マギアテイル (踊り虫)
しおりを挟む

プロローグ

 決闘とは、2人の人間が事前に決められた同一の条件のもと、生命を賭して戦うこと。果たし合い。

 ――この世界における決闘とは、魔術師同士の私闘を禁止した中で唯一残された魔術師同士の戦いを指し示す言葉だ。


 この物語は独りの少女と少年の闘争から始まった。


 魔術学園、中庭。

 そこに一組の男女が向かい合っていた。

 男の方は褐色肌に黒髪と銀の瞳と、この国では珍しい相貌をしており、少々細身な身体は白いインバネスコートで覆われていた。

 対する少女の方は茶髪に碧眼と、()()()()()()さほど珍しくは無く顔立ちこそ整っていたが、どこか垢抜けない、地味さがあった。しかしその身に纏っていたのは()()()()()()酷く見慣れない()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そしてその上に羽織った()()()()()()()()と異色であり、彼女を一際目立たせていた。

 

 演目は決闘。魔術師同士による果し合い。

 

 魔術を用いた私闘が禁じられた今の時代で唯一許されたものが決闘であり、二人の姿を見ようと生徒や教師が中庭に押しかけていた。

 

 少女の唇が言葉を紡いだ。

 

「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】!」

 

 変化は迅速だった。

 急速に成長したツタが男の体に絡みつき、業火が地を這い、風が炎を絡めとり吹き荒れた。

 同時に展開された三つの魔術を同時に制御、単一では弱くとも、それらを組み合わせ相乗効果を与える。

 

 木生火(もくしょうか)――五行思想と呼ばれる極東の島国発祥の元素思想はこの国でも魔術に力を与え、三つの魔術は巨大な火柱へと変生し、男を業火の中へと呑み込んだ。

 

 その技術に観衆は沸いた。少女の勝利だともてはやそうとして――

 

「【待機術式、12、133(ソノ剣ハ火ノ災イ)、1013番に加え(ヨリ彼ノ者ヲ)2万1202から1302番、起動(救い給ウタ、ソノ威、疾ク示セ)】」

 

 火柱が真っ二つに割れた。

 歓声は止み、そしてその中から少し煤けただけの男の姿にどよめく。

 

「なぜ……なぜ無傷なのですか!」

 

 少女、アルカトリ・クライスタは恐怖した。

 自分は今の時代においてもっとも強力な異能を保持する魔術師。自他ともに認めるほどの異能を有している。

 

 その異能の名は精霊の主(スペリオルフェ)

 自然界に普遍に存在する魔力、マナに直接干渉し魔術を構築することを可能とするこの世界において唯一の異能。

 精神に由来する魔力、オドしか使えない魔術師に対し魔力量と言うアドバンテージを持つこともそうだが。何よりこの異能の素晴らしいのは六大元素の全てに働きかけることが可能な点だろう。

 魔術師の扱える元素には得手不得手が存在し、不得手の元素にまつわる魔術を一切使えないなんてことは決して珍しいことではない。

 

 その不得手が無いことがどれだけすごいことなのかをアルカトリはこの学園生活の2年間の中でうんざりするほどに理解させられていたのだ。

 

 それに加え、アルカトリには知識というアドバンテージが存在した。

 それも、ただの知識ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰にも真似出来ない魔術に、誰にも理解できない──しかし確実に進んでいる知識。

 それはこの魔術学園において、類稀な才覚を持つ魔術師として一目置かれ――同時にその才覚を求める魔術師たちに付け狙われるようになるのに時間はかからなかった。

 

 最初は、ただ決闘を挑まれるだけだった。その頃のアルカトリは力を振るうことに喜びを覚えていたので戦いを挑まれば快諾し、嬉々として力を振るっていた。

 

 次は、なぜか友人が巻き込まれるようになった。

 友人が人質にされ、負けることを強要されるようになったのだ。

 困惑と怒りから厚顔の憂いを断つ意味も込めて殺しこそしなかったが、しかし、容赦なく叩き潰した。

 最初は友人に感謝されたが、それが何度も繰り返されると友人は一人、また一人と姿を消していった。

 アルカトリは自分の力が近しい者達を危険に晒すことを知った。

 

 果てには、家族に呪詛を掛け、人質に取られてしまうこともあった。

 これは明確な犯罪行為ゆえに家族の解呪を行った上で実行犯を叩き潰し、法で裁いてもらったが、これがアルカトリを追い詰めたのは想像に難くない。

 

 故にアルカトリは魂を縛る誓約を結び、それを喧伝した。

 

 ──私に1対1で決闘を挑み、我が全力に対し真に実力で以って敗北させた者にのみ、私は従属する。これは魂の誓約であり、代償は自らが持つ全てである。

 

 思惑は事の他、上手くいった。この誓約により彼女を従属させるためには彼女の全力を相手に真っ向勝負で勝つという条件以外で隷属させることはできない。それを破れば彼女は――

 

 友人が必死になってやめた方がいい、とやかましかったが、手段を選べるほどアルカトリには余裕は無かった。

 この頃から、アルカトリは笑うことができなくなっていた。

 

 それからもアルカトリ・クライスタは戦い続けた。決闘を挑んできた者達は容赦なく叩き潰し、そして最後にはこの言葉を残した。

 

 ――次にこうなりたいのは誰ですか?

 

 

 

 その、彼女は今、追い込まれていた。

 

 理解できない未知の事態は、時に恐怖心を湧き上がらせるもの。アルカトリもまた例外ではなかった。

 観衆も騒然とする中、アルカトリは青ざめた唇を震わせていた。

 

「──なぜ、と言ったか?」

 

 ヒッ、と短く悲鳴を上げてしまった。

 

 白いインバネスを纏う褐色肌の美青年に話しかけられ少しテンションが上がり、その上で決闘を挑まれて意気消沈して「私のトキメキを返せ」と決闘を受け入れたのもほんの一時間前のこと。

 

 その一時間もの間、()()()()()()()()()()()()()()()男は無傷で立っていた。

 

 初めての経験だった。

 白いインバネスを羽織る褐色の悪魔。表情を何一つ変えないその立ち姿が不気味でしょうがない。

 怪物が、言葉を続けた。

 

「その理由を語ることは貴様の後学のためを思えば私とて吝かではないな。だが、ここは決闘の場だ。ゆえに今はまだ語るべきではあるまい──だが、そうだな」

 

 そこで言葉を切ると何やら顎に手を当て、目を閉じる。完全な無防備、卑怯と言われても構わなかった。

 

「──【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】ッ!」

 

 紡がれるのは己の精神へと働きかける暗示(自身が持つ権能を表す一節)

 それだけで周囲のマナが震え、その全てが自身に従属する。

 

 先ほどまで周囲の被害を考えて三つの魔術を組み合わせてまでに留めていたが、一つ二つ組み合わせを増やしたところでそれが通用しないという直感に従ってマナを練り上げていく。

 

 創造するは数多の伝承にて語られる神の怒り。神に仇名す者たちを屠る神威の具現。神のみ許されし裁きの槍。

 東洋においては神鳴(かみなり)とも表現される自然現象をマナによって再現、神の槍として整形する。

 射出されれば敵対者はおろか周辺もまとめて容赦なくなぎ払うだろうそれを投げ放とうとして──

 

 静かに、目の前の怪物は言葉を紡いだ。

 

「【術式を再配置、17万4038(荒御霊ニ願イ奉ル豊穣)から37万6245番(ノ証為レバコソ)及び100、108、起動(ソノ威ヲ鎮メ給エ)】」

 

 ただ、それだけの言葉で彼女の投げ放とうとした神の怒りは霧散した。

 

「雷か、神の権能すら再現してみせるとは……実際に目にすると凄まじいものだな。時期が良かった」

「ま、また……消え──」

 

 先ほどからこれだ。使った魔術は全て無力化され、形作ったものは全て形の無いマナへと霧散してしまう。

 決闘を始めた当初は驚きこそあれど、それほどの魔術だ。いつか息切れを起こすだろう。それに魔術と伝承は切り離せない物であり、それ故に穴があるものだ。

 自分の千変万化の魔術ならば穴を突けるはず──そう思ってどれだけの魔術を行使したことだろうか。

 オド切れを起こすこともなく、目の前の(怪物)は立ち続けている。

 

 ──―そんな男が化け物でなければ、なんだというのか。その恐怖が少女の判断を鈍らせた。

 

「【待機式、10万飛んで6258番、起動(汝ハ影、獣ノ影)】」

「しま──」

 

 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 詠唱の完了と共に顕現したのは体高80cm程の大型犬のような形をした黒い塊。

 おそらく降霊の一種。

 

「【喰イ付ケ獣ノ牙】」

 

 襲い掛かってきた獣に炎で以って迎撃──したが、獣は炎を突っ切り右腕に噛り付かれた。

 

 ──獣の伝承は複数存在するがそれには噛みつかれると呪われるという共通事項が存在する。

 

 おそらくこれはそれらの伝承を元に形作った霊体を使い魔として制御しているのだろう。そして伝承から形作られた使い魔はその伝承の片鱗を再現するものだ。

 

「あ────―が」

 

 呪いが、牙を剥く。

 倦怠感に襲われたかと思ったら、体が痺れ、動けない──なんだ、これは。

 

「では、最初の話に戻ろう。貴様の『なぜ』という問いに対する答えだが──単純に貴様の研鑽不足だ」

 

 研鑽不足。

 それに同意できるわけがなかった。アルカトリはこの2年の間に何度も何度も決闘を挑まれ、その全てを返り討ちにしてきた。この平和な世の中だ、戦闘経験だけで言えば間違いなく学園内でも五指に入ってもおかしくない。それだけの苦労を研鑽不足などと言われて黙っていられるはずがなかった。

 故に言葉に対し異論を唱えようとして、しかし、舌が回らず、意味の無い声へと成り果てていた。

 

「絶大な異能、豊富な知識に素晴らしき閃き、それらは適切に運用されてこそ意味を持つ物。慢心したなアルカトリ・クラ──」

 

 ──そこで、アルカトリの意識は堕ちたのだった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 これまでに見たことが無いほどに高い天井だった。

 その癖灯りは必要最低限で窓には遮光カーテンのようなものが掛かっていて日の光が入ってこないようになっている。

 背後を振り返れば天井にあと少しという高い棚がずらりと並び、中には書籍や用途不明の物品が所狭しと並んでいた。

 

 ここは魔術師の工房。自分を打ち破った男が所有する研究室であり、砦。

 そこに用意されたソファの上で意識を取り戻したアルカトリは、周囲の状況と、意識を失う前までの記憶からそう判断した。

 

 そして肝心の自分を負かした男はと言うと、すぐ傍にあるこの広さに不似合いな小さな作業台で何やら物を弄くっていた。

 小さな刃物で骨に手早く傷を付けると黒い粉を掛ける、するとまた隣の骨を取ってはその繰り返し。恐らく、触媒を作る工程の一つなのだろう。

 

 ──そういえば、触媒を作っている現場は見たことが無かったな。

 

 そう思うと好奇心が沸いてきた。

 アルカトリは触媒を作る必要が無い魔術師だ。触媒の製法など何一つ知らない。ただ、知識の上で触媒を作るのには長い時間が掛かることを知っているぐらいだ。そのもの珍しい光景に目を向けて観察する。

 

 骨に傷を付けている、と思ったらどうやら何かの記号か、文字のようだった。刻まれる場所は違えど、その手の動きは規則的で全く同じ印を同じ大きさで刻み込んでいるらしい。それにどんな意味があるのかは分からないが内職をしているようだと、アルカトリは思った

 

 しげしげと眺めていると、男がおもむろに口を開いた。

 

「月の無い夜に森に立ち入ってはならない。例え開けていようと夜の森には黒い獣が出て襲われてしまうからだ。森が近い家々では決まって子供にこう説く──『ブラックドックに呪われる』とね」

 

 なんのこっちゃ、と思ったが、しかしブラックドッグという名前を聞いて思い出した。

 黒い犬──自分の意識を奪ったあの使い魔のことを解説してくれるらしい。

 

「いわく、ブラックドッグは人の血肉を好み貪る。一度狙われれば簡単には逃げおおせない。その上、逃げおおせたとしてもブラックドックの呪いに殺されるそうだ」

 

 男は朗々と語る。顔をこちらに向けることはせずに、作業を続けていたが、それはそれは嬉しそうに語っていた。

 聞き手がいることに喜んでいる姿はまるでうんちくを傾けるおじさま方の姿を彷彿とさせた。

 

「まず、水を飲めなくなる。飲もうとすれば喉に酷い痛みを覚える。その上、体は気だるく熱がこもる。その後、体の痺れや発狂を経て、最後には死んでしまうらしい」

 

 それらの症状(呪い)を聞いてアルカトリはなんとなく理解した。

 ブラックドッグの伝承の正体、呪いの症状からしておそらく()()()だ。

 

 犬に限らず哺乳類であればどのような動物であれ感染する可能性のある()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()致死性の病気。

 

 そんなものが医療技術を魔術に横取りされてしまったこの世界では伝承として残ってしまったらしい。

 だが、なんて物騒な呪いだ。

 

「とはいえ、私如きでは精々人一人昏倒させるのが限界。貴様の使っていた魔術ほどの殺傷性は無いから安心したまえ」

 

 うぐ、とアルカトリは言葉を詰まらせた。確か、最後の方は完全にこの男を殺しに掛かっていたと思う。だが、それも致し方ない話だ。

 

「だが、かの雷挺、神の裁きに関しては肝を冷やしたぞ。なにせ事前に情報が無かったからな」

 

 アルカトリが悩むのを余所に、男は話を続ける。そもそも魔術以外への興味関心が薄いという感じだった。典型的な魔術師らしい魔術師だ、とアルカトリは思った。

 

「特に最後のは肝を冷やした。あれを防ぎえる盾を用意できる者など、それこそ魔女の国の大魔女でもなければな。多くの伝承にて神の槍に貫けぬ物なし、と書かれているだけのことはある」

「その神様の怒りをさらりと消しといて何を言ってるんですかねこの人は!」

 

 流石にそれは聞き捨てならなかった。この男は自身が持つ最大の矛を無力化してみせたのだ。

 盾すら無かった。彼の紡いだ言の葉が神の怒りすら退けたのだ。

 

 だが、男は溜め息を一つこぼした。

 

「さらり、などと言えるものか。俺が持ちうる触媒の1割を消し飛ばした上で()()()()()()()()。神に対し進言してなお生き残れたのだから儲けモノだろうが」

「……はい?」

 

 祟られた、やら、神に進言だとか、不穏なワードにアルカトリは困惑した。

 そもそも自分の魔術は異能によって形作られたもの。呪いだのなんだのを込めたつもりは無い。

 だが、アルカトリの反応からその心意を悟ったらしい男は鼻を鳴らした。

 

「──なるほど、無知とは困ったものだな」

「え? え? ど、どうしてあれを打ち消したのがそんなことに? 確かに私は神様の怒りをイメージの根底にしたけど、祟ったりなんか……」

「先ほど貴様自身が言ったではないか、あれは神の怒り、だと」

 

 確かにアルカトリは言った。だがそれはあくまで比喩表現であり、それ以上の意味は無かった。

 

「魔術師ディーワ・クアエダム氏が書き残したとされる自伝から生まれた英雄譚『ディーワと魔法の世界』における解釈によると、魔術と伝承は切っても切り離せない関係にあるものとされている。その証拠に成立から半世紀も経っていない近代魔術であっても伝承による影響からは逃れられていない」

 

 そうした知識をアルカトリは持ち合わせておらず、初めて聞く知識を披露する男を物知りなんだなぁ、なんて思った。

 

 

「特に貴様の異能は世界に普遍に存在し、しかし魔術師であっても自在に操ることは叶わないマナを掌握するもの。マナはかつて神が実在した名残であるという思想も存在する。貴様の異能は神の権能を再現することに掛けて頂点だろうよ。さながら現人神と言ったところか」

 

 男の言葉は

 衝撃のあまり言葉が紡げない。

 マナを操れるのは便利だな、程度にしか思っていなかった。決闘を挑まれる原因だし、その所為で家族を人質に取るような奴等もいたけど、この力があれば問題ないのだと思っていた。

 それが、神の権能? 現人神? 震える唇から紡げたのはただの一言。

 

「わ、わたしは神様なんかじゃ」

「もちろんお前は神などではない」

 

 ――さっきと言っていることが違う、聞き間違えだろうか?

 

「え、でも現人神って……」

「あれは貴様の異能を例えたに過ぎん」

「え、えぇ~」

 

 脱力したアルカトリに男は語った。

 そもそも神とは信仰で以って祀り上げられて始めて生まれるもの。信仰を向けられて始めて成り立つ存在なのだと。

 

「だが人の身で神に祀り上げられた人物がいないわけではない。参考にするならば……そうだな、少し待っていろ」

 

 そう言って男は作業を中断して立ち上がると、後ろの棚の本が集まった場所に向かい、一冊の本を引き抜いて持ってきた。

 

「中央山脈地帯の隠れ里に伝わる魔術師の物語だ。私個人としては英雄譚と呼ぶべき代物だが、しかしかの魔術師は神として召し上げられている。知っておいて損はあるまい」

 

そう言って差し出された本をありがとうございます、と言葉を詰まらせながら受け取る。本には『ラングルの塔』と記されていた。

男は鼻を鳴らすと作業台に戻りまた作業をしながら語り始めた。

 

「そもそもマナは意志の無い魔力だ。貴様のイメージした『神の怒り』を核に世界に伝わる数多の伝承をかき集め忠実に再現してもおかしくは無い。故に私は守りの魔術ではなく、神に進言するための祭壇を組み、虎の子の触媒を贄として捧げた上で理由を付けてお帰り願ったのだが……人が神に進言したという伝承において進言者が生き残る例は少ない。祟られこそしたが、生き残った上で工房に逃げ込めた。存外にオレは悪運が強いらしい」

 

 そう言って男はくつくつと笑った。

 対するアルカトリは笑えない。

 決闘の真っ向勝負で負けた。魂に刻んだ誓約に則るならば自分はこの男に従属しなければならない。

 やけっぱちになってアルカトリは言った。

 

「そうですね()()()()

「――待て」

 

 男が作業の手を止め、顔を上げた。これまで本を渡したとき以外まともに見ていなかった腹立たしいほどに整った怜悧さと美しさを併せ持つ相貌をアルカトリに向けていた。

 

「オレが、主人?なんの冗談だ」

「冗談でもなんでもないですよ。『私と決闘し、純粋な実力で下した者に従属する』――そういう誓約を結んでいるんです」

「馬鹿な!まさか本当に誓約を結んでいたのか貴様!」

 

 突然のことに、アルカトリは縮こまった。

 男は叫ぶように語った。

 

「魂に刻まれる誓約の強制力はお前が持つありとあらゆる自由意志に反し命令を実行してしまう、貴様はそれも覚悟の上か、答えろ」

「――いいえ」

 

 アルカトリは自身の唇が勝手に動いたことに驚いた。これが誓約の強制力なのか。

 

「……なぜ、誓約を刻むなどという蛮行に出たのだ」

「親しい人たちを、守るため」

「何?――詳しく話せ」

 

 そう言われたアルカトリの口は、彼女の制御下を離れ、言葉を紡いだ。

 自分の力を欲して決闘を挑まれていたこと、自分に勝てないと悟ると、その矛先が友人や家族に向いたこと。

 そこで誓約によって真っ向勝負で勝つ以外に従属させられないという決まりを作り、戦い続けたこと。

 

 ――おそらく、誓約による強制力はそこで終わっていたのだろうが、アルカトリの口は止まらなかった。

 

 挑まれ続ける日々の苦しみに始まって。

 下手に巻き込まないために突き放した友人達や家族のこと。

 

 負けた先に待ち受ける恐怖を想像してしまって泣いた夜。

 いっそのこと消えてしまいたいとさえ願った日。

 自分に宿った力を恨んだこと。

 

「――そして、あなたに負けてしまった。私の今までって、なんだったんだろうな、って考えちゃいますよ」

「なるほど、張り詰めていた糸が切れた、ということか」

「ええ、なんというか、負けて良かったのかもしれません。負けた相手があなたでよかった」

 

 その言葉に、男は顔を顰めた。

 

「……どういう意味だ?」

「私、負けたらどんな目に遭うのか想像してた、って言ったじゃないですか。でも、あなたは私の心配をしてくれた。そういう風に思えるの久しぶりなんです。まぁ、私の勘違いかもしれませんけど――うん、諦めもつきました」

 

 そういってアルカトリはソファから立ち上がり、そして恭しく一礼した。

 

「誓約に則り、私、アルカトリ・クライスタはあなたの下僕となりました。つきましてはご主人様のお名前をお教えください」

「……名乗っていなかったか?」

 

 ええ、と答えると男は淡白に「そうか」と言うと同じく淡白な声で名乗った。

 

「グラムベル・アーカストだ。それと――」

 

 そして、顔を顰めさせると

 

「――その呼び方はやめろ」

 

 と言った。

 

 これが、二人の出会い。

 神に魅入られた娘と伝承に憑かれた男の始まりの物語である。




と、プロローグはここまで。ここから先、二人の物語が始まります。
二人のデータはキャラ募集の際に一例の代わりに公開します。

以下解説と言う名の茶番。

アルカトリ(以下アルカ)「そういえばご主人さま」
グラムベル(以下グラム)「それはやめろ、と言ったはずなのだが……なぜ呼べる、それとなんだ?」
アルカ「私の雷の魔術を無力化した時、理由を付けてお帰り願った、なんて言ってましたけど、どんな理由で帰ってもらったんですか?」
グラム「『まだ雷の鳴る季節ではない』と言って付き返したんだ」
アルカ「…え?それだけ?」
グラム「それだけだ。貴様は『イナヅマ』という言葉を知っているか?」
アルカ「え、ええ、日(咳払い)――極東の島国では雷のことをそう言いますね」
グラム「その言葉の成り立ちも理解しているか?」
アルカ「ええ、極東の島国で生産される穀物、『稲』が実るのは雷が多くなる雨期の後で、それを理由に雷を稲の配偶者、『妻』なんて考えて付けられて……え?え?まさか『今は雨季じゃないから』なんて理由で私の雷は霧散したんですか!?」
グラム「簡単に言えばその通りだ」
アルカ「それですごすご帰っていく雷様とかすっごくシュールですね」
グラム「そのためだけに触媒の多くを費やした上にオレも祟られてしまったがな。笑い話にもならん」

※捕捉1
今回、稲妻の言葉の成り立ちを曲解する形で無力化しましたが、主人公はそれを自身の才の無さも含め触媒の数による力技でどうにかしていました。
主人公と同程度の被害に留めるだけなら他の魔術師であれば触媒が1万~2万もあればどうにかなりますが……それほどの触媒を雷を消すためだけに使うのは無駄使いにもほどがあり、まず思いついてもやる人がいません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話

「アルカ、大丈夫?」

 

 ふぇ?とマヌケな声を漏らして、アルカトリ・クライスタは覚醒した。なお、力に目覚めたという意味はどこにもない。ただ、眠りから覚めただけである。

 場所は教室、午前の魔術基礎関係が終わり、昼休みになっていたようだ。

 周囲を見渡すとがやがやと騒がしく、サンドイッチのような物や、清潔な木箱の中に食べ物の入った今で言う弁当を食べているもの

 ――果てには小さな瓶に入った怪しげな薬を飲んでいる者もいた。あ、薬を飲んでいた生徒が口から紫の煙を吐いてる。アレ、大丈夫なのだろうか?

 

 そして、視点を声を掛けてくれた()()()()()()に戻す。白く瑞々しい髪に水色味を帯びた白っぽい瞳。顔立ちも綺麗でその立ち姿はまるで妖精のような少女――フィー・レ・ラーがこちらを覗きこんでいた。

 

「あー、ごめんねフィー。私寝ちゃってたかー」

「ううん、気にしなくていいよ。でも珍しいね、アルカが居眠りなんて」

「……徹夜しちゃって」

「徹夜?決闘の後で?」

 

 うん、とアルカトリは答えてから、鞄から一冊の本を取り出した。それは昨日、読んでみろ、と主人に渡された本「ラングルの塔」である。

 刊行自体はここ数年であり、著者の欄にはこの学校の伝承科、科長にして学園長ロー・アンクの名が記されていた。

 一人の魔術師が戦乱を嫌い、逃げてきた山の中で里が生まれるまでの流れやその魔術師が里を守る為に命を投げ打って奇跡を起こすまでを人間模様とともに綴った物語だった。アルカトリはこれを徹夜して読んでいたのである。

 

「これを読んでたんだよね」

「へぇ……でも大丈夫なの?確か使い魔に噛みつかれてたと思うんだけど」

「大丈夫、大丈夫、ごしゅ――グラムベルさんがよく効く霊薬をくれたから」

 

 その言葉に嘘偽りは無かった。むしろ戦う前よりも元気になったのだ――霊薬の味は最低最悪で、誓約による命令でようやく飲み込めたような代物だったので二度と飲みたくは無いが。

 だが、フィーはより目を細めてこんなことを言う。

 

「……本当に大丈夫?その霊薬に何か変なものが入っててもおかしくないし、医療魔術科に行って見てもらおうよ」

「大丈夫だって。変な感じはしないし、眠って体力も回復した!元気元気!」

 

 むしろ向こうで煙を吐いている奴こそ先に連れて行ってやるべきだと思う、なんか白眼剥いて痙攣しているし。

 

 そんなことを思って苦笑いをしていたら、ピシャリ、と勢いよく教室の扉が開け放たれた。

 

 男が立っていた。

 鍛え上げられた巨躯に短く刈り揃えられた赤髪、精悍な顔には鷹の如き鋭い眼。その身を包む黒い軍服の右胸元には鎧を纏った竜が右手に剣を、左手に盾を持った姿を象った紋章があった。

 

 誰かが、帝国の紋章だ、と呟いた。

 帝国――リントヴルム帝国。彼女の知るあちらの世界の知識では伝承上に伝わる竜の名を冠した、かつての戦乱期に覇を唱えていた国家だ。

 現在はそのあり方も変わって来てはいるようだが、隣国であるエルプズュンデ神国との小競り合いが今もなお続いているとか。

 その紋章を胸に抱いた男は言う。

 

「――アルカトリ・クライスタはいるか」

「……」

 

 またか、と察した。級友達の目がこちらに向き、フィーが何か言おうとしたのを手で制して応じる。

 

「私がアルカトリ・クライスタです。ご用件は?」

「汝がそうか――失礼するぞ」

 

 そう言うと、そのまままっすぐこちらへと男はずんずんと近づいてきた。見た目もそうだが、その身に纏う気迫も中々に重い物で、背の高さも相俟って歴戦の戦士のような風格が漂っていた。

 すぐ傍に来た男は一礼すると、名乗りを上げた。

 

(おのれ)はリントヴルム帝国、リントヴルム士官魔術学校、決闘科所属、ラニウス・ゼレム。此度は汝に決闘を申し込みに参った、いざ尋常に、し合おうぞ」

 

 いつも通りの流れだ。周囲は『またクライスタの蹂躙劇が見られるぞ』と囃し立てる。それを怒ることは無い。

 何故ならこのクラスの中で自身の真意を知っているのは最後まで残った友人、フィーただ一人だったからだ

 フィーが不快さに顔を歪めるのも、お調子者が盛り立てるのも、我関せずとしている奴がいるのも、いつも通りで、どこまでも変わらない。

 少し不快で、だけど、そんな光景が彼女の心の中で平和の証明になっていたのだ。

 

 

 

「お断りします」

 

 

 

 ――だから、それも今日で終わりだと思うと、少し申し訳なく、だが、肩の荷が下りたような感覚を覚えた。

 

 

◇◇◇

 

 

「お断りします」

 

 

 少女の一声に、室内の喧騒は静まり返った。

 

 あのアルカトリ・クライスタが――

 決闘科の学徒よりも決闘科らしい魔術師、と影で揶揄されていた少女が――

 挑まれれば気だるげながらも同意しては相手を容赦なく叩き潰してきた少女が――

 つい昨日まで決闘で無敗を通してきた魔術師が――

 

 

 ――決闘を挑まれて、断った。

 

 

 友人(アルカ)の言葉に、フィーは目を見開いた。

 

 フィーは、彼女が決闘を受け続けていた理由を知っている。

 自身の異能を狙う魔術師たちの謀に家族を、友人を巻き込まないために誓約により魂を縛り、決闘を一度も断らないことで自身を餌として機能させ続ける。

 誓約が誓約ゆえに真の意味で従わせる手段は真正面から打ち勝つ以外に無かった。

 脅迫して従わせた場合、彼女は誓約を破ったその代償を払うことになるのだが、それによって魔術的な価値を損なわれては元も子もなかったのだ。

 だから魔術師たちは連日学園に押しかけては少女に決闘を挑んできた。未熟さゆえにピンチに陥ったのも一度や二度ではない。だがアルカトリは機転と絶大な異能によってその尽くを乗り越えていった。

 

 この状況を問題視した学園側が学徒以外が彼女に決闘を挑むことを禁止したことや、学園側で彼女の親族の保護を行ったが、それでも週に二回は他国からの刺客が挑んでくる。

 

 歯がゆく思ったことは一度や二度ではなかった。

 宿した異能が規格外なだけで、友人は根源なんてものに一切興味の無いちょっと抜けてて、変なことを知っているだけの少女だったのだ。

 それが突然、誓約を刻んだことを公言し、親しくしていた者達を突き放すようになった。

 そして幾度と無く少女は決闘を挑まれた――おかしく思うのが道理であり、動向を探っていくうちに友人の抱えるもの、少女の慟哭を知った。

 

 以降、アルカの唯一の事情を知る友人として付き合い続けて――彼女が初めて、自分から決闘を拒否した。

 

 男が重々しく口を開く。

 声は見た目に違わぬ低く、そして(おごそ)かな物だった。

 

「――決闘から逃げる者ではない。そう耳にしていたのだがな……なぜだ、なぜ、闘わぬ」

(あるじ)の命です」

「主……だと?」

 

 ラニウスが驚くのを尻目に、フィーは「あの男か」とその人物を思い浮かべた。

 表情を一切変えない褐色肌に白いインバネスの男。昨日の今日と言うこともあってあの決闘の光景はまだ脳裏に焼きついている。

 

「私は昨日、(あるじ)に敗北しました。彼の命に背くことは誓約に背くこと、どうか、ご容赦を」

「ならぬ」

 

 ラニウスは憤りを滲ませ、続けた。

 

「己は決闘者である。戦いに意義を見出す我らが、宿敵と定めた者と戦うことなく帰るなど、あってはならない。汝の主はどこにいる」

 

 ――決闘者。

 それは戦いの先に根源への道を見出すことを試みる魔術師たちの総称。

 闘いに生き、闘いにて死す。それが彼らの在り方。彼らが闘うのだと決めたのならば、それは成し遂げられなければならない。

 彼らが求めるモノは自らが討ち果たすべき、と定めた相手。すなわち、宿敵だ。

 彼らは宿敵の存在こそが自らの位階を高め、数多の宿敵を討ち果たした先に根源があると信じているのだ。

 

 ――これまた厄介な、とフィーは心中にて毒づいた。

 だが、友人はどこ吹く風で、淡々と応じるのみだ。

 

「さて、どこにいるのやら……主は私を放し飼いするおつもりのようでして、あちらから私の居場所がわかっても、私にはそれを知る手段がございません――主に会ってどうするのです?」

「無論、汝が命令にて縛られているというならば、撤回させるまでだ」

「どうやって、です?主は私と違い決闘を挑まれても快諾するような男ではありませんよ?脅迫でもしますか?」

 

 む、と男は声を詰まらせた。

 

「では、汝の誓約を解くまで――」

「――誓約は魂に刻み付けられるもの。そもそも解く、という概念が存在しないそうですからね。自力で解除されでもしたら誓約の意味が無いとは思いませんか?」

「だが、戦わずに戻ったとなれば……己は……」

 

 そう言って男は途方に暮れたかのように俯いた――もしかしたら国を背負ってここに出向いたのかもしれない。

 マナを制御できる、という希少性は個人の魔術師だけでなく結社などの組織を始め、他国からのスカウトも行われていたほどである。

 彼女が誓約を刻みこんでからはその従属権を巡って争っていると言っていい。

 先ほどラニウスは『リントヴルム士官魔術学校』の所属だと名乗っていた。記憶違いでなければそこは帝国軍人となる軍属魔術師を輩出している学校だ。

 とすればこの男は軍からの勅命を受けて動いているのだろう。そして途方の暮れ方から察するにおそらく――

 

「――ご安心を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「期限、だと?」

 

 はい、とアルカは答えた。まるで相手の事情などお見通し、と言っているかのようだった。

 アルカは続ける。

 

「期限は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……理解できぬな、汝の(あるじ)は何を企んでいる?」

「さぁ? 私の体や力にも興味が無い、なんて面と言われていまして、こちらも真意を図りかねているのですよ」

「なんだ、それは……根源へと至れるやも知れぬ存在に一切の興味を抱かないだと!? その者は本当に魔術師なのか!?」

「魔術師ですよ?本人は伝承師、と名乗っていましたが」

 

 ――伝承師、とは、各地に散らばる伝承や思想を収集し分析を重ね、そこから根源へと至る足がかりを見つけようとする魔術師たちのことだ。

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()でもあり、()()()なんて蔑称で呼ばれることもある。

 そんな人物が、アルカを倒したというのだ。

 

「伝承師……本の虫が、貴様と戦った?なんのために……なんのためにその者は貴様と戦ったというのだ!」

 

 その激昂は決闘者という戦う者ゆえの嘆きだったのだろう。己が宿敵と定めた相手を、自分達のような闘いを本分とする者達ではなく、伝承師という戦いとは無縁と思っていた存在が先に倒してしまったことに対する悔しさが滲んでいた。

 

 

 

 

 

「そうそれ!それが酷いんですよ!?」

 

 ――次は別の意味で喧騒が死んだ。

 アルカの口調が普段の猫被りしている淡々としたものから無縁の駄々をこねる子供のように変貌したからだ。

 あ、素に戻った、と感じたのは自分一人だけだろう。周りからは「あれ?あんなテンションの高い奴だったっけ?」なんて呟きも聞こえてくる。

 

「ぬ?うん?汝、突然どうし――」

「あの人!()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()私に挑んできたんですよ!?私をモルモット扱い!練習用の的とか!もう、最悪だと思いませんか!?」

 

 

 戦闘に限って言えば学年最強どころか学園内でも五指に入りかねない人物相手を練習台扱い。しかも組み上げること自体が大変な魔術行使法を試作とはいえ作り上げているという。もしかしてあの男、メチャクチャすごい魔術師なのでは?

