短命です(事前申告)
……お兄ちゃん!
……れいじー!
……れーじ…?
……れい兄ー!
……兄さん…!
見た目も声もほとんど同じ、容姿もなにもかも。無邪気な笑顔を浮かべて、駆け寄って来る。
僕はそれをまとめて受け止めた。
一対一ならどうにかなるが、流石に五体一だとどうしようない。そのまま流されるままに押し倒されてしまう。
押し倒された後、目を開くと妹たちのリアクションはみんな違っていた。
軽く微笑んでいる顔、
してやったりと悪戯っぽく笑う顔、
心配そうに様子を伺う顔、
倒していることにも気にせず抱きついて胸を埋めて表情がわからなかったり、
やってしまったと慌てる顔。
ほとんど同じような顔でもそれぞれ性格は五者五様。そんなそれぞれの個性を持つ妹たちのことが僕は大好きだった。
彼女たちは五つ子、みんな同じ日に生まれた五姉妹だ。
僕はそんな彼女たちよりも『一日だけ』早く生まれた長男。一日だけじゃほとんど六つ子と変わらないのかも知れない。だけど、妹たちは僕のことを兄として慕ってくれていた。だから、僕は兄として守ってやりたいと思っていた。
………だけど、いつからだろうか。
妹たちとどこか距離感のような、疎遠感のようなものを感じ始めたのは。
ただの思い込みなのかもしれない。
でも、ある時を境に自分の中で何かが変わってしまった。
たまに妹たちのことがわからなくなる時がある。妹同士なら当たり前かのように理解して笑いあっていた。
そんな妹たちが楽しそうに話をしているのを見て、それがとても遠くに感じたんだ。
果たして、ここに自分の居場所なんてあるのだろうか、そう思ってしまった。歳を重ね、大きくなるごとにそれは顕著になっていった。
そして、それに耐えられなくなった俺はある行動に出た。
携帯を取り出し、ある人に電話をかける。何回かコール音がなり、その相手は出た。
「父さん。」
『……なんだね、零児君。』
相手は父さんである。といっても、母さんが再婚した相手だから血の繋がりはなく、義理の親という形にはなるのだが、貧しい生活から抜け出せたのも父さんのおかげだ。
「俺さ、高校進学を機にここを出ようと思う。」
『……欲しいものは与えてやってるはずだが、どうしてそう思ったのかね?』
「……最近、この場所が息苦しく感じるんだ。この場所に、この家には俺の居場所なんて無いような気がしてるんだ。」
『妹たちがいるだろう?守ってあげるのが兄の務めじゃないのかね?』
「…………ごめん、父さん。この家はさ、きっと妹たちの城なんだよ。元から俺に入る余地なんて無かったんだ。母さんがいなくなってから、よりそう感じるようになったんだ。」
俺は兄失格だ。母さんがいなくなってしまってから、妹たちは五人でいることが増えた。まるで閉じこもるかのように、そして、父さんにより、その檻はより強固なものへと変わっていったんだ。俺にはこのあたり前のような異様な空間に耐えられなかった。
『………そうか。君は妹たちとは別の道を進むというのだね。』
「あぁ、俺はもっと広い場所で、自由でいたいんだよ。」
『……わかった。お前の口座に必要最低限のお金は振り込んでおこう。』
「ありがとう、父さん。」
俺が通話を切ろうとした時だった。
『………もし、妹たちが困っていたら……。路頭に迷って助けを求めていたら……。』
『守って……、助けてあげてくれ。』
俺は驚いていた。父さんは割と合理的な思考の持ち主だから、あまり感情を出すことはないのだが、こんなことを言うなんて……。
「らしくないこというね………父さん。」
『…………。』
「俺さ、母さんが死んじゃった時、涙も何も出てこなかったんだ。自分をここまで育ててくれたのに、自分のただ一人の母親なのに、胸の奥から込み上げてくるものも何も無かったんだ。」
冷たくなった母さんの手を握った時もそうだ。
俺の心はひどく冷めていた。大切な人がいなくなってしまったのに、周りがハッキリ見えていた。何故か、不自然なほどに冷静だった。
妹たちは涙を流していた、大きな声で泣きじゃくっていたりもしていた。普段、感情を表情にあまり出すことが無い父さんですら、茫然としていたほどだ。
そのことがわかった時、俺は、僕は、本当にこの家族の一員なのかと疑った。妹たちに兄だと名乗る資格なんてあるのだろうか、そう思った。
『……たとえそうだったとしても、お前は一花たちのただ一人の兄だ。』
「いや、こんな最低な兄、いるわけないだろ……?」
『零児………、あの子達にはお前が必要だ。そのことは、そのことだけは、忘れてはいけないよ。』
「………。」
俺は通話を切った。
「………もう、一花たちに俺は必要ないよ。」
俺は一人で、とある高校に来ていた。合格者発表があるからだ。
時間になると、壁に番号が大量に書かれた紙が張り出され、一斉に人が集まってくる。
周りは自分の番号を見つけたのか嬉しそうに家族と喜んでいたり、落ちていたのか、涙を流している者もいる。
「お兄ちゃーん!お兄ちゃんの番号あったよー!!ほら!あそこー!」
兄を呼ぶ声を聞いて、思わず反射で振り向く。
そこにいたのは、小学生くらいだろうか、黒髪の少女が兄の手を引いて、紙に指差しながら笑っていた。
その笑顔を見たとき、脳裏で妹たちの無邪気に笑っている姿がよぎった。そのことを思い出すと、胸がチクリと痛くなる。
俺は頭を振り、自分の番号を探すことにした。
自分の番号を見つけて、ひとまずほっとした。
俺が受けたのは俺の住んでいる地域の中でもまあそこそこの偏差値を誇る公立の高校だ。一人暮らしすると決めた以上、私立の高校などに甘んじている余裕はなかった。親からは生活に必要な最低限の資金の援助を受けたが、家具などに使っていたら半分以上持っていかれてしまった。
進学したら、バイトをして、家計をうまくやりくりしていかなければならない。
今まで、親の手ばかり借りていた俺にとって、初めての経験で内心不安でいっぱいだったが、楽しみという気持ちもあった。
これが「自立する」ということ、なのだろうか?
