黒金の戦姉妹 (kakapobeans)
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プロローグ

この話は金次が "本当の意味でクロメーテルさんになってしまう"
特殊なHSSを基にした二次設定作品です。

基本的に原作の話の流れからずれないように改変していこうと思います。
あくまで"流れ"だけですけど……

ただ、キンジの過去の設定がどうしても独自設定として必要になるため、
後々、原作とは違った流れになってしまうかもしれません。


私の相棒(パートナー)が死んだ。

 

いかなる時にも正義を貫き。比肩するものがいない程強い。それと同じく、とても美しい人。

数々の仕事を共にこなし、死線を潜り抜けてきた唯一の相棒だった。

私の背中はあの人にしか任せられない。その逆であって欲しいとも思っていた。

 

今でもふと考える時がある。これは何かの間違いではないのかと。

 

あの人が誰かに負けるわけがない、死体だって見つかっていない。

死んだことが証明できなければ、生きている可能性は否定できない。

そんな言い訳がましい苦言のような妄想を…。

 

 

でも、

単独任務を終え、眠りについた私が次に目覚めた時には――

 

彼女は…カナは行方不明のまま、死んでしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

(…あれは……!)

目の前を歩いていく姿に見覚えがある。そうだ、見間違えようもない。あの後ろ姿は、

 

(カナ!)

 

ずっと憧れたその背中はいつだって大きく見えていた。

「女性にそんなこと言わないの!」なんて言われそうだから、口には出さなかったけど。

いつになったら追いつけるのかと、悩んでいた時期もあった程だ。

 

それが今は、ひどく小さく見える。いや、徐々に遠ざかっているのだ。

一歩、また一歩と背中が小さくなっていく。

 

(いや!いかないで…)

 

しかし、声が届いていないのか、振り返る素振りも立ち止まることもない。

叫びながら追いかけているのに、走っているはずなのに、その距離が縮まらない。

どんどん遠ざかってしまう。

 

(私を置いてかないで…一人にしないでぇ…)

 

追いつけない。私はまだ彼女に追いつけないのか―

嗚咽を含んだような悲愴な声もむなしく、遂には人ごみの中に消えてしまう。

 

(あ――)

 

まるで体中を刺し貫かれるような、嫌な視線を感じて周りを見回すと、いつの間にか大勢の人間に取り囲まれていた。

蔑むようにこちらに向けられた目は、見たことがある。いや、忘れるわけがない。

 

「無能な武偵だな」

「被害を未然に防げないなんて」

 

カナを…私の大切な相棒を侮辱する声が、次々と投げかけられる。

 

 

    いたい  くるしい  はきけがする

 

 

体中に突き刺された針が血流にのって心臓に殺到する。

 

(やめて…!カナはとても優秀で…被害者だって一人も…)

 

でも世間は違う、カナは失敗したのだ。1か0、その過程は関係ない。

2008年12月()()()、その時確かに事故は起こってしまったのだ。

 

痛みから、苦しみから、その声から逃れたい一心で。

目を瞑り、耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。

 

(武偵なんて、武偵なんて!!)

口から出掛かった言葉はそこで止まった。その先の言葉は私がカナを否定するのと同じだ。

代わりに口をついて出た言葉は

 

(なんて…損な役回りなんだ…)

 

徐々に目の前の光景が白く歪んでいき、視界も覆いつくされていく。

 

(ああ、これは…)

 

 

 

 

 

そこで目が覚める。寝ぼけた目に映るのはいつもの天井。

さっきの白い靄は、カーテンの隙間から差し込んだ光のようだ。

 

嫌な夢からは解放されたが、憂鬱な毎日からは逃れられない。

ふと時計を見ると、時刻は朝6時半。まだまだバスまでは時間がある。

 

悪夢のせいで汗が背中を濡らしているのに気付き、

 

「シャワー浴びよう…」

 

せっかく早起きした朝を気分転換(ゆういぎ)に使うことにした。

 

(今日は始業式か)

 

そう、今日は武偵高校の始業式。探偵科二年としてまた一年間、あの普通じゃない高校に通うのだ。

―自分の相棒が死んでしまった原因となる武偵を育成する高校に。

 

(この力は封印するんだ)

 

あの日、そう決意を固めた。自分には必要ないものだと、自分には過ぎた力であると。

相棒を奪い、いずれ自らを破滅に導くこの力を二度と使わないと。

 

 




今回はお試し投稿、的な。
誤字脱字が散見されると思いますが、ご容赦ください。

次回以降はとりあえず過去に跳びます!
大体の設定はそちらで説明していこうとおもいますので。


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イタリアの黒金姉妹
不可視の存在(インヴィジ・フィグ)(前半)





どうも!


暫くの間はイタリア武偵として活動する遠山兄弟(姉妹)のお話となっています。
原作時間軸に進むまではかなりの時間を要する予定ですので、あしからず。

当方、オリジナルキャラの数が増えていきます。主人公のクロ(キンジ)も性格から改変されていて、それがそのまま原作キャラと絡んでくる流れになりますので、オリジナル設定が苦手な方はご注意を。

今回は戦闘描写はまだ出てきません。


では、始まります!





 

 

 

―――パァン

 

 

静まり返る闇夜に乾いた銃声が響いた。

暗闇を撃ち抜くように、一発のマズルフラッシュが閃く。

 

光は再び闇に飲み込まれ、辺りは暗闇と静寂に立ち戻る。

 

時刻はすでに0時(てっぺん)を過ぎたころ。

電灯の光が届かないこの暗い裏路地は犯罪組織にとって格好の隠れ家となっていた。

 

 

―――パァン―――――――――パァン

 

 

続けて2度、3度と光が閃き、その度に一人、また一人と地に伏していく。

残されるのは静寂と、倒れ伏す男たち。その体に流血の跡はない。意識だけを刈り取られたのだ。

彼らは防弾繊維を身に着けていた。つまり、初めから警戒していたのである。

 

しかし、それでもなお誰も気付くことが出来なかったのだ。いや、

 

「何が起こっている!?」

「くそっ、どこだ!どこにいる!」

「探せ!探しだせ!」

 

今、この瞬間も……

 

 

―――パァン

「グゥっ!」

 

 

"姿の見えない襲撃者"に。

 

 

――――――――パァン

「ガっ!ど、どこから…」

 

 

翻弄され続けていた。

 

 

―――――――――――――パァン

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「クロちゃん、最近は夜空の星がキレーに輝いてるわね、そろそろ夜のお散歩も良い頃合いじゃないかしら。あなたはどう思う?」

 

「!」

 

休日の朝、カナ(姉さん)は普段と変わらない日常会話の中で、世間話をするように私にそう話す。

街中で買い物をしていた私たちの周りには何人も人が歩いており、というよりもこちらを遠巻きに眺めているようだ。

にこやかな笑顔で問い掛けるよう首を傾げたカナにつられて、今朝私が編み直した後ろ髪が翻った。愛用のロングコートは今は着ておらず、ゆったりとしたセーターに身を包んでいる。

 

(今日も姉さんは美しいな……周りの目を集めるのも仕方ないか)

 

そんな考えが一瞬よぎったが、あわてて話の内容を反芻する。

 

(違う!えっと?星がきれいだっけ。ほし、星ねぇ。……星?)

 

はっ、とするがすでに手遅れ。いくら私の思考速度が30倍でもそれは姉さんも……

 

「クロちゃん?何をぼーっとしてるのかしら」

 

ほらもう来ましたよ、催促の呼びかけが。

まださっきの会話から2秒も経ってないよ?

 

仕事のこととなると即断即決、一瞬の判断ミスがチームの生存に関わってくるのだ。もし今のが敵の奇襲なら私の頭には銃口が突き付けられていただろう。

姉さんはたまにこうやって私を試すことがある。日常会話に織り交ぜて、偵察(しごと)の近況報告を求める旨を隠語を使って尋ねてくるのだ。しかも人ごみの中。

 

つまり、(1)返答はできるだけ簡潔に、(2)尚且つ話の流れを汲んだ上で(3)周囲に聞こえても問題の無いように、こちらも隠語で返答しなければならない。(4)2秒以内に。

 

「カナ姉さん、私の見る限りであれば最近、星の光はライトアップされたトレヴィの泉に映り込むほど輝きを増しています。トレヴィの泉がまた()()()()()()()ようなことがあれば13星座、蛇使い座の祖神が怒り、()()()()()()()()()()でしょうね」

 

ちらっ。どうかな?うまく伝わったかな?

これまでの報告にも用いたいくつか既存の単語を織り交ぜているから、一切伝わらないなんて事はないはずだ。

 

思っていた通り、姉さんは瞬考しうなずいた様子を見せ――

 

「うん、じゃあ今夜星々に手を伸ばしましょう。少し冷えるかもしれないから()()を忘れないようにね?」

 

にっこりとそう返してくる。

 

(うげぇ、嫌だなぁ。冷えるどころか汗だくになりそう)

 

げんなりする私が顔を上げると、目の前に姉さんの顔が現れた。ちょっ、顔近っ!

 

「っ!ね、姉さん?」

「……50点、かしらね」

 

(へ?うそ、赤点!?)

 

そのまま何も言わず姉さんは歩いて行ってしまう。少し足早に。

ショックから立ち直り慌てて追いかける私も、そこで違和感を感じた。尾けられてる?

 

姉さんは十字路を左に曲がる際、こちらに一瞥をくれることも無く内角を最短で曲がっていった。

 

(やれやれ、私のミスですね)

 

私はその十字路まで、できるだけ路の真ん中を駆けていき、姉さんを見失ったようにキョロキョロしてみた。実際、曲がった先の姉さんの姿はすでに消えている。

 

(さてと、警戒して距離を開けるか、それとも私に接近するか)

 

気配の断ち方、視線の遮り方からこの辺りを根城にし、地理に詳しいやり手であると予想できる。

それなら私が向かうこの道の先がどうなっているのかも理解し、チャンスだと思うはず。

 

速度を緩めながらそのまままっすぐ歩き続ける。

姉さんを警戒して少し止まったようだが、別々になったのは好都合だと考えたようで、私の後をつけて来た。そろそろ、到着する。

 

(行き止まり。さあ、仕掛けてくるか?)

 

あれれ?といった風に装い、もと来た道に振り返るが、誰もいない。

 

(……来ないなぁ、気配も感じられない)

 

来ないものは仕方がないので、不自然に見られないように戻っていく。

しかしその道中も何者かに尾行されている気配がない。

 

(ここまで来ておいてスルーですか、そうですか。女性を期待させておいて裏切るとは)

 

こっちはあなたのせいで赤点もらったんですよ?絶対許しませんから!などと考えながら歩いていると、いつの間にか十字路まで戻って来ていた。腹立たしさを感じながらも右へと曲がる……直後、

 

 

「"おおーっ?レアキャラ確保ーっ!"」

 

 

唐突に後ろから何者かに抱き着かれる形で、ミシミシ……グギューっと両腕諸共締め上げられる。ウエストサイズマイナス20センチを誇る拷問器具ようなコルセットは、腕に力を入れてもビクともせず、身じろぎしようが脱出は敵わない。呪い装備は外れないよ。

温かい呼気の吹き掛けられる口鼻の位置から頭の高さは肩甲骨程度で、怪力の割に小柄な相手だと分かった。

 

(ぐるぢい、この馬鹿力は……!)

 

「"クロちゃんみーっけ!"」

「"はなじて……ぐだざい……"」

 

なんとかその言葉だけを絞り出した私はすんでの所で解放され一安心。あやうくまだ食べてもいない朝食を先払いでリバースするところだった。

四つん這いの状態のまま後ろを振り返ると、「やっちゃった☆」みたいな顔で悪びれもしないクラスメイトがいる。そのてへぺろみたいな顔をやめなさい!

 

「"えへへー、休日にクロちゃんを街中で見付けるなんて。あたし今日はついてるかも!"」

 

 

【挿絵表示】

 

 

とかなんとか意味不明な供述をしている現行犯は知り合いである。ダークブラウンの髪を真っ白なリボンでポニーテールに結っており、両の目は色素の薄い茶色。キリっと吊り上がった目はキツイ印象与えるが、だらしなく緩められた表情でドキッとするギャップを生み出している。

平均チョイ下くらいの身長にもかかわらず、可愛らしく小柄ななで肩とほとんど成育が見られない胸が原因でちびっ子認定されていて、反面、引き締まったウエストやスラリと伸びる両脚はまるでモデルのようである。胸以外は。

 

「"いいですか?私の話を聞いてください、一菜さん"」

 

三浦一菜(みうらいちな)、その名の通り日本人。イタリアには親の仕事の都合で入学前から移り住んでいたらしく、イタリア語での会話も問題なくこなせている。幼少期は日本で過ごした為日本語も堪能、入学当初は翻訳機としてものすごく助けられていた。

でも、言うことは言っておかないと、(物理的に)体を壊すのは私の方なのだ。

 

「"私はカブトムシかクワガタですか。びっくりしてしまうのでいきなり捕獲しようとしないで下さいね。あとそんなにレアキャラでもないですから"」

「"ねーねー、次はいつ?どんな逸話をつくっちゃうのー?"」

 

(こ……こいつ!)

 

ちびっ子にはちびっ子らしく、昆虫王者のはなしで分かりやすく例えてみたのに。

またしても完全にスルーを決められた私の心はボロボロよ!?

 

「"私の話を……"」

「"あたしもいつかクロちゃんの必殺技を直接見てみたいなー"」

「"わた……"」

「"そうだよ!ずっとくっついてればいいんだよ!"」

 

(だめだこいつ。翻訳機の翻訳機が必要じゃないか)

 

私の脳内には、犬の鳴き声にあわせて画面に「ごはん!」と表示される携帯端末が思い浮かぶ。

 

このまま彼女に付き合い続ければさらなる減点になりうる、それ以上に先程の尾行者がまだ近くに潜んでいる可能性もあり、彼女を巻き込むわけにはいかないのだ。決して逃げるわけではない。

なにやら話の雲行きが怪しくなってきたあたりで私はこの場の離脱を決意した。

 

「"それならクロちゃんの活躍を見逃すこともないし、ガードの固いクロちゃんのあんな所やこんな所も……って、あれ?"」

 

残念でした、もう私はいませんよ。

物陰から様子を窺っていると、何を想像したんだか頬を赤く染めていたちびっ子は、全身を使ってブォンっブォンっとでも擬音がつきそうな勢いで周囲を見渡している。振り回された頭の尻尾が千切れて飛んで行きそうだ。

 

(っていうか、ちょっとだけ周囲の小石が飛ばされてない?私あんなポテンシャルを秘めた逆サバ折を喰らってたの?)

 

そりゃ苦しいわけだ。

 

次見つかったらもう逃がさんとばかりに締め折られる可能性が高い。こっそりとその場を後にすることにしたのだった。

 

 

 

 

 

「第一に返答が遅かったわ、クロちゃんぼーっとしてたでしょ?」

「はい……余計なことを考えていました。」

 

あの後、第8集合地点で姉さんと合流し、尾行の気配が消えたことを伝えた上で、借りていた部屋へと帰宅した。

お説教タイムです。赤点だからね。

 

「第二、尾けられていたのにいつ気付いたのかしら?」

「私に赤点が付けられてからです……」

 

ふぅ、と小さくため息をつく姉さんに、少しだけ心が痛んだ。

姉さんは私を一人前に、自分との相棒が務まるように育てると言ってくれた。姉さんが誰とも組んでいないのはその実力についていけるような人材がいないからだろうけど、なんだか半分は私のせいなんじゃないかな、と思う時がある。

姉さん一人ならきっと、もっと大きな仕事もこなせるだろう。

 

私は姉さんの相棒になりたい。姉さんの相棒でありたい。背中を任せて貰えるようになりたい。

でもそれ以上に、姉さんの重しになりたくない、足を引っ張りたくない。

 

私が追いつこうとするほど、その距離が高さが深さが、絶望的なものに感じられる。

同じ能力(HSS)を持っているのに、どうしてこんなにも大きな隔たりがあるのか。

もしかしたら、私が追いつくことなんて()()()なのかもしれない。

 

――ぎゅっ!

 

ぎゃあっ、いたいいたい!

 

頬をつねられ現実に引き戻される。

想像の中では背中しか見えていなかったけれど、正面から向かい合う顔は少しだけ怒っている感じだ。

 

「またそんな顔する。何を考えているのか大方予想がつくわ」

 

ホールドされたままの両頬は重力に、私の表情筋に逆らって上に引っ張り上げられる。

……今すごい間抜け面なんだろうな。

 

それを証明するかのように、プフッと姉さんが噴き出す。ちょっと!あなたがおやりになりましたでしょ!?

おかげで赤くなった頬は解放されたものの、釈然としない。ヒリヒリする。

 

「ごめんなさい、くっ、ふふっ。女の子の顔に傷んくっ、付けちゃだめよね。……ふっ……」

 

まだ笑ってるんですか!?

人の顔見て笑われる方がよっぽど傷つくんですけど!?主に心が!!

 

「姉さん…」

 

少しだけあきれた声で呼びかける。目も半開き、ちょい睨み気味で。

あなたの妹は怒っていますよ。

 

「そうそう、それでいいの」

「え?」

「あなたは時々、すごく寂しそうな顔をするから。それを見てると胸が締め付けられそうになるの」

「……」

 

あたらずとも遠からず。

寂しそうなのは、カナに追いつけない自分が情けないから。

 

「無力感、自信喪失、絶望。あなたの表情は小さいけれど確かに分かるわ。大切な相棒だもの」

「っ!」

 

そっちも、出ちゃってたのね。

でも、きっとカナだから分かるんだよ。他人には気付かれない。

 

「だからこれだけは覚えておいて。あなたの秘めた力は私以上、いえ初代遠山金四郎よりもきっと上よ。今のあなたのヒステリアモードは不完全なもの。この能力が一番強い力を発揮できるのは、誰かを守ると強く自分を信じた時。あなたにはそのどちらも足りていないだけよ。命を懸けて守りたい人も、自分を信じる心も」

「守りたい人と信じる心……」

「クロちゃんにはまだ早いかもね、でも」

 

そこまで言って姉さんは私を抱きしめる。さっきの締め上げとは違う柔らかい抱擁。だというのに、頭をなでる優しい手付きの心地よさで、私は指一本動かせなくなった。

 

 

「忘れてはだめよ、私たち遠山一族は義に生きる。自身の義を証明できない者はいずれ討たれるわ。あなたも…私も」

「はい、姉さん」

 

 

(……やっぱり遠いなぁ、けど)

 

 

いつか必ず追いつける。守りたい人ははるか遠くにいるけど、自分を信じるくらいなら()()なはずだ。

だから今は少しだけ、もう少しだけこの懐かしい感覚に身をゆだねる。

 

物心ついた私が、お母さんの死を実感して泣いたあの日――初めてカナ(姉さん)と出会った日と同じように。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

黒いロングコートに身を包み、私は戦場を駆け抜ける。

物陰から物陰へと、一蹴り3mを一瞬で。

 

 

―――パァン

 

 

遮蔽物から出て遮蔽物に隠れる1秒にも満たない時間で、索敵し、狙いを定め、発砲し、次の標的を定め、最短の遮蔽物(ルート)を決める。

 

爪先と足首、膝をヒステリアモードの反射神経によって同時に駆動させて踏み込み、時速100kmを超える速度を可能としている。

とはいえあまり多用できるものではない。寸分の狂いもなく動かすにはかなりの集中力を要する上、体への負担が大きいのだ。移動に用いるなんて以ての外である。

 

今はまだ、誰も私を見ることはできない。

いつもならこのまま制圧できるものの、しかし今回は特例だ。

 

(超能力者がいたんじゃそううまくはいかないか)

 

私が事前に掴んでいた超能力者の存在に対して、カナは手袋をつけろと言った。

つまり今回の作戦ではなるべく力を使わずに()()()()()様子を探れと言ったのだ。その理由はおそらく超能力者の存在を警戒してのことだろう。

 

そういう輩には不意を突いた一撃が有効なのだ。

私達をただの人間と侮るその慢心に付け込む。

 

 

とはいえ正直、長期戦は苦手である。

狙撃手のように長期戦を想定した訓練を積んだ人間であれば精神の消耗を抑えることも容易いのだろうが、戦いが長引くほど私の集中力は削られていく。

だがそれは敵も同じこと。今の状態は互いを疲弊させる見えない聞こえない心理戦なのだ。

 

そしてこの戦いは、私の絶対有利。

見えない(わたし)の恐怖、一撃で沈められた仲間、漆黒の闇から伝わる不安がさらに男たちを追い立てる。

一方の私は苦手なりに、この為の秘技を開発済み。姿勢を正し、呼吸を整え、目を瞑る。

 

―――瞑想。

 

単純なようだが、心を穏やかに鎮め精神を安定させられる。気配を薄め集中力を研ぎ澄ませたまま、ゆっくりゆっくりと水面の波紋が永遠に広がる世界で時が経つのを感じ取る。

 

「どこに隠れてる!」

「大人しく出てきやがれ!」

 

遂には耐え切れず怒声が飛び交い、男たちの隊列に乱れが生じ始める。

威嚇のつもりか無意味な発砲を行う者も現れ、明らかに混乱を増していった。

 

 

一拍置いて示し合わせたように訪れる静寂。何も起こらない。

しかしそれ自体が攻撃なのかと思える程、男たちの精神力と集中力を削いでいく、

 

 

何も聞こえない、誰も見えない。ただ、静寂。

 

 

(さて第二波を、ん?)

 

 

隊列を立て直される前に再度強襲しようと瞑想を終えたが、どうやら援軍が建物から現れたようだ。武装をしている彼らの中に警戒中の超能力者の姿はない。

 

外にいた奴らより少しばかり格上のデキる顔付きで、手にしている武器も拳銃ではなく短機関銃――M1938A(モスキート)かと思ったが。

 

(何あれ?装填口が上についてるんだけど、モデルチェンジ前のM1918かな?また随分と古めかしいモノを。うわぁー重そう)

 

……弾は9mmでもグリセンティ弾じゃないか!そんなんじゃ他の拳銃との互換性が、ってあっちの拳銃もよく見たらM1915自動拳銃じゃないですか!私の愛銃の元祖、ベレッタ社をトップメーカーに押し上げた立役者の大先輩ですよ!!

 

流石ベレッタ社の本社があるイタリアだ!とか、武装を確認しながら内心わくわくしていたものの作戦の続行は困難である。

 

(ちょっと人の目が増えすぎたかな。照明もたきはじめたみたいだし、一旦私は姿を消した方がいいですね)

 

本当であれば私が超能力者を誘き出せれば良かったのだが、こうも人の目が増えてしまっては、私一人では姿を隠しきれないだろう。

そう思い、ターゲットから距離を取って合図を送る。

 

カナはまるでこのタイミングを知っていたかのように、すでに行動に移っていた。敵の目が集まっていた照明の中に、堂々と、その姿を現す。

照明は舞台女優の登場をアシストするスポットライトのように、カナを照らし出した。絶世の美女の出現に、男たちは目を奪われているのだろうか、発砲はおろか照準すら合わせられず、緊張からか喉を鳴らしている。

 

(いや、見惚れてるんじゃない、恐れてるんだ。カナの超人的な闘気(オーラ)に)

 

この場に居合わせた人間は、等しく彼女の存在に飲まれていく。

絶対的な力の差を感じている者も何人かいて、後退りそうになった事に気付くと自身を奮い立たせて踏ん張っている。

 

私だって、カナに凄まれたら戦意を保つことは難しいだろう。まして、敵対など考えられもしない。

光の奔流のように悪を照らし出す彼女の姿は、正に遠山家の人間が理想とする、まごう事無き正義の味方だ。

 

そんな私はカナの影のようなもの。カナの動きに合わせて形を変える。

 

フォーメーションは波状強襲(ウェーブ・ストライク)

 

まあ、私たちの戦いに引き波はないんだけどね。

 

ここからは…タッグだ!

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。

クロの能力はキンジとは違う成長をしていますね。カナのパートナーとしてふさわしい武偵になるために試行錯誤を繰り返し、単独任務の時とは全く別の戦闘スタイルを開拓した結果なんです。

次回は引き続き夜空の星に手を伸ばしていきますよ!




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不可視の存在(後半)




Roma non fu fatta in un giorno.
ローマは1日にしてならず


どうも!


今回は後編ということで、前回の続きになります。出ますよ、キンジ(クロ)の技とヒステリアクロモードの秘密(クロモードってアラモードみたいでおいしそう)。





 

 

 

ある人は言った。戦場とは恐ろしいものだ、と。恐怖に支配され、私は我を忘れて戦っていた。気付くと周りには多くの亡骸が転がっていて、敵も味方もない、もう人ではないものたち、死してようやく彼らは争いを終えたのだ。勝者など存在しない、争った時点で皆敗北者なのだ。そして敗北したからこそ人類は進化を続ける、と。

 

 

別の人はこう言った。戦場は薄汚れた場所だ、と。泥と埃にまみれて、僕は武器を手にもって戦い続けた。銃声が止まることはない、血は流れ続ける、戦いが終わるまでは。どんな英雄が来たってそれは同じこと、流れる血が相手側に増えるだけだ。僕らが求めた勝利は、そんな血の海に沈んでた、と。

 

 

 

2人の視点は同じ戦場にいるのに、全く違いますね。

前者は戦いの記憶があいまいで、戦闘後の結果、本質をよく見て諦観と共に悟りを開いているように感じます。

後者はその逆、戦場の悲惨な光景を目の当たりにし、そこにはどんな希望もなく、自分たちが得た勝利の犠牲の尊さ、虚しさを説いています。

 

二人とも争いを愚かと評価しているようですが、その考え方は真逆。

 

内容を見ないで結果だけを見て語る者、内容をよく知っているのに結果の重要性に気付けない者。どちらがより愚かなのでしょうか。

 

 

 

みたいなグループ討論してるんですかね、武偵中の道徳の授業では。

 

それはさておき、始まります。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

今、私は戦場にいる。空を見上げ、夜もだいぶ更けてきたなと、場違いなことを考えていた。

 

最近分かったことだが、どうも私は思考時間の余剰範囲で、全く関係ないことを考える悪癖が身についてしまったようだ。

 

ローマ武偵高付属中(わが学び舎)に来たばかりの頃、私は最低限の英会話しかできなかった。だから授業中も任務中も、隙あらば頭の中でお勉強していた、その後遺症だろう。

俗にいうマルチタスクの30窓同時起動だ。なんというヒステリアモードの有効活用(ムダヅカイ)、カナはどうなんだろ。あるあるなのかな。

 

 

で、そのカナは私の視線の先、戦場のド真ん中にただ一人。その佇まいは優雅然としている。

 

対する男たちは私のバラ撒いた不安感とカナのプレッシャーでオロオロと…はしないか、さすがに。

 

そこは一応その手の道を歩いてきたプロの心得と経験があるのだろう。カナから視線は外さないし、その銃口を持ち上げつつある。

 

持ち上げつつある、というのは私たちの独自表現。彼らは普通に構えようとしているのだが、極限まで集中した私たちの反射神経はその光景をスーパースローに見せる。

 

 

え?集中してなかっただろって?…今はしてるんです!29窓は!

 

 

頭のほんの片隅で英会話CDを再生しながら、カナと私はほぼ()()()()()()()()()()()()だろう。だが、それは違う。

 

 

 

パパパパパパッ!

 

 

カナが流水のような歩法から、徐々に速度を上げ、不可視の銃弾(インヴィジビレ)を放つ。と同時に敵の視線を引き付けるように、勢いのまま側宙をきる。

 

(ふ、不可視の銃弾、手を隠すんじゃなかったんですか!?)

 

とは、考たものの、見えなきゃ一緒だしな~とか納得してしまう私も私だ。

ちゃっかり空中リロードまで披露しちゃってるし、私は知りません。超能力だとでも思われれば牽制にもなるし。

 

 

カナが移動し、さっきまでカナが立っていた場所は男たちにとって何もない場所と識別される。

 

誰かが居るかもしれない警戒範囲(ワーニングレンジ)→カナが登場した危険範囲(デンジャーレンジ)→カナが移動し誰もいない無警戒範囲(アンワーニングレンジ)

 

見事な集団視線誘導が出来上がったのだ。

 

 

 

パパァン!

 

 

 

すぐさまその隙間に滑り込み発砲する。

男たちの意識の外から、同じく不可視の銃弾(未完成)をお見舞いした。私はカナと組んで任務に当たる時は、同じ銃(コルトSAA)を使用している。愛銃のベレッタは早撃ちには向かないし、作戦上有効なのだ。

つまり、さっき見ていた場所から時間差で、()()()()()()()()()()を受けることになる。誰もいない場所からの時間を超えたような攻撃に、彼らは警戒心を上げる…上げざるを得ない。

 

もはや彼らはカナだけに意識を向けることを許されていないのだ。

 

 

 

カナが撃ち、私が撃ち、カナが撃ち、私が撃ち……

止まることがない波のように彼らを強襲し続ける、波状強襲(ウェーブ・ストライク)

そして大きくなった波は、彼らを大海に引きずり込んでいく。

 

 

 

銃を弾かれ(クロの射撃)、銃を破壊され(カナの射撃)、防弾繊維の上から弾丸を受け(涙目のクロの射撃)。

この死屍累々の状況をカジュアルに表現するならあれだね、フルボッコってやつだ。

 

 

―――不可視の存在(インヴィジフィグ)

 

 

私の名付けだが、私が最も多くの人間を追い詰めた技だ。カナと共闘することで最も大きな力を発揮する。ま、ただの初見殺しだけどね。二見さんには会ったことないし。

 

 

「さ、下がれ!」この場のリーダーらしき男が指示を出し、建物に撤退を促す。

 

 

(あ、そのドア開けない方がいいですよ、もう遅いんですから)

 

と、壊れた銃の破片を記念に拾い集めながら、心の中で警告しておく。もったいない…。

 

男たちがドアを開ける。この場から逃れ、戦いを振り出しに戻せる唯一の退路。そこには、

 

 

「なっ!?」

「ヒィッ!」

 

 

ハァイみたいに、片手をヒラヒラさせ、にっこりと微笑んだカナが立っていたのだ。目は笑っていない。

 

こうして作戦開始から2時間も掛からず、制圧は完了してしまった。

 

 

そう、この場はすでに大海の中。藻掻いたって、もう地上には戻れないのだから。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「姉さん、結局超能力者は出て来ませんでしたね」

「拠点と周辺の建物にもいなかったし、敵勢力は押さえたわ。一応任務としては成功よ。でも…」

「武偵憲章8条、ですよね。分かっています。任務は、その裏の裏まで完遂すべし。私がつかんだ情報です、必ず見つけ出して逮捕して見せますよ。それに」

 

そこまで言ってコートの袖を引っ張り上げ、右上腕部を露出させた。そこには弾丸による銃創でもなく、刃物による切創でもなく、高温による熱傷でもない。まるで狼にでも噛まれたような咬傷跡が残っていた。

 

「一菜さんがいなければ、もっと広がっていたでしょうね。敵の獲物は吹き矢(ブロウガン)のようなものでした。私は撃たれたんです、家訓に従ってやり返さなければいけませんよ。若射須射(もしいらればいれ)、イタリア風に言えば、えっと…チ、チラ?チラファラー」

「ふふ、Chi() la() fa(ファ) l'aspetti(ラ・スペッティ).因果応報ね。うん!それでこそ遠山家の子だわ」

 

こうなった以上、情報共有をしておいた方がいいと判断し、隠していたケガを見せたが、傷を見て、姉さんがまた心配したような顔をした。ケガには気付いてたけど、こんなに酷いとは思っていなかったらしい。

 

(しかーし、私の渾身のギャグで笑わせて見せましたよ!…忘れたわけじゃないです。それより姉さんの語学力の向上速度の方が、私気になります。まさか裏技なんて使って…)

 

頭の中のBGMを英会話CDからイタリア語講座のCDに変えた私がそんな疑問を抱いていると。

 

「クロちゃん、暫くはそのままでいなさい。寝る前と朝、忘れずに()()()()()?」

 

少し厳しい口調でそんな指示を出してくる。よく分からないが、姉さんにとって重要な事らしく、今回の任務の前にも()()()()()

 

 

ヒステリアモード。それが私の力の源だと聞いているが、その発動には条件があって、姉さんはあまり詳しくは話してくれない。

 

ただ私が分かっているのは、わたしの命綱はこの…()()ってことだけなのだ。

 

 

「無茶はしちゃだめよ、今日の精度は88%。そのケガのせいで前よりも4%下がってるわ。発射後の隙もそう、いつもより0.05秒長かったし…」

「はい。傷というより応急処置の後遺症ですから、あと三日程で治るそうです」

 

0.05秒なんて普通は誤差で済ますんだけどなーと思いつつも口には出さない。だってそのコンマコンマ秒で私たちは敵にイニシアチブをとっているからね。それよりも……

 

 

「帰りましょうか、姉さん。現場には長居しないものです」

「ええ、そうね。大丈夫?お腹すいてない?夜食、振舞ってあげるよ」

「私を甘やかさないで下さい!武偵は体調管理が必須です、夜間の飲食なんてそれこそダイレクトに響いて…」

 

グーーー…

 

(まずい、想像してしまった!しかも、さっきからイタリア語講座のCDがイタリア料理でループしてるんだけど!パンナ↑・コッタじゃないよ!なんてこ↑った、だよ!)

 

脳内飯テロに任務以上に苦戦しながらも、結局その日は鋼の意志で我慢し、冷蔵庫のパンナ・コッタは明日の朝一番に食ってやる!と決心して床についたのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

私と姉さんは寮に入らず、部屋を借りて同じ場所に寝泊まりしている。

 

私の経済事情から考えれば寮にお邪魔する方がいいのだろうが、「私が全部払うからここに住んで頂戴」と、有無を言わさぬ形相で念をおされたため、「ちゃ、ちゃんと半分は払いますよ」と言って一緒に住むことにした。

 

あれは怖かったな、必死感が凄かった。姉さんが寮に入らないのは…事情は知ってるけど、私はそのサポート係かな?と一人で納得している。

ちなみに移動費と宿泊費の滞納金は任務で稼いで既に返済済み。借金なんていけないことだし、しかも家族に。

 

家事も何も役割分担。家長だからって姉さんに頼り過ぎはよくないし、帰ってお婆様のお小言は喰らいたくない。女性は家事が万能じゃないとね、大和撫子、万歳。

 

(大和撫子と言えば、あの子…何雪ちゃんだっけ、長女の、かざ、いや白雪ちゃんだ。なつかしいな)

 

昔、東北の花火を一緒に見に行った少女の姿を思い出す。

元気にしてるかな。

 

 

ノスタルジーな気分に浸りながら、今日の当番である朝食の準備を始める。すっかり習慣になりつつあったカフェ・エスプレッソの準備を仕掛けて、手を止めた。

 

(おっと、あぶないあぶない。コーヒーじゃ()()には合わないね)

 

ニヤリと笑う。笑いが止まらないのだ。

 

私はキッチンに入り()()のふたを開ける。フワッと広がり鼻腔をくすぐる甘い香り。白く艶だった()()はまさに日本人なら誰もが愛してやまないだろう、そう、コメだ!

 

私が開けたのは炊飯器のふただったのだ。純国産の日本米、イタリア産の日本米ではない。なんとこだわって、炊飯器まで日本の製品を使用しているのだ。米、コメ、おこめ!まさに垂涎の一品。

 

昨日の空腹感がずっと待ってたぜ!とか言いながらはしゃぎ出す。まあ、待ちたまえ。お米を美味しくいただくには相棒(みそ汁)が必要だろう?君の気持は私にもよーっく分かる。だが本気じゃない相手と戦っても虚しいものだ。今しばらく私の仕上げを待っていてくれたまえ。

 

お腹の虫から許可を取り付けた私はみそ汁を作り始める。味噌のいい香り。これも日本の物だ。強いて言うなら、水も日本の物が良かったが、そこまで贅沢は言うまい。

朝にパパっと作るものなので根菜は入っていないが、長ネギの香り、味噌に浮かぶ真っ白な絹ごし豆腐はこの味噌汁が完成品であると目と鼻に訴えかける。

テーブルにはすでに新鮮な生卵と、切り分けた私特製のキュウリの浅漬けと梅干しも並んでいる。完璧、まさに日本の食卓!

あまあま+コーヒーの生活は私にはハードだった。

 

 

味噌汁が出来上がり、よし盛り付けるか、といったあたりで姉さんが部屋から現れる。睡眠期は迎えてないから、ぐっすりは眠ってないんだろうけど。

 

「おはようございます、姉さん」

「ええ、おはよう、クロちゃん。私にもカフェを貰え…」

 

そこまで言いかけて姉さんは言葉を切った。その鋭い目はテーブルの上のおかず達を捕えている。

やばいね、姉さんにあの目で見られたら私でも逃げられそうにないや。

 

私と同じようなことを考えたのだろう姉さんはすぐさま洗面所へ向かう。いつもならコーヒーを一杯片づけてからのんびりしてるのにね。

 

さっきの視殺戦の勝者は朝食だったらしい。お米の魔力、恐るべし。

 

 

味噌汁の火を止め、盛り付けるが早いか、姉さんが戻ってきたので。

 

「先に髪を整えちゃいましょうか」

「え?あ、ええお願いするわ」

 

(毎日の習慣を忘れてる!)

 

驚きつつも姉さんを椅子に座らせ、櫛を通して栗色の髪をほどいていく。

さりげなく横に回って、心地よさそうに目を細めるその横顔を眺めた。

 

長く揃った睫毛、高く通った鼻筋、私の視線に気付き細く開かれた瞳は紺碧の海のように澄み、窓から差し込む光を浴びて輝き出す。

 

金縛りにかかった体が自由を取り戻したのは、どうしたの?と笑いかけてくれたから。

早まった胸の鼓動が一周回って正常に戻ったらしい。

 

 

うん、今日も姉さんはきれいだ。役得役得。

 

 

少しばかり空腹を忘れ、姉さんの髪を編んでいると、

 

「ねえクロちゃん」

 

どうしたのだろう、少しだけ真剣な様子だ。昨夜のことで何か話があるのだろうか。

 

「どうしました?」

「クロちゃん、いつだったか言ってなかった?今日、チームのみんなと朝練があるって」

「えっ」

「えっ」

 

2人して固まる、私と姉さん。姉さんの顔は忘れてたの?と言いたげに苦笑いだ。

 

 

 

 

 

 

わ・わわ・わ・わ・わわ……

 

「わーーーーーーすれーーーーーーてたーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

猛ダッシュで駆け抜ける私は、頭の中でやばいよやばいよ(デンジャー・デンジャー)と、警告の仕方しか教えてくれない英会話CDを聞きながら、学校に入る。

いける、間に合う、大丈夫。Never give up.ほら英語の先生も応援してくれてる。

 

間に合わないとやばいんだって!狙撃されたくないよ!

 

 

ローマ武偵高には建物の中央に中庭があるらしいが、武偵中の中央にも似たような中庭が用意されている。おそらく同じようなつくりにすることで諸々の暗黙の了解なんかを中学のうちに学ばせようとしているんだろう。

高校には歴史的建造物があると、姉さんが言っていたので、こっちの中庭はついでなんだね。

 

そこではやたら開始の遅い授業までの待機時間を、訓練や暇つぶしに使えるように開放してある。開放といっても暗黙の了解で、学年によって使える範囲が極端に違うんだけどね。

こういうところは日本の平等主義とは違うなー、と思い込もうとしたが、武偵の学校は万国共通らしいよ、全く。

 

 

日本のサラリーマンよりも時間に追われている私は中庭に向かって一直線、私が走ってるのは見慣れた光景なのか「またあの美人の方の日本人が走ってるよ」みたいなことを話している。

うん、ごめんね。でも走っちゃダメって校則を作らなかった偉い人を恨んでね。その人が校内での発砲を禁止しなかったせいで、今私は走ってるんだから。あとその「~の方の日本人」ってやめて。一菜さんが不憫だよ。

 

 

ズザーーーーーーーーっ!

 

 

盛大に砂埃を上げて、中庭にエントリーする、時間は…ギリギリセーフ!Victory!

 

 

「おー!クロちゃんギリセーフ!登場の仕方もかっこいいしコレは高得点が期待できますねー」

 

ぱちぱちと手を叩きながら、実況の物まねをしているのは、三浦一菜。通称「ちびっ子の方の日本人」。

と言っても身長が低いわけでない。きっと性格が子供っぽいからだろう。胸は関係ないはずだ。

 

「クロちゃん、おっはよー!てっきり遅刻して的当てごっこが始まるかと思ってたよ」

「縁起でもないことを言わないで下さい」

「でも、クロちゃんなら1時限目まで逃げ延びられるんじゃない?」

「あの狙撃手からじゃ、私でも荷が重いですから。だいたい、この前だって1分の遅れで射撃って、しかも狙撃銃なんか喰らったら体吹っ飛びますよ!」

 

愚痴とまではいかないものの、少々物言いさせて貰いたい。

チーム内での発砲事件は控えてくれないものだろうか。

 

それを聞いた一菜はのんきに笑っている。

自分だって被害者なのにね、私よりは圧倒的に回数が少ないけどさ。

 

「…クロさん、おはようございます」

「げっ」

 

(いらしてたのね)

 

ゆっくり後ろを振り返ると、そこには件の狙撃手様が仁王立ちでこちらを睨みあそばせていらっしゃる。一菜や私とは違い、ドイツ人の彼女は欧州人特有の真っ白な肌、瑠璃色(アンバー)の瞳は真面目で気の強い彼女をより強く演出している。

目にかからない位置に切り揃えられた髪は…なんと表現すればよいのか赤味がかった灰白色。ちなみに前に瞳の色を「綺麗なガーターブルーだね」といったら銃口を向けられたので瑠璃色と呼称している。

 

「お、おはようございます、フィオナさん」

「おはようございます、今日はギリギリセーフということで早速始めたいのですが、よろしいですか?」

 

頭に被っているベレー帽のポジションを直しながら、いいよね?と言いたげな視線を送ってくる。

あのベレー帽はおしゃれらしいが、帽子の下には彼女の特技というべき特徴が備わっている。要はそれを隠しているんだろうな、本人は気にしてるみたいだし。

 

まあ、時間通りなのだから仕方がない、始めるか。とお腹の虫と共に腹を括ろうとしたところ。

 

 

グーーーーーーー…

 

 

お前は俺を騙した!絶対に許さんぞ!とばかりに大暴走。う、なんか目も回ってきた。

 

視界に映るフィオナの顔が驚きから徐々に苦笑いに。くっ、なんという屈辱!えーい静まれい!静まらんかー!

遂に彼女は見ていられなくなったのか目を背け――ん?これ、チョコレート?――を差し出してきた。

 

 

「フィオナがチョコレートあげてる!?」

 

一菜が飛び上がらんばかりに驚いているが、確かにこれには私も驚いた。

 

「いいんですか、これチョコレートですけど、もらっちゃっても」

 

たまらず言葉が倒置法になっちゃうくらい驚いている。

 

フィオナは答えないがプルプル震えてるし、ちょっとだけ見えてる顔の端も赤くなっている。発熱による意識混濁状態かもしれない、よって自己防衛のためにこのチョコレートをそのまま受け取ることは危険だとの結論が出た。

だがおそらく彼女のことだ、ただ断ればきっと意地になってしまうだろう。

 

 

……よし、作戦は決まった!

 

 

「フィオナさん少し時間を頂けますか?確か今日はフォーメーションの見直しと、私と一菜さんの合図の改善の話し合いでしたよね」

「はい、そのつもりです」

 

こっちを見る気は無いんだな。なら強引に行かせてもらう!

 

 

差し出されたその手ごとチョコをつかみ、反対端を自分の手で持って、パキッと()()()二つに割る。

 

「ありがとうございます、チョコレート半分頂きますね」

「あ…。う、うん」

 

私が放した手元をみて少し名残惜しそうにしている。やっぱりチョコが半分になって悲しくなったみたいだね。ふふふ、そこまでは予測済み、そしてあなたはこっちを向いた。次の一手で逆転(チェックメイト)しますよ!

 

素早い動作で彼女の頬に触れ、目を逸らされないように固定。身長差があるから少しかがんだ私は、話し合いならここでなくてもいいですよね?って意味も込めて。

 

「一緒にバール(カフェ)でもどうでしょう。チョコレートのお礼もありますし、一杯位なら、付き合ってもらえませんか?」

 

私の最大級のイケメン顔で、決め台詞。

 

 

【挿絵表示】

 

 

カフェに行けば軽食も食べられるし、チョコレートのおかげで奢る口実も出来た。そしてドイツ人は「奢られることが大好き」な人が多い。

彼女も例に漏れず倹約家であり、この前ご機嫌取りに夕食に誘ったら、飛んでくんじゃないのと思うほどの勢いで首を上下に振っていた。食後はそんな高い店じゃないのに、すっごいお礼言われている。

 

 

案の定、彼女はコクリと一回頷いたっきりもう怒り出す気配はない。勝った!

 

「うっはー…噂たがわぬたらしっぷりだー」

 

部外者(一菜さん)がうるさいし、フィオナが正常な思考を取り戻す前に移動するとしましょうか。

 

 

「ねーねー、なんであたしは口説かれないの?あたしにも奢ってよー」

「ちびっ子は口説かれません。お店にちくわでも置いてあったら奢ってあげますよ」

 

厚かましい子は知りません、と息巻いて行ったら。え、あったよ。チーズ竹輪(チーチク)。こ、このメニューを作ったのはだれだぁー!って調理科の生徒に尋ねてみたら、うちの戦妹ちゃんだったので広い心で許すとしよう。

おいしいもんねちくわ、きっとヒット商品になるよ。

 

悔しいけど私の分も頼んでみたら、大きな丸皿に、縦半分と斜めスライドでキレイに切り揃えられた竹輪にフロマージュとミントを載せて、バジルなんかかけちゃってるよ。なんか無駄に高級そうに見えるし、イタリアン恐るべし…。

 

……あれ?戦妹(あの子)って調理科だったっけ?とか考えてはいけない。ストレスを発散するのは良いこと、でも貯めないのが一番だもん。

 

 

 

結局フィオナの具合は戻らず、本日の朝練はバールでのんびり過ごすのだった。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


イタリア編はまだまだ続くんじゃ。伏線を…そう伏線をね、いろいろ張っておかないと原作の流れで設定崩壊することが分かってるので…

というわけで、次回からは学校編になります。ローマ武偵高付属中(あるのか知らないけど、無いなら建てときます)でのクロの生活です。クロは世界線が変わっても、その不幸属性はなくなりません。宿命なのです。よって、お米はお預け。
これから登場人物も増えますので、おまけ兼キャラ紹介編を投稿していきます。

女子?校生のカナさんはちょっとポンコツっぽさを出してみたりして。実力はすでに折り紙付きなんですけどね。




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おまけ1発目 遠山キンジの受難




どうも!

おまけ、というよりも設定の補足とか、端折った部分を少し細かく書いていく短編集、みたいなね。

今回は会話オンリーで状況説明なんかはありません。
ゆるーりと頭からっぽで読んじゃってください。






 

 

 

カナ、一体これはなんだ?俺には女物の服にしか見えないんだが。

 

あら、大丈夫よ。キンジの認識で間違ってないわ。

 

いや、ちょっと待ってくれよ、何も大丈夫じゃないし、俺は入学の準備をするって聞いてたんだが。

 

うん、大丈夫。そっちの認識も合ってるわ。

 

いやだから、この状況と俺の認識は一致しないんだ。何も大丈夫じゃない。女に慣れろって言われても服だけじゃおままごとも出来ないだろ?

 

その発想は近いわ、キンジ。おままごと、そうね…えいっ!

 

うおっ!?ま、まて!待ってくれカナ!そのカツラをどっから出した!

 

うふふ、私、弟君もいいけど妹ちゃんも欲しかったの。丁度いい機会だから見せて頂戴?心配いらないわ、キンジは地はカッコいいんだし、きっときれいに女装でき(なれ)るわ。

 

何が丁度いいんだ!女装に丁度いい機会なんて聞いたことないぞ!そもそも、心配もしてないし、第一俺にそんな趣味はないって…

 

キンジ…男の子に、二言は無いんだよ?

 

一言もしてないって!

 

あら、そう。でもあなたは分かったっていったわ。

 

そんなわけ…

 

じゃあ種明かししよっか。キンジはローマ武偵中に入学することは同意したよね?

 

ああ、特務任務(シールドクエスト)扱いらしいから単位は大丈夫なんだが、そこに通うのが目的だしな。立派な武偵になる為にも、海外の武偵学校ってのも見ておきたい。

 

うんうん、いい心がけ。でも、おかしいと思わない?

 

ん?おかしい?

 

どうして特務任務ってことになってると思う?

 

それは書類に目を通したが…確か、交換留学ではない他国の武偵を転校させるには、最低でもBランク以上の実力を持ち、相応の実績と信頼を提示する必要がある。だったか、俺はその時点で実績を提示できないから、普通の方法じゃ転校は出来なかったんだろ?それで兄…カナの特務任務に同行する形でイタリアに入国した。

 

ん、そうすると。キンジはただ任務でイタリアに来ただけで、武偵中に潜入する理由もない。キンジはそのままだとあの学校に通えない。

 

ああ、そこで何の魂胆があるんだか知らないが、お上が俺の為…というより将来有望なカナの為につくってくれたのが…

 

そう、この転校届。

 

そういえば無くさないようにってカナが保管してたんだったな。…見せてくれないか?

 

はい、どうぞ。すみずみまで読んで、()()()見逃しがないようにね?

 

はいはい、言われなくてもちゃんと読むって…って、カナ、これ間違えて持ってきたんじゃないか?性別が女になってるぞ?名前も"Kuro Toyama"で苗字の綴りが一緒だから…

 

キンジ、転校条件の書かれた書類、まだ覚えてる?

 

覚えてるも何も、さっき言った通りだろ。

 

ここに写しがあるから、もう一回()()()()読んでみて?

 

……分かった。

…………やっぱりそうだ。Bランク以上の実績が必要ってのであってるぞ。

 

その先は?

 

えーっと、なになに、ただし以下の条件を満たす者はその限りではない。あー、ここも、確かに目を通したな。関係ないからさらっとだけど、貴族だの裏組織だのの人間は優先して交換留学出来るんだろ。あと、転装生(チェンジ)なんかは任務の一環として特務任務で潜入できるんだよな、バレると国際的にやばいらしいからみんな交換留学の方を利用するらしいけど。ん?特務任務?

 

ねえ()()()()()、この転校届の提出期限、守らないとどうなっちゃうと思う?

 

クロちゃん…?何言ってるんだ、カナ。ここには俺とカナの二人しかいない。そんな事より俺の転校届はどこに…

 

ほら、ここ見てクロちゃん。提出期限今日までになってる。転装生は正規の方法以外に特務任務でも潜入できる。でもそれは国同士の秘密の遣り取り。バレたら…ね?だから()()クロ、覚悟を決めなさい?

 

カナ、何でこっちを見てるんだ?いやだ、認めないぞ。俺は女装し(やら)ない。

 

キンジ、神妙になさい。男に二言は無いの。あなたは転装生という条件を飲んでこの国に来たの。

 

いやだ…

 

私との約束、キンジならもちろん守ってくれるよね?

 

いやだ……

 

逃げ場はないの。観念して私と……証明写真を撮りに行きましょう?

 

い、いやだーーーーーーーー!!

 

 

 







おまけ一発目、読んでいただきありがとうございました。


うーん、酷い。もはや何者かの陰謀を感じますね。犯人は私なんですが。

でも武偵ははめられた方が間抜けらしいので、クロさんとキンジさんには頑張っていただきたいものです。




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黄金の残滓(レジデュオ・ドロ)(前半)




どうも!


今回も前回の続きになるんですかね。話を切る場所がへったくそですみません。
朝練が中止になった同日、無事乗り切ったクロは普段の日常に戻ります。普段の日常です。普段の日常です。ふだ…


気付いている方もいらっしゃるでしょうが、クロさんのキャラのモデルはクロメーテルさんではありません。やる気があって、根暗になる前の遠山キンジさんがモデルになっています。
そしてキンジさんの体には遠山セツ…つまりホトギの血も混じっていることになります。大和撫子、外界への…未知への憧れ、そしてヤンデレも潜在意識に潜んでいるかもしれません。キャラ付けには困らない逸材ですね。





 

 

 

時刻はお昼。

私は昼食もそこそこに、とある人物を訪ねていた。前線で戦うことが出来るのも、その人物のバックアップがあってこそであり、任務の結果を大きく左右させるある種の力を持つ。

 

扉にはTAR――Terzo Arma Reparto(第三装備科)――の表示がされていて、ここが武偵高校付属中学二年生の装備科による、"市場"であることが分かる。

 

ローマ武偵中には第一から第七まで、それぞれ一年生には第一、二年生には第二と第三、三年生には第四から第六の、商売――演習を行う場が設けられている。第七は()()()()()で、同学年にも一人いるみたいだ。

とはいえ中学では基本的に仕入れなんかは学校側で行っており、あくまで商売の()()を行う場だ。要はここで自分と年の近い顧客(武偵)を相手にしてイロハを学びながら、()()で利用できるパイプを作っちゃおう!ってことらしい。

実際ここで結びついた契約関係は高校に進んでも、その実力が確かならプロの道に入ってからも続いていくという話を聞いた。先を見据えてますな。

 

また安全管理ってことで、当然学年によって取り扱える武装も変わるし、違法でなくても改造(機械いじり)は原則禁止とされていて、許可を取り付けるにはかなりめんどくさい申請が必要になる。

個人が学校から支給された物資は、銃弾や砥石のみならず、銃の整備に必要な薬剤や油まで徹底的に在庫管理がなされ、盗難や横領を防ぐ体制が敷かれている。もし書類に不備があろうものなら…ここではやめておこう。

過去には盗難を行った生徒が諜報科と強襲科の上級生に追い掛け回された事例がある。おそらく雇い主は装備科の生徒だろう。向こうも必死なんだ。ホント恐ろしい話だよね。

 

んで、ここの生徒が()()()単位を得られる頃には学校側もウハウハなわけで、他の科と違いこうして堂々と校内に何個も拠を構えているのだ。

 

 

昼食(プランツォ)はみんなしっかりと食べるので(比例して会話時間も長いので)、早めに済ませて来ると人が少なく交渉はスムーズになるのだ。お昼休み、彼女はいつもここにいる。

 

 

コン コン コン

 

 

「わっ!は、はい!どうぞ、開いてますよ」

 

他の教室よりも立て付けの良い扉を開けると、そこには3人の生徒が仲良く日本式お弁当(ジャパニーズオベントー)を囲んでいた。

 

 

正面に座ってオロオロとしている、黒髪黒目、身長138cmの()()()()()()は"パオラ・ガッロ"

 

向かって左側、じーっとこちらを観察していた、ちょっとだけくすんだ茶色(ビスコット)の髪の、()()()()()()()()()()()()は"クラーラ・リッツォ"

 

その対面に座る、背の高い褐色肌、セピア・ロマーノの髪の()()()()()()は"ガイア・ベニーニ"

 

 

3人とも私が仕事を依頼したことがある知り合いだ。

 

子供の頃から家族ぐるみの付き合いらしく、幼馴染というやつだろう。

それがみんなして武偵の道に進むんだから、物好きだよね、人の事言えないけど。

 

 

「皆さんお揃いで。おー、相変わらずおいしそうなオベントーですね」

「よっ。随分はえーな。財布忘れて食いっぱぐれたか?」

 

褐色の少女(ガイア)がそう言いながら、筒状の揚げ菓子(カンノーロ)を一つ差し出してくる。それ今ベントー箱から出しませんでした?

まーいっか、コース料理じゃないからデザート食べてないし。もらっちゃお。

 

パリパリ音を立てながらデザートを頂く。多分これ、クリームでフニャフニャにならないように二度揚げしてるんだね、内側にかなり火が通ってる。でも甘みを抑えたチーズ風味のクリームが、食感で安っぽくなるのを上品に整えてて、おいしい。

 

「へへっ。なかなかうまく作れてるだろ?そのカンノー()、パオラの家の米を砕いて少し混ぜてんだ。自然の甘味ってのが意外とフロマージュの中でも残るんだよな」

「これは…かなりおいしいですね。米粉の揚げ物なら油分の心配も減ります」

 

(なるほど、生地自体が少し甘いのはそういう事でしたか。その上、半殺しの米粉のおかげで固くなり過ぎないと。やりおる、メモメモ…)

 

この前「14(才)になったから、公道でペダル付き原動機付自転車(モペッド)通学出来るぜ!」とか言ってた人と同一人物が作ったとは思えないな。

 

その前から校内で普通に大型二輪(オートバイA2)自動車(オート)貨物自動車 (カミオンC1) も乗ってたじゃん。私情での使用は許されてないけどさ。

 

 

彼女(ガイア)は中学で車輛科に()()()()()()()()、その道のエリートである。というのも、車輛科という物自体ここでは概念の存在であり、本当は装備科の一員なのだ。

 

中学での免許取得はさすがに許容できない。という方針で、自動車の機構やエンジンの構造なんかの物理工学系の学習と、自動車整備を専攻できる――兵站学部装備科車輛専攻とでも言おうか――体制が敷かれている。

だが、その半面優秀な生徒の成長を妨げるのは良くない。という考えも存在し、高レベルな運転適性試験や厳密な健康診断の結果をもって、合格者にはあらゆる乗り物の選択が許されるのだ。これが概念上の車輛科、通称兵站学部車輛科。

 

車輛科の生徒でも任務外の公道の運転は許諾されていないが、なら公道以外で練習すればいいじゃんとばかりにイタリア国内に練習場所を設けるあたり、行き当たりばったり感が否めない。しかも、これが車輛科の人気を爆上げさせ、倍率を急増させた原因なのだ。

 

 

普段の校内の練習とは違い、合宿体制で確保された練習場所(コース)というのが、あのフェラーリが本店を置き自動車産業に特化したモデナと歴史的なカーレースの聖地シチリア島。

 

 

あんたら遊びに行く気満々でしょ。

 

ガイアも夏季合宿に参加したらしく、シチリアでずいぶんお楽しみだったようだ。カンノー()って発音もシチリアなまりの発音だし、現地で食べて気に入ったんだろうな。

 

 

「クロさんは本当にたかりに来てたのですか?」

 

マイク付きヘッドホン少女(クラーラ)が不思議そうに首を傾げ、返答を待たずに――こちらは料理が得意ではないので、大きめの塩漬け豚(パンチェッタ)に数種類の野菜をくるんで切り分けたものを小皿(ベントーのふた)に分けてくれている。

(ドルチェ)の次は(サラトゥ)、つまり塩漬けですね、分かります!

 

「ホントは違うんですが、もぐもぐ…。ふぅ、人間は歌と食と愛をすべてに優先すべきでしょう」

「日本人とは思えない発言」

「"郷に入っては、郷に従え"って言葉が日本にはあるんです」

「ゴーゥ?」

 

困った、つい日本語で言っちゃったよ、なんて説明しよう。郷ってなんて訳せばいいんだろ。故郷だとなんか違うし。町とか国とか?

 

 

一窓しか起動していない私の思考能力は、一般の人間と変わらない。私が姉さんのように睡眠期に陥らないのは脳への負担を極力避けているからだ。

普通はコントロールできないらしいものの、結局私自身もON(30窓)OFF(1窓)の切り替えが出来る程度なので、そんな便利だとは思ったことがない。能力も安定しない(波がある)しね。

 

 

「"クロさん、quando sei a Roma, vivi come romani(ローマにいるとき、ローマ人として生きる)なんてどうでしょう"」

 

途中から脱線気味に悩んでいた私にニッコリと()()()()そう言いながら、ミニマム少女(パオラ)が包み紙でくるんだ見たことないやつ(オリジナル料理)を一つ手渡してくれる。

 

「その案、頂いちゃいますね。そういうことですクラーラさん」

「どういうこと?あなたは本籍を移したってこと?」

「惜しいっ!」

「惜しいのはあなた、私は間違ってない」

 

とか寸劇をしながら手元の物体を観察してみる。

 

(薄いクレープみたいなフワフワ生地に…リゾット?キノコリゾットが入ってる。なんだこれは)

おそるおそる一口食べてみる。と、お?リゾットというよりチャーハンとかピラフみたい。ベチャっとしてないし、生地に卵が多めに混ざってるっぽいぞ?そしてこの淡泊な味は…なんかどこかで食べたような…

 

もう一口食べてみる。すると、何かが中から!トロっとした何かが…!

(これ、餡だ!酸味はほとんどないけど、甘みのある中華餡。これらが合わさると…そうか!これは持ち運び式の天津飯なんだ!!)

 

「ど、どうでしょう…。日本食はだいぶ作れるようになったのですが、日本の方は中華料理も好きと聞いたので…」

 

そういえば日本食の練習してたけど、ほとんど食べれてなかったね。おいしいから味見役の私たちは役得なんだけど、日本オタクなのかな?

 

 

フルコースを反対から順番にいただいて満足した私が、

 

「これなら日本の露店で出しても売れると思いますよ。ここだと万人受けはしなさそうですが」

 

なんて、ちょっと余計なことを言ってしまったのを聞いて、ガイアとクラーラがニヤニヤしてる。

 

「そんな心配はしてないよなー。パ・オ・ラ」

「そうですよ、パオラが食べて欲しい人は一人しかいないんですから」

「えぇっ!なんですかそれ!?パオラさんいつの間にそんなお相手が!」

「ち、違い……ませんけど、違うんです!食べ物で釣るなんてことじゃなくて、ただ美味しい物を食べておいしいって言ってもらいたくて――」

 

さすがイタリア、愛に生きてるね。日本の漫画なら「ちがーうっ!」って言いきっちゃう、ツンデレ展開なのにあっさり認めたよ。

聞いてもいないのに、聞いてる方が恥ずかしいようなこと口走っちゃってるし。そのサービス精神は日本から学んだのかい?

 

「分かってる分かってる、パオラは純粋な娘だからなー?」

「初めて会った男性に一目ぼれなんて、ジャパニーズマンガ。パオラ可愛い」

「"パオラさん、日本には胃袋をつかむという篭絡方法がありまして…"」

「やめてーーーー!!」

 

 

ガラララーーー!

タッタッタッタ…

 

 

うーんやり過ぎたか、パオラは耳を塞ぎながら走り去ってしまった。てへぺろ×3。

 

「だめだよ、ガイア。あんまりからかったら可愛…かわいそう」

「それをあなたが言いますか。クラーラさんが一番追い詰めていたような気がします」

「とどめを刺したのはクロだろ、最後日本語でなんて言ったんだよ」

 

罪をなすりつけ合う私たちは、にっこり笑顔。何しに来たんだっけ?

 

 

 

昼食も終え、のんびりしていた。もう40分も駄弁ってたのか。

 

そういえば違和感があるな。彼女たちの座る位置である。

まるで私がここに来ることが分かっていたかのように、教室の入り口側を空けて、()()()()に座っていたのだ。

 

「クラーラさん、そういえば何でココ空いてたんでしょうか」

「クロさんが来る少し前まで、あなたの戦妹さんが来てました。"今日のお昼休み中に戦姉(おねえちゃん)が来ると思うから、これを渡してほしいんです"って」

 

そういってクラーラはアルミの銀紙をこぶし大――にしては小っちゃいな――に丸めた物を渡してくれる。受け取ると、ただのアルミにしてはずっしりしてるな。

 

(私より早いってことは昼食よりも優先してくれたってことか。)

 

 

何だろう…なんかこれ(銀紙)を見ただけで懐かしい記憶がよみがえる。

これって、もしかしなくても、これって…

 

戦妹(あの子)が来てたんですか」

 

そう言いながら、みかんの皮を剥くように開いていく。私の推理が正しければこの中には…

 

「後、伝言も"チーズ竹輪(チーチク)美味しかった?戦姉(おねえちゃん)の為に昨日の内に登録しておいたよ"だそうで。その…チーチクっていうのは何です?ceci(チーチ)、ひよこ豆のスープかなんかでしょうか」

 

(昨日かいっ!そもそもあの子は何目指してるの!?)

「チーチクというのは日本語です。チーズと"チクワ"、魚をすりつぶして焼いたものの事です」

 

テキトーなことを言いながら開いた銀紙の中には…

 

 

お、おにぎり…

 

 

見間違えるハズがない。それは今朝、私が断腸の思いで別れを告げた、純・国産・日本米!

まさか、こんなところで再会するなんて!これは運命、そう、私とこのお米は、結ばれる運命だったのだ!

 

「お、おい。大丈夫か?お前、顔の真剣さがやばいことになってるぞ」

「クロさん。そんな顔、私と一緒の任務に出た時にもしてませんでしたよ」

 

何か聞こえるが関係ない。相棒(みそ汁)?本気の相手?知らない子ですね。相手に奥の手を出させるなんて愚策以外の何物でもありません。

 

「フ、フフフ…」

「あいつ、米見て笑ってるだけなのになんであんなに殺気立ってんだ!」

「分からない。けど、戦妹(チュラ)さんなら分かると思う。今は…引くときだよ、ガイア」

「よ、よし。パオラを探して戻らないように言っとかないとな。クラーラ、一年生(チュラ)の方は任せたぞ!」

「うん。そっちも出来るだけ早くパオラを」

 

 

開いたままのドアから二人が飛び出て、ガララッ!と、クラーラがドアを閉めた。

続けてカサカサ、カコッ!と何かが立て掛けられるような音、別々の方向に走り去っていく足音も聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

残された私は今、()()()座り込んでいる。

 

 

昂ぶりが少し落ち着いてきた、瞬間だった。

 

 

 

 

ヒュウゥン!

――ガゥン!

 

 

 

おにぎりとの再会の喜びで、緩くなっていた私のON・OFFスイッチが切り替わる。

刹那のタイミングで、体が勝手に発砲していた。

 

 

 

 

私の銃弾は敵の攻撃を弾き返……さない。

直径2mm程の針、その先端をかすめて行くように擦れ違う。

 

私が無意識に狙ったのはその後端、矢についている矢羽とほとんど同じ形の、()()()()()()である。もちろんそこに矢筈など存在しない。小人の放った矢ではないのだ。

 

 

 

バチィッ!

 

 

 

()()()()()()回転する甲矢。そこについている3叉の矢羽の内、1つを銃弾で擦れ違いざまに捥ぎ取ると、矢は電源を切られた扇風機のように惰性回転になり、弾速も急激に落としていく。

 

弾速が落ちたおかげで、体を横にズラすことは出来そうだが、あの針に着弾の衝撃は与えたくない。

 

 

 

シュバッ!

 

 

 

私は先端の針に触れないように、左手を一気に引きながら母指と中指で細長い円錐形(杉成型)のシャフト部分を挟み取る。ちょっと引くのが遅かったみたいで、矢が円錐で滑るように指の間を抜けようとしてきて…止まった。

 

摩擦で少し熱いから気付かされたけど、シャフト部の表面はわざと荒くしているらしい。掴まれるなんて予想はしないだろうに。掴んだんだけど。

 

 

第二射はない。お相手さんもちょっとは驚いてくれたのかな。

 

 

冷房のない室内の温度を下げるために開け放たれた窓、その外を見ると、人影がある。隠れるつもりもないようで、こちらに向かって無警戒に歩いてきた。

 

Hop la...(よい、しょっと……)

 

え、窓から普通に入ってきた。これは盗人猛々しいというやつですか。

 

 

トパーズのような黄褐色の髪を腰まで伸ばし、エメラルド色の瞳を持つ白磁のように白い顔は、目が3、4割ほど閉じており、せっかくの美人顔がもったいないくらい、全くやる気を感じられない。

潜入のために用意したのだろう学校の制服は事もあろうに高校の制服で、鉄鋲が並べられベルトで締め付けられた厳つい見た目のブーツを履いている。さらにブーツには先程の()()()が先端を隠すように、装着されている。

 

吹き矢の筒は手に持っていないが制服のどこかに隠してるんだろうと思い、少し眺めていると、あった。思いっきり見えてる。

銃のレッグホルスターみたいにしてるようだけど、その筒30センチ定規より長いからね。スカートの下、これまた真っ白な脚の太ももにピッタリくっついてバッチリ露出してる。

 

さあ、私はどこから突っ込めばいいんでしょう。

 

 

 

Hi(こんにちは)Residuo d'oro(レジデュオドロ)。やっぱり生きていたのね?元気そうで良かったわ」

「ええ、おかげさまで。今も左手に火傷を負ったところです。お礼に学校案内でもしましょうか?この時期のおすすめは教務科(マスターズ)ですね」

「あらあら、お構いなく。もう見て回ったわ。でもあなたみたいに親切な子はいないわね」

 

(その格好で?そりゃみんな避けるだろうよ。高校の先輩とかやばい人間しかいないでしょ)

 

自分のことは棚に上げて先輩を化け物扱いするが、間違ってないだろう。カナみたいなのもいるんだし。

 

 

「何しに来たんですか?私が一人になるのを待っていたようですが、今度こそ始末するつもりとか」

「そんなことしないわよ。私の武器も見切られちゃったみたいだし、あなたが邪魔しないなら私も戦闘は望むところじゃないの」

「それはありがたいです。私闘は良くありませんので、次は仕事で会えるといいですね」

「あらあら、こわいわ。意地でも邪魔するのね?」

 

とりあえず、争うつもりはなさそうなので、あることを確認するために正面から対峙する。

 

「"夜道に気を付けてくださいね?"」

Oh Dear(あらあら).Fifone!(臆病者ね!)

 

 

オッケー分かった、喧嘩売ってんだね。

じゃない、分かりました。やっぱり彼女は――日本語が分かる。

 

この前の戦闘で動きを予測されたのは、一菜に送った()()が日本語だったからなんだ!

ローマ武偵中に来て日本語が分かる人なんてあまりいないから油断してた。

 

早急な作戦会議が必要になったな。今朝無くなったばかりだけど。

 

 

「"日本語を話すことは出来るんですか?"」

「"少しだけならしゃべれちゃいます"」

「…………」

「…………」

 

 

 

……日本語は得意じゃないのね、カタコトではないけど、いきなり可愛い声で子供みたいな丁寧語を話すから、鳥肌立っちゃった。

 

 

 

「イタリア語で構いません」

「ええ、助かるわ。日本語の発音は難しいのよ」

 

恥ずかしそうにちょっと視線を左に泳がせ、胸元あたりでお前クビな?みたいに左手をヒラヒラさせるジェスチャーをした。この話は終わりってことらしい。

自分でも変な事には気付いてるんだね。

 

いや、それにしても十分綺麗な発音だったよ、どこで勉強したら声まで変わっちゃうんだろう。

 

 

 

「では、本当の目的を教えていただきましょうか」

「学校見学よ」

 

勢いのままちょっと強めの語気で問いただしてみるが、そりゃ誤魔化すよね。

 

「今が仕事中という判断をしても構わないと?」

「プライベートよ。私は潜入工作なんてつまらない任務は受けないわ」

 

何言ってんの?みたいな顔をしてプロらしからぬ発言をしてくる。

 

「さっきの攻撃は…」

「あんなのあなたには挨拶みたいなものでしょう、レジデュオドロ」

「そんな物騒な挨拶があってたまりますか!引き籠りになっちゃいますよ」

 

そうなったら姉さんが悲しむだろうなぁ。

 

 

それに、人を食ったような態度を取られると疲れてくる。一人で騒いでる気分になるな。

これみよがしに深く、大きなため息を吐く。

 

 

 

ス…ススス、ガッ!

 

 

「あっ…」

 

 

足を滑らせるようにして歩み寄られ、肩をぶつけて半回転させられる。

 

 

 

 

ギュッ!グイィ…シュルルッ、ググッ、ダダンッ!

 

 

 

「うぐっ!」

「油断はいけないわよ?あなた、集中力があまり持続しない、悪い癖よ?」

 

 

(動けない…完全にキめられた!)

 

立ったまま、左腕を上げた状態で頸動脈を絞められている。さらに壁に押し付けられ、足の甲を相手の太腿に乗っけるようにして、少し反った片足立ち状態だ。壁に体重を乗せているようでビクともしない。

 

呼吸と…バランスを取るので精一杯。

 

でも、頭に浮かぶのは痛みや苦しさではない。この状況に陥った原因――

 

 

(スイッチがOFFになってる…なんで……っ!)

 

 

「うふふ、レジデュオドロ、やっぱりいい香りだわ。でも今日はちょっと薄いわね。駄目よ?女の子はしっかりオシャレしないと」

「あっ…がっ!」

「大丈夫よ。今日は仕事じゃないから、殺しはしないわ」

 

 

たとえスイッチがONになってもこんなガッチリ絞められたんじゃ厳しいかもしれない。片足だけじゃ力が…

 

 

 

パパン!

 

 

 

「!」

「!」

 

エメラルドの瞳を見開き、トパーズの髪をなびかせて距離をとる。

 

発砲音のした方向に視線を向けると、両手に銃を持ち、ダークブラウンの尾を引いて窓から少女が飛び込んで来た。

 

私と相手の直線上に立って射線を切りつつ、銃口を相手に、こちらには背中を向けながら状況の確認を――

 

 

「話が違うよ、クロちゃん!」

「いきなりなんですか!」

 

開口一番、嘘吐き判定。この一瞬であなたは何を思ったんだ。

 

 

彼女は前回、相手の姿を見ていない。

状況確認もしてくれないみたいなので、こちらから説明に入る。

 

 

「一菜、あれが()()()()です」

超能力者(ステルシー)…!」

 

 

普段の緩い表情筋を引き締めていく。相手の危険性に気付いたようだ。

私のスイッチも完全に入ったな。しばらくは大丈夫だろう。

 

 

「"その矢は止められたみたいだけど、ケガは大丈夫なの?"」

「その話は後で、彼女は日本語が分かります」

 

一菜はマジで?みたいな顔で振り返ったが、すぐに向き直る。驚くよね。

 

 

「私も2つ聞いてもいいですか?」

「あたしも残り2つ聞きたいことがある」

 

こういう場合はスマートに済むよう、私から交互に質問すると決めている。

 

「どうしてここが分かったんですか?」

「ガイアんがパオラんを探してて、クロんがお米を睨み殺そうと(おもしろいこと)してる、って言うから見に来ただけ」

 

偶然ってことね、そりゃそうか。

作戦中に"ちゃん"を省略して"ん"にするぐらいなら、呼び捨てでいいのに。

 

 

「クロん、今から()()()()()行けそう?」

「問題ありません。一菜の方は()()に行けますか?」

「ごめん、昼に下山したばっか。()()までしか登れない」

「それなら私に合わせて下さい」

「いいよ!じゃあ最後に…」

 

彼女は体勢を低くして重心を落とし、最後の質問をしてくる。

その足元には無残に打ち捨てられた…いや、よそう。私は見てない。

 

「作戦名は?」

「"3on3(前3ー後3)"で距離を詰め続けます。残弾管理だけ気を付けてください」

「うしっ!()()()よ、そんなに()()()()()()()()から」

 

 

一菜が駆けていき一気に距離を詰めていく。

私もベレッタM92FSを右手、レンタルのマニアゴナイフを左手に、ガン=エッジの体勢をとり、後に続く。

 

 

 

ここからは…タッグだ!

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!



どうでしょうか、登場人物のセリフ、見分け(聞き分け)られましたか?
一気に登場したので特徴は最低限にとどめましたが、先に謝らせて頂きます。




まだ増えます。ごめんなさい(てへぺろ)。




あと、注意事項が!
"quando sei a Roma, vivi come romani."
パオラさんが教えてくれたこのことわざ、これは正しくはありません。寸劇挟むために"i"を抜いちゃってます。正式には、
"quando sei a Roma, vivi come i romani."
となるそうです。
"ローマ人として"ではなく"ローマ人みたいに"が正しいので、誤用のありませんよう、お気を付けください。

戦いは次回!"3on3"一菜さんの戦闘スタイルも出て来ますので、黄金の残滓(後半)もうちょっとだけお待ちください。




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黄金の残滓(後半)




どうも!



今回はおまけ増量です。本編がシリアスムードなので思いっきりふざけました。

疫病の矢との戦いが始まります。おふざけ回と違ってなかなか執筆が進まない進まない。結局休み丸々使って、キャラ紹介も作れてない体たらく。

でも、書き終わるとすっきりしました。

少しでも多くの人に「あーハイハイ、オモロー」って言ってもらえれば、と。


では、始まります。






 

 

 

~殺生石伝説~

 

                          語部:三浦一菜

                        合いの手:遠山クロ

                             パオラ

                             クラーラ

                             ガイア

 

 

むかーしむかし、あるところに、子宝に恵まれない一組のかっぷるがおった

 

「カ、カップルっ!」

「落ち着けパオラ、まだ一文目だぞ」

「一菜さん、それ出来ちゃった婚前提の話なんですか?」

「で、で、で!出来ちゃった結婚!?」

「パオラ落ち着いて、カップルはもう結婚してる」

「クロももうちょっとオブラートに包んでやれ」

 

なんかいつの間にか子供が出来たそうな、

 

「人体の神秘ですね」

「未知との遭遇」

「子供向けだな」

「あわわわわ…」

 

その子供は大変可愛らしく、また賢く良い子だったので、お爺さんもお婆さんも、それはそれは大事(だいーじに)大事(だいーじに)に育てておった

 

「一気に平均年齢上がったな」

「結構長い間、苦悩してたんですね」

「待って、それ普通に自分たちの子じゃ…」

 

そのおなごの名前は若藻(わかも)。二人の愛を一身に受けてすくすくと成長し、国中に噂と求婚者が絶えぬほどの美人に成長したそうな

 

「お二人の努力の結果ですね」

「カワイイは生菓子、美人は天然素材」

「クラーラさん、ひっどいこと言いますね」

 

ついにその噂は宮廷まで届き、18の時に無事就職を果たした

 

「国中に広がってやっと気づいたのか」

「クロさん、このころはニンジャはいなかったのですか?」

「まず、いつ頃なのか分かりませんね」

 

とうとう女官という地位ににまで昇りつめた若藻は、名を"玉藻の前(たまものまえ)"と改め、その美しさと聡明さをもって、えらい人の寵愛を独り占めした。勝ち組人生まっしぐら

 

「なんという()の輿!お爺さんもお婆さんも、お空の上で笑ってますね」

「し、死んでないですよ、クロさん」

「玉はどっからきたんだ?」

「玉のように可愛らしいとか、美しいとかだと思いますよ」

 

しかし、ある日そのお偉いさんが原因不明の病に、倒れてしまった

 

「昔の医療技術では厳しいでしょうね。ほとんど悪霊のせいにしてましたし」

おばけ(モンストロ)!」

 

そこに陰陽師である"安倍泰成(晴明)"があらわれ、「こりゃあ、化生のしわざじゃあ」といい、祈祷を始めおった

 

祈祷師(エクソシスタ)!」

「日本にもそういう類の人がいるんですね」

「確かに、昔の日本になら殲魔科(カノッサ)があってもおかしくないです」

 

泰山府君(たいざんふくん)の法を唱えると、玉藻の前からピョイッっと輝く稲穂のような金色の狐耳と、九本の尾が飛び出し、玉藻の前はすっとんで逃げ出したそうな

 

「「「「おー」」」」

 

それから時は経ち、悪さを続ける玉藻の前に、ついには朝廷も討伐軍を集結させ、那須野へと討って出た

 

「熱い展開になってきたな」

「勝てるんでしょうか…」

「銃が無いと厳しい」

「それ高校の殲魔科(先輩方)も一緒ですよね」

 

結果は惨敗、九尾の妖狐が繰り出す(つかう)妖術の前に将軍率いる討伐軍は手も足も出んかった

 

「…なんか魔女と戦う先輩思い出した」

「しーっ!聞かれたらどうするんですか!」

 

そののち、生き残った討伐軍は、徹底的に対策をたて、再び九尾と相対した

 

「友軍の弔い合戦ですね!これは負けられないですよ」

「いったいどんな戦略を?」

「馬に乗って追い続けて、休む暇もなく弓矢で射続けるハズです」

「クロ、お前この物語知ってたのか!」

 

長き戦いの末、九尾は弱り果て、幻術も使って抵抗するが、ついには放たれた矢に体を貫かれ、刀の一刀によって死んだのだった

 

「う、勝ったのに、キツネの姿を想像したら罪悪感が」

「パオラ、作戦上仕方のないこと、彼らは武偵じゃない」

「う、うん」

 

九尾は最後の抵抗に、自らの姿を毒の岩に変えて近付くものの命を奪うようになった。人々は恐れ、その岩を"殺生石"と名付けて近付かぬようにしたそうな

 

「死んでなかったのか?」

「妖怪は生き死にの概念が人間とは違いますからね、おそらく死んだのは若藻としての九尾なんでしょう」

「よ、よかったぁ」

「この場合の作戦は成功?」

「作戦目標がいないから契約自体不成立になるんじゃないですか」

Il gioco non vale la candela(骨折り損のくたびれもうけ)かよ、報われねえ」

 

時代はくだり、はるばるこの地を訪れた和尚――玄翁――は村の皆々の願いを聞き入れ、殺生石を割ってみせた

 

「素手!?」

「いえ、杖です」

「それでも普通じゃない」

 

割れた殺生石はぴょーいとふっとんで、あるものは伊勢に、またあるものは越後に、北は会津(福島県)、南は豊後(大分県)まで日本各地に大小さまざま散らばった

 

「ぶ、物理寄りのエクソシストさんですね」

「戦闘民族だな」

 

いまでも那須野には、割れて残った殺生石のかけらと、玄翁和尚が踏ん張った足跡が残っているそうな……「ってことで、これがその"殺生石"のかけらのひとつでーす!」

 

「伝説だろ?眉唾ものじゃないのか?」

「日本の御守り(アミュレット)ですね。その中に石が入ってるんですか?」

 

がさごそ、カラーン

 

「そーいう事!さあ、みさらせ。あ、絶対触っちゃだめだよ?」

「分かってますよ、一菜さんの家の家宝ですもんね」

「それだけじゃないんだよなー。殺生石って名前は、看板に偽りなし、なんだよ」

 

「し、死んじゃうんですか!?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。すぐには人体に影響を及ぼさないから」

「放射線でも出してる?」

「そんな危ないモノ持ってこないよ!持ってるだけでお家取り潰しになるじゃん!」

 

「何でこんなもんを家宝にしてんだ?」

「その石はあたしが生きていくために必要な物なの。家宝にして大切にしてるのも、あたしみたいに"呪い"が発現する子供が生まれるから」

「…呪い?」

「九尾の妖狐なんて大妖怪が、敵の大将首になんもしなかったわけがないでしょー?」

「それって一体どんな――」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

ガゥン!

――パパン!

 

 

 

一菜が接近しながら左右を撃ち、逃げ道を奪う。それが分かっていた私は、先んじて牽制用の射撃を1発――狙いは左肩。

 

 

 

ガゥンガゥン!

 

 

 

続けてバランスを崩すために今度は2発――反って避けた時用の右脇腹と、屈んで避けた時用の右膝への射撃。

 

計5発の銃弾が"疫病の矢"に襲い掛かる。動かなければ3発命中し、たとえ避けたとしても大きくバランスを崩す。

跳躍(ジャンプ)の予備動作は見せていない、体勢が左後方に傾く。

 

人間は危険が迫ると咄嗟に、一番防御力の高い亀のポーズを取ろうと前傾姿勢になるが、反って避けるつもりらしい。

だが、それは予測済み、右脇腹の銃弾を避けるためにはもっと体を傾けなくてはいけない。

 

人間の重心は下に下げる程安定する。スポーツや武道で腰を落とすのはその為だ。直立した状態ではさっきの私のように、弱い力で簡単にコマみたいに回転させられてしまう。

 

バランスを崩したら一菜がフロントを取れる。無事3on3に持ち込めそうだ。

 

(その避け方は悪手でしたね)

 

 

スローになった世界で、疫病の矢の重心がズレ、下半身が体を支えきれずに転倒する直前――

 

 

 

ギュルルルルルルルルッ!!!

 

 

 

まるでフィギュアスケートの選手のように腕を体に巻付け、体の中心を軸にし()()のように()()()()()で、時計回りに回転する。

美しい髪が宝石を散りばめたように、幻想的な軌跡を描く。

 

 

 

ギィン!ギギィン!

 

 

 

靴からだけではなく制服から延びたベルトが鞭のようにしなり、私の銃弾が全て絡み取られるように弾かれる。

このままだと…まずい。

 

 

「"一菜、下がれ!"」

「!」

 

慌てていたこともあり、つい日本語で指示を出してしまった。口調も男っぽい。

 

――一緒に戦ってたのが一菜で良かった。

 

 

勢いが増した疫病の矢(コマ)は、そのベルトを伸ばし攻撃範囲を広げていたが、ギリギリ彼女の回避が間に合った。

 

 

 

ガリガリガリリィ!

 

 

 

ベルトの触れた教室の壁が、抉るように削られていく。おかげでベルトの二重振り子を嫌った疫病の矢がベルトを縮めていき、回転もメリーゴーランドくらいの速度まで落としていく。

 

その目はこちらを見据えて、でも何も伝えたいことがないような無表情。まるで踊らされるまま踊るお人形さんだな。

 

 

 

「クロん、なんか見えた?」

 

奇襲による接近の失敗を悟った一菜が、隣に戻ってくる。

 

「見えない。いや()()()()()()()()()ように、見えた」

 

 

あれは異常な光景だった。

 

体を反っていき、倒れる。そう思った瞬間に見えないダンスのパートナーに手を引かれるように体勢を立て直した。

それだけじゃない。起き上がった彼女はそのままエスコートされ、ダンサー顔負けの回転を見せたのだ。

そして回転はドンドン()()した。普通に考えればあり得ない。

 

角運動量の保存という法則がある。これは回転する力、すなわちトルクは回転軸の太さと回転速度で求められることから、()()()()()()()()()に限り、軸が細いほど回転速度は速くなる、というものだ。

フィギュアスケート選手がスピンで加速しているのはこの法則に従っているからである。

 

彼女も同様に腕を折り曲げていたが、その加速は明らかに法則を逸している。ゴボウになったって、あんな速度には至らない。ということは何かしらの外力が加わっているとみて間違いない。

だが、その正体がわからない。

 

(おまけにあの()()()()()()()()()、冷や汗がとまらないな)

 

 

壁の傷からその原因に視線を戻すと、そんなことを考えているのが分かっているのか分かっていないのか。

優雅なダンス(回転)を終えた疫病の矢(お人形さん)はその無感情な顔を変えず、ダンスの素晴らしさを台無しにするほどだらしない格好でこちらを見ている。

制服のあちこちからベルトが垂れており、着付けに失敗した着物よりも情けない有り様だ。気が抜けるよ。

 

なんでだろう?心なしか、()()()()()()()()()()()()()()に見える。

(疲れ?魔女は力を使うほどやる気を失うのかな)

 

そんなことはない…と思う。少なくとも過去に対峙した()()()()()()()は疲れた様子は見せなかった。あれはホントの人外(バケモノ)だったけど。

 

 

どちらも()()()()、いやこちらは()()()()

 

吹き矢を警戒して、接近戦なら押し切れると踏んでいた分、この衝撃は大きい。

一菜も同じ考えなのか、仕掛けるようなことはせず、次の相手の行動に注目している。

 

(遠近両用なんて!話が違うよ!)

一菜風のセリフが思い浮かぶ。敵対関係に嘘吐きも何もないが、これは言わせて欲しい。だってずるいもん。

名称もあれだね、疫病の矢だと不適切だね。

 

この伏名は"疫病(ペスト)は魔女の仕業"というヨーロッパの魔女裁判を元に伏字として付け、矢に魔力を流し込んでいるから"疫病の矢"としていた。

体も凶器であるならこの名は修正の必要がある。

 

隠す必要がない場合は、珍しい瞳の色から碧翠の矢(ヴェルデ・ズメラルド)って愛称付けてたしね。ヨーロッパの人(フィオナ)はペストが怖いらしい。

怒って狙撃銃向ける人の方が怖いよ。

 

 

 

(なにがいいかな?特徴は…吹き矢の筒と高速回転の矢、あと無気力とトパーズとエメラルドと…ベルトとお人形とトルク(回転力)…あれ?なんで回転が2回も出て来たんだろ?……!)

 

 

 

強力な遠距離攻撃、隙の無い近距離防御。どちらにも()()()()()()が掛かっていた。回転力はそのまま破壊力に変わる。

あの力は回転によってもたらされたのだ。吹き矢による私の腕のケガも、ベルトによる壁の破壊も。

 

 

ではその回転の根源はどこにあるのか?魔力はどこに宿っているのか?

 

吹き矢を撃たれる瞬間は見たことがない。しかし無意識に狙った矢羽がなくなった時、矢は回転を止めた。

回転する前に彼女は体を反らせた。その後反動を利用するかのように回転を始めた。

 

 

もう少し、あともう少しで何かが分かりそうな気がする…

 

 

 

パシュッ!

―ギイィイン!

 

 

 

金属同士をぶつけ合ったような音が教室に響く。

私の様子を見た一菜が、時間稼ぎに仕掛けたようだ。

 

今撃たれたのは一菜の方で、彼女の()が相手の牽制の()()を防いだ音。

あの人、銃を隠し持ってたのか。

 

 

パパン!

 

 

敵の銃撃にも引かず突っ込んでいく、一菜の戦術は近距離一辺倒なのだ。中距離の銃撃も出来なくはないが、彼女が一番得意とするのが超至近距離でのガン=カタである。

銃を使った接近戦――よりもさらに接近した銃を使った()()戦。

 

「バカな!」と思うかもしれないが本当にバカである。

 

多少の銃撃では、彼女を止められない。射撃線を見切る力も高い上、何より彼女は銃弾を()()()()()()()()()ことで体勢を維持したまま動き回る。

 

使用武装はSIG P226フルメタルコーティング2丁。

もともと悪環境に強いSIGサウザーの銃に、物理的な頑丈さを無理やり取っつけたもので、銃マニアが「その子を解放してあげてください、お願いします」と泣いて懇願して来そうなくらい、原形がない。

その総重量は12kg。2丁合わせればそんじょそこらのロケランや汎用機関銃よりも()()()()だ。

これが固いのなんの、どんな圧縮加工を施したらそんなに小さく収まるのかと最初は驚いた。今でもわっかんないけど。

 

 

もちろんそんな銃を()()()中学生が扱えるわけもなく、誰だって射撃を受けたら手放してしまうものであり、彼女もまた()()()()()()中学生なのだ。

 

例えば女子中学生がいたとして、この6kgの重りを持って下さいと言われれば、ブリっ子でなければ何とか持ち上げることは可能だろう。

ただ、それを持ったまま42.195km(フルマラソン)を走り切って下さいと言われれば話は別、途中でリタイアする人がほとんどだ。

 

これは生体エネルギーの消費や筋肉の疲れ云々により、継続して力を発揮し続けることが出来ないから、つまり疲労による限界である。

 

彼女にはそれが存在しない。

 

 

ザックリ言うと、人の体の中では解糖系がブドウ糖(グルコース)を使用して生体エネルギー源(ATP)とピルビン酸を作り出している。

さらに強度の高い運動を行うと、他に余剰ピルビン酸やリン酸も同時に発生し始める。このリン酸が疲労の原因だ。

余剰ピルビン酸は乳酸となり、肝臓でブドウ糖に変化して、また解糖系に戻って消費される。

 

学術的に言えば乳酸シャトル説やコリ回路と呼ばれているものだが、糖のエネルギーの()とでも言えるだろうか。

 

 

ここで"環"の中に"臓器(呪い)"が一つ増えたとする。

 

 

1つ、その臓器は体内のピルビン酸を生体エネルギー源に変化させる回路を活性化させる

2つ、その臓器は生体エネルギー源の分解・結合の触媒として機能する

3つ、その臓器は分解によって生まれたエネルギーを蓄える役割を持つ

 

はい、簡単3ステップ

 

「糖分で、疲れ知らずな、馬鹿力」

 

分かり易いでしょう!

 

 

あの無茶苦茶な戦い方も、体内で無尽蔵に作り出されるエネルギーを効率よく発散させる彼女なりの戦略なのだ。

彼女の力は時間が経つとともに増加し続ける。何をしても、何もしなくても。

 

私の()()()()()が集中力の波なら、彼女の()()は力の堆積量。

 

 

 

 

 

―――そして、呪われた臓器(心臓)が天に最も近付くまでのカウントダウン

 

 

 

 

 

彼女の力の源は心臓にある。分かるのはそれだけだ。

 

時間と共に死に近づく。だから自分の力を弱めてでも()()をする必要がある。

 

 

(深刻になる必要もないけどね)

 

彼女は"御守り"と呼んでいるが、下山を行うために必要な鍵はもう見つかっているのだ。

 

"殺生石"は触れた生物の生命活動を鈍らせる、砕かれる前は近付いただけで危ないモノだったらしい。

 

伝説では毒の石だとか言われているが、少量の毒は血清(くすり)になるもので、私の右腕がまだ動くのもその石の力。

 

 

その右腕のおかげで彼女と共に戦うことが出来る。

 

 

 

ガゥン!

 

 

遠距離に逃がすわけにはいかない。

追撃を避けるために、窓へと向かった疫病の矢の前方に一発撃ち込む。

 

 

「っ」

 

 

こちらへの警戒も怠っていなかったのか、足を止めて立ち止まる。

 

 

「うっらぁー!」

 

パパパパン!

 

 

直前に足を止めてしまっていた彼女は、屈んでその銃弾を避けた。

一菜が接敵する。当初の作戦通り3on3、その口火を切るために。

 

自身を犠牲にしてでも、またあの技を使わせようとしている。私なら次で見極められると信じてくれたのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

(あなたらしいですね。何があっても、その時は私が守ります!)

 

これまでにない集中力。頭の中が水底を見渡せる程、心穏やかに落ち着いていく。

 

 

スーパースローになった世界で、全ての状況を理解する。

 

 

――疫病の矢があの技を使う準備をしている。

――一菜は私を信じてその技を受ける覚悟を決めている。

――私の手にはベレッタM92FSとマニアゴナイフ、そして()()()()

 

一菜と疫病の矢は2歩、私と疫病の矢は()()()()()()()()()()4分の1歩未満。

疫病の矢が回転を始めるまで、0.2秒、回転を加速させベルトが一菜に届くまで0.05秒。

時速100kmでの移動で接敵まで0.252秒。

 

私の到着はすでに相手の回転が始まっているうえに、一菜を守るのに0.002秒の遅れが出る。回転を始めたら銃弾は効かないし、ナイフを持った腕を伸ばしても()()()()届かない。

 

 

―いや、違う!間に合う。コマの対策はまだ出来てないけど、間に合うんだ!跳んだあとは、その時に何とかして見せる!

 

 

私は地面と平行に、疫病の矢に向かって、一直線に跳んでいく。そして自身の加速も利用し、左手のマニアゴナイフを疫病の矢に向けて投擲した。

疫病の矢が回転を始める。先程と同じ、何かの力に引かれるように、体を瞬間的に起き上がらせて、反動をつけたような回転だ。

 

 

 

ギュルルルルルルルルルルルーーーーーーー!!

 

 

加速、加速、加速、加速加速加速加速加速―――

 

 

もはやスーパースローの世界でも彼女の顔を認識できない異常な速度に到達した。

 

 

そして十分な回転を得て、一度縮めたベルトがまた一斉に、射出するように繰り出される。

 

 

ほぼ同時に私は一菜を追い越した。()()()()()に回っていた疫病の矢の(ベルト)はこのまま私を切り捨てて、残る刃で一菜を切り裂く。

 

いくら私でも、この刃の全てをつかむことは出来ない。

 

なら止めるしかないのだ。本体を?違う、()()を。

 

 

 

そう、()()()届く必要などなかった。彼女の重心は回転の中心であって、()()の中心ではない!

 

 

 

その場所になら届く、そして動力を止めさえすれば無茶でもなんでもやってやるよ。

 

 

私は左手に、襟首の後ろに隠していたベレッタM92F(我が愛銃)を抜いている。

 

 

 

ガガガガガガガガゥン!

 

 

 

二丁の銃で撃ちまくった―――空中にあるマニアゴナイフを。

 

 

 

銃弾が直線ではなくナイフに弧を描かせるように一発ずつ当たる。次の弾丸とナイフの軌道を合わせ、8発全てが当たるように。

 

力を受けたナイフは一発ごとに加速し、向きを変え、すでに疫病の矢には向いていないが、これでいい。

 

 

 

(動力は――そこだ!)

 

 

 

ヒュンッ、スパッ!

 

 

 

ナイフは彼女の髪の毛を掠め、そのトパーズの輝きの中から、隠されていた薄い紫色(アメティスタ)(宝石)を切断する。

 

 

途端に疫病の矢は回転を弱めていき…認識できるようになった彼女の顔は驚愕に歪んでいる。

 

やっぱり薄紫の髪(あれ)が、彼女の魔力の源(地毛)みたいだね。魔女が魔力を補給する方法なんて知らないけど。

 

 

彼女が体を反らせたのも、屈ませたのも、理由は分からないが、おそらく染めていない地毛を空気中に露出させるため。

私が無意識に矢羽を狙ったのも、あの髪が矢羽に紛れて輝いていたから。

 

 

ギュワッ!

 

 

惰性回転の刃が迫る。まだ、十分な殺傷能力はありそうだ。

 

(後は…ちょっとだけ無茶しちゃおうかな……ん?)

 

 

右上方から…なんだこれ?――ああ、一菜の銃か――が、落ちてくる。

なるほど、よくできたチームメイトだよ。こんな鈍器を私に使えと。

 

 

両手の銃を宙に放り、SIGP226だったものを手に取り

 

 

「うっらぁーー!」

 

一菜と同じ掛け声で一番下の刃を上方へ、すくい上げるように弾き飛ばす。

続々と押し寄せる刃は、刃から盾に変わったベルトに絡まって、スクリューみたいにツリー状にグルグルと巻付いていった。

 

 

とりあえずこの重いもんも、ぶん投げとこう。

シグに別れを告げ、両の手にベレッタM92F、M92FS(愛銃たち)を取り戻す。

 

 

 

「クロんなら、やれると思ってたよ!」

 

 

ヒュボゥッ!

 

 

一菜の殴打が、おおよそ人間が出すようなものではない風切り音をたてて、襲い掛かる。

 

 

疫病の矢は窓とは反対側に飛び退けたが、

 

 

ガゥン!ガゥン!

 

「あららっ」

 

――休みは与えない

 

 

パン!

 

 

一菜の銃撃を避け、こちらに少し近付く――私の範囲(2歩以内)だ。

 

 

――――――戦場(コート)は教室内

 

 

そっちいったよ(パス)!」

「はい、仕留めます」

 

 

――――――――――獲物(ボール)は疫病の矢

 

 

シュビッ!

 

右足で蹴りかかるが、左脇を抜けるように前転して躱される。

 

 

パン!パン!

 

 

一菜の追撃が入るが、2回前転から腕の力で跳ね上がって回避し着地する。

 

もう疫病の矢はどちらの範囲でもない。なら…

 

 

――――――――――――――目標(ネット)は――

 

 

ガゥンガゥン!

 

 

続く銃撃が疫病の矢の体を窓側に向くように、誘導(アリウープ)する。

これで終わりだ。

 

 

最終調整は終了(ゴールイン)です。…あなたなら来てくれると思いましたよ」

 

 

チュチュチュチュン!

 

 

「……あらあら…大した腕だこと」

 

 

――――ダダダダァーン!

 

 

疫病の矢が動きを止め、両手をヒラヒラと私たち――と200m先、木の枝に()()()()()で、こちらをスコープ越しに覗いている人物に振っている。一回見たな、もう終わりの(その)ジェスチャー。

彼女の足元には前後左右をフルオート()()で撃たれた跡が残っている。

 

 

「なにか言いたいことはありますか?」

 

銃を向けながら、洋画のようなセリフで最後の勧告を行う。これでとぼけるようなら、ホントに教務課やら尋問科(高校のみ)やら殲魔科にでも突き出してやりますよ?

 

 

「あらあら、じゃあ1つだけ」

「どうぞ。見逃がしてとかはないですよ」

「うふふ、そんなこと言わないわよ。今回は私の完敗、惨めなのはいただけないわ」

 

ほほう、殊勝な心掛けです。おにぎりの件は不問にしてあげましょう。

 

「ねーねー、魔女さんの名前、なんて言うの?」

「私の…名前?そんなものが気になるのかしら」

「気になる!せっかく手合わせしたんだし、知りたくなるじゃん!」

「…うふふ、それはまた今度ね?………せんぱーい、私、負けてしまいましたわー!」

 

私と一菜は眉をひそめる。

 

「…仲間でも呼ぶ気ですか?」

「ええ、そうよ。そういう約束だもの」

「ちょっと、それは勘弁だよ!」

「とりあえず、一人だけでも捕えときましょう!」

 

フィオナに ゾウエン キタ の合図を送り、捕縛作業にはいる。

 

 

ぐーるぐるぐる、ぐーるぐる

 

 

自身は全く動く気が無いようで、自分のベルトでグルグル巻きにされていく。もうこれ梱包作業だよ。

こっちが悪いことしてる気分…ほんと食えない人だなぁ。

 

なんか居た堪れないので、倒れてケガをしないように静かに横たわらせてから。

 

 

「一菜さん迎え撃ちます。外はフィオナさんに任せてるので、一菜さんはドアを。私は窓からフィオナさんのいる木までの直線を警戒します」

「あれ以上の魔女が来たら、どうするの?」

「何とかするしかないでしょう、人を呼べば犠牲者も増えますし、あの人をみすみす置いていくわけにもいきません」

「…だよねー」

 

 

魔女を見逃したなんて話が上がったら、中学生の身空で殲魔科への強制送還+洗脳的指導を施されるに違いない。敵前逃亡も、許されないだろう。

 

(来るなら来い、私はもうヤケですよ!)

 

 

  コン コン コン

 

 

お、だれか来た……って、たぶん先輩とか呼ばれてる人だよね?なんでノックするの?

この学校、いつの間に天然科(ネイチャー)なんて出来たのさ?

 

 

「はいはーい、あいてるよー」

 

 

ガラララッ!

 

 

おのれ天然科!私のチームまで浸食するか―――

 

――はい?

 

 

「わざわざありがとう。クロちゃん、お昼ご飯は食べられた?チュラちゃんが張り切って握ってくれたのよ?」

「と、ととと、遠山カナ先輩!!」

「姉さん、なんでここに!」

「なんでって、後輩を…あら?ここにいるはずなんだけど」

 

びっくりした。良かった一菜がドアを開けてくれて。危うく姉さんに銃を向けるところだった。

それにしてもここにいた後輩って、あの3人組位しかいないと思うんだけど。

 

「せんぱーい、ここですわー」

 

出荷準備完了状態のイタリア人形がうねうね動いている。まさしくホラーだ。

 

「?……!そこにいたの?」

「捕らえられてしまいましたの」

 

いかん、絵がシュールすぎる。一菜は緊張で固まっちゃってるし、フィオナはもう木にいないし、場に天然しか残ってない!

 

 

「これはどういうことですか?」

「ごめんね?どうしても昨日の内に片付けたくて…やっちゃったの」

「…はい?」

「この子を捕まえて問い質したんだけど………同業者だったわ」

「ど、同業者って…」

「パレルモ武偵高所属1年、諜報科と殲魔科を専攻。まあ殲魔科は魔女狩りにしか出席してないから単位不足みたいね」

「待ってください!武偵?高1?この人姉さんより年下なの!?」

「そういうことね、お人形さんみたいで可愛いから()()()()()()()()

「!」

「あらあら、カワイイだなんてそんな…嬉しいわ、先輩」

 

 

なんか、裏で動いてるんだな。取引があったっぽい。

よくわからないけど、ローマ武偵高はきっと強力な魔女の存在を察知したんだ。

 

 

戦力を集めている…この学校に。

 

 

気付けばもう昼休みは終了の時間、嫌な予感を感じながらも、私たちは普段の日常へと戻る。

 

そうだ、これが武偵学校(普通じゃない学校)の普通なんだ。

 

 

クラスに向けて去っていく。

 

私の後ろにはオーデコロン(ジネストラ)の香りが尾を引くように、残った。

 

 

黄金に輝く黄色い花、ジネストラ。

 

 

裏の世界で私につけられた名が

 

 

黄金の残滓(レジデュオドロ)

 

 

 

私もカナも無関係ではない(この学校に集められた)のだ。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

かつて2人の将軍がいた。彼らは名を上総介広常(かずさ ひろつね)三浦介義明(みうら よしあき)と言い、陰陽師である安部泰成を軍師に据え、軍を率いて那須野原へと進んでいる。

 

2人は弓の名手であり、朝廷の命を受けて九尾の妖狐を追い詰めていた。

 

安倍泰成の法力を受け、さらに馬上から射られる矢に、然しもの大妖も徐々にその力を弱めていった。

 

ついに三浦介の放った矢が、妖狐の脇腹を、首筋を射抜き、その体に傷を付ける。

 

これ好機と、上総介が刀を抜き、その体を一刀のもとに切り捨てた。

 

得意の幻術も安倍の前には通じず、絶望した妖狐は死に際に"()()()()()()()()"を守った。

 

その身を大きな岩へと変え、近付くものを皆、殺していったのだ。

 

「この地はあの方の大切な場所、汝らに渡しはせん!」

 

岩から響く声は、幻術の効かない安倍氏には聞こえなかったようだが、2人の将軍にはしっかりと聞こえていた。

 

聞こえてしまった。最後の、最後の呪い(まじない)が。

見えてしまった。今では岩になってしまった妖狐の流す、一筋の涙が。

感じてしまった。ゆっくりとその生を終える彼女の鼓動が。

 

殺生石は近付くものを皆、殺していった。

 

 

それは……それは果たして本当に………

 

 

 

 

 

―――彼女が望んだ事だったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

呪いは三浦の子孫を苦しめた。

殺生石は三浦の子孫を救った。

 

まるで殺生石を集めさせようとしているような、何かをさせようとしているような。

 

殺そうとしているのか。

救おうとしているのか。

 

 

一菜(あたし)は、今でも分からない。もしまだ九尾の妖狐が、玉藻の前が生きているなら。

 

いつか、会ってみたいと思う。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


巻頭にも書きましたが戦闘パートです。一菜さん、疫病の矢、あとちょっとだけフィオナさんも活躍しました。

クロさん…というよりローマ武偵中には殲魔科はやばい、という噂が広がっています(間違ってない)。東京武偵高の三大危険地帯が強襲科・地下倉庫・教務課なら、ローマ武偵高の三大危険地帯は諜報科・殲魔科地下協会・教務課とかどうでしょう?

3on3とはバスケのこと、戦場(コート)が狭く、閉所である場合に用いる作戦で、ターゲットが自身の2歩以内に入ったら近接戦に、離れたら援護射撃に、どちらの範囲にも属さない場合は、遠距離からの銃撃(スリーポイントシュート)でフィオナの射撃ポイント(ゴール)に誘導する作戦。
あくまで目的は、フィオナの射撃ポイントにターゲットを誘導(ドリブル)することで、相手の獲物が分からない時の備え、もしくは未知の攻撃から身を守ることに重点を置いています。ターゲットが戦場から離れようとするとフィオナが足止め(スローイン)します。

前3というのはクロのナイフと一菜の手甲銃二丁。後3というのはクロのベレッタ二丁とフィオナのライフルを指しています。


なにやら不穏な雰囲気、ヨーロッパは魔女がいっぱい潜んでいそうですね。クロのステルシー経歴はどうなってしまうんでしょう。


次回もぜひぜひ、見に来てくださいね!








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おまけ2発目 お米屋さんの一目惚れ

どうも!



今回はおまけ第2発、題名で予想がつくかもしれませんが"彼女"の一目惚れです。

キャラ紹介の第一弾として取り上げました。

登場人物は

 第1部がクロ、パオラ、クラーラ、ガイア

 第2部がクロ、カナ、チュラ

 第3部がキンジ、チュラ、パオラ

になります。

クロとパオラが分かりにくいかもしれませんが、
ただのおまけなので、頭からっぽで楽しんじゃってください。



…最後の文章以外は。

では、始まります!





ダダダダダダダダダッ!

 

「?」

「何の音だ?」

「いつもせわしない」

 

 

ガラララララ―――!!

 

 

「"たのもーーーーー!!"」

 

 

「やっぱりクロさん」

「そんな慌ててどうしたんですか?」

「いつも騒々しいな」

 

「そ、そ、そ、そんな事より!パオラさん!」

 

「はへ?私ですか?」

 

「そうです!聞きたいことがあって…」

 

 

 

「パオラさんの家、お米屋さんなんですか!?」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「クロちゃん、どうしたの?チュラちゃんも一緒に、話ってなにかしら」

 

「聞いてください、姉さん。実は今、ある取引を行っているんです」

「いるんです」

 

「取引?いつだったかもそんな話してたわね」

「してたわね」

 

「そ、それとは別です!あれは過去の話です」

「恥ずかしいからやめてー」

 

グイッ、ムニィーーン

 

「いーたーいー」

「チュラさんは少しだまってましょうね?」

 

「こらこら、戦妹をいじめないの」

 

「この子は言っても聞かないんです。真似するだけで」

 

「うぅ…ひりひりふるひょ」

「おとなしく座っててください」

 

「…それで、今度はどんな取引なの?」

 

「ふふふ…姉さん、今日の朝ごはん何でしたっけ?」

 

「朝ごはん?カプチーノとコルネット(コルノ)、あと目玉焼きとハムにミネストローネよ」

 

「え、あれ?あれれ?私と違いません?」

 

「学校に行ったら、後輩に誘われたの」

 

「私、コルネット(クロワッサン)だけで昼まで耐えてたのに!」

 

「朝食は外で済ませる子も多いそうよ」

 

「おいしそうです!ずーるーいーでーすー!」

「ずーるーいーでーすー」

 

「うふふ、2人もいるとすごい破壊力ね。ほら、一緒にあの裏通りのピザ屋さん(ピッツェリア)に行きましょう?」

 

「えっ!ほんとですか!」

「ほんとー?」

 

「ええ、ホント。チュラちゃんの好きなブレザオラも置いてるわ」

 

「あそこなら気兼ねなく、はんぶ…3分の1で分け合いっこ出来ますね」

 

「ブレザオラたべたーい」

 

「姉さんはいつもカプリチョーザですよね」

 

「おすすめが一番おいしいモノよ」

 

「季節の握りって感じですもんね…そっちは食べたことないですけど」

 

戦姉(おねえちゃん)!チュラ、カルツォーネも食べたい」

 

「はいはい、一緒に食べましょうね」

 

Siiiiiii!(やったぁ!)

 

【挿絵表示】

 

 

「ほら、2人とも。大衆的なお店だけど、最低限のドレスコードは整えるのよ?」

 

「チュラさん、急ぎましょう!もう窯の火もあったまってる頃ですよ!」

「あったまってる頃だー!」

 

「うふふ」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「どういうわけだ、これは…」

 

「すー、すー」

 

(なんで俺のベットの中に、女…子供が一緒に寝てんだよ)

 

「あっちの俺は、こっちの俺に恨みでもあんのか?」

 

(夢みたいに曖昧にしか思い出せないが、ピザ屋から帰って来てはしゃいでた…ような気がする)

 

「どうせ残すなら女の子じゃなくて、ピザの方残しとけよな…」

 

戦姉(おねえちゃん)…ピッツァ~」

 

もぞもぞ

 

(こ…こいつ!布団が少しめくれて分かったが…なんも……着てねぇ!!)

 

 

ガバッ!するる~

 

 

(よ、よし、この部屋が女臭いのはいつものことだ。外に出て気分転換にでも…)

 

ゴソゴソ ゴソソ…

 

(お…起きたか?)

 

「はむはむ…戦姉(おねえちゃん)このピッツァおいし~」

 

(おまえは一生枕でも食ってろ!)

 

ギィィィ―――

 

(おっと、身だしなみはしっかりしとかないとな。カナに注意され…)

 

「…鏡、見るんじゃなかったぜ」

 

 

 

 

 

 

「今日が祝日で助かった、女装して学校なんて勘弁だからな」

 

(一度きれちまったら、1日はなれないしな。なりたくはねーけど)

 

 

ちゅんちゅん、ホロホロ

 

 

(外に出たが…することがない。でもなんか忘れてるよな、俺)

 

 

(なんだ…?ピザ…夕食…ご飯……ご飯………っ!パオラ!)

 

 

「やべぇ…、これ、行かなきゃダメか?」

 

(夢で見ただけだが、パオラという女の子は真面目な子だった。ほっといたら昼から夜まで待ってるような子だぞ…?)

 

 

「と、とりあえず、様子だけでも見に行くか」

 

 

 

 

 

 

(――いた、20分前には待ってるって…ドイツ人かよ。日本では早すぎても失礼になるんだぞ、相手の家に訪問する場合だが)

 

「クロさん、遅いですね。いつもTAR(第三装備科)の開店30分前には手伝いに来てくれる人なのに」

 

(それはそれは、俺が失礼しましたよ!俺の方が時間前に訪問してるじゃねーか、あっちの俺は常識がねーのか!)

 

「でもでも、こんな私でも、クロさんの役に立ってるんです!…まさかお米屋さんとしてとは思いませんでしたが」

 

 

 

パオラ・ガッロ

 

 ローマ武偵中2年、専攻は装備科(アムド)ランクはC相当。同学年内ではSランク候補の奴を抜けばTOP3に入る。

 

 ウェーブ掛かった黒髪で、瞳も黒い、身長138cmの超小柄な(ミニマム)少女だ。

 体型も無くはないが有るというにはおこがましい、まさに有無がいえない子供体型で、いつも黒い手袋と茶色のリュックを背負っている。

 

 改造の申請は通ったらしいが、依頼を受けているのは見たことがない。これさえやってればNo.2のBランクにはなれそうなのにな。

 優秀な技術者というよりも小売業者のような体制を敷いていて、中学生にしては珍しく"独自の経路(仕入れ先)"を持つ。仕事が早くて丁寧で、値が安すぎないのも逆に安心感が持てる。俺(クロ)が贔屓にしている、真面目な生徒だ。

 ナイフのレンタルもここで行っているんだが、元々使っていた折り畳み式(フォールディング)ナイフを修理に出して、形状が似てたから借りた。

 

 使用武装は…確かベレッタM92FScompactとマニアゴナイフ――俺がレンタルしているのと同じもの――だったか?

 戦闘はからっきしで、銃の整備は完璧に行うのに発砲までに時間がかかる、刀剣の鍛造も出来る(先輩と一緒にやってるらしい)のに構えがズブの素人、という点からも良く分かる。

 また、在庫品に紛れていたM18発煙弾(スモグレ)を見て卒倒した。トラックが怖くて乗れない。などという話も夢で聞いた…気がするが、なんで武偵学校(ここ)にいるんだ?

 

 今の状況を見れば分かるが実家は米屋であり、今日は大事な取引があったはずだ。

 ……そうだ!日本米の輸入の話だ!

 

 

 

「まずは、俺のことをどう説明するかだよな」

 

(第一案として正体をばらす、まずこれはあり得ない。パオラは誰にも話さないだろうが、嘘を吐けそうな性格じゃない。学校で会う度に危険だ)

 

(第二案、今から女装して会う、ない)

 

(第三案、遠山クロの兄として振る舞う。悪くはない…が、学校に通ってないのはおかしいよな。別居で他の学校に通ってるならなんで今日来たって話だ)

 

(第四案、取引代理人として、姓を名乗らずにパッとやってパッと帰る。あいつなら強い口調でごり押せるだろ。よし、これで行くか、)

 

 

 

「おい」

 

「わあぁ!」

 

「振り向くな、Dirò solo una volta(一度しか言わない)Inoltre, Non consentire domande(質問も許可しない)

 

「は、はい…」

 

(小動物みたいに怯えてんな。ほんと、つくづく武偵に向いてない奴だよ)

 

「下は向くな、自然に振る舞え。俺は武偵だ、遠山クロ武偵の依頼を受けてここに来た」

 

「クロ…さんの?」

 

(質問っぽいが、独り言みたいだしいいか)

 

「日本米の輸入についての話だと聞いている。先方の契約書類なんかがあるならこちらに渡せ」

 

「は、はい」

 

ゴソゴソ…

 

(うえっ、こ、こいつ、夢の中なら気にしないが、リュックの中からすごいお日様を浴びたタオル(ホワイトコットン)のいいにおいがする)

 

ピリピリピリ…

 

(なんだ、この感覚。頭の奥がむず痒いような…変な感じがするぞ?)

 

「こ、これです」

 

「ん?あ、ああ」

 

(………うん、書類に不備はない、取引開始は2週間後で輸送と日本円支払いの仲介はパオラが行う、で俺は店に買いに行くだけか)

 

「俺はサインの代筆許可も貰っている。この契約に異存はないが、サインするぞ?」

 

「"肩に泥がついていますよ"」

 

「"おい、こっちを見るなと…"」

 

(やっべぇ、つい反応しちまった)

 

「"やはりあなたは日本人でしたね"」

 

(こっちは向いてない。ブラフだったのか。ビビってるだけかと思ったが、資料をすんなり渡したのも、俺の視線をそっちに向けるためかよ!)

 

「"どういう意味だ?"」

 

Dirò solo una volta(一度しか言いません)Inoltre, Non consentire domande(また質問も許可しません)

 

「っ!」

 

(言葉を…返されたぞ!)

 

「"まず一つ、日本人であることは第一声で分かりました。訛りが残っています。まだイタリアに来て日が浅いのでしょう"」

 

(確かに…そこはそうだな、バレて当然か。しかし、日本語うまいな)

 

「"次に、武偵というのは本当のようですね。それも長期の潜入(スリップ)を専門としている。火薬のにおいと硝煙の匂いがしますし、変声…特に高い声を出すことに慣れていますね。タバコやお酒を普段から摂取しているような喉の焼け方はしていませんが、私の統計だと20歳未満の日本人の取引記録(データ)が少ないので特定はできません"」

 

(探偵科だったら初歩で学びそうな内容だ、こんなのでも武偵ってことか)

 

「"それと、斜め後方を向いて話すのは良いのですが、その位置で立ったまま会話すると、意外と林の向こうからあなたの顔が見えます。私がここを契約場所によく使うのは、()()()()()()()()()だからです"」

 

「"……なぜ立っていると思った?"」

 

「"後ろを向いていても意外と距離は分かるものです。あなたはここに来てから匂いを2度嗅ぎました。かなり匂いへのフェティシズムが強い(匂いフェチの)方か潔癖症の気がありますね"」

 

(無意識だったな。確かにこの木の実(銀杏)の匂い…どっかで誰かが踏んだな)

 

「"なので、敢えてリュックの口を大きく開きました。リュックの内部の温度は私の体温で温められ、空気温度より少し高いので匂いが少しづつ上に…"」

 

「"分かった分かった!少しお前を甘く見てた。実力は認める、悪かった"」

 

「"ありがとうございます。私は契約とは互いのことを尊重し合って成り立つものだと思っていますから、少しだけ…怒ってるんですよ?"」

 

「"すまん。そんなつもりじゃなかったんだが、あまり俺のことを知られたくなかったんだ"」

 

「"契約相手の要望であれば、考慮致しますよ。…そちらを向いてもよろしいですか?"」

 

「"いや、いい。俺がそっちに行くよ。顔だけじゃ足りないだろ?誠意もみせないとな"」

 

「"良かった、ホントに怖い人だったらどうしようかと…"」

 

(そこは神頼みなのかよ!)

 

「っ!」

 

「"ほら、これでいいだろ?で、サインの話なんだが…おい、聞いてるか?"」

 

「"!……っ!っ!あっ、うぅあぅっ!"」

 

「"なんだその中途半端な犬の鳴きまねみたいなのは"」

 

「"しょ、しょれ!それで構いにゃせん!"」

 

(にゃせんって、今度は猫か?)

 

【挿絵表示】

 

 

「"ほらよ、サインだ、こっちに代筆許可の紙もある。…ほんとは言っちゃ不味いんだが、理由もなしってのはあれだから言っとく"」

 

「"う、うぁい!"」

 

「"下を向くなって、怪しまれるだろ。こっちを見ろ"」

 

(なんでそんなに目を逸らすんだ、怪しまれたら話しづらいだろ)

 

「"ったく、いいか、俺はとある特務任務(シールド)ここ(ローマ)に来てる。お前が言った通り潜入だ。だから素性は明かせない"」

 

「"と、とくむっ!それで!"」

 

「"しばらくはここにいる、街で俺を見かけても意識するな"」

 

「"は、はい!意識…しま、せん"」

 

「"よし、それでいい。心配しなくてもお前に危害は及ぼさない。今日の不始末もあるしな、何かあったら手助けしてやるよ"」

 

もう一人の俺(クロ)が、な)

 

「"――っ!た、たいへん嬉しそうです、ありがごます"」

 

(たいへん嬉しいです、ありがとうございますって言いたいのか?なんでそんな、しどろもどろなんだよ。さっき普通に話してただろ)

 

「"じゃあ、もう行くぞ?俺は今日の代理を伝手で頼まれただけだ。暇じゃないんでな"」

 

「"その、なまえ…名前だけでも、教えていただけませんか?偽名でも構いません"」

 

(名前か、まあもう会う事もないだろうしな)

 

「"キンジだ。漢字だと 黄金の金 に、 次第の次 。これは本名だ、だからこれだけは誰にも言うなよ?"」

 

「"金次さん…ですね。はい、誰にも言いません。契約も成立しました"」

 

va bene(ああ)Devo scappare(じゃあな)

 

Buona fortuna(ご武運を)…」

 

 

 

 

 

 

「女と2人きりで話すなんて考えられなかったが…意外と大丈夫だったな」

 

(ま、契約の話だし、日本語だったからかもしれんが、友達と話すような気楽さを感じたのは、(クロ)の影響もあるんだろうな)

 

「カナの作戦も、一応の成果が出てきてるってことか。まだちょっと怖いが」

 

(ってか、夢の中が地獄絵図(女だらけ)だから耐性もつくよな、そりゃあ)

 

 

 

ヒステリアモードでヒステリアモードを制する。

 

カナは俺のヒステリアモードをフェロモーネって名付けてたな。

 

 

ヒステリア・フェロモーネ。()()()()のヒステリアモード。

 

 

()()()()。俺は二つの条件を満たしたが、カナはまだ先があると言っていた。あと何させるつもりなんだよ。

 

偶然生まれた能力だが、あと足りないものってなんだ?

 

 

これ以上カナのおもちゃにされる前に教えてくれよ、ヒステリアモードさんよ…

 

 

 




おまけ二発目、読んでいただきありがとうございました!


うーん長い。思ったより長くなっちゃいましたよ。(昨日投稿するつもりでした)

今回も過去の話になっていますが、パオラさんの一目惚れ相手は、キンジさんでした。
オゥ、ジャパニーズマンガ。

チュラさんは名前しか出て来てませんが、こんな感じで家に馴染んでいます。もう少しで本編にも登場予定ですので、名前だけでも覚えていていただければ。


あとは、クロさん。その能力はまだ発展途上。第二段階なんです。

匂いと女装

彼女に足りないものとは一体何なのか?

本編でも2回片鱗は見せてるんですけどね。





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月下の夜想曲(ナイトメア・ノクターン)




どうも!


夜通し作業で、イタリア編の最終話までプロットが完成してハイテンションの、かかぽまめです。見直したら、調整ヵ所(矛盾点)が多すぎて吐きそうでした。

夜食のチクワも喉を通りませんでしたよ。
ちくしょうです。チクワだけに。チクワだけに。ちく…


これ、いつになったら原作行くんだ?ぷじゃけるな!

とはお思いでしょうが、

時が経てばその時は来る…としか言えないので、お付き合いいただければと。

では、始まります!


あ、ホラー注意です。ちょっと怖いです。





 

 

 

「で、あるからして―――」

 

 

温かな日差し、心地よい風、綺麗な鳥の囀り…もさすがにこんな危険地帯には近付かない。

 

(自然の居場所を奪ってますなぁ)

 

 

ここは教室、ただいま歴史の授業中だ。

 

なんでかな私は昨晩のドラマの影響で、ちょっと感傷的になっていた。センチメンタルって言葉カッコいくない?…ふぅ

 

 

「おーい、クロちゃーん。帰ってこーい」

「私は今、夜想曲を聞いているんです――」

 

 

スパーン!

 

叩かれた。先生、体罰はいかんのではないですか?

 

この歴史の授業、担任は高校の殲魔科にある地下教会。そこの秘密組織から来ているという噂がある。

正直関わりたくないが、気分が乗らないんだから仕方ない。

 

 

「だいじょーぶか?」

「はい…鑑賞会は後にします…」

 

 

これ以上、セットメニューにタンコブの数を増やされても食べきれないので、グループ討論会の輪に入る。入れてくださいお願いします。

 

メンバーは私と一菜、それとパオラとパトリツィアだ。

 

 

「ク…クロさん、大丈夫なの?その…頭」

 

この、心配して声を掛けてくれたのがパトリツィア。

大丈夫、馬鹿にしてるんじゃないのは分かってるから。

 

マリーゴールドやタンポポのような明るい黄色(デンテ・ディ・レオーネ)の髪が伸び、ブルーの瞳に少しだけ掛かっている。

私よりも身長は低いが、同学年の中では少しふくよかな胸は、隣の二人と比べてはいけない。

女は胸じゃないよ。ドンマイッ!

 

例に漏れず、透き通るような白い美脚は、端にお洒落なフリルが入った、純白のニーソックスでほとんど隠されている。

 

 

「はい、大丈夫ですよ。こんな傷、日本にいたころは良く付けられてましたから」

 

(お兄さんとか、お父さんとか、お爺様とか)

 

あれ?なんで私女の子なのに、こんなに打たれてる記憶があるんだろ…

遠山家に常識は通じないのか。

 

 

「慣れている、というのがいかにもクロさんらしいです」

「だね」

「諦念とともに、私は世を儚んで――」

「せんせーい!クロちゃんが…もごもご」

「何でもありませんよ!ちょっと頭が痛んだだけです!」

 

 

裏切り者を無力化しつつ、討論へと舵を切る。

内容は過去にあった、魔女による人間への侵攻と災厄について、だったけど。正直、魔女なんてヨーロッパ中にいるんでしょ?先日戦った、疫病の矢――フラヴィアと名乗ったらしいが偽名だろう――も魔女だった。

 

魔女ってもんはどいつもこいつも常識を逸脱した能力を持ってるし、鉛玉も効かないし、変身するし、卑怯だよね?

 

え、私?やだなー魔女じゃないですよ。ちょっとだけ物理は苦手だし、銃弾も回避できなくはないし、いつでもスイッチ切り替えられるけど、人間ですから。

 

 

一体何を話し合うっていうんだ?こんな普通の中学生を集めて。

 

 

「クロさんはどうかな?」

「え?何がです?」

「クロさん、これこれ、ここです。この魔女とこの魔女、どっちの方がより罪が重いと思いますか?」

 

 

知らんがな。校門に投票機でもつけとけばいいじゃん。

 

とは思うが、これは授業だ。こうやって少しずつ、魔女に対しての敵対意識を育てていく、長期的な洗脳カリキュラム。

 

あまり宗教に関心がない日本人にはとても退屈な時間で――

 

 

「こっちこっち!こっちの方が強そうだよ!あーでもこっちの魔女もかっこいいなー」

「一菜さん、これは魔女番付ではないんだよ?」

「だってー、罪の意識なんて曖昧なもん、わかんないじゃんかー」

 

 

あれは乗り気だけど、授業の内容は全く理解してないな。

でも、それなら楽しそうかも。銃とか車のカタログ見てるようなもんだしね。

 

 

「どれどれ、私にも見せてください」

「ほら見てよ!こいつこいつ、かっこよくない?」

 

そういって、一菜は自慢の車を見せつけるように、私に教本を向けてくる。

不思議だな。こんなにいっぱい魔女の伝説があって、今も残っているのに。いざ学校の外に出れば、それを知らずに生活している人が溢れているのだ。

これ以上考えると、またしんみりした曲が流れだしそう(セットメニューが増えそう)なので、教本に目を落とす…

 

「これは…トロヤ――悪魔公姫(ドラキュリア)――!」

「クールビューティーって感じがしない?」

 

一気に現実に引き戻されたよ!

何がクールだ!グールの方が近いよ!

 

「ドラキュリアって…」

「そうだね、たぶんクロさんが想像している通り」

「日本語だと"竜悴公姫(吸血鬼)"や"悪魔公姫(悪鬼)"…でしょうか」

 

 

こわいなー。

 

この教本の人は名物"()()()()"を喰らって、クールな世界に旅立ったようだが、過去に遭遇したもう1人の魔女が頭をよぎる。

 

 

(悪魔公姫――ドラキュリア――)

 

 

あの時は死ぬかと思った。姉さんのお仕事について行った時だよな――

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「姉さん。今日の任務は怪盗の身柄を取り押さえることでしたよね?」

「ええ、そうよ。これから怪盗の()()()に潜入するわ」

 

 

夜も更けたころ。私たちは華やかなパリ郊内まで出向いていた。どうにも姉さんの後輩が殲魔科の単位取りに誘い、相手(魔女)が怪盗を名乗るなら、姉さんにもたっぷりと報酬が入るらしい。

姉さんってそういうのに興味ないけど…天から運が降って来てるな。

 

正直うらやましい。姉さんと2人の任務は、苦労多く実りが少ない。

姉さんは義の為に"込められた思い"とやらで仕事を受ける。

立派なことだし、見習いたいと尊敬するが、中学武偵の収入では出費とトントンなのだ。

 

(姉さんはどうしてるんだと疑問だったが、なるほどこういう所で巡り巡って帰って来てたのか)

 

少し世間での身の振り方を顧みていると、背後から気配が…以前に普通に誰かが歩いてきている。

姉さんも振り向き親し気な笑みを浮かべる。今日のお仲間さんか。

 

Buona sera(こんばんは)。本日はよろしくお願いします、カナ先輩」

「ええ、Buona sera(こんばんは)。今日は私とクロちゃんだけだから、日本語でいいかしら?」

「はい、構いませんよ」

 

(うわぁ…メロンが宙に浮いてる…)

 

何度目を擦ってみても、あれは地球が仕事をサボっていたわけではなく、お空の三日月が頑張ってるわけでもない。

その支点を司る、人物がいるらしい。それが近付いて来るもんだから、メロンも一緒に付いて来る。さらにシュガーミルクの甘ったるい香りも付いて来る。止めになんかお酒の匂いも付いて来る?

すごいセット販売だ!でも…お高いんでしょう?

 

「こんばんは。あなたがトオヤマクロさんですね?カナ先輩の妹さんの」

「は、はい!そうです。こんばんは!」

 

いくら女性同士とはいえ、あまりじろじろ見ていたのは失礼だったかな。視線って分かるものだし。

 

「すみません、メロンが2つセットだったもので」

「???」

「いいの、気にしないで。2人とも自己紹介なさい」

「「は、はい!」」

 

私とWメロンカルーアミルクさんはほぼ同時に気を付けの姿勢をとる。

少し和やかな雰囲気が流れ、うまくやって行けそうな感じだ。

相手は先輩だし先に挨拶をと思っていたが、

 

「うふふっ…私はメーヤ・ロマーノ、と申します。ローマ武偵高校に通っていて、専攻は殲魔科。あなたの先輩ですよ?」

「えへへっ…私は遠山ク…えっ?」

「??どうかしましたか?」

 

ちょっと待って…今この人、自分の事メーヤ・ロマーノって言った?メロン・マロンの聞き間違いじゃないよね?

いや、手を差し出してくれるのはいいんだ。それは引っ込めなくていい。

 

とりあえず、引っ込みかけた手を掴み、挨拶を返す。

 

「わ、わたっ、私は、とと、遠山クロと、申します!」

 

一気に言い切った。驚いて逆に力を入れ過ぎてしまった気がする。ぎゅーってなって、手、白くなってるよ。

 

「あら、すごく力強いですね。さすがカナ先輩の妹さんです!とても頼りになりそうですね」

「そ、そんな!私なんて姉さんに比べたら…」

 

なんで私がテンパってるかって?だってこの人"祝光の聖女"様ですよ!?

 

噂が絶えない、()()()()()。あのふざけた殲魔科地下教会のヤバい人グループの筆頭だ。

 

魔女を三枚おろしにしたとか(あくまで噂)、使い魔を逆剥ぎにしたとか(たぶん噂)、

サバトに強襲をかけたとか(きっと噂)、その勲章(しるし)(噂であって欲しい)は数えきれない。

 

 

なんでそんな人が単位なんて欲してるんだ?なんでここにいるの?

 

…そうか!カナの運の良さはこの人が原因なんだろう。

つまりカナにお金が入るためにこの人は単位を落としそうなのでは?

そういう向きに運が流れる機構が、お空の上で仕組まれてるぞ!と推理した。

 

そう思ったら不憫で、ちょっと親近感が湧いてきたな。

調子も戻ってきた感じがするし、よしフランクに行こう!

私は仲間です。アイ・アム・フレンドリー!

 

「メーヤ先輩、と呼んでもいいですか?」

「もちろん。呼び捨てでも構いませんよ?」

 

それは遠慮しておきます。聞こえてない。アイ・アム・ア・ペン!

 

「失礼ですが、どうして今回の任務に?メーヤ先輩なら、単位を落とす心配なんて…」

「そ、それは……」

 

言いにくいことなのか。魔女の三枚おろしの芸術点が足りなかった、とか言われても困る。

 

「いえ、大変失礼しました。任務には関係ありませんでしたね」

「いえいえ、私こそ、答えられなくてすみません。お恥ずかしい限りで…」

 

頬を染めているが、どうせ碌なもんじゃないことだろう。藪蛇になる気がする。

早めに切り上げて、仕事の話に移ってしまえ!

 

「姉さん」

「どうしたの?」

「今夜の私の立ち回りについてです。私はメーヤ先輩のことを(噂以外)何も知りません。武装も、射程距離も、戦闘スタイルも…能力(ステルス)も」

「私じゃなくて、彼女に聞いたら?」

 

(立ち回りはメーヤ先輩から聞いて、自分で判断しろってことか)

 

ちらっと、メーヤ先輩の方に向き直る。特別な武器は持ってなさそうだし、RPGとかで良くある"光魔法"でも使うんだろう。"ライト!"とか"ホーリー!"とか"かっこいいポーズ!"とか。

 

でも一応聞かないとね。三枚おろしってことはダガーの一本でも持った、狩猟民族の可能性も捨て切れない。

 

 

「メーヤ先輩の事について、教えていただけますか?」

「はい、えーっと…」

 

トテテテ…と何か茂みの方にバランス悪そうにゆっくり駆けていく。

ほんわかするなぁ。お姉さんっぽい色気があるのにあどけなさが残ってて、一粒で2度おいしい感じだ。

 

うわさなんて当てにならないね。きっと彼女は良い人だよ!そうだよ…

 

…だからさ、その…茂みで"うーんしょっ!"って持ち上げようとしてるのは、何なのかな?かな?ねえ、姉さん(カナ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実は非常だ。

 

うわさは尾ひれが付くものだけど、火の無いところに煙は立たない。

 

 

怪盗さんには申し訳ないが、さっさと降伏することをお勧めする。

 

 

おーい、怪盗!  今すぐ出てこーい!

 

   お前は完全に積んでいるー!  

 

これはー勧告ではないぞー!  同情だぞー!

 

 

脳内警察ごっこをしている私の隣に立つ敬虔なシスター様は、一体何の儀式に必要なんですか?と聞きたくなるような大剣を担いでいる。

 

一菜もおかしいけど、この人の武装は見た目からしておかしい。

 

光り輝くパリの景色にそんな物騒なものは似合わないよ。潜入にはもっと向いてないよ…

 

 

「……時間よ。予定通り、私とクロが潜入する。メーヤはこのまま建物を迂回し、第一展示場のBブロック側。ここからならA,B,Cのすべての天窓が見えるわ。

今までの手口から、天窓からの潜入、裏側勝手口に繋がる手洗い場からの潜入、どちらかに絞られるから、クロは第二展示場の受付横をベースポイントにしなさい。

発砲の許可は下りているけれど、出来るだけ抑えて、見失う前に取り押さえること。一度入り込まれたら、発見・確保は困難になるわ。

それと、クロ、万が一正面玄関を()()()()()()抜けられるようなら、特別展示室のレーザーで信号を送りなさい」

「分かりましたカナ先輩。では私は一足先に向かいますね。神のご加護があらんことを」

 

メーヤ先輩は多少ふらつく様子を見せたが、ほんとに大丈夫なのか。

なんてね、仲間は信じないと!私は自分の仕事をこなさないとだめだ。

 

「カナ、何らかの力に思い当たることはない?」

「今はまだ、何も言えないわ。任務に当たりましょう」

 

含みはあるが、隠してる感じではない。推理の途中か何かだろう。今はおとなしく任務に向かおう。

 

「準備は出来ました。いつでも行けます」

「ええ、行きましょう」

 

 

 

 

カナに続き、館内へと潜入する。予め渡されていたカードキーと管理者の虹彩データの承認を用い、何の問題もなく入り込めた。あとはベースポイントで待機しつつ、怪盗の出方を見る。

 

夜空に浮かぶ月が綺麗だったし、夜想曲でも流そうかなと、窓枠の1つにレコードをセットする。

記憶で構成された架空のレコードは、私の憶えたそのままに、頭の中に美しい旋律を響かせた。

 

しばらく音楽に身を委ね、怪盗の影を外に探してみる。

正面玄関には噴水があって、今は止まっているが、そこに美しい月が映っている。

 

たまには夜更かしして、こういう景色を楽しむのもいいことだと思う。

百害あって一利なしとは言われるが、そこでしか見つからないものがあるんだ。

 

(本当に綺麗な()()だ…まるで目が吸いつけられたように、そこから離せない)

 

唐突に嫌な予感がしてきた。おかしい、何かが異常だぞ。

 

"月下の夜想曲"――私の記憶に逆らって、旋律が徐々にテンポを上げていく。美しい音色は、いつの間にか闇を纏い、狂ったように跳ね回る。

 

「――っ!――っ!はっ―――っ!―――っ!」

 

声が出ない。胸の鼓動が曲に合わせるように動悸を速めていく。心臓を握りしめて無理やり動かされているみたいで、気持ちが悪い。

 

(うご…けない?)

 

視線がずらせなくなり、首が回らなくなり、肩が上がらなくなり…今、膝から上は完全に動かない。

瞳から徐々に石化していくように、あの満月から目を離せない…!

 

 

「あらまぁ!今回の獲物は随分と可愛らしいじゃない?」

 

声がする、だが私の首も瞳もそちらを向いてはくれない。悪夢を見た後の目覚めのように、ただ茫然と、前を見ることだけが許される。

 

「ねぇ、あなた?お名前は何て言うのかしら」

「っ!―――!――っ!」

 

口をパクパクさせる事すら出来ない私を、その何者かは値踏みするように眺めている。視線そのものが毒のように、肌が焼けそうなほど熱い。

 

「?あぁ、そう、そういう事なのね。すっかり忘れていたわ」

 

彼女が私の瞳の前に手をかざす。それだけで魔法が解けたように体に自由が戻ってきた。

 

 

バッ!ババッ!

 

 

距離を取り、怪盗と思しき人物を探すが、周囲はおろか、室内にはもう見る影もない。

 

(なんだ!どこ、どこだ!どこにいる!!)

 

上を見ても後ろを見ても、誰もいない。さっきのは幻覚だったのか?

 

(カナが言っていた。入り込まれたら発見・確保は困難だと。()()()()()が、もしこの事を言ってるとしたら……手遅れになる!)

 

最早、証拠や痕跡探しどころではない。正面玄関は突破されてしまったのだ。

レーザーの操作を行うセキュリティ室は2箇所。私のいる第二展示場はBブロックにある。

 

(迷っている暇はない。すぐ向かわないと!)

 

受付からBブロックに行くならAブロックを通過するのが一番早い。――Aブロックに入った。

Aブロックに入ったら直進し、抜けた先のT字路を右に曲がる。――Aブロックを抜けた。

 

続いてT字路に…!いた!人影がいる。

月明かりが窓からこの廊下を照らしている、展示物の損耗を抑えるためにここには何も展示されていない。

廊下の左右に気持ちばかりのベンチが設置されているだけだ。撃ち合うならここしかないぞ。

 

 

「あなたが怪盗さんで間違いありませんか?」

「?あらぁ?あぁ、そう、そうよね。あなたは私を探しているんだもの」

「答えなさい!」

 

威嚇のために銃を構え、照準を合わせて銃口を向ける。が――

 

(まただ、また…体が動かない!)

 

今度は徐々になんて生易しいモノじゃない。頭のてっぺんから足の爪先まで、金縛りのように動かなくなった。

目の前には怪盗がいる。それなのに私の目は照準を合わせたまま動かせない。

 

 

「なぁーんてお間抜けさんなのかしら?こう何度も引っ掛かっちゃうと、つまらないわぁ」

 

 

後ろから声が聞こえる。訳が分からない。何かが私の首筋に触れる。

ゾッとするほど冷たいソレは。たぶん……手だ。

 

グローブをはめているんじゃない、これが彼女の体温。まるで血が通っていないようだ。

 

 

      コワイ―――

 

 

本能的な恐怖に、縮こまることも出来ない、ただそのまま怯えるだけ。

 

徐々に上に、徐々に前に…

 

 

「次に私を見付けたら、ご褒美をあげるわ。ふふっ、頑張りなさい。這いつくばってでも見付けるのよ?」

 

 

彼女の手が私の目を包み、夜の闇を連想させる。

 

 

彼女はまた消えたのだろう。でも、恐怖はまだそこにいる。

 

首から目まで、滑るように辿ったあの手の感触が、まだ残っている。

 

射殺すような視線の傷跡がまだ熱を持っている。

 

怖くて目が開けられない。

 

 

 

もしまだ彼女がいたら?

                        

 

次に彼女を見付けたら?

 

 

 

このまま眠りに就いてしまえたら、どれだけ幸せな事か!

 

 

 

 

          「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」

   「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」           「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」       「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」    

       「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」            「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」

 「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」       「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」

               「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」  

        「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」      「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」   「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」       

「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」        「あらまぁ!目を開けなくていいのかしら?」

 

 

 

 

 

気が狂う!頭の中に声が響いてる!

 

 

やめて!来ないで!こわいこわいこわいこわい!

 

 

 

「あ、ああ、あ、あ…」

 

 

「あらぁ、残念、あなたの負けよ。でも、その恐怖に怯える顔、最高よ!とても楽しかったわ、また会いましょう?あはっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロ!しっかりしなさい!」

「うっ」

 

(呼ばれている、誰に?彼女に?)

 

「起きなさい、少しずつでいいから目を開けるの」

「ねえ…さん?」

 

この声は姉さんの声だ。聞き慣れたはずの声も、今は数年越しの再会の懐かしささえ感じる。

――目を少しずつ開ける?ああ、そっか私目を瞑ってたんだ。

 

「何があったか覚えている?それを、言葉に出来る?」

「何…言って」

『あらぁ、目が覚めたのかしら。いえ、目は開かないのよね?ごめんなさい』

 

「ッ!!」

 

何この声、姉さん誰かいるの?目が開かない。

 

「ねえさ…」

 

『そういえば、口も利けないんだったわね。あなたは何も出来ないの、そうでしょう?』

 

「――ッ!」

「クロ?……メーヤ!私の傷はいいわ。クロを見てあげて」

「カナ先輩!?でもこの傷では―」

「いいから!クロの様子がおかしい、呼気の乱れも激しくなってきた。手遅れになるかもしれない!」

「っ…分かりました。……」

「…どうにか、なりそうかしら」

「―これはっ!両眼の無い悪魔と燃える鉄串のマーク、"生前埋葬(ベリアリナライブ)"。生き埋めの紋章です」

「説明は後で聞く、お願い、クロを助けて!」

「大丈夫です、カナ先輩。ほとんどの力を戦闘に回したおかげで、命を奪うほどの強制力は失って――」

 

 

 

 

体がどんどん切り分けられていく、そんな感覚。

少しずつ少しずつ、奪われていく。私の体の支配権が。

 

『…邪魔が入ったわ、興醒めね。罰ゲームはこれぐらいにしてあげる』

 

不満で拗ねた子供のように、声のトーンがストンと落ちる。

もう用は無いとばかりに遠ざかる彼女は、最後に一度だけ振り返った。

 

初めて見えた、彼女の顔が。

美しかった、すべての人を魅了させる満月の瞳が、あらゆる者を従わせる真紅で蠱惑的な唇が。

人ならざる者の明るき白(ビアンコ)の肌のキャンバスに、インクのようなダークのドレスがヒラヒラと零れている。

鮮やかな金髪は、ザクロ色の紐で飾られていて、闇の翼が全ての調和を司る。

 

目が離せなくなる。ただそこにいるだけなのに、存在感の厚みが桁違いだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『でも、あなたとはまた会う、箱庭で。可愛い従妹にも伝えておくわ』

 

 

 

 

  『()()はもう、わたしのおもちゃよ―――』

 

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


今回は思い出+ちょっとだけホラー回でした。

色んな能力がありますが、格下相手への精神攻撃以上に強力なものはなかなかありません。

ドキドキしながら読み進んでいるのなら大成功です!


クロが言っていたもう一人の人外(魔女)。戯れ程度で全く手も足も出ませんでした。
"また会う"、と言って消えた彼女は何者なのでしょうか?

次回は違う話になりますので、いま暫く、お待ちください。




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黒紫の講義(プラグナ・レッツィオネ)




どうも!


いける!と思ったら30分近く日付を跨いでしまったかかぽまめです。

おかげで誤字が散覧されると思いますが、ご容赦・ご報告お願いします!


今回も単発になります。が、次回以降に引き継ぐものもありますので、広義的には前半みたいなものですね。



では、始まります!







 

 

 

「遠山()()()さん。私の戦兄(アミコ)になって下さい」

 

「……」

 

 

おい、どうしてこんな事になったんだ。なんでコイツは、俺の名前を知ってる?

 

 

「いい、と言って頂けないのなら…力づくで」

 

上目遣いで真っすぐにこちらを見つめている。

俺の視線を捉えて離さない、エメラルドの瞳は、ルビーのような鮮やかな赤(ロッソ)の髪の下からでも、その輪郭がくっきりと網膜に映り込む。

 

「それが……武偵流ですよね?」

 

一歩、また一歩と近付く彼女は、俺の部屋に置いてあるものと同じ、ローマ武偵中の女子制服を着用している。

 

カナの計らいで、仕事の無い休日は遠山キンジとして生活していた。ローマを俺の足で歩いて、観光によってリラックスさせるのが目的らしいな。

昼間はカナも付き合ってくれていたんだが、夜は任務があると帰って行き、その最終イベントが、これだ。意図していないダブルブッキングになってやがる。

 

今日は休日、しかも夜と来た。いくら今夜が明るいからって、女の子が1人で出歩く程も明るくはない。偶然の出会いじゃないな、俺の名前を知っている時点で。

 

(カナが離れるのを待っていた?しかも戦兄妹の申し込みだと?)

 

知っているのかもしれないぞ…俺の、俺たちの秘密を……。

 

「おい、待て!そもそも俺は武偵学校には通ってない!」

「では、あなたは何処の学校に通っているのですか?」

 

一定の距離を保ったまま、俺が後退すると追うように前進してくる。

その歩法はただの素人だが、魔女の件もある。うかつな行動は慎むべきだろう。現に彼女は"力づく"という言葉を使った。

どんな隠し玉があるか、分からない。今の俺では対処のしようも無いだろう。

 

「そんなの、お前に関係ないだろ」

「関係あります。あなたは私の戦兄ですから」

 

それは決定事項なのかよ!

コイツは何を知っていて、何がしたいんだ!

 

「俺は誰かの戦兄になった覚えはない。どうしてもなりたいってんなら、まずは自分の事を話せ」

 

後退は諦め、情報を手に入れることにする。賭けだが、打開策が見つかるかもしれん。

同じく前進することを止めた彼女は―――少しだけ口の端を上げた?

 

丁度裏通りを抜けていた俺は、大通りの隅っこでこの遣り取りをしてるんだが…見物客がいる。

休日の夜だけあって、軽食のついでにこのあたりのおいしいワインでもやっつけて来たのだろう、ちょっと悪酔いした客もいるな。

 

(他人事だと思いやがって。そこの腕っぷしが強そうな兄ちゃん、この目の前の赤ワインみたいなのもやっつけてくれよ)

 

「昨日のお昼頃、あなたにお手紙を送りましたよ」

 

「そんなわけ…」

 

()()()()()()にお願いしましたから、ね」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

晴天!乾暖!快風!

 

本日は最高の体育日和!

 

なんとビックリ、同学年みんなで合同体育だ、2時間ぶっ通しで。知らない人がいっぱいいるな。

 

 

合同になるといっても、日本のように教師が全てを整列させて順番に、ではなく、最低限の課題を終わらせて下さい、あとはご自由にみたいな雰囲気。

自主性や協調性を優先する姿勢だ。

一応丸投げではなく、各クラスの担当や救護科の先生が見守っていて、その正面では自転車の取り合いで発砲が始まった。もう一度言おう、見守っている。

 

みんな自転車大好きだね。分かるよ、街を一周してくると気持ちがいいもんね。

 

私は教師ではないので見守らず、少し左の方を見ると、そこではサッカーをする少年に混ざって、ガイアがシュートを決めている。半袖短パンの色気がない服装でも、引き締まった脚線美が彼女の健康的な美を表現している。かっこいいのは認めるけど、トキメいちゃうからこれ以上イケメン系スイーツ&スポーツ(スイスポ)女子にはならないで欲しい。

 

実況席にはクラーラが座って状況説明をしているが、体よくサボっているだけだろう。運動が苦手で、さっきも周回遅れしてたし。こんな涼しいのに、ご丁寧に四角いビーチパラソルみたいなもので日陰まで作っている。それでもその表情はあまり芳しくないようだ。引き籠りさんめ。

 

でもね、そのサッカーのミニ試合に、ガイアに付き添って、クラーラより周回遅れをしていた、パオラが参加していることを忘れてはいけない。超絶に運動神経がない彼女は、ガイアと同じ半袖短パンを泥だらけにしている。転げ回ってて小っちゃいから、ボールとの区別が付きにくい。それでもめげずに立ち上がる彼女の下に、こぼれ球がやってきた。

 

(さあ、どうする!パオラ選手。パスか?ドリブルか?正面から相手選手が迫ってくるぞ!)

 

結果は言うまでもない

――彼女は犠牲になったのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

悲しみを背負い、不条理な現実から目を逸らすと、そこには非現実的な光景が広がっていた。

徒手打撃戦(ストライキング)の犠牲者の山が絶賛積み立て中。先生方はこちらは見守っていない。事件が起きてるんですけど…

 

その中心にいるのはやっぱりあの人。

 

「ふははー!どんどん掛かってこい!」

 

一菜だ。

なんで挑むんだろうとは思うが、事実、また次の挑戦者が彼女に対峙する。

 

「貴様の望みは何だー!?」

「クロ様の超至近距離ブロマイドが欲しいです!」

「そうか!ならば全力で掛かってくるがよい!」

 

おいコラ。なんの取引してんだ!

肖像権侵害で訴えて勝つぞ!?

 

元来、写真というモノが嫌いな私は、なるべく映らないように、撮られないように生きてきた。

言い訳をさせて貰えるなら、武偵ってそういうもんですから。

それをこんな所で、こんな…訳の分からない催しで破られてたまるか!

 

 

スパァァァアアアアーーーーンン!!

 

 

「アップンワンァーーー!?」

「そんな程度で、クロちゃんの写真が手に入るかー!出直して来ーい!」

 

来させんな!

ヤバい、意味わかんないけど、これ私も一枚噛んでることにならない!?呼び出されるとか絶対に嫌だ!

 

「つぎー!」

「うおおぉぉぉおおおーーーー!一発殴ってくれぇぇぇぇええええーーーー!!」

 

 

パチィイイーーーン!バチィイイイイーーーン!スパァァァアアアアーーーーンン!!

 

 

「ありがとうございます!ありがとうございます!ありが――」

 

あ、吹っ飛んでった。

 

「何言ってるか分からーーーーん!!」

 

これは、あれだ……一菜の暴走状態。

ATPの蓄積が過剰になり過ぎて、何言ってるかわからん状態になる危険信号。

 

溜め込んだのか?あいつ、体育の為に、山を登り続けやがった…!

 

今の彼女は疫病の矢と戦った時よりも強い。このままだと犠牲者が出るかもしれないぞ。

え?さっきまでの人たちは自業自得なのでノーカンノーカン。

 

駆け足で一菜のもとへ向かう。その間にまた一人吹っ飛んだが、

 

「クロ様のストッキ…」の部分で飛んでったので、何を言おうとしたのかは分からない。

最早、相手の要望を聞く気もないみたいだ。茶番過ぎる。

 

一菜の横顔が間近に見える。さて、始めようじゃないか。

 

「一菜さん、次は私がお相手しましょう」

「その声は……」

 

振り返る一菜の瞳は、薄い茶色の中の瞳孔が燃えるように赤くなっている。

何がそんなに駆り立てるのか、私を見るとその双眸をカッ!と見開いて笑った。

笑っているのに、怒り心頭したキツネが、睨んでいるように見える。

元がキツイ顔なのだ。人懐っこい表情が消えればこうもなろう。

 

 

「やっほー、やっぱりクロちゃんだ!」

「その顔で言われると、不気味すぎます。"お守りは?"」

「"胸ポケット"」

「"今すぐ下山を勧めますが……やっぱり?"」

「"当たり前!私に勝ったら聞いてやろう!"」

 

予定通り、いつも通り。

 

「"一菜、今の景色はどんな感じ?"」

「"よーく見えるよ。遠くにある茶屋まで、ダムの端から端までも"」

「"それはなかなか。すぐにでも引き摺り降ろしてあげますね"」

「"登って来られる?藪漕ぎは楽じゃないよ?"」

「"そう思うなら、ロープウェイでも敷設したらっ?"」

 

 

パシュゥッ!

 

―バスッ!

 

 

不意打ちで蹴りを放つ。威力はそこそこだが、普通の人間には反応も出来ない蹴りだ。

それを一菜は事も無げに片手で受け止め…掴まずに手離した。

 

脚を引き戻し、感触を確かめる。割れたな、脛当て。パオラに注文しないと。

対する一菜は、堪えた様子もないし、痛がる素振りもない。

赤い双眸をニッコリと細め、うっとりと。酔いが回り始めた様子に似ている。

 

「"来てよ、クロちゃん、私のいる所まで!抱き締めてあげるからさ!"」

 

両腕を広げ、抱擁を促すように私の方へ手を伸ばす。

余裕のアピールも彼女らしい。

ただ、その目だけは、私のどんな行動も見落とさないぞ、とばかりに爛々と輝く。

 

「"一度誰かが通った道なら、登るのは容易いものです"」

 

誘いに乗り、一菜の抱擁に応えるべく、差し出された腕へと近付く。

オーディエンスが湧き始めるのはこの際我慢しよう。

だが、一眼レフカメラ!お前は許さんぞ?

 

軽い動作で、足元にあった小石を高速で踏み抜くと、計算通りにカメラのプリズム機構に直撃する。

そうそう直せまい、基盤は避けてやったのだ、ざまぁ。

 

そんな私の動作が見えていて、挙句、気に入ったのか、

彼女は普段であれば考えられない位、艶っぽい表情で、潤んだ瞳は小刻みに震えて、視線だけで彼女の気持ちを表現している。

 

一菜の手が私の腕に触れる距離まで近づいた。

 

「"クロちゃん早くぅ…。あたし、もう()()だよぉ…"」

 

あと一歩、それで完全に彼女の腕に包まれる。

背後からコキコキと関節を鳴らす音がして、だんだん出口は塞がっていく。

 

胸と胸が触れ合う距離(比喩表現)で、彼女は私を見上げていた。

甘い甘い色素の薄い茶色(カフェ・ラテ)はいまや完全に、甘酸っぱい鮮やかな赤色(ストロベリー)に変化している。

そのまん丸の瞳はストロベリームーンのように、2人を結び付けようとその存在を主張する。激しく、情熱的に。

 

こんなに色っぽい状況でも、彼女の香りは天然物のムスクのような野性的な香りに、バニラとアーモンドを加えた、甘く苦いドルチェのようで。

こんなに触発の状況なのに、私の脳は痺れていき、その甘い香りに酔ってしまいそうで、頭の奥がムズ痒い。

 

 

ドクン…

 

(……?)

 

いつも感じる違和感とは違う、不思議な感覚が湧き上がった。

 

心が騒ぐ。何かを求めて。

 

ふと気になり、頭の中に存在する、30枚も並ぶ窓枠を見る。

1枚だけ様子が違った。

 

そこからは赤い光が漏れており、その光が他の窓枠にも反射しながら浸食していき…15枚は真っ赤な窓ガラスに変わる。

 

初めて見た光景に息をのむ。

 

美術室で見た芸術品の、どのステンドグラスよりも幻想的だ――

 

(あの光が漏れてきた窓枠。あの向こうにはどんな風景が広がっているんだ?)

 

止まらない好奇心。知りたくなるのが武偵というものだろう?

 

窓枠に手を掛け、窓に鼻を付けるようにして、中の様子を確認する。

 

 

 

 

 

――そこは古びた日本家屋。

 

 

 

 

真っ赤な光に照らされて、木の格子戸に囲まれた、小さな民家。

 

増築と解体を繰り返しているようで、その門構えは不釣り合いなほど大きく、家の間取りも不格好そうだ。

 

 

そこには()()立っていた。

 

 

門を抜けた()は、正面玄関(タタキ)ではなく、その足で小さなトウモロコシ畑を抜け、イチゴの苗作用のミニポット群を保管した蔵を通過し、日本庭園の先にある縁側へと向かうようだ。

 

()はこの家の事を知っているらしいし、途中で4本のトウモロコシをもぎ取っていた事から、縁者なのだろう。

 

日本庭園の苔石はかなりの年月を経ているようで、この家がかなり昔から存在していたことをその身で証明している。

 

庭を見渡す縁側には、三毛猫が気持ちよさそうに丸まっており、その傍らでは毬が風に吹かれてコロコロと転がって、()()()()()()()と穏やかな時間の流れを感じさせる。

 

 

()は家の中に何事か呼びかけているようだが、窓の向こうにいる()()()()()()()()()

読唇を試みて、()の唇を見ようとしたが見えない。

意識すればするほど。違和感がないほどにそこには何も存在しない。

 

仕方なく、しばらく見守る。こんなに空が赤いのに、私も()も気にはならなかった。

 

庭の鹿威しを眺めていると、

ついに、先程()が話し掛けていた人物が縁側に登場する。

キツネ色の髪で長身の、美人さんだった。当然だが見覚えはない。

 

「ごめんなさいね?こんな時に…」

 

鈴の音が響くような、どこまでも透き通った綺麗な声。

 

()も返事を返し、両手をいえいえ、と胸の前で振っている。大したことは言ってないだろうに

…気になる。

 

三毛猫が首をもたげて、()を見上げた。

毬が風向きに逆らって、()の足元に転がる。

風鈴は存在を示すかのように、激しくチリーンチリーンと鳴いていて。

苔石すらも、少しだけ、動いたように見えた。

 

その一つ一つに、()は身振り手振りで対応していく。

 

摩訶不思議な光景、でも、いつものことのような気もする。

 

()は女性に誘われるままに火床のある部屋に上がっていった。焼きトウモロコシでも作るのだろうか。

 

見えなくなってしまったので、縁側に意識を戻す。

三毛猫は消えていて、近所の子供が裏の水道からスイカを持ってくるのが見える。

ケモミミなんて付けて巫女服を着た、金髪のちょっと痛い子だ。

フリフリ尻尾も振り切って……振ってんの?

 

金色の尻尾に紫色の毛が隠れていないか観察してみるが、ちょっと遠くて分からないな。

 

 

その少女につられるように、茶色い髪の少女と真っ白な髪の少女、緑髪の少女も現れて、

我先にと金髪少女からスイカを受け取っている。媚びるというよりは任せてよみたいな気安さ。

確かに金髪の子が一番小さそうだ。ほとんど変わらないけど。

 

きゃいきゃい!と騒ぐ少女たちの服装は、それぞれだ。

 

女幽霊が着てそうな経帷子(きょうかたびら)額烏帽子(ひたいのえぼし)

膝上までの股引(半たこ)(かや)で編まれた法被(はっぴ)

僧侶が身に着けていそうな袈裟。

 

その誰もが普通の人間とは違う。頭の上から耳が出ていたり、細い丸いといろんな形の尻尾を付けていたり。

 

全員が縁側から上がっていって、とうとう誰もいなくなった。

 

化かされた気分だ。結局何もわからないまま。

 

 

 

 

――空はいつの間にか、青空へと変わっていた。

 

 

 

 

(何だったんだ?)

 

窓枠から顔を離すと、15枚の窓枠は全て元通りになっていた。

 

 

「おーきろー」

 

 

鋭く…鋭いのにやる気のなさそうな声が聞こえる。さっきの美人さんと違って、この声は聞き覚えがあるな…

 

 

………そうだ!救護科の担任のゾーイ先生の声だ。

つまりなんだ、私は俗に言う保健室にいるということだ。

 

何があったか覚えてない。それどころか()()()()()()()気がしない。

 

でも、夢のように、ちょっとだけ覚えていることがある。

 

 

 

 

――――私、死に掛けてたかも――――

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

体育の授業が終わり、救護科棟で休んでいた私は、何事もなかったかのようにケロッとしている一菜に看病されていた。

 

ゾーイ先生は私の容態を確認すると、いくつかの質問をして、体育の授業に戻っていった。

結構まじめだよね、あの人。手当は適当なのにね、適切だけど。

 

 

一菜との徒手格闘戦は、私が一本勝ちを勝ち取ったらしい。

それも何となく、ふんわりとは覚えている気がするが、主観的な観点ではない、と表現できそうだ。

 

口では説明できないが、どこか遠くから。例えるなら、さっきまで見ていた、窓枠の向こうの()()()()()()()を覗いていた時のような。

 

 

「"クロちゃん…ごめんね。ちょっとだけ、制御を誤っちゃった…"」

「"その言葉は、私が死んだときにでも言ってください"」

「"うぅ…"」

 

どうしたんだろう、彼女らしくない。

いつもなら「クロちゃん死なないじゃん」とか平気で返してくるのに。

 

顔も赤い。反動が残っているのかもな。

 

よく知らないが、彼女の力の源であるATP――生体エネルギー――とは、超能力者(ステルシー)からしてみれば、魔力を使うのに消費する()()()というものに該当するらしい。

 

彼女のテンションが高いのはATPの値が異常に高いからかもしれない。登り続ければあんな感じに暴走する。

初めて見た時は、その別人のような妖艶さに、ちょっとだけクラっと来たものだ。

 

逆に、精神力を急激に減少させる"下山"という行為は、酷いと鬱病まで発症する。だからコマメな下山を行わなければならない。

 

表向きは平気なフリをして、裏では生きるために不快感を取り込み続けるのだ、一生。

 

超能力者達は羨ましいと言うだろうが……私は嫌だな。

 

だから大目に見る、今回の事も。

彼女の気持ちは何となく分かるから、だって大切なチームメイトだもんね。姉さんの受け売りだけど。

 

「"どうしても気になりますかー"」

「"……うん"」

「"一菜さんは勝者の言う事を1つ叶え……"」

「"だっ!ダメーーー!!そ、それは、まだ駄目!まだ…その……"」

「"まだ何も言ってないですよ"」

 

負けたらさっきの無しって、小学生じゃないんだから。

まだ駄目ってなにさ。勝負はついていない、とか言って襲い掛かってこないでよ?

 

「"違うのだったら…考えてもいい……"」

「"違うの?"」

「"だ・か・ら!さっきのお願い以外なら、考えてあげるって!"」

 

意味が分からない。会話が成り立ってる気がしないぞ?

決定的に私と彼女の間には、会話の前提条件が揃っていない。

 

「"さっきのお願いって言うのが分からないんです!私はそのさっき目が覚めたばかりなんですよ!?"」

「"さっきはさっき!もっと前!クロちゃんが!私を負かす時に言った()()()()()ってやつ!!"」

「"なにそれ…私は俺なんて言いません!あなたの聞き間違いでしょう!?"」

「"言った!言った言った!絶対に言った!!聞き間違えじゃない!()()()()()()()でハッキリと!"」

 

だめだ。彼女は今、精神が不安定なんだ。

 

無理もない"ダムの端から端"ってことは、山頂がもう少しでその目に映る寸前まで登っていたという事なのだ。

そこから落下速度を緩めることなく突き落とされた。

肺の圧迫も、気温の急上昇も、彼女に多大な負担を掛けたに違いない。

 

記憶が吹っ飛んで錯乱する程に。

 

私は男口調になる事はあるが、それでも俺なんて言ったことはない。

一菜は間違っている。

 

この時は、私も少し正常な精神ではなかった、んだろうな。

起きたばかりだったし、窓枠で見た異様な光景。

 

 

――――私も……ちょっとだけ波が乱れていた。

 

 

「"もう、いいです!どうせ最初から叶えて欲しい事なんてありませんから!"」

「っ!――」

 

どうした?一菜が黙った。私の発言を黙認した、訳では無いらしい。

怒りからか、羞恥からか。彼女の肩は震えている。

 

本当に、どうしたんだ、一菜?

なんで言いたいことを言わない?

怒りたいなら怒る。恥ずかしいなら誤魔化す。いつもの一菜はこんなに長く黙り込んだりしない。

 

何がそんなに気に入らないんだ?何が原因なんだ?

()()一菜をそんなに追い込んだんだ?

 

「"……そっか、分かった"」

「"一菜?"」

 

泣いてるの?怒ってるの?笑ってるの?

 

なんで今、あなたの顔はそんなに()()なの?

 

 

「"えへへー、冗談冗談。まさかあんなに高い物をお願いされると思ってなかったからさー"」

「"高い物?"」

「"もー!ボケるには早いよ!だいじょーぶ、約束は守るって!"」

 

 

一菜はコロッと態度を変えた。……そのつもりなんだよね。

 

 

「"なにさー、その顔。信じてよー!悪気はなかったんだって!"」

 

 

また嘘を吐いて…

 

 

「"今度一緒にしご……学校で会ったら渡す!それでいいでしょ?"」

 

 

初めて私に自分の話をしてくれたみたいに……

 

 

「"いつもお世話になってたしさ!これぐらいお安いってもんよ!"」

 

 

自分だけが不幸になれば(呪われれば)いいんだって………

 

 

「"たまには()()()にもお返ししないと!でしょ?"」

「"――っ!!"」

 

 

 

 

言い合いをしてた方がマシだった。

 

 

 

 

その笑顔は、どんな殴打よりも重たくて……

 

あなたが私の名前を呼んでくれないのは――――

 

 

 

 

―――死に掛けるよりも、ずっと苦しいよ――――

 

 

 

 

何が"彼女の気持ちは何となく分かるから"だよ。

 

何が"大切なチームメイトだもんね"だよ。

 

 

 

私は今の彼女の気持ちを――――なにもわからないじゃないか!

 

 

 

 

 

何がそんなに気に入らないんだ?

――私が彼女の発言を……考えをただの暴走だと軽視して無下にした。

 

 

 

何が原因なんだ?

――私が彼女を拒絶した。もう、いいって彼女との歩み寄りを否定した。

 

 

 

誰が一菜をそんなに追い込んだんだ?

――私が彼女を追い詰めた。あんなに痛々しい笑顔をさせて。彼女が1人で苦しむように、全ての悪を彼女に押し付けた。

 

 

 

 

分かっていた、分かっていたのに……

 

 

 

 

私は何も言えなかった――。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

俺は今、大通りから2本入った裏通りの、隠れた名店?とやらに来ていた。

 

 

目の前に座るのは、ヴィオラとか言う女子中学生だ。

金持ってんなー。中学生のくせに、俺も中学生だけど。

 

過去に武偵の活躍で被害から救われたらしく、武偵への理解がある店だった。

防弾制服での来店者を裏口から入場させ、個室…はたぶんコイツの仕業だろう。俺への配慮のつもりか。

 

自分はドレスコードとか言いながらノースリーブのキレイな淡い緑のドレスでおめかししてるし。この店との付き合いは長いんだな。どの店員とも、顔が通る。

 

 

 

「キンジさんが無事に戦兄となってくれて嬉しいです」

「んなこと一言も言ってねーぞ?」

 

 

第一声がそれかよ。

 

あの後、野次馬どもが鬱陶しいので、裏通りに戻ったら「お話しするのに、おすすめの場所があります」とか言いながら連れてこられた。

 

俺は話すことなんてないんだが……カナがロハの仕事ばかりを持ってくるもんだから金欠状態。

夕飯も家で済まそうと思っていたところで…誘惑に負けた。

 

まあ、話するだけならいいだろ。そんな事よりうまいコース料理を楽しむ方が優先だ。

食うもん食ったら、有耶無耶にすればいいだろ。

 

つーか、個室だからいいが…相当豪華だぞ?ここ。

トイレも事前に済ませろって言うから済ませたが、マナーってもんはどこの国にいても面倒なもんだぜ。

 

そう思いつつも、ヴィオラの見よう見まねで膝にナプキンを乗せた。

…が、これはずっとここに置くのか?口を拭いた後に戻すのは嫌なんだが。

 

「ナプキンは折り畳んだ内側を、こーやって拭くんですよ?」

 

そんな俺の心配を見抜いたように、ジェスチャーを交えながら教えてくれる。

 

 

さっきから見ているが、一つ一つの所作が洗練されてるな。

これでただの武偵中学生徒ってことはないだろ。

 

メニューを見てもさっぱり分からないので、相手の情報を出来るだけ集める。

注文は、あいつと同じものでも頼めばいい。

 

「苦手な物やアレルギーが無ければ、おすすめを頼んでしまいますが」

 

またか、俺の頭の上には吹き出しでも出てんのか?

 

「ああ、ない。適当に頼む」

「何か、食べたい物…ありませんか?」

「コース料理ならそれで充分だろ。食い過ぎは良くないぞ。体に悪い」

 

ああ、懐に大打撃だ。浪費家はボディーブローみたいにじわじわ来るぞ?

 

「お気遣いありがとうございます。では当ててみましょうか?」

「当てる?何をだ?」

 

(ボディーブローでも打ち込む気か?)

ちょっと想像して、効きそうもないなーと腹をさする。

 

ヴィオラはメニューをパラパラとめくり、うーんという顔をした。

そしてメニューをこっちに向け…

 

「これなんかどうですか?クロさんの好きな…カルボナーラ!」

 

残念ハズレだ。俺はそこまでカルボナーラは好きじゃない。

パスタの気分でもないしな。ざまぁみろ。

 

言い返そうとヴィオラに目を向ける。

 

「どうです?当たってますか?」

「……」

 

にっこりと微笑んだ彼女の手元、開かれたページには、"カプリチョーザ"を指で示す、彼女の手があった。

 

 

―――おすすめが一番おいしいモノよ

 

 

夢で見た、カナの言葉がフラッシュバックする。

 

ゴクリ…

 

喉が鳴った。確かに今何を食いたいか聞かれたら、俺はこれを選ぶかもしれない。

コースにピザが付いてくる可能性もなくはないが、おそらく定番はパスタだろう。

高級なリストランテなら尚の事、小皿に取り分ける必要があるピザは、頼まなければ用意しないかもしれないな。

 

「なんでそう思った?」

 

ここは1つ試してみるか。

さっきのあいつの()()()というのが、俺の考えている事を読んでいるとしたら、俺の無意識の思考まで読まれたことになる。

もしそうなら、この食事会はご破算だ。そんなやばい奴とコースなんてゆったり食ってたら丸裸にされるぞ…!

 

「カン。…が大半を占めますが。そうですね、キンジさんが私を見ているとき、私も()()()()()()キンジさんを観察することが出来るんですよ?」

「ああ」

「キンジさんは私を警戒し、私の体格や能力、周囲への影響力と立ち振る舞いから私の()()の調査をしたとしましょう」

「大体あってる」

 

(何が言いたい?)

 

「私は見ての通り非力ですし、所作なんかは子供の内に覚え込まされました。キンジさんの見立て通りでしょう?」

 

そういってメニューを台の上に戻し、こちらを見ていた店員に笑顔で合図を送る。

店員が去っていき、こちらを向いた彼女は、

 

「その時間を全て、私がキンジさんの()()の調査に使ったとしたら?」

「内側の調査?」

「第1.情報は一にして全、全にして一。たった一つの情報が、多くの場で証拠として利用されるのです。医学でも、科学でも、法律でも、経済でも」

 

スケールがデカくなってきたな。俺の好きな食べ物から政治経済は連想できないだろ。

 

「例えば、私がキンジさんの食べたい物を当てることで、キンジさんが戦兄になってくれます」

「ならねーっつってんだろ」

「キンジさんは永遠に私を愛してくれます」

「愛…っ!何言ってんだお前!それに、永遠なんてありえない」

「ほら、私は今1つの情報をエサに、2つの情報を手に入れましたよ?」

「2つの情報だと?」

 

ヴィオラは座ったまま両手を上げ、空を仰ぎ見る。

両腕を順番に動かしながら説明をする。

 

「キンジさんが愛という言葉、異性との関係に積極的ではないことと、永遠という言葉、ロマンチストではない現実主義者なことです」

「なんだそれ、ふざけてんのか?そんなこと知ってお前に何の意味が…」

 

俺に言葉を言い切らせず、右手で素人が剣を構えるような仕草をする。

 

「第2.情報はどんな武装よりも、確実に所有者の力となる。非力な私には、剣も槍も必要ありません。どうせ使いこなせないのですから」 

「屁理屈だ。たとえ使えたとしても、そんな情報に大した力なんて…」

「第3.情報の価値(ちから)はその目線によって容易に変わる、時間による視点の移動も考慮せよ。従って無駄な情報など存在しません。キンジさんから得た情報も見方によっては大きな力足りうるのです」

 

少しずつ追い詰められていく気がする。

あいつは銃も何も構えていないのに、テーブルのナイフですら満足に振えないはずだ。

 

「第4.情報はまず花を見て、次に幹を見て、枝葉を見たらまた花を見る、そうしてやっと最後に根を掘り見よ。情報を得る順番とはとても大事なものです。花を見ずに幹を見ても、何の木なのかは判断しづらいです。幹を見ずに枝葉を見ても、その木の大きさはおおよそでしか判別できないでしょう。花は時間と共にすぐに咲き、散ってしまう、次に見た時には時期がズレて様子が違うかもしれません。そうして全ての情報を得て、初めて物事の根深い部分が見えてくるのですよ!」

 

「さっきの内側・外側ってのは…」

「その通りです、キンジさん。あなたはこのリストランテに来て、やっと私の外側を…花を観察しました。私はすでにキンジさんの内側…枝葉の調査に掛かっています」

「っ!」

 

「第5.」

 

ヴィオラはこちらを一心に見つめ、俺の食べたい物を当てた時のように、にっこりと微笑んだ。

 

 

「情報を守るのは、情報だけでは足りない、情報はどこまでも脆い。この、私のように…。私にはあなたが必要なのです、遠山キンジさん」

 

 

先程の店員がワインボトルを運んできて、本当に少量だけ注いで戻っていった。

 

「お酒はお互い飲めませんが、口を濡らすだけお付き合いください。私もこのワインは好きではないんです」

 

注がれたのはプルーンの果実のように濃い深紫のワイン。銘なんて怖くて聞けないが、知る必要もない。

 

「なぜ、俺なんだ?」

 

要望には応えない。それはおそらく契約の証印のようなものだ。日本でも盃をかわすって言葉があるくらいだしな。

 

ヴィオラは、ワインを唇につけてテーブルに戻し、席を立った。

そして、その濡れた唇を開く。

 

「本当は脅して、なんて方法は取りたくなかった…」

 

(いきなり物騒なことを言い始めたな。なんでそこまで俺にこだわる)

 

こちらも応じるつもりはないが、向こうも理由を話すつもりは無いらしいな。

 

「遠山キンジさん…いえ遠山クロさん。どうしても、私の戦徒になっていただきます。私たちは箱庭を生き残らなくてはいけないのです!」

「やっぱり……知ってたのか」

「カン。……が大半を占めますが。情報とは意外なところから得るものです」

 

そう言って()()、にっこりと笑う。

 

()()やられた…!)

 

「第2と第3を覚えていますか?」

「第2と第3…」

 

頭の中で思い出そうとする。それが失敗だった。

 

 

 

――ちゅっ。

 

 

 

頬に、キスされた。

 

ヴィオラが、俺の隣に、屈んでいて、柔らかくて瑞々しい、少女の唇で。

 

 

呆然としていた意識が立ち戻る。

 

血流は!?……問題ない。

 

 

もう、彼女はこちらを向いていない。背を向けたまま、そのまま俺に話の続きをする。

 

 

「おさらいです。第2.情報はどんな武装よりも、確実に所有者の力となる。私の武器は情報だけ。あなたが手を出せば、私はこの場で為すがままでしょう。ですが、情報の()()()()は、いくらでも増やせる。あなたはこの店を掌握しなければいけなくなりますし、それで終わらないかもしれません。情報は時間も空間も所有者も、あらゆるものを超えて、標的の弱点を照らし、撃ち抜きます」

「……」

「第3.情報の価値(ちから)はその目線によって容易に変わる、時間による視点の移動も考慮せよ。あなたの恋愛下手は、私の非力さでも突破できそうです」

「随分堂々としたハニートラップだな」

「今の内に、油断しておいてください」

 

そういって笑う彼女は、さっきまでのにっこりとした笑いではなく、初めて本当の笑顔を見せたような気がする。

 

「もうすぐ前菜が来ますよ。マナーを守っていただきましょう」

「まずお前が席に着けって」

「そうですね…今日は……ちょっとだけ疲れました」

 

フラフラした足取りが気になる、この短時間でなんでそんな疲れるんだ。

俺と会う前にどっか散歩でもしてたか。どうでもいいけど。

 

 

席に着いたヴィオラはワイングラスを傾け

 

「乾杯しましょう」

「俺の分もやるから、1人でやってろ」

 

結局グラスを差し出し続けたヴィオラに根負けし、1回だけチンッ!と鳴らしてやったら。スゲー喜んでんのな。

「もう一回!」とか言われたが、もうやらんぞ。そんなに楽しい事か、これ?いつでもできるだろ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

前菜が運ばれてきて、さあ食おうかという所で、ヴィオラがまた立ち上がる。

 

(お前がマナー守れっつっただろ!)

 

謎の奇行に、眉をひそめる。

 

そんな俺の心も知らずに彼女は本当に楽しそうに宣誓を始める。

 

 

「では、本日は私とキンジさんとクロさん…はもう戦妹がいましたね、私とキンジさんの戦兄妹結成を記念いたしまして…」

 

(強制だけどな)

 

「2人をつなぐ絆、濃い深紫(プラグナ)のワインの名を取って。第1回"黒紫の講義(プラグナ・レッツィオネ)"の開催を宣言します!」

 

 

そう、高らかに、俺とヴィオラの絆とやらを強く結びつけるように。誰かにその言葉を届けるように、宣言するのだった。

 

彼女の唇と、俺の左頬。そこに見えない絆が繋がれた。

鎖のように頑丈で、ゴム紐みたいに伸縮自在な絆が。

 

 

 

「かんぱーい!」

「だから、もうしねーよ!」

 

 

コイツの目的は不明瞭だが、自分を守らせようとしていた。

痴漢やひったくりなら構わないが、()()()()()()()()()()は勘弁してくれよ?ほんとにさ。

 

「……そういえば、誤魔化されたが、カプリチョーザはどうやって当てたんだ?」

「カン。……が大半を占めますが。情報とは意外なところから得るものです」

 

本日3度目の同じセリフだよ。こりゃお手上げだ。まいった。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


キンジの前に現れたヴィオラ、正体も目的も不明な彼女は、今回の題名である”黒紫の講義”の開催を宣言しました。格好良く名付けてますが、要するに、2人による懇親会、食事会、情報交換の場です。

キンジが応じなかった為、頬へのキスで済ませましたが、本来は互いの唇をワインで濡らして…というのが本当の絆の結び方です。しかし、成立条件はワインで濡れた個所を合わせるだけで良いので、見苦しいですが指を濡らしてもOKでした。


一方のクロは、一菜とのすれ違いになってしまっています。なんでこんなことになってしまったのか、それはまた今度。答え合わせとしましょう。


情報は武器也!次回をお楽しみに!





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おまけ3発目 スイ&スポ女子の危険性

どうも!


今回はおまけ3発目。本編の続きが気になる人も、頭からっぽにして読んでって下さい!


キャラ紹介第2弾は、彼女です。
題名から分かるとは思いますが、彼女です。


どうせおまけですので、前置きはこの辺で、


では、始まります!






ガイア・ベニーニは危険人物である。

 

 

活発で運動神経が良く、義理堅くて誰にでも優しい。

 

半面、血気盛んで喧嘩っ早く、負けず嫌いで誰にでも厳しい。

 

 

 

これらは、いい。

 

だが、親しくなった人間には、少し態度が変わる。

 

 

 

おしゃべり好きでサプライズ志向、そして世話焼き。

 

半面、意外と寂しがり屋で、独占欲が強く、甘やかし過ぎる。 

 

 

 

これも…まあ、いいだろう。人をダメにするタイプだが。

 

問題はここからだ。

 

 

 

お菓子作りが好きで、よくお菓子をくれる。

 

バイク好きで、街で会うと乗せてくれる。

 

イケメン女子で、汗が輝いているタイプ。

 

 

 

これでは、いけませんね?

 

ガイアによる危険から身を守る為、危険察知運動を行いましょう。

 

 

ひとつ、ガイアから貰ったお菓子は、半分食べて半分はねえさ―――

 

 

 

――パタン

 

 

 

何だこれ。

 

机の上に置いてあったから気になったんだが、内容が良く分からない。

 

 

 

ガイア・ベニーニ

 

 ローマ武偵中2年、専攻は装備科で特別運転許可持ちの、通称兵站学部車輛科(ロジロジ)のCランク相当。だが、この学科に入れた時点でエリートだ。

 

 背の高い褐色肌で、セピア・ロマーノの髪、俺と同じ黒い瞳を持つ。

 引き締まった体型で、いわゆる女子にモテる女子。姉御肌系のイケメン女子だ。

 

 二輪車からトラックまで、一応バスや電車等の公共交通網も動かせ、陸の乗り物であれば何とか運転は出来るらしい。

 特に好んで乗るバイクと、任務で良く使用するらしい大型のバン系の運転はかなりの高評価を得ている。

 

 俺(クロ)も何度か現場まで運んでもらったが、イタリアの車道は大変だな。狭いし、路駐だらけだし、一通も多いし。

 

 使用武装は…銃は見たことがないな。持ってないってことは無いんだろうが、そもそも生身で前線に出る学科でもない。

 近接武器として、収納可能な警棒型のスタンガンを持っている。持ち手の反対側にはワイヤー付きの手錠が付いており、バイクや大型車に接続することによって、市中引き摺り回しや、車輛の牽引が出来る。

 ワイヤーにも電気を通すことは出来るらしいが、出力と消費エネルギー量の課題が残っており、実用性は今のところ()()()()ない。

 …ところで、車輛に取り付けて、同期をとってしまえば、その問題は解決されるんだが、それって拷も…一体何に使うつもりなんだろうな。

 

 またバイクは高機動兵器に改造済みで、ニトロスタート、収納型の2丁PP-19 BISON(ビゾン)遠隔操作(リモコン)と、まだまだ隠している様子。

 改造は装備科でも許可証が必要なはずだ。ガイアは持っていないし、緊急用とはいえ、誰がこんな無茶苦茶な改造をしてるんだか。

 

 お菓子と運動が好きな、スイ&スポ女子で、俺も街中で何度か会ったことがある。俺の活動日数からすると、すごい確率だと思うぞ?

 

 パオラの幼馴染らしく、初めて会ったときは、やたらと質問をしてきたな。好きな食べ物とか、好きな髪形とか。特にないって答えたが。メモ帳まで持ってご苦労なこった。

 

 女の子っぽい仕草がないし、爽やかなシチリアレモンのような匂いは甘ったるくないし、ノリもいいので、悪友のような安全な部類の女子だ。

 

 

 

俺はそんな危険人物だとは思わないんだが―――

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

今日はっ!ドラーイーブー、いーいっ!てんーきーさー。

 

 

と、いうわけで、来た来た来ました!来ましたよ!

 

ここはシチリア島です!

 

地図で見ると、ブーツが波動拳(はどーけん!)みたいなのを出してる、その波動拳の部分。

 

 

ワインは飲めないけど、おいしい物がいっぱい!

 

新鮮とれたてなウニとか!朝摘みレモンをかけた濃厚なカジキ!本場のカンノールも頂くのだ!

 

…でも、折角合宿に(勝手に)お邪魔したんだから、ちょっとくらい、風を感じたいよね!

 

 

「おーい、クロー!頼むから後ろで跳ねないでくれよ?バイクの重心がブレてんだ」

 

「ガイアさんなら大丈夫!なんなら立って見せましょうか?」

 

「立つならあと10秒後だ。丁度いい位置に標識が来る」

 

「うふふ、さすがガイアん!ホントに立ったら助けてくれるんでしょ?このツンデレさんめー」

 

 

ヴヴォオオンン!!

 

 

「あっあっあっ。ごめんなさいごめんなさい。加速しないで!ウィリーしないで!地面が!2ケツでウィリーは地面が!」

 

「ったく、危ないから素人が下手なことすんなよ?そのまま、しっかり抱き着いてろ」

 

「こ、こワかったデす~。いやー、ガイアんのお茶目さんっ!」

 

 

ヴォヴォ…

 

 

「うそうそ!嘘です!ガイアんはイケメンです、惚れちゃいますー!」

 

「まず、その一菜の真似をやめろ。クロが言うと馬鹿にされてる気がする」

 

「はいはい、ガイア様の仰せの通りに」

 

「それでいい。バイクに乗ってる間は、全部あたしに委ねとけ」

 

「おぅ!それは口説き文句かい?」

 

「だったとしたら、何点くれるんだ?」

 

「うーん。ムードが足りないですねー。やっぱり時間帯は大事ですよ」

 

「なるほどなー。お前が言うと説得力がなくていいな」

 

「な、なんだとー!私はロマンチストですよ!」

 

「代わりに一言。言ってみろよ、お前が一番いいと思うやつ」

 

「そうですねー……あっ!『このまま、夜空の星まで…連れてってやろうか…?』とか」

 

「朝でも空には星がいる。送ってやろうか?丁度ウィリーサークルの練習してるんだ」

 

「2ケツでサークルはマズい!それ後ろの人踏み台になってますよね!?」

 

「冗談だ、参考にさせて貰うよ」

 

「もうすぐで一周ですね」

 

「お?良く分かったな。何か目印でも目星付けてたのか?」

 

「事前に距離を聞いていたので、頭の中で2窓を、計算に使っていました」

 

「?良く分かんねーな、そのギャグ」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

お昼頃。

 

ドライブを楽しんだ私とガイアは、一菜、パオラ、クラーラと合流していた。

 

一菜は疫病の矢(フラヴィア)が通っていた、パレルモ武偵学校に興味があったようで、見学に行ったそうだが、かなりヤバい雰囲気の学校らしい。

絶対取り締まられる側の人間が通ってるよね、それ。日本でもヤーさんのお子さんが通っているし、別に珍しい事でもないけど。

 

でもフラヴィアは余り目立つ方ではなかったらしく、部活中の生徒に聞いても、大して面白い話は無かったとか。

それ以前に転校してきたばっかりだったっぽい。

 

 

「クロちゃん、見てよコレ!武偵高の方にお邪魔したら、こんなの貰っちゃったー」

「一菜さんは怖いもの知らずですね。何をもらったんです?」

「じゃじゃーん!」

「…なんですか、それ?」

「知らなーい」

「……」

 

 

 

……なんて不毛な会話なんだ。

 

 

 

「クロさん、予定しているお店はこっちですよ」

「ガイアと一菜さんも、行きましょう」

 

 

 

パオラとクラーラは、観光のついでにお店の選別をしていた、大衆向けのピッツェリア・バーへと案内してくれる。

 

外にテラス席が用意されているのに、それでも席がほとんど埋まるほど、人がいっぱいでにぎやかな人気店だった。

日本人は見当たらないな、地元民が多いみたい。旅行者にとっては穴場なのか?

 

 

メニューにはピザもあるし、パスタもあるし、魚料理もある。

でも、スイーツを置いている店ではないっぽいね。

 

ここで「もう一軒まわれる!」と考えるのが幸せの秘訣ですよ?

旅行…じゃない、合宿先のお店なんて、そうそう来られないんですから。

 

 

ざ、ザル?ザルデーナ料理なるものがあったが、注文するにはなかなか勇気が要りそうだ。

 

「すげー!豚の丸焼きだー!」

 

ほら、勇気のある人はすぐに飛びつく。頼みたそうだ。

 

リアルうなぎパイは回避したけど、食べきれんのか?この料理。

 

「一菜さん!こっちのアクアパッツァもおいしそうですよ」

「えー、そんなのローマ(うち)でも食べられるじゃーん!」

「確かに、郷土料理を楽しむのも、いい」

「あたしも、ちょっと見てみたいな、丸焼き」

「みんなで食べれば、食べきれますよ」

 

あー、皆ノリノリだよ。ここはシチリア島だから郷土じゃないって。

 

でも、いざ頼むとなれば、ワクワクする。

 

みんなと一緒ってすごい言葉だ。何でも楽しめそうな気がするよね。

 

 

「よっしゃー、決まり!じゃあこっちの豚の脳みそも一緒に頼んでみない?」

「ない」

「ないわー」

「ないですね」

「それは、ない」

「ないわー」

「あれれー!?てか、クロちゃん紛れて2回言っただろ!ひどいよ!!」

 

 

前言撤回。

 

みんな一緒でも、踏み越えられない一線はある。

 

その場のノリで失敗するのは、集団行動における弊害だよね。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

夕暮れ時、ホテルへのチェックインを済ませた私たちは、夜ご飯の時間までは各々自室で休むことにした。

 

一応、ツーマンセル以上の行動をとるために、くじ引きをした結果、私は見事に2人部屋を勝ち取った。

 

3人組の方はベットが3つ置いてあるらしいから、視覚的に狭いんじゃないかな?

 

私とガイア、一菜とパオラとクラーラだ。

 

 

今、私とガイアは自室で今日のドライブの時に見えた、海と山の景色の話で盛り上がっていた。

 

ガイアは2回目だろうに、合わせてくれるところがニクいね。

 

 

ガイアと2人きりってシチュエーションは、あんまり記憶にないな。

街であった時にモペッド2ケツってのはあるけど、ゆっくり話なんてしたことがなかったかもしれない。

モペッドは、重量過多でゆっくりだったけど。

 

 

思いのほか弾む話に、今朝見た景色を思い出す。

 

高い山に囲まれて、街中をずーっと走っていく。たまに石橋を渡ったり、車じゃ通れなくなった場所を突き進んでみたり。

そんな景色の中に現れた海は、広くて、遠くを見渡せて、清々しい気分になった。

 

そんな私たちを撮影する観光客もいた。ここは歴史的なサーキット。

たまーに脇道にそれるけど、過去には多くの夢と希望と伝説を生み出した、ロマンチックな場所なのだ。

 

 

「明日、帰る前にガイアさんともう1回走りたいですね!」

「何なら夕食前に、もう1回行くか?今から」

「えっ、良いんですか?疲れてません?」

「クロが大人しくしててくれるなら、いくらでも走れるぞ」

 

 

良きかな 良きかな

 

では、さっそく参ろうじゃないですか!

 

 

 

 

 

 

 

ヴォヴォーン!

 

 

バイクがエンジンを吹かし、ガイアと私の2人を乗せて、夕日がだいぶ傾いたサーキットを走る。

 

この辺は夜になったら、ローマの裏道よりもよっぽど暗くなるのかな。

 

 

街を抜け、石塀と自然に囲まれた道を進む。もうすぐ海が見えるはず、夜になれば、朝ほどもいい景色ではないだろうけど、それでも吹き抜ける風はさぞ、爽快だろう。

 

 

「クロ、ちょっと飛ばすぞ?」

「え、どうしたんですか?突然」

「クロが大人しく、あたしに身を委ねてくれたからな。思ったより順調だ」

「それなら尚更、急がなくても、夕食には間に合いますよ?」

「いい子には、ちょっとしたご褒美をあげないとな」

「お?お?何です?何奢ってくるんです?」

「はっ!とにかく良いもんだ、しっかりくっついとけよ?」

 

 

 

ヴヴヴォオン!ヴォンヴォンヴォン!ヴヴヴォオヴォオオオオーーーン!!

 

 

 

すっごい速度だ、カッ飛ばしてんな。

今はレースじゃないんだし、何を急いでいるんだろう。

 

 

「いくぞ?もっとくっつけ、舌噛むなよ」

「な、何を…?」

「近道だ」

「ちか…」

 

 

 

キュイィィィイイイイ!

 

 

 

は、何!何が起きてるの!?

 

あ、なんだカーブかビックリしたー。ブレーキ掛けただけなのね。

 

急激に速度を落とし………あれ?

 

 

 

―――ハンドル…切ってなくない?

 

 

 

…違う!この人、何かやる気だ!確実に!嫌な予感が止まらない!

 

 

「本当に本気で挑戦しているときに危険は存在しない」

 

 

なに、なんの呪文?

 

 

「なぜなら、すべては自分のコントロール下にある!」

 

 

 

 

 

――――刹那の瞬間、悟った。

 

 

さっきのブレーキはきっと。

 

 

 

ヤバい方の燃料(ニトロ)に切り替えたんだ、って。

 

 

 

ドゥギュゥウウゥォオオオオオオオーーーーーン!!

 

 

 

 

と、飛んだ―――!

 

 

直前にガイアは寝そべるような姿勢になっており、私はそれに覆いかぶさるような体勢だった。

そこから彼女はステップを思いっきり()()()

 

 

それが、今――蹴った反動で、ガイアの掴むハンドルを軸に2人共()()()()()()。私が下側に来たあたりで、ガイアが…ガイアが…

 

 

 

「ガ、ガイアさん……その手……」

「こうしないと、掴めないだろ?」

 

 

ガイアが……手を…手を………ハンドルから手を…

 

 

 

 

―――離しやがった…っ!

 

 

 

 

空中に投げ出された。2人して。頭が混乱して思考が定まらない。出来ることはただ1つ。

 

ガイアに必死でしがみつく事だけだ!

 

 

 

「うわーーー!死んじゃうーーーー!」

 

 

 

思いっきり、思いっきりガイアに抱き着く。

死にたくない、その一心で。

 

血は逆流を終え、すでに流れは止まってるんじゃないかと思うほど。

心臓が張り裂けんばかりにドックンドックン!鳴っている。心臓が空回りしてるのか!?

 

 

もう綺麗な景色とか、言ってらんないよ!

下手したらこれからずっと、見下ろせる場所に行ってしまうかもしれない!

 

 

 

パシュッ!――――

 

 

 

何かが射出される音、その音が聞こえた時、気が引き締まり、思考が定まる。

 

武偵流の気付け薬だな、射出音。

 

 

 

飛んできたのは……手錠?

 

それを左手に引き寄せたガイアは、今落ち着いたから気付いたけど…

 

 

右腕に私を抱き留めていた。

 

 

何も言わず、ウインク1つしたガイアは、手錠が繋がるバイクへと、ウィンチで引き寄せられていく。

 

 

そして抱いた私ごと、後ろ向きのままバイクに飛び乗り、

 

 

 

 

キュイイイィィィィイイイイ―――

 

 

 

 

今度のブレーキは本当に止まった。

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ、クロ。ここがあたしのおすすめの夕日スポットだ」

 

 

そういって指さす海は、水平線にギリギリ夕日が見える、とても美しい景色だった。

 

 

「間に合って良かった。結構ギリギリだったな」

「キレイです…とても」

 

 

岸壁の向こう側、広い広い海の中に、今、夕日が完全に沈んでいった――

 

 

 

 

「……帰りましょうか、ガイアさん」

「クロ」

「はい?」

 

 

振り返ると、頬に手を当てられた。

 

少し高い段差に立っていたガイアは、屈むようにして、私を真っすぐに見つめている。

 

丁度、フィオナをカフェに誘った時のような構図になった。立場は逆だけど。

 

 

「クロ」

「な、なんですか…?」

 

 

夕日が沈んだ空には、その代理だと言わんばかりに星々が、いつの間にか顔を出し始めていた。

 

 

「『このまま、夜空の星まで…連れてってやろうか…?』」

「っ!」

 

 

あの時はふざけて言ったのに。

 

 

ガイアと星々しか見えない、このロマンチックなサーキット(世界)では、

 

 

"あれ?私、センスあるじゃん"なんて、

 

 

 

思っちゃったりするんだな。

 

 

 

 

 

 

ドクンッ――!

 

 

 

いつもと違う。

 

 

 

ドクンドクン――!

 

 

 

さっきとも違う。

 

 

 

心の波が乱されるのとは違って、血流が。

 

 

体の芯が、とろけていくように。

 

 

なんだろう、今の自分は。

 

 

他の誰よりも()()気がした。

 

 

 

 

守られなければいけない…!

 

今襲われれば、私は。小鳥にすら負けるかもしれない。

 

誰かに、誰か―――

 

 

 

 

―――目の前にガイアがいる。

 

ああ、彼女なら。優しくて、私より強い彼女なら、きっと私を守ってくれる。

 

手に入れなければ、私の大切な騎士様を。

 

私を守ってもらわなければ…。

 

 

 

「ガイア…さん」

「どうだ?自分で考えたセリフは。今なら何点くれるんだ?」

 

 

彼女は無邪気な笑顔を向ける。からかうようなその仕草も。

今は、どうしようもなく愛おしいの。

 

 

「お答え…します」

「どうした?ちょっと飛ばし過ぎたか?」

 

 

彼女は無防備に私に近づく。気遣うようなその仕草は。

今の私には、いつも以上に心を乱されるの。

 

 

「おーい…」

 

 

 

サッ

 

 

 

抱き着く、その力も弱々しくて。

だから、彼女が離れて行かないように。

 

そっと、告げる。

 

 

「ガイア、私は星になんて行かなくていい。ただ…あの星が見えなくなるまでだけでいいの。あなたのそばにいたい」

「……」

 

 

 

 

ガイアは何も言わない。何も言わずに抱き返してくれた。

 

きっと彼女は何も知らない。私だってこんなこと初めてだ。

 

それでも彼女は何も言わず。ただ、私を優しく受け止めてくれた――

 

 

 

 

 

おしゃべり好きでサプライズ志向、そして世話焼き。

 

半面、意外と寂しがり屋で、独占欲が強く、甘やかし過ぎる。

 

 

 

 

あなたは本当に……人をダメにするタイプだよ。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「おーい、クロー。いつまで拗ねてんだー?」

「知りません…」

「昨日は悪ノリが過ぎたって、今日はあんなことしねーからさ」

「知・り・ま・せ・ん!昨日の事も知りません!」

 

 

結局昨日は、私の目から星が居なくなるまで…私が寝付くまで、あやしてくれたらしい。

 

自分でも訳分からんかったし、ボヤーっとしか思い出せないから、詳しく分からないけど。

 

 

心の底からガイアを欲していた気がする。本能が働く、みたいなね。

 

 

 

彼女は危険だ。彼女は私にとって、おいしくて優しい毒になる。

 

帰ったら、忘れずに書き残しておこう、今回の事件、その顛末を。

 

 

題名は…そうだなぁ"スイ&スポ女子の危険性"なんてどうだろう。

 

これなら対外的にはバレないよね。

 

 

「クロー、来ないなら1人で行ってくるぞー」

「……ガイアさん」

 

 

……で、でもまぁ、資料は多い方がいいでしょう。あと1回、1回だけ、ガイアに身を委ねてみようかな~なんて。

 

虎穴に入らずんば虎子を得ずって言いますしね!

 

 

 





おまけ3発目、読んでいただき、ありがとうございました。


ガイアというキャラの案自体は、結構古参なので、設定は作ってあります。

ただ、武装は元々クリス2丁の予定でした。クリス大好き!
残念ながら開発時期が違うため、泣く泣く断念。

まぁ、BIZONも好きだからいいんですけど。


ガイアと言えば、”黒紫の講義”の絵、”パオラ君吹っ飛ばされた!”が気に入って、何度か見ていたら、ガイア、白人になってますね。てへぺろ。

絵なんてあった?って方は活動報告に絵の追加の情報を記載しておりますので、たまーにご確認ください。


以下、設定説明↓↓↓


クロの変化については、過去に設定集を公開投下するというアホをやらかしたので、知っている人もいたかもしれません。

通称”トキメキモード”。

キンジからクロへの変身は、香水等により、自身の女性ホルモンと男性ホルモンの量、そのバランスを傾けることで変身します。女装はその増幅。

つまり、クロは限りなく女性に”近い”のです。

その本能は男性への憧れを示しますが、本質は男。女性への憧れの方が高い、というのが私の見解になります。

だから、男性のような振る舞いをして、ドキドキしたクロに、キンジの男としてのヒステリアモードの血流が止めを刺してしまい…

クロは”限りなく女性に近い”本能を発揮しました。

庇護を求める女性のヒステリアモード。
これはクロのトップシークレットな弱点です。



次回は本編を計画していますので、是非是非、お楽しみに。





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二人の戦姉妹(ダブル・コンダクター)(前半)




どうも!


切り所がなかったので、少し短くなってしまいました。

文字数のわりに進行しません。


今回は俗に言う伏線回ですので、いっぱいキーワードが入ってます。

推理が好きな方は、怪しい単語を探してみてください!



では、始めましょう!





 

 

 

ギイィィィィ……パタン

 

 

トットットットッ…

 

 

 

「ただいまー…」

 

 

分かっていたが、誰もいない。

 

最近の姉さんは、ずっと忙しそうだ。

 

 

そんなことを考える自分に、また嫌気が差す。この気持ちを誰かに癒してもらおうなんて。

 

 

 

昨日の一件、あれから一度も言葉を交わしていない。

 

お互いが避けていた訳では無い。お互いがお互いを全く意識していなかった。

 

…私は意識しないフリをした。

 

こんな喧嘩の仕方は初めてだな。喧嘩よりも低次元だ。

 

 

最初の頃は、一菜は何かにつけて、私に突っかかってきた。今思えば、トゲトゲしてた彼女なりの、私へのコミュニケーションだったんだろう。

 

別に最初からウマが合ったわけじゃない。そもそも私は"女"というものが怖かった。

神奈川に居たころ。女子生徒は、私を騙して、利用して、陰では気持ち悪いとまで言われてたっけ。

イジメではない。けど、確実に私の事を同格の存在として扱っていなかった。

 

 

でもこの学校に来て、パオラやパトリツィアと出会って、少しずつ、変われたんだと思う。

本当に感謝してる。今の私があるのは2人がスタート地点だったんだ。

 

 

自然に女子を避けてたから、必然、一菜と言葉を交わしたのも何日か経ってから。

 

しかもその第一声が

 

 

「"三浦いちゅっ……"」

「……」

 

 

これだった。

 

今思い出しても、恥ずかしい。けど、笑い話には最適だよね。

 

 

いつもピリピリしてた一菜は、その日もずっと仏頂面だった。

 

…けど、ちょっと口の端を上げてくれて、それが凄く可愛くて。今でも鮮明に思い出せる。

 

 

「"ん、んんっ!………みゅっ……"」

「"……ぷふっ!"」

 

 

1回目より酷いところで噛んだら、ついに噴き出した。

 

ごめんね、「んっ、んんっ!」とか仕切り直しといてそれだもん。

 

 

でも、私は凄く嬉しかった。一菜の笑顔を見た事が無かったから。

 

釣られて私も笑ったら、一菜は怒った。

 

 

「"な、何を笑うておる。目障りじゃ、用が無いなら消え去れ!"」

 

 

目が点になったよ。

 

タイムスリップしてきたみたいな喋り方。それで、他にも五か国語も話せるんだもんね。

伊・英・独・仏・羅。不思議だよ。

 

何で?って、日を重ねて、しつこく聞いたら

 

「"余計な首を突っ込むでない!たわけが!"」

 

って追い返された。

 

 

少し経って、会話をしてくれるようになったからって、調子に乗った私が付けたあだ名が"コンちゃん"。

 

キツい目と、ポニーテールがキツネの尻尾みたいで、金髪だったもん。

 

ブチ切れて…あ、そういえばこの時も口利いてくれなかったんだっけ!じゃあ2回目だ。

髪もダークブラウンに染めて来るし。あれって染めても黒くならなかったんだよね。

 

折角のあだ名は取り消されて、

人生で一番長い時間、土下座したっけなぁ――

 

本当に不思議ちゃん。でも放っておけなかったんだよ。

 

 

 

 

色々思い出してると、泣きそうになってきた。我ながら情けない。

 

 

~~♪

 

 

電話だ。誰だろう。……一菜かな?

 

 

「クロ様!?今どちらですの!?」

「えっ…?」

 

 

パトリツィアの妹さんの声だ。明らかに焦っている。

走り回った後なのか、荒い呼吸も聞こえるな。

しかも周囲の音から、学校の外みたいだ、車の音が聞こえる。

 

 

「…今は部屋にいますが」

「お姉さまが――パトリツィアお姉さまが!」

 

 

嫌な予感がする…。嫌な事ってのは大概、続くものだ。

 

 

「パトリツィアさんが、どうしたんですか?」

 

 

きっと、これも。確変中の確定ボーナス演出に違いない。

 

 

「パトリツィアお姉さまが、()()()()()()()()()()!」

 

 

ほらやっぱり。確変はまだ、継続するみたいだ。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「最後にパトリツィアさんを見たのは?」

「本日は探偵科の授業をお休みになられていたみたいで…」

「つまり私たちと一緒に受けた授業が、最後の目撃地点という事ですか」

 

私は急いで学校に戻り、大した準備も出来なかった装備でパトリツィアの妹さん(アリーシャ)と合流した。

 

彼女はおそらく企業間抗争に巻き込まれたのだろうと言うが、私はその線は微妙だと思う。

 

 

パトリツィアの実家、フォンターナ家は有力企業であり、男子は生まれず、彼女は3姉妹の長女だ。

狙われる可能性は十分高()()()、だろう。

 

最も有力な跡継ぎの立場であり、また優秀で、実績も併せ持っている。

眉目秀麗、才色兼備。そんな彼女が最も得意としていたのが、戦闘技術だった。

 

元々は私と同じ強襲科の生徒だったらしい。

任務に忠実で、武偵は殺しがタブーだが、人を容赦なく撃てる、そういう裏世界を見た事がある人間。

おそらく入学前からやっていた口で、親が関わっていないとは考えにくい。

 

だがその実力も、企業間抗争に巻き込まれ、利き手側の左肩を撃たれたことでほとんどを失った。

その後は探偵科に転科しており、性格も今のような感じに変わったと聞いている。

 

その上、末妹が生まれ、その妹というのも全ての面に対して高い実力があるらしい。

パトリツィアは、すでに跡継ぎは末妹に決まっている、とまで言っていた。

 

だから、彼女を狙うのはお門違いじゃないだろうか。

 

 

「何か心当たりはあるんですか?」

「ワタクシは、あの事件がまだ続いていると思いますの」

「ですが、もう彼女を狙う理由もないでしょう?」

「お姉さまの影響力は未だに残されておりますわ。まだ実権を握ることが可能な存在なのです」

「跡継ぎは末妹で確定だと聞いていましたが」

「お姉さまがその気でなくとも、周囲が勝手に祭り上げます。妹は……少し壊れているの。昔のお姉さまより…」

「その復権が原因…と」

「はい、おそらくは」

 

何も証拠がない。帰ってしまった生徒が大半の中で、今足りないのは足だ。

人を集めよう。時間が経つと、余計に捜査は厳しくなる。

 

 

電話を掛けようとして、手が止まった。

 

 

「…アリーシャさん、他には誰に声を掛けているんですか?」

「クロ様の他には、情報科のエマ様と通信科のクラーラ様、車輛科のダンテ様と衛生科のミラ様、諜報科のヒナ様と探偵科のルーカ様です」

 

 

さすがに豪華なメンバーだ、中学1年から高校1年まで。優秀な人材を、しかもこの状況に理想的な技能を持つ者を選んでいる。

 

尖ったメンツなのはアレだが、任務の成功に貪欲なメンバーだ、信頼できるな。

 

クラーラに連絡が行けばガイアにも繋がるように、自身が縦の軸となることで、横の軸でも追加人員を期待できる。

 

そのガイアが苦手とする空の運転を、ダンテ先輩が担うように、徐々に網目状の枠を作り出していく。

 

(さすがにこういうのには慣れてるな)

 

 

「では、私の助手も呼んでしまいますね」

「お願いしますわ。イチナ様の体力は、頼りになりますもの」

「……」

 

 

 

電話を、かける……

 

 

 

カチャ

 

 

 

「も」

「もしもしを縮めないで下さい、()()()さん」

戦姉(おねえちゃん)どーしたの?声がすこーし低いよー?」

「何でもありません、仕事です。来られそうなら()で中庭に来てください」

「?分かったー」

 

 

ガチャン

 

 

 

 

――私は腰抜けだ

 

 

 

 

でも、今大事なのは早期解決。チーム内で衝突しかねない相手は避けなければならない。

 

そうだ、セオリー通りだ。

 

 

「それで、強襲科の私を呼んだのは、如何な理由で?」

「それは、クロ様が一番お姉さまの事を理解していらっしゃるからですわ」

「買い被りです。現に今、私は何の情報も持っていませんから」

「たまには()を信じることも、成功者の必須項目ですの」

()()…ね」

 

 

良いことを思い出した。

経緯は夢のように曖昧だが、私には()()()()()()()がいる。

表向きは違うんだけど、相互協力のような関係だと思えばいい。

 

昨日手紙をもらって、夜に会いに行きますとだけ書いてあったけど、正直それどころじゃなくて、向こうが現れるまで忘れてた。

 

エサとなる情報が圧倒的に欠如した状況で、特定の情報を釣り上げる任務。

初めての仕事っぷりを、見せてもらうとしよう。

 

 

~~~♪

 

 

 

~~~♪

 

 

 

あれ?出ないな?

 

 

 

~♪ カチャ

 

 

 

「お待たせしました、遠山さん。今、雑務を片付けていましたので。どうしましたか?」

 

出た。ヴィオラだ。

 

「少し情報収集を手伝ってもらいたくて」

「私はあなた方の戦妹です。敬語は不要ですよ」

「他人行儀は癖みたいなものですから」

「…そうですか。それならば、構いません。それで、仕事内容を」

「行方不明者の捜索です」

「名前を」

「報酬の話は後でいいんですか?」

「はい、時間がある時に」

「ありがとう。…名前はパトリツィア・フォンターナ。ローマ武…」

「大丈夫です。次に発生時間を」

「今日の15:00以降から。探偵科の授業に出席をしていなかったそうです」

 

 

ガサゴソ…ピーッ、ピピッ!…(チッ

 

 

……なんだ?電話の向こうが騒がしくなってきたぞ?

 

「クロさん、くされタンクの残り容量が少ないので、少しお借りしますね?」

 

ん?今なんか、変な事言わなかった?

…まあいいか、借りるって何をだろ。

 

「借りるって何のことでしょうか?」

「少しだけ算数のお手伝いを。大丈夫です無理はさせませんから」

 

(算数?)

算数は得意だ。なんたって30窓あるからね、どんと来いや!

 

カッコいい所を見せようとスイッチをONにする。これで、どんな問題だって即答できるはずだ。

 

「開始しますよ?初めてはちょっとだけ、痛いかもしれません」

「えっ?痛い?」

「少しだけ、倦怠感を伴います。戦闘に入る際は事前にお知らせください」

「えっ?えっ?倦怠感?」

 

言っていることが分からないが、質問は終了なのだろうか?

名前と発生時間しか説明してないんだけど。

 

 

バチィッ!

 

 

ほんとに一瞬、頭に刺激があった。瞬間的にちょっとだけ仰け反ってしまった。

さらに続けて、左頬がだんだん熱くなってくる。その熱が顔中に、次に体に広がって、厚化粧と着物を着付けた様な重さを感じる。

 

(何が起こっているんだろう…)

 

算数の問題とやらは来ないし、すっかり黙ってしまった電話先は、さっきからずっと騒々しい。

一体どこにいるんだ?何してるんだ?

 

カタカタカタカタって音が聞こえる。―これはキーボードの打鍵音。

パラパラ、シャッ!―これは紙をめくる音。

イタリア語で会話している人、フランス語で会話している人、英語で会話している人。

 

どこかのスタジオにでもいるのだろうか?

大体、彼女が何科なのかも知らない。勝手に情報科だと思っていたが。

今は情報科棟にいるのかもしれないな、雑務とやらで。

 

 

パチッ!パチッ!

 

 

(なんだ?)

 

頭の片隅に、妙なイメージが流れ込んでいる。チラチラして鬱陶しい。

 

映っているものを確認しようと窓枠の1枚に近づくが…

 

(ま、窓枠が…1枚丸々占領されてる…!)

 

流れ込む、怒涛の2進数ラッシュ。それが指し示す所は分からない。

 

あまりにも早い切り替わりに、見ていると目が回る…。とても人間が意識して処理できそうな代物ではないな。

これは彼女の仕業なのか?

 

とりあえず、今は時間が惜しい。電話はつないだまま、チュラと合流しておこう。

 

「アリーシャ。私はチュラと合流後、作戦を開始します。()()はありますが、私の電話は使用中ですので、チュラの方から電話させますね」

「っ!当て…ですね、分かりましたわ。どうか、お姉さまをよろしくお願い致します!」

 

私を見る目が変わった。スイッチのON/OFFって分かり易いのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

中庭で戦妹の到着を待つ。

 

突然な電話にもかかわらず、一言で引き受けてくれた。

私は人間関係に恵まれているな、と改めて思う。変人が多いけど。

 

 

ぴょいーん、ぴょいーん

 

 

そんな効果音が似合いそうな、独特な走り方でチュラが走ってくる。

やっぱり変人だ。

 

その格好はローマ武偵中の制服に足首までのレギンス、パオラから購入した黒い手袋を着用している。

ベージュ掛かったオレンジゴールドの髪と、暗黄色の瞳は日が沈み始めた屋外でも、すぐに見つけられた。

 

 

戦姉(おねえちゃん)お待たせー」

「突然の呼び出し、すみません。緊急事態です」

「でも表なんでしょー?」

「はい、多くの協力者がいますので。チュラの電話をお借りしますよ?」

「?いいよー」

 

 

チュラから電話を借り、クラーラに連絡を入れる。

 

 

彼女はワンコールで出て、

 

「通信機をお届けします」

 

それだけ言って電話を切ってしまった。

 

 

「"クロ殿、クラーラ殿からお届け物でござる"」

 

 

突然後ろに気配が!

 

…とでも言うと思いましたか?

私の嗅覚は、結構優秀なんです。ヘリの音も聞こえてますしね。

 

(匂いが空から来たってことは…乗ってきたのか、あれに)

 

上空には一機のヘリコプターがホバリング飛行をしている。

"ベル206Lロングレンジャー"。民間向けの小型ヘリ…ダンテ先輩だ。

 

あれ以上、降下してこないってことは、すぐ次の目的地に移動を開始するつもりなのだろう。

 

(もう、動いてるのか。仕事人の集まりは進行が本当に早い。捜索と同時に協力者を探してるんだな)

 

協力者を募れば、その分だけ全体としての資金や時間等の消費(総消費資産)は上がっていく。

 

既に通信科のクラーラ、車輛科のダンテ先輩、諜報科の陽菜が動いてしまっている。

 

それほど彼女(パトリツィア)の繋がりは広く、深い。

 

 

「"ありがとうございます、陽菜。相変わらず気配を感じませんね、あなたは"」

「"お褒めに預かり、光栄にござる。…では、某はこれにて!"」

「"あ、でも書面ならまだしも口頭で"殿"は――"」

 

 

ボフンッ!という音と共に煙の中に消えていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

……うん、視界からは消えた。たぶん今頃、上の方に吊られて行ってるんだろうな。

 

あまり話したことはないけど、一菜とは違った不思議ちゃんだよ。イタリア語も苦手みたいだし。英語もカンペ持ってギリギリ通じるレベル。

 

そういえば、あの子通信機付けて無かったよね?なんでだろ。

 

 

『クロさん、聞こえますか?』

 

クラーラの声が、通信機から聞こえてくる。

 

「はい、聞こえています」

受動型音響機器(マウス)能動型音響機器(イヤー)は別々の周波数の物を利用していますが、片方を設定すればもう片方は自動で設定されますので―』

「あ、はい」

 

 

これはクラーラのマニュアル説明だ。何度も聞いているが、最初に必ず説明を挟む。

 

敢えて聞く必要もないので、今の内にチュラにもマイクとイヤホンを渡しておいた。

 

『――以上になります』

 

説明が終わったみたいだな。

 

 

「了解しました。何か情報は入ってきましたか?」

『まだ、有力なものはありませんが、ダンテさんの班が怪しい動きをする車列を発見している模様です』

「怪しい動き?」

『5台ほどが隊列を組むように、ローマ市内から移動を開始しています。目的地は特定できませんが、その追跡をルーカさんの班が担当し、ダンテさんの班は引き続き上空捜査を行っています』

「車種なんかは特定できますか?」

『マセラティ3200GT。ですがパーツを弄っているようです。暗いため色の情報は曖昧ですが、黒や濃紺のような遅い時間に識別しにくい色、ですね』

 

足の特定はどうにかなりそうだ。……ちょっと聞きたいことがある。

 

「通信機は何名の方に渡っていますか?」

『現在、クロさん達も含めて、9名。予定では後5名ほどに繋がります』

「私の方に各班の情報をダイレクトに接続することは可能ですか?」

『……可能、ではありますが推奨はしません。いくらあなたでも、同時に10人近くの情報が錯綜するのは難しいでしょう?』

「出来るのであればお願いします。()()があるので」

 

(確実じゃないけど、この手が使えれば…)

 

『……分かりました。少し待ってください。設定は私の戦妹が担当します』

 

とりあえずは対応してくれそうだ。

そうなるとこちらも準備をしておかなければ。

 

 

ずっとカタカタパラパラ言っている、自分の電話の先に聞くことがある。

 

「ヴィオラ、聞こえてますか?」

「はい、聞こえています。どうしましたか?」

 

紙をめくる音は止まったな。ヴィオラは何かの資料を読んでいたのだろうか、いまだに後ろでは打鍵音と話し声が続いている。

 

「この二進数のようなものはあなたの仕業ですか?」

「――っ!」

 

言葉に詰まったな。()()()()()()ではないと思っていたが、()()()()()でもなかったみたいだね。

 

「――見えるんですか?私の……()()()が…!」

「見えるのは二進数だけだけど、それは今はいい。あなたの力は相互的に情報共有できるんですか?」

「……この情報は安くないですよ?答えは可能です。ただし、今のように、文字や記号、絵や音楽といった簡易的な情報素子の遣り取りは可能ですが、複雑な記憶素子までは踏み込めません」

「つまり?」

「クロさんが今見ている光景を暗号化して受け取り、私が時間差で得ることは可能ですが、過去にあなたが見た景色は、そもそも脳から見つけ出すことも出来ません」

「思考を読み取ったりは…」

「人間が刺激として得るものは、その元となるものがあります。怪我をして痛いとか、夜景が綺麗とか、ケーキが甘いとか。しかし人間の思考は脳の中で生み出され、処理され、保管される。暗号化に重要なのは誰にでも容易に想像できること。人の考えることなど千差万別で、知り得ないものなのです」

「なーるほど」

 

これは大きな情報だ。かなり大きな見返りを要求されそうだよ?私!

 

「見返りは今度の()()に返します」

「楽しみにしていますね!それで何をさせるつもりですか?」

「これから私が受ける刺激(情報)を全てそちらで受けてもらいたいんです」

「!」

「これから私の脳には、10人以上の様々な情報が入ってきます。私はそれを捌き、記憶し、思い出すことは出来るんですが、情報から情報を得ることが出来ません。得た情報の中から推理するしかないんです」

「私なら、その情報をエサに、延長線を釣り上げられると」

「そういう事です」

 

これは我ながら、名案だと思う。限られた情報から次々と情報を得られれば、捜査の進行は飛躍的に早くなるだろう。

後は彼女が応じてくれるかどうか…

 

「1.8倍」

「え?」

「クロさんの脳がトンでも性能なのは驚きですが、私は違います。通常の人間と変わりません。そんなに情報を与えられても、パンクしてしまいます」

「そ、そっか」

「なので、あなたの脳に()()()させてもらいます」

「そんなことも出来るの!?」

「ただし、常に情報を受け付ける分の容量と、再送信された情報を保管する容量、情報処理の容量も今より多く必要になります」

「ん?う、うん」

「クロさんが情報を扱うのに必要な容量は約1.8倍まで大きくなりますので、10人の情報は18人の情報を捌くのと同じ性能が必要と考えてください」

 

……とりあえず、頭疲れるよってことかな?

 

「18人は厳しいかなー…?」

「それなら人数を減らしてください。あとここからが重要です!」

「まだあるの!?」

「情報の送信容量の大きさです」

「う、うん」

「同時に送れる容量には限界があって、その間にクロさんの刺激が新鮮でなくなれば、当然私に送ることは出来なくなります」

「あー!それなら大丈夫です。()()があります」

「アテ?……分かりました。今から増設します」

「お願いしますね」

「それに伴い、激痛と眩暈や失禁等の恐れがありますので、先に済ませておいてくださいね?」

「ええっ!!?激痛!?聞いてない!聞いてないよ!?」

 

返事がない、有無は言わせないようだ。

しかも、最後笑ってなかった?この子…Sっ気があるのかも……

 

 

【挿絵表示】

 

 

「チュラ、私は行くところがあります。あなたにも頼みたいことが…」

「分かってるよ戦姉(おねえちゃん)。この無線の内容(ないよー)を一人一人全部まねすればいーんでしょ?」

「さすが!私のカワイイ戦妹です!あなたが最後の()()ですよ」

「えっへーん!もっと頼ってもいーんだよー?」

 

音質の悪い音響記録媒体を用いるよりも彼女の方が確実に覚えてくれる、車のエンジン音まで。そのモノマネが驚く程にうまいのだ。

素の戦闘はからっきしだけど、多芸な子だよね。強襲科なのに。

 

「いつも頼りにしてますよ」

 

 

 

私と、戦妹(チュラ)と、戦妹2(ヴィオラ)

この3人、情報戦闘に強いぞ?

 

 

 

戦姉(おねえちゃん)、まだトイレ行かなくていーの?」

 

恥ずかしいからやめて!向こうのSッ子が見てるかもしれないから!笑う様子が思い浮かんじゃうから!

 

 

決まらないなぁ~、もうっ!

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「カナ先輩、あの汚らわしい存在の潜伏先が分かりました。すでにフランスを離れ、ルーマニアへと向かっているようですね」

「元いた場所に帰った、ということかしら」

「それはおかしな話ですよ。あの地はそこまで産出量が多くなかったはず…バチカン教会の輸入先リストにも記録がないんです」

「無いわけではないのでしょう?」

「それはそうですが…それならフランスまで出て来た理由が説明できません」

「そうね……」

 

「そもそも、違う目的で来ていた。というのはどう?」

「あいつら害虫共は、コソコソ這い回るのが得意な、腐った脳みそを持つ腐敗物の様ですが、間抜けではありません」

「この移動も、罠。と言いたいのかしら」

「その可能性も大いにあるかと…」

 

「そもそも、なぜこのタイミングで動くのかも、理解に苦しみます」

「その話はやめましょう」

 

 

「カナ先輩……どうしても、なのですか?」

「……ええ」

「カナ先輩………私はカナ先輩は大切な方で、信じられる仲間だと思っています」

「ええ…ありがとう」

「でも、教会の仲間の事も信じています」

「分かってるわ」

「………カナ先輩は、誰に味方するつもりなんですか?」

「………そうね…」

 

「私の相棒は、あの子しかいない。私はあの子の味方よ」

 

 

「それならあの子も一緒に…」

「それを決めるのは私じゃない」

 

「――それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」

「新約聖書。ペテロ様のお言葉ですね…」

「あの子はきっとやり遂げられる。あの子はもう動き出したのよ、多くの宝に恵まれて。だから、あの子がどんな答えを出したとしても私の大義を持って支えると誓うわ」

 

 

「たとえ…それが箱庭の全てを敵に回す事になっても…ですか?」

「私は自分を信じている、義を通すとはそういう事。他の有象無象なんて関係ないの」

「…………」

「あなたも覚えておきなさい?自分を信じるというのは、他人を信じるよりもずっと難しいのよ」

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。



事件発生!今回は違うチームで作戦実行です。



どうでしょうか、先の展開は読めてきましたか?

箱庭は何回か出てきていますが、重要な単語です。

”題名”すらも疑って掛かって頂けたのなら、こちらも参りましたと言わざるを得ません。



次回は少し遅れるかもしれません。遅れないかもしれません。





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二人の戦姉妹(後半)

どうも!


パッキンアイス、コーヒー、チクワばっかり摂取しているかかぽまめです。
こーひーまめになりそうですわ。


前回に引き続き、事件の解決に向かって進んでいるところからですね。

書いては消し、書いては消し。書いてるうちに寝落ちしたり…
文章の繋がりにおかしいところがあれば、スルーもしくは、修正報告お願いします!


では始まります!







日は落ちた。

 

世界はこれから、闇に向かう。

 

 

空に浮かぶ星々の光も、突然の雨雲に遮られ。

地上を歩く人々の営みに、月明かりさえも届かない。

 

 

 

今宵は荒れそうだ。

 

だって、嫌なことは続くのだから。

 

 

消え始めた街の明かりも、きっと確変中の確定ボーナス演出。

何かが起こる、その前兆。

 

 

 

今宵はどこまでも深い闇に、全てが飲み込まれていく。

 

だって、あの暗雲がこの街を覆いつくすのだから。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

――ポツリ。

 

 

 

火照った左頬に、何かが当たる。

 

 

ポツポツ、ポツポツ。

 

 

(雨だ)

 

 

 

日の沈んだ空が、一気に暗くなったと思ったら、雨雲が掛かっていたようだ。

 

 

それから間もなく、雨は降って来て。

私の顔を濡らしている。

 

 

(まるで、私の気持ちを表しているようだな――)

 

「クロさん、集中してください。雨粒の感想がノイズのように届いています。車は無いのですか?」

「運転手がいません…」

 

 

水を差された。

私が悪いんだけどさ。

 

 

作戦通り、情報の量は一気に増えた。ヴィオラの能力と勘のもと、チュラの協力で情報をやり取りし、犯人と思しき存在の居場所を残り数か所まで特定している。

その報告の後、それぞれの班は散っていき、私たちもその1つに向かってフラフラ走っているというわけだ。

 

今回のメンバーは皆、それぞれの役割を果たしてくれた。

 

ダンテ先輩とガイアはそれぞれ捜索と運搬を担ってくれた。

エマ先輩はヴィオラから伝えられた情報に、逐一補足情報を付け加えてくれた。

クラーラはその情報を全体に伝えつつも、持ち前の判断力で各班に指示を出していた。

各班の班長は、班員をまとめ上げ、与えられた指示をこなしてくれた。

ルーカは途中から合流した班長の指示を受け、中学1年ながらも迅速に動いてくれた。

 

もうすぐこの事件は解決する。

誰がその役割を迎えるかは不明だが、誰であってもうまくやってくれるだろう。

 

 

 

―――で、なんだけど。

 

 

「なぜ、いまだに私の体はこんなに重いままなんですか?」

「情報の中に不協和が見られましたので、最後まで油断しません。初めての共同作業ですから」

「ただの嫌がらせではないと…」

「図らずとも、というやつですね。計算の分はお借りしますが、もう少しで情報の送信も終了させますよ」

 

(言葉の中で何を省略した!図らずとも…なんなのさ!)

 

ちょっと嬉しそうなのが気になるが、確かにWチェックは基本。

我慢…我慢だ……

 

 

今は通信が私に集まっている訳では無い為、数分前よりはマシだし。何より送信も終了するなら、プライバシー保護も万全である。

 

「よし!クロさん、終わりましたよ」

「お、お疲れしたー…」

 

ついに窓枠は、1枚を残して空白に戻った。

 

終わった時の開放感が凄い。気怠さから解放されると、目が何割か大きくなった気がする。

私の目は死んでいただろうな。やる気なさそうに見えてたかも。

 

 

 

戦姉(おねえちゃん)、まだフラフラするの?」

「大丈夫、大丈夫ですから、私と同じ周期で揺れないで下さい。周囲の目が頭痛の原因になります」

「うん」

 

 

そう答える我が戦妹(チュラ)は、分かってるんだか分かってないんだか、いい返事。

その短い髪を揺らしながら、私と()()()()()同じ揺れを続けて、周囲の視線をこれでもか、と2人占め。

 

 

(そういう事じゃないんだけどな……)

 

 

明らかに悪化した頭痛に苦しめられながらも、中間ポイントである、スペイン広場まであとちょっと、という所まで辿り着いた。

 

 

 

~~~♪

 

 

着信だ。チュラの電話が鳴っている。

 

「鳴ってますよチュラ」

「うん」

 

横を見てみると、チュラは電話の相手の名前を見て渋い顔、何事か考えているようだ。

教務科に呼び出しでも食らいそうなのだろうか?成績もギリギリって言ってたし。

 

「どうかしたんですか?」

戦姉(おねえちゃん)正直(しょーじき)に答えて?」

「?はい、何でしょう」

 

あれ?少しだけ怒っている感じだ。

分かりづらいが、こちらを批難する様な声色が含まれていた。

 

「これ、何かあったの?」

「―――っ!」

 

チュラは問い掛けるようにしながら、こちらに電話を向けた。

 

「これで、いいの?」

「あの…」

 

電話の先は…

 

「答えて?」

「……」

 

 

――――――三浦、一菜

 

 

「チュラ、出ちゃうよ?」

「チュラ…」

 

 

話したい。

 

 

戦姉(おねえちゃん)、いないって、言っちゃうよ?」

「私は…」

 

 

謝りたい。

 

 

「それで、いいの?」

「一菜…」

 

 

そしてまた、()()()()()()に。

 

 

「……意気地なしー」

「………ごめん」

 

 

チュラはあっかん、ベーをしながら電話を取る。

 

ドキドキが収まるのを感じて…。

これがいつまで続くんだろう、いつまで続けるんだろう……なんて、他人事みたいに自分を戒める。

 

このままじゃダメなのは分かってる!でも…

 

いつもの感じを忘れたら"どうやって話し掛けてたのか"すら、思い出せなくなったんだ。

 

 

 

ピッ

 

 

「"一菜!?すみません、急ぎの任務で電話は使用中でした!"」

 

 

――えっ?

 

 

(私の声が聞こえた―――っ!)

 

同時に何かが目の前に放り投げられてきた。

 

 

「うわっ!ととと!」

 

 

キャッチしたのは電話。チュラの電話だ。

 

慌てた私は足を縺れさせながらも、飛んできた方向、チュラを見る。

 

 

チュラは相変わらず、あっかん、ベーをしながら速度を上げ、私の前に出た。

 

その気遣いが痛い。目の奥まで染み込むようで、涙が出そうだ。

 

 

 

ううう…出ます、出ますよ。

 

電話を耳に当てる。そこからは耳に馴染んだ彼女の声が聞こえる。

 

 

「"クロん!パトリツィアんは見つかったのか!?"」

 

 

いつもの一菜。

昼間のように、言葉に陰を感じない。

 

…違うな。私の気持ちがそう感じさせてただけだ。

 

彼女の声はいつでも周囲を元気にする力を持っている。

 

「"一菜…"」

 

伝えたい事がある。

チュラが作ってくれた千載一遇のチャンス。

 

「"一菜、ごめんなさい。私あなたの気持ちも考えないで――"」

「"その話は後で聞くから!あたしにも情報ちょーだい!"」

 

話を流されそうになったけど、ここで引き下がるわけにはいかない。

どうしても、伝えなきゃいけないんだ!

 

「"お願い…一言だけ、言わせて…?"」

「"……はぁ、分かった。聞くよ"」

 

 

彼女は前にした約束通り、お願いを聞いてくれた。

そう、これがラストチャンス。

 

だから…これだけは、今伝えないと――!

 

 

 

 

 

「"コンちゃん、まじメンゴ"」

 

「"キッ…!?貴様ァァァアアアアアアアアアアーーーーーーーーッ!!"」

 

 

 

 

 

おー、うるさい。耳が飛んでっちゃうよ。

なーに騒いでるんだか。

 

 

「土下座は後で、誠心誠意込めてしますので、今はこれで…」

「知るかぁー!バーカ!クロちゃんのバーーーーーカ!忘れろって言ってんじゃん!!」

「今思い出して、もう忘れました。これでいいでしょう?」

「ぐおおおぉぉぉぉぉ……、どこだぁ!どこにいる!1発殴らせろー!」

 

 

うん、これならいつも通りの感じで行ける。

ここで謝ったって、きっと気持ちまでは変えられない。

これ以上、一菜とチーム内の衝突なんて、ごめんだよ。

 

 

だから、今は…私の隣で()()()()()()に、一緒に戦って欲しいんだ、一菜!

 

 

「私達はコロンナ美術館からスペイン広場に向かって走っています。最終目的地はテベレ川を越えた先のモレ・アドリアーナ公園ですよ」

「すぐ行くからな!逃げるなよー!」

「はい、いつまでも待ってますよ。抱き締めてあげましょう」

「あーーー!引き摺り回してやるーーー!!」

 

 

今度は彼女が私の所まで来てくれる。引き摺り回されないようにしないとね。

 

 

 

 

電話を切られ、チュラのもとに戻る。

 

「終わったのー?」

「はい、おかげさまで。電話、ありがとう」

 

どこまでも私の習性を知るチュラは、私が彼女の隣まで行くと、イチゴ味のラムネを差し出して、

 

「おつかれさまー」

 

だって。

 

先にこっちを抱き締めちゃおうかな?

 

 

 

 

 

ローマの休日で有名なスペイン広場に到着する。

残念ながらゆっくりジェラートは食べられないが、今日の天気じゃ食べたいとも思わないな。

それにしても、この辺はどこもお花だらけで、昼間はさぞ美しい景色なのだろう。

 

駆け抜ける道の先、周囲の電灯が、いくつか切れているようだ。

と、思ったらこの一帯が切れてるみたい。

観光地なのに、ずさんな管理だなぁ。

 

 

そんな感想を抱いていると、私の電話から反応がある。

 

「クロさん、雨が強くなってきたようですね」

「はい。それが何か?」

「そういえば今日は夜に天気が崩れる予報だったな、と」

 

特に続く会話も無い、ただの世間話なのだろうか。

 

「もっと強くなる前に帰りたいです」

「それがいいですね。出来るだけ早く済ませましょう」

 

(軽く言ってくれるな)

 

まだ、他の班が辿り着いたという情報は入っていない。

ダンテ先輩のヘリは更なる天候の悪化を予想して引き上げてしまったし、ガイアの方も雨によって増えた交通量に引っ掛かり、動きが鈍っているようだ。

 

各班は徒歩での移動を余儀なくされ、雨の中を駆けている。

どうせ移動するだけなので、気になっていたことを尋ねた。

 

「そうだ、ヴィオラはどこにいるんですか?随分騒がしいですが」

 

ずっとカタカタシャラシャラ鳴っている電話先がどこなのか、やっぱり気になる。

予想としては情報科棟だが、後ろで時々聞こえる話し声は、色々な年齢層の男女だ。声を潜めているのも怪しい感じがする。

 

「ここは自室ですよ」

「…はい?」

 

予想外の返答に、私の揺れ周期がズレたが、横のチュラはそれすらも完璧に真似ている。

呆然とした顔まで真似するのは少し憎たらしい。

 

「えと…他にも、どなたかいらっしゃるんですか…ね?」

「私はいつも1人です」

「え、でも…話し声が聞こえますよ?」

「…?それはそうでしょう。電話してるんですから」

 

当たり前でしょ?みたいに言うが、絶対におかしい。

話し声は1つじゃないし、そもそもヴィオラの声じゃない。

 

「男の人の声が聞こえるんです」

「男…?」

 

何だその反応は?不思議なのはこっちだ。

よもや、幽霊の仕業などとは言うまい。

 

「英語で話す男性です。かなりお年を召した方のようで」

「……ああ、なるほど。この電子音の事ですか」

「電子音?」

 

これまた意外な返答だったが、今度は挙動に現れない。

ちらりと横を見やると、頭にハテナを浮かべていた。そういう顔してんのね、私。

 

「この音の事ですよね」

『Do you like chikuwa ?』

「うわぃっ!ぃぃいYES!」

 

ビックリした!ビックリした!いきなりオッサンが!?

とっさにYESって言っちゃった!

 

「驚きました?聞こえやすいように音量を上げてみました」

「あああ、はい。よーく聞こえました。確かに録音された音声でした」

「そうです。これは過去に私が手に入れた情報の1つ。"オッサンヴォイスα"です」

 

音声情報を収集してデータ化したのか。これってかなり精巧だよ。

今の私には聞き分けられるけど、悪戯で使ったら面白そうかも!

 

「全部の声がそうなんですか?」

「耳もいいんですね。はい、そうですよ。ここには私が集めた声がたくさんあります」

「BGMにしては悪趣味ですね…」

「BGM…?」

 

あー、またですか、その反応。この子ズレてるよね?

なんで今聞こえるのか尋ねたんだけどなぁ。

 

「その声は、なぜ、集めたんですか?」

「あまり、根掘り葉掘り聞かないで下さい。必要だから集めたんです」

 

 

(必要、ね)

 

その言葉で何となくわかった。

彼女は言葉通り電話をしているんだ。老若男女、東西南北の様々な人間に()()()()()()

 

英語を話す老人は、イギリスの誰かと。

イタリア語を話すお姉さんはイタリア国内の誰かと。

フランス語を話す少年はフランスの誰かと。

 

そうして、一人一人(1つ1つ)の情報体が、誰かから情報を得ているんだ。

自身の正体(情報)は与えずに。

 

繰り返すうちに、その電話先の誰かの音声情報から新たな情報体が作り出される。

 

彼女の作り出す情報体は、情報戦における兵隊で、それが無限に増えていくのだ。

 

 

――ちょっと待て。彼女は1人しかいないのか?

じゃあ、キーボードを叩いているのは?紙を捲っているのは?そもそもオッサン達は誰が喋らせてるんだ?

 

嫌な予感がする。危険を感じた、そのサインだ。

 

 

「ヴィオラ――」

「クロさん」

 

遮られた。思考は読めないと言っていたし、偶然か?

いや、それすらも――嘘?

 

「……どうしました?」

「パトリツィアさんの件ですが」

「どうかしたんですか?」

「もう、いいんじゃないでしょうか?」

「は?」

 

 

いま――何て言った?

 

どういう意味だ、もういいって。

 

 

「意味が分かりません」

「余計な話をしている場合では、なくなりました」

「余計って…」

 

理解できない。彼女は仕事を途中で投げ出すつもりなのか?

 

唖然として、走る速度が少し落ちた私を、チュラが不思議そうに見ている。

こうしている間にも雨はどんどん強くなり、空に白い閃光が見え始める。

 

「私のターゲットが動き出しました、そちらを優先します」

「あなたのターゲット?」

「ずっと追っていたんです。そろそろ動き出すとは思っていましたが――」

「そんなこと聞いてない!!」

 

 

 

――ピカッ!

 

 

 

私の気持ちを表すように、空から一閃。

 

 

ゴロゴロゴロゴロゴロ………

 

 

遠くのどこかに、雷が落ちた。

その振動音が胸に響き、怒りを増幅させるようだ。

 

 

「…………」

「あなたは、ずっと私とは違うものを見ていたんですか?」

「……はい、この事件が起きる前から。私は1つしか見ていません」

「それはパトリツィアの…仲間の命より大切なものなの?」

「…命の重さは全ての人間が平等であるべきです。ですから、どちらが大切かは答えられません。両方救わなくてはならないのです」

 

頭に血が上る、まともな判断力が薄れていく。

 

(だめだ、このままではまた繰り返してしまう!)

 

「あなたは、理屈くさいの!そして回りくどい!言いたいことを言って」

「……」

 

 

彼女は少し黙り……初めて完全な沈黙が訪れる。今は打鍵音も捲る音も聞こえない。

十分な間を取って、改めて口を開いたのは――ヴィオラだ。

 

 

「……ふう、それもそうですね。単刀直入に言いましょう」

「……」

 

 

今度は私が黙り、彼女の答えを待つ。

 

さっきは、嫌な予感がした。

でも彼女はきっと信じられる、そんな気もした。

 

なら、その答えは無下にしてはいけない。あの時のように。

 

相手の考えが分からないなら、聞かなければならない。

一方的に間違っていると決めつけるのは、愚かなことだ。

考え方が違う、ズレてると拒絶するのは、自分勝手すぎる。

彼女がどんな答えを用意していたって、私はそれを聞いて、見極めなければならない。

 

失敗は――繰り返さない!

 

 

それに、成功者の必須項目には、()()が入ってるらしいしね。

 

 

 

「…私、言いましたよね?この事件には不協和があるって」

「はい、聞きました」

 

ヴィオラは急いて語るようなことはせず、答え合わせをするように話す。

 

「私が追っていたのはその元凶。今回の事件を()()()に起こした犯人です」

「ついでに…起こした!?」

 

ヴィオラが私に示した答え、それは――

(パトリツィアの失踪がついで?犯人にとっては、企業間抗争とか、過去にやられた逆恨みとかは関係ないってこと?)

事実なら、驚くべき真実だ。

 

「今日の天気。日没時間は20:14分、20:00以降から雷雲に包まれる予報でした。これは犯人にとって最適な条件なのです」

「最適な条件……?」

 

パトリツィアを生贄にして、悪魔降臨の儀式でもするつもりなのか?

現実味は無いが、持ち合わせの知識では判断できない。

 

「空は完全な闇に包まれ、稲光を纏う者だけがこの場を支配できる」

 

(強そう。これは本当に召喚の儀式とかの話に繋がりそうだぞ)

あまりに突飛な話に、額の雨水が全部冷や汗だ、と言われても納得するくらい緊張してきた。

 

「あなたは、その存在を知っているんですか?」

「はい、明確な敵です。ですが、その協力者までは予想できませんでした」

「待って、先に教えてください。パトリツィアはその犯人の目的には入っていますか?」

 

これは確かめておかねばなるまい。生贄が必要なんて話になったら今すぐにでも助け出さねば!

 

「いいえ、ただのカモフラージュです。一番使い勝手が良かったから狙われたのかと。協力者――彼女を狙う者は心当たりがあるでしょう?」

「あります。妹さんの話が本当なら、命を狙う者は多いでしょうから」

「そう、そして彼女の失踪は何より目立つ、最高級のデコイとなった。それも、もう終わりですが」

「終わる?」

「私は意図的にクロさんがその場所に向かうように、情報を小出しに、順序良く並べました。まもなく、他の班がパトリツィアさんの救出に乗り込むでしょう」

「1箇所に特定できてたって事?なんでそんなことをしたの?」

 

彼女は何を企んでる?パトリツィアは別の場所、私が誘導された理由は…

 

「クロさんをエサにする為です。もうすぐあなたに釣られて、()()()もそこに来るんですよね?」

「なんで…一菜が来ることを、どうして知っているんですか?」

「カン…ではありません、それも私が()()()ました」

 

少し間があって、声…音声が聞こえる。

 

『一菜さん、あなたにお話があります。夜8時頃にまた、電話をしますね』

 

私の……音声情報……!

 

 

チュラの物真似程ではないが、あまりに精巧な私の声に、自分の声が奪われたように、言葉を発することが出来ない。

 

これを聞いた一菜が、私に電話をして。繋がらないから怪しんで、誰かしらからパトリツィアの情報を得た。

私からは掛けていないのに、一菜は私とコンタクトを取った。…取らされた、ヴィオラに!

 

"その話は後で聞くから"って言葉も、私から話があると予想して出た言葉だったのか。

 

 

嵌められたんだ…私も、一菜も。

 

 

「…あなたのターゲットは一菜なんですか?」

 

この回答が間違っているのは分かっている。ヴィオラのターゲットという事は、この事件の犯人だという事。

でも彼女の的を絞ったような言い方に不安を覚え、一菜が狙われてるんじゃないかと思った。

 

 

そしてこの回答は、半分正解だった――

 

 

フフッと笑ったヴィオラは最後の解答を出す。

 

 

「私のターゲット、その犯人の目的が――三浦一菜さん、彼女ですよ」

 

 

ピカッ!

 

 

 

あまりの驚きとショックで、頭が真っ白になった―――

 

 

 

 

一菜が……狙われてる?

 

 

 

 

()()始まってはいませんが、そもそも彼女()イレギュラーです。箱庭に参加していなくても誰も気に留めないでしょう」

 

ぼーっとして、ヴィオラの話が頭に入らない。

チュラがいなかったら、川に落ちてたかもしれないな。

 

パトリツィアとは別件の事件が起きるのか…これから。

一菜を狙った犯人が、もう動いているというのか。

 

 

――させない。絶対に止める!

 

「犯人はどうして、他の集団も動くことを知っていたんですか?スパイとかが…」

「犯人自身が動かしました」

「!」

「協力者、というのは正しくありませんね。体よく利用されただけなのですから」

 

計画犯。それもかなり知能的な。

 

『各班へ、ニコーレ班がパトリツィアさん及び、誘拐犯を発見。敵の人数は4人で地下へと降りて行くようです。地下内部詳細は形状・規模ともに不明。待ち伏せの可能性も考えられます。同班は今から約30秒後に潜入作戦を開始予定。班員は諜報科ニコーレ、諜報科ヒナ――』

 

通信が入る。ヴィオラが言ったようにパトリツィアの姿を発見したようだ。

 

『――各班、現在地を報告し、援護を行える者は宣告後、至急向かってください。戦闘区域は閉所、暗所が予想されます。車輛科ガイアと衛生科ミラは負傷者への対応の為、確実に向かってください。プレネスティーラ通りで合流し、ロータリーでエンツォフェラーリ通りに進むと多少は空いていますので、くれぐれも安全運転でお願いします』

 

あちらも大詰め、こちらもテベレ川に架かるカヴール橋を渡り、サンタンジェロ城が聳える、五稜郭のような形のモレ・アドリアーナ公園が見えてきた。

 

 

「ヴィオラ、なぜここに連れて来たのかを聞かせてください」

「クロさん、そこで一菜さんと合流したら、すぐに()()()()()()()。近くにあるローマ教皇庁(バチカン)のカトリック教会内で、夜が明けるのを待つんです。そこが一番安全になります。その他の場所は全て、闇の眷属のテリトリーと呼んで差し支えありません」

 

(また、そっち系の話ですか)

 

思い出す。フランス、パリでの出来事を。

またあんなバケモノみたいな奴から逃げなければならないのか。

 

「敵は()()、人間ではないんですね」

「クロさん達も、似たようなものでしょう?」

「ヴィオラには言われたくない…と思う」

 

最後の疑問だ、なぜこんなに遠回りなやり方で、私と一菜を別々に、影で操るように動かす必要があったのか?危機が迫っていると説明されれば、それだけで動いたのに、だ。

 

「直接伝えてくれれば…やっぱり回りくどいですよ」

「協力者にずっと見張られていたんですよ、一菜さんとクロさんは。2人揃って向かうなら、すぐに連絡が行ったでしょう。バラバラに行ったとしても不自然な流れで移動すれば警戒されます。日中はずっと協力者が付いていましたから、敵の作戦開始と同時に、2人にも捜索という名目で移動してもらったんです」

「そういう事か。私がヴィオラに電話したのも」

「ふふ…私は()()を片付けていました」

「アリーシャに何か吹き込んだんですか」

「大正解です!」

 

誰かに成りすまして、電話を掛けていたのか。

もしかしたら今回の選抜メンバーの中にも、彼女の手が入っているのかもしれないぞ…!

 

改めて、今回の犯人がヴィオラじゃなくて良かったと思った。

情報操作コワイ。

 

 

「正解したクロさんに、教えておきます。私のターゲットの名前は―――」

 

 

ピカッ!

 

ドゴォォォオオオーーーン!!

 

 

雷が落ちた、すぐ近くに。

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ…

 

 

その振動が、地面を、空気を伝わって、周囲の人間を恐怖と共に跪かせる。

大自然の圧倒的な力は、この一閃によって、あらゆる生物が矮小な存在であると知らしめた。

 

 

「……クロさん、すみません。予定よりも進行が遅れてしまいました。合流まで耐えてください」

「……」

 

 

彼女は悪くない。

走る速度が落ちていたのは自分の責任だし、一菜を守るために動いてくれていたのは間違いないのだ。

 

(命の価値は平等とか、余計に分からなくなる事言わなきゃいいのに。損な性格だな)

 

 

そして、彼女の発言通り、もう手遅れになったようだ。

 

サンタンジェロ城の北口側、フラテル・アウレリアーノ・スカフォレッティ通りの広場。

そこで出会ってしまった。

 

何かがいる。姿は見えないが、何かが。

 

 

嫌なことは続くものだ。

 

事件の裏にはまた事件。

 

 

 

目の前に姿を現し始めた異形の存在を見て、私が感じたのは畏怖と憧憬。

 

大自然の如き迫力と美しさを、まざまざと見せつけられた。

 

 

 

――あれは高位の存在。

 

 

 

Buna seara(こんばんは)、そんなに急いで、どこに行くの?怪しいからつい、手が出ちゃいそう」

「うっ……」

 

 

徐々に浮かび上がり、形を成していく影。

段々と明らかになるその全貌。

 

金髪のツインテール、真っ赤な唇。

ゴシックロリータのドレスと――蝙蝠の翼。

 

 

「今夜はこんなに()()()()なのだから、ゆっくり歩いたらどう?…足元の警戒がスカスカよ。――んッ」

 

 

バチバチィッ!

 

 

「うわぁッ!」

 

 

……今のは、スパーク――!

 

 

電撃に弾かれた、というより、自分の筋の痙攣によって地面に転がされる。

体は痛むが、それ以上に、暗闇の中からの突然の発光による、目の眩みの方が問題だ。

 

慌てて立ち上がって距離を取ろうとするが。

(筋肉が…痺れて体が、動かない!……動けない?)

 

 

 

 

    『あなたは何も出来ないの、そうでしょう?』

 

 

 

 

ゾクリ…背筋に、悪寒が走る。

 

忘れていた。忘れようとして何度も夜を耐えたあの恐怖が…

 

体の自由が利かない恐怖と、目の前の超常の存在によって…

 

 

「…?もう終わりなの?少しは足掻いたらどうなのかしら、力も無く、等しく愚かな人間。いつまでも震えていないで、惨めに這いつくばって命乞いなさい。この気高き闇の眷属――」

 

 

克服できたと思っていたのに……

 

 

「ヒルダ・竜悴公姫(ドラキュリア)に!」

 

 

 

その名前を聞いただけで、思い出してしまった。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「せんぱーい!」

「…どうしたのかしら」

「あらあら、そんなあからさまに邪険にしないで。私は()()()()()()()()()のよ?傷ついてしまうわ」

 

 

「…何の用?箱庭の件なら断ったはずよ?」

「それはもういいの、諦めたわ。"ダメで元々"だったんだから」

「助かるわ、うんざりしていたの。お誘いが多くて」

「先輩みたいな整い過ぎた造形美は、誰の目も引き付けるものよ」

「ありがとう、素直に受け取っておくわ。それで、別の用件は?」

「私の可愛い戦妹ちゃんが、良い情報を手に入れてくれたの」

 

 

「……それは、聞いてもあなたたちに迷惑が掛かるものじゃないのね?」

「あらあら、過保護ねぇ。私達だって、全部お上の為に動いている訳じゃないの。……自分の戦妹くらい自分で守れるわ」

「そう…。なら、聞かせてもらおうかしら」

 

 

「数日中に動く、とだけ教えてもらったの。その意味、分かるかしら?」

「…もう動いているハズよ?」

「悪鬼と吸血鬼は別物よ?私が言っているのは吸血鬼の方。その為にこの学校に来たんですもの」

「魔女狩りね」

「人聞きが悪いわ。正式な決闘よ」

「あなたの存在そのものが正式とは程遠いわね」

「あらあら、酷いわ。私だって悩んでいるのよ?」

「"肌がひび割れているわ。任務に忠実なのはいいけれど、見た目にも気を使いなさい?"」

「"え、ほんと?"」

 

「……も、もう!ツルツルお肌ですわ!からかっているのかしら!?」

「ふっ、ふふっ……、可愛い声……」

「先輩!」

「ごめんなさい、でもあなたとこうして普通に話すのは久しぶりだったから」

「私は初めてなのよ!お手柔らかにお願いしますわ!」

 

 

「動いた理由は分かっているの?」

「誰かを探しているようですわ。わざわざルーマニアから出てきて、潜伏しながら裏側を手中に収めていたみたいなのよ」

「そんな重要人物が、誰だか分かっていないのね」

「あらあら、魔女の考えてることなんて、極端すぎて分からないわ」

「……確かにそうね、良く分かったわ。この国に来てから」

 

「私はレジデュオドロを暫くマークするつもりなの」

「……なぜ」

「念の為、だそうだわ。そうね、私もあの子の考え方が極端すぎて理解できないのよ」

「信じていいのかしら?あなたたちの事」

「先輩の言葉をお借りするなら"義"。それに懸けて誓えますわ」

 

 

「お願いするわ。でも、あなた個人はどう思っているの?」

「私の事は私は知らないけれど………先輩とレジデュオドロなら、あの子の事も救ってくれるかもしれないでしょう?」

 

 

 

 




クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


ざんねん わたしの たたかいは ここから つづいて しまった。


【挿絵表示】


クロは再び吸血鬼と対峙してしまいました。
その相手は前回とは異なりますが、心の傷口はいとも容易く開いてしまいます。

もともと、クロの周りには能力者に対応できる人物は限られています。
果たしてまともに戦う事ができるのでしょうか?

設定の粗が目立ち始めますが、「じゃあ、そこは過去改変したんだな」と、温かい目で見守り、訂正を掛けていただければと!


次回はえーいっ製作中ですので、サッパリ待って頂ければ嬉しいです。




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おまけ4発目 臆病者の狙撃手




どうも!


次回と同時執筆していたので、少し遅れたおまけです。


今回はキャラ紹介第3弾…ではなく、ちょっとした思い出話。

例のごとく頭おっぺけぺーで読んじゃってください。


始まります。





 

 

 

Traulich und treu ist's nur in der Tiefe ~(真実と忠実はただ、深い所にあるだけで)

 

falsch und feig ist, (嘘吐きと臆病者が、)was dort oben sich freut!(あんなところで幸せを享受している!)

 

 

 

"ニーベルングの環 第一部 ラインの黄金" 

ラインの娘の最後のセリフ

 

剣のモチーフが壮大に盛り立てる最後の決め台詞だ。

 

(……本当に、その通りです)

 

結局、悪人(アルベリヒ)賢神(ヴォータン)も同じ指環(権力)を我が物にしようとした。

 

だからこそ、第二部以降の愛情は全て壊されてしまうのだ。

 

悪人は復讐に燃え、賢神は葛藤に悩み、最終的には神々の世界が崩壊し、指環は川に還される。

 

物質社会を風刺する、リヒャルト・ワーグナーらしい、とてもドイツロマン派な作品。

 

 

子供の頃に聞き、言葉の意味も分からないまま、その演奏に、独唱に、合唱に、雰囲気に。ただただ圧倒されて。

 

小悪党のアルベリヒですら怖いと感じた。

ヴォータンがブリュンヒルデを追いかけてきた場面なんて顔を覆って震えていた記憶がある。

 

それなのに、いつの間にかこの楽劇(オペラ)を好きになった。

休みの日には父親に買ってもらったCDをよく聞いていたものだ。

 

そのジャケットには"F.R."――Fiona Richter(フィオナ・リヒター)の記銘がある。

 

我ながら、なぜ直接書いたのか。

 

 

「今日は、もう終わりにしますか…」

 

楽曲の終了に合わせ、基礎勉強を終了する。もう2時間半も経っているな。

 

少し休んだら、フォーメーションと作戦の見直しを行おう。

 

前回の失敗から、個人の改善は別として、チームに必要なのは前後のバランスだと思われる。

 

 

"3on3"。

 

 

私をフィニッシャーに据え、一菜さんとクロさんが私の連続確中範囲(リコイルフルバーストレンジ)まで誘導するフォーメーション。

強敵との多対一、狭所、最低限の長距離射角が必要など、条件が揃う事もあまりないのだが、こういう動きを予め決めておくと、意外なところで役に立つ。

 

前線の2人が互いを援護しつつ、近接戦闘と銃撃で攻撃し続ける。ただ、相手の戦闘技能が未知数の場合、2人同時の負傷を防ぐため、それぞれの範囲内(2歩以内)の敵だけに近接格闘を仕掛ける決まりがある。

牽制弾を撃つタイミングも、相当な熟練度と相手への信頼、息の合った挙動が求められるのだ。正直この作戦を提唱しても、他のチームでは成り立たないだろう。あの2人の動きとコンビネーションは常人のそれを遥かに上回っている。

 

 

では、敵が両方の範囲に同時に入ったら?

敵を挟んで、2人が一直線に並んでしまったら?

 

結果は離れた建物の上からよーく見えた。

 

 

これをどう改善したものか……

 

 

 

あれ?メールが届いてる。

 

差し出し人は――クロさんだ。

 

 

何だろう、今日の話かな?

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

中学生の内は、武偵教育の一環として、高校の先輩方をチームの指導生として1人から最高3人までつけてもらえる。

 

当然、情報学部には情報学部、兵站学部には兵站学部の先輩が割り当てられ、規模の大きな任務ではリーダーに置いて活動することもあるのだ。

基本的に志願制度であるため、高校生の数は限られ、兼任していたりもするが、積極的に育成に励んでくれる人が来るとなると、その存在の有無による成長率は段違いになる。

先輩方においても、統率力や作戦立案の能力向上につながる為、推奨されているらしい。単位もおまけが付くとか。

 

彼、彼女らは" Maestra che guida il tesoro di Dio "(神の宝を導く師)――宝導師(マグド)――と呼称される。

いかにも宗教的でバチカンが考えそうだ。

 

既に根絶されたが、過去、単位欲しさに指導生に志願した生徒がいたらしい。

しかし、生徒指導室(地下教会)に連れていかれた出来事があったので、その心配も無いというわけだ。

 

実力や人数によって、宝導師の人数は決まるのだが、私たちのチームにも1人ついて頂けた。

強襲科と狙撃科で構成されたこのチームでは、通例通り強襲科の先輩が担当であり、正直同じ人間だとは思えない強さである。

 

 

「うっらぁー!」

 

 

パパンッ!――ガチンガチンッ!

 

 

ガゥン!ガゥン!

 

 

 

一菜さんとクロさんがその宝導師へと同時に仕掛ける。

 

今はチームのフォーメーション"3on3"の実戦中で、宝導師に敵役として私達のチームと手合わせ願っている。

 

 

(10分経った……)

 

 

戦闘開始からすでに10分。

 

2人の状態は余り良いとは言えない。体力おばけの一菜さんは疲れる素振りを見せないが、もう弾切れだ。クロさんに至っては、体力・銃弾共に限界だろう。

 

 

「はぁ、はぁ…一菜…嫌な音が聞こえましたが……」

「あはは…どっちもオープンだよ……」

「……残弾管理をして……はぁ、はぁ……敵に弾切れを……悟らせるなと……はぁ、言ってるじゃ…ないですか……」

「クロちゃん、まじメンゴ!」

 

一菜さんがヒラヒラさせている手には、ホールドオープンされた二丁拳銃が握られている。

それを恨めしそうに見ているクロさんの方は一丁しか持っていない。もう一丁は開始と同時に作戦範囲外に弾き飛ばされた。

 

このフォーメーションが対象としている狭所を表現するのに、作戦範囲を設けていたのだが、それを逆に利用された形だ。

範囲の外では拾いに行くことも出来ない。初っ端から"3on3"は崩されていたということだ。

 

「あら、弾切れ?じゃあそろそろ動こうかな?」

 

初めての実戦では無いが、とんでもない人だ。勝てる算段が思いつかない。常識的におかしい2人の攻撃を、物理的におかしい動きでいなしていく。

ほとんどその場から動いていない。寧ろ()()()()()()()()だけでも大金星だ。

 

私の銃弾も全て、弾かれている。見えない何か、そのマズルフラッシュと銃声だけが何かをしたという証明だ。

何度か場所を変えて狙いをつけるが、わざとらしくこちらに視線を向け、牽制までされる始末。

 

こんな様子だから当たる訳はない、だからと言って実弾で撃ち合うのはどうなのか。

 

(トオヤマ…カナ先輩。クロさんのお姉さん……か)

 

流水のような歩法で2人との間合いを詰めていく。ゆっくりと、それでいて一気に、その距離が近付いていく。

 

「クロん、やっぱり、今回もダメだったよ」

「あなたは話を聞きませんからね…」

 

2人は完全に諦め状態だが、それも作戦の内。油断して動き出した彼女に…

 

(1発、いやeins(1発)+()drei(3発)()vier(4発)撃ち込む!)

 

引き金を…引き――

 

 

パパァン!

 

 

(あっ……)

 

 

光が見えた、音が聞こえた、背後に着弾した。

 

人間には全部の出来事が一瞬だ…悔しいけど、戦場なら死んでいた。

 

(今回も私の負けです)

 

白いハンカチを銃身に巻き付け、振る。敗北者の証だ。

それを見た彼女はこちらに笑みを浮かべてから、2人に向き直った。

 

 

「はい、終了。3人ともおつかれさま」

「また、勝負にならなかった…です、姉さん」

「おーい!フィオナーん大丈夫かー!」

 

私を呼ぶ声が聞こえる。

 

…うん、元気が出て来た。頑張ろう、改善点はいっぱい見つかったんだから。

 

 

 

 

 

実戦演習後、私たちはカフェで簡易的な反省会を行っていた。

 

本格的な改善点の話し合いは後日改めて行うが、その日の反省はその日の内に、みんなで共有するのが習慣だ。

 

 

「まず、カナさんからそれぞれへの指摘事項です」

「はい」

「はいはーい」

 

こんな面倒くさい私に付き合ってくれるチームメイトは、他にはいないだろう。

この国は自由な人が多すぎると思うのだ。一菜さんも自由ではあるけども。

 

「まず、一菜さん」

「うい!」

「頭を鍛えなさい」

「はぅあっ!」

 

驚いた顔をしているが、言われていることは分かっているだろう。

彼女の課題は残弾管理と…

 

「やっぱ、あれが不味かった?」

「でしょうね」

「でもでも、2人の範囲に同時に入ったらどうするのさ?」

 

そう、カナ先輩が踏み込んだ1歩。あれが致命的だった。

 

後で気付いたのだが、あの押されたような1歩は誘いだった。説明もしていないのに、2歩以内という前提条件を推理され、わざとフォーメーションが崩された。

一菜さんは2歩以内に入ったカナ先輩と、近接格闘を行おうと踏み込んで、押したと思い込んだクロさんと()()()()に掬い上げるようにして、足払いでひっくり返された。一直線上だった二人は互いに向こうの仲間の動きを把握できていなかったのだ。

 

2人同時に負傷しないという作戦目的が崩壊した。

 

「3歩以上にすれば空白地帯が増えてしまいますよ?」

 

クロさんの言う通り、被らなくすれば良いものでもない。

この作戦の弱点は、敵の位置に固執してしまい、周りの状況への対応が遅れてしまっている事かもしれない。続けていれば慣れによる改善も見られる可能性もあるわけだ。

 

「とりあえず保留しましょう。次にクロさん」

「はい、なんでしょう」

「武器は軽々しく見せるものではない。あと、二丁持つのなら、一丁は分かり難い場所に隠した方が良い、最初から二丁を出さない事」

「あー…見事に弾かれましたもんね……」

「目が点になったよねー」

「まだ、あります。足癖が悪いのを何とかしなさい、淑女らしく振る舞いなさい。足を怪我したら逃走もままならない」

「それ、前にも言われましたね」

「念を押していたので、お小言を食らう前の改善をお勧めしますよ」

「はーい…」

 

こちらの改善は可能だろう。クロさん次第な問題である。

 

「最後に、私のものなんですが…」

「どうぞどうぞ」

「あの演習中に、フィオナちゃんを見る余裕もあったんだねぇ…」

「何度か目が合いました。折角誘導して頂いても、当てられたかどうか」

「普通の人間なら、外さなければ当たりますよ」

「確かに!」

「……それでも、悔しいですよ」

 

「……それで、指摘されたのは?」

「射程距離、ですね」

「え?射程?」

「十分遠いと思うんですが」

「私の連続確中範囲は400m弱。それより先は極端に制御が難しくなります」

「それー、当たり前じゃない?」

「あなたの銃はHK33SG1マークスマンライフル。銃性能の限界ですよ。いくらセミ/フルが出来るからって、400mの距離からフルバーストで全て狙った場所に当てられる人はそうそういませんよ」

「そもそも市街作戦での遭遇戦想定してるしねー。フル狙撃なんて普通やらないよ?」

「……」

 

「単発で行くならどうですか?」

「自信が…ありません」

「またそれかー」

「狙撃科の訓練で遠距離の成績もいいんですよね?」

「10点をもらっています」

「あたしの成績よりいいってかMAXじゃんかさー!」

「ごめんね、私達の戦い方が近接特化で。チームに入って来てくれた時は嬉しかったですが、あなたにも突撃兵スタイルばかりさせていましたもんね」

「いえ、自信が無いのは元からです。前線支援の狙撃兵も私流のスタイルですよ」

 

「…でも、そうかー。射程ねー」

「姉さんは射程距離を伸ばせ、と言っていたんですか?」

「いいえ、"あなたの射程は強みを活かせていない"、と」

「それってやっぱり、狙撃兵基準の話だよね」

「そうだと思います。私は折角の威力と精度を活かし切れていないんでしょう」

「…………」

「どしたの?クロちゃん。黙っちゃって」

「その話、少し時間をくれませんか?」

「私の改善点ですか?」

「はい、姉さんの言わんとしている事が分かりそうな気がします」

「おー!さっすがクロちゃん」

「言わんとしている事…ですか」

「なので、この話も保留で!他には何か改善点は――」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

送信者:クロ トオヤマ

 

件名 :顔文字はあたしが打ったぞ!

 

 

こんばんは。

 

夜ご飯はもう食べましたか?

私はもう食べましたよ!もう慣れてはきましたが、イタリア米はパッサパサであまり口に合いません…

炒めにするなら良いんですけどね。日本米が恋しいです。

 

 

あなたの事ですから、まだ机に向かって項垂れてるんでしょうね。

自分を追い詰めるのは悪い癖ですよ?

 

 

そんなあなたにヒントをあげましょう! /(・u ・o)V キラーン

 

 

まず、射程を伸ばすだけなら、姉さんには意味がありません。

射程を伸ばすのは、

 

 1.発見されずに撃ち抜ける利点

     (°o ° ;)==(; ° o°) ドコイキマシタノン?

  

 2.反撃が及ばない利点

    エヘッ( 'U')   c=(O_O ;)トドカナーイ!

 

 3.戦況を全体から見渡せる利点

        (  '^')7  ヨウミエマスノウ…

 

が挙げられると思います。

 

でも、相手に見つかるようなら、1番の利点は消えますよね。

 

また、3on3の作戦においては狭所を戦場としているので、2番と3番は無視できるものになります。

 

 

だから、この作戦では見つからなければいいんですよ!

 

 

もう1度考えてみて下さい!あなたの活かしたい強みを。

 

 

程々にして休んでくださいね?

 

また明日学校で会いましょう。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

……ふふっ、こうして気遣ってもらえるって、嬉しいものだ。

 

そうだなぁ、作戦の見直しの前に、夜ご飯を食べようか。

 

 

返信、返信っと。

 

 

うーん。私の強み、かぁ…

 

 

 







おまけ4発目、読んでいただきありがとうございました。


やっと3人と、カナの関係が説明できましたよ。

黄金の残滓における描写はここからの進化系になります。


どの辺が変わってるんでしょうね?変わってると思った所が変わってるんです。

ただし、クロの足癖の悪さは治らない模様。


次回も、あらかた書き終わり、切り所を探っている最中ですので、今少しばかり、お待ちくださいな!




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雷雲の聖天使城(カストーラ・サント・アンジェロ)



どうも!


切り所を考えあぐねて、最終的に前置き回を作ることに決めたかかぽまめです。


ヒルダのセリフを打ち込むときに、ノリノリでスラスラ書けるのは、中二病の証。
セリフが長いのに、たぶん打ち込んでる時間は一番短いですね。


能力を完全に理解できているわけでは無いので、おや?みたいなところがあるやもしれませんが、スルー推奨。


では、始まります!





 

 

「命乞いなさい。この気高き闇の眷属、ヒルダ・竜悴公姫(ドラキュリア)に!」

 

 

 

(ドラキュリア――!)

 

 

 

直感で分かっていた。

 

あの時の人外(バケモノ)と同じ、妖気(オーラ)とでも表現できそうな魅力と異質感。

人型という括りで納めてはいけない強大で荘厳な存在感。

 

私より小さなその体の中に、一体どれだけの歴史を刻めば、あそこまで悍ましい気配を発するのか…

 

 

雨で濡れた肌の表面は、放たれた電流を全身くまなく行き渡らせた。

意識はある。しかし、閃光によって視界は一時的に封じられた状態。

 

(一瞬で良かった…数秒続いてたら内臓まで損傷してたな)

 

命には代えられないが、電話は買い直し、通信機は弁償が必要そうだ。

 

 

「ふぅーん、命乞いも最後に言い残すことも無いのね。それとも、口も付いていないのかしら?ほんと無様。空も飛べずに這いつくばる姿は、まるで人間の管理下でしか生きられないカイコガのよう」

「……くっ」

 

 

痙攣は収まってきたが、震えが止まらない。

体の痺れだけでなく、恐怖によって、心まで揺さ振られているのだ。

 

首の裏が冷たくなり、歯がカチカチと音を立てる。

首筋から背筋へ、まるで雪山に放り出されたように、芯まで凍り付きそうな寒さ。

 

 

「――あら?お前、ちょっとそれを見せなさい」

「……?」

 

 

(何か気に障るようなことでもしたか?)

 

動けない状態で近寄られるのは避けたいところだが、逆らう挙動を起こす事を自分自身が拒否している。

為すがまま、接近を許し、彼女は私の首に掛かる髪に触れ――

 

(なんだろう?髪に触れられることにすごく抵抗を感じる…)

 

体も動かない状況なのに、なんで髪を触られただけでこんなに危機感が増すのか、自分でも分からない。

 

 

――彼女は特に訝しんではおらず、自然な流れで髪を横に流した。同時に首裏が空気中に露出する。

 

 

「ほほ!やっぱりそうだわ!あなただったのね、お姉様が言っていたおもちゃって。ほほほ、ごめんなさいね、危うく壊しちゃうところだったわ」

「おもちゃ…?……お姉、様……?」

 

 

言っていることは分からないし、状況が好転したわけでは無いが、上機嫌になったことで時間的猶予が出来た。

 

慣れてきた目で、チュラを探す。あんなに近くにいたのだ、巻き添えを食らって…

 

 

――彼女はすぐそばにいた。私が探し始めたのと同じタイミングで、慣れ始めた目で辺りを見回していたのか、ぴったり目が合った。

 

恐怖に怯えた様な顔で、寒気を感じているのか、歯をカチカチと鳴らしている。

体をヒクヒクさせているのは、痙攣からなのか恐怖からなのか判別できない。

 

私より小さいのだ。ダメージは私よりも大きいのだろう。

こんな時まで私と同じ痙攣をしなくてもいいだろうに…

 

 

「じゃあ、こっちのは何なのかしら?」

 

チュラが動いたことに気付いた吸血鬼――ヒルダ――は、視線をそちらに向けて歩いていく。

 

「チュ…ラ……」

「おね…え……ちゃ……」

 

チュラがあんなに必死そうな表情を見せるのは、なかなか無い。

それほどまでに追い詰められている。

 

「ついでだから、どっちも持って帰ろうかしら?あら!でも私の力では1人しか連れていけないわよねぇ。おほほっ!困ったわ、どっちを持って帰ろうかしら?」

 

ヒルダはわざとらしく話し、私たちを順番に見下ろす。

サディスティックな奴だ。つまり、命乞いをして、仲間を見捨てろと言いたいのだろう。

 

初めからどちらも助けるつもりがないかもしれない。

彼女にとっては人間の命乞いなんて、ただのお遊戯、娯楽に過ぎないんだ。

 

だが、余裕を見せてくれたおかげで、彼女は隙だらけ。体の痺れもほとんど残っていない。

 

(この震える心さえ、凍てつく体さえ解放できれば……!)

 

 

ひとしきり観察を終えたヒルダは、その笑みを深いものに変えた。

 

「……答えられないのなら、答えられるようにしてあげる。私、素直な子が好きよ?」

 

(てっきり無視されてキレるかと思ったけど……何をする気…?)

 

 

ヒルダはあくまで余裕な態度は崩さないまま、右手を開くように下に向け、何かを掴む動作をした。

その手に彼女の影が伸びていき、何かが握られたのが分かる。ついにはその形が明らかになり、茨のような針が付いた鉄製のバラ鞭を()()させのだ。

 

多房の鞭(キャットオブナインテイル)…!影から出したッ!?)

 

鞭は普通、房が増えるとその分だけ、威力の減衰により戦闘には向かない。

いくら鉄製でも、形状・有効範囲を考えれば、おそらく単なる拷問用道具なのだろう。

徹底的な嗜虐的思考の持ち主のようだ。方法はどうであれ、あんなものを持ち歩いているとは。

 

「ほーっほほほッ!さぁて、どちらにしようかしら!……そうだわ!次に雷が落ちた時、近かった方にしましょう!おほほほほほッ!楽しみだわッ!あなたたちも祈りなさい?少しでも()が自分から遠ざかるように!浅ましくもあの雷雲に、求愛の歌でも聞かせてみたらどうかしら!ほほほッ!おーっほほほほほほッ!」

 

耳が痛くなる金切り声で、口に手を当てながら、ねじが外れたように笑っている。

この状況下で相当に昂って来ているようで、大きな蝙蝠の翼をせわしなく動かし、高揚感を表した。

 

次に雷がいつ落ちるかは分からない。だが、これで時間が――

 

 

 

ピカッ!

 

 

ドゴォォオオオオオオーーーーン!!

 

 

 

 

―――落ちた。近くに。嗤う。吸血鬼が。湛えた。絶望を。微笑み。凄絶な。

 

 

 

「決まりね」

 

 

闇が近付く。周囲へと完全に溶け込んだその姿は正に闇の眷属と言えるだろう。

この光が届かない空間、そのものが敵だと錯覚する。この場が全て、彼女の絶対的不可侵領域(テリトリー)なのだ。

 

十分に距離を詰めた彼女は腕を振り上げる。

金属同士がぶつかりって、擦れ合い、不快な音を立てた。

皮膚を裂き、肉を抉る、鉄の茨。その一撃が降り降ろされようとしている。

 

もう止められない、彼女は――

 

 

「口が利けるうちに、命乞いをすることね。()()()()()()!」

「チュラッ!」

 

 

チュラに向かって、鞭を振り下ろした。

 

 

 

ヒュバッ!――ガチィンッ!ガチャガチャ…

 

 

 

鉄の茨は虚空を裂いて、地面のレンガに傷を付けた。跳ねた房が地面を二度叩くが――

 

――チュラは…いない!

 

 

「!」

「!」

 

 

ガゥン!

 

 

ヒルダと私は弱々しく震えていたハズのチュラが、四肢を使って後方に飛び退くのを目で追った。

彼女はとっくに痺れてなどいなかったのだ。

 

怯えた表情も、カチカチと鳴らした歯も、震える体も、必死な様子も全て――

 

 

(私の真似だったのか――!)

 

 

暗黄色の瞳は闇の中にいるヒルダを力強く見据えている。

その両脚は身体をしっかりと支え、その両腕は前方に一丁の銃を構え、ヒルダに向けて撃ち放った。

 

 

ジャラッ!

 

「あっ」

 

 

チュラの放った弾丸は、ヒルダの持つ鉄鞭に遮られて彼女には届かない。

 

だが、防がれたのではない。

 

「ごめん、戦姉(おねえちゃん)。外しちゃった」

 

そう、外したのだ。この至近距離で。

悪い体勢だったし、銃を構えてから狙いをつける時間も短かったが、それ以前に彼女の銃の扱いは――

 

「……どこを狙っているのかしら?」

「次は、当てる」

 

10段階評価中の、良くて2レベルなのだ。

 

 

「驚いたわ、動けないフリをしていたなんてね。……小賢しい真似を…!」

 

(ヒルダの妖気が膨れ上がってる。怒っているんだ)

 

彼女の怒りに呼応するようにその気配が濃さを、厚みを増していく。

先程の行為を中断させられたのは、彼女にとって耐えられない位、苛立ちを感じさせるものだったようだ。

 

「まず、お前は殺すわ。今更媚びへつらっても無駄よ?生け捕りにして、串刺しにして、この城に縛り付けてやるわ。屋上の不愉快なレプリカを破壊して、お前()代わりに飾られるのよ」

 

やはりあの鞭は戦闘用ではないのか、影の中に溶けていく。

代わりに彼女の手の中に現れたのは鞭とは射程が全く異なる――中世のレイピアだ!

 

「…また武器が出て来た」

「ほほほ、驚いた?さっきのお返しよ。最もお前のような低次元の猿真似とは格が違うけど」

 

(接近戦が出来るのか!?)

 

姿を自由に消せて、突然電撃を発生させられ、武器は地面から生えて来るし、挙句接近戦もこなす。

今回の事件を発生させた知性を持ち、翼があるから飛べるかもしれない。

 

(あんなの…どうしようもないじゃないか!)

 

チュラ1人では荷が重いというレベルではない。例え私が動けても、一菜が駆けつけてくれても。

 

――勝負にならないぞ、これ。

 

 

「チュラ…逃げて……。せめて、あなたと一菜だけでも……」

 

 

パパパパン!

 

 

セリフが銃声に消された。そして――

 

「誰が逃げるってー?」

 

来た、もう遅かった。今回はずっと後手後手だな。

 

後方から聞こえた声は、ずっと聞きたかった、でも今は聞きたくなかった声。

 

 

「一菜…」

「引き摺り回す前から、満身創痍じゃんか」

 

 

何で来たなんて言えない。ここに呼んだのは私だ。私の意思で私の隣に呼んだ。一緒に戦って欲しいから。

でも、無理だ。あんなバケモノ、挑むだけ無駄だ。逃がさなきゃ、2人を。

 

 

「あら、あなたももう来たの?そこで待ってなさい、すぐに相手してあげるわ」

 

 

ヒルダは一菜を見て、会った事は無いが知っている人間を見たような反応だ。狙いが一菜なのは確からしい。

 

 

「一菜…逃げてください。チュラをつ…」

「でも、引き摺るぞ?」

「はい?」

 

 

ズザザザザザザザザザザザザァァァァアアーーーーッ!

 

 

あだだだだだだッ!いだっ…いだいッ!いっでででででッ!

 

 

 

「ちょまッ!ま…ぶッ!いぢなぁッ!こご、レン…がぶッ!レンガ!レンガいだいッ!」

「こんなもんかっ、と!」

 

 

パッ

 

 

ゴロゴロゴロゴロ……ゴスッ!

 

 

 

ゴスッて!ゴスッていった!頭割れ……ないや。そこだけは自信がある。

 

 

 

「一菜ーーー!」

 

パイプフェンスに叩き付けられた私は、フラフラながらも()()()()()()、一菜に非難声明を発する。

 

全身が痛めつけられた、これは重症です!体が動かなくなったらどうす…動かなくなったら?

 

――今、動いてる!

 

 

「クロん!土下座はしないけど、後で謝るよ」

「後でいいですが、土下座はしてもらいます!ふーんっ、だ!」

「良かったよ、いつもみたいになってくれてさー」

「えっ?」

「クロん。さっき謝らないでくれて助かった」

「過去の二の舞はごめんですから」

 

 

 

 

「来てくれてありがとう」「待っててくれてありがとーな」

 

 

 

 

それだけの会話で通じ合えた。

 

 

"どうやって話し掛けてたのか"?

 

 

そんなの最初っから知らないよ!思い出せるわけがない。

 

 

 

私達は同時に走り出す。

 

引き摺り回される私を見て、目を丸くしていたヒルダに向かって――!

 

 

ガゥンガゥン!

 

パパパパン!

 

 

肩や四肢に銃弾を叩き込み、怯んだところでチュラがすかさずバックステップする。

持っているレイピアで、全部叩き落されたらどうしようかと思ったが、杞憂だったようだ。

 

人間と同じ位置にあるかは不明だが、臓器は避けたし、吸血鬼ってくらいだから、痛いで済むだろう。

死なれたら困るんだけど…。

 

わりと容赦なく撃ち込んでいた一菜の弾が致命傷になっていないか不安だ。

 

「チュラ、体の調子は?」

「問題ないよー。ありがとう、戦姉(おねえちゃん)達」

「気を抜くなよ。たぶん…いや、絶対終わってない」

「あれだけ撃ち込まれたら、いくら吸血鬼だからって、暫くは動けないでしょう」

戦姉(おねえちゃん)…あれ……」

 

 

――だが、そんな不安は。逆の意味で裏切られた。

 

 

フィー・ブッコロス(すばらしいわ)!お姉様の紋章を自力で鎮めるなんて!ただのおもちゃにしておくにはもったいないわ!私専用のペットに、いえ、召使にしてあげてもいいわよ?フリフリのエプロンドレスを着せて、毎日()()()可愛がってあげる。あなたの声が出なくなるまで、ずぅーっとよ!」

 

 

死ぬかも?痛いで済む?

私の想像と、彼女の現状に差異があり過ぎる。

 

あまりにも現実離れし過ぎている――!

 

「…吸血鬼が不老不死って話は聞いたことがありますが……自己再生するとは聞いたことがありませんでした」

「授業でも詳しい話は無いもんなー」

「殲魔科以外、戦う事が想定(そーてー)されてなーい」

 

 

計6発。確実に彼女に命中していた。弾の着弾まで見ていたのだ。血が出るのも。

 

 

「その容貌(カオ)、とってもいいわ。私達、闇の眷属に向けられる畏怖の表情。それが更に私を昂らせるッ!――んっ!」

 

 

バチバチバチバチィッ!

 

 

彼女と彼女が上段に構えたレイピアの間に、強烈な閃光と共にスパークディスチャージが発生する。

またヒルダ自身が電圧を発しているのだ。レイピアそのものに発電機構が無い。

空気の薄い高高度ならまだしも、ここは地上。相当量の電子が電流を発生させているのだろう。

 

その切っ先は、こちらに向けられている!

 

 

「威嚇、ですか?」

「ビックリしたー!レーザーでも撃ってくるかと思ったよ」

「よゆーを見せてる?」

 

 

3対1。

数を数値化するならそれで済むが、戦闘能力で言えば、比較も出来ない。底が知れないのだ。

 

 

「いつまでも地べたにいるのは嫌だわ。ついてきなさい?秘密の霊廟へ」

「秘密の霊廟?」

 

 

基本の構えを崩さないまま、彼女が横目で見ているのはサンタンジェロ城(カストーラ・サント・アンジェロ)―――聖天使城。

 

一辺84m四方の堡塁の中に、土台、円柱の塔、礼拝堂が積み上げられたような形をしている。

城というよりは要塞と表現した方が正しい、雰囲気と歴史を持つ。

 

確かに元はローマ皇帝の霊廟として建てられ、墓として利用されてきたが、その後、大天使ミカエルが上空に現れたことから、上部に礼拝堂が増築され、Angelo(天使)の名がつけられた神聖な場所のはずだ。

 

そんな場所に、吸血鬼が自ら訪れるというのか?

 

 

「あなたたちに丁度いい牢獄があるの。ルーマニアに帰られるようになるまで、そこで過ごしてもらうのよ?」

「そんな話聞いて、ついてく訳ないじゃん!」

「ないじゃん!」

 

反論されたヒルダは、怒らない。

聞き分けのない子供をあやすように、一旦こちらの意見に同調した。

 

「ほほほっ、それもそうね。…これならどう?」

 

 

ピカッ!

 

 

「――っ!」

「え…」

「……」

 

 

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……

 

 

 

 

サンタンジェロ城。

 

 

雷で照らされた、その礼拝堂の屋上、頂点部には。

 

 

「どうかしら?これで」

 

 

その伝説から大天使ミカエルの青銅像がローマ市内を見守っている。

 

 

「な…なんで」

「…ひどい」

 

 

そのはずなのに、閃光に照らされて見えたのは。

 

 

 

「ルーカ…さんと、ミラ先輩…?」

「ついてくる気に、なってくれたかしら?」

 

 

 

この任務に参加し、現在パトリツィアの救出を行っているはずの仲間が吊るされた姿だった…。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

『……目標を発見』

「近付けそうナー?」

『無理』

「遠いのナー?」

五里(約20km)先』

「なぁ~う。遠いのナー」

『お互い射程圏外』

「気付かれナー?」

『不明。風の流れが変』

「危険だナー」

『狙撃手は面倒』

「お前さんが言うナ~」

 

『あいつは…サボってる?』

「わかんナ~」

【さぼってなーいッ!】

「どうせまた、おんぶおんぶ言ってたんだナ~。イタリアーノは背丈が高いんだナ~」

【い、言ってないもんっ!】

『目標は』

【あっしはそんなに目が良くないの!】

「観光して遅れてるんだナ~」

『急務』

【わ、分かってる、分かってるから!もうちょっとだから!】

 

「なぁ~う。監視は飽きたナー」

『どうする?』

「ナーにがナー?」

『たぶん負ける』

「どうしようもナー」

『玉藻に怒られる』

「そ、それは困るナー」

 

【あ、見付けた!あっし見付けたよー!】

『丁度いい』

【ぽ?丁度いい?】

「聖天使城に向かうのナー」

【ぽぽぽ!?あっし知らない!知らないよ!?】

『一番近い』

「近いナー」

【どこか分からないよ!?】

『天文台を降りて、そこの川を流れればいい』

「やってみるナー」

【ぽ!?折角買った服が濡れちゃうよ!】

「ナーら、沿って歩けばいいんだナ~」

【うっ、うっ。行く、行くよ。歩くよー!】

『任せた』

「今代の三浦によろしくナー」

 

『そっちはいいの?』

「ナーんも言われてナー」

『イヅの友達』

「関係ナ~」

『泣いちゃうかも』

「……なぁ~う」

『そっちはいいの?』

「さっき聞いたナー!」

『ならいい』

「……ちょっと、顔洗ってくるナー」

『ん』

 

 

『あの狙撃手は、誰を殺す気?』

 

 

『…就寝時間、風鈴が恋しい』

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ほほほ、どうだったかしら。見えた?人間の分際で愚かしくも、私の計画を邪魔しようとした罰よ」

 

 

いつからだ。いつから2人は捕まっていた?

この場所にたどり着いたとき、通信でクラーラはミラ先輩の名前を呼んでいた。そこから時間はほとんど経っていない。

もっと前から捕まっていたことになる。

 

だとすると、ニセモノが紛れ込んでいることにもなるぞ。

負傷者への対応の為に現場に向かっているハズだ。ガイアと共に…!

 

ルーカさんの方はタイミングが分からないが、おそらくそちらもニセモノとすり替わっているだろう。

 

 

(マズい…パトリツィアの救出班が、挟み撃ちにされる!)

 

 

連絡は取れない。下手な動きをしたところで、妨害されるだろう。

それ以前に私たちは、2人を救出しなければいけないのだ、ヒルダの誘いに乗って。

 

「生きて…いるんですか」

「さぁて、どうだったかしら?人間は脆弱すぎて管理が難しいもの」

 

ヒルダはレイピアを地面に突き立て、そのまま歩いていく。

 

(影に戻さないのか…?)

 

それに対して、自身の体は影の中に沈めていく。

影の出入りを減らして、能力を節約しているわけでは無いらしい。さっきの鞭も影に戻していたしな。

 

ただの気分と言われてしまえばそれまでだが、何かしらの理由があるなら攻略のヒントになる。

 

現時点で分かっているのは、

 

ヒルダ自身を影の中に沈め、移動出来る。

同じく鞭やレイピアなどの武器も影の中に沈めたり、浮かび上がらせたりしていた。

ただし、影を無限に伸ばしたり、影の中に引きずり込むようなことはしてこない。

体積、もしくは質量的に限界があるのか、生物は取り込めない可能性がある。

疑問なのはレイピアを影に沈めなかった事。その直後に自分は影に潜んだ。持ったままで良かったのでは無いだろうか?

そもそも影の中にしまっているという前提が間違っているのか…?

 

次に電撃を放つことが出来る。

電流を無から発生させたのではなく、電圧を体内で発生させ、電位差を以てスパークを放っている。

レイピアとの間にスパークが自然発生していたので、間違いないだろう。

その威力は凄まじい…が、短時間であり、おそらく力場の範囲にも限界があるはず。

微弱な電圧の瞬間的な昇圧機構もしくは、高電圧を瞬時に発生させられる。

無限に放てるとしたら、接近戦は潰されるが、それは無いだろう。もしそうなら、接近戦を使う必要がない。

 

後、先にも述べたが、近接武器戦闘をこなすことが出来る。

その細身の腕に膂力は無さそうだが、同じ尺度で測ることが間違っている。

先程の構えも、一朝一夕の鍛錬では無さそうだった。ん?一夕一夜か?ま、いいや。

防御用の左手は暇そうにしていたが、誰かしらから手ほどきを受け、打ち合いの経験もありそうだ。

 

最後の問題、正真正銘の不死身、これが一番やばい。

銃弾が効かない相手に、ナイフや打撃が効くとは到底思えないな。

この能力を有している時点で、すでに勝ち目はないと思う。本当にどうしようもない。

手足に撃ち込んだ銃弾の傷は一瞬で治癒してしまった。

目玉や内臓を撃てば少しは隙が出来るのだろうか?

 

……明らかに詰んでいる。

授業で習ったような銀弾(ギン)なら効果はあったかもしれないが、手が出る値段でもない。

金は命に換えられないが、金がないと命がなくなる。世知辛い世の中だよ。

 

「大人しく牢屋に入らなければ2人を殺すと」

「いやぁよ、面倒くさい。放っておけば今晩中に死ぬでしょう?」

 

影の中にいても普通に会話が出来るらしい。

空気の振動を何かしらの力で取り込んでいる…のか?もう何でもありだな。

 

「どうせあなたたちは登ってくるのだし、先に行ってもてなしの準備をしてあげる。光栄に思い、礼儀を尽くして忠誠を誓う事ね!おーっほほほほッ!」

 

影は小さな塊に分かれたかと思うと、それぞれが蝙蝠の形になってサンタンジェロ城へと飛ん…飛んで?滑って?……なんかシャーッって移動した。

 

「クロん、連絡を取るなら今の内だよ」

「私たちの通信機は破壊されました。クラーラさんに電話をお願いします」

「おっけー!ちょっと待ってて」

 

間に合うかは怪しいが、迅速な連絡は基本。

最悪の事態を防ぐことが出来るかもしれない。

 

 

パシィッ!

 

 

「……にょ?」

「一菜?」

「どーしたの?」

 

 

バサバサバサ……

 

 

「電話どっか行っちゃった!」

「はいぃッ!?」

「……」

 

ヤバい!ふざけてる場合じゃないぞ!

 

「落としたんですか!?」

「わ、分かんない。いまポケットから出したと思うんだけど」

「空飛んでるー」

「UFOか!?」

「ふざけてる場合じゃないんですって!」

 

なんで!なんなの!なんでなの!

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

近くに公衆電話は見当たらない。仲間の怪我が見えない以上、あとどれ位持ち堪えられるのかも予想できない。

 

「人命救助が優先です。ですが、あの城には――ヒルダが待ち構えています。正直何の対策も思いつきません。それでも一緒に来てくれますか?」

「あー、やめろよーそういうの」

「行くに決まってるー!」

「はい!私も来てくれると思っていました!」

 

さっきのショッキングな光景で士気が下がったりはしていないようだ。

きっと何とかなる、屋上の救助が完了したら死ぬ気で逃げればいい。その為には…

 

(どうしても、1人以上は囮になる必要がある)

 

救助は一菜の役割だ。意識がなければ2人を運搬する必要がある。

そして、チュラは1人では戦えない。

 

私の囮は確定だが、さてチュラをどうしようか。

 

ヒルダはたぶん、チュラの事を殺そうとするだろう。理由は分からないが私の事は気に入っているみたいだ。

だが、私1人では数分も持たない。救助には時間が足りないな。

とはいえ、そもそも対等な立場でもないのだし、交渉がうまくいくとも思えない。

 

 

「一菜」

「なにー?」

「ルーカさんとミラ先輩をお願いします」

「…戦うのか?」

 

一菜はキツイ目を一段と鋭くして、その確認を行う。雨に濡れた髪が顔に掛かり、ゾクッとするような魅力と気迫を見せられ、どんな小さな誤魔化しも見逃さない意思を感じる。

直接受けたわけでは無いが、あのスパークの規模と私が倒れていたこと、高速の自己再生から、勝機が限りなく低いことを理解した上で、私の考えを聞いているのだ。

 

「何とか時間は稼ぎます。チュラも来てください」

「うん」

「作戦があるのか?」

「どうせ死なない敵です。手段は選ばず、玉砕覚悟で突っ込みます!」

「突っ込みます!」

 

言い切った。相手の弱点が分かるまで、やり合うしかない。

チュラにはその役割を担ってもらうつもりだ。彼女の観察力と想像力なら戦いの中で何かに気付くかもしれない、それに懸ける。

 

「…クロん、戦妹は死なすなよ?」

「当たり前です!何があっても守り抜いて見せますから!」

「見せますから!」

 

 

 

サンタンジェロ城。今は吸血鬼が住み着いたその場所に、中学生が乗り込んでいく。

 

めちゃくちゃな構図だ。小学一年生だってもっとましなシナリオを考えるだろう。乗り込むのは悪魔城だったり、聖騎士なんかが妥当だと思うよ。

でも、これが私の人生の1ページになるんだ。せいぜい()()()()()()書けるように、ハラハラドキドキの大勝負を演じて見せようじゃないですか!

 

"現実は小説より奇なり"ってね。なにも()()()()()けど。

 

 

 






クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!



まあ、あらかた予想出来ていたと思いますが…


 そりゃ、勝負になりませんよね。


経験ゼロ、情報ゼロ、能力者ゼロ。

ナイナイ尽くしの絶望フルコースです。


捕らえられた仲間とニセモノの存在。
監視する者とされる者。
聖天使城と皇帝の霊廟。


様々な思惑と秘密が交錯し、この事件はこれから起こる”縮図の戦いの縮図”になります。


どのような方向に進むのか。
それは、クロの望まない方向だ、とだけ言っておきましょう。


今回は前置き、次回から2分割して投稿しますので、どうぞお楽しみに!






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秘密の霊廟(ロード・トゥ・シークレット)




どうも!


今回の執筆中、テンションの向上のために、May'nさんの「Scarlet Ballet」とナノさんの「Bull's Eye」を延々ループしていたかかぽまめです。
ほんといい曲。


とある理由から、今回の話は初期構想よりガッツリ改変されました。(あとがきに書いてます)
前回に引き続いて、ヒルダが去ったところからですね。

では、書くこともないのでさっそく、始まります!





 

 

 

「おー!集まってる集まってる!」

 

イタリア、ローマの上空で、小柄な少年が飛行船の甲板から双眼鏡で何かを見下ろし、お祭りでも鑑賞するかの様に無邪気に笑っていた。

その顔は興奮によりうっすらと上気し、口からは鋭く伸びた牙が露呈している。

 

「イタリアもフランスもイギリスも。おまけに吸血鬼どもと日本の奴らも入り込んで来てるな。気がはえぇ」

「ポ、ポウル様、危険ですので、船内にお戻り下さい!」

 

少年の不在に気付いた軍服の少女が、ハッチから顔を覗かせて必死に叫んだ。

焦ってハッチに頭をぶつけたのか、涙目でわあわあと騒ぎ立てている。

 

「いいだろ?もう少しくらい」

「こんな上空から何が見えているのですか?…って、違います!カミナリ雲の発生が観測されたので、航路を変えますよ!」

「えー、もうちょっとだけいいじゃんかー。ルーマニアの吸血鬼が動き出しそうなんだよ!」

「いけません!この飛行船にはイヴィリタ長官へのお土産も積んであるんですよ!」

 

ブーブーと頬を膨らませる少年に対し、部下と思われる少女は、敬語こそ使っているものの徹底した上下関係は感じられない。

良く言えば親近感があると言えるだろうが、悪く言えば統制力が低いとも言える。

 

「あー…ん、まぁ、しょうがないか」

「分かって頂けましたか?危ないので戻りましょう」

 

崇敬する上官の名前を出された少年が渋々ハッチに歩いて来るのを確認してから、軍服の少女は体を引っ込め、そこに少年も戻ってくる。

船内に戻った2人は力を合わせてハッチを閉め、格納庫から乗員区へ向かう。

 

「ポウル様、イヴィリタ様へのお土産、どれがいいか皆で選び…」

 

 

ガッ!

 

 

「……その名前で呼ぶな」

「す、すみませんでした…」

 

 

突然だった。

少年が前を歩く少女の肩を掴んで壁に押し付けた。

 

先程まではそんなになかった身長差が、今は20cmまで大きくなっている。

口から延びる牙は鋭さを増し、頭の上では逆立てた髪の毛が威嚇する様に鬣の形を成した。

 

しばらく緊張した場面が続き…

 

 

「あ……あっ!ご、ごっめーん。ほんとにごめんね?うー…なんで暴走しちゃうんだろう…」

 

今度は少女のように可愛らしく親し気に接するその様子は、甲板で地上を覗いていた少年とも挙動が違う。

まるで人格が切り替わったかのように2度豹変した少年に少女は怯えないし、驚きもしない。

ただ、元の身長まで縮んだ少年に憐みの眼差しを向けながら、自分の失言を反省している。

 

「そ、そうだ!イヴィリタ様へのお土産だよね!ほら、いこっ!置いてっちゃうよー?」

「は、はい。行きましょう」

 

2人は乗員区へと入っていった。

 

 

時刻は18:45。

 

 

遥か下方、ローマ市内では。

 

パトリツィアの捜索が行われていた。

 

クロがイタリア内での事件の解決に勤しんでいた頃。

 

そのイタリアには多くの勢力が既に集まっていたのだ。

 

この飛行船に乗る、軍服の集団も含めて……

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ここが入り口か?」

「堡塁の中には入れますが、城への入り口は反対側、サンタンジェロ橋がある方です」

「回り道かー」

「回り道かー」

「道が狭く見通しが悪いので、警戒を怠らないように」

「早く屋根のある所に入りたいなー」

「入りたーい」

 

私達は堡塁の北側入り口をくぐり、サンタンジェロ城内部に侵入すべく、南側へと走っている。

 

舞台を盛り上げる音楽団のように、勢いを増して降り続ける雨。

最高の登場シーンを、雷雲という名の舞台裏で待つ雷。

わずかにあった演出家のライトアップは、堡塁の入り口をくぐった途端に、フェードアウトしてしまった。

 

今その不吉な第一幕の舞台上に立つ登場人物は3人、私と一菜とチュラだけだ。

残念ながらこのメンバーではテノールもバリトンもバスも、独唱曲(アリア)を歌い上げる役目はこなせそうにない。

 

 

「んで、接敵までは3人で行動。開戦次第あたしが突っ走って正面突破すればいいんだよね?」

「正面突破とは言ってません!中は狭いからそうなりそう、ってだけですよ」

「屋上で待ち構えて無ければいーけど」

「それが一番最悪なパターンです。普通の人なら雨の中、屋上で待ち合わせなんてしませんし」

「助けたらバチカンにー?」

「はい、直通の道(パセット)が堡塁北西のS(サン)マルコ砦から大聖堂まで続いています。出入口は開いてないと思いますが、緊急事態です。やっちゃってください」

 

 

ここに来るまでに粗方決めた行動を再確認して、誘導する。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ホントに2人で大丈夫か?」

「勝てない戦いに3人で挑んでも時間の無駄です。屋上の2人が手遅れになったら、意味がないんですから」

「救助したらすぐに助けに行くからな」

「意識があってもちゃんとバチカンまで送り届けて下さいね?」

 

好戦的な一菜さんは何が何でも戦闘現場に来たいのか?

だが、許すわけにはいかない。万が一追い詰めることが出来た場合に、一菜をさらって逃亡されてしまえば、相手の目標はそれだけで達成されたも同然だろう。

なんで一菜を狙うのかは分からないが、目標は一菜だとヴィオラは言っていた。

他に気になるのは…

 

(ルーマニアに帰られるまで。って言葉の意味だよね)

 

拠点がルーマニアにあるんだろう。目標が一菜なら確保したら戻ってしまえばいいのに、わざわざこの城の牢獄に幽閉するような発言をしていた。

イタリアに来た目的は1つじゃないか、はたまた、ルーマニアに近づけない理由がある。

 

(それとなく聞き出せればいいか)

 

 

狭い上に壁が高く、圧迫感を感じながらもちょうど半周。階段を登った先にある、悪魔城と化したサンタンジェロ城の入口にたどり着き、最後の確認を行う。

 

「準備はいいか?」

「おーけー」

「行きましょう!」

 

ついに足を踏み入れた。

明かりは無く、真っ暗な内部で、ペンライトの明かりを頼りに進みながら、足元・壁・天井全てに警戒を払う。

通路は狭く、3人並べば完全に封鎖できるほどの道幅しかない。その上外周と同じく、内部の壁も円形を描いているので先が見渡せないのだ。

 

そう、見渡せない。警戒は……払っていた、はず。

 

「もう少しで天使の中庭です。罠や不意打ちに気を付けて、おもてなしの準備をしてくれてるみたいですから…あっ――」

「あっ――」

 

 

「おっ?外が見えて来たぞ!――広場だな。これ、正面の階段でいいのか?」

「……」

「あれ?」

 

キョロキョロ

 

「…だ……誰もいない……?」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「いててて…」

「いててて…」

 

踏み込んだ足場がすっぽ抜けた、結果がこの落下である。落下地点にはバラの花束による分厚いクッションが用意されていたところを見るに、これがおもてなしとやらだろう。下にはベッドも置いてある。

日本式とはだいぶ違うが、カルチャーショックを受けている場合ではない。

 

(なんて巧妙な落とし穴なんだ…ッ!)

 

とりあえず、自分の失敗を敵の功績に変換しておき、周囲を確認すると、ここには電灯が用意されていて、外に比べるといくらか明るい。

ありがたい、これは嬉しい配慮だ。あと気になる点は…

 

まず、バラの花束。真っ赤なバラだ。あまり詳しくはないが、野バラではないね、品質が管理され過ぎている。

 

次にチュラ。私が落ちた穴に後追いして来たのか、私をクッションにしている。体は軽いからまだいいが、キョロキョロしてないで降りて欲しい。

 

続けて通路を見渡すと、少し狭いが、先程の道幅に比べればいくらか広い。

牢獄に直接落とされた訳ではなさそうだ。

 

 

しかし、結構な高さを落ちた。元々上に登っていたのもあるが、地上階よりも下に落ちたのではないだろうか。

 

チュラを下ろして立ち上がり、通路の中を進み始めた。

特に足元に気を付けてしばらく歩き続けていると。

 

 

こつッ!

 

 

「いたた…」

「だいじょうぶ?」

 

下ばっかり見ていたら天井から何かがぶら下がっていたようだ。これは…旗?マント?の金具だ。

どうやらこの先は小部屋になっているらしく、暖簾みたいに飾っているのは、日本式かな?

 

部屋にお邪魔すると、かなり広いぞ、ここ。

 

「何です?この部屋」

「すごーい」

 

壁には絵画や彫刻などの美術品から、びっしりと謎の化学式と数式が書かれた巻物(スクロール)、地球儀に天球儀と変な形の世界地図、ヒエロニムス・ボスの祭壇絵の写し(コピー)も置いてある。

挙句には青銅器の武器や鉄製の武具、見た事もないような拳銃(ミニチュアピストル)中世のライフル(マスケット)、そして――

 

(あれは――!)

 

 

多房の鞭(キャットオブナインテイル)――」

 

 

(なぜここにある?いや別物かもしれない)

 

しかしその茨の刃には砕かれたレンガの粉が付着し、薄く褐色の赤味を帯びている。

チュラに振り下ろしたときに砕いたものだ。

 

間違いない、あれは同じものだ。

 

(ここに片付けに来て、今は持ち歩いていないのか?なんでわざわざこんな場所に?時間も無駄になる)

 

そんな疑問はすぐに晴れることになる。

 

 

バサバサバサ…ッ!

 

 

戦姉(おねえちゃん)…なんか、変」

「!」

 

(バラ鞭の影が…蝙蝠の形に!)

 

鞭は影に飲まれるように隠され、もはや周りの影と見分けがつかなくなったまま()()()()()()

 

「ようこそ、我が秘密の霊廟へ。歓迎するわ人間」

 

影が運んでいるのは、何かを掴むような動作をしたヒルダの手の中!

その手にはバラ鞭がある。

 

 

影の中にしまっていたんじゃない!あれは影が隠していた、闇夜の中に完全に紛れさせて…!

 

突然現れたレイピアも、影の中に沈んだ鞭も。ヒルダの影の中に入ったんじゃなくて、ヒルダの影自体が運んでいたんだ!

 

 

「この上にはなにがあるんですか?」

「何もないわよ?敢えて言うなら、()()()()()()()がある位かしら?」

 

 

(やっぱりそうか!)

 

ヒルダの影、あれが運ぶことが出来るものには限界がある。その限界はそこまで大きくない。

せいぜい人間1人くらいが限界なのだと思う。

 

武器だけを影に変えて影の中に持ち歩いたりも出来ないんだろう。服を着て出てくるように武器も本体(ヒルダ)の出現と同時に手に持っておかなければいけない。

だからこの地下に隠しておいて、必要な時だけ必要な物を、自分の影を使って引っ張り出していたんだ!

 

さらに言えば、影は視覚を持たないし、遠隔操作の距離は長くない。

レイピアを影に沈めなかったのは、おそらくこの部屋の範囲外に出てしまったから。

バラ鞭が置いてあった場所から考えて、レイピアの直下は壁の向こう側だろう。

 

ヒルダの視界内なら自由に物を運べる。壁も床も天井も関係ない。

 

上空を自由に飛ばれたら厄介だと思っていたが、地下を自由に泳がれたらこちらは手出しも出来ない。

 

エネルギー切れに期待したいが…

 

 

「さて、1人足りないみたいだし、テラスの方はどうなってるかしら」

「どういう意味ですか?」

「どーゆーこと?」

「あら?言ってなかったのかしら。てっきり色々知られていると思っていたわ。余りにも駆けつけるのが早いんだもの」

 

駆けつける?何の話だ?ここで遭遇したのは偶然……にしては、確かにヒルダの準備が整い過ぎている。

 

「あなたたちも、あの復讐に狂った人形の仲間なのでしょう?」

「復讐に狂った?」

「お人形さん?」

「――どういうことかしら?ここに来たのは偶然だとでも言うつもり?私、嫌いよ?そういう冗談」

 

ヒルダの気配が変わった。どうにも計算外の事が起きるのを許せないみたいだね。

 

 

しかし、話が合わない。私たちは突然現れたヒルダに襲われた。そのヒルダは私たちがここに何かをしに来たと誤解していた。

行き違いだ。私たちはなぜ争っている?

 

ヒルダが一菜を狙うから。だから私は戦う。

仲間が捕まったから。だから私たちは戦う。

 

――いや、待て。その前提も不自然だ!

なんでヒルダはルーカさんとミラ先輩を捕まえた?

 

――計画を邪魔されたと言っていた。

それはパトリツィアを救出することを指しているのか?

一菜が狙われていることは2人は知らないはずなのだから。

 

――そもそもなぜあの2人だったのか。

2人は一緒に行動しておらず、2人とも別の班で行動していた。

その班の中から1人ずつだけを捕まえるなんてことをするとは思えない。

 

ここに2人が来たのかもしれない。

ヒルダの計画を邪魔するために。

 

――誰の指示で?

この裏事件を知るものは少ないはずだ。

私だってつい少し前に聞いたばかりなのだ。

ヴィオラから聞いて――

 

 

 

――私は致命的な勘違いをしている。

 

 

 

ヴィオラは()()()()()()()()が一菜だと言った。

 

 

 

だが、ヴィオラは()()()()()()()()()だとは一言も言っていない――!!

 

 

 

同時に協力者が予想できなかったとも言っていた。それが――

 

 

 

「……あなたの裏には、誰がいるんですか?」

「私は私がやりたいことをしているだけよ。たまたま利害が一致しただけ。あんな奴の計画に手を貸すわけがないでしょう?それより…」

 

ヒルダはバラ鞭を投げ捨てると、再び影をその両手に呼び寄せる。

 

 

「――ッ!」

「扇子?」

 

 

右手にはレイピアよりも刃の短く軽い、スモールソードを。左手には不吉な黒い駝鳥の羽根の扇を。

 

 

「私は格闘戦は好きじゃなかったわ、だって人間の攻撃なんて私達吸血鬼には効かないんだもの。でもね…」

 

 

剣術のような上段の構えは取らない。あれはただの威嚇用なのだろう。今回は初めから、しっかりと基本の構えをとっており、左手も遊んではいない。

 

(再生能力があるのに、なんで防御の構えをとる?)

 

あの左手の扇子の用途は予想できない。防御するにしても、鉄扇なわけでもなさそうだ。

 

 

「お姉様とそのお父様を殺したのはお前ら人間なのよ!」

 

 

シュピュョォーーッ!

 

 

(左目――ッ!)

 

 

急激な踏み込み、腕の伸張による全身を伸ばし切った刺突(ランジ)を大きな翼でさらに加速させた。

 

私は首を曲げ、全力で体に反時計の横回転をさせながら、左腕を後方に伸ばす。

 

「チュラ!」「ほいッ!」

 

ほぼ同じタイミングで回転していたチュラが、私の左腕を掴んで引き寄せるように回転する。

右目の前を殺人的な突きが通過していった。

 

「――くッ!」

 

勢いのまま回転蹴りをお見舞いしてやろうと思ったが、空振りを悟ったヒルダは器用に翼を操り後方に飛び退く。

 

(厄介だ、まるで彼女自身が雷の様に迅い――!)

 

狙いが左目だったから避けられたが、体の中心を狙われていたら回避は間に合わなかっただろう。なぜそこを狙った?

 

ヒルダは今の一撃で仕留めるつもりだったらしく、一度崩れた体勢から再び構え直す。

翼は一行動ごとの消耗が激しいのか、一旦閉じていて、あんな突きを連撃されないのは助かるな。

 

「……甘く見ていたわ。悪い癖が出てしまったわね」

 

とんでもない、あれでほとんどの人間は左目を失い、そのまま電撃を脳に流されて黒焦げにされるだろう。

文字通り一撃必殺。

 

(次からは電撃を織り交ぜてくるかもしれないぞ)

 

「チュラ、私が前に出ます。サポートと敵の模写観察をお願いします」

「裏返した方が…」

「あなたを前に出すわけにはいきませんから、弱点を探るまでは表のままで行きます」

「過保護ー」

 

ヒルダが翼を開く。また来るか。

 

次はさっきのようにはいかない。

狙われる場所、電撃、扇子。

不確定要素が多すぎてシミュレーションが完成しない。

 

(なら、不確定要素の方をつぶすッ!)

 

 

―ガガゥン!ガゥン!

 

 

出来た、二丁ベレッタによる不可視の銃弾!

 

 

人の反応速度では銃を撃つ瞬間どころか銃すら見えない、不可視の攻撃だ!

 

2発の銃弾はそれぞれ、ヒルダの右目、扇子、おまけの1発は左胸下部に向かって飛んでいく。

 

(最悪体には当たらなくていい、あの怪しい扇子だけでも!)

 

いいぞ、ヒルダは右目の銃弾に気を取られて他に反応できていない、このまま命中する!

 

 

ビシビシッビシッ!

 

 

ほぼ同時に全弾接触した。

 

1つはギリギリで回避行動をとられたが、右頬をかすった。

1つは左手甲側。

1つはそのまま左胸部下に。

 

 

(扇子の為に心臓を差し出した――!?)

 

死なない敵と思いながらも、殺してしまう覚悟は出来ていた。

でも心の中で、人は急所を守ろうとするだろう、なんて固定観念が働いたのだ。

 

(目と心臓と武器。普通なら……私は何度()()()という考え方で失敗するんだ!)

 

ヒルダの傷はもう塞がり始めている。心臓部を撃たれてもお構いなしか。

 

「……面白い曲芸もあるものね。でも残念、お前は失敗した。代償はその命よ。捧げなさい、この私にッ!」

 

来るっ!神速の突きが!

もう一か八か反射で反応するしかない!

 

 

――――ヒュゥウウウンッ!

 

 

(これは……!?)

 

 

トスッ!……ギュルルルルルルルルルルッ!

 

 

「ぐッ!?あグゥウウッ!」

 

ヒルダの右腕に刺さったソレは、遅延信管が反応したように、肉を抉り取って回転を速めて行く。

血まみれになり、筋を断ち切られた右腕は武器を手放した。

 

バチィッ!

 

ヒルダが軽く電撃を発生させると矢羽が燃え尽き、その()()()の回転が止まる。

 

 

「あらあら、右腕。もらうつもりだったのだけれど」

「フラヴィア…?」

「だれー?」

「ボンソワール、初めまして、レジデュオドロ。探したわよ?こんな場所にいるんだもの」

 

疫病の矢(フラヴィア)だ。2度戦い、1勝1敗しているが、あの矢は私も1回受けており、危うく腕を失う所だった。

その後ローマ武偵高に転校してきているはずだが、なぜここにいるのか。……初めまして?

 

「あらあら、そういえば言いたいことがあったのよ」

「…何でしょうか?」

「"夜道に気を付けようね"だったかしら?」

「っ!」

 

それは私が以前、フラヴィアが日本語を理解できるかを確認するために言った言葉だ。おのれ、根に持っていたのか。

 

フラヴィアは前と変わらず、白磁のように白い顔にエメラルドの瞳、染め上げたトパーズの髪を腰まで伸ばし、武偵高の服を着込んで、鋲とベルトと吹き矢が装着された厳ついブーツを履いている。

 

だが、その表情が違う。

折角の整った顔を台無しにしていた瞼はパッチリ…とは言えないがしっかりと開かれており、生き生きとしているように感じる。

まるで死んでいた表情が生まれ変わったかのようだ。

 

「……お前、やっぱり狂った人形の手先だったのね。私を欺こうなんて、許せないわ…ッ!」

 

鋭い目つきでこちらを睨むヒルダだが、その傷はなかなか治らない。

 

「さっきの――!」

「銀メッキの吹き矢よ。痛いでしょう?苦しいでしょう?でも許さないわ、あなただけは絶対に。これは契約だけじゃない、あなたに対する個人的な恨みよ、ヒルダ」

「人間如きに作られたフランスの人形(ビスク・ドール)風情が、神が創りし吸血鬼(オーガ・ヴァンピウス)に楯突こうなんて、笑えないのよッ!」

 

ヒルダの手から扇子が消え、代わりに三叉の槍が出現する。

負傷した右腕は添える程度のものだが、それも徐々に回復していくだろう。

 

ここが勝負どころだ!

 

「フラヴィア、私も――」

「手出し無用よ?私はこの為だけに、この国に来たの。邪魔するならレジデュオドロ、あなたも殺すわ」

「っ!」

 

うっすらと剣呑な雰囲気を醸し出し始めたフラヴィアにたじろいでしまう。前に戦った時とは違い、人を食ったような態度ではない。本気で自分の気持ちを表現してるんだ。

 

「さて、()()()()()、ヒルダ・ドラキュリア。()()()か分からないけど今回こそはあなたを始末しますわ」

 

私が引き下がったことを確認したフラヴィアはヒルダに向かって言い放つ。

 

「その自己紹介も聞き飽きたわ、少しは知性の面を進化させたらどうなのかしら?」

「碌な進化をしないのはお互い様でしょう?」

 

皮肉の応酬。知り合いのようだが相当に仲が悪そうだ。犬猿の仲というやつだろう。

 

「あなたは何度バラバラにしても死んでくれませんわね」

「お前は毎回粉々にしてあげているというのに、どこで捏ね繰り回されてくるのかしら」

「影に隠れてこそこそと、誇り高き吸血鬼が聞いて呆れますわッ!」

「大人しく店先で飾られてればいいものを、身の程を弁えなさいッ!」

 

ん?なんか口喧嘩の方がヒートアップして来たぞ。

 

「あなたには空よりも地下の方がお似合いですわ、このネズミ女ッ!」

「ネズッ…!ふざけるなッ!お前の方こそ土の中に還るべきでは無くて?このガラクタ女ッ!」

「もーぅ、怒りましたわッ!ジュモーの最高傑作をガラクタ呼ばわりなんて、見る目が無いのよッ!」

「19世紀中頃はもっと可愛げがあったわよ?それが今ではヴァンパイアハンター気取り。粘着質なのもいい加減、目障りだわッ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ヒルダが動いた!神速の突きがフラヴィアの胸部目掛けて襲い掛かる。

右手を支えに、踏み込みと同時に左半身全体で槍を押し出すように突き出した。

その予備動作を見逃さずに体を倒し切って避けるフラヴィアは完全にバランスを崩したが――

 

(あの体勢、回る!)

 

重心を完全に体幹の外に移動させたフラヴィアは、何者かに手を引かれるように体勢を持ち直し、起き上がっていく。

ヒルダが追撃の為に、右足と翼を用いて跳躍、左手だけで握った槍を素早くターンさせて再度胸部に狙いをつけるが…

 

 

ギュルルルルルルルルルルーーーーーーー!

 

加速、加速、加速加速加速加速加速加速ッ!!

 

 

ガキィンッ!

 

 

横から迫ったベルトが、ヒルダの槍に触れ、彼女ごと弾き飛ばした。

 

 

「あぅっ!…このッ!」

 

ヒルダは天井に着地し、その踏み込みで得た力で、槍を思いっきり投擲する。

フラヴィアの…手前の床面に。一瞬だが先端部分が影に変わり、地面に沈むように突き立てられた。

 

 

キュルルル…ギュゥウッ!

 

 

フラヴィアのベルトが、深々と突き立てられた槍に巻付いていき、彼女自身の回転も弱め、槍に引き寄せられていく。

自らのベルトで上半身を縛られ、槍によって移動範囲が狭められる。

 

「あらあら、腕が使えないわ」

「まずはその首を差し出しなさいッ!」

 

この部屋のどこかにあったのであろうハルバードを、影で引き寄せていたヒルダが首に目掛けて横に薙ぐ。

 

「フラヴィアッ!」

 

だが、フラヴィアはベルトに――その先にある槍に体重を掛けて後ろに倒れ込み、バク宙を切るように両足を振り上げて回避。

両足のブーツからは装着されていた吹き矢が空中に散り――

 

「次は、体のどこかをもらうわよ」

「ッ!」

 

 

ギュルルルルルルルルルルーーーーーー!

 

 

そのまま空中で頭を下にしながら反対方向に回転し、

 

 

カッ!ヒュゥウンッ!

カッ!ヒュゥウウン!

カッ…………

 

 

次々と空中の吹き矢を蹴り飛ばしていく。

 

 

矢はヒルダに向かって飛んでいき、左手首に、右肩に、左脇腹に、右太腿に、左足に着弾。直後には信管が反応するかの様に高速回転を始める。

 

 

 

ギュルルルルルルルルルルッ!

 

 

 

「あぁッ!あ、ガァッ!」

 

(うげぇ、スプラッターホラー過ぎる…)

 

先程の吹き矢も銀メッキだったらしく、ヒルダは血まみれで、子供が見たらトラウマになりそうだ。

 

 

バチィッ!

 

 

矢羽を焼かれた矢は床に落ちるが、傷は塞がらず、体に深い咬傷の様な跡が残って、痛々しい姿だ。

手放した槍ももう持ち直せないだろう。

 

(強い……ヒルダが電撃を使わなかったのもあるけど、完全に圧倒していた)

 

 

ヒルダは立っているのもやっと、といった感じなのだが、武器はもう振るえないだろうその右手に影を集める。

 

(なにをする気だ?)

 

――現れたのは、あの扇。不吉な黒い駝鳥の羽根だ。

 

「淑女らしく、潔く観念した。それでいいのかしら?」

「残念だけど違うわ」

 

ヒルダが右手をゆっくり上げていき、扇子を開く――

 

 

カシュッ!

 

 

何かが撃ち出された。狙いはチュラだ!

 

(ニードルガン!毒かッ!)

 

あれは手では触れられない。細菌の類なら危険だ!

 

銃弾撃ち(ビリヤード)ッ)

 

 

ガゥンッ!

 

 

金一お兄さんが宴会でやっていた技だが、見様見真似だ。

 

 

チンッ

 

 

銃弾はニードルガンを折ることなく、すれ違いざまに掠るように接触させた。ニードルガンは無事に逸れ――

 

 

カシュッカシュッ!

 

 

ニードルガンの発射音、続けざまの2発は。

右手側の銃口と視線をずらした私の方に飛んできている。

 

回避はッ?

――――間に合わない!

 

銃はッ!

――――1本はいけるが、右手を戻すのが遅れる!

 

狙いはどこだ?

――――左目と首!

 

(それなら、左手の銃だけでいける!)

 

 

構えなんて取ってる暇はない。この体勢のままだ――!

 

 

私は今、左腕を正面に伸ばした状態で、右腕を大きく外側に広げ、合わせて頭も斜め右前方を向いている。

 

 

まずは首を狙う方に銃弾撃ちッ!

 

 

ガゥンッ――!

 

――チンッ!

 

 

1本のニードルは逸らした。

 

あとは、その発砲の反動も使って、肘と手首を高速で曲げて、引き寄せろッ!

 

 

もう1本のニードルは――

 

 

スッ――カツン……カラカラン

 

 

……ちゃんと入った?折角成功したのに、自分の手と銃が目の前にあって、お客様の表情が見えないじゃないか。

 

 

「ふぅ、アンロード、アンロード、っと」

 

 

左手の銃口を下に向け、何度か振っていると、中からニードルガンが排出される。

 

私の左目を狙っていたもう1本の針は、高速で顔に引き付けた我が愛銃(ベレッタ)の銃口に吸い込まれてキャッチされた。出来るだけ勢いを殺して。

 

先端が細くて衝撃力がないからうまくいったな。銃弾の先端に当たったから鉛に少し食い込んだみたいだね。

ちゃんと入ったか不安で仕方なかったよ。

 

お客様は顔を引き攣らせてご満足いただけた様子。

後ろの2人が全然驚いてくれないのが寂しい…

 

 

「くっ…」

「あらあら、万策尽きちゃったのかしら?」

「ちっ、近寄るなッ!」

 

 

バチバチバチバチイィィィイイイイッ!

 

 

これまでで一番強力な電撃が周囲を襲う!

 

「フラヴィアッ!」

 

ヒルダに近づいていたフラヴィアは電撃をモロに受けてしまっている。受けてしまっているのに…

 

「あなたも学ばないのねえ。その程度の熱量だと私を焼くことはできないわよ?」

「そんなこと、分かっているわッ!」

 

(効いていない…?)

 

フラヴィアの服から焦げた様な煙が上がるが、彼女自身は何の反応も示さない。

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 

地震……?部屋が…崩壊している――っ!

 

「お前らなんか生き埋めよッ!このままここで永遠に眠りなさい!」

 

ヒルダの姿が溶けていく。自分だけ逃げ延びるつもりか。

 

戦姉(おねえちゃん)

「チュラ、脱出しますよ!フラヴィア、あなたはどこから来たんですか?」

「…」

 

(…?フラヴィアの様子がおかしい。反応が鈍い?)

 

「――あらあら、レジデュオドロ。焦ってはいけないわ。サンタンジェロ城には秘密の通路があるの。イルミナティが過去にここで研究を行っていた名残ね」

「秘密の通路?」

「ひみつなのー?」

「ええ、秘密よ。誰も知らないの。偉い人も、作った人も、私も」

 

とんでもない秘密を言われた。そりゃどうしようもない話だな。

 

「守秘義務は守りますよ、チュラもいいですね」

「うん、チュラ何も知らなーい」

「うふふ、それでいいわ。目を瞑りなさい?良いと言うまで開けてはだめよ」

 

私とチュラとフラヴィアは手をつないで目を瞑る。UFOでも呼ぶんかいな?とか考えながらも、周囲の状況を、瞼の裏側からわずかな光で、耳から音で、匂いや肌に触れる空気の感触に至るまで、得られる情報を得ようと試みる。

 

「あの子まだかしら、予定より早く片付いたものね」

「?」

 

 

パッ!

 

 

なにかが光った?

一瞬だったが、目の前で何かが弾けた感じがした。

 

 

パッ! パッ!

 

 

まただ、少しずつ光の弾ける回数が増えてきた。

 

 

とうとう視界は弾けた光に埋め尽くされ――

 

 

(空気が変わった?歩いてもいないのに、移動したのか!)

 

 

ザーー

 

 

(雨の音。確実だ、私たちは外に出たんだ)

 

「もういいわよ。2人とも」

 

フラヴィアの合図で目を開けると、そこはサンタンジェロ城。

目の前には入り口とチュラしか見えない。フラヴィアがいない…?

 

「チュラ、夢ではありませんよね」

「ちがう、夢じゃ…」

 

 

 

――――タァーン……!

 

 

 

――最高に嫌な音がした。

 

雷の音よりも聞き慣れ、体を委縮させる、人間が作り出した人間を殺す銃声の残響。

この付近で誰かが何かを狙撃した。

 

夢ではないが悪夢は続いているようだ。

この場所からは全く見えないが、言いようのない不安感に駆られる…!

 

(一菜――!)

 

「…チュラ、屋上に急ぎます」

戦姉(おねえちゃん)……」

 

狙撃音が聞こえてから、屋上に向かうなんて馬鹿なことかもしれない。だが止まれない。

急ぐんだ、手遅れになる前に!

 

 

この一連の事件は偶然じゃない、ここまでの全てを誰かが絵に描いていて、私たちはまんまと裏で操られている。

 

 

だからその最後、最後のドミノだけは、何としても倒させるわけにはいかない!

 

 

地上で第一幕、地下で第二幕、最後の第三幕は屋上で。

 

サンタンジェロ城で第三幕とは、まるでオペラの"トスカ"のよう。

 

そんな悲劇では終わらせないぞ、全員揃って大団円で幕切れさせるんだ!

 

 

雨は降り続ける。

 

ザーザーと音を立てて、この舞台の盛り上がりは最高潮に達する。

 

その雲の上では星々が、今か今かと出番を待ちわびていた――

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


着々と物語が進み、書くのが楽しい反面、情報収集で時間の経過が早いです。

乱戦物が好きなんですが、書くとなると名前の乱発が気になるんですよね。
原作で言うと、「イ・ウー同窓会」の流れなんかが好きなんですよ。

あとチェイスもの。

今回、実は最初はヒルダと地下でチェイスバトルを繰り広げる予定でした。
秘密の霊廟内の通路で、壁から現れて次々違う武器で襲い掛かってくる感じです。

その時にはチュラも戦闘面で活躍していたのですが、文面がへたくそ過ぎたので泣く泣く没。実力をつけてから出直します!

案を10個考えると大体1,2個は使えて、残りは破棄。もったいない……


次回はサンタンジェロ城の最終回の”予定”です。が、内容は告知等無く変更される恐れがありますので、ほーん、程度で思ってもらえればと。

お楽しみに!





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星々の道標(シャイン・ゴーサイン・タームセンチュー)




どうも!



「次回でサンタンジェロ城は終了だと言ったが、3話仕立てにしないとは誰も言っていない」、かかぽまめです。


というわけで、遅くなって申し訳ありません。

どうしても期間を空けたくなくて、2話同時連投をしたかったんです…


では、はじまります!






 

 

 

焦る心、縺れる脚。

 

喉が渇き、耳が遠くなる。

 

 

もはや城の内装など目にも映らない。ここがどの辺りかも定かではない。

 

ただ、逸る気持ちに促されるまま、暗闇の中を鋭敏になった感覚に任せて走り続けている。

 

 

登る、登る、坂を登る。

 

彼女がいる場所へと、登る。

 

 

外に出た。

 

まだだ、ここは屋上ではない。もっと上に、もっと高く。

 

 

登る、登る、階段を登る。

 

空に最も近付く場所へと、登る。

 

 

いくつかの扉をくぐり、ホールを抜け、鉄格子の突き当りを右に曲がり、最後の階段を登り切った。

 

視界が開け、雨が当たる。

 

ここだ、ここが屋上だ。彼女はどこだ、どこにいる?

 

 

 

目の前にはただの一人もおらず、平和の象徴(ハト)もいない。閑散としたテラスに夜が広がっているだけだ。

そのテラスの中心に向かって歩いていき…振り返る。

 

 

城の上に建てられた礼拝堂。

その屋上には本来、ミカエルの青銅像があるはずだが――

 

 

「……何も、無い」

「成功?」

 

何もない。

 

像も無ければ、ルーカさんとミラ先輩の姿もない、どうやら無事に2人の救出は成功したようだ。

 

一菜は2人と一緒にバチカンへと向かったんだろう。

()()()ルーカさんとミラ先輩と一緒に。

 

さっきの狙撃音もきっと、不安な気持ちが雷の音を聞き間違えさせたんだ。

……そのはずだ。

 

 

 

――――礼拝堂に明かりが灯る。

 

 

誰かがいた?

 

 

「……一菜?」

 

 

中が暗かったから、誰かがいたのに気付かなかったのかもしれないと、屋上の入り口に戻る。

 

 

「伏せろーー!」

「!」

 

 

突然の警告に反応し、前方に飛び込むように伏せる。

 

 

ビシッ!

 

 

倒れ込んだ頭の上を何かが通過した気がする。たぶん左側に着弾した銃弾だろうが、間一髪のタイミングだった。

 

 

――タァーン…!

 

 

狙撃音。

 

屋上まで登ったことにより、私もターゲットになっているようだ。

 

 

「クロん!こっちこっち!早く戻ってこーい!」

 

 

声のする方へ顔を向けても姿が見えないのは、狙撃手を警戒しての事だろう。

 

後方のチュラに目配せし、急いで礼拝堂内へと駆け戻る。

 

 

そこにいたのは…

 

「クロん、チュラん、2人共無事でよかった」

「無事ではなかったんですが、こちらも無事とは言いづらい状況のようですね」

「ろーじょー?」

「そー。嫌んなっちゃうよね、今は威嚇射撃で済んでるけど」

 

一菜は撃たれていなかったようだ。ただの威嚇にしては殺意のこもった弾道だったと思うけど。

 

「色々聞きたいことはありますが、まずは2人についてです」

 

狙撃手の姿や射撃能力、現状に至るまでの過程も気になるが、第一にこれを尋ねる。

ここに来たのはそれが目的だし、担ぐにしろ、肩を貸すにしろ、往復では急いでも40分以上かかると踏んでいた。

早すぎる。まだ、ここに残っているのかもしれない。

 

だが、余りにも予想外な返答を受けることになった。

 

「……いなかった」

「――え?」

「いなかった?」

「ここに来た時にはもういなかったんだよ、ルーカんもミラ先輩も。代わりに待ち受けてたのが…」

「あの狙撃手、ですか」

「そう」

 

一難去ってまた一難。牢獄監禁を逃れたと思ったら、今度は狙撃監禁ですか。

 

「チュラ達が狙われてるー?」

「チュラん達が来る前に勧告があった。あいつはロシアに雇われてる」

「……また、やばい国が絡んできましたね。要求は?私たちは相手が欲しがるような手札は持っていないと思うんです」

 

大国も大国、ものすごくきな臭い。他国に出張ってまで、一体何を要求するというのか。

 

「英文モールスで、大人しく身柄を寄越せ、とだけ。その直後に発砲されてさ。髪結いのリボンの結び目だけを撃ち抜かれたや」

 

そう言う一菜の髪は、確かに自然に垂らしている。物足りない、尻尾がないなぁ。

リボンの結び目だけ、ってだけで相手の力量を思い知らされた。その狙いを額や心臓に変更するのは造作もないことなのだろう。

 

牢獄なら出たいと思うが、これは出たくない。心理的にも捕らえられていく。

 

「身柄…というと、誰の事なんでしょう。何か聞きませんでしたか?」

「あたしはここに来てから5発、同じ狙撃音を聞いた。撃ち損じはゼロ。全て狙った場所に当たってる」

 

こんな雨の中、リボンの結び目レベルの狙撃を全て一発の弾丸で済ませているなんて、とても人間技とは思えない。

 

超能力者(ステルシー)ですか?」

「そう思いたいけど……分かんないやー。分かってるのは…」

「全て当たる、それだけ分かればいいですね。どうせ対抗手段もありませんし、音響弾とか閃光弾があれば違ったかもしれないですが」

「ねー、身柄って誰の事?」

 

ズレ始めていた会話がチュラによって修正される。

こういう時のチュラは大体、相手の挙動や言動から、嘘もしくは誤魔化しを感知している。

かなり高性能なウソ発見器で、1度やられれば分かるが、この時のジト目はかなり効く。

 

(一菜が誤魔化そうとしている?)

 

「一菜?」

「あー…おっけー、説明する。って言ってもこれについては2人の方が良く分かってるでしょ?」

 

一菜の案内で、礼拝堂の屋上から少し戻った場所に連れられる。

壮大な天井画が描かれた白い部屋の先、少しだけ出っ張ったスペースがあり、薄いカーテンがかかった窓と女性の胸像の脇に、ソレはいた。

 

「――!」

「この人…」

「2人が消えてから何があったんだ?いくら何でもやり過ぎだろ、コレは」

 

この奥まったスペースに隠されるように安置されていたのは――

 

 

「ヒルダ……」

 

 

銀の矢により大怪我を負った血まみれのヒルダ・ドラキュリアだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

【はぁ、はぁ、はぁ。折角の観光地なのに、夜だとまっくらだよー。おまけに川の臭いも凄いし…】

「ただいナー」

【うぇっ!?もう終わったの?】

「何もしてナー。フーマの嬢ちゃんはやる子だナー」

【観光案内はダメダメだったよ?】

「隠密と戦闘以外はどこか抜けてるナー」

 

【あれあれ?ちーちゃんは?】

「良い子は寝る時間だナ~」

【ひ、ひどい!ひどいよ!あっしに走らせておいて!】

「起こしたら後が怖いんだナー」

 

「まだ着かナー?」

【もう少し、もう少しだから!】

 

 

――――タァーン…!

 

 

「後どれくらいナ?」

【もう少し急ぐよ】

『発砲確認。現時刻を以て対象への敵対行動を開始する』

【うわぁッ!起きてた…】

「静かにナ。巻き込まれるナ」

【……うん】

『距離5里、現在地より地上との高度差16間3尺(30m)。攻撃可能範囲へ到達までの所要時間は17分』

「キレてるナー」

【あっし、巻き込まれないよね?】

「礼拝堂で祈っとけナー」

【うっ、うっ。いいもん!やるもん!玉藻様に褒めてもらうもん!】

「その意気ナー」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「なんで彼女がここに?」

「あたしがここまで運んだ」

戦姉(おねえちゃん)、傷が少しだけ塞がってるー」 

 

チュラの発言通り、銀の矢によって抉られた傷はちょっとだけ再生していた。

だが、今は再生していないように見えるほど極端に遅くなっている。完治しているわけでもないのに。

 

治癒速度は場所によっても異なるのか、左脇腹から臍の下あたりまで届いた傷と、右太腿の傷は治りが悪い。

 

「効果があるとはいえ、時間を掛ければ元通りですか」

「クロん、銀弾を持ってたのか?あれって物凄く高かった気が…」

「おねーさんが持ってたー」

「おねーさん?カナ先輩のこと?」

「いいえ、私達を助けてくれたのは、疫病の矢(フラヴィア)ですよ」

 

一菜は目を見開いて私の顔を確認している。失礼な、そんなどうでもいい嘘つきませんよ。

 

次第に少しだけ鋭い顔つきになり、下を向く。

慎重になっているようだ。今考えていることを私達に話すことで、どんな反応をされるか、不安になっている。

 

「一菜、私はあなたの話をちゃんと聞きます、だからあなたの思ったことを話してください」

「……」

 

尚も渋る一菜ではあるが、ここで焦っても仕方ない。

 

手持無沙汰で周囲を見回すと、来るときには映っていなかった礼拝堂の内装が目に入る。

ちょっと無料鑑賞しちゃおっかな?と視線を向けようとするものの……どうしてもヒルダに目が行ってしまうな。

 

意識はないが、縛る訳でもなく、自然に横たわらせてある。

不用心すぎ……あれ?こんなところに銃創なんてあったっけ?そもそも銃創っておかしくないか?

 

「ヒルダの左太腿に銃創なんてありましたっけ?」

「ッ!」

「……無かったと思うー」

 

(そうだよね。銀の矢は受けたけど、私の銃弾は全部再生されちゃったんだよ)

 

咄嗟の判断だったとはいえ、人型の存在の心臓部を撃った感覚が、未だに尾を引いている。

殺人犯にならずにこの感覚を持てる人ってそうそういないだろう。貴重な経験だが、気分は良くない。

 

「……われた……」

「?どうしました?」

「庇われた」

 

俯いたまま呟くように。ひどく、消耗したような声が絞り出された。

この狭い空間では、そんな小さな声も、はっきりと響いてしまう。

 

「ヒルダ…で合ってるんだよね、その…吸血鬼さん」

「はい、合っています。そう自分で名乗りましたし、フラヴィアも呼んでいました」

 

(そうか、一菜は私が会話中に出した名前しか知らないんだ)

 

そして知ることが彼女にとって重要な事。疫病の矢にも尋ねていたように、繋がりを持ちたい人物の名を知りたがる。

 

「ヒルダ・ドラキュリア。正真正銘の吸血鬼です」

「……そうだよね」

 

その確認をして意気消沈するのはなぜなのか。

 

大体予想はつく。つまりは…

 

 

「相手はヒルダの身柄を寄越せ、と」

「……うん」

「一菜は渡したくないんですね?」

「うん」

「それで、その後どうするつもりなんですか?仮に逃げ出せたとして、彼女をどこに匿うつもりで?」

「それは…」

 

無計画とは彼女らしいけど、それでは危う過ぎる。綺麗なバラの周りには棘の筵が広がる様に、この状況が如何に不安定な針の筵であるのか、まずは知ってもらわねばなるまい。

選ぶ道はロシアと…バチカンをも敵に回す行為なのだ。

 

「いいですか、彼女は危険で、敵対する魔女。あなたの事を間接的にでも狙っていたんです」

「あたしを?」

「詳しくは聞いていません。しかし、事実彼女は一菜の前に現れた」

 

庇ったとはいっても、一菜にコンタクトを取ろうとしたときに、偶然居合わせたんだろう。

死なれては困る理由があるはずだ。

 

視線を逸らし、考える素振りをしたものの、自分の考えていたことと合点が行ったようだ。

こちらには向き直らず、虚空を見つめながら、思い出すように話す。

 

「突然だったからあんまり覚えてないけど、後ろから撃たれて…あ、これは狙撃じゃないよ。屋上で待ち伏せしている奴がいたんだよ」

「他にも敵がいたんですね」

「そ。で、警告もなしに、ズドン、と」

 

彼女のジェスチャーは腕を後ろに回して心臓部を撃つ動き。まさか、警告もなしにいきなりそんなところを撃つとは思えない。

初めからその気だったんだろう。

 

「でも、誰かに突き飛ばされた。射線に入り込んで来て」

「……」

「慌てて振り返ったら……弱って、血まみれのヒルダが、あたしのいた場所に立ってた。背中を向けて」

「かばったー?」

 

ヒルダの様子を観察していたチュラが戻ってくる。応急処置のしようも無いしね。

 

おや?手に扇を持っている。

武装解除だと信じたいが、なにか惹かれるものがあるらしく、広げたり閉じたり。撃たないでね?ニードルガン。

 

一菜も笑ってはいるものの、どこかぎこちない。

もう完全に思い出したのか、こちらをしっかりと見据え、話を続ける。

 

「そこで1発目。煙幕弾(スモーク)が地面に着弾した」

「相手はプロですか。何のプロかは分かりませんが、武偵弾(DAL)持ちなんですね」

 

私の相槌に頷きで答え、さらに続ける。

 

「2発目。あたしを撃った男が弾かれた」

「――えっ?」

 

(仲間じゃ…ないのか!?)

 

「…外した、訳では?」

「煙幕の中にいる男の眉間を後ろから。偶然だといいけど、たぶん…違う」

「そう……ですか」

 

私達とフラヴィアとヒルダ、ロシアの狙撃手に謎の男。すでに5つの勢力が衝突していた事になる。

内、フラヴィアは消え、ヒルダは意識不明、男は射殺された。

 

こんな複雑怪奇な絵を1人で描けるか?無理だろうし、無駄も多い。

 

「男は逃げてったよ。顔は覆って隠してたし、英語を話してたから国籍は不詳。余り筋肉質じゃ無かったと思う」

「その人、生きてたんですか!」

「当たってたと思うんだけどなー。吹っ飛んでたし。そういうとこ、クロんみたいな奴だね」

「ほんとだー」

「ちょっと!どういう意味ですか!」

 

ここは強く否定させてもらおう。撃たれても大丈夫かもしれないが、当たったら大丈夫じゃない。

あくまで手品師(マジシャン)であって妖術師(ソーサラー)ではないのだ。

 

チュラも、こんな時だけ乗ってこないの!全く、今度は一体何やってるの?

 

……それ一菜の電話じゃないか!ヒルダが盗んで城の中に隠してたのかな?

チュラはどこに電話してるんだろう?

 

「冗談冗談、んで3発目。これが銀弾だった」

「あの銃創はその弾丸によるものですね。弾は?」

「銀弾だと体外排出も遅いみたいだから、自分で引っ張り出してた」

「ゔっ…」

 

その光景が容易に想像でき、手の力が抜けそうになった。やめやめ、そーいうのはやめ!

 

「左太腿を撃った理由は確かじゃないけど、あのタトゥーを狙ってたのかも」

「タトゥー…?この目玉模様みたいな」

「それそれ、そこを撃たれたら倒れちゃった。あたし、反射的に急いで駆け寄ってて、気が付いたら礼拝堂に引き摺って行こうとしてて…」

「4発目…」

「警告。あたしのリボンが撃たれた。おかげで我に返ったから、次弾発射までの間に担いで逃げ込めたよ」

 

男は容赦なく撃ったのに、一菜は警告を受けた。

男が先に発砲したからなのだろうか。

 

「5発目。クロん、首襟の裏、確認しといたほうがいいよ」

「へっ?」

「言ったでしょー。5発とも狙った場所に当ててるって」

 

うん?言われてみれば軽い気もする。マイエンジェル(ベレッタ)は羽根のように軽いなぁ。

……じゃないよ!軽すぎる!そ…そんな……まさか!

 

「あ…ああ!なんてことですか――っ!」

「クロんが倒れ込むまでに、銃弾が掻っ攫っていったみたい」

 

ない!ないないない!

首襟のリボンに取り付けてた隠しホルスターに、私の…私のベレッタが……

 

リボンをほどけば、ホルスターが腰裏まで下りてくる仕様だったのに、リボンもホルスターもそのまま。

ベレッタだけが攫われた。

 

倒れ込んだ時のわずかに翻った隙間から見えた、ほんの数瞬に狙いを定めたって言うのか!

 

でも、そう考えるとそんなに遠くないのかもしれない。

射撃から到達までの遅延がほとんど無いことになる。

 

(銃弾の着弾位置から方向を推測すると…狙撃手はご近所の最高裁の上か。距離は450~550m位になるのかな)

 

狙撃銃としては遠い距離ではないが、記憶が正しければ銃声はSVD(ドラグノフ)。ロシアの持ち銃だ。

携行性と信頼性に優れた銃で、有効射程は600~800m。1kmも可能らしいが、状況が限られるだろう。増してこの雨だ。

 

丁度いい距離を陣取っているみたいだね。どこもかしこも出待ちさんばっかだよ。

 

 

「…ベレッタは今まで頑張ってくれました。それで、一菜。あなたはヒルダに救われた。だから助けたい」

「うん。分かってる。ここでヒルダを差し出せば、脅威が2つとも消えることになるんだよね。あたしたちは()()()()()()()()()()()()()に戻れる」

 

そう言い放つ一菜は、微塵もそんなことを考えていない、情けない顔をしている。

やれやれ、こういう時だけ押しが弱いんだから。

 

「違うでしょう?色々間違えすぎです」

「しっかりー」

「……そうだよね。あたし、2人のこと信じてる!ついてきてくれるって信じてるから!」

 

屋上で再会してから、やっと心から笑ってくれた。いやー、この笑顔は何時ぶりだろう、2日前かな?

私も元気が湧いて来る。彼女の声は、笑顔は、それだけで周囲を明るくさせる。

 

(――でも、ね?)

 

「おやおや?信じるのは2人だけでいいんですかな?」

「的当てゲーム?」

「はえ?」

 

キョトンとする一菜。チュラの電話先は何となく予想出来ていた。

 

『どうも、お邪魔してます』

「うげっ!」

 

スピーカーに設定された電話口からは、我がチームの狙撃手様の声が聞こえる。

 

『状況はお聞きしました。幸運なことに、今日はとある人物と食事を取っていましたので、周辺にいます』

「ホント!?来てくれるの!」

『……一菜さんが信じてくれるなら、すぐにでも駆け付けたいところです』

 

一菜は苦笑いをして、ため息を一つ。

そこにいるわけでもない電話を正面に据えて――

 

「当たり前だよ、信じてる。お願い、力を貸して!」

『はい!当然です。私が戦えるのは、一菜さんたちが信じてくれるからなんですから!』

 

そこで電話は切られる。移動を開始したようだ。

 

こうなれば、もっと手を打たなくてはいけない。

今回はメンバー総動員ですよ!

 

「チュラ、電話を貸してください。一菜、電話を借りますよ」

「え、良いけど、どこに掛けるつもり?」

「受信履歴のあるところです」

 

電話の受信履歴をあさり、上から4件目の電話番号に接続する。

 

 