 

「あ、新たな魔術行使法だと?本の虫が?」

「ええ!しかもそれが近代魔術と古典魔術の併せ技に大量の触媒に頼った力技だとかそんなん誰が予測しろっていうんですかね!40万近く触媒を浪費しておきながら私に『研鑽不足だ』じゃないですよホントにもう!」

「え?40万?それって金額?」

「いや、数だって言ってたよ?」

 

 フィーの口からうめき声が漏れた。そもそもそんな量の触媒、大規模な儀式魔術でも使わない量だ。用意するための金額といいそれを用意するのに掛けた時間といい想像が出来ない。

 

 

「嘘だろ……」

「40万もの触媒を使い潰した?」

「そもそも一時間で40万も触媒を使えるか?一回の魔術で同時に100以上の触媒を一気に制御しなきゃいけないんだぞ?」

「いや、それ以上にあの起動速度を触媒ありでやってるんだぜ?……人間業じゃない」

 

 それを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()という事実はこのクラス中に白インバネスの男の凄さを伝播させていった。と同時に――

 

「40万も触媒を使わないとクライスタには勝てない?」

「しかもあのレベルの起動速度が無いとダメ?」

「触媒40万の女……」

「今の誰ですかね!? その呼び方はやめてほしいんですけども!?」

 

 アルカトリの強さの再確認が為されていったのである。

 これまで決闘で誰も勝てなかったアルカトリ・クライスタという人物を初めて降したことでその情報は勝利する基準となるのは当然のことだったのだろう。しかし、その基準の時点で馬鹿げていたのだが。

 

「その癖『自分は凡俗だ』だの『他の奴ならここまでしなくてもお前に勝つだけなら出来るだろうよ』――って言いやがるんですよ!?自分がやってることの出鱈目ッぷりを考えろってんですよ!」

 

 全くもってその通りだった。凡俗、と自称するにしても、それは自己評価が低すぎるように思える。他の魔術師に対して劣等感を覚えるようなことがあったのだろうか?

 

 ――いや、待て。触媒を40万使ってやったことが()()()()()()()()()()()? そう考えると支払った代償の割りにやっていることがしょぼいような気もした。

 そもそも、触媒を40万も使ってどれだけのことが出来るのかが近代魔術科に所属するフィーには理解できないが、それでもそれだけの数があればもっと大掛かりなことも出来ておかしくは無かったように思える。

 だが、正確なことがわかるとしたら古典魔術系統の使い手なのだろうが――今度、調べてみよう、とフィーは思った。

 

「しかも『今のお前では負けるのも時間の問題』だなんて言うんですよ!?アンタほど私の魔術にタイミングから何から完璧に対応できるような手数と速度を両立できる奴がどれだけ居るってんですか!――ってちょっと聞いてるんですか!?」

「――む?ああ、済まない。そうだったか、汝も大変だったようだな」

「あー!その反応は絶対話半分に聞いてた奴じゃないですか!人の話はきちんと聞くって教わらなかったんですか!?そもそも――」

「アルカ、そこまでにしよ?」

 

 見かねたフィーが止めると「でも」と食い下がりそうになったので絶対零度の視線をぶつける。

 

「はい、すみませんでした」

 

 ――アルカはおとなしくなった。

 これで変に話を拗らせる事も無いだろう。そう思いつつ、フィーは難しい顔をして佇むラニウスに告げた。

 

「そういう訳ですからまずは彼女の主人――えっと確か……グラムベルさんに確認を取って下さい。何年生かまではわかりませんが褐色肌に白インバネスを着ていたのでだいぶ目立つかと思います」

 

 これで終わりだろう。結局のところアルカは命令と誓約に縛られ決闘が出来ない。故に命令を撤回してもらう以外に決闘をすることは不可能だ。ここでこれ以上理屈をこねくり回そうが、駄々をこねようが無駄なのである。

 とりあえず、後の面倒はアルカのご主人様にぶん投げてしまおう、ということだ。

 

 ――だが、フィーの予想に反し、ラニウスは目を見開くと。

 

「褐色肌に白のインバネスのグラムベル――汝は今、そう言ったか?」

 

 と訊ねられてしまった。

 

「え、ええ、確かそんな名前でした――そうよね?アルカ」

 

 確認のためにアルカに訊ねると、どこか拗ねたように答えた。

 

「グラムベル・アーカスト、褐色肌に白インバネスの見た目だけはイケメンで色々と傲慢な態度のご主人様ですよ~」

「傲慢、とはまた失礼な物言いだ。これでも謙虚なつもりなのだがね」

 

 ピシリ、とアルカが固まった。

 教室の入り口を見ると、昨日見たばかりの白インバネスの男――グラムベル・アーカストが立っていた。

 

「それとも七原罪の講義が必要か?今は亡き『傲慢の魔女』についての考察も併せて一時間みっちり教えることも可能だぞ?もちろん居眠りなど許さんが」

「え、遠慮しておきます」

 

 七原罪は良いとしても、今も謎が多い大魔女の一人の考察も含めて1時間、というのは中々悪くない話だとおもうのだが、アルカは言葉を震わせて辞退してしまった。勿体無いなぁ、と思っていたが、グラムベルは鼻を鳴らし、「だろうな」とだけ言うと視線をラニウスへと向けた。

 

 その目は、アルカを見るときよりも、心なしか険しかった。

 

「やれやれ、スイゲツの言に偽りなし、か……さすが占術科きっての神童だ。嫌になる――久しいなラニウス」

「おお、やはりそうか!グラムベルよ!まさか我が宿敵を汝が討ち果たしていたとはな!流石は己が認めた男よ!」

 

 その言葉にまたざわめいた。この二人、知り合いらしい。

 ――これはまずい状況なのではないか?と、アルカと顔を見合わせた。

 

「その暑苦しさは本当にどうにかならんのか」

「そうは言うが、これが己ゆえな! 汝がいつも通りのしかめっ面をしているのと同じことよ!」

「……正直は美徳だが行過ぎると無礼に当たるものだぞラニウス」

「ふははは! なるほど、アルカトリ・クライスタが言っておったがやはりその物言いに変わり無しか!よいよい!それでこそ汝よな!しかし、そのインバネスも相変わらずだのぉ…もう少しお洒落をしてみてはどうだ?」

「不要だ。清潔さと露出を少なくすること以外に頓着することも無い。オレは本の虫だからな」

「ム?聞こえていたか?」

「一から十までな。廊下に響いていたぞ。オレにとってはどうでもいいが、他の奴には腹立たしい言葉だ。次からはやめておけ。呪いなど掛けられようものなら洒落にならんからな」

「ふむ、忠告痛み入るぞ、グラムベル――」

 

 しかも思った以上に仲が良さそうだ。

 

「――クライスタ、こちらで話はつけておく、それと放課後になったら伝承科に来い、老師がお待ちだ」

「ム?ここで話しても良いではないか」

「阿呆め、貴様は自身の立場を弁えろ、ここは帝国ではない、ほら、行くぞ」

「――いだっ!?痛い!耳!耳を引っ張るな馬鹿者!」

「オレでは貴様を引き摺ることすらままならんのだ!耳を引っ張られたくなければ付いて来い!」

「わかった!己の足で歩く!歩くから待て――」

 

 そうして入り口まで引き摺って行くと、そのまま何事かと集まっていた人垣の中を掻き分けて、消えてしまったのだった。

 

「……正直、不安」

「……ご主人様、だ、大丈夫なのかなぁ?」

 

 フィーとアルカは顔を見合わせると、溜め息混じりにそう、零したのだった。

 

◇◇◇

 

 ――グラムベルの魔術工房。

 

 ラニウスをソファに座らせると、グラムベルは作業台の傍にある小さな椅子に座り、話を切り出した。

 

「さて、では説明してもらおうか――言っておくが旧知だからとクライスタへの命令を撤回するつもりはない」

「そう固い事を言うでない。汝と己の仲だ。一度闘うぐらいならば許しても良かろう?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。決闘者にとっては闘争こそが研鑽だ、存分にその本分を果たさせていただろうよ――だが、今の貴様は違う。そうだな?」

 

 ぐむ、とラニウスが言葉を詰まらせた。グラムベルは目を細め、そして問う。

 

「――答えてもらおうか、ラニウス・ゼレム…いや、帝位継承権第6位、ラニウス・()()()()()()・ゼレム」

 

 

 

――帝国からの来訪者、ラニウス・ゼレム。

この男が持ち込んできた難題が、一つの旅の始まりになろうとは、このときは誰も予期していなかったのであった。

 

 

 

 

~第一章 伝承師と帝王の盾、開演~

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 魔術学園。
 魔に魅入られた少年少女が集い、一人前の魔術師として独り立ちさせるための育成機関の総称だ。国によっては魔術学園がそのまま仕官学校としての役割を持っていることもあるが、その始まりの地は大陸の西方にあるどの国にも属さない都市である。。

 1000年以上前の戦乱期の最中、当事は名も無かった荒地帯。そこを、ある一人の老魔術師を中心に開拓が行われた。
 土壌の改善や荒れてしまった霊脈の修復の他に、区画整備などを行い、少しずつ、少しずつ、長い時間を掛けて人が永住しても問題の無い土地を広めていき――その果てに、人々は一つの大きな都市を作り上げた。

 そして老魔術師は、その都市に魔術師を目指す若者たちのための学校を開いた。世界で初めて、魔術師の養成を行う機関が誕生したのである。

 ――魔術師の名はディーワ・クアエダム。彼の名から、開拓によって生まれた都市をクアエダム、そして学校の名はディーワ魔術学園と名づけられた。

 リンテイルが魔術師の楽園ならば、クアエダムは魔術師の誕生を見守る地。魔術師を目指す者達の揺り籠だ。






 魔術師養成機関の元祖とされるディーワ魔術学園は、大陸の西方。荒地帯の中にあって唯一自然の緑のあるクアエダム自治区内に存在する。

 都市部から離れた丘の上に建つ白亜の城を中心に魔術科ごとの塔が聳え立つ――その広大な景色に圧倒されること間違いなし。事実、アルカトリが入学のために初めてここに来た時、その景色に見とれて後ろを歩いていた生徒とぶつかったものである。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 放課後になり、アルカトリはグラムベル(ご主人様)の言葉に従い、伝承科、「伝承の塔」に今後の自身の扱いについて打ち合わせのために訪れていた――のだが。

 

「そもそも、神の怒り、神の一撃とは?」

 

 どういう訳か、ロー老師――伝承科、科長、そして当代のディーワ学園、学園長ロー・アンク導士、また飴玉老師(あめだまろうし)の名で多くの生徒達から親しまれる燕尾服を着こなした白髪の好々爺――から講義を受けていた。

 

 というのも、刻限になってもご主人様(褐色のあんちくしょう)が姿を現わさないので、どうせなら、と老師が嬉々としてやり始めたのである。

 しかも、老師から「君にも関係のあるお話だよ」と言われてしまえば興味を持たない訳も無かった。

 

「そのように問うと、誰もが神が投げ放つ槍――即ち、雷のことだと答える」

「違うのですか? 他にも、神の一撃と呼ばれる物がある、と?」

 

 アルカトリの問いに、ロー老師は「左様」と答えた。

 

「他にも伝承上にのみ存在が残る国家、カインを一夜にして洗い流したという『カインの大嵐』に、堕落した都市メイロアを火の神タイタロスが焼き払ったという『メイロアの粛清』、かつて存在したとされる空中国家フェアヴィルを打ち落とした光の柱『大地の咆哮』など、神が人々の行いを戒めるために引き起こした災害を指し示す言葉じゃ。この手の話は主に神を崇める者達の手で伝えられているわけだが……実はこの手の神の怒りを真の意味で再現できた魔術師は一人としていない」

 

 ロー老師はそのまま、こちらに顔を向けて続けた。

 

「――もちろん、ミス・クライスタ。君が昨日の決闘で作り出した、あの雷挺もまた同様に真の意味では神の怒りとは呼べぬものなのだが、何故なのか、わかるかな?」

「え、えっとぉ……」

 

 アルカトリは答えに窮した。

 これまで能力の使い方にしか興味を持たなかった身としてはさっぱりだったのだ。故に、わからない、と続けようとして――ふと、ここにまだ来ていない主人の顔が思い浮かんだ。

 

 

 

――お前は神などではない

 

 

 

「――私が、神ではないから、ですか?」

 

 なぜ、その言葉を思い出せたのか、とても不思議だったが、しかし、言葉はすんなりと吐き出せた。

 

「素晴らしい!そのとおりだミス・クライスタ!君には飴をあげよう」

「あ、えっと、どうも」

 

 そう言われて渡されたのは透明感のある飴玉だった。飴玉老師の由来である。

 何でもこの好々爺、趣味はお菓子作りだそうで、特に果汁を混ぜて溶かした白ざらめから作る飴玉が大好物なんだとか。というか、この世界に砂糖を作る技術があったのか、と驚くばかりである。

 

「そもそも神の一撃とは()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだよ。それを戒められるべき側が用いたところで、偽物でしかないという訳だね」

 

 なるほど、そういうものなのか。と、納得しそうになり、同時にある事実を思い出した。

 グラムベルは「貴様の異能は神の権能を再現することに掛けて頂点」と評していた。あれはどういう意味なのか。

 そのことを話してみると、老師は笑って答えた。

 

「なるほど、ミスター・アーカストは君の異能をそのように評していたのだね」

「えと、老師は違うのでしょうか?」

「少しだがね、君はマナについてどのように認識しているのかな?」

 

 ――マナ

 自然界に普遍に存在する魔力。六大元素――火、水、風、土、光、闇の6属性からなる元素を内包していて、その均衡により自然の気象や生態系を決めるとされている。魔術を使用することで汚染され、六大元素の均衡が崩れることで異界化を引き起こすこともある。

 それが、魔術基礎の中で学んだマナの概要だ。だが、そう説明すると老師はなぜかがっかりしたような顔をした。

 

「そういうことではなくてだね……知識ではなく、君がマナというものをどのように思っているか、が聞きたかったのだが……」

「あ、えと、すみません」

「いや、構わんよ。それはそれで講義のし甲斐もあるというものだ。では、そうだね、まずは異界化、についてだ。ミス・クライスタの言う通り、異界化とはマナの内包する六大元素の均衡が魔術によって崩されることにより物理法則から外れた空間のことだが、君は確か、ミスター・アーカストの魔術工房を見ている筈だね?」

 

 確かに昨日、見ているが……なぜそれを知っているのかを訊ねると、茶目っ気たっぷりに「学園内で私の知らないことは無いよ?」なんて言われてしまった。

 プライバシーは?と聞きたいところだが、配慮とかの単語はあってもプライバシーという言葉は残念ながらこの世界に存在しないのでやめておいた。

 

 代わりに一言。

 

「え?生徒の私生活を覗き見ですか?」

「……あくまで生徒の居場所が分かるだけだがね」

 

 すみませんでした、と土下座しておいた。

 ――閑話休題(話を戻して)

 

「ミスター・アーカストの工房に異界化を施したのは私を含めた伝承科の教師陣だ。あの工房は空間を拡張するように異界化している。他にも例を挙げるならば、『イロドーツ』の結界は気象を変えるように異界化を引き起こし、リインテイルの大魔女は水晶樹に眠る『魔女狩りの魔女』から引き出した魔力を用いて異界化を引き起こし、各々の世界を作り上げている。このように、意図的に異界化を引き起こしながらその状態を維持して使うことも出来るわけだね。異界化及びその維持管理はうちでも使い手が極僅かな高等魔術でもある――さて、ここまでで質問はあるかな?」

 

 ニコニコと老師に視線を向けられていると。なんでも聞いていいような錯覚を覚えてしまう。そんな暖かい眼差しに、アルカトリは疑問に思っていたことを口にしてみることにした

 

「……その、少し不思議だったんですけど、異界化って魔術を使った時に起きる魔術汚染でマナの均衡が崩れることで起きますよね?」

 

 その通り、と老師は頷き、そのまま話の続きを促した。

 

「それって()()()()()()()()()()()()()()()ってことになりませんか?」

「――左様、我々魔術師は、大なり小なり魔術によってマナに干渉している」

 

 ああ、やっぱりそうなのか、と思った。

 だとしたら自分の異能は特別でもなんでもないということに――

 

「しかし、君の異能ほどマナを自由に出来るか、と聞かれれば否、と言わねばなるまいが」

 

 ――なりませんよね~!

 アルカトリは項垂れた。そもそも、特別で無いなら決闘騒ぎに発展する方がおかしいのだから当然である。

 そんな彼女を尻目に、ロー老師は何やらガラスの入れ物を用意すると杖を構えて詠唱を始めた。

 

 「【生命ノ源タル水ノ精霊ヤ、我ニ心バカリノオ恵ミヲ】」

 

 ――精霊術。

 「魔力が内包する六大元素ごとに精霊が存在する」という信仰から始まった自らのオドが持つ属性ごとの力を抽出する一般的な魔術系統。

 精霊との契約、という形で術者には最低でも年に一度、最大で毎日、精霊との約束事を果たさなければならない、と言われているが、かつてアルカトリを指導した師曰く、きつい約束事は早々無いようで、決まった時間、決まった手順で拝礼を行う、とかそういう話なんだそうだ。

 

 今回老師が披露したのはその基礎。物質の生成だ。老師はその他にも様々な魔術系統を修めているらしい。

 器にある程度注ぎ込むと水面が揺れるのが止まるのを確認して、話の続きを始めた。

 

 「このガラスの器を世界、器に注がれた水をマナ、波立たない水面はマナが内包する六大元素が均衡を保っている様子と仮定しよう。通常の魔術はこのように――」

 

 老師は指先に水をつけると、そこから水滴を水面に落とした。

 

 「――マナに波紋を起こす。つまり均衡を崩した、と言う訳だね――しかしこれでは異界化は起きん、この程度ならば水面は時間を掛けずに元に戻るじゃろうて。錬金術の方面では自浄作用、なんて呼ばれておったのぉ」

 

 自浄作用。アルカトリの知識にあるそれは川・海・大気などに入った汚濁物質が、沈殿・吸着や微生物による分解などの自然的方法で浄化されることを指す言葉だったはずだ。まさかそれを魔術の用語として聞くことになろうとは思わなかったが。

 そんなことをアルカトリが考えているとは露知らず、老師は雫を落とし続けた。器の中だけに小雨を降らせているようだった。

 

「しかし、これが積み重なると――おっと、器から水が零れてしまった」

「あ、拭かなきゃ――「待ちたまえミス・クライスタ」――え?」

 

 思わずハンカチを取り出したアルカトリを宥め、老師は続けた。

 

「ここからが、肝要だ。この零れ落ちた水はマナな訳だが――この後どうなると思う?」

「え、えっと……あ、あれ?」

 

 水ならば放置していれば蒸発して消える――が、これはマナを視覚化するために用意されただけだ。故にただ消えることは無い。

 アルカトリはここまでのやり取りを思い返す。先ほどの雫が魔術の積み重ねだ。言い換えれば自分達は魔術を使うことでオドを消費しているのではなく()()()()()()()()()()のだろう。

 そのことを確認のために老師に尋ねると「左様」と返ってきた。つまり魔術師のオドがマナに混ざり、そして器からマナとともに溢れた、ということになる。

 

 では、異界化、とはこの零れ出た何かが原因で引き起こされるということだ。

 確か、異界化した場合、その浄化を行うには()()()()()()()()()()()()()()()を魔術で以って鎮めなければならないはず。つまり――

 

「まさか、異界の核、ですか?」

「――正解だ。本来なら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という話を含めて1年後に教える内容だが、ここまでのヒントでそれを見つけるとは流石だね」

 

 ほっほっほ、と愉快そうに笑うと、老師は零れた水を操り手のひらの上で球状に纏めた。

 

「世界という器からはみ出たマナが世界の外でなんらかの影響を受けた結果――」

 

 ――纏まっていた水が広がったかと思うと器を覆う

 

「――このように世界を上書きしている訳だ。これを異界、と呼ぶのだよ。魔術師はマナに干渉は出来んが、この異界に対してはある程度の干渉が出来る。なぜなら魔術の干渉によって世界から零れ落ちたマナにはオドが浄化されずに残っているからだ。オド、とは魔術師より生み出される物。魔術師の意思に染まった魔力だ、操れない道理は無い。これが異界化の技術に繋がっている訳だ――つまり、魔術師がマナに干渉できるのはこの世界から意図的に溢れさせた水を制御するのが限界な訳だよ。同時に絶大なオドが必要不可欠となる」

 

 そう言って、老師は器を覆っていた水膜を消し去った。

 ――なるほど、とアルカトリは理解した。これが現状の魔術師本来の限界だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「さて、君の魔術――異能だが」

「こういうこと、ですよね?――【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】」

 

 詠唱を紡ぎ、アルカトリは()()()()()()()()()()()()()()()()。水が生き物のようにのた打ち回り、様々な動物の姿を形作っては崩れてを繰り返していく。それは華やかで、そして、どこか畏怖を感じさせる物だったかもしれない。

 

「今の魔術師たちは波を立たせて零すのが限界だけど、私はこうして水の全てを操ることが出来る――」

 

 そして唐突に劇は終わりを告げ――

 

「やろうと思えば他の魔術師たちよりも簡単に異界化を引き起こすことが出来る、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――水が全てガラスの器の外へと出ると、器を覆い、凍りついた。

 それを見下ろすアルカトリの目は暗く沈んでいた。

 

「つまり私の異能の本質は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()こと。それこそ、世界を創造しなおすことも……流石に私一人では無理でも、私を触媒にして、大人数で儀式を執り行えば不可能ではない、そう、ですよね?」

 

 ――認識が甘すぎた、とアルカトリは思った。

 これまでは自分が相手に従属さえしなければこの異能を悪用することはできない、と考えていた。自分が死んで、その体を触媒にされたところで精々マナに干渉しやすくなる程度なのだろうな、と思っていたのだ。

 だが、異界の仕組みを知ってしまった今ではそんなことは言えない。

 

 自分は()()()()()()()()

 そんな最悪の状況を想定して――

 

「それはどうかね?」

 

 老師の言葉が現実に引き戻した。

 

「君一人を触媒として使い潰したところで実際にマナを掌握できるかと言えば……既存の魔術理論では不可能だ。途中から組み込むより一から理論を組み上げた方が確実だが……数代掛けてようやく足がかりが出来る程度だろうね――それと、確かに君の血肉は触媒として一級品なのは間違いないが、精々異界を作る補助ぐらいにしか使えんし、墓荒らしは重罪な上に墓守相手に墓所で戦うなんぞ正気の沙汰ではないからのう」

「え、そうなんですか!?」

 

 さらりと前提が覆された。では、なぜ自分は狙われているのか。

 

「簡単な話だね。その異能はそのまま戦力になる。しかも誓約のお陰で裏切られる心配も無い、うまく鍛えれば君一人で国を覆せる従順で強力な魔術師になれる」

 

 なるほど、確かにこの世界では魔術師が軍人として働いているのは珍しいことではない。今日決闘を挑んできたラニウスも軍人を育成する仕官学校の所属だと名乗っていた。

 それならば、自分の異能は戦力として申し分ない……そして誓約によって命令を遵守させられるのはご主人様により確認済みだ。自由に動かせる最強の駒――という訳だ。

 

「それに――」

 

 そこで老師は言葉を切った。

 ――それに、なんだろう?

 訝しむアルカトリに老師は優しい声音で告げた。

 

「――いや、ここから先は君の主人に尋ねるといい。ちょうど来た様だ」

 

 ギギィ、と、扉の開く音がした。

 アルカトリが振り返ると、そこに息を切らせているグラムベル(ご主人様)の姿があった。

 

「も、申し訳ありません老師、少々厄介事に巻き込まれまして」

「いや、構わんよ。ちょうど講義も終わったところだからね」

 

 そう言ってにこり、と笑う老師に、グラムベルは「ありがとうございます」と言うと、そのままアルカトリの隣にまで歩み寄り、座った。

 

「では、予定通り、話を進めましょう」

「うむ……それではまず、声明の内容だけど――」

 

 そうして、話し合いは始まった。

 時折、アルカトリにも話が振られるが、政治に関する知識に疎いこともあってあたふたとしつつも丁寧に答え、そして老師とグラムベルが話を纏めていく――どうやらグラムベルは政治に関する知識をある程度持っているようだった。

 

 話は外が暗くなり、星が瞬く時間まで行われた。声明の内容から始まり、声明の通達後に起き得る反発に対する対応策に、アルカトリの血縁者に対する保護体制の強化案などなど。

 

 これを学園の長と一人の生徒だけで決めていい内容とは思えず、尋ねてみると、なんでも老師とグラムベルは導士と学徒、というものだけでなく師弟としての関係もあるらしい。

 そして誓約によりアルカトリはグラムベルの所有物という扱いであるため、アルカトリの今後に対しグラムベルは責任を持たなくてはならず、彼の師であるロー老師には師として彼の後見人となっているらしく、その手助けをしなければならないのだとか。

 

「そもそも、魔術行使法の試し撃ちの相手にクライスタを指名したのは老師だ」

「え、ええ!?本当ですか!?」

「む、うむ、こと魔術戦であれば君に比肩する学徒はそういないからねぇ――しかし試作段階のあの行使法で勝てるとは全く考えていなかった……なんで勝ってしまったんだバカ弟子ィ……なんで負けてしまったんだミス・クライスタァ……」

 

 そんな余談を挟みつつ、老師は纏めた声明を明日にでも自治区議会に提出し、然る後に各国に通達することを約束して、今回はお開きになった。

 どうせならエスコートしてもらおうとグラムベル(ご主人様)に頼んでみたのだが――

 

「紳士としてはその役目を請け負うべきだろうが、これから私は老師と別件の話がある。悪いが一人で戻ってくれ。何、貴様のその異能ならば寮までの帰り道はどうとでもなる――暗闇に恐怖を覚える手合いだというのなら誰かを迎えに来させるか?」

 

 馬鹿にするな、と脛を蹴飛ばしてやった。

 悶絶する主人を見下ろし、老師は愉快下に「青春じゃのう」なんて笑っていた。こんな青春、望んでません。というかその単語、この世界でも存在するのか。

 

「では、気をつけて帰るんだよ、ミス・クライスタ」

「はい、ではご主人様も、また」

「……その呼び方は本当にやめてくれ。まったく、どうしてその命令は――」

 

 バタン、と最後まで聞かずに扉を閉めた。

 

「……」

 

 アルカトリは思う。

 多分、受難はこれからだ。

 あれだけ執念深く狙われていたのだ、これで解決にはならないことはわかっている。次はどんな手を使ってくるかわからない。そのためだけに大勢に迷惑を掛けていることも分かっている。

 

 だけど、少しは肩の荷を降ろせる相手が出来た。自分を決闘で下した相手と言うのが少々癪なので、嫌がらせも兼ねて『ご主人様』なんて呼んでいるが、感謝はしているのだ。

 ――初めての敗北が、こんなことに繋がるなんて想像もしていなかった。グラムベルが学校を去るまでの2年間を大事にしよう。

 

 そうして、アルカトリは寮に向かって歩いていった。

 時折スキップも加えて、鼻歌なんかも交えて――それが見られていて翌日(いじ)られることになるのだが――アルカトリは嬉しさをかみ締めながら、寮へと向かったのであった

 

 

 ――あ、そういえば自分が狙われるもう一つの理由を聞きそびれた。

 

◇◇◇

 

 アルカトリの姿が塔の窓から見えなくなったところで、ロー老師はグラムベルに話を切り出した。

 

「それで、別件とはなんのことかな? ミス・クライスタのことだけでも大変だというのに、この老体を更に鞭打つのはやめてほしいんだけどねぇ」

 

 別件、と言われてすぐに老師は()()()()()()()()()()()()()()。伊達にこの学園を取り仕切る長を務めている訳ではないのだ。その苦労人っぷりや、なぜ頭が禿げないのか、と揶揄される程である。

 

「ご安心を、老師、簡単な頼み事にございます」

「それ、絶対に厄介な奴でしょうが――話すだけ話してみなよ」

 

 ――魔術師らしからぬ人の好さも、苦労人気質に拍車を掛けているのだが、本人には一切自覚が無いことも追記しておく。

 それはさておき、グラムベルの頼みだが、老師は目を見開くこととなった。

 

「触媒を使い込んでしまったので、その材料の補充のために二月ほど旅に出ようと思っているのですが、クライスタのことをお任せしたいのです」

「君――」

 

 ――気は確かかい?という言葉を寸での所で呑み込んだ。

 