まだ、学生の分際でしかない俺にはよくわからないものだった。
そして、幼いころから世話になったこの家を出ていく日。
朝早くに、まだ日も登っていないようなそんな朝だった。
…まだ、妹たちには何も伝えていない。
このことを伝えてどんな反応をするのか、それを知るのが怖くて、言い出すことができなかった。出ていく前、おもむろに棚を開き、古くなった一つのアルバムを取り出した。
そこに映っていたのは幼いころの妹たちと俺の6人で並んだ写真だった。
腰まで伸びた紅い髪に青い瞳の少女五人と、妹たちと同じ紅い髪だが短く切りそろえられているだけでそれ以外は妹たちと大差ない姿をした少年。
みんな無邪気な笑顔を浮かべていた。この写真を見ていると胸がきゅっと苦しくなる。
写真の中の俺は一体何を思っていたのか、写真の中での俺はどんな兄でいようとしたのか。記憶喪失でも無いのにそんなことを考えてしまう。
どうして、俺は変わってしまったのか、俺の中で一体何が変わったというのか。俺はその答えを見つけることができず、逃げるようにこの家を後にした。
***
「………ん、んん…?」
カーテンの隙間から入り込む光で目が覚めた。
目覚まし時計を確認すると7:15と表示されており、アラームよりも15分早く起きてしまったことに気がついた。俺は重い体を起こし、背伸びをする。
「にしても、懐かしい夢をみたな……。」
俺が高校に行ってから、妹たちとは連絡すら取っていない。頭は良くないがきっと父さんがうまく融通してくれていることだろう。
きっとこれでよかったのだ。俺も友人はあまり多いとは言えないが出来たし、なんだかんだ言いながらも高校生活を楽しめている。ちょっと変な奴も多いけど、それは個性ということで解決した。
俺は食パンを焼き、朝のニュースを見ながら朝食を済ませ、制服に着替え、家を出る時間までにささっと洗濯物をベランダに干し、リュックを右肩に背負い、家を出た。
ふぁぁと大きな欠伸をしながら、高校に向かって歩いていると、俺の横を黒塗りの高級車が横切り、俺の少し前で停止した。
ガチャリと車が開き、中から出てきたのは、金髪で、いかにもおぼっちゃまみたいなおかっぱな髪型をした男。大して長くもない髪をなびかせ謎のキラキラとしたオーラを纏いながら、俺の前に立つ。
「おはよう、中野君。今日もいい天気だね。」
「なんだよ、前回期末試験490点で学年3位だった武田クン?」
「ふふっ、いちいち墓穴を掘り返すのはやめてくれないかな?」
「手震えてんぞ。」
キラキラしたオーラを放っているが、顔が青ざめているのがわかる。そんなコイツの名前は武田祐輔。正直俺はコイツが苦手だ。いいとこの息子さんらしく、成績のことには厳しいとか。まぁ、学級委員とかに自ら立候補するあたり、悪いやつでは無いらしい。
「次のテストこそ、僕は上杉君に勝ってみせるさ。彼こそ僕のライバルにふさわしい。」
「はいはい、そういうのは2位の人に勝ってから言おうねー。あとオール満点じゃないとアイツの眼中には入れないぞ?」
「ま、いいさ。どうだい中野君、乗って行くかい?」
「いいよ。歩いて行く方が健康的だし。」
「そうかい、それじゃあ一足先に学校に行っておくとするよ。それじゃあまた後でね。」
そう言って車に乗り込み、走り去って行った。
「……俺は顔を合わせたくもないけどな。」
どうでもいいけど、彼の夢は宇宙飛行士だとか。
本当にどうでもいいことを思いながら、学校は足を進めた。
***
いつも通り、8時頃に学校に着いた俺は自分の席に荷物を置いて、左側の席に座っているアイツの元へ向かう。
「おはよう風太郎。」
「おはよう零児。」
単語帳を開き、ノートにすらすらと英文を書き連ねている男、コイツが武田がライバル視(一方通行)している上杉風太郎だ。勉強が好きで、ほぼ一日中勉強をしている。これまでの試験の殆どが満点で、学年で常に一位にいる秀才だ。
「数学の小テストの方はいけそうか?」
「無論だ。ぬかりはない。」
「……じゃあ、勝負するか、数学テスト。」
俺は風太郎にテストの勝負を提案した。こんな勝負はよくやっていて、大体何か物を賭ける勝負を行なっている。勝負方式にした方が俺の勉強のモチベーションが上がるからよく勝負をしかけている。
「そう言ってこの前も俺に負けてただろ、しつこいぞ。」
「いいんだよ。そっちの方が俺のモチベが上がるし、この前のも俺のニアミスだからそれ潰せばワンチャンあるはずだ。」
「毎回満点取ってる俺に対してワンチャンとかよく言えるな。」
「ヒトは失敗する生き物だからな。お前のおこぼれをうまくもらって勝たせてもらうよ。」
「……はぁ、何を賭ける?」
「昼メシでいいよ。お前が勝ったら、生姜焼き定食でもおごってやるさ。」
「乗った。頑張るわ。」
毎回、焼肉定食焼肉抜きとかいう、お新香とご飯と味噌汁しか食べてない風太郎にとっては天啓だったらしい。
***
そして昼休み、俺と風太郎は食堂へ来ていた。風太郎に席取りを任せて俺は厨房の方へ向かう。
「…カツ丼と生姜焼き定食ください。」
「はい、760円ねー!」
「……1000円からで。」
「はい、240円のお釣りね!ちょっと待っててね〜!」
食堂のおばちゃんからお釣りをもらった俺は出来るまで待っていた。
まぁ、結論から言うと負けた。アイツはもちろんのことながら満点。俺は………まぁ、見直しが甘かったから、ちょっとしょうもないミスをしてしまって98点だった。
だから、約束通り生姜焼き定食を風太郎に奢ってやっているわけだが、嫌だと思ったことは一度もない。毎日ご飯と味噌汁とお新香しか食べていないのを見ると、同情の余地しか無いからだ。なんなら、こうでもしないと奢られてくれないし。
「はい、おまたせ〜!カツ丼と生姜焼き定食ね〜!」
「ありがとうございます。」
俺のカツ丼もお盆に一緒に乗っている生姜焼き定食を受け取った俺ら辺りを見渡し、風太郎を探す。
「やぁ、中野君じゃないか。」
「………お前ってこんだけオーラ出てるのに気配消して真横に立つのうまいよな。」
はぁ…とため息を吐き、左を向くと、当たり前のように真横に武田が立っていた。キラキラオーラ出してるのにステルスとか殺し屋かよ。
手にはりんごジュースとサンドイッチがある。ちょうど昼食を買いに来たのだろう。
「君のクラスは数学は何限目だったかな?」
「2だよ。」
「ふむ、ということは小テストの方は終わってるよね。単刀直入に聞くけど何点だったのかな?」
「なんで答えないといけないんだよ。」
「どうせ君のことだから上杉君と勝負でもしてるんじゃないかと思ってね。」
「さぁな。」
「で、何点だったんだい?」
「………98。」
「そ、そうかい。あっ、そういえば、先生に呼ばれてるんだった、ここら辺で失礼させてもらうよ。じゃあね、中野君。」