~~~~♪

 

~~~~♪

 

 

(お願い!出て!)

 

 

~~♪ カチャッ

 

 

「"こんばんは、どうしましたか?"」

「"変声は要りませんよ、また雑務でも片付けていたんですか?"」

「……クロさん…」

 

接続先はヴィオラだ。私の声で一菜に掛けた時のものだろう。

 

「ヴィオラ、あなたとはいつかゆっくり話さなくてはいけません。ですが、今は私を信じて力を貸してくれませんか?」

「クロさんは、まだ私の事を信じてくれるんですか?何重にも偽りを重ねた私の事を」

 

ヴィオラの声はいつもと変わらないように聞こえる。

でも、そう聞こえるだけだ。声の震えは隠せても、気持ちの発現ってのは隠しきれるものじゃないよ。

知識だけじゃ分からないこともある。それはあなたが一番わかっているハズなのに。

 

「信じていますよ。それとも、私にも懺悔をさせたいんですか?全く、サドっ気のある子ですね。………そうです、私は何度もあなたを疑いました。最初は犯人なんじゃないかって、次には協力者なんじゃないかって、遂にはあなたが全て裏で操ってるんじゃないかって」

「……」

「信じる事はとても難しい事です。私を信じろなんて勝手すぎるのは承知の上なんですよ。ただでさえ私自身があなたを疑っていたくせに」

「……」

 

(ちょっと、追い詰めてみるか)

 

「あなたは隠し事が多すぎます。なんでも1人で済ませようとする」

「そんな…ことは」

「ロシアの雇い主」

「――ッ!」

「紫色の髪」

「……」

 

(予想通りの反応。あの狙撃手も、フラヴィアも、彼女の手引きで動いていた。私や一菜を守るついでに、ヒルダを手に入れてどうするつもりだか知らないけど、ターゲットとやらに接触する糸なのだろう)

 

「あれもこれも、全て。あなたの絵は壮大です。でも、その絵の中に不協和な色を見付けた。そのインクは徐々に広がって、あなたの絵を別物へと変えていく。棄てるか、塗り潰すか。その選択肢を迫られて、あなたは…」

「……私は塗り潰す事にしました。棄てるわけにはいかない。描き直しているうちに、あの子は加速度的に狂っていくかもしれない…それだけは何としても阻止したかった!」

 

(それがヴィオラの枝葉の部分か…)

 

「あの子、とは」

「私達の一族は、過去に素晴らしい紳士に救われました。代々、短命な血筋ではあるのですが、丁度私の3代前、曾お婆様がその紳士に出会い、陰謀と事件の渦中にいた所を救い出されたのです。影から援助を申し出ましたが、彼は何一つ……いえ、たった一つだけ、受け取って頂けました」

「何を差し上げたんですか?」

「幼きたくさんの思い出が詰まり、ただ一度だけのデートを行った、1つの世界です」

「世界…?」

 

(随分と大きなプレゼントだな、SFか何か?それともパノラマとかスノードーム的な)

 

「まあ、普通には受け取って貰えなかったらしいですけどね。普段は実に紳士的に紳士なのに、謙虚な方ですよ。……その御子孫様を私が救い出したいんです。彼女は今も恐ろしい世界に囚われていますから」

「恩義に報いるために、今回の絵を描いた」

「私には戦う力がない。一生懸命に絵をかいても、私には絵の具が与えられていなかったんです。だから出来るだけ、可能な限り、限界まで調達しました。白・桃・赤・橙・黄・萌・緑・水・青・紫・茶…そしてクロさん、あなたの色は私の絵画(せかい)に欠かせないものです」

 

(こんなものかな。今回の件はこれぐらいで不問にしてあげよう)

 

「それは、私を信じてくれると受け取っていいんですね?」

「はい!私は……クロさんを信じます!あの子の事も救ってくれるんですよね?」

「ヴィオラの計画を壊しますよ?」

「出来るものなら。私にはもう止められません。多くの人間の欲望や願望を刺激し、彼らは自らの意思で計画を成功させます」

「望むところ!では改めて、あなたに初めての()()をお願いします――」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「…………」

『あなた、気付いてた。なぜ気付いたかは分からない』

「…………」

『色金の気配を感じる。あなたは巫女?』

「……風は、あなたを恐れていない」

『そう』

 

『折角来たし、夜更かしする。となり、いい?』

「……(コクリ」

『風の音はいい。草木を揺らし、波音を立てて、風鈴を鳴らす』

「…………」

『あなたは風が好き?』

「……風。風は私を必要としている、私も風を必要としている」

『そう、仲良し』

 

 

 

 

「あなたは、なぜここにいらしたのですか?」

『夜風もたまにはいい物、覚えておく』

「…………」

『風は、何て言ってる?』

「……ちりーん、ちりーん、と言っています」

『素敵な音色、ありがとう』

「…………」

『これ、あげる』

「……羽織物…ですか?」

『法被、と言う』

「はっぴ…」

『女の子は、体冷やしちゃダメ』

「体調管理なら問題ありません。私はどんな環境でも体調を崩さない様に整えられますので」

『いいから。1度、着てみて?雨を弾いてくれる。気に入ったら、いつでも作ってあげる』

「分かりました」

『ちなみに、下は半たこと言…』

「そちらは要りません」

『……そう』

「素敵な服、ありがとうございます」

『……今日は、ほんとに良い風』

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

打てる手はすべて打った。

 

不安要素が無いわけではないが、その為の備えは十二分に行っている。

 

 

この城は今、見せかけの処刑場に変わりつつある。観衆にまざまざと見せつけ、その嘘を史実へと変えていく。キャストが揃うまでもう少し掛かりそうだ。

 

さあ、始まるぞ!みんなで勢揃いの大団円に向けて!

 

 

 

 

~キャスト~

 

「いいですか、一菜。今回の一連の事件は全て、2人の人物によって引き起こされています」

「2人?黒幕には協力者がいるの?」

「いいえ、その逆です。最初に立ち上げた人物の計画の中に、不協和を紛れ込ませた人物がいて、現段階ではドミノの倒し合いの様相を呈しています」

「んー、ん?で、どっちが味方?」

「どちらも敵でした」

「ええ!?」

「片方の親玉だけは、仲間になりましたが」

「??」

 

親玉ことヴィオラにも手伝ってもらい、キャストに出演を取り付けたところで、チュラと一菜に情報共有をしている。

フィオナも到着し、指定ポイントにて、この話を聞いているはずだ。

 

「どちらの計画にも犠牲者が出ます。片方はヒルダを狙い、もう片方は…一菜、あなたを狙っている」

「…うん」

「だからどちらにも倒しません。このバランスを取って、双方が手を離した隙に頂いちゃいましょう」

「とりあえず、あれだよね?クロんの言う通りに動けばいいんだよね?」

 

うーん、一から説明してるわけじゃないし、仕方ないんだけど…なんか釈然としない。

 

「……出来れば内容を理解して欲しいのですが。でもそうです、あなたの仕事が最も重要です。その成否によってはどちらか、もしくは2人共死ぬことになりますから」

「そこはクロん曰く、何とかしてみせるよ!心配するなら他の皆をお願い」

「はい、なんたって私は総監督ですからね!」

 

本当は怖い。

個々が完璧にこなしてくれても、私がタイミング1つ間違えた時点で失敗する。ギリギリの力調節が肝心なのだ。

 

 

顔に出てたかな?震えてたかな?

 

一菜は笑顔で見送ってくれる。その両手には殺生石の入ったお守りがそれぞれ握られていた。

 

精一杯の笑顔。うん、最高のおまじないだよ!

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

~美術スタッフ~

 

「クロー着いたぞー」

「クロさん、今度は何をするつもりですか?」

「クロさん!依頼の品をお持ちしましたよ!」

 

ガイアの運転する車で、クラーラとパオラも到着したみたいだ。3人とも、深くは追及せずに動いてくれた。

 

「ガイア、無事で良かったです」

「あー、そのことか。怪しい動きしたからな、ケイボーでシバいといたぞ」

 

(ケイボーってスタンガンじゃなかった?痛そう。私も似た様なの喰らってたけどさ)

 

「それで、あたしらは待機だな?」

「このスピーカーはどこに?」

「スピーカーは私が預かります。お城の中に設置しますので」

 

小型のスピーカーと中型のスピーカーを受け取り、チュラに手渡す。

 

「ご注文のワイヤーと…あとフックと木箱、バケツと食紅と…麻袋とクロロプレンゴムです」

「ありがとうございます。お支払いはまた後で」

「いいですよ、無事に帰って来てくれる、ってことですよね?」

「はい、必ず!」

 

ちょっとだけ駄弁…世間話をしてから、3人は待機地点へと車を走らせていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

~舞台スタッフ~

 

「"クロ"」

「"クロ殿"」

 

突然後ろに気配が!

 

…って、前にもやったなこれ。私の嗅覚を云々かんぬん。

 

ニコーレ先輩と陽菜さんの到着ですね。

よいしゃ!いっちょ決めますか!

 

「"よくぞお集まりくださいました、お二方!今宵お集まりいただきましたのは、とある危険な任務を極秘裏に進めて頂きたくあればこそお呼びした次第――"」

 

馬鹿っぽいでしょ?でもニコーレ先輩を動かすにはこの口調が手っ取り早い。

極度の日本時代劇マニアで、色々チャンポンな喋り方をする。

となりの陽菜さんもその毒牙に掛かり…元々なのかな?初めて会った時には、ああだったからなぁ。

 

2人して制服にプラスして、ニンジャ装備なるものを着用しているが、ふざけている訳ではなく、その実力は高い。

電話で聞いたが、潜入後はこの2人だけで、待ち伏せ含め10人以上を完全制圧したらしい。

 

「"クロ、多くは語りますまい。我らの仕事は隠密と抹殺。この力、如何様にも発揮しましょうぞ!"」

 

あんたらの為に長々と話してるんだよ!あと抹殺は受けちゃダメでしょ!

 

「"クロ殿、丹甲愁(にこうれ)殿の言う通りでござる。忍とは任務(かげ)に生き、任務(かげ)に死ぬ。世の平和を裏側から――"」

 

だからながーーーいんだって!

ニコーレ先輩の呼び方も、訛ってるだけだろうに、激しくイラっとするのはなんでだろう…。なんかこう…当て字が思い浮かぶような……なんだ、この感じ。

 

 

こんな変わり者だが、仕事はホントにすごい。じゃなきゃ呼ばないよ。

 

「仕事は二口、一に絡繰(カラクリ)の仕事也。我らが城を侵し、あまつさえ討ち取ろうなどと宣う不届き者に、忍の極意を諭すべし」

「うむ、それは許しては置けませぬ!忍の恐ろしさ、思い知らせてみせようぞ!」

「このように素晴らしき砦など、そうそうありませぬ。その浅はかさ、身をもって悔い改めてもらうでござる」

 

ノリノリだし、これは期待以上の結果を残してくれそうだ。

 

「二に、隠密の仕事也。故に昏き闇に潜み、機を伺い、空に光明上がりし時を以て、あらゆる目を欺くニンポウを」

「是。我らにおまかせを」

「御意!」

 

 

サササッ、スゥ……

 

ボフゥッ!

 

 

大変見事なお手前で。消え方くらい統一すればいいのに。今消える必要ないし、煙玉って隠遁用だよね?

 

ふぅ…疲れた。

 

 

 

 

~製作・音響・照明スタッフ~

 

「ヴィオラー?」

「はい、順調ですよ。クロさん」

「スピーカーの位置は伝えた通り、順番は数字の通りで大丈夫ですよ」

「お気遣いありがとうごさいます」

 

彼女は1人でやるらしいが、普通じゃないから大丈夫なんだろうな。

前から不思議だったが、1人だけの部屋で、どうして複数の作業音が聞こえるんだろうか。

 

……気になる。

 

「…ヴィオラ、今、何をしていますか?」

「?音響の確認と調整。照明のタイミングと緊急用のモールス信号のセッティング、最終盤のフラッシュの打ち合わせと交しょ……」

「ストップストップ!」

「?」

 

脳の処理が早過ぎる。きっと誰かの脳を借りてるんだろうけど、それが彼女にとっての普通なのか。

脅威だよね。命とか狙われてそう。

 

「あなた、早死にしますよ?」

「御心配には及びません。遠山キンジさんという方が、大切な戦妹である私を守ってくれますから」

 

初耳なんですが…。私も人の事を言えないけどさ、二人目の戦兄(ダブルコンダクター)とは。

思わぬライバルが出現したものだ。

 

男女で戦徒とは!なんて不純な、戦姉(おねえさん)許しませんよ!

 

 

 

 

~舞台監督~

 

キャストはメインを残して万全だ。

 

メインキャストには悪いけど、拒否だけはさせるわけにはいかない。

彼女にはヒルダを()()()()()()()()()いけないから。

 

そこはヴィオラの腕前次第。きっとうまく連れてきてくれるさ。

ここに到着してからは私の仕事。死刑執行人(マエストロ・チッタ)の役を絶対に引き受けてもらう!

 

「チュラ、行きましょう。最後の仕上げです」

「…戦姉(おねえちゃん)、大丈夫。チュラがついてる、1人じゃないよ?」

 

 

 

「…………うん…!そうだね」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

スピーカー――――OK

ライトアップ――OK

フラッシュ――――OK

エフェクト――――I Don't Know(ニンジャ次第)

 

 

残ったもう1人の本物は、どこで観ているんだろうね。

バチカンもそろそろ動くだろうし。

 

高見の場所から、せいぜいお楽しみ下さいよ。私たちの舞台を!

 

 

 







本日は劇場、クロガネノアミカにご来場くださいまして、ありがとうございます。

開演に先立ちまして、お客様にお願い申し上げます。
ビデオ撮影・録音・フラッシュは固くお断りいたします。
電話はマナーモードにするか電源をお切りください。
劇場内でのたばこ、飲食はご遠慮願います。
演出上の効果のため、上演中は非常口の誘導灯は消灯いたしますが、非常時には点灯いたしますので、ご安心くださいませ。

まもなく舞台「"キャスト・アーツィスコース"」を開演いたします。
どうか最後までごゆっくりお楽しみくださいませ。




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星々の煌輝(キャスト・アーツィスコース)




はじまります。



 

 

 

パッパッパッ!

 

 

サンタンジェロ城の屋上(舞台)に薄明かりが灯り、夜明け空の朧気なシーンを作り出す。

 

 

これから始まるのは、過去何人もの政治犯や無罪の人間に行ってきた、処刑。その一幕だ。

 

 

処刑方法は人裂き、斬首、火あぶり、絞殺、銃殺など、様々なものが時代によって変化し、行われてきた。

 

 

 

方法などどうでもいい、この場所は今夜だけ、処刑場へと立ち戻る。

 

 

処刑執行人はサンタンジェロ橋を渡ってこの砦にやってくるのだ。

 

 

屋上にあった慈悲の鐘が鳴ることはもう無い。

 

 

ただ、その時は刻、一刻と迫ってきている――

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

テベレ川。

 

サンタンジェロ城前、ローマの休日では船上パーティなんかが行われていたな。

 

川に飛び込んでキスをするシーンがあった気がする。……慌てて目を逸らしたから、よく覚えてないけど。

 

 

ここには橋が架けられ、映画やオペラ公演によって増えた観光客が、左右の欄干に飾られた天使像に見守られながらやってくる。

 

といっても今は夜で、こんな場所を歩く人なんていないだろう。

 

――だが今夜は違う。橋を渡る人影があるのだ。

 

 

「メインキャスト、入りました」

『おーけー。こっちからも見えてる』

「顔を出し過ぎて、逆に見つからないで下さいね」

『はいはーい』

 

 

一菜との通信を行いながら、その人物が城に入るのを見守る。

 

ヴィオラのお誘いは無事に受けて頂いたようで、ここからは私の仕事。なんとしても味方につけなくてはいけない。

 

 

「私は交渉に入ります。ヴィオラ、ありがとうございました。舞台の方の管理を一時的にお任せしますね」

『はい、分かりました。……ですが、彼女が吸血鬼の助命を引き受けてくれるとは思えないですよ』

「なんとかします。では、引継ぎを――」

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

~舞台の表側~

 

 

幕が上がる。

 

礼拝堂から死刑囚が、処刑執行人に背負われたまま運ばれてくる。

囚人に意識は無いようだ。

 

続けて立会人が2人、片方は手ぶらで、もう片方は何か箱型の物を持って、後ろに連れ立って入場した。

 

 

フラヴィアがヒルダを背負い、その後ろに一菜とアリーシャが追随している。

 

今は無き絞首台のあったその場所に、簡易的な台座と、脇に棺桶が1基。

真っ赤なバラに彩られて、未だ名の彫られていない自身の主を待っている。

 

ヒルダは立会人の2人によって地に降ろされ、台座に寝かされた。

もう間もなく、彼女は棺の主となる。

 

 

立会人である一菜は、ヒルダとの別れを惜しみ、()()()()()()まで彼女の顔と体を撫でる。

丁寧に、優しく。

 

少し経って、()()()()()()のか、フラヴィアがアリーシャに指示を出した。

アリーシャは箱を足元に置き、一菜の背中を擦りながら立ち上がらせ、尚も離れようとしない彼女を引き離す。

2人の顔は俯いたまま、悲しみで前を向くこともできないように見える。

 

 

アリーシャが足元の箱から1発の銀弾をフラヴィアに渡す。

フラヴィアは自分の隠し銃を背中から取り出し、受け取った銀弾を銃へと込めた。

 

そのまま銃口はヒルダへと向けられ。

 

 

――――パシュッ!

 

 

あっさりと、処刑は終了した。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

~舞台の裏側~

 

 

幕が上がった。

 

礼拝堂からフラヴィアを先頭に、4人のキャストがステージへと上がっていった。

 

 

「フィオナ、怪しい所は見当たりませんか?」

『とりあえずは何も。件の狙撃手もこちらに対して、攻撃の意思を感じません』

「そうですか、そこもかなり不安な点だったので」

『ただ…』

「ただ?」

『1人と聞いていましたが、2人いますよ。ずっと目を閉じているので、寝ているのかと』

 

2人?接近に対応する護衛なのだろうか。随分と好待遇だな。

 

「すみません、その人物については把握していませんでした。特徴は?」

『えーっと…これは変な報告になるかもしれませんが…』

「なんでもいいです、不確定要素は失敗に直結しますから」

『では主観を交えます。2人は同じ服を着ています。それが、組織の服装というよりも部族の服装、と表現した方がいいかもしれません』

 

え、部族の人?ヴィオラの事だから、どっかの軍隊から引き抜いてきたと予想してたんだけど…

 

「狙撃の腕は確かです。もう1人の存在も気になりますが、能力者の可能性も考慮して、引き続き警戒をお願いします」

『了解です』

 

うーん、部族、部族ねぇ…

 

 

「ヴィオラ、ロシアから派遣された狙撃手について教えてもらえませんか?」

『今更聞くんですか?……彼女は表には存在が知られていない殺し屋(ヒットマン)です』

「殺し屋!?」

『狙撃手は自身の情報を隠したがります。彼女も同様で、殆ど記録が残っていませんし、これからも残らないでしょう。ですが、仕事の選り好みがあり、断れない仕事以外は、監視や遠方での護衛が主だったモノのようです』

 

モノホンさんかー。雇い主が暗殺指令出してなくてよかったよ。

 

「…よくそんな逸材を見つけ出せましたね」

『……いえ、お恥ずかしながら、彼女は自分からアプローチを行ってきました』

「え、求人広告でもやってたんですか?」

『それが分からないんです。聞いても風がどうこうしか話してくれませんし、クロさんや一菜さんの事を知ったのも彼女が元なんです』

 

なにそれ、こわい!

ウチ、前々からスナイパーに、ど頭狙われとったんけ!?

 

「私の事は何と……」

『それも風が騒いでるとか、そんな感じでしか…』

 

お祭り騒ぎやんけ!

どないすんねん!かち割られてまう、鉛玉ぶち込まれてまう!

 

「意思の疎通が困難でしょう?」

『いえ、普段の会話は成り立っていますよ?最低限ですが。何かしらの事象に関してだけ風という単語を用いている節があります』

「オカルトチックな情報で」

 

聞けば聞く程分からない。いいや、フィオナに任せよう。

 

 

 

そうこうしているうちに、ヒルダが台座に載せられていく。

 

ここからが重要だ。一菜が完璧に仕事をこなしてくれることを信じるばかりである。

 

 

 

「一菜……」

 

一菜の顔は俯いているが、緊張で固まっているだろう。

 

前に私に施してくれた時は、やり過ぎで暫くの間、腕の動きが悪くなってしまった。

 

 

今のヒルダは銃弾で死ぬ。普通の人間と変わらない。

 

フラヴィアに聞いた話なのだが、彼女たち吸血鬼には魔臓というものがあり、体が高速で治癒するのはそれが原因だそうだ。

体に合計4つ。それぞれがそれぞれを再生させる為、普通に勝とうとするなら同時に4箇所とも攻撃しなければいけないらしい。

 

しかし、銀弾を用いれば話は別。

もともと銀に弱い吸血鬼は、魔臓を破壊しなくても銀の楔や武器で倒すことが出来ていたし、昼間は活動出来ない。弱い個体であればニンニクや水流によって閉じ込めることも可能だった。

そこに、力だけでなく知恵を得た吸血鬼が現れ、自らの弱点を着々と克服していく。それが今、この世界に生き残った吸血鬼という事だ。

 

ただ、その耐性は完全ではない。

弱点は今でも苦手だし、銀によって付けられた傷は、なかなか治癒できない。その治癒対象が魔臓であればなおさらだ。

そして治癒が完了する前に、残りの魔臓を破壊できれば、吸血鬼は今までに吸血によって得た力、耐性を一時的に全て失う。

 

今のヒルダは、全ての魔臓を破壊されているのだ。

 

フラヴィアによって下腹部と右太腿を、謎の男の発砲による右胸部下の銃撃は銀弾ではないが、空間に遮られるように魔臓が再生できていない。そして狙撃手によって左太腿に止めを刺された。

 

 

今、一菜が行っているのは、これから行われる処刑への対策。

もし加減を誤れば、ヒルダの生命力は吸い尽くされ、死に至る。

 

 

 

――――『不活性陣(スラゲッシバイタル)

 

 

 

殺生石による、生命活動の剥奪。

 

一菜の御守りであり、生命線でもある殺生石は、触れたものの生命力を奪い、生命活動を鈍らせる。

通常、普通の人間が触れれば、2秒程で筋力、脳の活動が著しく低下し、5秒も持たずに血流、つまり心臓が停止し死を迎える。

 

この生命力の吸収は一定量でしか行えない為、同時に触れている生物が多いほど一人当たりの吸収量は低下する。

その性質を利用した応急処置方法が、この能力。

 

直接殺生石に触れ、一菜の溢れる生命力(ATP)を過剰に吸収させながら、対象に接触させる。

すると、対象から奪われる生命力の微調整が可能なのだ。

 

軽度の接触は、神経麻痺による麻酔や鎮痛効果、心拍数の低下による止血効果と毒の遅延、脳の機能低下による一時的な疲労の解消と精神の鎮静化(ストレス緩和)などの効果を持ち、

 

重度の接触は、神経遮断による五感の低下、心拍数の低下限による仮死状態、脳の機能低下限による認知症の発症と運動指令の制限などの効果を発揮する。

 

 

あれだけ多くの接触をしている。それが示すのはおそらく…

 

(刺激による蘇生を前提とした仮死ではなく、不可逆的死の直前、全ての機能を一時的に停止させる時限式の睡眠保存)

 

緩やかに、ゆっくりと、一つ一つの細胞を眠らせていく。緩慢凍結法のようなものだと言えるのか。

記憶の欠落を防ぐ為の、優しい眠り。

 

未だに人間は長時間の死から蘇生する方法を見つけていない。

冷凍保存は出来ても、起こす術を持たないからだ。

 

この能力は細胞が自分の力で目覚める。

例えその間に死を免れない傷を負ったとしても、治療さえ施してしまえば、夢から覚めるように細胞が動き出す。

 

本当に、つくづく不思議な石だと思う。

 

 

 

 

限界まで吸いつくしたのだろう。当然だが使用時間により一菜の生命力も多分に吸収される。

自分の生命力もフルに使い果たし、少しふらつきそうな仕草を見せた。

 

(まずいな、怪しまれる)

 

お客様(バチカン)が不審に思ってしまえばそれまで。揃ってお縄になってしまう所だったが、ここでフラヴィアがアリーシャに何か話しかけている。

アリーシャはすぐに行動に移し、一菜を支えて後ろに下がった。

 

(フラヴィア、ナイスフォローだ!)

 

一菜が泣きついて離れないような演出になっている事だろう。

悪魔に魅せられた人間に見えるかもしれない。

大丈夫、地下教会の告解室でゆるしの秘跡をすれば赦してくれるよ。お偉いさんも「悪魔の虜から神へと立ち返る」とか言ってたし。

 

アリーシャが打ち合わせ通り、銀弾を箱から取り出し、恭しくフラヴィアへと手渡す。

最後はフラヴィアがヒルダに銀弾を撃ち込めば、第一段階突破だ。

 

 

『クロさん!バチカンに動きがあります。シスター1個小隊と2人が南側から、3人が北側から身を隠すように接近中。どうやら南側、北側合わせて5人は封鎖要員のようです』

「1個小隊が乗り込んでくるんですね、分かりました。引き続き監視をお願いします」

『上はどうなっていますか?』

「順調です今から――」

 

 

 

――――パシュッ!

 

 

 

予定より早い。

 

 

これはミスではないだろう。

 

 

残念だが、順調ではなくなったようだ。

 

 

 

「……フィオナ、演目の変更です。もう一つのドミノが倒れてきました」

『そのようですね、向こうの狙撃手も動き出しましたよ』

「いつ撃たれるか分かりません。十分に警戒を」

 

 

ヒルダサイド(バチカン)が動いたと思ったら一菜サイド(謎の集団)も同時に動き出した。

ここで待ち構える訳にもいかないな、アクティブに片付けよう。

 

 

「チュラ、バチカンのシスター様にケガをさせてはいけませんよ?」

「うん、全員引っ掛けちゃえばいいんでしょー?」

「そうです、さすが私の可愛い戦妹!この城が元々要塞だったことを思い出させてあげましょう」

「任せてー。殲魔科の動きはちゃんと把握(はーく)してるよ」

 

 

集団の動きというのは、統率を取り易く、別部隊に移っても便利なものだが。

その規則性(ルーチン)を把握されてしまえば、対策されてしまうものだ。いくら数を増やしたところで、その全てを記憶されれば意味がない。

 

 

「任せました!私は屋上に向かい、一つ飛ばしで舞台を進行してきます」

 

 

チュラが礼拝堂から出て行くのを見送り、屋上へと登っていく。

 

ヒルダの処刑シーンを早めてまで対応しなきゃいけない敵か。

何がいるやら。

 

おっと、忘れる所だった!

 

 

「ヴィオラ、ライトの変色をコンマ2秒早めてください。その後の微調整はお任せします」

『……はい、変更しました。お気をつけて』

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

~舞台の表側~

 

 

このタイミングを待っていたかのように、何者かが現れる。

 

お迎えに来たのは天使か悪魔か、はたまた死神か。

 

 

分かるのは…人間ではないという事だけだ。

 

人ならざる者のビアンコの肌に、満月の瞳と真紅の唇。

鮮やかな金髪と光を通さぬ闇の翼が、全ての人間を圧倒する。

 

舞台上に緊張が走り、終幕に向けてもう一波乱あるのだろうと予想させた。

 

人ならざる者は、ゆっくり、ゆっくりと地面に降り立ち……

 

 

その途端に、舞台は凍てつく寒さと、身を焦がす炎に包まれた。

 

 

 

 

「……うふふ、見ているだけのつもりだったのだけど」

 

嗤う。地獄のような舞台の上で、人ならざる者は嗤うのだ。

寒さに凍える者を、炎に身を焼かれる者を、恐怖に怯える者を。

 

満月の瞳に映る、世界を見て、嗤う。それだけで世界は更に歪む。

 

「素敵な舞台だったから、つい、参加したくなっちゃった」

 

その瞳は処刑執行人へと向けられているが、真意を量ることは叶わない。

 

「途中入場はマナー違反よ?」

「あらまぁ、別にいいでしょう?エミリア。私とあなたの仲じゃない」

「私は初対面ですわ。会いたくも無かったけれど」

「あぁ、そう、そうなのよ!そういう反抗的な所も大好きよ」

 

炎が激しさを増していく、狂ったように踊り、空気すらも焦がすように。

 

「今、すごぉ~く、いい気分なの。あなたなら分かってくれるわよね?」

「ええ、嫌という程ね。今夜はどことなく、あの日を思い出させるもの」

「あぁ、あぁ…いいわぁ。あなたは私を理解してくれる。この裏切者だらけの世界で、あなたは私に向き合ってくれた!」

 

興奮を抑えられない子供の様に、闇の翼がバサバサと音を鳴らす。

炎はついに屋上の外周を覆ってしまった。

 

「ねぇ、折角の舞台、一緒に踊りましょう?あなた達の大好きな、ダークで淫靡な旋律を。心狂わせるラモーのタンブーランを!」

「あなたのテンポは早すぎるの。もったいないわ、もっと余韻を味わいなさい?」

「あはっ!そう、そうよね。あなたのダンスは美しいもの!だから、もっと見せて!あなたの体が壊れるまで!崩れ落ちるその瞬間まで、ずぅーっとそばで見ていてあげる!」

 

踊る炎はその言葉に応えるように、2拍子のリズムを刻んで燃え上がり、跳ねるように火の粉を振り撒いて、段々テンポを早めていく。

既に城は炎で包まれ、中の様子を窺い知ることは出来そうもない。

テベレ川は凍り、その氷の上で炎がダンスを踊る。とても非現実的でとても幻想的な光景。

 

「一菜、だったかしら?まだ動けるならその子を連れて城に隠れなさい!30秒で焼滅が始まるわ!」

「ッ!」

「早くなさい!もうカウントは始まって―――」

 

 

キィィィイイインという、耳をつんざく様なジェット音と共に、炎の壁が目の前を走り抜け、世界が完全に分断される。

そこから先は空間が違う、そう感じてしまうほどに体は凍え、周囲の寒さを訴える。

 

地上では急激な温度上昇により、上昇気流が。上空では急激な温度低下による下降気流が。

自然そのものが暴れ狂う。

 

状況を正しく見極められたのなら、絶望でおかしくなっていたかもしれない。

 

「なに…なんなの、これ」

「一菜ッ!」

 

そこに、また。

 

キャストが1人、登場する。

 

彼女は愚者かそれとも賢者か。

 

この地獄の中で、震えも怯えもしていなかった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

~舞台の裏側~

 

明かりの灯された要塞の中に、ノコノコと5人のシスターがやってきた。

その手には銀剣とバックラーが握られ、統率のとれた動きを見せている。

 

彼女たちの目的は、ヒルダの検死と処分(火あぶり)の為に持ち帰ることだろう。

その目には決意と意思が燃えていて、無駄のない、効率的な動きを見せている。

 

 

「分かりやすーい」

 

 

あちこちに空いた覗き穴、この要塞は侵入者の誰1人に対しても、気を許す猶予を与えない。

攻め込む人間は常に監視され、いつでも攻撃されるリスクに晒され続ける。

 

 

「チュラは出来る、"ウケツギシココロ"は伊達じゃない!」

 

 

模倣観察は終了した。

彼女たちの動きは隊長格不在の際に取られる、代理指揮下による戦闘を避ける為の潜入行動。

要するに、援護目的で来たわけなのだ。

 

隊長は既にこの要塞の中にいる。

そこへ合流するのが彼女たちの使命なのだろう。

 

 

「まずは代理指揮者から…」

「"チュラ殿、2人まとめて行くでござる"」

 

虚空から声が聞こえるが、それも今更だ、彼女が驚くことは無い。

 

「"……チュラ、あなたの事よく知らない"」

「"クロ殿の目は確かでござろう?"」

「"姿を見せてくれないと、どんな人か覚えられなーい"」

「"忍とはそういう者でござる。それでチュラ殿、良いでござるか?"」

 

少し考えるが、状況が状況だ。2枚同時に奪えるならそれに越したことは無い。

 

「"失敗は許されないよー?……あなたは、あの青目金髪で背の高ーい人をお願い"」

「"承知した"」

「"トラッ…絡繰の位置はバッチリ?"」

「"無論。某、こういうのを、一度やってみたかったでござるよ!"」

「"えー…だいじょーぶかなー?"」

 

 

 

 

『フィオナ、其方は如何に?』

「狙撃手は伏臥体勢に入ってから微動だにしません。あんなのどうしようもないでしょう?ニコーレ先輩」

 

屋上は城が燃えているかのように炎が回りきっている。

あの中には一菜やアリーシャがいるのだが、どうしようもない、ほんの一寸も見えないのだ。

 

『然らば、我に加勢されよ。胡乱者(怪しい人)が川辺に佇み、迂闊に動けぬ』

「川辺に人…?」

『幼子の姿をしておるが、このような刻限に徘徊するなど、妖の類に違いあるまいて』

「お化けですか…。それを私に撃てと……」

 

 

 

――ビシュンッ!

 

 

 

『うむ、見事な狙撃であった!慌てて逃げ出しおったぞ』

「えっ?私撃ってな…」

『我は援軍を鎖すとしよう』

 

 

「切られた…。なんだったんでしょう」

 

 

 

 

 

 

『これで良し』

「……なぜ、撃ったのですか?」

『あいつ、臆病。目的地で尻すぼみ』

【ちょっとちょっと!いきなり何!?何するのさ!?】

『早く屋上に。すごく嫌な風を感じる』

【扱いがひどいよー。泣いちゃう、泣いちゃうからー!】

 

「誰とお話してるんですか?」

『お友達、気にしないで』

「……さっきの」

 

『あなたの仕事、終わった。でしょ?』

「いえ、吸血鬼を捕らえよ、との事ですので。アレも含まれるでしょう」

『完全にイレギュラー。あんな奴ら、関わったら、後悔する』

「ご忠告、感謝します」

『…………』

 

 

兎狗狸(とくり)(ちー)も動く。イヅを守って』

【こ、こわいよー。毛が逆立って収まらないよー】

『腹を括って。三松(さんしょう)、動ける?』

「動けるナー。シャレにならん奴が出たナー」

『箱庭の主よりマシ。あいつらの内、屋上に2人確認。あと1人、どこかにいるはず』

「はいはいナー。探しとくナー」

『だれがトップか分からない、慎重に』

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

屋上に出た時、自分の目を疑った。

 

そりゃそうだろう、外は昼よりも明るかったんだから。

 

燃え盛る炎が、周囲の空間を赫々と照らす。

凍り付いていた辺り一面が、その光を空へと反射させ雲にまで輝きを届けている。

まるで、ライブ会場みたいな光源の量だ。

 

雷雲は巨大な積乱雲へと成長している。

あの炎で水蒸気が一気に空へ上がり、上空で冷やされているからだろう。

 

計算外過ぎる。予想していたトラブルの範疇を超えていて、何が起きているのか正常に判断できない。

 

 

 

それでも呆然としなかったのは、一菜が視界に映ったからだろう。

 

 

「一菜ッ!」

 

声が届いていない。なら、はたいてでも起きてもらう。

 

近付くと、アリーシャがいるのは分かっていたが、フラヴィアの姿がない。

まさか、この炎の向こうにいるのか?

 

 

「一菜ッ!」

「………」

 

 

重症だな。

 

 

 

――スパァン!

 

 

 

「一菜、起きてください。何があったんですか?」

「あ…クロちゃん」

 

ダメだな、口調まで戻っちゃってる。

 

不活性陣の副作用で精神が下向きなのも、大きな要因なんだろう。

 

「一度引きますよ?今のままでは戦闘は――!」

 

(誰かが炎の壁から出てくるっ!敵か!)

 

銃を構えてその姿を現すのを待つ。

 

「――ッ!レジデュオドロ!?あなたまで、なんでまだここにいるのかしらッ!その子に言ったハズよ!すぐに城の中に隠れ――」

 

現れたのはフラヴィア…だった。

鬼気迫る表情で叫んだ彼女は……

 

「あらまぁ、もう終わりなの?でも、そう、そうよね。ガス欠寸前ではそんなものよね」

「フラ…ヴィア?」

 

――左目がない。

 

焼き鏝で貫かれたかのように焼けている。

言葉は途中で途切れ、倒れ込んだまま、もうピクリとも動かない。

 

 

私達が3人掛かりで勝てないだろうと踏んでいたヒルダを1人で追い詰めたフラヴィアが…

 

処刑の銃声から1分も経たずにやられた。

 

しかも…あいつは……!

 

 

「……あらぁ?あなた、どこかで…?」

「――ッ!」

 

体が動かない、首の裏が冷たくなっていく。

 

「いえ、そうよ!そう、そうなのよ!あなた、私のお人形さんじゃない!あぁ、嬉しいわ、また会う事が出来るなんて!」

「く、来るな…」

「怖がらなくていいのよ?そう、そうね。あの時は邪魔が入ったものね。おまけに私の紋章もレジストされてしまったし……でも、まだ怖いのでしょう?あの夜が忘れられないでしょう?」

 

(目を見るな!声を聞くな!それだけで心が折られる。紋章のレジストは完璧じゃない。ヒルダと出会ったときに思い知らされた!)

 

 

「可愛い従妹を助けようとしてくれたのはとても感謝しているの。でも残念、またあなたの負けね?時間切れよ」

 

悪魔の首が上を向いた。どうしても気になって空を見てしまう。見てしまった。見なければよかった。

 

 

なぜ気付かなかったんだろう、地上に雨が降っていない。全て上空で蒸発している。

 

積乱雲はどんどんと膨れ上がり、その雲底、そこに向こう側の景色が歪んで見えるほどの圧力がかかっている――!

 

 

「焼滅は全てを飲み込んで焼き尽くすの。吹き飛ばしながら、ね」

「ダウンバースト……」

 

積乱雲は、強い上昇気流によって形成される。そして、雨粒やそれに含まれる塵が空気と摩擦することで昇華熱が発生し空気が冷やされ、下降気流によって消滅していく。

しかし、この下降気流が極端に大きくなると、ダウンバーストといい、小さな台風のような災害を引き起こすのだ。

日本国内にいた頃は聞き馴染みがなかったが、アメリカでは竜巻の発生原因となったり、航空機が墜落するなどの被害も発生している。

 

「私の焼滅(あれ)は、とっても強力よ?上昇気圧と下降気圧のバランスを取って、一気に吹き降ろす。条件が揃えば、最大瞬間風速は約150ノット(時速278km)、最大到達範囲は5kmに達するの」

 

(なんだよ、それ!?局地的に見れば、台風以上の脅威じゃないか!)

 

吹き降ろした突風は、その下にある炎を喰らって熱風となり、亜音速で全てを飲み込み焼き尽くす。まさに言葉通りだ。

空気抵抗で速度の減衰も、空気の冷却も早いのだろうが、近くで発生したらそんなの関係ない。

 

(一帯を丸々焦土にでもするつもりか!?)

 

「あぁ、堕ちる…堕ちて来るわ。ねぇ、怖い?怖いでしょう?あはっ!あハははハハッ!いい!いいわよ、その(カオ)!とても興奮するの!もっとイジメたくなっちゃう」

 

笑っている、その笑い方は無邪気にも見えるし、狂気の沙汰にも見える。

 

(落ちそうで、落ちてこないな……これって)

 

目線を下に向けてみると、炎がさっきよりも明らかに激しく燃えている。その熱が、更なる上昇気流を作り出しているようだ。

 

(やっぱりそうだ、あいつは自分の感情をコントロール出来ていないせいで、能力の使役に直接影響を及ぼしている)

 

昂ぶりによって炎が大きくなる。それなら、冷気を発揮できなくさせれば、気圧を自然消滅させられるかもしれない。

 

だが、その感情が分からない。下手なことをして興奮状態が解けてしまえばアレが落ちてくる。

 

(違う!もっと単純な方法がある。あいつは子供なんだ。感情に任せて動くし、遊ぶ癖もある。そこを逆手にとれ!)

 

 

「私とゲームをしませんか?」

「……?ゲーム?一体何をするのかしら」

 

炎の勢いが弱まってきた。急いで燃料をくべなければ!

 

「先にあなたの名前を教えてください。一緒に遊ぶお友達なんですから」

「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。そういえば前に会った時も教えていなかったわ」

 

少しだけ炎が強くなるが、まだ足りない。もっとだ、そして冷気を止める方法を探り出さないと。

 

「私の名前、あなたも聞いたことがあるのではないかしら?」

 

ええ、そうでしょうね。教科書に載るような魔女はそうそういない。

まして吸血鬼となればほとんどは生き残ってすらいない。

 

授業で見たときとは別人のようだけど、あなたがあの教科書に載っていた、父親と共に()()()()()()()()

 

 

「トロヤよ。トロヤ・屍鬼公姫(ドラキュリア)

 

 

死んだはずの存在が、今、処刑場に姿を現した。

 

 

「仲良くしましょう?あなたの名前も教えて頂戴?」

 

 

凍り付くような彼女の感情は。

 

一度死んだ、その恐怖と苦しみ、悲しみ、あらゆる負の感情の集合体だった――

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!



ふははは、次回もお城になっちゃったぜ☆
見通しが甘い…

おかしいな、処刑は1話で終わる予定だったんですよ。
ガッツリ2話分取るやん?


てなわけで、月下の夜想曲から、2度目の登場、トロヤ・ドラキュリアさんです。

名前の表記が変わりました。
一度死んだために、改名したんですね。

自然の暴威の前に、クロが考え付いた作戦とは!?


あ、ニコーレ先輩とフィオナの会話は普通にイタリア語です。
イメージって大事ですからね!ニンニンッ!


次回はシリアスかギャグになるか。
こう、ご期待!





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深賚の星座(トラスト・コネクション)(前半)




どうも!夏の暑さに思わず発酵していたかかぽまめです。

冷やし麦茶、始めました。熱中症には気を付けましょう。パソコンもスマホもオーバーヒートしますから、やさしくしましょうね!



トロヤが現れて、てんやわんや。
クロの作戦はうまくいくのでしょうか?というところでしたね。


今回も重要単語ましましで行きますので、どうかあくびを我慢してご覧くださいなっ!



では、始まります!






 

 

 

ローマ武偵高付属中、歴史の教科書の一冊

 

「歴史に刻まれた大悪の魔女、魔導士史記」より抜粋

 

主観を含めて読み上げる。

 

 

 

悪魔に魅入られた男の魔女(魔導士)、ミルチャⅡ世――

 

 

 

偉大なる公爵ミルチャ老公の孫であり、ドラゴン騎士団に叙任されたヴラド・竜公(ドラクル)の長男である、ミルチャ二世。

 

彼が実際に公位に着いたのは僅かな期間であったが、()()()は色濃く受け継がれており、戦場では終始先陣を切って勇猛果敢に戦ったとされている。

 

しかし、彼には謎が多く残されており、戦いの記録があまり残されていない。

 

教科書には一説として、その偏執性が挙げられていた。

 

彼は積極的に処刑を行う事は無く、戦場においてさえ殺す相手を選んでいて、それ以外の人間を殺すことはなかったという。

邪魔をしたものはその限りではないが。

 

英雄の卵とでも言えそうな者や、妖しい力を持つ者のみに異常な執着心を示し、力に依ってねじ伏せ、止めを刺すとそのまま死体を持ち帰っていた。

 

全身を日の光さえ通さない鎧で覆い、顔すらも見えない程に重装備だったのも影響し、敵味方問わず生者を求める悪魔の鎧(リビングアーマー)と呼ばれていたらしい。

 

遺体を棺桶に納めるその姿は、死を悼むようなものであったが、周囲からは死体コレクターと恐れられていた――――とのことだ。

 

 

……図書館の本なら、そんなのただの怪談話でしょ?で済むだろう。

 

 

だが、自軍からの信頼もあり、大きな後ろ盾も得ていた彼にも終わりの時が来る。

 

敵国の攻撃により敗走し、捕らえられてしまった。その中にはヴァチカンの師団が紛れていて、この人物の報告した内容が歴史として教科書に載っているのだ。

 

連行された先、かつてワラキア王国の首都であったタルゴヴィシュテには、彼の娘とされている()()()が既に絞首台の柱に縛り付けられ、父親の到着を待っていた。

 

烙印は押されてしまったのだ。ミルチャⅡ世とトロヤは魔女である、と。

彼らにはそれぞれ、渾名が付けられた。

 

 

悪魔公(ドラキュラ)悪魔公姫(ドラキュリア)。悪魔の手先、人間の敵という意味を込めて。

 

 

それから間もなく、()()の処刑が執行される。

 

 

銅合金の銀を全ての魔臓に突き立てられ、棺桶を用意されることすらなく、悶えたまま地面の穴へと投げ込まれる。

 

続けてトロヤも、同じように全ての魔臓を突き刺され、悲鳴を上げることも出来ずに父親と同じ場所へと堕とされる。

 

 

生き埋め。

 

 

超人的な力を失った2つの命は、このまま息絶え、永遠に土に還る――

 

 

――そのはずだったのだ。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

夜の闇が支配していた世界が眩く照らされる。

 

昂ぶりの炎が地上を燃やし、拒絶の心が上空を凍てつかせ、その中心で空間が挟み込まれるように圧し潰される様は、圧壊する歪んだ心を思わせた。

 

 

あの異常な興奮を得られなければ、心は凍り付いてしまうのだろう。

だから彼女は他者の恐怖を求める。心を悦ばせる別の方法を知らないから。

 

 

そうしてまた、孤独に近づいて、心の歪みは際限なく大きくなっていくというのに……

 

 

 

 

 

「トロヤ、ですね。覚えました、もう忘れませんよ」

 

 

引き攣りそうな顔を無理やり整え、自分は対等な立場であることを、彼女と…自分自身に理解させる。

ここでビクビクしていれば、彼女の興奮を高めることは出来るだろうが、根本的な解決には至らない。

たとえ偽りであっても友として、周囲を拒絶する彼女の心を、内側から切り崩していくしかないのだ。

 

トロヤは闇の翼をパタパタとはためかせ、私の次の言葉を待つ。

気紛れで災害を起こすような悪魔が、たった1人の人間の名前をそわそわと、その肌の色と同じ汚れを知らぬ無垢な表情で待ちかねている。

 

 

「トロヤはヒルダの…従姉、お姉さんで間違いありませんね」

「…え?ええ、そうよ」

「彼女を助けに来たんですか?」

「その必要は無いのでしょう?前もって聞いていたもの、ヒルダは人間に討たれ人間に救われる、なんて馬鹿げた話を。でも、本当だったみたいね」

 

 

(過去に誰かから聞いていた?この事件の顛末を、ヒルダが一菜を庇って撃たれることすら予言していたとでも?)

 

求めていた言葉が得られなかった事で焦れているのだろう、彼女は翼を一層強く揺らし、キョロキョロと視線を逸らし始める。

しかし、プライドが感情に勝っているのか、2度目の問い掛けは無い。その仕草に高貴さは見られないが。

 

(これは……まさか、あいつは……チョロいかもしれない!)

 

先程の話は謎の残る発言なものの、有力な情報になりうる。

少しどころではなく危険だが、彼女の話を聞き出せれば大きな戦果を獲得出来るかもしれない。

 

 

――ちょっとだけ、試してみる。

 

 

「では、なぜここまで来ていたんですか?1人で来るには寂しい場所ですよ」

「あらまぁ、そう、そうなのね。そんなに気になるのなら教えてあげてもいいわよ?」

 

 

自分に興味を持たれるのがそれだけで嬉しいのか、顔を軽く朱に染めて表情も緩め、こちらに歩いて来る。

衝動的に逃げだしそうな自分を奮い立たせ、目は合わせないが、怯えは見せず、彼女を待ち受けて一歩も引かない。

 

顔が真横に来て、頬と頬が触れ合う距離で彼女の冷気が私を捕らえた。

 

 

「――これは2人だけの秘密。裏切ったら…ねぇ?」

「うっ…」

 

 

ここまで歩いて来る間に、人が変わったと疑いたくなるほど強烈な殺気が纏われている。

目は合わせていないのに、あらゆる者を従わせるその唇から紡がれる声が、心さえも凍えさせるその肌から放たれる冷気が。

 

体をその場に縛り付ける。深く深く、地下深く、狭い穴の底に突き落とされたように、身動きがとれない。

 

(さすがに舐めてたかな。失敗した…かも?)

 

どうせ抵抗も出来ないのだ、デコピン、膝カックン、何でもすればいいさ(手加減してください)

 

 

『……()()()を見に来たのよ。それと、()()()も』

 

 

周囲には一切聞こえていないだろう。彼女の声は空気の伝播を完全に無視して、直接私の脳へと響かされた。

 

超音波。

幾重にも並び、大きさも速度も異なる複数の波が、私の中で合成し、打ち消し合い、理解できる音の波長となって痛い位に響いている。

 

 

『どちらもいい感じに育ってきているわ。点同士は互いが近ければ近い程、成熟が早くなるの。()()、あなたたちの学校が率先して集めてくれるものだから、探しやすかったわよ?星々の煌きが互いを道標として、時には反発して、時には惹付けあって。とても綺麗だったわ』

 

 

(分岐点と異常点?)

 

 

『あなたが一生懸命に支えているのはたった1つに過ぎないの。それもとても小さな、小さな余波』

「どういう…」

『声を出さないで?あなたが死んでしまったら、後々が面倒になるの』

「……」

 

 

言われるがままなのは悔しいが、何もできないからには従うしかない。

それに、今の話が嘘でないなら、私はこの情報を持ち帰ることが出来る。

 

誰かに話すことは禁じられたが、知っていれば対処できることもあるだろう。

 

 

『遠くない未来、奔流が来るの。素敵でしょう?私の焼滅(アレ)なんて目じゃない、この世界の全てを巻き込む最大級の歴史の波よ!』

「……!」

 

 

思わず目線は上に行く。空から地上を睥睨し、彼女の感情次第ではすぐにでも一帯を焼き払う圧力の塊。それを目じゃないとまで言える奔流とは、物理的な物では無いのだろう。言葉の通り歴史の改革、転換期の始まりを指していると考えられる。

頭にキンキン響く声色から察するに、心から陶酔している感じも見られ、宗教の信仰のように、理想とする何かがそこにはあるのかもしれない。

 

 

『波のスタート地点になるのが分岐点の仕事で、波の障害物にヒビを入れるのが異常点の仕事。でも彼らは不安定な存在だから、()()()導いてあげないといけないの』

 

 

今までの話の流れから、点と呼んでいるものは特定の人物もしくは団体を指していると考えられる。

要はその人間たちが自分たちの意向通りに動くように監視し、必要に応じて刺激を与えて来たのだ。

 

奔流も自然に起こるものではないと推測できる。

()()()というのが1つの組織だとして、その規模は不明だが、トロヤのような存在を従わせるとなれば、トップは実力、カリスマ性を持ち合わせた人物なのだろう。

加えて話の全てを鵜呑みにするなら、預言者と呼ばれる類の能力者かもしれない。

 

その人物が波を立てる。とても遠くから、徐々に勢いを増して、世界のあらゆる箇所で歴史の改変が行われていく。

 

(彼女達はその準備をしているんだ)

 

 

『……でも、そう、そうなの。育ち方が、ちょっと、ちょっとだけ遅いのよ?誰かが邪魔をしているわ』

 

 

トロヤはそこまで言って……顔を離した。

 

体に熱が戻り、動きを取り戻す。固まっていた間は、まるで夢を見ているような気分だった。

 

 

「どうだったのかしら、私のプレゼントは気に入って貰えた?あなたがイジワルだから、つい意地になってしまったの」

「ええ…、最高のプレゼントですよ」

 

 

やっとこの状況を理解し始めた。

 

ヴィオラが私に接近した理由。一菜が狙われ、私と一緒にここにいる理由。彼女が監視を止めてここに姿を現した理由。

 

 

友達なんかじゃない。彼女はそんなことを望んでいない。

彼女が望むのは――――

 

 

 

「私は…」

「あなたを同志として迎え入れるには少し早かったわ。()()使い物にならないって、怒られちゃったもの」

 

 

トロヤは笑っていない。今まで見せていた狂気は鳴りを潜め、無機質で怜悧な雰囲気を呈した。

心なしか、感情は希薄に、殺気や威圧感も和らいでいる。

 

その顔は、教科書に載っていた絵の面影を感じる、儚い印象を与える表情と光沢のある銀の双眸。

左目には逆五芒星の紋章が見られ、異質なものであるのに、そこにあるのが当然だと思えてしまう、不気味な特徴だ。

 

(これが死ぬ前のトロヤ・悪魔公姫(ドラキュリア)。まるで別人だな)

 

 

「……だから私の手元に置いておくの、逃げられないように、もう一度あなたを生き埋めにしてあげる」

 

 

炎は勢いを削がれ、同時に冷気さえもその力を弱めると、川は本来の流れを取り戻す。

夜の闇が勢いを増し、再び世界を支配し始めた。

 

 

「その方が育てやすいわ」

「私は……点なの?」

 

 

(トロヤは初めて会った時から、私の事を知っていたんだ。そして見事に私を捕らえた。でもそれはカナとメーヤさんのおかげで阻まれた)

 

あの任務に私がいたのは偶然。……でも誰かが仕組んでいればそれも必然。

 

手口は今回と一緒。

その人物と親しい者を含めた複数人で組ませ、事件と称して移動させた。人数もあの日と同じ3人。

そしてメーヤの対魔性能は高く、カナの戦闘能力は私よりも遥かに高い。あの中で、私は守られる存在だった。

 

置き換えてみる。

普段の私と一菜の戦闘力は変わらないが、一度トロヤと会ったことがある私にはアドバンテージがあると考え、チュラを最も私と相性の良い相手として付けた上で、相当な実力を持つフラヴィアと狙撃手を予備戦力で遠方に配備した。

つまり、一菜はこの中で守られる存在。私は彼女を守らなくてはいけなかった。

 

(共通点があるんだ、あの夜と。前回は怪盗の名を騙り、本性は魔女であるという情報を流し……私たちの知らない所で誰かの作戦は成功していた)

 

ますます、()()()()()が分からなくなってきた。何度問い詰めても、聞かれたこと以上の情報を与えて納得させたら、残った情報を全て隠す。

一体どの時点から私達を守り始めていたんだ?

 

 

「――寂しいわ、あなたの口から聞きたかった……お名前」

「…ッ!」

 

 

ゾワッと全身が総毛立つ。

見た目と相応な少女の声には、明らかな拒絶の響きが含まれていて、対等な立場を放棄する意思を伝えてきた。

 

(あれこれ考えるのは後にしよう。1人で考え込んでる場合じゃないな)

 

彼女の要求はとても呑めるものではないし、焼滅(アレ)を落とすことも消すことも容易だろう。諦めて納得してもらうしかない。

 

 

「ゲームをするのよね?いいわよ、最後に目一杯、自由に遊びましょう。良い物が見られるかもしれないし」

「……はい」

 

 

(負けることは許されない。考えろ、私があの子に選ばれた理由を。私が勝てる戦いは何か――)

 

背中の汗が止まらない。銀の両眼に見つめられるだけで、衰弱していく気さえした。

おかげで思考が纏まらず、時間だけが過ぎていく。0.1秒、0.2秒…

 

(――ダメだな。何も思い浮かばないや)

 

それならそれで、やることは決まってる。いつもの事だ。

 

 

(行き当たりばったり。あとは、その時に何とかして見せる!)

 

 

最終的に考えは無計画(ゼロ)にまとまった。顔を上げて、今一度、彼女と正面から向かい合う。

 

 

「トロヤ、私たちが初めて出会った日を覚えていますか?」

「ええ、もちろん。見事なまでに失敗したもの。私、嫌いだわ、あの女」

「カナのことですか?」

「違うわ。私、トオヤマカナは好きよ?彼女、とっても綺麗だもの。もう少しで2人まとめて、私の物に出来たのに…」

 

 

(メーヤさんの事か、言われてみれば然も有りなん、その通りですね)

 

実際に戦闘風景を見たわけではないが、大剣をブンブン振り回す、荒々し…凛々しく、恐ろ…麗しい聖女様の姿が思い浮かぶ。

 

まあいい、話を続けよう。

 

 

「ゲームの内容ですが、あの日の続きをしましょうか」

「続き…?」

 

 

全く手が出なかったのも悔しいし、やられっぱなしは家訓に反するのでね。付き合ってもらいます!

 

 

かくれおに(サーチ&エスケープ)。今回はトロヤが私を探してください。もちろん、捕まえるのもあなたですよ」

「懐かしいわね。捕まえたら私の物になってくれるの?」

「約束は守ります。ですが、ルールを破った時点で負けになりますので」

「聞かせてくれる?あなたのルールを」

「では――」

 

 

ルールは以下の通り、

 

・ゲームの初めに互いの要求を宣告すること。交渉の余地はあるが、変更は両者合わせて3度まで。宣誓のやり直しか、代替案の提案が可能となる。

・ゲーム時間は15分(ワンクォーター)で、3回捕まった時点で決着、範囲はローマ市内とし、範囲外に足を踏み入れた時点で負けになる。

・ゲーム開始は逃走側が移動開始した1分後、1回捕まるごとに1分のロスタイムを設け、再び逃走側が移動する。その1分間、追跡側は動いてはいけない。

・装備品、魔法の使用を認める。ただし、いかなる状況であっても、建物や人間等への過度な攻撃や殺人は許可しない。

・確保は体の一部が接触することを条件とし、武器や銃弾、魔法等による間接的な接触は認めない。ただし逃走側の衣服及び付属する装飾品越しは認めるものとする。

 

 

 

「こんな感じでしょうか。異論はありますか?」

「……そんなルールでいいのかしら。5分でも構わないし、魔法を封じてもいいのよ?」

 

 

トロヤは平等なルールに対し、むしろ不満があるようで、斜を向いて腕を組んでいるが――

 

 

「正々堂々!そうでなければリベンジの意味がありませんから」

 

 

これは嘘だ。このルールは私に有利になっている。

騙すのは卑怯かもしれないが、勝てば官軍、文句は言わせない。言うとも思えないが。

 

 

「…………ふっ……ふふっ。面白いのね、あなた。いいわよ、その条件で遊んであげる」

 

 

(乗ってきましたね?その余裕も今の内だけですよ)

 

トロヤは先程と打って変わって機嫌が良くなったようだ。私が対等な立場になろうとすることがそんなに嬉しいのか。

 

……罪悪感で世界は平和にならない。ここは我慢だ。

 

 

「じゃあ、宣誓からかしら?」

「その前に、少しお待ちください」

 

 

当初の予定とは変わったものの、用意した舞台は私の力になってくれそうだ。

 

武偵憲章7条、悲観論で備え、楽観論で行動せよ。

 

作戦を放棄しておいて今更だが、準備は念入りに、確実に。

 

 

後ろに振り返り、彼女たちの様子を確認する。

多少ボーっとはしているが、心ここにあらずって程もひどくなさそうだ。

 

「一菜、すぐにヒルダの納棺と()()()への手配をお願いします」

「…ふぇ??う、うん、分かったよ」

 

(こっちは動きそうだな)

 

「アリーシャ、一菜を手伝って……アリーシャ?」

「……」

 

どうしたんだ?意識はハッキリしているし、声に反応して頭は振っている。

右目は私の視線に合わせていて、肌の色も悪くない。

左目を抑えているが、火の粉が目に入ってしまったのだろうか?

 

 

「アリーシャ!」

「…すぐにご用意いたしますわ」

 

 

何事もなかったように一菜と共に台座の方へ歩いていく。

左目を抑えていた手も下ろし、立体視も出来ていて、足取りは問題なさそうだ。

 

(気にし過ぎか…?んーと、ライトは青、もうちょっとだけ時間を稼がないと)

 

礼拝堂の入り口に置かれた進行時間計の虹色ライトを確認すると、紫まであと15分。何かいい話題無いかな。

 

 

戦姉(おねえちゃん)、もう終わったよー」

 

 

アリーシャの箱からチュラの声が聞こえ、城内のトラッ…絡繰の仕事が終わったことが報告される。

随分手早いが、さすがに3人は割り当て過ぎたか。

 

それなら2人は隠密の仕事に、チュラはシスターの隊長さんとお話しをする流れだ。

屋上以外は順調だなぁ…

 

少し早いが始めてしまおうか、リベンジゲームを。

 

 

「トロヤ、始めましょうか」

「いいわよ。私の要求は…」

「いえ、私が宣誓のお手本を見せましょう」

「?何かしら、お手本って」

 

 

トロヤは首を傾げているが、特に訝しむ様子はない。あらまぁ、交渉は私の勝ちですか?

世界がどうこう言う割には、世間知らずなんですね。

 

 

「では、宣誓させていただきます。私の要求は……焼滅(アレ)の処分です」

 

 

空を指さして、そう宣言する。ローマを守るためにこれは外せないだろう。

 

 

「それだけでいいの?気になっているのでしょう、私の話の続き。それに、たとえ負けたとしても、またあなたに会いに行くわよ?」

 

 

至極真っ当なご意見、ありがとうございます。

確かにそうだ、今回負けたからと彼女が諦める理由にはならない。そして次は何の準備もない私は負ける。ここで要求に不可侵を追加すべきだろう。

 

 

「……やり直してもいいですか?」

「…………ふふっ、あなたって抜けているのね。いいわよ、改めて望む要求をしなさい」

 

 

助かった。許可も頂いたし、()()()()()、さっそく変えてしまいましょう。

 

 

「ではでは、宣誓させていただきます。私の要求は……現地点から半径5kmまでの()()()()()()の解除です」

 

 

今度は手を大きく横に広げ、広範囲であることを表現するが……

 

 

「あら、考えたわね。確かにその要求なら、色々とやり辛くなるわね。あなたの首の紋章も消せ、と」

「はい、フラヴィアの紋章も一緒に消してもらいますよ」

「フラヴィア?……ああ、その子の事ね、いいわよ。どうせもう逃げてしまった抜け殻だし」

 

真意はすぐに見抜かれてしまったけど、仕方ない。

 

フラヴィアにはピンと来ていない様子だったが、初対面だったのか?

まあいい、紋章を刻まれたときは私も動けなくなったし、苦しんでいるところだろう。

 

 

「さぁ、あなたの番ですよ」

「言わなくても分かるでしょう?」

「だめです!宣誓をしなければルール違反ですよ」

「……しょうがないわね」

 

 

ちょっと恥ずかしそう。分かる、やれって言われると途端に恥ずかしくなるよね。

 

 

「宣誓するわ。私の要求はトオヤマクロ、あなたの全てを私に捧げてもらう事よ。身も、心も、魂も」

 

 

私に向かって両腕を差し伸べ、おいで、と促してくる。彼女があまりに魅力的だから、つい、手を取ってしまいそうになる。

いけない、これは罠ですわ!なんてずるいのかしら!

 

その要求は読めていたし、それしかないとまで言える。

 

 

(だよね、知ってる。でもそれで終わりじゃ困るなー)

 

 

「それだけでいいんですか?彼女、一菜もあなたたちの目的なんでしょう?それにヒルダだって、負けたら無事に返すとは一言も言っていません」

 

 

だから挑発をする。ここが勝負所であり、妥協は許されない。

 

 

「??そんな安い挑発に、何の意味があるのかしら」

 

 

頭にハテナマークを大量に浮かべているが、簡単には乗ってこない、さすがにあからさま過ぎて警戒している。

こちらを睨んで、考えを読もうとしているが、推理は得意じゃないみたいだ。

 

 

(好きなだけ疑うがいいさ。どうせ、断らせる気は無い)

 

 

「……あなたたちの邪魔をしている存在を知っているとしたら?」

「――ッ!」

 

 

トロヤが初めて驚愕に目を見開いた。羽はピンと張って、力んでいるのだろう羽ばたくことを忘れている。

 

(……これは思った以上の効果だな)

 

トロヤの目は鋭く細められたものの、羽は緊張で動かさないまま。

 

 

「本当に見た事があるのね?彼女の()()を」

 

 

濃密な殺気が一直線に殺到するが、ここは耐える。耐えて弱みを見せない。

 

 

「本体、という表現には疑問がありますが、心当たりはあります」

「これまでに枝の先にぶら下がった紛い物なら、いくらでも見て来たわ。彼女は外には出ない。いえ、出られない。過去に脱走した姿が目撃され、記録にあるのは12回。1回を除き、残りはいずれも自身の盟友へコンタクトを取る為のもの。直近では、日本人男性への接触が報告されたわ。ここローマでね」

 

 

日本人男性ってのは例の戦兄とやらだろう。

なるほど、特殊な環境で育ってるみたいだね、そりゃ性格も捻じ曲がるよ。サドだし。

幽閉、監禁。そんな感じなのか。

 

(12回も脱走出来てるなら、もうそれ自由じゃないの?)

 

 

「あなたは盟友?それとも操り人形なのかしら?」

「それは…」

 

 

正直分からない。利用されているだけの可能性もあるが、そうは思いたくない。

でも……どうなんだろう。

 

 

「とても高度な人心掌握術ね。気を付けなさい?あなたのそれは信頼ではなく、依存よ。彼女の手駒は決して裏切らない」

 

 

ヴィオラは自分の秘密を、今回の本当の目的を話してくれた。

――――それも、一菜を守るための隠れ蓑だった?

 

謎が疑問に、疑いが不信に。

でも、きっと彼女はまた、全てを教えてはくれない。

 

謎を残したまま、私に信頼の余地を与えない。

トロヤの意見と食い違っている。

 

 

 

 

彼女が信じられない私は、盟友どころか、操り人形ですらない?ただの監視対象なの?

 

 

 

 

「悪いけれど、宣誓をやり直させてもらうわね。迂闊だったわ、あなたの前には直接現れると思っていたのに、先を越されていたなんて」

 

 

遠くの方から声が聞こえる。そうか、トロヤは交渉を使うか。そうか……

 

 

(ヴィオラ……私はあなたを信じたい。……ううん、信じるって決めた!盲信なんて言われようと、あの子は大切な私の戦妹だッ!)

 

 

無言で頷き、トロヤの宣誓の変更を認める。

いいんだ、これで作戦通りなんだから。

 

 

「宣誓するわ。私の要求はトオヤマクロ、あなたの全てと……ミウライチナ、それとフォンターナの次女、あなたも来なさい。目を付けられている…いえ、あなたも、もう手遅れかしら」

 

 

一菜はビクッとしたが、アリーシャは驚いていないように見える。どうやら自分が選ばれるこの展開が予想出来ていたらしい。

 

とりあえず、これでトロヤの宣誓は確定だ。私は取り消すように交渉することは可能だが、必要ない。

アリーシャが要求されたのは意外だったが、こちらは負けた時点で全滅なのだ。トロヤの要求など聞くだけ聞くよ、というもの。

 

 

「トロヤ、あなたが要求を増やすのであれば、私にも考えがあります。宣誓をやり直したいのですが……それとも、あなたの要求を変更する方を望みますか?」

「…………」

 

 

彼女は、しまった!と思ったかもしれないが、遅すぎる。前哨戦は無事に勝利を勝ち取った。

 

 

「……いいわよ、もう1度やり直すといいわ」

「あなたが公平な方で助かりました」

 

 

相手が望む要求を最大まで引き出してから天秤に載せ、反対側には同じ重さまでの要求を積み重ねられる。

 

 

そして交渉はこれで()()()

もうトロヤは拒否できない。

 

 

交渉の余地?そんなの交渉回数が奇数の時点で成り立っていない。こんなルール、初めから不公平だ。

 

 

ライトはほとんど紫色に変わり、あと10秒を切ったところ。

さっさと要求を宣誓して逃げるとしよう。

 

 

「では、最後の宣誓をします」

 

 

トロヤは本気で来るだろう。ヴィオラの話を出してから、彼女は焦っている。なんとしても手中に収めるつもりだ。

だからこその過度な攻撃と殺人の不許可だが、あの様子だと腕の一振りで吹っ飛ばされかねないな。

 

 

「先程の要求に加え、あなたの過去について話していただきます。その上で――」

「…?」

 

 

トロヤは終始首を曲げっぱなしで、背骨が曲がってしまうんじゃないかと心配になる。

 

 

(ふふふ……分からないでしょう?だって最初から……)

 

 

「お友達になって下さい!」

「――!?」

 

 

(こっちには勝利以上の要求なんてないんですよッ!)

 

 

 

ボッフウゥゥウウウウウ!! 

 

 

 

突然の大爆発!…ではなく、超巨大煙幕!

なるほど、忍のステージエフェクトは良く考えている。これなら私が()()して逃げても、その方向が中のトロヤには見えない訳だ。

 

今トロヤ確実に怯んでいた。

予想できなかっただろう、まさか私が一菜とアリーシャの交換条件に昔話と友情を要求するなんて。

その隙を作り出すのが肝心要、勝利より重いものなど無いんですよ――

 

 

 

 

 

――でも。いつか、本当に分かり合えたらいいな。

 

 

 

 

 

 

「一菜ッ!」

「準備おーけー!」

 

「アリーシャ!タイマーが赤に戻ったら(15分後)花火ですよ!」

「はい!存じ上げておりますわ!」

 

 

2人はここ一番で立ち直ってくれている。心強いね、ホントにさ。

私のお友達宣誓に笑ってくれてるよ。

 

 

「一菜、()()()()()()。思いっきり引っ叩いてください」

「よっしゃー!うっっるぁぁあああーーーー!!」

 

 

 

バギンッ!

 

 

 

一菜の殴打によって、地面に刺さっていた()()()が破壊され、ヒルダの入った棺を縛り付けるものは無くなった。

私が乗り込んだその()()でできた棺は…

 

 

「うわはははぁぁああーーーッ!」

「いってらっしゃーいッ!」

「お気をつけてー!」

 

 

ギュンッ!と加速して、サンタンジェロ城の外に吹っ飛ばされる。

()()によって、カタパルトのように射出。方角はサンタンジェロ橋のある南側、斜め上方向の角度も十分。

ワインダーなんてないから、一菜(馬)力で巻いてもらっていた。

 

ガイア、クラーラ、パオラの3人が待機している川の向こう岸へ、そこで車が待っている。

 

 

 

後の事(バチカン)は皆におまかせし、これでサンタンジェロ城とはおさらばだ。

 

私はこれからローマ市内を高速で駆け巡る。

地獄のかくれおにの始まりだ。

 

 

途中途中で重心を変えて向きを調整し、距離150m弱を、木箱に乗ったままあっという間に飛びきって…

 

 

「…ん?うおッ!あれ、クロが乗ってねーか!?」

「何言ってるんですか、ガイア。私たちは川に落ちた木箱を……ッ!?」

「2人共、どうしたんです?クロさんから電話で、作戦が早まったとは聞きま…し……えっ?」

 

「――――た、たっけてぇーーーーッ!」

 

 

(い、一菜のバカ!バカぢから!バカバカ村のチャンピオン!バカみたいに巻き過ぎーーー!)

 

 

 

川に着水するつもりが、飛び越えて、道路の木々に衝突するルートだ。

 

(ゲーム開始直後からリタイアしてたまるかっ!)

 

 

木箱の勢いは落ちない。

自然破壊は良くないぞ、だが……やむを得まいよ。

 

 

(お婆様直伝(被検体:お爺様)!秋水で…って、この箱どうするよ!?破片が道路に吹っ飛んでくよ!?……じゃない、違う違う!ヒルダが入ってるんだよ!?)

 

 

パニックになり過ぎて、この箱が棺であることすら忘れていた。

いくら死なないからって、後遺症は残るかもしれない。なにせ謎の多い能力だ。

 

この吹っ飛んでる速度をどうにかしつつ、棺の中のヒルダを取り出しつつ、棺の破片が向こうに飛んでいかないようにする。

やることが多い、どうしよう。

 

こんなときにシチリア島を思い出してしまった。あの時も必死にしがみついてたな。

今しがみついてるのは棺だけどさ、シャレにならないよ。

 

えーっと、1つずつ切り捨てるか。

じゃあヒルダから……は、後が怖いので、向こうに人がいないワンチャン……も、いたらその時点で反則負けになっちゃうし、速度……私が棺を受け止めるの?無理無理、絶対!衝撃を体の一点で受けたら大怪我だよ。

吸血鬼みたいに魔臓が4つあったらなぁ……1つでも残ってれば再生……4つ?

 

それ以上にあるじゃん!私にも5つ――4本の手足と切り札が!

 

 

(閃いてしまったからには、やってやりますよ!)

 

 

頭の中でシミュレーションをしてみて60%程は決まった。

残りはその時に考える!

 

棺にしがみついた状態から、右手を前に突き出し、左手を棺の前側の角に掛けて、両膝を曲げたまま、棺の後ろ端ギリギリまで下がる……

 

(今だッ!思いっきり引っ張れッ!)

 

左手で体を前方に引っ張るように、棺の勢いを少し奪って前に飛び、更に離れる瞬間に両膝を思い切り伸ばして、両足で棺の前端を下向きに叩き付けて縦回転させる。

 

(離棺成功!続けて着木準備!)

 

突き出した右手が木に当たる、このまま衝撃を受ければ重症だろう。

 

(この右腕を指先まで使って、いつも高速移動している逆の要領で各所を曲げながら引いて衝撃吸収。ただし全て吸収せず、敢えて軸をズラして、腕全体で全エネルギーの2割を消耗させる!)

 

だいたい衝撃の2割を右腕にもらいながら、その反動と軸のズレで体が右向きに回転する。

目の前には後続者である、縦向きの棺が迫って来て押し潰されそうだが、残りの衝撃はぶつけない。8割の衝撃ともなれば結構な破壊力になるだろうし、何より私も痛い。

 

(体をねじって、左足でッ!)

 

棺の蓋を蹴り開けると、中には目を閉じたままのヒルダがいるが、当然なことに眠ったように動かない。なので、続けて追随する左上半身でヒルダを棺から奪うように抱きとめる。

2人して再度、木箱に納棺されるが……

 

(棺はもう用済みですッ!)

 

1周して戻ってきた下半身、右足で棺を川の方へ蹴り飛ばす。今の2つの動作でエネルギーの2割を消耗させた。

 

(後は残り6割ある衝撃のエネルギーを、次の木にぶつかる時に分割して発散させるだけ)

 

勢いは落ちつつも、次の木はもう目の前だ。

 

(まさか、遠山家のあんな訓練が役に立つとは……)

 

 

――五点接地着地。

 

日本の自衛隊などでも訓練するらしいが、小学生の内に屋上から投げ飛ばされた経験のある仲間はそうそう会えないだろう。

最初に足のつま先に4分の1の衝撃を掛け、そのまま体を丸めて地面に転がりながら脹脛の外側、太腿の外側、背面、肩の順に着地してエネルギーを分散、最後に残ったエネルギーを腕にのせて発散させ、即座に立ち上がる。

簡単に思えるが、意外と体を痛める上に、1人では原因にも気付きにくい。

 

遠山家では着地後の動作の形が似ている事と、位置エネルギーを運動エネルギーに変換する攻防一体な性質から、「勾玉」と呼ばれ、「絶牢」の亜種とされている。

 

なんと!過去には高さ10mから飛び降り、そのエネルギーを全て掌底にのせて城壁に穴を穿った猛者もいたらしい。

飛び移った方が早くないの?それって。結構高かったのかな?それとも距離の問題?

 

 

だが私が叩き付けられるのは水平な地面ではなく、柱状の木。

ベクトルは垂直ではなく水平で、両腕にはヒルダが収まっている。

 

(見付かるつもりはないけど、万が一、トロヤに接近された時に負傷しているのはマズいし、確実に決める!)

 

両足の爪先を先に木に到達させ、膝を折っていくことで受ける衝撃を2割までに抑える。

そして普通はここから、柔道の回転受け身のようにエネルギーを立ち上がる勢いに変換していくが、それにはヒルダが邪魔になる。

 

(訓練で何度も打ったんです。怖くもなんともないですよ!遠山家の切り札は……)

 

膝が付く、そのタイミングと同時に――

 

(これですからッ!)

 

秋水を利用し、体重のほとんどを頭にのせて、額を木に叩き付けた。

 

 

メギィッ……という音を立てて、頭が少しだけ木に刺さった状態で止まる。

残り4割のエネルギーは見事に切り札と両膝で受け切ったようだ。

 

 

3点接柱着地。

両脚、両膝、額だけで着地できた!

 

自然は力強いから大丈夫だろうけど、ごめんね?

今度、一菜とかいうおバカの大将連れて来るから。

 

それはさておき、木にめり込んでいる今の私の体勢を真横から見たら、正しく勾玉型だろう。すごく恥ずかしい。

 

(ぬ、抜けない…)

 

「んん~~~!!がぅッ!」

 

あ、バタついていたらスポっと抜けた。

 

「っと、っといやぁッ!」

 

(あ、あぶなッ!ヒルダ落とすところだった!)

 

「危なかったですが、ヒルダが無事で何よりです」

 

(起きてからいちゃもん付けられたら、たまったもんじゃないですし)

 

傷は増えてないか?特に顔!……あー、飛ぶ前の傷とか覚えてないな。

それでも一応、改めて眺めてみる。

 

「羨ましいくらい綺麗な子だよ」

 

襲われた時も綺麗だとは感じていたが、間近でじっくり観察すると、また違った彼女を見ることが出来た。役得役得。

 

(真っ黒な服装はともかく、黙ってればお姫様みたい。んー?みたいじゃなくて、トロヤの従妹なら彼女も貴族様の娘かも)

 

それなら尚更、彼女がこんなところにいる訳が分からない。執事の吸血鬼とか下僕とかいないのか。

そういうのは表向きの顔で、吸血鬼達には無いとか?気になる。

 

彼女たちの価値観は私達と異なるのだろうけど、やっぱりトロヤとヒルダは……

 

「仲良し、かぁ。もっと知りたいし、ゆっくりお話しもしてみたい」

 

その為にも負けられない。

ゲームに勝って、トロヤから過去の話について聞くんだ。

 

 

「おーい!クロー!無事かー!?」

 

木々の向こうから声が聞こえる。ガイアが探しに来てくれたみたいだし、さっさとここからずらかりますか。

 

「ガイア、双眼鏡を貸してください」

「あ、いたっ!クロ、木箱だけ帰ってくるからビビったぞ?」

「あ、あはは……すみません。アレの回収もお願いしますね」

「ったく、双眼鏡ならクラーラが持ってるぞ。たまに現場に来ると。いつもはしゃいでんだよ、あいつ」

「それは良く知っています。彼女は視るのが上手いですからね」

 

ガイアに木箱の回収を任せ、指示されたポイントの車へと移動する。

彼女は私が抱いていたヒルダに関して、説明は求めなかった。別れ際に「しっかり守れよ」とだけ言われたけど。

バチカン絡みなのは伝えていたし、勘付いたかも。

 

 

教皇庁図書館の向かいの木々の中、そこに停めてある車の脇ではクラーラがサンタンジェロ城の屋上を双眼鏡で覗いており、パオラが通信車輛であるトヨタバンのディーゼルエンジンを温めていた。

 

パオラは私が血まみれのヒルダを運んでいるのに驚いていたが、後部座席の扉を開けて招き入れてくれた。

 

「クロさん…無事なのは良かったんですが……これはまた、すごいことをしてるんですね」

「いつもの事です。この女性を()()()までお願いしたいんです」

「構いません、けど、この綺麗な人、()()()()()んですか?」

「間違いなく」

「そ、そうですか」

 

ちょっと引いてる。仕方ない、色々穴だらけだしね、服とか体とか。

 

横たわらせ布団を掛けてもらい、車を降りてクラーラから双眼鏡を借りに行く。

 

「クラーラ、屋上の状況は?」

「……」

「クラーラ?あ、クラーラ、ヘッドホン付けるの忘れてますよ」

 

彼女の首に掛かっていたヘッドホンを持ち上げて耳に当てる。

 

「あれ?クロさんいつの間に。やっぱり怪我の1つもありませんね」

「やっぱり、を驚きました、に変えてください。クラーラ、双眼鏡を借りてもいいですか?」

「え、今ですか?今いい所なんですよ?」

「じゃあ実況をお願いします。いい所といってもまだ煙が晴れていないでしょう?」

 

心配してくれていなかったので、八つ当たり気味に尋ねてみる。何が見えてるんだ?

 

クラーラは屋上よりももっと右側、最高裁の上を見ている。そこには確か……

 

「狙撃手に動きがあるんですか?」

「うーん、視界の端がモヤモヤしてて、その予兆は感じますが……あっ!そろそろ撃ちますよ。指を何度も反復させて、何か呟いています」

 

ジンクスか何かだろう。

初心者によく見られるものだが、極めたプロもまた、初心に還る。ここ一番でジンクスは真価を発揮する…って聞いて、決め台詞は理に適ってるんだな~とか考えてた記憶がある。

 

 

 

―――――――タァーーーン……!

 

 

 

今夜だけで3回も聞いた、あの狙撃音。

対象は誰だ、ちゃんとトロヤを狙っているのか?

 

ヴィオラも謎の多い人物だと称していたし、この局面で予想外の動きをされると困る。

 

「クラーラ!」

「待ってください。着弾しています。煙が徐々に晴れて……撃たれたのは――」

 

誰が撃たれた?不安だ、早く教えてくれ!

 

しかし、クラーラは屋上を見つめ、無言のまま双眼鏡を私に渡してきた。

視線は釘付けになっていてこちらを見ず、驚きで顔は固まり、瞬きもしていない。

 

(ちょっと…やめてよ、そういうの)

 

だが、見なくては始まらない。屋上で何が起きたのか――

 

「……クロさん」

「これ……えっ?」

「どう見えますか?」

 

どうもこうもない。だって、だって――!

 

「何も起こっていない……?」

 

フラヴィア以外、誰も倒れていない。

一菜も、アリーシャも、トロヤも。見える範囲では、フィオナも。

 

いくら銃弾がトロヤに効かなくても、あの狙撃手は銀弾を持っていた。トロヤに撃つならそれを使うだろう。

 

(――外した?あの狙撃手が、誰1人動いていない射撃を?)

 

ありえなくはない。

銀弾は軽いし、煙幕も晴れ切っていなかった。体温の低下で動きが鈍ったのも要因かもしれない。

 

 

「クロ移動するぞ、車に乗れ」

「え、えと。――はい」

 

ガイアが2爪キャリアーで木箱を運んできてくれた。

大きな疑問は残ったが、もう1分経っている。移動した方が良いだろう。

 

私とクラーラは状況を把握できないまま、この場を後にする。

 

 

 

 

私達は大事なものを見落としていた事に気付かない。

見落としたんじゃない、見ていても気付かない。

 

だって、撃たれた者が無傷なハズがないと……

 

 

 

車は中継地点へと走り出した。

そこでダンテ先輩と合流し、二手に分かれる。

 

私とガイアの逃走班とダンテ先輩、パオラとクラーラの葬儀場班だ。

 

 

 

 

 

悪魔のゲームは今宵始まった。

 

悪魔の嗤い声が()()()()()()()()澄み切った夜空に響き、その興奮が()()()()()()()()()()

 

悪魔の()()()()が捉えているのは、ローマ市内を進むたった()()()()だけ。

 

悪魔の闇の翼は霧となって、闇の中に消えていき、その霧が晴れるころには――――

 

 

 

 

 

 

―――もう、だれもいなくなった。

 

 

 

 

 

 

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*・・・・・・・・・*

 

*・・・・・*

 

*・・・・・・・・・・・・・・・・・・*

 

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**

 

*あくまのげーむはこよいはじまった*

 

*あくまのわらいごえがこごえるほどにひえすみきったよぞらにひびきそのこうふんがほのおとなってもえあがる*

 

*あくまのまんげつのひとみがとらえているのはろーましないをすすむたったいちだいのくるまだけ*

 

*あくまのやみのつばさはきりとなってやみのなかにきえていきそのきりがふたたびあらわれるところには*

 

**

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*みつかったよ いそいで にげないと*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*さあ かのじょ が きたぞ*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。



ギャグ多めの回にしたつもりが、あれあれ?シリアスムードの方が時間長い?
とか、考えながら書いてました。

次に向けての準備、そして次回は……


チェイス戦、再挑戦です!


是非、ぐぐまーを使って展開を追って頂ければと。

執筆期間は最長になるかもしれません。
(エアコンを入れれば早くはなりますが……)



次回作は冷凍庫でじっくり冷やしますので、固まるまで今しばらくお待ちくださいませませー。


※次回予告は予告なしに……云々かんぬん


追記.あ、重要なことを書き忘れてました!
    風魔陽菜の年齢、間違って書いてましたね。
   場所は「二人の戦姉妹(後半)」のこの部分です。

   ”陽菜とルーカは途中から合流した班長の指示を受け、中学1年ながらも迅速に動いてくれた。”

   風魔陽菜さんは中学2年生でしたので、修正と謝罪を致します。
   つい、後輩だという感覚で書いてたもので、うっかりしてました。
   このままでは陽菜さん小学生6年生になってしまいます。
   
   クロと風魔陽菜は同学年ですので、皆さんの記憶の改ざんをお願いします。

   本編の方は明日の0時には修正しますので、堪忍してください!

追記.本編の修正を行いました。


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深賚の星座(後半)




どうも!


やっぱコレジャナイ感に苛まれているかかぽまめです。遅くなりました、ごめんなさい!


トロヤとのゲームがスタートしますよ。
徐々に明らかになる彼女の能力、クロはどの様に対応していくのでしょう?


では、始まります!





 

 

 

闇に支配された屋上では、皆一様に声を失っていた。

 

ここにいる人間はこの場で引き起こされた状況を正しく理解し、そして等しく現状に疑問を残す。

 

 

 

『……なぜ?』

「原因は不明です。銀弾は確かにターゲットの矢状縫合とラムダ縫合との交点(ラムダ)付近を貫通しました」

『その精度も、驚嘆。兎狗狸、どう?』

 

【何もかにもだよ!?当たってたし、首を前に倒したから、もう終わったなーって。そしたら……】

『そしたら?』

【あ、あいつ、笑ってる。銀弾だよね、今の?】

『銀弾。貫通、しなかった?』

【歯で止めたんだよ!!後頭部から貫通してきた弾を!!】

『わざわざ、止めた?……っ!』

 

「ターゲット、損傷部の再生を確認。銀弾による優位は失われました。単独での魔臓の破壊は困難と判断、次弾は翼への攻撃を実行します」

『傷の治り、異常に早い』

【ち、ちーちゃん】

『兎狗狸?どうしたの』

【あいつ………】

 

 

 

 

 

――――銀を……()()()()

 

 

 

 

 

 

 

ガ、ガギィ……ギ、バキィッ!

 

 

 

銀を喰らう悪魔の左目が激しく明滅し、その力を露わにした。

 

「……あはっ!あははッ!とても純度の高い銀ね。祝福まで受けているなんて、最高の味だわ!」

 

 

空の温度が急激に低下する。

 

 

「あの人、何食べてるの?」

「おそらくは、銀弾だと思いますわ」

 

 

地上の炎が勢いを取り戻し。

 

 

「イヅー!」

「この声っ!苔石ちゃん!?」

「ちっがーう!私は兎狗狸!兎狗狸だよー!」

 

 

空間は複雑に捻じ曲がる。

 

 

「ちーとさんしょも来てる。逃げようよ!イヅも見たでしょ?あいつは銀も効かないんだよ!」

『こんばんは、イヅ、ちーも見てた。逃げるべき。でも』

「逃げないよ。()()()()を焼いてもらわないと」

「ええっ!逃げないの!?なんでっ!?」

「それがあたしの役目だからね!」

『そうだと思った』

 

 

暗き闇は光によって再び取り払われる。

 

 

『大丈夫、彼女は、もういない』

「なになに?何の話?まだいる、まだいるよ!満月みたいな目でこっち見てるもん!」

「ッ!あの方、翼が消えていってますわ」

『風が、彼女を、素通りしてる。物質的に、存在しない』

「ヒルダの影みたいな状態なのか!」

 

 

ゲームスタートの合図となった残響音が、逃走者の耳に届いた後に。

 

 

「黒い霧?」

「アリーシャちゃん、電話貸して!あたしの電話クロちゃんが持ってっちゃってさ」

「…構いませんわ。ですが、どちらへ?」

「フランスのお友達兼先生に、手を貸してもらおうかと」

「フランスの方?イチナ様のご交友の広さには驚かされますわね」

「アリーシャには負けるって」

 

 

闇の霧が悪魔を包んでいって。

 

 

「苔石ちゃん。この城にフィオナって言う狙撃手がいるから、一緒にちーちゃん()と合流して」

「ッ!?待って待って!何その編成!?狙撃3人編成とあっしで何するのさ!?」

「遊撃隊、みたいな?今から作戦立案するけど、この通信機を持っておいて」

「ゆ、遊撃隊?ま…まさか」

「クロちゃんの事、よろしくね!」

『兎狗狸、急いで。時間は有限。……眠い』

「うっ、うっ。いいもん!やってやるもん!玉藻様に撫でてもらうもんッ!」

「うん!その意気だー!」

 

 

霧と共に悪魔は消えた。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「パオラ、中継地点ってどこなんですか?」

「アウグスティス霊廟のあるリペッタ通りで、ダンテ先輩と待ち合わせですよ」

 

テベレ川の側道、ルンゴテベレを川の流れに逆らって走行していた。

一方通行で路駐だらけ、普段は非常に混んでいるこの道路も、真夜中となったこの時間には、まばらな路駐と少ない交通量であり…

 

「おーい、遅いぞー。こっちは急いでんだ」

「ガイア、程々にね。事故ったらたどり着かないよ」

 

それほど遅くもない車を、一通なのを良い事に、ガイアはスーイスイと追い越していく。

結構車内は揺れているのだが、誰一人として危機感を感じていないのは、信頼のなせる業か単に慣れによるものなのか。

 

右側ハンドルの運転席に座るのはガイア、助手席にクラーラ。後部座席には右側に私が、左側にパオラが座っている。

バンは3列シートになっているが、3列目は折り畳まれ、空いたスペースに通信機器の端末が、かなり頑丈に固定した上で、緩衝材で補強されている。

 

「すぐ近くですね、そこで2人とはお別れですか」

「後ろの方もですよ。絶対に届けますから、安心してください!」

 

あ、忘れてた。

後部座席の通信機器同士の隙間には、簡易的な休眠スペースが設えられ、出棺したてのヒルダが布団で眠りに就かされていた。

 

「それはダンテの(あん)ちゃんによるだろー」

「ガイアよりは安全運転だから。…それより、クロさん達の方が心配です」

 

クラーラは私が棺桶と共に吹っ飛んできた時には、「やっぱり怪我してない」とか言ってたのに、今度は心配してくれるらしい。

2人で見た屋上の光景が、少なからず彼女の不安を掻き立てているようだ。

今も注意深く、双眼鏡で屋上を眺めているが、状況が動いている様子はないとの事。

 

「それこそ、ガイア次第ですよ。事故でも起こさなきゃ追いつかれませんって」

「なんでさっきから、あたしの運転には事故の単語が付いて来るんだよ!免停になったことはねーぞ?」

「荒々しいからですよ、ガイア」

「パオラまで言うのかよ…」

 

パオラにまで敬語で諭されたガイアは押し黙る。普段は弄られ役だが、なんだかんだでパオラの一言は3人の中で一番大きな力を持っているのだ。

……たぶん、2人共パオラには頭が上がらないんだろう。彼女の裏ルート(仕入れ先)と交渉術は侮れない。

私だって、彼女からの供給が断たれてしまえば、戦力がガタ落ちするだろうし。

 

「霧?」

「どうした、クラーラ?」

「屋上に霧がかかっていて、よく見えなくなってきてる」

「霧…ですか。川から上がっている感じです?」

 

クラーラは双眼鏡を覗いたままで少し考え、回答する。

 

「黒い霧。クロさん、あれは自然発生では無さそうですよ」

「ということは…」

「人工的な物でしょうね。発生範囲からして、あの…翼の生えた人間の仕業かと」

「つっ!翼ッ!?クラーラ、何ですかそれ!?」

 

隣のパオラが跳ねた。しかし、身長が低すぎるので、天井には全くもって届かないし、揺れるものもない。

この反応から見るに、知らなかったようだ。屋上の状況も今の状況も。

 

「パオラはずっと電話してたしね。お化けとか苦手だし、黙ってた方がおも…混乱せずに済むかなーって」

「ク、クラーラ!」

「ホントに酷いお仲間ですよね」

「っつーか、どこに電話してたんだ?引っ切り無しだっただろ?」

 

復活したガイアが会話に参加し、パオラに質問を投げ掛ける。

ずっと電話してたのか、珍しく忙しいようで。

 

「ごめんなさい、仕事の話だから、詳しく話せないの」

「ま、そーだよな」

「お仕事大変だねー」

「あ、パオラ。私の脛当てと防刃ストッキングってどうなってます?」

「それなら、明日にはお渡しできますよ」

「そっか、よろしく!」

「はい!」

 

一応、すぐに話題は変えたが、やはりこの話(仕事)になると、パオラはピリッとした雰囲気になる。

聞いてみたいが、聞けない。…気になる。

 

「クラーラ、霧の様子は?」

「もう完全に見えませんね。炎の勢いも増してきていますし、視界がモヤモヤします」

「とうとう動くんですね」

 

1分はとうに経っていて、未だに屋上にいる理由は分からない。

高い所から私を探しているのかもしれないし、誰かが足止めしてくれているのかもしれない。

どちらにしろ、私1人をこのローマの中から探し出すのは容易ではない。…と思う。思いたい。

 

 

この作戦での私のアドバンテージは、

 

・先手を打って、逃亡先を完全にくらました事。

・車での移動によって、1分での移動可能範囲を伸ばした事。また、万一の逃亡時にも有利に働く事。

・過度な攻撃を封じ、広範囲に及ぶ攻撃をも封じた事。

 

等々、多岐に渡る。

 

見付からない前提で動くのが第一だが…

 

(嫌な予感がする、言い知れない、壁か何かが、見えるような)

 

かくれおにの本番は見付かってからの逃亡になるだろう。

ガイアには危険な相乗りで申し訳ないが、ローマの為にも一緒に頑張ってもらう事になる。

 

「クロ、降りる準備をしとけ、戦闘準備もな。もうちょっとで着くぞ」

「はい、大丈夫です。欲を言えばもう1丁、銃が欲しい所ですが」

「あれ?パオラの銃ってクロさんのと一緒じゃなかった?」

「私のは縮小タイプで、改ぞ…使用感が全然違うの」

 

ああ、見た事ある。すごく小さいよね。パオラにピッタリだと思ったよ。

 

「いえ、私はあの銃(M92F)じゃないとダメなんです」

 

(表では…ですけど)

 

「じゃあ、諦めろ。向こうの車に、銃弾位なら少しは積んでる」

「それはありがたいですね!」

「使いすぎんなよ?」

「そ・れ・も、ガイア次第です」

 

 

 

 

車はリペッタ通りに進入する。

ここでダンテ先輩が待っている予定だが…

 

「ん?あいつ、エレナミアか?」

「あ、ホントだ」

 

前列2人が知り合いを発見したようで、車速を落としていく。

すると、向こうもこちらに気付いた様子で、腰かけていた小さな植木から駆け寄って来た。

 

Boooone(ブーーーン),Boone(ブーン)!!夜も遅くにこんばんは!だねー?」

「なーんでお前がいる?兄ちゃんはどうした」

 

意味不明な掛け声は、エンジン音の真似だと思う。独特なキャラなのだと認識はしたが、どちら様?

クラーラとパオラは適当に挨拶をしているけど、私は会った事が無いな。

 

パオラよりは大きい位の小柄な体格で、武偵中の制服の上に厚くて硬そうなエプロンを着用している。

潤滑油の匂いがするのは、彼女が原因だろう、エプロンと頭につけたゴーグルには粘性の液体が付着していて、何かを弄っていたのが一目瞭然だ。

 

(あん)ちゃんには別の仕事頼んだだろー?代わりに私が駆り出されたんだってー!」

「あたしは聞いてないぞ?クロ、なんか頼んだか?」

「私が進んで男性と話すと思ってるんですか?ガイアを仲介するに決まってるでしょう」

「クロさん……それもどうかと思います」

 

トラブルという程でもない、予定の誤差があるのか、ガイアとゴーグル少女は何度か言葉を交わす。

 

「クロ、車を変えるぞ。そこの日本車だ」

「日本車ですか?」

 

ドアを開けながら、ガイアが示す先にあるのはシルバーのスバルインプレッサWRX STIだ。

今乗っているバンもそうだが、犯罪用車じゃないんだから、わざわざ外車に拘らんでも良かろうに。

何となく嬉しいけどさ、日本車が海外で活躍するのを見るのは。

でもあっちは左ハンドルなのね。

 

車を降りると、丁度強い風が辺りに吹き晒した。息の止まるようなその一陣の風は一吹きだけで、穏やかな風が戻ってくる。

日本車の感慨に耽っていると、前方下部から声を掛けられた。

 

「Boone!あんたがクロ?すっごーい。アレ見せてよ、アレ!どっかーんってやつ!」

 

 

(意味不ッ!)

 

 

「エレナ、クロさんは忙しいんです。また今度にしましょう」

「よっし!また今度、約束したからね!」

「クロ、急げよ。置いてくぞ」

「私を置いてどこ行くんですか!」

 

助かった。テンションが高いし、擬音ばっかで会話が困難だったけど、聞き分けはいい子だ。

慣れたもんなのか、クラーラとガイアによってうまい具合に引き離される。

 

「じゃっ、ガイア!私は先に出るよ!」

「ああ、安全運転で頼むぞ。つってもお前なら事故の心配はないか」

Mio Motto Mailing (私の郵送のモットー)Minuziosamente(正確) , Meraviglioso(素晴らしい) , Magnifico (超クール)Mista pizza(ミックスピザだろうが) , Missiva(伝言だろうが) , Missile(ミサイルだろうが) , ね!」

 

そう言い残し、ゴーグル少女はバンの運転席へと乗り込んでいった。

 

 

 

 

「クロ、出るぞ」

 

4人を乗せたバンが右折し、見えなくなるまで見送っていると、ガイアが後部座席に座る私に話す。

やたら近くされていたシートや、下向きに調整されたフロントミラーなどを調整し終えるのを待っていたが、終わったようだ。

窓やドアの自動開閉機構の確認も行っていたし、随分と念入りに行うのは……

 

「いつでも、いいですよ」

「シートベルトはすんなよ?ワイヤーでもつないどけ」

「……巻き込んでしまって、すみません……」

 

当初の目的ではこんな危険な役目になるとは思っていなかった。

監視の目を欺くために、ダンテ先輩と車を入れ替えて、葬儀場―――ゾーイ先生の医学研究室までヒルダを運んでもらうだけのつもりだったのだ。

 

だが、結果として、ガイアをトロヤがもたらす危険に晒すことになるかもしれない。

そしてひとたび遭遇してしまえば、私は自分を守る事すらままならなず、彼女を守り切れる自信は……

 

「夜中だからって寝惚けてんなよ。黙って前だけ見てろ。いいか?」

「……うん」

 

 

そうだった、ガイアはこういう人だ。

 

 

「…今、起きましたよ。さっきの寝言は忘れてください」

「何も聞いてないさ…ッ!?……それと、クロ。悪りぃ、前は見なくていいぞ…」

「?……ッ!!」

 

 

フロントミラーに映った、私の左隣。

 

 

黒い霧。

 

 

その霧が再び現れる所には――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       * 

       ク

         ロ

      ち

       ゃ

         ん

        `

      み

       ぃ

      l

        つ

     け

        た 

      ♪

       * 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪魔の笑顔が。

 

 

 

 

――――見つかった。

 

 

予想はしていたが、想定を超えて早い。

 

 

初めから、私の場所なんて分かっていたのだろうが、移動まで早いとは。

 

 

「これで、1回目かしら?」

「なんで……ッ!?」

 

 

音も無かった。

気配も無かった。

()()も無かった。

 

 

ずっとそこにいて、ずっと見ていて、ずっとくっついていたみたいに。

 

 

抱くように撓垂れ掛る、トロヤの満月の瞳が闇の中の私を捕らえていた。

 

 

優しく包むその両腕が、急激に体温を奪い、震えと眠気を誘発させる。

 

 

「クロ……ッ!」

「黙っていなさい?」

 

トロヤの殺気で車内は沈黙し、時が止まったように静寂が訪れた。

 

「ねぇ、どうしてなの?」

「発言の…意図が、読めません…」

 

触れるほどに近付けられた彼女の口から発せられたのは、疑問を含んだ声色。

知りたくて、知りたくて、仕方がない。そんな心情が在り在りと感じ取られた。

 

「なんで、こんな勝負を挑んだのかしら。この展開も、予想出来ていたのでしょう?」

「……いったはずです。これはリベンジゲームだと」

「ええ、そうだったわね。でも…」

 

頷いた彼女は視線を外さない。

私もまた、目を離すことが出来ず、首の裏が疼き始める。

 

「賢いあなたなら分かったはずよ?彼女たちの重要性も、このゲームの無意味さも。初めから素直に従えば、あの2人を…そこの運転手も巻き込むことも無かったわ。焼滅(アレ)だって、あなたが懐いてくれるなら、いつでも消してあげるのに」

「トロヤ、その話は私1人の犠牲で、ローマも大切な仲間たちも守ることが出来る、一見魅力的な提案に聞こえます。……が、私を賢いと思っているのなら、そんな話に乗るわけがない、そう思いますよね?」

 

なんとか自身を奮い立たせて紋章の発動を食い止める。

首に掛けられた真っ白な両腕が型を取るが如く、肩、脇、腰へと下がっていく。

 

「ダメ?」

「自分で言ったでしょう、『たとえ負けたとしても、また会いに行く』と」

 

そうだ、彼女が手を引く理由はどこにもない。それは彼女が勝っても変わらないのだ。

ここで、逃げの一手として私が従ったとしても、一菜達はずっと監視され、いつか利用される。

状況は今と何も変わらない。

 

「…そんなこと、言ったかしら?」

「誤魔化しても無駄です。あと、負けるつもりもありませんから…」

 

嘘を吐くのが苦手なトロヤが目を逸らした一瞬で、さりげなく手を振り払い、逃走準備を始める。

それに彼女も気付いて、私の挑戦的な目を愛おしそうに眺めた。

 

 

「無理しないで?諦めても誰も責めたりしないわ。初めから()()()だったのよ」

 

 

振り払われた右手で、虚勢を張る私の頭を撫でて宥めながら、降伏を促す。

許してあげる。そう言わんばかりの柔らかな笑みは果たして――

 

「不可能、ですか」

 

こっちも言わせてもらいますよ、私の思ったことを。

好きじゃないんです、その言葉。()()()()

カナの悲しそうな顔を思い出してしまうから。

 

ガイアにミラー越しで合図を送り、タイミングを計る。

 

「不可能って言葉、私は言おうが言うまいが、その人の勝手だと思います。自分1人で何でも可能だと言ってしまう人もいますが」

「……」

「でも、私は言い切ることが出来ません。口では何とでも言えますが、心から准ずることが出来ないんです」

「クロ…」

「当たり前じゃないですか、1人で出来る事なんてタカが知れています。だから皆を信じるんです!」

 

トロヤは解せない、そんな不愉快そうな顔をした。

彼女は他人を信じられないんだろう、過去に何があったかは分からないが。

 

「あなたに仲間は要らないわ。そんな余計なもの……」

「私には皆の力が必要なんです!」

 

 

(一時的に恐怖に打ち克った!いける、今なら動けるぞ!)

 

 

「可能か不可能か!そんなもの、行き当たった先で賽でも振ってればいいんですよッ!」

 

トロヤ側のドアが自動で開かれる。

同時に飛び掛かり、彼女を外に押し出そうとした――

 

(お、押し切れない…)

 

全体重を載せた体当たりだったが、彼女は細身の体に似合わず、()()()()()()()

 

「あらまぁ、一生懸命に頑張っちゃって。健気で可愛らしいわ」

「くっ…そ……」

 

トロヤは頭を撫でる手を止めない。

それが無性に逆らい難く感じられる。

 

 

 

膠着状態。

そして私は動いてしまった。

 

 

 

――――1分間の逃走タイムの始まり。

 

 

 

あと2回。それだけでこのゲームは終了する。

 

「クロ!絶対に落ちんなよ!」

「ガイア…ごめんッ!」

「弱音を吐くなッ!」

 

ガイアはこちらに警戒を向けたまま、何かの操作を始めた。

エンジンの空ぶかしもしている。

 

(車で逃げても、トロヤが乗ったままだと意味がない。どうにか追い出さないと)

 

「まだ邪魔をするの?」

 

私から手を離し、ガイアを睨み付ける。

 

()()、してねーだろッ!」

 

キュルルル…と、タイヤが音を鳴らし、ドアを開けたまま車が急発進する。

2速、3速、4速と、ぐんぐん速度を上げ……80km/h!

 

「悪魔さんよ、しっかりシートベルトを付けとけよ?」

「人間如きが何をするかと思えば、振り落とすつもり?あははっ!無知ってのは罪深いわねぇ?そんなにうまくいくと思って?」

「ああ、無知ってのは怖えーだろ?良く覚えとけ」

 

車がリペッタ通りとアラ・パチス通りの交差点に差し掛かる。

交差点に進入した、その瞬間。

 

「限界ってもんを知らねーからなッ!」

 

ガイアは()()思いっきりハンドルを切った。

 

 

60度、120度、180度……270度!!

 

 

上昇した速度の全てを使ってスピンをし、作り出された遠心力によって、私とトロヤは車外へと引っ張られる。

 

「……ぐぐッ!」

 

トロヤの表情が変わってきた。

車に乗り慣れていないのかとも思ったがそれだけではない、彼女が掴んでいたシートが()()()()()()()()()()()のが分かる。

 

体当たりをした時にも感じた事だが……彼女は質量がかなり大きいらしい。

それが仇となって、より強い加速度、遠心力を受けている。

 

(これで叩き落す!)

 

両脚を折り、左足の爪先から始まって、両方の足首、膝を同時に伸ばすことで、最後に右足で後ろ蹴りをお見舞いする。

 

 

鉄沓(かなぐつ)ッ!」

「うっ」

 

 

ドスッ!という鈍い音を上げて、トロヤを外に弾き出した。

しかし、脚へのダメージがでかい。鉄骨にかかと落としをしたような、脚部全体への痺れが残った。

 

「ガイア!出来るだけ距離を広げましょう!」

「ナイスだ、クロ。今走る」

 

車はトロヤを置き去りに走り出すが、またすぐに追い付かれるだろう。

彼女の移動手段が謎な以上、振り切る手段はないのだ。

 

正体を掴めないかと、後方を確認していたものの、靄のようなものが彼女を包んで隠してしまった。

 

「あれが、クラーラの言っていた、黒い霧ですか」

「あいつ、動いてるか?」

「見えません。けど、きっと移動手段だと思うんですよ。彼女自身が霧になって」

「霧になって寄って来るってのかよ。なんでそのまま追って来ない?」

 

確かにそうだ。

足を止めてまで、霧になる位なら、直接追ってくればいい。その力が彼女にはあるだろうし。

 

ヒルダが影に入り込むのは障害物を透過する効果があった。

では、トロヤが霧になる理由はどこにあるのか。

 

広々とした屋外で、わざわざ障害物を避けやすいなんて理由で霧になる必要はないし、銃弾が効かないのに霧散させて姿を隠す必要もないだろう。

他に霧になる理由なんて……

 

 

……いや、待てよ。

 

彼女は本当に()()()()()()()で、高速な移動が可能なのだろうか?

 

霧になる理由が()()()()()()()につながるとしたら――――

 

 

 

――そうか!彼女の出現には、()()があったんだ!

 

 

 

「ガイア、このまま車で逃げ続けて下さい。冷房はそのまま付けず、絶対に()()()()()()()()()()!」

「は?考え込んだと思ったら、突然なんだよ」

「おそらく、霧状態の彼女自体は()()()()()()()でしか移動できないんですよ。だから車が走り続けていれば、それだけで車内に紛れ込むことが出来なくなる」

「ゆっくり…?逆だろ、屋上から中継地点まで、あっという間に移動してきた」

 

そう、私もそう思ってしまった。

だが違う。彼女は一度中継地点の近くまで移動してから、私達の車に侵入するまでに、かなりの時間が掛かっている。

その証拠に、()()()()()()()()()()()にはすぐ近くまで来ていたのに、姿を現したのはガイアの発車準備が整ってからだった。

まるでクラゲの様に、漂う速度でしか移動できないのだ。

 

「車から降りたがらなかったのは、走り出してしまえば次の停車まで、乗り込めないからなんです」

「どういうことだ」

「風。車を降りた後、一際強い突風を感じませんでしたか?」

「かぜ…?確かに風が強いとは思ったけど」

「その風は一回しか吹いていないんです。()()()()()()()()()()()()()自然の風」

 

乗って来たんだ、その風に。

自身の大きすぎる質量を霧に分散させて。

 

そして()()()()()()()()()()()()()()()、違うな、まだ付着している。

 

 

(それこそが――――この紋章だ)

 

 

首の後ろをさする。

触っても何も感じないが、ここには確かに彼女の一部が埋め込まれていて、それを頼りにいつでも私を見つけ出せる。

 

「じゃあ高速道路にでも向かうか?それなら延々グルグル回れるぞ」

「高速にたどり着く前にタイムアップですよ。止まらなければどこでも……!」

 

 

車が微かに揺れた。強い風が吹いたのだろう。

これが予兆になる。車に張り付いているかもしれない。

 

「ガイア」

「分かってる、もう止まんねーよ……げっ!事故車か?」

「止まっては…」

「わーってら!」

 

ガイアはブレーキを掛けてハンドルを左に、川縁に降る()()()()()に突き進む。

 

「!?」

「喋んなよ?」

 

 

ガタガタガタゴトゴトゴト……

 

 

痛い!おしり痛い!

 

サスをギリギリまで縮めている為、ちょっとの振動でも車内は結構揺れる。

 

左車輪を塀に、右車輪で階段を走っていると、川縁の車道は見えたが……

 

「あれ!手前の道狭すぎません?」

 

歩行者用に作られたであろうその道は、車が通るには当然狭い。

だが、そこ以外に舗装された道路は見当たらないぞ。

 

「なら走んなきゃいいだろ」

 

平然と言い放ち、またハンドルを左に、川に向かって切った。

途中からシフトを1速に落とし、クラッチを切ったままアクセル全開で回転数を合わせていく。

 

「ちょ、ちょっと!」

「そこにあるだろ、道が」

 

車が着地したのは、雑草の除去もされていない土の上。

そこからエンジンの力で車道へと乗り上げていく。

 

「ほら、止まらなかったぞ?」

「……しゅみませんでした……」

 

もう怖い。降りたいけど降りれない。

牢獄、狙撃の次は車内監禁が待っているとは。

 

 

――ガスンッ!

 

 

なんの音だ?

 

 

「…クロ、やられたみたいだぞ」

「?どうしました?」

 

ガイアに示されたメーターを見てみるが、車なんぞに縁がない私にはサッパリだ。

四角いボックスマンが長い腕の先で、自分を指さしていて、そのメーターがなにやらグングンEに近づいている。

EとF…ランクアップまでの残り経験値だろうか。メタルスライム並みの経験値を手に入れたらしい。やったー。

 

「それはガソリンメーターだ。それくらい知っとけ」

「分かりませんよ!車なんて数える程しか乗ったことないんですから!」

 

四角いボックスメンは給油機の形だそうで、彼のメーターは残りHPを表している。

エンプティーのEに到達して暫くすると、車は止まってしまうとか。

 

それってマズいんじゃないの?

 

「ガ、ガガガ、ガイア!回復、回復呪文を!」

「んなもんねーよ!それ以前に穴空けられてんだ!」

 

出て来ないと思ったら、なかなか面倒なことを。

車が無くなったら逃げきれないぞ。

 

「そんなに遠くには行けない。どこに向かう?」

「近くに公園がありましたっけ」

「あーー…あったな、ポポロ広場のとこのボルゲーゼ公園だ」

「ああ!丘がある広い公園ですね!」

 

そこなら車通りも無いし、この時間なら人もいないだろう。

 

「そうしましょう!」

 

ガイアに同意を求めたが、返事がない。

窓の外を見ているので、同じ方向を確認してみる。

 

「あたしの見間違いじゃなきゃ、お客さんじゃねーか?」

「……なるほど、通常状態の滑空移動でも時速60キロは出せるんですか」

 

左方向、川の上には、並走して滑空するトロヤの姿があり、その右手に髪飾りと同じザクロ色に染められたスモールソードを握っている。

あれで穴をあけたらしい。ヒルダと同じで近接戦も出来るのか。たぶん、フラヴィアの左目も……

 

驚くべきはあの質量で飛べることなのだが、川の水が跳ねないのが気になるな。

彼女の重量ならもっと水飛沫を上げそうなのに。

 

 

川には観光用のボートを貸し出しているボートハウスが並んでいて、それを避けたトロヤは川の中央へ一旦離れて行く。

 

「もっとスピードは上げられますか?」

「出来れば止めたいくらいだ。引火なんて御免だぞ」

 

(厳しいか。だが仕掛けて来るぞ、あの細剣で)

 

ボートハウス群を抜け、次に現れた彼女は予想通り、刃をこちらに向け―――

 

 

チュチュチュ、カキンッ!

 

 

何者かの銃弾が細剣の切っ先を逸らし、攻撃を中断させる。

 

(今の銃撃は!)

 

対岸にまたしても並走する車がいた。

その助手席、後部座席、ルーフ上に、それぞれ攻撃態勢を取った少女が乗っている。

 

「対岸を走る車がいますよ」

「あれ…兄ちゃんか!?」

 

運転手はダンテ先輩のようで、助手席に座るのはフィオナ、後部座席は例の狙撃手、ルーフに伏臥体制で張り付いているのは……あ!部族の人か、同じの着ているし。

 

 

 

バチィッ!

 

 

ビシュンッ!

 

 

チュチュンッ!

 

 

 

銃弾が次々と放たれ、翼の付け根、肩、右腕を集中して次々と狙い撃っていく。

目的は攻撃の妨害なのが分かった。武器を振るわせまいとしているんだ。

 

「異様な車だな」

「移動型狙撃砦ですね。恐ろしいものを見ました」

 

撃たれた箇所はすぐに再生するが、所々当たっているのに弾かれていて、血の代わりに金属音が辺りに響く。

それでも、彼女の挙動を阻害する事は十分にでき、場所によっては姿勢を崩したりもしていた。

 

「――危ないッ!」

 

トロヤの視線が対岸の車に送られ、全身が細剣ごと霧散していき、車が揺れる。強い突風が吹いたのだ。

 

移動している、見えないまま、高速で。

 

(殺さないにしても、一撃で再起不能にされかねない)

 

しかし、窓から車内に入りはせず、車の後方に追従する形で出現したトロヤは、まずタイヤに狙いをつけている。

()()()()()()()()()()、動きだけを奪ってしまうつもりなのか。

 

(ん?)

 

 

――パカッ

 

 

(ハッチが開いた?)

 

「うわあああぁぁぁーーー!!ホントにいた、ホントにいたよー!!」

 

こっちにまで聞こえる、大きな絶叫が上がった。

姿は見えないが子供の声、部族の人と同じくらいの年齢だと思う。

 

 

 

タァーーン!

 

ダダダァーーン!

 

 

 

すかさず、後部座席の少女が撃ち込み、怯んだ所へフィオナの追撃が襲い掛かる。

狙撃手たちは三者とも百発百中で、付け入る隙を与えない。

 

 

~~♪

 

 

電話だ、相手はフィオナ。

 

『クロさん、すみませんが、そろそろ弾切れです』

「いえ、助かりました。離脱できそうですか?」

『と…とく…?えと、お化けさんがやってくれるらしいので、問題ありま…』

【お化けじゃないよ!と・く・り!あっしは兎狗狸!】

『兎狗狸、さっさと被せて』

【うんうん!やるよ、やっちゃうよ!】

 

(うわー、1人だけ賑やかな子なんだね。後部座席の人、坦々と撃ってるのに)

 

しかし、その寡黙な狙撃手も弾切れのようだ。銃声が止み、マガジンの交換をしているのだろう。

そこへトロヤが距離を詰めていく。

 

 

 

前後不覚の無限蚊帳(あっちこっちのかやまつり)!】

 

 

 

突如、真っ白な蚊帳が降ってきて、カポンと車に覆いかぶさる。

 

トロヤの刺突が、蚊帳ごと車のタイヤを貫い……た?

 

(今のは確実にタイヤを捉えていたのに、普通に走ってる?)

 

「なんだありゃ、新手のお化けか?」

「ガイア、それより前、前!坂の急カーブですよ!」

 

あの珍妙な物体も気になるが、車道は本来の入り口である坂へと差し掛かる。

ブレーキを掛けて2速に落とし、一気に登り切った。

 

再び3速へと増速し、その勢いのままサイドブレーキを掛け、アクセルを踏み込んで回転を上げていく。

 

「どっか掴めよ!」

「とっくに掴んでます!」

 

ハンドルを切ってドリフトを掛けた後に、サイドブレーキを下ろしクラッチを蹴り入れると、車はタイヤから白煙を上げながら180度回転して公道に入る。

 

 

『ターゲットが消えました。クロさん注意してください』

「後は何とかしますよ。そちらも警戒は解かないように」

【ねぇ、お主さんが遠山クロなの?】

 

あれ?賑やかッ子に話し掛けられた?

 

「そうですが…あなたは?」

【あっしは兎狗狸!玉藻様の一番弟子になりた…あぷッ!】

『余計な事、言わない。イヅの友人』

「伊豆さん…?」

 

 

――ドシュンッ!

 

 

 

「うぉッ!」

「キャアッ!なに、なんの音です!?」

 

車が縦にも横にも揺れながら走行し始めた。

速度も落ちている。

 

「リヤだ、左右やられた!」

「分かりませんけど、やられたんですね!」

「もうハンドルも利かない、停まるぞ」

「…へっ?と、止まっちゃうんですか!?」

「リヤタイヤがやられたって言っただろ!」

「タイヤって言ってないですもん!タイヤ位は知ってます!」

 

しょうもない言い合いをしている内に右折し、直進を残すのみとなった。

 

「降りるぞ!振動でエンジンパーツが外れる。燃料の噴射器が折れたら大炎上だ」

「炎上ッ!?」

 

ぐわんぐわんハンドルを取られながらも、なんとか道の端に停めて降りる。

公園まではあとちょっと。

 

――むしろこれは好都合だ。

 

 

「ガイア、車の中に何か積んでありました。触るのも怖いので、確認をお願いします」

「お?分かった、どうせエレナミアの工具セットかなんかだろ」

 

(表のままでは手も足も出ない、どうせ逃げられないなら)

 

「ガイア、ありがとうございました」

 

車の中を確認する彼女に()()かもしれない挨拶をする。

 

「どうした、まだ終わ――」

 

 

 

――もう、聞こえない。彼女ははるか後方にいる。

 

 

 

突風が飛ぶように走る私の後ろにつけて、追い風のように追従する。

 

(トロヤ!正面からお相手してあげますよ!)

 

体に纏わり付いた霧が白い肌の悪魔に変わり、声が聞こえる。

 

「――2回目。惜しかったわね、もう少しで勝てたかもしれないのに」

「3回目はありませんよ?」

 

 

その手を振り払い、公園へ駆ける。

 

 

 

遠く遠く人のいない場所へ、暗い暗い暗澹たる場所へ――――

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「この車、もっと速度はでないの?」

「あらあら、先輩?余り急ぐとステップを誤ってしまうわ」

「あなたが緊急だと言ったのよ」

「ええ、そうね。……出たの、悪鬼が」

「ッ!?…クロは?」

「心配無い…と言いたい所だけれど、私もやられたばかりなのよ」

 

 

「間に合うのかしら?」

「そこは大丈夫。あの子、面白いことを言っていたもの」

「……ふざけている訳では無いのね」

「ゲームですってよ。あの日の続きだそうだわ」

「あの日……」

「信じなさいな、あなたの家族を。……あれは、ヒッチハイク?」

 

「先輩、あの子知り合いかしら?」

「…?ええ、そうね。拾ってあげて」

「子供にしか見えないわよ、連れていけるの?」

「問題ないわ」

「分かりましたわ」

 

 

 

「カナお姉ちゃんこんばんはー」

「うん、こんばんは」

「その人、屋上の人?」

「フラヴィアよ、よろしくね…えーっと」

「チュラだよー」

「あらあら、可愛い名前。でも……どこかで見た顔ね。他人の空似かしら?」

「チュラはあなたに会ったことないよー」

「そうよね、よろしくお願いするわ」

「うん、よろしくー」

 

 

 

「メーヤを知らない?電話が通じないの」

「あらあら、彼女なら今頃私の後を継いで、屋上で最後の役目を果たしている所よ」

「ちゃんと終わらせたよー!」

「知らない所で色々動いているのね」

「全部あの子の仕業よ。まるで夜空の星座の様に、たくさんの人間が1つになっていたわ。私もその1人」

「チュラもー」

「私もその1人なのかしらね」

「うふふ、仲良しで微笑ましいわ。嬉しいのかしら?それとも、寂しいの?」

「寂しいの?」

「人は、知らないうちに成長していくものね」

 

 

 

「……先輩、前回はどうやって追い払ったの?」

「メーヤのおかげよ。私だけなら負けていたわ」

「メーヤが?悪鬼には聖歌も祈りも通じないのよ?」

「感情の制御が重要なの。悪鬼は絶対に人を()()()()()

「裏切れない…?」

「人を信じる、人を愛する。かつて自分が裏切られるまでに求め続けたその感情が、彼女の()()に耐えうる。……らしいわ」

「……良く分かりませんわ」

「同感よ」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!



チェイスなんてもう書かないもん!

バイクは登場させられなかったし、ニンジャもお留守番になったし!


なんてこったい。



反省はこれくらいとして、本編の内容をば。

ここまでの4話、星や星座という題名通り、仲間たちとの絆をテーマに(24時間テレビではありません)、クロじゃない目線を多めに書いてきました。原作と違って味気無さが感じられたと思いますが、複数の現場を反映するには仕方がなかったのです。

クロはこれから、決戦に向かいます。
そこに駆け付ける3人は、無事にゲームの勝者へと誘えるのか。

次回、戦闘シーンでお届けいたしますので、熱中症に気を付けてお待ちくださいなっ!




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暗澹の掴星(エネスク・ラプソディ)




どうも!

なんのことはない、かかぽまめです!


ファイナル・ゲームになったところから始まりますよ。

どんな戦いになるのか、稚拙な文章ですが楽しんでいただければ幸いです。

では、始まります!





 

 

 

「玉藻様ー」

「ぬ?おお、イヅナか。久しゅうのう」

「あ、イヅー!」

「苔石も一緒であったか」

「ちっがーう!苔石じゃなくて、兎狗狸!いい加減覚えてよ!」

「すまぬ、冗談じゃ」

 

「……お主、益々俗世に染まって来おって。その髪飾りはなんじゃ?どこかで見た気もするのじゃが」

「この結い紐のことで御座いましょうか?これはりぼんと申すもので、ホトギの封じ布を借りております」

「道理での。して、どうであった、星伽の見解は」

「本日はその報告に参った次第、お土産も御座います。詳しくは本殿にて」

「いいなー、あっしも外の世界に行ってみたいよ」

「イヅナは仕事で行っておる。その内、お主にも機会はあろう」

 

 

 

「うむ、この供物はなかなか良いではないか!」

「お気に召されたのでしたら、配下に書置き、伝えましょう」

「イヅ!これなんて言うお菓子なの?」

「ふむ、非常に面妖な名前であったのは憶えておるが…時に兎狗狸よ、初めての仕事はお使いなどどうじゃ?」

「甘やかすでない。兎狗狸にはまだ早いわ」

「むー…いける、いけるもん!あっしだってお買い物くらい行けるもん!」

「油揚げと揚げ豆腐を間違える愚か者には任せられんのう」

「あぐ…」

「ほほぅ、そうかそうか、では覚えておくがよい。この菓子の名はぷでぃんぐと申すそうじゃ。いつかの折には上手くやるのだぞ?」

「相変わらず、兎狗狸には甘々じゃな。鬼狐と呼ばれておるお主が」

「我が自慢の一番弟子なれば、憎たらしきと思う日々も、いざ離れると愛しいものです」

「弟子と言っても、岩に化けるだけじゃがの」

「うん!うん!イヅ、ありがとう!あっし、今度買いに行ってみる!イヅの分も買ってくるから、一緒に食べよ?」

「……そうかそうか……。それは、楽しみじゃ……」

 

 

 

「……それで、玉藻様、ご相談が」

「改まってどうしたのじゃ?」

「これより、私めは伊太利(イタリー)へと渡りまする」

「――!」

「…やはり、そう来るか。重ね重ねお主には苦労を掛けるのう」

「お気遣い、痛み入ります」

「どれほど戻っておるのじゃ?」

「43匹程。半分以上はこの場に集い、残りの殆ども三浦の手により管理されておりますれば、問題ありませぬ」

「イヅ……遠くに行っちゃうの?」

「そう寂しそうな顔をするでない。我とて…不安なのじゃ、この地を離れるのは」

「すぐかの?」

「3昼夜の内に」

「……そうか」

「……」

 

 

 

「イヅナよ」

「何なりと」

「必ず戻るのじゃぞ。今生の母君も無理をしてはならぬ体であろう?」

「持ってあと2年。致し方ありませぬ、我がこうして生きていられるのも母上が無茶をしたおかげ故。心より感謝しております」

「肝心の返事が聞こえぬぞ?」

「……では、我はこれにて。またいずれ、この地にてお会い致しましょう」

「……ふぅ、お主は昔から、岩の様に頑固者よの」

「イヅ……」

 

 

 

「兎狗狸、さっそく仕事じゃ」

「えっ?……な、何なりと」

「三松猫と槌野子に連絡を取り、この地に集めよ。久々に稽古を付けてやるかのう」

「うっ…」

「どうした?」

「あっし、あの二人は苦手だよー!」

「師匠も弟子も、揃って反抗的じゃ!そこに直れーいッ!根性から叩き直してやるわ!」

「うっ、うっ。イヅ~、戻ってきてー!」

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

Terrazza del Pincio(ピンチョの展望台)

その名の通り、ボルゲーゼ公園の西端、ピンチョの丘に造られた展望台だ。

ポポロ広場から伸びる緩やかな坂や階段から繋がり、高度は低い場所ではあるが、元より高層ビル等が存在しないローマの街を広く見渡せる、絶景スポットになっている。

 

コの字型に設けられた柵の先には、ローマの中でも美しいと言われるポポロ広場が眼下に眺められ、広場内のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会、双子教会、オベリスク、いくつかの噴水はもちろん、特に夕方には綺麗な夕日とセピア色の街が、夜になればオレンジ色にライトアップされた広場の全てを堪能出来る。

更に、この場所からバチカンのサンピエトロ大聖堂のライトアップも見え、人足の少ない場所にしては、良い観光地だと思う。

 

展望台には何故かナポレオンの名が使われており、外周に沿って多数用意されたベンチが日陰になるように並木が整えられて、昼間は自動車型の売店が訪れ、夜には一定間隔で設置された電灯が明るく照らしている。

 

遮る物のない心地よい風が火照った肌を冷ましてくれて、荒れた呼吸も落ち着いてきたところだ。

 

 

 

――もう、1分経つ。来るぞ、彼女が。

 

 

 

ビュウウウッ!

 

 

 

突風だ。

自分の背後も確認するが、不意打ちはしてこない。

 

目の前に黒い霧が集まり、人型…に翼が生えた異形の姿をとる。

とことん、私とこのゲームに合わせてくれるらしい。

 

(彼女が私たちの前に姿を現した理由。きっと私の推測は当たってるんでしょうね)

 

もしそうなら、この時点で()()()()()()()()()は、既に()()()()()()()()()()()と考えるべきだ。

そして第二目標も、これからこの場で完成させるつもりだろう。その結果がどう転んだとしても、彼女の目標は失敗しない。

 

 

「ピンチョの丘……ポポロ広場が良く見えるわ。素晴らしい場所を選んでくれたのね」

 

電灯に照らされた白い肌を黒色のドレスに包んだ彼女は、大きく開いた満月の瞳で振り返って、後方の広場を…そしてさらに遠く、地平線の向こうよりももっと遠い、記憶の中の光景を見ているようだ。

背を向けていて顔は見えないが、翼が軽く垂れながら穏やかに揺れる。これも、感情豊かな子供っぽい一面だな。

 

「私達にとっては終着点となりましたが、あそこは巡礼の入り口ですよ」

「うふふ、面白い冗談ね。吸血鬼に巡礼の話をするのかしら」

「ところで、何が素晴らしいのでしょうか?」

「名前よ」

「名前?」

 

彼女は振り返ってその回答を返す。

 

Popolo(ポポロ)、あなた達の国では"人々"と言うのでしょう?」

「!!」

 

(日本語…ッ!)

 

「私のお父様は、民衆をとても大事にしていたわ。そして人々も、お父様に尽くしてくれた」

「……」

「ねぇ、あなたは人をどうして信じるの?力ある者は疎まれ、いつか必ず裏切られるのよ?」

「トロヤ、それは極論です。必ずなんてことは存在しません」

「いいえ、必ずよ。いとも容易く、突然に」

 

嘘の吐けないトロヤだが、今の彼女の感情は……読めないな。強いて挙げるなら、虚ろ。

自らの言葉を自身が最も恐れ、思い詰めているようにも感じる。

 

「警告のつもりですか」

「そんな大それたものじゃないわ。ただ……いえ、今の言葉は忘れてはだめよ?()()()()()()()()()()()()()()()()

 

何度も念を押してくるが、言葉に変化はない。

だが、嫌な予感がする。同時に頬がつねられたように痛む気がした。

 

「1人の例外もいなのなら、あなたの父親はどうなんですか?」

「!」

 

満月の瞳を見開いて驚きを表し、首の前側、その付け根を左手でさする。

闇の翼は思いっきり開かれ、すぐに彼女を包んで隠してしまった。

 

「トオヤマクロ、その通りよ。お父様は私を裏切らなかった。最後の瞬間まで、私を愛してくれた」

「トロヤ、()()()()()()()()()()()()()()、どっちが本物のあなたなの?」

「時間ね。ここまでの話は()()()()()。来る途中に面白いものを見付けたの、もう少しでここに来るわ」

「答えて!」

「先に始めちゃいましょうか。見せて、あなたの力を」

 

銀の双眸が私を捉えた。

不気味な逆五芒星の紋章がその瞳に収まり、彼女の人ならざる不自然な美しさを一層妖しく飾り立てる。

 

「……ゲームの宣誓を覚えていますよね」

「忘れないわ、ずっとね。いつかその時が来ると、()()()()()わよ」

「約束!絶対守ってもらいますから」

「ふふ、あなたが言ったじゃない。必ずなんて存在しないって」

 

彼女の笑顔はどこまでも美しく、妖しく、昏く……そして純粋だ。

まるで時の止まった子供みたいで、独りにさせたくない、そんな気持ちにさせられる。

 

しかし、彼女の手にはザクロ色のショートソードが握られていて…

 

 

敵なのだ、今から戦う。

悪なのだ、世界の改革を目論む。

 

 

 

彼女の意思は、()()は確かに受け取った。その上で、私は――

 

 

 

「約束は守る為に努めるんです!」

「それなら、応えてみなさい!こちらの世界こそ、あなたが本来在るべき場所よ!」

 

 

 

暗澹たる世界へと、歩みを進めることにした。

 

 

 

(さてと、チャンスは一度きり。しかも成功したとして、効果があるか分からない。何しろ謎の多い代物だしな)

 

ルール上、パンチ・キック・ヘッド、どれを使っても接触と見做されてしまう。

それ以前に彼女の金属のような体に物理を当てても、自分が怪我をするだけだ。

 

使えるものはベレッタとナイフ、ワイヤーとフックの余りと胸ポケットの()()だけ。

正直、倒そうなどとは考えられない。いくら裏であっても、単体であんなバケモノに対する有効打は、生憎持ち合わせていないのだ。

 

 

とはいえ、素手なのも格好が付かないので、一応ガンエッジの体勢を取る。

細剣と切り結ぶくらいならこなせるだろうし、咄嗟に素手が出ても不味い。

 

「?」

 

構えを見たトロヤは不思議そうな顔をしているが、そんな顔をされても困る。

法化処理された銀製の装備など持っていないのだから、掠り傷すら満足に負わせられないのは承知の上だ。

 

「舐めてると、びっくりさせますよ」

「……それは、何のつもりかしら?」

「見たまま、戦闘態勢です」

「本気で言っているの?」

 

(何が言いたいんだ?こっちは必死に考えてるんだぞ!)

 

ビアンコの顔に浮かぶ呆気にとられた表情。

失望とも受け取れるその口調も、そもそも望まれている答えが分からない。

 

「……残念ね。まさか、超能力の1つも使えないの?」

「私は普通の人間であって、魔女でも吸血鬼でも無いんです」

「ミウライチナとは上手く行っていたのでしょう?」

「一菜?」

 

(どうしてここで、一菜の名前が出てくる?)

 

ところが、意表を突かれたその言葉で、思い出すものがあったのもまた事実。

トロヤは邂逅からここまで、()()()()()()()()をいくつも伝えてきた。これもその1つ。

 

 

 

星々が互いに()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

一菜との喧嘩(反発)の原因となった徒手打撃戦で見た、あの真っ赤な窓枠の世界。

 

普段、窓枠の外の景色は、()()()()()()()を除いてクッキリとは見えない。

もし、目を凝らして見たとしても、記憶には夢のように曖昧にしか残らないのだ。

 

しかし、茜色の世界で見た夢の内容は、実際に自分が()()()()()()になったように、既視感と共に深く脳へと焼き付けられた。

その現象がいつもと違うから、ずっと謎のまま気になっていた。現実離れしているのに、現実で見た気がする不思議。

 

 

だから、分かったんだ。

車での逃走中に見たルーフの上に寝そべっていた白髪の少女と、電話越しに聞いた子供の声。

 

彼女達はあの世界にいた。

スイカを受け取ろうとした3人の少女、白髪の少女はその中にいたし、子供の騒ぐ声は大きかったから、耳に残っていた。

 

どうしても気になって、「あなたは?」なんて聞いてしまったのは、彼女達の正体が、この謎を解き明かす鍵になるんじゃないかと期待してのもので。

 

 

帰ってきた単語に衝撃を受けた――

 

 

 

――――玉藻様の一番弟子。

 

 

 

玉藻の前。

三浦の一族に呪いを掛けた元凶である大妖怪。少女たちは彼女と関りがある。そして――

 

 

 

――伊豆さん、だっけ?

 

 

 

3人の少女の中の額烏帽子を被った茶髪の子の名前だろう。まあ、こっちはどうでもいい。

 

 

 

なぜ一菜と戦った時に、茜色の世界が現れたのか。これが重要なんだ。

 

根も葉もない想像だが、()()も彼女達と交流があると言い切れる。()()()()()()のように。

 

 

 

 

2日前の鮮明な記憶を頼りに、フル回転させた頭で当時の五感を余す所なく、隅々まで思い出していく。

一菜のストロベリー色の瞳を見つめた視覚、一菜の甘えた誘惑の声を聞いた聴覚、一菜に抱かれて締め付けられていく触覚、一菜の甘苦いドルチェのような香りを吸い込んだ嗅覚と味わった味覚。

 

 

思い出すだけでピリピリと脳が痺れていく。

 

 

鋭敏になった私の鼻が、記憶と全く同じ匂いを嗅ぎ当てる。

一菜が近くにいるのかと思ったが違う、ほぼゼロ距離から香って来ている。

 

 

心が騒ぎ出して、何かを求めてジュクジュクと疼く。

 

 

 

(ああ、これだ。この感覚を私は知っている。()()()()()で、何度か()()()()()()()()から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の中に存在する、30枚の窓枠が並ぶだけの空間。

 

 

そこに、真っ赤な茜色(ストロベリー)の光を放つ1枚の窓枠。

 

 

あの向こう側には…あの窓枠の世界には、いるんだ……()()

 

 

一菜を我がモノにしたいと望んでいて、彼女の潜在意識から本当に求めている存在を読み取り、演じていく()()()()()()

 

 

 

 

ヒステリア・セルヴィーレ――

 

 

 

 

とことん尽くし、心身を結び付ける、献身と繫りのヒステリアモード。

 

カナも知らない、チュラと()()の秘密。

 

 

窓枠に反射して映る、同じ姿形をした人間は、私ではない()だ。

 

手を伸ばし、鍵の開けられた液体の窓に触れる。

 

温かい、温泉のお湯のような温度だ。粘性は弱く、粒子も含まれていない。

ちょっとだけ力を籠めると、腕は窓を通過して少しずつ沈んでいく。

 

 

肘まで沈み、もうちょっとかな?という所で、()()()

 

柔らかくてすべすべの肩…だと思う。

 

 

「さあ、起きてください。私たちの大好きな()()が待っていますよ」

 

 

声を掛けると、向こう側の私は動き出して、返事を返してきた。

今ならその声もハッキリと聞こえている。

 

 

「やっとか、少し遅すぎないかい?」

「一回出たりしませんでしたか?」

「いや、惜しい所までは行ったけど、出てないよ。今初めて起きたんだ」

「そうでしたか」

 

 

口調に問題ありだけど、今は頼らせてもらうとしよう。

 

腕を沈めたまま、透明感を取り戻した茜色の窓枠からの景色を楽しむことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

1人で悶える私を、トロヤはゆっくりと観察している。

その顔は見下した冷たく鋭利なものから、徐々に期待を含んだ微笑へと変化していった。

真紅で蠱惑的な唇の間から銀色の牙を覗かせ、逆五芒星の描かれた銀の双眸を一心に向け――

 

 

 

()()()のね?あの方の推理をも超えて、あなたはより()()()()へと、また一歩近付いたわ!」

 

 

 

私の変化に、歓喜を示す。

理由はきっと、彼女たちの評価である()()()()を、乗り越えたから。

 

 

 

――この刻限を以て、()()()()()()()()()()。彼女が最も望む形で。

 

 

 

「"あなたの処遇は、()()私に委ねられているの。遠山クロ、私達の同志になりなさい。その資格が既にあると、そう判断するわよ"」

 

 

 

やけに遠方から、トロヤの声が聞こえる。

 

 

この感覚は…たぶん、私が()()()()()証拠。

 

この感覚が…おそらく、()()()()()()()()()()世界。

 

この感覚なら…きっと、トロヤ達から一菜を守り切れる!

 

 

自然と手が動き、右手の銃を仕舞う動作で代わりに胸ポケットから取り出したのは、御守りだった。

一菜が常に持ち歩いている2つの内の1つで、殺生石のかけらが込められている。

 

作戦中に一菜が死の危険に瀕した時の緊急対応用として受け取ったが、こんな形で使う事になるとはね。

両手に握っていた御守りには、まだ微かに彼女の匂いが残っている。最後のトリガーを引いたのは結局、一菜自身だったよ。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

登る、登る、山を登る。

 

彼女がいる場所へと、登る。

 

 

気分が高揚し過ぎると多少の酩酊感に襲われ、力が溢れ出すと行き場を失ったエネルギーが内側で熱を放ち、現れては消えていく刹那の衝動を抑えるのに苦労する。

 

 

日の光が差さない薄暗い藪の中を進んでいると、傾斜のない広めの丘に到着した。

 

だが、ここに彼女はいない。もっと上に、もっと高く。

 

 

登る、登る、石段を登る。

 

空に最も近付く場所に向かって、登る。

 

 

いくつもの鳥居をくぐり、崩れた階段を跨いで、最後の一段を登り切った。

 

視界が開け、視線が刺さる。

 

ここだ、ここが頂上だ。彼女がいた、そこにいる!

 

 

目が合うとストロベリーの瞳が驚きで揺れていて、()()()()()()()()()()()()()も立ち上がったままヒョコヒョコと、()()()()()()()()()()()()()()()()もフルフルと、動揺の為か無意識に、小刻みに振わせている。

 

初めて会ったのだ、山を登っている彼女に。初めて……彼女のいる所に、会いに来られた。

 

 

だから…沢山、伝えたいことがある。

ずっと私を待ち続けてくれた、一途で魅惑的で大好きな少女に。

 

 

 

 

「コンちゃん、ほら、ちゃーんと来ましたよ。誰かが通った道は……全然楽な道じゃなかったですが、あなたの……一菜のいる場所に」

 

「クロ…ちゃん?どうして――」

 

返事は微笑みで返し、ゆっくり、ゆっくりと歩み寄る。

 

「ッ!この山は危険な山なんだよ!早く下りないと!」

 

ゆっくりと、ちょっとずつ、その距離を縮めて。

 

「来ないでッ!それ以上歩くな!」

 

 

また強がって嘘を吐いて…

 

 

「来るなッ!あたしに……三浦一菜(イヅナ)に近寄るなッ!」

 

 

初めて私に自分の話をしてくれたみたいに……

 

 

「ねぇ、聞いてよ。お願いだから…止まってよぉ……。あたしは…あたしは……」

 

 

自分だけが不幸になれば(呪われれば)いいんだって………

 

 

「クロちゃん…イヤだよ……しんじゃ、ダメだよぉ……。クロちゃんと口を利かなかった時間は…ずっと意識しないフリしてた間は、心細くて、怖くて……もう、一人ぼっちは……」

 

 

 

 

あなたが私の名前を()()()()()()のは――――

 

 

 

 

「だから…あたしは、今のままで十分幸せだから……」

 

歩みを止める。

 

「一緒に居られるだけで…毎日が幸せだから……」

 

これ以上は近寄らない。

 

「クロちゃんが大好きだから……」

 

だって、一菜はもう。

 

「クロ――」

「抱き締めて、くれるんでしょ?一菜が言ったんだから、約束、ちゃんと守ってよ」

 

胸と胸が触れ合う距離(比喩表現)で、私を見上げて泣きじゃくっていた彼女は、腕にすっぽりと収まっている。

 

「……うぅっ、ぐすっ……う、うえぇ……」

「無理しないで。私には言ってくれたでしょ?『もう限界だ』って」

「うぅ、ぐす……クロちゃん、あたしも…ぐすっ…覚悟を、決めたよ」

「覚悟?…どんな覚悟を?」

「ぶふっ!い、言わせる気なの…?」

「聞きたいな、一菜の口から」

「――ッ!う、うぅぅ」

「冗談だよ、そんなに真っ赤にならなくても」

「なっ!いじわる!ドキドキ返せー!」

 

 

 

 

――何より、私の力になってくれる!

 

 

 

 

「一菜、大好きだよ。初めて話した時、あなたの笑顔が私の心を奪っていったんだ。この高い高い、山の上に、ね?」

「……ッ!」

 

なれているな、完全に。

心だけじゃない。全身が、血流が、本能が、ヒステリアモードを最大まで押し上げている。

 

「ああ、愛しい愛しい一菜。私達は初めてそのストロベリームーンの瞳と目を交わした時に、深く深く結び付けられていたんだよ」

「え、あの…クロちゃん…?」

 

こんなにスイッチが深く沈みこんだことは無い。

かなり強烈な、ビックウェーブが来るぞ。飲まれずに乗るのは至難の業だろう。

 

「一菜、あなたが限界の中で頑張っていたように、私も、もう我慢が出来そうにない。一生そばにいると約束するよ。だから、力を貸してくれるね?私の大好きな一菜」

「あ、も、もちろん、だぁ……」

 

ふふ、一菜は初心だなぁ。ちょっとだけドキドキを返してあげただけなのに。

へなへなしちゃって、そんなんだと彼女の()()は不安だよ。

 

そう、将来だ。

大切な彼女の未来は、私が守ってみせるよ。

敵がどんなに強くても、世界の全てがあなたの敵になったって。

 

 

今夜はその第一歩だ。

お相手するさ、今の私の全身全霊で!

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

ドォォォオオオオオオーーーーン!

 

花火の上がる音が聞こえた。

赤いライトに合わせて打ち上げられた花火の色は、綺麗な綺麗な真っ赤な花火。

確かに花火をとはお願いしたが、企業が用意する様なでっかい奴なのはアリーシャが犯人か。

 

 

「折角のお誘いだけど、お断りするよ。私がいるべき場所はもう予約済みだったからね」

 

意識が元の世界を鮮明に把握し、その先にいるトロヤを捉える。

星銀の瞳、真っ赤な唇、白い肌に鮮やかな金髪と闇の翼。

 

どれも一級の美術品並みに美しいが、今の私にはそのどれもが劣っているように見える。

 

熟れたイチゴの濃い赤色の瞳が情熱的で、細く靡く金色の髪とそこから伸びる尖り耳は光り輝いており、頭とお尻についている尻尾(ダブルテール)は動きに合わせて揺れるのが可愛らしく、すらりとした体型から放たれる甘苦いドルチェの香りが、脳を揺らす程に深く沁み込んできて、目を離せずに、夢中になってしまう。

 

表現に贔屓目があるのは仕方がない、それ程に一菜は可愛いのだ。

 

 

「…困るわ、断るという選択肢は無いの。同志か…はたまた死か、それしかないのよ」

「それはまいったね。でももう1つ、選択肢があるんじゃなかったかな?」

「出来るかしら、ついさっき自分を()()()()()だと語ったあなたに」

「約束は守るために努めるとも言ったはずだよ、トロヤ?」

 

遊びの雰囲気は霧散して、濃密な殺気を放ち始める。

末恐ろしいな、これでも彼女は()()()()()も出していないのか。

 

(逆にありがたい事だよ。なにせ私もこの力の加減具合が分からない所だ。彼女なら多少制御を誤っても、問題ないだろう)

 

銃の代わりに握った御守りを()()()、そのまま握り締める。

右手はグーのまま甲を頭側に向け、肘を曲げて肩ごと頭の横まで引いて行き、ナイフを持った左手を(スラッシュ)の向きで構えて前方に伸ばす。

両膝を折って腰を落とし、体重は後ろに下げた右足側へ寄せ、上半身は中国拳法、下半身はカウンター気味な日本空手のごちゃ混ぜな構えが完成する。

 

トロヤの求めている型は分からないが、確かにガンエッジは今の私には不向きな型だった。

この技自体も初めて使うものだし、彼女の体質と能力の要因も完全な理解はしていない。

 

そう、いつだって、私は作戦通りに進まない。行き当たりばったりだ。

 

 

 

 

「おいで、トロヤ。あなたが動かなければゲームは進まないよ?」

「…ゾクゾクするわ。この気持ちは、とても久し振りよ!」

 

彼女が取るのは、ヒルダと同じ構え。

ただ、その左手に扇子はなく、軽く握っているだけ。…ではないかもしれない。

 

ヒルダの突きも稲妻の如き速さではあったが、チュラの助けもありなんとか避けられた。

 

今度ばかりは厳しいだろう。

彼女がヒルダに武術を教えたに違いない。プライドが高そうな吸血鬼も、姉と呼んで慕っていた。

あれ以上の使い手が、更に超能力も併用してくれば、万一にも回避の手立てはない。

 

ではどうするか?

出来ない事に正面から挑まず、出来る事を最大限にやればいい。

 

(その為なら、無茶だってやってやるよ!)

 

風の流れに微かな変化を感じ取った。来るぞ、突風が!

 

 

ゴオオォォオーーー!!

 

 

真横を新幹線が通過したような風圧が通過し、木々がミシミシ…と音を立てながら後方へと傾いていくが、構えは崩さない。小石と砂のシャワーが体を打って、肌の出ている手や顔に傷を付ける、しかし目を逸らせばその瞬間に貫かれるだろう。

スーパースローの世界では、トロヤの翼が風を掴んで、踏み込みと同時に一度だけ羽ばたくのが辛うじて見えた。しかし、どんどんその姿がブレていく。

 

 

――次の瞬間には視界に映っていない!

 

 

つまり、ただの脊髄反射の行動で、私と彼女、ナイフと細剣は交わったということだ。

 

「ッ!?」

 

銀の双眸は満月に変わっている。

()()()()()()で放った、軽い動作でも私の左目を貫けるつもりだったらしく、驚きではなく喜びの表情で感情を表していた。

 

速度だけじゃない。この突きは、鉄塊ですらも吹っ飛ばす重さを持っていて、人の身ではどうやっても受け止めきれなさそうだ。

 

細剣の先端がナイフの刃の真ん中辺りで数瞬触れる。

 

(ここで、全ての力を奪うッ!)

 

腕を曲げずに肩ごと体を左回転させながら、武器の接点を中心軸として右足で跳ねて側宙を切る。

その過程で細剣を誘導してナイフの刃をなぞらせるように滑らせることで、腕からナイフと細剣の先端同士を真っ直ぐに突き合わせた。

 

 

全てを吹き飛ばす超常の風、それを受けずに止めるにはどうする?

 

分からないならやってみればいい、ダメならその時だ。

 

 

絶牢は力を全て奪い相手に返すが、手で受けて足で返すなど、その反撃は受けた場所とは別の場所から放つ。

だが、私が触れられるのは左手のナイフか敵の細剣のみ。その上、武器を破壊したとしても、その隙に指1本触れられただけで負けてしまうから使えない。

 

止める為には力の全てを()()()()発散しなければならない。

この莫大な()()()()()()()()()()()どこかへ。

 

 

「所詮あなたは人間よ!私の力は受け止められない!」

 

(その通りだ、私だけでは受け止めきれないよ)

 

「トロヤ、良く見ておくといい。今の私は1人じゃないんだ」

 

 

握った右手が熱くなってきた。

左腕から伝達した力が順調に吸われて行く事で活性化し、赤熱化しているのだ。

合わせてエネルギーの吸収速度も加速度的に増していく。

 

エネルギーの消耗がブレーキとなり、後退する速度も徐々に落ちてきて、側宙が270度を超えた辺りでその大半を奪いきった。

 

 

「一体、何が…起きているの!?」

 

剣を競らせたと思っているトロヤは、この不可解な現象に少し焦っている様子だ。

やっとビックリさせられたよ、2人の力で。

 

この子(御守り)がずっと一緒にいてくれたんだよ」

「それは…ッ!!」

 

 

役目を終えた右手を開いて御守りと殺生石を見せてみると、さすがに一菜については調べて殺生石を知っていたらしく、合点がいったようだ。

少し悔しそうな顔をしたが、それなら全力でくれば良かったのに。助かったけどさ。

 

よし!最後の仕上げくらい、自分の力で締めよう。

……いや?これはトロヤの力か。まあ、細かいことはいいだろう。

 

360度回転し、足が再び地面を踏み締めた。

直後に奪った力の残滓を右手に乗せて、ついでに決め歌も乗せて、ナイフのグリップ後端に掌底を打ち込む!

 

 

 

 

 

(あて)しらず

   あれてあらじて

      よをのぞみ>

 

(なぎ)のふなうた

    (わだかま)らぬや>

 

 

 

 

 

 

トロヤ、あなたにはこの短歌を送るよ。

棺の中に枕は必要ないでしょ?

即席だけど、良く似合ってる。

 

 

「『果凪磐(はてないわ)』ッ!!」

 

 

ガスッ!

 

 

止まった。

どんなに強い風でも、大地()を丸々吹き飛ばすことは出来なかったね。

 

 

「引き分けでどうかな?」

「……素敵よ。もっとあなたが欲しくなってきたわ」

「――!」

 

 

傾げられた顔――その両眼が銀色に戻っている!

 

 

ババッ!

 

 

すぐに距離を取り直す。

あの状態の彼女は何が出来るのかまるで分らない。

 

殺気は薄れているのに、ただただ恐怖を煽られる。

畏怖の象徴のような存在感。

 

 

自分のコンディションも確認しておくと、スイッチの方は問題なさそうだが、波がでか過ぎて飲まれかけている。

あまり長時間は維持したくないのが本音なのだ。

 

「まだ、やるつもりだとしたら日を改めて欲しいな。…援軍が来てくれたみたいだけど、それでも分が悪い」

 

少し前から後ろ側、公園の方から気配を感じていた。2人…いや3人いる。

長い付き合いの中でカナとチュラは分かるが、もう1人はジャミングを掛けられたように識別できない。

 

「まだ2分あるわよ。()()()()()()、ニガサナイわ」

「左目を貫くのは過度な攻撃じゃないのか…」

「何とか出来たでしょう?」

 

ちょっとだけゲンナリする。

かなり際どかったのだが、アレがいつでも出来るとお考えのようだ。

人間の考えでは…人間じゃなかったなそういえば。

 

『戦姉妹がいれば、もっともっと強くなれる!あなたは超えていくのよ、()()()()()()()()()()()()()()()()も!』

「ッ!」

 

頭にキンキン響くが、無心で耐える。超音波だ。

聞かせたくない内容なのだろう。

 

『それを見たいのよ!()()()()宿()()もあなたなら全てを従えられる!』

 

(業界用語が多い英会話みたいだな。さっぱり分からないんだけど)

 

多分、かなり重要な単語だと思う。

興奮するとペラペラ喋るのは好都合だが、それは私が無事に帰られればという前提だ。

 

『ついてきなさい!そうしたら知っている全てに会わせてあげる』

「……」

『私はあなたの下で、革変する世界を守り続けるの。世界はきっと――』

 

そこでトロヤは言葉を切った。切らざるをえなかった。

 

「あらあら、何を話してたのか、私にも聞かせてくれる?」

「……そうね、つい話し過ぎてしまったわ」

「――吹き矢っ!」

 

トロヤの手に掴まれているのは吹き矢だ。

もう1人潜んでいると思っていたが、まさか彼女だったとは!

 

「フラヴィア!無事だったのかい?」

「ええ、あの程度心配には及ばないわ。…ねぇ、()()()()()は……トロヤ、あなたの仕業かしら」

「不合格の理由を知りたかったのよ。でも、トオヤマクロは私の『迫月(せまるよる)』を止められたわ」

「勝手な真似を…!」

 

フラヴィアがいつになく真剣な表情で睨み付ける。

対するトロヤも言いたい事があるようで、機嫌を損ねた雰囲気を出している。

 

なんだ?おかしいぞ彼女たちの会話は。

2人は知り合いだったのか?

 

それよりも古く、長い付き合いのような感じだ。

 

「あなたの報告が適切では無かった、そう思うのよ。ヒルダの電撃は確かに強力だけれど、ゲームの間、彼女の体に()()()は見られなかったわ」

「後遺症…?」

「……」

 

そこだけを確認した彼女は、顔だけは笑顔に変え、薄っすらと威圧感を放ちながら再度口を開いた。

 

「良いのよ、私とあなたの仲じゃない。でもそうね、あの子を騙す時、合わせてくれるかしら?私も、また怒られてしまうもの」

「それで、構わないわ」

 

 

嫌な…予感がする。

 

 

言い争いをしていたのは、トロヤが勝手に私の前に姿を現したからみたいだ。

 

あの時、トロヤは邪魔なフラヴィアを動けなくすることで追い払ったとする。

そうだとしたら、戦っていたのは敵対じゃなくて、個人の都合。

 

 

 

後遺症という虚偽の報告、私達の同志、不合格、分岐点と異常点、勝手な真似

 

 

 

 

――この2人は仲間なのか?

 

 

 

 

「彼女の戦姉妹を連れてきて、何のつもりだったのかしら?」

「1人は途中乗車よ。…最悪はあなたを、追い払うつもりだったわ」

 

会話の流れからフラヴィアは味方してくれるみたいで、何となく解散ムードなのかな~、と期待をしてみる。

時間も10秒を切ったしね。

 

「あなたはルールを守る。状況からして2回捕まったのでしょうけど、それでも、もう終了時間よ」

「そう、残念ね」

 

 

――ッ!違う!私は1回目、捕まってから1分近く会話をしていた。約1分のロスタイムがあるんだ!

 

 

ルールは絶対、彼女は仕掛けてくる。

両眼は銀色のまま、何をして来るのかも分からない!

 

 

その気配を感じたフラヴィアが構え、カナとチュラは既に飛び出してきている。

 

 

「アレも要らないわね、消しておくわ」

 

遠方にあるサンタンジェロ城上空の焼滅が、一瞬にして消える。

巨大な積乱雲だけを残して、炎も氷も自然消滅ではなく、消したのだ。一瞥しただけで。

 

あれを消す為に頑張ってたのに、やるせないよ。

 

「お久しぶりね、悪鬼さん」

「私もまた会えて嬉しいわ。でも時間が無いの、ごめんなさいね」

 

戦姉(おねえちゃん)…浮気した?」

「…何のことかな?」

 

(さすがの観察力。まだ一言も会話していないのに、読まれているな)

 

ぷくーっとほっぺを膨らませる彼女も可愛らしいが、ごめんね?今は一菜の事しか考えられないんだ。

 

「…使って?」

「なんだい?」

「チュラを使()()()ー!」

 

驚いた事に、結構束縛するタイプだったらしいチュラは、ナイフを持った左腕を引っ張ってブンブン振ってくる。

傍目からすれば駄々っ子の和やかな日常風景だが、ナイフは持ってるわ、話の内容は浮気だの使うだの使わないだのと、結構生々しい。

 

……気は進まないが、波に飲まれ始めているのもまた事実。

 

一菜の窓枠は強力な一方、制御も維持も難しい。

 

 

 

窓枠の世界に舞い戻って、茜色の窓枠から手を引き抜く。

窓枠は完全な透明色となり、鍵が閉められた。

 

 

 

「チュラ、痛いです。それだと使えませんよ」

「浮気者ー!たらしー!」

「やめて!!カナが見てるんですよ!?」

 

 

怖くて右を向けない。

…ので、カナから見えないように背を向けて、両腕でチュラを無理矢理ホールドし、顎と右腕で小さな頭を挟んで強制ストップ!

 

 

良し!いや、良くないよッ!!

 

これは…あれ?火に油を注いだかも……

 

 

後ろから見たら構図的に、襲われている子供にしか見えないんじゃないか?

 

もういい、後の祭りだ。このままならせてもらおう。

 

 

チュラの頭からはバターと蜂蜜を掛けた甘々お菓子の匂い。

どういう技術なのか、こうしてピッタリ密着しないと私の嗅覚ですら反応しない『チュラ七不思議』の一つ。

 

 

頭を埋めるほどに、匂いはより濃く、より甘くなって行くので……

 

 

ビリビリビリッ!

 

 

脳への刺激が異常に強く、鍵が開くまでに3秒も掛からない。

 

……初めてなった時も不幸な事故だった。忘れたい。

 

 

 

 

 

漆黒の窓枠はすぐに見つかった。

何度も見ているし、何より目立つのだ。

 

液体なのかすら怪しい窓は、墨汁のように真っ黒で、ホットケーキ生地のようにドロドロしている。

 

若干……ではなく、途轍もなく抵抗はあるのだが、この奥に手を入れなければならない。

 

表面に触れると、底冷えする温度。つまり、氷水のようなもので、色素が付着しないのは分かっているが、肌に悪そうでドキドキする。

どっかに棒でも落ちてれば良いんだけど、ここには持ち込みも出来ない。

 

救いは浅い事。

手首まで飲まれた辺りで誰かの手に触れる。

 

ここの私はいつも握手を返してくれるけど、その体勢で待っててくれてるのかな?

棒を突っ込んだら怒っちゃうかも。

 

 

「さあ、起きてください。私たちの可愛いチュラが待っていますよ」

 

 

一応起きてくださいとは言っておく。合図のようなものだ。

 

 

「夢の中で見ていました。絶望的ですね」

「ルールは覚えてますか?」

「触らなければいい、それだけです」

「あなたの得意分野ですよ」

「…馬鹿にしてます?」

「頼りにしてます!」

 

 

(さてさて、どんな戦いになるやら。やっぱり、2-1-1の隊列かな?)

 

 

窓枠を覗くと、さっそく私がセクハラしてる。

自分でやっといてなんだが、頭の匂いを嗅ぐなんて、完璧に変態のそれだ。

 

(発動条件が悪いよ。仕方ない)

 

あっちの私はカナにゲンコツをもらっていて、共有する私も結構強くやられたなぁ、なんて他人事みたいに思うのだ。

 

 

 

 

 

(痛いです…)

 

ヒリヒリする頭を押さえて、いつものノリでチュラの後ろに下がる。

 

…それを不審な目でカナが見ていて、フラヴィアも同じ反応だったが…納得した様子で、すぐにトロヤに向き直った。

 

(そっか、いつも前衛だっけ?適当にごまかさないと)

 

「カナ姉様。私はゲームのルール上、接近戦が出来ませんので、後方支援に回りますね」

 

(うん。オーケーじゃないかな?)

 

「ね、姉様…?」

「カ、カナ先輩、レジデュオドロの言う通りよ。車で話したルールで彼女は触れられないの」

「チュラが前に出るー」

「お願いします、チュラちゃん」

「……ちゃん?」

 

カナは何故だか不思議そうにしているし、フラヴィアが焦っている。

最終決戦に集中して欲しいものですよ。

 

 

 

「また、変わったのね?あなたは本当に、最高の逸材(異常)だわ!」

 

こちらの準備を、時間ギリギリまで待ってくれていたトロヤも、ご満悦。

でも、お礼は言っとかないと。

 

「お待ち頂けて助かりました。いつでも構いません」

「――もう始まっているわよ」

「ッ!」

 

 

ヒュウウォォオ――

 

突風ではない。

決して弱くはないが、飛ばされるほども強烈ではない風だ。

それが断続的に吹き付けている。

 

ゴリガリゴリギリ…

 

風が吹き始めてから、変な音も聞こえてきた。

地響きか?……金属の摩耗音?

 

キョロキョロと地面を確認するが異物は見当たらない。

見えない何かが近付いてきている気が――

 

 

()()()()()()()…?

見えない状態で突然、隣に現れる……

 

 

思い出した!彼女の能力の一つは…霧だった!

同時に逃走中の違和感もフラッシュバックする。

 

恐怖を掻き立てる、異常な勢いで()()()()両腕。

彼女の()()()()()()()()()、所々が()()()()()()()

それなのに川の上を滑空する彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()、車を破壊したあのザクロ色のショートソードも金属。

 

 

仮に彼女の体が金属に近い物質であったとすれば、もしくは()()()()()()()()()()()()()()()とすれば……全て説明が付く。

 

 

(――上だッ!)

 

咄嗟の判断で左に思いっきり踏み込んだ。

 

 

ズガガガガガガガガッ!

 

 

スーパースローの世界でその正体を知覚する。

予想通り、私の真上から降ってきたのは大量の小さな刃物。

 

それらは地面に落ちると音を立てて破壊し……霧散した。

 

(これは…銀色の…霧!?)

 

あの銀は、彼女の能力、そして体の一部だ。

 

 

突然の破砕音に3人は振り返るが、風が霧を攫っていき、そこには傷跡だけが残っている。

 

「チュラちゃん!姉様!フラヴィア!落下物に気を付けて!」

「うん、分かった」

「落下物?」

「…銀、かしら?そんな使い方も出来たのね」

 

 

彼女の体は生身と金属に分けて霧になれる。

逃走中に1度だけ黒い()に見えたのは、銀色の霧が混じっていたからだろう。

 

 

移動方法と同じ、霧状の銀を風で上空に巻き上げ、圧縮して刃物を形成。

あとは重力に引かれるまま、刃物の雨が降り注ぐ。

 

常に上からショットガンの照準を当てられている気分だ。

 

 

「1度だけで見抜かれるとは思わなかったわ」

 

 

別段、焦りもしていない。

今のも小手調べか。

 

残り時間は30秒位。

次が最後の勝負になる。

 

 

「終わりですか?」

「ええ、終わらせましょう」

 

 

上に注意を払いながら、トロヤの動きを…追えなくなった。

 

 

「消えたー?」

「あの夜を思い出すわね」

「チュラちゃん、これを持って私から離れておいて。フラヴィア、あなたはこれを持っていてください」

「……そういう事ね、任せなさい」

「カナ姉様、背中合わせ(バックツーバック)で」

「姉様…」

 

カナの気が緩んでいる気もするが、それこそ気のせいだろう。

拒否はされなかったので、勝手に背中をくっつける。

 

 

ビュウウウッ!

 

 

始まった。

だが、あちこちで速い風、遅い風、竜巻が方向も何もグチャグチャで、全然予想が出来ない。

 

「クロ!跳びなさい!」

「!」

 

飛び跳ねた靴の底が削られた。

接触の際に摩擦を感じなかったのだから、鋭利で薄い形だろう。

 

 

 

――ヒュゥウウウンッ!

 

 

トスッ!……ギュルルルルルルッ!

 

 

 

首の後ろで強烈なトルクの風圧を感じる。フラヴィアの吹き矢だ。

落ちてきていた銀の板を弾いてくれた。

 

「助かります」

「右を見なさい!」

「クロ、反対もよ」

 

右から迫るのは黒い霧。左から襲い掛かるのは銀の霧。

挟み撃ち…悪いけど、今の私の得意分野なんだよ。

 

「姉様、失礼します」

「?」

 

空中にいるカナの肩に手を掛け、体を捻ると共に――

 

 

ガゥンガゥン!ガゥンガゥン!

 

 

同時に2箇所から発砲が行われる。

 

 

私とチュラ。それぞれの銃弾が銀の霧から現れた短剣と、トロヤの手先に当たって進路をずらす。

 

どちらもただの霧に戻り、黒い霧は私の背面側、銀の霧は上空へと上がっていく。

 

「クロ、あの子にどんな訓練を仕込んだの?」

「姉様、銀の刃物はお願いします」

 

そう言いながら、地面に降り立ち、チュラの話は一旦スルー。

カナの正面に回ったトロヤ本体はあえて私が誘き寄せる。

 

走り出しながら、フラヴィアに指をクルクルさせて回転の合図を出し、チュラには鉤爪の合図を出した。

 

後方では、無形の姿勢で空を見上げたカナがその瞬間を待っている。

 

 

「行くわよ、チュラ!」

「いいよー、フラヴィアー」

 

 

キュッ!

 

 

片足を軸に、地面を蹴ったフラヴィアがギュルルルル!と高速回転を始め、リールのように()()()()()()()を体に巻付けていく。

 

1本はチュラに掛かったフックに繋がるワイヤーで、小柄な体が浮く程の速度で吸い寄せられていく。

チュラの一本釣りだね。

 

「チュラちゃん!」

戦姉(おねえちゃん)!」

 

チュラと手をつなぎ、一緒に引っ張られたすぐ後ろには、黒い霧の隙間から真っ白な手が伸びていて、スカッと虚空を薙いだ。

銃をチュラからお借りして、1丁を胸ポケットに仕舞っておく。嫌な予感がするからね。

 

銀の霧も大きめの刃物を作り出しては落としていくが、全てカナの不可視の銃弾によって迎撃されていく。

しかし、数でダメならと密度を低くした巨大な銀板を瞬時に形成させ、圧し潰すべく落下させる。回避は間に合わない。

 

「先輩!」

「チュラちゃん、飛びますよ!」

「うん!」

 

銀はお任せしたけど、刃物じゃないし、これは手助けにならないだろう。

振り回された状態で地面を蹴り、ベクトルを斜め上方向に調整してから、左手のナイフでチュラのフックに繋がれたワイヤーを切断する。

 

 

当然ハンマー投げの要領で私とチュラは、投げ出され――

 

――その勢いを利用して。

 

 

無碍(むげ)ー!」「鉄沓(かなぐつ)ッ!」

 

 

指を含む四肢の関節の同時屈曲を用いた衝撃吸収と、脚の関節の同時伸長を用いた後ろ蹴りの2コンボ。

 

これならどんな物理攻撃でも跳ね返せると思う。

ヒステリアモードなしであのスペックは反則だろう。1人でなければ、だが。

 

エネルギーの吸収を終えたチュラは、勢いよく下に落ちて、フラヴィアの回転方向と反対向きで、再び()()()()()()()()に引っ掛かる。全身疲労で、今夜は動けないだろう。

上手い具合に相殺して、回転は止まったが、ちょっとだけフラヴィアは苦しそうだ。チュラの制服にも裂け目が出来たかも。

 

 

鉄沓で蹴り飛ばした銀は再び霧散して、闇の中に消える。

 

 

「姉様!」

「任せなさい」

 

 

パパパパァン!

 

 

カナの銃弾が黒い霧を撃ち抜き、実体化し損なったトロヤは私の右側を素通りする。

その霧は上に登っていき――

 

「!!」

 

黒と銀の霧が混ざり、上空から気圧の暴風が吹き降ろす。

 

――最後の一撃だ!

 

 

「クロ、あなたの力を1つ見せてもらったのだから…姉妹ルール。私の技の1つ――『羅刹』を見せてあげる」

「はい、姉様!私が合わせます」

「敵の獲物をお願いね」

 

 

気分が良さそうなカナは遠山家の技を見せてくれるらしい。

……これで、ヒステリア・セルヴィーレの件は言い逃れが出来なくされた。いつかはバレるし、仕方ないか。

 

着地してすぐ、左隣に立つカナの構えを見るが、大した構えという構えではない。

手の形から、掌底を打ち込む事だけは予想が付く。

 

(痛いと思う…)

 

そんな素直な感想以前に、金属の体にダメージは与えられないだろう。

何を企んでいるのか気になるなぁ…

 

 

風が地上まで到達する。

霧は形をとっていき、トロヤが細剣を持って現れた。

 

重力も乗せ、風圧も受け、右腕だけでつけた勢いで流れ星のごとく突きを繰り出す。

銀の霧が尾を引き、闇の中で輝いていて、目が眩むほどの光で視界を埋め尽くした。

 

細剣のコースはカナの左肩。そして左腕で私を捕まえる算段かな?

 

なんにせよ、私の役目は細剣の妨害。

援護射撃は今の私の得意分野!

 

 

ガガガガゥンッ!

 

 

チュラから借りたベレッタも使った4連射。

その全てが時間差でトロヤの細剣、その先端に串刺しになるように撃ち込む。

 

 

ガィッガィッガィッガッ…!

 

 

串団子みたいになった細剣の先端は最後の1発を貫通出来ず、高熱も加わったからか、ひしゃげて変形した。

カナに届くまでの距離が僅かに伸び、そのコースも銃弾の横方向のベクトルと細剣の変形により、ミリ単位でズレている。

 

 

「上出来よ」

 

 

撃ち込む寸前も、変わった動きがない。

ただ、細剣を躱す為に一歩引き、戻すように一歩踏み込んだだけ。ただの掌底……

 

 

「羅刹」

 

 

ズッッッン――!

 

 

「――カハッ!?」

 

 

(……えっ?――トロヤが喀血したッ!?)

 

血が通ってたの?とかはどうでもいい。あの掌底のどこにあんな威力が?

 

 

トロヤは私よりも驚いただろう、あんな最小限の動きで金属の体を貫通されるなんて思いもしない。

 

吹っ飛びもせず地面に落ちた彼女は、魔臓で体を再生させて起き上がった。

だが、しぶとい精神も、その足取りは酔ったようにふら付いている。

 

 

「銀の体でも、強い振動を内側に受ければ苦しいでしょう?……まあ、1個止めたところで意味は無いのよね」

「トオヤマ…カナ……。人間のあなたが、恐ろしい技を持つものね。()()()()()()()のはいつぶりかしら」

 

 

(あの一撃で、魔臓を…止めたのか……ッ!)

 

えげつない必殺技を見せてもらったが、再現はおろか練習方法も考えないと。

殺人は御法度だけど、今回みたいな時には役立つしね。

 

 

「前回は、あなたの()()()()()()()()()()から苦労したもの。()()()()を破壊するならいい技があったと思って、精度を高めておいたわ」

「気持ちが…悪いわ……。あらまぁ、時間切れよ。私、負けたのね」

「悔しいですか?」

 

 

本気で戦ってないから「そうでもない」と、返されると考えていたが――

 

 

「ええ、とっても。でも、それよりもずっと……楽しかった。あなたたち、みんな、大好きになったわ」

 

 

――満月の瞳の少女は、笑顔のまま、悔し涙まで流している。

 

 

そうか、遊びの中だとしても勝負は勝負、悔しいんだね。

でも、約束は約束だから、勝者の宣誓に従ってもらうよ。

 

 

 

 

漆黒の窓枠から手を引き抜き、鍵を閉める。

虚脱感は凄まじいが、先に済ませなくては。

 

 

 

 

「トロヤ、約束です。私はちゃんと、守りましたよ」

「そうね、私の過去、知りたいことを聞きなさい。けれど私は―」

「大丈夫、分かっています。あなた達の組織については聞きません。私が気になっているのは……」

 

 

真っすぐにトロヤの瞳を見つめる。

 

不思議だな、あの夜はあんなに怖かったのに。

今日だって…あ、昨日か。昨日だって途中まで目を合わせないようにしていたし。

 

それが、見つめ合ってお話ししようってんだもの。

 

だから、知りたいんだ。

自分を追い詰めるようなことを言い放つ訳を。

あなたの事を。あなたの心を縛っているものを。

 

 

 

――例え、偽りだとしても友として。

 

 

 

「…あなたの好きな食べ物から始めましょう!」

「……え?」

「ふふ…クロらしいわ。こんなチャンスを棒に振るなんて」

 

 

 

本当に偽りなのかな?本当の友達にはなれないのかな?

 

 

 

「あ!スウィーツ限定で!おいしそうなら食べてみたいですし!」

「……ふ、ふふ……」

「好きな食べ物……」

 

 

 

少なくとも私は。

 

 

 

「先輩達だけ楽しそうなお話しているのね」

「あら、起き上がれてしまったの?うねうねしてて可愛かったのに」

「もう!怒るわよ!」

 

戦姉(おねえちゃん)、チュラも頑張ったのにー」

「ごめんね、チュラ。無理させちゃって」

「もっと頼ってもいいよー」

「あれ?前にも聞きましたよね、それ」

 

「……」

「トロヤ、どうかしら。人間と一緒にいるのは…まだ、辛いのかしら?」

「辛いのー?」

「……いいえ、温かいわ。とても、満たされる気がするの」

「トロヤ、好きなスウィーツが無ければ後で食べに行きましょう!それより次は、好きな花ですよ――」

 

 

 

 

 

夜の闇は、星々の輝きに満たされて。

凍える寒さも、身を焼く炎も、歪んだ空間も、全てが消えた。

穏やかな風が、人々の髪を撫でていき。

空の彼方から満月が地上を見守っている。

銀の輝きが、きっと。

 

真実を語っていただろう。

 

 

 

――忘れてはだめよ?

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


ついに、やっと、なんとかここまで進みました。
ここまでで一旦本編は、日常編に戻ります。

回収していないおまけが溜まってしまって、あうあうあーな状態。


トロヤとの和解は成功しましたが、それは戦いの終わりではありません。
またいずれ、相対する時が来ます。

その和解に一役買った新たなヒステリアモード・セルヴィーレ。
この能力は身体能力の向上はそのままに、献身の対象の望む能力を1つ、更に獲得します。…が、脳への負担と波の不安定さが増大してしまう問題が残っています。
波が低すぎると状態が解けやすく、波が高すぎると脳への負担からすぐさま睡眠期へと陥ってしまいます。
この先、どのように向き合っていくか、それがクロの命運を分けることになるでしょう。


次回はおまけを挟んで日常編。
お盆は忙しいので、ぬぼーっと待って頂ければと。




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おまけ5発目 黒き思いの心得たる千金条



どうも!


今回は質素2本立てのかかぽまめです。

クロとその戦姉妹であるチュラとの出会いの物語となります。
どうしても、シリアス展開になってしまうので、おまけなのに頭からっぽで読めません。


ではぁ!始まります。





 

 

「チュラ・ハポン・ロボ」

「はーい」

 

隣の席から、教室に間延びした声が響きもしない。

髪を揺らすことなく立ち上がった小柄な少女の発した音はとても指向性が良いらしく、その名を呼んだ講師までの一直線上にのみハッキリと聞こえている。

 

暗黄色の瞳は、返却される数学のテストがどれほど悲惨な物なのかを案じて、少しでも現実味を薄れさせようと、情報が映り込む表面積を減らしている。

当然だが、それで結果が都合の良い様に映る訳でも、情けで呼び出しが無くなる訳でもない。

つまり、彼女には何の得もないのだ。

 

 

「…………」

「……また別途、再テストの連絡をするぞ」

「……はーい…」

 

 

周囲が「またかよ!」と笑って励まそうとするが、隣に戻ってきた彼女の瞳からは、光すらも消えていた。

ぶつぶつとうわごとの様に呟いている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「チュ、チュラ様?」

 

 

さすがに不安になって声を掛けるも、現実から逃避しているのか、それとも締め出されているのか、反応がない。

壊れたレコードが延々と同じ音を出し続けている。

 

 

戦姉(おねえちゃん)が試験官なら、戦姉(おねえちゃん)が試験官なら、戦姉(おねえちゃん)が試験官なら……」

「……」

 

 

(励まし方が分かりませんわ!)

 

かなり変わった方、という認識は誰に聞いても変わらないだろう。

 

 

 

 

 

 

チュラ・ハポン・ロボ

 

 

 ローマ武偵中1年、専攻は強襲科のEランクで、そのEランクの中でも最低レベルの実力者だ。銃の腕だけなら鑑識科の私の方がまだ良い成績だし、刀剣の扱いも探偵科のルーカ様の方が上だろう。

前に1度、探偵科への転科を勧められたが、「チュラは武門の出なんだー」の一点張りで動こうとしない。

 

 出身地はスペイン。ローマに来るまでは銃に触れたことも無かったそうで、一般科目の成績も座学、実技共に最低ランク。教務科への呼び出し、再テストの常連であり、再々再々テストまで行った挙句におまけで合格になっている。

 

 周囲とのコミュニケーションは誰とでも無難にこなしていて、相槌をこまめに打つ聞き上手なわけでもなく、話し方が上手いわけでもないのになぜか会話が弾む。

恐らく、どんなにニッチな話題でも通じるからだろうが、傍から見ると話し相手が独り言をしているように見えなくもない。

会話の間中、ずっと相手の顔を見ているのは癖なのだろうが、男性相手には程々にすべきかと。

 

 ベージュ掛かったオレンジゴールドのショートヘアーで、暗い夜でもはっきりと見える暗黄色の瞳をしている。

 黒い手首までのグローブと、真っ黒なレギンス……見間違いでなければ、1度だけ漆黒のコートで歩いていたこともあった。

 

 使用武装はベレッタM92F。モノマネが得意だとの噂を聞いたことがあるが、詳細は不明。戦闘技能は無い…という評価が正しいのかは、私は疑問に思っている。

 

 というのも彼女は色々と有名な2年強襲科、遠山クロ様の戦妹であり、校内では一緒に行動をとっている姿が度々目撃されている。

クロ様と言えば、一躍有名となった「武偵高2年生の先輩を回し蹴りでワンキック事件」と「黒花の決闘」があったが、この子が原因だ。

 

 解決任務のほとんどが探偵学部(インケスタ)のお手伝いであり、守秘義務と誤魔化しながら、怪しいくらい重宝されている気がする。

お姉さまも、彼女については良く知らないとはぐらかしてくるし、知らない方が良いのだろう。

強襲科での任務達成報告はされておらず、隠している様子でもないけれど……クロ様の相棒が何もしていないハズがない、きっと。

 

 

 

 

 

 

……こうして考え事をしている間も、ずっと唱えている。

余程クロ様に会いたいのか、その名前を口にしていて、「試験官なら」と言うのは小学生の授業参観の感覚なのだろう。

 

私はこの子が少し苦手だ。

何を考えているかではなく、()()()()()()()()が分からない。

 

性格の違いや国籍の違いではない。

クロ様にも感じた()()()()()()何か。

 

感じたままを率直に表すなら、『種族の違い』に近い。

 

多分2人はそういう所で()()()()()()()()んだろう。

 

 

「チュラ様、数学でしたら、再テストまでにお教えいたしますわ」

 

 

つい、そう持ち掛けてしまう。いつもの事だ。そしていつも断られる。

社交辞令のつもりはなく、純粋にそんな気分になっているから…認めたくはないが、私も()()()()()()のだと思う。

 

 

「ねぇ、アリーシャ」

「どういたしましたの?」

 

 

珍しい。

自分の世界からこうも早く立ち直ってくるとは。

 

 

「アリーシャは勉強の時、誰の顔を思い浮かべるのー?」

「顔……ですの?」

 

 

勉強と顔が結び付かない。

隠語なのかと考えてみても、聞いたこともないし、独自の解釈なのか。

 

返答は出来ないので、流れを汲んだまま、アドバイスをしておこう。

 

 

「勉強中は誰かとお話ししながらが良いと思いますわ。チュラ様が苦手なのは表現の方ですし、刺激が得られればガラリと変わるかもしれませんもの」

 

 

1つ断っておくと、これは数学の話であって、詩を書くテストでは無い。

 

ではなぜ、こんなアドバイスをしたか?

それはテスト用紙を見ればわかる。

 

彼女の数学のテスト用紙、解答欄は名前の欄も含めて全て空白で、点数は15点。

むしろ、テスト用紙の表側には何も記入されていない。問題は裏側にあるのだ。

 

 

「テスト中にお話ししちゃだめだよねー」

 

 

当たり前のことを言いながら、何も書かれていない表側をじっと見つめている。

本当に何を見ているんだろう。

 

 

「裏側を見せて頂いてもよろしいですか?」

「裏ー?別にいいけど、なんでー?」

 

 

普通のテスト用紙なら当然の反応だろう。でも彼女のものは違う。

 

裏返して、白紙のはずの面を確認すると…やはり、びっしりと、表側の問題がまるでコピーされたように丸々書き写されていて、名前欄にはしっかりと、『チュラ・ハポン・ロボ』と書き込まれている。

解答を導き出すスペースには三角形やら円やら双曲線やら、用途不明の図形が所狭しと並べられ、その横には驚くことに、導き出された答えに正解のチェックが付けられていた。

 

これに点数をつける講師も講師。表現の自由を認めるのは構わないが、暗号解読班にでも依頼したのだろうか?

残念ながら最初の3問を解いて時間切れになったようで、チェックは3つ。普通にやればもっと点数が取れそうだ。

 

私には彼女に何かを教えることなど出来そうにない。

 

 

「ありがとうございました。お返しいたしますわ」

「うーん、どうしよー」

「困りましたわね」

戦姉(おねえちゃん)がいつも一緒ならなー」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

私は今、人生のピンチに立たされている。

 

目の前では1人の男子生徒が、熱心にド直球な告白をしてくれている所だ。

黒制服を着ているのはローマ武偵高の生徒の証。年上はどうにも苦手だよ。

 

(この人…強襲科の先輩だったよな~)

 

苦手な話は右から左へ、彼の視線が脚に移るたびに鳥肌が立つ。

 

綺麗な瞳も髪も全てを手に入れたいとか、見る度に美しくなるとか、君という天使と共に天界に戻るまで一緒に地上を歩みたいだとか、歯が浮くような言葉を恥ずかしげもなく繰り返してくる。

 

ついでにスキンシップを取ろうとするので、その度にごくごく自然な動きで躱さなければならない。

止めて欲しいが、転校して早々に派手にやらかすわけにはいかないので、大人しく諦めるのを待っていた。

 

 

しかし、待てど暮らせど彼のボキャブラリーは底なしの天井知らず。

私が余りにも乗ってこないので、逆に火がついてしまった感もしてきた。

 

 

「怖がらなくても良いんだよ?僕は君だけの味方さ!君が望むなら世界の中心に君を据えてみせよう!僕の中の世界と同じようにね」

「お構いなく、日本人は端っこが好きなので」

「ああ、それでも構わない。君という華を独り占めすることが出来るなら、それだけで僕の心は満たされている」

「は、はあ…」

 

 

(禅問答のプロだ!返答に一分の隙も無い)

 

かなりの強敵。

私でも知っているとなれば、それなりの注目株。能力も高いだろうし、逃げ手がない。

 

まだ仲の良い知り合いは少ないので、頼れるのはパトリツィアくらいだが、彼女は探偵科のグループと街に出ると言っていた。

パオラはこういった場合には頼れないし、一菜が来たら場が荒れるだろう。私と一緒の時に男子生徒に話し掛けられると、男嫌いなのかって位、容赦なく追い払う傾向がある。

さらに、その後の1日はスキンシップの量が増え、体に不名誉な負傷が出来てしまうから、直して欲しいなあ。

 

(口調は直ってきたんだけど、性格がねぇ…)

 

最近、日本語での一人称が『我』から『あたし』に変わった親友の事を思い浮かべると、顔が少しだけ笑顔になってしまっていた。

それを見逃さない先輩は、丁度話題に挙がっていた教会の絵画の話を深く掘り下げていくが、すみません、毛ほども興味ありません。

 

 

飽きて来た。

いや、とっくに飽きてた。

 

肩への3度目のスキンシップを図ろうとする左手を、くしゅんっ!とクシャミをして回避。

温かいカフェでも、じゃないんだよ。帰りたいんです。

 

 

ガサガサ…

 

 

近くの茂みが揺れた。

その不自然な揺れ方は、誰かが中にいるのだろう。

 

(むむ?もしや救世主様!)

 

2人の視線が茂みに集まる。

 

 

ガサガサ…

 

 

(な、なかなか出て来ない。服が引っ掛かってるのかな?)

 

そのまま待っていても良かったが、早くこの場を去りたいので、手を貸してあげる。

 

 

ヒョイっ

 

 

「おーっ?」

 

現れたのは小柄な少女。

パッと見のイメージは黄色で――いや、その……オーラなんて見えないが、黒い感じがしなくもない。間延びした声から、のんびりとした気性を想起した。

初等部の子ではなく、私と同じ武偵中の制服を着ている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「おやおや、君はどこから入り込んだんだい?人払いはしていたハズなんだけど」

「……?」

 

 

(そんな事までしてたのか!)

 

道理で1人も通らないワケだ。

対する少女の反応は何の話?って感じ。そりゃそうだ、この子、全身余すとこなく草まみれで、ずっと茂みの中歩いてたみたいだもん。青臭い匂いが――?

 

――何の匂いだろう?おいしそうな匂いがする。この子の頭かな?

 

 

ピリピリピリ…

 

 

頭の奥がムズ痒いような、変な感じがする。

 

 

「あなた、人間?」

「"…はい?"」

 

 

ぼーっとしていたのもそうだが、唐突な問い掛けに面食らって、つい日本語で返してしまう。

人間じゃなかったら何なのさ!失礼しちゃう。

 

 

「そうですよ」

「そっかー」

 

 

悪気は無いんだろう、純粋に聞いてみただけらしく、すぐに顔を逸らした。

そこまで一気に興味を失わんでも。

 

ただ、この場から去ろうともしない、なかなか豪胆な性格も持ち合わせているようだ。

救世主ではなくて、迷子だったけど。

 

 

「すまないが、子供は外で遊ぼうか。ここは僕と彼女の愛で埋まってしまうからね?」

「埋まるのー?」

「うっ…」

 

 

過剰な表現で胸やけしそうだ。もう正当防衛が成り立つところまで来てるんじゃないのか?

 

(埋めてやりたい……あっ!)

 

良い事を思いついた。

 

 

「あなたは探偵科の任務の途中ですか?」

「?」

 

 

茂みの中を歩いて来るなんて、きっと落し物の類の捜索依頼だろう。

もしそうなら、彼女は探偵科。探偵科にパトリツィアという強力なコネがあれば、後から格安でアリバイ(埋め(詰め))を作ることも出来る。

 

今は適当な任務を言って彼女を連れたまま姿をくらまし、架空の仕事情報を流してもらえばいいや。

 

 

「チュラは探偵科の仕事、良くやってるよー」

 

 

ビンゴ!

 

 

「そうでした!今日は探偵科に仕事の依頼をしていたんです」

「えっ、そうなのかい?…でも、そうだね。仕事は大事だ、僕も手伝ってあげよう。報酬は君の愛…」

 

 

非常に申し訳ありませんが、敵の通信妨害により音声不明瞭。

繰り返さなくていいので、マイクをそっと手放して下さい。

 

 

「そんなに大きな仕事ではありませんから、どうぞ、お構いなく」

「大きな仕事じゃないって?そんなわけないだろう。だって僕の……」

 

 

非ッ常に申し訳ありませんが!回線がショートしてしまいました!

繰り返しても無駄なので!マイクの電源をお切り下さいッ!

 

 

「チュラ…さん、でいいんですね?パトリツィアさんはまだ街にいますか?」

「…Fiore di omicidio(人喰花)ッ!」

 

 

(あ、そうか。強襲科の先輩の中にはパトリツィアの事を知っている人も多いもんね)

 

去年のパトリツィアの仮チームは強襲科(アサルト)の生徒3人、狙撃科(スナイプ)の生徒1人、殲魔科(カノッサ)の生徒1人の5人編成で、1年生の中でもBランク以上のトップクラスが揃っていた。

加えて頭がおかしい事に強襲科の3人は全員が別学科と掛け持ち状態で、探偵科(インケスタ)衛生科(メディカ)兵站学部車輛科(ロジロジ)のスキルも備わる、言うなればバケモノの集まり。

 

当然宝導師(マグド)の担当も3人、強襲科・狙撃科・殲魔科の先輩が当てられていた。

しかし演習が始まって1週間経った時点で、5対3のチーム戦を制し、1ヶ月経つ頃には、担当していた強襲科Aランクの先輩が、1対1で完膚なきまでに叩きのめされた。

 

宝導師は更なる実力者が配属されたが、それでも彼女たちは超えてしまい、結局、Sランクの武偵2人を任務として雇ったことで、落ち着いていたとか。

…雇われたのは魔女だったって噂もあったし、武偵ですらなかった可能性もあるらしい。

 

全員が色とりどりの花の様であった事と、()()で敵対した相手を残酷なまでに喰らい尽くす様子から、『人喰花』と呼ばれていた。

 

 

まぁ、そんなやばいチームも事実上は解散している。

副リーダーが消えるように転校し、パトリツィアが怪我で抜け、殲魔科の生徒が地下教会の団体に先駆けでスカウトされ、リーダーは特務任務で旅立ったらしく、残り1人が単身でその名を背負っているそうだ。

 

 

「うん、戻ってないよー。いつもはチュラもお手伝いしてるんだー」

「え、そうなんですか?」

 

 

パトリツィアの仕事のお手伝い?落し物の捜索なんかうけるかなぁ…

言われてみれば、どんな仕事をしているのか知らないな。気になる。

 

 

「すみませんが、パトリツィアさんに会う予定がありますので、失礼します」

「そ、そうか。分かった、また今度お誘いするよ」

「はい、それでは。行きましょうチュラさん」

「??」

 

パトリツィアはそこに居なくても、名前だけで人払いが可能なのね。覚えとこう。

 

 

 

 

 

 

小さな子供を連れて、なんとか自由の身を手に入れた。

彼女にその気が無くとも感謝せねばなるまいし、探偵科棟の中に備えられた、古めかしいカフェテリアにお邪魔する。

前にパトリツィアに連れられて入ったが、店内は木製の家具で統一されていて、使われる木材は多種多様。かっきりした黒茶色から優しい胡桃色まで、塗装もせずにおしゃれ空間を作り出している。

今の時間、わざわざここで休憩する生徒は少なく、空席だらけだ。

 

 

「カプチーノでいいですか?それとも甘いものは苦手でしょうか」

「チュラはここの"緑茶"がおいしいー」

「"りょ、緑茶!?"」

「"そう、緑茶ー"」

 

 

あった、なんでそんなメニューが…

 

 

「"チュラが頼んだのー"」

「"へー、そうなんですか。これって日本のお茶なんですよ、日本語では……あれ?"」

 

 

(おかしいな、緑茶って既に日本語じゃない?)

 

 

「"ねえ、あなたはチュラの敵?味方?"」

「"り、両極端ですね。敵ではないですから、味方ですよ"」

「"そっかー"」

 

 

今度は一連の会話で興味が無くなったわけではないのか、目を離そうとしない。

顔を見られているだけなのに、少し怖くなって顔を逸らす。

 

(この子と一緒にいるのも疲れそう。早めに切り上げようかな)

 

緑茶を2杯頼み、席へと向かう。その道中も見られている気がして右を向くが、こちらは見ておらず、彼女も右を向いていた。

 

(気のせい…だったか)

 

スイッチOFFの状態ではどうにも勘が鈍る。

まだ見られているような…

 

 

丸くて小さいテーブルで緑茶を飲んでいると、うわー…先生が入ってきた。

キョロキョロと見回し、こちらに目を付けると真っすぐやってくる。

 

(わ、悪いことはしてませんよ)

 

心配だったが、私は無関係だったようで、スラリとした体型の男性は、テーブルの前に立ち止まってチュラの肩を叩く。

 

 

「チュラ、強襲科1年の再講習はどうした?」

「もう、終わったよー」

 

(中等部1年の授業で再講習?)

 

それって、銃の簡易分解が出来ないとか、発砲の姿勢が取れないとかそんなレベルじゃないか?

いやいや、それ以前に強襲科だったの!?なんでここに馴染んでるのさ!

 

彼女が探偵科でないなら、私達ってただのお茶飲みに来た無関係者、不審者じゃん!

 

 

「終わったら教務科に顔を出せと言ってあっただろう」

「…誰の顔も思い浮かばなかったんだもん……」

 

 

俯いて落ち込んでいるようだ。

こっちは無関係者ではないので、助け船を出しておこう。実際助けられたようなものだし。

 

 

「先生、実は私が彼女に探偵科棟まで案内してもらっていたんです」

「君は……ああ、最近日本から来た生徒か。それなら探偵科の生徒に頼みなさい」

 

 

はい、そうでした。この子違うんでした。

 

撃沈。スイッチの入っていない状態では、口頭でのバトルが3秒であしらわれた。

 

 

「違うよ。チュラが探してたの」

「チュラ、まだそんな事を言っているのか?君の相棒はもう見つかっただろう」

「あの人は違うもん!」

 

 

(あれれー?また場が荒れてきた。完全に蚊帳の外なんですけど)

 

私のせいで怒られているのかもしれないが、さっき以上のフォローは出来ない役立たずなので、成り行きをこっそり見まも――

 

 

「チュラッ!」

「いや!」

 

 

――はしっ!

 

 

腕を掴まれガッチリ抱かれる。

 

(ああ、そんな気はしてた。私の周りには変な子しか集まらないもんね)

 

この件は単純じゃないんでしょ?

先生の顔にそう書いてありますし、少女を連れて行こうとするのにも必死さがある。

わざわざ先生自身が探しに来たのも、裏があるかもしれない。

 

 

 

 

――こっそりと…スイッチを入れた。

 

 

 

 

「先生、チュラの相棒というのは?」

「関係のない話だ、忘れた方が良い。そうすべきだ」

「そういうわけには行きません」

「なぜだ?」

 

 

緊張が訪れる。

私の雰囲気の変化を感じ取ってか、警戒している様子だ。

しかし、それよりも少女の反応が気になる。

さっきからずっと、腕を掴んで私の顔を見ていただけだったのに、その手を放して距離を取り、全身を観察し始めたのだ。

 

じっ……っと。何を見ているかは分からないが、癖や呼吸とまばたきの頻度のみならず、筋肉の収縮や血流の流れまでも把握されている気がする。

 

良く見る奴は強い、常識だ……たぶん。

 

 

「私は彼女と組みたいのです。相棒がいないならこの場で申請するつもりでした」

「……庇った所で、良い事は何もないぞ?」

「何のことでしょうか。…ですが私も目立ちたくありません。仮に、ですよ先生?彼女に相棒がいたとしたら、喧伝してでも探してしまうかもしれません。その時、口が滑って彼女の『力』について漏らしてしまうかも」

「おい」

 

 

(なるほど、適当に言ってみたものの、そこまで的外れではないのか)

 

こうなったら、ただのお茶目心でした、では済まされない。

ちらっと、件の少女の様子を窺う。あとは彼女の意見次第だ。

無理矢理手を貸したんじゃ、学校側と何も変わらないからね。

 

少女は観察を終了し、視線が私と先生を交互に行き来している。

5度繰り返した後、その暗黄色の瞳の先には私が映っていた。

 

 

「チュラもあなたと組みたい」

 

 

許可を、頂けたね。

なら、もう予定は決まったよ。

 

 

「先生、向上心のある生徒からの質問です」

「……」

 

 

黙るなら、希望はあると考えていい。

条件次第ではパートナーを変えられる可能性が。

 

 

「お話をしましょう。5人で」

 

 

 

 

 

 






クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


チュラについては、クロもあまり理解していません。変わった子、モノマネが上手い、能力者である、いい匂いがする。それぐらいしか知らないんです。


次回に続きます。




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おまけ6発目 黄獅子と白き牙の宣言

どうも!


魚が食べたい、かかぽまめです。

おまけの続きのおまけですよー!


お昼の休憩時間。

私はパトリツィアお姉さまと探偵科、鑑識科の生徒の方々と一緒に、探偵科棟のカフェテリアでエスプレッソを頂いていた。

 

ここはいつ来ても良い雰囲気で、気分が落ち着いていく。

お姉さまを狙う影を内緒で追っている間も、ここを作戦拠点とさせて貰っていた。

 

……狙撃手。

未だにその人物についての情報だけが、何も集まらない。

徹底的にその足跡を、如何なる観点からも探し出せないよう、巧妙に消していったのだ。

 

だが、逃がすつもりはない。必ず見つけ出して、お姉さまの前に差し出してみせる。

 

きっとお姉さまは許すだろう。実力のみを追い続けたお姉さまは初めから恨んでなどいなかったから。

自身の怪我を恨むどころか恥ずかしがっているのは、壊れた心の後遺症なのか。

 

 

「アリーシャ、あなたの番だよ」

「あら、申し訳ありません!では、報告いたしますわ」

 

 

お姉さまに促されて、鑑識科の同級生と共に、担当していた仕事の報告を行う。

先日の事件に関する写真を元に、現場に残された弾痕、抉られた壁、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の鑑識結果を伝えた。

 

 

(…はい、これはあの方ですわ)

 

 

ここまであからさまに足跡を残されると、逆に罠なんじゃないかと疑いたくなる。

どうして第三装備科の中で戦闘が行われたのかは不明だが、彼女の事だ。今更何に疑問を思えばいいというのか?

 

 

「……また、クロさん絡みか」

「はい、またですわ」

 

 

教務科から直々に私達に話が回ってきた時点で、ある程度の予想はついていた。

これをどうにかしろ、って事だ。

 

 

「目撃者は数名だったんだけどね」

「銃声も訓練の一環って事になったけど…なぁ?」

 

 

探偵科側での根回しは既に終了し、残すは現場の証拠隠滅。

これまた綺麗に足型を残してくれたものだから、床は張替え。壁は小さな傷だし、パテでも詰めてコーキング剤で固め、塗装しておこう。

無かったことにする、今回は簡単で助かった。

 

以前、休日に窓が割られた時には、強襲科棟でランがあったことにして、アリバイの人数調整までやらされた。

始末書も人数分書いたし、弾頭をバラまいて証拠写真を撮った後に回収する不毛な行為も辛かった。

 

 

「パオラ様に協力を仰ぎ、あの部屋は早急に空白と致しますわ」

「頼むよ。私は彼女の時間に空白を作らないといけないからね」

「終わりましたら、猫の手もお借りしたいところですわ」

「いいよ、すぐに犯人を差し出そう」

 

 

笑顔で立ち上がるお姉さまの左手がぷるぷる震えている。ちょっとだけ、怒っているサインだ。

 

事情聴取とアリバイ作り。

クロ様には申し訳ありませんが、本日は帰しませんわよ?

 

 

「ここでクロさんの話をすると、決闘を思い出すよ」

「あんな伝説、目撃した幸運な誰もが忘れられませんわ。……尤も伝承の恐れはありませんが」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

私は今、人生のピンチに立たされている。いや、座らされている。

 

カッコ良く啖呵を切って、少女の味方をしてあげようと思っただけなのだ。

その為には、彼女の相棒が私でも務められると証明しなければならない。

 

ここまでは間違っていなかった…と思う。

 

 

テーブルには私が宣言した通り、5人の人間が着席し、すっかり冷えた緑茶と湯気を上げているエスプレッソを囲んで、笑顔の咲かない荒れ地の様相だ。

 

「お集まりいただき感謝いたします…」

 

まず、一連の原因となった私。

 

「いたしまーす」

 

左には、今回の主役のチュラ。

 

「……」

 

その隣には先生が座っている。

 

ここまでは間違っていなかった…たぶん。

 

 

「58、59、60…あれ?1、2、3…」

 

私の右に座るのは、ターコイズブルーの髪、珍しいエメラルドの瞳の少女。

やる気があまり感じられない無気力な表情で、フランス語でエスプレッソの泡を数えているが60で止まる。また1から数え直していくのだが、果たして60まで到達した回数を覚えているのかな?

 

 

【挿絵表示】

 

 

(よくもまぁ、そんなに余裕でいられるね。あなたも関係者でしょ?)

 

このキラキラと輝く宝石の様な少女は武偵ではなさそうだが、纏う気配はカタギではない。

お人形さんみたいな可愛らしさが、余計にホラー映画を彷彿とさせる。

 

 

 

……はあ、見たくはないが、その少女の隣を見なくてはいけない。

何でここにいるのさ、今日は()()()()って言ってたじゃん。

 

「……こうなることは、予想してなかったよ。クロさん」

 

 

 

 

 

 

パトリツィア・フォンターナ

 

  

 ローマ武偵中2年、専攻は強襲科から探偵科に転科している。強襲科ではAランク、現在の探偵科はBランクで、穴埋め屋さんとしての依頼を多く受けている。

 

 家は有力企業のフォンターナ・トランスポートで、三姉妹の長女。最も有力な跡継ぎの立場であり、才能と実績も併せ持っていたが、現在は跡取り候補から一歩引いている。

 

 タンポポのような明るい黄色(デンテ・ディ・レオーネ)の髪が伸び、ブルーの瞳に少しだけ掛かっていて、透き通るような白い美脚は、端にお洒落なフリルが入った、純白のニーソックスでほとんど隠されている。

私よりも身長は低いが、同学年の中では少しふくよかな胸を持ち、優しさを見せながらも強気な口調と、キリっと引き締まった表情は、溢れる自信を表す。

 

 眉目秀麗、才色兼備。彼女の周りには多種多様な人間が集まり、大きなコミュニティを形成していて、諜報学部、探偵学部、通信学部、衛生学部とどこにでもパイプを持っている。

それがとあるグループとすこぶる仲が悪いのだが、パトリツィアというストッパーが存在する為、小競り合い程度に納まっているのだとか。

私もそのコミュニティに入っているだろうな。近々、通信科とロジロジの同級生を紹介してもらう予定だった。

 

 使用武装は全体的に角が立ったベレッタM92FSVertecと両刃のカランビットナイフ。

片手で射撃と近接が出来るという、実に元強襲科らしい理由から、指通しの付いたこのナイフをセレクト。

銃のアンダーマウントレールにはガス式のスライド助走機構が増設され、小さい銃剣が飛び出したり、投擲を行ったりと、探偵科に必要無さそうな機能が詰まっている。

 

 第七装備科のお得意様と聞いたことがある。武器の改造はそこに頼んでいるのだろう。

変装して入室し、退室時には不審物を抱えて帰る。そんな噂もあったが、その情報自体が瞬く間に消されてしまうので、真偽の程は分からない。

 

 

 

 

 

 

(私だって思わなかったよ。チュラの相棒がパトリツィアだったなんてさ!)

 

 

「奇遇ですね。私も予想していませんでした」

 

 

だが、話の流れは予想できる。

この子の存在は、相当に重要なものなのだ。

パトリツィアが出て来た時点で、裏側に深く係わる内容だと理解できたし、右の人は武偵ですらないし。

 

それを野放しにするのはリスクがあり過ぎる。

だから実力者の庇護を必要としていた、と。

 

つまり……

 

 

「クロさん、あなたの実力を私は知らないよ?一生懸命に隠している事を、探りたくは無かったから。……でも」

 

 

教室で話す彼女とは違う。

刺さるような凄み、元Aランク強襲科のプレッシャーを感じさせられる。

 

 

「トオヤマクロ、お前が忘れるというなら、今日は優雅なお茶会で済むんだぞ?」

 

 

先生は私やパトリツィアの事を歯牙にも掛けていない。

元より争うつもりもないのだろうし、面倒事は避けたい考えのようだ。

 

 

「トオヤマ…?遠山?んー?とーやまー?」

 

 

右の少女はそもそも会話に参加していない。

頭の中いっぱいにハテナを詰め込んでいるが、もはや泡の数を数える作業に戻るのは絶望的だろう。

数字を数える声も鬱陶しかったので、大人しく座っていて欲しいなぁ。

 

 

「お互い、人目のない場所が良いですね」

 

 

……やるしかないわけだ。パトリツィアとの決闘を。

 

 

「クロさん、やめないかな?()()で、あなたとは戦いたくないんだ」

「棄権するのはあなたですよ?パトリツィア。逃げも隠れもしません」

「……そうか、トリガーがあるタイプ。私も手は抜けそうにないね」

 

 

立ち上がる、彼女の左手が……震えている。

あんなの、初めて見た。

 

 

「殺すなよ?」

「縁起でもないことを言わないで下さい」

「この学校に来て1年、事故は起こしてないですよ、先生」

「物騒なことを言わないで下さい」

 

 

 

 

カフェテリアで会計を済ませ、鑑識科棟にあるプレハブ型の現場再現用モデルハウスの1つに移動した。

普段は脱出ゲームや捜査の訓練、現場の再現によるジオラマ的な使い方をされているが、今は決闘場。

内装は全て取り払い、外装は防音のシートが被せられ、物々しい状態だ。

 

向かい合うのは黒色と黄色の髪。

その間には水色の髪が立って、一応、審判をやってくれるつもりみたい。

 

観客は橙金色の少女と銅色の男性。

決闘の行く末を見守っている。正直審判より、あっちの方がやる気がありそうだ。

 

 

「先に抜くといい。その気があるのなら」

「お言葉に甘えますよ」

 

 

余裕を見せてくれる内に、一気に押し込んだ方が良い。

彼女とは圧倒的な経験の差がある。

 

そう思って、内ポケットから銃を取り――

 

 

パシュゥッ!

 

 

――出すフリをして、思いっきり踏み込んだ蹴りを放つ。

 

時速百キロの移動に膝の伸張を加えた高速の脚は、目を見張ったパトリツィアの鳩尾を的確に捉え…

 

 

ドッカァ!

 

 

プレハブの壁2枚とシートに穴を空けて、隣のプレハブの中まで吹っ飛ばした。

 

蹴り飛ばした脚を下ろし、自然に真っ直ぐに立つ。

先生やチュラは驚いているが、審判は技あり判定すらしてくれない。

 

一番嬉しいのはこれで終わってくれること。

せめてピヨらせるか、脚の一本でも負傷しておいてくれれば有利になるのだが。

 

 

「おっどろいた。それがクロさんの本気か」

 

 

隣のプレハブから姿を現したパトリツィアは、蹴られた場所を押さえながらも、しっかりとした足取りで歩いて来る。

壁に打ち付けた背中にダメージは無いようだ。

 

 

いや?そもそも壁に衝突した音はしなかった。

なんか、やったのか?

 

 

「体が頑丈なわけでは無いんですね?どんなトリックなんでしょうか」

「あんな速度で動くあなたには言われたくないよ。……謝ろう、舐めていた」

 

 

パトリツィアは私に深く礼をする。

そして…ああ、やだなぁ。

 

 

――とてつもなく、嫌な予感がする。

 

 

彼女は鳩尾を押さえていた左手を胸ポケットに入れ、一発の銃弾を取り出した。何の変哲もない、普通の9mm弾に見える。

それを右手に持った銃に1発だけ込めてこちらの体の中心に狙いを付けた。

 

 

「1発だけにしておくよ。下手に避けない方が良い」

「大人しく撃たれるとでも?」

「事故は望まない」

 

 

本心から言っているみたいだが、たった1発の銃弾で殺さずに、どこを撃つのか。

 

 

「宣言しよう。私が撃つのは、トオヤマクロ、脚、腿、左、膝上10cm、背面180度、非貫通10cm、時間にして1時間の侵食、空白が生まれる」

「呪文ですか?」

「ただのおまじない(ジンクス)だよ。心配しなくていい、私は――」

 

 

彼女の銃口は、まだ体の中心に据えられている。

撃たれる場所は太腿らしいが、瞬間的に合わせるつもりのようだ。

 

 

「――外さない」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ギィィイイウゥゥンッ!

 

 

銃声がおかしい、何を撃った?

 

そう思った時にはもう、脚に激痛が走っていた。

 

 

「――ッ!?」

「動かないでくれて助かったよ。瞬時の制御は難しいんだ」

 

 

(痛いッ!)

 

何かが体に刺さった。彼女の銃弾だ。

 

痛みが治まらない、痛みで体が麻痺もしない。

いつまでも何かが刺さり続けている。

 

でも異物感がない、そこは空っぽだ。ただ脚に穴が空いている。

痛みだけが、永遠に繰り返されて、血の一滴も流れ出さない。

 

いや、解釈の違いだ、脚に穴など空いていない。

初めからその空間に、私の脚など()()()()()()()()()

 

 

 

――()()が生まれた。

 

 

 

「何を…ッ?」

「痛むだろう?意識を手放すんだ。空白は夢の中までは追いかけないよ」

 

 

本当はそうしたい、一通り転げまわって眠ってしまいたい。でも――

 

 

「あの子を…あの子が……やりたい、ように…」

 

 

こんな所で引くくらいなら、とっくに引き下がっていた。

まだ立てるなら、引く必要などない。

 

 

「…両脚か。ただの任務ならこんなことしないよ。これは……()()だ」

 

 

胸ポケットからもう1発の銃弾を取り出し、銃に込めた。

 

 

「やれるものなら…」

 

 

まずい、1発目は完全に意識の外から攻撃された。

全く対策が出来ない、正体不明の攻撃。

 

不可視の銃弾だって、速いから避けられないが、後ろからは飛んでこない。

あの宣言を受けて、一体どうすれば避けられるのか?

 

 

「宣言しよう。私が撃つのは…」

 

 

(させるかッ!)

 

長い準備をしている間に妨害に動く。

強襲の基本だ。

 

右足だけで思いっきり踏み込む。

左足は神経系が空白に飲まれている為、蹴りを出すことが出来ない。

 

(なら、押さえつけてでも!)

 

彼女の銃口を避けるように低く飛んだ。スピードは落ちたが、それでも避けられまい。

そのまま組み技戦(グラップリング)に持ち込めば、容易に発砲出来なくなる。

 

「……時間にして1時間、貫通50cm……」

 

パトリツィアは避ける挙動を取れていないし、銃口を向け直すのも間に合わない。

 

(取った!)

 

彼女の左腕を掴み、抱き付いて引っ張り込んだ……引っ張りこもうとした。

 

 

「……左手中心、空白が生まれる」

 

 

 

ギィィイイウゥゥンッ!

 

 

 

「…えっ?」

「下手に動かない方が、いいんだよ」

 

 

 

――彼女の左手を貫いて、私の腹部に貫通穴が穿たれた。

 

 

 

「げほっ、ごほっ!」

 

 

普通なら血を吐きそうな痛みだが、体に異状はない。

それ自体が異常なことだ。

 

 

「射撃の妨害。みんなそうだ、止めてしまえばいいと」

 

 

左手の穴を見る表情は、美術品を眺めるような優雅さを醸している。

痛みも何も、感じていないみたいに。

 

 

「芸術ですらキャンバスから飛び出したというのに、人間が更なる高次元に行けない道理はない」

「けほっ、うう…」

 

 

痛みで筋肉が萎縮している。内臓の一部も空白の中だとすれば、不用意に動こうとは思えない。

その様子を見下ろす目は親し気で、彼女の中ではもう終わってしまった事のようだ。

 

 

「それを止めようだなんて、傲慢というものだよ」

 

 

黄色は銃を仕舞い、水色は決闘の終了を宣言する。

銅色は両者を称えて手を打ち、橙金色は…

 

 

タタッ!

 

 

誰かが駆け寄ってきた。

小柄な体を震わせて、小さな手をいっぱいに開き、小ぶりな頭を埋めて。

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

 

 

 

精一杯、()()()

 

 

 

こんなこと、誰も喜ばない。

そんな光景、誰も望んでいない。

 

 

それでも、謝る以外の事が分からない。

それが彼女の見てきた相棒の表情だから。

 

 

ごめんはこっちのセリフだ…。

瞼が重い。もう、立てそうにないや。

 

 

薄れる意識で…最後に感じたのは…甘い匂い……

甘い甘い…バターと蜂蜜の匂い……

 

 

 

 

ドクン…

 

 

 

 

 

いつも感じる違和感とは違う、不思議な感覚が湧き上がった。

 

何かを求めて心が騒ぎ立てる。

 

 

 

(そっか、それがチュラちゃんが求めるものなのか…)

 

 

叶えてあげたい、力を貸したい、そばで支えたい。

 

彼女との繋がりを持ちたい!

 

 

 

ぼやけた視界で周りを確認すると、30枚の真っ黒な窓枠に囲まれていた、

 

(ちょっと不吉過ぎませんか?ここ)

 

ドロドロとした液体と固体の中間地点の物質が、上から下へと流れ落ちていく。

真っ黒な液体って重油っぽくて体に悪そうなイメージだ。

 

無臭だが、どうにも近づき難く、遠巻きに見ていたが…

 

 

ドスンッ!!

 

 

(なになになに!?)

 

窓枠の中でも一際深そうな漆黒のものから、叩き付けるような音がした。マジ怖いです。

 

 

ガッ!ゴッ!ガッ!

……バキャッ!

 

(えっえっ?)

 

あの窓枠、様子がおかしい。中から液体が浸水して来たぞ…!

 

それだけではない、意思を持っているかの如く、一直線にこっちに来る!

 

(に、逃げッ…!)

 

 

――どこに?

いつの間にか足元は、真っ黒な液体で沈んでいた。

 

そして、視線を足元に移した1秒に満たない間隙に、液体が肩に乗っていた。

 

(や、やぁ……こんにち…はぁぁーーーッ!?) 

 

 

 

 

 

――弱った私の意思は、いとも簡単に、漆黒の窓枠に引きずり込まれた。

 

 

 

 

 

「パトリツィア。この攻撃があなたの最大?」

「…っ!」

 

 

私が起き上がるとは思っていなかったのか、水色の少女も含めた全員が驚いている。

実際、気力だけで動いている。あと5分も立っていられない。

 

 

「…なんで起きたのかな?クロさんがそんなに頑張る理由が、分からないよ」

「本当に分かりませんか?」

「…ふむ、そう聞かれると、思い当たる節がない訳ではないさ」

 

 

ああ、そうだろう。

分かってもらわなければ困る。

 

 

「もし、少しでもチュラちゃんの事を想ってくれるなら…1回だけチャンスをください」

「決着はついた。あなたにしては、なかなか横暴だね。…うん、考えてもいい。でも条件がある」

「何でしょうか?」

「まず、この件には二度と関わらない事。もう1つは……」

 

 

(なんだろう、重要な案件かな?)

 

少し身構えてしまう。

途方もない条件だったとしたら?そんなの関係ない!当たって砕けろ!

 

 

「…私と一緒に第七装備科に来て欲しい……」

「……ん?」

 

 

 

 

 

(なんだろう、重要な案件かな?)

 

少し身構えてしまう。

途方もない条件だったと……って、驚きで時間巻き戻っとるがな!

 

 

「…私と一緒に第七……」

「合わせて繰り返さなくていいですからッ!」

 

 

とんだ破格条件だ。

絶対裏があるが、時間も何も説明がない以上、交渉次第ではどうにかできる。

 

 

「それでいいんですね?」

「それ以上の望みは無いよ。きっと彼女も喜ぶ」

 

 

(彼女?)

 

やっぱり裏はありそうだ。

最初から勝つつもりだから関係ないけど。

 

 

「初めの質問に答えよう。あなたはこう尋ねた。『この攻撃があなたの最大?』と」

「はい、そうです」

「つまり、私との戦いを、短時間で済ませたいわけだね?体は限界で、トリガータイプは、しばしば継戦能力に弱点を持つ」

「ええ、認めます」

「私の最大の1発を止めるつもりだと、それがあなたの勝利条件」

「やってくれるんですね?」

 

 

彼女の雰囲気が変わる。

親し気だった視線も、刺すような凄みに変わっていく。

 

 

「もちろんだよ。そして質問の答えだ」

 

 

彼女は胸ポケットから1発の銃弾を取り出した。

今までの通常弾ではなく、色付きの銃弾だ。

 

 

「答えはNO。この銃弾は掠めただけで、獅子の意識さえ一瞬で刈り取る」

「それが最大ですか?」

「うん、これが私の最大。動かないでね?もし当たったりしたら……体が無くなっちゃうよ?」

 

 

動くな、か。

それって決闘的にどうなんだろう。

 

 

「宣言しよう。私が撃つのは、トオヤマクロ、頭、眉間、中心、正面、貫通20cm、時間にして24時間の侵食、空白が喰らい尽くす」

「――ッ!」

 

 

彼女の意図が読めなくなった。

てっきり掠めて撃つのかと思ったが、ド直球に殺す射線だ。

 

だが、彼女は動くなと言ったし、度胸試しのようなものかもしれない。

 

不確定要素が頭の中を駆け巡り、不安と絶望と恐怖が押し寄せる。

 

 

(どう…すれば?)

 

 

確実に避ける方法などない。

もう2敗もしているのに、その正体は掴めない。

 

引き金が…ゆっくりと……

 

 

「クロさん、さようならだ。()()()ごめんね」

「パトリツィア……」

 

 

……引かれた。

 

 

 

ギギィギギギィィイイウィイイウゥゥンッ!!

 

 

 

――撃たれる瞬間、やっと彼女の意図が読めた。

騙すなんて本当に酷い。こんなの躱せないよ…

 

 

 

バチチチチィィィイイイイ!!

 

 

「…正解だよ、クロさん。これで()()()()だ」

「生きた心地が、しませんでした」

 

 

 

これは…予想以上の、光景だ。

 

 

 

プレハブが消えていた。

隣もその隣も。

 

随分と見晴らしがよくなったが、そこには空白が存在する。

さっきの銃弾は初めて見たが、炸裂弾(グレネード)だったのだ。

 

爆発した空白は周囲を巻き込んで喰らい尽くした。

24時間後にプレハブは何事もなく出現するだろう。

 

あまりの衝撃に立っていられず、座り込んでいた私が無事なのは……

 

 

「はーっ!はーっ!はーっ…!」

 

 

息も絶え絶えに、泣きじゃくる小柄な少女のお陰だろう。

肩を上下にいっぱいいっぱい動かして、酸素を取り入れている。

 

 

「チュラちゃん」

「お…ねえ、ちゃん……」

 

 

意識を失った彼女は、私の腕の中でスヤスヤと寝息を立て始めた。

お姉ちゃんね、誰かの事を思い出しているんだろうか。

 

 

 

「トオヤマクロ」

「はい、なんでしょうか?」

 

 

先生に呼ばれ、そちらを向くと、今までの厳しい表情が嘘のように笑顔になっていた。

 

 

「悪かったな。可能性があれば全てを試す必要があった」

「もういいですよね。見たい物は見れたのですから」

「ああ、いいだろう。君が彼女を守れ、何があってもな」

 

 

怒ってたのも嘘、決闘も嘘、最大の攻撃も嘘。

みんな揃って騙すんだもん!(水色の人以外)

 

 

「チュラが完全に()()したのは初めてだったよ。クロさん、あなたが彼女の居場所になってあげて欲しい」

「初めからそのつもりですよ」

「私の力は、彼女にある程度コピーさせているんだ。私たちの力を奪った()()()を捕まえるためにね」

「吸血鬼?」

「詳細は分からない。でも妹が襲われたんだから、絶対に許しはしない」

 

 

(吸血鬼って…がぶっ!ちゅーっ!て奴だよね?実在するわけないじゃんか)

 

至って真面目な顔をしているが、数分前に前科がある。信じてあげないよーっだ!

 

 

「怖い話ですね」

「おや、他人事かな?クロさんも気を付けるといい。あなたの方がおいしそうに見えるかもしれないよ?」

「ゾッとしますよ」

 

 

そんなに脅しても意味ないですから。

まあ、蝙蝠くらいになら注意しておきますか。

 

 

「そうだ、クロさん」

「はい…ッ!どう……しぃま…したぁ?」

 

 

ヤバい、フラフラしてきた。

気力もそろそろ底を尽くのだろう。

気が付くと波も高くなって、睡眠期に飲まれてしまう。

 

 

「引き分けだね?」

「そう…です、ね」

「両者の意見を尊重しよう、それでいいかな?」

「うーん、なんでー…したっけぇ?……なんでも、いいです~」

「うんうん!そうだよね。良し良し、言質は取ったから、もう眠っても大丈夫だよ」

「はーい」

 

 

意識がゆっくりと落ちていく。

ああ、今日は怒涛の1日だったな。

 

起きた後の周囲がどうなっているか、ちょっと怖いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トオヤマクロ…そうか。彼女がそうなのか。ヴィオラが探していた、()()()は」

 

 

エメラルドの瞳が折り重なって眠る少女たちを見つめる。

その手には()()()()()が握られていた。

 

 

「あーあ、忙しくなるよ。大体、イタリアはエマとルーカの担当だし。スペインの仕事は終わったし。ボクはフランスに帰ろうかな」

 

 

救護科に運ばれていく少女たちが、どんな道を歩むのか。

 

今はまだ、誰も分からない。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

次に目覚めた時、遠山クロ伝説は始まっていた。

 

「どうして……こんなことに……」

 

アリバイとして作られた『武偵高2年生の先輩を回し蹴りでワンキック事件』が大々的に広まる中、パトリツィアと戦い、引き分けた『黒花の決闘』は、情報規制をやり過ごし、一部の者たちの間で、ひっそりと伝承されていく……

 

 

 

 

 




クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


チュラとの出会い、元Aランクとの決闘、セルヴィーレの片鱗が現れたお話でした。

これ、転校から一月も経たない内に、こんなことしてるんですよ?
この約半月後にはトロヤに出会いますし。

クロは人生がハードスケジュールですね。
…まあ、マネージャーは私なわけですが。


次回は本編、おまけよりおまけしていますので、過度な期待はNG。寧ろいつもNG。

ゆっくりお待ちくださいな!




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箱庭の黒金姉妹
希望の萌芽(ニュー・ホープ)





どうも!

久々の日常パートを書くのが楽しすぎた、かかぽまめです!


新章突入!
というわけで、新たな戦いに向けて、色々な人たちとの関係性も変化してきます。

一話ごとに過去話を挟む、サンドイッチ的な構成にしていますので、時間軸の把握にお気を付けください。


ではではぁ、おまけ的本編、始まります!






 

 

 

「あーーーだりぃ……」

 

 

見上げた天井は、もう何時間そこにいるんだろうか。

久々の睡眠期は明けると同時に、全身が悲鳴を上げた。

 

 

「あんな無茶苦茶な戦い方してたら…こうもなるよな」

 

 

夢の中の俺は自由過ぎるが、せめて人間と戦って欲しい。

なんであんなことになるのだろうか、生きてたのが奇跡だ。

 

あの夜は吸血鬼とひとしきり話した後、意識を失った。

波に飲まれたのではなく、どう考えても疲労の蓄積で……体の事もあるからカナに看病してもらっていたのだろう。

大体2、3日の睡眠期間で、前後に1日の意識混濁期間がある。この間は一切の記憶が残らないから、目覚めた後、しばらくは誰かにバレてはいないかと不安になる。

 

 

「花と…ビー玉?」

 

 

自室の枕元にあるサイドテーブルには、色んな花が芸術も何もなく、それぞれの個性を主張しまくりな花瓶が飾られていた。

 

(お見舞い…?おい、誰に家バレしてるんだよ!学校で知ってるのはチュラくらいだろ)

 

花を見るだけで、差出人達の予想は大体付く。

まず、花瓶にイチゴを飾り付けるような奴はアイツしかいないし、白い差し色のエーデルワイスは…フィオナか?変わり種を選ぶタイプでは無いしな。

小さな向日葵、ピンクと白が混ざった紫陽花とアルストロメリアはあの3人組。

3輪のマリーゴールドはたぶん3姉妹からだ。お茶会に行ったときにも飾ってあった。末妹には…会った事、無いよな?おまけで奇数にしただけか。

イチゴを除けば丁度7本、明るい色でまとめられている。

 

(みんな無事だったんだな)

 

その隣には銃が飾られていて…

 

(…って、これ、夢の中でぶっ壊されたベレッタじゃねーか!)

 

銃口から黄色いガーベラの造花を撃ち出しているのは、ベレッタM92F。

新しいものを用意してくれたのか、ベレッタが。

 

(あとで支払いに行かないと)

 

これは呼び出しみたいなものだ。早めに行かないと校内で捕まるぞ。

 

銃のその更に隣には、もう1つの花瓶があり、薄ピンクの…何かしらのイングリッシュローズと少し濃いピンクのネリネが多めに差され、補色であるグリーンのポコロコが所々から顔を出している。

 

(やばいな…思考が毒されてきてる)

 

前ならキレイなもんだ、で終わっていただろうが、花の一つ一つを観察するようになってしまった。

今ならここにある花の花言葉を諳んじることも出来そうだぞ。

 

 

「あー、やめやめ」

 

 

思考を振り払い、最後の見舞い品を見る。

ビー玉位の大きさだが、小型の水晶の様な高価そうな感じもする紫色の球体。

……どこかで見た事がある色のような…?

 

 

「キンジ…っ!」

「!」

 

 

名前を呼ばれ、我に返る。

声の主は…

 

 

「カナ…」

「キンジ、体は動く?どこも痛まない?」

「そんなに騒ぐことじゃ…」

「不安だった。あなたは1週間も寝ていたのよ」

「…1週間っ!?」

 

 

それは確かに長い。

カナの10日に比べればそこまで長くないが、これまでにない長期間だ。

脳への負担が、かなり大きかったんだな。

 

 

「記憶は安定してる?あなたは誰と戦っていたの?」

「誰って…」

 

 

あの夜は、2人の吸血鬼と戦った…はずだ。

結局どっちの戦いも1人では歯が立たず、()()()()()()()()()()救われた。危うく()()()()()()()だったのだ。

 

 

「ああ、覚えてる。ヒルダとトロヤって吸血鬼だ」

「そう、合っているわ」

 

 

問題ないだろう。夢の中の出来事は全て()()として、俺にも()()されている。

 

 

「じゃあ、もう1つ。セルヴィーレという単語に聞き覚えは?」

「セルヴィ…なんだって?」

 

 

なんだそれ?新種のピザか?

聞いた事もないし、見た事もない。単純な引っ掛け問題か?

 

 

「いや、ないな。何なんだ、それは?」

「そっか……入ってきて」

 

 

(誰を呼んだ?)

 

カナは質問に答えなかったが、代わりに1人の人物が顔を出した。

橙金色の髪、暗黄色の瞳をした小柄な少女は、恐る恐る室内を覗いて俺と目が合うと、駆け寄ってきて抱き着いてくる。

 

 

戦姉(おねえちゃん)!良かったよー!しん…死んじゃったかと思って……チュラ……!」

「お前…」

 

 

今の俺はクロじゃない。全くの別人だろう。

だが、こいつは…チュラは、俺の事も心配してくれていた。

 

 

「カナ、どういうことだよ、これ」

「チュラちゃんはとっくに気付いていたわ。私たちの秘密も、あなたの能力も」

 

 

そう…なのか、それなのにずっとクロを慕って付いて来ていたのか。

なら、俺も少しだけ、ほんの少しだけ、優しくしてやる。この真実を知ることが出来ないクロの分もな。

 

 

「キンジ、チュラちゃんから聞いたの。あなたの能力、ヒステリア・セルヴィーレについて」

「ッ!?」

 

(ヒステリア…セルヴィーレ……?)

 

あの質問はそういうことだったのか。

記憶は曖昧だ。別のヒステリアモードを、いつの間にか発現してたのが原因で過重負荷になってたんだな。

 

 

「カナ、俺にも教えてくれないか?今回みたいになりたくないし、発動条件ぐらいは知っておきたい」

「思いっきり抱き締めて、匂いを嗅ぎなさい」

「…は?」

 

 

へ、変態だ!

出来るかッ!そんな事!

 

 

「やる訳ないだろ!俺にそんな趣味は…」

「キンジ?思いっきり吸い込みなさい」

「おい、カナ…本気か……?」

「頭に顔を埋めればそれでいいわ」

「……」

 

 

くそっ!逆らえない。

それに初めて女装させられた時に比べたら、こんな事…こんな…事……

 

(なんでコイツの頭はこんなに甘ったるいんだ!)

 

 

ピリピリピリ……

 

 

頭の奥が痒い。

この感覚は初めてじゃないが、こんなに刺激は強くなかったと思う。

 

(確か…どっかの公園で……似た様な事が……)

 

悔しいが、やたらと多幸感が溢れて来るぞ。手放したくなくなる。

目の前がチカチカし始め、徐々に脳が痺れて行って…

 

 

 

 

 

 

「おお?ここはどこでしょう?」

 

 

意識が戻った。

一瞬だったが、現在地の認識に時間が掛かる。

 

 

「ありゃ?チュラちゃんじゃないですか……!ど、どどど、どうして泣いているんですかッ!?」

 

 

私の胸にはチュラが抱き着いていて、えぐえぐと嗚咽を上げている。

 

(え、え?私、なんかやっちゃった?記憶にないんだけど……)

 

普段被っている、『出来る人間』口調も忘れ、オロオロしていると――

 

 

「…あなたはキンジ?それとも…クロなの?」

 

 

――カナに声を掛けられた。

なんでそんなことを聞くのか、少し戸惑ってしまう。

 

心を落ち着けて、出来る人間を演じなければ!

 

 

「…姉様?何を言っているんですか?私は私。クロですよ」

「そうね…。ねえ、眠る前の事を覚えている?」

 

 

カナもベットに腰を下ろした、サイドチェアではなくベットに。

それで気付いたが、サイドチェアには()()()()()()が置いてあった。

そういえば、緊急用として預かってたんだっけ?結局()()()使()()()()()()けど。

 

 

「もちろん!覚えていますよ。私の記憶力は高い、それは姉様も一緒なはずです」

「セルヴィーレという単語に聞き覚えは?」

「せ、セルヴァーナ?え、ええと……な、何でしょう、街に出来た新しいピッツェリアの名前ですか?……ご、ごめんなさい!覚えてませんッ!」

「ついさっき、全く同じ質問をしたのに?」

「……へっ?」

 

 

ついさっき?

それって、どれくらい前?

あれ?私っていつからここにいるんだっけ、いつ起きたんだっけ?

 

 

記憶が飛んでる。

 

もう少しで記憶が飛んでることも気付かない所だった。

 

 

「姉様、何かが、おかしいです」

「そうみたい。それが能力の後遺症か…()()()()()()か。それは分からないけど」

 

 

カナは立ち上がり、部屋の入り口に歩いていく。

鏡に映るその顔は浮かない。こちらに振り返る前に、不安にさせまいと笑顔を作ってくれている。

 

 

「今はチュラちゃんに譲るわ。明日は学校に行くでしょう?夜ご飯までもう少し休んでいなさい」

「夕方…だったんですか」

 

 

カーテンの隙間から入る外の光はまだ明るい。

あの窓枠の向こうには、皆がいつもの日常の中にいるんだろう。

 

(早く、会いたい)

 

 

【でも今は、眠い…なぁ】

 

 

――頭の中に誰かの声が聞こえた気がした。

一瞬、夢の中のクロかと思ったが、そんなわけないよな。

幻聴が聞こえるほど疲れてるんだろうか。

 

 

「もう少し休む……ありがとう、カナ」

「ええ、お休み。キンジ」

 

 

ベットに横になり…って、ちょっと待て。こいつ(チュラ)はどうするんだ?

 

 

「なあ、カナ」

「ずっと泣いていたの。大目に見てあげるから、キンジも優しくしてあげるのよ?……分かってると思うけど、子供に手を出したら……」

「分かった、分かったから。その構えを止めてくれ」

 

 

だ、そうだ。

いいだろう、あの夜と一緒だ、相棒はバックツーバックで勘弁してください。

 

 

「キンジ?」

「いいだろ、それとも抱き枕にしろってのか?」

「ううん、そのままでいいわ。1つ聞きたいの」

「……なんだ?」

 

なんてことない質問。

日常会話の様にカナは尋ねてきた。

 

「セルヴィーレという単語に聞き覚えは?」

「そんなの………聞いたこともないぞ」

「そう、ならいいわ。お休みなさい」

「?」

 

 

カナの最後の言葉は良く分からなかったが、明日からはまた学校なのだ。

ゆっくり休まないと、あいつらと仲良く……いや、あいつらに振り回されるからな。

 

電気を消し目を閉じた。

もう、恐ろしい夢を見ることは無い。

 

 

俺の首裏からは、生前埋葬(ベリアリナライブ)()()()()()

 

 

 

銀に包まれた安全な土の中から、生身のまま危険が蔓延る地上へと放り出された。それが意味するものは…

 

 

紫の果実、緑の葉を付けた赤茶の木の枝が。

 

黒と金の世界を求めて。

 

 

 

 

その窓を叩くのだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

朝、大慌てで()()()()を行う。

面倒なこの作業も、少しでもウィッグが傾いていると、気になって仕方がない。

当初、30分も40分も掛かっていたのに、今日日、10分と掛からなくなった。頑張れば5分切ることも可能では無いだろうか?

 

(誰にも自慢できない、何とも虚しい特技だ…)

 

昨晩は俺、カナ、チュラの3人で夕飯をとったのだが、「チュラが知っているならこのままでもいいだろ」と、女装をせずに過ごしていた。

結局、チュラは寮には帰らず、家で泊って行く事になり、夜遅くまで3人で話してたり、ゲームやら底辺同士の勉強会やらをしている内に寝てしまったみたいだ。

 

 

「クロちゃん、遅刻するよ」

「俺はまだキンジだ、それにあの学校で遅刻なんてそうそうしない」

「それならいいけど、みんなと話す時間が減っちゃうよ?」

「……」

 

 

(なんでなんだろうな、ワクワクするのは。学校に行ったって会うのは女子ばっかだってのに)

 

そんな事を考えて、シリコン入りのボディスキンを着込むのは……考えるなキンジ、死にたいのか!

 

カナが最初に用意してくれた、高級で、質感のリアルなこの肌着は……

 

(桜咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜あり!桜咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜あり!桜咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜ありッ!)

 

頭の中で早口言葉をリピートする。

 

(うおおおおおおぉぉぉぉぉ!キツツキ木突き中きつく木に頭突きし傷つき気絶し木突き続けられず!キツツキ木突き中きつく木に頭突きし傷つき気絶し木突き続けられず…)

 

「終わったァッ!」

 

ここからは自殺の名所とも言っていいだろう。

自分の現在状況を一切関知することなく、何も考えず、感じず。動かせッ、腕を!着込めッ、制服を!

 

(うおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおお!!今日の狂言師が京から今日来て狂言を今日して京の故郷へ今日帰る!今日の狂言師が京から今日来て狂言を今日して京の故郷へ今日帰る!今日の狂言師が京から今日来て狂言を今日して京の故郷へ今日帰るッ!)

 

 

シュッ、シュッ。

 

 

命がけの変装劇も、ラストはなんとも締まらない効果音で終了し、黄金の花の香りが鼻腔をくすぐる。

それを合図に、ゆっくりと、目を…開ける。

 

 

 

ドクン……ッ!

 

 

 

来たぞ。1週間ぶりだ。

精々健全で安全な学校生活を送ってくれよ…俺の為に。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

うーんっ!

久し振りの外は良い物です!

 

1週間の睡眠から目覚め、カナに心配されながらも、楽しい1日が始まるんですね!

天気が曇りなのは頂けないですが、そんなの関係ないよ!

 

 

朝からテンションMAXなのは言うまでもない。

チュラと一緒に家を出てから、ずっとワクワクが止まらなかったのだ。

 

(まずはクラスに顔を出してー、一菜とフィオナ、パオラとパトリツィアに会わないと。朝の内にクラーラとガイアにも会いたいし、お昼になったらベレッタの所に行かないとね)

 

誰と会って、何を話すか。

それが今日1日でやることだ。のんびりは出来そうにない。

 

(……ほんとは、もっと知りたいこともあるんだけど)

 

記憶の混濁。

それが残っているらしい。

 

自分でも分かっていないのだから、少しずつ摺り合わせていくしかない。

 

思い出話を楽しみながら、ちょっとずつで良いんだ。

何も怖がることは無い。

 

 

戦姉(おねえちゃん)、笑おー?」

「いいですよ、渾身の笑顔を見せてあげます!」

 

だって、皆がそばにいてくれるから。

 

 

「行きますよ……せーのっ!」

 

「「ニィ~~!」」

 

 

(プフッ!なーにその顔、変顔じゃないか!)

 

 

「チュラさんッ…くふっ!わ、笑わせないで、くださいよ」

戦姉(おねえちゃん)のマネー」

 

 

(あ、あんだってー!?)

 

 

「待って!私はそんな顔していません!」

「ホントだよー」

「くっ…」

 

 

最近のチュラは、どんどん人間らしくなってきた。

私の顔をずっと見ているからかな、僅かばかり生意気な所も、私に似ているとでもいうのだろうか?

 

 

「チュラさんッ!」

「えへへー」

 

 

自然な笑みを浮かべながら、腕に絡みつく。

いくら可愛い戦妹だからって、そんなんじゃ誤魔化されないんですからね!

 

 

「チュラは、嬉しいんだー」

「何がですか?」

 

 

まだ、話し方がたまーにパトリツィアに似ている時があるけど、笑っている時間が増えた。

私からしてみれば、そっちの方がチュラらしい。

 

 

戦姉(おねえちゃん)が、やっと()()()()()()()()()から」

「私が…1人?」

 

 

チュラは更に身を寄せてくる。

その視線は背後に向いていて、どこを見ているのかまでは分からない。

 

 

「それに、戦姉(おねえちゃん)は、()よりも()を選んでくれたんだもん!チュラが絶対に守るからねー」

「うーん、あなたの言う事はいつも分かり辛いですよ」

 

 

今に始まったことじゃない。

出会った頃から、彼女の言葉は理解出来ない物の方が多いのだ。

 

もう学校に着くし、チュラとはここでお別れして、各々の生活をしよう。

 

 

「チュラさん、また放課後に会いましょう」

戦姉(おねえちゃん)……気を付けてね?もうすぐ、箱庭が始まるから」

「…箱庭」

 

 

初めて聞く単語ではない。

トロヤもヴィオラも話していた。

 

その内容は聞いていないが、関わっている人物からして碌な物では無いだろう。

 

 

戦姉(おねえちゃん)は、もう悪魔に庇護されてないから」

「チュラ、さん?」

 

 

確認を取るように、事実のみを述べるような喋り方だ。

 

(悪魔の庇護……)

 

首の裏、チュラはそこを見ていたんだ。

消えた、消してもらったのだ。勝利の報酬として、挙げていた通りに。

 

 

「おーいっ!クロちゃーん!」

 

 

元気いっぱいな、少女の声が聞こえる。

 

丁度、登校中の一菜と出くわしたみたいだ。

 

 

「一菜さん!おはようございます」

「おっはよー!おお、チュラちゃんも一緒だったのかー。安心安心」

「一菜、おはよー」

「あっれー?あたし、まだお姉ちゃんには昇格出来ないのかなぁ」

 

 

貞淑さが足りない。

 

 

黄味が戻りつつあるダークブラウンのポニーテールは、予備があったのか、前と同じ白いリボンでまとめ直され、キツく吊ったカフェラテの瞳が緩められた元気印の表情も、一段と輝いている。

 

…っていうか。

 

 

「一菜さん、なんであなたも抱き着いて来るんですか?」

「いいじゃん、減るものでもないでしょ?」

 

 

空いていた右腕側を、例の一菜力(いちなりき)でガッチリホールドされる。

ちょっとだけ、不機嫌そう?

 

 

「一菜、手を放してー」

「うっ…。チュラちゃんこそ離さないと、クロちゃんが教室に行けないよー」

「2人とも離してください。チュラさん、一菜さんの顔を見ないで…馬鹿力が……両腕が、と、とれる……」

 

一菜力VS一チュラ力(馬鹿力コピー)。

 

その結末は、おそらくスプラッター映画の如くだ。

 

 

ざわざわ……

 

「あれって、2年のクロか?」

「あ、掲示板に載ってたー。クロさん快復したんだね」

「復活だ!俺たちのクロ様が復活なされたぞ!」

 

パシャッ

 

「とりあえず、第一報挙げとこー」

「両手に花だ」

「いや、真ん中も花だぞ」

「継枝か」

 

「修羅場っぽいよな」

「あらあら、二股の人間関係ね」

「クロ様って子供っぽい娘が好きなのかなー」

 

「同性愛は尊い…」

「男嫌いって噂もあるし」

「何て凶悪な花喰花なんだッ!」

 

 

(ああああああ!!)

 

なんで!なんなの!なんでなの!

 

学校に来て早々、校舎に入った直後には心身ともに限界なんですけどッ!

 

 

 

――スイッチON。

 

 

 

「"この、あほんだらがーッ!"」

「"なんであたしだけーッ!?"」

 

 

ゴッチィインッ!

 

 

我が頭突きによって、一撃の下に沈む。

 

(バカモノ)は去った。さて、左はどうかな?

 

 

戦姉(おねえちゃん)またねー!」

 

 

危険を察知、即退散。

それでいい、犠牲は彼女1人で十分だ。

 

 

空いた両腕で、目を回した一菜を近くのソファーに眠らせた。

御守りを返すのは目を覚ましてからにしよう。

 

 

 

教室へと歩く、その犠牲は……なんともしょうもないものだった……

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「あ、クロさん!」

「本当にクロさんですね」

「心配したぞ、クロ」

 

 

教室の中には、3人組が集まっていた。どうしてかな、2人は別のクラスだよね。

 

 

「どうしてここに揃っているんですか?」

「クロ、たまには情報収集しとけよ?」

「有名人は大変ですね」

「クロさん…一菜さんとのは、その…知っていましたが、戦妹に手を出すのは……」

 

 

酷い誤解だ。

知ってたって何?何を知ってたのさ!

 

 

「ガイアさん!私にも見せてください!」

「いいぞ。ほら、見てみろ」

 

 

 

『本日復活!クロ様の登校風景』

 

この写真、学校よりかなり手前で撮られてるぞ…

だから玄関にあんなに人がいたのか!

 

 

『クロちゃん快復だってー!微笑ましい1枚を♡』

 

全然微笑ましくないから!

真ん中の人、悶えてるじゃん!痛そうだよ、痛かったよ!

 

 

『ここはパライゾか?夢なら覚めないでくれ!』

 

同時にアップされた同じ写真だぁ!

どこが天国なんじゃ!この場面は引き裂き地獄だったでしょ!?

あんたはもう起きてくんな!一生床で夢でも見てろ!

 

 

『うわ、やっばぃ!公衆の面前で愛の囁き、キッス勃発!?』

 

してねぇぇぇええ!!

角度が、角度が悪い!頭突きしただけじゃんか!

日本語聞き取れないからって、勝手に愛の囁きとか言ってんじゃないよッ!

 

 

『あまりの刺激に気を失う生徒、手厚い看護で幸せを噛み締める…!』

 

ポイ捨てだったよ!?

保健室にすら運んでないし。

前半部分しか合ってないから!一菜が噛み締めたのは臍だから!

 

 

 

「……パオラさん、クラーラさん、ガイアさん。まさか、信じてませんよね…?」

「パオラを守ってやらねーとな」

「違います!私に小っちゃい子好き趣味はありません!」

「クロさん、否定する場所が違います」

「ち…小っちゃい子……」

「じゃあ、誰でもいいのか?」

「え?言い方が悪くないですか?ええと…確かに年上は苦手ですが……」

「なら、私達も気を付けなくてはいけませんね」

「ち、ちがっ…!」

 

 

(くっそぉ、完全にからかわれてる…)

 

パオラも信じ掛けてる感じだし、早めに情報規制をしないとBENE(いいね)!の数がヤバすぎる。

 

 

「パ、パトリツィアはどこか分かりますか?」

「誤魔化しましたね」

「パトリツィアなら……探偵科か?あいつに借りを作り過ぎんなよ?」

「もしかしたら第七装備科(7°AR)かもしれませんよ」

「最近のパティは、見ているとモヤモヤします。何か企んでいますよ……尤も怪しいのは前からですが」

 

 

探偵科棟か第七装備科だな。

両方回る時間は無いか。

 

第七装備科は昼休みに行く予定があったので、探偵科棟の方にお邪魔してみようか。

もし、パトリツィアが別の方にいたとしても、今は行かない。

入学して一月も経たない内に分かったが、()()()()が揃うと質問攻めになって面倒なのだ。

 

 

「ありがとうございました。ちょっと探してきます」

「クロさん!病み上がりなんですから、程々に」

「はい!気を付けます」

「そうだ、アリーシャも会いたがってたぞ」

「そうなんですか、ついでに鑑識科にも顔を出しますね」

「授業に遅れないように」

 

 

3人組とはまた後でゆっくり話そう。

急がないと、色々と手遅れになる。もう遅い気もするが、やらないよりはマシだ。

校舎を駆けている間も、周囲の目は痛い。たまに熱い視線も感じるが、熱が痛みを増すだけだ。

 

(一菜、絶許(ぜったいゆるさない)です)

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

探偵科棟に辿り着き、こそこそと侵入する。

私が情報操作を依頼することは間々あるが、誰かに見られるのは不都合だ。

 

知っている人間は最小限にしたい。

パトリツィアは情報科の繋がりや、諜報科の戦妹に依頼し、格安で情報規制をしているが、知ってしまった人間に対するアフターフォローは安くないのだ。

文字通り、桁が変わってしまう。

 

相場が難しいこの業界では、吹っ掛けられても気付かないし、他に当てがなければ受け入れる他ない。

何よりも信頼度が違うのだ。

 

 

「どこだろう…」

 

 

(あまり広くはないし、しらみつぶしに回ろうか)

 

そう思って最初に訪れたのがここ――

 

 

「あら!クロ様!掲示板で拝見いたしましたわ。お元気そうで何よりです」

 

 

(ここにも1BENEが1人……)

 

カフェテリアにはアリーシャと先輩同輩を含んだ数人のグループが、朝から甘い匂いを立ち昇らせて、カフェラテを楽しんでいた。

……それは朝食なのか、クッキーやビスケット、オリーブだけが掛かったフォカッチャが並んでいる。

 

 

「アリーシャさん、パトリツィアさんは一緒じゃないんですか?」

「お姉さまでしたら、ベレッタ様との定期こ……なんでもありませんわ」

「……周りに人の目があるから、気を付けてね、アリーシャ」

 

 

一瞬でスイッチが入った。

それだけ、彼女の本性は私の中で危険人物(トラウマ)なのだ。

 

 

「も、申し訳ありません」

「いえ、こちらこそ、睨み付けちゃって」

 

 

張り詰めた緊張感を緩めていく。

先輩の中には銃に手を掛けている人もいたね。

私も大分、こういうのに慣れて来たんだと改めて思う。

 

 

「アリーシャさんからも事件の結末を聞きたいんです。あの日、屋上はどうなったんですか?」

「ええ、そうでしたわ。お会い出来たらご報告をと、思っていましたの」

 

 

彼女は調理科の生徒に笑顔を向けて合図を出し、話し始めた。

最初は当たり障りの無いようなものから。

 

テーブルに甘さ控えめなカプチーノとカンノーロが運ばれてくる。

それが彼女たちの決まりなのだろう、同じテーブルに掛けていた生徒たちは、ごくごく自然な流れでカフェを後にしていった。

お支払いは残った人間が、協力料的に行うシステムなのだろう。

 

 

「では、クロ様。これから話すことは全てが秘密です」

「はい、お願いします」

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


やっぱりクロちゃんには日常の生活がお似合いですね。
まあ、一刻の休息なんですがねぇ…

誰との掛け合いが一番いいんでしょうか?
個人的にはやっぱり同学年グループが面白いのかな、と思ってます。


次回はアリーシャの回想+思い出話になりますので、空白時間を見つけて、読んでみてください!




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不可視1発目 空白塗の三姉妹(ノーフェイス・ノーバディ)




どうも!


時間軸的に1発撃ち込んでおくことにしたかかぽまめです。

これはアリーシャがクロに話さなかった、いうなればクロの知りえないストーリーなので、不可視という題目で載せておきます。

一貫してアリーシャ目線になっています。

んでは、始まります!





 

 

 

「クラーラ様!お姉さまが見つかりましたのっ!?」

『落ち着いてください、アリーシャさん。現在、ニコーレさんの班が潜入を行っています。その後の報告で、ファビオラさんも援護に駆け付ける予定ですので、問題ないでしょう』

「……ッ!ファビオラ様が…?」

 

心臓が止まるかと思った。

そのお名前を聞くとは思っていなかったから。

 

『……深くは聞きませんが、警戒する必要があるのですか?』

 

驚きの感情もそうだが、それ以上に警戒を促すような反応も表に出てしまっていたらしい。

 

「いえ…その方なら心配はいらないと、思っただけですわ」

『…分かりました。また折に、連絡します』

「よろしくお願いしますわ」

 

なぜ、いるのか?

彼女が地下教会に行って以来、話に聞いたことも無かったのに。

 

 

 

――なぜ、このタイミングなのか?

 

 

――何が、目的なのか?

 

 

 

「お姉さま……」

 

あの方が動いた。

人喰花のメンバーが。

 

その理由は限られるだろう。

 

 

 

(お姉さまのお身体が危ないッ!)

 

 

 

「一体…どなたにご依頼すれば……」

 

クロ様は正反対の目的地に向かってしまった。

他に、ファビオラ様に対抗できそうな方は……

 

「おねーさまっ!」

「キャッ!」

 

視界が青のモノクロームに覆われ、後ろから両腕で強めに抱き着かれた。

私をお姉さまと呼ぶ存在は1人しかいない。

 

「スパッツィア?ビックリさせないで」

「おねえさまが隙だらけだったから」

 

こんなことで驚いていてはいけない。……お、驚いてなんていませんわよ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「こんな時間にまだ学校にいたの?」

「むー…たまにはいいの!おねーさま達だけ自由なんだもん!芸術にも自由な画風が必要なのーっ!」

 

初等部の防弾服、お揃いであるフリル付き薄桃色のソックスを身に着け、マリーゴールドの髪色とブルーの瞳は、私達3姉妹に共通する特徴だ。

少し吊り目な私とお姉さまに比べ、スパッツィアはちょっとだけタレ気味で、いつも悪戯っぽい笑顔を向けてくれる……私達だけには。

 

左目を隠すように、前髪の左半分だけを長く伸ばして斜めに切り揃え、頭の上部、その左右に髪を無造作に結んでいる。

 

「連絡は取った?ここにいることは誰かが知っているの?」

「ううう…おねえさまはいつも質問ばっかり!もっとお話ししようよ!お話はたのしいんだよ!芸術はみんなからひょうかされて初めてかちができるの!」

 

芸術、芸術と、そればかりを考えている。

本当に昔のお姉さまみたいだ。

 

「ごめんね、スパッツィア。後で一緒にお話ししましょう?今は……忙しいの」

「芸術よりたいせつなもの?」

「そうなの、芸術よりも大切なもの」

「…………ないよ」

 

ムキになって怒るところは、小さい頃から変わらないとお姉さまは言うが――

 

「ほら、お父さまが心配するわ、急いでかえ…」

 

――壊れているんだ。この子は。

 

「あんな奴しらねーよ」

 

お父さまは、与え過ぎたのだ。

この子に、大きな、力を。

 

「…スパッツィアっ!」

「かってに心配してればいい!げーじゅつもわっかんねー奴には、なに言ってもむだなんだよ!」

 

私達は作品だ。

人間の作り出した、()()を糧に結び付く超常の力。

 

完成したその力は、生まれたばかりだったスパッツィアも含め、私達全員に与えられた。

当時5才のパトリツィアお姉さまには50%の濃度で。

私は25%、スパッツィアに至っては75%で、それぞれの体内に、実験的に投与されたのだ。

 

……いや、実験的ではないのだろう。

これが失敗すれば、とっくに会社は潰され、この力の源も、色々な者たちに奪われていた。

 

私達は一縷の望みを掛けて、生み出された芸術作品。

キャンバスから現実世界へと生を受けた、人工の疑似的()()()()()

 

 

その時まで2年間。3人とも、1人も欠けることなく、その力は定着していった。

 

 

でも、パトリツィアお姉さまは、7才になった日に、欠け始める。

 

思い出すことを躊躇うほど、空っぽが溢れる空間。

全てがそのままに、部屋は空白で作り替えられた。

 

脚の無いテーブル、半分だけ背もたれの無い椅子、空中に浮く電球、長針と奇数の無い時計、左目だけがない歌唱隊の人形達、窓枠の無い窓、ドアノブの無い扉。

あらゆるものが欠如する部屋には、主がいた。

 

悍ましい笑顔を浮かべて、左腕にいくつも開けられた穴を満足そうに見つめる、左目の無いお姉さま。

右手に持つ鏡は、何も映していない。ただ光を素通りさせていた。

 

 

 

今ならこの不可解な現象、その正体は分かっている。

 

『空疎』だ。

 

 

 

「……」

 

濃度の一番低かった私は、他の2人よりも正常な理性を獲得していた。

だから、目の前の光景を理解できず、この部屋を元に戻そうと、お姉さまに近付きかけて……止めた。

 

床がない。

近付こうにも、私には飛び越えられなかった。

 

――その空白が……お姉さまとの距離が、途方もなく遠かったから。

 

私は妹の制御棒として育てられていた。

お父さまは、異常な存在にしか従える事のできないこの力を、同じ力を持つ者で従えようとしていたのだ。

 

お姉さまを止めなければいけない。

人工の力は、人工の力によって破壊される。

 

偶然聞いてしまったのだ。

私達は互いを助け合う存在ではなく、互いを牽制し合う存在だと。

 

 

お姉さまの理性と力の前に、私は勝つことは出来ない。

単純に2倍以上の能力の開きがあるのだ。

 

私の理性の前に、希薄な理性しか持たない妹は従順になった。

たった25%の力しか持っていなくても、彼女は私を()()()の仲間だと認識する。

 

妹の圧倒的な力の前に、お姉さまは()()しきれない。

…力の差は歴然だ。今も、私がお姉さまを止めろと命令すれば、2才の妹は姉を消しに掛かるだろう。

そして、それは2人の力を合わせれば成功し得る。

 

 

「お姉さま…」

 

そんな事はさせない。

大切な家族を、得体のしれない力に奪わせたりしない!

 

そう考えた時、より一層、お姉様との距離が開いた気がした。

 

 

「『アリーシャ、あなたは今、何を考えていた?』」

 

 

視線を左腕から私に移し、不機嫌そうな声色で、"誰かが"話し掛けて来る。

 

その姿に変化はない。

この時、初めて人工の力に人並み以上の理性があることが発覚した。

 

 

――乗っ取られた、何者かに。

 

 

「パトリツィア…おねえさま……」

 

隣から聞こえる声は、天使を見た修道女の如く。

魅せられている。

 

心が、奪われかけている。

 

「スパッツィア……!」

「すごいよ、げいじゅつ!これも!あの時計も!ねえ、そのうでの穴はどうやって開けたの?いたい?きもちいい?おしえて!おねえさま!」

 

 

駆け出していった、その後ろ姿は 自由を手 に入れ た小鳥の様 に。

欠け落ちていった、その床を 家 具を 部屋を空 間を。

掛け併せていった、その芸術 と自分 の 求める 完成 形を 。

 

「止まりなさい、スパッツィア!」

「おねえさまも早くきてよ!すっごくきれいなの!おもしろいの!ほら、あの花びん!花びらだけが浮かんでる!」

 

制御が切られてる。

当然、制御に使っていた能力も人工の力。

 

何者かは、私達3姉妹を、思い通りに動かせる。

きっとそれは何時でも出来た。それを敢えてこの日を選んだ理由は……

 

 

「『アリーシャ、こちらに来るといい。あなたたちは姉妹。今日はパトリツィアの……いえ、あなた達全員の再誕日になるんだ』」

 

 

このままでは、全員、虜にされる!

 

彼女達の語る芸術は、少なからず私の心にも響いている。

同じ血を分け、同じ力を持ち、同じ種族に生まれ変わる存在として。

 

その気持ちが、その素晴らしさが、その秘めたる美しさと感動が。

分からない訳がないのだ。

 

 

「『宣言しよう。パトリツィア・フォンターナ、アリーシャ・フォンターナ、スパッツィア・フォンターナ、永遠の刻限に、空白に染まれ、愛しき我が使途達よ!』」

 

 

真っ白に染まる世界。

ああ、終わったんだな、と思った。

 

私達は暴走して、世界のあちこちに芸術を残すだろう。

でも人間だから、どこかで野垂れ死んで。

 

私達もまた空白の中に消えていく。

 

 

 

「 リー ャお えさ !」

 

 

 

最後の最後に、背中が見えた。

 

空白の光を遮ったその背中は。

床に落ちている鏡とは違っていて、光を通さずに()()した。

 

でも、光は凄く強くて、その小さな背中は……

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

『アリーシャさん』

「く、クラーラ様、です…の?」

 

待ちに待った連絡が入る。

だが、期待よりも不安が大きい。だって彼女が動いていると聞いていたから。

 

『どうしましたか?具合が悪そうですが…』

「なんでも…ありませんわ。報告を、お願い…しますの」

『…ニコーレさんの班は無事にパトリツィアさんの救出を成功させました。アリーシャさんが心配なさっていた、ファビオラさんに付きましては、任務の終了を伝えておきましたので』

「あり、がとう、ございましたわ…」

 

そうか、お姉さまは無事だったのか。

痛む脚も、その吉報により、格段に楽になった気がした。

 

『今はどちらに?』

「……校舎、からは、動いていま…せんわ」

『…無理をせずに、救護科に行って下さいね。治療道具くらいなら置いてあるはずですから』

「お気遣い、感謝、いたします……」

 

その気持ちだけで十分だ。

どうせこの傷を治すことは叶わない。

 

「おねえさま、ごめんなさい、わたしのせいで」

「…いいのよ、あなたは、悪く…ないわ、スパッツィア」

 

右足を伸ばし、座り込んだ私の隣で、お姉さまと同じ髪色、瞳の色をした少女が、顔を伏せている。

数分前とは別人のように、その声は弱々しい。

 

「スパッツィア、芸術はあなたの物。でも、あなたは芸術の物ではないの」

「…うん」

「筆を奪い返しなさい。例え、筆を絵画の中に持ち去られたとしても、その筆を手放してはいけないわ」

「……はい」

「自分の描きたいモノだけを描くの。あなたの絵は評価されるためにある訳じゃない、あなたが好きだから存在するのよ」

「でも…」

「何を恐れているの?あなたの絵は……私達姉妹の中で、一番綺麗なのに」

「そ、そんなことない!おねえさま達の絵のほうが、ずっと芸術的だよ!」

「あなた程、自分の気持ちに、素直に向き合えないわ。あなたの気持ちに、あなたの作品は答えてくれる」

「ううう…」

 

この表情も懐かしいな。お姉さまにそっくりだ。

以前、お姉さまが描いていた……これは言ったら怒られてしまいますわ。

 

「…お帰りなさい、スパッツィア。あなたの大好きな、あのお部屋へ」

「…………分かりました、おねえさま」

 

悲しそうな顔で去っていく妹を、胸を突き刺す痛みに耐えながら見送る。

我ながら、最低な事をしている自覚はあるのだ。

 

(どちらかが死ぬまで、続くのでしょうね…)

 

制御の方法は3つある。

今使ったのは、共鳴による意図的な弱い暴走。

 

彼女の気持ちを無理やり荒立たせて、思考を負の方向に傾かせる。

今回使ったのは"芸術よりも大切なもの"という言葉と、彼女が大嫌いな"お父さま"という単語。

 

たったその2つの単語で彼女の思考はオーバーフローし始める。

これだけなら、まだ押さえが効くが、加えて力の共鳴により、弱い暴走を促した。

 

その最初の一撃は、私が力を発した左脚に向けられ、放たれる。

 

 

直後、彼女は気付く、仲間を傷付けたと。

 

 

弱い暴走はその事実を知ったショックで簡単に解けた。

青ざめる、妹に…私は……

 

 

『…いいのよ、あなたは、悪く…ないわ、スパッツィア』

 

 

詐欺師の様に、彼女を騙した。

何度も何度も繰り返す内に、今では顔色1つ変えることもない。

 

そして、罪悪感でくずおれそうな心に付け込んで、いいなりにする。

命令をして、ただ、従わせるだけ。

 

これが最も犠牲の少ない制御方法であり、穏便に済ませる唯一の手段。

 

ただ、私が慣れていくのとは反比例して、妹の理性が欠けていく気がする。

 

力の無い私には……どうしようもない。

 

 

願うのは、ただ――

 

 

 

――私達を従えられる存在が、本当に実在する事だけだ。

 

 

 

 

消えてしまった左脚を、()()()()()

空白から少しずつ、私の脚が姿を現し始めた。

 

「ッ!」

 

重要なのはイメージ、ここに何があったか。

それはどんな生物も、無機物も、液体も気体も、潜在的に記憶している。

 

私の脚が消えた場所には、同時に空気も微生物も存在しない。

その空白を感覚的に捉えることが出来れば、実は無害な攻撃なのだ。

 

これは、あの欠けていた部屋のテーブルや電球を、予め見ていたから思いついたもので。

無いはずの脚に支えられたテーブルは、きっと自分の脚を認識していた。

宙に浮いた電球は、自分の笠を、シーリングを、レセプタクルを空白に飲まれてもその場に留まった。

 

焼けるような痛み、刺すような痛みは、音響・運動・色彩を用いたトリック。

それを感じる事が無い無機物は、トリックに惑わされることもなく、周囲の生き物を騙す有能な助手になるのだ。

 

だから、伝える。

自分と相手に、これから起きる事を、事細かく宣言する。

 

理解できるように、確実に誤認させるために。

周囲を自分が作り出した、4次元のキャンバスに招待する。

 

『空白』という名は総称だ。

 

様々なトリックで、手を変え品を変え、必ず何かが相手を騙す。

 

私達の能力の根底は『空に浮かぶ白い雲をもつかむ嘘』だ。

 

それを昇華させたお姉さまの技は、その限りではないのだろうけど……

 

 

「…よし、治りましたわ」

 

スパッツィアの能力は確かに高い。

だが、力の扱いに関しては私の方に一日の長がある。

 

(姉として、まだ、負けるわけにはいけませんもの!)

 

 

~~♪

 

 

電話だ。

通信機を使わないという事は、今回の任務に関わっていない誰か…

 

「……クロ様?」

 

なぜ?彼女は通信機を受け取っていたはず。

お姉さまと反対方向を捜索していたのに、()()()()()、何かに巻き込まれたのだろうか?

 

「はい、アリーシャ・フォンターナですわ」

「アリーシャ、まだ学校にいますか?」

 

クロ様の声で間違いない。

やはり、何かに巻き込まれたのだろう。その質問は私への依頼があるからだと考えられる。

 

「ええ、移動しておりませんわ」

「実は、お仕事をお願いしたいのです」

「…仕事……ですの?」

 

任務ではなく…仕事。

それは私達姉妹に対して、軽々しく出していい言葉ではない。

 

つまりは…そういう事になる。

 

「一体、どのようなものでしょう」

「……」

 

沈黙が続き……………10秒経つ。

 

「分かりましたわ、お聞きいたします。内容をどうぞ」

「……」

 

またしても沈黙…………

 

「……切りますわよ?」

「宣言が必要ですか?」

「できるものなら」

 

「芸術」

「違いますわ」

 

「鳥の囀り」

「足りませんわね」

 

「何が足りない?」

「4本ありますわ」

「1つも要らない」

 

「どちらを選びますの?」

「私は偶数を」

 

「その理由は?」

「知る必要などない」

 

「傲慢ですわね」

「知る必要などない」

 

「横暴ですわね」

「知る必要などない」

 

「一にして全、全にして一」

「素晴らしき、武装」

 

「…ッ!…何を見に来ましたの?」

「あなたの左目を」

 

 

認証されるべきこの回答は……深度5。

 

 

「……あなたは何者ですの?」

「お久しぶりね、アリーシャ」

 

変声術?

この…声は……!

 

「ヴィオラ様…ですの……?」

「その通り!覚えていてくれて嬉しいです」

 

脳裏に浮かぶのは、疑念と信頼。

矛盾した感情が、彼女との繋がりを持った()()たる証。

 

「…!あの電話も…ッ!あなたは…お姉さまの事件に、どこまで関わっておりますの?」

「日の出から日没まで。泉に咲く3輪の花も、求めるままに浮かべただけですよ」

 

この喋り方も懐かしい。

聞いている側がどれほど追い詰められ、焦ったとしても、彼女の話し方は変わらない。

遠回しで回りくどい、そしてどこか尊大さを出そうとして失敗している、探偵の卵。

 

「私は何も求めておりませんわよ?」

「あなた達のご主人様が見つかった。そう聞いても、動かずにいられますか?」

「――ッ!?」

 

ご主人様――。

 

(それは、前にヴィオラ様に教えていただいた、異常点と呼ばれる方の事!)

 

「し、信用しきれませんわッ!大体、この事件の話はまだ終わっていませんわよ!」

「それはそうです。日没が来たら月が昇る…まだ事件は終わっていませんから」

「どういう意味ですの?」

「あなたのご主人さまを助けて欲しいんですよ。他ならない、あなたの手で」

 

助ける?私が?

とてもじゃないが、無理だろう。

 

お姉さまやスパッツィアと違って、私には強い力はない。元々低かった能力は、吸血鬼によって奪われている。

いや、救われたとも言えるかもしれない。

 

「関わっていらっしゃるんですの?その…ご主人様も?」

 

彼女は少し笑った。

悪戯が成功した子供みたいに、口を押えて笑っているのが目に浮かぶようだ。

 

「あなたが呼んだじゃないですか」

「…えっ?」

 

私が…呼んだ。

真っ白なキャンバスにピースが散らかった。この中から探し出す、そう思った矢先に、ピタリと嵌るピースがある。

 

今まで気付かなかったのが不思議なくらい、納得した。

ずっといたのか、そこに。

 

「どうかな?分かりました?」

 

彼女がまた笑っている。

不快感は感じないが、いくらか文句を付けたところでバチは当たるまい。

 

「…ヴィオラ様にしては、上手なヒントの出し方ですわね」

「余計なお世話です!」

 

ウズウズする。

居てもたってもいられなくなり、大事なことを確認しに掛かった。

 

「ヴィオラ様、彼女を奪っても良いのかな?」

「おっ!目の色…声の質が変わりましたね。パトリツィアさんそっくりです!」

「あなた程は変わらない。…それで、私を動かす理由が聞きたい」

「……あなた達も大変ですね。今は大人しくしておきましょう」

 

電話の先の彼女は、わざとらしくカップの音を立てた。

その一言、正式には言葉と額に走る電流のような刺激で我に返る。

 

(…ッ!乗っ取られかけた…!)

 

私がご主人様を探しているように、私の力もまた、自身を扱える人間を求めている。

今や濃度が5%を切っている私ですらこの有様。お姉さまたちには教えられない。

 

「申し訳ありません、取り乱しましたわ」

「いえ、いいんですよ。その反応が見られれば、十分ですから」

 

彼女が飲んでいる、淹れたてのアップルティーの甘酸っぱい香りが、金の縁取り以外に飾りのない真っ白なカップとソーサーが、口に広がるほのかな甘みと癖のない渋みが、喉を通って喫する感覚が。

 

温かい紅茶を楽しむ情報子が、心を落ち着けてくれる。

 

「…優雅な音楽でも流しましょうか?」

「もう少し甘い方が好みですわね」

「では、次は砂糖を入れておきますよ」

「3つですわ」

「…それは紅茶ではありません」

 

彼女との会話はいつもはぐらかされる。

今回は「まだ、奪うな」と言われ、動かす理由も、もう話すつもりが無いと考えて良い。

 

よくよく先を見据えるその思考は、極端すぎて理解出来ない物だ。

 

「ここから先は予想ですよ?」

「どうぞ、是非お聞かせ下さい」

 

虚脱感が増し、彼女の未来予想が始まる。

紙芝居的にへったくそな絵で作り出された、その的中率は…驚異の0%。彼女の予想は絶対に外れ、当たった試しがない。

 

「まず、クロさんは今、吸血鬼に襲われていますが、単身これを退けます」

「ブフッ!!!!ま、待って待ってッ!待って下さいませッ!」

「何でしょうか?」

 

何でしょうか?ではない。

思いっきり吹いてしまった。紅茶を実際に飲んでいたら、大惨事だっただろう。

 

ビックリもした、むしろビックリしたのが大きな要因なのだが、頭に浮かぶ絵が酷過ぎる。

なんで吸血鬼の絵は頑張ったのに、クロ様は落書き(本人は真面目)のままなのだろうか。

 

「続き…いいですか?」

「ど、どうぞ」

 

正直、この紙芝居を最後まで聞く自信が無くなってきた。

下手な自覚はあるのだろう、ムッとしているのは完全に逆切れだと言い返したい。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「んんっ!そしたら、悪魔城に登ります」

「……はぁ」

 

これは何となく分かった。

五稜郭の公園、サンタンジェロ城だ。あれは聖天使城だけれども。この絵はプリン城だけども。

 

「屋上では各国のシェフが喧嘩をしていました」

「どのような理由で?」

 

……絵の中に黒い染みがある。

何の暗示だ?

 

彼女の予想は外れるが、必ず何かの仕掛けがある。

 

「良い質問です!クロさんも同じ質問をしました」

「…」

「シェフの1人はこう答えます『ダンスの相手が決まらない!』と」

「ダンス…」

「他のシェフは首を振って答えます『役者が足りないんだ!』と」

「役者…」

「最初のシェフがもう一度歩み出て、答えます『棺桶が足りない!』と」

「かん…おけ?」

「半分のシェフは『ああ、料理に戻らなきゃ!』と言って去り、残りの内半分のシェフは『ああ、料理に戻らなきゃ!』と言って去り、残りのシェフも『ああ、料理に戻らなきゃ!』と言って去りました」

「3つに別れて…同じことをしている、そんなにはっきりと別れるんですのね」

「最後に、また最初のシェフがクルクルと回った後にこう尋ねます」

「……」

「『お前は誰だ?』と」

「クロ様は…」

「そのシェフは犯人だったので、その場で捕まえました!」

「何と答えたんですの?」

「……聞かない方が良いですよ?」

「教えてくださいませ」

「『初めからそんな人間はいない』」

「……」

 

(棺桶以外は分かりましたが、どうするべき?逃す訳にはいかないけれど、ヴィオラ様とは敵対したくないですわ)

 

「悩んでいますね?」

「当たり前ですわ…」

「だったら、奪ってしまいましょう!」

「え…っ?」

 

(それは、彼女自身が否定していたはず…!)

 

ウズウズが再発しそうで、その度に紅茶の香りが送られてくる。

 

「今の状況は掴めたみたいですね」

「はい…私たちは3着。さすがヴィオラ様ですわ」

「いやー…それが、私が見付けたのも偶然でして……。1着は私ではありません。ちなみにあなたは4着です」

「ッ!?」

 

そんな…!では、犯人は…?

 

「この事件の犯人は…?」

 

彼女がにんまりと笑っている表情が、鏡に映って脳に送られてくる。

 

 

作り笑い。

来るぞ、彼女の答え合わせが。

 

たぶん、私も、耐えられ、ない!

 

 

 

 

「"クキキキ…()()()()()が……全部『思金』の仕業だろ?なぁ、()()()()"」

 

「『"…その下品な笑いを直せと。分からないのかな、()()?"』」

 

「"へっ、知るかよ!お前にやるもんはねーぞぉ?()()()()()()はアタシのもんだっ!"」

 

「『"今は預けておくよ。いずれ渡してもらう。今は少しでも駒が欲しいんだ"』」

 

「"門前払いだ、ぶぁっきゃろーがぁあッ!!"」

 

 

 

バチィッ!バチィッ!

 

 

「……」

「…はぁ、はぁ…はぁ、はぁ」

「……」

「……ヴィオラ、様」

 

繋がっていない、電話は壊れている。

 

向かわなければ、サンタンジェロ城へ。

 

クロ様が出会うのは……()()()を私から奪った存在。

 

 

 

()()()()を持った、吸血鬼だ!

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


この事件に関わっていたのはヒルダとトロヤの組織だけではありません。

この事件に"真の被害者"はいなかった。

全ての人間に思惑があり目的があった為に、様々な場所でいざこざが発生しているのです。


次回以降もえんやぁ製作中ですので、わっしょいお待ちください!



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不可視2発目 目睫の遥遠(ファー・クローズ・ユー)




どうも!


さすがに不可視2連続はあれなので、またしても連続投稿です。
…あ、かかぽまめです。


今回と次回とでアリーシャ回想編は終了!
テンポ良く行きたいものですね。

では、始まります!





 

 

 

空が雲に覆われて雨の降りしきる中、一台のバイクが、雨水のたまり場を避けて走行してガヴール橋を渡り切った。

穏やかな運転で走るそのバイクには2人の人間が乗っていて、その後部、運転手の背から伸びるタスキ型の防水性、弾力性が優れるナイロンベルトを握りしめた少女は、借り物のレインコートの中から外の景色を確認した後に、クイッと軽く帯を引いた。

 

床の一部が砕かれ、強い力でパイプフェンスが曲げられた公園の前でバイクは止まり、後ろに乗っていた少女が降車して、もう一度目的地を確認する。

その様子を運転手が不安そうな目で見つめていた。

 

 

「ここまでで良いですわ」

「あっ、うん。あの、後で…」

「ええ、お支払いは後日。こんな時間ですもの、多少は色を付けさせてもらいますわよ」

「えっ、うん。ご利用、ありがとう…。コートは、別、いいから。持って、行って」

「何から何まで…感謝いたします、カルミーネ様」

 

 

バイクを降りたその足で、クロ様がいるらしいサンタンジェロ城へと向か…おうとした。

公園の前に停めてもらったが、意外に距離がある。雨の勢いも増すばかりだ。

 

コートを羽織っていても、足元がビシャビシャになってしまうが仕方がない。

今は一刻を争うのだ。

 

 

「あ、その…あの城に行く…の?…城の前まで、送る…よ」

「……思ったよりも遠いんですわね」

「サービス…だから。で、あ、どうぞ」

 

 

質の悪い通信機の様に、途切れ途切れの音声で告げるのは、カルミーネ・コロンネ(ッティ)様。

 

私より少し高いくらいの身長で、端正に整った美形なものの、どこか素朴な親しみやすい顔立ち。

伏し目がちなその瞳は荒立つ事のない深海のようで、その反面、暗色の強い紅色の髪は、まるでアマリリスの様に華やかだ。

普段の小さな声だと気付かないが、私が入学前にお姉さまへの付き添いで出席したパーティ会場の外で、その透き通った歌声を聞いたことがある。

 

 

「乗…って?」

 

 

ローマ武偵中の()()()()に身を包み、その上にドライブジャケットを羽織った()()は、シートの空きスペースをタオルで拭いている。

そこまで付き合いは多くないものの、彼女のこういうさり気無い行動は嬉しいものだ。

 

 

「ええ、失礼しますわ」

「折角、だから…。表まで、送る…ね」

 

 

ヴィオラ様の未来予想に()()()()()()()の通り、公園北側での戦闘はあったようだが肝心の姿が見えない。

もう終わってしまったのだろう。予想を外れて、たぶん取り逃したのだと思われる。

 

予想が屋上という事は……このお城の地下に、何かがあるのか?

 

 

 

 

――――タァーン…!

 

 

 

(……銃声?)

 

 

少なくとも学校内で、この銃を使っている者はいなかったと思う。

別段、珍しくもないが、外国の銃だ。

 

この銃声は、名銃として習ったものに良く似ていて、単発で撃たれたことを考えれば――

 

 

(――ドラグノフ狙撃銃(SVD)…!)

 

 

銃の種類は違うが、警戒を誘うその音にパトリツィアお姉さまの事件を思い出した。

 

――狙撃。

どんなに強い武偵でも、認識の外から攻撃されたのでは対抗のしようも無い。

そして例え、倒れず相手に気付いたとしても、その距離がそのまま狙撃手の優位を証明する。

 

勝てないのだ。

狙撃手に先手を取られた時点で。

 

(クロ様…っ!)

 

ヴィオラ様の予想が当たるなんて奇跡が起こる訳がない。

だが、銃声は確かに高所から伝わってきた。

 

見上げると、煙幕が城の屋上に広がっている。

 

 

「…屋上」

「アリー、シャ?」

 

 

最初から、表に回してもらっていれば良かった。

恐らく彼女は、もう私を送り届けてはくれない。

 

 

「カルミーネ様…」

「キャンセル料も、要らない、だから…。自分から、は、言えない…けど、行かせ…られ、ない」

 

 

分かっている。

 

苦しむ人間を見捨てない()苦しめる人間を見逃さない()

 

それが、あなたのお姉さまの信念なら、あなたの信念は――

 

 

「止め…るよ。ねえさん、の、意志、は、ぜっ…たいッ!」

「そうですわね…」

 

 

(――いつまでも変わらず一緒、ですのね)

 

バイクを降り、右手をグーにして右胸に当てているのは、彼女なりの意思表示だ。

このまま一人で走り出したとしても、姉の信念に基づき、危険に向かう私を止めに来るだろう。

 

…だから彼女達の信念を逆に利用する。

 

 

「では、()()()()がございますわ」

 

 

 

――――タァーン…!

 

 

 

またしても銃声。

焦る私とは対照的に、目の前の男装少女は竦みもせず…でもオロオロしながら問い掛けてきた。

 

 

「えっ…えっ?な、なに、かな?」

()()()友人を、助けて欲しいんですの」

「お友…だち?()()()()()?」

「いいえ、ご心配なさらずとも、彼女は()()ですわ」

 

 

この確認は彼女にとって死活問題で、お姉さまから伝え聞いた話では、彼女は何らかの病気の影響により普段から男性をさけて行動をしているらしい。

それが原因でもちろん異性との浮いた話はなく、常に伏し目がちな彼女は、ローマ武偵中2年の男子生徒から"triste(トリステ) splendido(スプレンディド)――華やかな根暗"と称されている。

 

姉が長期の任務で旅立つ前ならば、姉妹セットで歩く彼女達には誰も近寄らなかったが、1人になった今、外では男装で誤魔化そうという意図があるのだろう。

確かに見事な変装だ。しっかりと男子に見えるが、まず立ち振る舞いをどうにかするべきなのでは?

 

 

「…いい、よ。あっ、でも、離…れ、ないで?」

「申し訳ありませんわ。この穴埋めは必ず」

 

 

手を下ろした彼女はバイクに向き直り、シートを拭き直して再び乗り込む。

不穏な気配が満ちる先の見えない真っ暗な道程に、心強い味方が出来た。

 

私が続けて乗り込もうとした所、「待って」と言い三度シートの後ろ側を丁寧に拭いていく。

 

 

「どうぞ…」

「ありがとうございますわ」

 

 

私がしっかりベルトを握っているのを確認してから、バイクは走り出す。

 

 

 

クロ様は屋上にいるのだろうか。

 

 

 

――――タァーン…!

 

 

 

続けて放たれる狙撃音は、一体誰が誰を撃っているのだろうか。

 

 

 

――タァーン…!

 

 

 

星が見えないあの空に、私の手は届くのだろうか…

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

4度目の狙撃音が聞こえてから、次の音が続かない。

城の入り口に辿り着いたが、すでに遅かったのか。

 

狙撃手は目的を達成したのかもしれないし、見失ったのかもしれない。

尤も、私が出会うだろうと考えているのは人間ではないのだし、ヴィオラ様の話では棺桶がその予想を裏付けている。

 

 

――吸血鬼。

 

 

()()()()、という単語の意味は未だに不明だが、棺桶は明らかにこれを指しているだろう。

 

 

「お待た、せ。その、行こう…」

「ええ、急ぎますわよ」

 

 

バイクを停め、任務中の掛け札を丁寧に掛けたカルミーネ様が、戻ってくる。

ジャケットは脱ぎ、戦闘への備えは万全なようだ。

 

 

 

――ドサッ!

 

 

 

「!?」

「!?」

 

……上から何かが……いや、()()()落ちてきた。

 

 

藍色のコートを着込み、顔から髪まで白い布で覆われた謎の人間。

怪しすぎるその見た目も、空から落ちて来る奇行も、一般人とは程遠い。

 

性別こそ不明だが、感じる……あの人間は私よりも強い、()()()の気配を放っているのだ!

 

 

「パトリツィアお姉さま…?」

 

 

馬鹿げている。

口をついて出たのは、ここにいるはずの無い私の上位とも呼べる存在。

 

ただ単に、彼女以外に私の上位の存在を知らないだけ。

だから、そう思ってしまったのだろう。

 

 

Why(なぜ),are you here(あなた達はここにいるのかな)?」

 

 

世界の標準言語である英語を男性らしい低い声で返される。

正しい返答が返って来なかったことを考えれば、彼はイタリア語が分からないのかもしれない。

 

 

Working(仕事ですわ),and you(そういうあなたは)?」

Working(仕事だよ),but mind your own business(でもあなたには関係ない).」

 

 

彼はすぐにでもこの場を去りたそうにしているものの、彼我の戦力差はハッキリと理解している様子で、カルミーネ様の方を警戒しながらゆっくりと後退るだけだ。

瞳すら隠したその状態で周囲を正確に把握し、川に向かって移動する。

 

 

「カルミーネ様…」

「…だめ。離れ…ない、それ、が…条件」

「…分かっていますわ」

 

 

考えていたことは瞬時に見抜かれた。

自分でも分かっている。ここで二手に分かれるのは普通に考えても悪手だ。

仮に、私が強襲科の生徒で高い実力があったとしても、その方法が選択肢に入るかは怪しい所だろう。

 

相手の実力も未知数、屋上に至っては狙撃手が待ち構えている可能性もある。

自殺志願者と言われても文句は言えない。

 

どちらかを取る。

選択肢はそれしかない。

 

それなら、私は……

 

 

「…相手の実力は謎、彼は堡塁から飛び降りて来たにも拘らず()()()()()()()()()かのように無傷ですわ」

「うん…見て、た」

「その上…男性。……戦えますの?」

 

 

私の問い掛けに対し、彼女は静止の合図を出して考え込む。

右手が握られ、その発育の良くない右胸に擦る様に当てられていた。

 

 

「…本当、に、男性なら、戦…えた。でも…()()は…女性…!」

「女性っ!?」

 

 

その発言は前半の言葉を忘れてしまうほど衝撃的なもので、言った彼女自身も驚いている様子だ。

同時に、頭にあの言葉が思い出される。

 

 

――『各国のシェフが喧嘩をしていました』

 

 

重要な単語ではないと聞き流していた。いや、聞き流させたんだろう、意図的に。

あの絵に置かれた黒い点は、絶妙に見付け辛く、私の視線と興味を一点に引き受ける役割を果たした。

 

未来予想のその後の流れから遡って考えれば、シェフ達はクロ様にとっての敵にも味方にもなりうる表現の仕方で、『役者が足りないんだ!』と、訴える様子は同盟を求める国を表している。

 

その中から()()()()()()()()()()()()()()

初めから孤立していたそのシェフは国を表してはおらず、クロ様と()()()()()()()を表していて、イチナ様やチュラ様、カナ様のいずれかが該当すると()()()()

『ダンスの相手が決まらない!』と、共に同盟を結ぶ国を決めかね、何故か最後にそのシェフを拒否し、()()()()()()()()()

 

国は3つの勢力に別れ、クロ様は孤立してしまう。

 

だから、あの話はヨーロッパ周辺の国々の…箱庭の縮図なのだと思い込んだ。

 

 

だが、違った。

あの紙芝居は、もっと先を見据えた、大きな大きな未来予想も含んでいる。

 

絵の中にあった黒い点は太陽の黒点を示し、その黒点周期は10年弱~12年強と言われる。

あの黒点が周期のどの辺りのものかは確かめようもないが、()()()()()()()()()には確実に起こるであろう、世界規模の争いの予想だったのだ。

 

そして忘れてはいけないのが、聞き流してしまった部分。()()()()()、シェフは()()()()()()()()()

()()()()()()()、1つないし複数の思想を元に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()作り出す組織が3つ。

 

その、動きを……表していたと、そう…捉えることも出来る。

 

 

 

「お尋ねしますわ。……あなたは」

 

 

もう一度、イタリア語で質問をする。

次の言葉につなげるのが怖い。心臓がバクバク鳴って、さっきまでの思考が緊張に持っていかれてしまった。

しかし、これは確信に近い。彼ではない彼女は…

 

 

「パトリツィアお姉さまは…どこに行くおつもりでしたの?」

「……」

 

 

舌が渇き、もう唾を飲み込むことも出来ない。

隣に立つカルミーネ様も、二度もその名前を聞いた事に驚き、固まっている。

 

1秒1秒が、1分にも2分にも引き延ばされ、空白時間が心に侵食してくるようだ。

 

やがて、雨が少し弱くなり始めると、彼女は頭を覆う白い布を取り払いながら答えた、綺麗な声で、少し変わった話し方のイタリア語で。

 

 

「……仕事は失敗するし、あなた達には見付かるし、今日は厄日だよ。本当に」

「――あ…」

「……」

 

 

その声も、その顔も、その仕草も、その話し方も。

間違えようがない。

 

 

「酷い絵だ。私が完全に弄ばれていたのかな?」

「お姉…さま」

「パトリツィア、さん」

 

 

雨の中に現れたタンポポのような黄色の髪と遥か上空にあるような青色の瞳…どちらも私と同じ色。

透き通る程に白い色の肌をした顔、その右目尻の下にある泣きボクロは丁度私と対称の位置にあって、鏡を覗いた錯覚さえ覚えた。

 

彼女が取り払った布からはおおよそ隙間から入り込んだとは思えない程の量の砂が零れ落ちていく。あの砂で顔を成形して、覆い隠していたのだろう。

 

 

「これは自分の意思ですのね?」

「誓って言おう。今回の行動に、私は芸術を感じていないよ」

 

 

仕事は失敗した言った。

芸術では無いと言った。

 

なら――

 

 

「これからどうしますの?」

()()()()()が手に入らなかったんだ。()()には申し訳ないけど、少しの間苦しんでもらう事になるよ」

「誰に、撃った、の?」

「知る必要などないよ、カルミーネ」

 

 

2人の気配が変わる。

互いに互いの強さを良く知り合っているのだから当然だ。

 

だが、勝てない。

強襲科であるカルミーネ様のランクはB。

中学生ではトップクラスだが、お姉さまの強さは強襲科を転科した今も尚、普通ではない!

 

 

「仕事であなたとやり合うのは初めてだね。でも、トリガータイプは波がある。今のあなたは相手にならないよ」

「信念に…基づいて、いる、内、依頼、主の…指示は、ぜっ…たい…!」

 

 

会話の間も、お姉さまの左手が胸ポケットに伸びる。右手にはM92FSVertecを持ち、着々と準備を整えていく。

周囲が無人の高原ならまだしも、あの行為を中断させるのは一番の()()()だ。

 

最悪、この場で空白のコントロールを失い、『空疎』が発生して周囲に影響を及ぼす。

だから自身の命を脅かす銃弾が込められるのをただ眺める事しか出来ない。

 

 

(2、3発なら()()で威力の減衰が出来るかもしれない…)

 

 

お姉さまに勝つには空白を反射させるか、空白の苦痛に耐え、即座に反撃をするしかない。

私が空白の一撃を受け、カルミーネ様が一撃を返すことが出来れば、勝機はある。

 

――だが、直後にこの作戦は無理だと悟った。

右手に持った銃に、空白の弾が込められる。

 

 

 

1弾倉(ワンマガジン)15発――それを、セットした。

 

 

 

「宣言しよう。私が撃つのは、カルミーネ・コロンネッティ、胸、右、正面、貫通…20cmで余裕があるね。相変わらずまな板だ。肋骨を抜け肺と肩甲骨を通過、時間にして1時間の侵食、空白が生まれる」

「……」

 

 

長いのは、それだけカルミーネ様を警戒しての事。

自分の身体を強く認識し、空白を深く想像してしまう程、その痛みは増していく。

 

 

「アリーシャ、反射してみるかな?痛くて苦しいよ?反射しきれなかった空白は…そうだね、あなたの右膝から侵入して、踵まで一気に貫通するだろう。きっと今あなたが想像している以上に、痛くて痛くて…それでも耐えられる?」

「――ッ!」

 

 

牽制だ。名前を呼ばれ、つい聞き入ってしまった。

一度想像してしまえば、もう事実を覆すことは出来ない。お姉さまの宣言は、1発の銃弾で、二重にも三重にも射線を取り、彼女の意思1つで選択することが出来る。

 

撃たれた後も、苦痛が思考を支配するまで、誰のどこが撃たれたのかを認識できない。

 

 

「私…を、撃て、パトリツィア」

「最初からそのつもりさ」

 

 

(お姉さまを止める為に私が受ける!)

 

反射して空白を受けたら、後はカルミーネ様が口と手を封じてしまえばいい。

 

()()()()()()()()()、どこにも当たらないのだから。

 

空白の痛みなど、大切なスパッツィアの苦しみに比べれば、なんてことはない!

 

 

「パトリツィア…っ!」

 

 

能力に対し、ある程度の知識があるカルミーネ様は、撃たれた直後に反撃するためだろう、相打ち覚悟で駆け寄っていく。

その手には何も持たず、格闘戦で制圧するようだ。

 

お姉さまの銃口はカルミーネ様に向けられたまま。

しかし、視線を向けないまでも、発せられた威圧感が私を捉える。

 

 

「ただの保険だよ。心配しなくていい、私は――」

 

 

右脚が痛む気がする。

まだ撃たれていない。

 

想像だけが……膨らんでいくッ!

 

 

カルミーネ様の脚が、地面を離れた。

 

 

それを見た、お姉さまの指が……!

 

 

 

 

 

「たとえ仕事でも、大切な妹を傷付けるつもりはない……んだ」

 

 

 

 

 

…………動かなかった。

 

 

顔を伏せ、自身の仕事の続行を放棄する。

 

銃はそんなお姉さまに愛想をつかしたか、それとも彼女の意思を汲んでか、その手を離れ地面に落ちていって――

 

 

――ガシッ!

 

 

「パトリツィアっ!」

 

 

――カルミーネ様が勢いのままその体に飛び付き、銃に続いて2人一緒に地面に転がった。

 

 

「お姉さまっ!」

「いったた…。痛いよカルミーネ、私はケガ人なんだ。手加減してくれないかな?」

「……キミに、手加減、出来る、のは、姉…さん、位、だよ」

「…悔しいが認めよう。今の私では彼女に勝つ想像が出来ないよ」

「でも、姉さん、も…喜、ぶ。キミは、ホントに…変わっ、た」

「ふむ、それは嬉しくないね。彼女は何より……喧しい」

「あはは…確か、に」

 

 

(うっ…!)

 

あの構図はちょっと宜しくない。

お姉さまの上に男装したカルミーネ様が…

 

 

「降りてくれないか?あなたは胸は無いけど、身長はあるんだ」

「…ッ!さっき、から…余計、な、お世話…ッ!」

 

カ、カルミーネ様の顔が赤く…

2人とも笑顔がぎこちないのも、余計にそれっぽい。

 

(これ以上…いけませんわっ!)

 

 

「ほら、カルミーネ様、私の手をお取りくださいな」

「あっ……。う、うん、ありがとう」

「私の妹に手を出すのは許さないよ?あなたは優しくされるとすぐに()()する。悪い癖だ」

「えっ…!そ、そんな、つもりじゃ…」

「お姉さま!余計なことを言わないでくださいませ!」

 

 

せっかく取り掛けた手を引っ込めてしまったので、強引に手を引っ張って立たせる。

ぜっぺ…スレンダーな体型の為、身長の割には軽い。

 

重りの無くなったお姉さまも上体を起こし、長座のまま薄い目をカルミーネ様に向けていた。

 

 

「やれやれだよ」

「こちらのセリフですわ!一体何をしようとしていたのか、お教えいただけますわよね?」

 

 

座ったままのお姉さまに詰め寄り、目の前に膝を折って聞き出しにかかる。

この事件の主犯、もしくは協力者の中に彼女も一枚噛んでいるのは確実だ。

 

 

「……それは、あなた達がここに来た理由を交換条件としてなら話してもいいよ?」

「っ……」

「いくら考えても予想できないんだ。いつからか()()()()()()()()()、その存在も目的も空白のまま」

 

 

勘付いていて、けれどその一歩は踏み超えずに、目を光らせていた。

それにヴィオラ様が気付かない訳がなく、しばらく連絡がなかったのは、リスクを避けるのが目的か。

だから、今日の連絡は…

 

(言える訳…ありませんわ)

 

言葉に詰まった私を見て、四つん這いになって逆に距離を詰めてくる。

適当を言った所でボロが出るし、戦いに勝ったとは言い難いのだ。

 

……今夜の件は、互いに踏み込まない領域として、考えるべきなのかもしれない。

 

 

「……話せませんわ。でも、1つだけ、お願いがございますの」

「言ってみるといい。それから答えを用意しよう」

「犠牲を出すような事は…どうか、ご自身の事も含めて、人間を大切にしていただきたいのです」

「それ、は…私、からも、お願…い」

「出来ない、無理な相談だよ」

 

 

考える素振りもなくバッサリと、一切の妥協点もなく断られた。

曖昧な返答で誤魔化すことも出来たはずなのに…

 

 

「お願いですの……っ!いなく、ならないで……」

「悪いね、アリーシャ。それも約束できない」

 

 

止めるなら…この話をするのはこれが最初で最後になるだろう。

でも、この話をするのは()()()()()()()()のだ。互いに引き返せない程の秘密を持ってしまったから。

 

頭の隅では分かってて、それでも心のどこかで違う答えを期待していた。

空白が心を支配し、無力感と虚脱感でいっぱいになって、それ以上の思考を拒否してしまう。

 

 

「パトリツィアっ!」

「私達の副リーダーも突然消えた。なぜそんなに熱くなるのか、分からないよ」

「チームと、家族、は…違う…っ!」

「違わないよ。家族である妹達は掛け値なしの仲間だけど、集団は有益な関係で成り立つ仲間だ。仲間とは必ずしも一緒にいるわけではないよね?それとも、あなた達の中では()()()はもう仲間じゃないのかな?」

「違う!…仲間、には、必ず…別れる、時が、来る。そして…新たな、仲間も、出来る。…でも、家族は、ずっ、と…一緒。離れて、いても、ずっと、支え、合う!」

「カルミーネ様…」

 

 

彼女の声は聞き取り辛い断続的なものだが、余裕を失った私の心には、その断片的な言葉のリズムと一言一言に秘められた彼女の情熱の1つ1つがじんわりと沁み込んでいって、心の空白を満たしていく。

 

彼女の誇りが私に勇気を与えてくれる。

 

 

「あなたの言い分なら、私が勝手に離れようと問題ないだろう?」

「全然…違うッ!キミの、やり方、は…彼女を、傷、付ける。その、傷は…一生、埋まら、ない!どんどん、大きく、なって…2人は……」

「もういいのですわ。私も、決心が付きましたもの」

 

 

もう、止められないのは、分かっていたのだ。

ただ、離れたくない一心で、自分が動こうとせず、お姉さまを縛り付けようと駄々をこねていただけだという事も。

 

 

――離れていてもずっと支え合う…

 

 

(そうですわね。少しだけ、私達姉妹は過保護だったのかもしれませんわ)

 

2人の間に割って入ると、カルミーネ様は少しビクッとして、不思議そうな顔をした後…

 

 

「私の、方が…余計な、お世話、だね」

 

 

そう言って、言葉を切られたにも関わらず、ぎこちない笑顔で後ろに下がってくれた。

…少しだけ表情に陰を感じたのは、いつかお姉さまがいなくなることを憂いてだろう。

 

そのお姉さまは私の瞳を一瞥して、苦笑い。

体勢を立て直して立ち上がるのに合わせて、私も立ち上がる。

そして――

 

 

(ええ、受けますわよ。今は、まだ。お姉さまとの空白は遠すぎるんですもの)

 

 

2つの作品が、それぞれの意思を持って、同じ動作をする。

伸びた腕が、2つの間で触れ合って、どちらからともなく。

 

 

 

 

――右手人差し指を絡ませて、繋いだ――

 

 

 

 

――絡指(ラクシ)

 

これはただの別れの挨拶ではない。

 

パートナーではないし、共に戦ったこともほとんどない。

また会える保証もないし、すぐにいなくなるわけでもない。

 

 

それでも私達の別れには決別の意味も込めて、これが必要だと思ったのだ。

 

 

「宣言しよう。私は戻らない。会いたければあなたが私に会いに来るんだよ、アリーシャ」

「宣言しますわ。私は待ちませんの。あなたの空白は私が埋めてみせますわ、パトリツィアお姉さま」

 

 

指が離れれば、またその距離は一段と離れて行くだろう。

だが、もう大丈夫だ。

 

お姉さまが、私を支えてくれるから。

 

 

「私、も」

「いいよ。でも、カルメーラには黙っていてくれないかな?」

「……」

「即答が欲しい所だけど、どうせバレてしまうか。うん、ほら指を出すといい、その気があるのなら」

「うん。姉さん…帰って、来たら、一番に、キミを、探す…と、思う」

 

 

元チームメンバーの2人も、別れを惜しんでその指を繋ぐ。

なんだかんだ、チームの仲間と離れるのは、名残惜しいんだろうな。

 

 

「事故は起こしてないと、そう伝えてくれるかな?」

「自分で、伝え、たら?」

「……聞かなかった事にしたいけど、それは…いつ?」

「…教え、たら…逃げる、でしょ?」

 

 

あ、お姉さまの苦笑いにヒビが入っている。

左手がガクガクと震えているのは…嫌な記憶を思い出しているサインだ。

 

その左手を見て、カルミーネ様が姉譲りのちょっと悪い顔をしている。

意趣返しだろう。『まな板だ』とか『胸は無い』とか『絶壁』…とは言ってなかったか。

 

固まってしまったお姉さまの右手人差し指を放置して、スルリと指を引き抜いたカルミーネ様は私の手を引いた。

 

 

「行こっ…か、屋上、お友、だち…いる、でしょ?」

「え、ええ。行きますわ。お姉さまもご一緒に…」

「アリーシャ」

 

 

 

――タァーン!

 

 

 

「!」

「!?」

「……」

 

 

――同じ銃声だ。

まだ…終わっていなかった。

 

 

「アリーシャ、私は協力者の1人。分かっているんだよね?」

「はい。もう1人のお姉さまの救出に、私は携わっていましたもの」

「救出した後、()()()()()()()()()()は聞いているのかな?」

「――ッ!」

 

 

そうだ、ここにいるはずの無いお姉さま。

もう1人のお姉さまとは協力者関係にあるのは自明の理。

 

彼女の身柄は…?

……何も報告に無い。

 

どんな状態だったか、怪我の有無や拘束具、麻酔の使用はされていたのか。

救出後はちゃんとミラ様の診療を受けて、ガイア様の車に乗ったのか。

病院に送られたのか、学校に送られたのか、家に送られたのか。

そういった情報は一切ない。

 

今もまだ、暴れたとか、逃走したとか、再び失踪したという話は上がっていないのは…

大人しく機会をうかがっている?それとも学校内に協力者がいる?

 

そもそも連れ去られたという話自体を初めは疑っていた。

探偵科であるルーカ様が、お姉さまを探していると連絡をくれたところから、発覚したのだ。

 

電話にお姉さまは出なかった。

任務中なら仕方がないが、受注の情報もない。

 

目撃情報がないまま、エマ様の運営する()()()()()匿名掲示板に誘拐の情報が寄せられていた。

限りなく怪しい上に、エマ様が特定できない程の電子情報防御網は、個人のものではなさそうで。

 

そこには、お姉さまが左肩を撃たれた事件当時の写真がセットで添付されていたから…

 

 

「武偵憲章8条。『任務は、その裏の裏まで完遂すべし』だよ。彼女達はアウトローだ。かつての私と同じ、仕事の為なら殺害も厭わない」

「そんな…」

「そうだよ、私はそこに行く。その為に、こんな所まで()()()()()()()()()()()んだから」

「イチナ様を…?」

「級友、を…売る、の?」

「逆だよ、()()んだ。それが()()()()()だった」

「…救う?」

 

 

お姉さまはパチンと手を叩いて、口を閉ざした。

顔には笑顔を張り付けている。

 

 

「ここまで!推理はあなたの仕事じゃない、しっかりと()()を手に入れるんだよ?」

「……なぜ、そんな場所に……」

「それと……お休み、アリーシャ。カルミーネ、家まで送ってくれないかな?心配しなくても屋上にはクロさんが来ている」

「…今の、キミを、放って、は…行けな、い、ね。痛む?」

「眉間を撃ち抜かれたんだ。1か月は我慢かな」

「そん、な、状態、で…堡塁から。飛び、降りるから」

「焦っていたんだよ。あの狙撃手は本物だったし、城内には…何かがいた。エメラルドの瞳をした何かが()()。中も外も逃げられなかった。狙撃は本当に怖いんだよ…本当に…」

 

 

話しながらもお姉さまは後始末を始めた。

空白を…地面に15発撃ち込んで弾倉を取り出すと、それを胸ポケットに仕舞い、代わりの弾倉を内ポケットから装填して銃のセーフティを掛ける。

 

銃声は無い。

弾痕も残らない。

 

カチッカチッという引き金を引く音だけがなっていて、撃鉄が叩いても撃発が行われず、スライドが行われても排莢も行われないのは見慣れない人にとって不思議な光景だろう。

モデルガンか何かだと勘違いしそうだ。

 

 

「一菜さんはクロさんに任せることにしよう。チュラも一緒みたいだし、問題な……いや、何でもないよ」

「チュラ様が一緒だと、問題ないんですの?」

「話は終わり、だよ。3人が面白い話をしている。アリーシャも手伝いに行くといい…」

 

 

「その気があるのなら」「最初からそのつもりですわ」

 

 

 

 

 

 

星が見えないあの空に、私の手は届かないだろう。

 

それは星を掴もうとしていたから。

 

 

なら、雲を掴めばいい。

 

それならあの空に、私の手は届くだろう。

 

 

だってそれが、私達が最も得意とする『嘘』じゃないか。

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


屋上にいた謎の男性……正体はパトリツィアでした!
その目的は一菜の身柄。つまり、犯人側の一派です。

何故このタイミングで彼女を攫おうとしたのか、偽物とその逃亡を手助けした生徒は誰なのか、そもそもこの事件を起こしたその起点はどこにあるのか。

謎は多いままですが、少しずつ解決させていくつもりです。

次に続きます!




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荏苒の覆滅(チェンジ・アズユーウィッシュ!)




どうも!


人喰花のジャストを描いていて、テンションが上がったかかぽまめです。


屋上でゲーム開始後、クロが飛んでった後からの話になってます。

覚えていない方は、時間があれば覗いてみて下さいね!


では、始まります!





 

 

 

「クロ様!」

「?………え?ええっ!?ア、アリーシャ?」

 

 

サンタンジェロ城の屋上へ登っている途中、明かりの点いている部屋を見付けてこっそり覗いてみると、そこには探していた人物がいた。

欧州人とは異なるほんの少しだけ黄味を持った肌、多くの光を称えて意思の強さを表す黒い瞳、サラサラと流れた艶のある黒いロングヘアーは1本1本に芯が通っていて……同性から見ても、非常に魅力的な方だ。

お姉さまよりも少し高い身長からスラリと伸びるスレンダーな両脚は、真っ黒なストッキングで引き締められていて、意識していないのだろうが彼女の蹴り技の直後、残心のポーズはモデル雑誌の様に、その綺麗なプロポーションをこれでもかと見せ付けてくる。

 

彼女のお姉さまであるカナ様譲りの美人ではあるのだろうが…お2人の身体的特徴に共通点は少ない。

ただしその超人的な強さは、どちらも絶えず噂として有名なものである…主に裏で。

 

 

「あれれ?アリーシャちゃんがどうしてここにいるの?」

「あっ…。…イチナ様、夜分遅くに失礼いたしますわ」

「ああっ!誤魔化したっ!騙されないぞー、()()()()に散歩なんて来ないでしょ!」

 

 

彼女の顔を見て、心が痛む。

別にここに来た理由を誤魔化すために挨拶をしたわけではない。

 

『こんな所まで一菜さんを捕まえに来たんだから』

 

お姉さまが仕事を失敗し、その上断念してしまうことなどまず無い事だ。

イチナ様が今ここにいるのは、偶然なんて都合の良い物では無く、明らかに外部からの影響を受けているはずで。

 

そうでなければ、彼女はもう学校に姿を出すこともなく……

 

 

「アリーシャちゃん?どうしたの、具合が悪いの?」

「一菜、私達がここに来ることは皆知っていますよ」

「えっ!そうなの!?」

「はあ、フラヴィアの時もそうでしたけど、途中参加したらまず作戦と周囲の状況をですね……」

 

 

クロ様がイチナ様にお小言をするいつもの光景。

ローリアクションで要点を伝えるのに対し、オーバーリアクションで話を広げる為、苦労しているみたいだ。

任務中でもアレをやっているというのだから、イチナ様の実力も推して知るべしである。

 

あの信頼し合う2人を身近で過ごしていたお姉さまが引き裂こうとしていた。

 

(救う。それが"何から"かはおっしゃいませんでしたが、3つの勢力の内の1つ…強者の1人が、この場に現れるのですわね)

 

罪滅ぼしなんて勝手だが、頭数くらいには入ることが出来るだろう。

もし相手が()()()()()であれば、反射して盾くらいにはなれる。

 

その為に()()()()まで来たのだ。

雲だって少しくらい掴んでも、構わない。

 

 

後ろ手でハンドサインを出すと、どうしてもと付いてきていたカルミーネ様が、パトリツィアお姉さまの元に戻っていく。

流石の追跡能力であり、その隠形の気配は知っていてさえ微かなものだ。

 

 

「クロ様にご用がありましたの」

「"だから…カレーが入っている容器はグレイビーヤー"……ん?アリーシャ、私に何の用なんですか?」

「…何のお話でしたの?」

 

 

ヒートアップした討論会は、とうとう彼女達の母国語で交わされていた。

イチナ様もほとんど話す機会が無かっただろうに、良くここまでスラスラと会話出来るものだと思う。

 

 

「日本食の話です。あ、イギリスから渡ってきたものですが」

「こっちでは馴染みないよねー。たまーに食べたくてさー、カレー」

「…良い時間ですものね」

 

 

クロ様は夕食を食べていないのだろうし、まんまと誘導されたみたいだ。

 

だが、この緩い空気はなんだろう。

てっきりヴィオラ様から何かしらの形で干渉されて、緊張で張り詰めているのではないかと危惧していたのに、まるでそんな素振りがない。

多少、そうイチナ様の笑顔には多少の緊張の色が伺えるが、クロ様はそれ以上にウキウキしているような感じまで纏っている。

 

 

「それより、私は…」

戦姉(おねえちゃーん)!」

 

 

隣の部屋から聞こえたのはチュラ様の声だ。教室での彼女と変わりのない間延びした声。

学校からずっと行動を共にしていたのだし話にも聞いていたのだから、実力不明な彼女がここにいるのは何も驚くことではない。

 

そしてお呼びの掛かったクロ様は「すみません、ちょっとだけお待ちください」と言い残し、この場を去る。

 

――チャンスだ。

全員と同時に話すのは得策ではない。

イチナ様が1人になったところで、まずは……お互いがここに来た理由を知るべきだ。

 

出会い頭に少し疑っていた節もあり、今も、こちらを見る目はちょっとキツイ。

襲われたばかりなのだし、当然の危機管理体制と言える。

 

 

「…それで、アリーシャちゃんはここに、何をしに来たの?言える事なら、クロちゃんにはあたしから伝えておくよ」

「帰るつもりはありませんの。……これは、クロ様にはヒミツですわよ」

 

 

私はイチナ様に、大きな空(ほんとうの話)小さな雲(うその話)を、掴ませた。

 

 

私が浮かべられるのはこれだけだ。

足りない星はクロ様が、集めて繋ぎ合わせてくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

まるで悪夢。いえ、悪夢そのもの。

 

屋上の景色は激しく燃え上がる炎に丸々遮られ、空にはおかしな歪みが生じている。

 

クロ様が棺桶の中ではなく、上に乗って旅立って行くという暴挙に出た後、吸血鬼はその後を追い霧となって消えた。

 

 

ここには、私とイチナ様と武偵高1年のフラヴィア様と…緑の髪でお洒落な服を着た少女――日本の方のようだ――がいる。

城の内部にはニコーレ様とフィオナ様、チュラ様とヒナ様が尚も作戦を実行していて、あのチュラ様がバチカンのシスター様を捕らえ、彼女らの小隊長たる"祝光の聖女様"との対話を行っているらしい。

やはり、実力を隠していたのか。

 

 

「"ふん(うん)。…ふぁー(あー)ふん(うん)ふん(うん)ふーん(うーん)、ん?ふぉうふぉう(そうそう)ふぁ()ふぉんふぁふぁんふぃ(そんな感じ)"」

 

 

イチナ様はキャラメルを3つ同時に舐めながらフランスのお友達兼先生とやらに連絡をとっているが、相槌はフランス語ではなく、日本語だ…と思う。

どんな人なのだろう。そこには魔の手が潜んでいないのだろうか。

それ以前に食べながら夜遅くに電話って…失礼の度を越している。自由人過ぎるのでは?

 

 

「"じゃあ、あっし行ってくるよ、イヅ!"」

 

 

緑髪の少女がイチナ様に何事か告げ、互いに手を左右に振り合う動作を取ると城の中へ走って行く。

彼女の身長は小学生の中でも小さい方だが、そんな少女もイチナ様のお仲間で、ここに援護に来た様子だった。

スパッツィアを見ていて麻痺しているものの、小学生で戦えるとなれば相当な訓練を積んで来たのだろう。

 

 

「"んくっ。えーと、ちゅうだい脳動脈って何?どんな漢字?……うん、ごめん聞いてもどこか分かんないや。えと、どこからも血は出てない。焼かれちゃってて、うっ…脳みそ見える?って…怖いこと言わないで…"」

 

 

イチナ様は救護科の生徒が到着するまで応急処置を施そうとしていたが、「絶対衝撃を与えるな」と釘を刺されたらしく、為す術がない。

せめて状況を伝えてスムーズに治療をと考えて、詳細を知ろうと会話を続けても、重大欠損過ぎてビクビクしている。

先程から、電話しながら気休め程度に頭部を撫でるような動きをしているのは危なくないのか…?

 

 

「"頭部はおーけー。体は擦過傷があるけど、こっちも血は出てない。大丈夫だよ、濫用はしないって!…心配し過ぎ~、クロんじゃないんだから。え?あ、知らないっけか"」

 

 

ずっと見守っていたが、大した対処も無かったと思う。

しかし、手は尽くしたのかフラヴィア様の元を離れ、身振りを交えながら会話をしている。

 

専門医でもなければあんな傷、触る方が危険なことは一目瞭然だ。

 

 

吸血鬼は出た。同じ吸血鬼が。

 

フラヴィア様の傷も、あの炎も、空の歪みも全て彼女の仕業で、いつ落ちるかも分からない自然の暴威に、ローマは晒されている。

 

あれは彼女の固有の能力であって、私が反射することは出来ない。

反射は()()()()()()()を利用した防御方法なのだ。

 

痛感させられた。

通常の戦闘において私は無力。

クロ様の力になるどころか、守られる立場になってしまっている。

 

そんな後ろ向きな考えがよぎり、頭を振っていると、視界の端に誰かが映った。

 

 

「あら、アリーシャさんもいらっしゃったんですね?皆さん夜更かしして…イケない後輩たちです」

「あなたは…」

「おまたせー」

 

 

ほんわかした雰囲気で屋上に姿を現したのは、素肌を晒す面積を極端に減らした服装――金糸の刺繍が施された純白のローブと同じく白いグローブを身に着け、首からは小さなロザリオを見せ付けるように下げている女性。

その服装を見て分からない武偵はイタリアにはいないであろう、ファビオラ様が所属する殲魔科の――

 

 

「こんばんは、メーヤ・ロマーノ様」

「はい、こんばんは。……ッ!フラヴィアさんッ!?」

 

 

ほわほわした態度から一変、驚きに顔を歪めた彼女はそれでも懸命なのか、とってってってっとふわふわ駆け寄っていく。

そしてフラヴィア様の横に座り込み、その惨状を目の当たりにして……十字架を握りながら体を震わせている。

彼女の口が…祈りを捧げた。

 

 

「…左目が……。ヒドすぎます、一体誰がこんな事を。――ッ!」

「どうされましたの?」

 

 

損傷を確認していた彼女の震えが止まった。

何かを見付け、今度は黒いオーラを放ち始める!

 

 

「――"生前埋葬(ベリアリナライブ)"……。案の定、見せ掛けの移動だった、という事ですね」

「見せ掛けの移動…」

「アリーシャさん」

「は、はい」

 

 

こちらを向いたメーヤ様の顔は鬼気迫る表情で、目が吊り上がっていた。

その顔は、ただの噂だと思っていた数々の逸話も、嘘ではないと信じさせる迫力を伴っている。

 

 

「ここに、吸血鬼が来たはずです。銀の双眸を持つ、本物のバケモノが!」

「え、ええ。確かに、吸血鬼は現れましたわ。トロヤと名乗る銀の効かないバケモノが」

 

 

それを聞いた彼女は周囲を見渡し、イチナ様には目を留めず、誰かを探し始めた。

たぶん焦っている。早く見つけなければ手遅れになる事なのだ。

 

 

「チュラさん、クロさんがいると聞いていましたが…彼女はどこに?」

「えーっとー、チュラも分かんなーい。アリーシャは知ってるー?」

 

 

吸血鬼の話を聞いてから、慌てて探していたのはクロ様のようだ。

 

(……まさか、彼女は知っているんですの?異常点と白思金の事を…?)

 

勝手な思い込みだとは思う。

でも、一度疑い始めればキリがない。

 

(私達の事も…家の事も……知っている?)

 

 

「……吸血鬼と戦いに行きましたわ」

「ッ!クロさんお1人でですか!?」

「チュラー、おいてかれたの?」

 

 

どちらも、純粋にクロ様を心配しているだけ。

それだけだと、そう思おうとしても、もう止まらない。

 

(どこまで話すべきですの?屋上で見た事、それだけを伝えてしまえばそれで…)

 

余計な考えが錯綜して、言葉が上手くまとまらない。

私は……なにがしたいんだ?

 

 

「クロんはだいじょーぶ!何があったって、どんな時だって、クロんは何とかしてくれる!」

 

 

横から大声で、元気いっぱいな声が耳に響く。

 

 

「いつだって自信は無いくせにさ、『何とかして見せますよ』って言って、やり切っちゃうんだよ。()()()()()()()()

 

 

どうしてそこまで、底抜けに明るく振る舞えるのか、私には真似できそうにない。あれも才能の1つだと言えるだろう。

 

 

「クロんは人を惹き付けるんだ!そして引き寄せる、どんなに遠くに居ても、喧嘩してる時だって、寝てたって関係ない!クロんにはカリスマを超えた、運命をも手玉に取る、そんな()()()()が備わってる!そして――」

 

 

信じる力も才能の1つ。そして――

 

 

信拠と衆望と恩愛を(なんかいろいろ)持ってて、どんな人間にも()()()()()()()()!」

 

 

信じさせる力は、全ての才能を操りうる、最高の才能だ!

 

 

 

言い切ったイチナ様はメーヤ様の前に進み出て、正面から堂々と相対する。

 

 

「あなたは…誰ですか?」

「あたしは三浦一菜。クロんのチームメンバーで、クロんの相棒(パートナー)!」

 

 

胸を張る(比喩表現)彼女は誇らしげで、カフェラテの瞳にはクロ様と同じ意志の強さが、より輝きの増したその中に含まれている。

 

――パートナー、か。

きっと彼女ならなれるだろう。

 

納得させた理性の奥底で、心が異音を発した気がした。

 

 

「パートナーを名乗るのでしたら、どうして彼女と一緒ではないのでしょう」

「ふふーん!離れていても一緒!クロんには皆がちゃんとついてる!」

「心は一緒、という事なのですか?」

「違うよ。クロんは必要な人間だけを呼び寄せる。丁度チュラんみたいにね!」

 

 

(えっ?)

 

反射的にメーヤ様の隣へ振り返ると、言葉通りそこにはもう彼女はいなかった。

驚いているという事は、最も近くにいたメーヤ様にすら気付かれない内に、消えたことになる。

 

 

「チュラんだけじゃない。きっと他にも誰かが向かってるし、クロんは吸血鬼だって繋いじゃうよ」

 

 

彼女のその言葉に『お友達になって下さい!』という宣言を思い出して、思わず笑ってしまった。イチナ様も笑っている。

 

(そうでしたのね。私も、もう彼女と繋がっていた)

 

心の異音は…もう聞こえない。

 

 

「私もクロ様を信じていますわ。そして、彼女は私達を信じてくれていますの」

「だから、あたしたちはここで自分の役目を果たす!」

「……」

 

 

メーヤ様は黙った。

吊り上げた両目は元の穏やかな、凪の海に似た青く潤んだ瞳に戻っている。

再びその手にロザリオを握り、私達の顔をニコニコと眺めまわして……

 

 

聖乙女(おとめ)の皆さん、出て来なさい。彼女達を取り押さえ、あの汚らわしい炎すらも浄化する聖なる火種を起こすのです」

「……」

「……」

 

 

カツカツと統率のとれた動きで、5人のシスターが礼拝堂から現れた。

その手には銀剣が握られ、その中から2人がこちらに近付いて来て私とイチナ様の身柄を押さえる。

 

 

「チュラさんから聞きましたよ。そこの棺には魔臓を破壊された吸血鬼――紫電の魔女が眠っていると。合っていますね、お2人とも?」

 

 

キロッと鋭い目で睨み、問い掛けてきた。

だが、その棺には魔女など入っていない。そこに入っているのは――

 

 

「はい、そこに眠るのは吸血鬼ですわ」

「よろしい。ミウライチナ、あなたも証言しなさい。私はあなたを()()()()()

「……うん、その通りだよ。そこには魔女、ヒルダ・ドラキュリアが眠ってる」

「よろしい。…火の用意を急ぎなさい、時間が経てば魔臓は復活してしまいます」

「「「はいっ!」」」

 

 

火を起こしていた3人のシスターはテキパキと準備を整え、処刑場は瞬く間に火刑場へと変えられていく。

しかし、完全に場面遷移させるには、最後の仕上げが必要なのだ。

 

処刑の後の検死。

すなわち銃殺後の刀剣による刺突、死刑執行人(マエストロ・チッタ)の最後の役目だ。

 

 

「あなた達がここで待っていてくれて助かりました。おかげで、心から信じることが出来そうです」

 

 

炎に包まれた屋上に、また1つ火柱が上がる。

準備は、整った。

 

 

「よい…しょっと!聖乙女(おとめ)の皆さん、今日、私達が討つのは悪名高き紫電の魔女。しかし、この魔を滅することが出来たのは、主のみもとに召され永遠の安らぎを与えられた友の存在があっての事です。『汝、この栄誉を誇るな、誇る者は主を誇れ』。決して驕ってはなりませんし、吹聴すべきでもありません。教会への報告だけで処理します、良いですね?」

「「「「「はい!」」」」」

「それで良いのです」

 

 

バカみたいにデカい大剣を振りかぶったメーヤ様は、遠回しに今夜の件を自分の報告書以外で口伝する事を禁じた。

隊員の反応を良しとし、その剣は最初はゆっくりと、直後には一気に加速して垂直に振り降ろされた。

 

 

「神罰代行ォー!!」

 

 

バキャアァッ!!

 

 

剣が突き立てられた棺は軽々と破壊され、中からドバッ!と、真っ赤な血が噴き出した。

「キャアッ!」と叫んだシスターも、すぐに平静を取り戻し、私達を取り押さえていたシスターも棺の周りに集まる。

 

 

「…鼓動を感じません。魔は滅しましたっ!焼きなさい、その不浄の身体に触れることなく、棺ごと炎の中へ投げ込むのですっ!」

「「「「「はいッ!」」」」」

 

 

ガスッ!と引き抜いた大剣には、まだべっとりと赤い液体が付着している。

シスター達は5人掛かりで赤い液体の滴る棺を持ち上げ、声を掛け合いながら慎重に運んで行き炎の中へと投げ込むと、炎は一層勢いを増して、中は全く見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「食紅と麻袋……」

「子供だましとはいえ、結構リアルな飛び散り方でしたわ…」

 

 

炎の勢いはとどまることを知らず、シスター2人が火の始末係として待機している。

火が消えれば後片付けとして、灰を回収するのだろう。

残りの3人はフラヴィア様を連れて、城を後にした。

 

このままでは、骨が無いことに気付かれる。

高温の窯ならまだしも、ただの炎程度では骨は変質すらしない。

"渡火の聖女"様の元に持ち帰られることだろう。

 

 

「ライトが赤に変わりますわ」

「いやー、楽しみだなー。花火だよ、花火!」

「……1発だけですわよ?」

「それでも!スカッとするじゃん!」

 

 

この期に及んでこの反応。

ホント、お祭り好きというか、大物過ぎませんの?

 

 

「どこで打ち上げるんだろ?」

「聞いていませんでしたのね。礼拝堂の上ですわ」

「えっ、そんな事言ってたっけー?」

 

 

(……まあ、いいですわ。イチナ様には信じさせてもらいましたもの)

 

目を見開いて礼拝堂の屋上を見上げている。隠す気が微塵も感じられないが、大目に見よう。

身長も私より低いし、こういう振る舞いをしているとお姉さまやクロ様のような先輩の威厳を感じない。

 

 

打ち上げ地点に待機している諜報科の同輩と鑑識科の先輩に、ボディサインを送る。

パトリツィアお姉さまの戦妹と私の先輩、今回の一連の()()は彼女が手に入れてくれた。

 

シスター兵は自分たちの頭上で花火が打ち上げられるなんて、夢にも思っていないだろう。

その導火線に火が点されている。

 

 

「この花火ってなんの合図だっけ?」

「…何も聞いて…いえ、覚えていませんのね」

「だってー、クロんの話、難しーんだよー?」

 

 

何も難しい事ではなかったと思う。

この花火は2台の車に、進行が滞りなく終わったことを伝え、ニコーレ様とヒナ様が『ニンポウ』?だったかを使う合図。

 

詳しい詳細は…あら?そういえば私も聞いていない。

彼女達はどこで待機しているのか。

 

 

 

 

ヒュゥゥウウウーーーーーン………

 

 

 

ドォォォオオオオオオーーーーン!

 

 

 

 

真っ赤な花火が打ち上げられた。

真下にいるとここまで爆音がするものなのか、爆発の振動が耳からも胸からも伝わって、頭の中から胸腔内まで響き、内側から全身を揺らす。

咄嗟に身を縮めてしまうのは、防衛本能なのだから仕方ない。

 

 

「……なにも起こりませんわね」

「すっごい音!どーんって!ね、アリーシャん、でっかかったね!」

 

 

その話は後で付き合おう。

ニンポウとやらは失敗したのだろうか、周囲を見渡しても変化らしき変化が分からない。

 

 

「"なかなか消えないで御座るなー"」

「"ヒナよ今は耐え忍ぶ時ぞ。我らの仕事は全てを成したも同然なれど、如何なる者も気を急いていては仕損じるものよ"」

「"…然り。丹甲愁(にこうれ)殿、某、久々の大きな任務故、少しばかり浮足立っていたのやもしれませぬ"」

 

 

……シスター兵達が、未知の言語で会話をし始めた。

洗脳術を掛けたのかもしれない。

お姉さまから聞いたことはあったが、ニンポウとは恐ろしき闇の魔法らしい。

 

 

「あれ?あれってヒナナんとニコリんじゃない?」

「ですわよね……」

 

 

適当に誤魔化そうとしてみたが、変に訛った名前だけはなんとなく、本当になんとなーく聞き取れていた。

単に入れ替わっている、花火に気を取られている内に。

 

(ふたりのしすたーへいを、いったいどこにやったんですのー?……よし!)

 

やはりニンポウは闇の魔法なのか……

 

 

「おお?礼拝堂に身包み剥がされた人がいる!」

「ですわよね…………」

 

 

必死に誤魔化そうとしてみたが、普通に見えているし、素肌を晒さないようにご丁寧に風呂敷まで掛けてあげていた。

単に早着替えしている、身包みを剥いだ上で。

 

(もう、誤魔化せそうにないですわ)

 

なんとニンポウは闇が深いのか……

 

 

 

灰の回収はきっとニンポウしてくれるので、頭の中で報告書の構成を組み立てておく。

時間は有意義に使わなくてはいけない。

 

 

「クロん、もう終わったかなー」

「15分は経ちましたものね。炎は……消えていませんわ」

 

 

ゲームは15分。

1回も捕まらずに逃げ切っていれば、炎は花火の打ち上げとほぼ同時に消える予定だ。

それが消えていないとなればゲームは続行、つまり少なからず1回は遭遇し、捕まったという事である。

 

(分かっていた事、ではありますわ。その気になればクロ様の意識は簡単に埋められてしまう)

 

超々能力者には超々能力者でしか対応できない。

ただの人間にどうこう出来る代物ではないのだ。普通であれば。

 

避ける事も出来ない、防ぐ事も出来ない、認識も出来ない。

元々、大昔に()()()()()()()()()()に対応するため、人間が文明の進化を継ぎ込んで、永い時間を架けて作り出した力なのだから。

 

(クロ様であれば、異常点たるあの方であれば、私達の力に対応できるかと思っておりましたが……)

 

()()()、だったのだろうか。

 

 

 

 

ゾクッ……!!

 

 

 

 

(いま…のは……?)

 

殺気や威圧感、凄みや気迫とは違う。

これは――

 

 

 

(――――()()ッ!)

 

 

 

私達の…()()と同じ、思金の()()()()の1つだ!

 

 

あらゆる超能力に干渉し、その力を弱める対超能力者(アンチステルシー)用の能力。

私は使いこなせなかったが、まさかあの吸血鬼がここまで適応させていたなんて。

 

 

屋上の炎は一瞬で、ほんの小さな火種も残さず消え去った。残ったのはシスターが起こした炎だけ。

空の歪みも、上空で小さな嵐を起こして霧散して…何事もなかったかのように平穏が訪れた。

 

とても強悪な力。

その力の前には操られた自然の暴威ですらも、この有様だ。

 

(でも、これは……)

 

 

「消えた……消えたよ!アリーシャん!やった、やったんだよ、クロんは!あの吸血鬼に勝ったんだよっ!」

「まさか…」

 

 

本当にやってしまったのか?

超々能力どころか超能力すら使えないクロ様が?

 

干渉すらも使いこなす、あの吸血鬼に勝ってしまったのか!?

 

 

「"屋上の炎が消えおったぞ…"」

「"何故かあの炎だけ、綺麗に残ってるで御座るなぁ……"」

「"ヒナよ、主は日ノ本にて、かような忍術を目した経験は?"」

「"…人ならざる者は多けれど、世は斯くも広きものに御座る"」

 

 

 

 

私は雲をつかんで満足したが、あなたは星を繋いでいる。

 

今はまだ、見上げてるだけ。綺麗な星座を、眺めているだけ。

 

いつかあなたが、私を空に掲げてくれた時に。

 

私は星々を隠すあの雲を、掴み取って。

 

そうだ、折角だからその雲をあなたにも分けてあげよう。

 

一緒に夜空を飾り立てて、一緒に光り輝こう。

 

 

どんな星よりも、綺麗な綺麗な、透き通った星になってみせるから!

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


屋上はこんな感じでしたーってなわけで。
アリーシャ編終了です。

『思金』という存在についてもちょっとずつ判明してきました。
……クロの知らない所で。

人工の力である白思金とソラガミ、反射、芸術、理性、暴走、超々能力。

これまでに登場してきた単語は、是非是非頭に置いておいてください。


次回は、まだ書き始めていません。
ゆるりらっと、おまちくだされ!




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確信の生長(グロウ・トゥルース)




どうも!

書きかけのストックが無くなって行く事に反比例して、不安が増していくかかぽまめです。


日常編パート2というわけで、事件の思い出話につなげるための幕間です。

そこまで重要な単語も出て来なかったと思うので…あ、見直したらちょっとだけあったので、・が付いた部分だけ注意すれば問題ありません。


では、始まります!





 

 

 

コツコツ、カツーン

 

 

「……と、こんな結末でしたわ」

 

 

わざとらしく鳴らされた靴の音や大鍋の蓋を閉める音が聞こえ、アリーシャの話は一旦終了する。

どうやら貸し切りタイムはここまで。周囲の席にもぼちぼちお客様が来るようだ。

 

 

「場所を変えましょうか?」

「いいえ、お話はここまでですの。それにしても…」

 

 

そっか、報告が終わりならお開きか、と席を立とうとした所で呼び止められる。吸血鬼(トロヤ)との戦いの事だろうか?それとも吸血鬼(ヒルダ)を助けようとした理由が知りたいとか?

前者は記憶が正確ではない内はあまり口外しないよう、姉さんに釘を刺されているし、後者は一菜が助けようとしたから助けたに過ぎない。

もし一菜が正直にならず、助けたいと言わなければ、何が目的か知らないがヴィオラの元に持ち去られていたのだろう。

 

…あ、そうだった。すっかり忘れてた。

 

ヒルダってどうなったんだろ。

いっか、後で葬儀場班にでも聞きに行けばいい。同じクラスだし、そのチャンスはいくらでもある。

 

一瞬だけスイッチを入れ、窓枠の1つに、1日の活動予定として新しい項目を書き加えていると、アリーシャが質問の途中だったこと思い出す。

 

 

「……クロ様は、なぜチュラ様に作戦の詳細を教えなかったんですの?」

「メーヤさんの事ですか」

 

 

彼女は姉と同じ蒲公英色の髪を振り、私の言葉を肯定する。

チュラの事を騙した、と言うには足りないが、共有すべき情報であることは間違いなかった。

 

 

「あくまで噂話ですよ?」

 

 

一応前置きをしてアリーシャに話す。

これはメーヤさんを城へと誘導してきたヴィオラから聞いた話だ。

 

地下教会に所属し素質のある聖女様達には、超能力の付与――御加護による恩恵が授けられていて、その力の源は神の御加護であり、数々の奇跡をもたらすと同時に試練を与えるものとされているのだとか。神の奇跡は無償で万能なんてものではない。

 

"幸運の聖女"様であるメーヤさんは…とりあえず運が良いらしい。その代わりに言い方は悪いが()()()()()()()を強要されている。

神の奇跡の典型で、信じる者は救われるをそのまま形にしたような能力だ。

 

そんな彼女を協力者として選んだのは知り合いな事も理由の1つではあるものの、ある程度の発言力があって確実に味方に付けられるのは彼女しかいなかったから。

というのも……

 

 

「チュラさんを交渉役として選んだのは、彼女が知っていること以上の情報を推理しようとしないからです」

「確かにチュラ様に学習意欲は感じられませんが………聖女様にそんな噂、ありましたの?」

 

 

今度は首を振るのではなく、捻ることで記憶を探っている。

そんな噂は出回っていないから、思い出そうとしても無駄な事なんだけど。

 

 

「事実は確かめられないですが、うまくいったからいいじゃないですか。メーヤさんは信じてくれたんですよね?3人の事を」

「ええ、信じてくださいましたわ。何も知らないチュラ様が事前に『棺に吸血鬼が入っている』と話していたことを……確実に疑ってはいましたけれど」

 

 

作戦勝ちなんだから、もういいじゃないか!

それに、彼女はとても大事なことを間違えている。

 

 

「アリーシャさん。今のは失言ですよ?」

「っ!私、何か失礼を申し上げましたの?」

 

 

元々白い肌を更に青くさせてビクッとし、窺うような顔付きで視線だけをこちらに向けた。

 

(心当たりは無さそう。ま、仕方ないよね、あの成績じゃあねぇ……)

 

アリーシャは多分、一週間前の事を思い出そうとしているのだろうが、そこじゃない。

もっともっと大事な、未来につながる部分の話なのだ。

 

 

「チュラさんは努力家です。ああ見えて、毎日の勉強は欠かさない、いい子なんですよ」

「ええっ!?チュラ様が…?」

 

 

そこまで驚くかね?……驚くよね。

 

あまりにも教務科に頻繁に呼び出されるものだから、1度だけ彼女のテストを盗み見た事がある。

もしかして、まだ先生の管理から抜け出せていないんじゃないかと不安だったから、成績次第では命懸けで苦情の1本でも入れてやろうと考えての行動。

 

――でも

 

『ウチの戦妹がご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありません』の言葉しか、頭に浮かばなかった。

 

確かにイタリアの理科の授業は日本の物より難しい。

それを自分の考えを深めるような勉強法で進められたら、チュラはお手上げだろう。

 

チュラには日本式の詰め込み教育の方が合っている。

聞いたことは先生の顔を利用して余すことなく記憶できるし、声をモノマネすれば日本語会話もスラスラだと思う。

 

 

「…まー、でもテストの点数には反映されないというか……」

「いくらクロ様のお話だとしても疑わしいですわよ?」

「私が試験監督を務められれば変わるんでしょうけど」

「贔屓はいけませんわ。小学校ではありませんの」

「あの子も不憫だなぁ」

 

 

チュラは1人では何も覚えられない。

人の顔と記憶を結び付けて覚える事しか出来ないらしく、普段の勉強は私が一緒に付いてあげている。その結果――

 

――テストが始まって見える顔は試験の先生のみ。つまり、思い出せるのは授業冒頭の説明のみで、クラスメイトとのグループ討論すら思い出せない。

 

それでも諦めない彼女は、まずテスト用紙を模倣観察し始め、それと同時に裏面に書き写していく。

写し終わったら表面を眺め、模倣観察によって数式や図形、象形文字が浮かび上がるまでじっと耐える……らしい。すごく小さい頃の記憶を思い出してる、とはチュラ談だ。

小さい頃も何も今も小さいが、謎発言は聞き慣れている。

 

で、完了次第、浮かび上がってきたものを裏面に写そうとしてタイムアップ、というわけ。

 

(……あれ?最初っから、試験官の先生と勉強すれば良くない?)

 

考えていて気付く、驚きの新事実。

放課後にでも教えてあげないと。

 

アリーシャの疑問にも答えたし、隣の席も埋まったし、さて席を空けるとしましょうか。

 

 

「では、私は教室に…じゃない!アリーシャさん、パトリツィアさんは怪我してないんですよね?」

「――ッ!……皆様のご協力のおかげで、無事でしたわ」

 

 

(うん?反応は芳しくないけど、来た時にちょっと気まずくしちゃった私の責任だよね)

 

だって、アリーシャが人前でヤバい事言いそうだったんだもん。

もし聞いちゃったら、私も知らぬ存ぜぬで通せないし。

 

 

「えへ、良かったです、まだ顔を見ていなかったので。それと……」

「?」

 

「お花、ありがとうございました。起きた時、すごく…嬉しかったんです。皆がずっと、寝てる間も一緒に居てくれたんだって」

「クロ様?その…」

 

照れているのだろうか、彼女はとうとう私から視線も横に外した。

 

「あの花瓶は見覚えがありましたから!確か、昔に妹さんが作った花瓶が世間で高い評価を受けて、似た形のものが量産されたんでしたよね?」

「そうですわ。そうですけれど、後ろに…」

 

後ろ?ああ、後ろを見てたのか。

誰かいるんだな…そりゃ、突っ立ってたら邪魔にもされるよね。

 

詩的に謝って許しを頂戴しよう。

もしかして、拍手なんかされちゃったりしてっ!

 

 

「すみません、ちょっと綺麗な花と別れるのは惜しく…て……ッ!!」

「あらそう、それは良い御身分ね。遠・山・ク・ロさん?」

 

 

背後に立っていたのは、今朝は2人一緒には会いたくないから…じゃない、時間が掛かりそうだから後回しにしていたあの人だ。

 

(なぜ……ここがバレたし……!っていうか)

 

 

「ほ、本日の交流会は、随分と、その、compactだったんですね?ベレッタさん。すっごいショートリコイル~、みたいな?」

「…あなたのつまらないジョークは求めてないわ。日本人らしく"わび‐さび"とやらを見せなさいよ」

 

 

ベレッタ・ベレッタ。

我が愛銃達、ベレッタシリーズを開発して世界的に流通させるまでに至った大企業、ベレッタ社の跡取り娘……ロゼッタ先輩の妹さんだ。

クラスは違うが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

パオラのような市場取引に重点を置いて鍛冶仕事も引き受けるサポート体制ではなく、その幼……若さで、経営者原理や大量生産のノウハウも理解し、何より開発や改造方面に突出した才能がある正に小さな会社と工場そのもの。

第七装備科に巣食う、将来を約束された学校一番のガンスミス。…値は張るけど。

 

……こんなもんでどうでっしゃろか?

 

 

 

そんな彼女はご立腹な感じではない。青碧色(リヴィエラ)のツリ目は冗談めかして睨んでいるが口元は柔らかく、その端はにこやかに持ち上げられていた。

交流会の後だし、パトリツィアと2人で結構盛り上がったのだろう。

 

だが、彼女の使った日本語に、今度は私の口がニヤリとする番だ。

 

 

「ベレッタさん、勉強不足ですよ?おそらく"奥ゆかしさ"や"慎しみ深さ"という意味で使おうとしたのでしょうが、"侘び寂び"は日本固有の概念に近いものです」

「へ?そうなのね…ふむふむ……概念、ね。興味深いわ。クロ、"わび‐さび"を活用するならどうすればいいの?」

「それなら"侘しさ"という言葉と"寂しさ"という言葉でイメージを掴んでみてください。ついでに"茶道"について調べてみるといいかもしれませんよ?基本、日常会話には登場しないですが」

「"サドウ"!この前、パトリツィアが"サドウ"の漫画を読んでたわ!ねえ、"サドウ"してるとシスターになるの?マッチャは凄く苦かったんだけど、ここのリョクチャとは違う葉っぱを使っているのかしら?」

「お、お姉さまが…漫画を……?」

 

 

出た出た、出ましたよ。

無限質問タイム。

 

彼女の溢れる好奇心は1個の質問から2個、2個から4個。ネズミ算式に増えていく。ここにパトリツィアが混ざると、補足説明ならぬ補足質問がプラスされて、1重の質問が2重に、2重が4重。雪だるま式に増えていく。

だから、2人が揃った時にはあんなに長い昼休みが全て潰れることもあり、私が避けるのは誰にも責めることは出来ないはずだ。

 

でも最近は、ぎこちなさはあるものの、2人が日本語で会話できるようになってきてて楽しいのも事実。今度、優雅にお食事なんかは……あの2人が行くようなお店って、やっぱりすごい所なのかな?私には無理だ。

その時は庶民兼日本語仲間として一菜を招きたい所だったが、残念ながら彼女とは第一印象で距離が開いてしまったとの事。まあ、私が来るまでは仏頂面でキツイ性格な上にあの喋り方だったから、避ける気持ちも良く分かる。今なら仲良くなれそうな気がするし、パトリツィアにも手伝ってもらおう。

 

 

彼女は「さあ、答えろ」と言わんばかりにメモ帳にペンを走らせる態勢を取っているが、待って欲しい。

別にキラキラした瞳で見つめられるのは悪い気はしないし、日本語の勉強を手伝うのはやぶさかではない。しかし、病み上がりであることを忘れていませんか?

 

ほら、あれあれ。不在中の勉強もしなきゃだし!後で第七装備科には行くから。

 

 

早急にパトリツィアを探さないと――――!

 

 

「おっと、そういえば今日は用事があるんでした!また、お昼に会いに行きますね」

「へえー。…ねえ、クロ?なんであたしがここに来たか分かる?」

「ここに来た理由ですか?…カフェラテを飲みに来た、訳ではないですよね?」

 

 

分からないけど、こんなことでスイッチはONにしない。朝の事(頭突き)なんて知らない。

でも、なんでだろ?ここに来る理由に飲食以外なんて……そういえば、私はパトリツィアを探しに来たんだっけか。

とはいえ、パトリツィアは一緒だったんだし、他に誰か知り合いがここに?

 

 

――あ。私か。

 

 

「あちゃー。いつからでした?」

「玄関で写真がアップされてから、だったかしらね?」

 

 

(ここにも1BENE……)

 

なにこれ、超人気掲示板なの?人様の個人情報を延々垂れ流すだけの観察日記がこの学校ではウケてるの?私はアサガオなの?アリなの?カブトエビなの?

 

 

「スタート地点じゃないですか…。あの子ですよね、パトリツィアさんの…」

「そうそう、パトリツィアの戦妹。あの子便利よ?パトリツィア経由だと極端に安くなるのよねー」

 

 

はい、私も良くお世話になっています。主に、情報操作方面で。

パトリツィアにゾッコンだから大体なんでも引き受けてくれるけど、やられる側はたまったもんじゃない。

 

つまりは私がパトリツィアを探しに来た事も3人組との会話で知られている訳で、第七装備科を避けた事にも勘付かれたか。

交友の少ない私がまだ会っていない仲間って誰だ?その人の元に逃げ去ろう!

 

 

「朝にフィオナさんと会わないといけなくて…」

「あっそう、なら会いに行ったら?今日は登校出来てればいいわね」

「……」

「―ッ!」

 

 

ベレッタの発言にぞわっとした。

 

まるで先週は休んでいたみたいな言い方で、未だに何かを引きずっているような含みがある。振り向いて確認しようとしても、アリーシャも黙ってしまっている。

家庭の事情、病気、任務なんかでも学校を休む可能性は考えられるが、真っ先に思い浮かんだのは……

 

 

「フィオナさん、怪我をしているんですか!?学校まで休むような大怪我を……!」

 

 

声を荒げ、振り返った勢いのまま、ベレッタに問い掛けてしまった。

はたと気付くも手遅れのようで、口から出た声はもう戻りはせず、焦りに焦った思考はまんまと嵌められたらしい。

 

興奮で上り始めていた血の気が、サーっと引いていくのが分かるほど頭が真っ白になった。

イタズラな笑みを浮かべた青碧色の瞳が近付いてきて、その小さなお手手で制服の腕を掴んでしまう。

 

 

「あははっ、あたしフィオナって人は良く知らないわ。嘘を吐くならもうちょっと練っておきなさいよ、クロ」

「え、えへへー…」

 

 

チェックメイト(はい、つんだー)

 

 

「……ベレッタさん、銃とお花、ありがとうございました。光を前進させる様に撃ち出す銃なんて凝った意匠で、感激しましたよ」

「喜んでくれて嬉しいわ。パトリツィアからあなたは花が好きだと聞いていたの。…じゃあ、お返しに日本の"奥ゆかしさ"を見せて頂こうかしら?」

「はい…喜んで……」

 

 

なけなしの抵抗はあっさりと流されてしまった。

覚えたての日本語を織り交ぜて、さもどうでもいい、当り前の受け答えの様に。

 

――頬が緩む。

 

だって、そういうことだ。

彼女にとって私に花を送ってくれることは、特別でもなんでもなく、当り前の事だと言ってくれているんだから。

 

仕方ないなぁ、親しみを込めて、ご奉仕させていただきますよ。

 

 

後悔するだろうことは目に見えていても、これは断れませんわ。

 

 

 

 

 

――――あーあ、なんで気付かなかったんだろう。

 

 

ベレッタは交流会が終わったなんて一言も言ってなかったんだよね……

 

 

後悔。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

時間は進み、午前の授業が終了する。

 

今日は私の復帰祝いという事で、昼休みを早めに取ってくれた。

嬉しいけどさ、嬉しいけども、もうちょっと勉強しません?教科書、1見開きも終わってないんですけど。

 

元々教科書なんて全てのページを解説するわけでもなければ、内容以外のお話も多い。

自主勉強やたくさんある宿題を終わらせるための道具みたいな側面の方が強い。

 

じゃあ、帰って勉強すればいいね!

 

 

――さて、建前はこれぐらいにして、と。

 

 

Alla Salute(かんぱーい)!」「Cin Cin(かんぱーい) !」

 

 

学校の近くにある、『CASA(家庭)』という名の食堂に一番乗り…したかと思ったら、もう武偵高の先輩がいたので、一礼して入店した。

ここのパスタはおいしいと評判なので、わくわくしている。私が注文したカルボナーラは、さぞかし濃厚なチーズの香りがするのだろう。ちなみに、麺はスパゲッティにしてもらった。

 

当然、私達は食前酒など頼んでいないので、濃厚な料理に合わせて炭酸水(サンペレグリノ)を頼み、それで乾杯をした。

私は未だに抵抗があり、長めの単語で乾杯と言わせてもらっているが、ちょっと…言い辛いよ。流石に長年住んでいるだけあって一菜は平気みたいだけどさ。Cin Cin。

 

同じテーブルにはクラスのグループと同じ、右に一菜、左にパオラ、正面にパトリツィアが座っているが、クラスの皆12人全員で食事なんてそうそうない事だから……ちょっとだけ交流しておこうか。

こんな時でなければ、自分から話しかけることは稀で、特に男子生徒とは親しくなり過ぎないように気を遣っている。

 

理由は単純。

下手に波を乱されるようなことがあれば、スイッチのON/OFFに支障をきたすから。

苦手なのは確かだが、それ以上に親しい男性との交流は波を荒立たせる事が判明している。

経験則であり、その理由の解明は出来ていないものの、自分から危険に突っ込む必要もあるまい。

 

隣のテーブルに座っているラウルシストさんは同じ強襲科の男子生徒で、入学当初は一菜とも仲良くなかったから、彼に色々と学んでいた。

しばらく経って私が学校に慣れ始めた頃、一菜が自身の能力を隠して病欠をしていた時に2回だけ任務に付いてきてくれて…まあ、やり辛かったのだけれど、その時だった。

 

彼が戦う姿を見ていた時に、波が揺れるのを感じたのだ。

あわやスイッチが切れる寸前まで波が荒れていて、このままだとまずいと思い、その原因を探ろうと窓枠を覗いた。

 

 

そこで見たのは黄金の窓枠。

 

 

…と言えば聞こえはいいが、うっすらと黄味掛かっただけの窓枠。

まるで怒っているみたいにガタガタと震え、訳も分からず不気味だったからすぐに逃げ出した。

今、考えてみれば、あの窓枠にも不思議な力が宿っていたのだろうか?ちょっと惜しいことをしたかもしれない。

 

結局スイッチはギリギリで踏み止まり、それ以降、彼と組むことも無くなった。

彼が特別な可能性もあったが、どうにもダメで、男性と親密な関係になる事は、そのまま私の力の喪失につながってしまうような危機感を感じている。

 

 

「クロちゃーん!掲示板すごいことになってるよー!」

「もう、やーです!見たくありません。見なければ不確定要素として誤魔化せますもん…」

「クロさん、これはどうしようもないよ。ヒートアップし過ぎて、校外の掲示板ですらクロさんの話で持ちきりだったからね」

 

 

一菜が現実を見せ付け、パトリツィアが要らぬ情報を追記する。

いじめだよ?パーティの主役が乾杯直後に沈んでるよ?

 

朝のお返しか?と思い、一菜の方をチラリと見てみると、メッチャにこにこ顔で掲示板を見てるよ、小さくて可愛らしい見た目のブルスケッタつまみながら。心から楽しむのは勝手だが、まさか、書き込んでいないだろうな?

パトリツィアの方は多分事実を述べただけだろうし、責めたところで意に介さないのは目に見えている。振るだけ無駄な労力だ。

 

 

ならば、八つ当たりを考えずに癒しを求めるべき――!

 

 

「パオラさーん…助けてくださーい。あの2人がいじめて来るんですよー……」

「お2人共、程々にしてあげましょうね?クロさんも…その……色々と女性関係のスキャンダルで、苦労しているみたいですから。……一菜さんは、えと…分かってますよね?」

「ん?」

 

 

アウトーーッ!

 

トドメの1発入りましたー!

 

分かっているのはあなただけなんですよ!

いや、違う違う、あなただけが分かってないんですよ!

 

 

「私はノーマルで、す……か?」

 

思いっきり否定してやろうと口を開いたが、男子が苦手って言っといて、ノーマルだと言い切る自信は無いぞ。

 

「どーしたクロちゃん?少なくとも、あたしはクロちゃんはフツーじゃないと思うなー」

「やっぱりそうなんですね!?」

 

違う、そうじゃない。

 

「どしたどした!なんの話?」

「その話、私達にも詳しく!」

「ついに独占取材決行だね!さーさーお答えください、質問はいくらでもありますぞー」

 

くっそ!エマさんを中心としたパパラッチグループがこっち来た。

このままでは無い事無い事無い事、全部書かれるぞ!例の掲示板のプレミアム限定の方で!

 

今日のアンラッキーアイテムはメモ帳に違いない。それともペンの方か?

 

 

【挿絵表示】

 

 

「まずはまずはー、ズバリ!好きな女子生徒は?」

「直球ですね!?しかもなんで女子なんですか!」

 

おい、何書いてるんだ?何も答えてないぞ?

 

「では、クロちゃ…クロさん、好きな髪形と専攻は?」

「え、髪?任務中に邪魔にならなければ個人の自由じゃないですか?」

「なるほど、短髪か結った髪がお好みと…」

「それに、専攻なんて別に優劣付けるものでもないでしょう?」

「流石です!元気ッ子も、クール系も、不思議ちゃんも花喰花の前にはさしたる障害ではないんですね!」

「ちょっ…何の話でしたっけ!?」

 

回答と解釈が違った気がする…

でも、突っ込んだらさらに踏み込んだ質問が来そうで怖い。

 

「これはどうですかな?好きなgesto(仕草)とかparte(パーツ)とか、出来るだけ細かくお願いしますぞー!」

「好きなgesto(ジェスチャー)…?……あー、チュラさんと良く使うのはこれですかね?『私の顔を見ろ』という意味です」

「わッ!わたたッ!?そ、そんな大胆な事を普段からしているんですかな?思わぬ収穫ですぞ……」

「好きなparte(役割)は、拘りませんよ。一菜とならどこでも大丈夫です。パートナーですから!」

「ブフーッ!」

 

右の人がうるさい。タイミング的に私の発言を聞いて噴き出したのだろうが、げっほごっほとむせながら、甘いドロドロとしたココアのような、チョコラータ・カルダを飲んでまたむせている。

口の中が空っぽで良かったね?なんで噴き出すのさ。恥ずかしいのか?パートナーって言われたのが。

 

「…お、おお……!噂に違わぬ…!これは、過去最高の記事が書けそうですぞー!」

 

どこに感動したんだか分からないが、私の溢れる友情愛に心打たれた可能性が高い。

最後の最後に、しっかりとイメージ回復できそうで何より。2巡目が来る前に対策を……おや?

 

 

「皆さん、なんで固まっているんでしょうか?」

 

 

今の質問をしてきたコンシリアさんとパトリツィアは特に変化はないが、パパラッチのエマさんとテレーザさんも、隣の席の男子生徒も、一様に固まってこちらを凝視している。隣の一菜とパオラなんて顔まで真っ赤にしてるし、そんな熱くなるほど情熱的だったかな?

 

不可解な現象、不思議な光景。

沈黙を破ったのは、この状況をシラーッと見ていたパトリツィアだった。

 

 

「クロさん、あなたは…アリーシャを狙っていないよね?」

「…はい?」

 

 

妙にマジトーンで凄みを込めた問いかけに、OFF状態の私は簡単に気圧されてしまった。

だが、この流れでアリーシャの名前が出るのは何故なんだろう、学年も違うしチュラがいるんだから戦妹枠も埋まってるよ?私。

 

そんな私の冴えない反応で満足したんだか分からないが、割とすぐに引っ込めてくれた。

代わりにため息を1つした後、こちらには視線を戻さずに一言。

 

 

「なぜ、あなたは律義に答えるのか、私には分からないよ」

「あっ」

 

 

そうだった。

答える必要なんてなかった。

 

答えてしまったら、解釈の違いとか言われて、根も葉もない噂ではなくなってしまうじゃないか!

 

パトリツィアはそれ以上は話さない。

けど、今度は私から話し掛けなくては……

 

 

 

「お願いします……パトリツィアさん………」

「ご指名、嬉しく思うよ。後は私に任せておくといい」

 

 

 

 

 

後日談として、語るのであれば。

 

この日、掲示板のプレミアム限定に記事が載ることは無かった。

 

 

ホント、パトリツィア様様である。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

昼休みの時間は、授業を早めに切り上げてもらったおかげで、散々なパーティが終わった後もまだ時間がある。

なので、パオラに連れられて、第三装備科にお邪魔することにした。言うまでもなく1週間前に起きた事件、そのヒルダ葬儀場班の報告を受ける為に。

 

前を歩くパオラがドアを開け、中を確認してから私を招き入れた。

 

 

「クラーラ、ガイア、お待たせしました」

「思っていたよりも遅かったね、パオラ。あ、クロさんも一緒でしたか」

「っつーことはあれか?報告会か?」

 

 

いつも通り、この2人もここでパオラを待っていたようだ。

お昼はすでに済ませたようで、包み直されたオベントー箱がそれぞれの脇に置いてある。

 

 

「ええ、クロさんに、あの場で起きた全てを伝えないとだめだよ。クラーラも、覚えている範囲でいいから、ね?」

「パオラは心配し過ぎ……確かに、もう帰れないかも、とは思ったけど」

「エレナミアは呼ぶか?」

「ううん、彼女は多分…ほとんど知らない、最初の衝撃で気絶しちゃったから」

「そうか…」

 

 

……どうやら順調じゃなかったのは逃走班だけじゃなかったみたいだ。

2人の表情は暗い。何があったんだ、あの夜、ヒルダを運んでいた葬儀場班の身に。

 

 

「パオラ、先に教えてください。ヒルダは…吸血鬼は無事に送り届けられたんですか?」

「……」

 

 

(嘘…だっ!)

 

じゃあ、一菜は? 

知らないはずがない。

 

一菜はヒルダの名前を聞いて、助けたいと言っていた。

なら、その安否を知りたがらないはずがないのだ。

 

無理をして笑っていたのか?

それとも……

 

 

「パオラ、そこで黙ったらクロさんが勘違いするよ」

 

 

グルグルと考え込もうとした私の脳内に、微かな希望が差し込む。

クラーラが私の反応を見て即座にフォローを入れてくれて助かったが、もう少しでスイッチを入れてしまう所だった。

 

 

「あっ…ごめんなさい、クロさん。違うんです、ヒルダさんは無事です。彼女は……」

 

 

無事なのに言いにくそうなのは、きっと送り届けられなかったから。

その理由は容易には思いつかないが、ということは思いもよらないことなのだろう。

 

目をキツく閉じたパオラは話そうとして、でも言葉が出て来なくて、呼吸を整えながら心を落ち着かせる。

 

 

「覚悟は出来ています。一菜もその事実を受け止めたんですよね?私も負けられません」

 

 

2人は一菜に話す時にも同じ位、いや、もっと苦悩したに違いないのだ。

急いだって、話の内容が変わるわけではないし、彼女達の気持ちの整理が優先。待とうじゃないか、まだ時間はある。

 

 

 

 

――しかし、意外にもその整理は時を待たずに済んだようだ。

 

 

 

パオラが告げた事実に、今度は私が衝撃を受けることになる。

 

 

 

どういう事だ、ありえないじゃないか!

 

 

 

 

