僕ら、未だ夢の中 (たまごぼうろ)
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過去の記録と、夢の中
とても長いので2話で区切ってあります。今回はその前半です。
鉄心ENDとはまた違った物語をお楽しみください。
2015年に発生した、憐憫の獣による人類史の焼却。
7つの特異点を起点とし、人類史の一切を焼き払う大偉業は、1人の平凡な少女、藤丸立香と、彼が築き上げた無数の絆により敗れ去った。
しかし、彼女が取り戻した平穏は、一時にして崩壊する。
2017年12月31日、異星の神を名乗る集団によって、カルデアは壊滅を余儀なくされる。
同時に人類史が築き上げた歴史の一切が漂白され、地球は1人ぼっちの惑星となった。
命からがらシャドウ・ボーダーによって脱出に成功した藤丸立香らのカルデア残党は、カルデアの元Aチームである7人のクリプター達が作り上げた、間違った歴史によって造られた7つの異聞帯を破壊し、彼女は又もや人類史の危機を救うこととなった。
しかし、その偉業の裏には取り返しのつかない悲劇があった。
これは、その悲劇の一端を綴ったとある職員の記録である。
~一か月前~
記録者 マシュ・キリエライト
最後の異聞帯における最終決戦にて、彼女は深刻なダメージを負い昏睡状態になり、勝利をおさめ帰還した後も長期間にわたり眠り続けた。
その眠りは長く、世界が元に戻ってからも長い間、彼女は眠り続けた。
しかし、数か月後、全てのサーヴァントが名残惜しそうに退却して直ぐに、彼女は不意に目を覚ました。
目覚めた彼女はいの一番に病室に駆け込んだ私を見て、しばらくの間ぼうとしていた。
「先輩!先輩!目が覚めたんですね…。良かった…、本当に、本当に……………」
大粒の涙を流し、子供のように彼女の手に縋り泣きじゃくる私を見て、彼女は少し困ったような顔をして、恥ずかしそうに頬を書きながら、申し訳なさそうに言葉を発した。
その時、その瞬間を、私は一生忘れることはできない。
私に世界を教えてくれた、生きる意味とその責任を一緒になって背負ってくれた。
平凡で善良で、でもだからこそ、その在り方を貫き続けた人の
変わり果てた、その姿を
「えっと.......、ごめん。君は誰?ここは何処なの?」
私は一生、忘れることはできない。
「診断としては、重度の記憶障害、としか言いようがないね。」
ダヴィンチちゃんは冷静に言うが、その声にはかすかに震えが感じられた。
「彼女があの戦いで負った傷は、体ではなく脳に響いていたんだ。きっとあの長い昏睡はデータの消去処理の様なものだったのだろう。彼女のカルデアでの記憶がより濃密だったからこそ、それが完全に消え、今の状態になるのにも時間がかかったんだ。」
彼女は自らをの悲しみを隠すかのように事務的に告げる。
「彼女の残っている記憶はカルデアに来る以前のものだ。彼は最早47番目の補欠マスター以下の、ただの一般人になってしまった。」
「……………」
それを、私は黙って聞くことしかできない。
皆辛いはずだ。しかし、それを彼女のせいにはできない。
先輩は世界を救った、およそ人の身では成しえなかった大偉業を、どこまでも平凡なまま成し遂げたのだ。
加えて、先輩が救ったのは世界だけでは無い。
私たちだ。私たちも彼に救われた。
ファーストオーダーの日に、私は先輩に手を取られた。
私に人としての在り方を教えてくれた。
私だけではない、職員の皆さんもいつも前向きで明るい先輩に、いつしか惹かれていた。
……………きっと、今ここに居ない、あの人だって
じゃあ、私たちは?
世界を救い、皆を救った現代を生きる英雄に
私は一体、何を返せたのだろう。
「ミス・キリエライト。その時のミス・藤丸の様子を詳しく教えてもらえるかな。我々の方では君たちが帰還する直前に映像が乱れてしまってね。詳しい情報はすべて事後報告なんだ。あの時藤丸君と共に戦いに臨んでいた君に、教えて欲しい。」
何も考えられない頭に、ホームズさんの質問が響く。
でも、今はそれすら煩わしい。
「様子、と言っても特別おかしなことはありませんでした。ただ、私たちが帰還する瞬間に敵が特攻を仕掛けてきたんです。そこまでは映っていますか?」
「あぁ、それは映っていたよ。その直後に映像に乱れが生じたんだ。」
「なら、特筆すべき事など有りません。そこで先輩はダメージを負って、目が覚めたら記憶が消えていたんです。……………もういいですか。少し、疲れてしまって。」
そう言って無理やりに話を切る。
するとダヴィンチちゃんが私を庇うようにしてくれる。
「ホームズ。」
「分かった、十分さ。すまないね。ミス。」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。」
そう言って、管制室から出て、自室に戻る。
そして私は、それから朝になるまで泥のように眠った。
深く、深く、どこまでも。微睡みという名の海に溺れてしまうかのように。
そして目が覚めたら、何もかもが夢のように、消えてしまうことを願って。
~25日前~
記録者 マシュ・キリエライト
彼女が目覚めてから数日が経った。
きっと、最初から順応が早い方だったのだろう。
この異常な環境にも、彼女はすでに慣れつつあった。
「あぁ、おはよう、マシュ。」
「……………おはようございます。藤丸さん。」
だからこうして、彼女の私室に訪れても、彼女は依然と何ら変わらぬ声で挨拶をしてくる。
それだけで私は、泣きそうになってしまうのに。
『今の藤丸くんに、それ以前の事は話すべきじゃない。…少なくとも今の時点では。』
彼女が目覚めてからすぐ、カルデアの全職員に向けて、ホームズさんはこう宣言した。
つまりそれは、彼女が記憶を取り戻す可能性を完全に0にするということでもあった。
無論反論は少なくない。
特に、先輩と仲の良かった女性職員達が大きな声を上げたのを皮切りに、全員の感情が一気に爆発した。
『どうして!彼女は正に英雄です!偉業を成した本人がその事を忘れているなんて……残酷過ぎます……。』
涙ながらに訴えるその職員の悲しみが、周りに伝わっていく様子を私は強く覚えている。
大きく叫ぶ人、泣きながら訴える人、冷静を装う人、たくさんの感情が入り混じっていた。
そして、それがどうしようもないものに変わった瞬間も、強く記憶に残っている。
『これは彼女を守る為です。きっとこれから時計塔の魔術師が彼女の栄光を掠め取りに来るでしょう。あれこれと様々な難癖と理由を引っ提げてね。その過程で彼女を傷付けるかもしれない。』
その時のホームズさんの言葉には、珍しく怒りがあった。
推理をする時のように両の手の指を合わせて、しかしいつもより随分分かりやすい感情の篭もった言葉を放った。
『…………冗談じゃない。彼女の偉業は彼女のものだ。後からやってきた奴らには、欠片たりとも渡してはならない。』
その厳しい表情を見て、皆理解した。
これ以上、彼女を傷つけてはいけない。
これ以上、彼女に背負わせてはならない。
彼女はもう十分過ぎるくらいに背負ってきた。
その小さな背中に、有り得ない位の人々の想いを。
『私たちは、まだ成人にも満たなかった頃のあの子に全てを押し付けたんだ。なら、今度はこちらの番だよ。必ず、守るんだ。』
更にダヴィンチちゃんが付け加えた。
彼女を守る為に、嘘をつき続けると。
中には納得していない者も居ただろう。
しかし、彼女を守りたいという想いだけは皆同じだった。
こうして、彼女を守る優しい嘘を、残酷な真実にするというルールが生まれたのだった。
「藤丸さん、気分はどうですか?」
