JOJO's短編集 (湯麺)
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噴上裕也は恐れない─『いつもさがして』

パラレルワールドかも


 

   

  

 『バニシングツイン現象』

 初期の双胎妊娠(双子を妊娠する事)の際に、どちらか一方の胎児だけが流産してしまう現象のこと。確率は一割ほどで、明確な原因は不明。

 ごく稀に、母体に吸収されるはずの流産した胎児が、生き残った胎児の方に吸収されてしまう場合がある。

 

 

 *

 

 

「それでね、「埼玉県狭山市の原田さんが15年間改良に改良を重ねて辿りついたオーガニック厳選茶葉のみを使ったふんわり感たっぷりのクセになる甘味と苦味の失恋シンフォニー抹茶プリン848円そして幸せが訪れる」……ってのがすんごい美味しくてさ~~!やたら能書き長いからって馬鹿にするのはもうやめようって思ったの!」

 

「アケミあんた母親と行ったのォ~?いいな~私もお母さんと「やたら値段が規則的なコスメショップ」に行ってみたい~」

 

「レイコこないだ「お母さんと喧嘩しちゃった」って泣いてたばっかじゃ~ん。もしかしてもう仲直りしたの~?家族愛が深淵~~!」

 

 アケミ、レイコ、ヨシエの女子3人が隙を見せないトークを展開していく。

 それを横目に笑みを浮かべる男、噴上裕也。やんわりと暴走族を続ける彼らは夕暮れのカフェで休憩していた。

 

「あっそうだ裕ちゃん、私のお母さんの友だちのお姉さんが失踪してね、その息子さんが施設で悲しんでるから裕ちゃんに慰めてやってほしいんだって!親戚にも知り合いにも同年代の男の子がいなかったらしくってね、裕ちゃんしか頼める人いないんだって!」

 

 先ほどのトークと全く同じテンションで語られたヨシエの無理解な事実によって、噴上の笑顔は徐々に困惑顔に変わっていった。

 

「…………は…?」

 

 

 *

 

 

 11年前の2月。S市内の総合病院でとある女性が一人の赤子を出産した。

 赤子の出産時の体重はなんと6480グラム。平均体重のほぼ2倍の重さで生まれるという事態に母親も看護師も仰天したが、それを除けば極々標準的な健康児だったため、母親は出産直後とは思えないほどの声で笑い、喜んだという。

 

 愛くるしい我が子と生活を始めて一年後、目に見えて異変は訪れた。

 

「ハルヤ…なの?……ねぇ、最近忙しくって気づかなかったけど…背ェ………伸びた?」

 

 母親はひどく汗をかいたことだけ覚えている。我が子の成長から目を背け始めたのは、この時からかもしれない。

 

 身長140センチメートル体重26キログラム。平仮名、片仮名はすでにマスターし、足し算引き算もわりと出来る。息子はまだ生後1年、世界一のビッグベイビーの誕生である。

 

 数え切れないほどの病院を渡り歩き、指をくわえる我が子を引きずって、母親は助けを求めた。周囲からの目など気にせず、死に物狂いで息子の成長を止めようと努めた。

 やっとの思いで出会えた息子に苦しんでほしくない、その一心で走り回った。

 

「ハルヤ。はい、ご飯よ」

 

「ありがとう母さん」

 

 朝昼晩、三食全てで3人分の量を作るようになったのも、この時からだった。

 同年代の子と馴染めないであろうことは分かってたので、母親は幼稚園には行かせなかった。勤務時以外は常に母親と共に過ごし、算数や歴史を好んで勉強していた。

 

 子が8歳になった頃、身長190センチメートル、体重は91キログラムとなり、中学校レベルの学習は全てマスター。既に高校レベルの学習に入っていた。

 

 10歳になった頃は、身長2メートルの大台を突破し、体重も100キログラムを突破。大学レベルの学習を進め、様々な技術も身につけていた。母親の半分以下の年齢である息子は、体つきも頭脳も完璧に大人だったのだ。

 母親はそんな麒麟児を常に愛していた。それが過ちに繋がることを知っていながらも。

 

 父親は交通事故で亡くなっていたので、それを止める者も気づく者もはいなかった。息子の知識は十分だったし、二次性徴も完了していたので、興味も欲もあった。

 

 10歳5ヶ月の時、母親と息子は一線を越えた

 母親には、自分よりも一回り大きな男性に抱かれるという夢が昔からあったのと、快感が相まって、彼女の罪悪感は打ち消されていた。

 

 そして息子の11歳の誕生日、母親は失踪した。

 

 

 *

 

 

「ちくしょう………なんで俺が慈善事業なんてしなくっちゃあいけねぇんだ。こんな時に限ってアイツらは用事があって来られねぇっつーしよォー」

 

 「ぶどうヶ丘児童センター」。身寄りの無い子供や虐待を受けていた子供、孤児の保護を行う児童養護施設である。

 

 当然、暴走族が関わるには気が引ける、縁遠い場所。

 噴上は戸惑いつつも門を叩き、アポをとっていたおかげで、何事も無く中に入ることに成功した。

 

 養護施設の中といっても幼稚園のようにカラフルではなく、老人ホームのように無駄なく広い。出迎えてくれた職員は暴走族であることを知らないのか、特に恐れることはなく、どこかホッとしている様子だった。

 

「あの……聞いてるとは思うけど、噴上君だったかしら。絶対に驚かないであげて。ああ見えてけっこう繊細な……子…だから」

 

「…?」

 

 そう言って職員はそそくさと去り、一人残された噴上は眉をひそめた。やがて個室であろう扉を緊張気味に開け、優等生を意識して踏み込む。

 なんて決意とは裏腹に、中身は日光さえ通らない無灯の部屋。そもそも部屋の位置自体が日照に適さないのか、窓がどこにあるかも分からない。明かりといえば入口から入るもののみで、もう噴上のやる気は失せかけていた。

 

「あんだよ……不在通知でも置いてけってか?まあ手間が省けたからありがてぇ…のか」

 

 人間の匂いはしたが単なる残り香だろう。

 帰ってやろうと思い、踵を返した。

 

「怖いと思うなら帰ればいい……貴男が善人ならまた、帰ればいい……」

 

「!」

 

 頭上から掛かる野太い声に、思わず噴上は振り返った。

 

「な、なんだ…オイオイオイ………」

 

「すいませんね…意識してないと蛍光灯に被ってしまうもので。貴男が噴上裕也さん……高校生でしたよね?話は聞かされてます……ですが、荷が重いと感じたなら…もう一度考え直したほうがいい」

 

 2メートル…いや、3メートルはある背丈。はたして人間か?それともスタンド攻撃か?はたまたサプライズか?痩せ細った体が畏怖を加速させる。

 噴上は顎を撫でる。その巨躯ゆえか、相手の男は部屋にうずくまってもなお窮屈そうにしていた。

 

「顔も見せないのは無礼ですよね。ちょっと待っててください……今、ライトを点けますから」

 

 部屋の隅にある円柱形のライトを点けると、巨人の顔がはっきりと見えるようになった。

 何度見ても慣れることはないであろう。凛々しい顔は鬱屈の表情を浮かべ、体はアンバランスの極致のような長さをしている。

 

「驚いたぜ。思いっきり恐がっちまった……だが病気だってんなら…もしかしたらだぜ?……どうにかできるかもしれねぇ」

 

「何ですって?……申し訳ない。籠もりっきりだったから……どう見ても貴方は医者には見えない」

 

「ああ、その通りだ。ただしさっき言ったことは本当だ。だから話してくれ……一体何があったかを」

 

 なぜそんなことを口走ったのか、噴上自身にも理解はできなかった。成功する保証すら皆無であった。

 

 初めましての高校生に、墓まで付き添うつもりだった艱難を打ち明ける人間がどこにいるか。祈祷師や呪術的の類いには見えないとはいえ、滅茶苦茶怪しいではないか。それとも怪奇の人間には先の見えない怪しさが似合っているということか。

 いや、自分に打ち克つためには一筋のちっぽけな光すら頼らなければならないのか。

 

 巨人は口をつぐみ悩んだ末、彼の眼差しの奥にあるものを信頼し、彼は口を開いた。

 

「「兄を食ってしまった」のです…私は」

 

「…………は…」

 

「母の腹の中での出来事です……母には教えていません。二卵性の双子だった私は、妊娠12週間目の時……兄を食べたのです…………腹が減っていたとか喧嘩したとか、そこまでは覚えてません。ただ一つの事実……母の腹の中で「共食い」を行って私は産まれた…!」

 

 無意識のうちに噴上は言葉を失っていた。

 

「そして……兄は未だ…私の中で生きている。私と共に生きている…!こんなに大きくなってしまったのも…私が『二人分』の人生を送っているからなのです……」

 

 大粒の涙を流し、彼は悔やみ続ける。

 

「私は生まれる前から過ちを犯していた…!どうしようもないミスだった…!それを知らせなかったせいで、僕を恐れた母親は出ていってしまった!」

 

 拳を壁に叩きつけ歯を食いしばった。いつまで経っても涙の雨は止まない。

 

 予想以上にハードな内容に噴上は頭を悩ませる。

 明日世界が滅びるのかと勘違いしそうなくらいの悲壮感溢れる彼は、全く演技風なところが無かったのだ。といっても、その悲しみは誰にも慰めきれないと心底思った。

 そうだ、根本的解決をしてやろう。

 

「……テメーの中にいる『兄』とやらを「成仏」させてやりゃあいいんだな?」

 

「え…?」

 

「聞いてんだぜ。テメーと一緒に生きてきた顔も声も知らねー兄貴をキチンと「殺す」覚悟はあんのかってな」

 

「それはまあ…ずっと願ってますよ。「兄」にいなくなってほしい……と。でも!自分勝手にも程があるッ!これは僕への罰なんだ!」

 

 彼は数奇な「呪い」を自分への罰と思い込んでいる。それで償えると信じてしまっているのだ。

 ただただ噴上はため息をはいた。

 

「ったくよォ……四の五のうるせーなぁ。自分勝手なのは兄貴のほうだぜ。今、確かに生きている弟が願ってんならそれでいいんだよ」

 

 ここで見捨ててバイクに跨がるのはカッコ悪い事だ。何が起こるかは予測不可能の世界。自分なりに出来ることをやるまで。

 

「今からテメーのために全力出してやるが、成功するかは「賭け」だぜッ!いいか!失敗したらなんとかしてやるッ!」

 

「……な、何を…!?」

 

「『ハイウェイ・スター』!ヤツの中から一人分の養分を吸い取り、兄貴を取り除けッ!!」

 

 

 *

 

 

 我が子の前から雲散霧消した母親は、逃げるようにS市外を抜け、格安ビジネスホテルで3日間、悩むわけでもなく只管に眠り込んだ。

 

 3ヶ月後。両親に頼んで実家に隠れて暮らしていた母親は、突然家を飛び出した。

 走って走って走りまくり、後悔を胸に我が子を探し求めた。

 

 

 *

 

 

「ハァッ……ハァ…どこにいるの…!?」

 

 茜雲の下、一人の女性が息を荒らげ、脚の激痛に耐えながら必死に誰かを探していた。

 線路沿いの住宅街には夕飯の香ばしい匂いが所々に広がり、子供たちの笑い声がたえず聞こえる。そんな平和そのものの場所で涙を浮かべ走り回る女性はミスマッチだ。

 

 体力的限界により女性は咳き込んで、踏み切りの近くで膝を曲げた。その声が耳に入るまで。

 

「母さんッ!」

 

「!」

 

 聞き慣れた声に思わず顔を上げると、踏み切りをまたいだ向こう側には幼い少年が立っていた。小学生だろうか、ひたすら何かを叫んでいる。

 

 丁度、警報機の金切り声が鳴り響いた。

 警告色のか細い腕は2人を隔てるよう。鉄の箱は何も知らない。その時はまだ、誰一人悲しんでいなかった。

 

「声が似てたから一瞬驚いたけど……よその子だわ。背丈が違うし、よく考えれば声変わり前の声だった……何より全然「顔」が違ったもの…」

 

 疲れきった顔を叩き、女性は進み始めた。脚を引きずっても探すのを止めようとはしない。日が沈んでも日が昇っても歩き続ける覚悟が、女性にはあった。

 

 一方、少年はまだ叫び続けていた。

 

「母さん!母さ……うう……頭が…ああ……頭脳も半分になっているのかな…………痛い…頭が…………でも…!」

 

 爆発しそうな痛みを我慢して歩き出す。

 

「母さん……!僕はこ…こにいるよ……!…お兄ちゃんが…治してくれたんだよ!」

 

 警報機の音など耳には入らない。視界の中心の母親しか、彼の頭にはなかった。彼自身気づかない間に遮断機もくぐり抜け、痛みと喜びの半笑いを浮かべていた。

 

 二人分の成長を強いられていたあの時、心は一人分だったのだ。いくら勉強ができて体が大きかろうと子供であることに変わりない。愛する母親のもとへと、少年は歩を進める。

 

 普通に戻った息子を見てテメーの親は喜んでくれるって、知らないお兄ちゃんは言ってくれた。周りの子よりちょっと背が小さいって言って、きっと母さんは笑うだろう。

 

 幸福の渦の中心。  

 警笛さえも聞こえない。

 

 



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ダニエル・J・ダービーは傷つかない─『真山祥造』

 
めちゃ長
視点が入り乱れてて……あーもう滅茶苦茶だよ(自戒)

嘘喰いという漫画を一気読みしたらいつの間にか完成していた作品です。ジョジョ好きは絶対に嘘喰い好き


 

 

 

 1986年5月17日 アメリカ ラスベガス

 

 

 ホテルの名は『ハイ・ベガス』。部屋数6607。従業員数1913名。一流レストラン、バー、プール、パーティー会場は勿論のこと、専属の楽団や農場、牧場等、何から何までを有するラスベガス一のホテルである。

 それから、広大な敷地面積を持つこのホテルの目玉。それは地下二階を丸ごと使った「カジノ」である。

 

 トランプゲーム、ルーレット、サイコロ、スロットマシーン。人が想像したものは全てある。想像し得ないものも多々ある。

 誰もが心奪われる史上最高の地。

 

 

 造られた灯りはカジノ全体を煌びやかに照らし出し、絨毯の上で操られる正装の客人達は点となり鮮やかな景色を創り出している。

 それに異を唱えるが如く賭博師たちは踊り出す。

 

「おい貴様ッ!今イカサマをしたな!!!」

 

 ルーレットのディーラーが胸ぐらを掴んでもなお、掴まれている側の男は至極冷静な顔をしていた。ホール一帯に響く大声と、大柄な男2人の組み合わせはよく目立つようで、客たちの視線が一点に集まった。

 

「イカサマ?なんのことです?私は金を払ってこのホテルに宿泊している客だ。この邪魔な手を放してくれ」

 

 踵が浮いても男は慌てることなく、反抗的な言い草でディーラーの手を緩めさせた。

 

「なんだとッ……!」

 

「誇りに泥がついたからといって、ディーラーがそうやすやすと客を疑うもんじゃあない。この私がいつイカサマをしたというんです?ん?」

 

 ディーラーは顔に血管を浮き上がらせ、男を突き放し、バックヤードに消えていった。

 

「………敗者はイカサマに気づけない方だ……もっとも、このダービーのイカサマを見抜ける奴はいないがね。しかし目をつけられてしまったのは事実だ。そろそろ…この賭場も潮時か」

 

 よれたスーツベストを直し、右手につけた腕時計を流し目で見た。服装は至って紳士的で、口髭もよく手入れされている。

 その男の名は『ダービー』。世界中を旅しながらギャンブルで生計を立てる根っからの博打打ちである。

 

 ディーラーが扉を勢いよく開け再び姿を見せた。仕事を放棄していたわけではないようだ。

 彼は何かを言いながらダービーを指差すと、扉の奥から3人の黒服に囲まれ一人の男が現れた。と同時に、カジノにいたほぼ全ての人間がざわめき出した。

 

「…ま、所詮はカジノ。スリルを求める私とは最初からそりが合わない」

 

 烏合の衆を蔑むような表情でダービーは席に座り、敵手を待つ。そいつは何かが違うと、彼の長年の勘は知っていた。

 

 筋骨隆々の黒服に対し、モデルのようなスタイルで引けを取らない異彩を放つ、おそらく日系の若者。透き通るような肌にシルバーブロンドの髪。純白のスーツや高級腕時計を身につけているのはプライドの表れか。そんな一見傲慢にも見える男は、ダービーの前に来るやいなや深々とお辞儀をした。

 

「お初にお目にかかります。私は当ホテル支配人……『マヤマ ショウゾウ』と申します。当ホテルのご利用……心から感謝いたします」

 

「建前などどうでもいい。出禁にしたいならさっさと出禁にしたまえ」

 

「出禁だなんてとんでもない。料金をお支払い頂いている以上、お客様はお客様。ですが…ここまで見事な勝負を行われてしまうと、こちら側としては経営に関わる……そこで…提案がございます」

 

 そう言って彼は顔を上げた。

 

「私めと『賭け事』を…していただきたい」

 

「…………………ほう」

 

 マヤマ ショウゾウと名乗る男の予想外の発言に、ダービーは思わず口角を上げた。彼のこれまでの経験からすれば、支配人は静かに怒って追い出そうとする。しかし今、彼は賭け事をしようと言い出したのだ。まだ何者かはわからないが、毒を毒でねじ伏せ、プライドをズタボロにするという魂胆なのだろうか。

 

 席に座るよう促すと、マヤマは隣の席にゆっくりと腰を下ろした。見れば見るほど不気味な男に向かってダービーは口を開く。

 

「私の名は『ダニエル・J・ダービー』…ダービーと呼んでくれて構わない。君は…あー、「マヤマ」とか言ったかな?東洋人のようだが…」

 

「『真山祥造(マヤマショウゾウ)』、日本出身です。他に何かご質問はございますか?」

 

「………結構だ」

 

「では…始めましょうか、ダービー様」

 

 日本人がラスベガスでトップを張るホテルの支配人を務めていることに、ダービーは疑問を持った。

 

「マヤマ、君をかなりの手練れと私は見た。このホテルをここまで成長させた頭脳、一流のディーラーに勝るこの私にギャンブルで挑んでくる自信。そして決して図に乗らないところ………面白い。得意分野は何だね?受けて立とうじゃあないか」

 

「得意分野だなんて……滅相も無い。私は少し運の良いだけのいっぱしの男………」

 