彼女はずっと眠っていたのに……!

 

 

 

 

 

「私は……彼女に、()()()()()()()()()()()

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


活動報告、遅れて申し訳ありませんでした。
もう1枚、もう1枚と書いていたら朝の5時になってて焦りましたよ。過集中には気を付けないとですね。


本編の内容に移りますが、ベレッタさん何気に本編は初登場でしたね。
独自設定を盛り込ませて頂いておりますので、勘違いによる細かい違いはどこかで出てきてしまうかもしれません。原作でメーヤさんが早生まれっぽいのも、あれ?と思って読み返して気付きましたし。(1歳年上なのに2つ学年が違う!?アイエエエ!?)
お手数ですが、手遅れになる前にお教えいただければと。

他に書くこともないので次回予告。
次回は葬儀場班の回想編、ただし、誰かの視点で書けない為、主に第三者視点(通称:神の視点)によるものになります。

それでは、次回もお楽しみに!




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無窮の慄然(ビヨンド・ザヘイズ)




どうも!


サンドイッチの具が多過ぎて、持った瞬間に射出した、かかぽまめです。
何事もほどほどが一番。



はい、前回は「ヒルダが逃げちゃった!」って所で終わってました。
その内容はどんなものであったのか?


では、始まります!






 

 

 

雲って生きているのだろうか?

そんなことを聞いたら、きっと笑われてしまうだろう。

 

でも、そう思ってしまう程に、空の雷雲は不自然な軌道を描いて移動している。

翼の形によく似た不気味な雲はまるで夜空を自由に飛び回る様に、北へ南へ、東へ西へ、獲物を狙う蝙蝠が如く、地上を走る何かを追っていた。

 

別におかしな話と笑ってくれても構わないが、その雲の遥か下方、地上を進む者たちも同じ疑問を抱いたのかもしれない。

蛇の様に地上を這い回り、蝙蝠が獲物を捕らえに降下するその時を、辛抱強く待ち続けていた。

 

 

「カルミーネ、あの雲の動きはおかしくないかな?」

 

 

ここまでの道中、一度も交わされる事が無かった会話。

その始まりは唐突で突飛もないあんまりな滑り出しで、相手が返事に詰まったことは想像に難くないだろう。

なにせ、彼女達のいる上空は雲に覆われていて、あの雲もどの雲も全てが1つの雲なのだから。

 

 

「どこの…話?撃ち、込んだ、人間の…空白から、覗いて、る?」

「…ああ、そうだった。私達のいる所からでは、遠くて良く見えないんだね」

「埋めて…あげた、ら?あれ、って…凄く、痛いん、だよね」

 

 

パトリツィアの家に向かって走るバイクは、凸凹道や割れた地面を避けた安全運転で、しっかり交通法規を守って走行している。

偶にカタリと揺れても、緩やかな速度で進む分には大した衝撃にもならないし、濡れた路面を走っていても、さっきの会話の滑り出しみたいに話の見えない所まで滑っては行かない。

 

 

「痛いよ、とても。でも彼女は昏睡状態だし、眠ってしまえば痛みを感じることもない」

「悪趣味…」

「分かった分かった、今埋めるよ。それだけは、あなたに言われたくないし…本当に妹は狙ってないよね?」

 

 

答えによっては何をするつもりなのか、表情は暗く、ベルトに掴まっていた右手は上着の内ポケットで何かをまさぐっている。

 

 

「しつこい、よ、パトリツィア、さん。私は…別に、女性が、好きな、訳…じゃない」

 

 

帰ってきた返事は呆れを含み、からかっているのか本気で言っているのか、いまいち掴みどころのない元チームメイトの問い掛けを軽く受け流す。

バイクは右側のベルトを引く力が消えたからか、後ろの同乗者を気遣うように速度を落とした。

 

 

「…普通に、男性に、興味は…ある」

「もちろん、知っているとも。あなたにはバイセクシャルの疑いがある」

「通じて、無いんだ…よ、いつも」

 

 

過去に何度か繰り返した問答に今日も敗れてしまった運転手は、がっくりと肩を落として悲嘆する。

右のベルトが引かれた事でバイクの速度は元に戻ったが、彼女の沈んだ気持ちは元には戻らない。

 

不名誉なあだ名は好きなように付けてくれて構わない。でも、仲間である彼女には勘違いされたままでいて欲しくないのだ。

まして、いついなくなるとも知れない彼女の誤解は、早めに解いておかないといけない。

 

 

「ねえ、パトリツィア、さん。キミは…」

「今夜の話ならしないよ。仕事の重要性はあなたなら分かるだろう?」

 

 

そんなつもりは無かったのか、話を中断させられた暗紅髪の少女は呆気にとられ、否定することも出来なかった。

それをさらに勘違いした黄髪の少女が、運転手の背中を不連続なリズムでトントンとつつく。

 

 

――英文モールス。

 

 

警戒するに越したことはない。

初めの場面に戻るが、あの奇妙な雲だけが夜の世界を闊歩しているとは限らないのだ。

 

その内容は短くとも、含まれた意味は大きく深い。

だからこそ、暗紅色の少女は端正な顔に微かな驚きの表情を表した。

 

 

「それ、って…!」

「学校では私とあなた…後は、魔女しか知らない。アリーシャには話さないでくれるかな?もちろん、カルメーラとファビオラにも」

「なんで…?」

 

 

皆で力を合わせれば…そう言おうとしたのだろう。

しかし、すぐにあることに思い至った。彼女がチームであった頃にも悩んでいた、原因不明の発作。それが――

 

 

「また、感覚が、縮まって、る?」

「うん。狙撃を受けて仕事の回数が減ってからずっと、だよ。理性が薄れて、芸術を求めるんだ。でも、最近は他の何かが疼く気がしていて、なんだろう、綺麗なステンドグラスに心惹かれるのは初めてだから…少し、戸惑ってる。その影響で重篤な発作にはならずに済んでいるみたいなんだ」

「芸術の…新、境地、って事、かもね」

「そういうのはアリーシャの方が綺麗な色使いなんだよ。私には白いキャンバスがお似合いだと思うんだけど」

「あ、覚えて…る。アリーシャ、さん、の、天窓…すごく、綺麗だった、よ」

「もっと褒めるといい。私は誇らしいよ」

 

 

彼女達は発作の話を掘り下げはせず、思い出話を楽しんだ。こうして楽しめる時は、もう来ないのかもしれない。

 

 

「パトリツィア、さん。大丈夫、約束、は、守る。でも、私はキミを…『見捨てない』!1人でも、キミの、仲間で、あり続ける!」

「……あなた達姉妹の、面倒臭い性質を忘れていたよ」

「褒め、言葉、だよ。でも、キミの事を、見捨て、ない、のは…きっと、みんな、一緒…だから」

 

 

そこで会話は再び途切れる。

バイクのエンジン音と勢いを増して振り続ける雨、それだけが彼女達の周りで騒がしく音を立て続けた。

 

 

 

だからとても小さな「ありがとう」の言葉は、誰の耳にも届かなかったのだろう。そうに違いない。

 

 

 

バイクはグォン!と速度を上げて、エンジン音を大きくしていく。

これだけ大きくなれば、「聞こえなかった」と言い訳もできるだろうから。

 

 

 

 

 

雨の音楽団は勢いを増して降り続け、舞台をさらに盛り上げる。

雷の使役者は雷雲という名の舞台裏で、降雷の瞬間――最高の登場シーンを間近に感じていた。

 

 

彼女は既に、再生している。

深く優しい眠りの中で、空白から立ち戻ったその臓器だけは――――

 

 

 

――動いている。その鼓動は、彼女の身体を目覚めさせるのに十分過ぎたのだ。

 

 

 

直に雷鳴と共にその紅寶玉色(ピジョンブラッド)の瞳を開き、完全な闇に包まれた空を支配するだろう。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

車内は奇妙な緊張感に包まれていた。

逃走班と別れ、車が走り始めて10分ほど経った所で、異変を感じ始めていたのだ。

 

おかしい、初めに言い出したのは助手席に座るクラーラで、キョロキョロと忙しなく視野角を広げて大雑把に彷徨わせている。

視界の端に少しでも違和感を感じては注視を試みているが、すぐにその正体は消えてしまう。

気付いたことに気付き、姿を隠してしまっているのだと、彼女は話した。

 

とは言え、車を停めても意味は無いだろう。

目標が彼女達だとすれば逃げ続ける方が良いのだし、違うのであれば警戒する必要もないのだ。

 

ここには戦闘員がいない。

元より、逃げる以外の手段は取れないのは、全員が理解している。

 

 

「予想していなかった訳ではないけど、かなり不味い状況だよ、パオラ」

「……見付けられない?」

「遠方から車内が見えてるみたい。私には見えないけど、向こうには目が合ってるように見えてるのかも」

「それってさー、ヤッベー奴なのかな?」

「すっごい奴です。関わらない方が良いと思いますよ、エレナ」

 

 

追跡してきているのにその距離を詰めることはしない。

街中で仕掛ける気は無いのか、それとも単に見張っているのか、どちらにせよ接触されないことは彼女達にとって都合がいい。このまま周囲で様子を見ていてくれることを祈るばかりだ。

 

後部座席に掛けたパオラは、そわそわした気分を紛らわせようと、後ろで眠る綺麗な女性の安否確認を行う。

一見、体のあちこちに大きな傷があり、脈も息も無い彼女が生きているとは到底思えないが、ゾーイ先生の研究室(葬儀場)に連れて行く、それが彼女達の役割。

 

血の一滴も流れださない傷跡は、死から逃れるために全ての細胞が活動を緩めている状態で、時間が止まったようにも見える。

 

 

「人工臓器とか機械細胞とかで何とかするつもりなんでしょうか…」

 

 

「科学力は膨大な知識を圧倒的な経験で」というのがゾーイ先生の見解。その言葉『科学』が示すように、彼女は医学だけでなく薬学や工学にも精通している。

身長が低かったり、目が三白眼だったり、胸が突然成長(通常サイズ)したのも自らに行った手術の後遺症との話もあるほど、研究熱心な人間である。

 

 

「追ってきてる奴と人喰花の先輩とどっちがツエーんだろ?」

「知りませんよ、そんなの」

 

 

前列シートではエレナミアの質問に答えながらも、クラーラは警戒を怠っていない。この中で最も索敵に向いているのは自分なのだと、その役割を全うさせようとしているのだ。

 

 

「パオラ、双眼鏡で見たら右に誰かがいたりしない?」

「右に…?右にはアパートしか見えないよ?」

 

 

事実、道路のすぐ脇には、歩道を挟んで7階建てのアパートが何件か連なっている。

屋上に人影は無いし、追跡していた人間が窓からこちらを見ているのはあり得ないだろう。

 

あり得るとすれば――

 

 

「アパートの向こう側。もうすぐで交差点だから、準備しておいて」

「向こう側から、こっちを見てるって事…?」

「1人はそう。でも…1人じゃない!」

 

 

交差点に差し掛かった。

しかし、双眼鏡を構えたパオラはそれを覗くことが出来ない。

もう覗く必要もないからだ。

 

 

――もし、あり得るとすれば、それは人ではない。

 

 

 

「ちょうだい。ねぇ、ちょうだい?それを渡しなさい?」

「―子供…ッ!」

 

 

 

ガガッ!ガガガガッ!ガッ!ガガッ!

 

 

 

「Booone!?あだだだっ!頭が痛ーいっ!」

「くっうぅ…!髪が…!引っ張られてる?」

 

「ちょうだいってば!ねえ、聞いてるの?早く渡しなさい!」

「…つぁっ!い…たい…ッ!」

 

 

車内が騒然とする。

エレナミアが叫びながらも正確な運転を続けているおかげで事故は起きていないが、それも時間の問題だ。ハンドルを握る彼女の手から力が抜けていく。

次第に全員の動悸が激しくなり、顔から血の気が引いていく。痛みできつく閉じられていた目は脱力し、表情に覇気を感じなくなってきたのは貧血の症状だ。

 

一切の抵抗を許さずに車は制圧された。

車内からはもう逃げ出すことも出来ない。

黒く蠢く糸状の何かが、全てのドアと窓を縫い付けていく。

白く鋭く尖った爪が、後ろのドアに突き立てられた。

 

それを成したのは小さな子供の形をした存在だ。

色素の薄い黒色(アイアンローズ)の髪を顔の半分まで覆うほど伸ばし、逆に顎の方は大きめのマフラーによって隠されている。

 

 

「あけてー!ねえ、あけてよ!開けなさいよっ!」

 

 

 

ギィイィイィイイイイ――ッ!

 

 

 

耳障りな引っ掻き音が響き、薄れかけた意識が現実に引き戻される。

覚醒した意識を鈍い痛みが再び襲い、息切れと共に意識が遠のく。そしてまた、あの不快な音が鼓膜を襲う。

 

 

「うっ…ッ!」

 

 

パオラは力の入らない体を辛うじて起こし、彼女の安否を再度確認する。

そこには変わらず穏やかな表情で眠る姿があった。

 

 

「よか…たぁ……」

 

 

覚醒している時間が減ってきた。

恐らく体力の低下による衰弱死が近いのだろう。

 

それでも尚、執拗な攻撃に車の傷は増えていく。

でも彼女達には聞こえていないのかもしれない、反応が緩慢に、薄くなってきた。

 

 

 

ププーーーッ!!

 

 

 

とクラクションが鳴り、運転手が跳ね上がる!

 

盛大に頭を天井に打ち付け、虚ろな目で騒ぎだした!

 

 

 

「ね!寝てませーん!!BOONE!BOOOOONE!!ダンテせん…試験官、私は寝てなどいませーんッ!!ニガーッ!」

 

 

 

トチ狂ってしまったのだろうか、少女はいきなりアクセルを踏み込むと、緩慢だった動きも何のその、普段以上の機敏な動きを見せて目的地へと爆走し始める。

 

 

「うわあぁぁぁあああ!!道を空けてーッ!遅れちゃう、配達物が遅れちゃうーッ!」

 

 

意識はハッキリしており、狂ったわけではない。

死に掛けたことで、過去の記憶が走馬灯のように蘇り、頭を強く打ち付けた衝撃でその記憶が定着してしまったらしい。……やっぱり狂っているのだろうか?

 

バンバンとばす車は、ガッタンガッタン跳ねながら、前から現れては後ろに消えていく車をスレスレで避けつつ、更に速度を上げていく!

 

運転手の顔が笑い始めた、新たな記憶がインストールされたのだろう。

 

 

「あぶない!ねえ、あぶないよー!止まりなさい!きゃいッ!」

「BOONE!お客さんすみませんねー、観光客が道のド真ん中をのんびり走ってるもんだからー!」

「エレナミアさん…前の車は、スポーツカーの…走り屋さんじゃないですか…?」

 

 

パオラの指摘通り、前の車はスポーツカーP400、公道の為最高速度には程遠いが、スピードも相当上げている様子だ。

 

 

「走り屋ぁ?まさかー!女をナンパするためにフラフラ走ってるってー!」

「エレナ…スピードが……220キロ超えて……ます」

 

 

クラーラの指摘通り、メーターは本来のメーター限界である180キロを遥かに超え、取り付けられたスピードメーターには220キロの表示がされている。

運転手もそのメーターをチラッ見やり、現在の速度を確認した。そして何を思ったのか、まだ加速する。

 

 

「これじゃあ、葬儀場に着くのが来週になっちゃうよー!」

「着いてくれれば…それで、いいですからぁッ!」

「パオラ…死ぬときは…一緒だよ」

「クラーラ!諦めちゃ…だめ…!」

 

 

偶然の暴走だったが、あの不快な爪の音はおろか、髪の毛を引っ張られるような感覚も残っていない。

どうやら術者本体も、この速度の中で集中し続けることは出来なかったようだ。

 

 

「BOOOOOOONE!もうすぐ着きますからー!安心してー」

「ホントに…!もう少しですね…」

「気付いたらスポーツカーがいない…」

 

 

いつの間にか市街地を抜けたようだが、爆走を続ける車の外は…あまり見ない方が良いかもしれない。

障害物を避ける為に、ハンドルを一瞬傾けるだけで、車はグンッ!と進行方向を変えて、その度に車内は「アブナーイ!」の合唱。

 

 

そんな暴走車も目的地への距離を逆算しているのか、ちょっとずつ速度を落としていく。

その辺りは彼女のどこの記憶を切り取っても同じ事のようだ。

 

 

「まだ、視界はモヤモヤする?」

「いる。ふっ飛ばしてる間もずっと、縫い付けられたみたいにくっついてたから」

 

 

しかし、いくらカースタントアクションでも、255キロの車の側面にはしがみつかない。

黒髪の少女は落ちないだけで、逆にダメージを受けてしまい、目を回している。

 

速度の逆算は小さな誤差はあったものの、このままいけば止まることは可能。

 

 

このままいけば……

 

 

 

「――ッ!エレナッ!前に人がッ!」

「BOONE!?わっわっ!曲がってー!」

 

 

正面には高身長で綿のような質感の光沢のある白色(セレナイト)の髪をした女性が仁王立ちで立ち塞がっていて、エレナミアがそれに気付かないはずがない。

今そこに立った。突然目の前に躍り出てきたのだ。

 

 

「あー、忙しい。こんな事してる場合じゃないんだけど」

 

 

そう呟いた女性は、エメラルドの瞳を気怠そうに細め、料理人のような服装のスカートから飛び出した蹄のような形の両足で地面を踏み締めた。そして、ハンドルを切って避けようとした車の目の前まで、姿が消えるほどの速度で瞬時に迫り――

 

 

 

「ヴィオラ様のお世話に戻らないと」

 

 

 

パシュ――ッ!

 

 

――車の上側を紙切れの様に、()()()()()

 

 

 

キィィイイイイーー!!ガスッ!

 

 

 

車は道路傍の木にぶつかって停車した。

間一髪、全員が反射的に屈んだことで、被害は車と通信機器のみだったが、下手をすれば誰かの首が車の屋根と共に、断たれていたかもしれない。

 

ドアは開かないが、屋根が無くなった。

そこから2人の少女が顔を出す。

 

追撃に備えてすぐさま脱出を試み、ヒルダをキャリアーに載せて目的地までのあと少しの距離を運ぼうと考えたようだ。

ところが運転手はギリギリまで避けようと操作を続け、直撃では無いものの強い衝撃を受けて卒倒していた。動ける者と動けない者が2人ずつ、逃亡は絶望的である。

 

その上、さっきの蹴りだけで力を使い果たす訳でも無し、白髪の女性は降りてきた少女たちを道端の石ころ程も興味のない目で、冷たく見下ろしている。

ただ、ヒルダを見るその目だけは、彼女をターゲットとして捉え、じっと観察していた。

 

 

「スカッタ、いつまで目を回しているの。早くその吸血鬼を捕まえて帰りたいのだけど」

「――っ!」

 

 

少女たちは気付いた、彼女達の目的がこの綺麗な少女であり、正体が吸血鬼であることを。

そしてここは、自分たちが足を踏み入れていい領域では無かったことを。

 

 

「気持ち悪い…。ねえ、酔ったんだけど…。フラフラする…」

「ッ!?」

 

 

動きの無かったスカッタと呼ばれた黒髪の少女も、自身を縫い付けた術を解いて、車の影から姿を現した。

目を開かず、ずっとニコニコ顔の人形のような容姿で、身長は厚底の下駄を履いてなお、100cmに届くかどうか。

 

これで敵も2人。

 

ヒルダを車に寄りかからせて車を守るように陣取るが、相手がどちらか1人だとしても赤子の手を捻る様にやられてしまう事は明白だ。

追い詰められて成す術がない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

ところが事態は急変する。

 

 

「……スカッタ、こっちは任せていい?()()()はワタシの担当」

「いいよ、アリエタ。ねえ、任せてよ。勝手にしたら?」

 

 

白髪の女性は空を見上げ、それを睨んだ。自分と戦う事が出来る敵であると認識している。

黒い蝙蝠型の雷雲が気流にのって、6人の頭上でピタリと止まった。その様子は獲物に狙いを定め、襲い掛かるその前触れ。

 

 

「おかしな形の…雲?」

 

 

直後――!

 

 

「避けなさい!」

 

 

雷雲からは稲妻ではなく、電柱ほどの太さで大質量の()()()が黒髪の人形の頭上目掛けて、恐ろしい初速で投下される。

 

 

 

ズゥォオォオオオオオ―――

 

 

ドズァァアアアアーーッ!

 

 

 

黒髪の人形がひっくり返りながらも、すんでの所で回避したのを見るや否や、銀杭は落下の衝撃で先端から霧散していく。

銀の霧は濃密で、光の乱反射が方向を狂わせ、霧に触れた部分から体温を奪い、そして――

 

 

「あはっ!ヒルダ、迎えに来たわよ?あなたのだぁ~い好きなお土産も、持ってきてあげたの」

 

 

霧の中で嗤う悪魔は空を指差して、眠る従妹にそう話し掛けた。

 

雷雲が明滅する。

あの内側では一体何が起こっているのか。

 

分かることはあの雷が、ヒルダに向けられたお土産という事だけ。

 

 

「――銀の霧。これはあの雷雲まで繋がってるの。冷やされた銀の電気伝導率はとーっても高いのよ?溜め込まれたあの力は…あらまぁ、さて、どこに行くのでしょう?」

「――ッ!スカッタッ、撤退よ!消し炭にされるわ!すぐに紫電の方も目を覚ますッ!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

2体の人形は即座に姿を消し去った。

 

それを見送った悪魔は準備が整ったのか自身の身体を徐々に黒い霧に変えていく。

その笑みは、貼り付けた物だと一目で分かった。

 

 

「逃げたければお逃げなさい。操り人形に用は無いわよ?」

 

 

バチッ!……バチバチッ!

 

 

上空で放電が始まっている。

地上には小さな音だけが聞こえるが、あの雲の中は地獄のような景色だろう。

 

 

「あはははッ!……今はとぉーーっても気分が()()の、全部串刺しにしてあげる」

 

 

 

ドォォォオオオーーン――――!

 

 

真っ赤な花火が遠くの空を飾り、屋上の作戦終了を伝えてくる。

それを見て何かを思い出した悪魔の顔はより一層、苛立ちによって歪んでいく。

 

 

「全力で戦いたかったわ……トオヤマクロ。あなたなら()()()()くらい簡単に斃せてしまうのでしょうね……」

 

 

目の前すら見えない銀の霧の中で、彼女の声だけがどこからともなく聞こえてくる。

恐怖に怯える人間は、立ち上がる事すら出来なくなった。

 

しかし、その霧が突如としてカーテンを開けるように退けられて、ぼやけた悪魔の姿が窺える。

 

 

「そんなに怯えないで?あなた達は無関係者だもの。傷付けたら彼女とのルールを破ってしまうわ。特等席を用意してあげるから、こちらへいらっしゃい」

「……」

「……」

 

 

去っていく悪魔の背を目で追った後、2人は顔を見合わせて互いの正気を確かめ合い、現在取るべき行動を把握する。

生殺与奪を握られた彼女達は、従うしかない。だが、助かるのが彼女達だけでは足りないのだ。

 

 

「すみません、その…」

「…?どうしたの、別に死にたいのなら無理についてこなくてもいいのよ?自殺者はカウントされないでしょうし」

 

 

パオラが話しかけたその返事だけで、彼女が人間と同じ思考の持ち主ではない事は理解できただろう。会話中に彼女は振り返りもしなかった。

だから判断力のあるクラーラは即座に切り返し、話の続きへと移行させていく。こうした冷静な判断が出来るのは、悪魔の姿が良く見えなかった事が逆に幸運だったと言える。

 

 

「いいえ、違います。避難に時間が欲しいのです。無関係者を傷付けないというルールなら、車内の仲間も一緒に避難させます」

「…あらまぁ、そういう事ね。あの人間は生きていたから助けたいのかしら?」

 

 

コクリと頷き、クラーラが開くようになった運転席のドアを開けて、エレナミアを引っ張り出す。

幸運なことに大きな外傷は負っていない。

 

ホッと一息吐いて、ヒルダの隣に並べて寝かせた。

 

 

「ありがとうございます、大切な友人なんです。それと…この方も一緒に避難させてもらいます。任務であるのを除いても、人を見殺しには出来ないですから」

 

 

パオラが示したのは悪魔の従妹である吸血鬼のヒルダだ。

しかし、その心配はない。ヒルダは"紫電の魔女"と呼ばれる電撃を司る魔女。雷が彼女を傷付けることはない。

 

その意味不明な発言にトロヤはイライラを募らせたのだが、知らないのだから仕方がない。

だが悪魔は彼女が知らないことを知らない。故に次のような発言につながった。

 

 

「からかっているの?お前達も串刺しにしてしまおうかしら。もうゲームは終わっている頃…クロが勝利を手にしている所だもの」

 

 

悪魔の雰囲気は小さな怒気を漂わせ、周囲の人間の()()()()()()()()

少女たちの額には、紋章が刻まれ始める。その形は両眼の無い悪魔と燃える鉄串――生前埋葬(ベリアリナライブ)だ。

 

銀の霧によってすっかり体温を奪われた2人は、徐々に徐々に意識を沈めていって…

 

 

「こっちに来てハズレ…もとい、正解だったナー」

 

 

遠方の木の上から、鼻にかかった子供の声が聞こえる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

不思議なことに、額の紋章が半分以上を描きかけた状態で動きを止めた。

考えられるのは、声の主が何かをしたか。

 

ヒルダと並んで車に寄りかかるその近くには、見慣れない雪見灯篭が2基、少女たちを護る様に聳え、温かな火がふわふわと霧の中で周囲を照らす。

 

 

「日本の化生ね。何のつもりかしら?」

「今夜はこちらの勝ちだナー」

 

 

経帷子(きょうかたびら)額烏帽子(ひたいのえぼし)という幽霊のような出で立ちのネコ耳少女は、サンタンジェロ城の上空を指差して言い放つ。空の歪みが消えて、雲だけが残ったその場所を。

緊張しているのは、ここで戦いになれば自分が勝てないと理解していて、大人しく引いてくれるかを相手の意図から図れないためだろう。

 

 

 

「言われなくても分かっているわ。わざわざそんな事を言う為に死にに来たの?」

「……まいったナー」

 

 

化生はしょうがないか、と言いたげな顔で少女たちの救出を諦める。

例え助けに霧の中へ入ったとしても、二度と外には出られない。そのことは重々承知しているから、下手に手を出すこともしない。

 

 

 

銀の双眸が雷雲を一瞥し、呪いを紡ぐ。

 

 

 

Argint(アージント) , Lumina care leagă(ルミナカレラガ) oamenii și diavolii(ワメニシディアボリ) . Lună(ルナ) , Lumina care leagă(ルミナカレラガ) oamenii și întunericul(ワメニシイントゥネリクー) . Tunet(チュネット) , Lumina care leagă(ルミナカレラガ) oamenii și Dumnezeu(ワメニシドゥネゼウ) . Vă rugăm să strălucească(ヴァルガンサストラルチャスカ) . Sunt doar un conducător(サントドゥアルンコンドゥカトー) . Esti Lumina(エスティルミナ) care doar Construiți un a leaga(カレドゥアルコンストゥルイーチウナラガ).」

 

 

 

雷雲の明滅は激しさを増し、人の目にはその速度が速すぎて雲が蛍光灯の様に光っているとしか判別できないだろう。

 

 

「"焼滅"が地上を飲み込む炎の嵐なら。"閃滅"は空から地上へ降り注ぐ雷の雨。祈りなさい、せめてその体の一片でも残るように、ね?」

 

 

紋章の束縛を逃れ雷雲を仰ぐ人間は、この未知の災害を、永遠に忘れることは出来ない。

記憶することも、目視することも出来ないのだから。

 

 

 

 

 

光が、熱が、稲妻が――

 

 

 

銀の粒子から銀の粒子へ――

 

 

 

幾十、幾百、幾千の閃光が――

 

 

 

彼女の思い通りの軌跡を辿って――

 

 

 

降り注ぐ――――ッ!

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴ………ゴァァアアアーーーーッ!

 

 

 

 

 「『閃滅』――」

 

 

 

 

ズダダダダダダダダダダダッ!!

 

 

 

 

 

編隊飛行をしている4機の戦闘機全てから同時に一斉掃射をされたかのような光景。

閃光は木も車も灯篭も、全ての物質をズタズタに焼き貫いて、地面に突き刺さる。

 

 

この中で生き残ることが出来る生物など存在しない。

 

 

閃光の雨が止み、雷がガラス状の地面にゆっくりと沈み終わった後、黒い霧が人の形をとる。

その視線は目の前に立つ自身の従妹と、車の残骸に寄り掛かる少女、それを包み護る様に抱き着いた2人の少女を見つめ、閉じられた。

 

 

――その光景を見て、悪魔は小さく笑った。

 

 

 

Buna seara(こんばんは)、ヒルダ。もう日が沈んでいい時間よ?お寝坊さん」

Buna seara(こんばんは)、お姉様。あまりにも良い天気だから、つい、ウトウトしてしまったのよ」

 

 

紅寶玉色(ピジョンブラッド)の瞳を開いた吸血鬼の姿は、姉と呼んだ存在と同等の…この世のものではない、悪魔の姿。

完全な闇の中で青白い稲妻をその身に纏い、この絶対領域…夜の世界を支配するのに相応しい、統べる者の覇気を漲らせる。

 

 

さすがですわ(フィー・アドラツィ)!お姉様は。その力さえあれば、私達は神の領域へと至る」

「あらまぁ、元気そうで良かったけれど、私達だけでは足りないの。あなたも思い知ったでしょう?」

「分かっているわ。あんな人形如きに不覚を取ったのは侮りと…」

「私の()()と、あなたの…宿()()を従える存在が必要なの。――世界を統一するのよ、神の名のもとに。革命はその為に引き起こされる!」

 

 

 

金髪の髪を風に揺らしながら、2体の悪魔は未来を語る。

 

霧は晴れて、暗い道の先がどこまでも遠くを見渡せるようだ。

 

 

 

「お姉様は見付けたのかしら?」

「ふふっ、いつまでも甘えていてはダメよ?」

 

 

その言葉の直後、ヒルダの目が気絶した3人の少女がいる場所を睨み付け、それをトロヤが手で制す。

そこにコソっと現れたのは珍しいキジ三毛の日本猫で、バレたんじゃ意味無いかとばかりに一言。

 

 

「感謝するナー」

「その子たちに伝えておきなさい、"二度目は無い"と」

 

 

日本猫は「にゃー」と一鳴きすると、念話か何かで誰かと連絡を取り始めた。

大きな傷を負った者はいない。問題は次に目覚めたときに、現実を受け止めることが出来るかどうか、それだけだ。

 

 

 

「ヒルダ、私はまた、しばらく姿を見せないわ。超能力者であるあなたを同志に迎えることは出来ないけれど、いつかその宿金を使いこなして見せるのよ?」

「もちろんよ、約束ですもの。世界は夜を中心に回る。闇を冒涜し、魔を厭う人間など、全て私の前に跪くのよ!ほほほっ!」

 

 

一陣の黒い風が髪を暴れさせ、青白い光が霧散し、銀の双眸は満月の色を取り戻す。

光が消え、露わになるヒルダの身体には、傷の1つも残っていない。

 

 

「……私も思い知らされたわ。この力に驕っていたのかもしれないわね」

「――ッ!……トオヤマ…クロ」

 

 

トロヤが笑いながら涙を流し、悔しさが混ざった幸せそうな声色で呟くと、ヒルダは驚き、その名を呼ぶことで戦いの結末を記憶した。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

数十分後、要請を受けた兎狗狸と槌野子の指示で、一台の車が到着する。

裁断され、穴だらけになった車と通信機、その車にもたれかかる3名の武偵が発見されて、すぐ近くの葬儀場に運ばれた。

 

 

 

 

吸血鬼は行方不明。

 

襲撃者の正体も目的も不明。

 

 

 

 

任務は失敗したのだ。

 

情報も何も手に入れられず。

 

それでも、最悪の失敗じゃない。

 

生きているなら、きっと二度目は来るのだ。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


Q:また、新キャラですか?
A:はい、そうです。2人です。

もはや、オリジナル設定が増えすぎて、クロスオーバーみたいになってきてますが、原作キャラは誰が化けるか分からないので、ポンポン使えないですね。あーこわい。

そういえば、ヒルダを登場させるにあたって、妖刕の話していた"瑠姫ハニーリズ"を知りたくて、アリスベルの2巻だけ読んでみたんですが……時期的に出せないやんけ、とwikiを読んで気付きました。最初から読んどけば良かったなぁ。


本編の内容に移ります。

ヒルダの逃走、その手引きは雷雲をお土産に持ってきたトロヤでした。
クロは直感的に半分以下と評していましたが、あの場で戦っていたトロヤの一部は「トロヤの半分」と「半分にも満たない銀」で出来ています。

新キャラのアリエタは、発言通りヴィオラのお世話係です。
執拗にヒルダを狙っているのは何故なのか、それはヴィオラがクロに話した目的を達成させるために必要だからでしょう。

さて、パオラとクラーラ、前回登場しなかったエレナミアは立ち直ることが出来たのか?
そんなところも気にしてあげてください!

次回は、また日常編、もしくはおまけになります。
クロや一菜がどんな反応を示すのか、ぐずらもずら書いてますが、待って頂ければウイウイ頑張ります!




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不可視3発目 蕾刧の傷跡(ライトニング・スカー)




どうも!

仮眠からの過眠で、なかなか執筆していなかったナマケモノのかかぽまめです。
クワガタが家の前に歩いてたので、林に返しに行ったら2箇所刺されました。


遅くなりすぎまして、ほんとうに申し訳ありませんでした!
書き慣れないキャラの言動はなかなか悩ましいものがありますね。

今回も不可視という事で、1発撃ち込みます。


では、始まります!






 

 

 

「おはよー」

「あ、おはよー。見た見た?あたしのアップした写真」

「見たよー。直後に同じ写真も上がったけど、アングルでは勝ってた!」

「ありがとー。いやー、朝から良いもん撮れちゃったよ」

 

 

教室の入り口で2名の女子生徒が話をしている。

片方は水兵さんの服装にオシャレな赤いスカーフタイを付け、もう片方はシルエットにこだわらない緩めのスーツの内側にブラウスを着込んでおり、その共通点は上着が真っ白であるという点だけ。

 

クラスを見渡せば分かるが、ローマ武偵中は流行に合わせたデザインが、毎年制服に複数採用され、生徒はその中から好きに選ぶことが出来る。

その為学校の中でも、デザイン性に富んだ物を選ぶ生徒、機能美を重視する生徒、伝統を重んじる生徒、紛れ込んで好き放題に改造する生徒と様々入り乱れ、自らの個性を発揮しているようだ。

 

この学校に来てすっかり癖になってしまった『服装分析』で周囲を確認する。

同年代のクラスメイト達がどんな服装で生活をしているのかを知る為であり、絵日記に起こせる位、出来るだけ細かく情報を得る。

 

(……スカーフタイ…約0,90,100,0。次の人、ネクタイ…約90,70,20,10、髪の色…約30,100,100,0――)

 

こうして色合いの情報(C.M.Y.K.)をメモしておくと、後々、絵手紙を送る際に困らずに済む。

あの人の髪は今日も鮮やかだな、とか一口メモを残しておくと尚良しだ。

 

 

「おいおい、入り口を開けてくれよ」

 

 

はっ!となって声の方向に振り返るが、私ではなく先程の2名に向けられたものであった。

 

声の主である、今登校して来たらしい…そのー……少しだけ太めの男子生徒は、特注品になりそうな白いスーツのボタンを全て外している。お洒落なのだろうか?

試しに、一目見た観測結果から正常な着こなしをシミュレートしてみると、第二ボタンが私に襲い掛かるシーンが再生され、あのスーツは武装なのだろうという結果に落ち着く。そういうモノなのだ。きっと。

 

 

――メモメモ…。

 

 

「ごめんごめん、そうだあたしの写真見たー?」

「もちろん!キミは本当にいいアングルで撮るな!」

「んでんで?どうすんのー?」

チェルト(当然)!」

「ベネ!お得意割と友割しとくよ」

「ベッラ!今日、ランチを奢るよ!」

「それって私もいいの?」

「2人一緒かい?うーん…じゃあ、オネストも呼ぼうか」

「やったねー!」

 

 

話しの大半は省略されていたけれど、普段の会話と聞き取れた単語から例の掲示板の話だと推測できる。

彼女達はクラスメイトであり敵ではないので、輪に入って話をするべきだろう。

 

でも、今日はそんな気分になれなかった。

双子の姉の体調が悪く、今日も寝たきりだという報告を受けていたのだから、授業にだって集中出来ないと思う。

 

(――もう、1週間も経つんですね……)

 

とりあえず一命は取り留めたが、元から体に異状はない。

主治医が診ているのは脳の異常で、意識が正常に戻るか、記憶の混濁は無いか、特定の話題においてどれくらいの頻度で嘘を吐くかを確認しなくてはならないのだ。

 

私も心配で、何度か会わせてもらおうと施設を訪れたものの、返ってくるのは「会えない」、その言葉だけ。

別に検査の為に面会謝絶、って訳ではない。元々彼女と私は声を交わす事さえ許されていないから、逆にこのタイミングでなら会えるんじゃないかと思っての行動だった。

 

(前に会ったのは2年前、か……)

 

会ったと言っても見掛けただけに過ぎないし、たぶん彼女は私に気付きもしなかった。

それ以前に、7才の頃の記憶を頼りに、周囲の成長を参考資料として今の姉の姿を想像しただけなので、人違いでもおかしくない。直感で判るほど双子の絆は深くない、その程度の関係性。

 

どんな髪形で、どんな表情をして、どこまで身長が伸びて、痩せてるのか太ってるのか、それすらも知ることは出来ず、鏡を見ても膨らむのは想像ばかりで、確かな根拠が手元にない。

 

今はただ――

 

 

「だいじょ…ぶ?」

「えっ?」

 

 

声が近かった。今度こそ、私に誰かが話し掛けて来たらしい。

急に来たように感じたが、相手は少し前まで服装分析していたアマリリスのような紅い髪色の少女であり、距離は離れていたのだから接近に気付くべきだった。

考え込み過ぎてそれすらも怠っていた事に気が付く。

 

姉の心配をしていた私の表情は、余程深刻なものだったのだろう、目の前の彼女もまた、心配そうにこちらの顔色を確認している。

この人は世話焼きだった記憶があり、下手に気丈に振る舞えば余計に気遣う事も承知しているので、代わりの悩みを相談してお茶を濁そうとした。

 

 

「最近、体調が上手く整えられなくて。この前も潜入任務の演習中にフラ付いちゃってて…」

 

 

この話は作り話でも嘘でもない。

実際に演習中に体調を……精神を乱していた。今の悩みと同じ一件で。

 

内容は簡単なもので助かったが、しばらくの間、任務に当たるのは避けた方が良いかもしれない。

 

 

「えと、その…探偵、科、だった…よね」

「そうです、良く分かりましたね。といっても、しがないEランクですが」

 

 

プツプツと途切れて自信がなさそうな問い掛けに対し、苦笑いを含めながら返答する。

クラスの人数は全員で10名前後であるのに、分からなくなることはまずない。

 

つまり彼女は他クラスから用事で来ているだけの他人であり、私も有名人だからマークしていただけで、互いにプライベートも任務の様子も知らないのだ。

 

 

「…ランク分け、は、大体、当て、に…ならない。中学の、内は、特に。仮の、ランク、だから」

「Eランクより下はないです」

「確かに、評価は、低く、見るべき。…でも、例外も、いる。最たる、例が――」

 

 

話の途中で結末が少し分かってしまった。

彼女と同じく超が付く程の(ネタ的な意味で)有名人でありながら、未だに転入時の評価Cランクから不動を貫いている、あの人だろう。

日本の武偵中ではBランクだったらしいが、編入試験で1つ落としている。

編入してくる生徒のレベルは大体高い事が多く、ランクを落とす人間はまずいない。まして珍しい東洋人で性別問わず惹き付ける魅力もあって、注目度は異常に高い。

 

 

「――トオヤマさんですか。話したことはないですが、周りを囲む生徒が軒並み実力者なのが気になります」

「…!キミも、見る目が…ある」

「彼女自身の実力は私程度では推し量れませんが、普段校内ですれ違っても存在感がまるで透明な水の様に希薄です。パトリツィアさんは言うまでもなく、チームメンバーのフィオナさんも狙撃科のBランクですし、ミウラさんもランク以上の実力かと。そして戦妹のチュラさんには得体のしれない異常さを感じました。ひいては……っ!」

 

 

そこまで言ってから、はっ!となるが、いつの間にか報告口調で感じたことを全て話してしまっていた。

私を見つめる海底から空を見た様な色(ネイヴィー・ブルー)の瞳が驚きで見開かれていて、少なからず彼女の関心を引き寄せてしまった事を物語っている。

 

 

「キミ、の、ランクも…相応、じゃ、なさそう」

「そんな事…」

「パトリツィア、さん、も…同じ、事、言ってた、から。私達、以上の、チームに、成り、得る…って」

「!?」

 

 

(人喰花以上のチームに!?)

 

今度はこっちが驚かされた。逸らしていた視線が持ち上げられ、前髪を跳ね上げさせて彼女の目を見る。

そこに冗談や悪ふざけの意思は読み取れない。事実なのだ、この話は。

 

すっかり関心を引き寄せられてしまった。この情報は大きい。

会話の途中で多少怪しまれようと、聞くべき価値がある。

 

しかし、そんな話は普通に考えてあり得ない。

現在、件のチームは3名だけだが、残り2枠にフリーのBランクを迎え入れられたとしても実戦経験はおろか、実力だけで見ても双方の力量に差が開き過ぎているだろう。フリーのAランクだって2名しか残っていない上、片方は装備科の生徒だ。

 

人喰花は個々がAランクとタイマンを張れる強襲科が3名、そこに狙撃手と超能力者が加わるとなると、Sランクの武偵でも単身で相手取りたくはないだろう。

そんなスペックをどこから持ってくるつもりなのか。

 

 

「…さすがに冗談ですよね?だってカルミーネさんだけでもあの3名を…」

「…勝て、ない。これは、パトリツィア、さんと、同意見。私は、クロ、さん…彼女1人、と、渡り、合える、か…」

「――ッ!ありえないです!だってあなたの能力は…!」

 

 

立ち上がり掛けて踏み止まり教室内を確認するが、こちらに注意を向けたのは2名だけ。

自分の良く通らない声の小ささに救われた。

 

(危ない。また夢中になってました)

 

あまり大事にならずに済みそうだったので顔を下に向けて冷や汗を拭う。

だが、用心すべきは第三者だけではなかった。

 

 

――そう、アマリリスの少女の反応にも気を回すべきだったのだ。

 

 

「ごめんなさい、会話に夢中になると、つい――」

「……キミ、私の事、どこまで…知ってるのかな?」

 

 

唐突にゾクッと来る妖美な声が耳に響き、頭が上げられなくなる。話し方が多少流暢になっているのは聞き間違いではないだろう。

別に、力によって押さえつけられている訳ではなく、ただ、何となく正面を見てはいけない気がした。

 

 

「教えてくれる?私、知りたいな、キミの名前」

「あの…」

「教えてくれるよね?キミの名前。私、知りたいの」

「……ポコーダ、です」

「うん、可愛い名前!ポコーダちゃん、今の私は正確にBランク。()()()()()()()()()この程度まで上げられるけど……ポコーダちゃんに説明は要らない?この能力のこと」

 

 

明らかに話し方が変わったし、声質が変声とはまた違う自然な感じで、ちょっとだけ高音で誘うような、女性的な魅力が増している。

心なしか、私の目の前に置かれた両手も、思わず見入ってしまうような透明感が…

 

 

脳裏に浮かぶのは1つの単語。

魔術的な超能力者の多いヨーロッパ人は、戦い慣れない乗能力者を危険視しろ、という話とともに教わった――

 

 

――トリガータイプ。

 

 

これが、そうなんだ。

彼女がそうだと聞いてはいたが、実際に目にすると…ほんとに別人みたいになるものなのだと思う。

 

指標として、仮に付けられたBランクではなく"正確にBランク"だと言った。

脅しのつもりかもしれないけれど、こちらにはこれ以上の情報はない。その条件も、能力の上昇限界も、継続時間も。

知らないことは話せないのだから、素直に伝えるしかない。

 

 

「詳しくは…」

「そ。早とちりだったね」

「あっ…!」

 

 

引かれた手を目で追ってしまい、そのまま彼女の顔まで誘導される。

左手人差し指がその端正な顔、にっこり微笑んだ小さく可愛らしいベビーピンクの唇に宛がわれた。

 

導かれるまま向かい合うと、親近感を感じる素朴さはすでに消え去り、艶やかな表情も相まって、これまで蕾だった少女が秘めていた花やかさを前面に出して咲き誇るように、アマリリスの髪も一層絢爛さを主張している。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「じゃあ、ポコーダちゃん?誰から聞いたのか、、、教えてくれる?」

「う…。分か…り――」

 

 

(言わされる…!頭が働かなくなってきて、朦朧と……?)

 

今更気付いてしまった。

 

普段の彼女の話し方――断片的な言葉のリズムは、間を置くことで独特な拍子を作り出し、聞く者の心をリラックスさせる効果を持っている。

そして緩やかな催眠に掛けられた対象は暗示のように、開花した彼女の…花のような美しさに魅せられていくのだ。

 

彼女が私の名前を繰り返し、見つめて来るだけで、弾避けにだってなっていいという気分にさせられる。

ただし、彼女自体の能力が上昇したような感覚は感じ取れない。

 

 

――報告に聞いていた能力と、全く違った。

 

 

「ねーねー何話してるのー?」

「カルミーとコディちゃんなんて、珍しい組み合わせだ!」

 

 

教室の入り口でたむろしていた2名の女子生徒が何の警戒もなく近付いてくる。

私はどんな顔をして、正面の紅い花を見つめているのだろう。

きっと異様な状態なハズで、よくも平然と話し掛けられるものだ。

 

だが、これは感謝しなければならない。

あと一歩で洗いざらい話してしまう所だったから。

 

 

「えと、ちょっと、だけ…楽しい、お話し、だよ」

 

 

(楽しい、とは。随分と認識に差異があるようです)

 

緊張から解放され、催眠術も解けたのだろう。今は体も重くなく、自由に動かせるようになった。

冷や汗はべっとりと背中を濡らしているが、それよりもどう思われているかの方が問題だ。

 

 

おそる…おそる…反応を窺う。

 

 

「やっぱりー!2人ともすっごい笑顔だったから」

「ちょっとだけ楽しいお話なら、ちょっとだけ教えてよ!」

 

 

(…えが…お……?)

 

そんな訳がないと自身の顔に触れてみるが…

 

(私……ずっと、笑ってたの?)

 

表情が豊かではないのは自覚している。

だから今回も半々で怪しまれてないと考えていたのに、その変化の乏しい顔にそぐわない、彼女と同じにっこりとした微笑み。

 

両頬が上がっていた。

緊張していたのに、つられて笑っていた。

 

そして2名の反応が訝しんでいないと判断した途端、なんだか楽しくなってきた。気分の高揚が心を軽くし、ワクワクが心を前向きに動かしてくれる。

 

 

「2人、とも、その…ごめん、ね?秘密、の、お話し、だから」

「えー、いいじゃーん!」

「気になる!秘密は体に良くないぞ、カルミー!」

「じゃあ、お昼…私、も、ご一緒、しよう、かな?」

「えっ!ホント!」

「ベネ!コディちゃんも一緒にどう」

「わ、私は……。……っ!私もいい、かな?」

「もっちろーん!」

「秘密のお話、邪魔してごめんねー!」

 

 

2名は手を振って教室の前の方に歩いて行った。

私はその間もずっと笑顔だった。

 

だって気持ちが盛り上がっているから。

朝の気分だったら、あのお誘いは受けなかっただろう。この短時間で、なぜこんなにも心が上向きに……?

 

 

これって――

 

 

 

「あ、その、えとえと…ごめん、ね。脅す、つもりで、()()()、訳じゃ…なく、て……」

「……」

 

 

声が徐々に尻すぼみになっていき、最後の方はほとんど聞き取れる声量ではなかった。

でも、なんとなく、彼女の…カルミーネさんの伝えたいことは、理解できる。

 

 

「で、だから…元気が、無くて、心配、に、なって――」

「カルミーネさん」

「っ!」

 

 

怒られるとでも思ったのだろうか、ビクッとして下を向いてしまった。

しかも、両手は脚の付け根に添えられていて、防御態勢を取る気は無く、はたこうと思えば簡単に遂行できそうな無防備さ。

まるで、いや言葉通り別人なのだろう、トリガーの前後では。

 

確かに彼女の変化には驚かされたが、何をされたわけでもない。

それどころか、この心情の変化は彼女の変化によってもたらされた可能性がある。

 

俯く彼女を起き上がらせ、今度は私が、出来る限りの笑顔を彼女に見せ付ける。

 

 

「この気分は、あなたの能力ですか?」

「…そう、だよ。すごく…恥ずか、しい…けど、相手、を……こ、興奮、状態、に、させる。でも、ただの、副産、物…で、誰に、でも、有効、じゃ、ない」

 

 

…らしい。

 

折角笑顔を用意したというのに、またしても言葉の途中から顔を伏せ始めたので、机から身を乗り出し、むしろ下からその顔を覗き込む。

 

 

「――ッ!ッ!――!」

 

 

 

予想外の所から私の顔が現れたからか、目が合った瞬間に「?」(キョトン)とし、次第に紅くなっていって、ダラダラと汗をかき始めたと思ったら、目を回してフラフラし出した。

 

(顔、上げればいいのに……)

 

様子を観察していると、小動物っぽくてカワイイ。

この少女が少し前まであんなに艶やかな表情をしていたのだ。

 

変身前後。このギャップは…かなりの破壊力。

私が男子だったらイチコロだろう。

 

このまま教室の装飾の一部になって貰っても困るので、姿勢を正し、聞こえてるんだか分からない相手にお礼をしておく。

起き上がってこないが、正面切ってお礼を言うのも恥ずかしいし、このままでいい。

 

 

「ありがとうございました。沈んでた心が幾分か楽になりました」

「……うん、私、も…うれ、しい。でも、ね…」

 

 

まだ何かあるのだろうか。

もしや誰から能力の事を聞いたのか、お礼に教えてとか言われる?

 

少し警戒を上げて次の言葉に備え、また変身されては敵わないので、どうせ逃げられはしないだろうが少し腰も浮かせておく。

 

一呼吸置いたアマリリスの少女は、私に言い聞かせるように目を合わせて強めの語気で言葉を紡ぐ。

 

 

「悩み、の、解決…それは、キミ、次第…。いつ、でも…相談、には、乗る…から」

「――っ!…はい!」

 

 

これが、あの人喰花の看板を独りで背負う人間か…

 

(正直、実力とかじゃなくて、人柄が不安です……)

 

カルメーラ、カルミーネ姉妹とパトリツィア。それはそれは強かったのだろう。

 

でも、それを追い越すと、そのチームの2名の人間が言っているのだ。

 

 

――トオヤマクロ。

 

 

プルミャの報告通り、黒思金を操って白思金と引き分けたという、ふざけた情報もあながち嘘ではないと、肝に命じておく必要がありそうだ。

 

 

(彼女達が箱庭でどうなるのか、見ものですね)

 

 

 

箱庭の宣戦(リトル・バンディーレ)』――

 

 

 

この()()は、箱庭の主によって開催される、五色の思金の性能試験と…奪い合いも兼ねた、国家間の代理戦争。

思金を保有する国は強制的に、他国の参加条件は一定の基準を満たした強者を有している事、それだけ。

その基準を満たさない参加者は主によってその場で始末される。彼女は強者を好み、その中から何かを探し出そうとしているという噂だ。

 

 

過去を紐解いていけば、この戦いは遠い島国で始まったものだという。

国を取り合っていた合戦の裏で、思金の奪い合いも行われていた。

 

それが徐々に大陸に伝来し、ヨーロッパを中心とした国々に広まったと思われる。

 

何故なら彼らは作ることが出来ても、使いこなすことが出来なかった。

かの国には『宇宙の脅威』が強く影響していたから、未熟な使い手は排除されたのだと考えられている。

 

 

そして、主がその力に目を付ける、それが『箱庭』の始まりだった。

 

 

思金を体内に含む人工超々能力者――思主のほとんどはこの戦いを()()()()()()

その理由は戦死、暗殺、寿命、故障と様々だが、結局は誰も彼らを助けようとしないのが原因だろう。力ある者は疎まれ、裏切られる。彼らは失意の元に、安寧も得ることなく、散るのだ。

 

だから思金を司る組織は複数人の実験体を用意し、その中から数人を選出して残りを保管する。

そこまでして、人類は宇宙人から身を守ろうとしている事に他ならない。

 

(お姉ちゃん…)

 

願わくば、誰も犠牲が出ない。

 

そんな奇跡を、願わずにはいられないのだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

昼休みの時間、学校の食堂で復帰祝いが行われている頃、同じく武偵学校の施設である救護科棟には、ここ一週間通い詰めであったダンテが今日も後輩の様子を知る為に訪れていた。

 

 

「失礼します」

「おー…」

 

 

入室許可の返事は気怠そうなやる気のないものであったが、これはいつもと変わらない。

病傷人を眠らせておく病室の隣で研究だの実験だのと、いつでも忙しそうな教師なのである。

 

こちらに顔を出すなんてことも稀なので、彼も気にせず部屋の奥、白いカーテンで区切られた一台のベットに向かった。

中にいるのは彼の教え子のような存在。

 

色恋沙汰に無頓着で男女間のマナーに疎い彼は、気遣うようなこともなく一気にカーテンを開く。

 

 

「エレナー、調子はどう…ぐぶっ!」

「おい、非常識人。カーテン開けるなら声掛けろ」

 

 

中に踏み出した足は足踏みどころか、腹部に投げつけられた警棒型の武器によって後ろに押し戻される。

ロジロジの彼は体格こそ貧弱ではないが、武術の心得は自衛程度の最低限のものしか持ち合わせていない。

 

 

「いっつつ…。何すんだ、ガイア!」

「お前が何してんだよ。ダンテの(あん)ちゃんよー」

 

 

ベットの近くにはエレナミアのクラスメイトであり、彼女やダンテと同じロジロジに在籍するガイアと、先の事件でも司令塔の役割を果たしていた通信科のクラーラ、そのクラーラの戦妹でエレナミアと仲の良い1年生の女子が、ジト目でダンテを凝視する。

その威力は警棒よりも高く、彼は早くも大人しくなった。

 

 

「…悪かった。リテラシーに欠けてた」

「デリカシーです。ダンテさん」

「デリカシーがないないですね、ダンテ先輩」

「どっちもねーだろ」

「お前らなぁ…」

 

 

小さいジャブも、3方向から連発されれば十分なリンチだ。

この3人との対話は無意味だと匙を投げ、目的の少女に目を向けると、彼女は上着を脱いで上体を起こし、静かに教本を読んでいる。運転の基本、本当に初歩的な事が書かれた本を。

 

新たな来訪者にも興味を示さず、無心に読み続ける姿は、入学当初の彼女を思い起こさせ、不安と懐かしさを感じさせるものだった。

 

 

「エレナ。程々にして、休まないか?」

「……」

 

 

呼びかけに対しても反応は無く、本に囚われたように俯き続けている。

 

ダンテはエレナミアのベット脇に腰掛け、彼女の頭を撫でながらもう一度。

 

 

「エレナ、休憩時間だ。お菓子もあるぞ」

(あん)ちゃん…?」

「休むときは休め。いいか、日常のリズムは絶対に崩すなよ?」

「…うん……」

 

 

いまいち反応は優れないものの、指示通りに教本のページを閉じて……でも、やっぱり申し訳なさそうに顔を隠そうとする。

 

 

「人を轢いてしまいました」――

 

 

その電話が彼女から掛かってきた時、彼は動揺で言葉を失い、すぐに取るべきフォローを怠った。

どれだけ長い間、彼女は返事を待っていてくれたのか、それすらも頭に残っていない。

 

結局、彼女は「こんな話をしてすみませんでした。ごめんなさい…」と言って、電話を切った。

心の傷は、ここまで深かったのだ。そして塞がないままに固まってしまった。

 

 

「あたしたちにもくれよー」

「ったく…。数ならあるから、勝手にとってけ!」

 

 

一見空気の読めない発言に思えるが、彼女なりのダンテに対するフォローだ。

エレナミアに抱いている罪悪感から、距離を縮められない彼に代わって、率先してお菓子を奪い、全員に配っていく。

 

 

「おいしいですね、このお菓子」

「ホロホロです、アマアマです。ウマウマですね、クラーラ先輩!」

「エレナミアはザクザクしたクッキーの方が好きじゃなかったか?」

「えっ……ううん、柔らかいもの、好きだよ」

「あれ?そうだったか。悪い、間違って覚えてた。食ってみろよ、うまいぞ」

 

 

お菓子作り+プレゼント好きなガイアが親しい人間の好みを覚えていない事はなく、単に手が進まない彼女に促したまで。

そうしてやっと、口に運ぶ。

 

 

「エレナちゃん!ウマウマですね」

「……うん、おいしいね」

「そ、そうか」

 

 

なんとなく誘導された感は否めない微妙な感想を持った彼に、黒い瞳が片目を瞑ってウィンクする。

菓子選びの成功を称えているようで、同時に「さあ行け!」とでも言いたげだ。

 

 

 

武偵として活動する以上、『人を殺してはならない』。

 

それは何も銃に限ったことではない。

刀剣や打撃、薬物や心理攻撃だって殺人罪に問われる。

 

そして不慮の事故も当然そこに含まれて然るべきもの。

交戦中の相手が足を滑らせて転落したり、落下物が誰かに被害を与え死に至ったとしても殺人は成り立つ。

 

 

だから、人を轢いたという事実は、武偵が今後活動するにあたって大きな障害として、最期まで付きまとう事になるのだ。

 

 

ダンテはガイア経由で、エレナミアは攻撃を受けただけで、相手が車の天井を蹴り飛ばしたと聞いていたものの、さすがに信じていない。

速度は60キロを切っていたと言っても、走行中の車の目の前に立ちはだかって、さらに蹴りを入れるような人間がいるとは思えないのだ。

 

彼女の発言は、診察したゾーイ先生の判断により、事故のショックによる精神異常が原因で記憶の齟齬が生じているとして、未だ伏せられている。

現場には彼女達以外に被害者が誰もいなかった為、居合わせた2人の証言も含め、疾患による幻覚や強迫観念の可能性が高いとの結論が出される予定だ。

 

 

エレナミアも事件の全容については聞いていて、一応納得はしたらしい。

やったかやられたかは別として、相手に被害を与えてはいない、誰も死んではいないと。

 

彼女はロジロジから転科させられるだろう。単独とはいえ同乗者もいたのだから処分は避けられない。

しかし、経歴には反映されないし、罪に問われることもなく、高校まで進めば、また車輛科に入り直せるだろう。

 

 

 

問題は――

 

 

 

「エレナ、昨日はちゃんと、夕飯を食べたか?」

「……ぅ、うん」

「嘘は良くないぞ。…目の下にクマも出来てるしな」

「えっ!朝確認したのに――ッ!」

 

 

鏡を覗いて確認しようと慌てて身を起こす少女をガイアが止める。

 

 

「慣れない化粧で誤魔化せるわけないだろ?」

「うっ…」

「エレナさん、私達が来た時にはもう剥がれてましたよ」

「エレナちゃんヘタヘタです!」

「あうぅ……」

 

 

彼女の眼の下には、溜め込んだ涙が零れ落ちた一筋のラインが、化粧を押し流して綺麗に形を残していった。

悲しさと悔しさ、後悔の気持ちが幾度も幾度も溢れ出して、下手くそなウソは容易に消えて。

だけど、それが彼女らしい所だ。

 

 

「ずっと一直線に、ひたむきに頑張ってきたお前が、そう簡単に嘘を吐けるようになるわけないだろ?」

「…だって……」

 

 

 

「だって!兄ちゃんが!ずぅっと辛そうな顔をするんだもん!私のせいでッ!兄ちゃんが悲しい思いをするならぁ…ッ!もう会いだぐないッ!」

 

 

 

「エレナ…」

 

エレナミアの感情が――目を覚ましてからこの日まで溜め込み続けた、本当の気持ちが放たれる。

 

 

 

「どうせ、わだじは……もう…………ろじろじ、じゃぁ……なぐなっぢゃうもん……」

 

 

 

彼女の心配事は、自分勝手過ぎると自分を責めるくらい、単純なもので……

 

 

 

「兄ぢゃんわ……もう、わだぢの………兄ぢゃんじゃなぐなっぢゃうんだもん……」

 

 

 

唯々、馬鹿だった自分を認めてロジロジへの挑戦を支えてくれた、大切な先輩を失いたくなかっただけなのだ。

 

 

 

(あじ)のけがももうなおるがら……そじだら――」

「――終わりなんかじゃない」

 

 

ダンテはやっと彼女に何と声を掛ければ良いのかが分かった。

恐らくあの電話も、先輩である彼に報告を上げたのではなく、言葉を欲していたのだろう。

一種の甘えではあるが、1人では耐えられない程孤独を感じていたのかもしれない。

 

 

「エレナッ!」

「…ッ!」

「俺は諦めないからな。お前が立てた目標を」

 

「エレナミアの目標?そういや、あたしも聞いたことない」

「グスッ…だ、ダメだよ、兄ぢゃん!」

「ここでもう一度、俺に訴えてみろ。ロジロジの試験に初めて落ちた時のお前なら余裕で言えたはずだ」

 

「エレナさん……私達は外に出ていましょうか?」

「クラーラ先輩にもエレナちゃんの決意(キメキメ)を聞いてあげて欲しいです。心配要りません、彼女はツヨツヨですから」

「スンッ……兄ぢゃん……」

「言えるな?大事なのはお前の気持ちなんだ」

「…………分がっだ」

 

 

 

どれだけ長い間、彼女の決意を待っていていたのか、それすらも頭で意識できない。

後ろから見守る2つの意思と、前から手を差し伸べて待っている2つの意思が力となって。

 

 

彼女はもう一度、歩みを進める。

その決意を――

 

 

 

「私は……私は!ガイアにだけは絶対負けないッ!!どんな乗り物だって、どんな条件だって!ガイアよりも確実に。どこまでだって運んでみせるッ!!」

「……へっ!なんだその目標」

 

Mio Motto Mailing(私の郵送のモットー)Minuziosamente(正確) , Meraviglioso(素晴らしい) , Magnifico(超クール)Mista pizza(ミックスピザだろうが) , Missiva(伝言だろうが) , Missile(ミサイルだろうが)!」

「いつもの口上ですね」

「わーい!いつものエレナちゃんが戻ってきました!」

 

「兄ちゃん…ううん、ダンテ先輩!私も諦めません!一度載せたモノは何であっても、絶対に目的地に運ぶことが私のモットーですから!!」

「なんだよ1人で復活しやがって。結局、俺が掛ける言葉なんてなかったじゃねーか」

 

 

 

――4人の仲間が受け止めた。

 

 

 

だが、ガイアだけはどこか不満そうに立ち上がって、ベットに腰掛けたダンテの足をペダルの要領で踏み付ける。

胸の前で腕を組み、見下ろしながら不満の対象である彼を睨む。

 

 

「いっでぇッ!」

「ホント鈍感な奴だな兄ちゃんは。……掛ける言葉、あるだろ?」

「は、はぁ?」

 

 

ねーよ、と言おうとしたことを察知したのか、脚に力を入れていき、グリグリと踵でいびり続ける。

涙目のダンテもこのままお開きとは行かないことは理解していたからか、強く反抗できない。

 

 

「分かった、ちゃんと伝えるから、脚離せ!」

「あいよ」

 

 

すんなりと脚をどけ、そのまま壁際まで歩いて行って立ったまま寄り掛かった。

 

ダンテは解放された足の痛みを我慢しながら、再び歩き出した彼女に伝える。

これから先も彼女が不安で道に迷わないように、確かな目的地を設定してあげなければならないだろう。

 

 

「お前も諦めない、俺たちはそれをお前の口から聞いたんだ!必ず戻って来い!武偵高にはいっ――」

 

 

シャッ!

 

 

カーテンが開いた。

これにはさすがのガイアも驚き、5人の視線がそこに向けられる。

 

 

「あー…タイミング悪かったな、いいぞ続けろ」

「ゾーイ先生…」

 

 

続けらんねーよ、そう思っていることが伝わったのか「入るぞ」と一言残し、エレナミアの元に歩いていく。

その手には数枚の紙が握られていた。

 

 

「エレナミア、お前小型軍用車両(ジープ)貨物自動車(カミオン)は乗り慣れてるかー?」

「えっ?……いえ、一度だけ訓練場で乗ったのみです」

「そうかー。まあいい、聞いただけだ。教務科からご指名だぞー?理由は予想が付くだろ、受けとけ」

 

 

エレナミアは、咄嗟に渡された紙面を読み進める。

そこには『武偵高車輛科向け』の表示があった。

 

 

「これ…」

「無理強いはしないとさ。けど……いい目標じゃないか?諦めないんだろ、お前らは」

「「!」」

 

 

ダンテとガイアもその紙の束に目を通す。

 

曰く、武偵高の優秀な生徒がちょうど出払ってしまい、他校に回そうとしていたところで今回の事件が起きたらしい。

無事故と達成率100%を更新していたエレナミアが埋もれてしまう事を残念に思っていたロジロジの担当教師が、武偵高に直談判をしてこの任務を取ってきたのだ。

 

この任務はいわゆる再講習試験の意味合いも含んでいる。

武偵高側としても他校に借りを作りたくはないから、この任務を無事に遂行できれば、先の事故は任務遂行における必要行為であったとして処理するつもりのようで。

 

 

希望の光が、彼女の歩む先に差し込んでいた――

 

 

「エレナ…」

「うん、私、受けるよ。皆が見守ってくれるから」

「…言いたくはないけどな。これ、戦場だぞ?あたしは……」

「それでこそ、ガイアを出し抜けるチャンスって事だよ」

 

「エレナちゃん……ううん!頑張って(ガンガン)だよ、エレナちゃん!」

「エレナさん、また一緒に仕事をしましょう。私も、皆さんも待っていますから」

「ありがとう、絶対、戻ってくる!」

 

 

「ダンテ先輩…ううん、兄ちゃん!」

「!」

「私の目的地は、初めて声を掛けてくれたあの日から……」

「ああ…」

「兄ちゃんの隣だから!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

――その光の先には、大好きな彼が待っていてくれる。

 

 

 

だから、もう、迷わない。

 

 

後はアクセルを踏み込むだけなのだ。

 

 

 

 

 

「仕事はまだ少し先だ。今は安静にして、脚を治せ。あと、食って寝ろー」

「はい!」

「詳しい事はロジロジのダヴィド先生に聞けよー。あたしは戻る」

 

 

要点だけを述べて、ゾーイはカーテンの外に出て行った。

 

 

「あ、あの」

「あー?」

 

 

それを追いかけ、話し掛けたのはダンテだ。

ほっとくフリをして、なんだかんだと気を遣ってくれていたのだから、そのお礼はしておこうと思っての事である。

 

 

「エレナの事、ありがとうございました」

「…それはあたしに言う事か?」

 

 

身長の低いゾーイは必然、下から見上げる形になるのだが、それがとても不愉快らしく、さっさとしろと目で訴える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ギリギリまで彼女の気持ちの整理を待ってくれて助かりました。たぶん自暴自棄になって任務を引き受けていたと思います」

「仕事の話ならダヴィドの方に行け、あたしの管轄じゃない」

「先生の診断のおかげです。そうでなければ、ゾーイ先生の方から俺のところに話が来たんですよね?」

「……そうだな、お前には話しておこうか」

 

 

続く話はカーテンの向こうに聞こえないよう、ダンテの頭を引っ張り下げて、小声で告げられた。

 

 

「……あの話は事実だ。あたしにも心当たりがあってな」

「あの話?……もしかして、事故の話ですか?」

 

 

ゾーイは頷く。

車の天井を蹴り飛ばした、その話が事実であると。

 

 

「この話は聞いたか?辺り一帯の地面がガラス状になっていたってのは」

「!?……俺はあの夜、現場に行きました。でも何も…」

「機密なんだよ。バチカンがヤバい伏兵を放ってやがってな。お前たちが駆け付ける前に、何か仕掛けて行ったんだろ。差し詰め『眠土の魔じ』…『眠土の聖女』辺りだろうな」

「……」

「いいか?口外禁止だが、お前もあいつを信じるなら知っておけ。あの夜、任務に参加していた人間は、全員、目を付けられているとな」

 

 

これで最後だと付け加え、隣の部屋に戻っていく。

 

その背を見送った彼は、浮かぶ疑問を、つい口に出してしまった。

 

 

 

「先生は、誰からその話を聞いたんですか……?」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


武偵法9条って日本だけの法律なんでしょうか?
原作のイタリア編で、キンジの発言からEU圏には無さそうな描写があったので……ま、いーや。
良く分からなかったので、9条を省いて載せています。

マーダーライセンスが存在する以上、殺人がタブーなのは当然だと思うので、外国でも記載はあるんじゃないかなぁ…


本編の話をしましょう。

前半はクロとは別クラスの朝のお話ですね。
独自設定モリモリで制服の自由化を押し進めてます。同じのばっかだと面白くないので。
『ディヴィーザ・ネロ』が何色にも染まらない意味合いを持つなら、中学生の内はどんな形にも進化できる意味合いを持たせて、白無垢みたいな白い上着を着用させています。

カルミーネの能力はまだ伏せておきますが、描写の通りヒステリアモードに似た能力です。今回の主人公に対して『呼蕩』のような技を使用していました。実際には前準備の会話が必要なため、敵対者には効果が薄くなります。

後半は昼休みの時間、エレナミアのお話になっていました。
彼女からしてみれば、走行中の車に人間が蹴りを入れる訳はなく、轢いたのは自分だと思い込んでしまっていました。直後に意識を失ったので、その状態で記憶が定着してしまい、周囲の話を聞いて事実を知ったとしても、立ち直れないままだったのです。

親しい仲間たちの励ましにより復活した彼女は、1件の仕事に向かいます。その仕事がどのような影響を与えるのかは、また未来の話。
どうか、真っ直ぐに進み続ける彼女を応援してあげてください。


次回は本編(日常編)の予定ですので、すやすやお待ちくださいなっ!




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理会の専担(オールウェイズ・フリーパス)




どうも!

書きたくて書きたくて時間が欲しいかかぽまめです。
やっぱりクロ目線だと書きやすくていいですわ。


パオラとクラーラの報告が終わったところからスタートでしたね。


では語ることも無いので、始まります!





 

 

 

第三装備科。

その部屋は沈黙に包まれていた。

 

悪夢から覚めた語り部は、思い出せるだけの事を話し終えると、まだ話し忘れたことは無いかを考えている。

しかし、足りない部分はもう片方が補っていたため、その心配は不要であった。

 

 

「……私とクラーラで思い出せるのはこのくらいです。気絶した後に、あの場所で何があったのか、どうして私達は無事だったのかは…すみません、分からないんです」

「そんな事に…なっていたんですか……」

 

 

彼女達の話は…非現実的過ぎる。

 

車を縫い付け、車外から全員に攻撃する。

走行中の車を蹴って破壊する。

 

どちらも人間の仕業だとは思えない。

超能力者と乗能力者が組んでいたとも考えられるが、2人の話の流れからすると、200キロを超えた車で一度は引き離した後に、60キロ以上で走っていた所を追いつかれた事になるのだ。

見失わなかったのは直線だったからだろうけど、ドアに引っ付いていた方も発信機のような能力を持っていたのかもしれないぞ。

 

おまけに――

 

(――なんでトロヤが2人もいるんだ……!)

 

正に悪夢。

あんなのが複数体同時に活動していれば、とても対応できない。感覚的に半分だと思ったが、ホントに半分になってなくてもいいのに……

恐らく屋上から移動する時には半分ずつに分かれていたのだろうから、本気の彼女はあの夜の2倍の力を出すことが出来るという事だ。絶望なんてものじゃない。

 

私だってチュラやカナ、本来トロヤの仲間であろうフラヴィアが一緒に戦ってくれたから、何とか『ゲームで定めたルールの中』で勝利を納めたのだ。

今のままでは、その半分のトロヤにだって軽くあしらわれるレベルだということ。一菜を守るには力が足りていない。

 

 

「クロさん、申し訳ありませんでした。今回の任務の失敗は私達の力不足が――」

「違います。全て私の作戦ミスでした」

 

 

そうだろう。

パオラとクラーラには戦闘能力が無い事は重々承知していて、その彼女達にヒルダの護送を任せたのは私だ。

もし襲撃者がいなかったとしても、ヒルダが目覚めて暴れ出すことも考慮に入れていなければならなかったのに。

 

完全に油断していた。

 

あの夜はトロヤという悪魔の存在も、2人組の襲撃者の存在も、運が良かったから誰も犠牲者が発生しなかっただけで、怪我人も出してしまったし、自信を奪うような事態にも陥った。

 

そもそも、トロヤという脅威を追い払ったことで錯覚していたが……

 

本来の任務である『ヒルダの護送』は失敗している。

 

 

「パオラさん、クラーラさん、ガイアさん。この度は、本当に申し訳ありませんでした!」

 

 

謝罪で済む事ではない。

いくら武偵の仕事には危険が付きまとうものだとしても、避けられたかもしれないリスクに対処しなかった責任は大きいのだ。

 

私は作戦の総指揮を務めていて、任務に関わる全員の命を背負っていた。

それなのに、私は……

 

 

「わた…まごぉっ!」

「おいおい、勘弁してくれよ。なんで昼休みの間中どこもかしこも暗い奴ばっかなんだよ」

 

 

で、出たな…ガイアの得意技……スイーツスローイングッ!

 

(甘くて…ホロホロ……アーモンドの香りだ!)

 

 

もぐぐぐもぐもぐぉー!(おいしいですけどー!)

「やかましいな!食いながら喋んなよ!」

 

 

おいしいお菓子を急いで食べるのはもったいない。

……もう少し味わっておこう。

 

 

「もぐもぐ……」

「クロさんは扱い易くていいですね」

「エレナ、コンシリアさんレベル」

「もぐもぐ…んぐっ!……酷い言われようで…むぐッ!」

 

 

お客様!連コインはお控えください!

 

(ビターが…ウマウマ……ココアパウダーだぁ!)

 

 

「もぐもぐ……」

「大人しくしてればこんだけ美人なのにな、おてんばが過ぎるっつーか」

「残念な美人?美人じゃないなら…ハラジュクkawaiiモンスターカフェ?」

「"原宿"?クラーラ、それって日本の文化なの?聞き覚えがないけど」

「戦妹の友達が詳しいらしくて、偶に奇抜なガーリーファッションで遊びに来るから」

「な、なるほど」

 

「奇抜なガーリー…?想像出来ないぞ。クロ、なんか知ってるか?」

「もぐもぐ…ふぅ。ごちそうさまです。残念ながら良く知りません。日本にいた頃にはあまり興味が無かったもので、今思えば……いえ、試しに着てみたいとは思いますが、竹下通りを歩きたいとは……」

「それなら私の戦妹に…」

「やめて!これ以上、日本マニアを私に背負わせないでください!」

「?」

 

 

教室の空気は、「あれ、私謝罪したよね?」って聞きたいくらい、いつもの感じだ。

負い目を感じていてさえそう見えているのだから、間違いなく日常風景なのだろう。

 

でも、これが武偵らしいのかもしれないな。

彼女達は互いを支え合って、あのタフネスさを保っている。

 

仲間との繋がりは、その人間の能力を飛躍的に向上させる可能性を秘めている。それは戦闘に関してとは限らない。

私や彼女達が分かり易い例だが、誰でも少なからずその恩恵を受けているのだ。

 

どんなに追い詰められた状況でも、そこから立ち直る力を貸してくれる。

 

だから私は守りたいのだ。

 

私と繋がる皆を。

 

 

(今までは避けてきましたが……私も自分の能力を自由に使いこなせるようにならなければいけませんね)

 

 

ヒステリアモード。

 

スイッチのON/OFFは可能だが、それだけでは足りない。

力の絶対量を上げなければ、超能力者に…そして人外の者たちに勝つことは難しい。

 

大事なのは誰かと共に戦い、相棒を守る力。

チュラの助けによって見つけ出した、もう一つのヒステリアモードを使いこなすのだ!

 

 

 

――――スイッチ……ON!

 

 

 

「というわけで!皆さんの力をお借りいたします!」

「は?」

「ど、どうしたんですか?クロさん」

「いきなり、びっくりした」

 

 

なんとなく雰囲気の変化を察した3人は、少し私から距離を取る。

おにぎりの時もそうだったけど、カンが良いよね君たち。司令塔はクラーラか。

 

ふむ、誰から試そう……

 

一番近いのはガイアだ。

だが、一番抵抗が激しいのも彼女だろう。下手にもみくちゃになって、またへにゃへにゃになった所を3人に目撃されてしまったら自殺モノだ。パス。

 

逆に一番抵抗が少ないのはパオラ。失敗したときにも彼女なら誤魔化しが効きそうな気がする。

でも、私の事を大いに勘違いしているきらいがあり、必要以上に怯えさせてしまうかもしれない。取引停止されると大いに支障があるので……パス。

 

……じゃあ、さっさと逃げ出しそうなクラーラから行きましょう!

 

(これも、皆を守る為…。恨まないでください!)

 

うん、自分でもわかる。

変態だよね。唐突に人の頭に顔を埋めようとしたら。

 

ゆらぁ…と近付く私に、彼女は明らかに警戒している。

暗緑色の瞳が睨むように細められ、じりじりと後退りながら――ガイアに助けを求めてるな。

 

その瞳に映る私は、モヤモヤがラスボスのオーラ並みに漏れだしているのだろう。

ふはは、大人しくその身を捧げるがいい!

 

 

「クロッ!止まれ!」

 

 

聞く耳を持たない私に、焦ったガイアが動いた……が、所詮はロジロジ。

横薙に振るった警棒のような近接武器もしっかりと急所を避け、左脇腹を真っ直ぐに狙い過ぎている。

 

力の調節を失敗したリスクを考えて急所を避けるのは良くないし、強襲科の先生に見られたら怒られるぞ?

後ろから襲い掛かるなら最初の一撃で鎮めるべきだし、振り抜くより刺突の方が気付かれにくい。直線だとコースもバレバレだ。

 

 

――今の私には足音と風切り音だけで、十分な情報になるんだよッ!

 

 

パシッ!

 

 

右手を左脇の下から通して武器を掴み、その手を……引こうと思ったけど、ガイアの片腕だけで作られた威力だと引いて衝撃を逃がすまでもない。

 

人差し指を親指の付け根に引っ掛け、残る4本の指で武器を掴んで止めている。

 

 

「何っ!?」

「!」

 

 

ガイアはすかさずスタンガンを発動してくる。武器から伝わる彼女の手の動きがそれを教えてくれた。

だからこその人差し指なのだ。

 

 

「惜しいですね、ガイア」

「何がだッ!」

 

 

――バヂィイイッ!

 

 

指に軽く溜め込んだ力を、関節の同時伸長と合わせて一気に放出する!

 

つまり、ただのデコピン。

 

それでもON状態の私が使えば、素人が放つストレートの数倍の威力が軽く出せる。一点に集中させて。

 

 

「なぁッ!?」

「うそっ…!」

 

 

警棒型スタンガンはあまりの衝撃に、ガイアの手から弾き飛ばされて激突、壁に型を残して床に落ちた。

ちょっとだけ凹んじゃったけど…仕方ないよね。

 

驚きで呆然としながら痺れる右腕を押さえているだろうガイアは、もう邪魔には入れない。

目の端に移るパオラなんか、両手で口を塞いじゃってるよ。

 

目的は達成されたも同然。

もうすぐそこまで、追い詰めたぞ……

 

 

「さぁ、クラーラ!さあ!」

「ク、クロさん……一体何を……?」

「ご安心ください。すぐに終わらせます、クラーラ」

「モヤモヤが悍ましいほど溢れ出てますよ……ッ!」

「大丈夫、大丈夫。やましい気持ちはこれっぽっちもありませんから」

 

 

クラーラの肩を掴むと、震えたままの彼女は、顔をビスコッティの髪で隠すように下げる。

 

(あれ?私の目的ってバレてた?さあ、どうぞって事なの?)

 

それなら遠慮はいらないね。

 

 

じゃあ、レッツ・ダイブ!

 

 

と、埋めてみたはいいものの……

 

 

 

 

…………おや?良い匂いがするのは確かなんだけど―――

 

 

 

 

 

――これは、何の匂いだ?

 

 

嗅いだことはある気がする、でもボヤボヤして何の匂いだったか…

 

 

一応、念のために窓枠の空間を覗いてみるが、変化なし。

 

 

うーん?なんだ?何かが違うのか?

 

 

てっきり、匂いだけがトリガーだと思っていた。でも…

 

 

 

 

……それだけじゃ、ダメらしい。

 

 

 

 

 

実験失敗。

 

ホントに使い辛い能力だよ。

 

 

 

――スイッチ……OFF。

 

 

 

「クラーラさん、すみませんでした」

 

 

能力の発現には()()()()()が必要だという事実が判明した。

それだけでも儲けものだろう。

 

今の所、()()()()()()()()()()事しかない。

 

2人の共通点か……

 

 

知り合った期間?

――ならパオラやパトリツィアでもなれるかもしれない。

 

一緒に戦った期間?

――ならフィオナでもなれるかもしれない。

 

 

 

……消去法でパオラか。

 

 

とりあえずは、また今度にしよう。

スイッチは切っているから、相応に時間も経っただろうし。

 

 

「クロさん…どういうつもりですか……ッ!?」

「そこまで…マジなのか?クロ」

「へっ?」

「あわ、あわわわわ……」

 

 

()()()()()()温かい体温がこの状況を正しく伝え、激しい警報が脳内に響く。

 

両肩に掛けていた私の両手は、匂いをより近くで嗅ごうとしたことにより、クラーラの腰と背中に回されている。

それだけではない、そのまま引き寄せた彼女を自分の体に押し付けて、完全に密着していたのだ。

 

心臓の鼓動がドッドッドッドッ!と右胸から響いて頭にまで届き、電熱器の様に高熱になった体温も、触れ合った面から火傷しそうなくらいに熱を伝えてきた。

 

 

(これって…これって……)

 

 

あの夜の、チュラと似た様な状況!?

 

 

後方からの視線が痛い。

 

 

「……皆さん、落ち着いて聞いてください」

「「「……」」」

 

 

返事がない、ただの村八分のようだ。

 

 

「これはですね……」

「言うな、クロ。朝の会話は…お前の中では冗談じゃなかったんだな」

「ち、ちがっ…」

「う、わぁー。ク、クロさんって、かなり積極的だったんですね」

「パオラさん!明るく振る舞おうとしないで!」

「…離して……?」

「あっ!ごごご、ごめんなさい!」

 

 

クラーラは押し返そうとしているみたいだが、どうしようもない位に非力なもんだから添えられてる構図にしか見えない。

そして私もそんな気分に……

 

 

【挿絵表示】

 

 

(なるかぁーッ!)

 

 

両手をクラーラの肩に引き戻し、突き飛ばさないようにそっと押し退けた。

力なく引きはがされた彼女は、ふらふらとした千鳥足で壁にタッチ、崩れ落ちて深呼吸を始める。

 

 

「だ、大丈夫ですか…?」

「クロさんよりは……」

 

 

クリティカルヒット!

セリフにも口調にも遠慮がないよ!

 

違うんだ!信じてください!

 

私はノーマルである。もう一度言おう、私はノーマルである。まだ足りない、私はノーマルである。

いいですか、皆さん?これは自分用・保存用・布教用ですからね?

お隣の誰かに、速やかなご連絡を!

 

 

――現実逃避終了。

 

 

まいったまいった、どうしたもんか。

頭を抱えるべき場面だ。どんなセリフで仕切り直せるか…

 

と、ここで……

 

 

「クロさん、私は…クロさんには何か考えがあってこんな…あ、あんな事をしたんだと思うんです!それを説明して頂くわけにはいかないのでしょうか?」

 

 

まさかの援軍、現る…!

ホント良心。天使様やー。

 

 

「…いいわけがあるなら聞くけどよ」

 

 

しかし彼女とは対称的に、凹んだスタンガンを収納しながらのガイアは、少し警戒度を上げている気がする。

おふざけではなく、マジの方の雰囲気が感じられた。

 

 

「そうですね、誤解は解いておきたいですし」

 

 

願ってもない対話の機会を生かして、理解と信用を勝ち取らなければならないだろう。

 

 

だが、説明か…

どっからどこまでがセーフゾーンなんだか。

 

弱点にもなるこの体質の事は隠し通せ。と、カナことお兄さんにも言われていたし、この能力の詳細はチュラ以外には一菜だって知らない。

 

 

全容はぼかしたまま、なんでクラーラに迫ったのかを説明する。

抱き着いたら強くなります。とか言いたくないし、誤解が真実になってしまう。

だからって、匂いを嗅いだら変身します。なんて「え?変人?」とか言われるのは目に見えている。

 

 

「クロさん…理由を教えてください。……あなたの心配も、なんとなく分かってはいるんです」

「なんとなく?」

「私達、パトリツィアさんとの付き合いも、1年の頃からで、結構長いんですよ?」

 

 

クラーラとパオラが訳知り顔で話し掛けてきたが、彼女達の言わんとすることは不明だ。

 

(パトリツィアと私の行為に何の関係性が?……ま、まさか!パトリツィアってそっちの気が――)

 

 

「変な事を考えてる顔、してますよ。そういえば、クロさんと知り合ったのもパティ経由でした」

Fiore di omicidio(人喰花)は知ってるよな?」

「はい、もちろん」

 

 

パオラはクラスメイトだったから仲良くなっていたけど、2人はパトリツィアの紹介で出会った。

仲介者の談では、「"3人寄れば…十色?"だっけ。これ、使い方合ってるかな?」――まず単語として成り立ってない。"三矢の教え"って事らしい。

 

 

「あたし達は人喰花の裏でサポートもしててな。それはもう、あちこち連れまわされたもんさ」

 

 

話によれば、半ば専属レベルだったみたいだし、ガイアが警戒しているのも人喰花関係なのだろうか……

 

 

「依頼してくれたリーダーさんは、とっても優しくて面白い方だったんですよ」

「それ以上に強かったです。パティが両腕でも勝てない位には」

「信じられませんけど、そうらしいですね」

 

 

楽しそうに思い出しているパオラと、頬を引き攣らせ気味のクラーラの表情は、その人物をよく表しているのかもしれない。

なにせ最初から宝導師が3人も付けられた程だ、リーダーは人じゃないと思って丁度いいのだろう。

 

 

「彼女には妹さんがいて、その方も人喰花のメンバー……カルミーネさんというお名前です。強襲科のクロさんも話したことはありますか?」

「授業で何度かお手合わせ願っています……けど、手加減されてるんでしょうか、Bランク程の実力者には思えません」

 

 

建前としてはそう言っておくが、手加減している感じは無い。銃器、刀剣、格闘とどれを取っても正真正銘、彼女の実力はCランク程度のものだろう。

チームでの実績と……試験はどうやって通ったのか?

 

 

「あいつの本気もヤバかったな。宝導師のリーダーを務めてた()()()()が手も足も出ないってのは、普通じゃない」

「!?」

 

 

宝導師のリーダーが?

高校の…世界基準でのAランク武偵を圧倒したってこと?

 

(ありえん…ッ!)

 

でも、ガイアが肩を竦め、顔に手を当てて心を落ち着かせようとするのは稀だし、それも事実として受け入れるべきなのだ。

それなら、なぜ今の彼女はそこまで弱くなっているのだろうか――

 

 

――ははあ、なるほど。それが私との共通点というわけですか。

 

 

「カルミーネさんが、私に似ていると」

「お察しの通りです、クロさん。あなたの強さは彼女にとても良く似ているんですよ」

「お前もその内、銃弾弾き返すようになんのか?」

「なにそれ、絶対なりませんよ、そんな化け物」

 

 

(姉さんならやりかねませんが)

 

これで疑問は解けた、恐らく彼女もそうなのだ、きっと。

 

条件付き乗能力者。それも私のヒステリア・セルヴィーレと同じ、人格が変わる程に強力なタイプの。

 

銃弾を弾き返すって辺りも、何となく親近感を感じたのは…気付かないフリをしとこう。

 

 

「…ちなみに彼女は変化の前にどんなことを…?」

「あんま言いふらしたくないな。あいつはあいつで悩んでるし」

「だからクロさんも、言えなければ深くは追及しません。でも…」

「今の行為がその条件なのだとしたら、説明が欲しかったところです」

「す、すみません……」

 

 

うう…。この3人組が、あの人喰花とか言う集団で重宝された理由が分かった気がする。

適応能力が高いし、差別的な考えもない。

そんな所がリーダーの目に留まった、留められてしまったんだろう。

 

 

「しっかし、おかしいよな。クロ、お前、変化が起こったのは襲う前だったろ?」

「襲うとか言わないでください!」

「えっと、副作用で女性を襲ってしまうんですか?」

「襲うとか言わないでください!!」

「理由はともあれ、変化と襲い掛かりはセットなんですね」

「襲うって言わないでってば!!!」

 

 

うう…。この3人組が、付いて行けた理由も分かった気がする……

 

 

逃げ場を探して時計を見ると、結構いい時間になっていた。

第七装備科の用事は済んだが、一菜の様子も知りたいし、ニンジャたちに会えていない。

夜は姉さんとゆっくりしたいから、早めに帰りたいんだよなぁ…

 

片割れは諜報科棟で修行をしているだろう、どれ一目会いに行っておくか。

 

 

「私の能力については、あのー」

「心配無用」

「誰にも言わないって」

「…ありがとうございます」

 

 

この3人がそう言うなら安心だ、信頼できる。

じゃあ、そろそろお暇しようかな。ハードスケジュールだよ。いや、別に明日に回しても良いんだけどね。

 

そう思い、踵を返そうとしたところで、再びガイアが口を開く。

しかもちょっと大きめの声で。

 

 

「その代わり、だ!」

「―っ!」

「クロさん、あの夜の事ですが。……あの方は吸血鬼ですね?」

「……」

 

 

知られてしまったからには隠す必要もない。

彼女達も襲撃者――おそらくヴィオラが前々からけしかけていた、どこぞの組織の戦闘要員の口から聞いている。

 

最終的に、ヴィオラが言っていた通り、私は彼女の絵を覆すまでには至らず、トロヤの介入が無ければ、ヒルダの方は捕まっていたのだ。

かけがえのない犠牲を払った上で、である。

 

 

「どこまで知ってしまっていますか?」

「…少なくとも、バチカンは私達に監視の目を付けているでしょう。この学校には生徒にも教師にも、バチカンの目が常にありますから」

 

え、それホント?私の行動、掲示板で筒抜けなんだけど。

今後はコンタクトを取る相手も気に掛けないと、どこから漏れてしまうか分かったもんじゃないよ。

 

「そんなの今更だ。カルメーラと一緒の時に比べればマシだろ」

「あの時はファビオラさんが監視員だったね」

「完全に人選ミス。パティに懐いちゃってた」

「あの頃のパトリツィアも、あいつだけには甘かったな。仲が良いってのとはまた違ったが」

 

 

ああ、彼女達もかなりグレーゾーンな世界を生きて来たのね。

笑顔で裏事情を話す姿に若干の同情を覚えながらも、これなら話して問題ないと判断できた。

 

 

「パオラさん、あの女性は吸血鬼。そしてガイアさん、私達が逃走していたのも吸血鬼です」

「なんで一晩で2体…違うか、2人の吸血鬼に会うんだかな」

 

ガイアは「わりっ」みたいな顔をして言い直した。

爽やかな笑顔で誰かを気遣うこと言わないでッ!キュンと来ちゃうでしょ!

 

「2人は従妹らしいんです」

「あ、姉妹じゃないんですね」

「そもそも、家族という概念があるのも初めて知りました」

 

 

話の掴みは大丈夫だ。

事前にある程度の予備知識があったから、取り乱すこともなく聞き入れてくれたが、次の話もそう行くだろうか…

 

 

「実はあの夜、1つ2つじゃない、たくさんの思惑が錯綜していました。あの吸血鬼達も、別々の意思で動いていたんです」

「たくさんって…」

「大別すれば…一菜さんを狙う組織が3つ(ヒルダ・謎の男・トロヤ)吸血鬼を狙う組織(ヴィオラ)、パトリツィアさんを狙う組織、バチカン、そして私達。知っているだけでも7つの思惑が入り乱れていました」

 

その内、ヒルダと謎の男の方は目的不明、トロヤはなにやらデカい事を企んでいるらしい。ヴィオラは恩人の子孫を助け出したいとか言ってたし、パトリツィアの件とバチカンはうまく処理できた。残念ながらバチカンはヒルダから武偵中の方にシフトしたみたいだけど。

 

「前言撤回だ。カルメーラの時と何も変わってねえ」

 

心底嫌そうに、頭を抱えるジェスチャーで、大げさに心情を訴えてくる。

クラーラも同じような動きをしてるし、共有できる苦労があったのだろう。

 

「だね。なんで一菜さんはそんなに狙われているんですか?」

「それが分からないんですよ。私が知りたいくらいでして…でも、一菜さんは必ず守り切ってみせますよ。大事な大事な私の仲間ですから!」

「はいはい、ラーブラブ」

「違います!」

 

 

茶化してきたものの、ここも聞き咎めずに流してくれたな。

さて、では最も重要な本題に入りましょうか。

 

 

「私と一菜さんはバチカンの目を欺き、吸血鬼を助けようとしました」

「やっぱり…そうだったんですね」

「どうしてだ?説明の限り、一菜を狙ってるんだろ?」

 

全員が疑問を隠し切れないといった挙動で、答えを求めてくる。

そりゃそうだ、一菜自身も言っていたが、ヒルダを助けるという選択肢は明らかに地雷だ。

 

本来敵対すべきでない脅威が目の前に立ちはだかり、助けた相手が必ずしも友好的な関係を築いてくれる保証もない。

 

一番の理由は一菜が助けようとしたから。

しかし、本音を言えばそれだけじゃない。

 

ヒルダを抱えている間、()()()()()()()()気がしたのは偶然だろうか?それを確かめたい好奇心も、私の中には存在している。

 

「さあ?私もお手伝いをしているだけですし。ですが、彼女には私も興味があります。また会いたいものですね」

「…彼女は無事でしょうか」

「トロヤが来たのでしたら、まず間違いありません。彼女の強さはSランク武偵を軽く凌駕するでしょうから」

 

私の発言でパオラが気に病みそうになったので、すかさずフォロー。

ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。

 

「霧の中で姿が見えなかったのは幸運かもしれないですね」

「あたしは見たが、スゲー美人だったな。蝋人形みたいに真っ白で、薄幸っぽい印象だったけど」

 

それは、まあそうなんだけど。

逃走中は遊んでたみたいだし、殺気も初めて会った夜に比べれば大分セーブされていた。

見た目だけなら、麗しい箱入り少女だもんなぁ。

 

「美人と言えばあれだ!クラーラはアレ覚えてるか?あの蜥蜴人間」

「名前を憶えてよ…確か竜落児って言ってたよ、ファビーが」

「ああ、そんなこと言ってたな!初めて見たぞ、人喰花がフルメンバーで押された所」

「あんなの見ちゃったら、そうそう怖じ気づかなくなる」

 

あれ?あれれ?

雑談が始まったよ?もういいの?バチカンに目を付けられてるんだよ?

 

彼女らのタフネスさは尋常じゃないね。

国の組織が敵だよって言ってんのに、よくゲラゲラしてられるよ。

 

「あ、それとクロさん!」

「はい?」

 

 

パオラが改まって、こちらに紙面を提示してくる。

何だっけ?

 

 

「今回の任務での発生料金なのですが…オフレコでお願いします。バチカンは今回の事件を重く見ていまして、私達の活躍――『星銀の屍姫』…いえ、『月下の悪鬼』を市民に一切の犠牲を出さずに撃退した功績を高く買っているんです」

「……ヒルダの件は?」

「何も。クロさんの方で手を回したのでしたら、うまくいっているのかもしれませんね。……バチカンはその吸血鬼の存在を公にはしたくない意思が強い……だから、口止め料を司法機関を通して支払うとの事でした」

 

 

驚く事でもないのかもしれない。

なにせ自分たちの不手際でトロヤは生きているのだし、今回も彼女の出現に対して後手に回っていた。仕方ない事ではあるが、ローマはいつでも焼き払われる危険に晒され続けていたのだ。

 

 

「車も通信機器も、クロさんが手配した用具や破壊された公共物の修繕も、使用された武装費用も医療費も、眠い目を擦りながら、請求書を作り上げました」

「あー…そういう」

 

 

(フッかけたのか。国相手に)

 

こっちもこっちで、交渉に関しては手厳しいからね。

相手が相当高圧的に接して来たか、碌に会話もせず紙だけ放ってきたのだろう。

 

パオラとは必ず目を合わせて、対等な立場で交渉してあげないと。

巧妙に掠め取るからな。

 

 

「クロさんやチュラさんの携帯は計算違いで買えてしまうかもしれません。その際はご相談くださいね?」

「は、はーい」

「っと、これも支給品です」

「ちょ、これって…」

 

 

私の注文していた脛当て(レッグガード)と防刃ストッキング、ベレッタの代理購入書類も入ってるぞ。

道理で請求されなかったわけだ。……ん?見慣れないものが入ってるな。

 

 

「これは何ですか?」

「ふふふっ、よくぞ聞いてくださいました!」

 

 

パオラのテンションが露骨に上がり、ちっちゃい体で大振りにアピールをして来る。

普段はふざけた言動や挙動は少ないので、親しくない人間はまず見られないレアな状態だ。

 

(あーこれもいつものね)

 

彼女は、各国に支部を持つ例の裏ルートの市場にちょくちょく顔を出して来ているらしく、目に留まった新商品を一般人に紛れ込んで数個仕入れてくる。

そして、私や一菜、パトリツィアや陽菜他数名に、テスターとして配給して感想を求めるのだ。

 

大体は役立つ便利商品となり、彼女の店舗に並ぶが、稀に酷いものもある。

私のレッグガードや陽菜の忍具ホルダーも、ここの商品を少し弄って使っているのだ。

 

最近、市場内で久しぶりに買い物友達と出会って、大いに盛り上がったという話を聞いていたし、その場のノリで買ってみたんだろう。

お相手さんは大量の薬品や弾薬なんかの購入契約をして、帰りには核燃料を買いに行くとかで別れたらしいが、どこに売ってんの?それ。てか、その人の事看過してていいの?

 

 

今回のは形状からして、鞘入りで幅広めの両刃ナイフにしか見えないけど。

普通のものは買って来ないし、業物の良品かな?

 

 

「それは"アンコウナイフ"です」

「"アンコ"……なんですって?」

「"アンコウナイフ"!黒い刀身の一部にフェイク用の蓄光塗料が塗ってありまして、暗闇の戦闘では相手に間合いを掴ませません」

「は、はあ…」

 

説明をしながら同じものを取り出したパオラは、ナイフの実演を始めた。

手を怪我しやしないか、ハラハラする。

 

「さらに、グリップ部の付け根から、こう……分解してワイヤーで繋がってます」

「ふむふむ」

「これで発光する刃の方で気を引くことも出来ますし…」

「う?うーん…?」

「そしてグリップの内部には少量のアルミニウム粒子を詰めて圧縮しているんです!」

「ひぃっ!?閃光弾!?」

 

鮟鱇こわい!

そんなん怖くて衝撃与えられませんわ!

 

「御心配無く。カートリッジ式ですので、普段は取り外して持ち運べますよ。圧力弾倉とアルミ弾倉を順番に詰めて、グリップのここを押すと起爆機構が有効になります」

「怖くないんですか?爆発物ですよ?」

 

気絶しないの?首を傾げて問い掛けてみる。

だって彼女は以前に見ただけで倒れたって話を聞いたし。

 

「私が持っている物も空っぽですから。ちなみに、ワイヤーが3m以上伸びると信管が検知して電子回路が作動、約4秒後に放出、起爆します。組み立て、押し込み、投擲して放す。この3動作で使えますよ!咄嗟の準備は厳しいでしょうが、何より意表が突けると思います」

「な、な~るほど。使う機会があれば使わせていただきますね…」

「是非!容器を洗えば何度でも使えますから、使用感とか諸々聞きたいこともありますので!それと鞘は取れやすい様にベルトとは独立させていますし、何でしたら今装着しているベルトに付けちゃっても良いんじゃないでしょうか?」

「お、オーケーオーケー。よーく分かりました」

 

 

楽しそうで何よりです。

こんなもん使う機会、無いだろう。あって欲しくない。

 

まあ、夜間に一度使ってみますか。普通のナイフとして。

 

 

「ありがとうございました、ベレッタの件は本当に助かりましたよ」

「クロさん」

 

 

こ、今度は何かなー?

気付いたら昼休み終わりそうになってるんだけど……

 

(ニンジャは明日だね)

 

 

「……確認、しなくてはいけないんです」

「どうぞ、私が答えられるものであれば」

 

 

(真剣な話か)

 

彼女のピリッとした雰囲気は、竦むようなものではないが、何となく落ち着かない。

他に例を見ない独特な感覚を抱いてしまう。

 

 

「この前、お友だちの口から、あなたの名前が挙がったんです」

「お友だち…と言うと」

 

 

――核燃料さんか。

自分で付けといてなんだけど、深刻な風評被害だなぁ。

 

容姿は知らないが、パオラみたいな少女ってことは無いだろう。

きっと軍隊所属してます!みたいな女性に違いない。

 

 

「便宜上、"モーイさん"と呼びましょう」

「"モーイさん"ですね、分かりました」

「私達武偵が言うのもなんですが、実はモーイさんもかなり武闘派な学校に通っていらっしゃるみたいで」

 

 

(武闘派な学校ってなにさ。やっぱり軍人養成機関か?)

 

パオラと気が合うってことは、礼儀正しい人の可能性は高いな。

モーイさんの事を話してる時の彼女は実に楽しそうだったし。

 

 

「クロさんはその学校内でも、かなりマークされています。えと…リトル……バンディーレ?だったかで、引き入れるか、早めに……処理してしまうか。一部ではそんな話が出ているみたいです」

「…まーたですか。ホント勘弁して頂きたいものですよ……その何とかかんとかも初めて聞きました」

「そうでしたか。リ…モーイさんは良く分からないらしいのですが、過去に死者も出ているとかで……」

 

 

トロヤにヴィオラ、バチカンもそうだし、箱庭ってのも迫ってるらしいし、バンディクートだか知らないけど有袋類みたいなのも増えて来た……

悩みの種が尽きないよ。

 

 

「知らないんですね?」

「はい、聞いたこともありませんでした」

「そうですか……なら、いいんです!お引止めしてすみませんでした」

 

 

言うが早いか、パオラはいつも通りのほわっとした空気を取り戻す。

案じるような視線も、不安を払拭できたからか、雲間からお日様のような明るさが顔を出した。

 

 

「教室に戻りましょう。クラーラさんもガイアさんも、もう休み時間は終わりますよ」

 

 

楽しそうに話し込んでいた2人もそろそろ切り上げないと授業に遅れてしまう。

随分と熱中していたようだし、こちらの会話はきいていなかっただろうな。

 

 

「お?そんな時間か。話してるとあっという間だな」

「懐かしいお話。あの頃には戻りたくないけど、今、皆は何してるのかな?」

「グローリアさんだけはどこに行ったのかすら、分からないよね」

「あいつは自由人だったし、旅好きって言ってたしな、どこに居ても不思議じゃない」

「ほーら、行きますよ!」

 

 

またしても話し始めた3人をせっついて、教室を後にする。

午後からは眠くなりそうだなとか、平和的な事を考えていたけど、なーんか忘れてるよな?なんだっけ?

 

必要になれば思い出すだろう、そう結論付けて歩いていく私の後方には、ジネストラの香り。

加えて今日は、ほろ苦くて甘さのあるムスクの香りとフロリエンタルなローズとパチュリの甘く深い香りが混じり合っていた。

 

 

 

午後の授業にも付いて行けるといいな。

強襲科の自主練もほどほどにして、今日は早く帰って、姉さんとゆっくりしよっと!

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


進行無し!
いっぱいお話ししてました。

重要なタームも…文字数の割には少なかったですかね。
もう書く事が無いので本編の内容に移ります。


3人組の異常事態への耐性は、過去の経験からくるものだった事が明らかになりましたね。特にクラーラは相手の危険度と他者を害する意識をモヤモヤと称して知覚する司令塔、パオラは交渉事と機器整備、ガイアは運送と2人の護衛をそれぞれ担当し、カルメーラによって登用され続けました。
カルメーラが中東に旅立ってからは、主にパトリツィアとカルミーネの依頼の他に、個別で任務を受注するようになったようです。
人喰花の名前は全員出揃いましたね、その関係性も少しずつ分かってきたと思います。


次回はまだ決めてません。
進めたいけど、おまけが溜まる…そんな葛藤。

ゆっくりじっくりお待ちください!




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親愛の徽徴(ラヴ・コール)(前半)




どうも!

麦茶を1ボトル丸々ひっくり返したかかぽまめです。
絨毯を外に干してました。乾きました。敷きました。


日常編も佳境に入って……日常の佳境ってなんだ?
闘いの日々が近付いてまいりました。

残り少ない平和な日々、お楽しみください。

因みに今回は平和じゃないです。
題名的にも。


では、始まります!






 

 

 

――ガチャァンッ!

 

金属性の格子を力強く叩き付けた音が、狭く暗い空間に反響する。

続けて鍵を閉める音が鳴っているのだから、牢屋なのだろう。

 

その牢の両隣にも、正面にも、同じ形の鉄格子が並び、複数の罪人を同時に収容可能な施設であることが分かった。

岩肌がむき出しでヒンヤリした壁と床、一切の雑音もなく照明も薄暗いこの場所は、地下牢もしくは山中の牢獄だと思われる。

 

鉄格子の中に押し込まれた少女は両腕を後ろ手に、首と両手首を鎖で縛られたまま、床に渋々腰を下ろした。

その視線の先には、闇の中でも全てを見通すような鮮血の色をした瞳が、こちらの出方を窺うように見つめている。

 

てっきり直接床に座らされると思っていたのだろう、牢屋の中にバラの刺繍があしらわれた絨毯が敷かれた区画を見付けた少女は、遠慮なくその場所に陣取って、どうしようもないし、とばかりにリラックスし始める。

 

 

「…なんてふてぶてしい客人なのかしら……?」

「客人は牢屋には案内されません」

 

 

暫く囚人の姿を観察していた金髪の少女も、彼女の淑女らしからぬ振る舞いに多少の戸惑いを見せた。

人間が吸血鬼たる自分の命令に従わない事は自然の摂理に逆らっている。

そう考えての指摘であったのに、常識が異なる彼女にとってはどこ吹く風、捕虜に礼儀を求めるなとでも言いたげだ。

 

まだ何か用?みたいな視線をひしひしと感じ、腹立たしさは隠し切れていなかったが、今日のところは目こぼしする事としたらしい。

 

 

「今はそれでいいわ。そこで大人しくしておきなさい?」

「約束したら拘束を解いてくれますか?」

「おほほ。そんな口約束、信じるわけがないでしょう?おバカさんね」

 

 

ちぇーっ、と頬を膨らませたまま放置され、扉の鍵を持った吸血鬼を恨みがましい目で追いかける。

しかし、奥まで歩いて行くと角を曲がってしまい、もうその姿を追うことは出来なくなった。

 

 

「あーあ……今日はお家でゆっくりする予定だったのに」

 

 

そんな少女の呟きも、闇の中に吸い込まれ、誰に聞こえることも無いのだろう。

 

 

「……」

 

 

その牢の隣に、誰も捕らえられていなければの話ではあるが……

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

黄色い太陽が沈みかけている。

こんなに遅くなるつもりじゃなかったのに、強襲科の補講が行われるなんて思ってもみなかった。

 

試験がシビアなローマ武偵中では、事情もなしに受験しないことは不合格に直結する。

だから私が休んでいる間に実施された試験を受けられるのはありがたい事、迷わず参加させてもらった。

 

尤も、実技試験だけでこんなに遅くなるわけがなく、その前に筆記試験、更にその筆記試験の内容も授業で受けていなかった為、その受講も同時に行われたのだ。

 

 

我が相棒、三浦の一菜さんは「先帰ってるよー」の一言で帰ってしまった。

いや、別に残って待たれても困るんだけど、淡泊過ぎませんかね。ガンバの一言も付けて欲しかったところ。

 

それと、帰った後に気付いた。昼休みに思い出せなかったものは彼女のお守りの件であり、今日の返却は諦めて持ち帰ることにしたのだけれども……

 

(命に係わる物だろうに、杜撰な管理ですね)

 

これは後で言い聞かせなければ!

 

 

「なんにせよ、急いで帰りますよ!マイスウィートホーム!」

 

 

復帰初日から、あの学校は容赦がなかった。

自業自得な所もあっただろうけど、朝のは絶対被害者ですからね!

 

あんな掲示板……

 

(……掲示板?あっ!電話…買っとかないと)

 

チュラの方はもう買いに行っていたらしく、パオラに相談しに行っていた。

 

(少し遠回りにはなるけど、ケータイショップに寄ってから帰ろうか)

 

ここまで遅くなったのだ、いっその事今日の内に用事を済ませて、明日ゆっくりすればいいじゃないか。

姉さんに今日は早く帰るよ、と話していた訳でもないし、そうしよう。

 

そうと決まれば、善は急げ。

目的地を変更して……あれは?

 

(…一菜……?)

 

間違いない、あそこに立っているのは一菜だ。

 

 

なんでまだこんな所にいるんだ?

 

 

……誰かと話してるな。

 

 

「"……だから、そろそろ良いかなって"」

「"何故(なにゆえ)、其程に焦っておるで御座るか?"」

 

 

相手は2年諜報科の風魔陽菜。

今の時間に会っているのは修行(バイト)上がりだからなのか。

 

この場所は学校からそれ程離れていない。でも一般の人間はあまり近寄りたがらないちょっと危険な道。

そこで、怪しいと思うほども不自然ではない物陰にポニーテールとポニーテールが顔を突き合わせて、相談でもしてるのかな?

 

 

「"陽菜ちゃんは分かってないなぁ。一緒に任務を受けた事無いんだっけ?"」

「"左様。某は依頼なる形式にて遣り取りを交わしたのみに御座る"」

「"じゃあ仕方ないかー。なんて言ってるあたしも、チュラちゃん程にクロちゃんの本気の戦い方は知らないし"」

 

 

私の話?

でも、私の登場を歓迎する内容っぽくは無いかも、悪いけどここで盗み聞きさせてもらおう。

 

隠れる所はそんなにないから、少し離れた曲がり角に待機する。

しかしこの状況、私の方が怪しい人に見られそう…

 

 

「"あたしだってクロちゃんとは戦いたくないよ。だから敵に回すのは得策じゃないんだよねー"」

「"イヅナ殿が諍いを避けるべしと説く相手なれば、某も不用意に手は出しませぬ"」

「"でもこのままじゃ、クロちゃんはイタリアに味方する。なんたってクロちゃんには学校にしか拠り所がないハズだし"」

「"イタリアと同盟は組めないナー。あいつらは思金を抱えた()()()()だからナー"」

 

 

ん?もう1人、いる?

 

見掛けてからすぐに引っ込んだから、誰かを見落としていたようだ。

聞いたことも無い声な上に日本語だし、学校の生徒とは限らないかもしれないね。

 

 

「"そこがどうにもならないと…"」

「"敵国は最低でも五つ。皆が徒党を組み大挙する可能性は考え難いで御座るか?"」

「"思金保有国家同士も仲が悪いナー。特にブルガリアの蛇とエジプトの覇王は仲が良くて、イタリアの天使と仲が悪いナー"」

「"ぽぽ!フランスは最初からまともに戦う気は無いんだよね!"」

「"戦闘向きじゃないしナー"」

 

 

(声が増えたーっ!?)

 

しかも聞いたことがある声だ!あの緑髪の子の声。

どうしよう、ものすごく気になる…ちょっとだけ、コソっとだけ見るならバレないよね…?

 

好奇心は猫をも殺す。

でもでも、知りたい事は自分の力で調べなきゃ!

 

こそっと・ちらっと・ピーピング!

 

 

「"あっし思うんだけど、イタリアと一時的に組むのは有効じゃないの?エジプトの覇王は色金に似た力を扱えるんだよね?黄思金と手を組まれたら勝てないよ!"」

「"組むならスペインかな。って言っても、多分思主しか出て来ないだろうけどさー"」

「"地理が判らぬ故、考え至らぬ所で御座るが、イタリアと事を構えるとすると、何れの地に拠を構える意図に御座ろう?"」

「"…信用出来ん国だけどナ、思金の獲得に動くイギリスの魔女連中に連絡は付いてるナー"」

「"魔女ねー…"」

 

 

おかしいな…

目がおかしい?それとも耳がいかれた?

 

やっぱりそこには2人しか立っていなかった。

一菜が持ってる、苔だらけで子犬サイズの石は気になるけど。

 

 

「"ううっ、仮想敵国が多いよー"」

「"分かってたことだナー"」

『そこで、何を、見ているの?』

「――ッ!?」

 

 

背後に――敵ッ!

 

振り向きざまに銃を取り出し、声の主に向ける。

そこに立っていたのは、車の屋根から狙撃していた、例の白髪の少女。

つまり、私が覗いていた者たちの仲間だ。

 

目の前に姿勢よく佇む姿は……古雅で落ち着き払っている、と続けようとしたが、ユラユラと前後左右に揺れる挙動は見た目通り子供っぽい。

わざわざ確認のために声を掛けてくれたのは、単に疑われていないのか、それとも自信からくる余裕なのか。

 

彼女の閉じたままの両目は、口ほどにも物を言わない。

 

全く怯えた風も無いし、銃は仕舞って、出来れば穏便に済ませたいな。

 

 

「"いえ、ちょっと道を通ろうとしたところで――"」

「"良い機会。あなたの同盟、知らなければ、ならなかった"」

「"私の事?"」

「"あなたは…あなた達姉妹は、ワイルドカード。手に入れた国は、圧倒的に有利になる"」

 

 

薄々そうじゃないかと思い至っていた。一菜達の会話も、この話だろう。

 

 

「"……箱庭、というやつですか"」

「"それ以外に、無い。色々な国から、オファーは来ている、でしょ?"」

「"誠に嬉しい事に、今の今まで勧誘を受けたことはありませんでしたね"」

「"そう……。お姉さんの方も?"」

 

 

調べられてる。

カナの事を…詳しくは知らないみたいだけど。

 

それに結構ガツガツ食いついて来るな。

この話の流れは断ち切りたい。こんな普通とかけ離れた世界に引き込まれるのは勘弁だ。

 

何個も国の名前が挙がっていたし、かなり大規模な抗争問題なのかも。

そうなれば超戦士が次々現れて、いつかは私が散ることになる。

 

―――フラヴィアやトロヤみたいなのと戦わされるのは命に係わるんだよ!

 

一種の賭けだが、味方の可能性を残しながらも、すぐには引き入れられないようにしないと。

 

 

「"何も聞いていません。だからどこに味方するのかも…まだ分かっていませんよ"」

「"遠山家は、私達の味方。一時は敵対した時期も、あったけど"」

「"私達は義に生きる。過去の歴史がどうあろうと、自分が信じる正義を貫き通します"」

「"それで構わない。そうでなければ、あなた達は敵だから"」

 

 

なんだそれ、正義は自分たちにあるとでも言うつもりか?

パトリツィアじゃないけど、それは傲慢というものだよ。

 

だが、そうか。積極的にリクルートしてくる姿勢でも無いらしいし。

そもそもの話、私は箱庭とやらに参加するつもりは毛頭ない。死にたくない。帰りたい。

 

 

「"見逃してくれますかね?"」

「"兎狗狸が騒いで、五月蝿くなる。私とイヅが気付けば、それでいい。違う道、使う事"」

「"助かります"」

 

 

あーらら、バレてんのね。

 

イヅ――以前は勘違いしていたが、イヅとは一菜の事を指しているらしい。山の上で自分の事を三浦一菜(イヅナ)と名乗っていたし。

名は体を表す。オカルト的に名前が個人にもたらす力は大きいそうで、名付けとしてはイヅナの名が必要だったのだろう。その後に、同じ漢字で違う読み仮名を当ててイチナと名乗るようになった。そんなところだと思う。

 

この場は見逃してくれるみたいだけど、一菜と陽菜も関わってんのね、この箱庭ってもんは。

いわゆる日本代表みたいな集まりなんだ。遠路はるばるごくろうさまですよ。

 

(私とは一番近しいグループと言えるだろうな。全く関わりたいとは思わないけどね!絶対嫌だからね!)

 

誰に対してでもない抗議の声を心の中で上げながら、来た道を戻る。

ふと見下ろすと、太陽を背にしている私の影が長く伸びて少し離れた建物の影と交差していた。

 

 

「"そうだ、遠山"」

「"…なんかその呼ばれ方は慣れないですね"」

「"名前を知らない。それより、早く帰った方が良い。最近、良い事あった?"」

 

 

(えっ、何?早く帰らせたいの?世間話がしたいの?)

 

唐突に振られた話題を頭の中で反芻して、結論付けて答えに至る。

 

 

「"とても良い事が起こりました。皆が無事にあの夜を生き延びた事です"」

「"成程、それが原因。あなた、持ち運は凄いけど、今は借運状態。不幸と不運が、風によって運ばれてくる。長期間"」

「"えっ…"」

「"それは、あなたを守る為。分散して、徐々に返済、それで解決"」

 

 

オカルト用語の中では分かり易い部類かな?

私はしばらく運気の借金取りに幸運を取り立てられる。その借金取りが風…つまり自然の動きという訳である、みたいな。

 

長期間って…どのくらいなんだろね?

まあ、いいさ。さっさとケータイ買ってかーえろっと!

 

 

「"覚えておきます。あなた達は私の事を忘れていいですからね"」

「"よく考えて、立ち回る。大事なことだから"」

 

 

軽くスルーされた。悔しいぞ。

 

悔しさでお腹がすいた…事にして、ちょっとだけつまみ食いして帰ろう。

途中の売店でチーズ入りライスコロッケ(スプリ)を買って――

 

 

 

背に風を受けながら道を歩くと、さっきまで伸び切っていた影は、既に沈んだ太陽と共に、地面と一体化したようにその姿を隠す。

 

足取り軽くスキップを決め込む私に、当然、私の影も連れ従って、薄暗い世界を抜けていくのだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

――で、こうなった。

 

 

薄暗い照明に照らされたこの部屋は、一言でいえば割と快適。

岩肌もこの時期なら涼しいし、向かいの牢には敷かれていない絨毯も、年代物みたいだが綺麗に手入れされていて、刺繍も豪華だし生地も結構な厚みがあって床の固さを感じさせない。

客人用というのもあながち嘘ではないかもしれないな。サンタンジェロ城の地下での落とし穴的おもてなしに引き続き、明らかに文化の違い(カルチャーショック)を思い知らされたけど。

 

それにしても、こうもあっさり再会するとはね。

傷も完全に治ってるし、お得意の電撃もバッチバチだったし。

少しだけ心配して損した気分。

 

捕まった理由はなんだろ。

前に話してた、専属メイドさん?それともペットの方?

どちらにせよ、あの飼い主の可愛がりには耐えられる自信がない。だってサディスティックの申し子みたいなイメージなんだもん。

 

運気の話を決して軽んじてたわけじゃない。

でも不幸と不運がこんなに早く来るなんてねぇ……

 

予想出来ない、仕方ない。

 

 

「vous etes qui...?」

「…?」

 

 

人の声……

隣の牢屋から…話し掛けられたのか?

 

少女の声で…合ってると思う。

なぜ断定できないのか。というのも普段から会話をしないのか、それとも枯れるほど叫んでいるのだろうか、声が耳に届くギリギリの大きさだったからだ。

喉がどうこうではなく、発声する力さえも微弱で、絞り出すように、それでもやっと漏れ出したくらいの大きさ。

思ったように自分の声が出せないことにも…もう違和感を覚えて無さそうな……

 

(…本物の捕虜……?どこ語?フラヴィアの発音に似てる?)

 

フラヴィアって元々どこの人だっけか。

聞いたことなかったな。そんなに仲がいいわけでもないしね。

 

(パレルモ武偵高の前はどこの高校にいたんだ?)

 

余計な考えは不要なので、頭を振ってその思考を振り払う。

 

看守さんが一人、明らかに私を見張る目的で武器を持ったまま突っ立っているが、反応も薄いし、必要以上に警戒を顕わにはしてこない。

脱走しなければ何をしても咎める気もなさそうだ。

 

とりあえずお隣さんに通じないのは承知で、返事はしておこう。

無視はいけんよ、無視は。

 

 

buonasera(こんばんは),Chi sei tu ?(あなたは誰ですか?)

「……?」

 

 

返事がない。

つまりはそういう事だ。

 

(あちゃー、意思疎通不可かー……)

 

折角、対話の可能性を見出したというのに、残念ながらお隣の方はイタリア人ではないらしい。

会ってみたかったが、言葉が通じないとなると下手なことは出来ないな、大人しく待つか。

 

 

「"ヒルダは一体何のつもりなんでしょう"」

 

 

独り言でも言ってないと寂しくて仕方ない。

最早、絨毯に寝っ転がった私は、次にヒルダが来たらどうやって逃げ出そうかとか考え始める。

 

 

 

 

 

 

今日の帰りの事である。

 

ケータイショップから出ると生憎の曇り空、雨は降っていないが不吉な気配がした。

さっきまで晴れてたのに、不幸の風がどっから持ってきたんだか、雲は厚く、月明かりも星の輝きも綺麗に消してしまっている。

 

帰路に就いたその矢先、空から地上に視線を移した私の足元、自分の影の形が変わったのが見えた。

ヤバいと思った時には手遅れで、あのスタンガンみたいな攻撃が全身を襲い、膝をついた時点で彼女がその姿を現したのだ。

 

 

――ヒルダ・ドラキュリア。

 

 

金髪のツインテール、真っ赤な唇。

真紅のマニキュアをした真っ白な手は、ドレスと同じ黒色の傘を差していて、自由な振舞いのトロヤと違い、優雅な所作もまた彼女の魅力を引き立てる材料となっている。

 

華やかなローズと微かなパチュリの甘い香りが鼻腔をくすぐり……

 

 

 

――ピリリィッ!

 

 

 

頭の奥に、痺れるような刺激が……!

 

やはり、気のせいじゃなかった。

 

 

彼女の――香水も含めた深みのある甘い匂いに…反応してるぞ!

 

 

こんな状況でも、一応窓枠を覗いてみる。

 

けど……変化は見られないね。

 

彼女の力を借りて(奪って?)逃げられるかも、なんて考えは通用しなかった。

そう都合良くはいかないものなのか。

 

 

「トオヤマクロ、お久しぶりね」

「ええ、本当に。待ち遠しかったですよ、ヒルダ。早くあなたに会いたかった。出来ればもっと()()()()()で、()()()()()()()()()()()()()()()()()、改めてゆっくり語り合いたいです」

 

 

(トロヤが2人いる理由も知っているだろうし、ヒルダが逃げ出すまでの経緯を聞き出さないと、次に戦う時にも魔臓を瞬時に回復されたら敵わない!情緒纏綿な表現ですが、()()()()()()()()()に会いたかった……)

 

彼女は強い。スイッチを入れたとて、そう簡単には逃がしてくれないだろう。

現に、もう敗色濃厚で逃亡も出来ない。襲われた理由も不明だし、本日は口先だけでお帰り頂けないかな?

 

 

「そ、そう…」

「……なんで顔が引き攣ってるんですか、そっちから会いに来ておいてあんまりですよね?」

 

 

(挨拶も刺激が強すぎますよ……)

 

紅寶玉色の瞳はこちらを直視せず、その赤味が顔全体に伝播していっている。

しかも、ただ引き攣らせた苦笑いではなく、ちょっとだけ嬉しそうな表情も覗かせてるし、そのせいで形の良い唇の端から"キバチラ"してて不気味なんですが……

 

あ、ちょっと羽がパタパタしてる。何か良いことあったな?

そういう癖はトロヤと一緒なのね。くそぅ、触ってみたくなるじゃん!

 

 

「私以外の前では(キバチラが不気味だから)その(変な)笑顔を出さないでくださいね?(羽はパタパタしてて)可愛いけど(あなたの品行を思うと)誰にも見せたくないんです。私は(その変わった挙動は)特別なモノだと思いたいんですよ」

「…あ、あなたは誰にでもそんな事を言うのかしら…?」

 

 

何その顔色を窺うような仕草。薄ピンクだった顔がより赤くなって……怒ってるのか?

そんなに酷い事言った?こっちにはもっと訴えたい事はあるんだぞ!

 

怒ってるか怒ってないかで言えば100%怒ってるし、腹這いで寝っ転がったままだけど腹は立ってるんだよ!

私はスタンガンを笑顔で許容する菩薩様になった覚えは無い。

 

ガッツリ言い返したるわ!

覚悟しぃや?あぁんこるるぁっ!

 

 

「あなたにしか言うわけないでしょうが!言わなくても分かる事ですよ!あなた以外にあり得ないですからね!!」

「――ッ!?」

 

 

あ、発言してから思い出したけど、トロヤも"キバモロ"+羽ピヨピヨしてたわ。

いやでも、あっちは元からお高く振る舞ってないし……

 

またしても余計なことを考えていた頭を、ガスッ!と地面にぶつけて雑念を追い払う。

仕切り直して、首を少し無理な角度まで上げると、ヒルダは口をパクパクさせて、何も言い返せないでいた。

 

語気を強めた私の発言に、電撃が落ちたみたいな反応してるぞ?お顔真っ赤で怯みまくりだ。

ビビったのかね?ねえビックリした?あんまり威嚇とかしないから、ちょっとだけ不安だったんですよー。

 

でも、その反応……聞くまでもないね。

ふふんっ!どんなもんですか?私だって怒鳴ることもありますし、すごい威力!私すごいッ!

 

ちょっとくらい調子に乗っちゃうよね?やっちゃうよね?いいんだよね?

 

 

「おほほ、今日の所は見逃して差し上げますよ?」

「……地を這う芋虫が、随分大きく出たものね?」

「…あれ?あれれ?」

 

 

おっやー?

立ち直ってるなー。

 

彼女の顔は未だに赤みは抜けきっていないが、目に力が戻ってる。

差していた傘を閉じ、地面の影に沈み込めていくと、傘は闇の中に溶けるように影に隠された。

 

(え、なに?効果時間終了?戦闘終了までA(こうげき)が1段階減少じゃないの?)

 

そうだなぁ…体は動くかな?

 

 

……無理。

 

 

「あ、あはは?今日の所は見逃して頂けませんか?」

「おほほほ……本当に、おバカなのね、あなたは」

 

 

立ったままのヒルダに見下され、馬鹿にしたようにって言うかバカしたんだけど、笑われた。

恥ずかしさでいっぱいだから、お顔真っ赤で何も言い返せない。

 

見ないで!こんな私を見ないでぇっ!

 

そして、悔しい。

あの人、羞恥心で悶える私を見て満足げだよ。

鬼!悪魔!吸血鬼!

 

限られた駆動可能範囲で顔を隠し、固い地面と二度目のでこタッチ。

私は地面私は地面私は地面……

 

 

「トオヤマクロ、そのまま聞きない」

 

 

 

 

 

ヤダ。

 

 

 

 

 

……嫌だけど、動けんしなぁ。

 

 

「光栄に思う事ね。私はお前を招待しに来たのよ」

「……」

 

 

 

 

 

ヤダ。

 

 

 

 

 

……嫌だけど、逆らえんしなぁ。

 

 

「何度か耳にしているのではなくて?――リトル・バンディーレ、と呼ばれる戦いを」

「――ッ!」

 

 

 

 

 

ヤダヤダ。イヤだ。

 

とうとう来た、こっちの方からも勧誘が。

 

箱庭からも勧誘されかけたのに、今度はパオラが話してたリトル・バンディーレの戦士さんがご登場ですかい。

私は1人しかいないんだよ?トロヤみたいに増えないんだからね?

 

しかも、引き入れるだの処理するだの、こっちはかなり過激派が集まってる印象だ。

ヒルダが関わっていても何らおかしくはない。

 

断れば恐らくこの場で……

 

 

「トオヤマクロ、これはお前の為なのよ。戦役の中で同盟は3つまでしか作れない。私はトロヤお姉さまの代理としてルーマニアの代表戦士(レフェレンテ)を務めるわ」

「…同盟?」

 

 

なんだか用語まで似てるんだな、箱とリトル。トロヤも掛け持ち派か。苦労してるなぁ…あっちは増えるけど。

しかも、こっちも国の代表?こっちも世界規模の争いになるんですか?

 

 

「予想される参加国は12ヶ国。その中でルーマニア、ブルガリア、エジプト、ドイツ、オーストリアは既に同盟を締結している……この意味が分かるでしょう?」

「……」

 

 

3分の1以上はもう一つにまとまってるって事か。

そうなれば、そこに新たに同盟を申し込む国も出てくるかもしれない。

 

もしそうでなくとも、戦力が十分に揃っているから、残りの国が一纏まりにでもならない限り、一番の勢力を持つことになる。

 

……そこに私を匿ってくれるつもりなのか?なぜか参加前提で命狙われてるみたいだし。

 

 

「理由を、聞かせてください」

 

無償の助けなど容易に信用してはならない。

それは必ず相手にとって有利になる点が、どこかしらに存在するからだ。

 

だから出来るだけ話をさせて、その綻びを見つけ出す。

口を滑らせれば大金星だが、矛盾点を掴めればそれだけで良い。

 

話し掛けるにあたって、真剣な表情で熱が引いた額を持ち上げると、目が合ったヒルダはわたたたっ!と焦ったように目を逸らした。

ははーん。後ろ暗い事を隠してますね?

 

 

「理由は……そ、そう!戦力、戦力の増強よ!」

「そうですか」

 

 

ダメだこりゃ。初手で嘘つかれたっぽい。

 

でも、まて。

仮にも相手は吸血鬼。見た目と年齢は釣り合わないんだろうから、相当な人生経験……してるかな?

トロヤもそうだったけど、箱入り娘って感じがするよね。古めかしくて浮世離れしてるし。

 

だが油断しないぞ。

あのしどろもどろで取り繕うような受け答えも、わざとかもしれない。

 

戦力目的ではないと見せかける為かも……

 

 

「それだけなはずはありませんよ。ヒルダ、あなたの同盟は他を圧倒するはずです。その中に私一人が挑んだ所で、一蹴されてしまうでしょう。敢えて私を誘う理由が知りたいんです」

 

 

これは確認。

もしかしたら、初めに話した同盟が……聞くだに強そうだけど、もしかして弱小国家の集まりなのかもしれないし。

そしたらやっぱり私はガンガン矢面に立たされるわけだ。その線を潰しておきたい。

 

 

「―ッ。…トロヤお姉様に勝利したお前を欲することに、なんの疑問を持つのかしら」

「トロヤの実力を知るあなたが、戯れ程度であっても彼女に私が敵うと思うんですか?」

「…!お姉様が負けを認めたのよ!その事実に相違はないわ!」

「あなたより弱い私を引き入れて、どうするつもりなのかと聞いてるんです!」

 

 

そう言い切り、跳ね起きる。

体の痺れはだいぶ緩和されたし、同盟を組むのはどう考えてもリスクが高い事が分かった。

逃げるなら動揺を誘えている今の内に……

 

……逃げるのは無理だな。

この暗闇の中、闇を支配する吸血鬼からどれくらい逃げられる?お空の天気も芳しくない。

 

ならば、戦って倒していく。

その方が可能性はまだあるだろう。

 

 

「リベンジです!ヒルダ。出来る限り手を抜いてくださいね!」

「……イヤね、億劫だわ」

 

 

ヒルダが真面目な顔でチラリと右を見たが、そんな古典的なトラップに引っ掛かると思ってるなら、余りにも舐め過ぎである。

…ちょっと気になるけど。

 

(ほら、何も起きないじゃないですか。ヒルダもこっちに向き直ってニコッとしてるし、いやはや、騙し合いではトロヤにも圧勝だったんですからね)

 

彼女はじっと動かないで向かい合い、ニコニコ顔から、してやったりなニヤリ顔。

紅寶玉色の瞳も吸い寄せられるような色目遣いで、私の視線を…前にもこんなことがあったような……ッ!

 

(しまった!)

 

あのトラップはブラフ。

本命は姉妹揃って面倒臭いあの能力。

 

(催眠術か……っ!)

 

 

「トオヤマクロ、そのまま、そのままよ、いい子ね。両腕を後ろに回して、大人しくするのよ?」

「卑怯…者ォ……」

 

 

 

 

 

 

思い出すだけで悔しい。悔しい悔しい悔しーいーっ!

 

ヒルダの思惑は私に露払いでもさせる事なんだ。

彼女がサンタンジェロ城に私を幽閉しようとしたのも、リトルが始まった後にローマ市内で暴れさせるつもりだったんだろう。

 

こうして連行、監禁された牢屋も、ローマ市内のどこかだと思う。たぶん……地下。

鎖で拘束された後は、半裸で全身真っ黒な、これもたぶん……男性?いや、オス?のジャッカル人間に袋に突っ込まれた。そこの斧を持ったおっかない看守さんだ。

躾がなっていないのか、客人の扱いが雑で、偶に思いっきり壁とか段差にぶつけやがりましたよ、御輿持ってこいやー!

 

おかげで体は今も痛み、ムチ打ちとあちこちに打撲の傷が量産されてる。

はぁー、朝から晩までどん底だ。

 

 

「"…日本人……?"」

「"……えっ?"」

 

 

……返事、返ってきたぞ?まさかの日本語で。

 

とはいえ、日本人ではないだろう。そこまで流暢な発音でもない。

過去に話す機会があったのかもしれないが、日常会話が出来るレベルなのかは分からないな。

 

 

――良し、決めた!顔が見たい。

 

 

会話が可能ならどうにかできる。

お隣さんだよね、だったらすぐ近くにいるのと同じだ。

 

痛む全身を動かし、リラックス状態から体を起こす……調子は、いけそうだぞ。

 

 

「"今、そちらに伺います。少しお待ちください"」

「"…えっ?えぇっ?"」

 

 

ヒルダは私の武装を解除しなかった。

人間ってだけで甘く見てる節があるし、その考え方は改善した方が良いと思う。

 

しかし、流石に脱走や自殺を防ぐ為だろう、金属の類は牢の中に置いていない。

 

 

(――まさかね、もう使う事態になるとは思ってもいなかったわけなんですが、パオラ様ありがとうございます!)

 

 

私が取り出したのは"アンコウナイフ"。

別にこれで両手首を切り落とすなんてことはしない。体勢的に出来ないし。

 

厄介な縛り方をしてくれたもんだよ。

首と繋がってるから腕を下にも下げれないし、脚も潜らせられない。

 

このままでは何をするにも一苦労。

脱走前にどうにかしないと。

 

 

(看守の強さは分からないけど、腰布だけ身に付けた下僕っぽいのが、ヒルダより強い訳ないよね)

 

 

シミュレーションは完了。

あいつも、あいつの得物も利用して、脱走したる!

 

覚悟を決めて、圧力弾倉とアルミ弾倉を手の感覚だけで識別すると、順番にアンコウナイフのグリップの中に詰め込んだ。

セット完了。

 

鉄格子に背を向けて立ち、左手に鞘に入った刃の方を握ったまま、右手でグリップの起爆スイッチを押し込む。

 

 

――さあ、準備は出来た!確実に決めろ!

 

 

右手を放すとワイヤーが伸びて、グリップは地面に向かって落下していく。

それを右足の裏で一回トス、さらに振り向きざまに、少しだけ強めに蹴り飛ばす!

 

 

 

ヒュンッ――!カッ

 

 

 

蹴ったグリップ改め閃光弾は、鉄格子に掠って方向を変え、看守の方へ……

 

 

「……?」

 

 

伸びたワイヤーが3mを超えて回路が作動し、ジャッカル男の武器――半月型の斧に巻付いて停止する。

 

 

「?…??……ウォン?」

 

 

見慣れない物体に釘付けになった看守さん。

大丈夫、火傷するけど、死にはしないから。

 

 

 

カッッッ――――!!

 

 

 

流石に暗闇専用で安全性に留意したものだけあって、学校で扱うマグネシウム混合の閃光手榴弾程の強い光ではないが、闇に慣れた目には太陽よりも眩しい十分な威力!

直接見えていないのに、視界に残光が残る程には強力である。

ジャッカルさんも突然の光に驚き、咄嗟に防御態勢を取った。

 

 

――今ですッ!

 

 

斧から伸びるワイヤーは、私の左手のグリップに繋がっている。

それを頂くぞ!

 

残念ながらアンコウナイフにはワイヤーを巻き付ける機構は無い。弾倉を詰めて電子回路を搭載するだけでいっぱいいっぱいだからだ。

だから自分の腕で引き寄せるしかないのだが、私は腕が使えない。

 

しかし方法がない訳ではないよ?

過去に似たような光景を見たからね。

 

 

 

(廻れ廻れ、廻れぇーッ!)

 

 

 

自身の左脚を軸に、右足で思いっきり地面を蹴って全身を回転方向に加速させる。

 

トロヤとの戦闘でフラヴィアが使った人間ウィンチ。

あそこまでの速度は出ないけど、斧の1本くらい引き寄せられる!

 

伸びたワイヤーが上半身に巻付いていく。全部で4、5mは伸びただろう。

最初は順調に巻いていたが……

 

(これ…かなりくるじい……)

 

防刃制服と腕に巻付いた鎖があるから、ワイヤーで身を切る心配はないものの、結構締められる……

フラヴィアはよくも平気でこんな事出来るな。

 

しかし、その効果は確実にあった。

看守は急に引っ張られた武器を手放し、慌てている。

 

斧が牢の鉄格子の隙間を通過する、その直前、私は回転を止めて両膝を曲げ…

 

 

鉄沓(かなぐつ)――ッ!」

 

 

左足の爪先、足首、膝、そこから腰を通して右膝、足首を同時に伸ばすことで、最後に右足で放つ後ろ蹴り!

 

それを斧の持ち手の先端に叩き付ける!

 

 

 

ガギィンッ!

 

 

 

鉄格子に挟まる様に引っ掛かった斧は、叩き付けられた衝撃をてこの原理で反対側に伝達し、そこから直径3、4cm程の鉄格子に衝撃が伝わって、2本の鉄柱を手前側に大きく変形させる。

 

ここが脱出経路だ!

 

この機会を逃せば次は無い。

鎖とワイヤーが体を縛り続けたまま、牢の外に抜け出す、当然斧も後ろから付いて来るが…

 

 

「ウオオォォーーンッ!」

 

 

(げっ…!)

 

看守さん、もう復活してる。

それ以上に、あの閃光を目の当たりにして、目が普通に見えてるみたいだ。

 

これは――

 

動物の如き素早さで接近してきたジャッカル男は、床に落ちて…私が引きずっていた斧を拾い上げると、そのまま上方に振り上げるように攻撃してきた。

 

(なんて筋力だよ!斧は振り下ろすもんでしょ!?)

 

ワイヤーが繋がっているせいで、踏み込みで離れることも出来ず、避けられない!

出来る事と言えば後ろに振り返って、鎖で刃を受けるくらいのもの。

 

 

 

ガチャアッ!

 

 

 

しかし、鎖で受けても、その威力を殺すことは出来なかった。

打ち上げられるように天井に叩き付けられた私は、今度は重力に引かれて地面に叩き付けられる……うつ伏せで、()()()使()()()()()()()()()()()()で――。

 

天井に叩き付けられた時は意識が飛ぶかと思ったけど、衝撃を逃がす訳にはいかなかったのだ。

 

 

骨克己(こつこくき)』――

 

 

自分の身体を自分の力で脱臼、骨折させて、物理的にフニャフニャになる末期的な脱出技。

本来ならば逃げ出せない狭い場所も通れるのだが、修復が自分の力で出来ないというオマケつき。やはり遠山家(我が家)はイかれてる。

 

そこで、あのジャッカル男を利用させてもらった。

1人で私を軽々持ち上げるくらいの筋力の持ち主だったし、ホントなら斧を返して、適当に振り回したところを利用しようと思っていたのだが、閃光に耐性があるとは。…こんな人外に耐性が付いた私も十分アレだけど……

 

首には鎖が巻付いたままだが、ワイヤーは切れたし、もう、いいよね?

 

 

「ありがとうございました。すっごく痛かったので、これはお礼です」

 

 

脱走したら殺すようにとでも命令されていたのだろう。

起き上がった私に向かって、斧を振り上げたまま駆け寄ってくる。

 

 

「ウガァーッ!」

「……この黒き 闇に浮かびし黄金の 遠山桜は ああ、絶景かな」

 

 

歌と共に構えを取る。

これは私のオリジナル技だ。

 

鉄沓同様、攻撃に特化した、私にしては珍しい部類の技。

 

 

「――いつか散り行くこの花を、その目に焼き付けて下さいね?」

 

 

 

 

それは散り行く夜桜の様に。

 

華麗で淋しく、豪華で慎ましい。

 

 

まるで表と裏が正反対。

 

そんな表裏が、同時に見える、刹那の瞬撃。

 

 

 

 

 

――――――『徒花(あだばな)

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただき、ありがとうございました!!


クロへのラブコールは人間とは限りません。
類友と言う言葉にある通りですね。

箱庭とリトル・バンディーレ、クロは別物だと勘違いしていますが、この2つは同じものです。参加国の殆ども、その名前が挙がって来ていましたね。いやはや、どの国が思金を保有していて、どんな勢力図になるやら。


本編の内容に移りまして。
クロは捕まってしまいました。その犯人はヒルダとジャッカル人間。

さらに、その会話の中から、彼女がルーマニアの代表戦士としてブルガリア、エジプト、ドイツ、オーストリアと同盟関係であることも明かされていました。
クロも思っていた事ですが、明らかに強そうです。まず、ヒルダが弱い国と同盟を結ぶとは思えませんし、エジプトと言えばあの人もいますから、その時点で強い。

クロを勧誘した理由は何なんでしょうか?
そしてクロはこの同盟を受け入れるのか?

それは次回には明らかに…出来ればいいですけど。


ではでは!次回もお楽しみに!
体を冷やさないように、お気をつけてお待ちくださいなー!




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親愛の徽徴(後半)




どうも!


最近、バナナチップスのおいしさに気付いてしまった、かかぽまめです。
キャラメルコーンといい勝負ですね。


遅くなってしまいました。
特に理由は無いので、いい訳のしようも無いですね。

強いていうなら、炊き込みご飯がおいしく作れて嬉しかったとかそのくらい。


前回は自分の牢から脱走した所まででした。
その続きから。


では、始まります!





 

 

 

「"お待たせしました。初めまして、私はクロです。あなたのお名前を伺っても?"」

「"クロ…さん?……あなたは、どうしてここに……"」

 

 

牢の中に閉じ込められていたのは、予想通り少女だった。

しかも、小さな子供。

 

奴隷のようなボロ布を、骨の浮き出ている痩せこけた身体に纏い、弱り切った表情が彼女の顔の形になってしまったかのように、怯えている。

 

私が特別に怖い訳ではないだろう、違うはずだ。たぶん、違う……と、思う。

看守を散らせた所はここからでは見えていないのだし、首の鎖も解いて外に置いてきた。こんなに親しみを込めて接する私が怖いわけがないのだ。

 

 

……まあ、確かに?

入る時に鉄の棒が邪魔だったから、再度斧をお借りして一発かました後ですけど、てこの原理ってのは遥か昔から体系化された人類の技であって、私が代表して恐れられる謂われはないんです。

 

(他人自体が怖いのかな?)

 

 

「"答えても構いませんが、今のあなたには教えられません"」

「"……っ!ごめんなさい……"」

 

 

ほら、謝った。

おまけに沈み込んじゃって、居た堪れない空気に……

 

(しゃーないなぁ、ヒントをあげましょう)

 

 

「"名前を、教えて頂けませんか?"」

「"…………"」

 

 

あら、誤った?

名前を聞くことがタブーワードになるの?

 

迷うような気配を感じないことも無い。

ただ、警戒して隠しているのではなく、口にしていいのかを真剣に悩んでいるみたいだ。

 

(……何を迷う必要があるんだ?)

 

身分?リトル関係?恥ずかしい名前?

……誰かに聞かれたくない?

 

 

「"…無理に答えろとは言いませんよ"」

「"あの、ごめんなさい"」

 

 

また、謝った。

酷いな、これは重症かもしれない。

 

このまま気を遣って会話していても、互いに得るものは無いだろう。

仲良くしたかったけど、方針を変えようか。

 

 

「"ですが、それならあなたは、私の名前を呼ばないでください"」

「"……え?"」

「"私とあなたは、所詮牢で出会っただけの他人。仲間かどうかも分からないんです"」

「"あ……"」

 

 

他人という言葉に反応を示したが、名前を呼ばないでくださいと言われた時の方が動揺は大きかった。

ふむ、脈はあるようだし、もうちょっとだけ、彼女の心情を探るとしようか。

 

こういう仕事はヴィオラが向いていると思う。

手伝ってもらおうかなとケータイを取り出してみたが、ものの見事にぶっ壊されてる。購入直後の電撃で。

マジマジなんなん?これ初期不良いけるかなぁ…?

 

 

……そういえば、ヴィオラは過去に私の窓枠を自由に使いこなしていた。

 

私はON/OFFのみが可能で、1つだけは自由に中身を扱える。英会話教材CDを聞いたり、音楽を再生してみたり。

残りの窓枠は時間や距離等の計測や計算なんかで、窓枠の表面に落書きをするような感覚なのだ。セルヴィーレなしでは他の窓枠の内側には入り込めない。

 

それと私には窓枠の向こう側が見えない。

だから、その先に何かが潜んでいても、気付くことは出来ないのである。

 

対して、ヴィオラは窓枠の内側にまで計算を展開していた。

0と1の羅列が雨の様に、窓枠の世界を上から下へ、結合と分離を繰り返して消えていき、また新たな2進数が降り注ぐ。

 

あの窓枠は無色だったから私にはハッキリと見渡せなかったが、そこにも()がいたのかもしれない。

()()()()()()()()で、()()()()()()()()()()()()誰か。

 

そこから侵入を果たしたヴィオラの()()()とやらは、窓枠を通過し、窓枠の世界を自由に伸び進んで行って、別の窓枠に入り込んだ。

その世界には同じように雨が降り始め、枝をケーブル代わりとして、データの送受信と計算を行っていた。

 

彼女の能力は、私以上に私の能力を知っていたという事になる。

…少し、怖い。

 

 

「"あなたはなぜ、捕まっているんですか?"」

「"それは……"」

「"あー…いえ、これは私が不躾でしたね。事情があるのでしょう"」

 

 

またしても辛そうな顔をする。

視線が左上と右上を行き来して、結局下に向き、過去の境遇だけでなく、未来への失意も強く表れていた。

 

秘密の多い子だ。

こういう時はあの話題が無難ですかね。

 

 

「"好きな花とか、ありませんか?"」

 

 

これはトロヤにも通用した(と思う)会話のツールキット。

吸血鬼に効果ありなんだし、花も恥じらう少女には効果絶大なはず!

 

 

「"お花……"」

「"ない…かな?"」

「"……ある"」

 

 

彼女はしきりに辺りをキョロキョロと見回す。

2人しかいないはずの空間で、私ではない誰かを警戒しているのだ。

その正体が私には分からず、不自然な影が無いかを一緒にキョロキョロ探してみる。

 

 

「"……大丈夫そう"」

 

 

安全を確認できた様子だが、その顔には焦りが見える。

好きな花を聞いただけでどうしてそこまで気を回さなければならないのか。

 

 

「"ヒマワリ…です"」

「"ヒマワリですか!太陽の様に明るくて、元気の出る良い花ですよね"」

「"しーっ…聞かれます"」

 

 

相槌を打った私の声が大きかったので、注意されてしまった。

ごめんなさい、一瞬、楽しそうな顔をしたから、もっと気分を盛り上げようと思って……

 

年下だろうに、しっかりしてるなー。

こんな状況だからこそお互いを鼓舞し合う、お祭り大好き強襲科と違い、状況の悪さを鑑みて、騒ぐ事の危険性を理解している。

そういう訓練を受けて来たわけじゃないだろうに、筋が良さそうな子だ。

 

大人しくしていろと言われた数分後に、つい出来心で脱走したのは私。

勘付かれるのも時間の問題かもしれない。

 

 

「"…ヒマワリ好きな子が私の友達にいるんです。彼女をあなたに会わせたいですね"」

「"お友だち…"」

 

 

あからさまに気落ちした感じで視線を逸らしたかと思うと、直後にはあの諦め顔。

…ダメだな、モヤっとする。

 

(これが姉さんの言う、時折私が見せる表情ってヤツなのか)

 

その辺は同じ感情を持つ者同士で分かってしまうが、あれは無意識に出てしまうもので、隠そうと思っても取り繕えない。

今は無理だと評価しても、"いつかはどうにかなる"。そんな希望があれば、あそこまで顔にべっとりと張り付いたりはしないのだ、

 

 

――()()()

 

 

未来永劫。成し得る事はない。

そう思ってしまうから、ああなる。

 

私の顔にも、同じ心情の人間や親しい人間など、見る人が見ればあの泥のような表情が張り付いているのだろう。

相対する少女の様に。

 

 

私は嫌いだ。この不可能という言葉が。逆もまた然り、碌なモノじゃない。

100パーセントの確率ほど、人間の可能性を否定するモノは無いから。

 

特に倹約心に凝った訳ではないけれど、100%失敗するなら私はそこには手を付けない。それは非合理的だから。

別に向上心の塊って訳ではないけれど、100%成功するなら私はそれ以上手を加えない。それは非効率的だから。

 

するとどうだろう、私は100%の力を出したと言えるだろうか?

100%を出し切らなかった、残りの私はどこに行ってしまったのだろうか?

 

少しずつ、本当に少しずつだけど、私が削れて行っている。

そんな妄想が、追い詰めるのだ。

 

 

私という存在が、()()()()()()()()()()()()()ような。

一種の強迫観念。

 

それが…窓枠の向こうに現れた別の()の存在が、余計に拍車を掛けて――

 

 

 

 

――私が主人格で、窓枠の向こうの自分がもう1人の人格だと……

 

 

 

 

……『誰が、言った?』

 

 

 

 

 

 

「"…で…すかッ!?"」

「"……ん…ッ!"」

 

 

ハッとした時には彼女の顔がすぐ近くにあった。

スイッチが入っているからって長く考え込み過ぎたみたいで、ずっと黙ったままの私を心配してくれたみたいだ。

 

元々はパッチリだっただろう二重の瞳は、うまく入らない力で瞼を懸命に開き、心ここに在らずで虚無な私の瞳を見つめている。

接近して気付いたが、パサパサに乾燥した髪の毛は毛先で枝分かれし、衣・食・住の基本的で最低限の生活も送れていない事が窺い知れる。

 

 

 

――ぴり……

 

 

 

(ん?今、何か?)

 

 

一瞬、何かが気になった。

しかし、その追求よりも彼女の心を晴らす方が先決だろう。

 

 

「"クロさん、大丈夫ですか!?"」

「"…はい、ご心配をお掛けしたようで"」

「"顔が悪いですよ"」

 

 

(失敬なッ!)

 

あ、顔色か。

最近、パトリツィアが同じような日本語の誤用による失言をしなくなったから、久しぶりな感じがする。

すぐ思い出せるだけで「"手が早いね(仕事が早いね)"」とか「"耳ザコい(耳聡い)"」とか「"カモノハシみたいな足だね(羚羊のような足だね)"」とか。

 

可愛らしい暴言だけを挙げてみたが、酷い時はホント酷い。

「"大変そうだね、骨折ってあげようか?"」はマジでビビったからね?あの人シャレになってないからね?

手伝うでいいよ!身の危険を感じたよ!

 

懐かしくて、ちょっと笑っちゃった。

 

 

「"もう、問題ありません。それより……"」

「"?"」

 

 

先程の暴言は聞き流そう、ただの言い間違いだろうし。

でも、これは聞き咎めざるを得ない。決着を付けなければならないだろう。

 

少女は自身の発言や仕草に問題があったのかと顧みているところだが、暴言問題には思い至らない模様。

まあ、そっちはどうでも良いんだけどね。

 

 

「"名前…呼びましたね?"」

「"ッ!"」

 

 

一際びっくりしたように全身を不随意的に跳ねさせた少女は、もうビックビクになって……ちょ、涙まで出て来てるんだけど!?

そりゃちょっと威圧を込めて声を発したよ?でもここまで怯えるか?

 

何かを想起している。

子供がお説教やお仕置を嫌って、親に同情と許しを乞うのと同じように。

これは防衛本能の1つなのだ。……きっと。

 

しかし、そう簡単に絆されるのも彼女の為にならない。

心を鬼にして少しきつく当たってでも、性根の修正が必要になるはずだ。

 

 

「"怒っていませんよ?でも、許しません"」

「"ご、ごめんなさい!"」

「"謝ったって駄目です!"」

「"本当にごめんなさい!"」

「"だめだめ"」

「"ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――"」

「"えっ、ちょっと……"」

 

 

謝り続ける彼女の姿には、ほんの少しの理性も感じない。

本能で、ただただ生き残る為だけに、この方法しか許されていなかったかのように。

 

ただただ、謝り続ける。

その姿は――

 

 

 

(――チュラを思い出す)

 

 

 

パトリツィアとの決闘で、私が空白による負傷で意識を手放しそうになった時、駆け寄ってきたチュラもそうだった。

 

一生懸命に謝って、次には……何をしていいのか分からない。だからまた、謝る。

 

その光景と瓜二つだ。

 

 

だが、あの時とは確実に違う。

この少女は私と出会ってから、端々に知性を感じた。

振る舞いも崩れかけてはいるが、親の教育はあったのだと思わせる影を感じられたし、ここに閉じ込められるまでは普通の人間として生きてきたのだと思う。

 

という事は、今の彼女の振る舞いは――

 

(――思考の放棄かー…)

 

こりゃよっぽど酷い環境だったんだね。

 

あの吸血鬼はこんな少女にも容赦はないのか。

貴族っぽい立ち振る舞いだから、サディストだけど根は良い人なのかもって期待してたのに……

 

 

これは、あれだな。

脱走計画は放棄しよう。

 

 

オシオキが必要なのはこの少女じゃなくて、夜だか闇だか知らんがあっちの眷属様の方だからね。

 

 

 

勝てるか?

――知らんがな。

 

 

後の事は考えてるのか?

――知らんがな。

 

 

お前に利益はあるのか?

――少し考えたら?そんなの……

 

 

 

 

 

……知らんがな!

 

 

 

 

 

屋上での一菜との会話が完全にブーメランになっているが、私だって助けたい人間が目の前にいたら手を差し伸べたいんだ!

 

 

 

だから――――

 

 

 

「"教えてください、あなたの名前を。私はあなたの友達になりたい!"」

「"――ッ!"」

 

 

うわごとの様に謝罪の定型文を繰り返していた少女は、今までで一番大きく瞳を開け、その瞳には微かに光が――

 

 

 

 

――消えた。

 

 

 

 

「"そいつに名前なんてないのよ、クロ?"」

「……」

 

 

生気を失った少女の視線は、私の顔から背後へと移っていき……

背後から、ご丁寧に日本語で、闇の眷属様(私の敵)が、そう伝えてきた。

 

ああ、そうかい。

あなたは本気でそんなことを言う人だったのか。

 

 

肩がガックリと落ちる。

一菜には悪いが、私はこいつとは仲良く出来そうにない。

 

 

「そこで何をしているのかしら。外のゴレムは…あなたの仕業?」

「死んではいませんよ?しばらくは安静にした方が良いでしょうが」

「おほほほっ!あなたって魔術に疎いのねぇ。使い魔の正体も見極められないなんて」

「正体…?」

 

 

外の看守――ゴレムさん?――は確実に制圧した。

かなり頑丈だったから『徒花』を3セットもぶつけたが、人じゃないし死んではいないだろう。

 

それより使い魔ってのは、アレだよね?魔女の使役する烏とか蛇とか狼とか。

人っぽかったけど顔はジャッカルだった、ハイブリットな生物。悪趣味な使い魔だよ。

……そういえば体、鉄みたいに固かったなぁ。

 

 

「そのおかげであなたの脱走に気付けたのだけど。もう少し賢いかと思っていたわよ?」

「それは使い魔を取り逃がしたことについてですか?」

「ええ、でもそれ以上に……逃げ出そうとするその愚かしさについて、かしら」

 

 

ヒルダが殺気を放ち始める。

脱走を認めた時点で、ジャッカル男同様私を引き入れるつもりはないのかもしれないが、それで構わない。

 

あんな奴の仲間になんかなってたまるか!

 

 

「ヒルダ・ドラキュリア」

「何かしら?」

 

 

自分よりも強い相手に啖呵を切るのだ。覚悟は……もう決まってる。

 

 

勝って、彼女を救い出す覚悟が!

 

 

「私はあなたが嫌いです!」

「――っ!」

 

 

元々白い顔を、更に青白くさせたヒルダは、優雅に揺らしていた蝙蝠の翼をピタリと止めた。

怒っている訳ではないようだが、その顔はすぐさまキッ!と私を睨み付ける。

 

どうやらムキになってるみたいで、青くなった肌は今度は一転して、赤くなっていく。

色白だと色の変化が激しく、分かり易くていい。

 

 

「私はあなたが、もしかして良い人なのかもと勘違いしていたみたいですね」

「……そんなわけがないでしょう。お前達、弱き人間の様に互いを助け合うなんて傷のなめ合いはしないわ。大いなる自然の中では強者が絶対なのよ」

 

 

もう彼女と繋ぎかけた手は離れる。

それでいい、いいんだ。

 

彼女は……敵だ。

 

 

「私はリトル・バンディーレには参加しません。当然あなた達との同盟も組みません」

「お前に選択肢を与えた覚えはない。逃げることも死ぬことも許さないわ。お前は私達の()()になるの、絶対にね」

 

 

ここまでやって、尚も仲間か……

単なる同盟ではないんだな。

 

戦力だけじゃない、私には何かが求められている。

彼女達の同盟にとって、リトルは通過点に過ぎないのかもしれない。

ただ、こうして欲しいものを手に入れる、契機のような認識……

 

余計に従うわけにはいかない。

私が欲されている力なら、私なら止められるかもしれないのだから!

 

 

「いいえ、敵です!あなた達が平和を…人間を脅かすような事があれば、私は止めに行きますからね」

「く…っ!この無礼者ッ!再三の赦免を無下にするつもりなら、お前の四肢を捥いででも――」

「"そこまでにしておくのぢゃ、ヒルダよ。ほほっ、フラれたからと自棄になる事もあるまいて"」

「"ヒルダ。仲間は大切にね?彼女は私達の待ち続けた存在……の可能性が、(ある)とか(ない)とか"」

 

 

正に一触即発の場面の私達を制止する声が2つ。

吸血鬼が殺気を引っ込めたので、こちらも解かざるを得ない。

 

――日本語で話し掛けて来たのは、件の同盟者だろう。気配が只者ではない。

 

敵対した吸血鬼と同等か……それ以上かもしれないぞ。

ここに来て、絶望的な戦力差となり、なるほど確かに、私に選択肢など与えられていないことが理解できた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"ふ、フラれたですってッ!?違うわ!私は自棄になんかなっていないわよ!"」

「"焦って否定する。そんなところも恋心が、有とか無とか。とってもヒルダらしくって、怪しいね?"」

「"どれ、お前が()()()()()()()()()()()()()()()()()相手とやらの顔を、妾にも見せてみよ"」

 

 

三者の反応は、どことなくあの3人組を思い出させる。

互いを知り合って親睦を深めてきた、ただの同盟相手とは思えない関係。

恐ろしい想像だが、戦いの中でも連携が取れるほどに繋がりが深いのだとすると……カナでも勝てないかもしれない、あの3人には。

 

ここに最低でも、後2人は超戦士が増えるわけだ。

世界征服が出来るんじゃないか?ここまで揃えばそう考えても、突飛のない話だとは言い切れないぞ。

 

そんな中、蛇に睨まれたカエルの如く動くことを封じられた私は、牢の中を覗く視線から逃れることは出来ない。

姿を見せた2人の人間?は……最悪だ。

 

 

先に現れたのはスラっとした身長が少し高めの女性。相当な美人…に成長するだろう。今のままでも十分に美人なのだ、2、3年後には妖艶さも増し、傾国の美女と言われる程の存在となっているに違いない。

彼女のプライドをそのまま表現したような顔は、切れ長の目で私を見下せないからか、少しだけ身を反らせた状態で見下ろしている。

 

 

「"これは…!少し我が強そうな顔をしておるが、東洋人の戦士(メジャイ)も悪くないかもしれんのう"」

 

 

ハイヒールのサンダルで仁王立ちをし、肌も露わな水着姿の上には帯を一本、脚の間に垂らしているだけの煽情的な恰好。見た目から年上だと思う。

バラが好きなのだろうか、彼女の身体からは甘さを多分に含んだ官能的なローズの香りが漂ってくる。香水だけではなく、彼女の身体自体から香っている。不思議。

 

メジャイって何?日本語で話すなら、全部日本語にしてよ。

ハムナプトラなの?守護者なの?お強いアーデスさんなの?

 

 

「"パトラッ!それは許さないわよ?"」

「"心配せずとも、弱き者はいらん。強さも美しさの審査基準に入るでの。こやつは魔女でも無し、精々がCランク程度ぢゃろう"」

 

 

ちょっと!無茶苦茶言われてるんですけど!

しかもそのランク、リアル武偵ランクと同じ位置づけで、反論のしようも無い!

 

 

評論会でいらない子宣言された私を興味深そうに眺めているのは、隣の女性より低い身長で痩せているというより細く儚い印象を受ける少女。

抹茶色の頭の上には…角みたいな2本のトサカが立っている。髪の毛の一部に見えなくも無いが、ヘアスプレーやワックスで固めた物よりもツンツンとしていて、良く刺さりそうな感じがするな。

パトラと呼ばれた女性とは反対に、垂れた目と陽菜並みのロングなゆるふわローポニーテールで、落ち着いた可愛らしさがある。

 

 

「"…この子、ホントに強い?トロヤに勝てるような気がしないよ。有無も必要ないくらい弱そう"」

 

 

辛辣な事を言いながら蛇のような瞳孔の目を細めたこちらも、ローズが主流な香りではあるがベースは違う、甘さは控えめで暖かくエキゾチックなふんわりとした、さり気無い香り。

オシャレなロングブーツの下には、私と同じようにおそらく防刃性のストッキングを着用していて、両手にはチュラ同様、黒いグローブを嵌めている。

そして最悪なのがこの少女の服装――ローマ武偵中の制服だ。殲魔科が好んで着用する旧型の物を丈の短いスカートに変えているが、別に珍しい事でもない。

 

イタリアには既に、この少女が潜入済みだという事。

そして――

 

 

「"パトラー。こんなのに邪魔されたの?私達の作戦って"」

「"……失敗したのはパトリツィアぢゃ。それも、のうヒルダ"」

「"あなた達の方で計画があったのなら先に話しておくべきだったのよ。おかげで私も捕らえ損ねたのだし"」

 

 

(――1週間前の事件に関わっていた……って、パトリツィア?)

 

確かに聞いた。

あのおかっぱ頭の女性の口から出たのはパトリツィアの名前。

 

偶然、同名の別人か?

だってパトリツィアは事件に巻き込まれていたんだし。

 

 

いや、待て。

 

考えてみたら、あのパトリツィアがどうして捕まるようなヘマを犯した?

彼女は狙撃対策も立てたとか意味不明な事を言っていたし、相手に超能力者がいた可能性が高いだろう。

だとしたら、なぜニコーレと陽菜は2人だけの潜入にも関わらず短時間で制圧できた?

 

超能力者が目標を捕らえた時点で契約満了となり、地下に入らなかった可能性もある。

裏の人間は雇った人間を口封じの為にすぐに裏切るから、必要以上の干渉を避けたというのが自然かもしれない。

応じるかどうかは別として、不意打ちでもパトリツィアに勝てるような能力者は少ない。強く迫られたら従わざるを得なかった。

 

これで一応筋は通る。

 

 

でも、もしも。もしもだ。

 

パトリツィアの誘拐自体が、彼女達の作戦の一部だったとしたら?

パトリツィアが彼女達の協力者の1人だったとしたら?

 

邪魔されたというのは一菜の確保の事だ。謎の男がその実行犯を担い、ロシアの殺し屋に弾かれて逃走……あれ?

 

 

 

狙撃されて……無事だった……?

 

 

 

『私は狙撃対策を立てたんだよ。"供え物は売れないし"だっけ?』……まず、単語として成り立っていない。お供え物を売ろうとしてんじゃないよ、罰当たりが。"備えあれば憂いなし"だから。

 

 

 

パトリツィア……もしかして、あなたは……

 

 

 

あの夜、偽物はミラとルーカだけじゃなく、パトリツィアの偽物もいたのか…?

その偽物を最高のデコイとして……謎の男――本物のパトリツィアは一菜を狙って動いていた?

 

でも、なぜ屋上に先回りできたんだ?

私達だってあそこに向かったのはヴィオラの根回しで急遽決まったことだったし、一菜との電話の部分も合わせてどこからか情報が漏れたはずだ。

 

ここからは予想になるが、

 

1つ目『偽物のミラかルーカが仲間であり、情報をリークした』でも、これで電話の内容が漏れるはずがない。

2つ目『本物のミラかルーカが通信機を持っていた』しかし、これも同様電話の内容は漏れないし、わざわざ敵対していないヒルダに仕掛ける必要は無かった。最初からパトリツィアと合流すれば済んだ話なのだ。

 

この2つから、ミラとルーカはパトリツィアと積極的な協力関係ではないか、そもそも敵対していた可能性すらあり得る。

2人が偽物を使ってまで暗躍しヒルダに仕掛けた理由、それはヴィオラ関係の線が太い。パオラたちを襲った奴らの仲間という事だ。

 

グループ分けをしてみよう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

こんな感じ。

 

3つ目は『ずっと何者かに見張られていた』これが有力だ。その人物は私達の動きを把握する立場にあり、私と一菜の関係も知っている。パトリツィアとの関りもあって、近くでずっと、追跡してきた。

導き出されるのは親しい間柄の誰かという結果。

 

 

(アリーシャ?)

 

 

思えば不自然だった。

城に彼女が姿を現すのは早過ぎたのだ。

 

連絡手段も無かった私達が再びそのチャンスを得たのは、地下を脱出した後。

その時には近くまで来ていなければ、あのタイミングで顔を出せる訳がない。情報が鎖されていたのだから。

 

彼女がずっと追跡してきていたのであれば、色々と説明がつく。

電話の内容を聞かれていれば、それはそのままパトリツィアの下に情報が送られる。

そして、私達の目的地を知っている彼女は、その先導まで行えた。

 

仕事として受けたのであれば、あの姉妹は手段を選ばないだろう。

非殺さえ守れば、後は破壊活動でも平然とやってのけるかもしれない。

 

 

これは後でこっそり調べてみようか。

だからここで果てることは出来なくなった……所だったのだが。

 

 

「"でも、さすがにトロヤに勝ったのは嘘でしょ?それとも、このうっすーい水みたいな気配は、わざと薄くしてる?"」

「"ほほほっ!そんなに気になるのなら試せば良い。妾も見てみたいしのう"」

「"トロヤお姉様との戦いは直接見ていないわ。……私も疑っていたの、余りにも弱すぎたから"」

「――ッ!」

 

 

不味い、非常に。

話の流れが不穏だ。

 

珍獣のいる動物園で、目玉動物の檻の前みたいに勝手に盛り上がってる。

こら!檻の中に入っていいのは飼育員さんだけだぞ!こっちには小さい子供もいるんだ、表出ろや!

 

もはや安全柵に見えていた牢の中に侵入してその距離を縮めて来たのは、こんなの呼ばわりをしてきたローポニーの制服少女。

3人の中では一番マシかなー、なんて思ってたからちょっとだけあんし――

 

 

「"人間、精いっぱい足掻け"」

「"――はぇ?"」

 

 

無意識。

もう何も考えずに姿勢を下げた、その頭上を鼠色で粘性のあるモルタルのようなドロッとした物体が通過し、背後の壁に当たって飛び散る。

 

飛散物はそれぞれがその場所で固まり、大小バラバラの大きさのスパイクみたいに鋭利で尖った三角錐となって残った。

檻の中にいた少女は部屋の隅に丸くなってガタガタと震えている。

そのまま、大人しくしててくれ。自分の事で手一杯だ。

 

制服少女の方は尚も変わらず、表情一つ変えない。

鷲掴みにするような格好の左手を腕ごと真っ直ぐに伸ばし、こちらに向けただけ。

 

溜めの動作は無かった。何かを取り出す挙動も。

今の攻撃はどっから出した?

 

無から有は作り出せない。

ヒルダの様にエネルギーをそのまま放出させるような技ならまだしも、この攻撃は()()()

どこかから元となる物質を取り込んだハズ……

 

 

「"何を探してる?人間、余所見をするな"」

「"うわッ!"」

 

 

左腕を下げたと思ったら、今度は右腕を上げる。

同じように鷲掴みの形をした手からは、粘性の物体が勢いよく放たれた。

 

飛散した物はまたしてもスパイクとなって、地面にその数を増やし、足場が減っていく。

狭い場所は不利だ……!

 

 

 

――ガガゥン!

 

 

 

Oh?(おおっ?)

 

 

二丁のベレッタで不可視の銃弾を放ち、相手を外に追い出そうと試みる。

武偵中の制服を着ているのだし、胴体を撃っても大丈夫だろう。

 

 

 

キュキュィンッ!

 

 

 

……?音、おかしくない?

 

まるで牢の鉄格子に銃弾が当たって滑ったかのような音が響き、的外れにも顔を両腕で守っていた彼女の両脇腹を滑った銃弾が後方の2人に流れていく。

 

 

「"ぬおぅッ!?お、お前ッ!後ろに流れ弾を飛ばすでないわ!危ないぢゃろうが!"」

「"ごめんね、ビックリしちゃって、有無を言う暇がなかったよ"」

 

 

水着みたいな女性はジャッカル人間のように、動物的で滑らかな動きをみせて回避し、文句を垂れているが、吸血鬼は避ける動作を取ることもなく、傷を再生させていた。

この人たち、1人にも銃弾が効かなそうなのは、もう何も言うまい。

 

大切なのはここから。

防御の姿勢と会話で隙だらけの身体に、思いっきり叩き込んでやる!

 

 

「鉄沓ッ!」

 

 

もはや説明は要るまい。

要するに馬の後ろ蹴りの威力を再現しようとした、私の攻撃技。

 

外にふっ飛ばしたら、彼女が咄嗟に守った弱点であろう頭部への牽制射撃を中心に、攻めて攻めて、攻めまくる!

 

(喰らえっ――!)

 

 

 

ガッ……グニュンッ――

 

 

 

(な、なんだ、この感触?)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()で、水面のハスの葉を指で押した時に近いと表現できる。

衝撃が吸収されて、押し出すどころか、押し返される!

 

 

「"うぅ…っ!"」

 

 

押し返された先にはスパイクが敷き詰められている。

倒れ込んだら無事では済まないぞ!

 

とりあえず、不安定な体勢から地面を蹴って落下地点の調整をするが、無理な体勢を通り越して、受け身は取れそうにない。

制服少女が再度、左腕を上げているのが見えた。追撃の構え。

 

直接喰らえばどうなるのか。

発射速度から考えればふっ飛ばされて、そのまま硬化して身動きが出来なくなると考えられる。

 

でも、それだけだろうか?

跳ねた物体がスパイク型へと成形されるように、着弾後の挙動にいまいち確信が持てない。下手をしたら硬化どころか、体に突き立てられる可能性も無くはないのだ。

 

(当たる訳には……あっ!)

 

右腕はもう諦めよう。

どうせちゃんとした受け身は取れないし、それよりも左手で……

 

 

タイミングを計る。

 

 

彼女の攻撃には溜めの動作もない。

……が、ヒステリアモードの集中力があれば、彼女が腕を突き出してから、発射するまでの時間をコンマコンマ秒で把握できている。

 

だから次の瞬間には撃たれることも、分かっている。

 

それともう1つの事も分かっているのだ。

 

 

 

――ガゥンッ!

 

 

 

1発だけの不可視の銃弾。

狙いはどこだって良かったが、念のために彼女の左頬を掠めるように打った。

 

ほぼ同時に私は地面に右腕を強く打ち付けて転がり、壁に衝突して止まる。

そして追撃の攻撃が――

 

 

 

――来ない。

 

 

 

「"ひぅんッ!?お、お、お前ーッ!こちらに飛ばすでないわ、たわけがッ!危ないと言うておるであろうがッ!"」

「"ご、ごめーん。ビックリしちゃって、咄嗟にね?ね?"」

「"……ホント、危なっかしいわ。『造流(ゾウリ)』が掛かったらどうするつもりなのかしら"」

 

 

作戦は成功したようだ。

ざまぁ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

ヘビ目少女は反射的な行動が恐ろしく速い。

それこそ、不可視の銃弾で攻撃したのに、左腕で顔をしっかりとガードしていた。

 

しかしその反面、早過ぎる反射行動は彼女の意思を全く無視して動いてしまう。

本能に忠実な動きだが、攻撃を中断させる動作も間に合っていないのでは、言い合いになっている通り、2次災害を引き起こす。

 

謎の液状攻撃、見破ったり!

 

 

思いの外うまくいった作戦に満足し、次からはもう何も怖くないと立ち上がった。

 

(…?体のバランスが悪いな)

 

違和感を感じて関節を動かしてみたりするが、原因は不明。

全身が徐々に重くなっていく気もしてきた。

 

 

「"人間。私怒ったよ?でも、気に入った。だから仲間に入れてあげる"」

「"聞き間違いでしょうか、私は入りたくありません。人を巻き込まないで、勝手にやっててくださいよ"」

「"強い人間は仲間に入れる。お母さんは人間を()()()()()()()()()。みんな私達上位種族より強い、人智を超えた化物たち"」

 

 

…勧誘のつもりだろうか?

どっちかと言うと脅し文句っぽいけど。

 

 

「"私はもう少しで生まれ変わって、そしたらお母さんのお母さんになる。でもその為には力が必要になるから"」

「"私を引き入れる、と?そこの吸血鬼もそうですが、何が目的で、自分より弱い相手を欲しがるんですかね?"」

「"人間は()を手懐けた。それを()から聞いた時、()()が暴走し出した"」

「"黒と白?"」

 

 

最近どこかで似た様なセリフを聞いた。

どこだ?どこだっけ?考えど思い出せど、意味が分からない言葉は容易に思い出せないものだ。

 

然るに、また魔術的なアレコレの話か。

私にはそんなに関係なくない?なんで話題に出したのさ。

 

 

「"試す"」

「"ため――がぅッ!"」

 

 

突然の重力に耐え切れず、地面に倒れ伏す。

スパイクが刺さったらと冷や冷やものだったが、良く見るとさっきまで所狭しと並べられていた凶器は、その姿を消し去っていた。

 

 

「"体が……重い………!"」

「"今、人間の上には…大きなシャラン()が80匹乗ってる感じ。めでたい"」

 

 

(意味不ッ……!)

 

例えが下手くそ過ぎて余計わからん。キロで言ってくれ、ポンドでも構わん。

体感的には80キロ。スイッチが入っていても、自分の体重よりも重いのはかなりきつい。

 

めでたさも分からないから、集中を切らせようと抜銃の構えをとるが……

 

 

「"足掻け、人間、見せてみろ。私が放った『造流』はまだ残ってる。力めば筋が切れるぞ、黙っていれば骨が折れるぞ。抗って、抜け出して、やり返して見せろ"」

「"うっ……ぐぅううッ!"」

 

 

ダメだ、力を入れたらその場所が膨らんで破裂しそうな感覚がある。

どんどん……重く……なる…………

 

 

「"クロ――ッ!"」

「"手を出すでないぞ。ここからが良い所ぢゃからの"」

 

 

目が開けられない、開けたら目玉が飛び出してきそうだ。

臓器へのダメージも大きい。血が上ってくる……!

 

 

「"クロさんッ!"」

「"危ない!邪魔しないで"」

 

 

なんだ?体の重みが和らいだ?

 

 

「"……さん…………ロさんっ!"」

「"……りな……ッ!……世っ!"」

 

 

朧げな意識に声が聞こえてる…ような。

僅かに身体が揺すられている…ような。

仄かに脳内へ刺激が送られる…ような。

 

 

 

ぴりっ!ぴりぴりっ!

 

 

 

ああ、これはあの感覚。

でも、弱い。信号が微弱過ぎて……足りない。

 

 

 

このままじゃ、私は成ることが出来ない。

 

 

 

もっと早い内から研究しておけばなぁ……

 

はは…まあ、いいさ。

救い出す覚悟をした時に、負ける覚悟もしてたんだから……

 

全身の力を抜いて、瞑想を始める。

少しでも痛みが和らげばなぁ、なんて思ってみたり。

 

……やっぱり痛いや。

集中なんて出来ない。

 

 

「"クロさんッ!私は……"」

 

 

だってさ、瞑想なんてしてたら。

こんなに頑張って、私に話し掛けてくれた彼女の気持ちを、真正面から受け止められないじゃないか!

 

 

 

「"私の名前は――理子!だよ!"」

 

 

 

ブワァアッ!!

 

 

――来たッ!

 

 

ピリピリ……ピリ、ビリビリビリビリ、ビリリィッ!!

 

 

脳への刺激が膨らみ上がって、どんどんどんどん大きくなってきた。

 

これならいける!

 

成れるぞ!

 

 

 

 

 

 

好きな花はヒマワリだっけか。

 

ふふ……あなたの香りはあなたが望むものじゃなかったみたいだけど。

 

 

理子。

 

 

愛しい理子。

 

 

可愛らしいあたしの理子を傷付けた借りは……しっかり返却させてもらうぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ふっざけんじゃねーよッ!

 

 

 

 

 

理子は数字じゃねえ!理子は理子だッ!

 

 

 

 

 

お前は……ヒルダ!お前だけは…………ッ!

 

 

 

 

 

 

なんで……

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    なんで裏切ったッ!お前を慕っていた理子をッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


語彙力の無さが響いてきた今日この頃。
接続詞の連投が気になって、修正回数がえらい事に……。

「~が、ー」の接続詞、気付くとあちこちにいるんですよね。
まあ、大した修正にはならないんですが。3つ4つ並んでるとげんなりします。


本編の内容です。

とりあえず、皆さんの予想通り、エジプトのトップはパトラ。
しかし、種族上においてパトラは人間ですので、本当ならちょっと幼いんですよね。
うーん、うまく表現できない。口調がなぁ……

それと、隣に囚われていた少女は理子。これも予想通りだったでしょうか?
第3次プロットまでは別人だったのですが、第4次プロットでリストラされた、『ドロテ』というキャラも有とか無とか。裏話ー。


次回はおまけか本編か決めてません。
止まらずに終わらせちゃった方が良いんだろうなぁ。

ぼちぼち、書いていきますので、お待ちくださいなぁ!




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隠情の黙止(アンノウン・アナウェア)




どうも!


麦茶の消費量が減ってきて、ホットな緑茶がおいしい季節なかかぽまめです。
早く柿が食べたいなぁ……


地下牢での続きになります。
書いた本人の頭がこんがらがる位なので、「うぇ?」ってなっちゃうかもしれません。


では、始まります!





 

 

 

「お姉さま!今日の作戦も大成功でしたね!」

「ええ、そうね。あなたの作戦は完璧ではないけれど、時々私ですら驚かされることがあるもの」

「さすがは高名な怪盗の血を引く者ってワケですね!尊敬しちゃうな~」

 

「こーら、あなたたち?お家に帰るまでがお遊びよ?いつまでもお話ししていてはダメじゃない」

「あらあら、素直じゃないのね。可愛い妹たちの活躍が、嬉しくて堪らないのでしょう?」

「でもでもさー!今日はホントに凄かったよ、君達の妹ちゃんも可っ愛いくて、強くて、頭がいい!あっはー、将来が楽しみだなぁ~!」

「褒めても何も出ないわよ。あなたの妹の方が強いじゃない」

「たっはー…あの子は波があるからさー。一番可愛いのは認めるけど、ホントは同じ道に進んで欲しくないっていうか~」

 

「えーっ!抜けちゃうの?私、優しくて頼れるから、一緒にいたいな」

「結局はあの子次第だよね。無理強いはしないぞー、アタシはさー」

「私もあの子には一目置いているのだけど」

「なんとも。私も妹がこの道に進もうとしたら止めますね」

「あらまあ、私とあなたは人でなしなのかしらね?」

「ち、違いますよっ!そんな意味で言ったわけでは……」

「あんまりイジメないであげて?この子は私の可愛い家族なのよ」

「え、エミリア……ち、近い。抱き着かないで」

 

「…いーなー。お姉さま、私も!ギューッてしてください!」

「イヤよ、恥ず…見苦しい。……抱き着くなら勝手にすればいいわ。功績を挙げた者には恩賞を、貴族の役目の1つよ。多少の不遜には目を瞑ってあげる」

「うふふ…それなら。理子ちゃん、素直じゃないヒルダお姉ちゃんはLintzer cu mere(リンゴのタルト)にしちゃいましょう?」

「うん!いくよっ、トロヤお姉さま!」

「ちょっと、理子っ!お、お姉様!?」

「「せーのっ!」」

「ふぎゅっ!」

 

「……ヒルダさんはいつも素直じゃないなー。イヤなら影に隠れちゃえばいいのにさ!」

「あらあら、1人は寂しいから嫉妬しちゃってるの?」

「ぶっぶー!半分ハズレ~。でも半分はアタリ!アタシも混ぜてーっ!」

「ま、待ってください!カルメーラさんまで…みぶっ!」

「いやー、寂しい!ミーネは精神病院行っちゃって門前払い、リンリンはお母さんと遊びに行くって言うしー。ああ、アタシは孤独だー」

「大げさよ。どっちもすぐに戻ってくるわ」

「だよねー!あーあ、待ちきれなーいっ!」

「苦しいです……」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

(私は、お姉さまと――)

 

 

 

 

 

 

薄暗い牢の中、鼠色の物体に覆われた少女が地に倒れ伏し、そのすぐ傍には小柄な少女が膝をついて、抱き掛かる様にして全身を揺さぶっている。

自分の名を唱えた少女は、それが何年ぶりだったかを思い出していた。

 

縛られた自分自身を解き放つ、魔法の呪文を唱えたのだ。

大好きだった姉の命令を破ってまで。

 

今は自分を見付けてくれた彼女だけを案じて、その目には自分の行動を見咎める魔女達の姿を映していない。

だからこそ、伝わったのだ。彼女の心に根ざす、過去から救いを求める信号が。

 

 

 

その信号こそが、眠れる存在を呼び覚ます、条件なのだ。

 

 

 

 

ピリピリピリィッ――!

 

 

 

 

(……ほほう、信号は1つじゃない、と)

 

 

この深く甘い香りは……訳アリなんですね。ホント、素直じゃない。

良いですよ、一考の価値ありとしましょう。

お説教は確定ですが、絶交については情状酌量の余地があるかもしれませんし。

 

 

 

それを決めるのは、私だけじゃない。()()だ。

 

 

 

――さあ、起きてください。覚えていますか?あのお祭りの日に出会って、夏の終わりに別れて。そして、いつからか私たちを待っていた、()()()を――

 

 

「"当たり前だろ?忘れてんのはお前の方じゃねーのか?"」

 

 

――認めますよ。名前を聞くまで、彼女達だと気付きもしませんでしたから――

 

 

「"そうだよな。……じゃなきゃヒルダとトロヤに出会った時点で……いや、オリヴァとエミリアに会った時点で、あたしが起きてたはずだしな"」

 

 

――2人とも、なんであんな偽名を名乗っているんでしょう?――

 

 

「"知らねーけど、あいつらは変わった。ヒルダと理子も。変わってねーのはトロヤくらいのもんだろ。お前も……変わったんだな、1回死んだからか?"」

 

 

――死んでませんよ!私は普通の中学生です!――

 

 

「"死んだときは小学生だっただろ。しかも女装して浴衣着てな…くふふふッ……可愛かったぞ?ピンクの振袖"」

 

 

――なんですかそれ!私は女ですので、生物学的に女装は出来ません!――

 

 

「"ああ、そうだったな。いいよ、あたしの力を貸してあげる。だがな、()とは縁を切れ。()も近付けんな。あたし達が守るべきは()()()、それと()()()の奴らだからな?"」

 

 

――懐かしい響きです――

 

 

「"そういうとこは覚えてるのか"」

 

 

――何ででしょうね?――

 

 

「"…聞くなよ。あいつも……人間だからな。失敗くらいするだろ"」

 

 

(理子の名前をカギにするとは、いい作戦だよ。だから今はまだ忘れたフリをしといてやるが、あたしの事を見忘れたとは言わせないぞ?オリヴァ)

 

 

 

 

久しいな。

でもって、懐かしい。

 

あの祭りの夜は、キンジ(あたし)がカナとの賭けで負けたのが事の発端だったんだ。

賭けの勝負は確か……線香花火の5番勝負。

 

……カナ、なんか仕掛けただろ。3本先取された上に全敗ってのは納得がいかない。

並べられた10本の中から自分で選んだのは確かだが……

結局、種が分からないあたしの負けで、泣く泣く女子用の浴衣を着せられたな。

 

薄ピンクの生地に赤い牡丹と黒い葉がプリントされてて、光沢の少ない金と薄水色の帯で着付けたと思ったら、付け毛と銀平のかんざしで飾り立てられて。

レンタルらしいけど、用意が良すぎる。

 

 

怪盗団はその日、日本に来ていた。拠点があるらしい。5人組で、日本観光だとよ。

密入国してないだろうな?なんて追及したらかなりの常連さんだったのには驚いたぞ。

 

最初の出会いは……カナとはぐれたあたしと、怪盗団からはぐれた理子。

泣いてる理子に、そのフリフリの浴衣はなんだって聞いたのが初めての会話――

 

これはトロヤお姉さまが好きなの、って。

そんな奴知らなかったよ、その時は。

 

 

 

 

 

「"おま……あなたは理子、って名前だ…ですね?"」

「"クロさんッ!"」

「"理子!どいて!そいつ潰せない"」

 

 

(知り合いがいると遣り辛いな。口調も、仕草も、女みたいになりやがってよ)

 

状況は悪い。

あたしは身動きが取れず、下手な事をすれば理子とヒルダにあたしのことがバレる。

……覚えてるかは微妙な所だけどな。

 

トロヤは恐らく気付いてて、泳がせてる。

悪役が板についてきたな。お似合いだが、本物の悪人に堕ちた理由を聞きたいよ。

聖女様に戦いを挑んだり、エミリアと仲違いしてまであたし達の覚醒を急いだのも、あたしを目覚めさせる為の荒っぽい手段だったわけだ。

 

それはこのためだろう。あの三日月の晩に再会した後、ヒルダに何をどう話したかは知らないけど、そこからヒルダの行動は始まったと考えられるな。

そういや、ヒルダはあたしの事、おもちゃっつってなかったか?どんな伝え方してんだよ、あのバカ吸血鬼。

 

で、あたしをあたしと知らずに探して、ローマまで来たんだ。きっとフランスの拠点で、あたしの噂でも聞いたんだろ。裏の世界では結構な有名人らしいし。

しかし、あいつが()()()()()に縋るとは、相当に参ってるんだな。

 

 

でも、それがどんな理由であれ、この状況をあたしが許す訳がないだろ?ヒルダ。

また理子が1人で泣いてるじゃねーか。祭りの日と一緒だよ。

 

 

「"理子…手を……"」

「"えっ!う、うん……"」

 

 

お説教を垂れるにも、潰れたヒキガエルみたいな格好のままじゃ締まらない。

まずはこの戦況をちょいっとひっくり返す。

 

そのための一手だ。

あたしは差し出された小さな手を両手で包む。

 

 

「"下がりなさい!4世――"」

 

「"お前は黙ってろッ!!"」

 

「"――ッ!?"」

 

 

口調を荒げると、ヒルダはおろか、その隣のアラビア少女も、あたしを追い詰めたローポニー少女も、危険を察したように身を竦めて半歩、後退る。

理子は……もう意識が無い。

あたしの右手には一菜の御守りが握られていたからだ。

 

 

奪った。

文句は言うなよ?あたしは怪盗団の一員だからな。盗んで当然だ。

借りるぞ、理子。

 

 

お前の力と……お前の思いを!

 

 

「"そうか、粘性の液体――『造流』……お前が、『リンマ』か"」

「"――!人間、私の事、知ってる?"」

「"昔、話に聞いただけだ。お前の事は知らない"」

 

 

一喝と対話により戦意を失いつつあるものの、かかる重力は未だに大きい。

そういえば、抜け出して見せろとか言ってたか。大口を叩くのは勝手だが、怪盗が最も得意とするのは……

 

 

「"抜け出してやるよ。そしたらまた、捕まえてみな"」

「"リンマっ!気を付けい!そやつの気配は……超能力者(ステルシー)ぢゃ!"」

「"っ!"」

 

 

おかっぱ少女があたしの力を少し勘違いしているようだが、言われてみれば似たようなものだ。

理子、お前の力は……あたしから見ても特別だよ。

 

あたしがヒルダの宿()()を使えるのも――お前たちの絆の証だな。

 

 

「"くふふっ、ご存知だろ、『私達怪盗の一番の取り柄は逃げ足ですから』……ってな"」

「"そのセリフは……!"」

 

 

 

バツンッバツンッ!

 

 

 

頭から強い衝撃音が響き、長い黒髪が幽鬼の如く宙に浮かび上がり――

 

 

 

バッバッ!バチィッ!

 

 

 

広がった髪の隙間を縫うように、白い閃光が走り回る。

その光は強く、明るく、小さな太陽を連想させ、その速度は速く速く、見えているのは残像でしかない。

 

 

「"この力……ッ!リンマッ!顔を――――"」

 

 

その警告は遅すぎたな。

この攻撃は音速よりも銃弾よりも遥かに早い――

 

 

 

 

「"夜明けが来るぞ……闇よ、静かに眠るがいい!『ワラキアの幽弦』ッ!"」

 

 

 

 

バリバリバリバリバリィッ…………カッッッ――――!!

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

髪の毛が、まるで挿入曲のハープを奏でるように靡いていき、その隙間から幾本もの閃光が迸る。

同時に地下牢には優雅な調べとは程遠い、落雷音と聞き間違うほどの轟音が鳴り響き、人間だけではない、そこにいる者を等しく萎縮させた。

 

闇は突如として出現した白い太陽によって照らされ、掻き消され、昼夜が入れ替わる様にその勢力を奪われて、コンマ数秒の眠りに就く。

やがて白い光は勢いを収め、しかしその姿は消えることなく空に浮かぶ。

 

夜明け空に浮かぶその光は、まるで金星――明けの明星のようだ。

 

 

おやすみ(ボンニュイ)親しき友人たちよ(モナミ・ポッシュ)

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"うっ、うぅっ……お姉さま、どこに行っちゃったの……"」

「"……"」

「"お姉さま……"」

「"……おい"」

「"ううぅー……"」

「"おい、無視すんなよ!変なフリフリ着てるな、お前"」

「"う?…誰?"」

「"なんだよ、金髪だから迷子の外国人かと思ったら、日本語喋れるじゃん。ほら、行くぞ"」

「"えっ……どこに行くの?はぐれたら動いちゃいけないんだよ?"」

「"ただ泣いててもつまんないだろ。歩くぞ、フリフリ。迷子センターまでついてってやる"」

「"あなた、さっきから失礼だよ!私の名前はフリフリじゃない、理子って言うの!それに、言葉遣いが荒くて、折角浴衣を可愛く仕立てられてるのに、もったいないよ!"」

「"は?何言って……"」

 

 

「"…どうしたの?"」

「"い、いやいやいや、ななな、何でもない。悪い、お……あたし、兄さ……姉さんを探してたんだった。迷子センターは屋台に沿ってけばある。…じ、じゃあな!"」

「"待って!"」

「"な、なんだよ。急いでるんだ"」

「"声を掛けてくれて、ありがとう!"」

「"――っ!お、おう"」

 

 

「"ねえ、あなたの名前、教えて?"」――――

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

フラッシュが消え、音の残響が収まった地下には、最も近い位置で光を直視して気絶した少女と、反応が遅れた為に視覚と聴覚を奪われて冷たい地面に座り込む少女、そして鉄格子を挟んで視線を交わし合う2人の少女(クロとヒルダ)

 

他には誰もいない、2人だけの空間で、互いの姿を認め合う。

 

始まりは日没に出会って、夜明けに別れた、あの祭りの日。

それを懐かしんでいるのはあたしだけだよな――

 

 

「"…やってくれたわね、クロ"」

「"ようやく、2人きりだ…すね"」

「"いまさら、何を取り繕おうとしているのよ。それがお前の本性なのでしょう"」

「"ええ、そんなところです"」

 

 

間違いを指摘したい箇所は多々あるけど、話がややこしくなるからな。

今はそんな話をしたいんじゃないんだ。どうでもいいんだよ、あたしの事なんて。

 

 

()()()()()()()()()()()もう死んだんだから。

 

 

「"お前は自分が何をしたのか、分かっているのかしら"」

「"あなたの方が良く分かっているでしょう?理子の力をお借りしたまでです"」

「"っ!そんな事が出来る訳……"」

「"無いでしょうか"」

 

 

動揺を押し隠そうとするヒルダへのトドメとばかりに、自分の髪の毛を1本抜いてダーツの様に構えたまま、これ見よがしに見せ付けた。

その意味はしっかり伝わったのか、また1歩下がりつつ足元の薄い影を確認している。

 

脅しの効果は抜群のようで、戦闘の意思は大幅に削ぐことが出来たようだ。

あたしは理子が使える技を、殺生石によって彼女の生体エネルギーの一部と共に借りる事に成功した。そこまでは把握できはしないだろうが、少なくともあたしが宿金の力を操れることは察したらしい。

 

 

「"あなたの大切な妹を、こんな地下に幽閉した理由を教えてください"」

「"ッ!妹ではないわ!そいつは人間、脆弱で愚かで――"」

「"ヒルダッ!"」

「"うっ…!"」

 

 

立場が完全に逆転している。

力を信条とするあいつらにとっては、それが道理にかなってるからな。

 

 

「"答えてください。どうしてあなたがこんな事をするのかを"」

「"お前には関係ないわ"」

「"あなた達の間で何があったんですか?"」

「"関係ないと言っているでしょう!"」

「"なぜ、オリヴァやエミリアと敵対しているのですか?"」

「"――ッ!!お前に何が分かるというのかしらッ!"」

 

 

バチバチバチッ!

 

 

(やれやれだな。怪盗団の内部分裂の原因は、また後で知るとするか)

 

感情に任せた電撃は、こちらに届くことなく鉄格子を伝う。

それがそのまま、彼女のやるせない気持ちの意思表示に感じられた。こちらに向けられた八つ当たりの表情も、どことなく覇気がない。

 

それでも……あたしのやろうとしている事には勘付いているのか、緊張を解かずに影に隠していたのだろう細剣を取り出して構えた。

 

 

「"トロヤお姉さまのお遊び(怪盗団)を知っている人間は少ないわ。お前は……"」

「"言葉を返してあげます。『あなた達には関係ありません』"」

 

 

ぴしゃりと言い放ち、行動に移す。

今の彼女に足りないのは、謙虚さや思いやりなんかじゃない。自覚だ。

 

だから言葉でのお説教だけじゃ物足りないだろ?

 

3度目の正直だ。

今度こそ、あたしがリベンジしてやるよ。

 

 

「"ヒルダ。同盟の件は考えておきますから、今夜はこの辺で帰らせていただきますね"」

「"待ちなさい!お前……そいつをどうするつもり……?"」

「"?理子の事ですか?もちろん、頂いていきますよ。あなたも私に同じことをしたでしょう。『欲しいモノは力づく』で、それは任務における武偵流と同じですから"」

「"外に連れ出す……そういうことね?"」

「"それ以外に何があるんですか――"」

 

 

 

シュッ――パシィッ!

 

 

 

手から鮮血が飛び、頬に細剣の先端が触れた。

細剣から滴るあたしの血が、涙の様に伝っていく。

 

血の流れに逆らって滑らせた視線の先、彼女の表情に覇気が戻った。

じっくりと場を見据えていて、いざとなれば刺し違えてでも、なんて考えが見え透いている。

 

(必死だな。良いぞ、その表情だ。その調子で――)

 

 

「"なぜ、止めるのでしょう?"」

「"私のモノは奪わせないわよ。クロ、そいつを置いていきなさい。今日、お前を見逃すのは最大の譲歩だと思うことね"」

 

 

(――本心に気付かせてやるよ)

 

 

鉄格子を挟んだまま、細剣を引き付けて無理矢理にこちらに近付けさせる。

良く、見えるように。彼女の大切なモノがすぐそこにあることを教える為に。

 

 

「"大切なモノなんですね"」

「"!……違う!違うわ…その子は……ただの……ペットで……"」

 

 

強がる彼女の武器を、流れを掴んだ合気道の要領で奪い取る。

呟くように尻すぼみになっていく言い訳が、再びあたし達の距離を広げようと、赤い唇から漏れ出してきて……

 

大切なモノから……大事な家族から目を逸らそうとするから、今度は空いてしまった彼女の手を掴み取り、鉄格子を越えて同じ場所に引きずり込んだ。

 

 

「"大事な家族なんですよね"」

「"…………ちが……う、の。この子は……"」

 

 

否定する力が失われてきた。

こんなにすぐ傍で眠る、大事な家族……大好きな妹が、彼女の心に宿り、隠してきた気持ちを――

 

 

(惜しい……が、もう一手、必要か)

 

 

「"…大好きな…妹を、助けたいんですよね?だから私を、ここに連れてきた。誰にも近付けさせなかったこの子の隣に閉じ込めて、心のどこかで期待していたんですよね"」

「"……あ…………"」

「"どうしてあなたはいつもそうなんですか。理子がトロヤと一緒に服を仕立て上げたら、トロヤと一緒に翼をパタパタさせて"」

「"…………う……あ……"」

「"フリフリの服を貰って、『要らないわ』なんて言ってるくせに、理子が寝てる間にワクワクしながら着てる所もトロヤと一緒にこっそり見ちゃいましたから。ヒマワリが良く似合う白い服、くふふっ……意外と似合ってましたよ?"」

「"………あああ…………"」

「"まだ、日本の拠点に飾ってあるんでしょう?宝物、ですもんね"」

「"……おまえは……"」

「"お願いですから、素直に……素直になれよ、ヒルダ……あたしだけじゃ、理子を助けられないんだよ……"」

「"…………かなせ……なの?"」

 

 

……まあ、分かるよな。

 

姿形も声も髪も、お祭りのお面を付けてた顔も、全部変わったけど、こんな話が出来るのはあたししか、いないだろうし。

でも、あたしの事はどうでもいいだろ。

 

 

「"その人間の事は知ってる。もう死んだ人間の名だ。お前たちの方が良く知ってるだろ"」

「"そう……だったわね。人間は……儚い生き物よ。そういう事にしておくわ"」

 

 

これでこの話は終わり。

問題は理子をどうするかだ。

 

理子は……もう普通の世界には戻れない。

宿金はもう定着してしまった。

ただのアクセサリーのような()()()()は既に結ばれたのだ。理子とヒルダの間で。

 

 

ヒルダは自身との絆を断ち切ることによって宿金を別離させようとしたようだが、結果はご覧の有り様。

 

 

お互いが相手の気持ちを分かってしまうから、その信頼が消えることは無かった。笑えないよ。

大体、そんな方法を試す暇があったら、力を合わせて挑戦した方が何倍もマシだったろうに。

 

 

「"クロ……この子を、理子を救えるのかしら……?"」

 

 

そんな縋るような眼を向けるな。方法なんてある訳ないだろ。

暴走を収めろってのなら話は変わるが、超常現象についてはお前達よりも疎いんだから。

 

 

「"諦めなきゃ方法は(ゼロ)じゃない。だが、あたし達には圧倒的に宿金に対しての知識が足りていないんだ。ヒルダ、宿金について、なんでもいい、関わっている存在なら作り出す側でも、使いこなす側でも、人間だって魔女だって構わない。思い出せるだけ、すべて挙げてみろ。片っ端から当たっていく、それしかないだろ!"」

「"……ええ!あなたと一緒なら……心強いわ!……無策なのは頂けないけれど"」

 

 

蝙蝠の翼が僅かに揺れる。

そうか、嬉しいか。素直だな、お前の翼は。

 

 

「"一言付け足さなくていい!とりあえず、この場を収めるぞ"」

 

 

ヒルダは憎まれ口を叩ける程には気を持ち直したようだし、悪いな()()()、この件にはお前にも付き合ってもらう。

 

そうと決まればこんな地下牢に留まり続ける理由もない。

気絶したままの理子とトサカ少女――リンマをベッドに寝かせなくてはいけないし、そこに座り込んだアラビアンも……

 

目が開いてるな。

防御策は練ってあったのか、抜け目のない奴らしい。

 

 

「"……話は終わったかの"」

「"…どこから聞いてました?"」

「"そう殺気立つでない。同盟の誼ぢゃ、妾も…妾の戦士を遣わしてやらんこともない"」

「"ヒルダ"」

「"パトラは信用できるわ、仲間である内はね。だからこそ同盟を結ぶ事にしたのだもの。でも油断はしない方がいいわ、気を付けなければ後々、足元をすくわれるわよ"」

 

 

油断ならないらしい同盟相手と話していると、見た事がある奴が3体、牢の前に現れて歪んだ鉄格子から中に入り込んでくる。

 

(あいつ……!)

 

ゴレムという名の使い魔。こんなにいたんだな。

それとも、あっちの人がゴレマさん、こっちがゴレミさんみたいな呼び分けはあるんだろうか?

全員同じジャッカル人間にしか見えんが。

 

(……鍵開けろよ)

 

 

「"ヒルダ、客間に案内せい。この拠点に来るのは初めてぢゃからの。……ほほっ!良いのであろう?お主の『だーい好きな妹』を外に出してしもうても"」

「"……フンっ!勝手にすればいいわ。こっちよ、付いてきなさい"」

「"あ、ヒルダ。ゴレムさんって人を運ぶのメチャクチャ下手くそですよ"」

「"!!"」

「"ほほほっ!王族以外に敬意を払う必要など無いのでな、少々徒や疎かにはなってしまうのは仕方なかろう"」

「"!!!"」

 

 

(くふふっ。相変わらず、面白い反応だ。子供の頃は少し怖かったけどな)

 

パトラだったか、どっかの王族に仕えてるらしき発言だが、こいつとも仲良くできそうな気がしなくもない。

……何か企んでる顔をしているのが気に掛かるが。

 

 

 

「"クロ!お前が理子を運んできなさい!"」

「"ヒルダが運べばいいじゃないですか、そのご自慢の影で"」

「"つべこべ言わずに運ぶのよ!あっ、丁寧に扱いなさい?そっと持ち上げるのよ?"」

「"はいはい、分かっています"」

 

 

宿金の方は、急ぎ過ぎず気長に探すしかない。

最高のタイミングなのだ、このリトル・バンディーレは。

 

各国から実力者が集まれば、誰かしらが情報を持っているに違いない。

この機を逃す手はない。探し出してやる、宿金を引き剥がす方法ってやつをな。

 

 

 

 

客間に到着し、理子とリンマをベッドに眠らせる。

セルヴィーレは先程、水位上昇により停止、脱力感に襲われながらも、どうにかこうにか理子を運び込んだ。

パトラは客間までは付いてこず、ゴレ…ム?さんもリンマを送り届けると、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 

室内には静かな時間が流れており、この拠点が……ヒルダが生きてきた世界自体が停滞してきた錯覚さえ覚え、おせっかいかもしれないが、私はこういうのを放っておけない性分なのだ。

何も言わずにサイドチェアに腰掛けた彼女へ、逃げられないように後ろから腕を回して拘束する。

 

少しだけ抵抗を見せたものの、頭を撫で始めると借りてきた猫の様に大人しくなって――ああ、そうだった。無意識だったけど、昔は立場が逆でしたね。

 

 

現在、取り組むべき目下の目標は星々を繋ぐ事になる。

拗れに拗れて、避けては通れない、大きな壁になりそうな予感がしているのだ。

 

 

「"ヒルダ、大事なお話があります"」

「"……ッ!な、何かしら"」

 

 

きっと同じ事を考えていたのだろう。

緊張からか変に力が入って固まってしまっている。

 

安心を与えようと思い、項垂れてしまった金髪ツインテールの頭に自分の頭をくっつけて、抱く力を強めた。

そうしなければ、罪悪感に囚われて暴れ出しかねないだろう。

 

 

――そろそろいいかな。

 

また、言葉を返させてもらいますよ、ヒルダ。

 

『今はそれでいい』

 

私が理子を見守ってあげます。

 

 

 

でも、更に言葉を追加する必要もあるんですよ。

 

 

「"私もあなたの苦しみを受け持ちます。これまでに、あなたはどれほど理子を傷付けてきましたか?"」

「"……はぁ、そうよね。そんな事だとは思っていたわ"」

 

あれ?緊張が解けた?話が始まったら案外あっさりとしたもんだ。

どことなく声にもとげとげしさが混ざっているし。怒ってる?

 

「"……そう、ね。私はまず、あの子の自由を奪った。お父様が宿金の事を知ってしまった可能性がある以上、見付かれば私は逆らえない。トロヤお姉様がいるなら話は別だったけれど……強者は絶対よ、それは自然の掟"」

 

要するにそのお父様とやらから、わけあって理子を引き離したのか。

気になるのはトロヤの存在をぼかしたことだが……

 

「"トロヤは……"」

「"どう説明したら良いのかしらね。全滅したのよ、怪盗団は。巨大な化け物と人型の化け物に襲われて"」

 

怪盗団が全滅…か。

それって、トロヤとヒルダ、エミリアが一緒に戦って負けたって事になるよね。……なっちゃうよね。

 

「"……冗談ですよね?"」

「"冗談で負けるなんて、私達が話すと思っているのかしら?"」

「"ごもっともです"」

 

世界は広い。

早くも心が折れそうになった。

 

「"クロ、手が止まっているわ"」

「"あ、ごめんなさい"」

 

(……あれ?その催促いる?……まあ、いいや)

 

ショッキングな内容で止まっていた手を動かして、ヒルダの頭を撫でていく。

 

「"続けるわ。あらゆる繋がりを断ち切ったの、誰にも見付からないように。宿金を使いこなせる人間なんて、世界にも数えるほどしかいない、希少な存在よ"」

「"その力を狙うものは多いでしょうね"」

「"いいえ、()よ"」

「"――ッ!?"」

 

(なんで――)

 

「"その話は自分で調べなさい。重要なのは理子の命が狙われているという事なのだから"」

「"……はい"」

「"ここまで聞いて、あなたはどう思ったかしら?"」

「"まだ、なんとも。余計な先入観を持ちたくはないので、最後まで聞かせてください"」

 

正直、彼女のやり方は極端だと思ってしまった。

だが、それも私の知識不足から来るものかもしれない。なぜ、珍しい力を手に入れずに殺そうとするのか、それが理解できないのだ。

 

彼女達を救うと発言した以上、知らないでは通せない。

 

「"そう、なら1つ言っておくことがあるわ"」

「"…?なんですか"」

「"今日は疲れたわ、肩を揉みなさい"」

「"あ、分かりました"」

 

(……おや?この催促いる?……まあ、いっか)

 

「"……んっ、ああぁ…いいわよ、続けなさい"」

「"はいはい……じゃないっ!続けるのはあなたですよっ!"」

 

いけませんわ!まんまと引っ掛けられてしまいましたの!

 

「"真面目にッ!お願いッ!しますぅッ!"」

 

語尾に合わせてグッグッグッ!と押し込み、ささやかな抵抗をしてみるが、銃弾すら涼しい顔で受ける彼女には効果があまりないみたいで、おほほっ!と高笑いされる。イラァ……

 

「"……クロ、約束しなさい……いえ、約束して。私を……幻滅しても、嫌っても構わないわ。でも、私から理子を奪わないで、一緒に理子を守って欲しいのよ"」

「"…ふーん、ほーん。別に、私は構いませんよ?あなたがどうやって理子と和解するつもりかなんて思いつきませんし"」

「"ぐっ……それは……方法は考えてあるわ……"」

「"ヒルダ、いつまでもコソコソと、影の中に隠れられると思わないことですね"」

「"……そのセリフは、わざと被せてきたのかしら?"」

 

このセリフはフラヴィアがヒルダに対して言い放った言葉。

あの時は深い意味などない悪口だと考えていたが、この現状を揶揄したものだった。

 

「"理子を救おうと、ずっと戦い続けてきた仲間もいるんですよ"」

「"それも…分かっていたわ。あの子は……理子と特に仲が良かったから"」

 

 

あなたの選択は、間違っていなかったのかもしれない。

それでも、その選択は最後の最後に取るべきものだった。

 

 

繋がりを切ってしまうような方法に、未来に繋がる道なんて残っている訳ないんですから。

 

 

「"私がついています。大丈夫ですよ、みんなあんなに仲良しだったんですから。ちょっとした失敗なんて笑って許してくれたでしょう?"」

「"あの頃とは、違うのよ。あなたが…知っている頃の怪盗団とは"」

「"うーん……確かに、みんな変わってて驚きましたね"」

「"そ、それで?言いたいことはそれだけなのかしら?"」

「"え?何がです?"」

「"………あら、そうッ!"」

 

 

バチィッ!

 

 

(痛っったぁあ!?)

 

 

なんで?なんなの?なんでなの?

 

 

「"痛ったぁい!顔、顔はダメですって!焦げちゃう!ガングロになっちゃいます!"」

「"不遜を働いた罰よ。干乾びたタンブルウィードの様にしばらく転げ回っていなさい、この愚か者!"」

 

 

ヒルダはカツンカツンとヒールを鳴らし、ドアの方へと歩いていく。

…音がするだけで痺れて瞼が開かない。

 

 

「"ヒルダぁー!この借りは必ず返しますからね!忘れたとは言わせませんからーっ!"」

「"おほほ!覚えておいてあげるわ。次に同じことをしたら倍の威力を喰らわせてやるわよ"」

 

 

 

――パタン。

 

 

 

 

「"――――忘れたとは言わせない……ね。トロヤお姉様も人が悪いわ"」

 

 

 

 

「"…………お帰りなさい、金星(かなせ)"」

 

 

 

 

「"あなたなのでしょう?"」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。ヒルダお姉さま。

 

私のせいで……

 

 

違うわ。これは、お姉様が望んだ結果よ。

 

理子。あなたは誰にも渡さない。お父様にも、オリヴァテータにも、エミリアにも、トロヤお姉様にも。

 

 

お姉さま……

 

 

……私を恨みなさい。私はお前を死ぬまで閉じ込める。

 

全ての繋がりを断ち切るわ。全てよ。

 

朽ち果てるまで、せめて誰にも見付からずに。

 

お前に近付くものは、みんな串刺しにしてしまうから。

 

 

……

 

 

二度と名は呼ばない。お前も、私の名前を呼ばないことね。敬称すら許さないわ。

 

そして、繋がりのないお前に言葉は必要ない。私が呼び掛けた時だけ、人として振る舞いなさい。

 

 

どうして……

 

 

()()()()()()()()。求めるままに生きられるように、()()()()()()()()

 

 

 

 

――さようなら、4世。また、いつか――

 

 

夜明け前に……会いましょう。

 

 

 

 

 

……こうなってしまったのも、私の責任ね。

 

そのロザリオが、あなたの運命を変えてしまったのだわ。

 

 

 

Scarlet Reverse Cross(緋い逆十字)』のロザリオ――――

 

 

 

私が理子を仲間と認めた証だった。

 

()()()()宿()()()()()()()()()()――宿()()は。

 

まさか、カルメーラ以外の人間が宿金を使いこなすなんて……

 

 

理子……私にはあの子に平穏を与えられない。手に掛けられないの。

どうしてこんなに情が湧いてしまったのかしら。

 

きっと、あの子が大切なモノだから、なのね。

 

これまで、トロヤお姉様のお遊びに付き合っている内に、多くの時間を通してたくさんの触れ合いをしたわ。

初めは外ではしゃぐ犬を見守っている気分だったのに、いつからか彼女は友達に、そして気付くと家族の様に……

 

 

 

 

 

彼女の心を蝕んでいるのは私だと。

 

そう、エミリアにも言われたけれど。

 

例え彼女が加速度的に狂っていくとしても、彼女がいなくなることに耐えられなかった。

 

自分勝手……力を信条と嘯きながら、私はお父様を恐れて地下に籠って……

 

 

 

私は……どうすれば――

 

 

私には……力が、足りない――

 

 

 

人間でも悪魔でも神でも、誰でもいい……

 

 

 

 

 

 

誰か……私達を助けて…………っ!

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


今回でヒルダ・理子編は一旦終了。
あと少しだけ、作戦会議の部分は残っている為、どこかしらに挟んでいきたいと思っています。

窓枠についても、また新たな情報が発信され、クロなりの殺生石の使い方も登場しましたね。トロヤが一菜との仲を尋ねた理由はここにあります。

後は新単語"怪盗団"と本格的に関わり始めた"宿金"の存在。これは長らく関わるものなので、頭の片隅にでも。


本編の内容です。

今回、初登場した人格は少し様子が違いました。最も異なる点としては、クロとキンジを同一人物でありながら別人格として捉えているところです。話の中では過去のキンジと同期をはかっていたらしき発言もあり、未だに謎を残しています。

そして、クロは箱庭に参加する理由を見付けてしまいましたね。これは宿命です。
原作の極東宣戦ではアリアの殻金を求めて戦いましたが、箱庭の宣戦では理子の宿金を別離させる方法を求めて戦い抜くことになりそうです。…尤も、目的がそれだけで済むとも思えませんが。

クロの人間関係も複雑なことになってきました。
味方と敵が入り混じって、一体どう立ち回るのか……


次回は多分おまけ回。
期待せず、にゅっくりお待ちください。




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不可解1発目 暮れ空の星は昇る




どうも!

寝落ち頻度100%のかかぽまめです。
ベッドを使うのは仮眠の時だけ、なんて本末転倒な!


おまけを書いてたら、思った以上に長くなりそう+おまけとして扱うのもあれだったので、過去の話はまとめて不可解の銃弾として撃ち込む事にしました。
その記念の1発目。

現在、プロット段階で描いていたの夏祭り絵を作品へと作り替え中。
線図とベタ塗が完成した段階でこの話を書いています。
金星(かなせ)ちゃんが可愛くてヤバい!

また、どこかの区切りで投稿させていただきますので!


では、始まります!





 

 

 

「アリエタ、いる?」

「あなたの隣にいますよ、ヴィオラ様」

「あいつに会いたいんだけど」

「……フラヴィアでしょうか。残念ですが、面会許可が出ておりませんので、我が主のご命令でも招き入れる訳には参りません」

「急ぎの用事でも?」

「いけません」

「私が会いに行くのは?」

「もっといけません」

「スカッタに伝言させるのは?」

「出来ません、使い物になりませんから」

「…はぁ、紅茶が飲みたい。アップルティーで」

「すぐにお持ちします」

 

 

「退屈です」

 

 

「ヴィオラ様、紅茶なのですが、少し減りが早いようですね。ゴキブリでもお部屋に侵入なさいましたか?」

「ああ、そういえば、黒いゴキブリが出た。あなたが廊下の換気をしていたから」

「…ここを何階だと思ってるんでしょうか……」

「網戸を有刺鉄線にでも変えておいたら?」

「それで侵入しなくなるなら苦労しませんよ。窓にしても通常弾なら弾痕すら残らない強度にしているのですが、3日も目を離せば八つ裂きになっています」

「あら、怖い」

「何のお話をされたのでしょうか?」

「延々と市松模様の素晴らしさを」

「流石です、ヴィオラ様!私なら窓から投げ棄てていますよ」

「……あなたの相方なんだから、ちょっとは優しくしなさい」

「毎日の仕事を邪魔されるのは我慢なりません」

「苦労人ね」

 

 

「ですので、次の脱走計画はどうかお考え直し下さい」

「イヤ」

「お願い申し上げます。この大事な時期に、主を失うわけにはいかないのですよ。どうかご自愛くださいませ」

「私の身に何かあったら、あなたは悲しんでくれる?」

「当然のことです。あなたを失えば我らの悲願は潰え、残らず全滅してしまいます」

「…………そう、分かった。下がってくれる?1人で考え事をしたい」

「かしこまりました、また1時間後にこちらに上がらせていただきますね」

「早く、折角の自由時間をロスしたくない」

「はい、それでは」

 

 

 

 

「……外に………出たいです、キンジさん。私も、あの子に…会いたい、よ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

日が落ち始めてきた。

早く暗くなれ、なんて考えてる俺は別に夜が好きな訳ではない。暗くなれば周りの目を気にせずに済むからだ。

 

毎年の夏祭り、屋台の照明や吊るされた提灯が心躍らせたものだが、そんな風情ある景色も今夜の俺にとっては自身の姿を闇夜に浮かび上がらせる、非常に恨めしい存在となっている。

明かりの少ない木の下に隠れ潜むこの瞬間も、チラチラと好奇の視線にさらされ続け、道行く人々にバレやしないかとヒヤヒヤが止まらない。

 

「じょーちゃん、迷子かいな?」

「―!?……大丈夫だ、爺ちゃん。おれは迷子じゃない」

「そーかそーか。めごいおなごじゃ、わしの孫も丁度同じくらいの年頃でな、元気いっぱいでここあちゃらめるが大好きでのう」

 

木の脇に設らえられた屋台で仮面と綿菓子を売っている爺さんが、1人で立ち尽くす俺を親からはぐれた子供だと勘違いしたようで、心配してくれていたみたいだ。

 

(ここあ…ちゃらめる?ココア味の……チャルメラではないよな。うっ、想像しただけで吐き気が…)

 

「………それ、キャラメルココアじゃないか?飲んだことは無いが」

「違うんじゃよ、ここあちゃらめるはここあ味のちゃらめるなんじゃ」

「あー、なるほど」

 

それなら納得だ。

どこの商品かも分からないが、そういうものがあるんだろ。

 

「天真爛漫な割に人見知りの激しい子での、わしと娘の顔に似たもんじゃから……」

「爺ちゃん、客が来てるぞ」

「おお、そーかそーか」

 

「おっひさー!お爺様会いに来たよー」

「久し振りじゃのう。ほれ、これはお主の分じゃよ」

「わーい!嬉しい!嬉しいよ!ちゃらめる味大好きー!」

 

客というより知り合いっぽいな。あれが話に出て来た孫なのか。

小っちゃい、確かに俺と同じくらいの年頃に見える。

 

キャラメル味の綿菓子って、全部が歯にくっつきそうで虫歯一直線っぽいけどな。

甘すぎて食べきれないだろ、あんな量もらっても。

 

「ここあちゃらめるもおいしいんじゃがのう」

「だって苦いんだもーん……えっ、うん。分かったよ、すぐ戻る」

「お主も相変わらず忙しいみたいじゃ、その齢で使いっ走りとはな。わしがチビ助だった頃と変わっとらん」

「うー、誰のせいだと思ってるのさ!帰ったらまた鬼のしごきだよ!?仕方ないじゃん!こんな時期にイチゴなんて売ってないよ!」

 

あの女子は孫ではないらしい。ココアが好きではないようだし、何より顔が似ていない。

不幸な境遇にいる事を伝えようと、大振りな動作で必死にその辛さを共有しようとしているが、必死になればなる程どうにも間抜けっぽさがにじみ出ていて笑ってしまいそうになる。

 

「幸運なことに今夜は祭りじゃ。良い事を教えてやるかの」

「えっ!なになに!?気になる!気になるよ!」

 

ガサガサ…

 

(ん…?なんだ、子供か)

 

正面の背の低い林の中から枝をかき分けて少女が顔を出している。またしても同年代くらいの小柄な少女。

そんなところから現れる時点で怪しい奴でしかないし、変な事をしないか少し見張っておくか。

 

自分が現在進行形で実行中の変態行為(女装)をしておきながら、それは棚に上げて金毛の相手を横目で追う。

長めの髪を自然に下ろし、ただのお祭りだというのに気合を入れて着物まで着付けてしまっている。アジア系の、むしろ日本人の顔に見えるものの、あの見た目年齢で金髪だし外国人ハーフの観光客なら記念の一コマかもしれないな。

 

対する俺は薄ピンクの浴衣を着付けられて、付け毛とかんざしまで装備させられて、自分でも驚くほどに……可憐な少女になった。

最後まで決死の抵抗を繰り返したがために、カナから軽ーい頭突きをもらったその額は赤くなり、潤んだ瞳が余計に純真無垢な初心さを際立たせて、庇護欲を掻き立てる容姿だ。俺にとっては人生終了と隣り合わせの悪夢の一コマとなっている。

 

「早く終わってくれ……全員さっさと帰れよ……大雨でも、隕石でもとにかく祭りが終わっちまえばいいんだ」

 

鏡に映ったこの姿を思い出すだけで、少女の様にめそめそ泣いてしまいそうだ。もちろん袖で顔を隠して。

そのしおらしい態度とは裏腹に、お祭り会場全体に及ぶ大規模な呪言を発している訳なのだが、この仕打ちを鑑みれば多少の恨み言は許されるだろう。

 

 

 

 

 

「わぁあ!すごい!可愛いよ、とっても良く似合ってる!」

「カナ、ホントに祭りに行くのか……?このまま」

 

俺を見て大はしゃぎしているカナは、神奈川武偵高付属中に(兄さんとして)通っている時に手に入れたらしい、ペン型の小型カメラをカチッと音を立てて起動していた。

やめろ、やめてくれ。頭突きの後遺症かもしれないが、頭が痛む気がする。

これがカナのような女装性癖の第一歩になりかねない、早めにあのカメラの交渉を……って、これこそ引き返せない破滅の人生、その第一歩になりそうだ。どんな要求をされるか分からないぞ。

 

「じゃあ、行こっか!キン……名前、どうする?キンちゃんでいい?」

 

まるで気を遣ってますよみたいな問い掛けに聞こえるけど、その顔はクラスの女子共が通学路のネコに名前を付けるワクワク顔にしか見えない。

もの凄く気分を害したし、否定しても「やーんカワイー」的な反応が返ってくるだろう。ここはスルー一択だ、俺は大人だからな。

 

「なんでもいいよ。会場を一周するだけだ、呼ばなきゃいいだろ」

「もー、ちゃんとノってくれないと遠山キンジ君って呼んじゃうよ。大きい声で」

 

分かってる、これも俺を慌てさせてカメラに収めるつもりだろう。反応したら負けなんだ。分かってる…

 

「ダメだッ!クラスの奴に見られたら学校に行けなくなるだろ」

 

分かってた、今この瞬間、人生初めての女装姿が正面から撮影されたぞ。

それでも否定しなければ不安が募り、心の滓が溜まって息苦しくなってしまいそうだった。

 

「大丈夫だよ、誰もあなたがあなただと気付かない。今のあなたは女の子なの。気に病むことは何も無いし、何も怖がることはないよ?だってこんなに可愛いんだもの」

「変な暗示を掛けようとしないでくれよ。カナに言われるとそんな気がしてくるんだ」

 

俺にとってカナは…兄さんは絶対の存在だ。

正義を背負い正しくあり続ける遠くに聳える山のような背中も、誰一人として見捨てずに戦い抜く優しさと心の強さも、俺にとって永遠の目標となっている。

 

「うーん…迷っちゃうなー。妹ちゃんと2人でわいわいするのも良いけど、弟君があうあうしてる姿も捨てがたくって……」

「聞きたくなかった。それはおれのいない所で悩んでくれ、どっちも実現させる気はないぞ」

 

なんで?みたいな視線を寄越すな、分かるだろ。

でもって、鏡をチラつかせるな、脅しのつもりか?とんでもない正義もあったもんだよ。

 

「ちょっとだけなら良いんじゃないかな?半分くらい」

 

女装に中途半端があってたまるか。半分ってなんだよ、上下分割か?左右分割か?

おい、やめろ。何か知らんがカメラを操作するな。ズームしてんのか。

 

個人のお楽しみにするなら百歩…いや、万歩譲って許す。

だがな、そのカメラは兄さんの物なんだ。全部そのカメラにデータとして残ったらどうなると思う?

カナは知らないだろうが、俺には女装という特技を持つ兄がいるんだよ。知られたくない、絶対に。普段自分が恥ずかしいからって、お前もやって見せろとか言われるかもしれないんだ。

 

 

「勘弁してくれ……」

 

 

そんなこんなで俺の名はキンちゃんになった。

試しに他の案を聞いてみたら、『金奈(カンナ)ちゃん』やら『金海(カナミ)ちゃん』やら、実にめんこい名前を付けられそうになったので、完全シャットアウト。

カナお姉さまは大いにエンジョイしておられるぞ、このいかれた現状を。

 

「キンちゃん、何が食べたい?お姉ちゃんが買ってあげるよ」

「家に帰ってスイカが食いたい」

「イカポッポ?」

「わざと聞き間違えるなよ……分かった、たこ焼きが食いた――」

 

カナは笑顔のまま、鼻と鼻が触れる距離まで顔を近づけ、何かを訴えかけてくる。

たぶん機嫌を損ねたんじゃない。更なる何かを俺に求めてる顔だ。

 

「――食べたい、なぁ。お姉ちゃん」

「ふふ、たこ焼きかぁ……いいね、じゃあ屋台をゆっくり回ろっか?」

 

(無言の圧力ってこえぇー……)

 

話が終わると、カナは180度ターンして歩き出した。

あれ…?カナお姉ちゃんどうしたの?迷子なの?

 

「…カナ、そっちは来た道だ。逆走する気か?」

「だってあそこのたこ焼き屋さんが一番近いと思うよ?」

「さいでっか……」

 

 

 

 

 

――ながいよるが はじまる. . ――

 

 

 

 

 

はぐれたんじゃない。

これは…そうだ、カナが面白がって俺を弄るから隙を見て隠れてみただけ。

 

俺たち兄弟……姉妹は周りの目を、それはもう集めに集めた。

その気持ちは分かるけどな。ただでさえどんな女優よりも華やかで、世界中で有名なモデルよりも美しいカナが浴衣を着てすぐ近くを歩いて来るのだ。その目は吸い寄せられてしかるべきだろう。

ついでにその妹らしき俺にも自然と視線は流れて来る、いい迷惑だよ。

 

そう、簡潔に言うと耐え切れなかった。

だからちょっとずつ距離を空けて、カナがあくびをした瞬間を狙って屋台の間に飛び込んだのだ。

 

もうすぐ睡眠期。

今夜さえ乗り切ればカナは眠りに就き、次に会う時には兄さんになるというわけで、期待薄だがカナには今日の事を忘れてもらいたい。

 

「覚えてたらどうするか……」

 

「お爺様ありがとー!試すよ!試しちゃうからね!」

「走って転ばぬように気を付けるのじゃぞ」

「分かって、はうっ!」

「……云わんこっちゃないのー」

 

袋入りの綿菓子4袋を両手に2袋ずつ持ち走り出した女子は、盛大にスッ転んでお尻を打っているが、根性で受け身を取らずに両手は天に掲げており、彼女の体の一部を犠牲に綿菓子は無傷だ。

 

「言わんこっちゃないの」

 

その様子を見ていた向かいの怪しい少女も屋台の爺さんと同じ反応を示した。やれやれの仕草までそっくり。

 

……今の、普通に日本語だったな。

 

少し気になり横目で見つめ過ぎたようで、向こうもこちらに気付いたらしく、目が合ってしまった。

多少キツめの目をしているが、将来はかなりの美人になりそうな感じがする。なんというかパーツの一つ一つが整っていて、それぞれのバランスが取れているのだ。……とか、やっぱり俺には良く分からない。

 

「……有象無象の俗人か」

 

少女は何事か呟き、プイっと林の方に振り返ると、そのまま消えて行った。

何だったんだ?

 

「じょーちゃんは両親を探さんのか?」

「…姉さんだ」

「……すまんの、悪い事を聞いたようじゃ」

「気にする事ない。それに、もう乗り越えた、姉さんのおかげで」

 

爺さんの発言が気に障った訳じゃない。そもそも初対面の人間にそんな事分かりはしないんだから、気にする方がどうかと思うしな。

でも、ちょっとだけ居心地が悪くなって、このまま会話を切って立ち去るのも悪い気がしたから、屋台の脇から正面に回り、客として爺さんに話し掛ける。

ここがお面屋で良かった。丁度欲しかったんだ、お面。

 

「爺ちゃん、お面くれよ」

「なんじゃ、折角の愛くるしい顔を隠してしまうのかの?」

「…………」

 

爺さんの一言が心に刺さる。気付けよ!いや、やっぱ気付くな!

思わず黙り込んでしまった俺に差し出されたのは、表には飾られていない狐面だった。ただの丸いお面ではなく耳の形も鼻の凸部も再現された、能なんかで使用されていそうな良くできた代物。

……結構可愛いな。

 

「これ、どっから出したんだ?こっちには並んでないぞ」

「それはわしのお気に入りでの、自分で作った中でも傑作なんじゃ。さっきの侘びになれば良いが、気に入ったのなら持って行っとくれ」

 

て、手作りか……お面屋って、手作りしてんのか?

だが、なかなかいいぞ。これなら女子が付けてても変じゃないだろうし、持って帰っても少女趣味だと思われないはずだ。

 

額に……ホクロみたいな点があるけど、まあハンドメイドだし、仕方ないだろ。

 

「爺ちゃん、これ貰うぞ。いくらだ?」

「そーか、気に入ってくれたのじゃな?ならお代は要らん、代わりに綿菓子を買っておくれの」

「……いいのか?これお気に入りなんだろ?」

「じょーちゃんに付けて貰えれば、そのお面も喜ぶじゃろうて。それで、味は何にするんじゃ?おすすめはここあちゃらめるじゃよ」

 

随分押して来るな、ココアキャラメル。

そうだな、カナへのお土産も含めて試しに1つは買ってみるか。

 

「あー…じゃあココアキャラメルとハニーシュガーを1つずつ」

「まいどー。もう1つはお姉さん用じゃな?優しい子じゃのう」

「そんなところだ」

 

指摘されると少し気恥ずかしかったが、その通りだ。実際にはココアキャラメル単品を頼むのは勇気が要るってのもあるけど。

渡された綿飴の袋はまだふかふかの毛布の様に柔らかくて、暖かくて、それでちょっとだけ大きめに膨らんでいて、香ばしい匂いがする。プリントされているのは良くあるアニメのキャラではなく、カラフルでシンプルなパターン模様だったのは俺の中で高評価を博した。

 

「ありがとな、爺ちゃん。おれ、そろそろ戻るよ」

「子供が夜道を1人で歩き回らんようにな」

 

親切だった爺さんの屋台を背に、歩き……出そうとした俺の道の先に、誰かしゃがみ込んでるぞ。

塞ぎ込んでいるから、その表情は腕の中に包まれて伺うことは出来ないが、あいつ…金髪だ、俺外国語なんて何1つ話せないんだよ。

 

「うっ、うぅっ……お姉さま、どこに行っちゃったの……」

「……」

 

ささやき声は俺には届いていないものの、具合が悪いのではなく、泣いていることは察した。

つまりあれは、迷子。最悪、言葉が通じなくても迷子センターに連れて行けばどうにかなりそうだが……

 

「お姉さま……」

「……おい」

「ううぅー……」

「おい、無視すんなよ!変なフリフリ着てるな、お前」

「う?…誰?」

 

目の前を通り過ぎようとしたのに、足が止まってしまった。

あーあ、そうだったな。俺はこういうのを放っておけない性分なんだったよ。

 

「なんだよ、金髪だから迷子の外国人かと思ったら、日本語喋れるじゃん。ほら、行くぞ」

「えっ……どこに行くの?はぐれたら動いちゃいけないんだよ?」

 

頭を上げた迷子は、真っ赤に腫れた目に涙と…おいおいハナ垂らしてんじゃねーか。

子供でも、周囲に見せられない顔だぞ、それ?

 

とはいえ、思った以上に話が通じる。

この様子であれば苦労せずに誘導できるだろう。

 

「ただ泣いててもつまんないだろ。歩くぞ、フリフリ。迷子センターまでついてってやる」

「あなた、さっきから失礼だよ!私の名前はフリフリじゃない、理子って言うの!それに、言葉遣いが荒くて、折角浴衣を可愛く仕立てられてるのに、もったいないよ!」

「は?何言って……」

 

そうだ、そうだったぞ。

なんで俺は今、お面を付けてると思ってるんだ。

 

さっきのは爺さんだから誤魔化せたが、今度はまごう事無き女子。それも1、2歳年下っぽい近しい年齢に見える。

バレるぞ……今度こそ。こいつと行動を共にするのは問題があるな。

 

「…どうしたの?」

「い、いやいやいや、ななな、何でもない。悪い、お……あたし、兄さ……姉さんを探してたんだった。迷子センターは屋台に沿ってけばある。…じ、じゃあな!」

「待って!」

「な、なんだよ。急いでるんだ」

「声を掛けてくれて、ありがとう!」

「――っ!お、おう」

 

ヒラヒラの迷子少女――理子と名乗った少女が見せた満面の笑みは、お日様みたいに輝いていて、キツネのお面の下で俺の目は数秒間動かすことが出来なかった。

お面をしていなければ、眩しくて…違う、恥ずかしくてすぐに目を逸らしただろう。

 

「ねえ、あなたの名前、教えて?」

 

ここで、はい私は遠山キンジです。と名乗ろうものなら、彼女の持つ日本文化の知識におかしなページを記すことになる。

それは余りにも可哀想だし、自分自身がそんなページに掲載されたくない。

 

だが女子の名前なんてすぐには思いつかないぞ。かなめとか?かぐらとか?

こんな事なら予めカナと一緒に真剣に名乗りを決めておくべきだった……

 

「それは……」

「教えてくれないの?」

 

教えないんじゃない、教えられないんだ。

この心情を察して欲しいが、その正体には気付かないで欲しい。

 

中途半端なのは一番良くないが、後はまっすぐ歩くだけだし、俺の役割は達成したと言えるだろう。兄さんに鉄拳制裁を喰らう事はないハズだ、そのハズ…なんだが……

 

「悪い」

「顔も…見せてくれないの……?」

 

再び表情を曇らせた理子が俯いた。

待てよ!お前がここでまたしゃがみ込んだら俺がお前を見捨てたことになっちまうだろ!

 

ススス…と距離を広げていた俺はその様子を見て、自らの意思で接近せざるを得ない。

兄さんが怖いから助け船を出すだけ、沈んでしまった理子を元気付けようとしているのは、義務だ。決して俺の自由意志ではない。

 

だから、次に起こる展開は、俺の責任ではないんだ!

 

「おい、お前――」

「…くふふっ、エイッ、ヤー!」

 

バシッ!

 

鈍い痛みが顎に走り、瞬間的にのけぞらされた。

相手がひ弱な少女だと油断が過ぎたらしく、両手に綿飴を携えて近付いてくる俺はそれはもう無防備で隙だらけだったのだろう。

 

(な、なんだ……何をされた?)

 

アッパーカットを喰らったのだ。

ただし、パンチではなくビンタのような手の形で。

 

素人にしては速い動きだが、近接戦闘の心得はあまり無い事が分かった。筋肉の使い方や、構えもなっていない。

ただ、動きに一切の迷いやもたつきはないのには驚かされた。経験は下手したら俺よりも豊富かもしれないと思わされる。

かくいう俺も実戦形式なんて兄さんとの模擬戦闘くらいしか記憶にない。

 

「何……すんだよ」

 

恩を…さほど売ってはいないが、しっかりと仇で一括返済された俺は、数秒前の理子と同じように俯く。

してやられたのだ。あいつの左手にはキツネのお面がヒラヒラと扇子を仰ぐようにして存在する。

 

「うー。往生際が悪いぞー!珍妙にお縄に付けー!」

 

(珍妙なお縄ってどんな縛り方する気だよ)

 

珍妙なのはお前の格好だろとは突っ込みたい、しかしお面を取り返すのが最優先なのは言うまでもなく、神妙に交渉を持ちかける事とした。

 

「返してくれ。それが無いとおれは血を吐いて死ぬ」

「う?それ、本当?ごめんなさい、そんなつもりじゃ――」

 

適当過ぎる嘘だったが、相手が良かった。ストレスで血を吐きそうだからあながち嘘でもないしな。

俺の前にはキツネのお面が差し出され……

 

「こんばんは」

「ッ!!!?」

 

差し出されたのはキツネのお面じゃない。

理子の顔だった!

 

(ヤロウ…!)

 

「おいっ、お面を――っ!」

「はーい、返しましたー!私は盗んだものは返さない主義だけど、恩を返さないのはもっと主義に反するから、ね?くふふっ、顔は見ちゃったもん」

 

怒って顔を上げると、理子の投げたお面が寸分の狂いもなく、すっぽりと被さってきた。

顔…見られちまったよ。

 

「頼む、このことは誰にも言いふらさないでくれ……」

「え。言いふらす?何を、誰に?」

 

ふざけてんのか!こっちは人生が掛かってるんだよ。

万が一にもクラスの奴にバレてみろ、俺はホントに血を吐くからな。

 

マジで分かりません、と言いたげな理子の間抜けな視線を浴びて、認めたくはないある1つの仮説が打ち立てられた。

 

『遠山キンジの女装は同年代女子にもバレていない説』

 

顔を見られた瞬間にもうだめかと諦めてしまったが、もしやそれもあり得るのか?

だとしたら1回だけ『おれ』って言ったのはミスったか……?

 

「……もしかして」

 

くそっ!なんて失敗をしてしまったんだ俺は!

あたしって言ってればバレずに済んだかもしれないのに、どうしてこうも――

 

「アイドル活動とかしてたり?」

「はっ?」

 

ストレートを警戒していた俺の顎に、またしてもアッパーを決められた気分だ。今度はグーで。

どうやら、あの逡巡は俺がアイドルでお忍びで祭りを楽しんでいるとでも思い込んだらしい。良かった女装を疑われた訳じゃ……

 

(クソがッ!)

 

内心毒づく俺は、それをおくびにも出さず、いやいや違うよーとテキトーに流す。

お面は戻ってきたんだ。あいつも元気っぽいし、もうここで会話の相手をする必要もない。

 

こいつは危険だ。

今のすさんだ気持ちには、この眩しい笑顔は明るすぎるのだ。

心がモヤモヤしてしまうのを感じるほどに、彼女を意識してしまう。

 

「もう、いいだろ。迷子センターに行けば親を呼んでもらえるからな」

「あっ……うん……」

 

なにその優れない反応。

うっわ―…やっちまった臭い。屋台の爺さんと同じことを。

 

気付かなかったフリ……出来ないよな。

 

「……悪い、変な事…言ったか?」

「ううん、あなたは良い人だから、全然気にしてないよ!」

 

彼女の太陽のような笑顔が、陰った。

そして全く同じタイミングで、俺の身体にも異常が出始める。

 

「ほっ、ほらっ!もう大丈夫、私だけでも歩いて行けるから!」

 

なぜ、必死になって元気アピールをする必要があるんだろう。

しかも、へったくそだ。

 

その態度に反応するように、心のモヤモヤは大きくなって思考を薄れさせていく。

体の随所に痛みも生じ始めた。本格的に体調不良に陥ったらしく、このままでは冗談ではなく血を吐き出しそうだ。

 

だからその前に声を吐き出す。

 

「理子」

「っ!」

 

名前を呼んだだけでビックリすんなって。

確かにお前とばっかり呼んでたけどさ。

 

「恩を返さないのはお前の主義に反するんだよな?」

「う、うん?」

「それはあたしも一緒だ、元気をもらったから。返してやるよ、迷子センターまでついてくぞ」

 

それは予想外の言葉だったのだろう。理子は面食らった表情で固まる。

そういやお前にはアッパーを2回も喰らったからな。そっちはこのストレート1発で手打ちにしてやるよ。

 

「い、いらないよ。私1人でも出来るから……」

「心配すんな、手伝うだけだ。それに――」

 

 

 

「まだ、あたしの名前、教えてなかったからな。くふふっ、道中で色々話してこーぜ。理子」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


まあ、途中も途中、まだ何も始まっていませんから、今回はおまけ扱いでも間違っていないんですよね。

今後、不可解は本編ではありませんが、本編に関わる情報が多分に含まれる予定です。
合間合間に挟まってくるでしょうが、これは私なりにモチベを保つ方法なので、ご容赦を……


本編については書くことはありません。
金星の出現までと理子との出会いの話。それだけ。

あ、そうでした。
キンジ少年は声変わり前であって変声術を使っている訳ではありません。ちょっと声が低めな女子的な?そんな言い訳を表に並べておきますので、各々がたはご理解と共にお持ち帰りください。
細かい事は気にしない!


次回は閑話休題かと。
ゆっくりとお待ちくださいね?




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還元の短絡(ショート・リピーター)




どうも!

筋肉痛で顔を洗うのもままならないかかぽまめです。
な、何事も程々が、って自分で言ってたのに……


ヒルダの下から別れた後の話です。
内容的には薄っぺらいモノですので、次への繋ぎみたいな物かと。


では、始まりやす。





 

 

 

「エミリア」

「ええ、分かっているわ」

「ヒルダ」

「気付いているわよ、お姉様。人間…ではないわね」

「理子達を連れて逃げなさい」

「――ッ!?私も一緒に戦うわ!」

「じゃあ、誰が私達の妹を守ってくれるのかしら?」

「カルメーラに任せておけば……」

「ヒルダッ!こっちを手伝って!……挟まれたっ!」

「!」

 

 

 

「理子、大丈夫だよ。私が守るから」

「こわいよ…オリヴァちゃん……」

「2人共、アタシから絶対に離れないで!」

「カルメーラ、あれは……何かしら?」

「人の姿をした何か……と、それを覆う水の塊、かな?」

「そのままね、大きいわ。でも相応の脳みそは詰まっていないようね。雨の日に私達に挑むなんて、最も愚かな選択だもの」

「そうとも言い切れないよ。たぶん雨はアイツにとっても有利に働く条件だと思う」

「水の塊……んッ!」

 

バチバチバチバチィッ

 

「……厄介ね、水の外側に不純物を集めているみたいよ。表面のみを伝わらせて電気を地面に逃がしているわ」

「なるほどなるほど。内部の人型がコアってのは間違ってなさそうだなー」

「接近戦も無駄だろうし、私には有効打がないわ。それこそ、雷でも落ちない限りね」

「あっははー、面白いこと言うなー、ヒルダさんは。いっそ隕石でも落ちちゃえば、不戦勝ってねー」

「…ふざけているつもりではないのだけど」

 

「お姉さま……」

「あなたはオリヴァテータを守りなさい。これは命令よ。道が開け次第カルメーラと逃げるの、あなたの得意技でしょ?」

「ヒルダお姉さまも一緒に!」

「聞きなさい、理子。トロヤお姉様も一緒なのだから、私達吸血鬼(オーガ・ヴァンピウス)が何を恐れるというのかしら」

「!――はい!絶対に成功させます!」

「ええ、期待しているわ。また夜明け前に会いましょう」

 

「首の数だけ攻撃が激しそうだ。ヒルダさん、アタシがフロントを務める。首をどうにかできないか、色々試してくれるかな?」

「残念ね。チェーンソーを持ってくれば良かったわ」

「そこまで近付けるかだけど――ねッ!」

 

 

 

「やーやー、怪盗団の諸君。今夜の手際も素晴らしいものだったね」

「あらまあ、私達のファンかしら?あなたはとってもキュートだから、歓迎するわよ」

「人間ではないようだけど…探偵の真似事のつもり?あっちの化物もあなたの助手か何かなのね」

「ほーほー、逆逆。あっちが上司でこっちが部下さ。作戦指揮はボクだけど、立場は逆逆。あっちがボスでこっちが中ボスなんだよね!」

「用件があるなら聞くわよ?いきなり殺したんじゃ、あなたも浮かばれないでしょうし」

「……いやいや、原石がいっぱいでボクは幸せ者だ。みんな欲しい所だけど、()()()()()()()なんだってさ!あーあー、もったいない。こんなにいっぱいあるのにね!」

「あなたはただスカウトに来たお調子者ってところかしら」

「そう邪険にしなくても、ボクの目的は決まってるんだ!ねーねー、当ててみなよ。諸君は6つ。()()()()()()()()あるから半々で当たるよ?おっ得ー!」

 

「あらあら、ヒントが欲しいわね。ここにはあなた達も含めて8つあるんだから、当たる確率は8分の3よ?少し私達が不利だわ」

「おーおー、酷い屁理屈だ!正確には9つだけどね。でもやることは変わらないし、教えったげるー!欲しいものは()()()!すっごい金属!ね?」

「!!」

「…ッ!」

「2つとも怖い顔!睨んだって意味はないよ。さあて、解答時間っと、答えてみなよ!分かったんだよね」

「そうね、あなたが嘘を吐いていなければ全て正解できるわ」

「……気付いたのかい?無駄だよ、手遅れさー。()()()は鎧のねーちゃんが向かったし、問題ないよ」

「そっちの心配はしてないわ、全くもってね。あの子、今日はお母様と一緒らしいもの」

「げげっ!?計画失敗かな?やっちゃったなー」

「あらそう、確認できて良かったわ。答えてあげる」

「どーぞー。あーあ…やっちゃったなー……」

 

「ここにいるのは……私とオリヴァね?」

「……にひッ!だぁーいせーかぁーい!」

 

 

「キャアッ!」

「ううう、放せっ!」

「ヒルダさんッ!オリヴァちゃんッ!」

「お姉さま!オリヴァちゃん!私のせいで……」

 

 

「ヒルダ…!」

「トロヤッ!気を散らしてはダメよ!わざわざ私達が集まった所を襲ったあいつらの狙いは、一番厄介なあなたの無力化。隙を作るのが目的のはずだわ」

「でも……」

「妹を助けたいなら、情けない姿を晒さないことね」

「助けに行かなくていいの?殺されちゃうかもよ?」

「無駄な脅しはおよしなさい。そんな簡単に殺せるのなら、過去の私も苦労しなかったわ」

「へーへー、損傷には強いみたいだけど、全身を圧し潰したら関係ないんだよ。再生なんて隙も無く、全部をペッチャンコにしちゃう!」

「それならさっさとあなたを倒して、助けに行かないといけないのね。人質の価値も無さそうだし。トロヤ、動けるわね?私がステップを合わせてあげる、出来るだけ早く終わらせるわよ」

「エミリア……ええ、行きましょう」

「にひッ!()()()ごあんなーい」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

『クロさん、右方向にターゲットの車を発見しました。少し離れた場所にさらに2台。おそらく罠でしょうが、攻め込みますか?』

「一菜、陽動はカンペキ?」

『もちろんだよ!もう、みーんなあたしに釘付けだってー!』

「分かりました。フィオナ、私が一度接近します。そのまま押さえられれば良いのですが、仕損じればあなたの出番ですよ」

『ええ、お任せください。思う存分かましてくださいね』

「言われなくても」

 

 

現在、作戦行動中。

内容は単純明快で、裏取引の現場を押さえ、身柄を拘束すればいいだけの簡単なお仕事。

 

短機関銃が放たれる音が遠方から聞こえてくるが、恐らくその目標であるポニーテールの少女には届かないだろう。

両手に拳銃という名前の鈍器を構えた小柄な仲間は、その体格からは想像もつかない程のポテンシャルがあり、持ち合わせた野生の勘と前線に立ち続けた経験を生かした射線の予測と反射神経で、銃弾を銃で弾くという荒業をやってのける。

避けるという方法を極力排除した彼女の立ち回りを私は『ブレーキと装甲の無い人間武装車両(あたまがおかしいひと)』と称しているが、その通りだろう。

 

 

『うっらぁぁああーー!!』

 

 

うるさい。

叫ぶのであれば通信機の発信ボタンをオフにして欲しいものだ。

クラーラから借りたこの通信機は、ボタン1つで常に受信と発信を同時に行える電話のような役割を果たしてくれるので、便利は便利なのだが、こんな風にうるさい人に持たせるとしょっちゅううるさい。

こちとら建物の影から車確認しようとしてんだから、音でバレるでしょーが!

 

 

「フィオナ、個人回線でお願いします」

『もう切り替えてますよ。一菜さんのサポートも私にお任せ下さい』

「助かります。……こちらもターゲットの車輛を目視出来ました。確認しますが、連続確中範囲ですね?」

 

 

連続確中範囲(リコイルフルバーストレンジ)とは、フィオナがマークスマンライフルのフルオート射撃を全て狙った場所に放てる範囲。

自分では400m弱であると説明しているが、最近の彼女は440m程まで伸びてきている。

自信のない彼女らしいが、リーダーである私への虚偽の報告は減点対象ですよ?

 

 

『当然です。何発必要ですか?』

「2+6発下さい」

『……分かりました。その後の状況次第では、一菜さんの補給に動きます』

「あ、ついでに私にも1つください」

『400m四方でしたら割増料金でお届けしますよ』

「お願いします。少し一菜と一緒にはしゃぎ過ぎました」

 

 

今でこそ一菜がたった1人で敵勢力の陽動を引き受けているが、最初は私も影からこっそり参加しており、夜ではない上、カナも一緒じゃないから、不可視の存在は発動出来ないものの、はぐれ者を間引く程度の事はしておいた。

1人に大体2~3発、フィオナがターゲットを発見して報告が届くまでに8人間引くことにより20発の銃弾を消耗していて、ちょっとだけ残弾が心もとなかったのだ。

 

これで弾切れという後顧の憂いも断った。

フィオナの支援は一菜と組んだ時の心強さとは違い、見守られているという安心感が大きい。一菜はフォローが必要だが、彼女はフォローをしてくれる側である為、私も全力で事に当たることが出来る。

 

後方に仲間が控えているというのは、それだけで心に余裕を与え、思考を安定させる。

その仲間が有能であればあるほど、前衛はその力を意識せずに底上げされるのだ。

 

 

「私が1歩踏み込むタイミングに合わせて下さい。一瞬ですよ」

『クロさんが数え間違えなければ、機を逸することはありません』

「えへへ、あなたの言葉は安心します。私はフィオナのそういう所が好きなんですよ」

『……8秒時間をください』

「?どうぞ?」

 

 

あれ?通信切られちゃった。向こうで何かあったのか?

不安で彼女が潜んでいるであろう廃屋の方を見るが、彼女は顔を出していない。

通信が切れる直前に『Sag du es jetzt...?(それを今言いますか……?)Unfassbar(ばか)......(……)』って聞こえてたけど、ドイツ語の意味は分からない。一菜から連絡があったのかもしれないけど、任務での焦った彼女は珍しいぞ。

 

 

「フィオナー?何かありましたか?」

『……』

 

 

受信が切られているのかそれどころでは無いのか、返事は返って来ないな。

唐突に1人であることを思い知らされて、心細くなる。ぽつーんって感じで。

 

 

『クロさん、お待たせしました。準備が整いましたよ』

「一菜の方で何かあったんですか?」

『いえ?私に連絡は来ていませんね。受信してませんから』

 

 

あ、そっかフィオナも個人回線につないでるんだった。

どうやら1人ぼっちなのは私ではなく一菜の側だったようで、自業自得とは言え少し気の毒に感じるなぁ。

 

 

「よし!行きますよフィオナ。あなたの力を貸してください!」

『いつでも行けます』

「1...2...3...GO!」

 

 

私は地面を蹴って駆け出す。

今日は飛ばない。いつも飛んでるように感じていたのはそれほど毎日がおかしかっただけで、あの加速は体への負担が意外と大きいのだから、使用を控えるのはごく普通の帰結だ。

 

 

 

――――ダダダダーンッ!

 

 

 

フィオナの銃弾が正面の車に浴びせかけられた。

最初の1発は後輪タイヤに、残り3発は全てが助手席の窓ガラスの同じ場所に着弾し、防弾ガラスを割ってしまう。

 

 

「くそっ!いきなり撃って来やがった!」

「車を走らせろ。後ろから走ってくる奴がいる」

 

 

(相変わらず精密な射撃ですね)

 

狙撃を受けたことで逃亡を図るつもりのようだが、無理だろう。こちらに銃を向けようとしているがそれも無駄。

我らが狙撃手様は良く見てらっしゃるからね。

 

 

 

――――ダダダダーンッ!

 

 

 

今度の銃弾は初撃が前輪タイヤに、残りの3発は……

 

 

「ぐあっ!」

「どっからだ…!」

 

 

運転手の両腕と助手席で銃を構えようとしていた男の短機関銃を持つ右手首を撃ち抜いた。

 

(そして、どこまでも無慈悲だよ)

 

狙撃手と言うのはストイックな存在で、武偵における殺人の禁止とはすこぶる相性が悪い。

しかしながら、当然必要とされる場面が多いからこそ存在する訳で、その射程・威力は認識の外から一撃で相手を再起不能にできる魅力的なものだ。

 

だから、武偵の狙撃科は如何に相手を殺さずに、確実に無力化できるかを重視する。

言葉にすればそのまますぎるが、簡単な事ではない。

 

須く武偵は人を殺してはならない。これは私だって変わらない、絶対的な制約だ。急所を避け、それでも相手の機動力を削ぐことが出来る箇所を撃ち抜く必要がある。

でも、狙撃手は私たち以上に、身体の欠損による生命活動への影響を知らなくてはならない。

 

例えば、狙撃手は強襲科と違い、敵陣の真っ只中に突っ込むことはしない。遠くから重要人物や拠点、物資の無力化や破壊が主だったものにある。

現場に特攻した強襲科は逮捕という手立てで相手を拘束し任務を終えることが出来るが、遠くからでは声も手錠も届かない。届くのは彼らの放つ銃弾だけなのだ。

 

狙撃目標を観察し、どのタイミングでどの箇所を撃つのか。

その判断を誤れば相手の無力化を、ひいては任務の失敗を招き、逆に救命処置が間に合わない傷を負わせてしまえば殺したことと同意義となる。

彼らはそのプレッシャーに、常に挑み続けるのだ。とても、私には耐えがたい世界だと思う。

 

 

『クロさん、進行方向に落とします』

 

 

 

チュンッ!

 

 

 

――――ダーンッ!

 

 

 

空から小さなポーチが落ちてくる。

このまま走れば……ちょっと間に合わないな、少し速度を上げよう。

 

 

ポスッ!

 

 

左手でキャッチしたポーチは少し重い。それもそのはず、この中には弾倉が入っているのだ。

 

私と一菜で共通の9x19mmパラベラム弾を彼女は常に数個持ち歩いてくれている。

自分も結構動き回るくせに、後衛の仕事もしっかりこなしてくれるのはさすがだと思う。

いや、さすがなのは重量のあるポーチを銃弾で飛ばしておきながら、ニアピンの位置に飛ばせる彼女の技術の方でもあるだろう。

 

 

『残り2人と片腕、お任せしました。私は一菜さんのサポートに回ります』

「はい、よろしくお願いします。結構じゃんじゃか撃ってたので、もうホールドオープンしてるかもしれませんね」

『継戦なんて考えない人ですからね。何かあれば連絡を』

 

 

そんな勝手な想像の話で通信が終了する。終了と言っても通信機を切った訳では無いので、話そうと思えば話し掛けられるのだが。

 

 

「こっちもさっさと終わらせてしまいましょう」

 

正直仕事らしい仕事は全部フィオナに持っていかれた。

車はパンクして速度を出し切れないだろうし、4人中1人は負傷、1人は無力化されているのだ。

援軍がもう2台駆け付けるとして、7人位か多くても10人前後。

 

(ま、普通の人間なんてこんなもんか)

 

その思考は完全に常人を逸脱していることに、悲しいかな本人は気付かないものなのだ。

 

 

「止まれ――ガッ!?」

 

「まずは1台制圧ですね」

 

 

歯ごたえがない。

残りは援軍を待つのみだし、暇だからパオラ先生の新商品を試してみよう。

まだ袋から出してすらいないけど、時間があるし。

 

 

「えっとー…?气球爆(チーチウパオ)ね……専用の空気入れを……うわ、小っちゃ!すごく小型化されてる。ま、いっかセットしてみよっと」

 

 

パオラが販売元で助かった、試供品だけど。

中国語は全て彼女によって日本語化されている。ちょっと意訳も多く、ですます口調なのが気になるが、一番の疑問はこれが爆発物らしいという事。

先生は弱点を克服されたのでしょうか?怖くないの?

 

 

「えとえと、このチップを嵌めると作動して……お、動き出した!」

 

 

静かにしていればウィーーンというモーターの作動音が聞えるが、会話をしていれば聞こえ無さそうな小さな音。

これなら潜入中にこっそりと使用することも出来そうだ。

 

(膨らんだ膨らんだ!おもしろいなぁ~)

 

出来上がったのは水風船よりも小さくゴルフボールより大きい、風船。中には粒状の何かが入ってるみたいだが、これはなんだ?火薬か?

説明書によると取り外す時にはコツがいるそうで、『慣れない内はぱちゅんッて音がしますが、慌てて手を放さないでください』と記されている。先生、やらかしたんだろうな。

 

 

バシュンッ!!

 

 

「ひっ!」

 

 

(ちょい待て!ぱちゅんなんて生易しい音じゃなかったし、手が風船ごと弾かれたんだけど!?私が悪いの?下手なの?)

 

だがセーフ、手は離さなかったし、怪我もしていない。

爆発物との事ではあるが、起爆の原理はまだ分かって……

 

 

 

 

『※空気入れから排出された気体は風船内部の粒状物質と化学変化を起こし、空気に触れると爆発します』

 

 

 

 

(あぶなぁぁぁああああーーーーーーいぃッ!?)

 

 

 

 

待って待って!?

なんでそんな重要な話をこんな中途半端な場所に書きましたの!?

 

説明書の頭か末尾に書くもんでしょーがぁ!!

 

 

「"あぶあぶ!あばばばっ、ばばばぁーっ!"」

 

 

(いけない!手が震えてきた。怖い暑い寒い、もう訳分からん!)

 

結べ、慎重に。

なーに、こんなこと、小学生の頃に良くやったじゃないか。

 

そうだ、爆発するからって緊張する必要はない。いつも通りにやればいい。それだけ。それだけを考えろ。

 

(そういえば風船をポンポン跳ねさせてバレーボールの真似事してたっけ。あー、懐かしい)

 

風船を結び終えると、つい子供の頃の記憶が蘇って、空にポイっと放ってみる。

落ちてきた風船を手の平で優しく跳ねさせて遊んでいると、なんだか怖かった奴が実はいい奴だったみたいに、友達になれそうな気がしてき――

 

 

 

――ピシュンッ!

 

 

 

私が何とか端を結び作り上げた气球爆(ともだち)の真横を銃弾が掠める。

 

 

 

(アッブナァァァアアアーーーイッ!!)

 

 

 

「"うわぁぁあああーー!!"」

 

 

さっきから思ってた。

これ、完全に私の敵だわ。だめだわ。爆弾とは友情を結べないわ。リア充爆発するわ。

どっかの兵士が言ってたもん。手榴弾はピンを抜いた時点で我々の仲間ではありませんって。

 

(援軍が来たのか……もう許さないぞ……)

 

もう許さないも何も向こうは来たばかりだし、完全に遊んでいた私の落ち度なのだが、こちらは(勝手に)命の危機にさらされたのだ。

その(理不尽な)怒りを思い知らせてやる!

 

 

「"聞きなさい!私は怒りました!手加減なんてしませんからね!"」

 

 

そう言い終わるが早いか、私は思いっきり踏み込んだ。

瞬間的に移動速度は80キロを超え、すぐに100キロへと到達する。

2歩、3歩、4歩と飛ぶように駆け抜けたまま一台目の車を無視して、あっという間に二台目の車へと到達した。

 

 

「鉄沓ッ!」

 

 

それを身を思いきり下げた状態から、車の底に足裏を当てて、掬い上げるように放つ。

 

 

「な、なんだぁ!」

「車がひっくり返るぞ!」

 

 

さらに右手に構えたベレッタで、一台目の車の上に投げておいた气球爆(てき)を撃ち抜く。

 

 

――バチィッ!

 

 

しかしその爆発は実に小さなもので。なんだそんなにビビる程のモノじゃなかったんだね。

あくまで持ち運びに特化させ、奇襲や破壊工作に利用する程度の装備だったわけだ。

 

あーあ、ビクビクして損し――

 

 

バチバチバチバチィィッ――!!

 

 

「えっ」

 

 

時間差で連鎖反応の様に車が火花に包まれた。

どーいうこと?

 

火花は開かれた窓から車内にまで侵入していたらしく、その熱さに耐え切れないのが人間。どこぞの人外どもと違って、大人しく降車してくれた。

 

 

 

援軍に来たみたいだけどね。

折角の移動手段を全部失っちゃうなんて。

 

――抜けた連中だなぁ…

 

 

「これじゃあ物足りないよね」

 

 

――あれ…?

私、今なんて……?

 

 

「さ、さて、さっさと全員縛っちゃいましょう。抵抗したら痛いですよー」

 

「く、来るな…化け物め――」

 

 

ガゥン、ガゥン――

 

 

 

 

 

本日の任務は、滞りなく終了した。

特筆すべき点としては、フィオナが着弾地点のミスを謝罪してきて通常料金で良いとの事。ホント律儀、拾えたから別にいいんだけど。

後はパオラ先生にクーリングオフしました。あれはだめだ、改良を提案した方が良い。安全性をね?

 

そんなわけで3人でお食事中。

私が復帰してから最初の任務、フィオナはずっと体調を心配してくれていた。

一菜はいつもの"クロちゃんなら大丈夫だって"の一点張り。私を一体何だと思っているのか。

 

 

「クロさんは以前にも増して冷静さが身に付いたような……何があったんですか?この短期間に」

「色々あったんです」

「まあ、クロちゃんだし」

 

 

そんな一菜は……様子がおかしい気がする。

てっきりヒルダに捕まったあの日、私が覗いていたのが原因かと考えていたのだが、そういう問題では無さそうなのだ。

 

 

「……色々、ですか」

「はい」

「もぐもぐ」

 

 

なんだろう、違和感が凄い。そこに一菜がいるというのに、とても遠くにいるような気がする。

登山で登った時の彼女とは違い、振る舞いはいつも通りなのに、彼女自身が薄れている感じがして気まずい。

 

で、私と一菜がギクシャクしてるとフィオナも空気を読んで、積極的に共通の話題を振ろうとはせず、交互に話し掛けて探ろうとしてるみたいだ。

その結果。

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 

(空気が……重いよ)

 

考えてみれば、私達のチームは元々仲良しな訳でもなく、プライベートの付き合いも少ない。

だから、こうなった時に共有できる雑談が、分からない。彼女達の好きなものが、分からないのだ。

 

任務が失敗したわけでもないのに、このお通夜ムードはなぜなのか。

我慢ならない……なにかないか?良い話題、話題……っ!

 

(……良いものが、ありましたね)

 

突如降って湧いたこの話題、これなら3人で共有出来て、尚且つ関係を深める一助となるに違いない。

 

 

「フィオナさん、これは私達にとって大事な話なんですが、一菜さんもちゃんと聞いてくださいね?」

「大事な話…?」

「んー?チームに関係する事?」

 

 

良かった。2人とも興味を持ってくれたみたいだ。

 

 

「そうです、これはチームとして逃す訳にはいかない一大イベントとなるでしょう!」

「そ、それはどんな……?もしや上級生との決闘とか」

「!クロちゃんも仕上げに入るって事かー」

 

 

ちょっと何言ってるか分からない。

そんな殺伐とした仲直り方法は私の望むところではないし、上級生に挑む前に宝導師である姉さんに認められる方が先だろう。

そんなのまだ早過ぎるというものさ。急ぐと転ぶって誰かが言ってた。そして誰かが実行してた。

 

 

「ぶーです。違うんですよ、フィオナさん。私、あなたの手作りケーキが食べたいなぁ…なんて思ってみたり?」

「!!」

「あ、そうだよね!フィオナちゃんもうすぐ誕生日じゃん!」

「お、お2人共……私の誕生日なんか覚えて……?」

 

 

驚きと喜びで泣き出しそうなフィオナ。

……そこまで感動されると、私だって、サプライズの用意のし甲斐があるってもんですよ!

 

フライング気味ではあったが、おめでとうは言ってないし問題ない。

 

 

「当日はどうやって過ごすんですか?学校は当然休むのでしょう?」

「はい、前日に実家に帰って、朝からお昼に向けて大忙しですよ」

「あははー、そりゃ大変そうだね」

「皆様には感謝してもしきれませんから。そんなに料理は得意でもないですけど」

 

 

(実家……ね。ふふふ……)

 

 

「フィオナさん、私達もお邪魔して良いでしょうか?」

「…へ?お邪魔って……わ、私の実家に、ですか?」

「それ以外にないでしょう」

「えっ、あの、でも……」

「フィオナさんのご家族にもお会いしてみたいですし」

「あ、あにゃっ!?お、おとうしゃまにッ!?」

「落ち着けフィオナちゃん、クロちゃんの発言に深い意味はないぞー!」

 

 

(ナイスフォローです、一菜)

 

そりゃプライベートの付き合いも無かったチームメイトが、突然家に押し掛けるなんて警戒しても仕方ない。何か企んでいるんじゃないかと。

しかし、目的はチームの親密度を上げる事。そこで疑われてしまえば何の効果も得られないのだ。

 

フィオナも素っ頓狂な反応を見せたが、容易にイエスとは言わなかった。警戒されているのだ、それが私単体か2人共なのかは不明だが。

 

 

「う、嬉しいのは、本心です。クロさんと一菜さんが私を支えてくれたのは間違いないんですから、感謝を伝えたいのも本当です……が、それでも……お2人を招くわけには……いかないんです。ごめんなさい」

「フィオナちゃん真面目に考え過ぎー。都合があるんだったらしょーがないって」

「そうですよ、突然提案したのはこちらなんですから。あなたの都合を考慮していませんでした」

 

 

ザンネン!

もしかしてお部屋にお邪魔出来たら、彼女の趣味とかわかるかなーとか思ったんだけど。

彼女の寮部屋にはこれといった一貫した趣味が見られなかった。挙げるとしたらレコードが目立ってたし、それくらいかな。

 

今の遣り取りで、私と一菜がテンションを上げた一方で、今度はフィオナがしょんぼりしてしまった。

彼女の方が断られた側に見えちゃうよ。

 

 

「しかしですよ、フィオナさん。私、こんなこともあろうかと代替案まで用意していたのです!」

「おおー!さっすがクロちゃん!ナンパは1回の失敗じゃへこたれないタフさが必要だもんね」

 

 

なにがさっすがクロちゃんか!

あなたチームメイトに対して失礼過ぎません?堪忍袋の緒で締め上げますよ?

 

 

「代替案…?」

「そう!あなたが帰って来てから、私が日本風の誕生会を開催させて頂こうかと」

「つまりは"おもてなし"ってわけだ!和風じゃないからね?」

「2度もパーティの準備をしてもらうのは忍びないですから、私達は私達なりの祝い方をしたっていいじゃないですか」

 

 

まあ、問題は開催場所なんだけど。

 

フィオナも日本風の誕生会――誕生日を迎えた側が主賓となって祝われる――を私達から聞いた事があるので、目がキラキラしてきた。

こっちの反応は好感触だし、この線で話を進められそうだな。

 

 

「で、どこで開くつもり?」

 

 

うぐ、いきなり核心を突いて来おった!

着眼点がよろしいですね……

 

 

「実はうちも、人を呼ぶことが許されてないんですよね…」

 

 

(主に兄さんとカナの問題で)

 

 

「あたしの家ならたぶん大丈夫だけど、パオラちゃんも呼ぶ気でしょ?」

 

 

(なぜバレたし)

 

パオラの料理は本当においしい。

フィオナとの仲も良好なので、是非とも誕生会に呼びたかったのだ。これを機に少しでも彼女の料理を学ばせて頂こうなんて考えもあったり。

 

 

「良く分かりましたね、パーティですから何人かは呼ぼっかなって」

「他にも誰か呼ぶんだと……うちだと手狭かな?」

 

 

フィオナの交友関係は私とはほとんど被らない。

クラスは違うし、ベレッタやパトリツィアのグループとはそこまで仲良くないのだ。

だからクラーラやガイアなら私経由で互いを知っているからまだ問題なさそうだが、パトリツィア、アリーシャ、チュラなんかは呼べず、逆に私がそこまで交友を築いていない陽菜やニコーレ先輩なんかは呼べる。私なら呼ばないけど。

 

 

「フィオナさんは招待したい方はいませんか?」

「………誰でも、いいんでしょうか?」

「もちろんじゃん!祝ってもらいたい人に招待状を出すもんなんだよー」

 

 

誰だろ?フィオナが誰かと一緒に歩いてるところなんて見た事無いから、どんな人が来るか気になる。

 

 

「どなたですか?私が知っている方なら連絡を取りますよ」

「いえ、自分で取ります。受けて頂けるかも分かりませんし」

「ねーねー、それだーれ?強い人?」

 

 

(…一菜?)

 

気のせいかもしれない。本当にごくごく僅かだが、彼女の仕草に違和感を覚えた。

何が?と聞かれても答えられない、そんな微妙な変化。

 

 

「ええ、強い方です。私よりもずっと」

「はっはーん、狙撃手かー」

「狙撃科の先輩ですかね?でしたら、確かにお任せした方が良さそうです」

 

 

(狙撃手の方って変わり者が多いからなぁ)

 

変な所にこだわる人が多く、それが狙撃手の強さに関わるのかもしれないが、強襲科に慣れるとどうしても異端に感じてしまう。

フィオナのチョコ好きもその一端に含まれるかな?いつも食べてるし、そんなにポリフェノールを補給して何に使うんだか。太らないのは羨ましいよね、ずるい。

 

 

「あと、もう1人。クラスの友人も」

「どうぞどうぞ、それで一菜さん、6人はセーフ?」

「うーん、む、ムムム…アウトォー!」

「入らんかー……」

 

 

じゃあどうしよう。

6人…いや余裕を持って8人は入れる場所を確保したい。

黙ってレストランに予約を入れるべきなのだろうか。

 

 

「パオラちゃん家ってどうだっけ?」

「お店と連結した小さなお家ですよ」

「そっかー」

「え?パオラさんの家はかなり大きかった記憶があるのですが……?」

「えっ?」「へ?」

 

 

パオラの家ってあのお米屋さんだよね?

日本のコンビニよりも小さい店構えに、小さい家屋がくっついてる建物。

 

裏手には水稲は無くて、離れた場所にあるとか――っ!

 

 

「フィオナさん、それってどこのお家でした?」

「どこ?と聞かれましても、彼女が女子寮から出るまではロンバルディア州の実家に度々帰っていましたよ」

「そーなんだよ、遠いから一度も行った事が無いんだよね」

 

 

そっか、ローマのお店はただの販売店だったのか。

え、じゃあクラーラとかガイアもミラノ方面の人たちなのね。知らんかった、勝手にローマの生まれかと。

 

 

「そうだったんですね、私てっきりローマの販売店が彼女の実家なのかと」

「ローマの販売店……?」

「?そんな事、言ってたっけ?」

「え?」

 

 

今度は2人が首を傾げる。

その動きから、本当に知らないことは良く分かったが。

 

(不味いぞ、話の本筋がズレてきた)

 

逆に何で知らないのさ、彼女は毎日そこから通ってるんじゃないの?

 

 

「この話は止めましょう。本人もいませんし、大きな実家は遠い北の方ですもんね」

「困りましたね、私も女子寮暮らしですし」

 

 

手立てはないのか、そんな私達の間に1つの声が……

 

 

「こーなったら、あたしが一肌脱ぐしかないね!任せといてよ、良い所知ってるからさ!」

「良い所?」

「あなたがオシャレなお店を知っているとは思えませんが」

「クロちゃんは黙らっしゃいっ!隠れ家的な場所だけど、うまく丸め込んで見せるから!」

 

 

"隠れ家"の単語はあの日の光景を思い出させた。

 

 

箱庭に挑む日本の代表として集まっていた。

一菜と陽菜、そして両目を閉じた白髪の少女と電話で聞いたテンションの高い子供の声、語尾に間延びしたナーを付けるやる気のない声。

 

 

まさか、このアホはその重要拠点の1つを惜しげもなく提供しようというのか?個人の私的流用で。

ってか丸め込まれるのはあなたの方じゃないのか?

 

舌戦に彼女が勝利する図を思い浮かべられないので、その矛先が私達に向かないのかが不安だ。

体で責任取れよとか言われて戦場に投げ出されるんじゃ……!

 

 

「一菜さん、一応は成功の見込みはあるんですね?」

「どうして失敗前提なのかは気にしない事にするけど、大丈夫。ダメとは言わせないから」

 

 

そんなに自信満々に答えられるあなたの思考が読めない。実はあの中で一番位が高いとか言わないよね?

見た感じ、会話中に力関係みたいなのは感じなかったけど、リーダーは別にいるんだろう。

 

 

「クロさんは知っているんですか、その隠れ家を」

「いえ、ただそこに住んでいる住人に心当たりがありまして。例えばあなたと一緒に車から狙撃していた白髪の少女とか」

「ッ!彼女がそこにいるんですか!?」

 

 

わお。まさかここで食いつかれるとは。

話はもう面倒では済まなくなることが決定した瞬間だ。

 

彼女の反応は興味津々、さらに友好的な嬉々とした問い掛けだった。

狙撃手同士って勝手なイメージで反発し合うものだと思っていたが、そうでもないらしい。

 

 

「白髪ってなるとちーちゃんか。普段はのんびり山に登って日光浴してるけど、一番説得が面倒な相手だよー」

「私の見立てでも彼女が一番厄介そうです」

「そ、そうですか?とても素直な子だと思ったんですが」

「なんというか…欲望に忠実?」

「あなたが言いますか」

 

 

この戦闘狂が!という言葉は引っ込めた。

闘争本能は紛れもなく彼女の本質ではあるのだろうが、暴走による精神への影響の蓄積が原因の可能性も捨てきれない。

そこを責めるのは的確な指摘ではないから。

 

 

「あの…彼女も……」

「ふはは!悪いなフィオナちゃん。あそこを利用するとなると、強制的に4人増えるぞー!」

「ああ、やっぱり……」

 

 

うるさいのが2人になるのか。

それでもまだ、ベレッタとパトリツィアに挟まれるよりは何倍もマシだが。

 

 

「それとクロさん、出来るならで良いのですが」

「はい、なんでしょうか」

「カナさんも呼んでは頂けないでしょうか?」

「……ふふっ。それを聞いたら姉さんも喜びますよ。任務を最速で終わらせて駆けつけてくれるに違いありません」

「ありがとうございます、よろしくお願いしますね!」

 

 

なかなかの大所帯になってきた。

 

 

フィオナ、私、一菜、パオラ、陽菜、カナの武偵メンバー。

 

えと…と、とく…お化けさん、ちーちゃんさん、幽霊さん…あれ、被った?の日本代表メンバー。

 

フィオナが誘う狙撃手さんとクラスメイト。

 

 

総勢11名。

 

 

「こんなに人が入るんですか?」

「まだ余裕かな?いつでも宴会会場を用意するのが従一位の嗜みだって母上が言ってたからねー!」

「随分と飲んだくれな発想で」

「でも、凄いですね。一菜さんの交友は思わぬところで巡り合うものですよ」

「まーね!あたしも結構な年月を……まーね!あたしは色んな人間と関わってきたからね!」

 

 

なんか言い直したな?

しかしそれよりも驚くべきは、玉藻の前と繋がりを持っているであろうあの3人と一菜が行動を共にしている事だ。その関係も良好そのもののようで、彼女も玉藻の前と繋がっているのでは?と疑ってしまうほど。

 

過去に一菜は玉藻の前に会ってみたいと言っていた。

やっぱり生きてるの?って聞いてみたら、分かんないと答えた。

 

あの時の一菜と今の一菜は同じ人間ではないのだろうか。

今の彼女の様子を見るに、トロヤの様に自在に入れ替わる訳ではなく、時間を掛けて徐々に記憶を塗り替えている感じがする。

 

 

だからきっと私は、この微妙な違和感を感じながらもいつまでも気付けないのだ。

そして、その変化の原因は……

 

 

(また、こいつが原因なのか……?)

 

 

胸ポケットの上から、御守りに……一菜の命を救ってきた殺生石の欠片に触れる。

 

全てが謎に包まれた物質。

生命力を吸い、エネルギーを吸収し、挙句私はこれを使って他人の能力すら使いこなしてしまった。

 

そしてこの中には一菜の一部ともいえる存在が息づいている。

トロヤとの戦いに挑む直前に、私は()()()()()()()()()()()()()()。これが先に挙げた能力を解放する条件だったのかもしれない。

 

 

 

――そうだ、殺生石の中には。異なる記憶を持った()()()が、いる!

 

――殺生石は……大妖怪は、まだ、生きているのだ!

 

 

 

目の前にいる一菜はあの時の一菜と同一人物で、大切な記憶を殺生石の中に移している最中。

それは彼女が箱庭で死ぬ可能性を示唆しているのだろう。

 

……それだけじゃないかもしれない。

記憶を持ったままだと彼女にとって()()()がある、そんな可能性も考えられるぞ。

 

 

 

失わない為に、自分から消す。

 

 

怖いんだろうか、悲しいんだろうか。

 

 

それとも、何も感じないんだろうか。

 

 

 

「一菜」

 

 

 

勝手にスイッチが入った。

 

聞くのか?私よ。本当に聞いても良いのか?

 

 

お前は絶対に後悔するぞ?

 

 

 

予想はついているんだろ?

 

 

 

 

それでも確認が必要なのか?

 

 

 

 

 

「一菜」

「ん?どした、クロん」

 

 

 

 

 

 

知ってどうする、お前にはどうすることも出来ないだろ?

 

 

 

 

 

 

 

「お尋ねしたいことが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

分かった。もう、止めない。自ら絶望を求めるお前の考えは、ワタシには分かりかねるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたはフラヴィアとヒルダを知っていますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございます。


今回は戦闘なしでした。
つまりはギャグ回ってやつですね。


内容としては――

・チームで任務に当たった。
・パオラの新商品はお返しした。
・フィオナの誕生日を祝う事にした。
・一菜の変化に気付いた。

という所。

え、誕生会をする理由?
そんなの自然な流れで日常パートを書くための方便以外にないですよね。
クロ(キンジ)の誕生日である7月は過ぎてしまっているし。一菜の誕生日に至っては春ですし。実はフィオナさんの誕生日って決めて無かったんで、それこそ降って湧いた話題だった訳ですよ!


次回はおまけの可能性もあります。本編だとしても時間は進んで始まりますが……
どうかもっさりとお待ちくださいませ。




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おまけ7発目 黒黄の茶会(ファントム・パーティー)




どうも!

前書きで食べ物ばかり書いてる食いしん坊のかかぽまめです。
あー、ティラミスとチョコババロアが食べたい。


久々のおまけです。
重要単語は2、3個程度だったかと……

時間軸は月下の夜想曲以降で、不可視の存在の前、ですね。
まったりした内容に仕上げってぃるハズです。


では、はじまります!





 

 

 

「チュラさん、私、そういうの良くないと思います」

 

「チュラ、知らないもん」

 

 

「部屋から出て来てみたら、いきなり何が始まったのかしら……?」

 

 

「あ!姉さんからも一言お願いします」

 

「…私、話が見えないのだけれど」

 

「チュラさんが私の大切に取っておいたパンナコッタを食べちゃったんです」

 

「知らなかったんだもん!名前も書いてなかったもん!」

 

「自分の分は昨日食べましたよね?なんで今日も食べちゃうんですか!残ってるわけないでしょう!」

 

 

「……はあ」

 

 

「食べられないのは別に良しとしますが、世の中には暗黙の了解というものがあります。あなたはもう少しそれを知るべきですよ。3個セットのスイーツを買って来たら、自然と3人で分ける流れが出来上がって然るべきなんです!」

 

「そんなルール聞いたことない!」

 

「確かに確立されたルールではありませんが、なんとなくそんな考えが過ったりしませんでしたか?」

 

「しない!」

 

「します!」

 

「しないもん!」

 

「しますもん!」

 

「ハーイ、ストップストップ。2人とも、落ち着きなさい」

 

 

 

「なんですか、姉さん。私はチュラさんの事を思って――」

 

「冷静に考えてみて。あなたの考えはあなたの主観でしかなかった。相手の価値観に合わせてあげないと、伝わるものも伝わらないものよ」

 

「価値観って言われましても……」

 

「じゃあ……そうね、私が6個入りのナッツ風味の強い高級チョコ(ジャンドゥーヤ)を買って来たとしましょう」

 

「私はパンナコッタが良いです」

 

「チュラもー」

 

「……微笑ましいわ。それなら、パンナコッタにしましょうか」

 

「はい!」

 

「わーい!」

 

 

「クロちゃん、あなたは何個食べられると思う?」

 

「え?そんなの6個あるんですから2個食べられますよね」

 

「チュラも2個?」

 

「そう。そしてそれがあなたの価値観で求められた答えだけど、その日に1個、翌日のお昼に1個食べた後に私がお客様を3人お迎えしたら…何となく分かるかしら」

 

「あ……」

 

「……?なにかが起こるのー?」

 

「確かに"お客様用"という紙を用意していなかったのだから、私の落ち度ね。けれど、あなたは少し考え方に閉鎖的な部分があるから、心配なの」

 

「……自分でも内向的だと、思い当たる節が、無くは、ない、です……」

 

「他を鎖し、私と一緒に過ごしてきたクロちゃんが家族単位として考えたように、1人で暮らしてきたチュラちゃんには個人単位で考える癖が付いている。彼女が慣れない内は私達がゆっくり教えてあげなければならないのよ」

 

「……姉さんの言わんとする事は分かりました。でも、価値観なんて分かりませんよ」

 

「難しく考えないで、私の真似をすればいいんじゃない?」

 

「……!考え及ばないことは聞くのが一番早いですね」

 

「ええ、可愛い戦妹(いもうと)の為よ。ただし、全てを強制してはダメ。彼女にも譲れない領域というものは存在するのだから、あなたの歩み寄りも惜しまないようにね?」

 

「はい!」

 

 

「チュラさん、頭ごなしに怒ってすみません。今回は私があなたに話しておくべきでした。3個あるおやつは皆で1個ずつですよ、と」

 

「え……う、うん」

 

「チュラちゃん?ごめんなさいはしないの?あなたもいけないのよ」

 

「チュラも……?」

 

「だって、戦姉(おねえちゃん)のおやつも食べてしまったのでしょう?」

 

「それは知らなかったからだもん!チュラは……悪く……」

 

「?私の顔を見てどうしたんですか、チュラさん?」

 

「……チュラ、間違ってた?なんで?どうして怒られたの?……教えて。チュラに教えて!カナお姉ちゃん!」

 

「うふふ、あなたも歩み寄ろう(知ろう)としてくれるのね。素直なのはクロちゃんに似て来ているわ。チュラちゃんは何も間違っていないの、決まりはないのだから絶対的な価値観なんてものも存在しない」

 

 

 

「例えば、チュラちゃんがおいしいチュロスを見付けたとするわね」

 

「ややこしいですね」

 

「ややこしー」

 

「クロちゃん?」

 

「ごめんなさい、なんでもないです」

 

 

「そしたら戦姉(おねえちゃん)にも教えてあげたい!って思ったりはする?」

 

「うん、皆にも教えたい」

 

「…驚いた。私ももっとあなたの事を近くで見ているべきなのね」

 

「私の教育のおかげで――」

 

「クロちゃん?」

 

「ごめんなさい!チュラさんの成長が誇らしくって」

 

「ううん、あなたの与えた影響が想像以上で……私もあなたが誇らしいわ……」

 

「……姉さん?」

 

「それでチュラちゃん、チュロスを半分こしたら綺麗に割れなかったの、片方が長くなっちゃって。あなたならどっちを渡す?」

 

「え……」

 

「ちょうどクロちゃんは余所見をしてたから、見てなかった。長い方と短い方、戦姉(おねえちゃん)にはどちらをあげるの?」

 

「それ…は……」

 

「聞くだけ無駄だと思うけど、クロちゃんならどうする?」

 

「包丁を使います」

 

「バッサリね。そうだと思った」

 

「それほどでもー」

 

「少し静かにしよっか」

 

「はい……」

 

 

「チュラは……」

 

「うん」

 

「長い方を……」

 

「…どうする?」

 

「でも……」

 

「……」

 

「きっと戦姉(おねえちゃん)なら……」

 

 

 

「それでいいのよ」

 

「……?それ……って?」

 

「この問題の答えは必ず導かれるものじゃない。導くまでの過程が全て、だからチュラちゃんが戦姉(おねえちゃん)の事も真剣に考えてくれただけで、私達は嬉しいの」

 

「……チュラ、やっぱりわかんない。チュラにはわからないこと。わかんない……」

 

「自分を責めないで。いい?チュラちゃんは今、考えた。自分から私達を知る為に、分かり合おうとしてくれた」

 

「でも、わからなかった!チュラには、戦姉(おねえちゃん)達の気持ちがわかんない!」

 

「焦らなくていいの、今は分からなくても……」

 

「それじゃ、だめなの!早く戦姉(おねえちゃん)を知らないと誰かにとられちゃう!それは、だめ!渡さないの!チュラは――」

 

 

 

「――チュラ、少し落ち着きましょう」

 

「……うん」

 

「……」

 

「私の顔を見てください。カナの言葉の意味、それが分からない訳ではないですよね?」

 

「うん。考える事が大切で、チュラは考えたからそれでいい、でしょ?」

 

「当たってます。それなら、チュラはカナが最初に言った言葉を忘れたんでしょうか?」

 

「チュラがチュロス?」

 

「もうちょっと前です」

 

「例えば?」

 

「刻みが細かいですね!もう少し前です」

 

「……絶対的な価値観?」

 

 

「そうです、更に言えばチュラは自身の価値観の中では何も間違っていなかったとも言われましたね」

 

「それは、戦姉(おねえちゃん)とは違うから……」

 

「今のあなたならどう考えますか?」

 

「今のチュラ?」

 

「私とカナの話を聞いた今のあなたなら、あと1つ残っているパンナコッタを食べてしまいますか?」

 

「……食べない。最後の1個は、戦姉(おねえちゃん)達の分だから……でも、1個足りない。チュラが食べちゃったから」

 

「ふふっ、それがカナの言っていた歩み寄ろうとした、という事なんです。チュラは今、確実に価値観を変えました、私達と分かり合うために」

 

「でも、わかんな――」

 

「あなたは分かってくれた。さっき自分で答えたでしょう?戦姉(おねえちゃん)達の分だって。そこに私達の名前は書いていないのに、どうしてそう考えたのか……チュラが私達の価値観を理解してくれたからなんです」

 

「……」

 

「私達は……そう、家族なんですから、いつも一緒なんです。焦らないで、毎日1歩ずつ、もっとお互いを好きになっていきましょう!」

 

「家族……」

 

 

 

 

「チュラ。戦姉(おねえちゃん)達に付き合ってくれますか?」

 

「……わかった。チュラも、戦姉(おねえちゃん)達が好きだもん。だから……」

 

「……」「……」

 

 

 

 

「ごめんなさい!戦姉(おねえちゃん)

 

 

 

 

「えへへー」「うふふ……」

 

「許して……くれる――っ!」

 

「可愛い!可愛いですよチュラさん!私も大好きです!」

 

「本当に、可愛い妹が増えて嬉しい。いつでも遊びに来てね?家族なんだもの」

 

 

 

 

 

「……えへへー。チュラ……幸せだよ。探し続けた戦姉(おねえちゃん)が、こんなに――」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「チュラさん、私の右腕を通して、何を見てるんですか?」

 

「…小さい頃の記憶ー。すごく、小さい頃の、お姉ちゃんがチュラと一つだった頃の、大事な記憶なんだー。戦姉(おねえちゃん)の右手を見てると……思い出すんだよ?不思議だよねー」

 

「小さい頃に私とチュラさんが一つだった……?」

 

「違うよー?チュラのお姉ちゃんが置いていっちゃったの。だからチュラは暴れちゃってー、気が付いたら赤い樹の森で迷子になっちゃった」

 

「……あなたの言う事は、まだ良く分かりませんね。でも、それもいつか分かり合える時が来ますよ!」

 

「うん!」

 

 

「2人とも、午後にはお買い物に行きましょう。チュラちゃん、3つのおやつは?」

 

「みんなで3分こーっ!」

 

「はい、よくできました。クロちゃん、1つのお菓子は?」

 

「みんなで3分こーっ!」

 

「うふふ、残ったパンナコッタも仲良く食べよっか――」

「わひゃー!パンナコッタだー!私が一番のりだー!」

「――チュラちゃんも、もちろん一緒に、ね?」

 

「……」

 

「そうね、あなたも思いっきり悩みなさい。クロちゃんみたいに、大きな壁に当たったら休んだっていいの。あの子はいつか超えていくから、その時はチュラちゃんも付き合ってあげてね?」

 

「あんれーっ!?冷蔵庫の中に無いぞーっ!?姉さんどこに隠したんですかー!!」

 

「えへへー、大丈夫だよ、カナお姉ちゃん。チュラの持ち主は戦姉(おねえちゃん)しか許さないから。絶対に守るし、死んじゃったって地獄の鬼には渡さないよー」

 

「……お姉さんによく似てるわね、一途な所とか」

 

「姉さーん!パンナコッタはどこですかー?」

 

「スプーンを持って早く戻ってきなさい。私が持ってるわ」

 

「戻ってきなさーい、ビリっけつさーん」

 

「あ、あんだってーっ!?」

 

 

 

「ふふ、おかえりなさい」「えへー、チュラは2位だよー」

 

 

「うー!認めません!これよりパンナコッタ争奪戦を………

 

 

…………始めないので、チュラさん、姉さんの顔を見てから戦闘態勢に入らないでください」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

ここって本当に個人の家かね?

その疑問が消えることはない。だって広いんだもの。でかいんだもの。

 

有力企業のお嬢様だとは聞いていたから、大きいとは考えていた。

でも、言ってもローマ市内に構えた拠。制限もあるだろうし、その範囲内に収めたとしてもこんな詰めっ詰めな土地によく建てられたものだ。

 

 

「クロさん、そっちはアトリエだよ。危ないから近寄らない方が良い」

「へ?アトリエ?この大きな建物が全部……ですか?」

「私達の芸術は空間を大切にしているからね。雰囲気の違う部屋がいくつも用意されているんだ」

 

 

相変わらずのパトリツィア節。危ないアトリエって何だ?

でもあなたの言う芸術の恐ろしさはよく知っていますよ。トラウマになる程にね。

 

芸術で思い出したあの決闘。

後日、さほど日を跨がずに満月の吸血鬼と出くわしたからこそ恐怖は薄れ、交流が続けられているが、体に穴が……いや、体の存在が失われる感覚は本能的な恐怖よりも理解しようとする理性を壊しに掛かってきた。

今でもあの技は謎のまま、次に戦う事があってもその対策は()()()出来ない。それどころか、私の乗能力の方が知られてしまっているから奇襲も通用しないし、その奇襲を無駄にさせた衝撃吸収の能力も判明していない。

つまり、次も勝てる見込みは圧倒的に少ないという事だ。

 

……一応対策も考えてはあるのだが、不確定要素が多すぎて効果の程は定かではないのが現状。

 

 

「お待ちしておりましたわ、トオヤマクロ様。私、フォンターナ家次女のアリーシャ・フォンターナと申します」

「え、あ、はい。どうも、遠山クロです。パトリツィアさんにはいつもお世話になってますー…」

 

 

スイッチを入れて、また頭の中でシミュレーションをしようか、というタイミングで前方から挨拶の声が聞こえた。

そんなもんだから、咄嗟に出た返事は私から見ても不合格な、親戚との挨拶みたいな実に気の抜けたものになってしまった。

 

(この子が前に聞いていた妹さんか)

 

決闘の後始末を手伝ってくれたらしいが、この子も普通の子じゃないのだろうか?

印象を挙げるとすると、姉と違い謙虚で礼儀正しい想像通りのお嬢様なイメージだ。平民の私と違って所作も良くできている。

 

 

「お姉さまがご迷惑をお掛け致しましたようで、本日はしっかりとおもてなしさせていただきますわ」

「ちょっと、アリーシャ。さっそく私をこき下ろす気かな?あの決闘は合意の上、むしろ私は巻き込まれた側で……」

「その後、クロ様が諜報科のサマンタ様に拉致されたとの噂を伺ったのですが?」

「う……それは、その……どこから?」

「教えませんわよ」

 

 

え、妹さん強い……!

あのパトリツィアを情報戦で圧しているぞ。

 

 

「でも、それも同意の上で……」

「お姉さま?私の目をご覧くださいませ?」

「……ごめんよ、アリーシャ。私が悪かった……」

「ええ、とてもよく分かっておりましたわ」

 

 

完封。

まさに電撃戦だった、被害者である私の目にパトリツィアが可哀想に映る程。最後の一言も地味に刺さっていそうだ。

余裕の態度を崩すことがほとんど無い彼女は、妹さんには頭が上がらないらしい。

 

 

「さて、クロ様。お姉さまからのお誘いをお受けいただけて、喜ばしい限りですの。こちらにおいでくださいませ、お茶会の準備は整っておりますわ」

「は、はい。お手柔らかに、よろしくです」

 

 

 

 

 

驚いた事に、大きかったのはアトリエだけ。

彼女達が住んでいる家の方が離れの家屋みたいで、外観はシンプルな薄黄褐色の立方体。

ドアを抜けた先の玄関は広く、正面に続く廊下は8m程。淡く黄味がかった生成色(エクリュカラー)の壁と床にはネモフィラの花のような空色の絨毯が敷かれ、内装も最低限のオシャレな飾りつけにとどめられていた。

なぜか天井は高く、吊り下げられた小さなシャンデリアでは天井まで光が届いていないのが気になる。

 

それで、入った直後から感じていた事だが、入り口付近はなかなか強烈な花の匂いがしているなぁ……

 

 

「その部屋はお姉さまの寝室ですわ」

「この部屋……?――っ!?」

 

 

入ってすぐ脇の部屋、そこが長女の寝床?

そのポジションって警備員とかが待機する場所なんじゃないですかね?でもって……

 

(なにここ、植物園?)

 

そこは花に埋め尽くされていた。

そしてその多くが見た事もない花で、わかるのは葉蘭とか烏瓜とか日本の変わった植物くらいだ。月下美人みたいな花もあるけど……時期も環境も全然違うのに、どうなってるんだ?造花?

 

 

「あまりジロジロみないでくれるかな?」

「すみません。どこに寝てるんですか?」

「この中だよ」

「中のどこですか」

「昨日はフォックスフェイスの隣に寝たよ」

「……隙間がないですよ」

 

 

これ以上の有益な情報は得られそうにないし、見過ぎるのも失礼だ。

妹さんが奥に進んでいるし、遅れずについていこう。

 

(チュラも良く分からないことを言うけど、パトリツィアに似たのかな?)

 

もしそうなら、なんて迷惑な話で――っ!

 

(なんだっ!体が沈む!?)

 

 

「こちらですわ。…あら、クロ様、そこの床はスパッツィアのいたずらで単色(モノクローム)の沼になっていますの、お気を付けくださいませ」

「…遅いです、妹さん……」

 

 

うちも大概だけど、ここも普通の家とは……程遠いや。

 

 

 

 

 

お茶会の準備が整えられていた部屋は12畳程のそこそこ広めのダイニング、入って左側にはカウンターで仕切られたキッチンが独立している。

部屋の中央付近には円卓と4つの椅子が用意され、そのテーブルの真ん中には甘い香りを漂わせたケーキスタンドにカーテンみたいなカバーが掛けられていた。

 

壁のあちこちには彼女達の作品であろう風景画や抽象画、正面と右側の窓には花瓶やカラフルな動物型のガラス細工が並べられて色鮮やかな光を室内に反射している。

あまり生活感を感じないのは、アトリエの存在が大きいのだろう。おそらくこの姉妹は大半をあの場所で過ごすのだと思われるが、それでも時計ぐらいは置いておけばいいのに。

 

 

「アリーシャ、スパッツィアはどうしたんだい?」

「アトリエから戻りませんわ、お姉さまの新作に刺激を受けたみたいで……」

 

 

スパッツィアという名前は、パトリツィアから聞いていた末妹の名前。アリーシャとも年が離れた天才児だと説明されたが、落とし沼の犯人という認識が私の中では一番強い。

それで、その子がアトリエから帰って来ないと。反応を見る限り、それ自体はさして珍しくもないのか。

 

 

「新作?…………ッ!?ちょっと待ってくれないか!?それは私が――」

「行儀が悪いですわよ。寝室に隠していたようですが、もう見られてしまったのですから手遅れですわ」

「あれは…その、アリーシャは見たのかな?」

「いいえ、スパッツィアが感動して語っていたのを聞いただけですの。楽しみですわ、帰ってきたら見せてくれる約束をしていますのよ?」

 

 

そんな話をしながら、ケーキスタンドのカバーを取り外し、湧いたお湯とポットを取りに行っている。

用意されたカップは金の縁取りがされた真っ白でシンプルな造形、ケーキスタンドは2段になっていて、上段にはクッキーとマカロンのような焼き菓子、下段にはハムとチーズ、オリーブオイル漬けにしたトマトが挟まれたフォカッチャが入っている。……おいしそう。

 

 

「だ、だめっ!あれは誰かに見せるものじゃなくて……」

「御心配無く、見ても見なかったことに致しますわ」

「なにも良くないよッ!」

 

 

慌てた様子のパトリツィアが騒ぎ立て、それを妹さんが完全に受け流す。

真っ赤になって立ち上がったパトリツィアは……なんだろうちょっとこの光景、クルものがある……

 

普段弱みを出さず、優位に立っている彼女が余裕を失って、徐々に声も上擦ってきたのは学校では絶対に見られない、特別感。

写真を撮りたいが、私はハチの巣にされたくないのでテレーザさんの真似事はしない。

 

……つもり。

 

 

「その新作、私も見たいです」

「……クロさん?」

 

 

 

――カシャッ!

 

 

 

いやー、我慢できなかった☆

てへぺろ☆

 

 

「今、何と言ったのかな?」

「あのお菓子おいしそうだなー☆って」

「…ぷふっ!」

「あなたの強かさが、チュラに移らないといいんだけど」

 

 

紅茶の入ったポットを載せた台を押して来る妹さんが噴き出したからか、パトリツィアもちょっとだけ怒りの勢いを弱めたみたいで、呆れ苦笑い。

妹が笑顔を私に向ける姿を複雑な顔をして見ているが、嫉妬かね?

 

 

「面白いお方ですのね。お姉さまと決闘なんてお話でしたので、てっきり今春の男子生徒のような身の程知らずかと思っていましたの。道理でお姉さまがお招きするはずですわ」

「…あいつはアリーシャを侮辱した。事故のギリギリまで痛めつけてやったよ」

 

 

それは事故ではなく事件です。

 

 

「お姉さまは過保護ですのよ」

「過保護の枠組みを超えてるんじゃ……」

「それでクロさん」

「…なーんでしょうか?私分かりませーん」

「まずは消そうか、その写真を」

「この、大切な思い出を……消せと?」

 

 

口元に手を当てて、ショーック!みたいな顔で、一応抵抗。

本気で来られたらその時は大人しく消すとしようか。

 

 

「…ぷ、ぷくく……」

「ふ、ふく……やめてくれないか、その顔。ポーズも、似てる……ふふっ」

 

 

……お?パトリツィアの自然な笑顔、これは……激レアなのでは?

何がツボに入ったのか、オスカーかな?

 

ま、いいや。

すごく、良い物が見れたし、消しちゃおっと!

 

 

「ほら、パトリツィア、あなたの手で消してください。気になるなら中の写真を確認しても良いですよ」

「……それなら遠慮なく消させてもらうよ。ただし、中は見ない、クロさんを信じるとしよう」

「素敵なご友人が増えたのですね、お姉さま」

「うん。私は彼女の人となりが気に入っている。……はい、これで消えた。クロさんには何かでお返しをしないとね」

 

 

椅子に座り直した彼女がそんな事を呟くものだから、そりゃ私も良い事を思いついちゃうわけで、それをつい口にも出しちゃうわけですよ。

 

 

「でしたら!写真をください!」

「写真なら今消したばかりじゃないか」

「そうではないと思いますわよ」

「どういう事かな?」

 

 

立ち上がった妹さんが蒸らしたティーポットからカップへと紅茶を注いでいくと、甘みのある、でもやっぱり渋そうな匂い。見た目だけなら赤味があって暗さはないから、濃くて渋みが控えてありそうだな、という感想が浮かぶ。

紅茶は午後ティーしか知らないので、細かい所は私には難しい。カフェならこの国に来て分かるようになったんだけどね。

 

 

「みんなが写った写真が欲しいんです。妹さんも、ここにはいない方も一緒に」

 

 

私は写真が好きではない。極力写らないように努めてきたし、記憶を自由に引き出せれば写真を撮る必要なんてないんだから。

でも、なぜか今日は、記念が欲しくなった。その心境の変化の原因は自分でも分からない。

 

 

「……?何のために?証明写真やジャストとは違うのかな」

「世間ではご友人同士で写真を撮る文化があるみたいですわ」

「意味もなく、衝動的に撮りたくなるのは不思議だね」

「日本には"プリクラ"と言う文化が――」

「クロさん!それはすぐに用意できるものなのかい!?」

 

 

食いつきが良過ぎます。

座ったと思ったら弾かれたかのように、飛び掛からんばかりの体勢で目を輝かせてる。

 

 

「――あるんですが、用意なんて必要ありませんよ。要するに友達同士で気軽に写真を撮るだけなんですから」

「それだけなの?」

「それだけです」

「変わった文化ですわ」

「今ほどカメラ付きケータイが普及していませんでしたから、Club di stampa(プリクラ)と言うのは一種のノスタルジアですね」

 

 

内容を聞いて興味を失うかなとも思ったものの、その心配は不要だったようだ。

パトリツィアは今にも実行したそうにウズウズしている様子で、口の形が猫みたいになってる。うーんギャップがいい。

 

 

「お姉さま、お写真はお茶会の後で。まずは心からクロ様をおもてなし致しましょう」

「ああ、そうだね!クロさんとはこれからも()()でいたいものだし、本当はスパッツィアにも紹介したかったんだけど」

「アトリエにお伺いは出来ないんですか?」

 

 

いる場所が分かっているなら、こっちから会いに行けばいいじゃないか。

 

だが、その反応は芳しくない。

 

 

「クロさんには無理だろうね」

「私もおすすめは致しませんわ。責任を持てませんもの」

「すごく行きたくないですね。止めておきましょっか」

 

 

(危ないアトリエには、一体なにがあるんですか……?)

 

供された紅茶を笑顔で勧められるままに一口。

――ストレートでも甘みがあるもんだなぁ、それと渋みがほとんどない。

 

私が飲み慣れないと予め伝えていたから、特に優しいものを用意してくれたのかもしれない。そう思い、右手側に座る気が利く妹さんを見やると……

 

 

「角砂糖、クロ様はいかがですか?」

 

 

(……この甘めの紅茶に3個、入れますか)

 

 

「お1つ頂きます」

「どうぞ、やっぱり紅茶は渋みが強いですわね」

 

どこが?

 

「クロさんも驚き顔じゃないか、あなたはいつも入れ過ぎだよ」

「…そうなのでしょうか」

「外では気を付けているからいいけど、慣れないものだね」

「お砂糖、ありがとうございます」

「あら、ご丁寧に。足りなければまた、お伝えくださいませ」

「……はい」

 

 

そして、角砂糖を溶かし終え、一口味わったカップをソーサーに戻したところで、パトリツィアがケーキの無いケーキスタンドを促した。

妹さんがその指示に従い私の方に寄せると、砕いたナッツのココアクッキー、厚みがあってベリーソースの掛かったホワイトクッキー、これまた細かいドライベリーがクリームに混ざった赤いマカロンとスライスされたオレンジピールの入った黄色いマカロンがカラフルで目に楽しい。下段のフォカッチャは青い包み紙に包まれて、こちらも食欲をそそる良い匂いを漂わせている。

 

――これ、全部取っていいの?

 

 

「あの……アリーシャ、さん?」

「やっと名前で呼んでくださいましたわね、どう致しましたの?」

「これって、全部とっても良いんでしょうか?」

「もちろん、構いませんわよ」

「ホントですか!?」

「ただ、ケーキのご用意も出来ておりますの。熱を冷まして、クロ様のいらっしゃる5分前に丁度出来上がったところですわ」

「アリーシャは料理は嫌いだけど、ケーキを作るのだけは大好きでね。今じゃお店のケーキよりも美味しいものを作ってくれるんだ」

 

 

くっ……なんてこった。

まさかケーキが載って無かったのは初めから別途提供するためだったのか……!

 

 

「今日は何を作ったのかな?私はあなたのキルシュトルテが好きなんだけど」

「ご用意できてますわよ。シャルロッテとミルクレープも、昨日スパッツィアがお話ししながら手伝ってくれましたの」

「それは楽しみだ!」

 

 

3つ?3種のケーキが来るというのか?

シャルロッテ……ってのは見た事が無いが、食べない手はない。どうしよう……

 

……どうしよう?何を迷ってるんだ、私は。

そんなの――

 

 

「――全部いただきます!」

「嬉しいですわ。ぜひクロ様の感想もお聞かせくださいませ」

「太らないように気を付けるんだよ?生憎、私達姉妹はいくら食べても太らない体質でね」

 

 

イラァ……

 

えーえー、さっきの角砂糖で予想出来てましたとも。

私だってそこそこ太り辛い体質なんです、ついでにスイーツならいくらでも食べられるんですからね!

 

ケーキスタンドから一通りのメニューを頂いた私はそれをパトリツィアの方に差し出して不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「私のこの食べっぷり……見忘れたとは言わせませんからね?」

「――ほほう!」

「え……?」

 

 

ノリ悪ッ!

 

恥ずかしい、私、超恥ずかしいよ!?

なんか言ってよ、なんで本気で感心してるのさ!アリーシャに至っては『こいつ何言ってんの?』とか言いたげな呆然とした反応だし。

 

くっそ、大体、私の周りにはクールな子が多すぎるんですよ!

一菜だってまだちょっとだけ人見知りであんまりふざけないし、パオラはテンションアゲアゲなキャラじゃないし、ベレッタはそれこそ『何言ってんの?あんた』って面と向かって言ってくるし!それに加えてこの姉妹のこの反応!

辛い!世間の風当たりは強すぎるよ!

 

 

「……今のは聞かなかったことにしてください、いえ、無かったことにしてください」

「…ふふっ、出来ない相談だね。忘れたとは言わせてくれないんだからさ」

「い、いじわる!そのセリフごと忘れてくださ――」

「クロさん」

 

 

とうとうセリフまで遮られた。

勘弁してつかぁさい……

 

 

「な、なんですか?」

 

 

パトリツィアは自分の皿に2種類のクッキーを取り分け、アリーシャへと渡しながら口を開く。

 

 

「いや、末永く仲良くしたいものだと思ってね。ケーキの登場を楽しみにしているといい」

「私の方こそ、あなたとは二度と敵対したくありませんよ」

 

 

アリーシャがホワイトクッキーとマカロンを取り分けてスタンドを中央に戻すと、パトリツィアは続けて話す。

うっ、あの手の動きは、前にも見たメモをとる体勢。ベレッタとの質問タイムはそれはもう忙しなくあの左手が走り回っていたものだ。

 

 

「そうだ、クロさん!日本にもお茶会の文化はあるんだよね。グリーンティー、"リョクチャ"って飲み物がカフェテリアに……そういえば前に飲んでいたか」

「日本にもお茶を用いておもてなしをする、それどころかそれ自体を主目的とした催しがあります」

「私達が過ごすこの時間とは、全く違うものですの?」

「ううーん……なにせ私も茶道が良く分かっていないので、あやふやな説明になりそうですが」

「構わないよ、あなたの感じたままを聞かせて欲し――」

 

『アリーシャおねえさまー!』

 

 

(アリーシャ、おねえさま?)

 

彼女達は3姉妹でアリーシャは次女なのだから、姉と呼ぶのはスパッツィアと言う名の末妹だけである。

声はすれども姿は見えず、反響する幼い少女の声は完全なる沈黙からの第一声だったのか、地声迷子で音階が上下していた。

 

 

「スパッツィア?お姉さますみません、少し席を立たせていただきますわ。ご友人への聴取も程々に致しますのよ?」

「……うん、わかったよ、アリーシャ。クロさん、また今度にしようか。今はお茶会を楽しもう」

「私は最初からそのつもりだったんですが……」

「私も最初はそのつもりだったよ」

 

 

あわやお茶会が記者会見に早変わりする未来が見えかけたが、妹さんのお心遣いにより回避、ギリギリセーフだった。

 

アリーシャは私に一礼して立ち上がると、部屋を出て玄関とは反対側に歩いていく。

外から見た時、アトリエに向かう道は渡り廊下みたいなもので繋がっていたし、そこを通っていくのだろう。

 

(折角の紅茶が冷めちゃう……)

 

Mottainai(モッタイナイ)精神的にはNGだが、甘すぎるお紅茶もNG。ミルクティーにすれば甘さも気にならなくなりそうだけど、この紅茶葉だと今度は風味が残らないか。

 

 

「クロさん、チュラはあなたと仲良くできてる?」

「?はい、とても良い子ですよ。たまに変な事は言いますが、妹がいたらこんな感じなのかなーって」

 

 

元相棒、というより保護者のパトリツィアもチュラの事を心配してくれているのか。

そもそも、どんな経緯で知り合ったんだろう、やっぱり先生から直々に仕事として頼まれたのかな?

 

 

「暴れたりしてないかい?」

「そんな前触れも見せませんよ」

「クロさんの利き手は右手だったよね?右腕にいつも抱き着いて来たりは」

 

 

構って欲しいネコかっ!

 

 

「どちらかと言うと左腕が狙われますね。あ、それで思い出しました!この前一緒に帰る約束を忘れてスーパーに向かったら噛みつかれたんですよ!ガブーッて!制服の上からだったから歯形は残りませんでしたけど、ビックリしました!」

 

 

それ以前に両利きみたいなものだし、片方塞がれたところで生活に不便はないのだが、あの時の買い物は不便だった。

腕が重いし、片腕しか使えないといちいちカートから手を放さないといけないし、お会計の時には離れてくれたものの、そのままだったらお金も満足に支払えない所だったしね。

 

 

「それは災難だったね、今後は気を付けた方が良い。()()()()()()()に駆られて暴れ出すから、何かで埋め合わせをしないと私みたいに襲われかねないよ」

「ふぇっ!?襲われたんですか!?チュラに?」

「ううん、チュラと知り合ったのはそんなに前じゃないんだ。あの子には懐かれなかったし」

 

 

はて?チュラの話じゃなかったのか。

 

 

「激しく体を求められてね、持ち主と一つになろうとするんだ」

「――――えっ?……っ!?"あっ、それ、は、そのあのっ!あれですかっ?あなたと合体したいとか、ゆうべはおたのしみでしたねとか、そういう――ッ!――ぴうっ!ぴ、ぷ、ぷ健全な……私、良くないと思いますぅっ!"」

 

 

パトリツィアさん、中学生の内からそんな爛れた人間関係を……?

彼女の余裕は、そういう事なの?人生の先輩になっちゃってるの?

 

だめ!だめだめっ!そんなのだめですッ!!

 

 

「クロさん」

「"私達には、まだ早いです!おいしくないですッ!"」

「日本語はほとんど聞き取れなかったし、真っ赤っかだよ。……変な想像をしたね?」

「ち、ちがうもんっ!私、何もしらないもんっ!」

「あなたがチュラに似てきてどうするのさ。でも、その反応を見る限り、不安だね、迫られたら断れない感じがするよ」

 

 

 

迫られる……?

チュラに……私が…………?

 

 

 

…………ないわー。

 

 

 

「冷静に考えたら、ありえない話ですね」

「…コロッと態度を変えた。今度は何を想像したんだか」

「だってチュラさんですよ?」

「うん、言いたいことは伝わったけど、私もそうやって彼女を舐めていたんだ。気を付けるに越したことはない」

 

 

そうだった、前回は吸血鬼で痛い目を見たんだし、油断大敵。

ま、相手がチュラだと判明している時点で怖かーないんですけど?

 

 

「記憶に留めておきます」

「紅茶のおかわりはいかがかな?私のおすすめがあるんだけど」

「初心者向けでお願いします」

「……アリーシャと同じものを淹れようか」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「アリーシャさん、もっとパトリツィアさんにくっついてください」

「も、もっとですの?胸が……」

「こっちも限界なんです。お姉さんの柔らかいお胸が片方変形してますから」

「クロさん、余計なことは言わないでくれるかな?」

「キツそうなら少し後ろに下がって、パトリツィアさんの背中に載せる感じで……」

「身長的に逆じゃないかな?」

「あ、そうですね。パトリツィアさんがちょっと背を反る感じで胸を張って、アリーシャさんは軽く膝を曲げた状態で……そう!その形を維持です!」

 

「これは……結構きつい姿勢ですのね」

「ここまで密着する必要はどこにあるんだろうか」

「この密着感こそプリクラの醍醐味なんです!ほらっ、カウントダウンですよ?指示したポーズでパシャッと1枚、行きましょう!」

「このポーズも意味が無さそうだけど」

「楽しんだもの勝ちです」

「全員で同じ格好だなんて、兵隊さんみたいですわね」

「こんなポーズしてたら飛び蹴り喰らいますよ……よし、カウントダウン開始!シャモ...ウナ...ファミリアーン!!」

 

 

 

カシャッ!

【挿絵表示】

 

 

 

 

「クロ様、ファミリアーンでいいんですの?」

「えへへー、力んじゃいました」

「笑顔だからいいんじゃないかな。良い経験が出来たよ、ありがとうクロさん」

「……パトリツィアさん?あなたは大きな間違いを犯していますよ?」

「うん?私が何かを誤ったのかい?ポーズが間違っていたとは思わないんだけど」

「ここで終わったらただの写真撮影。ここから先が、真のプリクラの世界なんですよ?」

「――なッ!?」

「お2人ともノリノリですわね。それでその先とは一体どんなものですの?」

「ふふふ……それは…………」

 

 

 

「みんなでワイワイ、落書きタイムでーーーーすっ!」

 

 

 

「落書き…?」

「折角の写真を、汚してしまいますの?」

「違うんです、この写真はいわば下地、この上に私達の手を加えることでようやく1つの作品としてこの世界に再誕するのですッ!!」

「!!」「っ!」

 

「ってなわけで、やっていきましょうか。私達の初めての合作、プリマ・フォトを」

 

 

 

 

 

「クロさん、そのほっぺのクルクルはどういう意味だい?」

「可愛いじゃないですか。ほらほら王冠もお似合いですよ?」

「お姉さま!なんで私の顔にモジャモジャしてるんですのっ!」

「ははっ、もっと伸ばそうか」

「お姉さまっ!」

「アリーシャさんの落書きはキュートですね。……あ、ちょっと!人の頭に八つ当たりしないでくださいよ!犯人はあっちですって!」

「私も頭になにか生やそうか」

「もう十分生えておりますわよっ!」

 

「仕上げに、みんなの顔をハートで繋げて…っと。はい、かんせーい!」

 

「下も埋めちゃおう」

「そうですわね」

「そんなに凝らなくても……でも、楽しそうでなによりです」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


本編開始前、平和な日常の中のイベント、その1コマです。


クロ、カナ、チュラの交流は家族の様なもので、この頃は今ほどチュラの精神が成長していません。多少不安定気味で、思考もクロと自分を中心としていました。

こんな感じでクロとカナがチュラを支えて育てて来たから、今のチュラとなっていますが、もしパトリツィアと共に生活していたらと思うと……


そして、しばらく前、題名だと「希望の萌芽」で出て来たお茶会の内容です。
アリーシャとはここで出会い、深くはないですが割とあっさり交流が始まりました。

日本文化への傾倒には原因があるのですが、ここでも"プリクラ"という単語に反応し、ノリノリで撮影していましたね。妹と一緒に、落書きまですごく楽しそうに満喫していた
のは、クロにとっては意外な一面に映ったことでしょう。


そろそろ箱庭を始めようと考えながらも、クラーラのおまけもやってないし、ニンジャ回もやりたいし。イタリア編長すぎぃ!

早く原作軸に行って、書きたい事を書き切って、原作と矛盾してエタりたいんですがね……





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不可解2発目 夜空の星は漂う



どうも!

お部屋の掃除をしていたかかぽまめです。


不可解2発目。
予想済みでしょうが、本編にはあまり関わってきません。次回の不可解への布石がほとんどですしね。


では、始まります。





 

 

「ミーネーッ!お昼食べよー!」

「あ…うん、いい、よ。お久し、ぶり……だね、少し、だけ……心配、だった、かな」

「心配してくれたの!?有無を言わさず、心が弾んじゃう!!ごめんね、ちょっとだけ忙しかったんだよ、使い魔を出す暇もなくて、ね?」

「任務…だったの?」

「ナ・イ・ショ!そうだ、この前メーラに会ったよ!お母さんに会いに来てたみたい」

「っ!ねえさん…もう、ヨーロッパに戻ってるの?」

「私は用事があったから、挨拶してバイバイしたけど、しばらく滞在する様な事を言ってた!あの子、益々人間離れして来たね!お母さんと4合も打ち合えるなんて、トロヤでも無理だよ!」

「私には1合、全神経を集中させて動きを見てたのに、槍を合わせるだけで精一杯だったなー。碌に体重も預けられないまま吹っ飛ばされて、ねえさんに受け止めて貰えなかったら二度と立てなかったかもね」

「それって凄い事なんだよ!『迫月(せまるよる)』ならただの人間でも可能性が有とか無とか。だけど、『音突(おと)』は不可能なはずなんだから!」

「そうは言っても陸地だったしー…全然喜べない」

 

 

「でもでも、ミーネミーネ!心配は無用、もうちょっとだよ!私の宿金がもう少しで出来上がるの!そしたらミーネにあげる!メーラには……ごめん、届かないだろうけど、ミーネも人間の限界突破が有とか無とか」

「宿金…かぁー……」

「…受け取ってくれないの?私達の仲間の証」

「ううん、私にも使いこなせるか不安なだけ。リンマちゃんのプレゼントはありがたく受け取るね?私達は友達、その時にはお返しも用意しておくから」

「うんッ!うんッ!ミーネはやっぱり優しい子、強くて華麗で自慢の友達!」

「褒めても何も出ないよ」

「胸も出てな…ドゥーラァーッ?!(いたーいっ!?)

「こ・れ・は・た・い・し・つ。あんまり弄ると削ぎ落しちゃうよ?」

「しゃぴー……お腹に響くぅ~……」

 

 

 

 

「そうだ!ミーネ、今度紹介したい仲間候補がいたの!」

「食事中の話題?それ……まさかとは思うけど…探しに出掛けてたの?」

「偶然とも言い切れないけど違ーう。ちょっと生意気な人間で、そんなところはミーネとかメーラに似てる所が有とか無とか」

「失礼しちゃう。普段の私は…大人しくしてると思うんだけど、キミの目にはそう映ってたのね」

「お母さんが招待したメーラに付いて来ただけだったのに、いきなり私達の池で水遊び始めるんだもん!あの時は怒っちゃったよ!」

「とても清らかな水だったから、つい、沐浴をしたくなちゃって。知ってるでしょ?我慢が苦手なんだ、私」

「殺したつもりだったのに、突然強さが跳ね上がるのは反則!」

「つもりで止めたキミが悪いんだからね」

「その人間もそんな所がまた、ミーネに」

「似てた?」

「うん!とっても。綺麗な黒髪ストレートの女の子」

「……ちょっとだけ、心当たりがあるかも……」

 

「ねえさんは見付けたのかな?方法を」

「分からない。けど、理子とヒルダ、また仲良くなれるかもしれない!」

「ッ!?それって、ホント!?」

「その人間がなんかしたみたい。私は気絶してたから"ラブリー(L)理子りん(R)ダイスキー(D)"計画の会議内容は聞いてないんだよ」

「気が抜けた……何、そのダサい名前」

「それも人間の仕業。パトラが笑いを噛み殺しながら説明してくれたけど、ヒルダに言わせたいだけみたい。正式にはレフト(L)ライト(R)ダイレクト(D)の3方向で手当り次第って意味なんだって」

「酷い辱めもあるものなんだ。あのヒルダさんが人間に大人しく従ったの?」

「それがさー!ヒルダったらその人間に惚れ込んじゃって、入れ込んじゃって。仲良くなったら、活き活きしててずっと機嫌が良かったんだよ!(午前)3時のおやつもいっぱいくれた!」

「嘘みたい……あんなに人間を憎んでたのに。私やねえさんですら、避けられてたのに」

「そうだよね、どこが好きになったんだろ?あの芯の強い黒色の瞳かな、それとも炙り焼きしたら美味しそうな身の締まった脚部?」

「……やっぱり、ちょっとだけ、心当たりがあるかも……」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

日が完全に沈んだ。

だってのに、なんでまだカナと合流してないんだろうな。楽しいから良いんだが、お面も買ったし、そろそろあたしのお姫様を送り届けないと後が怖い。

向こうのお連れ様も不安だろう、こっちも機嫌を損ねるのはなるべく避けたいのだ。

 

たった今、輪投げでワンクレジットクリアを決め込んだ理子が、裏に控えた胡散臭そうなおっさん共に目を付けられても困るし、2ゲーム目は辞退させて早々に立ち去ろう。

ヒマワリの笑顔で元気をくれた彼女に別れを告げるのは身を裂く思いだけど、いつかまた、どこかで会える気がする。

 

 

「理子、やったな、可愛い飾り紐じゃないか。あたしが付けてあげようか?」

「うー!うれしい申し出だけど、違いまーす!これはお姉さまのお洋服に使うから、新品のまま持ち帰るの」

「お姉さま……そっか、お前も姉と一緒に来てたんだな」

 

 

疑問が1つ解けた。

親御さんのいない彼女は誰と一緒にこのお祭りに来ていたのか、気まずくなると困るから問い掛けられなかったその答えは、あたしと同じく姉の同伴。

 

理子のお姉さんと……それはさぞかし美人なのだろう。キュートな小悪魔タイプか、セクシーな肉食タイプか、はたまた全く異なったクールな不可侵タイプか。

いずれにせよ、この心まで照らす眩しい笑顔には敵わないけどな。

 

 

「だーかーらー!お前って呼ばないで、理子って呼んでよ!」

「あー、悪かった。2人だとつい、な」

 

 

癖なのかは知らないが、彼女は怒りの表現をする際に両手の指を立て、それを頭……ではなく大きく開けた口の両端に持っていき、牙に見立てている。

 

「ぷんぷんがぶーっ!だよー!」

 

おーおー。怒った顔も戒めるのが目的じゃなくて、自分の気持ちを伝える手段。

変わっ……コミカルな動きも子供らしくて可愛いもんじゃないか。

 

一動作で表情をコロコロ変えるから見ていて飽きない。

今も想像の片手間に謝った事で機嫌が戻ったらしく、すでに別の屋台へと関心を誘われるままに、あそこへ行こうとおいでのポーズ。

あたしとお揃いの綿菓子、飴ばっか食ってて中身が飽和し始めたりんご飴、半分食べた後にパスされた輪切りのチョコバナナ、そして渋い顔をされた輪投げの次は水ヨーヨーをご所望で。

 

(こんな子供がどんだけ金を持ち歩いてんだ?危なくてしょうがないだろうが)

 

その笑顔がもっと見たくて、あたしもにこやかに微笑んでしまうから、直線距離が1kmもないこの旅路が長く長く引き伸ばされているのだ。

だって!肯定してあげると両腕を羽根みたいにパタパタさせるのが可愛くてしょうがないんだ!

 

おかげで道程はまだ半分、でももう半分しかないのかなんて考えてしまうのは欲張りなのかもな。

 

 

「なあ、理子」

「ん?どうしたの?私のりんご飴が食べたいの?」

「また食い掛けじゃねーか。そうじゃなくて、お…理子のお姉さまってのとは、どこではぐれたんだ?祭り会場自体はそこそこ広いが直線も多いし、碁盤みたいに似た様な分岐が続いてるわけでもない。途中で林にでも潜り込まなきゃそうそう見失わないと思うんだよ」

 

 

あたしみたいに。

 

 

「まだ見付けてないの」

「……は?」

 

 

これって会話が成り立ってるのか?

どこではぐれたか聞いたのに、その返答がまだ見付けてないってのはおかしいだろう。せめて知らない内にとか返ってくると思ってたのに、それじゃあ、まだ会ってすらいないみたいじゃないか。

 

表面には出さないが、心の中のあたしの首は今の遣り取りで30度傾いて、それを元に戻すために次の質問を用意する。

 

 

「はぐれたんだよな?」

「うん」

「お祭り会場には2人で来たんだよな?」

「ううん」

 

 

(なんでだよ!!)

 

首が更に30度、合わせて60度傾いてしまい、このままでは首を痛めてしまいそうだ。想像の中だけど。

 

そもそも、そこで否定が入るのはおかしいだろ。ここに()()()()に来ていないなら、はぐれるの前提が成立するわけがないし、1人で来たって事なのか?

いやいや、祭りには姉と一緒に来たわけではなく、他の知り合いに引率されて……でも、姉と一緒って言葉を否定もしなかったしなぁ。

つまりは……

 

 

「待ち合わせだったのか?」

「一緒に居たはずだよ」

「お手上げだ、あたしは探偵じゃない。仮説の一つも立てらんないよ」

「くふふっ!」

 

 

首が90度(スリーアウト)頭の切り替え(チェーンジ)

 

『一緒に居たはず』も曖昧な情報過ぎるし、勝ち誇った表情はわざと分からなくなるようにしてるっぽい。

ラストチャンスも逃した以上、この魔球的な難問を解くことは出来そうもないんだし、理子と別れるまで純粋に祭りを楽しんでおこう。それも、あのヨーヨー掬いが終わったら切り上げなくては。

 

頭を悩ませたあたしの顔を満足げに眺め、クルリと回って背を向けた理子はヨーヨー掬いの屋台を目指して小走り。んでもって、回転の惰性なんだかまたこっちに振り返りつつ、後ろ向きで走っていく。

おーい、飴がほとんどなくなってんだから、激しく動くとリンゴが飛んでくぞー。

 

 

「早くしないと置いてっちゃうよー!」

「前見ろ前。転んで擦りむいても知らんからな」

「おっとと!ごめんねー」

 

 

ほら、危ない。

今し方すれ違った子供は結構ギリギリを通過していったじゃないか。もちろん通路を横切った理子が悪いのは言うまでもないし、注意くらいはしておいてやらないと。

 

しかし、相手も相手。ザ・こどもなパステルカラーのパーカーを着て、邪魔にならない為にか耳の横で軽くまとめられた髪を振り乱しながら全力で駆けて行った。

急いでいるのはその様子を見れば良く分かるが、道のど真ん中を走ってくるのは感心しないな、とか理子を甘やかして肩を持ちたくなる。

 

 

「ごめんなさいなのだ!おーい、いそぐのだー!はなびのうち上げまで、じかんがないのですだ!」

「待ってくださーい!人が多くて…あっ、ごめんなさい!あうッ!すみません!待って、ヒラガさ…キャイっ!」

 

 

おまけに後ろからこれまた小動物みたいなこどもが、ものの見事にぶつかりまくって、転んでから跳ね起きて、まるで水ヨーヨーみたいにバウンドしながら、その絶望的な運動神経の無さを周囲に露呈させている。

すこしパーマのかかった黒髪ロングの隙間から涙で潤んだ黒い瞳を覗かせ、あたしの横を通り過ぎる時にはホワイトコットンの爽やかな香りを強く残していく。その年で香り付けとは、ませたオシャレさんだな。

 

 

「花火……か」

 

 

(星伽のあいつは元気にやってるんだろうか。あんな息苦しそうな生活をずっと続けて、元々真面目でしっかりした女の子だったけど、無理が祟って倒れてないといいが)

 

 

「おっ、わりっ」

 

 

おっと、考え事しながら歩いてたら、今度はあたしの方が人にぶつかっちまう所だったよ。

これだと人の事をとやかく言えない。

 

 

Mi dispiace(すまぬ) , ti prego perdonami , perché ho fretta .(急ぎの身故、容赦願いたい)

 

 

(うげっ!黒髪だから油断してた)

 

ぶつかりかけた同世代らしき少女は、紺藍色の吊り上がった目を瞑り、軽く頭を下げて走り去っていった。さっきのは「ごめん、急いでる」と解釈して大きく外れてはいないだろう。

礼儀正しくて姿勢も良かったし、日本慣れしてる訳では無さそうだが知識はありそうだった。

 

そして、かなり強いぞ。それも、搦手も用いる厄介な部類の。

普段のあたしなら見逃したかもしれないけどな、夏なのに暑苦しい長袖と裾に僅かな膨らみがあったし、喋る時に口をほとんど開かなかったのも違和感を感じた。おまけに立ち止まった瞬間から、自然体に見せかけた両腕が体から微妙に前後へ流れていて、あれは防御の姿勢を取ってたんだろ、たぶんな。

する側にしてもされる側にしても、不意打ちを意識しなければならない環境下で生き延びてきたって事で、余計に面倒臭そうだ。

 

(っと、いけねー。理子から目を離す所だったぜ)

 

 

 

 

 

目的の屋台に辿り着く頃には、理子はヨーヨーを早々にゲットしてパッツン、パッチュン弾いて遊んでた。2個も持ってるが、この十数秒で取ったんだとしたら相当な腕前だぞ。

ここの爺さんは店先で広告塔となっている少女をニコニコ見ているが、若干引き攣り気味でまた戻って来たりしないか不安みたいだな。

 

大体の子がおまけの1個を貰って帰るのに、2個も取られたんじゃ次に何個取られるかなんて分かったもんじゃないだろうし。

 

 

「おっそーい!遠くで立ち止まるから、途中でやめちゃった」

「なるほど、それでか」

「?何が?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

キョトンとした理子があたしの視線の先、屋台の主を捉えると、ギクッ!って擬音を鳴らしてそうなほど慌ててる。

爺さん心配すんな。興味も薄れたみたいだし、もうこの子は屋台荒らし(乱獲)はしないだろーさ。

 

 

「そろそろタイムアップだ。外はもう電灯なしじゃ見渡せない暗さだし、お…理子も心配されるだろ」

「あなたは?」

「あたしは心配する側だ」

 

 

(自分自身の身を心配してるぞ。何言われるか想像も出来ねえ……)

 

 

「探してるのはお姉さんだよね。妹さんもいるの?」

「いない、ってか深く触れないでくれ、気が滅入る」

「じゃあ、自分の心配してるでしょ?」

 

 

意外にも早くその結論に達した理子が適当に言っていないかと目をじっと見つめたが、確信ですって顔をしてる。

こっちはスリーアウトさせられたってのに、2球目でバッチリ見切られたのかよ。

 

 

「…当たってる」

「くふっ、どうして分かったんだい?理子さんや。そんな顔をしてますねぇ?」

「その通りだ。何言ってるか分かんないぞ理子りん」

「う?なんか言い方に含みがない?」

「ないない」

 

 

なかなか鋭いじゃないか。

ノッてやっても良いんだが、そうは問屋が卸さない。

 

もったいぶる姿もなかなかどうして可愛いものの、ふざけている時の理子は……ちょっと、無理してないか?

表情に陰りも無いし、本当に楽しんでる様にも見えるけど、チクチクするんだよ、胸が。

 

 

「それならいいのです!では、教えて進ぜ……」

「理ー子?」

 

 

静止の意味合いを込めて名前を呼んだ。

 

顔の斜め前で、チッチッチッと指を振る動作をしながら、尚もノリノリで続けようとしていたのだし、やっぱり本人も楽しんでいる気がする。

それならこちらは一言だけで済ませよう。彼女は自分の気持ちに、自分という存在に無頓着な気がするから、そこだけは直してもらわないと困るし。

 

 

「寂しいなら、言えよ?」

「え――?」

 

 

先程の問答では手玉に取られたんだ。理子は頭の良い子だし、この一言で遠からずあたしの言いたいことに気付くだろう。

眩しい笑顔に()()()()()正体不明のモヤモヤの真相を、今のあたしじゃ暴けないんだから、後は彼女次第なのだ。

 

 

「あたしたち、もう()()だろ?」

「……うー、馬鹿にしないで!友達ならいるもん!私にだってオリヴァちゃんって人間の――」

「対等な友達、だ」

「――!」

 

 

自分でそんな発言をしておいて無責任だが、口をついて出ちまっただけで何かを考えて掛けたものじゃない。

友達なのは本心から、でも"対等な"は我ながら良く分かんないな。何が言いたいんだよ、あたしは。

 

……ここで黙られると、あたしとしても収拾の付け方が分かんない。どうすっか。

 

偉そうに言っちまったし、理子も元気な子だけどあんまりいい気はしないよな。

あーあ、もう歩き出しちまった。

 

迷子センターに付いたら……嫌な別れ方になる……

得意じゃないけど、ふざけてみるか?最後は笑顔で手を繋ぎたい。

 

 

「なあ、理子――」

「認めない……」

「……理子?」

 

 

様子が違う。

出会った時とも、一緒に歩いてた時とも、無理してた時とも。

 

快活な声色はちょっと低くなって、お日様を思わせた眩しい笑顔は落ち着いた月の澄んだ微笑に変わり、前面に出て愛嬌を振りまいていたツインテールも、彼女の傍に控える無機質な双翼の従者へと転身する。

 

でも、理子は理子のままで、これも彼女なのだとすぐに分かった。

飾らない、媚びない。気位の高そうな彼女の本性。

 

お前は、見せてくれるんだな。そのお前を。

 

 

「友達なんて認めないって言った。私とあなたは結局、祭りの中で出会っただけの他人。仲間でもなんでも、ない」

「くふふっ、それは確かに理子の言う通りだな」

「気安く名前を呼ばないで。あなたみたいな卑怯者に名前なんか呼ばれたくない!」

 

 

牙を剥く彼女は、その怒りの表現に両手を使わない。

当たり前だが、冗談で怒っているのではなく、より強い気持ちをぶつける為に本性を見せてくれたのだ。

 

理子はあたしが恐れた喧嘩別れ、それを覚悟で正面からストレートを返して来た。外に出さなかった自分自身を解放し、心と思いを乗せた一撃を。

あたしにはそれに答える義務がある。次は変化球は飛んでこない、彼女があたしの言葉を理解してくれたように、受け止められるかは――

 

 

 

 

「今度はちゃんと答えて、あなたの名前を。私だって……あなたと友達になりたいんだ!」

 

 

 

 

――あたし次第か。

 

 

 

 

全く、あたしはなにやってんだかな。

あんなに気持ちのこもった言葉を、お面をしたまま聞いちまうなんて。

彼女はそれを咎めることもなく、また、笑顔を見せてくれたというのにさ。

 

 

「教えて、そのままでいいから」

「あのなー、言っただろ、あたしは恩は返す主義だ。対等な友達ってのは……」

 

 

そう言いつつ空を見上げて、お面に手を掛ける。

周りの目が気にならないことも無いが、ここで気にして止めるような奴は友達がいがないってもんだ。

 

あたしは卑怯者じゃないぞ?空を見上げたのは恥ずかしいからではなく、理由がある。まだ、決めてなかった。

真意としては星座を探していたんだけど、目に入ったし……まあ、あれでいっか。

 

 

「こういうもんだろ?」

 

 

お面を一気に外し、向かい合う。

 

笑顔を作る必要なんてないんだ。

彼女が笑顔だから、自然に浮かんでしまう。

 

あと一言、それであたし達は、繋がる。

 

 

 

「待たせたな。初めましてだ、あたしの名前は宵の明星――金星(かなせ)。理子、あたしと友達になってくれ」

 

 

 

ストレートな彼女の思いは、しっかりと手の平で受け止めた。

そしてそのまま手を引いて、小さな心の檻から連れ出してやるよ。

 

檻の中も快適だったかもしれないけど、お前みたいな輝きを閉じ込めておくには狭すぎるし、なにより楽しくないだろ?そこから外を眺めてたって。

 

こっちに来い。

お姉さまってのも、きっと待ってるはずだ、理子が……大切な家族が自分たちと同じ場所で心から笑ってくれることを、心から。

 

 

「金星……」

「なんだ?」

「あなたの言いたいことは分かった。礼は言わない」

「あたしは恩を返しただけだ。それに気付いたのも理子自身だろ?礼は要らない」

「でも、ひとつ……ううん、ふたつだけ、言いたいことがある」

「ああ、言え言え。友達に遠慮すんな。だが期待はし過ぎんなよ」

 

 

 

ふたつ、か……

これで一件落着とは行かないもんか。

 

外は日が沈んでから結構経っている。

闇がその勢力を強める時間帯であり、お祭りの本番とも言えるだろう。

 

影はその姿を闇に隠し、明かりが隠れた存在を照らし出す。

光と闇のイタチごっこ。

 

人間は光と闇を行き来して、結局光の中に居場所を求め。

自身の作り出した影から目を背ける。

 

闇に生きる人間は、自分と影の境界線を見失い、そうしていつか、気付くのだ。

()は何も見えていなかったんだと。

 

暗き暗澹とした世界は、徐々に、確実に、その存在を喰らい消していく。

最後に残るのは、そいつが信じた絆と、受け続けた思いだけ。

 

それすらも消えたら、もう誰でもないんだよ、初めからいないのと何も変わらない。

問い掛けすらも届かないんだからな。

 

 

 

「友達」

「ああ」

「なってもいい」

「くふふっ、素直じゃないな」

「貸し1つで」

「……何を聞く気だ?」

 

 

理子は笑顔を崩さないまま、挑戦的な意思を露わにする。

指を1本、こちらに立てて見せて、1つの貸しを視覚で訴えた。

 

その指が折られていき、この瞬間に使うのだ、と実に分かり易いジェスチャーを披露してくるあたり、裏の彼女も少女らしい一面を持ってるんだな。

 

 

「聞かないよ。聞きたいことはいっぱいあるけど、一番聞きたい名前(こと)は聞けた。馬鹿にされてるみたいで不服だけど、対等な友達の言葉には嫌味を感じなかったし、信じてあげる」

「そりゃ良かった。じゃあ、なんなんだ?」

 

 

いつの間にか満天の星空。

雲一つない空は澄んでいて、ひっそりと会場の明かりが抑えられていき……

 

 

「もし、だ。もし私が……私達が大人になって、まだお互いを覚えていたらね?」

「……」

 

 

裏理子も面と向かっては言い辛いのか、人格がおふざけ表理子に入れ替わってきて。

貸しを返してもらうというより、お願い、みたいな窺う挙動で衝撃の言葉を口にした。

 

2人から同時に告白された気分だよ。

……内容が違うものだったらな。

 

 

 

 

「一緒に、相棒(ドロボー)になろっ?」

 

 

 

 

偶然だった。

打ち上げ花火が夏の夜空へと上がり、それと交差(クロス)するように流れ星が瞬いた。

 

理子の背後では、真っ赤な花火が空に緋色の花を咲かせ、星は青色の尾を引いて消えていく。

面白い事も起きるもんだな、一生に一度も見れないだろ、あんなの。

 

昼の太陽のようで、夜の月光のような表裏を持つ少女。

まるで彼女の象徴である空の光景が、理子という存在を彩り、輪郭を闇の中にハッキリと生み出した。

 

 

 

(綺麗だ――)

 

 

 

それだけしか、思い浮かばない。

心を盗まれたんだから、どうしようもない。どうしようもなく、あたしは理子を手放したくない。

 

理子は答えがNOであることも考慮しているのだろう。

次々と打ち上げられる花火の方へと目を向けることもせず、ただ、待つ。

 

そのひたむきな思い。光栄に思うよ。

 

 

 

 

(でも残念だが、そのお願いは聞けないな。掛ける言葉なんて決まってるだろ?)

 

 

 

 

「理子」

「あちゃー」

 

 

あたしの一声がYESではなかった事で、理解したのか。

つくづく察しの良い子で、自分の魅力をうまく利用している割に、分かっていない部分もあるんだな。

瞳をゆっくり閉じていき、体を花火の上がる方向へクルリと、無論、あたしは背を向けられた形になる。

 

おい、最後まで言わせろよ。

 

 

「わぁー、綺麗だなー。金星ちゃん、隣に来て、一緒に見ようよ!」

「聞けよ」

「後で聞くから」

「そっか。おっ!今上がった緑の花火、綺麗だったな」

「うん!とっても綺麗」

「……花火が見たいならせめて目を開けろよ、今上がったのは青紫だ」

「うっ……!だ、だましたな!ずるい!」

 

 

ずるいのはお前の方だろ。

人のお面取っといて、自分は隠すなんて許さないからな!

 

 

「泣くなって」

「泣いてない!」

「こっち向けよ」

「向かない!」

「花火、上がるぞ。また色間違えんなよ?」

「うー!うるさいっ!何回も同じ手に……」

 

 

一際大きな花火が咲き誇る。

しかし、折角の特大花火も、あたしと理子には見えていなかった。

 

 

「くふふ!こんばんは。同じ手に……なんだって?」

 

 

ムキになった彼女はいとも簡単に、あたしの策略に引っ掛かった。

花火を見る為に、涙で潤んだ瞳を開いた彼女の目の前には、満面の笑みしか映っていないだろう。

 

ビックリした表情で固まった所にさらなる追撃を放つ。

 

 

「お返しだ。そのまま動かないで聞けよ?」

「うん……」

 

 

観念したのだろう、自分で注文していた通り神妙な態度で視線を逸らしたりもしない。

それが確認できたので距離を空けると、濡れた瞳に花火の光が映り込む。

 

ずっと見ていられるだろうが、そんな事も言っていられない。

続きを伝えて、あたしの思いも知って欲しいのだ。

 

 

「もし、あたし達が大人になっても思いが通じ合ってて、互いが道を違えるようなことがあれば……」

「……うん」

 

「相手に手を差し出せ。助け合うんだよ、友達だからな」

「うん!」

 

「理子が怪盗の真似事をしようと、あたしはそれ自体を止めたりしない。事情によっては手伝ってやってもいいぞ、けどな……」

「……けど?」

 

「人を殺すなら覚悟をしておけ。その時はあたしがお前を含めた全員を殺す。敵も味方も、お前を巻き込んだ奴らは1人も逃がさない、絶対にな」

「…………」

 

「そんくらいだな。満足か?あたしの回答は」

「……ありがとう。伝わったよ、あなたの気持ち」

 

 

お礼を述べた後、まだ少し寂しそうな彼女は花火を見上げて、ポツリと呟いた。

あたしに聞こえるか聞こえないかの微妙な小ささで。

あたしが知るべきか知らぬべきかの内容を。

 

 

――聞こえなかった。ことには出来ないな、そんな大事な話は先に言って欲しかったぜ。

 

 

「……行くか」

「ねえ、花火が終わるまで」

「今度はあたしが離れたくなくなる」

「それじゃあ、ダメなの?」

「ダメだろ。帰る場所があるんだから」

 

 

姉というのも、金銭感覚といい、夜に子供を独りにする点といい、常識がズレているのかもしれない。

家庭事情は複雑みたいで、あんまり突っ込んで注意するわけにもいかないのだが、教育上、宜しくないことこの上ないな。

 

そういえば、この謎も解けないままだった。

2人で来たわけでもなく、一緒に居たはずだけどまだ会えてなくて、はぐれてしまった姉……意味わからん。

まさか、作り話ではないよな。

 

理子の隣に足を運び、結局あたしも花火を見上げながら別れの会話を切り出した。

 

 

「早く見つかるといいな、理子のお姉さん」

「もう近くまで来てるよ」

 

(ホラーかよ!怖えな)

 

この会話、藪蛇だったか?

 

「……やめろよ、鳥肌が立ったじゃねえか。テレパシーでも使えんのか?」

「分かるの。私とお姉さまは繋がってるから、近くにいるとロザリオが教えてくれる」

 

分かんねえよ!どんなマジックアイテムだ、その首にかけてるロザリオは。

 

「で、向こうも気付いてんのか」

「たぶん、すぐ近くで金星ちゃんを見てる。でも、心配いらないよ!理子のお友達って言ったら襲って来ないし」

「なら早めに手を打ってくれ、さっきから悪寒がするんだよ」

 

 

襲ってくるとか言われたら動くことも躊躇われ、口だけで理子をせっつく。

本能的な恐怖が迫っていることを肌で感じ、空の花も歪な形にしか見えなくなって、平静ではいられない。

 

 

「あっ!良い事思いついちゃった!」

「イヤな予感がするから普通でいい」

 

 

そんな言葉はどこ吹く風、理子は何をトチ狂ったのか屋台の間から林の中に飛び込む。

 

 

「ほらほら、おいでー。私から離れたらあぶないぞぉー」

「ま、まて!理子、置いてくな!」

 

 

(絶対なんか企んでやがる……)

 

林に飛び込んでいくなんておかしい、おかしいが追いかけなくては。

理子の身も不安だし、あたしの命運も彼女に掛かっているらしいのだ。

 

(またかよ)

 

屋台と屋台の隙間を抜けて、真っ暗な林の中に駆け込んだ。

枝葉は高いから当たることはなく、木々だけを避け、理子の姿は見えないが、真っ直ぐにその道なき道を進む。

 

 

「ごめんね、金星ちゃん。私、悪い子なの」

「気にすんな、知ってた。泥棒になろうなんて告白された時点でな」

「くふふっ!それもそっかー」

 

 

よし、まだ理子の声はそこまで離れてない。

草を掻き分ける音も、徐々に近づいて来ているし追いつけるぞ。

 

走る内に、もはや会場の明かりが一切届かない場所まで来てしまった。

競争ではそこいらの人間には負けないと踏んでいたが、やるじゃないか!

 

 

「止まる気は無いか?もう背中が見えてるぞ」

「うっそつきー!理子にはあなたが見えてませーん!」

「そりゃ後ろにいるからな」

 

 

ブラフは通用しなかったか。

ってか見えないだろ、この速度で後ろ向きででも走ってんのかよ。

 

この状態で追いつけないとなると、理子も普通じゃ無いんだろうな。

将来の夢がドロボーだとか、そんなこと言うやつが普通である訳も無いんだが。

 

 

(なんだ、木の葉が降ってくるぞ?邪魔くさいな)

 

次の瞬間、頭上の枝が大きくしなり、葉が擦れ合う音がしたかと思うと、緑色の広葉樹の葉が何枚も何枚も、木を蹴飛ばしたかのように落ちてくる。

 

それで反応が遅れた。

近くの木陰に隠れていた一つの影が、上を見ながら走るあたしの横をすばしっこいダッシュですれ違ったのだ。

 

 

「すとーっぷ!」

「!?」

 

 

理子の声が()()()()聞こえる。

掛け声は確かに届いたが、それを聞いて止まったんじゃない。

 

止められた。

体がこれ以上先に進めない。

動けないのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

擦れ違い様に……されたんだ、攻撃を!

 

 

「紹介します、お姉さま!」

「理……子?」

 

 

声のした方向――後方上部の木の上に、理子はいた。

1人ではなく、1人と何かが。

 

お前……その、隣にいる奴は、何者だ?

影が、夜が、闇が。蠢くように人の形をとっていく。

 

 

嘘だろ……?

それがお前の……!

 

 

「私の新しいお友達、金星ちゃんです!」

「ふーん、また、人間なのね」

「ね?いいでしょ、ヒルダお姉さま。私、あの子を……」

 

 

完全に人型となった影は、蛹から蝶へと羽化するように剥がれ落ちていき、中から現れたのは人の形をした人間ではない超常の存在。

縦ロールの金髪ツインテールと切れ長で赤い瞳。日の光を知らぬ蝋細工のような白い肌は、傷の一つも負ったことがないらしい。

 

のっけから興味を持たないままこちらを見下ろし、ため息を吐いた。

理子がその様子に不満を持たないのは、初めからその反応を予想していたんだろう。

 

地味に傷つくんだが。

 

 

 

「盗みたくなっちゃった!」

「どうでもいいわ、決めるのはトロヤお姉様だもの」

 

 

 

……聞こえないふりも出来なかったが、見えないふりも出来ない。

そいつの背中からは一対の、蝙蝠のような翼が闇に紛れて、尚圧倒的な存在感を放っているのだ!

 

 

人間(ヒト)じゃねぇええーーー!)

 

小悪魔どころか悪魔、肉食どころか人喰、本当の意味で不可侵の存在じゃねえか!

 

 

驚愕の事実を知ったことで肝に液体窒素をぶっ掛けられたあたしを余所に、ヒルダと呼ばれた女性の翼が開かれ、左手が理子のロザリオに触れる。

何かの儀式か、おまじないか。

非現実的な現実を理解するのには時間が掛かりそうだ。

 

 

「『髪結(レガット)』は3回、『雷球(ディアラ)』は20%、翼の持続時間は10秒だけ。人間相手なら十分すぎるかしら?」

「あの子、強いです。途中からミーネちゃんみたいに気配が変わりました」

「……特異体質ね、それなら『髪結(レガット)』は10回、『闇召(ロティエ)』も貸してあげるわ。その代わり……」

「まかせて下さい!確実に手に入れます!」

「良い子ね、理子。それでいいのよ。闇の眷属が人間如きに負けることは許されないのだから」

 

 

(やる気……らしいな)

 

 

【挿絵表示】

 

 

あたしには理解出来そうもない会話を終えたようで、林の枝から猫のような軽い身のこなしで飛び降りてきた理子は、こちらに強い敵対心を向けつつ、妖しく緋い光を纏った逆十字のロザリオにキスをする。

その蠱惑的な振舞いに魅せられそうにはなるが、そんな場合ではない。

 

 

 

 

戦いはこの瞬間に始まるのだ!

 

 

 

「金星、私とたたかえ。怪盗は欲しいものを譲り受けるんじゃない。奪うんだ、頭脳と技術を用いてな」

 

 

「そうかい。なら精々足掻かせてもらうぞ?あたしも奪われるより奪いたい派だからな」

 

 

「くふふっ!いっぱい遊ぼうね、今夜は返してあげない。金星ちゃんはー、私と特大パフェを食べに行く事にけってーしました!」

 

 

「くふふっ、お子様は9時には寝ないとだめだぞ?あと1時間もない。これで、おしまいだ!」

 

 

 

 

 

小さな闇と対峙する。

 

 

それはとても小さくて、日常においては些細なモノだと感じるかもしれない。

 

 

 

だが、どんなに小さな闇だとしても、それを知ろうとしてはいけない。

 

 

例え、どんなに小さい闇だとしても、それに手を出してはいけない。

 

 

 

 

 

お前には何も見えていないだけで、闇はどこまでも深く、濃密なのだ。

 

 

安易に闇に近付けば。

 

 

小さな恐怖がお前を飲み込むぞ。

 

 

 

 

 

 






クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


理子に引き続き、最後にちょこっとだけヒルダも登場しましたね。
この不可解ですが大体6、7発を予想としています。
(たぶんもっと増えますが……)


内容ですが、なんかワンパターンだなー、って自分でも気付いてるんです。
起承転結の結が、早足過ぎるんですかね?それとも転の始まりが唐突過ぎるのかなぁ…

情景描写が少ない点や心情に頼り過ぎているのも悪い癖ですし、おまけ回ならまだしも、本編や不可視、不可解での動かない場面ってバトルものとしては致命的。
あーもーどうしよー。


……愚痴っぽくなりましたが、クロ達の物語をこれからも応援して頂ければ幸いです。
どんなにしょぼくても形にだけはして行きたいので、これからもお付き合い下され!




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自覚の開示(ディス・クローズド)




どうも!

カレーライス→カレーライス→カレーパン→ドライカレーとカレー尽くしな食事のかかぽまめです。


食事会の途中からでしたね。
一菜に問いかけをしたところで終わっていました。


では、始まります。





 

 

 

「こんばんはー……」

「……」

「む?リンマよりも先に目覚めおったか。タフな奴よのう」

「2人して別々に、一体何してるんです?」

「占星術じゃ、魔術は科学とは違って、日々を過ごしていれば勝手に進化するものではなくての、個人の鍛錬によってのみ進歩を望めるものなのぢゃ」

「い、意外と真面目な事を言うんですね、傲岸不遜な態度の割に」

覇王(ファラオ)である妾の堂々たる振舞いにケチを付けるつもりか?」

「いえいえ、滅相も無い。是非とも私めをその鍛錬とやらにご協力させて頂けませんかね」

「……調子の良い事を。よかろう、一度だけ好きなことを占ってやっても良いぞ」

「名誉の大役を与り、至極光栄に存じます!」

 

「占いと言えば恋占いですが――」

「ほう?」

「――全く興味が無いので、金運――」

「みみっちいのう」

「――は、たぶん知らない方が良いと思うので、健康運――」

「……」

「――も、地味ですよねぇ……」

「お前、占星術を星座占いか何かと勘違いしておらんか」

「え、違うんですか?」

「……もうよい、この日の丸国家めが。水晶を見つめ、何か欲しいものでも思い浮かべてみよ。探し物でもなんでも良いぞ」

「探しもの、ですか……」

 

 

「!!」

 

 

「トオヤマクロ、本来聞くべきでは無い事ではあるがの……何を望んだ?」

「聞かなければ分からないものなんですか?」

「占いを行う身として、視えてしまうものを視えなくすることは初歩の初歩。当然、覗こうと思えばいくらでも覗ける領域ぢゃがな」

「先に結果を聞いても良いですよね」

「がっかりするでないぞ……『()()()()()()()()()()()()()』と出た。妾もこんなにハッキリと結果が出たのは初めてでの。恋に興味がないとは言いつつも、しっかり相手は探しておるのか」

「相手?いえ、私は恋愛に興味はありません。ですが……黙秘させて頂きます」

「そうぢゃろうな、話さんでも良い。どれ、少し助言をやろうかの。齢16を迎えたら、もう一度妾に会いに来るとよい。それまでは己の身を守ることに徹し、決して不貞を働くでないぞ」

「御心配には及びません。自分の事は自分で……いえ、助けを、求める、かも、しれません、ね」

「……恐れておるのか。心配せずともお前の星は眩しいくらいに輝いておった。そのまま好きなように生きるが良い、()()()()()()()()を、のう」

()、自身……」

 

 

 

「あら?クロ、いつからそこにいたのかしら」

「……えっ、あっ、と……少し前からですよヒルダ。全然気づいてくれないし、何を見て――」

「――待って、私に近付く前に、その見るに堪えない根暗な表情を何とかなさい。闇は暗く激しい負の感情を好むけれど、ジメジメと陰気くさい者は歓迎しないのよ」

「はい、すみません、もう少し休んできます……」

「そうするといいわ。キッチンにローズヒップティーもコーヒーもある、ワインは地下牢の階段をさらに降りたところよ」

「えへへ……心配してくれてありがとうございます。でも、お酒なんて飲みませんよ…………あれ?なんでだろ、ヒルダが歪んで良く見えないや、あはは……」

「う……わ、分かったわよ。あなたはさっさと部屋に戻っていなさい」

「え?……あ!うんっ!お部屋で待ってますね、ブラックコーヒー」

「変わり身が早いのね」

「自分の分も持ってきてくださいよ?()()()()()()()()()()()()ですから」

「前にも同じことを言っていたし、仕方がないから付き合ってあげる」

「客人は置いてけぼりかの?」

「あなた達の結界には感謝しているわ。バラの浴槽でも用意しておくわね」

「ほほほ、それは悪くない話ぢゃ。どれ、金を運ばせるとしよう、席を外すぞ」

 

 

 

 

「好奇心には勝てないのう、つい覗いてしもうた」

 

 

 

 

「探しものが自分自身……それが本来存在しないとは、難儀なものよ。あやつの行く末に、興味が湧いてきたぞ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

校内に点在する食堂の1つ、『BASE(拠点)』の一角で、チームメイトの1人である三浦一菜は不敵な笑みを浮かべた。

笑っているのに睨まれているように感じるのは、元々キツイ彼女の目元が原因であろう。

 

 

「……やるじゃん、クロんも。ヒルダが敵国の代表戦士ってところまでは調べてたんだね。ヒルダとの戦闘はクロんに持ってかれちゃったんだよなー」

「……」

「フラヴィアの方はヒナナんに調査してもらってるんだけど、正直分かんないんだよー。情報が無いし、追跡しても消えちゃうんだってさ、跡形もなく。イタリアかバチカンの隠し玉なのかなーとか勝手に予想してるんだけど、何か知ってる?」

「いえ、良くは……」

 

 

色素の薄い茶色(カフェ・ラテ)の目は鋭く細められ、小さく開いた口元を隠すように添えられた手は、傍目にも分かり易くナイショ話である事を表現している。

彼女の発言と態度に、小さな違和感を感じながらも仕草に大きな変化はない。

 

フィオナの訝しむ視線も気にはなるが、それ以上に――

 

(呼び捨て、してる)

 

それは敵であると表すことに他ならない。好敵手ではなく、自分とは係わりのない倒すべき敵対者と認識しているのだ。

フラヴィアもヒルダも、彼女が関係を持ちたいがために名前を聞く程であったのに……

 

 

「日本も旗色が悪いなぁ~。ねえ、フィオナちゃん、誕生日迎えたら日本人にならなーい?」

「??」

 

 

ちーちゃんさんとは違って積極的にリクルートしていくスタイルの一菜も、無関係のフィオナを巻き込むのはさすがに冗談だったらしく、怪しむフィオナの反応を見るために、わざと意味不明な部分を切り取って質問形式の話を振ったみたいだ。

 

フィオナは不意の移籍勧誘を受けて考え込んだかと思うと、私の方に何事の話であるかを確認するつもりで視線を飛ばしてきた。

本人に聞いてよ、一菜用の翻訳機が欲しいのはみんな一緒ですって。

 

 

「なーんちゃって、規約違反で捕まったら困っちゃうや」

「??」

 

 

ポニーテールごと首を傾げ、頬を掻きながらの発言には私も疑問を持ってしまう。規約とやらに違反したらまずいのかとか、無かったら本気で誘うんかいとか。

 

もちろん言われた本人が一番疑問だらけなのだろうことは、大好きなオペラを食べる手が止まっていることからも良く分かる。

言った本人は平然と、カラメルがたっぷりかかったプリンをパクついているが、甘いチョコラータ・カルダを飲みながらプリンとは、正真正銘のスイーツモンスター系女子ですなあ。食べた分だけ下山しなきゃとか考えないんだろうか?

 

 

「あーあー、誰かさんが手伝ってくれたらなー」

「そんな好き者、いないでしょうね」

「クロちゃんつれない態度なんだー。酷いよね、あたしという相棒がいながら、快諾じゃないなんてさー」

 

 

 

謙虚さが足りない。

 

 

 