「うん!今日はすごく調子がいいよ。そろそろ1人でも大丈夫だと思う。」
「それは何よりです。後で医療スタッフが問診に来るのでもしかしたら明日にでも現場に戻れるかもしれませんね。」
彼女に与えられた新しいパーソナルは「カルデアの新人職員」というものだ。
しかし入館の際のシュミレーションに重大なバグが発生し、そのせいで昏睡状態になってしまっていた、という設定になっている。
これにより、私たちが何か言わない限りは記憶の齟齬が生まれる事はないだろう。
何故このようなことをするか、それは記憶を取り戻した彼女がどのような行動に移るか、誰も予想が出来ないからだ。
もし、仮にの話だが、記憶が戻った事で彼女がカルデアを敵対視した場合、彼女は最強の存在となる。
何しろ古今東西、常世に存在したありとあらゆる英雄と縁を結んだ人だ。
まだ生きているカルデアの英霊召喚システムを使えば、縁が太いサーヴァントなら呼び出せてしまうだろう。
それ以外にも、勝手にレイシフトしたり、という可能性もある。
故に、彼女には常に監視を付けている。
これにより、何かの拍子で記憶を取り戻しそうになっても対処はできる、というわけだ。
非道い話ではあるが、これも先輩を守る為だ。
『とりあえず査問官が撤収するまではこの体制を続けよう。その後は監視は外すよ。記憶は戻ってくれた方がいいに決まってるからね。』
ダヴィンチちゃんのこの言葉は免罪符のように私たちに貼り付いた。
けれど、私はそれでも良かった。
『あの、それならば、私がお傍にいても構わないでしょうか?』
監視の名を借りて、先輩の傍に居続けられるからだ。
いくら記憶が無かろうと、彼女が私の先輩である事は変わらない。
それに何かあってもデミサーヴァントである私なら対処出来る。
他の職員の皆さんも、私がメインで監視につく事に異論を唱える人は居なかった。
……………ごめんなさい、先輩。
私、貴方を裏切っているかもしれない。
そんなことを言える筈もなく、今日も監視を続ける。
それでも、先輩は私が守ります。
あなたが私の事を覚えていなくたって、私の中ではずっとあなたが居るんですから。
~2週間前~
記録者 マシュ・キリエライト
彼女が最近よく夢を見ると言っていた。
「どんな夢か、って言われたらそこまで覚えてるわけじゃないんだけどね。でも何処か色々な場所を旅していたような、そんな夢をよく見るんだ。」
その言葉に少しだけ背中に冷たいものが流れたのを覚えている。
それは間違いなく、彼女が今まで行ってきた膨大な数のレイシフトの記録だ。
彼女の心がそれを忘れても、彼女の体は思い出そうと必死になっているようだった。
けれど、そこまでは想定の範囲内。
過去の記憶が、夢として蘇る可能性は大いにある。
予めダヴィンチちゃんにそんな説明を受けていたからだ。
だから、私は表面上の平静を保ったままでいられた。
「それは興味深いですね。どんな夢か覚えていないのがとても残念です。」
「そうなんだよねー。……でも、きっと楽しかったと思うよ。だから覚えていないんだし。知ってる?楽しかった夢は、起きた後には忘れちゃうんだよ。」
大丈夫。大丈夫。隠せている。
私はいつも通りだ。何も心配入らない。
表情は笑顔に、感情を固定し、思考を頭の隅に置く。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
このまま行けば、きっと、
「でもね、一つだけ覚えてる事があるんだよ。あれ、誰なんだろうなぁ」
「……………え?」
「気が付いたらさ、不思議な場所に私は立っているんだ。空は真っ黒で宇宙みたいなのに、地面は真っ白で、まるで雲の上に居るみたいなんだ。そこの奥には玉座?って言うのかな、何だかとても偉い人が座るような椅子があってさ。神様のいる場所って、きっとあんな感じなんだろうね。」
「藤丸さん?」
「そこにね、男の人が一人でいるんだよ。顔も良く見えないし、声も曖昧なんだけど、凄く大切な人の感じがした。」
「その人はこっちに来て、私の名前を呼んで、そしてそのまま玉座の方に歩いていくんだ。」
「私がいくら『待って!』って言っても、その人は止まらなくて、必死に追いかけてもその距離は埋まらないの。それでも必死に走っていたら、不意にその人は振り向いて、私にこう言ったんだ。」
『君たちが紡ぐ未来を、僕は信じている。君が歩む未来を、僕は心から祝福する。』
「そう言って、にこりと笑って手を振って、満足したかのように消えていって、そこで夢は終わっちゃうの。」
「…………………」
私は立ち尽くすのが精一杯だった。
涙を堪えて、震える声を無理やり押さえつけて、
我慢すると決めたはずなのに、それでも言葉にしてまった。
「大丈夫、ですよ。」
「ん?」
「その人は、きっと貴方を見守っています。今ここにはいなくても、きっと、ずっと。」
「……………」
このせいで先輩の記憶が戻る可能性があると分かっていても、それでも、
それでもあの人の覚悟が、想いが、最期が、
彼女の中に残っていた事が嬉しくて、悲しくて、そして
「マシュさ………」
ぎゅっと目を瞑る。
次の言葉を聞くのが怖い。
これで、私たちの今までの苦労が無駄になってしまうかもしれない
けれどもし、これで先輩の記憶が蘇ってしまったら………
私は、きっと
「もしかして、誰だか知ってる!?」
しかし、それでも先輩は目覚めなかった
「は?」
「いや、何だか知ってそうな雰囲気だったからさ!ここの職員さんとかなのかなーって思って。どう?どうなの?」
彼女はベッドから身を乗り出し、目を輝かせて私に食いよってくる。
それで、抱いてはいけない淡い希望が崩れ去るのを感じた。
じりじりと熱くなっていた頭が急激に冷めていく。
そんな一時の迷いを振り払うように、努めて冷静に、それでいて少し困ったような顔を浮かべて言葉を返す。
「いえ、その、私にもそのような大事な人がいるので……、少しその人と重ねてしまったのかもしれません。」
そう誤魔化すと、彼女は体をベッドに戻し、腕を組んで黙り込んでしまう。
「そっかぁ、うーん、残念!」
僅かに頬が熱い。やはり彼女の前では緊張してしまう。
でも、お陰で少し落ち着けた。
これでいい、先輩の為にはこれでいいんだ。
そう言って、少し深呼吸をする。
けれど、そこで私は忘れてしまっていた。
記憶を失ったものが身近に現れた際、
最も深く傷つくのは、その当人では無く、
その近くでその人を支えた者であるということを
そしてその痛みを抱えて生きていくと、決めていたことを
「でもさ、これだけ私の心に残っている人ならさ、絶対いつか会えるよね!初対面だけど初対面じゃない、相手は私の事を知らないだろうけど、『あなたとは夢で会った事があります』なんて言ったりして、もし、もしそれがきっかけで仲良くなれたら。」
ふとした時に零す一言に、ひどく棘がある時がある。
当人にとっては華のような言葉だとしても
それを責めることは出来ない、それを止めることも出来ない
だから、どこまでも残酷なんだ。
「それってすごく、ロマンのある話だと思わない?」
「あ…………………」
そこで、私の何かが耐えきれなくなった。
がらがらと音を立てて壊れてしまった。
罪悪感が波のように押し寄せてきた。
「藤丸さん、すいません。そういえばこの後ブリーフィングがあるのをすっかりと忘れていて、今日はこれで失礼します。」
「あぁうん、お疲れ様。それより大丈夫?顔真っ青だけど。」
気遣いの言葉も耳に入らず、足早に部屋を後にしようとする。
これ以上ここに居てはいけない。
「いえ、お気遣いなく、では、失礼します。」
