アレカシの疾風 ~あるテロリストの戦慄~ (有辺良次)
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謎の声

 耳の奥をサイレンの音が何度も駆け巡っている。薄暗い部屋の中、いつ止むとも知れないその音は俺の意識を否応なくかき乱す。音源は天井のスピーカーであるはず……なのだが、こんなに長時間同じ音を聞かされ続けると、実は自分の頭の中から発信されているのではないかと錯覚を起こしそうになる。

「やっぱり駄目だ」

「おい、そっちは」

「こっちもだ」

 サイレン音に紛れて兵士たちのやり取りが聞こえる。彼らは懐中電灯の光を頼りに、部屋のコンピュータ端末を片っ端から調べては口々にそうした言葉を吐き出す。彼らの表情には一様に疲弊の色が浮かんでいるのが見て取れる。

 兵士の一人が俺に歩み寄ってきて声を掛けてきた。

「ホ、ホーゲン様……やはり我らは罠にかかったのでは」

「……チッ!」

 兵士の指摘を肯定する代わりに俺は舌打ちしてしまう。作戦失敗。屈辱的な言葉が胸をよぎる。どうしてこうなったのか。俺は忸怩たる思いでこれまでの経緯を振り返る。

 俺たちが攻め込んだのはケニアの港湾都市モンバサにある製油所だ。この製油所で精製された石油は首都ナイロビをはじめとする内陸の各都市に輸送される。したがって、ここを押さえればケニアの石油流通に大打撃を与えられるはずだった。

 襲撃にあたって俺は事前に斥候を出した。彼らの報告によれば、製油所の管理棟には少数の警備隊が詰めているだけで防備は手薄とのことだった。好機と見た俺は実行を決意。精鋭の兵士たちとともに攻め込んだ。警備隊は存外強敵だったが何とか蹴散らした。俺たちは意気揚々と先に進んだ。目指したのは管理棟の中枢、中央制御室である。しかし中央制御室に入ると同時に異常事態が発生した。部屋の照明やスクリーンが一斉に消灯し、けたたましいサイレンの音が突然鳴り出したのだ。俺たちは部屋のコンピュータから制御を試みたが、操作は一切受け付けられずに時間だけが過ぎていった。

 こめかみに沿って汗がジワリと滴る。やけに暑い。今になって気付いたが部屋の空調機能も停止している。

 どうやらこの製油所は何者かの手によって遠隔操作されている。俺たちはまんまとおびき出されたわけだ。このまま施設内に長居すればさらなる危険を招く恐れがある。撤退するしかない。意を決して兵士たちに指令を発する。

「総員退却だ!」

 端末を調査していた兵士たちはすぐに作業を打ち切り整列し始める。非常時にもかかわらず一糸乱れぬ動き。その様子を感心しながら見届けていたときである。

 ――ん!?

 急に耳が解放されたかのような感覚。止んだ。耳障りだったサイレン音がピタッと止んだのである。そして……

「そこにいるのはドーグマンの行動隊長、ホーゲン殿だな。貴殿に話がある」

 部屋中に俺の名を呼ぶ声が響き渡る。低く落ち着いてはいるが、奥底に威圧感をはらんだ声。

 思いもよらぬ展開に兵士たちが困惑の眼差しで俺を見つめる。俺は思考を集中させる。状況を鑑みるに、この声の主こそが俺たちを罠にかけた張本人だろう。俺は心持ち声を低くして応じる。

「貴様、一体何者だ。ケニアの軍人か」

「そうだな。貴殿の立場からならば、そう思ってくれても構わないだろう」

 ん? 妙な言い方をする奴だ。ケニアの軍人ではないのか。俺が訝しんで押し黙っているのに構わず、スピーカーは話を続ける。

「さて、貴殿らドーグマンについては色々と調査させてもらった。ドーグマン――近年勢力を拡大し続けている武装組織の一つだ。世界各地でその活動が報告されているが、東アフリカ地域に限って見ると、三か月前の隣国ソマリアへの侵攻が記憶に新しい。三か月前、ドーグマンは海上からソマリアに攻め込み、沿岸部の主要都市を制圧。ケニアをはじめとする周辺各国の政治・経済に深刻な影響を及ぼした。事件後すぐにケニア政府はドーグマンを公式にテロ組織として認定。再三にわたってソマリアの解放と早期撤退を求めたが、ドーグマンはまったく聞く耳を持とうとせず、依然として各都市を不法占拠している。それどころか昨今は、ソマリア近海を通過する商船に対して海賊行為に及ぶ始末だ」

 スピーカーは我らドーグマンの近況を端的に述べていく。その説明の節々には、自分たちケニア政府こそが正義でありドーグマンを一方的に断罪してやろうという高慢な姿勢が感じられる。それが俺の鼻に付いた。

「フン、だったらどうしたというのだ。言っておくがな、俺たちには崇高な目的が……」

「そうした情勢の中、貴殿らはこのモンバサ製油所に攻め込んだ。ケニア政府はこの事態を非常に重く受け止めている」

 ……こいつ、俺の反論を無視する気か。つくづく気に喰わぬ奴だ。

「モンバサ製油所はケニア国営の重要施設だ。そこへ貴殿は武装部隊を率いて無断侵入し、警備兵たちに暴行を加えた。テロ組織として認定済のドーグマンがこうした行為に及んだということは、ケニアに対して歴とした侵略の意志を表明したも同然だ。私たちとしてもこれ以上静観してばかりはいられない」

 やはりそう来たか。前置きが長かったが結局はそこに行き着くのだな。もとよりこちらもそのつもりだった。

「ほう、面白い。要するに我らと一戦交えようというのだろう。望むところだ」

「そう焦らないでいただきたい。私たちとしても戦いによる損害はなるべく抑えたい。それは貴殿とて同じだろう。そこで提案だ」

 スピーカーはそこで一息置いた。

「私たちはドーグマンに降伏を勧告する」

「馬鹿な! 戦う前から降伏する奴がどこにいる」

「果たしてそうかな。既にお分かりだろうが、この製油所は現在その部屋の制御を離れて、すべて私の手によって遠隔操作されている。私たちが有する、卓越した科学技術力のなせる業だ。双方の戦力差は明白。ゆえに勝敗はもう目に見えている。今ならまだ遅くはない。大人しく降伏を受け入れるならば、貴殿らの身の安全は保証しよう」

「くどいぞ! 貴様こそ、これで勝ったと思うなよ。直接我らと戦って泣きを見るのはどちらか思い知らせてくれるわ」

「……交渉決裂か。いいだろう。貴殿の意志は承知した。ならばこちらも容赦はしない。全力をもってお相手しよう」

 もともと低かった声のトーンが一段と低くなる。その変化に俺は不覚にも一瞬たじろいでしまった。

「ああ、そうだ。そこからの帰り道に、ささやかではあるが進物を用意しておいた。気に入ってくれたら幸いだ。ではまた会おう」

 プツリという回線が切られたような音。しばらくするとスピーカーから再びあの騒々しいサイレン音が鳴り始める。さらに、部屋の外からは何か硬い物が打ち付けられるような音が聞こえてくる。

「ホーゲン様、大変です!」

 一人の兵士が制御室に駆け込んできて叫ぶように告げる。部屋の外で待機させていた兵士だ。

「通路のところどころでシャッターが作動し、道が塞がれています。このままではいずれ全ての通路が塞がれ、我らは閉じ込められてしまいます」

 奴め、今度こそ本気で俺たちを潰しにかかってきたか。事ここに至ってはもはや迷うべくもなかった。

「行くぞ!」

 決然と兵士たちに命じて俺は制御室を飛び出した。



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疾風現る

 兵士たちの先頭に立って真っ暗な廊下を進む。制御室から出口までは最短ルートを通れば、ものの数分もかからないはずだった。しかしそのルートの途中では既にシャッターが作動して行き止まりになっていた。仕方なく俺たちは、あらかじめ斥候が入手していた見取り図をもとに別ルートを進んだが、それも同じように塞がれていた。

 相変わらずサイレンの音はやかましく、空調も行き届いていない。その上、警備隊との戦闘による疲労の蓄積もある。ようやく敵の意図が読めてきた。あいつは俺たちに無駄骨を折らせて心身両面で消耗させようとしている。極めて卑劣な戦略だ。

 結局、俺たちが出口に辿り着くのにはさらに数回のルート変更を必要とした。時間としては侵入時の倍以上かかってしまった。

 出口を抜けた先は製油所の裏手に当たる。石油タンクが点在し、遠くには海を見通せる。この場所をまっすぐ行った先の停泊場に俺たちの軍艦が待機している。

 兵士たちの方を振り向くと、彼らの額には大粒の汗が吹き出していた。

「さあいくぞ、もう一息だ」

 彼らを励まして、また前を向き数歩駆け出す。

「――待っていたぞ、ドーグマン!」

 不意に背後の頭上から俺たちを呼び止める声が響く。これには聞き覚えがある。あのスピーカーから聞こえた声だ。急いで振り返りその出所に目を遣る。すると、ちょうど今俺たちが出てきた管理棟の屋根に四つの人影が並んでいた。

「……」

 四人を一目見てしばらく言葉を失ってしまった。奴らの外見があまりにも奇抜だったからだ。奴らはそれぞれ赤青黄緑の一色に染め抜かれたスーツを身にまとっていたのである。

 しかし四人はさらに衝撃の行動をとった。俺たち全員が注目したと見るや、赤青黄緑の順に立て続けに、めいめいの構えをとりながら叫んだ。

「紅蓮の()!」

「蒼穹の()!」

「黄金の()!」

「翡翠の()!」

 そして、最後にこう締めくくる。

「いざ駆け抜けん! アレカシの疾風!」

 時刻はちょうど夕暮れ時。四人の背後から夕陽が後光のように指していた。

「…………」

 二度目の絶句。俺も兵士たちも全員が呆気に取られて身を固まらす。もしかして奴らは自分たちの名前を告げたのであろうか。確か「アレカシの疾風」と言ったな。知らぬ名前だ。

 今一度奴らの外見をまじまじと見つめる。フルフェイスのマスクに、全身を覆うスーツ。腰のベルトにホルスターや二、三のポーチを取り付けている。ケニアの軍隊が擁する特殊部隊なのだろうか。それにしても全身が赤や青尽くめとは異様だ。特殊部隊が身元を隠すために顔にマスクを被ったりすることはよくあるが、大抵はもっと地味な色彩を用いるはずである。

 俺たちが困惑しているのを尻目に、四人組のほうから話しかけてくる。

「先ほどはスピーカー越しに失礼した。さあ、ここからは真剣勝負だ。これよりドーグマン掃討作戦を開始する」

 最初に口火を切ったのは右から二人目の青。発話の内容からすると、あいつが俺たちを罠にかけた当人なのだろう。俺は自分が幻滅していることに気付いた。散々苦しめられてきたとはいえ奴の采配は敵ながら見事であった。その一点において俺は敬服の念を抱いていたのだが、その正体がこんなふざけた格好をした奴だったとは。

「へっ、(わし)らとやりあって無事でいられると思うなよ。力の差を見せつけてやる。かかって来いや」

 左端の黄色が指先をこちらに向けてちょいちょいと曲げ、招く仕草をした。何とも不遜な態度である。戦場に身を置きながら、緊張感の欠片が微塵も感じられない。

「あなた方に恨みはありませんが、これも世界の平和を守るためです。覚悟してください」

 右端の緑が黄色に続く。世界平和か。ドーグマンの理想にも相通じる目標であるが、あんな奴に口にされると、価値ある美術品に素手で触れられたような気分になる。

「………………」

 そして残りの一人である赤は一切発言せずただ黙りこくっているだけだった。まるで俺たちの存在など眼中にないと言わんばかりに茫然と立ち尽くしたままだ。その態度はいかなる罵詈雑言にもまして俺たちを侮蔑しているかのようだった。

 四人の態度は外見の通りに千差万別で、まるで統率が取れていない。だが唯一共通していることがある。それは奴ら全員が俺にとって不愉快極まりない存在であること。初対面で生じた当惑の念は既に頭の中から消え去っていた。今はただ、奴らに一泡吹かせてやろうという激情だけが俺を駆り立てていた。

「フン、揃いも揃って俺たちを愚弄するとはいい度胸ではないか! 俺たちを怒らせたらどうなるか、その身をもってたっぷり味わってもらうぞ!」

 俺は携帯していたアサルトライフルの照準を四人に合わせる。兵士たちも俺の動きを察知して追随する。

「総員、準備はよいか」

 ここぞとばかりに声を張り上げる。

「撃てぇー!」

 驟雨(しゅうう)のような銃声とともに無数の銃弾が放たれる。このとき俺の脳裏には既に四人の死に様が浮かんでいた。奴らの防具と言ったら、布きれのようなスーツを一枚着こんだだけに過ぎない。その上、あのような遮蔽物のない場所に突っ立っている。奴らの肉体はたちまちのうちにハチの巣へと変貌するだろう。

 しかし俺の予想は見事に裏切られる。

「な、何だと!?」

 俺は我が目を疑った。銃弾が四人の身体に命中した途端に金属音のような音を発して跳ね返されたのだ。一発や二発だけではない。絶え間なく浴びせた銃弾のことごとくが、まるで厚手の金属板に向かって投げつけられた石ころのように、奴らのスーツによって弾かれている。あのスーツの性能なのであろうか。遠目にはごく普通の布製にしか見えないのに。

 対する四人は銃弾の嵐の中に平然と屹立している。その様子を見て、兵士たちはさらに躍起にライフルを発射し続ける。いけない、これでは銃弾を浪費してしまう。

「やめろ、発砲をやめるんだ」

 俺の制止を聞いてようやく兵士たちは攻撃の手を止めた。彼らは怪物を見たかのような顔で四人を見つめている。俺の顔も似たようなものだったかもしれない。

 動揺する俺たちに青スーツが平静な調子で告げる。

「気は済んだかな。では今度はこちらから行かせてもらうぞ!」

 青スーツが言い終わるや否や、四人は夕陽を背にして跳躍。地面に颯爽と降り立つ。そのまま横並びを維持しながら俺たちに向かって猛然と押し寄せてくる。

 ――まさか接近戦を仕掛けようというのか。

 あまりにも前時代的な戦闘スタイル。だが奴らは銃撃を受けても無傷だった。油断はできない。兵士たちに注意を促す。

「奴らを迎え撃つぞ。よいか、最後まで希望を捨てるな。至近距離からなら銃も効くかもしれん。それに、どの道奴らを倒さなければ船には戻れないのだ。我らは必ず勝利しなければならんのだ」

 俺はアレカシを真正面に見据える。

「ドーグマンの戦士たちよ、いざ参るぞぉー!」

 兵士たちからの「おおぉー」という鬨の声。闘争心を極限まで高ぶらせ俺たちはアレカシと激突した。

 

 つ、強い……。アレカシと戦闘を繰り広げて率直にそう思った。

 アレカシは四人とも徒手空拳。しかし全員が達人級の武術の使い手だ。

 紅蓮の阿――出合い頭に見せたぼんやりした様子とは打って変わり、戦場に立った奴は驚くほど俊敏だ。素早いステップで一気に間合いを詰め、強烈な突き蹴りを間断なく繰り出してくる。さらに、並外れた跳躍力を有しており、大勢で取り囲んでも難なく上方へ逃げられてしまった。文字通り縦横無尽の身のこなしに俺たちは大いに翻弄された。

 蒼穹の礼――奴の拳術には無駄な所作が一切なく、簡素でいて精緻な印象を受ける。実際、奴の攻撃は例外なく俺たちの急所を捉え、そのたびに兵士が倒れていった。だが本当に恐ろしいのはそこからだ。奴は倒れた者に対してさらに追撃を加え、確実に戦闘不能に至らしめる。見栄えを度外視し実用性をとことん追求した戦い方に、俺は戦慄すら覚えた。

 黄金の佳――強靭な肉体の持ち主で四人中随一のパワーファイターだ。腰をやや落とした奴の構えは非常に安定しており、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない。逆に、奴から放たれる鉄拳はすさまじいほど強力で、こちらの防御姿勢を力任せに打ち破ってくる。攻撃をまともに食らった兵士は後方に軽く数メートルは吹き飛ばされていた。

 翡翠の志――奴にはどうやら柔術の心得があるようで、多種多様な組み技に長けていた。一見動きが鈍重なために容易く討ち取れると思ったら大きな間違いだ。銃弾の尽きた兵士が奴に殴りかかろうとしたときのこと。奴は兵士を巧みにいなし、流れるように懐に入り込んだら、あっという間に兵士の関節を極めてしまったのだ。

 至近距離で銃撃すれば勝てるのではと期待していた自分が恨めしい。奴らはそんな暇を与えることなく兵士たちをバッタバッタとなぎ倒していく。気が付けば五十人ほどいた兵士たちは既に半数以上が地に伏して瀕死の状態になっていた。

 まずい。このままでは全員壊滅だ。どうすればいい。焦りで頭の中が真っ白になりかける。そのとき俺のそばで戦っていた一人の兵士が言った。

「ホーゲン様、ここは私たちが食い止めます。ホーゲン様はどうかお逃げください」

「何を馬鹿なことを。部下を置いて指揮官だけがおめおめと逃げられるか」

「戦争はまだ始まったばかりです。それなのにホーゲン様が討たれてしまってはドーグマンの将来はここで潰えてしまいます。お願いです。ここは一旦退いて、態勢を立て直してください」

 兵士の必死な諫言に俺は言葉がつかえる。そうだ、俺にはこの戦争を勝利に導くという責任がある。多少の犠牲を払ってでも目的を達成しなければならない。

「……わかった。俺は退く。お前たちの武運を祈る」

「ありがとうございます。さあ、お逃げを」

 俺は停泊場に向けて一目散に駆け出した。兵士たちの阿鼻叫喚が背中から聞こえてくる。後ろ髪を引かれる思い。だが決して振り向くことはしなかった。

 石油タンクが立ち並ぶ区画を走り抜けること数分、海に突き出した停泊場に一隻の巨大な船舶の姿が見えた。夕陽の中に映える真っ白な外装。船体の側面には外景を楽しむための窓が等間隔に並んでいる。何も知らない者が見れば、どこぞの豪華客船が停泊しているのかと思うだろう。これこそが俺たちの搭乗する「軍艦」である。名をイリス号という。ドーグマンが所有する船の中でも屈指の大きさを誇っている。

 なぜドーグマンはこんな商船の紛い物を海上の移動手段として活用しているのか。単純に戦闘力向上を目指すのであれば、これ見よがしな強力な艦砲を装備するのが一番手っ取り早いはずだ。だがそれだと航行の途中で各国海軍に発見されやすくなり、敵地に辿り着く前に攻撃される恐れがある。そこでドーグマンは、耐用年数を過ぎて廃棄を待つばかりであった商船を買い取って再利用することにした。商船を装うことで各国の巡視の目を掻い潜れると踏んだのである。ただそれはあくまでも外見に限った話だ。内部機構には大幅な改造が施されている。航行速度だけならば並みの戦艦を優に上回るだろう。

 こうした船のお陰で俺たちは世界中の海を股に掛けて活動できる。まさに我らドーグマンの知恵と技術の結晶体。その代表格がこのイリス号なのだ。

 イリス号は既に準備を済ませていたようで、俺が乗り込んだら直ちに出発した。全身傷まみれの俺を見て、救護担当の兵士がすぐに駆けつけてきた。俺は担架に乗せられ医務室に慌ただしく運ばれた。激痛が全身を駆け回っていた。戦闘中は意識に昇らなかったが、俺もかなり消耗していたようだ。ほんの少しの衝撃にすら傷がうずく。