「……そろそろその態度をやめたらどうだ。私にはわかる…ギャンブラーである私にはな、君の実力がよおーくわかるぞ。さあゲームを選びたまえ、それとも私が眠りこけるのを待つかね?」

 

「全くそのような気はございません……お褒めの言葉、光栄の限りです。そこまで仰るならこの真山祥造、選ばせていただきます…」

 

 マヤマがアイコンタクトを送ると、即座に黒服が台車を伴って現れた。一連の動きはまるで軍隊のように洗練されている。

 

 豪華絢爛なカジノにはそぐわない一般的な台車の上には、金属光沢を放つ角張ったイスが乗っていた。

 普通のイスとは一線を画す、カードにもダイスにも当てはまらない、ドンとそびえるそれは銀行の巨大金庫の如く好奇心を沸き立てる。

 

「一体……何だね?これは」

 

 運ばれてきた金属製のイスを見てダービーは眉をひそめた。サイズだけは通常のそのイスにはいくつかの太い配線が繋がれており、それらはバックヤードの奥にまで続いていた。

 イスは薄い板に乗せられ、2人の前に置かれる。

 

「私に得意分野がないのは真実。恐れながら少々トリッキーなものを提案させていただきました」

 

「……………」

 

「『イス取りゲーム』……と言うには値しませんが、参考にして当ホテルが開発したゲームの一つになります。こちらのイスはご覧の通り、一般のものとは異なります」

 

 ダービーは黒服から一枚の紙を受け取る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 5秒くらい経ったところで、目線は紙からマヤマへと移った。

 自作したものを見せるとき、人はたいてい自慢気な表情をするものであるが、彼は違った。素人からすればそれは真顔に見える。しかしギャンブラーであるダービーは反応を探っている表情だと確信した。

 既に闘いは始まっているのだ。

 

「ふむ………君は実に面白いヤツだ。死者は敗者、しかも一度だけ耐えられるとはいえ、もしかしたら後遺症が残ってしまうかもしれない。事実上の出禁…三本先取も上辺だけ……違うかね?……マヤマ」

 

 暗雲が立ち込めている。

 

「………………」

 

 マヤマは顔に濃い影をつくり、感情の無い目でじっと睨み返した。肯定か否定か、答えは言わなかったが、この男に漂う悪魔的風格、ダービーはその底知れなさを垣間見た。

 

 死刑に用いられる電気椅子とは違う仕組みではあるが、これも立派な電気イス。それを使った遊戯。勿論、ダービーはプレイしたことも目にしたことも無い。そのような状況をどう覆していくのかも、ギャンブルの魅力の一つなのだ。

 

「命を賭けたゲームなぞやりたくない……なんて私が言うとは君も思っていない。いいだろう!始めようじゃあないか」

 

 ダービーは不適な笑みを浮かべる。胸が高鳴り背筋がゾクゾクとするのを感じた。久々に楽しめそうだと、賭博師の本能がうずいている。

 それを制止するかのごとく、マヤマが素早く人差し指を立てた。

 

「その前に、一つ。賭け……でございますから、賭ける物を決定していただきます。ダービー様ならお分かりでしょうが………」

 

「おーっと…私としたことが、肝心なことを忘れていた。先に君からで構わんよ」

 

「このゲームではチップは賭けの対象にはなりません。己の所有物を……賭けてもらいます。何事も大きい方が良い、ということで……私は「東京にある8つの不動産全て」…と、いたします」

 

「フッフッフ……なるほど、君の不動産か。しかも東京の……莫大な値打ちに違いない。見合うものは私の「全財産」ッ!それを賭けるッ!」

 

 これまでギャンブルで無敗を貫き、毎日数十人から大金を奪い去ってきた。現在所持していない札束を数えるには一ヶ月以上かかるだろう。それほどの額を賭けるには覚悟がいるが、それでこそスリルがあるというものだ。

 

「それと私も、一つ。これは趣味でね…どうせ命がけなんだ、追加しても構わんかね?」

 

「?」

 

「私の『魂』を賭けようッ!」

 

 常人には理解しえぬ、『魂』の賭け。

 やはり真山祥造は常人ではないようで。

 

「承りました……私の『魂』を賭けましょう」

 

「グッド!」

 

 

 《THE CHAIR TAKER》

 

 ダニエル・J・ダービー 〈全財産と魂〉

  VS

 真山祥造 〈東京にある8つの不動産と魂〉

 

 

【一回戦】

 

 黒服から受け取った書類にあらかたの事柄を書き込み、万が一ダービーかマヤマが死亡した場合の問題は解消された。

 それぞれ書類を黒服に受け渡し、一呼吸置く。

 

「…まずは手始め。初心者をいたぶる趣味は私には無いですから、気楽に楽しみましょう」

 

「その仮面がいつ剥がれるか実に楽しみだよ」

 

 お互い立ち上がって体を向かい合わせにする。開始の合図はマヤマ、電源スイッチをオンにするのは黒服だ。

 2人は挟むようにしてイスの両隣に構え、座りやすいよう少し前方に出た。

 

「ゲームの前に、このイスを調べさせてもらおう。当然の権利だろう」

 

 何も言わないマヤマを横目に、不正がないか黙々とイスを確認する。20秒程度触り尽くし、元の位置に戻った。準備完了。

 

 僭越ながら、という控えめな一言はよく耳に入った。殆どの客と従業員達が注目しているせいか、静寂が満遍なく張り詰めているからだ。

 

 まだ見ぬゲーム。偵察の一回戦。

 マヤマは宣言する。

 

「OPEN THE GAME!」

 

 合図と同時に電源が入りゲームスタート。

 短くも長い1分間の闘いが幕を開けた。

 

 電流の無い「10秒間」はランダム、すなわち人間が決めるシステムではない。その秒間を音で判断できるような生温い造りになっているハズもない。

 この勝負、ロシアンルーレットのような運試し。と、普通の人間なら考えるだろう。しかしそれはミスリード。そのように見せかけた、ギャンブラーとしての真の実力を見極めるゲームなのだ。

 

 無論、ダービーは電流を感じ取れたり、電流に強い体質ではない。おそらくマヤマもだ。そこで、体力も運も関係無い、勝者の手法があるに違いないと、ダービーは本能的に理解していた。探って見つけるには多少の時間がいる。

 

「……………」

 

「……………」

 

 膠着状態。

 着実に時間は過ぎ、現時点で28秒経過。

 確率は六分の一。

 

 先に動いたのはマヤマだった。ただし口が。

 

「……ご存じですか?隣にあるラスベガス・ヒルトンというホテルでは、エルビス・プレスリーが長いこと公演をしていたんですよ」

 

「………………それが……何か?」

 

「いいえ。私は彼の曲聴いたことありませんし、正直、顔も知らない。まあ、なんてことない昔話です」

 

 心理戦の一環か、それとも謙虚さは本心で、彼なりのヒントのつもりだったのか。どちらにせよ意味不明なのに変わりない。

 深く考えるのは止め、やはり一回戦は様子見に留めるか。

 

 と思った矢先、唐突にマヤマは動く。

 50秒経過──スッと、事もなげに座った。

 

「…………」

 

 真山祥造 成功

 

 ダービーは顔色一つ変えない。きっと親が死んでもこんな顔をしているのだろうなと思わせるほどに一切の変哲の無い真顔をしていた。 

 勝者は確定。プレイヤーの2人以外は眉をハの字にして、何が起こったか分からないままでいる。

 

 ブレイクタイムに入り、勝者は立ち上がって背筋を伸ばす。ダービーの顔が緩んだのはその後すぐだった。

 

「1つ……この真山。失礼ながら、お先にイカサマをさせていただきました、たった今」

 

「……………何だって?」

 

 またもや奇想天外な発言を飛ばしてきたので、ダービーは思わず耳を疑い、鼻で笑いとばした。

 

「ですが、一人として私のイカサマに気づいた人間はいない。この場合はセーフとなります」

 

 喉まで出かかった「は?」という言葉を飲み込み、再度確認してみる。

 

「イカサマを?今?」

 

「はい」

 

「フフフ、頭が下がるよ。考える必要も無い」

 

 いや、深く考え込んでみるとしよう。

 

 彼は本当にイカサマを行ったのか?答えはノーだ。第一、電流が流れる10秒間は機械が決める。それ自体がウソという可能性も十分にあるが、その場合、ほぼ確実に勝つことができる。私を疑心を持たせる必要は無いハズ。私を焦らせて殺したいなら、誰も気づけないイカサマを宣言するのは逆効果だ。

 このゲームは一度電撃を受けただけなら死なない。ズバリ、幾度かこのゲームを体験したマヤマは「電撃を耐えることに慣れている」ため、電撃を何食わぬ顔で耐え抜いたに違いない。 

 まだだ。まだ侮ってはならない。

 

 

 〈一回戦 勝者 真山祥造〉

 

 

【二回戦】

 

 

「このような風に、とても愉快なゲームです。大体の把握はできましたでしょうか、ダービー様」

 

「つくづく癪に障る男だ」

 

「先ほどのように上手くいくなどとは思っておりません。二回戦、いきましょうか」

 

 さすがはポーカーフェイスの達人、澄ました顔を解く気はないようだ。

 言い訳無用。迷走の二回戦。

 

 再度向き合って構え、マヤマの合図を待つ。

 

「OPEN THE GAME!」

 

 二回戦開幕というには大袈裟な空気感が漂い、おそらく電流が流れ始めた。

 

 現在0勝のダービーは悠長に策を練っていた。

 焦燥を浮かべてはならない。敗者はいつも焦って溺れていく。一級品の葡萄酒を舌の上で転がすようにジワジワと、それでいい。

 もしかしたら既に電流は停止しているかもしれない。それを素の力で確信を得られる人間など存在しない。不確定要素しかないゲーム。ならば真山祥造はどのように勝ち抜いてきたのか。

 

 「電流を耐える」以外に勝利をもぎ取る手段は「イカサマ」、ただ一つなのだ。

 確かめてやる。

 

「このアメリカで極東の島国の男が、どうやって生きてこれたのか?金持ちが家一つ建てるのだって難しい場所だ。ましてやベガスのホテルなんてのは、大抵マフィアが牛耳っているものだ」

 

 ギロリと眼光を研いで詰め寄った。

 

「先程申しましたように、ただ運が良かったのです。それだけの一般人……」

 

「………………そうかね」

 

 不自然に一歩踏み出すダービーと、応じて背筋を伸ばすマヤマ。両者は落ち葉すら通ることを許さない距離で睨みを利かせる。

 

 ダービーの勝算は出来上がっている。

 タダで座れるという手札を消費したマヤマには、イカサマを行うしか座る手段はない。

 そしてマヤマがイカサマを行う場合、私の背後で行うのが定石というもの。ならば目撃者は私の前方にいるはず。目を配るのは、マヤマであり彼の後方にいる観客共だ。

 さあ私の眼前でやってみろ。イカサマを!

 

「……………」

 

 無知に待っているのは死だけ。特にこのゲームにおいてはそれは強い。

 

 26秒経過。

 ダービーがふと目覚めたような感覚に陥り、集中力が途絶えていた事に気づいた時、既に真山祥造は座していた。

 

「なッ……!」

 

 奴はどこだ。そう思い咄嗟に首を急かすと、足元から顔面へと、消えた彼と目が合い、ダービーは一滴の汗を染み出させた。

 見上げる。その抉られたように深く暗い眼は、ダービーの心にグサリと突き刺さった。それも1つの技能なのか。勝者が決定した後でも泣きっ面に蜂をかますマヤマは、万人に真のギャンブラーであることを再認識させた。

 

 真山祥造 成功

 

「一回戦で「耐える」という手を使った私は「イカサマ」を行うしかない……ダービー様は…きっとそうお考えになったのでしょう。この真山祥造……愚行は決していたしません。手か目か……何らかの合図を出して黒服に電源を切ってもらう、といった愚行は」

 

「…………」

 

「独りでも勝利を収める……それが賭博師というものです。誰かと協力し合っても、貨幣がある限り闘争の終息は雲の上」

 

 汗が空調で冷えて気持ちが悪い。

 

「……コングラチュレーション…なかなかやるじゃあないか。これで君の2勝だ……」

 

「光栄の限りです。非常に…」

 

「………………」

 

 久しぶりの強敵との邂逅に胸躍ってはいるが、追い詰められてしまっているのは逃れようのない事実。ダービーは加えて、見透かされていたという屈辱と悔しさを覚えた。

 

 なぜタイミングが判るのかが分からない。

 これにはさすがのダービーも頭を悩ませざるをえない。このままヤツの好きにさせていたら、結末はわかりきっている。

 彼の言うとおり、手先や足先、瞳で合図を送ってはいなかった。それは百戦錬磨のダービー自身が証人だ。そもそも、マヤマはおかしな行動をとってすらいなかった。

 イカサマのプランの打ち合わせを事前にしていたとすれば、ダービーの勝ち目は限りなく薄い。仕立て上げられた闘いを了承した時点で、それは敗北を意味するのだ。

 

 これからは、ありとあらゆるパターンを考慮して挑まなければならない。

 次戦を除いて。

 

 

 〈二回戦 勝者 真山祥造〉

 

 

【三回戦】

 

 

「これで私の2勝。あと1勝で私の勝利は確定となります」

 

「…………」

 

 全財産を失いかけている状況にも関わらず、ダービーは赤ワインをグラスに注ぎ入れていた。無視は意図的で、指先はほんのちょっとも震えておらず、状況に見合わぬ貫禄を覚えさせる。

 技術者兼黒服の一人が慌ただしくイスの修理をしているようで、それが大胆不敵なイカサマとは思えないので、開始までの暇はある。

 

「………ああ、すまない。ライター持っているかね?よければ貸してほしいのだが」

 

「どうぞ」

 

 グラスの三分の二まで注がれたワインを机に置き、ダービーはそう言ってきたので、彼は銀色のシンプルなライターを差し出した。

 真山祥造はタバコも酒も手をつけていないが、稀に要求してくる客がいるのでタバコもライターも常備しているのだ。

 

 ダービーはどこかからか取り出したタバコに火を点け、吸ったかも判断しかねるほど少し吸った後、灰皿の上にそっと投げた。

 そして、ワイングラスを持って水面を見る。

 

「このワインは……かなり高位なものだ」

 

「業務用です。サービスですから」

 

「………」

 

 この三回戦。2勝しているマヤマはさぞ気が軽いことだろう。未だイスに座っていないダービーに後は残されていない。

 前進あるのみ。反逆の三回戦。

 

 向かい合い、一本の鉄骨が入ったような背筋の男に対し、崩れた姿勢のままワインを見つめる男。三回戦のゴングは鳴る。

 

「OPEN THE GAME!」

 

 三回戦開始。

 あの賭博師は流れを食い止めることが出来るのかと、観客達は小言を言い合っている。

 このターンでマヤマのイカサマを見抜けなければ、負けは確定する。

 

「このゲームは運任せでやっていたら身も心も保たない…………猿だってわかることだ。全財産を賭けているんだ。真剣に解決策を見つけなくっちゃあ…な」

 

 ダービーはやっと黒目の直線上にマヤマを迎え、顔を上げながら何かを喋り出す。

 隠しきれないダービーの何かを見つけた、もしくは編み出した表情が、始まりを意味する照明弾ではないことをマヤマは感じ取れなかった。

 

「といっても、まずは自分自身に安心だと言ってやらなければならない。確実な安心を……」

 

「はて……?」

 

「私は辛酸のような刺激を求めてはいない。底無し沼に片足を突っ込むような…絶望と希望が程よく混ざり合った……まろやかな刺激を求めている。スリルはそのピークがわからないほどに増幅し続け…自分でも気づかない内に、真っ先に安心を探し始める。安心は向こうからやってこないからな」

 

「ですがダービー様の場合、突っ込んだ片足の下には「台」がある……十分に足を支えられるものが……………おっと、大変失礼致しました」

 

 体重計の動かない針のように微動だにしない彼は、最後まで頬に肉を寄せることはなかった。

 

「フン……常にその調子なら良いんだが」

 

 40秒経過。

 

「そうだ、ライターを返し忘れていた」

 

 先ほど貸し出されたライターをポケットから取り出した。マヤマは特に考えもせず手を差し出す。

 すると、互いの受け取りのタイミングが合わなかったのか、ライターを落としてしまった。

 

「っと、失礼」

 

「構いません」

 

 自身の後方辺りに転がってきたので、マヤマは屈んでライターに手を伸ばす。

 ダービーのしたり顔にも気づかずに。

 

「…………」

 

 ライターに触れたその時、マヤマの脳裏に閃光が走った。

 

 この一連のやりとり、引っかかるものがある。

 タバコを持ち歩く人間がライターを持っていない事があるだろうか。そもそも、さっきのタバコ自体全く吸っていなかったではないか。しかも隠すようにタバコを取り出していた。

 更にワインだって一度も口をつけていない。じっと水面を見ていただけだ。飲むフリくらいしてもいいのではないか。業務用ワインを高級品などと間違えたのも不自然だ。

 

 そう彼が考えたことが、今回の敗因と言えよう。この時、勝者はもう決定していた。

 

「…………このイス取りゲーム。成功する確率は六分の一。そう高くはないが、決して低くもない。焦らすには丁度良い」

 

「!」

 

「血走り、暴れて、それで勝てるほどギャンブルは単純明快ではない………混沌のスリルを持つ勝負ほどこの法則は当てはまりやすく、それすら知らない無知なる者は恐怖に駆られて無謀な行動をしがちだ」

 

 成功者であるはずの真山祥造を見下す人間が一人。

 彼は足を組み、確実に『座』に尻をつけていた。人が親切心で貸したライターを拾ってやっている間に、既に座られていた。この男、ダービーに。

 

 ダニエル・J・ダービー 成功

 

「メリットといえば、勝利した時の快感は何にも勝る事か。君には死んでも理解できないだろう……真山祥造」

 

「………………」

 

 これでマヤマは3勝目を見送った。

 そんなことはどうでもいい。自分の優位に変化は無いのだから。それよりも気になるのは、どう電流停止の10秒間を見切ったのか。どうにか解明しなければ屈託を残してしまう。

 

「……「こいつ、胡乱な動きだらけだ」とでも言いたいようだな?」

 

「話が早いようで大変有難い………是非、私にも教えてほしいものです。ダービー様の「イカサマ」を」

 

「「ダービー様の」?まるで自分もやっているような物言いだな。ああ、そういえば一回戦で言っていたか。これで「お相子」………」

 