バタバタとドアを開け、廊下を走る。
目からはあんなに堪えきれていた涙がとめどなく溢れ、喉は今にも叫び出したいかのようだった。
苦しい。苦しい。苦しい。
胸が張り裂けそうだ。心臓がつぶれそうだ。
それでも必死に、もはや堪えきれていないがそれでも目的の場を目指す。
着いた先にはあるのはダヴィンチちゃんの研究室だ。
呼び鈴を鳴らす手間すら惜しく、素早く駆け込む。
「おやおや、誰かな。呼び鈴も鳴らさず入ってくる不届き者……………は……………」
そしてそのまま、その小さな胸に飛び込んだ。
「……………どうしたの?」
「ダヴィンチちゃん……………、もう……………」
それで何かを察したのか。彼女はその小さな掌で私を包み込み、優しく頭を撫でてくれた。
「あぁ、よしよし。落ち着いて。この万能の天才に話してごらん?」
「私……………、私……………」
それから、数時間にわたって彼女は私の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
途中、ホームズさんが来たのを押し返してまで、私を慰めようと必死になってくれた。
『後悔しているなら、もうやめたって良い。いつだってそれはできるよ。これ以上は君が傷つくだけだ。それに、これはマシュ一人の問題じゃない。……………私だって』
彼女は優しい言葉をかけてくれる。
もうやめてもいいと、嘘をつき続ける必要は無いと。
でも、そんな事出来なかった。
『いえ、これはもう決めた事です。先輩は今まで自分が傷つくことを恐れずに、私の傍にいてくれた。次は、私の番です。』
『……………そっか。君はそれだけの覚悟があったんだね。覚悟が無かったのは私の方か。』
その後、就寝時刻まで話し込んだ。
部屋に戻る直前に、ダヴィンチちゃんはよく眠れる薬だよ。と言って小さな空色の液体が入った小瓶を私に手渡して、いつもと何ら変わらぬ笑顔で見送ってくれた。
そうして、自室に戻った後、その小瓶の中にある液体をゆっくりと飲んだ。
その液体は甘くて、けれどちょっぴり苦かった。
睡魔はすぐにやってきて、私はベッドの上で久しぶりの心地よい微睡みに身を委ねる。
そうして意識が亡くなる直前に、あの人が悲しそうに笑っている姿が見えた気がして。
また少し辛くなって、ほんのちょっと泣いてしまった。
~いつかの時間、夢の中~
観測者 藤丸立香
「ん……………、あれ」
気が付くと、私は知らないところに居た。
先ほどまで、マシュに呼ばれてメディカルチェックを受けていたはずだが、ここは全く知らない場所だ。
「何だここ。なんか…すごいなぁ。」
空には満天の星が輝いていて、まるで星空のカーテンのようだ。
地面には一面に真っ白な花が華やかに咲き誇っている。
それらの花弁がどこからともなく吹いてくる優しい風で舞い上がっている。
月並みだが、とても美しい光景だった。
女の子ならば絶対に憧れてしまうような幻想的な風景。このまま後ろを振り向けば輝かしいまでに豪華なお城があって、そこにはお姫様が住んでいる、なんて言われても信じてしまうだろう。
けれど、そこに現実味は無く、そこにある感触は他人事のよう。
星は輝いてはいるものの、そこに一瞬の煌めきなんてものは無くて、花は咲き誇っているけど、そこに香りは無い。
風は柔らかく優しいが、そこに温かみは一切存在しない。
(これは、なんというか。例えるならそう、まるで———————)
「まるで夢の中のよう、かな?」
「え?」
声と共に振り向くと、そこには1人の男がいた。
いや、正直人間かどうかも怪しい。
腰まで伸びた長くふわふわの白髪に、白いフードを被ったその男は、凡そ人間とは呼べないくらい人間離れしていた。
フードの下から除く顔からもそれは用意に分かる。
(こいつ、顔がいい。)
初対面なのに、失礼にもそう思ってしまった。
「えっと、あなたは誰ですか?」
私のそんな当たり前の返答に対して、この男は一瞬だけ驚いたような顔をして、しかし直ぐに元の顔に戻って答えた。
「……………そうか。そうだね、一先ず、花のお兄さん、とでも呼んでくれたまえ。お嬢さん。」
そう言って男はにこやかに笑う。
その顔はとても美しく、まるで彼自身も花のようだ。
花のお兄さん、という名前も案間違いではないらしい。
人間離れしたその風貌がそれを物語っていた。
「えーー、じゃあお兄さん。ここはどこですか?」
差し当って先ずは現在位置を把握しないと。
ここが如何に美しい場所でも、私がさっきまで居たのはカルデアな訳だし。
「ここかい?ここはね、簡単に言うなら君の夢の中さ。最も、その中の一角を私が間借りしてるようなものだと思ってくれたまえ。」
「あぁ、やっぱりここ夢なんだ。どおりで綺麗だと思ったよ。」
そう言うと、お兄さんは嬉しそうに微笑んだ。
「お褒めに預かり光栄だね。私の魔術もまだまだ捨てたものでは無い。」
「でも、何だろう。ここには何かが無い気がする。」
「何か、とは?」
「分かんないけど、何か足りない。
「……………………」
そう言うとお兄さんは黙り込んでしまった。
「まぁいいよ。それで、お兄さんはどうゆう用件なの?わざわざ人の夢の中に来たんだから、何も無い訳無いよね?」
なので私は簡潔に要件を聞く。
この人がどうゆう人なのかは分からないが、少なくとも知らない人なのは間違いない。
そんな人にいきなり話しかけられたら、誰だって警戒するだろう。
しかし、その警戒は杞憂に終わった。
「用件?うーん。そうだね。ではこういうのはどうだろう。私は君の守護霊的存在で、新しい地に単身迷い込んだ主を助けるためにこうして夢を介して馳せ参じたというのは。」
「……………は?」
「おや、お気に召さないかな。」
肩にはいっていた力が勢いよく抜ける。
何を言っているんだこの人は。
明らかにふざけている。
フード越しでも分かる。この人いま絶対厭らしい目をしている。主に人をからかうような感じの。
そう思っていると観念したかのようにお兄さんは口を開いた。
「はは、そういやな顔をしないでおくれよ。本当の事を言うとね。特に用は無いのさ。寧ろ迷い込んだのは私の方でね。」
「どうゆうこと?」
「私は人の夢に入り込み、その人の望むものを見せてあげるのが趣味なんだが、今回は何故か強制的に君の夢と繋がってしまってね。だからまぁ、用件と言われても本当に何もないんだ。申し訳ないけどね。」
「は、はぁ…」
意味の分からない事の述べたと思えば、今度は訳の分からないことを言ってくる。
夢に入り込む?趣味?
そんなの、まるで魔法じゃないか。
(そんな事、一般人極まりない私に言われてもなぁ.......)
「じゃあ、お兄さんって、魔法使いとか、そうゆうナニカな訳?」
そう言うと、お兄さんは吹き出したように笑い出した。
「ぷっ、ははははは!魔法使いか!確かにそう呼ばれた時期もあったなぁ。でもまぁ、私は魔法なんて使えないさ。精々が幻術止まりのしがない宮廷魔術師だったわけだしね。」
「???」
まただ。
彼は私の知らない事ばかり言ってくる。
まるで会話が成り立たない。いや、きっと彼の中では成り立っているのか。
どうも噛み合わない会話に戸惑っている私を見て、お兄さんは改めて話題を振ってきた。
「まぁ、細かい所なんて目が覚めたら忘れてしまうさ。それよりどうだろう、こうして奇妙な因果で巡り合ったんだ。君の話を聞かせてくれないかな。」
「私の話?」
「あぁ、他でもない、君の今までの話。君が今までに出会い、学び、感じた事。そんなよくある話を聞かせて欲しい。」
よく分からない自己紹介をしてきたかと思えば、よく分からないことを言って、挙句の果てに私の事を聞かせろだって?