そそくさと華麗に去っていく武田。
「……97以下かよ。」
内心、アイツをほくそ笑みながら風太郎探しを再開することにした。
***
俺は単語帳片手に辺りを見渡しながら広い食堂内を歩き回っていた。
零児に席取りの方を任されたので、とりあえず二人席の空いてる場所を探しているのだが、今日はいつもよりも人が多く、中々空いてる席が見つからない。
小テストの賭けに勝った俺はかなり久しぶりに昼食で肉を食べることができる。人の金で食べるとはいえ、普段は焼肉定食焼肉抜きしか食べていないため久しぶりに腹一杯になれると思うと気分が少し高ぶる。
そんな零児とは一年の頃からの仲で、一度だけ期末試験でアイツに一位を譲ってしまったことがきっかけだった。
***
順位なんてあまり気にしたことがなかった俺だったが、たまたま見かけた廊下の壁に貼られた順位表に書かれていたのは、
1.中野零児 500
2.上杉風太郎 494
3.武……… 487
基本2位より下、というよりもあまり人との関わりを持つことをしていなかった俺は中野零児がどんなやつなのか、そもそも顔すら知らなかった。
でも、今回の試験の数学、最終問題が多分どっかの難関大の入試の過去問から引っ張ってきていたのか、かなり難しかった。
俺でも10点中4点しか取れなかったのだ。それを完璧に解いたヤツ。興味を持つには十分すぎる理由だった。
教卓の中にある座席表を見ると、運のいいことにクラスは同じだった。
座席表には一番窓側の一番後ろの席に中野零児の名前があったので、前からその席のある場所を見ると、そいつはいた。
赤色の髪に、青い瞳、男性とも女性とも見えるどこか中性的な容姿のそいつは肘をつき、ぼーっと窓の外を眺めているようだった。
「なぁ。」
「……ん、何か用?」
「すまん、名前を聞いてもいいか?」
「いいよ。俺は中野零児、お前は?」
「上杉風太郎だ。」
「上杉ね……、で、俺に何か用があるから話しかけてきたんだろ、何かな?」
「中野って、中間試験一位だったよな?」
「………ん?あー……、満点だったから多分そうじゃないかな。」
中野も俺と同じようであまり順位とかを気にするタイプではないらしい。眠そうに欠伸をしながらそう答えた。
「数学の最後の問題さ、多分解けてるのお前だけだと思うんだよ。」
「あー、そうかもね。あれって確か○○大の過去問から引っ張ってきてるヤツだから、かなり難しかったな。」
中野はあの問題がどこから引用されているかわかっていたかのような口ぶりで答えた。俺はそれに少し驚いていた。
「ん?お前、最初から知ってたのか?」
「いんや、それを知ったのは試験を返されて、ちょっと見覚えのある感じの問題だったから調べて初めてわかったんだよ。」
「そうか、俺さ。あの問題だけどうしても解けなかったんだ。解き方教えてくれよ。」
「おっけー、いいよ。ノート出すからちょっと待ってな。」
これが俺と中野零児との出会いだ。俺はその試験以来、満点しか取っていないため、零児に一位を譲ることは二度となかった。零児曰く、『あれはマグレ』とのことだ。……マグレであんな問題解けるわけがないんだよな。
あれから、俺と零児と二人でいることが増えた。わからない問題をお互いに聞き合ったり、小テストで点数の勝負をしたり、たまにだが一緒にメシを食いに行ったりもしていた。そうやって、勉強を交えて零児と話すのは嫌いではなかった。むしろ、楽しかったとも言える。
ただでさえ、友達のいない俺にとって、零児は俺のかけがえのない親友となっていた。
***
そんなことを思い出しながら歩いていると、二人席で空いている席を見つけた。心の中でガッツポーズをしながら、少し急ぎ足で向かい、席に座ろうと机に手を置いた時だった。
「あっ……。」
「あ………。」
ほぼ同タイミングで向かい合うようにして座ろうとしていたのは、赤色の長い髪に、お世辞でもセンスのあるとはいえない星型のピンをつけた青い瞳の女子、違和感を感じたのはまず、その服装だった。見慣れない制服を着ており、明らかにうちの学校の生徒ではないのはわかった。
(………確か、黒薔薇女子だっけか?)
黒薔薇女子学園、巷でもかなり有名なお嬢様校だ。なんで、そんなお嬢様がうちみたいな公立の高校に来たのか。
次に思ったのが、顔だ。
(………零児に似てるな。)
彼女の顔を見て、真っ先に零児の顔が思い浮かんだ。それくらいそっくりだったのだ。でも、零児は一人っ子のはずだ。もしかしたら従兄弟だったりするのかもしれない。
「あの!」
「……なんだ?」
「私の方が先でした。隣の席が空いてるので移ってください。」
指差す方向を見ると、それはカウンターの席で一つしか空いていない。
「隣って……、一人用の席じゃねえか。」
「ダメなんですか?」
「悪りぃな、俺は相方の分の席も確保しないといけないんだ。ほら、諦めてどいたどいた。」
「………は、早い者勝ちです。だったら、別のテーブル席探してきてください。」
「こいつ……。」
なんだこの女は……。
こっちは相方もいるから二人席見つけないといけないのに、正直諦めて隣のカウンター席に移ってもらった方が都合がいいんだが……。
「じゃあ、俺の方が早くすわりましたー。はい、俺の席ー。」
「なっ……!」
我ながら大人気ないことをしたとは思うが、正直この席以外空いている気がしない。だから、ここはなりふり構ってる暇はなかった。
「って、昼食とるんですよね?なんで、何も食べるものがないんですか?何もしないのに昼食の席を取るのは非常識ですよね?どいてください。」
「友達が一緒に持ってきてくれるからな。俺は席取りを任せられてるんだよ。ほら、ちゃんとした理由言ったぞ。散った散った!」
「むぅ………!」
ぷるぷると震えながら頬を膨らませ悔しそうな表情を浮かべると、ソイツは俺の予想の遥か上の行動を取ってきた。
「ちょ………、おま……!」
ソイツは俺の前の席に座ってきやがったのだ。
「おま………、ここ俺の席……。」
「前の席は空いてました。」
「おい、俺の友達はどこに座ればいいんだよ。」
「そこにカウンター席が空いてます。」
……こいつも大概非常識なヤツだな。
「はぁ……。」
「はぁ…ってなんですか!?はぁ…って!!」
食い気味に反応してきた。
「見ろよ…、上杉君女子と飯食ってるぜ…。」
「やべぇ…。」
呆れかえっていると後ろからヒソヒソと変な目で見ながら噂してくるヤツらがいた。
「コイツら……。」
顔を上げると、ふるふると顔を真っ赤にして俯いていた。
………無理してんじゃねえよ。
「もういいよ、勝手にしろ。」
もうなんかどうでもよくなってきた俺はポケットからさっきの小テストを引っ張り出して、復習を始め…………、ん?
