き合ってもらってるだけで充分に目をかけてもらってるんだ。これ以上の負担をかけられない。

 昏い表情で編んでいると、見兼ねた沙希先輩が柔和な表情で声をかける。

 

「……多分だけど、なんとかなると思うよ」

「え?」

 

 沙希先輩はまるでわたしの事情全てが分かっているかのように続けた。

 

「……きっと、あいつは悪いようにはしないから」

 

 また、『あいつ』か。

 沙希先輩を救ったその人が、わたしのことも助けてくれるって疑わない。

 

「沙希先輩は『あいつ』さんを信じてるんですね」

「⁉ ――ばっ、ばっかじゃないの! そんなんじゃ、……ないから」

 

 あは、照れた照れた。

 沙希先輩可愛いー。

 そんな顔見せたら『あいつ』さんなんてすぐに堕とせますよー?

 

 

×  ×  ×

 

 

 お昼休み。さすがに寒いので教室でお弁当を食べてから沙希先輩に会いに行こうと思っていた。すると、澱んだ目をした先輩が教室まで来てわたしを呼び出す。

 

「生徒会選挙の件で手伝ってほしいことがある」

 

 そう言われたら聞かないわけにもいかない。今日は沙希先輩に会えないかもなー。あ、でもせめてお昼が……。そう思って放課後に引き延ばそうと懇願するも、

 

「超まずい」

「超まずいですかー……」

 

 諦めて連行されることになった。

 図書館に着くと推薦人名簿を手書きで写しながら、目の澱んだ先輩はつらつらと先生みたいに講説する。

 わたしのプライドを尊重し、時にはくすぐり要望に沿うよう道筋立てて生徒会長へと導こうとしていた。そうと分かっても不思議と苛立ちがない。もうわたし自身がやってもいいと感じてしまったからだ。

 

 説得されながら、沙希先輩の言う『あいつ』さんってひょっとすると……そればかりを考えていた。

 

 

 

 ――――熊蟄穴

 

 海浜総合との合同クリスマスイベントで、交渉のため先輩と保育園に向かった。

 話も恙無くまとまり、置いてきた先輩を探しているともう一人の見知った先輩を視界に捉えた。

 

 ……あれって、沙希先輩? なんでこんなとこいるんだろ。先輩と何か話してる? 知り合い?

 先輩を見つめる沙希先輩の眼差しと雰囲気にぴんときた。

 

 『あいつ』さんが、先輩だということに……。

 

 

 

 ――――冬至の候

 

「マフラーも綺麗に編めましたし、これも沙希先輩のお陰です。ありがとうございました」

「あたしはただ自分用にマフラーを編んでただけさ。あんたが勝手にそれを見ながら頑張ってたんでしょ」

「……そーゆーとこは先輩と同じであざといですよね」

「え」

 

 この二人は似た者同士だって、付き合っているうち自然と思うようになった。

 

 

「沙希先輩、そのマフラー自分で使うんですか?」

「まあね。あんたに見せる手本でいくつか作ったから、もう家族皆に行き渡ってるし」

 

 手本て言っちゃいましたね。何が「自分用に編んでただけ」なんだか。語るに落ちてるじゃないですか。

 

「沙希先輩も誰かにプレゼントすればいいじゃないですかー」

「んぐっ……、べ、別に、あげるやつなんて……」

 

 まったくもー、素直じゃないんだからー。

 そんな照れきった顔でへどもど言われても説得力ゼロですってーの。

 しょうがないから可愛い後輩が一肌脱いであげますかねー。

 

「……じゃあ、わたしのと交換しませんか?」

「え?」

「ほら、自分で編んだ物を自分で使うとか何となく虚しいじゃないですかー?」

「そ、そう?」

「そうなんです! わたしのも結構自信作ですし、不足はないと思うんですよねー」

「でもそれあげる相手決まってんじゃないの?」

「また作りますからダイジョーブです♪」

「じ、じゃあ…………交換、する?」

「はい♡ 早めのクリスマスプレゼント交換ということで♪」

 

 こうして何度もやり直して完成したわたしの自信作と、沙希先輩のマフラーが交換されたのである。

 

 

 

 

 

 

 