この人やっぱり変だ。きっと彼に関わったら碌な事にならない。
こんなのが近くに居たら、きっとその周りの人たちはとても苦労するだろう。
当の本人はしれっとしているのに、周りはハチャメチャに動かされる。
きっと、かれはそうゆうトラブルメーカーだ。
短い会話だったが、なぜか私はそれに確信を持てた。
……………だけどまぁ、それは現実での話。
これが夢だっていうのなら、少しくらい楽しんだっていいだろう。
どうせ目が覚めるまでやる事も無いだろうし、この奇妙な男に付き合ってやるのも悪くない。
どうやら私も私で、この意味不明な状況を楽しんでいるらしい。
現実で知らない男と話そうなら、絶対に友達とかお母さんに止められるけど。
この違和感だらけの空間も、お兄さんも、そしてこれから話すことだってどうせ夢なんだから。
(それなら、ちょっとくらいいいかな。)
「いいよ。どうせやる事も無いしね。でも大した話じゃないよ?」
「構わないさ。何なら曖昧だっていい。今の君が覚えている範囲で、君の物語を聞かせておくれ。」
何か引っかかる言い回しだが、お兄さんの真剣な言葉に少し驚く。
(この人、こんな態度出来たんだ。)
「分かった。それじゃあ、何から話そうか。」
なので私は、今までの私の物語をおぼつかない語り口調と、精一杯の身振り手振りで紡ぐことにした。
少しでも退屈しのぎになればよいのだが。
少なくとも、私にとって。
「それで、最近カルデアっていう組織にスカウト?みたいな感じで入ったの。でも何か機械のエラーに巻き込まれて暫く眠ってて、最近目が覚めたんだ。」
時間にして30分程か。
私は私の出生から、友人の話、恋愛の話、飼っていたペットの話に至るまで色々な事をお兄さんに語った。
正直自分でも、初対面の男にここまで饒舌に語れたことに驚いている。
確かに昔から人見知りするタイプでは無かったので、人と話す時緊張をした事は無かったが、まさかここまで喋るとは思わなかった。
その間お兄さんは、私のたどたどしい語りに適宜相打ちを挟みながら、とても楽しそうに聞いていた。
心底楽しむようにニコニコして、私の言葉を味わう様に、一言一言を噛み締めるような態度だった。
それもずっとその表情は変わらない、私が面白い話をしようと、切ない話をしようと、いつだって笑顔のままだった。
その様子は少し不気味に感じたけど、自分の話を笑いながら聞いてくれる、というのは悪い気では無い。
きっと、これは彼なりの気遣いなのだろう。それにしてももう少し何かあると思うが。
兎に角、そんな心なさげな心遣いのお陰で、気持ち良く話せてしまったのは事実だ。
「とりあえずここまでかな。まだカルデアに来たばかりで、思い出らしい思い出も無いし。………えっと、ご清聴ありがとう、ございました。」
良い締め方が思いつかなかったので、とりあえずお礼を言って締める。
そうすると彼は
「…………………………そうか。」
少しだけ寂しそうにそう言ったかと思うと、直ぐにさっきまでの笑顔に戻り、拍手をしながら言葉を返してきた。
「いや、素晴らしい内容だったよ。君の話はあれだな。語りはとても下手くそだが、その分その時々の君の想いがよく伝わってくる。私にとってはその方が良い。中々に楽しませてもらったよ。」
「なにそれ、褒めてるの?」
「勿論。私にとって感情とは得難いものだからね。
内容云々よりも、そちらの方が重要なのさ。」
そう言われて、はっと気が付いた。
この場所に足りない何か、ある筈なのに存在しない何かが一体何であるかに。
「そっか、だから此処には感情が無いんだね。」
「おや、バレてしまったかな。」
そう言ってお兄さんは少しだけ恥ずかしそうに頭を搔く。
「ここはあなたの創り出した場所だと言った。ここはとても美しく、幻想的なのに、それを見ているあなたは何も感じていないんだ。いや、感情が欠如している、の方が正しいのかも。この世界に見ている
そう言い切ると、お兄さんは私に拍手を送ってきた。
先程とは違う、心からの喝采の拍手に私は感じられた。
彼にとっては、先程と同じかもしれないが。
感情を持つ私には、全く違うものに感じられた。
「素晴らしい、100点だ。やはり君はどこまでも君らしい。」
「嬉しくないなぁ。あなたは感情が無いくせに、そうやって笑っていたんでしょ。」
精一杯の皮肉を込める。
確かにとても面白い話とは呼べなかっただろうけど、それでもあの笑顔が演技だと分かった途端に腹が立ったからだ。
けれど、彼はそれに悪びれる様子は無かった。
「そうだとも。私は感情という物が乏しいのさ。けれど人間が織り成すそれは大好きでね。これでも勉強中なのさ。その点で、君の話は大変良かったよ。」
「……そりゃどうも。」
会話はそこで切れた。いや、初対面の男なのに今まで続いていた方がおかしいのだろう。
もう話すことは無い。早いとこ目が覚めるのを祈ろう。
そう思った時だった。
「それにしても、何かが欠けた世界、か。面白い事を言うもんだ。」
「……どうゆう事?」
「いやなに、簡単な話だよ」
その時、私はここに来て初めて恐怖を感じた。
目の前の彼にでは無い。この夢のような世界にでも無い。
でも初めて、この男が紡ごうとしている言葉が怖いと感じた。次の言葉を聞きたくないと思った。
何か、何か決定的なものを壊されてしまうような気がして。
「欠けた世界、と言うならさ、今居る場所と君が元いた場所に一体どんな違いがあると言うんだい?」
「え…………………」
だから無情にも、この夢は終わりを告げた。
強い風が吹いた。
ただの風じゃない。
世界そのものを割るかのように吹き付ける強風。
その風にはこの世界だと有り得ないはずの感情が混じっていた。
怒り、いや焦りだろうか。
びゅうびゅうと鳴る風音は、警告音のようだった。
風は次第に強くなり、立っているのも難しくなる。
私は風に飛ばされないように強く踏ん張りながらも、周りを見渡した。
綺麗な花の花弁が、その強風に吹かれ舞い上がる。
それだけじゃない。
上を見ると、空が崩れていた。
下を見ると、大地が割れていた。
この世界が、吹き飛ばされて壊れていく。
美しきこの世界が、感情という名の暴風によって消えていく。
その中でただ1人。目の前の男だけはその場に立ち尽くしたまま動かなかった。
「あぁくそ、そういう事か。………全く、過保護と言うべきかな。彼女がそんな事、望むわけないだろうに。」
「なに!?なんなの!?」
彼はただ1人、悔しそうに歯噛みしながら、ここには居ない誰かに文句を言っているようだった。
私にはその言葉の真意は分からない。
けれど、彼が何かに向けて嘆いているのだけは感じられた。
嗚呼、宛らそれは。
大好きだった物語の終わりを見てしまったかのように。
「夢はもう終わりだ。君は元の世界に戻るといい。大丈夫、起きたらきっと全て忘れてしまっているからね。今回の事はまぁ、泡沫の夢とでも思ってくれ。」
姿が霞む、声が遠ざかる。
強風の中で藻掻いていると、ふと自分の姿が薄まっているのを見た。
(消えているんだ。私が、この世界から。)
声が出せない。精一杯叫んでいるつもりなのに、そこから音が出てくれない。
今にも吹き飛ばされそうだ。
それでも、最後にもう一度だけと体が叫ぶ。
彼の言葉だけは聞き逃したくないと、