それもそうだが一菜さんやい、箱庭の話ってこんな公共の場で堂々として良いものなの?武偵は耳敏いし、一般の生徒にも聞こえちゃってるよ。

この話は私もあまりしたくない上、私達だけが共有する話題だとフィオナが蚊帳の外で機嫌を損ねてしまう。いや、オペラ食べてるから問題ないとは思うんだけども、ともかく流れを戻そうか。

 

 

――――気掛かりだったことは、確認できてしまったのだ。

彼女はフラヴィアやヒルダとの出会い、その記憶の中から戦闘以外のものを著しく喪失している。……もしかしたら他にも誰か、もし私が敵対すると分かれば、私の記憶も御守りの中に消してしまうつもりなのだろうか?

 

 

嫌な想像から声が暗くならないように努め、一声かけてから横のプリンを手持ちのスプーンで掬い盗る。

 

 

「隙を見せましたね?いただきです!」

「"ああーっ!!なにしてんだー!"」

Waaas!?(ちょ!?)Du Kuro!(クロさん!)Du solltest damit aufhören?!(何してるんですか!?)

 

 

刹那、テーブルには伊、日、独の三か国語が入り乱れる。

 

(あ、やっばい、忘れてた)

 

箱庭の話題にノリノリな人を釣る目的で、なめらかなスイーツを奪おうとしたが、すっかり失念していた。

糖分の過剰摂取中の彼女にちょっかいを出すなんて、勇敢を通り越してただの愚物でしかないんだったね。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「"返さんか!このうつけもんがーッ!"」

「"飛んで来たーッ!"」

 

 

比喩ではなく、ダークブラウンの尾を引いた普通じゃ無い女子中学生が、獣の如き動きで飛び掛かってくる。

目論み通り、プリンをエサに一菜が釣れたのだが。釣るって漁業的な意味じゃないんだけど!

 

その目はキャトルミューティレーションされたプリンのひと欠片のみを捉えていて、向こう側の私など見えていないかのように速度が止まることを考慮していない。

このままではサンドバックを爆発四散させた実績を持つ殺人的な突進を、無防備な腹部へとモロに喰らってしまうぞ!

 

 

(――スイッチが入ったままで助かった)

 

 

銃を持った彼女はそれを盾として真っ直ぐに突っ込んでいく、いわゆる防御を主体とした動きをするが、今は食事中の咄嗟な行動であったので手には何も持っていない。その場合は両手両足のいずれかを常に壁や障害物等に合わせておく事で、四肢の1本1本を使って軌道修正を可能にする、回避モード状態に入ったと言える。

そう、瞬時に軌道修正が出来る。その点を利用するのだ。

 

指を高速で動かして、右手に持ったスプーンを出来るだけ速く、上に遠く高く飛ばす。

 

 

バンッ!

 

 

予想通り、テーブルの形に合わせて少し浮かせていた右手を勢いよく叩き付けて、即座に軌道を上方向に変えてきた。

突進は回避出来たが安心するのはまだ早い。今度はあの足が危険であり、顔面に直撃すればあら不思議、顔の形が某有名なあんパンのヒーローに早変わりするだろう。この国ならピッツァに置き換わるのかな?とか言ってる場合じゃない。

 

足は上体を後ろ向きに倒しておけば大丈夫……だったはずなのに、ポフンとした柔らかい感触によってその動きが阻まれる。な、なんだとぉッ!?

 

 

「あらあら、ごめんなさいね。声を掛けるタイミングを計っていたの」

「"どうでもいいからどいて下さい!"」

 

 

背後の壁、声の主はフラヴィアで、ふかふかした布のようなものを持っているらしい。

この人、気配が全然掴めないんだけど、いつからそこにいたのだろうか。しかもどいてくれない鬼の所業、私恨まれるようなことしたっけ?

 

 

一菜はもう目前まで迫っていて、衝突を逃れることは諦めた。

スプーンを投げ放った腕で顔を守って……

 

(耐え切れ、私の身体ッ!)

 

しかし、いつまで身を固めていても衝撃が来ない。

代わりに届くのは聞いたことがあったような無かったような声――

 

 

「"オーラ。顔を合わせるのは2回目かな?遠山クロ。チュラは元気にしてる?"」

 

 

体が持ち上がるような浮遊感を感じて腕を除けると、魚のヒレにも鳥の羽にも見えるターコイズブルーの髪が視界を覆い尽くし、中心ではエメラルドの宝石が2つ、こちらを覗き込んでいた。

フラヴィアと同じ白磁のような白い顔には一文字に塞がれた小さな口が付いていて、無気力な両目に無表情さを相乗的に上乗せしている。

 

 

――ON状態だからこそ思い出せた。この人、転入してすぐやってしまった決闘の審判さんだ!

 

 

なんでこんなに顔が近いのかを疑問に思うまでもなく、彼女の両腕が背と膝裏に回されている事に気が付く。

お姫様抱っこされたまま、体がプリンの欠片や一菜へと追随して宙に浮き、スプーンよりも高く飛んでいたのだ。

 

 

「"……審判さん?"」

 

 

緩やかな下降の間、再会の理由を考えてみたが特に思い当たる節は無く、チュラの保護者として様子を見る目的で会いに来たのだろうと結論付けた。

着地と同時に別の椅子へ優しく座らせながら、ここまでの挙動を恩に着せるわけでもなく振る舞うあたり、保護者という立場には慣れているんだな。

 

年齢不詳で身長は……確か一菜が自分で147cmって言ってたからそれと同じ位か低め。

凹凸に乏しい体は、ワンポイントで胸元にあしらわれた濃紺のリボン以外は無地の服をピシッと着こなしている。

 

 

「"良かった、覚えてたのか、その件はすまなかったね。保護した時のチュラはこう……未成熟な部分が多かったから、ミラがローマで面倒を看る手筈だったんだけど実力不足でさ。逃げ出したところでドイツの奴らに目を付けられちゃったんだよ。あいつら魔女にも困ったもんだよね、懐古主義のわりに好奇心旺盛で、魔術の進歩と科学の進化に積極的だ"」

「"チュラの力、ですか"」

「"そうだ、君も見ただろ?あの詐欺天使の使途が放った一撃を、チュラが()()したところ。あれは思金の共通能力の1つだ"」

「"オモイカネ……!"」

 

 

また、出て来たな。トロヤが高説垂れてくれた内容の一部。

一菜も所属する日本代表も話していた"思金"ってなんなんだ?ヒルダと理子を繋ぐ絆、"宿金"とは根本から違うものなのだろうか。

似た単語に"色金"というものも聞いたし、日本ではそれを目的にイタリアと争うような事を口にしていた。

 

つまり、思金と色金は確実に、宿金も元々曰く付きのモノであったが箱庭に関連性があるものなのかも。

理子が特別な力を、チュラが不思議な力を使いこなすように、超能力を所有者に与える危険な代物だとすれば……この話の信憑性は高い。

 

(理子の命が狙われているように、チュラの力も狙われてるっていうのか――ッ!?)

 

忘れるわけがない。

私が目覚めた翌朝、チュラも箱庭の単語を口にしていて、内容を少なからず理解しているような口ぶりだったのだ。意味は不明だったが、少し時間を掛ければ今でも一語一句違わず思い出せる。

 

『白よりも黒を選んでくれたんだもん!チュラが絶対に守るからねー』

 

その言葉に紐付けられるように思い出されたのは地下牢でのヘビ目少女、リンマの言葉。

 

『人間は黒を手懐けた。それを白から聞いた』

 

白と黒は個人を指している?

だとすればチュラの発言から、黒は彼女だと考えるのが自然であり……

 

待てよ?

もう1人の私も何か言ってなかったか?

 

『黒とは縁を切れ。白も近付けんな。守るべきは赤と青』

 

 

――(チュラ)とは縁を切れ、だと?

そんな話、聞けるわけ……

 

 

「"箱庭については聞いているよね?君のお姉さんからは色よい返事を頂けなかったんだ"」

 

 

その内容に意識を現実に引き戻される。

カナも知らない所で、色々交渉していたのか。

 

 

「"カナに?"」

「正式には私が何度かお願いをしてみたのだけど」

 

 

考えてみればそれが普通だろう。

私ですら同盟の話が来ているのだ、カナにその話がいかない訳がない。

 

 

「"フラヴィア、頼み事をするなら相手の言語に合わせなよ。そんなんだからカナさんにお断りされちゃうんだ"」

「"日本語って難しいんだもん……"」

「イタリア語で構いませんよ、()()()()。そのカワイイ子供言葉の日本語は、オリヴァの友達である理子から得た知識だったんですね」

 

 

瞬間的にフラヴィアのやる気のない目が驚愕に見開かれ、店に飾られたマネキンみたいに一切の挙動を放棄した。

顔に暗い陰が差し、意思を取り戻した彼女は不穏な気配を発して、睨み付けるように不機嫌な表情へと変わる。

 

 

「――あらあら、あなた、誰だったかしら?私やオリヴァの名前を、理子ちゃんの事も知っているなんて、おかしいわよね、レジデュオドロ?」

「おかしいですか?」

「ええ、とてもおかしい事なの。あの引き籠りとマイペース姉妹から何を吹き込まれたのかは分からないけど、口にした以上、私の反応が見たかったのね?」

 

 

その推測は合っているし、確認はもう取れた。

オリヴァはまだ私の事をフラヴィアに話していないんだ。

 

敵対する可能性を……違うな、あの子の思考はきっと戦う事を確定の未来として予見している。

オリヴァとの戦い、その1回目はまんまと嵌められたし、彼女の伸びしろはまだまだ先がありそうだった。フラヴィアも変な力を使うようになって厄介さに拍車が掛かったもんだから、1人で立ち向かえば次も勝利は覚束ない相手だ。

 

素の強さが増しているのも、この雰囲気から判断できるし。

 

 

「その会話は私情かい?フラヴィア」

 

 

スイッチの入っている私が気圧される程の威圧感が周囲に広がる中、並び立っていた水色の髪の少女は身構える事もなく、自然体で話し掛ける。

 

 

「ええ、そうよ」

「それなら後にしてくれ、私はやむを得ず教室で主を1人にしているんだ。君にもこの心細くて急かされる気持ちが分かるだろうし、最低限の会話に留めて欲しいな」

「……従うわ。あなた達には感謝しているもの」

「すまないね」

 

 

好戦的ではないフラヴィアは、素直に気配を空気と同化させていく。

よくよく考えればジャミングみたいなこの能力も、一瞬の隙を突かれかねない警戒が必要なものだったよ。

 

人形のように気配のないフラヴィアは後ろへ引いていき、敵対心満々で睨みながら人のスプーンをモグモグしている一菜の方には笑顔を、一連の流れを見て即座に距離を取り、銃を組み上げていたフィオナの方には、テーブルから取った白いナプキンををヒラヒラさせて戦意が無い事をアピールしている。

 

 

「こんばんは、一菜。あの怖い狙撃手さんも一緒だったのね」

「あたし達に何の用?クロんを奪いに来たみたいな感じだけど」

「それだけじゃないの、日本の大将であるあなたに同盟の交渉をしに来たのよ?」

「悪いけど、イタリアと組む気は無い。ついでにクロんも渡さないよ」

「早合点しないで?私は……フランスの代表戦士(レフェレンテ)、レジデュオドロをあなた達から奪う気もないのよ」

「フランスも保有国だ。その時点で敵対関係は成立しちゃってるんだよね!」

 

 

あっちの会話はヒートアップしている、というよりフラヴィアの存在を警戒した一菜の方が全面拒絶態勢で聞く耳を持っていない。

フィオナは組んだ銃をそのまま肩に掛け、会話の聞こえる範囲内にあるテーブルの向こう側から様子を見る姿勢を取っている。

 

 

対してこっちの会話はローテンション。

プルミャと名乗った少女と確認事項だけを繰り返し、認識のすり合わせを行う事で、交渉の余地をエサとしながら、出来るだけ情報を得る事に努めていく。

だが、相手も頭が回る交渉上手で、まるでヴィオラみたいに情報を小出しに、時には大胆に、意図的に勘違いを促すような話し方をして来た。

 

 

「"そろそろ率直に話そう、ボク達と同盟を組んでくれ、遠山クロ。互いにこの箱庭を生き延びなければならないのは同じはずだ"」

「"根底から認識が違います。私には箱庭に参加する理由がないんですよ?"」

 

 

本当の事を言えば、今の私には十分過ぎる理由がある。

理子の宿金を別離させる方法を探さなくてはならないし、チュラの身の安全も脅かされるのであれば、全力で守り切るつもりだ。

そもそも元より一菜が参加すると知った時点で守りたいという意思は膨らみ始めていたのだから、とっくに私の参戦は約束されたものだったとも言えるだろう。

 

しかし、なぜ外部の者達からもマークされているのかを知りたい。

カナの短期留学も、ただの留学じゃなかった可能性があるのだ。

 

 

――初めから、この箱庭と呼ばれる戦いが起こることを知っていた……?

 

 

「"理由って……彼女を守りに来たんだろう?"」

「"彼女……?"」

 

 

誰の事だ?

少なくとも私はこれまで海外旅行の経験は記憶に無いし、そんな約束をした友人もいなかったと思う。

 

人違いであれば構わないが、どうにもその人物が気になって頭から離れない。

その辺りも聞き出せないかな?

 

 

「"なぜあなたが彼女の事を知っているんですか?"」

「"知り合いだよ。恩人でもある"」

「"私の事はなんと?"」

「"この世で最も信頼できる仲間だった、そうだ"」

 

 

()()()……か。

深い意味を探りたくなる、嫌な話の締め方だよ。

 

 

「"ごめんなさい、実は覚えていないんです"」

「"……だろうね、そんな反応だった。だが待ってくれ、それなら君はヨーロッパに何をしに来たんだ?よりによってこんな危険なタイミングで"」

「"ただの留学、私はずっとそう思っていましたよ"」

「"そっか、そうなるとボク達の交渉も成り立たないんだね?"」

 

 

怒るでもなく、落ち込むでもなく、敵意を向けることもなく、彼女は意外なほどあっさりと手を引いた。

更に、こちらを気遣うように数枚の紙を置き土産に残していくのだが、指を立てて話す姿もまた、誰かを脳裏に浮かび上がらせる。

 

 

「"心から悔やむよ、もっと早く、君達に出会えていたらと思うとさ。これは対話に応じてくれたお礼として受け取って欲しいんだけど、箱庭の宣戦(リトル・バンディーレ)への参加国を調査した結果をまとめたものなんだ。元々渡すつもりで持ってきたしね"」

 

 

参加しないと表明した手前、受け取り辛いとは思いつつも、ここに記された情報は宿金の事を調べる上で有用なものとなるに違いない。

飛び付きたい心を我慢の重りで縛り付けて、事も無げに紙面に視線を落とす。

 

そこには参加予想国の組織一覧と過去の相互関係、要注意危険人物の名前なんかが掲載され、ルーマニアにはトロヤ・ドラキュリアの名前の隣に5色の丸印が付けられていた。他の人物と比較してみると丸の数が多い、超危険人物って意味だろうな、この丸の数。

ボケーっと眺めていて分かったのは、どうやら5個が一番多いらしく、丸がゼロの人物は掲載されていないという事。1人だけ名前の横にバツが付けられた子供がいるが、死んでしまったのだろうか……?

 

(アグニちゃんか……こんな幼いまま、可愛そうに……)

 

ブルガリア国籍のミステリアスな雰囲気を纏った、チュラよりもずっと幼い少女。

代表戦士に選ばれるくらいだから実力はあったのだろうが、これが箱庭の実態か。

 

横からのぞき込んで来ていた一菜にその少女の顔を指差して示すと、顔を真っ青にして恐怖からか無意識に抱き着いてきた。

その震え方が尋常ではなく、死という現実をまざまざと見せ付けられて、山で大蛇を見た子供みたいに怯えている。

 

 

(こんなの、許されるわけがない!)

 

 

「"一菜……これが、箱庭なんですね…………"」

「"……そうだよ、クロん。絶対的強者には誰も逆らえない、こいつは……まさにその悪夢を顕著にしたもの。あたしにしたって、人の身には限界があるんだよ"」

「あらあら、プルミャ。あなたも酷いものを見せたわね」

「…………仕方ないだろう、ゆっくり話す時間が無いんだ」

 

 

フラヴィアとプルミャの会話は、すぐ近くなのにぼやけて聞こえる。

2人は私達の反応を観察し終えると、食堂の出口に向かって行ってしまった。

 

貴重な資料をくれたお礼を言おうかと、その背中に声を掛ける。

 

 

「"……こんな重要な機密情報、もらってしまっても良いんですか?"」

「"構わないよ。対価に見合っていればいいけど"」

 

 

一度だけ振り返って不思議なことを言いながら、初めて笑顔を見せた。にっこりとした、明らかな作り笑い。

その表情が何を写したものかは、最後まで分からなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「はいはーい、みなさん静粛に」

「ここには3人しかいないわよ、クロ」

「騒がしいのも焦げ臭いのも、お前1人だけぢゃ」

「このセリフは会議前のお決まりなんです。あと焦げ臭いのはヒルダのせいですから!」

 

 

 

「それではですね、会議を始める前にこの計画に名前を付けてあげなくてはいけません」

「なぜかしら」

「必要ないぢゃろ」

「もーっ!ノリが悪いですね。私達が志を共にするにあたって、目的を明確にしつつ常に自身の意識を達成に向かわせる一助となる訳ですよ」

「志を共に……」

「……あー、ならば何か申してみよ」

「言いましたね?実は既に考案済みでして、その名も理子ちゃん救いだし隊とかどうでしょう?」

「おい、ヒルダよ」

「知らないわよ、私も初耳だわ」

「おーい、聞いてますか?」

「名前のセンスがないのね」

「む、余計なお世話です!それなら『LRD計画』で行きましょう!」

「そっちの方がまだましかしら」

「安易に頷かん方が――」

「はい、けってーい!」

 

 

 

「ではでは、リピートアフターミーですよ、ヒルダ?言わない子は仲間外れです」

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


とうとうクロも、思金の存在を自分と係わりのある物であることに気付き始めました。

黒と白、それが指すのはチュラともう1人の身近な人物である事。
赤と青、それが指すのは怪盗団の中に2人、思金を持った者がいた事。

箱庭では、この中の一部の人物、最悪その全員が戦いに巻き込まれ、傷付き、死んでしまうのではないかという考えに至るでしょう。

あと、プルミャがおまけから初めて本編に関わってきました。
フラヴィアとの関係性から、彼女もまたフランスと友好的であることは伝わったかと思います。最後には切り札のつもりであった交渉カードの失敗を悟り、去っていきました。


次回も本編予定、お待ちください!







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本当の仲間(リユニオン・パートナーズ)




どうも!

最近、自分の作品のキャラに理由も分からないまま犯罪者として追いかけられる夢を見たかかぽまめです。
相手はチュラでしたので、逃走は絶望的でした。が、嬉しくて続きが見たいと願っています。


今回は時間飛んで、とある1日になります。


では、始まり始まり。





 

 

 

「どうしますか、一菜さん」

「もちろん、受けるよねクロちゃん!」

「フィオナさんも構いませんか?」

「当然です!こんな機会、ふいにするなんてありえません!」

 

 

放課後に行われた宝導師(マグド)である姉さんとの演習後、私達に通達されたのはとある任務への参加を推奨する教務科からの指名書。

その内容を一目見た時、自分の目を疑った。そんなバカなと。

 

しかし、隣にいた一菜も吊り上がった目を丸くして驚いていたし、後ろから顔を出したフィオナからは唾を飲む音が聞こえた。

3人同時に見間違えるとは思えないのだから、この紙に書かれている文面は見間違えではないと確信する。

 

 

 

宝導師班での合同任務。

それも2つの班が選抜されての大きな任務となるらしい。

 

つまり、私達3人とカナ、加えて同じ学年の生徒で構成されたチームとその宝導師である武偵高の生徒が、力を合わせて1つの任務に当たるという事。

それって、すっごいわくわくする。

 

 

この手の任務の受諾は宝導師の意向に委ねられており、少しでも下級生チームにとって荷が重いと感じれば、それを理由に拒否することが可能である。

相談は可能で、基本的に下級生に拒否は出来ないシステムとなっているのだが、姉さんは私にその判断を仰ぐことにしたらしい。

その意図は想像する限り、"私達にとって確実にこなすことが出来ると言い切れないギリギリのライン"と考えたからだと思われる。

 

 

「Bランクの任務。フィオナも実際に受注したことはありませんよね」

「はい、中学の内は特例を除いてCランクが最高です。過去にBランク以上の失敗率が高過ぎるとの理由で、高校側からの指名以外の方法で任務が回って来なくなったんです」

「正しい判断だと思うけどね。あたしとクロちゃんもそうだけど、CからBへの壁は高いよねー」

 

 

嘘吐け。

筆記の試験も好成績で、実戦形式の試験だってBランクを越えてるだろ。

人の話を聞かないから、アホ減点でそんな判定を喰らってるんでしょうが。

 

私も人のことを言えた立場ではないが、転入して暫くはスイッチの制御が出来ていなかったのだから仕方が無いだろう。

 

 

「お2人がCランクというのは到底理解出来るものではありませんが、これまでの任務のようにはいかないでしょうね」

「どんな任務なんだろー?カナ先輩、チラッとでも言ってなかったの?」

「姉さんがそんなことする訳ないですよ。ですが、今日の演習中、少し不安そうな顔つきだったので、相応のレベルではあるのかと」

 

 

いくら指名任務といえどあくまで指名先は姉さんであり、軍隊での一兵卒に過ぎない私達にその情報は渡されない。

姉さんが任務を正式に受注した段階で、初めて任務の詳細を知ることが認可される。

 

 

「相手のチームも気になるよね!」

「それは確かに!誰だろう、強襲科のCランクならマルタさんとか、Bランクならルーチェさんとかのチームですかね?」

「うんうん!ルーチェぁん良いよね!ワルサーP99を構える姿、痺れちゃうなー」

「知り合いの狙撃手がいたら良いのですが……」

「狙撃手は2人も要らないんじゃなーい?」

「無くは無いでしょうが、相当レアなケースだと考えられますよ」

 

 

監視、狙撃対象が相当数に達すれば狙撃手2人という選抜もありえない話では無さそうだが、このランク帯で複数人が必要となると、中学生には無理ゲーな難易度になるだろうな。

L D S(Level of difficulty score)だと300以上に匹敵する、高校生が受けるような難易度に当たる。それでも姉さんがいれば万が一は起きそうもないけど。

 

もし本当に300を……うーん、やっぱり400を超える高難易度の任務であれば、このチームでは引き受けない。

400を越えれば学生の領分ではなくなり、社会に出た新人の武偵が受けるレベルという事。私達ではどう足掻いても力不足なのだ。

 

 

「チーム単位で動くだろうけど、同じ場所に居れば組んで行動するタイミングもあるかもね」

「そこが不安ですよ。このチームって意外とバランスは取れていますから、メンバーの増減で波長が乱されるかもとか」

 

 

こと戦闘に限った話で言えば一菜の戦闘力は頼りになる。だが元来協調性の低い彼女は、私以外の人間と組んだ場合に先走って全員を危機に晒す可能性が高く、近くで適切な指示を行える司令塔、あるいは迅速な判断を下せる通信士を必要とする。

 

フィオナの狙撃は正確であり、どんな任務の達成にも貢献してくれそうだ。しかし反面、武器の性能上前線寄りな立ち位置を確保する上に近接格闘戦のスキルが皆無なので、一菜のような暴れ馬みたいなのが前線に居なければ自己防衛に窮するだろう。

 

私の能力は強力無比なものである自覚はあるが、残念ながら未だスイッチは不安定だ。だからここぞという場面で不調を起こした際、即座にカバーに走ってくれる身軽な前衛と後衛の存在が欲しい。

……姉さんや裏返したチュラのみと組むのであれば、その心配は必要なくなるのだが。

 

 

「後衛1人ではカバーの限界があります」

「姉さんともう1人の宝導師を頭として、その指示を受けて全体をまとめる司令塔が務まる人材がいれば」

「フィオナちゃんも無駄なく動けるね!」

「……1人では厳しいと思いますが……」

 

 

相変わらず自信の無い彼女は微苦笑でささやかな抗議を口にするが、何も全体の援護を任されるわけも無し、あの実力なら問題はないはずだ。

宝導師の存在を思えば気負い過ぎる事は寧ろマイナスで、私達が直面する並大抵の困難には対処法を示してくれるだろう。

 

あくまで私達はサポート役、一つ一つの行動に全力を尽くしてやっとこさ付いて行けると考えておかなければ、その大きすぎる壁に前が見えなくなってしまう。

 

 

「少なくともこのチーム内で不条理な指示は出ませんよ」

「……そうですね、カナさんならそんな心配は杞憂でした」

「じゃ、受けちゃおうよ!クロちゃん、カナ先輩によろしくね!」

 

 

顔を曇らせていたフィオナは心強い宝導師の姿を思い浮かべ、幾分か気分が上向きに戻った。

こうなってしまえば受注を妨げる障害は残っていない。一菜も彼女の状態を確認すると間を置かずに、聞いてもいない回答でもう一押しする。

 

 

決定だ。

この任務、どうにも嫌な予感がする。それには姉さんも勘付いているはずだし、だからこそ私の覚悟を確認した。

きっと、姉さんだけでは手が打てない、強さだけじゃない、大きな敵。

 

 

(何があっても、2人は守り切りますよ。……何があっても。覚悟は、決めましたから)

 

 

「分かりました。私達のチームは任務を受けると、そう姉さんに申請します。情報についてはいつかのタイミングにまたミーティング形式を取りますので、くれぐれも周囲へ漏らす事の無いように気を付けてください」

「りょーかいっ!」

「よろしくお願いします。……あ!クロさん、今日の演習中、気になる事がありました」

「……?どうしましたか?」

 

 

反省会から引き継いでいたコーヒーカップはとっくに全て空になっていて、相談が終わる頃には良い時間になった。

解散の流れが出来上がり、早く帰って夕飯の支度をしなきゃと考えながら、私、一菜、フィオナの順で席を立ちあがると、返事から自然な形でお呼ばれされる。

 

心配事の次は伝え忘れた指摘事項だろうか。

常に何かを考え続けていて、脳の疲労が狙撃に影響を与えたりはしないのかな?

 

一菜も混ざりたそうにこちらを見ているが、フィオナがプニプニした謎素材のバスクベレーを右手で押さえて深々と礼をすると、諦めきれない表情ながらも渋々引き下がった。

2人きりでの話?どう切り出されるか予想出来ないぞ?

 

顔を合わせた彼女は、確証はないけどと前置きをしてから、ここにはいないチームメイトの話題を持ち出す。

 

 

「ここ数日、彼女の動き方に差異が見られませんか?」

「……へっ?」

 

 

(動き方?どゆこと?)

 

 

「遠目から見ていて、ふと気になったんです。クロさんをカバーする回数が減っている代わりに、カナさんとの接近回数、標的回数が共に増え、驚くべき事に防御精度が格段に上がっているんですよ。逆にクロさんは距離の関係上、銃撃での援護が増えたので弾の消費が増えていますよね?」

「確かに……微妙に遠いなと思ってカバーしていましたが、姉さんと一菜の格闘戦が激化している事が多かったような」

 

 

狙撃手様は良く見てるなぁ。

つまり、一菜は更なる特攻隊員に昇華しつつあると。

 

(違うか……戻り始めてるんだ。最初の頃に)

 

彼女はアホの子で科学全般は苦手だが頭は悪くない。

カナという強者相手には、2人掛かりで連携を取った所で優位に立つことが出来なかった。銃弾は銃弾射ちで弾かれ、打撃は片割れが受け流されて体勢を崩し、もう片割れは防がれて反撃を受ける。

 

以前、一菜がダメ元で後方から低姿勢のまま襲い掛かってみたが、足元を撃たれて進路を変えた一瞬で、身を躱した方向から回し蹴りを喰らった。ついでにその時の私は、ほぼ同時に放たれた不可視の銃弾によって、初期型の防弾脛当て越しに弁慶の泣き所を撃たれて転倒、すごく痛くて蹲りながら、「足癖を直しなさい」と注意喚起されている。

 

 

だから前々から、前衛のみでの戦法は無意味として作戦立案を行ってきたのだ。3on3はその環境で作り上げられた作戦である。

現在は各々が試行錯誤を繰り返している段階、そこで一菜はターゲットを自分に向ける事で援護射撃――このチームであればフィオナの攻撃を確実にヒットさせる状況を作り出すことを優先しているのかもしれない。

フィオナがわざわざ別途時間を取ってまで話す内容とは思えないが……

 

 

「それって彼女なりの作戦だと思うのですが、どうして反省会の場で取り上げなかったんですか?」

「おかしいと思いました。私達のチームはフロントが2人いるんですから、あそこまで突出して最前線を張り続ける必要はありません」

「姉さんの目を引くことで仲間に攻撃のチャンスを――」

「自分の身を犠牲にしてもですか!?」

「それは……」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

それは……

 

 

姉さんが宝導師の実戦演習で一番最初に一菜を本気で怒った理由だった。

今と変わらずツートップで仕掛けて、手も足も出ずにあしらわれた私達は実力の差を深く記憶に刻み込まれたのだ。

 

姉さんには銃弾が効かないことに、私以外は完全に混乱へと陥れられる。

後衛のフィオナは実戦中の狙撃を許可された時にもかなり驚いた様子だったが、実際に遠くから数発の射撃を行い、目の前の不可解な現象を目前にした時には顔面蒼白で、その後は1発も放つことが出来ず仕舞い。

前衛の一菜も連携など考えず、ただ単に私がカバーするお粗末なフォーメーションの為、私は最後には弾切れとなり不安定な波で受けも満足に行えないまま、一方的に叩きのめされた。

 

しかし残り1人で食いつき続けようとした一菜は、あろうことか持ち技の中でも最も危険な自爆技で相打ちを狙おうとして、これが姉さんの怒りに触れてしまった。

 

 

 

――――『殺生球陣(キリングスフィア)

 

 

 

殺生石の能力の一端。

普段は触れることで対象の生命力を奪い取るが、一気に自身の力を注ぎこむ事で急激に活性化させ、広範囲に存在する全ての生き物から生命力を奪う荒業となっている。

範囲は身長の4倍、直上直下も含む全方位球体形状半径6m程度が安全係数を考慮した限界だそうで、壁も天井も関係ないらしい。

 

直接触れるよりも効力は低いが、その範囲内に数秒いるだけで一時的に意識を失い、覚醒後暫くの虚脱感と思考能力の低下を引き起こす。

基本的に接近戦ばかりしている彼女からしてみれば、常に相手を攻撃圏内に捕らえているのだ。

 

範囲を広げると加速度的に必要な生命力が増えて彼女の命に係わるし、対象の生命力が大き過ぎれば、余剰に消費している一菜が先にバテてしまう。

また、仲間を巻き添えにする危険性も無くはない等、利点に比べて欠点が多い。

 

 

 

「あたしが……何とかしなきゃ……!」

 

大量のエネルギーを注ぎこまれた御守りの殺生石は熱を持って茜色に染まり、その光が球状に広がって、手始めに苦し気な表情の一菜が赤い光に包まれた。

その光景に初めて余裕を失った姉さんは、正拳突きを払った右手が一瞬光に触れながらも完全に圏外まで逃げ延び、私の隣まで退避して。

弾の切れたベレッタにゴム弾を1発装填し、左側頭部を跳ねるように弾丸を撃ち込んで失神させたのだが……

 

一菜が目覚めると、その身を気遣うより先に責めるように問い詰めた。

 

「三浦一菜、最後のあれはなんだったの?」

 

普段の演習中でも優しく指導してくれていた、普段のほんわかした姉さんからは想像も出来ない刺すような威圧に、名指しで尋ねられた彼女はあらゆる仕草にビクつきながらも正直に答えて……

 

「あれは、あた……わたしの技の1つで……」

「違う、どういうつもりであんな危険な技を使ったのかを聞いているの」

「それは、その……一矢報いたくて、1人になったから、もういっかなー……って」

 

あくまで姉さんをどうにかしてしまおうなんて魂胆は無かったと言い張る一菜に、さらに表情が鋭さを増して恐怖心へと突き立てられていく。

近くで同席していた私も、思わずここから逃げ出したくなるくらい、怒ってる。でも、一菜にそこを責めてるんじゃないぞ、と伝えることも出来ない。

 

「聞き方を変えよっか。もし、戦場だったとしても、あなたは同じことをする?」

「……します。逃げられると、思えないから。せめて……」

「せめて?」

「チームとして、2人が生き残って……相手を斃せさえすれば、戦術的勝利かなー?……って」

 

あらま、模範的なハズレ回答、ありがとうございます。

では、私はこの辺で……

 

「姉さん。私――」

「座りなさい」

「――はい……」

 

コワイ!

逆らおうなんてコンマコンマ1ミリも頭に浮かばない。

 

とっても従順にお行儀よく、音も立てず椅子に座り直して全身に走る緊張感に苛まれる。

姉さんは絶対の存在。早く隣に並び立ちたいと夢を掲げたのに、既に諦めモードへと移行し始めていた。

 

どんな命令でも従う。

そう、自分でも思っていた。のに……

 

 

 

 

 

「遠山クロ、三浦一菜。あなた達は早々にこのチームを解消しなさい」

 

 

 

 

 

「!!」

「ッ!」

 

あまりに予想を飛び越え、遥か先にある最後の一線を命令されて。

 

 

思考が。

 

 

 

止まった。

 

 

 

緊張感も置き去りに、命令通りに一線を越えかけた私は……

 

 

 

「絶対に、ヤダ!!」

 

 

 

全身全霊、心を込めたワガママで、引き留められる。

 

 

 

踏み出そうとした右足が宙ぶらりんで、後にも先にも着地地点を見出せない。

 

 

もう前には進みたくないし、でも後ろを振り返ればその先にいるであろう姉さんには、失望されるかもしれない。

 

どうしよう、どうすれば、どうしたい?

 

思考が動き出したのに全く答えを探し出せず、フラフラとその場でバランスを取る事だけに躍起になって、このまま棒倒しみたいに倒れた方向に進んじゃえば、なんて情けない考えが霧となって前後の方角を有耶無耶にさせていく。

 

そうすると、楽だった。

だって見えもしないなら、いくらでもいい訳が出来るから。

こっちが前だと思ったなんて、そんな戯言を口から出まかせに……

 

 

「あたしは、クロちゃんの相棒になって、一緒に強くなるんだ!いくらクロちゃんのお姉さんだからって、そんな横暴な……」

「相棒?あなたは自分を犠牲に、なんて考えを持つ相棒をどう思う?いつ自分から死を選ぶともしれない相手を、どうして信頼出来るの?」

「あ……!」

「自分の力と仲間の力を勝手に足し合わせて計算して、勝てないと決め込んで勝利を諦める仲間なんてチームに必要?」

「ちが……そんな事言ってな……」

「あなたの言う相棒やチームは、そんなに、簡単に捨てられるものでしか無いのよ」

「違うんだよ……クロちゃん。あたしは……」

 

 

あー……はいはい、声が聞こえてきます。

そっちが後ろなのね、よーっく分かりました。

 

 

 

 

でもって、ごめんなさい、私は――

 

 

 

 

「違うのなら、答えを示しなさい!」

「あたし……は、守りたい、だけ……」

 

声が震え、目を合わせることも出来ないまでに追い詰められた、紛れもない本心。

だからこそ、姉さんは許さないのだ。その思いを尊重するからこそ、一菜の考えを否定するのだ。

 

「それだけの答えしか用意できないから、あなたは自分を一番先に捨ててしまうの!」

「そんなこと考えてない!あたし――」

「一菜、あなたの気持ちは理解しました」

 

これ以上、彼女の悲痛な声を聞いたら、喉が詰まる妄念が押し寄せて来る。

 

「クロちゃん……」

「丁度良い機会だと思います。まだ未熟で、一緒に任務を行うなんて功を焦っていたんですよね」

「えっ……?」

 

気のせいだろうが、輝度を失ったポニーテールも重力に負けて力なく垂れさがり、セリフの意味を先読みして呼吸さえも忘れた少女から顔を外す。

頭のあちこちが痛い、こんなのこれっきりにしたいよ。

 

カフェラテの潤んだ視線から外した私の瞳は、空間を彷徨うことなく、目標へと最短ルートで到達した。

夢の中でだって、こんな高尚な芸術品も霞む美しさを放つ美女には出会えない。

長く伸びた睫毛を持つ両眼は、怒りを表していてさえも人を拒絶せずに惹き付けてしまうのだ。

 

目が合うだけで心が掴まれる。

彼女の下にいるだけで万能感を得られる程に、その超人的なオーラは私を優しく包んでくれた。

離れるなんて、離れられるなんて、考えたことも無かったな。

 

 

……でも、後悔なんてしない。

私の意思は、間違いなくこう言うんだ!

 

 

「1度、距離を置きましょう。――――カナ」

 

 

 

 

――少しだけ、寄り道して行き(カナに逆らい)ます。

 

 

 

 

「時間をください。私達に、まだ可能性が残されているのなら、そのチャンスを捨てるなんて、私には……いえ、私達には出来ないんです!」

 

 

 

私は宙ぶらりんのまま、迷いを捨て切れないまま一歩踏み出すなんて器用な事、出来ません、姉さん。

 

止まって、なんて図々しい事は言いませんから。

 

立ち止まって、振り返って、寄り道して、やっと歩みを再開する私を。

絶対に辿り着く、そう決意した、いつかは隣に立つ相棒を思って。

 

 

ちょっとくらい、足跡を残して行ってくれても、いいんですよ?

 

 

 

 

返事は無い。

でも、その両目は閉ざされた。

 

私が縋り、頼り続けてきた絶対的な存在は、後ろで立ち止まった小さな存在に振り返らない。

ただ見守り続けるだけの事を止めて、前を見据えて、1人歩き出す。

 

 

私は1人だ。

 

なら、当然、必要になるものがあるだろう?

 

無人島だろうがどこだろうが、代わりが効かないこれだけは、手放さないぞ!

 

 

今一度、後方へと振り返って、そこにいる仲間へ手を伸ばす。

腕2本分の距離は腕1本分の距離となり、歯を見せないように、軽く頬を上げて真剣な眼差しで……って、面接前みたいな確認だな。

 

 

「一菜、私にはあなたが必要なんです。嫌だ、って言っても、何回でもお願いしますから」

 

 

途中で止めて反応を見ようかとも思ったけど、恥ずかしくなるし、一息で、最後まで言い切ることにした。

 

 

「私にも、守らせてください。仲間だからこそ、守られるだけなんて御免です!」

「仲間……」

 

 

最後に、腕を伸ばし始めてくれた彼女に一言。

 

 

「信じてください。あなたが思っている以上に、私はなんだって突破していきますから。頼りにしてくれてもいいんですよ?」

「……知ってるよ。クロちゃんは、あたしが出会った中で一番……」

 

「……大きい力を秘めてる気がする、すごく(あった)かくて、(あっか)るくて、水みたいに透き通ってる」

「ん?一番何ですか?恥ずかしがってボソッと言わないでくださいよ、気になりますから!」

「変わった人だって言ったのー!あたしに話し掛けるなんてパオラちゃんとクロちゃんくらいのモンだよ!」

 

 

(んまっ!しっつれいな!)

 

下を向いてぼそぼそ喋っていたから聞き返してみたら、そんな事かい!

聞かなきゃよかったよ。変わり者だなんて一菜にだけは言われたくないってのに。

 

 

「本当、変わった子ばかりが集まったのね」

「ちょっと、姉さん。私の決意にはノーコメントで、ここで一言目がそれですか!?」

「ふふ……だって、ね?」

 

 

私と一菜を信じ、怒りを鎮めた姉さんは、再度口を開くと同時にサイドチェアから立ち上がった。

そのまま保険室の扉に無音で近寄り、素早く扉を開け……廊下に手を出して何かを掴んだ?

 

 

「うわわわ!カ、カナさん!いつから気付いてたんですか!?」

「最初っから聞いていたでしょ?入ってくれば良かったのに」

「入れるわけ……ないじゃないですか。お2人には合わせる顔も無かったんですから」

 

 

腕を引かれ、強制的に入室したのはフィオナ。

演習後、調子が優れないと先に帰ったのだが、ずっと廊下で話を盗み聞きしていたらしい。

自身の不甲斐無さを病んで、顔向けできないとこそこそしてたのか。

 

 

「廊下で聞いてたのかー?あたしが注意されてるところー……」

「うっ……すみませんでした、安否確認だけしたら帰ろうと思っていたんです」

「話は全部聞いていたんですね?」

「……はい」

 

 

本人は申し訳なさそうに、両手でベレー帽を鷲掴みに顔の前まで降ろして隠してしまう。

それが原因で彼女の頭のてっぺんに存在するピンと立った触覚のような、いわゆるアホ毛が彼女の一挙手一投足に反応してピコピコと揺れている。

 

 

「一菜ちゃん、あなたは仲間に恵まれている。大切に守りなさい、そして、その倍だけ守られなさい。皆の前に立って戦うとしても、あなたを守る為に皆も力を尽くしてくれている事を覚えておきなさい」

「カナ……先輩……!はいっ!」

 

怯えによって震えていた声は、感動によって打ち振るわされる。

光り輝く薄茶色の瞳は、ああ、また姉さんの虜が1人出来上がっちゃったね。

 

 

 

これでチームが揃った。

 

このチームが、今の私の居場所なのだ。

 

 

 

「後で話そうと思っていましたが、フィオナさん。あなたも協力してくれますか?」

「当然の事です!それに付随いたしまして、定期的な作戦会議を開催する、というのはいかがでしょうか?早朝ミーティングや宝導師演習後の簡易的な反省会を開き、より連携を取れる私達だけのフォーメーションも開発する必要があります」

「え、あ、はい」

 

 

よくもまあ、そんな長文がスラスラと話せるね。

まだ無理だよ、イタリア語で長文なんて、どうしても単語の継ぎ接ぎになっちゃう。伝わればいいけどさ。

 

 

「特に、一菜さんには連携をとる事の重要性を理解して頂く為に、その効果のほどを実戦で実際に実感してみるのが手っ取り早いのではないかと思いますので、誠に勝手ながらカナさんにも協力をして頂き、ここ数週間の間は宝導師演習の時間を多めに確保して頂けると幸いです」

「え、ええ。構わないけど」

「よー喋るね、フィオナちゃん」

 

 

止まらん。

まだ、止まらない。やばいな、そろそろ何言ってるのか分からなくなってきた。

 

スイッチ入れちゃえ。

 

 

「本番となる任務は毎回同じ状況とは限りませんし、各々が経験した任務での所見も参考にすべきですので、単独もしくはチーム外の生徒と組んで当たった任務の内容も意見交換できる懇親会のようなものも出来れば良いなと――」

「お、おーけー、おーらい。その辺りは徐々に充実させていきましょう」

「"急いては事を仕損じる"、日本にはそんな諺があるの。意味は急ぎ過ぎると失敗するのよ、って事ね」

「す、すみません。少し調子付いていました」

 

 

少しかー。あれでかー。

今後ともお手柔らかにお願いしたいものだ。

 

 

「私達は全員未熟者です。いいですか、自分の長所と欠点を見直してみましょう!まずは、私から――」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

それは……

 

 

「彼女の欠点、でしたね」

 

 

人間とは、そう簡単に本質を変えられない。

彼女は変わろうとして変わろうとして、見た目も、性格も、話し方も、戦い方も、全てを作り変えて来た。

 

 

でも。

 

 

記憶を封じた彼女の心の最奥部では、彼女は彼女自身を愛せなかったのだ。

 

仲間の命と自分の命を勝手に天秤に載せて。

 

 

 

 

 

いらないほうを、捨てた。

 

 

 

 

 

偶然かもしれないが、フィオナがそれを見付けて拾ってきてくれたのなら――

 

 

――もう1回載せてやる!

 

 

「一菜の……バカ」

「クロさん?」

 

 

なぜ、天秤に自分の思いだけを載せるんだ?

 

私達の気持ちはあなたの2倍、重みがあるというのに。

 

 

 

彼女は、あの子は、あいつは、一菜は。

 

 

 

 

 

 

自分勝手が過ぎるんだ!

 

 

 

 

 

 

「フィオナ、私、急がないといけません。嫌な予感が……胸騒ぎが、納まらないんです」

「どちらに?」

「分かりません。きっと、恐ろしい場所。そこに、一菜がいる」

「それなら私も――」

 

 

私の視線から予想した進行方向にフィオナが立ち塞がる。

ありがとう。私達は、いつもハチャメチャな事ばっかりしてて、あなたには心配を掛けっぱなしだったもんね。

 

だけど、ダメだ。

あの場所には、あなたを連れて行く事が出来ない。

 

格闘戦なんか習ってないのに、それでもなんとか止めようとして両腕を広げる真面目で健気な彼女に……

 

 

 

「私を信じて」

 

 

 

別れの一言と共に、彼女の右手へ一菜の御守りを預けた。

 

 

 

「あなた()、なんですか……?」

 

 

 

私達は、いつの間にか足並みを揃えて歩いてたんだね。

フィオナの声は隣からよく聞こえる。

 

折角待ってあげたのに、先走った奴がいるらしい。

ホント、勘弁してくださいよ、一菜。

 

 

 

 

 

 

 

 

行先はパラティーノの丘。

私の覚悟は決まっている。

 

学校を飛び出し、ポケットから取り出したのは一通の招待状。

差出人の分からないこの紙は、一文字一文字が作品として飾られていそうなほど整った、力強い筆遣いの日本語でしたためられていた。

 

 

 

『"遠山クロ、貴殿の参加を心より楽しみにしている。望むものはいくらでも手に入ろう、宿金の事も、思金の事も、知りたければその始まりまで。箱庭は今宵開かれる。パラティヌス、ローマが始まったこの場所で、コロッセオとテベレ川の良く見えるこの場所で、魔女は全てを待っている"』

 

 

 

始まる、『箱庭』が。

 

大きな世界の片隅で、世界の未来を変えてしまう程の影響を持つ小さな宣戦が。

 

そこには一菜と――

 

 

 

――世界を支配せんとする強者たちが集い、その時を待ち侘びているのだ。

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!


やっと、やっとこさ箱庭に辿り着けそうです。

キンジと違い、予備知識をもって立ち向かうクロは、気が楽なんやら、逆に重いのやら。
知り合いの参加者も複数名いるでしょうし、原作程も狼狽えないかと。


本編の内容は、過去のお話。
現在の状況とリンクする様な構成としています。

後は、冒頭の合同宝導師任務の相談位ですかね。
こちらもただの話題だけではありませんので、そんな話してたね、みたいな認識を残していただければ、と。


次回の本編は、箱庭の宣戦となります。
きっとヤバいヤツらが揃っているに違いありませんよね!

さあ、クロはどんな国と同盟を結ぶのでしょうか?
お楽しみにお待ちくださいなっ!




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不可解3発目 明け空の星は輝く




どうも!

最近は寒くて、部屋でも靴下着用のかかぽまめです。
辛味噌ラーメンの恋しい季節ですね。


フリフリ少女の 理子が
勝負を しかけてきた!

とっからでした。


では、始まります。





 

 

 

前も後ろも真っ暗闇。

夜を優しく見守る月明かりは、遮光カーテンの如く林の間に引かれた枝葉によって、僅かな光を地上に落とすのみ。

 

文明の進化により電気が普及し溢れ返る光の中心で、闇の侵略から脱した日常生活を送っていたが、1本通りを出てしまうだけで世界は闇が中心なのではないかという考えがよぎる。

今まで生きてきた活気が満ちる世界は、どこまでも広く続く暗黒にひっそりと隠れ住んでいる集落でしかなかったのかと。

 

井の中の蛙大海を知らず。

一度でも外に目を向けてしまえば、自分の知る世界は小さな小さなものだと知る。

外は……とても虚無で静寂が支配し、小さな光ですら幻想的な景色を作り出す自由があって、しかし目を離した時に光は朧気な灯りを残すのみ。そんな世界は、恐怖の中に魅力を覚えた。

 

 

 

――ちきしょう、さっきまで心地よかった夜風が、生暖かい温風となって気持ち悪く感じる。

でっかい生き物の鼻息でも吹き掛けられてるみたいで不快感が全身を覆う。

 

それでもイラついて騒がないのは、あたしの神経のほとんどが正面の暗闇に集中させられているからだ。

緋い光に照らし出される顔には、可憐さや純粋さ、煌びやかさ、その他諸々を詰め込んだアラカルトのような魅力が溢れ出して、闇の中に自身の存在を完全に定着させていた。

 

相手は大きな世界の中で自分を見失わずに確立させた、闇に生きる者だ。

否が応でも、意識は引力を持ったその少女に吸い寄せられる。

 

木の上にいる奴は知らん。

どうせ本気で対策したところで、なんの成果も得られそうも無いしな。

 

 

「大人しく投降してくれたら、パフェのポッキーあげちゃうよ?」

「人の価値をポッキーにすんな」

「ウエハースでもダメ?」

「あたしはそこまで甘いもんは好きじゃねーんだ」

「交渉は決裂!私は宣戦布告します!」

「宣戦布告なら1回聞いた」

 

 

おい、さっき頭脳を活かすとか言ってなかったか?

諦めもはえーし、そもそもの取引内容があれじゃあ、今時小学1年生も付いて来ないっつーの。

 

頭脳戦の素振りも見せないまま最終手段の実力行使に出る気満々な少女、そのファイティングポーズはとことん普通とは違うものにしたいのか、軽く足を開き腰を落とさず直立、体は横を向いていて首だけを回して視線をこちらに寄越している。

両肩を開き、肘を曲げたまま軽く握っているだけの左手を突き出して、右手は良く見えないが何かを取り出す動作は見せていない。ちなみに両手には水風船のゴムが指通しされたままだ。

 

(おいおい、こっちから見たら右側、理子の背中側が隙だらけだぞ?)

 

野球のバッターみたいな体勢を取っているが、あたしが右に走れば目で追いかけることも出来ないだろう、首の回転には言うまでもなく限界が存在する。

どんな戦闘スタイルだとしても相手が見えていなければ対応は無理だ。理子はその用途不明な構えを解除しなくてはならなくなる。

 

 

心配は体の自由だったが、こっちも問題なさそうである。

布の上から爪楊枝で突かれた様な違和感、額に感じていたそれが消え去った気がするからだ。

 

さっきの攻撃は目に見えるものではなかったのだと考えられ、敢えて真横をすれ違った瞬間に効果を発揮した点から、接近の際に注意をしておけば次は対処不可とまでは行かない。

理解が及ばないのは、あたしの動きに合わせて違和感を感じる場所が変わるところで、これはキーポイントとして把握しておく必要があるだろうな。

 

 

「……『髪結(レガット)』は解けたみたいだな」

「金縛りの術を使えるのか。完全に止められる訳じゃないようだが」

「完全に動きを止められたら、アホウドリ(アルバトロス)でも気付くだろ。動こうとして動けない状況だからこそ、大きな隙が出来るんだ」

「なるほどな、一理ある」

 

 

それもそうか。

指一本動かせなくなったら誰だっておかしいと思うだろう。

危機感が募って騒ぎ出すし、周囲への警戒も強める。

 

一方、範囲内から出られないだけであれば、場所を移そうと行動を起こさない限り、自分が移動できない事にも気付けない。

一般の人間だったら何かチクチクするだけで、その場から動かなければ別段気に留めることもないだろうな。

 

ただ、完全に動きを封じられないって事は、反撃や防戦の猶予を与える事にもなる。

気付かれない内に倒すだけなら、どうせ接近しなければならないのだから、その時に無力化してしまえばいい。複数人いるなら話は変わるのかもしれないが、相手が銃器を持っていれば移動範囲なんて関係ない。

 

推察すると、その髪結とやらは戦闘用の能力ではなく、潜入なんかで大きな効力を得られそうな代物だといえるだろう。

縛り付けた人間が目的地に辿り着けなくなれば盗みでも逃走でもやりたい放題だし、視覚で捉えられない攻撃は相当に相手を焦らせることが可能となる。

 

現に飛び道具のないあたしは動けないことに焦ったし、理子がその気であれば不意打ちも出来た。

そんなんでやられてやるつもりもないけどな。

 

 

「私の知り合いにも、あなたみたいな特異体質の持ち主がいる。あっちは本物の化け物だけど」

「本物のって言い方に不満はあるが、本物なら木の上にいるだろ」

「そのヒルダお姉さまも認めてる人間と言えば、分かり易いか?」

「軽く想像の範疇を越えたよ。大人か?」

「私よりも一つ下だ」

「嘘だろ……?」

 

 

いくら高く見積もっても、目の前の少女は中学生には到達しない。

寧ろ小学生の下学年って感じだ。それが化け物のお眼鏡に適うとか、冗談にしても質が悪すぎないか?

 

 

「だから手は抜かない。あらゆる手を使って私のものにしてやる」

「あたしは人間と友達になったつもりだったんだけどな」

 

 

このまま話し続けていても進展は無い。

時間が経てば経つほどあたしの心の余裕は(カナによって)奪われていくのだから、黙って出方を窺うよりもアクションを起こして反応を見た方が良いか。

 

当然だが、林にはあちこちに木が乱立していて、身を隠す場所はいくらでもある。

それなのに身軽でありながら、わざわざあの場所で戦闘を行おうとするあたり、髪結とやらを用いた接近戦には自信ありと見るべきだ。

 

(初動が読めないし、最速行動が出来ない分行動の選択に自由があるぞ。カウンター狙いや搦め手を持つやつは苦手なんだがなぁ……)

 

 

「私は人間だよー?」

「類は友を呼ぶ。化け物の友人は化け物だろ」

「くふふっ、なら金星ちゃんも化け物仲間だね!」

「お前が人間になってくれよ」

 

 

先手必勝、理子から目を外さずに右へと回り込むように走ると、少しだけ追うように首を回したが、それ以上の追随はしてこない。

狭い林の中、木々を避けつつ距離を詰めて行く間も彼女は体勢を変えず、苦労無く()()を取ることに成功した。

 

身を隠したのは細めの木ではあるものの、人1人隠すには十分な太さであり、この暗闇の中で足音だけを頼りに探し出せはしないだろう。

 

 

後は一撃で、戦闘不能にさせちまえば……

 

 

「『闇召(ロティエ)』――」

 

 

木の向こう側から、風の音に紛れ込むような静かな声が響いてきた。

 

(……どこ行った?)

 

 

隠れた木の脇から顔を出してみたが、先程まで理子がいた場所には闇が広がっているだけで、誰もいない。

移動した?それにしては速過ぎるし、足音も無かった。聞こえたのは少女が発した声だけ。

 

 

「どうなってんだ……?」

 

 

そんなはずないと周辺や木の上も見渡すが、地面の草を踏み抜いていった形跡すら見当たらない。

探そうと思っても、もうあの場所には証拠の1つも残されていないのだ!

 

 

「Aripile negre a concepe întunericul, și sabia albastră nu trece lumina.」

「声……?そこにいるのか、理子」

「木の葉を隠すなら森の中、これは私の友達が大好きな言葉だ。影を隠すなら闇の中、金星、あなたは自分が何を探しているのかを分かっているのか?」

 

 

声の聞こえる方向は、理子がいたあの場所だ。

そこには濃密な闇。月の光も通さない存在がいたのだ。

 

 

 

「私の闇はまだ、借り物だけど――――私は、誇り高き闇の眷属だ!」

 

 

 

バサッ!という風切り音と共に、闇の中に溶け込んでいた理子を包む影が振り払われた。

背中から伸びるヒラヒラした羽のような形の衣装は、浴衣の着付けに使われていた帯の上から巻かれた薄桃色と薄紫色のフリル付き飾り布で、風に揺られながらも靡くことなく彼女の左右に力強く広げられている。

 

更に、影が濃さを増していくことで2対の羽は1対の黒い翼へと変貌し、両手の水風船をひょいと放ると、彼女の意思に合わせるように両翼がそれを掴み隠してしまった。

異様だ。まさか人間に翼が生えるなんてな、考え付かなかったよ。

 

 

「立派な羽だ。理子みたいな小鳥には、ちょっと大きすぎないか?」

「私が小さいと言いたいのか?金星も変わらないだろ」

「いいじゃないか、可愛らしくて」

「今の内に油断しておけ、私のお母様は絶世の美女だったんだ。すぐに置き去りにしてやる!」

 

 

自分の身長が低い事を少なからず気にしていたらしい。小さいなりにキュートを売りに出した言動を取るようにしていたんだとしたら、本音とはいえこれは失言だったな。

で、あたしも小さいだろってのはどこを見て言ってんだか知らないが…… 

 

(置いてくも何もあたしは男子なんだが、知らないなら仕方ないか)

 

勝手にミスコンにでも参加しとけ、なんて考えはどうでもいい。

翼は綿菓子の袋も覆い隠すと、影が引くようにその姿を消して、飾り布も重力に引かれて垂れ下がる。

 

直後、理子は振り向き様に軽く握っていた左手で、まるで木の影から顔を出したあたしが見えていたかのように、ダーツを投げるようなモーションを見せた。

正面でその動きを追いかけていたのに、見えない。そして、勘で躱すにはあたしの経験は足りなかったのだ。

 

突かれた様な刺激が2箇所。

しまったな、てっきり近距離でしか使えないものかと思ってたし、命中したのはあたし自身じゃない……

 

(……命中してから、見えちまった。あの攻撃の正体は……理子の髪、それが影に刺さってるんだ!)

 

理屈なんて知らないし、通ってないことくらいはすぐに判るが、原因が判明したならどうとでも出来る。

影に刺さってる針みたいに鋭利な髪の毛を引っこ抜きゃいいんだ。

 

違和感の場所が変わるのは影の位置が変わり、相対的に突き立てられた髪の位置が変化したからなのか。

そして影の範囲から髪の毛が出そうになると、そこから先には動けなくなると。

 

体を動かしてみて、現状を把握した。

面と向かって戦うだけなら、対応が不可能なものじゃない。

 

 

「――『髪結』。呆気ないね、金星ちゃん。2本で終わっちゃった!」

「終わってねーよ。技の正体は髪の毛なんだろ?こんなもん簡単に取れ……」

「あーーっ!触っちゃダメーっ!!」

 

 

チクチク突っつかれるのも自由を奪われるのも大っ嫌いだ。

理子はこちらの動きを制止させるべく、腕をわたわたと振っているがダメと言われて止める訳ないだろ。

 

語るに落ちたな。影に手を伸ばして触れる、瞬間――

 

 

 

バチィッ!

 

 

 

「――ッ!」

 

 

痛みと本能的な反発力によって、咄嗟に体重を後方へと預けて倒れ込んだ。

手が離れたのは奇跡的な幸運だろう、筋肉が硬直し動かせなくなっていた。対象が細くて滑りやすく掴み辛かったのも要因かもしれない。

前に倒れてたら感電して、命の危機にも成り得たな。

 

冷や汗が出る。ありえない妄想だけど、影に拒絶されたようだった。

 

 

「だだだ、大丈夫?金星ちゃん!」

 

 

驚いたは驚いたが、触れた左手が痺れている以上の症状は残っていない。

駆け寄ってくる理子は隙だらけ、チャンスだ。

 

(お面を取られた時と逆になったな)

 

昔から得意だった仮病を活用し、上手く動けないフリをしつつも体勢を起き上がり易いうつ伏せに変えていく。

少しして、下駄を履いたままの理子の足が視界に映り、あろうことかそのやたら丈の短い浴衣姿のまま立ち止まってしゃがみ込もうとしたので……

 

 

「おい、パンツが見えるぞ」

「だいじょ……う?」

 

 

しゃがみ込む挙動をやめ、そのまま止まってしまった。

表理子は無防備だが、裏理子は気にしそうだしな、これで不意を突いた1発をお見舞いしてやるぞ。

 

 

「金星ちゃんも色々見えちゃってるよ?」

「――へっ?」

 

 

そこだ!……って反撃の狼煙を上げてやろうとしたのに、理子の発言は到底無視できるものではない。

思考速度が最大限に引き伸ばされ、その速度は通常時の10倍はくだらなかっただろう。

とは言え、大半は雑多な心の叫びにかき消されて無意味なまま流れてしまったが。

 

 

ミエタ?ナニガ?

 

マッテマッテ、ナニガミエテルノ?

 

ア、ダイジョウブダ。アタシ、タンパンヲハイテタンダッタ。

 

 

10秒以上時が止まっていたんじゃないかと思うのだから、100秒はループさせていたことになりそうだ。

狼煙はもはや湿気を吸い過ぎて、蛇花火のように地面を這うのみ。これでは形勢逆転の波も駆け付けてはくれないだろうな。

 

 

「騙したな」

「同じ事しておいて良く言うな。どこまで純情なんだ、顔がりんご飴みたいになってる」

「う、うるさいな!そっちだってちょっとはビックリしただろ!」

「甘いな、私は自分がどこからどう見えてるのかは常に把握してる。そんな見せびらかすようなことはしない」

 

 

羞恥に歪む顔を見られることを承知で様子見を行うも、全く堪えた様子はない。

無念、理子に騙し合いでの勝負を挑んだ時点で負けだったんだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

その理子ではあるが、右手に何かを持ち出しているな。

心配して駆け寄ってきました、みたいなフリをしておいて、トドメを差しに来やがったのか!

 

 

「油断も隙も無いなっ!」

「その言葉、そのまま返してやるよっ!」

 

 

一旦休戦の雰囲気を出して近付けてきた右手を、動けないフリをしていた体を動かして回避するが、それすらも読んでいた理子は空振った右手を勢いよく地面に付けて側転を切り、転がったままのあたしを飛び越してその影に触れた。

チクリとした感覚。また1箇所、右膝を刺されたらしい。

 

 

「ほーら、早くしないとドンドン動けなくなっちゃうぞー!」

「そんな攻撃、何本刺されたって動け……?」

 

 

(思ったより状況が悪い……!)

 

チクチクとした感覚が頭部と右膝の()()()にある。

月の光は斜め左方向のほぼ真上からあたしを照らし、その影は体と大差ないサイズとなっているという事は、だ。

 

この時点で、あたしの自由はほとんど奪われている。

まず、立ち上がることが出来ないし、行動の1つを取るにもツイスターゲームでもやってんのかって位、制限された中で振る舞わなければならない。

 

時間の経過で効力を失う事は分かっているが、その間に別の場所を刺されてしまえば実質時間制限など無いものに等しく、防戦一方でタコられてしまう。

理子は頭が良く駆け引きに強い。手の届く範囲には入ってこないだろうし、不用意に近寄ってきたら、それは新たな罠だと疑って掛からなければ!

 

(耐えろ、耐えて次の反撃のタイミングを計るんだ。兄さんの頭突きに比べれば、女子の打撃なんてどうってことない)

 

 

「ねえ、金星ちゃん。さっきのビリビリ、痛かった?」

「何を言って――」

 

 

 

バチバチバチィッ!

 

 

 

理子の手元で閃光が生まれて弾け、緋い逆十字形をしたとても小さな短剣(ロザリオ)の切っ先が真っ直ぐに向けられている。

先端には小さなビー玉くらいの大きさの球体――可視化できるほどに凶悪な威力を持つ電撃の塊が出現し、激しいスパークノイズを鳴らしながらゆっくりと、その規模を増していく。

 

 

「『雷球(ディアラ)』はもーっと痛いけどー……どうする?髪飾りにしてあげよっか」

「そんなオシャレなアクセサリーなら、あたしが身に着けるよりも新品のままお姉さまの洋服に飾った方が趣が出て良いんじゃないか?」

 

 

口では強がってみたが、あんなもん喰らったら当たった場所は大火傷だろうな。付け毛も燃えちまうし。

時間稼ぎを許す相手じゃない。ここまでの流れは全て理子の想定通り、逃げる事も、避ける事も、不可能に……したつもりなんだ。

 

 

……とうとう、手段を選んでいる場合じゃなくなった。

上手くやれるか分からないあの技を、使うか?

 

理子を傷付けたくなかったし、練習している時も「こんなもん使えてたまるか!」なんて文句を垂れ続けていた技だし。

結局、子供には習得不可能な技として代わりの新技を発明し始めたわけだ。……兄さんはしっかりと継承していたが、それはそれ。なぜ天はこうも兄弟の間に差を付けて来るのか。

 

 

『クロス』――

 

 

元の技は『矢指』と呼ばれる空気の弾丸。

……と説明すれば聞こえは良いが、威力は指先で放つ貫手と大差ない。見えない攻撃であることが特徴で、射程は3m程が限界だそうだ。

秋水による体重移動を用い、全体重を一瞬だけ指先へと移行させて前方の空気を弾き飛ばす技なのだが、へんた……HSSが子供故に発動した事の無いあたしには、その一瞬を感覚的に捉える事が出来ないでいた。いわく、性の目覚めが遅いらしい。

 

術理のみを教わったものの、秋水を完璧に会得出来ている訳ではなく、現在進行形で技の再現は難航している。一点への集中を体感しようと指だけを支点にして腕立てをしてみたりもした。1本は無理だったけど、なんとなくつかめた様な気がしなくもない。

結果、射程30cm、威力は風圧が指向性を失って霧散してしまい髪の毛がそよぐ程度。出来る事と言えばメンコ取りで不正を働くくらいのもので、戦闘での実用性は皆無、だからこそこの技を編み出すに至ったのだ。

 

おまけに今は時間が引き伸ばされ、意識が強く覚醒したからか神経も体も冴え渡っている感覚があるし、想像した完成度を上回ってくれるかもしれない。

それどころか、活性化された脳はこの拘束から抜け出す方法も思い付いてしまった。

 

ヒントは理子の右手を転がって避けた時、体を刺す違和感が1つ消えた事だった。

ダーツみたいに放たれた2本の髪のうち、1本は私を逃がしてしまっている。

 

天はあたしを見放して兄さんの肩を持ったが、地――この林というフィールドは今回、味方に付いてくれるみたいだな。

 

 

「理子、誰かに贈り物を渡すなら注意事項があるからな、あたしが眠る前に忠告しておく」

「……なんだ?」

 

 

理子の作り出した小さな丸い稲妻が拡大を終えたのを見計らって声を掛けた。同じ技は2度も見せたくないので、最後の一絞りまで出し尽くしてもらわないと困る。

どうにもあっちはあっちでおふざけしている余裕がないほど集中が必要な技のようだ。

裏理子の額には汗が滲み、そのせいで感電してしまわないかと彼女の身を案じてしまう。どう考えても危機的状況なのは自分の方だが、いかに余裕がなかろうとも大切なものはあの緋い小悪魔なのだ。

 

迷いを捨てなければ逆に傷付けてしまう事は、彼女の性格を鑑みれば明白。

悪いが、ちょっとは痛いぞ?ビリビリのお返しだと思ってくれよな。

 

 

「夜に見えないのは、影だけじゃないんだぞ?」

 

 

訝しむ表情をして意味を探ろうとしたのだろうが、もう手遅れ。

あたしの魔球は審判ですら見切れないし、キャッチャーですら受けられやしないんだからな。

 

 

 

 

小さな前触れ、音もなく。

小さな光は、弾かれた。

 

8つの指から放たれたる、風の子供は集まりて。

1つ1つは"コ"なれど、生まれ出でるは"シシ"となる。

 

小さな力は、跡もなく。

小さな澱は、"ハ"をうった。

 

宙に浮かびし木々の羽根、大地を掛ける影を呼び。

折り重なるは人の身と、大地を継ぎし金の針。

 

 

 

 

軽いスローモーションで再生されていた世界が元の速度に戻っていく。

始めて得たこの感覚は、あたしの更なる成長に一役も二役も買ってくれることだろう。

 

 

「なにが起こった!?」

「!?」

 

 

全ての出来事は偶然じゃない。

全てがあたしの計算通りに寸分違わず動いたのだ。

所謂、作戦大成功ってやつだぞ!喜べ、あたし。

 

日々の練習により、指先に全体重移動をさせることは不完全ながら出来ていた。

それを1本に集約できないのなら、クラッカーのイメージで全部の指から放って広範囲を、と考えたのが始まり。

 

しかし、ただでさえ小さな体重、出来損ないの秋水だけではいつまでたっても習得など夢のまた夢、うちわの方が実用性において軍配が上がる。

ならばと、全部の指先から一点に向かって撃ち出し、交差させて同威力を発生させようとした。これが目標だったわけだ。

 

 

この不可解な現象に遭遇した小悪魔は元より、どこから取り出したのか不明な牛串焼きを行儀よく木の枝に座りながら頬張っていた悪魔も、口元に寄せていた次の一口を取りこぼして眼下の草むらへと落下させた。途轍もなく勿体無いぞ、それ。

 

こうして戦況は一転する。

立ち上がることは不可能だと思われていたあたしは何事もなく両足を付いていて、必殺技のチャージを終えて勝利を確約されていた理子は正体不明の攻撃によってその力を暴発させてしまった。

 

痛むのだろう、そのロザリオを大事そうに握りしめた右手を擦りながら、戦意を取り戻そうと鋭さを増していく眼が、地面に打ち込まれた2本の髪を見てついには閉じられた。

あたしの影を捕らえて枷となっていた金の針は、抜けても折れてもいない。ただ同じ場所で木々の羽根、木の葉を縫い付けて空中に固定させているだけ。

 

クロスが散った後、風の揺らぎが枝を微かに撫でていき、葉はヒラリとその手を離れて自由を手に入れた。

影が重なり合うコンマの交錯で、その自由を貸してもらったのだ。無論、この勝負が終わったら自由は返してやれるだろう。

 

 

「忠告したじゃねーか、見えないのは影だけじゃないってな」

「超能力者じゃなかった。金星、あなたは何者だ?」

「くふふっ、そんな悲しい事、聞くなって。それも言っただろ」

 

 

しかしまいったな。このシナリオも、お前の即席なのか?

あたしの足は、この後の展開を予想出来ているのに止まらない。

 

そして理子の足も、予定調和を迎え入れる為に2人の距離を順調に縮めていく。

 

自分の口から出る言葉は自分の気持ち。

でも、それが理子の思い通りの言葉であれば……

 

 

「あたしは、理子の友達だ」

 

 

彼女の笑顔は本物だけど、()()()()()()()その姿を見て。

疑いは確信へと変わって行った。

 

 

本当にありがとう(メルシーボクー)おやすみ(ボンニュイ )親友よ(ボンナミ)

 

 

 

罠だって分かっていたのにな。

 

それが理子の魅力なんじゃないかって思う。

 

その笑顔が見れただけで、許してやる気になっちまうんだ。

 

 

 

抱き着いてきた理子の体温は暖かかったけど、2人を囲む翼は無機物を思わせ、鉄のように冷たかった。

また、あのチクチクした違和感が7本も突き立てられても、彼女の顔を見続ける。

 

 

「『闇召』はお姉さまのお気に入りなの。どんなものでも闇に隠して持ち運べるんだよ?そりゅーしがどうとかは詳しく教えてくれないけど、例えば暴発した『雷球』だって、この翼の中に仕舞ってあるんだから!」

 

 

 

――バチィッ!

 

 

 

衝撃は一瞬。

背中に焼けるような痛みを受けて、あたしは、深い眠りに就いた――――

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「だから!どうしても急ぎの用件があるのよ!」

「何度も言わせるな。お前はヴィオラ様に碌でもない知識を数えきれないほど教え込んだだろう。そうおいそれと会わせられない、それが総意だ。内容を教えろと言っているんだ」

「アリエタ、私からあの子のお世話係を取り上げたからって、あまり調子に乗らない事ね」

「自業自得だ。お前に任せられることなどない。確かに戦闘能力は下位の者たちとは比べるべくもないが、下手な感情を持つが故に追い出されたのを忘れたか?」

「私はこの感情を持って生まれた事に、誇りを持っているわよ」

「なぜ、お前のようなはみ出し者がジュモーの最高傑作と呼ばれるのか、到底理解できないな」

「理解できないのはあなたが劣っているからじゃないかしら?」

「ワタシはお前のようにその程度の挑発には乗らない、お前とは違う」

「んもー!さっきからお前お前しつこいわよ!悪口は聞き飽きたの!」

「なら帰れ。ここにお前の居場所はない」

「……取りつく島もないわね、分かったわ。虫の居所が良い時にまた来るから」

「勝手にしろ」

 

 

 

 

「アリエター。ねえ、アリエタ。交代の時間過ぎてるけど?」

「ええ、今代わるわ。しっかり見張りなさいね?」

「差し入れー。ねえ、おやつ忘れないでね?……待って、何かあったの?」

「何もないから。おやつは用意してあげるわよ、すあまだったかしら」

「うん!ねえ、具合悪いの?言いたいことは言わないと後悔する」

「さっきからしつこいわよ!……あ」

 

 

「……。ねえ、困ってるの?またあいつと喧嘩した?」

「……いつも通りよ」

「こりないね。ねえ、悲しいの?アリエタが気負う事じゃないでしょ」

「ずるいのよ。ワタシ達に希望を示しておいて、重要な役割を前に逃げ出すなんて……」

「こころー。……。私からは何も言えない、ちゃんと話せばいい」

「話す事はない。我らの成すべきことを為すのみ……」

「バカだぁー。ねえ、本音は?過去の幻想は捨ててしまえば?」

「捨てられないわ。悔しいけど、この記憶だけがワタシを支える礎だもの」

「えー!ねえ、私は?アリエタを支えられないの?」

「仕事の邪魔をしないのなら、考えてあげるわ」

「ぶー!ブーブー!……」

「はい、おわり。もう戻るわ、ヴィオラ様が起きる時間になる」

 

 

「笑ってー。ねえ、笑わないと。女神様が心配するでしょ」

「心配いらないわ。どうせワタシ達の笑顔は作り物でしかない。それはヴィオラ様が一番良く分かっているのよ」

「そっかー。……。……」

 

 

 

 

「スカッタ様、進行はつつがなく」

「よかったー。ねえ、笑ってた?女神さまはどこに行ったのかしら?」

「ローマに向かわれるそうで」

「……。……。盟友かしらね」

「アリエタ様はいかが致しましょう」

「そうだなー。ねえ、私達も準備をしないと!まずは耳を塞ぎなさい」

「……?」

 

 

 

 

 

「ビィィイイエエエエーーーッ!!ヴィオラ様ァーッ!どちらへーッ!?」

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


ここまでで一旦不可解は中断となります。
本編が進行次第、また再開とさせていただきますね。

未熟な金星(キンジ)と借り物の理子が戦闘を行いましたが、結末は金星が理子の罠に自分から足を踏み込む事で終幕となりました。その意図はまだ不明としておきますが、他にもまだ登場していない怪盗団のメンバー、カナ、それと祭りを楽しむ様々な者達も動き出しています。


次回はおまけか本編か、サブコンテンツは程々に。
皆さんも乾燥肌と体調に気を付けてくださいね?




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おまけ8発目 引籠りの通信者




どうも!

やっぱり今回もサブコンテンツにかまけていたかかぽまめです。
進行状況は……10%弱、時間が……時間が欲しい……!


今回はおまけ。
題名通りクラーラ回……と見せかけて、取り留めのないおまけです。


では、始まります。





 

 

 

私は幼い頃から耳が悪かった。

 

ううん、そうじゃない。耳は良かった。

神経か脳に異常があるらしい。治療は不可、経過観察なんて意味の無い事だと分かっている。

 

ただなにも聞き分けることが出来なかった。

公園で読書していると聞こえてくる木々のそよぐ音も、湖に浮かんで私に寄ってきた白鳥の鳴き声も、会話をする人々の声も、真後ろでエンジンをふかす車の音も。

 

全部同じ"音"なのに、皆はどうしてその違いが判るのだろう?

9才までの私はその疑問に悩み、自分より優れた他人を勝手に怖がって本へと逃げた。

 

あの頃は音が聞こえただけで、周囲をこわごわと観察し、安堵していた。

 

 

その日の夜も眠れそうになかった。

外から小さな"音"が聞こえてくるから。

 

もしかしたら、本で読んだお化けの声かもしれない。

それとも、ただの降り始めた雨音だった?

 

布団に潜り込んで耳を塞いで、朝が来るのを待つ。

音はまだ聞こえている。

 

こんな時はいつも決まって2人の幼馴染の顔が思い浮かんだ。

私を励ましてくれて、守ってくれて。

 

 

「2人は……もう寝てるかな」

 

 

夜はまだまだ長い。

星を1つ残らず隠した分厚い雲が現れて。

 

 

雨はまだ、降り始めたばかりだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「むー!むむー!むむむむむー!」

「"噛むな、離れろ、暴れるな。悪かったって、お前を置いて行ったんじゃない"」

「むーむむー!む、むむっ!むーむむむむー!」

 

 

現状は見ての通り、人間に腕を噛まれてる。そして、不本意ながらそのまま歩いているところだ。

公園で昼寝してて散歩中の犬に襲われるならまだしも、人間にガブガブと噛みつかれていれば道行く先々で注目の的になる。

説得も聞かないし、無理矢理剥がそうとしても……

 

 

「"はーなーれーろー!"」

「"む!むむむぅ……かうっ!いやーっ!離れないで!(おね)……"」

フェルマーッタ!(ストーップ!)!」

 

 

おい、てめぇ!何言い掛けやがった!

俺を社会的に殺す気か!?

 

大体武偵なんだったら相手の事は名前で呼ぶもんだろ。

このままじゃいつヤバい発言が飛び出すのか分かったもんじゃない、夢の中では言い聞かせるのに苦労していたようだが、現実にまで飛び火してきたぞ。

 

 

「"チュラ!"」

「むむむむー!」

 

 

(噛み直しかよ!)

 

左前腕部に与えられる咬合力は強くはないので痛くない、痛くはないのだが気になるだろ、周囲から向けられる好奇の視線が。

腕を高めに上げてみると背伸びをしてまで口を離す気は無いようだ。噛みついているチュラからの抵抗もないので自由に腕を動かすとストラップみたいに付いて来る。

 

(……案外、おもしろいな)

 

試しにもっと高く腕を上げてみる。

 

 

「むっ!?むむむむっ!むーむむむむーむーむー!」

 

 

既につま先立ちを越え、バレリーナの如きトゥでの立ち姿勢で必死に倒れまいと前後左右の平衡を保っている。懸命に頑張ってる所にこう言うのもなんだが、力を込め過ぎて目を閉じ切ったお前が噛んでるのは袖だ。

数秒後には徐々に震えが大きくなり始め、顔色も声色……唸り声?も焦りと共に抗議の色を含み始めたが、そこまでして噛みつく必要性を問い質したいのは俺の方だって。パン食い競争やってんじゃねーんだぞ?

 

そうしてやっと目的地に到着し、スッポンチュラは噛むこと自体は止めたものの、今度は腕に抱き着いて離れない。コバンザメならぬコバンチュラ、多様性のある生き物だなこいつは。

しかし以前なら堪え切れずに逃げ出しただろうが、この光景は夢の中で思い出しヒスし掛ける程に経験済み。俺はカナの目論見通り多少の女子耐性は得られているようだ。

……匂いさえ嗅がなければな。

 

 

「"(おね)……キンジ、ここ、ここー!"」

「"知ってるって、今朝というより十数分前に来たばっかだ"」

「"あれ、あれー!"」

「"それも分かってる、ほら、店に入るには狭いから腕を離せ"」

 

 

目的のブツが残っていたのが嬉しかったようで、人の腕を振り回して騒ぎ出した。

すみませんね、うちの戦妹が店先で。

 

 

――その時だった。

 

 

「あっ、おはようござ……ッ!?」

「んっ?」

「あー、クラーラだー。おはよー」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「パオラ、緊急事態だよ」

 

「……?いつになく真剣だね、通信機器の損害金が足りてなかった?」

 

「そんなことどうでもいい」

 

「全く良くねーだろ。お前が適当にチェックするからあたしとお前の戦妹(ノエディナ)が苦労したんだぞ」

 

「機械はあの子がいないと良く分かんないし、ガイアには感謝してる」

 

「ったく、メンテぐらいは授業でやってるだろ」

 

「メンテより先は無理、私達の無線機って改造され過ぎてるから」

 

 

「クラーラ、何が緊急事態なの?ガイアまで私の家に呼び出してきて」

 

「暇だったから別にいいけどな」

 

「!そう、緊急。パオラがもたもたしてるから、ピンチなんだよ!」

 

「わ、私のせいで?どういう意味なの?」

 

「ライバル出現」

 

「らいばる……?」

 

「……マジかよ」

 

 

「相手はかなり上手だった」

 

「……私の実家のお米は、いくら相手が安さを売りにしたって、そこいらのお店には負けないよ。最近は地域限定の宅配サービスだって……」

 

「パオラ、考え方が日本的になり過ぎ……じゃなくて、商売がたきの話とは違う」

 

「ストレートに言ってやれ。奥手なやつは少し火を点けるくらいで良いんだよ」

 

「だね……パオラ、心して聞いて?」

 

「う、うん。……なに?」

 

 

 

 

 

「キンジさんに彼女がいるかもしれない――――」

 

 

 

 

 

「…………」

 

「あ、倒れた」

 

「刺激が強すぎたか。運ぶぞ、戸を開けといてくれ」

 

「オッケー」

 

 

 

「で、どんな相手だったんだ?」

 

「気になる?」

 

「もったいぶんなよ、確証はまだないんだろ?そいつも武偵ならただの協力者かもしれないしな、パオラにもチャンスがある」

 

「……その可能性は、低そう」

 

「東洋人か?」

 

「スペイン人」

 

「随分細かく出身地を見抜いたもんだ。スペイン語ででも話してたのか」

 

「途中までは日本語で、私と会ってからはイタリア語で話してたけど……」

 

「おいおい、知り合いかよ。あたしも知ってそうか?」

 

「知ってる。よーく知ってるよ、一緒に仕事もしたことあるし」

 

「…………」

 

「パティと組んで探偵科の仕事を引き受けてた時期もあった」

 

「……あー、もういい」

 

「疑ってる?」

 

「疑うのは信じてないからじゃない、信じ難いからだ」

 

「それは仕方ない、気持ちはわかるけど」

 

「保護者じゃなく」

 

「そう見えなくも無かったけど」

 

「懐いてるんでもなく」

 

「キンジさんも満更でもなさそうだった」

 

 

 

「難敵出現だな」

 

「パオラ次第、なんて言ってられないかも」

 

「パオラに、チュラか。子供好きなだけだとしたら」

 

「それはそれで……もっとピンチだよ、ガイア。対象として見られてない」

 

 

 

「そんじゃ、やるか。ほいッと」

 

「ウラ」

 

「うしっ、変更なしだな?」

 

「そのまま」

 

「……はっ!しっかり店番しろよ?オモテだ」

 

「この前のバール代は?」

 

「通信機器の管理を代わってやったな」

 

「……お願い、せめて店の裏方にいて」

 

「隣にいてやるよ、まあ、客が来たら下がるけどな、はははっ」

 

「……けち。でも、それでいい」

 

「ほら、さっそく客だ、あたしは裏で見守ってるぞ」

 

「見えてないよね、それ」

 

「ああ、心は目に見えないからな」

 

「雑。深そうだけど実の無い言葉」

 

 

 

 

「いらっしゃいま……うげッ!?」

 

(噂をすれば影が差す、だなこりゃ)

 

「おい、人の顔見てゲェッは無いだろ」

 

「き、キンジさん……いらっしゃいませ」

 

「おう、邪魔するぞ。ここがお前の家だとは知らなかったが、パオラは出掛けてるのか?」

 

「今日は体調が優れないので、裏で休んでいます」

 

(原因はクラーラとキンジ(お前ら)だけどな)

 

「……病院に行かなくても大丈夫なのか?あいつ、幼少の頃の知り合いに似てるから不安なんだ。真面目で無理をしやすい所とか、なぜか日本料理の腕が良い所とか」

 

「御心配には及びませんよ。熱がある訳でもありませんし、少し疲れが出ただけです」

 

(もともと心労に弱いからな)

 

「別に深い意味は無いが色々と世話になってるんだ。疲労はバカにならないから、お前達が一緒なら心強いけど、何かあったらと思うと俺も……依頼主も気が気じゃない」

 

「パオラが聞けば飛び上がって喜びますよ。今度直接言ってあげて下さい」

 

(意外と脈ありなんじゃねーのか、これ)

 

「ところで、チュラさんは一緒ではないんですね。それと、どのようなご用件でいらっしゃったのかもお聞きしてもよろしいでしょうか?前回の購入から半月も経っていませんが、購入手続きの方でご案内しても問題は……」

 

(いきなり突っ込んだ質問しやがって……クラーラの判断なら信じていいんだろうが、大丈夫か?)

 

「チュラなら先に帰ったぞ。途中でカ……クロ武偵に会ったから交代してもらったんだよ、パオラに用事があるってな。チュラと新発売のパンを買いに行ったんだが、思った以上に美味かったもんで、パオラは確かふわふわのオムレツが好きだっただろ?」

 

「ええ、はい。確かにそうですね」

 

「で、お前はベーコンなんかの塩漬け肉、ガイアはサクサク食感のタルトを好んで食ってたから――」

 

「えっ、えっ?」

 

(……あいつの前でタルトを食ってたことあったか?菓子なら良くここに集まって食べてるけど、そん時に見られてたのか。あたしとそこまで変わらない年齢だろうに、さすがに海外に来るような武偵は油断できないな)

 

「これ、お前が急いで帰って買えなかっただろ?あの後、近くの公園で食い終わった後にもう1回覗いてみたら、残りがほとんど無くなってた。今度買いに行くなら朝早くに行った方が良いぞ、きっとしばらくは売上最高潮だ」

 

「あり……がとう、ございます」

 

「具合が良さそうになったらパオラにも分けてやってくれ。……で、それとなくで、いいんだが……前に貰った弁当の"だし巻き卵"、あれが美味かったと伝えてくれると助かる」

 

「っ!はい、分かりました。確実に正確に主観を交えて伝えますので、ご安心ください」

 

「ああ、頼む」

 

「ありがとうございました!」

 

 

 

 

「ガイアぁ~っ!」

 

「気持ち悪い声出すな。嬉しいのは分かってる」

 

「想像以上!想像以上にいい感じかも!」

 

「お前なぁ……喜んでる所水を差すようで悪いがあの質問はマズいだろ。親しい間柄でもないのに、詮索するもんじゃない」

 

「必死で、つい」

 

「無策かよ。おまけにそこまで聞いといて、結局チュラとの関係はどうでも良くなっただろ」

 

「だって、子守りしてますらしき発言があったよ」

 

「そこだクラーラ、良く聞け。その発言の中に、もう1人のアクトレスがいたよな?」

 

「もう1人……?――――ッ!?」

 

「気付いちまったか」

 

「こ、今度こそ……」

 

「新のライバルだ。それもメチャクチャ強い、宿敵だぞ」

 

「トオヤマ……クロさん」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

満月の夜、悪鬼とのゲームが原因で昏睡状態に陥り、目覚めてから数日経ったとある休日。

なにやら(クロ)がチュラと新発売の菓子パンを買いに行く約束をしていたらしく、すっかり忘れて繰り出した先の公園で焼きたてのパンを食べていたら、空いていた左手を噛まれた。

 

空腹による異常行動かとも考えたが、過去にも同じことがあったことに思い当たる。

その時も確か、約束をすっぽかして置いて行ったんだっけな。

 

だから仕方なしにパンの完食を諦め、元来た道を戻って再びパン屋へと足を運んだのだ。

道中、スッポンをぶら下げてみたり、戦姉呼びをやめろと指摘したり、とりあえず今あるパンで引き離そうとして失敗したりしながら有事到着。常に噛まれてるから無事とは到底言えないだろう。

 

 

 

公園を出て十分ほど、店の中に新発売の菓子パンを発見した途端、人の腕をブランコみたいに揺らしまくるという暴動事件発生。

気分上々ではしゃぐ戦妹を宥めていると、後ろから「ボンジョゥ……(おはようござ……)」と、中途半端な挨拶をされた。

 

 

「お、おはようございます……チュラさん……と、キンジさん」

「クラーラか。おはよう、お前も新発売のパンを買いに来たのか?」

「え、ええと、そう……ですね。そんな感じです」

 

 

パンを買う感じってなんだ、買えよ。

それとも見て決めるつもりなのか?

 

 

 

クラーラ・リッツォ

 

ローマ武偵中2年、専攻は通信科でDランク。状況判断能力や適格な指示が得意な一方、無線機の扱いはあまり得意ではないらしく簡易メンテナンスが出来る程度。軽微の修理にも時間が掛かってしまうため、緩い基準の仮ランクでも低い評価を受けている。

 

暗緑色(オリーヴァ)の瞳、ちょっとだけくすんだ茶色(ビスコットカラー)で左右の両端を少しだけ外側に跳ね上げた髪は後ろ下部で結わえられている。

授業中だろうが任務中だろうが休日だろうがいつもマイク付きヘッドホンを装着しており、「これは私の武装ですから、外したら校則違反なんです」などと話していて、これが無いと彼女には話し掛けられない。詳しくは知らないが、聴覚に障害があるのだそうだ。

 

また、聴覚の異常を補う為にか視神経が発達しており、かなり目が良い。

過去にとあるチームと任務を共にする際には、自身も作戦エリア内にて索敵や戦況を集めて奔走していたとか。

 

使用武装は……なんだ?こいつが武器を持っているところは見た事が無い。普通は戦場に立つ役割じゃないしな。

体力は低いが、パオラよりは体格の関係で勝っている。

 

大抵はガイアとセットで動いていて、あまり積極的ではないが個人でも任務を受ける事があるらしい。その場合は引き籠りモードで、通信室から一切出ようとしない。

 

夢の中のクロも何度か任務を共にしているが、学校では高難易度の任務を受ける訳でもないので、目立った活躍は見られていない。

そういや、この間の夜の事件では依頼主であるアリーシャの司令塔代理として動いていたな。俺は正直それどころではなかったが、スムーズに解決へ導いたのは確かな功績と言えるだろう。

 

ガイア同様パオラの幼馴染らしく、通常時の俺では米屋でたむろしている所で初めて知り合った。同年代の女子って感じで近寄りがたい感じがあるかと思っていたものの、これも夢によるショック療法によりだいぶ軽減されていて、会話も支障なくこなせていた。

……が、最近クロが思いっきり抱き着きやがったせいで、なんとなく……意識してしまう。今までは彼女のミルラ製油のような独特な匂いは気分が落ち着いたのに、痺れるような感覚が残る様になってしまった。

 

なんでかは知らないがカナが俺に米を買いに行かせたがるから、もう数回パオラの店で顔を合わせているが、クラーラと街中で会うのは稀だな。

原因はこいつが引き籠りだからなのと、遠くに見掛けても話し掛けるほど親しくもないからだ。

 

 

 

「キンジ!早く入ろうよー!売り切れちゃう!」

「手を放せって、2人並んで入るには入り口が狭いだろ。大丈夫だ、もうお前を置いて行ったりしないから安心しろ」

「ほんとー?……うん、分かった!ずっと一緒だよー?チュラはキンジから離れないからねー」

「はいはい、分かったから。いくぞ」

 

 

説得完了。やれやれ、ようやく離れたか。

腕に抱き着かれたまま、顔を合わせて、頭まで撫でながら。数か月前じゃ考えられないな。

 

やっとの思いでコバンチュラの吸盤から解放されたし俺も1つ買ってみるか。クロには悪いが新作のパンは夢の中で食ってくれ。

 

 

……

 

…………

 

………………まあその、なんだ、お土産に2個買っておくか。いや、違うぞ、これは……そう、一応の予備だ。カナが食べてるのを見たら、また俺が食べたくなるかもしれないからな、うん。

 

 

それで、入り口の詰まりを解消したのにもう1人がなかなか入店しようとしない。レディファーストなんて柄じゃないから先に行ってもいいんだが、考え込む様子でチュラの方を見ているのが妙に引っ掛かり、目的を探ろうとしてしまった。

 

 

「お前は入らないのか?まだ数はあるから売り切れの心配はないだろうが、混む前に済ませた方が良いぞ」

「お構いなく、ちょっとした用事を思い出しましたので、家に戻らなくてはならなくなりました」

 

 

なんじゃそりゃ、パンを買う時間すらない用事があるならなぜ立ち止まっていたんだ。

これは誤魔化している、財布を忘れたとか、そんなん。

 

 

「そうか、じゃあ俺はもう行くぞ」

「はい、またパオラのお店で」

 

 

そう言いつつ帰る挙動を装ってまだ見ている。店内をくまなく、俺まで見られてるんだがほんと何なんだよ、監視されてるみたいで気が休まらん。

けど、やっている事といえば子供と一緒にパンを買っているだけ。正体を見抜かれる心配もないし、通報されることもしてない。サッと済ませてしまおう。

 

……っておい、なにしてんだ!

 

 

「"チュラ、4個も買って食べ切れるのか?"」

「"チュ~ラ、戦~姉(おね~ちゃん)、キ~ンジ、カ~ナ戦姉(おね~ちゃん)、みんなで4ぶんこ~♪"」

 

 

……不覚にも、こいつを可愛いと思ってしまった、子供としてだが。

歌は音程がオムレツの如くふわふわしていて、まさしく新作の未完成品ではあったが、俺もカウントしてくれるのは正直じーんと来た。

 

つまり、クロの分はチュラが買ってくれるらしい。いや、元々買う気は無かったけど。なぜか俺の分まで買ってくれるつもりらしいな。

じゃあ、俺は買わなくていいか?何かそれも釈然としないし、誰かに手土産として渡せれば……

 

 

「"ふわふわオムレツのタルト……。中には何が入ってんだ?"」

「"コンニチハ。Ah...ソレハ、Baconト、A few kind of...ヤサイ、ハイッテテマス"」

 

 

おっと、日本語で呟いていたら、男性店員がわざわざ説明に来てくれた。

親切な事に日本語と英語を交えて解説を試みてくれているが、やっぱりローマは観光客への対応力が高いな。

 

 

「ベーコンと野菜か、おいしそうだな」

「お客さん、イタリア語お上手ですね。ローマは初めてではないんですか?」

 

 

最近は日本語訛りが出ることも無くなってきたし、いよいよもってイタリア語は制覇できたと言えるのではなかろうか?

日本で、英語ですら碌に出来なかった俺が、先にイタリア語の方を覚えるとは、人生何があるか分からんもんだ。

 

 

「ローマは初めてだが、始めてから住み込みさ」

「なるほど、どうりで慣れていらっしゃる。商品についてはご理解いただけましたか?」

「ああ、伝わったよ。ありがとな」

「どういたしまして」

 

 

店員は軽く会釈をするとカウンターの向こうへと戻って行った。

まさか、その所作も日本人向けだったりするんだろうか。

 

 

「"オムレツ、タルト、ベーコン。完璧だな、あいつらへの土産にするには"」

 

 

チュラが4つも買った為にショーケースにはぽっかりと穴が空いている。

更に3つも買ったら、少ししか残らないな。お試しとなれば、たぶん大量には作らないだろうから、朝はここに並んでいる分で締めかもしれない。

 

……このパンって、結構子供も好きそうだよな。

楽しみに来る親子連れもいるか。

 

 

「ちょっといいか、このパンって在庫はまだあるか?」

「?違う、そこに並んでいるもので全て――」

「お客様!」

 

 

カウンターで焼き立てのパンを運んで来た女性店員に聞いてみたところ、カウンターで会計をしていた別の店員が割り込んだ。

ジェスチャーによって厨房に戻って行ったのは、あくまで作る専門の人間って事か。不愛想だったし。

 

 

「すぐに新しいものを焼き始めておりますので、気になさらずとも」

「そうか、なら3つくれ」

 

 

注文の品が用意され会計を済ませる間、店の奥が気になった。

正確にはそこで働く店員の事をだが。

 

(さっきの人間、大人には見えなかったが正社員か?まさか不法就労者じゃないだろうな?)

 

不法就労者はそこまで珍しく無いだろうが、この国では非正社員は働くことは出来ない。日本のような正社員ではないアルバイトなんて存在しないのだ。

武偵は任務次第で報酬を得られるし、装備科や調理科の生徒は成績によって更なるインセンティブを得られるとあって、そのお手伝いをする武偵も結構存在している。

同学年の風魔陽菜なんかは、それこそ毎日のように調理科の生徒に交ざって修行という名のバイトに勤しんでいるようだ。

実は多忙期には任務という名目でバイトをしている生徒もいるとかいないとか。うちもかなりグレーゾーンだな。

 

 

「"キーンジー!はーやーくー!"」

「"はいよ、今行くから先に店出てろ"」

 

 

もう1回奥を覗くが、あの店員の姿を見ることは出来なかった。

気にしすぎか。摘発する程のものでもないし、冷める前に届けたい。今日は引き上げるとしよう。

 

 

店の戸をくぐると、チュラとカナがパン屋の袋の中身を見ながらワイキャイ盛り上がっていた。

偶然通りかかったのだろう、カナの隣にはただ者では無い気配の武偵らしき女性が並び立って、盛り上がる二人を微笑ましそうに眺めている。

 

丁度いい、チュラの相手を押し付け……もとい、預かっていてもらおう。

 

 

「"カナ、俺これから――"」

 

 

あの3人組はお米屋に集まっているだろうか。

どんな顔をしてくれるか、ちょっとだけ楽しみだな。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

雨が止んだ。

身の危険を感じていたあまり、キュッと締め付けていた枕を解放する。

 

ホッとして、もぞもぞと布団を這い出る。

良かった、カーテンの隙間から朝日は差しておらず、まだ外は暗い。今からでも十分眠れそうだ。

 

 

音は、怖い。

 

音が溢れる世界は、もっと怖い。

 

音を発するありとあらゆるものは――

 

 

 

――混ざって混ざって、混沌として。

 

 

 

悍ましいモヤモヤとした感情と意思のわだかまりを作り出している。

 

 

敵対の意思や憎悪の感情は、激しくモヤモヤを周囲にまき散らす。

 

哀悼の意思や悲哀の感情は、漏れ出すように全身を、足元を汚していく。

 

 

 

 

今なら分かる。

 

この気持ち悪い力の使い道も。

 

武偵という立場は、実力さえあれば生きていける。

 

ヘッドホンを付けてても教室から追い出されないし、会話が成り立たなくても除け者にはしない。

 

 

 

 

でも、未だに分からない。

 

 

 

 

大切な幼馴染が、どうしていつも、このモヤモヤに飲み込まれているのかが。

 

 

 

 

分かりたいことは、いつまで経っても、分からない。

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました!


クラーラというキャラは3人組の中では一番最後に出来上がったキャラクターでした。
実は当初、メチャクチャアクティブな現場司令塔の設定だったんです。目が良く、聴覚に異常があるのは同じでしたが、引き籠りとは真逆だったんですね。

容姿は初期から変更なし、ただ、目はもうちょっとやる気があったような気がしなくもないですが、ヘッドホンは描くのが面倒臭いという理由から小型Bluetoothヘッドホンがモデルとなっております。マイクにモデルはありません、知識もないし付けただけ。


次回は本編いきます。
皆さんも、柿を食べながら鍋の時期をお待ちください!




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箱庭の宣戦(リトル・バンディーレ)(前半)




どうも!

パソコンを起動できない間、黒金の戦姉妹のキャラたちに会いたくて(文章を書きたくて)仕方なかった、活字中毒のかかぽまめです。

スマホは倍以上の時間が掛かるので使ってないんですよね。


本編は箱庭の宣戦に舞台を移します。
想像以上に長くて結局分割、セリフがやたら長い人がいるせいだと思いますが、それを書いているのは私です!

ではぁ、始まります。





 

 

 

また、夜ですよ。それも曇り空。

何かが起こるのはいつも夜だが、立場上こちらにとっても都合が良いので文句は言うまい。

暗くなればなるほどに、私の戦略は有利に働く……少なくとも吸血鬼に襲われるまではそう思っていた。

 

右も左も、前も後ろも神殿や遺跡に囲まれた道を歩いていると、ローマに来たばかりの頃に姉さんと観光した思い出のアルバムから、この場所を回った記憶だけが写真付きの切り抜き記事のように殺到する。

フォロ・ロマーノとか、観光名所の1つとして名前を聞いたことがあった程度。『本命はこの先のコロッセオでしょ!』なんて考えていた私は、長い歴史がこの場所に凝縮されているのではないかと感じて、クルクルと首を回して見回しながら、グルグルと目も一緒に回していた。

結局、神殿の違いはサッパリ、名前もバッチリ分からないままではありつつも、この地に息づいているローマの軌跡が垣間見えた様な気がしていたのだ。

 

続けてフォロ・ロマーノを抜けると、急斜面ではない坂がのぺーっと、丘の上まで続いている。

そこから一望する景色はさっきまで1つ1つの建物に感じていた迫力と違って、一時代の集積。全部乗せ丼みたいなお得感で写真映えが凄い。

この丘はパラティーノの丘。聞く所によるとどうやら富裕層の宮殿跡地的な観光場所との話だったが、とにかく広い。暑い時期であったことも相まって、標識の少なく脇道の多い進路を巡り終わる頃にはへとへと、コロッセオに出来た長蛇の列にげんなりした。

姉さんに休憩を申し出たら、『昼食にしよっか、明日までもう1回だけならチケットが有効だから』との流れになり、アイスを買って帰ったっけ。

 

ローマの歴史に比べれば私の人生の歴史などほんの一瞬だが、私はその一瞬の歴史の中の一瞬の間に、ローマの永い歴史の一端を知ることが出来た。

よくよく考えれば不思議な話だ。実際に流れる時間と認識する時間の差異は、状況によって容易に変わるものだということか。まるで私達の能力みたいだね。

金一兄さんのカナモードは睡眠でバランスを取っているが、スイッチによって得た加速は……一体そのバランスはどこで取られているんだろう?

 

 

……そんなこと、今は置いておこう。

私は文句を言いたい。言わせてください。ありがとうございます。

 

 

「この招待状は不備があると思います……」

 

 

集合場所が漠然としすぎてて困るのだ、迷子になってしまったのは私に責はないと強く断言させて頂く。広いんだよ、目印の旗でも煌かせてくれればいいのにさ。

文句を言っても詮無いこと。愚痴をこぼしながら、ただひたすらに坂を登り、だだっ広い丘を夜散歩。

 

宮殿への道は整備中だった事もあり、正直な感想を話すと、丘の上は散歩中にウミネコ爆弾(フン)を華麗に回避した記憶が強いだけで、地形はうっすらとしか覚えていなかった。

どっかに会議場みたいな場所があったっけか?とキョロキョロしても、薄暗い散歩道にはウミネコ(爆撃機)の一羽も飛んでやしない、夜だし。……あ、カラス。夜烏とは縁起が悪い。

 

 

「姉さんには電話がつながらないし、一菜さんとチュラさんは電源を切っているみたいだし、フラヴィアの電話番号は分からないし、ヒルダ一派に至っては持ってるのかどうかも怪しいし」

 

 

この招待状を読んで迷子になっているのは私だけなのだろうか。もしそうだとしたら、慣例として集合場所は決められているものだと思う。

だって分かんないじゃんか。集合場所を満員の東京ドームですって言われてるようなもんだし、しかもその集合地点が2階席の真ん中辺りのようなもの。総当たりの合流にどれだけ掛かると思っているんだ!

 

迷い始めに芽生えていた心細さは、感情が荒れる事で薄れて残っていない、そこは助かった。

でも、辿り着かないと私は不参加になってしまうのだろうか。

 

困った困ったと頭を悩ませつつ、尚も夜散歩。

コロッセオが見えて来たじゃないか。抜けちゃうよ、この丘。

 

 

Ummm...(あのー……) Excuse me(すみません)

「――ッ!」

 

 

油断はしていたが、少女が声を掛ける直前まで気付かなかった。

つけられていたのは知っていたが、こんな近くに居なかったはずだ。

 

 

「わた……私に何か御用ですか?」

 

 

振り返るとあからさまに怪しい人物がいた。だって低い身長に不釣り合いなつばの大きい中折れ帽を被って顔を隠していて挙動不審なんだもの。思わず私もキョドってしまった。

自信無さげに押し殺しているのに子猫の鳴き声のような高い声は、会話したくないんだという本心が重みを持ち、声を引きずり落として行くものだから、あんたは地面に話し掛けてんのかと聞きたくなる。

 

(英語で良かった。ドイツ語とかブルガリア語だったら無理だもん)

 

日本人だから英語で話しかけてきたのかも。

怪しい勧誘かもしれないし、一旦イタリア語でお茶を濁そう。

 

 

「S,Sorry. Japanese?」

「Sì, non sono cinese(私は中国人ではありません)

「Um, Umm...?」

 

 

……すごく困っているみたい。

イタリア語の挨拶すら出来ないんだもんな、ちょっとひねった回答をしただけで降参らしいよ。

 

少女はうまく切り返す方法が見つからず、その場で考え込んでしまった。

当初の目的なら放置すれば良いのだが、もしかしてこの子、こんな時間にこんな場所(夜間立ち入り禁止)にいるって事は箱庭関係者?集合場所を知っている?

 

それなら話を聞くべきだ。

しかし向こうから尋ねて来たのにこっちが先に質問しては申し訳ないので待ってみる。

 

 

「"あむむ、日本語(ジャパニーズ)を……話せませか?"」

 

 

(日本語か……)

 

またしてもだ。ヨーロッパでの日本語の使用率高くないかな?しかも厄介な奴に限って。

フラヴィア然り、ヒルダ然り。

 

言わずもがなスイッチをONへと変え、相手の観察も同時に開始する。

一手目で何もしてこなかったのだ、不意打ちの心配はないと思うが念には念を込めておく。

 

 

「"……話せますが、日本語での会話をご所望でしょうか?"」

「"イエス。英語(イングリッシュ)か日本語が欲しいす"」

「"ほしいす……"」

 

 

日本語はカタコトで会話は可能。対話が出来た事に胸をなでおろしていて、その影響か落下せずに私の耳へと辿り着く単語がちょっと増えた。

黒い帽子には缶バッチのようなものが飾られているが、暗いために表面に掘られた文字や記号は識別不可。

気になるからちょっと貸して欲しいす。

 

それと、英会話はカンペキではないので日本語でお願いしますね。

 

 

「"私に何か御用ですか?"」

「"お願いしす、地理が分からなくて迷子なんす"」

 

 

ほほう、あなたも迷子でしたか。これは奇遇ですね――

 

 

――って、そんなわけあるかいっ!

つまりこの少女も箱庭の参加者確定だ。

 

うんうん、言われてみれば強そうに……は、見えないけど、服も……まんま一般人だな。

そう、帽子!帽子がヘン!靴も変な形だし、何と言ってもマント!これは裏の人間ですね、間違いない。

 

 

「"どこに行くつもりだったらこんな場所に来てしまうんでしょうね?"」

 

 

皮肉を込めて、お前の正体には気付いているぞアピール。

え?気付かない奴はいないって?

 

……さあ答えろ、悪いが私も迷子だ。今だけは仲間になってやろう!迷子仲間だ。

 

 

「"ホテルに帰ろうとしてたす。今日1日泊まって明日みんなで帰る予定す"」

「"あれ?あれれ?帰る途中ですか?"」

 

 

(どゆこと?箱庭、終わっちゃった?それともこの子は冗談抜きで道を見失ったがためにここへとたどり着いたのかい?)

 

とうとう交わされた黒とフューシャピンクの視線は僅かな幕間で逸らされて、再び真っ黒なつばに遮られた。

風に揺られた赤いひなげし色の帯が2本はためき、ほんのりと光を発するように宙をたゆたっている。

 

 

「"ホテルはどっちす?"」

「"ホテルなら至る方向にありますよ。建物の名前を教えて下さい"」

 

 

Witch's hermitage(魔女達の隠れ家)』――?

 

名前も聞いた事の無い建物だったが、意外と近くにあるらしい。

というのも、迷子になっておきながら地図を持っていたのだ、目印付きの。しかもホテルじゃなくて民宿だし、道理で聞いた事が無いと思ったよ。

 

必要なのか微妙だが、一応道順を教えている間、つばが体にまあ刺さる事刺さる事。

直接的に『邪魔』とも言えずそのまま説明を終えると、一礼をして最後の一発。わざとじゃないよね、帽子(それ)邪魔。

 

 

「"ありがとうございす"」

「"最悪はコロッセオ前でお友達に電話した方が良いですよ。ヘタに動き回ると場所も伝えられないでしょうから"」

「"あむ、そうしす。また会えたらお礼がしたいす"」

 

 

え~……あまり会いたくないな。

その時は普通の服装で来てね?昼間にその出で立ちはアウトだと思うんだ。

 

歩き去っていく後ろ姿をずっと眺めている訳にもいかない。私も行かなければならない場所が近くにある……はず。

 

 

「"はぁ……目印の付いた地図が欲しいす……"」

 

 

その呟きは地面ではなく、空に向かって投げ放たれた。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

シャンデリアに照らされた広大な室内に、複数の人影が存在する。

その姿形は様々で、ある者は長身で古めかしいスーツに身を包み、ある者は極端に少ない布地に権威を見せ付けるような豪華な装飾品で飾り立て、ある者はどこから見ても確認できるほどにイメージ通りな魔女の格好に眼帯をして、軍服を着込んだ女性の傍らで控えている。他にも数名の存在が()()()()()()()、未来の強者達となるべくこの場に集っていた。

 

 

「――そう言えなくもない、でもそう断言するには短慮というものだ。君の言い分も間違ってはいないだろうし、核心をついているとも言える。でも、それはある一点についての狭い視野で成りつもの、鬼の目にも見残しだよ。完璧ではない推理は本人のみならず、多くの眼を曇らせてしまうものだからね」

「……むぅ」

 

男性の諭すような言葉に反論は出来ずとも納得も出来ず、黄金をジャラジャラと鳴らした少女は口を思いっきりへの字に曲げながら不機嫌を隠すことなく唸る。

『教授』と呼ばれ、この異様な集団のリーダーを務めている男性に表立っては反抗の意思を向けることはない。しかし、内心ではその地位を我が物にせんと謀っていることは、男性を含めた全ての者が知っていた。

 

「ケケケッ、お前も諦めがわりーなァ、パトラ」

「だからかねてから話しているでしょう?箱庭の主が活発な行動を見せている限りヨーロッパ内で戦争なんて起こせないのよ。世界征服を果たしたいのなら、世界中に争いの種を蒔いて紛争を起こしておけば勝手に疲弊してくれるわ」

「それではつまらんのぢゃ!贄がのうては真に世を得ることは敵わんであろう!」

 

茶々を入れる黒ローブの少女とこれまたガイダンスのように初歩的な教え方をする女性に駄々っ子のように当たり付けるが、この流れも常習化したもののようで特に角が立つこともなく『あら、そう』と打ち切られる。

続けて声を上げたのは金髪白人の美少女なのだが……

 

「あの、パトラ様、紛争で得た生贄ではいけないのでしょうか……?」

「チマチマとやっていては時間が掛かる。妾は待つのは好きではない!」

「ご、ごめんなさい……」

 

世界征服を電撃戦で終わらせたいなどという無茶ぶり、その不条理な八つ当たりに晒されてシュンとしているあたり、場にそぐわない気弱な性格だと言えるだろう。

 

「パトラ君、君には力があるけれどそれは主には及ぶべくもない。僕に指一本触れられないようでは、砂粒の一粒ですら触れられないよ。リンマ君の話では竜落児である彼女のお母様も勝てなかったそうだからね」

「そのくらい分かっておる。故にあの催しに参加しておるのぢゃ、思金を得る為にの」

 

箱庭の主が開催する宣戦、議題はそこだ。

思金同士の性能試験から始まったこの小さな戦争は、箱庭の主によって乗っ取られた。

 

主の絶対的な力を恐れて世界規模の戦争は抑制された。彼女の存在は『核兵器』そのものなのだ。

今では思金を求めて争う他国も登場し、戦争の代わりとして覇権を奪い合っている。それこそ、主が望む宣戦。

 

「おいパトラ、お前はもう1つ持ってるだろ、こっちに寄越せよ。イタリアの思い主は自分からここに来たけど、おかげであたし達はよりによって気味の悪いフランス人形共を相手取ることになるんだぞ!」

「こら、カツェ。彼女は同盟者よ?粗暴な態度を取るものではないわ。それに、狙うならスペインかバチカンの方が遥かに楽、失敗作の思い主なんて簡単に見捨ててしまうでしょうから」

 

部下の口の悪さを諫めている様子は母親か姉かといった風だが、カツェと呼ばれた少女は崩れた姿勢を慌てて修正しながら深く詫びる。

既に戦利品の取り合いをする事に異議はないようで、目的としては後ほどフランスの思金も手にするのは変わらない。しかし、目下の狙いは以前に見つけたはぐれ者の思金なのである。

 

「うまく手に入ればオメーは連隊長かぃ?」

 

しょんぼりしたカツェにそんな話題を振ったのは腰の両端に槌、背中に大型の筒を背負った女性。汚い言葉遣いは似通っているが、偉そうな態度はこちらに軍配が上がるだろう。

 

「あー……そのことには触れんな、まだ分かんねーんだよ。アイツもアイツで頑張ってるみたいだしな」

「しばらく音沙汰ねーだろ?」

 

2人の会話はここにはいない級友についてだ。

潜入任務に入って以来、もう数年戻っていない。

 

「ポウルが中継して、色んな情報が入って来てる。特にバチカンの動きは事細かにな」

「そりゃ、大活躍なこって。つうかよ、ポウルって呼んだら怒んじゃねーかぃ?」

「ケッ!慣れねェーもんだぜ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

遣り取りを終えると、横から口を挟むようにみたび男の声が集団の中に響く。今までで一番良く通る声で、全員に注意喚起をするかのように……

 

「おや?イヴィリタ君、君にしては少し情報が古いのではないかね」

「……シャーロック卿よ、発言の意図を測りかねますが?」

「スペインの思い主に手を出すのは止めておいた方が良い、と言えば後は分かるかな?」

 

女性は渋面を浮かべて数秒間、考え至るたびに目を開き、そんなはずないと首を振って目を閉じるを繰り返した。

最後には悔し気な表情のまま、唯一導き出された苦し紛れの答えを口に出す。

 

「……まさか、2人の人間を恐れろなどと言われているのでしょうか」

「ご明察、そのまさかだよ。恐れるべきは組織の大きさや歴史の古さだけではない、僕達の存在がそれを証明しているだろう?同時に数は力であると共に絶対的な個には敵わない事も証明されている」

 

そこまで言って話を切った。

すると、一言も話さずに話を聞いていた少年が会議の内容に初めて興味を示して立ち上がり、連動するように背中合わせで座っていた少女もむっくと起立する。

 

黄金の残滓(レジデュオ・ドロ)にカナ武偵か……」

「カナ武偵ってのはひと月前にジャンが話してたヤツ?」

「ああ」

 

イヴィリタとシャーロックの話を肯定するように2人の人間の名前を挙げた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

同じ服を着て同じ声のトーンで話す少年少女を見て、カツェが問い掛ける。途端に少女の方は黙りこくってしまい、少年だけが顔を向けて返答を返した。

 

「会ったことあんのか?」

「オレの仕事を邪魔された。直接会ったことはない」

「そりゃぁ災難だったな、ご愁傷さまだぜ」

 

いくらやられた?という質問の答えを聞いてゲラゲラと笑う魔女に少年は恨み言をぶつけない。

ひとしきり笑い終わり、腹を抱えた手を退かしたのを見計らってもう1度口を開いた。

 

「同じ目に遭わないように忠告しておく。夜間に黄金の残滓とタッグを組んでいる時は手を出さない事だな」

「あ?何言ってんだか分かんねーぞ。その黄金の残滓ってのはなんだよ、使い魔か?」

「カナ武偵は超能力者ではない。黄金の残滓とはその妹のクロ武偵を指すイタリア、フランス間の裏業界で使われている渾名だ」

「姉妹揃ってつえーなら、遺伝性の能力者かもな」

 

あーヤダヤダと竦めた肩に1羽の烏が飛んできて止まり、耳打ちをしているように見える。

知性を持つその生き物は魔女と契約を結んだ使い魔と呼称され、ただのマスコットに留まらず情報収集や戦闘の補助に奔走する。とりわけ烏や梟、蝶やトンボなどの翼を持って飛翔できる使い魔は様々な役目を果たすことが出来、狼や蛇、山羊や猫といった鋭利なツノ・ツメ・キバを持つ使い魔は戦闘で大いに役立つ。

 

「おっ!エドガー、箱庭の様子はどうだった?」

「ホホ、英雄のご帰還ね」

 

エドガーの名を与えられた烏は主人となった魔女へと忠実に仕え、自身が見た情報を伝えるべくテーブルの上に用意されたボロボロの布の上に降り立った。

布には多様な記号がずらりと並べられその1つ1つに複数の意味があるのだが、これは契約した者同士でしか伝わらないように使う記号と使わない記号を取り決めている。結果、記号の持つ意味が変わり、世界でエドガーの言葉が分かるのはカツェだけとなるわけだ。

 

黒い羽を砂埃で汚した烏はテーブルの中央に置かれ逆卍徽章(ハーケンクロイツ)が描かれたコインを1枚咥えて、ひょこひょこと布を爪で傷付けないよう一層の注意を払いながら記号を嘴でタッチしていく。

当人たちは慣れていないのだろうか、その一挙手一投足に緊張の色が見られるが、前に横にぴょんぴょん跳ねる烏もそれを一心に眺める少女もどこか微笑ましい光景に感じられる。

 

「変わらないな。伝統は大事だが、カメラを付けてやった方が早いんじゃないのか?」

「主は記録に残ることを激しく嫌うわ。特に写真やカメラなんかの類には過敏に反応するの」

「だから今夜は衛星軌道もあの場所を通過しない、撃ち落されでもすれば大きな損害になるから誰もそうしようとしないんだ。僕には使い魔の使役は真似できないからね、彼女達が来てくれて助かったよ。いや、正式には出来ない訳じゃない、ただその方法を実行するには確実性が不十分だし時間が掛かり過ぎる、やはり餅は餅屋だという事だ」

 

裏でそんな雑談が続けられている間も、コインの叩き付けられる音がコツコツと広い室内の一角に響き、すぐに消えて行く。

ついにはコツコツ、コンコンとリズミカルに奏でられた音が途切れ、逆十字徽章は再びテーブルの上に添えられた。

 

足取りはフラフラと安定しない。それも当然だ。

この場所から箱庭の宣戦が開催されるパラティーノの丘は近くはない、さらにローマ市内とあってはいつ教会の手の者に襲われるとも限らないのだ。

 

「シャーロック卿、そこの籠をお借りしても?」

「構わないよ。元々こうなることは分かっていた事だからね」

 

疲弊した体で主人の元に舞い戻った黒烏は、不安そうな表情の少女にカァーと一鳴きして心配ないと言い残すと、籠の中で休み始めた。それでもカツェは籠から離れようとせず、イヴィリタも微笑んでそのままで良いと話を促した。

 

「どう?箱庭の様子は。あの子の状態から、慣例通りに事が進んだように思えたのだけど」

「ご報告申し上げます。私の使い魔――エドガーから伝達された内容は3つ」

 

辺りはシンと静まり返り、その報告が如何に注目され重要視されているのかが窺える。

たった1羽の使い魔がもたらした情報に、世界の強者が目を、耳を、心を奪われているのだ。

 

そして似たような報告が、様々な手段で別の場所に集った世界中の超人たちに伝わっている事だろう。

 

「1つ。箱庭の宣戦は無事に開催されました。今回は日本というイレギュラーな存在の参加も加味され、参加国はおおむね予想通り12ヶ国の参戦となっています」

「あら?13ヶ国になると予想していたのだけど」

 

カツェはそのことについては後ほど、と付け加えると水晶を片手にもったパトラの方に向きながら続ける。

 

「2つ。同盟は最大数の3つ出来上がりました。まずは私達、ドイツを含むオーストリア、エジプト、ルーマニア、ブルガリア、そして……」

「……増えたのか。ビビって結んできた腰抜けって事はないのか」

「イタリアが2つに分かれました。以下、ローマとバチカンの呼称にて区別します。ローマは同盟を申し出て、それを5ヶ国が承認する形です」

「なんぢゃと!?パトリツィアには内側から崩すように伝えろと言っておったではないか!ハトホルの奴はなにしておるのぢゃ!」

 

議題が変わってもギャンギャン騒ぐ少女は無視し、さらに報告は次項へとめくられた。

同盟が3つ出来たという事は後2つ、彼女達にとって敵対する同盟があるという事。残された国々の内、一体どことどこが手を結ぶのかはスタートラインに立つ第ゼロ歩なのだ。

 

「分裂したバチカンはフランスと手を組み、フランスはロシアを引き入れました。イレギュラーな日本はイギリスと同盟を締結。スペインはフランスと日本の同盟を拒否し、無所属となった模様です」

「……ハンガリーとトルコはどうしたのかしら?」

「トルコは元より不参加、ハンガリーは参加資格を失い代表者は最初の犠牲者となりました」

 

犠牲者という単語に、誰も感慨を抱いていないのは明白、参加資格を失ったのであれば当然の事だと認知されているのだろう。1人だけ白い顔を真っ青にして俯いた少女がいて、悲愴な結末を想像して瞼を閉じた。

そんな中、少年が笑いもせず同情なんて感情も無く、その不幸な代表者の安否を興味本位で尋ねる。

 

「死んだか?」

「意識不明だけど、あの場には医師免許を持つ奴が数名いたらしーぞ」

「運がいい。大抵は捨てっぱなしだからな、墓守の仕事が減る」

 

さも適当な会話に、顔をキラキラと輝かせたのもまた1人だけ。

どうでもいい報告はすぐさま過去の話と割り切られた。

 

「さて、ここまでは僕の()()()()だ、問題はここからだよ。彼女達は本当に参加しないのかい?そして、あの姉妹はどう動いたのかな?」

「シャーロック卿、その言い方だとあなたの条理予知(コグニス)が不完全であるように聞こえるんですが?」

 

普段は敬語を用いることなど無いが、上司の手前、その男性には敬称まで付け加えて丁寧に接している。

しかし、攻撃的な性格までは隠し通せず挑発的に、最後の方は少し乱暴な話し方に戻ってしまった。

 

「なぜだろうね、恐ろしい事に彼女達の行動は読めないんだよ。オリヴァ君が初めて僕の下に訪れた時もそうだったけど、枝分かれした未来予想の全てが元の道に繋がってしまうんだ。まるで未来が僕を押し返すみたいに、答えが導き出せそうになるとそこまで進んだ推理ごと身包みを剥がされて、スタート地点に立たされてしまう。だから敢えてハズレの未来予想を延々と続けていったんだけど、ある程度のアタリの輪郭が見えてきた。それこそが()()の存在と過去に飛来した()()、そして日本に生きる()()()()()()が深く関わっている所までは分かったんだよ。この情報を得る為だけに莫大な時間を必要としたけど、恐らくは僕の研究にも大きな影響を与えるだろうからね。可能な限りその答えに近付きたい思っているよ」

「なげぇよ……」

「貴重な情報ですわね」

「ジャン、何言ってるか分かった?」

「長いな、分かっても利益がないなら無用だ」

 

シャーロックの一際長い発言は9割方不評ではあるものの、彼は確かに言ったのだ。

 

――『条理予知』。すなわち未来予知の領域まで踏み込んだ推理が完結しない、と。

 

しかし、恐ろしいとの話とは裏腹に彼の瞳は夢を追いかける少年のように、より一層世界の彩を取り入れるかのように開かれた。

この煌く瞳が盲目だと、一体誰が信じるものか。

 

「だからワクワクするんだよ。彼女達の行動は僕を驚かせ、不安にさせ、楽しませてくれる。そして未来の脅威に対抗するための一石となるんだ。僕とは違う視点から、思金は人類を守ろうとしている」

「答えて差し上げなさい、私も彼女の行動はずっと気になっていたの」

「はい、それでは――」

 

カツェは促されるまま、最後に残された1つの報告に手を掛けた。

 

「オレもソコには興味がある。事と次第によっては……」

「ジャン、荒れるのか?」

「だろうな、損失は免れない。だが、同時にビジネスチャンスでもある」

「あやつは認めた者以外とは話すら出来んからのぅ……十の災いの如く面倒な奴ぢゃ」

 

ざわざわと止まない声を咎める者はいなかった。

自分に聞こえるのは真実のみ、その他大勢の声など元より耳に入っていないのだ。

 

「うぅ……参加しないのにドキドキします。胸が張り裂けそうです」

「はっ!フランス出身の私は肩身が狭いってもんじゃねーの、そんくらい我慢しとけや!」

 

当然、同盟者だけがここに集っている訳ではなく、宣戦に直接関係のない者がいるのも仕方がない。

それでもこの会議には参加する意味がある。

 

3つ目のカウントが刻まれて、誰からともなく静寂が支配した。

音さえも、光さえも、時間さえも、その言葉を静止したまま待っている。

 

 

「3つ。『瑠槍の竜人』アグニ・ズメイツァ及びその配下は、娘のリンマ・ズメイツァスカヤの表明により不参加が確定の運びとなっています」

 

 

安堵の声、緊張を解かれた者たちは各々に忘れていた瞬きを再開し、止まった血流を動かした。立っていた者は座り込み、座っていた者は更に体勢を崩して、精神を蝕む溜まり込んだ深憂を吐き出している。

 

「ふむ、それは残念だ」

 

気丈に振る舞ってはいるが、彼の声には失意が表れていた。

しかし同時にもう1つの可能性が動いている事に対する喜色も少なからず含まれているのだ。

 

「して、カツェよ、無所属の者はスペインの思い主だけではあるまい?」

「どういう意味だ、パトラ」

「箱庭にはクロがおったはずぢゃ。同盟の件は終始渋い反応をしてばかりでの……よもや、どこぞの国とも結んでおらんぢゃろうな?」

「……あー、そうだったな、言い忘れてた」

 

 

その後に続けられた魔女の軽はずみな一報に、全員が肝を冷やすことになる……

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

文句を言ってすみませんでした。

でも、やっぱり不親切ですよね、この招待状。

 

"スタディオン"って書いとけばいいじゃん。

観光ルートで来た私が馬鹿みたいじゃないか!

 

 

眼下に広がる縦長の土地……いや、横長?どっちでもいっか。

そんな広大な面積を持つ壁に囲まれた競技場には、現代のトラックのような楕円型の岩に囲まれたスペースがあり、その中心には以前には存在しなかった大木が植えらえていた。

 

子供のいたずらにしては大規模すぎるし、あまりにも悪質。

目印のつもりだろうし、犯人は多分現場にいるのだ。

 

 

「イヤな予感が止まらない……」

 

 

本能があの場所に行く事を全力で否定してくるが、ここまで来て帰れない。

大切な仲間があそこにいるのだ、怖がることなんて何もないじゃないか。

 

そもそも行きたくないで行かなくて済むのなら、私は日本のカブチューになんて通ってなかった。

この学校生活を守る為なら、多少の無茶でもなんでもやってやるよ。

 

覚悟を決めて歩を進め……られないね。

 

悲しい事に覚悟の第一歩は、ワイヤーを伝って降りた先の着地。

なんか締まらない。すごく進んだ一歩に見えるけど、なんか締まらないよ!

 

 

 

 

近付けば近付く程、この場所の異常性に苛まれる。

10人前後の人型の者たちが互いを牽制し合うために、殺気やら覇気やら威圧やらを思う存分撒き散らすもんだから、身が縮こまって勝手に背中が曲がってしまう。

 

あんな奴らの視線を一斉に浴びたら体がバラバラにされそうだ。

そんな恐怖の感覚が私に1つの妙案を授けてくれた。

 

(そうだ!こっそりと近付こう!)

 

 

戦姉(おねーちゃん)だー!』

 

 

(はい、終わりーっ!)

 

ちょっと待ってください、チュラ。ここは端から端まで約150mあるんです。

確かにワイヤーで降りましたが、この夜闇の中で私と識別できた方法とは何なんですか?

 

実際に100m先にいるチュラの声が聞こえたわけではないが、なんでだろう分かってしまう。

あの子は叫んだぞ、あの恐ろしい場所で、私の存在を高々と。

 

(ゔっ……気持ち悪くなってきた)

 

今度は気がしたのではなく本当に気分が悪くなった。

原因は他でもない、あの化け物共の意識が私に向けられたからだ。

 

視線で人を殺せるか?という問いに私は迷うことなくYESと答えるだろう。

感情が暴れて、内側から体を壊されるんじゃないかと真剣に考えてしまった。

 

(チュラ……私はここから先、この視線に串刺されながら歩いていくんですよ?勘弁してください)

 

それでも歩いて行けるのは、トロヤとの戦いを経験したからか。

遊びといえども彼女の殺気は今感じている恐怖と同等か、それ以上だったのだから。

 

 

もうちょっと、その少しの距離が思っていたよりも遠いのだ。

楕円状に並べられた岩を越えた瞬間から、薄い膜を越えたように中の様子がハッキリと見えるようになった。

どうやら箱庭の参加者の内、数名はあの大木の上に登っているらしい。

 

その証拠に、憎らしいほど無邪気な笑顔でこちらを見降ろしている可愛い我が戦妹(チュラ)は、木の枝に寝そべってごゆるりとお過ごしのようだ。

更にちょうど反対側にはいつぞやの狙撃手が体育座りで空を見上げていて、少し離れた場所には気位の高さを表す黄褐色の金髪(ゴールデンオーカー)の帯を2本、風に揺られるままに流した少女が両手を脚の間に挟んで睨みを利かせている。

 

(小柄な子が多いな……どの子も油断大敵なんだろうけど)

 

不安に塗れた感情を表に出さないように、前を見て歩く。

大木の大きさは遠くで見ていたよりもはるかに大きいようだった。

 

その陰に立っている人物たちも段々とその姿を見せ始めるが……

 

「カナ」

「こんばんは、クロちゃん。あなたが来ることは何となく予想は付いていたけど……」

 

(格が……違うな)

 

どいつもこいつも出来る奴らばかりいるが、やはりカナの超人的なオーラはその中でさえ頭一つ飛び抜けている。

次の瞬間にバトルロワイヤルが始まってしまったとしたら、私がまずカナから距離を取ることは確実だ。

 

でもって……

 

「クロちゃん、ヤッホー!」

 

いたか、裏切者。なぜ置いて行ったし。

おかげさまで2度と行かないと決めていた丘で2度目の観光をしてしまった。

 

寂しかったんだよ!?

独りで夜のお散歩は悪くないなんて思ったのは最初だけだったんだから!

 

「何で一緒に行こうって誘ってくれなかったんですか?」

「だって時間ギリだったしー。ワンチャン、辿り着けなくならないかなーって」

 

確信犯か。となると私の立場は予想済みなのね。

最近陽菜が周りをウロチョロしてると思ってたし、理子に会いに行ってたところを見られたかも。

 

「酷い相棒もいたものです」

「それー、クロちゃんが言うかぁ~?」

 

責めるようにも聞こえるが、ただの軽口である。

同盟の件は数日前に正式にお断りしたのだ、参加の有無はぼかしたまま。そしてその日から毎日会う度に、確かに一菜の気配はまた一段と別の存在へと変化を重ねている。

今日の宝導師演習の彼女は、フィオナも言っていた通り前衛により特化し、デコイ的な動きを意識していた。

日本代表の戦法は一菜前衛、ちーちゃん後衛、他二人も恐らく中衛・後衛なのだろう。

 

「1人ですか?」

「ここには代表者1人しか入っちゃいけないんだよ。一応兎狗狸ちゃんが外で控えてくれてるけどね」

 

そういう事か。

だったらこの場で即戦闘!って事態にはならなさそうだね。よかったよかった。

 

安心したところで周囲の観察を再開する。

ヒルダやリンマの所も来てるだろうし、挨拶くらいしておかないと焦げ臭くされたりしちゃうかも。

 

 

(――?……ッ!?)

 

 

見間違いじゃないよね?何でここにいるのさ。

 

 

ヒルダがいた。いや、彼女は別にいても不思議じゃない。

相変わらず全身真っ黒のドレスに身を包んで黒い傘を差している。

真っ白な肌と鮮やかな金髪が、闇の中でさらに美しさを増していた。

 

しかし、いつも優雅な姿勢を崩さない彼女は、くすんだ黄赤色(テラコッタ)の髪をその服と同じ純白のヴェールで包んだシスター様と睨み合い、青筋立てて少々ケンカ腰の様子。

おーい、本性出ちゃってますよー?

 

 

「ヒルダー、お腹すいたー」

 

隣はリンマ。ここも予想通り。

服装は武偵中の制服ではないが、オシャレな儀礼装束風のスカートで戦闘用の衣装ってわけではなさそう。

 

気にかかるのはその腕に抱いた槍。

過去に牢屋内で襲われた時に放っていた謎の液体の色と同じ、つまりアレも彼女の能力で作り出した物なのだと思う。

 

「あぐあぐ……味がしなーい」

 

(槍食うな、キャンディーじゃないんだから)

 

 

そう、この並びなら次は占い師のパトラだよね?

……あなたはだぁれ?

 

「"さむい……んじゃぁ"」

 

目を引くのは黄金の扇子だが、それを取り除いても十分目立つその人物は日本の巫女服のような格好で地面に倒れるように座り込んでいた。

頭の右側から黄髪が弾けているって言っても通じないだろうがホントそれ。強いて例えるとするなら髪自体がミルククラウンみたいに跳ねて、その中心から一筋のサイドテールが飛び出してる感じ。

 

「"くらい……んじゃぁ"」

 

ガチガチと歯を鳴らし、白い肌を青白く変色させて泣き言を言い続けている。

あの人を代表者に選んだ人はしっかりと謝った方が良いと思う。気の毒に……

 

 

スルー推奨の表示が脳内に浮かび上がったので更に隣、ここが問題だ。

あれは……

 

「やあ、クロさん。こうなることは予想出来ていたかい?」

「ええ、まあ。ありえなくはないと思っていましたよ。パトリツィア」

 

デンテ・ディ・レオーネの髪にブルーの瞳、良く仕上がったスタイルに自信に満ちた表情。

紛れもない私の天敵と相成ったフォンターナ家の長女だ。

ここのメンツとつるんでいる事は知っていても、箱庭とも繋がっていたとはね。

 

 

――あれ?じゃあ、イタリアってどっちが代表?

 

 

もう一度シスターの方を向いてみるが、あの服はバチカンのものだろう。

どうしてだ?考え付くのは私闘争と内部分裂の単語。まあ、どちらにせよ、その2者間に仲間意識はないからこそそうなった訳で、対立する理由も明らかか。

 

「私の言葉を覚えているかな」

「黙秘させて頂きます」

 

(『末永く仲良くしたいものだと思ってね』か……)

 

パトリツィアは私の返事に満足とも不満とも取れない態度で笑顔のままそっぽを向いた。

 

「ふん、知らないよ。あなたが何を考えてその立場を選ぶのかは分からないしね。ただ、アリーシャがとても心配していたんだ、少し妬いてしまうな」

「相変わらず仲良しそうで私は安心しましたよ。仕事以外であなた達姉妹が話しているのをここ数週間見掛けませんでしたからね」

「お互い余計な詮索は無用か……うん、嫌な記憶を思い出したよ」

「その割には嬉しそうにも見えますが」

「ああ、その通り。祝福すべき記憶でもあるからね」

 

出た出た、パトリツィア節。

読解難易度は不思議ちゃん代表のチュラよりも下。(専門の研究者が必要なレベル)

 

←ここらへん

 

理解している常識を彼方に投げ飛ばした一菜よりも上だ。(翻訳機が必要なレベル)

 

そんなもんに付き合ってらんないよ、まだ観察が終わってないんだから。

 

「はいはい、妹さんには宜しく伝えておいてくださいね」

 

 

適当な締め括りで更に隣、ここも知らない人物が実に整った物腰で、強者の風格を漂わせている。

あちこちから肌を露出させており、足元も踵のあるサンダル、ハナから戦う気が無い私と同じタイプかな?

動きやすい服装と金属製の手甲をはめている点から、接近戦の使い手である可能性が高い。

 

「……」

 

いや、物足りないとか思ってない。

寧ろ今まで誰もが何かしらのアクションを起こしていたのがおかしいのだ。

黙って待っている彼女こそ、真に正し……

 

「……くかーzz」

 

(…………)

 

 

……さて次で地上にいる人はラストかな?

ってか、これは人かな?

 

「フガー……」

 

頭に避雷針みたいなのが立ってるんですけど?

ずっと白目なんですけど?

 

「ウガー……」

 

身長が2m50cm位ありそうだよね?

肌の色が限りなく緑に近いよね?

 

「プシューッ!ガオンガオン……」

 

人体って背中から排ガスが排出されるものなの?

体から駆動音ってするものなの?

 

 

(せめて人を代表者に選ばんかい!)

 

 

地上=ヒルダとの同盟者だとすれば、突っ込み待ちの芸人集団でしかなかった気がする。

大丈夫かな、この集団。

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

観察して後悔した。

忘れよう、顔以外。

 

パトリツィアに視線を戻して目配せした後、カナの隣に並び立つ。

この中で確実な仲間であるのは彼女しかいない。チュラでさえ、国の代表として立場を変えるのかもしれないのだから。

 

「クロちゃん、今夜は大人しくしていなさい。スイッチを切って私の隣から離れないように」

「?それってどういう――――」

 

 

 

 

 

 

 

――突如、全員の首に鎌が掛けられた――

 

 

 

 

 

 

脂汗が吹き出して止まらない。

辺りを見回す為に首を動かそうとすると、後頭部に銃口が、心臓の位置に包丁が突き合わされている。

 

(動けば……殺される!)

 

いつの間にか両脚は有刺鉄線でグルグル巻きにされ、その上を小さな蟲が這い回って太腿に無数の切り傷を貼り付けて行く光景に吐き気を催した。

目を閉じても景色が変わらない。左肩に違和感を感じて意識を集中させると……

 

 

 

 

(――これは、違う。濃密な殺気が自分の死をリアルに錯覚させるほどに強烈なんだ!)

 

 

 

 

だが、分かっていてもこの殺気から逃れる術を見つけ出せない。

こうしている内にも私の左肩は……!

 

体が切り離されていく感覚。

これはどこかで……?

 

 

(この能力は、トロヤと同じ。なら――)

 

 

左肩の感覚が消えたそのタイミングで、私の意識は世界を渡る。

最後に感じたのはバターと蜂蜜の甘々な匂いだ。

 

 

 

 

内側の世界、30枚もの窓枠がズラリと並んだその空間は真っ黒なドロドロとした液体で溢れていた。冷凍室の中に閉じ込められたらこんな気分になるのだろう、温度はマイナス20度に届こうかという所で冷気に晒された肌がヒリヒリする。

 

(チュラも容赦なくくっついて来ましたね)

 

もはや足の踏み場もない。

踏み出すごとに足が氷水の沼に沈み込んで行き、冷却された足が痛むほどだ。

 

動きを止めることなく歩き続け、漆黒の窓枠の前に到達する頃には足の感覚も無くなってしまい、その姿は雪山の遭難者と間違われても言い返すことは出来そうにない。

そして唯一正常な右手を、嫌々ながら窓枠の中に突っ込む。

 

ねっとりとした感触、手首から千切れるほどに体が過冷却される。

 

 

「さあ、起きてください。私たちの可愛いチュラが待っていますよ」

 

 

このセリフも何度目だろうか。

握手を返してくれた向こうの私も起きているんだから必要性を感じないんだけど、なんでか毎回忘れずに言ってしまう。

 

 

「助けを待っているのは私の方のようですが?」

「うまく抜けられそうですか?」

「無視かー……でも抜けることは容易ですよ。チュラちゃんと私の力を合わせるんです!」

「あなたの得意分野ですよ」

「馬鹿にしてますか?」

「いえいえ、頼りにしてます!」

 

 

今回もまた、私の力だけではどうしようもない。

素直に仲間の力を借りる、それが私の強さの秘訣なのだ。

 

 

 

 

「チュラちゃん、反射をお願いします」

 

 

私はいつも損な役回りを押し付けられているのではないだろうか?

初めては激痛と共に体に穴を空けられてたし、ある時は現出と同時にカナの鉄拳、またある時は暴走車の屋根の上で木の枝に全身をボコボコにされながらのカースタント、それで今回は死に囲まれての最悪な目覚め。

 

ピンチだからお呼ばれしている事は承知しているけど、たまにはチュラとゆったりのんびり過ごしてみたいものです。

 

 

額に当てられた温かな感触によってもたらされる心の平安がそんなゆるーい思考を手助けしてくれる。

チュラの手がおでこの熱を測るみたいに添えられて、描きかけの紋章を跡形もなく消し去ってしまったのだ。

 

鎌は錆付いて朽ち果ててしまい、銃は肝心の銃弾を詰まらせてしまったようだ。

包丁は使い手を失って落下して足元の有刺鉄線を裁断し、小蟲は力尽きて風に流され破裂するように発火して焼失した。

 

悪夢は醒めたのだ。

しかし、いかにリアルに再現された恐怖であろうと、トロヤの非現実的で理不尽な暴力の悪夢に比べれば我慢のしようもある。

私は死の恐怖よりも死後の世界、天国でのご先祖様の鉄拳制裁か地獄責め苦の方がよっぽど恐怖を抱いてしまうものだし。

 

 

殺意から解放された視界に最初に映ったのは言うまでもない。

 

 

「おかし1つー!」

「一体誰がこんな子に……」

 

 

元気いっぱいな笑顔を振りまく愛しきチュラ。

私は彼女を支える為に現出しているというのに、またしても助けられてしまった。格好がつかないけど、彼女の求めるモノこそこの現状であると言えるのだから、複雑な気分である。

 

ちなみに、"おかし1つ"というのは前にクラスの男子が「貸し1つな」と話していたのを聞いて覚えて来たらしい。

何故か頭に"お"がついて現品支給を求める物乞いになってしまっているが、別にお菓子が欲しい訳でもなく、お祭りのワッショイと同様のノリみたいだ。

 

この癖がなかなか抜けない。

早く直してあげたいのに、かなりのお気に入り単語として定着した。

おのれ……犯人め、見付けたらただじゃおかんぞ!

 

 

「クロ、無事?痛むところとか、痺れは残ってない?」

 

 

戦妹(チュラ)の人付き合いを心配し、よろしくない癖を直す方法を模索していると、同じく戦妹(わたし)の身体を心配してくれたカナが優しく首の後ろを撫でてくれた。

古傷――古紋章?が疼くことは今までなかったが、もしかしたらと気が気でない様子だ。

 

 

「問題ありません、カナ姉様。それと、申し訳ありません、スイッチはおろか()が出てしまいました」

「不可抗力よ、あなたが気に病むことはないわ。……でも、脱落者は1人だけのようね」

「脱落者……?」

 

 

カナの見つめた先木の枝の1本に、白地に花柄刺繍が施されたブラウスを色とりどりのリボンで飾り付けた女性がぐったりしたままぶら下げられていた。

人間が無造作に、タオルを掛けるみたいに適当な扱いで干されていたのだ。

 

息をしていない。

あの民族衣装をまとった存在は、意識を埋められてしまったのだろう。深く深く、全身(ココロ)を引き裂かれて……

 

 

「……カナ」

「主が来た、もう手遅れだったのね。そのままの状態で構わないから、一瞬も気を抜いてはダメよ。彼女は――」

 

 

カナの額に汗が滲む。

その顔に余裕など微塵も感じられない。

 

(なんで……あなた程の強者が、一体何を恐れているんですか?)

 

この中で誰よりも強い存在感を放ち、私が永遠の目標として掲げた最強の戦士が……

声を震えさせているのだ。まるで獅子に挑む矮小な子犬のように、修羅に挑む病弱な少女のように。

 

本能(ヤドリ)理性(オモイ)感情(イロ)も。

その場所に現れた深淵に釘付けとなって捻じれ、儚く散ってしまいそうで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その第一声に、この世界は支配された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、箱庭の宣戦へ。まずはご挨拶と致しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一言一言が心を打ち、その絶対的な()を認めてしまうのだ。

 

 

 

 

 

「今宵は海よりも深く、空よりも広く、樹々よりも多く、川よりも長く、山よりも高い、永遠の歴史を紡ぐ貴殿らの参加を心より奉迎致します」

 

 

 

 

 

世界が求めるあらゆるものも、夢も希望も絶望も、彼女の前では子供のラクガキに過ぎないのだろう。

 

 

 

 

 

「ワタクシに名は御座いません」

 

 

 

 

 

そう、彼女こそが……

 

 

 

 

 

「どうか、ワタクシの事は『箱庭の主』とお呼びくださいませ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただき、どうもありがとうございました!


イ・ウーの描写なんかしてるから長くなる。
だって、原作と同じ流れじゃつまらないじゃない!

外野目線を入れたくて仕方ない、どうも五流著者です。


新キャラ、描写だけは出しましたが、クロが強いせいか完全に余裕の観察タイムになっていましたね。原作の迫真の緊張感を出すのは無理プー。

半分は知っている人でしたし。
ヒルダ一派はギャグ集団に成り下がってるし。シリアスぶち壊しですわ。
後は主の登場。
トロヤと似た能力を用いて代表者の1人を脱落させ、その存在感はカナがほんの少女に見える程強大でした。


次回は後半、このまま何も起こらずに……終わるといいですね。




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箱庭の宣戦(後半)




どうも!

久々のプロット修正作業で血の涙を流したかかぽまめです。
新たに3名の人物が落選、永久に日の目を浴びない深淵に旅立ち、露の彼方へと消え去りました。スマナイ……


箱庭の続きからですが、覚えている方の方が少数派かと……
遅くなって本当に申し訳ありませんでした!


では、始まります。





 

 

 

「もう……お姉さまもリンマさんも、どうして私を置いて行っちゃうのかなーっ?」

「当然……の、判断、かも。私が、呼ばれた、のは、驚いた……けど、ね」

「ミーネちゃんも大変だね。メーラさんの事もあるのに、私のお守りだなんて」

「ううん、理子ちゃん、と、会える……のは、嬉しい、から。最近は、ヒルダ、さんも……優しい、し」

「うわはぁ~……嬉しいっ!ミーネちゃん大好きだよぉー!久しぶりに再会したときは身長も高くなってて緊張したけど、優しくて頼れるところは変わってないね!」

「……理子ちゃんも、変わって、なくて、良かった。見た目も、あんまり……」

「あーっ!ひっどーいっ!私の方が年上だよ?これでも少しは身長も伸びたんだから!それに、む……」

「む……何?何を、言い、掛けたの……かな?」

「ふ、ふっふーん!怖くないもんねー!今のミーネちゃんだったら私の本気でチョチョイのパーだもん!」

「あはは、そう……かもね。でも、そうじゃ、ない、かも」

「う?どういう意味?」

「宿金、の、力、って……すごい、と思う、よ?これも、最近……実感、したんだ」

「う、うっう~?ちょ~っと私には分かんないかも?うん!話を変えようじゃあないですか!ミーネさん!」

「姉さん、には、及ばない、けど、それは、私が、未熟、だから」

「話が変わってなーいッ!」

 

 

 

「……その話が本当なら、ミーネも人間をやめたのか。メーラといいオリヴァといい怪盗団には私しか人間が残ってないんだな」

「あなた、は、人間、だと、言い張る、の?」

「当然だ」

「私、は……宿金、と、色金、の、同時、使用、の方が……よっぽど、反則、だと、思う、けど」

「今はヒルダお姉さまにチャージしてもらう必要もないからな。言っとくが、一発一発の疲労はでかいし、並列起動には狂いそうなくらい集中が必要になるし、まだまだ実戦では使えない」

「マルチ、タスク、脳。考え、た……だけで、頭が、痛いね」

「でも、クロは使いこなしたんだそうだ。私から奪った"宿金"の『闇召』と"色金"の念動力(テレキネッソ)を併用して自分の髪を力場の牢獄に作り変え、その中に『雷球』を暴発気味に増幅させながら一気に放出するんだと」

「なに……それ…………」

「簡単に言えば『歩く閃光爆雷雲』だ。それと比べれば、まだ私達は人間の分類からは外れないだろうな」

「クロさん、て……ステルシー、だった?」

「疑いようがない。間違いなく魔女、それも超々能力(ハイパーステルス)を持つ上に、恐らく何かしらの身体的な特殊能力――乗能力も持ち合わせている。ミーネ、あなたみたいにな」

「……学校、での、姿、は……全部、仮の、姿……か」

「人かどうかの方が疑わしい」

 

 

「怖いのはアグニの耳にクロの話が入ってしまう事だ。リンマはボケた所があるし、竜人の配下共は本人同様神出鬼没」

「姉さん、以外、は……顔も、知ら、ない」

「恩人が毒牙にかかるのは気分が悪い、奪われるのも癪だしな。幸い、話によればまとまって箱庭には参加しないようだが……」

「散った、内の、誰か、が……」

「そうだ、いる可能性も否定できない」

「興味、持たれ、たら……どう、しよう」

「敵に回るのだけは論外、一緒に死ぬだけだ。これまではリンマとの繋がりで気にしてなかったが、先手を打っておかないと詰むぞ」

 

 

 

コツン……コツン……

 

 

 

「――ッ!」

「……足、音?」

「ロザリオに反応はない、ミーネの方はどうだ?」

「……ない、よ」

「あなたは客人だ、そこで待っていろ」

「信念、に、基づ、いて……依頼、主の、指示は、絶対」

「……そこも変わってないんだな、お人好し姉妹は」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

雲の切れ間から覗いた明かり。

総勢14人の人型の者たちが輪になり、あるいはその一員のように聳えた大木の上に位置取って、その中央に主を迎え入れた。

 

葉の1枚も残さず枯れ切ったにもかかわらず力強く地に立つ老獪な大木の枝には、変わらず体育座りで地上の一点を見下ろした少女が萱で編まれた法被姿で飾り物のように鎮座している。

更にもう1人、ゴールデンオーカーのツインテールを体格に合わない大きな中折れ帽の下から飛び出させたブレザーの少女が、自分の真横に落下してきた花柄の女性を流し目で認識した後、額に汗を浮かべながらもその目を逸らさずに同じ場所を睨み付けていた。

 

2つだけではない。

この場で意思を持つ14の視線が自分たちを死へと追いやろうとした深淵の髪を持つ名も無き魔女へと殺到する。

 

 

箱庭の主――自らが名乗ったその名は、この小さな戦争の発起人であることの何よりの証拠であるが、風貌は肥え太った主権者でもなく、大柄で屈強な将校でもない。

名工のガラス細工のように細緻な飾りを施された、幾分かの明るさを含んだ鮮やかな青(シュプリーム)のドレスが胸元から足元までを隠し、長く長く終止符の見えない黒すら飲み込む無色の髪が空気を侵して、大地の色までもが奔流に広く混ざり込んで消えて行く。

 

外見だけで判断するならその女性は20代前半にしか見えないが、その超然とした風格を漂わせる本質は……測れないだろう。人間に見える程浅い所には存在していないのだ。

 

 

「お初にお目に掛かる方が多数でしょう。各々方の自己紹介をお聞きしたい所ではありますが、まず初めに……」

 

 

彼女の発言が間延びして話が途切れると自分が瞬きをしていなかったことを思い出し、彼女の視線が宙を闊歩する度に周囲の誰かが息を呑む。

意識しなければ呼吸が止まり、その息苦しささえも今だけは生の実感を与えてくれる安らぎだと感じられた。

 

 

「御覧の通り、残念ながら()()()の敗戦国が決まってしまいました。"ハンガリー"の代表戦士(レフェレンテ)――」

 

 

たった今、自身の力で打ちのめした代表者の紹介を始める。

国の代表が斃れたというのに、学校の先生が出席を取る際に欠席の生徒を公言する場面を彷彿とさせるその光景がどうしようもなく滑稽で、顔が、無意識に歪む。

 

(あいつは……何なんだ、招待状を送ってまで参加を促して、あんまりな仕打ちじゃないか!)

 

混乱が理性を支配する中、沸々とした苛立ちの感情、じくじくと心の傷口が開くような憐情だけが、萎縮する防衛本能を振り切って行動を起こさせようと訴えかける。

このままではあの女性を見殺しに、ここにいる全ての人間が人殺しになるのだ。

 

 

「止まりなさい、クロ。動けば撃つわ」

「……っ!」

 

 

しかし、初動を起こす前に牽制される。精神を落ち着けて前方を再度見直すと、主がこっちを見ている……気がした。顔はこちらに向いていないのに……

カナは振り返りもせず、崩れかけた平静をギリギリのラインで保ったまま、絞め殺されそうな僅かな喉の隙間から残り少ない胸の空気を震わせた。腰回りには一早く私の心情を読んだチュラが死地に向かう私に付き添うのではなく、頑として行かせまいと押さえ込んでいる。私の意思に逆らってまで止めるのは、彼女にとってどんなに不愉快な事だろうか。それでも止めたのだ。

 

(そうだ、私が動けばチュラも動くしカナも見捨てない。勝手な行動で2人まで危険に晒す所だったんだ……)

 

それにカナが止めた、という事は、あの女性はすぐに死んでしまうようなことはないのだろう。私の症状を間近で看ていた彼女はこの能力の性質をよく知っているのだし。

 

 

「大人しくするのよ、その状態のあなた自身の能力は低いのでしょう?」

「……間違いではありませんが、2人同時に動かす感覚って容易に掴めるものではないんですよ?姉様」

 

 

簡潔にまとめれば"思金の共鳴を用いた意思疎通方法"が()の能力の1つ。

チュラの未熟な射撃なんかもこの能力を用いれば、同時に狙った場所を撃つ事だってできるのだ。……有益な使い方は模索中だけど。

また、チュラからの報告も逐一送られてくるので、挟み撃ちなんかを仕掛けられても彼女の模倣観察による報告から敵の動きすらも予測して返り討ちに出来る。

 

能力は便利だが、処理に用いる脳への負担が大きすぎて、体は通常時とは異なり思うように動いてはくれない。

必然、私は後衛の司令塔に従事している。頭と体を同時に、それを2人分で計4つ……目下修行中なのだ。

 

 

私が冷静さを取り戻したことを察したのか、腰の重りからは解放された。

なんとなくだが、場を支配していた重圧も緩んで来ている気がする。

 

 

「……今回の戦いも、面白いものになりそうで大変喜ばしい限り。ワタクシも待ちきれませんし、気を急くようですが開催の()()とさせていただきます。よろしいですね?」

 

 

問い掛けるような物言いも、返答はない。

そもそも参加国の代表として来た者たちの間からは特に異論の出ようもないだろう。

 

沈黙を肯定と受け取ったか、ただの確認であったのかは知りようもないが、主の中では次のステップへ物語が進んだらしい。

自身を囲む代表戦士達に無防備な背を向けて優雅な歩みを2歩、3歩、4歩……裾が幾層にも重ねられた青いドレスが合わせて小さく波立ち、長い髪は名のある貴族が式典で用意するトレーンのように後方へと伸びていく。そして武器の一つも持った事が無いようなその美しい手を大木にかざした。

 

 

「人は生まれながらにして名を与えられる。それは特別な事で、極めて異な物。強く興味を惹かれたワタクシは遥か昔、人類へとコンタクトを取ることにしたのです。しかし、共存するには人間という生き物は脆弱過ぎました。多くの者は死に絶えましたが、その経緯からワタクシにもいつしか名が与えられたのです、他でもない人間によって…………失礼、関係のない話でしたね。この地に銘を刻みましょう、貴殿達の名――今日まで生きて来た名を、今日から残されて行く名を、読み上げます」

 

 

主は、敬意を込めた一礼を世界へと。

それは生きとし生ける者への敬礼なのか、それとも……まるで墓標のように立ち尽くすあの枯れ木への敬弔なのか。

 

すると、パラティーノの丘全体に蔓延していたのではないかと思うほどに拡散されていた息苦しさが、数段和らいだ。

原因は彼女が別の事に集中し始めたからだろう。

 

 

「思金の生誕地――ジャポンからの賓客もいらっしゃいますので、今宵は招待状の通り極東の言語にて執り行いましょう。敬称は省略、また過去の参加者は既に銘を刻まれていますから、口上のみにて……"ルーマニア"の代表戦士『ヒルダ・ドラキュリア』、前々回の戦いはお見事でした。貴殿達姉妹の無差別破壊によって、一月足らずで3国が戦力を失い、攻め込んだ者は残らずブラド・ドラキュラの手で制圧されました。惜しむらくはアーちゃ……いえ、アグニ・ズメイツァの参戦が大きな障害だったのでしょう」

「ええ、覚えているわ。無所属の一国が全ての同盟国を敗戦に追い込むなんて、あなたも予想外だったのではないかしら?」

「とても素晴らしい誤算。あの頃は黒と白が手を組んで猛威を振るっていましたから、それをどちらも止められたのは彼女の活躍あってこそです」

 

 

名を呼ばれ、経歴というか戦歴を紹介されたヒルダは普段と変わらない態度を装って会話をしている。

だが、その表情は固い。貴族生まれのプライドの塊みたいな彼女も言いようのない緊張感を振り切ることは出来ていないのだ。

 

 

「"ブルガリア"の代表戦士『リンマ・ズメイツァスカヤ』、貴殿は前回、4回の間隔が開いての参加でしたが調子は戻りましたか?」

「じゅー、前回よりはマシかなー……有とも無とも言えない感じ」

 

 

こちらも同じだ。

口調こそ平然としたものではあるが、槍を抱く腕に力が入り抹茶色の頭部にツノ状のトサカが逆立つように張って、彼女の張り詰めた気持ちを露呈している。

 

 

「ここからは銘を刻む者たち。"イギリス"の代表戦士『アルバ・アルバトロス』、"エジプト"の代表戦士『ハトホル』、"オーストリア"の代表戦士『マリアネリー・シュミット』……」

「……」

「じゃぁ……」

「ZZ……ん?くぁ、ふぅうう~ん……!ふはぁー、なんだっけ?誰か、ネールの事を呼んだ気がするんだって」

 

 

木の上の少女は沈黙を守り、地に座す少女は声にならない呻きを返し、立ち寝の女性は欠伸からの半覚醒状態で独り言を溢した。

木の表面には次々と銘とやらが刻まれていくが、その文面は読み取れない。一体いつ時代のどこの文字なのだろうか。

 

 

「"ドイツ"の代表戦士……あら?」

 

 

名前を読み上げようとした主が人間と同じように首を傾げて振り返った気がする。

実際には木に触れたまま微動だにしてはいないのだが、視線を感じた時みたいに何となくそんな気がした。

 

 

「お初にお目に掛かる。オレはフランク。代表戦士はオレの主人だ。人体実験中にくしゃみをして吸入麻酔(エーテル)を引火させた主人に代わって参加する」

「あの子……いないと思ったらそういう事だったのね。実力は認めるけれど、自称する"科学の魔女"は遠いのではないかしら?」

「みはーはははっ!ホント面白い子だって!天然入ってるよ、なんで麻酔にエーテル吸ってんだろっきゃ……みはぁッ!舌噛んだァッ!み、みひひひひ……」

 

 

継ぎ接ぎの怪人という見た目からは想像できない知性的な男性、その口から告げられる同盟国の醜態を耳にしたヒルダがため息とともに傘を一回転させ、霧色の髪をした露出の多いオーストリアの代表戦士(マリアネリー)が寝起きから目に涙を浮かべて知性を感じさせない独特な爆笑を炸裂させた。

 

(笑う箇所がおかしくないですか?)

 

笑いのツボは人それぞれだが、天然どうこうはあの人が言えたことじゃなさそうだ。あのポンコツっぽさはリンマ2号と名付けよう。

 

 

「……貴殿の出で立ち。このファミリーネームはあの家系の崩れなのですね、狂気に囚われた曾祖父に似たのでしょう。あまり特例は作りたくないのですが……よろしい。フランク、貴殿の銘を刻むことを望みますか?」

「折角の名誉だ。しかしオレの生きる時代は過去にある。この戦いは主人の物。主よ、刻む銘は我が主人であることを望む」

 

 

緑がかった肌の怪人は右手を胸に左手を腰の後ろに、その巨躯を折り曲げて頭を下げる。

その人間より人間らしい紳士を心得た仕草の終始に心を打たれ、第一印象のみで判断した自分を恥じてしまう。

 

 

「初代への忠誠は永劫変わることはない――貴殿のような戦士は稀有なモノ。その望みを受け入れましょう。ですが、今宵の代表は貴殿。その役目を全うし、敬愛する今代の主人を勝利へと導く助けとなる事を誓えますか?」

「オレが誓うのは逆卍徽章とオレを造った神だけだ」

「不足ありません。その誓い、主人の銘と共に刻みましょう」

「……ありが……が……。ダメだ、言えない、まだ。……感謝する」

 

 

知性を持った怪人は、紛れもない戦士。

彼もまた、誓いを果たすために箱庭を戦い抜くのだろう。その剛腕に鋼の意志と鉄の拳をのせて。

 

 

「さて、"スペイン"の代表戦士『チュラ・ハポン・ロボ』、この名で間違いありませんね?」

「チュラの名前はチュラだよ。"ウケツギシココロ"はチュラの名前じゃない」

 

 

私が不可視の存在を使う時に着用する黒いロングコート、それとお揃いのロングコートをチュラは着込んで来ていた。普段から愛用している黒いグローブとレギンスも標準装備だ。

加えて頭にも黒い帽子をかぶって黒のロングブーツを履き黒いネックウォーマーも首に巻いて、露出した顔を除き頭の先から真っ黒な衣に覆われている。

 

 

「それは失礼なことを。『黒匚』――完全記憶に綻びが生じてしまったのかと、心配してしまいました」

「気にしてない。こっち……見ないで」

「チュラちゃん、怖がらなくても私と姉様がついていますよ」

 

 

チュラは委縮していながら、後衛の私を守るその一心で一歩も引くことなく踏ん張っている。

初対面だろうにその怯えようは尋常ではなく、カナと2人で呼びかけるが反応を返してはくれない。いっぱいいっぱいでその余裕もないのか。

 

 

「"イタリア"の代表戦士は『マルティーナ・グランディ』『パトリツィア・フォンターナ』、2名。これも特例ですが、思金を持つ者が2人いる場合の措置として、過去にも実施されています。名称は――」

「私共は"バチカン"と名称を改め、神の導きの下に全ての信仰者を安らかな眠りを妨げる悪から守ります」

「私達フォンターナ家は既に天使を戴いているからね。彼女の求めるままに"ローマ"として芸術を広めていく所存だよ」

 

 

天使という単語に眉根をひん曲げた粘土器色の髪のシスターからはドス黒いオーラが放たれている。

この場が正式なものでなければとっくに殴りかかっていただろう。怒りで全身を震わせて悪魔も逃げ出す程の鋭利な眼光がパトリツィア側、その同盟国となるであろう全てに向けられた。

 

(やはりそういう事ですか)

 

パトリツィアとあのシスター様は敵対関係。

恐らくはパトリツィア側が教会側に反発して、追い出される形で分離してしまったのだと思われる。

もしくは過去から反りが合わないまま手を組んでいたのが、教会側がどこからか思金を手に入れ、その関係を断ち切ることに踏み切ったのかも。

 

それにしても、超戦士の全員に喧嘩を吹っ掛けるとは、いくら短慮な人間でも出来やしない。

仮に時間を掛けて状況を鑑みた所で彼女の行動に違いは出ないのだろうな。戦況うんぬんではない。

 

 

「内部分裂……武偵高はどうなるのかしら?」

「姉様、どうせ私達は休学ですよ。バチカンの地下組織とフォンターナ家のもつコネクションが対立していては、おちおち学校内で昼寝も出来ません」

 

 

武偵中は荒れるだろう。

これまで小競り合いで済んでいた2派の争いが表面化し、激化する可能性も否定できない。そうなれば――

 

(クラスの皆が……クラーラとガイアが……ベレッタが……フィオナが巻き込まれる!)

 

それを阻止するには取り急ぎどちらかを味方に付け、学校から撤退させるしかない。

全ての争いを止める方法など考え付かないのだから、その種が発芽しない内に別の庭に移植させるのだ。

 

 

「承認しましょう。存分に争い、覇を競い、自身の正義と我執に目を眩ませるのですよ」

 

 

最悪のケースを考えて苦悩する私とは正反対、無色の髪を持つ魔女にとっては招くべき事態なのか、火に油を注いでけしかけた後に戦いの助長をするように扇動していく。

主義主張を違えた2者も、同じような不敵な笑みで内心を表した。

 

もう話し合いなんかでは止まりようがない。

取り入るのは容易ではなくなったようだ。

 

満足したのだろうか、主は次へと意識を向ける。

示されたのは……

 

 

「"フランス"の代表戦士『フラヴィア』、貴殿は初参加でしたね。思主は参加の意思を見せているのでしょうか?」

「それってたぶん、なんですけどね」

 

 

(フラヴィア……!)

 

相変わらず気配がないのは厄介だ。そしてその日本語も直っていないのも可愛い声もとても厄介だ。笑えないのに笑いが込み上げて苦しいんだぞ、カナも。

 

大木の真横、そこには最初からいたのか甚だ疑問なフランス人形が、トパッツィヨに染め上げた髪とエメラルドの()()()()()()()()()()瞳を夜闇に光らせていた。

 

(疲れてる……?確かヒルダとの戦闘を終えた直後もあんな感じになってましたね)

 

日本語での会話の様子もそうだ。

話し方が変な事は重々承知しているから、いつもならもっと恥ずかしそうにしているのに、その反応も緩慢。

悩み事やら考え事で頭がうまく働いていないみたいに、何もかにもが鈍感になっている。寝不足かな?そんな状態で戦場に来るなんてどうかしてるよ。

 

 

その上方、木の上では風が大木の枝を揺らし代表戦士の羽織り物を攫おうと翻させるが、当の狙撃手は必死な風の猛攻に構わず、呼ばれる名に立ち上がって異存なしの意思表示とした。

 

 

「"ロシア"の一部、代表戦士は『レキ』。ウルスの民はどの時代も傍観ばかりでしたが、貴殿はどうなのでしょう」

「……ウルスは箱庭においては観測者、ですが今回、風の意思は違います。私は観測者の立場を完全には捨てられませんが、妹の1人が代役となるでしょう」

 

 

初めてその小さな口が開かれて紡がれる声を聞いた。

良く通る声ではないのだが、雑音を一切含まない風のような澄んだ声は風そのものに成り切って私の下にまで届いている。

暴れていた風は中和されるように穏やかに、彼女の無造作な髪を静かに撫で上げて、称えているようだ。

 

その狙撃手がチラリとこっちに視線を飛ばす。

猛禽類の翼が映り染み込んだ鳶色の瞳が、スコープを介さずにじっくりと私を観測している。

 

(フィオナもそうだけど、狙撃手って事が分かってると構えてもいないのに視線が怖いなぁ)

 

積極的には参加しないとの話だったが妹も参加するみたいだし、本人も完全に捨てられないって事は遠方からの多少の援護くらいは行うものと考えなければ。

 

やがてトンビは新たな獲物を求め、風に乗って飛び去った。

次にあれが私を捕らえたら、急襲される。拳銃しか持たない私は反撃も敵わず、森の中を逃げ惑うネズミと同様の運命を辿るぞ……

 

 

「"ジパング"……"ジャポン"の代表戦士『イチナ・ミウラ』、貴殿はなぜ参加するのですか?泉の妖精がワタクシに会いに来た時は驚いたものでした」

「説明せねば分からんかの?我は我らに仇成す脅威に身をもて成すのみ。そもそも思金とは色金封じを主眼として妖の祖たる者に生み出された金属を、人間が至宝として奪いあるいは盗み、武具の素材として用いようとしたのが根源じゃ。ついにはそのことごとくが姿を消し、異国の地にてようやく完成した様じゃがの。……人を狂わせ、人を従わせる道具として」

 

 

一菜の口調は元々の時代を逆行した喋り方で、未来に先駆けた危機感を募らせていた。

名を語らない魔女をそのキツネのように吊り上がった両目で睨み付け、緩い雰囲気など今はどこかにしまい込んでいる。

 

 

「大元の目的はどうあれ、思金狙いと考えても良いのでしょう?」

「違いない。我は要らぬ破壊活動などを楽しむのは好みではない」

 

 

そこな吸血鬼共とは違うての。なんて副音声が聞こえたのは私だけではないはずだ。

ボルテージが上がっていく。あっちでもこっちでもバチバチと敵対感情が弾けてスパークし、畏怖で抑圧された闘争心が再び表面化し始めた。そのうちの何個かは、ときたま名前紹介すらされていない私に理不尽にぶつかって痺れさせていく。ひどい。

 

 

「参加国は以上。続けて個人への招待状なのですが……」

 

 

聞かれるよりも早く、ヘビ目をしたリンマ1号ことリンマが先回りをして答えた。……カンペをカサカサと開いている。

 

 

「アグニ・ズメイツァ及び彼女の配下7名は不参加。私、リンマ・ズメイツァスカヤは一時的な独立を表明。直属の配下である3名と共に、この戦いに挑むものである」

 

 

【挿絵表示】

 

 

(短っ!)

 

要らないだろ、その紙きれ。

地球資源無駄にすんな。

 

カンニングペーパーからたったの一度も目を逸らさず、しかしスラスラと読めた事が嬉しいのかどや顔で紙面を畳んで仕舞った。

その様子がまたしてもリンマ2号のツボに入ったらしく、陰でこっそりと……爆笑している。この状況下でぶっ飛んでるな、2号。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そうですか。口惜しいものですが、それも仕様がない事なのでしょう」

 

 

(明らかに落胆しましたね……誰なんでしょう、そのアグニって……?アグニ?……アグニちゃん?)

 

どっかで聞いた、いや、見た。

リンマとの繋がりが有るとするとブルガリア……ッ!

 

(あのミステリアスな幼い女の子……?)

 

名前の横にバツが付けられて……てっきり戦いの中で死んでしまったのかと思っていた、ブルガリア国籍の代表戦士。それが不参加を表明――生きているって事だ。

なら、丸印がチェックせよって意味だとしたら、バツにはどんな意味があるんだろう?

 

分からないままうんうん唸っていると、カナの4本の指が同時に別々のテンポを取って肩を叩いた。

4倍速のモールス信号を受け、人差し指から単語を順に並べる。

 

 

"メヲ ハナスナ アルジ ミテル"

 

 

次は私達の番か。

あんな大木に名前を書かれたって良い事なんてないんでしょ?

観光記念としてはポイント高そうだけど、器物損壊罪の3倍刑で気絶するほどの額を請求されるのは勘弁ですからね!

 

ずっと手をかざしたままの主がミテルのかどうかは不明。

それでも意識は明確に、少し分かり辛かったのはカナに向けられていたからだ。

 

 

「『カナ・トオヤマ』、『クロ・トオヤマ』。急な招待にも関わらず、尚且つこの場に到る実力を見せて頂けて……心が躍ります。強さを知る者よ、大いに歓迎致しましょう」

 

 

銘が刻まれる。でも、別段実感することも無い。

ただ出席簿にチェックを付けられたのと大差ないんじゃなかろうか。カナだって礼をするわけでもなく警戒を強めてその行動を眺めるだけだし。

 

 

「個人の参加者は2名だけ。これより、三色の同盟締結を始めますが、箱庭には大原則がございます」

 

 

銘を刻み終えた手を放し、体ごと視線を全体に向けた。

 

(大原則……ルールみたいなものですか)

 

 

「貴殿らが生きている人間社会にも規則やルールがあるのでしょう?人類保護のために、戦いは小規模でなくてはなりません。また、文明の退化を引き起こしてはいけない、箱庭は魔術の歴史――人類史の影であり、闘争による優劣を決定付け、間引き、繁栄させていくものでなくてはならないのです」

 

 

認識は間違っていなかったようだ。

そりゃ、ここに集った化け物が好き勝手に暴れ出したら小国はおろか、手を組んだ者が大国をも潰しかねない。管理者としてそこは定義を徹底周知させる必要があるだろう。

 

 

「『戦闘の目的は必ず代表戦士もしくはそれに準ずる存在か思主でなくてはならない、ただし戦場の選択は自由とする』――いかなる破壊活動も認めるものとはしていますが、主目的は強者同士の優劣、思金の奪い合いであることを忘れてはなりません。不要な大量殺戮や著しい国力の削弱行為は『文明の退化を引き起こす』ものとし、即座に箱庭からの追放を命じます。

 

 『戦闘の参戦は代表戦士と思主を除き自由意志とする』『力無き者や他戦力の参戦は推奨しない、また悪質な戦用を禁止とする』――代表戦士以外の参加表明は必要としていませんが、弱者は参加資格を持っていない事を重々承知した上で運用致しましょう。自爆行為や人壁等の死を前提とした戦用は『人類保護』に、武具や薬物等を用いた総力戦への発展は『戦いの小規模』に抵触し、前述と同様の処分を命じます。

 

 『同盟内における裏切り行為は禁じないが、同盟外との協力や不可侵等の秘密同盟は一切許容されぬ行為である』――同盟相手は良く選ぶことです。慣例通りと流されてしまえば、そのまま滝壺へと落とされてしまうでしょう。秘密同盟は『優劣の決定付け』『間引き』という面を曖昧なものにしてしまいますので、前述同様追放を命じます。

 

 『敗戦国は勝戦国との協定を結び声明を発することで、同国の一員として再び参戦することが定められ、勝戦国はみだりに略奪行為を行う事を禁ずる。ただし、勝戦国として名乗りを上げることは認められない』――これは当然の事ですね?各位誇りを持って臨んでいただきます」

 

 

ルールは全部で5つ。

まとめると、国の強者同士が戦うのだから無関係な者を巻き込まず、勝敗をはっきりさせようぜ!ってこと。

 

(追放が文字通りなのか、それとも……)

 

目線は自然と木にぶら下げられた女性の方へと持ち上げられてしまう。

ピクリとも動かず、とっくに生を手放していたとしても不思議ではない。

 

(……そういう事なのでしょうか?)

 

鳥肌が立つのは寒いからではない。

彼女が掲げた大原則には明らかな欠陥があることに、気付いてしまったから。

 

 

(大原則には曖昧で主観的な要素が多すぎる。それこそずっと何者かが見張り続けなければならないような……!)

 

 

そして違反者に与えられる罰は箱庭の主による追放。

大勢の部下がいるのだろうか?1人でヨーロッパ一帯を監視なんて出来ようもない。

 

 

……イヤな……予感がする。

 

 

「ご理解いただけましたか?良くお考えの上で、自らが生き残る道をお探しくださいませ」

「おい、箱庭の魔女。頭三国(トップ)は決まってるか?」

 

 

ゴミをポイ捨てするかのように上から投げつけられた雑な言葉遣いは、ここまで進行してきて初めて聞いた鼻にかかった低めの少女の声。

消去法で考えると、アルバと銘の刻まれたイギリスの代表戦士だ。

 

紳士淑女のイメージ例から見事に漏れた我の強そうで不愛想な印象をキャッチしたが、あの顔、どこかで見た様な気がしなくもない。

 

 

「焦らずとも決まっています。橙・緑・金の三色を頭三国とし、同盟の起点としましょう。具体的には……」

「わちらだろ?」

 

 

――――は?

 

 

「んふっ!」

「わち?」

「わっちじゃろ?」

「わし、じゃぁ……」

「みひ、みひひひ……も、限か……ひひひ……」

「ヒルダー、あの人間アホっぽーい」

「……とことん興を削いでいくのね、今回の参加者は」

「珍しい日本語だ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「な、なんさ、わちにもんかっかー!」

 

 

――――へ?

 

 

だ、だめだ。喋らせちゃ。

犬歯を立てて威嚇しているあの子は無自覚だ。箱庭の為に独学で日本語を覚えたんだろう。イントネーションがヘンだから「文句あっかー」の"く"と"あ"がくっついて、「かっかー」が汽笛のポッポーみたいな……解説してる側が恥ずかしいんですけど。

 

でも言っている事は間違っていない。彼女の瞳は赤みが強く茶色に近いオレンジだ。

挙げられた三色の1つに入っているぞ。

 

 

「あらあら、文句なんかないですよ。うふふ……緑は私達で良いんでしょうか?」

「……あの子、なんだか嬉しそうね」

「同類と出会えて嬉しいんでしょう」

 

 

気分の盛り上がったお人形さんは肘を曲げた両腕を前に出して小さくVサイン。

緑の目であることをついでで言ったんじゃないのかと疑惑を抱いてしまう。

 

さて、これで2枠埋まった訳だが、もう1色は金だったよね?

黄色みが強い程度ならまだしも金の瞳なんて数えるほどしかいないだろう。知っている人ではトロヤくらいしかいないんじゃ……

 

 

……いた。

 

 

「ハトホル。金の瞳はオマエしかいない。同盟の起点はオマエになる」

「……わしが、頭三国じゃあ。主よ」

 

 

3枠目はエジプトの代表戦士か。

寒い寒いとミモザカラーのサイドテールをぶるぶる震わせ、黄金の扇をパチィっと鳴らし、辛うじて自分だと証明している。

 

 

 

そんな3者の様相を一通り視界に収め、主は最後の忠告を、と――

 

 

 

「頭三国の変更は認められていません。同盟は3色を中心として3つ、もしくは無所属であることを宣誓しなくてはなりません。またパワーバランスの考慮はなされていませんし、無所属である内は同盟を結ぶことは出来ません。以上です。どうぞ、自らの繁栄を求め、生き延びることをすべてに優先されますように――」

 

 

 

――――無色の髪は無色のままに、世界のいずこへと消えて行く。

 

 

箱庭に残されたのは高くそびえる老木と。

 

 

芽生え始めた幼木(わたしたち)だけだ。

 

 

 

「ねえ、クロ。お前は一体どうするつもりなの?そろそろ教えてくれるかしら」

 

鮮血を想起させる深い紅寶玉色(ピジョンブラッド)の瞳が……

 

「クロは私達の仲間だもんね、ほらほら、こっちにおいでよ」

 

メラメラと燃える炎のような遊炎石色(ファイアーオパール)の瞳が……

 

「クロさんとは仲間でいたいんだけどね」

 

彼方から地上を見下ろす天空色(ブルー)の瞳が……

 

 

「私は……」

 

 

カナを見て……

 

「あなたの思うように。私があなたの背中を守るわ」

 

チュラを見て……

 

戦妹(お姉ちゃん)の隣にはチュラが付いてるよ」

 

()を見て……

 

(可能か不可能かなんて、私らしくないですよ。任せて下さい!)

 

 

 

 

 

……決めた。

初めから気に入らなかったんだ。

皆を守る方法も思い浮かばないままモヤモヤしてて。

 

 

 

「私はここに宣言します」

 

 

 

だから良い考えなんてない、また行き当たりばったりになっちゃうけど。

私は、この箱庭を――――

 

 

 

「第4色目の同盟――『クロ同盟』を設立し、全ての代表戦士を倒します。そして、箱庭を統一させましょう」

 

 

 

――――主の手から奪うことにする。

 

 

 

超人だろうが、魔女だろうが、吸血鬼だろうが。

かかってくるなら、その全てに受けて立ってやりますよ!

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「こんばんは……おや?今夜は3人いると予想していたんですど、理子さんとカルミーネさんだけでしたね」

「あなたは誰だ?随分と流麗な日本語を話せるみたいだが、外で私達の話を盗み聞きでもしていたのか?」

「えと、名前、知って、る……なら、もう、1人、の、予想、は……誰?」

「だめだめ、挨拶には挨拶で返さないと、トロヤお姉さまに怒られちゃいますよ」

「あ、そだ、ごめん、なさい。こんば……んは」

「はい、こんばんは。あなたは変わりましたね、敵と思っていてもちゃんと礼儀を持って接することが出来るようになった。素晴らしい成長と言えるでしょう」

「こっちの事情を詳しく知っているみたいだが、薄い紫色(アメティスタ)の髪に見覚えはないぞ。怪盗団にはメーラしか紫色の髪はいなかった。それも、もっとアイリスの花のように鮮やかで明るい、赤味の強い紫だ」

「あなたは変わりませんね理子さん、私は挨拶をしましょうと言っているんです。普段から礼儀正しく、淑女然と振る舞わなければ、ご先祖様に申し訳が立ちませんよ」

「知るか。アポも取らずに訪問してくる奴に言われる筋合いはない」

「これはこれは……痛い所を突かれてしまいました。取らなかったのではなく、取れなかったのですよ」

「質問、にも、答えて……!」

「いいですよ」

 

 

「ただの予想ですし軽く聞き流して欲しいのですが、てっきりジャパニーズファイター、ニンジャの1人でも潜んでいるんじゃないかと危惧していまして。()()()()の手回しで――」

「金星だと!?」

「……誰、なの?聞い、ても、分から、ない」

「過去に怪盗団に参加していた化け物仲間です。あなたよりは新人で――」

「もう死んだッ!これ以上金星の名を出すようなら彼女への侮辱と捉えるぞ!」

「――なら、どうします?私を……追い払いますか?」

「この箱庭のタイミングも知っていたんだろ。お前は知り過ぎている」

「そうでしょうか?私は私が知っている事しか知りません。あなたの事も、金星さんの事も」

「ふざけるなッ!」

「理子、ちゃん、落ち、着いて。あれは、ただの、挑発」

 

 

「邪魔者は荒れた箱庭で高笑いでもしている事でしょう。傲慢な彼女の事です、自分が宝物を失うなんて思ってもみないんでしょうから」

「あの……目的、は」

「大事な計画の一端ですよ。ヒルダ・ドラキュリア、あの吸血鬼を捕らえ損ねたのは大きな痛手でした。ブラド公と戦うのは出来るだけ避けなくてはなりませんし、彼の部下である狼達は各地に潜んでいますから、こちらの動きも一定程度は把握されていると考えなくてはなりません。そして、その部下は箱庭に向かった。ご主人様の娘を連れ戻すために、彼を呼ぶ、でしょうね」

「――っ!ブラド……」

「ヒルダ、さん……の、お父、さん?」

「理子さん、あなたならその強さと危険性を理解できますよね?牢屋に監禁されたまま1年間育ったあなたなら」

「……8ヶ月だ。トロヤお姉さまが無理を言って外に連れ出してから、私は彼女専用のペットとして部屋に放し飼いにされていた。錠も首輪も掛けずに、だ」

「ぺっと……!?」

「吸血鬼にとって人間はただの愛玩動物。しかも嗜虐嗜好が強い彼らは過去に数えきれない人数を捕らえ、嬲っていたぶり、悲鳴をひとしきり楽しんでは吸い殻のように捨ててきました。トロヤさんは特別、変人なのでしょう」

「初めは屈辱だったが、あの人は人間が好きらしいからな。口では否定しているくせに変な服は押し付けて来たし、鬱陶しいくらいに話し掛けても来た。けど、今思えば最初に私を牢屋から連れ出してくれたのは彼女だ」

「その彼女は、もうあなた達の傍にいない。彼もそれは知っていて、だから動くんです、あなたを逃がさない為に。その理由は……不明ですが、私もあなたを助け出せるこの最後のタイミングを逃がしません」

「なぜ、私を助けようとする?」

「『助け合うんだよ、友達だからな』」

「――ッ!?金星の声!?」

「微小な……ノイズ。電子、音、だった。小さな、子供、の……」

 

 

「言語とは、文字とは、記号とは、寄り集まって意味を持つ。そして、その集まり方によって姿も形も、その存在意義すらも変わる、液体よりも気体よりも不定形な情報体。文明の数だけその種類は増殖し、衰退、混同、変化を繰り返して進化を遂げてきました」

「……」

「文明の始まりこそ火と畑と川がもたらしましたが、その高度な進化を支えたのは宗教でも、建築技術でも、冶金技術でもない。文字こそが、言語こそが民族を1つにまとめ上げ、力を与えたのです」

「文字だけで何が出来るって言うんだ。文字に力なんて宿ってない、それともルーン文字で魔法や儀式でも使うつもりなのか?」

「そんな力は必要ありません。人間社会に最も大きな地位を持ちながら、誰にでも等しく意思を発する力を与えるのが言語。そして、人間は言語によって文字を支配しているつもりのようですが、現代社会において直接他人と話す機会は徐々に減り、メールやネット上の遣り取りが増えている。近い将来、電話の代わりとなるリアルタイムな文面での会話方法が開発され、店に行かなくてもネットで買い物ができる体制が恒常化し、いずれ人間は言語よりも文字を頼るようになるでしょう。さらに機械化が進んだ未来は記号の羅列で操作され、人間の生活の内側にまで浸食します。文字が人類を支配する日は近いのですよ」

「文字が……世界、を……支配」

「一気に飛躍したな。お前の言う文字から世界征服は連想できないだろ。それと、現代の識字率の低さを知っているか?4分の1はその力の恩恵を受けられていない。文字と共に進化したのは民衆を支配する人間のトップだけ、植民地を我が物とした強国の文化だけだ。文字は言葉を記録するために発展したんだ、だからこそ全ての文字に読み方が紐付けられている」

「世界征服ではありません、人類の支配です、ですからあなたの考え方は間違っていません。私はそのトップに立って世界に根を張り、世界を見下ろせるほどの幹を育て、世界中に届くように枝葉を伸ばし、世界の全てに同じ花を咲かせ、実を――進化を全ての人間に与える支配者となる」

「支配……具体、的に、何を、する?」

「種の統一。実を得た者は生まれ変わり、新たな実を得る為に他者と助け合う。実を奪おうとする者は花によって排除され、根を通って幹に、枝を伝って実に戻ります。そして進化した実はやがて異物を排除するのです。宇宙にはまだまだ危険な存在が蔓延っていますから」

「なるほど、言いたい事は理想主義者の妄言と変わらないってことか」

「理想では終わりません。私には人類の望む進化を達成させる義務がある。その為なら……」

 

 

 

私は……あの日のように…………

 

 

私が……金星さんを殺した時のように…………

 

 

()の中の何かが擦り切れるまで…………

 

 

 

「……手段を、選びません。例え、大切な仲間を犠牲にしようとも。終わりません、終わらせません。それが人に作られ、人と共にあった思金のあるべき姿」

「髪の……色が……っ!」

「ロッソの髪……お前、あなたは……」

「ずっと……ずっとずっと、ずぅーっと探してた。()()()()()()()()を」

「オリヴァちゃん……」

「オリヴァ……さん」

「紫計画を開始してから5年……ようやく彼女が目覚めました。そして、私はまた彼女()を利用する。あの日、約束したように」

「彼女って、それって、まさか!」

「私にとって、盟友とは仲間であって友ではない。怪盗団の皆も、1つの文字でしかない。そう……そう、割り切らなくては……ならない、から」

 

 

 

「私の友達はずっと、あなただけです、理子さん」

 

「あなたに……何があったの?」

 

「大切な家族を失って覚悟が決まった、それだけ、です。私は……何も変わっていない。オリヴァテータの名を変えたとしても、それはただの文字の羅列でしかなかったことが分かっただけでした」

 

「名前を……」

 

「『O.l.i.v.a.t.e.a.t.o.r.(オリヴァテータ)』の名は『V.i.o.l.a.()』の『A.t.t.o.r.e.(演者)』。私は演じているんです。紫の果実が熟すまで、害成す者を絡め取る為に」

 

 

 

「紫の果実って何なの、オリヴァちゃん」

 

「緋い、逆十字、と……青い、十字架……」

 

「……お見事。正解です、カルミーネさん。宇宙人に対抗するには、思金だけでは足りなかった。色金を止めるには宿金が、色金を封じるには思金が、色金を殺すには色金が必要だったんです」

 

「色金を……金属を殺すの!?」

 

「宇宙、人、の……正体!」

 

「紫電の魔女はあなたを今まで守ってくれました。私の代わりに。でも、それも今夜が最後」

 

 

 

 

 

「ねえ、迎えに来たよ、理子ちゃん。こっちにおいで?一緒に……文明を盗む相棒(ドロボー)になろう。私があなたをその呪い(ロザリオ)から救ってあげる」

 

 

 

(…………クキキキ………)

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで下さりありがとうございました。


箱庭編終了!
同時に次回からは新章突入です。

主が管理する箱庭からの独立を宣言したクロでしたが、その考えはいつもの行き当たりばったり。でもいつだって計画通りに進まない彼女にはお似合いでしょう。


同盟の遣り取りはグダグダで長すぎるので全カット!
別に面白い会話も無かったですし。みはははっ!


一応分かり易いように、ここに同盟国と代表戦士を纏めておきますね。

~橙色同盟~
・イギリス――アルバ・アルバトロス
・日本――イチナ・ミウラ

~緑色同盟~
・フランス――フラヴィア
・バチカン――マルティーナ・グランディ
・ロシア――レキ

~金色同盟~
・エジプト――ハトホル
・ブルガリア――リンマ・ズメイツァスカヤ
・ルーマニア――ヒルダ・ドラキュリア
・ドイツ――フランク
・オーストリア――マリアネリー・シュミット
・ローマ――パトリツィア・フォンターナ

~無所属~
・個人参加――カナ・トオヤマ
・個人参加――クロ・トオヤマ
・スペイン――チュラ・ハポン・ロボ


物語最後、クロは(クロ)同盟を作り、統一させると宣言しました。
それってつまり、全ての国を敵に回し、終戦へと進めるという事、どこかの同盟に所属してしまえば、意見の対立を力でねじ伏せて従わせるだけになってしまうという判断なのでしょう。

果たして、激化していくことが確定したクロの戦いは、どのような結末を迎えるのでしょうか。そして、理子を救う手掛かりを見つけ出すことが出来るのでしょうか……


その理子ではありますが、なにやらこちらも不穏な気配。
怪盗団時代の友達、『オリヴァテータ』の正体は、ロッソの髪を持つ『ヴィオラ』。これはフラヴィアとの係わりから予測出来ていましたかね。

彼女の目的は人類の統一。
……そう語った彼女の様子、話の矛盾、おかしい所はありませんでしたか?


次回は未定。
1発目ですし、本編で行こうかなーと。ではでは、おやすみなさい。




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高空の黒金姉妹
仮構の水源(ミスギヴィン・スタート)





どうも!

ネックウォーマーが徐々に勢力を伸ばし、顔の半分が覆われているかかぽまめです。


新章突入、というわけでまたしても目覚めから始まります。
クロ同盟宣言後、睡眠期を抜けるまでに情勢はどう動いているのか……


では、始まります。








 

 

 

「カナ、頼むから(クロ)を止めてくれ」

「あら、何の事かしら?」

「キンジ、寝坊助さんなのー?」

 

 

体温と完全に同化してしまった掛布団は、もう何時間俺の上にいるんだろうか。

睡眠期から目覚めて早々頭痛が鳴り止まず、先程ようやく起き上がることが出来るようになったばかりだ。

 

 

「あんな1年分の悪夢が集結したような戦場にいたら…こうもなるよな」

 

 

夢の中の俺は自由過ぎるが、せめて人間の常識の範囲内で行動を取って欲しい。

なんであんなことになるのだろうか、生きてたのが奇跡だ。

 

あの夜は第4同盟の設立を宣言後、3色の同盟締結を見届ける暇もなく必死で逃げ延び、逃亡先の貸し部屋で意識を失った。

同盟の締結まではヒルダもリンマも楕円形の石塀から出ようとせず、クロの宣言はナイスタイミングと言えるだろう。いや、あんな命知らずなことをしないのが一番なのだが。

 

 

「どうするんだよ……箱庭の全部が敵になったんだぞ。あの気味の悪い魔女の親玉みたいなのがいつ目の前に現れるかと気が気じゃない」

「あなたも分かってると思うけど、私にもあなた(クロ)の考えが良く分かる。堂々としてて、とってもカッコ良かったわ。立派に成長したのね、キンジ」

「カッコいーよ、キーンジー」

「……ただの虚勢だ」

 

 

(こそばゆいな……)

 

それは当然分かって然るべきもの。

(クロ)の考えは俺が一番分かってる。これだけはカナにだって負けないと言い切れる、自分の事だしな。

 

カナは俺じゃなくてクロを褒めているのかもしれないが、それでも自分の意見をカッコ良いと言われて悪い気はしないものだ。

素直にありがとうと言えないのは、行き当たりばったりの茨道に2人を道連れとして同伴させた後ろめたさがそうさせるのだろう。

 

……で、そろそろいいか?

 

 

「カナもチュラも、心配してくれてたのは嬉しい。けどな、もう大丈夫だから離れてくれ」

「ふーん、そんなこと言っちゃうんだ」

「言っちゃうんだー」

「な、なんだよ。チュラ、お利口さんにしないとダメって夢の中で(クロに)言われてただろ?」

 

 

ベッドの右側に腰掛けたカナは頭を撫でる手を止めず、含みのある言い方でやんわりとオレの言葉を拒み、左側から乗り込んできているチュラは……こいつ、聞こえないフリしてやがるな!小賢しい真似を。一体誰に似たんだか。

それもそうだが、俺が武偵中の制服を着てないのはシワになるからという配慮なのだろう。ならなぜ俺はまだカツラを被ってるんだ?これはどういう配慮なんだ?

 

いくら耐性がついたからってこの状況はちょいとばかし心臓に悪い。

ホントどういうつもりなんだ……?

 

 

「昨日の夜から今朝まで、手を放してくれなかったのはキンジの方なんだけどなー。それなのに私にはそんなに冷たい態度」

「取っちゃうんだー?」

「それは……!」

 

 

意識混濁期間だから仕方ないだろ、という言葉が何故か口に出せない。

言っちゃいけないと誰かに釘を刺されているような、警鐘に見立てて頭の痛みが増していくような。

 

 

「……心細かったんだろ……覚えてないけど」

 

 

結局、本心を言わされる羽目になった。

 

 

「んー……まぁ、合格かな?」

「えー……チュラも離れなきゃ、ダメ?いーよね?ね?」

「良くない、離れろ」

 

 

(こっちは上手く体が動かないんだ。意地でもどいてもらうぞ)

 

とはいえ、アメを与えなければ動かないのが俺の戦妹。

耳の後ろと髪の生え際、完骨・頭竅陰付近を軽く擦る様に撫でてやると抵抗が薄くなることは夢の中で検証済みなのだ。

 

(んで、こっちは、っと)

 

 

「お腹が空いた。起きて最初のご飯はカナの手作り料理が良いな」

「っ!何か食べたい物はある?何でも用意してあげるよ?」

 

 

気持ちよさそうに脱力した顔の戦妹(いもうと)を見て物欲しそうな顔をした戦姉(あね)に、この場を去らせる口実を作る。お腹は本当に胃が刺すように痛み出す程空いてるし。

頼む、年長者である自覚を持てとは言わないが、俺が兄さんに銃殺される原因を作ろうとしないでくれ。

 

 

「カナの手作りなら美味しいからなんでもいい。……けど」

 

 

ここで何でも良いで終わるのはNG。

それは過去の経験から導き出された超重要項目。

 

こちらとしては本当に在り物で作った何が出て来ても満足できると言えるのだが、どうでもいいというニュアンスで捉えられてしまうらしいのだ。

献立を一緒に考える、それだけで色好い反応が得られやすい。

 

 

「思いっきり食べられる和食が良いな。メインは魚でも肉でも良いけど塩で薄めの味付けで、後は味噌汁と付け合わせに酸味のある物を食いたい」

「うん、分かった。チュラちゃんお料理、手伝ってくれる?」

「えへー。う~~ん……いま、いく~……」

 

 

口だけで動かないんじゃないかと警戒したが、意外とすんなりカナの下に向かって行った。

理由もなく離れようとするとしつこいが、利口になったもんだな、あいつも。

 

姉妹に挟まれての目覚めは胃に悪い。俺は朝食も白米派だから、サンドイッチは要らないんだよ。その上鏡を見ればサンドされた具まで目の毒な三姉妹で。

そんな状態でヒスってみろ一生分の悪夢を見て起き上がれなくなる。俺は人生を諦めてもう一回寝るぞ、いいか?起きても悪夢ってんなら、二度と起きないからな。

 

 

【挿絵表示】

 

 

ま、ともあれ作戦完了(ミッションコンプリート)、一件落着だ。

こうして俺の平穏は守られ……ッ!

 

 

「……ってぇ」

 

 

頭痛が悪化してきた。

何だってんだ、やっと静かな部屋で独りになれたってのに、物言いでもあるのか?

 

もう一眠りと考えていたのが阻まれる形となり、1人でいる事が逆に手持ち無沙汰になってしまった。

このままうだうだとベットで過ごしていても頭痛は悪化しそうだし、安静に気を紛らわせられることは無いか……

 

 

「…………」

 

 

ふと、目に入ったのはサイドテーブルに飾られた花瓶。

小さなイングリッシュローズと黄色いガーベラの造花が中心に据えられ、手前側には雨を想像する紫陽花とお日様のイメージを持つヒマワリが並び、その2本の後ろからイチゴの造果がひょこっと顔を出している。左に濃淡の違うネリネとアルストロメリアを配置し、区切りを作る様にグリーンのポコロコが差されて、右にはエーデルワイスと3輪のマリーゴールドが互いに異なる方角を向いて手を繋いでいるようだ。

 

クロが水交換の度に、しょっちゅう並びを変えてはるんるん気分で記憶のアルバムにしまい込んでいる。我ながら何をそんな少女趣味な事をしてるんだか、思い返すと楽しかった記憶が今の気持ちと衝突し、その余波が気分の波を複雑な形に跳ね上げさせていく。

有事に備えて銃の整備をしておきたいのは山々だが、このコンディションで万が一ミスがあってもいけないしな、今はこの花々で癒されておこう。

 

 

(……ん?)

 

 

どうやら俺が寝ている間に追加オーダーが来ていたようだ。

花の数は……仕方ないか、状況が状況だもんな、学校に通えてない奴もいるんだろ。寧ろ学校に通ってる奴らが無事だってのは朗報だ。

 

俺が寝込んでいたとはいえ、カナが動いていないって事は一般の人間が巻き込まれる様な大規模な戦闘は行われていないという事。そこのルールはきっちりと守られているらしい。

出来ればこのまま、暫く大人しくしてくれれば嬉しいんだが……

特に今日は体も動かんし、ヒステリア・フェロモーネの発動も無理だし。

 

食事どきの話題としてはいかがなものかと思うが、2人に戦況を聞いておかないとな。

身の回りで何が起きているのか分からんのは困る。

 

 

「こんにちは。ただいま戻りました、カナ、テュラ。クルは起きていましたか?」

「こんにちは。クロちゃんはまだ寝ているわ。休ませておいてちょうだい」

「こんにちわー。テュラじゃなくてチュラだよ」

 

 

あー、困る。

身の回りで何が起きてるのか分かんねぇ……

 

今ただいま、って言ったな?

起きたら家に1人増えるシステムはどうにかならないんですかね?

 

聞いたことも無い声だし、女の声だし、新(侵)入居者は俺を知らない可能性がある。それで俺の格好は(クロ)のままだったのか。

やっと落ち着き始めた頭の痛みがぶり返してきそうだ。

 

 

コンコン……

 

 

ほらほら、来ましたよ。

時代劇やスパイ映画にも何かしらお決まりのシーンがあるものだ、いわゆるお約束。前回はチュラだったが、こんなのがお約束になられたらたまったもんじゃない。

ここは頭痛を我慢して寝たふりに徹しよう。そうすりゃすぐに諦めて帰るだろ。

 

部屋の入口に背を向けて横になる。

布団を鼻まで持ち上げ、依頼料で買い替えたふかふかの枕に頭を沈めると、完成だ。

後は呼気を規則正しすぎない程度にコントロールしながら……カツラはズレてないだろうな?

 

 

グ、ギギィー……ッ!

 

 

扉が開かれた音で、改めて立て付けの悪さを実感する。これが耳障りだから普段は開けっ放しにしているのだが、反対に、たった今俺と同じ音を聞きながら扉を開けた相手は、すでに聞き慣れたのか戸惑うことなく寝室への侵入を果たした。

何回かこの家に、この部屋に訪れているからか。

 

 

「お邪魔しました」

 

 

それは部屋を出る時の挨拶だ。

だから出てってくれ。

 

 

「こんにちは、クル。よくお休みのようでした」

 

 

そうだ、良く寝てるぞ。

だから起こすなよ。

 

 

「悲しい、顔が見えませんでした…………起こしちゃダメでも、少しならいいと思いました」

 

 

トットットッ……

 

 

足音が背後から足の先、さらにベッドを回り込んで正面、顔の前に回り込んできやがったな。

 

 

(誰なんだよお前は……)

 

 

バレないように薄目を開けて、安眠妨害の犯人を補足する。

 

 

(……!)

 

 

そいつは確かに見た、夢の中で。あの悪夢の中で、確かに出会っていた。

その時はあっちが寝てたけど。

 

 

「必ず、起きて欲しいのでした。あなたとテュラが助けに来てくれた、カナが私達を守ってくれた。とても嬉しかったのでした」

 

 

(――ハンガリーの……代表戦士ッ!)

 

 

【挿絵表示】

 

 

服装は変わってたけど、確かにこの顔を見た。

 

クロ同盟宣言後、ヒルダとリンマに襲われながらも、便乗したバチカンのシスターやカナの援護もあって大木へ飛び込むように走り切り、枝に引っ掛けられていた彼女をセーブした。

だが、チュラが反射を使おうとしたらうまくいかなかったのだ。

 

箱庭の主に話し掛けられてから精神状態が万全じゃなかったし、あの日は既に自分の分と俺の分で2回も魔女の力を反射させていたから使役自体が困難だったのかもしれない。

だからチュラに付き添っていた。「戦姉が一緒に居てくれたら出来る、不可能なんてない」なんて言うんだもんな。本当にやり遂げた辺り、大した根性持ちだぜ。

 

 

「……目が覚めるのを待っていました、クル。あなたにも、お礼が言いたいのでした」

 

 

そうか、こいつも無事に目覚めてたんだな、礼は後でクロに言ってくれ。それも俺なんだが、ややこしいな。

今度こそ一件落着か。

 

 

 

 

……終わらせてくれよ。

 

 

「箱庭の統一、終戦。そんな事考えたことも無かったのでした。主は絶対、それが箱庭に鎖された国々へ生まれてしまった私達の意識に教え込まれてきました。彼女を目の前にして貫き通す意志の強さ……ステキ過ぎるのでした!」

 

 

俺も深く考えて出した結論じゃなかったよ。

後悔は……してないけど、ステキなんて言われる筋合いはない。

 

しかし、話し掛けられる声は途切れず、語る口にも熱が籠り始めて、ベットがギシっと軋む音を上げる。

身を乗り出し過ぎたのか、片膝が体重の大部分を支えて俺の聖域たる台上に乗り上げているようだ。

 

 

「私は箱庭の戦いには参加できないのでした。でも、あなた達の力になると決めました!」

 

 

まさか頭から聞かれているとは思いもしていないのだろう、そんな素直に自分の気持ちを声に出来るもんじゃない。

意識の回復には話し掛ける――聴覚を刺激するのが有効だから試みているつもりか。

俺を正義の味方かなんかと勘違いしているみたいだし、反応しそうな単語を選んでいるのだろう。

 

(聞こえてる!聞こえて無い事にするけど、聞こえてるから!それ以上接近すんなっ!)

 

聞こえないフリは出来ても寝返りを打つわけにはいかず、かといって何をしでかすか分からん奴がいるのに目を閉じるのも危険。そいつがソロソロと近付く光景を、絞首台に登る気分で待ち受けるのを許容しなければならない。

夢の中で面識のない相手には未だに免疫を作るのが遅いままで、距離を詰められるのは少し怖いのだ。

 

当然、素直で切実な心の声が届こうはずもなく、ウグイスの羽みたいな褐色寄りの橄欖色をしたサラサラな前髪が長く枝垂れ、俺の鼻先に触れそうになった。

服装が変われば印象も変わるもので、私服を着用した今の彼女は年相応の高校生くらいに見える。

 

 

「だから……必ず、起きるのでした、クル」

 

 

息づかいが聞こえるほどの距離で、もう一度、起きてくれと、訴えかけられた。

 

それを拒絶する俺が、自分でもおかしいが、クロを閉じ込めている檻になっているような気がして……

クロが自分の中から脱走しようと乖離していく気がして……

 

 

 

無性に、物悲しさが膨らみ始めた。

 

 

 

どうしてだ?

 

クロは俺と違って俺の存在を認知できていない。

だからこそ、俺という檻にも気付かず、何の気兼ねも無く学校生活を楽しんでいた。

 

あのカナですら、俺を弟と識別しておきながら過去の記憶の綻びに気付かず、金一兄さんという存在を認知できていない。

それは自分を守る為なのだろう。認知してしまえば自分を見失ってしまうから、無意識に意識出来なくされている。

 

 

だが、もし俺のヒステリアモードが不完全で、穴のあるものだとしたら。

その綻びに……何かのきっかけでクロが触れてしまえば。

 

 

(勘付いた……?)

 

 

俺が日本に戻ればクロという存在は二度と表に出ることはない。出すつもりもない。

それを知れば、あいつは……俺は、どんな行動を起こすか。

 

 

俺にも、予想できない。カナにも。誰にも。

 

 

 

 

 

 

目が覚めた、らしい。

どうやら色々と考えている内に本当に眠りに就いてしまったようだ。

 

しっかりと締め直された扉の先から、おいしそうな匂いが漂って来る。

そう、おいしそうな匂い。出来立てのマーマレードのような酸味のある芳香が……?

 

(酸味のある物とは言ったがジャムの匂いがするのはおかしいだろ、おやつも一緒に作ったのか?)

 

せっかく味噌汁が用意されたのだろうに、その日本の習慣で床を離れられないのはもったいない。

しかし、意識が覚醒してくると余計にその甘酸っぱい匂いが強烈に鼻を衝いて、甘い匂いが脳を活性化させるのに続いて爽やかな気分が視界を大きく――

 

(やられた……ここまでがお約束だったのか)

 

寝ている俺の顔を眺めている内に睡魔を伝染させたハンガリーの代表戦士が、敵勢力に成り得たであろう俺達の家の一室で、警戒心の欠片を1つ残らず腕の下敷きして静かな寝息を立てていた。

侵犯を果たした体は上半身しか見えておらず、ベットに肘をついて眠りに落ちるギリギリまで粘っていたことが窺え、後からカナにでも掛けられた毛布の暖かさにとても安心したような、眠りというありふれた幸せを享受することに感謝するような顔をしている。

 

健やかな寝顔であるのに、良く見るとその目の下にはクマが出来ていた。夜は怖くて眠れないのだろう。

その恐怖を知っているから、ここで寝ている事を責めるようなことは出来ない。俺だってしばらくは浅い眠りのカナに頼んで隣に寝かせて貰っていて、そうしなければすぐに紋章が疼き出した。

 

メーヤの定期的な退魔の祈りと悪魔祓いで効果を薄める事は可能であったが、それは相手がトロヤという悪魔公姫の正体が判明していたから。しかし、あの魔女は名前すら分からない。

さらに、完全に定着した紋章は反射では消せない。埋め込んだ相手を探し出して、交渉しなければならないのだ……箱庭の主に。

 

助ける方法なんて実質無いに等しく、同情はするがあの場にいたこいつが不幸なだけ。

 

(運が悪かったな)

 

チュラがいなければそうなっていたのは俺自身。

理解は出来ているが、それを要因に身を賭して他人を助けようなんて崇高な考えをただの中学生に求めるのは酷ってもんだ。

助けたい気持ちがない訳では……ないけども。

 

 

「あー、やめやめ」

 

 

思考を振り払う為に、見舞い品の花瓶をもう一度確認した。赤系統と黄系統で構成されたあの花瓶は心を元気付ける作用があり、寝起きには少々眩しいものだが気分転換にはもってこいな代物となる。

 

そういえば、いつも見ているその場所に、新たな花が増えていたんだった。

仲間が一緒に居てくれる証。

 

 

だが、記憶に映った花の写真と、何かが違う。

 

何が違うか、すぐに分かった。そこには――

 

 

「……分かってる。分かってるよ、お前の考えは俺が一番良く分かってる。だから……」

 

 

 

頭痛は、眠りと共に治まって。

 

新たな決意と共に、檻へと収まった。

 

 

モミジのような形のカラーリーフの頂点に、オレンジ色のジャムみたいな芳香を含ませた花が。

 

なるほど花言葉は「予期せぬ出会い」。

 

 

――――そこには、新たな(仲間)が増えていた。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

空腹に誘われるままに2回もおかわりした茶碗と焼き魚から取り除かれた骨が並べられた長皿、皮ごと軽く炙った小さなソラマメ(ファーベ)と豆腐、鶏ひき肉の入った味噌汁は様々な食感と旨味が楽しめ、あっさりとした紫キャベツとクレソンの塩漬けは酸味の中にピリッとした刺激があり、箸休めにもお茶請けにもピッタリな一品だった。

我が家の日本食文化が復活してだいぶ日が経った。今ではイタリアの食材で日本食に挑戦しているのだが、これが中々に面白い。

 

日本で和食が、イタリアでイタリア料理が育った理由も分かる時があるのだ。

国民性や古くから続く文化以外に、こうした自然環境による可食植物の発見順にも左右されていたのだろう。似たような見た目の野菜でも食感も味も大なり小なり違いがあって、まるで違う食べ物になってしまう。

 

 

……まあ、昼食を食べ終えた現状を考えればそんな事はどうでもいい。

 

 

「ごちそうさまでした!カナ、テュラ。今日のお昼ご飯も美味しいのでした」

「うん、お粗末様でした。バラトナちゃんは好き嫌いが無くて偉いわ」

「チュラも無いよー」

「そうね、チュラちゃんもえらいえらい」

「…………」

 

 

俺がおかしいのか?

 

 

「いいえ、私はブタ様は食べられないのでした……クルは好き嫌いはしないので、私より偉いのでした」

「……そんな事、ないです」

 

 

ああ、今の俺は確かにおかしいな。

遠山クロとして転校するまでの遅延期間(ディレイピエリオッド)の最中、カナに教わった通りに変装術と変声術の訓練を続けていたのが不本意ながら実を結んだ。

 

4人掛けにしても大きいと思っていたテーブルには4人分の料理が並べられ、4脚の椅子には初めて4つ分の腰が深く掛けている。

俺、カナ、チュラ……そして『ラカトシュ・バラトナ』と姓・名の順で自己紹介をしてきた年上の高校生が、日常のように食卓を囲んで朝昼兼用の食事を取っていた。

しかも、この違和感に気付いているのは俺だけ、他の3人は「朝にカラフルな鳥を見ました」「それ、チュラも見たかったなー」とか仲良く談笑をしながら、お手本のような、または器用な持ち方の箸で魚をつついていたのだ。

 

馴染んでる。ごく普通に。

クロ同盟の本拠地に、満面の笑みを咲かせた華やかで人の好さそうな容顔をした脱落者が居座って、食事が終わった後も帰る素振りすら見せない。

なんなら一緒に散歩に行きましょうかみたいな会話の流れすら出来上がって、気分転換しようとか完全に逆効果な理由をなし崩し的に押し売られるまま、俺も付き合わされる羽目になりそうである。

 

 

「まだ飛んでるといいなー」

「私が見たのは飛んだところでした。もう巣に帰ってしまったかもしれないのでした」

「一羽だったなら渡り鳥とは考えにくいし、きっとまた見られるわ」

「……」

 

 

気分転換は済ませたから要らない。

行きませんオーラを前面に押し出してみるがサヨナラ三振を打ち立てただけで、ならチェンジしてくれていいのに会話の流れは変わりそうも無い。

 

食事時に返答のみを繰り返していたから聞けなかった戦況の話を振りたいが、また三振となってボロが出そうなので積極的に会話に参加しなければならない話題は避けるべきだろう。

いつまでいるつもりかは知らないけど、こんなにのんびりしてるのだ。明日聞いても変わらないと思う。

 

 

「クロちゃんも、体を慣らしておくのよ?いつ戦いが始まるのか分からないのだから」

「……うん」

 

 

心情を読まれたようなタイミングだが、カナの言う通りだ。

俺たちは戦争中、それも人道を守れなんてルールや条約も無い、無法者共の争いなのだ。

 

分かっている戦力だけでも、ヒルダやリンマ、一菜とパトリツィアも強敵だったし、フラヴィアやパトラの組織形態は不明。戦闘力は通常時ではもちろん、ヒステリアモードでも勝てると言い切れない相手ばかり。

木に登っていた狙撃手も容易に俺を無力化出来るし、あの場にいた全員が同等の戦力を裏に複数持っているとしたら……

 

 

「戦姉、元気ないのー?」

「クル、具合が良くありませんでした?」

 

 

左隣と斜向かいからほぼ同じ意味合いを持った声と表情が向けられた。

ココロは伝播する。伝わっちまったな、悲観的な想像が知らぬ間に重い空気を醸していたらしい。

 

 

「寝起きでしたから……でも、お腹がいっぱいになったら、元気が出て来ましたよ。ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。クロちゃんはもう少し休んだ方が良さそう、顔色が優れないわ。洗い物はやっておくからお散歩は2人で行って来られる?」

「うん、いけるよー」

「大丈夫でした。テュラの事は任されました」

 

 

ああ、そういう事か。

いやに話の流れが変わらないと思ったら、チュラとバラトナを2人揃って外出させるためにチュラの興味を惹き付けたのか。

箱庭を思い出させるような俺への言葉も、その1つだったって事ね。思考を誘導されたからタイミングもバッチリだったんだな。

 

姉弟でやり口がそっくりだよ、まったく。

 

カナは素直な返事を笑顔で受けて、場面を切り替えるようにパチンと手を鳴らすと再度俺に視線を寄越した。

 

 

「よし、じゃあ動こっか。クロちゃんは先にお部屋で休んでてね」

「分かりました」

 

「いい?バラトナちゃん、何か異常を感じたらすぐにここに逃げてきなさい。あなたは私達の仲間よ」

「その一言だけで私は幸せ気分でした、カナ。約束しました」

 

「チュラに任せておいてー!」

「チュラちゃんははぐれないようにしましょうね」

「うん!」

 

 

全員が一斉に席を立ち食器をシンクに運ぶところは、さすがにカナの育成力の高さが窺えるな。

皿を洗い始めたカナの横でチュラは残り物の漬物にラップを掛けてるし、バラトナはテーブルを拭いてるし、俺の仕事が残ってないな。

お言葉に甘えて、お先に部屋で休ませてもらうか。一応近くにいた彼女に一言掛けて。

 

 

「……気を付けて下さいね、バラトナさん。その、ナンパとか相手にしないで、私の所に戻って来て下さい。えと、待っていますから、あなたの事」

 

 

特に何も考えていなかったから、思いついたことをクロが言いそうな感じで適当に伝えただけなのだが……

 

 

「――っ!はい、クル。必ずあなたの元に戻りました。クルもカナもテュラも大好きなのでした!」

 

 

妙に高揚した感じで爛々と輝く瞳を年下の少女みたいな無邪気な仕草で向けられ、そそくさとその場を後にすることになった。

 

 

部屋に戻り、記憶が勝手に反芻してフラッシュバックする。

俺にとっては事故の映像よりもショッキング映像なんだよ!

 

(くそっ、年上があんな子供っぽい笑顔をするのは反則だろ)

 

ドクンドクンと高鳴る心臓に怯えながら考えたのは、なんであいつはここにいるんだという今更な疑問と、なぜ俺の部屋に小さなソファが一台と毛布がセットで増えてるのかという至極もっともな疑問であった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「つまり、なんだ?オメーも乗り込むってのか?」

「そゆこと。元々、俺に与えられた任務だったのを代わって頂く形になってたんだし、体のバランスにも慣れてきた今、そうしない理由もないだろ」

「ケケッ、向いてねーよ。少なくとも今のオメーに潜入はできねェ。つまんねーミスして迷惑かけるのが見え見えだっつーの。なあ、エドガー」

 

カァーッ!

 

「んだよ、ちゃんとやりゃ出来るって。お前が一般人に混じって学校生活出来てるなら、俺にも出来るに決まってんだろ」

「あー、ハイハイ、分かった分かった。勝手にローマにでも行って歌え、踊れ、くたばれ。アイツがそれで良いってんなら別に構わねーけどよ、あたしが口を挟むもんでもねェし」

「だいじょーぶだって、優秀な部下を1人連れて行く。面倒ごとは全部押し付け……任せときゃどーとでもなんだろ」

「……そんなんだから不安だっつってんだけどなァ……」

 

カァーッ!

 

「じゃ、報告書は渡したぞ。吸血鬼の動きにはマジで気を付けろよ?目的は知らんが、大暴れってレベルじゃねえからな」

「ケケケッ!さっさと切り捨てるように進言しとくぜ。バチカンが対処に回ってるせいでローマと膠着状態ってのはザマーねェが、リンマとパトラの奴らが使い魔を撒き散らしてなに企んでんのかは早めに調べを付けとけよ」

「抜け駆けして思金でも探してんだろ。あいつらイ・ウーでも仲良かったし」

「憶測で報告が出来るかよ。……イギリスとフランス、ロシアは動きなし、っと。予想通りだな」

「カツェ、エドガー」

「あ?なんだ?」

 

カァッカァッカァッカァッ!

 

「空席は俺達のもんだ。箱庭の朗報を、精々海の中で待ってるといいぜ!」

「そういうのは言わない方がいいらしいぞ?ポウル」

「その名前で――」

「呼ばれたくなかったら、次はちゃんとなりきるんだなァ!ぎゃはははははッ!行くぞ、エドガー」

 

カァーッ!

 

「……言われなくても、やってやるさ。俺が黄金の残滓を潰せばトオヤマカナは多対一に持ち込める。それで黒思金の獲得」

 

 

「バチカンを締め上げた手土産に、5色の思金も集めて。魔女連隊の連隊長になるのはあの人なんだ!」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただき、ありがとうございました。


睡眠期の後は何かが起こる。
パトリツィアとの決闘後しかり、トロヤとの決戦後しかり。
原因はクロ、被害者はキンジの構図も"希望の萌芽"と一緒ですね。それでも一日休めば復活するのが頑丈な遠山家の血筋だと言えるでしょう。


本編の内容から、慌ただしく動いている勢力があることが分かりましたか?
通称『LRD計画』で動いている国々です。

なぜ、彼女達は動いているのでしょうか。
って、バレバレですかね、さすがに。いや、でも裏を掻くかも知れませんよ?自身の推理に安心するのはまだ時期尚早です。


クロ同盟が最初に衝突するのはどの勢力となるのか、次回以降も是非ともお楽しみに!




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仮構の水源(後半)




どうも!

ジャガイモは美味しく煮込めるのに、サトイモはどうしても芯が残ってしまうかかぽまめです。

その食感が好きだから、直す気も無いのですが。


日常パートが続きます。
……が、家だけだと登場人物が少なくてつまらないのでは?

その上、4人揃って同時に会話に参加すると、それもまた地味に使い分けづらいですよね。
4人が全く同じ挙動をするなら構わないのですが、イメージ的に別の挙動を取るキャラがいるとその描写で進行が途切れちゃうんです。

え、思考シーンで頻繁に途切れてる?
心情シーンは日本式ですから。


では、始まります!





 

 

 

寝室の窓、開かれたカーテンの間から光が差し込んで隅々へと行き渡り、外を見れば混じり気の無い白雲が絵画にでも描かれているような整った形におすましして、晴れ晴れとした淀みのない青空に浮かんでいる。

 

今日明日は一日中晴れの天気予報で、午後には金色の太陽に照らされた街並みと燃えるように綺麗な茜色の空が望めるだろうとか言っていた。

 

太陽は黄色いらしい。

日本人としては日の丸のイメージを覆すのは難しい所だが、日本にいた頃から太陽を見て赤いなんて思ったことはない。それでも白だけど。

 

昼食を終え、再び眠気に襲われる前に済ませておこうと銃の分解整備と格闘していた。

ベレッタの整備は授業中に練習する機会がある為だいぶ慣れたものだが、未だにコルトSAAの整備には慣れない。

部品数も少ないし簡単だとは思うが、なにせ骨董品だ。壊れた部品は容易には手に入らないし、どんな不調が起こるかも分かったもんじゃないから毎回一層の注意を払っている。

 

組み上げたベレッタを女子制服の襟、後ろ側の隠しホルスターに戻し、SAAの分解に取り掛かる。

グリップを外し、トリガーガードを……そこでふと気付くと結構時間が経っていた。そんなに食器は多くなかったはずだが、どうしたのだろうか。

 

 

「お待たせ。ごめんね、何も教えないまま会わせちゃって」

 

 

……こういうもんだ。気に掛けた事が待ってましたとばかりに現実世界へと踊り出る。

人間はこういう小さな予知能力を備えてるんじゃないかと思ってしまう時がある位だ。

 

ま、ただの偶然でしかないんだけどな。

 

分解途中でやめるなんて学校でやったら厳重注意を食らいそうだが、今はいいだろ。

 

 

「それはいい、カナの判断は間違ってなかったと思う。これからハンガリーの代表戦士が来るなんて言われたら否が応でも警戒しただろうし、俺に記憶の齟齬がない事は分かった」

 

 

前回目覚めた時は記憶の欠如が見られた……らしい。

それは俺には確かめようも無い事で、一定の単語や出来事のみを摘み取るかのように選び採られている可能性が考えられるのだ。

 

現に7日前の晩に起こった出来事なら正確に把握している。

俺やカナを含めた14人の代表者が3種類の同盟ないし無所属として箱庭の戦いを生き抜くことになった。

 

どいつもこいつも普通じゃない奴らばかりだったが、特に目を引かれたと()()()()()()のはヒルダとにらみ合っていたくすんだ茶髪のシスターと、水色に近い霧色の髪に小型機械みたいな髪飾りを付け全身軽装の両腕に手甲装備のまま立ち寝をしていたリンマ2号。あと、木の上に陣取っていた口数の少ない2人の少女達も危険だと感じた。

 

バラトナを救出後、ここに逃げ込んでそのまま睡眠期に突入した。

ここまで、流れの繋がりに違和感はない……はず。

 

 

しかし、なぜこんなにも長い期間眠っていたのかは説明できない。

通常は長くても2、3日の前後に1日の意識混濁期間がある程度であるのに、意識を回復するのに掛かった時間が2日も多い。

 

あるはずなのだ、原因が。俺の記憶の中から抜け出した何かが。

 

 

俺の言葉から我が意を得たりな反応を示したカナは、自然発生していた毛布が畳んでおいてあるソファに軽く腰を下ろして、代わりに室内を緩めの空気に仕立て上げた。

 

 

「良かった、ちゃんとキンジにも伝わってたみたいで。それで、どうだった?」

「ああ、見た瞬間にあいつがあの時の脱落者だってことは分かったよ。服はクロの……まあ、俺のっちゃ俺のなんだが、ローマに来てすぐにその場しのぎで買ったパーカーに着替えてたから印象は違った」

 

 

たぶんその日からここに住み着いているのだろう。

お礼が言いたいとか呟いてたし、それが叶ったのだから近いうちに帰るかもしれない。

 

 

「うーん……全部は伝わってなかったかな?」

「何の話だ?確認の他に意図があったんなら教えてくれよ」

「詳しく話すと気にしちゃうだろうから曖昧にするわ。彼女の印象が聞きたかったの、敵としてでなく普通に接したキンジは箱庭の戦士にどんな人柄や人格を見出したのか」

 

 

(あいつ個人に対する印象?そんなこと聞いてどうするんだ?)

 

だが、カナの表情は冗談を含んだ笑みではなく、この問い掛けに真剣な姿勢で臨んでいるようだ。

 

 

「聞きたい事が分からない以上大雑把に答えるけど、表裏もなさそうで悪いヤツには到底見えなかった、同じく強そうにもな。戦争やりに来てるような国の代表だし悪逆非道な超人共を想像してたから拍子抜けした、ってのが一番の感想だ」

「ええ、いい感じよキンジ。その調子でもう少し深く踏み込んでみて?」

 

 

え、足りなかったか?

 

カナはおいでのジェスチャーをしながら更なる意見を求めている。

女は危険物な時点で行動を観察することに余念はないものの、そこまでじっくりと人格や身なりを観察してはいないからストックが無いんだけどな。

 

 

「えーっと……なんだ、髪が長い。身長も俺と変わらない位だった。肌が白くて髪は薄茶気た黄緑で……」

「それでそれで?」

 

 

まだ足りないのか……一体何を聞き出したいんだ。

 

 

「パーソナルスペースが狭いのは良くない……チュラは慣れたから別にいいけど」

 

 

頭の後ろをガリガリと掻いて残りの感想をなんとか絞り出す。

 

その様子見たカナは少し俯いた。

何かを我慢しているみたいに、肩を小刻みに揺らしている。

 

 

「そっか」

 

 

帰ってきたのは真剣味の無いそっけない返答。

顔を下げたカナの口からスタッカートがちょっとだけ強く顔を出していた。

 

(ん?そういえば、途中から顔が笑ってなかったか?)

 

正式にはおいでのジェスチャーをした辺りから微笑みがあったような。

 

まさか……

 

 

「総評は?」

「危険だ」

 

 

顔を上げたカナは完全に笑っていた。三つ編みの先端を指で弄っているのは楽しんでる証拠だろう、俺で。

だからこっちも適当に返す。何だったんだよこれ、その為にバラトナを追い出したのか?

 

緩かった空気が完全にダレた空気に変わってしまう前に引き締めに掛かる。

会話の主導権を握らなければ、いつ俺の求める情報が得られるか分かったもんじゃない。

 

 

「そんな事より戦況を聞きたいんだが、この話はもう終わりで良いんだよな?」

 

 

投げやりになり始めたのを自覚する前に、本来の目的を投げ掛ける。

と言っても諜報員がいる訳でもない我がクロ同盟に、大した情報なんて有りようもない。

 

 

「……もうちょっと、キンジをリラックスさせてあげたかったんだけど……仕方ないか。あなたは男の子、それも遠山家の子だもの。臆病風に吹かれなんかしたら……ふふ、ご先祖様は許してくれるかしら?」

「今頃何の心配をしてくれるってんだよ。それに、俺は遠山家の人間でもあるけど、それ以前にカナの弟だ。もし、カナの弟だっていうやつと任務を一緒にすることになったら、全面的に信頼してやれる自信があるぞ。俺がそれに相応しいとは思えないけど、たまには信じてくれよ、クロだけじゃなくて通常状態の俺の事も」

 

 

無理だろうけどな、って部分はぼかしておこう。

不安がられて勝手に情報を添削されたんじゃあ納得できないし。

 

心がモヤモヤする。

俺自身が求められていないような、そんな気がする。

 

 

「ごめんなさい。もちろん信じてるわ、キンジ。あなたはまだ未熟だけど、その可能性は私にだって見えないものだもの。それと……」

 

 

ソファから立ち上がったカナは、距離を空ける為にサイドチェアに腰掛けた俺の前まで歩いて来ると、右腕を少しだけ伸ばし手を丸めてモノクルのような形を作って、左胸の下に聴診器のように当ててきた。

 

 

「今、一番あなたの心を占めているのは誰なのかしら、ね」

 

 

今度は問い掛けの意思を感じなかった。

ただの独りごと、それを間近にいた俺が聞いてしまっただけ。

 

だから、その答えは……出ない。

 

俺から離れたカナは背を向け、振り向かずに答えた。

 

 

「戦況は……恐ろしく静かよ。今は」

「…………」

 

 

『今は』――

 

その現在を表す言葉には、過去も未来も含まれているんだな。

俺が寝ている間にも、そして近いうちに、大きな争いがあると暗に示している。

 

頭の中にはゲームのウィンドウみたいに選択肢が表示されているが、当然聞くのは過去からだろう。

んでもって、『本当に聞きますか?』問いには『イエス』で確定だ。

 

 

「順を追って聞きたい。まず『どこが戦いを始めて』、次に『なぜ戦いは休戦になって』、最後に『どうして戦いが始まるのか』だ」

 

 

戦争を先陣切って始めるような好戦的な国はマークしておくに越した事は無いし、その目的を知れば戦闘を避けられる可能性もある。

逆にこれから始まる戦いを未然に防ぐ事も不可能ではないかもしれない。そう考えての問いだった。

 

しかし、途端に場面が切り替わったかのように空気が変わる。

違う、変わったのはカナの方だ。カナの水の如く静かな、それでいて圧倒的な闘気が部屋中に満ちて飲み込んでいるのだ。

 

 

「キンジ、あなたの質問に答える前に、あなたには答えなければならない事があるわ」

 

 

怒っている時とは違う。

俺が自分の身を危険に晒した時の兄さんは、それはもう鬼と呼ぶのが形容ではない位恐ろしかった。

 

比較するとカナは怒っている訳じゃない。怒ったところなんてローマに来てから数回見た程度だ。

しかし、説教で許される様な雰囲気でもない。これは、まるで……

 

 

(敵対行動……ッ!?)

 

 

状況が分からない。

瞬間的に脳の機能がロックを掛けられたように動作を停止して、全ての神経がカナの動きに集中しようとフル回転で動き出す。

 

手元には使用可能な拳銃も無い、ナイフも無い、防弾制服も無い。

あった所で役立つとも思えないが、部屋着とカツラ以外には丸腰というだけで気が滅入ってきそうだ。

 

 

「久し振りに()()()、しちゃおうかな?」

「ッ!」

 

 

振り返るカナのお願い、すなわち命令。

それを断る術を、俺は持たない。

 

 

「ウソをついちゃダメよ?」

「うそ……?」

 

 

(強制させることを嫌うカナがお願いをしてまで俺から聞き出したい事……?)

 

そんな言い方だった。

俺がカナに隠し事をしてるとでも思っているらしく、答えによっては無事では済まされ無さそうだ。

 

 

「キンジは5年前、日本で隕石を巡る暴動事件があったのを覚えてる?」

「隕石?暴動?そんなニュースをテレビで見た覚えも無いはずだ」

 

 

ヘタな言い訳は通じない。

答えは細心の注意を払って、事実と違える事の無いようにしなければ。

 

 

「確かにこの事件はニュースどころか当時は新聞にすら載ることはなかったの。国家機密を含んでいたから、あらゆる情報機関に多大な圧力が加えられた。自身の仕事に誇りを持っていたと、どこか遠く手の届かない、誰にも声が届かない場所で吹聴している人間もいるのかもしれないわね」

「……その事件と俺に、何の関係があるんだ?なぜ、俺が知っていると思った?」

 

 

どうやらこのまま話が進めば俺と無関係であることを証言できそうだ。

一生のうちに隕石とお友達になった覚えも、暴動事件に参加して羽目を外した覚えもない。いわゆるお門違いって話。

 

緊張が解け始め、少しだけ肩の力が抜けた辺りでカナが唐突に個人の名を挙げた。

 

 

「かなせ」

 

 

聞いた事の無い名前だ。

やはりカナの勘違いだろう。

 

内心ほっと一息つく。

 

 

「『怪盗団』と名乗った犯人の内、1人はそう呼ばれていたらしいわ。年の頃は10才前後で少女のような振る舞い、黒髪にキツネ面を付けて奇妙な術を数多く使いこなしたそうなのだけど……」

 

 

同年代ではあるようだが女子らしいし、続けば続くほどに知り合いからはどんどん離れて行く人物像。

キツネで一菜を思い出しかけたが、髪を染めても黒くならないんだったな、あいつ。

 

 

「そいつがどうかしたのか?そもそも、箱庭とその事件の犯人に何の関連性があるっていうんだよ」

 

 

興味も無いが、ぶった切るのも悪いから乗っておく。

 

 

「その子は私達の親族である可能性がある。そして、この箱庭に参戦している……かもしれない」

「――っ!」

 

 

(俺達の……親族…………?)

 

どういう事だ?なぜそんなことが分かる。

それに暴動事件の犯人だなんて、遠山家の親戚にいるはずがないだろ。生きているはずがない。

同年代の少女が宴会の席にいるのは見た事が無いし、いたとしてそれなら兄さんが知らないのはおかしいのだ。

 

(いくら何でも筋が通らなすぎるぜ、どうしたんだ、カナらしくもない)

 

顔に出てしまっていたのだろう、カナはそう断定した理由を遂に口へ出したが、それはにわかには信じがたいものだった。

 

 

「キンジも遠山家の技の1つ――『指矢』を知っている?」

「……知ってる。正式には継承はされてないけど、どんな技なのか位は聞いた事がある」

 

 

指矢は父さんの技だ。

継承したのは『羅刹』同様兄さんのみで、つまりカナも使うことは出来るのだろう。

しかし、音も光も無いという隠密や不意打ちの利点を除けば、威力も速度も上回る不可視の銃弾を習得した兄さんがわざわざ使う必要もなく、実戦で使っているのは見た事がない。

 

 

「かなせという少女は、両手から見えない何かを音もなく弾き飛ばして来たって報告があったの」

「両手って」

 

 

その発想は俺も実践してみた事はあったが、結果は散々たるもの。

相手を怯ませるどころかおもちゃ売り場の積み木で建てられたお城すら倒せない貧弱なもので、結局習得は諦めたのだ。

 

子供の頃の苦い思い出を辿る内、証拠を並べるように次へ、次へと戦闘報告が述べられていく。

 

 

「木々の茂る林の中で音もなく這い回り……」

「……『壕蜥蜴』?」

 

確証は出来ない、が。

 

「手に持っていた銃、弾倉、ナイフ、腰に付けていたワイヤーや通信機器に到るまで、次々と掠め取って……」

「『ヰ筒取り』……!」

 

カナの推理通りかもしれない。

 

「高い位置から落下した勢いをそのまま衝撃に変換させたような掌底で、体格で圧倒的に勝っていた大人を2m以上打ち撥ねたそうよ」

「『勾玉』の事か」

 

そいつは遠山家の技を継承している!

 

 

「すぐに親戚一同に知らせが回ったわ。でも年齢条件だけなら数人の該当者がいたのだけど、どこにも件の少女はいない。術理の漏洩として処理されて、その子供を討つ"仕事"が託されたのよ、私に」

「……俺と同じ年の子供を……殺すのか、カナ?」

 

 

今日日まで遠山家が正義の味方としてあり続けられたのは、その家族をも討つ覚悟と"義"への絶対の誓い、血生臭い過去の因習による。

義の道を外れた者は、その家族によって討たれるのだ。兄弟である俺と兄さんも、互いの義がどこかで衝突した時には道が一つに戻る様に、桜の木が一本の芯を通してまっすぐに伸びる様に戦う事になる。

 

 

正義とは、決して綺麗なモノなんかじゃない。

 

 

表の面が綺麗であればある程、その裏の面は薄汚れているもの。もし表も裏も変わらないのなら、それはきっと未完成で中身の無いものだと言えるだろう。

性格に裏表のない人間は心に陰を持っているもので、充実したサービスは裏で人員を酷使して成り立たせている。

 

逆に両面をピカピカに磨こうとすれば徐々に擦り切れてペラペラな、息で吹き飛ぶ紙切れになってしまう。

人間でいえば主体性の無い意志薄弱なやつだし、会社でいえば社員の生活を支える為に利益も出せず潰れてしまうようなもの。

 

 

だから俺は揺れてしまうのだ。

何かを犠牲にしなければ成り立たない正義を貫くことが、それ自体が俺の考えていた未完成な正義と違う道を進んでいるから。

 

 

 

だから……俺は兄さんを指標にした。未開の地を拓くことを、恐れたんだ。

 

 

今の俺に、俺の正義はない。

 

 

 

「危険よ」

 

 

セリフは俺の適当な回答と同じ言葉ではあったが、その重みは糸くずと金塊。

正義の瞳は一切の悪を見逃さない、"義"を口にする兄さんと同じ瞳、その色は変わっても輝きはどんな姿でも変わらなかった。

 

 

「彼女達の拠点は世界各地にある。その1つがここ、ローマにあることは分かっていたし、ヨーロッパのあちこちに隠れ家を構えているらしいの」

「カナが……俺たちがローマに来た理由は、少女を殺す為だったってのかよ!」

 

 

正義の味方に対して、声を荒げてしまった。

僅かばかり含まれていた怒気は完全な八つ当たり、そうやって自分に無い正義を相手を否定することで得ようとしてしまう。

 

しかし、意思のない言葉など、相手には、届かない。

私情を第一に考える群衆の言葉なんかに惑わされる正義の味方は失敗作だ。

 

カナはその長い睫毛を動かす間隔をコンマ秒もズラす事すらせず、姿勢を変えないままに、()()()――。

 

 

「……あなたが眠っている間に、『ルーマニア』が『バチカン』に仕掛けたわ、あの日の夜の内に。それも単身で、周囲を無茶苦茶にしてしまうんじゃないかと思える程に暴れ狂っていたの」

「…………」

 

 

緊張で満たされた中で、やっと聞きたかった箱庭の戦況を説明される。

だが、カナが構えた段階から脳は動きを止め、ただただ記憶のみに蓄積されていった。

 

 

「最初は優位だったバチカンも『ローマ』が動いたことで膠着状態に陥った、使い魔がローマ中を飛び回っているからその影響もあるのでしょうね。そしてあなたが目覚める2日前にルーマニアは()()()()()()()()()()姿を消して、膠着状態のままどこも()()()()()を見せていない。それが現状よ」

 

 

1つ目、2つ目の質問が終わり束の間の平和であることは理解できたが、それ以上の推論は今は無理そうだ。

それが分かっているのか、カナも話を切ることをせずに3つ目の質問にも答えを提示する。

 

 

「あなたが起きたから戦いは始まるの、キンジ」

「俺が、起きたから?」

 

 

予想外の答えに眉間のしわが深くなったように感じていると、カナの右腕が動くのに気付いて咄嗟に身構える。

しかし、これまた予想していたよりも遥かに緩慢な普通の動作で、敏感になり過ぎて早とちりしていたがあの構えは不可視の銃弾の準備ではなかったようだ。

 

その手には一週間前に見た招待状と良く似た折り畳みの白い厚紙が、平和の作り手(ピースメーカー)の代わりに添えられている。

 

 

「これ、あなた宛ての手紙よ。女の子の手紙にはちゃんと返事を返してあげなきゃだめ、忘れないようにね?」

「待ってくれ、まだ答えを……って、俺宛てに女から手紙?何の間違いだ」

 

 

ローマに知り合いの女……?

パオラとかヴィオラとかか?

 

あいつらならこんな古典的な遣り取りをやりかねないな。

 

手渡された紙、その一面に書かれていた文字は――

 

 

「――『果し状』、か」

 

 

中身を確認すると1枚だけの便せんが封入されていた。

日本語、記名は無し、三行半……意外と丸文字。あいつか。

 

 

「なあ、日付と時間のとこが空白なんだが……」

「ええと……その紙は折り返し用らしいわ。クロちゃんがいつ起きるか分からないからって」

 

 

(果し状の折り返しなんて聞いたことねーよッ!)

 

果たし合いの押し売りじゃねーか。

アホだ天然だとは思っていたが、決闘を申し込む時にまで突っ込み待ちかよ。

 

 

「……これ、来週でもいいか?」

「ゴミ捨てじゃないんだから……明日にでも渡しに行くのよ」

 

 

(め、めんどくせぇ……)

 

おかげさまで、カナの闘気が萎えている。

とはいえ、それはそれこれはこれ。

 

鉛筆でいいか。

筆なんて持ってないし、ペンは授業でいっぱい使うし。

 

 

「どういうつもりだ?」

「そんなの、読んで字の如く、でしょ。彼女達――日本の代表戦士が、クロ同盟の最初の相手になるという事ね。ファイトよキンジ」

「場所の指定も無いんだが」

「場所を決めるのは男の仕事、そういうものなの」

 

 

(うっわ、マジめんどい、適当でいいや。)

 

受け取った手紙をそのままサイドテーブルへ、戦いが始まるって俺の事だったのかよ。

 

 

「今は他に争いの前兆はないんだな」

「ええ、『今は』ね」

 

 

そうか、それなら……

 

 

「かなせってやつに心当たりはない。俺は休むぞ、まだ本調子じゃないから決闘は先送りだ」

「そう、ならいいわ…………ねえ、キンジ。あのお祭りの日――」

 

 

 

「おねぇーちゃぁーんッ!!」

 

 

「!!」

「!?」

 

 

チュラの叫び声。

銃を整備しようとした体が少しだけ跳ね上がって、何かを言い掛けたカナと目が合った。

 

 

「――キンジはここに居なさい」

 

 

それだけを言い残し、カナは寝室を飛び出した。

 

そうではないと思いたい。

例え今が束の間の平和なのだとしたら。

 

 

「イヤな……予感がする」

 

 

今というタイミングは、もう過ぎ去ってしまっているのかもしれない。

 

 

「ここに居ろってのはあんまりだぜ、カナ」

 

 

ハンガーに掛けられた制服を見る。

そのまま着込んでも、違和感は無いだろう、なんせ朝から女装しっぱなしだったからな。

 

(今日はまだ成れないだろうけど……)

 

やれることくらいはやらせてくれよ。

臆病風に吹かれたら、ご先祖様にボコボコにされちまうだろ?

 

 

だから――

 

 

まだ、もう少し、兄さんの道を歩かせてくれ。

俺の道は、まだ見えないんだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「しゃぴー……どっちも見付かんないよー」

「泣き言を言うでない、ほれ、またお前の使い魔が1匹帰って来ておるぞ」

「あ、にゃーま!おかえりー」

 

「パトラ様、わしの使い魔が戻ってきませんのじゃ!」

「知らぬわ!なぜ妾がお前の使い魔まで世話をせねばならぬのぢゃ!」

「どこいったんじゃぁー」

 

「まったく、ハトホルの相手だけで充分というに、ヒルダの奴はどこに隠れとるんぢゃ」

「パトラー」

「パトラ様ー」

「……もう疲れたわ。この計画を立てたクロは一度も姿を見せておらんし、早々にくたばっとらんと良いがのう」

「ハトホルーお腹すいたー」

「ひよこ豆しかないのじゃよ」

「やったー!」

 

 

「…………はぁー」

 

 

「ハトホルッ!風呂に入る。早急に用意せいッ!」

「……っ!かしこまりましたのじゃ。すぐにでも煮立たせてご覧に見せますじゃあ!」

「うむ、良く冷やした金と甘いバラを忘れるでないぞ」

「鯉はいるー?」

「いらぬ」

「パトラ様!ひよこ豆を一緒にいかがですじゃ?」

「そうぢゃな、若いものを茹でて持って来ぅ」

「湯船に漬けておきますじゃ」

「別々にせんかッ!釜茹でのつもりか、阿呆が!」

「も、申し訳ありませんのじゃー」

 

 

 

「今日ほど占星術の精度を嘆いた日はないのぢゃ……」

 

 

「パトラー」

 

「パトラ様ー、お客様ですじゃー」

 

「今度はなんぢゃ」

 

「鳥ー」

 

「鳩ですじゃ」

 

「……?――――ッ!?そ、そそ、そやつ、バチカンの使い魔ではないかぁー!捕らえよッ!生かして逃がすでないぞッ!銃弾は当たらんし耐魔術も高い、質量体で捕らえるのぢゃーッ!」

 

「わーわー、飛んだー」

 

「捕まえるのじゃー!……し、しもうた!わしの使い魔は偵察中じゃったぁッ!」

 

「リンマ、お前がなんとかせい!」

 

「『造流』も当たんないよー」

 

「うぎゃんッ!そのひよこ豆はだめじゃぁーッ!返して欲しいのじゃーッ!」

 

「豆なぞくれてやれ、手に持っとる豆をまくのぢゃ!リンマよ、『鳥籠(チョウリ)』は使えんのか!?」

 

「お腹が空いてるよー」

 

「こらーッ!緑色のばっかり食べてはいかんのじゃーッ!黄色いのも美味しいのじゃよーッ!」

 

「腹が減っておるならお前も豆を食えば良いではないか!」

 

「あっ、そっか!うん!それならいけるよ!」

 

「あああっ!お風呂の火を点けっぱなしだったのじゃ!パトラ様、お風呂が煮立ちましたのじゃ」

 

「後にせいッ!お前はもうよいから、はよう火を止めて来い」

 

「はぐっはぐはぐ!もぐもぐぉ」

 

「行ってきますじゃー」

 

「奴の進路を塞ぐぞ……そこぢゃっ!」

 

「『鳥籠(モギュギ)』ーッ!」

 

ガチィンッ!

 

「良し、ようやった」

 

 

 

捕まえたー!(ぐぐもっぐー!)これどうする?(もぐもぐーぐぐ?)ケバブにする?(もごぐぐもぐ?)

 

「腹を壊すぞ。何言っとるかわからんが、お前のことぢゃ。食う事しか考えとらんのぢゃろう?」

 

(コクコク)

 

「直にここもバレるぢゃろうし、数日中に移動するぞ」

 

(コクコク)

 

「パトラ様!準備が整いましたのじゃ!」

 

「分かった。ハトホルよ、あの使い魔はよくよく見張るのぢゃ。運よく籠が壊れてしまうかもしれんからの」

 

「かしこまりましたじゃ」

 

「あやつと合流する。使い魔が戻り次第、連絡を飛ばせ」

 

「わかりましたのじゃ!」

 

 

 

 

「いくら占おうと、クロについては何も分からんのう……その居場所さえ、不明ぢゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「何事かと思ったら……」

 

 

ビィイーーッピチピチピチュピチィッ!

 

 

「……カラフルです」

「カラフルね……」

「ピチピチピチュピチィッ!」

「テュラ、お上手でした!」

 

 

散歩に行ったんだよな、そうだよな。

どこまで行くのかを聞く気も無かったから、割と遠くまで行ってたんだなー、なんて思っていたのだが……

 

 

「なんで2人とも、そんなにボロボロなんですか?ああ、いえ、先にお風呂に入ってこ……来て下さい」

 

 

パチパチパチじゃないだろう。散歩は歩くものであって転がるものではない。

チュラの制服もバラトナのパーカーも、全面を一通り汚しており、ウチは土足厳禁だし、犬の散歩後みたいに風呂への直行確定だ。

 

 

「お風呂を沸かしてきます」

「チュラも――」

「カナ、2人にタオルと着替えを」

「私はシャワーで構わないのでした、クル」

「一度入ってみてください、疲れが取れますよ?」

「……お風呂は……浴槽は怖いのでした、でもクルが一緒なら――」

「カナ、着替えの用意もお願いします」

「ふふ……おも、しろい……ふふ……」

 

 

笑い事じゃねーんだって!

風呂に入ればしばらく出て来ないと思っての作戦だったのに、そっちに転換されるとは思ってなかった。

走ったんだか何なんだか汗もいっぱいかいたみたいで、女スメルが蔓延した玄関が俺にとっての終着点になっちまうよ!

 

(風呂場だ、風呂場に逃げろ。ここは背中をカナに任せて逃げの一手だ)

 

俺だけを殺す気体が充満した空間からは戦略的退去。

追撃を友軍の対応に全任する形にはなるが、よく考えれば敵軍も友軍だ。仲良しこよしで足止めしていてくれ。

 

 

トイレの前を通過し、バスルームの扉を開けた。

日本のように換気扇を回さなければ乾かないなんてことも無く、壁がカピカピになる位に中は乾燥している。

 

風呂・トイレ別の貸家なんて無謀な家探しを頑張った甲斐もあり、誰かが入浴中でもトイレを探しに屋外へ出る必要もない。店内備え付けのトイレも公衆便所も利用料金を取られるし、日本と比べると汚いと聞いていたのでなるべく家で済ませたかったのだ。

 

 

「あの鳥はどっから連れて来たんだ」

 

 

女だらけの屋内で個人スペースを手に入れた後は、現実逃避の材料としてチュラの頭に乗って胸を張っていた色彩豊かな鳥類を思い出す。

もちろん手は動かしたまま、早く終わらせないとあいつが来る可能性があるし。

 

 

「チュラちゃん、お風呂に入るといたいいたいだから消毒してばんそうこうを貼りましょうね」

「染みるのやだー」

「お風呂のお湯の方がいたいわよ?ちょっとだけだからがまんしてね」

「……はーい」

 

 

時間制限の判断材料として、耳をそばだてる。

 

 

「……まだ、大丈夫そうだな」

 

 

作業の続行だ。

 

色以外の特徴としては……すごく、偉そうというか自信満々というか、仕草がうざい。猛禽類っぽい顔の作りはしているが、あれだけ目立ってたら獲れる獲物も獲れんだろ。

ペット用に品種改良された個体が逃げたか捨てられたかしたと考えるのが自然か、鳥が自分でメイクするとは考えられない。

 

何で頭に乗るんだか。定位置なのか、バランスもとり辛そうだぞ?

 

 

っと、手を動かせ。

 

(すぐにカビが生えないのはいいな、日本じゃタイルなんてすぐに黒くなるってのに)

 

ぬめりも残らないから風呂掃除は楽……なのには理由がある。

 

そう、ここはローマ。水は硬水。

乾けば浴槽全体に粉(塩素系)をふくし、髪も肌もズタボロにされてしまう。

鏡の留め具なんかの金属が錆びづらいのは良いのだが、肝心の鏡が見えなくなる。

 

下調べは重要だと思い知らされたよ。

パオラが編入早々に用意してくれた軟水シャワーの効果は絶大だ。じゃなきゃ朝も洗顔シートで済ませて顔も洗えてない所だったぜ。

 

 

「すみませんでした、カナ。先にお手洗いをお借りしました」

「ええ、行ってらっしゃい……?」

 

 

おっと、余計なことを考えていたら手が止まり掛けてた。

後は水を掛けて湯を張るだけだ。

 

 

「バラトナちゃん、あなた、怪我はどうしたの?」

「……っ!……最初から……して、ませんでした」

 

 

お湯が溜まるまでは引き籠ってようか、チュラが来たら速攻出るけどな。

 

シャワーから勢い無く注がれる、体温より少し温度の高いお湯が徐々にその容積を膨らませていくのを、焦点を合わせずにぼーっと眺める。

浴室の温度も上がっていき、水の跳ねる心地よい音が瞼の幕を下ろし始めた。満腹だからか眠くなってきたらしい。

 

 

(俺はなんで箱庭に参加したんだっけな……)

 

 

一菜を守りたい、って考えたのは覚えてる、その一菜が最初の敵な訳だが。チュラが狙われているのも夢の中で推理した。

だが、それとは別に。何か大切な約束をしたような気がするのだ。

 

思い出そうとしても、ある一定記憶まで遡ると頬の痛みと共にスタート地点に戻される。

とても大事な……約束をしたはずなのに。

 

約束を待つその人物の輪郭すら――

 

 

「クル、起きていました?」

「!!」

 

 

どうやら友軍の討ち漏らしが本陣まで到達してしまったようだ。

戦略ゲーだったらゲームオーバーだぞ?

 

 

「いえ、起きていますよ。どうかしましたか?」

 

 

バラトナで良かったと心から思う。

チュラだったら特攻+のスキルで湯船にどっぽーんだったからな。夢でやられた。

 

 

「あの……湯船に沈んでるんじゃないかと……思いました」

「どんなドジっ子ですか、いいから部屋で休んでいてください。ケガをしていたでしょう?」

「……ッ!?」

 

 

手を掛けていたのかそれとも背をのせていたのか、戸が動揺するようにカタンと音を立てた。

 

一目見て分かっていたが彼女の太腿、スカートに隠れるか隠れないかの微妙な位置に打撲のような赤腫れがあった。そんなに重症ではなさそうだが、歩けば痛み、治りも遅くなるだろう。

去って欲しいのもそうだが、少しだけ心配もしている。

 

 

「……して、ない……気のせいでした」

「?」

 

 

強がりか?子供じゃあるまいし。

 

 

「そんなわけありませんよ、確かにあなたの脚には……」

 

 

――気配が消えた。

 

うーん?素直なやつだと思っていたが、変な所で頑固な面があるのか。

ホント、予想してなかった意外な一面だ。

 

 

「さて、もうちょっとしたら――」

 

 

 チ

  ャ

   ァ

    ア

 「おっふろーッ!」

      ア

       \

        \

         \

          ン

           !

            !

 

 

「潜林ッ!」

「わぷぅっ!」

 

ザバーンっ!

 

おーおー、派手に突っ込んだな。

水位が低いから頭も打っただろうよ。

 

特攻どころか爆雷レベルの戦妹は、あの勢いで俺を道連れにしようとしていたのか。

…………湯船に沈みゃしないよな?

 

 

「がぷぁっ!あれー?戦姉がいなかったー?」

 

 

沈んでいなかった不発弾は立ち上がるまで勢いを失わず、一気にその全身を……

 

(当たり前だが……何も着てねぇッ!)

 

不発弾の大爆発。

その威力たるや爆雷の名に恥じぬ衝撃波で、あの柔らかな肢体が直撃すれば……免れなかっただろう。

 

チュラは家族のようで血のつながりはないから家族でない。

近しい人間というのは心を許せる存在だから、本能的に……

 

 

「ニキャアーッ!」

 

 

恥もへったくれも無い。

防空壕も無い戦場から命からがら脱走した。

 

頭のおかしな声?

出たからしゃーないだろ!変声術の後遺症だ。行ったり来たりしてる内になんかああなっちまうんだよ!

 

転がり出た先にカナがいる。

物思いに耽っているのか、さっき起こった空爆にも俺の奇行奇声にも、その目を向けてはいなかった。

 

フローリングに強打した肩を押さえながら立ち上がり、しっかりと気持ちが届くように抗議の意思をいっぱい詰めて今朝と同じ第一声。

 

 

「カナ、頼むから戦妹(チュラ)を止めてくれ」

「あら?チュラちゃん、いつの間にいなくなってたのかしら」

「クル、寝惚けてました?」

 

ピチュピチィッ!

 

 

そうか、寝ても覚めても悪夢なら。

 

俺は寝るぞ!

ふて寝の二度寝だ!

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました。


戦いは始まるぞ!
ってことで、日本と戦う事は決定事項となりましたね。

無尽蔵の生物エネルギーを持つガン=カタの使い手、三浦一菜。
へんてこな妖術を使った苔石に化ける妖怪、兎狗狸。
狙撃が得意な眠たがり風鈴に化ける妖怪、槌野子。
何をするか分からないやる気もナーい三毛猫の妖怪、三松猫。
隠形、忍法、戦闘技能も不意打ちも!風魔の末裔、風魔陽菜。

はてさて、数の上では不利ですが、どんな戦いになるのやら。


本編の内容として

チュラとバラトナはボロボロになって帰ってきましたね。
ただの散歩でそうなるか?頭に鳥は乗るものなのか?
その内容はまた後ほど。

キンジ自体は金星の記憶を持っていませんでした。
しかしカナの目的、少なくともその1つには『かなせ』と名乗った少女を討つ事が含まれていました。
クロは金星という人格を知覚していますが、果たして……


以下、雑談。

カナの記憶設定がいまいちつかめてないんですよね。
"金一とは記憶の一部を共有している"との事ですが、キンジの事は弟だと認識している反面、母親の記憶は曖昧。母親が亡くなった後に生まれた人格だから顔を知らないにしても、父親"金叉"の記憶も持ち合わせていないんでしたっけ……?

原作では金一引退後もカナとして登場はしました。
しかし、出番も減るでしょうし、カナの活躍ももっと見たいなぁー、とか思ってみたり。




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首尾の一行(ジャーニー・ガイダンス)




どうも!

緋弾のアリア、発売予約キターッ!な、かかぽまめです。
前回の終わり的にもネモ提督は登場するのでしょうが、メインはエルフの方らしいです。
あわよくばノーチラスの情報もちょっと出て来ないかなー?
でもでも、南の島を超えるラブストーリーは生まれないだろうなぁ……

どうせ満身創痍過ぎて父さんには勝てないだろうし、日本に帰って何をするつもりなんでしょうか?

個人的にレテティ・テテティが読めないキャラですね、エジプト人名に近いような、マラガシ語圏のような、武器はアイヌの物?でもホンドタヌキは本州以南だよ……?
乏しい知識では考える程、ネタ元が被らないかと不安なキャラでした。

クリスマスの仕事終わりに予定が出来て良かっ……


あ、関係なかったです。

では、始まります。





 

 

 

「お待たせしました、カナ、テュラ」

「お帰りなさい」

「おかえりー。バラトナは今日もシャワー?」

「はい、浴槽に入る習慣はないのでした」

「……それで聞きたいのだけど、どうしてあなた達はあんなにボロボロの服で帰ってきたの?」

「えへへー、ヒミツー」

「テュラにとっては譲れない戦いでした」

「?嬉しそうな顔、お友達に会ったの?」

「うん!」

「とても礼儀正しい子でした」

「楽しかったのね。良かった、何かあったのかなって心配だったから」

「チュラが勝ったんだよー」

「激しい攻防だったのだと思いました。でも、見ていても良く分からないものでした」

「見ても分からない攻防……?それにはバラトナちゃんも参加していたのよね?」

「一緒だったよー。チュラに力を貸してくれたもん」

「そんな……私は足手まといでした。テュラはとても強い子でした」

「??新しい遊びかしらね」

 

「カナ、クルはお部屋ですか?」

「ええ、そうだけど、休んでると思う」

「私も眠れる間に眠っておきました。これからはいつ、戦いが始まるか分からないのでした」

「……そうね。チュラちゃんのお散歩に付き合ってくれてありがとう」

「おまかせでした。テュラは素直な子で、楽しい散歩が出来ました」

「チュラちゃんは鏡の様な子よ、素直に見えたのならあなたも素直な良い子。あなたが見ているあの子は、あなた以上にあなたを見ているわ」

「私が……素直、でした?……それは、きっと……間違っていました」

「どうしてそんな事を言うの?」

「カナ、ごめんなさい、私は嘘を吐いていました。でも、素直じゃないから、まだ言えないのでした」

「…………」

「でもでも、カナもテュラもクルも大好きなのは本当の事、それだけは私の素直でした」

「……うん、良かった。キライって言われちゃったら悲しかったけど、大好きだなんて」

「嫌いな訳ない、温かい家族を嫌う人間なんて、いませんでした」

「あなたも温かい家族は好き?」

「はい、もちろんでした。ずっとここに居たいと、そう悩んでしまうくらいに気持ちが溢れてしまいました」

「あなたが生きたいように生きてはいけないの?」

「……ごめんなさい、私は――――」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

雲一つない青空の下、日本のように四季のあるローマは私が寝ている間に秋へと姿を変えていた。

季節が切り替わり冷え込む朝の気温、予備の新品制服に袖を通して気分を一新させると、不安で浮足立った気持ちがきゅっと引き締められる。

 

カナやチュラが普通に登校していたという話を聞いた私は2人が出て行くのを見守り、疲れや怪我なんて知ったものかとバラトナの制止を振り切って、脚で覚え込んだ学校までの道のりをのんびりと歩いていた。

……ここまでは。

 

 

「おはよー、クロちゃん」

「……待ち伏せですか。おはようございます、一菜さん。呼び捨てでなくて安心しましたよ」

 

 

三浦一菜。

1週間と1日前、私が参加した箱庭で喧嘩を吹っ掛けた国々の代表戦士がいたが、その内の1人、日本の戦士だ。

そして私に対して一番最初に宣戦布告――果し状を送り付けてきたクラスメイトでチームメイト。

 

黄味の強い茶髪の尻尾を白いリボンで結わえた少女はカフェ・ラテのツリ目をゆるーい感じに脱力させて、ビューティともプリティとも言い切れない不思議な笑顔を見せている。

一度彼女の魅力に気付いてしまえば、もっと見たいと心が収着される様な感覚が視線を自然と向けてしまう。

 

 

「クロちゃんを呼び捨てにするわけないじゃーん!それとも、なになに?もう一歩上の段階に行こっていうお誘いなの?」

「言っている意味が分かりませんが、その上の段階とやらに行けば街中で出会った時に締め上げるのをやめてくれますか?」

 

 

上の段階に進む、とは?

一菜の口から上とか高いとか、そういう高度を連想させる言葉を聞くとそこはかとなく不安になる。

 

(大抵の被害者は私だし、いや、他の人が被害に遭うのは危険過ぎるから私にぶつけるのは構わないんだけど、その回数が減るなら一考の価値はあるのかな?)

 

この考え方も割と末期だとは思うが、きっと地域の平和に貢献できている事案だと思うのだ。

さあ、三浦家の一菜さん、一体どんな事を想像しているのかは知りませんが、妄想を振り切るように首をブォンブォン横に振ってないでお答えくださいな。それとも、その反応はやめないって意味なんですかぃ。

 

 

「えっ……えーと?そ、それはあたしも詳しくないけど……むしろずっと締め上げる感じじゃない、のかな――」

「お断りします」

 

 

なにその地獄の責め苦。誰が進みたがるんですか、そんな死への近道に。

そんな異次元の段差を登らせようとすな、期待して損したよ。

 

そして恥じらう乙女の数段上を行く、体を左右にブンブン旋回させるオーバーリアクション。

嫌な予感がしますね……

 

 

「も、もー!クロちゃんったらー、朝から変な事言わせないでよー」

 

 

ヒュバォゥッ!

 

 

「あぶなぁい!」

 

 

人間の身体の一部が風切り音と共に迫るのが見えた。正確には左裏拳。

その照れたような困ったような笑顔から放たれるジャレた拳はスローモーションですら避けるのがギリギリで、恐らく当たればただでは済まない一撃だろう。

 

スイッチが無ければ即入院だった。

パンチ一撃とか、格ゲーならチートの域を超えてるだろ。

 

 

「それです!それをやめろと言ってるんですよ、いち――」

 

 

名前を呼ぼうとして声が詰まってしまう。

原因は体の不調ではない。

それは背後にある。

 

 

「ああっ!ごめん、クロちゃん!まだ制御しきれてなくて」

「……!」

 

 

背後から音がしたのだ。

岩が砕かれる様な破壊音。

こんな街中で落石?と思ったが、違う。

 

 

ゆっくりと、振り返った。

 

 

「……うっ……」

 

 

しかし、状況が把握できても正常な言葉が出なかった。

 

岩が落ちたんじゃなくて地面が割れている。後方、2m先の地面が。

偶然の地割れじゃない。あれは――

 

 

「たくさん取り込んだから上限値が高くって……つい、いつもの感覚で動いちゃってさ」

 

 

 

――――一菜(おまえ)の仕業か……っ!

 

 

 

ガラスの上に砲丸を落とした時みたいな、それを拡大コピーして貼り付けた破壊の痕。

目の前の少女は細腕の一振りだけでその砲丸投げを為し、見えない空気の拳は人間なんて容易に蹴散らしてしまう。

こればっかりはバカ力なんて一言で括れない、そう片付けるには脅威度合がサバ折とは桁違いなのだ。

 

さらに彼女の振る舞いを見ていれば分かるだろう。

 

 

普通なのだ。

いつも通りの彼女のまま、その力は以前なら頂上付近まで登っていた時よりも……強くなっている。

 

 

「……一菜、今のあなたにはどんな風景が見えていますか?」

 

 

確か中腹6合目くらいまでなら正気を保って行動していたな。

それなら考えたくも無いがまだまだ上があることになる。

 

私の質問にトントンとつま先で地面をつついた一菜は、継いで左足で右足のふくらはぎを、右手で左上腕をまたトントンと叩くと、首をひねって答えた。

 

 

「んーと……正直風景が見えないから正確なとこは分かんないけど……道を開拓してないから登るのに時間が掛かってるんだよね。2合目には到着したんじゃない?藪漕ぎは楽じゃないよ」

「2ごッ……!?」

 

 

(これで……2合…………?)

 

 

山裾の森の中であれだけの力を出せるとなれば、中腹に辿り着く頃にはどんな超人が出来上がるっていうんだ?

一菜の乗能力は私のヒステリアモード(スイッチ)と違い神経系の増幅ではないので、反射神経を伴う攻撃速度が格段に上がるという事はないのだろうが、身体能力の向上による破壊力や移動速度、耐久力と抵抗力の上昇は正に戦闘に特化した強力なものだ。

 

単純な話、私は30倍の神経伝達を用い集中力を消費して攻撃力に変換させているのに対し、相手はその腕を振るうだけで同等以上の破壊をもたらす。私は衝撃吸収の為に、または移動速度の向上の為に関節を、筋力をコンマ秒のズレも無く制御しているのに、彼女は立っているだけで私より頑健で、普通に走るだけで私を追い越せる。

身体的な部分に着目すれば完全な上位互換。普通に戦うだけでは、勝ち目は無くなるのだ。

 

 

「箱庭が終わるまで下山するつもりもない。頂上に到達したって下山してる暇はない。思金はこの瞬間も、人間の理性を糧にして進化を続けているんだよ」

 

 

超能力が使えないのがハンデ?

じゃあ生半可な超能力者がコレを止められるのか?

 

殺生石の存在を警戒している場合じゃなかった。

一菜はその存在自体が危険なものに変わっているんだ!

 

 

「クロちゃん。あたしの果し状、受け取ってくれた?」

「ええ、カナから受け取りましたよ。折り返し用の果させろ状を」

 

 

日付も場所も空欄の果し状。

しっかり埋めさせていただきましたよ。

 

あはは、と乾いた笑いを返してきたかと思うと、表情をすぐに引っ込めて感情を律した口調を作り出した。

 

 

「箱庭の宣戦で自分が何をしたか、分かってる?」

「あなたの言いたいことは分かっています。私は箱庭の全てを敵に回しました、一菜、あなたの事も、箱庭の主の事も」

「分かってて、それでも、やったんだよね?」

「はい、そうで――」

「なんで?」

 

 

なんで、か。

 

理由は何個もある。

守りたい人達がいる。

助けたい人達がいる。

 

だから、参加して。

だから、宣言して。

だから、こう答える。

 

私には、目標がある。

越えるべき壁がある。

 

そしてその為には絶対的なルールがあることを知っているから。

宣言なんてものよりずっと大事な私の(しるべ)

 

 

 

 

 

「"義"の為に」

 

 

 

 

 

これが私の憧れを目標とした形、壁の向こう側へと到る決意(みち)だ。

その道が正しいかなんてのは後世の人間が判断すればいい。だから正義とは言わない、私の導が示すこの道はただの通り道だ。

 

 

一菜はどんな決意を持って、この場所へ至ったのだろうか。

ここで私と交差したことは偶然かもしれないが、互いに譲れないから戦いになる。

 

でも、私に果し状を送ってきたのは、弱いからとか、厄介だからとかではないのだろう。

彼女は今日私に会うまで、私の記憶を捨てなかった。そして、初見では対応できないであろう遠距離技を見せて、自身の力の上昇速度、限界値の目安まで伝えてきた。

その意図を汲むのであればすぐにでも、今日にでも戦いを行うべきだ。

 

時間が経てば経つほど、明日になってしまえばどんなに強化されてしまうかなんて予想も出来ない。

登頂速度が遅く不安定なうちに挑まなくては……

 

 

「"義"……ね。ちーちゃんから聞いたよ。クロちゃんとカナ先輩が生まれた遠山の血族はなによりも正義を重んじるって」

「その通りです。私の先祖は代々正義の味方として日本を守り続けてきましたし、それはこれからも変わりません」

「じゃあ何を言っても引かないよね?」

「引きませんよ」

「……どうしても?」

「らしくないですね、そんな未練がましい事言わないでください」

 

 

どうしてそんなに泣き出しそうな声を出すのさ。

曲げないよ。私の道は止まることがあっても、真っ直ぐにしか進まない。

 

あなたの手を引いて立ち止まった事もありましたが、そのあなたは私を置いて行こうとした。

以前に私があなたを危険(ヒルダ)から遠ざけようとしたように、私を……箱庭に近付けまいとしたんですよね。

いえ、あなたはそのずっと前から、私の前に立ち続けようとしてくれていた。

 

誰かを守る為。

変わらない、きっと変えられない、あなたのスタンス。

 

 

「統一なんて、出来ると思ってるの?」

 

 

ああ、この刺し貫くようなゾクッと来る表情、これも一緒。

その本気の意思を表す表情も、出会った時から変わらないね、一菜。

 

 

「いつも通りです。私1人では心細さに耐えられそうにありませんが……何とかして見せますよ」

「何とかかぁ~……チュラちゃんとは同盟を結んだ?」

 

 

あまり自軍の戦力をホイホイと外部に漏らしてしまうのは良くないのだが、分かっていて聞いているのだろうし隠す必要もない。

悔しいが、一菜の考えている事は正解だ。

 

 

「まだ、結べていません。昨日目覚めたばかりですから」

「カナ先輩は?」

「当然、まだ結んでいません。無所属の同盟入りは認められていませんし、私の実力では、対等な立場ではありませんから」

 

 

現状を静観している主をこれ以上刺激してしまっては動き出してしまう可能性もある。

その為にルールを守るとすれば、クロ同盟(仮)はあくまで無所属。同盟を結ぶ権利は無く、勝利による属国化(無国籍)しか仲間を増やす方法が無いのだ。

 

……まあ、説明を聞いていた限り、仲間を増やす方法がない訳でもないのだが。

 

一菜はあからさまにあちゃ~って顔をしている。

口元が「やっぱり」って無音のまま動いてたのは見逃さなかったからな?こんにゃろう。

 

 

「じゃあ、ひとり?」

「同情は不要です。元より友達も少ないですし、覚悟の上でした」

 

 

友人がいたとして巻き込むつもりもないが、繋がりは戦力に変えられない力となる。

私の場合は直接的に戦力に繋がりうるわけだが、チュラは箱庭参加国、一菜も同じく敵国で、ヒルダもその保護下にある理子も味方には引き入れられない。

ヒステリア・セルヴィーレを発動させる事が出来た仲間達は全て敵に回ってしまっている。

 

 

そうだ、クロ同盟は勢力で言えば1人だけの限界集落ならぬ限界同盟なのだ。

 

 

クラーラを始めとした数少ない友人に対して命懸けの実験も行ったものの、その成果の程は――ゼロ。

あらぬ誤解を悪化させられ、狙撃銃でいつもの倍以上撃ち込まれ、芸術的じゃないと拒否され、パオラやフィオナで成れなかった時点で諦め半分だったが、変態呼ばわりされる覚悟の上で頑張ったのに報われなかった憐れな武偵もいたのだ。

 

 

「クロちゃんの波は脅威だけど、多対一は苦手だよね」

「なるほど、よってたかってボコボコにするつもり、手加減は無しなんですね」

「人聞きが悪いなぁー」

 

 

ニヤリと笑う一菜は否定をしないし、そのつもりか。

一対一の決闘でも勝てるのか怪しいってのに。

 

 

「良いんだよ?どこからか仲間を連れて来たって。箱庭の魔女も言ってたし、"()()()参加資格を持っていない"ってさ」

「くっ……!」

 

 

いないっちゅーに!友達がっ!弱者も強者も関係ないのっ!

いい加減、怒るよ!?

 

 

「喧嘩売ってますね?」

「もう買い取ったでしょ、早く支払ってよ。今か今かと郵便受けを覗いてたんだからね…………見張り番の兎狗狸ちゃんが」

 

 

兎狗狸っていうと……あー、あのフィオナの誕生会でぎゃんぎゃん騒いでた緑髪の子ね。

お酒を飲もうとしてたから注意したら、『あっしはお主さんよりもよっぽど年上だもーん』とか言って、仲間内にこっそりすり替えられたライムの生絞りジュースをグイッと煽って盛大にひっくり返ってたなあ。

 

復活した後は一菜に尻尾まで巻き付けて全く動こうとしなかったし、ちょっとチュラっぽいなと感じた。

 

 

「子分だからってあんまり強要したらいけませんよ」

「じゃんけんが壊滅的に弱いんだもん。癖とかは無いと思うんだけど……勝率は1%切ってるんじゃない?」

 

 

(不幸……!)

 

何でじゃんけんに応じるんだろうね。

そういえば誕生会でも修行とか言ってノリノリでじゃんけんしてた。全員に負けてたけど。2回ずつ。

しかも歓喜の初勝利はカナが恐ろしい動体視力と反射神経で脅威の後出し負けをしてあげただけだったよ。

 

 

「って、兎狗狸ちゃんは置いといて」

 

 

置いといてのモーションが明らかに苔石を抱える体勢だったな。

再現度がいやに高い。

 

 

「あたしの手で、一番最初の属国にしてあげる」

「逆ですよ。一菜がクロ同盟の礎になるんです」

 

 

例え強がりでも、言ってしまえばやり切る所存だ。

やってやりますよ一菜。花一匁だって最後の1人になるのは怖いですが、なったらなったで勝っても負けても怖くない立場なんです。

 

 

 

負けたら、その戦いは終わりなんですから。

 

 

 

「絶対負けませんよ。あなたは私の全力を知らないでしょう?」

「それはお互い様でしょー。し・か・も、あたしの仲間の能力も知らないし、どっちが不利かなんて……ほらね?」

 

 

くっそ、売り言葉に買い言葉の口合戦もここまでか。

あの余裕の笑み、意図的に飲み込んだ語尾もこの場の勝利を確信しているな。イラァッ……!

 

思いの外白熱していたらしく、外気に晒され続けているというのに体は熱を持ってポカポカしている。

 

 

「でも、クロちゃんだから、怖いんだよ」

「え、どういう意味ですか?ま・さ・か、私一人を警戒しているんですか、お山の大将?」

「ぬぬぬ……すっごい腹立つけど、そうだよ、あたしはクロちゃんが怖い。きっと予想は裏切られて、いい勝負になっちゃうんだろーなー」

 

 

悲観論で備えるのは良い事だけど、悲観的過ぎるのも問題だね。

私が過大評価されてるのはいつもの事だけどさ、実力者相手に人数差を覆すのは容易じゃないでしょうに。

 

 

「……いつにする?」

「今日の放課後」

 

「どこで?」

「学校近くのスポーツ複合施設なんてどうでしょう」

「おっけー。あの乗馬もブランコもあるとこね」

「そうそう、花火とかライブとかやってる広い所です」

 

 

そう、あそこは開けた平地。

ここまで分かり易く対策すれば勘付くか。

 

 

「それはちーちゃんを警戒しての事だよね?」

「ええ、もちろん。彼女の狙撃の腕はこの目で、彼女の武装も見たんですよ。正直、驚きました」

「あの夜かぁ~。()()も見られたんじゃそう来るよね」

 

 

一菜はそう言いながら両手で恵方巻きを持つように構えて、右手でビンの蓋を開けるように回す動きをした。

うむ、なかなかの再現度です。

 

狙撃手の存在を押さえられなければ勝負にすらならない。

撃たれた時点で対処のしようも無いのだから、撃たれないようにベースポイントを作らせないのが重要だ。

 

 

「残念なお知らせなんだけど、ちーちゃんは今日も山に登ってるよ」

「でしょうね。エネルギー切れは初めから考慮していません」

 

 

それに、遠くまで見渡せるあの場所なら、陽菜の隠密も活かしづらいはずで、唯一銃を積極的に使うだろう私の射線を遮るものは無い。

 

不確定要素は兎狗狸の能力と残りの1人三松猫という名の猫耳お化けの子供の戦闘能力だ。

一菜で手一杯な所を陽菜に不意打ちされてしまうのは避けたい、さらに手間取れば狙撃の対処が間に合わない……

 

(厳しすぎる……シミュレーションがどう足掻いてもワンクォーターすら持ちこたえられない!)

 

先程指摘されたが、私の戦闘スタイルは複数人を相手取るのに向いているとは言えない。

それはそうだろう、お父さんに伝承された遠山家の技はどれもこれも防御寄り、相手の動きを観察することが前提の技ばかりだったのだ。

だから『鉄沓』や『徒花』を自ら生み出したのに、今回の勝負、一菜には鉄沓が、陽菜には徒花の効果が薄い。

 

もしも逃げに徹したとして、15分耐えられる自信がない。

一菜と陽菜に足止めされて、狙撃される。

 

 

その、先が……見えない。

 

 

もし、カナがいたら?

一菜は完全に止められるだろう。

その隙に私が槌野子を倒せば勝利を得られるに違いない。

 

もし、チュラがいたら?

チュラのセルヴィーレならおそらく一菜と陽菜を同時に相手取れる。

早々に前衛を負傷させれば狙撃準備が整ったとしても、あの広いフィールドで2人同時への対処は間に合わないと思う。

 

 

でも、仲間は……いない。

 

 

それだけで、秋の風で舞い踊る落ち葉の音までもが私を嘲笑っている気がした。

お前1人で勝てるわけがないだろ、って。

 

 

「やめる?」

「――!」

 

 

シミュレーションの中の一菜に追い詰められて地面に叩き付けられた瞬間とほぼ同時に、現実の一菜にアフレコのようなセリフを突き付けられた。

 

 

『もう、やめる?』

 

 

思い出す、一菜との喧嘩の数々。

今でこそスイッチを使いこなせるようにはなったが、最初は一菜にあしらわれてばかりだった。

だって一菜が喧嘩を売ってくるんだもの、買わなきゃ武偵の名折れでしょう?

 

銃無しの徒手打撃戦(ストライキング)でボロ負けし、銃を使ったアル=カタを挑んでは集中の途切れに付け込まれ、次こそは次こそはと裏でこっそり作戦を練ったものだ。

その点はカナという遼遠な壁を意識し過ぎず、捻くれずに真っ直ぐと成長して来られたのに一枚噛んでいたと言える。

 

 

何ていうんだろう……良きライバル?みたいな。

 

 

……まあ、そんなんだから余計に周囲から遠巻きにされたのかもしれんけどね。

喧嘩の終了合図がその一言で、何故だか2人揃って笑顔になった。そして翌日も喧嘩をする。

 

いつからか喧嘩という理由付けも必要なくなって、切磋琢磨を重ねるうちに私達はチームになった。

互いの成長は互いが最も知る相手だと、そう断じてもいいのではないか。

 

 

「おやぁ?言葉に詰まりましたねー?」

「むきーっ!だまらっしゃい!やるったらやるの!やめないのっ!」

 

 

思い出に浸って笑顔になったなんて悟られたくなかったから、目を閉じて叫んだ。

だってこの一菜は……あの一菜と一緒だって、そう分かってても、やっぱり違うから。

 

無性に負けたくない。

得体のしれない何者かに大切なチームメイトを、仲間を、ライバルを、友達を奪われて、でもその怒りをぶつける先も友達で。

もう、わけわかんないよ。

 

 

「クーロちゃん?」

「なんですか……」

 

 

戦うって言ったから、もういいでしょ?

 

とりあえず距離を取りたいのに、進行方向に立っているから待つしかない。

一菜も笑っていて、どうどうと宥めて来る。

 

 

「怒んないでよー、これで最後だから」

 

 

そう言って私と同じ方向に振り返ると、振り回された尻尾が目の前を通過して。

また思い出しちゃったよ。

 

私のみちは、いつだって誰かが隣にいたんだ。

トロヤと戦った時でさえ、一菜はお守りの中であのエネルギーを山の頂上に登って受け止めてくれていた。

 

 

「あたし達のチームって、本当に変わったメンバーだよね。あたし、大好きだったよ」

 

 

それだけ告げて、一人、前に歩いて行った。

 

 

 

わざとらしいセリフだ。

それなら私もわざとらしく、ちょっとボリュームも上げちゃって。

 

 

「あーあ、負けられないなー」

 

 

取り残された場所で呟いた。

これは独り言だけど、誰かが聞いてしまったのなら仕方ない。

 

 

「……あなたが、一番の変わり者ですよ。私達はそうやって前で戦うあなたの尻尾をずっと見て来たんです。あなたが、リーダーである私を差し置いてチームを引っ張ってきたんですから」

 

 

追うように歩き出した私の、(くう)を握る両手に力が入る。

 

そこに後ろから迫る影がいて。

並ぶ影が1つ増えた。

 

 

箱庭の宣戦に臨んだ日、こうなるんじゃないかと予想はしてたんだ。

私に向けられた目は、今私が一菜に向けていた目とそっくりだったから。

 

アンバーの瞳に灰白色の髪。

肩に掛けたケースには、ドイツ国旗とイタリア国旗と日本国旗のステッカーが張り付けてある。

 

 

 

心強い仲間と信頼できるチーム、か――――

 

 

「おはようございます、フィオナさん」

「おはようございます、クロさん。私、生まれて初めての遅刻かもしれません」

 

 

――――私だって、大好きだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「……そうだったの」

「驚きました?」

「ちょっとだけ」

「怖いと感じました?」

「それもちょっとだけ」

「……嫌いに…………なりました?」

「いいえ、嘘を通せない素直なあなたが、もっと可愛く見えたわ。バラトナちゃん」

「――っ!」

「疲れたでしょう?おやすみなさい、何も難しく考える必要はないと思うの。クロちゃんにも話してみて大丈夫よ、きっと何も変わらないわ」

「こわいです」

「……怖がらなくていい」

「きらわれたくないです」

「嫌いになんてなったりしないわ」

「クルは……」

「過去なんて気にしない、乗り越えて行く強さを持ってる子。あなたも一緒に連れて行ってくれる、私達ももちろん一緒にいるわ」

「…………」

「今を生きてみて、感じるものがあるはずよ。少なくとも、今までよりは」

「生きる……」

「ふふ、あなたのスタート地点が私達になるのなら、とてもステキな事だと思う」

「うまく……いくのでしょうか」

「困ってしまったら頼っていい、だからあなたが始めたならあなたが生き方を決めるの」

「むずかしいです」

「諦めたっていいし小さくたっていい、大切なのは焦らず確実に歩む事、急かされて作り上げたものはいずれ傾き崩れてしまうわ。ゆっくりと土台を固めて、休憩をして、材料を集めて、あなただけの家を、人生を作り上げる。そして完成したら……私達も招待して欲しいの、あなたの人生の一部として、お祝いをしましょう。だから約束してちょうだい、始まりも焦る必要はないけれど、必ずスタートを切るって」

「……考えました。もうちょっとだけ、この家に……もっと考えました」

「うん、ゆっくりして行って。あなたが旅立つ時までは、ここが家よ」

「どうして私は、カナの妹に生まれなかったのかを悲しみました。おやすみなさい、あなたの優しさに今日も甘えてしまいました」

「おやすみ、あなたみたいな素直な妹なら私も歓迎するわ」

 

 

 

「こんな子ばかり集めて……箱庭の主は何を探しているのかしら……?」

 

「カナ戦ー姉(おねーちゃーん)!ペリちゃんのご飯ないー?」

「チュラちゃーん?うちではそんなに大きな子は飼えないわよ」

「お土産あげるのー」

「懐いちゃったら大変よ?……まあ!折角お風呂に入ったのに、頭が汚れちゃうわ」

 

ピチピチィッ!

 

「えへへー、のっちゃったー!」

「ツメは痛くないのかしら……?」

 

 

「ソラマメ食べるかなー?」

「鳩ではなさそうだけど……目がクリっとしてて胸から腹部への斑点模様、蠟膜が黄色いからハヤブサみたいに見えるし、ササミならどうかしら」

「カナ、餌付けしたら懐くぞ。うちじゃそんな大きい奴は飼えないだろ」

「あ、キンジ」

「キンジ?バラトナちゃんはどうしたの?」

「勝手に人の部屋に入ってきたかと思ったらソファで寝始めた。あれはあいつ用かよ、なんで俺の部屋なんだ!」

「チュラもダメなのにー……。あっ、ペリちゃんどこ行くのー?」

「一番落ち着くそうよ。それより、あなたが離れたら……」

「ん?どうした――んですか、カナ」

 

 

「クルーっ!いなくなると怖いのでした!怖いのでしたっ!」

「わ、分かりましたから!両手を離してください、アルプス一万尺には付き合いませんよ」

「カナーっ!クルが冷たくしました、私が何かしてしまいました?」

「ふっ……ふふ……いいえあなたは何もしていないわ。ただ、寝室で寝ていただけだもの」

「そうでした、クル!どうして離れようとしました?」

「ちょっ!近い近い!顔を寄せないでっ!」

「なんででしたっ?」

「やめてぇーッ!」

 

「ほーら、バラトナちゃん、そんなに詰め寄ったらクロちゃんも……ふふ、話すに話せないわ。一息吐きましょう?」

「カナ、笑いながら言わないでください」

「ワケが聞きたいのでした」

「ワケと言われましても……」

「言えない事でした?」

「言い辛い事というか……」

「遠慮なく言って欲しいのでした!クルに嫌われるのは嫌でした」

 

「その……恥ず、かしい、な……って」

「ふふ、ふふふふ……ご、ごめん、ちょっと席を外すね」

「恥ずかしい……?それはどうしました?」

「バラトナさんは自覚が足りないようですが、あなたは……うぅ、やっぱり言えないです」

「クル、どんな言葉でも構いませんでした。あなたの気持ちを大切にしました」

「私の気持ちを大切にしたいんなら会話を終了して欲しいのですが……いいですか?バラトナさん、あなたは綺麗で年上で無防備、これだけで勘弁してください」

「??」

「これ以上は言いませんよ?」

「……はい、分かりました。意味は自分で考えました」

「そうしてください」

 

「あの……クル、カツラがズレてました」

「えっ、ほんとですか?あ、ほんとですね。……えっ…………え?」

「気を付けた方がいいのでした」

「え?」

「折角の変装が台無しでした」

「えっ」

「カナから聞きました。箱庭には変装して参加していて、普段は武偵として活動していました」

「あ、そういう事ですか」

「普段のクルも、見てみたいのでした」

「……知らない方がいい事もありますよ」

「??」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただき本当にありがとうございました!
ホント、ありがとうございました!

おまけを挟まずに本編を進めた結果、やっぱりダレました。
日常系連打はつまらんですよね、わかるわかる。すっごいわかる。

書き上げてから、3回くらいポシャらせようかと悩み、でももったいなくて投稿。
押し付けてしまい、ごめんなさい。


ネガタイム終了。
私が悶々としている間にも、クロは頑張っていますからね!

本編の内容として。
クロは一菜に果し状の返答を行いましたが、その力の上昇量を目の当たりにして当日の戦闘を決定すると同時に、勝ちの目が相当に薄い事を思い知らされます。

ルール上無所属のクロは、同じく無所属のカナやチュラとの同盟を結ぶことが出来ず、戦闘における協力体制を取ることも出来ません。
仲間は戦いによってのみ得る事が可能で……というのは箱庭関係者の話。

もしもクロと共に戦い抜く覚悟を持つ者がいれば、もしくは日本の代表戦士に勝利することも不可能ではないかもしれませんね。


今回ちょっとした『アンケ』をお願いします。
というのも描きたい物が複数個ありまして、でも全部各描いている時間は取れなさそうな……。
ま、まぁ人気キャラアンケ的な感覚でポチって頂ければ嬉しい限りです。

それでは、次回()お楽しみに!




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おまけ9発目 天体の記法(テレスコープ・エアノート)




どうも!

足が痺れた状態で立ち上がり、倒れた先で砂糖をひっくり返したかかぽまめです。
私生活、しかも帰ってから室内でネタを自作できる人生に嫌気が差します。


気分転換におまけ。
……と思ったら、今回のおまけのメインキャラが喋るたびに正誤確認しなければならない事態になりました。マジ勘弁してください、先輩。


では、始まります。





 

 

 

「"ふんふんふふーん♪"」

 

 

地下洞窟を思わせる静かで暗がりの続く道に、(いた)くご機嫌な少女の鼻歌がその小さな歩幅のステップに合わせて、深くかぶったフードの中から聞こえている。

壁も天井も存在する人工の廊下には仄かなオレンジ色のランタンのみが、広い間隔を持って片壁に掛けられているだけで、紺色のマフラーを身に着けた吊り目の随伴者が左手に下げたランタンが無ければ、足元に番犬が眠っていても気付かずにその尻尾を踏ん付けてしまっただろう。

 

まるで洞窟のように底冷えする石造りの廊下に風はなく、その通り道は扉か何かで厳重に遮られていて、鼻歌が良く響くこの場所に吸音体となる人間はほとんどいないことが分かった。

秘密の取り引きを行うには向いていない場所だ。所々に小さな穴があけられて、怪しい行動を取る者には常に監視の目が当てられている。

 

 

「"パオラよ、随分と上機嫌な様子、何ぞ嬉しき廉でも有ったか?"」

 

 

2度と同じフレーズを奏でることは出来ない延々とループを続ける無意味な鼻歌が3度目のサビらしき盛り上がりを終えた所で、ようやく空気を読めた黒髪の少女は紺藍色の瞳をにこやかに細めると、マフラーで隠された口から前を歩く小柄な少女に問い掛けた。

すると、軽い足取りで進んでいた少女は待ってましたとばかりに、片足を軸にして多少オーバー気味な動きで振り返ると、一片の曇りもない笑顔をフードに隠し、ふざけた声色で話題に乗っかった。

 

「"ふっふっふ……よくぞ聞いてくれたね!ニコーレ。今日はスペシャルゲストが一緒なんだよ"」

「"ゲスト……うむ、其は楽しみにしておこう"」

 

 

露骨にテンションの高い彼女の様子やその語り口は聞き慣れているようで、普段の真面目さとのギャップに驚きをみせることも無い。ついでに言うとそのスペシャルゲストとやらにも見当は付いているのだが、敢えてその得意げな笑みを奪う必要もないと判断したらしい。

ただ、背負ったリュックごとぴょんぴょん跳ねる行動には、少しだけ身を案じる表情を見せた。

 

 

「"相構えて歩まれよ。気上げたるはこと戦において力となれど、静心なくば万事を仕損じる危うし有り様也"」

「"??……えと、気分を盛り上げると戦力が上がるけど、焦ると失敗して危ないってことであってる?"」

「1つだけ間違っている。静心とは落ち着きを持つという事だ」

「な、なるほど……ニコーレの日本語は難しいよ」

「"我は忍び故に、致し方なし。ほれ、歩みが止まっておるぞ"」

 

 

上がり過ぎたテンションは図らずとも落ち着きを取り戻し、BGMの消えた通路を進む2人の前に大きな扉が見える。

重厚な鉄扉には窓口となるポストの投函口に似た穴が設けられ、少女たちの到着を見張りから伝えられていた守衛がギラつく攻撃的な目で迎えた。

 

 

「……どこのモンだ?」

 

 

脅しを掛けようとドスを利かせた声が、前に進み出ていたフード姿のパオラに浴びせられた。

強面な顔と戦闘力を買われて守衛に割り当てられた知り合いの男性を見て、失礼ながら強盗犯みたいだなと思った少女は、自分に話し掛けて来たその窓口の先にドライフルーツの詰め合わせと通行証を差し入れる。

 

 

「――ッ!!"こ、これはこれは"」

 

 

通行証と共に渡された好物の袋に嫌な感じはしていたらしく、ラミネート加工済みの四角い紙に記載されたサインを一目見た男は先程までの態度を一変させた。

言葉も日本語を用い親し気な目に変えたその顔は、それでもまだ到底親しみやすいとは言い難いものだが。

 

 

「"いやー、酷いですよパオラさん。いらっしゃるなら事前に……それに、そんなフードまで被っちゃって"」

「"しーっ!お忍びですよ。今日は賓客がおいでになるのですが、その前に新商品と市場の見学をしに来ました"」

「"はぁー、相変わらずですね。分かりました、上には伝えませんがバレないでくださいよ?絞られるのはこっちなんですから"」

 

 

金庫扉のように電子制御されて、窓の付いていない側の扉がゆっくりとした動きで開かれる。

向こうからは嗅ぎ慣れた金属や油の匂い、鼻をつくような薬剤の匂い、高硬度の物同士を叩き合わせる音などが心地よいとは言えない温風と共に飛び掛かって来た。

 

パオラが前に進むのに合わせて前進したニコーレも、暫く振りに持ち出した通行証を懐から取り出してポストインする。

 

 

「"我は脇さしにて、実検お頼み申す"」

「"はいはい、えー、ニコーレ・ノートさんね。……って!ニコーレさん!?"」

 

 

パオラの出現で気力を失いかけていた男は彼女の付き添いなら問題ないだろうと、適当な監査で通行許可を出そうとして再度目を剥いた。

その名もこの市場では有名な部類に入り、ここ数年は出入りの記録がなかったのが余計に男を困惑させる原因となったのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"鳴り高し!声高に我の名を挙げるでないぞ"」

「"す、すいません、あまりにお久しぶりで驚いちゃって。持ち込みの商品が無いのであれば問題ありません、急いで通って下さい"」

 

 

これで通るのだからザル警備と言えそうだが、実際はもっと面倒な書類もあり、紹介制のため通行証も容易には手に入らない。

さらに商品の持ち込みには厳重な態勢が敷かれ、扉の裏には数名の手練れと雇われの人間が待機している。

 

今回のようなものは特例であり、一重に彼女達の影響力が要因なのだ。

 

 

「"ありがとうございます。お菓子は痛まない内に食べてくださいね"」

「"干したものはそうそう腐りませんよ――っ!……分かりました"」

 

 

冗談が上手いですねとお世辞を続けようと裏面を確認したその視点が一点に留められ、普段から近寄り難い顔を、より一層険しいものに変化させた。

 

 

「"彼女が到着したら一報を"」

「"はい"」

 

 

扉をくぐると室温が10度以上は上がっただろう。

じめっとした空気を感じ取った小柄な少女がフードをパタパタとさせて、急激な温度変化で汗が流れ始めた体表面に風を送る。

 

ここまで続いた道に比べ、広大なスペースには多くの人々が行き来し、道行く先々の露天商で契約や交渉が行われていて、中には大きな店を構える企業も存在していた。

そして活気付く内部と比例するように、天井からは大きな球状のライトが至る所からぶら下げられて、人間の顔をよく識別できるように照らし出していく。

 

また床面は唐突にフローリングに変わる訳でもなく変わらず石造りのままではあったが、運搬時の負担を軽減するために凹凸は一切排除され、歩行の妨げや傷害等のトラブルが発生する事を防ぐ為に安全通路を区画したペイント表示がなされているものの、それでもトラブルが絶えることはないのだろう、ハチの巣のような球状の光源からは周囲を警戒するハチの代わりに監視カメラが顔を出して警戒に当たっているのが分かった。

 

銃器や防具、刀剣なんかの装備品から、治療薬、化学薬品、電子部品といった材料の他に、一角には衣類、食料品と車輛まで。

商品を求めて一周すれば一日は余裕で潰せそうなくらい、多種多様な店が連ねられているのだ。

 

 

「"時間に結構余裕があるね"」

 

 

どうしよっか?との相談であると理解し、この蒸し蒸しした場所でも平気な顔をして長袖を脱ぐことはないニコーレは道すがら考えていた事を口にする。

 

 

「"少ししたら昼食(ひるげ)に参ろう。我も久方ぶりで挨拶したき朋友、行かま欲しき場所が在る"」

「"レストラン『ジェメリ』だっけ?和食も置いているとか"」

「"是。(ぬし)と日ノ本にて食した『すものも』が用意されておる"」

「"『しめ鯖キュウリ』だよ、ニコーレ"」

 

 

スペシャルゲストこと商人仲間兼・発明家仲間の到着予定まで、市場の調査を行う2人の武偵。

自然とその会話内容は日本のホームステイ先である天才というにふさわしい発明家の物へとすり替わって行った。

 

 

「"幾年ぶりであろうか。アヤヤに会うのは"」

「"アヤさんね、もう5年も経つんだよ。ニコーレの打ち上げ花火装置を一緒に修理したのが懐かしいなぁ……"」

「"……すでに5年。片生いのパオラは然程変わらねど、如何な生い成りを見られるものか"」

「"一言多いっ!き、きっと私の方が身長も伸びてるはず……だってあの時より15cmも伸びたもん!"」

「"5年で5寸……"」

 

 

気まずい空気を流すまいと顔を逸らしたニコーレであったが、空気の読めるパオラは既に勘付いている。

そしてその気遣いが余計に彼女を傷付ける事になるとは、無念ニコーレには理解できないのであった。

 

 

「彼女の発明品が待ち遠しいな、パオラ」

「言葉を変えても空気は変わらないよ……。でも、せっかくの時間を無駄にしたくないし、行こう?」

「ああ、そうしよう。我も少し、血が騒いできた」

 

 

予定よりも早く内部への入場を果たした2人は少しの時間を潰すために、さっそく数々の発明品や発掘品が集まる小さな穴場のブースへと向かう。

そこには件の発明者が世に送り出した道具の数々が、とある人物によって取り扱われているのだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

ここはローマ武偵高校付属中学校。

私がイタリアに来たのはこの学校へ入学する事が目的だった。

 

基礎学校のグレード4を終え、1年だけ母国ドイツの武偵中へ通った後、入学時に作ったパスポートを利用してイタリアへ、そして2度目の入学を迎えた。

私の住んでいた州は4年間の基礎学校修了から武偵中への編入が認められていたのに、イタリアは初等部が5年もあるらしい。

 

世界各地に数ある武偵高の中でも世界で最初という肩書きを持てるのはローマ武偵高だけで、実力のある者は更なる実力を身に付けられる名門校として有名……だと聞いていた。

しかし実態は良い面だけではない。

 

確かに実力者は多いのだろうが、気分屋が多くて決まり事にルーズ、特に時間なんかは適当の極みでこれで良く学校としての体裁を保てているなと感じたのは忘れない。

将来はこの中からチームメイトを探すのかと、本音を言ってしまえば幻滅してしまった。

 

いざという時には、では困るのだ。

そのいざという時に実力を効率よく発揮させるためには普段の活動から正義の味方、武偵である意識を……

 

 

Hoppla(ホプラ)?誰かいますね」

 

 

(この時間帯に既に演習場に人が……?)

 

入学当初、私は中庭にて朝の無駄な時間を潰していた。

授業が始まらないからだ。これがドイツなら生徒と教師の集団ボイコットとしてニュースにでも上がるのではないだろうか?

 

しかし、中庭は占領されてしまったのだ。

1年生が使用可能な範囲などたかが知れていて、その中でも武力を用いた縄張り争いが行われていた。そんな所でやる気を出してくれなくていいと何度思った事か。

 

結局、私は武偵としての一年間をドイツで過ごしていたけれども、狙撃科では接近戦を習っていない為決闘に向いておらず、3ヶ月程経った頃、この庭に君臨する女子生徒が誕生するのに合わせて足を運ぶことは無くなった。

代わりに見つけた穴場がこの演習場。2年生のニコーレ・ノート先輩が1年生のヒナ・フウマさんを戦妹として迎え入れた際に、一緒に居た私も教えてもらったのである。

 

2人は日本にゆかりがあるらしく、ヒナさんに至っては日本からはるばるイタリアまで海を渡って来たとの事。

小学校という基礎学校の様なものから編入していて、知識が偏っているのが特徴だ。

しかし、彼女の言葉はたまに真理を突いており、今でも私の心に残り、光っている。

 

『フィオナ殿は国を移してまで、何を学びに来たでござるか?』(※メチャクチャ片言のイタリア語)

 

気の毒に、この学校の内側を見てさぞかしガックリしたでしょうね。

そう話したら、見事に返された。

 

 

 

ここは普通じゃない、そのはずだ。これが世界の武偵の普通であるのなら、違う意味で私は付いて行けない。

 

最初の授業は朝のミーティングに遅刻者など……まあ、1人はいたけど、道が混んでいたらしいし、仕方ない。

翌日、2人の生徒が遅刻をして、しかし教師はそれを咎める事もなく周囲の雑談も絶えず、何故か授業が始まらない。

 

 

この時点で、おかしいぞ、とは思っていたのだ。

 

 

一月経つか経たないか、初めて教師が時間通りに来なかった。理由は忙しかったとの事で、詳細は不明。

だが、悲しいかなその時間には、生徒の数も半数の6人。うち、時間通りに来ていたのは私とヒナさんの2人だけ。…………だけ。

 

 

 

おかしいですって!こんなの!

 

 

 

隣の席に座る綺麗な黒髪の女子は黙々と"図説!絵で分かる世界の危険な毒草・毒虫"を読んでいるが、日本語は読めないので何を読んでいるのかは謎。

時々、彼女の代名詞たるポニーテールが直立するくらい、跳ね上がって驚くのが気になって教本を読む手が止まってしまう。ああ……ダメですね、チョコレートが進む。

 

 

 

 

今ではそれが当たり前に、もう私も何も感じない。考えない。

そう、結局私は私が何をするかを考える事が一番の成長につながる。彼女の言う通りだった。

 

正にその通りだと、目の前が切り開かれ頭がすっきりした気がして、私は周りの悪い点を探すことを止めた。

それでも目に入ってしまう事が往々にしてあるのはどうしようもないと諦める事にしよう。

 

 

やがて私は逆に自分の悪い点を探す方に方針を転換した。

 

 

 

「おはようございます、ヒナさん、ニコーレさん。今日も不思議な訓練をしていますね」

 

 

木の枝を太腿と脹脛で挟み込み、蝙蝠のようにぶら下がっている。一切の揺れが無く、無音だ。

私は目を閉じたまま逆さ吊りとなった2人に声を掛けた。

 

 

「む?フィオナ殿!共に今日も修行に励むでござるか?」

 

 

赤いマフラーの少女が目を開いて声の聞こえた方向――私の方に首を回して、腕を組んだまま左右に揺れる。

……ちょっとだけ、他人のフリをしたくなる光景だが、本人達はいたって真面目だ。

それと、一緒に修行などしたことはない。

 

 

「おお、フィオナよ。主もやたらに生真面目な人柄にて、時には肩の力を抜くべきぞ」

 

 

片足だけで枝にぶら下がっている紺のマフラーのニコーレ先輩は目を閉じたまま身じろぎもせず、刻印ポンチの先端を研いで細くしたような鋭利な棒状の武器を隣の木に向かって構えている。

そこには黒いドーナツ状の輪とその内側に小さな赤い円が描かれた布が巻き付けられた的が何個か吊られていて、微風で揺れる事からかなり軽いものであることが分かった。

 

 

「この国の緩さで、さらに肩の力を抜いたら関節が外れてしまいますよ。それに、お2人も訓練を欠かさないのは同じでしょう?」

「是。研鑽を怠った者から消えて行く、我が一族はその話を先祖代々言い聞かされて育ったのだ。個人も企業も村も変わらず、と」

「……然り。それは一族という存在そのものを汚す行為なり。某は忍であるに足る実力を得る為なら、この身を削る如何なる努力も惜しみませぬ」

 

 

その発言通り、修行内容の効果のほどは甚だ疑問だが、2人はとても真剣に毎日を生きている。

一族の誇りを持つその姿勢は、私も見習うべきなのかもしれなかったな。

 

 

……でも、どんなにカッコ良い事を言われても…………

 

 

(ごう)!」

「ほッ!」

 

 

ヒュッ――

 

ザスッ!

 

 

ニコーレ先輩が目を開け、瞬時に見極めて放った棒状の武器は、風でそよぐ的の中心を正確に捉えて深々と突き刺さった。

一瞬で的の場所を把握し精密に投擲する能力はさすがの一言、あの軽そうな物体を弾くことなく真っ直ぐに刺さった点も、そうそう再現できる芸当ではない。

そして、何より速い。彼女は的に命中するかの確認を行うより早く、次の武器を構えてピタリと静止した。枝は終始、全く動いていない。

 

 

……でも、どんなに磨かれた技術をみせられても…………

 

 

「お見事」

「ヒナよ、次は参の的の紐を切り号令を」

「御意」

 

 

…………あなた達のマフラーとスカートがズレないその技術の方が気になって仕方ない……!

 

 

彼女達はニンジャを自称しているし、その極東の怪しい戦闘術は未だに遠く理解の及ばないものだ。

そういう技術も……あるのかもしれない。

 

 

 

――ストンッ!

 

 

 

的を貫いた武器が木に刺さった。

ヒナさんが放った、矢じりや槍の先端のような形をした握りこぶし2つ大の武器――"クナイ"と教わった――が紐を切って、吊られていた的は風に乗ってふわふわと不規則に落下していた。それを一つ前と同じ様に、ニコーレ先輩は目を開けるのとほぼ同時に攻撃したのだ。

 

彼女達のこれらの技能は、狙撃手としても見習う点が多いと感じる。照準を当てる早さや精密さ、状況によってはその悪条件の姿勢も役立つかもしれない。

私はこの2人とは戦いたくないとつくづく思う。

 

 

 

ニコーレ・ノート

 

ローマ武偵中では私やヒナさんの1つ上の学年で、現在は諜報科のBランク。

ニンジュツという戦闘と隠密に特化した技術を日本で習得し、潜入強襲と調査を中心としてボディガードや監視といった任務も幅広くこなしているそうだ。

ただし、単身任務が多く、安価で簡単な任務も予定が空いていれば受けてしまう為、その点の評価があまり良い印象を得られていないらしい。

 

紺藍色の瞳に、日本人のヒナさんと同じようなサラサラで純粋な黒髪を、ヒナさんよりはボリュームの少ないポニーテールに結っている。

赤黒い指ぬきグローブと紺色のマフラーを常時着用し、自作の忍具なる道具をいくつも持ち歩いて、膝下まで締め付けるサンダルのような指の露出した靴を履いているのだが、これも不安全による減点対象だったり?

 

使用武装はおそらく量産品ではない。

かなり古めかしい作りの物で完全自主製作なのかは不明、その銃口から銃弾を撃ち出したのは見た事が無い。基本的には音の出る銃器を使う事は好きでは無いらしく、武装も趣味の範囲だと話していた。

銃を使わないでBランクに上がるって……

 

学年の違いから任務を一緒にという事もなく、実力の高さは相当なのだろうがそれも小耳に挟んだ程度。

私と同学年の装備科、パオラ・ガッロと仲が良いようだが、2人の共通点とは何なのだろうか?

彼女は校内で装備の調達はしないらしいので、そういうつながりも無さそうなのだ……

 

 

 

「誠に見事なりっ!」

「うむ、次は主の番ぞ」

 

 

どうやら交代の様だ。

ニコーレ先輩が右腕を振るとくしゃくしゃの布が袖からその手に移され、グッっと握った布はみるみる内に隣の木の的と同じ大きさまで膨らんだ。

それを髪の中から引き出したワイヤーに繋いで、重りがついている端を隣の枝に投げて巻き付けると、的も続けて空中に放たれる。

 

その間約3秒の早業。

お見事!

 

 

「ヒナ、しばし黙祷を続けよ。我はフィオナに目言がある」

「御意」

 

 

蝙蝠状態から片足だけで体を持ち上げて枝へ登ると、2階層よりも高そうな位置からワイヤーもなしに飛び降りてきて、僅かな砂ぼこりだけを立てて当然のように着地した。

これもニンジュツなのかな?

 

 

「私にお話とは?」

「なに、そう構える事では無し。ただ、主の身を案じておるだけの事、承知しているな?」

「ええ、まあ……」

 

 

初めてここに来た時から、彼女は何かと私にも気を回してくれる。

どうやらヒナさんにとって、クラスメイトである私は気の許せる数少ない人物らしい。

 

それって、結構嬉しい。

 

そこからヒナさんの話を聞いて私にも興味を持ってくれたようだ。

プライベートでの交流は互いに苦手とする者同士、こういった学校での絡みで徐々に親睦を深めてきた。

 

 

それで、話の内容は多分……

 

 

「仮部隊の申請は強制されておらぬが、よもやそのつもりではなかろうな?」

「私の意思は変わりません。私はヒナさんと仮チームを組むつもりだと、そう何度も言っているではないですか」

 

 

……やっぱり仮チームの話か。

 

促されるままに歩かされたが、ヒナさんの耳に入らないようにするためだろう。

別に聞いたところで彼女が私とチームを組むことはないと思うが、聞かせたくないのだ。私も、ニコーレ先輩も。

 

 

「……其の様にはいかぬ。あれは素晴らしき一族の技術と弛まぬ努力の賜物たる身体能力を持つ。なれども、心が未だ半人前故に到らぬ。部隊への参名なぞ心疾しき事ぞ」

「私には理解出来ないですよ。彼女ほど強くて約束を守る生徒は同学年に数えるくらいしかいません」

「然らば其の者共を尋ねるべし、今のヒナに、主は過ぎた同士よ」

 

 

私だって譲らないし、ニコーレ先輩もまだ自身の戦妹を不出来と称し、快く応じてくれない。

この話は以前から平行線で一向に進まず、ニコーレ先輩的に有望株な他クラスの生徒を教えてくれるのだが、実力はともかく性格に難のある生徒しかいない。

 

 

『三浦一菜という少女は近接戦に特化しておるぞ』とは言っても、あの人に話し掛けられる人間は肝が据わっている。

いつもムスッとしてるし、口調は荒いし、眼つきは怖すぎて犯罪者寄りだし。

 

『ファビオラという少女などどうだ?少し得体は知れぬが、確実に伸びる』という紹介文句に自分でおかしいと気付かないのか。

得体の知れないって上級生が言う相手に誰が近付くのか……と思っていたら、男女ともに大人気らしい。性格は良いのだが……色々と無防備で、男子生徒が付け込もうとして他の女子生徒に阻まれている。

 

『ルーチェという少女は基礎から叩き込まれておるな、堅実なタイプと見える』って言ってたのに、その人、中庭を征服した人達の1人ですからね?トップではなかったとはいえ。

性格は強襲科の割に物静かで、静かに本を読む場所が欲しいとかで協力したらしい。

 

『カルメーラは止めておけ。あの者は我よりも余程強い、狙っていたのならば妹の方にするが良い』って言われた時は、なんでその名前を出したのか分からなかった。ヒナさんしか狙ってないってば。

自由奔放な性格で、学校の刀剣所持義務でナイフの代わりに槍を持ってくる変人。しかも、妹の方もCランクの私より上、余裕のBランクだった。

 

 

どの人もこの人も、正義の味方には程遠い。

そして、私自身も正義の味方を目指すには実力が足りない事に気付き、仮チームを組むことにさらなる抵抗を持ってしまったのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「フリーで構いません。狙撃手がチームを組む利点はそんなにありませんから」

 

 

教師に聞かれたらかなりの問題発言とされる自覚はありつつも、曲がりなりにもCランク。

多少の目こぼしも期待が出来そうな気はする。

 

ふぅー……とマフラーの中で溜息を吐き、ニコーレ先輩はまた例の調査ノートを取り出して、付箋の挟まれたページに指を差し入れた。

よくもまあ、毎回新しい人材を探し出すもので、この学年には危険人物が集まり過ぎている気がする。

あーあ、今回はどんな人が紹介されるのやら。

 

 

「……フィオナもグローリアを知っておろう?」

「――!ええ、もちろん、同学年で知らない人はいませんよ。黒い噂が絶えないパトリツィアさんと同じ位、彼女も良くない噂が出回っていますからね」

「良くない噂か」

「何でも違法改造を依頼していたり、突然空を撃ったりなんて話ですが、信憑性はありませんし、真に受ける必要もないでしょう。私は彼女を尊敬しています」

「主らしい理を求むる善き習わしよ」

 

 

グローリアさんと言えば武偵中最強の狙撃手との呼び声も高い実力者で。そのランクは入学した時点でAランク。

一部では世界レベルでもAで通じるだろうとまで言われた奇才の持ち主だ。

 

武偵中の入学は筆記試験と体力試験、他に各学科ごとの特別試験を以て判断される。

しかし、昨日まで一般人の生徒たちが碌な成績を取れようはずもなく、大抵はEとなる中で私は狙撃科の特別試験成績を加味されることで入学当初からCランクだった。

世界基準であれば下手をするとEランクまで落とされるかもしれないが、それでも入学時Cランク以上は13人しかおらず、ここではいわゆる優等生の地位を勝ち得ることに成功したのだ。

 

悔しいのは自信を持って臨んだ特別試験の成績が2位だった事。

負けたのはタイガーリリーの花弁のような、少しクリーム掛かったオレンジ色の髪を肩まで伸ばし、右前髪を掻き上げた少女、グローリア・バローネその人である。

 

拠点確保(ポジション)遠方索敵(ディスカバー)遠隔狙撃(ファラウェイ)予測射線(フォアサイト)精密射撃(ミニット)通信照準(コネクト)など様々な種類の試験がある中、今回選出されたのは遠方索敵と精密射撃と予測射線。

苦手な遠隔狙撃と通信照準が来なかった時点で勝てると踏んでいた分、彼女の驚異的な集中力と射撃能力の高さに驚かされた。

 

確固たる証拠に基づいた情報ではないが、試験官の全員が彼女の位置取りと姿勢に驚いて忙しなく話していたので聞き耳を立てたところ、何度場所を移しても必ず全く同じ位置に戻って、全く同じ姿勢で構えていたらしい。

信じがたい事ではあるが、まるで最適解を保存して読み込むように、微々たるズレも見られなかったそうだ。

 

写真を取っている試験官を見て何をしてるのかと思っていたら、その確認作業だったのだろう。

同時に裏では彼女や他の学科に出現した化け物たちの試験結果で持ちきりになっていた。

 

 

「彼女がどうかしたのでしょうか?」

 

 

狙撃手を2人以上組み込んだチームなど過去にほぼ前例もないので、私に紹介するわけではなさそうだ。

また変な噂が出回っているのだろうか?

しかしニコーレ先輩がわざわざ取り上げるとすれば、その話は事実である可能性が高い。

 

 

「彼の者が仮部隊を組むそうだ」

「え――?」

 

 

 

――――あの人がチームを?

 

 

 

「相手は……?」

 

 

なんとなく、彼女はずっとフリーでやっていくものかと思い込んでいた。それが出来る力を持つから。

実力がある人間は周囲の人間を足手まといだと切り捨てる傾向があるが、その枠には当てはまらない存在なのだろう。

 

知らず知らずのうちに足元へ向けられていた顔を、恐る恐る上げながら上目遣いで尋ねた。

もし正視していたら、今頃私の表情から心情を読まれてしまっていただろうな。

 

 

「焦るな、気持ちは推し量らずとも解せよう。我でなくともな」

「うー……」

 

 

無駄な抵抗か、言い当てられてしまった。

また頭が下がり、睨み付ける感じになっている。

 

自分より格上が孤高の道を止めチームを組んだ。

その事実を平常心で受け入れられる豪胆な精神力が欲しい。

 

ニコーレ先輩の顔も決して楽観的ではなく、むしろ私以上に険しいという事は、組む相手は彼女が危険視するレベルの者なのだ。

 

予想は付いている。

それこそ推し量る必要もない。以前に聞いた名前なのだから……

 

 

「カルメーラ・コロンネッティとカルミーネ・コロンネッティ、2人規模の強襲部隊だ」

「やはり、ですか」

 

 

強襲科Sランクの姉と強襲科Bランクの妹、それだけでも武偵中の上級生の間で警戒されていたのに、そこにAランクの狙撃手が加わった。

紛れもない危険因子の融合と認識され、そろそろ何処かしらのチームが動き出しても不思議ではない。

 

渋い顔のままノートに落としていた青い瞳が睨み返してきた。

 

(私が(ターゲット)であれば、この目を見たら手遅れなんだな)

 

 

「今年の3年は本に因果なり」

「そこまで、強いと」

 

 

近々、武偵高から宝導師の派遣が行われる予定だが、その前に上級生による洗礼を兼ねた仮チームでの決闘が行われると聞いている。

伝統だか知らないが、随分と不毛な行為だと思う。

 

 

「下級生は武器を持つことが許されぬのだが、それでも大した重荷とはなるまいて。銃器など只の玩具であろうぞ」

 

 

それは成程とは頷けない話だ。

銃の有無は致命的で、1年生の最強チームは見せしめに一方的に嬲られて……そういう構図が求められている。

 

現在、強襲科のSランクは武偵中には1人しかいない。

なぜなら、Sランクの生徒は大抵そのまま武偵高でもSランクとなる為、1つの学科につき校内で1人しか冠することが出来ないからだ。

 

今年の入学者に1人だけ現れた異才、数年に一度Sランクに批准する生徒が現れる事があるらしいが、その強さを私は想像できない。

Aランクが束になっても勝てない強さ……規格外の力を持つ事だけは理解出来る、出来るけどAランクが束って軍隊の投入と変わらないような気がする。

 

(私は、このままでいいのだろうか……?)

 

 

「主にも人遣りの要らぬ出会いが見付くることを我も願うとしよう」

「……急かされた気がしますよ。今まで背中を押していてくれていたのが、今度は前から引っ張られているような」

「うむ、違いない。心配なのだ、正義なぞ曖昧なもの、何時と無しに希う主は容易に悪へと思い到り兼ねぬ。流類の存在は其を息災の如く守り導く、真に尊きものぞ」

「ニコーレ先輩だって独りではないですか」

 

 

私の指摘は先輩にとって深い傷を負わせるものだったと、そう気付くのはまだ、先の話だ。

 

彼女の顔色は一切変わらないまま、でも、痛かったのだろうな。

 

 

「我も主と同じであった。遥か先の正義に目を暗ませ、支を違え、おめおめと生き延びしなんと情けなき我が姿よ。友の名を刻む処すら得られぬ、愚か者のくるしひかり也」

「えっ?」

「主は我と同じであってはならぬ、仮に部隊を組みし暁には……」

 

 

それは彼女の、心からの警告だった。

 

 

「同士を、何よりも尊ぶが良い。信ずることは互いの力となり、失することは天命の喪失と同義也。…………行こうか、ヒナが焦れておる頃ぞ」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました!


今回の主役はニコーレ・ノート先輩でした。
劇のチョイ役かと思いました?先輩Nだと思いました?一石マサト君は復帰すると思いますか?

彼女はイタリア編の後半と不可解の2発目にも出演していました。
アヤやパオラと共に金星とすれ違っています。

意外な共通点だったでしょうか?彼女もパオラと同じ市場の関係者で、購入者ではなく販売者の立ち位置でした。
ただ、最近はその活動を積極的には行っていないようですが、最後の彼女の発言と関係がありそうです。

原作とは違いヒナはニコーレの戦妹となり、クラスメイトのフィオナと地味に交流を持っていました。クラス替えの無いイタリアでは2年に上がってもクラスメイトのまま、現在も交友関係を続けているようです。


ではでは、今回はこのくらいで。
次回もよろしくお願いします!




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手繰の埒内(キャプチャード・キャンパス)




どうも!

最近の夜ご飯は豆腐ともやしの煮物オンリーなかかぽまめです。
因みに朝ごはんは食パン一斤です。


残念、今回も伏線回だ!
話が進まねえ進まねえ。

まだイタリア編が半分も行ってないんですが、初投稿から半年も経ってるんですねぇ……
今では自分で読み返しても、時間が取られて大変です。

あ、月下の夜想曲以来の不気味回となるので、お覚悟を!

では、始まります。





 

 

 

クェー!ケー!ケー!ケー!ケーッ!

 

「ペリちゃん、しーっ!」

「チュラ様……突然の呼び立ても驚きましたが、その芸術的な御方も頭に乗ったままですのね」

「うん!この子は何でも食べるから偉い子なのー」

 

ピチィッ!

 

「褒められたと胸を張っておりますわ。言葉が分かっているとすると……あまりお話はしたくありませんわね」

「頭がいーのでしたー」

「なぜEra(過去形)を付けておりますの?」

「新しい家族が増えたんだよ!アリーシャ」

「うっ……どうしてですの。その少し変わった話し方、お姉さまの顔がよぎりましたわ」

 

 

「……まだ、歩きますの?学校に遅刻してしまいますわよ」

「アリーシャはそういうの得意でしょー?」

「発言の意味が分かりかねますわね。私は仕事以外で穴埋め作業をした覚えはありませんの」

「あ、アリーシャ、この辺で止まって」

「え!――っとと。もう!チュラ様、今朝から突然続きですわ!もう少し早めに――」

「しーっ!」

「――分かりましたわ。理由はその指の先――あの十字路を見ていれば分かりますのね?」

 

「"~~♪"」

 

「あ、あれは……」

 

ケゥー!

 

「やっぱり、思った通りだったー。玄関でいってらっしゃいする時、そんな顔してたもん」

「クロ様……。本日もお休みかとおも…………あら?今、何とおっしゃいました?」

「えー?『そんな顔してたもん』」

「その前ですわ」

「『する時』?」

「刻みが細かいですわね!もう一つ遡って下さいませ」

「『いってらっしゃい』?」

「そうですわ、そこですの!クロ様がチュラ様を送り出したという話は事実なのですわね?」

「うんーっ!」

「クロ様のお部屋に……まさか、お泊りなんて……しておりませんわよね?」

「お泊りなんてしてないよー」

「そ、そうですわね!いくら戦姉妹の間柄と言えど、そんな抜け駆けのような――」

「ずっと一緒に住んでるのー。チュラはもう家族なんだよー!」

「――事はして……ます、の…………ね?それも……家族、と」

「そうだよー」

「チュラ様、後でお話がございますわ。昨日の今日ですし、今は大人しく従わせていただきますが、とてもとても……無視できる内容ではありませんの」

「??うん、分かったよ、アリーシャ」

 

 

「クロ様が学校に向かわれているのなら、こそこそと追いかけたりせず、校内でお待ちすれば良いのではないかと思いますわ」

「……箱庭が始まって、戦姉が1人で戦う道を選んだのは知ってるでしょ?」

「ええ、とある方から伺いましたわ。『クロ様が仲間を求めていて、あの方を主人として迎えるにはチュラ様が離れている、今が絶好のチャンスである』と」

「だから戦姉達から離れたチュラ達を狙ったんだよねー?」

「本当に申し訳ありませんでしたの、チュラ様にも、バラトナ様にも、多大なご迷惑をお掛けしましたわ。聞き苦しい言い訳ではございますが、クロ様を自分のものに出来ると思ったら……自分を止められませんでしたの…………」

「別にいいよー、『箱庭が終わるまでは独りになっちゃだめ』ってカナ戦姉が言ってたし、一緒に戦姉を守る話は賛成、でも戦姉は渡さない。チュラは共闘出来ないけど、最初から戦姉の物だもん」

「そのチュラ様の一貫したオモイに敗れてしまいましたわ。お姉さまとクロ様の間で揺れ動く私とは覚悟の大きさが違う、譲れないものですのね…………っ!クロ様が止まりましたわ、どなたかが接触を……」

 

ピキュウゥ……

 

「一菜だー」

「明らかに、待ち伏せをしておりましたわね。どこからか情報を……」

「奇襲かな?」

「奇襲、ですの?なぜイチナ様がクロ様を襲うのと思いましたの?」

「一菜も箱庭の代表戦士だったからー」

「ッ!?イチナ様も、箱庭に参加を?それはクロ様のお仲間としてではありませんのね」

「日本の戦士だよ。カナ戦姉がチュラに何かを隠してて、昨日はキ……戦姉の様子も変だったから、おかしいと思ってたんだー」

「キ?……そうでしたのね、でも杞憂かもしれませんわ。戦いが始まりそうな雰囲気でもありませんし、クロ様であればイチナ様に負けることなど」

「……一菜の様子が、違う」

 

 

バゴォァアッ!

 

 

「な、何の音で――ッ!?」

「しー、落ち着いてアリーシャ。運良く一菜がサーフを始めた戦姉の気を引いてくれたのに、また勘付かれちゃう」

「!?じ、地面が……割れておりますわ」

「……一菜の後ろに、誰か隠れてる。灰白色の……髪?どこかで見た事あるようなー……」

「フィオナ様の事ではありませんの?お2人のチームメイトで2年狙撃科の現最高位、Bランクのお1人ですわ」

「どっちの味方かなー?」

「不明ですわね。そもそもクロ様がイチナ様と争うなんて……お姉さまから喧嘩している話を伺った事しかありませんもの。信じられませんわ」

「ここで戦姉を潰しておくつもりー?……やっぱり来てみて正解だった、早く戦姉の敵を消さないと」

「っ!お、お待ちくださいませ!そんな雰囲気ではありませんわ、もう少し様子を――」

 

『"クロちゃん。あたしの果し状、受け取ってくれた?"』

『"ええ、カナから受け取りましたよ。折り返し用の果させろ状を"』

 

「……日本語ですわ。チュラ様は何を話しているか分かりますの?」

「"…………ずるい"」

 

『"分かってて、それでも、やったんだよね?"』

『"はい、そうで――"』

『"なんで?"』

 

「チュラ様?」

「"一菜、あなたは戦姉の特別で、戦姉はあなたの事を守りたいんだよ?それは戦姉の……"」

 

 

『"義の為に"』「"義の為に"」

 

 

「……アリーシャ。今日の放課後、予定は空いてるー?」

「放課後……?それも、今日ですの?」

「まだ何も言ってないけど、戦姉は今日中に決闘をしようとしてるみたい。それは一菜の考えも一緒だと思う」

「大した自信ですのね。根拠はありますの?」

「顔。それを見ればいろんな記憶が蘇るから、誰が何をどうやってどうするのかが、わかる……」

 

 

『"統一なんて、出来ると思ってるの?"』「"統一なんて、出来ると思ってるの?"」

 

 

「…………」

「このセリフも、過去に聞いたことがあるんだよー。天下統一を唱えた(かばね)持ちの偉い人に与した妖が、同じことを言っていたのを聞いたの。結局、偉い人の方は死んじゃったけど」

「……いつ頃のお話ですの?」

「ずっと昔、チュラがまだ小さかった頃の記憶なんだー」

「また、小さい頃……ですのね」

 

ケゥー!

 

「ペリちゃん?」

「どういたしましたの?」

 

 

「ほう……(よこしま)なる魔ノ遣いよ、俺の聖なる力に気付いたよう――」

 

ケゥー!

 

「お腹すいたの?」

「私、持ち合わせがありませんわ」

 

「……。よこし――」

 

ケゥー!

 

「……。y――」

 

ケゥー!

 

「アリーシャちゃん、ちょっとその子黙らせて」

「?あら、ローザ様、何をしていらっしゃいますの?」

「ホントごめん、名乗らないと気分が乗らないから、もっかいやらせて」

「……?どうぞ、お名乗り下さいませ」

「いい?ホント大丈夫?もう鳴かない?」

「きっと、お腹が空いているだけですわ」

「うん、じゃあ行くよ?」

「どうぞ」

 

「ほう……(よこしま)なる魔ノ遣いよ、俺の聖なる力に気付いたようだな。ならば俺も名乗るとしよう。覚えておくがいい、俺の名はロザヴェリア・トルッ――」

 

ケゥー!

 

「…………」

「……。俺の名はロザヴェリ――」

 

ケゥー!

 

「俺の名はR――」

 

「あなただれー?」

 

「…………」

「……。お――」

 

ケゥー!

 

「ペリちゃん、なんで怒ってるのー?」

「あのさ、ホントやる気が出ないんだけど、そこの子もちょっと静かにしててくれる?」

「諦めませんのね。本日はどのようなご用件で?」

「ううん、もう諦めた。昨日取り逃した獲物を見付けたから捕まえようと思ったんだけど、ホント無理。やってらんない」

「あなたも切り替えが両極端ですわね、まるでクロ様のようですわ」

「クロ……?ああ、カナちゃんの妹さんね。箱ってるんだっけ?」

「箱ってるとは新しい表現ですわね。バチカンの方々には謝罪させていただきますわ、お姉さまがご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「俺に言われてもなー。頑張ってるのは主にマルティーナ(ティナちゃん)メーヤ(メーちゃん)だし」

「とことんやる気がありませんのね」

「だって名乗れないし……カッコつけないと力使えないし……」

「それで、獲物と言いますのは?」

「もーいーや。かえるー」

「そ、そうですのね。では、良い一日を」

「あ"ープリマ先生に怒られるー」

 

 

「……不憫な性格ですわね」

「誰だったのー?」

「武偵中3年、殲魔科の先輩ですわ」

 

ケゥ―!

 

『でも、クロちゃんだから、怖いんだよ』

 

「ローザ様は地下教会の祝福者で、2つ名が"聖……」

「ちょっと待ってて」

「……他人の口ですら、あの方の紹介は遮られてしまうのですわね」

 

『"いつにする?"』

『"今日の放課後"』

『"どこで?"』

『"学校近くのスポーツ複合施設なんてどうでしょう"』

 

「そっか、あそこで戦うんだー」

「どのようなお話でしたの?」

「大通りを渡ったスポーツセンター。そこの空き地で戦うみたい」

「確かに、あの場所にはおあつらえ向きな囲いが御座いましたわね」

「うん、じゃあ放課後集合!辿り着く前に1人か2人、消しとこー!」

「……いいですわよ。けれど、私仕事以外では人口の穴埋めをしたくはありませんの。チュラ様も武偵なら、殺さないようにお気を付けくださいませ、クロ様に嫌われてしまいますわよ」

「それはダメ!……分かった。動けなくするのはアリーシャに任せるー」

「ええ、お任せくださいませ。戦闘はチュラ様に一任いたしますわ」

 

ケゥー、ケーケークェー!

 

「ペリちゃんも手伝ってくれるのー?」

 

ピチピチィッ!

 

「うん!ありがとー」

「会話が出来ていますの?」

「うーん……うん、うんー……?」

「その様子だと、出来ていませんわね……」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

転校生。

 

私もそう呼ばれていた時期があったなぁ。

いつの間にかすっかりと、このローマ武偵中に馴染んでいたのだと気付く。

 

物珍しい東洋人の姉妹が出現とあって、当時は武偵中、武偵高の生徒問わずやたらに注目された。なぜか大半は私を遠巻きに眺めるだけで、近寄っても来なかったのに意外と傷付きつつも、来られたら来られたで困っちゃうとか自分勝手なことを考えていた気がする。

 

だからあの黒山の人だかりは、私の時には出来てなかった。

むしろ私の場合、あんな華やかな花火のような盛り上がりは無く、未だ遠目で追いかけてくる人が後を絶たない着火用の蝋燭みたいな持続力。はよう燃え尽きとくれ。

 

始業開始時間からも人は増え続け、一体何クラス分集まってんだろうかという人口爆発の爆心地から英語が聞こえてきた。

その声はまっすぐに私へと届けられている。

 

 

「クーちゃんヘルプミー!」

 

 

助けを求めて。

 

 

「いそが……めんど……力及ばず、スマナイ……」

「わーん!クーちゃんの裏切りものーっ!」

 

 

(悪いですね、あなたの事は忘れません)

 

例え暇だとしても彼女を助けるかどうかはまた別の話だが、放課後の作戦立案の方が最優先事項であり、フィオナが仲間になってくれたこと、その時に彼女が誓ってくれた言葉が嬉しいからと頬をバターみたいに溶かしてにへらーっとしている場合ではないのだ。

ただでさえ決闘用にスイッチを温存しているのに、集中力まで失していては戦術の進捗は望めないだろう。

 

 

「フィオナさんの存在に一菜さんが気付いていた以上、確実に対策は立ててくるはず。接近戦の出来ない彼女を、一菜さんと陽菜さんの剛と柔の猛攻から私一人で守り切るのは難しいと考えるだろうし、実際キツイ。だからこそ、そこを制することで光明を見出せる。問題は……」

 

 

フィオナの狙撃で誰から攻略していくかだ。

 

地の利を得たのは私で、陽菜の技能を存分に活かせない平地を指定し、槌野子の準備を完成させない為の牽制弾を遮る障害物もない。

それに、視界が開けていれば能力の分からない兎狗狸と三松猫からの不意打ちにもある程度対処可能になる。

代わりに、フィオナが身を隠す場所も、狙撃距離を稼ぐ為の高所もないが、そこは……そう、私のフォローと彼女の技術でどうにかすればいい。

 

あ、一菜の遠隔攻撃を忘れてた。

あれって止められるものなのか?もし止められなければ、フィオナを守れない。

 

うん。なら、止めなくては。

初めから是非なんて関係ない。

 

2mの距離であの威力。

信じられないな、腕を振るうだけでそんな衝撃波が発生するわけがないのだ。

絶対に何か、種がある。普通の左裏拳に見せ掛けて、何かをした。

 

もしくは無意識に、何らかの発動準備が出来ていた可能性も捨てきれない。

もう1度、その機会があれば見極めてやるぞ。

 

 

「不確定要素……」

 

 

それを先に潰すか……

いや、そっちは私で対処して、最初の目論み通り槌野子への攻撃を優先してもらうか……

 

恐らく初手は陽菜の煙玉で、そこから前衛と中衛、後衛の散開・奇襲と戦闘準備が行われるに違いない。

自分達を隠すか、私達の周囲を覆うように使うかで対抗措置を変えるとして、ここの奇襲で負傷することは負けを意味する。

 

次は無事に切り抜けた後の前衛特攻とフィオナの反撃ターンで、私は2人の攻撃を捌き、フィオナが攻撃を担当、出来れば私の方でもどちらかをダウンさせておきたいが、欲張らず慎重に行こう。

序盤から正念場であり、数分間は視界を妨げる瞬きも動作のパターンを読まれる呼吸も最小限に留めて、全体を一点に集中するなんて矛盾した察知方法が、常に全員を一統に把握する様に努めなければならない。

 

無茶に無理を重ね過ぎだよ。

せめて1人、2人が欠席か遅刻をしてくれれば何とかしてみせるのだが……

 

 

 

 

 

「クーちゃんお昼食べよー」

「私、チームメイトの方と一緒に粛々と済ませる予定ですので、百鬼夜行みたいな有り様の方はちょっと。スマナイ……」

「救いの手を差し伸べてーっ!」

 

 

私の心配を余所に、学校の中は平和そのもの。バチカンも表立っての戦闘行為を避けている模様。

後ろから聞こえる声は、良く分かんないです、はい。

 

昼休みは早々に教室を出て、フィオナと待ち合わせ。

場所は『BASE』という校内に存在する調理科の学生を主体とした食堂で、『戦場の安い材料で高級料理を!』を目標の1つとして掲げる通り、味の完成度は他のレストランには劣るものの、値段はメニューによって半額で提供されるものもある。

……ただし、料理の感想や店員の配給等の感想を書くことが前提で、運が悪いと相当に酷い事もあるのだが、そこは我慢。珈琲はほぼ確実に美味しいものが出て来るから、食後のそれを味わいしっかりと書くことは書く、それが次回以降の質の上昇につながるのだ。

 

チラッチラッと入学した日から変わらない視線を感じながら、食堂入り口に掛けられたOPENの看板を尻目に入場。

キョロキョロと食堂にて待ち合わせていた仲間を探しながら、何を食べようか想像する。この前はマルゲリータ、その前は素揚げナスのパルミジャーナ。ナスウマイ……

今は決戦前だし、日常を彩る味わい深いスープと質素でありながらその旨味を一手に引き受けられるパンで体の調子を整えようかな。

 

頭の中で無難な家庭料理であるミネストローネにしようか、複数の魚介だしで研究を続けられているカチュッコにしようか迷っていると、トレーにコップを1杯載せ、目を光らせた調理科の女子生徒の1人が席へと案内してくれる。そうか1BENEか。

案内された先には既に私の仲間が座っており、私の姿に気付くと食前の炭酸水をテーブルに戻して立ち上がろうとしたので、それにはストップを掛けて何故か後ろに軽く引かれた椅子へと腰を下ろす。

私だけ、扱い違くない?レストランじゃないんだから。

 

トレーのコップを震える手で私の前に置いた生徒は注文を取り、一礼のあとに入口へと戻って行ったが、次に入ってきた生徒は完全スルー。

そうだよね。ここ食堂だから、普通そうだよね。

 

 

客も店員も揃ってこっちみんな。

 

 

「お待ちしておりました。やはりクロさんは時間通りに来てくれますね」

 

 

チップは弾みませんよ、とかケチな事を考えたのは僅かな間隙。

私が姿勢を正面に向けるや否や、炭酸水を飲むタイミングを与えることなく、真面目な彼女は挨拶と若干の社交辞令から会話を始めた。

 

 

「立場が逆だと思いますよ、私がフィオナさんの力を借りるクライアント側なんですから。それも命がいくつあっても足りないような……正直、Bランクの任務が鼻で笑えるLDS600……いえ、700を超える長期の依頼と同等のもの。それで依頼料も要らないなんて……」

 

 

学生は無論、プロの武偵でもそんな高難易度の任務を受けられる人物は限られる。

私は裏の任務でカナについて行くことで経験があるが、フィオナには経験がないだろう。

私、その美術館で死に掛けたし。

 

その上、1度でも私と共に戦う事があれば、彼女はもう箱庭の中に囚われたも同然、敵国から狙われて、当分普通の生活など送れなくなってしまうのだ。

 

裏の世界――普通なら想像も出来ない超人達が命の遣り取りを行う世界には、悲しい事に私もカウントされているらしい。

フラヴィアもそう呼ぶが、"黄金の残滓"というなんとも厨二な非公式の二つ名で勝手に広まっている。

だから私は手遅れなのだけど、フィオナも引きずり込んで本当にいいものか……

 

 

「正義の味方の力となれるのに、どうして利益を求めるのかが理解できません」

 

 

だ、そうなのだ。

決闘の話をする上で箱庭の話題は避けられず、それを聞いてからというものどこか態度が変わっている。

ヒーローに憧れる子供か!ってくらい目が輝いていた。

 

LDSスコア700オーバーの依頼料の基準は分からないが、私が支払えるようなレベルではないのだろう、そこは助かる。

さらにフィオナの実力であれば、ある程度は通用するのは間違いなく、狙撃手は超人にとっても脅威に足る一種の能力者だと私は思う。

 

でも、だ。

一言物申させてもらえるなら、ひどく危ういんじゃないのかな、その考え方。

遠山の一族がこう言うのもおかしな話だけど、正義には犠牲が必ず付きまとう。その犠牲を自分の身で補おうって考えが、彼女から感じ取れてしまった。

 

それではいけないのだ。

私だって、自分を犠牲になんてしたくないし、極力避けるべきだと理解している。

犠牲は新たな火種を生み、火種が炎となって平和を奪い、更なる犠牲が新たな正義を生んで、正義は最後に小さな犠牲を払う。

なんて完成された自給自足のシステムなんだか。

 

 

呼吸を荒くし、身を乗り出して言い切るフィオナは本気であり、箱庭の宣戦の事を話してから、彼女の中の私は報酬を求めない凄い人になってしまったらしい。

しかし、私の道は正義と自信を持って言い切れない。そんな道に誰かを心中させるつもりは毛頭ないのだ。

 

 

「必ず、何かでお返ししますよ。何だって構いません、フィオナさん。あなたの為なら、私はこの身を喜んで差し上げましょう!」

「――ッ!?」

 

 

なーんちゃって。

フィオナは頑固だから、簡単には意見を変えないんだよね。

 

お返しするつもりは当然あるけど、当方支払い能力が乏しい身でして……

出世払いって事で、ここは溜飲を下げて頂こう。

 

 

「さて、それでは作戦会議に移り――」

「……その言葉に、嘘偽りはありませんね?」

「えっ?」

 

 

え、なに?

この話続くの?

 

フィオナさんの目がマジなんですけど。

 

 

座席の近くを通過した生徒が中腰状態のフィオナに怪訝な視線を向けていたので、まず、座らせる。

それから、私の財政難(ロハが原因)を伝えて猶予を設けてもらう事にした。

 

 

「もちろん、ありませんよ。ただ、すぐというワケには……」

「分かっています。個人で支払える金額では無い事も承知していますので、対価をそのまま払えなどと言うつもりもないです」

 

 

おお、良かった。

詳しくは知らんけど、700以上は個人じゃ無理な額なんだね。

 

窓口を通したら一体どれだけの紹介料と税金がかかるのやら。

いやいや、税金はちゃんと納めますよ?中学武偵で窓口になる学校を通さないで依頼を受けるのは確か校則違反だもんね。それ以前に怪しさ大爆発で、トラブル確定みたいなもんじゃないですか。

……やってる姉妹を知ってはいますが。

 

 

「うーんと、では私に何を求めるのでしょうか?」

 

 

彼女の口から法外な請求が来ることはないとは思っていても、何でもと発言したのは私の方。

朝には私に命を懸けるとまで言わせたのだ、多少の覚悟はしておかなければならない。

 

 

「約束が欲しいんです。私達が、もしもチームでなくなっても、味方でいてくれると。それで……もし武偵高に進んだとしたら……」

「……ごめんなさい、フィオナさん。私がこの国にいるのは、姉さんの留学の期間だけ。それに、もしかしたら私は――」

「いいえ、違うんです!チームを組めと無理を通すのではなく、あなたには変わらないでいて欲しいんです。味方というのも私ではなく、正義の味方としてあり続けるって、道を踏み外した悪を誰であっても正しく裁いてくれるって」

 

 

それはバカにした言い方でもなく、冗談で場を和ませようという意思もない真顔で、報酬を求める立場の人間には見えない、頭まで下げて頼み込むようなお願い。

脱帽しないのは彼女らしいが、どうしてそんな事を報酬として求めるのか。そういえば初顔合わせでも出会い頭にも似たようなことを言われたっけ?

 

(にしても、正義の味方ねぇ……)

 

こちらとしては、家訓にもあるし元より異存はない。

結局無報酬と変わらないのでノーカンにしようとしたのだが、彼女の揺れる瑠璃色の瞳で心を締め付ける様に(ほだ)されて、別のお願いは?……とは言いにくい。

どうにも別の所に真意があるようで、深入りすると距離を置かれてしまいそうだ。

 

 

「私は正義の味方などではありませんよ」

 

 

だから、こちらが少し身を引いて、その真意を聞き出そうとしたのだが……

 

 

「そのままでいいんです。あなたは……クロさんは、クロさんのままで、私の希望であり続けて欲しいんです」

 

 

これ以上の問答は不要。

はい。か、いいえ。で答えろと、暗に言われた。

 

 

RPGだったら、はい。と答えるまで無限ループに入るイベントシーンだが、これは現実。

いいえ。と答えれば、彼女は二度と私に振り向かなくなるかもしれない。

 

答えなんて決まっているはずなのに。

それを口にするのが大きな()()()である気がした。

 

 

 

 

 

 

ああ、やだなぁ……

とてつもなく、嫌な予感が止まらないのだ。

 

 

 

  真っ赤な   はい。

 

 

 

選択肢のはい。の文字は真っ赤な色に染まっていて。

滲みだした血のように滴り落ちる。

 

この血は……誰の物なんだろう。

この選択肢が……私の道が誰を傷付けるのだろう。

私はこの分岐を選んでいいのか?

 

 

 

         はい。

 

 

 

その2文字が近付いてくる。

近付く程に大きくなって、鉄錆のような異臭をより強く放ちながら、異形な生物のように体を引き摺り、鼻口を塞ぐ私に迫る。

いいえ。の文字がいないのは、お前がやったのか?

 

 

 

         はい。

 

 

 

不気味な幻覚だ。

お前が本当に私の意思だとは思えない。

それとも、文字が私を支配しようとでも言う気なのか?

 

 

 

         はい。

 

 

 

たった一枚の窓を真っ赤に汚しながら、そいつは私に差し迫らんと耳障りな打音を鳴らす。

その度に、窓の向こうがそいつの分泌液で赤く染まり、漏れ出した錆臭さが周囲を不愉快な空間に作り変えて行く。

効果音を付けるなら、ダンッ!とかドンッ!じゃなくて、ビチャッ!とかグチャッ!に近い。

 

気持ちが悪いヤツだ。

いつからこんな奴が住み着いていたんだろう?

 

出て来られはしないみたいだが、不規則なその動きが余計に生体反応を思い浮かばせて――

 

 

――――ポタッ……

 

(……?液体……?)

 

 

左頬に何かが掛かった。

左手の甲でそれを拭い、見入る。

 

付着していたそれは青い液体で、擦ったことでインクのように伸びていた。

 

血の気が引いて、視界が立体感を失う。

左手も、ゆっくりと見回したこの空間も、全てが絵に見える。

呆然として焦点が定まっていないらしい。

 

もう一度左手を確認し、異臭から鼻腔を守っていた右手も置き去りにして、上を……

 

青い液体の正体を探す。

 

    

 

  い

 

           

            え

    

       。

 

 

 

吊り下げられた文字は、い え。

 

相当痛めつけられたのだろう。

至る場所が醜く腫れ上がり、握り潰され、剥がれ落ちた一部は楔で無理矢理捻じ込まれて、既にピクリとも動かない。

 

何があったかなんて、推測するまでもない。

あいつがやったんだ。私から選択肢を奪う為に。

 

(……音がしなくなってる?)

 

石のように固まった全身に喝を入れ、急いで視線を窓枠へと戻す。

しかし、内側から赤く塗り潰された窓の向こうが見えない。

 

まだ、いるのか。

もう、いないのか。

 

窓枠は空いていないが、諦めたのだろうか。

あいつはどこに行った?

 

 

 

――ッカァーーン……ッ!

 

 

 

突如、木材を叩き付ける音が響く。

きっとこれは、い え。に打ち込まれた楔と同じ物を、誰かが何かに捻じ込んでいる、その瞬間。

 

 

 

誰かが……

 

 

私と同じ空間にいる――――っ!

 

 

 

音は良く響き、反響音がいつまでも鼓膜を打つ。

それが徐々に悲鳴に聞こえてきて、咄嗟に耳を塞ごうとして……止めた。

 

危険だ。

あいつは侵入を果たしたに違いない。

 

そして逃げ延びていた、 い  を捕らえ、同じ目に遭わせている。

 

私だって、さっきは い  が優先的に追われたからこそ見逃されたが、見付かれば何をされるか分からない。

 

 

"文字とかくれんぼ"とか、B級ホラーにありそうだ。むしろZ級。

しかし、どんなに出来が悪い(ある意味完成されている)作品でも、主役が自分に置き換われば、その評価を変えざるを得ない。

 

理不尽な設定の中、辻褄を合わせる事すら放棄した悪意の具現化たる存在が、ワンカットの直後には時空を超越して目の前に、或いは背後に現れる。

そしてご都合主義的に生き死にが決定されるのだ。

 

 

 

――――ッカーーーン……

 

 

 

音が遠ざかっている。

どうやら方向はこっちであっているようだ。

とりあえずはこのまま真っ直ぐ逃げればいいのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

        はい。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「……はい、分かりましたよ」

「――ではっ!」

 

 

私の申し出を受けて頂けるんですね?

その声が辛うじて耳に届き、頷くことで肯定の意を表した。

 

たった今、私は自分の意思で彼女の願いを受け入れる事としたのだ。

正義の味方として生き、相手が誰であろうと公平に裁くようにと念を押されたが、()()必要も()()合う必要もないから一つ返事で答えると、彼女は笑顔のまま真意を隠すように目を閉じて空を仰いだ。

 

 

 

頬が痛む。

前にもこんなことがあった。

 

前兆もなく、注射の後みたいなじんじんと一点から広がる痛み。

その前後には決まって小さな少女の笑い声が聞こえた……ような。

 

 

「私からはそれ以上の望みはありません。では、作戦会議をしましょうか」

 

 

次第に心の整理を終えたフィオナが水分を一口含んで、私の追及を避けるように話題を変えた。

いつからだろう、そんな彼女からは甘ったるいミルクチョコの香りが広がっている。食前チョコでも食べて来たのか?新しい文化だねフィオナ。

 

 

「一菜さんの強さは良く分かっているつもりですから入念に練らなければいけません」

「同意見です、何度シミュレーションを行っても、あのスタミナお化けの止め方が分かりませんよ」

 

 

いくら一菜が私より打たれ強く、体力が無尽蔵だとしても銃弾が当たりさえすれば負傷する事に変わりはない。

当たりさえすれば、止められるのだ。

 

しかし、力任せで型の無い彼女の動きは捉えづらく、高速で直進する彼女は射線を正確に読み切り、反射的に銃弾を弾く。

当たらなければ、止められない。

 

 

止めるなら……決着を付けるには、私が気を引いてフィオナの狙撃を当てるか、あの暴力の化身を接近戦で制するしかない。

どちらにせよ、妨害を受ける可能性がある内は止めようもないな。隙を見せれば確実にあいつは踏み込んでくる。

 

 

「3人から2人に減ると、一気に戦術の幅が狭まりますね」

「戦術と言うべきかも怪しいですし、大筋を決めたら結局はコンビネーションがものを言うでしょう。その点、私達なら大丈夫ですよ。私はあなた(の狙撃の腕)を何よりも信頼していますし、何があっても(戦術的にも)大切なあなたの事を守りますから」

was !? (わっ!?)waas !? (わわっ!?)stopp ! (待って!)stopp,OK !? (待ってくれませんか!?)

 

 

なぜ、そこで慌てふためいて赤くなる。

折角考えて来たのに、戦術じゃないって言われたからプンプンなの?

そこまで慌てなくても、戦術を軽んじている訳ではありませんって。

 

 

「フィオナ――」

「た、たちゃ、確かに数的不利な場合は、状況の変化に行動の大半が左右されてしまいます。増して、不意打ちならまだしも決闘では1人1人のウェイトが大きいですね」

 

 

彼女はすぐにテンパるなあ。

声を発している内に気分が落ち着く性分みたいだし、チョコレートが鎮静剤になって復活は早いんだけど、これもBランク止まりの不安材料なんだろうな。

 

 

「せめて私が接近戦をこなせれば、それだけで劇的に変わるのに……」

 

 

テーブルの下に置いた手を悔し気に握りしめた彼女は、かすんだ声を弱々しくさせながらも、変えようのない事実を嘆いて呟いた。

 

彼女の言う事は最もだ。

私が守らなければならないという事は、フィオナの狙撃は常時2人分のコストを必要としている事と同じ。

2人いるのに、戦力的価値は1以上2未満に留まってしまう。

 

だが、それでも戦力アップには違いないのだし、同様にフィオナの弱点を突こうとする一菜の作戦を逆手に取った策も考案済み。

フィオナが接近戦を出来ないことを利用した、ちょっとだけ危険が伴う方法であるも、彼女は快く引き受けてくれた。

 

 

「……なるほど、その方法なら1人は道連れに出来そうです」

「やられる前提で動かないでくださいよ。あくまで最後の手段として、身の危険を感じたら使ってくださいね」

「分かっています。それに、私だっていつまでも無策で守られ続ける気は無いですよ」

「ん?それはどういう……」

 

 

そこでさっきとは違う店員が近付いてきて、興味深そうに聞き耳を立てていたので会話は途切れさせた。

声を掛けられずに困っているのかと思いきや、振り返るとまさかの春色の顔、しかも調理科唯一の知り合いである。

 

(なんでこの人は興奮してるの?恋バナを聞いていた訳でもあるまいし……)

 

彼女には突っ込むだけ無駄。

全てを曲解した上で拡散ブログを上げる情報テロリストだし、用件をさっさと済ませて戻って頂こう。

どうやら私の注文していたスープとパンを届けに来たらしい……おや?

 

 

……こういうのって、気が付くと我慢できないよね。

 

 

「ヤージャさん、それは新しい髪飾りですか?」

「んめ?」

 

 

言うよりも早く立ち上がった私は、彼女の硬い髪質のショートヘアを梳くように指を滑らせてそれを掴む。

同時にそれの存在を悟らせぬよう、髪の隙間へチップを包んだチューリップの折ナプキンを差し込んで気を逸らした。

 

この手品、ちょっとカッコつけた感じで見せ付けるとより効果が増大する。その証拠に……

 

 

「あ、あれ?こんなの付いてたっけ――ッ!?あ、あっあ、そ、クロさ……!ご、ごちそうさまでしたーッ!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

ほらね?

この技は、姉さんに借金をしていた貧乏時代に、より少ないチップで勘弁してもらうために編み出した外道技。

スイッチを用いれば、それこそ店員さんの服の内ポケットに忍ばせる事も容易なので、それはそれは喜んで頂ける。ウィンウィンな技だよね。

 

彼女はスープとパンを給仕する直前までは我慢できたようだが、そっと食器をテーブルに載せた直後には、厨房へと走り去っていった。

 

当然、良い事ばかりじゃない。

ヒューヒューという口笛、拍手喝采、カメラのフラッシュは華麗に回避。

そう、弱点はこの周囲の盛り上がりで、それはそれは鬱陶しい。ファジーファジーな技だよね。

 

 

「……クロさん、何してるんですか?」

 

 

あら、冷たい声。そんなに不機嫌にならんでも……

ごめんて、騒がしくしたのは謝りますよ。

 

 

「これが彼女の頭に付いていたんです」

「――ッ!?」

 

 

しっかりと説明責任を行う為に開いた右手には、1匹の蜘蛛。

手の平にチョコンと丸まった小さなその体色は、ヤージャの髪と同じココナツブラウンで、まるで擬態するかのように隠れ潜んでいた。

 

しばらく様子を見ても変色する気配もなく、逃げ出そうともしない。

この蜘蛛は果たして自分の意思で、自分と同じ色のヤージャの髪に飛び込んだのだろうか?

命令を待つロボットみたいに行動意思を表さないのが不自然で、このまま逃がしても良いものか迷ってしまう。

 

蜘蛛をじっと観察する私を、フィオナがじっと観察している。

そして先に観察を終えたのはフィオナの方だった。

 

 

「クロさんって、本当に色々と見た目とは真逆ですよね」

「へっ?何のことです?」

 

 

少しだけ呆れがこもった声で、観察結果がもたらされた。

 

――そこがクロさんらしい所なんでしょうね。

 

って、なんか馬鹿にしてませんか?

 

 

仕方ないな、この際チームメイトの視線は気にするまい。

蜘蛛は大人しいし後で逃がすとして、折ナプキンのお家を作ってあげると中でもぞもぞと動き始めた。

ほらほら、この子も気に入ってくつろいでますし、一件落着だよ。

 

さてと、折角のスープが冷めてしまうな、手を洗って来よう。

席を立つと、フィオナが何かを言い掛けて止めた。

 

 

 

再びテーブルに戻った時、蜘蛛はいなかった。

フィオナに聞いてもずっと見ていた訳ではないから気付かなかったらしい。

 

 

私が作ったお家には――

 

 

Danke!(ありがとう)』と走り書きのような、ちょっと歪な筆記体で書かれていたのだ。

 

 

私が頼んだミネストローネはキレイな茜色だったのに。

 

 

美味しいという感想以外には。

 

 

なんの味もしなかった。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


チュラとアリーシャが何かを企む中、クロとフィオナは放課後の作戦会議。
怪しい影が、着々とローマ武偵学校に姿を見せ始めています。

少しどうでもいい話を挟みますが、今回初登場のローザさんはもう本編に出番はありません。


【挿絵表示】



内容についてですね。

不気味回と銘打った通り、クロの窓枠世界に何者かが入り込んだ気色悪い描写がありました。
クロの選択肢を奪うように、選択肢そのものが彼女に牙を剥いて、思い直そうとした回答を矯正させてしまいます。

これまでも、これから先も、クロの選択肢は巧妙に奪われて行く事でしょう。
その正体を掴むか、もしくは対抗出来る者が現れるか。

手遅れとなる前に、解決策が見つかると良いのですが……




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茜空の決闘(マダーレッド・デュエル)




どうも!

仕事先で年明けを迎える予定のかかぽまめです。
紅白とガキ使で迷っていた時期が私にもありました。


サブコンテンツにうつつを抜かし、あー書かなきゃな~と考えながらも、結局描いてばかり、申し訳ない。

今回はバトル回です。
放課後の屋外、茜色の空の下で行われる決闘はおそらく激闘となるでしょう。


ではでは、始まり申す。





 

 

 

「よしっと!これでオッケー。……あー、あー、そちらに、映像は届いておりますか」

「ああ、届いてるよ。画面いっぱいにお前の可愛いらしい横顔が映り込んでいるな」

「うえっ!す、すみません!画面を送信するカメラを間違えました!………こらぁっ!お前ら、繋ぐコードを間違えてるぞー!それとアニカ、俺の顔を撮ってないで戦場を映せ!」

「お言葉ですが隊長、私が撮影していた目の前にカメラを設置し始めたのは隊長です」

「えっ、あ、ごめん、良い撮影ポイントを探してたら夢中になってた……じゃなくて!いつから俺の顔を撮ってたんだ!」

「起動した時にはもう隊長の超可愛……勇ましいご尊顔が画面いっぱいに広がっておりました。大変眼福でございます」

「お前なぁ……今は作戦行動中だぞ?」

「であるからこそ、隊長が真剣な眼差しで必死に打ち込む様子を撮影できるのですよ。自室でぐーたらしている姿とのギャップがキュンキュンと……」

 

「おい、いい加減ちゃんと仕事しないと報告書に上げるって手もあるんだか――」

「隊長、配線の修正が終了したようです。ついでに、戦いも始まりそうな予感がします」

「ああーもうっ!分かった分かった、今は一切の漏れなく記録する事が優先だ。完璧なカメラワークで取り逃し無く持ち帰るぞ」

「はい、当然です。ほら、隊長も早く違う場所に行ってください、被ってますので」

「え、俺が動くのか?」

「早い者勝ちですから」

「……それもそっか。よし、もっといい位置を探してくる」

「いってらっしゃーい…………あー……カワイイなあ、隊長は」

 

「アニカ、聞こえてるか?」

「はい、聞こえてますよ少佐」

「あいつで遊ぶのも程々にしてやれ、手術後の後遺症が抜けてないからな、独りじゃ不安だ。まだまだお前のサポートが必要だろうよ」

「はい、そのことに関しては理解しています。手取り足取り教えて差し上げてますが、少佐のためだと言えば何でもしてくれるんですよ!」

「……良いか、程々にな?ただでさえ生活も激変して感情面も不安定なんだ、お前がからかうのは前からだが、あまり――」

「いい場所見付けました!どうです?アニカの画面より良く見えるでしょう!」

「……ああ、よく見えているよ。お前が跳ね回ってはしゃぐ姿がな」

「ふぃえっ!?な、なんで……」

「隊長。隊長が指示を出したケーブル配線は音響回収装置の方です。カメラの映像は周波数で制御された無線で遣り取りしているでしょう?なぜ線を繋がないで持ち歩いているのに気付かれないのですか?」

「あぅ、そ、そうだよね……じゃなくて!俺の映像を送ってるのはお前だろ!戦場を映せーっ!」

「ああっ、隊長!隊長が持っている通信器の方まで無線の調子がっ……!」

「おい、こら、まてって――」

 

ぶっつッッ!!

 

「戦場の映像に切り替えますね」

「……ふんふん、どちらも定点カメラの位置は悪くないな。しかし、戦闘中は常に警戒を怠るなよ」

「もちろんです。ここはバチカンのお膝元から離れている郊外とはいえ、あちこちに他国の使い魔が混じり合う光景は余りにも異色ですから」

「それだけじゃない。今回の作戦はただの情報収集に留まらないらしいぞ?この戦いにイヴィリタ様は甚くご執心だからな。もし、お前達がしくじるようなら……」

「フランクを使います?それとも……」

「……使わないさ、お前の所の隊長は良しとしないだろ?あいつがあたしの期待を裏切ったことはない、まあ、お前が居てこそだがな」

「大変恐縮です。そこまで言われてしまえば、ご期待に沿えない結果など全て裁くべき悪です」

「期待してるぞ。それに、気になってるだろ、お前もこの戦いを」

「……少しだけ。失望すると分かっていても、私も彼女に期待しています」

「緊急時はすぐに連絡を寄越せ、あたしは実験に戻る」

「体任せの危険な実験は程々にしてくださいね」

「あー?」

「隊長にとっては、あなたが全てなんですから」

「……ああ、そうかもな」

 

 

 

「……あなたがつまらない理想を追う内に、アタシは学んだよ。力と正義は切っても切れない関係だと」

 

「悪を知らなければ真の正義には近付けない、だったっけ……笑えない冗談。じゃあ、正義を知らないあなたが悪を見付けられるの?」

 

「世界を知らぬ凡愚な子、あなたの天秤は幼弱すぎるの。いくら正しい答えを求めようと、あなたの両腕はそれを支える事すら出来ないでしょうに」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「まだですか?」

「ふむ、よもや此様な事態になるとはの……」

 

 

だだっ広い草原の中、4つの人影が2対2に分かれて相談をするように向かい合う事15分。

全方位を1辺100mも無い正方形の柵に囲まれた場所にて、2つの派閥は割と深刻な問題を共有しているのだ。

 

その内容は『この辺の植物は枯れちゃって土が露出してますね』なんて環境問題を取り上げた物でも、『柵の向こうは草ボーボー伸び放題ですね』なんて管理者責任問題に発展する様な物でもなく、単純に今から行うイベントの参加者が不足しているという目先の話。

 

3人足りない。

流石にこれは偶然とは考え辛いぞ。

 

間違いなく、何者かが裏で動いている。

私達に友好的な誰か、はたまた日本に敵対するどこか。

 

 

「ヒナさんが遅刻するなんて考えられません。彼女の身に何かがあった筈です!」

 

 

公明正大を掲げるフィオナは敵ながら交友のある陽菜に対しても正当な評価を下していて、これから戦う相手の身を案じてすらいる。

 

その頭にバスクベレーはなく、代わりに灰白色の触覚が1束、天に向かって聳立していた。

毎日女子寮を出発する時には被り物で圧し潰されているだろうに、あの軍属の兵隊の様な見事なまでの姿勢の良さは、並の根性では成し得ないな。

何という不屈の精神!

 

それで、なぜ普段から隠している……ぶっちゃけるとアホ毛を外界に解き放っているかと言うと、あれが彼女の狙撃能力――特に遠距離狙撃と速射には必須な身体的特徴だからだ。

 

決闘が始まる前から慣らせる目的で帽子を外しているが、風で揺れ動く度に極わずかなディレイを置かぬまま、彼女の目が痛ましく細められている。

今も、先端の反りがほんの少し右へ会釈程度に傾けただけで、連動する表情が微かに変化した。

 

 

「兎狗狸と三松も、時間を決めれば、守る奴ら。思念も届かない、イヅ、あなたの予想通り」

 

 

両の目を横一文字に閉じた、白髪で小学生並みの身長しかない少女は、この肌寒い気候でも半たこと素肌にさらしを巻き、その上にいつ時代の服だよという感じの干し草で編まれた法被を羽織って、頭には小さな山伏の頭巾がチョコンと載せられている。

ふむ?あの子の頭の上にもアホ毛が隠されていたりして……なんちゃってね。

 

 

「さもありなん。これだからクロとは諍いを起こしとう無かったのじゃ。如何にして我は決闘などと言う方法に思い至ったのやら」

「ちょっと!私のせいですか!?言い掛かりにも限度ってもんが――」

 