俺はヤツのお盆に乗っているものに驚かされた。
250円のうどんにトッピングで150円の海老天二つ、100円のイカ天、かしわ天、さつまいも天、更にデザートで180円のプリンだと……!?
合計で1030円、昼食にここまでお金をつぎ込むなんて……、セレブかよコイツ……、あ、お嬢様だったわ。
見ているだけで空いてるお腹がもっと空きそうだったので、とりあえず例のテストを広げて、気を紛らわすことにした。
「こんな昼食中にも勉強ですか……。まさか、食べながらやるつもりではありませんよね?」
「ん、ダメなのか?」
「行儀が悪いですよ。」
「何?『ながら見』してた二宮金次郎は称えられてるのに俺は怒られるのか?」
「状況が違いますっ!」
「……わかったよ。食事中は控えるから今はやらせてくれ。」
「むぅ……、ならいいですけど。」
なんで見ず知らずの会ったばかりの女子に許可をもらわないといけないのか。てか零児早くきてくれよ気まずいから……。
「昼食中に勉強なんてよほど追い込まれてるんですね。」
「うるさい、テストしたら復習するのは当たり前だろ、ほっといてくれ。」
すると、机に置いてあった小テストを取り上げられた。
「何点だったんですか?」
「おい、見るな!」
「えーと上杉風太郎君、得点は……。」
「おっ、やっと見つけた。どんだけ端っこに座ってんだよ。」
「100点」
「あーめっちゃ恥ずかしい!!」
ちょうど零児が来たタイミングでテストの点数を見られてしまった。点がどうであれ点数を見られるのは正直恥ずかしい。
「わざと見せましたね!!」
「なんのことだか。ほら、相方きたからどいたどいた。」
零児のお盆の上には、俺の勝ち取った生姜焼き定食とカツ丼が置いてあった。約束は守ってくれているようだ。
「お前、満点のテストを復習とか俺に対する嫌がらせか何かか?」
「うるさい、お前が早くきてくれなかったから、こっちも色々あって大変だったんだよ。」
「なんだお前、とうとう彼女で………も………。」
「上杉君の相方さん、ここの席は空いてないので、向こうのせ………き……に………。」
お互いの言葉が途切れる。
その時の零児は目を見開き、青ざめていた。
そして、同じように驚きの表情を浮かべる目の前の女子から衝撃の一言が告げられる。
「………兄さん……?」
***
「いつ……き………。」
風太郎と対面して座っていたのはここにいるはずのない俺の妹、五女の五月だった。
見間違いであってほしいと願いたいところだったが、やはり同じ血を分けた兄妹ということもあり、俺の目が、俺の記憶が間違いを許さなかった。
どうして、どうしてここに、なんでいるんだ、どうやってウチにきた、あいつらの学力なら無理なはず、場所もおしえてないはずなのに、もしかしてバレた?、ならもしかしたらほかの妹たちも?、なんで?なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
俺の頭がハテナだらけでパンクしそうになる。周りの音がよく聞こえなくなり、視界も狭まる。
「どうした零児?」
「……ッ!!」
風太郎の声で正気に戻った。
「……ごめん、ちょっと腹痛いからトイレ行ってくる。これ食ってていいから。」
この場に立っていられなくなった俺はお盆を風太郎の机に置き、その場を立ち去ろうとした。
「待って兄さん!!」
「……ッ!!」
すると、五月から呼び止められ、腕を掴まれた。その腕を掴む力は思っていたよりも強く、震えているのがわかった。
恐る恐る振り向くと今にも泣きそうな顔でこっちを見ていた。妹のそんな顔を見て、胸が痛くなり、苦しくなった。
これが罪悪感というものなのだろうか、胸の奥からどろっとしたナニかが込み上げてくるのがわかる。
ーーそうか、俺はまた、妹たちを……。
***
私たちを置いて何も言わずにいなくなってしまった、私たちのただ一人の兄さん。
私たちよりもたった一日だけ早く生まれて、ほとんど私たちと歳は変わらない。それでもこんな馬鹿な私たち妹よりもずっと賢くて、頼もしくて、優しかった。
言いたいことはたくさんあった。
何も言わずにいなくなってしまった理由を問い詰めたかった。
怒ってたのは確かだ。だけど、それ以上にまた兄さんと会えたことが嬉しかった。
また6人で集まって楽しく話でもしたい。あの頃のように笑いあいたかった。
兄さんの手を握る力が自然と強くなった。
もう手放したくない……。この手を離してしまうとまた、兄さんはいなくなってしまうんじゃないか、自然とそう思ってしまった。
だけど、
「…………ごめん。」
ーーーどうして……?
握る力が自然と弱くなってしまった私の手を兄さんはするりと抜けだしてしまう。
ーーーどうして……?
兄さんの大きな背中はどんどんと小さくなっていく。
ーーーどうして……?