 話すつもりがないのはこの会話で伝わった。睨み合っていても進展は望めない。

 

 電流停止の10秒間は完全ランダム。従業員や客を買収しても何も起こらない。表情や言動で読み取られるような薄い賭博師でないのは全員が百も承知のはず。電流を検知できる何かを使用したのだ。

 

 互いに立ち上がりダービーは重い口を開く。

 

「「胸中に成竹あり」。といっても仮初めの急造品。警戒されてしまっては二度も使えないのだがね……」

 

 優雅にワインを回し、芳潤な香りを楽しむわけでもなく、液体の渦が鎮まっていく様子を眺める。

 渦の中心。華美なシャンデリアはそれを暴き出した。

 

 パシッ──と、グラスを天高く弾き飛ばす。

 マヤマだった。

 

「………………全く…脱帽しました」

 

 ワイングラスの落ち砕ける音がただ響き、液体窒素で冷やされたような瞳はダービーを掴んで放さない。淡々と起きた突発的な出来事にうろたえる人間といえば観客共くらいで、やはりギャンブラーの意地があるのか、2人は一ミリも表情筋を動かさない。

 

 マヤマはたった今、何かを察知した。明白だ。

 

 飛び散った赤ワインがやっと降り注ぐと、ダービーの右腕にかかり、滴る液体は黙々と時を刻む。

 

「「暴力行為を認める」……どうした?殴らないのか?それとも「お客様」だから手を上げないとでも?」

 

 ダービーの挑発めいた発言を受けて、微々たる変化ではあるがマヤマの表情は元に戻った。

 

「……無論でございます」

 

「君が何を訴えたいかは知らん。だから先に言っておくと……私が不正行為をしたと叫ぶ者はいないようだ………ならばこの勝負ッ!」

 

 

 〈三回戦 勝者 ダニエル・J・ダービー〉

 

 

 四回戦開始手前。

 

「どうやらバレてしまったようだ。君は値踏みできない男……私の考えは正しかったらしい。それで、私のイカサマとは何だったのかね?是非、私にも教えてほしいものだ」

 

「立ち上がってやっと……理解できた。覗けたのです。「ワインの水面」を」

 

 そう言いながらマヤマは床に落ちていた微々たる光沢を放つソレを拾い上げる。 

 ソレとは、ひどく安っぽいシルバーの、小さな金属棒らしきもの。無理やり直線に曲げ直されており、両端には切断された痕跡、片側には焦げが見える。

 

「針金か……クリップか、そんなことは関係ない。これを入手する隙はいくらでもありました。この金属を私から奪ったタバコの影に隠し、更に私から借りたライターで端を熱した」

 

 タバコはおそらく二回戦で不自然に接近したときにポケットから奪ったのだろう。一流のギャンブラーの技術を応用すれば何も難しくはない。

 

「高熱を帯びた金属を急冷すると地磁気を帯びる。そして最後……水面に浮かべることで、簡易的ではありますが「方位磁石」を創り出せる。これが答えです…」

 

 ダービーは二回戦もしくは一回戦から時間をかけて素材集めを難なくやり遂げ、即席の方位磁石を作り出したのだ。

 電流の流れる所に磁力は生じる。さすれば方位磁石は磁力を持つ方へ導かれる。イスに高圧電流が流れているか否か、判断が可能に変わるということだ。

 

「不正行為だと叫んで私を敗者に仕立てる、すればいいさ。が、それは君のイカサマを説明させてもらってからにしてくれるかな?」

 

「どうぞ…………」

 

 重々しい雰囲気を醸し出す。

 

「君は『足』が無い。すなわち、『義足』をつけている。その右足に」

 

 そう聞こえたマヤマは刹那的に柳眉を逆立て、元の凍てついた顔面に戻る。

 

 一回戦からずっと目をつけられていたのだろう。

 方位磁石だけに飽き足らず、常人なら見分けのつかない足の形や大きさの違いを限られた時間で発見したというのか。単なる成長過程での誤差ともとれるというのに、これほど自信たっぷりなのは何故だ。

 

「義足に何らかの改造を施し、電流を感知できる機構を組み込んでいる。ま、大体そんなとこだろう?札束を纏った君のような男が思いつくのは」

 

「………それで?」

 

「見逃すわけにはいかない。とはいえ、イカサマだと野次馬共に訴えても、その中に義足技師がいるとは思えない。肝心の機構とやらを曝したとしても不正と判る者はいないということだ……解決するのは私だけでいい」

 

「…………悪魔の首を取ったような顔をしているところ申し訳ありませんが、義足を外すつもりは毛頭御座いません。力尽くでもぎ取りたいのでしたらご自由に……」

 

「では、そうさせてもらおう」

 

 右足の義足に突如として現れた違和感にマヤマはひっそりと汗を浮かべる。意思に抗う違和感に。

 義足の故障がないようにメンテナンスは日常的に行っている。まさかさっき弾き飛ばしたワインが偶然染み込んで異常を引き起こした?

 

「何…………!?」

 

「君自身、義足という事実は他聞をはばかるのではないのか?私はどうでもいいがね」

 

「こ……これは…脚が勝手に……何かに鷲掴みにされて持ち上がっている……」

 

 「何か」が少し脚を浮かび上がらせ、満遍なく舐めるように義足を調べている。義足なので感覚は無いし、存在を視認することはできないが、おそらく手のような何かが触っている。

 幽霊、物の怪、そういった表現が最も適している。

 

「どうした、義足の不調か?………いや、しらばっくれようが真実を伝えようが変わらないな……その『力』は、力を持つ者にしか見えないのだからな」

 

「『力』……?」

 

「一般人からすれば「超能力」とでも言おうか。安心したまえ、ギャンブルに使うつもりはない。それ以前に、『それ』は「魂を取り立てる」だけで、今…脚を持ち上げる事さえ精一杯だ」

 

 スタンド……と言ったか。

 恐るべき返し刀だ。

 

「義足を取り外せるのですか?こんな非力で」

 

「確認のためにほんのちょっぴり触らせてもらいたかったのだよ。それだけだ……何、気にすることはない」

 

 

【四回戦】

 

 

 ダービーに対する疑問はまだいくつかある。

 まず、知りもしないワインについて語り出した事について。そのような稚拙な行為に走れば増して怪しまれるのは当然。この思考に辿り着かない男でもあるまい。

 故意だとして、その理由も不可解だ。

 そしてこの四回戦、どうやって勝利を掴もうとしているのか。

 

「………と、君は考えている。それと…」

 

 ダービーはワインボトルの首を掴み、マヤマ側のイスの脚にワインを垂らし始めた。液体は脚を滴り落ち、否応なしにカーペットに染み込んでいく。

 ワインが空っぽになった頃に、安っぽいアルコールの香りが両者の鼻をさすった。すると何を言うわけでもなく、マヤマは目を細めた。

 

「このように、「こいつまさか、漏電で火でも起こすのでは?」……とも考えている。下は絨毯で、電圧は十分、おまけにアルコールもある……………ピッタリじゃあないか。どうだ違うか?」

 

「いいえ……全く」

 

「…嘘の好きな奴だ」

 

 疲れ気味な顔の裏に隠れたダービーの確信めいた目つき。ブラフかミスか、脳内票は均衡しているが、彼の策が今もなお進行していることだけは理解した。

 

「よければ拭きましょうか?拭かないのでしたら開始となりますが」

 

 このままゲームが開始となれば、高確率で漏電、炎上する。フランベのように、待つ暇は与えられないほどに一瞬で。

 

「ワインは君側にあるが………私も焼け死にたくはない。消火器だけ用意しておいてくれ」

 

「承知致しました」

 

 彼が言い終わると、黒服は待機していたのではないかと疑わせるほどに素早く消火器を傍らに備えた。それに、スプリンクラーもあるにはある。

 

 燃え広がるのにそう時間は要さない。ゲームが終了となるまでに、果たして火達磨にならないでいられるか、地獄の中心にあるイスに座ることが許されるのか。

 克己心と判断力。覚悟の四回戦。

 

「OPEN THE GAME!」

 

 始め。

 

 その蓋然性は等しく六分の一。前にも後にも揺るがない、ほんの約17%の確率。何が来ようとおかしくはないというのに、ただ一つ、一驚を誘うものがある。

 00秒、10秒、20秒、30秒、40秒、50秒。この6つの電流の停止開始時間のうち、この状況ならではとも言える、誰もが意外と感じるものはどれであろうか?

 

 答えの前に一つ。

 「王道」とは一般。基礎であり初歩である。けれども皆が皆、王道を外れれば、やがて王道は邪道に変化する。原初の王道とは、現代における横道なのかもしれない

 

 例えば、ババ抜きで真ん中にあるカードを避けたり、路地裏にある薄汚いレストランにあえて入ったりと、人間とはわざと「王道」を外れたがる節がある。それが「吉」に出ると思い込んでいるからである。

 ギャンブルにおいて思い込みは致命的であるが、短絡的に言えば今回のゲームは運勝負。「万人が「王道」だと思っている使い古されたモノを正解にもってくることはない」と思い込んで自分を安心させる事も、ある程度は重要なのである。

 このような王道を外れたがる心理から考えれば、最も意外と感じる停止開始時間は一つ。

 

 問いの答えは『00秒』。ゲーム開始と同時に、電流は停止していた。

 

「これは……………」

 

「燃え…ないッ……!?……クソッ……まさかッ!」 

 

 条件は満たすどころか溢れていたハズ。漏電で炎が上がり、火の海となる前にどうにかして決着をつける。その腹積もりが跡形も無く破壊されてしまった。

 根本からひっくり返された現状が示してくれた。四回戦、もう電流は流れないということ。火が上がることはもうないということ。

 

「決断は30秒でも40秒でも50秒でも無いッ!」

 

「思いのほか…勝負は早くつきそうですね、ダービー様。止まったのは……『00秒』…!」

 

「…『今』ッ!!!」

 

 

 *

 

 

 話は逸れ、アフリカのとある国のとある話。

 

 その国は独裁政治の失政や弾圧による経済破綻に伴い、治安が激しく悪化。これによって1960年代後半、打倒独裁政権を掲げた反政府武装組織が発足した。

 長き内戦の始まりはそれだけであったが、やがて複数の民間軍事会社の参戦や、政府内でのクーデターによる国家元首の交代によって戦争は複雑化。目まぐるしく変化する戦局の中、反政府軍はダイヤモンド鉱山を資金源とし勢力を拡大するも、2000年代に国連の介入によって停戦した。

 

 

 そんな当時の、終わりの見えない戦争の真っ只中の話。反政府軍は年齢問わず男を戦力として取り入れていた。

 長期的に使える少年兵を入手する場合、まず親を殺す。すると行き場を無くした子供たちは大人にすがるしかなくなる。ちなみに、その大人たちとは同じく親を殺され、やむを得ず戦い、生き残った少年兵の成れの果てである。

 

 そこは黒人国家なのだが、ただ一人、漂流したかのように迷いこんでいた日系人の少年がいた。売り払われたのだろうか、それとも本当に漂流してきたのだろうか、真相は彼自身しか知らない。

 彼は7歳にして兵士として迎えられるも、異色の宿命か、犬以下の扱いで雑務を押し付けられ、食事は微量しか貰えず、憂さ晴らしに暴力を受け、ある日は射撃の的として倒れた。

 

 彼が長いこと生き抜いてこられた理由としては、忍耐と奇跡が五分五分に存在する。仲間たちに隠れて藻や虫の死骸が浮かぶ泥水をすすり、見たこともない木の実を頬張り、感染病にかかっても我慢した。

 いつしか少年は食べれば食べるほど痩せ細り、誰がどう見ても死体同然だった。

 

 少年の住む土地には土着信仰があった。

 それは他人の心臓を食らうと持ち主の勇気や知恵を手に入れられるというもので、無知な少年兵たちはこぞって行った。

 結末から言えば、極限状態に陥っていた少年は寝ていた仲間の心臓を自力でえぐり取り、貪った。

 

 過酷な環境は人を病ませるが、異才を放つ怪物を産むこともある。

 

 最終的に計4人を殺害。

 少年の行方は未だ不明である。

 

 

 *

 

 

「……………………ハッ……!!!」

 

 暗く深い意識の深潭から醒める。

 なぜか憔悴しており、指先が思い通りに曲がらない。

 

「……痺れている………これは…」

 

 なんとかして上半身を起き上がらせるも、抗いようのない脱力感に包まれ、ピリピリとした痛みが目立って感じられる。朧気な意識が眠気のように思考を奪い、現状を呑み込むのにそれなりの時間を要した。

 白いベッドの上。薬品棚が目につくと、すぐに医務室だと察した。こんなところで眠っていた理由も、信じがたいが予測はついた。

 

「ま、まさか「失敗」したというのか…?あの時既に……「00秒」で確定だったはずだ……何故……間違いないのだッ……!」

 

 独りで頭を抱える最中、その悩みを吹き飛ばすために来たと言わんばかりに、見慣れたヤツが姿を見せた。

 記憶が曖昧な今、不本意とはいえ憎きヤツに訊ねるしかない。

 

「……意識が戻ったようで嬉しい限りです」

 

 業務用スマイルすら知らない男、真山祥造のことだ。

 近づいてくる焼け跡一つ無い純白のスーツが、ダービーの策の失敗という現実を突きつける。ダービーは壁にもたれながら立ち上がり、再び彼と相対した。

 

「マヤマ、貴様……新たなイカサマを…!そうでなければ説明がつかない……謀ったな!」

 

 なけなしの体力で焦りを見せる。

 

「さあ、存じ上げません」

 

「くッ…………もういい……で、私は失敗してしまったようだな。こうなってしまっては、私に言うことはない…………」

 

 勝負に負けたのなら、それ以降の反抗は負け犬の遠吠え。ダービーにはプライドがあるため、常人以上に出来っこない。

 

「……電流停止を見誤ったのは事実ですが、失敗ではありません。気絶しようとも座りさえすれば電流は止まりますので……四回戦はダービー様の勝利となります」

 

「…………」

 

 そうだ。よく考えてみれば今、自分は生きている。感電諸々の話ではなく、魂の話だ。魂を取り立てられていないということは、まだゲームは進行している証拠。

 

 ダービーは胸をなで下ろす思いで顔を上げ、新たに芽吹いた疑問符を貸し付ける。

 

「……だが…………見誤った…だと?」

 

「はい。止まってしまったので本来の停止時間は不明ですが、ダービー様は今、気絶から目覚められた。すなわちダービー様が座った時はまだ、確かに電流は流れていたのです」

 

 しかし、ワインは一瞬として燃えなかった。偶然か?そんなバカな。触れただけで気を失うほどの電気だぞ。やはりこの日本人、何が何でも隠し通そうとしている。自らのイカサマを。

 

 ダービーが不正を暴く決意を再度固めようとしたとき、マヤマは話を変える。

 

「それと、「電流は一度だけ耐えられる」などと説明文には記してありましたが、あれは言い換えれば「一度だけなら生還できる可能性は高い」……というだけ。かなり威力は抑えていようとも、あれは「雷」なのです」

 

「…?」

 

「落雷を喰らったのにのうのうと起き上がる…なんて話があります。が、もしそんな風に生還できたとしてもダメージは計り知れません。皮膚や内臓の熱傷、心停止、呼吸停止など……ホテル側で善処致しますが、絶対に死なないという保証は出来かねます」

 

 一度ほぼ無傷で耐えたからといって二度目はない、五回戦で切れる手札に数えるな。彼はそう伝えたいのだろう。

 言われてみれば、電撃による痛みや息苦しさは全く感じない。薬品でも投与されたのだろうか。軽傷に越したことはないとはいえ、ホテル内で応急処置以上のものが可能というのと、小さな医務室で治療を受けてこれとは、摩訶不思議だ。

 もしや、落雷並の電撃というのはハッタリで、本当はスタンガン程度の電撃なのではないか?という希望的観測が頭をよぎった。

 

「では…今から10分後、ゲームを再開させていただきます。もし来なければ、その時点で」

 

「この私が敵前逃亡すると?」

 

「大変失礼しました。ああ、それと……」

 

 去り際、釘を刺すようにマヤマは言い放つ。

 

「時間はもう……残されてはいないのです」

 

 

 〈四回戦 勝者 ダニエル・J・ダービー〉

 

 

【五回戦】

 

 

 10分間のインターバルは終了した。疲労からかトラップを仕掛ける気力も起きず、ダービーは特に何もしなかった。

 

 カジノ内に残っているのはマヤマと彼、あとは数名の黒服と半分以下に減った観客たち。地下にあるため空は拝めず、イスの位置や黒服の配置、灰皿やワインの空き瓶までもが以前と変わらないここでは時間の感覚なんてものは到底掴めない。

 

「電気マッサージというものは血行が良くなるなんて言うが……案外信憑性アリだな。肩凝りが治った」

 

「……それはそれは…良いことで」

 

 時間が進んでいるのか疑うほどに代わり映えしないやり取り。

 相手の気丈な振る舞いは、既に勝ったつもりでいる証。巨大な落とし穴を忍ばせている証だ。と、二人は思った。

 

 遂に最終戦が始まる──そう思った矢先。ダービーの城壁は崩れることになる。

 

「…『50秒』」

 

 マヤマが唐突に言い放つと、ダービーは目を見開いた。

 

「…………もう……見当はついていらっしゃるのでしょう?何を意味するのか」

 

「何だって…………?」

 

「…ダービー様の心拍数の急激な上昇………予想通り………ですが、決して私が驕り高ぶれる事でもありません。ダービー様から種明かしをしてはいかがでしょうか」

 

 この男ならありうる。いや、この男でなければありえなかった。

 天才を超えた天才ほど恐ろしい者はいない。ダービーは自分自身が常識を無視した能力を持つからこそ、余計にそれを思い知らされた。

 

 ダービーは諦めたムードで重苦しく話し出す。

 

「…………その前にまず、いくつか問おう。一つ、君が義足を着けているのは事実だが「義足はイカサマではない」…な」

 

「……………………」

 

 真山祥造はじっとりと寡黙を貫いている風にも見えるが、それはとんだ見当違いだ。

 かといって、初対面の際に見せたような、黒い指摘に対する不敵な無言でもない。あの時はまだ、互いが探りあっていた。

 では真実は何か。それは脈絡のないダービーの質問に対して「応答は無駄である」と言いたげな、達観した面構えだった。

 

 あろうことに、何もかもを見通した具眼の士は、いつからか「それ」を知っていたのだ。

 

「…………くっ」

 