 一方で、頭の中は慙愧(ざんき)の念で溢れかえっていた。此度のケニア侵攻は俺にとって一世一代の大チャンスだった。その初戦を敗北という結果で終わらせてしまった。俺に油断や慢心の気持ちはなかったはずだ。ともに攻め入った兵士たちも皆、厳しい訓練に耐えた精鋭だった。それなのに実際にイリス号に戻ってこられたのは俺一人きり。大番狂わせの原因は明らかだ。

「……アレカシの疾風。奴らは一体何者なのだ」

 さすがに激痛に耐えかねたのか、身体は段々と深い眠りへと落ちていく。だが瞳を閉じてもなお、俺の脳裏ではあの忌々しい四色が輝きを放ち続けていた。



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ドーグマン

 ドーグマンとは何か。一般人に対してこの問いを発したら、そのほとんどが「世界で暗躍するテロリスト集団」と答えるだろう。俺はこの答えを聞くたびに虚しい気持ちでいっぱいになる。確かに、我らは世界各地の紛争に直接的あるいは間接的に関与している。しかしそれは決してその土地の住民を恐怖に陥れるためではない。むしろ我らは、彼らに平穏な生活をもたらすために戦っているのだ。我らが赴く紛争地帯の多くは、一部の権力者が独裁体制を敷き、住民を不当に弾圧してきた場所である。そして、我らの矛先は常にそうした権力者に対して向けられる。我らは社会を牛耳る権力者を打倒することで、圧政から住民を解放しようとしているのだ。そう、ドーグマンとは公正な世界を実現するために飽くなき闘争を続ける、崇高な集団なのである。

 ドーグマンが偉大な組織であることはその悠久の歴史を紐解けば明らかである。ドーグマンの歴史は非常に古い。あまりに古すぎて、組織が誕生した正確な時期については我らの間でも意見が分かれるほどである。ただ、差別や迫害によって故郷を追われた人々が寄り集まってできたという点については、大方の認識が一致している。それによれば、故郷を失った彼らは自分たちの身を守るために武装するようになり、高度な戦闘技能を習得していった。武芸に秀でた彼らの戦闘能力は各地の権力者たちの知るところとなり、傭兵として戦争に幾度も駆り出された。そうして世界を流浪した彼らはやがて非情な真実を悟る。世界には社会から理不尽な扱いを受ける人々が大勢存在している。権力者たちは必要な時だけ彼らを利用し、用済みとなったら即刻使い捨てる。奴らに依存して生活していてはこの状況は一向に改善されない。そう決意した彼らはついに権力者たちに反旗を翻したのである。そのとき彼らは一つの標語を掲げた。「世界人民の解放」。今でも連綿と受け継がれる我らの基本理念である。ドーグマンという呼称も、このとき人々を先導した者の名前にちなむらしい。

 まあ、こうした認識に立てばドーグマンの起源があやふやなのも頷ける。差別や迫害はそれこそ人間の代名詞のようなものだ。遥か昔に人間が農耕や牧畜を開始して定住生活を営むようになったのを皮切りに身分制社会が確立したという見解は、少し歴史をかじった者であれば誰でも心得ていよう。そう考えると、ドーグマンという組織がこの世に生まれたのは歴史の必然であったと言える。

 権力者たちに対抗するためにドーグマンは世界中から賛同者を募った。自らが差別や迫害に苦しめられてきたという経験を踏まえて、ドーグマンのメンバー資格に特別な要件は一切設けられていない。国籍、性別、年齢、その他ありとあらゆる外見的・内面的特徴を不問としている。「世界人民の解放」という理念に賛同してくれる者であれば誰であれ歓迎される。戦闘能力が高いに越したことはないが、そうでない場合も、資金を提供したり、各国情勢を報告したりするなど組織に貢献する方法はいくらでもある。権力者という巨悪にメンバー全員で立ち向かうこと。これがドーグマンの誕生以来ずっと変わらない基本姿勢である。

 こうした姿勢に共鳴して、多くの人々が我らのメンバーに加わった。その後も時代が下るにつれメンバー数は増大し、組織のネットワークは世界中に広がった。このネットワークを活用し、ドーグマンは歴史の陰で権力者たちと闘争を繰り広げてきたのである。しかし長年に渡って努力を重ねながらも、「世界人民の解放」という組織の理想はいまだ達成されていない。先人たちの功績を水の泡にしないためにも、今を生きる俺たちは一刻も早くこの理想を実現せねばならないのだ。

 

 製油所に攻め込む一週間くらい前であっただろうか。その日の俺の任務はソマリア沖における海上警備だった。朝早くに少数の兵士とともに漁船に乗り込み出港。海流のある海域に到着したら、後はその流れに乗って洋上を漂い、怪しい船舶がいないか終日監視を続けていた。これといった異常もなくデッキで暇を持て余していた俺は、ある兵士を聞き手にして、ドーグマン史の「講義」を行っていた。

「お前の話はいつ聴いても勉強になるなあ。本当にお前は大した奴だよ」

 それまで俺の説明にじっと耳を傾けていた兵士が感心したように言う。その口調は世辞や皮肉の要素をまったく感じさせない。

「何を言うか。ドーグマンの行動隊長ともなればこれしきのことは知っていて当然だ。お前もこれからは他人事ではないのだぞ。そう感心していてばかりでは先が思いやられる」

「ハハッ、耳が痛いな。でも、その件については感謝しているさ。うん、まあ頑張るよ」

 兵士の名前はマルガ。俺と同時期にドーグマンに加入した兵士だ。出会った当初から彼とはなぜか馬が合って、それ以来ずっと交友関係を持っていた。性格は温厚そのもので誰に対しても物腰が柔らかい。その特徴は戦闘面にも反映されており、彼の戦術はリスクを最小限にした堅実なものが多い。そうした戦い方は特に防戦の場合に有効で、彼のお陰で命拾いしたという兵士も少なくないという。一方で、それだからこそ大きな手柄を収めにくく、彼はいつも栄進の機会を逃してきた。つい最近も彼は自分より世代の低い者の指揮下に入ったことがある。彼の武勲に一定の評価をしていた俺は、その事態を見損ねて、彼を行動隊長に推挙してやったのである。

「でもひとつ言わせてくれないか。お前の語るドーグマンの歴史には抜け落ちている部分があるぞ」

「何? 一体どこだ」

「それは何と言っても、首領が世に躍り出てからのくだりだよ」

 俺は思わず苦笑いする。そういえばこいつはその手の話題が好きだった。

 ドーグマン最高指導者のことをメンバーは「首領」と呼ぶ。一口にそう言ってもドーグマンには歴代の首領が存在するわけだが、マルガが言及したのはもちろん現首領のことだ。彼は現首領を深く敬愛している。いや、何もマルガだけではない。ドーグマン兵士の多くが現首領を強く信頼している。無論、それは俺とて例外ではないのだが。

 マルガの言葉はにわかに熱を帯びる。

「ドーグマンが悠久の歴史を誇っているのはお前の言う通りなんだろうが、どうも俺にとっては遠い過去の話って感じなんだよ。現代に至る組織の歩みを語ろうとなれば、やっぱり首領の存在は欠かせないんじゃないか? ソマリア侵攻が成功したのも、もとはといえば首領がそれ以前に組織を立て直してくださっていたお陰だろ」

「……ああ、そうだな。俺も別に首領のご活躍を無視したわけではない。組織の歴史を概括するのに、現代のみに焦点を合わせてはいけないと思っただけだ。お前の言う通り、今日のドーグマンの礎を築いた功労者といえば、首領を措いて他にはいない」

 誕生以来ドーグマンは闘争に明け暮れてきたが、その活動規模は時代によって浮き沈みがある。残念ながらこれは仕方のないことなのだ。ドーグマンは基本的に有志の集まりだ。首領を頂点にしたピラミッド型の組織構造を一応は備えているが、それよりも優先されるのは個々のメンバーの自主性だ。ゆえに、首領が絶対的権力を振るって恒常的に組織を管理することは難しい。そのため、メンバーの構成が流動化し、組織の活動が下火になることがしばしば発生した。

 特に、ここ百年ほどに関してドーグマンは世界史上から完全に姿を消していたといっても過言ではないだろう。原因は、二十世紀に勃発した二度の世界大戦である。あの大戦はそれまでの戦争とは次元が違った。一国家が、軍人だけでなく一般市民も含めた全国民の生産活動を戦争へと投入する。そんな途轍もない規模の動員力が戦争遂行のためには必要だった。だが、自主性を重んじるドーグマンが同じ真似をするなど到底不可能なことだった。おのずと組織の影は薄くなり、メンバーのネットワークも散り散りになっていった。戦争終結後もしばらくの間は組織にとって空白の時代が続いた。

 そこに綺羅星の如く現れたのが首領だった。首領がその座に就いたのは今から三十年前ほど前。首領は、在りし日のドーグマンを復活させるために、様々な改革を強力に推し進めた。まず着手したのが、分裂した組織ネットワークの再構築。大戦で連携が途絶えてしまった組織の支部を捜索・訪問して支部間の交流を復活させた。次に、新規メンバーの大量募集。首領自らが世界各地に赴いて、有能と見込んだ兵士を次々に採用していった。俺やマルガもこのときドーグマンに加入した。他にも、最新兵器の導入、兵士育成カリキュラムの制定、同業武装組織との提携樹立など、首領が実行した施策は枚挙にいとまがない。こうした首領によるカリスマ的な指導の下、ドーグマンは大戦中の衰退が嘘だったかのように驚異的な急成長を遂げたのだ。

 そして三か月前、ドーグマンはついに行動を起こす。世界各地の紛争地域に侵攻を開始したのだ。俺の所属する東アフリカ戦線が向かった先はソマリアだった。当時ソマリアでは部族間の内紛が続いており政情が非常に不安定だった。そこにドーグマンは電光石火の如く攻め込んだ。「世界人民の解放」という理念を奉じた我らに対して、内紛に苦しんでいたソマリア勢は烏合の衆も同然だった。ソマリアの主要都市は瞬く間に我らの手で制圧された。この戦果によりドーグマンの勇名は世界中に轟いた。世間のマスコミもこぞって取り上げるようになった。

「首領は本当に立派なお方だよ。組織を再興させた手腕もさすがだと思うが、お人柄もとても良い。出陣式とかで俺たちを激励されるお姿を拝見すると、なんてお優しいんだと感激する」

 マルガはまだ興奮が冷めやらない様子だ。そんなマルガに対して、俺はちょっと水を差したくなった。

「首領が尊敬に値するお方であることはお前に同意する。しかし、俺は最近の首領の采配にはいささか不満を覚えてしまうな」

「そうなのか?」

「まあな。第一、今日の作戦からしても俺は気に入らない」

 今日の任務は名目的には海上警備とされているが実情はかなり異なる。海上を行き来する商船を発見したら襲撃するように指示されているのだ。襲撃した船の乗員は殺さずに捕らえて人質にする。そして、商船の管理会社に多額の身代金を要求する。獲得した身代金は組織の資金に充てる計画だ。有体に言ってしまえば、ただの海賊行為である。

 俺の発言にマルガは頷く。

「確かに、いくら理想のためとはいえ、俺も民間人を襲うことに抵抗を感じていた。でもお前もそうだったなんて珍しいな。お前は俺ほど感傷的な奴ではないと思っていたけど」

「お前と一緒にするな。俺の不満の原因はそれとは違うさ。俺の場合は――」

 そこまで言って俺の言葉は中断される。マルガとの会話よりも、海上の光景の方に強く注意を惹き付けられたからだ。

 大きな船影がゆったりとした速度でこちらに近づいてくる。デッキには大小様々なコンテナが積み込まれ、船べりには「KENYA」という文字がブロック体で書かれている。ケニア船籍の貨物船だ。

「悪いが、この話は今度にしよう。お待ちかねの獲物のようだ。来い、マルガ!」

「了解だ。よーし、いっちょやるか!」

 今日、警備の任務に就いてから初めての出撃。それまでの退屈を埋め合わせようと、俺たちは意気盛んに行動を開始した。



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欺瞞の国家

 俺とマルガ、他に数人の兵士たちは、漁船の船尾で高速ボートに乗り換えて出撃した。貨物船は俺たちの出現に気付き、方向転換。何とか振り切ろうとしたようだが、猛スピードで迫る俺たちの追撃をかわすことはできなかった。まもなく俺たちは貨物船に追い付く。縄梯子を使ってデッキに登り、我が物顔で船内に侵入した。

 貨物船はその船体の大きさに比して乗組員の数は決して多くはない。大体が二十名前後といったところか。設備のコンピュータ化が進んでいるので、単に航行するだけならばその人数で事足りるのだ。だが、武装したドーグマン兵士から身を守るとなれば話はまったく別である。

 乗組員からの抵抗はほとんどなかった。ライフルを突きつけたら皆が両手を挙げてシンと静まった。俺たちは船長以下の全乗組員をたちどころに拘束したのだった。

 制圧し終わった貨物船の中で、俺はマルガとともにコンテナの物色を始めた。

 貨物船襲撃の目的はあくまでも乗組員の身代金であり、船そのものを強奪する気は端からなかった。慣れない船を操縦して、万が一トラブルでも発生したら大変だからだ。この船のように大型の場合なら尚更である。とは言っても、このまま手ぶらで撤収するのも勿体ない。そこで、船内を探索して、もし金目の物が見つかったら俺たちの漁船に詰めるだけ詰め込んで持ち帰ろうと考えた。

 デッキに敷き詰められたコンテナを手当たり次第に開き、中身を確認していく。紅茶やコーヒー、たばこ、魚介類、ソーダ灰。雑多な商品が次から次へと登場してくる。そうして半分ほどの検分が終わった後、俺はあるコンテナのドアに手をかける。そのコンテナのラベルには「Seafood」と記されていた。また魚か。半ば飽き飽きしながらドアを開けた。

「……これはひどいな」

 マルガが呆れたように呟く。コンテナの中身は魚介類などではなかった。綺麗な曲線を描きながら先細る形状。発せられる乳白色の輝きはどことなく高貴な雰囲気を醸し出す。象牙だ。コンテナには、たくさんの象牙が山のようにうずたかく積まれていた。

 俺はこの代物が意味する事柄にすぐ見当がついた。象牙の密輸。おそらくこれらはケニアのどこかの国立公園で密猟された象から採取されたものだ。この貨物船の業者はそれを密かに国外に輸出しようとしていたのだろう。そこを偶然、俺たちに襲撃されたということか。

 俺は手近にあった象牙を掴んで握りしめる。無意識のうちに拳に力が入る。憤怒と、そして憎悪の感情が沸々とこみ上げてくる。おのれ、ケニアの野蛮人! 好き勝手なことをしおって!

 ケニアという国家に普通の人はどういったイメージを抱くだろうか。夕陽が落ちる広大なサバンナ。悠然と闊歩(かっぽ)する大型の哺乳動物。雄大な大自然に囲まれた野生の王国。そうした自然に抱かれて育った住民はきっと素朴で思いやりに溢れているに違いない。人類の(あけぼの)を彷彿させる原初的な共同体で、彼らは笑顔に満ちた生活を享受する。そんな理想郷を思い描くだろうか。

 ……下らん。実に下らん幻想である。これらの象牙が、それが欺瞞(ぎまん)に過ぎないことを大いに物語っている。

 ケニアは東アフリカ地域の中ではいち早く開発の波に乗っかった国家であり、現在も著しい経済発展を遂げている。首都ナイロビには高層ビルが立ち並び、昼間は大勢のビジネスマンで賑わっている。そして、人々は思いやりに溢れるどころか、皆が自分や自分と同じ一族の利益ばかりを考えている。事実、政治家をはじめとする権力者は汚職にまみれ、不正な賄賂がまかり通っている。それこそが密猟の遠因だ。奴らは賄賂を受け取る代わりに密猟者が国立公園に侵入するのを黙認したり、逮捕された密猟者に無罪判決を言い渡したりしているのだ。だからいつまで経っても密猟者が幅を利かし、野生生物の殺戮は繰り返される。ケニアには雄大な大自然も、人類の原初の面影も何一つない。あの国家の真実の姿は、欲望にまみれた人間どもの巣窟だ。

 俺がコンテナの入り口付近でじっとしているのに対し、マルガは内部をきょろきょろと見て回っている。象牙の数を見積もっているようだ。そうしてひと通り観察した後、俺のもとに戻ってきた。

「ざっと見たところ四百はありそうだ。まったくひどいことをする連中がいるよな。でも、これだけの象牙を持って帰ればドーグマンにとっては結構な資金になるな」

「……マルガ、俺はもう漁船に戻る。象牙の回収はお前が兵士たちに指図して行え」

 俺の突然の発言にマルガは眉根をひそめる。

「急にどうしたんだ? おい、それに何か顔色も悪くないか」

「俺の顔色が悪いのはいつものことだ。なに、別に大したことではないさ。お前が行動隊長に昇進する前に、兵士たちを監督する予行演習でもやってもらおうと思っただけだ。じゃあ、頼んだぞ」

 マルガはまだ何か言いたげだったが、俺はさっさとコンテナの外に出ていった。

 

 漁船にいち早く戻った俺はひとり操舵室の椅子に腰かけ、物思いにふけっていた。思考の中心は、先ほどマルガと語っていた首領についてだ。

 首領は本当に偉大なお方だ。首領の類まれな統帥があったからこそ、俺たちはソマリアを手中に収めることができた。それまではよい。しかしそれを達成したからといってドーグマンの理想が実現したわけではない。ケニア、エチオピア、ルワンダ、ウガンダ……。東アフリカにはまだ多くの強権国家がひしめいている。そうした国々から権力者をすべて一掃しないかぎり、この地域に平和と安寧は根付かない。まして、ソマリア陥落により奴らはドーグマンを脅威として認識し、抗戦の準備を進めているはずだ。我らはその準備が整うまでに、さらに攻勢を仕掛けなければならないのだ。

 だが今日の作戦といったら何だ。海上を通りすがる一隻二隻の商船から多少の金品を巻き上げたところで、一国家に与えられる損害など高が知れている。俺が望んでいるのはそんな姑息な作戦ではない。本格的な侵攻作戦。ただそれだけだ。もし今ケニアへの出撃が発令されたならば、俺は誰よりも早くその国境を侵し、ナイロビまで攻め上がってみせる。そして、密猟者と癒着するような低能な権力者を徹底的に叩きのめしてやるのだ。俺はいつだって、それくらいの覚悟をもって任務をこなしているつもりだ。それなのに、なぜだ。なぜ首領は薄汚い海賊まがいの行為を俺たちに強いるのか。俺には最近の首領の考えがよくわからない。聡明な首領のことだ。ここで打って出なければ勝機を逃すことは当然分かっているだろうに。

 首領と直接会って話がしたい。俺は切にそう願った。そしてすぐに頭を振る。それはおそらく果たせぬ夢だからだ。首領は地球上に散らばるメンバーを束ねるために、日夜世界中を飛び回って過ごしている。そんな首領に謁見できる者といえば一部の幹部くらいだろう。俺も行動隊長の端くれではあるが、基本的には現場に出ることが多く、上層部の面々と交流する機会は滅多にない。首領に詰め寄せて真意を質そうなど望むべくもないことだった。……今は耐えるしかない。俺は諭すように、自分に何度も何度もそう言い聞かせた。

 

 その後、マルガが乗組員の連行と象牙回収を終えるのを待って、俺は帰還の途に就いた。本当はまだ任務の終了予定時間まで余裕があったが、現場判断という名目で俺は強引に打ち切った。



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首領の来訪

 そろそろ太陽が水平線に沈もうとする頃、俺たちはモガディシュの基地に到着した。モガディシュは古くから交易地として栄えた港町で、ソマリアの首都だ。ドーグマンの東アフリカ戦線は、ソマリア制圧後、部隊の拠点をこの土地に移していた。