 これまで狙われ続けたアルカトリ・クライスタが敗北し、主人が出来た。

 そして主人の命により決闘そのものを――アルカトリ・クライスタ争奪戦を続けることが出来なくなったなら、どう動くのか。

 そんなの決まっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。人を生きながらに傀儡とする魔術や霊薬、儀式は挙げていけば切りが無い。

 つまるところ、グラムベル・アーカストは決闘に勝利したことでアルカトリ・クライスタと一蓮托生の関係になっているのだ。

 その状態で旅に出るなど、手を出してくれ、と言っているようなものである。

 

 そのことを理解していないはずがない。ここにいる弟子は魔術師とはどういうものかをよく理解している。

 故に、そこには師にすら話せない何かがある、ということだ。そしてその原因にも心当たりはあった。

 

「――リントヴルムからゼレム公のご子息が来たそうだね。確か君の友人だと聞いていたが……会ったかのう?」

「……ええ、ラニウスには会いました。なんでも、クライスタに決闘を挑みに来たようです。あの男は決闘者ですからね。私に先を越されたことを悔しがっていましたよ」

 

 そして、厄介事を持ち込んだ……ということなのだろう。老師は天を仰いだ。

 

「このバカ弟子……この時期に何を抱え込んだのやら、まったく――それで、どこまで?」

「帝国に、向かうつもりです」

 

 そうだろうと思っていた。厄介事を持ち込んだのがゼレム公――現皇帝の弟君――の息子である以上、行き先などそこしかない。

 この弟子のことだ。厄介事の詳細を素直には話してはくれないだろう。頑固さは師である自分譲りなのだから。

 

「ならば出発は明日の正午にしなさい。こちらに伝がある。手紙に(したた)めましょう」

「……感謝します、老師」

「構わないよ。本当なら無茶をしようとする若者を諌めるのは先達たる私の役目なんだろうけど……君の頑固さと義理堅さは知っている。友誼を結んだ相手を無碍にしたくないんだね?なら、止めはしないさ――だけどね」

 

 (こうべ)を垂れるグラムベルに老師は先ほどの話し合いの中では見せなかった厳しい声で――それこそ、アルカトリが聞いたなら本当に同一人物か疑うだろう声音で――続けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。それを、心に刻んでくれ」

 

 グラムベルはすぐには返事をしなかったが、無理も無い、と老師は思う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 ずっと師として講義や弁論を繰り広げてきたし、時には主張の食い違いで殴り合いに発展したこともあるが、それでも、弟子としての自覚を、なんて束縛するようなことを言ったことはなかったのだ。

 困惑されるのが普通だろう。

 

 しばらくこちらを探るような視線があったが、結論が出たのか、グラムベルは一度目を瞑り、たっぷりと間を置いてから答えた。

 

「肝に、命じておきます」

「うむ、では行きたまえ。準備は万端にな」

 

 グラムベルは一礼だけして、塔を去っていくのを見届けると、老師は羊皮紙を取り出し、羽ペンとインクを引っ張りだした。

 

「さて、約束どおり、書かねばな……えっと、今代のアルスタール商会の会頭は誰じゃったかのう?」

 

 リントヴルム帝国は東方の国、西方に位置するクアエダム自治区から行くとなればマリングロウズへと向かい海路を行くのが定石だ。ならば、帝国一の港町ユークに行き着くのは必然。そこで一番大きな商会であるアルスタール商会からなら援助も受けやすい。

 

 ――ふと、そういえば弟子が独自に商人と繋がっていたことを思い出しこそしたが、些事だろう、と無視することにした。

 

 




と言うわけで、第二話でございます。

色々と設定を読み比べていて設定の優先順位をこちらで決めたり、勝手に設定を作らせてもらっています。(魔術学園の設定は投稿していただいた『ディーワと魔法の世界』の設定に出てきた古の魔術師、ディーワ・クアエダムを使わせていただいています)

ちなみに裏設定ですが、魔術学園が出来るまでは派閥や結社が独自に弟子を集め
魔術を繋いできた、という部分が強く、魔術師が軍人として働き始めたのはもっと後、という感じですね。


他にも用語集に認めていなかったので以下の設定をこちらで修正しています。
・アルスタール商会は読者様が投稿してくださったキャラの設定で出てくる商会ですが、港町の名前もそちらでは「アルスタール」となっていました。
しかし、元々の帝国の設定を考えてくださった読者様がすでに最大の港町にあたる都市を考えていただいていたのでそちらに変更しております。

以上2点、事後報告ではありますがご了承くださいませ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

遅くなってごめんなさい(土下座)

情景は思い浮かぶのにそれを表現する文章が降りてこないとまったく書けないのよね……


「本日はここまで、解散」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 異能科――異能の研究と研鑽の果てに根源や真理への到達を目指す魔術学科――での異能制御訓練も終わり、異能科科長、ジェームス・マーナティの号令を受けて今日の授業は終わった。

 生徒達が思い思いの場所へと散り散りになっていく中、アルカトリ・クライスタはこちらへと歩み寄る二人の少女たちの姿を見つけた。

 

 片や、白髪に若干水色味を帯びた白眼の、どこか妖精を思わせる浮世離れした美少女。

 片や、栗色のショートカットをハーフアップに纏めた勝気な雰囲気の少女。

 

 前者は親友のフィー・レ・ラー。

 そして後者の少女はフィーの友人として()()()()()()()()()()()()別クラスの少女、フェイ・ラドクリフだった。

 紹介してもらった時はビクビクと震え、フェイを怖がっていたのだが、フィーにより言葉巧みに説得されたり、フェイの趣味と実益を兼ねた星占いの話に興味が出て占ってもらったり、三人で遊びに行ったり、と交流を続けて僅か一週間――

 

「おーい、アルカー!買い物いくよー!」

「うん!いこいこ!」

 

 ――メチャクチャちょろいアルカトリの姿があった。

 騙すつもりなど毛頭無いが、フェイ本人から心配されてしまったのは言うまでもないだろう。打ち解けるまで長く掛かると思っていたフィーに至っては頭を抱えていた。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 あの話し合いから早くも一週間、今日は秋に開催される学園内の催し『仮面舞踏会』で着るドレスの採寸や生地選びに市外に出ることになっている。

 アルカトリは二人に近づいて、そのまま校門に向かって歩いていく。

 そんな彼女達を様々な視線が追いかけていた。

 

 

 あれから、一週間。変化は酷く迅速だった。それこそ、アルカトリの今まではなんだったのかわからなくなるほどに。

 

 

 まず、国外への声明の発表だが、()()()()()()()()()()()()()()僅か二日で為された。

 

 ――星詠機関

 占術により世界各地で起きうる事件を占い、その結果を組織内で共有し、もしも起きてしまった場合への対策を行っていく自然災害から魔術災害、大規模な事件に介入することを許された国に縛られない組織だ。

 その発足は最後の戦乱期を終えた『牙城の里ラングル』との国交開通が行われた時にまで遡るという。

 

 挑戦者は発表から今日まで一人として訪れず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜなら『星詠機関』が()()()一魔術師を取り扱うことは無い。彼らの本分は自然災害や魔術災害などの大事件に限られる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに等しい。

 

 それだけの影響力をその組織は持ち合わせていたのだ。

 

 なぜ、自治区の議会に通してないの?と、老師に直談判しに行ったのだが、謝罪とともに深々と頭を下げられ、こうする以外に手は無かった言われてしまった。

 

 

 ――アルカトリは納得できなかった。自分のこれまでの努力をあざ笑われたような気分だった。

 

 

 そして、肝心の主人(グラムベル)だが、彼は今、学園を離れている。そのことを彼が放った使い魔の黒い犬を通して話されたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 アルカトリの不戦声明が発表された日の夜のことだ。

 

『アルカトリ、大事無いか!?』

 

 突然、エコーが掛かったような男の声が響いた。

 

 そこはアルカトリが普段使っている寮の一室だった。ここ、ディーワ魔術学園の寮は男女に分かれた上で個人部屋となっており、アルカトリの他には誰もいないはずの部屋に男の声があるのは異常事態である。

 故に身構えたアルカトリはその声のした先に目を向けると、床に――

 

「え?黒い、犬?」

 

 ――の頭のような何かが転がっていた。

 ホラー映画のワンシーンを思わせる光景である。

 その犬が本物の生首であったならアルカトリは悲鳴を上げて取り乱していたことだろう。

 しかし、それが魔力によって形作られていれば誰かの放った使い魔であることは想像に容易い。

 

 それが、自分を()()()()()使()()()であれば尚更忘れられる訳が無かった。

 

「ご主人…様?」

『――だから、その呼び方はやめろと――』

 

 その物言いは、間違いなく、自身を敗北させた男のものだった。

 涙をはらはらと零しながら、アルカトリは訴えた。

 

「あ、ああ――グラムベルさん!なんで、なんでこんなことになってるの!?私、こんなの……」

 

 客観的に見れば、闘い続ける日々に比べればマシかもしれない。

 それでも、アルカトリは皆から怖がられたかった訳ではなかった。皆から畏れられたかった訳ではなかった。そうならないように見世物のように闘い続けていたのに――

 

「望んで…なんか……」

『――いや、すまない、呼び方のことなど今はどうでも良いな。話は既にこちらにまで届いている。おそらく、昨日の段階で自治区の議会を通すことが出来ないと悟ったのだろう。はっきり言って想定外だ――』

 

 犬の頭が語るには、学園長の立場は学園内のことであればその全てに最終決定権を与えられているのだという。ゆえにアルカトリという学徒に関する問題でも例外ではなかった、と言う。

 

「だったらなんで……」

『正確なことはわからん。老師の内弟子たるオレがお前を下し、命令権を手にしたことで老師に権力が集まるという危機感を抱いたのかもしれんが……これだから政は――』

 

 それは確かに頭の痛い話だろう。

 だが、犬の口から漏れる言葉を、アルカトリは何一つ聞いていなかった。そんなことを言われても、それが何故、怪物を見るような視線が向けられるような結果になるのか。考えたくも無い。それに、聞きたいことはまだあるのだ。

 

「グラムベルさん……今日、あなたの工房に行きました」

 

 予想外だったのか、それとも気まずいと感じたのか、犬の頭は沈黙した。アルカトリは言葉を待った

 癇癪を起こすのは、しっかり話を聞いてからでもおかしくない、そう思っていたからだ。

 

 たっぷり間を空けて、ようやく、犬の口が動いた。

 

『……来たのか』

「はい」

『そうか――わかっているとは思うが、今オレは学園を離れている。』

「……はい」

『……貴様に挑んだラニウス・ゼレムという男はオレの友人でな、奴の依頼を引き受け、陸路で帝国に向かっていたところだった』

「……はい」

『――逃げた、とお前は思うか?』

「……はい」

『……そうか』

 

 声はどこか寂しげだったが、アルカトリには、その理由はわからないし、わかりたくもなかった。

 

「なんで、逃げたんですか?」

『逃げたつもりは無い』

「……老師と話していた別件とはなんだったんです?」

『老師には、オレが留守にしている間、貴様を守るように頼んでいた』

 

 なるほど、なるほど――そう言われて納得できる人間が一体どれだけ居るというのか?

 

「それがなんで化け物扱いになるんですか!ようやく助かるんだって思ってたのに!」

『……』

「こうなるくらいなら見世物のように戦っていた方が良かった!化け物扱いされない、ただ強いだけの魔術師の方がよかった!」

『アルカトリ』

「あなたも……()()()()()()()()()()()()()()?」

()()()()

 

 ピタリ、と口が閉じた。

 誓約による強制だ。唇をこじ開けようと手を唇に掛けたが、びくともしない――悔しかった。悔しくて、悔しくて歯を食いしばった。聞きたくも無くて耳を塞ごうとしてもダメだった。逃げることすらできない。

 

『貴様の言う()()()のことなどオレは知らん。それに、オレのことを信用しろなどとは言わんさ。僅か数回話しただけの相手を信用できる人間が居たとすればそれはよほどの阿呆だろうよ』

 

 あなたのことを信頼できる――そう感じていた自分はよほどの阿呆らしい。

 涙が出てきた。

 自分がこの人をご主人様、と呼ぶのは単なる嫌がらせであるが、それでも、悪い人だとは思っていなかったのだ。

 

『だが、オレとて貴様の所有者になってしまった責は担えばなるまい……ゆえに()()()

 

 誓約による命令。嫌だ、命令なんて、嫌――

 

『お前が信頼できる者を集めろ』

 

 ――はい?

 

「え?あの……え?」

『とにかく伝を増やせ。どのような力を持っていようが一人でやれることなどたかが知れている……オレからの紹介では信じられまい。であれば、お前自身で見つける他になかろう?』

 

 命令の内容は実に、実に当たり前で、拍子抜けしてしまった。これが、命令?

 

『――友すら居ないのであれば……家族……いや、お前の家族は平民だったか……ええい!誰か居ないのか!』

「と、友達なら一人ぐらいちゃんといますよ!」

『む?友を突き放してきた、と聞いていたのだが』

「いや、そこは色々ありまして……」

『……まぁいい、ならばそこから縁を少しでも広めろ。人脈はそれだけでも力だ。たとえ貴様が人付き合いを苦手としていたとしても、その事実は変わらん。そういう意味ではオレが貴様に勝ったのは人脈の力である、といっても過言では無かろうよ』

「は、はぁ……」

 

 そういうものなのだろうか、とアルカトリは思う。人脈が力、というのはわかるが、人は我が身が可愛いものだ。いざとなれば見捨てる者が居ないとも限らないではないか――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、これは誓約による命令だ。拒否権はどこにも無い。

 

「わかり、ました」

『よろしい……オレが戻り次第確認す――』

 

 その言葉の途中で、犬の頭が崩れていって――

 

「ってあ!文句!もっと文句を言わせてくださいよ!あ、こら!待て!勝手に帰――」

 

 ――そのまま消えて、見えなくなってしまったのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 この命令がまさか、元々ちょろいアルカトリと組み合わさって信頼した相手への依存度を高めたなど、誰が予想しただろうか。

 アルカトリにはそんな自覚が無く、グラムベルにもそのような意図は無かったのだから救えない話である。

 

「アルカ、ぼんやりしてどうしたの?」

「――ん、ああ、まぁ、ちょっとね」

 

 フィーにそう言われて、ようやく自分が今、カフェテラスに来ていることに気が付いた。ショートケーキ(どちらかといえば日本にあるようなやわらかい物)を一口、食べた後でフォークを咥えたまま物思いにふけてしまっていたのだ。

 

 ドレスの採寸と生地選びはすでに終わった。自分は黄色の生地をフェイは海色の生地をフィーは灰色の生地を選んだ。ちなみに仮面舞踏会で黒と白のドレスは選ばれない。というのも黒は男性の物と定められており、白の生地はそれとは別に理由があって使えないのだ。

 

「あ、もしかして例の()()()()のことでも考えてたのか?」

 

 ニヤニヤ、と意地の悪い笑みを浮かべるフェイだったが、残念ながら自分とあの人はそういう関係ではない。

 

「ん?まぁ、そんなとこ」

 

 興味なし、とばかりにそっけなく返すと、フェイはがっかりしたようだった。

 

「……なんか思ってたのと違う反応だなぁ」

「仕方ないよ、アルカだもん」

「それもそっか……」

「ちょっと待って、なんか不本意な理由で納得されてない?」

 

 すると二人は顔を見合わせてから苦笑いを零した。

 

「いや、だって、これまでそういうこと考える余裕無かったでしょ?」

「うちのクラスじゃ戦闘狂だとかアマゾネスなんて呼ばれてたね」

「誰が戦闘民族だ!」

 

 アマゾネス、というのは伝承において語られる女性のみで構成された戦闘民族だ。世界的知名度を誇る大英雄ガルトリウスは若い頃にその中の一人を気に入り、手傷を負いながらも誰一人殺すことなく無力化してそのアマゾネスを妃として迎えいれたとか。

 不服だ。不服である。

 グルル、と唸るアルカをフィーはどおどお、と宥める中、フェイは話を切り出す。

 

「まぁ、それぐらいアルカは悪目立ちしすぎてたってことだよ」

「グルルゥぅ……うう、そんなに目立ってたの?」

 

 そりゃあね、と言って、フェイは続けた。

 

「今のご時勢じゃ決闘なんて決闘科に行くような奴等でもなきゃやらないことだよ。決闘科に居るわけでもないのにあんなことをしてたら嫌でもね。私もこうして関わるまで戦闘中毒かなんかだと思ってたからね」

「好きで闘ってたわけじゃないのに……」

「事情を何一つ説明しないアルカが悪い……学園側に相談するとか無かったの?」

 

 フィーの言葉に、アルカトリは口を閉ざした。

 相談なんて、できるはずがなかった。だってあそこは――

 

 アルカトリが言葉を閉ざし――ものの数秒でフェイが割り込んだ。

 

「ま、『魔術も時は戻せない』ってね――それよりも学校内じゃアルカを打ち倒した()()()()ってのに興味関心が向いてるみたいでね、こっちで色々と調べてみたよ」

「……そうなの?教えてくれる?」

 

 もちろん、とフェイは答えた。元々そのつもりだったらしい。

 何やらウェストポーチを引っ張り出すと、そこから()()()()()紙束を取り出した。

 

「え?何その四次元ポケット」

「よじ――何ソレ?」

「気にしなくて良いよフェイ。たまによくわからない名称で呼んだりしてるけど害は無いから」

 

 ちょっと言い方どうにかならないの?とフィーを見たが素知らぬ顔だった。解せぬ。

 そこで簡単に原理を説明してもらうと、極小規模の異界化を引き起こし、その中だけ結構な容量の物品を収納できるようにした試作品らしい。ただし、しまえはするが取り出すのに苦労するので改良が必要なのだとか。

 

「それじゃ、本題だけど、グラムベル・アーカスト、19歳。出身はアルガラント王国の辺境、カルセルで、実家はカルセルを治めてるアーカスト家、その三男。専攻は伝承科だけど、あちこちの講義に出没してるかと思ったら、外出してたり、かと思えば自分の工房に引きこもったりと精力的に活動してる……けど――」

 

 フェイは言葉を切ってアルカトリとフィーを見た。

 

 ――魔術を扱う才能は3流もいいところ、だなんて言われてたみたいなんだよね。

 

 アルカトリは息を呑み、フィーは目を閉じた。

 

 

 

 その姿を、別の席から金縁メガネ越しに観察されていることに終ぞ気付くことはなかった――

 

 

◇◇◇

 

 

 ――時はグラムベルとアルカトリの使い魔越しの交信の終わりまで遡る。

 

「ぐ―――――ごぼっ」

 

 ぎちり、と体の内側から嫌な音がした。口から鮮血を吐き出し、体が血の海に沈む。

 

 目は光を写さず、息も絶え絶え。体中の穴と言う穴から血を噴出し、腕や足には数多くの裂傷が垣間見れる。体の内側もボロボロになっているだろう。

 

 誰が見ても重傷、それどころか致命傷を負っているように見えるこの惨事。だが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と断じていたはずだ。

 

 魔術学園はその存在自体が魔術的要塞である。単なる結社の工房などとは比べ物にならない守りが布かれているのだ。その学徒達を守る寮もまた例外ではない。そこに無理を押して使い魔を送り込み――その霊体の大半を削り取られた返しの風をその身に受けていたのだ。

 

 対策はしていた。事前に学園の結界の形式から抜け道を把握し、そのためだけになけなしの触媒を総動員した。

 していて、なお、このザマだった。

 

 夢見の少女ならば構造さえわかれば問題なく到達できただろう。

 業突く張りで悪戯好きな商人娘であれば結界すらも騙して見せたはずだ。

 性格の悪い陰陽師ならば覗き見感覚で世界中どこにでも行けるのかもしれない。

 

 ――だから自分は凡俗なのだ、とグラムベルは血を吐きながら、才無き身を呪った。

 

 最後まで、アルカトリにこのことを悟らせずに喋りきれたのは正に奇跡だった。言葉を送り出すだけで血が喉を競り上がり、内臓がめくり返るような激痛に耐え抜き、今必要なことは全て伝えた。

 

 あとは自身が生き残ることに注力しなければならない。

 

「――――」

 

 だが、思った以上に状態はまずかった。声すら出せない。

 グラムベルが使用する魔術系統【混沌魔術】は古典と近代のまったく違う魔術を組み合わせた物であり、その中には近代魔術におけるルール『詠唱を解とする』ことも含まれている。

 

 ゆえに、出来るのは今残る触媒とのパスを無理矢理こじ開けてか細い糸を辿り、癒しの力を引き出し、生きる、という願望で以って命を繋ぎとめる。

 魔術は魔術師の意志を色濃く反映する。

 救う気の無い奇跡は奇跡になりえず、殺すつもりのない魔術は蟻一匹すら殺せなくなる。生きる意志無き魔術師を生き残らせることも出来ない。

 

 故に、死にはしない。しないが――傷口を塞ぐのにどれほどの時間を要するのか。

 

 あの暑苦しい来訪者は居ない。あの男は先に行かせた。だから今この場には自分しかいない――この調子だと、旅は2ヶ月では済まなくなりそうだ。

 

 そんなことを思いながら、意識が遠退いて――

 

◇◇◇

 

「――これは……酷い有様ですね」

 

 掘っ立て小屋に足を踏み入れた女は惨状を見渡し、しかし表情を一切変えることはなかった。

 どこにでもいそうな旅の女だった。それこそどこにいたとしても誰一人として目を向けないような。言葉を交わしても、少し時間が経てば忘れてしまうような、唯一個性と呼べる金縁メガネも彼女に存在感を与えてはいない――どこまでも凡庸であるという異質さを、女は持ち合わせていた。

 

「この汚染具合は……魔術の失敗、いえ、魔術を返された、といったところですね。仮宿にしたかったのですが、こんな荒地の掘っ立て小屋に若い魔術師の工房があるとは……それにしては血と魔術の痕跡が新しすぎますね?私と同じでここを仮宿にしようとして、先ほどまで魔術を行使していた、といったところでしょうか?」

 

 血の海に沈む男を観察する。

 歳は10代後半から20代前半。着ている白のインバネスコートは血に染まっている。土気色になっている肌色はよくよく見てみると元々浅黒かったようだ。

 

 女のメガネ越しに見える黒目は怜悧に細められ、一つ一つを見逃すまいとしているようだった。

 

「この出血量、生きていても長くは……おや?」

 

 そうして、女はインバネスの下――彼の体中に刻まれた()()()を見つけた。

 

「これは……魔法、陣?いえ、刻印ですか」

 

 女は訝しんだ。

 

 ――刻印

 力ある文字、文章、図形の単一で効果を発揮する触媒のことを指し示す。ルーン魔術やそれに準する魔術系統で多く使われる物だ。作成難易度は低いが、その分扱える魔力量も少なく、単一では規模の小さい魔術にしか使えない代物でもある。

 

 魔法陣はそれらを規則的に組み合わせることで魔術に指向性を与える魔術の触媒の一種である。

 どちらも大抵は紙や物に刻み込む物だが、男のように体に直接刻み込むことも珍しいとはいえ、無いわけでは無い。

 

 しかし男のそれは、色々と異常だった。

 

「ルーンにヘリオース経典の一節、古代アルガラント文字に…これは極東の漢字でしょうか?近代魔術の簡略式まで……系統の種類といい、刻み込んだ数といい、ここまで節操なしなのは初めて見ます」

 

 本来、魔術師一人で複数の系統を扱うとしても、多くて二つが精々で、それ以上となると互いの触媒が干渉しあって制御が難しくなるのだ。

 その上、肉体に刻印を刻む、という作業は苦痛が伴う。体に触媒を植えつけるのだから当然。故に普通の魔術師は刻んだとしても片手の指の数も刻んでいれば多い方である。

 故に女は一度、それを魔法陣と見間違えたのだ。

 

 肉体に定着させること自体は一週間もあれば問題ないが、それを体中に施すとなれば――

 

「拷問、としては中々のものでしょうね。このご時勢では流行りませんが」

 

 そう言って、女は倒れ伏す男の体に手を当てて、目を閉じた。

 

 

 1秒、2秒、3秒、4秒、5秒――目を開いた。

 

 

 「【魔法式構築完了(我ら小さきモノを貪る罪人)演算開始――解ヲ算出(なれど、汝は死ぬに能わず)六大ヨリ第二元素ヲ抽出シ(清き乙女、湖の女神の慈悲を知れ)欠損部位ノ修復並ビニ(神聖なるヴィルーナのある限り、)浄化ヲ開始スル(かのお方は我らを見捨てぬ)】」

 

 近代魔術――基本的に触媒を用いず魔法式の構築、及び演算と詠唱(解答)によって奇跡を起こす最新の魔術。

 

 詠唱からして元素式。生命を象徴する第二元素の概念を抽出。そこにある国にて信仰される女神の思想を組み込むことで強度を補強する。

 

「今から他の仮宿を見つけ出すのも大変ですし、死体と一夜を過ごす趣味はありませんから特別に助けてあげましょう。私がある程度治せばあとは刻印が勝手にどうにかしてくれそうですからね」

 

 その効果は、しっかりと現れた。

 女が触れた胸元から波紋が広がっていくように出血が止まり、傷口が塞がり、血が洗い流されたかのように消えていく。

 時折、男の体に刻まれた刻印が邪魔をしてきたが、いなし、かわし、術を四肢の末端に至るまで波及させていった――

 

 

 

 ――グラムベルが目を覚ますと掘っ立て小屋の窓から朝日が差していた。

 どうやら、生き残ったらしい――これは僥倖だ、と体を起こそうとしたところで違和感に気が付いた。

 痛みが無いどころか、簡単に起き上がれてしまった。

 

 どういうことだ、と周囲を見渡すと血の痕すら無くなってしまっていて即座に察した。

 誰かに、助けられたのだ、と。

 

「おや、お目覚めですか?」

 

 ふと、声を掛けられ、そちらを向く――金縁メガネに旅装の女が居た。おそらく20代後半か。

 どこにでもいるような女性だった。唯一の個性である金縁メガネも彼女の印象を変えるには至らないほどに――だが、グラムベルは違和感を覚えなかった。

 

「あなたは?」

「私はファデザルート、魔術師です。呪われたアーティファクトの伝承を集めて大陸を旅しています」

 

 魔術師と聞き、そうだろうな、と思った。どれだけ血を流していたのかすらわからないが、その汚れを流し清めることができる者など魔術師しかいない。

 彼女にどれだけの時間が経ったのか尋ねると、二晩過ぎただけだと言った。予想以上に早かったが――言い換えればその間世話をしてくれていたということだ。

 

「……見ず知らずの私の助けていただき感謝します」

「『旅は道連れ世は情け」とは、根無し草の旅ガラスには必要な信条ですから」

 

 なんてことの無いように女は言う。

 グラムベルは表情を変えることなく、言った。

 

「それは立派な信条だ。私自身伝承師を目指す身。いつか世界を巡ることを思えば見習うべきかもしれませんね」

 

 ファデザルートは笑った。

 

「いえいえ、ああは言いましたが、実は私としても到着した時間が時間でしたのでここ以外の仮宿を見つけるのが面倒だっただけなのですよ。とはいえ一度助けた以上は最後まで責任を持ちたいものでしょう?」

 

 確かに人として間違っていない考えだ。清らかで、無欲で、無垢な考え。それはまるで神の遣いが如き清廉さだ。

 

「……なるほど、だとすれば私があなたに救われたのは神の御心があったということですね」

 

 その返しが意外だったのか、ファデザルートは一度目を丸くして、そして笑った。

 

「アハハハハ!なるほど、神の御心ですか!では私はさながら『神の御遣い』といったところでしょうね!」

「ええ、信仰心を授からぬ者ですが、それでも今回のことはそう思わざるをえませんね」

「ふふふ、なるほどなるほど……では、また縁があれば会えるかもしれませんね」

 

 そう言ってまとめてあった荷物を持つと掘っ立て小屋の出入り口に向かった。

 グラムベルも見送るために立ち上がる――足元が少しふらついた。

 

「ひとまず傷口は塞ぎましたが、体力は回復してませんからもうしばらく休んでから出てくださいね」

「……そのようですね。肝に銘じます……本当に助かりました。この恩は忘れません」

 

 ファデザルートは微笑み――そのまま出て行った。

 しばらくグラムベルは彼女の出て行った掘っ立て小屋の出入り口を見つめて、何も無いことを悟ると、仰向けに倒れて、

 

「……ハァァァァァ」

 

 深く、深く溜め息を吐いた。

 本当に嫌な話だ。根無し草の旅ガラス? ああ、あの旅装は確かに手馴れているのだろう。仮宿を探すのが面倒だった?そこもおそらくその通りだろう。

 だが、それだけでは無いだろう。それだけで終わるならば魔術師ではないのだ。

 

 ――懐から、粉を取り出し、周囲に撒いた。

 

「【暴け、暴け、足跡はここに。探せ、探せ、探せ、探せ】」

 

 何も、起きない。舌打ちを打った。

 

「【繰り返す――暴け、暴け、足跡はここに。探せ、探せ、探せ、探せ】」

 

 何も起きない。顔を顰めた。

 

「【手繰れ、手繰れ、手繰れ、手繰れ、世界はここに。我は俯瞰する者なり】」

 

 ――そこでようやく、光が零れた。

 粉が霞へと変わり青く光る。

 その様を観察する。目を見開き、息をすることすら忘れてソレを観察する――たっぷり五分ほど確認して

 

「……やはりか」

 

 深い溜め息とともに言葉を漏らした。

 水の元素反応。触媒の反応は無いので近代魔術。水の元素は生命を象徴するモノゆえに肉体を治すために用いることに適している。血を洗い流すという意味でも問題はないだろう。

 

 だが、そこにかすかな神性が残されていた。

 水の神性として伝わる神格は多いが、近代魔術で、このような荒地であっても影響力の強いとなるとただ一柱。

 

「エルブズュンデ神国からわざわざここまで来るか――やれやれ嫌な縁だ」

 

 そんなことを思いつつ、目を瞑って……そのまま眠りに落ちたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

「はぁ……」

 

 アルカトリは重々しい溜め息を零した。

 買い物の翌日。今は昼休みで、クラス内でも目立ちたがり屋で知られる奇術師が催した中庭での奇術(マジック)ショーを遠目に眺めていた。

 

 友人達は近代魔術科の方で用事があるらしく、お昼を一人で過ごすことになったので、前から見ていた彼の奇術ショーを見ながらの昼食にしようと思い立ったのである。

 

 できることなら観客の中に混ざって食べたいのだが、今の自分の立場を思うとその気も失せた。あの目立ちたがり屋のことだ。()()自分を助手役として担ぎ上げかねない。

 去年は一度それで串刺し脱出のマジックをやらされたのだが、なんの打ち合わせも無しに始められ悲鳴を上げまくったのは今でも覚えている。

 

 

 さて、魔術という物理法則を無視した分野で発展している世界で手品、などと思うかもしれないが、この世界は()()()()()()ほど娯楽に溢れていない。

 

 そもそも、あちらの世界が凄過ぎるのだ。遠くの場所の映像を世界各地で共有できる装置や、劇を記録し、いつでも見たいときに見ることができる記録媒体などこちらの世界では存在の片鱗すら見せない技術がわんさかある。残念ながら、その作り方なんぞアルカトリにはわからないので再現のし様が無いのだが。

 

 そういう訳で、娯楽の少ないこの世界では、彼の奇術(マジック)ショーは好評を博しているようだった。魔術の使用を演出にのみに絞っていて、手品の種には含ませない辺りに、自分の手品への自信が窺える。

 その自信を裏付けるように、手品(奇跡)の数々に学徒達は見入っていた。

 

 手品は騙しの技術だ。奇術師(マジシャン)はミスディレクションといった視線の誘導などの技術や小道具を用いて観客の目を欺き、観客はその技を賞賛したり、その方法を探ったりして楽しむもの。そのあたりはあちらの世界となんら遜色無いようだった。

 

 魔術による演出も華やかだ。火が舞い、水が煌く。暗幕代わりに闇が用いられているあたり、かなり器用な魔術師だ。

 流石にご主人様(グラムベル)ほどの手数は無いだろうけど――グラムベルのことを思い出し、アルカトリは頭を抱えた。

 

 

 ――魔術を扱う才能は3流もいいところ、だなんて言われてたみたいなんだよね。

 

 昨日、フェイから齎された我が主、グラムベル・アーカストの情報にはまだ続きがあった。

 上級生によると、グラムベルは一度に触媒に込められる魔力量が少ない所為で、一般的な魔術師に比べて触媒をより多く浪費しなければならないらしい。故に、40万の触媒――フェイいわく、中堅魔術結社の触媒倉庫並み――を使い潰した、と聞いて納得した、という声もあったのだという。

 

 だが、それでもなお理解の範疇を超えた術式速度に千を容易く超え、万の触媒を完全に掌握する魔力制御を発揮していることには未だ疑問が残っているらしく、それこそがアルカトリ・クライスタに勝利した鍵である、と考えられているとのこと。

 これを『どのような詐術を用いたのか』と言われていたのだそうだ。

 

 ちなみに人物としての評価は、

 『傲慢』『態度がデカイ』『表情が変わらなくて怖い』『話したこと無い』『基本的にぼっち』『学長の七光』

 といった不名誉な物から、

 『面倒見は悪くない』『ただ人付き合いが苦手なだけなんだよ』『うちの常連さんです』『なんだかんだ頼りになるよ?』『あの人の知識や見識の広さ、向上心の高さは見習いたい物だ』『自慢の弟子じゃ』

 といった物まで――なんか老師やら学校の購買の看板娘も含まれていたが――

 察するに人との関係の構築は苦手なようだが、身内にはとても甘い、もとい優しい人物であるようだ。

 

 寮の中に使い魔をわざわざ送ってきてくれたのも身内扱いがあったからなのだろうか?