 ダービーの心臓は激しい血液のビートを奏でている。「それ」が見破られることなどあるハズがないとタカを括っていたせいで、隠しきれないほどの身震いが彼を襲う。

 

「…………二つ…………貴様はゲームが開始する寸前、イスの電源がオンになった時、「電流の停止時間を知ることが出来る」……」

 

「…………………」

 

 またも黙りこくっている。

 「それ」を知っていれば、わざわざ単純な質問に舌や顎を上げ下げする必要はないからだ。

 

 「それ」とはダービーのイカサマであるのだが、一般常識を持つ人間ならば、思い浮かべることすら馬鹿馬鹿しい。しかしマヤマには一般人でない前例がある。噛み合わないパズルのピースを並べて完璧な絵面を思い浮かべることが、彼にはできる。

 そして、ピースを最終的に繋ぐのが「それ」だ。「ダービー」だけが知り、利用していた枷だ。

 

「両方とも、答えは「YES」でしたか?」

 

「!」

 

 マヤマの狂いなき正答。これを恐れない者はいない。

 

 ある者の超能力により、質問さえ投げかければ一方的に是非がわかるという、簡単な読心術。それこそがダービーの秘術だったのだ。

 更なるマヤマの解説は否定のしようがなかった。

 

「…………「YES」か「NO」のどちらかでしか読めないものなのでしょう、その『力』は…………質問に味気がなかったので。しかも、使用するためには何らかの「準備」が要る。例えば、三回戦のあと、私の義足に『悪霊』を取り憑かせていた……なんてどうです?」

 

「…………な……」

 

「ああそれと、隠しても無意味ですのでついでに言わせてもらいます。『50秒』とは四回戦での本来の停止開始時間………であると共に「五回戦の停止開始時間」です」

 

 またもや不意。

 しかしながら、事実に合わせて与えられた疑念はダービーを落ち着かせ、思案は焦りに蓋をした。それがマヤマの狙いだったと思うと、情けに思えて、少し腹立たしくなった。

 

 四回戦での停止開始時間が50秒であることは、質問はしていなかったので不確定とはいえ、偶然にもその時の会話によってダービーは知っていた。つまり彼の言った内の前者は信用できた。

 問題は後者。五回戦の停止時間が50秒であるという事について。一回戦、四回戦と続き、五回戦でも停止時間が50秒とは。

 

「それを信じるとでも?…………とは言わん。四回戦の50秒は勿論、五回戦の50秒もどうせ「YES」だろう。問い詰めはせん」

 

 大して考え込むことなく信じることにした。

 ダービーが読心術を使っていると知った以上、彼が悪意のある嘘をつくことはないだろう。

 

「これもラストですので言わせてもらいますと、停止時間の判断は『音』。電源がついたときの『音』で……いつ停止するかわかるのです。私、聴力には自信がありまして。鼓動ぐらいなら聴こえます」

 

「…………君というやつは……」

 

 もはや呆れてものもいえないダービーは鼻で笑い、呼吸を整えるくらいしかやることがなかった。

 

「……それでは、最終ゲームを始めましょう」

 

 静かになったのを確認すると2人は背筋を正し、昂然と立ち、改めて向かい合った。

 

 失敗は許されないダービーと、どんな手を使うか予想のつかないマヤマ。いつしか二人を包むのは緊張感ではなく高揚感。ギャンブルの魔力に溺れ、抜け出すことのできなくなった人間同士での命賭けの闘い。今から始まるゲームの結果が予想できればと思うのは凡人の浅知恵。先の見えないスリルこそが史上最上のエネルギーなのである。

 

 どちらが四回戦終了後に仕掛けられた極大の地雷を踏んでしまうのか、耐えるのか、避けるか、はたまた拾い上げて投げ返すか。いずれにせよ、塗炭の苦しみをじっくり味わうことになるであろう。

 ただ一つ言えることは、ここに後悔は無い。

 

 敗北とは死。勝利とは栄光。

 大博打の五回戦。

 

「OPEN THE GAME!!!」

 

 開戦を告げるラッパは鳴る。

 耳に染み付いた開始宣言はもはや懐かしく、ゲームは終わりを迎え始めた。

 

 精神の中で凍結していた時は再び刻み始め、体内時計は鼓動と共に勝手に死へのカウントダウンを数えていく。延長戦など望んではいないからだ。

 

「先ほどの「読心術」の件……気づいたのはついさっき。ですのでこの真山祥造、この最終戦は異なる手段を用意しております」

 

 マヤマはスーツの袖をめくり、やたらと光を跳ね返す腕時計の文字盤をダービーに見せつけた。

 

「現時刻は『午後4時59分21秒』……ちなみに五回戦開始時刻は午後4時59分17秒となります」

 

「それが何か?」

 

 ダービーは自分のものよりも値の張る腕時計を見せつけられたせいか不機嫌になりつつも、彼の突拍子も無い話を用心した。

 

「当ホテルでのチェックアウトは午前11時。それ以降になりますと、延長料金として一時間につき30ドルを頂きます。ですが当ホテル……特にこの時期はお客様の数が多く、あまりにも延長が長引くと業務に支障をきたします」

 

「…………うむ……勝負に関係ないとはいえ、こればかりは言うことはない。そういえば、私の腕時計が見当たらないが…」

 

「いいえ、そうではありません。当ホテルの規定で、ダービー様の宿泊している一等室の場合……大変恐縮ではありますが、チェックアウト時刻から6時間後が………『強制チェックアウト時刻』となっています」

 

 妙に粛々と話すのでダービーはほんの少し不思議に思い、その後すぐに息を呑むことになる。

 『強制チェックアウト』。これが何を意味するのか、瞬時に読み解き、これがマヤマの策謀なのだと驚愕した。これは彼であるからこそ真価を発揮する、一本道に堂々と居座る障壁だ。

 

「要は本日『午後5時』……ダービー様は強制チェックアウトとなり、同時に延長料金をお支払い頂きます。お部屋の荷物はホテル側で責任を持って預からせていただきますので、ご心配なく…」

 

 ああ、そうだ、忘れかけていた。

 

「………「お客様だから」……敵であるこの私にそれを伝えた。そうだ………「客だから」…………」

 

 隅っこに隠れていた、このゲームのルールでは可、真山祥造のルールでは不可な行為を。

 

「この五回戦で言いますと、『43秒』……それがダービー様の『強制チェックアウト時刻』……」

 

「…バカな……………これでは……」

 

 「暴力」だ。

 これまでマヤマは、自分がホテルの客だから暴力を振るわなかったのだ。そこで強制チェックアウトが執行されれば、自分はホテルの客ではなくなり、マヤマが自分を丁寧に扱う理由は消失する。

 しかも、このゲームでのヤツの真の狙いは自分が二度とこのホテルを利用しなくなること。つまりは死亡すること。マヤマはその真の狙いを、自分自身で執り行おうというのだ。

 

 『43秒』を過ぎれば、死ぬ。

 

「いや待て……!私が貴様とゲームを始めたのは昨日の夜9時頃だぞッ!四回戦の後……19時間以上も気絶していたと言うのかッ!」

 

「はい」

 

「大嘘つきめ………仕掛けるなら私の見ていない間………このカジノにある時計を全てずらしたな!」

 

 柱のモダンな掛け時計は5時直前を示している。

 右手首を見るも腕時計は無く、カジノから抜け出そうにも二の足を踏むばかり。

 

 多分てはあるが、気絶していたのは10時間程度。カジノは24時間オープンしているため判りづらいが、本当は今は朝方だろう。そしてマヤマは、強制チェックアウトを利用するためにカジノ内の時計を一つ残らず動かしたのだ。そうでなければ日没の近い時間帯の客数がこんなにも少ないわけがない。

 

「この場から10m以上離れた場合は棄権と見なします。それとダービー様の腕時計は三回戦後の際、ワインがかかって外していらしたので、当ホテルが責任をもって…メンテナンスをさせていただきました」

 

「チッ…………そんなもの信用できるか…細工されているに決まっている」

 

 もう腕時計はどうでもいい。

 電流停止開始時間は50秒。強制チェックアウトは43秒。この2つの時刻の狭間にある『7秒間』という名の傍観者たち。その邪魔者たちをどう凌ぐかが、現時点での最大の難関である。

 

 午後4時59分40秒。ゲーム開始から23秒経過。

 

「…………昔、父親とキャッチボールをしました。けれど新品のボールは壁に当たるばかり。何故か?理由は私に親なんていなかったからです」

 

「また与太話か。興味の無い話ほど退屈なものはないということを教えられた事はないのかね?おっと、教える親がいないんだったな。すまない」

 

「私は米国人です……国籍があります。生まれてから一度として日本人とは名乗ったことはありません」

 

 日本名のままのアメリカ人とは。

 よくよく顔を見てみれば、肌はキメ細やかでシワ一つ無い整った顔立ちをしている。若作りではここまでの質感は生み出せない、本物の若さだ。

 

 こんなこと尋ねる暇があると言われれば十中八九無いのだが、自分の中に有耶無耶を留めておくのも癪なので。

 

「……これは興味本意で聞くが、貴様一体何歳だ?」

 

「今年で22です」

 

 ダービーはフッと吐息を強めて嘲笑った。それが冗談へのせめてもの社交辞令だと思ったからだ。

 

「バカを言え。このホテルは1971年開業だろう」

 

「私は2代目支配人。初代は私との賭けに負け、あらゆる権限と共にこのホテルを明け渡してくれました」

 

「な…………初代支配人とやらは、たかが若造との勝負にこのホテルを賭けたというのか?……君はマフィアの一人息子でもあるまい」

 

「ええ、私は一般人です」

 

「……………」

 

「それがギャンブルの魅力というものです」

 

 そんな無駄話をしている間にも、43秒は刻一刻と手を伸ばしてくる。

 

 とりあえずダービーは距離をとった。

 4mほど離れただろうか、マヤマは変わらずイスの真ん前を陣取っている。平凡に考えればこの位置取りは、マヤマが50秒時点で楽々とイスに座るのを野放しにすることになる。

 言わば今の位置は、彼の本質を看破したダービーだけが踏み入れられる領域。あとは少しの積極性があればいい。

 

 ふと、今になってダービーは言い忘れた事を思い出し、少しばかり声を張った。

 

「そうそう、言い忘れていたが、このゲームには大きな「欠陥」があるな。お互い向かい合っている…それが何を意味するのか」

 

「…『相手が座す時』を見ることができる」

 

「そう……すなわち、相手を押し退けて座ることが可能。暴力行為を認めるこのゲームならでは…と、言えるだろう」

 

 ダービーは話を続ける。

 

「だが何故、どうして私はそれをやらないのか…………それは君が、私が力で勝利をもぎ取るギャンブラーではないと分かっていたからだ。当然、私は君の思うようなギャンブラーだし、今後もそのつもりだ」

 

「ダービー様が暴力行為に走らない方であると知った上で、私がこのゲームを選択した……そう仰りたいのですね?」

 

「今みたいに、君は全てを掌で踊らせているようで、実は違うのだよ。この勝負……どちらがマリオネットか、すぐにその身に焼きつくさ」

 

 ヤツは、私が押し退けない人間であるからストレート負けは無いと考え、かつ強制チェックアウト後の暴力行使も含めてこのゲームを選んだのだ。

 私と出会ったときから既に、五回戦まで行うつもりだったのだ。

 

「まもなく、ダービー様の強制チェックアウトのお時間となります。準備はよろしいですか?」

 

「……正真正銘、これがファイナルラウンドだ」

 

 42秒突入。

 刻は誰の許しも得ずに進む。どちらかの死を拝むために。

 

 42.96秒

 

 功名心は生を受けると共に捨て、研磨されすぎた暴力には固く封をしている。しかし、永久に似た刹那を過ぎれば、獲物を食らう絶対強者と化す。望んだ終わりを成し得たとき、彼は大多数に全能と評され、極少数に畏れ戦かれるであろう。

 機は熟す。深層にすら恐れはあらず、本能の赴くままに静謐は今、牙を剥く。

 

 42.98秒

 

 42.99秒

 

 43.00秒

 

「行くぞッ!!!ダービーーーッ!!!」

 

 高らかにゴングが鳴った。

 先までマヤマがいた場所はカーペットがめくれ、微細な埃が漂っているだけ。だというのに、その場から声は聞こえた。いや、置き去りにされた声を聞いたのだ。

 彼が計り知れない頭脳を持つのは明らかである。そして頭脳だけで勝ち上がってきたのではないことも、また明らかである。

 

「何ィッ!?………まずいッ!」

 

 マヤマは一歩で走り幅跳び以上の距離を前進し、まだ43秒半になっていないというのに、ダービーの目前に迫っていた。

 予測を遥かに下に見ている。どれほどの脚力があればそれを可能とするのか、考える必要を感じる暇さえなかった。

 

 ダービーはとっさに灰の溜まった灰皿を投げつけ、マヤマが煙幕のように散ったそれを払う隙に、大回り気味に彼の背後に回った。

 

「……イスから10m以上離れれば棄権扱いだ。決して逃げられない、お前だからこそ……」

 

 視界を遮る灰を取り除いた後でも、彼は自身にかかった灰を払い続けていた。実は潔癖症なのか。こんな些細なことでも、数秒前までの彼からは想像もつかない行動だった。

 

「本当にそうかね?…私だって人間だ。自信を持ってそう言える。賭けでもなんでも、マジに殺されそうになれば、迷わず逃げ出すさ」

 

「…………」

 

 まだ灰を払い終わってはいないものの、マヤマは振り返った。

 彼は見た目こそ均整がとれていて筋肉量はさほど無く見え、華奢だと言えるが、スーツの下には歴戦の肉体が秘められている。真山祥造は天才的頭脳だけでは飽き足らず、超人的筋力を持ち合わせているのだ。

 

「何を…………企んでいる……」

 

 ダービーはカーペットに座り込み、床に置いた指先は今にも電気イスの脚に触れそうであった。

 

「さあな…………」

 

「…………そうか、共倒れを狙っているな…?だがなダービー、お前が一度失敗していることを忘れたとは言わせないぞ」

 

 私の攻撃がヤツに触れた瞬間に感電することで一緒に感電させようという腹積もりか。ここにきてヤツは最大の悪手を選んだ。

 

「死にたくないのなら、50秒になるまで待ってやっても……私は一向に構わんがね」

 

「……」

 

 ヤツの愚かさは二つある。

 まず一つ目は、ダービー自身が一度感電で倒れていること。二度目はないとあれほど肝に命じさせたというのに、ここにきて奇跡に身を任せるのは愚かである。

 次いで二つ目は、そもそもイスの脚に電流が流れていないということだ。二回戦で私とダービーが近寄った際、ダービーの足先がほんのちょっぴりイスに近づき、彼の意識は一瞬とんだのだ。そして唯一ダービーの足先を見ており、それを漏電と勘違いした黒服は急ごしらえの漏電対策を施した。本来は全体に走る電流のうち、イスの脚に流れる電流のみを止めたのだ。四回戦、ワインが燃え上がらなかった理由もそこにある。

 

「Bring it!怖じ気づいたかマヤマッ!!!」

 

 しかし油断は禁物だ。

 必ずしも愚かだと言えない理由は、ダービーが一つの作戦だけにこだわり、それ以外は無策だという人間ではないからだ。

 床にこぼれたワインは乾ききっているし、ダービーが漏電対策のことを知っているとも考えられない。何者かに賄賂を渡せるタイミングは出来るだけ削ったし、もし黒服に渡せたとしても私に報告すれば賄賂以上の金額を出すように約束している。ヤツが忍ばせられる伏兵は凶器持ち込み厳禁の一般客のみだと、断言できる。

 

「まあいい……引っ掛からなければいい話だ。感電させようものならば、回避すればいい。違う策であれば、即刻対処すれば終わる話…………結局のところ、この私は『無敵』だ」

 

 マヤマは脚を力ませ、軽く息を吸う。

 

「避けるなよッ!!賭博屋ッ!!!」

 

 今度は一気に距離を詰めるのではなく、短距離走の形で近づいた。スピードはその道のトップランカーの最高速を優に超えていた。

 

 ダービーの人差し指がほぼイスの脚に触れる。

 

 人間が大電流に感電したとき、筋肉は反射的に硬直し、手などの感電部分を離すことができなくなる。そして、電気が流れているままで感電している人間を引き剥がそうとした場合、その者も二次被害にあうのは言うまでもない。

 ならダービーが感電する前に素早く殴ればいいとか、先走って感電してくれればと思うだろう。それは浅はかな願望である。追い詰められた人間の瞬発力は甘くない。

 

 そこでマヤマが用いるのが、「飛び蹴り」で救助するという俗説である。俗説とはいっても、素肌で触れることがなく、吹き飛ばすことができ、触れる時間が短い方法を使うしかないのだ。

 

 マヤマは地面を蹴り、宙に飛び上がった。

 圧倒的走力から生み出される跳躍距離は凄まじく、高さも完璧。体を横に向け、右足を全力で蹴り出した。

 

「くらえッ!」

 

「オオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 ダービーは、電気イスでぶん殴った。

 

「なッ………!!?」

 

 意表を突かれたマヤマは一方的に感電し、殴られた衝撃で少し浮き上がったのち、勢い余ってダービーの後方に転がった。

 

 金属製の電気イスは相当の重量がある。それを踏まえて相手を見据えつつ、両手で持ち上げ、高速で接近してくる物体に当てるというのは気苦労であったが、実際やってみると何てことはなかった。

 当然、イスの脚に電流が流れていないことを知らなければ頭にすら浮かばなかった芸当である。

 

「ふう」

 

 一息つくと、角張った脚のせいでできた手の擦り傷を無視してマヤマに目をやる。

 受け身をとっておらず、動く気配もないので気を失っているに相違ない。

 

「………………時間の感覚が狂っているな………まるで何時間も戦っていたようだ」

 

 視線を戻し、イスを慎重に立て直すと、何となく気持ちを整理した。油断大敵と心で念じた。

 あんな怪物に粗暴なカウンターKOが決まってしまったのだ。目覚めたら何をしでかすか予測不可能。マヤマと一言も交わさずにホテルを出るのが最善だろう。

 

 遂に、ゲームが終わる。

 

「「勝者」はこのわ…」

 

 ダービーの足がピタリと止まる。最初は第六感が働いたとしか思えなかった。内心は恐怖のあまり非現実的だと叫んで信じようとしなかった。

 28年間生きてきて、これほどに背筋が凍りついたのは初めてだった。理由は、とは言うまい。どうせ表面上の答えしか解らないから。

 最終的には、焦げ臭さが決め手となった。

 