「残念ながら、きっともう会うことは無いだろう。彼らのソレは私のこれを許しはしないだろうからね。
……………さようなら、藤丸立香。君の行く末に、再び晴れ渡った青空がある事を祈らせておくれ。」
「あぁ、でもーーーーーーーー」
そこまで聞こえて、私の意識はブラックアウトした。
彼が最後に、私に何を言おうとしたのか。
彼の言葉には、どんな意味があったのか。
それも分からないまま、それを知れないまま、
この記憶もまた、泡となって消えていった。
~理想郷にて~
体験者 ××××
気だるげな微睡みから体を起こす。
眠る必要の無い男にも、この時だけは眠っているような感覚に晒される。
今回は、宛ら悪夢だった。
大きく伸びをして、深呼吸を1つ。
気分は晴れない。こんなのいつぶりだろうか。
いつだって、彼女の見ているものは美しく、そして儚かった。
正に一瞬の煌めきだ。星のような人生だ。
燃え尽きるまでの刹那の時に、それは精一杯自らを魅せようと命を懸ける。
だからこそ、あぁ、そんな彼女を見てきたからこそだ。
……………本当に、本当につまらないことになったものだ。
今回ばかりは傍観に徹するわけにはいかないと出張ってみたが、まさか彼女らがここまでしているとは思わなかった。
どこまでも彼女の味方だったからこそ、こんなにも残酷な手段を取れたのだろう。
「あーあ、大ファンだったのになぁ。」
そう言って、冠位の資格を持つ夢見の魔術師は
千里を見通すその瞳を静かに閉じた。
もう観る事は無いと示すかのように。
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そして、現実は埋没する
懐かしい、もう半年くらい前かな、これ書いたの。
これめちゃめちゃ時間かけて書いたから、やっぱ面白いんですよね。自分の作品ですけど。
長いですがゆっくり見ていただければと思います。
~本日~
記録者 マシュ・キリエライト
彼女が目覚めてから今日で一か月。
世界が元に戻ってから、およそ半年して、ようやくその本人は日常に帰還した。
本日から彼女は新人という形で業務に戻る事になっている。
戻る、といってもマスターにでは無く、技術スタッフの補佐という形だ。
理由は単純で、人理の危機が無くなった今、マスターという役職に意味がなくなってしまったからである。
未だ先輩の記憶は戻っていない。
時計塔からの監査官が撤退したあと、数名が思い起こさせようとしていたが、どれもこれも失敗に終わっていた。
彼女の記憶は根元からすっぱりと無くなっており、彼女の脳もそれを正常である、と処理したのか、最近は夢も見なくなったと言っていた。
今まで彼女が記憶を取り戻す唯一の取っ掛かりだったはずの夢すら消ええてしまった今、最早手段は残っていなかった。
次第にそれは諦めとして周囲に伝搬していき、記憶の復活を望んでいた職員ですら「今の状態こそが普通だ」と思い込もうとしているところまで来ていた。
しかし、私は諦めない。
いつか些細な事で、先輩の願いはかなうと信じている。
今の私たちに出来るのは、その時まで今の平穏を守ることであり、それが
ビーーーーーーーーーーー
そこで、大きな音がした。
それは、自室に訪問者がやって来たことを伝えるブザーが鳴り響いたものだった。
それに反応した私が、ドアに手をかけようとするのと同時に、扉の向こうから声が響いた。
「失礼。今、時間はあるかな?ミス、キリエライト。」
「ホームズさん!今開けますね。」
来客はかの有名な顧問探偵であり、今はカルデアの経営顧問として在任しているサーヴァント、ルーラー、シャーロック・ホームズだった。
ドアを開けると、彼は軽く一礼をして中に入って来る。
「ご機嫌いかがかな、ミス。アポイントメントも無しに急に訪れてすまないね。」
「いえ、大丈夫ですよ。今お茶を入れますね。」
「いや、お茶は結構。大した用でもないからね。少し君に聞きたいことがあるんだ。時間は取らせないから、構わないかい?」
私に用?
珍しいこともあるものだ。私が知っていて彼が知らない事なんて、ほとんど無いだろうに。
しかし、それでもかの有名な名探偵に頼られるのは嬉しいものがある。
「構いませんよ。私でよろしければ。」
二つ返事でそう返すと、ホームズさんは少しうれしそうに目を輝かせた。
「ありがとう、助かるよ。では早速だが————」
それに続く言葉を聞く直前、彼の雰囲気が一変した。
私はこれを知っている。私はこの顔を何度も見たことがある。
だってこれは、私がずっと見てきて、憧れていたものだから。
彼がこうなるのはこの時だけ、
5本の指を顔の前で合わせて、静かにこちらを観てくる。
その瞳に映るのは、いつだって真実しかない。
数多の人々を魅了し、また憎まれ続けたソレ。
そう、彼がこんな顔をするのは、
「マシュ・キリエライト。君たちは一体、何を隠している?」
犯人を追い詰めて、その悪事を示す時だけだ。
~推理~
シャーロックホームズの見解
「何の事ですか?」
私の質問に、彼女は眉一つ動かさずそう返してくる。
しかし、私にとってそれは見慣れたものだ。
だから寧ろ、その態度こそが私の推理を決定づけるものになると、どうして誰も気付かないのだろう。
「ミス藤丸の事だよ。君は何か知っているんだろう?」
だからこそ、私は自信をもって推理を述べられる。
だって、答えはいつも目の前にあるから。
「先輩がどうしたんですか?」
「思えば、おかしな点はいくつもあった。と言っても傍から見れば分からないだろうし、もし私が現界したのが最近だったならば辿り着けなかっただろう。これまでの長い旅路が、私にこの結論を運んでくれた。」
「やめてください。私が何をしたって言うんですか。」
「強いて言うならば、何もしていない、だろう。そう、何もしていないんだ。君の大切な先輩の記憶が無くなったというのに君は何もしなかった。……………一つずつ紐解いていこうか。」
マシュの整った顔が怪訝そうに歪む。
今まで私に疑いを向けられた人間は、みんなその顔になる。
彼女も、それは例外では無かった。
「まず、彼女は最終決戦で記憶を失ったと聞いていたが、それ自体がそもそも怪しいと私は考えていてね。」
「どうゆうことですか。」
「だってそうだろう。少なくとも私たちには。そんな風になっている彼女を私たちは知らない。だが、全てが終わる直前にモニターの映像が乱れ、その後彼女が昏睡の状態で帰ってきた。」
「そして、あの時現場にいたのは君だけだ。そして君から説明を聞き、彼女は目を覚ました時には記憶が無くなっていた。つまり我々はその間、映像がこちらに届いていない時間に何があったのかを知らない。更に加えるなら、あの時、映像が乱れる直前に、モニターの操作をしていたのは
「その時はまだ疑問にすら思っていなかったのだが、それが疑いに変わったのは三週間ほど前、私が時計塔からの査問官が撤退するまで、彼女の記憶を取り戻させようとするのを禁止する、と言った時だ。あの時、数多の反論意見があったが、君は一切の反論が無かった。まるで、その方が都合がいいと思っているかのようにね。ダヴィンチに至っては私の発言を擁護してきたほどだ。おかしいだろう。誰よりも彼女の復活を望んでいるはずの君たちが反対しないのは。」