 いやいや、と(かぶり)を振る。数回話しただけで信頼するのは阿呆だ、なんて言っていたのだから、数回顔を合わせただけの自分が身内になるわけが無い。大方、所有者になった責任とか、そういう意味でしかないのだろう。

 

 ――アルカトリ、大事無いか!?

 

 そう結論付けようとして、しかし、耳朶に甦る、あの切羽詰った声がその結論を否定しようと襲い掛かってきて、頭を抑えた。

 

 ――アルカトリが黄昏ていたのは、別に3流の魔術師に自分が敗北したことでも、今もなお怪物扱いしてくる学徒達のことではなく、主人と次会った時、どう向き合ったものかと悩んでいたのである。

 

 今になって思えば触媒も少ない中で使い魔を寄越してまでこちらの心配をしてくれていた相手を責め立てたのだ。

 あの男の性格を考えると素直に謝れば何個か皮肉を言った上で許してくれそうだが、本当にそれで良いのかわからない。

 

 それに、ずっと考えていた。

 最初から老師と共謀して自分をこの状況に追い込むのが目的だったとしたら、と。

 だが、いくら疑ってもグラムベル・アーカストという人間からは自分を貶めようという裏が感じられなかったのだ。

 むしろ、今の状況を迷惑がっていた。あれが本心でなければ相当な曲者である。

 

「どうしたらいいんだろ……」

 

 ――そう、独り言を零した時だった。

 

「恋の悩みセンサーに感ありぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 反射的にアルカトリは異能を行使した。

 これまで幾度となく決闘を繰り返して来たことによって培われた経験は、いつ、いかなる時であっても流麗な魔術行使を可能とする。

 練り上げられ、圧縮される空気の玉。それが踊りかかってきた人物に差し向けられ――

 

 パァァン!

 

 ――爆ぜて。突風を撒き散らし、襲撃者を吹き飛ばす。

 

 

「へぶぇ!」

「……ってあああ!だだだだ大丈夫!?」

 

 やってしまった、と慌てて吹き飛ばしてしまった人物の下に走り寄る。

 相手は、すごく小柄で可愛らしい少女だった。体の起伏も無く、10才ぐらいと見間違えそうになるほどに、顔立ちも少々幼く見える。

 羽織っているローブや、この学園内に居ることを考えると15歳ぐらいだろうか?

 桃色のところどころ癖のある髪が特徴的な少女だった。

 

「うぉぉ……千年の恋も冷めちゃうような、きつい一撃ィ……暴力系ヒロインは好みが別れるゥ……」

 

 ……なんか、思ったより余裕そうだった。痛がっていたが怪我をしている様子も無い。誰が暴力ヒロインだって?

 

 ――魔術を直に叩き込んだはずだが、なぜ無傷なのか。首を傾げたが、それより先にやることがあった。

 

「ご、ごめんね。突然のことで慌てちゃって……」

「い、いえ、私も久しぶりのことで舞い上がってました、ごめんなさい」

 

 謝罪して助け起こすと、少女はローブに付いた砂埃をパタパタと払ってから頭を下げた。

 やはり小柄だ。自分より頭一つ分は小さい。

 

「えっと、私はアルカトリ・クライスタ。あなたは?」

「私はリーン。リーン・イレフューレン!よろしく!――ん?アルカトリ、クライスタ?」

 

 「どこかで聞いたような」と首を傾げる少女に、苦笑いを零した。

 決闘での敗北や、星詠機関の介入と、ここ最近話題に事欠かないアルカトリだが、無関心な人にはその程度の知名度らしい。アルカトリ・クライスタ目当てで話しかけてきたわけではない、という事実にアルカトリは安心した。

 リーンはしばらく唸っていたが、とうとう思い出せなかったのか「まぁいいや」と切り上げると、そのままアルカトリに詰め寄った。

 

「それでそれで?あなたはどんな恋の悩みがあるの!?」

「恋の悩み?」

 

 そんなの無いけど。と答えると、「いやいやいやいや」とリーンは大仰な身振りで応じた。

 

「恋の悩みレーダーが反応したからここに来たんだよ?恥ずかしいからって言い訳し無くったっていいじゃない!」

 

 なんだそのなんの捻りも無い恋愛脳(スイーツ)感満載のレーダー。故障してませんかソレ。

 

「そもそもそんな相手居ないんだけど……」

「ええー、ほんとにござるかぁー?」

 

 イラッ、としたが我慢。なぜか雅な姿の侍の姿が脳裏を過ぎった……おそらくあちらの世界の知識なのだろうが……なんだこの無駄知識?

 

「本当だよ?」

「本当に?」

「本当の本当に」

「本当の本当の本当に?」

「本当の本当の本当の本当に」

「本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本――」

 

 ガリッ、という生理的不快感のする音と共にリーンが口元を押さえて悶絶していた。

 舌か、頬か……どちらにしろ想像するだけで痛い。

 

 ……ざまぁ、なんて思っていない。決して、思っていない。

 

「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】」

 

 マナを掌握、水の元素より癒しの概念を抽出。薄く、青い光が手を包み込んだ。悶絶する彼女の頬に手を当てて、目を閉じる。

 イメージ。

 苦痛を和らげ、傷口を塞ぐ――そんな曖昧なイメージ(願い)を、アルカトリの異能は完遂す(叶え)る。

 

 リーンは痛みが一気に無くなったことに目を丸くして驚いていたが、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう!――じゃ、話を戻すけど」

「戻さなくて良いよもう……」

 

 うんざりというアルカトリの意見は聞き入れられなかった。

 リーンは言う。

 

「何に悩んでたの?私の恋の悩みレーダーによると殿方、それもあなたに近しい相手のことでの悩みだと思うんだけど、不安に迷い……その人を信じていいかわからなくなってるってところかな?」

 

 「どうかな?」と、どや顔で聞いてくる少女にアルカトリは戦慄を覚えた。ドンピシャである。

 うわこのようじょこわい――ちなみにリーンは一つ下の16歳なのだが、アルカトリは知る由も無かった。

 

「……まぁ、恋絡みではないけど、そんな感じ」

「ふふふ、うんうん、それで、その人はどんな人なの?」

 

 なんだか、暖かい目でこっちを見てくるリーン。まだ勘違いを正せて無い様な気がするのだが。

 

「……その人とはまだ数回しか顔を合わせてないんだけど、愛想は悪いし、皮肉も言われた――けど、私のことで色々と手助けしてくれたり心配してくれる人。多分、悪い人じゃない、とは思う」

 

 ――あ、恋愛的な意味合いはないからね?と念押ししたが、わかってるわかってる、とニコニコ顔で言われてしまった。本当にわかってるのかなぁ、と不安になりつつ、話を続けた。

 

「だから、信頼できる、とは思うんだ。あの人みたいな感じはしな――」

「あの人?」

 

 しまった、と思いながら咳払いした。

 

「それはそれとして……今回、彼の伝で先生にも手助けしてもらったんだけど、それが予想外の事になってて、私、そのことで彼に当たっちゃったんだ。だから、その、顔を合わせにくいってのもあってさ」

「うんうん、そっか……あなたは、どうしたいの?」

 

 どうしたいか。

 そう言われて、答えに窮した。

 どうすれば良いのか、で悩んでいて、どうしたいのか、は全く考えていなかったのだ。

 

「――」

 

 自分はどうしたいのか。

 そこに思いを馳せて――予鈴が鳴ってしまった。気が付けばマジックショーも終わって、撤収している所だった。

 リーンは少し残念そうにしていたが、こちらを見る時の眼差しはとても暖かな物で

 

「――答えが見つかったら教えてね?魔術は()()()()()()じゃなくて()()()()()()に応えてくれるものだから。じゃあねアルカトリ」

「……うん、わかった。じゃあね。リーン」

 

 そう言葉を交わすと二人は別々の方向――午後からの専門科目ごとの塔へと足を向けた。リーンは北側に、アルカトリは南側に。

 ちょっと変な子だったけど、悪い子じゃなかったな。なんて思いながら――グラムベルの命令を思い出した。

 そんな理由(後押し)が無ければ動けない自分が、少し腹立たしかった。

 

 

「リーン!――」

 

 

 アルカトリの声にリーンは振り返った。

 

 

 ――私と友達になってくれる?

 

 

 答えは、笑顔だった。

 

 

 

 

 

 余談だが、翌日、話しかけた相手が年上で、しかも()()アルカトリ・クライスタであることを知ったリーンから青い顔で「生意気な口利いてすみませんでしたぁぁぁぁ!」と公衆の面前で土下座される羽目になり、アルカトリが涙目になるのだが、割愛させていただく。

 

◇◇◇

 

「……」

 

 グラムベルはどうしたものか、と悩んだ。

 何事も無ければあと2日で中央山脈に辿り着くだろう場所。そこで行き倒れになった青年を見つけてしまったのである。

 うつ伏せになって倒れる背には獣の皮で作られた外套を羽織り、所々に毛皮の装飾が付いた青い軽鎧は中々の品と見受けられた。

 装飾からして寒さへの対策が必要な北方からの旅人だったのだろうが……国交を結んでいる北方の国は北の南国(誤字にあらず)たるイロドーツぐらいのもので、それ以外では過酷な寒冷地で生きる少数の民族が散らばっているぐらいで、彼もその一人なのだろう。

 

 グラムベルは悩む。助けようにも水も食料も限られていてギリギリであることは否めない。中央山脈の麓にある街にまで辿り着けば良いが、下手をすれば時間が掛かり、食料と水、特に水が足りなくなってしまう可能性が高かった。

 

 それに、助けたとしてもその後はどうなるかわからない。相手が真っ当な人物であれば良いが、もしも賊の類であった場合、こちらが危機的状況に陥りかねない。

 工房の触媒は互いに紐付けることが難しい代物ばかりで魔術を行使するのもままならない。

 手持ちの触媒は極々最低限の物だけで、護身用の短剣も身なりからして本職の戦士相手ではどうしようもないだろう。

 

 ゆえに、ここは見捨てるのが一番の安全策だ。幸い青年は意識を失っているように見受けられる。見捨てたことを知られることは無い。

 

「……恨むな、とは言わん、オレとてやることがある」

 

 そう言って歩き去ろうとして――先日出会った金縁メガネの女を思い出した。

 魔術の失敗で死に掛けた自分を助け、更には『旅は道連れ世は情けが根無し草の旅ガラスが持つべき信条である』と言ったあの女性――

 

「……」

 

 魔術師にとって縁とは良くも悪くも切り離せない物である。縁は巡り巡って因果を形作るもの。

 あの時の助けがあったからこそこの場に居合わせたのだとすれば――

 

「ええい!本当に嫌な縁だ!」

 

 踵を返して青年を仰向けに転がした。どうにか息はあるが、唇がかさかさになっている。長時間水分を口にしていなかった、ということなのだろう。元は綺麗だっただろう金髪もくすんでしまっていて、汚れ放題だ。

 その割には筋肉が落ちていないことが気に掛かったが、それも今は些事と割り切った。

 

 水筒を取り出し水を布に含ませて口元に当てる。

 

「やれることはしてやる……」

「…あり……と」

「黙っていろ」

 

 意識があったのか、と驚く反面、言葉を発することもままならないことに舌打ちを零した。

 グラムベルはフィールドワークを重ねたこともあり、体力には自信はあるが、力自慢という訳ではない。故に鎧を纏うこの青年を運ぶのは無茶がある。かといって自分で動ける状態ではあるまい。

 

 鎧を外すか――否、構造がさっぱりだ。

 

 故に一人では彼は運べない。ここは荒地帯に作られた古い道だ。かつての開拓時代には多くの開拓者が利用し、開拓街の発展に併せて行商人や旅人が使っていたこの道も、戦乱期の終息やマリングロウズとの国交樹立や新たな陸路の開発などにより、整備が行き届かなくなり、この道を使うのは極僅かとなっていた。

 

 見渡す限りに人影は無く、整備者や旅人、行商人などのために用意されていた掘っ立て小屋が少し先にポツンとあるだけだ。

 

 ――いや、よくよく目を凝らすと遠くに人が見えた。

 

 白い外套に黒い被り物らしき物。手に持つ荷物は少々大きい。しかも、徐々にだが、こちらに近づいているようだ。

 これは助かった、と思い、大声で呼び掛けた。

 

「そこの人!こっちに来て手伝ってくれ!人が倒れている!」

 

 その言葉は、どうやら聞こえたらしい。その人物が走り寄ってきた――それによりその人物の特徴的な服装を認識できるようになる。

 グラムベルはあまりにも出来すぎた出会いに苦笑いを零したのだった。

 

 顔を覆うのは特徴的な被り物で、アルカトリならばその仮面を()()()()()と呼んだことだろう。

 手に持っていた手で運ぶ箱のことは工具箱、なんて呼んでいたかもしれない。

 

 そしてグラムベルをして出来すぎた出会い、と感じさせたのはその人物が纏っていた外套――清潔さを象徴する白一色の外套。()()

 

 それが指し示すのは一つ。

 

「急患か、見せてみろ」

 

 医者の存在に他ならなかった。

 

 

◇◇◇

 

 ――リントヴルム城。

 

 リントヴルム帝国首都であるリントヴルムの中央部ににある広大な丘陵の上にリントヴルム皇帝が座する城塞、リントヴルム城は存在する

 広大な敷地と敵からの侵攻を阻むように設計された白亜の城は、同時に難攻不落の魔術城としても知られており、ここを出入りできる者は皇族関係者以外には特別な許可を受けた者たちだけである。

 その上で数千人規模の近衛隊が城塞内外を当番制で守護しており、攻め入るならば数倍どころか数十~数百倍の兵力があっても足りない、とされている。

 

 その正門前に常駐する兵士達の前に炎を纏った翼が降り立った。

 その男に一度警戒を深めた兵士達だったが、その姿を確認するとすぐさま敬礼で以ってその人物を迎え入れた。

 

「ラニウス殿下!お待ちしておりました!」

「うむ、今日もご苦労」

 

 ラニウス・()()()()()()・ゼレム。

 帝位継承権六位の現皇帝の甥にあたる男が、その日、帝国への帰還を果たした。

 

「宰相閣下はどちらにおられるか、わかるか?」

「はっ、宰相閣下は執務室にて政務に当たっておられるかと」

「わかった。急ぎの用があるのでな。頑張ってくれ」

 

 兵達が揃って敬礼する姿を横目に、ラニウスは大股で歩いていく。

 

 

 

 

 リントヴルム帝国宰相、スマウグ・ナーガは、二十歳で宰相として現皇帝に抜擢された才女である。

 その抜擢理由は純然たる実力だったのだが――あまりにも若すぎる女性を抜擢するには浅すぎる、とされ、一時は皇帝殿下の隠し子や妾なのではと揶揄されていたが、政に関して敏腕を発揮し、今では陰口を叩く者こそあれど、その才は認められることとなった女傑である。

 

 その女傑は今――書類の山を相手に死闘を演じていた。

 

 机の上を埋め尽くす重要書類の数々と、左手に不気味な色の煙を上げる霊薬――宮廷魔術師の一人に作らせた不眠不休の呑み薬――を。右手に羽ペンを握り、目にも止まらない速度でその全てを処理していく。

 ――なお、彼女の美貌も今では隈に侵食された目元やらぼさぼさになった髪の毛やらで台無しになっていたが、そのことを指摘する人物はここにはいない。

 

 そもそも、執務室には彼女一人であり、それを手伝う者の姿は影も形も無かったのである。彼女は宮廷魔術師に対し、分身薬、なんて代物は作れないだろうか、と尋ねた結果、そんなもの作れる魔女はこの国には居ませんよ、と返され、泣く泣く独力で処理している次第であった。

 

 そんな彼女の元に、ラニウスは訪れたのだった。

 

「宰相殿……すまない。かの少女を手にすること叶わず、おめおめと帰ってきてしまった……」

 

 そう言って頭を下げたラニウスを、スマウグは

 

「いいえ、ラニウス殿下、頭をお上げください……こちらにもかの少女が星詠(ほしよみ)の保護下になったことは聞き及んでおります――このような形で陛下を救える可能性が潰えるなど、予想できる者などいません」

「陛下――伯父上の容態は、どうなのだ?」

 

 顔を伏せつつ、そう訊ねたラニウスに、宰相は淡々と、事実のみを話した。

 

 

 ――半月前から変わらず、眠り続けております。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

いやぁ、やっぱり一週間に一回の更新って大変なんダナァ……と思う今日この頃でございます。2週間に一回のペースか……だいぶ遅いよなぁ。


 既に日は沈み、外界を闇と静寂が支配する中、その掘っ立て小屋内を焚き火の灯りと薪が弾ける音を背景に、三人の青年達が話していた。

 

 旅装だという鎧の上を脱いで、薄着となった行き倒れの青年。

 彼はウィリアム・G・ゲーテ、と名乗った。

 歳は16、北方の寒冷地帯に生きる少数民族の一つの生まれで、その部族の長の伝で、ディーワ魔術学園への編入するために向かっていたのだが、色々合って路銀が無くなり、野の獣を狩り、雨水などを啜ることでどうにか切り抜けていたものの――

 

「ガハハハハ!、まさかオレの故郷以上に食べられる動物が居ない場所があるとは思っていなくてな!気づいた時には手遅れだったというわけだ!」

 

 ――という訳で空腹と渇きによって、倒れ伏していた、のだと、ウィリアムは暢気に笑いながら言ったのだった。

 髪や体の汚れは医者の手で綺麗に洗い流され、本来のプラチナブロンドと色白の肌を曝け出し、金色の中にどこか炎を想わせる赤が垣間見える瞳には獣のような力強さを取り戻していた。

 

 そしてもう一人――防毒マスクに白衣の装いをした医者()()()、フィリップ・フローレンス。

 なんでもリンテイル魔術学園から用事があってこの地に向かっていたのだという彼はウィリアムの容態を調べ、何個かの霊薬を施した結果、僅か数時間で物を食べられるようになった。

 グラムベルはその手腕に舌を巻いたのだが「なんだこいつの体は……本当に人間か?」というフィリップの呟きを耳にして、何も聞かなかったことにした。

 『知らぬが仏』『触らぬ神に祟り無し』とは極東の島国「フソウ」の言葉だったか――

 

 そんなことを思い返しつつ、グラムベルは灰色のインナー姿で焚き火にかけた鍋をお玉で掻き混ぜていた。インバネスはウィリアムの鎧の傍に綺麗に畳んで置かれていた。

 

 中身はグラムベルが持ってきた乾パンと干し肉とチーズにフィリップの用意した野菜と水と調味料で作った即席のスープだ。普段は霊薬を飲んで済ませていることが多く、乾パンや干し肉と言った物はあまり口にしないので、グラムベルが食べてきた野宿の際の食事でもっとも豪華なものだった。

 なお、グラムベルが野菜を一切持ってきていなかった事に「医食同源という言葉を知らないのか」と調理中に説教された。しかしこのクアエダムでは野菜や果物などの生鮮食品類は高価で、旅に持っていくにも向かないのだ。かといってそういった生鮮食品を保存して持ち運べるアーティファクトは更に高価だ。触媒集めや工房の構築やらに費やしていたグラムベルにそんなものを買うほどの余裕は無かった。

 渋い顔になりつつ、グラムベルはウィリアムにスープをよそって渡した。

 

「緑地化が進んでいるのはクアエダムの都市部周辺だけだ。開拓事業も前回の戦乱期終息後に再開されたが、どうにも土の呪いだかで、どのような魔術で活性化させても水は死の水になり、植物も育たん場所があるらしい。お陰で動物も生きていられん環境だ」

「呪い、か?」

 

 ウィリアムが首を傾げた。魔術師、というよりも戦士と言う言葉の似合う彼のことだ、おそらくここで言う『呪い』の意味がわからなかったのかもしれない。

 

「魔術や儀式などによる人為的な呪詛とは別に伝承師の間では()()()()()()()を『呪い』や『祟り』と形容して言い表すことが多い。といっても両者の違いは()()()()()()()()()()()()ぐらいでしかないが……この地の異常もまたその一つだ」

「いかいか?」

「そこから先は学園で学べ、一年遅れだから大変だろうが……魔術学園に入る以上、学ぶことが貴様の仕事になる」

 

 グラムベルの言葉にウィリアムは「違いない!」と返した。細めの相貌を見るにここまで豪放磊落な男だとは思っていなかったのだが、人は見た目によらない、とは誰が言った言葉だったか。

 

「詳しいんだな」

 

 フィリップの仮面越しに発せられたくぐもった声に「当然だ」とグラムベルは返した。伝承師とは伝承を辿り、そこに根源への道を探る者たちだ。自分の住む地だけに飽き足らず、全国の伝承は全て研究対象である以上、知らない訳が無い。

 

「ほう、では医術に関する伝承なんかもあるのか?」

 

 フィリップの問いに「もちろんだとも」と前置きしてグラムベルは続けた。

 

「流行り病で死に絶えた村人たちの死体を切り刻む悪鬼に病人に永遠の眠りを与える死神――他にも赤子を腹を開いて取り出そうとする悪魔なんかも居たな」

「ふむ中々に物騒な怪物たちだが……それが本当にその()()とやら関係があるのか?」

 

 ウィリアムの質問はごもっともだが、これが関係大有りなのだ。その回答はくぐもった声が代弁した。

 

「流行り病の原因を調べる医者と、手遅れの病人を看取る医者。最後のは……帝王切開を行った外科医といったところか」

「ああ、当時の医者は異端扱いされていたからな。その存在を歪められていてもおかしくないだろう?」

「価値観に合わなかった、ということか」

「そうだ、当時は医療魔術は学問として受け入れられず異端とされていた。マルカス聖教国――今では2分され片方が滅んだが、今の神国と考えてくれて構わない――が最も力を持っていた時代、薬学こそ問題なく波及できたが……当時、かの国中を騒がせた切り裂き魔の存在もあって『人を救うために刃を入れる』という行為を誰も容認できなかったのだ」

 

 フィリップはくぐもった声を零した。

 

「悲しい話だ、外科医と切り裂き魔が同一視されてしまうとはな」

「価値観、思想、損得勘定……その有用性を示そうが、邪魔になる物は幾らでも存在する。新たな物はそれがなんであれ、受け入れられるまでに数々の障害が立ち塞がるものだ。事実、今から三世紀前にようやく外科医の存在を認められるようになった。私としてはそれまで耐え抜き、知識を継承し、耐え抜いてきた医者達の研鑽と人々を救わんとするその意志に私は敬意を評したい」

「人々を救う?」

 

 困惑するような声のウィリアムだったが、グラムベルは頓着しなかった。

 

「単純に言うなら人々が病に苦しむことが減った、ということだな」

 

 医療魔術は病を治し、呪いを祓い、傷を癒すという救済の先に。

 その使い手たちの弛まぬ研鑽は、かつて死の呪いとされていた病の数々の原因を見つけ出し治療法を確立していった。

 彼らの功績としてもっとも素晴らしいのは()()()()()()()()の治療法を発見し確立したことだろう。一部の病は、病巣を見つけ出し、切除しなければならない。人を殺さずにそれを成し得る技術は一朝一夕で習得できるような生易しい物ではないが。

 

 グラムベルの説明にウィリアムは驚いているようだった。

 北方の部族の生まれ、という話だったから、そうした知識が不足しているのだろう。

 

「素晴らしい世の中になったものだ……そのいじゅつ、とやら、我が故郷にも普及させたいものだ」

「そうすると良い。医術こそ人が見出した最大にして最高の技だ。体の不調はオレに報せろ。診てやる」

「それは頼もしいが、汝の手を煩わせないほど健康な方が良さそうだな」

 

 ウィリアムの返しにくぐもった声でフィリップは笑い、グラムベルは同意した。誰だって好きで病気になりたいなどとは思わないのだから当然だろう。

 フィリップが一頻り笑い終えると、もうこの話は終わり、とばかりに先に盛ってあったスープを()()()()()()()()食べ始めた。

 フィリップ曰く「病原菌の感染を防ぐのが目的」なんだとか。

 食事の段階であってもマスクを外さない事にグラムベルは苦笑いをこぼした。

 

 ふと、ウィリアムが思い出したように声を挙げた。

 

「そういえばグラムベルよ。貴様の言う伝承師は様々な伝承に通じていると言ったが、何か面白い英雄譚は無いのか?」

 

 そう言われては語らない伝承師などどこにもいない。グラムベルはにやり、と口元を歪ませた

 

「いいだろう。有名どころは大英雄ガルトリウスに悲劇の男サルバレア、竜殺しのルーカス、帝国を築き上げたかの皇帝の逸話、全て諳んじて見せようじゃあないか!」

 

 熱のこもった声だった。まるで無垢な子供のような心からの声。歓喜に打ち震えるその様は、豹変、と言って差し支えなかった。

 

「ム、ム?」

「……やれやれ、魔術師にしては真っ当だと思っていたが……なるほど伝承のこととなるとこうなるか」

「さぁさぁ!何が御所望だウィリアム!」

 

 話を振られたウィリアムは少し考えて、

 

「ならば大英雄ガルトリウスを頼もうか、名は知っているのだが全ての物語を知る訳ではないのでな」

 

 と応えた。

 大英雄ガルトリウス、と言えば世界的知名度を誇る英雄の中の英雄である。

 彼が立てた武功や逸話は数知れず、一部失伝しているのだろうが、それでもなお多くの逸話が残された傑物だ。

 

「良いだろう良いだろう!今宵は眠ることなど叶わぬと――」

「却下だ。睡眠は人にとって重要な要素だ。医者()が徹夜を許すと思うなよ?」

「――ということらしい、やれやれ、無粋な奴だ」

 

 グラムベルとフィリップが互いに睨み合う。ちょうど彼らの視線が交わる辺りで火花が散っているような、そんな光景。

 それを見て、ウィリアムは大笑いするのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 結局、徹夜しそうになるのをフィリップがグラムベルに対し手刀を首に叩き込むことで沈黙させて、伝承語りは終わった。首に与えた衝撃で意識を奪う一連の流れが戦士であるウィリアムから見てもかなり洗練されていて、教えを受けたかったのだが「患者は寝ろ」の一言で終わってしまった。

 

「この……医者がむやみに人に危害を加えるなど、阿呆か貴様」

「必要悪の処置だ。霊薬の力に頼って徹夜に耐えるつもりだったのかこの伝承バカ」

「そう言い争うな、同じ釜を囲んだ中であろうに」

 

 おかげで目覚めて早々、このやり取りである。

 伝承のこととなると目の色が変わる伝承師。

 医療こそ至高と言って憚らない医者。

 ウィリアムはなんとなくこの二人は似たもの同士な気がするのだが

 

「それじゃあ、オレは行くとしよう。また無様を晒すようなことは御免被るところだ」

「待て」

 

 グラムベルに待ったを掛けられ、腰を上げる途中で止まった。

 

「なんだ?」

「学園に行ったついでにこの手紙を何通か届けて欲しい」

 

 そう言って差し出されたのは数枚の便箋だった。クアエダムでは紙の製造法が確立されており、他の国よりも先に羊皮紙からの脱却が為されていた。

 いつのまに用意したんだこんな物、と思ったが、命の恩人からの頼みだ。断る理由も無かった。

 

「ふむ、命の恩人からの頼みだ、引き受けよう。だが――」

「宛先は全てその便箋に書いてある。別に中身を読んでもらっても構わん。それとこれは選別だ」

 

 グラムベルは懐から数本のガラス瓶を取り出した。

 

「なんだ、これは?」

「旅人の霊薬だ。これ一本で一日は空腹と喉の渇きに悩まされなくなる」

「効能は俺も確認した。非常用ではあるがきちんと効果はある。クアエダムに着いたらちゃんとした食事を取るように」

「む、むぅ……」

 

 曖昧な返事をしつつ受け取る。中身は緑色で、軽く振ると粘性の無い液体のようだった。

 ――後ほどこれを呑んであまりのまずさに悶絶する羽目になることをウィリアムは知らない。

 

「この恩、この程度では返しきれんな。今後、助けが必要ならオレを呼べ。どこにでもオレは駆けつけようではないか」

 

 そう言って、ウィリアムは掘っ立て小屋を去っていった。

 

 

 グラムベルはマスク越しで表情が一切わからない男と向き合った。

 

「で?貴様の用件はなんだ?ウィリアムだけを行かせてこの場に残る、ということは私に用がある、ということだろう?」

「ああ、そうだな」

 

 フィリップは、何てこと無いように言った――思えば最初から妙だったのだ。

 この道は今ではほとんど使われない。なぜなら東方の国ならば帝国や王国の港から隣国のマリングロウズに海路で向かった方が早く、安全だからだ。

 また、リンテイル魔女連合であれば人より大きな怪鳥、大烏(オオガラス)を使っての空路もある。

 そうして陸路が廃れた今、この道を通るのはウィリアムのようにそうした常識を持ち合わせなかった人間か――事情を知った上でこちらを通る必要のある人間だけだ。

 

 その上、この場に医者が現れた事自体が余りにも都合が良すぎた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()としか思えないほどに。

 

 ――占術。

 形式は様々だが占いによって未来を探る魔術系統の一種。

 グラムベルはこの魔術によって正確に未来を予見できる存在を少なくとも二人は知っていた。

 一人はディーワ学園での同級生。占術科の神童と持て囃される陰陽師。

 そしてもう一人は――

 

「これを読め、そこに全て書いてある」

 