~~~♪

 

電話だ。

ポップなこの曲、昨日CMで流れてたな。

 

聞こえてくるのは前方、と言うより目の前。

相変わらず流行に敏感だよね、一菜は。喋り方のイメージとかけ離れてるよ。

 

 

「あ、どうぞ。先に出てください」

「すまぬな、陽菜じゃ。"――(おう)い、陽菜よ!遅れ馳せるとは何業なる理由かぁ!ちいとばかり心配したじゃろうが!"」

 

 

怒ってる……のには違いないようだが、口調が荒いだけで攻め立てるような声色ではない。

ってか、二言目には迷子ちゃんの親みたいなこと言い出したし、日本のリーダーらしいけど完全に保護者目線だよね。

 

 

「"ん?なんじゃ、言いたいことがあるなら――そ、それは(まこと)か!?ならば致し方なし、今日は帰って安静にするのじゃ。――うむ、構わぬ。我に任せておくが良い。――うむ、ではの。……ふむ、そうか"」

 

 

なんかうんうん唸って1人で納得してる。

受け答えを聞いた感じだと来なさそうなんだけど、陽菜はどうしたんだろ?

 

 

「ヒナさんは何と言っていたんですか?」

 

 

日本語が分からないフィオナが一菜に説明を求め、私も気になっていたからうんうんと首を振って尋ねてみる。

特に秘匿事項も含まれていないようで、一菜も快く説明をしてくれた所によると……

 

 

「陽菜は拾い食いの後に保健室へ向かったそうじゃ」

 

 

ひっどい!

 

 

予想をしていたその数倍、酷い理由だ。

んで、あんたはそれで納得するんかい!

 

そんなに飢えていたの?あの子。

それとも大好きなタリオリーニアラピアストラサンドウィッチ――要するにただの焼きそばパン――が道端にでも落ちてたのかな?

 

 

「あ、ありえ、ない……で、です……」

 

 

自信無いんかい。

 

 

いつも正当な評価を下す彼女が明確な答えを下せていない。

きっとそこには友情が壁となって、親愛なる友の威信を守ろうと必死に立ちはだかっているのだろう。

 

そんなに悪食のイメージが無いのは私だけ?

それとも大好物のタリオリーニ(略)サンドウィッチ――しかしただの焼きそばパン――が枝からぶら下がってたのかな?

 

 

「罠に、掛かったのかも」

 

 

遠回しにあんたも認めるんかい。

 

 

目を閉じたままでメンタリズム的に心は読めない。

淡々とした口調で話すものだからそこも感情は感じ取れないけど、それって絶対パンに釣られた彼女を想像してるよね?

 

敵がいるようなことを仄めかして『くっ、策士か……っ!』みたいな話に持って行ってるけど、つまりは拾い食いを認める形だよね?

それともタ(略)ッチ――如何なる名称を得ようとも結局の所ただの焼きそばパン――を使えば彼女を容易に謀れるの?

 

 

三者一様の反応を示したことに戸惑いそうになったが、可哀想だねとピリオドを付けておく。

 

着目すべきは、もしそれが事実であれば私達の勝率は数十パーセント上がった点。

……無論、兎狗狸と三松猫が接近戦を出来ないことが前提の概算ではあるが。

 

 

「理由はどうでもよい。つまりは、この決闘に陽菜は来られぬ、という事じゃ」

「良いんですか?そんなにさらっと欠員を流してしまって。数は力、強い力は多数と同義、まとめて束ねた数は掛け算ですよ。陽菜が抜けた戦略の穴は大きいでしょう?」

 

 

一菜は「尤もだ」と返し、しかし「それがどうした」と言いたげにフンと鼻を鳴らした。

 

いざ戦闘が始まれば負けはないと誇張し、私達を見下しているみたいだ。

このチクチクと喧嘩を売ってくる感じはまんま出会った頃の彼女とそっくりで、あの頃の煮えたぎる敗北の悔しさが私の神経を逆撫でする。

 

日が落ち始め、見る見るうちに色が変わって行く茜色の空を見ていると、焦燥感が増幅して時間の経過を早く感じてしまう。待機しているだけなのに苦痛を覚えるのは時間に追われる日本で暮らしていた名残みたい。

もうこれ以上待たされるのは精神的にも辛いし、まだ2人も来てないけど、そっちがその気なら今すぐにだって始めても良いんだからな?

 

 

「しかし、兎狗狸の奴め、我が愛弟子と可愛がっておれば付け上がりおってからに……」

「イヅ、その認識は変。兎狗狸、イヅの鬼の説教に、いつも怯えてる」

「そうかの?最近はかなり手加減してやっておるのじゃが」

 

 

その会話の最後に、槌野子の法被の背面側、丁度人間の尾てい骨がある位置がちょっとだけムクッと膨らみ、常時前後左右にユラユラと揺れる風鈴の様な動作もピタッと止まる。

ビックリ……してるのか、あれは?

 

彼女は意外と感情豊かなのかもしれない。

無表情で眉一つ、口の端を動かすこともしないが、その代わりに衣服の中に仕舞われた尻尾や、挙動へと顕著に表れている。

 

これは戦いの中でも有用な情報かもしれないぞ。

感情を隠すのも技術の一つとして扱われるように、感情の読み合いに勝つだけで有利になる局面がある。

焦った時、怒った時には感情の昂ぶりによって行動が精細を欠いたり、思考が一辺倒になり易く、相手がその状態に陥ったと知ることが出来れば駆け引きを一方的に掌握できるのだ。

 

トロヤの翼みたいに分かり易い特徴があれば苦は無いのだが、ヒトの癖を見るのは武偵の基礎、見せないのは基礎の基礎。

なるほど、全てを信じてはいないが年齢上は私より圧倒的に長生きらしい日本代表の共通の弱点、それは自身の経験に頼り切った自信の傍らで欠如している基礎の無さかもしれない。

 

目的を達成させるために新たな技術を作り出すのは間違いではないが、基礎から順序良く組み立てて行けば必要な労力は少なくて済むものだ。

彼女達の生み出してきた技術の数々は、一見太刀打ち出来ない激甚な力を発揮するが、それと同等以上のものを無力な人間は長い年月をかけて作り上げて来た。

 

風圧で地面を破壊したからと、勝ち目がないなんて諦める必要はない。

基礎を組み上げる……力と技術を組み合わせれば、彼女達の領域に届くことも可能なのだから。

 

 

「フィオナ、あなたがどう思うのかは分かりませんが、私はこの状態で決闘を始めたいと思っています。異存があるのであれば聞きますよ」

 

 

正義の味方は卑怯なことをしないだろうし、フィオナの正義像は私の想像よりも余程崇高な人間だから、準備が整わない相手を攻撃するのはダメですとか言われちゃいそうだ。

私の正義像、カナなら相手を待ったりしないけどね。武偵の世界では準備の出来ていない方が悪い。

 

 

「異存ありません。私は武偵ですから、ターゲットの用意が出来ていないからという理由で射線をずらすようなことはしないですよ」

 

 

と、ここには柔軟な発想をもってくれたな。

気に掛かったのは『私は』と意図的にか無意識にか区別したように聞こえた部分だけど、気が立ってて敏感になっただけかもしれない。

 

一菜の事となると私は少しだけ精神のコントロールを失いやすい。

喧嘩ばっかりしてたから、ある種イノシシが赤い色に興奮するみたいに、一菜(イコール)闘争心の数式が適用されているのか?

 

しかし、今は考えるな。

考えれば考える程ドツボにはまる、答えの出ない問いなんてそんなもんなんだからな。

 

 

 

一菜との戦いが、始まる。

波が……荒れる。

 

 

 

「そういうわけだし、どうする、一菜?もう、始めない?」

「……久しく見なかった顔じゃ、最後に見たのは一月と七日前かの?我はその採れたてのイチゴの様に瑞々しく潤む目が……熟れた濃厚なイチゴの様に意思が凝縮された瞳が……大好きじゃ、クロ」

 

 

 

一菜の熱情が込められ燃え盛るような赤い瞳が、悦びを糧とすることでさらに見開かれる。

彼女が言うように、私の瞳に意思が凝縮されているというのなら、その大きく開かれた両目からは激しい感情が止め処なく、地平線の彼方の夕陽のように茜色の煌きを思わせる眩い光として放たれていた。

 

コキコキと鳴らされた両手がレッグホルスターに……合わせて12kgの鈍器となる手甲銃に伸びる。

どうやら、荒れているのは私の方だけではないようだ。

 

そりゃそうか、あの頃の喧嘩とは違う。

この草原で巻き起こされるのは真剣勝負であり、意思と意思とのぶつかり合い。

彼女はもう、私の記憶の大半も、仕舞い込んでしまったんだ。

 

 

 

――敵として、向かい合う。

 

 

 

「今一度、戯れてやろう。子供の遊びじゃ」

「前回は私に一本勝ちを取られたくせに、よく言うね。それとも負けを認められない程、小さな器量しかないのかな?一菜には」

 

 

……でも、なんでだろう。

 

 

「ぐっ……後半の事を思い出させるでないっ!クロが気を違えたことを申したのが悪いのじゃ!」

「一菜、覚えてたんだ?だけど私が覚えてないんだよね」

「……この、放蕩者めが…………」

 

 

なぜ、まだ記憶の一部を残してる?

 

 

「今度勝ったら、一菜に何をお願いしよっかなー?ね、一菜。良い案、ない?」

「あ……あ、あ、あ……ある訳無いじゃろうがぁッ!妄語ばかり並べおって、今生の我のみならず()()()()()()()()の全てを欲するか!」

 

 

戦いには必要のない情報なのに、()()()の流れを覚えていて。

 

 

「一菜、あの時はごめん。一菜の気持ちを考えなかった私を許してくれてありがとう」

「……?何の事じゃったか思い出せん」

「でも、一菜に引き摺り回されたのは忘れないよ。一菜にお願いしたのに、結局一菜に土下座してもらってないし」

「訳の分からんことを……」

 

 

それなのに、その後の保健室での会話も、サンタンジェロ城で仲直りした()()()()記憶も、無いみたいだ。

 

 

「山の上の一菜は素直だったのに」

「共に山登りなぞしとらんぞ、槌野子でもあるまい」

 

 

すると、これも当然知らない訳か。

ずっと私が渡しそびれて、預かったままだったしね。

 

()()()知らなくても、おかしくはないのだ。

 

 

「始めようかの、良いか?」

 

 

しかも、これだけ名前を呼んでるのに突っ込みもない。

自分の名前を呼ばれても代理人みたいな反応を返してくるんだもんな。

 

 

 

 

 

ここまでの会話で確信した。

 

 

 

だから、私も気が楽になったよ…………三浦、イヅナ……!

 

 

 

 

 

そっちがその気なら。

 

 

こっちだって、最初っから―――裏返すっ!

 

 

 

「"三浦イヅナ、実力を隠してきたのはあなただけじゃない。ここにはフィオナの目もある以上、あんまり見せたくはないんだけどね"」

「"ふん、勿体ぶりおってからに。いくら人の身に縛られた大妖怪の残滓と成り果てようとも、たかだか女子(おなご)1人に後れを取ろうはずも"――」

 

 

 

 

――――パパパパァン!

 

 

 

光と音。

それが決闘開始の合図となった。

 

裏の私に正々堂々等という甘い言葉はない。手段も選ばない。

利用できるものを利用して、勝つことを主眼に置いた徹底()()、だからお父さんに学んだ防御寄りの技の大半は封印する。

 

相手が2人だけなら。

攻め手で押し切れると、そう、踏んだのに……

 

 

「"――早いのう……気が"」

「"速いですね、反応が"」

 

 

甘かった。

この戦いがどうしようもなく困難である事を思い知らされたのだ。

 

私のピースメーカーから放たれた不可視の銃弾は、一菜の手甲銃によって2発が防がれ、残りの2発は見えない何かと衝突し軌道を変えられた。

また衝撃波だ。その技の発動理論は分からない。

 

 

しかし、分かったこともある。

それこそが、初登山者が山を舐めて遭難するが如く、イヅナが待ち構えている山を登り始めた私の認識の甘さを深い谷底まで貶めた原因となった。

 

 

(冗談じゃないぞ、お前……その技は……!)

 

 

「"……聞いてもいい?イヅナ"」

 

 

こっちが謹厳な態度で威圧してやってるってのに、まるで意味がない。

それどころか、ちょっとだけ口の端を上げて挑戦的な笑みを……浮かべて喜悦の感情を押し隠した感じがする。そんなに戦いが好きかい?

 

 

「"人を撃っておいて、平然と問答を始めようとは、身勝手の限りじゃな"」

「"どこで見た?"」

 

 

不可視の銃弾を看破されて気を落としている場合ではなく、聞かなければならないぞ。

その技は……

 

 

「"……どこ、とは異な事を。幾度も見たものじゃ、一度は打ち合い、この身に受けもしたものじゃしな"」

「"じゃあ、質問を変えるよ。誰のを見た?"」

「"知ってどうするのじゃ?"」

「"技の出所を確認したいだけ"」

 

 

イヅナはそうかそうかと頷き、キツく吊ったキツネ目を意地悪く細めると、染めた茶色の髪を隆起させ、金色の稲穂の様な体毛で覆われた尖り耳2つを頭の上からひょっこんと露わにした。

しまいにはその両耳を私の方へとひけらかすように傾けて……

 

 

「"聞こえんのう~?"」

 

 

(ぶん殴るっ!)

 

 

非常に腹立たしい仕草に心をささくれ立たせてはいるが、頭の中では答えが見付かっている。

イヅナという存在は先程自身でも言っていたし、一菜の話を聞くところでも同じ見解、仮死状態となった大妖怪の最後の姿――殺生石に込められた意思の塊らしい。

 

兎狗狸が尾ひれ付けて熱く語っていた伝説の数々は今尚続き、彼女の現師匠……かもしれない玉藻の前は生きている。

では、那須野で討たれた九尾の妖狐は玉藻の前ではなく、その影武者――影狐?――の役割を引き受けた忠実な配下であったのではなかろうか。

 

それがイヅナという名の大妖怪の正体だと思う。

彼女が受けたその一撃ってのは、恐らく過去の戦いで敵対した私のご先祖様が使った技だ。

 

 

大人数で射掛けられた矢、その()()()()での攻撃を全て避け通した動きは、一菜の回避モードに通ずるものがある。

オリジナルは更に高精度で回避を続けたのだろう、そこへ巧みに紛れた()()()()()()()()()――『扇覇』が叩き込まれた。

 

そして、考えたくもないがその一撃で技を盗み、二度と当たらなかったかもしくはそのまま立ち上がることが出来なかったのだ。

今生のイヅナこと三浦の一菜が、回避よりも防御を優先させるのはそんな過去の教訓も含まれているのかもしれない。

 

 

「"痛かった?遠山家(うち)の技は"」

「"あの程度、大木すらも尾で断ち切る我の身体には効かんぞ。……わんつっこばり驚いたけんど"」

 

 

動揺して目が泳いでる。強情な奴め。

 

 

しかしまいった、確証してしまったな。

イヅナはなんらかの方法を用いて片手での扇覇を使用可能な上に、人間の身体能力を凌駕した重さと速さから放出される衝撃波の威力は離れた位置でさえもあの威力となる。

 

 

(1対1でも、勝利は危ういぞ)

 

 

推測のタブは強制終了し、戦闘に向けて30の集中力を集結させた。

こうなれば作戦通りに動くしかないか?私だけで必勝をシミュレート出来ないなら2対1に持ち込む必要がある。

 

タンッタンッと後方へ引きつつ、無形の構えで金毛の耳と尻尾を風に躍らせる少女を漠然と視界に捉えた。

 

同時に周囲の状況も把握しに掛かる。

 

槌野子の方は私が発砲した瞬間には中央から思いっきり距離を取っていて、法被の内側から取り出したパーツを次々と組み立てている。

いや、大半が落下の衝撃を皮切りにして自動的に組み上げられていたから、彼女は組み上がった物を1つにまとめるだけ、厄介な発明品だな。

 

フィオナは予め組んでいたHK33SG1の銃口を私の背後で持ち上げて、私が意図を伝えるまでもなく立ったまま肩と頬を支点とし、照準を合わせた。

揺れる触覚が寸分の狂いもなく、痛痒の刺激へと変換させた風向と風力を彼女の脳にダイレクトで響かせている。

 

……それと他にもこの戦いを見物している奴らがいるな。

 

茜色の空と同化しかけていたが、赤いトンボが2匹、柵の上を対角線でグルグルとあからさまに監視目的で回り続けている。

柵の外にある木の枝には鳩が、草の隙間からはネズミが、遠くにはカメラや人影すらも視認でき、こちらが気付いたことに気が付くと、夕陽の光を裂くような鋭い刃に似た銀髪の少女が下げていた眉を持ち上げ、団栗色の目を見開いて驚きの顔をしながら背の高い草の中に身を屈めた。

 

見られたくはないけど、敵は手を隠して勝てる弱小マフィアの子分共とは違う。

それにイヅナは手の内を晒してでも、手に入れるべき価値のある強者だ。

 

 

「フィオナ、私に合わせて。タイムオーバーまで、速攻を仕掛ける」

「タイムオーバー……?いえ、情状の判断には証拠があるのですね、お任せください!」

 

 

フィオナは見えていなかったようだが、時間は掛けられなさそうである。

 

 

「…………」

 

 

少し前から槌野子の揺れが定期的に短時間、ピタリと動きを止めていたのだ。

正面のイヅナは狡猾で不自然な挙動を表に出すことはないが、2人はお得意の思念とやらで会話をしているに違いない。日本の戦士に連絡がついたのだ。

来るぞ、誰かが。

 

私の判断では、駆け付けられる前に倒すならイヅナだ。

今はフィオナと槌野子の直線上に立って射線を切っているし、退かすくらいなら先に全力で以てリタイアさせる。

 

扇覇を盗み、挙句改良により片手で使用可能になっているとなると、フィオナを守るにはそれこそ私が防風壁になるしかない。

援護を受けられない内にあの大妖怪を戦線離脱させておかなければ、私の身体が持たないんだ!

 

 

「覚悟を決めたのじゃな?」

「覚悟なんてとっくに決めてから来てるよっ!」

 

 

出し惜しみはナシだ。

槌野子の準備が整う前にイヅナを……

 

 

「フィオナ!走れっ!」

 

 

ヒュバッ!

 

 

私が叫びフィオナが動いた。2丁構えた相手には開手方向も何もないが、イヅナの利き手――右手と逆方向である右側へと走っている。

わずかに遅れたタイミングで軽いジャブの様なモーションを行ったイヅナは、前進を止めて大きく横に飛び、小さな衝撃波を避けた私を恨めしそうに睨んだ。

 

 

vier(4発)!」

 

 

ダダダダァーン!

 

 

次いでフィオナの狙撃銃が火を噴いて、計四発の5.56x45mm NATO弾が空振ったその右手の手甲銃を外側へ開かせる様に弾いた。

 

 

「あぐぁッ……!げに恐ろしき腕じゃのう、フィオナ!」

 

 

いくら力が強いと言っても人の身体では越えられない壁があると言っていたように、4発全てを()()()()()に受けた右腕ごと、車に撥ねられた一般人のように宙を舞っている。

腕が千切れないその頑丈さは人並みを越えてるけどね。

 

末恐ろしい命中率だ。

距離が10mも離れていない範囲でのフィオナの射撃は正に神業。

 

 

以前、一菜と一緒に中庭で西部劇の真似事をして、空き缶を落とさないように撃ち続ける勝負をした事があった。

徐々に変形し破片を飛び散らせて、遂には真っ二つとなった空き缶を落とすまいと二人で1つずつパキュパキュ撃って落とした方が負けだーとかやってたのだ。

 

そこに現れた、(おこ)なチームメイト。

彼女は……

 

 

「ゴミを散らかすんじゃありませんッ!!」

 

 

と一喝した後――

 

 

 

ダダダダダダダダァーーーン!!

 

 

 

私達が熱く燃えていた遊び道具を、言う事を聞かない子供の玩具を取り上げるように。

 

 

 

カキン!カン、カカンッ!カッ、カキン!カッ!カコーンッ!

 

 

 

1度きりの連射で2つを同時に弾いていき、最後の8発目で一直線に並べた玩具(ゴミ)を自動販売機横のゴミ籠に弾き飛ばしたのだ。

 

 

――――Acht Schuss(8発撃ち)

 

 

アレを見てからは彼女に逆らう事を止めようと誓った。

怒りの原因は熱中しすぎてミーティングの時間を過ぎた事と空き缶の破片が散らかった事らしく、中庭全体を掃除させられた。上級生の方まで。

 

まあ、フィオナも手伝ってくれたし、その直前の神業を見ていた先輩たちも、むしろ距離を離して中庭から去って行ったから、絡まれることも無くすぐに終わったけどね。

なんでこの子狙撃手やってるの?

 

 

 

「クロさん!」

「4発だけ槌野子への牽制を!すぐにイヅナも体勢を……ッ!?」

 

 

イヅナへの追撃の為に再び急接近していたのだが……ギラつく真っ赤な双眸と視線が交差する。

その目は……笑った!

 

(止まれないっ!)

 

さっきのダッシュはフェイントで、全力に見せ掛ける軽い踏み込みだった。

しかし、今は本気で踏み込んでしまったのだ。

 

イヅナが笑い、()()()()()()()()()その場所に!

 

 

「クロよ、忘れておったのじゃな?我は殺生石そのもの。今は力は失っておるが、力の使い方は良く知っておるのじゃ。回転力も衝撃力も重力も、あらゆるエネルギーは我の遊山の兵糧となる」

「聞いてませんよ……そんな驚愕な事実」

 

 

口調が元に戻った。何周かして、冷静になったみたいだ。

おかげで頭の中で色々と繋がって来たよ。感謝はしないけどね。

 

 

 

扇覇を片手で使える理由、素手でも戦えそうなイヅナが銃弾を防ぐ為に手甲銃を使う理由、そして彼女の弱点も。

 

 

 

宙に留まったイヅナが重力を受けて自然落下を始める、その間際。

 

 

「ほれ、お返しじゃ。死ぬでないぞ?我はクロが大好きなのじゃからな」

 

 

 

パパパパーン!

 

 

 

彼女の両手から銃声が上がり、左右から2発ずつ――なるほど、フィオナが4発撃ったからね――銃弾が防弾制服越しに腹部へ迫っている。

 

(死ぬなだって?当たれば激痛だろうけどこんな銃弾(モノ)撃ち落として……)

 

咄嗟の判断で銃弾射ちを中断する。

その代わりに、不可視の銃弾を別の場所に放った。

 

 

 

パパパパァン!

 

 

 

「おっと、気付かれてしもうたか。流石じゃのう」

 

 

その言葉を読唇で読み取る。

腹部に命中した銃弾は私の加速の分だけ威力を増して、ホントに体を貫通したんじゃないかと思うほどの痛みをもたらし、五感を著しく鈍らせたのだ。

 

苦悶の表情を浮かべ、それでも不可視の銃弾によりイヅナの攻撃、その初動を阻んだことに安堵する。

 

 

「……させませんよ、ゴホッ!……殺生球陣(キリングスフィア)、その直前には必ず赤熱化された殺生石の光が掌から漏れますからね……」

「知覚速度、思考速度、反射速度。どれも人の物とは思えん、良いぞ良いぞ……!我も昂る、クロとの闘争は最高のエネルギー源じゃ!」

 

 

集中力を削いだことで中断させられたが、もし発動されていたとすれば終わっていた。

止まれないまま範囲内に突っ込んで、瞬時に卒倒させられるところだったのだ。

 

対して、満足気に頬を染めたイヅナに向かっていたハズの私の銃撃は、事もあろうに彼女の背後から伸びた尻尾に防がれた。

それも私が撃つ場所を知っていたかのように配置されたモフモフの毛玉に包まれて。

 

 

最初の不意打ち、フィオナの射撃、私の攻撃、その全てが無力化された。

唯一、彼女に隙を作ることが出来たのはフィオナの攻撃のみ。

 

その攻撃だけには、彼女は反応できなかった。

 

それはきっと経験の差だろう。

一菜と私は良く撃ち合っていたが、一菜はフィオナの攻撃をほとんど受けた事が無い。

だから狙われる場所も、射撃タイミングや前後の癖も、防御するために必要な前情報から判断できていないのだ。

 

 

一菜にとって……イヅナにとっての脅威は私じゃなくてフィオナの方なんだ!

 

 

なら、彼女のこの後の行動は?

フィオナは槌野子への牽制よりも私への援護を優先し、次の攻撃準備を終えている。

 

そうするようにイヅナがわざと私を痛めつけたから。

 

狙撃手は警戒心が高い。

五感に優れ、張り詰めた空気がセンサーとなり、異物の侵入に敏感なんだとかなんとか。

 

それが最も低くなるのが射撃の直後。

銃声で聴覚を、マズルフラッシュで視覚を、薬莢の匂いで嗅覚を、射撃の衝撃で触覚を強く刺激されることが要因らしい。

その後は逆に警戒心が一気に上昇し、周囲をくまなく探るのだとか。

 

 

私がもし狙撃手を襲うなら、そこを狙う。

そして、撃たせるためには的が必要なのだ。

 

 

 

――そうだ、彼女(イヅナ)は……囮だッ!

 

 

 

ダダダダダダダダァーーンッ!

 

 

 

フィオナが、私にトドメを刺そうとするイヅナに、撃った。

 

 

撃って、しまった……ッ!

 

 

「フィオナーーーッ!」

 

 

背後に迫る影。

閃く残光。

 

崩れ行く姿を見守る事しか出来ない。

遅かったのだ、何もかにもが。

 

初めから、ずっと。

私達は……

 

 

 

「切り捨て御免、でござる。某の電話を盗まれ、遅れ申した」

「誰かがあっし達の思念を妨害してたんだもん!遅刻も仕方ないんだもーん」

 

 

 

化かされていたのだ。

何者かに張り巡らされた大禍、その術中に。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました。


『死ぬでないぞ?我はクロが大好きなのじゃからな』

今回はイヅナが本性を現し、クロを徹底的に追い詰めましたね。
その強さたるや、まさに"力――エネルギー――の権化"と呼ぶに相応しい能力です。

更に、過去の邂逅にて、遠山家の技である『扇覇』を見様見真似で我が物としています。
技の理論なんて無いに等しく(元の巻物も気合を飛ばすとか意味不ではありますが)、自身の有り余るエネルギーを殺生石が握られた手中に集め、超高速で振るうだけ。
自分に向かう衝撃だけを再度殺生石で吸収することで自損を防ぐオマケ付きで、片手での使用を可能にしているようです。
気合でも、空気の塊でもなく、エネルギー体を直接放つ、エスパーみたいな技になっちゃってますよ。

弱点を見出したようなクロでしたが、駆け付けた陽菜と兎狗狸によってフィオナが討たれてしまいます。

彼女達が遅れて来たのにも何者かの意思が介在していたようですが、駆け付けられなかった三松猫はおそらく……


次回も続きを執筆します。
……が、死ぬほど忙しい……かもしれないので、遅くなりそうかも?
必ず投稿はしますので、熟成をゆっくりと待って頂けると幸いです!




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茜黒の境界(トワイライト・ボーダー)




どうも!


明けまして、おめでとうございます。
5日なのでギリセーフ、年末絵は見て頂けましたかね。


祝50話!(年跨ぎ)


今回は最初から最後まで、久々に書き上げた感のある作品が出来てルンルンなかかぽまめです。
新年早々、風邪で寝込みながら頑張った甲斐があるってもんですよ。
7:27まで待てず、6:00に即投稿。


決闘の続きから、でしたね。
圧倒的に不利な状況で終えた前回、どのような戦いとなるのか、熱い戦いとして読んで頂ければなぁ……と思います!


では、始まります!





 

 

 

気付くことが出来なかった。

存在感を隠蔽する方法が何種類かあることは分かっていたのに。

 

難易度の高い物では生理機能を停止するなんてものもあるが、気配を限りなく薄くする、意識を誘導する、認識の範囲外を動く……やり方と工夫次第で人間の認知などいくらでも掻い潜り、誰でも消えることは出来る。

相手の力量や経験の差に影響されることは言うまでもないが、ただ歩くよりも忍び足、夜間は白い服より黒い服の方が存在を隠しやすいし、普通の床より鴬張り、人混みよりも人気のない場所の方が存在を探しやすい。当然、警戒されていれば成功率はガタ落ちするだろう。

 

 

私が周囲を警戒したのは事態の起こったほんの数分前の事。

交戦状態に入ってからその数分の間に、この距離をどうやって埋めたのか。

 

 

……いや、違うな。

私が油断していたんだ。

 

陽菜が来られないという話の内容に疑問を持たず、彼女は来ないと思っていた。

 

――『相変わらず気配を感じませんね、あなたは』と、彼女に話していたのは誰だっただろうか?

 

一つ、陽菜は()()()()()()

おそらく長命な兎狗狸も変化の術を習得する際に生物的な気配を消す手段を手にしていたのだろう。

 

二つ、イヅナは射線が予想出来ていたにもかかわらず、回避ではなく防御を選択した。

私の()()()、遠山家の技を見せる事で()()()()()()()

 

三つ、自らの手で放った銃口から立ち上る火薬の匂いが()()()煙に巻いてしまった。

さらに、イヅナの手によって作り出された衝撃波……空気の波が、私とフィオナの後方に広がる背の低い草原に潜んだ陽菜と兎狗狸の匂いを吸い込んで、冬に向けて色を失い夕陽の茜色が重ねられた雑草の中に隠したのだ。私の嗅覚の()()()()()

 

 

例え、陽菜も兎狗狸も生理機能を停止することが不可能だとしても、()()()()()()()()()()れば――可能。

時代を超え、()()()()()()()()()()イヅナにとって、私を出し抜く事など容易い事だったんだ……!

 

 

「フィオナ……!」

 

 

私は腰を曲げたまま振り返り、その姿を見つめていた。

臍を固める暇もなく背後から刻まれた一撃に全身を硬直させて、グラリと一歩だけ前に踏み出した右脚を軸にしようとした体は、力が入らずに折れてしまった膝と共に露出した固い土の上に倒れ込む。

直前に発砲したライフルの銃床も大地へと立てられていたが、しな垂れるように抱き着いた上半身を支える力は腕にも残っていなかったようだ。

 

(毒……か?)

 

ただのダメージで意識も失わずにあそこまで筋繊維がこわ張ってしまう事は無いだろう。

神経、痛覚増幅の毒か、はたまた筋縮を促す特殊な武術か、いずれでも陽菜の攻撃は確実に1つの戦力を奪ったのだ。

 

血の気が引き、生気を失った表情の彼女は、背後に立つ2人にも、牽制弾の回避で意識が逸れたイヅナにも気付かれないように、数回のウィンクと1度だけの言葉を呟いて、顔を落とした。

狙撃銃が彼女の身体から離れるように続けて倒れ、揺れる灰白色の一束が、追うように着地する。

 

 

(……一本、取られたな。ここは、まいったと言っておくべきか)

 

 

射線から逃れる為に大きく後退していたイヅナはもう体勢を崩していない。

こっそりとフィオナの言葉を聞いている間に持ち直し、最早構えすら取る気もないようだ。

 

ただ、距離だけは取られている。

こんな状況でも警戒はされてるんだな、私って。

 

 

「ぽぽ?もしかして、もしかしなくても、あっし要らなかった?」

「案ずるな、兎狗狸が居ったからこその作戦じゃ。なかなかに小狡い策を思いつくものよ」

「えっ……?イヅ、違うよ?思念で伝えたでしょ?あっしは思念が繋がらないから『殿中』を飛ばしたんだよ??」

 

 

イヅナと兎狗狸の間に変な空気が流れ、波紋のように一帯へと広がっていく。

陽菜も槌野子も、その重みのある空気に心肺を痛めまいと呼吸を弱めた。

 

だろうと思ったよ。

この日本代表の人達、妖怪やら忍者やら名乗ってるくせに、騙し合いとか化かし合いが下手くそだもんね。

一菜は少しだけ腹芸も嘘も出来るけど、嘘を吐くとすぐに目が笑うもんなぁ。

 

だからこそ、私()騙されたんだ。

陽菜は来ないんだろうって。

 

 

「ぬ?……はて、では陽菜よ、あの電話は?」

「電話でござるか?お恥ずかしながら、某、携帯を何者かに持ち去られた次第にて如何様にも連絡が取れず、予ねてより伺っていた強襲科の演習場におりました」

『イヅ、どういう事?陽菜は焼きそば中毒、でしょ?』

「ええっ!?あっしは真反対の南西方向にある森って聞いてたよ?おーい、ちーちゃーん!陽菜は焼きそば中毒なのー?」

「兎狗狸殿!其は何事にござるか!?」

 

 

やっぱり焼きそばパンを想像してるじゃないか。

 

しかし、この様子だと三松猫が2段構えで潜伏しているとは考え難い。

彼女達もまた謀られた側。ただ、その手腕はお世辞にも良いとは言えないものだ。

だから一瞬だけ過ぎった顔は、たぶん違う。彼女が日本を陥れようとしたならこんな失策を――この状況を狙って起こすことは出来そうだが――犯すとは考えられない。

 

 

「……黒思金か……?」

 

 

私が次の犯人候補を探し当てたのと、イヅナが口をついてその名前を出したのは同時。

一菜もチュラの声真似に騙されて、私と対話の機会を持ったことがあった。

だが、今度はあの子がここまでの計画を独りで立てられるとは思えない。

 

 

陽菜の携帯を盗むのも、思念の妨害も、朝の時点から嘘情報を流して回るのも、よくもまあ上手くやったものだが、三松猫以外は辿り着いてしまった。

協力か私怨かは知らないが、その先は投げっぱなしでお粗末。()()()()()()()()()()()()()()()だ。

日本代表のみを潰すつもりなら大失敗で、私達と相討ちにさせようとしているなら……成功かもしれないけどね。

 

 

「三松は?」

「見てないよー」

「兎狗狸よ、殿中を飛ばせ。三松を探すのじゃ。璃々粒子の濃度は極薄く、思念を妨害する規模ではないぞ」

『……干渉?』

「否、『回折』じゃ。効果時間が長過ぎる。数人の超能力者に的を絞った物じゃろう。我らがここで思念を使えるとあれば、効果範囲も狭いしの」

 

 

会話が長引いたおかげで、幾分か痛みが弱まった。

 

前方には無傷のイヅナと武装を組み終えた槌野子、右方向には怪訝な顔でフィオナの状態を確認する陽菜とまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私とパーフェクトゲーム目前の4者。

 

 

 

 

状況は――――

 

 

 

 

「ふむん、残念ながらここまでじゃの、クロ。少々拍子抜けするが、終わりじゃ」

 

 

イヅナが両手の手甲銃を、重量でたわみ切ったレッグホルスターに下げながら、決闘を終了させるような事を言い始めた。

今はそんな事より、三松猫を探すのが先だとでも言わんばかりだが、終わらせたいなら言葉が違うんじゃないか?

 

 

「イヅナ、喧嘩の終了の合図は覚えていますか?」

 

 

息を吸うと血の味がするから喋りたくはないけど、指摘しておこう。

覚えているなら口に出すといいし、覚えていないなら考えてみればいい。

あなたが何を口にしようと、変わらないんだから。

 

 

「……そうじゃのう、我らの喧嘩は、こう終わるんじゃったな」

 

 

覚えていた、か。

じゃあ、私も返してあげますよ。

最高の笑顔で、ね?

 

 

「もう、やめ「やめませんよ、イヅナ!私達の喧嘩が壱番勝負で終わった事なんてなかった!」

 

 

 

 

――――五分五分だよ。

 

 

 

 

――パァン!

 

 

 

上体を起こさず、目だけでイヅナを捉えて走り、不可視の銃弾を1発だけ、撃つ。

それは私の右側に、それは真っ直ぐに、それは固い土の上……陽菜の足元に向かって放たれた。

 

飛ぶように迫る私をイヅナは笑顔で迎えているが、その防御態勢はあやふやで、笑った目に余裕の色はない。

分からないんだ、私が何をするのかが。

だから今、彼女は防御を捨てて迎撃を選択したのだろう。

 

 

「助太刀致す!」

 

 

足元を撃たれた陽菜が他の2人よりも早く気を持ち直して意識を私に向けた。

そして、側面から回り込もうとして間に合わないと悟ったのか、棒手裏剣を投擲する。

 

 

 

パァン!

 

 

 

それを銃弾射ちで弾く。

正面からぶつかり合って変形した銃弾と棒手裏剣は、陽菜の方へ押し戻されて地面に落ちた。

 

 

「なんと面妖な技なり……」

 

 

陽菜は私を止められないと判断するや否や、再び体勢を地面スレスレまで下ろし、気配を消しにかかる。

またしても攻撃後の隙を狙うつもりだろうが、そうは問屋が卸しませんよ。

 

私が彼女の足元を撃ったのは、注意を向けさせる為だけではない。

そこには何があったか。いや、いたのか……

 

 

目の前では、腕2本を伸ばせば届きそうな距離で、イヅナが両腕を外側へ開くように振るった。

扇状に広がった衝撃の波が、私を押し戻し、骨まで砕かんと猛威を奮う。

 

 

「クロよ!来られるものなら来てみるが良い!我のエネルギーを越えてのう!」

 

 

彼女としても、これを越えられたら確実な守り手を持たないのだ。

これまでで最も強大なエネルギーを込められた扇覇が視界の全てを侵し、向こうの景色を歪に見せる。

 

回避の手立てはない。

回避の成功率は0パーセント。

 

だって試行回数が0回なら、計算する必要もない。

避ける必要が無いのだ。

 

 

もう1度だけ言っておくと。

裏返した私は()()()()()()()()()()()()、勝つことを主眼に置いた()()()()

 

それが例え敵の攻撃だろうと、利用できるものは利用する。

それが例え自身を脅かす方法だろうと、勝つためには攻め続ける。

 

 

死ぬことだけは、絶対に許されないけどね。

 

 

両脚を大地から浮かせ、身体を丸めて全身の抵抗力をゼロにする。

そこに襲い掛かるのは現状のイヅナが使える100パーセントの力。

 

 

(お借りしますよ、あなたのこの力)

 

 

身に受けたその暴力の全てを、秋水で体中を素通りさせる様に体内で渦巻かせる。

初めの内は骨の軋む痛みが随所を襲ったが、途中からは完全に衝撃を余すことなく扱えているようだ。

 

取り込み切れなかった衝撃の一部によって、私は後方へ。

気配を断って、私の不意を打とうとしていた陽菜の所まで凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 

 

 

――ダダダダァーン!

 

 

 

さらに、私への注目度が最高潮に達したタイミングで、ドラムロールの代わりに連続した射撃音が響く。

それは私の前方に、それは真っ直ぐに、それは私の攻撃を未然に防いだことで安堵した……イヅナの防弾制服に向かって放たれた。

 

 

攻撃直後の彼女は――隙だらけだ!

 

 

「がふっ!……ぐうぅ……、なんじゃ、と……?」

vier(4発)……」

『イヅ……っ!』

 

 

フィオナが決めた。彼女の覚悟にはまいった、1本取られたよ。

武偵はやられたらやり返す。

まさかまさか、この状況下であんな博打に出るような子じゃないと思ってたのにね。

 

次は私の番だ!

 

地面を何回転も転げ回り、天地が行ったり来たりを繰り返す中で、不明瞭な視覚情報を頼りに、思いっきり右足で踏み込む。

泥に踏み込んだかのように足が大地にめり込んで、空気を撫でるかのように手が制服の上に添えられた。

 

 

「『勾玉』ッ!」

「な、何故(なにゆえ)意識が飛ばず……うぐぅっ!?……」

 

 

 

勾玉で扇覇の衝撃を掌底の威力に変換させて、驚き姿勢を立たせてしまった陽菜の身体に打ち込んだ。

重力だけが勾玉の対象じゃない。……それが分かった所で、活用の場面があるとも思えないものの、エネルギーの使い方は私だって十分心得てるつもりだよ。

 

そりゃ、あんな衝撃をまともに受けたら意識も吹っ飛ぶだろうけど、だからこそ受けないようにやり過ごしたんじゃないか。

オマケに、その力を最大限に利用させてもらったしね。

 

おはじきのように、私から衝撃を受け取った陽菜は数m滞空した先で意識を失った。

一般人なら命に係わるような光景だが、こと武偵に至っては騒ぎ立てる程の事じゃない。

 

 

後方には負傷したイヅナと前衛を失った槌野子、前方には意識を失った陽菜、左方向にはまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私と()()()()()()()()()()()()フィオナがそれぞれの敵を見据える。

 

 

「あれ?あっし、人数的にハブられてない?」

 

「イヅナ、あなたが警戒していた通り、私は大逆転をして見せましたよ?」

「……そのようじゃ。まさか殺生石と『衝波扇陣』――我の力が2人共に利用されるとは全く予想も付かなんだ。しかし、それで勝ったつもりかの?」

 

 

ああ、そうか。

喧嘩の終わりは違う言葉が必要だったね。

 

嫌な予感がするけど、乗ってあげるよイヅナ。

あなたも大概、負けず嫌いだからね。

 

 

「決闘は終了ですよ。さて、もう、やめ「やめんぞ、勝負はまだ……着いておらんからの!」

 

 

読み通りの返し、からの予想外の反撃。

 

世界が一変した。

前後左右、茜色の空が見えていた上方も、一色の中に影もない、真っ白な布に包まれる。

 

 

前後不覚の無限蚊帳(あっちこっちのかやまつり)!」

「ッ!」

「クロさん!」

 

 

さっきまで話していたイヅナもいない。

代わりに聞こえてくるのは――

 

 

【ぽっぽっぽ!お主さん達はあっしを軽んじていたようだね】

「……」

 

 

前に歩いてみると、ほどなく一反の純白な、絹の様に滑らかな肌触りの上質な布に行く手を遮られる。

厚みのある蚊帳を右手で暖簾をくぐる様に退かすと、その向こう側も真っ白な布に包まれた空間。もう、布で出来た小部屋と言ってしまっても過言ではない閉鎖感だ。

 

光量も一定、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、違う。

この布自体が、淡く発光しているぞ。

 

抜けた先も抜けた先も、前に進んでも後ろに戻っても。

スイッチの入った情報処理能力でも、右も左も、すでに分からなくなった。

認識力の問題じゃない、どこに進んでも進行方向は時の流れのように一定なのだ。

 

 

【どうかな、お主さーん?もうどうしていいか分からないでしょー?あっしの蚊帳は無限に続くからね!】

 

 

一々自慢っぽくしゃべるのにはイラっと来るが、自慢するに相応しい能力かもしれない。

時間稼ぎとして考えればかなり厄介だ。

 

これは確かに無限の迷路だ。

出口なんて用意されていないんだろう。

 

 

――――仕方ない。

 

 

ビッ!……ギ、ギ、ビィィイイイイ――

 

 

【ここはあっしが作り出した虚の重力圏内……ってぇ、なにやってんのー!】

「え、裂いたら出られないかなーって」

 

 

マニアゴナイフで裂いてみた。

が、その向こうにも同じ布がはためいているだけ。

 

 

【び、ビックリするなー、もう。虚の世界でそんな雑い行動をされると困っちゃうんだよー!】

 

 

怒っている以上に焦っている。

絹を裂いたような、っていうか裂いた音が悲鳴のようにこだまして、空間全体が揺らぐ古びたゴンドラような不安定さを覚えた。

 

兎狗狸の言葉に偽りはなく、もっと迂闊な行動を蓄積させていけば、プツンと綱の切れた籠みたいに落ちて行きかねない。

本能的な警戒心がそれを察知した。

 

 

【いい?ここに入った時点で、お主さんは抜け出せないの!あっしは正一位の大大将、金長様の作り出した"永劫に虚と現実の彼処此処(あこここ)を行き来する神宝"、『阿波金殿中(アワカネノデンチュウ)』を授か……えっと、今のは無しで。うえーっと……色々あって預かってる状況というかなんというか――】

 

 

勢いづいて説明をしようとしていたが、勝手に自慢話につなげようとして自滅、勝手に尻すぼみな語り口へと遷移していく。

結局何が言いたいんだ?

 

姿形も見えないし、しっかりと言い切って貰わないと会話が成立しないんだけど。

 

 

「で?」

【――いやでも、あっしもちょっと位認められて……で?】

「で?ここからはどうすれば出られるんですか?」

【ぽぽ!だーかーらーっ、出られないんだってば!一人じゃ出られないのはあっしも一緒だけど】

 

 

ふむ、1人では出られんとな?

どうしてだろ。

 

おしえてー、とくりせんせー。

 

 

――ビリィッ!

 

 

【あ、あ、あああーーーッ!また破ったでしょ!嫌な音が聞こえたよ!?】

 

 

なんだ、こっちの動きは見えてないのか?

 

 

【行ったり来たりする時に、前後で質量は変わっちゃいけないの!あっちとこっちで質量に差が出ちゃうと、最悪、負の質量を持った空間がもう片側に漏れ出ちゃったりして、普段は極々微細の重力点が不安定に大きくなって超重力場が発生するから大惨事なんだよ!】

 

 

あれ、この子意外と頭が良いのか?

SFみたいなことを言い始めたぞ?

 

んーと?

つまり?

 

 

【だから代替品を入れ替えるように向こうに置いてきたの。でもでも、もし、片方だけがここを出ちゃうと、当然、双方の空間的質量に差が出ちゃうでしょ?】

 

 

なるほど、私と兎狗狸を足した質量と同等の物質が、この真っ白な世界から入れ替わりに送り込まれたわけだ。

もし私をここに置いて兎狗狸だけが帰った場合、その重力点とやらが超重力場――ブラックホールみたいなものか――を発生させてしまうと。

 

 

【あっしは岩に化ける時には周囲の物質を一時的に取り込んでるんだけど、お主さんはその周囲の物質に該当するいわばあっしの装備品みたいな……】

 

 

ああっと、私が大人しく聞いていたから調子づいてきたね。岩じゃなくて苔石だし、誇張表現しすぎ。

んじゃま、そろそろお暇しますか、決闘の最中ですし、ここでのんびりと己を見つめ直す機会を持つつもりはない。

 

 

「兎狗狸やーい」

【――こんなに頑張ってるあっしを、うっ、うっ。玉藻様はおろかイヅも……ん?どうしたの?あ、お茶飲む?いいよいいよ、生物の質量が変わる分くらいはあっしが計算してあげるよ。木の葉十数枚を混ぜ合わせておけば上手く行くもんだからさ!】

 

 

雑いなぁ……ほんとに帰れんのかいな、この子と一緒に……………

 

 

「いえ、お構いなく。さっきそこの布を裂いてみたら帰れそうな道を見付けましたから」

【……ぽっ?】

「先に戻っていますから、あなたもイヅナに怒られない内に帰った方がいいですよ」

【ぽっぽぽん!?え、ちょお、待って!勝手なことすると本当に危険なんだって……】

 

 

………………

 

 

【え?うそ?本当の本当?う、えっえぃ?お主さーん!ど、どこに行ったのー!?】

 

 

………………

 

 

【ぽ、ぽぽぽ!ぽぽぽぽーッ!!イヅー!ごめんなさーいッ!すぐに戻るから、逃げてぇ~ッ!!】

 

 

 

(白い布が昇っていく。あの布の発生源はあそこに飛翔してる赤色の半纏だったのか)

 

 

 

結局、揺れるゴンドラから降車しただけで、重力場を通って移動したという感覚は湧かない。

それ自体が強力な幻覚による異常な現象なのかもしれないな。

 

なんにせよ、平気なフリをしていたが、あの中にいる間は生きた心地はしなかった。

あの世とこの世の通過点、その一端を垣間見た様な気がして、未だ全身を駆け巡る悪寒が抜け切らず、肌が粟立つような気味の悪さが心を侵食している。

 

 

「"イヅーッ!ごめんなさーいッ!"」

「"ぬぉおう!?兎狗狸よ、いくら何でも戻るのが早過がぼぁッ!"」

 

「フィオナ!」

「お帰りなさい……クロさん。しっかりと耐え抜きましたよ、一菜さんの攻撃を……」

 

 

泥だらけで、ガチガチの笑顔で出迎えてくれたのは、フィオナだ。

向こうの時間とこっちの時間に大きなずれは無さそうだが、だとすれば接近戦の全く出来ない彼女がイヅナと……おそらく準備の整った槌野子の総攻撃を耐えたという事になる。

 

確かにイヅナは負傷していたが、あの頑丈で精神力の塊みたいな奴がそうそう弱みを見せるとも思えない。

一体、どんな手を使ったんだ?

 

 

「驚きましたよ。通信空手でも始めていたんですか?」

「カラテ……とは、東洋武術でしたか。やっていませんよ、そんなもの」

「じゃあ、どうやって……」

 

 

イヅナの攻撃を、と言い掛けてフィオナに抱き掛かる様に跳んで回避する。

 

反射ではなく、感覚で跳んだ。そうでなければ間に合わなかった。

地面から煙が上がり、少しだけ色も濃くなったように見えるのは……この焦げ臭さから、熱量による攻撃の仕業だと分かる。

 

となれば、その狙撃を行ったのは1人しかいない。

 

 

『なぜ、避けられたの?』

 

 

なにも発言をしないが、首を傾げる挙動は私達と同じ意味合いを持っていそうだ。

なぜ、私が避けられたのか、それが不思議なんだろう。

 

だって私も分かんないし。

 

それより、フィオナ。

私が兎狗狸とショートコントしている間に、またミルクチョコでも食べたの?

匂いだけで口の中がすっごい甘ったるいんだけど。

 

 

「彼女はずっと、あなたが戻ってきた瞬間を撃つ為に狙いを定めていました」

「……それなら、今のが彼女の第一射なんですね?」

 

 

どこまで警戒してるんだよ、イヅナは。

 

実際に脱出して来ておいておかしい話だが、虚の世界とやらに迎え入れられたら戻ってこないだろう。

その間にフィオナを……って魂胆だったんだろうけど、それでも槌野子を私の監視と迎撃に回したのか。

 

 

「フィオナ、狙撃手として、彼女の弱点に予測は付きませんか?」

「排莢の必要なし、弾倉の交換の必要なし、風の考慮も弾道計算の必要もなし。あれを武器にしている時点で普通ではありませんが、狙撃手として可能性の弱点を挙げるなら接近戦くらいでしょうか」

「やっぱり接近するしかないか……」

 

 

弱点はありませんか、なんて無茶ぶりだったか、うん。

両目を閉じたまま、望遠鏡越しにこっちを見ている小さな少女は、それ自体が武装。

 

日中に浴びた太陽光を体内に熱エネルギーとして蓄積させているらしく、目を開くと照射され、その照射線を限りなく細くしていくことで超高熱の光学兵器並の威力を出せるそうだ。

未知なる脅威への対策として実験体に、そして代替として視力を失ったが、彼女曰く一石二鳥との話。視力を失う事が目的だったのだろうか?

 

 

銃とは発射機構も違うし、そもそも超常生物の体内なんて誰に聞いても分からんだろう。

結果、答えはこうなる。接近戦しかない、と。

 

そうなれば、障害は大きい。

でっかい岩が、こっちを見ているのだ。

 

 

「兎狗狸よ、下がっておれ。殿中も大分消耗しておろう。陽菜は無事じゃな?」

「うっ、うっ、うっ。無事だよ、『不覚にござる……』とか言ってたもん……」

「手遅れとなる前に三松を探してまいれ」

「……うん、分かった、あっしさんしょを探す。だから、イヅ……」

「言うたであろう、案ずるなと。苔石が我の代わりに仲間を探して来る、それ故に、我は憂いなく戦えるのじゃ」

「うん……うん!あっしは兎・狗・狸だよイヅ!行ってきまーす!」

 

 

親子岩から子岩が離れて疾駆する。

親岩はまだ、動かない。その場所から、動かない。

あいつは頑固だからな、岩みたいに。

 

それに、なんだよ兎狗狸の前だからってカッコつけちゃって。

私には弱々しく甘えて来たくせにー……記憶はフィオナの持つ御守りの中だけど。

 

 

「血の味じゃ、我が討たれたあの戦を思い出すの」

「『扇覇』ですか?」

「ほっほっげほぉッ!」

 

 

私とお揃い。

口の端からへったくそな口紅みたいな、赤い化粧が流れちゃってますよ。

 

どちらがどちらもこの2人の間の空間が煩わしくて、歩み寄る。

つい先刻、吹っ飛ばされたばかりの腕2本分の距離まで。この距離が、今の私達の距離。

 

 

「やれやれじゃ、クロに1本取られたと思っておれば、フィオナにも1本取られてしもうた」

「やれやれですね、今更じゃないですか。今まで一緒に居て、私が何度2人に1本取られてきたと思ってるんです?」

 

 

笑えて来ちゃうよね、互いに血反吐吐いてさ、それでも意思と意思とのぶつかり合いは続いてる。

 

でも、納得してないもんね。

私はまだ、イヅナに一撃も返してないんだからさ!

 

無理かもしれない。

私とイヅナがぶつかり合っても、どっちも割れない。

それでも、一発は返さないと気が済まないんだ。

 

 

「フィオナ」『槌野子よ』

 

 

イヅナは思念で槌野子に話し掛けながら、小さく復唱するように、同じ考えの内容を口に出している。

ここでもまた、彼女と繋がれている気がして嬉しくなった。

 

 

「最後は私とイヅナで」『大将戦で決めようかの』

 

「そんな……接近戦を挑むつもりですか?ダメです!撃ってでも止めます!」

『……ちーの役割、取るつもり?何でも一人で、やろうとする。果てには、怒るよ?怒って怒って、睨むよ?』

 

 

止めて!

 

後衛のお2人さんは納得がいかないみたい。

イヅナも何を言われたんだか、激しく顔が引きつってるし。

 

違う違う、イヅナはそういうつもりだったかも知れないけど、私は違うからね?

後ろから撃たないでね、フィオナさん。

 

 

『止めんか!クロは其様な事を考えておるかもしれんが我は違うのじゃ!』

 

 

おい、そこのケモミミ黄茶髪。

人に罪をなすり付けようとしてるんじゃないぞ?

 

 

「互いに前衛を倒した方が勝ちって事で」『クロならば多少の穴が空いたところで問題あるまい』

 

 

おい、そこの金毛尻尾ヤロウ。

黙って聞いてりゃ、人の身体を何だと思ってんだよ。

 

 

「なるほど、先に代表戦士を下したチームの勝利と」『分かった、先に大将を、撃砕する』

 

 

ちょ、向こうの狙撃手も頷いたんだけど、穴開ける気!?

調節して火傷くらいに収めてもらえると嬉しいんだけど。

 

 

イヅナが2丁の手甲銃を手に取った。

空はもう夕日が沈みかけ、ローマは紫色の夜空へと変わって行く。

その中でも、イヅナの茜色の双眸はその色が夜空に浮かぶストロベリームーンのように妖艶で、惹き付けて離さない。

 

 

……ドクンッ

 

 

この感覚は……?

 

おかしいぞ、もし私の実験データと過去の前例による仮説が正しいなら。

今、この場でこの状態に成れるのはおかしいんだ。

 

だってこのヒステリア・セルヴィーレの発動条件には、"守る、守られるの関係性"もしくは"絶対の依存性"が必要なはずだから。

 

今のイヅナが私に助けを求めることはない。

でも、この全身を麻痺させるような甘くて、ほろ苦い。どこか野性味のある私を翻弄してやまないこの香りは……

 

 

――一菜のものだ!

 

 

イヅナが似ているから――その芯の強い瞳が、そのキュートなダブルテールが、その金色の稲穂の様なフワフワの両耳が――一菜を呼び起こした。

 

波が立ったのだ。

救いを求める心を探し当てた、私自身の意識によって。

 

そうか、そこで見ててくれたのか、一菜。

ずっと、チームのメンバーとして……

 

 

動けば、始まる。

始まれば、終わる。

終われば、決まる。

 

 

私の簡単スリーステップだ。

決めてやるよ、一菜。あなたをまた、チームへと迎え入れる為に!

 

 

「フィオナ!私を守る、仲間の力を下さい!」

「クロさんを守る……仲間…………ッ!はい、今すぐに、撃ち届けます!」

 

 

 

――動く。

 

 

 

私が動き出したのに少し遅れて、焦ったイヅナが左腕で扇覇を振り上げようとするが……

 

 

「その技はお腹いっぱいですよイヅナ!」

 

 

その左腕の動きを上から押さえるように右腕を振り下ろした。

移動距離がある分、私の手は届かない、間に合わない。

 

そして、今回はフラヴィアの時とは違う。

止める力が私にはない。止められない。

 

 

 

ダァーンッ!

ビシュンッ!

 

 

 

さらに逡巡の後に狙いを定めたフィオナの一発と、知覚不可能な恐ろしい速度で迫る槌野子の光線が双方、私の右手の表裏に衝突して真っ赤な茜色の花と真っ白で小さな茜草の花を弾けさせた。

 

熱くて痛いけど、大火傷で済んでる。

レーザー治療みたいに切除じゃなくて焼き入れ状態で、貫通はしてないみたい。

それでも普通は反射的に手を引きそうだけど、引いてたまるかってんだ!

 

 

受けた、受け止めたぞ!私の本当の仲間達の力と、思い!

 

 

質量の無い槌野子の光線は手の甲の肌を焼いたが、掌に当たったフィオナの質量を持った一発が押し勝って、伸ばした腕を前方へと加速させた。

一気に距離が縮み、一瞬だけ浮いた両脚もすぐに大地を踏み締める。

 

 

 

――動けば、始まる。

 

 

 

「お、愚かな真似をするものよ、血迷ったか、クロ!」

「間に合わなきゃ、またあなたは私を突き離そうとする!それを防いだだけですよ!」

 

 

――――ドクンドクンッ!

 

 

来たぞ、大波が!

一菜が――私の右手に抱かれた、一途で、魅惑的で、大好きな少女が!

 

窓枠を、ぶち破って、私の中に流れ込んできた。大波小波が間断なく、私の心目掛けて一直線に、引き波すらも押し返して、迫る。迫る。

重力を損ない、横向きになった瀑布が止まることを考慮していない速度で、到達した。

 

息も出来ないのに、苦しくない。呑まれているのに、意識が覚醒する。

この激しい感情表現は彼女そのもので、その人の迷惑も考えない超アクティブな抱擁を思わせるのだ。

 

だから、波の全てを私も包んでいく。

雫の一滴たりとも手放さないように、この気持ちを伝える為に。

 

 

 

「一生そばにいると約束した。だから、あなたはそばに居てくれたんだね」

 

『とーぜんでしょ?クロちゃんはすぐに無茶するんだから』

 

「一菜には言われたくないかな。お願いだから、私の前では自分を傷付けるようなことはしないで欲しい……分かってくれるね、一菜?」

 

『う、うぐ、そ、そんな言い聞かせみたいなことされたってあたしは……』

 

「目を逸らさないで、一菜。寂しくて、私が消えてしまいそうになるよ」

 

『え、消え、消えちゃだめだよ!クロちゃ――』

 

「そう、それで良いんだ、一菜。一菜は私の事だけを見ていればいい。一菜の敵はなんだって、私が吹き飛ばしてあげるから。一菜はただ、私の隣で、笑っていてくれればいいんだよ」

 

『あ、あふ、ふわぁぁ……ぎ、ぎぶ…………腰に力が、入らな――』

 

「ふふ、()()()初心だ。どうか()()()()、可愛い一菜のままでいておくれ。いつまでも瑞々しく、赤く甘く熟れて行くあなたを、一生愛でていたいんだ」

 

『か、かか……いっしょ……ッ!!』

 

「戦うのは、意地になった頑固者同士だけでいい。一菜、あなたは最後の、あなただけの役割を果たしておくれ」

 

『あ、みゅ、う、んっ…!うん……っ!分かった、クロちゃんに任せる、信じてるから。ずっと――っ!』

 

 

 

 

 

視界が波の奔流を見失い、1人の少女を収めた。

目の前にいるのはイヅナ、もう一人の一菜だ。

 

それなら、傷付ける訳にはいかないかな?

 

 

「なぜじゃ、なぜ、我の力が止められ……ッ!」

「気付いたかい?ま、それも当たり前か、だって殺生石はあなたの力なんだからね」

 

 

今、私とイヅナは手を繋いだ。

仲介役は右手に受け止めた御守り、かな?

 

 

イヅナの手首をすっと撫でると、滑り落ちるように左手の手甲銃が落下した。

そこへ、パートナーの交代時間を待っていた私の右手が滑り込んで――いわゆる恋人繋ぎで、つかまえる。

 

 

「おのれ、何故クロが持っておるのじゃ!」

「おや、忘れちゃったのかい?あなたが私と愛を誓う為に差し出してくれたんじゃないか」

「"わわわ、わいはぁッ!?そ、そそそ、そったらえふりこぎな事ばりへってればせ、我もじゃわめいでまう……!"」

 

 

ふむ、どこの方言だったかな?

確か星伽神社の来客様に同じような話し方の人がいた様な……?

 

 

「"ん?何て言ったんだい?"」

「知らぬわ、この戯けもんがッ!終わらんぞ、まだ、我は負けてはおらん!」

 

 

答えのないままに、彼女の右腕が顔面へ殴打を仕掛けて来る。

 

でも、もう離さないよイヅナ。この手と手は、ね?

 

自然な形でイヅナの鼻先まで近づけていた顔を軽く引いて拳を、そのまま上半身まで反らせて衝撃波も避けてみせる。手を繋いだまま。

 

 

「ダンスは慣れてるかい、イヅナ?」

「舐めくさりおってぇ~……」

 

 

イヅナの腕を引き、合気道の要領で反抗的な暴威を導いていく。

彼女自身の力で、彼女の攻撃が舞の如く苛烈で絢爛な動きとなる様に、その攻撃を決められた立ち回りで踊る様に避けていった。

 

狙撃手はどちらも動かない。

2人の舞人が激しく優雅に表と裏を繰り返し、射線を絞らせないから、この舞台の成り行きを静かに見守り、その瞬間を、息を止めて待っている。

 

 

「貴様ぁ……根競べのつもりか?我の生体エネルギーと真っ向から挑もうなどと……」

「うーん、流石イヅナだ。無理があったね、足元も覚束なくなってきたよ」

「……手を離すか?」

「名残惜しいかい?それは、あなた次第かな」

 

 

一拍あったな。

声のトーンも微妙に落ちた。

 

だったら、私だけがバテてるなんて情けないや。

一菜もまた、私の代わりにエネルギーを注いでくれているのだし、もうちょっと、舞踊のリードを務めさせて頂こう。

動きを止めたら、お客様(槌野子)に撃たれるしね。

 

 

良し、折角の舞楽だ。

今回も1つ、決め歌を作ろう。

 

 

 

 

 

(あかね)さし

  てれりほゝこゝ

      はいがいの>

 

()ちしあいのて

    (めぐ)るひとなり>

 

 

 

 

 

イヅナ、あなたにはこの短歌を送るよ。

純情で、素直じゃないあなたにピッタリだと思う。

だから、争いはここまで。これで終わり。あなたが諦めるその結末で、ね?

 

 

 

「『茜拍邏(センピョウラ)』――――」

 

 

 

 

 

 

「何が……一菜さんに何が起こっているんですか……?」

『……理解、出来ない。イヅが……』

 

 

――数分の間に何度ひっくり返っただろう。

イヅナの息遣いに明らかな異常が現れ始めた。

 

彼女の動きが鋭さを失い、遂にはダンスパートナーである私に付いて来られず、足裏を地面と摩擦させ始めたのだ。

 

 

「……はぁ、はぁ……。クロ……なぜじゃ、はぁはぁ……なぜ……平気な顔を、して……」

「ねえ、イヅナ。あなたは完全に息を止めた状態、全速力で何分走れるのかな?」

「何の……はぁ…話……くっ、苦しい、はぁ、息が――ッ!」

 

 

クンッ!

 

 

イヅナが酸素を求め、息を吸おうとするタイミング、そこで彼女の力を彼女自身の意思で全力で放たせる。

繋いだ右手を瞬間的に握り締め、力んだ彼女の身体が反射的な防衛行動を起こすように仕向けていた。

 

認識の範囲外で、気付かれないように意識を誘導しているのだ。

気配を限りなく薄くし、接近しておいた私の身体を押し退けるように。

 

 

ヒュボウゥッ!

 

 

攻撃の来る箇所は単純明快。

彼女に最も近付いた私の体の一部。

疲れ切った彼女は、遠い場所や私の体幹まで腕を伸ばすことを躊躇う。

 

 

無酸素状態では、どれだけエネルギーが作り出せる器官が発達していようと、それを成すための燃焼を行う事が出来ない。

そして、今、あなたはその酸素を失いつつあるのだ。

 

目の焦点も的を離れ、僅かに宙を舞い始める。

私を捉えられなくなって来た。

 

静止させない。

躍らせる、彼女の意思で。

 

体を倒させない。

立たせる、彼女の力で。

 

 

 

ポス……ポス………

 

 

 

弱々しい、少女並み力で振るわれた鉄槌打ちは……ほんの小さな子供と変わらない。

それ以前に、立つのが辛過ぎて寄っ掛かって来ているね。

 

 

「はぁ、はぁ……クロ、ぉ…………」

「失神する前に、負けを認めるべきだよ」

「……いかぬ……はぁ、いかん……はぁ、のじゃ……」

 

 

頑固だ。

 

ここで、ここに来て、その手札を切ろうっていうのか。

 

 

「止めておくんだ。今のあなたでは、『殺生球陣』には耐えられないだろう?」

「試さねば……分からぬ!」

 

 

……全く。

 

カナの気持ちが良く分かったよ。

 

イヅナ(この子)は本当の大バカもんだ。

 

 

 

「イヅナ!」

 

 

本当にバカ一直線だ。

 

バカバカ村のチャンピオンだ。

 

 

 

――だから放っておけないんだよ。

 

 

 

叱責の声は、確実に彼女の動きを止めた。

私は姉さんとは違うから、その一瞬で充分。

 

 

 

長ったらしい説教なんて、出来ないんだからね。

 

 

 

窓枠から手を引き抜く。

 

これくらい、自分だけの力で、やらせてもらうよ!

 

覚悟しいや!イヅナ!

 

 

 

――始まれば、終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"この、あほんだらがぁーーーーッ!!"」

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ゴッチィインッ!

 

 

 

 

 

 

最後の一撃は……岩をも砕く、私の意思だ!

 

 

 

頭が離れ、ふらつく。

もう、私も限界だったんだな。

 

一菜の援護があったとはいえ、殺生石に触り続けていたのだ、無理もない。

イヅナの方も目をグルグル回してるからね……ってぇ!ととといっ!

 

 

ドシャッ! ズシャッ!

 

 

 

――終わったのに、決まらない。

 

 

 

(あー、決まんないなぁ~私って……)

 

右腕を引く力に連れ立たれて、固い地面にこんばんは。

痛みもぼんやりとしか感じないが、1つ確かに感じていることがある。

 

 

「クロぉ~~……まだぁ~、負けておらんぞぉ~~……」

「まだ、言いますか」

 

 

戯言のうわ言。意識はない。

ほら、流石の一菜さんも、本体たるあなたの姿を見て苦笑いしてますよ、きっと。

 

繋がれた架け橋は、離れなかった。

記憶を封じた彼女の心の最奥部では、彼女は私を信じてくれたのだ。

 

 

『あなた次第』、その言葉を信じて。

 

 

「クロさん!」

「イヅッ!」

 

 

武装解除をしたフィオナと、武装放棄した槌野子……あの子走るのおっそ……が駆け向かってきた。

 

なんて顔してるんですかフィオナ。

泣いてから、怒ってから、笑ったような、ごちゃごちゃになっちゃってますよ?

 

そう言って場を和ませようとしたのだが……

 

 

「フィオ――」

「馬鹿です!お2人共、やっぱりバカでした!無茶しすぎなんですよ、いつもいつも!後衛の私が、どんな気持ちで戦場を眺めているのか知って欲しいくらいです!」

 

 

 

ペソッ!

 

 

 

叩かれた。

心配して怒っても、相手の容態を鑑看てから勢いを弱めるあたり、理性的だなぁ……

元気だったら狙撃されてるところだけどね。

 

 

 

ペソッ!

 

 

 

あ、イヅナも叩かれた。

私のより強めじゃない?え、私判定負けっすか?

 

 

「でも、良かったです、一菜さんも……無事ではないですが、頑丈ですから――」

 

 

泣き顔と怒り顔が消えた彼女の顔には、翻然として呆れと……恐怖の表情が浮かべられる。

 

槌野子もいつしか脚を止めて、空を見上げていた。

 

私が感じていた、嫌な予感。

このカンは外れてくれない。どんな時でも。

 

 

 

赤味を失い、紫色から黒く変わってしまった空。

 

 

夕日が沈んだ。

空は夜一色。

 

ローマ郊外のこの場所では、電灯のない平原が点在し、ここもその1つ。闇が支配する世界。

そこには……3度目の双子の満月が、浮かんでいる。

 

 

 

「あらまあ、本当に良かったわ、クロ。まずは覇道の初勝利、おめでとう」

 

 

パチパチパチ……

 

 

頭突いて震える脳内に響く、金属音の様な甲高い声と、掌を打つ音に重なる、コイン同士を当て合うリィーンと鈴なる音。

キンキンと痛みが増すようだからやめて欲しい。

 

お願い、かえって。

 

 

意地でも目を合わせようとしない私へと、何が気に入ったんだか笑みを深くしたビアンコの肌の少女は熱い視線を送ってくる。

 

勘弁してつかぁーさい……

 

 

「やっと、そう、やっと見つけられたの。紋章が完全に消えてから、あなたを探すのがとても大変になってしまったもの。ねぇ、また刻んでもいいかしら?だって、会いたい時に会えないなんて、私、耐えられないわ」

 

 

恋人同士みたいなことを言いやがって。

普通恋人の身体に金属製のGPSは埋め込みません。どこのサイコパスだよお前は。

 

 

しかし、どんなに発言がぶっ飛んでいようと、彼女の存在感はそれに違和感を抱かせない。

彼女の言葉が正しいと、恐れた本能が弱肉強食の最上位に平伏するのだ。

 

満身創痍の身体でも、それでも彼女の誘惑はその人を動かす力がある。

闇色の翼がはためいて、地上に……降り立った。

 

 

 

『もう、やめる?』――

 

ああ、誰か、私にその言葉を掛けてくれないものだろうか…………

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き本当にありがとうございました。


『暗澹の掴星』以来ですかね、こんなに1話が長いのは。
仲間であり、ライバルである一菜(イヅナ)との戦いという事で、何とか印象に残る内容にしたかったわけですよ。

怒涛の展開を考えつつも、突飛になり過ぎないように前後の凸凹を埋めていく作業は、辛い反面、面白くて話を作り上げた感がいっぱいですよ。

リズムを崩さないように、人物描写を途中から省きまくりましたが、ちゃんと情景が伝わっているのでしょうか……?


内容として。

日本代表(三松猫抜き)との決闘はこれにて終了。
今回のクロの戦闘は、まだ人間離れしていないですね。
あ、不可視の銃弾はノーカンで。

箱庭初勝利を収めたクロの前に、まーた出ましたよ、あの人。いや、あの吸血鬼。

「組織の仕事してんのか?」って、突っ込みには、「しているんです」とお返しします。

次回も碌な事にならなそうなクロのご冥福をお祈りいたします。
お楽しみに!



↓↓↓ここから、余談です↓↓↓


新技、またしても創っちゃいました。

その名も『茜拍邏(センピョウラ)』!

そういえば前回の歌付き技、『果凪磐(はてないわ)』の解説もしてませんでしたね。

自作の短歌なので、和歌その他に詳しい方は適当にスルー推奨。



『茜拍邏』の短歌はとても一直線な内容しか含んでいません。

あかねさす
(枕詞、赤みがさすように)

てれりほほここ
(照れて輝いている頬と心は)

はいがいの
(暴れ馬の様に真意をみせない、あなたのものだ)

うちしあいのて
(その高まりし心の鼓動を共有しているのは)

めぐるひとなり
(幾度となく繰り返し、世を巡るそれもまたあなたなのだ)


"邏る"という言葉に"回る"意味を勝手に持たせて、一周した先の相手をあなたと表現するとともに、2回目の"あなた"には"巡り巡ってあなたと繋がる私"という意味合いもあります。



『果凪岩』の短歌は多重の意味を持たせまくりました。
よってぐちゃぐちゃです。それもまたトロヤっぽいと誤魔化しておきましょう。

あてしらず
(果て知らず:風のように限界もしがらみもしらないまま
 宛て知らず:風のように目標も目的地も曖昧で)

あれてあらじて
(荒れて荒らじて:荒れているだろうか、いや、荒れていないだろう
         →気分屋な性格なのだろう
 在れて在らじて:本当に存在するのだろうか、それとも気のせいなのだろうか)

よをのぞみ
(夜を望み:彼女は夜の到来を求めている
 世を臨み:ただそこで、彼女は世界を見つめている)

なぎのふなうた
(ついに風は凪の如く小さくなって、静かな海には漁り火が暗がりに揺らめき、漁に出た漁師達の唄が)

わだかまらぬや
(終わりのない進路(未来を示唆)へ風(トロヤ)の代わりにどこまでも滞りなく流れて行くだろう)


漢字と技はかんけーあるのに、
短歌と技の内容かんけーねー。




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謀者の小塊(プロット・インゴット)




どうも!

相関図の関係線で画面が真っ黒になってなにがなんだか、かかぽまめです。
クロなんて完全に強いられた人みたいな集中線状態に……


前回の決闘からの繋ぎ回となってます。
トロヤが現れたその理由とは?


始まります!





 

 

 

私は人間である。

 

そう語る以上、当然獣の様な耳は生えてないし、尻尾も無い、ついでに触覚も暗視ゴーグルの様な眼だって付いていないのです。

人並みの寿命で得た記憶を保存した頭部は丸く、尖った角は持ち合わせておりません。

手品は好きだけど超能力はごめんなさいと、ここまで語った口の端からキバをはみ出させる心配をする必要だってないのですよ。

 

赤い木の実を咥えて、青く澄んだ空を自由に飛び回る雀の小さな翼にすら憧れる、ちょっとした暗がりを怖がるような普通の中学生。

それなのに……

 

 

「まだじゃ~、クロ~……」

「クロさん、あれは……」

「……トロヤ・ドラキュリア」

 

 

私と手を繋ぐ少女はキツネのような金毛の尖り耳と稲穂の様な尻尾を生やしていて、すぐそばに立ち膝状態で構えた少女の頭には触覚のような灰白色のアホ毛。

もっと言うと、大妖怪さんは人並み以上の記憶を持ち、狙撃手様は怒ると鬼の様な角を幻視する程怖い。

述べ連ねると、イヅナの力は最早エスパーに近しいものと言えそうだし、フィオナとの約束を破ると説教の合間に牙まで見える気がする。

 

おまけについ先ほど、真っ赤に燃える炎の様な熱視線を向け、真っ青に凍り付きそうな殺気を放ち、完全な闇を思わせる大きな翼を背負った少女が舞い降りてきた。

 

 

 

なんだ、普通なのは私だけか。

 

 

 

そんな普通な私は、今地面に寝転んでいる。

好きで寝てるわけじゃない、よりによってこんな草の生えていない所に。

 

一件落着して、時代劇ならもう後日談に移っている頃合いなのだが、今日は数話連続再放送の日だったみたいだよ。

今頃、続投のキャストは次の舞台に向けて大忙しだね。私も含めて。

 

 

トツトツトツと人間と変わりない歩法で接近する彼女は、悪魔と言うより小悪魔。

前に戦った時と同じ、全体の半分くらいの妖気を纏っている。

 

それでも、場を支配し誰もが動きを止めてしまうほど、その殺気は強烈だ。

軽く開かれた彼女の口の端から、被せ物ではない星銀製のキバがちらりと。

キバモロじゃないからセーフ、だけどどうしてそんなに殺意全開で迫ってくるの?怖いです。

 

 

『警戒しないで?お話があるのよ、クロ』

 

 

キンキンと響く超音波が頭に……おっ?

なんと、さっきまで感じていた頭痛が治まっていくではありませんか!