「どうして……………そんな辛そうな表情しているんですか………兄さん…………。」
そんな私の声は届くこともなく、応える者もいなかった。
とりあえずオリ主紹介
中野 零児 (なかの れいじ)
例の五つ子の生まれる一日前に生まれた人。
本人たちは知らないが、定義的には六つ子とカテゴライズされる。
あまり明るい性格ではなく、友達も多い方ではない。
上杉風太郎とは親友で一度だけ試験で勝ったことで仲良くなった。
成績はかなり良い。
誰かの言葉を借りるとすれば、この知能は『後天的に身につけたもの』と言えるだろう。
続くかどうかは知りません()
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2話
あと、どうでもいいですが、友人にツールの5面ダイスを振らせたところ、3でした。
「なんで五月がいるんだよ…。」
俺は早足で五月を振り切るように歩き、人気の無い廊下の端で壁に寄りかかるようにして座り込んでいた。
俺は最低だ。いくら動揺していたからとはいえ、妹に対してあんな冷たい態度を取ってしまった。
とりあえず何故この学校にいるのか、それを知る必要がある。
とは言っても誰の差し金かくらいは大体見当がついている。俺は携帯を取り出し、電話をかける。3回ほどコール音が続くと、その相手は出た。
『……何の用かな零児君?私は仕事中なんだが。』
「理由なんか聞かなくてもなんで俺が父さんに電話をかけてきたかくらいわかるだろ。」
電話の相手は勿論父さんだ。黒薔薇女子も名門だが、うちの高校も偏差値はそこそある。五月の学力で転入できているのがどうも怪しかったのだ。真面目が一番の五月だが、どこか空回りしている節があったため、もし中学の時のままの学力なら転入なんてほぼ不可能なはずだ。なんとなくどうやったのかは想像がつくけど。
「なんで五月がうちの学校にいるんだよ。黒薔薇女子を蹴られたのは何となくわかるけど、ウチもそこそこ偏差値は高いはずなんだが?」
『そうだね、大体零児君の言う通りだよ。一花君たちは黒薔薇女子を落第しかけたみたいでね。そこで知り合いが理事長をしてるこの高校に編入させたんだ。』
「一花達………?もしかして妹達全員ウチに来てるのか……!?」
『勿論。彼女達を離れ離れにさせることなんてできないよ。』
やっぱり、五月以外の四人も来てるのか……。
だとしても、どうしても腑に落ちない所があった。
「ここは公立高校だぞ。編入に至ったとしてもまた落第し兼ねないと思うんだけど。金じゃどうにかするのにも限界があるんじゃないか。」
私立高校なら金さえ出せば卒業までつなげることが出来るかもしれない。でも、ここは公立高校、お金を出して、はい卒業、というわけにもいかないだろう。それなら、もっと妹たちの偏差値に合った高校に編入させるべきだと思う。
『勿論、一花君達の学力が見合ってないというのも百も承知だ。』
「だったら……!」
『そこでだ、家庭教師を雇うことにした。』
「家庭教師……?たしかにこれから学力を上げていくしかないから、妥当かもしれないけど…。」
これから底上げして果たして定期試験までに間に合うのか…?
一年の頃に土台が出来ているのなら何とかなりそうなのだが、落第しそうになるくらいだからあまり期待はできそうにない。
あとは本人のやる気次第になるが……。
「外部の人間を雇うってことだろ?」
『いや、内部の人間だよ。外部の人間なんて雇ったら一花君達がどうなるかわからないからね。危険すぎる。』
この人も大抵親バカだな……。
まぁ、接しやすい相手の方が一花達も勉強しやすいか。
「内部ってことは江端さんを講師にでもするの?あの人って確か東大出てるんだっけ。」
『確かに江端でもいいが、彼は今、他の仕事で忙しいから講師は無理だよ。』
「じゃあ、誰を雇うんだよ。」
内部で講師なんてできる人は江端さんくらいしか浮かばなかった。
他に勉強を教えられる人なんていたか…?
『気づかないのかい零児君?』
「……江端さん以外にいたっけか?」
『………君だよ、零児君。』
「はぁ!?」
驚きのあまり、普段出さないような驚きの声が出てしまった。
それに、俺が家庭教師なんて……。
「なんで俺に一花達の家庭教師を?」
『君の成績は随時確認させてもらっているよ。この前の中間試験は496点で2位、そして、先月行われた全国模試の方でも順位は19位だったと聞いている。成績は文句をつけようのない位にいいじゃないか。』
「なんで俺の試験の結果が父さんにまで知れ渡ってるんだよ。」
『言っただろう、理事長と知り合いだと。試験の結果はいつも教えてもらっているよ。』
「………。」
『そこで、零児君を一花君達の家庭教師として雇わせてもらいたい。勿論給料も出すよ、そこらへんはやっぱりビジネスの話になるからね。そうだね、給料の方は通常の五倍でどうだろう。アットホームで楽しい職場だ。』
「………給料も出るのか。」
『勿論、君は一人暮らしをしている身だ。お金の方も前ほどあるわけではないだろう?零児君にはもってこいな職場だと思うんだが。』
給料は普通のバイトの相場の五倍。
相手は幼い頃からずっと一緒にいた妹たち。
俺からすればきっとこれほどにいい職場は無いのだろう。
だが、さっきから黙って聞いていて胸の奥から何か熱く込み上げてくるものがあった。携帯を持つ手はぷるぷると震えている。
この感情の名前は何かと聞かれたら俺はきっとこう答えるだろう。
ーーー『怒り』だと。
まるで交渉するかのように淡々と条件を述べる父さんに俺は怒りしか覚えなかった。
「ふざけんな!!」
俺は気づけば電話越しではあるが、父さんを怒鳴りつけていた。人をこんな風に怒鳴ることなんて人生で一度もなかった。だけど、この条件だけはどうしても許せなかったんだ。
「なんで父さんはこんなやり方しかできないんだよ!!確かに俺は前に比べたらお金の方もたくさんあるわけじゃないさ。家計簿つけて節約しながら上手くやりくりしてるよ。だけど金に困ったことなんて一度もねえ!!正直余計なお世話でしかねえよ!!」
父さんの出したこの条件は俺のことを思ってのことなのかもしれない。だけど、ひとつだけ、父さんであっても絶対に許せないことがあった。
「なんでこんなやり方でしか俺に妹たちの面倒見るのを頼めねえんだよ!?確かに妹たちにどこか引け目を感じて逃げるようにココに来たのも事実だ。だけど、妹たちのことを嫌いだと思ったこともないし、頼りにされたらもちろん助けになるつもりだったさ。義理とはいえ俺たちと父さんは家族だろ!!こんな金で釣るような汚い真似しなくても普通に頼めばよかったじゃねえか!!」
なんで父さんはここまで合理的にしか物事を見ることしかできないのか。親なのに恐ろしく淡白で冷めていることが本当に恐ろしくて仕方なかった。俺のことを金で釣らないと動かないと思われていたのが悲しくて仕方がなかった。思ったことを吐き出して、怒鳴り散らして、なにもかもをぶちまけて俺の胸の中に残っていたのはこの悲しさだけだった。
「………『妹たちが勉強で困っていたら教えてあげてくれ。』その一言だけで俺は動くよ。俺はそのために努力してきたんだから。妹たちを導くのが兄の役目だから。そこだけは離れ離れになっても見失ってないつもりだよ。」
『……。』
「俺のことは気にしなくていいよ。それよりも妹たちのことをもっと見てあげて欲しい。親として、もっと正面から向き合ってあげてほしいんだよ。五人で一人前じゃ、いずれきっとダメになる。いつかは、一人一人がそれぞれの道を進めるようになってくれれば……。」
俺はひとりで一人前になる、そのための努力を俺は積み重ねてきた。俺は妹達のような突出した輝きを、個性を持っていない。
妹達はそれぞれの個性を生かせば俺の何倍も輝ける、そんな可能性を持っているはずだ。
もしかしたら、俺はそんな可能性を、個性を持つ妹達に憧れてたから……、嫉妬していたから……、あんな行動を取ってしまったのかもしれない。
だけど、父さんの不器用だけど切実な願い、それを受け取ったことで俺の考えは変わった。いや、思い出したんだ。
ーーー俺は何のために努力してきたのか。
ーーー妹たちを導くためだろ?