 差し出された羊皮紙の封をしていた蝋を見て「やはりか」とグラムベルは呟いた。リンテイル魔女連合、魔女議会の承認印。その内容を読んだ。

 

――

はじめまして。私はフィーナ。公儀では『希望の魔女』と呼ばれている者です。

 

ミスターアーカスト。この手紙を読んだ時点で察しているかと思いますが、あなた方の存在は我々にとって重要なものとなっています。()()()()()までにあなた方を生き残らせなければなりません。

そこで私を含む大魔女5名の総意により、あなた方の監視と護衛の為に彼、フィリップ・フローレンスを派遣しました。彼ならばあなた方を守り抜いてくれることでしょう。

どうか、彼を傍に置いてくださいな。

――

 

 希望の魔女フィーナ。

 リンテイル魔女連合の代表を務める大魔女の一人。1000年前に世界を震撼させたという大災『魔女狩りの魔女』を封じた14人の大魔女の生き残りであり英雄だ。

 やはり、と言ったのは彼女はありとあらゆる古典魔術を極めていると聞く。彼女であれば一人の人物に絞れば占術で以って完全な未来を予知することなど容易いことだろう。

 

 ()()()()と書いてある以上、思い当たるのはアルカトリだけだった。

 星詠機関によるアルカトリの保護はクアエダム議会の問題だと思っていたが、魔女連合の魔女議会までもが干渉してきたということはどうやらそれだけでは済まないらしい。

 星詠機関は占術によって未来を予測し、大規模な事件や災いに対抗する機関だ。リンテイルでは希望の魔女が支部の臨時顧問という形で関わっていたはず――

 

(――来るべき時、か……いや、まさかな)

 

 一つだけ、思いつくことはある。あるのだが、その想像をグラムベルは鼻を鳴らして切り捨てた。あまりにも馬鹿馬鹿しすぎたのだ。己はただの伝承師で、アルカトリも異能こそ特殊だが、ただそれだけでしかない。

 だから自分達が想像通りの事態に巻き込まれるとは思えない。

 

「で?フィリップ、貴様はどこまで聞かされている?」

「貴様の周りに患者が増えるから診てくれ、と言われている。それ以外に興味は無いな」

「……そ、そうか」

 

 希望の魔女様、人選、間違ってませんか?という言葉は胸中に留め、ふと、手紙の続きに目を遣った。

 

――

追伸。あの子がお世話になっています。少々面倒な人たちとも縁を繋いでいますが、どうか見限らないでやってくださいまし。

――

 

 そこで手紙は終わっていた。

 希望の魔女に()()()と呼ばれるだろう相手でグラムベルに思い浮かぶのはただ一人。

 

 ――楽しく生きなきゃ損ですよぅ?だから泣くのはやめましょうよぅ。

 

 そう言って、難病を患った弟を救ってくれたかの商人娘ぐらいのものだった。

 あの悪戯娘、どうやら完全にばれてるらしい。というか、もう文面が完全に娘を見守る母親のそれだった。リンテイルで問題を起こした大魔女の末裔相手にそれで良いのか大魔女様。

 正義の魔女にばれようものなら断罪ものだろう。グラムベルは苦笑いを零した。

 

 さて、とフィリップを見た。

 仮面の所為で表情は読み取れない。だが、彼の診察や霊薬の効能確認の手際などの手腕は見た。戦闘能力は――そういえば的確に急所に手刀を叩き込んで気絶させられたのは昨日のことだったか、おそらく格闘戦であればかなりのものだろう。

 

「で?行き先はどこだ?」

「陸路でラングルを経由して帝国に向かう……着いて来るか?」

「患者居るところに医者あり、だ。患者が増えるというなら俺が行かない理由は無い」

 

 違いない、とグラムベルは返した。

 

 

◇◇◇

 

 

――――

 

この手紙が読まれている、ということはウィリアムが学園に無事到着した、ということだろう。私の予想では4日か、もっと早いか、といったところか。陸路の整備が成されていたなら馬も使えるのだが、やはりクアエダムは旅人の墓場などと呼ばれるだけのことはあるらしい。

こちらの旅はだいぶ遅れこそあるが問題なく進んでいる。この手紙が届いている頃にはラングルに到着しているはずだ。そこで一週間ほど滞在してから山脈を通り抜けて帝国へと向かう。

 

この手紙を届けたウィリアムだが、偶然行き倒れているところに出くわしてしまってな。介抱してやった際に魔術学園への編入生だというので発つ時にこの手紙を持たせたというわけだ。もちろん、貴様だけでなくオレの友人達宛てにも届けさせている。

 

今回、こうして手紙にて連絡をした理由だが、今後、使い魔による連絡を行えないからだ。

伝書鳥を使うという手もあるが、それでも何日掛かるかわからん上に、遠距離連絡用の魔術は効率があまりに悪くてな、準備していない。

一応、帝国に着き次第手紙を送るつもりだが、届くのは一週間以上先になるだろう。ラングルに送られてもその頃には私は帝国に向かっているはずだ。返事は無用、と言うわけだ。

 

正直このペースだと2ヶ月、では済まなくなる可能性すらある。次に会うのは2学期かもしれん。

それまでの間はクアエダムから出ない方が賢明だろう。道中で神国の密偵と思われる女と会った。まだ私が貴様の主人だということはわかっていなかったようだが、このままで終わるとは思えん。市街に出る際は注意しておけ。

 

では、また機会を見て連絡する。

 

 

追伸。

学園に戻った暁には貴様の拡げた縁を確認させてもらうことにするが。それだけでは少々もの足りんのでな、宿題を与えることにする。

私の工房に入るための護符を同封した。工房内にある伝承を書き記した本の内一冊を暗記しておけ。次会った時には諳んじてもらうのでそのつもりで。

 

 

――――

 

「えと、これをごしゅ――グラムベルさんが?」

 

 アルカトリはそう、手紙を届けてくれた相手、ウィリアムに問いを投げた。

 背の高さは大体、グラムベルと同じぐらいか、どういう訳か立ち姿からは巨岩と相対しているような威圧感を覚える――のだが、

 

「は、はい」

 

 青年の()()()()()()()()()()()()()と目に宿る優しげな眼差しが、その威圧感を打ち消すどころか打ち勝っている始末で、、首には冬でもないのに毛皮のマフラーを巻きつけている姿もまた、ちぐはぐな印象をアルカトリに与えていた。

 

 リーンから編入生の話は聞いていた。なんでも北方の生まれで、この方魔術に触れたことが無かったものの、最近になって異能に目覚め、その制御法を得る為に学園に来たらしい。その為異能科に所属するんじゃないか、と言っていた。

 

 ――そしてもう一つ。リーンは彼のことが苦手である、ということも。

 

 それは、今日の昼休みのことだった。

 

「ア゛ァァァ……、コイバナ成分が足りないィ……なんでこの学校って出会いが少ないのォォォ?」

 

 昼休みになって遊びに来たリーンが、そんなことを言いながら机に突っ伏した。

 アルカトリは死んだ魚の目になり、フィーは冷ややかな目でリーンを見やる。フェイは苦笑いを零していた。

 彼女と知り合ってから一週間。一悶着あったものの。今では昼休みになると、時折こちらのクラスにまでリーンが遊びに来るようになった。

 ちなみにリーンの扱いだが、クラス内では「アルカトリの舎弟」という認識をされているようだ。「舎弟って何?年下の友達ってだけなのに……」と影で涙したアルカトリがいたそうだ。

 

「リーンのセンサー、壊れてるし仕方ないね」

「リーン、何を言ってるのか良くわからないんだけど……」

「さすがは学園七不思議のコイバナ妖怪……コイバナ探して三千里って感じかな?」

 

 上から順にアルカ、フィー、フェイである。リーンが思わず「酷いです先輩方!」と言う程度にはあれだった。

 その後もぶつくさと拗ねる見た目幼女の後輩に苦笑いしつつ、フェイは言った。

 

「そういえばリーンの学年に編入生が来たって聞いてるけど、どうなの?」

「そうでしたそうでした!ウィリアム君って言うんですけど凛々しい顔に鍛えられた体、色白の肌に綺麗な金髪――見た目だけなら絵物語の王子様!……なんですけど、なんか言葉が変なんですよねぇ」

「言葉が、変?えっと、言葉が拙いってこと?」

 

 よくわからない話だった。声が変、なら見た目に対してイメージに合わない声だったのを変、と言うのかもしれないが、言葉、と言われるとそれぐらいしか思いつかない。

 だが、リーンは思い出したかのように言う。

 

「――あ、そういえば言ってませんでしたね。私、()()()宿()()()()を研究してるんです」

「言葉に宿る、魔力?」

 

 リーン言うには、人の言葉には無意識に魔力が混じるのだという、そこに着目した彼女は、それを利用して言葉の魔力からそこに込められた感情を探ることが出来るのだとか。

 とんでもない話だった。フェイとフィーも唖然としている。

 つまり彼女は言葉を聞くだけで虚飾を暴くということに他ならない。普段からのふざけている様子からは想像のできない話だった。

 

「すっごいなぁ……」

「うん、すごい……それ、論文にして発表したらすごいんじゃない?」

「いやぁ、それほどでも~」

 

 褒められてでれでれと照れる姿は幼い見た目と相俟って可愛らしい。その姿にデレデレと視線を送るクラスメイト数人に睨みを利かせるとクモの子を散らすように逸らされた。

 

「で、そのウィリアムって子の言葉がどう変だったのさ?」

「ああ、そうでしたそうでした。ウィリアム君なんですけど。ずっとおどおどしてて――」

「それってただ単に来たばっかりでここに馴染めていないだけなんじゃ」

 

 リーンはその言葉を否定はしなかった。

 

「私もそうだと思います。北方寒冷地帯の部族の生まれらしいですし、慣れない環境で不安になってるんだとは思うんだけど」

 

 そこで一度言葉を切ると周りをきょろきょろと見渡してから声を潜めて、こう続けたのだ。

 

 

 ――まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな気持ち悪さがある、と。

 

 

 

(やっぱり、よくわかんないな)

 

 結論の出ないまま、遠ざかって行くウィリアムの後ろ姿を見送ると、考えを切り換えてアルカトリもまた歩き出した。

 

 向かう先はグラムベルの工房である。今日は誰とも約束していないし渡りに船だ。

 突然出された宿題もむしろご褒美と考えてもいいだろう。『ラングルの塔』を返すついでに別の面白い物語に手を出すのも悪くない――次はどんな英雄譚を読もうか。

 

 

 

◇◇◇

 

「――やはり、未だに快復の兆候は見られぬ、か」

 

 ラニウス・ゼレムは溜め息を零した。

 現皇帝が原因不明の呪詛を受けてから更に日が過ぎたが、未だに伯父は目を覚まさない。重要な政務は皇帝自らが引き受けていたため、その大部分の負担は宰相、スマウグ・ナーガが一手に担っていた。しかし、それも限界が近いだろう。

 

 協力者としてグラムベルを呼んだが、彼の到着よりも先にスマウグが倒れ、政務が滞る可能性の方が高い。皇帝が病床に伏していることも隠し切れなくなるだろう。

 そうなれば、嬉々として神国は攻め込んでくる可能性がある。

 

「……やはり、()()()()()()()()()()()?」

 

 懐から取り出した紙――それは帝位継承権を持つ者たちに配られたモノだった。

 

「伯父上……あなたは何を考えているのだ」

 

 ラニウスは独り、呻いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

遅くなりました。今回はグラムベル視点なしでございます。


「模擬戦を挑みたい」

 

 クラスのお調子者が緊張混じりの声でそんな提案をしたのは、昼休みに入った直後だった。

 

 スペルリィ・ディード。

 

 昼休みになると、マジックショーを開く奇術師。

 

 初めて彼を見たのは入学式の時。アルカトリの服装も異国情緒――そもそもこの世界の物では無いので異界情緒、というべきか――溢れる服装ではあったのだが、それを鑑みても尚、一際派手な恰好をしている人が居るな、と思った。

 

 白と黒のチェックが入ったシルクハットに、腰まである赤と青のラインのマント、水色の服には金と銀のラインの縁取り。仕立ての良さはもちろんのこと、その様々な色を取り入れた独特の衣装はとにかく目立った。

 老師が入学式で独創性の素晴らしさを説いた時に取り上げられる程度には目立っていた。さすがの彼も恥ずかしがっていた。

 

 入学当初の彼は、というと、大抵笑顔の中心に居た。口調こそ劇の演者のような、だけどそれが馴染んでいるような不可思議な雰囲気もあったが、同時に良く喋り、良く笑い、良く笑わせた――そういえばこの頃から簡単な手品でみんなを驚かせていた気がする。

 

 それが変わったのは夏休みが終わった後のこと――彼が突然、マジックショーをやり始めた。確かその頃は手組みの舞台を用意していた。

 物珍しくて、そしてどこか()()()()()、アルカトリは足を止めて見入った物だった。

 

 だから、たまにある決闘の無い時間だけは昼休みの中庭は彼の領域だった。自分が助手として手伝う羽目になり、散々絶叫させられたこともある。

 今でもあんにゃろう、と思いはするのだが、同時に楽しかったのも事実だった。絶対に言うつもりの無いアルカトリの秘密である。

 

 ――アルカトリは彼についてそれぐらいしか知らない。

 

 彼の使う魔術なんぞ知らないし、そもそもなぜ自分に模擬戦を挑んできたのかさえ不明だ。

 だけど、あのお調子者が、あんな真剣な顔をするのは初めて見た。

 

「いいよ、ディード」

 

 幸い、グラムベルは決闘こそ禁じたが、模擬戦を禁じた訳ではない。それに誓約はあくまでも決闘だけに縛られたもの。模擬戦ならなんの問題も無い。

 

「ありがとう、クライスタ」

 

 感謝とともに、スペルリィ・ディードはいつもの笑顔を作った。

 

◇◇◇

 

 場所は修練場に移る。

 修練場、とは魔術による闘争の中でももっとも原始的な闘争による鍛錬により、根源を目指す者たちの集う場所――と言えば戦闘狂だらけの巣窟に感じるかもしれないので訂正しておくと、魔術戦闘を想定して作られた施設の総称である。

 そこでは外部からの魔術干渉を撥ね退け、更に内部での魔術行使に不都合な影響の排除や、内部の魔術汚染を外部に漏らさない魔術的な機密性などなど、おおよそ魔術戦闘において一対一の力比べを実現できる施設である。

 

 そこに、二人の少女が入った。

 フィー・レ・ラー、そしてフェイ・ラドクリフだ。

 

「全く、アルカは何を考えてるの!?決闘じゃないって言ったって模擬戦だって立派な魔術戦闘でしょう!?」

 

 憤りを顕わに、フィーは中央の円形に設置された結界内で向かい合うアルカトリとスペルリィを睨んだ。

 ディーワ魔術学園において模擬戦は、審判役一名、抑止となる講師二名という三人の上位者の協力を得て初めて執り行われるものだが、この抑止の役割を務める人員をやってくれる講師、というのが居ないのが現状だ。

 その条件ゆえに模擬戦は現状では決闘科の特権であるかのように扱われている。

 そういう事情もあって、アルカトリが決闘でこの場所を使わなかったのは決闘科の学徒や講師から余計な決闘を申し込まれる可能性を嫌った結果だったのだが――どうやら今回は事情が変わったようだ。

 

「それとも、また何か――」

「模擬戦を受けた理由は後でアルカから聞きだせば良いよ」

 

 そう言ってフェイはフィーを宥めた。

 普段のフィーは冷静沈着、俯瞰して物事を見ることに長けた少女だ。故に今の取り乱す姿はらしくない、と言わざるをえない。

 それだけアルカトリを大事に思っているのか、それとも魔術戦闘に何か思うところがあるのか――両方か。

 

「もうここまで来たら無理に止める方が難しい、見守る以外の選択肢は無いよ。それよりディード、だっけ?昼休みになると中庭で見かけるけど、どんな魔術を使う訳?」

「わからない。魔導書科だって聞いてるけど、使う魔術までは……」

 

 だろうね、とフェイは諦めた。

 魔術師にとって使用する魔術の種を知られてはならない。なぜなら致命的な弱点を見破られたのと同義だからだ。

 事実、スペルリィは普段からマジックショーの演出で四つの元素を巧みに操っていたが、しかしその根底を見破った人間は誰一人としていない。そもそも四元素を操る魔術など多岐に渡るのだから予想したところで無駄だ。

 で、あれば、これ以上今の話題で話すことなど無いだろう

 ――故に、話は修練場に集まった人々に向けられる。

 

「……やっぱり人が少ないね」

 

 修練場の中にはまばらに人が確認できる程度しかいなかった。かつてのアルカトリの決闘では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを思えばどれだけの異常か。

 しかし、その原因を二人は見てきたばかりだった。

 

「扉の向こうは人で溢れ返ってたけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あんな大掛かりな結界、よく準備したと思うよ」

 

 自分達が入ってから硬く閉ざされた扉に目を向ける。今もその奥では結界に阻まれた学徒や講師で溢れ返っているのだ。

 

 ――結界。

 界を限定し、結び、閉じることで外と内とを隔てる魔術の一種。

 人払い、厄除け、(まがつ)返し、と種類は多岐に渡る。

 異界を作る際に使われる物は最高難度の高等魔術として扱われる代物でもある。

 

 それが()()()()()()の刻まれた石版とともに、この修練場の入り口に置いてあったのだ。

 

「【(イーサ)】、【(エオロー)】、【(ユル)】……だったと思う」

「ルーン文字だね」

 

 ――ルーン。

 北方に伝わる25の記号からなる魔術文字。神秘性や汎用性の高さから、今でも使用者の多いメジャーな魔術である。

 

「氷に結界、異界?でもそれだけじゃ条件付けが足りないんじゃない?」

「解読が間違ってる。【(イーサ)】は拒絶、【(エオロー)】には友情、庇護、【(ユル)】には縁切り、なんて意味もあるから、そのあたりを基点に文章を組み上げて喚起しておけば、そうね。あとはあの二人の血が2、3滴でもあれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんてことも不可能じゃないと思う」

 

 とはいえ、一歩間違うと()()()()()()になりかねない、なんて捕捉をフィーは加えた。

 フィーは優等生である。吸収できる知識は近代古典に関わらず勤勉。弟子にならないか、と声を掛けてくる講師もいるそうだ。なお、その尽くを振ったと言うのだから驚きであるが、しかしその博識振りには目を見張る物があった。

 

「さすがだねフィー」

「今回のは文章が簡単にしてあったから解読も楽だっただけ」

 

 淡々とフィーは言うので、フェイは「ふーん」と流しておいた。頬に少し赤みを帯びているのを確認して微笑みながら、だが。

 

「にしても、人払いにした方が楽だったんじゃない?外じゃ大騒ぎだしさ」

「人払いは対策がされやすいから。あの大人数じゃ『迷いの森』の逸話でも引っ張り出して迷宮を作らなきゃ話にならないよ。そんな大儀式、模擬戦一つのために使いたくないでしょ?」

「うわ……確かに無駄すぎるわ。でもあの石版もそれなりのアーティファクトだったと思うんだよなぁ」

「そうなの?」

()()の相場で百は飛ぶね」

「獣金札?」

「いや、人銀札」

 

 フィーが露骨に顔を顰めたのをフェイもまた同じ気持ちだと言わんばかりに頷いて見せた。

 ある国の兵士の給料が月に大体人銀札20枚ほどだったはずだ。つまり給料5か月分が吹き飛ぶのである。

 

 そんな取り留めの無いことを話しながら、集まった人々に視線を滑らせていく。

 この修練場はルーンの結界によって入場を制限されているために思ったよりも人数は少ない。

 少ないが、無視できない人物が何人か居るのも事実だった。

 例えば、近いところに居るこの大陸では見られない黒と青を基調とした和装に身を包む青年

 例えば眠たげにまぶたを擦る傍らに枕を浮遊させている小さな少女。

 

 ――フェイは彼らが何者かを知っている。

 

「占術科の神童やら異能科の眠り姫まで観戦って、ディードの奴、どんなコネしてんのよ」

 

 このディーワ学園内ではアルカトリ以外にも優れた魔術の腕から高い知名度を持つ学徒が何人か居る。そのうちの二人が、この場所に揃い踏みしていた。 

 

「いや、あれは多分、アルカの縁」

「……は?」

 

 何を突然言い出すのか、確かにアルカトリなら素晴らしい魔術の腕前を持つ者と縁は結べるのかもしれないが、しかし、彼女は決闘に敗北するまでフィー以外を突き放すように行動していたと聞く。

 であれば、異能科の眠り姫はまだしも、()()()()()()()()()()との縁は考えられない。

 だが、フィーを見る限りそう考えるだけの根拠もあるようだった。

 

「でも、なんで?」

「だってアルカは――」

 

◇◇◇

 

 ――時はほんの少しだけ遡る。

 

 修練場入り口。

 既に人で溢れかえるその場所を一人の小柄な少女が訪れていた。

 

 白いネグリジェに星柄のナイトキャップ――彼女の傍らに浮かぶ枕に眠たげに細められた眼、と今にも眠ってしまいそうで、その様に釣られて眠気を覚えさせる姿はどこか浮世離れしていた。

 

 ――リリウム・レムナント。

 異能科においてその様と異能から『眠り姫』と渾名される少女であった。

 

 リリウムは眠り(まなこ)をごしごしと擦りながら修練場の扉を見ていた。

 その奥でアルカトリ・クライスタ――()()()()()()()()()()()()が模擬戦を行うと聞き、駆けつけたのだが――

 

(これは……ダメ……だね……)

 

 ルーンの結界が張られているらしく入れるのはアルカトリ・クライスタとスペルリィ・ディードと友誼を結んだ相手のみ、なのだとか。

 お陰で修練場の前に人の波で溢れており、通る隙間も無い。中には諦めて帰ろうにも、人の波に揉まれて戻れない者までいる始末だった。

 

 少しの間、それを眺め、そして帰るか、と結論付けた。そもそもここに来たのは友人からの頼まれ事があったからなのだが、『無理の無い範囲で』という念押しもされていた。なら無理である今回は大丈夫だろう。

 

 そう結論付けて帰ろうとした時、ざわめきが止んだ。

 何事か、と見てみると、集まっていた群集の視線が全てこちらを向いている。

 ――いや、リリウムの身長は140少しと非常に小柄だ。故に自分を見ていたならその視線は自分を見下ろしていなければならない。それにその表情は恐怖と忌避が混ぜられたような表情だった。

 

「はぁ……ここか。やれやれ、流石にここを覗くのは骨が折れるが……かといって歩き回るのも、私の趣味、ではない――そうは思わんか?眠り姫」

 

 背後からの声で、すぐに理解した。

 人に不快感を覚えさせる、気だるげで、嘲るようなその声。多くの学徒達に恐れられるその声の持ち主をリリウムは知っていた。どうせなら会いたくないと思う相手だった。

 

 振り返ると、黒を基調とした東洋の装束が目に付いた。視線を上に上げていくとたらり、と垂れ下がる藍色の髪が目に入った。

 顔立ちは端整だが、薄ら笑いを貼り付けた口元と、水底のように澱んだ目がそれを台無しにしていた。

 

 予想が的中していたことを確認して、眠って現実逃避してしまおうかなんて思ってしまうほどに、嫌な相手でもあった。

 ――スイゲツ・カガミ。

 自称。極東の陰陽術士を名乗る魔術師であり。未来予知レベルの占術を行使する『占術科の神童』と呼ばれる人物だ。

 しかし、その性格は陰気であり、自分で勝手に占い、突然悪い未来に関わるであろう相手に嫌みったらしく教えてうろたえる様を見て薄ら笑みを零し、楽しむ他。困難に直面する者たちをこの陰陽師が持つ秘奥の魔術で遠くから見て楽しむというまったく人に自慢できない趣味を持っている。

 おかげで腕こそ確かなのに学徒たちから蛇蝎のごとく嫌われ、忌避される人物でもあった。

 

 そして、リリウムとは()()()()()()()()間柄でもあった。

 

「……スイゲツ、その呼び方やめてよ」

「くくくっ、あまりにも似合っているのでつい、な。だがこれは私が名付けた訳ではないだろう?私に文句を言うのはお門違いというもの……」

「……留守にしてるから無理」

「では奴が帰ってくるまで取っておくといい――では行くとしよう」

 

 スイゲツが一歩前に踏み出した。リリウムは首を傾げた。

 

「私たち、入れないよね?」

「安心しろ、私もお前も無駄足を踏むことはない。何せ――」

 

 スイゲツは歩みを止めず、しかし顔だけリリウムに向けて言いながら。

 

「――()()()()()姿()()()()()()()()()

 

 ――白線を容易く通り抜けたのである。

 

「――!」

「簡単なことだろう?なんせ私達は()()()()だそうだ」

 

 スイゲツの言う理屈は、要するに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というとんでも理論であった。

 

「……屁理屈」

 

 そう言いつつ、リリウムもまた、白線を乗り越えて修練場に入った。

 入れるのならば使わない手は無い。開けた入り口で待ち構えるスイゲツの姿こそ嫌なものだが。

 

「適用されているならば理屈なのだろうよ。いや、屁理屈を理屈にしてしまう誓約の強制力を恐れるべきか、くくくっ……自ら困難を選び抜く精神性は正気こそ疑うが、賞賛に値する」

「その『他人の不幸は蜜の味』みたいな感性はどうにかならないの?」

「茨道こそ人生の華。故に眺め甲斐が有るというものだろう?それを不幸と嘆き諦めるのは興醒めだがね」

「……はいはい」

 

 よくこんなのと仲良く出来るよねぇ、と遠い目をして友人を思い浮かべ、その友人も変わり者だったな、と溜め息を零しつつ、リリウムは修練場の中へと歩を進めるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 ――修練場中央。

 そこに一組の男女が立っていた。

 

 魔導書科所属の奇術師、スペルリィ・ディード。

 異能科所属のマナ使い、アルカトリ・クライスタ。

 

 お互い黙していたが、しかしその様相は全くの真逆で、アルカトリが黙してただ立っているのに対し、スペルリィは何やら思案顔でくるりくるり、とまるで踊るように回って観衆を見渡していた。

 彼が回る度にカツカツ、と金属の叩く音が鳴っていた。

 音を鳴らしている靴に目を遣りつつ、アルカトリは問う。

 

「……何を見てるの?」

 

 ぱたり、と靴音が止んだ。スペルリィは愉快げに少女へと返す。

 

「たまには会員制のショーというのも悪くない、と思ってね」

「そう考えられるディードが羨ましいよ、ホント」

 

 呆れたとばかりにアルカトリは返すが、スペルリィは笑った。

 

「ハハハ!それは褒め言葉として受け取って置こう!……いや、何、君とこうして魔術で競い合えることに高揚していてね」

 

 呆れた話だった。これから模擬戦とはいえ、一歩間違えれば死が待つ魔術戦闘を行うのだ。しかも相手は()()()まで全戦無敗を誇ったこのアルカトリ・クライスタである。

 

「私相手に少しは怖気づくかと思ってたんだけどね」

「私の憧れとこうやって魔術を競えるんだ!昂らずにいられる訳が無いだろう!」

「……憧れ?」

Exactly(その通り)!」

 

 スペルリィはまるで好きな物を語る子供のように、熱く、熱く語った。

 

「私はね、実は君のファンでもあるんだ。毎回、毎回君の決闘は楽しみにしていたよ!六元素を巧みに、そして堂々と操るその立ち姿!あの時の君には確かな華があったのだよ!」

 

 驚きだった。

 まず、自分にファンがいたと言う事実に驚き、次いで自分が度々見ていたマジックショーのマジシャンがファンであったことに驚いた。

 だが、よくよく考えれば自分が決闘をする段になると彼は特に盛り上げていた。

 フィーはその行為が酷薄に見えたのかいつも眉を顰めていたが、アルカトリとしてはどうでもよかった。

 しかし、まさかファン、なんて物だとは思っていなかった。

 

「――まさか、私の戦う姿を見るために模擬戦を?」

「さて、どうだろうね?」

 

 ふと思いついた理由を口にしたが、しかしスペルリィは不敵な笑みではぐらかした。

 

「……まぁいいや、たまには戦わないとこっちも鈍るって思ってたからちょうど良かったし」

「――だからといって私を呼び出すことはないだろうミス・クライスタ」

 

 そこに、老人の声が割り込んだ。

 学園長、ロー・アンク。

 やれやれ、と疲れたように溜め息を零す老師に、アルカトリは努めて明るく言う。

 

「良いじゃないですか、変に大事になった所為でみんな私が模擬戦するって言うと嫌がりますし」

 

 そもそも模擬戦が中々行われないという点は前にも述べた通りだが、現状、アルカトリ・クライスタの名前を含めるともっと行われる可能性は低くなる。

 学園長がわざわざ出てきたのはそういう事情があってのことだった。

 

「私だって息抜きしたいです」

「確かに星詠にその案件を持ち込んだのは私だがね……」

 

 事務仕事が一段落してようやく昼食だ、と思っていた矢先にアルカトリとスペルリィが飛び込んできたのだ。

 お陰でお昼も片手間に二人の要望を受けて元教え子である講師を二人が嫌がるのを説き伏せてどうにか模擬戦が出来るようにと手引きしたのである。

 やれやれと頭を振り、老師は溜め息を零すと、それぞれ広場の両端で待つ講師二名に目配せする。

 両方が頷いたのを確認して、最後に

 

「両者、準備は良いかね?」

 

 と確認した。

 

「ええ」

Sure(もちろん)!」

 

 アルカトリは淡々と、スペルリィは不敵にそれぞれ応じた。

 

「よろしい、では――」

 

 ――模擬戦を始める。

 

「【【世ヲ形作ルハー―」

「【開演(スタート)!――】」

 

 同時に、二人は詠唱を開始した。




※ルーンについて
 今作ではルーン文字をフサルク(ルーンのアルファベット表記)にて表記させていただきます。

※この世界における通貨事情。
 この世界での通貨は紙幣中心に移り変わっており、それぞれ金、銀、銅と紙幣に描かれる神、竜、人、獣で価値が変わる。
 低い方から獣銅、獣銀、獣金、人銅、人銀、人金、竜銅、竜銀、竜金、神銅、神銀、神金の順に価値がある。
 日本円換算で一、十、百、千、万……と桁が上がっていくが、竜銅以降の紙幣は桁が大きすぎて普段使いに向かないことや絶対数の少なさもあって目にすることは稀。

 もちろん旧時代の銅貨や銀貨、金貨も存在するのだが、貴金属ごとの相場や含有量などで価格が大きく変動するためあまり使われなくなっているが、銀は特に魔除けの触媒やアーティファクトの材料として重宝されることから金よりも相場が高くなることもあるとか。

 ちなみに紙幣の偽装、つまり偽札を見分けられるように特殊な練金術による施術が施されているそうで、やり方さえわかっていれば素人であっても見抜けてしまうのだとか。

※石版について(2019/09/16追記)
 結界を発生させていた石版は学園の備品であるアーティファクトです。
 元は北方に伝わる『選定の剣』の伝承において剣が突き刺さっていた石のレプリカ。
 そこにルーンを刻むことで選定する結界として機能させています。
 (伝承の元ネタはわかりやすいかと……)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

今回も、グラムベル視点無し。

……なんかこの話、幕間として作成した方が良かったんじゃないか?とも思うけど、やっぱり仲間になる瞬間、みたいなのは事前に書いておきたい派なもので。

それと思ったより戦闘シーンで苦戦しました。うーん、難しい!