《 Side Saki 》

 

 ――――初春の候

 

『沙希先輩、明けましておめでとーございまーす!』

『お、おめでと。……それと、声デカいって』

 

 新年早々、いろはから電話がかかり初詣に誘われた。兄弟で初詣に行く予定があると断ろうとしたが、その会話を大志に聞かれ、一緒に行こうと勧められる。

 

『あ、弟さんと妹さんもご一緒ですか? もちろん、おっけーでーす♪』

 

 大志と京華に懇願されたあたしが拒めるはずもなく、四人で初詣に行くこととなった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 いろはと合流すると、大志はその色香で完全に骨抜きにされ、京華はいろはのあざとい所作を真似して暴力的なまでの可愛さを披露する。

 途中、『まるで美人三姉妹みたいですね!』とナチュラルに大志をいない者扱いしていた。こっそり涙する大志を目の端で拾うと、いろはにちょっとだけ強めのチョップをお見舞いする。痛がり方まであざとい後輩に底知れぬ恐怖を覚えた。

 

「あー、せんぱいたちだぁー。おーい!」

「はーちゃん!」

「お兄さんじゃないっすか!」

「え」

 

「あ、お兄ちゃん、沙希さんたちがいるよ!」

「あー、いろはちゃんだー! あれ、沙希⁉」

「……珍しい組み合わせね」

「……!」

 

 奉仕部と比企谷の妹が大はしゃぎでこちらに手を振ってくる。柄にもなく振り返そうとした手がぴたりと止まった。比企谷の首に巻かれたモノを認識したせいだ。

 

「あけましてやっはろー!」

「明けましておめでとうございまーす!」

「明けましておめでとう」

「……」

 

「明けましておめでとうございまーす♪」

「明けましておめでとうございます」

「あけましておめでとー」

「……」

 

 京華もちゃんと挨拶してるのに、あたしと比企谷は黙り込んでいた。

 何故なら比企谷は、あたしたち家族といろはが巻いてるのと同じマフラーを巻いていたから。

 なんで? いろはが渡した? あの子は葉山にあげるんじゃなかったの?

 いろはを見ると、口角を上げ挑発的な顔を見せる。

 

「いろはちゃんって沙希と仲良かったの? それにえっと、その……」

 

 由比ヶ浜は目敏くあたしたちの首に巻かれた物に視線を向けた。うちの兄弟ばかりか、いろはと……比企谷まで同じ物を着けていたら誰でも気になるだろう。

 

「葉山先輩にプレゼントするために練習してたら沙希先輩が隣で編んでくれたんですよね、お手本として。それから仲良くなったんですよー」

「へー、そーなんだー。……で、その、」

「なぜ比企谷くんまで同じマフラーを?」

「沙希先輩に教わりながら練習で作ったものが余ったので、先輩に押しつ……プレゼントしたんですー♪」

「誤魔化せてないから」

「……そう。それにしては随分と見事な出来なのね。とても練習段階の物とは思えないのだけれど」

「先生が良いですから☆」

 

 あたしを見ながらいろはは誇らしげに答えた。

 

「あんたの頑張りだって言ったでしょ」

「それもそうなんですけど……」

 

 いろはは自分のマフラーを摘んであたしに誇示しながら、妖艶な微笑みを浮かべる。

 

 ぎく

 

 いろはの首に巻かれたそれをよく見ると、わずかな違和感があった。

 

 ……それ、本当にあたしが編んだ物?

 綺麗に編めてはいるが、上達したいろはならこのくらい編めるのではないか?

 疑い始めるとさっきの悪戯めいた微笑みの説明もつく。

 

 あれはきっと……。

 

 自覚すると顔が熱くなっていった。

 だって、それだと比企谷がしてるのって、あたしが作っ……!

 

「沙希先輩」

 

 夢の中にあるような意識があたしを呼ぶ声で引き戻された。

 たっぷりと含みを詰め込んだ笑顔でこう問いかけてくる。

 

「……どっちだと思いますか?」

 

 屋上で出逢ったあたしの後輩は、

 とびっきりに小憎らしく、

 極上の可愛さを持った、

 

 ――――最強の小悪魔である。

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。

あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=269956&uid=273071


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