「その後、いつだったかな。私がダヴィンチの私室に訪れた時だ。君、泣いていただろう。あれは、記憶を無くした藤丸くんの傍に居続けるのが辛くなったのかな。それとも、嘘をつき続けるのが、辛くなったのかな。」
「…………………………」
彼女は黙ってしまう。
だが、それもよくある話。
「おっと、そこで黙り込むのは良くない。ジャパンには沈黙は金、ということわざがあるが、逆に我が国イギリスでは、沈黙は口論よりも雄弁である、という言葉が存在する。ここで黙ってはこれらを認めてしまうようなものだよ。何か反論をしたまえ。」
「いえ、あなたの推理を全て聞いてからにしようと思いまして。」
「それは何故かな?」
「探偵ものでは、犯人が誤魔化そうと語るときにボロが出て、そこを指摘する、というのがお決まりでしょう?だから後ろめたいことが無いと証明するには、それがいいかと思いまして。」
「…………………………」
おかしな点を引き出そうと誘ったが、彼女はそれも看破していたらしい。
聡明な子だ。私のファンなだけはある。
つまり、私に指摘されるのすら己の想定内と言う訳か。
これはなかなかに厄介だ。
「いいだろう。では気兼ねなく話させてもらうよ。疑いが確信に変わったのはついさっきだ。先程藤丸くんと少し話してきたのだが、藤丸くんは最近、夢を見なくなったそうだね。」
なので、私は推理の披露を続けることにした。
どちらにしろ終盤だ。これで彼女が認めればそれでいい。
「ええ、近頃はその話は聞きませんね。」
「夢というのは、未だ解明されていない人体の神秘の一つだが、その機能の一つに「記憶の整理」というものがある。人間は夢を通して、今までに自分が体験した事象を整理する、というものだ。」
「そしてそれは記憶を失っていようと変わらない。傷が自然治癒していくのと同じだよ。失った記憶を思い出そうと脳は機能する。消えていたものを埋めるために夢を介して思い出させようとする。そして、そこに当の本人は介入できない。傷が治っていくのを止められないのと同じさ。」
「故に、記憶喪失となった人間は、夢と現実の乖離で苦しむんだ。最初は抽象的だった夢が、徐々に鮮明になっていき、今の自分と全く違う形で映っている。今の自分が自分なのか、夢の中の自分が自分なのか分からなくなるんだ。」
「なら、記憶の整理がついたのでは?先輩の体と同じように、脳もこの記憶の消去を受け入れた、と考えるのが普通かと。」
ここで、彼女が初めて自らの意見を挟んだ。
やはりここはウィークポイントのようだ。
「私はそうは思わない。彼女が自発的に夢を見るのをやめることは出来ないはずだ。故に、そこには誰かの介入があったと考える。あぁ、そう言えば、つい最近の彼女のメディカルチェックを担当したのは、君とダヴィンチだったね。」
「……………………!」
「私の結論はこうだ。君たち二人は先の決戦で昏睡になったミス・藤丸に、何らかの動悸があって記憶消去措置を行い、それを脳にダメージを負ったせいだと偽証した。だが先日、その措置が完璧ではないことが発覚した。例の夢の存在だね。だから君たちはメディカルチェックという体で彼女を呼び出し、記憶消去措置を施した、という記録の封印を行った。これにより藤丸君の脳は、記憶の追憶という機能を封印され、今の状態に至る。どうかな、違うかい?」
彼女が動揺しているのが伝わってくる。必死に表情を顔に出すまいと抗っているのが手に取れるようだ。
だからここで、私はさらなる一手をかけた。
真実を、この手に掴むために。
「とは言ってもだ。これら全ては証拠として非常に不十分なんだよ。全てが結論ありきの推理だからね。我ながら非常にナンセンスだ。それにね、実を言うと私も迷っているんだ。君たちの今回の動機は、君たちの性格や行動から考えれば簡単に予想できた。きっとこの謎を解いてしまえば、君たちが生み出した夢のような時間は崩壊するんだろう。」
「さぁ、どうでしょうね。」
「だからこそ、私は真実を知りたい。それが
情を使っての訴え。
これは、彼女や藤丸君のような、善性の強い人間にはとても有効だ。
特に私のように、普段このような感情を表に出さない人間がこれをやれば、効果はかなり上がる。
「私の推理はここまでだよ。さて、では最初の質問に戻ろうか。マシュ・キリエライト、並びに英霊レオナルド・ダ・ヴィンチ。君たちは一体何を隠しているんだい?…………教えては、くれないか?」
それで言葉を切る。言いたい事、言うべき事は全て言った。後は彼女の口からのみ語られるだろう。
それはきっととても残酷だろう。多くの人間を傷つけるだろう。
好奇心は猫を殺す、知らぬが仏。
このような状況を示す言葉は多く存在する。
だがそんなモノ、このシャーロックホームズには関係の無い話だ。
それがどのようでモノであれ、私は暴くのみだ。
全ての謎は、解かれるためにある。
私は探偵だ。人を裁く司法でも、悪を滅する英雄でも無い。
私は戦士では無く、復讐者でもない。
私はただ、真実を白日の元に晒すのみ。
それが私の、世界でただ一人の顧問探偵としての役目だ。
だから、私は簡単なことを見落としていた。
些細な話だ。私が今まで解決してきた事件に比べたらなんてことは無い。
それこそ、彼女が解決した偉業に比べれば、無い様なものだろう。
だが、これは現在だからこそ絶対の効力を発揮する。
英霊とは、脅威に対する抑止力だ。
そこに、抗えない現実があり、そこに苦しむ民がおり、
そして何より、その状況を打破せんと藻掻く勇者が居てこそ、我らはそこに降り立ち、役目を果たせる。
だから今は、彼女が取り戻した平穏が、私に牙をむいていた。
ここは全てが解決した平和な時間であり、そこに英霊という
故に、残念ながらここには存在してしまうのだ。
謎のままであるべき、謎というものが。
「残念ですが、全て的外れです。名探偵さん。」
私はこの瞬間にそれに気が付いた。
そして同時に、この時代における自らの役目が終了していたことを感じた。
簡単に言えば、私の負けだったんだ。
ここで、様々な人間に触れ、随分と人間らしくなってしまった
「そうかい。かなり核心に迫っていると自負はしていたんだが。」
「そうですね。確かその結論で言えば、私たちには怪しい点がかなり有りますね。ですが、それはどれも疑いに過ぎず、故に私はこう言います。」
「それは、貴方の妄想に過ぎない、と。」
彼女は今にも泣きそうな顔で、しかしそれを精一杯隠してそう言った。
それだけで、私の推理の全てを認めるようなものなのに、それ以上は何も言えない。
重ねて言うが、私は探偵だ。人の行いを暴くことしか出来ない。
私は司法では無い。故に、
私がそこにある想いに同情してしまえば、その謎は闇に埋没する。
(…………全く。
そんな顔で言われたら、一体私はなんと言えばいいんだい。)
「あなたの推理はあなたの言う通りに結論ありきの暴論です。私しかあの場にいなかったのは全体の決定ですし、私がダヴィンチちゃんに泣きついていたのは、先輩の記憶が消えてしまった事に耐えきれなくなったからです。加えて先輩が夢を見なくなったのも、きっと偶然でしょう。」
(偶然なものか。あれは明らかに故意だとも、何なら機器を調べればわかる事だろう?)