 基地の港には、各方面から戻ってきたと思われる漁船や旅客船が次々と入港していた。俺たちと同様に任務から帰還してきたのだろう。

「なんだかやけに騒がしいな」

 漁船から降り立つと、基地の様子がいつもと違うことに気付いた。一緒のマルガも「そうだな」と同じ感想のようだ。

 周囲を見渡したら原因はすぐにわかった。停泊中の船の中に、当基地所管でない船の姿があったのだ。大勢の兵士たちがその船を取り囲み、群れをなしている。

「ホーゲン、あの船に掲げられた旗を見ろ」

 注意を促された先に目を転じて俺は唖然とした。その旗には、堂々たる風格を持つ海獣イッカクの絵柄が描かれていた。あれは首領が愛用している専用の軍艦旗だ。

「まさか、首領がこの基地に立ち寄っているのか」

 俺たちは急いで兵士たちの群れの中に分け入った。兵士を押しのけて最前列から船を観察する。見る者を圧倒する威容のクルーズ船。全長は三百メートルくらいありそうだ。間違いない。これはまさしく首領の軍艦だ。

 クルーズ船の搭乗口付近では数人の兵士たちが見張りをしていた。普通の兵士とは違う堂々たる佇まい。たぶん首領直属の近衛兵だろう。近衛兵は首領の身辺警護を専門にする兵士だ。ドーグマンの兵士としてはこの上なく誉れ高い。何気なく彼らの様子を見ていたら、そのうちの一人が俺の視線を感じ取ったようだ。するとどうだろう。その兵士はズカズカとこちらに歩み寄ってきた。

「もしやあなたはホーゲン様では」

 なぜ近衛兵が俺の名前を知っているのだろうか。不審に思いつつ俺は答える。

「確かにホーゲンとは俺のことだが、それが何か」

「やはりそうでしたか。実は首領があなたをお呼びになっているのです」

「首領が、俺を?」

「はい、そうです。首領は今この船の執務室にいらっしゃいます。私がそこまでご案内しますので付いて来てください」

 近衛兵は口早にそう述べて搭乗口の中に消えていく。マルガが心配そうに俺を見る。

「首領がお前をお呼びだなんて、一体どういうご用件なんだろう」

「わからん、だが行くしかないだろう」

 取るものも取り敢えず俺は近衛兵の後を追った。

 

 近衛兵は世間話に興じるような人間でないらしく、無言のまま俺を執務室へと先導する。俺は心中穏やかでなかった。

 海上警備中、俺は首領との謁見を強く望んだ。しかしまさか首領の方から俺に呼び出しの知らせが来るとは想像もしていなかった。このことが逆に俺を不安にさせていた。もしかして俺が首領に不満を募らせていることが首領の耳に届いたのだろうか。いや、そんなことはない。あの話題は今日初めてマルガに話したものであるし、そもそも詳細には打ち明けていない。ではどうして……。

 緊張のためか、思考が混乱する。そうこうするうちに、ある部屋の前まで辿り着く。ちょうど一人の人間が部屋から出てくるところだった。

「首領、お時間いただきありがとうございました」

 そいつは部屋に向かってそう言うと、こちらに振り返る。自然と俺と目が合った。俺を見咎めたそいつは、見る見るうちに表情を険しくさせ、大股でこちらに迫ってきた。

「ホーゲン、なぜ貴様がこんなところにいる!」

 やれやれ。俺は内心うんざりした。こいつの名前はラーゲル。東アフリカ戦線の中枢を担う幹部の一人だ。

「ここは恐れ多くも首領の軍艦だぞ。貴様のような下等兵が入ってきていい場所ではない」

 口にこそ出さないが、俺はこいつが嫌いだ。幹部という地位を鼻にかけて、俺たちをあからさまに見下した態度を取る。その一方で、俺たちの戦場での手柄をすべて自分のものとして首領に報告しているらしい。公正さを重んじるドーグマンにとってこれは恥ずべき行いである。当然、部隊内での評判は悪く、同僚の行動隊長たちの中にはこいつの更迭を組織に働きかけた者もいる。だが、そうした試みは漏れなく失敗に終わっている。ラーゲルは他の戦線も含めた組織上層部において一大派閥を形成しており、奴らの手に掛かれば、たかが数人の行動隊長の要求など容易く握り潰されてしまうのだ。俺はそれを教訓にして、こいつを敬して遠ざけるように努めているが、この状況ではどうしようもない。

「……大体、貴様は海上警備の任に赴いていたはずだ。規定の時刻に帰還したにしては早すぎる。さては貴様、途中で任務を放棄してきおったな。誇り高きドーグマンの戦士が何という体たらくか」

 ラーゲルの罵倒はエスカレートするばかりだ。どうやら俺の姿しか眼中にないらしい。傍らの近衛兵が痺れを切らしてようやく割って入る。

「ラーゲル様、どうかお静まりください。ホーゲン様は首領からお呼び出しを受けていらっしゃいます。それで私がこうしてご案内しているのです」

「お前は黙っておれ。俺は今ホーゲンに――」

 ラーゲルはそこで初めて近衛兵の言葉の意味を理解したようだ。

「ちょっと待て! お前、首領がホーゲンをお呼びになったと申したか」

 ラーゲルの慌てぶりに、さしもの近衛兵も「は、はい」と戸惑い気味に頷く。そこを見計らって、俺は至極丁寧に話を切り出した。

「ラーゲル様、海上警備を早々に切り上げた件につきましては、後ほど詳しくご報告いたします。近衛兵が申したように私は首領からお呼び出しを受けています。首領をこれ以上お待たせするわけには参りません。今はお見逃し頂けないでしょうか」

 ラーゲルから返事はない。それどころか、その顔面は血の気が失せたように蒼白だ。これは俺にとってまったく予想外なことだった。というのは、なぜか俺はこいつから目の敵にされているようで、俺が意見を述べると内容如何に関わらず食って掛かってくるのが常だからだ。それがどうしたことだろう。今のこいつは目を白黒させて固まったままなのである。いや、聞き取りにくいが何やらぼそぼそと呟いている。

「……首領がホーゲンをお呼びだと……では、首領は俺ではなくこいつを……」

「一体どうされたのですか」

「……そんな、馬鹿な……」

「ラーゲル様?」

「……うるさい、近寄るな!」

 やっと反応を示したかと思うと、ラーゲルは癇癪(かんしゃく)を起こしたように大声を出した。

「ホーゲンよ、こんなことでいい気になるなよ! 俺は貴様を絶対に認めん。あと、首領に無礼なことがあったら承知しないからな。よく覚えておけ!」

 そう言ってラーゲルはそそくさと俺の隣を通り過ぎていった。一体あいつの態度は何だったのか。怒り狂ったり黙り込んだりと忙しい奴だ。まあ、あんな奴のことを気にしていても仕方がない。それよりも今は首領だ。たぶん首領がいらっしゃるのは、さっきラーゲルが出てきた部屋だ。

 近衛兵はラーゲルの様子が気がかりらしく、奴の去っていった方向を見つめている。

「時間を取らせたようだな。案内はここまでで十分だ。ありがとう」

 近衛兵を労いつつ俺は部屋を目指した。



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出征

 ドアに近付き、緊張しながらノックする。すぐに部屋から声が返ってきた。

「ホーゲンか」

「ハッ、お呼びと聞いて馳せ参じました」

「入れ」

 言われるままにドアを押して入る。音が立たないようにしてドアを閉じ、部屋の方に向き直る。その瞬間、俺が感じた部屋の第一印象は「広い」ということだった。最高指導者たる首領の執務室なのだからそれなりに広いのは当然だ。だがそれだけではない。この部屋には余分な調度品や装飾品の類が一切ない。ただ必要なものが必要な場所に置かれている。そんな部屋だ。

 首領は窓際のプレジデントデスクで、分厚い紙の書類を閲読していた。先ほど出ていったラーゲルが報告書でも渡したのだろうか。首領は書類に目を落としたままの姿勢で口を開く。

「帰還して早々に呼び立ててしまってすまないな」

「いえ滅相もございません。それよりも私に御用とは」

「ああ、それなのだがな」

 首領は書類をデスクに置いて俺の方へ顔を上げた。

「今日、お前は海上警備に出向いたのだったな」

「ハッ、その通りです」

「あの作戦、お前はどう見た」

「……どう見た、とおっしゃいますと」

「言葉通りの意味だ。お前はあの作戦をどう評価した」

 俺はつい口を噤んでしまった。やはり首領は俺の腹の内などすべてお見通しなのだろうか。それを承知の上で俺自身の口からそれを告白させようとしているのか。どうする。当たり障りのない返答でもして、この場をやり過ごそうか。だが俺が首領と相見える機会がこの先に幾度あるだろう。もしかしたら今を最後に一度たりとも訪れないかもしれない。

 俺は覚悟を決めた。これ以上邪推するのはやめよう。ドーグマンで尊ばれるべきものは何だ。それはメンバーの自主性だ。上官たちの意向を忖度して自分の意見を捻じ曲げることではない。自分の信じることを率直に述べればいいのだ。

「恐れながら申し上げます。正直なところ私は今回の作戦は愚策であったと思います。戦争継続のために資金が必要なのは理解しているつもりです。しかし我らの軍事力は首領の改革により既に十分に増強されています。もはや資金集めのために奔走する時期ではありません。それよりも我らはさらに攻勢を強くすべきです。ソマリアを制圧した我らに対して、東アフリカの国々はまだ準備に追われています。いま我らが侵攻戦を仕掛ければ、奴らの手からより多くの土地を解放できましょう」

「ほう、言うではないか。では聞こう。お前であれば、まずどこの国家を攻める」

 無意識に俺は唾を飲み込む。ここで適当なことを言ったら俺は信用を失う。かと言って、一度開口した以上もう引き返せない。

「私が次に攻めるべきと考える国家は――ケニアです」

 首領は何も答えない。ただ俺の目を鋭い眼光で睨みつけている。

「ソマリアに接する国家としてはケニア、エチオピア、ジブチの三国があります。これらの中から侵攻先を選ぶとなればケニア以外に考えられません。あの国家は東アフリカでも有数の港湾・空港を備えており、地域物流の拠点としての役割を果たしています。たとえば港湾都市モンバサから延びる道路や鉄道は首都ナイロビを経た後、国境を越えてウガンダやルワンダにまで達します。ケニアを制圧し、そうした物流の奪取に成功すれば、近隣諸国に多大なダメージを与えられます。我らが東アフリカを平定する日は一気に近くなりましょう」

 俺は呼吸するのも忘れる勢いで自説を主張した。その間、首領は身じろぎひとつもしなかった。

 

 俺の主張が終わっても首領はしばらく沈黙したままだったが、程なくして

「うむ、そうであろうな」

と満足したように深く頷いた。途端に、首領をそれまで覆っていた峻烈なオーラは消え失せる。部屋の空気までもガラッと変わった感じだ。

「私もお前と同意見だ。やはり私の目に狂いはなかったようだな」

「どういうことですか? 首領も私と同意見とのことであれば、なぜ私たちに海上警備を」

「ふむ、それについては私も弁解しなければならんな」

 首領は苦々しげにそう答え、椅子の背もたれに深々と寄りかかる。

「実はな、今回の作戦の立案者はラーゲルなのだ。いや、何も今回に限ったことではない。ここ最近、私は東アフリカ戦線の全指揮権をラーゲルに委譲していたのだ」

「一体なぜそのようなことを」

 俺の質問に首領はややためらうようなそぶりを見せたが、やがて静かな口調で語り出した。

「三か月前、組織の立て直しが無事に完了したと見た私は、世界各地の国家に一斉に軍勢を派遣した。その戦果は実に華々しいものであった。ここ東アフリカ戦線ではソマリアを、他の戦線でも数多くの地域を制圧することができた。しかし問題はここからだ。敵方は我らが得た土地を奪還しようと苛烈な反撃をしてくるに違いない。それに伴い、各地の戦争はさらに激しさを増し、戦況は目まぐるしく変化するようになるだろう。

 私はドーグマンが新たな局面を迎えつつあると感じている。これまで私は首領として、すべての戦線の行動計画策定に関与してきた。だが今後それは非常に困難になる。いかに私といえども、世界各地で複雑化する戦況を一手に引き受けて分析・判断するなどできるわけがない。組織の指揮系統を刷新していく必要がある。すなわち、各地の戦線の独立性を高めて、私の指令がなくとも自律的に部隊を運用できるようにしなければならない。これは、ドーグマンがこれからも勝利を重ねていくための至上命題だ。

 ラーゲルに指揮権を委譲していたのはその一環だ。私は東アフリカ戦線が奴の指揮の下で統轄されることを期待したのだ。まあ、お前の言いたいこともわかる。奴には独善的な言動が目立ち、兵士たちからの人望は薄い。だがな、奴は私が組織の再興を推し進めるにあたって大いに貢献してくれた。メンバーとしての経歴も非常に長い。そうしたことを勘案すると、奴にまず白羽の矢を当てざるを得なかった」

 俺の知る限り、ラーゲルはいまだかつて戦場で目ぼしい武勲を立てたことがない。ではなぜ奴が幹部の地位に収まっているのか。それには、首領が実施したドーグマン再興活動における裏事情が関わっている。当時、首領は積極的に新規メンバーを採用し、組織のメンバー数は急速に増大した。しかし、その影響でドーグマンは深刻な兵器不足に悩まされることになる。増員分に見合うだけの兵器の在庫がなかったためだ。折しも世界は冷戦中で兵器の需要が高まっていて、新たにそれらを仕入れることは難航した。そこで活躍したのがラーゲルである。奴は多くの非合法組織と闇取引を行い、限られた資金の中で強力な武器を大量に取り揃えたのだ。武の腕前はからっきしであったが、奴はそうした分野の才能には長けていた。その後もラーゲルは外部との交渉を頻繁に担当し、組織内でめきめきと頭角を現していったという。

「でも私が甘かった。奴の立案する作戦と来たら、卑劣な手段に訴えて資金を調達することばかり。それに、見たところ、作戦に駆り出される行動隊長には共通点がある。お前を含めて皆が最近功績を上げた者たちなのだ。奴はお前たちの功績に嫉妬して、その腹いせのためにわざと退屈な任務ばかり押し付けていたようだ。組織の戦略に私情を挟むとは不届きにも程がある。奴には先ほどきつくお灸を据えておいた。しばらくの間は鳴りを潜めるであろうな」

 首領は仕切りなおすように、デスクに身を乗り出してくる。

「さて、ラーゲルに今後の東アフリカ戦線を担う力量がないと知れた以上、私は奴に代わって部隊を統率できる適格者を探さねばならん。目星は既につけてある。その者の名は――」

 首領は俺を射抜くように見つめた。

「ホーゲン、お前だ」

「私……ですか」

「戦場におけるお前の過去の働きはすべて聞き知っている。ドーグマンの理想や歴史などへの造詣も深いようだ。首領という立場ゆえ、私がお前と接点を持つことは難しかったが、それでもお前の活躍には注目していた。はっきり言おう。ホーゲンよ、東アフリカ戦線の司令官に就任してくれないか」

 首領からの破格の提案に俺は衝撃を受ける。首領はそれほどまでに俺のことを評価していたのか。雲の上の存在だと見上げるばかりだった、あの首領が俺に最大級の期待を掛けてくれている。かつてないほどの高揚感が俺の胸に生じる。俺はその感情に身を任せることにした。

「お聞きになるまでもないことです。首領のお頼みとあれば全身全霊をもって応える所存です」

「うむ、お前ならそう言ってくれると信じていたぞ」

 首領はデスクの引き出しから一通の封書を取り出し「開けてみよ」と俺に手渡す。すぐさま封を切り中に入っていた文書を読み進める。

「これは!」

 首領直筆の指示書だ。書面には、一週間後にケニアへの侵攻戦を実行すること、その先鋒に俺を任命すること、俺には特別にイリス号が貸し与えられることなどの事項が要領よく記載されている。そして最後には、船外で見た旗と同様のイッカクの印章が押されている。

「私が……ケニア侵攻戦の先鋒に!?」

「そうだ。本来ならすぐにでもお前を司令官に就任させたいのだが、いかんせんお前はメンバーとしての経歴が短い。このまま司令官に登用しても幹部たちが反発することは必至だろう。だからお前の実力を知らしめるための絶好の舞台を用意したというわけだ」

 首領はデスクを離れて歩き出し、俺の正面で立ち止まる。

「よいか、この戦でお前が見事に大功を立てれば、幹部たちもお前の実力を認めるに違いない。司令官就任も滞りなく実施できるだろう。この戦にお前の、ひいては東アフリカ戦線の命運が懸かっている。全力で臨め!」

 首領の激励に俺は反射的に背筋を伸ばす。

「ハッ! 不肖ホーゲン、必ずや先鋒の役目を全うし、ドーグマンに勝利をもたらしてご覧に入れましょう!」



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踊る疾風

 キスマヨの港には霧が立ち込めていた。海に波はなさそうだが、視界が悪いせいで海上はほとんど見通せない。もう昼過ぎだというのに今日はずっとこの調子だ。乾燥しがちなソマリアの気候において、これは非常に珍しいことだった。

 霧の向こうから微かにブオォーンという汽笛の音が聞こえた。そろそろ到着のようだ。目を凝らす。海を覆う濃霧の中に一点の影がぽつねんと現れる。影はおぼろげながら徐々に肥大していき、やがてはっきりとした輪郭を示す。

 白を基調とした優美なデザインの高速船。マルガが搭乗する軍艦だ。イリス号と比較するとかなり小型だが、それでも兵士二百人ほどは乗り込めるのではないだろうか。ドーグマンでは行動隊長に任命され部隊を率いるようになると軍艦が支給される。俺の推挙によりマルガは此度のケニア侵攻から行動隊長として参加していた。もっとも今までは主として後方支援を担当していたが。

 マルガが前線にまで出張ってきた理由。それは、何を隠そう、俺が呼び寄せたからである。

 ケニア侵攻戦は開始からまもなく一か月が経過する。戦争は膠着状態が続いていた。

 製油所でアレカシに敗北して以降も、俺はモンバサに対して精力的に襲撃作戦を実施した。あの都市はケニアの要所だ。何としてでも陥落させて、侵攻戦の足掛かりとしたかった。俺は発電所、国際空港、行政庁舎といったモンバサ市内の重要物件をピックアップし、そこに向けて連日のようにイリス号を発進させた。ところがいずれの施設も製油所と同じく厳重な警備下にあり、攻略はすべて失敗した。おそらくアレカシの一人、蒼穹の礼とやらの手配によるものだろう。俺の狙いを予測した上で実に用意周到に準備していた。

 ここに来て俺はやむなくモンバサを断念することにした。いつまでも十分な戦果を上げずに戦争を長期化させるわけにはいかないと判断したためである。

 再起を図るために選んだ次なる目標はマリンディ港だ。モンバサから北東に百キロメートルほどの位置にある。モンバサには及ばないがマリンディの貨物取扱量も相当なもので、ケニアの流通拠点の一角を占める。攻略対象としては申し分ないだろう。

 作戦成功を確実にするために、俺はこれまでで最大規模の作戦を立案。数日前からソマリア南西部の港町キスマヨに駐留し、各地から部隊を結集させている。マルガの部隊もそのうちの一つだ。作戦決行は明日。それに合わせて合流する彼を出迎えるために、俺は港で待っていた。

 入港したマルガの高速船が接岸作業を終える。搭乗口から数人の部下を引き連れてマルガが出てきた。

「マルガ、悪天候の中、よく来てくれた」

「気にするな。困った時はお互い様だろ」

 マルガは快活な笑みで応じるが、すぐに真顔に戻った。

「報告はちゃんと聞いている。アレカシの疾風とか言ったっけ。お前を苦戦させるなんてよほど危険な連中なんだな。報告を聞いた当時は正体がまったく不明とのことだったが、その後何か情報を掴めたりしたか」

「……ああ、まあな」

「何だ、煮え切らない返事だな」

 製油所での一件の後、俺は諜報員に命じてアレカシの素性を探らせていた。結果としては一応の収穫があった。正直これを開示するのはどうにも気乗りしないが、仕方がない。マルガとは次の作戦では合同で任務に当たることになる。情報は共有しておかねばなるまい。