 

……代わりに超音波で頭が痛いんだけど。発信源も頭痛の種だしね。

なんで付きまとわられてるの、私?

 

 

「抵抗はよしなさい?人工森林の秘め木から降りた片耳のお嬢さんも、破れかぶれになる必要はないわ」

 

 

私に話し掛けているのを誤魔化すためだろう、その真紅の唇からは()()()()()全員に警告しているようだ。

監視者(ギャラリー)も多い事だし、その目を欺くつもりか。

 

(あなたも秘密の話、大好きだね。それも、私に気を遣っての事なんだろうけどさ。トロヤやヒルダみたいな吸血鬼と接点を持っているなんて知れたら、ローマでの生活は終わりを告げちゃうよ)

 

表向きの口調は感情が薄い人間離れしたもので、超然とした雰囲気をより強調し、反抗の意思を埋めて行く。

しかし、超音波で伝わってくる裏側の感情は……荒れてるぞ。元々感情の制御が苦手な彼女はギリギリみたいで、今にも爆発してしまいそうだな、あの夜みたいに。

 

(ここは私も手を貸そう、事を荒立てられたくない)

 

となると、最後の仕事は一菜に一任して、私は次の収録に向かわなくてはならない。

イヅナの手を離し、その温かな手に残された御守りの中身を元に戻して強く握らせ、立てそうもないから視線だけをトロヤに向けた。

 

一時的に跳ね橋をあげて、一菜エンジニアのメンテナンス業務だよ。

遠山相談所もゆっくり眠っていたかったけど、起きなきゃね。閉店間際の駆け込み客がいるらしい、なんて迷惑な。

 

 

「フィオナ、私の後ろに。一菜を介抱して下さい」

「……私、無茶をするなと――」

「おねがい、フィオナ。一菜の傍にいてあげて」

「――バール、後で。絶対ですからね」

「一杯位なら奢りますよ」

 

 

納得はしてなさそうだが、状況は理解しているのだろう。

そんな彼女は親の仇のように睨み付けたトロヤが意に返さない事で痺れを切らしたか、それとも格の違いを悟ったか、袖から何かを取り出す動作をキャンセルさせ、晒されていた触角の様な髪を隠すようにベレー帽をかぶり直し、一菜の横に留まっている。

 

戦闘は避けたい。いや、戦闘にならない。戦いの体裁も取れやしないと考えるも、それは彼女の発言で杞憂で終わりそうだ。

お話ってのは文化的なもので、血吹き肉裂ける肉体言語ではないらしい。

 

 

『一緒に来てちょうだい、私達の仲間――』

 

 

私……達の、仲間?

以前に話していた同志じゃなくて、仲間。その言葉は、十中八九あれを示す。

 

そういえば、怪盗団の記憶を取り戻してからトロヤに会うのは初めてだな。

話の切り出しからそのワードを使うって事は、ヒルダから色々聞いているのかもしれない。

 

 

理解したと返事も出来ないから、ちょっとだけ長く瞬きをしておく。

これで通じるだろう、たぶん。

 

おい、意思疎通が出来ただけで喜ぶな。お前がそれ以上破顔したら超音波を使った辺りから全部台無しなんだからな。

こら、翼もパタつかせるな、感情表現豊かな子供か。

 

 

理子とヒルダ(可愛い妹たち)の為に』

 

 

超音波が止み、歩みも止めた。

 

 

……まあ、予想通りだ。

ルーマニアがバチカンに仕掛けたと、カナが話していたのも記憶に新しい。あと、ヒルダも理子も年上なので私()の妹じゃないです。

 

ヒルダにローマの地下墓地へ拉致されたのが29日前で、そこから箱庭が始まる20日間、彼女はずっと大人しくしていた。

相談役こと遠山クロが仲介役を務めて、とある義姉妹が一応和解……和解?したのが理由だろう。

理子が恨んでいる感じではなかったので、和解というより仲直りとリハビリテーションみたいな様相だったけど、確かに関係修復は時間が掛かりそうだね。どっちもプライドが高いのを無理して気遣い合ってる感じで笑顔がガチガチ、空気がドロドロの血液みたいに固まっててお見合いより酷い会話だったなあ。

 

 

で、箱庭が始まって早々に眠りへ就いた私を余所に、2人に何かがあったのだ。

目覚めた後も一菜との決闘の事もあったし、何よりカナによって告げられた衝撃的な真実から逃げるように会話の一部を切り離してぼやかしてしまっていて、何故暴れたかなんて考えてもいなかった。

あの人、気紛れで暴れてもおかしくはないし。

 

それでも理子が心配で独りにさせたがらない過保護っぷりだし、宿金の確かな情報がないままに彼女の方から打って出るとは思えない。

 

もう、考えるだけ無駄だろう。

理子に何かがあった、それがバチカンに仕掛けた理由で、トロヤがここにいる理由だ。

 

 

「戦闘の意思はないんですね?あれだけのモノを準備しておいて」

「あらまあ、怖いのかしら?ごめんなさい、でもそう、そうなのよ、あなたは素直じゃないから交渉の余地を貰えないかもしれないじゃない?」

 

 

トロヤも心穏やかではないが計画的に動く癖がついていて、空に浮かんでいるのは、雷雲か。

天気予報は一日中晴れだったぞ、用意周到な奴め。いつから私の行動を把握してたんだよ。

 

何気に前回のゲームで私が交渉権を使い潰したことへの意趣返しみたいな発言もして来たし、断れば脅しで済ませるとは限らない。

彼女の怖い所だ、素直過ぎるが故に冗談か本気かの判別がつき辛くて困る。

 

 

だが、これで断れないし、断る理由もない。

その設定が私と……周囲にも定着して来た。

 

相手が相手なら罠の可能性も考慮して翌日に回すように交渉していただろう。

今回はその必要もない。

 

 

なんたって、トロヤは嘘を吐かないしね。

 

 

「一緒に遊びましょう?あなた達とのゲームに負けてから、力の行使が面白いように上手くいくの」

「泣きたくなる話ですね。またかくれおにですか?いえ、前回のはどう見ても鬼ごっこでしたが」

 

 

ボロ雑巾のように伏したこの姿を見て鬼ごっこしようとか、その発想そのものが鬼なんですけど。

 

 

「好きだったでしょう?鬼ごっこ」

「だったでしょう?と言われましても……」

 

 

(好きじゃないよ鬼ごっこ。あんたらと一緒に隕石盗もうとして追いかけられてただけだよ)

 

関連事項だから否が応にも、金星として活動していた頃の事を思い出してしまった。

その最後で最大の大仕事(ビックイベント)、闇に葬られた歴史の1つとなった事件の全容を。

 

 

しかし、回想ターンはドルルルルッ……という重たいエンジン音で中断させられた。

 

大型バイクが近付いてくる。

どこかで聞いたことがあると思ったらこれって、映画ターミネーターで未来から来た人型殺人ロボが乗ってたバイクの音に似てる?スイッチが入った所で知識量は増えないから車種は知らないけども。

 

 

ドルドルドルドル……

 

 

そして、目の前で乱暴なターン、からの排気ガス噴射。

ちょ……やめ、やめて、制服が汚れちゃう!煤けちゃう!

 

誰だこれ。

顔はスカーフで全面的に隠しちゃってるし、服装も黒い革ジャン&革パンだし、サングラスはしてないけどますますターミネーターっぽい。

違いは殺人機械には必要ないほど豪華に飾り付けられた装飾品の数々か。

 

 

「早う乗れ、道すがらバチカンの使い魔共とすれ違った。直に武偵高からもバチカンの修道女が送り込まれてくるぢゃろう」

 

 

あ、この声と話し方、なーんだパトラか。

意外だね、そんなのに乗るんだ。てっきり時代錯誤な籠に乗って移動するもんかと思ってたけど、身長もあって片足立ちの体勢も様になってるね。

 

んん?もう一台来た?

あっちはずいぶん静音なエンジンで、安全運転だ。

パトラは服装が男性らしくても前髪が伸びてたから女性かなと思ったけど、向こうはフルフェイスのヘルメットで顔を隠していて分からない。

中世の騎兵が使っていた突撃(ランスチャージ)みたいな格好で鼠色の竿槍を構えている。

 

 

「覚えておきなさい、クロ?次から決闘をする時は立会人を用意する事ね。疲弊したあなた達が他国に襲われてしまえば、キバも翼も出ないでしょう?」

 

 

そんなの最初から出ないよ。

 

 

「たった今、確かに襲われましたね」

「あらまあ、酷いわ。でも、そうね、そういう事」

 

 

――ヒョイッ。

 

 

「へっ?」

「あなたは賞品よ、クロ」

 

 

トロヤさん、力あるんですね。

身長差もあるのに、私の事を結構軽々と持ち上げられるんだー。

 

 

――ところで、賞品ってなんです?

 

 

「ここは頼んだわよ?特にミウライチナは絶対に必要になるわ」

「すぐに出すぞ、妾の使い魔が交戦状態に入ったようぢゃ。どうせ他の魔女を目の敵にしておる眠土の魔女か祝光の魔女のいずれかであろう」

「それなら眠土の方ね、祝光は市街に行っているわ。あの女嫌いだもの、近くに寄れば太陽光のように眩しくて苦しくなるからすぐに分かるのよ」

「トロヤ、お前も加勢せい、妾とマルティーナの魔法は相性が悪い」

 

 

【挿絵表示】

 

 

トロヤに話し掛けられたフルフェイスの人間がコクリと無言で頷き、バイクを降りて槍の石突きを地面に付き立てて仁王立ちすると、フリーハンドな右手は握った状態で右胸に当てられた。

誓いを立てるような動作だが、隙が無い。槍を軸にして如何様にも初動を取れ、体の中心に据えられた右手で咄嗟の防御も可能な実戦的な構えだと言える。銃弾には無防備だけど。

 

その様子を見ながらバイクに乗せられた私にパトラが体を固定しろと促すが……

もうちょっと前に行けません?後ろ狭いです。

 

 

「山洞で待ってるわ」

「お前とは異なるお前がの」

 

 

トロヤが霧となって夜闇に消え、パトラと私を乗せたバイクが大排気量の機関を駆動させて走り出した。

ターンした先頭を戻し、やって来た方角から真っ直ぐ前に。

 

 

「あの、柵……」

「壊せばよかろう」

 

 

 

ビシュッ!

 

 

 

前方に差し出したパトラの右手から金色の弾丸が飛んで、柵の固定部分を破壊する。

続けて2発、3発。

 

然程強く固定されていなかった、ふらふらと揺れる一枚を打ち破って囲いを脱出し北西、ローマ市街と武偵学校の反対方向へ走り出した。

このワンシーンもターミネーター2っぽい。

 

いやー、まさか実体験できるとはね。弁償3倍は辛いなぁ……

 

 

「クロよ!トロヤからどこまで聞いておる?」

「どこまでも何も、理子の身に何かあったんですか?」

「そうか、何も知らぬのぢゃな、ならば妾からは何も言わぬ。話は変わるがお前はヴラドについても聞いておらぬのぢゃろう」

「ヴラド……?」

「ヒルダに直接聞くが良い。あやつ以上にあの男を知る者はおらんからの」

 

 

今回のキーパーソンはヒルダが良く知る人物……か。

うん、会いたくない。いや、でも一周回って普通の人かも?

 

理子とどう係わって来る人なのか、なんにせよ話を聞かなきゃ始まらないね。

 

 

パトラの反応が苦々しい時点で普通の人説はほぼ否定されているが、希望は捨てない。

いい人過ぎて鬱陶しいと思ってる可能性もある。そうだ、希望はある――

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

――――ない。

 

ここまでの道中、狼に襲われた。

あれがヴラドとやらの部下らしい。

 

 

全く話を聞く気がなかった……まあ、狼なんだけど。

なんで襲ってくるの?

 

バイクの部品に変形させていたらしい砂鉄の砲弾で弾き飛ばしたパトラ曰く。

 

 

「妾からヒルダの匂いを嗅ぎ分けたんぢゃろ。対象が何であれ、主人の下に引き摺って行くように調教されておる」

「ろくでもない芸を仕込む人なんですね。ヒルダは吸血鬼で珍しいから、サーカスにでも勧誘されてるんですか?」

「見てくれは調教師側ぢゃがの」

「えへへ、それ言えてますね、パトラさん」

 

 

バイクを車通りの全くない車道に停め、軽くハイキング。

ついつい口も軽くなってしまったが、眠気が凄まじくて膝も笑ってるし、早く休みたい。

 

洞窟の入り口は垂れ下がった枝や茂みによって隠され、枝葉や草の中にはコガネムシの形をした宝石が所々に紛れていた。

臭いでバレるんじゃないの?と尋ねたら、そのコガネムシ――スカラベのお守りが結界みたいになってこの周辺に張り巡らされてるんだとか。

 

他国の使い魔も中の私達が薄ぼやけて見えなくなるらしい。

まるで箱庭で感じた薄い膜みたいだ。いやはや、高性能な魔術ですのう。

 

 

山洞を進んでいくと最初の小部屋に到着。

明らかに目を欺く目的で自然の洞窟ありのままの形をした行き止まりには、岩に隠された錆色の鉄輪が鎖と繋がって壁から伸びている。

 

 

「引け」

「え」

「お前のお仲間の身柄を守る為に妾の魔力が使い魔の使役に出払っておるのぢゃ。扉を開く役割はお前しかおらんぢゃろ」

「……はい」

 

 

そういうことなら、文句はない。

あれだけ多くの目があっては、決闘が終わった後に漁夫の利を狙われてもおかしくなかった。私が不注意だったのは弁解の余地も無いのだから、従おうっと。

 

 

しかし力が出ない。

全体重を掛けて「んーしょっ!」と倒れ込んでも、たりなーいっ。

 

 

「開きません」

「……しょうがないのう」

 

 

一緒に引いてくれた、ありがとう。

人遣いは荒いけど、困った人には優しいんだ。

錆を触りたくないからか私の手を握ってるところは減点対象だけどね。

 

グイィ……

 

鎖が引かれる感覚があり、今度はいきなりパトラが手を離した。

もちろん掴んだままの私は戻ろうとする鎖によって壁に向かって引かれ、すんでの所で手をつく。

 

(あ、あっぶな!引っ張られた反動でゴッチィン行くよ!?)

 

 

「ちょっと、一声かけてから――」

「戻ったぞケケット、ハトホル」

 

 

抗議の訴えなどどこ吹く風、傲岸不遜のターミネーターは壁に話し掛け始めた。

プログラムがバグったのかね?未来に帰ったらどうだい?

 

何してるんだか、彼女の奇行を内心白けた顔で見つめていると……

 

 

「お帰りなさい、パトラ」

「お帰りなさいませなのじゃー!パトラ様ー!」

 

 

壁から返事が!?

 

 

 

*いしのなかにいる*

 

 

 

ロストした過去の英雄の霊魂か!?

 

マロールッ!マロールッ!

 

 

「うむ。ハトホルよ、結界は上手く機能しておるようぢゃの」

「当然ですじゃ!わしはパトラ様の母君から直接ご指導賜った身、これぐらい朝飯前なのじゃ!」

 

 

マロー……――

 

ハト……ホル?

それって箱庭参加者の……ああ!パトラと同じエジプトの代表戦士の名前じゃないか!

弱音を吐いてるイメージしかないけど、元気ハツラツな感じだね。

 

 

「クロを連れて来た、とりあえずは開けてたもれ」

「クロって……"ラブリコ"のリーダーさん?」

「只今開けますじゃー!」

 

 

あまりに普通に会話するもので、つい音の反響を気にしてしまうがそれも気にする必要がないって事だろう。

結界ってのは便利で、相当に自信を持っているらしい。

 

……"ラブリコ"ってなんぞ?

 

 

扉とは名ばかり、ただ大きくて扉くらいの厚さの岩が胸の辺りまで持ち上がっただけで、その隙間を落ちて来ないかビクビクしながら通過する。

その先では、あ、ジャッカル人間のゴレムさんが私がさっき引いてたのと同じ鎖を1人で引いてるよ。すっごいぱわーだ。

 

奥から明かりが漏れてるし、会話していた人間はそこにいるのだと思う。

現にパトラは革ジャンを脱ぎかけながら何も言わないでそっち行っちゃうし、労いの言葉くらい掛けてあげればいいのにさ。

 

 

「お疲れ様です、ゴレムさん」

「……ウォン?」

「あれ、ゴレミさんでしたか?」

「…………」

「トロヤさんが戻ってきたらよろしくお願いしますね!」

「ウォウォンっ」

 

 

なんとなく、心が通じた気がした。

気がした……

 

……ことにしよう。

 

 

明かりの下に遅れて入室。

扉をくぐってから私の食欲を刺激していた香ばしい良い匂いが広がる岩壁の室内には、燭台の置かれた長テーブルが設えられ、アバウトな感じで取り皿とナイフ、フォーク、スプーンがセットになって準備されている。

 

(――椅子の数と同じ10セット。偶然じゃなく意図的に揃えてるのか……)

 

パトラは既にいつもの半すっぽんぽん状態で寛いでるよ。

重そうな装飾品も外せばいいのにね、最悪あれが武装にもなるみたいだけど。

 

 

「ヒルダはどうしておる?」

「まだ暴れ足りないみたい。トロヤさんが押さえてるよ」

 

 

彼女と同じテーブル――うちのよりずっと立派なのには、えも言われぬ感想を抱きそうになった――には、他にも2人の少女が腰掛けている。

 

1人は箱庭でも見た、袖の無い巫女服と金色の扇を持った人物、ハトホルだ。

震えてないし、笑顔。印象がガラッと変わるね。パトラを様付けで呼ぶあたり上下関係が存在するのかも。

 

(エジプトの組織形態は不明だけど、もう1人は呼び捨てだった)

 

白いケープを黄褐色のチュニックの上に羽織った少女はパトラと同格なのか、それとも友人か何か?

褐色肌のおさげ髪でこちらを意味有り気に見つめる姿には強者のオーラがなく、雰囲気だけは一般人と変わらないものの、それを言えばチュラだって雰囲気は一般の小学生と大差なかったな。

あの子の場合はあえて紛れ込んでる疑惑があるけどね。

 

 

「困ったもんぢゃの」

「冷静さが足りんのじゃー」

「お前が言うでない」「ハトちゃんがそれを言うの?」

 

 

おっと、総ツッコミ入りましたー。

さあ、一体どんな反論を返すのかー?

 

 

「やれやれ、焦ると失敗するのじゃー」

 

 

あぁーっと、強い!凄いメンタルだぁーっ!

総ツッコミをまさかのノータッチ!こいつは大物だぞー!

 

 

「まあ、妾は冷酷で合理主義者なお前よりも、少々茶目っ気のあるお前の方が気が楽ぢゃがの」

「わたしも!ホルちゃんもカッコイイけどね」

 

 

仲が良さそうで何より、ところで……

 

 

「ヒルダはどこですか?噂ではローマで大暴れしていたそうですが」

 

 

私がここに召集され、応じた理由。

彼女がいない。トロヤが押さえているとは一体……?

 

その問いかけに立ち上がり、進み出たのは初顔合わせの褐色少女。

紫色の小さなリボンを揺らして、さり気無く奥に続きそうな出口の前に陣取った、進ませたくないらしいな。

 

 

「初めまして、リーダーさん。焦る気持ちは分かりますが、今は我慢を」

 

 

だから何のリーダーなんですか、私。

勝手に変な団体のリーダーに祭り上げられても困るんで――

 

 

「クロさんって、あの"L(ラブ&リーグ!)R(理子りんと愉快な)D(ドミネーターズ)計画"の創設者ですよね!」

 

 

――あ、私言い出しっぺだったわ。

 

 

そうか、L(エル)R(アール)D(ディー)計画の"ラブリー理子りんダイスキー"の"ラブリコ"の事を言ってたのか。

なんか彼女の考えと意識の差を感じるけど、なんでだろ。

 

 

「はい、そうですが……あなたは?」

「ニィッ!"わたしは新人のケケット、名前です"」

「"わぁ、日本語、お上手ですね。私は遠山クロ、よろしくお願いします"」

「"はいっ!良きにはからえ"」

 

 

花の妖精みたいなすっごい良い笑顔だけど、なんか違う!

せめて真似して!

 

 

【挿絵表示】

 

 

自己紹介が終わっても動かない……か。

まあ、スイッチが切れた私なんて瞬殺されるだろうし、クタクタの身体では木の椅子がふかふかのソファみたいに恋しいのだ。

 

(急いては事を仕損じる。嫌な予感もしないし、休める暇があるなら休むべきかな)

 

相手が時間を設けてくれてるんだ、ケケットの言う通り焦ったって仕方ない。

 

椅子は全部で10脚用意されていて、空いている席は残りの7箇所。

様子を見たいし、少し距離を取ろうか……

 

 

「こっちに座るのじゃー!いま、茹でたてのひよこ豆と揚げたてのコロッ……あああーーーッ!?火を点けっぱなしなのじゃーッ!」

 

 

人を強引に自分の隣に座らせたかと思ったら、走り去っていった。

焦ってたな、失敗しないといいけど。

 

 

「大丈夫かなぁ……」

 

 

同じ心配をしたのだろう、ケケットがハトホルの駆けて行ったキッチンのあるらしき方へ向かうと、それを横目で見送ったパトラが身を乗り出して顔を近づけて来た。

 

改めて、この人もホント綺麗顔。

体から汗に混じってフワッと香る甘いローズのフレグランスはあらゆる男を虜にするだろうな。

 

クンクン……

 

私が排気臭いのはあなたのせいだからね?

 

 

「クロよ、この一週間、何処へ消えておった?お前を見つけ出そうと何度も占星術を行ったのぢゃがな、その存在のヒントをこの地球上に糸の一本すらも見掛けられなかったのぢゃ」

「何処に、と言われましても」

 

 

普通に寝込んでただけだし、ずっと家にいただけだし。

私としてはその占星術の精度に疑問を持つわけですよ、言ったら怒るから言わないだけで。

 

 

「お前も超能力者ならそういった類の術を持っていてもおかしくはないと、その可能性も握っておったが……どうも違うようぢゃの」

「私は超能力者ではありません。あれは理子の技ですよ」

「それではなんぢゃ?お前はその能力を真似したとでも言いふらすつもりか?それこそお前は異端視されてしまうぞ。少しは腹の内を隠す事を覚えろ、お前の仲間の為に……」

 

 

グサッと来る言葉を、真剣な眼差しで直接斬り込んできた。

 

その通りだよ、私は人間だ。

だけど、私は……普通なんかじゃない。

 

 

トロヤが私の事を異常点と語った。

 

任務で敵対した人間が私の事を化け物と呼んだ。

 

正義の味方が私の事を討つべき敵と言った。

 

 

それに……

 

 

「あなたが言ったんですよ。『初めからそんな人間はいない』って」

「…………」

 

 

彼女は何を言われたか分からないだろう。

だって、占いの内容を結果しか知らないハズなんだから。

 

 

「私は悩んだんです、私ってなんだろうって。私は誰で、皆は本当に私を見てるのかって……」

 

 

彼女は言葉の意味を知り得ないだろう。

だって、私の能力の事なんてカナとチュラしか知らないんだから。

 

 

「あなたが私の占いを忘れるように、皆、私の存在を忘れて――」

 

 

数百、数千、数万と行ってきた数ある占いの中で、私の占いの結果なんて覚えてるわけが……

 

 

「何をとぼけたことを抜かしておるんぢゃ?」

 

 

ほら、ね?

覚えてない。

 

私が、あんなに、苦しみを、覚えた、のに……

 

 

でもこれは、八つ当たり。

彼女には、関係ないんだ。

 

 

だから心を、隠して……

 

 

「……いえ、なんでも――ッ!?」

 

 

ガタッ!――ゴッ!……

 

 

椅子から、固い岩肌の床に胸ぐらを掴んで叩き落された。

スイッチもOFFで顔を下げていた私は反応する隙も無く、為すがままに自然の冷たさを味わう。

 

気力も、覇気も無く、顎に掛けられた華奢な手で、顔を持ち上げさせられる。

彼女の艶やかな顔は怒りに歪み。高貴な切れ長の目は熱く潤み。差し込む影が心の傷跡を映し出しているようだ。

 

ここまで荒々しい様を知らなかった。ただ事ではない。

そうだった、私は『彼女は私を知らない』なんて自分勝手なことを考えておきながら、『私は彼女を知らない』事を考えなかった。

 

 

オモイは誰にだってあるんだ。

 

 

「甘えるなッ!お前は思主の事を知らずに、よくも好き放題言いおったのう!」

 

 

いつだって言いたい放題の気侭な彼女が、この瞬間は私だけに心を突き合わせている。

 

それは、私の中に自分と同じ苦しみを見出したからかもしれない。

それが、私のひん曲がった言動と彼女の心の根幹が衝突してしまったんだ。

 

 

痛みを伴って。

 

 

私の世界に砂嵐が吹きすさび、その中心では砂塵に守られるように薔薇の花畑が咲き始める。

 

 

「知っておるのか!?思主は存在を消される。勝っても、負けても。生き残っても、名誉の死を遂げようとも。何も残らぬ!妾の友も突然消えた、代わりに現れたのがあやつ――ハトホルぢゃ」

「――えっ……?」

「妾は思い出せぬ!友の名も姿も。元より思主として生み出された者共は知らぬがな、思主となった者はこの世界から何処かに消えるのぢゃ、思金を持った存在と入れ替わる様に。しかしな、ハトホルと初めて出会った時、懐かしさを感じた。この意味が分かるか?」

「入れ替わって……ない?」

「ただ……消えただけなのぢゃ。思金はヒトのオモイの結晶、それを受け入れる為の殻金で創られた器。色金に神が宿っておる様に、思金も1000年以上の歳月を掛けて()()()()()()()()()()()()()理性を獲得した。その個人の存在を世界に形成する輪郭――理性も信じる絆も、その者に向けられ続けた思いも……問い掛けすらも、もう届かぬ。妾の友は……黄思金の中に消えたのぢゃ…………」

 

 

力……無く、彼女は腕を落とした。

でも、私の顔はパトラの心に縫い付けられたように、彼女の崩れ出しそうな表情を捉え続けている。

 

彼女の……彼女達の行動の理由が掴めてきた。

 

 

「生きておる……生きておるかもしれんのぢゃ。オモイの器に、人々の理性が」

「パトラ、さん……」

 

 

狂人の虚言と嘲笑われたこともあっただろう。

知り得ぬことを知る力を持ってしまった故に、彼女は……

 

 

「……だから、あなたやリンマさんは……」

 

 

人の存在が、入れ替わる様に……

それを、私も抱懐させられた事例があったばかりだ。

 

ちょっとずつ、ほんの少しずつ変わっていっただけでも乱された。

大切な仲間だから。

 

 

「目を付けたんですね?一菜に」

「日本の大妖怪、あやつを誘き寄せたのは恐らくシャーロックという男ぢゃ。それを横から掻っ攫ってやろうと思ったんぢゃが、毎度毎度、何者かの妨害を受けておっての」

 

 

しゃーろっく……?

有名な名だが私が授業で習った本人はとっくに亡くなっているのだし、同名の別人だろう。

 

 

その人物の目的は何なのかは別として、とある理由で私だってあの石の力には一目置いている。

決闘後に一菜から殺生石の詳しい話を聞こうとは思っていたが、こんな状態ではまだ聞けておらず、てっきり記憶を封じているものかと思い込んでいただけで、それも絆や思いを()()()()()()()()()()()のかもしれないのだ。

 

その方法が、思金にも適用可能なら……!

 

 

「作戦変更ぢゃ。まずは世界を獲り、ゆくゆくはその法術を得るとしよう」

 

 

まずは、の規模がでか過ぎる気もしないでもないけど、私からも一菜にアプローチを掛けてみよう。

その方法が、宿金の別離――理子を救う手段として活用出来る可能性もあるんだからね。

 

 

「世界を、獲る……とは?」

「全ての思金を支配し、全ての色金を制圧する。その為には、世界を征する必要があるのぢゃ。思金の犠牲となった者達を救う為に、妾は人類を服従させる。妾は……覇王(ファラオ)の子孫、そして生まれ変わりぢゃからの!」

 

 

彼女なりの宣言、それを言い終わっても。

年上のプライドだろうか、彼女は気丈に、柔らかではなく決意を露わにした強気な笑顔で私を抱き締めてくれた。

 

 

姉さんとは違う、ちょっと強くて、引っ張りこむような、彼女らしい強引な抱擁。

 

 

続く最後の一言は人心地を与え、憂いを鎮める彼女らしからぬ優しい声――でも、少し鼻声で。

 

 

「お前が消えたら。その時こそ、妾が探し出してやるわ。安心せい、その頃には占星術の精度はウナギ登りぢゃよ」

「…………はい……。ありがとうございます……」

 

 

 

薔薇のオアシスはココロの雨を嫌ったか、砂嵐と共に去って行った。

立ち上る砂煙に混じった真っ赤な花びらが、私の道の先をゆく。

 

こりゃまた遠い所まで行ったもんだね、カナとどっちが先に再会できるものやら。

 

彼女の根幹――砂礫を舞い上げた竜巻は明後日の方向に行っちゃうし、私の世界も騒がしくなってきたな。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「荒く扱って……その、悪かったの。……痛まぬか?」

「悲しい事に、慣れてます。そういう家庭に生まれたもので」

「家族……か」

「あ、すみません。私――」

「しょっ、と……気にせんでも良い。家族などと言う単語で沈むような人生は送っとらんぞ」

「そ、そうでしたか」

「ほほほっ、気に病むならマッサージでもしてもらおうかの。お前は妾の好みぢゃ、特別に許そう」

「……なにが許されたんだろう……?」

 

「パトラ様ー!ケケットから特製のフルーツソースを教わったのじゃー!」

「……うむ、味見はしたかの?」

「とても美味しかったのじゃー!パトラ様もぜひ」

「そうじゃの、棚のポットとレードルを使え」

「じゃー!」

 

「リーダー?なんで地面に?」

「自然を感じていました。あとリーダーは止め――」

「体を冷やし過ぎてはいけませんよ?」

「――はい」

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 

「あっ、帰ってきたみたい!」

「丁度良い、食事にしようぞ。クロよ、トロヤと一緒に奥の部屋へ行って、ヒルダを連れて来い」

「え、私が連れて来るんですか?」

「あやつの判断ではお前が二番だそうぢゃ」

「うわぁ……そこまで行ったら一番が良かったなぁ」

「そのまま、お前も着替えて来う。ドロドロの服で食の質を下げるものではない」

「そ、それもそうですね。トロヤに見繕ってもらおうかな……フリル無しの服、あるといいけど」

「トロヤは奥にもう1人おる。待ってろと言っておったが……まあよかろう、行ってこい」

「えー……大丈夫かなぁー?」

 

 

「たっだいまー。あー、お腹すいた、ケケットちゃん、今日のおやつは何ー?」

「ソラマメのコロッケと人参とカボチャのドーナツ、それとタイとモロヘイヤのグリルと牛ステーキとひよこ豆と銀です」

「あは、おいしそうだね!私のドーナツ、粉砂糖多めでおねがーい……あれれ、私達の方が早かったみたいだよ、トロヤさん」

「先に引き上げていたと言っても、リンマ達はローマ市街に行っていたのだもの、仕方ないわ。使い魔もクロの偵察に飛ばしてくれていたのだし」

「そうだ!クロさんもいるんだよね?どこどこ?この状態で、ちょっとお手合わせ願いたかったんだよ」

「無理ね。今はクロの調子が良くないもの」

「奥に向かったが、その状態のお前なら一振りで寝たきりになってしまうぢゃろ」

「……クロさんっていつでも成れるんじゃなかったの?」」

「その程度で機嫌を損ねてはいけないのじゃー!ほぅれっ、ドーナツシュゥートッ!」

「よっと、ノーコンセンキュー!それもそうだね、はーい、大人しくしてまーす。あ、揚げたてだー」

 

「あら?パトラ、クロは?」

「カルミーネとの会話を聞いておらんかったのか?奥ぢゃ」

「……あらまあ、ホント?」

「ついさっき行った所での、不都合でもあるのか?」

「うーん、別に。あの子を宥めるのは骨が折れそうだけれど、クロなら大丈夫よ」

 

「トロヤさん、ジャン君とラルちゃんは来てくれるの?」

「ええ、もうすぐ到着予定ね。彼ら、時間にはうるさいから遅れることも無いでしょう」

「最近はサイドビジネス先で旧友に会うたそうぢゃな。笑顔の似合わん奴よ」

「パトラ、失礼だよ?」

「事実ぢゃ」

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 

「むぐむぐ……噂をすれば」

「陰じゃー」

 

「たっだいまー。しゃぴ~、有無も無くお腹すいたよー、パトラー、今日のおやつ何ー?」

「妾にたかろうとするでない」

「コロッケとドーナツ、あと……タイと牛炙りとひよこ豆と銀じゃよ」

「ドーナツッ!ドーナツ食べたい!砂糖マシマシでちょーだい!」

「いま、持ってきますから、手を洗ってきてくださいね。来る途中で洗ってくださいと毎回話しているでしょう?」

「あ、あははー……そうだった。うん、行ってきまーす、わーい揚げたての匂いだー――」

 

「…………」

「……ん?ジャンさんいつからそこに?」

「19時ジャスト入場だ」

「なんでいつも気配を隠してるのさ」

「癖だ」

「ラルさんもこんばんは」

『…………R(るぅー).N(ねぁ)

「……こんばんはカルミーネ、だそうだ」

「くぅ、ラルちゃん小動物みたいでカワイー!」

『…………E().T(とぅ)

「それくらいにしておけ、困ってる」

「うぐぅ!……我慢我慢、嫌われたら元も子もないし……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「それと、商売敵の片割れがいると聞いていたんだが」

「クロかしら?」

「ああ、黄金の残滓のことだ」

「何のお話をするつもり?」

「部下の誰も姿を見てないのでな、顔が見たかった、心配しなくても手は出さない。温度の不明な鉄に素手で触れるような愚行を犯すつもりもないしな」

「そう、慎重ね」

「当然だ、手酷い火傷は一生残る傷となる。熱くなるモノほど、慎重になるものだ」

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


トロヤ及びLRD計画のメンバーとの再会です。
ホントはまた、ちょっとチェイスを計画して……やめました。
その名残がクロは賞品ってところです。


はい!出ました。
ヒルダ、カナに続く原作キャラの独自設定、パトラ編。
彼女の世界征服には理由があった的な?

付随して思金の裏側、黒い面が見え隠れしましたね。
宿金とカナの事でいっぱいだったクロに、多大な衝撃を与えたでしょう。無関係ではないのですから。
『大変、クロちゃんが息してないの!』ってならないようにバランスは取りますよ。南無。

文字数は完全に最後の蛇足会話によるものなのでノーカン。
キャラのイメージを掴む材料になって貰えればなーっと。


ヒルダとトロヤが待つ奥の部屋に向かったクロ。
そこで待ち受けている光景とは一体!?

次回もゆっくりお待ちください!




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夢魘の愾昇(ハガード・アボミネーション)




どうも!

モブキャラの容姿を考える時間が無駄だと分かっていても、やめられない止まらない、かかぽまめです。

それは愛、なら仕方がないのです。
似たような顔になるのも致し方なし。


ゆったりと食卓を囲むのは一仕事終えてから。
クロは単身、ヒルダとトロヤの待つ奥の部屋とやらに向かうのでした。


では、はじまります!





 

 

 

ヒタ……ヒタ…………

 

 

「うーん……うん。うんう……うんー?」

 

 

洞穴内にウンウンと響く不規則な唸り声は……私の声か。

その一拍一拍に小さな意味合いを持ち、最低限の発声で複雑な感情を表現していた。

 

疑問、納得、同調……出来るかと思ったら理解不能な対象に眉をひそめる。

首はトロンボーンのように、もしくはアンプの音響調節(ロータリースイッチ)のように行ったり来たりしているが……

 

(なんだかなぁ、首のネジが緩んじゃいそうだよ)

 

さっきまでお邪魔していた食卓のある部屋は扉も無く、岩肌こそむき出しのままであったものの、テーブルや椅子、食器類の入った棚や内容物の不明なタンスに統一感があった。

 

(まあ、華美な装飾品とか歴史的価値のありそうな小道具なんかの、誰かさんの持ち込み品が違和感を素敵に演出していたんですけど)

 

 

比べてこの通路、てっきり直進すればいいだけだと思って踏み込んだ私は……そう、博物館を見学する観光客のように、興味を惹かれた小部屋を逐一覗いてしまっている。

だって気になるでしょ?入り口の両脇にダンシングサンタが飾ってある部屋なんて、見たくなるでしょう?

その正面には狛犬と唐獅子が阿吽の呼吸で、サンタの腰振りダンスを必死の形相で威嚇してるし、統一性が無さすぎる。

 

残念ながら内装はどこも似たような感じだったから、現在は流し見状態でチラチラ。

しかし、次の部屋は違った。

 

 

その感想が――

 

 

「うんうん!うん……うん!?」

 

 

――この反応。

さて問題です、部屋には何があったでしょうか?

 

 

チッチッチッチッチッ…………

 

 

――――――――

 

 

正解は…………木彫りの熊と小さなねぶたが睨みあっている、でしたー。

はい、正解者は挙手ー。はい、おめでとー。

 

 

小部屋では、毛並みの細部まで再現した精巧な木彫りの熊と、竹に和紙を張り付けて作られた小さなねぶた灯篭の征夷大将軍が睨みあっていて、まさに観光向けで良い闘争の雰囲気。

でも待てよ?あの熊、額に白くて小さい角が生えてるね、何かの風刺だろうか。

 

そして、驚きの声(「うん!?」)を上げたのは両者の得物だ。

てっきり熊に対して向けられていたと思っていた漆塗りの黒刀は木製、それが熊の左前足で器用に握られ、さまになった構図で将軍に切っ先を合わせられている。

黄色の和紙で作られた弓を引いた将軍は勇ましく立ち向かっているが、よくよく見るとあちこちが痛んでいて、偶然なのか意向なのか追い詰められた状況をつぶさに表現しているようだった。

 

(この部屋……すごく、胸騒ぎがする……)

 

天井からぶら下がる緋いLEDライトとそれを見上げる般若のお面を被ったヒトや動物の人形、太陽と三日月の模型が載せられた天秤は月の側へと傾き、彩のある孔雀の羽根があちこちに刺され壁に掛けられた海図?は……どこの物だろう、少なくとも日本近海や地中海では無さそうである。

 

青い門に巻付いた斑点模様の緑蛇にも、翡翠の眼を持つ白蛇にも統一感がない。

それなのに意味を探ろうとしてしまうのは、この部屋に満ちた日本を思わせる懐郷の念だろう。

 

 

「そこにいるの、クロ?」

「!」

 

 

どこかの遊牧民族を映した写真の子供と目があった時、小部屋の外、通路の元来ていた方向からトロヤの声が聞こえた。

追い付かれたのか。いつの間にやら室内に足を進めてしまっていたらしい。

 

何となく、本当に何となく背中を見せるのが怖くて、後ろ向きで退室する。

いやいや、私、幼い子供じゃないんで、あんなんにビビってなんかないですよ?ほんとほんと。クロ、嘘つかない。

 

 

「あらまあ、そんなところに。だめじゃない、勝手に人の部屋に入ったら」

 

 

身体が完全に退室したところで見つかった。

声の主は言うまでもない、目が痛くなりそうなほど黄色の色素が強い金髪を輝かせた吸血鬼の姉の方だ。従姉らしいけど。

 

咎めるような口調も、そのワクワクを隠しきれてない笑顔じゃあ効果は半減ですよ。羽パタ禁止!

なにさ、興味津々な子供を見守る親みたいな顔しちゃって。それとも私はペット扱いですかね?

 

 

「美術館に不法侵入した人には言われたくないセリフですね」

「仕方ないじゃない、銀分が不足していたんだもの」

 

 

鉄分みたいに言うな。

カナとメーヤさんが追い払わなかったら、館内の銀という銀を食い尽くすつもりだっただろ。

 

悪びれもしないその態度は問題ありだが、別の問題の方が重要だ。

あれから私には聞きたいことが山ほど出来たよ。過去から未来まで、トロヤが知っているであろうことが。

 

 

「トロヤさんの秘密好きは十分です。そろそろ教え――」

「待って」

「――?」

 

 

はいはい、彼女がマイペースなのは分かってる。

あのヒルダですらこの気紛れに振り回されてたんだ。私は抵抗の意思を見せませんよ。

 

自分より強いと畏怖の感情に流されるのではなく、自由奔放に振る舞う彼女が魅力的なのだ。だから、振り回されて嫌な気がしない。

潜在的なものもあるだろうけど、理子はトロヤのこういう所が似たんだな、きっと。

 

 

待ったを掛けられ、お手みたいな形で差し出された右手を取るべきか迷う。

 

どっち?

待てなの?お手なの?

 

(……まあ、減るもんじゃないしね)

 

はいはい、お手っと――ぅッ!?

 

 

ギュウゥゥ…………――

 

 

全く予想していない行動だったから、今度は意思と関係なく無抵抗に捕まった。

差し出された右手に触れようかという距離で、彼女の白無垢のような右腕が体ごとランジの要領で私の背中に回されると、行き場を失った私の右手は掌の下に潜り込んだトロヤの頭にポンッと自然に乗ってしまった。

 

(――反応も出来なかった。ちくしょう、スイッチが入ってないからって好き放題に……)

 

イヅナを好き放題に弄んだ因果か、ガッチリとしがみついたトロヤが頭をすり寄せて来るのに合わせて、良い匂いが凝縮された少しだけ癖のある髪を無理矢理に撫でさせられる。

驚き固まっている内に左腕も軽く背中を掴んでるし。

 

プライドもあったもんじゃないな。

悪魔の様な吸血鬼がどこの回路をどうショートしたんだか、べったべたの仔犬モードで甘えまくりだよ。

その()()()()()()()弛緩しきった身体が、ふにゅっと制服越しに押し当てられている。

 

 

「あなたをローマで見付けてから、ずっと、こうしたかった」

「あの、トロヤ……さん?」

「呼び捨てでいいのよ?男勝りで粗野な話し方でも、懐かしくて……嬉しくて、もう怒れないわ」

 

 

()()()で見付けた、って自白したな。

やはり、フランスで出会った時には私の事を既に知っていたってわけか、初めから殺す気は無かったと。

 

(それでも銀が不足して不安定な彼女なら、殺されかねなかったんだけどね。運が良かったよ)

 

自発的に動き出した私の右手が彼女の髪をぎこちなく梳いていく。

芯の通った金色の糸を撥く様子は、怪盗団改め観光団に興味もないまま連れていかれた竪琴の演奏会を思い出させた。

 

 

入場して来たのは5人の男女。

三毛猫を連れた小っちゃい子供の様な妖しい雰囲気のリーダーは、ペット連れ込みの許可をよく取れたものだ。

年齢は私と同じくらいだったのかな?その年で世界を渡るんだもん、大した実力だよ。

 

ハープが配備された会場へ和服で登場したのに最初は戸惑ったけど、()()()()()()()()緩やかな調べは日本の京の時代を頭一杯に想像させる()にこだわりを感じる妙技で、中ほどに掛けての焦燥感を煽る不安定な二重波のリズムの()()()()()、終盤の命を懸けた人間と妖の遣り取りは聴衆の()()()()調()()()()()()()()()テンポを早め、終戦と同時に全ての音と想像を殺し、過去へと還してしまう独自の表現法。

 

服装への疑問なんてとっくに忘れて、危うく魅了されてしまうところだった。

 

 

――今でも思い出せちゃうのって、手遅れかも。

 

 

有名な日本人の演奏者が帰国していたから見学したらしいけども、信じられないよね。絶対そいつらのリーダーとコンタクトを取る為の方便だろう。

手馴れた感じでバックヤードにお邪魔して注目を浴び、超高級料亭の個室に連れ込まれて目玉の飛び出そうなお値段のお吸い物に胃を痛めた挙句、持っているだけで寿命が縮みそうな菓子包みを渡されそうになったのでそれはお断りした。

 

(グループ名は何だったっけ?かわ……かわ……賽の河原?三途の川?思い出せないぞ――ぉあだだだだぁッ!?)

 

意識を他に向けている事に気付いたのか、気を引こうとした躾のなっていないワンコに脇腹をつねられた。冗談抜きでうっ血しそうな程、かなり強めに。

 

(大丈夫だから!あなただけを見てるからぁっ!)

 

 

「"おかえりなさい、金星。あなたが死ぬなんて、私でなくても信じなかったわよ、嘘つきさん"」

 

 

暇をしていた左手が脇腹をさするという仕事に取り掛かりると、彼女の機嫌はコロリと一転し、現実に戻ってきた私を再びその汚れなき両腕で捕まえた。

その名を呼んだ彼女の期待する返事は分かってる。伝わっている。

 

 

「"……"死にましたよ、彼女は。どこにも、いません、オリヴァから聞いたでしょう?」

 

 

日本語で、「おかえり」なんて……卑怯だ。

「ただいま」って言いたくなっちゃうじゃないか。

 

なんとか踏み止まって誤魔化しの返事を返す。

トロヤの翼が深く沈んで、胸に耐えがたい痛みが走った。たぶん、トロヤが感じているものと同じ苦しみ。

 

腰が折り曲げられ、丸くなった背筋。

彼女との身長差がより顕著になり、感慨に耽る。

 

(……背、伸びたんだなぁ、私)

 

時の流れを実感した。

見下ろしているのだ、5年前には鬱陶しいくらいに撫で回してきた仲間を。

 

5年の歳月は、怪盗団の崩壊と共に人間関係をがらりと変えてしまっていた。

リンマの他に会ったことも無いメンバーがいるようだし、その形を取り戻す時は来るのだろうか。

 

 

(少なくとも私は……戻らない。理子の願いを叶えたから)

 

 

再会したら、タスケテコールが増えてたけどね。

そっちは多少の無茶をしてでも解決してやるよ。

 

だからこれは、身勝手な気休め。

騙すみたいで悪いけど、本心だから――

 

 

「ですが、私からも伝言があります。彼女は言いました」

 

 

――ごめんね、(クロ)、嘘つきだったよ――

 

 

「"ただいま"って」

 

 

――金星なんて人間、存在しないのにね。

 

 

 

胸の痛みが和らぐ。

何よりも安上がりで効果があり、重い副作用を持つ枷。

 

鎮痛剤となった言葉は彼女の翼を軽やかに浮かせ、私の心へと深く深く溶け込んでいった。

 

 

「……言わせたようなものね、ごめんなさい。その名前で呼ばないから……だから、もう少しだけ甘えさせて?」

「もう少しだけですよ?あなたとヒルダが待ってるんですから」

「ええ」

 

 

寄り道三昧だった自分の事は棚に上げて、物理的にも上から目線の許可を出す。

私よりずっと年上の少女は、それに素直に頷いた。

 

 

でも、しばらくは離れてくれそうに、ないね。

もう少しなんて曖昧な言葉だったから、時間切れもない。

 

 

 

 

上等だよ、私も嘘つきだから……別に、離れたいわけじゃないですし。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"なぁ~う、酷い目に遭ったナー"」

「"全員生存、それが一番"」

「"襲われたのがあっしじゃなくて良かったー。思金のタッグなんてどうにもなんないよ!"」

「"戦乱を招きかねない話とはいえ、どっちも幼かったナー……イヅが負けた方が、予想外だったナー"」

「"ごめん、ちーは……安心してる。イヅは焦り過ぎた"」

「"ちーちゃんの言うとーり!一気に取り込み過ぎだったよ、箱庭から一睡も出来てなかったし。毎晩呻くもんだからこっちもうなされちゃうって!"」

「"何度も寿命を迎えてると、急くものなのかもナー"」

「"不明。人の思いに、敏感になってるだけかも"」

 

「……ヒナさん」

何故(なにゆえ)、フィオナ殿が箱庭に?」

「それは師の言葉がありましてですね……『同士を、何よりも……」

「尊ぶが良い』、にござるな。某、その言葉は……えと、Nel…orecchio(耳…の中に)……Polpo()?にござる」

「モンストロッ!日本の妖怪ですかっ!?」

「否!そうではなく、"タコ…タコとは……何と?"」

「ジェスチャーですか?こめかみを指差してクルクルと……」

「"タコ……腫れ、皮膚の硬質化……ツノ"。うむ、corno(ツノ)にござる!」

「ディアボロッ!西洋の悪魔でしたか!?」

「否々っ!そういう意味でもなく……」

 

「後ろの奴ら、うっさい。"イチナ、お前が黙らせろ。じゃないと車から降ろす"」

「"すまぬな……ちょっとだけね、記憶が……混在しておっての"」

「はぁあ?"どゆーことなの"」

「"わんつっこばり……あたしをほっといてちょーだい……"」

「"眠いなら言え"……ったく、勝手に挑んで勝手に負けた。はじめっから同盟なんてもんに期待とかしてなかったけど、ウチ達まで甘く見られる」

「すまぬー」

「トップが軽々しく謝るな、情けない。次会った時に()りづらくなる」

「ごめーん」

 

 

 

「降りろ降りろー。ウチが送るのはここまで、残りは歩くなりトラムなり好きにしろ」

 

「腹が空いたナー」

「な、なんだ。わざとらしく英語で……」

 

「なんだか、外から甘い良い匂いがするね、イヅ!」

「や、やめろよ?怪物の来店は不運を呼ぶ、これ以上バイト先に迷惑掛けられない」

 

「バイト。あなた、この辺りで、働いてる?」

「ん?あ、ここチュラちゃん行きつけのパン屋じゃん。クロちゃんも新作のパンを買いに来たって言ってた!」

「……クロ?あいつ、来てたか?見てない」

「ここが職場、認めた様なもの」

「チュラちゃんとオムレツのタルト買いに来たんだってさ。自慢されたんだよ!チュラちゃんが買ってくれたんだーって!」

「お前、性格変わった?」

「ううん」

「そうか。確かにチュラって奴は来てた。けど、あの命知らずは一緒じゃなくて、男と一緒だった」

「男?」

 

「東洋の非一般人。日本語を話してて、ウチを怪しんでたけど弱そう」

「誰だろ?陽菜ちゃんかフィオナちゃん知ってる?」

「チュラさんのクラスメイトとか……ヒナさん、何か分かりませんか?」

「下級生に日本人の男子生徒はおらぬでござるが、中国系イタリア人の生徒が1名。女子であればタイより移民も」

「……ほんとーに日本人だった?」

「日本語を話してただけ。それ以上は言ってない」

 

「ぽ?黒思主が持ち主以外と仲良くする事ってあるの?」

「無くはないナー。思金同士も惹き合うものだからナー」

「体験談」

「ぽぽぽっ!そうだった!ぽふふぃっ、大変だったねー」

「……ムカっ腹が立つナー。お前さんも川に蹴り落としてやるナー」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

……気まずい。

 

 

立ち直ったトロヤは何事も無かったかのように平然と歩いて行くが、もしや泣いた吸血鬼を想像したのは私の勘違い?

気になる部屋があっても制止の声を掛けられないし、追い付いてしまうのを避けたくて歩幅を意識して歩いてしまう。

 

 

……よし、素数を数えよう。

 

(2、3――)

 

 

「理子の事について、あなたには話さなければならないわね」

 

 

(――4、5、6……なんで話し掛けるんですか。歩幅意識しすぎて歩数数えてたし)

 

 

「……今ですか?ヒルダの状態の方が優先…………あ、れ?」

 

 

スイッチの入っていない平凡な頭で、今さらながら事態の深刻さに気付いてしまったかもしれない。

 

限界だったスイッチ……今はどうだろう。

たぶん体は思うように動かないけど、記憶を思い出して推理するくらいは……

 

 

(スイッチ、ON――)

 

 

鮮明に蘇る記憶。

星座のように繋がっていく会話。

強く照らされた正解が、濃い影となって出現する。

 

 

「トロヤ、理子は……どこですか?」

「…………」

 

 

そうか、そういう事なのか。

だから、ヒルダは……

 

 

 

『あなたが眠っている間に、ルーマニアがバチカンに仕掛けたわ、あの日の夜の内に。それも単身で、周囲を無茶苦茶にしてしまうんじゃないかと思える程に暴れ狂っていたの』

 

『一緒に来てちょうだい、理子とヒルダの為に』

 

『焦る気持ちは分かりますが、今は我慢を』

 

トロヤ(あやつ)の判断ではお前が二番だそうぢゃ』

 

 

 

(彼女の方から打って出るとすれば、それは……)

 

 

理子に何かがあったから、ヒルダがバチカンに仕掛けた。

 

結果、トロヤがヒルダを抑制し、理子ではなく私がトロヤと共にここにいる。

 

 

 

この奥に……理子は、いない。

 

 

 

「……私は分からないの。ヒルダも、カルミーネも、リンマも、パトラもバチカンが連れ去ったと思っているけれど、真実は……枝の向こう側に隠されている」

「枝の……向こう?」

 

 

申し訳なさそうに独白するが、それは結び付きそうで結び付かない、私の知見から少し離れた場所にあるヒントだった。

秘密基地(ここ)みたいに枝葉で物理的に隠されたって事ではないだろう。

 

取り急ぎ窓枠にメモを書き残そうとするも、インクが出ない、記憶に定着しない。

このままだと有象無象の累積された日常会話の記憶と混同されてしまい、次にスイッチを入れるまで掘り出せなくなる!

 

 

(違う、今を逃したら、真実を取り逃してしまうんだ!答えを……導かないと――ッ!)

 

 

スイッチはすぐにでも切れてしまう。

バッテリーの切れた電池を騙し騙し使ってテレビのリモコンを操作したり、満潮に移り行く砂浜での棒倒しをするような瀬戸際だ。

 

排水溝の大きな穴を、両手で塞ぐ。

しかし、水位はみるみるうちに減少し……

 

 

(推理が……間に合わなかった……!)

 

 

何かが見えかけた。

そんな気がしたのに、私は絶好のチャンスを逃した。

 

 

左頬が痛む。

真実が、遠のいて行く。

 

 

トロヤは言葉を切らずに言い切った。

 

知らないのだ、その向こう側を。

風の様な彼女ですら、その枝の隙間を通れなかった。

 

 

 

その敵は、私達の絆という根底を知り、理子を攫ったのに。

私達は、その敵の姿形――花の調査にすら取り掛かれていない。

 

 

 

 

――――誰なんだ、お前は!

 

 

 

 

何を聞いたのか、それすらも薄れて行く。

もう直、何かを聞いたことも忘れる。

 

 

真実へと伸ばした私の腕は、指先は。掴んだ。

 

 

また、スタートラインを。

何も知らない、私の背中を。

 

 

(何を考えてたんだっけ……?あ、そうだ、どうして皆がバチカンを犯人だと思ったのかだ。真犯人が誘導したのなら――)

 

 

分からないなら分からないなりに、相手の意図通りの展開から逆転予想したいところだが、とうとう電球のフィラメントが切れたみたいで、私自身がガス欠状態。

カチカチと虚しい音だけが何も見えない暗い脳内に反響している。

 

やむなく、この状態のままで出来る事に挑むこととした。

つまり、記憶の堆積。次のタイミングで答えを見付けられるように。

 

 

「なんで皆さんはバチカンが連れて行ったと思ったのでしょうか?いくら敵対し合う関係といっても、短絡的過ぎると思うんです」

 

 

ヒルダは警戒心が高いし、パトラはああ見えて思慮深い、2人がそんなことで目を曇らせたりはしないだろう。

リンマやカルミーネの事は良く知らないものの、無暗に犯人を断定しようとするだろうか。

 

他に判断材料が無ければ、結論付けられはしなかったはずなのだ。

 

 

「仲間を信じたからよ。箱庭が行われた夜、カルミーネが理子と一緒に別の秘密基地で守備役(ギャリソン)を務めていたの。パトラは他に用事があったようだし、でも……」

「でも、どうしたんですか?」

 

 

雑な合いの手になったが、どうしたもこうしたもない。

ヒルダが暴れ出したのはその夜だ。何者かが現れて、まんまと捕まった。

 

……捕まったと考えたのは、私が2番だから。

ヒルダを止められる1番であろう理子が生きていると、トロヤがパトラに話したのだ。

 

 

彼女は1つの部屋の前でピタリと停止し振り返ると、目を閉じて首を横に振った。

荒々しく振るわれた金の光が、明かりの乏しい通路に燦然と輝く残像を作り出して、ザクロ色の紐飾りがその中を遊ぶように翻る。

 

 

「襲撃者がいたわ。ああ、そう、そうね。私が一緒に居てあげれば……誰にも、ええ、そうなの、誰にもあの子を渡しはしなかったというのに……ッ!」

「!?待って、落ち着……っ!」

 

 

殺気が瞬間的に爆発した。

間近にいた平々凡々な私は、そのあまりの鋭さで体表面から削られて行くような痛みに全身が襲われる。

 

荒れに荒れた彼女の満月の瞳は、私を見ていない。

吐きそうな表情で訴えかける私の顔を認識できていない。

 

 

「トロ――」

「叔父様の動向に、あの方の仇敵が起こし始めた不誠実な悪戯、嫌なことは続くものよねぇ……?壊しても壊しても、新たな邪魔がチラチラと……遊びにもならない相手なんて鬱陶しいだけ……そうよ、どうせ壊すんだもの、いつ、どこが壊れたって――っ!」

 

 

ラッキーは何度も起こらない。

ただでさえ私は借運状態だと言われたのだ、ここで不運と運命的な出会いをしまうかもしれない。

 

それは死を免れられない!

それはやーです!私、死ぬなら温かいフカフカの布団の中って決めてるんです!

 

 

「トロヤッ!」

 

 

スイッチもない凡人なりに、決死の思いで最も生存確率の高そうな方法を選び取った。いや、取っていた。

対象を刺激せず、殺気を収めさせ、錯乱状態を解消する。

 

 

 

その方法は――!

 

 

 

「――――ん、んんむ、もごもご……っ!」

「どうですか、あなたの大鉱物(好物)のお味は?」

 

 

 

チュラでよくやる、ガイアによくやられる、成功率100%の必勝技。

宥めとりなし、注意を引いて、ご機嫌を取るにはオヤツがいい。

 

さっきテーブルにビー玉大の銀の玉が入った皿が載っていたので、トロヤやヒルダ対策に数個だけこっそり失敬していた。

通常の私ではキバも翼も防げないからね。

 

 

名付けて、『鉛玉が効かないなら飴玉作戦』。

 

 

大成功だ。

成功率100%の記録はまだ続いていく。

 

 

「んん……」

 

 

悩ましい声とは裏腹に、ガチィッ、ギギギ……バキャィイッ!という世にも恐ろしい金属音が耳朶を強襲する。

見ていると自分の歯茎が浮き上がりそうで痛々しいのだが、当の本人は大変ご満足いただけたようで、真っ白な雲の様な瞼が満月を半分隠し半月となっていた。

 

 

「祝福はされていないけれど、純度が高い……とても美味しいわ」

「さいですか」

 

 

金属の味など知らないが、良い物らしい。

純度って言われてみれば確かに良品の意味合いは掴み易いけど……

 

 

「少し銅が混ざっていると独特な香りがあって、それもまた良い物なのだけど」

「さいですか」

 

 

それは分かんない。だいぶ分かんない。

ハーブとかターメリックとか、スパイスみたいな感覚?

ゲテモノを越えた食性だよ。

 

 

「ありがとう、クロ。私まで暴れてしまう所だったわね」

「絶対にやめてください。地形が変わります」

 

 

あわや桜の花弁が暴風に散らされる未来を迎えかけたが、普段の経験と先見の備えが活きたお陰で阻止できたみたい。

気まずさとか、どうでも良くなったや。

 

さてと、本題に戻ろう。

トロヤも銀分補給出来たでしょ?

 

 

って、おーい。

部屋はいっちゃうの?予備知識なしでヒルダに会うのですか?

 

私、あの人の地雷を踏み抜くのが得意みたいだから、タブーワードを聞いておきたかったんですけども。

 

 

「あの――」

「ヒルダ、入るわよ」

 

 

あ、そうですか。

良いですよ、押さえるのはあなたの役目ですし。

 

 

「あらまぁ、銀の良い匂いがしているわね。私に黙って美味しい物でも食べて来たのかしら?」

 

 

しかし、返事もトロヤの声。一瞬1人で会話し始めたのかと思っちゃった。

まあ、中にもいることは知ってたから驚かない。

 

というか、分離している間は別人みたいになってるんだ。

本体と分身体みたいな識別もないのかな?

 

 

「あらまぁ、ちゃんと金星を連れて来たのに、連れて帰っちゃおうかしら」

「――ッ!?見付けられたの!?そう、そうなのね!それなら糾弾はしないわ、入ってらっしゃい、さぁ、早く!」

 

 

(デジャヴュー……)

 

金星の名前、呼ばないって言ったじゃん。

態度が急変したし、手っ取り早いのは分かるけどさ、私をそう呼ばないってだけかい。

あっちのトロヤは暴れ出しそうではないが、名前を出した直後から声が上擦っていて、興奮の仕方も一緒で心臓に悪かった。

 

 

ここで深呼吸を1つ。

NOx臭いのは我慢して、徐々に呼吸を早めて心臓を一定のリズムで高鳴らせる。

 

極力、銃の精度を下げない為に心肺は落ち着かせるものだが銃なんて使わない。

強襲任務中は鼓動が不規則だとタイミングを逃してしまうし、心臓を慣らせておかないと痛めちゃうからその準備だ。

(人間)場慣れ(離れ)したプロは、戦闘中もずっと一定らしいけどね。

 

外にいるトロヤがふぅーはぁー言っている私を不思議そうに眺め、待ってくれていた。

その後、どうぞと促されて入室を覚悟する。同じ顔が向こうにもいるのか……

 

……あれ、あれれ?ちょっと待って?

私、トロヤ2人に前後から挟まれて発狂しない自信が無いんだけど。

 

 

試しに1歩。

 

 

トツ。

 

 

(ふっ……やっぱり付いて来ますよね)

 

 

トロヤの暴走を諫めておいて言いたくないけど。

私が暴れ出したら優しく諭してね、コロッケ、揚げたてでしょ?

 

 

 

部屋に侵入した私は中を見渡そうとして、まず困った。

 

この部屋に至って初めての例外。

部屋の中が廊下みたいになって、さらに2つの部屋へ分岐していたのだ。

 

 

「これって……」

 

 

どっちですか?

と、家主であるトロヤに聞けばいいと思うじゃん?そう思うじゃん?

 

 

「いないじゃん……」

 

 

なんで!なんなの!なんでなの!

 

 

放置するにしてもタイミングがあるでしょ?

何で分岐点直前で離脱するのさ!

 

中にいたトロヤが銀の良い匂いがしてるとか言ってたけど、人並み以上の優れた嗅覚で嗅ぎ分け……られる訳がない。

犬じゃないんだから。

 

 

(右か、左か)

 

 

ここで天啓。

そうだ、ハズレの方に危険があるなんて誰も言ってない、寧ろアタリの方が吸血鬼の潜むよっぽど危険な部屋に違いないのだ。

 

イッツ、ポジティブシンキング。

つまり、アタリの部屋を選べばストーリーは進行するし、ハズレの部屋を選べば一呼吸おける。

この選択肢は良いことづくめなので、両方アタリなのだ。

 

 

だから、適当に選ぼう。

 

 

左の部屋に向かう。

 

 

「お邪魔しまーす……」

 

 

両方アタリの部屋でも、そこはあくまで悪魔の根城。

どっちも怖いので、恐る恐る中の様子を窺う。

 

(鏡……持ってくれば良かったな)

 

決闘に隠密なんて必要ないと思って、学校のロッカーにしまいっぱなしだ。

マニアゴナイフの磨かれた金属部分に反射する、歪んだ室内を観察した結果、敵影は無し。

 

タイを外してヒラヒラさせても反応がなく、呼吸音もないから使い魔の類も……いや、虫とかだったら探しようもないよ。

素人にはその辺は分からんのです。

 

 

「行けますか……?行くしかないですか……」

 

 

有無もない。

ナイフを仕舞い込んで、代わりに予備用に1つだけ首襟の裏にセットしたままにしていたベレッタを構える。

 

 

(鬼が出るか、蛇が出るか……)

 

 

どっちも既にいるけどね、この秘密基地には。吸血鬼とヘビ目の少女が。

 

 

ババッ!

 

 

一気に踏み込んで正面に銃を構える。

しかし、予め不鮮明ながらも調べていた通り、何者もいないぞ。

 

清潔な絨毯が敷かれ、オシャレなレースで縁取られたベッドの上には白地に黒猫がプリントされた枕。

壁かと思っていたのはクローゼットの扉だったようだが、ここって、もしかして……

 

 

(理子の……部屋か)

 

 

彼女はネコ派だと主張していたし、クローゼットから仄かなバニラの香りが……

 

なら、あのクローゼットの向こうはフィッティングルームで間違いない。

きっと甘い匂いで充満したスウィートルームならぬスイーツルームだよ。

 

目に入るのは各国のファッション雑誌やフランス語の難しそうな参考資料、日本の漫画と女児用アニメのDVDなんかが納まった棚で、その端には鍵付きのノートが半差しで並んでいる。

 

 

(日記だ。地下牢から解放されてヒルダと和解してから、毎日欠かさず書いてるって……)

 

 

いつ、こうなるか分からないから。

だってさ。

 

 

 

 

はぁ、なんだってこんな。

 

とんだ大ハズレ部屋だよ。

 

 

 

 

しょぼくれたままじゃ根暗呼ばわりで追い出されるから会えないし、気分を変えようと一冊の漫画を手に取る。

うわぁ……これは俗に言う百合という奴ですか。

バトルものかギャグ系が良かったな。でもこの作者さん、絵、綺麗だなぁ。

 

(1コマ1コマにこだわり過ぎな気もするけど、愛が溢れてる……おっ?小さい金魚鉢を逆さまにしたような髪飾りをしたこの子、良く似てる子を今日見たな。あ、こっちもどっかで見た事あるタレ目顔だ……)

 

うーむ、女性が女性に好意を持つことはあるものですけど、それがこの漫画みたいに複数の少女から同時に恋愛感情を向けられるなんて現実に起こり得るんでしょうか?

……とか、創作物にツッコンでも仕方ないね。

 

現実は小説より奇なり。

さて、次々――じゃなかった!

 

 

次は小説を越えたリアル奇妙こと、ヒルダの部屋に行かないと。

 

 

「行ってきます、理子さん」

 

 

今度この部屋に遊びに来たら、いらっしゃーいって言ってもらわないとね!

 

その為にはお帰りって、今度は私が言う番だ!

 

 

 

 

気分の抑揚はプラマイゼロのまま、退室からの入室は流れるように。

 

だってこっちはアタリ。

怖いものなんてヒルダとトロヤしかいないはずだ。

 

ベレッタ射撃準備よーし!銀の玉の用意よーし!緊急退路の確保よーし!

いざぁッ!こっそりぃー!

 

 

「お邪魔しまーす……」

「いらっしゃい、クロ」

 

 

お出迎えはトロ……あっ、あああ……!?

 

ちょ、ちょ、ちょちょちょっ!?なんでぇッ!?

 

 

「"あぅあ……な、なんじぇそんな……下着だけ……!"」

 

 

『クロはこんらんしている』

 

誤文:む、む、むらたき、たんたんたたた、ふりるとりぼんがらんぜりー!

 

(あぅあぅ……やばいです、思考のプログラムまでバグってきました。未来に帰ったら治せるかな……)

 

訂正文:淡色の紫、白のレースに髪飾りと同じザクロ色の紐リボン、フリル感満載の襟、裾、肩紐。実に肌触りの良さそうな素材で生み出された、ラフを越えたスーパーラフ。ランジェリーなんて最も隙のあるギリ部屋着と下着の狭間でしょ!

怪盗団に男の目がないからって下着同然の出で立ちで歩き回らず、ガウンを羽織るとか……想像したら、似合わないけど。

 

 

彼女は私の問いに大した回答が浮かばなかったらしく、唇の上から自分のキバをクリクリと触る落ち着かない時の悪癖が出ている。

そんな色気のある格好で子供じみた挙動をしても滑稽に見えない倒錯的な魅力、ませた少女の幼気な容姿とのギャップに心臓が早鐘を打ち始めた。

 

 

「"……?なんでって、体温を奪うのなら肌が触れる範囲を増やした方がいいのよ?"」

 

 

何言ってんだあんた!

奪うんじゃなくて、空気に奪われてるじゃないか!

 

言ってることは分かるけど、言ってる意味が分からない。

何してたんだよ、ここで、ヒルダと、2人で!

 

 

「トロヤ……お姉様……?どこにいるの?」

 

 

キャアーッ!

ヒルダの声が聞こえるーッ!

ってかそこにいるーッ!

 

 

庶民にケンカ売ってるのかと問い詰めたくなるほど、拠点の1つに設置するにはオーバースペックな天蓋付きクイーンサイズベッドの上に寝転んでいる。

トロヤがけしからぬ服装で現れたから予想していたけど、あちらもランジェリー。

 

幻覚でも掴もうとしているらしき動作で、ヒルダの右腕が虚空を引っ掻いて探している。

間違いなく、自分から離れたトロヤを。

 

 

……あの状態を、私は良く知ってる。

 

 

「何もない。お姉様、どこかへ行ってしまったのかしら」

 

 

紋章(ベリアリナライブ)を埋め込まれてるのか)

 

トロヤの催眠術は超能力と高周波を併用した遠隔での操作に近い。

一度埋め込まれてしまえば最後、離れても効力が弱まるだけで逃げることは敵わないのだ。

 

思考を毒することはないが脳機能の一部を超音波によって遮断させることが出来るようで、その代表が神経系の阻害――見えない、聞こえない、喋れない等、まさに催眠術のフルコースである。

 

 

「ヒルダさん、私です。クロです」

「早く助けに……理子…………」

 

 

ベッドサイドに膝立ち……してみたら思ったよりマットが高かったので中腰、顔の前まで近づいて名前を呼んでみるも、視覚と聴覚、嗅覚もやられてるね。

両脚をレザーベルト被覆の鎖で縛り付けられてるし、容赦はないが暴れた彼女を止めるのは容易ではなかったのだろう。

 

悪夢が再発する度に私は丸くなってカナに縋ってたのに、闇の眷属さんは光も音も得られない無の世界でも発狂しない精神力をお持ちようだ。

赤い両眼を閉じたその蝋の様な白い肌には、今は薔薇色の唇だけが鮮やかに色付いていて……

 

 

「ヒルダ、お目覚めの時間よ」

 

 

眠り竜悴公姫様の首から下は目の毒なので、そのお上品な顔に傷は無いかをまじまじとチェックしていた時、超音波の余波がスッと頭の中を通過していった。

私ではなくヒルダに向けられたものらしく、その解呪の呪文は聞き取れない。凝縮された音の波は、視線が吸い寄せられるままに接近していた私の黒髪をふわりと巻き上げる。

 

その時、借運状態の私に不幸の風が吹き、側頭部付近で衝突した大きな波同士が偶然合成する不運な事故が発生。

 

 

「っつあぁッ!?」

 

 

パチンと風船が破裂する衝撃に似ていて、身を乗り出し気味だった体のバランスを崩し、ベッドが存在する前方に倒れ込んでしまう。

しかし、死ぬ前に味わってみたい寝心地抜群のベッドには先客がいるのだ。このままでは形の整った貴族的薔薇の花弁に私の庶民的桜の花弁が……ッ!

 

さっきの百合漫画のぶち抜き1見開きが脳裏に浮かび上がる。

 

(とうるッァアー!)

 

心の中で男口調の叫び声が轟いた。

そこまでピンチを感じていたのだ。

 

右肘をヒルダの手前に、左手を奥について2点着地。

ベットが沈み軋む音を立てたが、何事もなく切り抜けられた。

 

 

無事に……うん?

 

 

 

ヒルダさん、綺麗な装飾品が3つに増えました?

 

 

 

蝋細工の少女には、今や赤い飾りが3つある。

まずは最初からあった薔薇色の花畑、それから上方に美しくも可愛らしい小丘を越えた先で、ルビーの鉱脈が2つ並んで発掘されたようだ。

 

要するに、キスもされていない眠り(イバラ)姫がフライングで目覚めた。

この最悪のタイミングで。

 

 

目が合った――――

 

 

「…………」

「…………」

「こんばんは、ヒルダ」

 

 

目が合って硬直した世界。

それを動かしたのもまた、あの月下の悪鬼。

 

ヒルダの顔が瞬く間に、急速に、瞬間湯沸かし器のように紅潮を始める。始めると同時に完了し、もう真っ赤っかだ。

あるよね、自作の色付きオシャレキャンドル。これはローズの甘い香りもして、いい仕事してますよ。

 

 

「ク……ロ…………?――ッ!!」

 

 

あ、まずいまずい。

怒ってる。真っ赤だもん、激おこだよ。

退路は確保して……っ!

 

 

 

ガシィッ!

 

 

 

寝起きとは思えない速度と握力。

この調子だと電撃の調子も抜群ですね?

 

(スイッチ……スイッチが入りさえすれば……)

 

カチカチと空振るスイッチを、高速で繰り返……あああっ!今一瞬点いたのに消しちゃったぁ!

 

 

力みだす真っ赤なお姫様の両手に、血を吸われたように蒼白な私は精一杯の笑顔を向けて、あらん限りのタスケテコール。

 

 

「私、言ったわよね?『次に同じことをしたら倍の威力を喰らわせてやるわよ』……って」

「て、てへへっ?何の話でしたっけー?」

「忘れたとは言わせないわよ……クロッ!」

 

 

 

分岐はどっちもハズレだったよ。

 

 

 

――――死ぬ前に、味わってみたい寝心地抜群のベッド。

 

死んでからじゃ、手遅れなんです。

 

死ぬなら温かいフカフカの布団の中って決めてますけど、死ぬために味わうくらいなら床で寝ますから……

 

 

タスケテ……タスケテ…………

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました!


『進まないんかい!』
「だって文字数が!投稿間隔が!」

最近の投稿間際はいつもこうなってます。
書きたいだけ書く、するとこうなる。皆さんも気を付けてください。添削作業で死にます。


伏線めいた光景が広がる通路を進んだ先で、ようやっとヒルダとも再会できたと思ったらこの仕打ち。
でもまあ、クロもといキンジは家庭内で命を削る修行の過去、Sランク武偵にボコボコにされて生き延びる未来があるので、今更吸血鬼にバリバリされたってどうってことないですよ。


本編の内容について。

たぶん物語時間軸では30分も経っていないでしょうね。
クロの心情が文章の4割以上を占めてるんじゃなかろうか。

大きな伏線が突っ込んでありますので、その描写も大きいかも。あの不思議なお部屋の飾りは今後に大きく係わってきます……が、覚えていた所で何も得は無いのでスルー安定。

記憶容量の無駄遣い、いくない。


あれ?もう内容について語ることないよ?
何も起こらなさすぎじゃない?


次回は戦闘はないにしろ、ストーリーは進む予定です。
むしろ進んでくれないと15話完結できなくなるので進めます。
ぜひぜひ、次も読んじゃってくださいな!




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夢魘の愾昇(ハガード・アボミネーション)(後半)




どうも!

オムライスが好きなので、冷やご飯が出来るとオムライスを作るかかぽまめです。

普段は具を入れないのですが、先日スモークチーズを入れてみました。
……入れなくてもいいかも。たまにはこういうのも良いかもしれませんが。


奥の部屋に進んだクロがヒルダと会合してバッチバチされて目覚める所から始まります。

ではぁ!





 

 

 

人々が生きる現世よ!私は帰ってきた!(ただいま、生きててよかった)

 

 

「あらまぁ、もう起きたの?」

「とても人間とは思えないわね……」

 

 

そしてお出迎えの一言がこれである。

 

周囲を見渡すまでもない。

眠りに就く直前までの意識はハッキリとしているし、私の置かれた状況も間違いなく把握している。

 

 

「ふんっ!おはようございます、吸血鬼さん」

「怒っているの?それとも拗ねているの?」

「その呼び方には私に対する敬意を感じないわね、クロ。強者への服従は弱者の義務よ」

「はいはい」

 

 

殺人未遂の共犯者と現行犯への小さな抵抗を見せた所で、共犯者は分かってくれたようだが、まさか実行犯が偉そうに命令をして来るとは思わなかったよ。

チラッチラッとこっちの顔色を窺うフリをして民衆代表の暴動を警戒している。私の機嫌を知る必要なんて無いでしょうに。

 

しかし謀反する気があっても今は我慢する他ない。

フカフカのベッド……の近くにあった、リクライニング機能の無いソファで眠ったことにより多少の体力回復はしたものの、スイッチは温存すべきだろう。

ここは悪魔の根城で、どんな奴らが集まって、何が起こるか分からないんだからね。

 

 

「名前でお呼びなさい?ヒルダ・ドラキュリア様と――」

「はいはいあーはいはい」

 

 

一揆は起こさないけど口で反抗しないとは言ってないし、どこまでが冗談のつもりか分からないお貴族様のカーストごっこには付き合ってられんよ。

 

すると、その返答から反抗の意思アリと受け取ったらしいヒル・ドラさまはチラ見を止め、ギギンッと吊り上げた紅寶玉色の瞳で睨みを利かせてくる。

 

 

「お前……」

「抑えなさい、ヒルダ?あなたがやった事なのだから、ね?」

「ぐぅ……」

 

 

故意ではなかったにせよ、事件の発端を作った悪魔が私の肩を持ってくれるそうだ。

でもツッ込まないよ?2対1の状況を自ら壊すのは得策ではない。ヒルダはトロヤには逆らわない、つまり強者には逆らわないって事なのだろう。

 

 

「クロも、この子を許してあげて?あなたに会えたのが嬉しくて、ちょっとだけ魔が差してしまっただけなのよ」

「なっ…!ち、ちち、違うわよお姉様!コイツが私の寝込みを襲おうとして来たから――」

「ななっ…!ち、違います、誤解です!私はただ、ヒルダの綺麗な顔に戦いの傷が残ってないか確認してただけで、いえ!あなたの顔に見惚れていた訳ではないんです、ホントに!口付けしそうになったのも単なる事故で、狙ってなかったんです!」

 

 

言ってて思うが信憑性は無いだろうな。

事実確認できるのはヒルダが目を覚ました時には私が彼女へ覆いかぶさるように倒れ込んでいたという事実のみで、トロヤの超音波が頭の近くで炸裂して…なんて信じて貰えないから説明を省いている。

 

(往生際が悪いって、余計に怒らせちゃったか?)

 

後悔しても遅いから開き直ればいいのに、そこは繊細な心を持つ私、面と面を合わせられないね。

俯いて沙汰を待つ事しかできないよ。弁護人を雇うお金もないしさ。

 

 

必死の形相で念を押し、『あなたに襲い掛かろうとしたわけじゃない理由』を証明したけど、逆効果だったかもしれない。

ここまでしつこいと怪しさが増してしまった可能性も……

 

 

(どうかな?)

 

 

――チラッ?

 

 

「…………き、ききき、きっ!~~~~ッ!」

 

 

(どうなんだ、あれ?)

 

識別不能。

 

どっちが飲んでいたのか、まさか回し飲みしていた訳では無かろう1つだけテーブルに用意されていたワイングラス。

それがヒルダの悲鳴にも似た鳴き声との共振によりキュイキュイと異音を発して爆発しそうになったかと思うと、次第に威嚇した蝙蝠よりも喧しいキーキー音がとうとう聞こえなくなってきて、遂に人体でリスニング出来る領域を突破したようだ。

 

解釈するとすれば、可聴域で発せられる威嚇の上位版、超威嚇をしているのか、彼女は。

生き物の鳴き声は感情を伝える為に多彩なものだけど、言葉で感情表現できる人間だって無意識に声や動作に出てしまうもの。

 

威嚇をするのは怒りや恐怖、パニックや警告が原因で、言葉にすれば「こっち来ないで!」なんて拒否の心情が出ていると言える。要は「超こっち来ないで!」ってこと。

 

(やっちまったようですね……)

 

すかさず立ち上がり、トロヤの背後に退避する。

しかし、呪われし血塗れの蝋人形のように固まったヒルダはその行動を目で追う事もせずに、私が居たソファの方を超威嚇し続けていた。

 

 

「誰かいるように見えますか?トロヤさん」

「私自身にはステルシーの素質はないもの、亡霊(ファントマ)は見えないわ」

 

 

一度死んだ吸血鬼さんから霊感は無い宣言が飛び出し、ますます深まる謎。

あの人は何を威嚇しているんだろう?

 

 

「でも、ああ、良かった。あなたと会った事で少しは落ち着いたわね」

 

 

金とザクロの装飾が施された銀の人盾は、にこやかな晴れ顔で『鉱物の味評価』に続く難解な自論を展開してきた。

感性のずれなんて言葉じゃ言い表せない真反対な感想が私には浮かんでいる。

 

(その話は視線の先にいる、髪をジブリ並みに逆立ててる少女の事を言ってるんだよね?)

 

冗談キツイよ、常時あんな音波攻撃されたら聴覚障害を患っちゃうって。実は吸血鬼同士だと日常会話が超音波とかでもないでしょう?

 

 

「そうは見えませんが……」

「言ったでしょう?照れているの」

「それも良く分かりませんけど」

「自分が認めているけど弱い者に対してツンケンしているのは昔からね。私も力の無い生前は素直じゃないあの子の扱いに苦労したものだわ、会ってあげないとすぐに不機嫌になるし」

 

 

そう言っておきながら彼女の顔は苦笑いに程近いものの、辛くも楽しかった日々を懐かしむような笑顔だ。

彼女が斃されたのは戦乱の歴史の真っ只中で、楽しい思い出の陰にはいつも苦しみに胸を押さえるような出来事が付きまとっていたのかもしれない。

 

 

「叔父様が私達親子を掘り起こしてくれたのには感謝しているし、親の教育方針に口を挟むつもりもないのだけれど、叔母様が亡くなってからは余計に閉鎖的過ぎるわ。種の根絶を恐れるのならもっと人々を知る必要があるの」

「ヒルダの、お父さん……ですか」

 

 

彼女の語り口は少し批判的で、苦笑いも残らない。

人間と積極的に交流するとはいかずとも互いを知るべきだと、それがその人物には足りないのだと。

でも、その考えが種族の信条に反する事を憂うような昏い顔に変わった。

 

 

ヒルダの父親なら人間ではなく吸血鬼であり、娘以上に人間との交流に対して排他的なのか。

潜在的でも環境の問題だとしても父親の影響を大いに受けてあの性格になったのだから、過激でサディスティックな彼女の男版がその叔父様って奴の人物像だと仮定出来る。

 

話し合いに応じそうもないし、強さもヒルダ以上なら人類の脅威だ。

バチカンが過去に討ち取れずに生き残っているのも、仕方が無い事なのかもね。

 

 

頭の中で固まり始めた暴虐で猛悪な影の(かたち)

一般レベルの頭でふと、思う。

 

 

そんな人物が、"怪盗団"の存在を――人間と交流を持つ場をなぜ黙認していたのだろうか?と。

 

 

しかし、トロヤの話は終わっていなかった。

私の右手が少しヒンヤリした両の手で包み込まれ、お色直しした黒いインクのドレスとキャンバスの様な真っ白い肌の境目である胸元へと導かれると、まるで闇と光のわだかまりを隠すかのように置かれる。

 

思わずドキッとして引こうとした手は動かせない。

彼女の口元が、願いを込めて再び動いたから。

 

 

「でないと、あの子が可哀想だもの……だから、そう、私達には異常点であるあなたが――」

「キィーーーッ!!」

「!?」

 

 

ビックリしすぎて眉が飛んで行くかと思った。

 

どうやら亡霊を追い払う事に成功した特殊音波発生装置が出力を落とし始めたらしく、可聴域に戻ってきたのだろう。

ヒステリックな金切り声が部屋中にこだまし、次は私の番だとでも言わんばかりの勢いで――?

 

 

血の流れが……変だ。

 

 

目の前がチカチカして水位が上昇するセルヴィーレの感覚でもなければ。

 

切り替わる様に波が立つスイッチでも……ないぞ?

 

 

なんだ、これ。

私の身体に、何が……?

 

 

(…………しまった!今日は朝から一度も香水をつけ直してないッ!)

 

 

カナから言いつけられていた絶対のルール。

それを……忘れてしまった!

 

 

(スイッチの不調も、一概に疲労のせいだと決めつけるべきじゃなかったんだ)

 

 

下を見ているのに床との距離を測れず、その上で体を支える脚も麻痺したように感覚が薄くなってきた。

恐らく、これから丸一日は意識混濁期間に入ってしまう。

 

一切の記憶に残らない、私にとって夢の記憶としても残らない完全な空白期間だ。

 

 

「……クロ?様子がヘンよ、顔も赤いわ」

「トロヤ……」

 

 

おかしい、おかしい、おかしい!

上目遣いで見上げてくるトロヤってこんなに……可愛かったっけ?心臓が暴れ狂うほどに、その胸元に置かれた手が彼女の腕を捕まえたいと訴えてくる。

 

 

捕まえてどうする気だ?

引っ張り返すのか?

そしたら自分から抱き寄せて?

その後は……

 

 

……彼女に何する気だ!私は!

 

 

ヒルダの薔薇色の唇が目の前まで迫った光景があやふやに思い出され、真紅の蠱惑的な――トロヤの唇に差し替えられて再生された。

それはきっと柔らかくて、紋章なんかよりもずっと強く私の事を縛り付けてしまう。

 

 

「離れろッ!」

「あ……」

 

 

私が何を求めたのか――――

 

 

それが予測出来てしまって、底知れない恐怖から乱暴に突き放す。

トロヤは高速でもない普通の私の動きにされるがまま、何をされたのかが分からないと言いたげな表情で、辛うじて制御したベッド方向に呆然自失の状態で斥けられた。

 

 

私は…………欲しいと――

 

 

「今日は……帰ります」

 

 

彼女が欲しいと――

 

 

「……何事なの?クロ、お前らしくないわね。どんなお話をしていたのかは知らないけれど、お姉様を突き飛ばすだなんて」

「ごめんなさい、気分が、優れなくて」

 

 

純粋で負けず嫌いな子供っぽい彼女が。

世話好きで魅力的な包容力のある彼女を。

 

 

「人間如きがやって良い事と悪い事も忘れてしまったのかしら?」

「謝罪します。でも、今は……」

 

 

女であるはずの私の本能が、トロヤを1人の女性として欲した。

 

 

この血の流れはなんだ?

芯から熱くなっていく荒々しい闘気を抑え込もうとしてもスイッチのように鎮められず、()を拒絶し追い払うように大きく大きく膨れ上がる。

 

火傷を負った腕を庇いながら忌々しいそいつへ殺意を込めて対峙した。

 

 

 

 

見えない何か。

見ようとすればするほど、意識すればするほど。

()()()()()()()()()()()

 

ただ熱の塊だけが、そこにそいつがいることの証。

逆らう意思さえも無意味だと思わされる、私の存在を脅かす存在。

 

 

それが、確かに私を見据えて、言った。

 

 

「おやすみ、クロ。後の事は俺に任せてゆっくり休むといい。大丈夫、クロが望まないことは俺も望まない」

 

 

信じられるか。

 

 

「あなたは誰なんですか?()()()()にズカズカと土足で入り込んでおいて、名乗らないつもりならお巡りさんを呼びますよ?」

 

 

お巡りさんの単語にクスッと笑って、馬鹿にしてるのか?

 

 

「今日のクロは素直になってくれないね。怖がらなくていいんだよ」

「怖がる?冗談は止めてください。逆ですよ、あなたの事を思って帰れと促しているんです」

 

 

強がっているのは一目瞭然だろうな。

私はあの熱さに耐え切れず、既に窓枠の一枚に背を付けるまでに追い込まれているのだ。

 

余裕がないのは私の方。

焼かれて消し炭にされるのも私の方。

 

このままじゃ……

 

 

「強い意思だ。でも、ごめんね?頑張り屋さんな君を労う為にあげられるご褒美が見つからなくてね」

「はい?ご褒美?話が見えませんよ、あなたの姿と一緒で」

 

 

……ダメ。私は――

 

 

「また今度、探してみるよ。俺は、クロの敵じゃない」

「でも味方じゃない、ですよね?」

 

 

――消えたくないッ!

 

 

「いや、味方だよ……って、もう窓枠に戻って行っちゃったか。最近はずっと、警戒されているみたいだ」

 

 

「さて、俺は俺の道を。クロとの約束も守らないとね」

 

 

 

――俺が、あいつに頼りっぱなしなのも良くないしな。

 

 

 

「ヒルダ、1ついいかい?」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「おーい、米屋!こっちだこっちぃ」

「米屋呼ばわりは止めてください」

「ずっと米屋だったしな、今更名前で呼べっつったって困るよなー?」

「……同じことを次会う時にも言うんですね。別にいいです。それよりこの林に呼んだという事は取引の話ですか?」

「さすが米屋だ、その通り。ちょいっとばかし代官(シェリフ)に見られちゃ不味いモンがな」

「その役職は現代英国ではお飾り、大した権限を持ちませんよ。用件は税関を抜けられないような危険物を取り扱えとのことでお間違いなしと」

「余裕だろ?」

「ジャンさんに頼んで下さい」

「そー言うなよ、パオラー。お前以上に販路の広い奴はいないんだってー」

「お断りします。あなたの注文はいつも、私が直接動く必要のある物ばかりですから」

「どれの事だ?」

「爆発物、火薬、指定薬物、化学兵器原料……全て違法取引。取引相手も癖のある方々でした」

「おー、そんなにあったのか」

「私、本当は苦手なんですよ?爆発物は」

「そうだったな。だが今回も同系統だ」

「私情とは関係ありませんが、お断りします」

「積んでもか」

「金額では変わりません」

「どうしても受けられないかぃ?」

「どうにか出来ますか?」

 

「――何が望みか、言ってみろや」

「例えば、ですが、あなたにしか出来ない事がありましたよね」

「!…………いやー、思い当たる節がいっぱいあって困るよなー?」

「そうですか。それでは私は困っている訳ではありませんので、この辺で」

「あー待て待て、分かってるっつーの。しっかしあの悪ガキどもを探すのは骨が折れんだよ」

「概算は」

「……最短でも1週間」

「素晴らしいです、が…………最長は?」

「完全にあいつら次第だよ、果たして素直に従うかねぇ……」

「金銭関係なしにセーラさんと話が通じるのはあなたの外に数える程もいないでしょう、そうなればベルトリアさんはおまけで捕まえられます」

「話は聞くが言う事は聞かねーんだ」

「それこそ、純金を積みませんとね。どこかの組織に所属してくれれば探しやすいんですけど」

「……何でこっち見た。引き取らないからな、ジャンは事情が事情だけに手を貸してやったけどよ」

「彼女が孤高の道を好むのは知っていますから、可能性の話です」

「おいおい、その可能性って私が引き受ける前提で進んでないか?」

「そうですか。私はあなたとの取引を受けても良いかもしれないと思っていたのですが」

「あーそうかいそうかい!受ける受けてやるって。だが、二言は無いよな、米屋」

「元より受けるつもりでしたので、異存ありません」「カシューッ!ちょっと待てや――「世界貿易機関も関税法も如何なる通商ルールも関与し得ない自由でアウトローな秘密市場、私達"メリー・ミンストレル"の販路を鎖すことが出来るのは、私達のリーダーと……」

 

 

『クルルルル…………』

『キョロロッ』

『キョロロロロロ』

 

 

 

()()()()()()()に恩赦を下さった英国王族のリチャード1世、彼と同じ血を引く英国トップ――現女王陛下のお言葉のみですよ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

浮かない。

 

 

「――――ちゃん」

 

 

あの後、私はどうしたんだろう。

 

 

「――クーちゃん!」

 

 

思い出せるのは、ヒルダと――

 

 

Bitte(ビッテ)!起きてー!クーちゃん!」

「――っ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

呼ばれていたのか。

寝てはいなかったが、心ここにあらずな有り様では確かに、起きろが正しい声の掛け方かもしれない。

 

朝からずっとだ。ずっと魂が抜け出たまま、どこか遠い所から現実世界を眺めて一日を過ごしていた。

今が何時間目かも、何の授業なのかも、分からな……あれ、授業中?

 

 

思いっきり大声で起こされたんだけど、じゃあ目の前で笑顔に青筋を立てた男性は先生かな?

 

 

「クロ・トオヤマ、俺の歴史の授業はそんなに暇か?」

「いえ、あ……その、ちょっと具合が――」

 

 

スパーン!

 

 

叩かれた。言い訳もさせて貰えなかったよ。

折檻中に「いたーい」とか言っちゃうと、『この軟弱モンがーっ!』とかで2発目を喰らう暴力的な家柄なので、黙って耐える。祈るフリをしながらね。

 

 

スパーン!

 

 

「あだーいっ!」

 

続けて隣の席からも小さな神罰の音。叫んだのがいかんかったのか。

とっても情けない声も聞こえて来たが然もありなん、私の石頭ですらまだ痛いのだ。少女の頭では割れる程の衝撃に違いない。

 

(容赦ないなぁ……)

 

意味のある声が出せるなら余裕がある。

その話は本当みたいで、学校を休んでいる一菜の反対側、左隣の席に撃沈した少女は、青みのある黒色の艶髪を机の上に散らからせた状態でこっちを見ないまま。

 

 

「クーちゃん……ごめん…………」

 

 

と、謝ってきた。

許さないけど。

 

 

しかし、正気を取り戻したタイミングは悪くない。

話を聞くだけだったここまでの授業は終了し、グループ討論が始まるのだ。誰かと話していれば嫌なことを考えずに済む。

 

 

「クロさんも懲りませんね」

「寝てませんって」

 

 

机を適当に動かしてグループ討論。

パオラの呆れ声を軽く否定し、いつもの感覚で席を動かそうとして思い出したが、いないのは一菜だけじゃない。

 

 

「……パトリツィアさん、ずっとお休みですね」

 

 

そう話すパオラの声は心配そうで、少しだけ寂しそうだ。

理由を知っている私は箱庭の事を話せない自分に罪悪感を覚える。

 

 

「お家の問題もあるのでしょう。アリーシャさんの話ではお元気だそうですし、心配ありませんよ」

 

 

何故かアリーシャの方は普通に登校しているのだが、パトリツィア陣営に与するつもりはないのだろうか。

それならバチカンの手を恐れることは無いけれど、あの姉妹が仲違いする理由も無い。

 

不確かな推理だが、アリーシャはパトリツィアやパトラの一菜を狙う作戦に一枚噛んで情報を流していた可能性があり、彼女の情報操作能力は下級生ながら姉同様高く、気が抜けない相手だ。

 

"人喰花"というグループに所属し、牙を剥いて周囲を威嚇するのが姉のパトリツィア。彼女が放つ凄みは阿形の唐獅子みたいな喰らう猛々しさを含んでいる。

その逆に目立った行動を避け、挑まれた喧嘩ですら受け付けないのが妹のアリーシャ。彼女が動く時には吽形の狛犬の様な研ぎ澄まされた静けさを思わせる。

 

彼女たちが守っている寺社が会社だとすれば、そのお社に住むのが末の妹って所だろう。

 

 

箱庭の参加は家の指示だとして、どうしてアリーシャは参戦しないのか。

彼女には別の役割が与えられている、とか?

 

 

「一菜さんもパトリツィアさんと同じ日から休んでいましたし、クロさんだって……」

「へ?一菜さんも休んでたんですか?」

 

 

新事実!

てっきり決闘の日だけ休んでいたのかと思ってたけど、一菜もサボりだったとは。

すると箱庭から一週間、このグループはパオラ1人だったのね。なんだかすごく悪い事した気分。

 

 

「3人とも、丸々1週間。偶然だなんて言いませんよね、クロさん?」

 

 

流石にそっかーでは終わらないパオラは、その小学生と混ざって遊んでいても気付かなさそうな幼い顔を、未成熟な体がすっぽりと収まった机からこちらにじっと向けている。

 

ここはシラを切るよりも現状を逆手にとって説明すべきだ。

こういう点は武偵って立場を利用しやすいよ。

 

 

依頼人(マルC)との守秘義務は守りましょう」

 

 

これだけで詮索を遮断できるのは便利だよ。

一菜の方も勝手に勘違いしてくれそうだし、パトリツィアの事はさっき言った通り、家のどうこうで良く知らないで通せちゃうし。

 

 

「中等部ではかなり長期の部類の任務だったんですね、お疲れ様でした!」

「ホントですよ、一菜が暴れて暴れて……壊した柵の弁償代もバカにならない金額で――」

 

 

嘘はないよ?

一菜が暴れたのも、柵が壊されたのも本当の事。

……ちょこっと一菜に不名誉な話に聞こえたかもしれないけど。

 

パオラは納得したのだろう。

歴史の教本――「歴史に刻まれた大悪の魔女、魔導士史記」――のページをパラパラと捲って、今回の討論の主題となる魔女の説明が書かれた見開きを真面目に探している――と。

 

 

「クーちゃん隣ー!」

「おっ邪魔っしまーすっ!」

 

 

数分前に突っ伏していた許されない少女が、頭の左にゴムで結った髪をプラーンと垂らした笑顔で席をくっつけて、続いてヒアシンスカラーのパパラッチであるエマさんも、小さく非力な体躯で机を押すようにして潜入捜査に挑む生徒みたいなギラつく様相でグループを組んで来る。

 

何か来た。何しに来た。

ってか、そこな転校生さんは復帰早いな。私・一菜レベルで頑丈なんじゃない?

 

グループは決まっていないので自由だが、2人共迷いが無かったな。

……はっはぁーん、そういうことですね。

 

 

「私達がいない間、お2人がパオラさんと組んでくれていたんですね」

「イエッス!ウィア(あたし)は転校して来たばかりだったからパオラちゃんに助けて貰っちゃった」

「パオラっちは口が固く、地道な調査が必要なので」

 

 

よし、ありがとうは必要ない。

何だ地道な調査って、口を滑らせるのを待ってるだけだろうに。

 

 

「では、よろしくお願いします」

「ヤー!」

「皆さん今日はここですよ、この魔女が実際に行使したと言われる黒魔術への対策を――」

 

 

(実践的ィ!)

 

歴史の授業すらも武偵流!

世界初の武偵学校は授業の全てが物騒で出来ています。

 

大体、城1つを丸ごと凍結させる冬将軍のような魔術への対処ってなんだよ。

生きてるらしいし、現れないように祈るしかないだろ。

 

 

「そんじゃ、祈りましょうねー、百合の神に」

「とんだ堕落神ですね、そいつは」

「エマちゃん、百合の神って?」

「ああ!」

 

 

興味がないことが良く分かる返事だが、実際に魔女と戦う経験などある生徒の方が圧倒的に少ないので、常識の範囲内で非常識を打ち破れと言われても困るってものだ。

以前には瞬間移動する魔女を捕らえる方法とか、超能力者でも無理難題な討論があった気がするなぁ――――――

 

 

 

 

 

 

「ふむ、普段使いのペンに望む事といえば、裏写りしない事と指を痛めない軽さかな」

「このボールペン、ペン先が柔らかいから裏ページに跡がつかないんです」

 

 

真面目に使い易いボールペンの討論をしていた私たちのグループの隣で……

 

 

「カラーボールっ!」

「ヒットしました!これでどこへも逃げられませんよ」

「突進の構え……がーど、ガードですぞー!」

「危なっ!よしゃっ……お?とっ、飛んだァッ!?」

「っ!危ない、エマ。あなたの背後に尻尾が!」

姑息な攻撃(ワールドツアー)ですぞー!」

 

 

スパパパーン!

 

 

……リアル3乙。

 

 

何してんだあの人たちは。

あの新作ゲームは日本のゲームなんだっけ、早々に討論を終わらせて遊んでたのか。

 

アクションゲームはそこまで得意ではないけどあの盛り上がりっぷり、興味が湧きますね。

 

 

「ほら、見てよクロちゃん!このボールペンの速乾性!ぜんっぜん伸びないでしょー?」

「ちょ、ストップストップ!すぐ隣に先生――」

 

 

スパパーン!

 

 

……+2乙。

 

 

力尽きました、討論に戻ります。

 

 

「瞬間移動には前兆があるだろうし、無制限ってことも無いよね。1度の強襲での逮捕は無理だ。何度も繰り返して探るしかないよ」

「……パトリツィアさんは凄いなぁ」

 

 

他人のフリをしたパトリツィアも、感心するパオラも。

 

 

「痛いね……クロちゃん…………」

「何も、言いませんよ……」

 

 

一菜を、止められたんじゃないですか……?

 

 

 

 

 

……ハッ!また叩かれてた!

大して内容も覚えてなかったし、歴史の授業、毎時間叩かれてる気がするよ。

 

 

過去の痛みと現在の痛みが合わさって増幅した気もするのだが、やることやらないとまた痛みが増えてしまう。

さてと、議題はなんだっけ?冬の寒さ対策とかだったかな。

 

教本を囲む3人の輪に入る。

なんだかんだでエマさんも本格参加し始めたようだが、どこに興味を持ったのかが問題だ。

件の魔女は人間の少女を氷の彫像にして飾って愛でていたみたいだし、百合の神とか信仰している彼女は食い付いて離さなさそう。

 

 

「クーちゃんクーちゃん」

「何ですか、メリナさん?」

 

 

輪に入るまでもなく、私より新人なローマ武偵中の転校生に招き入れられる。

懐かれる様なイベントを発生させた自覚も無いのだけど、初対面の時からグイグイ絡んでくるんだよなぁ。

 

でも嫌われるよりはいいかと顔を寄せると、腰に手を回して強引に抱き寄せられた。

 

 

「ッ!?」

 

 

腕の力が予測していたものより強い。

それと、性格とは異なり動作に遠慮があまりなく、お子様な一菜とは違って身長もある彼女が浮かべた2面性のある横顔に……波が立つ。

 

 

「クーちゃんって、どんな男の子が好きなの?」

 

 

一連の行動は机の下に隠され、今の質問は私にギリギリ聞こえる声量だったからエマさんは反応を示さないが、特大号レベルの記事になりかねないぞ!

 

 

「す、好きって…………私はそういうのを避けているんです」

「……?どうして?男が嫌いなの?」

「嫌いって事ではなく……何というか、その、苦手で…………」

 

 

波が立っちゃうんですとか意味不過ぎるだろうし、説明のしようがない。

下手をすれば弱点になるような情報は隠さねばならないというのもある。

 

しかし、彼女はその回答には満足できていない様子だ。

 

 

「じゃあ、男っぽい女の子なら?」

 

 

そんなことまで言い出す始末。

知ってどうするんだ、私の好みなんか。

 

でも、ダメだった。

男っぽい女の子の単語で……夏の合宿を思い出してしまう。

 

へなちょこになった私がガイアに抱き掛かって、金一兄さんに聞かれたら崖から落とされそうな女々しい言葉を呟き続け……ああああああああ!

 

羞恥心で顔が赤くなる。

あんなの、私じゃない。私は侍の、武門の出の戦士なんですから!

 

 

あんなのが私の本心だなんて、断じて認める訳にはいかないのです!

 

 

「女子が良いって話ではありません。はい、終わりです。討論に戻った戻った」

「ふーん、そうか……うん、Danke!(ありがと!)答えにくい質問しちゃってごめんね?」

「いいですよ、そんな質問聞き飽きる程されてきましたから。その都度、同じ返答をしていたので口が覚えちゃってますよ」

 

 

(男っぽい女の子なら、なんて聞かれたのは初めてだけどね)

 

色々な考え方があるなと考えながら左手を頬と口元に当て、頭の後ろを右手で掻く。

そうやってまた話し合いから遠ざかり始めた意識に、ようやく授業と関係のある質問が届いた。

 

 

「クロさんだったら有効な対策を思いつきませんか?」

「私だったらとはどういう……」

「クラストップの実力者じゃなかった?」

「トップタイのCランクですけどね、頭より体を使う強襲科所属の」

 

 

魔女の攻撃だろうと自然現象だろうと、冬の寒さを耐えきるには防寒着を着込むしかないじゃんね。

家にこもってストーブに背中くっつけて、ふーふーしながら温かいココアを飲む。それが幸せです。

 

――違った。

完全に冬を楽しもうとしてたよ。

 

 

「例えばその人……えと」

「キャロレイラ・シャーレさんです」

「ありがとうございます。そのきゃれろらっ……きゃられっ…………きょっ…………」

 

 

……この人、嫌い。

 

 

「クロっちがんば~」

「クーちゃん負けるなー!」

「ファイトです、クロさん」

 

 

すっごく、恥ずかしい。

 

……分かった。

クロ、めげない!

 

 

「キャロリャーリェ・チャーレしゃんの対策としては立地の少ない荒れ地に誘き寄せるのがいいでしょう」

「いったー!」

「言い切った!」

「言えてないのに、感動しました!」

 

 

やめてっ!もうやめてっ!

温かい拍手が乱打のように全身を打つんです。痛いんです、身も心も!

 

 

「お城が凍った時に雨が降っていたんですよね。それってつまり……んんっ!……その魔女が周囲の温度を下げていた訳ではなく――」

「逃げたー!」

「諦めた!」

「い、いいじゃないですか、言えなくても。クロさんの判断は正しいです」

 

 

あんまりだっ!

パオラ、あなた今、言えなくてもってハッキリ言いましたね?

私、酷く傷つきました。

 

 

「――直接物体を凍らせたんだと思いましたー!もう、終了!終了ったら終了!」

 

 

論拠を掲げるのも放棄して、知らないもんモード。

これはチュラから逆輸入した不貞腐れの状態で、会話の全てを知らぬ存ぜぬで押し通す荒技。

気分的に相当参った時でしか使えないが、あのカナからシュークリームをせしめた実績を持つ。

 

腕を組んだまま肘を机に載せ、右手首と左腕で頭を支える。

そして目線が丁度飛び出るから、半開きにして誰もいない空間を睨むのだ。

クラスで私が子供っぽい仕草をすると効果が落ちそうだから、今回は流し目程度にとどめておこう。

 

 

転校当初の一菜を観察することで習得した話し掛けるなオーラを存分に纏って、授業の終わりを待つ!

 

どうだッ!

 

 

 

――――カシャッ!

 

 

 

――――へ?

 

 

 

フラグレではないけど人工の閃光が網膜を刺激した。

その上、シャッターを真似て作られたであろう、音だけで私を不愉快にさせるカメラ機能の音。

 

 

(ヤラれた……っ!)

 

 

犯人は……あいつだ!

 

 

「……この写真の価値は計り知れません……!深窓の令嬢、クロちゃん…………なんて、尊いお姿……っ!」

「わたしにも、わたしにも見せるんですぞー!……おおおーッ!」

 

 

盗撮眼鏡(テレーザさん)がケータイを見て感涙し、横から盗み見たですぞ!(コリンシアさん)が大げさに口を塞いで絶叫する。

あんたらはそのケータイの中に何を見た?

 

 

「私にもみっせてー!キャーッ!これ、本当にいい表情じゃんじゃん!ヤージャちゃんにも見せてあげないと、おっこらっれちゃ~う」

 

 

エマさんの口からヤージャの名が聞き取れてしまうと、脂汗がふき出して零れ出し、目尻のこれが汗なのか涙なのかが分からなくなってきた。

その行為はテロに爆薬を渡すのと同義、決して武偵が見過ごしていい案件ではないぞ!

 

 

しかし、例えここでいきがったとしても、ペンは剣よりも強し。

どんなに優れたボールペンを持っていようと、その書き手が銃とナイフしか握らないようではインクの走らせ方から学ばなくてはならない。

 

 

「パトリツィアさん……」

 

 

彼女がいたらと、しかしそれは2度と叶わぬ願いだと。

 

 

彼女が箱庭に参加して、アリーシャが参加しなかった理由を。

 

 

知らなかったんだ、まだ。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


とうとうクロが百合に目覚めました!
……では、ありませんね?

読者の皆さんはお間違えの無いようお願いします。


香水をつけ忘れるという凡ミスをやらかしてしまったクロ、ヒステリア・フェロモーネの効果が切れると同時に、別の血流を感じていましたね。

燃え盛る炎のように猛り、芯から熱く固くなっていく感覚。
クロが容易に退けられてしまう上位の人格。

それは彼の本当のヒステリアモードなのでしょう。


本編の内容として。

前半のクロがまたしても自分の見失いつつあったのに対し、後半のクロは武偵中額の生活を楽しみま(……楽しんでましたっけ?なんか苦労していたような気がしますが、気にしたら負けで)した。




吸血鬼達との関係はどうなってしまうのか。
次回も、すっすやお待ちください!




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不可視4発目 仮構の湖水(ジャム・オブ・フィブ)




どうも!


ヒルダさんの絵を見たいがためにAAを買おうか悩んでいるかかぽまめです。
書画子さんのヒルダ絵が大好きなんです!が、ほとんど出番ないですよね、きっと。


今回はおまけ回。
省略しようと思っていた話でしたが、ヒルダとキンジの会話を入れたら思ったより長くなっちゃっちゃ☆
って事で、どうせ本編入りきらんなら、と。設定の説明モリモリ入れました。

アリスベル単語はスルーして構いません。
いつかは本編内もしくは前後書きで説明を入れないといけないですね。


では、しゅっぱーつ!





 

 

 

「ヒルダ、1ついいかい?」

「……許可しないわ。跪いて名を名乗りなさい」

 

ヒルダが俺を睨む。

宝石の様な赤瞳の中には怒りによってか禍々しいまでの殺気が満たされていた。

 

初めはクロの口調に合わせて話そうかとも思ったが、目の前の少女から向けられた疑い深く攻撃的な瞳は何らかの確信をもって、俺という存在を捉えている。

その目が雄弁に語っていた、『お前はクロじゃない』と。

 

「仰せのままに、ヒルダ・ドラキュリア様」

 

誠心誠意おどけてみせても彼女の心には一部の隙も生じさせられず、指を少し曲げるだけで、重心を傾けるだけで視線が刺さる。

格上に当てられる敵意とも取れる対応に足が竦みそうだ。

 

「ですがその前に、少し宜しいでしょうか?」

 

しかし、優先事項は自分の身の安全よりも、感情の行き違いで傷付けてしまった麗しい少女に()()の本心を伝える事だ。

まるで発作を起こしたように小刻みに震え、翼の端からボロ布のようにほつれていく様子はとても見ていられない。

 

そんなはずないそんなはず……と頭を振り乱し、妄想を振り払おうと必死な彼女を中心に室内の温度が震えあがる程に下がっていく。

ベッドからはパキッ!と凍った布の皴をヒルダが割り伸ばす音が上がった。

 

「変な事はしない方が身の為よ」

「寛大な配慮に感謝いたします。……トロヤ、さっきはごめん」

 

冷気から逃れ、ついさっきまでクロが寝ていた2人掛けのソファの真ん中に腰を落ち着けたヒルダの言葉は、9割は俺の不審な行動に釘を刺し、残り1割は……身を案じてくれていると思っておこう。

 

たった5歩の距離。それだけ。

大股で闊歩すれば3歩で辿り着けるのだが、異常を感じてはばかられる。

 

1歩目を踏み出した段階で、その温度差にヒステリアモードである自分の感覚が正常なのかを疑ってしまった。

 

寒い。

汗を掻いていたら皮膚表面が凍り付いていたんじゃないかと思うほど、寒い。

 

そして、2歩目で足を止めざるを得なかった。

 

冷たい。

真冬の雪原に裸で転がされている気分だ。次の1歩がどんな世界なのかと恐怖する。

 

 

意を込めて3歩目を踏み出し掛けた時、トロヤが顔を上げて俺の目を見る。

幸い、その顔にローマで夜遊びする際に見せた拒絶の色は見られない。まだ、間に合う。

 

「クロは……私を嫌いになった訳じゃないの……?」

「それは夜空に浮かんで優しく人々を見守る月が世界から永遠に消えてしまうよりあり得ないことだよ。この洞窟の中に差し込んだ満月の明かりがあまりにも美し過ぎて、酔ってしまったんだ」

 

こんな時でも普通に話さずに口説いてしまう自分に少し辟易しながらも、彼女との距離を詰めて行く。

ヒルダは黙って事の成り行きを見守る姿勢のようだ。

 

寒中禊という祭事の話は聞いたことがあったものの、俺の体感ではきっとそれ以上だ。

3歩目は、痛い。

身体のあちこちに切り傷や刺し傷がついてしまったんじゃないかと思うぐらいに、冷気に神経が痛めつけられている。

 

「??この明かりは電気の光よ」

「誰しも自分の事は見えないものさ。でも、トロヤを独り占めしてしまったら夜道を歩く人々が困ってしまうだろう?」

 

通じていないようだね。あり得ないの部分だけを聞いて若干の笑顔を取り戻し始めたが、9割は右から左へと流れて行ってしまったらしい。

仕方がないからもう一度口説き直し、分かり易いように満月は君の事だよと彼女の名前を付け加えておく。

 

「???」

 

尚もトロヤの頭の上からはハテナマークは消えていない。

この子はアレだね、ラブレターとか貰っても「何かしらこれ?」ってなるタイプ。

中国系の恋文なんかは表現が詩的過ぎて悪戯だとでも思って捨てちゃいそうだよ。

 

だが、意味は通じなくても話し掛けた効果はあった。

空気の温度が上がっていき、今なら心肺を傷めずに呼吸も出来る。

 

残りの2歩で命を落とす心配も無くなった訳だ。

ただ……

 

「ははは……月を落とすのは難しいね。それもそうか、全ての人を支えられる地球ですら抱き留める事が叶わない相手なんだし、本当なら触れることも許されない山巓の存在、触れることが出来ない自由な風のような女性だよ」

 

悔しいが完全敗北だよ。

負け惜しみの言葉も彼女を称えて終える。それすらも、彼女には理解出来ていないだろうけど。

 

 

「……もういいでしょう?」

 

4歩目の右足を持ち上げようとした所で、多分に空気を孕み呆れを隠そうともしない声が横槍に入る。

義姉が気を持ち直したのを確認した義妹が、それ以上の接近を禁じたのだ。

 

優先事項の第一項目が消化され、次はこの身を守る事が優先される。

惜しいけどトロヤを口説くのは今度にしようか。

 

 

ソファに足を組んだ吸血鬼のお嬢様がご所望なさった通りに片膝のみを立て、それでも有事の機動力を確保する為にもう片膝は微妙に浮かせたまま、バネの要領で初動の準備を整えていく。

 

ここからは、交渉という名の前哨戦。

俺は……クロは彼女との決闘を行うつもりなのだ。

 

 

 

影を踏まないように通学路を歩く小学生が、絶対に避けられない影を1歩だけセーフにする自分ルールを作る様に。

この決闘は、こちらの考えた展開でなくてはならない。

 

 

クロが救いたいと願う理子の……

そしてトロヤが知って欲しいと願うヒルダの鎖を断ち切る為に――――

 

 

 

「私の名前は……遠山クロ、でございます」

「顔も、声も、クロと何も変わらない。でも、違うわね、お前は」

「…………」

「表情が違うわ、口調も、それに……」

「それに?」

「存在しているのよ、そこに。お前という存在が」

「それはどういう意味かな?」

「怒らせたいのかしら。私、嫌いよ?そういう冗談」

「本当に分からないんだよ」

「お黙りなさい。クロをどこにやったの?いいえ、クロは()()()()()のだからこれはおかしい話ね」

「…………」

 

 

「お前はどこから現れたの?」

 

 

「……さて、困ったね。俺は最初からここにいたはずだから説明できないな、それこそおかしい話だと思うんだけど」

「古い知り合いに日本の獣人(ライカン)がいたわ」

「聞いてるかい?」

「『絶界』、だったかしら。現実世界の中に直接薄い膜を張って空間や境界を作り出す『結界』とも違う高度な魔術だわ。常設に使い魔も必要ないし、とっても面白そうな使い方も出来るみたいだから興味はあったのに、その子『否定。式は、教えられない。でも、数十年後には、実用化してる』とだけ答えて、結局教えてくれなかったの」

「その辺りは専門外だよ。結界というのもこの場所に入るまで知らなかったくらいなんだ」

「お前はそうでも、クロは……金星はどうかしら。彼女が知らないと断言出来ない、そうでしょう?だってお前は魔術を何も知らないのだし」

「かなせ……?」

「金星はね、その面白い事をいっぱい知っていた。危機を迎える度に、理子が顔を曇らせる度に、敵も味方も関係なく人の命が脅かされる度に、自分で決めた禁を破りいくつもの未知の魔術を思い出すように使いこなしたのよ。本人は欠陥品だと言っていたけれど、絶界もその1つ」

 

 

「教えてくれ、ヒルダ。かなせという少女は……まだ、生きているのか?」

 

「死んだわ、1度。そして今も、きっとどこかに生きている。彼女自身の魔術式は不完全な形でしか発動しなかったのだけど、思金と宿金の超々能力、獣人の妖術も魔女の超能力も人間の巫術も……彼女に魅せられ、慕い、救おうとしたあらゆる超能力者達が手を尽くした」

 

「そして、1度……眠りに就いて。蘇ったのか、彼女は」

 

「死は避けられない、それが自然の掟なのよ。トロヤお姉様の死は人間共が勝手に喧伝しただけ、お姉様は土の中で…………。……生き延びたわ、彼女のお父様と共に」

 

「……初耳だね、彼女の父親は亡くなったと思っていたよ」

 

「…………。自然は等しく平等、金星も例外ではないわ。死んだ彼女の幼い身体は魔術によって小さな小さな沢山の()()()()となって、とある女性によって過去に運ばれた、それが数十年振りに再会した日本の獣人。翠玉(エメラルド)の瞳も白濁していてまるで別人みたいに痩せこけちゃって、でも何があったのかを問う時間は無かったわね。もう、死んじゃうらしかったから」

 

「っ……!まるで創作物語の世界観の様な話だ。過去に、行ったのか?かなせは、この時代にはいないのか?」

 

「お前の猿みたいな耳が飾りなら毟り取っちゃおうかしら?しっかりと聞きなさい愚か者。いるのよ、どこかに。体は欠片のまま魂は陰と陽に分かたれ、陰の魂だけが過去へと渡り、陽の魂は……分からないわ。あの場にいた誰かが持ち去ったのかも……」

 

「2つの魂って……魂は半分だけで存在することは……」

 

「不可能よ。死から蘇るには完全な魂とその輪郭である質量体、それも魂に最も適応したモノでなくてはならないわ。魂の欠落は存在を希薄にさせ、削り、霧散させ、消してしまうの。過去に進んだ金星は、自然の力に流されて現在に戻る。陰の魂を持って、陽の魂を取り戻すために。そして彼女の存在は真に蘇ったと言えるのよ」

 

「なぜ、過去に行く必要があったんだ?」

 

「彼女の力を回復させる時間が必要でしょう?」

 

「嘘は良くないんじゃないかな?俺も協力出来るかもしれないんだ」

 

「……嘘ではないわ。それも目的の1つよ」

 

「足りないのは()()()()()()()()()んだね」

 

「…………」

 

 

 

「それで?言いたいことは何だったのかしら」

「嬉しいね、聞いてくれるのかい?」

「さっさとしなさい。時間が経つ程、お前の命は脅かされるのよ、私の気紛れに」

「それならまずは……バチカンに仕掛けるのを止めないか?」

「……イヤね、不快だわ。黙っていた方が、生き延びられたかもしれないわね」

「これは、理子を救うための提案だ」

「……!!」

「理子にとっての脅威はなんだと思う?」

「人間よ。人間は理子を殺そうとする。全ての人間が敵よ」

「本当に?全ての人間が敵だと思うかな?」

「俺は違うとでも言って命乞いでもするつもりなら、みっともないからお止めなさい。私達の眷属となるのなら行動で示す事ね」

「俺は人を殺さないよ。武偵であることを置いておくにしても、理子とそう約束した……らしいからね」

「ふーん、そ。それで、お前の言う理子の敵は何?」

 

 

「理子にとっての脅威、だよ。彼女の脅威は1つじゃない、そして必ずしも敵じゃないんだ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"な~う、おかしいナー"」

 

 

目標(ターゲット)を視界内に捉えた。

 

――三松猫。

 

チュラ様と手を組んでクロ様をサポートする一環として、今回の()()は箱庭に参加している日本代表の戦士達の中から、最も厄介な能力を持つ彼女を事前にリタイアさせることに決まったのだ。

本当は複数人が一緒に居る所を同時にと考えていたのに、何故か全員が別々の場所で決闘の準備を始めるものだから、急遽その中から1人を選んでいる。

 

茶色の髪の上に三角の小さな布をちょこんと載せたチュラ様よりも幼い、にも関わらずどこか人目を集める妖気を持つ少女。

丈の短い白衣のような羽織り物の前側を腹部の布帯で締め付け、白のニーハイソックスに日本式のサンダル――下駄を履き、木の上から足を投げ出しているものだから結構際どい所まで見えてしまっている。

 

 

「"1つも繋がらナー"」

 

 

全身を力ませるような仕草で目を閉じ眉を寄せたかと思うと数秒後には脱力、瞼を半分だけ持ち上げた覇気のない顔の下部でへの字に曲げられた口が彼女の心情をよく表していると言える。

 

服装はおろか、本体ですら周囲に無警戒で隙だらけ。

他の何かに集中しているのだろう。

 

常在戦場を旨とする私達武偵からすれば、たった1人で遮蔽物もない場所でのんびりしているあの少女は素人にしか見えないのだ。

 

それもこれも、彼女を見た時にこの事実に気付かなければ、の話であったのだが。

 

 

「チュラ様も、感じ取れますの?」

「うん、チュラ達と同じ感じがする。でも、少しちがーう」

 

 

チュラ様も同じ感覚を抱いていて、それは思金の気配――同種族を感じたという事に他ならない。

以前、私が暴走気味に襲い掛かった時にチュラ様が反射を使った時点で彼女が思主であることは判明していた。それも強大で粗削りな力の原石。

 

潜在能力はスパッツィアに及ばないまでも、単純に力比べをすればパトリツィアお姉さまをも超えるだろう。

ただ、その制御は全くと言っていいほど機能しておらず、私が太さの異なる丸筆(ラウンド)平型(フラット)、面相筆を用いて多彩な絵画を完成させる間に、彼女は色水をバケツごとひっくり返しているようなもの。

私の絵を塗り潰して台無しにすることは出来る。でも、彼女の作品はいつまで経っても完成しないのだ。

 

 

「おそらくあのカバンの中ですわね。そこに持ち運んでいるのですわ」

 

 

肩からタスキ掛けにしているポシェット、そこから生じた異常性が共鳴する。

間違いない。持っている、なにがしかの思金を。

だからこそ彼女を一番危険だと判断した。

 

パオラ様のお話では、吸血鬼に意識を埋められそうになった彼女達の視界に同様の服装で木に登った少女が突然現れたそうだ。その人物が小さな肩掛けカバンから鼠色の液体が包まれた袋を投げ付けて来たのだと。

幻覚かと思ったと話されていたけれど、彼女たちが意識を埋められることなく生き延びた事実こそが証拠になる。

 

 

「"参ったナ~……"」

「"まいったなー"、アリーシャ……」

 

 

隣に両手両膝を着いて四足歩行の体を取ったチュラ様が不可解な言葉を発する。

彼女の口から自然には出ない類の言葉は、彼女の言う小さい頃の記憶を、人や物を介して思い出している……らしい。

 

その言葉が目標の少女が使用している異国語と同じものであったのは偶然ではないはずだ。

模倣観察は終了している。

 

 

「行けますのね。では最初の交錯は私が前に、以降は援護と反射は私に任せ、チュラ様には前衛をお願いいたしますわ」

 

 

模倣観察が終了したのであれば、後は相手の能力の使役を視界内に捉えるだけでいい。

幾度も繰り返し観察する内にその記憶はより鮮明に思い出され、模倣した能力の性能も同等の性能まで向上していく。

 

敵味方問わず、チュラ様と戦場を共にする回数が多ければ多いほど、彼女との戦いは不利になってしまう。

一緒に過ごす時間が多ければ多いほどに、彼女は相手を知る機会を得ているのだから。

 

ファビオラ様と行動を共にしていたパトリツィアお姉さまに、『黒思金だけには仕掛けてはいけないよ』と念を押されたのもチュラ様の事を言っていたのだろうな。

今さら気付いたとしても、彼女にはもう勝てない。勝負で、という条件であれば。

 

 

「行けなーい……先手、打たれちゃった」

 

 

しかし、心強いはずの相方から返ってきたのはノー。

不思議に思い横目で視認した彼女の状態でその理由を悟った。

 

鼠色の薄いメッキ、金属の様な光沢を放つ何かが、黒いレギンスから白い武偵中の制服もオレンジゴールドの髪までをも覆っていたのだ。

その何かは今も、私達が隠れ潜んでいた草むらにの上に伸びる木の枝から滴る様に彼女の背に飛び移っていて、厚くなる金属板に小柄な少女は圧し潰されそうになる。

 

 

「な、なんですの?その液体は……!?」

「わかん……ないー。うぎゅぅ……重いよ、アリー……シャ」

 

 

鼠色の液体の正体を考えるのは後回しにし、救出(セーブ)の手立てを考える。

これがもし、思金の超々能力で動かしている物なら……

 

意識を一点に集めた。

もしこの方法を試してダメなら、チュラ様を封じられた時点で戦況は傾いてしまう。

 

(――反射ッ!)

 

彼女の隣に膝をつき、直接手では触れないように少し離した場所から探っていく。

不自然な力場――波の揺らぎがどこかにあるのなら、自身の体内に投与された白思金の波を同じ波長に調整し、共鳴によって力の波長として引き付けることが出来る。

 

(…………見つけましたわ!この質量体は……超々能力を用いた攻撃ですのね!)

 

数パーセントしか残っていない白思金を波立たせると、金属板から誘き出された見えない同波長の奔流が私の左脚目掛けて殺到する。

それを私は体内に収束させきれず、体外――つまり外傷として受けてしまう。反射しきれないのだ。

 

 

「づぁッ!」

 

 

左膝の関節が一瞬だけあらぬ方向に捻じ曲げられた。中指と薬指は攣ったように反り上がって戻らない。

慣れない痛みに悶え苦患の声を上げつつも、しかし集中力をさらに高める。

波の揺らぎを取り除いても質量体であるあの金属は消えず、それではチュラ様の救出は成功ではないのだ。

 

(く、『屈折』……っ!)

 

体内に収束させた力を、元々この力で動かしていた鼠色の金属に向けて飛ばす。視覚では観測できない力の波を音もなく。

すると、波が触れた数秒間だけ質量体が持ち上げられるように傾いて固定され、その下からチュラ様が這い出るように逃げ出した。

 

 

「ありがとー、アリーシャ。潰れちゃうかと思ったー」

「敵の初撃は……見えていませんわね?なら……」

 

 

私がもう一度初撃の的になりますわ。と言おうと思った私の両肩に何かが乗せられた。

金属ではない、液体でもない。

 

頬の左右から挟むようにくっつく、ふにぷにっとしてすべすべな……これは太腿っ!

 

どうやら小学生体型の何者かに肩車をさせられているらしい。

誰だなんて誰何せずとも明白で、思考に時間を割くほど間抜けではない。

 

 

「"ナーんでこっちに思主が来るんだナー"」

 

 

声の主は少し前まで離れた木の上に座っていた白一色の服を着用する少女なのだろうけれど、肩に掛かる体重が軽すぎた。

中型哺乳類程度の重さと子供体温は、飼い猫でも乗せているような気さえする。

 

 

「"しかも2人もナー……"」

「アリーシャ……!」

「"動くナー。お前さんの仲間の顔に落書きされるのを見たいんだナー?"」

 

キュポンッ!

 

「"……油性ペンっ!"」

 

 

顎の下にあてがわれた少女の左手の爪が長く、鋭く、研ぎ澄まされていく。鈍く光沢を放つ爪も多分、あの金属と同じモノだろう。

それなら反射の対象となるのだがそれは向こうも承知の上であり、決定的な脅しとならない事が分かっているはず。

 

(……下手に反射をすれば、どんな行動を取るつもりですの……?)

 

日本語で話されては会話内容も不明で、相手の隠し手と意図が判然としない以上動きようもない。

チュラ様が動けば仕方ないと思っていたものの、意外にも私の身を心配してか手を出すのを躊躇っている。

 

 

「1つ聞くナー。これは協力体制を前提とした秘密同盟ではないんだナー?」

 

 

抵抗が無い事を確証した少女は手は退かさずに、同盟……恐らく箱庭の内容を持ち出した。イタリア語で。

どうやらクロ様とチュラ様が主のルールに抵触していないかを確認しているようだ。

 

 

「違うよー。戦姉(おねえちゃん)はチュラのしてる事を知らなーい。これはチュラが勝手に……日本の思金を狙っただけだよー?」

 

 

なんて白々しい。

 

(でも、それなら言い訳が利きますわね。箱庭の主の不興なんて、死刑判決と何ら変わりませんもの)

 

 

「面倒だナー。それにこっちは思主と違うナー」

「違うのー?」

「違うナ~」

「……どう、違いますの?」

「少し違うナ~」

 

 

(こ、答える気はありませんのね)

 

意を決して質したのに、その答えは何の役にも立たない。

間延びした話し方に捉えどころのない性格はチュラ様に似ていて、常に話題と1、2本ズレた所を見て話している感じは私の苦手な性格だ。

 

 

「"思金の気配がしたからもしかして、とは思ったのにナ~。お前さん達の様子を見るに、とてもとても『回折』なんて使いこなせそうにないんだナー"」

 

 

また日本語だ。

頭上の少女の表情は見えず、チュラ様は全体的に反応が薄いので正直どんな話なのかの予想も付かない。

 

 

「"他に協力者がいるのナー?"」

「"いなーい"」

「"……偶然、とは思えナー。一体どこの国が動いたんだナー"」

 

 

上方からぶつぶつと独り言が聞こえ始めたのを契機に、話の途切れたチュラ様が指先で金属をコツコツとつっつき始める。

興味津々な風で引っ掻いたりもしていて、彼女の挙動に根拠が見て取れない。

 

(この状況下で、暇潰し……ですの?)

 

図らずも時間は稼げているがそれも短時間。クロ様とイチナ様の決闘はまだ終わっていないだろう。

 

日本の代表戦士を甘く見ていた事は否めない。

2人以上を同時に相手取らなくて良かったと安心する反面、クロ様とフィオナ様は同時に4人も相手にしているのを考えると不安なオモイが心のパレットに広がる色々をグチャグチャに混ぜてしまう。

 

真剣勝負を不得手とする私が不意打ちを失敗するなどもっての外、それを証明するかのように既に仲間の足手まといとなった。

 

 

「……波を立てるナー」

 

 

警告は私に通じる言葉で。

輪郭のラインを沿うようにゆっくりと優しい手つきで撫でつけられ、気持ちよさと恐れが全身をゾクゾクと震えさせる。

彼女の指が少しでも折り曲げられれば、その鋭利な刃が薄い皮膚を貫通し、首の中ほどまでが切断されてしまうのだ。

 

力場を探ろうと集中させていた意識を中断させる。させられる。ピッと走った右頬の違和感に。

 

 

「……日本の狙いは思金なのですわよね。どうして私を人質に取りましたの?あなたは強い、それならば思主なんて危険なモノを放っておかず、始末した方が確実性がありますわ」

「早まるナ。こっちが欲しいのはお前さんに入ってる紛いもんじゃナー、原石の方だナ。まだ、利用価値がある相手は殺さナー」

 

 

日本代表はこの箱庭を通して、参戦した私やパトリツィアお姉さまの体内に投与された白思金ではなく、私達を生み出したその原石を奪おうとしている。

しかし、私はそこでも役立たずだろう。思主とは、思主となった瞬間に、使い捨ての道具と大差ない。

3つあったら、見本用に1つだけ残ればいい、そういうモノなのだ。私達は。

 

(……嘘は得意ですわ。人質としての価値があると思わせてしまえば)

 

こうなれば日本代表に捕らえられたとしても寧ろ潜り込むチャンスだと考えられる。

大した成果が挙げられそうも無ければ『空漠(くうばく)』でも発動して芸術的な最後でも迎えて差し上げればいい。

 

気に掛かるのは……

 

 

「チュラ様は、どういたしますの?」

 

 

名を呼ばれ、こちらに振り向いた暗黄色の瞳の少女。

彼女も人質にするつもりなのだろうか?彼女が生まれた黒思金の原石がある場所への無意味な人質として。

 

 

「黒思金は要らナー」

「ッ!?」

 

 

『要らない』。

 

回答の意味を探るまでもない。

つまりはチュラ様は……

 

 

「"邪魔しなければ見逃すナー。お前さんは黒鈴(くりん)――玄鬼(くろおに)の系譜に管理されてるからナ、こっちも鬼との敵対は避けたいのナー"」

「"黒鈴……!"」

 

 

重要な話だと思うのに、どうして日本語で話すのか……

チュラ様に焦りの色が見えるとなると、今後も急襲する可能性がある厄介な彼女を生かす理由もないとでも言い放ったのではないか?

 

(……この期に及んで足を引っ張るくらいなら、ここで……)

 

だが、溜めの時間が足りない。

『空白』の能力からどの技を使おうにも、発動時の力場を形成し始めた段階で私は首を断たれる。

 

 

チュラ様が動くまで、私も動けない。

 

 

緊張が走る。

チュラ様が行動を起こした直後には、私も出来る限りの抵抗をみせなければ。

 

 

「"黒鈴が刀鍛冶の仕事終えて近いうちこの国に来るナー。お前さん達黒思金が勝手に動くから心配してたんだナー"」

「"……それ、ホント?"」

「"本当だナー"」

「"……怒ってた?"」

「"それはもう、山に新しいため池が出来る位にはナ~"」

 

 

私の上に話し相手がいるという現状、彼女と向かい合う形が取られているのだが、気が抜ける声も正され目が潤み始めている。

恐怖の感情は彼女にもあったのか、などと考える自分は他人から見れば冷血なモノなのだろう。

 

 

「"ど、どーしよ"」

「"たらふく食える餅と餡子を用意しとくんだナー"」

「"おもちなんてないよー!"」

「"知らんナー"」

「"アンコもなーい!"」

「"それも知らんナー"」

 

 

必死だ。

言い争いに取れそうな雰囲気でも、返す返事は関心の薄い取り合うつもりも無さそうな冷めたもの。

 

(なんですの……何のお話をしておりますの?)

 

やはり私が彼女の重荷となってしまっているのか?

私の身に危険が迫っているから、彼女は動けないのか?

 

 

「"た、たすけて、おもち、用意できないよー……"」

「"誠心誠意謝ってみるんだナー"」

「"やだ!ごっつんやだ!いたいのやだ!"」

 

 

とうとうパニックを起こし、ボロボロと泣きじゃくり出した。

あの方はこんなにも豊かな表情を持っていて、それを私のために……?

 

 

「"餅が無いなら、首を洗うナー"」

 

 

自決はたまた到底首肯出来ない無理な条件を提示されたのだ。

私の、そよ風で宙に漂うほどに軽い命を引き合いに出されて。

 

 

「"……おもち…………"」

 

 

彼女は……私のために――

 

 

 

――――私は、彼女のために!

 

 

 

「チュラ様、恐れることはありませんの」

「アリーシャ……omoci(おもち)……」

「いいのですわ」

 

 

それ以上、いいのですわ。

 

だって、私は嬉しかったのですもの。

 

 

波を立てて探る。

頬の不快も忘れて、意識を波の制御だけに費やす。

 

 

「"ナっ?止めとくんだナー!油性ペンは中々落ちないんだナー!"」

 

 

喚く声が聞こえ、額に何かが押し当てられる。

その意識さえも、もう波の制御に消えた。

 

 

(――ッ!なんて複雑な力場ですの?あの金属とは制御にかけられた波の数が違う!)

 

 

指先から数センチしかない小さな空間に、膨大な力場が集約されていた。

そこに10や20じゃない、100にも届こうかという波長の鍵が掛けられている。

 

 

「アリーシャ!おでこが……おでこに…………っ!」

 

 

削ぐなら削げばいい、裂くなら裂けばいい。

 

 

1つ1つは小さな波を、1つずつ絡まったコードを解くように取り除く。

細かい作業はお手の物。ましてこの場にそぐわない感情を私は自分の意思で無視できる。

 

 

(芸術家ってものは、人生の最後に未完成品を残すものなのですわッ!)

 

 

10%……20%……40%…………

 

次々と露わになる自然とかけ離れた力の塊。

それを発散させる!

 

1本、1本と進むごとに、理性が薄れる。

 

眠気、飢餓感、色情。

催涙、多幸感、高揚。

 

 

低下した理性の閾値を超え、続々と呼び起こされる余計な雑念を埋める。無視する。

内面はただただ鈍感に、機械的な処理だけを履行する。

 

 

……50%!

まだ、まだ先がある。

 

 

「"っ!もう半分も持ってかれたのナ!?"」

 

 

きゅきゅっ……バッ!

 

 

私の肩を踏み台に、白装束をはためかせながらバック宙で逃げられた。

蹴られた衝撃のダメージは微々たるもの。しかし、離れ際に裂かれたのだろう額の傷が意識の戻りと共に風に吹かれてスースーしてくる。

 

痛みは……感じない?

 

血を失ってふらついたり、意識が朦朧とする等の出血後の症状もないので触って傷を確認しようとするも。

 

 

「ダメ!広がっちゃう!」

「!!」

 

 

チュラ様に静止の指示を受けて手を止める。

何をされたのか理解できていないが、広がるというのは傷口がという事で間違いは無いはずだ。

 

 

「余計に取り辛くなっちゃうって、戦姉が言ってた」

「取り辛く……?」

 

 

私の額から何かを取り除く……?

まさか、痛みも感じていないのに未だ敵の攻撃が残っている?

だから触れば広がってしまうのか、傷口が。

 

 

見れば距離を取り両足に左手を加えた3点着地を決めて私を睨む少女は、『マッキー』と異国語で書かれた黒く短い棒を右手に持っていた。

あの見慣れない武器でやられたらしい。周囲には化学薬品の……揮発性の有機溶剤のきつい匂いが残っており、毒性のあるものと推測される。

 

 

「天才って奴だナー。こっちがひと月も掛けて構築した式を数秒で破るつもりナー」

「私は()()の強さだけには自信がありますの。思金の共鳴さえ起こさなければ、本能や感情には流されませんわ」

「なぁーう……間尺に合わにゃやってられんナ。退散退散ナー」

 

 

捨て台詞よりも早く方向転換し、野を駆ける野生動物を倣った襲歩(ギャロップ)で逃亡していく。飛ぶように四脚が地面を離れ、最後に一際大きく跳躍すると着地音が聞こえることはなかった。

私はそれを苦々しく見つめ、埋めてしまった自分のココロを掘り出して、出来得る分だけバランスを取る。

 

(理性が削れた分、少しだけ感情が大きいですわね……棄ててしまいましょう)

 

感情は力の源。しかしそれは他者に感応し左右され易い不安定なもの。

それなら力の無い私に、不安定な力など過剰には必要ない。安定して制御可能な最低限の感情があれば十分だ。

 

 

過剰な分を再び埋め始めた頃、温かな感触で我に返った。

クロ様から持参を義務付けられたハンカチを内ポケットから取り出し、チュラ様が私の顔をトントンと軽く拭ってくれている。

 

黒地に薄桃色の桜の花びらを散らした霞柄(お姉さまに説明された日本のパターン模様)。

多少時期外れ感は否めないものの、彼女が1日中肌身離さず温めていた四角い布は桜が咲き誇る春のぬくもりを運んでいる気がした。

いつも通り感慨も無く棄てようとした感情が、この時だけは輝いて見える。手放すのが、惜しい。

 

 

……これだから、感情は扱いにくいのだ。その場その場で、一足飛ばしで理性を超える。

 

 

より深く穴を掘る。眩い光が見えなくなるように。

理性が奪われる隙を、()使()に見せないように。

 

 

埋める。

私は、妹の理性を操作する制御棒だから。

 

 

「黒で良かったー。アリーシャ、立てる?」

「はい、大丈夫……だと思うのですが、私の額はどの様な状態ですの?」

「ちょっと残っちゃった」

「お礼申し上げますわ。危うく自らの手で深手を負う所でしたものね」

 

 

あの不思議な武器の大半は取り除かれたのだろう。

出血の感覚はやっぱりない。傷が浅いのか深いのかも、謎だ。

 

 

profondo(深い)のでしょうか?」

「うん。profondo(濃い)よー」

 

 

深い、か。

あのシンナーのような匂いは多様な毒を混ぜた物の一部で、麻酔の効果もあったのかもしれない。

 

 

「申し訳ありませんが、私は追撃戦ではお役に立てませんわ。チュラ様は……」

「ううん。追わないよー。もう、()()から」

「賢明、ですわね。この場合は」

 

 

チュラ様が危険に晒されないのであれば、これ以上感情を棄てる必要もなくなりそうだ。

 

そう考えた自分を、私は責めるべきなのだろうか。

それとも、褒めるべきなのだろうか。

 

 

 

 

 

――数分後、脚の痛みに気付いた私は。

ようやく事のあらましに思い至ったのですわ。

 

『マッキー』とは日本製の油性ペンの名称。

最初から私に傷など無かったのですわね。頬にも額にも。

 

なんて恥ずかしい勘違いを……顔が紅潮していくのが自分でも分かりますわ。

脚が痛いと感じる私は、どこにも麻酔など打たれておりませんもの。

 

 

キョトンとしたその顔が、非常に恨めしいですわね。

――っ!目が合うと笑いかけてきましたし、彼女のあんな顔、知りませんでしたわ。

 

ココロを開いてくれたのでしょうか?

それとも、私の方が?

 

 

感情の軒昂。余計な思考。良くない兆候。

理性を用いて、ココロを占有する心地のよい微熱を制御……制御、制御を――――

 

 

大きな羽根が、白い雲のような不定形の翼が。

空気を裂くうねりを上げ、青い空を覆う仮構の芸術品が。

 

目を細めて笑った。

 

 

――私の中の何かが、天使(ソラガミ)を閉じ込めた理性を越えた。

 

だから、扱いにくいのだ。

 

 

 

でも、チュラ様との間に感じた絆は……まるで鏡のようで。

 

 

嘘偽りに、私は……私自身に翻弄されている。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました。


久々のアリーシャ回。
チュラと共に三松猫を強襲した時の話でした。

結果は完全な返り討ち……には見えたでしょうが、戦果は確かにありました。
良い意味でも、悪い意味でも、2人が一緒に動いたことに意味があるのです。


内容として。

前置きの吸血鬼との会話シーンはシリアスシーン。
金星という少女、それはキンジの事を指しているはずなのに、彼女は異能を持っていたという話を聞かされます。他にもヒルダは他言無用な話を、キンジに語ってくれました。

クロは存在しない、日本の獣人、金星の絶界、過去へ渡った魂と現代に残った魂。

そして金星は完全な復活を果たしていない。

重要単語は並べきれないのでこれぐらいにしますが、おまけに突っ込む内容じゃないです、はい。


アリーシャはおふざけ回になってます。

おかしな現状が分からないまま真面目に取り組むアリーシャ。
おかしな現状が分かっていて尚真面目に取り組むチュラ。
おかしな現状を作り出しておいてさっさか逃げ出した三松猫。

アリーシャの苦労性は私の作品の主人公目線になった時点で避けられないのです。
可哀想に……omoci…………




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縁故の梯子(ラポール・パッセージ)




どうも!

回を追うごとにおまけが長くなるかかぽまめです。
描写つけたら丸々1話になっちゃう。


決闘を終え、怪盗団の拠点から帰り、学校の授業を終えてからスタートです。


では!





 

 

 

「ヒルダ、話がある」

「あなたの方から拠点に顔を出すなんて珍しいわね、金星。でも、時間が悪いわ、もう夜が明けるじゃないの」

「今夜はそうはいかないぞ、もうとっくに日を跨いでる。あたしは予定通り今日死ぬからな。お前に別れの挨拶を言いに来たんだ」

「……明日にしなさい、淑女の就寝間際に寝室を訪れるなんて最大級の無礼よ」

「悪い、けど今言わないと――」

「帰って」

 

 

「…………」

 

「……聞きたくないわ。帰って」

 

「最後のチャンスなんだ」

 

「許可しないわ。明日また来なさい」

 

「明日は、来れない」

 

「…………」

 

「お前と……ヒルダと話したいんだ。ちょっとでいい、本当は沢山伝えたいこともあるけど」

 

「…………」

 

「ティーポット借りるぞ、お前のお気に入りのカップもな。ローズヒップティーを淹れてやるから朝更かしに付き合え。なに、茶を飲みながら死にゃしない、寝付くまでは一緒に居てやるさ」

 

「……好きじゃないわ。理子が試験的にブレンドした茶葉が棚に入ってるから、それにしましょう」

 

「リコティーか。あいつは努力家だよなー、それも完成品じゃなさそうだ。いつでも上を目指してる。背中を追ってな」

 

「わざわざ宇治まで足を運んでいたわよ。あなたの好きなヌワラエリアのオレンジ・ペコを買い付けにね」

 

「他人事みたいに言うなよ、ついて行ってくれたんだろ?隕石の一件からトロヤもエミリアも忙しいみたいだしさ」

 

「理子はまだほんの子供だもの、人間共の群れに放すのは危険だわ」

 

「群れって……ああ見えて、あたしより1つ上だけどな。あれ?何個かビン詰めがあるけど、どれの事だ?茶葉の名前なんて覚えてない」

 

「その耳は飾りなの?」

 

「お前の悪口は良く聞こえてる」

 

「なら頭ね。ヌワラエリア、セイロンティーの一種よ。自分で選んだのでしょうに」

 

「カタカナは苦手でな、理子にはコレ美味いなって言っただけだ。まさか京都まで行くとは思わなかった」

 

「あなたがそう言ったからじゃない」

 

「渋くなくて飲みやすいなぐらいの感想だったんだが……こりゃまた、かなりの量を用意してんな」

 

「あの子があなたの為に用意したのよ。配合は感想を元に練り直すって」

 

「やめてくれよ、こいつが完成する頃には寿命がふた月は伸びてそうだ。月見団子片手に紅茶の香りを楽しみながら満月も2度拝める」

 

「結局最後まで教えてあげないのね。この薄情者」

 

「黙っていてくれてありがとうな、おかげで静かにいけそうだよ。理子は優しい奴だから、会ったばっかりのあたしが死ぬって言っても泣いてくれそうで……あたしも、騒いじゃうだろ。自分のお通夜でまた寿命が一晩伸びちまう」

 

「……私だって……」

「うん?なんだよ、小声で話した気になるのはお前の悪い癖だぞ」

「……私が淹れてあげるわ、儚い命への餞別よ。ご先祖様に良い土産話が出来たわね」

 

「先祖ねぇ……」

 

「どうしたの?ブルテリアみたいな顔して」

 

「誰がブルテリアだ、あたしの先祖は闘犬とのハーフじゃないっての」

 

「気の抜けた顔が良く似ていたわよ」

 

「やかましい。でもこんな感じがいいんだ、お前とかオリヴァ達は割り切ってくれるから助かる。トロヤにでも知られてみろ、地獄まで見送りに行ってあげるとか言いかねないだろ?」

 

「……そうね、お姉様も…………お姉様はあなたを気に入ってるみたいだわ」

 

「ありがたい話だよ。本当に付いてきたらキランソウでも投げつけてご帰宅願うさ」

 

「効くと思う?」

 

「吸血鬼は元から医者いらずだろ?きかないと思う、話も。ヒルダも泣いてくれていいんだけどな、ははっ、想像すると笑えるな。お前の泣き顔とか」

 

「…………はぁ」

 

「ため息吐くと幸せが逃げるぞ」

 

「あなたのせいよ」

 

「人のせいにすんな。ほら吸え吸え、吸うと幸せが戻ってくるかもしれない」

 

「今の言葉、信じていいのかしら」

 

「任せる。まず信じなきゃ可能性はゼロだからな。それと、すまん。ほら、先に謝ったから騙されたと思って試してみろよ」

 

「それなら……。~~~~っ!」

 

「可聴域で話せって、耳が痛いだろ」

 

「もし、た、ため息を残さず吸い込めば、幸せは……明日もまた、その……き、来てくれるの?……かしら」

 

「え?そりゃお前が苦しいだけだろ、吸ったら吐けよ。オカルトの権化みたいな奴が迷信を易々と信じるほど眠いのか?」

 

「…………はぁ。幸せは地獄に落ちるといいわ」

 

「お前の中の幸せはどうなってんだ」

 

「ウバの茶葉を持った罪深き咎人よ」

 

「持ち物がいやに具体的だな」

 

「金星、あなたが持っているのはヌワラエリアではないわ」

 

「まじで?あ、これウバか。あぶねーな、一回噴き出したやたら濃い奴だ。地獄の沙汰に罪状1つ追加するとこだったよ」

 

 

「……『闇召(ロティエ)』――」

「どうした、強襲か?」

「お湯の用意よ。常に適温のお湯を――」

「影の中に入ってたお湯……体に悪くないのか、それ」

「どうせ死ぬのでしょう?」

「死の直前までは健康でいたい」

「冗談よ。ケトルを火にかけただけだわ」

「調理場か?隣の部屋の距離感まで掴んでるのかよ」

「あら、この部屋からなら拠点の全ての位置情報を網羅していてよ」

「自宅警備員怖いなー。大丈夫か?良からぬことに使ってないか?理子の寝顔盗撮とか」

「噛むわよ」

「記念に一ヵ所噛んでくれよ、甘噛みで」

「噛み千切るわよ」

「やっぱ遠慮しとく。死の直前までは五体満足でいたい」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

何の変哲もない一般向けのマンション。

その一室には地下へとつながる大穴に、今日日珍しい常用の縄梯子が垂れ下げられていた。

 

そこそこ多めに設置された電灯に照らされて足を踏み外す心配は軽減されているものの、上端しか固定されていない梯子とは慣れない間、下を見ることが躊躇われる程の揺れを起こす。

体勢を変えるだけで重心の変化に追随してぶれてしまい、見た目からボロい横縄には足場用の板も棒も無いものだから、一段降るたびに足が空中に踏み込んでいくような不安定感が緊張に力む使用者の握力を刻々と奪っていく。

 

 

「おぉう……」

 

 

誕生会の折にも思った事だが、先に通過したフィオナも一菜も、よくホイホイと降りれるよね。こんなの。

強襲科の強行潜入演習で行われたロープ降下訓練中に、強襲科教諭のイメルダ教官によく可愛がられた私だが、自覚がないだけで実は()()()()()()()()()()()()()のが怖いらしい。

だから足元が見えようが見えまいが、私は下を見ない。見ないったら見ない。

見ていなければ落ちた先が固い地面かトランポリンか、不確定要素として脳内処理可能だからね。

 

いつ頃からだったか……父さんに勾玉を教わった時には大丈夫だったんだけどな。

ちなみに落下速度は関係ないようで、床にマットを敷いた高所からの受け身訓練では、眉一つ動かすことなく間髪入れずに飛び降りた私は大層驚いた顔をされた。なんせ慣れっ子なもので。

 

 

「"素人なクロちゃん、略してシロちゃーん!こっからだと黒いストッキングに包まれた脚線が全部――"」

「"うっさいです!階段、階段の設置を所望します!――うあっ……"」

 

 

階下から聞こえる男子小学生並みのセクハラ発言に言い返してやろうと必死で、つい眼下の光景を眺めてしまう。

電灯から電灯へ、子供向けの点繋ぎ絵の要領で追った視線は、残り2m先の硬い地面に立ってこちらを見上げるポニーテールの少女を捉えた。

 

 

「"えーっ!それだと秘密基地っぽっくないじゃんかさー"」

 

 

更に返ってきた答えも子供が喜びそうなお話で、全長約6mの縦穴はそんな理由で縄梯子を採用していたのか。なんとはた迷惑な。

 

しかし、その外見はお子様ないつもと違う。

ダークブラウンの髪と人懐っこく細められたカフェラテの瞳は元通りだが、学校をサボってどこへ遊びに行っていたんだか、防弾制服ではなくボーダーカットソーをインナーに、所々にファーの付いたピンクのノーカラーコートを羽織って、落ち着いた膝上丈のフレアスカートなんかはいている。

つまり、めかし込んでるのだ。頭でもぶつけたか。あ、私が原因じゃないか。

 

(馬子にも衣裳とは言いますが、元々容姿の整った一菜はキレイ系の服装だと顔のつくりの良さが際立ちますね)

 

はっちゃけた性格に似合わない澄ました格好をしているのが新鮮で、そこから目を離せないでいる内に、徐々に血の気も引いていくのが分かってしまう。

いけない、クラっと来た。いや、一菜にじゃなくて高度に。

 

 

「"だいじょーぶっ!落ちてきたら抱きとめてあげるよー"」

「"それなら梯子の端を押さえててくれませんか?"」

「"おぅ~任しとけっ、マイパートナー!"」

 

 

ギュッギュイイッ!

 

 

「"オーケー!マイク~、もう何があったって梯子は揺れないサー"」

 

 

ギュ……ギュギュギュ…………

 

 

「"オウイェア!コイツは凄いじゃないかジョン、叩いても蹴ってもビクともしないヨー!"」

 

 

ギュィイ……ギシ……ギシ……

 

 

「"レッツ、今の内に降りるんだキャシー。梯子と僕はずっと君を待ってあげるけど、ステキな時間と放送時間は待ってくれないんだからネ☆"」

 

 

ギ……ギギ……ビシ、ビシ…………

 

 

「"ハハハ、クリスは上手い事を――"」

 

 

――――プツッ……

 

 

「"あ……"」

「"えっ……落ちてる――――?"」

 

 

 

――――スイッチ……ON――

 

 

 

再教訓。

おバカな一菜にやらせてはいけない事。

 

・一菜に落とし穴を掘らせてはいけない。

・一菜にラズベリーを与えてはいけない。

・一菜にウインチを巻かせてはいけない。

・一菜に二人羽織りをさせてはいけない。

・一菜に梯子の支えを任せてはいけない。←NEW!!

 

 

 

 

 

 

落下地点の一菜がてへぺろ☆みたいな顔をしていたのが非常に癇に障ったので、差し出された両腕を無視し両肩に思いっきり体重を落としてやった。

秋水で全衝撃力2トン超の大半を伝え、自分は両脚に鉄沓の逆の動きをさせて撃力を逃がせるだけ逃がしたのだ。

 

ほんの一瞬、雑技団の気分を味わう私の足元で、小癪な一菜は真似して腰と膝を畳んだものの「ぬわ~ッ!」と叫んで潰れていた。

……が、円座卓を囲んだ現在の振る舞いは至って自然な動き。脱臼はおろか痛いだけで済ませる非人間的な頑丈さを見せ付けてくれる。感覚がマヒしそうだよ。

 

 

「ん。じゃあいいかな。では、これから日本とクロちゃん同盟の決闘の結果を、箱庭のルールに基づいて処理していくよ」

「はい、お願いします。あれだけの啖呵を切っておきながら箱庭の事は良く知らなくって」

 

 

4つ用意された湯呑みからもわもわと上がる湯気が天井に向かい、登っては消え登っては消え。

途切れるその隙間からは、違和感も超人感も消えた私の良く知る一菜が朗らかな微笑を覗かせている。

 

 

上座に座るのは隠れ家の地上階に建つマンションの持ち主である一菜の……お母様?

つい先程、めちゃめちゃお若い女性が一菜と苔い……兎狗狸に支えられつつ初めて寝室から姿を現した。

 

それで私と一菜が座卓を挟み対面、金の刺繍が贅沢にあしらわれた座布団に腰を落ち着け、私の隣にはフィオナ、一菜の後ろには槌野子と三松猫が控えている。

陽菜は己の不行き届きを恥じたとかどうとかで、諜報科の先輩と修行に精を出しているそうだ。昨日の今日で。

 

(あの勾玉の威力はトラックに撥ねられるレベルの威力があったと思うんだけど……ニンジュツかな)

 

彼女の生体構造に興味が出て来た。機会があったら修行を見学させてもらおう、フィオナをだしにして。

 

 

「あの女性は一菜さんの……?」

 

 

こそっと耳打ちをしてきた隣のフィオナは私同様、学校から直接訪問している為武偵中の制服のままだ。

今日はナッツ入りのチョコがオヤツだったようで、甘いカカオに香ばしさがプラスされている。

 

 

「一菜さんの母親、だと思います。目元なんかそっくりですし」

 

 

フィオナの確認するような問いに応じながらも、私もその女性の特徴から母親で間違いないと確信する。

染めていない一菜と同じ、輝くように光を反射する金髪の前髪が長く垂れた穏やかな表情には皴の一つもなく、造りも雰囲気も1つの理想を突き詰めた完成形。男女問わず彼女に目を奪われる者は多いだろう。

色白の肌に緩く弧を描く唇は桜貝色、目尻が吊り上がった目は優し気にふんわりと細められて、髪は結わずに腰までストレートに下ろしている。

 

一菜がなで肩なのは母親似らしい。というか大体の容姿は母親から来てるのか。胸以外。

外見だけなら一菜より一回り大きい姉で通りそうだが、纏う空気は一回りや二回りどころでは無く大きいな。胸も。

 

 

「"母上、体の具合が優れなければ、いつでも申してくださいね"」

「"ありがとう、一菜。でも大丈夫、あなたの大切なお友達を一目見たいとわがままを通したのは私ですもの"」

「"無理しちゃだめだよ、イヅ……トキナ様。あっしが付いてるからね、何でも言ってよ!"」

 

 

母親確定。うむ、頭のてっぺんとお尻から獣成分を発してはいない。八重歯は尖っているけど、個人差ってありますし。

代わりに寝たきりの体では全てを制御しきれないのか一菜以上に人間らしからぬ、漏れ出しただけでヒルダに匹敵する程の妖気が、彼女も普通の人間ではないのだと身に沁みて感じさせる。

 

けど……彼女の存在感は薄い。水のように。透けて見える。

こんなに美人なのに、街中で目の端に映っても気付けない。こんなに大きく見えるのに、彼女がそこに存在すると脳が理解しているから彼女を把握できている。

 

 

「"兎狗狸ちゃんも、ありがとう"」

 

 

名前をちゃんと呼ばれたのがそれだけで嬉しいといった緑髪の少女が、頭からハートマークを飛ばしながら頭を撫でられている最中、トキナさんの視線は一菜に向かう。

 

 

「それではまず、決闘の結果から。あたしが代表戦士を務めた日本代表は、先の決闘によりクロちゃん同盟に敗れたことを認め、その傘下に属し協定を結ぶことを声明します」

 

 

頷きを返し高々とそう宣言する一菜だが、閉鎖された地下の一室に彼女の声がこだます必要はあるのだろうか?

私達以外に聞こえないし、聞こえる必要もない。しかも、クロ同盟にちゃんは付けなくていい。

 

 

「一菜さんは元気ですね。決闘ではボッコボコにしましたし、学校も休むから心配しましたよ」

「ぼ、ぼっこぼこにはされてないよ!途中までクロちゃんの方がぼっこぼこだったじゃん!」

「終わりよければ全てよし。まあ、私は方法や経過も大事な要素だとは思いますけどね」

 

 

昨日は戦いの後に拉致されて、一菜の容態を見届けてあげる事が出来なかった。

挑発されてムキになって返してこられるのなら大丈夫だろう。

 

親が見守る手前、暴れ馬の一菜さんは膝に置いた両手の震えが肩にまで連動されている。

おー、怖い怖い。

 

 

「それでなんだけど、今後の戦いはあたしたちも協力する。苔石ちゃんも「兎狗狸だよっ!」、ちーちゃんも「ん」、なーちゃんも「な~う」、ここにはいないけど陽菜ちゃんもクロ同盟の仲間として扱ってちょうだい」

「云わんとすることは分かっていますが、杞憂ですよ。私は誰かを使うとか、指揮官じみた割り切った考え方は出来ませんから」

「おっけーおっけー!一応ね、一応。クロちゃんって、たまーに変な事言うからさ」

 

 

(変な事?一菜に言われると傷付くなぁ、変な事を言うとか)

 

 

「変な事とは?」

「小っちゃい子好きって噂もあるし、3人は小っちゃいし……強猥は禁止!だから……あ、相手の意思を尊重してね?ね?絶対だよ?」

 

 

やたらと焦りながら念を押して、さっそく変な事を言うちびっ子の方の日本人は、その噂の原因が自分にあるとは露にも思っていなさそうだ。

確かに関係が最も良好な方々は小さいけどさ、パオラもチュラも。しかし私にそんな趣味はない。

右から「クロさんは小っちゃい子好き……」と、がっかりしたような声が聞こえる。こうして誤った噂は拡がるらしい。

 

 

「失礼ですよ、一菜さん。私にそんな趣味はありません」

「ほ、ほんと?」

「本当ですか!?」

 

 

きっぱりと否定したのに前と横から聞き返される。なんでだ。

 

自国の戦闘員の身の安全を確認した一菜はホッとした様子で、フィオナも私が犯罪に手を染めないと分かり胸を撫で下ろしていた。

この人達、チームメイトにどんな印象を持ってるんです?

 

 

進行役の一菜が腑抜けたまま話を進めないので、一度操舵席を奪う。

 

決戦場の修繕費なんて部外者のパトラが柵を壊したくらいしか無いので、一菜から回収するのはお門違い。

箱庭の戦後処理も大したものはないのだろうし、いくつか質問させてもらおう。超常現象は超常の存在に聞くのが一番。餅は餅屋だもん。

 

フィオナには悪いけど日本語を使わせてもらうよ。

私が戦う理由の1つはアンダーグラウンド。箱庭なんてものに巻き込んでおいて今更だけど、ここから先は完全に私情でしかない。

 

 

「"どなたでも構いません。小さな情報でも偏った知識でもいいので、"宿金"と呼ばれる金属について知っている方はいませんか?"」

 

 

この発言が軽はずみだったとは思わない。少しでも多くの情報が欲しかったから。

でも、これは失言だった。

 

……ここに私達以外の人間がいなくて良かった。

 

 

「"ぽぽっ!?ぽぽぽぽっ!?"」

「"や、宿金……ナー"」

「"遠山、それはどこで?"」

 

 

日本側の動揺っぷりがすごい。兎狗狸と三松猫が目を白黒させて意味もなく姿勢を低くしている。槌野子の声には怒りや恨みの意思も見えた。

ずっとにこやかに見守っていたトキナさんの顔も心なしか険しくなっているのかも。

 

 

「"答えなくてはいけませんか?"」

「"いやー、ごめん……答えなくていいよ、クロん。それは絶対に話しちゃいけない物、二度と口にしないでね?……母上"」

「"…………ごめんなさい、少し眠っていたの。もう、すっかり目が覚めてしまったからお話を聞かせてくれる?箱庭の戦後処理はどうなったのか"」

 

 

全員が全員、宿金の事を少なからず知っている。だが、もう口にするなと一菜に用命された。きっと、私の為に。私の発言を揉み消した。

それをわざわざ蒸し返すのが正しくない事ぐらい理解できてる。

 

見通しが甘かったな。詳しい人に聞けば方法の1つくらいは見付かるもんだと思ってた。

しかし、知っている人は知っているから話せない。自らを餌にした箱庭での受け身の捜査は初っ端から頓挫してしまったらしいよ。

 

まあね、操舵したところでオールを漕いでくれる人がいなきゃ前には進まないしな。

 

 

「戦後処理とは言っても……クロちゃんとフィオナちゃん、弾代と医療費以外の賠償はどうする?」

「決闘で医療費を貰うのも気が引けます」

 

 

一応代表同士の取り決めとして辛うじて勝利を得たクロ同盟への賠償責任を果たす腹積もりのようだけど、外交のイロハを学ぶのも面倒臭い。

調印だのなんだのを持ち出されたらたまったもんじゃないので、やれやれと首を横に振る。

 

 

「ですね。戦争ではありませんので、賠償なんて必要ありませんよ」

 

 

フィオナも私の判断に異存なしの従順な返答。

そんで、こっちを見る目を煌かせないで。そういう意図はないんだよ、本音は利用規約を読まないでチェックを付けるそこらの一般人と変わらないんだって。

 

 

損失は他国の代表戦士に私達の戦闘データが流出してしまった事が一番でかい。

あの戦いだけで『不可視の銃弾』も『勾玉』も一菜とのダンスも公衆にお披露目したね。真似なんて出来やしないけど、対策はされちゃうかも。

 

――いや、違うな。

一番の問題は……フィオナの存在だ。彼女の参戦が、最も由々しい情報なのだ。

 

 

「フィオナちゃんは無償で雇ったの?これで終わり、とはいかないんだし」

「条件付きです」

 

 

私には私のままでいて欲しい。正義の味方で、フィオナの希望であり続けて欲しい。

……だそうだ。彼女にしては珍しい、ハッキリとしない曖昧な表現だったな。

 

 

「条件?どんな?」

「い、いいじゃないですか一菜さん!クロさんも、個人の契約なんですから守秘義務を守って下さいね!」

「ええ、まあ。言いふらしたりはしませんよ」

「怪しいなっ!なになに、なにさー!教えてくれたっていいじゃーんっ!」

 

 

一菜とフィオナの間で教える教えないの喧騒が続き、10秒後にはチョコレートスイーツの話に変わる。これが私のチーム。

箱庭の今後があるというのに、緊張感のない2人を見ていると日常の一部が戻ってきたことをひしひしと感じて、肩の荷が軽くなった。ほんの1割だけ、軽く。

 

軽くなった分引き締めないとね。

次のターゲットは……未知の敵なんだから。

 

 

水を差すのも忍びないと、茶を一口。

粒あんの羊羹に添えられた竹楊枝へ手を伸ばす私は彼女の変化に勘付いた。偶然、じゃないかもしれない。深層心理とか、たぶんそんなん。ふと、気になったのだ。

 

小さく息を吸って、桜貝色の唇と白茶けてしまった小豆色の瞳を控えめに開いていく。

彼女にとってはそれが全開なのだ。若くして大病でも患ったのだろう。

 

 

「"同盟は結べたのね。立派になったわ、一菜"」

 

 

その眼差しに三松猫はビクッとしているのに、一菜も槌野子も平然としていた。いや、槌野子の前後左右に揺れる風鈴運動も止まっている。

 

どうにも視線を向けられた一菜だけに話の予想がついていないようだ。

 

 

「"一菜"」

「"はい"」

 

 

彼女の弱々しくも透き通った綺麗な声は、威圧的でもなくトゲトゲしさもないのに何故か警戒してしまう。

経験則で妖気に当てられると本能的に神経質にはなるけれど、前例が少なく妖気に当てられたせいだと断定するのは尚早かもしれないな。前例があるのがなんとも言えない気分にさせられるよね、私の人生。

 

 

「……?」

 

 

鋭敏化した神経は室内に奇妙な居心地の悪さを拾い出す。

場の雰囲気ではなく、胸騒ぎを催す事象の前触れのような。

 

 

(地震……?ではないか)

 

 

日本人特有の感性で地震を想起した私は振動を感じたのではなく、音――コンバータから生じるモスキート音や気圧の変化で発生する耳鳴りのようなものが聞こえた気がしたのだ。

 

音も消え、フィオナに反応はないので気のせいかと流そうとした時、今度は僅かに空気が揺らぎ始め、これまたすぐに納まった。

一菜も気付いていないのか「"なんですか?"」と普段の彼女からは考えられない敬語が母親に向けて飛び出す始末であり、寒気が走った体まで震えてしまう。キミガワルイヨ。

 

 

「"あなたから(カン)の欠片を取り上げます。良いですね?"」

「"――っ!"」

「"ぽえぇっ!?"」

 

 

(カンの欠片?)

 

缶?管?幹?

 

私はその言葉の意味が掴めず日本代表の様子を窺うが、微笑みを崩さず告げたトキナさんの発言に対する反応は様々だった。

一菜は目も口もシャッターで切り取られた写真のようにピクリともさせず絶句し、兎狗狸は撫でつける手を押し返してトキナさんを見上げ、言葉の真偽が分からないと訴えている。

そして槌野子がコクコクと2度頷くと、三松猫は無言のまま腕を組んでそっぽを向いた。この2人は知っていたって反応だな。

 

 

「"……母上、それは…………。それは、我にかの巫女達を。ひいては……伏見様や玉藻様のご意向を蹉跌させ疎隔せよと?"」

「"やむを得ません。あなたが扱えるのは今まで通り4つまでとします。今回は20の欠片を持ち出したようですが……槌野子さん"」

 

 

名指しされた槌野子は両眼を閉ざしたまま、ダークブラウンの下げ髪を水平にする勢いで振り返った一菜と、黒茶の丸耳をぼさぁっと苔色の髪の間から発露させた兎狗狸に一瞥をくれてから、その大きな口を小さく開く。

 

 

「"(ちー)は、イヅを失いたくない。三松も。兎狗狸、あなたは?"」

「"ぽっ!?そ、そんなの当然、失いたくないよ!でも、だったら()()()を取り上げるのはおかしいよッ!"」

「"どこもおかしくナー。イヅは箱庭の終戦まで大人しくするんだナ"」

「"っ!だめ!イヅは普通の人間として学校に通うの!"」

 

 

ギャンギャン吠えつく兎狗狸とは対照的に、話題の主役である一菜は沈黙したまま真剣に悩み、母親の意を類推している。

状況が読めなさ過ぎて私に助けを求めるフィオナには、説明する材料が足りていないので『ごめんね』のウィンクをしたら俯いて押し黙ってくれた。

マバタキングも用いずに以心伝心出来た事に感動したよ。これぞチーム!

 

 

「"私も、イヅを学校に通わせたい。同意、私に賛同して"」

「"無理だナ。思金がいる場所にノコノコ向かわせられんナー"」

 

 

20個持ち出した『今回』というのは決闘の事で、カンの欠片と呼称されたのが『殺生石』なのだろう。一菜は4つの殺生石の内、常に2つを御守りと称して持ち歩いている。

彼女自身が一週間の訓練だけであれだけの力を手に入れられはしないのだから、底上げされた力の大元は数を増量した殺生石と考えるのが妥当。多く持ち出した目的は私への警戒だ。

 

 

「"否定。私が守る、兎狗狸も。三松も手伝う"」

「"バチカンの懐にナ?ローマの影も暗躍する危険地帯で果たして上手く行くもんかナー"」

「"……不明。法化銀弾(ホーリー)殲妖弾(ライカンキラー)、西洋魔女の結界1つ、戦況は変わる"」

「"ほらナ~。イヅの身柄は安全な場所に置くべきだナ"」

 

 

一菜の力――イヅナの能力は殺生石によるものなのだろうが、よくよく考えてみるとどうして殺生石の所持数で力の総堆積量が増えるのかが疑問点として残る。

生命力を吸い取るだけが殺生石の効果ではないのか?

 

 

「"犴を野に放つわけにはいかナー。玉藻様との契約が切れた以上、三浦の管理下に収め続ける必要があるナ"」

「"その事実は認める。45番目の魂が満ちたあいつは、復活の機会を窺って、引力を強めた。結果、イヅは自我の保持に、保険をかけた"」

「"そいつが敗因だったんだナ?"」

「"肯定。1匹はぐれた犴は、20匹の犴に離反。そして見事に負かせた。普通なら、考えられない、異常"」

 

 

……そうだ、記憶や絆や思い、それ以外にも人格を作り上げる要素を一菜は詰め込んでいた。私が預かっていた殺生石の中にも一菜がいたように。

それに、これもずっと気になっていた。

 

 

『殺生石は蓄えたエネルギーをどうしているのか』だ――――

 

 

未だ微かに湯気の立つ玉露をまた一口頂く。

茶請けの羊羹も手付かずだが、流石にこの空気の中で前歯に粒あんの皮を引っ付けてモッチャモッチャする気は到底起きない。

 

そういう作法ではないのだが、日本文化が良く分からないフィオナも続いて緑茶を音を立てずに口を付け、せっかく立っていた茶柱を「私のアホ毛の二番煎じです」とでも言わんばかりに横倒しにさせた。

中国産ほどマイルドではないものの、渋みの少ない玉露は日本茶に馴染みのない彼女の舌の上も抵抗なく通過し、その特有の香りで首をひねらせる。美味しいとも不味いともつかない感想を持ったようだ。

 

 

「"それを、成し遂げさせたのは……"」

 

 

フィオナの微妙な顔をニヤニヤ眺めていたら、突如として槌野子に収束していた視線が私にターゲットを変えメッタ刺しにする。トキナさんも笑顔を深くしてこっちを見ていた。

 

そういうゲームでもないのだが、空気を読んだフィオナも続くように私を凝視する。ものの数秒で逆襲された。

違うよ?見られても、私、何も言わないよ?

 

 

「"遠山。あなたが犴の1つを変えた。そして、イヅから犴の魂を一旦引き剥がした"」

「"復活も先延ばしにナー"」

「"私が?"」

 

 

何したっけ?

イヅナをリードしてダンス披露宴、最後の瞬間は「あほんだらがー!」って頭突きした……ような気がするけど、そこまで接近するまでの記憶が必死故に飛んでるんだよね。スイッチが入れば思い出せるんだろうけど。

 

一菜さんは何?なんで赤くなるの?

表情筋もだらしなく緩んで……決闘中に幸せな思い出もあるらしき反応。どういうことなの?Mなの?Sなの?

 

 

「"イヅ、答えて。今でも。遠山に出会った今でも。命を捨てても良いなんて、言える?"」

「"我は……"」

「"イヅ……"」

 

 

静まり返る部屋に、時間が流れる。

地上に車も走らない地下室には時計もない。

 

誰も、何も。

せわしない兎狗狸すらも口を挟まない。

 

 

だから、ごめんなさい。へ……へっ……!

 

 

「――っくちんっ!」

 

 

……頑張ったけど、我慢、出来ませんでした。

 

 

「"……ぷふっ!"」

「"ぷふっ!あはははー!お主さんの胆力はすっごーい!"」

「"唖然"」

「"ぶち壊しだナー"」

「クロさん、それは何という芸なんですか?」

 

 

一斉に笑われ、呆れられ。フィオナは注目されたからクシャミをしたとでも思ったらしい。当然、私の生理現象は見世物じゃないよ。

 

 

「"……ぷふっ、うふふふ……クロさんはとてもお強い、凛々しい方だと伺っておりましたが、同時に可愛らしい方でしたのね"」

「"め、滅相もない……"」

 

 

皮肉ではなく彼女はコロコロと鈴の音を立てて心から子供のように笑っている。

噴き出し方は一菜そっくりだったよ。キツイ顔形なのに、彼女達の方がよっぽど可愛い笑顔が似合うね、断言する。

 

久し振りに笑ったみたいで、ちょっとだけ疲れを露わにした彼女を兎狗狸が支える。

一菜が床の間に戻るように促すも、最後に、と彼女は日本の真の総大将として宣言した。日本代表の進路を。

 

 

「"槌野子さん、三松猫さん。あなた達の意見は……双方尊重しましょう"」

 

 

トキナさんの意見に槌野子は期待を込めて頬を上げ、三松猫は不安気に眉をねじ下げる。

どういう意味なのか、それもすぐに解ける謎だ。答えを待てばいい、彼女の口から語られる正解を。

 

ま、予想は付いてるけどね。八割方。

 

 

「"ここにある25の犴の欠片の内、20は私が管理し、一菜は4つの欠片を持ちなさい。そしてあなたはこれまで通り学校に通わせます"」

「"ナっ……!と、トキナ様、それでは危険なんだナ!あの学校は正に争いの渦中、一度踏み入れば4つでは自分の身を守れないんだナッ!"」

 

 

フーッ!と勢い任せに跳ね上げさせた髪の間から、毛を逆立たせた三角耳を突起させる。やる気のない目は切羽詰って鋭く研がれ、一菜の事を実直に案じてくれていることが明白だ。

トキナさんが彼女より格上なのは間違いないのに、それでも異を唱えてくれている。

 

その様子に感銘を受けていたのは私と一菜だけ。

……じゃないよね、やっぱり。

 

 

「"なーちゃんのそういう所、大好きよ。私がイヅナだった時も、あなたは頻繁に音楽スタジオから抜け出して会いに来てくれたものね"」

「"にゃッ!?"」

 

「"あっ!その話、あっしも知ってる!トキナ様の大好きなブドウを買いにぎゃあっ!"」

「"な、なんで知ってるんだにゃーッ!"」

 

「"定番。従二位以上は大体知ってる惚気話。題名は通いづm――"」

「"どこから広がったにゃッ!?"」

 

 

暴れまわる三松猫に掛ける言葉はない。いいじゃないか、仲間内で惚気たって。

"なーちゃん"呼びは親の影響か。なら今の彼女は"にゃーちゃん"だよ。

 

 

(それにしても、『私がイヅナだった時』ねぇ…………)

 

 

一菜に制されてようやく座り直した三松猫は話は終わってないぞとばかりにドッカと膝を立てた。正面の私達には中身が丸見えだけど、気にしない性分らしい。

ねえ、フィオナ。チラッと睨まないで?そういう趣味はないってばさ。

 

 

「"一菜を安全な所に置きたい、そうよね、なーちゃん"」

「"そう言ったのは三松猫だナ"」

 

 

呼び方を変えろと反論気味に肯定するという珍しい一言を皮切りに、再び研ぎ直した眼光を突き合わせる。

 

 

「"あるじゃない、この世界で一番安全な場所が"」

「"……?この世界で?"」

「"一番安全な場所ナ?"」

 

 

(ああ、間違いない。それは私達が最も望む展開ですよ)

 

トキナさんの視線はそこを見ている。

だから、フィオナにも、ここまでの話を通訳してあげるよ。翻訳機が必要な翻訳機、一菜の代わりにね。

 

 

「"あっしの殿中とか?"」

「"安全な場所とは、どこの事でしょうか、母上?"」

 

 

4人の問いに、彼女は答えない。

目線すらもそれぞれに向けられることはない。

 

 

それが答えだ。

 

 

一菜が母親の視線を追う。

 

そうだ、一菜。来い。真っ直ぐに追い続けろ。

安全な場所と私達はずっとあなたを待ってあげるけど、ステキな時間と登校時間は待ってくれないんだからね。

 

 

やっと言える、その時が来た。

 

目と目が、合う。

 

 

この同盟は、チームの再々結成ってとこだね。一菜はもう手を離して先をゆくことはないと信じよう。

 

 

「おかえりなさい、一菜。ようこそ、私達のチームへ」

「!!」

「あっ、酷いですよクロさん!話が全部終わってからって決めたじゃないですか!……一菜さん、おかえりなさい。ようこそ、私達のチームへ」

 

 

笑顔、笑顔、呆然、微笑み、笑顔、苦笑い、苦笑い。

 

五分咲きの花は時間と共に開花が進み。

桜の木なら奇跡の十分咲きを達成してしまったよ。一輪も散る事無く、ね。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「クロちゃん……フィオナちゃん……!」

「しかーし、あなたはただで守られるような玉じゃない。一菜も、私達を守って下さい。暴れ馬の如く」

「んだとーっ!誰が馬だ!」

「もう……クロさんは照れ屋ですね」

 

 

このままじゃせっかくの花が三輪も萎れちゃうところだったな。

やっぱりフザケてなんぼだ。私達は。

 

座卓を飛び越えて来た一菜を両腕で止めようとしたら回避された。卓上を叩いて方向転換しやがったよ。

両肩に水平飛び膝蹴りを喰らったら呼吸も数秒止まっちゃったね。結局、奇跡は奇跡、さっそく一輪散りました。

 

 

「無事ですか?クロさん」

「痛いです」

「でしょうね」

「ほっとけ、フィオナちゃん!どーせ数分後には復活してるって」

 

 

訂正しよう。

一菜は暴れ馬は暴れ馬でも。

とんだじゃじゃ馬娘だよ。

 

 

 

 

 

 

「では、また学校で」

 

 

チームメイトの宣告通り5分後には復活した私は最後に、一口も手を付けていなかった羊羹を丸々口に放り込んで立ち上がった。

残すのはもったいないですから。

 

 

それと、フィオナ……

羊羹は一口で食べる文化とかないですからね?

真似しないで。

 

あと、一菜……

私達はどうやって帰ればいいんでしょうね?

梯子もないのに――――

 

 

 

 

 

「"トキナ様、何してるんだナー?"」

「"……思い出していたの、私とあなたの共通の友達を"」

「"こっちは友達だとは思ってナー。死に掛けの奴が暦鏡をくぐるなんて、頭がどうかしてるナ"」

「"そうね。でも、彼女はやり遂げた"」

「"神隠しには……掛からなかったナ……"」

「"引き上げられたのは金長様の一人娘と兎狗狸ちゃんだけ。あの子はまだ失敗したと落ち込んでるの?"」

「"兎狗狸はああ見えて真面目だナ。あいつが侍女の地位を拒むのはそういう事だナー"」

「"私の罪は、きっと私が眠りに就いても消えないのね"」

「"そうでもナー。少なくとも、あいつらは幸せそうに見えるナ"」

「"まだ、見えているのね"」

「"風鈴の音に夢を見るのは程々にして、いつかは目を開けてもらわにゃナー"」

 

 

 

――――遠山クロさん。陰の魂を持つ金の半身よ。

 

 

――――残り1つ。45番目の犴の欠片(たましい)は、あなたに託しましたよ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「――そんなこともあったな。つい最近の出会いだってのに、想い出が沢山だ」

「大袈裟ね、大した量じゃないわ。私の生きてきた時間に比べればね」

「そりゃ短い人生で良かったよ。これ以上詰め込んだら破裂しかねない」

「堪え性がないだけでしょう。それより、どうだったの?紅茶の味は」

「……ああ、泣きそうなくらい渋いな。顔も歪んじまうよ。理子には悪いが、今のあたしにはこれ以上飲めそうにない」

「お子様の舌には厳しいかしら」

「だな、このブレンドはあたし専用だから取っといてくれ、理子の許可なく勝手に飲むなよ?ところで、地獄は私物の持ち込み禁止かな、やっぱり」

「お生憎さま、きっと物欲の重みでより深く苦しむわね」

「ティータイムもないよなー」

「素直に美味しいと言っておやりなさいよ」

「完成しちまったらつまんないだろ?だからこいつは渋いんだ、あたしには。色も香りもプロには劣る。監修はプロに勝るお貴族様に任せるぞ、理子の成長を見守るのがお前の役目だ」

「渋みが足りなのではなくて?」

「……あたしでも飲めるもんにしてくれよ?あいつは人間なんだ、いくら闇に生きようとしてもな。視力を失わない内にこの味を調えてくれると期待してる」

「あの子の目の前が黒一色になったとしたら、原因はあなたよ」

「死人にムチ打つなって。心配ない、理子は強い子だ。オリヴァもいる。乗り越えてくれるさ、絶対な」

「絶対はないわ。あるとすれば絶対的な力だけね」

 

 

「はぁーあ……死にたくないなー」

「ため息を吐くなと言ったじゃない」

「幸せのおすそ分けだ。ついでにこの部屋で全部吐いてくかな」

「やめなさいよ、鬱陶しい。闇は中途半端で陰気くさい者を嫌う、喰われるわよ」

「それはイヤだな、お前には嫌われたくないし……」

「!!そっ、そうよ。それでいいの――」

「本当に喰われそうだからな」

「…………」

「ん?睨むなって、吐いてないだろ」

「どうせ迷信なのでしょう?」

「訳も分からず露骨に機嫌を損ねるなよ、何事も気の持ちようだ。病は気からって言葉があるくらい、感情が結果に与える効果はゼロじゃない」

「吸わなくていいのかしら」

「吸ってどうなる?そんなんで良い事が起こるんならとっくに人類皆過呼吸になって新たな進化を遂げてるさ。そして地球は幸せを吸い尽くされて、二酸化炭素に埋め尽くされる」

「愚かね」

「ああ、愚かだ。けど、それだけ必死なんだ。皆が幸せになる世界は存在しない。逆はあるが、いつだって早い者勝ちなんだよ」

「まるで見てきたかのような口を利いて、またお得意の小さい頃の記憶かしら」

「いや、これは大きい頃の記憶だ。とどのつまり、ただの未来予想だな」

「未来の地球はさぞ、暑苦しそうね」

「どうせ当たらないって。誰も自分に得の無い迷信なんか信じない。地球はずっと青いし、人はもっと有意義に時間を使うだろうぜ、っと」

 

「寝ろよ、船漕いでんぞ」

「……行ってしまうでしょう?」

「おやすみのキスが必要か?」

「呆れるわ、あなたのそういう発想」

「お前らには言われたくない。トロヤには5回もおはようのチューをされかけた。吸血の方のチューをな」

「とても美味しいのだもの」

「そうだよ、お前があたしの首に紅いキスマークつけて美味しいとか言うから狙われたんだ」

「幸せのおすそ分けよ。それに、血を吸われる感覚は癖になるそうね」

「勘弁してくれ、頭がぼーっとして体がふわふわする。あれってマズい症状だろ、全然うまくない」

「あなたの弱った表情はゾクゾクしたわ。もうちょっと、もう少し、もっと、って。口にする度により昏く怯える顔には、かなり興奮しちゃった」

「あたしはそのサディズムな発言に怖気が走ったよ。さっさと寝ろ」

 

 

「寝たか?」

「…………」

「そうか、悪いな。あたしも寝るよ、もう少ししたらな」

「…………」

「いい夢だろ、あたしも気に入ってる。昨日同じ夢を見て寝たさ、最後の幸せのおすそ分けだ……よいしょっ、と!理子やトロヤより身長がある分少し重い、って言ったら今度こそ噛み千切られるよ。へへっ」

「……かなせ…………」

「……ッ!その夢にあたしが出るか。幸せを返されちまったな、いい顔してるぜ、ヒルダ」

 

「じゃあな、良く寝ろよ。また会えるなら、そん時は血をくれてやるよ。献血はボランティアだ」

 

「……行ってきます」

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


ここまでの話で作品の裏設定がぼやけて見え始めた……のかもしれません。

どういう設定なのか、それはすぐに(数ヶ月単位)解ける謎。
答えを待てばいい、私の執筆から語られる正解を。

……なんつって。


本編の内容にて。

クロ同盟と日本の協定を声明する、という内容の今回。
大きな一歩を踏み出すと同時に、宿金の情報はそう簡単には得られないことも判明してしまいました。
ついでにそう簡単に帰れなくなりました。どうやって帰るんでしょうね、地上へ。


箱庭は第二戦へと向かいます。
次回も、お楽しみにしてくれていると嬉しいです!




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連接の交感(アーティキュレート・シンパシー)




どうも!

自分で自分に飯テロをするかかぽまめです。


では、始まります。


 

 

 

『アルスロンガ、ヴィータブレヴィス』――――

 

 

天使を見た。全身に雲を纏った目に悪いくらい黄色い長髪の天使だ。

死に直面する場面は数多けれど、まだお迎えが来たわけではない。勘違いで連れて行かれても困るが、追い払う術がないのだ。私にも、仲間たちにも。

 

霞をかけて広がる雲は少なくとも表面だけは嘘偽りのない白色で。上質な和紙ようなエクリュカラーで不定形の羽が2対。靡いて重なり、そよぎ離れる。

人間味の無い顔は彫像の方がまだ多彩な表情が表現されているだろう。個として成り立つ存在は感情を伝える相手がいないから、その必要がないから表に出す事をしない。

 

 

夜だった外の景色は上塗りされたような青空に変えられた。時間が早送りされたとも考えられなくはないが、この背景がまるっきり変化する光景に見覚えが無くもない。

しかし、思い出そうとしても思考は赤い森の中で彷徨い、得難い答えを探し出せずにいる。

 

思考が数度の遭難を迎え、頭を振って集中する。緊張の瞬間を前に無駄な考えを払拭していった。

遠い答えより目の前の問題を片付けるのが先だ。死んでしまえば答えにも行き着けない。

 

 

見据えた生成色の芸術品に羽ばたきは見られない。でも、その羽は贋作ではない。

天使は既に私と同じ地に降り立って、高空のように澄んだ空色の右目で冷酷に見下しながらその足で人間を踏み付けている。

 

自分と似たミモザの黄髪少女から上がる嗚咽が途切れてもその足は振り下ろされ――

 

 

「『鉄沓』ッ!」

 

 

執拗ないたぶりに終止符を打つべく繰り出した蹴りは白い雲に呑まれ、確実に捉えた間合いはまたもや天使の羽を揺らすことさえ出来なかった。

代わりに這いつくばる少女が悪辣な天使によって蹴飛ばされる。何度も、何度も。頭を、背中を、手を、地面に打ち付けて踏み潰される。

 

 

パパパパーン!

 

 

追いかけて火を噴くシグの弾丸もまた、天使の気を引くまでに至らない。

雲は意思を持って動き、種も仕掛けもないマジックを披露する。銃弾は命中の直前に形も熱も影も失い空砲に帰した。

散々手品師だの奇術師だのと呼ばれた私も解き明かせない超常的なマジック。ただ、観客席から飛び出すのは歓声ではなく苛立ちを込めた舌打ちだけ。

 

接近戦に切り替えようとしたダークブラウンの少女に待ったを掛けて一度呼吸を整えさせる。熱くなり過ぎだ。彼女も私も。

 

 

『ノリ・メ・タンゲレ』

「『私に触るな』だってよ、クロん」

「どこ語か知らないけど、嫌味か?人の蹴りを余裕で躱しておきながら触れるなってのは。だったら蹴飛ばすのを止めろって翻訳してくれ」

 

 

一菜は無駄だと思うけどとは言いつつも、「のりかちたーん(蹴るな!)」からの「ぷるすばすたーでぃす(このチキン野郎!)」と叫ぶ。罵声気味に。

何語だろうね。そして二言目って絶対余計な言葉をプラスしただろ、この人。

 

しかし、こちらには青い目もくれず足元の少女を虐げる。その様子は被虐対象が敵だろうと味方だろうと気分がいいものではないね。

ギリギリと歯軋り音を上げる隣の相棒を制するのは早くも限界だ。彼女の怒りが相当溜まっているのは明らかで、当然私も同様の激情に身を焦がす。

 

 

燻り、苛立ち――届かない銃撃と近接格闘がいつも以上に酷くもどかしい。

当たって効かない絶望を味わうことも無く、当たらない現実が焦りを生む。敵が強いのであればなおさら心の逸りは禁物。警戒すべきだ、あいつはそれも狙っている。

 

 

「クロん、あたしプッツンだよ」

「……落ち着いて、許せないのは一緒です。私も少し冷静になります」

「だって!あの子殺されちゃうよ!思主にとって思主は一番優れた栄養食みたいなもんなんだ。理性の塊を直接取り込めるわけだから!」

「分かっています、分かっていますけど……!」

 

 

有効な攻撃手段があれば試している。だから一菜を止めた。

万全の状態でも手も足も出なかったのだ。私の両腕を隠され、一菜の片足片目を消されている現状は飛車角落ちでプロ棋士に挑むようなものであり、手を尽くす為の手も、足掻く為の足も、勝ちの目を見る為の目も存在していない。

戦場は完全なワンサイドゲーム。向こうは戦いと認識しているのかすら怪しいな。

 

 

「あたしは行くよ。なんか思いついたら力を貸して」

「片足で何が出来るんですか!」

「動けるっ!」

 

 

後ろ足を怪我した獣のように不出来で器用な3足走行で勢いに乗る一菜は、蹴り上げた砂を宙に舞わせて風を切り、ダークブラウンの尾を引いて真正面から愚直に突っ込んでいく。

その勇ましい姿を称えはしないが、蛮勇だとは笑えない。少なくとも私は彼女の描く尻尾の軌跡に突き動かされていた。

でなければとっくに心が折れて、今も腕を失ったバランスの取れない寸胴の身体を立たせる事は叶わなかっただろう。

 

 

「うっらぁぁああーー!!」

 

 

勢い任せの接近は見事に功を成し、ヘッドスライディング気味に避けた白い雲が砂場のシャベルみたいに軽々と固い足場を掘り上げた。人体が触れれば一溜まりもない悍ましい光景に肝を冷やす。

一菜の行動が予測できた私は動かず、フォローに意識を回した。成功しようが失敗しようが一菜にとっては私を信じて使う決死の奥の手だ。言ってしまえば尻拭い。

先走るのは相変わらずだが、他に可能性を持った用立てを出来ないのが非情な事実である。

 

特攻に全力を注いだ少女は、殺生石を出来るだけ自身から遠ざける為に両腕を前方に伸ばし、気合一発で突き出した両拳を強く打ち合わせると、両手から赤熱化した殺生石の緋い光が放たれた。

 

 

「"殺生球陣(キリングスフィア)-ッ!"」

 

 

生命力を奪う生殺与奪の球体が2つも拡大され、障害となる雲を背後へ置き去りに標的となった相手へと向かう。

天使は一菜の緋く光る両手を睨んだ。空白に捧げた左目は天使の目となり一直線に接敵を図った一菜を映し取る。

 

 

『ストゥールトゥス...』

 

 

殺生石に反応を示し、何も存在しない空間から送信された声がそこら中から届く。

空白のスピーカーがあちこちに設置されて、私の肩口に生まれた空白からもサラウンド音響を強制的に聞かされた。耳を塞ぐ腕はない。肩から伸びるのは血の流れない純粋な痛みだけ。

 

不愉快さを露わにした発言に殺意はない。なかった。

天使には殺す意志などなく、その羽は埃を払っただけなのだ。床に転がった少しだけ大きな埃の塊を、目障りだからどけた。

 

 

「"いち……っ!"」

 

 

……床ごと埃をどける。

地面ごと、緋い光が消える。

 

空気を裂く音。空という亜麻繊維の画布を破り捨てる音が鼓膜に届き、失敗作品として裂かれた空の青さが遅れて私を塗り潰していく。

青空の向こうには同じ色の空。画材はいくらでも補填が用意されているらしい。

 

一本の羽根から新たに生み出された巨大な渦雲が急激に膨張し、一菜が見えなくなった。と――

 

 

「"にごぁあーッ!?"」

 

 

破れた絵画から取り除かれた一菜が丸太のコロのような横転で雲裾から転がり出て来た。

回避能力が随一の彼女は羽ばたきの視認直後に技をキャンセル。回避行動に移行し、見事脱出に成功したようだ。

紙一重で避けられたことは彼女の制服の上着がマントになっている点で察した。ブラウスにも虫食いが見られるし、発育が良かったら大変なことになってたよ。

 

 

「"一菜ー!もっかい行けそう?"」

「"リキャストターイム……"」

 

 

途中で止めたものの、発動まで進めた殺生球陣の後遺症が残る。半開きで気怠そうなカフェラテの目が仰向けの少女から向けられた。

起き上がれそうにもないな。あの鈍器と変わらない銃も構えられやしないだろう。

 

雲が晴れた隙間から、改めて天使の姿を拝謁する。

白い肌にフリル付きのニーソックス、清潔さを保った武偵中の制服とスカートは防弾防刃性。左目尻の下には泣きボクロがあって、豹変した彼女が彼女であった証として存在を主張していた。

 

 

『"芸術は長く人生は短し"』

「!!」

 

 

空白に消えた大地から。彼女ではない彼女の声が響く。

仕切られた青空の空間は音を反響させた。何度も何度も。同じ言葉が聴覚を刺激する。

 

彼女は日本語を話せなかったはずだ。それがどうした事か、一言目から小粋にことわざを使ってくれちゃっている。

まるで日本で生まれ育ったかのような、外国語訛りもない純粋な日本語発音に耳を疑う。だが地を違えてたった数ヶ月で、聞き慣れた母国語は私を欺かない。確かに日本語だ。

 

 

この現象を私は良く知っている。短期間でこの人格の入れ替わりを幾度目にすればいいのか。

箱庭が開かれたのは思金があるから。そして思金を持つ思主は人格が個の存在ごと入れ変わるというのがパトラの説だ。この戦役にはまだ、境遇を同じくする者達がいる。

 

 

『"カイハは嫌いだ、ハナより話が通じないお堅い奴なんだよ。だから黄思金は起きる前に喰わせてもらう"』

 

 

なら彼女もきっと……

 

 

『"邪魔をしないでくれ、クロ"』

 

 

乗っ取られたんだ。

右目の涙は、見間違えなんかじゃなかった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「――嫌な占いが見えてしもうたの。クロを占うと碌なモノが視えんが、今回ばかりは感謝せねばなるまい」

 

「どう?クロとの決闘は苦戦しそうかしら?その水晶を私に見せてくれてもいいじゃない」

 

「……考え直せ。妾は参加しとうない」

 

「??あらそう、1度不覚を取っただけで竦んでしまったのね」

 

「妾を侮辱するか?恐れておるのはクロではなく、お前も薄々勘付いておろうが次の襲撃では奴が動く。すでにバチカンも無能な修道女どもを警邏には回さぬ上、手間取れば奴の手から逃げ延びられはせぬぞ」

 

「分かっていてよ。トロヤお姉様が洗錬に入った、お父様は私には止められないわね」

 

「吸血鬼の父親は優秀なバトラーでも雇ったのか?伝え聞いた巨躯であればとうに見つかってもおかしくないのぢゃが、足取りがとんと掴めぬ。こそこそ動くような輩でもなかろう」

 

「さあ、それは分からないわ、数年も()()()お会いしていないもの」

 

 

「パトラ様ー!浴槽の用意が出来ましたじゃー!」

 

「ヒルダよ、もう1度言うぞ。考え直せ。力は貸せぬし、藪を突いて天使を見る事になる……ハトホルよ、お前も共に入れ。話がある」

 

「分かりましたじゃー!ケケット、火加減は頼むのじゃよ」

 

 

「天使、ねぇ」

 

「知らぬが仏ぢゃ。思金など関わるものではない」

 

「あなたが言うのね」

 

「人の身には余る代物、困った負の遺産よのう」

 

「下賎な人間が獣人から奪い、遥か昔から作り上げてきた至宝なのでしょう?素晴らしい力じゃないの、見た目は下品に染められていて高貴な私の趣味ではないけれど」

 

「力だけはの。思金には妾やお前が使う超能力のように、暴走を互いに抑圧するための相性がある。『覇王』は『百鬼』に強く『妖魔』に弱い、そして『星核』に呼び寄せられ、『天使』を呼び寄せるのぢゃ」

 

「……天使、ね」

 

「ハトホルを独りにはさせぬ。占星術は天使の出現を示したからの」

 

 

「パトラ様ー!わしは用意出来ましたじゃー!」

 

「パトラー!私もー!」

 

「リンマよ、お前はヒルダと話しておれ」

 

「ええーッ!?ヒルダの顔が怖いじゃん!?」

 

「私の目の前で――」

 

「うじゅッ!!……う、うじゅ~?」

 

「お話しよね?いいわよ、眠れなくなるくらい面白い話をしてあげる」

 

「お、おやつの話しよう?みんな幸せ……有とか、無とか……?」

 

「う~んと、そうね。とっても面白いおやつの話があるの。もちろん、聞くわよね?」

 

「う、うん。甘いお話が良いなぁ?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"クル!見て下さい!今度のはとても綺麗に焼けました"」

「"チュラのもキレーだよ!"」

 

 

私の前には塩気のあるビスケットの山、山、山の脇につまみ食いの跡。それと両脇には実に楽しそうな2つの笑顔が並んで、白い粉を粉雪のようにふりかけたままこちらを覗いている。

 

現時刻は夜の7時。晩ご飯には丁度いい時間だ。

キッチンには味噌特有の香りもトマトやチーズを焼いたツンと鼻をつく匂いも一片も無く、ただただ甘い香り、甘ったるい中にたまに黒を連想させる苦そうな匂いが混じって占拠している。

姉さんはどうしたんだ、今夜の夕食は姉さんが担当だったのに。手の届く未来はオヤツパーティーまっしぐらじゃないか。

 

 

「"ええ、まあ、綺麗ですね。とっても……"」

 

 

気のない返事は2人を萎えさせるどころか火に油を注ぐ結果となってしまったらしく、妙に息の合った目配せをして更なる調理実習を再開する。

安心したのはオーブンのオーバーヒート音をこれ以上聞かなくて良さそうな事。不安なのはガスコンロのフライパンで多めのオリーブオイルを熱し始めた事だ。

可愛い戦妹(いもうと)居候(ルームメイト)は何かを揚げるつもりらしいけど、下拵えされた材料が見当たらない。冷凍庫の鶏肉や子羊肉を水蒸気爆発に活用されても困るので、よーっく見張っておく。

 

 

「"ただいま、ん、くふぁぁ……"」

 

 

監視の目を光らせていると家主兼本日のシェフが大あくびと共にご帰宅なすった。その手には不審な袋が1つ。

もしやアレがシェフの気紛れメニューの材料か?目に映るものすべてが怪しく見えてしまうな。

 

 

「"お帰りなさい、姉さん"」

「"カナお姉ちゃんおかえりー!"」

「"こんばんは、カナ。下準備は先程終わりました"」

 

 

一家総出で家長をお出迎えすると、姉さん的にこの光景は相当ポイントが高かったようで、夢が叶った少女のキラッキラな瞳で一人一人にハグして回る。眠気も吹き飛んだみたいに機敏だったよ。

 

ウチは土足厳禁。外履きからスリッパに履き替えた姉さんは手持ちの袋をバラトナに預けると、上機嫌に鼻歌を歌いつつ洗面台へと歩いて行った。

それにしても下準備なんてビスケットを焼いただけだと思う。自然とビスケット連峰が築かれたキッチンカウンターに注目してしまったが、つまみ食いの跡が綺麗に片付けられた以外に変化はない。

お腹は膨れるだろう、これだけあれば。問題は顧客満足度ですぞ?結果だけが全てではないのです。

 

 

「"姉さんは何を買ってきたのでしょうか?"」

「"夕食の材料でした"」

 

 

袋の中身を調理場に並べだしたバラトナの背後から声を掛ける。お惣菜ならそれでも良い。カナの帰宅時間に合わせて白米の炊ける良い匂いがし始めたし、残り10分少々で炊き上がりそうだ。

年上の少女は褐色掛かった橄欖色の髪で上体だけ捻ると、揚げ物作業から強制退去させられて不満げなチュラが、私の左腕に巻き付いている姿に片眉を下げた困り顔で微笑む。

 

 

「"テュラ、あなたにもお仕事がありました。チーズとスモーク、それとハムも一口サイズに切るのでした"」

「"うん!分かったー!"」

 

 

労働意欲たっぷりな戦妹を撫で回したい衝動に耐え、指を切らないようにと左手で猫の手の形を真似させる。

カナの持ち込み素材はスーパーに山ほど売っているごくごく普通の材料だけみたいだ。これから本格的に調理するの?お腹が満たされるのは何時になるのやら。

 

 

「"私も手伝いますよ。取り急ぎスープくらいなら用意出来ますし"」

 

 

今から作り始めれば日本米が艶立つまでに完成できるだろう。ピザとかパスタなら単品でも満足感を得られるが、やはり茶碗にはお椀が鉄板セット。

離れられない相棒だよね。

 

 

「"ネム(いいえ)。献立にスープはありませんでした。クルはまだ休んでいるのでした"」

「"そうですか"」

 

 

しかし、パートナーの関係は絵本の読み聞かせ口調で諭され解散。阿吽の呼吸で動く彼らには、周囲には大っぴらにされないだけで芸術性の違いがあったのかもしれない。

仕方がないので4人掛けのテーブルに置きっぱなしになっていた雑誌の束と過去数日分の新聞に目を落とす。バラトナが日中に読んでいたのだと思うが、高校の方は休学の形で申請しているのかな。

 

 

「"へえ~、バラトナさんってこういう男性が好みなんですか?"」

 

 

彼女はマメな性格のようで、男性向け・女性向けファッション雑誌にはどちらにも数ページごとに付箋や切り抜き、マーカーなどが施されていた。新聞の方も同じく切り取られているが、こちらは気になる事件のみを集めている感じだ。

それで、天気予報を毎号取っておく必要はあるの?日本の新聞で4コマ漫画を取っておくなら分かるけど、過去のお天気データは読み返さないでしょ。

 

 

「"違うのでした。私は世間に疎いので勉強中なのでした"」

 

 

背を向けたままのバラトナが答える。さもありなん、箱庭の当日にリボンで全身を飾る民族衣装で来たような人だ。偏った情報で右往左往するよりよっぽど良い。

悲しい事に年中防弾制服の私には縁遠い内容だから続けても惨めな気分になるだけ。たぶん男性用ファッション誌も会話の種かね。

 

……会話?誰とだろう。

 

 

「"勉強家ですね。今度私にも勉強を教えてくださいよ、チュラさんと2人だとついつい遊び出しちゃって"」

「"チュラにもー!"」

「"大したことは教えられないのでした。私は学校の勉強は……あまり、覚えていないので、きっと恥ずかしい思いをしました"」

 

 

謙遜するバラトナも武偵中の授業内容を知れば驚きでひっくり返ってしまうだろう。基礎教科のレベルが低すぎて。それでもギリギリなのが私で、アウトなのがチュラなのだが……

 

 

 

ジュワワァァアア……パチパチっ!

 

 

 

バラトナによって油に何かが投入された。尋ねると衣で温度を見ているそうで、音がフライとは違い高音が籠らず弾けて油面を騒ぎ立てている。

この音も久しいな。お婆様が祝い事に盛りそばと一緒に食卓にあげてくれてた天ぷらの揚がる音だ。ホロホロのハモやプリプリのイカゲソを、温められた大根みぞれのツユにくぐらせてジュワァッと頂き、サクサクの衣に包まれたエビはめでたく紅白の塩にチョチョイっと躍らせて……

想像のご馳走にぐゅぅうっと胃袋が広がって、よ、よだれが。

 

でも、エビもナスもシイタケも準備されてないけど、一体何を揚げるので?チクワと海苔なら冷蔵庫に入ってるよ?

 

 

「"テュラ、ほうれん草のおひたしとピューレを常温に"」

「"はーい"」

 

 

良い返事で手をすすいだチュラが冷蔵庫から引き出した手には、昨日の残りのほうれん草とトマトピューレのビンが握られている。

よくできましたと判子を押したいのに、そもそも注文が天ぷらと結びつかない。和食にトマトピューレはかけないぞ、うん。それは創作料亭でやりたまえ。

 

見守る目が監査の眼つきに変わり始めると、リビングの扉が開かれた。外気がヒヤリと首筋を撫でる。

 

 

「"クロちゃん、あなたも洗ってきなさい"」

 

 

冷えた廊下よりは若干温かい室内に、武偵高の制服を着たままの姉さんがコートを羽織って自室から戻って来ていた。リビングもエアコンは付いてないから肌の露出はみんな控えめである。

 

 

「"手は帰ってからもう洗いましたよ。猫の手はチュラさんだけで十分、お料理の助手もお断りされたところです"」

「"綺麗なお顔が台無しよ?今夜は良く冷えそうだから、早めに済ませておいた方が良いわ"」

「"……!"」

 

 

指摘の意味が分かり無言で起立する。嫌々、寒々な廊下への扉を抜けた。

足は扉を開けっぱなしにしている立て付けの悪い部屋へと向かう。ベッドチェアに座りサイドテーブルと一体化したドレッサーを正面からのぞき込んで、ベッドランプを点灯した。口元に我慢できなかった食欲(つまみ食い)の跡も残っているが、本題はそこじゃない。

 

鏡の下の小棚は潜入用の化粧品や小道具が仕舞われていて、どれも姉さんがプレゼントしてくれた高価なものばかりだ。

入学後数ヶ月で一菜やフィオナと仮チームを組み、チーム単位の強襲任務ばかりで活用していなかったそれらの化粧品の中で、唯一毎日使用している物が一番上の鍵付きの段にしまわれている。スカートの裏や靴の二重底に隠している緊急用と同じ物。

 

 

「"今夜は良く冷える、つまりはそっち系の動きが活発ですってよ。くわばらくわばら"」

 

 

変わらないルーティンワークで開放された棚からオーデコロンの"ジネストラ"を取り出し、制服とブラウス、最後にスカートへと手を伸ばしつつ呟く。

衣擦れの音が止み、鳴り連なって無音に近い霧吹きの噴射音が数回。静かな部屋に満ちるトップ・グリーンの個性的な香りを肺腑まで味わう。

 

実はこのコロン、嗅ぐうちに慣れては来たもののトップの爽やかさはあまり得意ではない。姉さん曰く、私に一番似合うとの事だが、納得は出来ないよね。

しかし怖いもの見たさとは違うけれど、苦手意識がまた癖になる要素の1つにもなる。それに数分もすれば瓜のむせそうな青臭さが薄れて甘い匂いに変わるから大きな不満は抱えていない。

 

 

着崩れた服を正そうとコロンをサイドテーブルに借り置く。

 

 

「"っくしゅんッ!"」

 

 

寒いな。確かに今夜は冷えそうだ、天候も。

腕から肩にかけてを擦り肌表面を温めていると、左手が右上腕部の傷跡に触れた。疫病の矢――フラヴィアに付けられた傷だ。

 

 

仮チームで受注した何のことはないCランクの任務だった。

貿易港に狙いを付けていたマフィアの子分格を足止めし、上級生が主犯を捕縛するのを援護する任務。銃撃戦が予想されるから高ランクだったけど下級生なんて要らないレベルだった……そのはずなのだ。

 

 

(私と一菜が目立ち過ぎたんだろうな。セオリー通りに動いてたけど、スイッチは入れてたから)

 

 

降ろされた積み荷の一角に近付いた直後にブロウガンで射られた。余りの衝撃に呆気に取られて、吹っ飛んだ痛みも感じなかったな。

一菜がツーマンセルで行動してくれていなければ、私の右腕は使い物にならなくなっていただろう。

 

重症者は私1人だけ、トップはすぐさま逃亡したため配下10人程を捕らえたのが終局だ。

貴金属や卑金属、鉄鋼資源、自動車部品、大量の子供向け玩具や衣類が積まれていたらしいが、盗難は未然に防がれ任務は半分成功といった所。まあ、私は姉さんと一緒に後片付けしたけどね。

 

武偵は何でも屋。パレルモ武偵高に所属していた彼女も任務で動き、あの場でかち合ってしまったんだな。マフィアの仲間じゃなくて何よりだよ。

 

 

(傷跡……残っちゃったな)

 

 

天才外科医でも肉体は作れない。

自然治癒に任せるしかないんだよとゾーイ先生に診断された。それでも抉れた体を上手くくっつけてくれたよ、継ぎ接ぎ名人だねあの先生は。

 

クルっと肩を一回しして、上着も着込んだ。

さて、今夜は仕事かもしれないし、マイエンジェルはお留守番。整備済みの黒く塗色されたコルトを携え射撃の構えを取る。

冷え込んだ空気でヒンヤリとしてちょっと重い。掌から、指先から体温が伝わり、身体と一体化したコルトに命の脈動が吹き込まれていくようだ。

 

 

「"最初は憧れから。でも、今はあなたがカナの影を支えてくれている"」

 

 

スイッチを入れれば、コルトの放つ凶弾とその力強い反動が脳裏に浮かぶ。

防弾チョッキ越しに気道を圧迫させ、内臓を暴れさせて喀血させ、短機関銃だろうが散弾銃だろうが構わず叩き落すマンストッピングパワーに優れたその雄姿は、敵を威圧し戦意を奪う。

カナが『平和の作り手』なら、私はさしずめ『平和を做す者』がお似合いだ。

 

スイッチを切り、鏡越しに格好をつけてみる。

 

 

(あははー……格好付かないなぁ、私は)

 

 

口元を払いながらコルトとコロンを別々の場所にしまい、一番上の鍵を閉める。

今日も私は、光と共にあり続けられているんだ。そう思うと少しだけ足早に、光の溢れる部屋へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"なるほどね。なるほどなるほど"」

「"?どーしたの、戦姉(おねーちゃん)"」

「"いえ、私達姉妹が好きそうな献立だなーと"」

 

 

今日の食卓は変わり種だったね。

平大皿のウッドプレートにはブログに載せられそうな、センスが光る女子会メニューが花咲いている。

私、これ知ってる。しばしば無料提供される軽食で一菜の好きなブルスケッタみたいだ。

 

ザクザク食感のビスケット上には、スモークサーモンにトマトピューレとオリーブのあらびきガーリック、生ハムに薬味の白ネギとマスタード、もしくはチーズとバジルソースがけ。

この一皿であらかたの色彩が揃っている。女子力高いなぁ。

 

 

その隣の陶器の耐熱グラタン皿に敷かれたキッチンペーパーに月見団子よろしく錘状に重なっているのはチーズ入りライスコロッケ(スプリ)だ。

揚げたての香ばしい匂いもまた、おこげを連想させて食指が動く。むしろ指が蠢く。

 

 

「"クロちゃん、おやつに買い食いしてるでしょ?"」

「"……黙秘で"」

「"間食はほどほどに、ね?"」

「"う、はい。気を付けます……"」

 

 

美味しいから仕方ないよ。ピッツェリアの至る所で販売しているのが悪いんだ。

チュラがコロコロのモッツァレラボールをほうれん草を混ぜ込んだライスボールに包んでいた。その内何個かにはカレー粉末やかつお節がまぶしてある。間違いない、食べる前から美味しい事が保証されている。

 

 

「"カナ、ビスケットのフリッターは日本料理でした?"」

「"メレンゲが入っていなければ日本料理ね。その場合はフリッターじゃなく天ぷらと呼ぶの"」

「"てんぷらは甘くておいしい料理でした"」

 

 

別に天ぷらのすべてが甘い訳ではないのだが、これは甘い。デザート感覚だよ。

カナに問い質したら、やっぱりビスケットは焼き過ぎだったみたいで、急遽スプリの揚げ油を再利用したとの事。

素朴な味は後を引く優しい味で、味付けも自由度が高そうな一品に仕上がった。

 

"揚げ物は炭酸水"の意識が根付いた私がサンペレグリノを勧めたら、チュラとカナはグラスに注いだ。バラトナは炭酸が苦手みたい。

 

 

「"そうだ!昨日一菜ちゃんと決闘したでしょ?"」

「"んぐっ!もしかして、噂が広まっちゃってますか"」

 

 

スプリのフレッシュなチーズを味わっていたら、カナに箱庭の話を振られた。

武偵学校の教務科にもこれ以上顔を覚えられたくないのに、武偵高の先輩にまで目を付けられたら平穏な学校暮らしから遠ざかってしまう。

 

 

「"大丈夫よ、箱庭の話は広まらない。知っているのは知り得る実力者だけ"」

 

 

(あ、そう。全然大丈夫じゃないって事ですね)

 

夜道は人外に、昼間は人間に気を付けるとか、心休まる暇がない。

 

 

「"傍から見ると接戦だった、ってお話を耳にしたのだけど、睡眠期には陥らなかったのね?"」

「"……言われてみれば不思議ですね。全力を出し切ったつもりだったんですが、翌日には登校出来るまでに回復してました"」

「"何かが違ったのかしら"」

「"うーんと……いえ、思い当たりません。セルヴィーレも発動しましたし、集中力も体力も限界まで使い果たしています"」

 

 

睡眠期に入る条件は単なる疲労だけではないということかも。

それとも疲労回復に良い何かを、知らない内に口にしたのかな?

 

そもそも意識混濁期間には入ったのに、睡眠期には突入しない経験なんて初めて……初めて、か?

記憶が飛ぶことは、前にもあった。そう、例えば一菜と徒手格闘戦を行った時とか。喧嘩の原因は謎に包まれたまま……って!

 

 

「"姉さん?姉さーん!も、もしや……"」

「"……ん、んえ?"」

 

 

帰宅時の大あくび、こっくりこっくりと前後に揺れる頭、擦った目は開かない。

この症状は――

 

 

「"このタイミングで睡眠期に突入……ッ!?"」

「"んっ、くふぁあ……"」

 

 

 

――――一家の大黒柱が……戦線離脱ですかぁーッ!?

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


前半はパトラの占い、後半は遠山さん家の夜ご飯でした。

天使との戦いはパトラの水晶に映ったものでしたが、クロと一菜が戦っていました。この未来は実現してしまうのでしょうか。
クロ同盟が初勝利を収めたかどで、カナがあくびを始めました。怪しい影の存在を仄めかしていましたし、問題事は続きます。




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探求の振子(ダウジング・ペンデュラム)




どうも!

油揚げの味噌汁にはまっているかかぽまめです。
あえて油分を残してちょっとだけこってりしたみそ汁にウマウマ!キヌサヤかインゲンがあれば尚旨し!


良く冷える夜が始まりました。
クロは何事もなく夜を越えられるのでしょうか?


ん、では始まります!





 

 

 

(うう……外は寒い、ですね)

 

 

時刻は夜の9時を迎えた。

今夜は8時からセリエAでのASローマの試合が放送されるとあって、サッカー大好きヨーロッパの道を行き交う人波はない。後半戦が箱庭の少し前に始まっていたようだ。おかげで暗い夜道をパラティーノの丘以来の独り散歩。

夜戦用の黒いロングコートは動きを阻害せず、防寒機能もある優れた良品であるが、寒いものは寒い。お店で買った食後のホットコーヒーも空になっちゃった。

よく食べた後の風は気持ちが良いもの。しかし、変な奴らばかりに絡まれる私からしてみれば、()()()()()風は不幸を運ぶ風そのものだ。

 

……そら来なすった。

正面から、それこそパラティーノの丘で出会った少女が被っていた物と同型、つばの大きい中折れ帽子からゴールデンオーカーのツインテールを垂れ下げて、1人歩いて来る。

マリンブルーのブレザーに白のチノパンと黒い革靴、フォーマルなメンズファッションなのにネクタイは締めていない。彼女は箱庭で橙色同盟の起点となったイギリスの代表者で、名前は……あれ?……あ!そう、確か……えっと。

 

 

なんだっけ。

 

 

少女は手に持った金属製の振り子を上着の内ポケットにしまい、柄悪くこちらを睨んだ。いきなりやる気か?

こっそりとスイッチを入れ、周囲を探る。敵が1人とは限らないからね。現に後ろから挟まれているようだし。

 

 

「"チュラ。明日は探偵科の任務があるから帰るんじゃなかったんですか?"」

 

 

前方に人影が現れスイッチの入った私は、コソコソと尾けて来ていたチュラの気配を感じ取る。

強襲科でありながら探偵科の任務ばかりをこなしている戦妹(いもうと)は、長く過ごした探偵科の先輩や同輩と行動を共にすることが多く尾行が地味に上手い。通常状態だと足音も拾えなかった。

 

不思議ちゃんの考えまでは読めないものの、お国の為に闇討ちしようって腹ではないらしい。

名前を呼ばれると、素直に建物の陰からひょっこりとオレンジゴールドのショートヘアーをちらつかせる。

 

 

「"戦姉(おねえちゃん)からシュッシュの匂いがしてたから。カナお姉ちゃんはお部屋の中なのにすごく寒そうだったー"」

 

 

頭の中のチュラ語辞典では、シュッシュ=香水、消臭、汚れ落とし。私から匂いがしたという事は香水――ジネストラの香りを指しているのだろう。良く視る戦妹は、睡眠期に入ろうとしているカナの変化にも気付いていた。

 

姉さんの――金一兄さんのヒステリアモードは常時スイッチオンのような状態。それで長期間を活動するものだから、自律神経への負担が大きすぎて、元に戻る頃には体温調節すらままならなくなる。

夕食の際にコートを羽織っていたのは単に戦闘を予測してではなく、室内の寒さでパフォーマンスが低下するのを防ぐ為。食卓に並んだサーモンやチーズは体温を上げる陽性食品だし、ビスケットも香りは甘いが天然塩にすることで砂糖による体温の低下を避けていたのか。

 

香水の匂いが強い時は任務の時だと認識しているチュラは、カナ不在の状況で戦闘が行われる可能性を想定し、寮に到る道程の半分まで送り届けた私を心配してくれてたんだ。

送迎の意味がないけど助かった、未知の相手に2対1のアドバンテージを取れるのはでかい。

 

正面の相手から敵意を感じ取れていたし、何となくだが超能力者の雰囲気ってものが分かるようになってきたよ。きっとステルスに関わる案件が多かったからだと思う。

また新手の魔女。それもパトラやヒルダ、メーヤさんみたいな規格外には及ばずとも、武偵高の殲魔科に所属する先輩方より格上だ。

 

 

「"こんな時に命知らずを見付けた。スペインの思主も一緒か。イチナの言っ通りだったな"」

「"一菜?一菜が何か言っていたんですか?"」

 

 

同盟を組んでいたんだし、チュラと私が一緒に行動していることを情報共有していたのかな。

発音が幾らかマシになったけど、あれだけ恥を掻いたろうに日本語にチャレンジする精神は賞賛に値するね。

 

程なく、話題に挙がったチュラが私の隣に並ぶ。

準備は万全。補給したてだからスイッチの入りも深いぞ。

 

しかし、質問に対し帽子のつばを持ち上げた彼女の顔にはでかでかと面倒臭いと書いてある。良く知らんが既に消耗してるっぽい。

 

 

「"おい、命知らず。イチナはお前が……Umm(あむむ)、親切な奴だと言ってた。手伝え"」

 

 

会話のキャッチボールをしてはくれないようだ。大まかな説明をも省いて手伝えと来たか。嫌ですよ、めんどくさい。

 

 

……ま、まあ困ってるみたいだし、話くらいなら聞いてあげなくもないけど。

 

 

「"さっきのペンダントと関係がある仕事ですか"」

「"ん、ばか。これはペンデュラム。芯にオランダ古来の加工技術で研磨されたダイヤ、外地はpt900(プラチナ)で覆った一級品。わち……ウチのは小さいけど、ニュートラルな大質量のアクセサリーはレアなんだぞ。ダウジングの成功率は90パーセントより高い"」

 

 

(ペンデュラム?新しい小麦の品種かな?)

 

とぼけてみてもダウジングという魔術用語は聞き流せなかった。ナチュラルにバカって言われたのも聞き逃してないぞ。

ダウジングとは科学が発展した現代でも捜査の最終手段として用いられることもある、失せ物を見付け出す超能力。使用器具による成功率の上下は知らないが、自信満々に紹介してくれたデュラム小麦……じゃなく、ペンデュラムは高価なだけでなく貴重な装飾品らしい。

 

L字の棒を持ち歩く生徒を校内で見かける日もあるが、振り子装備で彷徨う輩は彼女の言う通りレアだね、まずいない。歩きながらじゃ勝手に揺れて使い辛いでしょうに。

 

 

「"失せ物ですね。大事なものを落としてしまったと"」

「"うせもの……?とにかく大事な(もん)、すぐにいなくなる。ウチのダウジングの大半は無駄な浪費してた"」

 

 

頻繁に物をなくすのか。そして何故落し物が自分から消えるみたいな言い方するんだよ。子供かいな。

ふぅと息つく顔はてんで反省してなさそうで、無償で助けてあげたいとは思えない。それどころか恩を仇で返してきそうな予感がする。

 

 

「"それを手伝う事で、私に利益はあるのでしょうか?武偵はロハの仕事を推奨していないんです"」

「"ん、けち。ジンジャーブレットを焼いてやる。うまい"」

 

 

(ジンジャーブレットかー。報酬がやっすいなぁ)

 

強襲科の個人経営店舗の警備とか探偵科のペット探しの相場を軽く下回ってきた。でも、税金も発生しない報酬なら仲介も必要ないか。

敵対関係といっても私怨がある訳でもないんだし、遅い時間に街中を女の子独りで練り歩いて事件でも起きたら夢見が悪いもんね。起こす側かもわからんけど。

 

判断材料として、横で微動だにしない戦妹を見る。初見が対象だと精度は落ちるが、チュラのウソ発見器にも反応なし。

戦意が消えた事は振り子を取り出してブラブラさせている様子から窺い知れたけど、確認が取れたよ。

 

今、話し掛けていいのかな。

 

 

「"詳しい話を聞かせてください。探しているのはどんな特徴を持っていますか?"」

「"どんな?どんなって……赤い"」

 

 

(大雑把すぎるだろ。家からトマトピューレ持ってくるぞ)

 

集中しているのか返答がかなり適当だ。

円錐型に加工されたプラチナ製アクセサリーの鋭角が小さな円を描く。こんな真っ暗闇の舞台裏でなく、光源の溢れるステージに上がれば本来の光沢を存分に披露したろうに。

 

 

「"場所の検討は付いているのでしょうか、その占いで"」

「"ノー、また移動してる。どっち行った……?"」

 

 

移動しているなら拾われたか、盗まれたか。

精度は高くても発見してから移動するまでに距離が離れてしまうらしい。GPSと違って速攻性がないんだ、彼女のダウジングは。

 

(日本なら交番に届けてくれそうなんだけどね、望み薄かな)

 

持ち去られた。そんな事は百も承知で追っている彼女の額に汗が流れる。

人外の派手な魔法を経験していると不思議に思うけど、人間が超能力を行使する事の大変さを知らない。フラヴィアも回転の後はいつもだるそうにしていた。

 

 

「"手分けをしましょう。私達が足を務めますから、あなたは位置の特定に専念してください。チュラ、行けますね?"」

「"うんー!チュラ、戦姉とおさんぽしたーい!"」

 

 

理由はともあれ、チュラはノーウェイトで引き受けてくれた。イギリスの代表戦士も数秒間だけ首を傾げ、

 

 

「"足になる?……っ!お前……面白い発想してる。イエス!それで行くか、落とすなよ"」

「"??"」

 

 

え、落とす?

 

(大事な(もん)を落としたのはあんたでしょ、そう突っ込んで欲しいのかな。ツッコミ待ちなのかな?)

 

別段面白い事も言ってない。つば広の帽子を押さえて、にしし……って笑われても私が首を傾げる番なんですけど。

 

 

「"さあ膝をつけ"」

「"何でですか!?"」

 

「"乗れない!"」

「"何にですか!?"」

 

「"お前にっ!"」

「"どーしてそうなるんですかッ!"」

 

「"足になるって言ったろ!"」

「"それ、ちがっ……比喩表現ですよ!アッシー君になるとは一言も言ってません!"」

 

「"乗ってみたい!"」

「"やですっ!"」

 

「"身長が高いのはズルい!乗せろっ!"」

「"おんぶなら彼氏にでも頼んでくださいよっ!"」

 

 

なんで!なんなの!なんでなの!

 

 

どうして私は敵国の戦士におんぶをせがまれてるんだ。

遂には実力行使に出始めたけど身長が低いから全然届かず、木登りの要領でしがみついてきている。重い。

チュラも対抗しない!後ろを取られたからって前に抱き着くんじゃありません!

 

前に後ろに隙無くいなし、前後のおでこを正面衝突させる。

小気味いい音が眼下で響き、私の頭突き説法で鍛えられたチュラだけが額をさすって立ち上がった。もう片方は伸びちゃいないけど、頭を押さえ込んで臥せってる。痛かろう、私の頭突きはもっと痛いぞ?

 

 

「"アゥーチ……ソーリー、マイバッド"」

「"分かればよろしい。それで、携帯は持ち歩いてますね"」

「"ある。メンゴ、身長が伸びないのが……あむむ、ネガティブしてる"」

 

メンゴて……。あいつから学んだか、間違った日本語を。

ネガティブ少女の身長は確かに低い。個人差は覆せないし、中学生で成長が止まっちゃったパターンかな。

 

「"言う程低くないですよ、世にはあなたより低い人もいますから。パオラって名前のクラスメイトも同じ悩みを持ってます"」

「"そうか。そいつ、彼氏はいるか?"」

「"え?えーと、たぶんいないかと"」

 

意外にも彼氏の有無が気になってるようだ。

パオラは男女関係なくマスコット的な可愛さはあるけど、仕事熱心で真面目過ぎる。彼女の魅力に恋愛感情を持ってくれる男子は……残念ながら少ないだろう。外見がね、色気とは縁遠いキュートな子供だから。

 

「"魔女か?"」

「"非超能力者です。武偵ですので、一般人ではありませんが"」

 

パオラに随分と興味がおありで。同じ悩みを持つ仲間を探してるんだね。

 

「"お前、何歳だ?"」

「"13です"」

「"……聞きたくなかった。そのスタイルでメラニーと同い年か"」

 

メラニー?友達かな。

 

「"エンドユー?"」

「"シャラッププリーズ"」

 

不機嫌になった。なんだよ。

 

まだ足取りは覚束ないみたいだけど寝そべりからは復活し、閉店しているお店の軒先で脚を開いてどっしりと階段に腰掛けた。

パンツのポケットから取り出した携帯を開け、電話帳を準備している。

 

 

「"ナンバー教えろ"」

「"いいですよ……あ、すみません、間違えて普段使い用の携帯を持ってきちゃったみたいです"」

「"なんでもいい。どうせ今夜だけのもん"」

 

 

彼女の言い様に思う所はあるけど、必要な処置なので番号を伝える。

間もなくバイブレーションが手元に伝わった。音は消してるからヴー、ヴーという音が耳に良く聞こえ、カラフルな明滅が着信をお知らせ――ブツッ!

 

 

――――着拒。

 

 

「"おいいっ!出ろよ!"」

「"焦らない焦らない。電話料金がかさむので、先に自己紹介しましょう"」

「"は、はぁ?"」

 

 

任務を開始したら名前を知らないのは致命的だ。

呼び慣れるとまではいかずとも、多少のコミュニケーションを取っておけば意思疎通も図り易くなるはず。

 

 

「"私はクロ、好きなパスタはカルボナーラ、好きなピッツァはビスマルクとフォルマリッジ、好きなスイーツは――"」

「"食ってばっかだろ!なんで自己紹介なんか――"」

「"チュラはチュラだよー。好きなパス――"」

「"聞いてない!"」

 

 

む、自己紹介の内容が気に食わないご様子。好きな食べ物が合致すれば会話も弾むかな、と思ったんだけど。遮られたチュラがトラフグならぬチュラフグになる結果となった。

好きな物の共有は会話の幅を広げる要素、嫌いな物の共有は互いを尊重する為の要素。折角話す機会を得たんだ。知りたいじゃないか、相手の事を。

どうせ今夜だけ、だなんて寂しい事を言われたんじゃ、シャラップしてられないよ。

 

 

「"どうぞ、あなたの順です。チュラも、知らないもんモードを解除して聞いてあげて下さい"」

「"むー……"」

「"ウチはやるって言ってない"」

「"お・な・ま・え。教えてくださいな"」

「"おーなーまーえー"」

「"トゥー、ノイズィー……"」

 

 

チュラと力を合わせた配慮の欠片もないごり押しは無事に勝利をもぎ取った。

しかめっ面を引っ込めてようやく話し始めてくれる。

 

 

「"急いでるから乗ってやる。ウチの名前は箱庭で知ってるだろうけど……アルバ。好きなもんはメラニーと一緒にオーロラ鑑賞とメラニーと一緒にパワースポット巡り、これでいいか?"」

「"上出来です、アルバ"」

「"アルバ、お上手ー"」

「"そうか"」

 

 

アルバは終えると同時にダウジングを再開し、回転を始めた宝石の下に右掌を広げて簡易的なシートを作り上げている。あれが縮尺不明な地図や分度器の役割を果たすんだろう。

アルバ・アルバトロス――本当はスイッチを入れた時点で思い出してたけどね。趣味は富裕層じみてるけど話題には事欠かなそうだよ。メラニーって子がよほど好きみたい、妹とかかも。箱庭が()()()終わったら、ぜひご一緒させていただきたいものだ。

 

 

数分、集中するアルバの顔を眺めたり、チュラとアルプス一万尺で呼吸を合わせていると、場所の絞り込みが完了したらしい。

それによれば現在、公園でしばらくとどまって動いていないとか。少々遠いがチャンスだ。

 

 

「"移動を開始したら追って連絡する。お前は親切。センキュー、ブリック"」

「"お礼は一仕事終えてからです。さ、走りますよ、チュラ"」

 

 

そう言い放ち、背を向けた。

だがしかし、今一度振り返ってこれを言っておかないとね。

 

 

「"アルバ"」

「"フム?"」

「"次に会う時までに、クロと呼べるようにしておいてください。私の名前はクロですから"」

「"チュラもー"」

「"……イエス、考えておく"」

 

 

ま、考えてくれるだけ及第点か。次の再会を心待ちにしておこう。

準備運動は済ませた。早く帰らないとカナが不安だし、バラトナが眠れないし、さっそく出発を――

 

 

「"ちょっと待て"」

 

 

(なにかな?もしかして、ターゲットが移動始めちゃった?)

 

呼び止める声に足を止めたが、今度は振り返る必要はなかった。

目的地は変わらないみたい。ただ……

 

 

「"頼む、この……あむむ、リペイは誓って果たす。クロ、チュラ、メラニーを任せた!"」

 

ん?メラニーを任せた?

落し物じゃなくって?――ああ、そういう事ね。

 

「"っ!はい、任せられました!"」

「"あむむ、任せられましたー!"」

 

 

……スタート地点は、ちょっとだけ弾みがついたよ。合格(ごーかっく)

 

 

 

落し物の正体は、迷子のメラニーちゃんね。

多分その子、私会ったことあるよ。多分ね。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「理子様、あなたの手番でございます」

「うー!分かってる、分かってるからー!」

 

「うぐ……うぐぐぐ…………」

「――オヴァー、メルシーボクー……おや?理子さん、私が電話を取ってから2手しか進んでいませんよ」

「だってー、さっきから動かせる駒が悪手しか残ってないんだもん!」

「"ツーク・ツワンク"は残された駒に悪手ばかりを打たせてジワジワ追い詰める戦法。投了も近いですね」

「ふにゅー、うにゅー……アリちゃん、動かさなきゃダメ?ダメかな、やっぱり」

「チェスにパスは御座いませんよ」

「ぐぎぎぎ……」

「ふむ、ポーン4体とナイト1体、ビショップ1体しか残っていないと。10対36の反転ポーンあり。戦力差は3.6倍でプロモーションの道は4つとも閉ざされてますし、盤面の立て直しは不可能ですが、最初よりはだいぶ上達したようで」

「はい。理子様はどこをとっても器用にこなして下さいます。ワタシがチェスで敗れるのも時間の問題かと」

「クイーンが2体もいるー……二股キングの国家なんて滅んじゃえ~……」

「あ、理子さんその手は……」

「チェック、で御座います。さあ、お逃げ下さい」

「あーッ!?クイーンばっかり見てて、ナイト見逃してたーっ!」

「ナイトのフォークとルークの串刺し(スキュア)です。ビショップもナイトもキングの後退で守護を失いますよ」

「うぎぎぎ……にゃーんっ!次、次ーっ!」

「お付き合いいたします」

 

 

 

「アリエタ。朝にはスカッタと交代しなさい、理子さんに朝日を浴びせてはいけないと厳命を忘れないように」

「かしこまりました」

「彼女はまだ人間であると思っている。鏡面の物は持ち込み不可、金属は必ず曇らせる事を徹底周知。ティータイムは水色を濃いめで照明を暗く、自分で着替えるような事が無いように配慮しなさい」

「存じ上げております。全てはヴィオラ様のご友人の為に」

「本当なら今すぐにでも絆を断ち切ってあげるのに……」

「我が主の心痛、我が身の至らぬ愚察に恥じ入るばかり。ですが、その力が我らには必要なのです。今しばらくの辛抱を」

「分かってる。私の目的も、あなた達の願いも、星核の力無しでは遂げられない」

 

 

 

「人が人を虐げ、排除する。育むには狭いのに、見守るには大きすぎるんです、この世界は」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

いつの間にか道を奪い合う車同士の激しいクラクション合戦がいなくなって、一足先に眠りに就いた場所にいる。

川縁に植えられた人工の並木道みたいに計算されてはいなくったって、ずっと昔に研鑽された自然との融和を図った広い敷地だ。

 

日本で公園といえばブランコや滑り台等の遊具や雲梯(うんてい)が置いてあって、あぶれた子供が砂場で棒倒しで絶叫し、赤ちゃん連れのママさんが数人集まってカートの中で寝息を立てる宝を自慢したり、苦労話や愚痴を共有する風景が思い出される。

公務や有志のボランティアで整備された低木が柵の内側を一周し、立ち入り禁止の花壇にはチョウチョや小鳥や野良猫が恰好の観察対象となっていた。

 

 

「"チュラ、西側石膏像の通りにはいませんでしたか?"」

「"いなかったー"」

 

 

ローマの公園の特徴は遊具の有無ではなく、緑がありその公園を象徴する石像や青銅像、もしくはモニュメントが設置されている点。極端に解釈すると自然がある広場を公園と呼称している感じだ。

 

 

「"アルバ、移動している気配はないんですね?"」

『ノ……イエス、動いてない。日本人は否定疑問文を多用する。それも文末で掌を返すのは悪い所だと思う』

「"あはは……気を付けますね"」

 

 

待ち合わせに指定した公園の入り口、イタリアカラマツが植えられたロータリーには、御多分に漏れずイタリア統一運動の英雄ガリバルディの銅像が大きな台座の上で馬にまたがっている。

ジュゼッペ・ガリバルディ広場と銘打たれた観光地の1つとして認知されているが、その内容は景色の素晴らしさ。夜に来ても物騒なだけで地元民も避けるスポットだから、人気も少ない。ライトアップされたサン・ピエトロ寺院のドームくらいなら木々の合間から見えているけど。

昼間は直射日光を遮断して穏やかな散歩道を提供してくれる木々も、夜道は視界を奪い物々しく圧迫する悪者に見えちゃうね。

 

 

「"植物園や日本庭園にも人影はありませんでした"」

「"あとはー……"」

 

 

(北側の森林のどこかですね)

 

 

動いていないのは心配だ。アルバの話では病弱でもないらしいし、トラブルで怪我をしているかもしれない。

彼女がダウジングに専念し始めてから徐々に精度が上がりつつある。地図を虫眼鏡で拡大していくみたいに、位置情報の詳細も探知できるようになったようだ。

 

 

「"ツーマンセルで行動しましょう。なにか――"」

「"嫌な予感がするー?"」

 

 

……正解だ。相変わらず怖いな、考えを言い当てるチュラのこの特技は。脳というブラックボックスが覗かれてる気分になる。

 

 

「"ええ、かなり。今度こそ気のせいであって欲しいものです"」

 

 

【挿絵表示】

 

 

そんなこと、何度も願ったものだ。

一度も叶わなかったけど、役に立っているから文句は言えないんだよね。

 

 

「"森林の中は見晴らしが悪いですから、抜銃だけでなくナイフも用意してください"」

「"はーい"」

 

 

だから今回も役立たせてもらうよ。

これは私の、危険イベントダウジング能力みたいなもんだしさ。

 

 

踏み込むしかない一本道に仕掛けられた危険物の、ね。

 

 

 

 

暗い森を進み彼女を見付けた。

 

赤いヒナゲシ色のツインテールは先端が真っ直ぐに切り揃えられていて、つば広の帽子と腰丈のマントを装備したいつぞやの迷子少女だ。

服装だけは普段着で、瞳と同じピンク色のスカートは丈が短く、泥だらけになった黒いマントと色調だけはかみ合っている。珍奇な格好であるのは変わりないが。

 

彼女は落ち葉の上に膝を折り、20~30cm位に寸断、表面加工された木の小枝を右手で正面に向けている。

一目で分かった。戦いがあったんだ、この場所で。

しかし、それは決して同格の争いじゃなかった。一方的に圧倒されたことは、両者の現状が物語っている。

 

 

「当たるもんですよね。嫌な予感って」

「同感だよ。尤も、私の方は知人の占いが当たってしまったんだけどね」

 

 

天空色の瞳が私を見つめ、目が痛むほどの黄味の強い金髪は先端がクルクルと巻いて跳ねている。

キリッと引き締まった表情、その白い肌の右目尻には特徴的な泣きボクロが存在していた。

 

利き腕側の肩を負傷し前線を引いたのは表向きで、裏では仕事を続けているんだろう。

強者の刺すような凄みも、現役から薄れてはいないと思いたい。それくらい、彼女は強い。

 

 

「仕事、ですか」

「ああ、そうだよ。同い年の少女を痛めつけるのは芸術性に欠ける行為だと思っている。でも、仕事だ」

 

 

これが彼女の――パトリツィア・フォンターナの仕事だ。例え相手が年下だろうと一切の容赦はしない。

非殺は守っている。だが、同時に仕事も完了している。メラニーという名の捕縛対象は両足がないのだ。血も流れないままに。

 

 

「"あなたは……!"」

「声を出すなと言ったはずだよ?これ以上私に撃たせないでくれ」

 

 

彼女の持ち銃、M92FSVertecの銃口が見せ掛けの照準に赤い髪の少女のこめかみを収める。

あの銃口から発砲されるのはおそらく9mm弾じゃない。彼女が撃ちたがらない弾は空白だ。それが装填されてる。

 

空間を削りながら進むような異音を発して突き進む見えない銃弾は瞬間的に目標へ到達し、彼女の想像通りに空白を作り出す。

防ぐ事も躱す事も不可能な、超常的な攻撃。

 

それはスイッチが入っていようが、()()()対抗できない。

 

 

「……また、邪魔するんだね。いいよ、クロさんとの戦いで今回の仕事に芸術性を見出そうかな」

「彼女をどうするつもりなんですか?」

「英国には魔女という職業があるけど、ほとんどの国は彼女達を好まない。教えたらあなたは怒るよ」

「そう。その一言で十分です」

 

 

構えないまま構える。

前に戦った時はベレッタ装備だったし、成功率が低かったから不可視の銃弾の使用を避けていた。

しかし、今回は条件が違うぞ。装備も闇夜に紛れる黒い防弾コートとコルトSAA、戦いへの慣れも、あの時とは違う。

 

 

「私は彼女の救出を依頼されています。邪魔なのはお互い様ってことですよ」

「ふん。あなたはコロコロと立場を変える。その内寝首を掻かれるよ」

「ええ、よく言われます。目下の不安は同盟国から訴えられるパワハラの冤罪ですけどね」

 

 

私はまだ、攻めない。他力本願なのは本意ではないが、パトリツィアとの戦いでは正体不明の攻撃を防げるチュラの存在が必須だ。

何回防げるのかは不明。しかし隙を突かなくては彼女にはダメージを与えられないだろう。前回は不意打ちでお見舞いした鳩尾への蹴りが無駄にされている。

 

 

「チュラ、あなたもお手伝いするのかな?クロさんでは私に勝てない。きっと痛い思いをするよ」

 

 

パトリツィアは自分の能力を無効化出来るチュラを牽制している。ここは戦妹を信じるしかないが……

 

 

「……負けない。戦姉は負けないもんっ!」

 

 

……最初から心配なんてしてない。そうだ、勝ってやるさ。

パトリツィア。あなたの仕事は、今夜未遂に終わらせてあげるよ。

 

 

「うん、分かった。2人でかかってくるといい。ハンデはいるかい?」

「あなたも学びませんね。学校では私を舐めていて蹴りを喰らったくせに」

「舐めていないよ」

 

 

ブルーの瞳が閉じられ、彼女は上を見た。

 

 

「"とても綺麗だ"」

「??」

 

 

突然日本語で話し始めた彼女に眉を寄せる。

 

 

「"まるでアリーシャが子供の頃に作り上げた天使の天窓、そのステンドグラスみたいで"」

「"パトリツィア……?"」

 

 

再び目を開いた彼女は涙を流していた。

 

 

「"触れれば割れてしまいそうで。でも、近付きたくて仕方なかった"」

 

 

感動に打ち震える声が、静寂の森に吸い込まれていく。

 

 

「"欲しくて欲しくてたまらなかった。あの作品を見てからは、他のステンドグラスは全てが劣って見えるんだよ"」

 

 

彼女自身が1枚の絵画のように美しく、私は思わず見入ってしまい声も失う。

 

 

「"吸血鬼に奪われたあの作品は……"」

 

 

憧憬の眼差しが、私に向けられた。

 

 

「"あなたが描かれていたんだよ。クロさん"」

 

 

その目は私を。

 

 

 

彼女の世界へと引きずり込んだのだ。

意味も何も。分からないままに。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで下さりありがとうございました!


やっぱり、今回もダメだったよ。
あいつは自分から首を突っ込むからな。

ってことで、チュラを途中まで送った帰りに遭遇しました、イギリスの代表戦士。
迷子の迷子のメラニーも再登場です。


友好的なアルバとの出会いで平和的に済みそうかな~……の矢先に天敵が現れました。
チュラと2人掛かりで、メラニーを捕まえようとしたパトリツィアに挑みます。

パトラの占いとは色々な所が違いますが、果たして……?


次回も是非とも、お楽しみに待って頂けると嬉しいです。





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高空の濃密雲(クリアー・ライ)




どうも!

ようやっと書き終わったかかぽまめです。


前回の続き、パトリツィア戦からですが、少々昔話を挟みますね。


では、始まりです。





 

 

 

「……綺麗だ…………」

「わぁ~っ!すっごーい!アリーシャおねえさま!ずっとこの天窓を作ってたんだ!」

 

私が作り上げた世界に、2人の来賓がいる。空の様に青い瞳と太陽の様に黄色い髪、どちらも私とよく似た容姿で、私は2人を良く知っている。

目を見張り作品の感動を一言にまとめた姉と、無邪気に走り回ってこの空間自体を楽しむ妹。2人とも大好きな家族だ。

 

「うん、スパッツィアとお姉さまを驚かせたくて……少し、無理を、してしまったみたい……」

 

遥か上空まで続くステンドグラスを見上げ、時が止まったように静止した姉の姿に確かな手応えを感じた。彼女の遠すぎる芸術に私の手が届いたのかもしれないと、そう自惚れる。この天窓がお姉さまの壊れた心を癒せるのではないかと、そう思い上がってしまう。

努力が報われたことに安堵し、傷だらけになった両手で、落下したガラスの破片が刺さった右太腿の包帯を撫でる。私の1年は無駄ではなかった事が証明される瞬間を心待ちに……

 

「おねえさま。一緒にごはん食べよ?ほら、ちゃんと乾かさないから髪もボサボサになっちゃってる」

「ねえ、ケーキが食べたいから、スパッツィアも手伝ってくれる?」

「ふへへー、ダ~メッ!おねえさまは先に身だしなみからです!いっつも言われる側のわたしから提案だよ?」

「ふふ……そうだった――痛っ!」

 

ああ、痛い。

体中が痺れている。

 

ひと月キャンバスに向かって油彩画を描き続けた時には疼く程度だったのに、この天窓を作り始めて半年を過ぎた辺りから左目が灼けるように痛くなった。それが広がり続けて、痛む。

気休め程度に用意した眼帯は逆効果。目を閉じればあいつが見える。私が……私だけが理性の檻に閉じ込めた、天使。スパッツィアがいなければ、とうに私もあいつに蝕まれていたのだ。

 

「アリーシャ、あれは……天井の女性は……天使かな?」

 

感情を捨てる。

そうして暴走を収め続けて作り上げた作品は、お姉さまの心を掴むことに成功した。

 

感情を、奪う。理性を下回るまで、お姉さまの感情を喰らわせる。

天使を、捕らえる。理性の檻をお姉さまが拒むなら、このステンドグラスでお姉さまを閉じ込める。

 

その作戦の為だけに全力をつぎ込んだ作品。主役は質問に挙がった天井の天使だ。

 

「はい、そうですわ。あれは天使。私達姉妹を祝福する為に降臨なされた神の遣いですの」

 

もっと見て欲しい。もっと夢中に、もっと耽溺し、もっと執着を……

 

「珍しいね。黒い髪の天使なんて初めて見た。とても威厳があって、他と一線を画す神秘性を持つけど……とても暗い。心に陰と枷を持ってる。表情も穏やかだけど恐れてる。彼女は誰かに裏切られている?」

「悪魔でも堕天使でもありませんわよ?」

 

お姉さまの言葉にドキッとした。

あの天使は自分でも意識しない内に、私の心情が綺麗に映し出されている。

 

感情を捨て。恐れから逃げて。心の陰を閉じ込めて安心して。

でも……でも、怖い。恐怖している。目を逸らしている。あの檻から。痛む左目に焼き付いたあいつの姿が。私の枷になる。

 

表面上は平静を装い、取るに足りない冗談で会話を途切れさせた。

 

「とても綺麗だ」

「ごゆっくりご鑑賞あそばせ」

 

まばたきもせず、つらつらと眺めるお姉さまは時折、感嘆の声を私の世界に木霊させる。

その都度、私は相槌を打った。深入りさせて、お姉さまの中のあいつを埋めようと試みている。

 

いつしかスパッツィアも天窓を眺めていた。

小さな丸椅子にもっと小さな体をのせて、最初はプラプラさせていた足もその動きを失っていく。ここでは時間の流れに意識がいかない、一体どのくらい経っているのか曖昧だ。

 

「アリーシャおねえさま」

「どうしたの?」

 

ひとしきり鑑賞を終えたのだろう、立ち上がった妹はトツトツと靴音を鳴らし私の前にやって来た。その歩き姿は良く出来た良家の娘。ちょっと上手に出来すぎている。

……まったく、この子は本当に危ない子だ。伏せたままの彼女は左目を押さえていた。

 

「私達が……怖い?」

 

そう、怖い。

私は私達姉妹の3人ともが全員怖い。

 

今は私がスパッツィアを抑え込んで、私がパトリツィアお姉さまに目を光らせている。

このバランスが崩れれば、またあいつが現れて今度はきっと誰かが欠けるだろう。

 

「ううん、良きライバルよ。あなたの芸術はとても()()()で、筆もヘラも迷いなく、心に素直だもの」

 

だから――

 

『君の作品もとても綺麗だよ、アリーシャ』

「あなたの感想は聞いていませんわ」

 

豹変したスパッツィアの……あいつの左目を手に隠したガラスの破片で刺し貫いた。押さえていた左手ごと。

お姉さまが得意とする近接戦用の技『空隙』は痛みの感情をもたらさず、触れた空間と空間の間に隙間を開く力。だから正式には貫いてなどないし、彼女の身体には傷一つ付けてはいない。

 

…………無論、相手が貫かれたと錯覚すれば、それだけで脳は混乱する。想像すれば、身体に異常をきたす。痛みを与えずに人を殺せる技だ。

 

『酷いな。君達のお父様に見る目がないから、君ほどの天才を手に入れられないんだ』

「私の姉妹を正確に評価していない。見る目が無いのはあなたですわ。やせ我慢などせず、お帰りになられたらどうですの?」

 

悪態をつく私に、不愉快な哄笑が浴びせられる。

つくづく嫌な奴だ。とにかく感情を揺さぶる言動を取って、人の心を弄ぶ。

 

 

芸術は空間を模して造られる。

動物も、植物も、空も大地も海も、全ては空間を描いている。

 

芸術は空間を用いて造られる。

絵画も、硝子細工も、陶芸も、全ては空間の中に生み出されている。

 

 

芸術(あいつ)はキャンバスを飛び出した。空間を飛び越えて。

しかし芸術(あいつ)は空間の隙間には存在しない、出来ない。

 

「痛いのですわよね。空間も何も無い場所は」

『…………帰るよ。あの天窓に妬いてしまっただけだからね。君を取られてしまっては困るんだ』

「大切な家族を取り返すのは私の方ですの。私の芸術で、あなたの支配を超えますわ」

『君の作品を楽しみにしておくよ。ずっとね』

 

スパッツィアは力なく肩で笑うと、いつも通り私に抱き着いて静かに泣き始めた。

震える手で硝子を引き抜き背中を擦る私は、黙々と空の天使を見上げるお姉さまを視界に収める。

 

音の無い部屋に少女の呻くような声が唯一の音となって、それでも。

私達はまだ、この空白の距離を埋められない。遠い遠い。この空間を。

 

「お姉さま、お茶に致しましょう。それから、再びおいで下さいませ」

 

一旦ここを出よう。

スパッツィアをここから遠ざけたくて、あいつの声を聞いたら私も少し気分が悪くなった。

 

「うん、そうしよう。思念動(テレキネッソ)の使い過ぎで疲れただろう、アリーシャ。……おや、スパッツィア、どうしたのかな?」

 

こちらに振り向いた青い瞳が不思議そうに、私の顔と妹の背を行き来する。観るべき対象を失って、焦点を定められていないようだ。

 

「駆けて転んでしまいましたの。心配ありませんわ」

「そっか、それならあなたは彼女を見ていてくれるかな。私が淹れよう」

「ウバは禁止ですわよ」

「分かってるよ。あなたの好きな茶葉にする」

 

ストレートで飲むのは好きだけど、渋い紅茶は苦手。姉と妹は大丈夫なのに、どうして私だけが苦手なんだろう。大人になれば飲めるようになるのか。

甘いケーキは次の機会を心待ちにして、両腕に力を込めていく。安らぎを得た少女は私の腕の中で、もうちょっとだけ甘えたいみたいだ。

 

去り際、お姉さまが部屋の手すりを掴んで止まり上を見た。

私の天窓を名残惜しんでくれているのなら嬉しいのだけれど。

 

「私は、あなたを本当の妹だと思っている。あなたが生まれたばかりで、よく泣く姿を見たんだ」

「赤子とはそういうものですわ」

「あなたが乳母様に抱かれる姿も。初めて立ち上がった時も一緒に居た」

「いつでも見守って下さいましたものね。私もお二人のことは本当の家族だと思っておりますわ」

「でも、いつからだったかな」

「……?何のことですの?」

 

 

私の言葉に振り返った彼女は、黙って左目尻を指差した。

彼女のソコには何も存在しない。かつての私と同じように。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「私が描かれた天窓ですか」

 

 

またか、パトリツィア節。……と流したかったが、様子が違う。

あの目は、スイッチが入った時の私に向けられるアリーシャの目と同じ。彼女も初めて私の変化に気付いた時、「天使(アンジェロ)……?」と同様の事を口走っている。

 

 

『あなたが描かれていたんだよ。クロさん』。

 

 

天使の天窓。そのステンドグラスに描かれた私。吸血鬼。奪われた作品。

彼女の言葉を遡ると、それは過去まで繋がった。

 

『フォンターナ家は既に天使を戴いている』に連想される『末永く仲良くしたいものだと思ってね』。

 

その言葉に紐付けられ、レストランでの食事会、ヴィオラの言葉が蘇る。

 

『第3.情報の価値はその目線によって容易に変わる、時間による視点の移動も考慮せよ』、『情報は時間も空間も所有者も、あらゆるものを超えて、標的の弱点を照らし、撃ち抜きます』。

 

そして、フラッシュバックした光景は時間の流れに沿って現在に戻る。

"シャンデリアの光が届かないほど高い天井"から切り替わり、いくつもの鳥居をくぐって踏み込んだ第一歩、視線を交わした茜色の瞳。最後に暗い牢の中で眺めたオレンジ色のハーブゼラニウムが香る。

 

 

 

次々と掘り起こされた記憶に、どんな答えが用意されている?

情報は、まだ足りない。時間とその延長線が必要不可欠になる。

 

 

 

探りを入れ有力なヒントを確保したい所だったが、2人の間を射線で結んだ銃口がそれ以上の会話を拒んだ。

パトリツィアは構えない構えに入った私を前にして、長いまばたきで内面の葛藤を振り切る仕草を見せる。まだ撃つな、決定打にならない気がする。

 

 

「いや、何でもないよ。クロさんと出会う前の話、あなたによく似た作品があったんだよ」

 

 

彼女が「いや、何でもない」と言った時は、大抵隠し事をしている。適当にあしらうフリをして、実際には大きな意味を塞いでしまう。

これはアリーシャも話していたから間違いない。チュラにすら言われていた。

 

そのチュラはこの向かい合うシチュエーションから消えている。

パトリツィアとチュラは短期間とはいえパートナーだったのだし、箱庭が始まるまでは任務で一緒に行動することもあった。癖や行動は把握していただろう。

まばたきを始めた直後には、落ち葉の上に飛び出た岩や木の根を飛び石の様に伝い、無音のまま去って行った。

 

小さな風が枝と手を繋ぎ、ゆらゆらと揺り籠を揺り動かしながら子守唄を歌っている。そよそよと。

乾いた風が流れていき目が乾く。始まりは近い。

 

 

「天使に似ているとは言われたことがありませんね。喜ぶべきなのでしょうか?」

「嬉しくないかな?」

「天使そのものに憧れは持っていませんから。パトリツィアに似ていると例えられた方が美人と言われた実感が湧きますよ」

「それは素直に喜んで良いのかな?」

「嬉しくありませんか?」

「私はあなたに例えられた方がこの森の絵も華やぐと思うけどね」

 

 

私が私に例えられてどうするんだよ。表面上の会話に意味はない。

水面下でぶつかり合う戦意に呼び寄せられたか次第に風は強くなって、揺り籠から零れ落ちた木々の羽根が地上に降り立つ――

 

 

――ガゥン!

 

 

(――実弾ッ!)

 

 

騙されたッ!

あの銃に装填されていたのは宣言が必要な空白ではなかった。

胸の中心に吸い込まれるように、空間の中を進む。直撃すれば如何に防弾だろうと呼吸困難に陥り、戦闘の続行は不可能だろう。

 

だが――

 

 

キィンッ!

 

 

赤熱化した銃弾の視認と同時に、認識より早く体が反射的に動いていた。突き出したナイフの曲線を利用して正面から右下方へと滑らせ、逸らせる。

胸の中心を狙った弾はウエストラインのギリギリを通過して背後に流れて落ちていく。

 

 

「ッ!?冗談だろう……そんなところまでカルミーネと一緒なのか!」

 

 

引き攣った顔で叫んだけど驚くのはまだ早い。

裏の私は、利用できるものは利用する。敵の体術だろうと、銃弾だろうと。

 

……このフィールドも!

 

 

ビシィッ!

 

 

(来たっ!)

 

 

後方から聞こえた着弾音と同時に急接近し、前回と同じ蹴りを放つと見せかけ手前で急停止。撃つか下がるかでほんの一瞬戸惑ったパトリツィアに向けて、届かない足を振り上げる。そこへ先程の跳弾でループされた親指ほどの石がパスされた。

立ち止まった私を追い抜いて飛来するその石をボレーシュート!地面ごと思いっきりインステップで斜め上に蹴り上げる。森の中の土は適度に湿り気を含んでいて、散弾のように散った土の塊と落ち葉がパトリツィアに襲い掛かった。

彼女の側頭部を狙って軌道を変えた石をその土が隠し、姿勢を低くして更なる追撃を構えた私も落ち葉に紛れる。

 

 

「石?――いや、下か」

 

 

予想していなかった行動に一拍遅れで体の軸を横にズラした彼女は、飛散した土を服に浴びながらも石の直撃を避け、蹴りの勢いで一周した私から繰り出されるナイフの下段一閃も片足だけの軽い側宙で回避してくる。

最早武偵高の先輩にも劣らない動きで、私に向けられた照準は一度も胸の中心からずれていない。撃たない理由があるとすれば、次の弾こそ空白の可能性が高いな。

 

(よく反応してきますね、でもまだ終わりじゃない!)

 

着地した足でさらに地面を蹴って回転を速め、遠心力を利用したハイキックを肩口へ叩き込む。

 

 

「――っ!人間らしくない動きだ!」

 

 

バックステップで避けられたらロンダートからのナイフで攻めようと思っていたけど、素直に放射状に広がる土を避けてくれたよ。

目を丸くして驚き、それでもガードの動作を取ったパトリツィアは、いなすよりも距離を空ける方が良いと判断したらしい。ようやく銃口を上に向けて防御、蹴りの反動で体を跳ねさせ、離れた場所から仕切り直しとばかりに銃を正面に持ち上げていく。

 

――パパァン!

 

ここがチャンスと不可視の銃弾を放った。今のはその発砲音だ。眠りから覚めた森の木々が突然の騒動に慌て、ざわざわと音を立てて銃声を掻き消してくれる。鳥の声も聞こえた。ごめんね、ビックリさせちゃって。

左手のコルトから火を噴いた2発の弾丸は的確に彼女の鳩尾とまたもや右肩口へと一直線に飛んでいき――

 

 

バスッバスッ!

 

 

「っ!?」

 

 

――2つの弾はパトリツィアの上着に捻じれたシワを付けると、重力に引かれて落下する。

着弾した。したはずなのに。

 

目の前の少女はよろめきも、銃を手放しもしない。脊髄反射で少しだけ身を屈めただけ。全く堪えていないようにも見える。

しかし、それならあの決闘の蹴りだって、彼女の腹部にトウが突き刺さる確かな感触があった。痙攣して動けなくなる激痛が彼女を襲うはずだったんだ。

 

 

「油断したつもりもないのに、何も見えなかった。クロさん、あなたは本当に何者なのかな?」

「全てに反応した挙句、拳銃で撃たれてその質問をする。平気そうな顔をしているあなたの方がおかしいと思いますよ」

「いや、痛いよ。頭では理解している。防弾装備の無い額を撃たれたら死んでいたんだろう」

 

 

至極真っ当な疑問を口にすると答えも当たり前の事を言う。手品師が観客の前で堂々と種明かしをするわけもなく、手にした銃の引き金を狙いもつけず無造作に引いた。

もしかしてあの空間を抉る音が聞こえるかと肝を冷やすが、カチッという空撃ちの音以外には煙も上がらず終い。まんまと身構えた私の隙を突いて、彼女はジャケットの内側に銃を手にした右手を押し込んだ。

種と仕掛けが隠されたシルクマジックをご披露してくれるらしい。なにが出るやら。

 

 

「あなたはクラストップだったよね」

「ええ、一応Cランクの同率トップです」

「それでCランク?笑えない大嘘だよ」

「強襲科と正面切る探偵科よりはマシじゃないかと」

 

 

彼女は適当な会話と共に新たな小道具を展開した。

弾倉の落下がリロードの完了を告げ、露わにされたのは片手のガンエッジ。

刃渡りは拳一つ分。小さな鎌の様に緩くカーブを描いた両刃のナイフは、エッジの効いた急な勾配で直線の部分がない。鎌と決定的に違うのは反った刃の先端がこっちを向いている所か。

 

(抜いてきましたね、カランビットナイフ。片手であれを使うつもりらしいけど……)

 

グリップ部に付いている円形の輪に示指を通し、銃ごと握っている。特殊部隊なんかではその戦闘形態も練習されているものの、片手で遠近の武器を同時に扱うのは相応の訓練を必要とし、労多く実り少ない。普通にガンエッジを習得する方が良いとされている。

そもそもが両手を使って運用することで初めてまともな近接戦を行えるのだから、片手という彼女のハンデは余りにも大きい。片手を封じられれば終わりなのだ。

 

 

「それに、トリガータイプはそういうものだと言っていませんでしたか?」

「ああ、そうだった。カルミーネも普段はちょっとできる程度の()()だったよ」

 

 

そしてその疑問点はヒステリアモードでつながった。

思い出したのは私の腹部を穿った彼女の二撃目。あの左手は戦闘中に飾りのままでいる訳じゃない、彼女は()()()使()()つもりだ。

 

パトリツィアが片手でガンエッジをするのは別の目的があった。

格下相手なら通用するだろう。では同格以上と()()()戦うなら?

 

 

「宣言しよう。私が撃つのは――」

 

 

この宣言を終えれば、真のガンエッジが完成する。いや、あれはもっと厄介な……

 

 

「時間にして1時間、貫通1m」

 

 

彼女は()()()取り出すぞ。銃よりももっと危険な、凶弾を!

 

 

()()()()()()()()()、だよ。クロさん」

 

 

その瞬間、彼女の虚空を掴んだ無力な左腕には……あらゆる射角を持つ、『空白』が装填された。

 

 

「ステルス&エッジ……」

「以前はガン&エッジの補助だったんだけどね。でも、無いものをねだっても仕方ないんだよ」

 

 

ゆっくりと開閉する左手を切なげに見つめた自嘲気味な苦笑いに息がつまりそうになる。

この感情は恐怖だ。目の前の笑顔が歪んで見える。

 

 

「銃は出さないのかな。うん!面白いねこの構図も。クロさんも私も、見えない攻撃に怯えないといけないんだ!」

 

 

笑顔で黄色い髪を大仰に振った彼女は、この異様なガンエッジとステルスエッジの対面に芸術性を見出したような様子。

ちっとも面白くない。片方は怯えてないじゃないか。

そりゃ私だってチュラありきで考えれば防げない攻撃ではない。それでも100パーセントの守りじゃないのだ。

 

(ロシアンルーレットみたいな型ですね。おそらくあの弾倉も空白と通常弾が織り混ぜてある)

 

どの弾が撃ち出されるか不明。

つまり、右手の銃にも気を遣わなくてはならず、チュラの反応速度では見分けてから即座に対処することは出来ない。

結果、毎回反射を試みる必要があって、エネルギー切れも促進されてしまう。

 

かなり不味い状況なんじゃないか……?

 

 

「芸術を楽しもう!あなた達にも、いい絵を期待しているよ?」

「芸術は難しいので遠慮します」

「敷居なんて意識しなくていいよ。戦ってくれればいい。全力を尽くして、私達と」

 

 

黄色い獅子が動いた。

記憶をいくら巡らせても、転科したパトリツィアが学校の任務でダイナミックに動く話は聞かない。

百聞は一見に如かず。元Aランク強襲科の動き、ご教授頂こうじゃないか!

 

 

「私は泉を守る獅子の牙」

 

 

外側から首を狙ったフックのコースを左腕を当てて防ぎ、逆手ナイフで右上腕を切りつける。

パトリツィアは腕を引き、空振った私の右腕に刃を引っ掻けようとして、即座に重心を後ろに倒す。おかげで私の回し蹴りはまたしても外れた。

 

(重心が見切られてるな、間合いも近すぎる)

 

身体能力で上回っていても、経験の差が大きい。

闇雲に攻めても――

 

 

「撃つよ?」

「っ……!」

 

 

ギィイウゥンッ!

 

 

向けられた銃口を目視したが、何も見えない。代わりに痛みをもたらす、あの音が聞こえて来た。

 

怖い。痛みを想像して緊縮し、集中も途切れる。

世界はスローモーションを維持できていない。不可視の銃弾もしくじりそうだ。

 

 

――身体に痛みは走らない。チュラが反射してくれた。

しかし、私には致命的な隙が出来ている。

 

怖い。あの音も。消えたパトリツィアの左手小指とその直線上に存在している私の右胸も。平然と撃った彼女も。その笑顔も。

理性が乱れる。乱される。

 

 

「竦んでいてはいけないよ。絵画に描かれた英雄は自信に満ちた顔をしている。彼らは強大な敵と対峙した時も雄叫びを上げて立ち向かうんだ」

 

 

銃口は未だに胸の中心を捉え続けている。

次はどっちだ?身体を撃つのか?精神を撃つのか?

 

早打つ心臓がうるさい。血流が忙しなく駆けずり回って、末端まで血が行き渡らない。指先が痺れる。

 

 

「英雄ではありません。絵画に描かれた一介の村娘は、悲鳴を上げて逃げ惑っているでしょう」

「柄にもないね。自分の格好を見ても同じことが言えるかな」

「村娘も武器を持つ、そういうご時世です。畑のクワを持っているのと変わりません」

 

 

パトリツィアは一旦ハテナマークを浮かべ、まあそれもそうかと頷いた。

 

 

「なぜ、村娘は武器を手に取ったのか。話が聞いてみたいね」

「最初は使命でした。でも、今は違います」

 

 

興味を示した獅子は牙を立てて続きを促す。打ち合いながらの会話を望むようだ。

彼女にとってこの戦いは、話の合間に紅茶を楽しむティータイムみたいなものなのか?

 

1歩踏み出した獅子を迎撃しようと腕を振るう。しかし2歩目はフェイント。寸前で立ち止まり、すり抜け、牙を右脇腹に突き立てた。

防刃性もあるコートは刃を通さないが、ゴリッ!という嫌な音を立て、体を傷付ける。負けじと振り下ろしたナイフは翻した彼女の右腕から放たれた実弾に弾かれ、体勢を整える内に距離を詰められる。

 

 

「どうして武器を手放さないのかな?」

「理想を求めた結果です」

 

 

休む暇なく繰り出される横薙ぎの往復、連撃を左腕でいなし、ナイフで受け、遂にその手首をつかんだ。

実弾を避ける為に腕を引き寄せ、ナイフのグリップで腹部を殴打し、そのまま背負投げにつなげる。落ち葉のクッションが衝撃を和らげてしまうものの、受け身を取ろうとした彼女は予想以上の威力に肺の空気を吐き出した。私の柔術は受け身は取らせないよ。

 

武装解除の為に腕をキメに行くが、

 

 

「宣言しよう」

 

 

――カシュッ!

 

 

「時間にして10秒間、非貫通0.2mm……」

「ッ!」

 

 

圧縮空気が放出される音。M92FSVertecに増設されたガススライド機構の作動音が鳴る。

小さな円筒型の物体は空中で数秒静止し、突然鼓膜を破るような甲高い音が森に響いた。

 

(小型の音響爆弾かッ!)

 

見慣れない形で対応が遅れた。なにせ放った本人が耳を塞がなかったのだ。雄叫びとは違うけど、これは効く。

両手の空いたパトリツィアに蹴飛ばされ逃げられる。顔を上げた時には目の前にカランビットナイフの先端が迫っていた!

 

 

カキィッ!ギギギギ……

 

 

慌てて構えたナイフはすんでの所で切り結び、互いに動きを止める。

徐々に押され始め、再び手首を掴もうとした左手も受けに回さざるを得なくなった。どんな力してるんだよ。

 

 

「すごいよ、クロさんは。私の得意な距離で私が打ち負ける。それも、あなたは銃を抜いていないのにね」

「チュラがいなければ初弾で終わってますけど。それと、片手で捌かれる側の気持ちも考えてください……って、聞こえてるんですか?鼓膜は?」

 

 

音響爆弾の音を間近でモロに聞いてたけど?

 

 

「問題ないよ。空白から戻ってきたから」

「ああ、なるほど。その宣言だった訳ですね」

「便利だろう?」

 

 

あの宣言は自分の鼓膜を空白に避難させるものだったのか。

多芸だなぁ。

 

 

「"空に浮かぶ白い雲を掴み。何にも依らず、されど違えず。イロも(きかない)、獅子の牙"」

「新しい宣言ですか?変な日本語ですね」

「私達の能力――白思金の名だよ。思金は日本で生まれた金属だからね」

 

 

それは知っている。

リンマの発言から、黒と白はチュラとパトリツィアを指している事は判明していたし、一菜は思金が遥か昔に妖怪のお偉いさんが作ったと話していた。それが海を渡ってヨーロッパで進化を遂げたと。

 

 

「私はクロさんが気に入っているから、特別に教えてあげる」

「なんでしょう?腕が痺れて来たので早めにお願いします」

 

 

雰囲気が変わって行く。

刺すような凄みが……薄れて……?

 

 

「本当は仕事より大切なことがあるんだよ」

 

 

振り切った牙に押し退けられた。重い一撃に右手が麻痺する。

睨み合う天空色の瞳の前に湾曲した牙が添えられて、青い光を反射した。

 

……嫌な、予感がする。

 

 

「これ以上奪わせない。思金の中にはアリーシャが、スパッツィアが、私ではない本当のパトリツィアが。例え私がただの作品だとしても、守らなくてはならない大事なオモイが詰まっている!」

 

 

パトリツィア。

彼女が強いことは知っていた。その素行の悪さから色々な逸話は耳にしたし、実際に戦ってその実力も体感した。

利き腕を失う前の彼女の戦闘技術は同年代はおろか、上級生すらも圧倒出来ている。元強襲科のAランクは伊達じゃない。

 

では、何故彼女は強いのか。

銃撃の腕?近接戦の立ち回り?それとも正体不明の超能力?

それを見誤れば、痛い思いでは済まされない。

 

 

「『空隙』――」

 

 

彼女の強さ。

オモイの強さが込められた牙は――鋭い。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「お、戦姉(おねえちゃん)ッ!逃げてぇッ!」

 

 

奥の方からチュラの懸命な叫びが響く。

分かるよ。あれは反射できないんだな。もし、反射をすればチュラもただでは済まない、そういう技なんだ。

 

鳥肌が立つ。

足が竦む。

体内が渇いた感じがする。

 

天上の存在を前にしたのかと錯覚してしまう。

 

 

「だから、邪魔をしないでくれないかな、クロさん……『"いや"』」

 

 

腕が。

無防備で無力な左腕が伸びて――

 

 

「『"ハナ"』」

 

 

――私の頬を優しく撫でた。

 

 

「おねッ……あ、ああぁ……!」

 

 

チュラの声が遠くに聞こえて。

同時に右腕の牙が私の左頬を貫いた。痛みも。恐れも。抱かせないままに。

 

 

黄色い獅子。

なんで、あなたが泣くんだ?

 

 

私は、あと何回。

大切な人の涙を目にすればいいんだ?

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「あらま、弾かれちゃいました」

「ヴィオラさまー!どうしたの?女神様に計算外の事でも起きたのかしら?」

 

「いやはや、ちょっとしくじっちゃいましたね。一番危険なアリーシャさんが"ソラガミ"に奪われそうだったので警戒していたのですが」

「ですがー?暴走しちゃった?末妹が暴れ出してしまったとか」

「んー……長女が私の枝に勘付いてクロさんを解放してしまいました。今の彼女はとても不安定な状態です」

「ありゃりゃー。果実は?人間はいつも余計なことをする」

「そう言わないでください、私も人間なんですから。黒い果実は使い物になりません。新しい種を育てなくてはならなくなりました」

 

「あっそ。それでボクを呼んだわけか。主とは違う意味で君も人遣いが荒いなぁー、ヴィオラ」

「恩人の為です」

「……いいさ、断る理由もない。ただし、ボクは主の元を離れるつもりはないし、彼女がダメと言えば君が命令しようと殺されようと働かない。君はもう主じゃない、それだけは忘れないでくれ」

「十分です。今回も簡単ですよ。前回は紙媒体に仕込んだ式でしたが、一度植えた種は果実となるまで萌芽する。クロさんに必要なのは水源です」

「それならいいよ。飲酒は誰に勧めても拒まれるんだ。おまけに嬢ちゃんは未成年だろと失礼なことを言われる」

「見た目の問題ですよ。中学生にしか見えません」

「ボクは〇〇〇(ピー!)歳の淑女だ。たかだか50年生きた子供に嬢ちゃん扱いは辛いよ」

「癖や性格の問題ですよ。子供にしか見えません」

 

 

 

「失礼します。監視対象が帰宅しました。負傷箇所の療養のため、再び数日間は自室(ポイントA)を離れないものと推測されます」

「お帰りなさい。任務、お疲れ様でした、レキさん」

「おつかれー。お疲れ様!あなたのお陰でこちらの仕事も捗る」

「それと、もう1つ」

「どうぞ」

「妹が周辺で見慣れない黒い蜘蛛を複数捕らえました。私には分かりませんでしたが、人間の匂いが残っていたようです」

「使い魔ですか」

「こちらも推測ですが」

「いえ、有力な情報です。すみませんでした、睡眠時間を過ぎてしまいましたね」

「問題ありません、任務ですから」

 

「…………」

「……?どうしましたか?ご希望があれば話してみて下さい」

「相談があります」

「お伺いしますよ」

「洋服をお貸し頂けるのは助かりますが、膨らむ内側のスカートが……」

「あっ、パニエの素材がお気に召しませんでしたか?ではシフォン生地に変えておきますね」

「ぱにえ?……しふぉん……?良く知りませんが白くてヒラヒラの服は――」

「なるほど!フリル控えめで姫寄りの黒ロリの方がお好みでしたか」

「……ひめ?いえ、そうではな――」

「スカッタ!今日裁縫研究所(さいけん)で縫い上がった新作ドレスがありましたね!アレを彼女に試着して頂きましょう」

「はーいっ!任せて!すぐに用意する……けど、昼に完成したのはゴシックロリィタだったような……?」

 

「……あの――」

「お待たせいたしませんよ。先に試着室に参りましょうか」

「……分かりました。ですが、先にシャワーを浴びてきます」

「!ご、ごめんなさい。にんげ……あなたと話していると楽しくて。ごゆっくりどうぞ」

「はい」

 

「ヴィオラ様ーッ!ゴキブリを見掛けませんでしたか!?」

「アリエタ、お客様の前で騒がないで下さい」

「も、申し訳ありません、レキ様」

「…………いえ」

「そ、それでゴキブリは――」

 

 

 

「……盗み聞きは感心しません。あなたも客人なら立場を弁えなさい」

 

「……望んで来たわけじゃない、狙撃手。協力はするけど、それも私の勝手。ここの人形劇場に同調なんかしてない」

 

「遠山クロさんが魂の摘出に失敗しました。彼女は揺れている。高空に向けて伸びていた幹が切り倒されてしまった」

 

「聞いていた。金星は当分目覚めないんだな」

 

「あなたもその方とお知り合いなのですね」

 

「私とオリヴァ……ヴィオラは怪盗団のメンバーだった。金星も。短い間だったが、大好きだった。とても格好良くて、可愛くて、優しくて、頭が良くて、強くて」

 

「…………」

 

「薄情者だ」

 

「…………」

 

「私は許してない。私のお茶を飲んで残した遺言が渋いだなんて納得いかないからな。絶対に復活させる。そして、完成間際のお茶を美味しいと言うまで飲ませる。ギブは許可しないんだ!」

 

「声が笑った」

 

「……っ!」

 

「初めてですね。ここに来てから、あなたはずっと作り笑いだけを見せていましたから」

 

「……それが、どうした」

 

「ヴィオラさんはあなたの事を本当に心配している。例えあなたが――」

 

「人間でなくなってもか?」

 

「はい」

 

「さすがに気付いてる。牢の中にいる間はこの変質は止まってた。お姉さまとの絆、それが深まれば行き着く先は本当の闇の眷属」

 

「人寄りの魔や、魔と人の血を交えた存在は獣人と呼ばれる。その獣人とココロを交え、彼らの結晶を自らに取り込んだ人間――宿人形(ヤドノヒトナリ)。その存在はロシアでも囁かれていました。中でも緋色の人形(ダンピール)は愛と闇を好むと」

 

「あなたは私を撃つか?」

 

「私は一発の銃弾、銃弾は人の心を持たない。故に、何も考えない。風は、あなたを警戒している」

 

「それはいつだ。私が後ろを向けばすぐにでも……なのか」

 

「銃は私を裏切りません。不発(ミスファイア)暴発(アクシデンタルファイア)も一度も起こしたことがない」

 

「まだ、様子見って事で良いんだな」

 

「……(コクリ)」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「シャワー、急がないと妹が帰ってくるんじゃないのか」

「今夜は警邏任務で帰りません。あなたもそろそろ部屋に戻った方が良いでしょう。天井からぶら下がる姿はまるで闇に紛れる蝙蝠ですが、スカッタさんは夜目が効きます」

「ヴィオラが心配なら私の事を報告してくれるなよ」

「はい。彼女は人の話を聞きませんので」

「……服、根に持ってるのか?」

「怒っていません」

「怒ってるなんて言ってないだろ」

「私に感情はありません」

「ふっ……」

「??」

「明日の朝が楽しみだ」

「……失礼します」

 

 

 







クロガネノアミカ、よんでいただき、ありがとうございました!


これにて、『高空編』は終了。
次回からは『流転編』に入る予定です。


前半はアリーシャとステンドグラスの話。
アリーシャとクロは当然会ったこともありませんし、そのころにはクロと言いう存在自体がないはずです。
この黒髪の天使は一体誰がモデルになっているのでしょうね?

パトリツィアとの戦闘はソラガミの介入により引き分け。
リベンジは果たせませんでした。

最後は人形劇場の今後の動きが出ていました。会話は全て日本語です。
ここで理子とレキが一足先に出会っています。レキの妹も話にだけ出て来ましたね。


次回は多分恒例の始まりになるかと。
ぜひぜひ、お待ちくださいませ!




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流転の黒金姉妹
静寂の水位(クワイエット・レベル)





どうも!

ブランチという言葉がかばん語だと初めて知ったかかぽまめです。
話は変わりますが、しおむすびって唐突に、無性に食べたくなりませんか?


恒例のキンジお目覚めシーンからスタート。
ただ、いつもと様子が違うようです。


では、始まるだす!





 

 

 

「"……んぅっ、ふわぁ~~ぁあ!ふぅー……"」

 

 

 

…………。

 

……おい、今の声は誰のだ。

 

 

「"……あー。あーー……。えーっと、一件落着"」

 

 

…………。

 

 

「"マジか……"」

 

 

俺か。俺なんだな。こいつは一件落着どころか一事が始まってるぞ。

鏡を覗かずとも長髪の黒髪ウィッグのなんちゃって女子が映ることは理解できるし、寝ても覚めてもカツラ装備でいる現状には慣れた。バラトナがいるからだ。

箱庭に勝ち抜けば再び主にまみえ、彼女の紋章に関しての遣り取りも可能だろう。それまでは撤収の兆しがない。

 

しかし、事件は外見ではなく内面に発生しているのだ。重症化してやがる。脳が完全に目覚めていないから、直前まで見ていた夢に引っ張られたらしい。

今後、変声術は極力控えよう。戻れなくなるぞ、俺に。

 

天井のシミがシミュラクラ現象で人の顔に見える俺の部屋は厚めのカーテンで遮光されていて、上下左右の隙間から入り込んだ僅かな光で適度に薄暗い。

光を浴びたければその波打つ布の壁を横にずらさなくてはならないが、今朝は冷え込むな。それにまだ眠い。目覚ましも鳴っていないし、わざわざこの温かな布団から急いで出ていく必要もないだろう。

 

 

いつもなら。

 

 

だが、そうはいかない。

兄さんが眠りに就いている今、この家を守らなくてはならないのは俺だ。

 

兄さん……カナもこの短期間で超人的なオーラが増して行っていた。要因なんて知れてる、それも箱庭だ。

クロの背中を守ると奮い立たせてくれたあのカナが疲労を隠しきれていない時がある程の戦い。一菜との戦いは例外的で、箱庭の戦いは決闘形式なんて取られず、セオリーで考えるなら強襲や不意打ちが常套手段だろう。人知れぬ場所で行われる無法の争いの中で俺が無事に過ごせていたのも兄さんが守ってくれていたからに他ならない。

 

ヒステリア・フェロモーネも睡眠期の危険性がある以上はスイッチの使用を控え、守りに徹するつもりだ。クロになっている間は待機電力みたいに脳が疲れる上、街を歩いているだけでどっから狙われるか分かったもんじゃない。

カナが登校できない状態だし、丁度良い機会だから俺もそれを理由に学校を休むことにしよう。今回は2日程度の浅い睡眠期で済んだが、次は分からないのだ。10日前後は箱庭の闘争に巻き込まれないように気を付けなければ。

 

 

「"とりあえず起きないとな"」

 

 

連絡はどうするか。

多分一菜は俺が登校できない時点で引き留められている事だろう。

フィオナにも休んでもらいたい所だが、強情な奴だからな。前にその話をしたら陽菜とその戦姉が行動を共にしてくれているとかで却下されたんだった。確かに、一人で寮にいるよりは学校の方が安全か。

あいつに頼むなら理由を考えないと、休むと伝えたら必死な声で事情聴取されるぞ、きっと。怪しまれてんだろうな、サボった記憶はないけど。

 

 

チュラは……しばらくは絶対安静だ。反射しやがった。

危険だと分かっていながら、俺を守る為に獅子の牙を自らの身に受け、喰われたのだ。あいつは俺の事になると正常な判断を失う傾向がある。あの場では目標のセーブが優先で、負傷をするのは俺1人だけでなくてはならなかった。

 

チュラにも俺にも、体に異状はない。

あの攻撃も正体不明。もう勝てる気がしねえよ、まだ奥の手を隠してたなんてな。

まさか、敵の妹に助けられる結末は夢の中でも夢にも思わなかったが。

 

 

バラトナがソファで寝ていないことを確認する、もう起きているのかもしれない。あいつは睡眠時間が元々短いと話していたし、カナや俺が家事の一部を頼んだら大いにハマり出したのだ。

その手際がまた良いのなんのって、掃除に変なこだわりは見せるし、手伝おうとするとあまり良い顔をしない。まるで雇われメイドみたいに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、家の中でまで働かせたくないから休んでいてくれとでも言わんばかりである。

 

(そういやカツラがズレてると指摘されたことがあったな。確認はしておくか)

 

朝食前に転装の調整をしておこうと、ベッドサイドに配置されているドレッサーへ向けて身を起こした時、違和感に気付いた。

体が重いぞ?主に右腕が。おまけにぽわぽわと温かくて柔らかいものに包まれている感覚がする。これはあれか、夢の中であいつと戦った時の痺れが完治していないとかそんなん――

 

 

「"くぅーん、クルぅ、逃げちゃダメなのでしたぁ……"」

 

 

…………。

 

……おい、今の声は誰のだ。

 

 

 

布で口が塞がった様なぐぐもった声が右から、それもかなり近い。

 

 

 

「"?……誰かいるのか?"」

 

 

ガブゥッ!!

 

 

 

 

 

       激痛!

 

 

 

 

 

「"あでぃいだぁだぁだだだああぁーーッ!?"」

 

 

なんだッ!敵襲か!?

右腕の痺れが吹っ飛ぶほどの鋭い痛みが体を硬直させた。腕が痛覚に挟まれている。

 

(またか!起きざまにサンドイッチされてるぞ。生易しいスイーツサンドじゃなくて叩いて伸ばした肉のローストサンド、マジで肉片にされるッ!)

 

刺さってる。なんか刺さってる!すっごい喰い込んでるっ!?

圧覚が伝達するのは手の形じゃない、顎の形だ。第一容疑者のチュラは兄さんの部屋で寝てる。そもそもあいつの歯はこんなに尖ってない。

じゃあ誰が……

 

掛け布団を剥がし右を見た。そこにはハイジに登場した白パンのように白くふかふかな笑顔で俺の腕を噛んだ犯人が――

 

 

「"うひゃうッ!ひゃ、(ひゃむ)ひのへひはぁ…………はっ!"」

 

 

――いた。

ウグイスの羽が俺の肩にまで掛かっている。上目遣いのそいつに咥えられていたものは、

 

 

「"わ、わわわ、私は……なんて事を…………"」

 

 

寝惚けたバラトナに噛まれた証拠が綺麗に残ったな、俺の腕に。

上腕の表と裏に2本ずつ、計4箇所に丸い穴がフラヴィアから受けた吹き矢の傷跡に追加された。サイコロの5の目みたいになってんぞ、ちくしょう。

 

(ヒト科ヒト属の歯形じゃねえ。野生の、イヌ科イヌ属の歯形だろ、これ)

 

出血量は大したことない。噛みついた後に暴れられたり振り回されたりはしていないから傷口も実に歯並びの良い歯形。

バラトナはどこからともなく取り出した淡い緑の布で、傷口から血が流れるのを塞いでくれているが、あんたの口も相当にホラー演出だからな?警察が押し掛ける前にちゃんと洗えよ?

 

俺からしてみれば、問題は噛まれた方ではなく布団に潜り込まれた方だ。今後も続けられたら長期的に殺される、ストレスで。毛布もあったのに寒かったのか?

 

 

「"……どうして私のベッドにいたのですか?ソファが嫌なら先に言ってください。毎日ではありませんが、交代でここを譲りますから"」

「"そ、そうでは、そうではなく……そうではなかったのでした"」

 

 

俺の声色もキツかったのかもしれない。しかし彼女の言葉は要領を得ない。

困るぞ、理由もなく添い寝されたら一生添い遂げさせるような行為に及びかねないんだよ、クロじゃないあっちの俺は。不意打ちで意識せず、痛みと流血で理解が追いつかなかったからセーフだったようなものなのだ。

 

歯切れの悪い返事を残して逃げようとしたその手を掴む。盛大にミスった。自分からベッドを出ようとしてたのに引き留める形になっちまったぞ。

一応手を離してみるが……まあ、もう動かないよな。むしろ決意を固めたように距離を詰めてくる。なんでだ、動くなよ。

 

 

「"私だってあなただけをソファに寝かせているのはどうかと思っていた所です。順番にしましょう――"」

「"そんな事はどうでもいいのでした!私は、私は……"」

 

 

珍しく声を荒げた後、沈むように緑色の髪がバラトナの人の好さそうな顔を隠す。

 

ああ、くそ。夢の中の嫌なもんを思い出す。青い瞳に浮かんだ小さな雨粒。

俺は苦手なんだよ、それが。絆される。抗えないんだ。

 

 

「"どんな言葉でも構いません。あなたの気持ちを大切にしますから、遠慮なく言って欲しいんです"」

 

 

声を掛けちまう。無視できない。相手が親しい相手となれば尚更の事、放っておけない。

 

変声で長台詞とは、さっそく禁を破ったな。

いや、いい。今の俺はクロだ。俺が俺だと認識した時に男へ戻れればいいんだ。

俺にはバラトナを慰められない。俺じゃあ……無理なんだよ。

 

以前に言った事をそのままオウム返しにされて、俯いた顔を上げる。口をへの字に食いしばり、余所行きには使えなさそうな親御さんと歯医者さんを困らせる子供の顔だ。

何の顔だかわかんねーよ。泣きたいのか感動なのか読み取れないし、はっきりしないなら俺が代わりに泣きたい。顔が近過ぎて心音が……向こうにも聞こえてるかもしれないな。

 

 

「"どうしても、でした?"」

「"はい、当然です"」

 

 

その空気を孕んだ甘え声をやめろ。鳥肌が立つ。

俺もあんたの外見に関して恥ずかしい感想を答えたんだからな、ちゃんと答えてもらうぞ。

 

意固地だったバラトナも箱庭にすら歯向かったクロは折れないと見切り、心に踏ん切りをつけたようだ。への字が横一文字に、それから唇が離れ、小さく開いた隙間から真っ赤な舌先が覗くと、そのまま金縛りみたいに動かなくなった。

早くしろとは言わんけど、急いでくれ。血流がおかしくなったのか、頭の奥がムズ痒くなってきた。

 

 

あっという間だったのか、はたまた記憶が飛んだんだか、血流が荒ぶり始めてから話が始まるまでは大して焦れなかった。

純粋に、バラトナの事を知りたいと思ってたのかもしれない。彼女の話はいつも俺たちの話ばかりで、自分を語ってくれないから。

 

知りたい、彼女の望むモノを。支えたい、彼女が求める未来を。

もっと、繋がりを――

 

 

「"私は……本当は戦いたくない、です。箱庭にも参加したくなかった、のです"」

「"…………"」

 

 

ぽつぽつと、雨粒のように始まった彼女の話は。

初めから不穏な雲行きだな。大雨になりそうな予感がする。

 

 

「"本来であれば、私はここに居てはいけないです。帰らなくてはいけないです"」

 

 

それは……別に不自然じゃない。俺やカナは個人参加だが、彼女はどこかの団体に属している。国の裏側で大きな影響力を持つ場所に居場所があるはずだ。

だが、語り口は否定的だった。帰らなくてはいけない、とは帰りたくないの裏返し。ここに居たいと思っているのだろう。

俺の傘の中にびしょ濡れの少女がふらふらと相合傘で宿り、柑橘系ジャムの芳香が一層強く主張した。

 

 

「"箱庭でも、私はわざと主の呪いを受けました"」

「"……!"」

 

 

……予想はしていた。

思金が無ければ――反射できなければ抵抗不可能な参加者全員へのふるいに1人だけ脱落するのは不自然だった。

 

カナはメーヤさんから受け取っていたロザリオで俺の事も助けようと考えていたみたいだが、チュラの方が早かったらしい。バチカンも同様のお守りを持っていたのだと考えられ、同盟国のフランスとロシアにも共有していた事だろう。そもそもフラヴィアはトロヤの紋章を一度喰らっても平然と姿を現したからな。

パトリツィアとリンマ、ハトホルは反射で同盟国を助け、一菜もあの謎の石――殺生石の力で英国(アルバ)共々切り抜けたのだと思う。

 

ハンガリーはどうした?

同盟も結ばず、対策も持たず箱庭に来た。

一般人では秒も持たない殺気を、まさか耐えきれるとでも思ったわけではあるまい。

 

 

「"私は脱走も出来ません。だって私は守られなければ生き残れなかった。ただ、他人よりちょっと打たれ強いだけで自由に使える能力も持たないのでした"」

「"死んでいたかもしれないんですよ?"」

 

 

死んでいたかもしれない。そう話してもバラトナは顔色一つ変えない。

これには怒ったぞ。命を無駄にするって事は、そいつに向けられた思いを踏みにじる事と同義だ。男だったらとっ捕まえて顔面を殴ってる。

 

 

「"おま……あなたには大事な人はいないのか!"」

 

 

振りかぶった拳を布団に落とし、濃い緑色のパーカーを着たルームウェア姿の少女に勢いづけて詰め寄った。

2つ目のミスだ。ようやく引き起こされた行動は、

 

 

「"出来ました。私を心配してくれる大事な人たちが"」

 

 

向こうも勢いづけて接近してきやがった。

脇腹の横を通過した腕は肩甲骨付近にまで回され、俺の身体ではなく自分を引っ張り寄せてる。逃げようと両腕の支えを布団から離せば押し倒しちまいかねない。

 

 

「"賭けました、私と絆を繋いだ古い友達の言葉に。大きな希望にちっぽけな命を。そして"」

 

 

鼓動があり得ない速度でバクバクと鳴り、思考が理路整然としない。2人分の鼓動が密着していた胸の内側で反響し合って、この先の行為へと続きを促そうとピッチを早めた。もっとありえんだろ。

しかし、真剣に独白する少女を乱暴に振り払えない。熱く火照った体とは裏腹、冷え切った心を雨風の下に晒すのはもっと、もっともっとありえないしな。

 

 

「"賭けは私の勝ちでした。存在したのです、むかし夢見た白馬の騎士様。いえ、英雄"」

 

 

油断を見せた間隙で押し返す。ちょっと固いマットレスの上に向かい合って正座と正座。お見合いかよ。白馬の騎士も英雄も夢の中の存在だろ。

再度接近しようとするから肩を押して止めたのだが、人間の腕は自在に伸ばせない構造なので顔が半端なく近い。朱に染まった柔肌の中でも一際赤い梅重の瞳が熱く蕩けていて、遠火にかっかと身を焼かれた。マジでローストされる。

 

 

「"私はそんな大それたものじゃありません"」

「"いいえ、あなたは私のヒーローです"」

 

 

(こいつ……っ!)

 

力を掛けてきている。相変わらず変な所で頑固な奴め。

発言通り男勝りな膂力を持ち合わせている訳でもないらしく間隔は縮まらないが、これはバラトナなりのアピールなんだろう。このまま彼女を遠ざければ、俺は拒否した事になる。逆の事をすれば……承諾だ。

 

もはや葛藤しているのは脳内だけではない。激しく燃える力と波打ち満ちる力、2種類の血流が体中の至る所で喧嘩して血が沸騰している。

 

 

やがて、天秤が傾いた。

陰を持ち上げ太陽側に、深々と。

 

伝わる感情は最初に寄越された憧れやこれまでに築いてきた親しみだけじゃない。明確な好意(アウト)だ。近しい人間ってもんは、そういう対象になりやすい。

ココロは伝播し、感化される。しかも、一度意識してしまえば取り返しの付かない事になって、いつでもそばにいて、それで、そいつの事が――

 

 

――――アウトだ。

 

 

「"この身をあなたのお傍に。だから私に、あなたの庇護を下さい……クル"」

 

 

パーソナルスペースは狭いし一緒に風呂入ろうと言い出すなど、ただの常識知らずなのかと考えていた。

違ったんだな。少々過激だけど、それは焦りが故の行動。

 

 

「"話を聞かせてくれてありがとう"」

 

 

(理由はどうあれ、本当は知っていたんだね、俺の正体を)

 

でもごめん。応えてあげたいんだけど、生憎侵入者はバラトナだけじゃないみたいなんだ。この距離は今は縮められない。

血流は引き波に変わり、体の中心には熱された芯がドクンドクンと脈打っている。

神経が研ぎ澄まされ、通常状態では気付けない気配を3つも捕捉した。敵意を感じるものはなく、内2つはどちらかというと協力的な思惑がありそうな既知の人物。

 

1つ、閉じられた扉の先で聞き耳を立てているのは、静けさの中に秘匿され、淀みなく研磨された牙。

倒れたチュラを運んでもらって、とうとう家バレしたよ。新しい侵入者も個人情報を拡散するような子じゃないからそこは安心しよう。

 

1つ、家から少し離れた場所で俺と同じように周囲の気配を探っているのは、夢の中の依頼主らしい。

車で送ってくれたのは彼女だ。あの森には車道が走っているからな。結局、彼女の友人であるメラニーを助けられたのは俺の力じゃなかったのだが、こうして見張りをしてくれてる事に義理を通す意志を感じる。

 

後1つは……探れない。気付いたことに気付かれたってやつだ、気配が遮断された。

監視されていたかどうかは不明だが、少なくともクロではなく()を知っている奴だ。スナイパーではないな、あいつらは初めから油断なんてせず、気配を消してる。見逃そう。どうせ追えやしないし、家には守らなくてはならない仲間がいる。

 

 

「"クルが目覚めなくて……テュラも、カナも。それが突然、私が独りに戻ってしまった気がして"」

 

 

跳ね返されも受け入れられもせず、どうしたらよいのかと途方に暮れる彼女は自分に嘘を吐いている。

この距離に納得ずくな、誰かの言葉を思い出してやっと飲み込めたような顔。

 

『焦るな。恐れるな。諦めるな』

 

兄さんによく言われた言葉を伝えようとしたけど、必要ないみたいだよ。

なら、俺の役目はささやかなものだけだ。クロと約束した。繋がりを持つ人達を少し先の未来へ繋いでいこうと。クロへのプレゼントは行動で示さないと物理的には渡せないから、勝手に決めた約束だけどね。

 

 

「"あなたの事は私が守りますよ。だから……"」

 

 

守ってあげよう。君が立つべきそのスタートラインまで支えさせてくれ。

 

 

――ああそうだ。兄さんの言葉を一つ忘れていた。

 

 

「"私にバラトナの涙以外の感情を全て見せてください。もっと、頼ってくれていいんです。どうしても溢れてしまうなら、その時は私の胸に飛び込んで泣いてくれてもいいですよ"」

「"クルは……。やっぱりカナの妹でした"」

 

 

力の抜けた両肩が下がり、こちらの腕も引っ込める。

またお見合いみたいになっちゃったね。でも晴れやかだ。さっきの曇った顔のバラトナより綺麗だよ。

 

『男なら泣くな。女を泣かせるな』だよな、兄さん。

夢の俺(クロ)は女を泣かせてばっかだけど、やっと1つその言葉を守れそうだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

笑ってくれ、バラトナ。

今は、クロを。

 

 

 

 

 

 

――――眠らせてあげたいんだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

バラトナに口チャックのジェスチャーを示し、ベッドから傷だらけのフローリングの上に敷いた絨毯の床に無音で降り立つ。

相手は姉と同じ、学校以外で仕事を受け持つ経験豊富な仕事人だ。一歩一歩に用心する。

 

 

「……静かになりましたわ。お話しは終わりましたの?」

 

 

扉までたどり着き、これまた無音で耳をくっつけ向こうの音を拾う。

大事なお話を盗み聞きするようなお行儀の悪い子には、お仕置が必要だね。

 

 

「宣言しよう」

「!?!!」

 

 

隣の部屋からドッタンバッタン転げた振動が伝達される。

不本意ながら変声術は得意でね。そこそこ似てただろう?君のお姉さんの声真似は。

 

 

ギィイイッ!

 

 

間髪入れずに開け放つと、慌てて尻もちをついていた侵入者――アリーシャは、武偵中制服ではなく腕周りがピッチリした黒の重ねインナーと赤いチェック柄スカートで、ズザザザと後退った。こらこら、うちは土足厳禁だけどスカートが汚れちゃうよ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「お、お目覚めでしたのね?おはようございます、クロ様」

「うん、おはよう、アリーシャ。メラニーを助けてくれたことには感謝しています、でも……」

 

 

挨拶より先に、言う事があるんじゃないかな?