言えない。その言葉を言ってしまえば、
それは、
「そうだね。もしかしたら彼女自身、慣れない環境にて疲れて夢を見る暇もなかった、とも考えらえる。流石に直ぐに結論を出すのは早計か。」
(早計なものか、私の結論は正しい。彼女からそんな当たり前の機能を取り上げて、何が英霊だ。レオナルド・ダ・ヴィンチ。)
言えない。いくら私の霊基がそう言おうとも、私の記憶がそれを拒む。
「ホームズさんも、少しお疲れなのでは?ここの所働き詰めだったのでしょう。いくら英霊と言えども精神は疲労します。少しお休みになられてはいかがですか?」
「そうだね。……………少し疲れているみたいだ。しばらくの間休ませてもらおう。今日はこれで失礼するよ。それと謝罪を。君たちにあらぬ疑いをかけて済まなかった。申し訳なかったね。」
(謝罪だと?シャーロックホームズともあろう者が何をしている。私:にできるのは暴くことだけだ。その後など知ったことか。)
言いたくない。そんなエゴ言ってたまるものか。
今を生きる彼らが掴んだ未来と、選び取った日常を、我々がこれ以上犯していい理由は無いんだ。
「いえ、私たちの行動が怪しかったのも事実です。今後は無いように気を付けますね。」
「はは、相変わらず君は真面目だね。…それでは、また会おう。」
「はい、また。」
そう言い残して、彼女の私室を去る。
誰にも見つからないよう霊体化して、誰もいない廊下を見つからないよう静かに歩く。
管制室、ブリーフィングルーム、ミス・藤丸の私室を通り抜け、この後向かうはずだったダヴィンチの研究室も通り抜け、私に与えられた私室、ないし書斎に入る。
そこにある大きなチェアーにもたれかかり、大きく息を吸って吐き出す。
疲労を訴える脳に静かに酸素を回す。
生前、推理に行き詰った時によくやっていた。
「————————はぁ」
天井を見上げる。
全く、私も焼きが回ったか。
こんなに辛酸を舐めさせられたのは、今はもう居ないあの教授以来だ。
「全く忌々しい、答えも、動悸も何もかも分かっていて尚、解いてはならない謎なんてものが存在するなんて。この世界は、些か私には残酷だな。」
そう言って、私は静かに目を閉じた。
兎に角、休みたかった。
世界に自分を否定された事実から、目を逸らしたかった。
世界から切り離された疎外感。自分がもう必要とされていない実感。
それを甘んじて感じながら、私はいつぶりか分からない睡眠に入った。
~真相~
記録者 マシュ・キリエライト
ホームズさんが出て行った後、私はすぐにダヴィンチちゃんに内線を繋げた。
これはカルデアのあらゆるところに通っているものとは違い、ダヴィンチちゃんが独自に作り上げたもの、つまりカルデアの裏ネットワークとも呼べるものだ。
そして、この回線を使えるのは私とダヴィンチちゃんだけ、つまり内緒話にはうってつけである。
数コールの後、ダヴィンチちゃんは低い声で訪ねてきた。
「気付かれたかい?」
この内線をかけた時点で、彼女も用件は分かっていたようだ。
なら、細かい話はいらない。事実のみを報告するだけだ。
「……………はい、ホームズさんに。ですが周りに言う様子はありませんでした。否定をしたら直ぐに戻っていきましたよ。」
「そうか、うーーん。流石は名探偵だ。私のところにもついさっき来てね、その時は今忙しいと言って突き返したんだが、まさか君の所に行くとは。」
「ですが、気付かれてしまったのは事実です。驚くべきことにあれだけの証拠でほぼすべて言い当てられてしまいました。」
「どうするんだい?彼が言わない保証は無いよ?」
「少し、考えます。流石に職員の皆さんに知られたら大変なことになるでしょうから。……………どうやったらもっと上手くやれたのでしょう。」
「彼にしっぽを掴まれた時点で気付くべきだったね。流石にあれはあからさま過ぎたか。」
「ですが、必要なことでした。兎に角今はいったん保留で、もし話が広まってしまったら別のプランを考えます。それまでは現状維持に努めましょう。」
「それしか無いかぁ。分かったよ。あまり思い詰めないようにね。」
「ありがとうございます、では。」
そうして、事務的に状況報告をして通信を切る。
必要以上の報告をして気が付かれるのを防ぐためだ。
それくらい、これはトップシークレットなのだ。
誰のも気が付かれるわけにはいかなかった。
だからこそ、ホームズさんが気が付くのまではある程度予想していたが、まさかあそこまで適格とは。
侮っていたわけではないが、さすがの一言に尽きる。
けれど、彼は恐らく言わないのだろう、いや、言えないのだろう。
だって、彼も私と同じで、先輩のためを思っての事なのだから。
安心はできない。いつ彼が周りに発表してもおかしくはない。
それに備えて、別のプランも考えなければ。
そう考えて、ふと、何故こんなことになったのか考えてしまった。
確か、始まりは————————
事の発端は、最終決戦の少し前、ダヴィンチちゃんが先輩に投げかけた質問だった。
『藤丸君は、この戦いが終わったら何がしたい?』
『終わったら?』
『あぁ、君は今度こそ、自由になれるんだよ。人類最後のマスター、なんて任から解放されてね。だから何かやりたいことは無いのかい?』
それは何か大事を成した人間の間では、希望として語られるような話だ。
ただの雑談、とも言えるし、最終決戦の前に緊張をほぐそうとするダヴィンチちゃんの心遣いだったのかもしれない。
『そうだなぁ。それじゃあ』
けれど、そんな夢物語の中ですら先輩は何処までも平凡だった。
だから、この願いが、私たちの計画の始まりだった。
『普通に、戻りたいかな。故郷に戻って、普通に二十歳の女の子として過ごしたい。』
『おや、そんなもので良いのかい?』
『ほら、私がカルデアに来たのが17歳の時で、もうあれから3年。人生で一番青春出来た時期を逃しちゃったからさ。取り戻すって訳じゃないけど、やってみたいなぁって。』
先輩は願ったのだ。当たり前の日常を。
世界を救った英雄の願いにしては、あまりに小さく、そして一等輝いている願いだった。
『戦いもない、諍いもない。ただ今日の天気とか、気分とか、昨日や明日の出来事で一喜一憂して。そんな日常を送りたいかなぁ。』
結局のところ、先輩はそんな当たり前を取り戻すために戦っていたのだから、自分もそこに居たいと思うのは、当然の事だったんだろう。
『いいじゃないか!二十歳と言えば大学生だろう。華々しいキャンパスライフなんかに憧れてもいいんだぜ。勉強なら私とマシュで教えよう。だろうマシュ?』
「はい。先輩の為ならば!!」
「いやぁ、大学に行くって決めたわけじゃないんだけどね。でもそっか、私はもう、そこに戻ってもいいんだね。」
そう言って、先輩は嬉しそうに笑った。
先輩の笑顔は不思議だ。
スキルでも宝具でもないのに、周りの人々を惹きつける。
何度この顔に救われてきたか。私もダヴィンチちゃんも、
所長も職員も皆さんも、
ドクターだって、きっとそうだ。
『いい顔をするじゃあないか、おっと、もうこんな時間だね。明日は決戦だ、もう休んだ方がいい。英雄にも休息は必要だぜ。』
『そうだね。それじゃあお休み!マシュ、ダヴィンチちゃん』
『はい、おやすみなさい。先輩。』
先輩が去った後、ダヴィンチちゃんは至極まじめな表情で私に言った。
いつも笑顔のその顔が、少しだけ辛そうだった。
『……………悲しい話だね。ただの少女が平穏を願うだけで、あんな顔をしちゃうのは。あそこまで幸せそうにされちゃ、叶えさせてあげないと。』
『はい。勿論です。先輩には世界で一番幸せになってもらわないと。』
これがすべての始まりだった。
根底にあったのは、ただ一つの願い。
先輩に安寧を、世界を救った英雄に、ささやかな、そして長く続く平穏を。
その程度のものだった。願いとも呼べぬものだったのだ。
『先輩!!先輩!!聞こえますか!?先輩!!』
事態が変わったのは、最終決戦が終わり、帰還する直前。
倒したと思った最後の敵が、道連れ覚悟の特攻を仕掛けてきた。
なんとか直撃は免れたものの、先輩は昏睡状態に陥って、数か月の間目覚めなかった。
その間、多くの出来事があった。
それこそ人理焼却の後とは、比べ物にならないほどに。
時計塔の魔術師による介入、今回の事件の責任問題。