それが、俺の原点だ。
突出した個性も輝きも何もない俺に出来ることは、妹達を正しい方向へ導き、支え、その背中を押してあげることだった。
母さんがいなくなっても何も感じなかった俺は最低だ。霊安室で皆が泣き喚いている中でも俺の胸の奥から込み上げてくるものは無く、ただただ冷静だった。動揺もなく、周りがよく見えていた。
妹達に感じていた疎外感、それはきっと同時に罪悪感でもあったのだろう。
そんな親不孝で最低な俺に出来る償いなんてこれくらいしか思いつかない。
そもそも一度逃げ出した俺に逃げ道なんてもう無いんだ。
ーーー覚悟を決めろ。
『………だったら、完全に無給になるが君は一花君たちの勉強の指導を受け持ってくれるのかい?』
「あぁ、もちろん引き受けるさ。」
このまま妹たちの面倒見を引き受けてもよかった。
妹たちに謝らないといけないし、もう一度向き合ういい機会だと思ったからだ。
だけど了承するその寸前、俺の頭のどこかでアイツのことが思い浮かんだ。
友達も少なくて、無神経で、でも、人の隠れた可能性、才能を、性質を見抜き、まっすぐ向き合い、正しく導くことができる俺のただ一人の親友のことを。
ーーー俺以上に適任な男がいるじゃないか。
俺は直ぐに行動に出た。
「………だけど、一花達を導くのに俺よりも適任な人がいるよ。雇うならそいつを雇ってあげてほしいんだ。」
だけど、この相場の五倍の給料が出るという仕事、家庭の状況や人柄からもってこいな男が一人いる。
『外部からの指導は断固拒否だと伝えたはずだが?』
「大丈夫だよ。なんてったって俺の親友だからね、それに学力もお墨付きだ。全国模試19位の俺なんかとは比べ物にならないよ。………………アイツは4位だ。それに定期試験ではいつも全教科満点パーフェクトだ。俺なんかよりも教えるのは断然上手だし、意欲も違う。この家庭教師、アイツほど適任なヤツはいないよ。」
『…零児君がそこまで推すのなら、その親友とやらに頼んでみるのもいいだろう。名前を教えてくれないかね。』
「上杉風太郎だ。」
『…………上杉の息子か。』
「ん、父さん?」
『あぁ、わかった。すぐに手配しておこう。』
「ありがとう父さん。」
『…零児君も、一花君達のことを頼むよ。』
「あぁ。」
俺は電話を切った。
携帯をポケットに入れ、ふぅ…と一息ついた。
「あー………、やっぱカツ丼食っとけばよかったなぁ…。」
お腹がギュルギュルと音を立てていた。今頃は風太郎が全て処理してしまっているだろうが、やっぱり何か食べないと辛い。
「……売店でパンでも買ってから教室に戻るか…。五月にも謝らないといけないしな……。」
俺は重い腰を上げ、食堂に戻ることにしたのだが、顔を上げると、俺の目の前に見慣れた顔があった。
「………レージ。」
「……三玖か。」
俺の前に立っていたのは三女の三玖だった。
五月と同じ赤い髪をしていて、セミロングなのだが五月の星形のピンのような留めているものが無いため、前髪で俺や五月たちと同じ青色の右目が少しだけ隠れており、俺が中学の時に買ってあげた青いヘッドホンを付けているのが特徴だ。それ以外は顔も体型もほとんど変わらない。
父さんから聞いた通り、妹たち全員ウチに来ているのは本当らしい。
「…やっぱりわかるんだね。」
「当たり前だろ。小さい頃はいつも一緒にいたんだから。」
ーーもう、逃げださない。
そう胸に決意を抱き、三玖としっかり正面から向き合う。
それが、今の俺に出来る償いのつもりだ。
普段感情を顔に出さない三玖だが、今回は様子が違った。
妹達と変わらない青い瞳から大粒の涙を零し、声を震わせながら言った。
「………っ、会いたかった……!れーじ………ッ……!」
涙声で喘ぎながら胸に顔を埋める三玖を俺は黙って受け止めた。
***
………レージは誰よりも強い人だった。
喧嘩に強いとかそういうことじゃない、精神的に強いってこと。
お母さんがいなくなったときも、みんなが泣き崩れているときもレージだけは涙ひとつ溢さずただ見守っていた。
そんなレージを見た私は薄情者だと、怒りに任せてレージを叩いてしまった。
でも、叩かれたレージは何も言い返すこともなく、やり返すこともなく、ただ俯いているだけ。
そして私は遂に絶対に言ってはいけないことを言ってしまった。
ーーーレージなんか私たちの家族じゃない!!消えて!!!