努めてニッコリと笑い掛けると、とうとう観念したアリーシャは額に汗を浮かべながら頭を下げた。

 

 

「申し訳ありませんわ。バラトナ様がクロ様の様子を見に行ったきり戻りませんでしたので、その……」

「他言無用なら構いません。気を遣ってくれたのですよね」

「お、お2人の関係を邪推するつもりはございませんのッ!」

 

 

あたふたと忙しなく手の形を変えるものの、それは墓穴を掘るジェスチャーかな?色々考えていたことがバレバレだよ。

俺とバラトナの関係は確かに説明し辛いな。家族でも戦姉妹でもないし、ビジネスライクな関係でなければ居候と言ってしまうのも気が引ける。なんと伝えようか。

よし、シンプルに行こう。

 

 

「寝床を共にする仲ですよ」

「ノネッ……!?」

 

 

墓穴を掘る手が止まった。いや、全身くまなく硬直してる。

信じられないものを見るような視線が痛い。何かとんでもない誤解をされてしまっていないだろうか?

同じ部屋に寝ても心配いらない、気を許せる相手だと紹介したわけだけど。

 

 

「チュ、チュラ様も同じ臥所を共に?」

「基本的には許可していません。あの子は一度抱き着くと離れませんから、なかなか眠りにつけないんですよ」

「ひ、一晩中ですの!?」

 

 

なぜそうなるんだろう。さすがにチュラが寝たら退かしたよ。弱点をさすればすぐに無力化出来るし。

 

驚き方も、まるで男女が寝室を共にしているような何かしらの行為を想像したみたいなテンパりよう。

うーん?女の子には同性でも同じ部屋に寝るのは抵抗があるものなのかな。厳密には同性じゃないんだけど。カナには抵抗がなさそうだから気付かなかった。これまた厳密には同性じゃないんだけど。兄だから。

 

ぷすぷすとポンコツな煙を上げ青い目で遠くを見ている少女は、過去の衝撃的な場面を思い出しているらしく、「ファビオラ様と一緒……お姉さまとファビオラ様が探偵科の個室で……チュラ様が……クロ様も……」と所々に人名を挟んだ呪文を唱えている。

クロとして迷惑をかけた記憶が多すぎるもので、どれを思い出されているのかは不明。ファビオラの名はたしか元人喰花のメンバー『ファビオラ・アカルディ』の事でまず間違いない。

 

パトリツィアが強襲科と探偵科を兼科していた時に相棒として活動していた殲魔科の生徒で超能力(ステルス)持ち。透明感のない深い暗黄色の瞳と梅の花の様に清らかな美しさを持つ紅梅色の髪。何にでも興味を持つ天真爛漫な振舞いは男女問わず、教務科からの覚えもめでたい才女だとか。

現在は地下教会で特別教育を受けており、姿を拝見する機会は限られている。

 

 

姉経由で面識があるのか。

俺が会う事は無いだろうな。中学生の内は地下教会で過ごすのだろうし、カナの短期留学は半年間プラスアルファの期間だけ。

 

その時にはこの学校を、国を去るのだ。

 

(それまでに、やるべきことは済ませないとな)

 

 

一菜の事、理子の事、バラトナの事、箱庭の事、思金の事。

やるべきことはいくらでもある。それに――

 

 

(――クロの事も、もう一人の大切な戦妹の事も)

 

 

やってやるさ。

俺には仲間がいる。笑い合える仲間も。苦悩を共にできる仲間も。喧嘩してばっかりな仲間も。

みんな、頼りになる仲間だ。

 

 

クロ同盟、完成させるぞ。

それが少し先へ繋がる俺の道、その1つの目的地だ。

 

 

「アリーシャ、チュラはまだ?」

 

 

空いている3つの席の内、黙々と念仏を唱えているお嬢様の対面に座って呼び戻す。

彼女が取り乱すことは珍しく、復活も早い。「多少強引に、ですわね」と終局を迎えた頭を即座に切り替えてくれた。

 

 

「表情は安らかで呼吸も安定しておりますわ」

「そうか」

 

 

快方に進んでいるならいい。救護科でもないんだし自分の目でも確かめるつもりだったから詳しい容態は求めていない。

本題はアリーシャ、君の事だよ。

 

 

「気分を害してしまったなら答えなくて結構です。いくつかアリーシャに聞きたいことがあるのですけど」

「……どうぞ、差し障りの無い程度にお答えいたします」

 

 

今の間は仕事や会社の動向を探られるかと警戒したのだろう。非常にゆっくりとだが、空間に重みが増す。

パトリツィアやパオラに仕事の話を振った時に比べれば可愛いものだ。狼狽えはしない。しかし、相手はその2人以上に情報の重要性を熟知している。必ずしも素直な返答を得られなければ、口を滑らせたりもしないだろうな。

 

 

「じゃあ1つ目は簡潔に行きます。もちろん、黙秘権はアリですが」

 

 

アリーシャは相槌を打たない。

挙動の全てが1つ、また1つと封じられて、まばたきの間隔が不均等でその回数も減っていく。

 

堂々とした態度で威圧感を放つのではなく、そういった迫力が無いなりに不自然体で自分を隠すか。

とことん姉とは真逆だね。

 

これも、戦いなんだ。さて、心して掛からないとね。

欲しい情報を求めるという事はリスクが付きもので、情報に踊らされ、こちらの情報を与える事に他ならないんだから。

 

 

「アリーシャ、あの夜――メラニーを捕まえようとしたあの仕事は……ダミーですね?」

 

 

テーブルを挟んだその問いかけに、アリーシャは口を開いた。

迷う素振りもなく、すぐに。

 

 

「さすがクロ様。御明察ですわ」

 

 

ああ、分からない。

 

彼女にとって、この情報は価値が低いものなのか。

低いものと思わせる為に即答したのか。

 

 

――それとも、嘘なのか。

 

 

 

 

 

机上戦の開戦だ。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


新章『流転編』に進みましたが、あくまで新章の始まりは日常編。全然燃えませんよね。
書いている分には楽しいのですが、後で読み返すと「あれ、こんなもんか」ってなるんですよ。


内容はバラトナとアリーシャとの会話だけ。
まあ、まとめ回の色が強いので薄いのも仕方なし。明日から頑張る状態ですし、おすし。


次回はアリーシャとアルバとの絡みです。他にも影がチラリと……?
待っていて下さる人がいる事に感謝を!この作品が書き続けられてとても嬉し楽しいです。




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畔曲の逸失(バンクルーク・フォアフェイト)




どうも!

読み続けていたラノベや漫画が最終回を迎えていき、もう片手で数える分しか作品が残っていないかかぽまめです。

アルバまでたどり着けなかった次回予告詐欺をここに謝罪します。
前々から詐欺ばっかりしてましたけどね!(お城の件とか)


常套手段、回想から入ります。


では、始まりますよ!





 

 

 

 

 

 

ドサッ――――

 

 

自分の身に何が起こったのか、それを説明できない。

白い牙がスルリと引き抜かれ頬の手が離れると、支えを失ったようにお尻から落ち葉の中に落下する。

 

幸運だった。

 

もし、パトリツィアの天空色の瞳から目を逸らしていれば、彼女の涙に意識を向けず顔を貫かれたと脳が処理してしまっていたかもしれない。

もし、私の理性がその痛みを、傷を、異常を現実のものだと錯覚してしまえば、ただでは済まなかったと思う。

 

 

だが、幸運なのはそこだけだった。

 

 

スイッチが……入らない。

香水のつけ忘れじゃなく、スイッチが壊されたかのように入れ方が分からなくなってしまったのだ。

下がり続ける水位はもう止められない。戦意が削られた。地面に着いた両腕が込められた力を散逸させ、根を張ったように腰が重くなる。

 

動けない。

耳にドサッという、私が倒れた時よりも少し大きな落下音が届く。木の上から落ちた。人が。チュラが。

 

その音にパトリツィアの容姿をした何かが目を向けて呟く。

 

 

「『ハコオニ』の行動は読めないな。そんな出来損ないで反射が成功するわけないだろうに」

 

 

その言葉には知らない名前のような単語があったから独り言かと思った。

向けられた先にはチュラしかいない。意識不明の少女は反応することなく朽ち葉の中で粗い呼吸を繰り返す。

 

(――呼吸がある……!チュラ……ッ!)

 

動かない。

手も。足も。極限まで走り続けた後みたいに全身が気怠さで覆われている。

まるで、初めてセルヴィーレを発動した時と同じ。パトリツィアと決闘をしたあの時、私が初めて私以外の()に出会った時。

眠ってしまう。ここで、こんな場所で、こんな状況で、逆らい難い睡魔に意識を刈り取られていく。

 

ザクザクと落ち葉を踏む音も遠い。遠ざかる。近付いていく。チュラに。チュラに。チュラに。

 

だめだ。

止めないと。

 

止めないと。

 

 

止めないと。

 

 

 

動かなければ。

 

 

どうやって?

どこが動く?

 

地に張り付いた私は何が出来る?

 

なんだっていい。

出来る事をしろ。

 

 

動け。

 

動け。

 

何でも良い、動け!

 

 

「うぅゥウ……」

 

 

動いた。

 

口が。

 

腹から喉を通って、声が出た。

 

 

(チュラッ!)

 

 

それでいい、動くなら。

 

何でもいい、動け。

 

もっと、動け!

 

 

「ううぅぅぅぅうう……」

「『……?』」

 

 

いいぞ、気を引いてる。

 

動け。

 

動け。

 

 

 

「うぅぁぁああああああーーーーー!」

 

 

もっともっと!

 

動け!

 

動けるぞ!

 

 

「あああああああああーーーーーーッ!」

 

 

私は動ける!

 

雄叫びを上げて、私は。

 

強大ではないけど、私よりも強い相手に。

 

 

「ああああああああああああああああーーーーーーッ!!!」

 

 

挑め!

 

 

今だけは村娘から英雄にクラスチェンジだ!

 

 

一歩を――

 

 

 

「"『鉄沓』――『潜林』……"」

 

 

 

――――踏み込めぇッ!

 

 

 

ドシュンッ!

 

 

叫んで、意識をただ一つに回して。体が、足が一度の踏み込みを勢いに動き出した。惰性であと何歩分動くか分からないなら、突っ込むしかない。

後方から大地の抉れる音がして、すぐに風切り音が鼓膜を鳴らす。始動はロケットスタートによく似た形で、低姿勢のまま真っ直ぐに突き進む。冷たい空気が肌を裂くようだが、痛みを覚える暇もない。

 

 

「『"減衰されたとはいえ、動くのは予想していなかったな。ハコオニといい、君といい、自分の役割をよく知るべきだよ。安易に命を散らすものじゃない"』」

 

 

少女の日本語は、あの聞き慣れたカタコトからかけ離れた綺麗で中性的な話し方。

顔のつくりも変わってしまった。自信に満ちた柔和な顔から、人を見下したような傲慢な顔へ、表情一つで印象がガラリと変わる。

 

(恐らく何かと入れ替わっている。なら、死なないで下さいね、パトリツィア!)

 

この技は人には使えない、私には日本の武偵法が適用されちゃうから。

でも、急所を蹴ろうが撃とうが怯まないんだ、今更心臓止めたくらいでくたばらないでよ?

 

 

「"『徒花』――"」

 

 

――パパパパァン!

 

 

常人には脊髄反射でも躱せない4発の銃弾が発砲音より早く殺到し、ほぼ同時に四肢に着弾、体を花弁が開く様に外側に弾き地面と空気中に縫い付ける。

 

 

「"桜散る 刻を違えば 露と消ゆ。いつか散り行くこの花を、その目に焼き付けて下さいね?"」

「『"っ!"』」

 

 

反応は見せたが体が思うように動かず、対応が間に合わないようだ。

徒花はここから相手の股下か脇を潜林で抜けて勢いを回転に変え、秋水で体重を乗せた蹴りを背面の正中線のいずこかに不意打ちするのだが。

 

 

直後――

 

 

「"あなたには特別です。『羅刹』……"」

 

 

ズッッッン――ッ!

 

 

――正面からなんてことない掌底を叩き付ける。心臓を止める非穿通の一撃が呆気なく決まった。

胸の中心に吸い込まれるように左手が深く、抵抗を感じさせる事無く沈んでいく。

 

 

 

――――沈み込んでいく……ッ!

 

 

 

「『"『単色の沼(モノクローム)』。その技は吸血鬼を倒した技か。人間に放つなんてとんでもない事をするね、死んでしまうじゃないか"』」

「"――っ……"」

 

 

腕が明らかにパトリツィアの身体を通過する程沈んでいる。青い底なし沼に呑まれ、上腕の半分はもういない。

足掻いても抜けない、そもそもそんな力を残すつもりもなく、掛け値なしの全力を尽くしていた。

右手でパトリツィアの身体を押せば私も引っ張られる。踏ん張る為の支点がない以上、抵抗することも出来ずに沈み込んでいく。

 

 

「『"教えてあげようか、クロ。この沼の中はね……白思金の中なんだよ。スパッツィアのイタズラとは違う。沼の向こう側に抜け出たりはしないんだ"』」

 

 

思金の中……消えた、友人。

砂漠の覇王が覇権を得ようとする理由を私は知っている。

傲岸不遜な彼女が感情を露わにした話。思金は人のオモイを喰らう。

 

 

沼の先、その何者かの発言に焦っても遅い。

肩まで呑まれた。すでに傍目には抱き合っているようにしか見えない距離で、純粋な笑顔を向けられて。

 

 

「『"お帰り、クロ。君が戻って来てくれるなら、ハナにも負けない――"』」

「"カナが眠りに就いた途端にコレとはな、妹"」

 

 

背後から少し低い少女、もしくは変声期を迎えていない少年のような声が遮って聞こえ、振り返ろうとしたが体勢的に無理だ。

しかし、カナの名と笑顔が消えたことが僅かな希望を想像させる。相手が味方であれ第三勢力であれ、現状を覆せるかも知れないと。

 

沼の侵食が止まった。

人間の嚥下みたいに無意識で行えるものではないのか。そうなれば私は重りであると同時に人盾、巻き込まれたら無事では済まないぞ。

 

 

「"情けねー。助けて欲しいか?妹"」

 

 

……妹ってのは、私ですよね。妹妹うるさいな。

ハッキリ言って好感度の急降下を避けられないろくでなしな言い様だけど、助けられる側は多くを語らない方がいい。親切心が反抗的と捉えられちゃうかもしれないし。

 

 

「"どこのどなたかは存じませんが、私の戦妹(いもうと)とメラニーという少女をお願いします!あなたの強さを疑うわけではありませんが、この人は人間が勝てるレベルでは――"」

「"つべこべ抜かすなよ。お前に聞いてんのは『はい』か『いいえ』だ。貸し1つで一手貸してやる"」

 

 

イラァ……

我慢、我慢だ。

 

あれだけ自信満々に出て来たんだ、命1つが貸し1つになるなら安いもんだろう。

死なない程度にやってもらおうじゃないか!その間に思金に対抗しうる力を……一菜、この時間に出るかなぁ……?

 

 

「"お願いします!一手、貸して下さい"」

「"……お前、自分の意志で決めたな?いいぜ、決まりだ。動くな、手元が狂う"」

 

 

手元……?銃でも撃つ気か?

そんなんじゃ電話帳を開く時間も稼げないって。

 

自分の意志で決めたとか意味不明だし、誤射されたら私が怪我をするだけだし、ガードに使われる前に止めないとっ!

 

 

「"銃は効かな――"」

「"主に感謝しろよ、『クロス』"」

 

 

――バババババシュンッ!

 

 

頭の両側を何かが至近距離で通過した。1つ1つは小さな音だったが、それが時間差で複数。次いで破裂音が5つ連なって、パトリツィアの身体が後方へ吹き飛ばされた。

空中で体勢を整えた彼女は胸の中心に出現していた青単色の沼も消失し、左側頭部からは赤単色の血が流れている。

 

膝立ちのまま胸の圧力から解放され、自由になった体で背後を確認するも誰もいない。

視界の端に紫色の羽根がヒラヒラと闇に紛れ、森の枝々を抜けて舞い上がって行った。

 

(ホントに一手だけ貸して帰りやがりましたね)

 

不可視の銃弾、空白とも違う新たな見えない攻撃。

覚えてる。ほとんど使う事はなかったけど、今の技は……

 

 

「『"やられたね、ハナは用意周到だ。時間稼ぎは今ので十分だったのか"』」

 

 

ちっとも悔しくなさそうな顔で恨み言を言い放ち、目線を私から横へ。足音は1つ、2つ、3つ……4つか?過剰人員が過ぎる。

 

 

「パトリツィアおねーさまー!」

 

 

ここからどうしようかと悩む私の頭に、お茶会の折に聞いたフォンターナ家末妹の舌っ足らずな高音がお邪魔してきた。

絶体絶命か。仕事中のパトリツィアの下に妹が来たら確実に仲間だろう。何とかしてメラニーとチュラを離脱させたい。

 

並び歩いて登場したのは先程の小学生とその姉。手に握られた冷たい銃口が控えめに顎の付け根へ押し当てられ、サァーッと体温が下がる。ハイパワーとは、信頼性の高い良銃だよ。

 

 

「こんばんは、クロ様。その様子ですと、随分手酷くやられてしまったようですわね。間に合って良かったですわ」

「…………」

 

 

黙っていて欲しいからそこに当てたのだろうし、ターゲットの命乞いを許す相手じゃない。

それに、成り行きを見るのも手かもしれない。手柄を取り合うなんて性質(たち)でもなければ、『間に合って良かった』と言うのも立場的におかしい気がする。敵と決めつけるのはまだ早い。

 

更に1つ、アリーシャが注意を払う仕草を見せていたのは、付き従って現れたパトリツィアの戦妹であるサマンタだ。

混乱する私を敵意満々で威嚇していたが、自分の肩と首を撫でるレーザーポインターに舌打ちして離れた場所に足を揃える。

残り1人、ポインターの先に潜む人間は表に出てくるつもりはないらしい。こんな森の中じゃ表も裏もないけど。

 

 

分からなくなってきたぞ、誰が敵で、誰が味方か。

 

 

「お座りください。脅かしてしまい申し訳ありません、この埋め合わせは必ずいたしますので……」

 

 

アリーシャは突き付けた銃を下ろすと私の上体を支えて膝を優しく畳ませ、しかし姉の姿を一目見て感情の欠け落ちた様な表情になった。

家族に向ける目じゃない。まるで、入れ替わった何者かを睨んでいるようだ。

 

 

「お願い、アリーシャ……」

「……お話は後で伺い――」

「チュラを助けて……!」

「――ッ!」

 

 

私は武偵失格だ。

依頼人の事よりも自分を、自分の家族(チュラ)を優先してしまった。

追い詰められると人は本性を現すというけど。これが私の本音なんだ。繋がりを失う事が怖くて、大切な何かの為に使命を投げ出してしまうような弱い心が巣食ってる。

 

違う、きっと違う。カナの求める正義は、そうじゃないと……思う。

だってカナは誰の事だって見捨てない。カナと一緒に戦って亡くなった仲間はいない。たとえ捨て駒に使われたような人だって救って見せるだろう。

それはカナが強いからだけじゃなくて、私には足りないんだ。カナの言っていた、この能力(ヒステリアモード)が一番強い力を発揮できる要素が。

 

 

陰鬱になりそうな考えを払拭し、現実に舞い戻る。

すると表情に一瞬だけ感情(イロ)を取り戻したアリーシャがパトリツィアの先にいる橙金色の髪の少女に激しく動揺していた。

 

静かな牙がもう一度サマンタの方に向き直り釘を刺す。

オレンジ色の髪の少女は腕を組んだまま不満げに目を瞑って肯定の意を表した。

 

一番小さな少女が空気の読めない無邪気な笑顔を振りまく中、上の姉妹は睨み合う。

 

 

「おねーさま?」

「スパッツィア、お姉さまを沈めなさい」

 

 

そこでスイッチが切れた。

同時に。

 

 

()は夢の中に目を覚ました。

とても寒い。暗い森の中。真っ赤な沼の畔に。

 

 

ドロドロと蠢く血色の泥中にはダンテの神曲を元にした、とても小さな地獄の光景が広がっていた。下へ下へと沈みゆく、完全に豹変した黄髪の天使と共に。

 

えずいた口を押え耳を塞いでも苦しみ悶える亡者の声が無数に聞こえ、全てを想像し生み出した小さな少女の芸術に酔う顔が目を閉じても網膜に映る。

現実離れした美しさで地獄を弄り回す身の毛もよだつ支配者は、天使のような笑顔だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「いかがなさいましたか?クロ様」

 

 

数十秒の沈黙の後、先に口を開いたのはアリーシャの方だった。

延々と続く壁掛け時計の振子が規則正しく鳴る音に、何度も根を上げそうになりながら耐え抜いた甲斐があったかと言われると、大した収穫はない。

淡泊な物言いからはこちらの推測を妨害する為に急かし、早々に打ち切りたいなんて目論見もなさそうだ。

 

 

「メラニーは私の捜索対象でした。考えていたんです、彼女がパトリツィアに強襲された経緯を知りたいと思うのは自然な事でしょう?」

 

 

迷子になるだけであんな森の中に偶然行き着くとも思えない。あの場所が彼女達のランデブーポイント、最終目的地だったはずだ。

理由はサンタンジェロ城の夜と同じ、彼女の駆け付ける時間の早さ。メラニーの無力化直後にアリーシャへ連絡を取ったとしても森林は易々と見つけ出せる広さでなく、俺が発見した時には戦意を失っていない程度には戦いの余韻が残っていた。俺とパトリツィアの邂逅時間は長く見積もって20分もない。早過ぎるのだ、彼女の出現が。

 

では、どうしてあの公園を選んだのか。あの公園である意味はあったのか?

 

――ないだろうな。重要なのは位置関係と秘匿性。つまり、バチカンに近く空からでは探せない森の中。

偽物(ダミー)の仕事は近くで警邏任務に当たっていたシスターの関心を心底引いた。敵対組織の怪しげな動向は、他に目が回らなくなるくらい重要なのだ。

 

 

「詳細はお教え出来ませんの。私達の仕事、ご理解いただけますわよね?」

「聞きませんよ。夜にぐっすり眠れないのは死活問題ですから」

 

 

明日は我が身だ。踏み込み過ぎた問いで次のターゲット候補に据えられても迷惑だぞ。

 

強襲が仕事の一環であることはパトリツィアが空白を使った時点で疑いようがない。そして、彼女は()()()()()()()()()。妹達と()()()が本当の目的を完遂させるまでの間、あえて目立たない場所で限られた目だけを欺いたのだ。

メンバーの欠けた魔女(イギリス)の目、ローマの広範囲に情報網を敷いているバチカンの目、恐らく他にも監視の目があった。アルバと()()出会った俺達も足止めされている。()()()()()()()()()()

 

偶然……か。

誰の謀計も介在していない。本当にそうなのか?

目の前の少女でさえ、何者かの企てを実行しているに過ぎないというのに。俺が俺の意志だけで動いていると公言出来るだろうか。

 

その後に駆け付けたアリーシャだが、姉の様子を一目見ると隣にいた末妹に迷わず指示を出し、警告も挟まず戦闘が始まった。それもこれも原案の筋書きをなぞり、進行していく様子は冷血にすら映る。

しかし、俺がいた事に何の驚きも示さなかったのにチュラが倒れている事に酷く動揺していた。まるで(クロ)がいた事が当然で、チュラがいた事は予定と違うとでもいうかのように、少女の容態をみて焦りを見せたのだ。

 

 

「パトリツィアは……あれは何があったんですか」

「それも、機密ですわ」

「チュラにも私にも、空白が生まれませんでした。どうしてチュラは目覚めないのでしょう」

「その件につきましては……少々お待ちくださいませ。クロ様は私を疑っておいでなのですわね、先日の事だけではなく、もっと前から」

 

 

嘘を見透かす青く澄んだ瞳は、どうしてかチュラの名に泳ぎ波打った。揺れて振れて溢すまいとバランスを取り隙が生じた彼女は、チュラに対しクラスメイトという間柄以上の感情を抱いているらしい。

自身の心境の変化へ即座に対応し、話題を引き延ばすあたりは流石と言った所だ。嘘を吐いてノーと答えても余計に拗らせるだろうし、この機会に聞いておこうか、仕事の話だけじゃなく色々と。

 

(俺は君の事を信用している、とは言い切れないかな。でも、アリーシャは戦妹(チュラ)を本当に心配してくれているんだね)

 

疑いを持って掛かることは有利に働くばかりではなく両者の間に溝を生んでしまう。

それなら踊ってみるのも一興かもね、相手がこんなに可憐な花なら許してしまえそうな気がするよ。

 

 

「覚えていますか、サンタンジェロ城での作戦を」

「……?ええ、覚えておりますわ。聖天使城、あの場に多くの仲間が集まりましたものね」

「仲間達の中に、私が連絡を取っていない()()がいたんです」

「……!そうですわね、呼び寄せる前に城を登った()()がいましたわ」

 

 

察しが良いね。腹を割って話そうという意思は伝わったようだ。ついでに俺が疑っている理由についても説明が欲しい所だけど。

 

さっそく先程の答えをと促そうとしたが、片手で制されてしまう。

なるほど、順番ってことか。公平に行きましょうと純真な吸血鬼を騙した悪女の記憶が蘇る。

 

 

「チュラ様が受けた能力は『空隙』でお間違いありませんのね?ナイフや尖った石、ペン先などに付与される空白の中でも近接戦闘に秀でたものですわ」

「多分、ナイフに付与されたもので合っています。私も左頬を貫通されたと思ったのですが……」

「空隙に痛みありませんの。想像力を触覚――痛覚の再現に回すほどの余裕を持てない技ですので、相手の視覚に強く訴え、脳死させるのですわ。あらゆる防御を通過する幻覚に耐えるには理性を強く保つ必要がありますのよ」

 

 

怖いなぁ……

植物人間を作る技だったのか。よく耐えたな、俺。

 

能力の説明が正しいのならチュラの状態はどう診断すべきなのか。

医者に見せたところで無意味なことは分かるが、目覚めさせる方法は思いつかない。

 

 

「じゃあ、チュラは……?」

 

 

脳に異常が?

尋ねたかった質問はまたしても制される。お口にチャックのジェスチャー、今度は俺がされる側になってしまったよ。ちょっと苦笑い気味だし、焦りが存分に態度に出ちゃってるんだろうな。

口元の手でそのまま黄色い髪を梳き、膝に戻したアリーシャは肩の力が抜けている。緊張感を緩めた動因は邪推すべきではないかもしれないね。

 

 

「クロ様は、思金はご存知ですわね」

「ええ、まあ少しは」

「チュラ様が黒思金に縁故をお持ちであることは?」

「知っています。彼女は黒思金の思主、あなた達姉妹は白思金の思主、思金の攻撃は思主の反射でなければ防げない。私が知っているのはそのくらいですが」

 

 

俺の発言は箱庭に参加している者なら誰でも知っている情報と――

 

(思主は存在が消される……パトラの話を証明付けるようにパトリツィアも私ではない本当のパトリツィアと話していた)

 

パトリツィアの目的もオモイの器に生きる人々の理性だとしたら、両者が手を組む動機もハッキリする。

しかし、この事は話すべきではないだろう。アリーシャとパトリツィアの間に存在する不和の正体、姉が隠していればその真実を彼女は知らない可能性があるのだ。

 

 

知るべきではないんだよ。

自分は自分じゃないなんて、そんな、悲し過ぎる真実なんて……

 

 

(……クロも…………同じ、なのか)

 

 

「正確に申し上げますと、思金を持つ者すべてが思主ではございませんわ。適性があり、体内に取り込んだ者のみが思主となりますの。そしてチュラ様は()()()()思主、思金同士には有縁がありますのよ」

「有縁?」

 

 

初耳だな。

思金同士に因縁が――――ッ!

 

 

 

()()()()の行動は読めないな』『やられたね、()()は用意周到だ』

 

 

 

そうか、それがお前たち――思金に息づく者たちの名か。

朗報だよ、固有の名前と人格があるって事は、少なくとも食い荒らした人々の理性がごちゃ混ぜにされていないってことだ。

 

 

「続けてくれ」

 

 

おや、口調が戻ってしまった。

考えながら他人の真似をするのは難しいね。ああ、他人じゃなかった、自分の真似か。

 

 

「……?はい、それで有縁と申しますのが――」

 

 

首を傾けたアリーシャの話によるとこうだ。

思金には黄・白・赤・黒・青の5色があり、それぞれが相互に有利不利の相性関係と誘引し合う因縁関係がある。

 

相性で勝敗が決まるわけではないものの能力差を覆す重要な要素で、因縁はパワーバランスを保つための仕組みだ。

有利な相手に挑もうとすれば不利な相手が引き合いに出され易くなる仕掛けが成り立たされており、逆もまた然り。

 

 

『そもそも思金とは色金封じを主眼として妖の祖たる者に生み出された金属』

 

 

思金同士が潰し合い、1つが勢力を強めてしまえば新たな脅威となる。それでは本末転倒だろう。

白思金は青思金に強いが、箱庭では青思金が呼び寄せる赤思金には挑まないように厳命されているらしい。

 

 

『全ての思金を支配し、全ての色金を制圧する』

 

 

パトラの計画が正にその実例だ。

黄思金の優劣を覆す目的で白思金のパトリツィアを引き入れた。そう考えれば黄思金は青思金に弱いのだと推理できる。

後はささっと線を引いて行けば全ての思金の関係が判明した。チュラがパトリツィアと行動を共にしていたのは、白思金が黒思金を呼び寄せる関係だからだったわけだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「思金は色金に対抗する為に思主を戦わせているのですね?」

「その発言がクロ様でなければ口封じが必要でしたわ。気軽に国家機密をばら撒けば回収が困難になりますわよ…………いつぞやの乱射(ラン)の後始末のように」

「うっっ……」

 

 

その件は本当にすまないと思っている。でも悪いのは俺じゃない。

武偵中に迷い込んで、ちょっとだけ魔が差した外部の子猫ちゃんが大切なベレッタの……おっと、ベレッタの大切な設計図を奪って行こうとしたからね。

もう悪さはしないように、って遊んであげただけ。短機関銃が火を噴いたのも、窓が割れたのも、じゃれつきが思いの外激しかったんだよ。

 

 

「色金については深くは知りませんの。私には戦う役割が割り振られず……ご覧になりましたでしょう?先日の私の傍観具合も、最低な行いも。クロ様は止めようと声を上げて下さいましたが、他に方法は御座いませんわ。ずっと、人生のおよそ半分はこうして生きて来ましたの」

 

 

アリーシャは告解室の教徒のように、自らの罪を顧み懺悔している。

逃げも隠れもしない青い瞳が強がりに見えて痛々しい。

 

 

スパッツィアに命令を下し、姉と妹の争いを遠くから眺め、最後には――

 

 

    『ごめんなさい、スパッツィア』

 

 

姉を沈めた地獄の中に、妹を突き落とした。

自分の名前を必死で叫ぶ妹を、助けてと片腕を伸ばす家族を埋めた。

 

止めろと叫んだ俺は、結局オーディエンスでしかない。

俺よりも苦しんでいる少女が記憶に刻んだ、家族が地獄に落ちる場面から咄嗟に目を逸らしたくせに、知ったようなフリで義憤を感じていた。

 

責められる立場じゃない。例え許されざる行為だったとしても、相手の心情を理解しようともせず、事実のみを事実だからと責め立てるようなことはしてはいけない。事実のみで裁くのは警察や裁判官の仕事だ。

この場においても慰めの言葉1つ浮かばない程度の認識でココロを壊す不人情は、きっと自分の姿が見えていないんだろうな。

 

 

(…………?)

 

頭の奥がムズ痒い。

不思議な香りが室内に満ちている。甘くてリラックスする、集中力を溶かして夢うつつのまどろみを招く匂い。

不思議な国に落ちていく、そんな想像を掻き立てる可愛らしいお花とハーブのミックスティーだ。

 

 

「色金のお話はお姉さまにお会いした時にでも。他にはございますの?」

 

 

ここまで聞いておいて機密も何もないけど、次々と情報をくれるものだ、興味を惹かれるよ……でもね、チュラの事を誤魔化そうったってそうはいかない。

 

 

「アリーシャ、チュラの戦姉(あね)としてお礼を言わせてください」

「――っ!」

 

 

チュラの名を出すとアリーシャは降参のつもりか肩を落とし、ため息とともに手をハンズアップさせた。

後回しにして有耶無耶にしようとしてた事は、彼女のフェルマータ形の恨めしそうな唇が物語っている。3度目の話題逸らしは失敗だよ。

 

 

「参りましたわ。ですが、お礼は先送りさせていただきますわよ」

 

 

お仕事モードを停止したらしく、反動で萎れた蒲公英みたいにぐでーっと脱力すると、腕の中に伏した顔から片目だけ、左目だけを覗かせて潜めた声で呟いた。

 

 

「どういう意味でしょうか?」

「そのままの意味ですわ」

 

 

目が笑っていないんだ。

答えなかったんじゃない、答えられなかったんだ。

 

 

「チュラ様は、自らの意思で眠っていますの。彼女は……クロ様、あなたを失ったと思っておりますわ」

 

 

チュラが目を覚ます答えは――ないんだ。

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


回想とアリーシャとの会話のみの内容でした。
キンジに公開された情報も増えてきましたね。こうなってくると執筆時の心情管理も難しい。主人公が意図せず記憶喪失になったり、神のお告げを聞いたりしないように頑張ります!

カナが眠り、チュラが倒れ、クロのスイッチも異常をきたしている。
人員が崩壊し始めたクロ同盟、キンジは生き残ることが出来るのか……?


次回も戦闘ではないかなー……たぶん。きっと。
予告詐欺が怖いけど、次こそきっとイギリス勢が出るはず。
マイペース更新をたまーにご確認くださいませ!




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水面の未草(ウォーター・リリー)




どうも!

もうすぐ理子の誕生日ですねと、かかぽまめです。
早く新刊出ないかなー。

今回も長い割に実りの少ない日常編です。
どうかお付き合いくださいな。


そんでは、始まります。





 

 

 

チュラは自発的に意識を手放している――――

 

 

程よく陽の差した青空の下、座り込んだ公園のベンチがギギッと音を立てる。

家から出て15分も経っていないのに、体はとうに冷え切っていた。白い湯気をほわほわとあげる小さなカップを目前に差し出され、反射的に受け取る。その熱が多少の落ち着きを促すものの、白い厚紙コップと甘い香り、温かい液体である以上の情報は分からない。

体育座りで掻き抱いた自分の膝の上に熱い温度が無意識で載せられた。丸くなった背は俺の内面をよく表していると言えるだろう。

 

 

閉じてしまった暗黄色の瞳、いくらでも思い出せるちょっと生意気なくらい喜色に富んだ笑い声も聞こえない。

俺に出来る事はなんだ?光量の調節や懸命な声掛け、日常生活を演じて自然の目覚めを待つしかないのか。

ヒステリアモードの切れた俺には碌な解決方法が思いつかず、思い出だけが繰り返される。

 

 

「――してくれていい」

 

 

一般の病人と同じ手法が通じる保証はない。

その上、余命期間もあやふやで助かる保証もない。

 

 

「――てるのか?おい」

 

 

気ばかりが急いて考えがまとまらず、浮かんでは消える嫌な想像に今朝見たチュラの姿が重なる。

触れても撫でても動かなくて。それ以上は……怖くて声も掛けられなかった。

 

 

「――が良くない。具合が悪く見える」

 

 

失うかもしれない。そう思うと手放したくなくて、抱き締めそうになった。

チュラのクラスメイトがいる手前辛うじて耐えたが、今でもまだ喪失感が心の隙間を体の隙間を埋める事で紛らわせようと働きかけている。

 

父さんや母さんを失った時とは違う種類の痛み。

あれが一瞬の痛みで感覚を奪う肉を斬る鋭利な痛みなら、じわじわと広がる火傷のような痛みだ。耐えられそうで、心を保とうと無理をしてしまう。

自分で感情をコントロール出来ず、考えるほどに思考は荒れていく。いっつも付いて歩いて来ると思っていたが、依存していたのは俺の方だったのかもしれない。

 

 

 

あいつがその鏡で、俺を映していただけなのか――――?

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

アリーシャとの会話を終え、まず向かったのはバラトナの所だった。あいつには思っていた以上に心労を与えたみたいだからな。起きるかどうかも分からない仲間を何も出来ずに待つだけなんて辛すぎるだろ。

ヒステリアモードは数分間の会話で切れてしまっている。発動のギリギリまで血流が争っていたせいか掛かりが甘かったようで、だからこそこっちを優先したってのもある。

 

 

「"バラトナさん、もういいですよ"」

「"……クル…………ごめんなさい、テュラの事、聞いてしまいました"」

 

 

部屋に戻ると言いつけ通り沈黙したままベッドの上に座り込んでいたバラトナは、俺の顔を見ると開口一番に頭を下げて謝ってきた。あれだ、アリーシャが盗み聞きしていたのを注意したから自分も怒られるとでも思ったんだろう。

べたぁっと上半身を勢い付けて倒すもんだから結構揺れたな、何がとは言わんが。

 

 

「いえ、あなたにも聞いてもらう為に扉を開けておいたんです。私一人ではアリーシャに騙される可能性も考えていましたから」

「まあ!ストレートな物言いですわね」

「アリシャはテュラのお友達でした。とても礼儀正しくて、嘘なんて吐かないのでした」

「うぐぅッ……!」

 

 

顔を上げたバラトナは素直な感想を淀みない瞳に乗せて発射した。直撃だ、名前を対象にしたホーミング機能付きの言霊は無惨にも一人の少女の心を貫いていく。

 

(あーあ、こりゃクリティカルが決まったぞ。あいつは嘘を吐くことにしっかりと罪悪感を感じているみたいだからな)

 

仕事から離れると目はキョロキョロと忙しないし、顔は血の気が引いてるし、胸元を押さえて痛そうにしてるし、別人みたいだよ、ほんと。

 

 

「……そ、そうですわよ、クロ様。私、うそ、嘘なんて吐き……うっ」

「気持ちが良くないのでした?」

 

 

バラトナのストレートな瞳に応えようと無理すんなよ、別のもん吐きそうになってんぞ。

背中を擦られ、苦しそうに浄化されていく様子は除霊のそれだな。そのままピュアで真っ白になるまで続ければいいんじゃないか?そんな冗談は口には出さないけど。

 

地獄の沼を見た夜に、()()()()()()()()()()()()はアリーシャが帰った後に聞くとして……

 

現実と目を合わせる時だ。

魂ごと除霊されていた憐れな蒲公英少女を連れ立って、カナの部屋に向かう事にしよう。

 

 

「チュラに会って来ます。アリーシャ、あなたの解釈もそこで教えてください」

「……分かりましたわ」

「クル、私は……」

「お任せします」

 

 

とは言ったが、正直付いて来て欲しくはない。

現実味がないから俺は無事であって、それを正視した時にも平常心で振る舞える自信がない。バラトナが隣に居たら甘えちまいそうな気がする。

 

 

「…………」

 

 

振り返らないぞ。俺だって俺自身の顔を見たくないんだ、ウィッグを抜きにしてもな。

心配そうなアリーシャの気遣う態度もキツイくらいなんだ。

 

返答がないから付いてこないんだろう。

そう思っていたが、あいつは変な所で頑固だ。

 

 

「……クル、何が食べたいのでした?」

 

 

今朝の一件で思い知った。あいつは俺やチュラと違って、自分で物事を考え決められるんだった。

 

背中で受け取ったメッセージが胸に響く。

家族の温もりを再認識したよ。声を震わさないのが精一杯だ。

 

 

「鶏の唐揚げが食べたいです」

 

 

バラトナ、ありがとな。

 

 

 

 

 

 

同じベッドに向かい合って眠る戦姉(カナ)戦妹(チュラ)。一見男子禁制の領域に見えなくもないが、既に兄が1人そこで寝ている。そして俺も女子カウントされてるし、男2対女2の異様な女子空間の完成だ。

寝返りをうってその構図になったみたいだけど、兄さんも寝相は良くないんだな。いつも俺より早起きだから知らなかった。

チュラは寝ている間も物真似を続け、栗色の髪を乱したカナと反転した同じポーズで……

 

安定した息遣いすらも真似かもしれない。仮に、チュラを独りで寝かせてしまえば呼吸も止めてしまうんじゃないかと思わされる。

柔らかな顔も手も死後硬直はしていないのに鉄の様に冷たく、血液を行き渡らせる脈拍も心音すらない。まるでチュラの形をした無機物だ。

 

掛け布団を肩の位置まで戻してやっているアリーシャは生きていると言うが、目覚めに必要なモノは同じ思主である彼女にも分からない。せめて思金の誘因作用で効果が得られないかと、訪問してくれていたのだろう。

突いたり、揺らしたり、話し掛けたり、水分投与の際にハーブを混ぜて飲ませてみたり。様々な刺激を与えてみても反応を返さず、そもそも生物としての生理反応が全くない状態らしい。

 

もう一度、今度はこの状態で後どのぐらい生きていられるのかを聞いたのは良くなかったな。言われなくても予想出来てる。曇り空へ届けた問いに答えはない。

部屋の電球が切れたわけでもないのに、日当たりの悪い兄さんの部屋が一層暗くなった感覚がある。

 

 

空気を読んだバラトナは腹ペコの俺に合わせて献立を組んでくれている。腹が減ってると気が滅入るんだそうだ、カナに教わったんだと。

鶏の唐揚げが食いたいと注文したら、「そう来ると思っていました」と言いつつ異様に張り切って下拵えを始めていたよ。ニンニクをたっぷり利かせた食欲をそそる匂いが、キッチンから狭い家の中に行き渡る。開けっ放しのこの部屋にも例外なく日常が訪れる。

 

 

「……良い香辛料の匂いですわね。私もご一緒させていただいても?」

「私もそう言おうと思っていました。バラトナも喜びます」

 

 

憂慮を欠いた問いへの代替案は、苦し紛れだったのかもしれないがとても魅力的だ。

話題を振られようにも会話を続けられず、2人もそもそと食事をしていたら、フォローに躍起になったバラトナの方が先に参ってしまうだろう。

 

食卓を囲んで、みんな一緒に――

 

(俺は、いつからこんな寂しがり屋になってたんだろうな)

 

クロとしてあの学校に通い始めて、色んな奴とつるみ始めた。人嫌いから女嫌いを克服したクロが男子ばかりを避けるから周囲は女子だらけだけど、日本で俺が感じていた居心地の悪さはなかった。

最初はお国柄や女同士だからだろうと思っていたが、一番の問題は俺自身にあるんじゃないかと考えるようになっている。体質を理由に会話すら拒んで来てたから、薄々勘付いてはいたんだ。

 

そしたらお次は孤独感に弱くなった、ままならないもんだよ。弱点の打開が新しい弱点を生むとは。

あいつらは仲間で何があっても守りたい、結局新しい弱点は俺の原動力と成し遂げる力に活用されてる。これもカナの予想通りだったんだろ。まんまと成長してる、思い通りに。

 

 

なぁ、カナ。いや、兄さん。

俺に隠してることは、まだまだ山ほどあるんだよな?

 

かなせって奴の事は知らないけど、夢の中に現れたんだ。

『矢指』を元に俺が編み出そうとして諦めた、俺しか知らないハズの技――『弋縒(クロス)』を使う奴に。

声は……そうだな、確かに子供の声だった、俺と同じ位の。男子か女子かは分からなかったけど、そいつは俺を助けてくれた。借りが出来ちまったんだ。

 

また会う気がする。その時、俺は……借りを返すつもりでいるんだ。相手が誰であっても、借りた物は返さないと。

兄さんは驚くだろうな、俺が逆らおうなんて思いもしないだろうし、怒らせちまう覚悟は出来てる。

 

 

……なぁ、兄さん。本当に討つのか?

俺には隠している別の目的が、まだあるんだろ?

俺には兄さんがあいつを殺そうとしている気がしないんだ。

 

あいつは――――

 

 

 

 

 

何となく俺に似ている気がする。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

午前中の記憶が途切れ始め、目の前が明るくなってきた。外だ。ベンチの上で膝を抱えて放心状態のままじっと地面を見つめてたんだな。

ぼーっとしたままの頭は金縛りに掛かり、目覚めの刺激を必要としている。

 

真横から人の声は飛んでくるが、単語の1つも残らず耳から耳へ通り抜けていく。

 

 

「おい、親切な奴(テンダー)、話せ。ウチがおかしい奴だろ……あむむ、最悪だ(ネァースティー)……」

「チュラ……」

「病気だな……スカート押さえろ、じゃないなら脚降ろせ。Aww(あ~)……ほら、飲みもんは持っててやるから一回立て。スタンダップ!ヨー、ヒーブ、ホー!」

 

 

体の隙間を埋めていた膝を地に降ろされ、右腕を引かれている。それだけでチュラを思い出してしまう、じゃれつくニコニコな顔と噛み付くプンスカな顔、パン屋で聞いた出来損ないの歌がリピートされる。

外界から切り離されたように気持ちが地の底に沈み、それを追いかける気にもなれない。

 

立っている事を認知したのが完全に腰が浮いてからなら、前方に倒れ込んだ事に気付いたのも右足が浮いてからだった。

空が視界の上端に消えていき、面積の増えた下方には紫色の丸い髪飾りを付けた頭のつむじが入り込む。

 

 

「……チュラ……?」

「うぁ……っ!寄り掛かんな、お前の力で立てって!一つしか手が空いてない!チョコ零すだろ……Watch Out(わちゃッ)!?」

 

 

(から)抱いた腕の中にチュラの少し大きくなった残像が見えた。

鼻をくすぐるオレンジゴールドの……いや、ゴールデンオーカーのツインテールは先端が真っ直ぐに切り揃えられ、よろけた俺の左足を踏み、右肩を押して転倒に巻き込まれまいと懸命に……って、

 

 

()っつぁッ!」

「は、放せッ!チョコ零れた!お前のもウチのも!」

 

 

ズボン……じゃない、今着てる武偵中のスカートとストッキングにドロッとした高熱の液体が浴びせられて現状を強制的に把握させられた。

まずチュラではない、こいつはイギリスの……アルバって名前の超能力者だ。変な帽子は脱いでいるが、身長も比較すれば高いし、髪型も色も違う。どうして間違えたのか説明できない位に似てないぞ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「す、すまん!……です」

「すまんってなんだ!メンゴって言え、メンゴ!メーンーゴーッ!」

 

 

腕の力を抜いたら速攻で3歩後退り、例の間違った日本語での謝罪を要求してきた。

マジで怒っているのだろうけどセリフがミスチョイスだ、いまいち怒りが表現できていない。

 

(普通はメンゴとは言わねーよッ!あいつは一旦置いといて……ヤバい、スカートの代わりなんて買ってないんだが)

 

白いスカートに甘い香りを放つ焦げ茶の染みがつく。クリーニングに出さなきゃだめだな、こりゃ。学校は休むつもりだから問題無いんだが、外出時は自分で服を選ばなきゃいけないのかよ。

……お?それならいっそズボンでも買うのもありだな。カナはスカートとワンピースばかり選ぶし、バラトナにでも付いて来てもらって、あわよくば適当に見繕ってもらうとしよう。

 

 

「聞いてるか?服に掛かったろ!まぬけ!とーへんぼー!かいいんしょう!」

 

 

メンズのジーンズでも着こなせりゃいいのか?とか、乏しいファッション知識で知恵を回していたら額を二本貫手でド突かれた。地味に痛ぇ……。

しかし、うっさいな。追撃とばかりに鼻にかかった声でギャンギャンと食って掛かってくる。チョコドリンクの次は用途不明な罵声を浴びせ掛けられたが、なんだよトーヘンボーって、んでどこの会員証の話だよ。

 

 

「だか……ですから謝ってるでしょう!?」

「謝ってない!」

 

 

どうにも彼女の中ではすまんは謝罪の内に入らないらしいので、改めて「メンゴです」と伝えたら「ん、そうだ」だとさ。負けず嫌いっぽい上に感情の起伏が激しい奴だな。

ついでにチョコの件も不問にしてくれるとありがたいぞ。下が白い服装なのはお互い様みたいだし、シミもお揃いになった仲なんだし。

 

という思いが伝わったか、弁償代の請求は来なかった。それどころかウチが掛けたとクリーニング代を握らせようとしてくる始末。

一周回って逆に疑ってしまい、申し出を断ったのは後悔するべきではないだろう。怒ってたのは服の汚れじゃねーのかよ。

 

 

「気分悪いんだろ?話し合いは別の日でいい。メッセージだけ伝える」

「メッセージ、ですか」

「3つある。良い話と凄い話……あむむ、ヤバい話、どれから聞く?」

 

 

全部聞かなきゃダメなんだな。じゃあ順番なんてどうでもいいだろ。大体凄い話とヤバい話、他の形容詞はカタログに掲載してなかったのか?

良い話も誰にとって良い話かほとほと頭を悩ませたが、伝えなきゃ向こうも帰れないんだろうから聞いてやるよ。

 

 

「では、良い話から」

「ん、素直。それはお礼、メラニーがお前に助けられたお礼を……あむむ、リペイしたい。それまではお前と戦えない、だから何か頼め」

「突然そんな事を言われても……」

 

 

困るだろ、シェンロンもどきみたいなセリフに適した返事はパッと思い浮かばないっての。

とまあこの見解は正常らしく、これまた話し合いの場で聞かせて欲しいとの事。俺としてはまずその話し合いの詳細を教えて欲しいんだが、そしてナシの方向にシフトしてくれないだろうか?

 

さて次は?と促す視線を受け、次に選んだのは凄い話だ。これが一番良く分からんからな、形容詞が力強い割につづりとするには意味がふわふわしている。どう凄いのか、何が凄いんだか。

 

 

「凄い話は本当に凄い」

 

 

それじゃ聞いても分かんねーんだよ。

興味を引こうとでもしているのだろうか、両腕をバンザイさせるオーバーリアクションで彼女なりの驚きをジェスチャーしている。もし、そこまででも無かったらチョップしてやるぞ。

 

 

「内容を聞かせてください」

「驚け!妖精が呼んでる、自分の住処に招いてる。これはとても名誉な事で、ウチ等からすれば平民が貴族になるようなもんなんだ」

 

 

……溜息が出るよな。

魔女、悪魔、妖怪と来て、今度は妖精さんですか。どこに連れて行かれるんだよ。

イギリスの童謡なら何個か知っているが、妖精が登場するような夢物語には詳しくないんで、貴重さが分からない。平民が貴族になると言われても、日本にはない制度の為に実感がない。

つまるところ、凄さを伝える彼女の語り口にピンとこない。

 

 

「ウチ等というのはイギリス人(イングリッシュ)の魔女ですか?」

「イングリッシュって言うな、ブリティッシュと言え。でも怒らない、カチカチんの違いだ。アイルランド人(アイリッシュ)にもイギリス人(イングリッシュ)にもスコットランド人(スコティッシュ)ウェールズ人(ウェルシュ)にも日本人をアジア人とまとめて呼ぶ奴らがいる」

「ぶふっ!」

「??」

 

 

まだ笑うな……あいつは良い事言ったんだ。しかし、不意打ちのカチカチんは卑怯だろ、チがひとつ多いんだって。

どうしたとアホ顔を披露して更なる笑いを誘う卑怯者(アルバ)から視線を下げ……たらチョコドリンクの染みが見えたので目線はジェイの字を描いて左上に飛翔した。それを真剣な眼差しで追ってくるクロムオレンジの瞳には悪いが、空にはハトの一羽も飛んでない。

 

ちょっと機嫌を損ねたらしい。カッコつけて大して知りもしない英語なんか話すんじゃなかった。

不満そうな口振りで、4つ程聞いたことあるような無いような国名が挙がったけど、学校でも大して習わんからな。その辺の繊細な情報は。

 

 

「すみま……メンゴ、配慮が足りなかったですね。あなたの出身は何と呼べば良いんでしょうか?」

「日本語ならイギリス人でいい、違うならブリティッシュ。聞くのは良い事だから……ん、イギリスに来たら覚えておけ」

 

 

何とか鎮めた笑いのツボを固くガードしながらご機嫌取り。戦妹に歩み寄れと説教しておいて俺が突っ立ってたんじゃ合わせる顔がないってもんだ。

帽子を脱ぎ、光が当たって怪しさが軽減された明るい顔が、頬を持ち上げたのを見て作戦の成功を確認する。これで話を戻すことも出来るな。戻ったら戻ったで怪しい話なんだが。

 

 

「覚えておきます。それで妖精はいつ、どこに私を連れて行くつもりなんでしょうか?」

「それは分からない。妖精の世界は時間軸が停滞してるから、人間とは感覚が合わないんだ」

「妖精の世界?」

 

 

あー、はいはい。おとぎ話の世界ね。あるある、妖精の王国とか。

子供なら行きたいと思うかもしれないが、生憎俺は中学男子。虫の翅の生えた小人達と面白可笑しくお話しする事も無いし、色とりどり香り様々な花々に囲まれても全然――

 

いや、違うぞキンジ、思考を引っ張られるな、俺が綺麗な花に釣られそうになる訳無いだろうが。……カナがフラヴィアに貰ったと見せてくれた、一面のジャスミン畑の写真はキレイだったけど。

 

 

「魔術だ。超高度な未知の魔術式で構築した世界。泉の妖精は下位の妖精に世界を作らせて、自らの力で歪ませてる。時間の流れる速度は同じ、でも……存在の輪郭が停滞する」

 

 

その事実が如何に常識とかけ離れているのか、爛々と煌く目を見開いた少女の解説に熱が入る。

しかし興味のない話ほど暇なものはない。こいつの話はちょくちょく脱線するから早々に方向修正をしとこう。

 

 

「なるほど。要はおとぎ話を現実にしたようなものなんですね」

 

 

って結論付けたのに。

 

 

「逆だろ。妖精に魅了された奴らがおとぎ話を作ったんだ」

 

 

もういいや、それで。

適当に相槌を打っておく。ここは歩み寄ったら足場がねーよ、ビルの谷間に真っ逆さまだな。

 

(凄い話は凄いな。フワッとした表現になるのもうなずける。説明を受けて尚、俺の頭に入らないで宙を漂ってるじゃないか)

 

対策を立てられるなら立てるけど、魔術は専門外だ。

一菜も細々(こまごま)とした式を用いた魔術はお手上げと言ってたし。

 

 

「いつかどこかに連れてかれるぞ、と。凄い話の内容は子供のしつけに使う伝承の様ですね」

「それは実話だ。招かれた子供は()()()()()()()の時間を妖精の世界で過ごして、時間を……あむむ、リープする。お前、さっきの説明、本当は何も分かってないだろ」

「そんなことありませんよ。魔術って凄いんですね」

「……ん、そうか」

 

 

ちょろいな、次行くぞ次。

 

褒めたらもっと詳細を解説し始めようとしたので聞こえないフリで強制終了、話題をヤバい話に遷移させる。言ってしまえばお開きが一番だけど、ここでリペイを頼んでも聞き届けてくれないだろう。

話の中断に意味深なジト目を向けられたがメッセンジャーの使命を優先してくれる。2つ連続でどうでもいいメッセージなら、3つ目も期待薄ってもんだ。

 

 

「ヤバい話は箱庭の話……今の情勢を把握してるか?」

「……まあ、ある程度です。あなたたちの橙同盟は日本が離脱し私のクロ同盟に。箱庭開始から未だにローマとバチカンが膠着状態――」

「もうトッキュウに終わってる。お前ずっと騙されてた、誰から情報を得てたんだ?」

「え――――」

 

 

騙されてる?誰から情報を得ていた?

何言ってるんだこいつは、俺が最も信用しているこの情報が嘘な訳ないだろ。

 

トッキュウに突っ込んでる暇はない。

だって、ローマとバチカンの話は……!

 

 

「――いつ、膠着状態は崩壊していたんですか?」

 

 

いや、違う。違うんだ。違わなきゃいけない。

時期のずれ……その後はきっと忙しくて話すタイミングを失って……

 

 

「最初からだ。ローマの思金は()()()()()()()()()()()()()()。共闘は禁止だが裏切りは推奨(サジェスト)されてる。バチカン側はその事情を知っていて、表に最大戦力は出してない。裏で()()()に対策を立ててた」

「最初から……?」

 

 

違う!一菜との決闘を控えた俺に心配を掛けさせまいと、裏で起こる戦いの情報を一旦保留してたんだ。

それで、ちゃんと話そうとした矢先に睡眠期が訪れてしまって……

 

言い訳を並べて、心の拠り所を守ろうとした。それを、目の前の少女は訝しんでいる。医者でも無いくせに俺が正常かどうかを診察するようにじっくりと眺めて来ている。

疑われたのが無性に苛立った。俺を疑うなら構わないのに、その矛先は俺ではなく情報の出どころ。それが許せなかった。

 

 

「お前は箱庭でクロ同盟と宣言してたけど、それは誰かの差し金か?」

 

 

目を細めたアルバは疑ってる。

俺が信じてやまない存在が俺を利用しているんじゃないかと。馬鹿げてる、そんな与太話には付き合ってられない。

 

 

「お前達姉妹だけですでに()()()が同盟を離脱した。次はどこを狙ってるんだ、バチカンか?フランスか?……イギリス(ウチら)か――」

「やめろッ!」

 

 

叫びは晴れた空によく響いた。少し離れたイタリア人が何事かと辺りを見回して、犯人を捜しあぐねているみたいだ。

だが、代表に選ばれるような奴は肝が据わってる。普通の俺がギリギリ保った変声の男口調で怒号を飛ばしてもビクともせず、逃げるどころかチョコドリンクの容器を投げ捨てた両手で防弾制服の上着に掴みかかってきた。

 

やるってんのか?そういうつもりなら受けてやるよ。

彼我の戦力差なんて、やぶれかぶれになった俺にはどうでも良かった。こいつはよりによって……

 

 

 

……正義の味方(兄さん)を疑いやがったんだッ!

 

 

 

アルバは目を吊り上げ、鈍い光沢を湛えた赤味の金髪その一本一本の毛先の流れが良く見える位置までグィッと身長差を覆すように俺を引き寄せると、

 

 

「お前がやめろッ!」

 

 

感情任せでなく、真剣に叫び返しながら目と目を直線で結び付けた。

強い意思、普段なら俺も話を聞く態度を改めた事だろう。

 

 

「何をやめろってんだ!」

 

 

しかし、俺の中の兄さんを貶めた敵国の妄言を聞き入れなんかするもんか!

口調なんてどうでもいい。なにもかも、どうでもいい。ごちゃごちゃな頭にはもう、何も入らない。

 

 

「それだ!考えるを捨てる所!お前が今……やった方が良いのは事実を知る事、信じる事!家族を信じる、それもたいせ――」

「敵のお前の話なんか信じられるかッ!」

「――――っ!」

 

 

服に掛かる力が失われた。俺の声にも逃げ出さなかった強気で小柄な橙色の瞳の少女が……手を引いた。足を退けた。首を項垂れさせた。

離れた距離は1歩にも満たないのに、会話を始めた時の3歩よりずっと離れてしまった気がする。2度目の遭遇となった夜よりも遠い。

 

ココロの、距離が。

 

 

「……分かった。敵、だな。ノー、初めからだった」

「…………」

「信じられないのは……慣れてる。ウチは嫌われ魔女(ディナイド)。でも、お前はウチを助けてくれたから……」

 

 

さらに距離は離れて行く。物理的にも、重い足取りで、小さな歩幅で少しずつ。

掛けるべき言葉はあったんだろうか?あったとして、俺がその言葉を掛けられたか?

 

英語の勉強不足を痛感したぜ。あいつが何て言ったのか、大事なところが分からない。

落ち込み方からして変なあだ名を付けられただけではなさそうだ。

 

 

「お前の……あむ、身の為にも話し合いには参加しろ。メアリーも会いたがってた、お前にリペイしたいって、ジンジャーブレットをウチが教えてる」

 

 

地面に投げ捨てたカップを2つ拾い上げると、ついにメッセージは締めに佳境へと差し掛かる。

一瞬、顔を上げようとしたみたいだが理由があるんだろう、結局足元の影を見つめたまま、メッセンジャーは自分のオモイを送り出す。

 

 

「だから、メアリーだけには優しくしてくれ。頼む……」

 

 

振り返る最後の去り際、手を額に当てて告げられたラストメッセージは英語で。

簡単な単語ばかりだから何となく意味は捉えられた。

 

 

「"そうだ。今夜は荒れる。シャワーの代わりにするとしても傘は差すなよ、空を飛びたい気持ちは分かるけどな"」

 

 

日本人にシャワー。シャワーなのに傘。挙句空を飛ぶなと来たもんだ。何が荒れるのかも伏せられた。

そのセンスの良く分からんジョークが効いた警告に、もう面と向かってセンキューとも言わせてくれないんだな。敵には。

 

また、だ。完全に八つ当たりだったんだよ。甘い香りを見下ろして。

去っていく背を見届けず踵を返しながら。

 

 

 

俺は、クロと同じ後悔をした。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございます。
会話オンリーでしたが、やっぱり読み返すと短いですね。

チュラの目覚めを心配していたキンジ。しかし、自分が箱庭の状況を把握できていなかったことを悟ります。その理由は彼が到底信じることは出来ない驚愕の事実。

騙しているのは果たして箱庭の戦士であり敵国の代表戦士アルバなのか、それとも……


次回はどうなる事やら、って事にしておきますね。
またしても日常編になりそうなら流石におまけを挟みますので、またしばらくお待ちくださいませ!


以下、アリスベル単語の一つ、『絶界』について。


アリスベルにも立派なWikiさんが執筆されていますので、引用を用いた手間省き程度のものですが。


異次元空間を展開する式で、その内部は法則すらも自分の思い通りに作ることが出来る代物。例えば"瑠姫ハニーリズ"であれば、現実世界と見紛うの形のまま永遠に階段や通路をループさせていた。一人一種類ではなくイメージの具現化らしいが、再現の限界は不明。
入口や出口も思いのままに出現させられ、緋弾のアリアにも登場した"鵺"に至っては油断していたとはいえ同格(従一位の官女)相手に気付かれぬ内に、逃走不可の隔絶された空間に閉じ込め、殺害した。
消耗が激し過ぎる為、相当な規格外でもなければ長時間の行使は難しく、他の魔法の使用にも支障をきたすレベル。戦闘補助よりも斥候や隔離、隠蔽に使われるイメージがある。中でも常設結界はそれこそ玉藻以上の位、精神生命体で生きるような最上位の存在の補助なしでは不可能……なんじゃないかな、たぶん。

自分の好きな世界で過ごせる幸せ、羨ましい限りです。




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反転の双乗衡果(ダブル・トリガー)(前半)




どうも!

たった一行の文章を書くために何時間も使ったかかぽまめです。
実際に体験出来ない物はどう表現してよいやら。


では、早々に始まります。





 

 

 

俺が目覚めた翌日。平日の昼頃に()()は買い物へとやって来ていた。

休日は人がごった返す大型ショッピングモールも今は人けのまばらな閑散とした雰囲気で、日光を取り入れた屋内は照明も少し薄暗い感じだ。店によっては奥を節電し、起きてるんだか寝てるんだかすら怪しい所さえあるぞ。

 

日本のイオンみたいな内装だ。3、4人が並べる幅の廊下にはパターン柄が描かれ、天窓まで続く吹き抜けを挟んで左右にある。眺めればローブランドのブティックや靴、香水やアクセサリー売り場、軽食の取れる開放的なバールやピッツェリアと結構本格的なレストランまでも、いくつものテナントが3階層に渡って連ねられている。それぞれを繋ぐエスカレーターは円形の広大な吹き抜けのスペースを贅沢に使っており、クリスマスでもないのに飾りのない巨大なツリーが中央に設置されていた。

 

 

目的は2つ。俺と(クロ)の服、及びバラトナの社会科見学だ。来たことも無いんだとさ、こんな大きなモールには。

 

 

「"見て下さい、キンィ……キン、ッディ。このお服、雑誌に載っていたモデルさんの物と似ていました。まるでそれを元に作られたような"」

「"服の方が雑誌に取り上げられたんだ、トレンドって奴だろ。俺も詳しくは知らんが、服には流行がある。もし興味があるなら、カナに頼めば懇切丁寧に教えてくれるぞ"」

「"すごい……これを全て店員さんが…………あっ!あのセーター、前にカナが着ていた物と同じでした!"」

「"カナもスーパーで買い物するついでに、たまにウィンドウショッピングに来るからな……クロと一緒に"」

 

 

有名ではないとはいえブランドはブランド、カナの目に留まる良品もあったんだろ。

好みの素材と色合い、形状や柄を着たいのなら、銘にこだわらなければハイブランドで買うよりよっぽど安い。

 

終始張り切り過ぎているバラトナは盛り上げようとしている訳でもなく、純粋にショッピングを楽しんでくれている。それが今の俺にとってはちょっとした清涼剤になっていた。

一晩寝て気分をリセットなんて出来ようもないが、一日を丸々休養に当てられれば効果はあるだろ。

 

 

「"キンィ!……キンッズィ、このお服はクルに似合いそうでした。早速着てみるのでした"」

「"無茶言うな俺はキンジだ。肩を露出した防御力の低い縦縞セーターはカナにでもプレゼントしてくれ"」

「"サイズを見ないのでした?"」

「"そ・れ・は・買・わ・な・い・の・でした"」

 

 

【挿絵表示】

 

 

正体をバラしたというか、なぜか気付いたらしいこいつはいまいち理解してくれていないが、俺が遠山クロに変装するのは好きでやってるんじゃない。バレたらヤバいから渋々やらされているに過ぎないのだ。

カツラの話を振った時、あの時点では最終確認の段階で俺の反応で確信したんだとよ。言ってくれよ、お前にクロとして接していた自分を思い出して何度も舌を噛みそうになったろ。気付いた理由を参考にしようと尋ねたら赤くなって目を逸らすし。

 

それはそうと、レディースコーナーに長期滞在する俺達に向けられた女性店員の好奇の視線が辛い。日本語で会話する俺とバラトナを交互に見合わせて、服を押し付けられた俺が困った顔をしていたら、ニヤつきながら「プレゼントですか?」とか聞いてきた。

ノーだよ、俺の服の話だし会話の中で買わないって言ってたんだって。

 

 

「"俺は先に出てるから好きなだけ見てろ。向かいのメンズコーナーのある店に行って来る"」

 

 

安いブランドは決して安くない、下手な買い物をさせられる前に退散しておこう。まだ半分くらいしか見てないぞ、この店。

バラトナも相変わらずパーソナルスペースが狭いし、距離を置く為にも男物ばかりの場所に行けば付いてこないはずだ。

と、思ったんだけどな。

 

 

「"……付いて行きました。男性の服にも興味があるのでした"」

 

 

……反抗期か?年上だけど。

 

 

「"……勝手にしてくれ"」

「"はい!"」

 

 

歩く俺の隣に追いついたバラトナは少しだけ名残惜しそうな表情で後ろを振り返った。何も言わなかったけど、気になる服でもあったんだろうか。

じゃあ何でついてきたんだよ、今だって男物の服に興味なんて無さそうだし、俺の顔を見てたってお前が求めそうな店の解説はしないぞ。

 

まあ、気にしてもしょうがない。

悩むほども種類はないし、さっさと俺の用事は済ませて(クロ)の用事を足しに行かないと。その目的で2人で来たんだからな。

 

女の事は服も思考も良く分からん。

 

 

 

 

 

 

『"バラトナ。あの夜、家に誰かが来たはずだ"』

『"……!"』

『"教えてくれないか。来てたんだろ、()()()()()()が"』

『"……はい。私も初めて彼女の眷属にお会いしました"』

『"彼女……口止めされてるのか?"』

『"いえ。ですがキンィ、聞いてしまうときっと後悔しました"』

『"どういう意味だ?"』

『"カナはあなたは知らないと言っていました――――竜落児様のことを"』

 

 

 

「"竜落児……"」

 

 

知らない……事もない。しかし、何を知っている訳でもない。

ただ、その名前を吸血鬼から聞いたことがあるだけだ。

 

そいつの眷属、手下みたいな奴がカナにコンタクトを取りに来ていたらしい。どんな姿だったのかは結局教えてくれなかったものの、1人は人間だったという事だけは判明している。

つまり、2人以上が訪れていて、残りは人間じゃないって事だ。危険察知のアンテナがビンビンに反応するし、兄さんが起きるまでは深入りしない方が良さそうだな。

 

 

大して動いてもいないから軽食で済ませようと、マクドナルドと迷いピッツェリアの切り売りピッツァとオリーブアスコナーラを注文。スプリにも気を惹かれたが値段がコレの2倍、メインはあるし経済的な問題で却下だ。

通路にズラリと並べられた2人掛けの席に腰を下ろし飲み物を買いに行ったバラトナを待ちながら、カナへの来客、その話を思い出していたら背後から話し掛けられた。

 

 

「あ、キンジさんだ。昼間からこんな居心地の悪い場所で何してるんですか?」

「ん?……クラーラか、お前こそこんな時間にサボりか?」

 

 

武偵中の制服でヘッドホンを着用した年下の武偵――クロと同学年の女子生徒が紙袋を抱えた状態で立っている。顔が青い、幼馴染3人組の引き籠り担当にはショッピングモールのような人混みが出来る場所=居心地が悪い場所って事か。

まあ、気持ちは分かるけどな。俺もバラトナと歩いてたら鬱陶しい視線をチラチラと感じたし、東洋人は珍しいんだろう。

 

 

「サボりも何も、この時間は昼休みですよ。私もやむを得ない事情で買い物に来たんです」

「お前が単身でか?今日は雨の予報はなかったが、傘を買っといた方が良さそうだな」

「失礼。あまりデリカシーの無い言葉を使っていると、ダンテ先輩みたいになりますよ」

「ダンテせんぱ……ダンテって誰の事だ」

「色々欠けた優秀な武偵です」

 

 

おなじみの辛口評価は先輩の武偵――俺より1つ上の男子生徒に対しても容赦がない。親しい間柄なのも要因だろう。

ダンテは優秀なパイロットで、操縦に際して当然体力もあり頭も良いが、基礎教科と日常知識が虫食い状態、彼女の評価は粗方合っている。

 

クラーラは同じ席ではなく隣のテーブルに紙袋を乗せると、背中合わせになるような体勢で腰掛けた。

 

 

「そういうキンジさんはおひとりで?」

「二人連れだ」

「おや、今日は良く冷えていますし雪でも降るんでしょうか」

「おい、人のセリフをパクるな」

 

 

失礼なのはどっちだよ。

それで、わざわざ隣の席を陣取ったって事は話があるのか。

 

 

「……キンジさん。お気付きかもしれませんが、このショッピングモールに招かれざるお客様がいらっしゃるようです」

「それは俺の事か?」

「安いジョークではありません。私はそういう人間の悪感情を視認できるのです」

 

 

クラーラは俺が任務でここにいたのではないかと勘繰っていたようだが、間違いなく偶然だ。

そしてそうではないと分かると、すぐさま情報共有を行う。たぶん協力要請のつもりだぞ、こいつは戦闘に関してはからっきしだし。

話を聞いてしまった以上、初めから断る選択肢はなかった。俺は武偵で、年下の同級生が無謀にも挑まないとも限らない。

 

(ベレッタ一丁、ナイフ一本の武装は用意してる。防弾衣服はついさっき買ったものがあるが下は着替えてる暇があるかどうか……)

 

防弾のジャケットを羽織り武装を確認しつつ、背を向け合ったまま彼女の話を聞く。

 

 

「どんな風に見えてる?」

「とても激しい……バチバチと火花が弾けるように燃え広がっています。直視出来なければ特定不能ですが、発信源はおそらく1階。3階であるここから見えてしまうのであれば相当な興奮状態、犯行に及ぶまで時間がありません」

「直接相手を見れば特定できるんだな?」

「惜しむらくは、グレープジュースに赤ワインを混ぜても飲み分けが出来ない事です。そんな状態では食も進みません」

 

 

特定は確実じゃない、か。

きっと1階にモヤモヤが充満していれば元凶となる未実行の犯人を捜すどころか満足に走り回ることも難しいのだろう。

 

一般人の暴動くらいなら俺一人で何とかなる。問題は規模だけだ。

 

 

「人数は分かるのか?」

「いいえ」

 

 

そりゃそうか。ワインを混ぜた量が一滴か二滴かなんて判別できるもんじゃない。

 

となれば連れて行くのはリスキーかもしれない。武偵中の制服だとターゲットを刺激しかねない上、クラーラの自衛能力にも不安が残る。

様子を窺いながら外部との連絡役として待機していてもらうか。

 

 

「俺が1人で降りる。この国に住んで痛感したが、警察は事件が起こっても絶対間に合わないよな。お前は誰か連絡が付きそうな奴を呼んでくれ。ついでになにか対象を判断できそうな方法がありそうなら聞く」

「経験上、激しいモヤモヤを放つ対象はイメージ通りの武装をしています。直情的な彼らが想起しているのは彼ら自身の攻撃のイメージ……」

「爆発物か」

「その可能性は大いにあるかと」

 

 

ヒステリアモードなら造作もない事でも、今の俺には荷が重い。

幸い人波は少ないから流れ弾の心配は少ないが、相手の人数、武装や練度によっては苦戦を強いられる。今回はそれが爆発物を所持した不特定数の荒くれ者って所だ。

 

(俺が……カナやクロの様に自由にヒステリアモードを使えたら――――)

 

 

「"キンズィ、炭酸水を買ってきました。2つセットでお安くしてくれたのでした"」

「??どちら様ですか?」

 

 

思考が負に傾き始めたタイミングで、飲み物を買いに行っていたバラトナが軽食の並ぶ席に戻ってきた。彼女に視線を泳がせたクラーラは日本語で俺の名前を呼んだ緑髪の人物を警戒している。

 

 

「あいつが連れだ、警戒しなくていい」

「……かなりの美人さん、困りましたね」

「ああ、かなり困ってる」

 

 

意外にも良く分かってくれているじゃないか俺の事。街中で女性を避けて歩いているのを見られたか。

 

俺がぼそっと呟いたのを見逃す程平和ボケした世界で生きて来ていないバラトナも、クラーラの様子と服装から武偵学校の生徒であり、俺と会話している事を見抜いたようだ。一礼すると友好的な笑顔で歩み寄ってくる。

 

 

「初めましては後回しだ、バラトナ。イタリア語で話せ」

「分かりました。それで、こちらの方は――」

 

 

――「クルの?」という問い掛けは口には出さず、代わりに自分の髪を梳いてみせた。

 

悔しいが一発で分かったよ。

 

 

「ああ、そうだ」

「事件が起こったのですか?」

「これから起こる。いや、起こさせない。バラトナ、戦う必要はないがお前にはサポートに回って欲しい。出来るか?」

「……可能です。ですが、絶対に怪我をしないでください」

「心配するな、上は防弾繊維だ」

 

 

そういうの、過保護って言うんだぞ。動けない程の重傷を負うのはご法度だが、武偵にとって怪我なんて日常茶飯事だ。傷跡だって……お前に付けられたのが残ってるし。

 

一応サポートを務めてはくれるようなので、万一逃げ遅れた一般人がいたら避難誘導くらいは任せられる。

後は誰かがクラーラの協力要請を受けてくれると助かるんだけどな。

 

 

「キンジさん、危険が伴いますが、その方は武偵仲間なんですね?」

「武偵じゃないが責任は俺が持つ。そっちこそ早めに連絡を付けてくれよ」

「もう付きましたよ。彼女は普段は真面目ですから、すぐにでも駆け付けてくれます」

「そりゃ助かる」

 

 

"彼女"の部分は頂けないが、背に腹は代えられない。

実行までに時間もないそうだし、俺達も一足先に現場の下調べを復習しておこうか。

 

エスカレーターへ足を向かわせる前に、クラーラに頼みがある。

 

 

「まだ手を付けてないから食ってもいいぞ、"もったいない"からな。代わりに後で奢ってくれると嬉しいが」

 

 

日本人的な考えだが飢えを経験した事が無い国なんてない。食料は個人の物であると同時に世界の共通財産と言っても過言ではないのだ。

それを捨てるなんてとんでもない。もし残ってたら意地でも食ってやるが片付けられちゃ食えんからな。

 

 

「食の好みは合わないようですね。私はソーセージは好きですが、キノコは苦手です」

「1つは食え。1つでも好き嫌いを減らすんだ。残りは戦妹に分けてやればいいだろ」

「……あちゃ、バレました?」

「向こう側の通路から鏡越しにずっとこっちを見られてたらアホウドリでも気付く。行くぞ、バラトナ」

「はい」

 

 

【挿絵表示】

 

 

さてさて、奢ってもらう予定も立ったことだし、失敗できないな。

どんなバカが真昼間から騒ごうとしてんだか、そのアホ面を拝見させてもらいに行くとしよう。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ただいま。お土産があるよ、主」

「プルミャおかえりー。なになに?この前話してたケーキ?」

「食い意地が張ってるな……ほら、久しぶりの絵手紙だ」

「――ッ!見せてッ」

 

 

「まったく、君が何通も何通も準備しているというのにお返しはたったの一通。文句のひとつでも言ってやりたいところだよ」

「それでいいの。お姉ちゃんは忙しいから……」

「君だって暇じゃない。……これ以上は言わないけど、ボクは怒っているよ」

「……ありがとう、プルミャ。でも、ほら」

「ん?なんだい」

「お姉ちゃんは絵が下手だけど毎回私を描いてくれるの。その為だけに限られた一生の一部を使ってくれてる。それだけで……いいの」

「まったく似てないね、あいつの中の君は」

「私の絵だって、似てないよ。私の中のお姉ちゃんは、エミリアさんとずっと仲良しだし……よく笑ってる」

「…………人間は短命だからね。思主は……もっと短い」

 

「会いたいかい?」

「ううん……私が会うって事は、きっとそういう事だから。でも、やっぱり……」

「……踊ろうか。ボク達が嫌いなあの曲を。君が笑ってくれる結尾部(コーダ)まで、ボクはいくらでも道化になって飛んでみせるさ」

「2人で?」

「ボクの両手はどちらも君と繋ぎたいみたいなんだ」

「ふふっ……仕方ないなぁ~。踊ろう、私達が嫌いなあの曲。さようならって言い合った最後の曲」

 

 

♪「今夜は荒れるよ」

「雨が降るのかしら、シャワーみたいに」

「満天の星空さ、もっと近くへ見に行こう」

「飛んで行くの?」

「飛んではいけない」

「じゃあどこへ行くのかしら」

「裏山に行こうじゃないか!」

「どうして?」

「星に近付くんだよ」

「山を登るの?」

「空はもっと高い。下を見るんだ」

「?下には何がいるのかしら」

「とても綺麗な星がいる」

「ここは暗いわ」

「樹々を抜ければもう少しだ」

「まあ、池の中にキレイな星が。でも、もっと沢山見たい」

「それならこの川を下ろう」

「どうして?」

「海へ行くんだ。もっともっと沢山の星に手が届く」

「泳いでいくの?」

「小舟を浮かべよう」

「波が立つから空が歪んでしまうのね……あれは何?」

「!逃げるんだ、大きな波がやって来た」

「荒れているわ。逃げ場なんてない」

「逃げるんだ、波の届かない場所まで」

「荒れているわ。山でさえも呑まれてしまう」

「逃げるんだ、空を飛んであの星達のいる場所まで」

「飛んではいけない!波が星すらも覆ってしまう」

「うわぁっ!」

「……どうしたことかしら?波が突然消えてしまった」

「…………」

「あの人はどこに?」

「…………」

「ああ……どこへ。主よ、どうかあの人をお救い下さい」

「彼の者は禁を侵したのだ」

「それでもどうか、あの人をお許し下さい」

「お前は何を捧げられる?」

「この声を聖歌の為に」

「小鳥のような囀りでは足りぬ」

「では、この四肢(からだ)を祈りの為に」

「お前に体など残っていない」

「そんな……ああ、どうすれば」

「その輝きを捧げよ。さあ、もっと近くで見せてみろ。星を閉じ込めたその小さな輝きを――?」♪

「…………」

 

 

「おや?もう終わりにするのかい?」

「ふふ……ふふふふ……」

「な、なにを笑っているのさ」

「そのパートを歌うプルミャの心底不満そうな顔が面白くって」

「……仕方ないだろう、ここはあいつのパートだ。人使いが荒い所が君に似ている」

「ふふ、そうかも」

「他人に甘い所もだ。何回失敗すれば学んでくれるんだろうかと甚だ疑問だね」

「もうすぐ、かぁ」

「計画の第2段階、そこがスタートライン。ボク達の悲願はようやく叶うんだ」

 

 

 

「希望は彼女が示してくれた。だから()()()()の犠牲は無駄にしない。あいつだって、アリエタだって、本当は分かっているんだよ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

天窓から降り注ぐ光を浴び、3階から2階へ、2階から1階へ、周囲を警戒しながらエスカレーターで降りて行く。

遮蔽物を再度確認しながら、来た時よりも若干増えた人通りを眺めるも怪しい影はいない。この広い建物の中からヒントもなしに探し出すのは容易じゃないが、1人1人を探っていくしかないんだ。

 

バラトナには時間差で降下後、仲間だと思われないように別行動。クラーラがターゲットの2階への侵入を察知した時の連絡係もこなしてもらう。

 

~~♪

 

(……いきなりだな)

 

着信元はバラトナだ。エスカレーターで覆面被った奴とすれ違いでもしてたりしてな。

 

 

『"キンズィ、火薬の匂いがしました"』

「"……ん?何て言った?"」

『"火薬の匂いがしました"』

 

 

火薬の匂い……?

まだ爆発もしてない梱包された爆薬から漏れ出たってのか?それとも犯行グループがそこら辺の公園でせっせと爆弾作りに勤しんでたってのかよ。

 

しかし、答えはどちらでもなく、もっとシンプルなものだ。

 

 

『"目標は帯銃しているのでした。人数は複数で、一角に固まっていました。キンジィの進行方向と逆に"』

「"そこまで分かるのか?"」

『"とても匂いが強く、発砲の機会が多い集団だと思いました"』

 

 

鼻が利くなんて話ではないが、本当ならこの薄暗い屋内を照らす天窓の様に、目途の立たない犯人探しに光明が差す。なるほど方向からするに地下駐車場である駐車場Aから第2入場口を登って来たらしい。

カタギじゃないんだとしたら目的はなんだ。金が目当てなら休日を狙うだろうし、そもそも郊外のショッピングモールを狙って爆破事件を起こす理由も不可解だ。

 

日本じゃ国内の暴動事件でさえ遠くの場所で起きているような錯覚さえ覚えたものなのに、海外だと事件が身近に感じるようになったぜ。こうやって巻き込まれることも珍しくはないんだからな。

 

 

犯人像が完成した。複数人の武装されたデキる相手。さらに爆弾持ちのおまけ付き。

通常状態ではクラーラの事を無謀だと他人事にしていられない。

 

(一菜とフィオナがいればどうって事無いんだけどな)

 

彼我の戦力比較は武偵が生き残る為の基本。

なるべく時間を稼ぐことを念頭に置いておくべきだ。

 

 

「"やれやれだ、バラトナは民間人が巻き込まれない場所への誘導準備に移ってくれ"」

『"……はい"』

「"いいか?銃声が聞こえても大声で誘導するのはダメだ。お前がターゲッティングされたら俺が気を引くが、敵が散開してしまうと手に負えなくなる"」

『"――っ!はいっ!"』

「"返事が大きい"」

 

 

電話をしながらその集団を発見した。5人の人間がそろいもそろってダークなスーツでカッチリ決めてやがる。

武器は隠しちゃいるが防弾ベストを内側に着込んで、ヤバ気な雰囲気を隠す気は無さそうだな。

 

(あれは示威行為かもしれないぞ……あいつらは自分たちの存在をアピールしてるんだ!)

 

アピールする相手は誰か。

1つしかないだろう、オーナーだ。このショッピングモールの。

 

 

「"電話を切るぞ、クラーラに場所を伝えてくれ。駐車場A-2と駐車場Bの入り口がある広場だ"」

『"キンズィも退路の確保を忘れてはダメでした"』

 

 

最後まで過保護だったな。電話越しのフィオナ的な必死さを感じるんだが、信用ないのか。

 

 

さてと、改めて場の展開が読めて来た。犯罪組織同士の派閥抗争の狭間で事件は引き起こされる。この一帯を仕切る2つの派閥の内、金を受け取れなかった方が見せしめ行為に走った。

あいつらが奪いに来たのはテナントの金でも民間人の命でもない――――この地域の信用だ!

 

 

 

パァァアーン!

 

 

 

「"くそッ!"」

 

 

1人がおもむろに天井の天窓に一発かましやがった。

硝子の破片が30m近く落下し、とんでもない破砕音を立てて柱の陰に潜んだ俺の横で破片が飛び散る。

 

静まり返った屋内に、

 

 

「全部ぶっ壊しちまえッ!」

 

 

精悍な顔つきの男の威圧を込められた叫びに発破を掛けられた男たちが、一斉に武装を取り出した。

ハンドガン――グロック二丁とMk.23が一丁、MP5短機関銃と、あと軍用小銃の……AUGだっけ?にはアタッチメントが取り付けられてる。

 

物陰から様子を見たがベレッタだけじゃ火力負けどころの騒ぎじゃない。数秒で全身穴だらけにされる。

各個撃破が絶対条件。しかし、時間稼ぎすらも現実的じゃなく思えてきた。

 

 

柱の向こうでは無差別破壊活動が始まっている。小銃が景気よく銃声を鳴らしていたのは最初だけ、客が逃げ出し終えたらバールやら金属棒を振り回して次々と店を荒らしていく。

弾切れのチャンスも望めなくなった。

 

(どいつが爆弾を持ってんだ……?)

 

どこかに隠しているか、既に仕掛けている場合もある。

落ち着いて行動を起こすんだ、先走れば取り返しがつかない。

 

 

キャーーッ!

殺さないで……!

 

 

小さな子供の絶叫と命乞いをする女性の声――――に、逃げ遅れがいたのか……?

近い、すぐにでも飛び出せば救える命だ。そうしなければ失われる命。

 

 

……ああ、くそ!もう十分、悲観論で一通り戦場を見やった。

あの親子を狙うサブマシンガン持ちを不意打ちで鎮めて、戦力差もぐっと縮まらせてやる!

 

呼吸を整える暇もなく、遮蔽物からダッシュで銃を構えたまま店の中に入っていく男へ接近する。

足音で勘付いたかギョロッとした目で背後を確認してきたが、振り返って照準を合わせられるより全力疾走で俺が接敵する方が早い。機を逸せば武装の面でも体格の面でも勝ち目はない、今決めるんだ。

 

 

「銃を捨てろ!」

 

 

まずは武器を奪う。防弾ベストを着ていたのは確認済みだから容赦なくスーツの男へ発砲した。当然、回避も防御もされないし、呻いて隙が出来る。相手が人間だと安心すらしてしまうな。

銃を手放しはしなかったが、ここまで接近してしまえば撃たせるつもりもない。

 

 

「このッ……ガキッ!」

 

 

右手の金属棒を使って縦振りで殴りかかってきた男の攻撃を躱し腕を掴む。思いっきり振りかぶるし、振り切った後の引き戻しが遅すぎるから余裕で背負い投げが決ま――

 

 

ダァーーンッ!

 

 

「"うおっ!"」

 

 

(しくじった!トリガーに指掛けたまま殴りかかってくんじゃねーよ!)

 

肝を冷やしたが、セミオートに切り替えてあったのは幸運だった。フルオートで握り込まれてたら惨事になってたな。

そのまま左腕に両足を絡ませて関節を決め、(MP5)を奪い取る。コッキングレバーを引いてマガジンと弾を抜き、ご丁寧にコッキングレバーを戻してやった。

 

ローマ武偵中は生徒が犯罪者に狙われ易く死亡率が日本の生徒よりも高いので、こういった相手への対処は早くから学ぶのだ。

そうだ、相手は人間、必要以上に怖がることはない。

 

 

だが、目線を男から上げ、状況の悪さを悟る。お礼を伝えてくる女性の方は……妊婦だ。子供も2、3歳くらい、走って逃げるのは無理か。

男を縛ってる暇はないが、この親子を放って人質にされたらかなわない。戦場の真っ只中にバラトナを呼ぶわけにもいかないし……

 

 

「おいッ!誰だテメーは!」

「動くんじゃねぇ」

 

 

店の外から男たちの怒号が入店してきやがる。

元の柱の影まで戻れれば親子を逃がせるのに、その距離を3人並んで被弾ゼロなんて奇跡以外の何ものでもない。

 

(コイツを盾にしてくか?防弾ベスト着てるし……いや、ああいう奴らは平気で足を切るからな、負傷したら重くて邪魔になる。何より殺人の片棒は担ぎたくない)

 

目の前で両手を合わせてグッと目を閉じる親子に、安心しろと励ます事しか出来ない。

 

 

「ああ、神よ……」

 

 

現状を作ったのが神だろ。

祈っても神は助けてなんて……

 

 

「おい、聞いてんのか女!止まれっつってんだよ!」

 

 

(……女?)

 

 

うつ伏せにひっくり返した男を引き摺って、店外の様子をもう一度窺う。

2人の男が銃を向けているのは俺が隠れたテナントではなく……雲のように真っ白な肌と、もっと白く光沢を湛えたセレナイトの髪の女性だった。

 

自分が呼びかけられたのだと理解したらしく、膝下までのデカいブーツを履いた足を止めて男たちを睨んでいる。

 

 

「あー、何?ワタシ、忙しいんだけど――」

「撃たれるぞッ!」

 

 

パン!という音、光が見えた時には踏み出した足が無駄であったことを思い知らされた。料理人のような服装で立ったままの女性は非情で残酷な男達によって撃たれ、反応を示すことなく声を途切れさせる。

ピクリともしない。倒れもしない。血も流れない。

 

何かがおかしい。

 

弾丸が貫通せずに落下し、ガラスと衝突してキィンと音を立てる。

思わず足を止めてしまった。無駄だと分かってしまったから。

 

 

途切れた声が再生される。

さっきよりも何倍も怒りを露わにした声を震わせて――

 

 

「お前達か?お前達のせいでワタシは遥々買い物に遣わされたのか?」

 

 

怒ってる。

それも自分が撃たれたから怒ってるんじゃなさそうだ。

 

全身から滲むように殺気を膨らませていく女性は、悲しいかな発砲されても呻きもしない――人間じゃない。

 

 

「ローマのここにある安物のピッツァが食べたいとおっしゃるから……おかしいとは思っていた……ナポリピッツァの方がお好きなのに、どうして?と」

 

 

独白している間もじわじわと広がっていく気配に鳥肌が立ち、割れたガラスがカタカタと共振するように震えている。

女性が手放したと思われる大きな袋が落下して、中身のピッツァが散乱した。袋には穴が空いていて、ピッツァの入った箱の1つを銃弾が貫いたらしい。

 

ダラリと垂れた両腕に血……ではなくトマトソースが付着し、ポタタッと雫を溢していく。

 

 

スーツの男達も4人全員が慎重になって、綿のような髪の女性を油断なく分析し始めた。彼我の戦力比較が必須なのは武偵だけではない。

マフィアや日本のヤクザみたいな体制を敷く集団にとっても、それはなくてはならない能力なのだ。

 

 

……どうも、手遅れだったみたいだけどな。

 

 

 

「……夜には理子様とお勉強の予定が入っている。お客様の夕食は4等位に任せたけど、ご主人様の夕食はワタシが直接お作りしたいの……」

「"ッ!?"」

 

 

怒気を孕んだ語りの中に理子の名前が出た。日本語の名前なんてそうそう被るまい。

吸血鬼達が探し求めていて、()()()()()()()()()も何故か身を裂いてでも助けたいと思ってしまう、不思議な魅力を放つ少女。

 

彼女は理子の居場所を知っている。

俺が喉から手が出るほど欲している事を。

 

 

「つまらない仕事は早々に終わらせてもらうわ」

 

 

冷静ではいられない。

俺も、手遅れになっちまうかもしれない――――

 

 

 







クロガネノアミカ、よんでいただき、ありがとうございました!


ショッピングモールへ服を買い物に行くだけで事件に巻き込まれるキンジ。日本の武偵学校よりも実戦に重きを置いている設定と言っても彼はまだ10代前半。
クロの成長が多少なりとも還元されていても、犯罪者集団を一人でどうにかしろってのはまた話が違いますよね。

ピンチからの闖入者。
仕掛け人はほぼ間違いなく彼女ですが、一体どんな思惑でキンジの向かう先へ向かわせたのでしょうね?


次回は後半。
キンジが取った行動は?
クラーラがコンタクトを取った相手とは?
ゆっくりとお待ちくださいませ!



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反転の双乗衡果(ダブル・トリガー)(後半)




どうも!

最近久し振りに『World Of Guns』を起動したかかぽまめです。
DLCも欲しいけど、難易度ハードのスーパーモードもクリアーできない初心者なので我慢です。


前回、ショッピングモールで昼食を食べ損なった話の続きからになります。
え、犯罪者集団?料理人みたいな化け物?

……ああ!そういえばプロットから外れたんでした!


では、始まります!





 

 

 

「んん~~~ッ!おいしいぃーッ!」

「…………」

「それは良かったです。アリエタが留守でしたので、代理を立てていたんですが」

「日本料理を食べるのなんて久し振りだよー」

「……そうですね。レキさんもお気に召していただけましたか?」

「……(コク」

「それはそれは、ナゴミ4等位も喜びます。(ムザ)さんのお弁当も彼女が作りましたから、きっと今頃、同じモノを食べていますよ」

 

「ねー、オリヴァちゃん。アリちゃんはどこに行ってるのー?」

「彼女はお買い物です。最近は買い出しを4等位以下に任せて外出の機会が少ないので、気分転換をと隣国まで」

「え~?どっちの気分転換なのかな~?」

「私ではありません。アリエタがいないともっとうるさいのが付いて回るんですから……もうっ」

「あははー……大変だね、オリヴァちゃんも」

 

 

バタンッ!

 

 

「おっはよー!ねえ、手紙。女神様に絵手紙よ」

「あ、ちょっと、スカッタ。そ、っれ、その話は後で――」

「なになにーっ!?オリヴァちゃん、このネット情報社会の時代にお手紙の遣り取りなんてしてるの~?誰と誰と?彼氏?彼女?ねー、私にも教えて~」

「えへー。ねえ、褒めて褒めて?検閲係をチョロまかしてきたの、本当に面倒ね、骨が折れちゃう」

「わ、私の自室に運び込んでおいてください!それと理子さん、彼女はおかしいでしょう。ただの……知り合い……です」

「へぇー……あ、それでかー。アリちゃんも大変だー」

「そーなのー。ねえ、理子ちゃんもお手紙書くー?アリエタを追い出して私が検閲するから、おかしなことを書かなければ通る」

「吸血鬼宛ての手紙は禁止ですよ。まったく、スカッタは型式が一緒なのに全然アリエタに似ませんね」

 

「……少し考えるかな~。次はいつ?」

「どーだろ?…………。郵便屋さん次第ね」

「郵便屋さん?」

「プルミャー。…………。手紙を渡すと運んでくれて便利」

「こらこら、上位をこき使ってはいけません」

「あはー。…………。あの人、言ってることは正しいのに、他者の感情に疎い……キライじゃないけど」

「……ふーん」

「理子さん、レキさん。私は雑用があるのでお先に失礼しますが、どうぞごゆっくり」

「うっうー。こんなに美味しいのに急いだりしないよ!」

「はい」

 

 

 

「ごっちそうさまーっ!ナゴミさん(ニャゴミン)ってご飯も作れたんだねー」

「恐れ入ります」

「んしょーっと!」

「……理子さん、どちらへ?」

「ちょっと泥棒してくるー。ほら、私って怪盗だからっさ!レキレキも来る?なんちゃって」

「同行します」

「え」

「同行します」

「え、なんで?監視?」

「いいえ。今日は監視対象がポイントAより動いたとの連絡が無ければフリーですので」

「……ですので?」

「はい」

「いや、いやいやいや、そこで『はい』は違うでしょー!」

「……?」

「ま、まーいーよ?でも、邪魔しちゃだめだからね?」

「……(コクリ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

カツン……カツン……

 

 

止まない足音。地面を踏み、時間を叩く規則的な足踏みだ。

踵を付けたままトントンと叩くイラついた動作と両足で地団太を踏む中間、片脚足踏みみたいな不自然な動作。

 

悲鳴がなくなり効果音だけが鳴る広場で、リーダー格の男が叫んだ。それを皮切りにマズルフラッシュの光が照明の破壊された薄暗い屋内にいくつも閃く。続いて銃声が広い戦場を駆け巡って、排出された排莢や着弾した弾丸が落下する音は、女性の祈りの声と共に次の銃声にかき消された。

店の中にヘッドスライディングで出戻った俺の後ろで、バラバラに砕かれたガラスや壁から剥がれた補修材や石材の破片が散らかった広場に、焦げ臭いニオイが空気中を漂って肺腑を汚す。まるでこの場所だけが世紀末を迎えたみたいだ。

 

 

「キタナイ」

 

 

しかし、世界は世紀末になりそこなった。あの存在がそれを否定したが為に。

鋼鉄でも仕込んでいるのか、両脚への銃弾は甲高い金属音と共に跳弾し、しかしその敏捷性は素足の人間を凌駕する。

一撃でも入りさえすれば勝敗を決する音速の攻撃を避け、弾き、音が止む頃にはまさか戯れに掴んで見せたのか、一斉砲火の中心で4発の銃弾が右手の五指に挟まれていた。

 

天窓から差し込む天の輝きを吸い込んだセレナイトの綿髪を光らせて、立ち止まったそいつが威嚇する動物みたいに足を踏み鳴らした。カツン……カツン……と。

銃口が心臓に向かおうと、脳天に迫ろうと意に介さず、その蹄を振り下ろしたような音が何度も何度も鳴り続ける。カツン……カツン……と。

 

その音だけは、全ての雑音をまるっきり無視して頭に響き、リズムを司るメトロノームのごとく時を刻んでいく。一音一音の余韻に浸れるほど、流れる雲のような速度で。

 

(似てる……)

 

同じ悪夢を俺もつい最近見たばかりだ。不意を突いた銃撃は躱す事が出来なかったのに、何事も無かったかのように立ち続ける人間の夢を。その夢の中で必死に戦って敗北し、俺は大切な戦妹(いもうと)を失ったんだ。

 

――――白思金。悪夢の力の源は、そんな名前の金属らしい。

 

異常な光景に畏れを抱き無我夢中で弾を撃ち尽くした男達も、拭えない恐怖から逃げるように身を隠す。

背中を向けて逃げ出さないのは生き残るために磨き上げた直感に従ったからだろう。

 

 

「ワタシは部屋を散らかす子がキライなの。それとガラスの割れる音も。同型下位も頻繁におもちゃ箱を荒らしてくれるのだけど、ここまでは散らかさないのよね」

 

 

左手をウエストへ、これ見よがしに溜息を吐いた女性が首を左右に振ると、タレ耳にも肉垂にも見える髪飾りがつられて揺れた。

股下数センチのスカートからは、余計な脂肪をギュッと引き絞った細長く整い過ぎた造形の両脚が、散らかる床に真っ直ぐ伸びている。靴の方じゃなくてスカートを長くしろよ、目の毒だぜ。

 

 

「だって、ここまで汚したら……壊して作り直したんだもの」

 

 

カツン――

 

 

繰り返された非常にゆっくりなテンポが役目を終えたのか、女性はそのイラついたような仕草にも見える片脚足踏みを全終止させる。

何らかの、準備が整ったとも考えられるな。そう考えるのが妥当なんだ、これまでの経験上。

 

 

「『ラルゴ』」

「――ッ!」

 

 

薄く鋭く研がれた刀のような気配が殺気の中に刀身を抜いた、そんな感じがする。

一回目は回避に必死で気付かなかったけど、やはりあいつは俺や一菜と同じ乗能力者、その中でも俺に近い条件付きで強化されるトリガータイプだ。条件は十中八九ついさっきまで続いていた足踏みだろうとは思うが、いくら何でも条件が軽すぎやしないか?時間は掛かるけどさ。

 

理子の名前が登場してから血が上っていた頭に冷静さを取り戻す。特異体質保持者へ安易に仕掛けるバカは武偵にはそういない。

伝達物質の過剰分泌や筋繊維の異常発達、骨密度や骨質等の骨組織変質硬化。ただただ頑強な奴もいれば鋭敏化される奴も多種多様だ。

 

超能力者の比率が低い日本はおろか、特異体質より超能力を身近な異能と考えるヨーロッパでも稀少だからこそ対応を誤らない教育がなされていた。

俺だって学校では隠しちゃいるけど能力持ちだと気付いてる奴はいるだろうな。……まあ、もっとヤバい隠し事をしてるワケなんだが。

 

 

「……宣言する。対象は(シブル)18。非戦闘員(サンズ)9。準危険因子(デミ)1。危険因子(ダンジェル)0。殺し(プロープル)の許可なし(……ノン)。戦闘員の全てを鎮圧、その後善良な民衆を保護し、援助……清掃活動に移る」

 

 

警戒レベルをさらに上げ、瓦礫の山と化した店の入り口から敵か味方かも考えあぐねる乱入者を注視する。

どこかで聞いたことのあるようなセリフを人間味の薄れた抑揚のない声で自分に言い聞かせると、今度は放心したようにぼーっとし始めた。そしてそのまま歩き出す、自分に銃を向けた人間たちの方へと何の躊躇いも防壁も無く。

 

(……?)

 

緊張感に苛まれ高まる心臓の鼓動とは別個に、消えたはずのリズムが頭の中で蘇った。カツンという音は響かないが、捉えた視界の中にリズムが――目で見える……?

ゲームセンターの音ゲーみたいに譜面が目で見えてるんじゃなく、表現するならニン〇ンドーの某天国ゲーム的な直感でリズムを叩く光景が近い。

 

 

「オートマティスム……公演開始(ル・パーフォルモンス・コモンス)――」

 

 

高らかに宣言してもらったものの、悪いな外国語はさっぱりで、最初と最後しか聞き取れなかったぞ。あとそこだけ英語で発音した数字。

単語を連ねるだけ連ねて文法もごちゃごちゃの、まるで作戦行動中の暗号化された簡易サインみたいだ。

 

18と9と1と0。戦闘員の鎮圧と一般人の保護と清掃。

内容からして数字は人数だろう、18は総員か作戦範囲内の非戦闘員の数で9は戦闘員――つまり鎮圧すべき対象の数だと思う。違っても半々だから変わらんし。1と0は一旦脇に置いといて、問題は戦闘員の数が9人とカウントされている事だな。

5人の犯罪者集団に他の仲間がいるという意味ならそいつらが爆弾を持っている可能性もあるが、もしそうでなければ……そのカウントに含まれているのは誰になる?

 

(残り4人……俺とバラトナ、クラーラとその戦妹。ピッタリだな、上階の2人が戦力としてカウントできるかは別として帯銃はしてるだろうし)

 

 

パン!

 

 

リズムにそぐわぬ音を立てる銃撃が先達と同じ未来を辿り、過去に囚われた銃弾の1つがリズムに則り後続と同じコースを突き進む。小さな風切り音がそれを追いかけ、前のめりにダウンした男の正中線上で共に果てた。

 

 

「くそっ、やられた」

「なんも見えねえ!なんで魔女が出るんだ」

 

 

仲間の1人が突然やられて半パニックに陥ってる。頭まですっぽり隠れてたあいつらには、理解が追いつかなかったらしい。

見たところで、理解する人間の方がどうかしている。俺は……しちまったけど。

 

(投げ返したんだ……!4発を掴んだのは4人を無力化する為の手段だった)

 

魔女だ魔術だと口々に叫ぶ男達からは祈りの声は上がらない。どうすれば逃げ(おお)せるか、残弾確認と逃走経路の確認……爆弾の種類と位置まで口頭説明してくれている。

PE4――プラスチック爆弾が……だめだ、地上と地下の複数箇所は聞き取れても、計画段階で定めた箇所(ポイント)までは絞れない。5箇所に分けて最低5つ、だがそんなせこい使い方じゃ柱の一本も切断できそうもないから……起爆信管の動作方式がなんであれ、1人2人で解除して回るんじゃ時間が足りないぞ。

そもそも俺は爆弾解除の実習なんてまだ受けてないしな。中学じゃ不用意に触るなって言われているぐらいだよ。

 

 

「……動くな」

「……そんな場合かよ……ッ!」

 

 

低く脅すような男の声がしたと店内に目を向けたらこれか。背負い投げを決めきれなかったのもあるだろうが、その前に一発当ててたからすぐには動けないと高を括ってた。

隠し持っていた折り畳み式のナイフを、俺ではなく女性に宛がって人質に取られている。

 

 

「ガキ、お前は俺の盾になれ、この女も連れて行く。その前に地下はもうだめだ、車を用意しろ。どこのモンか知らねーが出来るだろ」

 

 

俺達を利用し、仲間は見捨てて逃げるつもりか。冷静さを著しく欠いてるな。

まず人質を同時に2人も連れて行こうとする時点で混乱してる。それも銃を持ってるならまだしも、こいつの得物はナイフ一本だ。片方が逃げれば止められないだろ。

 

地下が()()ダメってのも、()()大丈夫な時間があったという事。時限式の起爆装置であると考えられる。

おまけに車を呼べってのは仲間を呼ぶ事と同義、俺1人の不意打ちに不覚を取っておいて、車に乗り合わせるだろう複数人に対処できるかってんだ。繋がったら電話を寄越せみたいなジェスチャーしてるけど、俺の所属くらい聞いとかないと、非番の警察だったら綺麗なトスからのスパイクだよ。

 

 

「わ、分かった。落ち着け、今掛ける――ッ!」

 

 

ポチポチと電話帳を開き、スカスカな一覧から誰に掛けようか迷った、その時だった!

 

(電番……掛ける相手がいねぇ……ッ!)

 

アルバ→無関係、気まずい

ヴィオラ→安牌、頼ると後が面倒

観光案内1→女性率高い、危険

観光案内2→男性率そこそこ、安心

金一兄さん→睡眠中

クラーラ→上の階

チュラ→昏睡中

バラトナ→既に現場入り

パン屋(ヤージャの店)→そういえば昼食、食いっぱぐれたな

ピザ屋予約用→良心的な値段、味は塩鹹くなくて良い加減

 

予備の携帯に登録された番号が女だらけな点に嫌気が差すが、こんな事ならガイアの番号も聞いとくんだった。

 

迷いに迷った挙句、俺がコールしたのは……

 

 

『"ボンジュール、戦兄(にいさん)"』

「"兄さんは止めろって言ってるだろ……ヴィオラ"」

 

 

宝石のように鮮やかな赤い髪の武偵で、自称俺の戦妹(アミカ)のヴィオラだ。

出会いはあんなんだったが、その後も黒紫の講義(プラグナ・レッツィオネ)と銘された情報交換兼食事会をたまに行っていた。

 

箱庭が始まってからはご無沙汰で、声を聞くのも久し振りな気がする。

この兄さん呼びもツッコミ飽きが来ていたのに、新鮮な感じだよ。

 

 

『"お食事のお誘いですか!"』

「"本音が漏れてんぞ、情報交換会だろ"」

『"それはそうと本題は何でしょう?"』

「"お前……!"」

 

 

コロッと話題を変えやがって。生意気だと叱ってやりたいが、うだうだしていると俺が目の前の男にキレられそうだ。異国語である日本語で話してるからスゲェ睨んで来るのな。

 

 

「"……とりあえず、仕事の話だ。今から犯罪者と繋ぐ。うまく誘導してくれ"」

『"では、報酬は今度の講義の時にお願いしますね"』

「"分かったって、向こうが半狂乱状態で急ぎなんだ。お前なら心配無いが、ビビんなよ"」

『"私は脅しに屈しませんよ。……でも、戦兄(にいさん)の殺し文句になら簡単に堕ち――"』

 

 

口のへらない奴だ。電話越しでも直接会っても、言い合いで勝てた試しがない。

さっさと携帯電話を男に渡し、言い回しが一々面倒な相手(ヴィオラ)対応が面倒な相手(犯罪者)をぶつける。

 

 

「さてと……」

 

 

(目が、合っちまったな)

 

エメラルドの透き通った瞳にはいい思い出がないな。ヴィオラもだし、フラヴィアやチュラの保護者もそう、ベクトルは違うがどいつも一筋縄ではいかなかった相手ばかり。

だが、こいつは今まで以上に危険な相手だと位置づけた方が良さそうだぞ。獲物を狩る目……いや、違う。獲物とも認識してない。それこそ、あいつが言い放った清掃の一環という認識か。

 

俺達を鎮圧するのは箒で塵を掃くのと変わらないんだ。

 

 

「いい加減にしろよ!車を寄越せってんだよ!……は?――犬だろ、そりゃ。――んなわけねえっ!――あ?ああ、確かにあれはつまんなかったな。――あれはダメだ、次作に期待だな。つっても、版権を売っちまったんじゃあ次も駄作だろうよ。――ピッツァはローマだ、そこは譲れねぇ」

 

 

……まんまと付き合わされてるな。喋る度に男の関心が電話の向こうに吸い込まれて行ってるようだ。

話術が巧みで話題が切れないんだよ。あいつと話してるとどんな変化球も、日本の地方の祭りの話にすらついて来る。

 

 

その最中、俺の関心は目線の先に奪われていた。

確実に、しかしその歩みは遅い。一歩が小さいのではなく動作が緩慢、一歩ごとに余韻へ浸れるほどに遅い。走れば逃げ切れるんじゃないかと考えてしまうほどに遅い。

 

「"あの……"」

 

でも違う、それは向こうの景色を見れば分かる。男達は全滅した。次の瞬きが致命的な隙になる可能性もある。

 

「"えと、その"」

 

鎮圧であれば殺されはしないだろう。投降するのも手だったかもな……理子の名前が出ていなければ。

 

「"キミが……黄金(シグドロ)、さん、かな?"」

 

理子があんなヤバいヤツらに連れ去られたんだとしたら。

……さっきから誰だよ、モゴモゴと。Sig.Oro(ミスターゴールド)って、成金みたいな名前を呟きながら人の肩を叩……突っついて来るのは……?

 

 

「"……日本語?"」

 

 

日本語講座通い立ての生徒くらいブツ切りではあるが聞き取れる。それ以前に、夢の中で聞いたことがあるような気がするんだが?

いや、気のせいだ。日本語で会話する相手は限られてる。

 

 

「"その、私も、話せる……から。えと、日本、の、武偵を、援、護……要請、来てた、よ"」

 

 

接近する脅威から目を離さず、やたらとキョドっている不審人物の声に不安を募らせる。

仲間として頭数に入れられる武偵をと依頼したんだけど、本当に合ってるのか、あの引き籠りの人選は。

 

 

「"クラーラから連絡が行ってたなら俺がその日本人だ。シグドロってのはコードネームか"」

「"うん。それ、で……私、は……何が、いい、かな?コード"」

 

 

知らねーよ。

 

 

「"要るのか?"」

「"ちょっと、だけ……憧れ、る、かも"」

「"適当に決めればいいだろ。4文字以内に収まるヤツでな"」

「"……トリステ(根暗)、とか?"」

「"その名前で呼んでたらただの悪口になるだろうが。別のにしろ"」

「"えぇー……だった、ら……ウマーノ(ヒューマン)、なら?"」

「"お前は人類代表かよ。『人間よ』って話し掛けてたら俺が人間じゃないと思われる。家名のアナグラムでも短縮でもいい"」

「"……わがまま、だね"」

 

 

(……くそっ。面倒な奴(ヴィオラ)面倒な奴(犯罪者)に押し付けたら、面倒な奴が来たぞ。仲介者には後で文句言ってやる)

 

こちとら前門の殺人シェフみたいな女1人で持て余してるんだよ。構ってちゃんはお断りだ。女子は尚の事、勘弁してほしい。

 

 

「"……決めた、コラム。どう?これ、文句、ない、でしょ"」

「"ああ、ない。でだ、到着した時にはおかしいと思っただろうが、要請当初の状況から100ページくらい物語が飛んでる。犯罪者の実行部隊はそこで電話してる男だけで、残りはあそこの女に一蹴された"」

 

 

作戦目標が変わっていて、俺と違い救援者――コラムはあの女と戦う理由がない。全然、強そうじゃないし。

 

 

「"キミも、もうすぐ、だね"」

「"お前もだろ"」

「"うん"」

 

 

あっさり認めやがった。まあ、実戦経験があるらしく戦力分析も出来てる分、1人で突撃しないだけマシだな。

というか深くは聞いて来ないけど、一緒に戦ってくれるのか?

 

横に並んだその雄姿――雌姿?勇姿で良いか――を確認する。

 

武偵中の男子制服に身を包んだその身体は……あれ?こいつ、マジで男子じゃないよな?

手脚はほっそりと華奢ではある。しかし、女子にあって男子にないモノが、存在するはずの微妙な凹凸のラインが……一菜以上に、足りてない。女の子女の子した体臭も意識する程強くなく、端正な顔立ちは自己暗示を掛ければ少年っぽく見えなくもないから、

 

(こいつは僥倖だ、ヒス性の危険が少ない安全な女子だぞ!)

 

……このタイミングでなければ、いい出会いだったろうに。

ところで、初対面だよな?誰かの面影を感じるのは気のせいなんだよな?

 

 

「"実力、者……って、話、だった。でも、キミ、の、強さ、じゃ……欲しい、と……思わ、ない、かな"」

 

 

そしてすかさずの謎発言。

こうしている間にもリズムは刻まれ続けている。

 

 

「"何の話だ"」

「"『リリス』、は、戦闘、向け、じゃない。足り、ない"」

 

 

……電波系か?会話が成り立たん。足りないのはお前のむ――

 

 

「"何?"」

「"いや……何でもない"」

 

 

おー、怖い怖い。何も言ってないのに睨まれた。しかも、「いや、何でもない」と答えたら余計に睨まれた気がするぞ。

 

 

「"……むぅ、別に、いい、けど。女は、胸じゃ、ない……もん。姉さん、も……そう、言ってた……姉、さん、も……私、より、大きい、けど"」

 

 

コラムは気落ちした感じで目線を下に落とし、制服の中に着用していたショルダーホルスターの銃を取り出した。左利きか。

その発言の後のその行動はそこはかとなく心臓に悪いんだが、こっちに向けるなよ?自殺もナシだ。

 

 

「"わ、悪い。そうじゃないんだ、安心したってのも変だがそのー……"」

「"やっぱり、そんな事、考えてたんだ?"」

 

 

片頬をぷぅと膨らませ、ターゲットを見据えたまま触れる程度の肘鉄を当てて来る。

か、カマかけられた!

 

 

「"口に出さなかったから、セーフにしておくけど、女子は視線にも敏感だから"」

「"う……そうなのか。すまん"」

「"みんな、引っ掛かるところがない、って感じで私のここを通過するんだよね"」

 

 

胸元をスカスカと撫で上げ愚痴る。この手の会話じゃポンポン手玉に取られ、()()()()()()()な。

その上、変に意識したせいか爽やかに仕上げたフローラルフローラルの香水みたいなツンとする匂いが鼻腔を刺激し、仕草が急に女子っぽくなって、声にも男を惑わせる魔性の妖しさがある。

2人の距離も自然には触れないけど、手を上げれば簡単に捕まえられる、付かず離れずを保たれていた。

 

 

「"こ、小ぶりなのも可愛くていいんじゃないのか?俺は小さい方が良いと思うぞ。安全で"」

「"はいはい、どうせ弾も当たりませんよー。男性用防弾チョッキがスッポリ入りますよーっだ"」

「"お前じゃなくて俺があんぜ……お、おいっ"」

 

 

コラムが瓦礫をまたいで俺の前に出て、正面のサイハイブーツの女を迎え撃つように銃を構えるが、

 

 

「"下がれ!銃は使うな、手痛い反撃を喰らうぞ"」

 

 

自らが放った銃撃で倒れた男達の末路は、銃の効果が薄い事を示している。

フィオナの4発撃ちみたいな芸当が出来ればヒットしそうだけど、痛みも恐れも感じてなさそうなんだよな。

だから止めた。ストッピング効果を期待しているなら、その武器には何の価値もない。

 

 

「"1つ聞いていい?どうしてあの人と戦うのか"」

 

 

だが、帰ってきたのは質問だ。一触即発の瀬戸際でようやくそれを聞くか。

 

 

「"任務とは関係ない。あいつは……行方不明の仲間の居場所を知っている"」

「"――ッ!"」

 

 

武偵なら……そんな私情を挟まず、直ちに避難誘導に回ってもらうのが正解だったかもしれない。そうすれば無関係な武偵を危険に晒すこともなかった。

だから降りるなら降りたっていい。俺1人でも、捨て鉢特攻で情報のひとつを得られればいいんだ。

 

 

けど――

 

 

「"シグドロ、仲間を取り戻したいなら援護して"」

「"っ"」

「"今の私は戦闘向きじゃない。発信機とか持ってるなら用意。無いなら……"」

 

 

紅い髪の少女はその場に留まり、右手をグーで右胸に押し当て、擦る様に動かした。

 

 

「"倒すよ。信念に基づいている内、依頼主の指示は絶対!"」

 

 

そうか、それがコラムの信念――お前の進む道なんだな。面倒な奴とか思って悪かった、感謝するぜ。

 

 

「"おい、電話返すぞ。アンジェロさんがお前に御用があるそうだ"」

「"アンジェロ……さん?"」

 

 

無いよりマシかと続いて銃を抜こうとしたら男に電話を手渡された。もうナイフも持ってないし人質も解放されてるけど、この短時間にどうした。電話相手の名前すら間違ってる。

こいつも電波系で神の啓示でも受信して改心したのか?

 

 

「"おい、アンジェロ君。電話変わったぞ"」

『"お疲れ様です、キンジさ……おっと、戦兄(にいさん)。あなたの愛しい戦妹(いもうと)で――"』

「"切るぞ"」

『"そちらの状況は説明を受けましたので、プラスチック爆弾につきましては私にお任せ下さい"』

「"なあ、男の様子が急変したんだが……"」

『"彼は私に仕える身となりましたから、振る舞いから矯正させます"』

 

 

……あっ、そう。

 

 

「"爆弾はどうするんだ?"」

『"餅は餅屋。爆弾の扱いにもその道のプロフェッショナルがいるんですよ"』

「"それ位知ってる、聞いたんなら分かるだろ?時間が無いんだ"」

『"聞きましたよ。時間はまだまだあります"』

「"……ん?何て言った?"」

『"2度目です、任せて下さい"』

 

 

出た出たヴィオラの困った所。話すのが好きで、つまんないギャグでも笑うくせに、何度も同じ会話をしたがらないんだよな。復習ですとか言って繰り返す時はあるが、それが原因だからな俺の話題が講義の開幕早々ネタ切れに陥るのは。

これっきり爆弾処理の話は受け付けないだろう。大丈夫ってなら信じて任せるのも戦兄の務めとしておく。

 

 

『"そういえば、戦兄はチェスを知っていましたね。ゲーム内で使用される特殊なルールもご存知かと"』

「"キャスリングは好きな手だ"」

『"復習しましょう。チェスで重要なのはキングを自軍で囲ってしまう事。それも戦場から最も離れた場所で、それがルークやナイトの初期配置場所です。キャスリングは同時にルークを戦場に送り出す強力な一手()()()"』

「"ああ……"」

 

 

受けたな、その説明も。聞いた後、強くなった気がして息巻いたらカナに負けたけど。兄さんに会えたらまた挑んでやる――じゃないぞ!

復習する必要あるのか?現在進行形のリアル戦場で、机上の戦場であるチェスを。

 

 

『"キングは激戦区には赴きません。戦場の花はクイーン、これを一方的に失う事は敗北と捉えられても仕方ないのです"』

「"簡潔にまとめろ、交戦状態に入るぞ"」

『"そうですね、まとめると……失ったクイーンを取り戻す方法はルール上1つだけ。それと、忘れてはいけませんよ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()。では、私はアキレスと亀の絵本を読みますので、ご武運を"』

 

 

ブッツリ切られた。結局初歩的な説明を復習して終了かよ。ってか絵本って……

そりゃ実戦経験はないんだろうし、作戦立案ならまだしも戦闘のアドバイスを求めるのがお門違いか。

 

 

「"誰?"」

「"面倒で優秀な電話番だ"」

「"女の子でしょ"」

「"勘違いするな。戦妹だぞ"」

「"否定しないであげて、そしたら褒めてあげる。モテる男は奪い甲斐があるんだよね"」

 

 

なんだそりゃ、勘違いだって言ってんだろ。ヴィオラが俺を戦兄に選んだ理由は、ヒステリアモードを自在に扱えるクロを手元に置きたいからだ。あいつは箱庭に絡んでる。

未だ影も形も現してはいないものの、出る意味も出る必要もないから姿を見せていないだけ。逆に考えればどこに居てもヴィオラの手からは逃れられないって事になる。

 

 

「……デミの出現。条件付きは底が知れない厄介者ね」

「私も厄介だと思う。なんでいつも私らしく生きられないのかなーって、さ」

 

 

ガゥン!

 

 

姿勢を下ろしたコラムの頭上を9mmパラベラム弾が飛ぶ。奇襲のつもりだったが練度が低ければ息も合わず、人の目には到底追えない音速の弾丸も、銃口を元に射線を把握されてしまう。

コンマ秒の遅れが趨勢を決すると身をもって知ってる。そのアドバンテージは敵に味方しているのだ。

 

 

――ガゥン!

 

 

回避した敵の死角から狙いをつけたコラムの銃弾も、発射の直前に見切られ壁を穿って止まる。

店を飛び出した俺と苦い表情のままのコラムは2つ並んだ柱に身を隠し、『銃は使うなってアレの事ね』みたいなジェスチャーには『投げ返されるぞ』と返しておいた。

しかし掴まれなかったな。1人1発、やられるかと思ったよ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"ねえ、電話で話してたのってチェス?"」

「"合ってる"」

「"好き?"」

「"人並みだ"」

「"私は嫌い"」

「"聞いてない"」

 

 

即席のコンビネーションだけでは出し抜けないぞ。

チェスみたいに駒の1つ1つに定められた動きがあるなら相手の行動を加味した戦法を組み立てられる。だが、現実はボードゲームとは違って、敵の行動は多種多様、同時に何個も駒が動く。待ったもないし、何より、始まりの盤面が平等じゃない。ポーン2個でクイーンには勝てない。

リアルなのは討たれた駒が蘇らない、その残酷なルールだけだ。

 

クロだったら――

 

すぐにスイッチを入れて、敵の行動や状況から対策を立てられたかもしれない。

 

 

けど。

無理だ、今の俺には。

 

だって。

普通の人間と変わらない。

 

 

でも……でも――――

 

 

(兄さんなら、どうしたかな。この状況)

 

きっと。

立ち向かう、兄さんなら。

 

それが。

普通の人間と変わらなくても。

やれることをやる!

 

 

「"取り逃せば追う術はない。新しい追加依頼だ、力を貸してくれ、コラム"」

「"いいよ。助けを求められる武偵は、成長する。仲間は大切にしないとね。シグドロ……それでなんだけどー……"」

 

 

歯切れ悪く言い淀み、隣の柱から俺の隠れる柱まで、水たまりを飛び越えるようにガラスを跨ぎ肩を並べた。付かず離れずの距離で。

 

 

「"キミ、本当は強いでしょ。すごく良い匂いしてるんだから、カッコ良いとこ見せてよね?私も応えてあげるから"」

 

 

右手に携えたベレッタにコツンともう一丁のベレッタが当てられて、左手へ自然に納まっていたベレッタは日の当たる広場へ躍り出た。

数発の発砲音。トンボ返りで戻る仲間の顔は険しい。

 

 

「"本当……か"」

 

 

(コラム、それは俺自身が分からない難問だよ。俺は、(クロ)を俺自身だと……)

 

 

「"シグドロ!敵をそっち側に誘導した。2人せーので行くよ!"」

「"ちょっと待て、落ち着け、押すな!"」

「"せーのっ!"」

 

 

せーのじゃねえ!こっちの話を……体が陰からはみ出てるって!

 

 

「"ええい、どうにでもなれだ!"」

 

 

最後には自分から身を乗り出して狙いを……ッ!?

 

 

「"作戦を叫ぶのがお前達のやり方なの?"」

「"あ、いえ"」

 

 

目の前にいるじゃねーか。

 

 

「"少し待ってくれ"」

「"時間が惜しいのだけど"」

「"ちょ、ちょっとですから~"」

 

 

日光の照り返しが眩しいので一旦日陰に戻る、情けない2人の武偵の図。

……ネイヴィーブルーの瞳がどうしようと訴えかけて来ている。

 

 

「"おい、日本語の普及率どうなってんだ"」

「"知らないよ。痴話喧嘩ならすぐに謝って!"」

「"こんな壮絶な危険が日常に潜んでたまるか!全部聞かれてんぞ"」

「"手も足も出ないと思ったら口も出せないね"」

「"まず、距離を置いて作戦を――"」

 

 

 

バギャィイッ!

 

 

 

「"ふぇっ……?"」

「"な、んの……音、だ?"」

「"8拍待ったわ"」

 

 

 

ゴゴゴゴゴ……

 

 

 

「"シグド――!"」

「"無茶苦茶しやがって!"」

 

 

【挿絵表示】

 

 

怯えて硬直したコラムを抱きかかえて、荒れ果てた床に転がり込む。閉じた瞼の先でドデカい倒壊音がモールに微震を立て、全身を2人分の体重でボコボコに、顔が尖った何かで切れ、脹脛を強く打ち付けた。一菜に引きずられたコンクリートより数段痛みが強い。後頭部をエスカレーターにぶつけてチカチカする視界の回復には少しの時間を要するぞ。

レスキュー訓練の成果が存分に発揮された結果、上半身――腕を回した頭部からウエストまで――は俺だけがズタボロだよ。下は痛み分けだけどな。お前も武偵なら固まってないで、ヴィオラくらいの豪胆さを持ってくれよ。

 

復活し始めた視界では蹴り倒した柱の惨状に目もくれず、機械的に俺達への追撃を図るヤバい女が一歩、一歩近付いて来る。トラウマランキング上位入賞は確定だな。

 

 

「"(ある)ね……"」

「"……どうした、大丈夫か?"」

 

 

腕の中で大人しくしていたアマリリス色の髪の少女が妙に興奮した声で呟く。妖しい笑顔で。上目遣いで密着してくる。

 

(あれ、失敗したか?お前も頭ぶつけたか?)

 

 

「"避けずに誘った甲斐が有った。今みたいなの、いいよシグドロ。私も傾いてきたかも"」

「"避けずに……って、お前わざと――"」

「"ねえ、シグドロ、もっと。私を可愛がって?名前も教えて欲しいなぁ、シグドロ。ちゃんと応えるから"」

「"それどころじゃない……だろ――"」

「"顔、傷が付いてる。頭も血が出てるかも"」

 

 

コラムの細い指先が目の下の傷口から血を拭い、触診とばかりに後頭部へと回された。癒すように撫でる優しい手付きに意識が揺さぶられ、言いたい事も言えず為すがままにされる。

それが……怖くない、むしろ気分が高揚していく。こんな事をされたらパオラでも引き剥がすだろう行為に、抵抗を覚えない。男女が横になって互いの身体に触れている、そんな想像する事すら恐ろしい光景に――――

 

 

 

――ドクッ!

 

 

 

「"君の目的は分からないけど、いけない子だね。俺は強引に迫る娘も好きだけど、自分を大切にしないと"」

 

 

言うまでもなく、血流は驚くほど簡単に何の葛藤も感じない内に来てしまった。

頭に回された腕に軽く触れて微笑みかけると、コラムは急変した俺の様子に目を丸くしてるよ。そうか、君の中でその()は破られた事が無かったのかもしれないね。

 

(ヒステリアモードについて知っているとは考え難い所だけど、意図的に相手を虜にする技か。『呼蕩』、それの女の子版って感じかな?一時的なものみたいだし、精神支配と呼べるほど強力ではなさそうだ)

 

彼女とその要求を拒めなくなる、そんな暗示を掛けてくれたらしい。でも、そんな事は最初からしないよ。俺は女性を拒まないし、そのお願いは天啓になるんだ。

腕を太腿の上に戻してあげて、腰に回していた腕で上体を起こさせる。失礼、長々と接していい場所ではなかったね。

 

それで、ああ――なんとなく分かってしまったよ。

そのギラつく目付き、明らかに変化した君の気配……君と俺はどうやら同種の特異体質のようだ。

 

 

「"いい。素敵……シグドロ。キミは、強い……男。こんなに傾くなんて初めて……!"」

「"お褒めに預かり光栄だよ。じゃあ、そろそろ応えてもらおうかな。君も万全みたいだし"」

 

 

今にもこちらに襲い掛かってきそうだった少女の意識を反対側へ誘う。

もし、襲われようものならその実力は五分五分、隠し玉を持たれていたら勝率は3を割りそうだったから焦ったよ。

 

 

「"ねえ、もしも私があいつを倒したら私のモノになって"」

 

 

自分の発言に責任は持つけど、諦めてませんって事か。

でも、俺1人でもコラム1人でも、あの女性には敵わないんじゃないかな?それで先走られても勝率は下がるから、ここは共闘を強調しておかないと。

 

 

「"それなら、2人で倒したらその半分、互いが互いを大切にする……君の言葉を借りるなら仲間になるってのはどうだい?"」

 

 

左手にマニアゴナイフを構え、ガンエッジの姿勢を取る。

どんなに強くても女性を刃物で傷付けるつもりはないけど、ナイフには他にも使い道があるからね。

 

 

「"むぅ……キミには『オルゴール』の調べが響きにくいみたい……なんで?"」

「"なんでだろうね"」

 

 

術理を知っている技には抵抗を持つのかもしれない。

丁度、手品のタネを知っている人間がその内容を観覧しているように、手品自体を見るよりもそれを披露するマジシャンの腕前を見て感心しているような。

 

 

「"でも、君の魅力はそんな小手先の技術なんて必要あるのかい?"」

「"有る。私には、だって……無いんだもん"」

 

 

刃渡りの短いナイフを俺と対になるガンエッジの準備を整えたコラムは、それが何かは言わなかったが余程コンプレックスなんだ。

お姉さんに"有る"なら遺伝的にはまだまだ慌てる事無いのに。

 

 

「"自分の魅力は自分では分からないものだよ、コラム"」

「"それ、知ってる。誤魔化す男の常套手段でしょ"」

「"違うよ。考えてもみるんだ、君の目には映らない君の魅力を――暗く静かな深海、生物の起源を見守り続けた美しく変わらぬ意思を映す君の瞳はとても綺麗だ"」

「"……やるぅ"」

 

 

外面は素っ気無く振る舞ってるけど、心音でわかってしまうよ。

外見を褒められる経験は少なかったんだろうか、こんなに優れた容貌なのに。男装してまで男を遠ざける理由は……俺と同じ、"体質"なのかな。

 

 

「――ッ!ダンジェル2。優先順位を変更し、低負荷対少数シフト。『アクセル』、『クレスク』。"お前も条件付きだったか、手加減が難しいわね"」

 

 

左手のナイフを勢いよく自分の額に突き付け、集中力を一瞬だけ高めた。

クロなら自力で出来ても、俺にはまだ出来ないからこうやって死ぬ気で避ける必要があるんだよな。

 

コンマ秒の世界には見える。あの女性の規則性……足踏み、動きの中に見える溜めとインパクトのリズム、銃弾を躱す時と掴む時のタイミング、8拍待ったという発言。

先の言葉――『アクセル』『クレスク』――からズレ始めたそのリズムが、彼女の能力の秘密だ。

 

 

「"シグドロ、リズムが早まってる"」

「"やっぱり君にも見えるんだね、彼女のタイミングが。彼女はどうやらその枷を逸脱できないらしい"」

「"弱点と捉えられる?"」

 

 

 

君は難問を出すのが得意だね。

女の子の手前、格好をつけたい所だけど、

 

 

 

「"同じ考えだよ。理解が及ばない超常の力に補佐されてるんだ。彼女は常に、俺達より1秒弱早く生きてる"」

 

 

 







クロガネノアミカ、ご愛読いただきありがとうございます。


キンジのピンチに駆け付けたのはクラーラから支援要請を受けて出動した、男装のカルミーネです。『コラム』のコードネームは『カルミーネ・コロンネッティ』の苗字の短縮形です。意味は柱。ちなみにキンジのコードネーム『Sig.oro』のSig.は英語のMr.の意味。
本編初かもしれませんね、変装していないまっさらなキンジの状態でノルマーレに変わるのは。そもそもキンジが戦う場面がありませんでしたし。


と、長くなりましたが流れはプロット上に無事帰結したので問題ありません。
解説が必要ですよね、「え、なんで?」と混乱された方も一定数いらっしゃることでしょう。

まず、キンジとヴィオラの関係について。
――――良好です。ですが、クロとヴィオラの関係は……

ヴィオラの拠点、通称『人形劇場』について
――――この建物はアリエタの発言通りとても高い建造物になっています。内部には本編に名前が挙がった『裁縫研究所』、『おもちゃ箱』の他にも『ダンスホール』や『美術室』等複数の施設が存在し、数多くの『ドール』と呼ばれる者たちが生活しています。基本的に初期メンバーのみが1等位を名乗り、1等位が作ったドールが2等位、1等位もしくは2等位が作ったものが3等位と呼称。4等位までは『ドール〇〇』、『〇〇△等位』の名を与えられ、5等位より下には等級が存在せず、有事においても一切の戦闘許可が下りません。

オリヴァテータ及び怪盗団とキンジの関係について
――――キンジには怪盗団として活動していた認識は全くありません。よってオリヴァ=ヴィオラであるどころかオリヴァについてはその名前すら知りません。理子はキンジにとって牢獄の出会いが初対面で、ヒルダもトロヤも夢の中で分かりあった仲程度の認識です。


次回は戦闘パートに入ります。ここまで長かった……(プロット予定+2スコア)
ヒスキンの初戦闘、ゆっくりお待ちください!




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深海の将画(ファースト・プロモーション)(前半)




どうも!

大変長らくお待たせしました、絶賛スランプ中のかかぽまめです。
4日で1000文字しか書けなかった時には、キングクリムゾンしちゃおうかと真剣に悩みました。ミスタードーナッツが食べたい。


アリエタ戦から再開。
では、始まります!





 

 

 

――――超人。

 

人の身に生まれながら、特殊な力を持つ者たち。

その力は徐々に薄まりながらも継承を続け、ある者は人間を支え、ある者は悪用し、またある者は畏れの感情から姿を隠しました。

 

普通じゃ無い。

故に彼らは普通に生きられない定めを背負ったのです。

 

 

 

とある小さな少女に、大きな男性が助けを乞いました。

跪いても自分より背丈が低い、子供に頭を垂れるおかしな光景。でも、誰もが男性の考えを理解できています。

なぜなら、少女の力は周囲のそれを遥かに上回り、救う事が出来たのですから。

 

少女もそう。それが普通の事だと考えていたので疑問を感じません。

痩せ細った体を棒切れのような両脚で支え、ふらふらと危なっかしい足取りのまま男の横を通り過ぎます。

なぜなら、彼女の役目は力無き者を守り戦う事だから。

 

自らの敗北はいずれ仲間の――人類の破綻に繋がってしまう。少女は両親の話をよくよく守りました。

今回も自分に与えられた役目を全うしなければならない。そして自分の最後――一族最後の戦いになるだろうと、自らの誇りに懸けて勝利を誓います。

 

 

置き去りにされた男性が何事か、少女に向かって言葉を発します。

少女は無表情のまま微かに頷くと古ぼけてボロボロの祭壇から、透き通った水が汲まれた木製の器を手に取り一口だけ。その一口で全てを飲み下し、喉をこくんと鳴らしました。

 

深い深い、光をも遮る暗い青色の瞳が切なげに。

高く高く、光降り注ぐ空を見上げます。

 

 

「欲しい……。欲しかった、なぁー…………」

 

 

少女の前に集い右胸に握りこぶしを乗せる小さな集落の住人達は、その言葉の意味も理解せず、彼女の声に怯えました。

眩しそうに手でひさしを作り、土埃だらけの可憐な顔は結局陰っていきます。

 

人は自分に無い物に憧れる。欲しいモノとは、手に入らないモノ。

その感情は、神話の生き残りと呼ばれた超人たる彼女にも。

 

()ったのです。

 

 

 

彼らの様な超人は確かに、世界中に存在します。

英雄だともてはやされる一方で、彼らに居場所など無かったのです。

 

 

歴史から消え去る時まで、奪われ続けた彼らが奪い返す事を。

あなたは、どう思いますか?

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"超常の力……かぁ、面倒な人を思い出すなー"」

「"明言は避けるべきだろうけど、普通の人間は銃弾を運よく避けられても掴めはしないよ……ね?"」

 

 

当然の事を述べた自覚はあるけど、目の前の少女はその普通の枠外にいる人間だ。出会った時に大人しそうな印象を受けた深海の瞳は、今や明神礁の海底火山の如く激情を振るわせているのがそれを物語っている。

まさかとは思うが銃弾を掴んじゃうようなお茶目が過ぎる女の子かもしれない。

 

 

「"さすがに掴めない。……と思うよ。試してないから分からないけど"」

 

 

コラムに出来るなら俺にも出来る可能性がある。

でも、それって色々と不味いよねという俺の期待と不安を含んだ考えは伝わったようで、彼女はまだ分からないよと返してくれた。

 

 

「"安心したよ。出来たら人間をやめてる"」

「"ねえさんも言ってた。『あは!火傷するから真似しないでね~』って"」

「"とても妹思いの良いお姉さんだね"」

 

 

……確かに、素手で銃弾なんて掴んだら火傷するか。

掴める前提の問題点を挙げるとは、なかなか面白いジョークの言えるお姉さんだ。俺のつかみのギャグの数十倍ウケそうだよ。

 

しかし、今は人間離れ度合いの確認やギャグの腕を磨いている場合ではない。

早まっているのだ。人間離れ度が振り切っている白羊の毛色で長身の女性の足取りが。

 

 

「"俺がフロントを、コラムは彼女の動きとリズムを読んでリズムの方をずらせないか試して欲しい"」

「"逆にしない?私、学校でもフロントばかりだったし、銃の扱いは得意じゃないかな"」

 

 

そう言って前に進もうとした彼女の前に右腕を伸ばして通せんぼする。

 

 

「"女の子が傷付くのは見たくないんだよ"」

「"普段の私なら嬉しい一言だけど、今の私には受け入れ難い言葉!バカにしないで、銃ナシならキミには負けないよ"」

「"コラムとはつくづく意見が合うね。俺も近接戦で負ける気が――ッ!……しない君とは戦いたくないや"」

 

 

威圧感が半端じゃないな、近接戦では負けないってのはハッタリなんかじゃ無さそうで、道を塞いでいた腕は彼女の軽い動作で容易に退けられてしまう。

一菜のような力づくでも、遠山家の合気道を元にした力の流れを読むやり方とも違う。グリップを握った手でゆっくりと触れられただけなのに全力で殴られたみたいな衝撃で叩き落され、押さえつけられた腕を動かすことも叶わない。

 

 

「"でしょ?レディーファーストは大事だよ、シグドロ"」

 

 

抵抗すれば肘を横に折り曲げられそうで力を抜いたが、ズキズキと痛む腕には重……思いの込められた一発が響いた。

 

(まただ、とことん技の術理が似ている。『呼蕩』の次はクロの得意な婆ちゃん直伝、『秋水』に近い技か)

 

中国拳法にも寸勁という名の似た技があるらしいが、欧州にもあったんだろう。

術理を知っているだけで俺もまだ使えないウチの奥義だし、後でゆっくりと手取り足取りご教授願いたい所だよ。

 

 

「"……日本ではヨーロッパのそれに該当する文化が無くてね、ヴィオラ(いもうと)とカ……カナ(ねえさん)を講師に据えて只今絶賛勉強中なんだけど、2人とも毎回必ず同じ注釈を付けてくれるんだ"」

「"どんな?"」

「"レディーファーストはあくまでマナーの域を出ない、日本のビジネスマナーと同じなんだってさ。マナーを守るのは社会に生きる為に必要だけど、形だけの作法をひけらかす……即ち形骸化に囚われると胸先三寸でフラれちゃうよ、ってね"」

 

 

言い終わるより早く、接点の手首を起こりにして、彼女自身の力を利用して腕を通せんぼの状態に戻す。

少しだけチクッとした視線を感じたものの、遅れてこちらの思惑にも勘付いたようで、スッと負荷を最小限まで霧散させてくれた。

 

 

「"愛で方は美しい花の種類だけあるんだ。激しく情熱的な赤い花弁には多少強引に応えちゃうかもしれないよ?"」

「"それはそれで燃えるね。ベネ、百歩譲ってダブルフロント、これ以上はバックしない"」

 

う、う~ん……?どうもこれは演技ではなく本音っぽい。

 

「"そう言われるだろうと考えての役割分担だったんだけどな。俺はコラムの得意な戦術もその有効レンジも詳しくない、当然君も同様のはずだ"」

「"多分なんとなくで行けるよ"」

「"急造の連携は失敗したばかりじゃないか。手があるのかい?"」

「"手?別に無いけど――要る?"」

 

『要る?』と来たか。これも……本音に近そうだ。

挫折を経験した事が無いか単に自己評価が高いのか、武偵としては未熟らしい。

 

ともあれ、会話の裏で互いの腕を押し合いながら行っていた作戦会議の続きも、神経伝達細胞(シナプス)役の腕を離せばいよいよ大詰めだ。

その際、残念ながらカナと遣り取りする和文モールスでは無理があった為、学校で習った国際武偵連盟に採用されている英文モールスを用いている。日本語も脆弱な暗号セキュリティだったようだし、今後の会話にはナイフを使ったひと工夫をしようってね。

 

 

「"……フロントを務めてたんだろう?それならサポートの重要性も身に沁みて感じたはずだ"」

「"私のチームは私とねえさんのツートップだったし、優秀で嫌味ったらしい司令塔がいたの。余計なことを考えなくても的確な援護射撃が来て、適切なサポートも受けられてーたっ!"」

 

 

ガゥン!

 

 

コラムの銃が勢い付けて振り上げられ、しかし火を噴いたのは俺の右手のベレッタだ。こんな子供騙しの戦法にも意味はある。相手の目線だ。

全身の筋肉をほぼ同時に緊張させる溜めの兆候を見せていた女性は、日光を浴びて輝く髪を揺らして確かに一瞬コラムの銃口に視線を追わせた。しかし、その射線上から体を避けようとする動きは無く、視線を向けていなかった俺の銃弾を見ずに()()()()()()()()()()()

 

 

(…………?)

 

 

なぜ、見る必要があった?

連続で速射できない俺の銃より未発砲のコラムの銃を見ているべきで、それ以前に見なくても避けられるなら最初から彼女の銃を注視する理由もない。

避けた彼女自身、分かっていなかったのかもしれない、どちらの銃が自分を撃つのか。撃たれるタイミングも場所も()()()()()()のに。

 

それに回避にも先の余裕が感じられず、ギリギリだった。

にも拘らず、薄皮一枚の回避でも表情一つ変えないのはどうしてか。おそらく、当たらないことが事前に()()()()()()()からだ。

自分の動きに絶対的な信頼を寄せていた……いや、その動き自体が自分ではないモノへの信頼の証と言える。

 

 

パキパキ……ッ!

 

 

「"お前達はもうワタシの間合いよ"」

「"――っ!"」

 

 

サイハイブーツの内側、脚部から次のインパクトに向けた溜めに入っているであろう筋肉の異常な収縮音が上がっている。

彼女はすでにどちらの武器にも注目してはいない。それもコラムの銃が発砲しないというコンマ先の未来が予想出来ているからこその油断か、守りを捨てて攻勢に転換する姿勢を取る。

 

(間合い……正直に接近戦を狙っているとすると、予想が外れて迎撃されるとは微塵も考えてないんだろうな)

 

俺達の予想もあながち的外れではなく、彼女が優秀なサポーター――超常の力に動きが補佐されている確認が取れた。

思い返してみれば男達を相手取っていた時の彼女の行動は、身のこなしの速さ以上に初動の早さが目立っていた。銃が怖くないんじゃない、初めから当たらないと知っているから怖くないんだ。

 

だが何事にもカンペキってのはあり得ない。子供騙しに引っ掛かったように、予測には曖昧な点がある。本人が若干振り回され気味なように、付け入る隙は必ず訪れる。

……その時までにあの蹴り倒された柱の隣で添い寝するような事態に陥らなければな。

 

 

料理人の服装をした女性は、調理室には縁遠い前に出した片膝だけを思いっきり曲げる独自のフォームから、我が目を疑う初速でスタートを踏み出した。

視線のフェイントもなく、ただ実直に俺の方へ突っ込んでくる。一歩が驚くほど長い、そりゃ間合いも広いわけだよ。

 

 

「"――!コラム!撃てッ!"」

「"撃てぇッ(フォーッコ)!"」

 

 

援護射撃に見せかけた照準が寸分違わず向けられるが、意識は逸れず反応も返さず、俺だけが捉えられたまま変わらない。本当に撃つか迷ったコラムも牽制が可能な最後のタイミングを逃した。

跳躍に見紛うダッシュの一歩が俺の数歩先の石材を粉々に踏み砕いて軸となり、慣性で滑らせながら体を回転させていく。そして第二歩が足元をガッシリと踏み固め、第三歩となる脚から繰り出されるバックスピンキックの先端がブレて見えた。

 

(予想が立っていたんだ。銃もフェイク……撃たれないって予想が)

 

ブーツの白い一閃は、踵が水平に俺の腕を狙って真横に押し通るコース。

首の骨を折らない為の心遣いは嬉しいけど、直径1mもあろうかという円柱型の建材を一撃で蹴り倒す威力を生身に受けて無事ではいられない。あんなの一発も貰えないぞ!

 

 

「"ぐッ!"」

 

 

とにかく姿勢を下げて転がり遠ざかろうとするも、頭の横を掠めた風圧でバランスを崩され額を強く打ち付けてしまい、追撃には対応出来そうもない。

 

 

「"シグドロッ!"」

 

 

ガゥン!

 

 

明滅する視界の中、コラムの銃撃は4歩目の足裏による蹴り上げで甲高い音と共に天窓の遥か先まで打ち上げられた。どうなってるんだ、その靴。

まだチカチカとするものの、それでも流石はヒステリアモードといった所か、出血に繋がるような破片は見事に避けられている。石頭も幸いし、致命的な支障は残らなさそうだ。

 

(……チカチカ?――――ナイフの反射光(トゥルーサイン)だ!)

 

 

「"()()()!シグドロ"」

「"!"」

 

 

暗転から覚め、いまいち状況を呑めないまま言葉通りにする。名前を呼ぶ声が聞こえると同時に頭上を何かが高速で飛来して行き、背後で炸裂した。

何だ?何をされた?

 

降りかかるキラキラ光った粒は、

 

 

「"ガラス……"」

 

 

4歩目の蹴り上げはガラス片を巻き上げていた、それを5歩目で蹴り飛ばしてきたのか。

既視感があるぞ、その攻撃。夢の中でだけど、とある地下室でトラウマになりそうなグロい図になってたよ。

 

 

「"()!"」

 

 

コラムの必死の叫び、安心するのはまだ早いらしい。

サインはまだ送られ続けているが……上?

 

 

パキ……パキィッ!

 

 

「"()っ!"」

「"あしっ!?"」

 

 

あ……脚だっ!目の前に美白肌の軸脚が1本。今まさに、殺人的なストンピングを後頭部に投下する瞬間だった。

5歩目が横蹴りから再度の踏み込みに繋がって、6歩目で加速、7歩目の軸足で固定した体から8歩目の踏みつけ。

 

振り上げる脚も大胆に持ち上げるもんだから、斜め下からでも太腿の先がバッチリ見えた。ブーツもスカートも白いがそこも白か。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"!?いつの間にこっちまで来てるんだ!"」

 

 

もう何度目か、ゴロゴロと床を転がり勢いのまま跳ね起きる。

牽制のベレッタは……不要か。仕留め損なった事にイラついた表情で向こうから広場の中央まで距離を取ってくれる。

 

息の付けない数秒間だった。1対1ならとっくに終わってたぞ。特にラストの踏みつけは面倒になったのか、殺意を迸らせていた気がしたんだが勘違いか?

死線が見えた代わりに、また1つ判明した事もある。俺を仕留め損なった、それは勝機を見出すのに十分な情報となった。

銃を使った攻撃は予測回避できるのに、こちらの動きは先読み出来ずに避けられている。

 

 

大きく深呼吸をし、雑談の続きを始めつつ、ナイフを持った左手首を捻って天井から差す光を反射させ、コラムに合図を送った。

エメラルドの視線は僅かに傾いたナイフへと向かうが、そこから光を追うようなことはしない。しばらくはこの方法で欺けそうだよ。

 

 

「"そういうことか、君のチームはブレインが()()()()()()()()()体制だったんだね"」

「"意外と平気そう。出血は増えてないけど、頭とかぶつけてない?"」

「"鍛えてるんだ。頭の外側は特に念入りに"」

「"あの蹴りに耐えられそう?"」

「"あと10年の猶予をくれるかな"」

「"脳味噌に筋肉でもつけるつもり?"」

 

 

とんでもないことを言ってくれる、そういうのは難問ではなく無理難題って言うんだよ。

 

会話から一拍置いて視界の端に白い光が反射してくる。

寸前の一幕で確認を取っていたのは彼女も一緒であり、彼女なりの発見もあったようだ。

 

 

「"そういえばチームのみんなとはいつも別行動なのかい?"」

「"全員自由人、()()()()()()な人達だから"」

 

 

ずっとリズムを計り続けていたのか。

彼女の話の通り、確かに行進の速さでリズムの加速が止まり、また一定に戻っている。

あれだけ暴れておいて、静かな佇まいはお人形さんみたいだな。疲れからか気怠そうな目をしているのは女の子受けしないマイナス点だけど。

 

 

「"仲の良い仲間でも()()()()()()()()()よね。俺も喧嘩をした経験があるから分かるよ"」

「"仲は悪かったよ。中庭で銃を向け合う喧嘩もしばしば、教務科から任務の指名を受けて一回組んで関係が長引いただけ。戦いの息だけはピッタリあってたけど"」

「"その歳で教務科から指名されたのか!それは凄い事だ。それに喧嘩するほど仲が良いとも言うじゃないか"」

「"()()()()()()()プリマ先生が出張ってきたこともあったんだよ。あ、プリマ先生って言うのは――"」

 

 

熱く……熱源感知…………?

思考が読めないなら何を元に射線を予想しているのか、その予想をどう知覚しているのか。

確信はないが一説としてはアリだ。光ではなく熱だとすれば発砲後の銃口に気を取られた原因も説明できる。

 

しかし、それでは銃が効かない確認が取れただけ。知りたいのは力の源、対策だ。

超能力者の圧倒的な力を支える精神力(ATP)回復には条件がある。フラヴィアで例えるなら空気中に露出させることでチャージされる紫色の髪、それに類する何かがあるはず。

 

 

「"なるほど、祝福者か。聞いたことはあるよ、お世話にはなりたくないかな"」

「"4人とも全身ビッチャビチャに清められて、歯をガチガチ鳴らしながら反省室の暖房……薪ストーブの()()()()()()なー。でも噂ほど怖い人じゃないんだよ?()()()()()()()カボチャスープ出してくれて、気分は()()したし"」

「"何時間拘禁されてたんだ……"」

「"半日。ねえさんが一々()()に乗って小競り合いするんだもん、私は大人しくしてたのに。途中から連帯責任で捕まった……事にして授業をサボったグーちゃんギュってして"」

「"…………"」

 

 

(どんなチームなんだろう……)

 

サインのワードよりも彼女のチームの内情が気になって仕方ない。

揃って問題児なんじゃないかと思うんだけど。コラムも含めて。

 

 

それにしても『火に当たる』と『昼に温かい』、『回復』と『扇動』か、挑発は自分でやるつもりだろうな。数秒で3度も生命の危機を感じた、あのいかれた連撃を目の当たりにして勇敢な子だ、頼もしいよ。

だが『火』……って、燃やすつもりか?そんなことを企むなら全力で止めるが、コラムは銃を構えながらむしろ広場から後退していく。『昼に温かい』も謎のままだが、引き付けてる間に『回復』しろって事なのか?

 

 

コツっ!

 

 

「"早く……"」

 

 

……と思ったら後ろから小石を投げつけられたし。いまいち彼女の意図が汲み取れない。『せんどう』は同音異義の『先導』と伝えたかったのかな?

どうやら息を整える時間をくれるわけではないようなので、黙って後退する。

 

ヴィオラに洗の……改心した男が襲われやしないかとも考えたが因果応報だ、殺されはしまい。男には優しくないんでね。

 

 

 

 

広場から大きく離れた廊下、節電で光量の少なく天窓もない場所でコラムが足を止めた。

振り返る彼女は首を下に曲げたままだ。前髪で目元は見えないが口元は笑っておらず、緊張感を醸し出している。

 

 

「"どこに行くんだい?"」

「"あの人の目、見た?"」

「"目……ああ、意見が合うね。悲しいけど錯覚じゃないらしい"」

 

 

気のせいじゃないんだな、目に力が戻っていたのは。一睨みされただけで血の流れを止めてしまいそうな眼力はヒトのものとは思えない。

追ってくる気配はないが待ち伏せを警戒されたか。

 

 

「"『回復』……したのかな?方法は不明、ただ広場に立っていただけなのに"」

「"シグドロ、有無を言ってられない。私の情報を共有するから聞いたら全部忘れて"」

 

 

聞いたら忘れろとはどういう意味なんだ?意思の疎通が正しく図れてない。

サインの事すら忘れるほど切羽詰まった様子でコラムが耳打ちをしてくる。お得意の甘え声を使う余裕も無いか。

 

 

「"わかったよ。内容は忘れて、君の心地よい美声だけをずっと覚えておくことにしよう。いつでも聞けるようにね"」

 

 

こういう時は場を和ませないと対話に苦労するものだ。

俺のつかみのギャグは良く滑るから、日本ではとても不評な空気破壊のリセット技だったよ。

 

 

「"…………"」

「"……コラム?"」

 

 

…………あれ、返事が無いな。滑り過ぎたか?

(コラム)が銃もナイフも手から零れ落として固まり、本当に石柱みたいになってる。

 

 

「"欲しい……"」

 

 

そ、その突き出された鷲掴みの手は何だろう?握手や恋人繋ぎしようってわけじゃなさそうなんだけど。

クラーラの言う禍々しいモヤモヤってこんな感じに見えてるのかもしれない。飢えたケモノの目をしてる。

 

空気は変わったな。悪い方向に。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"それなら構わないかな?コラム"」

 

両手首を掴んでズボンの脇に戻し、落とした武装も握らせておく。

その際つい癖で、女の子を怯ませる手段としてウィンクをしてしまいそうになって慌てて止める。火に油を注ぐね、この子相手だと。

 

「"――んひゅっ!あ、危ない……襲う所だった……"」

 

 

さりげなく恐ろしい事を言ってくれる。

国が違えばウケるネタも変わると。身の安全の為にも覚えておこう。

 

想定とは違うものの、結果的に良し。気を持ち直したコラムは再び真面目に、しかし気負い過ぎない程度に感情を保っている。

 

本番はここから、彼女が取り乱すだけの情報とは何かだ。

俺はそれを冷静に受け止めなければならない。

 

 

ピンク色の唇が告げる真実は――――

 

 

 

「"宿金の充式には条件がある。深みに至る程、その条件は軽くなるんだって"」

「"ッ!?"」

 

 

 

『宿金』

 

 

 

――――ここでその名前が出るか。

 

この出会いも、コラムとの出会いも仕組まれたものだったのか?

俺は何者かの台本通りに操られている。そんな気がしてならない。

 

偶然知っている訳がない。一菜達の宿金に対する反応はひどく批判的だった事から、そこらで伝え聞いたとは考え辛い。彼女の背後には繋がりがある。

それをこの状況下で語るという事は、あの女性も恐らく……

 

 

 

「"動じたね?キミも相当裏事情に深入りしている。でもそのまま黙って聞いてて、ある程度知っているものとして話すよ。宿主は人間である内、宿金の核に触れて充式(チャージ)をしてもらわなきゃならない、自分の中に微小な核が定着して初めて食性次第で一定量を賄えるようになる。ここまでは一般的な能力者――人間であるといえる……かな?"」

 

 

コラムはちょっと所ではなく詳しい、充式や食性は理子の話と一致している。

ポーカーフェイスを気取るのも難しいな。だって『ここまでは人間であるといえる』、とは……その人物の結末が明白じゃないか。

 

夢の中の理子は人の形のままだった。ヒルダに牢獄へと幽閉されて、そのお陰で進行が止まっていたから……

 

 

「"成功したのか乖離して媒体を得たのか、どちらにしてもあの人は人間じゃない。獣人(ライカン)だよ。日本人のキミには化生や妖の方が通じ易い?"」

 

 

人間じゃない相手。悪夢にうなされる毎日を生き抜く内に、今更そんな事で驚嘆する俺ではない。

良くも悪くもローマでの生活は普通とは程遠い物だった。日本で聞き慣れない魔女や魔力という言葉も、あろうことか学校で習う。

 

しかし、魔女は人間だった。俺にはそう見えた。獣人に分類されるであろう吸血鬼のヒルダも、知れば知るほどに俺達との違いを見失ってしまう。

日の光を嫌おうと、蝙蝠の翼が背中を飾ろうと、体が影に沈もうと。俺には理子と彼女が会話をして、一緒にお茶を飲んで、互いが歩み寄って仲睦まじくしている姿を見て違う生き物だとは思えなかった。人間同士の家族よりよっぽど愛に溢れていた。

 

 

「"その化生の中でも一握りは、定まった体を持たなくても意思だけで自分の輪郭を魔力的に維持できる。宿金の最終形は伝承に残るような濃密な魔力の塊、宿主は自然エネルギーを凝縮させて生きるんだよ"」

 

 

(自然エネルギーを凝縮させて?――っ!)

 

 

『昼に暖かい(温かい)』ものといえば太陽、日差し。

自然エネルギーである『日(火)に当たって』、あの女性は『回復』したんだ。

 

 

……だからコラムはここまで退いたのか。

 

 

連撃の後に広場の中央まで距離を取ったのは、降り注ぐ日光を一身に受ける為。

俺達をすぐに追跡して来なかったのは、完全にチャージを終える為。

 

他にもさりげない発言や矛盾した行動にも意味合いを当てはめられる。

土埃が立つのを嫌がっていたのは、日光が塵で反射されて集光効率が落ちるから。

その割に柱を蹴り倒すのを躊躇わないのは、柱が倒れた場所は日向じゃなかったから。

ガラスが割れる音を嫌うのは……なぜだろう、嫌な思い出でもあるのか?

 

 

鋭敏化された聴覚で遠くのリズムを捉えた。カツ、カツと歩む音。

視線を向けると、気付いていなかったのか少し遅れてコラムも同じ方向に注目した。

 

 

「"……ベネ、そこまででいい。コラムとは今度、こんな埃っぽくない綺麗なレストランでグラスを傾けたいな"」

「"冗談でも嬉しいよ。その時は私から誘った事にしてあげる、予約は個室でね?はい、これ"」

 

 

そう言いながらコラムが差し出した手にはナイフの代わりに携帯電話が乗っている。

よくよく見慣れた形にハッとしポケットを探るが……しまったな、あれは俺の電話だ!

 

俺の気がそれた瞬間は――彼女の視線移動が遅れたのはそれでか。

とんでもない悪戯を見せ付けられた。

 

 

「"よろしくね、()()()君"」

 

 

挑発的なセリフに困惑しつつ、勝ち誇ったドヤ顔から手渡された電話を受け取ろうとすると、ぴょーいっと上に持ち上げられる。

それを下から上へ目で追いかけた俺に――

 

 

「"っ!"」

 

 

――口の端にコラムの小さくぷくっと膨らんだ唇が軽く触れた。

間近にすり寄る少女は目を閉じていて、通った鼻筋、すました顔はずっと大人びて見える。

でもどこか親しみを感じる部分があって、そこが人を惹き付ける要素なのだろう。

 

もうちょっと見惚れていたかった。しかし、奇襲作戦の失敗を悟ると紅い髪はすぐさま離れ、上目遣いで胸に軽いパンチを入れてくる。

紙一重で唇同士の接触は避けられたが、確かめるまでもなく感じる。自らの昂ぶりを。

 

 

「"あーあ、躱されちゃったー。とっておきのおまじないだったのにー"」

 

 

余韻に浸る間も残さず冗談めかして睨む彼女は、怒るフリをする時でも笑顔を我慢しないらしい。

コラムの銃と俺の銃で使った視線誘導のフェイントを、俺の電話とコラム自身で使われた。因果応報は俺に返って来たみたいで、思わぬヒス血流の追い炊きを頂戴してしまったよ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"男女の情事は子供が遊び半分でするものではないよ"」

「"むぅ、今のも本気だった!有無も言わせない、しばらく根に持つから!"」

「"許してくれなくて構わない、次に俺が君へ向ける愛を君が拒めばおあいこさ。コラムは勝負が好きだろう?"」

「"何が勝負?不公平だよ!私だけが恥ず――っ!"」

 

 

さっそくお返しとして、細い顎へ指を掛けて強引に上向きにさせる。

急接近した俺の顔に虚を突かれたアマリリスの少女は、再び閉じかけた両目を斜め30度にギィっと変形させ、空気を裂く音がする超高速のデコピンで過度に過激に拒んでくれた。

 

 

「"……その勝負、受けて立つよ。欲しいモノは奪う、奪われたモノは全部奪い返す。私の先祖は闘争の中で滅んだ。絶対、先に奪うから、キミの事。だけど……"」

 

 

割と必死にデコピンから逃げ延びた俺も、背筋に掻いた冷や汗を笑顔で誤魔化して応じる。

似た能力者同士だからか、聞かずとも肌で感じる。追加燃料を得たのは彼女も同様だ。

そうやってずっと俺を追い掛けてごらん?力を得る目的で()()()()口付けをされたら、君の心が心配になってしまうから。愛の尊さをいくらでも教えてあげるさ。

 

 

そう、もう一つ理解したよ、コラムの事。

彼女と俺の能力はとても似ていて、隣にあって真反対にある。

 

 

「"その前に大切な仲間(モノ)を奪い返さないとね"」

 

 

知ることが出来なかったんだ、その力に純粋な愛する心を奪われて。

彼女にとって愛は武力。家族も仲間も敬う対象、親しくとも好きの感情が生まれない。

 

愛を生き残る術として神聖視するあまり、一方通行な恋を知らない。

だから求めるんだ、人の恋慕を。奪うんだ、人の愛情を。

 

人間が食事から栄養を得るように。

それが彼女の食性なんだ。

 

 

 

「"キミの愛を奪いに行くよ。シグドロ"」

 

 

 

俺だって他人事じゃない。

能力者にとって、普通に生きられない力を得る事は……

 

 

 

「"ありがとう、コラム"」

 

 

 

…………呪いだ。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


「普通じゃない力なんてただの呪いだ」

似た者同士のようで力の根源が真逆にあるキンジとカルミーネ。
キンジが愛の為に戦うなら、カルミーネは戦う為に愛を求めるのです。
となると両者が求める物もまた真逆、そう簡単には分かり合えないでしょうね。


次回もモール。
キンジ達が戦う裏でまた一つ、何かが動いているようですよ。




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深海の将画(ファースト・プロモーション)(後半)

 

 

 

「"――ああ、頼んだよ。――ん?血の匂いがした?――バラトナは優しいね。大丈夫、誰も撃たれたりしてないさ、君との約束は守ってるよ"」

 

 

これが片付いたら改めて昼食(プランツォ)にしようと言い残し、心配性な電話先との通話を切る。彼女の避難誘導が折角トラブルなく進んだようなのに、オロオロして他の市民を不安にさせてしまう訳にはいかない。

電話を折り畳んで隣を見れば、紅い髪の少女も丁度電話を切る所だった。

 

 

「――クラーラに掛かってるからね?――冗談冗談、でも重要な作戦には変わりないから、ファビーにもよろしく。――うん。え、爆弾?なんだろ、特に聞いてないよ。あ、私のダーリン(テソリーノ)が待ち切れないって目をしてるから切るね。チャオ!」

 

 

勝負の明暗を分ける真剣な作戦の相談だったのだが、コラムは俺を引き合いに出し悪い顔で電話先をおちょくっている。こちらに色っぽい流し目を送るパートナーの気配がまた微小ながらも膨らんだ。……と言っても時間の経過とともに縮んだ分が補完された程度。

刺激の無い男女の恋愛が長引くと徐々に冷めていくように、時間制限の枷をあの手この手で維持し続ける必要があるのか、一度発動されれば一定の倍率を保つ俺よりも厳しいらしい。

 

 

「"お待たせ。クラーラが焦ってたよ?妬いちゃうなー、この色男っ!"」

「"言葉と感情表現が一致していないけど、コラムには楽しそうな顔が似合うね"」

「"そう?今の私は可愛い?"」

 

クラーラの焦りを嫉妬と意図的に脳内換算して喜んでいる。無邪気な笑顔ではなく男を誘惑せんとする艶のある笑みには、どうにも小悪魔的な作り物感が拭えない。この子が服装まで女子力を高めてきたら主導権を奪われていたまである。

可愛い……可愛いのは間違いではないものの、どことなくクロを演じる自分に通じて複雑な気分だ。ちなみにクラーラが焦っていたのは、なんとなく確信している風だった爆弾の件だと思うよ?彼女とはそういう仲じゃないし。

 

「"否定するよ"」

「"むぅ、そこで『うん、可愛いよ』以外の返事って有るの?"」

「"今の顔もどんな君もずっと可愛い"」

「"うっ、ぐぐ……くっそぉ…………有るんだね"」

 

 

っと、これ位にしとかないと襲われるよ。ギラ付きと反比例し、酔ったように青い瞳が据わり表情が薄れていく。

一度ポカをやらかした怪我の功名と言うべきか、我慢の沸点が予想出来るのは思いがけない発見だった。無意識に小指へ力が入る癖がある。

 

気が動転したようで、ズボン履きなのに一旦スカートを掴もうとしたコラムの両手は、上着の裾に居場所を見付けている。そうやって恥ずかしがる姿は普通の少女みたいだね、銃やナイフ諸々を伴っていなければの話で。

不意打ち特化で真正面の駆け引きは不得手、彼女は力の元となる愛を手に入れる方法すら能力に頼っていた。それが効かない俺には隙を突かなきゃいけない。もしくは……

 

(襲われれば何をされることやら)

 

悪寒を感じつつ通路の先を見据える。迫り来る殺気は人間ではないとか、そんなことは今さらだと鼻で笑えてしまうよ。シリカゲルと塩化カルシウムをありったけ詰め込んだ、湿度1パーセントを切る呆れ笑いがね。

銃口が十分に空冷されたことを再確認しつつ、ご機嫌取りの成果を確認する。

 

 

「"作戦の事なんだけど――"」

「"だめ。私が表を打つからシグドロは裏を打つ、男に二言は無い"」

「"……無理は禁物だよ"」

「"なら無理しないで勝てる作戦立てて。それと、作戦を考える暇があったらちゃんと地形を記憶に留めておいてね"」

 

 

駄目か、この押し問答もかれこれ3度目になる。狼狽した様子を一転させたコラムによって、再三の提案は一行に取り合って頂けない。事戦闘に至っては優先順位が他を圧倒しているようだ。

地形の把握は済んでる。午前中も通ったし、何度も買い物に来る生活圏内であるから、目を閉じていても目的のお店に行けるさ。作戦に支障はない。

 

 

「"難問だ。君を説得するのは"」

「"私も同じ難問に直面してる"」

 

 

格上相手に探りながらの攻防を挑めば一瞬の迷いも許されない。ただし、それは1対1の場合だ。こちらは2人、それぞれが攻と防に100パーセント振り切れば迷うことなく戦える。

攻め手と守り手を状況で切り替えようとするから迷ってしまうなら初めから極端に役を割り振ろう。それがコラムの策だった。

 

数的有利を手数の多さや場の制圧力へ多面的に用いず、片方が敵の攻撃の全てを一挙に引き受け、もう片方だけが全力で反撃をする、あくまで1対1の強化に回す変則的なコンビネーションを提示された。敵の正体を理解した彼女も手は必要ないなんて考えは捨て、真剣に勝ちの手を考えてくれたらしい。

 

 

「"サクッと決めちゃってね。あの人の基準になぞらえて32拍は持たせるから"」

「"大した自信じゃないか、その基準だと俺は何拍持ったんだっけ?"」

「"8拍"」

「"泣きたいよ"」

 

 

利点の少ない方法を採用した理由は、俺達の息が合わない点が大きい。半人前の言い訳にはなるだろうが、パートナーの考える最善手や定石を把握していない以上、援護射撃も邪魔になってしまう可能性すらあるからだ。

その反面互いの行動を分立してしまえば理論上、守備側は敵の攻撃にのみ意識を集中させられ、攻撃側は自分の攻撃を当てる事だけに専念できる。

 

ただ、欠陥もある。負担が大きいのは論判せずとも守備の担当者だ。

守備側の条件として、あの女性の攻撃を正面から受けてはいけない、その時点で脱落が決定してしまう。躱すか受け流すか、とにかく回避不可能な殺傷圏内に捉えられない立ち回りを求められる。そもそも守備とは呼ぶがRPGの騎士職みたいに鎧と盾を装着して防御力をガチガチに固めておらず、無理矢理ゲームに当てはめるならむしろトリックスターな盗賊や忍者のジョブに近い。ヘイトが高いという意味では忍者が適職か。

 

 

「"私は守りに徹するからだよ。いざとなったらキミを蹴飛ばすから、気兼ねなく攻め込んでね"」

 

 

さらに、攻撃の担当者が狙いを外せば、手を尽くして反撃から脱走させなくてはならない。

 

 

「"胸に飛び込んで来てくれると嬉しいかな"」

「"跳び蹴りが良い?それともドロップキック?"」

 

 

うん、手を使って欲しいんだけど。まあ、贅沢は言うまい。右手のナイフが刺さっても困るし。

なんだ、まさか胸って言っただけで怒ったんじゃないだろうな?身の危険が増えた気がするぞ。

 

 

(――手を使う……。何か引っ掛かるな)

 

 

「"宿金ってどんな形をしているものなんだろう"」

「"さあ?人それぞれ十人十色だよ。幾何学的だったり、未加工の鉱石とか、生体の一部を模している事もある……らしいよ?でも複数個は持ち歩けなかっ……持ち歩けないらしいよ?本当に良く分からないんだけど"」

 

 

取り上げれば有利になると思ったが、それだと外見からは判別するのは難しいか。

この質問で判明したのは日本語の勉強をしているベレッタやパトリツィアより、コラムがよっぽど日本語に詳しい事だけだ。

 

 

「"宿主が宿金を失くすとどうなるのかは知ってるかな"」

「"核の充式は宿金ありきだから……力を失うんだと思う。一体化してるようなら失くしようもないし"」

「"命に係わるような大事にはならない、と"」

「"どうだろ?餓死とか衰弱死みたいな、ゆったりとした死に方かも"」

 

 

……死ぬのか。

ヒルダが理子の宿金を奪わずに閉じ込めたのは……言ってしまえばエゴ、なんだろう。

死んでほしくない、でも幸せにしてあげる方法が分からない。大切な家族を苦しみの中に繋ぎとめる自分を呪いながらも、いつか救えるかもしれないと。

 

俺には図れないな。

彼女の壮絶な痛みの感情を。

 

(必ず見つけ出して再会させるんだ)

 

その為にも、負けられない。作戦の内容を反芻する。

裏表はタイミングの暗示であり、溜め始めが裏、インパクトのタイミングが表、2つ合わせて1拍と定義している。

コラムの目算によれば1拍がおおよそ0.5秒。俺の体感では溜めに掛かる時間が半分の0.25秒で、大振りな破壊行動の後には次の溜めの間まで瞬間的な脱力の兆候が見られた。

 

そこが唯一の隙であり、突破口だ……と、思う。

なんせ理解の及ばない超能力への対策、歴史の授業の馬鹿げた魔術対策討論会が現実になっているのだ。ぶっつけ本番でね。

 

勝利条件も一筋縄ではいかず、体を傷付けたところで効果は薄く、もしバチカン御用達の対超能力者用手錠(ラテン・マネッテ)の持ち合わせがあったとしても無力化が現実的ではないらしい。

動きを一瞬止めさせ行動を遅らせる。それを繰り返していき少しずつペースを乱すことで殲魔科到着までの時間を稼ぐ。招いたのは獣人専門の祓魔師なのだろう。それだけでいいが、それが難しいのだ。

 

 

「"コラム。彼女はインパクトの動きを直線でしか取れない。それは溜めが持ち越し不可能で、ごく短時間で放出してしまうからだろう。接近戦に武器を用いないのも、全力で振り回した武器に脱力した自分が振り回されてしまうせいなんじゃないかな"」

「"なるほど(エ ヴェーロ)、危うく頭部を踏み砕かれそうになった甲斐があったね。でも私にはもう一つ見えたよ。あの人が脱力するのは超能力に集中する時、ほんの一瞬だけどその最中はきっと銃口を見てないと当たる。私の銃口を追った時みたいに"」

 

 

(おっとそれは初耳だな)

 

有益だが、信憑性のある話か判断材料が乏しい。

どこから導き出したのだろう。

 

 

「"どうしてそう思ったのか聞いてもいいかい?"」

「"目付きの悪さは視界に入る光源の制限。言ったでしょ?赤外線――熱源を見るのに、光が見える目は邪魔なんだよ。けど、どうしても目を開けて相手の様子を探らなきゃいけないタイミングがある"」

「"自衛しなくてはいけないタイミング……それが超能力の切れ目か"」

「"正解(ヴェーロ)素晴らしい(セイ・ペルフェット)!"」

 

 

コラムはウィンクしながらテレビで聞いたクイズ番組の男性司会者のセリフを文字る。

射線を予測のできない秒未満の間隙。普通に考えてそれを弱点だと言われて頷くかは微妙な線だが、藁どころか糸にすら縋りたい現状には十分な攻略の糸口に感じられた。

チュラ並みの人間観察能力に惜しみない賞賛を贈らせてもらおう。

 

 

「"俺達は彼女の動と静を1つのだけの波だと考え気を取られていたけど、重要なのは攻撃の波より防御の波の方だったって事だね"」

「"シグドロは飲み込みが早くて助かる。クラーラに頼んだ仲間の到着は少し掛かりそう"」

「"本当に呼び入れて話は拗れないかな?俺の私闘に"」

「"武偵は何でも屋"」

 

 

それきり口を結ぶ。それはそうだけど……

 

……決めた事にぶちぶち言うのも男らしくないな。俺も腹を決めたんだ、あれこれは終わってから頭をひねるとしよう。

 

 

 

「"最後に1つ、彼女が熱源感知をするなら暗い所はこっちの不利益になるんじゃないかと思うんだ"」

「"利益が上回る理由は3つ。1つはすぐ分かる。1つは戦えば分かる。もう1つは……これ、貸してあげる"」

 

 

この期に及んで勿体つけたコラムは腋下のホルスターに銃を戻し、制服の下に着けている防弾チョッキから取り外した、幅広で濃紺の革製のホルダーを山なりパスしてくる。

過去に見覚えがあるぞと脳内フィルムを逆再生させていき、掌に納まったそれを迷うことなく彼女と同じ場所へ装着して、もう一度手を差し出した。

 

 

「"ホルダーの紫外線ライトが電池切れだよ。ちゃんと光に当ててるかい"」

「"それ、もらってすぐ故障したの。って、あれ?その装備、知ってるんだ"」

「"知り合いから頂いてね。アンコウナイフだったか"」

「"あっ!クラーラと知り合いならそれも有り得るね。ごめん、使うと思ってなかったから……"」

 

 

空いた手に2個の小さなケースが放られて、これも迷わず内ポケットにしまう。

蓄電されていないんじゃあ単なるワイヤーで繋がれたナイフとフラッシュグレネード。使う機会が限定され過ぎて好んで持ち歩く奴はいないだろう……まあ、たった今から実戦があるんだが。

 

 

「"人生で2度も使うとは予想してなかったよ"」

「"人生で1回でも使う人がいたんだ"」

 

 

ちょっと待ってくれ、君の提案だろう。『いたんだー』じゃないよ。

試用経験なしで俺に投げたってことでいいのかな。

 

 

「"じゃあタイミングも……任せたっ!"」

 

 

案の定、初心者専用チュートリアルは元気よく省略される。丸投げでファイナルアンサーのようだ。

確かに経験者の方が有効利用出来るだろうから理屈は通るんだけどさ。

 

 

「"打ち合わせの時間も無さそうだからね"」

 

 

白い光が廊下を照らし、周囲にぼんやりと影が生まれる。綿の様にふわふわと風に揺られるセレナイトの閃き。

まさに言われた通り、理由の1つはすぐに分かった。

 

 

「"ご主人様がワタシを遣わしたのは民衆の援助かと思ったのだけど"」

 

 

微かに発光している、髪と……ブーツの中が。

 

そして彼女が姿を現してから程なく、パッ……とモール内の全ての電気が停電したように消える。こちらの作戦通りに。

クラーラとその戦妹が早くも行動を開始してくれたのだろうが、もう少し掛かると踏んでいた。事前にどちらか、もしくは両方がバックヤードの操作機器管理室を押さえていたと考えられる。クラーラはこの辺サポート周りに手慣れてるね。

 

日の当たらない闇の中に、間隔が離れすぎた橙色非常灯と日本でも馴染みのあった緑色誘導灯とは別に、陶器の様に真っ白な肌の輪郭が自身の光によって浮かび上がる。

目立つなんてもんじゃない。スポットライトを浴びるどころか昼白色の裸電球そのものになってるんだからな。

 

 

「"危険物処理だったのかしら。スカッタでは荷が重そうな人間みたいだし"」

 

 

突然照明が落ちたら小さな悲鳴の1つ上げたって誰も責めないのに、その足取りはコンマ単位ですら誤差を生じさせず近付く。

消えると分かっていた俺の方が一瞬身構えたよ、彼女の挙げた名前に。

 

覚えてるぞ、深刻な顔をした語り部を。

物語には2人の襲撃者が登場した。車の天井を蹴り裁った白髪の女性と慎重100cmにも満たない小柄な子供。その子供の名前は……

 

 

「"シグドロッ!軌道に乗るまで4拍待ってて!"」

 

 

コラムが腕を振るった音に続き、空気の膜を裂くのではなく押し退けて進むような音が響いた。

初手からナイフを投擲したのかと驚いたが、違う。もっと重い、結構な重量のある……球体?暗くて確認は取れなかったな。

明るいうちに地形を把握した時、武器として通用しそうな物は床に落ちていなかった。とすると、俺に渡した装備と同じで、元々常備していた物なのかもしれない。

 

しかし、速度は銃弾に遠く及ばず、投げられる際の気配を元に避けられた。銃じゃなければ避けられないのでは?なんて淡い期待は見事に覆され、そういえば予想なんてなくても自分が追い詰められた事を思い出す。

毛髪の後ろからさらに光の尾を翻し、ショックウエーブが見えそうなほど痛烈な叩き付けと共に、翡翠の宝玉が闇の中を滑走した。

 

1発1発が剣閃の如く振るわれた鋭い蹴り技を紙一重で躱すコラムの見開かれた両眼も、駆け抜ける脚部が発する残光の中に浮かび上がる。

 

 

戦えば分かる、か。

まったくその通りだね。

 

1拍、2拍、3拍、4拍。

縦、縦、横、縦。

タクトの代わりにサイリウムで指揮を執るかのように、コマ送りで光の道筋が刻まれる。

 

頭部と脚部、身長の両端が見えていれば肩より先を除いた姿勢が大体分かるぞ。

相手がどんな行動を取り、攻撃後に惰性で体がどう流れていくのか、その方向も絞り込めるのだ。

 

 

5拍目の踏み込み、6拍目のミドルキックが後退したコラムに追撃を仕掛ける。

まだだ、狙い目は大振りな攻撃の後にある。

 

 

「"このっ……鬱陶しいわね"」

 

 

力んだ両脚から籠った収縮音が上がる。

6拍目から繋がった7拍目の下段を空中に跳ねあがって避けられると、間髪入れずに軸足を伸ばし、足の裏で蹴り上げるつもりのようだ。

 

だが、顎の骨を正面から打ち撥ねる筈の足は、降下せずに滞空したコラムを捉えられない。

そこには確か遮蔽物として記憶していた植木の造り物があったね。そこまで大きくないけど体重の軽い少女1人ならぶら下げられる。

 

(完璧な誘導だな)

 

残光のコースと減速から停止位置が予測できる。あの女性は確実に攻撃が命中しノックダウンさせられると想定していて、振り切った後の残心が疎かになっていた。

そして初めの4拍で見極めたこのタイミングは超能力の切れ目。俺が闇の中で構えたベレッタの銃口をあの女性は見ていない!

 

くっきりとコースが見えているのは頭とブーツ。俺は日本に戻ってからも兄さんの様な武偵を目指す。武偵法9条は絶対に破れない。頭を撃つ事は出来ない。

しかし、彼女のブーツは銃弾を弾いていた。そうなればブーツの中にある脚も撃てない。

 

(どこを撃てばいい……?)

 

葛藤する頭をよぎったのは4発の銃弾を挟んだ右手、それと吸血鬼の根城で睨み合ったヘビ目の少女。

 

引き絞られたトリガー。強烈なマズルフラッシュに視線を向けても回避は到底間に合わず、脳で光源の発生源を認識する間に音が、音の原因を突き止める前に亜音速の銃弾が、行動を起こす一足も二足も先に目標へと到達している。

 

 

「"……どこを狙っているの?"」

「"どこ狙ったの!"」

 

 

左右にパンニングしたステレオ音響の指摘はごもっとも、今のは無駄弾だからね。

ヒットした場所からは金属同士が衝突する音がして、弾かれた銃弾は()()()()()()()()()()()いずこかへ去っていく。

 

間違いなく影が差した。飛来した銃弾を掴むなんて荒業を成しておきながら、攻撃には1度も使わなかった右手の影が女性の顔、正確にはその顔の横にある髪飾りを隠すように。リンマが両腕で顔を守ったように。

 

(あの右腕はディフェンダー、左腕は上半身の駆動をスムーズに加速するための重心のバランサーだ)

 

男達は小銃まで持ち出していた。リズムを捉えたかどうかなんて関係なく、数発は予想の包囲網を抜けて差し迫ったんだ。

彼女が今、反射的に守ろうとしたタレ耳形の髪飾りに。

 

 

「"次は当てるさ"」

 

 

超能力の源――宿金の正体は光を浴びて活性化する装飾品。それを奪取してしまえば彼女は光を浴びても回復しなくなる……んじゃないかな?たぶん。

ただし、行うは難し。手が届く距離まで接近できるのか?

 

いや、()()()()()ヒット&アウェイは不可能だ。ナイフの有効レンジへ入る前に標的にされ、離脱は困難。失敗すれば俺の目論見は看破され、二度とチャンスは訪れない。ナイフを投げたって成功を望めないことも、コラムの投擲で実証されている。

悟られずに距離を縮め、相手の間合いから即座に奪い去る。クロでも不可能だ、そんな忍者みたいな――忍者?

 

自称忍者……陽菜は()()である上空から降下してきてたな。敏感になった俺の嗅覚はほぼ無臭な彼女を割り出したが、()()()()()相手が肉薄しても反応できない。

似た状況を再現すれば一本取れそうなものの、そもそも気配を消す修行なんて積んでない。これもダメだ。

 

 

ターゲットを変更させようとした女性に、地上に降り立ったコラムがまた何かを投擲した。さっきは球面だったが今のは先端の尖った錘状の何か。

その凶器が容赦なく頭に襲い掛かったことで、警戒対象が防御担当に固定される。

 

1拍、2拍、3拍、4拍とひらりくるりとやり過ごしていたコラムが、5拍目の膝関節を的確に狙ったトウキックをここに来て初めて足裏で受けた。軽い少女の身体は勢い任せの脚力に浮き上げられ、砲丸みたいに宙に投げ出される。

 

6拍、7拍、8拍。

放物線の軌道を描いた先に()()()()()()白い光は、真っ二つに()()()()()()の如く鋭い蹴り上げを放つ。

 

 

「"コラムッ!"」

 

 

直撃だ。薄明かりに脊椎がバッキリ折れるほど反り返った制服の後ろ姿が映る。絶対に受けてはいけない攻撃を受けてしまった……?

 

(違うぞ、服に触れてるけど体には当たってない)

 

風船の割れるような破裂音が上がり、脚の形にたわむ半脱ぎ状態の上着が、さながら滑空するモモンガの飛膜みたいにはち切れんばかりの展開を見せる。

防弾ジャケットの高強度・高弾性を活用し、蹴りの威力を分散させつつ両腕で伝達した刹那の張力によって、トランポリンの要領で自分が押し上げられ対応したのだ。

蹴鞠のようにポヨッと跳ね、たわみの中心で足の先端が接触したベレッタが腋下のホルスターから零れた。

 

9拍、10拍と気の休まらない強襲のラインが網膜に焼き付けられる。銃の回収を諦めたコラムは一拍一拍の回避が全力で呼吸が乱れて来た。体力よりも神経の磨り減りが深刻そうだぞ。

 

 

「"()()()()当たる!()()()()()()!"」

「"――ッ!"」

 

 

消極的に動く俺へ喝を入れるコラムの叱責。

『撃ちまくる』、偶然だがその言葉で繋がった。

ふと思い付き却下された忍者作戦の穴は、()()()()()()()()()事と()()()()()()()()()()()()には時間が足りない事。

 

忍者のように()()から忍び寄る、()()()()()()()()()()()()()()()

続いて蘇るシーンはサンタンジェロ城の巨大煙幕、第三装備科の金髪魔女、もう1つは地下牢の番をしていた犬の頭をした使い魔と斧。

 

 

再現できる。

たった今、作戦が可能であることが証明された!

 

 

内ポケットの中身を取り出し組み立て、起爆準備をする。12拍目の前蹴りを側転で躱すコラムの動きを横目に、彼女の銃を回収に向かった。銃の扱いは得意ではないらしいし、変な改造はされていないだろう。俺でも扱えるはずだ。

走る間にグリップから取り外した幅広のナイフを放物線に投げ、18拍目の隙を突いて発砲。瞬間、振り返ったエメラルドの瞳は駆ける俺を見て眉をひそめ、相対するネイヴィーブルーの瞳に向き直り攻勢に移行する。

 

低姿勢のまま拾い上げたM92Fを間髪入れずに撃つ、これも19拍目の隙を突いた射撃で。とうとう体全体を180度転回させてきた。超能力の隙をピンポイントで狙われていると得心した表情で、2人分の銃を持った俺にターゲットが切り替わる。

丁度いい、視線を引き付ける手間が省けた。20拍目の踏み込みに合わせてナイフのグリップを蹴り上げる。

 

 

「"コラム、君の信念を見せてくれ。強く強く、俺に良く見えるように!"」

 

 

慣れない連携は難しいと思ってたけど、君は宣言通り応えてくれたね。

そう、それでいいんだ。君こそが俺が考えた作戦、その最後の道筋なんだよ。

 

熱源を予想出来るなら、俺が蹴った物がこれから燃焼する小さな炸裂弾にでも予想するだろう。そしてあの女性は予想出来る攻撃はギリギリの距離を保つ癖があり、直進距離でも回り道でも1歩の間合いに入るまでは歩いて近付き、攻勢に出ないセオリーを持っている。

チェスの駒の一手みたいに行動のON/OFFがはっきりしてるんだ。

 

 

蹄のような足音が消え、白の駒は21拍目で急停止する。燃焼熱とその余波が届かない場所――俺が予想した通りの場所へ。

準備を始めた12拍目から8拍――時間にして4秒。電子制御された閃光弾が炸裂し、水蒸気ではなく光の煙幕が暗闇に慣れた視覚を奪う!

 

閉じた瞼の向こうで圧力に散布されたアルミニウム粉末が空気中で燃え上がり、裏側には記憶した全ての位置情報が脳内表示された。

俺の位置、女性の位置、コラムの位置、それと……18拍目と19拍目の隙にベレッタで打ち上げたアンコウナイフの浮いている位置。

 

 

(出来ない訳がない、こんなの単なるクロの真似事さ)

 

 

21拍目、22拍目、23拍目、24拍目――――

 

その隙を、弾道が予測されないその瞬間1拍1拍を精密に、確実に、()()()()()()()()()()()()()銃弾が当たる。

 

25拍目、26拍目、27拍目――

 

回転を()()()()()()が重力に引かれ、直下で立ち往生するその髪飾りに()()()()()()()()()()迫る。

 

 

28拍目。

 

その照準はこれまでとは全く異なる景色を映し出す。

 

 

「"受け止めてくれッ!"」

 

 

コラムの胸の中心。記憶にあるその場所を、真っ直ぐに。

 

 

――――撃ち抜くッ!

 

 

 

ガゥンッ!

 

 

 

左手に握られたコラムのベレッタから、思いを込めた一発の弾丸が飛ぶ。

消えかけた残光の向こう、コラムは……

 

 

「"信念に基づいている内、依頼主の指示は絶対!"」

 

 

あの構えを解いていない。

右手にナイフを携え、右胸に握りしめた拳を力強く当てている。ナイフの反射光(トゥルーサイン)が俺に見える角度を正確に維持し続けたまま。

 

 

胸の中心に微妙な傾斜を付けて置かれたナイフが、弾丸の()()()()()()

今や頭の直上にまで詰め寄っていた刃に最後の修正を加え、

 

 

 

「"チェックだよ。君の負けだ"」

 

 

 

垂れ下がった髪飾りを切断した。

 

 

 

「"ッ!!"」

 

 

さあ、その気怠そうな目にはどう見えているのかな。ついさっきまで意識せずとも避けられていた銃が怖いだろう?

大きく上下する胸。あれだけ暴れたのだ、体力の消耗も大きいようだね。

 

油断は禁物だ。彼女が反撃可能な状況下では、戦いが勝利に終わった訳じゃない。チェックであってチェックメイトではないのだ。

じりじりと距離を詰め、床に落ちた宿金の回収に向かう。

拾おうとすれば撃つぞと威嚇し、初動を見逃すまいと1歩ごとに気を引き締める。

 

 

「"止まって!"」

 

 

コラムの制止の声が聞こえ、足を止める。

どうしたんだ。このまま殲魔科の仲間が到着するまで場を膠着させた方が安全だって言いたいのだろうか?

 

 

「"……失態だわ。人間に、後れを取るなんて"」

 

 

突然小さな光の粒が出現し、宙に漂いながらキラキラと光る星雲を作り出す。

アルミニウムとマグネシウムから作られる閃光弾に劣らない輝度を、それよりずっと穏やかに散らばせ、やがて女性の身体を下から上まで覆い尽くす。

 

 

一体何なんだ、この現象は――ッ!

 

 

「"触っちゃダメ!()()()お母さんが海外旅行に行く時に使うのと同じ空間移動の式!周囲の物質を根こそぎ持ってかれる!"」

 

 

空間移動?ぐるぐると回る光に触れただけで持っていかれる?

魔女はとんでもないヤツらばかりだったが、そんなことまで可能だとは考えられない。

もし、本当なら尚の事逃げられては困る。

 

 

「"けど、彼女を取り逃す訳には――"」

「"止まらないなら私が止める!ねえさんの意志は……絶対!"」

 

 

コラムの戦意が俺にぶつかった。

本気で戦いに発展しそうなくらい強い意思に心を衝かれる。危険なモノなんだ、あれは。

 

星雲内部の僅かな影から、宿金と思しき髪飾りが落ちたままであることが見て取れた。

それごと移動しようって魂胆か。

 

(理子……)

 

やっと見つけた鍵が目の前にぶら下げられたのに、そこにあるのに手が届かない。

諦めるしか、ないのか?

 

 

「"……君の言う通りにしよう。命あっての物種だし――"」

 

 

 

 

ガゥン!

 

 

 

 

「"――俺達の勝利だ。大切な物なら、すぐに拾うべきだったね"」

 

 

消えてしまった彼女にその声は届いたのだろうか。パッと発散した光の雫はもういない。

空間移動の魔法は実在するらしい。星雲が掠めた無数の傷跡が床に残されていて、自分が触れていたらと身震いする。

 

ギリギリで雲から弾き出された白い髪飾りは、まだそこに落ちていた。

 

 

「"やっちゃったね、報復が怖くないの?"」

 

 

カクカクと膝を鳴らしたコラムが拾い上げた宿金を持ち、俺の隣に膝を立てて座り込む。

びっしょりと濡れたワイシャツの中はインナーを着込んでいるんだな。一度感じた花の香水の香りは……しなくなっている。

 

緊張が解け、ドッと疲れが表面化した。その場に腰を下ろす。

物凄くだるく、眠気も強烈だ。少女の誘惑で、無理矢理に持続時間を引き延ばされたからに違いない。

 

 

「"宿金……"」

「"提案だけど、これは殲魔科の生徒に渡しちゃった方が良いと思う。取り返しに来るかもしれないし"」

 

 

(取り返しに……来るのか)

 

それでも良いか?いや、カナもチュラも眠っている今、バラトナを守りながらあの女性には勝ち目がない。リスクが高すぎる。

 

返事のない俺の心情を慮ってか、コラムも二の句を継がない。

 

 

 

理子に繋がる鍵を手放したくはない。

でも、仲間が襲われてしまえば……

 

 

 

何周も何周も同じ事だけを考えている。

だからだ。いつの間にかヒステリアモードは切れていた。こうなってしまえば考えるだけ無駄ってなもんだ。今は、ゆっくり休みたい。

 

 

「"ねえシグドロ、お腹、すいたね"」

 

 

ぐぐぐーっ!と、いっそ小気味のいいお腹の音を立て、青い顔で話し掛けて来た。どんだけ腹が減れば顔面蒼白になるんだよ。

まあ、俺も昼飯を食いっぱぐれたから腹は空いてる。

 

 

「"午後の授業はどうすんだ?"」

「"無理、だよ。どうせ、寝ちゃうし"」

「"そうか"」

 

 

どうやら俺のヒステリアモードが切れたタイミングで、コラムの乗能力も途切れたようだ。

なんというか……色っぽさが無い。強そうな感じもしないし、第一印象に間違いはなかったんだな。

 

 

「"報酬……ちょう、だい"」

「"依頼したのはクラーラだぞ"」

「"追加、依頼。した……でしょ?"」

 

 

うぐっ……そういやそうだったな、余計なこと言っちまったぜ。

頭の中で2人分の食事代金を勘定するが、財布の中身と照らし合わせると実にヘヴィーな出費だ。懐に味を楽しむ余裕が残らないな。

 

 

「"個室のレストランでも予約すればいいのか?悪いが俺に経済的余裕はなくてな、そこそこ値の張る店だとコースは振る舞えないぞ"」

「"……??…………っ!?あ、ありえ、ないよ、だ、男性、と……個室、なん、て……"」

「"はっ?"」

 

 

俺の聞き間違いか?個室を希望されてたから個室を提示したら拒否されたんだが。

実は蹴りを喰らってたとかで記憶が飛んだのかもしれない。

 

 

「"いや、お前が言っただろ。個室がいいって"」

「"あ、その……それは、私、だけ、ど……言った、のは、違う、と……えと"」

 

 

なぜだくだくと汗を流しながら口をパクパクさせる。戦ってる間はスムーズに日本語も話せてただろ。

 

 

「"嫌なら構わん。行きつけのピッツェリアがあるからそこにするぞ。俺の連れも一緒でいいか?"」

「"そ、その人……も、男、性……?"」

「"何を警戒してるか知らんが女だ"」

 

 

これ以上ないほど安堵の表情を浮かべて、コラムは宿金を手渡してくる。髪飾りは見た目通り軽くて大福みたいに柔らかい。

どうするかは委ねるつもりらしいな。

 

 

「"覚悟、して。困った、ら……私、を、頼って"」

 

 

宿金を受け取った俺にコラムは、

 

 

「"キンジ、さん、は……仲間、だから!"」

 

 

その小さく握り込まれた古傷だらけの拳を向けてきた。

漫画じゃないんだからと青春の一幕っぽくて少し照れ臭さを感じつつも、

 

 

「"キンジでいい"」

 

 

突き合わせた右手が立てる音に、強く後押しされた気がした。

 

 

 







クロガネノアミカ読んで頂き、ありがとうございます。


酷くお待たせいたしました……

次回以降も早かったり遅かったり、本当に超不定期になってしまうと思いますが、何とか書き続けていきたいと思います。




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市松の赴按(チェッカー・チェッカー)(前半)

 

 

 

「――というわけで、亀は常にアキレスの先を歩くのでした。どうです?面白いでしょう、人が亀に永遠に追い付けない不思議なお話」

 

「えぇ……?なんでだ、なんで追いつけないんだ?おかしいけど話の筋が通ってる。教えろ」

 

「おほん!人にお願いする時は?」

 

「??……ああ、そうだったな。教えてください、だ」

 

「別に言葉遣いまでは変えなくて結構。私が直々に創る一等位に敬語は似合いませんし、あなたを知る者達を欺くにはそのままの方が色々と便利です」

 

「外面はどうだっていい、おれには関係ない。そんなことより答えが知りたい」

 

「……『急ぎの文は静かに書け』。答え合わせは次のお仕事が終わってからにしましょう。自分で考える時間が必要でしょうから」

 

「そういうもんか」

 

「あなたに教わったんですよ。この言葉も」

 

「覚えてない、思い出したくもない。良く当たるんだ、イヤな予感は。オリヴァの未来予想と違って――」

 

「ヴィオラです」

 

「あー……悪い。しかしな、お前の私物にはオリヴァテータって書いてあるぞ」

 

「また要らぬ知識を。理子さんですか」

 

「理子ちゃんだろ、2人だけの時は。主の威厳はそんなに大切にするべきもんかっつの」

 

「あまり理子さんに近付かないでくださいよ。ものぐさな性格が悪い見本になります」

 

「プライドは高いし、ねじくれたモノの解釈をするヤツだけど、芯根は素直な良い子だな。意外とウマが合う所もあってさ」

 

「撤回しなさい、彼女はあなたや私ほど捻じれてません。……なんのかんの言いつつ、これまで出会った中で一番裏表が少ないのは紫電の魔女でしたが。もちろん、悪い意味で」

 

 

「紫電……。次の仕事は3人態勢で行く、厄介な敵なわけだ」

 

「箱庭とは得てしてそういうものです」

 

「知った風だが、お前も初参加だろ。おれもサポートに付けなくて大丈夫なのか?抜けたところがあるじゃねーか、エミ……あの金髪巨乳。待て待て、怖い顔すんなヴィオラ、ちょっと言い間違えただけだろ。ついでに名前もド忘れした」

 

「ドール・フラヴィアです、間違えないように。それと問題ありません、彼女達には可能性として戦闘を許可しましたが、遭遇戦はまず起きないでしょう」

 

「その気にさせたのか」

 

「そうでもしないと充式を拒みますからね。私の人形のくせに反抗的なんですよ、あいつは」

 

「……あんだけお前の気持ちを心配してる家族みたいなのもいないだろ……」

 

「余計なお世話と言うのです、そういうのは」

 

 

 

「あなたも気を付けた方が良いですよ、人形に入れ込めば心が摩耗します。期待するのは弱い人間の性ですけどね」

 

「おれは人形とは違うのか?」

 

「違いません。だからこそ、理子さんに近付かないように気を付けてください。彼女を大切に思えるなら自分を殺す、それがあなたの為になりますので」

 

「ああ、良く分かった事にしとく。死にたくはないからな」

 

「それでいいんです。さて、黒のポーンが二歩前進しました。あなたには暫し、ピアと組んで手薄になる守りを補完して頂きましょう。大正義の国で近々、正義の脱走という大きな出来事が起こる予定ですから、こちらからも少しだけ落書きをします」

 

「なんだそりゃ、ただのデカい国になるじゃねーか」

 

「言葉遊びにしては低レベルですが、正義は1つではなくいくらでも替えが利くものなので、言ったもん勝ちかと。私達の敵は箱庭だけではないんですよ。ほら、通常業務に戻りなさい。私は……えと、雑務に取り組みます」

 

「『急ぎの文は静かに書け』。感想文もいっぱい書けよ、プルミャの機嫌が悪いと茶に誘ってもノッて来ねーんだ」

 

「~~ッ!は、早く出て行きなさい!怒りますよ!」

 

「はいはい」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

イタリア時間15時過ぎ、自室にて。

俺はセーターに袖を通す。

 

服を着るなんて、文明社会に生きる人間なら誰しも経験があるはずだ。特筆すべき事象じゃない。

チクチクと毛羽立つ固い繊維の刺激もないまま、優しく包み込まれる。人類には心を休める時間が必要なのだ。寒い部屋でポカポカと温もりに浸る幸せ。

 

――――の余韻が欲しい。

 

そのままベッドで横になるが、目は冴えている。まだ眠くない。それどころか、起きて回収せねばならないイベントが刻一刻と近付く。

着替えの前に入念に封鎖したドアの向こうで、履き慣れないスリッパをぺたぺた引き摺る足音がした。もう、時間だ。

 

 

「"クルー、そろそろお時間でした"」

「"俺はキンジだ……まだ"」

 

 

深い悲しみが俺を襲っている。

90度傾いた世界、目の前でチラつく黒い影はコンブでもワカメでもヒジキでもない。大自然に育まれた海藻ではなく、不自然に束ねられた長く黒い毛の束だ。人はそれをウィッグと呼び、武偵の間では変装道具として取り扱われる。中でも潜入の任務を行う可能性が高い学科では質の良い物が重宝されるのだが、その点カナがどこからともなく調達してくるコレは金があれば買えるもんじゃない。俺だったら24時間生活を共にしていてもカツラだと気付かないだろう。

 

兄さんみたいに髪を伸ばすのは御免だ。

邪魔だし、熱がこもって暑いし、鏡を見る事が出来なくなりそうだし、常に頭に乗せて生活したくない。

 

 

「"まだ、でした?アリシャが来てしまうのでした"」

 

 

簡単に言ってくれるな。俺の変装はお前の思う姿を真似る行為とは違う。

思考がガラッと変わり味覚にも影響して、そして何より各段に強くなる。変身に近いものなんだ。

 

その上、フェロモーネの解除方法がカナ頼りなのもネックだな。

クロは無自覚で自分を女だと思って行動する。それだけならカナも同じなのだが、問題は脳への負担を自分の意思で操作出来てしまうせいで、疲労による定期的な睡眠期間が存在しない事。

香水を付けずに過ごしていればいずれ睡魔によって解除されるものの、カナが睡眠期に入れば戦闘準備――香水の追加を忘れはしないだろう。

 

しかし、最も危惧すべきことは……

 

 

「"ノックの音がしました。アリシャは先にカナの部屋へ案内するのでした"」

「"ああ、頼む"」

「"……テュラは、とても良い友達を持ったのでした"」

 

 

……チュラの状態を、クロが大人しく待ってくれる保証がない。

 

あいつは感情的だ。

よく笑う、すぐに怒る。実習でポカやらかして落ち込んで、ヤケ食いすることも珍しくない。感情を表に、行動に移してしまうんだ。誰かの為にと無茶をする。

 

アルバから聞いた。

戦況は俺の認識とは違うかもしれない。

今動くのは危険で、どこでトラの尾を踏んでしまうか分からないんだ。

 

 

 

兄さんが……目覚めるまで――――

 

 

――いや、もしかしたら…………

 

 

 

玄関の開く音がして、一言二言交わされた言葉に笑う声。アリーシャがチュラの元に案内されて行った。

相談があって呼んだ。あいつは面識があると言っていたからな。

 

ここからは任務、そこに私情は挟まない。

やらなきゃならないんだ。転装を。

 

 

「"ヅラよーし……服よーし……"」

 

 

パオラの時と同様、代理人の設定で会うってのも考えたが、デリケートな話題を振るなら初対面より良いとの判断をした。

気力のない虚ろな目で鏡を覗き、焦点をどこに結ぶこと無くチェックを行う。

 

慣れたものだ。鏡に映る俺を自覚せず、顔だけにモザイク加工を掛けたみたいに見えている。服のほつれや髪の曲がり方、微小なホコリの付着物すらも発見、修正できた。

ああ、また1つ誰にも自慢できない特技が増えたな。

 

 

「"ピンク……"」

 

 

露出が少ないならなんでも良いとは言った。言ったが、バラトナよ、ピンクはどうなんだ?

肩から裾にかけて交差編みのパターンが膨らみを持ち、花形に組まれたパプコーンがそれはそれはオシャレで可愛らしい編み模様で胸元を飾ってくれている。女子力の高い丸首セーターに抵抗が無いことはない。抵抗しかない。

ウエストラインが分かるぐらいに細身なシルエットの割に丈が長く伸縮性もあるので、軽い自重で引っ張られた裾は股下まで届きミニスカートみたいに見える。袖も長い。

設計ミスだろ手の平の半分まで隠れてるじゃねーか。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"クル、お茶を淹れてしまっても良いのでした?"」

「"――はい、今行きます"」

 

 

熱い紅茶は冷めると美味しくない。コーヒー程アツアツにしないから冷めるのも早いんだ。急いで行くとしよう。

香水は付けず、服は……いいか、軽くて楽だしな。この編み模様も好みで――違う違う。暖かいからだ。最近は寒いからな。

 

(また感性が、ズレて来てる)

 

立て付けが悪い扉の喧しい悲鳴と共に廊下に出る。

アリーシャはカナの部屋に寄っているそうだけど、あの部屋に入ると気が滅入る。重要な相談の前には行きたくない。

 

寄り道せずにリビングへ、キッチンスペースでお湯を沸かしているバラトナを背にテーブルにつく。

楽しそうにお茶請けの菓子を見繕うのはいいが、バラトナの鼻歌は全て8分音符なのに加え低音域で鼻づまりみたいなミュートが入るもんだから、正直聞くに堪えない打楽器状態だ。

 

 

「あら、クロ様。こんにちは、おいでなのでしたらお声掛け下さいませ?お待ち頂くこともございませんでしたのに」

 

 

初心者の片手ティンパニー演奏会を感情の無い表情で清聴していると、アリーシャが現れた。

姉と同じ形状の武偵中制服と青いシュシュ、フリル付きのソックスも学校で見かける姿そのまま。鞄も持っているあたり、家には帰らずその足で直接来たらしい。

 

 

「いえ、こちらこそお待たせいたしました。すみません、お呼び立てしてしまい……」

「相談、ですわね。私にしか尋ねられない内容でしたら……あまり良いお話ではなさそうですわ」

「ご察しの通り、肩を組んで笑い合えるものではないでしょう。お聞きしたいのは――」

「クル、まずはアリシャに休む時間を」

 

 

ティーカップを2セットと微炭酸がシュワシュワ弾けるグラスを運んできたバラトナに待ったを掛けられた。

中央に個包装の菓子入れバスケット、紅茶は俺とアリーシャに、自分の手元には炭酸水をおく。

 

 

「そうですね。すみません、一服してからにしましょう」

「お2人のご厚意に甘えさせていただきますわ」

 

 

安堵の顔には疲労が見て取れる。彼女が客人のコンディションに気を回してくれて助かった。

そのバラトナはグラスに2センチほど注がれた炭酸水を一口で飲み切ると、脂汗を流しながらキッチンに引っ込んで行った。なにがしたいの、お前?

客人の目が点になってるだろ。

 

 

「……申し訳ありませんわ。お砂糖を頂いても?」

「へ?……あ、ああ、はい。どうぞ」

「おそれいります」

 

 

角砂糖が1個、2個……?それだけでいいのか?足りなくないのか?

2個なら十分甘くなっているけど、お茶会の時はもっと甘くして飲んでいた。遠慮してんのかな。

 

 

「いかがなさいましたの?」

 

 

ふたを閉めようとスッと伸ばした細い腕、その日本の小学生とは成育速度の違う色白の身体から甘い匂いが強く広がる。体育の授業でもあったか、この前より匂いがうんと濃い。

とにかく甘くて、ちょっとミルクを加えた……例えるならホイップクリームを何層にも重ね、ふんわり生地が口の中でほどける高級なミルクレープのようだ。女子は糖分を過剰摂取することで体臭まで甘くなるんだろうか。

 

 

「いえ、何でもアリマセン……」

 

 

(逃げられないぞ、ティータイム開始数分で2人退場とか怪奇現象だろ)

 

疑い深い視線を感じるがそんなん構っていられない。

舌が麻痺しそうなスイートホイップの奔流が来る前に、紅茶を顔の前に固定してバリアを張る。肺いっぱいに香りを吸い込み嗅覚を鈍ら――んぐっ!湯気が、気道にっ!む、むせる……

 

 

「『何でもない』…………ですのね。いいですわ。クロ様、最近イチナ様と会われましたでしょうか」

 

 

人知れず見えない何かと格闘していた俺に、アリーシャが音を立てずに砂糖を溶かしつつ話題を振ってきた。返答しなければ。鼻腔をフガフガさせてる場合じゃない。

なんとか咳き込みたい生理反応を飲み込んで息を整える。

 

 

「会えていません。フィオナさんに連絡を入れたら一菜さんの方も休んでいるみたいですね」

 

 

一応ぼかしを入れておく。彼女が箱庭を知っている可能性は高く、絶対に味方だとは言えない。チームではなく一菜の名前だけを挙げたのは、一菜が箱庭に参加している事を知っていて、フィオナは参加していないと思っているからだろう。

決闘の事も知らないなら、全くの無関係とは考えなくとも直接線で繋げはしないはずだ。

 

 

「そのようですわ。フィオナ様もお悩みのようで……メリナ様をご存知ですわね?」

 

 

スプーンを置いた手は背もたれに挟まれていた手提げかばんを探り、1つの青いファイルを取り出す。表題は『Matematica(数学)』。まあ、嘘だろうけどな。

 

 

「……?クラスメイトですから知ってはいますが。彼女がどうかしましたか」

「非常に懇意にされておられるようですの。同郷のよしみ、というものでしょうけど、昨日メリナ様の仮チームに誘われて任務を受注しておりますわ」

 

 

そう言いながら鞄からテーブルに乗せられたのはクエスト受注の証明書。メリナは隣の席のドイツ人。転校してきて日もないのにもう仮チームに所属してんのか、コミュニケーションのお手本だな。受注者の欄にはフィオナの名もある。

なぜ、そんなものを証拠の様に持ち歩いている?なぜ、俺に見せる?

 

別に仮チームという制度に、報告なしで他のチームと組んではいけないという禁止事項はない。暗黙の了解で一報を入れるものだという考えは存在するが、それも全体ではないし気を遣う奴の方が珍しい。学校側から色々な人間と組むことは推奨されている。

ランクの低い奴に仮チームに所属していない者が多いのは、決して実力が低いのではなく、チームとしての配点をされていないだけ。協調性はフリーで活躍する武偵の方が高い事もままある。誰とでも組めるってことで、運が良ければ複数の宝導師の教育を受けられる機会に恵まれてるからな。

現状フリーと変わらないフィオナが誰と組んでどんな任務に向かおうと、俺や一菜にそれをとやかく言われる筋合いはないだろう。

 

 

「何か問題でもあるのでしょうか」

「ありませんわ」

 

 

アリーシャは紙面を引っ込め、あっさりとこの話を打ち切った。

次に差し出されたのは過去の受注履歴。文字は辛うじて読める。イタリア語より英語表記に近いのは、語尾の発音記号の違いか。このベータみたいな文字は何て読むんだ?

 

……って、このクエスト――――!

 

 

「それは以前、ドイツのとある武偵に向けられたAランク任務ですわ」

「指名任務、ですね。でも意味が分かりませんよ、これが先程の話とどう繋がるのか」

 

 

一年前には転校してきていたフィオナの名前があるわけもなく、念のために探したメリナの名も無い。

 

 

「重要人物の警護。重要拠点の防衛。そして敵拠点への潜入と地中海タラント貿易港にて不審な積み荷を回収、困難な場合は破壊し――」

 

 

動揺を隠せただろうか、その任務の内容は俺が関わっている。

タラント港。忘れもしない、あのCランク任務だ。右腕の傷がジクジクと騒ぐ。フラヴィアの他にも武偵が潜伏していたのか、あの場には。

 

 

「そんなところですわね」

 

 

一通りの説明を終え、紙はファイルに戻ることなくくしゃくしゃに丸められた。席を立つアリーシャの手はゴミ箱の上で止まり、中に収められていた物が捨てられる。くれるつもりのようだ。いらない、が、いらんとゴミ箱を漁って突き返すのも面倒臭い。

どうして並べたんだろうか、俺のチームとその依頼書を。

 

 

「この中におすすめはございますの?」

 

 

何食わぬ顔で座り直し、新たなティーカップを両手で持ってくるバラトナへバスケットをさして見せる。

ケーキとかの生菓子は少し贅沢をすることもあるけど、基本的にウチにある菓子類は安物が多いからな。金持ちの家のアリーシャには馴染みがないものばかりだろう。

 

 

「おすすめはこれです!カナが教えてくれた……あ」

 

 

元気にピンクの袋を取り出して勝手に落ち込むなよ。お前のコックピットは何ヶ所に自爆スイッチ搭載してんだ。

 

微妙な空気が漂い始める前にと、気を遣ったアリーシャが同じ種類の物を拾い上げて開封する。

中身は3種類のナッツがチョコでコーテイングされた、ちょっとだけ値の張る高カロリーのお菓子。ただ、切断面からナッツの形が分かってしまうあたり、大量生産される庶民のお菓子感がする。ちなみにピンクはミックスチョコ、青はホワイトチョコ、黄色はミルクチョコ、赤はビターチョコと味は様々だ。

俺は迷わず赤い包装を選ぶ。

 

 

「ピンクではありませんのね」

「ピンクは食傷気味です」

 

 

自分がピンクだしな。甘いんだよ、ミルクチョコが混じると。

ナッツに苦みが出るくらい炒ってあるならまだしも、高温処理したくらいじゃチョコの甘さに負けている。

 

一緒に用意されていたミルクを混ぜてミルクティーにする。

チョコにストレートティーだと舌はすっきりするが豆と茶葉の渋みが残ってしまう。そこでミルクの出番だ。砂糖は入れない。

 

 

「風味が消えてしまいませんの?」

「個々のおいしさよりも全体のバランスが大事なんですよ」

 

 

言いたいことは分かるけどな。味の濃い茶葉ではないし。

口内調味は世界的に発達している文化の方が少数派。主食と主菜が別々に供されるコース料理なんかが顕著だ。

 

隣の席もミルクティーを混ぜ、黙ってもそもそとチョコを食べ始めた。静かにすることにしたらしい。

最初の1個はピンクだったのに、今度は赤ばっかり食べている。ピンク食ってろよ、俺の分が無くなるだろ。

 

ま、落ち込んだみたいだが、人間食欲があるなら大丈夫なもんさ。

 

 

3つ目のチョコを食べ終え、やっとこさ続けていた女子トークも限界に近付く。

女子は毎日のお茶会で、毎回よくもこんなに口が回るもんだよ。3日と持たず舌が攣って窒息死しちまうって。

 

 

「学校の課題が毎日メールで届いているんですよ、エマさんから。その末尾にせめて自撮り画像を一枚だけでも、みたいな文面があるので無視しているのですが」

「ふふ、エマ様はどんな時でも平常運転ですのね」

「掲示板なんか怖くてサイトを開くことも出来ませんよ」

「あら、それでしたら面白い情報がありますわ!」

「聞きません」

 

無駄を極めた情報は思い出さんで宜しい。

本人が休んでもお盛んなこって。覚えとけよスレ立ての青い悪魔め。

 

「肝心の課題は進めておりますの?」

「今日の分はまだ、昨日までの課題はしっかりと終えています。に……姉さんが起きて来た時にお小言を受けたくありませんから」

「…………殊勝な心掛けですわ」

 

 

笑顔のまま声色が曇ったな、変な事言ったか?

怒ってはいないみたいだし、いいのかな。

 

 

「チュラがいない間に授業も進んでしまいますね。あい……あの子、勉強が苦手なので不安です」

「クロ様にとって、チュラ様は本当に妹のような存在ですのね」

「生意気な所はありますが、私や姉さん、バラトナさん。家族の事をもっと知ろうと頑張っている姿は……その…………」

 

 

自分で口走ろうとしたセリフがあまりにも小っ恥ずかしいもので口ごもる。

傷心による自浄作用が働いて、思い出に幸せ補正が入ってたんだ。

 

 

「言葉にせずとも伝わりますわ。眠っていた間の勉強でしたら微力ながら私もご協力いたしますわよ。ですから今大切な事は」

 

 

 

「考え込み過ぎない事ですわね。例えチュラ様がクロ様をお守りする為に傷付いたとしても、ご自身を責めてはいけませんわ。甘やかされた妹は姉の愛に敏感ですの、愛が離れる事を恐れて延々と駄々をこねてしまう程に、いつまでも愛に飢えていますのよ。妹の方から()()()を離れる事はありませんわ」

 

 

真剣な顔でそんな独自の妹理論を語り、

 

「どうかクロ様は逃げないでくださいませ。怖くて逃げ出したのはチュラ様も同じなのですわ。声が、気持ちが伝わるだけで、それだけでチュラ様は逃げられなくなるはずですもの」

 

俺が出来る事を1つ。怖くて話し掛けられなかった心を読んだようだな。

 

 

人肌よりも冷たくなったカップにバラトナが新たな紅茶を注ぐ。

満たされていく様子を見守り、波が収まる頃にはクロの顔が映り込んだ。この世の終わりみたいな顔をしてる。これじゃだめだ。

 

 

「おそれいりますわ」

 

 

茶葉を変えたのか、色に変化はないけど昇ってきた香りにハーブがプラスされている。心が落ち着くからピッタリだよ。

 

 

「私は次女ですから、姉の気持ちも、妹の気持ちも、想像してしまいますの」

「忙しそうなのです」

「当たっていますわ。上に下に愛情が行ったり来たり、私は幸せを詰め込むポストではありませんのよ?少し怠惰で配達物の横領をしてしまっても、神は微笑んでくださいますわね」

 

 

……ん?笑い所だったのか?首を捻った視界の端、横で肩を揺らしてる。ちょっと分かんなかったな。

んで、俺の不思議そうな顔を見て正面も笑ってる。ついさっきまで会話に参加してたのに、置いてけぼりを喰らった気分だ。ムッとしておかわりに口を付けるも、あれ、味に変化がないぞ?ハーブティーじゃなかったのか。わけわからん。

 

 

それより、もう休憩は十分だろ。お喋りが過ぎるんだよ。

茶を飲む場で喉が渇いて仕方ない。

 

満足して帰られたら困る、ここらで本題を切り出すぞ。

 

 

「アリーシャさんは人喰花の方々と面識があるんですよね。最近その中のお1人とお会いしたんです」

 

 

聞きたいのはそのメンバーの1人についてだ。相手が相手だけに出回る情報は少なく、探りを入れることも容易ではなさそうだと考えた。

エマへの依頼も視野に入れたが、失敗しても(エマの)身に危害を加えられ、成功しても(俺の)身に悲劇が起こるかもしれない。悪魔との契約は身を滅ぼすもんだ。

アリーシャなら心配ないなんて保証はないんだけどな。

 

 

「ええ、多少であれば。最近お会いした……とは、カルミーネ様のことですの?」

 

 

雑談の延長だと思ったようで態度に変わりなく話を広げてくれた。

いや、まあカルミーネって奴も強襲科の演習で会ったことはある。雰囲気が暗いから話したことも無いが。

 

俺も会うと思ってなかったからその返しは予想していた。

だが違うんだ。聞きたいのはそいつじゃない。

 

 

「殲魔科地下教会所属、ファビオラ・アカルディについてです」

「っ!」

 

 

聞きたいのはモールに駆け付けた殲魔科の一団で、俺の顔を見るなり抜剣した頭がピンク色なヤツ。しかもヒスあけで脳がぼーっとしてたもんで、反抗も逃亡も考えられずに座ったままでいたら、剣先でおっかなびっくり突こうとしてきやがった。木の枝で毛虫をつっつく小学生みたいに。

さらに人違いだった。コラムの執り成しで矛は収められたが、魔女と一般男子を誤認するって重症だろ。宿金を持っていたのがバレたのかと息が詰まっちまったよ。

 

 

「……どちらでお会い致しましたの?」

「正しい言い方に直しますと、会ったのは私ではありません」

 

その返しも当然予想してた。怪しまれそうな情報を逆手に取る。

 

「私がお会いしました。郊外のモール、殲魔科の任務で姿をみせたのです」

 

 

バラトナは持っていた6個目のチョコをティーカップの横に置きつつバトンを取った。

打ち合わせ通り、上手く答えを引き出してくれよ。

 

 

「クロ様はご一緒ではありませんでしたのね」

「クルは家に残って、お友達と買い物に出ていました。そこで――」

 

 

~~♪

 

 

俺の電話だ。

普段使い用、要は学校とは無関係な携帯。大体はピザ屋の予約にしか使わない死に電話で、普段は部屋に放置してるのを持ったままにしてた。

こっちに掛かってくる事はそうそうないんだけどな。

 

 

「少し席を離れますが……楽にして待っていていただけると助かります」

「……構いませんわ。私も少し頭の中を整理させていただきますわね」

 

「バラトナさん、今日はお菓子の追加アリです」

「ホントですか!クル、大好きです!」

 

 

話の相手によっては聞かれちゃまずい内容になるので、リビングを後にし自室に戻る。

誰だよ、平日だとヴィオラではない。あいつとは今週末にも会う予定がある。

 

 

「……知らない番号だな」

 

 

居留守するかどうか悩んだが、クロの時にイメルダ教官の電話をそうと知らずに無視し、オチるまで組手をさせられた恐怖体験がそうはさせないぞと蘇る。

過去の怨念に憑依された指が自然と通話ボタンに乗ってしまった。間違い電話であることを祈るぞ。

 

 

「…………」

 

 

クロに連絡を取ろうとしたケースも考慮し無言で取る。

屋内らしく通話先は物音一つしない。いや……異音がする。潤滑油を加えずに金属板を切削しているような高音が遠くの方から響いているぞ。

 

 

プロント(はい)

『"……。ねえ、番号間違えた?合ってる"』

 

 

聞き覚えの無い声。子供とそのお姉さんって感じがする。通話状態になったことにすら気付いていないのか、俺への返答もない。

複数人で電話を囲っているようで、向こうだけで対話が成立している。切断してしまおうかな。

 

 

『"……。ねえ、繋がってるの?どうかしら、繋がればもしもしと言われる"』

 

 

もしもしガン待ち態勢で埒が明かず、俺が日本人だと知っているらしい。日本国内じゃないんだからもしもしとは言わんだろ。

イタズラ電話の線は捨てられないが、間違い電話ではないようだ。判別し辛い寝起きの声真似で、もう一回言ってみるか。

 

 

「"……もしもし"」

『"繋がったー!ねえ、シグドロ?あなたはシグドロ?"』

 

 

用があるのは俺、イタリア版金さん(シグドロ)呼びはコラムにそう呼ばれたのが初めてだ。その筋を追って行けば、

 

 

「"先に名乗るもんだぞ。それとも後ろ暗い事があるのか"」

『"怒られたー。ねえ、怒ったの?私はスカッタ、暗い所は好き、あなたは?"』

 

 

そうなるよな。コイツはアリエタと呼ばれていた発光女――クラーラに外見の確認を取った――の仲間だ。この番号をどこで手に入れたんだか、もうアプローチを掛けてきやがったのか。

悪質なクレーマーみたいに当たり散らそうにも、子供相手でそれは流石に大人げない。柔らかい言い方になってしまったが、警戒は解かんぞ。

 

 

「"お前らで言う所のシグドロで違いない。用件は聞くが、悪いな俺に応える義務はないんだ。あと、暗い所にいい思い出はない"」

『"えーっ!ねえ、暗い所が嫌い?アリエタの宿金はどうしたの"』

「さてな、もちもちで美味そうだから、食っちまったかもしれんぞ」

『"あははー。ねえ、本当に食べたの?とても面白い冗談、アリエタにも聞かせてあげたい"』

 

 

どういうことだ、感触が悪い。理子との情報交換に進展させられるか否か以前に、まるで対岸の火事をケラケラ笑う無関係者を装ってる。

発光女もそうだったが、人間が自分たちよりも劣ると舐めていて、いつでも奪えると決めつけてるんだ。

 

 

「"集団だからって強がるな。大切な物だってことは分かってるんだ。お前たちは負けてそれを失った事を忘れるなよ"」

『"いらなーい。ねえ、本当に食べたの?あなたのお陰で懐かしい顔が見られそう"』

「"仲間の物だろ、取り返そうとは思わないのか?"」

『"なんでー。ねえ、本当に食べたの?仲間が仲間の物を持っているのは変なのかしら?"』

 

 

仲間じゃないとは言わない。しかし、生死に係わる宿金を返せと言わないのはどうしてなんだ……!

物事の捉え方が異なる相手とは交渉のテーブルにつくことも容易じゃない。優位だと考えていた勢いがなくなってしまう。

 

 

「"アリエタは……どうしてる"」

『"ひゃーい!ねえ、気になる?……"』

「"具合が悪かったりは……してないのか"」

 

 

衰弱死なんてコラムが脅すせいで、ほんのちょっとだけ気になる。

殺さないように再起不能で済ませようとしてくれたみたいだし。あっちの方がまだ倫理観念が近そうだ。

 

 

『"……。……。気になるなら会えばいい、来なさいよ"』

「"どこに来いってんだ。ハイそうですかと敵のアジトに乗り込むバカじゃない、人間を舐めるなよ"」

『"私は()()()()()()が一番好き"』

「"っ!"」

 

 

自分でも驚くくらい機敏に全身が動いた。突き動かされるままに部屋を飛び出す。

防刃被服でもなく、防弾チョッキも装備せず、左耳に当てた電話だけを携えて。ただとにかく間に合えと願って、5メートルもない廊下を全力で走った。

 

いやだ、いやだ、いやだ!

頭の中で跳ねまわる感情は快と不快しか表現できない幼児のようで――!

 

 

「"バラトナ!アリーシャ!"」

 

 

駆け込んだリビングは……平和そのものだった。

くまなく見回した室内に、変化らしい変化と言えば中央のお菓子が補充されて山になっていることと、女性向け雑誌が広げられていること。

 

 

「く、クロ様?いかがなさいましたの?」

 

焦って呼び捨てにした2人は椅子に座ったまま微動だにしていない。

 

「"クル?焦らなくてもチョコは残すのでした"」

 

違う、そんな心配はしてない!

俺は……

 

 

「いえ、なんでも……」

 

 

部屋を出た。我に返ると、不確かな情報で取り乱す自分自身の正気を疑う。

そうだ、そんなわけない。武偵のアリーシャも代表戦士のバラトナも、実力は定かではないが弱くはないんだ。たった数分でやられるわけがない。

 

いつも通る廊下が、いつもより暗く不気味に感じる。

閉じられた自室への扉を開く間も静寂が周囲を包む。

 

通話は途切れていない。

あいつはまだ、この電波の先にいる。

 

 

「"ノゾキか?戦闘じゃ勝てないからって精神攻撃でジワジワと追い詰めようって寸法なんだろ"」

『"おいしー。ねえ、あなたも食べる?みんなで食べるとおいしいでしょ"』

「"時間稼ぎは得策じゃないぞ"」

『"おいしー。ねえ、あなたも食べる?みんなで食べるとおいしいでしょ"』

 

 

苛立たせて来るやつだな。

まんまと削られていく精神力が室内の影という影を化け物に変えていく。ココロが不安定になる。

 

 

「"話すだけ無駄だって事は分かった。来るなら正面から来い。卑怯な手が通用すると――"」

『" あ な た に も あ げ る "』

 

 

唯一の出入り口がひとりでに動き鎖される。とっさに触れた照明のボタンは作動せず、手から滑り落ちた携帯は通話終了中になった。電波の先にあいつはいない。

 

 

カサカサカサカサ……

 

 

部屋の壁を何かが横切った。いや、影だ。

足元を冷気が走り抜ける。ただの風?締め切った室内に?

 

何かが……いる。

 

天井にびっしりと市松模様が浮かび上がって、気を取られている内にセーターのウェルトポケットが膨らんでいる。

中から入りきらなくなった異物が床に落下して、落下して、落ちて、落ちて。黄色い包装が施されたチョコが数を増し、床を埋めていく。

 

 

声も出ない光景は何度も見た。

でも、この光景はそのどれより……得体が知れない。

 

紋章を埋められた時は、精神に衝撃を与えようと俺の体に攻撃を行ってきた。

だから絶望の中でも身構えられた。

 

 

「"どこに……隠れてる…………!"」

 

背中に何かが触れた気がして手を伸ばすが、それは背中を流れる汗で。

 

「"大人しく……出てこい……ッ!"」

 

 

見えない敵の恐怖、知らぬ間に出現した包装菓子、薄暗いの闇から伝わる不安がさらに俺を追い立てる。

静寂そのものが攻撃であるかのように、蝕まれていく。立ち向かおうにも、立ち向かう相手がいない。戦い抗う事で恐怖を抑圧することも出来ない。

 

 

「"おいしー。ねえ、食べないの?こんなに沢山あるのに、『もったいない』でしょ"」

 

 

上だ。天井、広大な戦場を模したチェス柄の方から声が聞こえた。

電波の先にいた、あいつの声が!

 

 

恐れを誤魔化すために気丈に振る舞って、銃を抜いた。

震える肩を止めるために壁に体を固定して、銃を構えた。

 

見えたのはほんの小さな子供が1人だけ。首吊り人形みたいに上からマフラーで吊られている。

天井の模様をコピーしたチェッカーのワンピースを黒のリボンで締め、白ソックスの足は底がキレイな内履き用のミニサンダルを履いているぞ。片方だけ。

伝達された話通り、身長は100センチ程度だろう。色素の薄い黒色(アイアンローズ)の髪の下は毒気の無い笑顔で、ナッツチョコを食べていた。

 

 

「"お前がスカッタか。仲間はどうした"」

 

 

複数で行動していたはずだ。声もしていた。残りも隠れていると考えての質問は素直に答えると思ってはいない。

ボロを出さないかと目を細めた俺の問いに、身長と同じく極小サイズの指が向けられる。

 

俺へ。

 

 

「"なかまー。……。……"」

 

 

回答はそれだけ。知ってたさ、有益な情報など期待してない。

ちっこいお人形さんには気が引けるが、力ずく(これ)が武偵流なんでね。

 

 

「"不法侵入は犯罪だ。身柄を拘束させてもらうぞ"」

 

 

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クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございます。


今回も長すぎたので前後半に分かれました。
後半の方あとがきで『市松の赴按』をまとめようと思います。




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市松の赴按(チェッカー・チェッカー)(後半)

 

 

 

「"こーそくー。ねえ、どうして?不法侵入じゃない"」

「"現行犯が犯行中に巧妙な答弁で撹乱するってのなら過去にも例はあったが、泥棒が家主に姿を晒してシラ切るのはお前が初めてだぞ"」

 

 

後ろ手で触れたドアノブは溶接されたように固い。先手を取られ閉じ込められはしたものの、無防備な相手へ一方的に武器を向けてイーブンになったと言えそうだ。

警告し、セーフティは解除した。不審な動きを見せればすぐに撃てる。

 

狙う場所は……くそ、なんで子供の容姿なんだよ。人の尺度で判断しちまって攻撃し辛いじゃねーか。

突き付けた銃口も肩や脇腹、腿を行き来し、その陶器の様に白い肌のどこを傷付けたもんかとフラフラしてしまう。

スカッタの視線は引き金に掛けた指を見ちゃいるが、逃れようとはしない。そもそも逃れられなさそうだしな。何が悲しくてミノムシごっこをしようと思ったんだか。

 

 

「"やぬしー?……。アリエタも侵入者と言って私を窓から投げ捨てる、意味不明"」

 

 

意味不明はこっちのセリフだぜ。声帯が器用なのか1人で2、3役を演じ、『なかまー』とか言いながら俺の方向を示す。何の冗談だ。

すぐ後ろは姿勢を支えるクローゼットの壁がある。そこにペラペラな折り紙人間が挟まってるってのかよ。

 

 

「"おかしな事をしようとするなよ"」

 

 

こいつも銃弾を避けるかもしれない。

しかし、俺が銃を構えた直後から亀みたいに首を竦めている。怖いというより驚いたとでも言いそうな顔だったけど、有効ではあるのだろう。

 

 

「"おかしー?ねえ、まだ怒ってるの?……"」

「"怒ってる怒ってないの話じゃないだろ。お前が来たから銃を抜いた。それとも宿金を奪い返しに来た敵に、帰って下さいと言えば引き上げるのか?"」

「"……?……?アリエタは来てない"」

 

 

目の前で首を傾げるスカッタは、その首振りの反作用で左右に揺れ始めた。俺の話にマジで合点がいかないらしい。

ここまで言われて銃まで向けられて、理解できないもんなのか。どうもすれ違いでディスコミュニケーションしてるっぽい。

 

 

「"宿金じゃないならお前達の目的はなんだ"」

「"もくてきー?……。理由がなければここに居てはいけないの?"」

「"論点をすり替えるな、理由がないならここに現れないだろ。夢遊病癖でもあるなら責める気は無いが"」

「"なんでー。ねえ、なんで?ところで話は変わるけど、あなたには女装癖でもあるのかしら?"」

「"客観的事実とは異なるだろうが断じて違う"」

 

 

話しが変わり過ぎて直前の流れが跡形もなく霧消したろ。

沸々と込み上げる行き場のない怒りと自己嫌悪は胸の内に秘め、指を曲がらない方向に手折るのは勘弁してやる。

 

 

「"これはだな――"」

「"あれー?ねえ、なくなっちゃった。……"」

 

 

弁解虚しく、聞いていいかと前置きをした当の本人はお子様よろしく関心がうつろう。突然服の中に両腕を引っ込めてゴソゴソしたかと思えば、俺の足元に対して5倍は長さの足りない腕を懸命にバタつかせてる。

どうやら他人(ひと)のポケットへ無計画に突っ込み過ぎたせいで手持ちのチョコが品切れになったようだ。

 

 

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(他人のおかしな女装よりも自分のお菓子のチョコか。ネチネチ弄られるよりマシ、なんだけど……納得いかねえ)

 

追及されずに済んだと思う事にして、月夜に提灯どころか昼間に蝋燭くらい無意味な上下腕運動に勤しむ新種のミノムシを観察する。終始笑顔なせいで交戦の意志も、動きの割には必死さも感じない。

銃口を下ろし、狙ってる一群から1つ拾ってやると、その小さな両手をくっつけて籠を作り、不気味に口の端を吊り上げ……笑ってんのか、それ。

 

 

「"ありがとー。……。……"」

 

……なんなんだこいつ。

憐れに思って拾ってやったわけじゃないぞ。チュラの影響で子供の扱いには慣れている。アメをチラつかせると扱いが楽だ。

 

「"ただでは渡さない"」

 

住居、電話番号を知っていて、クロの外見を女装と判断し、シグドロの呼び名を使った。それにチョコの件も不可解な点がある。

疑問は尽きないものの、総じて留意すべきは漏出元。全てが同一人物の可能性は低い。

 

「"誰から聞いた?無関係なヤツに怪我させてたら許さんぞ"」

 

人は複数のカードを持っていると1枚の価値を低く見積もる。事の大小も同じ、怪我をさせたという不名誉な大事を否定する為に、如何に正当な方法で情報を得たかという小事をつまびらかにするんだ。罪意識を和らげる保身のためにな。

喋りたい状況を作ってやる。そうすれば1人くらい容易に聞き出せるだろう。

 

 

元を正し、誰の菓子かと聞かれればスカッタの物なのだが、こいつも細かい事は考えない性分らしく、

 

 

「"ともだちー。ねえ、それちょうだい。家は鳥さんが連れて来てくれた"」

 

 

固有名詞が存在しない2つのヒントをのたまいて、肩の骨を外してでも受け取らんと文字通りのお手製籠を伸ばしてる。

まあ、お前の全身を余すことなく腕に変えても俺には届かないけど。

 

 

「"ほら、約束だ"」

 

 

チョコを籠の中心にぴょっと投げ渡した。グズり出したら手に負えん。

中身を素手で取り出したスカッタは何かを探す風にクルっと180度見渡して……俺のカバンへと的確にゴミを投げ込む。おい、どういう意味だ。

 

 

いかん、気を取られた。

アリエタは名前で呼んでいたから友達とは別人。家"は"と強調した点から友達は住所を知らなかったのだと推測できる。

そんで家まで先導したのは鳥さんだとさ。鳥語が分かるようになるコンニャクを食べたんですかね。便利なこって。

 

「"おいしーよ。ねえ、食べないの?……"」

 

友達とやらは家以外の何かを知っている。

たぶん、電話番号はそいつから教わった。つまり人間だ。俺の電話帳には人間の名前しか載ってない。

 

「"あまいよー。ねえ、食べないの?もう1個くれる?"」

「"もっと味わって食えよ。まて、おい待てって!ハンカチ貸すからベタベタな手で服に触ろうとすんな。高価そうなワンピースに染みが付くだろ――っ!"」

 

 

――まてよ?チョコ染み……

 

(チョコドリンク……アルバ……ダウジング……。確率は90パー以上とか言ってたな。魔女共は特定の品を探知することが出来る……のかも)

 

その方法で追跡して来たかもしれない。アルバの精度は極めて高く、この広いローマから公園1つに絞り込んでみせたのだ。

鳥さんも単なる呼び名で、そいつが魔女の可能性もある。まるっきり面識のない相手も、宿金の在処を探ればいい。あいつらにはそれが可能だ。

 

カナの言いつけで欠かさず持ち歩くことにしているハンカチ――止血や応急処置にも使える清潔で丈夫な鳥の子色の布――を与え、拭い終わるのを見守る。ためらいなく口まで拭きやがった。

 

 

「"お前……いや、スカッタ。俺に掛けた電話は持ってるか?"」

 

 

名前を呼ばれ、ニッコリ笑顔で首を横に振る。持ってない。掛け直してみるか、今。『ともだち』なる持ち主が応答するであろう電話に。

足元のチョコ地帯から携帯を掘り出すが画面が変だ。初期のままにしていた待ち受け画像が真っ黒に塗り潰され、白文字の電池、日付、現時間だけが浮き上がるように表示されている。

 

ちょ、怖ぇッ!不在着信と未読メールが合わせて50件を超えてる。

悪趣味な嫌がらせを思いつくもんだ。身に覚えの無い体験なのに異様に心拍数が跳ね上がった。

 

「"これもお前の仕業か。ノゾキ、不法侵入の次はストーカー行為とか真っ当な大人になれないぞ"」

 

返事なし。

無視は個人の自由権利だが罪状にプラスしとこう。

 

 

……アンテナが立ってない、そんなバカな。操作は受け付けてもこれでは使えないかもしれない。

試しに本当に圏外か履歴の一番上へ掛けてみても呼び出し音が鳴らない。

 

(……何の音だ)

 

テンションの高い不鮮明な人の声が聞こえる。それとズダダダと高速で機械が叩く音、熱された水蒸気を噴出したような音、カーテンレールを滑らせる音も聞こえた。

繋がってるのか?お友達とやらの電話に。

 

 

「プロント?」

 

 

話し掛けるがこちらも返事なし。

関係ないけどスカッタの罪状にプラスしとこう。

 

(…………?)

 

以前にも感じた空気の揺らぎ、耳鳴りのような不快感に室内を窺い立てる。

 

 

「"……いない"」

 

 

消えた。スカッタも、マフラーも。天井に張り巡らされた模様も足元に敷き詰められたお菓子も。幻覚だったかのように。

だが幻ではなかった証拠が携帯を握る左手に覆い被さっている。小さな手形が伸びた布、俺が持ち歩いているハンカチが。

 

どうやって、どこから逃げた?アリエタの瞬間移動にはもっと時間を要していたし、床一面の菓子も移動すれば削った形跡が残る。

正面の窓、鍵は開いてない。後方のドアも開いていない。人が通って外に出られる隙間なんてこの空間にはないんだ。

 

出現のタイミングを見逃して、消失の瞬間も捉えられなかった。侵入経路も特定出来ず仕舞い。

次はあの発光女が訪ねて来るかもな。魔女にプライバシー保護の観念はないのかよ。

 

 

クローゼットやソファの裏など、隠れられそうな場所を片っ端から当たる。それでもいない。

 

 

「"クルは探し物をしていました。電話は終わったのでした?"」

 

 

ベットの下に潜んでいないか覗いていると、知らぬ間に開いていた扉から顔を出したバラトナがトマトみたいな赤い瞳をキョトンとさせていた。

戻りが遅い俺の様子を見に来たらしい。お茶会の席を離れて、どの位経ったんだ?

 

 

「"丁度良い所に来た。この部屋に俺以外の人間の匂いはするか?"」

「"匂い……でした?……ソファから私の匂いがしました"」

「"それは知ってる"」

 

 

モールの一件で彼女の嗅覚は非常に優れている事が判明してる。だから俺には気付けない匂いも嗅ぎ分けられないかと期待したが、そうそう都合よくはいかない。

家に寝室が2つしかなくて相部屋なんだから、お前の体臭がするのは当たり前だろ。魔女に呪われたから独りじゃ寝られない、相部屋の理由が当たり前とはかけ離れてるんだけどな。

 

 

「"ふんふん…………クル?カバンから甘い匂いがしました。ナイショでチョコを食べたのでした?"」

「"俺は食べてない。それとチョコはもう無い"」

 

 

途轍もなくどうでもいい発見をしたな。1人で美味しい物食べてたんだろって副音声が直接脳内に届いたぞ。

他人(ひと)のカバンに首を伸ばそうとしたバラトナの腕を引いて諫める。ゴミと教科書と解き終えた課題しか入ってないし、行儀が悪い。

 

 

「"美味しかったのでした?"」

「"食ってないから引っ掛からん。まず両手を下ろせ、空港のセキュリティチェックをしようとすんな。セーターの内側にポケットなんか付いてない。選んだお前も知っての通りだ"」

 

 

じっと見つめられても後ろめたさは無いからなんともない、ヒス病の精神衛生上目は逸らすけど。

こんな時に食い意地張らなくてもリビングに戻れば山ほどあるだろ、チョコが……

 

 

「"……!!それだ!別の場所からチョコの匂いがしないか確かめられるか?"」

「"??……その布以外…………やってみました"」

 

 

なぜとは問わず、斜め上を向いてふんふんと鼻を鳴らせたバラトナは、さり気無くカバンを覗いてからゆっくりと部屋を回り始めた。行儀が悪い。

探知犬や警察犬みたいに、いきなり床を這いずる懸念は杞憂だったか。お菓子が集団行進したわけじゃないんだし、匂いは宙に漂ってる。

 

収納された衣類の大半が防刃性の衣装棚、クリーニングに出した制服のスペースがぽっかり空いたクローゼット、金庫の代わりに(コルト)や香水をしまってる鍵付きドレッサー。バラトナが立ち止まったのはそれらの周辺。

しかし、どこもハッキリしないようで、一番長く粘ったサイドテーブルも飾られた見舞い品――花瓶の花の匂いで用心深くなっただけなんだろう。

 

1周。実際にはベッドが壁際にあるからコの字型に部屋中を歩き終え、最終的にバラトナが目線を向けたのは、

 

 

「"確認が必要でした。この部屋の中でなくてはいけないのでした?"」

「"そりゃこの部屋の中に…………"」

 

 

廊下だ。

出てない……よな?もしも開けたなら盛大に音が鳴るはず。ドアはバラトナが来るまで開いてなかった。

 

開いてなかったっけ?

……そうだ、勝手に閉まったんだ、俺が開けて入ったら勝手に――――あれ、開けた?

 

 

俺はいつ閉めたんだ、この部屋のドアを。

スカッタの電話で飛び出した時はそんな心の余裕が無かった。その後、部屋に戻ろうとして……

 

(そうだ!そこがおかしい!)

 

誰も閉めていないのに、すでに独りでに閉まってたんだ。

しかもそれだけじゃない、俺が開けた扉は――違う。

 

 

「"バラトナ。ついさっき、部屋の扉を開けたか?"」

「"??いいえ、開いたままなので開けていませんでした"」

「"だったら、俺が開閉する雑音はリビングに聞こえたか?"」

「"それはクルが嫌だと言って、いつも開けたままにしていました。当然私達には聞こえないのでした"」

 

 

俺が開けたのは、この部屋の扉じゃなかった!

あいつが出現したんじゃない、俺が移動させられたんだ!

 

 

そして気付けぬ内に戻って来て、最初から最後まで何も起こっていない自室を捜索してる。

今となっては、着信履歴の無い携帯画面のアンテナも正常に表示された。

 

扉が見えた時には別の場所で、敵が消えた時にはこの場所で。

条件は?移動の前後に共通している何かを理解すれば対策も可能になる。

 

 

「"どこから匂ってるか教えてくれ"」

 

 

スカッタはこの部屋はおろかこの家に来てすらいない。

それだと匂いの元は更なる謎を呼ぶぞ。他にも侵入者がいる可能性が。

 

超常現象を冷静に分析し答えを導こうとしている自分の将来が不安だ。

就職面接でまかり間違っても瞬間移動した経験がありますとか口走らないようにしないとな。

 

 

「"ついて来るのでした"」

 

 

くんくんしながら進むバラトナの後をついて歩く。1本道の廊下で、こっちでしたとか伝えてくれなくていいんだぞ。迅速な報連相は大切だが進路はそっちしかないんだ、鼻が詰まってても分かる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

途中の物置スペース前は特にリアクションもなく、リビングの前で2度目の一時停止をした見返り美人は緊張でわずかに表情を強張らせ、曲がらずに廊下を進む。その先はカナの私物溢れるクローゼットが敷設された兄さんの部屋と玄関(仮)待合室だ。

 

 

「"まさか外から匂うとか言わないだ……ですよね?あの大家さんのパーティー好きも大概ですけど、昨日の午後に食前酒を楽しむ軽食(アペリティーヴォ)やったばかりですよ"」

「"sig.ra(スィニョーラ)ポエタ(大家の名前)のコルネットは特製ジャムが止まらないのでした!"」

 

 

人柄の良い大家が高頻度で開催する庭先のお茶会や食事会はウチにも毎回声が掛かり、参加費は無料で、大家の持ち家に住む住民(なぜか女性しかいない)が数人集まる。

間取りが広い分だけ家賃の値は張るが、時折夕食の代わりになる食事会をタダ飯出来るとあり、経済的にお得なのだ。

 

近所のお姉さんやお隣に住む年齢不詳の妙齢女性が飲食物の提供をしている中、お金の無いクロはカナと共にお手伝いに奔走。チュラも嬉々として労働に励んだ結果、入居当初から好印象だったものがMAXになったらしい。

バラトナが言っているコルネットとは、新規参入した時にお披露目会という名目で用意された品の一つ。数あるご馳走がテーブルを飾る端で、大家の煮たマーマレードをやたら気に入ってたんだよな。こいつはほっとくといくらでも食べ続ける。

 

 

「"でも違いました。こっちでした"」

 

 

バラトナが振り返ったのはその手前、掴まれたドアノブが捻られた。

 

 

「"カナの部屋、ですね"」

 

 

そこはカナとチュラが眠る、兄さんの部屋だ。

整理整頓を徹底し、洗練された最小限の調度品のみがあしらわれた兄さんらしい部屋には、未だ2人が目を閉じたまま。

しかし、明らかに変化がある。IQサプリの間違い探しで70を下回る隠す気の無いもので、

 

 

「"えっと……"」

 

 

ここに隠れてるのかと気を張る必要はなかった。

普通にいた。甘い甘いミルクの香りのするチョコを食べている奴が。

 

 

「"…………どちら様ですか?"」

「"テュラのお友達でした?"」

「"おん?"」

 

 

黒地に赤と金の花柄、丈の短い着物姿で胡坐を組むチュラと同年代らしき少女。肌の色は少々白いが懐かしき肌色。頭部よりも大きく風船みたいに膨らんだキャスケットを目深にかぶっている。

腰に佩びているのは、反りのある日本刀だな。鞘は大分年季が入って傷んでる。

 

 

「"おんおんおん!お主が今代の黒川刀の使い手とな"」

「"くろ……カタナ?"」

「"ちょいと頼りないが――何処で見た顔に良く似ておる。よかろ、1つ試そうぞ"」

 

 

我が物顔で陣取っていた椅子の上で、胡坐の体勢から片膝を立てて軽く腕を広げた。無駄を省いた柔らかく舞うような仕草に目を奪われる。目を離してはならない、直感がそう告げている。

 

 

「"……波は感じ取れぬか、然らばその身で感じるがよい"」

 

 

バラトナを背後に庇いつつ、急激な圧迫感へ耐え切れずに後退させられた。

大きく、重く、烈しい。腹を空かせた鋼鉄製の巨獣と対峙した気分だ。

 

 

「"友を護するその意気や良し!大層肝の据わった女狐と聞いておったがな、わたし……我輩が僅かばかり凄んだだけで臆するとは、思ったよりも"」

 

 

危険だ。危険だ……ッ!人が内包できる存在感を超越している。

本当、嫌になる。こいつが人間じゃないことも、それが分かっても取り乱さなくなった自分も。帽子の下に何かを隠してるんだろ?

 

 

「"ずっとひ弱そうな、愛ごいおなごの武士(もののふ)ではないか。我輩は『黒匚千金無常(こくほうせんきんむじょう)』を鍛えし黒鬼の末裔、先鬼より黒鈴(くりん)の名を授かった刀鍛冶よ!餅と餡を捧げよ、然らざればその首もらい受けようぞ!"」

 

 

どいつもこいつも不法侵入は犯罪……なんだぞ。

ウチはウェルカムエブリバディの看板を立てた覚えはないからな!

 

 

鬼は外だチクショウ!

 

 

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―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

パタン……

 

 

 

 

……つまんない奴だ。良く分かった、お前が弱い人間だって事がな。

そんなに自分が嫌いじゃ何やってもつまんねーし諦めるにはまだ早いぞ、諦めなきゃ可能性はゼロじゃない。絶対なんて無いんだ。

 

 

「暇だな。おれの通常業務なんてあって無いようなもんだし、ナゴミの飯でも味見しに行くかね」

「おお?その何も考えてなさそうなバカ面は……カミーリャくんではないですか!」

 

 

人を馬鹿にしたような怠惰な声と、人を馬鹿にしたような辛辣なセリフ。

馬鹿みたいな半眼無気力の顔に、馬鹿みたいな珍妙不可思議のモーション。

 

めんどくさいのに掴まっちまったな。

 

 

「叩いて展ばすぞ、ポンコツ機工士。オ……ヴィオラに用なら後にしとけ」

「修繕報告したいのー。あとって、いつ頃ですか?」

 

「しらん」

「使えないの」

 

 

こういう奴だよ。まあコイツでも良いか、暇だしな。

 

 

「馬鹿と鋏は使いよう。他人の評価に使えないと結論付けちまうのは鋏で地面を掘ろうとするような無能野郎の証だ。チビ助の時間潰し位になら役立ってやる」

「おお?カミーリャくんと話す事なんてないけど気が利くではないですか!」

 

「一々イラっとさせられるな、お前は」

「それは悪口ですか?」

 

「正当な抗議だと思うぞ」

「そうですか?ならなら、パンクくんも呼んでチャイくんの所に行くのー。先行ってるの!」

 

 

「おれ、いらなくねーか?」

 

 

――やめときゃ良かった。完全に子守りじゃねーかよ……んっ?

 

 

「あ、おーい!レキレキ、一緒に宝装屋んとこでお茶しねーか?」

「…………遠慮しておきます」

 

 

チッ、聞いてたか。あいつらは無視しても徒党を組んで延々絡んで来るから疲れるんだ。

専門分野の話で盛り上がられても知ったこっちゃないんだよ。

 

 

「お、そうか。んじゃ、お前の妹(ムザ)を誘う。どこだ?」

「今日は朝から裁研へ見学に行っています。私には分かりませんが、珍しい服を見る事が楽しいそうなので自由にさせていました」

 

「おーおー、女の子らしくっていいじゃねーか。お前のフリフリな青ドレスも似合ってるぞ」

「動き辛いので仕事には向きません。妹が選んだ物です」

 

 

そういや前に裁研の所長タッグと副所長に着せ替え人形にされたって話だ。

せせこましい劇場の人形達よりマネキンに向いてる。パーツの一つ一つが精巧なフィギュアみたいだしな。

 

 

「何してんだ、その扉の先はエミリアの元私室だろ」

「見張り番です」

 

「……面白そうな事してんな」

「あなたはあまり動き回らないでください、余計な仕事が増えますので」

 

 

コイツの仕事にはおれの監視が含まれてるらしい。

ヴィオラの目を盗んで街に出ようとすると視線を感じるんだ。戻れ、戻れってよ。

 

 

「分かってるよ観測者さん。仕事といえば、おま……レキレキは紫電の魔女に会ったんだよな。どんな奴だった?」

「……あなたは――」

「レッキュンレキレキー!これ見てー!エミリアさんの部屋にポコちゃんとオリヴァちゃんの手紙はっけーん……っ!?ゲゲッ!カミュちゃんがなんでここに……?」

 

 

おっとっと、やはりお前の企みだったか。フラヴィアの部屋にガサ入れして実に興味深そうな代物を見付けたようだ。

 

 

「ゲゲッってあからさますぎるだろ。ったく、お前はホントに自由だな」

「なにをー!?これでも自重してますー!やろうと思えば窓からだって外に遊びに行けちゃうんだからね!」

 

「止めとけ止めとけ、ヴィオラのペットに取っ捕まるのがオチだぞ。使い魔が侵入できないのはアイツがいるからだ」

「ピアちゃん攻略が難関かー。ケゥーッ!って鳴きながら襲い掛かるのびっくりするよね」

 

「突破方法はあるぞ。そこの観測者が通報してる」

「仕事ですので」

 

 

そうだけど。ほら、融通を利かせてくれてもいいんだぜ?

悪い事しない、晩飯までにはちゃんと帰る。約束は守るからさ。

 

 

「仕事ですので」

「まだ何も言ってない」

 

 

こっちもこっちで難関だよ。情に流されちゃくれないか。

 

 

「そんで、理子さんや。そのお手紙はどこで読むのかね」

「裁研の更衣室に潜り込みまーっす!」

 

「レキレキも行くのか?」

「はい」

 

「カミュちゃんも来る?」

「もう少し早く聞かれたかった。先約がある。約束は守る為にあるんだ」

 

「あちゃ~、読み終わったらすぐに戻しちゃう予定なので、各位は己の力で手に入れますよーに!」

「マジかよ……」

 

 

無理ゲーだ。

ハウスキーパーのアリエタがいなくて、高精度監視カメラのヴィオラが雑務、気付くと背後にいるスカッタがおもちゃ箱で遊び惚けてる最高のタイミングは今しかない。

 

 

「あらすじだけこっそり、な」

「しょーがないね、おやつで取引しましょっか」

 

 

ニヤニヤするその口には小さなキバが覗く。本人も気付いているんだろう、手で覆ったりはせず端を少し下げた。

服にも背面上部にゆとりがある。見た事はないけど、アレの兆候があるんだ。

 

理子と再会してからヴィオラは焦ってる、想定より早いその進行に。今回も焦りが故の作戦だ。

 

 

「情報の価値によるけどな」

「おったのしみにね?レッキュンいっくぞー」

「……それでは失礼します」

 

 

はあ、行くか。

月餅食いに。

 

 

「カミーリャくん、まだここにいたんですか?早くするの」

「はいはい」

 

 

オリヴァ。

嫌な予感がするぜ、おれにはな。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂き、ありがとうございました。


相次ぐ不法侵入。セコムしてますか?
スカッタの侵入経路は結構前から準備されていました。ただしキンジが考えた通り、使用には条件があるようです。

関係ない話ですが黒光りのGはあの大きさでどこから入り込むんでしょうかね?換気扇、排水溝、便器。うー、ヤダヤダ。




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不可視5発目 渡火の聖女(セレモニー・トーチ)

 

 

 

添えられた両手の中心にオレンジ色の火が灯される。

薄暗がりの廊下には温かみのある光が広がって、あたしの向かいで曇ったガラスケースを覗いている女性がコモ湖の水の様なややミドリ色の混じった青い瞳に遊ぶ炎色を揺らめかせたまま、わぁっと小さく歓声をあげた。

 

(んーっと、さっきは毛繕いするネコの形だったから今度はハトにしましょっかね)

 

何度やっても新鮮なリアクションを取ってくれるものだから、こちらもついオマケのパフォーマンスを付け足してしまう。

ケースの中で自在に形を変える火がクルクルと渦を巻くと、ハトのつがいが2羽並んで生まれて仲良く毛繕いをし始めた。

 

 

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「本当に器用ですね。先生は細かい作業が苦手だから尊敬してしまいます」

 

 

プリマヴェラ・モンターニャ先生。

 

穏やかな気性が身に現れた下がり眉、生徒からはプリマ先生と親しまれている女性教師である。それも極めて特殊な立場の。

あたしは彼女の授業を受けたことなどないから想像だけど、褒めて伸ばす教育方針なのかもしれない。

 

重ねて敬虔なシスター様でもある。過去、名のある魔女の討伐隊に何度も志願し同行する先々で奇跡を起こしたという素晴らしい経歴から、この武偵高の中でも誉れ高い地下教会の管理者の1人にスカウトされたらしい。

しかし、理由はそれだけではないと思う。そこまでの人間が何一つ叙階されていないハズがないだろうに。

 

三ツ星のパティシエが手掛けたシュークリーム(ビニェ)の生クリームを思わせるふわ甘な表情の裏には、さぞかし黒い顔を隠しているんでしょうね。バニラアイスが溶けきっても色が変わらない程真っ黒な深煎りコーヒーのアフォガードはエグイ味がしそうですよ。

 

ここではそんな熱心な信者、盲信的に教会を肯定する人間が大多数であたしが異端。同期のメーヤがいい例で、普段の人畜無害そうな人の好さでその豹変っぷりったら、表沙汰になれば彼女のファンクラブ層も変貌するに違いない。ミルキーな母性の癒しを求める男達から、なじられたい特殊な性癖の変態共へと――

 

 

「心が乱れていますよ」

「――ィアっ!」

 

 

声帯の誤作動による自分のとんちきな鳴き声で長考から戻ってくる。能力はとうに集中力を散らしてしまっていた。

今や火はただの涙型に戻り、あたしを見つめる優しい目も劇場を後にする少女の様に満面の笑みとなって向けられている。

勝手な想像で仕立て上げた非情な女性は、あたしの考え過ぎなのだろう。世の中知らない方が良い事もあるもんだ。

 

 

「はい、お疲れさま。油が切れて火が消えちゃったみたいですね。先生は油と金属が苦手なの。ジュリノラさんがいると助かっちゃいます」

「とんでもない、自分にはこんな事しか出来ませんよ。地下教会が発足当初から一度たりとも侵攻を許していないのは、歴代の祝福者の護りが魔女を退けてきた実績でしょう」

 

 

歩幅が狭くお上品な歩き方で進む先生の速さに合わせてゆっくり廊下を下る。

スロープ状になっているのはこの先へあらゆる人間が平等に辿り着ける為で、道の両端には点字付きの手摺りも用意されている。

 

 

「最近はマルティーナさんもお疲れではないでしょうか?クラスでの授業に響いていないと良いのですが」

「ティナは真面目一徹、心身共に頑健な所が取り柄です。ほぼ毎日教室で葡萄を食べている事を除けばいつも通り、いえいえ、いつもより活気が増しています」

 

 

会話は特別弾むわけでもなく、近況やクラスの話。あたしから持ち出す唯一の話題だった任務も、報告することがない。

ふう、あたしは今日も自粛中。同期の2人が聖女として魔を殲ぼすべく任務をこなしているというのに、あたしだけが暢気に自陣でランプの火種を提供してる。

 

周りの目は厳しい。自覚が足りないだの相応しくないだの。

振る舞いだって淡々としているし俗な物を好む、第三者から言われんでも自分が聖女の器だとは自分でも思ってないよ。

 

 

目的地目前、入り口に仁王立ちし銀剣を携えた2人の先輩の間を抜けなければならない。

はあ、彼女達は衛卒みたいなものだね。一言で言うと嫌いだ。

 

(やだやだ、そんなに睨まないでくださいよ。そこそこ綺麗な顔がそこそこな顔にランクダウンするよ?)

 

自粛になったのは偽装の報告をしたあたしに責任があるけど、吸血鬼をみすみす取り逃したことを偽って自粛で済んだ理由を考えようとは思わないんだろう。

あたしに10割の非があったなら破門されなければ逆に変だ。メーヤに至ってはお咎めなし。上司から一定の評価を受けた上で身代わりとして罪を被ることになった。報せはなくとも十中八九それが真実。『渡火の聖女』なんて大層な呼び名を付けられたあたしにはまだ利用価値があるから。

 

教会側は魔女と衝突するのを避けている側面がある。

魔女連隊(レギメント・ヘクセ)理の卵(アドロイトエッグ・ノウズ)などの魔女組織、星銀(せいぎん)祁寒(きかん)彷徨(ほうこう)虐使(ぎゃくし)……人類の敵対勢力が力を付け過ぎた。手の付けられない瑠槍や無名の存在も出口のないトンネルの様に悲壮感を募らせる。

だがそれらも結局氷山の一角、表にも裏にも見えない魔が存在しているのだ。

 

欧州の色金粒子が急激に弱まったのが20年前。一説によれば宇宙からの干渉――その年には75年周期のハレー彗星が地球に接近したのが原因ではないかと囁かれている。

魔女が勢い付いて来て、未知の魔術を扱う者が暗躍するようになった。もちろんあたしは生まれてない。生まれた時から魔は巨悪の象徴、未知も何もないよ。

 

上としても武偵って立場は便利なものだったんだろう。授業という形で魔女への忌避感を育て上げ、任務という形で各々の個人意志を戦力に利用する。

殲魔科以外の生徒に対魔女の教育を施すようになったのも、他校から積極的に人材を集め始めたのも、そいつらに対抗していく上で必要に迫られたのだ。

 

 

「あなたたちの代で無名の魔女が現れるなんて……」

 

 

幾本もの白い柱とアーチ状の迫持に支えられた無駄に広い講堂、殲魔科の先輩後輩が集い、聖書が挟まれた3~4人掛けの木製チャーチベンチに座って祈りを捧げるこの場所には地下なのだから当然窓がない。

色とりどりの光源を落とす天井画は裏からライトを照射しているだけ、それなら廊下も電気でいいだろう。

 

……とはならない。

退魔性を持たせるのに火はうってつけだから。まあ、気休め程度の効果だけど。

 

 

祈りに来たわけじゃない。生徒たちの座るベンチには向かわず壁際を沿って物陰で止まる。

 

 

「魔女の目的が判れば平和的に解決出来そうですけど」

「まあ、いけませんよジュリノラさん。魔女は和解するモノでなく滅するモノです」

 

 

天使は欲望により堕天するが悪魔は改心して昇天しない。これが教義の常識で、魔女とは悪魔に身も心も明け渡した穢れた存在なんだと。

だから救いを与える意味もない。あたしにも否はない。これまでは……なかった。

 

 

「それが正しいなら、とっくに魔女なんていませんよ。そうでしょう、プリマ先生?」

 

 

講堂の片隅で背を預けていた壁から離れた。先生とはここでお別れだ。

彼女には次代の聖女に相応しい有望な後輩達の特別授業がある。あたしもそろそろ反省室に戻ってやらないとならないし。

 

 

「……お母様もおっしゃっていました、そういう時代ではないと。()()()()もあるのでしょう。正しき器に注がれた浄き水も、調和を乱せば濡れ水の拭い――先生はあなた達の全てを赦します」

「救われていますね、自分は。先生のような上役がいてくれて」

「ととっ、とんでもありません。先生にはそんな事しか出来ないんです」

 

 

ぱたぱたと顔を仰ぐとふわふわな前髪が横に流れる。

彼女からは武偵高ならば生徒も教師も漂わせる戦いの臭いがしない。血油も消毒液等の薬品の臭いも。能力を使った形跡すら残さず消している。

 

 

『浄水の聖女』。

尽きる事無く溢れ、底が見えない水瓶。注がれる水は人の罪の重さだけ重く、全てを清め流す。

 

この教会は武偵高が設立する前から祝福者を育てる施設として地下に秘匿されていて、中庭の遺跡は20年前に魔女によって焼き払われた地上の教会が逃げ延び、強固な結界を張る目的で利用してきたと聞いてる。

メーヤの授かった祝光の称号を含む別格三柱とあたしやマルティーナに下賜された四元素の祝福者は、発足して以来何度も交代を続けてきた。

 

しかし、文献によると水の元素だけは一度儀式が行われた以降、記述が見当たらない。その1人すら名を伏せられている。

名前すらも残さないのは異常ではないか?1人残らず破門になったとも思わないんだけど。

 

 

「そうです!ジュリノラさん、午後から時間は空いていますか?」

 

 

……悪意は無いんだろう。ひがみ屋な自分を直したい。

反省室ですでに書き上がった反省文を音読するくらいしか予定作れないんですよね、現状。

 

 

「とっても暇ですよ、内職のお手伝いでしたら監視の先輩に取り次いでください」

「まあ!それでしたらお買い物に付いて来て頂けませんか?ロザヴェリアさんは使い魔駆除、ファビオラさんもチームの方から緊急任務の要請があったそうで、生徒がいなくなっちゃって……」

 

 

ファビオラが?あの子も祝福者とはいっても未だ未熟な中学2年生。遠慮がちで素直、謎肉の入った真っ赤なマカロニグラタンばかり食べる浮世離れした少女である。

チームの誰かとなれば……『人喰花』って呼ばれてた問題児をまとめて管理していたような5人組の1人か。きな臭いね、ヤバいとこと諍いを起こさなきゃいいな。どうせ火消しと尻拭いがあたしに回ってくる。回ってこなくても体が勝手にってやつ。

 

先生は諸事情により学級崩壊した話をどんよりと暗い顔で告げ、胸の前で祈るように両手を合わせて首から下げた木製の十字架を握っている。

彼女の発言力ならばあたしの外出も難なく通る。非生産的な文字の羅列を紙の上に写し込む苦行を終え、誰かの役に立つなら断る理由もない。先生は数少ない理解者なのだから。

 

 

「先生のお願いなら仕方ありません。自分の特技は荷物持ちですので」

「ま、まさか!女の子を荷物持ちになんて誘いません!今度の授業で金属を取り扱うのですが、このグローブでは銀の悪夢……あ、いえ、金属のピリッとした不快感を感じてしまい、落ち着かないのです」

「アレルギー……でしょうか。お呼びとあれば補助しますよ」

「その、身体的な問題では……」

 

 

さっそく外出の準備をしないとね。修道服で外に出ると面倒事が舞い込む。

想定を超えたトラブルを望まないのはみんな一緒でしょ。

 

想定通りのトラブルで済ませたい。

 

 

「私服に着替えましょうか。G8未満なら自分が買い物ついでに片付けますから」

「大変心強いです!でも推定グレードなんて目安の1つ、いかに研鑽を積んだかで実力は覆るのですよ」

 

 

もちろん知っているとも。眠土の聖女(マルティーナ)はG4でG10越えの魔女相手に善戦した。

あたしが助太刀に入らずあのまま見守っていれば、共倒れはしただろうものの魔女狩りは完遂されていたんだ。

その時もあいつは悔しさに泣かず、両頬を叩き、ちょっとだけふくれっ面してあたしに『ありがとう』と言った。真面目な奴は面白くないと決めつけてたけど、あそこまで真っ直ぐならいっそ清々しい。

 

あいつが強くなるのは、誰だって認める。あたしが一番認めてる。今となっては親愛なる友人だ。

校則を破ればクドクドと文句を垂れるから葡萄で黙らせて。触発されて隣で能力の訓練をすれば自分が不発する度に無言で小突いて来る、子供っぽい所もある。

あのメイスも能力の頭打ちに悩んだ時期に、唐突に素振りを始めた迷走が愛着を持って形になったんだった。初めのうちはどこからか調達してきたバールのような何かだったっけ。

 

 

あいつが今も広大な大地を衡っているのに。

あたしは空も遥遠な地下で燻ってる。

 

 

独りでいるのは落ち着くけど、

 

 

「そちらも劣りません。自分の火は石も鉄も骨も焼き払いましょう。『渡火の聖女』は魔を燃やし、光を生む者です」

 

 

頑張るあいつの隣に居たかったよ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「こんにちは皆さん。前に顔を合わせたのは3ヶ月前の炊き出しイベントでしたか。お久しぶりです」

 

「セレストに呼ばれたから来た。パオラも元気そうで良かったけど、仕事は信用が一番。次の仕事の予定が4日後には入ってる」

「やあこんにちは、わたしも一緒だよ。セーラが来るから来た。愛ゆえに」

「うざい」

「セーラはダイレクトな気持ちを伝えてくれるから大好きだよ」

 

「オレも後がつかえてる。大口の仕事になりそうなら早めに決断を下してくれ」

「パオラ、久し……F.H.M」

「ラルキュリウス、パオラと話したいだろうが無理に言葉を発するな」

「F.S……」

 

「米屋のご依頼通り、全員集めましたよーっと。早かったろ?金の掛かる知り合いを頼ったんでな」

「セーラさん、ベルトリアさん、ジャンさん、ラルさん。完璧です。セレストさんの旗本には確実に人が集まりますね」

「んなもん要らないから、(コン)が口を利いてくれる方法を知りたいが」

 

 

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「詩い手が揃った、という事で予想出来ているでしょう。ターゲットが決まりました」

「宴会かぃ?」

「ふむ、宴会か。いい響きだ」

「ブロッコリー」

「あんたの事は信頼してる。金の積み立ては済んでるぞ」

「S.S……A.H」

 

「ご協力感謝します。まず、ベルトリアさん」

「なんだい?」

「今日もステキな真紅の外套ですね」

「そうだろう?これはご先祖様の友を斬り殺した愚か者共への復讐の血色さ」

「開催予定地なのですが、最近治安が悪化しているそうですよ」

「オーケー、承ったよ。斬った後のワインは格別だ。断末魔の悲鳴は聞くに堪えないけどね」

 

「可能な限りで良いので不殺を心掛け、逃亡先の巣穴ごと根源から断って下さい。次にジャンさんとラルさん」

「宴会に割ける人員は9名だ。今回は別件で空輸が使えない。他から借りるとコストが掛かるな。関税もバカにならない」

「分かりました、陸送と海運で行きましょう。私のルートであればイギリスの入国は大幅に免除されます」

「それならイタリア・フランス国内はオレの伝手で通す。現地の倉庫から前回の一式を準備しておこう。ラルキュリウス、常にフルバッテリーを保っておけ」

「ジャン、わかった」

 

「お願いしますね。では、セーラさん」

「なに?」

「実は某国の貴族たちの間で、大変な規模のお金の動きを捉えたんですよ。なんでも汚れた両腕を札束の包帯で覆ってしまうつもりのようで。ただ、吹きすさぶ嵐の目に見つめられる事は予報できないでしょう」

「詳細は後で聞く。たまにはパオラも過去の宴会場に顔を出した方が良い。会いたがってる子もいた」

 

「そうですか。嬉しい話ですが、あまり関わらせたくありません。ジャンさんのように……あっ、いえ違うんです。ジャンさんがいてくれるのは心丈夫なんですが…………その、危険な真似をさせているのではないかと」

「命を救われた人間は地位や立場に縛られず恩義に報いるべきだ。あんたは他人に優し過ぎる」

「ここにいる全員が同じですよ。全員がお人好しです」

「違うね。わたしはセーラの為だけに動いているよ」

「うざい」

 

「はっ!あんまり仲良しこよしに行ってないみたいだな、ベルトリアぁ」

「生憎、わたしは情熱的なんだよ。燃えるね」

「お前も壺にはフラれっぱなしだろ」

「カシューッ!ジャン!オメーもいつまで好きな奴の尻尾追っかけてんだっつーの」

「……今はまだ、対等な関係になれない」

「いいか、ジャン?この際だから言わせてもらうが、恋煩いは脳内麻薬。過剰分泌は猛毒だ――――」

 

 

「そう、パオラ。森の泉で花が狂い咲きを始めた」

「花、ですか」

「わたしも見た。モネの絵のように壮観なスイレンから始まり、ブルーベルの群れが妖精たちの家々を象る。まばらに植えられたサクラとローリエが天井画を飾り付け、森の頭たるヒグマが眠りに抗えない程にラベンダーの香りが森中に広がってるんだ。でも一番良い物は真っ赤なバラだと思うよ。とても情熱的だ」

妖精の誘い(フェアリー・テイル)の発生に魔女も活発になってる。5年前と同じ」

 

「思わしくない時期ですね……セレストさん、竜落児側の動きはどうなっていますか?」

「あ?特にはねーな。ミーハーなかーちゃんはリンマを誘って遊びに行くだろうがよ。むしろ怪しいのは欲望に感けた人間の方だ。つくづく思うぞ、今度はかーちゃんの怒りに触れないといいな?」

「そうですね。私もそう思いますよ、セレストさん。私もそう思います」

「…………あー……いやー。かーちゃんが一緒だとな、気負うっつーか鯱張るってか」

「宴会、楽しみですね、ラルさん」

「A.Y」

「お前、怖いもの知らずだな。まあ、祭り好きだから喜んで来るだろうけどよ……」

「決定です!それでは後日、愉快な計画をまとめて送りますので、滞在予定地と臨時の連絡先を教えてください」

 

 

Our trouble is hunger , like rain(私達の苦しみは雨の様に止まぬ空腹です).」

Extravagance is the enemy(贅沢は敵。) . Not rich is the evil(貧困は悪).」

Like the wind(風の様に自由に生きたいものだ).」

Rob the strong(強きから奪い、) , Give to the weak(弱きに与え).」

Sometimes cheerful(時には陽気に、) , At other times obsession(またある時には執念深く)

Let's continue a merry poemy(愉快な詩を続けよう、) , In order to keep Fighting(戦い続ける為に)

 

 

 

 

 

 

「次の仕事の準備する」

「来てくれてありがとうございました。また、お会いしましょう」

「わたしも行くよ、依頼主の男がどうしてもお礼をしたいそうでね。罠の可能性もあるだろう、用心するに越したことはない」

 

「パオラ、困ったら最初にオレを頼れ。どんな問題でも悩みでも手を貸す」

「無理は禁物ですよ」

「少しでも早くあんたに追いつきたいんだ」

「……ジャンさん、世の中には味方してよい善意と、止めなければならない善意があります」

「知っている。だが、どちらも必要だ。オレには世界の秩序を守る当たり前の善意は務められない。味方は自分で選ぶ」

 

 

「独善的と呼ばれようが、救うのは倒れそうな人間5人よりも倒れた人間1人。そいつらは1人を見捨てて歩いた、オレにはそれを見放すことが出来ない。5人から通行料を取り、1人の元へ行く。その後に金の無い5人がまた減ろうと、1人が間もなく潰えようと、オレは体裁を変えない」

「オメー言ってることがチグハグだぞ。後から倒れた奴はどうする」

「また救うさ。4人から衣食料を取って、3人から宿泊料を取って、2人から見物料を取ってな」

「不平等じゃねーかぃ?それで満足すんのか」

「富の分配は天の仕事だ。それがスーパリッチを作ったなら、平等に意味はない。オレにはオレの再分配がある」

 

 

 

「雨は止むさ。これだけ風が吹いてるんだ」

「はっ!自然に止めばいいな。分厚い黒雲はオメーら人間が生み出した不自然なんだからよ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「真実の口ー」

 

 

しなやかな巨躯と板金でさえ引き裂けそうな爪を持ったシベリアトラの胴体に、皴まみれな顔の円盤が接続された。オレンジ色の身体から赤い火の粉を飛ばし悠然と歩く姿は目を背けたくなる異界の怪物。

しかし、その大きさは反省室の机の3分の1ほどの大きさだ。

 

5秒間だけ現実世界を探訪した異形は、燃え尽きて真っ黒な灰の小山に変わった。

部屋の温度も2、3度下がった気がする。

 

 

自主トレだなんて、以前の自分が聞いたら鼻で笑っていただろうな。嫌な子供だ。そんなんだから先輩にも嫌われたってのに。

 

 

「たのしーなー」

 

 

うんうん、想像以上の怪物が完成したよ――――でも飽きた。小一時間同じことをしていたら苦手な貝の身でも食いつきそうなくらいお腹も空いてきて、鏡がなくても目が死んでる事が自覚出来てる。

そろそろ下校時間も近付くし、余った反省文の紙を媒体にした燃焼の練習は終わりにしとこう。

 

 

「おはようジュリ、反省文は書けた?」

「最高の皮肉じゃない、ティナ」

 

 

くすんだ黄赤色(テラコッタ)の髪、見慣れた黒い修道服に銀の十字架を首から下げたクラスメイトが、灰の塊を見てニコついている。

今日もお迎えが来てくれた。1人だけだけど、もう片割れはここに籠ってるあたしの何倍も忙しい身だ。

 

 

「帰ろ?あたしはここで着替えるけど、この時間は更衣室も混んでるでしょ」

「私もここで着替えちゃおうかな」

「いいんじゃない。実質今はあたしの自室なんだし」

 

 

マルティーナは初めからそのつもりらしく、着替えの入ったバッグを部屋の片隅に置いて中からボロボロの袋を取り出す。中学からずっと同じものだそうだ。

メーヤからプレゼントされた物だと自慢されたけど、ちっとも羨ましくない。羨ましくないよ、ほんと。

って、こうなるとあたしの着替えがない。めんどくさいなー、取りに行くの。

 

 

「取りに行くのめんどくさい。上着だけ貸してくれない?」

「!?百歩譲ってブラウスは良いとして、スカートはどうするのよ!?」

「じゃあ下も」

「~~ッ!へ、変態!バカ言ってないで取ってきなさい!退散退散ッ!バカは退散ッ!」

「いてっいたた、石投げつけてこないで!暴力は違反でしょ、仮にも教会に敷設された空間なんだから」

 

 

ティナの基準じゃブラウスを着ないのはギリセーフなのか。変態だな。

 

 

猛攻を耐え抜き、ちょっと気落ちしつつ掛けようとした手が空振る。

ノゾキか!と思ったけど考えてみればここは更衣室じゃなかった。顔を出す人間も限られた物好きだけだ。

 

 

「お待たせしました。更衣室が思いの外混んでいまして……あら?ティナさんもまだお着換え途中でしたか」

「聞いてよメーヤ!バカが狼藉を働こうとしたの!」

「あたしは手を出してない。制服を取りに行くのが憂鬱だっただけで――!それ、あたしの着替え!ありがと、メーヤ!いやー、やっぱり持つべきものは聖女のお友達だね~。上着も貸してくれない方とは違うや~」

「だ……だってだって、ジュリが上着だけで外に出るとか言うのだもの!」

 

 

そっちか?抗議すべきはスカートごと身包み剥ごうとした方じゃないかと思うんだけど。面白いから否定も指摘もしない。

 

 

「い……イケませんよジュリノラさん!下着はちゃんとつけないと!」

「はぁっ!?」

 

 

こっちもこっちだ。なんで上着を装備すると下着が脱げる仕様なの?致命的なバグじゃない。

 

 

「まさか、ジュリにそんないかがわしい思考が……?」

「ない、ないから!メーヤバッグ頂戴、さっさと着替えて帰る!」

「は、はい、どうぞ。……ちゃんと下着も」

「着る、着るから!むしろ脱がない!」

 

 

地味に目を逸らす真っ赤なマルティーナを牽制し、笑顔を作ってるメーヤから自分のカバンをひったくる。

2人とも1対1なら弄り甲斐があるけど、1対2はどうしようもないって。

 

背を向けても視線を感じる。見てなくても着るよ。

あーもうっ!時々見掛けるカナさんもパレルモ武偵高1年のフラヴィアもそう、プリマ先生だって怪しい所だ。強い人に限って天然なんだから。

天然の飽和はコリゴリ、ローザがいれば片方を押し付けるのに。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「そうでした、ジュリノラさん。今晚、お食事に行きませんか?」

 

 

早着替え選手権を終えたあたしにメーヤが少し暗い声で誘いを掛けて来た。

裏がある。上の指示か。

 

 

「奢りなら首を縦にも振る。御覧の有り様なので仕事も無いから金欠でしたー」

 

 

あと4日ほどで解放される。それまで仕事も受けられやしない。

それはメーヤも分かってるはずだろうに、どんな腹積もりか確かめないとね。

 

 

「合同任務に向けてちょっとした交流会を開催予定なのです。費用は武偵高から出す、そうです」

「地雷原への招待状って事ね。あたしが断れないことを知ってて声を掛けるのは酷いんじゃない?日時は?」

「ごめんなさい。任務は5日後となっています。私も宝導師として参加する予定なのですが、別動隊の分隊指揮者が不浄なる使い魔の襲撃で負傷してしまいました」

 

 

あらま、そりゃ随分とタイミングがよろしいようで。

心の底から心配しているメーヤとマルティーナには悪いけど、襲撃者は魔女じゃないかもしれないよ?

 

肩に背負おうとしたカバンを一旦下ろし、灰を片付けた机に腰掛ける。

マルティーナが何か言い掛けたが空気を読んで黙る。

 

 

「どのヤマ?」

「魔女を束ねる不快な集団。その一角です」

魔女連隊(あいつら)か。デカい案件だけど、どうして合同任務なの?わざわざ武偵中の生徒を連れて行く理由はなに?」

「それは……」

 

 

押し黙った。

彼女は理由に予想が付いてる。だから口にしたくない。

 

代わりにマルティーナが話してくれる。

口にしたくないのは彼女も一緒だ。

 

 

「ジュリ、あなたなら予想が付くでしょ。箱庭を有利に進める為の潰し合いよ」

「それならあたしが指揮する別動隊ってのは……」

「言わないで、メーヤの為に」

 

 

お片付けだよ、生き残った方の。

使い魔に襲われた生徒は……力不足と判断されたか。相手は手練れなんだな、奇跡を用いらなければ対抗できない。あたしより年下の。化け物だね。

 

 

「持つべきものは聖女のお友達だと思うでしょ?付き合うよ。何より――」

 

 

 

「タダ飯って部分が魅力的だったからね」

 

 

 







クロガネノアミカ読んで頂き、ありがとうございました!


今回は不可視の銃弾、バチカン側の聖女たちの会話でした。
一応登場人物の解説を載せると、

『渡火の聖女』ジュリノラ・ヴォルタ
『浄水の聖女』プリマヴェラ・モンターニャ
『眠土の聖女』マルティーナ・グランディ
『祝光の聖女』メーヤ・ロマーノ

全員が全員、奇跡の行使に条件を持っています。


途中のおまけ会話はパオラが集めた仲間達です。
初登場はセーラとベルトリアの2人、セーラは原作キャラですので問題ないでしょうが、ベルトリアはお気楽で情熱的、セーラと同い年ほどで身長は彼女より少し高い程度。

小説情報に1周年の絵を載せているので、良ければ見てみてくださいね!




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黒川の鬼拵(クロカワ・カタナ)

 

 

 

「"餅と餡……ですか?"」

「"そう、餅。餅よ"」

 

 

盗人猛々しい。こういう奴の事をそう呼ぶんだろう。

人の家に忍び込み堂々と椅子を不法占有、キッチンに保管してあった菓子を盗み出して胃袋に収め、挙句餅を献上せよなどと言い出す始末。

 

しかし、顎下まで出掛かったカエレの言葉は相手を刺激しかねない。そうなれば帰らぬ人となるのはこっちの方だ。

逆らえない実力差を本能が訴えてくる。魔女が発する妖しい雰囲気は無くとも、存在感はトロヤに匹敵しているぞ。

 

 

深く被ったタコ壺のようなキャスケットからは青鈍色の髪が2本のタコ脚みたいにニョロっと這い出し、両耳を隠して枝垂れたサイドは黒い着物に乗っている。

一本締めの構えに似た、肩幅より少しだけ開かれた両手。細い腕から繋がる年相応に小さくて柔らかそうな美白の掌は人のモノと変わらない。なんなら俺の手の方が少し大きくて戦い慣れた強そうな手に見えるだろう。……まあ、傷とか胼胝(タコ)はカナとクロによる日頃の努力で目立たないけど。

 

 

「"我輩、手違いで(あたい)の軽い空舟に乗ってしまってな、酷く乾燥した固い麦餅(パン)の上に異様に甘い糊状の赤茄子(トマトケチャップ)をかけた、簡易的な腹ごしらえしか出来ておらん。汁椀もお預けと来た。到底満たされぬ"」

「"…………"」

 

 

黒鈴(くりん)と名乗り上げた少女は一見強そうには見えないが、外見は当てにならないって事を敵味方でうんざりするほど経験している俺にしてみれば真偽を問い直す無意味さを心得てる。

後ろに控えたバラトナも恐縮しきった様子でセーターの後ろを掴んだ。やめろ、服が伸びるってか、ただでさえ短い裾がずり上がる。

 

 

「"空に茶船は漕いどらんし、同乗の期した阿波の妖がまたも寝坊で一人旅と来た。隣に座る日本の童子に同年代だと勘違いされ西洋かるたの絵札取りに誘われるまま興じておったが――"」

 

 

日頃から鬱憤を溜め込む苦労性な生活でも送ってるのだろうか、口数が多くて結構愚痴っぽい奴だ。ドンと構える強者の余裕は見られない。

 

西洋かるた……トランプの事で良いんだよな。初対面の相手とも出来る遊びの代表格だ。

海を渡れば例外もあるけどな。俺も学校でコリンシアとヤージャに誘われたことがあったが、ラテン型と呼ばれるプレイングカードは日本のトランプとは絵柄も枚数も違って戸惑った。お馴染みのクラブ・ダイヤ・ハート・スペードではなくソード・カップ・コイン・ケーンの絵が数字の数だけ描かれていてアラビア数字が書いておらず、1~7の数字カードとジャック・クイーン・キングに代わる歩兵・騎士・王様のカードがある。

 

 

「"……聞いとるか?ハットリよ"」

 

 

服部さんは聞いてねーよ。誰だよ。

 

 

「"ウチは服部ではなく遠山です。失礼ですが、家をお間違えではありませんか"」

「"おん?いや、あってるでしょ?だって黒川刀がいるんだもん"」

 

 

いるんだもん、じゃねえ。だから黒川刀って何のことだ。

祖先は武士だけど近接武器なら俺はナイフ、カナは鎌しか使わない。流派一つを満足に扱えるまで時間は掛かるし、中途半端な実力で振り回すのに取り回しの悪い武器は武偵向きじゃない。

 

ピョンと垂直に跳ねて椅子に立ち上がった黒鈴は右手人差し指でベッドに眠る2人、その内のチュラを指した。そこに()()事を示すように。

同時に左手で腰に差した刀の柄を掴んで姿勢を右前方に傾けた。片手で、しかも逆手で抜刀するつもりか?彼女の身長では小太刀でも十分な長さになる。

 

 

「"刀はあなたの物以外に見当たりませんが"」

「"黒川という姓に聞き覚えがあろう?此奴が話しておるはずぞ。第二の名前(ウケツギシココロ)は当時の仙台藩藩主政宗殿の命で支倉氏が拵えた数奇な欧州使節団、『慶長遣欧使節』の一人、後に廃絶された一家陸奥(みちのく)黒川氏から受け継いだ家名でな。姓を持たぬ密航の少女が死罪を免れる為に『黒匚』の力にて取り入ったことが根源となっておる"」

 

 

ウケツギシココロ?黒川氏?そんなん聞いた事もないんだが……()、には少し思い当たる節がある。黒思金の単語がよぎった。

仙台藩という話なら政宗はあの有名な戦国武将伊達政宗で違いないだろう。欧州(ヨーロッパ)へ使節団の派遣をしてたのか。

 

 

「"お主がどう呼んでおるかは此奴次第だがな。黒川刀――Coria del Río(コリア・デル・リオ)では日本(ハポン)性を名乗る此奴こそが我輩が鍛え直した刀そのものよ!"」

「"――っ!"」

 

 

俺の反応が芳しくないのを良しとせず、喋ることが好きらしい黒鈴は饒舌になり自らの作品を宣伝するように解説を続ける。

 

――――ハポン。それはチュラのミドルネームだ。ミドルネームにはクリスチャンネームの他に母方の苗字を残す事もあるらしい。チュラ・H(ハポン)・ロボがチュラのフルネーム。

スペインのコリア・デル・リオ出身だと聞いた事もあった気がする。どこだか知らんし二度と聞くことも無いと思っていたのに。

 

 

「"チュラが刀そのもの、とはどういう意味でしょう。チュラが刀を持っている所は見た事がありません"」

 

 

こいつはプルミャ同様チュラの関係者だ。ただチュラの事を知っているだけだとは考え辛い。

家族の様に接してきた俺達よりも、今の今現れた少女の方がずっと深い関係で長い付き合いを持っているように思える。

 

『思金とは色金封じを主眼として妖の祖たる者に()()()()()()()()』。

箱庭での一菜の発言が思い浮かんだ。ありえない仮説を理解してしまいそうで、嫌な汗が滲む。

 

 

「"おんおん、理解出来ぬか。それとも……誤魔化しか?知らぬが仏なぞ逃げ出す方便。チュラと呼んだがお主も薄々気付いておろう、異常な存在であるとは"」

「"確かにチュラには謎な言動が多いです。でも、それは個性というもので――"」

 

 

模倣観察によって他人の顔と自分の小さい頃の記憶を結び付け、1から10までを寸分の狂い無く再現する。チュラの不思議発言は個性で片付けられはしない。

俺は異常(そこ)には何かがあると予想して、けど深くは考えないように……チュラという存在の本質から逃げていたのかもしれない。

 

 

「"石頭は見るが早し。――此様の事ぞッ!"」

 

 

黒鈴は勢いよく逆手で抜き放った一振りの小太刀を中空に放り、白銀の円盤に見えるほどの回転で滞空させ、これまた目にも留まらぬ速度で振り抜いた右手に収めた。

状況が把握できたのは耳をつんざく風の音が止み全ての挙動が終わった後。その細く鋭い先端が向いているのはベッドに眠るチュラだ!

 

 

「"テュラッ!"」

「"お前……ッ!なにして――"」

「"案ずるでない。思金は共鳴する、この刀はその為の鍵が埋められておってな。本来であれば我輩の意思でハコオニを制御出来る筈であった"」

 

 

持ち主の身長半ばに及ぶ刀身がカタカタと小刻みに振動している。肩から腕の先までは微動だにしていないのに、刀だけがマナーモードの電話みたいに振れているのだ。

似た攻撃を見た事が、そしてこの身に受けた事がある。アリーシャから聞いたその能力の名は――――

 

 

「クロ様ッ!チュラ様が目覚めましたの!?思金の気配が……ッ!」

「"来るなッ!"」

 

 

追い詰められた俺が日本語で叫んだのが不味かった。すぐにバラトナが静止の声をあげたが、アリーシャはここに来てしまっている。

数秒の間にアリーシャの視線はベッドの中のチュラ、それから俺達、最後に椅子の上に立つ侵入者と彼女の構えた刀をなぞってチュラに戻る。その光景から編み出される答えは俺と同じものになるだろう。

チュラが目覚めたのかと慌てて駆け付けたアリーシャは敵対者と思われる相手をロックオンし、むしろ冷静に分析を始めた。

 

 

「――っ!『空隙』、ですの?」

 

 

信じられないといった表情で声に出した能力も俺の予想と同じ。彼女達姉妹が近接戦闘用として用いる凶悪な力だ。

疑問的な反応から全く同じものではないようだが、似たものであるのは確かだろう。

 

 

「"おんおん、お主は白思主であろ。因縁関係により我輩の刀をたぶらかした悪女め!(ふみ)には名も挙がっておった。『ハットリチア』『クリョウリア』『カルイメラ』……あー、えっとー、そう『カルシウム』だ!……ふん、そこな寝台にゐぬ(添い寝している)者も含め、お主らはその4人に相違あるまい!"」

 

 

(1人も合ってねぇ!カルシウムってなんだよ、それに至っては名前ですらないだろ。えっとーとか完全に忘れて適当に言っただけじゃないのか)

 

日本語が分からないアリーシャと意味が分からない俺が顔を見合わせる中、黒鈴の握る刀が淡く光を発し明滅する。その光が徐々に、チュラの身体からも上がり始めた。()()()に冷たくなった戦妹がまるで刀と共鳴するかのように。

だが、チュラの光だけが一方的に収縮し消えていくと、黒鈴の顔が曇り出す。漏れ出した光が抑え込まれていくようにも見える、まるで刀との共鳴をチュラ自らが拒んでいるかのように。

 

やがて刀の光も消え――こちらは黒鈴の意思で消したらしい――血拭いの必要もない白刃は鍔と鞘の当たる音を立てて納刀された。

おかげで一触即発から幾分か落ち着いた雰囲気となり、

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"やはりか……見たであろう、鍵の暗証番号(セキュリティ)を書き換えられてしまった。こうなってしまえばイタチごっこでな、我輩でも50は掛かろう。手の掛かる子よ"」

「"……あなたはチュラを目覚めさせる方法を知っているんですか?"」

「"おんでもなし(当然だ)!しかしながらハコオニは温厚で雑多な争いを好まぬ不定形な神格。故に黒思金は闘争を繰り返す人と関わろうとせず、思主を金属(自身の体)から作り出し、所有者・被所有者の関係でのみ力を発現させるように創られた。代々の玄鬼は幾星霜に渡って新たな思主を生み出し、鍛え直して来たというわけでな。わた……我輩は此奴の親とも言えようぞ"」

 

 

やはり出て来たな、黒思金。ハコオニの名も。

正直な所、こいつの話はぶっ飛び過ぎで付いて行けないが、チュラは黒思主だって事が確定した。それと、こいつがチュラの親みたいな存在だって事もだ。

それ以外の情報は少し……頭の整理をする時間が欲しい。

 

 

「"テュラは本物の思主なのでした?"」

「"違いない。此奴は思主であり思金そのものよ"」

「"っ!あなたはチュラを起こす為に来てくれたと友好的な方だと考えて良いのでしょうか"」

「"その可能性も皆無ではない。が、それはお主らと黒川刀――チュラ次第と正しておこう"」

 

 

再度その場で跳ねた黒鈴は胡坐をかいて椅子に座り直し、試すような真剣な眼差しを順繰りに向ける。

 

俺達とチュラ次第とはどういう事だ。仮にも親を名乗っておいて成人もしてない我が子を救うのに条件を付けるつもりか?無償の愛ってのは俺も深く考えた事は無いが世の中そういうもんじゃないのかよ。

餅を用意しろってんなら3食食いきれない量の餅でも調達してやる。こんな異国の地だが日本文化にはアテがあるんだ。

 

 

「最近、本気で日本語を勉強しようかと考えさせられますわ。クロ様、翻訳をお願いいたしますの」

 

頭の中で毒づいていると、なぜか声にまで気疲れが染み出したアリーシャがそう催促してきた。

 

「そうですね。まず、彼女の名前はクリンと言います。そしてチュラの意識を取り戻す術を持っているようです」

「!ほ、本当ですの!?」

「ですが、どうにも無償でハッピーエンドとはいかないみたいでして」

 

 

よしよし、食いついたな。アリーシャはチュラをただのクラスメイトという枠で捉えていないようだった。

この件、思金云々の話を誤った解釈で伝えてしまえば大きな混乱を招きそうな気がする。

 

 

「"黒鈴さん"」

「"黒鈴でよい"」

「"では黒鈴、武偵は例え名前であっても安易に公開すべきではありませんが、名乗らせておいて名乗らないのは気が引けます。私の姓は遠山、名はクロと言います。そこで寝ているのは私の…………姉です"」

「"おん?ハットリではないのか。しかし良き心掛けよ"」

 

一瞬カナの性別で迷ってしまったものの、これでいいだろ。

ごめんな、兄さん。

 

「"私はラカトシュ・バラトナでした。テュラは大切な家族でした"」

「"おんおん?バラトナとな?お主もハットリでなし、となれば――――"」

 

黒鈴の視線が向くのは残されたアリーシャ。

彼女も俺達が次々と自分の名を答えているのを見ていたので、

 

「アリーシャ・フォンターナですわ」

 

スラリと答えた。

 

 

「"おんおんおん?ありちぇとな?おん?"」

 

 

汗は流れにくい体質なのか、みるみる内に赤く染まる顔には一滴の雫もない。

ようやく気付いたか。黒鈴、お前が探している人間は……

 

 

「"ハットリはどこにおる?クリョウは?カルイもおらんのか?"」

 

 

……1人もいないんだよ。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「でさでさー!その時も凄かったんだよその人!」

「しゃぴ~……まだ、あるの?もう十分な情報量が有とか無とか」

「まだまだまだまだっ!ホントーに強くてカッコ良かったんだから!」

「そうなの?でも精神生命体に勝ったなんて大金星!あぁっ、私の大好きなミーネがもっともっと強くなるんだー」

 

「そこぢゃっ!」

「ん?」

「パトラ、どうしたの?」

「そこがおかしいぢゃろうが!何故、勝利者の当然の権利たる戦利品を何処の馬とも知れぬよりによって男なぞに渡してしもうた!?生成の稀少性・有益な効能・蓄積された魔力、宿金の価値はお前も良く分かっておるぢゃろ!」

 

「パトラ様落ち着いて下されじゃ!」

「これが落ち着いていられるか!考えてもみろ、話を聞く限りそやつの宿金の能力は極短時間とはいえ時間の流れに干渉しておる。もし、その宿金の生みの獣人が今尚存命しておれば……」

「ご挨拶に行きますじゃ?」

「お前は考えんでよい」

 

「新しい宿金が手に入る?」

「カルミーネよ、宿金の根底は人と魔の絆ぢゃ。お前とリンマもそうであろう」

「そっか、お母さんの宿金が効果を発揮しないのもそのせいなんだもんね」

 

「時間への干渉、だね」

「そうぢゃ。十中八九、高密度の色金粒子、もしくは色金そのものを体内に取り込んだ()()()()の宿金ぢゃろう」

「お母さんとかヒルダとお揃いだ!」

「……ふう、そうぢゃな。それでよいわ、もう」

 

 

「しかし、その獣人の出処が気になるのう」

「カルミーネ、なにか他に特徴は無かったのじゃ?」

「長身で髪が白く光ってた以外?……うーん、強い?」

「ふわっとしてるのじゃ!」

 

「耳も尻尾も無かったの?」

「無かった、と、思、う」

「自信無さそー。覚えてないでしょ?ミーネは戦闘になると戦う事しか考えられなくなっちゃう」

「し、仕方ないんだよ!今回はリンマちゃんの宿金も並行して使ってみたしー……ま、まぁ?怪しまれないように造流(ぞうり)で得物を作ったりは出来なかったけど」

 

「宿金の魔術は妾が用いる魔術とは少し異なるのかの」

「うじゅっ!宿金は魔術式が確立されてないから、一々全ての計算を自頭でこなさないといけないんだよ。慣れてくると感覚で振り分けられるようになるの」

「これがまた難しくてさ。今回は強化幅が()()()って所まで昇りつめたから、計算も余裕で間に合った感じ。普段の私じゃとても、ね」

「先天性の遺伝形質であったか、お前の能力もとんだ性能ぢゃな。強き女は好い、おまけに容姿にも秀でておるし――」

「あげない!」

「お前ごとでも良いのぢゃがな。瑠槍は悍ましき者よ」

 

 

「『ALA』。生まれながらの依存症なんて……こんなのただの呪いだと思う」

 

 

「宿金は思金とも違うのじゃ!」

「製法は似たものぢゃが、思金は代行者がおるしの」

「パトラ様の一部なのじゃー!尊いお力なのじゃよ!」

「パトラの一部ー」

「えっ、パトラさんの一部?」

「妾の一部と呼ぶでない、誤解を招くぢゃろうが。黄思金は覇王(ファラオ)のカノプス壺、魂の一部を埋め込み安定させておるという話であるぞ」

「そうなのじゃー!パトラ様の魂の一部がいつも見守ってくれるのじゃー!」

「パトラの魂の一部ー。お腹すいたー、ハトホルひよこ豆ちょーだーい」

「分かったのじゃー!」

 

「……妾の持つ鍵で制御することでな」

 

「カルミーネよ、クロは学校で如何しておる」

「来てないよ。日本もローマも姉も」

「何所ぞで戦火を交えたか。あやつは占星術を狂わせる術を備えた虚像のような存在にて、忍ばせておいた使い魔も余所の魔女に追われてしもうた」

「それストーカーだよ?お縄にならないように気を付けないと」

 

「ほほほっ、情報戦と呼べ……む、もう帰るのかの?」

「うん、今日の夜は任務の打ち合わせがあるの。シグドロの話はまた今度ね」

「せんでよい、男の話などつまらん」

「愛は力。パトラさんにも良い人が見つかるといいね」

「ふんっ!帰るならリンマも連れてゆけ」

「あははっ!りょーかいっ!」

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"迂闊千万、ご無礼致した!この通り"」

 

 

鬼に謝られた。攻撃意思がない事を示すように佩刀を自身の右側の床へ置き、胡坐も正座に組み換え反省の色を表している。

そこは決まりでもあるのか意地なのか、個人的に下げようとした頭をぶるぶる震えながら社会的に我慢している。バイブレーション機能は刀の持ち主にも付属されていたようだ。

 

チームメイトにすら殺されかけた事があったし、別にこいつに殺されかけたわけでもない。菓子は食われたがそこまで高価な物でもない。

俺はどう返せばいいんだ?ドンマイ?気にすんな?