「マルガ、イリス号の会議室に来てくれるか。お前に見せたいものがある」

 

 イリス号の会議室に場所を移した俺たち。俺は適当に席に着いて、自室から持ってきたノートPCに電源を投入する。

「さーて、何を見せてくれるんだ? ちょっとワクワクするな」

 隣に座ったマルガは俺が準備するのを楽しげに見守っている。

 画面が起動した。手早くブラウザを立ち上げ、履歴に残しておいたURLにアクセスする。そこは、ある大手動画投稿サイトのページで、一本の動画が配信されていた。

 クリックで動画を再生すると音楽が同時に流れてくる。曲調は非常に明るく、何となく牧歌的な雰囲気を漂わせる。映像では野外ステージのような場所にたくさんの子供たちがいて、音楽に合わせて身体でリズムを取っている。どこかの遊園地だろうか。ステージの向こうには青空を背景に観覧車が見える。

 やがて歌が流れ出した。子供たちは歌を口ずさみながら身体を大きく動かし始める。手足を大きく振ったり、左右に跳ねたり、身体を一回転させたりとなかなかに躍動的だ。どうやら彼らは歌に合わせてダンスをしているようだ。決して上手とは言えないが、歌に遅れないように必死に身体を動かす様子は何とも健気である。

 実際、ステージで踊っているのが子供たちだけならば、俺も和やかな気持ちになれたのかもしれない。しかしこの動画はそうはならなかった。なぜなら、大勢の子供たちに囲まれた中央で、あのアレカシの四人組が一緒に踊っていたからだ。奴らのダンスは周囲の子供たちの愛らしさを霞ませるほどに見事な出来だった。

 マルガが、普段の柔和な外見には似つかない、険しい表情を浮かべている。

「なあ、ホーゲン。お前の報告ではアレカシは四人それぞれが赤青黄緑のスーツをまとっていたんだよな。それじゃあ、この踊っている連中が……」

「そうだ、こいつらがアレカシだ」

 厳密に言うと、製油所で俺が戦った相手と、動画の中で踊っているこいつらはスーツが同じなだけだから、両者が同一人物かどうかは不明だ。だがこの動画がアレカシの素性に関係していることは確実だろう。

「この動画は一体何なんだ」

「アレカシの所属会社のPR動画だ」

「所属会社? どういうことだ」

「そうだな、順を追って説明しようか。お前はアレカシがケニアの軍人だと思っていたのだろう? 俺も最初はてっきりそう思い込んでいた。それで諜報員をケニア軍に出入りさせて調査させたのだが、それらしき素性の者は一向に見つからなかったのだ。途方に暮れていた時に、ある諜報員がネット上で偶然発見したのがこの動画だ。――おっと、そろそろ終わりだな。マルガ、よく見ていてくれ」

 歌がサビの部分を過ぎ音楽が終わる。最後にアレカシと子供たちは、人前でやるには相当の勇気が必要そうなポーズを決めた。動画はここで終了。映像は暗転し、画面中央に動画の配信元と思われる組織の名称がクレジットとなって表示される。

 Yatsumori Defense Corp.

 マルガがそれをたどたどしく読み上げる。

「やつもり……ぼうえい?」

「そう、八ツ森防衛。それがアレカシの所属会社だ。名称を頼りに探したら、この会社のWebサイトはすぐに見つかった。それによると、八ツ森防衛の主な業務内容は対テロ作戦の代行。国家をクライアントにしてテロ組織の掃討作戦を請け負っているらしい。アレカシは軍人ではない。奴らは民間軍事会社(PMSC)の社員だったんだ」

「……驚いたな。軍事作戦をまるまる請け負うPMSCが存在するなんて」

 俺は無言で頷いた。

 PMSCという形態の組織自体はそれほど珍しいわけではない。むしろ、戦争に多様な分野が関わる昨今では、PMSCの協力なくして戦争は成立しないのではなかろうか。ただ、その業務の多くは物資の輸送供給や戦闘訓練など、後方支援に属するものだ。敵軍と直接戦闘するケースは意外と少ない。ところが、この八ツ森防衛は国家から作戦の全権をもらい受けて戦争に参加するというのだ。一般のPMSCとは一線を画する存在であると見て間違いないだろう。

「おそらくケニア政府は我らの侵攻に備えて八ツ森防衛と契約を交わしたのだろう。そうしてケニアに派遣されたのがアレカシだ。製油所などの重要施設はその頃から警備を強化していたと思われる」

「この会社の本拠地はどこなんだ。ケニアが信頼を置くほどなのだから実力は折り紙付きだと思うんだが、俺は全然聞いたことがないな。アフリカの会社ではないんじゃないか?」

「サイトには本社はタイにあると掲載されていた。だが俺が思うに、この会社のルーツはおそらく日本にある」

「日本!? どうしてそんなことがわかる」

「ヤツモリという会社名、そしてグレン・ソウキュウ・オウゴン・ヒスイというアレカシのメンバー名。これらにはすべて日本語特有の響きが感じられる。さっきの動画の歌詞も日本語のものだった。お前はまだないだろうが、行動隊長になると定期的に他の戦線と一緒に合同演習をすることがある。その折に俺は日本人のメンバーにも何回か会ったことがあるから、相手が日本語を喋っていれば、それだとすぐわかるんだ」

「……俺たちはこれから日本の軍事力と戦わなければならない。そういうことなのか」

 マルガの振るえる声音から彼が動揺している様子が伺えた。無理もない。俺も初めて報告を聞いた時は耳を疑った。

 日本とは太平洋北西に位置する経済大国であり、言わずと知れた先進国である。名目上この国家は軍隊を有していないが、実際には自衛隊という事実上の軍事組織が存在する。その軍事力は最先端の科学技術によって支えられており世界的に見てもトップクラスである。もし八ツ森防衛もそうした技術を応用して作戦を遂行しているならば、俺たちにとって非常な脅威だと言わざるを得ない。

「さっきの動画は八ツ森防衛が世間の認知度向上のために配信したものというわけか。そうすることで……その、何だ……子供たちにも親しみやすいというイメージを定着させようとした?」

「そんなところだろうな。まったく、俺たちと戦っている時の奴らの姿をあの子供たちにも見てほしいものだ。あんな無邪気な様子は一瞬で消え失せて、泣きじゃくりながら逃げ出すだろうな。ハハッ」

 俺の乾いた笑いを最後にして、俺とマルガはしばらく黙り込んだままになる。空気が何とも重苦しい。やはりマルガにこの情報を明かしたのはまずかったかもしれない。行動隊長に成り立ての彼にとって、アレカシの正体は刺激が強すぎた感がある。

「ふぅ……」

 マルガは深くため息をついて、ようやく口を開く。

「……ホーゲン、アレカシが八ツ森防衛の社員だということはよくわかったよ。ならば、この会社をもっと調査すれば戦略も立てやすくなるのでは」

「もちろんやっている。現在、諜報員が総出になって八ツ森防衛を調べ上げている。だが、あんな動画を世界中に配信している一方で、情報セキュリティはかなり徹底しているらしい。アレカシの経歴をはじめとして奴らにまつわる情報は一報も入手できていない」

 そこでマルガはぼそっと呟いた。

「俺たち、アレカシに勝てるのかな」

「言うな、マルガ。勝てるかどうかは問うても仕方ない。ドーグマンの戦士である我らには勝利という選択肢しかない。それに、情報が不足しているとはいえ、俺たちには奴らとの実戦経験がある。今はただ、それに基づいてベストな戦略を立てていくしかないのだ」

「……そうだな、お前の言う通りだ。すまない、弱気なことを言ってしまって」

「構わん。それより、今度はこの部屋で兵士たちも集めて明日の作戦の詳細を説明したいんだ。お前の部下たちにも連絡してくれないか」

 俺はPCの後片付けに掛かりながらマルガを促す。マルガは「了解した」と答えて、静かに部屋を後にした。



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侵入者

 会議室には、俺が呼び寄せた行動隊長たちが一堂に集った。俺は彼らにマリンディ襲撃作戦の内容を事細かに伝えた。大勢の部隊が参加する本作戦はそれぞれの連携が何よりも大切だ。そのため、各部隊の行動時刻や配置は細部に至るまできっちり取り決めている。そうした事柄を聞き漏らすまいと、行動隊長たちは皆が俺の言葉に耳を傾けていた。彼らの中には必死にメモを取る者の姿もあった。

 打ち合わせが終了したのは夜遅くになってからだった。自室に戻った俺は明日に向けて早めに就寝しようと思っていた。そのときである。

「――船内の兵士たちに通達する!」

 突然、耳をつんざくような船内警報が発せられる。

「一階廊下にて見回りの兵士が不審人物を発見。兵士が尋問しようとしたら、いきなり殴りかかってきたとのこと。現在、一階詰所の兵士たちで交戦中だが、まだ捕縛に至っておらず。至急応援を請う」

 不審人物が船内に侵入して廊下をうろついていただと? イリス号をドーグマンの軍艦と知ってのことだろうか。もしそうならば、そいつの目的は明日の作戦にあるのではないか。そんなことをする人物と言えば……。

 俺は部屋を飛び出した。廊下を小走りに進みつつ懐からPHSの端末を取り出す。イリス号にはPHSが構築されている。この端末を使えば、船内の主要な兵士と個別に連絡が取れるのだ。警備担当の兵士を呼び出す。すぐに応答があった。

「こちらデュング」

「ホーゲンだ。状況はどうなっている」

「苦戦しています。一階の兵士全員で立ち向かっても太刀打ちできません。一人とはいえなかなかの手練れです。他の階の兵士が応援に駆けつけてくれたら、なんとか取り押さえられそうですが」

「俺に策がある。そいつをデッキに追い込んでほしい」

「デッキ……ですか」

「そうだ。わざと包囲網の一部を崩してデッキの方に逃げるように誘導するんだ。なるべく時間を稼いで、じわじわと追い込むようにしてくれ」

「了解しました。やってみま……」

 相手の兵士が言い終わる前に俺は通信を切った。

 長い通路をかけ走る。ドーグマンが軍艦として買い取る前のイリス号は豪華客船として活用されていた。その階数は全八階であり、各階の床面積も結構広い。俺の居室は七階。この階には他にカジノがあったりする。今や無用の長物となったルーレットやスロットを横目に、俺は先を急ぐ。

 エレベーターの前まで来た。下りのボタンを押して待つ。デッキに出られるのは三階だ。その間に、また別の兵士に通話を掛けた。今度は武器庫の担当だ。

「こちら、ワトスです」

「ホーゲンだ。騒ぎの知らせは聞いているな。お前に頼みがある」

「ハッ、何なりと」

「例のモノを用意してすぐにデッキに来い!」

 エレベーターが到着する。俺は急いで乗り込み三階のボタンを押した。

 

 デッキには誰もいなかった。すでに夜は大分更けっていた。依然として霧は解消されておらず、それが一層夜の暗闇を強調している。

 静寂は間もなく破れた。キャビン側から大人数の足音がドタドタと聞こえてきた。集団の先頭を一人の人間が走ってくる。

「そこまでだ!」

 懐中電灯を点灯させる。明るくなったデッキに人影がぬっと浮かび上がる。

 たくましい体格の人間だった。俺たちと同じドーグマンの戦闘服を身に着けている。だが知らない顔だ。顔には無精髭が生え、肌は浅黒く日焼けしている。

 こいつが例の侵入者か。おそらく我らの戦闘服をどこかから仕入れて、それを着てイリス号に侵入したのだろう。夜陰に紛れれば決して不可能なことではない。

 侵入者の背後からは、追いかけていた兵士たちが続々と集まって来る。

「貴様に逃げ場はない。観念するのだな」

 しかしそいつは脅しに動じた様子はなく、それどころか不敵な笑みを浮かべている。

「へぇー、まさかあんた自らがお出ましとはな。ちょうどいいや。ここでやっちまうか」

 侵入者が上着の袖をまくり上げる。露わになった手首にはブレスレット状の機械が巻き付いている。そいつはブレスレットを勢いよく前に突き出し、こう叫んだ。

「アレカシチェンジ!」

 その掛け声とともにブレスレットから強烈な光が発生する。あまりの眩しさに俺は侵入者を直視できずに顔を背ける。一瞬だけ周囲が昼間のように明るくなる。

 やがて光が収束する。俺は恐る恐る侵入者の方を振り向く。

 そこには黄色のスーツに身を包んだ偉丈夫の姿があった。――黄金の佳だ。船内に侵入者と聞いてよもやとは思ったが、本当にアレカシの一人が忍び込んでいたとは。

 それにしても、今の一瞬の間に奴はあのスーツを身にまとったというのか。とても人間業とは思えない。アレカシと初めて邂逅した時のことを思い出す。奴らのスーツは俺たちの銃撃をすべて跳ね返していた。あの件と言い、今回の件と言い、いずれの現象も常識の範疇を越えている。やはりあのスーツには何らかの特殊な技術が応用されていそうだ。

「何をぼさっとしてやがる!」

 佳は猛然と俺の脳天めがけて拳を突き出してきた。俺は身体を左に動かし回避する。休む暇もなく佳が二発目を放ってくる。今度は俺の顎を狙ったアッパーカット。俺は反射的に顔をのけ反らせながら後方に身を引く。目の前を鉄拳の影がよぎる。瞬間、俺の頬は鋭い風圧を感じる。何という力だ。今の攻撃をまともに食らっていたら俺の顔面は粉々になっていたかもしれない。

 佳は変わらぬ勢いで一気呵成に攻め立ててくる。俺は危なげながらも攻撃をかわし続ける。奴の攻撃は一発一発は強力だが、その代償として動作に若干の隙が生まれる。注意深く観察して回避に専念すれば何とか対処できる。

 一向に反撃してこない俺に対して佳がいらだち気味になる。

「おいおい、随分と逃げ腰だな。ドーグマンの行動隊長ってのは皆あんたみたいな臆病者なのかい」

 言わせておけば生意気な。奴の挑発に乗ってやりたいのはやまやまだが、ここは我慢の時だ。俺は何も無為無策でこんな立ち回りをしているわけではない。今の俺には必勝の戦略があるのだ。

「ホーゲン様、お待たせしました!」

 新手の兵士がデッキに出現した。先ほど連絡した武器庫の者だ。彼が肩に担いでいるのは無骨な棒状の兵器。

「ちっ、そう来たか」

 佳が舌打ちする。対して俺は口元を緩める。彼が持ってきたのはロケットランチャー。対戦車用の兵器だ。本来ならば、あれは明日の作戦で対アレカシ用に携行する予定だった。俺は侵入者がアレカシの一人ではないかと考え、急遽(きゅうきょ)武器庫から搬出させたのだ。いくら奴らのスーツが銃撃を受け付けないとしても対戦車用となれば話は別のはず。たかが人間一人のためにロケットランチャーを使うのは大げさな気もするが、あのスーツの鉄壁を破るにはさらなる大火力に頼るしかない。

 俺は佳から急いで距離を取り、大声で命令する。

「よし、ぶっ放せ!」

 兵士が担いだ砲筒からロケット弾が威勢よく発射する。ロケット弾は佳に向かって真っ直ぐ飛び、見事に命中。大爆発を巻き起こす。佳の身体はその衝撃により船の舳先(へさき)近くまで吹き飛ぶ。倒れた佳は微動だにせず仰向けになったままである。

「――やったか!?」

 そう思ったのも束の間、佳の身体がのっそりと起き上がる。少し動きは鈍いがまだ十分に体力があるようだ。

 ロケットランチャーでも駄目なのか!? 奴のスーツの防御力は戦車の装甲並み、いや、それをも上回るというのか。……とはいうものの、さすがに多少のダメージは与えられたようだ。佳の息が上がっている。

「……はぁはぁ、ロケットランチャーまで持ち出してくるとはな。ここは分が悪いな。一旦ずらかるとするか」

 佳は急にデッキの端に向かって走り出した。そのまま手すりを越えて海に飛び出す。

「しまった!」

 俺は素早く手すりに近寄り、海を覗き込む。佳が岸に向かって泳いでいる姿が見えた。兵士たちに厳しく呼びかける。

「船を出て追いかけるぞ! 決して逃すな!」

 

 この騒動は他の行動隊長たちの部隊にもすぐに伝えられた。彼らの協力を得ながら、佳の捜索作業は夜を徹して行われた。しかしその努力が実ることはなかった。キスマヨの市街をくまなく探したが、奴の足取りはてんで掴めなかった。それもこれも全て霧の影響によるものだ。こんな視界の悪い状況では、あのけばけばしい黄色スーツすらも発見するのが困難だった。

 そろそろ夜も明けようとする頃、俺は佳の捜索をあきらめ、静々と港に引き揚げた。港にはマルガの部隊が待機していた。俺の帰りを待っていたようだ。

「ホーゲン、残念だが逃げられてしまったようだな」

 こんな時でもマルガの表情は涼しげだ。俺はぶっきらぼうに言い放つ。

「くそっ、船への侵入を許したばかりか、取り逃がしてしまうとは。何たる不覚」

「あまり自分を責めるもんじゃない。むしろ作戦を決行する前に看破できたことを喜ぶべきだろう。それに聞いたぞ。ロケットランチャーを使って黄色いアレカシを吹き飛ばし、撤退に追い込んだってな。奴らのスーツの防御力にも限度があった。それを知れただけでも大きな収穫だ」

「確かにそうだが、問題なのは今後のことだ。こうなった以上、明日の……いや、今日か……今日のマリンディ襲撃作戦は中止するしかないな」

 船内に忍び込んだ佳は俺たちの機密情報をつぶさに収集したはずだ。その中にはマリンディに関するものも含まれるだろう。当然、アレカシは何かしらの対策を打ってくる。それでは意味がないのだ。あいつらに勝利するには、俺たちは一寸の隙もない完璧な作戦で臨まないといけないのに。

 ……襲撃先をマリンディから変更しようか。そうすると今度はラム港あたりが狙い目か。モンバサやマリンディに比べると規模が小さい気がするが……。

 俺が憮然と思い悩んでいるとマルガが唐突に申し出る。

「なあ、ちょっと提案なんだが、陸地からケニアを攻めるってのはどうかな」

「……陸地?」

「うん、今までお前はイリス号に乗って、海からモンバサに攻め込んでいたんだよな。マリンディでもその方法を踏襲する予定だった。ならばアレカシは俺たちが常に沿岸部の都市を標的にしていると思い込んでいるはずだ。ここで俺たちが陸地からケニアに侵攻すれば奴らの意表を突くことができるんじゃないか」

 なるほど、そういうことか。アレカシが沿岸部に気を取られているうちにケニアの陸地の拠点を脅かす。あいつらさえ出てこなければ、ケニアの戦力などたかが知れている。赤子の手をひねるように俺たちはその拠点を制圧できる。

 しかし、と俺は思う。この作戦には結構なリスクが付きまとう。

 ドーグマンは伝統的に船舶を用いた急襲作戦を得意としている。だから、その方面の戦術知識は豊富であるし、兵器も充実している。その証拠として、ケニア侵攻戦における当方の人的被害は、初戦を除けば極めて少ない。作戦遂行が無理と判断したら、すぐにイリス号に兵を撤退させているためだ。ひとたびイリス号に乗り込んでしまえば、後はこちらのもの。イリス号の優れた推進力で海上に逃れてしまえば、ケニア方の追撃は難なくかわせる。

 陸地での作戦となるとこうはいかない。もし陸地の奥深くで敵に包囲でもされたら完全に逃げ場を失う。下手をすれば俺も含めて全員が壊滅する恐れがある。

「発想としては悪くないのだがな。どうにもリスクが大きすぎる」

「――よし、じゃあこうしよう」

 マルガが俺の言葉にかぶせるように言う。

「俺が先遣隊になるってのはどうだ? 俺が先頭で周囲の状況を確認しつつ進軍し、何か異常があればお前にすぐに連絡する。これなら万が一敵と鉢合わせになっても、俺がそいつらを食い止めているうちにお前は撤退できる」