その時のレージの顔はきっと一生忘れられないだろう。
しばらくの間、レージはしばらくの間呆然としていたが、正気に戻ると一言だけこぼして、霊安室を出て行った。
ーーーごめん三玖。………母さんじゃなくて、僕が死ぬべきだった。
その時のレージの顔は何故か笑っていた。だけど、目は絶望に染まっていた。まるで死んでいるかのような、そんな目だった。そして、霊安室を出て行く時のレージの背中は寂しさや悲しみ、そんな負の感情であふれていた気がする。
だけど、それでもレージは私の兄でいてくれた。
お母さんの死を受け入れきれず、みんな部屋に閉じこもりっぱなしになってた時があった。
私もそうだった。食欲も何も起きず、ただ部屋の隅で座りこんでた。
「三玖、入るよ。」
ドアの向こうからレージの声が聞こえて扉が開いた。
その手にはお盆があり、その上にお粥とお茶の入ったコップが乗ってあった。
「………何?」
「三玖、今日も何も食べてないでしょ。食欲が湧かないのもわかるけど、何か食べないと死ぬよ?」
「…………。」
「……ここに置いとくから、食べ終わったらドアの前に置いといて。」
そう言ってレージは私の机の上にお盆を置いて部屋を出て行こうとした。
「……なんで……。」
「三玖……?」
「なんでレージはそこまで気にかけてくれるの……?私、この前あんな酷いこと言ったのに……。」
あの時のレージの顔は脳裏に焼き付いて記憶から消える気がしなかった。あんな絶望の表情を見せたレージがどうしてこんな妹のことを気にかけてくれるのかわからなかった。
するとレージは私の頭の上に手を置いて優しく撫でながら言った。
「……そんなの、僕が三玖達の兄だからに決まってるだろ?妹の心配をしない兄がこの世のどこにいるよ?」
「………ッ……!」
「僕は………、確かに最低な人間だ。そんな僕に出来ることなんてこれくらいしかなかったんだよ……。」
「レージ……。」
「立ち直ったら……、この事実を受け止められるようになったら出ておいで。それまでは全部僕がこなしておくから。」
そう言って、レージは部屋を出て行った。
レージは独りで、壊れかけたこの家庭を首の皮一枚で必死に繋ぎ止めてくれてた。
毎日、独りで五人のご飯も作って部屋に持ってきてくれたし、家事もずっと独りでこなしてた。
私たちには何も言わずにずっと待ってくれてた。
独りで何もかもこなしていたレージの負担は凄まじいものだっただろう。
でも、嫌な顔一つせず優しく笑っていつも通りご飯を持ってきてくれた。
そんなレージの姿を見たから、私も立ち直れたんだと思う。レージが私に前へと進む勇気をくれた。
私は中野零児という兄の、真の強さをそこで知ることができたんだと思う。
でも、レージは突然いなくなってしまった。
それは高校進学を控えた春休みのこと、二乃にレージを起こしてくるよう頼まれた時だった。
普段誰よりも早く起きてるレージが一番遅かったことにも違和感は覚えていたが、そんなこともあるよねと私の中で解決していた。
あくびをしながら一番奥のレージの部屋に向かい、部屋をノックする。
「レージ………、朝だよ。」
………返事がない。
「……レージ?」
不安になった私は恐る恐るレージの部屋の扉を開けた。
しかし、そこには私の思いもしない光景が広がっていた。
「………ッ!!」
ーーーレージがいない。
部屋の家具はそのままだが、本やパソコンなどの大事なものだけがなく、レージもいなかった。
その事実に気づいた瞬間、私の頭の中が真っ白になった。
ーーーなんで、いないの……。
ーーーやっぱり、あの時のことを……?
ーーー私が、あんなこと言ったから……!
ーーーやっぱり気にしてたんだ……!
ーーーごめんなさい……!
ーーーごめんなさい……!
ただひたすら謝ることしかできなかった。胸の奥から黒い何かが、罪の感触が背中を這いずって登ってくるのがわかる。
おまえのせいだとレージにいい迫られてるような気がした。
「ごめんなさい………!ごめんなさい……!」
「……玖……!三玖……!」
「ごめんなさい…!私のせいで………!」
「三玖ッ!!」
「……ッ!!」
突然の大声で現実に戻された。
恐る恐る振り向くと仁王立ちで立つ二乃がいた。
「……なにしてんのよ。もう朝食できてるわよ、早く来なさい。」
「二乃………。」
「………あなただけのせいじゃないわ。私だって……!」
顔を上げて二乃の顔をよく見ると目の周りが真っ赤になっていることに気がついた。……二乃は私に顔を見せようとはしないけど。
「……あとでパパに聞いてみるから。とりあえず冷めないうちに食べてしまいましょ。」
「………うん。」
お父さんから聞いた話によると、公立高校の方に進学したとのことだった。何故かお父さんは学校の名前は教えてくれなかった。なんとか探し出して私たちも行こうと思ったが、既に合格発表も済んでるし、レージの成績ならきっと偏差値の高い高校に進んでるだろうから、私たちじゃ進学は不可能だろうと悟らされた。
私たちはお父さんのお陰で黒薔薇女子に進学することができたが、そこも名門と呼ばれる有名なお嬢様学校だったため、勉強についていくことができなかった。
授業を聞いても、何のことを言ってるのかサッパリわからないし、教科書を読んでも理解ができなかった。勉強に苦しんでいると、ふとレージのことが頭に浮かんだ。
私たちはレージにわからないところを聞いて、レージはそれに当たり前のように答えて教えてくれてた。
だけど、レージはもういない。
その事実を突きつけられた時、私たちは思い知らされたのである。
今までレージがいてくれたおかげでやってこれたということを。
私たち姉妹だけじゃ何もできないということを。
私たちは黒薔薇女子で落第しかけて、またお父さんの伝手を借りて公立の高校に転校してきた。
初日ということで午前中を使って学校を回っていたときのことだった。
「ふざけんな!!」
「……ッ……!」
初めて聞いた、レージの怒号。
たまたまレージを廊下で見かけたので堪らず後をつけてきたら、携帯片手に怒りをあらわにしていた。
普段感情的になることなんてないレージの本気で怒っている顔を見たのは初めてだった。
廊下の端で座り込んで誰かに電話をかけているようだったが、少し遠くにいるせいで声がよく聞き取れない。
「なんでこんなやり方でしか俺に妹たちの面倒見るのを頼めねえんだよ!!……だけど、妹たちのことを嫌いだと思ったこともないし、頼りにされたらもちろん助けになるつもりだったさ。義理とはいえ俺たちと父さんは家族だろ!!こんな金で釣るような汚い真似しなくても普通に頼めばよかったじゃねえか!!」
レージの怒号、それはお父さんに向けられたものだった。
だけど、それが私たちを思ってのことだというのがわかって、すごく嬉しかった。
「………レージ。」
ーーーよかった……!