 諦めをつけた物事を他人が成功させたとき、人はどれほど悔しがり、どれほど脳内で負け惜しみを繰り返すだろうか。たいてい、無いとか少ないとかいう答えは返ってはこない。それが人間というものなのだから。だかしかし、今の状況はそれに反している。悔しがることも、負け惜しみを唱えることも自然とない。仕方がないじゃないかと、すぐに結論づけるしかなくなっている。

 それほどに彼は、人類の枠組みを外れすぎている。

 

 背を羽毛のように優しくさする、奇妙な混沌の気配を、ダービーだけが感じた。

 彼はまさしく、人知の及ばぬ孤高の王。

 

「さあ………………ゲームを楽しもう………」

 

 その声を聞いたダービーは絶句し、開いた口が塞がらなかった。

 確かに背後にいる、少なくとも数時間は寝ているはずだった、二本の足で地を踏みしめる男を、幽霊などではないと信じることがやっとだった。

 

 皮膚や内臓の焼けた臭いが鼻につき、絨毯と革靴の擦れあう音が何度も耳に入った。ダービーは首から体へと捻りを伝え、確信するために振り向いた。

 

「…マヤマ……貴様…………本当に人間か……!?」

 

 真山祥造は蘇っていた。

 

「フフハハハハ………ああ………驚かされたよ…全くだ…」

 

 夢遊病患者のように漠然と立ち、髪の毛は乱れきっていて、息は切らずとも弱っているのは明瞭だった。かといって、それが大きな影響を及ぼすとは考え難かった。

 

「…四回戦……お前の真の目的は……「イスの脚に電流が流れてるかの確認」だった……二回戦の「意識の空白」を疑わないお前ではなかったのだ」

 

 復活直後にも関わらず、マヤマは全てを読み解いている。いや、ダービーが電気イスを持ち上げたときには、もう読み解いていた。

 

「漏電など下らぬ口実………ワインは脚の電流の有無……失敗は脚以外の電流の有無……身を呈して調べていた…………全く脱帽モノだ………イスで私を攻撃する…あの一瞬のためだけに、一度しか使えないカードを使ったとは………」

 

 二回戦の違和感。四回戦の失敗。五回戦の反撃。

 ダービーによって手繰り寄せられた糸は絡み合い、敵の首を絞り上げたのだ。

 

「電撃より速い思考回路…人の域を超越した運動能力…………マヤマ、君は…何なんだ……?」

 

「…………」

 

「何者だと聞いているんだッ!!答えろッ!!」

 

勝負師(ギャンブラー)だ」

        

 50秒突入。

 

 時間の感覚というものは、状況によって変わる。

 これから始まる終わりは、彼らにとっての永遠。

 史上最高の、一世一代の、紛うことなき大勝負。

 

 さすがに弱ったマヤマの脚は震え、歯を食いしばり、何らかの激痛に悶えている。数十秒前の彼の面影はとうに消え果て、今や糸に吊られた死人。

 ダービーはそんなことお構い無しである。

 

「……お互い、大まかな勝負の流れを予見していたとはいえ、それは大まかでしかない………私とて強制チェックアウトや君の力には戦慄が走ったし、電気イスをぶつけるのはマジに奥の手だった………だろ?マヤマ…」

 

「ああ…………賭けとは絶え間ない挑戦だ。どんな過酷な運命が待ち受けているかわからない「恐怖」……乗り越えたときの「興奮」、負かしたときの「優越感」。どれをとっても……この世で一番目に素晴らしい…」

 

「………………フッ」

 

「……本当……に…心から………そう思い…ます………」

 

 光の下で、最期にマヤマは微笑んだ。

 

「…………我らは『同類』……いや」

 

 君は、運が良いヤツだ。

 

「君こそ真の勝負師だ」

 

 空気の抜けた風船のように緩みきり、倒れかかってきた体を、不本意ながらダービーは受け止めた。

 手に触れた白い肌は冷えた鉄よりも冷たく、凍てついた水よりも空虚だった。汗一つ染みていないスーツはまだどこか焦げ臭く、永久に閉じた瞳は懐かしくもある。そして、この半開きの口から、あの憎き台詞が発せられることは二度とない。

 

 極限状態へと入っていた男の数秒限りの余命は、真山祥造という人物を伝えるには十分すぎた。きっと彼自身、人生最後の予定外は、それだったはずだ。

 

 マヤマはダービーと出会うずっと前から病人であり、たった今、その生命を終えたのであった。

 

「……………『(せい)』を捨て『勝利』を求めるとは……何が君を突き動かすのかは計り知れんが………よく耐えたものだ……」

 

 そっと、生気を失った彼の体を床に置いた。

 ダービーもそれが性に合わないのは承知していたが、雑に扱う事はどうもプライドが許さないらしい。

 

 ダイヤモンドの光沢。それは万人を魅了する世界最高の輝き。それは無為自然の原石と悠久の人類史の結晶体。ただ万人は、表面上の輝きにしか目を奪われない。どれほど長く地中に忍び、どれほど多くの命が関わってきた事を知っても、感傷に浸ることはない。何故ならそれら数多の過去から不要な過去を淘汰した結果が今、万人の眼前にあるからである。結果とは選び抜かれた過去、現在とも呼ぶ。それを知れば、他の雑多な過去など不要なのだ。

 今日、この賭場で散った男は、果たして歴史から排除されてしまったのか。それとも勝ち残った者に吸収され、生きる過去の一部となったのか。

 それを考えることに、意義はあるのか。

 

 やがて、気が滅入る前にと思い、イスに座った。

 

「グッド」

 

 

 

 《THE CHAIR TAKER》

 

 〈天才ギャンブラー〉ダニエル・J・ダービー

   VS

 〈ホテル『ハイ・ベガス』支配人〉真山祥造

 

 勝者  ダニエル・J・ダービー

 敗者  真山祥造 

 獲得物 東京にある8つの不動産 

     真山祥造の魂

 

 

 

 *

 

 

 「クールー病」とは、脳などに存在する異常プリオン蛋白質を摂取することで感染し、クロイツフェルト・ヤコブ病や伝達性海綿状脳症と類似した、言わば脳がスポンジ状になってしまう病気である。

 パプアニューギニアのフォレ族が代表例で、感染原因は「食人行為」にある。その潜伏期間は最長40年を越す場合もあり、前述の症状や筋肉の衰え、震えをはじめ、様々な症状ののちに死亡する。

 

 

 *

 

 

 【ゲーム終了後】

 

 マヤマの死体は黒服たちに回収された。

 強制チェックアウト前ギリギリに五回戦を設定したことや、黒服が誰一人動揺しない事に理由があるとしたら、死ぬことも負けることも予定の内だったから、だろう。そこまでして勝負をした理由を、ダービーが知ることはなかった。

 

 そんな中、新たな一人の来訪者が歩み寄ってくるや否や、電源の切れたイスに座ったままのダービーを見下した。

 

「見ていて飽きない戦いだったよ、お前の滑稽さのおかげでな………ダニエル」

 

 観客に紛れていたその男、名をテレンス・D・ダービーが現れた。テレンスは10歳年下のダービーの実の弟であり、彼もまた博徒である。

 

「半ば強引に呼ばれて来てみれば、急に私のスタンドをつけろだサインを送れだ……あんな猿ごときに何を焦っていたのだ?」

 

 弟の長いこと溜めていた文句が溢れだしたが、気疲れしたダービーは耳を貸さなかった。

 

「…………マヤマは確実に…」

 

「?」

 

「テレンス、お前がこの場に来ていたのを知っていた」

 

「何?…………そんなわけがない。確かに私は部外者だが、あの男はホテルの客全員の顔を覚えているとでも?」

 

「そうだ。客はおろか、従業員やその他大勢の顔も名前も記憶している……それがあの男だ。金を落とさずにここに来たお前の正体がバレないはずがない」

 

 黒服たちの消えていったバックヤードを見て、ダービーは上の空で言った。彼に哀愁は無く、ぼーっとそこにあるものを見つめていた。

 

「2人がかりでも負けかけたのだ、敬服しろ。マヤマを軽視することは…この私が許さんぞ」

 

 ここでやっと2人の視線が交わされた。

 

「いつも意地を張っているクセに、らしくないではないか」

 

「フン……」

 

 薄笑いを浮かべ、イスを押して立った。

 死人を見てビビった観客たちには目もくれず、誰からも賛辞を受けることなく、ダービー兄弟はカジノを後にする。

 

「…………ただ、これだけは譲れんな」

 

 それさえあれば、他はどうでもよかった。

 

「『勝者』はこの私、ダービー(ザ・ギャンブラー)だ」

 

 

 

 

 



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スピードワゴンは彷徨わない─『Last prologue』

殴り書きの暴力


 

 

 

 これは、俺が体験した奇妙な話。

 キリスト教に熱心じゃない俺からすれば、この話は俺が知り得ぬ世界の出来事だとしか思えない。本当に神が裁きを下したのかなんてことは分からないが、邪悪を断ってくれたのは明確な事実だ。

 

 ドッペルゲンガーだとかペニシリンを発見しただとか、自分に向けられた銃弾が20年経って暴発して死んだとか、そんな目玉ひっくり返る話には及ばないとは思う。でもよき運命を辿れたのもまた一つの事実だ。

 最後に言うが、出会いと別れってものは、案外あっけなさ過ぎるものだ。また話ができるだろうからと思い込んでる奴に限って、ふとした時が永遠の別れになることを理解していない。

 

 

 *

 

 

「おいスピードワゴン!聞いてんのか!?」

 

 その濁った声の介入によって、ロバート・E・O・スピードワゴンは自分の世界から呼び戻された。 

 

 19世紀末のイギリス、ロンドンの街。眠気を誘うような日差しの中、古臭いレストランにスピードワゴンと元ゴロツキの男はいた。

 

「!…………お、おぉ。もちろんだぜ」

 

「あの貴族の兄ちゃんの件は…俺も悲しいがよ。もう3年前の話だ。そろそろ気を取り直せって。な?」

 

「すまねぇ………それで、オメーのアメリカにいる友人が……歯石除去検査だったか?」

 

「遺跡発掘調査だ。友人の一人がえれー金持ちでよ、テキサスにある砂漠の土地を大量に買ったらしいんだ。そんで人手があと少し欲しいって言うんだが…俺は用事があって遠出できねぇから、オメーさんに頼んでるって話だぜ」

 

 

 *

 

 

 アメリカ テキサス

 

 奇しくも運命か、端から端まで瓜二つの蒸気船に搭乗してスピードワゴンは海を渡り、約束通りの時間に港で例の金持ちとやらに出会った。

 やはりその男も元はワルだったのか、ドブ以下の匂いがした。しかし更正はしているようで、物腰は柔らかく、富裕層としての貫禄があった。

 

 名は「ロンサム・オールズ」。彼いわく、ちょっぴり違法な仕事から始め、そこからなんやかんやあって銃器メーカーを立ち上げたらしい。

 なぜ銃器メーカーの社長が遺跡を発掘するんだ、と好奇心で訪ねてみたら、趣味だ、と答えられた。疑問は残ったが、貧民街などで育った人間は、幼少期を苦しみながら過ごしたせいか、大人になると大層な夢を持つ者が多々いる。

 夢は叶うし、考古学にも貢献できる。なんら悪いことではない。

 

 

 テキサスとはアメリカ最南部に位置し、メキシコと接する広大な州である。その名は、「友達」を意味するネイティブ・アメリカンの言葉に由来する。

 

 テキサスの西部にある砂漠。といっても砂が山のように積まれ乾ききった灼熱の砂漠ではなく、カウボーイが馬にまたがって横断するような砂漠のこと。植物はそこら中に生えていて、砂ではなく岩が多い。加えて日中はかなり肌寒い。

 

「よォーーーしッ!!全員揃ったな。左からトーマス・パサデナ…マーク・ワトキン…ジェ……やめておこう。総員113名、ここら一帯の土地の権利はこの私が持っている。これでもかというくらい好きにやってくれて構わない」

 

 ロンサムはブロンドの長髪を風に揺らし、大統領選挙の演説に劣らない勢いで言い始めた。

 なかなかに容姿端麗だと、スピードワゴンは改めて感じた。しかし彼には興味の無い仕事。なので冷めた顔をしている。それに反して発掘隊の多くはじっと耳を傾けている。

 

「ただ一つ、もし……私は君たちを信頼している。だからこれは万が一の話になるが、何か偉大な発見をしておいて…それを報告しないヤツがいたら…………その時はその時だ」

 

 曖昧な演説が終了したのち、全員がすぐに調査に取りかかった。どうやらロンサム自身も参加するようで、せっせとめぼしい地点を掘っている。

 

 スピードワゴンはバイトとして参加し、給料のために働く。遺跡でも化石でも、歴史的なものを見つければ特別手当が出るシステムもあるので、頑張るほかない。

 

「けっこうキツめの力仕事だと思えば…大したことはねーな。しっかしこんなところに遺跡なんてあるのか?アステカ帝国だってもうちょい下にあったぞ。ま、歴史学者じゃねーから詳しい事はわかんねーがよ」

 

 などと愚痴を呟きながら、周囲にいた見知らぬ発掘隊と協力しながら掘り進めていく。

 主にスコップやツルハシを使い、時間を忘れるほどに地面にぶつかっていくだけなのだが、これが疲れる。誰も何かしらを発掘したと叫ばないから士気も上がらないし、機械的な運動ほど退屈なものはない。

 

「ったく……本当にあんのかよ………」

 

「そこのイギリスのあんちゃん!弱音吐いて諦めんじゃあねー!まだ仕事は始まったばかりだぜ!きっとこっから金銀財宝がアホみてーに出るんだよッ!!もっと気合入れとけよォーーッ!!!」

 

「お、おうよ……」

 

 変にポジティブな人間もいたもんだ。

 時間の感覚なんて感じなくなるほどに、掘って掘って動いて掘っての繰り返し。いつしかコツを覚えたスピードワゴンの動作は効率的になり、彼は無心で仕事をこなしていた。

 

 腕時計をしきりに見ることもなくなり、汗の気持ち悪さも慣れてきた頃──

 

「はッ…!」

 

 ふと気づく。空も周りも真っ暗になっていることに。

 満天の星空が頭上に広がり、いつの間にか太陽は消えていた。目を凝らしてもマトモに歩くことすらままならない。

 

 何を言っているかわからないと思うが、瞬きをしたら真夜中になっていた。先ほどまで真昼だった気がしたが、それほどまでに無我夢中になって取り組んでいたとは、自分でも驚きだ。

 

「な、なんだ…もう夜になっちまったのか?まだ昼飯も食ってねーってのに…………ん?」

 

 違和感に間違いはないようで、スピードワゴンと同じ違和感を覚えた発掘隊はザワザワしていた。心なしか徐々に空間の黒が強まり暗くなっている。

 

「やっぱりおかしい……俺の時間感覚は正しいみたいだ。開始が9時半頃…今の時刻は…」

 

 今まで味わったことのない暗闇の中、袖をまくって腕時計を見る。眼が触れそうなほどに顔を近づけ、なんとか見えた長針と短針の向いている数字は信じがたいものだった。

 

「『11時24分』……!?夜か…いや、そんなはずがッ…!そこまで疲労はねえし腹も減ってねえ!これは午前だッ!だが午前11時だと………!?そんなバカなッ!」

 

 ポケットから取り出したマッチを点けて見渡すと、夜になる寸前の場所から一歩も移動していないことが発覚した。彼はなんの前兆も無い光の剥奪にやっと恐怖を感じ始めた。

 

 太陽が雲に隠れたなら、こんなに暗くはならないだろう。暗闇よりも暗く、黒よりも黒い、この世界では呼吸はできるし重力もある。

 何が起こったのか?正答は誰からも得られなかった。

 

 そんな中、一際目立つ大きな灯りがともされた。

 

「うっとうしいぞッ!!!」

 

 ロンサムだ。巨大なランプを持っている。

 周りには光を求める人々が集う。

 

「いいかよく聞けッ!これは終焉だ!太陽無き今、我々に希望は無いぞッ!人間の理解など遠く及ばない『最後の審判』が始まるのだッ!!!」

 

 彼は空らしき黒を見上げて確かにそう叫んだ。

 狂ったのか、何を言っているんだ、そう言いたい気持ちを抑え、代わりに眉をひそめた者達の視線が集まる。闇の世界に響き渡る声には不思議と安堵させる力があった。

 

 ロンサムは一番近くにいた小太りの男に歪んだ顔を向ける。

 

「君…今年で何歳になる?」

 

「えっ?わ、私ですか?………なぜ今それを?」

 

「いいから答えろ」

 

「今年で37歳になります。それが何か?」

 

 発掘隊の一人はこんな事態になってもヘラヘラと微笑みながらロンサムに対し腰を低くする。それもそのはず、まだ自分が生きて帰れると思い込んでいるからだ。

 

「そうか…だが………37歳にはなれないな」

 

「へ?」

 

 ツルハシを振り上げ、男の脳に深々と突き刺さることに時間はかからなかった。躊躇いのなさが力に変わって、顎からツルハシの先が見えている。

 男に断末魔を上げる余生は与えられず、彼が遺したものといえば、ランプに照らされたキレイな血潮の間欠泉くらいだった。

 

 誰もが唖然とした。暗すぎるとはいえども、暗闇は我を失うほどのハプニングだろうか。

 

「お前は「生贄」だ!私を生かすためのなッ!」

 

 すでに息絶えた男に何度も何度もツルハシを振り下ろす。

 

 スピードワゴンは口が閉じず、汗が噴き出してきた。

 目を瞑っているのかと錯覚するほどに暗くなり、更に突然誕生した狂人に恐れおののいた人々は、わずかな光を追い求めて光源を持つ者に集まってきた。

 さながら夜中の虫のようで、気味が悪いと思った。

 

「な、なんなんだよテメーらッ!ただ天気が珍しいことになってるってワケじゃあねえのかッ!?さっさとあっちいけ!」

 

「でもよォ~~、暗くて何も見えやしねェ~んだよォ。これじゃあ給料も数えらんねーしセックスもできやしね~ぜェ~」

 

「うるせぇ!俺に触るなッ!…あっ……!テメー俺の大事なマッチをッ!」

 

 群がってきた男共は距離感が掴めなくなり、スピードワゴンに激突し、彼のポケットの中にあったマッチを落下させた。

 