加えて、全てを行ったであろう先輩が昏睡状態なのをいいことに、様々な人間がカルデアをどうにかしようと次から次へとやってきた。
そして今度こそカルデアは、解体に追い込まれるかに思えた。
だが無論、そう上手くはいかない。ここにはあらゆる時代の英雄が居たのだ。
彼らはぎりぎりまで退去していなかった。
彼らが私たちを守ってくれたのだ。ありとあらゆる方法を使って。
それもやはり、先輩のお陰であろう。先輩の人徳が彼らを突き動かしたのだ。
私たちはまた、彼女に守られてしまった。
けれど逆にそれで、事態は大事になってしまう。
人類最後のマスター、数多の英雄を従えて、今を生きる現人神。
サーヴァントが動いてくれたおかげで、先輩はますます有名になってしまった。
藤丸立香という人間がつかんだ栄光が、目を奪わんほどに輝かしいものに変わったのだ。
そして、栄光という宝石には必ずと言っていいほどに、かすめ取ろうとする盗人が存在する。
そうして、解体を免れた後は、監査、見学、体験、訪問、あらゆる名を借りて魔術師たちがやってきて、先輩という稀有な存在を研究しようとした。
中には暗殺をしようという輩もいて、先輩は何度知らないところで死にかけたか分からない。
彼女には絶対に語れない、正に権謀術数に包まれた数か月だった。
その期間で、私は気が付いた。
先輩にはもう、先輩の望む日常は存在しないと。
先輩がいくら日常を望もうと、もはや周りがそれを許しはしないと。
事態はもう、そんな段階まで来ていたのだ。
あぁ、何て醜い人のエゴ。彼らには心が無いのだろうか。
しかしそれでも、私は彼らを窮することはできない。
私も同じだからだ。私も自らのエゴのために異聞帯を破壊していったのだから。
だから彼らと何ら変わりはない。変わらないなら、消し去ることはできない。
それは自らの存在の否定となってしまう。
しかし、それを憂うだけでは状況は変わらない。
自分から動かないと、何も変えることは出来ない。
だからせめて、先輩だけでも守らなければ。
先輩の願いだけでも、守らなければ。
あの願いだけは、必ず、何を犠牲にしてでも叶えさせなければいけない。
そしてその時、思いついてしまったのだ。
最悪で最善の方法を。
彼女の願いを、彼女自身が叶えるには、もう、これしか無い。
迷いはなかった。最早迷う暇は存在しなかった。
世界が、先輩を受け入れるよう変わらないのなら、
先輩が、世界に受け入れられるよう変わるしかないのだろう。
そんな悪魔の結論で、私の計画は動き始めた。
私はすぐに、そしてこっそりとダヴィンチちゃんのもとに行き、今回の計画の概要。即ち藤丸立香の記憶の消去を提案した。
彼女は先輩の願いを知っていて、かつカルデアの中心人物だ。これ以上の協力者は居なかった。
『な……………、本気かいマシュ?』
『えぇ、今のままでは先輩の望む日常は有り得ません。なら、先輩に変わってもらうしかありません。流石に記憶がないと分かれば、他の魔術師たちも介入を止めるでしょう。』
『落ち着いて考えた方がいい。それでは何も解決はしない。』
しかし、説得の言葉を遮って、私は強く主張した。
『私は落ち着いています。そして、もうこれ以外には武力に頼るしか存在しません。我々サーヴァントが、彼らを全員抹殺するしかない。けれど、先輩はそんなの望まない。だから私はこの結論に辿り着いた。』
『
『…………………………』
長い、長い葛藤があったのだろう。
私なんかには想像できないくらいの葛藤が。
けれど最終的に、ダヴィンチちゃんはその計画に賛同してくれた。
『正直、これが最良だとは思えない。きっとこれ以外にも道はある。そう思いたくて仕方が無い。けれど考えれば考えるほど、この私でさえ、これしかないと考えてしまう。もう私たちに、選択の時間は残されていなかったんだね。』
そうして計画はすぐに実行に移った。
ホームズさんを除く全てのサーヴァントが退去し、邪魔が入らなくなったころに、先輩の治療室にダヴィンチちゃんが入り込み、記憶消去措置を施した。
そして先輩はカルデアにくる以前の記憶を失い、前とは別の彼女となった。
その後すぐに、彼女は追ったダメージから回復し、目を覚ました。
これが、一か月前。
彼女が目を覚ました時の、真実だ。
あの日の事を、私は一生忘れない。
泣かないと決めていた。そんな権利なんて無いと思っていた。
けれど、先輩と同じ顔、先輩と同じ声で彼女が話した時にはもう、耐えられなかった。
そして私は何度も涙した。
枕が濡れない夜は無かった。泣き疲れて眠る毎日だった。
この痛み、胸を抉る罪悪感に押し潰されそうだった。
けれど、私は計画をつづけた。
彼女の監視の任に就き、彼女の記憶が戻らないように見張り続けた。
彼女の前ではそれを必死に隠し続け、日常を演じた。
だから、夢の話を聞いた後、ダヴィンチちゃんの部屋で相談して、記録封印措置を取るときにも迷いはなかった。
『夢によって先輩の記憶が戻るのは危険です。一刻も早く対処が必要だと思います。』
『…………………………なら、そうしようか。私は英霊失格だな。』
その提案を、ダヴィンチちゃんは迷うことなく受け入れた。
きっと彼女も分かっていたのだろう。
もう自分たちが、戻れないところまで来ていると。
そして私たちは必死に真実を隠しながら、先輩を彼女のままにすべく、尽力した。
いつか彼女を、先輩の望む夢に、送り返してあげるために。
~終幕~
記録者 マシュ・キリエライト
ホームズさんが私の部屋に訪れた翌日、ダヴィンチちゃんからカルデア全体に向けて報告があった。
それは、英霊 シャーロックホームズが退去した、というものだった。
退去したのは深夜遅く。誰にも気が付かれず、彼はひっそりと座に還った。
置き手紙や書き置きなどは残されておらず、さらに驚くべきことに、彼が居た痕跡は殆どと言っていいほどに処分されていた。
何もかもがそのままに、けれどそこに誰かが居た痕跡は一つもなく。
名探偵は人知れず、皆の前から姿を消したのだった。
「彼らしいと言えば、彼らしいのかもしれない。確かに私たちが記憶を消したことで藤丸君を狙うものは居なくなり、カルデアは安全になったからね。彼の役目はもう終わっていたのかもしれない。」
ダヴィンチちゃんは秘密の内線でそう言っていた。
彼が一体、何を思って座に還ったのかは分からない。
単に気まぐれか、それとも違う謎を追うために消えたのか、私には分からない。
けれど一つ言えることは、目下最大の懸念が消失したということだ。
これで、この計画は闇に葬られた。もう誰も気が付くことは無いだろう。
ようやくだ、これでようやく先輩の夢を叶えられる。
彼女は今後カルデアでしばらく勤務をした後、何か理由をつけて日本に送る予定だ。
理由はなんだっていいだろう。不祥事でも、異動でも、彼女が日常に戻れるならなんだっていい。
ここに居た期間の事は留学ということにしてもいいし、何ならまた記憶を消したって良いだろう。
これも先輩を守るためだ。
今いる彼女と先輩は別人だが、先輩の願いは彼女しか叶えられない。
なら、彼女にはこれからもずっと、この夢の中で微睡んでいてもらわなくては。
私は悪い人間だろう。きっと地獄に堕ちるだろう。
れどそれでも構わない。いくら地獄に行こうとも、貴方が笑っていられるなら、私はそれだけでいいんだから。
そう自嘲気味に笑いながら、私はいつものように彼女を起こしに彼女の私室に向かう。
彼女にこの事は知らせない、彼女はこれを知っても意味が無いだろうから。
彼女にはこれからも変わらず、平穏の中に居てもらう。
さぁ、今日も嘘をつき続けよう。
この人工の平穏の中、彼女にはこれからずっと、日常を謳歌してもらう。
もう二度と苦しい思いはさせない。私がその苦しみ全てを請け負う。
彼女の部屋のドアを開け、未だ眠っている彼女の前に立つ。
そして、優しく、そっと声をかけた。
ここ最近で、作り笑いが随分上手くなったと思う。
優しい笑顔を作って、彼女の顔を覗き込む。
また、一日が始まる。
先輩の望む、普通の一日が
「おはようございます。藤丸さん。」
僕ら、未だ夢の中。消えた目覚めを、待ち続ける。
いつかその夢が、現実へと変わるように。
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