 

 

「"お主らがわたしの刀を奪って行ったのかと思い、荒っぽく対応した次第で……"」

 

 

発言の節々で無理に古めかしい言葉を選んでいる感じはしていたが、キャラ作りというか振舞いに気を配っていたかららしい。

どうしてそこまで偽る必要があるんだろう、と考える自分を顧みて事情があるんだろうと思い至る。性別すら変わってる俺の方がキャラを作ってた。

拳銃をまさぐろうとした手をギリギリで自制する俺にもとうとう振動機能が実装されてしまったぞ。

 

 

「"私は気にしていませんので、謝罪は受けますがこの件で責任を問うつもりはありません。バラトナさんもそれでいいですね?"」

 

有無を言わせない言い方でバラトナにも同意を求める。

 

「"私も気にしていませんでしたクル。クリン、間違いは誰にでもありました。私も時々髪用と体用を間違えました"」

「"??感謝する"」

 

 

あー……たまにバラトナの髪がたてがみの如く異様に膨らんでたのはそれでか。ウチのシャワーはヘッド交換で塩基成分少なめになってるけど、ボディソープで頭洗ったら……

 

「"折角の綺麗な髪の毛なんですから、気を付けてくださいね"」

「"はい!分かりました"」

 

ま、まあバラトナが責め立てるようなことはないと思ってたけどな。

危うくバラトナが浴室で頭洗ってるシーンを想像するところだった。今後、誰かが風呂に入ってるときにトイレを使うなら水音にも注意しよう。

 

内容はともかく、戦いの気配が消えたバラトナは華やかで毒気の無い良い笑顔を振りまくもんで、黒鈴も謎の励ましに少しだけ気が軽くなったのか脚を崩してる。正座が苦手なら無理しなくていいのにな。

 

 

「お次は所属軍隊でもお話すればいいんですの?」

 

 

置いてけぼりの間に和解したことを察したアリーシャが片頬に空気を含ませながらこっちを見て訴える。

バラトナもすっかり緊張がほどけたようだし、翻訳を任せて俺はチュラに関する重要な話をさせてもらおう。

 

 

「"黒鈴、黒川刀というモノについては私も知らなくてはならないのだと思います。ですが、それよりもあなたが言った私達とチュラ次第の話、その続きが気になります"」

「"文には遠山の名は無かった故、お主では起こせん。基督(キリスト)と組むなど思いもよらぬ内容に悪寒が走ったが、鬼だと言う我輩へ唐突に奇襲を仕掛ける姿勢も、打ちささめく様子もなし。黒思金を西班牙(スペイン)へ送り出した母より、黒い伝説は痛ましい虐殺だと聞いた。黒川刀の正しき所持者も尽力し、今時分の教会は異端審問や魔女裁判など行っておらぬのだろう"」

 

 

鬼とは言いつつ、人間の歴史に関わってきた側面もあるようだ。チュラとキリストはどちらかというと箱庭で敵対的だと思うが、黒思金がスペインに流出した理由は分かったな。現代では魔女裁判は公的な権限を失っている。

……あくまで本物の魔女は除くけど。

 

 

「"あなたの要求を私達が飲むかどうかではなく、特定の人物でなければそもそも起こしようがないと"」

「"おん。ハコオニは人の『()()』に結び付く。『()()』の文明と分身たる『()()』を愛し、刻まれた欲望は『()()()()』、使役されることが至上の喜びぞ。所有者を定めたのであれば、此奴を自在に扱えるものは其奴しかおらん。特にこの子はちょっと……仕上がりの段階で欠陥があってな。完成当初から我輩ではない何者かを追う挙動が見られた。()()()()()()()()()()を決め、探していたのやもしれん"」

「"ちょっと待ってください、刻まれたとはどういう意味ですか?"」

「"そのままの意味で捉えてよい。刀に銘を刻むと同じ、表面上の性格を刻み込む"」

 

 

言いつつ右脇に置いた刀をぽんぽんと叩く黒鈴はその行為がどのようなものかを単純明快にまとめる。

少女の顔に後ろ暗さは無さそうで、さも普通の事を説明したかのようだ。

 

そのままの意味で捉えられないから尋ねたんだが。

性格を上書きした、のか?人格、いや刀格を。自分たちの都合の良いように。

 

 

「"何の為に刻む"」

「"目的は2つ。()()を厭うハコオニの暴走を抑える為、そして()()を好まぬソラガミと共に()()()()()()為ぞ"」

 

 

こんな非現実的な世界で生きていればいつかは聞くだろうと思ってたさ。

 

――――神を討つ。まるで、そう、神話やお伽話の世界だ。

 

魔女がいて、吸血鬼がいて、悪魔がいて、妖怪がいて、鬼がいて。

それなら神が存在したって特別驚きを増すことも無い。ただ、神って一言で済まされると容貌が想像し辛く、人型かどうかすら怪しいのが難点だ。

 

 

横座わりからまたしても跳ね上がった黒鈴は仁王立ちし、鞘に収まったままの刀を掲げ上げる。

その姿は宣言っぽくも見えるし、刀を通して自らに誓う武士のようにも見える。しょんぼりしていたのが過去のように覇気が籠った表情で――

 

 

「"白き羽衣は巫に。黒き銘刀は侍に。恋と戦が続く限り、己が役目を果たさねば滅びゆくは王将格を失いし人の文明。我輩は人の衰勢や廃退を望まん。…………話を戻そう。今の此奴は所有者を待ち続け我輩をも拒む。我輩はお腹が空いた"」

「"話戻り過ぎだろ!"」

 

 

――会話冒頭まで遡りやがった。

 

さらに槌野子の風鈴運動に似た前後左右に揺れる動きを見せ、よりによってベッドのある前方から少し外れた斜め方向――俺の立っている方に倒れ込んで来る。

こいつがチュラ並みのお子様で助かった。肉付きが良い訳ではないのに触れる箇所全部が餅みたいに柔らかいのは非常に頂けないが。

 

 

「"よっと、餅はすぐには用意できませんが、必ずあなたに譲りましょう。今は……お米を早炊きしますので、それまで飴でも舐めててください"」

「"かたじけ、ない。じつ、今の……波で、げんか……っ!"」

 

 

一旦寝かせておこうにも兄さんの部屋にソファはない。だからリビングに運ばなければならないのだ。

いくら悪評高い遠山クロと言えど、人を片腕で小脇に抱えてったらアリーシャもビックリするだろう。よもや掲示板に書き込みなどしていないと信じたいが情報流出の危険性はある。

 

 

両腕で抱っこ……したらずり落ちるし。

あ、そうだ一菜を運ぶときは背中と膝の裏に腕を差し入れたな。持ちやすいから自然とそうしたけど、要は人を運ぶ時も重い物を持つ時も一緒だ。

 

(軽っ!こいつの体重パオラの店から訓練代わりに肩に担いで走る米俵の半分(30kg)分もないんじゃないか?走破中も今も変な目で見られてるけど)

 

 

【挿絵表示】

 

 

クロの羞恥心のズレに悲嘆したり、これなら片手でも良かったかとか考える間に運搬作業は終了。

お米は黒鈴を抱き上げた俺をジト目で見ていたバラトナが洗米してくれている。揚げ物は焦がすけど、卵料理と肉の焼き加減はすでに俺やカナより上手くなってるし、後はシェフの気まぐれだ。さて、話は終わってない。

 

 

「"ご飯の代わりです、チュラを救う方法を教えてください"」

 

 

飴玉を1つ袋から出して横寝する黒鈴の口に突っ込む。

 

これだけは今すぐにハッキリさせておきたい。

時間が掛かったっていい。あいつは俺の戦妹(いもうと)だからな。

 

 

「"我輩も、んっ、愛ごい己が刀の破棄など望まぬ。ハットリを探し、伝えよ"」

 

 

その答えはまたも単純明快で、それでいて――

 

 

「"叩けば直る"」

 

 

――昭和かよッ!

 

 

 






クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


今回は前々回の続き、『黒匚千金無常』の作り手、黒鈴との対話でした。
玄鬼の末裔である黒鈴は緋緋色金に係わる緋鬼のように、黒思金に深く関係する種族のようです。ですが、彼女の肌はあまり黒く染まってはいないようですね。なぜなのでしょうか?

黒思金の性質や歴史が明らかになる中、残された謎、ハットリとは一体?




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桜花の分覚(サクラ・ノ・キ)

 

 

 

見送りに出た廊下は思っていたより冷え込んでいた。冬に差し掛かっているのだから当然と言えば当然だけど、特に今日は丸首襟の首元が良く冷える。

セーター一枚じゃ足りないよな、露出した脚の膝関節が痛むぜ。脚全体を包むとはいえ、夏用に準備した蒸れにくいストッキングはしょせん夏用。今度パオラに注文する時は防寒性能がある冬物を検討してもらうか。

 

開かれたドアの隙間から押し寄せた更なる寒波に、肩をさすって暖を取る。覗いた青紫色の空が黒く変わるのも時間の問題だろう。

そんな薄暗い外の景色をバックに、黄色いサイドテールを風に煽られたアリーシャが学校のカバンを携えて微笑む。

 

 

「……それではクロ様、ごきげんよう。次は学校でお会い出来るといいですわね」

「こんな遅くまで引き留めてしまってごめんなさい」

「いいえ、とても良い時間でしたわ。それに、光が見えましたもの」

 

 

希望(ひかり)が見えた。

チュラを目覚めさせられる可能性が出来た。座して待つだけじゃない、目的に向かって進むことが出来る。自分の足で駆け抜けて曇天を振り切り、心が晴れていく。

 

少女の輪郭が明るく輝いて見えるのは、彼女が心から感情を表に出しているからかもしれないな。色彩豊かに見えるのも気のせいじゃないんだ。きっと今日の晩飯は昨日よりも美味しいに違いない。

チュラが起きたら余った餅を一緒に食べるとするとしよう。知らない食べ物に目を丸くして驚くか、知ってる食べ物に目を光らせるか、どんな反応をするか楽しみだぜ。

 

 

「アリシャ、外は暗いので気を付けて下さい」

「心得ておりますわ。確認いたしますが、私はハットリ様の情報を集めればよろしいのですわね」

「はい…………たぶん。黒鈴の記憶は信憑性があまり高くないのが難点ですが」

 

 

『カルシウムっ!』とか言ってたしな。

おにぎ……おむすびに首ったけな鬼にホントかよって問い詰めたら『最近物忘れが……』で返して来た。いくつだよ、お前。

現在は居間のソファを寝床に幸せそうな寝息を立てている。腰に差してた刀を抱く満足そうな顔はどことなくチュラに似ていて、起こすのを躊躇うくらい良い顔だ。

 

(ゆっくり寝かせてやるか。どうやらこっちにも原因がありそうだしな)

 

両手を使って3合炊きをモグリと平らげた事に若干引き気味な3人が声を失ってたら、我慢できずに吹き出す様子で笑い出した。

それだけなら空腹で頭がバグったのかもしれないが、帽子の下の小さな顔も、立ち居振舞いでぴょんぴょん忙しそうだった太ももから下全ても、肌のことごとくが朱く染まるから分かり易かった。

 

酔ったらしい。

バラトナが付け合わせに出した若鶏の照り焼きのソースには蜂蜜とセットで白ワインが使用されている。ほんの数十CCだけ、しかもある程度は加熱されてとんでるだろうに。

唐辛子やピクルス、赤パプリカと共に20分ほどタレへと漬け込まれていた肉はフライパンの上で辛味・酸味・甘味、食欲をそそるあらゆる香りの煙を上げていた。飴色に甘辛い味が染み込み強火でパリパリに焼かれた鶏皮、食べ応えを残しながらもふんわりと柔らかく蒸し焼きにされたもも肉、白い角皿に炒めた玉ねぎとサワークリームのホットカーペットが敷かれると、横たわる鶏照りは金色に艶めく王室のベッドのようにさえ見えた。

最初は細やかな味付けやピクルスの慣れない風味に複雑な顔をしていた黒鈴も、美味しいものは見た目も味も奇妙な物が多いもんだ。仄かな酸味のあるサワークリームも何だコレと言いながら肉に絡め、2口3口と食のペースは上がり――――今に至る。

 

 

斜め向かいで紅茶を飲んでたが……美味そうだったな、後で俺も同じものを作ってもらおう。

 

 

「この件、仕事の関係者に協力を持ち込めませんの。討ち取れる状況下にある黒思金を目覚めさせるなんて知られてしまえば、私の不軌を疑われてしまいますわ」

「焦らなくてもチュラは眠っているだけのようです」

「信じておりますの?彼女のお話を」

 

青色の瞳はリビングに向かう。

アリーシャの言っている事はもっとも、油断ならないことは百も承知。素性だって知れない相手だ。でも、

 

「なんとなく分かるんです。黒鈴はチュラの事を大切に想ってくれていると。アリーシャさん、あなたもです」

「私はクロ様の事を信じておりますわよ。もちろん、バラトナ様の事も。これが徒労に終わっても構いませんの。ですが、彼女がチュラ様を見る目は私達とは違う気がいたしますわ……これは女の勘ですわね」

 

 

俺の話を聞いて、しかし同調せず自身の直感を保持する考えを明らかにしてくれた。

それでいいさ。俺達に欠けているのは冷静に客観的に物事を掌握する能力だ。

俺があいつとの会話から思考を探る。バラトナが内面に踏み込んで心情を探る。お前は離れた場所から様子を探ってくれ。今は友好的に接していても万が一、敵対の兆候を表した時に近付き過ぎた俺達じゃ間に合わないからな。あいつの本気は俺達の抵抗も許さず一刀の下に切り伏せるだろう。

 

信じる事はリスクを伴う。

ある一定方向では同じ目標を持っていたのに、振り返ると互いに見える世界が異なって仲違いをするなんてよくある話だ。進みたい距離も進行速度も人それぞれ。

 

 

「信じておりますわよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

ああ、そうだ。道は……一本じゃない。

 

血を分けた兄弟も、志を共にした姉妹も。

 

 

「暗い道はお気を付けて」

 

 

人は思い通りに進むほど、知らぬ間に思わぬ輪郭に変わって行くんだ。

流れゆく川のように。

 

 

流転していく。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"バラトナ。何してるんだ?"」

「"キンィ…………。キンズィはクリンの話を信じてました?"」

 

 

夕食を終え、風呂上がりの俺がL字の廊下を通って部屋に戻ると、バラトナがソファではなくベッドのサイドテーブルに腰掛けて紙とペンを広げていた。

そういや俺も今日の課題をやってなかった。明日に回したいけど、そろそろ兄さんが起きる可能性もある。怠けていると説教を喰らっちまうな。

 

 

「"大方はな。信じるしかない、ってのが大きいが"」

 

 

バラトナの背後を抜けてベッドに座る。いつもより薄い布団に、毛布を黒鈴に貸し出し中である事を思い出した。今晩はホットミルクティーでも飲んでから寝るか。

 

 

「"私は、クル以上にテュラと強く結ばれる人間はいないと思いました。私にはクリンよりもキンズィが近い場所で繋がっていると思うのでした!"」

「"そんなの分からんだろ。俺よりも長い付き合いの奴は他にも会った。大体、俺はあいつの生まれも事情も知らない"」

 

 

声に熱がこもっている。お前の中で何が突っかかってるんだよ。

俺は自分がチュラにとって特別だと思い上がった覚えもない。チュラ自身から話さないなら良いかなんて思って、知ろうとしなかった。

『ハットリチア』って名前の人間が俺よりチュラと親密だって――――

 

――別に、いいだろ。

 

頭が痛み、心の奥底がヒリ付く。

箱庭の睡眠期が明けた日と同じ痛み方だ。誰かが頭の中で叫び続け存在を主張しているように鈍く響く。

 

 

「"一緒に居る時間は関係ないのでした。大事なのは心、テュラがアリシャの勝負を受けたのは……ハッ!"」

 

 

何かを言い掛けて止めた。

不穏なフレーズが含まれているようだったけど、バラトナが見てる前であの2人が喧嘩でもしたか?

アリーシャが他の誰かと、それもチュラと衝突する原因なんてあるもんなんだな。

 

アリーシャは俺が目覚めた時には家の中に案内されていた。

なるほどバラトナとは面識があったらしい。俺やカナの許可なしに知らない人物を家に上げたりしないだろうし。

 

 

「"それで、お前は何書いてたんだ?"」

 

 

バラトナが自爆スイッチを8割方押し込んだ反動で黙りこくったので、話題を無理矢理テーブルの上の紙群に転換させる。

隠す素振りも無く、視線を落とした紙には夕飯に出された照り焼きのレシピへ味付けの修正とワンポイントが追記されていた。他の紙にも焦がした唐揚げの揚がり音や汁物(スープ)の味付けは時間でしまるので薄めに、なんて注意点が書いてある。

 

鶯色の髪からテーブルに影を落とし、バラトナは俺と同じ紙を見つめた。

いい笑顔を見せる年上の少女は目の下のクマが徐々に薄まってきて、元々閾値の高かった華やかさをさらに取り戻しつつある。それ自体は良い事だから嬉しいような、ヒス的には厳しいような矛盾した心境だぞ。

 

 

「"テュラにも食べて欲しいのでした。大好きな――家族、でした"」

 

 

こいつの日本語はずっとツッコミたかったけど……過去形の語尾はどうもワザとっぽいんだよな。ココロに蓋をしているような、イヤな響きを感じるんだ。

同じベッドの上で身の上話をしていた時、心をさらけ出す時には過去形ではなくなっていた。

 

でも今は、自分が生活している場所を遠くから見守っていて、()()()使()()()()()()()()()()()()()()ようで。

 

 

「"いいんじゃないか?あいつは魚料理だけじゃなく肉料理も好きだ。生卵は食わず嫌いだけどオムレツは喜んで食べてる"」

「"はい!オムレツの上にテュラがケチャップで描いたクルはとてもお上手でした"」

 

 

あれは確かに上手かった。

4人絵しりとりで俺がペンでノートに描いたネコっぽい生き物の絵よりも。

 

 

「"悪かったな、名前すら碌に書けなくて。まあ、それは脇に置いといてだ。いいか、人の為に何かをすることは誰にでも出来る。だが、人の為に努力が出来るのはすごい事なんだぞ?"」

「"そんなことありませんでした、キンィの方がもっと……"」

 

 

バラトナは椅子を立ち上がってまで身を乗り出し、俺の手に手を重ねて持ち上げようとする。

はい、だめ。ハンドタッチはだめ。ノータッチマイライフ!

 

そうはさせんぞと先手でマテの指示を出す。危険察知による早期対策は功を奏し、従順な大型犬は残念そうな顔で素直におすわり体勢に戻った。

やれやれペットブリーダーになった気分だぜ。

 

 

「"バラトナ、自覚が足りないらしいから言っておく。お前の努力は他の誰でもない、紛れもなくお前のものだからな"」

「"キンィ、自覚が見られないので言いました。他の誰かに努力をしたいと思わせる、力添えになりたい気持ちをくれる、それはすごい事なのでした"」

 

 

手元のメモ紙をトントンと束ねて片付け始めた。俺が上がったからシャワーを浴びる準備をしてるんだろう。温泉大国ハンガリー出身のくせして温泉も怖いって話だ。

努力の結晶はバラトナの両腕にずっしりと重みを伝え、ひとまとめにサイドテーブルの棚の一番下にしまわれる。

 

努力したいと思わせる人間ってなんだろうな。

そりゃ力になりたいと言われて悪い気はしないが、まんまと口車に乗せられただけかもしれん。こいつの褒めレベルは半端じゃない、天才的な提灯持ちだぞ。

 

 

「"――っ!いつか自分の為に活かせよ"」

「"今、活きているのでした。今日、明日、明後日、いつも活かさなければ後悔しました"」

 

 

け、結構考えてたんだな、バラトナなりに将来の事に囚われず。

朗らかで屈託のない笑顔に隠れて忘れつつあるが、彼女の体には一生逃げられない紋章が埋め込まれている。

 

箱庭で名前の無い魔女は呪いを掛けた。

参加者を試すなんて理由で、普通の人間には抵抗出来もしない悪夢を植え付けたんだ。

 

深く暗く、色の無い暗澹たる呪い。

 

………ん?そういやバラトナは俺がいないと寝られないんだよな?けど俺達は日本に帰るし、お前には帰らなきゃならない場所がある。

もし箱庭の主が紋章の解除に応じれば一件落着になるけど…………もし、主が姿を現さなかったらどうするつもりだ?

 

 

「"そうでした!キンィはどうしてファビオラの事を聞きました?"」

 

 

猫背気味の背中を見て考え込んでいると、衣装棚から着替えを取り出すバラトナが疑問を投げかけて来た。

そうそう、それが今日の本題。スカッタ、黒鈴と続けざまに変なのが乱入して後回しになったんだよ。

 

アリーシャでも地下教会に隠匿された彼女の動向は掴み辛いようで、ショッピングモールの事件に足を向けていた事を知らず、そんな一般武偵が請け負うような任務に一役買うとは、と顎に手を当て考え込むようにしていた。

通常、教会の生徒は魔女狩りや使い魔駆除を花形とし、魔力の残滓から魔女や陣の敷かれた拠点、そういった魔的な存在の捜索を行うものらしい。

 

魔女が出たとあれば殲魔科のファビオラが現れても不思議ではないが、アリエタと宿金の存在はバラトナにも伏せていたから、なぜ教会の優秀な新人が出陣したのはか分からないだろうよ。

 

 

「"気になったんだ。あいつの髪"」

「"髪でした?キンィは短い髪の方が好みでした?"」

「"どうしてそうなる。そんな事無いぞ"」

 

(どうでもいいからな。てかこの質問クロの時にもされた覚えがある)

 

毛先を指で弄りながら俯き気味で振り向いたバラトナは俺の適当な返しにご満悦の様子だ。上機嫌に髪を梳いてるね。

まあこっちもどうでもいい。

 

「"髪と眉毛の色が違った。何故かは知らんが染めてるらしい"」

 

髪型が気になったというより、髪の色がおかしかったんだ。紅梅色の髪でありながら眉毛は色の濃い金褐色(オレンジゴールド)

日本に比べて染髪が一般的とは聞いたが、ピンクゴールドやピンクブロンドを遥か通り越したベタ塗りのピンクは初めて見た。

 

 

「"おしゃれさんでした?"」

「"お洒落ってより変装なんじゃないか?武偵学校の生徒なら良くある。隠れたいんだか目立ちたいんだかいまいち目的がハッキリしないけど"」

「"クルもでした"」

「"あーあー、聞こえない。だが他にも引っ掛かることがあって――"」

 

 

変装をしている。それだけなら気に留める必要などない。

しかし、それだけじゃないから今日の運びとなった。

 

 

「"仕草がな……似てるんだ"」

 

 

剣の先で突かれそうになって思い出した。

チュラには理解が及ばない物を観察する際に指先やスプーンの先端とかで突っつく癖がある。あまり褒められた癖ではないから言い聞かせているのに治らない悪癖の一つだ。

 

コラムが仲介してくれた後も、焦点を結ばない目が俺の全身を、細かな癖や呼吸のリズムを、筋繊維や体内を流れる血の動きまでをも見透かしている気がした。

見えている世界が違うような、そんな()()()があいつに似てる。

 

 

眉毛の色が一緒で、目尻の下がった丸い暗黄色の瞳も一緒。

気になり始めたらその共通点が頭を離れなくなった。

 

 

「"キンィ?"」

「"いや、考え過ぎかもしれない"」

 

 

アリーシャからは有益な情報を得られなかった。お茶会で人喰花全員の応接を担っていたものの、彼女が交流を持っていたのはカルメーラ・カルミーネ姉妹だけらしい。

逆にパトリツィアとその2人が苦言や皮肉をぶつけ合う喧嘩仲間なら、仔犬の様にベッタベタに甘えていたのがファビオラなんだとさ。

 

()()()()()()であるパトリツィアにそれはそれは良く懐いていた、と。

そして、フォンターナ姉妹もそうだ。彼女達は()()()()が思主だった。

 

 

 

ありえなくはない。

チュラに、戦姉(クロ)ではない別の――()()()()()がいる可能性も!

 

 

 

(黒思主は何人存在するのか。黒鈴に確認だな)

 

 

「"メリッサの紅茶を用意しました?"」

 

メリッサの紅茶……?

ああ、レモンバームか、シチリア島合宿で寄ったレストランのメニューにあったワインの事かと思った。

植物をたまに変わった名称で呼ぶんだよな。今回は分かったぞ。

 

「"ん?あ、いい、自分で淹れる。前にも言ったが夜はコーヒーも紅茶もローカフェインで薄くするんだ。本当は寝る時間に近くなったら飲まないのが一番だけどな"」

 

 

今にも腕に抱えていた危険な布を置いて紅茶の準備に行こうとするルートを軌道修正。

お前が行くのはキッチンじゃなくてバスルーム、湯を沸かすんじゃなくて浴びるんだよ。

 

 

「"私が戻ったら一緒に勉強しました。課題の前に頭を休めるのでした"」

「"そんなに多くないから大丈夫だ"」

 

 

すんなり引き下がったバラトナは、カバンから課題で使う教科書を取り出す俺にちょっと困り顔で一言告げると開いたままの扉の方へ、ぺったんぺったんと廊下を進む足音は次第に遠く離れて行く。

 

 

「"寒いな、それに眠い。コートでも羽織って――"」

 

 

あー……眠い…………

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"起きろ、キンジ。朝だ"」

 

 

(……あさ?いや、まだ目覚ましは鳴ってない……)

 

目覚ましは毎朝セットしている。習慣化された体は自然と目覚めるものの、カナが朝練を欠かさないようにと用意してくれたデジタル時計だ。携帯は任務で音を消しっぱなしにして忘れちゃうとかの理由。

バラトナも起こすなら予定時刻に起きて来ない時に限って欲しいよな。睡眠時間には波があってだな、レム睡眠とノンレム睡眠が――良く分かんないけど。

 

 

「"ふむ、そうか。お前もこの国に来て慣れない環境の中、大きく成長していると嬉しく感じていたが、どうやら早合点だったようだな"」

 

 

(そうそう早合点……って、日本語の使い方間違ってるぞ。第七装備科の2人じゃあるまいし)

 

 

「"しかし俺もお前に苦労を掛けたとは思っている。さっき優しく声を掛けたのはその為だ。従って猶予を与えよう、5秒後に本気で起こす"」

 

 

(5秒後……?随分と気が短いな、大家が朝コーヒーのお誘いにでも来たか?)

 

なんか、急に寒くなってきたな。生存本能が騒いで血の気が引いた時に似てる。

布団を頭までスライドさせて外気を断つがそれでも寒い。低体温症でも低血圧でもないのに何だってんだ。

こっちは課題が思いの外長引いて寝る時間が遅くなったんだ。ギリギリまで寝かせてもらうからな。

 

 

「"断っといてくれ、バラトナ。あと5分……"」

「"…………。良いものを見せてやろう。遠山家の技は手取り足取り教えてやるものではない。覚えておけ、クロは見事に俺から奪って見せたぞ"」

 

 

(……あれ?ク()?お前発音が良くなって……まてよ、キン()?)

 

布団をめくり、ぼんやりと見え始めたシミのある天井の画角に栗色の長髪が映る。長く揃った睫毛、スッと通った鼻筋、絵にかいたようなイケメンは怒りで顔を歪めている。

それでも美形が崩れない事に驚く間もなく、その顔が、正確にはその額が視界の上にゆっくりと下ろされていく。

 

額で体温を測るようなその動きの理由を理解し戦慄した。

思い出したくもない痛ましい記憶。これは夢の中でやられたことがあり、そして見事に習得したクロが難局の突破にぶっ放した――――!

 

 

「"き、金一兄さん!起きた!ボンジョルノ!"」

「"もう5分経ったか?ボンジョルノ、キンジ。安心しろ、お前の頭の下は枕だ。桜桃のように潰れはしない"」

 

 

仮に兄さんがヒステリアモードじゃないにしても、兄さんのは俺のより固い!

 

 

「"せめてゲンコツに……ッ!"」

「"歯を食いしばれェッ!"」

 

 

触れる、触れてしまうぞ……なにか策は?逃げ道は?そんなもん、ねーよッ!

頭が!兄さんの岩石並に固い頭突きがッ!

当たっ――――

 

 

 

 

 

 

世界が揺れる。

頭痛なんて生易しいもんじゃない。頭蓋骨が割れて凹んで、バウンドした脳が衝突しているみたいだ。

 

だが足は休ませられない。隣でジョギングしてる鬼コーチが般若張りに恐ろしい眼を光らせている。救いは兄さんが睡眠期明けで、駆け足程度の速度で推移してるところか。

頭突き説法なんて久々に喰らったよ。おっとりしたカナは暴力的に事を収めようとしないからな。

 

 

「"キンジ、俺が眠っている間よくあの家を守り抜いてくれた。目を見ればわかる、お前もその歳で少しだけ死線を潜ったようだな"」

「"死線なら2ヶ月も経たないうちに行ったり来たりしたよ。ずっとその瀬戸際に立たされてる気分だし"」

 

 

おかげで夜に美術館って聞くだけで怖気を感じるようになっちまった。芸術って言葉もあんまり聞きたくない。元々縁遠い文化だったけどさ。

 

兄さんは狼や獅子を彷彿とさせる荒々しい白毛皮を飾った漆黒のファーコートを羽織り、中も外も上も下も指先までもが全身黒ずくめ。時期的に服装への違和感はないけど、昼間に真っ黒ってのは死神みたいで不吉だよな。

この服装をクロが真似しているのは言うまでもない。あっちは夜戦用というか…………その……まあ、ちょっとな、クロは兄さんを神格化し過ぎてるというか、偏執的に慕ってるというか……

 

 

「"俺より先に死ぬんじゃないぞ?遠山家の人間は地獄には招かれないが鬼籍には大いに歓迎される"」

「"天国に行く選択肢はないのかよ……。兄さんこそ毎回毎回1週間以上眠ってるのは不安なんだからな"」

「"フッ、お前に心配されるまでもないさ。チュラの事はバラトナから聞いた。俺が男だと聞いたら髪を逆立たせて驚いて――――!"」

 

 

俺の寝ている間に一悶着あったようで、兄さんは顔を真っ赤にしてる。やばい兄さんが自爆した、俺がボコられる。話を変えないと!

たぶん、『すごいのでした』『天賦の才でした』とか嬉しくもない事でこれでもかと褒めちぎられたんだろう。相手が女だから怒るに怒れず、と。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"ごく一般的な反応だと思う。俺はバレてて逆に唖然とさせられたけどな"」

「"何っ!クロの変装が見破られたのか!なぜだ?アレは俺ですら完璧だと考えていた"」

 

うごぉっ!突然止まって肩を掴まないでくれよ!頭の中がシャッフルされる!

 

「"良く分かんない!聞いても答えてくれないんだ!"」

 

 

俺自身バレるとは思ってなかった反面、兄さんがここまで取り乱す程に遠山クロという転装は完成されてしまってるのか?

褒められること自体珍しいのだが、事もあろうにアレが褒められるんだもんな。ちくしょう。

 

女装つながりだから予断は許さないが、話題はカナから離れた。

クロの変装がバレたと聞いたら驚くと見越した通りだ。通り越して過剰反応されたのは納得いかんぞ。

 

 

「"アレ以上の改善を必要とするか……"」

「"いらない!学校もアレで通じてる。バラトナがおかしいんだって!"」

 

 

マジ顔で考察を始めた実の兄は、「仕草は問題ない、やはり偶に男口調になるのが原因か?」とか実に良い声で呟く。

いいから!人の女装にそんな気を遣わなくていいから!

 

女装のプロフェッショナルが余計な案を言い出す前に更なる話題を…………あった。

 

 

「"兄さん、今朝は見掛けなかったけど黒鈴って奴と会ったか?タコ壺みたいな大きい帽子を被った着物姿の……見た目は少女っぽい――"」

「"ああ、会った"」

 

 

バラトナからチュラの話を聞いたのなら、姿は見ていなくてもと名前を出してみた。兄さんが起きた頃にはまだ家に居たんだな。

鬼がどうの神がどうのは外で話す事でもない。聞きたいのは、

 

 

「"兄さんはどこまで知ってたんだ?"」

 

 

チュラの事――――生まれの事、黒思金の事、黒川刀の事。

 

本当は聞きたいことが増えすぎて多すぎて膨らみすぎて爆発してしまいそうなんだ。

 

 

金星という少女と俺を助けてくれた恩人の話。

俺の居ぬ間に家に訪れた来客の正体。

アルバの話していた既に離脱した国。

 

 

訳が分からないことだらけだ。きっと教えてはくれないだろうけど。

 

 

「"……これは()()()()()()()内容を含む。お前が巻き込まれたのは宿命だったのかもしれないな。付いて来い、思金の事を知っているものとして、箱庭の宣戦から辿って説明しておこう"」

「"待ってくれ"」

 

 

違うんだ、兄さん。これまでの俺はそれで甘んじてた。ただ、兄さんの背中を追うだけで精一杯で、流れゆく左右の景色を電車の車窓から座って覗いてた。兄さんが眠りに就いて、指針を失い立ち止まった。チュラが目覚めなくて、待とうとした。

でも、違うんだ。気付いたんだ。俺が見るべきは。前に進む人間が見なきゃいけないのは過ぎ去っていく今じゃない。立ち向かっていく今だったんだ。

 

 

「"どうした?"」

「"兄さんの目的は遠山家の技を盗んだ『金星(かなせ)』を斃す事。その為にヨーロッパに来たんだよな?"」

「"そうだ。そして武偵高の生徒である俺が最も自然な形で近付くために留学の制度を利用したのだ"」

「"なんで俺を連れて来たんだ?まさか本当に俺を女に慣れさせるだなんて甘やかすような事を兄さんが言うとは思ってない。だけどそれ以上に、兄さんは半人前の俺が命の危険を冒すことを見過ごす人じゃなかったはずだ"」

 

 

兄さんは無為な行動を好まない。意味があるはずなんだ。俺がここに居なきゃいけない何らかの理由が。

俺はそれを知って、己の意思で動く、動かなければならない。兄さんの後を付いて歩くだけじゃ、何かを失った時に俺は兄さんを恨んでしまう。それは容赦なく俺を義の道から弾き飛ばす悪感情になる。

 

兄さんの纏う気配が変わり始める。俺の考えを手に取るように読み当てているのかもしれない。

だがそんな事はどうでもいい!知らなきゃならないんじゃない、知りたいんだ!兄さん!

 

 

「"教えてくれ"」

「"お前は箱庭を生き延びる事だけを考えていればいい。この戦いの経験は全てがお前の糧になる"」

「"俺は逃げない。兄さんが俺から逃げたとしても、俺は思い通りには動かないぞ!"」

「"キンジ……!"」

 

 

怒っている。

周囲で散乱したゴミをついばんでいたハトが一斉に飛び去り、草むらからはカサカサと慌てて掻き分けていく音が聞こえた。

殺気が俺と兄さん以外の生き物を排斥していく。

 

 

「"俺を疑うのか?キンジ"」

「"信じてるんだよ!"」

 

 

あの時、心の中では無理だろうと思いながらカナには信じてくれなんて言った。

けど、ダメだった。カナは……兄さんは俺に真実を伝える事を躊躇った。

 

だから――――

 

 

「"お前は未だ危うい、己の義を見出せぬ若輩者。俺の隣に並び立とうなどと背伸びせず俺の言った通りに動いた方が良いのだ"」

「"何が何でも答えてもらうぞ、金一兄さん"」

 

 

 

――今度こそ俺の事も少しだけ、信じてくれ!

 

 

 

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました!


金一兄さん始動!
今回はキンジとアリーシャ、バラトナ、金一の会話で三部構成。

今章のテーマ『流転編』も残り3話。人は変わるもの、影響し合う者同士がくっついて、ぶつかって、離れて。次章につながる丸々の伏線章といった所でしょうか。


キンジと金一兄さんの再会は、どう転がるか。
次回も待って頂けると嬉しいです!




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吹溜の乾風(カフェ・コレット)

 

 

 

『キンジ、少し外出するぞ。バラトナ、留守の間チュラを頼む。黒鈴がいつ戻り何をするか分からない』

 

そう言って兄さんが俺を連れ出したのは30分前の事だ。

素直に頷いたバラトナは疑いもなく頑張る様子だったけど、すまんな、お前がいると話せないことがあるんだと思う。

 

外はよく晴れて風が強かった。そんでもって乾燥が酷くて静電気が怖い。

バスがメチャクチャに遅延してるよーとバス停近くで踊ってるおじさんに教えられ、確認した電光掲示板は30分の遅延だったが、まあまだ到着してないだろうな。よほどの遠出でない限り足を使うのが基本だよ。

 

 

「"昨日はごめんな、兄さん"」

 

 

すれ違うスーツの若い男性や親に手を引かれた下校中の少年少女、大きなトラベルバッグを引いているオフシーズンを狙った個人の観光客等の途切れを見計らって話し掛ける。

一晩考えたけどこれだけしか用意できなかった。

 

俺は兄さんに逆らった自分が間違っていたとは思ってないから、この謝罪の言葉だって兄さんの弟に対する情をフイにした心苦しさを表現しただけだ。

こんな考え方が出来ているのは俺の成長によるものか、単なる反抗期のトゲトゲしさが謝る考えを嫌ってるのかは分からない。どちらにせよ俺は自分から兄さんに逆らう事を選んだ。

 

前を歩く兄さんは振り向きもせずしばらく沈黙したままで、俺もそれ以上は言葉を続けられない。

風に飛ばされた紙袋のゴミが西部劇映画の転がり草みたいに俺の前を横切り、車道を走る車のヘッドライトに引っ付いて走り去っていく。

 

 

「"――俺も考えた"」

 

 

その一言に俺の生意気な態度を諫める声色は無い。

急に切り出された会話に先程の俺がした謝罪など必要ないと遠回しに言われたような気がして、靡く栗色の長髪を静かに眺めて思わせぶりな前振りの先を待つ。

 

 

「"結末ばかりに気を取られていた俺は、もっと大切なものを見失っていたのかもしれないとな"」

「"結末?"」

 

 

兄さんは振り返らず、歩き続ける。

昨日、兄さんは俺をローマ留学に……かなせ征伐の道程に同行させた理由を、恐らく複数ある内の1つを教えてくれた。

それはにわかには信じがたいものではあったけれど、一笑に付すことも出来なかった。

 

繋がっていた。

カナのお願いも、遠山クロが生まれた事にも理由があった。

 

 

 

俺が消される可能性がある――――

 

 

 

カナのお願いは俺とかなせに関係性が『ない』と確認するためのものだった。

どうやら俺とかなせという少女の関係を疑っている人間は他にも存在するらしい。

 

そして一部の過激な一党はかなせの捜索と並行して、秘密裏に()()()()()()()()を進めている可能性がある、と。

日本に置いていくことを躊躇った兄さんは俺を育て上げる事を名目としてローマに連れてきた。だがそれでも追手が現れないとは限らない、結果正体を隠すために生まれたのが、

 

 

「"遠山クロを大きく喧伝し、お前から金星との関係の疑いを逸らす。だからお前には身を潜めていて欲しかった。お前が危険な目に遭っては本末転倒だと思っていたのだ"」

 

 

政府筋につながる伝手を使って作り出した架空の人物、遠山クロ。

俺がカナのように裏人格を獲得したのは嬉しい誤算だった。それもカナよりも相互の記憶を強くリンクし、(クロ)はスイッチと呼ぶ変身のトリガーが自由自在と特異な形で発現している。

 

 

「"しかし、すっかり失念していた。お前が俺の弟であるという事はこうなってしまう危険性があった。成長とは嬉しくもあり、実に頭を悩ませるものだな"」

「"素直に喜んでくれよ。そもそも俺は守られるためにこの国に来たつもりなんて、これっぽちもないんだぞ"」

 

 

守られてきたんだろう、箱庭の宣戦が始まる前から知らない所で。

だが、それも今日までだ。兄さんの作戦は継続させる、昨日の話し合いでそれは決定された事で、俺はローマ武偵中に通い続けてカナと共に箱庭を生き抜く。

 

遠山クロとして。

このヨーロッパ留学を武偵として俺の糧にする。

 

 

「"とはいえ、戦闘面は大いに難ありだ。クロの状態であれば俺を下すことも出来ようが、それでは調子に波のあるあのモードは不完全だ。重要なのは通常状態でどれほど戦えるようになるかだろうな。やれるか?"」

「"やらなきゃまた地面に叩き付けられるだろ。やるよ、一生をクロとして生きていくなんてありえんからな"」

 

 

久々の兄弟喧嘩はあらかじめ決められた型の組手みたいに、俺の攻撃全てが対応されて一方的にやられてた。実力差は埋めようのない大きなものだよ。

苦い記憶に渋面を浮かべ素直じゃない返事だったけど、兄さんは頭を少し下げて笑っているみたいだ。

 

笑うなって。

兄さんだってカナのまま一生を過ごすなんて考えられないだろ。

 

 

それでも兄さんは振り返らない。ただ、歩みを止めた。

左手側には小さくブラインドの締め切られた建物がある。古そうだがボロいとは感じない石造りの小屋って感じだ。

木枯らしの中を歩いてはるばる辿り着いた指先はあかぎれが出来そうなほど乾き、冷たくなっている。

 

 

「"さすがは俺の弟だ。やってみせろ"」

 

 

寝起きタイムはもう終わりだとばかりに、一際大きな風に黒いロングコートをバサバサと暴れさせて、ようやく振り返った兄さんの顔は……いつも通りに戻ってる。

兄さんの言葉を思い出して緩みそうな口元を耐え、リフレインする。

 

 

「"信じてくれるんだろ"」

 

 

アリエタ、スカッタ、黒鈴。

ここ最近は俺も受け身で当たる相手ばかりだったけど、上げるぞ反撃の狼煙を!

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

シャラランと中空の金属が音を立てる。耳に痛くない小さな音が止むと、兄さんがカウンターに立つ男性に一礼して奥の方へ歩いて行った。

日の当たらない手狭な小屋のような店内には2人掛けの席が2つ、カウンターに並べられた脚の長い丸椅子の数は4つ――バーカロスタイルのカフェ(バール)って感じだ。俺達が着いた席はその4つ並んだうちの2つ、改めて近くで確認した店員は外見は30歳前後に見える。本人はきっちりと着こなしているつもりだろうけど、第二ボタンまで外したら十分着崩してる部類だと思うぞ?

 

 

ベンヴェヌート(いらっしゃいませ)……」

 

 

促されるまま一番奥の席に俺が腰を落ち着けたのを待ってから、初めて俺達の方へ視線を寄越す。低く良く通る声だ。それに身構えてしまう程の迫力もある。

 

 

「カフェ・シェケラートを頼む」

「かしこまりました」

「いや、今日は冷えるな、カフェ・コレットにしよう」

「……酒精はいかがいたしましょう」

 

 

お、おいおい。昼間から酒を頼むのか?

兄さんはいけるかもしれないが、俺はまだこの国でも飲めない年齢だぞ。

 

 

「香りが少なく重いものであればなんでもいい。ああ、2人分だ。片方には花形の飾りチョコとミントを浮かべてくれ」

「付け合わせは希望なさいますか?」

「オリーブを効かせたフォカッチャを2人分、もう1人分は塩をかけて炙るだけにしてくれ」

「すぐにお持ちいたします」

 

 

しれっと2人分の注文を済ませてしまった兄さんは、サービスかどうかも分からない付け合わせを3人分?付けた。

口を挟むか悩んだが……まあいいか、この店メニューを出してないし、接客しながらマスターが随時提供をしていくシステムなんだろう。根暗や人見知りには辛いシステムだぜ。

 

椅子のマット部分の面積が小さく、仕方なしに体重を預けた粗削りの木材みたいなカウンターテーブルは良く言えば味がある。

艶出しのコーティングが剥げた場所が所々あるものの、汚れが残っている場所は無い。元々来店が少ないだけかもしれんがな。

 

 

「"キンジ、お前も何か飲め。俺が持つから心配いらない"」

「"何か飲めって、たった今兄さんが俺の分も頼んだじゃないか"」

 

 

言っている意味が分からず眉をよせる。間違いなく(ドゥエ)と聞こえた、おかわりを事前に用意してもらうわけじゃあるまい。

 

 

「"実の弟に違法行為を強要する兄など兄ではない。それとも、お前は――"」

「"わかった、ごめん兄さん"。カフェラテを1つ下さい、あとフォカッチャを俺にも」

「かしこまりました……」

 

またしても頭突き説法を喰らったら今度こそヒビ割れからぐっしゃりいってしまう。折角の綺麗なテーブルを血生臭くしたら店員さんにも迷惑だ。

 

オーダーも手早く済ませる。いや、何を提供してるか分かんないからな。この店員と話すの怖いし。

グッシーニとかパニーニくらいなら置いてたかもしれない。

 

 

「"誰か来るんだな?"」

「"分かっているならいい。お前は会った事が無い相手だが、絶対に仕掛けるな。それと、『遠山』の姓は一切口にせず、なるべく聞きに徹しろ。表情も隠せ。口が上手い相手にお前は弱いだろうからな"」

「"……友好的な相手じゃないのか"」

「"表面上は友好的だ。忠告しておく、HSSでない俺とお前では厳しいだろう。いいか?何があっても穏便に済ませるように努めろ。奴らが慎重過ぎるのを逆手にとって人数を合わせたのだ。少なければ戦闘の可能性も発生し、多ければ逃げられてしまう"」

 

 

多すぎないか?危険人物。数を合わせた(イコール)相手も2人。いちいちマークしてたらここら一帯が髑髏マークで埋まるんじゃなかろうか。

ただの軽食だとは思ってなかったけど、そんな一触即発の現場に連れて来られるとも思ってなかったよ。

 

俺の有無を置いておくとして、兄さんは通常時でも一流の武偵だというのに相手はそれ以上らしい。それでいて慎重さも持ち合わせてるんじゃ接触が難しいのもうなずける。

遠山姓を隠す理由はおそらく遠山を名乗るカナやクロとは必ずしも友好的ではないから、もしくは関係性を隠す必要性……俺達の立ち位置を明確にしない意図がある。例えば、

 

 

「"箱庭は裏切り、不意打ちを禁じていない……兄さんはどこの国に潜入(スリップ)するつもりだったんだ"」

「"バチカンと見解が合った。裏で警戒を続けている箱庭で最も危険な国、そこにいるのだ……俺のターゲットが。しかし奴らが表立って行動を起こさない以上、こちらから出向くしかあるまい"」

「"最も危険な国?どこの事を言ってるんだ?"」

「"代表戦士は一度共闘したことがあったな。お前にとっては因縁の相手ともなろう"」

 

 

俺の右腕を見る辛そうな目に、トパッツィヨの幻想的な一人輪舞(ロンド)を踊るお人形さんが記憶の回廊から姿を現す。

トロヤとのゲームで共に戦った仲間であり、過去には俺の片腕の自由が危うく奪われてしまう攻撃――吹き矢を放ったフランスの代表戦士。

 

フランスはバチカンやロシアと同盟を結んでいる内情の知れない組織。カナやクロの事を同盟に誘致していたが、蹴っちまったんだ。

そもそもクロ同盟はどこかと同盟を結んでしまった時点で当初の狙いから外れてしまうものである。

 

 

「"フランス、ここに来るのはフラヴィアなのか?"」

「"会ったことがあるだろう。それにあいつの口が上手いと思うか?"」

「"早とちりした。それとあまり話したことがないよ"」

 

 

そうだった、俺が出会う機会がなかった奴が来るんだった。

ヒステリアモードなしでフラヴィアの相手は難しそうだが、絞り込みフィルターに引っ掛かってた。

 

 

「"強さは大きく外れてはいないだろう。どちらも戦闘要員ではないそうだからな"」

「"ちっとも会いたくなくなったんだけど"」

 

 

あれでかよ。じゃあ戦闘要員の強さはどうなってんだって話だ。

離れた相手にはグロ注意の信管付き吹き矢を、近付いた相手には超高速の刃の嵐をお見舞いする万能(マルチ)ユニットだぞ。

 

これから会う奴らがそれと同じくらいの強さ。

確かに下手な真似をして戦闘に発展するのは避けないとまずいな。ただでさえ俺が数的バランスを取る為の足を引っ張る置物なんだ。

 

 

「"どこで知り合ったんだ、そんな実態の見えない奴らと"」

 

 

兄さんは一度言葉に詰まってから視線を外し、天井から下がる一本挿しされた薔薇の花瓶を見上げた。

記憶を探っている訳でも、作り話を模索している訳でもない。この間は後追いしかねない俺の身を案じて生まれたものなんだろう。

 

 

「"…………協力者がいた。俺1人では今頃如何なる成果も挙げられず途方に暮れていたことだろう"」

 

 

俺はクロとしてローマ武偵中で日がな一日を勉強と任務に費やしていた。

兄さんはカナとして武偵高のみならず、遠山家の使命にも従事していたんだ。遠く離れた異国の地で後ろ盾も得られないままに。

 

いくら優れた人間にも個人の力は武力も財力も権力も壁がある。その壁を超える為に人間は集団を作るんだ。俺たち武偵も武偵というだけで認められる権利と義務がある。

利害の一致、交換条件、対等なり貸借なりの繋がりがあって然るべきだ。

 

 

「"そいつは信用できる相手、なのか?"」

「"信用を寄せられる相手であればここにお前を連れてこないさ"」

 

 

ああ、そういう感じね。胃が痛むぜ。

だが、悪くないな。兄さんは俺の事を多少は信用してくれてるって事だろ。

 

昨日のアレは無駄じゃなかったのかもしれない。

そりゃもう一発でも当ててやろうとガムシャラに兄さんに殴り掛かって、掴み掛かって、しかし俺の戦闘技術はそのほとんどが兄さんから学んだものだ。

突き技は威力不足なので反撃覚悟で裏拳の回し打ちやエルボーを狙うものの、初動を見てからスウェー&開手の平拳と手刀で返され、組技を狙えば重心を崩された上に軽い足払いと打ち下ろしで地面に転がされ、5分も経たずに立てなくなった。

覚悟なんて屁の役にも立たん。俺のオリジナル戦術を開発しないと手も足も、今回は頭もでなかったぞ。

 

 

「"あんまり、心配させないでくれよ"」

「"お前に心配されるとは、俺もまだまだだな"」

「"そうじゃない、家族だからだよ"」

 

 

それだけ伝えて俺は黙る。店員が飲み物をカウンターに並べ始めたからだ。

立場が上だろうとの判断で初めにホイップクリームの浮いた兄さんのカフェ・コレット、次に席についている俺のカフェ・ラテ、さらに注文通りミントと花形のチョコがクリームにのせられたカップが兄さんの隣に配られる。

早速おいでなすったらしい。シャラランと音が鳴り、入り口の扉が控えめに開けられた。

 

ノブをひねったその白磁の様に白い手首は細く、腕が伸びる肩の位置から身長は低そうだ。続いて扉の隙間から見えたのはターコイズブルーの髪……!

 

(おいおい……!)

 

 

「"さあ、どうぞ。ボクの主"」

「"ありがとプルミャ!でもドアくらい私も――"」

「"突き指2回、手首の捻挫1回、骨折1回、鼻血1回。さて主、これは何の統計かな"」

「"――うん、ごめんね?"」

「"ここひと月で主がドアを開け損ねた怪我だよ"」

「"い、言わなくていいよ!"」

 

 

白のブラウスに亜麻色の腰丈ジャケットを羽織った少女は鳥の羽のような特徴的な髪型で、力の入っていない両瞳はエメラルド。

見間違えないぞ。あんな頭部が特徴だらけの奴が何人もいてたまるか。

 

(あの時の審判だ)

 

偶然か運命か、チュラの保護者的な存在が目の前に現れた。

俺が会ったことが無いってのは半分当たってたな。夢の中で会ったことがあるから半分は外れだけど。

 

 

もう一人はどこかで見かけたかもしれないし、そんな事無いかもしれない。顔を合わせた事が無い相手だ。

俺の視線に気付いた少女はそそくさと審判の後ろに身体を隠すと、にかぁーっと曇りの無い笑顔で日本式に会釈をして肩に掛けたポシェットを勢いよく落としてる。癖毛気味で自然に伸びたピンクに近いレッドコーラルの髪は染めたものではなく天然物で、こちらも瞳の色はエメラルド。なんなんだよ、カラコンにしちゃ色素が薄すぎるし、こうも同じ瞳が並ぶと疑っちまうな。フラヴィアもアリエタも……疑いたくないが、もう一人の戦妹(あいつ)も同じ瞳の色だ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「"オーラ、金一。君のような逞しい若人にまた会えて嬉しいよ"」

「"こちらこそ、お久しぶりです。華々しくも楚楚とした永生の淑女に一目置かれるなど光栄だ"」

 

 

拾い上げたポシェットを主と呼ぶ少女の肩に掛け、開いた両手を頭の左右で揺らす。

それが挨拶のジェスチャーなのだろうか。

 

あいつ、プルミャだったか。話がややこしくなってきたぞ。

それに食堂で(クロ)を勧誘した時と気配が違う。あの時も今も気配を偽って、交渉相手の一定以下のラインを倣っているようだ。フラヴィアと似た器用な真似しやがって。

 

 

「"今日はすまないね。本当は1対1で甘美を薫ずるサクランボ酒でも差しつ差されつしたかったんだけど、主の自由奔放な性格にも困ったものさ"」

「"主というと、そちらが?"」

「"そう、彼女がボクの主。君も……そこの少年も畏まらずに応じてくれ。それが主の望みだ"」

「"紹介が遅れた、こいつも俺と同じ武偵だ。それにしても驚いたな。敬愛する主を語る貴女の様子から、高潔で厳格な令嬢を想像していたが、まさか故郷に咲く椿のように控えめで愛らしい少女とは"」

 

 

兄さんの紹介に合わせて一応会釈を返しておく。空気を悪くするのは避けるべきだし、単純に挨拶されたんだから返すのが礼儀ってもんだ。そんな事も分からない恥ずかしく厚かましい奴だとは思われたくない。

会話の中でプルミャはヒステリアモードではない通常の俺を、兄さんは向こうの身長差で隠れられてない少女を。互いの戦力を比較したらしい。

俺から見てもこの場は互角に感じる。大雑把な推測だけど後ろの少女は覇気も無く戦闘が出来そうに見えない。俺以上のお荷物に成り下がりそうだ。

 

 

「"控えめなのは人前だけさ。そっちの君もご丁寧にどうも、君の事は何と呼ぼうか?"」

 

 

暗に偽名でも構わないよと言っているようだけど本名で名乗るべきか?

……いや、この一件に俺の勝手な振舞いを持ち込むべきじゃないな。打ち合わせ通り口は固く結んで――――

 

 

「"ねえ!あなた、リヤノアなんて名前どうかな?"」

「"っ"」

「"……!"」

「"――は?"」

 

 

突然の重圧に椅子から落ちそうになった。

あの少女の仕業じゃない。少女の発言に2人が瞬時に反応したんだ。黙々とオリーブオイルを垂らしてる店員と発言主は平然としているものの、いきなり平和的空間は終了か?

 

 

「"……主、名前は個人が持っているんだ。君が名付けなくても大丈夫なんだよ"」

「"あれ?あ、そっか!あの人は2回目なんだ"」

「"違うよ、彼らは回数を重ねない。君と同じさ"」

「"でもあの人には咲いてるよ?一色の中に模様が無くて、黒い陰が強く差してる"」

「"…………。見間違えだよ。ボクをからかわないでくれ。ほら座ろう、折角のコーヒーが冷めてしまう"」

「"嘘じゃないもん……"」

 

 

雲行きが怪しくなるかと思われたが、悪戯した子供に言い聞かせるような会話の中で、プルミャの台風のような荒れた気配がそよ風に落ち着いていく。兄さんの鬼のような闘気も収められ、何事もなかったかのように2人が席に着いた。

何だったんだ、今のは。

 

 

「"重ねてすまないね、金一。こういう子なんだ。怒らないであげてくれ"」

「"いえ、少し気が立っていたのはお互い様のようだ。こいつの事はキンジと呼ぶといい"」

「"部下のようなものかな?オーケー、よろしくお願いするよキンジ"」

 

 

ホットのティーカップを軽く上げ、俺と兄さん、プルミャが乾杯の代わりとするが……気になって仕方がないんだが。

 

 

「"その、そいつ……の人は何か飲まないのか?"」

 

 

喋るなと言われてても雑談程度ならセーフだろ。

1人だけただ座ってるだけってのもおかしい絵だ。炭酸水と塩パンならぬ塩フォカッチャがちょうど来たところで促してみるも、

 

 

「"私は……"」

「"キンジ、彼女は喫してよい物に制限がある。肉を食わぬ仏僧やヒンドゥー教徒のようなものだと思え"」

 

 

話しぶりから前にプルミャと会った時に聞いていた情報のようだ。

篤い宗教家なのか、それにしても酒がダメなら俺が飲んでるコーヒーでも、牛乳も果汁のジュースだってある。何かしらは飲めるだろうに。

 

 

「"一時的なものさ。今日の主は水と数種類の穀物のみ、アルコールやカフェイン、乳製品も果実も控えなくてはならない。例えるなら断食の文化に近いよ"」

 

 

疑問が顔に出ていたとばかりに補足説明が入る。

想像以上に過酷な制限だな、修行僧かよ。

 

 

「"そうなのか、すまない余計なお世話だった"」

「"わぁ!こういう時ってドンマイって言うんですよね!一度誰かに言ってみたかったんです!あ、私、ポコーダです。よろしくお願いします、金一さん、キンジさん"」

 

 

的外れな指摘に気分を害したりはしてないみたいで助かった。というか励まされた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

とか考えてたら今度は残りの2人が笑顔で、

 

「"ところで、外にいる彼女は君のお友達かな?金一"」

「"()()()()()()のが礼儀だと思ったもので"」

「"こりゃ参ったね。まあいいか、ボクも戦いに来たわけじゃないし。お友達が増えるのはむしろ招くべき事だよ"」

 

穏やかでない話をしている。

まてまて外に誰かいるとか聞いてないぞ。

 

フォカッチャを暢気にモグってるポコーダは話し合いに参加しに来たんじゃないのか?店員におかわりあるとか訊ねてる場合じゃないだろ。

 

 

「"ボク達もそろそろ動く予定だけど、ちょっと向こうの大将格に問題が起きていてね。割り振れる戦力に不足分があるんだ"」

「"例の抗争か。どこにやられたんだ?"」

「"それがね、冗談のような話だけど、個人で動く2人組に敗れてしまったらしくてさ、相当に悔しかったみたいだよ。ふふっ懐かしい顔が見られた、泣き虫はちっとも治ってない"」

 

ん?

 

「"ありえない話ではないが、反応に困るな。しかし貴女はあまり深刻ではなさそうだ、不足分をどう賄う"」

「"構えなくていいよ、なにも君達を出兵させようってんじゃない。いざという時にはボクの代わりに主を守ってもらいたいんだよ。彼女だけがあいつを止められる最後の砦だからね"」

 

 

最後の砦の部分にポコーダが不安げな表情をする。そんな顔できるならさっきしとけよ。

ともあれこっちの俺が戦場にほっぽり出される訳ではない点は安心できるな。

 

 

「"そうだ、不足分の話だけどその2人を探して1人は見付かったから、連れ去ってコンタクトを試みたんだって。まあ先遣役に向かったのがしくじって取り逃しちゃったと聞いたよ"」

 

ん?

 

「"支障はないと"」

「"どうだろう。あいつが考える事は極端すぎて理解できないんだ。でも腹立たしい事に、その通りに動けば確かに上手くいくんだよ。全ての生き物が彷徨う森の中で、あいつだけが必然性の地図を何かしらの犠牲を払って手にしている。あいつだけが求める結果を必然的に独占できる。その能力は一種の未来予知と言えるだろう"」

「"それも魔術なのか?"」

「"そうだろうね、詳しくは本人にも分からない、いや、分からなくされたんだ。地図を片手に歩く内に、遂には森が見えなくなったんだよ、既に道しか見えてない"」

 

 

明らかに嫌悪の感情を込めて話したプルミャは首を横に振って断ち切るように脱線した話を終えた。

揺れるターコイズブルーの髪がカップから立ち昇る湯気を激しく払い、寂し気に水色の光を弾く。

 

未来予知ってのは、アリエタに通じるものがある。

あれには弱点と呼べるかどうか微妙な弱点があり、アリエタ自身の並外れた身体能力でカバーしてこそ運用可能なものだったが、やはり動きを確定して予測されるのは脅威だ。仮に自分がその能力を手にしたら……使わない自信がない。

 

 

人は成功確率を100%に近付けるために研鑽を積んでいる。絶対が存在しないからいつまでも成長を続ける。

そこに何十年、何百年先でも実現し得ない100%成功する技術が降って湧いたなら飛び付くのは当然と言えば当然だ。

 

 

「"今日、君と会う約束をしたのは最後かもしれないからなんだ。もう何回目かも覚えていないけど、ボクは最後に誰かとお酒を酌み交わす事にしていてね"」

「"それも未来予知で見た結末だと"」

「"()()()()()()()()()()()()()。だから死ぬ人間は助けられない。ここまで教えた理由もついでに教えようか、金一?"」

「"遠慮しておこう。いずれ分かる事、なのだろう"」

 

 

熱でクリームが溶けていき、ミントが浮いた底の見えないコーヒーの中にチョコの花が消えていく。

 

 

「"君達と1曲踊りたいものだね、酔ってさえいなければだけど"」

 

 

エメラルドの双眸は、いつまでも沈まない緑の葉を1つだけ数えた。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


キンジと金一の兄弟げんかはグダったのでカット。
金一がフランスへの先駆けとして交流を持っていたプルミャとの会話でした。

キンジとして出会った人物、クロとして出会った人物。
違う視点から出会う事で、徐々にその相関図が見えてくることでしょう。


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未覚の閉鎖(ウィークライト・クローズド)

 

 

 

「"君達と1曲踊りたいものだね、酔ってさえいなければだけど"」

 

 

私の左に座るプルミャがそう言った。

念の為に戦闘に対する備えを始めたみたいだ。彼女の花が最後に残った一枚の花弁を緩やかに揺らす。

私のせいだ。私が花が咲いてるなんて言ったから、プルミャはここで散らしてしまうかもしれない。

 

私たちに()()()()見えない。

 

それは他の人には見えない赤い花。

魂を失った(死んだ)人間や魂が離れてしまった(乖離した)人間を新たな器に詰め込んだ時、赤思主は自らの実を与える。実を得た存在は花咲き、『ハナホシ』の樹木を飾る人形になる。

隣のプルミャだって、時々遊びに来てくれるスカッタちゃんだって。人形劇場からやってくるシェフもデザイナーもミュージシャンも、些細な違いはあるけど皆一様に赤い花を咲かせてる。皆多かれ少なかれ回数を重ねてきた。

 

 

花の咲いた人間なんていない。あの男の人は人間じゃない。

私が言った事はそれと同じ事。でも本当に見えているから、きっとあの人は過去に一度お姉ちゃんに会って実を与えられてる。お姉ちゃんの目の前で、一回目を終えた(死んだ)はずだよ。

 

 

「"社交ダンスの心得はあるが、ここでは少し狭いかもしれない。粋な計らいに水を差す事をご容赦願う"」

「"いいさ、君はボクを子ども扱いした訳ではないしね"」

 

 

美丈夫な大人っぽい男性が変化に勘付いて戦意が無い事を再三強調している。

奥の人(キンジさん)は一般人より少し強い程度だけど手前の人(キンイチさん)は強い、そして、誠実な性格の人間だろう。あんなに失礼をかまされてるのに怒る素振りも見せない紳士さんだ。

 

(もう、プルミャは私が絡むとすぐに敵意を露わにするんだから。ついて行きたいな、ってねだった後もしばらく機嫌が良くなかったしさ。あーフォカッチャおいしい)

 

おかわりを頼んだから店員さんが新しいパンを用意してくれている。

ここからは話し合いにも耳を向けたいし、食べやすい棒状のグリッシーニをね。

 

 

「"貴女が腹を決めるほどの相手がいると"」

「"さてどうかな。誰がいるかは分からない、予想は立つけどね。黒いロングコートと純白のヴェール、それと――――武偵学校の夜間任務用の黒制服が数名。顔から男女の区別も出来ないけど、殲魔科だとしたら女の子か。へったくそな紙芝居はコリゴリだよ"」

 

 

パンを千切りつつの愚痴は数日前、私に話してくれたものと変わらないお姉ちゃんの未来予想の紙芝居。

黒いロングコートの女性はエピバゲット――たぶん絵が下手なだけで編み込んだ長髪――を後ろに流していて、純白の法衣を着たシスターは背におっきなまな板――たぶん絵が下手なだけで大剣――を差していたとか。その組み合わせは知っている。強襲科の遠山カナと殲魔科のメーヤ・ロマーノ。

武偵高に潜入しているミラが"お金が無い"とかの理由により学校内で一番目立つ白制服を着てるのはこの際置いておいて、彼女の情報によれば2人は共同で任務に当たることもあり、校内で仲良く食事をする間柄らしい。『この前混ぜてもらったよ?』と報告された時には思わず眩暈がしたよ。

 

どちらも一線級の戦闘力を持つ要注意人物。ミラはルーカと組んで不意打ちしても勝てないとまで高い評価を下した戦士だ。

そもそも私達は戦闘向けじゃないからね。赤思金は前線には赴かないのが鉄則だもの。

スカッタちゃんなら不意打ちで1人は確実に落とせるかな?2等位って強いんだよ、きっと。

 

 

でもって、あらま。キンジさん、反応が分かり易いなぁ。

『黒いロングコート』と『武偵学校』に反応してこっちに目を動かしちゃってた。彼も武偵学校の生徒なのかも。コートにも反応したって事はつまり――――

 

 

――――?なんでだろ、コート好き?ブランドが気になったとか。

人の心は複雑で読めないな。

 

 

「"武偵か。黒制服を武偵高の防弾制服(ディヴィーザ)だと考えない辺り詳しいようだ"」

「"あの施設とも開校当初から長い付き合いだからね。当時、イタリアを担当していたのはボクだった。体制が問題視されて一部を除いた教会との関係に摩擦があった武偵高は、犯罪率が減少する一方で凶悪な魔女による重犯罪に対応出来なかった。だから、お手伝いを命じられたんだよ"」

「"初めは殲魔科は無かったのか?"」

「"うん。地下教会は独立した施設として協定を結んでいただけさ。なにせ世界初の武偵学校だし、学科だって統合された今より多かったよ。面白いのは調理科が1つになる前は4種類の学科が存在していた事でね。興味があるかい?君達は日本の武偵だろう"」

 

 

プルミャもキンジさんの反応を見て武偵だと考えたみたいで、問われたキンイチさんも否定しない。

ほらまた、やっちまったって感じに顔を逸らす!探偵科や諜報科、狙撃科ではなさそうな素直な人だ。直情型は強襲科とか車輛科に多いんだよね。

 

 

…………あれ?キンジさんの花、咲いてる場所がおかしい?

種は左頬に植えてあるのに、花が頭部の右側にある――――!?

 

(ううん、待って!キンジさん、『赤華(しゃっか)』の種が2つもあるんだけど!?左頬の種は一度伐られた跡がある。頭部の花は……20年は咲き続けてる!こんな事ありえるの?)

 

2回目以降の存在は異常に死にやすくなる。回数を重ねるごとにその確率は累乗的に上がっていく。赤思金は星核の力、まやかしの命は星の復元力には敵わない。

人形の素材になる人間は大体30年も生きていない。20代前半を越えると急激な魂の劣化により自身の輪郭を失い始めるから、赤華の衝撃に耐えられず魂が思金の中に爆ぜてしまう。

 

1回目の平均寿命が24年前後だとすれば、2回目の平均寿命は12年、3回目は6年、4回目は3年…………繰り返すごとに、死の周期が近付いて来る。

そして大半の人形(ひとなり)は生き返る事を拒絶し始める。

 

 

キンジさんが2回目だとすれば平均寿命の12年を大きく上回っている事になる。

今だって花は花弁の一枚も失わず、目を疑うほどに瑞々しく鮮やかに咲き誇っていた。死の気配などどこにも見られない。

 

宿金で無理矢理寿命を延ばしているプルミャならいざ知らず、彼には思金の気配も、プルミャが反応しないという事は宿金の反応もない。

運命を誤魔化す延命処置も行わずに生きている。そんな話、お母さんからも聞いたことが無い。

 

 

(何者なの……?)

 

 

「"金一は高校生――彼女と同い年くらいに見えるけど、どういう関係なんだい?武偵学校で『人喰花』と呼ばれてたあの子が日本留学に行ったのは何年前だったかな"」

「"3年前だそうだ。迷子の所を一度案内したきりだが妙に懐かれてな。服の話で少し……いや、勘違いしないでくれ何も女性服の話だけではない"」

「"ふふっ何も言ってないよ。でもおかしいね、あの子は裁研で言う『ロリィタ』と日本の女子制服にしか興味を持っていなかった気がするよ"」

「"…………その話もしたかもしれないな"」

「"ふっ……ふふっ、面白い顔をしないでくれよ、金一"」

「"くっ……!"」

 

 

会話の外側でオロオロと気を揉んでいる彼が何か特別な力を持っているようには見えない。

彼ならルーカ1人でも搦め手で倒せるだろう。

 

戸惑う私の目の前に小さな籠が置かれた。片手で握り込めそうな太さのグリッシーニが5本、流石にこれ全部は食べすぎだね。

テーブルを見回すと、ああ、やっぱり。会話に参加してないキンジさんもフォカッチャを食べ終えてた。

 

 

話し掛けたいな。

少しでも底知れない彼の情報が欲しい。

 

 

「"キンジさんもお1ついかがですか?"」

 

 

席を立ってプルミャ側(こっち)からボーダーラインを越えてキンイチさん側(あっち)へと特攻した。物言いたげなプルミャの顔は無視して籠を差し出す。

思い立ったら行動。これが私のモットー。

 

 

「"……あ、ああ。ありがとう"」

 

 

上擦った声を上げたキンジさんは素直に受け取ってくれた。警戒心が無いのかな?これで武偵とは心配だ。

ちょっと勇気が要ったから嬉しいけども。今もプルミャのプレッシャーがビシビシと打ってきてる。でも、もうちょっと。

 

 

「"キンジさんも武偵なんですか?"」

「"…………ああ、そうだ。そう言うおま……ポコーダは武偵なのか?"」

 

 

お説教覚悟の特攻が玉砕、まさか無視されたかと思ったらキンイチさんと目配せした後にしっかり答えてくれた。目を左右に泳がせていたのがピタリとやんだ様子を見る限り強い信頼を寄せていることが窺える。

なるほどなるほど、あなたは口下手もしくは交渉下手で不利にならないように口を閉ざす事を事前に取り決めていたと。

 

それと彼らは兄弟だろう。

顔というより面影が似てるなとは思っていた。少し初心な照れ方が似てる。

ペーパーナプキンに拭われた指の位置、パンくずの少ない千切り方、少し女性的な特徴があるパンの食べ方も似た感じだったのかも。

 

 

「"だとしたら何科所属に見えます?"」

「"強襲科ではなさそうだよな。装備学部でもなさそうだし……"」

 

やっぱり隙だらけ。思い出す際に移動させた視界内で私を捉えられていない。

私の不意打ちが怖くないのか、それとも単なる不注意なのか。

 

「"荒事には向いてなさそう、みたいな?例えば殲魔科なんてどうです?"」

「"ミスリードするなって、なんとなくそうは見えない"」

 

視線は私から見て右側へ。強襲科、装備学部に続き殲魔科でも特定の人物と場面を想起したようだ。

任務で組んだことがあるとか、殲魔科の生徒と面識がある。斜め上と真横を行き来したって事はその人物と会話をした可能性が高い。顔の一部に触れる手指は友好的な関係ではない反応、もっと言えば苦手意識、接点を持ちたくないと考えている。

 

「"それでそれで?"」

「"探偵科とかじゃないか?"」

「"……!"」

 

 

(わわ!えっ、なんで分かったんだろう?)

 

キンジさんは会話の間もあまり私の方をじっくり観察するような事は無かったのに、どうやって導き出したのか。

もしかして、すごくINTが高い?

 

 

「"どうして、そう思いましたか"」

「"カンだよ。けど確信した、ポコーダは探偵科だな。驚きが顔に出てたぞ"」

 

 

答える時に目が合った彼は、私が驚いた瞬間を見て少し嬉しそうに、得意げな顔をしてる。

 

 

なんだぁ、カンか。

少しは彼なりの物差し、判断材料もあった分絞り込みやすかっただけ――――

 

 

「"合ってるだろ?情報とは意外なところから得るものだからな"」

「"っ!"」

 

 

――――なのかな?

 

 

その口癖、お姉ちゃんと一緒だ。

ううん、今はもう言わなくなってるかもしれないけど、私とお姉ちゃんがまだ同じ場所で過ごしていた頃によく聞いた言葉なんだよ。

 

頭の良かったお姉ちゃんは遠回しで尊大な言い回しが好きだった。

新しい言葉を覚えるごとに正しく使いたがったから、お喋りにかなり苦労したんだっけ。毎日のように知らない言葉が登場して。何でもこなす彼女でも、そんなところが子供っぽかった。

 

 

チラっと盗み見たプルミャはこのセリフに反応を示さない。早く戻ってきなさいと私の席を二度ポスポス叩いている。

でも、私の答え合わせを……幼少の頃にお姉ちゃんの答え合わせをワクワクしながら待っていた私のような彼は、この口癖を確かに日本語で話した。

 

 

「"キンジさんは探偵の才能がありますよ"」

「"ただのカンだぞ?そんな大層な推理はしてない。パン、ありがとな"」

 

 

少しでも底知れない彼の情報を得ようとしたら、ハナホシの主枝が見えた。

幾分か緊張の解けた表情で笑う彼は。

 

 

 

 

 

 

赤い必然の花を咲かせていた。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「あいよ、チケットだ。にーちゃん達アジア人だろ、ここらじゃ見掛けないし観光か。スリに気を付けな」

「ありがとう、お気遣い感謝する」

「俺達、ローマに住んでしばらく経つよ」

 

「おう、そうかい。じゃあ新聞買うか?」

「じきに日が暮れる、明日の新聞は置いてるか?」

「それは明日ここに来て聞きな」

「明日も俺達を見掛けたらまた勧めてくれ」

「生憎、クシャミをすれば男の顔なんざ忘れるよ」

 

 

ハハハッと豪快に笑うおじさんは横の商品棚からペットボトルの炭酸水をおもむろに取り出して、ぷしゅッ!客の前で飲みだした。自由だな、日本の暇人なクレーマーが黙ってないぞ。

軒先にテント状の屋根を伸ばした店内には新聞の他に多様な雑誌が右も左も上にも所狭しと並べられ、さっき炭酸水を取った冷蔵庫や菓子類のちょっとした棚、脇にはCDやDVDも置いてある。

 

この日本の駅ホーム内に設置されている売店のような小さな建物はエディーコラと呼ばれるもので、俺達の目的はBIT――1回券という名のバスやトラムを乗り継げるチケットの購入だ。

帰りはルートを変えて出来れば尾行されづらい移動法を選択すべきであり、広い通りに出るまではバスで移動することにした。

 

兄さんの後に続いて店を出る。

バス停に向かう間、それとなく周囲を警戒しつつバールでの出来事を思い出していく。

 

 

驚いたのはプルミャの登場だ。パトリツィアとの決闘、BASEでの食事中、これで3度目の遭遇。いや、俺が俺として会うのは初めてか。

兄さんが事前に忠告しておいてくれなかったら、一目散にチュラの事を聞き出しに掛かっていたな。だが俺とチュラの関係を疑われるし、チュラは寮暮らしで決闘以降に2人が会ってるのかも怪しい所だ。クロが一目置かれてたって事は警戒されていたって事と同じで、そのクロと共感するチュラは距離を置かれていた可能性もある。

 

 

「"なあ、兄さん"」

「"なんだ"」

「"実はある仮説を立てたんだ。バラトナに……いや、その…………前にヒステリアモードになっちまった時に"」

 

 

俺が目覚めた日、バラトナに思いっきり噛まれた時の話だ。甘い掛かりだったとはいえ俺は年上に弱いのかもしれないぞ、相手が弱ってると余計に。

まあ、今は関係ない。前から頭の片隅で燻っていた仮説、それが今回の会合でより現実味を帯びてきた。

 

俺の望みを形にしただけの与太話に終わるかもしれない。それならそれで、俺に引き留める意思は……

 

 

「"恥じる事は無い、HSSとは元来そういうものだ"」

 

気恥ずかしさに声を小さくした俺に語る兄さんだって、あんまりそういう事はしないだろ。

あっちこっちに手を出しまくる軟派な兄は強くても嫌だけどさ。

 

「"割り切れないよ、人の心を弄んでるみたいで良い気がしない。じゃなくて、以前にパリで怪盗を捕まえようとしたことがあったよな。殲魔科のメーヤ……さんと組んで"」

「"ああ、館長には感謝されたが任務として考えれば失敗だ。取り押さえるべき怪盗を逃し、奴の体の金属部分で跳ねた弾が天井に弾痕を残してしまった。すぐに修繕はされたが"」

 

 

それは真相だけど、たった2人で悪魔を追い返したんだから十分成功じゃないか。

過去を振り返って落ち込まず、常に先を見据え次に生かそうとする兄さんの態度は見習うべきだろうが、戦果を素直に喜んでくれないと戦闘に参加する事すら出来なかった俺は頭が痛いよ。

 

 

「"怪盗って聞いて、犯人が怪盗団の一員だと考えたんだよな。もしかしてかなせが来るのかもって"」

「"その可能性も考慮した。まさか悪鬼が1人で乗り込んで来るとは思わなかったが、今思えば幸運だったな。仮に2人以上の侵入者であれば俺達は無事ではなかっただろう"」

「"正面玄関を抜けられる何かしらの能力、って話も遠山家の技を警戒しての事だったんだろ"」

「"その通りだ。金星という少女が矢指を使えるとあれば、クロであっても虚を突かれ見失う懸念があった。自ら手を下すようなことはなくとも、他の奴らが無防備なお前をどうするかが分からない"」

「"そこだよ、兄さん"」

 

 

俺の仮説は3つ。

1つ目はかなせの矛盾についてだ。

 

 

「"疑問があるか?金星が遠山家の技を複数使えると、その根拠も教えたはずだぞ"」

「"そこじゃない。かなせは女なんだろ?これも俺の舌を噛みたくなるような実体験を元にした仮説だけど……女のヒステリアモードは、たぶん…………弱くなる"」

 

 

クロになった俺はヒステリアモードの血流とは似て非なる、芯が固まるのではなく溶けていくような弱々しい流れを感じた事がある。

相手はイケメン女子のガイアと……クロが崇拝する兄さんだ。断じて兄さんであのモードになったことは無いぞ。甘ヒスくらいで保った。おそらくクロの状態の俺はカナ以上に侵食されているんだろう。脳はブラックボックスとは良く言ったものだ。

 

恐ろしいことに、あの状態になってしまうと俺は脳が活発なまま普段よりもひ弱になってしまう。今日会ったポコーダにも勝てないんじゃないかと思う程に。

それは女性ホルモンのバランスが過剰になったクロが、強い相手に守られたい庇護欲を露わにするからだと思う。モード中の記憶は残っちゃいないが、とにかく離れたがらないらしい。

 

 

「"……盲点だったな。HSSは子孫繁栄のための力。その全てが強さを増すものだと考えるのは些か早計か。しかし、もしそうだとすれば"」

「"かなせがヒステリアモードでしか使えないはずの矢指を使えるのはおかしい。濠蜥蜴ならまだしも勾玉だって秋水と……絶牢(ある技)を使える前提で、重心移動の時間も場所もコンマの誤差が許されない妙技だ。俺も使えない"」

 

 

確信には近いが無い。うちに女のヒステリアモード持ちはいないからな。

いや、遠山家の血筋では女性が異常に生まれにくいんだと思う。いない訳ではないけれど、記録に残されているそのほとんどが男である。

 

 

「"女装か"」

「"もうやだよ、これ以上増えないでくれ"」

 

マジで変態集団だろ。

 

「"やっぱり技が盗まれたか流出した線が太いんじゃないかって話だよ"」

「"術理の漏洩は親類も疑っているが、そうだとして扱える者など――――"」

「"それも可能性はある。似た技を使う人間は世界のどこかにいるんだ。扱える奴はいるんだよ"」

 

 

チュラは鉄沓を真似した。イヅナは扇覇を盗んだ。コラムは秋水を使えた。

俺達の技は俺達しか使えない訳じゃないんだ。原理さえ知られてしまえば扱える者は世界に存在する。だから門外不出の技だけは見た相手を殺さなきゃならない。

 

 

ここで2つ目の仮説だ。

兄さんがかなせを殺さなければならない理由だ。

 

 

「"何が盗まれたんだ。今時分、流派間の技の奪い合いなんて混沌を極めてる。もし、遠山家の人間でなければ殺すとまでいかないだろ。少なくとも父さんは殺さない、そいつが誰かを遠山家の技で殺めたんじゃなきゃな"」

 

 

それでも父さんは殺さずに技を使わせなくするだろう。畏怖と人情で。

 

門外不出の技――――すなわち、多くの人間を巻き込み社会を混乱させる可能性がある技や、殺傷能力に秀でた技を奪われてしまえば斃す理由になりうる。

兄さんが追った理由はそれに違いない。

 

 

「"お前は、父さんの代で途切れさせた技をいくつ知っている?"」

 

少し考えた風で道の向こうを横目で見た兄さんにつられて追う。バスが信号を曲がってきてしまった。

待っているのは俺達2人のみ、兄さんが道路に腕を伸ばしヒッチハイクの要領でバスの運転手に乗車意思を表す。

 

「"そんなのほとんど知らない。当然だろ、存在すら教えてもらってない技は父さんの頭の中にしかない"」

 

 

前置きから嫌な予感がするぞ。

一撃必殺技の羅刹ですら継承された裏で、継承されず歴史から消えた技なんて。

 

バスはその姿をどんどん大きく変えていき、遂には俺達の佇む停留所で灰色というより黒に近い排気ガスを抑え停止した。

煤が底に張り付いている割に意外と綺麗に洗車された車体に歪んだ2つの実像が映る。

 

 

「"キンジ、俺は仕掛けるなと言ったな。あれはあの場で仕掛けるなという意味だけではない。広義においてフランスには手を出すなという意味だ"」

「"どういう意味だよ。兄さんも分かってるんだろ、明後日の任務の事。プルミャが話してた敵、黒のロングコートと武偵中の夜間任務用の黒制服ってのは俺達の合同任務の事だ"」

「"だろうな。だが、あいつはその敵と戦ったなどと、そんな事を一言でも言っていたか?"」

「"……いや、言ってないけど。それしか、ありえない……だろ"」

 

 

運転手がイラついた顔で急かしてくる。ただでさえ遅延してんだからって感じだろうな。

兄さんがそれに軽く応じて乗り込みチケットに刻印してしまった。

 

(ああ、くそ!モヤモヤするな)

 

置いて行かれる訳にもいかず俺も慌ててバスの刻印をする。

車内は空いていた。残念ながら椅子は空いてないけど、目的地まではそんなに離れてない。つり革につかまって自然と木枯らし吹く窓の外を覗く。

誰かに尾けられてた気配もない。何事もなく今日を終えられそうだよ。

 

ここから家に着くまでは人通りが多いだろう。

話の続きが出来るのは夜になるか。

 

 

円を描く車道に身体を揺られ、進む車内で兄さんとそれぞれが降りる場所を確認する。

次の停留所なんてどこにも表示されないからな。こういう時に携帯は便利だよ。

 

 

3つ目の仮説はお預けだ。

みんなで夕飯を食ってからな。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

玄関の電気が漏れていた。

バラトナが留守番してるから出迎えに来てくれたんだろう。

 

そう思ってひねったドアはガチャリと音を立てたきり、重く重く動かない。鍵がかかったままだ。

まったく、じゃあ電気の点けっぱなしか。これは注意してやらないと。

 

 

仮チームでお揃いのアクリルキーホルダーを付けた鍵を差して開錠する。

これもこそばゆいよな。こういうのに憧れは無かったけど、同じ物を身に着けているだけで仲間意識が芽生えるんだから不思議な話だ。

 

 

「"ただいま"」

 

 

日の暮れた外に、光が漏れる。

家は静かだ。生活音がない。聞こえるのはネコ型の壁掛け時計の駆動音だけ。

 

美味しそうな匂いがする。

バラトナは夕飯の用意を終えてうたた寝してるのか?それとも読書好きだから部屋で雑誌を読んでるのかもしれない。

 

 

兄さんとは別のルートで帰ってきたんだが、俺の方が早かったみたいだな。尾行をそんなに警戒する必要があるのかね。

靴をスリッパに履き替える。バラトナのスリッパはない。家に居るのは間違いないようだ。

脱いだ靴をしっかりと端に寄せて……?

 

 

(足りない)

 

 

靴が、足りない。

 

 

あるはずの、小さな靴が、足りない。

 

 

クロと同じ、武偵中が推奨している茶色の靴が――――

 

 

 

 

――――チュラの、靴が無い。

 

 

 

 

咄嗟に向けた視界内、廊下に足跡がある。

うちは土足厳禁で、チュラもバラトナもアリーシャも黒鈴も。ここに来たことがある奴らには靴を脱げと教えたはずだ。

 

足跡はでかい。30cm位あるんじゃないか?

底部はヒールの無い、滑り止めゴムの網目が付いた動きやすい運動靴のような形状。

 

 

それがトツトツと進んだ跡がある。

兄さんの部屋、リビング、そのまま奥の俺の部屋まで。だが、明確な目的地を探す様にふらふらと彷徨うような足取りだ。金目の物を狙った空き巣っぽいぞ。

 

 

「"…………"」

 

 

声を押し殺す。犯人がまだいるかもしれない。空き巣の帯銃帯刀は良くある話だ。

足跡が戻って来ていないって事は、そいつが俺の部屋を漁っている最中なのだろう。

 

 

唐突に火薬の残り香と病院の薬剤みたいな匂いが食欲を断ち切って鼻をついた。

 

開け放たれた兄さんの部屋は……まだ、覗くな。

決まった訳じゃない。可能性の、話だ。見たら引き返せなくなる。その前に済ませなければ。

 

 

一歩一歩に気を配る。少しずつ近付く距離。

斜向かいの香り漂うリビングも今はスルーだ。早く済ませなければ。

 

背後のことなど考えるな。今は前の問題に集中しろ。

 

 

犯人は物置も覗いたようだが中に入りはしなかったようだ。

妙だな、少しくらい漁ってもいいもんだが、金庫以外に金目の物は無いと判断したか?

 

銃をショルダーホルスターから抜きセーフティを外してスライドを引く。

武偵は先手必勝を旨とすべし。

 

背を付けた壁から顔を出し、薬品の臭いが漂う俺の部屋を覗き見――――

 

 

「"探したぞ(しゃがしたじょ)((ズビッ))人間(にんげん)"」

「"お前……!"」

 

 

(マズいマズいマズい!よりによってこのタイミングで、なんであいつが!)

 

 

警戒メーターが振り切れる。

銃を手にしているのに俺には勝ち目がない事が分かる。

 

髪を下ろした頭にはヘッドドレスも付けてないから別人になってるけど、俺の部屋にいたのはショッピングモールでコラムと共に戦った白い綿毛の発光女だ!

安物の運動靴、彩もないジーンズと紺色のジャージからは白い肌と丸いヘソが露出している。

 

 

取り返しに来たか。行動が早い事は良い事だぞ、ちくしょう。

 

 

「"何しに来た……って聞くのも変だよな"」

 

 

呂律の回っていない日本語で話しかけてきたから日本語で返したけど、何だあいつ、絶望打ちひしがれたみたいな崩れ落ちた体勢で床に座ってるんだが。

襲ってこない。ボコッても宿金の在り処をゲロるとは限らないから交渉を持ちかけてくるつもりか?物探しは苦手なようだしな。

 

 

「"……させて(しゃしぇて)ください(くらさい)"」

「"……なんて言ったんだ?ってかまず靴脱げ。うちは土足厳禁だぞ"」

「"…………"」

 

 

アリエタは座ったまま両手で靴を脱ぎ、裏返して膝の上にのせた。

ここは素直に従ってきたな。理由は不明だが、敵対的な雰囲気ではなさそうだぞ。

 

 

「"泣いてるの――"」

「"泣いてないッ!"」

 

 

今度は反論された。

ムキになりやすいタイプだよな、戦闘時も思ったけど。涙が一瞬で引っ込むとか、かなり高度な一発芸だ。

 

 

「"お前がどういうつもりか知らないが、こっちは帯銃させて貰うぞ"」

「"…………"」

 

 

首を縦に振って頷いた。

まあ、そこまでの脅しになっては無さそうだけど、武装しているだけで俺の心理に効果がある。

 

ゆっくりと油断なく踏み込んだ室内には、やっぱり、いた。

 

 

「"お前がやったのか"」

「"ズビッ、お前の問い方に問題がある。ここに運んだのはワタシ、でもそいつは初めからエントランスに倒れていたわ"」

 

 

銃口を向けられても身じろぎ一つしないアリエタは、それでも少し顔を強張らせて答える。

俺のベッドに寝かされているのは見慣れない毛皮の白衣を着せられたバラトナだ。パッと見その身体に外傷はなさそうだが、ただ眠っているって事は無いだろ。

 

 

「"今は塞がっているけど酷い傷だったの。急所への直撃は避けたみたいね、その全てが近辺を裂き、貫いていた。その女は大した再生能力を持っている。ワタシも軽い処置しか施せなかったのに、内臓の損傷も時間を掛ければ元通り、縫い痕すら消えたわ"」

 

 

作り話……ではなさそうだ。

目を凝らすと首に見た事が無い傷がある。バラトナの傷が治りやすいってのも前々から知っていた。その傷も直に消えるだろう。

 

なぜ?こいつじゃないなら誰が?

嫌な予感が拭えない。考えたくない。

 

だってそうだ。

バラトナはきっと止めようとしてやられた。

 

 

――――アリエタの脇に置いてある、赤い血の付いた9mm弾。

 

 

連れ去る奴がわざわざ寝ている人間に靴を履かせるか?

人を襲ってトドメも差さず、証人を残してわざわざ捜査を撹乱させる必要があるか?

 

 

「"何があったのか聞きたいのはワタシの方。あとこれ、摘出した弾は3つだけ。切り傷と刺し傷は狙いが正確なのに、ここにある銃弾のほとんどは廊下で拾い集めた物よ。まるで錯乱した人間が撃ったみたいに拙劣だったわ"」

 

 

無いだろ。

なら動いたのは本人だ。消えた本人が動いたんだ。

 

 

流れ出した。

止まっていた時が。

 

俺が目覚めて、兄さんが目覚めて。

最後に目覚めたのは――――

 

 

「"……バラトナの事は、感謝するけど――"」

「"礼など不要よ。ただの点数稼ぎだもの"」

 

 

宿金は返さないぞと言ってやろうとしたらピシャリと言い放たれた。

明け透けもなく言ってくれるな。それがお前の交渉カードか。

 

体内に銃弾が残ったまま細胞が再生してしまえば取り出すのは困難、話によれば破傷風なんかの感染症への処置も行ってくれたらしい。俺一人だったら正しい治療が分からないし、第一冷静でいられなかっただろう。

塞がる前に取り除いてくれたアリエタには感謝すべきだ。しかし、宿金は理子との交換条件に回したい。

 

 

「"無駄だぞ、いくら稼いだところで返すなんて約束はしない"」

「"それも不要。お前の評価などなんの価値も持たないもの。ワタシが欲しいものはご主人様の慈悲よ"」

「"だったら油売ってないでさっさと帰って媚び売ってろよ"」

「"う、うるさいわね!帰れないのよ!"」

 

 

嫌味がしつこいから言い返したら逆切れして来やがった。

帰れないって……負けたから追い出されたとか、そんなブラック組織にいたのかよ。

 

 

「"まさかワタシがフラヴィア(あいつ)と同じ思いをするなんてね……"」

「"同情はするが、ここにいても解決しない。宿金も返さない。だけど受けた恩の借りパクは家訓に背くんでな、1つ位なら相談にのってやる"」

 

 

相談にのるだけ。実に安上がりだ。

知ってるぞ、相談って相槌を打って話を聞いてやることがポイントなんだろ?

正論をぶつける必要も、他人の意見を押し付ける必要もない。答えを出すのは結局自分しかいないんだし、解決したら流れのままお引き取り願おうか――

 

 

「"ですが流石はご主人様、全てあなたのお話の通りです"」

 

 

――――もしや相談に乗るって単語はミスチョイスだったか……?

感傷に浸って萎れていたアリエタが、天……井を仰ぎ水を得たように姿勢を正して立ち上がった。

そして恐々トリガーに指を掛けた俺を無視して優々とした態度で片膝をつき、西洋騎士の如き堂に入った真っすぐな体勢のままエメラルドの瞳を閉じて頭を垂れると、

 

 

「"ワタシの名はアリエタ・ジュモー城砦型1等位。シグドロ。いえ、シグドロ様。ワタシをあなたに仕えさせて下さいませ"」

 

 

有無を言わせぬ凛とした声を響かせ、静かにそう宣言した。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございました。


前半は何十話かぶりのポコーダ視点でした。
頭の中では色々考えていますが、姉譲りの観察オタク、過集中の気があるようですね。

次回で流転編ラスト。締めに向かっております。
金一が危惧していた事態とも、キンジが予想していた事態とも異なる形で彼女は動き出しました。


なぜ?

どこへ?


そして入れ替わるように現れた人形の意図とは。
次回もよろしければお待ちくださいませ。





☆思金について軽くまとめ☆

名称:思金(オモイカネ)

宇宙から飛来した超常物質(イロカネ)に対抗する為に、妖の始祖たる存在が創り出した金属。
後に人間の手に渡り、芸術や冶金、文字などの文化に宿った人間のオモイを喰らう事によって代行者(思金の意思)が芽生え、完成すると同時に成長を続けている。一部では制御が難航している様子。


全部で5色で、それぞれに日本名の正式名称がある。

・赤思金『赤華〇〇〇〇(しゃっか――)』ハナホシ――現所有国:フランス
・青思金『〇〇〇〇〇〇』????――現所有国:ブルガリア
・黄思金『〇〇〇〇〇〇』????――現所有国:エジプト
・白思金『空白依違聱牙(くうはくいいごうが)』ソラガミ――現所有国:イタリア
・黒思金『黒匚千金無常(こくほうせんきんむじょう)』ハコオニ――現所有国:スペイン


適合者が体内に取り込むことにより、通常のステルスを凌駕する超々能力を扱えるようになる。準適合者・体外所持でも時間を掛けて順応させることは可能だが、人間の寿命では不可能。
時空を超える色金とは違い、使い方次第で発展させられる使い勝手の良い物が多い。

しかし、思主の意思は思金の中に取り込まれ、新たな人格(神格)が植え付けられている。姿形や記憶の変化は思金の種類、個人差がある模様。


また固有の能力の他に、

・人間の潜在ESPを増幅させる
・最適度合いにより共通能力(『反射』『干渉』『回折』など)を扱える


思金同士には、

・相互に有利不利の相性関係
・誘引し合う因縁関係

がある。詳しくは『畔曲の逸失』参照。




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流転の句境(プアード・エスチュアリー)

 

 

 

風もなく日の差した午後。寒空のローマではこの時期珍しく一日中天候が変わらない晴れ模様。

夜中にしとしとと街中を洗い流した雨の跡も乾燥して、街をウィンドウショッピングするなら今日でしょってくらいの散歩日和だ。

 

前から後ろから絶えない人の波。多様な人種の往来から少し外れた場所に立って、無事に着陸した人間が現れるのを今か今かと待っている。

待つのは好きじゃないね。外交官を通して入国審査もパスできるような手続きは済ませてきたんだろうし、早く来ないものだろうか。

 

 

「"来たみたい"」

「"ほう、どれどれ"」

 

 

槌野子が閉じたままの目で空港の方を示して――――まあ、あたしには見えないんだけど、来たそうだ。

山の上から四方の町に住む人間を識別出来る彼女に掛かれば、あの程度の人だかりから米粒サイズの人影を探すなど造作も無い事なのだろう。

やっとだ。到着から40分、結構待たされたよ。

 

旧知の仲とはいえ、最後に会ったのもいつだっけ?

再会するのはあたしが日本を離れて以来だから、5年以上は前って事かー。

 

隣でユラユラ揺れている友人はいつ何時も同じ素材の法被を着ているけど、大事なお客様を迎えるという理由で、中にはあたしの幼少期の着物と帯を締めさせた。サイズピッタリである。3年前には入らなくなってしまっていたから丁度良かった。

さすがにさらしみたいに胸に巻いた帯と半たこだけじゃお目汚しが過ぎるでしょ。

 

 

それからまた数分、あたし達に近付く影があった。空港で悪目立ちしない為にか日本の学生服を着たツヤッツヤ黒髪ロングの少女が、顔面蒼白で少し口元を押さえつつ、空いたもう片側の手を慎ましく振っている。その慎ましくない絶賛高度成長期の大きめな胸の前で。

彼女は先刻、この地に降り立った個人所有の自家用ジェットに搭乗していた。具合が悪そうなのは乗り物酔いなのかも。

 

 

「"星伽の長女も大きくなったのぅ"」

「"親戚のおばさんみたい。(ちー)は初めて会う"」

 

 

条件反射で振り返しそうになった手を止めて辺りを探れば……いたよ、いるいる。

男子禁制は護衛に関しても徹底しているらしく、護衛対象の隣には身のこなしに隙の無いポニーテールの女性がキリリと締まった顔でストライプ柄のブラックスーツに身を包んでいる。超能力(ステルス)では無さそうだ。

離れた場所には結界なんかの防衛機構の構築を担うであろう中位の呪い師が2人、赤いスウェットとリュックの10代、白いダッフルコートを着てコロコロとスーツケースを引く20代前半、こちらも共に少女。

海外慣れしてそうなメガネの女性は完全に周囲の地元民に紛れて丸い目でこっちを窺ってる。雰囲気は陽菜に近いな、星伽じゃ隠密も飼ってるのか。

1人に4人+パイロット付き自家用ジェット機。大げさじゃないのかな。

 

 

「"イヅ"」

「"分かっておる。日本式ではない、現地の退魔師と通じておったんじゃろ。我らも嫌われたもんじゃな"」

 

 

VIPのご到着に注目していると、後方からわざと探知範囲に身を晒した人間がいる。三松猫の結界を見破るなど、大した退魔能力だ。

こちらは2人。それなりの使い手がいるなら手厚く迎え入れなきゃならないね。あたしの手元には4つしか殺生石が無いんだから。

 

 

「"お久しぶり、です。一菜ちゃん"」

「"うむ。遠路遥々、よう来たの。此様な戦火(いくさび)の絶えぬ釜の底に"」

 

 

行儀作法の取れた振舞い、親しき中にも礼儀ありを地で行く大和撫子に大勢の外野の視線を感じる。あたしも同じく、名前を呼ばれるまで話し掛けられないくらい緊張しちゃった。

間近で見るとまた一回り大きいな。中学でこれは育ちすぎだよね?星伽は混血を嫌って縁談は決められた家系からしか取らないと記憶してるんだけど……あれか、あたしの苦手なサイエンス授業の優性遺伝子ってやつか。

 

 

「"斎梛(トキナ)様から連絡があったよ。ごめんなさい、一菜ちゃん達には星伽のことでいっぱいご迷惑をお掛けしたから……"」

 

 

やっぱり人間は目を離すとガラリと変わる。外見は。

ただ、この子の場合はおっとりとした気性も謝り癖もあまり変わってないね。内面が。

 

彼女は一つ上の幼馴染。今さら自己紹介を交わす間柄でもなく、日本にいた頃は彼女の妹達に交ざって折り紙や蹴鞠遊びをしたものだ。あの時、一緒に遊んでいた子供たちの中に玉藻御前がいらっしゃったことなど、当時のあたしは知る由もなかった。なんと畏れ多い事をしていたのやら。

母上から頂いたこの封じ布も元を辿れば星伽のものらしい。言われてみれば頭を深々と下げている彼女の頭の結い紐も、形は違うがあたしのリボンと同じ素材みたいだ。つけている理由は犴に憑かれているあたしとは違うんだろうけど。

 

スーツのお姉さん、険しい顔をしなくても言いたいことは分かってる。あたしだって言いたいよ。出会っていきなり頭を下げられても困るんだよね。

 

 

「"表を上げよ、迷惑などとは露ほども思うておらん。お主らの役目は我が主君、幼狐殿下もよくよく知悉されておられる、侘びねばならぬは我じゃ。落星の全ては未だ行方知れず、母上が揃えし4枚の他、英国魔女には睨んだ通り1枚ありそうでな。妖精に交換条件付きで頼み入ったがなかなかに労しておる"」

「"条件、ですか"」

「"璃巫女と目言通ぜぬかとな"」

「"!!"」

「"星伽も用心せい、彼奴(きゃつ)らは一念の間で年を渡り一日(ひとひ)を跨ぐ。自然と戯れる幼気な容姿、品格を感じさせぬ奔放な態度、童女の悪戯と侮ればその怜悧さに舌を巻き取られるぞ"」

 

 

脅し気味に事実を捲し立てたけど全て事実。ノンフィクション。

 

新種の色金の可能性を持つ隕石が地球に落ちた。その御神体は終には見つけられず、落下の衝撃で剥がれたと思しき()()()()()()()()()()()()()()()を探す為に母上はイタリアへ渡ったのだ。あたしと余命幾ばくも無かったお婆様を日本に残して。

あの御神体はこの星には明らかなオーパーツ、全体を殻金で覆われ封印されていただろうと伏見様がおっしゃった。それが世に解き放たれたとなれば騒ぐなと言う方が無理だ。持ち去った何者かも探し出せずに5年の月日が経ち、今度はあたしがここにいる。

 

妖精との平和的な交渉を進めつつ、早急に残り2枚の殻金を探さなければならない。

であるからこそ、専門家たる彼女がここに来た訳だ。

 

 

「"こんにちは、星伽"」

「"ひんっ!?ここ、こんにちは……えと、一菜ちゃん、こ、こちらの方は?"」

「"此奴はちーちゃ……(こう)――ミズチの子じゃ"」

「"翠眼白蛇様……!"」

 

 

前触れなくニョロっと話し掛けた槌野子に驚いて、バネ仕掛けのおもちゃみたいに真上に10cm程跳ねる。

なんか既視感があるなと思ったら、そうだ、クロちゃんも良く跳ねてるからだ。集中力に波があるから隙を突いてビックリさせると面白いんだよね。

 

おどおどしながら尋ねられても、見た目以上の情報は無いよ。

槌野子の紹介はすればするほど碌なもんじゃないし。日本での悪行を大雑把にまとめれば、家出少女の長い反抗期って感じ?

 

 

「"悪行が祟って蔭位よりだいぶ位が下がっておるがの"」

「"余計な説明"」

 

ほらさ、余計なことは言えない。

 

「"私は蛟を名乗らない。私の母は生きてるから、蔭位なんて授かってない。ちー、と呼んで"」

「"ち、ちー様ですね。よよ、よろしくお願いします"」

 

 

む?むむむっ!

おっかしいなぁ?

 

 

「"人見知りは変わらぬの。少しは風雪を見習わんか、挨拶ごときでそれでは後々支障があろうに…………ってえ!ちょっと待ったーッ!"」

「"!?"」

 

なにおめめパチクリ、キョトン顔させてるの!

異議ありだよ!大ありだよ!

 

「"なんでちーちゃんは様付けなの!?あたしの方が2つも位階上だよ!?んにゃ、あたし自身に位階は無いんだけどさ!"」

「"い、一菜ちゃん?"」

「"いい?ちーちゃんの事はちーちゃんと呼ぶこと!これは犴飯縄勝鬨尾稲(かんいづなかちどきのおいな)としての命令!破ったら怒るから!メンゴって言われても土下座されても許さないから!!"」

「"は、はいっ!"」

「"よろしいっ!"」

 

 

位階の上下にこだわりは無いんだけど、あたしがちゃん付けで槌野子が様付けってのは非常にしっくりこない。

 

 

『ちーちゃん!今鼻で笑ったでしょ!』

『大人げない』

 

 

ぐうの音も出ない。

態度でも思念でもバカにされたんだけど!

 

 

「"イヅ、口調が戻ってる"」

「"どーでもいいよ、もう。最近はこっちの方が楽になっちゃってるんだよね、クロちゃんのせいで"」

 

 

クロちゃんを思い出すと自然に笑顔になっちゃう。

普段から一緒にいて飽きないし、窮地でもなんとかなるって安心できる。最近はお互い忙しいみたいで、しばらく会えてないなー。こっそり学校に顔を出しても休んでるみたいだった。

 

 

「"…………。クロちゃんって誰?箱庭の宣戦で同盟を組んだ人、なのかな"」

「"イヅの友達。色々おかしな人間。箱庭の問題児"」

「"あたしが一番信頼する仲間!ん、まぁね、ライバルは多いんだー。モッテモテなんだもん、妬いちゃうよ"」

 

 

けどあたしの笑顔は第三者から見ると不自然に一変してるらしいよ。

黒曜石のようなキレイな瞳が見開かれ、ぎこちない笑顔のまま奥ゆかしい小さな口を開いた。

 

彼女の顔に後ろ暗さが見て取れる。面倒見の良い優しい子だったもんね、あなたは。

耳が早い、あんな山奥の隠れ部族が海の向こうまでアンテナを張ってるとは。動き出しの早さにも焦りが見える。国ではなく、星伽単体で動いてきたか。

 

 

「"か、変わったんだね一菜ちゃん。日本にいた頃は人と関わろうとしなかったのに"」

「"何度も人間に裏切られて、挙句殺されもすれば当然じゃない?今でも憎いよ、我が世心と共にーとか叫びながらあたしを綺麗に研いだ包刀で刺した奴も、前を横切ったのが気に入らないとかで線路に突き落とした奴も、最後の瞬間を夢に見る。痛みを忘れたのは幸い。呪おうにもどいつもこいつも、とうに世を去ってるんだけどさ"」

「"…………"」

 

遠回しに彼女がこの国に来た理由の予想を当てつける。

動揺した。自分の事なら我慢できるのに、他人の感情を慮ると嘘が苦手になる所も変わらないね。

 

「"怖いでしょ?外の世界は。でもね、怖いものだけじゃない、綺麗な物も楽しい事もある。それに人は変われるんだよ。変わっちゃう、望むと望まざるとも。そうだなー、例えば好きな人と一緒に居たいから、好きな人を護りたいから、そう思うと頑張れるでしょ?あたしが変わったのはそういう事、望んで変わった"」

「"好きな……人"」

「"けどさー、望んだとおりに全てが変わる訳じゃなくて。たまにボヤッとして、どうなりたいか分からなくなる。そしたらね、強引に変えられちゃったの。口喧嘩して、決闘して、負かされて、あたしが伸ばしても届かなかった腕を、2度も3度も手放した手を握り返してくれたの。ここまでされて応えなきゃ、あたしは永劫人を信じられなくなる。…………好きな人はいる?大切な人でもいいよ。護りたい人がいるならきっと、ううん絶対変われるから"」

 

 

(焦っているのは星伽なのか、それとも――――)

 

 

毛先の微妙な変化を敏感に感じ取る。屋外の湿度が上がってきたみたい。

一日中晴れとはいかなかったか、一雨来そう。ここ数日は天候の変化が多いからね。

 

南の空を見上げたあたしを追って、全員が同じ方角に視線を移す。スーツの女性もつられて見てる。

空を見上げて、鮮明に思い出した記憶を少女は幸せそうに手繰り寄せた。

 

 

「"……います。5歳の時…………もう何年も前になるんだね。青森の花火大会へ、一緒に行った子がいるの。一菜ちゃんには話したことあったよね"」

 

聞いたよ。覚えてる。

あなたが自分の事を、あたしや妹達が知らない自分だけの思い出を語ってくれるお話だもん。

 

昼間のイタリアの空が、彼女には夜の日本の空に見えているんだろう。

 

「"聞くよ。聞かせてよ、大切な思い出は何度思い出したっていいんだよ"」

「"私も聞く"」

 

 

あなたにとって大切な思い出がある。

あなたにとって大切な人がいる。

 

 

「"その子も、一菜ちゃんのお友達みたいに、腕を伸ばして引っ張ってくれたよ。外の世界へ。私は怖くて、本当は行きたいのに怖くて、連れ出してくれたあの子の事もちょっと怖くなっちゃったの"」

「"ふんふん、ドキドキしたでしょ?"」

「"とっても。外は怖いし、悪い事をしてるって分かったし、星伽には怒られちゃうだろうし、人の目は気になるし、花火は楽しみだし……だけど、手を繋いだことがどうしようもなく心を高鳴らせて、心臓の鼓動が頭の中まで響いて――"」

 

 

良い顔だ。

 

彼女の思い出の空で真っ赤な花が咲く。黒い瞳が赤い光を反射したように見えた。

彼女にとって特別な夜の火輪は、繋いだ手を一瞬忘れてしまうほどに美しかったと聞いた。

 

 

「"彼の目を奪った夜空に花咲く美しい火に、私は嫉妬しちゃった。だって私も夢中にされちゃったから"」

 

 

猫被って良い子ちゃんしてる時よりも今の方が。

あたしに心を悟らせまいと作り笑いしてる時より今の方が。

 

 

「"沢山の人がいて、はぐれないように必死だったのに、花火が始まったら世界は2人と空だけに変わってたの"」

「"……女傑だよね、花火って。あたしもあの力強く呼号を飛ばす美玉の無常に忍びゆく様は素敵だと思うなー"」

「"うん……私も。あの子も、花火が好きだといいな"」

 

 

今、あなたはとても美しい表情が出来ているよ。

その子はあなたにとって、あたしにとってのクロちゃんなんだ。

 

 

湿気った風に攫われて、絹糸のようにしなやかに、たおやかな髪の1本1本が波を立てる。

彼女が稽古の合間に披露してくれた神楽舞が懐かしい。あれは遠い遠い決戦の記憶を鎮かに回想させる。

 

それもそうだ、神楽舞は神への奉納の舞。

感情(イロ)を鎮め、争いを鎮める、無垢で純真な穢れなき白の舞。

 

あたしも誰か巫女さんが鎮めに来てくれるのかなーって手持ち無沙汰ながら期待してたのに、和尚さんが来てワンパンでバラバラにされたからね。

玄翁だっけ?人間の所業じゃない、あいつは鬼だ。超怖かった。

 

 

嫌な記憶は彼方にぽーいっ!

降られる前に移動しないと、風邪ひかせちゃうや。

 

 

「"女巫校はどう?"」

「"みんなは規律が厳しいって言うけど、私は星伽の名を背負ってるからお手本にならなくちゃ"」

「"楽しい?"」

「"うん、みんな私に優しくしてくれるよ"」

「"友達は出来た?"」

「"……どう、かな。学校だと私語を慎む校則があって、放課後は寮の自室から出てはいけないから"」

「"あーらら、あの学校も時代錯誤が直らないねー。こら!ちーちゃん、睨んじゃダメだよ。あの人達も仕事柄しょうがないんだって"」

「"違う。雲で日光が遮られただけ。睨んでない"」

「"私達を守る為に必死なんだよ。超能力を持つ子供は各国から狙われているの"」

「"そっか。そーだよね、まだ守られる側なんだもんね"」

 

言うべきことを、残らず伝えて。

 

「"さあ、あたしの気持ちも分かってくれたわけだ。好きな人は護りたい、誰にも奪われたくないでしょ?だから…………覚えておくが良い、『星伽白雪』よ"」

「"…………はい"」

「"遠山クロを斬らんとすれば、ダキニの法にて己が(はらわた)を差し出すものと案ずるのじゃ。我は愚かな情と罵られようと、(とも)の輪を今生の我が臓の拠り所とす。互いに無益な殺生は避けるべきと思わんか?"」

「"……時間が迫っています。これは星伽が定めた期限ではありませぬことをお忘れなく"」

「"手を借りるぞ。万障繰り合わせ、めでたき終局を迎える為にの。そこな護衛共もついて来るが良い、主らの住屋まで送ろう"」

 

 

残らず、伝えて。

 

 

「"あっ!そうだ、白雪ちゃん"」

「"なに?一菜ちゃん"」

「"誰かを信じるなら、最後まで信じてあげてね。その人を護る為に離れようとしたら、守られるだけなんて御免だーって言われちゃうよ?"」

 

 

 

髪を結うリボンに触れて。

大好きな彼女の言葉を真似して見せた。

 

いきなり何の話って思うよね。

その平和の象徴、ハトみたいなキョトン顔。でもきっと分かる。

 

 

いつか、自分の居場所は――自分の生き方は、自分で決めるんだよ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

――――ツカエサセテクダサイマセ?

 

何言ってんだこいつ。ここが難民キャンプにでも見えんのか?

チュラ、バラトナ、黒鈴。気付けば受け入れ人数が着々と増えちゃいるが、

 

「"断る――「"断ればお前を殺してワタシも死ぬ。それしか道は無いの"」

「"なんでだよ!"」

 

断らせる気はないらしい。

こんなぶっ飛んだライフオアデス発言をする不穏分子に与える余裕は寝床のスペース的にも心情的にもない。寝首をへし折られるだろ。

 

 

見慣れた俺の部屋に見慣れるほども会ったことが無い相手が、立ち上がる勢いで2足の運動靴を散らかしたことを悪びれずに手を差し出している。

手を取らなければやる気らしいが、仮に受け入れたとしてこいつの目的は何なんだ?やはり疑念がぬぐい切れない。

 

大仰に誓いを上げたものの、俺への態度に立てようとしたり取り入ろうとするものが無いということは、元居た場所と復縁を企んでいるんだろう。

宿金を奪われたんだから奪い返してこい。負けたんだからやり返してこい。来訪の目的はそんなとこか。

俺のヒステリアモードをトリガータイプだと瞬時に見破ったが、その条件まで判明していないならこの交錯で探る腹積もりかもしれん。アリエタのトリガーは時間を掛けてリズムを取る必要があるようだった。

 

 

「"宿金を取られたらもっと弱体化してるもんかと思ってたぞ。髪が光ってないくらいしか変化が無いんだな"」

 

歯に衣着せぬ率直な感想で挑発してみるが、

 

「"お前は3日で別人になるの?"」

 

これだよ。宿金を失って倒れたりしてないか心配だったってのに、気弱になるどころかピンピンしてるじゃねえか。

エネルギー枯渇問題への貢献に発光女も節電してるのかもな。日本じゃ石油エネルギーの低減に併せて、太陽光発電の設置や核エネルギーの比率向上に向けて計画を立ててるそうだ。ソーラーシステムとは先進的エコで大層なこった。

 

 

「"それとも、弱々しく縋っていた方がウケが良かったかしら"」

「"心配して損した。それと安心した、世界には俺と同レベルのギャグのセンスの持ち主もいるもんだ"」

「"??"」

 

 

アリエタは会話の意味を真剣な表情で真面目に吟味している様子だ。

さっきの返しは素かよ。こいつはボケられない、まずボケを理解してない。ジョークは言えないけど通じるパオラとも、ジョークは言えるがいまいち通じないフィオナとも違うタイプの生真面目な性格、と。

 

今この部屋にはベッドに寝かされているバラトナ以外には俺とこいつしかいない。

だから注意を払いつつ見ないようにとは思っていても見てしまう。靴を脱ぎ立てた片膝を見て再認識したぜ。純白の体毛を生やした脚の先は人間のものじゃない。動物の蹄だった。

黒にほど近い煤竹色の蹄は主蹄が2つに割れかかとに副蹄が付いてない、偶蹄目(ウシ目)の中でも山羊や羊と似た形だ。

 

 

「"他者の身体をジロジロ見るものではないわよ。その値踏みするような目遣い、褒められたものではないもの"」

 

 

批判的な声に意識を向けると、翡翠色の目を鋭くさせイラついた顔をしている。

目付きの悪さを皮肉った訳じゃなく、単に気に食わなかったって顔だ。元が整った形だからか、不機嫌そうに睨め付けられるとゾクッとくる魅力があるぞ。

 

 

「"お前達人間には珍しい形だとしても、それは人間がマジョリティの立場にあるだけ。ワタシのような、お前達が獣人と呼び排斥した存在は世界にいるの"」

「"知ってるさ。友人に尻尾が生えてる奴がいるし、知り合いにゃ羽の生えた奴もいる。悪かったな、脚が、その……蹄になってる奴は初めて見たんだ"」

 

 

ローマに来てから毎月新しい超常現象と遭遇してる俺に隙は無い。

言っとくが、お前と会った翌日にお前のお仲間と自称鬼っ子に家宅侵入されたんだからな?スケジュールにも一切隙間が無かったんだよ。

 

現在進行形で同系統の奴らとの戦いが控えてる……とか頭を抱えそうになっていたら、睨め付ける攻撃的な視線が和らいでいく。ってかメッチャ見られてる。珍しい物を観察する目付きで見返された。

 

俺が思いの外間髪入れずに想像と違う話をしたもんで、驚いたというより変に興味を持ったようだ。

羽生えた人間と会ったとか真顔で話されたら、俺だったらご退場願うぞ。どう考えてもトラブルの種だし。

 

 

「"……怖がらないのかしら?"」

「"怖いに決まってんだろ。お前だろ?車を脚で裁断したのって。あれは俺の友人だ。顔を覚えてるのか知らんけど、今度見かけたら謝っとけ。良い奴だからちゃんと顔を合わせて謝れば許してくれると思うし、怖いなら中継ぎくらい手を貸してやってもいい。()()()()()()()()()()()()お前が言わんとする人間と変わらないんじゃないのか?"」

「"…………"」

 

 

話半分で聞いていた感じだったアリエタが今だけは聞く耳を持ってるらしい。

なんとか仕えさせて下さい発言を撤回してもらおうと、口頭での説得と話題逸らしを試みたらバツが悪そうに顔を背け考え込みだした。

 

手は引っ込めないのな。あともう一歩、ロダンの考える人にもうちょっと姿勢を寄せてくれれば契約破棄になりそうなのに。

 

 

「"謝罪する。お前に"」

 

 

片膝立て体勢で考えるブロンズ製の男を妄想する俺の耳に感情を込めた人間味のある声が届く。

分かってくれたか。じゃあ今夜は一泊させてやるから明日謝ってみろよ。ご主人様とやらに――――

 

 

 

――――なあ。

 

 

 

「"……言ってる事とやってる事が違わないか?"」

 

 

辛抱強く差し出し続けられた色白の手がカクンカクンと……リズムを取り始めたぞ…………!

背景音楽を流す音響装置の1つも配備されていない一室に、ゆっくりと子守唄が刻まれたオルゴールのような速さで白い指針のメトロノームが時間を生み出していく。

 

 

「"8拍待つ。答えを聞かせなさい"」

 

 

緩やかに、しかし急かす様に早まるリズムが完全に一定となったタイミングで、以前聞いたセリフが放たれた。

まだ、気配に変化はない。条件を満たす為には宣言が必要なのだろう。

 

8拍は言うなれば俺が廊下で済ませたセーフティの解除と銃弾の装填行為に値する。それが過ぎれば発射はいつでも可能なのだ。

指に力を入れるだけでトリガーが引かれ、撃鉄がプライマーを叩き付ける。そこに不発(ミス・ファイア)は起こり得ない。

 

 

1拍1拍は遅いはずなのに、

 

 

「"ちょっと待ってくれ"」

「"8拍よ"」

 

 

それが異様に早く感じる。

もう3拍、4拍。無情にもカウントされ続けるその手を取らなければ……!

 

そもそも俺に仕える要因は1つしかない。

 

 

「"充式が出来てるんだな?この家に入った時点で"」

「"詳しいのね。御名答、日は沈んでしまったけれど明日の日の出からまた充式を始められるわ。宿金とは『宿る金属』。人々と離れた宿金は樹々に宿り、山々に宿り、家々に宿る。この家もそう"」

 

5拍――――6拍――――。

 

「"なんで俺が帰ってくるのを待ってた?"」

「"ご主人様が定められた人間社会での大原則(ルール)。ワタシ達が人を救う立場にある以上、その逆に乏しめる行為は許容されないの"」

 

 

そういう事か。アリエタは俺に危害を与えられない、与えればご主人様とやらのルールに反する。だから俺を殺して自分も死ぬなんて口走った。同じ理由で宿金を取り返すには盗むのではなく俺と正式に戦って()()()として手に入れなければならない。

つまり8拍の後に俺が抗戦の意思を見せて正式な戦いになる事を望んでいるんだ。

 

次は()る気で来る。そしてヒステリアモードでもない俺は確実に負ける。

 

 

7拍。

 

 

コラムの忠告通りだぜ。

スカッタのパッとしない反応で甘く見ていたが、必要な物であることは間違いないんだ。

 

 

俺が手を取ればここに仕え、居座る契約が成立する。

俺が手を取らなければ戦闘に、もしくは道連れにされる。

 

大原則の中でアリエタは()()()()()()()()()()()()()()。それを俺が覆そうとすれば、大原則の例外として排除されるかもしれない。

まるで小さな箱庭の宣戦。

 

 

「"宣言するわ"」

 

 

そうだ、箱庭と一緒だ。

 

 

8拍のタイムオーバー。

 

 

仕方ない。

トリガーを引かれる訳にはいかないしな。答えてやるよ、お前が望んだ通り、態度でだ。

 

伸ばされた手に自分の手を合わせる。

平と平が触れ、手を繋ぐ。

 

 

 

「"――――ザンネンね。面倒だけどそれが、お前の答……え?"」

 

 

 

アリエタは手を取られた事に冷めた態度を返そうとして……横倒しにされた自分の手と握手で繋がる他人の手を見て固まった。

同じ目線で同じ姿勢をする俺に寄越された透き通るエメラルドの瞳は円形に加工され、解答を導くまでの過程をお求めのようだ。目は口ほどにものを言うってな。

 

 

「"勘違いするなよ。俺はお前を仕えさせるつもりはない。あくまで対等な立場の居候として扱う。だが、うちのルールには従ってもらうぞ"」

 

まあ、口の方が説明しやすいけど。

 

「"い、居候?おちょくっているの?"」

「"その言葉、丸々スカッタに弾き返してやるよ。この家のルールは俺が教える。だから対等な立場として1つ教えてくれ。お前、いやアリエタは宿金ナシでどれ位生きられる?他にも宿金について知っていることを話して欲しいんだ"」

 

 

アリエタが面食らって合理的な判断が出来ていないこの数秒間が勝負だ!勢いで圧すぞ。

居座らせる前提なら成り行きでバラトナの傷の診療も任せられるし、これ以上のスカッタみたいな不法侵入を防ぐ壁にもなる。

何より交換条件として俺が最も望むのは宿金の情報、こいつらはその宝庫かもしれないんだ。宿金を知っている奴が話せないなら、宿金を持っている奴なら話せるんじゃないのか?

理子の話を持ち出して警戒されるよりも、連れ戻した後に宿金をどうするかの参考にする。

 

 

「"そう――――。そうね、乗せられてあげても良いわ、シグドロ。宿金の事を知りたいだなんて奇特な人間の名は覚えておく。ワタシの天命は近いそうよ、数日中にね"」

 

 

やっとこさ手を引っ込めたアリエタは、ある程度俺の考えを見抜いた上で教えてくれるらしい。

顔は笑ってないけど、仕えさせろと言ってた時よりは態度が軟化してる気がする。

 

 

「"宿金込みならどうなる"」

「"どうかしら。ワタシが死を避けようと思えばしばらくは生きられる"」

「"おちょくってるのか?"」

「"その言葉、丸々スカッタに受け流してあげる"」

 

 

でも協力的かと問われれば首を傾げざるを得ない。

対話の意思があるだけマシ、口軽くご主人様ってのにペラペラと告げ口されるよりはいいか。

 

それじゃあ、こっちはこれで問題を先送りしたから……

 

 

「"気掛かりがあるようね"」

「"お前もその1つだけどな"」

 

 

外からの問題の次は内からの問題。

あいつが向かう場所なんて限られてるはずだ。順番に当たって行けばいずれ見付かるに決まってる。

バラトナの傷はあいつが――どうしてだよ!

 

考えるより本人に聞く方が早い。

考えるより探しに出た方が早いんだ。

 

 

アリエタは暴れないだろう。

自ら人に危害を加えようとしないだろうし、殺気をバラ撒いてなきゃ兄さんもいきなり威嚇行為を行ったりはしない。

 

 

「"この部屋から動くなよ?出たら敵対行動だと判断するからな"」

「"焦りは禁物。シグドロ、何を恐れている?目を瞑って走り出せばお前は格好の獲物よ"」

 

 

ダメ押しの言伝を残し、すぐさま部屋を立ち去ろうとした俺を引き留める言葉にいくつもの意味を読み取れる。

 

 

「"何が言いたいんだ"」

「"心当たりがあると言っているようなものね。それでも聞きたいのならお前が耳を塞がないギリギリを仄めかせてみせようかしら。ワタシが摘出した銃弾を見てから様子が急変した。別に特殊でもない物に、お前の反応は過剰よ"」

 

 

9mmパラベラム弾は世界で最も普及している銃弾で、俺のベレッタも同口径だ。

鑑識科に9mm弾を持ち込んで犯人を特定しろと依頼しても一言で追い出されるだろう。

 

だが、それでも思い浮かんでしまった。

俺はあいつの全てを知らないから。

 

 

「"誰かの顔が浮かんだ、そうでしょう"」

「"……ああ"」

「"その誰かの知らない面をお前は恐れている。薄々勘付いていながら、目を逸らしてきた。見てしまえば今までの関係を否定してしまいそうで怖いのね"」

 

 

なぜこいつは俺の考えが予想出来るんだ?

まるで同じ気持ちを経験したことがあるみたいに、妙な説得力がある。声に力が入っていて、言葉に重みがある。

 

 

「"目を開けなさい、シグドロ。見えないフリをして逃げ続けたツケを正面から見据えなければ、立ち向かったなんて言えないの。衝突することもある、また離れることもある。でも……"」

 

 

そして、なぜ俺に味方するような助言をするんだ?

そこには魂胆があるはずで、企みが隠されてるはずなのに、

 

 

「"ねえ、怖がって距離を置いてしまってはダメなのでしょう?…………永遠に後悔するわよ"」

 

 

まっさらな感情の中を見渡しても、どこにも穢れが見当たらない。

 

 

 







クロガネノアミカ、読んで頂きありがとうございます!


流転編ラストになりました今回、前半は一菜と白雪、後半はキンジとアリエタの会話でした。未来のバスカービルメンバーが続々と集結してきましたね。

次回からは新章、この作品の真の主人公とも呼べる人物が満を持しての再登場しますよ。






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海砂の黒金姉妹
不可視6発目 海望の三角州(シーサイド・ノーサイド)(前半)


 

 

 

ボンジョルノ(おはようございます)ポメリッジョ(こんにちは)セーラ(こんばんは)。ようやく、挨拶が出来ましたわ」

「…………」

「今夜も良く冷えますわね。お腹は空いておりません?身体は痛くありませんの?」

「……ない、だいじょうぶ」

「クロ様はさぞ喜ばれたことでしょうね。私にも一報入れて下さればよろしいですのに」

「わかんない」

 

「――どちらへ向かわれますの?こんな時間に出歩いては危ないですわよ、チュラ様」

「おねえちゃんの所に帰るの。アリーシャ、おやすみ」

「寝惚けていらっしゃいますのね。パトリツィアお姉さまも、よくお花に向かって私達の名前を呼び掛けていますけれど、チュラ様も……ほら、寝ぐせが付いておりますわ」

「!!」

 

 

 

「……なぜ離れますの」

「ごめんなさい」

「学校はとっくに下校時間。クロ様は家ではありませんの?」

「わかんない」

「バラトナ様からのプレゼントはお持ちでないようですわね。せっかくみんなのお洋服を用意したそうですのに」

「……ごめんなさい」

「クロ様にあまり心配を掛けては――」

「わかんない!」

 

「何かありましたのね」

「ない、だいじょうぶ」

「そのグローブの汚れはなんですの?」

「っ!?」

 

 

 

「もう一度お尋ねいたしますわ。どちらへ向かわれますの?」

「うそ、つき」

「先に嘘を吐いたのはチュラ様ですわよ。思金の力場を感じましたわ。まさか、とは思いましたけれど――――盗みましたわね?私達の技と日本の技を。それともう1つ」

 

 

 

 

「あなたはチュラ様ではありませんわね」

「…………」

 

 

 

 

「……チュラだよ。チュラは……チュラ、だよ」

「お名前をお聞きしても?」

「なんで?アリーシャ。チュラのこと忘れちゃったの?」

「チュラ様の事は覚えておりますわ。ともだ……仲間ですもの」

「じゃあ……どうして――!!」

 

 

 

 

「"何をしておるッ!離れよ!アリチェッ!"」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「"いいか、動くなよ。フリじゃないからな?"」

「"しつこいわよ。こんなガス欠状態で暴れると思う?"」

「"お前のガスメーターなんか知るか。しかもさっき暴れようとしてただろ"」

「"ノミの心臓には十分なコケ威しになったでしょう"」

 

 

……はい?

衣装タンスを漁っていた手を止めて振り返る。もしかしなくても、あのリズムを取るような動きは、

 

 

「"まさか使えなかったのか?"」

「"使えるわよ"」

 

そうか……

 

「"余程の事がなければ使う気はなかったけれど"」

 

そうなのかよ!

 

 

「"さっきのはどっちだよ"」

 

大事そうに爪を愛でていたアリエタが右手をカクンと揺らし、

 

「"些事ね"」

 

こっちを向かずに答えた。心底興味無さげに。

 

 

「"ああ、そうかい"」

 

 

虚を突いてやったと思ってたのに、一枚上手だったのかよ。

ほっといたらいつまでも膝を付いていそうだからサイドチェアに座らせたけど、立たせておこうかな。

 

タンスの奥から取り出した例のブツを腕に提げ、半ばやけくそで棚を押し込んだ。

ガサガサと紙袋の口を開き中身の状態を確認する。痛んでないし、折り目や癖も付いてない。そのまま使用可能と判断出来る。

 

 

「"それで、お前が持っているものは何?"」

「"聞くな。着替えだ"」

「"急いでいても着飾るのね。悪い事じゃないわ"」

 

 

本気でそう思ってんのかねえ。何がとは言わんが明らかにレディース持ってんだろ、妙だと思って一回聞いたんじゃないのかよ。

ドレッサーの鍵付き小棚から香水を取り出しつつ横目で睨んだら目が合った。こいつの目付きも大概だよな。

 

 

「"なに?"」

「"笑顔は出来ないのか?"」

「"お前は意味もなく笑うの?"」

 

元々声に険があるアリエタがより不快感をプラスして言い放つ。

 

それもそうか。

……よし。

 

「"ピザを注文したのに一向に来ーん(コーン)さらに(サラミ)小いちー時(チーズ)間の演奏観覧(橄欖)(オイル)売ってやっと待っと(トマト)ったピザが来た"」

「"ピザはナポリよ"」

「"聞いてねーよ、ってか聞けよ"」

 

 

二度と笑わせようとはしない。お前には仏頂面がお似合いだよ。

まあ6割は俺の小話が不発(ミス・ファイア)しちまっただけだろうけど、真顔であしらわれるとダメージがでかいんだぞ。

 

 

コルトを取り出し、暴発しないように用心する。

いつもはこの部屋で着替えて武装も携行してしまうのだが、先客が居てはそうもいかない。他に姿見が出来そうな鏡があるのは……

 

 

「"お手伝いが必要かしら"」

「"お前は着替えに他人の手を借りるのか?"」

「"借りないわ"」

「"そういうわけだ"」

 

 

クローゼットから黒いロングコートを引っ張り出し、ようやく言い負かせたと満足して浴室へと向かう。

兄の部屋で女装するとか聞こえが最低すぎる、もうわけがわからないよ状態だ。

 

 

――――カチャン

 

 

家中静かだが、ここは一段と静かだ。

 

紙袋から取り出した一式を眺めるとため息が出る。

悲しい事に、服装が中途半端だとなり辛い。ヒステリア・フェロモーネは兄さんの真似をしたというよりカナに真似させられたのだが、要求ハードルが案外高いのだ。

スカートをはけば良いってものでもなく、ファッション雑誌をパクっても成功するとは限らない。露出の面積に関わらずドレスでの成功確率が高い事は判明しているものの、なる時はメンズズボンでもコートでもなる。

 

それと一度なったことがある服装はなりやすい。

これらは視覚と脳の認識の問題だろう。

 

 

ものの10分でお色直しが終了した。少し期間を置いたから念入りに整えていたせいで時間が掛かったな。

香水を纏って血流が変化しない――すなわち、失敗してしまうと再挑戦まで落ち着くまで待たなければいけない。

 

武偵中の制服があれば1人ファッションショーで悩むことも無いのだが、生憎と只今チョコ染みによるクリーニング休暇中だ。

インナーは体をほど良く締め付ける上肢と下肢が一体になった黒のアンダーウェア、その上にノースリーブの防刃性シャツを着てお馴染みのコートを羽織る。脚は脛当てと防刃ストッキングで……おっとウィッグを忘れるとこだった。

 

 

水気のない浴室でオーデコロン『ジネストラ』を構える。

合格は間違いないだろう。しかし、焦る心情が不安感を煽る。

 

 

「"上手くいってくれよ……"」

 

 

シュッ――――

 

 

平常心、平常心……

波を荒立たせないように目を閉じて深呼吸をする。

 

お世辞にも広いとは言えない空間が緑色の成り物野菜の青臭い香りで満たされた。

やっぱり好きじゃないな、この匂い。爽やかともちょっと違う鼻を突く感じだ。

 

 

しかし、血に変化がない。

水面下でジワジワと灼け付くような血の流れを覚えた。

通常のヒステリアモードよりも荒々しく凶暴性を浮き彫りにさせているような力強さだが、これじゃない。フェロモーネの血流はもっと静かだ。

 

よく分からんがその血流がヒステリアモード(クロになること)を妨害しているらしい。

そいつがクロを出させまいとしている気がする。

 

 

(邪魔するなよ!俺だってなりたくないさ、こんな時ばっかりあいつの力を借りてるみたいで)

 

 

クロはローマで別人格として芽生え、幾度となく生命の危機に瀕しては生き延びてきた。

兄さんと違って素の能力が低い俺は戦闘面をヒステリアモードに頼りっきりだ。クロとしての戦闘経験で底上げされたとはいえ、レベルの高いローマ武偵中の仮ランクではCランクに入れるかも怪しい所だろう。

 

 

クロはヨーロッパで消え去る。これは比喩ではなく変えられない事実だ。

いいだけ利用して捨てるような、どうしてもそこが割り切れない。あいつも俺だってのに、なぜかあいつを能力の1つだと切り捨てることが出来ない。

 

俺があいつを別の何かだと感じている。

それが発現を妨げている、のかもしれない。壁を作り出しているんだ。

 

 

(けど……クロ、お前の力がいるんだ。俺達の戦妹(いもうと)が心配だ――)

 

 

ここでしくじる訳にはいかない。

チュラは止める必要がある。バラトナが止めようとしてくれた。

止めなければならないと彼女は動いた。

 

強引なお説教も必要になるだろう。

チュラは()()()目覚めているのか、それすらも分からないんだからな。

 

 

 

――――ドクン!

 

 

 

(――その気持ちは俺達、一緒だろ!)

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

――――――

 

――――

 

 

 

 

『ふふ、聞いてくれよアリーシャ。今朝学校で初めて要注意対象への接触に成功したんだけど、私の事を何と呼んだと思う?』

『……ブラック・アニスですの?』

『片目ってだけで判断しないでくれないかな。"ハットリチア"だってさ、変な訛りだろう?彼女は日本語が話せるらしい』

『はあ』

『感想が聞きたいな』

『上機嫌ですわね』

『私の感想じゃない』

『特には』

『今のあなたは機嫌が悪いようだ』

 

『……何時だと思っていますの?』

『夜だよ』

『深夜ですわ……』

『おねえさまうるさいよぉー……』

『今週末はアトリエを案内すると約束したんだ!』

『一応お聞きいたしますが、お父さまには』

『愚問だね、もちろんしていない。アリーシャも黙っていてくれるね?』

『監察の一環としておきますわ』

『スパッツィア』

『きょうみなーい……ん、くふぁあ~』

 

『良し良し、私も手伝うからケーキを焼こう!サクランボが好きらしいんだ、どんなケーキがいいかな?』

『キルシュトルテなどいかがですの?いずれにせよ、今夜はもうおやすみくださいま――』

『いや、これからアトリエに潜るよ。いつもの時間に知らせて欲しい』

『……かしこまりました。では、おやすみな――』

『そういえばアリーシャ!』

『お次はなぁんですのよぉ……?』

『彼女には妹がいるんだって。故郷において来たそうだけど』

『……そうですの』

()()という名前で、笑っても怒っても泣いても、寝ても覚めても可愛らしい蕾のような子だそうだよ』

『明日聞きますわぁ……』

 

 

 

 

――――

 

――――――

 

 

 

 

目の前が夜空で埋め尽くされている。

その直前に見えたものは鼠色の粗雑な刃物が空間そのものを貫き裂く様子。鞭のようにしなる斬撃は空気すらも素通りし風を切る音も聞こえなかった。

 

何者かの腕が腹部を打つ衝撃で身体が後ろに傾き、崩された体勢の中で足の裏が2度宙を足掻いて硬直する。

 

(どうして…………)

 

体当たりを喰らったようだ。このまま落ちれば背面から倒れた勢いで後頭部を強打する。

 

裏で操っている者がいるかもしれないと細心の注意を払っていたのに、突き飛ばされるまで彼女の存在を捉えられなかった。

即座に取った受け身動作が間に合い、落下のダメージは軽微で頭部の接触もなし。それほど時間を掛けずに立ち直れるだろう。痛みは今、隠した。

 

(どうして……?)

 

暗い。

黒いだけの夜空は美しくはない。芸術的でもない。

 

私が愛する芸術は天空を煌かせる星々と大地を輝かせる月、そして世界を照らし出す太陽の光。

雲はその光を遮り、時に強く時に弱く光量のアクセントを演出する。濃く、薄く、大きく、小さく、形を変えて地上に光を落とし影によって存在を表す。

 

(どうしてですの?)

 

しかし見上げた空は雲で覆われて、あらゆる希望が存在しない。

見失ってしまいましたわ……光を。

 

 

「"すぐに立てッ!後ろを見ろッ!ハコオニと顔を合わせれば存在を写し取られるぞ!"」

 

 

畳み掛けるように口早で少女が勧告してくる。

焦燥感に駆られた追い打ちの声に、意味は分からずとも感傷に浸ってぐずついている時間が無い事を知らされた。

 

 

見てしまった。

狙いは間違いなく私だった。

私の首を刎ねる横一閃を振るったのは間違いなく彼女だった。

 

避けられたはずの刃は私の内側に届き、ココロを深く貫いている。

感情を抑えなければ。痛みを埋めて……

 

 

Kurin(クリン様),Who is that?(彼女は誰ですの?)

「"ぬぅ、何言っとるか分からぬ"」

 

 

(英語もダメですのね)

 

英語での返事が戻ってこない。

これが通じないとなると、英会話は壊滅だと思うべきだろう。言葉での意思疎通は不可能だ。

 

(まともに生活も出来ないのではありませんの?ローマに知り合いでもいるのでしょうか)

 

 

「アリーシャ、チュラはおねえちゃんに会いに来たの。おねえちゃんが待ってるの。おねがい、かえって。おねがい」

 

 

無感情な声が聞こえて、ホッとしてしまう自分がいる。

彼女は彼女じゃないソラガミのような何かだと、私を害そうとしたのは彼女ではないと自分に嘘が吐ける。

 

ああ、虚ろだ。

立ち上がるまでの数秒間に、私は決断を下さなくてはならない。

正面対決に向かないからと逃げ出してしまうべきだ。彼女に敵わない事実は過去の闘争で証明されている。

 

 

「"悔ゆれども最早手延べよ。気を隠匿せんと己が身一つで追い来たれど、刀がのうては如何(いかん)ともならぬ"」

 

 

黒い着物の少女は腰のあたりで弦を弾じるように手を動かした。その後ろ姿は若干退き気味に見える。

彼女に思金の気配はない。チュラ様に切っ先を合わせていた日本の剣を持っていないのは、気配を悟られない為だと考えられる。彼女はチュラ様を追っていた、恐らくその目的地を知る為に。

 

見付かるつもりはなかったから、思金の力を防ぐ手立てが今の彼女にはないのだ!

 

 

「"黒鈴もじゃましないで。アリーシャを庇護するまでは気付かなかったけど、顔、見たよ?もう見失わない"」

「"ハコオニよ、止まらぬか?我輩はお主の向かう先を知らぬが、よもや逃げられると思っておらぬな?"」

「"黒鈴は小さい頃のチュラしか知らない。この個体で初めての『千金』も上手く使えた。黒鈴にも負けない"」

「"…………"」

 

 

会話の中に微かな怒気。それがやけに重苦しい。

2人の存在感だけを目の当たりにすれば圧倒的にクリン様の方が大きい、大きすぎる。パトリツィアお姉さまよりもずっと重圧感が強い。

しかし正しい戦力分析は逆だ。いかに強靭な肉体を持とうと、巧みな技能を扱おうと、超々能力は防げないし破れない。

 

その上、チュラ様は黒思金ではない別の固有派の波を使っている。日本の猫耳少女が放った鼠色の液状物質を刃物のように固め、私の顔を見ることなく私達の技『空隙』を纏わせて斬りかかってきた。

見た事のある事象を人や物を介して思い出している。納得は出来ないものの、それが彼女の言い分だ。模倣観察とはその為の準備だと。

 

(でも、記憶の保持は困難だと話しておられましたのに)

 

偽りの情報だったのだろうか。

何を見ることも無く、いつでも使えるのだろうか。

 

 

疑念が湧く。

 

 

「"……ふぅ。驕るなよ。お前ごときが私を上回るだと?"」

「"戯け話だよ、怒らないで。刀を持った黒鈴は鬼に金棒だから"」

 

 

(いけませんわね、私は。疑り深い嫌な性格ですわ)

 

疑ってしまう。彼女自身を。

彼女が彼女である内から、私の事を仲間などと思ってくれてはいなかったのではないか。

彼女の目は私をどう見ていたのだろうなんて。

 

どうして一方的に望む関係を相手に求めてしまうのでしょう。

そうであって欲しいと勝手な人物像を押し付けている自分が大嫌いですわ。

 

(希望なんてヴィオラ様の手で綺麗サッパリ取り捨てられましたのに、クロ様のみならず今度はチュラ様を自分の空に浮かべるつもりでしたのね)

 

そうしなければ、白思金は輝かない。

お姉さまにとって天窓の天使のような存在が、私にも必要なのだ。

 

かつてそこに輝いていた希望は、私の存在意義を否定して姿を隠した。

優しいだけの彼女は偽物で、本物の彼女は優しさを隠し、虚言によって私を迷わせる。

 

 

「"だから、今、やるよ。須杷(スワ)()()()()()"」

「"大馬鹿者が、説教では済むと思うなよ、()()()"」

 

 

()()の登場に気付いたのはチュラ様が私に帰れと言った時。

チュラ様が周囲を真似て思金の気配が希薄な様に、彼女もまた思主特有の気配を感じ取れない。彼女の隣には常にパトリツィアお姉さまがいて、学校では潜むように紛れさせていた。

 

 

「"お久しぶりだね黒鈴、牟宇(ムー)を動かせば丸腰で来ると思ってたよ"」

 

 

小川のせせらぎのような心休まる自然的で穏やかな声。彼女の髪は春に咲く桜並木よりも血が通ったように色濃く、石壁に枝垂れ咲くピンク色のブーゲンヴィリア程も派手ではない。

ローマ武偵高の地下神殿に所属する殲魔科が好んで着用する旧型の制服。中学生でそこに所属する人間は将来の祝福者候補であり、魔女と戦う使命を背負った者の証。

私以上に思金を使いこなせる格上の超々能力者であり、反射や屈折は強度も精度もレベルが違う。

 

 

「クロ様はまるで未来予想を綴る預言者のようですわね。ファビオラ様」

「だれのこと?」

 

 

クロ様が情報を欲しがった理由は憶測の域を出ない。最近の彼女は学校でお会いする彼女とは別人のように振る舞っている。

この計ったような潮合いは?ファビオラ様が任務で動いていたのも何か原因があるのだとすれば、バラトナ様が出会った事も単純な偶然か怪しく思えてしまう。

 

 

それ以前に、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

意味があっての嘘なのでしょうけれど、お互い様ですわね。

初めからファビオラ様のお話をするつもりはありませんでしたし。

 

 

ココ……ポコ……と音を立てて鼠色の刃が膨らみ、薄く伸びて鈍い光を返す。均等に並べられただけの力場は鋼のように固い。探る前から己の力不足を悟った。

続けて後方から銃を構える音。彼女の武装はクーガーの9mm規格、装填された銃弾には波が感じられる。お姉さまと同じ、空白を生み出す凶弾の波長が数発。

 

 

「アリーシャ、かえって」

「アリーシャ、離れててね」

 

 

前後から挟まれて、またも無感情に告げられた。成り行きか計画通りかは不明なものの、ここで争いが始まるのは間違いない。

彼女達の本意は私を気遣ったものではなく、邪魔なのだ。微力ながらも反射を使う事が出来る私は。

 

 

「"『空隙』"」

「"宣言するよ。銃口から直進、非貫通5m、体内に入り込んだ銃弾は静止まで跳ね回る"」

 

 

空隙と空白が発動した。どの口がとは言われそうだけれど、この光景は生きた心地がしない。

 

 

「"……何のつもりだ。私に重火器など無意味、当てられるものなら当ててみろ"」

 

 

だがそこは技術が遠く及ばず、ファビオラ様の空白は波の陰蔽が不完全で、始点と終点を繋ぐ射線が見えている。真っ直ぐにクリン様の額を撃ち抜いて貫通しない。

 

思主ではない者には波が見えていないはずだ。

見えたところで空間の隙間を進む必中の銃弾を避けられるものでもないのだけど。

 

 

「アリーシャ、どいて」

「アリーシャ、介入すると怪我するよ」

 

 

介入しなければ一発の銃弾で終結するだろう。

急所への空白の侵入は生命活動に関わるほど危険で、お姉さまも狙いを付けることは稀な場所。特に脳を撃たれた人間の死に様は本当に酷く醜く、集団の戦意を挫く為の見せしめに使われる。

 

私はこの場でも大した戦力とは成り得ない。2人とは地力が違い過ぎる。

ただし、手はある。この場で最も有効な時間の掛かる手が。

 

 

「お説教されても知りませんわよ」

「されないよ。黒鈴はここで討つから」

「違いますわ。あなたが人を殺めようとすれば、クロ様は何と言いますでしょうか?」

「――っ!知らない!わかんないっ!」

 

 

オレンジゴールドの髪が左右に振り乱され怯むように一瞬だけ波が乱れた。

顔は無感情のまま。ただ、手応えはある。

 

以前のお姉さまやスパッツィアほども自我を奪われていない?

 

 

「お姉さまはお元気ですの?芸術芸術と口癖のようにお話していましたのに、アトリエにもいらっしゃいませんの」

「アリーシャ、パティが心配してたよ。箱庭で姿を見かける、ムリしてないかって」

「御自分でおいで下さいませとお伝えいただけますと喜ばしいですわ」

「パティは忙しいよ。ケガしちゃったから、少しお休みしてるんだ」

「身から出た錆ですわね。そこかしこに種火を蒔いて……私もスパッツィアもお連れ下さいませと、約束いたしましたのに」

 

 

お姉さまは変わりましたわ。

それ自体は嬉しい事ですし……ずっと前の約束ですものね。その甘えが共有できない程の秘密を抱える原因となったのですし。

 

(前髪はスパッツィアによく似ておりましたわ)

 

ファビオラ様とお話をしている内にチュラ様が再び空隙を強く展開させ始めた。

刃渡り10インチも満たない片刃の短剣が、空間を歪ませつつ斜め下に突き出した手の中に納まっている。

 

 

~~~♪

 

 

電話の着信音がチュラ様の方から鳴り続けるも、肝心の持ち主には一向に応じる様子がない。

すぐ近くの音が聞こえていないのかと思うほど、無反応だ。……まさか聞こえていない?

 

 

「お電話、鳴っておりますわよ」

「……?……うん」

 

気付いていたのか曖昧な返事で、無視していたのかいまいち判断に窮する。

 

「クロ様ではありませんの?」

「やめてッ!……チュラ、わかんないよ」

 

 

クロ様のお名前に反応はあるが、波は乱れない。同じ手では生まれる隙も小さくなってしまう。

ここも理性を奪われ、思考能力が低下しているスパッツィアの暴走とは異なる点だ。

 

思念動(テレキネッソ)で操作されたポケットの携帯の通話を切り、次の手を打つ。

 

 

「ファビオラ様はまだヴィオラ様と繋がっておりますの?」

 

 

延々と会話を続ける私をクリン様が無言で待っている。

目深に被った帽子をさらに深く、()()()()()()()()()()に降ろしていく。

 

意図を汲んで下さっておられるのなら助かりますわ。今しばらくお待ちくださいませ。

 

 

「そういうアリーシャは?」

「儚い希望、遠すぎる星には手が届きませんでしたわ」

 

 

さあ、思い出してくださいな。

あなたの敬愛するパトリツィアお姉さまでも、ヴィオラ様でも、()()()()()でも構いませんの。

チュラ様はお勉強の際にどなたかの顔を思い浮かべて望むそうですわね。それと同じ事、お2人の能力の鍵は記憶との紐付けが必須なのでしょう?

 

 

「わたしは信じてるよ。落描きを見せてもらったら()()()()()みたいだから、パティと相談して牟宇を眠らせる事にしたんだ。きっと()()()を護ろうとして無駄死にするから」

 

 

落描きとは本人が聞いたらムッとしてしまいそうだ。

要は今回の彼女の行動は()()()()に基づいているらしい。

 

(そのような裏話がありましたのね……)

 

抽象的な表現ばかりで話は見えないが、海が荒れる、所有者とは何らかの暗示なのだろう。

 

 

「どこかの国が動くとのお話でしたの?箱庭にはそこまで詳しくありませんので、ご教授いただけると喜ばしいのですけれど」

「えーっとね、いっぱい動くんだ――」

 

 

そしてヴィオラ様(彼女)も噛んでいる、か。

立てた人差し指と朗らかな笑顔、もったいぶった話し方は自信があるが故のパフォーマンス。

 

そうじゃないかとは思っていた。

チュラ様が()()()()()()()()()()()()()()()の巻き添えになっていた時には混乱で考え至ることは出来なかったものの、思い半ばに過ぎる部分は存在した。

必然を偶然に見せかけるのはヴィオラ様の恐ろしい所で、気付いていようが気付いていまいが、自分の意思で彼女に操られている人や集団は多い。

 

 

仕事の協力者から伺った話では、半ば住み込み状態だとお話されていたチュラ様があの場にいたのは翌日に探偵科の任務があるからだったそうだ。

クロ様を誘き出す手間が省けた半面、先回りされているようで気味が悪いと警戒していた。

 

一方でスパッツィアが太陽の出ている内にターゲットの魔女から掠め取っていた魔力を私の埋め込む能力でサマンタ様が持ち運び、両者が接触するように捜索に出たもう1人の魔女を誘導した。

ダウジングは対象の距離と強度で反応の強い方を追跡するという法則を逆手に取り、あたかも迷子になっているかのような経路を辿って。

 

 

これで依頼された3つの仕事が同時に完遂されている。

 

1つはクロ様を自宅から遠ざけ、足止めをする事。

1つはバチカンと英国が共通して属目していた依頼主が姿をくらました事。

1つはクロ様ととある人物が出会う可能性を消す事。

 

私達姉妹にとって仕事は何よりも優先されるべきもの。対立しようとも、いざ受注する運びとなれば双方協力を惜しまない。

ヴィオラ様はその事も良く知っている。

 

クロ様と私を結び付け、ファビオラ様を利用してチュラ様を切り離そうとしている。

その企みは……不明だ。

 

 

「――危なかった。仲間を呼んだ?今までのは時間稼ぎだ」

 

 

つむじを曲げても変わらないまんまるの目、反抗的にプウッと膨らんだ頬はフランスのポム・ダムールみたいで愛嬌がある。

仲間など呼んでいないし、私事に呼べる仲間などいない。

確実に逃げ延びるにはもう一押しが必要だ。

 

 

「あら、紅茶とキルシュトルテの無い私とのお喋りはお楽しみいただけませんでしたの?」

「そんなことないよ。会えてよかった」

「光栄ですわね。そうですわ!お姉さまに植物園……ではなく、お部屋のシネラリアの花が咲いたとお伝えくださいませ」

「しーらーねーりーあ?」

「シネラリアですわ。それとなく伝わりそうですけれど……」

 

手持ちの手帳に影も省いた簡略絵をサラサラっと描き上げ、

 

「どうぞ、このようなお花ですわよ」

 

 

見せる。

ファビオラ様の目は花の絵をじっと見つめている。おそらく記憶している。記憶の為にまた誰かの顔を思い浮かべているようだ。

 

 

「これ、何色?」

「咲いたのは紫と赤紫ですわ」

 

 

会話に引きずり込むには相手が熱中できる関心の種を探りなさいと、そう教わったのもずっと前の事だった。

あえて否定し反論させて興味を探る、気分を波にのせたら新たな問いを促し聞きに徹しろなど、性格が2割増しであくどいものに変わった自覚はある。

 

 

空白で欠いてはいけないもの。それは現実の正確な識別と宣言による想像力の上書き。

現実を正しく描けなければ白紙の上に白インクで絵を描くような行為になる。空白の発動後は余計な想像を働かせてはいけない。

 

見えない射線が途切れた。

1人は捕りましたわ。

 

 

「寂寥な夜に花の蕾のように可憐に眠るあなたがいる。チュラ様は睡蓮(ウォーター・リリー)というお花をご存知ですの?」

「知ってる」

 

 

闇を進む暗黄色の瞳に向かって最後の話題を振る。

小さな体は眠ったままに明確な攻撃意思を示し、私にはそれを受け止められない。

空隙では再び昏睡するように意識を失い振り出しに戻ってしまうだけ。

 

お会い出来てお話し出来て、痛感いたしましたわ。

眠ったあなたは私には起こせませんのね。再会はもう少し先にいたしましょう。

 

 

「では、巨匠クロード・モネの『睡蓮』という絵画は?」

「全部は知らない」

「お好きな作品はございますの?」

「ない」

 

 

捜すように依頼されたお名前――『()()()()()()』とはファビオラ様が誤解した()()()()()()お姉さまの名前。

なぜその名をクリン様が知っているか、理由は本人から聞いたに他ならない。私がお姉さまから聞いたように。

 

 

クロ様との間には互いの嘘が招いた食い違いがある。このままでは解決可能な問題も不可能になってしまう。

であれば、なさなければならないことは2つ。

 

 

クリン様を思金の脅威から離脱させる事と私自身が()()()()自由を奪われない事だ。

 

 

「シネラリアは紫と赤紫……」

 

 

もう一度、クロ様も私も隠し事なく疎通しなければならない。目覚めさせる方法を知るクリン様の情報も再度必要になる。

その時にはヴィオラ様の情報も少なからず関わってきてしまうだろう。それを彼女が予想し、許容するだろうか。

口を封じる為に、()()()()()()()()()()()()()()()()()かもしれない。

 

 

 

私はまだ彼女にとって盟友であるか分からないのですわ――――

 

 

 

「ムー様でしたわね。あなたのお名前、思い出しましたわ」

「チュラはチュラだよ。第二の名前(ウケツギシココロ)はチュラの名前じゃない。こないで、アリーシャ」

 

 

unnie(おねえちゃん)とは戦姉であるクロ様ではなく、実姉である者を指しているなら、

 

(ファビオラ様には妹がいる。寝ても覚めても可愛らしい蕾のような妹が。そんな話がありましたわね)

 

歩みを進めていた黒いレギンスの脚が押し返されるように1歩退き、引き摺られた靴の裏から石の擦れる音が鳴る。

 

 

「今度私のアトリエへご招待させてくださいませ。お姉さまやスパッツィアの物よりは劣っておりますけど、チュラ様の()()()に見合う作品が1つでも――?」

「……!」

 

また空隙がブレた。それだけでなく、刃物自体が角を崩し粘土細工のように貧弱に潰れていく。

 

「……Non esiste la Valori in assoluto(絶対的なんてないよ)

assoluto(絶対的)?」

「考える。歩み寄らなきゃいけないから」

 

 

言葉に強い意思を感じる。

彼女の興味を引いた内容が絞れない。一体何に反応したのだろう。

 

 

「色好い返事を期待しておりますわね」

 

 

歩み寄るとはどういう意味なのか。

また断られると思っていたのに、考えると返されるのは意外だった。

 

最後の最後に意表を突かれる形となったが、その他の展開は予定通り。こうなるだろうとカンを信じた甲斐がある。

成功者の必須項目ですもの。

 

 

 

あなたが来ると、来ないわけがないと雲の晴れ間をお待ちしておりましたわ。

 

 

 

薄っすらと顔を覗かせた月明かりは、舞台女優の登場をアシストするスポットライトのように彼女を照らす。

黒いコートがその身を包み、黒い瞳は闇の中でさえその意志の強さを煌かせる。

 

 

「その通りです、チュラ。ちゃんと覚えていてくれたんですね、戦姉(おねえちゃん)、嬉しいです」

「……」

「けど……」

 

 

遠山クロ様。

お姉さまが一目置く強者でありながら、敵にまで理解を示し信じさせてくれる大きな存在。

 

それが……

 

 

「分かっていますね?おいで、お説教の時間ですよ」

 

 

あんなに怒りを露わにする彼女を見るのは初めてかもしれない。

 

 

 



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海望の三角州(シーサイド・ノーサイド)(後半)

 

 

 

(暑苦しい――――)

 

 

コートの中でシャツがベタベタと肌に張り付く。

寝苦しい熱帯夜にベッドの上でうずくまっているような不快感、胸の奥につかえる手の届かない場所のもどかしい息苦しさ。

 

ようやく見つけた彼女が私の方へ振り返る。

会いたいと探していたのに、説明のつかないモヤモヤに心は晴れない。

 

 

ドアを衝突気味に押し開けて、雷管を叩きつけ放たれる鉄砲玉みたいに先のない暗闇を駆け出してきた。

スイッチを入れていなければ急いた気持ちに追いつけず脚が空回っていた事だろう。

 

それにしても迷いに迷ったもんだ。

ヤージャのパン屋経由で公園まで行って、放課後一緒に寄り道するスーパーを回り、寮と武偵学校に到着。その後、アチリア駅に向かおうとしている道中で不思議な甘い匂いにつられた先に、チュラの声が聞こえた……気がした。よく間に合ったと自分でも驚きだね。

 

 

苦しくて仕方ない。バクバクと乱脈に暴れ回る血液を循環させたポンプが膨らみすぎて寸裂してしまいそうだ。

この気持ち、ごちゃごちゃした考えを雑に束ね、強いて言うなら、

 

 

「私は怒っています」

 

 

こうじゃないかな。

チュラが心配だから迎えに来たのに、戦妹の顔を見て声を聞いて、あまりの変化の無さに拍子抜けしてしまった。

 

いつも以上に、いつもの彼女で。

私との家族ごっこを終えてしまったように、再会を果たした暗黄色の瞳は目を逸らす訳でもなく何の感慨もないまま瞬きを繰り返す。

 

 

その小さな手に、溶ける様に形が崩れていく鼠色の折れた指揮棒みたいな物体を携えて、彼女はただただ突っ立っているだけ。

ベッドで寝ていたチュラの形をした無機物を立てただけに思えてしまう。

 

(私は――――)

 

ココロが渇く。この渇きは水では到底満たせないだろう。

熱の塊がいつまでも私の中で脈打ち続けている。

 

以前は私を苛んだ荒々しい血が獰猛なドス黒い感情を全身に駆け巡らせ、でも私を追い出そうとはしない。

喧嘩を続けていた2つの血流が同じモノを求めている、ということなのか。そいつも同様、渇いて仕方がないのだ。

 

 

「"遠山の、お主……"」

 

 

本物の鬼が壺のような帽子の下から鬼を見るような目で私を見ている。

平静を装っていたつもりの私は自分の感情を上手く表現できなかったけど、他人から見ても怒っているらしい。それも、

 

 

「クロ様……?」

 

 

相当ひどい顔をしているんだな。アリーシャは怯えた様子で私の視線から身を引いた。

それが本気で怒った時のカナを見た私や一菜の反応と似ていて納得してしまう。

 

 

ああ、私は本気で怒っているんだ――

 

 

それと同時に思い出した。

あの時、チュラの取った行動は私の中でブクブクと泡立つ血よりも赤黒いレッドゾーンだった。

認めるわけにはいかない。許すわけにはいかない。

無茶してばかりの私を説教する姉さんの感情を嫌と言う程思い知らされたから。間違いを指摘し、教えなければならない。

 

 

「チュラ、それはなぜか分かっていますよね?」

 

 

歩み寄らなきゃ。

その言葉を聞くことが出来たのは嬉しい。彼女は確かに私達の話を教訓として覚えてくれている。

 

覚えてくれていた……なのに。

毎日一歩ずつ近付いていくはず、ずっと歩み寄ってきたと思っていたのに、私達は――

 

 

「……わかんない」

 

 

チュラは数秒間で無機的に記憶を呼び起こしたようだが、素っ気無い答えを責めるつもりはない。

そうだろう。このお説教は偉そうに語る私も直せていないものだ。私を見てきた彼女には理解出来なくても仕方がないから。

 

 

「そうですか。戦姉(おねえちゃん)の顔を見ても分かりませんか?」

「…………ちがう。おねえちゃんじゃない」

 

 

――もう、家族じゃないの?

 

 

「そう……ですか…………」

 

 

戦姉じゃない。

なぜそんなことをチュラが言う?

 

耐えられない。

身を焦がされつつ必死で堪えていた黒い感情に自分が塗り潰されていくような未知の感覚。

しかし頭に血が上り冷静さを欠くにつれて視界は驚くほどに明瞭に澄んでいき、脳が戦場を俯瞰視点から一分の狂いもなく正確に把握させる。

 

 

渦巻く敵意が想定通りに姿を現した1人の人間を捉えた。

チュラやアリーシャ、黒鈴を挟んだその先で紅梅色の髪が月明かりの下によく映えている。

 

 

「"また、お会いしましたね、ファビオラ・アカルディ。日本語は話せるのでしょう?チュラのお姉さんなんですから"」

「"??初めまして、じゃないかな。あなたはだれ?チュラのお友達?"」

 

 

ファビオラが焦点を漂わせて全身を見渡してくる。

その顔が少しずつ間違い探しの異物を探すような目つきに変わり始めた。

 

(なんですか?人の顔を指差して、不躾な子ですね)

 

 

「"カルミーネと一緒に居た男の子に、とても似ている……?でも、別人に変身してるみたいだよ"」

「"男の子に似ているとは、私に恨みでもあるんですか?"」

「"なんで?"」

「"あまり言わない方が良いですよ。傷付く人は傷付きますから"」

 

 

初めて言われたよそんな事。

呟きの内容は頂けないけれど、観察する様子は幼い顔立ちも相まってまさにチュラと瓜二つだった。

 

彼女はチュラの本当のお姉ちゃん……

戦姉(あね)として謎の対抗意識を燃やす傍ら、悪態の一つでも当てつけてやりたいけど、悔しいほど雰囲気がチュラに似ていてそんな気も起きない。

 

お相手さんの人となりはこの短時間で理解できた。

妹と同じ、不思議系少女だ。

 

 

「アリーシャ、思金の気配というやつですよね」

「……この場にいる私を疑いますの?」

 

一言話を振っただけなのに肩を跳ねさせる。

ごめんよ。脅そうとしているのではなく、配慮するゆとりがないんだよ。

 

「まさか!でも、1個だけ言わせてもらえるのなら、あなた達姉妹は事情を独りで抱え込みすぎなんですよ。パトリツィアも」

「ご自身は違うと仰いますのね」

 

間を置かずに返せるのは姉に毒されたからだろうね。

彼女の凄みを間近で見ていればさもありなんだ。

 

「おや、私もフォンターナ家の一員だったのかもしれません」

「妹はスパッツィアでいっぱいですわ」

「なんで妹枠なんですか!」

 

 

アリーシャはこっちの味方だろう。

隣の黒鈴は丸腰のようだけれど、着物の右肩口に刃物で裂かれた跡がある。チュラの手にある武器らしき残骸は元々鋭利なナイフ状だったのかもしれない。そう考えれば衣服の傷はそれによるもので、彼女の広義の目的は私やバラトナと同じ。味方だと判断できる。

 

挟み撃ちにされたのが2人側なら、チュラの行動も誘い出す為の計画的な犯行って事だ。

 

 

「"教えてください、黒鈴。今のチュラは目覚めているのかどうか"」

 

 

そんな事をチュラにさせた存在がいる。

手が震えているのはどうしてなのか。これも憤りが形となって表れたのなら止めないと、カナに見られたら注意されてしまうね。戦闘への悪影響は命に係わるって。

 

 

「"……正式には個体の違いなど些細なものではあるが、思金によって生まれた人格を1つの存在として認めるのであれば――"」

「"1つではなく、1人です"」

 

つまらない事に噛み付く程、無軌道な鼓動が思考までも侵食してしまう。

 

「"!……奴は眠ったままよ。見せ掛けの意思は共鳴によってハコオニの記憶を呼び出しているに過ぎん。しかし嬉しいぞ、遠山。私の刀へ、まことの愛情を向けてくれることがな"」

「"あなたの考え方が特殊なんです。私のように黒思主の事を深く知らない人間が持つ、至極真っ当な意見ですよ"」

「"それでも、だ。お主は変わり物の好き者ぞ"」

 

 

(明るい調子の声で変人呼ばわりですか。清々しいまでに言い切ってくれたね。鬼がそれを言うかな)

 

思うところはある。けど、言われ慣れた。

私の周りの方がよっぽど変わり者の集まりじゃないですかねって、いつか両手指使っても収まらない面々を集めて声を大にして異を唱えたい。

 

 

「"我輩も鍛冶師としてお主のような武士(もののふ)に託したいと思う"」

 

 

変わり者に子を預ける親の方が好き者だよね。ええ、望むところですよ。良い響きですね、親公認。

服部だかなんだか知りませんが、こんな重大事に影も現さないような人間にチュラを渡すつもりはないですし、

 

 

「"私は変わり者ではありませんが……そういう事にしておきます。その言葉、忘れないでくださいね?"」

「"止めに来てくれてありがとう。お主がチュラと呼ぶ者は黒匚の一部にて、個の輪郭を与えたのもまたお主であればこれ以上嬉しい事はない"」

「"嘘を吐いたら閻魔様に舌を抜かれますよ"」

「"それは無用なこと。鬼籍の鬼のお手を煩わせられぬ"」

 

 

お望み通り奪ってやりますか。

チュラだって、初めて出会ったあの日に私と組みたいと答えてくれたんですから。

 

お説教は後回しだ。

()()()()()のやり方でまずは私という存在を示す!

 

 

「"黒鈴"」

「"おん?如何とした"」

「"チュラのパートナーが叩けば目覚めるんですよね?"」

「"おんおん!こぶしで刀を打つ気か。痛快な事だが……"」

 

 

黒鈴は壺頭の中に手を突っ込み、手首を回す私に一本の小鎚をほいっと軽々パスしてきた。

金属光沢のある黒色のヘッド部分は人の手の平の半分ほどの大きさで、ギュッと握れる太さの柄共々米俵やらネズミやらの紋様が彫り施されている。

 

ふむ。取り回しは良さそうだ。

貸してくれるのかい?でも金槌を振り回すのは野蛮な感じで気が引ける――っ!?

 

 

「"それを使え、鉄を打つには槌よ。玄翁の複製品(レプリカ)といえど無いよりは――"」

「"いらないです"」

 

 

私の足元、落下地点に局所的な破壊痕が生じる。

マイティ・ソーが持つミョルニルハンマーの子供用ですか?

無理とは思いつつ一応腰を折って短い柄を両手で掴み、背筋でこう……ぐーっと!

 

 

――こんなん持てんが。

 

重い。

ものごっつ重い。

米俵の倍重い。

馬鹿みたいに重い。

鬼重い。

 

 

ほら持てないでしょ?って猛烈にアピール。

鬼界隈の魑魅魍魎ノリか知りませんが、私、そういう無茶ぶりは良くないと思います。

 

 

「"ぬぅ……軟弱者め。徒手では骨が折れるぞ。なにせ奴は金属故にな"」

「"ええ、そこの金槌は金属ですね。骨を折られるかと思いましたよ"」

 

 

キッ!とガンを飛ばす。そんな凶器を投げ寄越すんじゃない。

ハンマーをガムシャラに投げまくる亀と対峙した配管工の気分になったよ。

 

 

「"それに、戦妹(いもうと)を迎えに行くのに武器なんて不要です……ほら"」

 

 

 

――パァン!

 

 

 

「あっ」

 

 

コルトによる銃撃がチュラの武装を弾く。

 

不可視の銃弾は自然体、構えないのが構え。

私は発射の直前にちょっとだけ両腕を開いちゃうけど、それでも人間には反応できない攻撃だ。

不意討ちが卑怯?武偵は常在戦場、油断する方が悪いんですよ。

 

 

手を離れた物体が溶ける様に飛散していく様にリンマの顔を思い出した。

あの粘性のある質量体は不明な点が多い。なるほど、これは確かに骨が折れそうだ。

 

 

「"油断するなと"」

 

 

 

パァン!

ガゥン!

 

 

 

スローモーションの世界で私の顔を見たチュラが不可視の銃弾に反応して1発返してきた。

鏡写しのように動く彼女の銃撃が私の右手側から伸びた射線を正確に逸らす。

 

恐ろしい子だ。人読みとはいえ不可視の銃弾破れたりだよ。

 

 

 

――パァン!

 

 

バシィッ!

 

 

 

だがそのチュラのベレッタを左手側から伸びる銃弾が弾き飛ばす。

人読みには人読み。私の動きを真似するだろうと予測して狙い撃った。

 

2丁でのクイックドローは親指でハンマーを弾く分、片手よりも暴発のミスを起こしやすい反面、射線を複数確保できる利点は大きい。

 

 

「"教えましたね?"」

 

 

 

ガゥン!

パパァン!

 

 

 

「う……ッ!」

 

 

まるで左右反転してリプレイされたかのように、今度は私の銃弾がチュラの銃弾を弾き、その手の銃を続けざまに叩き落す。

チュラが2丁持ちしている事は初めて知った。危うく不意討ちを返されるところだ。

私の影響だろう。両手を開く初動まで真似なくていいのに、自分の未熟さに救われるとは。

 

 

「"武器を隠し持っていたのは合格です。が、自分の予備動作は自分で把握していますから、あなたが両腕を広げた時点で想定内でした"」

 

 

私は不器用ですから、こんな時に姉さんみたいな気の利いた話なんて出来ない。

戦姉妹らしく教えた事といえば、誰でも分かる一般常識の他にはどれもこれも戦闘技術ばっかりだった。

 

 

「"銃撃戦はまだまだ経験不足で――おっ?"」

 

 

橙金色の揺らぎが高速で急接近してきた。

鉄沓のワンステップは時速100キロに迫り、速度はそのまま攻撃に転換される。

 

 

「"っ!ぅやぁッ!"」

 

 

左手の開手が胸の正中線に突き放たれ……ず、目が合った瞬間にチュラは脚へのタックルに切り替えてきた。

 

おっと、呼吸投げから固めてしまおうという魂胆は見抜かれたか。ここまで引き付けてしまっては回避は間に合わない。

打撃の間合いをはかろうと後ろに引いた足へ体重を移し踏ん張って受ける……

 

 

「"つぎ、何でもありの近接格闘いきましょうか"」

「"――!"」

 

 

とみせかけ衝突と同時に重心を前に倒す。

チュラの勢いを利用し背中に回した腕で固定しつつ腰から浮かす。やっぱり軽いなぁ、この子は。

そのまま柔道の大腰の形で地面に振り落とすが、しまった。つい練習の癖で受け身を取れるように投げたもんで、

 

 

「"無碍ッ!無鉄砲!"」

 

 

衝撃を完全に殺され、『無鉄砲』――私の『鉄沓』と原理は一緒だ――で蹴り上げられる。

腕と脚を同時駆動させた後ろ蹴りだ。これも見てからでは避けられない。

 

 

 

バスッ!!

 

 

 

伝授したばかりの頃は仔牛程度の威力だったものが、今じゃ鉄沓の名の通り成体の馬力を感じさせるほどの破壊力になっているな。完治していない私の左腕側への直撃こそ防ぐ事は出来たが吸収しきれず肩が痺れた。

チュラが私の顔を睨む。

 

 

「"そうです、もっと私の顔を見て動きを盗みなさい"」

「"あ……。っ!"」

 

 

肩の痺れで左腕全体の挙動が鈍り、折角受け止めた足を捕らえ損ねた。

仕切り直しか。戦妹の転身速度の上達に自然と笑顔がこぼれそうになる。

 

ところで……

 

 

「"あなたは見ているだけですか?ファビオラ"」

「"…………信じられない"」

 

 

大きな目をより大きく、丸い目がさらに丸くなった呆け面の少女。

人懐っこそうな外見に騙されてはいけない。いや、話によれば内面も犬系らしいけれど、それもあくまで表の顔に違いない。

元人喰花の超能力(ステルス)担当ともなれば相性も悪く、その実力は推して知るべし、だ。

 

 

「"お祈りに熱心で文弱なお嬢さんに近接戦闘は酷でしょうが、その拳銃は物騒なアクセサリーですね"」

「"思金は一にして全、全にして一。ハコの中の牟宇が私を止めるんだよ"」

「"はあ"」

 

 

(ハコノナカノムー?ビビディバビディブー的な呪文?)

 

パトリツィア節といいカルミーネといい、人喰花は電波しかいないのかね。

 

ファビオラが下ろした銃を胸につっかえさせながらモタモタとジャケットの内側へ収めているけど、一応警戒は途切らせない。

魔術だの奇跡だの、常軌を逸した超能力者は初見じゃ後手に回って対応する他ないのだ。

 

 

「"ねぇ、あなたは人間?"」

 

 

ようやくしまい終えたと思ったら、またそれですか。

人間じゃなかったらなんなのさ。失礼だね、姉妹揃って。

 

 

「"魔女に見えますか?"」

「"魔力は感じないよ。でも…………存在の輪郭が(いびつ)?悪魔憑きみたいな……あ、ううんっ!違うよ!魔力は感じないから悪魔は憑いてないんだけど――"」

 

 

唐突に口パクパクでしどろもどろになった。

……どっかでこんな話し方の子と会ったことある気がするなぁ。

 

 

「"はあ"」

 

 

さっきはパトリツィアっぽい話し方かと思ってたのに、魔術的な話(あっち系)に変わった途端に変化した。独特なイントネーションすら変わっている。

体面を気にして言い直す所、目を伏せて考え込む様子というか自信無さげで遠慮がちな印象が記憶の底に残っている少女を想起させた。

 

(むむぅ……スイッチ入れたとて、遠い記憶はパッと出て来ないものですか)

 

おまけに交戦中+会話中でさらに集中力を割ける余裕は流石にない。

執拗に左へ回り込むチュラを弾いて受け流しつつでは厳しい。胸につっかかるけど後回しにしよう。この小さい胸にね。

 

 

「"チュラ、もう動きが鈍っていますよ。無駄な力を抜きなさい?そんな事では不安で前線なんて任せられません"」

 

 

万全時の約7割のパフォーマンスしか発揮できていない。

原因は交錯の度に秋水でのしかかるような体重の押し付けで負荷を与える私の防御方法だ。接触時間が伸びればその分相手に疲労を蓄積させる。

 

澄みきった秋の水――『秋水』が冬に季節を移し、風のない氷点下の深夜にフロストフラワーを生む、名付けて『氷花』。

思いついたのは一菜との決闘後。彼女の無尽蔵の体力を削る際に使った『茜拍邏』のオフハンドバージョンの位置付けといえるだろう。微々たる効果を積み重ねる必要もあるし肝心の体力オバケには効果がないけど、体格差が上下に離れすぎていなければ相手を選ばず殺生石も必要ない。

 

 

「"まだ、出来る……"」

 

 

言葉とは反対に攻撃の手が一時休止するが、諦めたのではない。体重からは想像し得ない膂力を持ち、なんでも出来るチュラの弱点は小柄な体格と体力の低さにある。

リーチ不足を補う立ち回りが求められる中、攻めの緩急や間合いとは別に私が覚えさせたのは、反確の取れる耐衝撃防御と機動力を削ぐ高速の攻撃、『無碍』と『無鉄砲』。

 

スイッチなしであっさり習得してしまうのは驚きだったけど、付いて回るのは体力不足。

無碍・無鉄砲あわせて上限6回、コンディションや扱うエネルギーの総量の影響も大きく受ける。それが体力面でのチュラの限界であり、使用後は立ち上がる事も出来なくなってしまうのだ。

 

 

誰に似たんだか、退き際を誤りかねない負けず嫌いで武闘派な性格も善し悪しだしね。

少なくとも探偵向きではないよ。

 

 

「"それなら戦姉(おねえちゃん)から一本取ってみなさい"」

「"――おねえちゃんじゃ……"」

 

 

ポコポコポコ……

 

 

きたか。

見間違いでも勘違いでもない。あれはリンマの使っていた無から有を作り出すような謎の能力。

 

それはチュラの爪の間から流れ、膨張して、初めはぼんやりと徐々にくっきりと反り返ったナイフを象っていく。

…………やだなぁ。その形状、ほんとやだ。

 

 

「それはお姉さまと同じ……!」

「"――カランビットナイフ。パトリツィアに教わったんですか?"」

「"倣った。チュラは刀剣をなんでも使える、日本刀も三日月刀(シャムシール)もグラディウスもツヴァイハンダーも憶えてる"」

 

 

(ハッ!いけない!悪意のあるセレクトに、ついついかわいい戦妹と後輩の前で目が据わる所でした)

 

つまり、小さな手の平に収まる柄の代わりに指通しの付いた鎌のような武器を使うのは私個人に焦点を絞った嫌がらせだ。

やってくれるじゃないですか。スパルタ教育をご希望のようで。

 

 

「"いいでしょう。私も応戦します"」

 

 

マニアゴナイフを抜き放ち正面に構える。

同じ武器での打ち合いで不覚を取ったことはないが、あの形状は引っ掻けたり抉ったり、力をロスなく伝え体術と織り交ぜ易くチュラの膂力も存分に活かせる。正直やり辛い。

 

(…………?)

 

チュラの目が私の顔からわずかにズレた。今、彼女は私を見ているようで見ていない。

嫌な予感がする。

 

 

 

何を見ている?

 

 

いや、何を()()()()()いる?

 

 

 

罠だ。チュラは私の教えを覚えている。

だったら潜ませておくべき得物を衆目にさらすお粗末な行為はしない。

 

 

 

あれは私の意識を引くための見せ武器だ!

 

 

 

カクンと視界が左に傾く。体幹が不意に崩された。

重い。重い。重い……。チュラと接触した左腕だけが重量を増している……ッ!

 

やられた。覚えているぞ。

腕に張り付いた鼠色の金属。この異常な重さ。地下牢で圧し潰されそうになったアレだ。

 

 

一貫して左側を取るのは私が怪我をしているからだけでなかった。私が『氷花』で体力を奪っている裏でチュラも私の衣服にあの物質を仕込ませていたようだ。

この状態で近接格闘に突入すれば不自由な体のまま右腕だけで対応しなければならなくなるし、片腕では不可視の銃弾も初発が遅れ暴発の危険もある。

 

 

「"――くっ!その卑劣な戦法は誰の真似ですか!私からは外道技はちょっとしか教えてませんよ!"」

 

 

チュラはリンマと会ったことがあるのか。

それとも他の思主がどこかにいるのか。

 

 

セオリー通りならカランビットナイフの間合いまで侵入させてはいけない。

牽制目的で振るったナイフは足を止めさせることには成功したが、チュラの左腕がスッと開くのが見え、

 

 

 

――ガゥン!

 

 

 

(んなぁっ!またベレッタ!?)

 

至近距離から新たに現れた第三の銃の奇襲は……舐められたものだ。『3丁持ちは誰も予想しないぞ!偉いぞ!よくやったぞ!』って褒めようとしたけど、なんで左腕を狙わない?

直撃すればさらにバランスを崩すし、負傷箇所を庇えば両腕が封じられる。

 

 

「"甘いッ!"」

 

 

カナに及ばないクイックドローだろうが速いものは速い。スローでも銃口は見えやしない。辛うじて上方を向いているとだけ判別できた。

間一髪で屈み、逆手持ちの斬り下ろしをナイフのグリップを上腕にぶつけて止め――――

 

(――重ッ!?)

 

体勢的に不利。

それは分かっているがそれ以上の外因がある。

 

チュラのナイフは鼠色の金属で作られたもの。

という事はそのナイフも同等の重量を持って然るべきだったんだ。

 

 

 

ギギギギィ……

 

 

 

支点となった右手は力を抜くことも退かすことも出来ない。両腕が封じられた。

対してチュラの右手にはベレッタがある。

 

 

 

 

勝敗は……決した。

 

 

 

 

「"じゃま……しないで"」

 

 

額に放熱中で少し熱く、焦げ臭い銃口が当てられる。

その指は引き金を引けるのか。暗黄色の瞳からは感情が読み取れない。この時ばかりはベレッタ(マイエンジェル)が死を運ぶ死神に見えてしまったよ。

 

 

「"チュラ。あなたは戦姉の教えを沢山覚えましたね。とても育て甲斐があって本当に楽しいんですよ、あなたとの毎日は"」

「"おねえちゃん……じゃ、な…………い"」

「"カナもバラトナも、あなたのことが大好きなんです"」

「"しら……ない"」

「"バラトナにごめんなさいをしましょうね。カナのお説教は怖いですよ"」

「"わかんな、い、よ"」

 

 

戦闘は終了した。

もう役目の無いマニアゴナイフを手放し、チュラの細い腕を掴む。

 

 

「"あなたといつも一緒に居たいんです。離れてもまた会える約束が欲しいんです"」

「"なんで?なんでチュラなの?チュラには、あなたの気持ちがわから――"」

「"だって、私達は家族なんですから"」

「"家族?…………あなたは、だれ?"」

 

 

……そっか。

あはは……言われると分かっていても、実際面を向かって言われちゃうと辛いなぁ。

 

でも、私という存在に興味を持たせることは出来た。それが第一目標だからね。

悔しいし、強がりだけどさ。

 

 

「"…………武装は容易に晒すべきではない"」

「"??……あっ"」

 

 

 

ヒュッ――

 

 

 

上がらない左腕。その先端から指向性の荒い風が吹く。

大きな空気の塊が1つ。『扇覇』がほんの数瞬だけ視界を奪った。

 

 

「"気付きましたか?それを教えた私がナイフの間合いを見せ付けるように正面で構えたのは誘い込み、本命は見せないものです。ナイフ格闘はあなたの得意分野。計算外の事態もありましたが、必ず応じてくれると思いましたよ"」

 

 

鉄沓で飛び付き、力づくで掴んだチュラの腕を引き寄せる。

ズレた銃口と背後へ置き去りにされたカランビットナイフが共に的を失い、青い金属の花弁となって溶ける様に散っていく。

 

 

「"つかまえました"」

 

 

コツンと触れたチュラの額は冷たい。冷え切った金属のようだ。寒い部屋にしまっていたコルトに触れた時みたいに、私の体温が伝わっていく。

 

 

「"最後のチャンスです。私はなぜ怒っているのでしょうか?"」

「"は、離して……やめて"」

 

 

恐る恐る開かれていく目は驚愕に満ちていて。

思い出したんだろうな、この体勢がどういう意味を持っているのか、そしてこの後の展開を。

 

 

「"あ、うぁ……!ご、ごめんなさ――"」

「"ごめんなさいはバラトナやアリーシャ、黒鈴に言ってあげなさい。私が怒っているのはそうじゃない、謝ってほしいのではないのです"」

 

 

残念、不正解。

それは当事者同士で解決しなければならないことだ。

悲しいかな我が家(ウチ)も武偵学校もやるやられるはやられた側が悪いって教育方針ですからそこは責めません。戦士とはそういう者だと、そう教えられてきました。

 

 

だけど、私は戦う人間の命も大切にする、カナの考え方の方が何倍も好きなんだ!

 

 

背を反らせ少しだけ頭を離す。

そして、またゆっくりと近付けていく私の顔が険しくなっていくのを感じながら、絶対に忘れて欲しくない答えと意志を戦妹にぶつける。

 

 

頭で。

物理的に。

 

 

 

 

 

「"命はかけがえのないもの。まして自己犠牲で戦姉を護ろうなど絶対に許しませんからッ!"」

 

 

 

 

 



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有明の瓦解(ファースト・ポイント)

 

 

 

「パトラ―」

「ようやく来たか。結界を閉じるぞ、はよう入れ。お前で最後ぢゃ」

「しゃぴー……お母さんがいきなり来たんだよ!新しく出来たお店に行こうって」

「ほう、竜落児がローマに出現しておったのか。どうりで占いの最中に水晶が割れたわけぢゃな」

 

 

「??何か探してたの?人間?」

「……お前以外に誰を探すと思う?」

「…………あ」

「…………」

「はい、お土産」

「薄紅色のコランダムか。無処理でここまで透き通った物は珍しいの」

「ね、ね?綺麗でしょ!パパラチアサファイアだよ。毒泉に半年漬けてたから不純物は残ってないし、呑み込んだ時の幸福感がたまらなくて」

「変な主観を語るでない、価値が落ちる。ところで――」

「あーっ!リンマ、遅刻なのじゃ!いけないんじゃよ!」

「ごめんごめーんっ!手を洗ったらすぐに行くから!」

 

「ハトホル!結界ぢゃ」

「ただいま完成させますじゃー!」

 

 

「やっと来たのね、私待ちくたびれちゃった」

「仕方なかろ、あやつにとっては親孝行も仕事の内ぢゃ」

「ふーん、当てつけ?」

「ほほ、睨むでない。家庭事情は人それぞれよ。ほれ、リンマの詫び品を分けてやろう」

「どうしてあなたが得意気なのかしら……あら、サファイア?すごい量ね」

「……瑠槍も、いずれは越えねばならぬ障害よの。奴と同じ土台に立ってこそ、初めて人類と超常世界の境界が見えよう」

「諦めなさいな。友人として忠告しておくけれど、あなた達では人形(ヒトナリ)にも敵わないわよ」

「妾が諦める?苦い経験を伴った重みのある言葉ではあるが、覇王の道は自ずと拓かれるのでな。要らぬ心配りよ」

「リンマの『脱皮』を待ったら?どうせあの子も"もう少し"で母親に挑むのだし」

「竜落児のもう少しなぞ参考にならぬわ」

「50年は掛からないんじゃないかしら?」

「ほらの。それに瑠槍に挑むつもりなど毛頭ない」

 

 

「そう。まあ、いいけど。『彷徨』には気を付けなさい。超能力者以前に、あなたやリンマの理念は特に嫌われるだろうから」

「お前で3度目ぢゃ。人形共はどいつもプライドだけが先走りしておると珍しくリンマが毒づいておったが、厄介者共はどこに集っているのかのう、ヒルダ」

「……知らないわよ。これ貰っていくわね」

「なんぢゃ、たったの5つで良いのか?」

「多ければ良いというものでもないでしょう?…………なに笑っているの?」

「深い意味などない、数か月前の吸血鬼(オーガ・ヴァンピウス)なら絶対に吐かぬセリフであった故、驚いただけぢゃ。ついでに誰へのプレゼントか教えてたもれ」

「ななッ!あ、あげないわよ!純度の高い宝石は魔術を込めやすいから儀式用にしまっておくに決まっているでしょう!」

「ほっほっほ、今さら麗しき姉妹愛を隠さんでも別に良いではないか」

「~~~~ッ!」

「お前なりの決心であろう。トロヤがローマを離れた、となれば次の激突の頃には聖女や福者共バチカンの虎の子が大盤振る舞いぢゃしの」

「一帯が下品な銀の匂いに埋め尽くされると思うとキバが疼くわ」

 

 

 

「パトラ、なぜ聖職者共は理子を攫ったのかしら。眷属の証である宿金は人間にとって不浄の物質、廃棄しこそすれ適性を持った未知数の脅威を囮として生かすとは思えないのだけど」

「宿主は『使虐』に攫われぬだけマシよの」

「…………」

「囮とは前向きの理屈であろうな。組織は肥大化する程に一枚岩ではいられなくなる。力を欲する者はどこにでもおって然るべきだと思わんか?」

「ふん、これだから都合よく薄っぺらな思想ばかりを並べる集団は品位が無いのね。社交なんて互いに薄ら笑いを讃えて、皮の一枚を剥げば他者を出し抜く事しか考えていない。初めから力ある者だけを讃えていれば良いのよ」

「そもそも聖女に竜の眷属がおろうて、化け物の力を借りておいてなーにが奇跡ぢゃ」

「ほほほ、トロヤお姉さまは水流がお嫌いだもの」

 

「うじゅっ!川もちまちま凍らせないと渡らないもんね!」

「リンマよ、橋を渡ればよかろう」

「水を見たら有無もなく走りたくなるじゃん!」

「イヤよ、ドレスが濡れてしまうじゃない」

「……はっ!それ、有だよ!水浴びに行こうよ!」

「無いわよ」

「ちぇーっ」

 

 

 

「話が逸れたな。ヒルダよ、ようやく見つけたぞ。妾が集めた理由――――お前の待ち望んだ時が来た」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

ゴッッッツッ!

 

 

 

 

 

 

世界が光った。

閃光手榴弾(フラッシュグレネード)みたいに白い花火がぶわッと広がって、止んだ先からチカチカと小さな星に収束していく。

額に与えられた冷たさも痛みも感じる暇なく、まぶたの向こう側にいる少女を抱き締めた。

 

力んだ右腕は、逃げられることが怖かったのかもしれない。

優しく添えた右手は、私に怯えた彼女をあやして安心させようとしたのかもしれない。

 

 

頭を寄せ合わせ、そこに存在するはずの戦妹(チュラ)のひと欠片も見逃すまいと――――いや、違う。

 

 

逃げていたのは私の方だった。

触れることで安心を得ようとしたのも、私だ。

 

私は……愛情を向ければ必ず愛情を返してくれる彼女はそういう存在なのだと勝手な解釈をしてきた。

期待にいつでも応え、笑いかけ、嫉妬してくれる。それがいつの間にか当たり前だとすら思うようになっていた。

 

 

 

ポコポコ……ポコッ…………

 

 

 

しかし、チュラは返してくれなかった。

背中に触れて欲しいと願った小さな手は、気泡の割れるような微かな振動を手元に生じさせている。

 

当り前なんかじゃない。

私が感じていたチュラの気持ちは、紛れもなく彼女が私に向けてくれていたものだ。

 

彼女は鏡なんかじゃない。

手を握れば握り返してくれるのは、反射行動でも真似でもなく彼女の意思で引き起こされていた。

 

 

光が消え音が消えた無の世界で、小さな小さな()()()()()()()

私に手を振るあの子が呼んだ気がした。

 

 

「――っ!クロ様ッ!」

 

 

 

ドッ!

 

 

 

微細な振動が収まって、握り込まれたチュラの手が背中に叩き付けられる。

きっと止められなかった私もナイフに穿たれて、でもチュラも満身創痍とはいかずとも、戦闘に参加できる体力は残っていない。アリーシャと黒鈴はファビオラ1人からなら追撃を免れられるだろう。

 

 

覚悟はして来たんだ。

正面から彼女の心を受け止める覚悟を!

 

 

「"…………ん"」

 

 

――――痛くない?

防衛本能が働いて痛覚が遮断されたのか。それにしては熱さも感じないし、風に混じるガスや酸化した油の鼻を突く不快な匂いも何も変わらない。

 

内心カッコつけてたのに、刺された訳ではないらしい。

ただグーで叩かれただけ。……まさか!

 

 

「すぐに離れてくださいませ!先程のはチュラ様の制御が脆くなったおかげで辛うじて崩せましたが、私ではチュラ様の力を止められませんの!」

 

 

(アリーシャ?)

 

なんだ、そういう事か。

てっきり我に返ったチュラが思いとどまってくれたのかとぬか喜びしてしまったじゃないか。

 

何度も救われた経験がある反射と呼ばれる思金の共通能力。アリーシャの援護によって分解された鼠色のナニかの残骸がドロドロと背面を撫でる。

強襲科の悪路訓練準備中に突如発生したイベント、"泥仕合"でスコップに掬った泥を一菜(バカ)に掛けられた気分だ。倍返ししてやったのにお子様は喜ぶだけだったよ。

 

 

「"むがぁッ!"」

「"ちょっ……!"」

 

 

おそらく最後の手段だったであろうバックスタブを台無しにされたというのに、諦めの悪い戦妹は止まらない。

抱擁という名の拘束を抜け出さんと鼻っ先へ噛み付こうとしてきた。

後ろ襟を引き離して抑えても、怒れる狂犬というより虚勢を張った捨て仔犬寄りの威嚇でガウガウと懸命に歯を鳴らしている。

 

私にカナ並みのカリスマや包容力があれば金縛りのように反抗を宥められたかもしれないな。

くっ……こんな時なのにパン食い競争的な必死さが可愛く見えるもんだ。感情ってものはホント自由で自分勝手なやつだよ。

 

 

――――あれ?私はなんであんなに怒っていたんだっけ?

 

 

暴走気味だった血の循環が弱まっている。ふむ、このタイプの血流もセルヴィーレと同じ短時間しか保たれない負荷の強いものなのだろう。

体感1.4倍にまで神経系の処理能力が増幅していたか、そうでもなければチュラの3発目の銃弾にかすりもせず即応など出来やしなかった。

 

 

優れた能力には欠点も付きものだけどね。

思考が攻撃のみに効率を割いてしまう。早い話、捨て身に近い。

 

組み技戦(グラップリング)の隙を作った扇覇がまずかった。なぜなら反動は片手では殺せない。

伸ばしたままの腕、真上に打ち上げるような手首の無茶な駆動、威力は十分弱めたつもりでも内傷の自損が無視できず、すでに重力の枷から放たれている左腕を動かそうとすれば左手がミシミシと呻きを上げる。

 

 

欠点はそれだけじゃない。

チュラの行動に気を取られ過ぎて()()()()と判断した黒鈴の行動を失していた。

 

黒い着物が夜に揺れ、黒い小鎚が月白色に光る。

見逃していた。チビミョルニルハンマーが回収された瞬間から今まさに片手で振りかぶられるこの瞬間まで。

 

 

「"すまぬ。出来ることなら心得たくはなかった"」

 

 

鬼の眼光、周囲を振動させるほどのフルスイングは見るだけで体が痺れてしまいそうだ。

 

狙いは?

チュラじゃない――――私だ!

 

あんなの全身のバネを使ったって受け止められないぞ。

受けた箇所がぺったんこにのされて凸凹な道路と同化してしまう。

 

 

狙われる理由なんて考えている暇はない。

チュラを前方に投げ飛ばし自身も鉄沓で後ろに飛び退いたその場所で、小鎚が汗の粒を消し飛ばした。

 

 

「"戦姉妹(しまい)の営みに水を差す以上、それなりの理由があるのでしょうね"」

 

 

殺意がない。

しかし本能が訴えるのは生が侵されるという恐れ。

 

(殺すことに特に気構えを必要としていないって事?さすが鬼だよ)

 

冗談じゃない。

振り回すまでなら一菜にも出来るかもしれないけど、勢いのついたアレを片腕の力だけでピタリと止めやがった。

 

先程の一振りは余力を持って振るわれていてなお命の危険を感じさせられた。

手加減されたのかと思うとムッとくるな。

 

 

「"我輩の口から多く語れるものではなかろうな。ことならば、より邪な人であれば良かったものを"」

 

 

それって手段と目的が逆になってないか。邪な人間だったらとっくに親族に討たれてるよ。

いや……まあ、やんちゃした時期もあったけど仕方ないじゃないか、理子達の探し物を手伝ってたんだから。

 

(外野はどうなってる?)

 

異国の言葉に戸惑うアリーシャは険悪な空気に目を細めて黒鈴に注意を向けている。

疲弊したチュラは立てもしないか。辛うじて保っている意識も、いよいよ瞼や首を支えられなくなりつつあるな。

ファビオラも小鎚の主を不思議そうに眺めたまま動かない。途中乱入したけど、あっちは黒鈴とは別口で間違いないだろう。私がチュラと戦い始めてから戦意が無い。

 

 

1対1(タイマン)ならこっちが有利だ。

コルトとハンマーには射程にそもそも雲泥の差がある。

 

 

「"語れない?おお怖い、鬼の目にも涙とは迷信だったようで。人の死に根拠は必要無いのですか"」

「"おん?首までは捕らぬぞ。言ったはずだ、お主とチュラ次第であると。可能性があるならば我輩が護ろう、お主は己の役割をよく知らねばならん"」

 

 

なんですか、それ。

子供だってもっとまともな言い訳を考えますよ。

 

適当な難癖をつけてしょっぴこうとする汚職警官みたいにベラベラ舌を回さないのは誠実さを感じるが、私に対して好意的ですらあってその分不気味だ。

話し合いや交渉で解決できる安直な理由では無いらしい。

 

 

「"案ずるな、我輩と共に日本へ帰りチュラと仲睦まじく暮らすのだ。春には爽やかな風にそよぐ山桜を眺め、夏には純良な川の水を飲み、秋には稲穂の実る畔道を歩き、冬には餅をたらふく喰らう。望むのであれば鍛冶や陶芸に手を付けるもよし"」

 

 

戦いから身を引いた前時代的な生活、確かに平穏な生活も悪くないかもしれない。

正義の味方の道を進む身としては正反対だし、引退後の選択肢に入れておこう。

 

 

「"信用できませんよ"」

「"まあ聞け。チュラは我輩が鍛え()()()刀だと教えたな"」

 

 

長話の好きな鬼がやっと本題に入りそうだよ。鬼ってもっと殺伐とした人類の敵をイメージしてた。全員がこんな人間に近い俗物的な人たちなのだろうか。

まず他にいるの?今後の備えとして把握しておきたいもんだね。関わりたくないからさ。

 

 

「"折れておったのだ。『牟宇』は元となった刀の銘、牟宇は黒思金に適さぬ無垢鍛えで反りも小さかった。黒思金は通常の鋼鉄に比べ衝撃に弱い。その上繊細で組織の変化が著しく素延べには適さぬし、波に泳がせねば加工もままならない手を焼く代物よ。故に往昔の頃より何百と拵えた刀の内、黒川刀の銘を与えた妖刀は十に満たぬ。そのうち最も優れた刀に与えた銘が『守萊(かみら)』、後にも先にもあれを超えるものは無い"」

 

 

守萊……?

興味のない鍛造談議の中で、その名はどこかで聞いたような気がする。すんなり思い出せないのならどうせ良い思い出ではないのだろう。

 

 

「"時代は下り、我輩は守萊に次ぐ名刀を仕上げ西班牙(スペイン)の原石を守護する子孫に授けた"」

「"コリア・デル・リオ――日本の子孫が住む街でしたか。そしてチュラの故郷でもある"」

「"おん。銘は『須杷(すわ)』。芯金に折れた切っ先を用いたが、此が功を奏した。思金は成長する。さらに半年後、残りの思金が芯金となり黒川牟宇――チュラが出来たのだ"」

 

 

我が子自慢の顔をしていた黒鈴が寂し気に灰汁色の瞳で後方のファビオラとチュラの方へ振り返る。

ファビオラのトゲトゲした態度にきまり悪そうにする様は反抗期に悩む親というやつなのかな。想像でしかないんだけども。

 

(親の愛か)

 

欲しいと思わなくもない。でも私にはカナがいるから母親成分はむしろ過剰摂取出来ている。

直感は正しかったようだ。黒鈴はチュラを大切に想ってくれていた。

 

 

「"思金の成長は不完全な輪郭を創り、あの子達は鞘を要成さぬ刀精の未到達領域へと至っている"」

 

 

折れた黒川刀、切っ先側の『須杷』と(なかご)側の『牟宇』。

私の右腕を見たチュラの発言、『お姉ちゃんがチュラと一つだった頃』ね。

 

なるほど、姉妹とは言い得て妙だ。2人は辿れば1振りの刀だったんだ。

私の右腕を見て思い出した理由は分からないけど。

 

 

思金は人格はおろか金属人間すら創り上げてしまう。

ヤバいヤツらが奪い合うだけあって、超常物質はヒトの常識を軽々と超えてくれる。

 

 

「"ところで、その話と私にどんな関係があるのでしょう"」

「"チュラがお主を見付けた。我輩は黒匚を見顕せるのでな、よく懐いておることも予め知っておった。よいか?我輩が仕上げたその時から探し続けるのはあの子の所有者ぞ"」

「"ハットリチアと言っていましたね"」

「"否"」

 

 

え、違うの?

あんたがそう言ったんでしょ。

 

 

「"遠山の。お主には姉がおったな"」

 

…………?

会話の流れが読めない。

 

「"カナもターゲットですか?"」

 

何十通りも予想したのに着地点の予想がしっくりと来ない。

 

「"そうではない。そうではないが……"」

 

本筋を語ってくれ。寄り道はいらない。

 

「"はっきりしませんね。勘違いで済む可能性もありますし、私だって命は惜しいものです。聞きたい事があるなら答えますよ"」

 

独りで話を進めずに聞かせろ。

私と不可分な事情を勝手な判断ではぐらかすな!

 

 

「"お主は…………"」

 

 

黒鈴の口が動き出した。

その三文字目で世界は滞留する。

 

 

「"…………男子(おのご)か?"」

 

 

 

――パパパパァン!

 

 

 

4連続で閃くマズルフラッシュ。

これで2丁あるコルトの片方は撃ちきった。残弾は装填済みの4発と残り2つのハーフムーンクリップ。長期戦を想定していなかった、準備不足だ。

 

(ちっ、避けられたか)

 

鬼の弱点なんか知らないけど全て人間の急所に撃ち込んでやったのに。

痛みやら重症化を考慮せずに左手を使った不可視の銃弾は弾かれ躱され、命中したのは左肩をかすった心臓狙いの銃弾と左頬を切った右眼狙いの銃弾だけ。体調は万全じゃないが、反応してくれるなよ。

 

突拍子もない質問の理由が推理出来たわけじゃないし、そもそも脊髄反射に思考が引っ張られたに近い。

ただ反射的に口を封じようとして、結果仕損じてしまった。

 

 

冷静になってみれば、なぜ撃ったのだろうか。

身を隔てていた脅威を自ら刺激する己の軽率な動きに愕然とする。

 

……仕切り直せるか。

 

 

「"論拠は?"」

 

 

あってもらわなくては困る。

あんたの目は本気みたいだからね。

 

 

「"おん、親は子に信を置くものよ。チュラの所有者は元々男であった"」

「"それで?"」

「"それが全てぞ"」

「"はあッ!?"」

 

 

言い掛かりにもほどがあるだろ!根も葉もない噂に悩まされる毎日でもここまで酷い捏造記事は稀だよ。

真面目な顔してふざけたことを言うもんだ。いつもみたいに断固否定して記事修正させてやる。

 

 

「"私は男ではありませんが"」

「"我輩も同ず"」

 

 

ああ、そうかい。それは良かった。

自信失うところだったよ。

 

 

「"あなたが聞いたんですよ。私が男じゃないかって"」

「"真に知らぬと殊の外曲者よの。力ある剛の者にはまれまれにおる"」

 

 

曲者扱いすんな。

私が知らないことってなにさ。私の力――ヒステリア・セルヴィーレと関係があるの?カナが時々目の前の私を見失う事と関係があるの?

 

 

 

 

――――私が恐れている()()()は何なのか、知っているの?

 

 

 

 

教えて欲しい。

窓枠の先にある世界のこと、存在する()()のことを。

独りでその事を考えていると私はずっと狭い檻の中にいるようで。現実が遠く遠く離れてしまうようで。

 

 

 

「"思うにお主は多重――"」

 

 

 

パシュッ!

 

 

 

小さな銃声。

後退したのは黒鈴の方だ。

 

 

細長いヘビの影が地上を走っている。

ヒルダかとも思ったが違う。ヘビの尻尾側の先は人型になっていてそいつが銃を構えていた。

スラリと伸びる平面の黒い影から立体に切り替わる白い両脚は、膝部のガードとピッチリと張り付くメタリックカラーで柔軟な鎧のようなハーフパンツに守られている。

 

 

「"みはーははははーーーーッ!ザッツイット!"」

 

 

あのハイテンションで頭の悪そうな笑い方は箱庭に聞いた。独特で耳に残っている。

名は確か……

 

 

「"マリアネリー・シュミット……!"」

「"みはっ!ネールのことはネールと呼ぶんだって!"」

 

 

 

キュイ、キュイィィ……

 

 

 

ヘビ形の影の正体は動物の尾のように腰ベルト型の装置から生えた少し太めのワイヤーだった。

先端にはノコギリ状の刃が付いた顎、本物の蛇を模した多関節はかなり静穏で小刻みに動いている。素材や原動力は不明だが自重を支えられるくらいには高い出力を持っているらしい。

 

 

「"分かりました。それでネール、私は現在取り込み中です。漁夫の利を狙っていたのであれば少しばかり勇み足ですが"」

 

 

単独行動していたチュラを尾けていたのか、私の発砲音で様子見に来たのか。

彼女の登場ははっきり言って望まれてない。収集つかんぞ、これ。

 

 

「"みひひ、依頼通りジャストタイミング、今すぐ捜索してくれとか無茶ぶりなんだって"」

 

 

箱庭の代表戦士が依頼ですか。

確かオーストリアはハトホルを起点にした最大規模の金色同盟に所属するとヒルダが勧誘の時に教えてくれたな。

 

するってーと、依頼主もそのどこか?

有力なのはやっぱりLRD計画のメンバーか。ヒルダとは喧嘩別れしたのが最後だったし。

 

 

「"誰の差し金です?"」

「"んー?焦ってて口止めされてないからいっか。キンイチだって。みひひひ……敗戦国にも報酬を払うのはおかしくて面白いんだって!"」

 

 

ああ、腑に落ちた。

マリアネリー。彼女がアルバの話していた同盟を離脱した3ヶ国の代表戦士の1人。私が同盟を組んだ日本(一菜)オーストリア(マリアネリー)、あと1ヶ国がカナに敗れている。

 

(兄さんには考えがあるのでしょうが……変な人を仲間にしたものです)

 

笑って照準の定まらない銃をカタカタと震わせる手は、銃を使用する為だろう今は手甲を装備せずベルトに固定している。

魔女の仲間は魔女とは限らないのかね。魔術より科学寄りっぽいが、遠距離の銃、中距離の蛇の尾(サーペント)、手甲で近距離もこなせるとくれば戦術の幅は広そうだ。笑いのツボと一緒で。

 

 

「"金一の方人(かたうど)よ、お主には掛け構いなきこと。妨ぐらず立ち去るがよかろう"」

「"みはぁっ!何言ってるか分かんないって!みはははは!"」

 

 

やめろ煽るなって。ヘビ革みたいになめされるぞ。

聞きたいことがあるんだから邪魔しないでよ。

 

 

「"ネール、援護は助かりますが取り込み中だと言ったはずです。私は彼女に用があるのでちょっと黙っていてください"」

 

 

黒鈴は何かを言い掛けたんだ。

底なしの違和感で私を支配するこの牢獄は悪魔(トロヤ)の紋章にも似て強力で出口が見つからない。出口が見つからないと鍵穴もない。

 

それでも。

(キーワード)があるなら脱する可能性は……!

 

 

「"みひっ!"」

 

 

 

キュキュイ……キュッ

 

 

 

(ん?)

 

ワイヤーの全長が増して波打っている。

あの装備はないわ。体からウヨウヨさせるのは生理的に受け付けないよ。

鎌首をもたげた先っちょも生物にあって然るべき眼球が無いせいで、ぐばぁと開いた口元がエイリアンに見えてきた。寄生されてるみたい。

 

(……あれ?真正面から見えるって、首の向きがおかしくないか)

 

こっちを向いているな。眼が有ったら目が合ってる。

どういうつもりかと覗いた操り主はずっと笑ったまま、漫画でしか拝めないほど鋭角に口の端を上げて()()()()()()()()

 

 

だから目が合った。

彼女と彼女の持つ銃口に。

 

 

「"ネールは助けに来たとは言ってないんだって"」

 

 

 

パシュゥ!

 

 

 

「"がッ!"」

「ク、クロ様!」

 

 

腹から持ち上げられるように体を折り、銃口を睨んでいた視線がダイブする。

マリアネリーの左手は引き金を引いていない。同じくワイヤーも私に触れていない。光ったのは彼女の腰元。

 

(は、嵌めやがった……な)

 

煙が上がっているのは腰の手甲。仕込み銃だ。

マズい、すぐに応戦を――

 

 

 

キュウゥゥウウンッ!

 

 

 

「"うおっ!"」

 

 

サーペントの突進が速くて痛い!

姿が霞む速度で振り払われた蛇の尾に足を取られ、足車を掛けられたみたいに背面から落とされる。

鉄製の鞭は骨の髄にまで届く激痛を与え、空中を旋回して再び私の左足目掛けて加速し、湾曲し、唸りを立てる。

 

 

「"連れて帰ればいい、『捕まえる・連れ去る・縛り付ける』はネールの特技だって。みひひっ"」

 

 

 

ゴガッ!

 

 

 

ひぃっ!

地面との衝突音が重苦しくてえげつない。

鉄蛇がほぼ同時に真横へ着地した私の周囲を這い回り、両脚を縫うように絡め取る。

 

締め付けるワイヤーはキンク(よじれ)も素線切れもなく、メンテナンスはバッチリらしい。太さを見ても切断は狙えそうにないか。

ヘビに睨まれたカエルは跳んで逃走することも封じられた。

 

 

「"みはははは!カナよりずっと弱いんだって!みはははははーーッ!"」

 

 

人間の重量を軽々と引き揚げる馬力で、またしても体が宙に泳がされる。

世にも珍しい水平バンジーの行先は当然マリアネリーの下だ。

 

(無抵抗のままで……あいつは帯銃してるんだぞ!)

 

上着ごと胴体を差し押さえたヘビは右腕には巻付いていない。服の中の銃は抜けないがチャンスはある。

タイミングを見計らえ。一発で決め――――っ!

 

 

 

あ…………。

 

 

 

「"触れるぞ"」

「"テークアウェー……みぴゃぁぁあんっ#@m!*%!?"」

 

 

霧色の髪が噴火したように逆立ち、制御を誤ったバンジーの行先が変わる。

何者かに触れられた素肌をゴシゴシと粗く拭うマリアネリーから、

 

 

「"きゃっ"」

「"やり過ぎだ。俺はなるべく加減しろと言ったはずだが?"」

 

 

私がこの世で最も信頼している金一兄さんの下へ。ナイスチェンジ。もしやこれは運命では!?

ピンチに颯爽と駆け付けた貴公子は、その端正な顔立ちであらゆる女性をメロメロにさせる魅力的な低音の声を発する。

 

 

「"~~~~ッ!"」

 

 

この……体勢…………!

そんな、大胆な。お、お、お……お姫様だっこ?

 

(かお!かかおが、近いぁっ!息が出来ない、でも降りたくない!)

 

 

「"立てるか、クロ"」

「"立てません……!"」

 

 

う、嘘じゃないし。

足は鞭に打たれて熱を持ってるしさ、腰砕けになりそうだしさ。

しかたないなー、しょーがないなー。甘えてるわけじゃないんだけどなー。

 

ああ、耳まで幸せ。

あっ、あ、頭から蕩けてしまいそう。

 

 

「"そうか。ネール、クロを家まで運んでくれるか"」

 

 

え。

あ、じゃあ大丈夫です。立てます。歩けます。

 

おい、そこのお笑いエイリアン、早くワイヤーを解きなさい。

痛くて立てませんとか甘えだと思うよ。私は軟弱者ではありませんので。

 

 

Screeewwwww you!(ふざっけるな!)Nell told you don't touch my whole body!(ネールの身体に触るなと言ったはずだ!)

「"だから前置きしただろう、触れるぞと"」

 

 

マリアネリーの顔は赤い。赤面速度は超高性能なケトルだな、蒸発して水蒸気が上がってるもん。

その怒り方も特殊で、両腕でメビウスの輪を空中に描いている。

 

とってもマヌケな動きで笑っちゃいそうなんだけど、照れ隠しではなくマジ切れしているっぽい。兄さんにタッチされて怒るとか潔癖症なのか?お礼を言って欲しいくらいだって。

普段笑ってる人が本気で怒ると怖いというが、身長はあるのにいまいち迫力に欠けるのは怒り方が下手くそだからだろう。

癇癪を起こして喚く子供と一緒、声色にはヒステリックな引き攣りも険悪さも含まれていない。

 

 

Whatever excuse!(何を言ったって!)Don't waste your breath!(ダメったらダメ!)

 

 

(……あの腕は何十周するんだろう)

 

兄さんがいくらあやしても火に油を注いでいる、逆効果じゃないかな。

ここは私におまかせあれ!慣れてるから、このタイプの人間は。

 

それと、あっち。

 

 

「"金一よ。お主は拝謁叶い、悟ったであろう?つわもの集いて尚、大木を居退かせること能わざると"」

「"ああ、そうだ。奴は人の手には負えん"」

 

 

黒鈴が兄さんを険しい顔で見てて、兄さんも話があるみたいだ。

私も続きが聞きたい。しかし、兄さんは私が口を開こうとした途端に目で制してしまう。逆らえない。

 

蛇の尾を解いてもらい、渋々自分の両足で立ちつつ仕方ないから宥め役を引き受けた。

 

 

「"時が迫っておる。其を承知の上か"」

「"星伽が動けばあるいは――――クロ"」

「"はいぃっ!"」

 

 

うぅ……聞き耳立てたら名前を呼ばれてしまった。

聞いちゃダメだってさ。

 

戦闘にならないかとハラハラするも、みーみー騒いでるやつを止めないと。

あの2人に混ざって化学反応を起こしたら確実に爆発するぞ。

 

 

「"キンイチ!話は終わってないんだって!"」

「"ネール、これを見て下さい"」

「"みーッ!それはなんなんだって!"」

 

 

コートの内側から取り出したるは9mm弾。

とある隠し玉に使用する為、常に愛用のコートへ忍ばせている一発だ。

 

中身をマリアネリーに全面が見えるよう手の平で転がさせる。

 

 

「"ただの銃弾だって"」

 

そうだよね。これはただの銃弾だ。

なんの変哲もないパラベラム弾を見物人となったマリアネリーに手渡す。

 

「"いいえ、よーく見てみてください。目を凝らして。本当に変わった所はありませんか?"」

 

無いよ。

 

「"んー?品質が高いんだって"」

 

あら、お客様お目が高い。

私には判別できないなー。パオラ様様ですね。

 

「"実はそれ、花が咲く弾なんです!"」

Are you serious?!(な、なんだってー!?)

 

 

花開くモーションと共に手品のタイトルコール。聴衆はやんややんやと乗っかってきた。

いいね、黙々と眺められているよりやり甲斐があるよ。

 

 

「"嘘だって!"」

 

うん。

そんな魔法みたいな弾は無い。

 

「"ノンノン。では、ご披露いたしましょう。さあ乙女よ、花咲く銃弾をあなたの愛銃に"」

「"みょおお!?使っていいんだって!?"」

「"どうぞ。ただし、あなたの心を籠めるつもりで。そして――"」

 

スッと手を前に立てる。

 

「"私の右手を撃ち抜いてください"」

「"……当てていいんだって?"」

「"当ててくれなくては困ります"」

「"みひっ!"」

 

 

ほんと扱いやすい。

テンションもノリノリ、視線誘導にも面白いくらいノリノリだ。もう手しか見えていない。

 

簡単な話、私の袖にはすでに種が仕掛け済みだ。

しょうもない問答の間中、空いた右手が袖の一室にて内職に勤しみ、ブラインドの状態で鳥の子色のバラを一輪完成させていた。

 

(外すなよ?絶対外すなよ?)

 

頭の中のダチョウ倶楽部を熱湯に蹴落としながら神経を緊張させる。

今回の手品はヤージャに使ったレストラン用の外道技とヒルダのニードルガンを防いだ動きの併用、ドッキリ宴会芸の中でも屈指の妙技をトライアルなしで決めてやりますよ。

 

 

「"行くんだって"」

「"ええ、いつでも"」

 

 

マリアネリーの狙いは文句なしのドストレート。

ただし、銃の先端が少し上向いている。この距離なら確実に命中するし気にする程の誤差でもないんだけど、その道のプロではありえないな。

 

彼女は普段の武装と違うか、もしくは狙いをつけるという行為自体を得意としていないのだろう。

あの銃で登場したのは兄さんとコンタクトを取った後、間に合わせの物資で移動を始めたからじゃないかな。もっと重い銃を携行していたり、手甲の他に鎧のような防具が負荷として体に染み付いている線もあるぞ。

 

 

 

パシュッ!

 

 

 

(銃口は最後までズレっぱなしか)

 

当たるコースを飛んでいれば問題はない。どうせ私の手には当たらないんだ。

飛翔する魔法の9mm弾が右手の感情線に急接近する。

 

 

(――――ここだっ!)

 

 

 

ギュッ!

 

 

 

腕を振り、マリアネリーの心が籠められた(てい)の弾を鷲掴みにした……ように見えただろう。

実際には中指と薬指の間を通って私の手を通過している。そのまま銃弾は真っ直ぐに防弾コートのトンネルをくぐり内側を滑りつつ着弾した。

さらに、銃弾がトンネルを進む間隙で振り下ろした袖から仕込んだ花が飛び出して、銃弾とすり替わるように鷲掴みにした手中へ忍び込む。

 

(……成功、ですね)

 

想定よりも上手くいったと思う。

その証拠にいつの間にか増えていた観客が皆一様に絶句している。ありえないものを見たって顔も、最近じゃちょっと新鮮かも。

 

 

「"咲きました"」

「"……みは……は?冗談、だ……って?"」

 

 

『え、マジ?こいつ今銃弾掴んだんだけど』って表情で真っ青になっているマリアネリーに変わらない声色で余裕を示す。

私にはこんな事造作もないんだぞ、と誇張する意味合いも込めて。

 

 

手品はまだ終わりじゃない。

仕上げ、行きましょっか。

 

と言っても握ったハンカチを見せればいいだけだけどさ。

 

 

「"じゃじゃん!たった今、種だったあなたの心が蕾となり、ご覧の通り一輪のバラと咲きほころびましたよ"」

 

 

ドヤッ!

 

 

「"…………"」

 

 

あれ?あれれ?

ノーリアクション?

 

 

「"…………"」

「"…………"」

 

 

うーん?固まったぞ。

笑いの電力消費で電池切れかな。燃費悪そうだし。

 

ハンカチで折ったバラもどきをヒラヒラさせてみる。

おーい、花だよ花。花が咲いたよー。

 

 

「"……す"」

「"す?"」

 

 

す。

 

(す?)

 

 

――――す。

 

 

「"すごいんだってぇーッ!!"」

「"うひゃあっ!"」

 

 

スタンディングオベーション(最初から立ってたが)、からの親愛の証(ハグ)

思いっきり露出した柔肌に触ってるけど、いいの?ア―ユーオッケー?

思いっきり負傷した左手に触ってるから、私は良くない。アイムノットオーケー。

 

 

「"クロはすごいんだって!すごいんだって!"」

 

 

リピートする語彙力のない賛辞。

言葉覚えたてのオウムか。

 

 

「"すごいんだって!"」

「"すごいんだって!"」

 

 

(ピンクのオウムが増えたぁッ!)

 

すごいよコールがモノラルからステレオ仕様になった。ついでに騒々しさと包容力も2倍、痛みも2倍界王拳だ。

2倍の賞賛の向こう側ではアリーシャが睡魔にトドメを刺されたチュラを介抱している。

 

 

「"はいはい、お静かに。ネールに心をお返しします"」

「"みはは、呪詛の念が帰って来たんだって!"」

 

 

なんてもん籠めてんだてめぇ!

コートに呪詛の念が残ってるんですけど。

 

片手間製作で無心の籠ったハンカチのバラを物珍しそうに観察するマリアネリーは日本の折り紙文化を初めて見たようだ。ファビオラは完成度の高さに関心を寄せている。

どうかね、それはあげるから興味があったら教えて進ぜよう。

 

 

私は戦妹の様子を見てくる。

 

 

「アリーシャ」

shhhh...(しー…)、お静かに。チュラ様はお休みですわ」

 

 

口の前に人差し指を立てるジェスチャー。

そういえば何の気なしにローマでも使ってたけど、全世界共通なのかな。

 

注意する彼女は変顔になっていた。

嬉しさや感動が溢れ出して止まらないといった風なニヤケを懸命に抑えているみたいだ。

 

日本には"隠すより現る"って言葉がありましてね?

隠そうとすればするほどボロが露呈して……

 

 

「明日までお待ちくださいませ」

「それって――!」

 

 

アリーシャは遠回しの表現をしたが、間髪入れずに合点し思わずチュラの体に優しく触れる。

 

 

 

トクン……

 

 

 

脈拍がある。

 

 

 

トクン……

 

 

 

心音が聞こえる。

 

 

ベッドでは失われていた命の鼓動が、停滞していた時間が――――

 

 

 

 

 

――動き出した!

 

 

 

 

 

「さすが、クロ様ですわ。あなたは絶対に私の期待を裏切りませんもの」

 

 

明日の朝。

チュラはきっと目覚める。

だってチュラの体は温かかったから。

 

 

「ありがとうございました」

「お礼を言うのは私の方です。アリーシャが手助けしてくれていなければ、今頃私は救護科の急患に運ばれていましたよ」

 

 

それだけじゃない。

私がチュラを諦めなかったのも、喪失感に圧し潰されてしまわなかったのも、彼女が一緒に挑んでくれたことで勇気を得られたからだ。

 

 

「ありがとうございました、アリーシャ。もう遅い時間ですし、送りますよ」

「いいえ、それには及びませんわ」

 

 

いやいや、私知ってるよ。

パトリツィアもそうだけどあなたたちって送迎の車とか一切使わないよね。暗い道には気を付けてと話したばかりじゃないか。

 

 

「1人じゃ危ないですから」

「ええ、1人ではありませんもの」

 

 

それってどういう?

今度の言い回しは合点がいかない。チュラの件には協力を仰げないと言っていたはず……

 

 

「クロ様」

 

 

アリーシャの手が私の手を掴んだ。

雲に削られた月の光は、

 

 

「隠し事を抱えた私は嘘吐きなあなたにお話がありますの。ぜひご一緒させてくださいませ」

 

 

繋がれた2人の手に小さく光を落とした。

 

 

 



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呉越の舟出(ワイルズ・インターレース)

 

 

 

「"ただいまー"」

 

 

家に帰ったら誰ともなくただいま。

1人なら小声だけど、他にも人がいるとつい挨拶のボリュームで言ってしまう。もはやこれは帰宅の儀式だ。

カナが一緒だと『はい、おかえりなさい』と両目尻をなだらかに垂らして心地よい返事をしてくれるから、ますます助長されてしまっている。

 

中は明るい。消灯を忘れてしまい廊下を絶えず照らし続けていた明かりが点灯したままだった。

兄さんも私やチュラの失踪に動揺してくれたのかと思い、家族の絆を再確認する。

 

 

一件落着した後に跨ぐ自宅の戸枠が安堵のため息を誘い、たった一歩で国境を越え外界と隔絶された気分になってしまう。

屋内の空気が温まっていなくとも、帰って来られた事実が張り切った緊張で擦れたビー玉のような心を丸く温めてくれるのだ。

 

根無し草な人は大層な精神力をお持ちなのだろうな。

長期任務に臨むなら胆力も鍛えておかないとね。いざという時にポキリと枯れ枝のように心折れてしまっては要らぬ失態を負ってしまうよ。

 

 

「"兄さん、部屋で着替えてきます。黒鈴とネール(お2人)もすぐに戻りますのでソファで寛いでいてください。あ、ネール、靴はここで脱ぐように"」

 

 

兄さんに続いて段差を登る。勝手に倣うだろうと思いつつ念の為に手で示してマリアネリーへ土足厳禁だと教えるが、

 

 

「"靴を履いたまま上がるわけがないんだって。でもって連れて帰る依頼はここで終わり。ネールは帰るんだって"」

 

 

玄関にも入らず外で立ちん坊の彼女の反応は、家では素足が普通でしょという感じだ。知っていることを指摘されるのが気に食わないのか、子供みたいに指差してきた。

ヨーロッパ(イコール)土足の考えは意外と当てはまらなかったりする。フィオナも他所の家を訪れる際は上履きを持参すると話していたっけ。

スリッパだと有事の際に迅速な行動を取れないという気の張った理由は実に彼女らしい。

 

 

「"報酬とは別に速やかな発見に対する礼だ、上がって行け。ワインの備えは無いがチーズと杏茸(シャトレル)を炙って出そう"」

「"!!……無塩なんだって?"」

 

 

回れ右で来た道を戻ろうとしたマリアネリーの首が、ワイン・チーズ・杏茸(キノコ)に合わせてテンポよく30度ずつ余分に回転する。

塩分の有無を気にするかい。彼女は若いなりして健康志向なのかそれとも食塩感受性が高いのか。

 

無塩のチーズはウチで取り扱っていない。とはいえキノコだけをモリモリ食べはしないだろう。

杏茸の素焼き単体は食べた事無いなぁ。やっぱり肉料理の味を変える付け合わせだと思うよ。

 

 

「"チーズは無いな。クラッカーは残っていたか?"」

「"5枚入りの小袋が3つ残っています"」

 

 

クラッカーは無塩でも長持ちするし、パテに混ぜたり菓子の生地にと味に問わず調理の簡略化に用いる事が出来る。

そもそも適度な塩分も健康には必要だし減塩が過ぎると食欲を失う。闇雲に減らせばいいってもんじゃない。

 

 

「"いらないって。夜は自然の眠る時間、妖精の誘い(フェアリー・テイル)も夜は静かなものだって"」

「"そうか。今日は助かった、報酬の話も次の機会にしよう"」

「"ネールの夜は非番。属国の統率くらい自力で執るんだって"」

「"同盟国は属国などではない。お前にも強制したことはないつもりだが"」

 

 

律義に私を家まで届けたマリアネリーはおネムになって帰るらしい。

帰りの道中に黒鈴と一度も視線を交わしていなかったから、私としては共有空間に2人が同居しないのは好都合。

 

後半は聞かなかった事にしよう。妖精(フェアリー)が英国の地で手ぐすね引いて待ってるんだっけ。

童話なんて現実で目の当たりにしたらファンタスティックホラーだよね。

 

 

「"居間の長椅子を借りるぞ。我輩も一度出直す"」

 

 

そうそう、例えば壺を被った鬼と自宅で遭遇とかまさに奇なる物語。

その黒鈴はここまで自発的に語ろうとせずだんまり。私も間に挟まった兄さんの無言の圧力で話しかけられないまま帰宅してしまった。

今もチュラを背負ったままマリアネリーと会話する私と兄さんを横切って、初めて不法侵入を目撃したカナの部屋に入って行ってしまった。

 

 

…………あ、出てきた。

 

 

「"誤りか、ひが覚えであった……"」

「"居間は向かいの扉ですよ"」

 

 

あなた初めてじゃないでしょ。しっかり頭の海馬を動かしてよ。

 

 

「本日はお世話になりますわ」

「楽にして、アリーシャも好きなように過ごしてくださいね」

 

 

手に取った人数分のスリッパのうち忽然と消えたマリアネリーの分を差し引いて並べ、玄関から上がったその足で自室へ向かう。

 

言語の壁をどうにかしたいものだ。せめて黒鈴が国際英会話のさわりでも覚えていればね。

翻訳の内容をこっちで取捨選択出来て都合よくはあるんだけど、端折ると敏感なアリーシャが微妙な顔をする。嘘吐き呼ばわりされたし……思うに、ファビオラの件で。

 

ファビオラは()()()()初対面じゃないようで、数回の対話とキレの良い頷きにてオサラバしていた。2人に上下関係が見えたのは気のせいか。

 

地下教会の一員であるファビオラは去年、パトリツィアに強く肩入れしていたらしい。

その2つは敵対勢力。箱庭ではどちらの仲間やら、彼女は妹であるチュラを戦力として引き入れに来たんだと思っていた。その成り行きでアリーシャや黒鈴と対立したのだと。

 

 

(兄さんの……カナの立ち位置が未だに推測できません)

 

 

メーヤさんの事もあってなんとなくバチカンとは争わないと考えていたが、バチカンから見た私の立ち位置は注意人物で違いあるまい。サンタンジェロ城の件もあるし、箱庭で闇の眷属さんとか芸術家さんに勧誘されてたし、実際そっち寄りなのも否めない。

すると姉のカナを見る目も慎重に、下手すると敵視されていてもおかしくないんだよなぁ。私のせいで。

 

 

ファビオラを退かせたのも兄さん。

黒鈴を説得し争いを収めたのも兄さん。

 

さすが金一兄さん!

……で済ませて良いものだろうか。

 

 

(それに、兄さんが黒鈴との会話で漏らした『()()』――)

 

 

青い海の対岸の遠い遠い思い出。

変化したファビオラの自信無さげで遠慮がちな態度。あれが昔に幼なじみとして出会い、広いようでどこか息苦しい境内で遊んだ星伽の長女――星伽白雪に似ていたんだ。

 

 

これは偶然?

 

 

 

トツトツ……ギィイイーーーッ!

 

 

 

謎と謎に線を引き3次元的に並べながら、誰よりも先に私室を確保し閉鎖する。

気配は2つ。ベッドでだいぶ落ち着いた寝息を立てるバラトナと、

 

 

「"大人しくしていましたか"」

「"おかえりなさい、結構な数ね"」

 

 

置き物みたいに椅子に座るセレナイトの髪の女性が、読んでいた木目カバーの施された本を閉じつつ玄関の様子を見ていたかのように呟いた。

碧色の眼は淡い光を遮るように細められ、どうにも自分を追い出す戦力ではないかと疑っているんだな。

 

結構って何人基準での発言だろう。

足並みそろえて家に入ったのは私と金一兄さんとアリーシャ、黒鈴、おんぶされたチュラの5人だ。そんな多くないぞ。

 

 

「"それも2等位レベルの者まで揃えて"」

「"ただいま帰りましたアリエタ。ゲストには手出し無用、ただの宿泊客ですよ"」

 

 

この家は危険がいっぱいで、リスクマネジメントを怠ればどこかに火が付く。

油断ならないアリーシャも友好的なのか敵対的なのか不明な黒鈴も、チュラが心配で泊まりたいのだとさ。まあ、黒鈴の方はハコオニの暴走を警戒してとの話だ。

 

今夜はスイッチを入れたままにした方が良いだろう。

いつものコンディションで考えれば1日くらい浅い眠りでも大丈夫……なはず。オフった所でうかうか安眠も出来やしない。

 

 

「"ただの宿泊客ね……それで?歩き方もヨボヨボ、片手をぶら下げた朽ち木になって、大切なものには近付けたのかしら"」

「"ええ、これ以上ない急接近で頭から衝突しましたよ。今はまだ、彼女がどうなるか分かりませんが"」

「"頭から……?"」

 

 

頭と頭がぶつかった一瞬、あれはきっと内側の世界が見えていた。

真っ赤な窓枠の向こう側に広がっていた古びた日本家屋とはまた別の、黒い窓枠の向こう側。

 

その世界で()は鳥達に手が届くほど高い所にいて、でも人と同じ目線で空を見上げていて、同時に空の無い真っ暗な場所に閉じ込められていた。

そして、暗闇の中で聞こえた声が間違いなくチュラの声だった。

 

 

何も見えない場所で()を呼んでいて、声の出せない私が探ろうとした手は押し固められて指の一本も動きやしない。

それでも彼女は()を呼び続けていた。

 

 

ほんの僅かな温もりを(いだ)いた時には空気が冷たくなり、後は鮮明な記憶通り。

チュラに不意打ちされて、黒鈴に不意打ちされて、マリアネリーに不意打ちされた。うわっ……、私の隙、でか過ぎ……?

 

まあいいさ。

チュラを引き留められて、なおかつ覚醒の兆しがあった。

リザルト画面には文句なしで作戦成功の三文判がでかでかと捺されている。

 

 

「"あなたは私の評価など当てにしていないでしょうが、助言には感謝しておきます"」

「"お前、表情の作り方が変わったわね。小憎たらしく晴れ晴れとした良い笑顔だわ"」

 

 

口、悪いな。ピクリとも笑わないし。

素直に『笑顔が似合うよ』って言えばいいじゃんか。

 

(……よしよし、ここは1つリベンジかましておきましょうかね)

 

表情筋イケメンシフト、レディ……

目元、ヨシ。口元、ヨシ。

首の角度、セット。喉の調整、オーケー。etc...

 

 

くらえッ!

 

 

「"アリエタ"」

「"なに?"」

「"ありがとうございました"」

「"ええ"」

「"私としてはあなたの笑顔の方が素敵だと思いますよ。ぜひ――"」

「"つまらない冗談は好きではないわ"」

 

 

ちっ。『呼蕩』がレジストされたか。

法則は判明していないが、効かない奴がたまにいる。

 

ジョークで笑わないならと恥じらいを煽ってみたのに、今度はオチを付ける言葉尻どころか展開を間近に控えた話の腰で折られた。

連敗記録撤廃に向け、次までに新たなベクトルからのアプローチを考案しないと。

 

(っ!視界が……目がユラユラと泳ぎますね)

 

壁や天井が近付いたり離れたり、遠くカーテンが揺れているように見える。

血行不良と神経疲労のWパンチ。脳機能の低下による立ちくらみに手の震え、加えて極度の空腹に襲われる。負傷した左手も両脚も兄さんには強がって見せたけど、病院にご招待され手厚い通院が必要な怪我だろう。

 

戦いとは個人の戦争、戦闘中は元より戦闘後のケアが大変なんだ。今回のヒステリアモードは気絶するほど重症じゃない分、明日からも起きて耐えなきゃいけない後遺症に気が滅入りそうになる。

だけど、弱みを見せられないのが戦う者の辛い所ってね。

 

 

「"早速ですみませんがお腹が空いて死んでしまいそうです"」

「"ワタシに何か作れと?スープの匂いがしていたわよ。とても変わった香り、ナゴミが使う東洋の調味料ね。それを食べるのでしょう?"」

 

 

バラトナが作っていたスープはミソスープ。

出汁や旨味の概念が薄いので味は味噌特有のコクにネギがベース、豆腐とか葉物野菜とか可食の花が多くて根菜や海藻が少ない傾向がある。具材は食べるまでのお楽しみだ。

 

ナゴミってのは彼女の仲間か、日本人っぽい名前に聞こえる。

お願いしたら味噌を使った料理をごちそうしてくれないかなとか考えてしまうあたり、脳にまで胃液が上がって溶けてるのかもしれない。

うえっ、想像したら気持ち悪くなってきた。

 

 

実際、頼めば目の前の彼女は作ってくれそうな態度を取っている。けどおかずの副菜は作り置きでいいでしょ?メインは……フライパンくらいは片手でも握れる。

 

(あー、ペッパーミルを回すのだけ手伝ってもらおうか)

 

だから夕飯のメンツは揃ってるんだけど、口にするメンバーがね。そこが目的なのだ。

 

問わずとも怪しまれてはいるだろう。兄さんにも紹介せねばなるまい。

薄まったとはいえ薬品の臭いは消えておらず、兄さんも鋭いから嗅ぎ逃すわけないよね。

 

 

「"誤解を生んだようです。あなたも私の隣で夕食(チェーナ)を食べてください。食べられますよね?"」

 

 

良くない気分を拭おうと会話を振り、コートを床に落とすように脱いで棚から厚手の化学繊維質を手探りで引っ張り出す。

服なんて着まわせる分しか持ってないし、なんでもいいや。

 

 

「"同じ釜の飯を食うだったかしら。ワタシは食事を必要としないの。付き合っても良いけれど、相手次第で相応の対応をするわ"」

 

 

首がガクッと落ちたのはすっぽ抜けた服が覆いかぶさったからではない。盛大な白いため息がその証左。

偉そうに脚を組んでいれば様になっていそうなセリフと堂々とした声に己の行く末を悟ってしまった。

 

 

「"あのですねー!"」

「"なに?"」

 

 

上昇したボルテージは除けた布の間から見えた彼女の表情に冷水を浴びせられる。

魚類や爬虫類もえぇっ!?って二度見するほどのポーカーフェイスは表情筋が凍結したんじゃないかってくらいカチコチだ。

 

チュラと一菜(問題児たち)に負けず劣らず深刻なんじゃなかろうか。

コミュニティの重要さが分からんアリエタのプレーンオムレツより淡泊なお返事に噛み付いてもふわっとスルーされることは明白。

2等位とか、等級制度のある社会に生きてきた弊害に説き伏せる言葉は思いつかなかった。

 

(あー。私の紹介次第になりそう。せめて上から目線を改めてよね。あと目付き)

 

会話のフレンドリー路線は捨て、バラトナの恩人である点をゴリ押して兄さんの寛大な配慮を促す。

そこさえ突破してしまえば無関係なアリーシャは気にしない。

 

 

「"いいえ、なんでもありません。最悪無言を貫いてください。私が説明するので無言でいきましょうそうしましょう。あと目付き。ほら、笑顔笑顔!"」

 

 

なわけで、代替品として笑顔のフレンドリー路線を急造していこう。

 

 

にっこぉ――

 

 

こんな感じ!

やってみてよ。

 

 

「"見本が憔悴しているのだけど"」

「"同情するなら飯を食え!"」

 

 

宿無しのアリエタに対して宿主がこの台詞を使う事になるとは。立場が逆じゃないかね。

 

私だってのべつまくなしにニコニコ出来るわけじゃない。それは舞台女優や銀幕の向こうのお・し・ご・と!

でも第一印象を覆すのは本当に難しいんだからね!ほんと、学校での私が生き証人。

 

(ミステリアスじゃないんだから!極東の島国育ちはイタリアーノな言語なんてしゃべれないんだから!)

 

引き止めるパオラを振り切って学校を飛び出し、近場で静々とぼっち飯していた頃は一生の黒歴史。時折相席してきたパトリツィアに泣きついてた。

そして新たに裏でヤバい仕事をこなすダークヒーロー説が生まれ、目撃情報をまとめ始めたのが掲示板の走りらしいよ。犯人曰く。

 

 

失意の中、とりあえず移動するように促し、頭上の布の色も確認せず袖を通す。

着るのも一苦労だよ。柔らかい素材で大きめのサイズだったのが救い……?こんな手触りのいい服を持ってたかな。

 

 

「"もう行きますよ。お澄まし顔でも構いませんが、くれぐれも仲間うちでトラブルだけは起こさないように"」

「"関係ないわね。ワタシは――"」

「"仲間です"」

 

 

暫定で。

だってさ、立場の違いで敵認定してたら栄養満点に談笑花咲く満卓の食卓が、スリル満点に密談する卓論の円卓になるんですよ。

 

兄さんには全幅の信頼を預けているが、アリーシャも暫定仲間。

鬼が戻ってきたらむしろアリエタの隣の方がまだ無害って意味でセーフティエリアだ。つべこべ言わず付いて来たまえ。

 

 

一向に出口との距離が変わらないアリエタの腕を引く。

動けこのポンコツが!動けってんだよぉ!!

 

 

「"待ちなさい"」

「"なんですか"」

 

 

これ以上は待てないぞ。

怪しまれたら不利なんだから。

 

 

「"お客様の前にそんな恰好で出るつもりなの?"」

「"へ?"」

 

 

鏡を見る。

やっとの思いで私が着ていたのはベロア生地でドットパターンをした随分と可愛らしいパジャマだった。

ありがとう、止めてくれて。

 

 

 

 

「"……ごめんなさい。着替えるので、もう少し待っててください"」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「焼けた!」

「どう見ても外側のやつが生焼けだ。一回で焼く枚数が多かったか。メアリー、並べ替えてもっと焼き色を付けるぞ」

「見て見て!このビスケット、綺麗に羽根の形に焼けてる」

「中の熱が飛ぶから手早くな。うん、今回は膨らんでない。うまく混ぜられたみたいだ」

「あうっつつ!」

「縁に触るなよー?火傷は痛いぞ」

「き、気を付ける……」

 

 

「よし、並べ終わったな。じゃあ焼き直しを――」

 

「あらメアリー、いい匂いね。あなた最近お昼にはいつもキッチンにいるじゃない」

「あ!こんにちは、エイブリー。焼き菓子を練習してるの。アルバの焼いたお菓子はおいしいから!」

「……ふーん、それなら邪魔したらいけないね。あとで私の分が無くなってしまうもの」

「ううん!みんなにも食べてもらいたいからいっぱいあるよ。楽しみにしてて!」

「オーケー、ティータイムが楽しみ!」

「待っててね。上手に焼いちゃうから」

 

「……なんのようだ」

「あらあら、いたの。ごめんなさい?視界に入らなかった」

「目が汚れてるんじゃないのか?外を歩く前に顔洗って来いよ」

「顔を洗わなきゃいけないのはアンタ。また呼ばれてるよ」

「どっちに?カニングフォーク側か?」

「はずれ、貴族魔導士団(きたないほう)。すぐに、ね。じゃ、伝えたから。思いっきり絞られてきなさい」

「待ってろ、すぐに準備する。悪かった。お前も怒られただろ」

「アンタ達の保護者に任命されて以来の悪くない日常ね。ああそうだ、悪い日常じゃない」

「そうか。良かったな、まだ続くぞ」

「良い日常とは一度も言ってないけどね。思っても」

 

「魔道院に行って来る。メアリー、ビスケットから目を離すなよ?」

「仕事?私も一緒に」

「ティータイムには間に合わせる。お菓子を持って待ち合わせだ」

「うん!任せて!」

 

 

 

 

 

「エスコートありがとな、エイブリー」

「仕事場に戻って来ただけ。そうそう定期監査報告。あれ、でまかせでしょ?嘘を吐いても無駄よ」

「っ!ふざけるな、何を証拠に――」

「誰もアンタを信じていないんだから、ちょっと言い淀めば信憑性がなくなることはご存知?」

「記憶の齟齬なく思い出す時間は必要だ」

「あらかじめまとめときなさい。隕石の殻が『理の卵(アドロイトエッグ・ノウズ)』にもたらす栄華と災厄は計り知れないし」

「メアリーは正常だ!」

「それならそうと負けずに訴えなさい。感情的にならずね」

「……そうか。わかった」

「ティータイムには迎えに来るわ」

「それだと遅刻だ」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

(やめて……やめてください…………)

 

口づけられた甘く苦い香りが震えながら離れていく。

たまらず彼女の青い瞳に訴えかけた。

 

(……アリーシャ、それ以上踏み込んじゃダメです……!)

 

声には出せなかった。

下手な抑圧では引っ込みが付かず、彼女に更なる気勢をあげさせてしまう恐れがある。

 

少なくとも彼女の姉はそうだった。

望んだ答えを得るまでは解放してくれない。

 

 

けど、次の言葉がトドメになるかもしれないんだ。

 

 

「カナ様のお帰りは遅くなりますのね」

 

 

 

(金一兄さんはカナなんですからッ!)

 

 

 

カツッ!

 

 

 

私の全身全霊をかけた抗議がそっと机を打ち付ける。

巻き添えとなったティーカップのカフェラテが迷惑そうに小さく跳ねた。

 

 

「…………」

「……今夜は帰らないかもしれませんね」

 

 

(無言の兄さん怖いです)

 

――夕食を終え、ミルク多めのカフェラテを頂いていた時だ。

カップに角砂糖を2つ溶かしたアリーシャが金一兄さんに私との関係を再確認したのだ。

 

ごく普通の疑問ではある。

同席するはずの家主を差し置いて、これまで影も見せなかった男性が当然のように席を取ったと映るだろう。

実はそのまんま家主なんだけど、それを言うと私の遺言になってしまう。言えないから質問が続く。ほげぇ。

 

 

「お忙しい身ですのね」

「そーですね」

 

 

カナの名前が出始めるまでは兄さんが応対していた。

正面と右側面の会話を往復する視線は兄弟のキャッチボールを羨ましそうに眺める末っ子のようだったのに、

 

 

「クロ様は2人暮らしと伺いましたけれど、お住まいは別なのですわね。クロ様からはお名前も上がる事がありませんでしたわ」

「ええ、まあ……任務の関係で顔を出すことも少ないですし」

 

 

危険球(ビーンボール)を繰り返す暴投投手アリーシャの紙一重な一球に兄さんが打ち取られ、二番バッターの私もとうとうバッターボックスを放棄したくなってきた。

心なしか私のティーカップがテーブルに着席する音も大きく響いているような……

 

 

「ですから、会ってお話するのが待ち遠しいんですよ」

「ふふ、クロ様は甘えん坊ですわ」

「そ、そういうわけじゃ……」

 

 

創作なしの誠実な回答に、場はだいぶ打ち解けて来たんじゃないかな。

『今はお仕事ではなく?』とはさすがに聞いてこない。任務に言及しない武偵の常識を弁えた生徒でヨカッタ。

 

 

常識といえば……左に取ってつけた即席のお誕生日席。

私、兄さん、アリーシャ、黒鈴の4脚しか無いからアリエタ用にキッチンスペースのパイプ椅子を私の隣に用意したのだ。

 

背筋は定規を刺したようにピンと真っ直ぐで、肩はハンガーへ掛けたみたいに張っている。脚も組まないし、肘も付かない。

お行儀の良いお嬢様だこと。

 

 

「どうしたの?()()さん?」

 

 

ザ・私服姿の彼女の様子がおかしい。

まず英語の単語選びが秀逸で話し方も柔らかい。もし初対面ならかなり好印象を抱かれること請け合いだ。

 

 

「どうもしないことに違和感があるんです」

 

 

花丸満点の営業スマイルは陰りの一つも悟らせないプロの所業。

この笑顔で会社を回ればいくつの新規契約が取れるのだろうか。控えめな愛想笑いをすれば発光しているように見えるまである。

 

思わぬ僥倖によりアリエタの紹介も難なく乗り越えられた。

バラトナの悲鳴を聞いて駆け付けた通りすがりのお医者さん設定……では家に宿らせられないので、困った時のクロ同盟。

訝しんでいた兄さんも友達だと付け加えると、仲良さそうに微笑むアリエタにその先の尋問をしてはこない。

 

 

口裏も上手く合わせられるじゃないか。なんで人事採用面接の時はやってくれなかったのさ。

この人、人間関係大丈夫かなって不安だったんだよ?

 

 

()()さんは不思議なことを言うのですね」

 

 

名前の連呼に何かしらの意図を感じ取る。

ただし、偽名を名乗っていたことを責めるものではない。悩みが解消して気分が良くなったというか、もっと他の所で納得し光明を見出したような。

 

例えば……そう。私に仕える建前の関係に前向きになった気がする。

宿金による充式が主目的で後は関係ないって振舞いだっただけに、掌を返す変化にどこか不気味さが付きまとう。

 

 

「さもありなん。性格や言動は周囲の環境的要因に左右されるそうですから」

 

 

(言動は環境に左右される、ねぇ……)

 

 

チュラの寝かされたソファに目が行く。

脇に胡坐をかいて目を瞑っている和服の鬼は左手で刀を立てて眠っているらしい。

武士寝してる人初めて見た。首とか腰とか痛めそうだな。

 

 

つられて眠気をもらう。

あくびを噛み潰して確認したネコ型の壁掛け時計もいい時間をさしていた。

席を立ち、カップを片付ける兄さんはコートを羽織りどこかに出かけるようだ。

 

 

「クロ、アリーシャとアリエタには向かいの部屋を貸してやれ」

「え、いいんですか?」

「俺が寝るわけにもいかないだろう」

 

 

向かいの部屋とは、カナの部屋。

そ、そっか。兄さんがカナのベッドで寝るのもおかしいのか。ややこしい。

 

 

「兄さんはどちらで?よろしければ私の部屋のソファが空いていますが……」

「それではバラトナが快復と共に呪いに晒される」

 

 

あ、魔女の紋章か。

夜中に寒い廊下を彷徨わせるのは可哀想だ。

 

 

「ではバラトナと同じベッドに――」

「怪我人と同じ布団に入ろうとするな。お前の寝相の悪さは幼い頃から知っているぞ」

「うぐぐ……」

 

 

三者凡退。鋭いストレートがミットに吸い込まれて行った。み、見えなかった·····ぐーの音も出ないです。

 

廊下を玄関へと歩く。

ボストンバッグの荷造り(カナセット)も終えていたようだし、最初からそのつもりだったんだ。

 

 

「"俺は()()()()()()。目的も果たしたところだ"」

 

 

もちろん兄さんが帰る場所はこの家しかない。

つまりは金一兄さんはいずこかに帰った事にして、どこかのホテルで一泊してカナになるんだろう。

 

兄さんとはまたしばらくのお別れだ。

 

 

「"分かりました。家のことはお任せ下さい"」

「"……何かあれば連絡を入れろ。クロ、自分の身の安全を第一に動け。お前は俺と全く同じ道を歩く必要はない"」

 

 

本心を見抜かれそうな目遣いに見送る手が止まってしまった。

アリエタのことは自分の力で解決してみせろと、そう言われた気がした。

 

受け取った別れの言葉は心強い激励であり、力強い信頼が託されていた。

 

 

「"決意を曲げるなよ。お前が強く正しくあるならば、俺はその考えを否定しないと約束したのだ"」

 

 

 

 

 

 



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薄墨の鏡水(シャロウ・サイレンス)

 

 

 

「ア、アルバぁー……どうしよう…………」

「……黒いな」

「苦そう……」

「白い羽が見事に堕天してる」

「硬そう……」

「エイブリーは幸せもんだ。最後の間食に養娘(むすめ)の作ったビスケットをこんなにいっぱい食べられるんだしな」

「食べるかな?」

「あいつ親バカだからな。メアリーが食べてって言えば木の皮でも根っこでも何でも食うだろ」

「じょ、ジョークだよ。あとで森に埋めに行こう?草木の栄養になれば、妖精さんも喜ぶよ」

「そうか。絶対に独りで行くなよ」

 

「ところでちゃんと見張ってたのか?」

「オーブンの中って赤いから焼けたか分かり辛くて……焦げ臭いなと思った時には」

「土の肥料に成り果てていたと。ウチが悪かった、熱が逃げるからあんまり開けるなと教えたから」

「前回は分かり易かったのに」

「ぷくっと膨らんでたからな。生地作りで気合を入れて混ぜ過ぎた失敗作だ」

「それは食べられたのに」

「人間は空気は食えるが炭は食えない。そういう事だろ」

 

 

「ティータイム……エイブリー、楽しみにしてるって言ってた」

「あ、忘れてた。迎えに来るって言ってたのに早く終わったから置いて来た。可哀想な奴だな」

「本当は先に帰って来てくれたんでしょ?妖精さんから聞いたの?ビスケットを焦がしたこと(わたしのこと)

「…………」

 

「……メアリーが泣いてるって。混乱した。すぐにお菓子の話だと思い至って、走ってきた。そしたら、おや、火傷していなくて良かったじゃないか。これならウチでも笑わせられる」

「どうやって?」

「また焼けばいいだろ。約束まで時間があるんだから」

「でも、アルバと昨日作っておいた生地は全部焼いちゃった……」

「材料がある」

「でも、寝かせた方がおいしくなるって……」

「ウチがいる。任せろ、焼き立てでも特別感があっていいもんなんだ。ただしい食べ方は1つじゃない」

「でも……」

 

 

「二人でやり直そう。大丈夫だ、一晩おかなくたって美味しく焼ける魔法をかけてやる」

「そんな魔法があるの?」

「ああ、ある。だからエイブリーが短鞭(トーズ)を持って来る前に焼き直すぞ。ウチが怒られないように手伝ってくれ、メアリー」

「うん……ありがとう、アルバ!」

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

私にはいくつかの道がある。

 

寝室が2部屋。客人が3名。

1人……1鬼はリビングに決定済みなので残り2名と私に寝床を振り分けなくてはならない。

 

 

「アリエタ様はコーヒーが苦手ですの?」

「飲めない訳では。ですが……。…………濁ってしまいますから」

「…………?」

 

 

その2名というのがこの2人。

卓上ではまっさらなホットミルクをちょこちょこ飲み下しているアリエタにアリーシャが話を振っている。

私のカップは空で、先程アリーシャが傾けた2杯目も顔半分が器に納まるほどに仰いでいた。

 

遅すぎる。

品が良いとは無関係にアリエタは喉が狭いのだろうか?

一口が幼児のように小さく、夕食時は嚥下に苦労している仕草もあり、食も細かった。

相席を渋った理由もその辺にあるのかもしれない。

 

ちなみにアリーシャのカフェラテは砂糖と牛乳比率が高いので、むしろコーヒーが苦手な少女がまろやかに誤魔化しているように見えるんじゃないかな。

 

 

「うーむ……」

「いかがなさいましたか?」

 

 

甘い匂いをカフェラテから吸収した黄髪の少女が、ぼんやり眺めていた空間に身を乗り出して割り込んできた。

くるっと巻いたサイドテールが遅れて現れる。

TPOを弁えている将来の淑女は、アットホームな場では時々無邪気な行動を取るよね。

 

我が家はそんなに居心地が良いのか。

私は心落ち着く場である反面、危険の拠り所だと思うんだけど。

 

(彼女の反応も参考にしてみますか……)

 

兄さんは自室に2人を通し、私にはバラトナと同室で眠るよう指示してくれた。

筋も通っていて、それが正解なのだと納得できる。

 

 

だが、いやな予感が一時停止の標識となり、もう一度考え直すべきかと判断したのだ。

 

アリーシャとアリエタを同じ場所に置いても大丈夫か、とか。

この家はスカッタの出現みたいな察知できない煩累行事が起こりうる、とか。

黒鈴を見張る必要はないだろうか、とか。

 

まあ、あれやこれやと道理を立ててはみたものの予感は予知に昇華できず、結局のところ私もチュラのそばにいたいだけだったりする。

 

 

「それが、みなさんが平和に夜を凌ぐ冴えた一手を考えていまして。誰と誰に同じベッドで一晩を過ごしていただこうかと」

「…………。クロ様は夜も穏やかではありませんのね」

 

 

『夜も』の強調が意味するところは分からないが、心が『穏やかでない』、まさにその言葉が今の私にドンピシャリ。

夜も油断しないのですね、的なシビアな生活を送る私への賛辞なのだろう。

 

そう、油断ならない。

懐に迎え入れた相手を疑っているのはバツが悪い。

しかし、だからこそ私が目を光らせ守らなければならないのだ。

 

アリーシャはローマで出会った大切な友人パトリツィアが愛する妹。

例え敵対していても、彼女は尊敬できる人物であることに変わりはない。

 

 

……だというのに、なぜか白い目で見られた気がする。

 

 

「容態が優れませんのに」

「え、容態が優れないからですよ。こんな夜に1人孤独に眠るのはベストではないと思いませんか」

 

危険だし。

危険だから目を離すのが怖い。手の届く範囲で張っておきたい。

準備段階で牽制することが出来れば未然に防ぐ事も可能になる。

 

そう思ってのセリフだったのだが、

 

「まるで色情魔ですわ」

「なんで!?」

 

え、なんでそうなるの?

ポルノ呼ばわりは激しく心外なのですが!

 

木で鼻を括るような態度のアリーシャが視界から消え、弁解の余地なしという感じで残りのカフェラテを一気に流し込んでいる。

これまた思わぬ不興を買ってしまったらしい。

 

一応心の中で弁明させてもらおう。大体、色もなにも私の人生は限りなくモノクロに近いと思う。

人生の画角に巨細種々、濃淡様々な花が咲き乱れていたとして、決してそれらにうつつを抜かして引き寄せたりなんかしな――――

 

 

したかも。

色付く窓枠――ヒステリア・セルヴィーレの言動は怪しいラインを大股で跨いでるかも。

 

 

で、でもあれは不可抗力というか、私だけど私じゃないというか。

そ、そうだ!仲間!あれは仲間との絆が発現条件であって、そこに疾しい下心など一片もないと断言しましょう。

友情パワーは無限大!

 

私の友人(設定)ことアリエタが俗人的な偏見を生んでしまわないかいち早く様子を窺う。

身の潔白は己で証明せねばならぬぞ!

 

 

「お客様に窮屈な思いはさせられません。クロさん、ワタシがこの部屋を間借りさせていた――」

「ダメダメ!リビングはダメです!」

 

 

未だ半分も減らないミルクをごちそうさましたアリエタがにっこりととんでもないことを口走る。

バチッて机叩いちゃったよ。

 

強めに否定しておかないと、黒鈴×(かける)アリエタが一番ヤバい組み合わせだ。予測不可が一番怖い。

ってか、あんたもお客さん枠でしょうが!

 

 

「けれど、寝室が足りないのでしょう?」

「それはそうですけど」

「気の遣い過ぎも考え物ですね。クロさんはワタシの主なのですから、もてなしと主の権威は両立させなければいけません」

「んぐっ……!げふっえふっ!」

「友達のあなたをここに休ませるくらいなら私がここで寝ます!私達友達ですからねっ!」

 

(マスター)だの権威(オーソリティ)だの話の雲行きが怪しくなってきた。友人設定どこ行った!?

アリーシャがむせてるから!お願いだから素を漏らさずに同等の立場で考えてくれませんかね!?

 

「く、クロ……様?アリエタ様もそういう……?」

 

 

ひぃッ……

声が冷たいですよアリーシャさん!

『も』って何?そういうってどういう意味?

威張り散らしたことなんてないですって!

 

強襲科の実技授業を終えた休み時間に後輩ファンクラブに囲まれた私を見るフィオナの顔を思い出してしまった。

まるで射撃部屋のマンシルエットを見る目。

狙撃手の狩る目に睨まれたら動物界のツッパリ不良ラーテルも尻尾を巻いて逃げ出すだろうね。

 

 

「そうじゃないんです!主っていうのは家主って意味で――」

「わ、私もここで構いませんわ!」

 

ちょ、距離の緩急が激しいな!

 

何事か焦燥感を煽られたらしく、平静を欠き切迫した様子で腕にしがみついて来る。

右腕は怪我してないから乱暴に扱っても構わないのだが揺らされると左手も振れて痛い。

 

「どうしてそうなるんですか!」

「クロ様が不真面目だからですわ!」

「真面目に考えていますよ!」

 

 

この子はこんな意地っ張りだったか?

説得しようにも頑なに一室の割り振りを肯定してくれない。

 

確かに黒鈴のそばは安全かもしれない。

だが友人の妹を、さらにお嬢様育ちのアリーシャを居間に寝かせて自分はベッドに寝てたら後が怖い。あっちの姉(パトリツィア)が怖い。こっちの姉(カナ)も怖い。

当然私自身も良しとはしない訳で……

 

 

「私がリビングで眠れば……でも、バラトナはどうすれば…………」

「心配なら運びましょう」

「あ、その手がありましたね。丁重にお願いできますか?」

「お任せを」

 

 

アリエタが胸に手を乗せるように当ててバラトナを連れて来る為に席を立つ。

そうと決まれば寝台の確保。

バラトナは玄関に備え置かれた小型のソファを持ち込むとして、私は部屋から掛け布団を持参して床に寝ようかな。

 

黒鈴の近くで張ることが出来て、なおかつアリーシャとアリエタを別室に配置。2つの部屋を結ぶ廊下の途中に私が陣取り、不審な行動は耳で捕捉可能だ。

良策じゃないか。バラトナを移動させる発想はなかった。

 

 

「さてと、目途が立ちましたね」

「…………」

 

 

…………見られてる。いや、触れられてる。

私は?って視線をひしひしと感じる。

 

 

「アリーシャはカナの部屋で」

「嫌ですわ」

「ふかふかのベッドが」

「クロ様と同じものがいいんですの」

「床ですよ?」

「ええ、心配要りませんわ。一時期、ステンドグラス製作の追い込みで数ヶ月間椅子に座ったまま寝ておりましたもの」

 

 

床に寝るなどなんのその、自信ありげに詰め期の経験を語られた。

こんな押し問答でアーティストのストイックな面を出さなくてもよいだろうに。

 

拒む理由がなくなってしまった。

こうなってしまうとアリエタだけを奥へ追いやるのは仲間外れにしているみたいでうまくない。

 

いっそのこと枕パーティーにしてしまおうか。全員で床にゴロゴロして一番先に寝た人の寝顔が写真撮られるアレ。

ガールズトークが盛り上がる面々ではないからお開きは早そうだけどね。

 

 

「分かりました、負けましたよ。一緒にここで寝ましょう」

「はい!」

 

 

やっと手を離してくれた。

黄色いマリーゴールドが花開いたような満開の笑みがこそばゆくて、今度は自分の意思で視界から消してしまう。

指を通した取っ手を持ち上げたけど、空になっていたんだった。

隣から笑いをこらえる声が聞こえる。は、恥です……。

 

 

「どちらに降ろしましょうか」

 

 

戸口からの声で思い出した。

バラトナを寝かせるソファを持ってこなきゃダメなんだった。

時間が掛かっていたのは容態の確認なんかもしてくれていたんだろう。つくづく気が利く女性だ。私以外には。

 

赤面に気付かれないよう少しだけ振り返ると、

 

 

「ありがとうございます、廊下からソファを――!?」

 

 

演劇みたいに椅子から転げ落ちるかと思った。

アリエタの顔が見えるだろうと後ろを見たらアリエタが居ない。

 

 

「ベッドごと持ってきたんですか!?」

 

 

代わりに私のベッドが幅ギリギリのドアを通って入場しようとしていたのだ。

あまりの驚きに全身で振り返っちゃったよ。

 

 

「丁重にとの事でしたし、担架も見当たりませんでしたから」

「アリエタ様は剛腕ですのね」

「豪快に運べとは言ってないですよ!でも降ろすならテーブルを寄せるのでちょっと待っててください!」

 

 

感心していたアリーシャにも手伝ってもらい椅子とテーブルをキッチン側へ、シングルソファとローテーブルはテレビの脇、バルコニー側へ移動させた。

その間もアリエタは呻きの一つも上げず、平然とベッドを抱えたままだ。

 

(おかしいですね)

 

リズムを刻んでいるようには見えなかったが明らかに乗能力の恩恵を受けている。

少々卑怯だが観察させてもらおう。

 

 

…………クンっ。

 

 

(――――!)

 

 

いや、リズムは取っている。

長大な間隔で刻んでいるんだ。時間が掛かったのはリズムを定着させてトリガーを発動させるためか。

 

アリエタの能力は瞬間的な爆発力だけじゃないって事らしい。

テンポの変化が多様性を持たせているのだろうが、リズムの切れ目に脱力しなかったところとか、まだまだ不可解な点はある。

 

人を乗せたベッドを持ち上げ続ける。

それは私のような神経の一点集中より、一菜の身体能力の向上に近しい何か――――

 

 

「クロさん?降ろしてもいいかしら」

「あっ、ごめんなさい。ここにお願いします」

 

 

重荷から解放されたアリエタの両目は彼女なりに取り繕っていたとしても若干けだる気だ。

疲労は速いテンポの時と変わらない。

 

 

「……?傷は見当たりませんわね。私、てっきり空隙だけでなくチュラ様の空白による攻撃を受けているものだと思っておりましたのに」

「銃での攻撃は全て実弾によるものだったのだと思います。バラトナに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ですわね。空白は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですもの。()()()()()()()()()()()()、あまつさえ()()()()()()()()()()()()()()()はずがありませんわ」

 

 

布団をめくり腕や顔などを確認していたアリーシャの呟きはチュラの行動を知っていたかのようだ。

思金の波というやつだろう。セルヴィーレ・チュラモードで指示を出す時に使うあの流水みたいな光る糸状の波。

通常時は見えないものの、黒鈴は思主であれば見えるみたいな発言をしていた。アリーシャには常に視えているのかも。

 

 

「さあアリーシャ!服を身立てましょう。アリエタ、私の服ならちょっと大きいくらいでしょうし、あなたのセンスでセレクトしてください」

「かしこまりました」

「えっ、えっ?私の服ですの?」

「お着替え。ありませんよね。そのままでは布団に入れてあげられませんので。浴槽も溜めますから順番にお風呂にも入りましょう」

「"家風呂"というものですわね!」

「その通り!」

 

 

アリエタがご丁寧に着替えを持たされて追い出されたのはラッキーだった。彼女にはカナの服でも色々サイズが合わないだろうから。

エスコートされていくアリーシャを見送り、黒鈴の隣に座った。

 

 

 

ギィイイイ――

 

 

 

「"黒鈴には思金の波が視えているんですよね。チュラが目を覚ましたことに気付いて動いたのでしょう?"」

「"……我輩に視えるはハコオニの波に限る。我輩が追ったのはハコオニを導く須杷の波よ。白思金の波は黒川刀の完全記憶により辛うじて捉えられようが、波の性質が異なる残りの波は視えぬ。人間が周波数と呼ぶものぞ"」

「"私がチュラを止めた事があなたの癪に触ってしまったのですかね"」

 

 

黒鈴が私を襲ったのは内側の世界――黒い窓枠の向こう側を見た後だ。

 

 

「"思うに、あれだけ焚き付けておきながらあなたは私がチュラを覚醒させられると分かっていたんじゃないですか?確証はありませんが、あなたが言った『己の役割』とは、私がハコオニを止めてしまった事と関係があるんですよね"」

 

私の問いはある程度核心を突けていたのだろうか、黒鈴はこちらを向かず首を倒したまま薄く目を開ける。

 

「"其を教う前に問おう。クロよ、箱庭の主を見て如何に感じた。肌が粟立ったか?麗しさに魅了されたか?"」

「"箱庭の主……ですか"」

 

実はあんまり覚えていないんだよね。

出会い頭に殺気を埋め込もうとしてくるし、バラトナへのあんまりな仕打ちに怒りを覚えたり、最後にはセルヴィーレが原因で意識失っちゃったし。

 

豪華なドレスだなとは思った。

でも彼女自身がどんな容姿だったかいまいち思い出せない。

 

「"えーっと……人間離れしてるなーみたいな?"」

「"では率直に尋ねるぞ。()()()()()()()()?"」

「"あんなに近くにいたんですからそれは――あれ?"」

 

 

魔女はどんな顔をしていた?

彼女の視線を感じた。でも、彼女の眼は一度も見ていない、見えていない。

 

意識して彼女を認識しようとすればするほど、その存在が正常に捉えられなくなる。

今もまた、思い出そうとするほどに情報が器から水が漏れだしていくように奥底へと沈んでいく。

 

 

 

認識が出来ない。

私は本当に箱庭の主に会ったのだろうか……?

 

 

 

「"すみません。思い出せませんでした"」

「"責めはせぬ。お主は何も違えておらぬ。奴は単なる抜け殻にて、未だ生まれておらぬのだ。それでお主の役割であったな"」

 

 

 

カチッ

 

 

 

差し出されたのは私の役割ではなく彼女の佩いている刀、その柄だ。

掴んだままの鞘は何度も修繕して使い古しているのだろう。傷を埋める為に所々が歪に盛り上がっている。

 

 

「"抜いてみよ"」

「"……っ"」

 

 

黒川刀。

それはチュラにも与えられた妖刀の銘。この刀は同等の力を持っている。

つまりこの刀も黒思金の力を発現しているという事だ。

 

黒鈴が鯉口を切った柄を静かに握る。特別な感じはしない。

ただ、覗いた刀身に好奇心が湧く。ふと切っ先まで見たくなってきた。

 

 

息をのむ。

熱を発している訳でも、高揚感を感じる訳でもない。刀を手にすることの意味を深く考えずそのまま引き抜こうとする。

 

 

「"……戦姉(おねえちゃん)…………"」

 

 

(…………!)

 

血がざわつき、金縛りのように腕が固縮する。

鬼の眼は閉じられていて、私の迷いを見て見ぬふりをしているかのようだ。

 

 

「"抜けるか?"」

「"愚問ですね。抜けますよ"」

 

 

試すような低い声に即答する。

肩に重圧がかかっているようだが刀一本持てなくなるほどでもない。

抜くこと自体は難しくないだろう。

 

素直に腕へ力を込める。

 

 

 

――――カチッ

 

 

 

「"過去に言われたことがあるんです『浮気者!たらし!』って。チュラは拗ねても可愛いんですが、笑顔に勝る癒しはありません"」

「"…………"」

「"それに、この()の名前は知りませんが、私とは仲良くしたくないみたいですよ"」

「"ふっ……"」

 

 

刀からきっぱりと手を離す。

別に発声器官の無い刀の心の声を空耳したりしていない。

軽い冗談のつもりだったけど、黒鈴にはウケたみたいだ。

 

 

 

ギィイイィイイ――

 

 

 

「"けれど、子煩悩な鬼はご心配なく。いざという時には彼女の全てを抜き放ちましょう。娘さんが望むなら身を捧げる覚悟は出来ています"」

「"愉快な武士(もののふ)よ。如何したことか、お主は信を置ける存在ぞ"」

「"そりゃどうも"」

 

 

耳障りな開放音。そろそろ2人が戻ってくる。

黒鈴は刀を立てて再び眠りに就いた。

 

 

「"おやすみなさい、黒鈴、チュラ"」

 

 

返事は小さいものだった。

しかし確かに黒川刀が揺れて答えてくれた。

 

 

 

 

私の可能性とは何なのだろうか。

それが潰えた時、彼女はきっとあの刀の全てを教えてくれるのだろう。

 

 

この身の終わりをもって。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「んぐんぐ」

「…………んめぇ」

「んまんま」

「おいしいのー」

 

 

どでかい中華テーブルの上に菓子の包み紙が散乱している。

5人で囲んだ山盛りの月餅は今日も今日とて完売の運びとなった。

おれはまだ2つしか食べてないんだが、いつもに増して早かったな。食いしん坊どもめ。

 

 

「んぐ?カミュ、足りない?」

「足りてないのはお前らだろーが。メシ食えメシ」

 

 

隣に座った銀髪の少女が大きく開けた口の中に最後の月餅を一口で放り込む。

上下左右、四方八方に跳ね上がった髪は獲物を仕留める刃のように鋭く光を放ち、寄越される団栗色の飢えた視線はギラギラとしていて、周囲の食い倒れツアーに似た雰囲気にそぐわない。

まるで草むらに身を潜めていた野生動物を人間の食事処に引っ張って来たみたいだ。

 

 

「夕飯も食べる」

「やっぱムっちゃんは食いしん坊だゼ」

「褒めて、撫でて」

「やったゼ!」

 

 

んー、と差し出された首がツツツイーっと温柔に撫で回される。

サイケデリックにペイントされたネイルが髪を掻き分け、ゴツゴツとした腕輪やら指輪やらが銀色の草原に紫色や赤色の光を反射させた。

 

褒められてないぞ、それ。

お前を触ってる奴は、恍惚とした表情でビクビクと肩を震わせてやがる。気持ちわりぃな。

 

 

「ムザは今日の鷹の目さんはどこに行ったか聞いてるかー」

「知ってる」

「…………おい、続きは?」

「聞いてるか聞かれた。知ってた。だから、答えた」

「一理あるな」

 

 

俺の聞き方が悪かったか。

前髪をサッと払いつつムザが振り返る。それで自分の手元から逃げられてしまった変態――ドール・パンクが瞳孔フルオープンの殺人鬼の目でガンを飛ばして来た。

 

病的に白い肌は血が行き渡っていないみたいだし、2種の布を縫い合わせたようなセパレートの服は切りっ放しで裾丈が揃えられておらずボソボソ、ガーゼ生地に血染みのような模様のついた悪趣味な髪飾りが片目に垂れかかっている。

それでいて真っ黒で柔らかいシルエットのフレアスカートは3段のフリルが大きなリボンで飾り付けられていて。

 

ファッションだか知らんが一目で関わっちゃいけない奴だと分かる。

おもちゃ箱の本棚に置いてある図鑑で読んだ、毒を持つ南国の生物みたいなもんだ。

 

 

「おれの監視はどうなってんだ?」

「知らない」

「スチームとパンクも知らねーか?お前んとこの2等位なら知ってそうだしさ」

「知らないのー」

「ピっちゃんは滅多に会えねんだワ」

 

 

内側に巻いたプラチナゴールドの髪が肩の上でぶらついている。

大食い大会第2位のポンコツ機工士は胃の容量と反比例して記憶の絶対量が大したことないので思い出すのにも時間が掛からないんだろう。無駄に待つ時間が少ないのは利点だな。

 

銅や青銅のような赤茶と鼠色。実に色味の乏しい服装だ。コルセットでぎゅうぎゅうに補正された上からさらに上着もボタンとベルトできつく締め付けている。

ブーツもベルト、袖にもベルト。首にまでベルトを巻いて苦しくないのか。こいつの頭に酸素が行き渡っていない原因なんじゃないかと密かに疑っている。

 

 

「チャイも知らないとしよう」

「あっそ、口拭けよ」

「む、これは失敬。ではナプキンを持ってくるとしよう」

 

 

あいつは城砦型だから聞く気もない。

他の2人と違って血や酸素だけじゃなくて教育も行き渡ってるからな。

 

 

まさかフリーって事は無いと思うが……試しに街に出てみるか?

狙撃手(チクリ魔)さえ不在ならピアレーダに発見されずに外出できる。

 

 

「悪い、用事を思い出した。先に失礼するぞ」

「暇人のカミーリャくんに用事ですか?」

「るっせ」

「私も用事、思い出した」

「ムッちゃん!?」

 

 

おれの半歩後ろには悲痛な叫び声(『ムッちゃーん!』)が聞こえていないらしい。スニーキングが習慣なのか足音を消してついて来る。

そのまましばらく、廊下を曲がっても階段を降りてもまだついて来る。

 

 

……あからさま過ぎんだろ。

もしかしてムザは真の監視網を気取らせない為の偽の監視役なのか?

 

オリヴァならそれくらい仕込んでいて不思議じゃない。

そうだとすると撒いたら撒いたで怪しまれるが……どうする。

 

 

「"ムザはどこに行くんだ?"」

「"探し物してる"」

「"手伝ってやろうか"」

「"いらない。用事に行けばいい"」

 

 

ずっとついて回る気だな。

あいつの思い通りにはいくかよ。利用してやる。

 

 

「"実はな、用事があるってのは嘘だ"」

「"ダー(そうなの)?"」

「"昼寝しようと思ってたんだが……そうだ!ムザ、どこかいい場所を知ってたら教え……連れて行ってくれないか?"」

「"ダー(知ってる)!とてもいい場所!連れていく"」

 

 

これでいい。

こいつら姉妹は風に当たるのが好きみたいだからな。

 

おれが連れていかれる先は間違いなく――――

 

 

 

 

 

「"ここ、すごく高い。いい風が吹く"」

「"……ああ、そうだな"」

「"あれ、あねちゃん芸術褒めてた!がいしゅーいっせん!"」

「"何となく強そうだが、凱旋門な。遠くても高いなー、屋上から見ても"」

 

 

――屋上かよ。

 

もっとこう、風通しがあって草花がそよぐ平原にたった1本だけの威容を讃えた大木の木陰で上空を転がる雲を心地良く眺めるとかないのかよ。

いや、無いわな!ここは都市部から離れてないもんな!早口で無理言って悪かった!

 

 

「"ありがとな、良い場所教えてくれて"」

「"ダー(うん)。寝る?"」

「"……寝るか"」

「"ダーダダヴァイ!(うんうん!そうしよう)"」

 

 

――あの雲月餅みたーい。

 

 

「"寝たかー?"」

「"…………"」

「"……ま、今日の所は大人しくしとくか"」

 

 

……いいもんだな。

ただ空を見上げるってのも。

 

 

 

なあ、()()もそう思うだろ?

 

 

 



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余談の黒金姉妹
遠山の兄妹


 

 

 

これは黒花の決闘が起こる少し前のお話――――

 

 

 

 

 

トラステヴェレ。

古きローマの街並みが残るこの道には、華美な装飾よりも建物自体が芸術性に富んだルネサンス様式の家々が立ち並ぶ。

色褪せたベージュや褐色、薄いパステル調の黄色と水色と桃色が若々しく派手なカラーリングの車の往来を温かく見守っているようだ。

 

グネグネと入り組んだ道路の両側に軒を連ねるその1つ1つ、石材の所々が欠け擦れた端々に目を向ける。1軒また1軒とすれ違う度に自分も歴史の中を歩いているのだと、神殿や教会とも違う歴史的価値を感じられた。

しかし、昔の人々は単体の出来栄えよりも条件が揃った時の完成度を重視している。美しいものは常に美しいのではなく、劇場の一幕のようにその一瞬を輝かせる。そのメリハリの付け方が圧倒的に上手いのだ、この場所は。

 

その条件って?

例を挙げ始めたらキリがないが、ローマ人はサンセットを愛していたと思うね。高台の眺望も地中海を臨む絶景も、夕陽の沈む時間に街自体が景色と融合し最も映える。夜の街灯も橙色だし、今でも暖かい色が好きなんだろう。

それと美人。映画で美女の前面を飾り立てるのは衣服やアクセサリーだとすれば、バックから美しさを浮き彫りにして支えるのが背景。途端に主役から縁の下の力持ちに姿を変える器用な役柄をこなしてくれるのだ。

 

事実、今は昼間だから夕陽は拝めないけれど、私の目に映る存在は風化してなお魅力を放つ世界において完成されている。

一分の隙も無い整った顔は神様が過剰に気合を入れ過ぎたからだろう。あの人には世界中の俳優なんかが束になっても太刀打ち出来やしない、むしろ比べる事が烏滸がましい。

その後ろ姿、栗色の長髪を流す男性を追い3歩後ろを歩く。隣に並ぶのは勇気がいる、私じゃ釣り合わないよ。あぁ……神々しいなぁ。

 

 

「"すまないな、クロ。本当であれば夕食(チェーナ)を共にしたかったのだが"」

 

 

振り向く気配を先読みし、前髪をサッと整える。

ちょっとだけ上がり過ぎた口の端はにっこり微笑み顔に整形。気付いたら口も開いていた。なんという間抜け面。

 

(金一兄さんには見せられた表情じゃなかったね)

 

 

「"お忙しい事は百も承知、その気持ちだけで大好……私は胸がいっぱいです兄さん!"」

 

 

本音と言えば本音。だけど兄さんと一緒に街を歩きたかったなんてワガママも内に隠してる。

本当なら今頃は兄妹仲睦まじく公園を散歩して、ちょっとだけ戦闘訓練なんかこなして、お腹がすいたら手作り弁当を食べて、いっぱいお話して、この場所の夕陽を……こっそり隣で眺める予定だったのに。

 

兄さんは何も悪くない。悪いのは急な予定変更を入れやがりました武偵高だ。

はぁ……優秀故に引く手数多で、こうした家族の大事な時間を作れないのが現状なんだよね。

 

コノウラミハラサデオクベキカ。

マジユルスマジ、ブテイコウヨ。

 

 

「"あまり畏まるな、いつも言っているだろう。俺とお前は唯一無二の兄弟。礼儀正しい事は美徳だが、そう距離を取られると寂しくはないか?"」

 

 

負のオーラを纏い始めた私に兄さんが手招いてくれる。クールな兄さんが時折みせる優しい顔、その手の温もりを想像するだけで息が詰まる。

行きたい、その指し示された場所に。あわよくば肩が触れ合う距離で手を繋いでその内に指が絡んで腕も絡んじゃったりして頭を肩に乗せて兄さんの匂いをいっぱいに感じて――――

 

――――兄さん……それは私も百万回考え、百万回悩んだ事なのです。愛というものがそんな単純であればどれだけ幸せか。

脳内シミュレートなら星の数ほどのバットエンドを蹴り飛ばして真のハッピーエンドを築く事が出来ましたが、現実は1歩を踏み出す事すら難しいのですよ。

 

 

奥手ってやつなのかな?ううん、臆病なだけ。

この3歩の距離を1歩詰めた時に兄さんが2歩離れてしまう事が怖いんだ。

 

 

「"どうした?履き慣れない靴で足を痛めたか?"」

「"えっ……?"」

 

 

もう少しでローマの背景の一部になりかけていた。

思考時間は……現実の10秒くらい?スイッチが自動的に入ってたみたいだから、30倍で大体5分間も妄想デートしてたって事?

 

そんな事よりも!兄さんが心配してくれている。それも履き慣れない靴って、私の事見てくれてるんだ!

わぁ……っ!感無量!嬉し過ぎて全身から力が抜けそうだよ!

 

 

再起動した脳がゆるゆるになったスイッチをなんとかOFFに押し込み、次第に止まっていた血が流れ出す様にピリピリと指先の感覚が回復してきた。

腰砕けになりそうで思い通りに動かない両脚をちょこちょこと動かし距離を縮める。慌てると小石にも躓いて転んでしまいそうだね。

 

(くっ!こればっかりは内外共に最高にカッコ良過ぎる兄さんが悪い)

 

 

「"ほっ、本日は戦闘訓練もありませんのでっ!その、洒落た浮世の格好など遠山家の者として多少女々しいとは思って――――"」

「"怯えるな、怒らないさ。お前は我慢強い分内側にストレスをため込んでしまっている。たまには好きな格好をしていいんだ、俺といる間は守ってやろう"」

 

怯えてないです、あと陰で好き放題しててごめんなさいッ!

お洒落にも本当は興味なんてなくて……見て欲しいから、カナとの会話の記憶を引っ張り出して頑張った、だけで――!

 

「"ありがとうございます、兄さん"」

「"兄として当然の務めだ。それに……"」

 

 

視線が少し上に滑り頭部の上端を捉えた。目睫の間にいる私の内側を見透かすようなその黒い瞳に抵抗を感じる。

目を合わせてくれなくて拗ねたとか子供っぽい理由じゃなく、私を認知してくれていなんじゃないかという不安感が胸を刺している。

 

 

カナも時々同じことをする。なんで突然私を見失うの?ずっとお話してたのに!

 

 

今朝、一生懸命笑顔の練習に取り組んだドレッサーの鏡を見なくても分かる。私の笑顔にヒビが入った。ほんの小さな亀裂から黒雲のようなオーラが漏れ出していく。

明るく振る舞う表情に陰が差して、病んでる人間の顔に変わっているのが分かってしまう。

 

見られたくない。

咄嗟に頭を下げ、髪の隙間から上目遣いで窺った兄さんは困った顔で溜息を吐き――――私を見てる。

 

 

「"……いや、似合っているぞ。さすがは俺のお……妹だ"」

「"うばぁっ!?"」

 

 

(なんちゅう声出してんだ私っ!兄さんが見てるのに!)

 

ほぼ反射的に不出来な鉄沓が出た。足元からバシィッと威嚇する仔馬の地ならし音が発され、同時に私の体も50cm程跳ね上がる。

不意打ちは反則です!反則級の破壊力!

 

スクワット的な着地をし、膝を抱えてしゃがんだまま足首や膝をさする。体重移動の制御が中途半端で脚の節々が少し痛いよ。

 

 

「"だが、寝不足はパフォーマンスを著しく低下させる。武偵は常在戦場、気を抜き過ぎるなよ"」

 

 

金一兄さんは妹の道端アクロバティックなパフォーマンスに触れるでもなく肩をすくめ冗談めかして笑った。

こういうのが普通ってレッテルが貼られた変な妹だと思われてないだろうか?あっちの通行人なんてビックリして写真まで撮ってるのに。着地後の私なんか何枚も撮ってどうするのさ。

 

(気は一瞬たりとも抜いてないんだけどな)

 

眠れない原因も緊張と高揚が脳を刺激し続けたせい。神経が張り詰めてて外を歩く人の往来で目が冴えてしまっていたのだ。

それほどまでに今日という日を待ちわびていたのだから。

 

 

「"クロ、お前は隙だらけだ"」

「"す、好きッ!ですか!?"」

 

盛大な空耳に伝達神経が混乱し、差し伸べられた兄さんの手を掴めずに後ろへひっくり返る。コントだよこんなん。

今の音声は永久保存メモリに新規保存するとして、これ以上兄さんの手を煩わせられないよ。私が立たなきゃとうとう昼食(プランツォ)すらお預けになってしまう。

 

「"ごめんなさい、自力で立てますよ。早くレストランに向かい――"」

 

「みてみてー!この写真、最近公園によく姿を見せるでっかいモモンガ!警戒心凄いんだけど正面から撮らせてくれたの」

「綺麗に撮れたではないですか。これは私も負けていられませんね」

「……?これはモモンガと違う気がするんですぞ」

 

 

あ、あれは……!

ヒアシンスカラーの髪に緑の髪飾り、縁の細い眼鏡と顔を2分する特徴的な長く濃い赤茶の前髪、わっさぁと広がるテラコッタのショートポニー。

 

スレ立ての青い悪魔(エマ)盗撮眼鏡(テレーザ)ですぞ!(コリンシア)ぁ……!)

 

正面で仲良く1つのケータイをパスし合ってる3人組は、情報と科学の力を武器に私を追い詰めるはた迷惑なクラスメイトだ。怖くて閲覧したことは無いものの、悪口がつらつらと並べられているのが想像できる。

やたら私に粘着してくるけど、目を付けられるような事は……表立ってはしていないハズだよね。絡まれるのは嫌がらせ?転校生だからとか?

行きつけのパン屋さんの娘――ヤージャはエマと仲が良いらしいけど、彼女に「なんでだと思う?」と尋ねても「どうしてだろうね?」と笑いながら返してくる。

 

いや、それどころじゃないぞ!

普段から色気も飾り気もない根暗な私がこんなお洒落をして街中をブラついていたところを見られたとしよう。

 

 

奴らはどうする?

――はい、取材に来ます。

――はい、写真を撮ります。

――はい、ネットに上げます。

 

そして、根掘り葉掘り聞かれる!

――『男子に興味ないんじゃなかったの?』

――『えっ、その方お兄さんなんですか?』

――『男性に興味が無いってそういう事だったんですかな?わたしも(あに)さんはいれど、そんな感情を抱いた事は無いですぞ』

 

あれよあれよと遠山クロ=ブラコン説が掲示板のトップを飾ってしまう!この国に来てもまた気持ち悪いって陰口を叩かれるようになっちゃう!

それだけはだめだ、兄さんに迷惑が掛かってしまうじゃないか!

 

 

「"兄さん……"」

 

 

立ち上がる僅かな時間でこの場をやり過ごす方法をシミュレートする。最優先事項は兄さんとの2人きりの穏やかな時間だ。

あいつらを黙らせるのはまたの機会にして、こっそり姿を消そう。

 

「"兄さん、こっちの道を行きましょう"」

 

小さなお店とシアンカラーの3階建てマンションの間を右折するように、道の先に下げられたお花型の電飾を指差しながらさりげなく、さもソコを歩きたがっていると思わせて誘導した。

……つもりだったんだけど。

 

「"まだ怖いか、クロ"」

 

私にだけ聞こえる低い声で核心を突いて来る。ああもあからさまに3人から視線を逸らしたら悟られない訳ないか。

怖いというより厄介と感じているものの避けたい気持ちは同じ。他人とは……極力関わりたくない。

 

「"否定したいです"」

 

丸々お見通しだよ。

パオラは優しく丁寧に理解するまで付き合ってくれる。パトリツィアはサバサバしつつも気を回してくれて頼りになる。真逆な対応でも共通するのは2人とも一定の距離を保ちながら待ってくれたことだ。

一菜はガンガンぶつかって来るけど、どこか私と境遇が似ていたから嫌じゃないし、嫌われていないんだと思う。最近はお話も付き合ってくれるようになった。

 

それに比べ、あいつらは初めから取り囲むように私に接近してきた。あれやこれやと質問をして、答えに困窮する様子をわーきゃー騒ぎ立てて面白がってる。

どうせ私に興味なんか無いくせに。ひねりの効いた回答も出来やしない、つまらない人間なんだ。

 

 

「"あれはクラスの仲間だな?以前、俺の元にも取材に来ていた"」

「"――っ!"」

 

 

……兄さんの所に?お忙しい兄さんの邪魔をしたのか、あいつらは。

聞き捨てならない。そんな事をして無事で済むと思うなよ?

 

体温が急激に低下し、視界が歪む。

スイッチをONに切り替えた脳が3人(ターゲット)を捕捉し、有効射程までの遮蔽物(ルート)を表示する。

殺してはいけない。地に這いつくばらせ、二度と私達に関わらないように警告する。所要時間は1分も要らない。無警戒な人間を討つのは容易いものだ。

 

 

「"すみませんでした、私の認識力不足により兄さんに不快な思いをさせてしまったようです"」

 

 

周囲に放たれていた殺気を薄め、クイックドローに用いる腕の動きを反復する。身体動作に異常なし。

不適格な衣服の影響を考慮しても遂行にさしたる障害とはならない。

 

 

……なのにどうして?

脚が震えている。私の行動を妨げるように血流が真芯めがけて集まり始める。思考能力の低下も誘発されてるぞ。

私の言う事を聞け!多対一の実戦経験は少ないけれど何も怖がる必要はない、ヒステリアモードは天下無双なんだ。

 

 

私は――――!

 

 

「"――クロ、落ち着け"」

「"……はい"」

 

 

兄さんが動きあぐねた私の黒い髪を撫でつけて意識を釘付けにした。

他の誰が髪に手を伸ばしても強く抵抗を感じるのに、カナと兄さんだけは受け入れられる。心を波の立たない湖沼のように鎮めてくれる。

 

 

……どうして?

制止されて安堵する自分がいる。高まり続けていた動悸も収まった。

分からない。私には一連の現象の理由が説明できない。

 

 

「"安心したぞ、お前にも良い友が出来そうだ"」

「"兄さん?"」

 

あれ?ちょっと怒ってる?

発言に含みがある。分析の結果、優しさ8割、怒り1割、呆れ1割をブレンドした表情のようだ。

 

「"先日の歓迎会を早々にフケたそうだな"」

「"ニッ!?あ、あれは教務科からの呼び出しがあって仕方なく――"」

 

5分で終わったけど。

 

「"仮ランクの交付にどれほどの時間を掛けるつもりだ?その後もレストランCASAには戻らなかったらしいが"」

「"それはそのー……一度退席したのに戻るのもなんか~って"」

 

あの視線が集まる感じが嫌だ。

 

「"心配されていたんだぞ"」

「"へ?私がですか?"」

 

誰が私の心配するんだ?パオラかな。

 

「"……取材の内容を秘匿しろとは言われていない。クロ、当ててみせろ"」

 

取材の話に戻ったのはなぜ?

 

「"当てろ、って取るに足らない戯言ですよね"」

「"そうかもしれないな。少なくとも俺は初めて聞かれた事だった"」

 

 

このままでは兄さんは進路を変えてくれない。つまり答えなくてはいけないようだ。

どうせつまんない質問を深く考える事無いさ。てきとーに。

 

 

「"なんでしょう、私の良く行くお店でも聞かれましたか?"」

「"ハズレだ"」

 

むぅっ!なんなんですか、これ。

範囲が広すぎて分かる訳ないじゃないですか!兄さんのいじわる!

 

あの人達が知りたい事なんて記事になりそうなものに決まってる。

直接聞かなかった以上、私が知られたくない内容をネタにしようとしたんだろう。

 

「"……私のパジャマとか?"」

「"寝巻を聞いてどうする"」

 

奇遇ですね、私も聞きたいです。

 

「"お恥ずかしながら皆目見当も付きません。ヒントを下さい"」

「"よく考えるといい。答えは示したはずだぞ"」

 

 

兄さんは髪に沿った穏やかな手つきのまま右手を私の背中に回す。その仕草が抱擁でないことは目を見れば分かるけど答えは分からないままだ。

私だから分からないのか?もしこれがパオラやパトリツィアなら、兄さんの求める答えを掲げ挙げることが出来たのだろうか?

 

 

(分からない)

 

 

兄さんの言葉は残らず思い出せる。

たった数分の会話の中から急いで回答を用意しなければ!

 

幻滅されたくない。

あの人たちが関わった、こんなどうでもいい問題で!

 

 

「"……あ、うぅ……その"」

 

 

何周も何周も同じセリフが早送り、巻き戻し、また早送りでテープが伸びてしまう程繰り返される。

それでも、当てはまる語句が曖昧な外郭さえ現さない。

 

 

(私には、分からないこと――――)

 

 

「"時間切れだ"」

 

 

自分の中で言い訳を作り始めたのを見計らったようなタイミングだった。

心を読まれてるみたいで兄妹の以心伝心を感じるよ。一方通行という部分は致命的な不具合だけど。

 

 

「"……ごめんなさい"」

「"甘やかすつもりはない。だが、お前の心の傷を無下には扱わないさ。興味を持て。嫌うならとことん嫌え。嫌えるという事は知っているという事だ。ただし、相手を理解もしないままにべもなく否定する事だけは許さん"」

 

 

すれ違いざまに言い渡され、背中を押される。その力がいつもより少し強くて、1歩前に踏み出してしまう。

そうだ、カナが私の背中を押してくれることはあったけど、金一兄さんが戦闘技術以外に口出しすることは珍しいんだ。

 

義の道には好き嫌いの個人勘定を持ち込むべきではない。

だから私個人の感情を尊重する旨のアドバイスは少し異色で衝撃的ですらある。

 

 

「"兄さん、なにを……?"」

「"分からないだろう。学友がお前の事をどう思っているのかなど"」

「"ええ、まあ。知りたいとも……あ"」

「"『クロっちの嫌いな事を教えてください』と、真剣な声で問われた"」

 

 

チクッと痛みを感じ、咄嗟に守った胸の中心には何もない。

痛みはすぐに治まったけど、なんだったんだろう。

 

3人が私の嫌いな事を兄さんに聞いた?

裏で何かを企ててる。私をクラスから排斥する下準備かもしれないね。

 

…………別に、いいけどさ。

 

 

「"そうですか。それで兄さんは何と?"」

「"さあな。クロ、俺はここで待っている。嫌いたければ良く知る事だ、今のお前に他人を否定する資格はない"」

 

 

話は終わりだとばかりに兄さんは手を離した。

歩く足は私の意思でしか動かないが、兄さんがそうしろと言ったのだ。それは絶対に正しい。迷う要素を探す方が難しいってものだよ。

 

私が嫌われている事を再確認して、私も彼女達を嫌いになればいい。

簡単だ。朝飯……いや、昼飯前だね。

 

 

「"今日は夕食を共に出来ず、すまなかったな"」

「"や、やめてくださいよ兄さん。私は面倒な妹になりたくないんです"」

 

 

一度聞きましたよ、そう何度も謝らないでください。

私は兄さんのおそばにいたいだけ。その為なら弾除けでも身代わりでも構わないし、人類の全てを敵に回す覚悟だってある。

 

もし見失ってしまうようなことがあれば闇落ち必至じゃないかな?

どんな手を使ってでも取り戻す。絶対に。

 

 

「"では、行ってまいります。お待たせいたしませんよ"」

 

 

兄さんは私の目指す正義の遠山桜だから。

どんな手を使ってでも守ってみせる。絶対に。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ふふっ」

「むぅーえー、クロさんが笑ってるの珍しい」

「そんなことないですよ。私はいつ何時も普通です」

「自分で言ってて虚しくならない?」

「うるさいですヤージャさん。早くコーヒーを淹れて来て下さい」

「何思い出してたのか教えてくれたらすぐに準備できるかも」

「職務怠慢を密告しましょうか?」

「あとちょっとだけお待ちくださいませー、お客様ー」

 

 

「行きましたね。やれやれ、新作の試食会にお呼ばれするのは嬉しいのですが」

「嬉しいね、戦姉(おねーちゃん)!」

「この白身魚のポワレ、とてもおいしかったですねチュラさん」

「お魚おいしかった!」

 

「何を思い出してたの、クロッち?」

「お気になさらず。大したことではありません」

「ありませーん」

一菜(イッチー)のことだ!」

「ことだ!」

「おっとその手には乗りませんよ、エマさん。答えはご想像にお任せします、です。あなたの記事の信憑性に」

「ちえーっ」

 

 

教えないよ、恥ずかしいし。

思い出してたのはあなた達の事だ。

 

現在進行形で彼女達の事は少し嫌いだ。掲示板は立てるし、隙を見て写真を撮るし。

でも、好きになれたよ。彼女達を知ったから。

 

 

その日、歓迎会のやり直しって名目でアペリティーヴォ(夕食のようなもの)に誘われて、彼女達が私に向ける感情を知った時に体が軽くなったのを思い出してたんだ。

私が嫌いな事――――3人には答えを聞かなかったけど、クラスメイトなど赤の他人だと決めつけていたのに、彼女達が気遣ってくれようとしている気配を感じ取れて、言いようもなく心を動かされた。

 

 

「"『夕食は共に出来ない』かぁ……兄さんも回りくどい方法を取ったりするんですね。私の為、なのかな"」

「"カナおねーちゃんは戦姉のことが大好きだから"」

「"そうですね……ふふっ、家族思いで最強の戦士です"」

「あーっ、ずるいずるーいっ!日本語会話禁止!私も混ぜてよー」

「"こうして馴染めているのも、私が考えを改めるきっかけをくれた兄さんのおかげなんでしょう"」

「"チュラもー"」

「なんで異国語使うのーっ!」

 

 

流石は金一兄さんです。私の事を誰よりも知っている。

兄さんは最も近くにいる存在で、でもやっぱり遠い存在で、でもでも一番近くにいたい存在で。

 

この兄妹愛は永遠だ。

泣いてばかりだった幼木の私が大木となってもずっと変わらない。

 

 

だから――

 

 

「"大好きです。兄さん"」

 

 

 

 



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