「いいのか!? それではお前に危険が集中することになるが」

 マルガが爽やかにほほ笑む。

「いいんだよ。ドーグマンの理想を追うお前にとって、この戦いは最大のチャンスなんだろ。だったらお前は何が何でも手柄を立てなきゃならない。そんなお前の役に立てるなら俺も本望というものだ」

 ……フン、くさい台詞を吐く奴だ。だが、そこまで言われてしまっては俺も乗り気にならずにはいられなかった。

「よかろう。お前の提案を採用してやろう。部隊を再度編成して準備を整えたら、陸地からケニアに侵攻する。励めよ、マルガ!」

「ああ、わかった。一緒に頑張ろう!」



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爆走対決

 車窓からの景色は実に荒涼としたものだった。

 見渡すかぎりのステップ地帯。黄褐色の土が露出する地面に、背の低い草がまばらに生える。目に留まるものと言えば、ぽつぽつと点在する木々だけで、人家のような建物はまったく見かけない。

 そんな大地を斬り裂くように走る一本の道を、俺たちの乗るトラックはひたすら進んでいる。未舗装の道路はところどころが凸凹になっていて、座席には断続的に振動が伝わってくる。道は地平線に至るまで延々と続いている。

 ここはケニア東部の行政区画ガリッサ県。ソマリア‐ケニア間の国境を越えてすぐの地点だ。俺たちはついに陸地経由でケニアに足を踏み入れたのである。

 といっても、国境を越えること自体にあまり苦労はなかった。ドーグマンの偉大な理想は世界規模で広まっている。当然、ケニア警備兵の中にだってドーグマンメンバーは存在する。そして今日こそまさに、彼らが国境警備を担当する日だったのだ。俺はこのタイミングに合わせて国境越えを決行。彼らが手筈を整えてくれたお陰で、俺たちはまったく怪しまれずに国境を通過できた。

 移動手段としては民間の大型トラックを利用している。キャビンには俺と運転手の兵士だけが乗り込み、残りの兵士たちは荷台だ。彼らには荷台の上でシートを被って身を隠すように指示している。途中でケニアの民間人に遭遇しても、トラックが普通の荷物を運搬していると誤解させるためだ。

 携帯している無線機に受信が来た。先遣隊のマルガからだ。

「こちらマルガ。ホーゲン応答せよ」

「こちらホーゲン、どうぞ」

「たった今、リボイに到着した。頻繁に民間人に出くわすが、特に俺たちのトラックを不審がっている様子はないな。俺はこれからどうすればいい? どうぞ」

「そうか、狙い通りだな。よし、お前はどこか目立たない場所で待機していろ。俺が合流したら一斉に制圧行動を開始する、どうぞ」

「マルガ了解、以上」

 リボイとはここから五キロメートルほど先にある町であり、ケニアの中では最辺境の市街地の一つだ。陸地からケニアに侵攻するにあたり、俺は手始めにリボイを制圧しようと考えていた。ゆくゆくはそこを拠点にして、西のダダーブ、さらにその先の県都ガリッサに進軍する予定だ。

 俺は頬杖をついて、助手席の窓から過ぎ行く風景を眺める。作戦は万事うまく運んでいる。マルガが先行して状況確認しているため、俺は余裕をもって進軍できていた。

 ふと感じる。マルガは随分と頼もしくなった。

 あいつが先遣隊を務めると提案してきたとき、俺は素直にうれしかった。先遣隊には誰よりも先に危険が及ぶ。もし敵の襲撃に遭えば命を落とすかもしれない。しかし、たとえ戦死したとしてもその死には尊ぶべき価値がある。なぜなら、それはドーグマンの理想に対する殉死であるためだ。殉死兵の名は、理想実現の過程で散った命として永遠に記憶されるだろう。マルガはその役目を進んで引き受けたのだ。思えば、あいつの戦術は手堅いが、それが原因で勝負どころで押し切れず機を失することが多かった。俺はそれをとても歯がゆく感じていたものだ。そんなあいつが自ら先遣隊に名乗りを上げたのは紛れもない成長の証だ。行動隊長という立場になって、あいつもやっとドーグマンの戦士としての気概を獲得できたのかもしれない。

 

「――ホーゲン様! あれを……あれを見てください!」

 不意に、隣の運転手が突拍子もなく大声を上げる。

「どうした、うるさいな」

 作戦中に冷静さを失うとは情けない。俺は辟易しながら運転手の視線の先に目を遣る。

 トラックのはるか前方の道路。そこに四台のバイクが見えた。バイクは道を塞ぐように横一線に並んでいて、こちらに向けて猛烈な勢いで走ってくる。それぞれの外装は、赤青黄緑というどこかで見たような配色で塗装されている。それにまたがる人間のスーツもこれまた同じ配色で……。

 俺は運転手が狼狽している理由にようやく合点がいった。

「あれはアレカシ!? なぜ奴らがここに!?」

 トラックとバイクの間の距離は刻一刻と縮まっていく。考えている暇はない。早急にこの状況から抜け出さなければならない。

「おい、Uターンだ。来た道を引き返せ。早くしろ!」

 運転手は慌ててハンドルを急旋回させる。キキィーという不快なタイヤの摩擦音とともに、トラックの巨体が一回転する。すさまじい遠心力が身体に作用して、俺は危うく車内で滑り出しそうになる。トラックの向きが真逆になると、次に運転手はアクセルを一気に踏み込んで急加速する。今度は後ろに飛ばされそうになるくらいの慣性が働いた。

 運転手の巧みなハンドルさばきによりトラックはどうにか安定走行するようになる。やれやれ、何とか態勢を立て直せた。俺は窓に身を乗り出して後方を確認する。アレカシはトラックの後方から二十メートルほど離れたところを走っている。まだ追い付かれることはなさそうだ。

「お前はこのまま全速力で運転していろ。絶対にスピードを落とすなよ」

 運転手に命じた俺は助手席側のドアを開け放つ。そこから荷台のほうに飛び移る。

「お前たち、起きろ。アレカシが現れた。武器を準備して応戦するぞ!」

 シートに隠れていた兵士たちに指示を飛ばす。すでに異常を感じ取っていたのだろう。彼らはシートを蹴飛ばして続々と姿を現し、アサルトライフルを手に取る。

「タイヤを狙ってパンクさせろ! そうすれば奴らも追って来れまい」

 俺の助言に従って、兵士たちはバイクのタイヤ付近を目掛けてライフルを発射する。けたたましい銃声を鳴らしながら、数多の銃弾がアレカシに襲い掛かる。

 銃弾のいくつかはタイヤからそれて地面にも着弾する。そのせいで土煙が巻き起こり、アレカシの姿は一瞬視界からかき消される。だが奴らは土煙を颯爽と突っ切って、なおもしつこく追いかけてくる。

 ……俺の見立てではかなりの数の銃弾がタイヤに命中していたはずだ。それなのにタイヤはほとんど無傷で、バイクの走行に何ら支障を来していない。認めたくないが、あのバイクもまたアレカシのスーツと同等の防御力を備えているらしい。

 どうやら再びあの武器に頼るしかないようだ。俺は誰ともなしに命令する。

「ロケットランチャーだ。ロケットランチャーを俺に貸せ!」

「ハッ、こちらです」

 兵士が持ってきたロケットランチャーを俺はひったくるように受け取り、手早くアレカシに弾頭を向ける。

 バイクもろとも木っ端微塵にしてくれる。

 俺が引き金を引こうとしたまさにそのとき、トラックの荷台の下からパンという破裂音が鳴った。それと同時にトラックの車体が跳ねるように縦に大きく揺れる。俺は衝撃に足をとられて、ロケット弾をあらぬ方向に発射させてしまう。弾はアレカシから大きく外れて飛んでいき、遠くの草原で爆発した。

 今のは一体何だ?

 動揺する俺をあざ笑うかのように、荷台が小刻みにガクガクと振動し始める。俺は運転席に怒鳴った。

「何をしている! ちゃんと運転しろ!」

「違うんです。急にハンドルが効かなくなって……」

 運転手が弱々しく弁明する。嘘をついている様子はない。もしかしてタイヤがバーストでもしたのか。そのせいで車体が制御を受け付けなくなったのか。

 やがてトラックは蛇行しながら走行するようになり、俺たちは荷台に立っているのもおぼつかなくなる。このままではトラックが横転してしまいそうだ。

「やむを得ん。皆、荷台から飛び降りろ!」

 兵士たちが我先にと荷台から飛び降りる。衝撃を和らげるため、皆が受け身を取って着地する。最後に俺も続いた。

 着地して振り返ると、トラックがさっきよりもさらに大きな弧を描きながら右に左に曲がりくねって進んでいるのが見える。ほどなくしてトラックは道端に生えた一本の樹木に激突して大破した。飛び降りるのが少しでも遅れていたら、俺たちもあれに巻き込まれていただろう。

 しかし俺に安堵する余裕はない。周囲を見渡すと、アレカシが俺たちを取り囲むようにして旋回しながら走っている。俺たちにもはや逃げ場はない。そして、バイクを操るアレカシにこんなに接近されてしまってはロケットランチャーも使えない。

 願わくはこの状況がどうか夢であってほしい。俺は益体もなくそんなことを思った。だが現実は冷酷だ。アレカシは手を使って互いに合図をしたかと思うと、俺たちに向かって一斉に突撃してきた。

「み、皆の者、迎え討つのだ!」

 俺は必死に兵士たちを統率しようとする。だがもう無意味だった。彼らは絶望的な状況におろおろと取り乱すばかり。アレカシはそんな彼らの間を縫うように走り回り、数人単位のまとまりに分断する。兵士たちの連携は完全に断たれた。アレカシはいよいよバイクから降り立ち、仕上げとばかりに肉弾戦を仕掛けてくる。兵士たちは奴らに難なく各個撃破され、一人また一人と倒れていく。

 くそっ、どうしてこうなったのだ。侵攻経路を海上から陸地に変更したことでアレカシを出し抜けるはずだったのに。

 仕方がない。俺の部隊がここで壊滅するとしても、せめてリボイだけは陥落させよう。先遣隊のマルガに単独でリボイを襲撃させるのだ。少人数のマルガ部隊だけで対応できるか不安だが、ここまで来たのに何もせずに終わってなるものか。俺は無線機に声を送る。

「こちら、ホーゲン。マルガ応答せよ!」

 ……返事がない。いや違う。微かだが、むせび泣くような声が聞こえる。

「……こちら……ルガ……ホーゲン、すまな……俺は……お前をっ……」

「マルガ? おい、マルガ、応答しろ!」

「そいつはできねえ相談だな!」

 この返事は無線機からではない。はっとした俺の目に映ったのは、眩しい黄色のバイク。それが俺に向かって一直線に迫ってくる。乗っているのはもちろん黄金の佳だ。バイクが俺の隣を過ぎ去ろうとするタイミングで、佳は俺に向かって跳躍。奴の大柄な体躯がバイクの速度を伴って飛んでくる。俺は避けきれず、仰向けに押し潰されてしまう。身動きが取れなくなった俺に対し、続けざまに佳は腹部を狙って強烈に片肘を振り下ろす。

「ゲハッ……」

 奴の肘はこれ以上ないほど的確に俺の鳩尾(みぞおち)を貫く。内臓を吐き出すのではないかと思うような壮絶な苦しみが俺を襲う。俺は腹を抱えて、ただただ悶絶するばかりだ。

 勝敗の行方などもうどちらでもよかった。早く、早くこの地獄から解放してくれ。俺の思考はその一点のみによって支配されていた。



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事の真相

 完敗。

 先の戦闘の結果を表現するとしたら、この言葉しかないだろう。俺たちはアレカシに完膚なきまでに敗れた。何しろ行動隊長たる俺自身が敵に身柄を拘束されてしまったのだから。俺だけは逃げ延びることができた製油所の戦闘とは、根本的に事情が異なっていた。

 俺はこれからどんな仕打ちに遭うのだろうか。格好悪いことだが、俺がまず関心を持ったのはそこだった。戦闘中のアレカシは鬼畜のような強さを誇る。奴らの手に落ちたとなれば、ただで済むとは到底考えられない。長時間に及ぶ拷問により組織の秘密を自白させられた後、身体を八つ裂きにされて処刑される。そんな最悪のシナリオを、俺は真面目に想像していた。

 ところが、現実はまるっきり違っていたのである。

「ホーゲンさん、今から傷の手当てを行いますので安静にしていてくださいね」

 佳の肘打ちを食らい悶絶していた俺は数分後にようやく落ち着きを取り戻した。そんな俺を急いで介抱してくれる者がいた。深みのある緑色のスーツを着こんだ人物。翡翠の志だ。奴は手慣れた手つきで俺の傷の治療を始めたのだ。

「他の兵士さんも我が社の衛生兵たちで救護しています。重傷の方は何人かいますが、幸い死者は出ていません。きちんと治療を行えばじきに回復します」

 これもその通りだった。周囲を見渡すと、アレカシの仲間と思われる連中がドーグマン兵士たちの治療をしている。彼らはアレカシとは違って、全員が迷彩柄の作業服に身を包んでいる。服の肩につけられたワッペンには、「YDC」というアルファベット三文字が縫い付けられている。アレカシの所属会社である八ツ森防衛、その略称と思われる。

 俺は自分が置かれている状況を全然飲み込めずにいた。だから、とりあえずその疑問をぶつけてみる。

「……貴様、なぜ俺たちを助ける?」

 俺の質問に志は首を傾げる。

「なぜと訊かれても返答に困りますね。傷ついた方々を助けるのに理由なんて要るんですか?」

 どうやらこいつにとって、負傷者を敵味方問わず救護するのは至極当然のことらしい。そう言えば、アレカシと初めて遭った時、こいつは気になることを口にしていた。「世界の平和を守るために戦う」とか何とか。たぶんその理念に従った結果の行動がこれなのだろう。苦しんでいる人を見かけたら手を差し伸べずにはいられないというわけか。

 フン、甘いな。目の前の少数の人間を救ったところで一体何になる。世界各地では権力者どもの悪政のせいで、毎日大勢の人間が紛争や飢餓で死んでいるのだ。それと比較すると、こいつの努力などほんの気休め程度にしかならない。本気で世界平和を目指すというなら、諸悪の根源である権力者を撲滅すること。そうして社会の構造をまるごと変革する以外に有効な手立てはない。

 俺はこいつに文句の一つでも言ってやりたくなった。

「それは違うぞ」

 そうだ、違う。よくぞ言った。え?

 俺の先手を取るように誰かが会話に割りこんできた。見ると、近くに蒼穹の礼の姿があった。隣には黄金の佳も引き連れている。

 礼は志をたしなめるように言う。

「ヒース、君が個人的にそうした信条をもって仕事に励むのは別に構わない。ただ、それを誰彼構わずに言いふらすのは感心しないな。あたかも俺たちの総意であるかのように受け取られてしまう。いいか、俺たちがドーグマンを救護する理由はあくまでも契約に基づくものだ。ケニア政府からは彼らの殺害を極力控えるように要請されている。ドーグマンを刑事事件の犯罪者として法廷で裁きたいというのがケニア政府の意向だからな」

「……あ、えーと……そう言えばそうでした」

 志は気まずそうに俺に顔を向ける。

「ホーゲンさん、そういうことらしいです。誤解させてしまって申し訳ないです」

 ぺこりと丁寧に頭を下げる。

 ……何なのだろう、こいつらは。妙に調子が狂うな。

 俺は自分が議論を吹っ掛けようとしたことも忘れ、ただ呆然としているしかなかった。

 

 礼と志のやり取りは続く。

「ところで、ソウキはどうして僕のところに? 確か、破損したトラックの撤去作業をしていたはずですよね」

「ああ、その件はほぼ片付いたんだ。それで、グレンに被害状況を報告したいんだが、あいつがどこにも見当たらない。オウゴに聞いても知らないとのことでな。ヒースは何か知らないか」

「うーん、僕もグレンは見てないですね」

 奴らの会話中に出てくるヒース、ソウキ、グレン、オウゴという語句。何を意味するのかと思っていたが、大体察しがついてきた。奴らのチーム内での呼称だろう。さしずめ

 グレン=紅蓮(()()())の阿

 ソウキ=蒼穹(()()()ュウ)の礼

 オウゴ=黄金(()()()ン)の佳

 ヒース=翡翠(()()イ)の志

といったところか。どうやら蒼穹の礼は紅蓮の阿の行方を知りたがっているようだ。

「誰も見ていないってことはひょっとして……」

「――ハッハッハ!」

 傍らにいた佳が急に高笑いする。

「またあいつサボりやがったな。つまり、今日もソウキがあいつの尻拭いをするってわけだ。お前って本当にいいように使われてるな。同情するよ」

 佳は礼の背中をポンポンと馴れ馴れしく叩いている。礼はそれを気にする風でもなく、呆れた調子でため息をつく。

「ふむ、まったく困ったものだな。グレンには、任務に対してもっと真面目に取り組んでほしいのだが。……まあいい。もう過ぎたことだ」

 礼は吹っ切れたように機敏に動き出す。

「ヒース、この場は君に任せる。俺とオウゴは先にリボイの空港に行って輸送機の手配をしてくる。グレンがいないのなら捕虜の搬送に手間取る可能性があるからな」

「了解です。ホーゲンさんたちの手当てが終わり次第、僕も引き上げます」

 

「待て!」

 俺は、立ち去ろうとする礼と佳を語気荒く引き留める。こいつらにはどうしても聞いておきたいことがあるのだ。

「ひとつ聞かせろ。貴様ら、なぜ俺があのトラックに乗っていると知っていたのだ」

「お!? ようやっと聞いてきたか。やけに大人しいから心配してたんだが、やっぱり気になってたんだな。いいよ、教えてやる」

 俺の尋問に、佳が待っていましたとばかりに食いついてくる。

「おい、オウゴ。今はそんな暇は……」

 佳は礼の制止も聞かず、俺に語り出す。

「とは言っても、あんたも大方察しはついているんだろう。あんたの仲間に内通者がいたんだよ。そいつからあんたがトラックを使ってリボイに向かうっていう話を聞いたんだ。で、その内通者ってのが……」

「マルガ、か」

 自分でも驚くほど落ち着き払った声で俺は言う。

「ご明察! ククッ、分かっているじゃないか」

 佳は勝ち誇るように得意気に頷いた。

 ……やはりそうだったのか。俺は自分の心がどんどん沈み込んでいくように感じた。

 アレカシがリボイに向かう途中の俺を待ち伏せしていたこと。トラックが高速走行中にタイヤがバーストしたこと。これらに関する仮説を俺はずっと考えていた。

 アレカシが国境越え作戦の全容を知っていたのは明白だ。四人全員がバイクまで用意して俺のトラックを待ち伏せていたのだから。奴らはどこからその情報を入手したのか。本作戦はもともとマルガの提案から始まった。その後は俺とマルガの二人で秘密裏に計画を進めており、兵士たちに作戦内容を通達したのは決行直前だ。もし作戦の内容が誰かから漏えいしたとなれば、俺を除外すると、残るはマルガしか考えられないのだ。

 そうすると、アレカシから逃げる際にタイヤがバーストしたのもマルガの仕業なのだろう。高速走行したらバーストするように、あらかじめタイヤに細工を施しておいたに違いない。