※スペルリィ君の投稿者様。なんかキャラ崩壊させてる気がしてしょうがないです。本当にごめんなさい。


 スペルリィ・ディードは一人だった。

 生まれもわからず、親の顔も知らない。物心のつく前にイロドーツに捨てられていた孤児だった。

 その時手に持っていたのは魔導書。本来なら誰かに盗られてしまうかもしれなかったソレを、しかし運命の悪戯か、神の慈悲か、盗られることなくその腕の中にあった。

 彼は一人だった。誰も彼を見ない、そんな孤独感を彼は知っていた。

 そして渇望した。

 

 ――私を、見てくれ――

 

 それが、彼を魔術――ひいては奇術の道へと歩ませる原点。

 彼は、捨てられた時から手にしていたという魔導書を紐解くこととなる。

 

 

◇◇◇

 

 

「【開演(スタート)――】」

「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】!」

 

 詠唱は同時、されど先手はアルカトリ。

 僅か一節にて紡がれる詠唱はマナを掌握し、彼女の想像のままに魔術を顕現させる――生み出すは炎。地を奔り、刹那の間に勢いを増して襲い掛かる豪炎。

 

「――【魔力接続――剣(アクセス・ウエポン)】」

 

 されど、スペルリィは独特のステップを踏みながら踊るように容易く回避して見せた。カカカッ、と靴音が鳴った。

 

「――【術式起動『剣の7』(ウェルカム・セブン、)顕現(オープン)】」

 

 続けて巨大な火球を空から叩き込み、同時に床を凍結させるも、それすら靴音と共に回避される。

 であれば詠唱が完成するのは当然の帰結であろう。

 

「【――完了(レディ?GO)!】」

 

 完了と同時に宙に放り投げられた一枚のカード。

 それが一瞬にしてマジシャンの持つようなステッキへと変化した。

 

 ――アーティファクト!

 

 アーティファクト。

 それは魔術が施された様々な道具の総称だ。

 一般的な物は霊薬の類、危険な物は魔剣や妖刀などの事を示す。常に魔術汚染を撒き散らすため、その保存には慎重を要する物が大半なのだが、魔術師にとってはそれらも熟してこそ、ということもあって一般的に普及している。

 

 アーティファクトの中には触媒の代わりに魔術の補助を行うものもあれば、()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 使わせない、と床から更に凍結範囲を広げ氷塊を生み出し、足を捕らえようとしたが、

 

「【術式起動『玉の7』顕現(ウェルカム・セブン、オープン)!】」

 

 小規模な爆炎に吹き飛ばされる。

 新たに魔術をけしかけようとして、こちらに向けられたステッキの先端に穴が見えた。

 

 ――仕込み杖!

 

 パン、という乾いた音と共に魔力で構築された光弾が放たれた。

 咄嗟に転がり――転がり様に床から岩壁を隆起させて影に隠れた。

 

 弾速が思ったより早い。初撃を回避することが出来たのはアーティファクトだと警戒していたためだが、それでも運が良かった。

 おそらくオドで形作られた無色の魔力弾を放つ仕込み銃か。呪いが込められていなければ物理的衝撃を与えるだけの物だが、そうである保障は無い。

 数発、岩壁に魔力弾が叩き込まれているが幸いなことにこの岩壁を貫通するほどの火力は備えていな――

 

「【開演(スタート)魔力接続――棍(アクセス・パワー)――」

 

 スペルリィが詠唱を始めた瞬間に壁から咄嗟に離れた。

 

「――術式起動『棍の8』顕現(ウェルカム・エイト、オープン)!、完了(レディ?GO)!】」

 

 詠唱が終わると同時に、岩壁が打ち砕かれ、その奥にステッキを振り下ろしたスペルリィの姿が見えた。肉体強化か、別の何かか――いや、今は()()()()()()()()()()ことを覚えておけばいい。

 

「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】!」

 

 間髪入れず風の玉を叩きつけた。前にリーンとの出会い頭に放ってしまったソレ。

 だが今回は、炸裂と同時に打ち砕かれた岩塊を巻き込んでスペルリィに殺到する!

 

「おっと、It's dangerous(危ないなぁ)!」

 

 ――カカカッカッカカッ!

 

 しかしそれすらも如何なる奇跡か、奇術か。風の合間を縫うように、瓦礫の隙間を潜り抜けるかのように、奇術師は靴音と共に更に接近して見せた。

 やはりただのステップではない、あれもまた魔術だ。

 

「【開演(スタート)魔力接続――玉(アクセス・ジュエル)――」

 

 詠唱を妨害しようと更に続け様に魔術を放とうとして、しかしステッキの先端を向けられ魔弾が放たれた。どう足掻いても自分の異能よりあのステッキ(アーティファクト)の方が早い。

 魔弾はアルカトリの頬を掠め、更に腹に直撃――

 

「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】!」

 

 ――しかし、なお迫るスペルリィの腹に直接風弾を叩き込んだ。

 

「ぐぅっ!」

「がふっ!」

 

 解き放たれた突風にお互い吹き飛ばされ二人は床を滑り、場外の手前で示し合わせたかのように飛び起きて見合った。

 

 ここまで僅か2分の攻防。互いに痛み分け、といったところか。

 

 

 

 ――うぇ、気持ち悪い……やっぱりただの魔力弾じゃなかった。

 

 先ほどの魔弾は衝撃をぶつけるだけでなく、意識を昏倒させる術式だったようで、殴られたような痛みと同時に軽いめまいを覚えた。だが幸い出血するような物では無い様で、水のマナによる解呪を施すとめまいはすぐに解消された。

 

 ――多分、数発受けたらそのまま昏倒するから回避と防御は必須……と、それと思った以上に厄介なステップね。私の魔術の尽くが()()()()()()()

 

 カカカカッカカカカッ、とスペルリィがリズムに乗って靴音を鳴らし踊るのを、アルカトリは目を細めて観察する。

 確かスペルリィの出身はイロドーツだったはず。とすればこれは――舞踏儀礼か。

 

 舞踏儀礼。

 北方の南国、と呼ばれる国、イロドーツにて発展した特殊な魔術。舞踏や音楽、歌を組み合わせ力を引き出し、様々な事象を引き起こす。

 特に有名なのはイロドーツの気候を北国のものから変貌させている結界魔術の動力として舞踏儀礼が使われていることか。

 イロドーツの国民はその全てが舞踏儀礼の使い手と言っていい。踊りや音楽を愛し、様々な催しの中でそれらを披露し、研鑽していくのがイロドーツの魔術師(ダンサー)達だ。

 

 そしてスペルリィのダンスは()()()()()()に存在するタップダンスに近い物。

 タップスと呼ばれる金属板を靴底の爪先(ボウル)(ヒール)につけて床を踏み鳴らしながら踊る()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ダンスの一種。

 イメージを重要視するのは魔術も同じこと、その踊りにどのような意味が込められているのかは想像できないが、しかし、アルカトリの魔術を寄せ付けていない現状がその完成度を物語っている。

 だが、弱点の無い魔術など存在しない。

 

 ――踊りが魔術の基点なら足を止めさせれば舞踏儀礼は瓦解する。それより問題はあの()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 詠唱からして武器の7と力の8は使った。おそらく氷を迎撃した炎はマジックショーの演出に用いていたものを戦闘に転用したものだろう。武器も力もそのままの意味だとして、残りの数字の意味は?

 あと、氷を迎撃した爆炎も7だった。詠唱を短縮することも可能らしい。

 

 あのカードを見れば何かわかるかもしれないのだが、スペルリィが簡単に種となる触媒を晒すとは思えない。

 

 

 ――それはそれとして、次はどんな魔術を見せてくれるのかな?

 

 

 闘争の中で好奇心が鎌首をもたげた。

 

 

 

 

 ――さすがアルカトリ・クライスタ。

 

 腹に受けた風弾のダメージを一切顔に出さず、その胸中でスペルリィは少女に賞賛を送る。

 

 アルカトリの異能は先天的なものだが、その異能を使いこなす判断の早さは後天的な物。

 手が多い分、どの手を切るか素早く、冷静に判断しなければならないのだが、それをほぼノータイムでやってのけている。

 特に序盤の上空で火球を発生させ視線を誘導し、床を凍らせるというのは見事だった。

 視線誘導(ミスディレクション)は奇術師にとって重要技能だ。そう簡単に嵌ってやるつもりは無いが、それをほぼノータイムで行う技巧こそ素晴らしい。

 素晴らしい、が。

 

 ――手加減されているな。

 

 アルカトリ・クライスタが()()()()()()()()の決闘を見てきた者たちであれば、誰もが気付くことだが、彼女の異能の力ならこの程度ではすまない。

 そもそも、彼女の一番の強みはマナを掌握することによる大規模な魔術の連続行使ではなかったか。

 もしかしたら模擬戦、という縛りが彼女にそうさせているのか。

 

 ――だとすれば好都合!私のショーは簡単に終わらずに済みそうだ!

 

 そんなことを胸中で零した。

 スペルリィは目立ちたがり屋である。手品だけでなく魔術を披露するのもその一環だ。

 模擬戦を挑んであっさり負けました、では魔術を披露できたとは言えまい。

 

 手品を披露した上で種を見破らせないのが奇術師であるならば、魔術を披露した上で見破らせないのもまた奇術師である。

 

 ――それに第一目標はクリアできたみたいだし、第二目標の達成を目指そうかね。

 

 アルカトリの目。好奇心に輝くその目を見て、スペルリィは不敵な笑みをより深くする。

 カードは()()()()()。十分すぎる枚数だ。口火を切ったのは、スペルリィだった。

 

「【開演(スタート)魔力接続――玉(アクセス・ジュエル)――」

「【世ヲ形作ルハ――」

 

 戦いは、詠唱から再開される。

 

◇◇◇

 

 アルカトリが引き起こした豪炎を、スペルリィは砂塵の嵐で以って迎え撃つ――そんな光景を目にして、フェイは口笛を吹いた。

 

「……あのスペルリィって奴、思ったよりやるね」

 

 フェイの言葉に、フィーも頷いて同意した。

 

「六大元素の制御は前からショーの演出で使ってたけど、身体強化、アーティファクトの生成――特にアーティファクトの生成を一つの触媒と数節の詠唱で完成させるのはすごい……」

 

 触媒ですらその生成には簡単な物でも一週間は掛かる。であれば、魔術そのものを内包するアーティファクトは更に掛かるのは自明の理。

 錬金術の中にはそうした技術もあるという噂も聞くが、それでも破格と言わざるをえない。

 

「多分、あの触媒がアーティファクトの設計図と材料を兼任してる…とんでもない物持ってるな。流通させたら人銀単位で売れるか?」

「系統次第。一つの触媒で広い範囲に手を出せる汎用性は素晴らしいけど、なんの系統か全くわからない」

 

 系統、とはすなわち魔術ごとに与えられた形式の名称だ。形式がある以上、魔術師は肉体や精神をその形式のために作り変えるし、魔術に使用する触媒はその形式にあったものでなければならない。

 だが、スペルリィの触媒に描かれたマークを視力強化で認識できたが、フィーの知りうる知識の中で該当するものが何一つ存在しなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も見たことが無かった。

 

 もしかしたら、新種の魔術なのかもしれない。

 

「やー、ここまで見せられてるのにわからない魔術っていうのも珍しいですね~……っと、どもども先輩方!」

 

 そんなことを言って一人の童女が歩み寄ってきた。鮮やかなピンクの髪に140cmほどの小柄な体の少女。

 リーン・イレフューレンだった。

 アルカトリが年下の友人、と呼んでいる以上は彼女にも当然この修練場に入る資格はあったのだろう。

 

「あ、リーンも来てたんだ。最初から見てた?」

「ええ、今回は模擬戦の手伝いをしていたから最初からいたんですよ」

「手伝い?」

「ええ、外にある即席のアーティファクトの準備に講師の皆さんに混ざってちょこっと、ですけど」

 

 それを聞いて、フェイとフィーは驚いた。確かに講師の手伝いを学徒がするのはよくある話ではあるが、あの見事なルーンの結界を作った一人に彼女も関わっているというのは驚きである。

 ――事実、彼女はルーン魔術科に所属しており、今回の結界は彼女の用いるルーン魔術を参考に組み上げられているのだが、二人がそのようなことを知るわけもなく。

 

「……研究のことといい、今回のことといい……実はすごい魔術師?」

「やだなぁ、そんなんじゃないですって――まぁ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()んですけど、宛てが外れました」

 

 そんな現状に関わる情報を明確に出されてはそちらに話を向けざるを得ない。

 

「ディードがルーンを?でも、あれは」

 

 スペルリィがカードを放った。

 『術式起動『玉の騎士』顕現(ウェルカム・ジャック、オープン)――』

 

「ええ、全くの別物ですよ。あれは()()()()()()()()()()

 

 きっぱりと言い切り、リーンはスペルリィの放ったカード――そこからアルカトリの作り出した土石流を押し流す鉄砲水を見て、ぼそり、と呟いた。

 

「――それに、パパとママは……」

「何か、言った?」

 

 いえいえ!とリーンは慌てて答えたがフィーは眉を顰め問い詰めようとして――

 

「あ、危ないアルカ!」

 

 フェイの叫びに釣られて視線を広場に戻した。

 

 

 ――彼女が目にしたのは土石流を飲み込んだ濁流がアルカに襲い掛かるところだった。

 

 

◇◇◇

 

 スイゲツは土石流を水流が飲み込んだのを見て、彼にしては珍しく感嘆の声を挙げた。

 

「ほう、あの土石流を相手に()()するか!」

()()?何、ソレ」

 

 リリウムは戦況を見守りつつ、しかし聞きなれぬ単語にスイゲツへと説明を促した。

 

「知りたいのか?くくっ!本当に知りたいか?」

「あ、やっぱりいいです」

 

 リリウムは即座に聞いたことを後悔した。コイツ、うざい。

 

「くくくっ、()()とは五行思想における基本思想の一つだ。()()は相手を生み行く陽の関係。()()は相手を打ち滅ぼして行く、陰の関係。()()は逆相克と呼べるものでな、本来打ち滅ぼすという関係が逆転することを示すものだ。水侮土、水があまりにも強く、土の克制を受け付けず、土が水を侮った、とな」

「結局話すのね……」

 

 げんなり、とリリウムは相貌を歪めた。そういう性格の悪さを表に出すのがこのスイゲツという男であった。親の顔を見てみたいものである。

 もっとも、極東フソウの地で「こんな息子ですいません」なんて土下座させていたらこちらが申し訳なくなるので即座に頭を切り換えたが。

 なお、彼同様の()()()()をしているという考えは即座に斬り捨てた。こんな奴が何人もいて堪るか、というリリウムの心の叫びである。

 

 だが、要するに魔術の相性で不利なはずの魔術相手に、アルカトリ・クライスタが負けたということだ。

 

 

「……あ、防いだ」

 

 襲い来る濁流に、アルカトリは大量の木々とツタを生み出すことで瓦礫を絡めとリ、水を塞き止めて見せた。水生木に(木は水によって養われ)木剋土(木は根を張り土を締め付ける)。濁流すらも養分にして木を生み出しツタや根を絡ませることで土を塞き止める――五行思想における相生に相克をうまく使った防御であった。

 

「やはりアルカトリ・クライスタは五行の基本的な思想に通じていると見える。異能者でなければ陰陽師にでもなるつもりだったのかもしれんなぁ……くくっ!五行に愛されし娘か!フソウに居たならばそれだけで戦の火種だったろうに!」

 

 才ある少女を火種と呼び嘲笑う様には呆れて物も言えないリリウムであった。

 

 

◇◇◇

 

――術式起動『玉の騎士』顕現(ウェルカム・ジャック、オープン)

 

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?

 

 アルカトリはそれを聞いてようやく思い出した。

 

 ジャック。

 数字ではなくジャック、とスペルリィは言った。数字にジャックという言葉が混ざり、そして武器、力、宝石が存在するカード。

 そうか、と少女は理解し、そして混乱した。なぜなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 存在しないはずのものに意味が与えられた、その理由まではわからない。わからないが――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 おそらくそれぞれの()()()の意味を増幅し、それを応用しているのだろう。

 

 驚いた。

 驚きすぎて制御を失敗して相手の魔術に競り負ける、なんていつもはしないミスをして、カバーの為に結構な規模の魔術を行使してしまったが……スペルリィの靴音も途切れてしまった。果たして無事だろうか――

 

Great(すばらしい)Great(すばらしい)!だクライスタ!まさか私の魔術まで巻き込んで利用して見せるとは!流石の腕だ!Now I'm furiously moved!(今私は猛烈に感動している)!」

 

 思いっきり無事だった。アルカトリが作り上げた横倒しの木々の幹の上に汚れ一つ無い。無傷で降り立ったのだ。

 

 ――いや、無事、という言葉は訂正しよう。その顔は酷く青白い。

 

「余裕ぶってるけど、さっきのを凌ぐのでオドをだいぶ使ったみたいだね」

「ああ、全く持って恥ずかしいことにね!まさか私の魔術すら飲み込んで返して来るとは想定外だったのさ!おかげでダンスを途中で切り上げて今まで練っていたものを全部守りに注ぎ込んでしまったよ。ショーの最後に上げる花火用だったんだけどねぇ」

 

 HAHAHAHA!とスペルリィは陽気に笑った。笑って、言った。

 

「はてさて、私が使える魔術はあと一つだが――今回のショーは楽しんでもらえたかな?」

「……ショー?この模擬戦が?」

「YES!私にとっての魔術戦闘とは己のプライドをかける『戦い』などではNothing!私にとっての魔術戦闘とは――我が術をお見せするショータイムなのだよ!!」

「――」

 

 それは、とんでもない話だった。あまりにも魔術の戦いをそして命を馬鹿にした物言いだった。

 魔術戦闘は一歩間違えれば命を失う――いや、失うだけで済めばまだ御の字だろう。決闘により死してなお、尊厳を奪われる魔術師が今も存在するというのに、彼はその場は自身の魔術を魅せる場なのだと宣言したのだから。

 

 数多くの魔術師がその宣言に呆れ帰り、憤る――その中でただ一人。

 

「――そっか、真剣、なんだね」

 

 アルカトリだけが理解を示した。

 

「自分の好きなものの為に手を抜くなんてありえないモンね。君は目立ちたいだけじゃなくて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そうとも!そうともさクライスタ!()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そう言って、スペルリィは四枚のカードを放った。今度こそそのカードの模様を確認することができた。

 

 

 そのカードは――トランプだった。

 

 

 

 スペードの10。

 クラブの10。

 ダイヤの10。

 そして、ハートの10。

 

 

 

 その組み合わせは彼女の知識の中にあるトランプを使ったゲームにおける役の一つとして存在するもの。

 

「【開演(スタート)魔力接続――四天(アクセス・フォーカード)術式起動『四天の10』顕現(ウェルカム・テン、オープン)――完了(レディ?GO)!】」

 

 その詠唱の結果――アーティファクトが作り出された。

 

 どこかで「魔導式フリントロック!?」と驚く声が聞こえたが、アルカトリは更に驚愕することとなった。

 

ウィンチェスターライフル(M73)!?」

 

 ――ウィンチェスターライフル。

 アメリカの西部開拓時代においてウィンチェスター社が開発したライフル銃。特にM73はコルト社製リボルバー『コルトSAA(フロンティアシックスシューター)』と共に西()()()()()()()()と称されている銃だ。

 

 ウィンチェスターライフルはレバーアクション方式。()()()()()()()()銃がフリントロック式であることを考えればどれだけの差があるかご想像いただけるだろうか。

 

 アルカトリは銃口がこちらに向けられるより早く――横倒しになった木々からツタを伸ばしてスペルリィを拘束していた。そして拳を握って駆け寄り――

 

 

「そんなもん模擬戦で使うなバカァ!」

「ムガガ!?」

 

 

 鉄 拳 制 裁。

 

 

 ――こうして、模擬戦は、アルカトリの勝利で幕を閉じたのであった。

 

 

◇◇◇

 

 スペルリィ・ディードは、魔導書から様々な魔術や奇術を学び、それを披露することで注目を集めていった。

 しかし、人は目新しいことにこそ目を向けていく生き物でもある。彼が独学で解析できた奇術や魔術も、何度も見ては飽きが来てしまう。

 そこで彼は魔導書の解析を進めるため、そして新たなる観客を得るためにディーワ魔術学園へと進学したのである。

 

 そんな彼が入学初日、当時は酷く静かだった中庭で見たのは――微笑を浮かべて火の玉や光の帯を操り、戯れる、一人の少女の姿だった。

 素直に、美しい、と思った。

 

 いや、少女自身は眉目麗しいかと聞かれれば10人中何人かは「そうか?」と疑問を呈するだろう。(それを聞けば本人は憤慨するだろうし、では10人中全員に眉目麗しいと認められたいのかと問えば――それはそれで可愛らしい反応が見れそうではある)

 だから、スペルリィが美しい、と感じたのは魔術に対して向けられる純真無垢な瞳を見たからだ。

 

 ――魔術って、すごいなぁ。

 

 そんな声が聞こえてくるような、純真な眼。

 その眼に、スペルリィは惹き付けられた。

 

 

 その少女は、クラスメイトになった。

 どうやら少女は異能者だったらしい。しかも世界で唯一の『マナを掌握する』力を持つ少女。

 スペルリィにとって面白くない話だが、視線は彼女に集中した。

 

 だから、負けてたまるか、と簡単な手品を披露したりして皆を驚かせた。

 ――むしろこの国の魔術師たちの方がこうした娯楽に飢えていたようで、思ったより盛り上がったが、やはりそれだけで。少女、アルカトリ・クライスタに集まる注目とは毛色が違っていて、物足りない。

 

 数ヶ月も経つと、スペルリィはあの中庭で奇術を披露するようになった。

 思ったよりも盛況で、時折、アルカトリも観客として見に来るようになった。

 自分の使う奇術を見ては時折、郷愁を匂わせることへの興味もあったが、スペルリィからすれば見てくれていることへの喜びの方が勝った。

 ちょっと調子に乗って手品の手伝いをさせた時に大泣きさせてしまったことは反省している。

 

 その頃には少女は決闘を挑まれるようになっていたが、それでもあの魔術に対する憧憬は残っていた。

 

 それがある日突然変わってしまった。

 誓約だ。

 少女が自らの魂に誓約を刻み込み、決闘を繰り返す日々が始まったのだ。

 少女から憧憬は消え、友人たちを突き放し、決闘も鮮やかながらに容赦を無くしてしまった。

 

 その魔術の手腕は素晴らしかった。どこまでも綿密に編まれた敵を倒すための技術は、時に芸術にさえ映った。

 

 でも、それ以上に悲しかった。

 

 あの無垢な眼差し。魔術に対する憧憬を持つ少女の在り方。()()()()()()()()()()()が失われてしまったことが、とても、悲しかった。

 

 だが、スペルリィに出来ることは、ただ、奇術を見せてあげることだけだった。

 自分と彼女はただのクラスメイトだ。友人でも同郷でも親戚でもない、ただのクラスメイト。

 出来ることなど、自分の持つ技術で少しでも楽しませることだけだったのだ。

 

 幸い、少女がそうなってからも、自分のマジックショーを見に来ていることは知っていた。彼女はその間だけは平穏を享受していたのだと思う。

 ――いや、これはあくまでそうあってほしい、というスペルリィ自身の願望でしかないが。

 

 

 

 

 

 そして、始まりも唐突なら、終わりもまた唐突だった。

 白いインバネスを纏った褐色の男。

 彼が少女を打ち倒したことで少女の戦いは終わり――少女は決闘から解放された。

 

 それから数週間。少女は少ないながらも友人と仲良く過ごす姿が散見されるようになった。表情もあの頃のように柔らかいものへとなりつつある。

 

 だが、それでも、魔術への憧憬は戻っていなかった。

 

 

 なら、魅せてやらなければなるまい。自分の魔術で彼女に憧憬を取り戻すのだ。

 

 

 ――そしてスペルリィ・ディードは、アルカトリ・クライスタに模擬戦を挑んだのである。

 

◇◇◇

 

 スペルリィ・ディードは見慣れない白い天井を見上げていた。

 

「ん……ここ、は」

「医療魔術科の安眠室だよ」

 

 返事があったのでそちらを向くと、アルカトリ・クライスタが椅子に座って本を読んでいた。本のタイトルは『ディーワと魔法の世界』とある。

 このディーワ魔術学園とクアエダム自治区の成立に関わった古の魔術師、ディーワ・クアエダムが残した自伝を元に書かれた冒険譚だ。スペルリィも読んだことのある有名な本である。

 全二十刊からなる物語だが、彼女が読んでいるのは第三刊。終わりはまだ先のようだ。

 少女はこちらを向くことなく淡々と告げた。

 

「軽い精神(オド)欠乏に軽い脳震盪が合わさって云々かんぬん言ってたから一先ず寝といてね」

「その云々かんぬんの部分こそ重要だと思うのだがね……」

 

 スペルリィの言葉に、アルカトリはそっけなく「はいはい」なんて言う。

 やれやれ、とスペルリィが肩を竦め、しかし少女の忠告を聞き入れて起き上がることは諦めた。

 

「――で?なんで私に今更模擬戦なんて挑んだのさ。決闘で負けたから私が弱くなったとか考えてたわけじゃないよね?」

「まさか。君の強さをこれまで見てきてそう考える者はいないさ」

「じゃあ、なんでさ」

「……」

 

 スペルリィは沈黙した。

 話すのは簡単だろう。簡単だが……しかし気恥ずかしさが勝るのは当然だ。

 暫しの間の沈黙――アルカトリは溜め息を一つ零して本を閉じて立ち上がった。

 

「先生呼んでくる。おとなしくしててよ」

 

 そう言って彼女は立ち去る――

 

「……君に」

 

 ――筈だった。

 

「君に、魔術を魅せたかった。魅せて、()()()()()……」

 

 そこで、流石に気恥ずかしさが勝って、言葉を詰まらせた。

 奇術によって相手を手玉に取る奇術師にあるまじき失態だ。

 ――失態、だが、しかしここで黙ってしまうのは何かが手遅れになるような、そんな予感がしたのだ。

 

「……」

 

 少女は足を止め、そして戻ってきて、また椅子に座った。

 

「あのさ、ディードって馬鹿なの?」

 

 そして、発言は辛らつだった。

 

「な、なななな!?」

「まったく、マジシャンならマジシャンらしくしようよ。無理に戦う必要なんて――」

「だ、だが、私と君の接点なんてクラスメイトというだけだ!それに君は異性との関わりを避けていただろう!フィー嬢など私を毛嫌いしているし!なら、君に挑むぐらいしか私に選択肢は……」

「い、いや、まぁ、それは……確かになぁ……」

 

 思い当たる節があるのか、アルカトリは頭を抱えていた。

 そしてスペルリィはスペルリィで腹の割るという部分はあまり得意ではないためか、顔を真っ赤にしていた。暫しの沈黙の後、少女が切り出した。

 

「――ファンだった」

「……何?」

 

 聞き間違いか、とスペルリィは顔を上げた。少女が頬を染めたまま、再度、言う。

 

「君の奇術(マジック)のファンだった」

「な――」

 

 なんだってぇぇぇ!と絶叫した。

 

 確かに彼女が自分のマジックショーを見に来ていた。だが、ファン、なんて言われるなんて思ってはいなかったのだ。

 

「ディードの手品はすごかった。今でも種がわからないものもいっぱいあるし、それに、演出に使っていた魔術もとても鮮やかで、いつも見てて嬉しかった」

「嬉しかった?」

 

 うん、と少女は答え、そしてこう、続けたのだ。

 

()()()()()()()()、みんなが楽しむために使ってる人がいる。それがすごく嬉しかったんだよ」

 

 ――ああ、そうだったのか。

 

「君は、()()()()()好きだったのか」

 

 なんという勘違いか。スペルリィは笑いをかみ殺すのに必死だった。自分は彼女が魔術を嫌いになってしまったのだと思っていた。魔術への憧憬を失ってしまったのだと思っていた。

 

 それが、全くの見当違いだったのだ。奇術師が道化役とはこれは如何に。滑稽すぎて笑えてくる、恥ずかしくて泣きそうだ。そんな顔を見られまいと片手で目元を覆った。

 

「うん?なんでディードがそんなことを聞くのさ」

 

 そう言って少女はいぶかしんで、更に続けたのだ。

 

「そもそもディードも言ってたじゃん。()()()()()()()()()()()()って」

「ああ、そうだね」

 

 返答も投げやりであった。

 

 「変なの」なんてアルカトリは言って腰を上げようとした。今度こそ先生を呼んでくるつもりなのだろう。彼女に隠れて安堵の溜め息を零し――ふと、アルカトリはこんなことを(のたま)った。

 

 

「あ、ディード、私と友達にならない?」

「何がどうしてそうなった!?」

 

 

 スペルリィが慌てたのは言うまでも無い。

 ――なお、その結果は後日、二人が何やら手品の種を考えたりしている姿が見られるようになった、とだけ記すに留めておくとしよう。




 スペルリィ君がいつのまにか憧れの女の子が落ち込んでたからどうにかしようとして変な方向に頑張る男の子になってしまった。
 私にミステリアスな感じのキャラはやはり書けないらしい……うぐぐぐ難しい。

なんか恋愛的な雰囲気に見えないでもないな……

 ちなみにスペルリィがアルカトリのファンという設定は、投稿されてきた際の台詞より抜粋したものです。そこを色々と曲解しました(オイ)


Tips

・『奇々怪々術』
 スペルリィ・ディードの使用する魔術。彼が物心着く前から持っていた魔導書に記載されていた魔術であり、ジョーカーを除く52枚のトランプに非常に酷似した触媒を用いる。
 2を最低値としAを最上値として行使する魔術の規模が大きくなり、それに比例して消費するオドの量も大きくなっていく。

 厳密にはルーンでは無い別種の魔術。使い手は今の所彼のみである。

 スペードは剣。
 転じて武器を意味することから、数字ごとに定められた武器となるアーティファクトの生成を行う生成術式。【スペードの7】のステッキは彼がもっとも多用しているアーティファクトである。

 クラブは棍。
 力を司る増幅術式。身体強化に加え、他のスートと組み合わせることで込められたオドを増幅し、効力を上げることも可能とする。

 ダイヤは玉――すなわち宝石。
 様々な宝石にはその色ごとに6元素に対応するとされることから六元素の魔術を取り扱うことが出来る。
 実はスペルリィには元素に対する得手不得手が存在しない。そのため各元素の扱いに関して有利不利が無い。

 ハートは聖杯。
 聖杯に注がれた水には癒しの力が宿るということから治癒の術式として機能する。
 J以上の絵柄とエースであればその効能は死の淵から肉体を賦活させ、回復せしめると言う。

 スペルリィは後述する舞踏儀礼と合わせることで本来必要な詠唱の一部を省略したり、途中まで詠唱を終わらせて待機状態にしておき、必要な時に一節の詠唱で使用するなど、変幻自在にこの魔術を適せん使い分けている。
 ただし触媒となるカード一枚一枚が使い捨てとなるので一度使用したカードはその戦闘中扱えなくなるという欠点も。
 ちなみにトランプのセットを複数準備してはいけない。なぜなら原則に従うことこそが魔術に神秘性を与え、力とするからだ。

 なお、魔導書の作者は不明だが、この世界に存在しないはずのトランプやそこから生成されたウィンチェスターライフルの存在を踏まえると……


 余談だが「この世界にはトランプまだ無い」とアルカトリは認識していたが、実はアルガラント王国の一部の地域で娯楽用品として扱われており、それがまだ世界に出回っていないだけなのだ。その発明者は――