 拾おうとすると、マッチを落としたと耳にした群衆が我先にと飛び込んできた。醜く変貌した人間達は次々と地面に鼻を擦らせながらマッチを捜す。

 押しのけられたスピードワゴンは、この短時間でこうも人は変わってしまうのかと絶望し、尋常ではない現状に恐れて後退した。

 

 その時、目を離してはならないものと目が合った。

 

「!……そこのお前!無駄に前向きだったオメー!チンタラしてないで避けやがれェッ!」

 

「何?」

 

「後ろにヤツがいるぞオオオオオオ!!!」

 

 若々しい男の背後で、ロンサムはツルハシを振り上げていた。新たに照らしたマッチの光に侵入してきた歪な形相には、かつての貫禄も面影もなかった。

 

「『血は生命(いのち)なり!』この身朽ち果てるまで!わたしの全てを神に捧げるッ!!」

 

「やめろォォオオオーーーッ!!!」

 

 めり込む。

 

「ぷげっ」

 

 眼球が宙を舞い、多量の血がロンサムのきめ細やかな肌を彩った。ただそれだけの、特に面白味は感じない、非常に単純な殺戮劇であった。

 スピードワゴンは恐怖のあまり尻もちをついた。

 

「『おぉお~ん』」

 

「チクショー!なんなんだよォー-!!」

 

 奇怪な狂人に、感情をなくしたように群がる人々。マッチの火は消えかけ、希望も薄れゆく。ただ正気なのは彼一人だけとなった。

 

「クソッ!!!」

 

 逃げようとする彼の手はその時、偶然にもツルハシを掴む。と同時にロンサムは攻撃の体制に入った。

 

「ウオオオオオオオ!「目には目を」だぜ!くらいやがれェェーーッ!」

 

 迫る先端に対し、絡めるようにしてスピードワゴンはツルハシを片手で振った。止められればそれでいいという思いで、一心不乱に。

 

 ピタッと、ツルハシの柄を鷲掴みする者がいる。

 

「何ィッ…!?」

 

「ハイ、喜んで!」

 

 そいつは群がってきた男たちの中にいた、ポケットの中からマッチを落とした男だった。狂人から身を守るための行動が妨害されていた。

 

 遂に、遂に狂人のオーラが伝染してしまったのか。いつしかロンサムの周辺には数十人の味方がいた。ついでに盗ったマッチを点している。

 

「ウオオアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 走った!群れをくぐり抜け、マッチの火が消えてしまう危険性などお構いなしにスピードワゴンは脚を動かした。

 

 あの人のように逞しければ、大群相手にも勇気を持って立ち向かっていただろうと、必死こいて逃げている自分を悔いた。

 風は吹かず、空気はひどく冷えていた。

 

「うおォォッ…!!」

 

 スピードワゴンは発掘調査の際に自ら空けた穴に気づけなかった。不意に引力を強く受け、穴底に体の所々を強く打ち、立つのがやっとだった。

 落下の時にマッチも落としてしまったようで、自分以外の何も視認できない。

 

「汝!わたしの生命となるかッ!!!」

 

 ロンサムとその他数十人が穴の上から彼を見下ろす。ロンサムがツルハシを掲げると、不可解な雄叫びが穴の中に轟いた。

 

 彼らは急斜面を豪快に走り始める。遠い昔の蛮族のように。

 

「こんなところで終わっちまうのかよーーッ!」

 

「我は手に入れるぞ!手に入れてやるッ!永遠の生命をォォォーーーッ!!!」

 

 白目をむき、くしゃくしゃに怒り狂った顔はスピードワゴンの目を反射的に閉じさせた。

 理由も不明なのに、生まれ故郷ですらないこんなところで死ぬのかと思うと、涙は出ず、走馬燈が脳裏をよぎった。もし先に逝ってしまった彼らと再び会えるのなら、少しは気楽かなと思った。

 

 しかし真っ先に感じたのは激痛ではなく、圧倒的な熱波だった。

 

「グァァイァイアアーーッ!!!」

 

「…!?」

 

「GGGGGGGUUUUUOOOOOOOOOHHHHH!!!」

 

 瞼を上げたスピードワゴンの前には、全身が炎に包まれ、熱気を帯び、神々しく光を放っている男たちの姿があった。

 焦げ臭い匂いに混じって、鼻を劈くような匂いがした。この匂いと突然の炎上、スピードワゴンは燃える男の足下を見ると、その答えがわかった。

 

「あ、あれはッ……『石油』だッ!鼻水くれーだが…ほんのちょっぴり石油が地面から湧き出しているぞッ!そいつに落としたと思ってたマッチが引火しているんだッ!!」

 

 天啓──それしか言い様がない。

 

「……カァッ…!ッ………ァイッ…!」

 

 声にならない悲鳴もむなしく炎は次々と燃え広がり、全てを容赦なく焼き殺す。その火炎は太陽の如く閃々と輝き、燃え尽きると同時に彼らの死は太陽を呼び起こした。

 人類の夜明け。事は終わったのだと。

 

「太陽が………戻ったぞ…!」

 

 体を貫かれそうなほどの陽光が世界を照らし、天に昇る日はただ一人を見据えている。ロバート・E・O・スピードワゴンは真相を知ろうとしないことが正しい選択なのだと悟った。自然に刃向かわない。決して勝てはしないのだから。

 

「『永遠の生命』…か……この発掘調査……いや、まさかな。考えるだけ損だ。助かっただけ感謝しなきゃあなんねぇぜ」

 

 晴れ空と顔を合わせ、彼は微笑んだ。

 

 石油を採掘し始め、石油王になって自分の財団を設立するのはこの話からまた数年後になる。

 



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リゾット・ネエロは滾らない─『偽装血痕』

皆さんはキッチリ考えてから執筆しましょう


 

 

 

「暗殺対象が行方不明?」

 

「ああ。俺の調査では、だ」

 

「なんだァ~そりゃあ?からかわれてんのかよ…つっても「上」からの指令には背けねぇか。行くんだろ、リゾット」

 

「…それしかできないからな」

 

 イタリアのギャング組織パッショーネ、その中の暗殺チームのリーダー、リゾット・ネエロは物々しく答えた。暗殺チームのアジトの、薄暗い部屋の明かりに照らされた顔は冷酷さを体現しているようだった。

 一方、チームの一員であるホルマジオはなんとも言えない表情をする。自分だったら溜息を吐くような暗殺命令だと思った。

 

 力ある幹部からの直接命令、拒否も失敗も許されない。

 

 

 *

 

 

 暗殺対象の男の名は「パガニーニ」。職業は売れない絵描きだったが、既に2年前に行方不明になっている。

 

 届いたメールにはご丁寧に家の住所が記してあった。その家は売りに出されてはいるものの、誰一人として買い手はついておらず、廃屋同然。

 

「(おそらく…麻薬か密輸の重要な何かを握っていて、表に顔が出せない者……といったところか。しかしこの村、人は住んでいるのか?さっきから誰も見かけないぞ)」

 

 ヴェネツィアの辺境にある田舎の、曇天の下にその家はあった。ごく一般的な家屋であるものの、雑草が天に昇る勢いで伸びていて、近づきがたい様相を呈している。

 周辺にはまばらに家屋が建ってはいるが、活気という二文字とはほど遠い。

 

 そう思いながら、裏口の前に立った。

 こんなボロ屋でもキチンと鍵はかかっている。

 

「(……問題は無い、何もな)」

 

 リゾット・ネエロは「スタンド使い」である。とても平たく言えば、守護霊を操る超能力者。

 しかし彼の場合は霊ではなく、子供が粘土で作った奥歯に手が生えた、そんな感じの見た目で、彼自身の体内に群生している。

 そのスタンドの名は『メタリカ』。周囲に存在する鉄分を、磁力を用いて自由自在に操作できる能力を持っている。

 

 『メタリカ』を使い、鍵を開けるなんてのは朝飯前だ。

 リゾットは鍵を開け、ひっそりと中に入った。

 

 ここでも『メタリカ』は役立つ。と言いたいところだが、家の中は仄暗く、光が通っていない。これでは暗殺に有用な迷彩能力が使えない。ただ、黒を基調とした服装なのが幸いだ。

 家主がいないのは確認済み。用心しながら進めばいい。

 

「……人の気配はしないな」

 

 少し埃っぽい裏口玄関はどこか臭うような気もする。本当にパガニーニがここに住んでいるのかは不明だが、今は待つしかない。

 

 メールに住所が記されていたというよりは、行き先を指定されたのだと、彼は思った。

 

「なんなんだこの部屋は……貴族でも住んでいるのか?外と内が真逆だぞ…意味がわからない」

 

 これでもかと廃れていた外見からは想像もできない、豪華絢爛な室内が眼前に現れた。ゴシック様式で統一された室内は宮殿のようで、高級インテリアが並び、僅かな日光が金色の装飾に反射して無駄にまぶしい。

 生い茂っていた雑草のせいのか、外見よりも中が広く見える。

 

「…………!」

 

 侵入して間もないというのに、リゾットはそう遠くない視線に気づいた。

 ワンともバウとも吠えず、廊下の奥から悠然と、張りつくようにこちらを睨みつけていた。

 

 汚く痩せ細った犬だった。犬種はシェパード。行方不明を装う人間が動物など飼うはずがないので、ヴェネツィアではあまり見かけないが野良犬だろう。どこかの隙間から入ったのか。

 

 犬は嫌いだ。暗殺チームの数名も嫌っている。奴らは嗅覚が鋭いし、ところ構わず寄ってくるからだ。

 脅威となる生き物の気配はしなかったと思ったが。もしミスだとすれば、早急に対処すればいい話。

 

「射程範囲内……静かなヤツで助かった。第一、こんな寂れた村なら吠えられても問題ではない」 

 

 鉄分。それは地球上のありとあらゆる場所に存在し、もちろん人間にとっても重要な物質である。

 赤血球に含まれるヘモグロビンは、鉄を利用して体中に酸素を行き渡らせており、その他にも様々な人間の活動に利用されている。

 犬にもそれはある。

 彼の『メタリカ』は体内に含まれる鉄分はおろか、射程範囲内にある全ての鉄を操れるのだ。

 

 突然、犬の胸のあたりが不自然に膨らみ、すぐに張り裂けそうなほどに肥大化する。

 

「…グギッ!」

 

 大きく裂けた胸から現れたのは大量の釘だった。犬の体は大穴を開け、釘は音をたてて床に落下した。

 横になった犬から噴き出した血潮は弧を描き、血溜まりを作り出す。

 

「……………」

 

 リゾット・ネエロに罪悪感はない。特定の人物への感傷はあっても、暗殺対象にそんなものはない。その点では彼にとって暗殺者は天職だろう。

 

 ひどく冷めきった目線を横にやり、再びリゾットは室内を見渡す。

 誰かが暮らしている形跡などは見当たらない。映画のセットのような見た目をしているクセに、一切使われていないようだ。

 

 疑問は絶え間なく増す。

 

「(パガニーニという男の現状…………それがわからない以上、記してあったここで待つしかない。他の奴に任せていたら帰っていただろうな…)」

 

 犬の死体のある廊下のほうへ息を殺して歩いていく。

 廊下を半分程度進むと半開きの3つの扉が見え、一番奥の右側には玄関が覗ける。

 

 広く煌びやかなこの家にいると、観光にでも来ているような気になる。かなりの大金をかけたのだろうが、圧倒的な外見の見窄らしさは謙虚な証か。

 

「(これは王宮を模したのか…?…今も昔も、絵描きには常識外れな奴が多い…パガニーニもその一人か。なにも気配は感じない……)」

 

 まずは右側にある扉から覗きこむ。

 迫る影は彼の影に重なり合う。

 

「ぁあ………い」

 

 忍び寄る人影──リゾットが感づかないわけはない。反対側にあったドアに、薄汚れて破れまくったシャツとジーンズをはいた初老の男がいた。

 

「あーいぃなぁ……あー…いぃなぁ……ぁ」

 

「何…!」

 

 背後からの強襲となれば、リゾットは判断は稲妻の如く素早い。

 

「『メタリカ』ッ!」

 

「グギッ……!」

 

 男の心臓部が異様に膨らみ、そこから鋭い針が滝の如く溢れ出した。出会って数秒、呆気なく倒れた。

 

 リゾットが驚いたのは他でもない、その男が写真で見たパガニーニだったのだ。なんとなく予想はついていたが、パガニーニにとっくのとうにこの家で殺され、ゾンビのような状態にされていたのだ。

 

「気配を完璧に消していたのではない…やはりこの家…普通じゃあないぞッ!犬もこいつも……既に死体だった…!この家には感染症のような………いや、スタンドが潜んでいるッ!」

 

 自分の侵入を探知した人間のスタンド使いならば、入ったときに不意打ちで殺しに来るハズだ。それをやらなかったということは、かなり限定的、もしくは知能の低い何かがいる。

 

 息を乱さず、360度あらゆる方向を視認する。

 

「…なるほど……この暗殺の意図がわかりかけてきたッ!何者かは知らんが…この「血」が生物を操作しているのかッ!」

 

 犬の浸っていた血溜まりはいつの間にか消え去っている。

 そして今、パガニーニから溢れ出していた全て血が、一滴残さず、毛細管現象のように床を這って動いているのだ。ゼリー状にも見えるそれはとても不気味だったが、血液という事実さえあればリゾットの敵ではない。

 

「犬にもこの男にもある裂傷…時間経過でここまで大きく開いたようだ……傷口から入り込み、意のままにするというワケか。次にこの、まるで意思があるかのような「血液」はどこへ向かう?…………他に死体はあるのか…?」

 

 大量の血液の塊はリゾットの真横をゆっくりと通過し、蛇行しながら移動を続ける。

 一方リゾットはパガニーニの顔をじっくりと眺め、疑問を解消していく。

 

「この任務の意味……!まったく溜息が出るな…馬鹿にされている気分だ」

 

 ふと幾つかの情報を思い浮かべると、パズルのピースは次々とハマっていく。

 

「組織はいたるところで麻薬を売りさばいている……ここヴェネツィアも例外ではない。噂で聞いたことがあるぞ…ヴェネツィアには他国の犯罪組織との仲介役がいると。しかもその仲介役はパッショーネ以外の犯罪組織からしてもかなり重要な人物だと言う…」

 

 リゾットは続けて言った。

 

「そうだ。およそ2年前から見境無く、ヨーロッパ以外でも麻薬売買を始め出した…パガニーニが「血に操られてしまった」からだ…!パッショーネだけでは安定した売買が難しくなったのだ!」

 

 パガニーニの表の職業は絵描き。しかし裏の職業は実績のある元マフィアであり、ヨーロッパ諸国の犯罪組織の仲介役だったのだ。さぞ権力があり信頼された人物だったのだ。

 

 その時、リゾットに電撃走る。

 

「……こ、こいつはッ…………!」

 

 右足首にチクリと小さな痛みを感じた。

 

「「(ハエ)」ッ!いつの間にッ…!」

 

 白黒が反転した目が、例の血液で操られているハエを捉えた。

 それに刺されたということは、傷口が出来、そこから例の血液が侵入してくるということ。

 

「クッ……迂闊だったか。このまま…俺の体内の血液と混ざり合ってしまったら我が『メタリカ』でも取り除けない…」

 

 足首から昇ってくる凄まじい異物感が、血液の位置を示している。

 

「……位置がわかれば十分だ。本体の位置ではない…本体はいない…そう言い切れる。「血に憑依した何か」………仲間にはなれないらしいッ……!」

 

 そう言い終わると、リゾットの脹ら脛の中間あたりから、丸い刃が飛び出した。それは瞬く間に皮膚を一周し、右脚を切断した。

 痛みは仕方ない。全身に回る前にやらねばやられていた。

 

 切れた脚が宙を舞うと同時に真紅の血が溢れ、例の血液も共に飛び出してくる。一見、普通の血と見分けがつかないものの、奇妙にうねって、水面に浮く油のように血溜まりを彷徨っている。

 

 リゾットは片足のままそいつを凝視した。血液は外気にさらされてのたうち回っているように見えた。

 意思はあるのだろうか。この家に住みつく理由はなんなのか。

 

「……何も考える必要は無い。組織が求めるのはパガニーニが死んだという証ッ!パッショーネが奴を殺して埋めたと思われては厄介だ…………2年前の死体だが、俺の任務は「死体を持ち帰る」ことッ!」

 

 始めからそうメールに書いておいておけば楽だったというのに。組織内でよほど暗殺チームが信頼されていないという表れか。

 

 一瞬、睨み合う。

 そう簡単にはやらせないと、血液は硬い覚悟を放っている。そんな気がした。

 

 例の血液が飛びかかってくる。

 

「来るか……お前は正真正銘の血液だ…単なる赤黒い液体ではない。だからこそ…相手が悪かった」

 

 野良犬とパガニーニはとうの昔に死に絶え、血が一切無くなっていた。そいつらの血液中から鉄の凶器が生成できたということは、例の血液が本物の血であることの証拠。

 つまりは『メタリカ』の独壇場。

 

 血液はリゾットの目の前で突如として軌道を変え、壁に叩きつけられる。

 

「…………ほんとちょっぴり…鉄分を入れておいた。今度はこっちが操りやすいようにな」

 

 次いで血液は反対側の壁に叩きつけられ、天井に叩きつけられ、床に叩きつけられる。

 まるで下手くそな大道芸人に操られているように、リゾットの思いのままにされ、戦いは終わった。

 

 

 *

 

 

 あの血液の塊は何者かの死後のスタンドだったのか。それは誰にもわからない。あそこで何をしていたのかもわからない。

 リゾットはただ課題を遂行していくだけであって、何故殺すのかといった謎を解くことは決してないのだから。

 

 

 リゾットは二本の脚で暗殺チームのアジトに戻り、その場にいたメンバーに確認した全てを報告する。

 淡白で無駄の無い報告を聞いた全員が、もれなく疑問符を浮かべていた。主に疑問の対象は2つに分かれた。

 

「で、死体を届けて終わりか?その…動き回る「血」とやらは何なんだ?その家で何をしていたんだ?」

 

 ふとメローネは問う。

 

「わからず終いだ。第一、わかって何になる」

 

 ぶれない冷徹さでリゾットは答えた。

 

「でもよリーダー、ちょっと…ちょーっとだけ気にならないのかい?ホラー映画みたいで面白そうじゃあない?」

 

「ペッシおめーなぁ……俺たち暗殺チームのシノギは出された任務をこなすことだ。勘違いすんじゃあねーぞ。まあ…今回ばかりは少々異論ありだがな……てかオメー、ホラー映画なんて怖くて見れねぇだろーが」