「貴様、一体マルガに何をしたのだ」

「別に大したことはしてねえさ。ちょっとした交渉を持ちかけただけさ」

 佳はまったく悪びれずに答える。

「儂はドーグマン攻略の突破口を見つけようと、あんたらの内情を色々と調べていたのさ。そんな中で目に留まったのがマルガだ。ちょうどキスマヨであんたの船に忍び込む直前だったかな。儂はあいつに接触して、あんたを罠に陥れるように持ち掛けた。『これから自分はホーゲンの船で騒ぎを起こす。お前はそれを口実に、ホーゲンが内陸部に向かうように誘導しろ』ってな。あの野郎、裁判で責任を追及されたり、組織から報復されたりするんじゃないかと恐れて、はじめは渋っていやがった。でも、可能な限り減刑することと、社会復帰にあたり個人情報を書き換えることを約束したら、あいつはあっさり乗ってくれた。まあ、それ以外にも、ちぃとばかり痛い目に遭わせちまったけどな」

 すべては佳とマルガの共謀。しかも、イリス号侵入事件のときから謀略は既に始まっていたというのか。マルガが先遣隊を買って出たのも俺を罠にかけるための布石だった。俺はそうとも知らず、マルガが成長したとひとり小躍りしていただけだった。

「話は済んだか。では、ここに長居は無用だ。行くぞ、オウゴ」

「へいへい」

 礼と佳は、俺が無言になったと見るや、さっさとその場を立ち去っていく。俺はもう奴らを呼び止めたりはしない。俺はいたたまれない気持ちで頭がはち切れそうだった。

 マルガが優れた行動隊長に成長するように、俺はあいつにドーグマンという組織の仕組みや歴史を徹底的に教え込んできた。だから、あいつはドーグマンの理想をしっかり理解していたはずなのだ。それなのに、あいつはアレカシにその身を売った。そのときの要求と言ったら何だ。刑を軽くしてほしい? 安全に社会復帰させてほしいだと? 何とも浅はかで自己中心的に過ぎるではないか。そんな下賤な要求が満たされただけで、マルガはドーグマンの崇高な理想をやすやすと放棄したのだ。それは俺の善意を踏みにじる行為であり、ドーグマンに対する最大級の冒涜だ。

 許さぬぞ、マルガ! この屈辱、いずれ必ず晴らしてやる。

 俺の闘志が再び燃え出す。こんなところで終わるわけにはいかない。何とかしてこの窮地を脱しなければ。しかしどうすればいい。身に着けていた武器や通信機器の類は手当ての間に没収されてしまったようだ。これでは実力行使に及ぶことはできそうもない。

 俺は自分の胸元へと視線を移す。俺の名前が刻まれたIDタグが、チェーンを通して首から提げられている。上下に分割可能な一枚式のものだ。……もうこれしか残っていないか。まさか、これを使う日が来ようとはな。

「……さてと、これでおしまいです」

 志が明るい口調で告げる。俺の治療が済んだらしい。

「ホーゲンさん、目立った外傷については応急手当をしておきました。でも、まだ安心はできません。内部で出血していたら大変ですからね。特に腹部の打撲は内臓が損傷している可能性もあります。詳しいことは搬送先の病院で精密検査を受けてもらいます」

 志は手近なところにいた衛生兵に声を掛ける。

「すみません、ホーゲンさんのことをお願いします。僕は他の負傷兵を診ますから」

 志は慌ただしく俺のもとを離れる。好機到来だ。俺はすかさず胸元のIDタグに両手を伸ばし、上下に分割するべく力を込める。

「ん? おい、何をしている!」

 衛生兵が俺の行動に気付き、駆け寄ってくる。だがもう遅い。

 俺はひと思いにタグをへし折った。瞬間、頭の中で電光がカッとほとばしるような感覚を覚える。その直後、俺の世界は跡形もなく消し飛んだ。



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復活

 目を開けたら、私は見知らぬ部屋のベッドの上で横になっていた。

 肌に触れる空気がひんやりと冷たい。冷房がかなり効いている。部屋には私以外に誰もいないようで、不気味なほど静かだ。

 おもむろに身体を起こす。すると、違和感に気付く。身体中のそこかしこから無数にケーブルが伸び出ているのだ。それらを辿った先にはコンピュータと思われる筐体がある。

 ここはどこだ。なぜ私はここにいる。そもそも私は誰なのだ。とめどなく疑問が浮かぶが、私はそれに対する解答を持ち合わせていない。

 ――ガチャン。

 突如として、部屋の隅のドアが開け放たれ、一人の人間が入ってくる。その人間はネクタイを締めたワイシャツの上から白衣を羽織っていた。私に対して気安く話しかけてくる。

「お目覚めになられましたね、ホーゲンさん」

 ……ホーゲン? もしかして私のことだろうか?

 私が咄嗟に反応できずにいると、彼はただちにそれを察したようだ。

「ふむ、どうやらまだ記憶が混濁していますね。少しじっとしていてください」

 彼は私の身体からケーブルを手際よく取り外していく。そうしながら、噛んで含めるように話し始める。

「いいですか、あなたの名前はホーゲン。世界的に活動する武装組織ドーグマン、その東アフリカ戦線の行動隊長です。あなたはドーグマンの掲げる『世界人民の解放』という理念を実現するために粉骨砕身の努力を重ねてきました。その甲斐あって、あなたはケニア侵攻戦の先鋒という大変誉れ高い任務を与えられます。ところが、そこに邪魔者が現れます。奴らの名前はアレカシの疾風。八ツ森防衛というPMSCに所属する戦闘部隊です」

 ――アレカシの疾風!? その名を聞いたとき脳の全神経が直結するような感覚が生じる。モガディシュ近海での海上警備、首領との謁見、モンバサ製油所襲撃、イリス号の侵入者騒ぎ、陸路からの国境越え。一連の記憶が走馬灯のように駆け巡る。

 俺はすべての事態を理解した。

「……思い出したぞ。俺はホーゲン。ドーグマンの行動隊長。俺は東アフリカ戦線の司令官の座を懸けてケニアに攻め込んだが、アレカシの妨害で作戦は思うように進まなかった。そして、ついにリボイ襲撃に向かう途中で奴らに捕縛されてしまう。連行されるのを恐れた俺は……」

 俺は白衣の人間の目を見る。

「IDタグをへし折って自爆した」

「その通り。ちゃんと思い出せたようで何よりです」

 ケーブルの最後の一本が引き抜かれる。俺は、自由になった身体のあちこちを手で触れて、その感触を確かめる。

「……俺は生き返ったのか」

「その言い方は推奨しませんね。あなたはそもそも死んでいない。たとえ生来の身体が消失したとしても、あなたの意識はこうして新たな身体に宿ったのだから」

「では……」

「ええ、そうです。転送は成功しました」

 彼はそこで初めて笑顔を見せる。俺は自分に訪れた奇跡に深く感謝した。

 

 精神転送。これが俺を窮地から救い出してくれた技術の呼称だ。人間の意識を生来の肉体から分離して、新たな器に定着させる技術である。

 首領がドーグマンの組織改革に邁進(まいしん)していた頃のこと。兵器調達を任されていたラーゲルは、通常の火器とは別に、人体改造に関する技術情報を多数仕入れてきた。サイボーグ化や遺伝子操作などの手術によって身体能力を飛躍的に向上させようというものだ。ラーゲルはドーグマンの軍事力増強に役立つとして、首領に対してそうした技術を熱烈に勧めた。

 首領は採用すべきか大いに悩んだらしいが、結局いずれも見送った。技術発展の先行きがあまりにも不透明だったためだ。人体改造は、当時はもちろん現在でさえ、いまだ開発の途上にある。多額の資金投資が必要とされる一方で、それに見合うだけの成果を得られる確証がなかった。

 加えて、首領が恐れたのは社会の倫理的規範に抵触することだった。首領は、ドーグマンが勢力を拡大するためには、単に武力に頼るだけではなく世間の人々から広く支持を集めなければならないと考えていた。人体改造の是非は、社会的に見てまだ十分に議論がなされていない。それを待たずに改造手術を断行したら、必ず世間から反感が巻き起こると予測したのだ。

 首領が断固として採用を拒否した以上、メンバーはそれに賛同するしかない。技術を持ち込んだ張本人であるラーゲルも渋々その決定に従った。

 だが俺は内心そうした技術を見逃すことが惜しいと感じた。ドーグマンが打倒すべき権力者は世界各地に多数存在する。その中には先進国と呼ばれる国家も含まれる。総戦力的には敵の方がはるかに我らを凌駕している。今後奴らと長きに渡ってやり合うためには、常識にとらわれない革新的な秘策が必要だ。それが不利な戦局を覆す一手になるだろう。

 俺は組織に無断で人体改造手術を利用する決心をした。とは言うものの、サイボーグ化や遺伝子操作などは気が引けた。そうした手術を我が身に施したら、外見があからさまに変化して、俺が禁令を破ったことが即座に発覚してしまう。

 そこで俺は精神転送に目を付けた。人間が死亡した後に、本人と瓜二つの人型機械に生前の記憶を移植するという技術だ。ラーゲルが仕入れてきた数ある改造手術のうちで、これは最も実用化から遠かった。しかし、これならば他の者に発覚する心配はない。手術しても外見にほとんど変化が起こらないからだ。万が一命を落としたときの保険として、俺はこの手術を受けることにした。

 俺は任務の合間を縫って、精神転送技術の開発会社に赴いた。会社所在地は南アフリカ共和国のケープタウン。この国家の貧富格差はアフリカ大陸の中でも群を抜いている。ドーグマンの理想に照らせば文句なしの攻略対象であるが、このときばかりは敵愾心(てきがいしん)を封じて目的地を目指した。会社は超高層ビルが立ち並ぶオフィス街の中心部にあった。一見したところ、危険な技術開発を行っている場所とは思えなかった。受付に申し出ると、担当者を連れてくると対応してくれた。そうして引き合わされたのが、この白衣の人間だった。名前は知らない。一度も名乗られた覚えがなかった。

「いやはや、それにしてもあなたには驚かされました。まさか自らタグをへし折ろうとは。私どもとしては、あれは単なる死亡確認用の道具に過ぎなかったのですがね。あんな使い方をしてくるとは思ってもみませんでしたよ」

 ああ、そのことか。白衣が面白そうに語る内容を、俺は遠い昔の出来事のように振り返る。

 あの二枚式のIDタグは、手術が無事に終了して会社を後にするときに、こいつからもらい受けたものだ。組織から支給された俺の古いタグに、外見を似せて製造したらしい。新しいタグには超小型発信機が埋め込まれており、タグ一枚を折り取ることで作動するようになっている。要するに、俺が戦死して、誰かが遺体の身元を報告するためにタグ一枚を回収すると、会社宛てに信号が発信されるということだ。会社はその信号の受信をもって俺の死亡を確定し、精神転送を開始する。その際、機密保持のためにもともとの肉体は爆散するように手術したから、くれぐれも注意してほしいとのことだった。

 俺は、本来は死亡を事後的に判定するためのタグの性質を逆手に取って、精神転送作業を意図的に開始させたのだ。ただ、精神転送が成功する確率は非常に低い。もし転送が失敗した場合は単なる自殺行為でしかない。俺はわずかな成功の可能性を信じて、賭けに打って出た。

 思い返すと、我ながら大それた真似をしたものだ。だがその決断によって、俺は今こうしてここにいる。俺は賭けに勝ったのだ。そう考えたら、俄然やる気が湧いてきた。

 俺は重たい身体を動かしてベッドから足を下ろす。

「おや、もしかしてもう出立するおつもりですか?」

「ああ、悪いが急いでいるのでな。ここは、あのときの会社のどこかの一室なのだろう? つまり、俺は今、南アフリカにいる。こうしてはいられない。早速ソマリアに戻って戦いの準備を始めなくてはならない」

 ベッドの近くにある手すりに手を置き、立ち上がろうとする。そうしたら、何も力を入れていないのに手すりが粉々になり、俺は危うく倒れそうになった。

「こ、これは!?」

「フフ、初めは誰でも驚きますよね」

 白衣は俺の驚く様子をニヤニヤしながら見ている。

「そうです、これこそがあなたの新しい身体の能力です。発揮できる力は生身の頃の数倍以上。あなたは見事にアンドロイドとして蘇ったのです。なに、ご心配には及びません。すぐに力の入れ具合は分かります。そうそう、出立するというなら、これを渡しておかねばなりませんね」

 白衣は胸元から封筒を取り出し俺に手渡す。

「はい、どうぞ。今回の報酬です。小切手が入っています」

 そういえばそうだった。ラーゲルのもたらした技術の中で精神転送が異例だったのは、契約満了時に報酬を獲得できるということだった。この手術は実験も兼ねているらしく、その被験者代とのことだった。

「だが本当にいいのか。転送は成功したのだから別に……」

「そんなことをおっしゃらずにぜひ受け取ってください。こうして実際に報酬を手渡せるのはあなたが初めてなのですから。これは一種の罪滅ぼしでもあるんですよ。今までにも大勢の方にご協力いただきましたが、全員が報酬を得ることなく帰らぬ人となってしまいました。彼らのことを思うと心が痛みます」

 そう言いつつ白衣の顔からニヤニヤした表情は消えていない。本当に心が痛んでいるのか、甚だ疑問である。

「まあ、俺にとっても大金が手に入るのはありがたい。これからの生活は組織からの援助が期待できないからな。遠慮なくいただこう」

「ありがとうございます。それでは……」

 白衣は軽く咳払いして、演技じみた調子で高らかにこう告げる。

「さあ、いざご出陣なさい! あなたの崇高な精神は、それを宿すにふさわしい完璧な身体を獲得しました。今こそ宿願の目標を果たすときです。我々カレドミル・テクニカはあなたの新たなる船出をここに祝います!」



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岬にて

 岬の先端に立つと、身の引き締まる思いがした。

 夜明け前のハヌーン岬。辺りはひっそりとした暗闇に包まれている。眼前には壮麗なインド洋の海が広がっているはず。しかし今はまだ、微かに聞こえる波音だけがその存在を示すにとどまる。

 思いの外に風が強い。この時間、風は陸から海に向かって絶えることなく吹いている。その勢いたるや、俺を吹き飛ばして海に叩き落さんとするほどだ。半分寝ぼけていた頭はすっかり覚醒した。

 腰元の鞘からカットラスを引き抜く。カットラスは近世の時代までドーグマン戦士の正式な武装だった。右手にそれを持ち、剣先を前方に突き出す。左手は背中に当てる。膝に力を入れ過ぎないように注意して脚を前後に開く。

 深呼吸。神経を研ぎ澄ます。

 ――ビュン!

 スナップを利かせて下段から左斜め上に剣を振るう。風を切る音がうなりを上げる。間を置かずに前へ移動しながら、連続で斬撃を重ねる。

 足の踏み込み、剣先の軌道、いずれも悪くない。最初はただ歩いたり走ったりすることにさえ違和感があった機械の身体だが、ようやく慣れてきた。今はもう、生身の頃とまったく遜色なく剣を振るえる。

 ひと通りの基本動作が終了。ここからはさらに高度な剣技を扱っていく。身体が徐々に発熱していくのを感じた。

 

 毎日、夜明け前に武術の鍛練に励むべし。

 ドーグマンの規範の中でもとりわけ有名な一条だ。俺のような戦士はもちろん、そうでない者も含めて、メンバー全員に原則実施が義務付けられている。俺がこんな早い時間に岬にやって来たのはこのためだ。

 この規範はドーグマン草創期における先人たちの習慣が元になっている。

 ドーグマンが権力者打倒を目指すようになってからというもの、各地の政権や部族は彼らを恐れて監視の目を光らせ始めた。武器を携えている者を見つけては、ドーグマン関係者ではないかと容疑を掛けたのだ。その結果、先人たちは白昼堂々と武術演習ができなくなり、腕前は日に日に落ちるばかりとなった。苦肉の策として彼らが考え付いたのが、皆がまだ寝静まっている夜明け前に密かに鍛練することだった。その後この習慣は、メンバーが規則正しい生活を送る上でも有益だという理由で規範化され、今日に至るまで受け継がれている。

 実は組織の中ではこの規範を廃止しようという動きがあった。火器が発達した現代において、武術の鍛練をしても実際の戦闘には何の役にも立たないということらしい。いや、こんなふうに伝聞調で語るのは良くないな。何を隠そう、俺自身がそう主張してきたのだから。だが、今はこの規範のありがたみをしみじみと感じている。

 アンドロイドとして蘇った俺は、現在はソマリアの北部辺境に身を隠し、日々を粗末な小屋で過ごしながらアレカシの動向を探っている。ドーグマンの組織とは一切連絡を取っていない。一時は自分の生存を組織に伝えようとしたが、思いとどまった。今の俺の身体はそれ自体が対アレカシ戦における切り札だ。機械化により飛躍的に向上した戦闘能力は、アレカシに匹敵するどころか、それすら上回るだろう。このアドバンテージを最大限活用するには、奴らと対決する直前まで俺の生存を隠し通さなければならない。奴らに少しでも情報が漏れたら、何かしらの策を講じられる可能性があるからだ。俺は人や社会との接触を極力避けるようになった。それは俺にとって古巣の組織に対してであっても例外ではなかった。

 こうした生活は予想以上に堪えた。アレカシの動向を探ると言っても、ドーグマンの諜報網を利用できないため、情報はどうしても断片的なものに限られる。それらから奴らの行動を予測するのは至難の業だ。南アフリカから帰ってきた後、俺はまだ一度も奴らに相見えていない。一方で、戦争の形勢が確実にケニア側に傾いたのは分かった。二週間ほど前、ケニアはとうとうソマリアへと侵攻し、モガディシュやキスマヨといったドーグマンの拠点を次々に陥落させていった。既にソマリア南部のほとんどの地域からドーグマンは撤退している。ドーグマンが劣勢に立たされているのに、俺は救援に向かえない。俺は孤独感と無力感に苛まれながら、それでもドーグマンの一員であることを自負して、剣技の鍛練を続けていた。

 そしてあるとき、俺は天啓の如く悟ったのだ。この瞬間が俺にとって救いとなっていることに。夜明け前に遮二無二剣を振るっているときだけは、俺は他のメンバーたちと辛苦を共にできる。彼らも俺と同じように睡魔を払って寝床を出て、汗水を垂らしながら武器を振るっているはずだ。俺は今、世界中のメンバーと心を一にしていることをはっきりと感じられる。この確信こそが俺に無限の活力を与えてくれるのだ。たとえかつての仲間に裏切られたとしても、そして、独りアンドロイドとなって組織から離れているとしても、俺にはまだ同志がいる。俺は決して独りではないのだ。

 

 最後に締めの一撃として、跳躍して身体に捻りを加えながら剣を上段から一気に振り下ろす。風圧で土煙がブワッと舞い上がった。気付けば息が上がり、身体のあちこちの通気口からは熱気が排出されていた。

 呼吸を整えていると、彼方の水平線から光が差し込んできた。今までの暗闇が嘘のように晴れていく。姿を現した海原は水面で光を反射させ、コバルトブルーに輝き出す。

 海はいい。果てしなく広がる大海原を眺めていると、この世界には本来何も境界線がないことを実感する。この海はドーグマンの理想を体現している。愚劣な権力者どもが滅び去った社会とはきっとこの海のようなものなのだろう。

 そのときである。はるか遠くの上空を一機の輸送機が飛行しているのが目に入った。輸送機はここから見ても分かるほどの高速で移動していて、まもなく俺の視界から消えた。あの輸送機はまさか……。

「おーい、だんなー」

 間延びした声が俺を呼ぶ。一人の人間が岬の坂道を駆け足で登って来た。俺のもとに辿り着くと、そいつは息切れもせずに話し出す。

「旦那、見張りに出ている仲間からさっき連絡があった。ナイロビの空港から輸送機が出発したらしい。乗り込んでいるのはたぶんアレカシだろうってさ」

 この者はドーグマンの兵士ではない。傭兵だ。名前はジョージ。組織を離れて単独行動となった俺は、新たな労働力として傭兵を十数人ほど雇い入れたのだ。ジョージは彼らの中で最年長であり、まとめ役をしてもらっている。

「報告ご苦労。今しがた、この岬からも輸送機が北東の方角に飛んでいくのが見えたところだ」

「そうだったのか。なら話は早いな。……にしても、北東の方角か。ここからその方角にあるって言えばソコトラ諸島か? 一体何しに行ったんだ」

 ジョージはまるで見当もつかないというふうに疑問を口にする。

「何を馬鹿なことを。ソコトラ諸島にある場所と言ったら……」

 そこで俺ははたと気付く。そうか、こいつは知らなくて当然なのだったな。ついドーグマンの兵士を相手にしているつもりで話してしまった。気を取り直して説明する。

「奴らの向かった先はおそらく第十四基地。古くからドーグマンがソコトラ諸島に構えている秘密基地だ。アレカシはどこかからその所在を知って、これから攻め込みに行くのだろうな」

「おいおい、だとしたら一刻も早く俺たちも向かわないとやばいんじゃないか」

 そう言ってジョージは俺を急かすが、俺はむしろ内心ほくそ笑んでいた。

 第十四基地はドーグマンの秘密基地の中では最大規模を誇っている。警備に当たる人員も膨大な数に上る。さしものアレカシも攻略には多大な時間を強いられよう。ただちに出撃すれば、奴らが攻略にてこずっている間に俺たちが追い付く可能性は十分にある。

「よし、ジョージ、出撃の準備だ。今回こそはアレカシと直接対決することになろう。俺の用意した兵器は持てるだけ持っていけ。お前たちの腕にも期待しているからな」

「任せとけよ。報酬分はきっちり働かせてもらうさ」

 ジョージは来た時と変わらない軽快な足運びで走り去っていった。

 俺は北東の方角に再び目を向ける。その方角に肉眼ではさしたるものは何も見えない。だが俺にはソコトラ諸島の姿が、もっと言えば輸送機に乗って島に急行している四色のスーツの姿が、ありありと想像できた。

 ――待っていろよ、アレカシ。俺はもうかつての俺ではないぞ。貴様らに味わわされた屈辱の数々、百万倍にでもしてその身に叩き返してくれるわ!