※裏Tips(裏話)
 トランプのスートをルーンに見立て考えられた魔術で、投稿されてきた時非常にテンションが上がりました。一目で気に入り、効果面の調整を行って採用。
 ただ、今回の執筆中に「小アルカナ」のワードを思い出しました。
 この魔術を小アルカナとしていたらいつか大アルカナに関係した魔術も使わせられたのに……とか、小アルカナならスートだけでなく数字ごとにも意味を持たせられたのでよりルーンに近づけられたな、とか、むしろ新しい魔術系統として扱えたんじゃないのか?とか――
 とにかく今回の執筆をしていて色々ともったいないことをしたな!という個人的後悔もあったり。

 ちなみに現実でのトランプと小アルカナの関係性ですが、どうもまったくわかっていないようです。


 そういえば、今回の投稿キャラにアルカナ(タロット)を使った魔術師が誰一人いなかったな……

 それと、実はクラブ、のカードについては効果を身体強化だけでなく魔術に込めたオドの増幅にも使えるように変更しています。


 実はグラムベルの天敵となりうる魔術その1。そもそも魔術的起源がわからず、完璧なメタを張りにくい。相手の魔術からその起源を予測し対抗術式を行使する混沌魔術では効力も半減してしまうというのが主な理由。


・『舞踏儀礼』
 大陸北方において気候を南国のものに塗り替えられた北国『イロドーツ』にて発展した魔術。
 その原点は神を楽しませるための舞であり、神への捧げ物であったが、今では多様化し、神への捧げ物としての側面は薄れている。
 それでもなお魔術として効力を発揮するのはイロドーツの神が踊り好きであったことが今も伝えられ、国を挙げた祭りが毎年開かれているからだろうか。
 中には武術の演舞を取り入れることで戦闘用に仕立てた舞踏儀礼もあるそうだ。

 スペルリィは舞踏儀礼を用いて上述の奇々怪々術の「魔術の出力強化」や「詠唱の短縮」の他に「魔術的加護」を自身に付与することで敵の魔術をいなし、呪術を避ける、といった使い方をしている。

 余談だが東洋の島国「フソウ」独自の魔術系統『巫覡(ふげき)儀礼』には神楽と呼ばれる文字通り神を楽しませる舞が存在する。しかしこちらは厳粛且つ厳格で「祓い清める」という一点に特化しているという。

※裏Tips
 踊りを用いた魔術、という発想は当初の時点で「神楽」という形で存在していたのですがイロドーツを頂いた際にその設定の面白さから完全に独立した魔術系統として考えたものでした。(なお個人的に命名)
 また舞踏「魔術」ではなく舞踏「儀礼」としたのは、その発端がイロドーツの神に捧げる物、という認識が根底にあったため(儀礼とは宗教的な儀式を指します。エルブズュンデの経典儀礼も似たような理由)

・アルカトリが五行思想にあやかった魔術を行使している訳。
 実はアルカトリ本人は魔術思想としての五行を認識していない。そもそも五行における相生、相克などの考えは自然現象に対する認識の仕方の一つでしかなく、そこに魔術的意味を与えるかどうかはまた別問題である。
 彼女は前世の知識と今生の知識が合わさって作り上げられた彼女個人の常識に当てはめて相性を想定し使っているだけであり、マナが彼女の常識に引っ張られ魔術的な五行相生などを行えているだけなのだ。

※裏Tips
 要するにポケモ○とかに出てくる相性とかを前世の知識で会得していてより「こうかはばつぐんだ」な属性を選んでいるだけなのです。
 プロローグでのアルカトリはツタという薪を用意して火を着けて風で仰いで火を強くしている、程度の認識でしかないですが。魔術的かつ五行説に当てはまる行為でもあるので同じ効果を魔術に与えている、という訳です。
 なのでそのような内情を知らなければスイゲツ君のように勘違いをする訳で


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

あー、すっごい時間が掛かった……本当に遅筆ですいません。いい加減本筋の話に入らなきゃいけないけどそれも難しいなど。Tips書くの楽しすぎる(オイ待て)


 牙城の里、ラングル。

 

 大陸の中央山脈地帯の一角に存在する、実在した魔術師、ラングル・アデルベルクが立ち上げた隠れ里を起源とする錬金術師の聖地(メッカ)だ。

 戦乱期が終わりを告げ、各国が国を建て直し、その傷跡が癒えてきた約百年前まで塔に見紛う程の土壁に囲まれていたこの地は、塔の内に「世界の神秘が眠っている」と噂されていた。

 

 その塔に、アルガラントの青年魔術師が挑んだ。

 彼は風の魔術による飛行術を磨き上げ苦節数年――青年は塔の頂上に到達したことで、この里は発見され、紆余曲折を経て国交は開かれ、塔は自然と崩れ去った。

 

 ここ数年はロー・アンク老師の手によってこの里を興した錬金術師ラングル・アデルベルクの生涯と里の成り立ちをドラマチックに書き起こした書籍「ラングルの塔」が各国でベストセラーとなり「物語の舞台となった地」としての側面を持ちつつある。

 

 また、大陸でも有数の霊地であり、生態系と錬金術が独自の発展を遂げ、この地でしか見られない植物が多く見つかる他、ゴーレムと呼ばれる自立思考型土人形を生成、使役する手法を確立しており、動く土人形達の手によって環境の保全が行われている。

 

 ――そのゴーレムの内一体、馬型の個体が、二人の男をその背に乗せ、ラングルへの帰還を果たしていた。

 

「やれやれ、毎度のことながらゴーレムに乗りながらの獣道となると中々きついものがあるな」

 

 黒髪褐色の青年が彼にしては珍しく疲れたような顔をして溜め息混じりにそう零すと、相方と思しき白髪褐色の青年は独特な仮面越しにくぐもった声で返した。

 

「確かに途中でお前が吐きそうになっていたのには本当に焦ったな」

「馬以上の速さで道なき道を踏破したんだぞ!あれで酔わない方が難しいだろうが!」

 

 想像だけで酔いのぶり返すような動きを思い出したのか、「うぷ」と黒髪の青年――グラムベルは顔を青くして口元を押さえた。

 

「そうか?思った以上に爽快だったぞ?」

 

 対する白髪の青年――フィリップはけろりとした顔でそうのたまったのであった。

 彼らは与り知らぬ事だが、この馬型ゴーレムには乗り物酔いを抑制するために様々な魔術が施されている。

 そのため現代換算にして時速120kmオーバーを獣道で出しても乗り手に対して揺れの影響はかなり抑えられているのだった。

 

 仮面で表情が見えないが、しかし言葉通りなんとも無いのだろう。

 グラムベルはそんなフィリップを恨めしく思いつつ、ゴーレムの背から降りた。それに倣い、フィリップも降りた。

 するとゴーレムは一人でに動き出し、どこかへ走り去ってしまった。あくまでもあのゴーレムは麓とこの里の間を行き来する役割しか与えられていないのだろう。

 ゴーレムの後姿を見送ると、フィリップが話を切り出した。

 

「それで?わざわざ宿を予約するのを止めたんだ。宿の当てはあるんだろう?」

 

 その言葉に、グラムベルは鼻を鳴らした。

 国交が行われるようになってから山脈地帯の麓にある街がラングルへの窓口となり、宿場町となったが、ラングル内でも宿を取れるようゴーレムを要請する際に一緒に頼めるようになっている。

 その手続きをしようとしていたフィリップを制したのは、グラムベルだったのだ。

 

「付いて来い」

 

 言葉少なに、グラムベルは目の前の坂道を登り始めた。

 あまりにも不親切な物言いにやれやれ、とフィリップは肩を竦め、その後ろを追従する。

 ラングルはその成立の都合上、中央山脈地帯の山の頂上近辺にある。

 そのため空気が薄く、整地されてこそいるが坂道も多い。老人は苦労すると思うのだが。どうやらこの地に住まう人々はだいぶ(たくま)しいらしい。

 どこかに湧き水の出る場所があるのか、それを桶で運び入れるご婦人方は細腕で軽々と持ち上げながら談笑に興じる余裕があるようだ。

 また、老夫婦が斜面を棚状に切り開いて作ったと見られる小さな畑の世話をしている姿も見えた。

 子供たちが木の枝を使って剣士の真似事をしたり、走り回ったり、縄を使って縄跳びをしたり――中には人型のゴーレム相手に子供が数人組み付いてじゃれついていた。

 見る限り、木と土と石で作られたラングルでも一般的な物だ。

 

「……前に来た時も思ったが、若い男が見当たらないな」

「ここは錬金術師達の聖地(メッカ)。錬金術師の本分は研究だからな。その多くが工房に籠るか麓の町で仕事をしているのだろうよ。あとは……今の次期はヤギの毛刈りの為に中腹の牧場に行っているのかもしれんな」

「ヤギ?……ああ、銀糸山羊の毛刈りの時期か」

 

 ラングル近辺では牧畜が盛んなことで知られており里の近辺にある山々で牧場を営んでいる者も多い。特産品としてこの山脈地帯特有の種である銀糸山羊の毛糸で作られた衣服や織物の他、銀糸山羊の乳を使った乳製品が挙げられる。

 

「土芋(こちらの世界で言うジャガイモ)を蒸した物に銀糸山羊の乳で作ったチーズを炙り溶かしたのを塗って食べた時の感動は今でも思い出せる」

「栄養を取るならシチューも良いな。銀糸山羊の乳なら絶品のシチューになること間違いなしだ」

「悪くない……山の夜は寒いからな。飲めば体の芯まで暖まるだろう」

 

 そんな取り留めの無いことを話しながら坂道を登っていく。どんどん、どんどん先へと進んでいく。途中で銅像――錬金術師ラングルアデルベルクの像――の立つ広場を越え、数日前世話になった民宿や民家、工房を越えて行った。

 ――時間にして小半刻、しかしその時点でどこに向かっているのかをフィリップは理解した。

 

「グラムベル」

「なんだ?」

「まさかかの()()と知り合いなのか?」

「あくまで師……と友人の伝だ。直接の面識は無いが、手紙を送ったところ是非泊まって行け、と返事が来てな」

「……素直に宿を取った方がいいんじゃないか?」

「好意を無碍にする訳にも行くまいさ」

 

 そう言っているうちに山頂が見えてきた。

 ラングルの里の山頂には高山に自生する草花に囲まれた一軒の邸宅が建っていた。

 

 それこそがラングルの里の長の家だ。

 グラムベルは迷うことなく邸宅に向かうと戸を二度ほど叩き、声を掛けた。

 

 「もし、里長殿はいらっしゃいますか」

 

 ――少し待ったが、返事は無かった。

 

 「……留守か?」

 「そうらしいな……少しばかり庭を見て回るか……」

 「不要ですじゃ、お若いお客人」

 

 ふいに後ろから声を掛けられ振り向くと、老人がいた。

 白髪の()()と長く伸ばされた白髭に優しげに細められた眼をした老人はグラムベルを見て「ほう」と息を吐いた。

 

 「そのインバネス……ローの弟子じゃな?」

 「はい、グラムベル・アーカストという者です……お会いできて光栄です『剣聖』ヴェルガ・アデルベルク殿」

 

 ――剣聖。

 魔術の中でも異質とされる肉体や精神の修練の先に強大な魔術現象を引き起こす魔術系統【修練魔術】の亜種系に魔法剣と呼ばれるモノが存在する。

 その魔法剣を体得した人物こそが『剣聖』である。

 

 現在、大陸内で魔法剣を体得していると知られるのは僅か五人。そして目の前の老人――ヴェルガ・アデルベルクこそがその五人の中の一人なのである。

 

 「ほっほっほ、そうかしこまらんで良い……ところでその()()()()()の君は」

 「フィリップ・フローレンスです剣聖殿」

 「ほほ、なるほど――立ち話も難じゃし、お入りくだされ」

 

 そう言って、老人は二人を我が家に迎え入れたのだった。

 

 

 

 

 邸宅の中は様々な文化圏の調度品が置かれていて統一感は無かったが、しかしその全てが調和を乱すことなく同居していた。

 ――ラングルは塔に覆われる以前、戦乱期の混乱の中を逃げ延びた難民達を受け入れてきた。そのために今では失われた宗教や文化が混ざり合い、塔に閉じこもった長い期間を経て調律されたのがラングルの里である。

 故にこれまで見てきた民家の建築様式も多少は山脈地帯に対応するアレンジこそされていたが、バラバラであった。

 外から来たフィリップからすれば少しは違和感を感じる物だったが、しかしそれに嫌悪感を感じることはなかった。

 

 翁はその調度品の一つらしい木製のテーブルにに向かっていたので、フィリップは先回りして椅子を引いて待つと彼は「ありがとう」と謝礼を述べてゆっくりとその椅子に腰掛けると、二人にも反対側の席に着くように促すのでお言葉に甘えて座らせてもらう。

 それを確認するとヴェルガ翁がテーブルの上に置いてあった呼び鈴を二度鳴らした。

 するとそれぞれ男と女のような容貌のゴーレムが二体、現れたのである。

 

「儂らに茶を用意してくれ。そのあと簡単な昼食も頼めるかの?」

 

 翁のオーダーに二体のゴーレムは一礼すると、ギシギシと音を立てながら別の部屋――おそらく台所へと姿を消す。

 その姿にグラムベルがほう、と関心を示していた。

 

「申し訳ない、少々会議が長引いてしまいましてな。客人を迎え入れる準備も出来なんだ」

「いえ、。むしろこちらが礼を言わねばなりません」

 

 フィリップがそう言いつつ、マスクを外した。流石に招待されておいて顔を隠すのは無礼である、と思ったがためである。

 だが、肝心のグラムベルの視線はゴーレムを呼び出した呼び鈴に釘付けになっており、隣からわき腹に一発肘鉄を食らわせておいた。がどこ吹く風であった。

 

「よく出来てるじゃろ。それは倅が作ってくれたゴーレムなんじゃ」

「なるほど次期里長殿の作品でしたか。刻印ではなく声での命令で動けるとは……もしや本体はその呼び鈴では?」

「ほほう!良く見ておるの!その通りじゃお客人。ゴーレムの核となる魔法陣はこの呼び鈴の内側に描かれておる。故にあれが崩れようとも、これを鳴らせば元通りになる代物じゃ。見てみるかの?」

「喜んで!」

 

 グラムベルは差し出された呼び鈴を受け取るとそれを丹念に調べ始めた。

 普段の無表情が消え去っており、まるで新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かせている。

 

「――二つの円環()は終わりと始まり、生と死、生まれ変わりを象徴する記号だが、はてさて。この六亡星の意味するところはおそらく――いやまてよ?それだけでこれほどのゴーレムを生み出せるとは思えない。であればこの呼び鈴の意味は……とすれば魔法陣に刻まれている文言は暗号化こそされているが恐らく――」

 

 そこまで言って、グラムベルは呼び鈴をまじまじと眺め、少しして満足したのかお礼とともに呼び鈴を返した。

 

「ほっほっほ。おぬしから見てこの魔術はどうじゃった」

「とんでもない代物です。モチーフはおそらく人類始まりの二人『原初の夫婦』。二つの円環は比翼の指輪を、六亡星は対となる存在の調和を意味するもの、であれば今回は男女の営みを示していると類推できる。文言は『我ら伴にありて、我ら主の供にあります』――原初の夫婦について記された古典の一節、神前において彼らが交わした婚約と、婚約の後も神に仕えることを誓った言葉だ。この地を楽園、呼び鈴を鳴らした人物を主として定義し、原初の夫婦を真似たゴーレムを使役する。はっきり言って化け物じみた技量だ。同じ発想が出来たとしても()()()()()()()()()()()を与えられる錬金術師はそうは居ないでしょう」

 

 そうじゃろうそうじゃろう、と翁は満足げに頷いて見せた。たとえ若輩者からの評価であっても肉親の作品を褒められれば嬉しいと思うものなのかもしれないが、フィリップは驚愕していた。この解答を導き出すのにグラムベルは一切魔術を用いていないのだ。

 アーティファクトの解析は基本的に魔導士――魔導書解析の専門家が兼任する作業である。そしてその際には安全の為に解析用の魔術を用いて行うのが一般的だ。

 魔術を使用すれば魔術汚染が軽度、重度に関わらず発生するものであり、魔術師としての才を持つ者は潜在的にそれを感じ取ることが出来るのだ。しかし、グラムベルからはそれが一切感じ取れなかった。

 

「あの子からは『魔術は3流だけどとんでもない目利き』と聞いておったがよもや一目でそこまで見抜かれるとはのう!」

「あくまでも類推しただけのことです。正確なことは製作者である息子さんの方が詳しいでしょう」

「いや、魔術抜きでそこまでの目利きが出来る魔術師はそうは居ないぞ」

「驚嘆すべきはその知識量とそこから瞬く間に解答を引き出す応用力じゃな。その歳でよくぞそこまで研鑽を積んだものじゃ……おぬし、伝承師と聞いておったのだが、もしや魔導師だったのかの?」

「……知り合いの商人に少しばかり教えられたもので」

 

 妙に苦々しい顔でグラムベルは答えた。

 あ、これは聞いてはいけないことだ。直感的悟ったフィリップと翁は目配せし話を変えようとして、ふと高山地帯特有の清涼な空気と共に数種類のハーブの匂いが入り込んだ。

 

「これは……ハーブティーですね?アンサグ、クロムネイト、グリムボット、タラスグラス……いずれもラングル特有の種だ……全て高値で取引される薬草ですよ?こんな高価な物まで」

「ほっほ、お客人、そう緊張せんでくだされ。これはこの里では当たり前のように飲まれてきた物ですじゃ。そんな大層な物ではござらんよ」

 

 そんなことを話しているとギシギシと音を立てながらも機敏な動作でゴーレムの内一体、男性型のゴーレムが湯気の立つティーポットと三人分のティーカップを持ってきた。もう一体は、どうやら石釜に火を起こしているらしい。

 ゴーレムがお茶を注ぎ、そして配膳していくのを眺める。ギシギシという異音こそ聞こえるが、その動作はかなり滑らかだ。オートマタでもここまでの作品は稀だろう。

 

 ――それこそ、()()()()()()でも中々お目にかかれないだろう。

 

 そんなことを思いながら、フィリップはハーブティーに口にするのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 翁との会話はとても盛り上がった。

 例えばグラムベルの友人だという少女の話。

 ――翁はグラムベルがその少女の良き伴侶になるのではないかと思っていたようだが、グラムベルはあっさりと否定しておりがっかりさせていたものの、少女がどのような学園生活を送っているのか、彼が知りえる範囲で教えた。

 その少女は今日も昼寝してるだろうな、なんて言っていた。

 

 例えば生まれの話。

 ――グラムベルが自身と同じアルガラント出身であることを知って故郷談義で大いに盛り上がった。途中で翁を置いてけぼりにしていたのを思い出し二人で頭を下げた。

 翁は優しく笑って見せた。

 

 

 例えば、グラムベルの師である人物の失敗談。

 ――伝承師にしてディーワ魔術学園の長、ロー・アンクとは旧知の間柄であり、若い頃は旅に赴く彼の護衛を一時期担っていたのだというが、どうやら当時はだいぶ()()()()していたらしく、その後始末に奔走させられたのだとか。

 「道理で師が会わせてくれなかった訳だ」とグラムベルは苦笑していた。老師は若い頃の失敗を弟子に知られたくなかったようだ。

 余談だが、その話の中で、行き倒れになったところを通りかかった医者が助けてくれたという話をしてくれた。

 その時の翁がこちらを見る目が優しかったので、おそらくその医者は――

 

 

 例えば、グラムベルがディーワ魔術学園のアルカトリ・クライスタを決闘で負かした件。

 かの誓約を刻んだマナ使いの少女の話はこの山中にも知れ渡っていたらしく、彼女から大金星を上げたグラムベルのことも翁は聞いておきたかったのだと言った。

 だが、グラムベルの歯切れが悪くなり、翁と二人で目を合わせたものである。

 

 他にも件のゴーレムお手製のサンドイッチを食べたり(ゴーレムの材料は土や岩、木を用いるので衛生に悪いと思っていたのだが、どうやら物理的な浄化の術式が掛けられていたらしく、土や泥なんかが混じったりといった問題は無い様だった)暗くなってきたので湯浴みをしたりした。

 グラムベル曰く、ラングルの山脈地帯には天然の温泉が点在し、そこを囲うことで共用の湯浴み処にしているのだという。翁と三人で向かった湯浴み処も盛況で、そこで里長だけでなく多くの住民と交流することとなった。

 

 そして夕食には期待していたシチューが振舞われ、二人してそのおいしさに頬を緩めた。やはり、ゴーレムが作ったとは思えないおいしさだった。

 

 

 これで終われば最良の一日だったというのに――

 

 

「お、ご――が――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 グラムベルが、床で這い蹲り、苦しみ悶えていた。

 口の端から泡を噴き、床をがりがりと手で掻く。爪は割れ、血を流し、しかしその苦悶は収まることなく男を侵す。

 浅黒い上半身は曝け出され、その至る所を()()()()()()()()

 

 それこそ、初見では呪詛を掛けられたかのようで、医者であるフィリップはすぐにでも解呪を試みようとして翁に止められたのであった。

 

「ぎ、ぎぃぃぃ――げぉ――ご」

 

 男の肌の上を蠢いていたものはしかし、虫でも無ければ蛇のようなものでもなくナメクジでもない――いや、それはもはや生き物ですらなかった。

 

 ――それが呪いではないと教えられ、それでも納得できる光景ではなく、しかし手を出せば二人とも死ぬことを告げられ、歯軋りをしてその光景を見続けることしかできない。

 

「ぐ――あ――ぁ」

 

 苦しみのたうつグラムベルを侵していた物。それは文字や文様だった。

 ルーンに漢字、古代アルガラント語にヘリオース教の経典の一節から魔法陣によく見られる簡易的な記号などの魔術刻印こそが、男を苦しませる原因だった。

 

 

 ――どこか、儀式を行うのに適した部屋はありませんか。

 

 グラムベルがそう言い出したのが一刻ほど前のこと。何をするつもりなのかを問うた翁に、彼はインバネスの内側。インナーで隠された肌を見せた。

 それは、フィリップから見ても異様な光景だった。衣服で覆われていた部分が一度爛れたかのように変色していたのだ。まるで焼き鏝を当てられた古い傷跡のようにも見えた。

 それはなんだ、とフィリップが震えた声で問うと、グラムベルは淡々と告げた。

 

 ――これは刻印が刻まれていた名残だ。私は才が無い故に直接体に刻み込んだ刻印を一回一回使い切りにするしかなくてな。少し前に全て使い切ってしまったんだ。これを刻みなおしたい。

 

 翁は長考の末に、それを許可したのだった。おそらくロー・アンクの弟子が使う魔術、かのアルカトリ・クライスタから大金星を上げた魔術への興味が勝ったようだった。

 

 

 ――翁はあの子や孫には見せられない、と目を伏せた。

 そもそも肉体に魔術刻印や魔法陣を刻むのは魔術を扱う際の補助を目的としていることが大半だ。肉体に刻み込んだ刻印を一々使い捨てにするなら呪符にした方が良いし、そもそも補助目的なら多くとも10もあれば普通の魔術師であれば事足りる筈だった。

 

 だがもしも()()()()()()()()()()()()()()()であったならば、そして彼がここまでの責め苦を受け入れてでも魔術師になることを願ったのならば――その結果が自身の肉体に大量の刻印を刻み、使い潰すという暴挙。一つや二つであれば魔術師にとって小さい苦痛もこれでは拷問と変わらない。

 しかも元々の痕や工程を見るに幅広い系統の魔術刻印を一度に何千と刻んでいる。これでは刻印同士が干渉し合い、魔術汚染を引き起こしかねない――いや、むしろその汚染に近づくことで自らを魔術師たらしめんとしているのだろう。

 事実、彼の周囲の空気に澱みこそあったが、それがこちらを害する様子は無い。苦痛に苛まれながらも魔術汚染を己の物としている証左であった。むしろ、外からの余計な手出しをしてこの均衡が崩れようものなら何が起きるかわからない。

 

 フィリップは、この儀式が無事に終わるのを待つしかなく、翁は杖を持つ手に力を入れていた。

 

 

 儀式が終わったのは日付の変わった、深夜のこと。刻印の蠢きは時が経つ程に弱まっていき、とうとう肉体に定着したようだった。あとはおよそ一週間を掛けて刻印を肉体に馴染ませる。当然絶対安静である。

 気付けば魔術汚染も儀式の終了とともに霧散していたのか、清涼な空気に入れ替わっていた。

 

 脂汗を噴出し、荒くなった呼吸をすこしずつ整えていくグラムベルに、フィリップは清潔な布を渡して言った。

 

「汗を拭け、この寒さでは風邪を引く」

 

 助かる、と短く答えて、グラムベルが受け取った布で汗を拭うのを見つつ、フィリップはグラムベルを()()。診て、眉を顰めた。

 ――すでに霊体の一部が刻印に侵食されている……

 

 霊体とはすなわち肉体とは別に存在する霊的身体であり、より魂に近しい肉体だ。その姿は現世(うつしよ)の肉体に依存する。

 肉体が傷ついたところで霊体に影響は無いが、しかし霊体が傷付いた場合そのフィードバックが肉体に現れる。

 そして魔術の多くはこの霊体へと影響を与え、そのフィードバックで以って肉体に反映させるものであり、刻印もその例に漏れない。

 そして肉体に刻印を刻む代償は魂なのだ。とはいえ、刻印の一つ一つが支払う代償は微々足るものであり本来であれば影響は無いに等しい。だが、それを何千何万と刻み込み使い捨てにした結果――現時点でグラムベルは霊体を蝕まれてしまった。

 

 霊体を蝕まれている以上、その影響は肉体と魂双方に現れる――おそらくグラムベルは寿命を今も少しずつ少しずつすり減らしているに違いない。

 今すぐ死ぬ、なんて話ではないが、それでもこのまま魂を切り売りするような魔術行使を続ければ長生きはできなくなるだろう。それに自ら寿命を捧げてしまう魔術師は珍しいとはいえ、居ないわけではないのだと、フィリップは師より教わっていた。

 

フィリップはその事実に歯噛みし、翁はその姿に険しい表情をしていたが、結局、何も言わなかった。

 

 

 ――その後、ラングルに滞在した一週間は何事も無く過ぎていった。

 

 刻印を馴染ませるために絶対安静を言い渡されるも触媒の取引をするために里を歩き回るグラムベルと、意識を刈り取ってでも患者(グラムベル)を連れ戻そうとするフィリップの追いかけっこが何回かあった。

 

 翁の孫娘――名はイルヴァと言った――が翁の邸宅に訪れた時は翁が戯れと言って魔術師的英才教育を施しているのを目撃することとなった。翁自身は戯れと言っている辺りに魔術師らしさが見て取れた。

 出会った当初は人見知りしたようで二人を見て翁の背に隠れてしまったが、翁が機転を利かせてグラムベルに伝承の語り聞かせを任せると何も無しに彼女たちの年代が好みそうな物語を選んで諳んじ、聞かせて見せたことで仲良くなれたのだった。

 

 事実、二人が里を離れる時に恥ずかしがりながらも二人に花の輪を作ってプレゼントしてくれた。

 グラムベルは「ほう、これは立派な触媒になるな……大事に使わせてもらうとしよう」なんて本人の前でのたまったので、流石にぶん殴ってやろうと思ったのだが、どういうわけかその発言に少女は喜んでいた。童女にあるまじき価値観であった。

 

 また、イルヴァの両親――つまり翁の息子夫婦――とも会った。

 あの呼び鈴の製作者ということもあり、翁がグラムベルの目利きについて教えるとやはり驚いていた。グラムベルと父親は非常に馬が合ったらしく、議論に花を咲かせて――それに嫉妬して膨れっ面になったイルヴァが割り込んできて父親が慌てて構う、なんて微笑ましい家族の姿を見ることが出来た。

 

 そんなこれまでのことを思い返しつつ、ガスマスクを身に付けたフィリップは翁と向き合い、頭を下げた。

 

「この一週間、お世話になりました――それこそ連れが本当に多大な迷惑を……」

 

 思い返せば3日目を過ぎた辺りでもはや自分達がこの里で一番偉い人物の家に泊めてもらっているということすら忘れてグラムベルに振り回されていたように思う。

 

「オイ、待てこの医療狂い、そもそもお前がぶん殴ってでも回収する、と躍起になったのが原因だろう」

「うるさい、患者は大人しく寝ていろと何回も言っても聞かない貴様が悪い。素人判断で悪化させるつもりかこの魔術馬鹿」

「褒め言葉として受け取ることにしよう」

「むしろ貶してるんだ愚か者」

 

 ピリピリ、と二人の間で視線が交わり火花を散らす。イルヴァは翁の背中に隠れ、翁は笑うのみだった。

 

「ほっほっほ、気にするでないよフィリップ。何、儂にとっては君らはもはや身内じゃて、じゃが、君は苦労する羽目になるじゃろうなぁ……なんせローの弟子じゃし」

「それはどういう意味ですか!」

 

 即座にグラムベルが噛み付いたが、翁はさっくりと返した。

 

「だってあやつの若い頃にそっくりじゃぞ?あやつも絶対安静にしてなければならんのに伝承の収集に奔走して儂も振り回されたからのぉ……同情するぞフィリップ君」

「同情するなら手伝ってくださいよ……」

「この老骨ゆえな、若者の動きに合わせるのはとてもではないが無理じゃな」

 

 そう言われては、フィリップも肩を落とすしかなかった。

 なお、素知らぬ顔のグラムベルには肘鉄をプレゼントしておいた。

 ――そんな彼らの耳に、ギシギシと近づいてくる音が。

 それは帝国領との国境に位置する山脈の麓町に向かうゴーレムの音に他ならない。それから数分も掛からず、馬型のゴーレムが到着した。

 フィリップとグラムベルは手際よくてきぱきと互いの荷物をゴーレムにぶら下げると、そのままゴーレムの背に飛び乗った。

 

「では、お世話になりました!また遊びに来ます!」

「次は流石にちゃんと宿を取ってきます」

「ほっほっほ、そんな気を遣わんでよろしい。また泊まりに来なさい。そしてこの翁に外の話を聞かせておくれ――それと、グラムベル」

 

 そして翁は、別れ際にグラムベルへと問いかけた。

 

「おぬしはローに……魔術師に何を見た?」

 

 それは、魔術の才の無い身でありながら霊体を刻印に蝕まれてでも魔術師であろうとするグラムベル――旧知の間柄である老師の弟子へと向けられた問い。

 グラムベルは、何の逡巡も無く、即答してみせた。

 

 ――()()の夢を見ました、と。

 

 その夢がなんなのか、翁はグラムベルに問うも、彼はそれ以上を黙して語らず。それが今回の旅におけるラングルの里との別れの言葉となった。

 

 翁は人の好さの窺える笑顔で、その孫娘はその翁の裾を握りながら、空いている方の手を目一杯振って、見送ってくれたのであった。

 

 

 

 

「で、次の目的地はどこなんだ?帝国、としか聞いていないぞ」

「次は老師の伝を頼りに行く」

「……そうか。で、場所は?」

「帝国南部の最大の港町――ユークだ」




Tips
・ヴェルガ・アデルベルク
 当代アデルベルク家当主にしてラングルの里の長を務める人物。大陸内で五人しかいない剣聖のうち一人。御歳89歳の人の好いお爺様。ロー・アンクとは旧知の間柄。
 精神の鍛錬の末に剣に近い形状の物であればなんであれ「剣」として振るうことを可能とする魔法剣『万(よろず)の剣(つるぎ)』を体得。
 その本質は斬るという動作によって対象に「斬った」という概念を叩き込むというもの。
 それ故に細長い物であれば彼の手に掛かれば剣となるのである。
 短めの仕込み杖を持ち歩いており、必要とあらばそれを武器にして戦闘を行う。相手によっては魔法剣を使わなくても不意打ちによる抜刀で切り伏せられたりとその実力は年老いてなお衰えを知らないように見えるが、本人にとってはそうでもないらしく、無理をするとぎっくり腰になる。
 飄々とした好々爺であり、またラングルの里は難民を受け入れてきた歴史から外の人間であっても寛容な気質は彼にも受け継がれている。
 最近は孫娘とのふれあいが楽しみなのだとか