 

「うう……わかったよ兄貴」

 

 ペッシは落ち込んだ様子でプロシュートの意見をのみ込んだ。

 

「他国との仲介役の死体っつーのを持って帰る仕事ってよォ~………上のクソ共は俺らを何だと思ってんだァ!?下っ端と同じ扱いなんて気に食わねェーぜッ!!」

 

 ギアッチョの堪忍袋の緒はずっと切れていた。

 

「言うほどか?金はいつもの3倍は貰えたし、けっこう太っ腹じゃあねーか。その命令出してきた幹部ってのは一体誰だ?上手くいきゃあもっとたかれるぜ」

 

「しょうもねー思考しやがって。鏡の世界に脳みそ忘れきちまったのか?あ?…暗殺チームは暗殺専門に決まってんだろ」

 

「なんだとテメー……?」

 

 イルーゾォの誇りもへったくれも無い提案にホルマジオは喧嘩腰でそう反論した。

 

「静かにしろ。もうこの話は終わりだ」

 

 




 
吸血鬼に捨てられたゾンビの成れの果て…だったりしたらいいなと思ってます。


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モハメド・アヴドゥルは欺かない─『厄薬赤風』

三年半ほど前にあらかた書いて放置していた小説を補填して書き上げたものです。けっこう書いてあるのに投稿してないのがもったいなかっただけで、別に投稿再開とかではないです。


 

 

  

 害虫が平然と闊歩する中、ヒビの入った灰色の壁に囲まれ、地元民は料理を口に運ぶ。話し声の絶えない店内に対し、外は日が昇りきり、出歩く者はかなり少ない。

 その一方。今にもひしゃげそうな椅子に座り、ベタつくテーブルで数十円のコシャリを食べながら、モハメド・アヴドゥルは村の様子を観察していた。

 砂漠から出土したような建築物を彩るアラビア語の看板。路上に展開された商品。木陰で寝転がる若者とドミノを楽しむ男たち。それら全てが、古代から変貌を繰り返してきたエジプトの文化を体現している。

 

 ここは活気に溢れるエジプトの辺境の村。地理的・気候的・歴史的観点から見るとお世辞にも良いとは言えない。にも関わらず近頃は評判が高まり、移住者が絶えない。

 やはり住民の温かさが功を奏したのだろう。それは店内にいる他の客からも見てとれた。彼らは仕事の休憩中だというのに、酔っているかのようだ。

 

 アヴドゥルは自らの皿に視線を戻し、右手で食事をする。貧相な店に慣れている彼でも、コシャリを口に入れる度に変容していくしかめっ面は隠しきれていなかった。

 コシャリとはご飯、パスタ、マカロニ、豆に玉ねぎとトマトソースを加えたエジプトの国民食であリ、国民食だからこそ多種多様な味が存在する。この店のものは、彼の口にそれほど合わなかったのだ。

 

 残すのも失礼なので黙々と食べていると、サングラスをかけた男が向かいの席に腰を下ろした。男は脚を組みかけたが途中でやめ、アヴドゥルの顔をまじまじと見つめた。

 

「…………あんたが…占い師のアヴドゥルかい」

 

「そうだ」 

 

 とアヴドゥルが返すと、男は肩を緩めて軽く笑って見せた。

 

「ふぅ~、良かった…………ああ、俺は案内人だぜ。あんたに占いを申し込んどいて悪いが、じいちゃんは脚が不自由でな、村の外れに住んでる。そいつを食べ終わったら行こう」

 

「うむ……悪いな」

 

 今回、アヴドゥルは一人の老人の占いを頼まれている。いつもはハンハリーリの市場(スーク)で営業しているのだが、この村出身という大男にやけにせがまれたので、特別出張という形でこの村に赴いたのだ。彼はついでに露店でも開こうかと考えていた。

 

 急いで食べる様子もないアヴドゥルを横目に男は騒がしい店内を見渡して言う。

 

「この村は遺跡も何もねぇ、ただの質素な村だ。俺は生まれたときからここに住んでるが、どうにもこの村の特色がわからん。そんくらい地味な場所さ」

 

「……地味?さっき住民の方に話を聞いたが、移住者が増えているそうじゃあないか。何らかの大きな利点がないのは確かだが、住民の優しさのおかげではないのか?」

 

 それを聞いた男の反応はまさに目が光るようだった。

 

「アヴドゥルさん………あんた、知ってるかい?」

 

「?」

 

「あんたの言う通り、「この村への移住者」は嫌になるほど多い……観光客もな。日増しだ」

 

 男は厳然と眉間にシワを寄せ、コソコソしながら顔を近づけた。一見唐突で意味のわからないその仕草は、何らかの秘があることを物語っていた。内緒事を言ってしまいたいという若者らしい私情が垣間見えた、では終わらず、アヴドゥルはおのずと答えを見た。内緒事が村全体に関する事柄だと、彼は察した。

 

 ここは都市化が進んでいたり、農業に適した土地であったり、観光業が盛んだったりするわけでもない。かといって、この地には村民性だけでは説明のつかない、価値にそぐわない人気がある。それはアヴドゥルも薄々感じていた。

 

「だがな……「この村からの転出者」はいない……ゼロだ。そのせいで人口がほぼ真上に急上昇だぜ。マジの話よこれ」

 

 言い終わり、男は冗談めかそうと半笑いになった。その行為がかえってアヴドゥルの違和感を増させることになるとも知らずに。

 

「………土地や食料に困っている様子はなかったぞ。来る途中に見たところ更地だらけだったし、仕事に勤しむ者も多く見受けられた。交通が不便なわけもあるまい」

 

「ま、そ。これといって困ることはない」

 

「さっきから………一体どういう意味だ?」

 

「この世には知らないほうが幸せなこともあるってことよ。んで俺もその、幸せ者の一人さ」

 

 

 ◇

 

 

 村外れの丘の上ある土壁でできた家に、依頼人である老人は住んでいた。

 老人は白い髭を蓄えており、腰が曲がっていた。村生まれ村育ちらしく、穏和で馴染みやすい雰囲気。家はというと、日当たりは良好なものの狭小で、3人入っただけでリビングが牢屋に思えてくるほどだ。

 アヴドゥルと老人はテーブルに向かい合って座り、軽い挨拶を済ませたところで、本題に入る。

 

「シャルマンさん、もし期待していたのなら申し訳ありませんが、私はあなたの「未来」を占うことはできません。過去や現在、一年後まではまだしも、遠い運命は私には見えない。ただ、「進むべき道」を示すことはできます」

 

 アヴドゥルはいつもの占い通り、老人にそう宣告した。

 

「いえ…………占ってほしいのは私では御座いません。「村がどうあるべきか」……それだけなのです」

 

 老人は祈るようにか細く震えた声を発し、珍しい要求をしてきた。

 アヴドゥル自身、企業方針等を占うことは数回あったので不可能な要求ではない。だが、村長でもない老人がそれと似た事を頼むことに、彼は多少の違和感を覚えた。先ほどの案内人の意味深長な話も相まって、彼の頭は疑問に支配されそうだった。

 今さら引き返すわけにもいかないので、彼は占いのうちは違和感については忘れようと決めた。今、彼は占い師で、依頼を全うすることが大事なのだ。

 

「村…となると、対象がかなり広くなります……タロット占いでは事足りないやもしれません。この村だけが描かれた地図はありますかな?」

 

「…おいアミール、アヴドゥルさんに地図を」

 

「あいよ~」

 

 店で出会った案内人ことアミールは、村とその周辺のみが描かれた地図を棚から取り出し、アヴドゥルに手渡した。

 

「ありがとう…………古来よりジプシー占いでは、「偶然にできた形」を人の意思に影響されない「運命の印」として占うことがあります。そのようなものを用いて相手の過去や目標、本質を割り出すことが「占い」の第一段階……ですがそれは土台作りに過ぎません」

 

 アヴドゥルは懐から取り出したメモ帳に地図を素早く書き写し、書き写した面を二人に見せた。それは詳細が省かれてはいるものの随分精密で、田舎者の2人はアヴドゥルの思わぬ手腕に目を奪われた。

 アヴドゥルは話を続ける。

 

「得た情報を整理し、将来起こりうる事件を予測する。そして対抗策を導き出す…………占いの本番はこの第二段階にあります。つまり占い師を名乗ってはいますが、実は「警告」と「人間的なアドバイス」こそが我々の仕事なのです」

 

「それで、その紙で何すんだ」

 

「さっき言ったジプシー占いに似た占術だ。アミール、シャルマンさん……あなた方は今から行うものが「マジックや実験の類いではないと信じなければならない」……」

 

 アヴドゥルは真剣な眼差しで釘を刺した。

 百発百中の占いなど存在しない。だからこそ占いを自身の利益に変えるためには、占いの結果を信じる必要があるのだ。無論、占いを依頼している時点で信じているのは明白なのだが、これから行う方法は疑念を持たれても仕方ない要素が盛りだくさんなので、念押しする必要があったのだ。

 

 無言の2人からひしひしと伝わる承認サインを確認したのち、アヴドゥルは精神を集中させた。

 

「では、始めましょう」

 

 指を鳴らした。すると突然、紙の左右上下と中心部が僅かに燃え、ジリジリと紙を焼き始めた。

 

「ほぉ!」

 

「おお!なんだこりゃあ!」

 

「…東西南北と中央の「五点」をほんの少し燃やしました。この燃え上がらないほどに小さな火がどのように穴を広げるか、焦げるかにより、この村を占います」

 

 アヴドゥルは右手で紙を提示しているだけで、着火装置や科学薬品を使用した素振りはなかった。にも関わらず、焼けて出来た穴はどんどん広がり、不規則的な形を作り出している。

 この不自然極まりない現象を目の当たりにして、アミールとシャルマンは心の奥で、これはアヴドゥルがああ言うのも当然だと思った。しかしその思いも、いつの間にか占い師アヴドゥルの高い評判にかき消されていた。

 

 10秒程で火は収まり、五つの焼け穴と焦げ跡が完成した。まずそれをアヴドゥルが確認する。

 焼け穴は数センチの小さなもので、全てが手を伸ばすように同一方向に進んでいた。焦げ跡のほうは斑模様になっていて、不吉としか言いようがないほどに不規則だった。

 

「これは……!」

 

 アヴドゥルはとっさに紙を伏せた。

 全ての焼け穴は一方向に向かい鋭く尖り、その先端は老人宅を指していたのだ。この占いに失敗はあり得ない。それ故に、今までの疑問も踏まえ、アヴドゥルはその奇妙な事実を隠さなければならないと思った。

 

「ハッハッハッ、面目無い。この占術はまだ未完成でして、失敗してしまいました」

 

「いえいえ……占いはデリケートなものです。無理に見知らぬ土地に呼び込んだのは私たちですから、まだ色々と慣れていないのでしょう。そうだ、アミール、紅茶を」

 

「……へいへい」

 

 渋々と引き受けたアミールにチープな紅茶を出されて、アヴドゥルが口をつけることはなかった。その理由は、もしや秘匿にしていた占いの結果を相手に覗かれ、村について疑念を持っていることを悟られたのでは。そして紅茶に毒でももられたのではないかと。単純ながらも彼はそう思ったのだった。

 この小さな行為は相互の疑いというものを助長させた。

 

 シャルマンは占い師アヴドゥルを強く信用し、敬意を払っていた。今後ともそれは不変の感情であるつもりでいた。だが今、それは良くも悪くも揺らいだ。彼も一方的であることは理解していた。村へ迎え、無用な疑いを持たせたのは彼らであるからだ。それも仕方がない事。現状では、他人に希望を寄せるしか選択肢はなかった。

 

「お前は下がっていなさい」

 

「……」

 

 祖父にそう言われて、ふとアミールは底の見えない紅茶を一瞥する。何に目をやるべるきかわからなかっただけで、特に意味はなかった。次いで彼はタロットの準備を始めるアヴドゥルを見た。これまた何を思えばいいかわからなかっただけだった。

 アミールは乾いた空気を浴びに外に出た。家の中はアヴドゥルとシャルマンの二人きり。

 

「アヴドゥルさん、私は先の炎を見たとき……「運命」だと感じました。あなたは未来を占えないと言っていましたが、私には信じ難かったのです。占い以前に、我らの行動は見透かされていたのだと…………そう思わされました」

 

「…?」

 

「気づきませんか……炎ですよ」

 

 シャルマンの不気味な物言いに警戒心を高めようとした直前、煙の臭いが鼻をかすめる。

 それはアヴドゥルの慣れているものとは一線を画す、脳を逆撫でするような強烈な異臭だった。異臭は気づけば部屋に充満し、吸わざるをえなくなっていた。

 アヴドゥルは訳がわからないまま、シャルマンを睨みつける。逃走という選択肢は何故か現れず、その場に2人は立ち続けた。

 

 先に口を開いたのはシャルマンだ。

 

「紅茶に毒など入ってはおりませんよ。ですがあなたは我々に疑いを抱き、出された紅茶を飲もうとしなかった……違いますかな?」

 

 紅茶を出すタイミングもなにもかも、全ては掌の上だった。ただ一つの例外は、村の希望が消え果てたことだ。しかしシャルマンはそれに対して怒っているわけでもなく、絶望しているわけでもない。遠方から呼びつけ、勝手な感情を押し付けてしまっていることを悔いていた。だがおかしなことに、言葉が止まらなかった。

 

「あなたに村の行き先を占ってほしいと思っていましたが、やはり無理があったようです。この村は……もう、どうしようもないほどに呪われている…………私も、民も…」

 

「うっ……」

 

 老人が舌を流暢に回す傍ら、アヴドゥルは鈍器に殴られたような頭痛に悶え、段々と頭を侵食する味わったことのない感覚に混乱していた。

 一方でシャルマンの目は充血し、頬は不気味に吊り上がっている。

 

「私はかれこれ70年は生きておりますが、「耐性」がつくとは思いません…………ただ老いぼれたので、効果が出るまで時間はかかりますが……この濃度でしたら、若いときのように……」

 

「まさか………この…「煙」はッ…………」

 

「……………完全なる…理性の喪失も時間の問題。逃げ……ることをお勧めしたい……」

 

 シャルマンは煙を吸い込む度に記憶が削られていくのを意に介さず、一回一回の呼吸をこの上なく楽しんでいた。

 

 吐き気を促すような尋常ではない心拍数に脳が危険信号を発している。そんな中、アヴドゥルは一心不乱に歩き出す。

 

 シャルマンの高笑いを背中に受けながら外に出る。

 アヴドゥルが汗ばんだ顔を上げるとそこにはアーミルがいた。

 

 

「……この丘を北に迂回しながら東に行けば風上を避けられる。車が待ってるぜ」

 

「お前は……何故…」

 

「…最低限の呼吸で走りな」

 

 アーミルは家の外壁にもたれながら、北の方角を指差した。彼はアヴドゥルを追い詰めるようなことはしない。それはアヴドゥル自身もわかっていたこと。故郷に、運命に囚われただけの一人の人間だ。

 

 もう二度とアヴドゥルがこの村に来ることはないとアーミルが思ったとき、アヴドゥルはアーミルの横に立っていた。北とは真逆の方向を向いていた。

 

「……お聞かせ願えないか……「この村」の事と煙の秘密……を」

 

「あんたも意地っ張りだな……へへ」

 

 乾いた笑いを浮かべ、アーミルは丘の上から村を一望した。そして話し出す。特に覚悟はいらなかった。

 

「…………イギリスがこの土地を支配していた時代……ここら一帯は奴らの極秘の糧となった。奴らは機械人間、猿と人のハイブリッド……謎の石製仮面や古代エジプトの遺物まで…………ひでー実験を繰り返した末、ここ村を「不死隊」の実験に用いた……痛覚を遮断した人間を生み出そうと………っつーワケよ」

 

「その名残があの()()の煙…か」

 

「麻薬の風……この村の名産品さ。多分、いつも少しずつ燃えてたんだと思うぜ。んで、理由は知らねーが、外部のやつに全部焼き払ってもらおうってじいちゃんは考えた。結局んとこ、自分の愛した村を自分で壊す勇気は無かったんだ。イカれてるだろ?」

 

 笑いながら小刻みに言葉を震わせて、アミールは真相を話した。といっても彼はそれ以上の詳細は知らないようで、アヴドゥルが更に追求することはなかった。

 

 やがて去っていくアヴドゥルの背中を見つめながら、彼は空に笑った。息が苦しくなるほどに高笑いしたのち、一気に汚染された空気を吸った。

 彼もまた、望まない快楽に取り憑かれた村民の一人だ。村の外に出た経験はあるが、あらゆる禁断症状に襲われ引き返すことを余儀なくされた。麻薬が眠ることは今の今まで知らなかった。

 

「皆、ハナから達してたんだ……狂気の臨界点に…」

 

 火とは生命である。同様に温もりを与え、無くてはならない。しかしながら、同様に危険である。

 

 

 ◇

 

 

 なぜ満足に立つこともできない老人があんな場所に住んでいたのか。若い孫がいるとはいえ、他に空き家はいくらでもあったはず。穏和な人間が村民との交流を嫌っているとも思えず、アヴドゥルは一つの結論に辿り着いた。

 守っていたのだ。村の命を。

 

 

 村の外にたどり着いたアヴドゥルは一台の車をすぐに見つける。

 駆け寄ると、運転席には見たことのある大男が座っていた。

 

 

「貴様はたしか……」

 

「五日ぶりですね、アヴドゥルさん」

 

「……あ!あのとき私の店に来た男!」

  

「へい、シャー・ルクと申します。いつもはエドフの方でトコ屋を営んでいる若輩者で、アミールは私の従兄弟、シャルマンは私の祖父です。ワケあって実際に会ったことはないんすけどね。電話で話すくらいで」

 

 

「ふむ、そうか………そうだ、君、村について何か知っていないか?」

 

「う~ん……そう言われても単なる田舎ですからねぇ。「空気が澄んでる」なんて噂くらいしか耳に入りませんよ」

 

 冗談半分で話すような姿は、あの案内人そっくりだった。

 アヴドゥルは気分が晴れていた。

 

 

 

 

 

 

 



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エンリコ・プッチは咎めない─『白より黒く』

供養作品その2


  

 

 僕は表彰を受けている。

 灰色の毛を被った校長と、校長の不衛生な手が持っている、僕の名が入った量産型の表彰状が見える。なんの表彰状かって言うと、僕はボクシング部に入っていて、州の大会で優勝した、その表彰状。

 

 ウチの高校じゃあ毎月教科ごとの優等生が表彰されてるから、今回初めて貰った僕は愛想笑いしかできない。

 頭が悪いクセして他人に褒めて欲しいから暴力に物言わせて強奪したんだろ、そう言われてる気分。

 

 ちなみに僕がボクシング部だってのを今日知ったクラスメートがいるらしくて、その数なんと24人。なんてこった、全員だ。

 しかも表彰式が終わると、めったやたらに話しかけてくる。クラスメートと話したのは何日ぶりかな?いや、2ヵ月と17日ぶりか。

 

「いや~スゴいッ!ねえアドレス教えてよ!」

 

「ぶったまげたぜ!俺もボクシング部なんだけどさ!今度会ったら練習しよーぜ!」

 

「私、強い人ってカッコいいと思うの!」

 

 なんだよこのノリ。つい数分前まで僕を空気扱いしてたってのに。マンモスうれぴーって返すのが正解?ま、悪くはないって思ったりして。

 

 そうだ。ボクシングってのは実践、つまり喧嘩で勝てる。サッカー部が蹴ってきたり、アメフト部がタックルかましてきても、州一位の僕の前では子猫同然。まとめると、今まで僕はカーストの頂点に潜んでいたんだ。能ある鷲は爪隠すとかいうアレだ。

 高校なんてものは特にカースト社会だから、優秀なスポーツマンがチヤホヤされるのは当たり前。陽気になる才能は与えてくれなかったけど、ボクシングの才能を与えてくれた神様に感謝しなきゃね。

 

 神様でふと思い出した。最近、近くの教会に赴任してきた神父の評判がとても良いんだと。

 

 

 ◆

 

 

 なんやかんやあって、我らがフロリダ発祥の某ファストフード店にお茶会しに来た。ボクシングに自信がないわけじゃあないけど、一日でここまで関係が進むのかと、僕は内心仰天しているよ。

 テーブル席の向かいには金髪巨乳美女と、映画『ゴッドファーザーPART3』のヴィンセントに少し似たイタリア系アメリカ人と、アメフト部の首が太い青年がいる。

 

 ワクワクがノンストップである。

 

「…………」

 

 すると突然、僕の隣に見知らぬ黒人が一人、座ってきたではないか。おまけに筋骨隆々で高身長ときた、ああ恐ろしや。

 ここは選ばれし者だけが座れるテーブル席だぞ。この男は一体誰だ?