 身体の通気口からは、火傷(やけど)するような熱気がなおも溢れ出ていた。



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岩窟

 船を飛ばしに飛ばして俺たちは第十四基地を目指した。組織を抜け出した俺の手元にもはやイリス号はない。俺たちが乗っているのは市販のスピードボートだ。これでもかなりの速力が出る。

 太陽が昇り日差しがギラギラ照り付けるようになった頃、島の陸地が見えてきた。島の地形は山がちで、ゴツゴツした岩肌が露出している。乾燥した気候のせいか、植物はほとんど生えていない。アブドゥルクーリー島。ソコトラ諸島を形成する中では最もソマリアに近い島だ。

 海岸線に近付く。強風の影響で波は高く、ボートが上下左右に激しく揺れ始める。気にせずに航行を続けていると、ひときわ峻険な地形が俺たちの行く手に現れた。垂直に切り立った岩山が海に面してそびえ立っている。まさに断崖絶壁。周辺には岩礁が点在し、ぶつかる波は怒り狂ったように荒れている。

 しばしボートのスピードを緩めて断崖を観察する。波間からで少々分かりにくいが、崖下部分に横穴が見え隠れしている。あれこそが第十四基地の港だ。横穴は海水に半没していて、あそこから船を入港させることができるのだ。そう、第十四基地とはこの岩山をまるごと利用した天然の城塞なのである。その構造にちなんで通称「岩窟」と呼ばれている。

 ドーグマンは長い歴史の中で世界各地に秘密基地を建造してきた。その数は全部で五百か所を超え、多くはこうした離島にある。岩窟は第十四基地の名の通りにドーグマン史上で十四番目に完成した、最初期の頃の施設である。ドーグマンの古い基地は敵の襲撃や老朽化によって廃棄されていくのが一般的だ。そうした中でも、岩窟は防衛上の好条件に数多く恵まれており、いまだに現役で活用されている稀有な例だ。今となっては過去の話だが、ソマリアを制圧してモガディシュに拠点を移す前は、この基地は東アフリカ戦線の最重要拠点として位置づけられていた。

 波が静まる頃合いを見計らってボートを横穴へと進ませる。横穴は意外なほど奥に広い。突き当たりには、洞窟としては不似合いな巨大な鉄扉があった。基地の入り口だ。入り口付近の岸には一隻のボートが停められている。

「見よ、アレカシのボートだ。奴らはまだ基地の中にいる。必ず追い付いて仕留めるぞ」

 ボートから降りた俺たちは速やかに装備を整え、敢然と突入を開始した。

 

 岩窟内部は通路が蟻の巣の如く張り巡らされ、複雑巨大な迷宮と化している。建造されてから現代に至るまで幾度となく増改築が繰り返された結果だ。初めてここを訪れたドーグマン兵士は帰って来れなくなると噂になるほどだ。幸い俺は任務で何回か訪れたことがあったので、内部の構造は大まかに把握している。焦る気持ちを抑え、記憶から正しい道順を導きながら進んでいく。

「なあ、旦那。ちょっといいか」

 俺の後に続くジョージが呼び止めてきた。

「何だ、こんなときに」

「いや、なんか随分と静かじゃないか。旦那の話だと、この基地は大勢の兵士が守りについているってことだったが」

 む? 言われてみれば確かにそうだ。静かすぎる。戦闘の痕跡もほとんどない。兵士の詰所と思われる部屋を覗き見ると、まるで最初から誰もいなかったかのように整然としている。アレカシに襲撃されているのにこれは妙だ。

 急に胸騒ぎがしてきた。俺が奴らに追い付けると信じた理由は、岩窟の優れた防御機能が必ずやアレカシを足止めしてくれると予想したからだ。だが蓋を開けてみれば岩窟内には人っ子一人も見当たらない。こんな状況ではアレカシはいともやすやすと進入できてしまうだろう。

 考えてみれば奴らが正面切って戦いを挑んできたことは一度たりともなかった。モンバサ製油所では俺たちを施設内で疲弊させた後に姿を現したし、ガリッサ県ではマルガから俺たちの作戦を聞き出して待ち伏せしていた。どれもこれも自分たちにとって有利な状況に持ち込んでから攻勢をかけている。ならば今回も、奴らは勝算が高いと見込んだ上で岩窟に攻め入ったと考えるべきだ。岩窟の異様なまでの静けさは、もしやそのことと関係があるのではないか。

 焦燥感に駆られ通路を疾走していると、通路の前方に人影を発見する。壁にぐったりと背をもたれて、ぴくりともしていない。身に着けているのはドーグマンの戦闘服。味方だ。急いで側に駆け寄った。

「おい、大丈夫か」

 そいつはゆっくりと顔を上げる。俺はあっと気付いた。

「ラーゲル様……」

「ん? ホーゲン……? ホーゲンなのか?」

 ラーゲルはまるで幽霊を目撃したかのように驚いている。実際、俺はアレカシとの戦闘中に爆死したことになっているだろうから、その反応はまさに文字通りのものと言える。しかし、そもそも精神転送はこいつが仕入れてきた技術だ。俺の生存の経緯を理解するのに、それほど時間はかからなかった。

「さては貴様、精神転送を使いおったな。何という不届き者だ。あの技術は首領が厳しく禁止されていたではないか。それを無視するとは首領を愚弄しているとしか考えられんな!」

 ラーゲルは憔悴(しょうすい)した様子にもかかわらず、いつになく声を荒げて俺に噛みついてきた。俺は咄嗟にそれをなだめる。

「落ち着いてください。首領の禁令を破って精神転送に手を付けたことは正直に謝ります。ですが、これはひとえにドーグマンの理想実現のためです。権力者との戦争はこの先ますます激化していきます。それを勝ち抜くためには、ラーゲル様がもたらしてくれた改造手術がどうしても必要だったのです。手始めに私はこれからアレカシを倒しに行きます。アンドロイドに生まれ変わった私であればきっと奴らとも互角に戦えるでしょう」

 俺はなるべく穏便に事情を説明した。ところがラーゲルは吐き捨てるような口調で応じる。

「貴様はいつもそうだな。何を主張するにしても二言目には『ドーグマンの理想』だ。それを持ち出せばどんな行為でも許されると思っているのか。この愚か者めが! 貴様が手段を選ばずに理想とやらを追い求めた結果として、我らは窮地に陥っているのだぞ。()()()()()()()られ、組織は大混乱。我ら東アフリカ戦線では離反者が続出し、岩窟の警備もままならない。どれもこれもすべて貴様の責任だ!」

 ラーゲルは恐ろしいほどの剣幕で俺に反論してきた。それに圧倒されて、俺は危うく、発言の中にある衝撃的事実を聞き逃すところだった。

「待ってください! 首領が……倒れた? そうおっしゃいましたか?」

 俺が聞き返すと、ラーゲルは思い出したようにようやく舌鋒を収める。そして今度は俺を冷然と見つめて言う。

「そうか、貴様は何も知らないのだな。ああ、そうだよ。首領が貴様の戦死報告を受けてすぐのことだ。首領は病の床に臥せるようになった。長年仕えた医師は、心労が引き金になって病気が発症したのではないかと診断していた。首領は、なぜか知らんが、大層貴様に目をかけておられたからな。貴様が死んだと知ってよほどショックだったのだろう」

「そんなことで、あの首領が病気になるなど……ありえない」

「そんなこと? 何を申すか。貴様は首領が何か魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類だとでも勘違いしておるのではないか。首領はすでにかなりのご高齢なのだぞ。いつ体調を崩されても全然おかしくない。それでも兵士たちの前に立つときは気丈に振舞っておられたのだ。俺は首領のお側にお仕えして、その苦労をずっと拝見してきた。首領をただ仰ぎ見るだけの貴様には皆目見当がつかんだろうがな」

「……」

「はぁ、どうして首領は貴様なんぞに入れ込んでしまわれたのだろうな。昔は違った。理想を奉じていても原理主義に傾倒せず、現実を見据えて組織を運営されていた。俺みたいな人間を積極的に使ってくれたのがその証拠だ。あのままの首領でいらっしゃったならば、貴様一人が死んだところで組織にとっては何の痛手にもならなかっただろうに……」

 俺はラーゲルの言葉を黙って聞いていることしかできなかった。

 ガリッサ県で精神転送するために自爆しようと考えたとき、首領に対する罪悪感は確かにあった。それは本当だ。首領は俺に東アフリカ戦線の司令官に就任してほしいと言ってくれた。その期待に俺は全身全霊をもって応えるつもりでいた。しかし、自爆してしまったら俺は表向きには戦死したことになる。それはすなわち、首領の期待を裏切ることではないのか。俺はあの一瞬のうちに自問自答を散々繰り返した。

 結局、俺は自爆という選択をした。首領は強靭な人間だ。ドーグマンの理想を胸に、落ち目にあった組織をほぼ自分一人の才覚によって再興させた。そんな首領であれば、俺が意に反する行動を取っても、まったく動じたりしないはずだ。そして相応の成果を残して戻ってくれば、きっと寛大な態度で迎えてくれると信じたのだ。

 だが、それは俺個人の勝手な幻想に過ぎなかった。首領は普通の人間だった。裏切られたら傷つくし、病気になったら寝込みもする。そんなか弱い人間だった。

 俺はラーゲルの側を離れておもむろに歩き出した。

「待て、ホーゲン。どこへ行くつもりだ」

「決まったことです。アレカシのもとへ行くのです」

「わからぬ奴だな。貴様はあろうことか首領に害をなしたのだ。たとえアレカシを倒せたとしても、もはや貴様が組織に復帰することは……」

「そんなことは重々承知している!」

 俺の怒号にラーゲルは静まり返る。俺は一言一句を噛みしめるように発する。

「私に残されたのは、機械と化したこの身体と、『世界人民の解放』という目標のみ。この道を貫き通すことが私の存在意義です。異論は認めません。何せ私はもう組織の一員ではないのですから」

「……貴様という奴はどうしようもない阿呆だな」

「ただ一つだけお願いがあります。私が無事にアレカシを撃破し岩窟の陥落を防いだ暁には、どうか私に首領への拝謁をお許し願いたい。首領には本当にお世話になった。だから、せめて首領を騙していたことだけでも謝罪したいのです」

 ラーゲルは無言のままだった。まあ、それもいいだろう。

 俺は再び決然と歩き出す。行く手の通路は二手に分かれている。俺は自分の記憶を頼りに左に進もうとした。

「ホーゲン、そこは右の道に進め!」

 ラーゲルが大声で知らせる。俺ははたと考え込む。

「確かそちらの道は行き止まりのはずでは」

「貴様のような下等兵には知れ渡っていないだろうがな、この岩窟には不意の敵襲に備えるために、各所に隠し通路が巡らせてあるのだ。岩窟を頻繁に訪れるような幹部ともなれば誰でも知っておる。それでな、そこから右に進んだ先にも一本の隠し通路がある。行き止まりの壁の隅が小さくくぼんでいて、そこにスイッチがあるはずだ。押せば隠し扉が作動して道が開かれる。隠し通路は岩窟の奥深くまで続いているから、進めばかなりの時間短縮になろう」

「……ラーゲル様、どうして」

「俺も好きで教えるわけではない。奥にはまだ、戦線の幹部たちが取り残されているのだ。もともと俺はあいつらと一緒にアレカシと戦っていたんだが、俺と違ってあいつらは逃げ遅れてしまったようでな。奴らを失うのはあまりに忍びない。貴様がアレカシを追って奥に進むというのなら、ついでにあいつらも助け出してこい。もし達成できたならば、首領への拝謁の件、考えてやってもよい」

 ラーゲルはそれきり(うつむ)いてしまい、二度と俺の顔を見ようとしなかった。

 ――ラーゲル様、恩に着ます。

 俺は心の中でぽつんと呟き、進路を右に変えた。



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リベンジ

 隠し通路は「通路」と呼ぶのが怪しまれるほど粗末な造りだった。モグラのトンネルのように掘られた狭く暗い道が、つづら折りになって岩窟上層部へと延びている。俺たちは身をかがめ、時にはよじ登るようにしてどうにか進んでいく。

 ラーゲルの奴め、とんだ道を教えてくれたな。だが文句は言っていられない。ここを通り抜ければ一気にアレカシに迫れるはずだ。勝機はいまだ俺たちにある。

 全身を土まみれにして道を登り切ると大きな岩壁が道を塞いでいた。壁を念入りに調べたら、案の定スイッチと思しき突起物を発見する。力いっぱい押すと岩壁が軋みを上げながらスライドする。出口だ。眩しい光が闇にどっとなだれ込んできた。

 不意に俺の耳がある音を捉える。微かだが銃声のようなものが聞こえてくるのだ。

 ――この階のどこかで戦闘が発生している!

 居ても立ってもいられず俺は駆け出した。もう記憶と相談して道順を考える必要はない。銃声の聞こえる方へ聞こえる方へと、通路を右に左にひた走る。傭兵たちはそんな俺に遅れじと必死に後から付いてくる。

 そうして何度目かの曲がり角で足を止める。銃声の音はいよいよ高くなる。間違いない。ここを曲がった先が音の出所だ。俺は壁の角に身を寄せてこっそりと様子を窺った。

 まず目に飛び込んできたのはドーグマン兵士たちの後ろ姿。彼らは、通路の至るところに設置されたバリケードの陰に隠れつつ、一心不乱に銃を乱射している。俺たちの方を振り向く気配はなく、皆が一様に通路の向こう側を注視している。

 そのときだ。真っ赤な影がバリケードの一角を颯爽と跳び越えたかと思うと、近くにいた兵士たちを瞬く間に一蹴する。それに端を発したように青黄緑のスーツも向こう側から姿を見せて、兵士たちに凶暴に襲い掛かった。

 ……いた。ついに見つけたぞ。このときをどれだけ待ち望んだことか。俺は無意識のうちに通路に身を乗り出す。

 陣形を崩した兵士たちはこちら側に後退して再び銃撃を開始する。しかし勢いづいたアレカシは止められない。奴らは銃撃にも怯まずに攻勢を強め、兵士たちを容赦なくなぶり倒していく。

 どうやらここの防衛線が突破されるのも時間の問題のようだ。そしてこの先にあるのは岩窟の作戦司令室だったはず。そこを制圧されたら岩窟は完全に機能停止する。ラーゲルが助けてほしいと言っていた幹部連中もその部屋に避難していることだろう。

 もはや悠長なことはしていられない。俺は傭兵たちの方に振り返る。

「この先でアレカシがドーグマン兵士たちと戦闘している。俺たちは今から奴らに奇襲を仕掛ける。だがアレカシと兵士たちが混戦しているために火器を使用するのは危険だ。兵士に流れ弾が命中する可能性があるからな。それゆえまずは兵士たちの避難を優先する。兵士たちが逃げ切るまでの間、できるだけアレカシの気を逸らすんだ」

 俺は傭兵たちの中から十人ほどを先鋒要員として選び出す。残りの者にはしばらく後方で待機してもらうことにした。

 さてここで問題が一つ。アレカシの各メンバーに誰が立ち向かうべきか、だ。欲を言えば俺一人で奴ら全員を相手取りたい。俺たちの中で最も戦闘能力が高いのはアンドロイドである自分に違いないからだ。しかし、混戦の中で兵士たちを避難させつつ奴ら全員と戦うなど、とても俺だけでは無理だ。俺が対峙すべき相手は奴らのリーダー格たる人物。もしそうした人物を倒せれば、他のメンバーに対しても戦わずして士気を低下させられるだろう。

 俺は少しだけ黙考して答えを出した。

「そうだな、青黄緑の三人はお前たちに任せるとしよう。奴ら一人に対して数人掛かりで挑め。俺は奴らのリーダーである赤――紅蓮の阿と戦う」

 実を言うと、あいつが本当に奴らのリーダーであるのか、俺には確証がない。俺が見る限り、あいつはいつも黙然としていて、他のメンバーに指示を出すことは一度もなかった。そうした行動は蒼穹の礼あたりが率先してやっていたような気がする。しかしあいつが奴らの中で異様な存在感を持っているのは確かだと思う。あいつを討ち取れば、必ず他の奴らにも動揺を与えられるはずだ。

「兵士たちの避難が完了したら火器で反撃に転じる。先鋒組の者はただちに撤収。待機組の者は迅速に武器を用意せよ。よいか、俺はこの戦いに自分の命を懸けるつもりだ。お前たちには死ねとまでは言わんが、それ相応の覚悟で臨んでほしい」

 傭兵たちは皆が力強く頷いた。所詮は金で雇われた連中だと高をくくっていたが、その表情に嘘偽りはない。むしろ非常に頼もしく感じられた。

「では参るぞ」

 俺は通路に勢いよく飛び出し全力で駆け出した。腹の底から大声を出す。

「覚悟せぇーい! アレカシぃー!」

 俺の出現にアレカシも兵士たちも一瞬動きが鈍る。俺はさらに兵士たちに対して叫ぶ。

「よく聞け! アレカシはこのホーゲンが引き受ける。お前たちは至急この場から退くのだ」

 兵士たちは最初のうちは戸惑っていたようだが、すぐに退却し始めた。何しろ彼らは殺し合いの只中にいるのだ。俺がなぜ生きているのかという疑問は二の次なのだろう。だがそれはアレカシとしても同じこと。奴らは俺たちを最優先で排除すべき存在として認識したようだ。蒼穹の礼、黄金の佳、翡翠の志。三人が一同に怒涛の如く俺に迫る。

「させるか!」

 傭兵たちが俺の横をすり抜けて突進し、三人にがっしりと組み付いた。

「む!?」

「お前ら、邪魔すんな!」

「お願いです。どいてください!」

 三人は払いのけようとするが、傭兵たちは振り回されながらも決してその身体を離そうとしない。

「旦那、今のうちに早く行け!」

 傭兵たちの鼓舞を受け取りながら俺は自分の獲物のもとに走り寄る。

 紅蓮の阿――奴はこの状況下でも取り乱した風はなく物静かに佇んでいた。まるで周囲の争いをひとり高みから見下ろしているかのような傲慢な態度。フン、今に見ていろ。俺がその高みから貴様を引きずり降ろし、この上ない恥辱を与えてくれる!