ーーー嫌われてなかったんだ……!
「三玖か。」
「……やっぱりわかるんだね。」
「当たり前だろ。小さい頃はいつも一緒にいたんだから。」
レージはさも当然かのように私だと見抜いてくれた。そのことが嬉しくて仕方がなかった。
レージの顔を見てると胸の奥から何か熱いものが込み上げてくる。
「会いたかった……!れーじ………ッ……!」
レージの目はまっすぐで、昔と変わらない優しい瞳で見てくれてる。こんなに心の底から安心することなんてなかっただろう。レージはいつも私たちの前に立って手を引いてくれてた。そんなレージは私なんかよりもずっと大人に見えたし、私もいつかはあんな人になりたいと憧れたりもしてた。
いつか私も、私たちも、レージから離れないといけない。きっとそれが大人になるということなんだと思う。
だけど………
ーーだけど今は、少しだけ……。
私のレージを抱きしめる力は自然と強くなっていた。
***
「すみません、焼肉定食焼肉抜きお願いします。」
「はいよ〜って、あれ?レイジ君さっきカツ丼頼んでなかったっけ。」
「あれ、友達の分です。僕まだ食べてないんですよね。」
「そうだったんだね〜、はい、200円ちょうどね〜。」
「ありがとうございます。」
そう言って貰ったお盆の上には茶碗に乗ったライスと味噌汁とお新香があり、これがいつも風太郎が頼む焼肉定食焼肉抜きだ。生憎、五月や三玖と色々あったお陰で昼休みが終わってしまいそうなのでとりあえず軽く小腹を満たしておくことにした。
「レージ……、普段こんなの食べてるの…?」
「いや、普段はもっとマシなの食ってるからな?今回だって本来ならカツ丼を食べてたはずなんだよ。てか、昼休みももう終わりそうだし、これが一番手っ取り早いんだよ。」
「言ってくれたら昼食代くらい私が持つのに……。」
「別に、金には困ってないからいいよ。心配してくれてありがとな。」
「ん……。」
俺は三玖の頭を優しく撫でてあげる。三玖も目をつむって気持ちよさそうな表情を浮かべる。
昼休みも終わりが近づき、人が少なくなった食堂の隅のカウンター席に座り、お盆を置いた。
「ご飯と味噌汁といえば、やることは一つしかない。」
俺は茶碗に盛られたご飯を少し食べる。大体茶碗の中のご飯が2/3くらいになるまでくらい減らした。
「何しようとしてるの?」
「まぁ見てな。」
俺は味噌汁のお椀を持ち、それをご飯にかけた。
そう、俺がやろうとしてたのは俗に言う『ねこまんま』というやつだ。
風太郎が試験期間中によりスムーズに昼食を済まそうとしていた時に使っていた手で、この方法を取れば、最速で30秒くらいで済ませることができる。
後、オマケで付いてくるお新香と一緒に食べるのも中々美味い。
俺は茶碗を持ち、かき込むようにご飯を口の中へ入れていく。
「ふぃー、ごちそうさま。食器返してくるからちょっと待ってな。」
「…わかった。」
俺は急ぎ足でお盆を返却口に返して三玖のところへ戻った。
「三玖はこれからどうするんだ?まだ学校を見て回るのか?」
「いや、午後からは教室に行くよ。」
「そうか。同じだといいな。」
「うん、レージと同じクラスになれるといいな。」
「そうだな。そんじゃもうすぐチャイム鳴りそうだし教室に戻るよ。」
「また後でね。」
「ああ。」
俺と三玖は食堂を出た辺りで別れた。
するとすぐに予鈴も鳴り、俺は急ぎ足で教室に戻ることにした。
***
『お兄ちゃん!!お父さんから聞いた!?』
妹のらいはからメールが来ていたのでトイレで電話をかけると第一声がこれだった。いきなりの大声に思わずびっくりしてしまう。
「どうしたらいは、落ち着いて話してくれ。」
『あ、ごめんね。うちの借金無くなるかもしれないよ!』
「は?」
『お父さんがいいバイト見つけたんだ。最近引っ越してきたお金持ちのお家らしいんだけど、娘さんの家庭教師を探してるんだって。』
「家庭教師だと……?」
『うん、給料は相場の五倍で、アットホームで楽しい職場だってさ。』
「裏の仕事の匂いしかしないんだが……。」
零児に一回相談すべきか……?
相場の五倍なんていくらなんでも怪しすぎる気がするし。
『成績悪くて困ってるって言ってたし、きっとお兄ちゃんならできるって信じてるよ。』
「おい、引き受けるなんてまだ一言も……!」
『これでお腹いっぱい食べられるようになるね!』
ぐぅぅと腹の音がまるでらいはに返事をするかのように鳴った。
確かにらいはの言う通りだ。これは借金を帳消しにするチャンスなのかもしれない。
『それに零児お兄ちゃんもいるし、迷ってるなら相談してみるといいんじゃないかな?』
「そうだな……。とりあえずその娘ってどんな人なのか教えてくれないか?」
『えーっとね、確か今日転校してくるはずだよ。確か名前は……。』
「おい……!」
「マジかよ、超かわいいじゃん……!」
「あれって黒薔薇女子だろ、お嬢様校じゃねえか…!」
「てか………、中野に超そっくりだ……!」
俺は驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
零児とよく似た赤い髪に、印象に残るあの星型のピン、間違いない……。
頭の中でさっきの食堂での二人のやり取りが想起される。
ーーー待って兄さん!!
ーーー………ごめん。
「はい、中野さん。自己紹介を。」
あの時の彼女と零児の表情。そして、中野という苗字、そう俺が家庭教師として勉強を教える相手は。
「中野 五月といいます。よろしくお願いします。」
紛れもなく、零児の妹だった。
続くかどうかは知りません()
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