 

「………あんた、名前は?」

 

「…ん?………アレックス・ドナヒュー」

 

 人様の席で勝手に相席始めやがって。こいつは肌も性格も暗い、マナーがなってないヤツだ。僕を白人至上主義者にさせたいのか?

 

 二つ隣の席の女の子がなんか言ってるが、アレックスとかいう黒人の肩が邪魔で顔が見えないな。ホントに何なんだこいつは、ガツンと一発言ってやるか。

 

「あのさ、悪いけどどっか行ってんない?」

 

「…………君、『ゴッドファーザー』って映画好き?」

 

「え?」

 

「じゃあ……そうだな………『アイアンマン』?それとも『ダークナイト』?」

 

「いや………流行りものはあんまり……『ファイト・クラブ』とか『ロスト・ハイウェイ』………じゃなくて、何言ってんだ?俺が言ったことわかる?」

 

 思わず口汚くなるのも仕方ない。映画は大好きだけれど、失礼した見ず知らずの相手に聞くことなのかそれは。

 

「…オイ!オイってば!ボクシング野郎ッ!!」

 

 ヴィンセント似の男が急に大声を上げるもんで、怒られたような気がして驚いた。

 

「え……な、何?」

 

「…………」

 

 何を言うわけでもなく僕をじっと睨んでくる。

 

「あ……あぁ……」

 

 なーるほど、アレックスもクラスメートの一人か。早々にやらかしてしまったな。人種の壁を越えた友情を貶してしまった。これじゃあ僕がマジの白人至上主義者みたいじゃあないか。

 宣言しておくが、僕は博愛主義だ。誓って差別なんてしない。アレックスとは趣味が合うみたいだし、弁解しとかなくちゃあな。

 

 

 ◆

 

 

 表彰式から一週間が経った。

 

 「ポイント・ネモ」っていう、生物が少なく、陸地から最も遠い地点が南太平洋にあるらしい。一週間前まで僕はそこで浮上してた。

 だが今はどうだ?北アメリカの到達不能極にいるぞ。何が言いたいのかというと、最も陸から離れた海から最も海から離れた陸に来ただけってこと。

 

 ここはトイレ。もちろん男子トイレ。アレックスと連れションという名の男の友情を体験している真っ最中。

 

「まるで僕ら親友みたいだな」

 

「まるで?……既に親友じゃあないか、違うかい?」

 

「…えっ?そ、そぉ……?」

 

 僕はそういうのに慣れてないので、思わず顔の筋肉が綻んだ。本心からプラスの感情をさらけ出したのも数ヶ月ぶりな気がして、照れが止まらない。

 そこにいる見知らぬ生徒たちよ、悲しいとか可哀想とか、同情するのはよしてくれ。僕はこの高校ではちょっぴり有名だろうが、もうその有名な僕はいなくなったぞ。

 

 そんな、様々な感情を塞き止めてくれたのはアレックスだった。

 

「なあ………ピッタリあと10秒後。何が起こるが知ってるか?」

 

「え…………?」

 

「君は知らないが、これからこの高校に不審者が来るぞ。ナイフを持ってる。正面玄関から入ってくるぞ。死人が出るかもな」

 

 まるで未来を知っているかのような言い方でアレックスは語り始めた。堂々と、砕けた口調で粗筋をスラスラと口にすることで、僕の中での疑問を増やしていく。いや、疑問というよりかは、呆れに近い。面白味のないジョークだと思った。

 

 正面玄関といえばこのトイレの真横にある。アレックスの言う通りならば、今頃不審者は玄関の前にいるのだろう。

 

 が、仲良くなったばかりとはいえ、そんな根拠の無い話は僕には到底信じられなかった。もし真実なら、僕は共犯者と話しているということになる。それも踏まえて、信じたくなかった。

 

「結局、拳より文明の利器。州チャンピオンだかなんだか知らないが、一発喰らえば終わりのナイフの前じゃあボクシングなんて子猫も同じだ」

 

「…………」

 

 ちょっぴりカチンときた。

 

「………いいぜ。見に行こう、本当かどうか」

 

 この時の僕の顔、けっこうイケてたと思う。手洗いは30秒以上って昔誰かに言われたのを忘れ、手を濡らしただけの僕は飛び出すようにトイレの扉を開けた。

 

 目的はデマであることの証明、もしくは不審者に一発ブチ込むこと。とはいっても、後者の確率はないだろう。

 僕には素人を宙に浮かせる技術と自信がある。誰を浮かせるかは今後次第だけど、いずれにせよ州チャンピオンの座は揺るがないのさ。

 

「…………」

 

 並んだ錆びたロッカーを横目に流し、正面玄関から外を見て、室内の廊下や階段に視線をやっても無人だった。とても暗く、寂しかった。

 ともかくこれでデマということが証明された。

 

「妙なウソで遊んだな。体調でも悪いのか?なんか変だぞ、今日の……君は」

 

「……うむ」

 

「うむって………らしくないじゃあないか」

 

 アレックスは夜半の風のように語る。

 

「…………確かにウソかもしれないな。ただ、それは10秒後に不審者がやってくるという事に関してだ。確認できなかったからな。現時点で23秒後……どこに隠れているかわからない」

 

「……何だって?……隠れて…いる…?」

 

 どうも僕には、その含みのあるアレックスの話が悪足掻きに聞こえなかった。脳に直接語りかけてくるような真剣な口と絶妙な間がそれを実現し、沸騰しすぎた信憑性は一周回って疑念すら抱かせた。

 僕はこの時、不審者が高校に来るよと言われて信じるようなアホに進化していた。

 

 そして、アレックスの言う犯罪の予知が、「リアリティがある」から「リアル」に変貌するのにそう時間は要さなかった。

 

「!」

 

 現状、底から沸き上がってきた恐怖を捉えるのは思いの外難しく、いつまでも、視界に映る一人の不審者がそれを邪魔している。

 

 僕らの前方、廊下の奥。空を支配する暴風のように、薄汚れた黒いコートを羽織った男が立っていた。髭は不揃いで浮浪者にしか見えないけど、目はギラギラと輝いていた。

 手には一本のナイフを握っており、切っ先を上下させながら、白銀の刃の存在を頻りに強めている。

 

 なんてことだ。怖くてたまらないじゃあないか。

 「これが起こったらこうする」「俺だったらこうしてやる」っていう風に、まだ見ぬ非常事態に対して、人は生き抜く己の姿をポジティブにイメージするだろう。でも、実際の本番で自分がどう行動するかなんて、誰にもわからないのだ。

 

「おっ…」

 

「へ……………?」

 

「いいねえ……無用心な生徒さんもいたもんだぜ。今よ、すこぶる調子が良いんだ……こんなことァ初めてすんのにな……………なんだかよくわかんねーけどよォー…」

 

「………!」

 

 マジかよ。その一言に尽きる。

 

「…よくわかんねェけどよオオオオオ!!!」

 

 不審者がナイフを向けて突っ込んでくる。あまりに唐突すぎるせいで急に背中がヒンヤリして、それが僕の猫背を矯正し、最後には神経が逆撫でされた気がした。

 やらなきゃやられる、とでも言おうか。急激に沸騰した恐怖が逆に意識を研ぎ澄まし、状況を呑み込ませ、目の前の悪に立ち向かう勇気を授けてくれた。

 

 いくつものカードを重ね、ポーカーの役のように、今の僕は完成されていた。とはいっても、それは根拠なき勝機による、人生最大の無謀だ。

 気づけば、本能を理由に拳を繰り出していた。

 

「ワウオオオアアーーーッ!!!!」

 

 全身全霊の叫びは失敗に終わった。

 一方、拳のほうはというと

 

「オゴッ…………!!」

 

「あ」

 

 チャンピオンの名は伊達じゃない。

 

 

 ◆

 

 

 僕はまた、表彰を受けている。

 場所は警察署の署長室の中。中央奥にデスクがあって、応接用の家具があったりはするものの、全体的に飾り気が無い。堅実で広い部屋だ。

 受け取った感謝状の内容はたった一人での不審者の撃退。勇気ある高校生に拍手を。といった感じで、無数のレンズと、市警のお偉いさんや校長が僕の顔を眺めている。大の大人に怯えず立ち向かった事が素晴らしいのだと。

 

 あのとき僕は、一直線で突っ込んでくる不審者の顔面にカウンターを食らわせてやったのだ。刃物のことを忘れていたのかは当時の僕に訊ねないとわからないけど、あの行動は阿呆にも程があった。対して説教も注意もしない警察は、無謀と勇気を履き違えているのではないかと思う。

 そうやって深く考えていると、世界が狭まっていくようで、なんだか退屈になった。

 

 気づけば、記者は過ぎ去る嵐のように消えた。談笑する権力者たちの傍らで一人、僕は掛け時計の時刻を確認し、家につくのは何分頃かと大雑把に計算すると、生暖かい息を静かに吐いた。

 

 そういえば、何故あの時アレックスは犯罪を予言できたのか。当時の僕の考えを引っ張りだしてみて思いつくものといえば……アレックスは共犯者だけど僕に本当の友情を抱いていて、僕だけ助けたかった、とか?そうなると、僕をわざわざ挑発してきた点が腑に落ちない。逆効果じゃないか。

 

 すると突然、気怠そうに若い警官が顔を近づけてきた。

 

「君……教会の神父様が特別にいらっしゃっている。珍しいことではあるが、挨拶を」

 

 そう言う市警の黒目の先には、一人の神父が悠然と佇んでいた。

 スラッとした無駄のない体に、無感情なのか穏やかなのか判別しづらい目つき。白人だが色黒で、シルバーブロンドの髪は見事に整っている。

 

 何故こんな所に神父が?とは一瞬思っても、数歩以内に待ち構えているものだから、疑問に関して深く思考を巡らせることはできなかった。

 

 僕は、まるでご機嫌取りに向かう気持ちで歩み寄り、恐る恐る笑みを浮かべる。

 

「………『言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅ぶ』…………ルカによる福音書13章の3節」

 

 と、いきなり神父の男は言い放ち、続けて言う。

 

「私は君を見たことがない。つまり初めまして…だ」

 

「え…………は、はあ」

 

「殴り飛ばされた犯人……実は、彼も神父でね。何、気にすることはない…元から、特に最近は目に見えて様子がおかしかった。人は過ちを犯す生き物…………彼には正しく反省してほしいものだ」

 

 神父の第一印象は柔らかく、何だか神秘的。聖職者なのだから当たり前か。懐疑的になるのはよしておこう。

 

「なんか……すいません」

 

「……いや…………こちらこそすまない」

 

 表情を変えずに神父は謝った。その様は機械みたいというか、ひたすらに形式的というか……愛想が悪い。

 教会に行った記憶は無いし、熱心なキリスト教信者でもないので、聖職者というものを僕はよく知らない。ただ、癒される、とは程遠い風格をこの人からは感じる。加えて、ふと共通点を感じた。

 同類だ……けど、神父は躊躇いなく仲間を喰う獰猛な種族だ。ここまできて、僕は自分の考えをを閉ざした。

 

「神の御慈悲は平等に授けられる……だからといって惰眠を貪ってはならない。人にはそれぞれの行うべき『使命』があるからだ。人生の指標にも近い。「人類の救済」……私の使命はそれだ。出来うる限り…で、あるがな」

 

「へ、へぇ……すごいですね」

 

「芽は素早く摘み取らねばならん……成熟してしまう前に…………『悪魔の萌芽』…を」

 

 なんか………深いことを喋っている。

 

「「無自覚」…………君は自らの発芽を知らない。食われ、踏まれ、命が絶えた事実があろうとも、それに気づけないほどに……まだ幼く、君は無知だ。しかしこのままでは……雑草よりも執拗に、根よりも静かに………君の芽は肥大化し、この世に蔓延るだろう。人々を太古の野蛮な人類に戻す……「厄災」と化すのだ」

 

「……………………」

 

「だが……無自覚なのは君だけであって、もう一人の君……とも呼べる「彼」は………知っている。それはつまり、君は確かに知っている………精神の奥底に閉じ込めているという……証だ」

 

 眠い。なにも考えられない。

 

「一つ……目を背けているのは何故か?…………わからない」

 

 神父は円く…光沢のある物体を持っている。円盤のような物体だ。なんだろう。

 

「………………『衝動を後押しするスタンド』……これを扱えるかどうかは重要ではない。『正しい場所』に立てるかどうかが……君の選択肢だ」

 

 

 ◆

 

 

 私という君自身を失った君は、今までの君でいられるだろうか。もしこれからの君が、私と出会うの前の君、もしくは私と共に過ごしていたときのような君なら、問題ではないのかもしれない。

 現実、脳とは非情。私にはわかる。私を失った君はもう、原型すら覚えていない、壊れたガラクタであると。

 

 それから、遅すぎるが警告しよう。

 種から育ったものが全て果実になるわけではない。知らずに撒いたとすれば尚更だ。いつの日か己の撒いたものが突然、己を蝕む、猛毒となりうるのだ。

 

「ン……君はたしか…」

 

 ほら、警官が気づいたぞ。柔らかい物腰の男だ。贈呈式のことは知っているらしい。彼は一人で部屋から出てきた君に違和感を覚えている。

 今の君が受け答えをするのは不可能だ。離れたほうがいい。

 

「だ、大丈夫か…?酷くやつれているように……見える…が…………気分が悪いのなら力を貸そう」

 

「…………………」

 

「…………本当に気分が悪いのか……?ならここで待っているといい。薬を持ってこよう」

 

 ライオンなどの肉食動物は、補食対象が背を向けると襲いかかる習性があるという。精神の大半を盗られた君に与えられた道は限られているぞ。時間も無い。

 力強く、彼を殺せ。

 

「…………あぐッ……!……?」

 

 君はチャンピオンだ。相手は訓練された警官とはいえ、猛獣のような荒さで殴ることで倒れる。馬乗りになれ。追撃を怠るな。

 

「なッ…ぶぐっ…………!そ、そこの……!…彼を引き剥がせッ…………!彼はッ……混乱している!」

 

 しぶとく冷静な男だ。全力で殴っているのに未だ意識を保っている。そして、偶然署長室から出てきた若い警官に応援を頼むとは。だが君の拳は血に濡れ、警官の顔面は歪んでいる。いずれ糸は切れるはず。

 

「!?…………」

 

 若い警官は君のことを見知っているから、非常に困惑しているようだ。急な出来事でもある。チャンスはこの時、この場にしかない。隙が無くなる前に警官を殺せ。でなければ、殺されるのは君だ。

 ただし、逃げることは許されない。

 

「あ~、なるほど…………………感謝状を渡された高校生がいきなり発狂して、不意打ちを食らったと………」

 

「おい!……クソッ…!………何を…しているッ!」

 

「ここら一帯は平和だ……あなたはそう思いますか?」

 

「は……!?」

 

「他の署と違ってウチは件数が少なすぎる。神父が優しいだか魅力的だか…………みーんな、『平和ボケ』しているんだ。苦痛無く生きるのが当たり前だと思い込んでやがる……」

 

 ギリギリと歯を軋め、若い警官のボルテージは急上昇していた。怒っているようだ。それもそのはず。スデに彼の脳内は毒に蝕まれているのだから。

 

 針の振り切れた人間に敵う者はいない。理性が欲望に上塗りされ、あらゆる能力を最大限に発揮できてしまう。もちろん、振り切るには()()が必要。現状でのそれは君だ。

 きっかけを生み、与えてしまったのは君なのだ。

 

「一度、本気で使ってみたかったんです。人に向けて撃つのは初めてですが……成績はトップでした。無駄な延命はしません……」

 

 若い警官は黒光りする金属物体を構えた。

 

「お、おい……!?ここは署内だぞッ!しかも相手は無防備な青年だ!!銃を下ろせッ!!」

 

「無防備だって…?この平和ボケ患者がッ!!拳が武器になるってこと知らねぇのかァーーッ!?しっかも相手はボクサーだってのによオオオオオオ!!!!」

 

 彼が引き金を引くと、もう耳が張り裂けそうだよ。

 やがて意識が遠のいてい

 

 

 

 



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