 腰元の鞘からカットラスを抜いて接近する。間合いに入ったと見た俺は奮然と剣で斬りつける。虚しく空を斬る刃。阿は俊敏な動きで難なくかわしていた。やはり一筋縄ではいかんか。

 俺から距離を取った阿は軽妙なフットワークを踏んでこちらの出方を窺っている。ようやく臨戦態勢に入ったようだ。俺は中段に剣を構える。

 俺と阿の間の距離は三メートルほど。さてどうやって攻め込むか。

 先に行動を起こしたのは阿だった。予備動作を感じさせないステップで一気に詰め寄ってくる。阿が鋭い縦拳を放つ。俺はそれを剣で切り払う。

 ――カキン!

 金属を叩いたような高い音が鳴り響く。俺の振るった剣が阿の拳と交わった音だ。例のスーツの防御力は手先においても健在らしい。剣の刃が拳に当たっても弾き返されてしまうようだ。

 攻撃に失敗した阿はバックステップで再び俺から距離を置く。俺もすぐに元の構えに戻る。

 その後も阿は何度か踏み込んできたがいずれも俺は食い止めた。思うに武器にカットラスを選んだことが功を奏したようだ。なるほど確かに阿は強い。反射神経などは俺よりも格段に上であろう。だがあいつが頼みとしているのは徒手空拳だ。俺のカットラスに比べると間合いは極端に狭い。だからあいつの拳が俺に届くよりも早く、俺はそれを防ぎ切れるのだ。

 守備に不安要素がないとなれば、あとは攻撃あるのみ。俺は意を決して一歩踏み込み、鋭く剣を突き出す。

 そこで阿は突飛な行動を取る。俺が剣を突き出す直前に奴は身をねじり、倒れるように姿勢を低くして攻撃をかわしたのだ。ちょうど俺に背を向けてしゃがみ込むような形だ。そして阿はその体勢のまま長い脚で後ろ蹴りを繰り出す。予想だにしなかった下方からの攻撃。奴の蹴りはカットラスを握っていた俺の右腕を正確に捉える。カットラスが俺の手を離れ上空に舞い上がる。

 ――しまった!

 その隙を見逃してくれる阿ではなかった。倒れ込んだ姿勢から一息に起き上がると、上段に高速で回し蹴りを放ってくる。カットラスを失い無防備な俺はその攻撃になす術を持たない。結果、奴の回し蹴りは俺の脳天にクリーンヒットする。稲妻に打たれたかのようなすさまじい衝撃が頭から全身にほとばしる。俺はその場で倒れ伏したのだった。だが……。

 その一撃は俺を死に至らしめなかった。阿が手加減したというわけではない。むしろ今の一撃は生身の人間相手であれば確実にその者を瀕死に追いやっていただろう。俺が無事で済んだのはひとえに機械の身体があったればこそだ。鋼鉄製の頭部骨格が回し蹴りによる衝撃に見事耐え抜いたのである。

 このとき俺は確信する。――今の自分は最強だ。この戦い、必ず勝てるぞ!

 仰向けに倒れた状態のまま俺は阿の様子を窺う。奴は俺にもう立ち上がる気力はないと考え、すっかり緊張を解いていた。幸運にも、先ほど手放してしまったカットラスが自分のすぐ近くに転がっている。俺はやにわに身を起こしてそれを拾うと全速力で阿に迫る。阿が俺の突進に気付く。だが、さすがの奴でも俺の復活までは予想していなかったのだろう。即座に反応できずに立ち尽くす。俺はチャンスとばかりにカットラスを連続で振るった。カキンカキンという反響音を発しながら刃が火花をまき散らす。阿はあまりの剣圧に耐えかねて、一歩また一歩とどんどん後ずさる。

 やがて阿の姿勢のバランスが完全に崩れる。今だ。俺は剣を振るうのをやめて阿の懐に飛び込む。そして奴の腹部目掛けて渾身のパンチを叩き入れた。急所を貫く確かな感触。直撃を食らった奴の華奢な身体は後方へまっすぐぶっ飛び、背後の壁にめり込むように激突する。通路全体に地鳴りのような振動が走った後、阿の身体は壁からはがれ落ち、力なく地に沈んだ。

「グレンっ!?」

 傭兵たちと交戦していたアレカシの三人が張り詰めた声を上げる。阿が俺に後れを取ったことがよほど意外だったのだろう。思えば、奴らがこんなふうに驚愕した様子を見せるのは今回が初めてだった。

 さてそろそろ大詰めだ。周囲の状況を確認するとドーグマン兵士たちの姿は既にない。無事に退却は完了したようだ。今なら火器を使用できる。

「ジョージ!」

「おう! 待ちかねたぞ」

 俺の呼びかけを聞いて、待機組のジョージが他の傭兵たちと手分けして大型の火器を運んでくる。ブローニングM2重機関銃。実戦に投入されたのは第二次世界大戦かららしいが、それから半世紀以上経過しても破壊力と使い勝手の良さからいまだに現役の重機関銃だ。

 俺は傭兵たちから二丁のマシンガンを受け取り片手に一丁ずつ握る。両腕にズシリと荷重がかかる。筋力を最大限発揮してそれを持ち上げると、銃口をアレカシ三人に向けた。

「お前たち、早く隠れろ!」

 先鋒組の傭兵たちは俺の号令に表情を明るくする。俺が阿を撃退できた一方で彼らは軒並み苦戦していたようだ。近場にあったバリケードに急いで身を隠した。マシンガンの弾道上にはアレカシだけが取り残される。

 間髪入れずに二丁のマシンガンのトリガーを押す。轟音を響かせて大口径の銃弾が立て続けに発射される。同時に、腕をもぎ取るかのような強力な反作用が両腕に跳ね返る。

 クッ、想像以上にきついな。俺は思わず顔をしかめる。本来このマシンガンは、頑強な土台で地面に固定し反作用を相殺しながら運用する。ところが俺はそれを片手に一丁ずつ携えたまま掃射しようとしている。反作用による負担と言ったら尋常なものではない。

 強健な腕力でマシンガンを無理矢理に抑え込んで操作する。蒼穹の礼から黄金の佳、その後は翡翠の志、それも済んだらまた元に戻って……。アレカシに反撃の隙を与えないように射撃対象を次々に切り替える。奴らは襲い来る銃弾に対して身動き一つ取れずに悶え苦しむばかり。俺は長時間の連射で銃身が熱くなるのも忘れてトリガーを押し続けた。

 そろそろ銃弾も尽きようかという頃、ついにマシンガンを手放す。傷だらけのアレカシに猛然と突撃し、駄目押しのパンチやキックをお見舞いする。奴らは無抵抗なままにそれを受け入れ、ぼろぼろになって床に倒れた。息は絶え絶えとなり一向に起き上がる気配はない。

「……フ、フフ、フハハ」

 ようやくアレカシに一矢報いることができた。そう思ったら柄にもなく下卑た笑いが漏れた。

「ジョージ、予備の弾薬があっただろ。あれを持ってこい」

 俺に呼び出されたジョージは渋った顔をする。

「まだやる気なのか。奴ら、見るも無残にへばっているじゃないか。これ以上痛めつける必要はないんじゃ……」

「駄目だ。アレカシは極めて危険な存在だ。奴らの胴体に風穴が空くのをはっきり見届けるまで油断はできん。早くするんだ」

 ジョージはすごすごと弾薬を持ってきてマシンガンに補充する。今か今かと彼の作業が終わるのを待つ。

「旦那、後ろ!」

「何!?」

 ジョージが急に俺の背後を指差す。振り返れば、瀕死だったはずの阿が途轍もない速度でこちらに接近してくるではないか。

「くそっ、しぶとい奴め」

 俺は補充し終わったマシンガンを発射させようとするが、阿は素早く俺に絡みついてその動きを封じる。すかさず阿は腰元のポーチから何かを取り出して直下の床に放り投げた。その物体の正体に俺は愕然とする。

 ――手榴弾!?

 そう気付いた時には既に遅かった。まもなく手榴弾は爆発し、俺と阿の周辺は爆風に一瞬のうちに飲み込まれる。事態はそれだけに留まらない。爆風の衝撃で床にめきめきとひびが入り、出し抜けに崩れ落ちたのだ。俺はそれに巻き込まれ、何をする暇もなく階下へと落下する。

「だんなーっ!」

 傭兵たちの俺を呼ぶ声が虚しくどこまでもこだましていた。



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紅蓮の剣

 背中が重い。息苦しい。大量の瓦礫が俺を圧殺すべくのしかかる。四肢はすべて押し潰され、それぞれの関節はとんでもない方向に折れ曲がっている。普通の人間であればとっくに死んでいるはずなのに、なまじアンドロイドであるために、俺は死の向こう側の苦しみを直接味わう羽目になる。

 阿が投げた手榴弾。あの爆発はかなり大規模な崩落を引き起こしたようだ。俺は岩窟の下層まで一気に落下してしまった。岩窟には、経年劣化や無理な改修工事の影響で強度的に問題のある場所が多いと聞いたことがある。たぶん、俺が戦っていた通路の近辺はそのうちの一つだったのだろう。

 俺に被虐を好む性向はない。さっさとこの不本意な状態から抜け出そうと、手足にありったけの力を込めて身体を起こす。ガラガラと音を立てながら瓦礫が少しずつ背中から転がり落ちていく。

「……う、うおおぉー!」

 ある程度身体が浮いたところで、瓦礫の覆いを突き破るようにがばと立ち上がる。瓦礫は衝撃により四方八方に吹き飛ばされた。

 脱出成功。折れ曲がっていた手足を定位置に戻すと小気味よい関節音が鳴り響く。埃を払ってさらに全身を入念に調べる。負傷の程度は思っていたほど重くない。まだ存分に動けそうだった。

 ところでここはどこなのだろう。岩窟内の一区画であることは間違いないだろうが、俺もこんな場所には初めて来た。電気は通っていないため薄暗く、灯りと言えば上方からわずかに差し込む光だけ。壁や床の劣化の度合いは非常に激しく、相当古い年代のものだと分かる。おそらくここは、時代の流れとともに打ち捨てられた旧区画ではないだろうか。

 ふと人の気配を感じた。目を遣れば、瓦礫の破片に腰掛ける一人の人間の姿があった。……紅蓮の阿。やはりこいつも俺と一緒に落下してきていたか。奴はこちらには見向きもせずに、光の届かないさらに奥の区画の方をじっと見つめている。

 俺はわざとらしく大きな足音を立てながら奴に近寄る。

「フン、驚かせてくれるではないか。大方、あの場所から俺を引き離すために手榴弾で床をぶち抜こうとしたのだろう。他の三人があれ以上攻撃に晒されないようにしたかったのかな? 心を持たぬ人形のような奴だと思っていたが、なかなか仲間思いで殊勝な一面もあるではないか。よかろう、それほど仲間よりも先んじて死にたいのならば、俺がここで引導を渡してやる!」

 俺の啖呵に対して阿は何も答えない。相変わらず不愛想な奴だ。そう感じていたときである。

「……仲間思い、か。お褒めに預かり光栄と言いたいところだけど、別にそんな大層なものでもないのよね」

 ……喋った。こいつ、ちゃんと口が利けたのだな。抑揚はないが不思議と耳によく響く。俺は妙な感慨を抱いて奴の声を聞いた。

「あの三人を自分と同じ仲間だと認識したことは一度もないわね。だって三人とも思考や行動の様式が、私とは全然違うんだもの。一緒にいると本当に疲れる。それなりに長い付き合いになるけど、彼らを十分理解したかと言われると、いまだに自信がないわね」

 阿は腰掛けていた瓦礫からやおら立ち上がり、こちらを振り向いた。それに合わせるかのように、奴の手首のブレスレットが(ほの)かな赤い光を放ち始める。一帯が闇に包まれている中、その輝きはどこか神秘的な雰囲気を醸し出す。

「だからね、私はいつも自分の『個性』を自覚せざるを得ない。自分はどこまで行っても自分でしかなく、決して他者と同じ地平に立つことが叶わない。でもそれこそが、私が一個の人格であることの何よりの証となる」

 阿の語りが進むにつれ、ブレスレットから漏れ出る光も徐々に強くなり、いつしか周囲を昼間のように燦燦(さんさん)と照らし出す。何やら嫌な予感を覚えた俺は思わず一歩後ずさる。その動きを見咎めるように、ブレスレットからひときわ強烈な光が溢れる。

 そして俺は、あり得るはずのない驚異的な現象を目の当たりにすることになる。ブレスレットの光がまるで生きているかのように伸縮を繰り返し、形状を整えていったのだ。それは一本の剣へと姿を変えた。阿のスーツと同様に真っ赤な柄。そこから刀身が真っ直ぐに伸びている。例えるならば、おとぎ話に登場する王子様が持っていそうな、玩具じみたデザインの剣である。

 阿はその剣を片手に持つとフェンシング選手のような構えを取った。

「――ホーゲン、あなたにこの力受け止めきれるかしら?」

 死の宣告の如くそう告げると、阿はすさまじい殺気とともに攻撃を仕掛けてきた。唖然とする俺にまっしぐら。顔面を狙って鋭い刺突が繰り出される。ぎりぎり顔をそらせて避けるが、若干遅かった。剣の切っ先がわずかに俺の頬を(えぐ)る。そのとき、傷ついた頬の肌が異常な感覚を検知した。

 ――熱い!?

 そうなのだ。剣が頬を抉った瞬間に、俺の温覚ははっきりと高熱の発生を捉えたのだ。傷口部分に触れて確かめると、肌はただれて、少量の金属が液体となって流れ出ている。これは一体……?

 俺とすれ違った阿が、俺に正対し直して剣を向ける。それをじっくりと見ると、刀身は赤熱し、ごく近いところの空気が陽炎(かげろう)のように揺らいでいる。信じ難いことだが、あの剣は確かに発熱している。俺は自分が夢でも見ているのかと思った。

 俺の当惑などお構いなく阿が再び俺に襲い掛かる。まるで舞を舞うかのように自在な身のこなしで、連続で斬りつけてくる。

 ――は、速い!

 格闘戦のときも阿の技の俊敏さは目を見張るものがあった。だが今の奴はそれに輪をかけて速い。その速さは剣の残像が見えるほどであり、俺は回避するだけで精一杯だ。加えて、奴の剣が宿す膨大な熱量である。剣が俺の身体をかすめるたびに肌が火傷せんばかりの熱気を感じる。一体どれほどの熱量を発しているのか想像も出来ない。今ならば断言できる。この剣こそが奴本来の得物なのだ。格闘戦は奴の戦闘技術のほんの一部でしかなかったのだ。ここに来て自らの奥の手をようやく明かしたというわけか。

 とにかく一度距離を置く必要がある。奴の剣の間合いの中では俺に反撃の余地はない。

 阿の連撃を必死にかわしつつ俺は周囲をくまなく観察する。――あった。俺が落下してきた地点のほど近くにマシンガンが無造作に転がっている。崩落前にジョージから受け取った、弾薬補充済みのマシンガンだ。あれさえあれば……。

 俺は床に散らばっている瓦礫から適当なものを選別し、これだと思ったものを阿の方へ蹴り上げる。阿は危なげなくそれをかわすが、そのせいで奴の連撃が一瞬だけ緩まる。チャンス。俺は一目散にマシンガンを目掛けて走り、素早くそれを拾い上げた。

 マシンガンの銃口を阿に向ける。奴の剣技は大したものだが、それは見せかけに過ぎない。奴もこれまでの戦いにより相当なダメージを負っているはず。今一度マシンガンの銃撃を浴びせれば必ず仕留められよう。近付く勝利に心躍らせて俺はトリガーに指を置く。

「なっ!?」

 トリガーを押す直前、阿が剣を高らかに上に掲げた。するとどうだろう。深紅の炎が空気中にどこからともなく現れて、奴の剣を囲むように集まり出したではないか。炎は刀身を中心に螺旋状に渦巻きながら、なおも盛んに燃え広がる。そうして炎の勢いが頂点に達したとき、阿は剣の切っ先を地面にかすめるようにして、下段から虚空を斬り上げる。炎は刀身を離れ、地を這う一筋の津波となって猛烈なスピードで俺に迫り来る。

 ついさっき俺は自分が夢を見ているのではないかと疑った。ああ、その通りだ。これは夢に違いない。そうでもして自分を納得させなければ、俺は目の前で起きている現象を到底受け入れることができなかった。

 あまりの驚きに俺は回避行動が遅れる。炎は俺の右腕をマシンガンもろともに飲み込んだ。

「ぐあぁぁあ!」

 凄絶な痛みが俺を襲う。右腕を確認すると、もはや肘から先の部位は消え去っていた。傷口は炎で焼き焦がされ断面が真っ黒になっている。

「おのれ、おのれぇー!」

 俺は無我夢中で阿に向かって走り出した。片手を失ったせいだろうか。一歩踏み出すごとに上体は大きくぶれ、脚にも思うように力が入らない。だがそんなことはこの際どうでもよかった。

 俺がここで敗れたら、この先、東アフリカ戦線は、ドーグマンはどうなる?

 先の戦いで俺はアレカシに重傷を負わせたが、息の根までは止めていない。阿は俺を倒したら他の三人と合流。奴らはそのまま岩窟の司令室への襲撃を続行するだろう。司令室に陣取る幹部たちは所詮ラーゲルの取り巻きに過ぎない。さしたる抵抗もできずに一網打尽にされる。これにより東アフリカ戦線はほぼ壊滅すると見てよい。

 憂慮すべきはその後の展開だ。幹部ともなれば組織に関わる機密情報をいくつも心得ている。彼らの身柄を引き取ったケニア政府はあの手この手でそれを聞き出し、他国とも共有を図るに違いない。各国政府は連携を強め一挙にドーグマンの殲滅に乗り出すかもしれない。首領の不在により組織はただでさえ弱体化している。その上に全面戦争まで仕掛けられたら組織は再起不能なまでに瓦解する。「世界人民の解放」という理想を実現する道もそれとともに潰えてしまうだろう。

 ……そんなことがあってたまるか。ドーグマンが消えてしまったら、果たして誰がこの腐りきった社会を正していくのか。そんな崇高な役割を果たせるのは他にはいない。ドーグマンは未来永劫、正義の代行者として世界に君臨する使命がある。ドーグマン戦士たる俺はその矜持を何が何でも守り通さねばならんのだ。

 阿とかち合うまで残り数歩。俺は捨て身の体で間合いを詰め、左腕一本で果敢に殴り掛かる。あっさりとかわす阿。攻撃の手を休めるな。奴を追いかけるようにすかさず回し蹴りを入れる。またもかわされる。そして、阿は……。

 どこへ行った? 慌てて左右を見渡すが誰も見当たらない。

「――ハアアァァーッ!」

 気迫に満ちた声が耳を突く。音源は俺の頭上。見上げると阿の姿があった。奴は超人的な跳躍により上方へ逃れていたのだ。

 ハヤブサが獲物を狩るが如く、阿が剣を構えたまま急降下してくる。

 ――美しい。

 思いがけず芽生えた想念に、他でもない俺自身が驚愕する。大義を掲げているわけでもなければ伝統を背負っているわけでもない。特徴と言えば、常軌を逸したコスチュームと、化け物じみた戦闘能力のみ。そんな無法者に対して、どうしてこれほどまでに惹き付けられるのか。

 残された時間は答えを見出すにはあまりにも短すぎた。阿の手にする紅蓮の剣が俺を引き寄せるようにして急速に接近する。

 その切っ先は俺の脳天を寸分違わず刺し貫いたのだった。



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