・ラングルの建築様式など
 ラングルの里は塔を作って閉じこもる前までは戦乱期の難民たちを受け入れてきたのでその難民達の多用な文化が受け入れられることとなりました。
 その影響で山地に適応するために多少の変化はありますが昔の建築様式や装飾が今も使われているのです。
 また、この大陸内で最大の山脈地帯ということもあって外界との交易こそ行われましたが大きく染まることなく、今に伝えることになりました。


・剣聖
 いわゆるFateで言う所の佐々木小次郎の『燕返し』などのような研鑽の果てに魔法の領域に達した剣技を会得した人たちです。
 本作ではこの魔法の領域に達した剣技を『魔法剣』と呼称しています。(というかこれも読者様の案。おそらくアーティファクトで魔剣が出てたのでこのような呼称を考えてくれたんだろうなぁ……と頭が上がりません)



・原初の夫婦の設定
 皆様ご存知アダムとイヴをモチーフにした伝承。こちらでは蛇に誑かされることなく箱庭で生涯を過ごし、主、と呼ばれる神に仕え続け、子を成し、慈しみ、育てた。自分たちは箱庭を出た彼らの子孫が祖先であるという伝承。
 『我ら伴にありて』の伴は伴侶を『我ら主と供にあります』の供は従者としての意味を持ち合わせています。
 実は戦乱期の中で失われかけていたが、ラングル内でその伝承が残ることとなった
 ――という風にこちらで構想しました。



・この世界固有の動植物
 異世界ファンタジーとはいえ魔法以外で違いを出すとなるとこういう部分を考えることになるのかな~と。
 元々リンテイル関係の設定を頂いた時に人を運搬する大烏(オオガラス)の存在もあったので怪物や幻想上の動物になりきらない範囲でこうした動植物を出して行こうと思っています。

 ちなみに名前はてきとうに考えたものです。実際にそう言った名称のモノがあるかすら調べてません。



・グラムベルの刻印
 ――とにかくこれを書いておかないと彼に魔術を扱わせられないので早く描写せねば、と考えに考えていた部分。代償無しに魔術は使えない、という証左。
 まぁ、ここまで酷いのはグラムベルが魔術師として3流だからというのも大きいのですが。
 並みの魔術師が同じことをしようものなら間違いなく異界化を引き起こして死にます。しかも術者不在の異界は暴走する上に系統ガン無視の闇鍋なので何が起こるかその時にならないとわからないという始末。
 しかも刻印一つ一つの代価は微々たる物ですが、彼の場合は――
 運用難度:5(超)は伊達じゃないのです()


・霊体(もしくはエーテル体)
 肉体とは別に存在する霊的な肉体。その姿は現世における肉体に依存します。極稀にいる霊視する能力を持つ人物にはこれが潜在的に見えますが、通常の魔術師たちは魔術やアーティファクトを用いることで初めて認識できるようになります。
 ちなみにフィリップ君のは後者。医療魔術師たるもの、肉体だけでなく霊体も治せなくてはいけません。

 ちなみに霊能者の持つ霊視とはまた別物であり、魔術による霊視は主観となった人物のイメージが大きく影響するため霊能者とは見え方が大きく違います。霊能者の中にはその見える物に耐え切れず目を潰さなければならなくなった、なんて人もいるのだとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

――幕間のお話。

 クラッド・カインズはクアエダム自治区において降霊術師を多く輩出しつつも最近では傾きつつある魔術師の一門、カインズ一族の次代宗主となることを義務付けられていた。
 降霊術師としてはそれなりに優秀であり、同時にその立ち振る舞いも一門の次期宗主となることもあって厳しい英才教育を施されてきた。父親譲りで少々気難しい気質こそあったが、顔立ちは悪くなく、多くの友人にも恵まれていた。

 順風満帆な彼だったが、大きな悩みがあった――許婚の存在だ。

 魔術師の素養は異能者で無い場合、その血こそが重視される。
 故に前時代的風潮だが、魔術師同士の婚姻はより優秀な血統や素養が求められることとなるのだ。
 クラッドの許婚となった女性は前者。
 嘘か真か()()()()()()()()()()()()()()()であり、一度は魔術の血が途絶えるも、当代になって三男が先祖返りか素養に目覚め、ある高名な魔術師が弟子に取ったことで一時期話題になっていたらしい。
 その流れで逸早くその血を取り入れようと様々な魔術結社が睨み合うも、父が巧く立ち回ることでかの家の長女をクラッドの許婚として獲得することが出来たのだという。

 その事実はクラッドが18になるまで秘匿され、先日の18の誕生日に唐突に話を受け、その女性に引き合わされたのであった。

 思ったよりも美しい女性だった。
 アルガラントの北部の人々の特色である褐色肌に映える艶やかな黒髪。メガネの奥に見える星の輝きを思わせる銀灰色の瞳。表情は人形のように変わらなかったがむしろそれが彼女の美しさを引き立てていて、クラッドは心を動かされた。
 自覚こそ無かったが、一目惚れという奴だった。

 だが、彼女は口数が多くなく、クラッドは緊張していたこともあり、何を考えているかも話したことは無い。少女は人形のように大人しかったし、彼も少女のことを気にしつつもやはり、話しかけることはできなかった。

 許婚の少女の誕生日パーティーが彼女の実家で開かれると知ったのはそんな時だった。
 であれば、少女にプレゼントを用意しなければならない――だが、少女の好みなどクラッドは知ることが出来なかったし、人伝に聞くに書物を好むと聞いていたが、それならご両親から渡されるだろう。物が被るのは避けたい。

 ゆえに、クラッドはポツリ、と無意識ながらに()()()()()()()()()()()

「どうすれば、いいんだ……」
「恋の悩みセンサーに感ありぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 ――その言葉が、ディーワ学園七不思議、『コイバナ少女』を呼び寄せるとも知らずに。


 魔術学園の東側には城を構成する塔とは別に一つの大きな館が存在する。一室一室が全て魔術工房として用いることを前提としたこの館は学徒の中でも希望した()()()()()()になりえる者たちに与えられる魔術工房である。

 館への入館は自由ではあるが、部屋に入室できるのはこの館内に工房を持つ学徒と講師陣、そしてその学徒や講師陣により許可を与えられた学徒のみであった。

 

 アルカトリが後者であれば――鮮やかな桃色の髪を揺らす童女、リーン・イレフューレンは前者であった。

 リーンはルーン魔術を用いた多種多様な結界魔術の使い手であり、同時に言葉に宿る魔力を発見、その研究を行っている天才少女なのだ。

 アルカトリとスペルリィの模擬戦の際に用いたルーンの結界も彼女なら片手間で作れてしまうほど、と言えばお分かりいただけるだろうか?

 

 現在は彼女の趣味をがてら、言葉に宿る魔力から『恋心とは何か』を見出すことが彼女の研究であった。

 普段はこの研究であり趣味が高じてコイバナを追い掛け回す学園七不思議の一つになってしまっているが、すごい少女なのである。

 

「ふんふふ~ん♪」

 

 今日のリーンは上機嫌であった。というのも、彼女が求めるコイバナの種が見つかったからである。

 それはある降霊術師の話。

 彼には許婚がいるのだが、その少女が近いうちに誕生日を迎えるとのこと。

 互いに無口であることが災いして、少女の好みがわからず、その贈り物をどうすればいいのかと苦悩していたらしい。不器用な許婚同士の恋愛キターーー!と内心で狂喜乱舞し、彼の心情を魔術でモニタリングしつつ助言を送る。

 

 ――本人に聞いちゃいましょう!

 

 身も蓋も無い助言だった。

 だがしかし、『それは夢が無い』だとか『弱みを見せるようなもの』などと言ってはいけない。

 サプライズとは成功してこそのものであり、贈り物で失敗しようものならそれはそれで禍根が残る。しかも両人が顔を合わせて初めての誕生日だ。失敗を避ける一番の方策は欲しい物を聞いて、送ることだ。

 

 そのまま半刻ほど反論を許さずに力説すると、彼は少々渋る様子を見せつつも頷いて見せた。そこに嘘は無かったので解放した形だった。彼が実際に自分のアドバイス通りに行動するかは経過観察が必要か。

 

 閑話休題。

 

 そういうわけでいい仕事したなぁ、とリーンはホクホク顔で館にある自分の工房に向かっていたのだ。

 気分揚揚で通路を歩いていくと、曲がり角で何やら人垣が出来ていることに気がついた。

 困った。リーンはぽつりと零した。

 彼女の工房はその先にあるのだが、リーンの小柄な体ではここを潜り抜けるのは厳しい。かといって一々迂回して階段を上り下りするのも骨だ。

 仕方ないな、と少女は懐から数個の小石を取り出した。表面には文字が刻まれていた。

 

 これからやることはあまり褒められた事ではないが、もしかしたら自分同様に通れなくて通せんぼを受けた人が居るかもしれないし、と胸中で言い訳をしつつ。彼女は唇を振るわせた。

 

「【結べ――【(マン)】、【(アンスール)】、【(イーサ)】――人は関わりを拒む、その意を汲め】」

 

 口訣と共に手のひらから零れ落ちた石はころころと転がり、そして――光を放つ。

 変化は緩やかだった。緩やかで、しかし確実に進行した。

 

 人垣の奥に何があるかはわからないが、それに対する興味関心を失ったかのように、一人、また一人と姿を消していく。

 

 彼女が行ったのは『人払い』と呼ばれるものだった。

 忌避感や興味の損失などの思考誘導を行うことで特定の範囲から人を排斥する精神干渉の魔術の一種。

 そもそも、千年近い古の時代、魔術は隠匿されるべきものだったそうで、その時代に作り出され今に伝えられてきた物だ。

 

 (マン)は人、(アンスール)はコミュニケーションや言葉の力を意味し、(イーサ)は拒絶を意味するルーン文字。それらを組み合わせることで童女は一瞬にして人払いを構築したのである。

 

 とはいえ、人払いは特に古典魔術師にとって馴染みの深い物であり、その対処法も今では広く知られている。故に、人垣の半分は減らすことができたが、それ以上は減る気配がない。

 まぁ及第点、とリーンは思い返し、ついでにその人垣の原因を目にして――目をこすって二度見、三度見した。

 

 

 ――大量の触媒だった。廊下を埋め尽くしてしまうほどの()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それらを工房の一室に運び込んでいるのはおよそ10人程度の屈強な男達だ。精密機械じみた動きで彼らは大量の触媒を系統ごとに選り分けながら運びこんでいた。

 

 リーンの目算では小規模な魔術結社とタメを張ることが出来る量だ。これから儀式魔術でもやるつもりなのか――いや、それでもあそこまで別々の魔術系統を扱う結社なんて見たことも無ければ聞いたことも無い。

 そもそもここは学徒及び講師の工房がある館だ。そんな秘密結社が居てたまるか。と、そこまで考えてなるほどと人垣になった理由に納得した。確かにこれは魔術師であれば興味を引くに違いない。

 それに加えて工房の入り口近くで談笑する二人の少女を見つけたことで更に理解を深めることとなった。

 

 茶髪に紺碧の瞳をした特徴的な足を出す装束の少女、未だに話題の尽きないリーンの年上の友人。アルカトリ・クライスタ。

 そしてもう一人はこの学園内――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――であれば知らない訳がないであろう人物。

 肩口までの銀糸の髪にゴシックロリータ調のドレスをその身に纏うアルカトリより少し小柄な少女。彼女の姿をリーンだけでなく、学徒達は毎日、昼休みに購買で見ていたのだから。

 

 ――アリステイル・マテリアル。

 錬金術の大家で知られるマテリアル一族の一人にして一族が運営する各国の魔術学園のスポンサー『マテリアル商会』の一員であり、魔術学園購買部の看板娘だ。

 学園購買にマテリアルあり、とはよく聞いた言葉であった。

 

 余談だが、各国の魔術学園にある購買の店長は皆アリステイルと似通った少女達が務めているのだが、彼女達曰く「姉妹」や「親戚」なのだとか。あまりに似すぎているので学園七不思議の一つとしてカウントされているお話である。

 

 なるほど、確かにこの二人が購買でもないのに揃っていたら気にもなるだろう、あの大量の触媒とも無関係ではあるまい。

 しかし誰一人として訊ねに行かないのは、アルカトリと()()()()()()()の名高さゆえか――リーンには無関係であった。

 

「アルカせんぱーい」

「――ん?あ、リーン。どうしたの?」

 

 こちらを振り向いたアルカ。その声には『なんでここに?』と書いてあった。

 

「どうしたもこうしたも無いですってば、なんですこの触媒の山。アルカ先輩が買ったんですか?」

「これ?これはごしゅ……んんっ!グラムベル先輩が買った触媒だよ」

 

 わざわざ言い換えなくてもいいのに、なんて思いつつも、ああやっぱり、と納得した。

 そもそも異能者であるアルカトリに触媒は使えない。であればこの返答は予想されて然るべきだ。それでも問いかけたのはアルカトリの異能が他の異能と一線を画するが故である。

 

 そもそも、マナは国によっては神の残滓と呼ばれ、人の手に出来ないモノの一つと言われていたのだ。その例外たる少女が常識から外れた可能性が――異能者が触媒を用いた魔術を行使する可能性が――あってもおかしくないのだ。

 その予想は結局杞憂だったわけだが。

 

「それにしても、すごい量ですよね……どれぐらいあるんです?」

「えっと……アリスさん何個あるんでしたっけ?」

 

 アルカトリに話を振られた少女、アリステイルは元気に答えた。

 

「六万八千と六百四十二ですね!」

 

 うわ、とリーンは顔を顰めた。個人の魔術師でも千も触媒を用意しておけば事足りるというのにこの量。見た限り質も悪くないというのに――もしかしてグラムベルという未だに顔も見たことの無い先輩は大富豪なのだろうか?

 アリステイルなど「いやぁ、久々の大きな仕事でした」とほくほく顔である――ふと、その少女が一冊の本を抱えていることに気が付いた。それもなにやら微弱ながら魔力を感じる。アーティファクトだ。

 

「アリスさん、それ、なんです」

 

 リーンは声を震わせて問いかけた。

 ――本の形をしたアーティファクト、と聞いて魔術師であれば誰もが思い浮かべる物がある。

 リーンもまた、それがなんなのかを悟った。悟った上で正直、あってはならないことを想像した。

 もしも、グラムベル・アーカストが()()()()()()()()()()()()()()()()()()。万単位の個人では賄えないであろう触媒の代価はなんなのか。

 アリステイルは花の咲くような笑顔で答えた。

 

「はい!これはグラムベルさんの魔導書(グリモア)の写しです!」

「先輩!それ絶対渡しちゃいけない奴です!奪い返さなきゃ!」

 

 流石のリーンも黙っていられなかった。

 もしかしたら異能者であって魔術師とは呼べないアルカトリにはわからないのかもしれないが、()()は魔術師にとって命に等しい代物である。

 

「大丈夫だよリーン、これグラムベル先輩が了承したことだし」

「そんなの嘘に決まってますよ!魔導書は魔術師が下手をすれば命よりも大事にする物!それを明け渡すということは――という、ことは……」

 

 あれ?とリーンはピタリ、と動きを止めた。そういえば聞いたことがある。リンテイルの古い風習に魔導書を渡すことがプロポーズの代わりになって――

 

「コイバナキターーー!?」

「リーン、ステイ!」

「あらあら」

 

 リーンが暴走してアリスに詰め寄り、アルカトリが羽交い絞めにして押さえ、アリスはにこにこと笑っている。

 

 その後ろでは、大量の触媒を運び入れる屈強な男達――と無防備に置かれている触媒に出来心で手を出してどこからともなく現れた騎士風の男たちに撃退される学徒達の姿があったのだった。

 

 

 

 

 

 リーンは落胆していた。

 詰め寄ってアリステイルに話を聞いてみると、その魔導書の写しは本当にこの触媒の代価だったらしい。アルカトリは商品を購入したグラムベルが不在のため、従者としてその搬入を確認する役割を押し付けられたのだという。

 言葉に乗った感情をある程度把握出来るリーンだからこそ、それらの証言に虚偽がないことが理解できてしまい、リーンは。

 

「コイ……バナァ……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ダメだこいつ早く何とかしないと」

「リーン様は個性的な人ですね~」

 

 ドン引きするアルカトリと、微笑んで見ているアリステイルが近くのソファで紅茶を飲んでいたが、リーンからすれば知ったこっちゃ無いのである。私の乙女心を返しやがれ、という奴だ。

 色々とお門違いだが、それが彼女の理論であった。

 

「というか、なんで私が工房の中に入れるんですか……ここの工房、実は守りが雑なんじゃないです?」

「私が許可したからだけど」

 

 しれっと返したアルカトリの言葉に虚偽は無し。だからこそ「んなわけあるか」という言葉を呑みこんで置いた。

 そもそも魔術師にとっての工房とは魔術師の城であり、要塞である。それを従者の許しで入れるとか、守りが甘過ぎやしないだろうか。

 しかも商人を本人不在の工房に入れるなんてよほどである。

 

「あ、私たちは時折こうして触媒をお届けするので許可を頂いてます」

「それって研究資料盗み読みし放題ってことですよね?」

「商人たるもの、信用第一ですから。お客様のプライバシーは保証しますとも」

 

 それ、あなたがその研究成果を覗かないとは言ってませんよね。と口に出しかけて、やめることにした。そもそも名前しか知らない見ず知らずの人間のために動くこと自体馬鹿馬鹿しい。

 えっさ、ほいさ、と触媒を運び入れて高い天井まで伸びる棚一つ一つに区分けして並べていく男達の姿を横目にそれはそうと、とリーンは訊ねた。

 

「で、お二人はなんの話をしてるんです?」

「グラムベルさんのことを質問してたんだよ。ほら、私はあの人の従者になったは良いけど数回しか顔を合わせてないし」

「といっても、私からお話できることは少ないんですけどね。あくまで魔導書をちょくちょく売ってくれるお得意様ってだけですし」

「……グラムベルさんって本当に魔術師なんですか?変わり者ってレベルじゃないですよ?」

「え?そうなの?」

 

 そうなんです。とリーンは魔術師としての常識に欠けるアルカトリに少しばかり頭を抑えつつ、リーンは言葉を続けた。

 

「そもそも魔術師ってその多くが命題を持っていてその研究をしてるものなんです」

「ああ、リーンの言ってた言葉に宿る魔力とかそういう話だよね?」

「まぁ!リーンさんそんな研究をしてたんですか!?」

 

 アリスがリーンの言葉に目を輝かせたが、今はそれよりも魔術師としての常識が薄いアルカトリにする説明が先だ。

 

「でも、魔術師って一代でその命題を解明できないなんてのが当たり前なんですよ。だから子々孫々、その研究を引き継いでいく物で、それと一緒に魔導書を受け継ぐのが普通らしいです。その成果を書き記した物が魔導書(グリモア)なんですよ」

「魔術師にとっての遺産ってこと?」

「というよりは魔術師の遺志その物であり、一族の指標その物に成り得るモノでしょうか。私達マテリアルもその始まりは一人の錬金術師ですが、その時点で私達一族が目指す先は決まっていましたから」

 

 そう捕捉したアリスはとても誇らしげだった。流石は今も続く錬金術の大家である。

 何せ、魔術師が求める命題はその多くが志半ばで血が途絶えたり、志を継ぐ者が現れなかったりする物である。それでもなお、一つの命題のために大家と呼ばれるほどの家として続いているのであれば、それはどれほどの執念か。

 

 その執念こそが()()()()()()()()()だったか。

 

 リーンは両親から魔術師としての教えを受けた訳だが、別に両親は命題を持っていた訳でなく、彼女自身の研究も趣味の一環に近い部分もある。心得こそあるが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それにしてもその本一冊でこんなに触媒を買えるっていうのはすごいですよね……ご主人様の家ってすごい家だったんだなぁ」

「ですよね~……ここまでくるとそれ相応の歴史の重さがありそうです」

 

 アリスはそんな二人のやり取りをにこやかに聞いていた。

 ――残念ながらグラムベルの実家であるアーカスト家はもう3世紀も前に魔術師としての業を全て手放してしまっていて、実質グラムベルが魔術師として一代目と言っていい立場なのだが、それを説明するのは顧客のプライバシーに関わる。

 それに、そのことを知ってしまった場合、リーンが彼の魔導書の重要性を理解してしまう可能性がある。ゆえに彼女はその話を切ることも兼ねて、気になっていた話題を掘り返すことにした。

 

「それでそれで?リーンさんの研究ってどういうものなのでしょう?あ、もしかして『コイバナ妖怪』と何か関係があったりするんです?」

「……」

 

 鋭い。すごく鋭い、とリーンは息を呑んだ――いや、リーン自身自重していないのでそこに繋がるのは仕方ないことなのだが自覚が無いらしい。

 だが……話してもいいものだろうか?相手は何代も続く魔術師の大家。そうした魔術師の一族の恋愛観はとても冷たい物なのだと聞く、互いに血を繋ぐための装置として考え、そのために子を成す、という思想はリーンの心を冷たくするものだった。

 

 だからこそ、今日偶然出会った降霊術師の青年の話は心が温かくなる物だった。彼もまた何代も続き、零落しつつある魔術師の血筋。そんな彼が恋心を抱いていることを知って頬を緩ませたものである。

 

 ――鼻で笑われること覚悟で話してみるか。と考えたのは彼と出会っていたからかもしれない。

 

 その結果――

 

「良い!良いですねその命題!あ、実はあのクラスの――」

「ええ!?あの人が本当に!?要チェックです!」

「ついでに――様と――様、仲が良いんですよ。もしかしたら――」

「その二人は既に調べがついてますよ!幼馴染らしくて――」

「まぁまぁまぁ!ではあのお二方は周りがどうこうするより遠くから見て愛でるのが――」

「恋路を邪魔する奴は鉄拳制裁――」

「全く以ってその通り――」

 

 ――同好の士を得ることとなるとは、なんという偶然か!リーンはこの幸運を神に感謝した。

 

 なお、アルカトリが終始置いてけぼりだったのは余談である。

 

 

◇◇◇

 

 少女の世界は、自分の部屋だけで閉じていた。

 外向きの用事は全て姉がやっていたし、兄は卑屈ながらも国民を第一に考え、お父様から与えられた職務を全うしていた――少女だけが、何をやってもうまく行かなかった。

 家族に愛されてはいたのだと思うが、しかしそれ以上に家族は忙しくしていて、少女に構っている余裕は無かったのだと思う。

 手伝おうにも足手まといになってしまう自分は、結局一人ぼっちだった。

 

 そんな彼女を気に掛けてくれたのは、色々と残念な従兄弟だった。

 彼は時折、彼女の部屋を訪れると外で見聞きした話を、話下手ながらも言葉を尽くして語り聞かせてくれた。

 

 従兄弟からある青年の話を耳にしたのは、そんなある日のことである。

 

 彼らが出会ったのは4年前。リンテイル魔女連合内にあるリンテイル第一魔術学園でのこと。彼らは留学生制度を利用し一年間、そちらの学び舎に居たのである。

 ちょっと頭が残念な(その強さに憧れる)従兄弟曰く「魔術の腕こそ3流ではあったが、己には理解できぬ深淵の知識を有し、一を見て十を見抜いてみせた。あれほどの賢者はそう居ない。あの男を心の友に出来たことを己は誇りに思う」とのこと。

 彼らが当時巻き込まれたある事件(心躍る冒険)において彼らがいなければ自分はここには居なかったとまで豪語し、その話も簡単にだが話してもらうことが出来た。

 全てを鵜呑みにした訳ではないが、そこまで言われては興味も持つというもの。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()など望むべくも無い。

 彼女の居場所は常に壁の内側で教わる知識や読む物語だけが彼女の世界であった。

 

 それが()()に出会うことで一変することとなった。

 

――楽しく生きなきゃ損ですよぅ?

 

 ()()にそう言われて、少女は外に連れ出された。

 初めて見る外の世界はとても新鮮で、各地の人々の暮らしを見て歩き、時には彼らとともに楽しんだ。

 時には怖い物や醜い物も目にしたけど、それもまた世界なのだと、()()は教えてくれた。

 ()()を師として仰ぎ、行商人の真似事もしてみた。全然巧くいかなかったけど、それでも彼女は笑って許してくれた。

 

 その上で定期的に実家に置いて来た従者ともやりとりをしていた。このお忍びがばれようものならこの件に加担した()()だけでなく、自分の影武者を担ってくれている侍女にまで被害が及ぶ――それだけは避けなければならないからだ。

 

 だから、大陸西側にある北の南国イロドーツ滞在中に()()()()()()()()()()()()、彼女は大慌てで里帰りをしなければならなくなった。

 不安しかなかった。その侍女はとても真面目で、定期連絡を怠るような人物ではないことを少女は知っていたからだ。

 師である()()と共に陸路でラングルの山を越え、リントヴルムに入った時、彼女は彼らを見つけたのだ。白いインバネスに褐色の肌をした黒髪銀眼の線の細い青年――従兄弟の語ったあの事件の中で、もっとも異彩を放っていた賢者――人違いだったらと思いながらも、師の制止すら振り払って、彼女は、青年に縋り付いた。

 

 

 ――どうか、私達を助けて賢者さま!

 

 返事はあった。

 

「お嬢さん、私は賢者なんて大層な者じゃない。他を当たってくれ」

 

 その返事だけで、少女の心は折れてしまった。彼の目はどこまでも冷たくて、それだけでこれ以上すがりつく気力を奪われてしまったのだ。

 

 だから、少女は謝ろうとして――しかしくぐもった声がそれを遮った。

 

「その言い方は無いだろう。このお嬢さんのこの慌てよう、只事ではないようだ。それにお前のことを一方的に知っていたと見える……話ぐらい聞いてやるべきだろう」

 

 声の主はマスクを被っていた。それも少女が見たことのある舞踏会などで使う目を隠すだけのモノではなく顔全体を覆う不気味な物。少女はその姿に恐怖を覚えた。

 だが、よくよく聞くと自分を養護してくれているらしい。期待を持って()()()()の方を見た。

 

「却下だ。路銀も少なくなっている以上早々にユークへと辿り着かなければならない」

「それはお前の体質の所為だろう。昨日の内に国境を越えるはずお前が酔って動けなくなった所為で余計な宿代を払う羽目になった」

「だからこそ早くユークに着かなければならないとなぜわからん、だいたい貴様の――「お、送ります!」――何?」

 

 少女の言葉に賢者が反応した。少女は涙ながらに捲し立てた。

 

「わ、私達が荷馬車でユークに賢者さまを送り届けます!路銀も要りません!私のことも、賢者さまの用事が終わってからで良いですから!だから……たすけて」

「……ちっ、女の涙とは卑怯な手を使いおって……」

「お前が無理なら俺が行こう――その場合お前を気絶させて無理にでも同行させる、という手を使うことになるが気にするな」

「どこに気にせずに済む要素があるというんだ……」

 

 疲れたように賢者さまは溜め息を零すと、彼は少女を見た。

 

「話を聞く、荷馬車に案内しろ」

 

 端的な返事に、少女は涙をこらえ、そして荷馬車を指し示した。

 一頭の馬に引かれた小さな荷馬車に()()御者席でフードを被って待っていた。

 

 賢者さまが言った。

 

「――待て、なぜ貴様がここにいるんだ()()()

 

 少女は訳がわからず、師を見た。師は苦笑いを零して、フードを取った。

 金糸の髪をハーフアップに纏めた赤い瞳の美少女だった。

 ――マスクの青年がくぐもった声で呟いた。

 

「リディア・ラプター……」

「どうもお久しぶりですねぇ。グラムベルさんにフィリップ君、元気にしてました?」

「え、え?」

 

 少女は困惑しながら三者の顔を見比べることしかできなかった。

 

 これが少女――帝位継承権第四位。ノイン・リントヴルム・ヨルムンガントと、話に聞いていた賢者ことグラムベル・アーカストと医者であるフィリップ・フローレンスの出会いだった。

 

 




~幕間の話~

 アルガラント王国、辺境の地カルセル。その地を治める()()()()()()()()の邸宅内にある書庫――書架が立ち並び、本を守るために日の光から避けられ、虫避けのためフソウから取り寄せられた香が焚かれる空間――に独り、女性が読書にふけっていた。

 ミーア・アーカスト。
 アーカスト家の長女であり、クラッドの許婚となった女性である。
 ぺらり、と薄闇の中で本をめくる動作は緩慢だったが、しかしその姿は男心に囁きかける美しさを持っていた。
 ――実は魔術結社間において権謀術数が過激化した一番の理由はその美しさだったらしいのだが、そのようなことをクラッドはおろか、彼女が知るわけも無い。

 ふと、閉め切っていた書庫の扉が開き、人影が見えた。人影がしわがれつつもはっきりとした声で呼びかけた。

「お嬢様!ミーアお嬢様!」
「……何?ベルミ、読書で忙しいんだけど」

 ベルミ、とはアーカスト家に仕える最古参の侍女であり、侍女頭を務める人物であり、同時にミーアの教育係でもあった。
 彼女はその手に持った便箋を掲げると言葉を続けた。

「お嬢様、お手紙にございます」
「手紙?どなたから?」
「カインズ家嫡男。クラッド・カインズ様からにございまする」

 へぇ、と、ミーアは声を漏らした。
 ミーアは魔術師、という()()()に対し、忌避感を持っていた。
 確かに彼らは今やこの世界において無ければならない存在なのだろう。自分が住まうこのカルセル領もまたその魔術師たちが農業への貢献をしてくれる為に良質な農作物の他、カルセルの特産品である良質な綿を取ることが出来ていることは彼女も知っている。
 だが、生き物としての魔術師を彼女は兄を通して知っていた。自身に課した命題のためならばどんなことでもする善悪や倫理から外れ、苦痛さえも許容するあの在り方。
 薄く空いた扉越しに見た兄の苦しみ悶える姿は今も夢に見る。あれが魔術なのだと見せ付けられたあの日から、ミーアは魔術師に夢を抱けなくなった。

 その自分の許婚が、長く続くも血脈が零落しかけている魔術師の一門の嫡男だと知ったときの絶望感は計り知れない。
 いっそのこと死ぬよりも酷い目に遭う前に死んでしまいたい――そんな考えが浮かんでは自己嫌悪に陥りそうになりつつ、その相手と会った。

 見た目で言えば、まぁ悪くないとミーアは思った。茶髪に稲穂を思わせる黄金の瞳からは緊張が見て取れ、細い顔立ちに気難しさを感じさせる眉間の皺が3人目の兄に重なって思わず笑いそうになった。
 魔術師とて元は人ということか、と思いつつも嫌悪感が出ないように表情を出さないように努め、言葉数も少なくしていたが、どうやら相手もまた言葉数が多いわけでは無いらしく、互いのことは知らないが、それでも彼が魔術師と言う生き物であることは疑いようのない事実である。

「捨ててしまいなさいな。魔術師からの手紙です。どんな魔術が仕込まれているやら」

 だからミーアはその手紙を読みたくはなかった。そこにどんな魔術が掛けられているかなどわかったものではない。だが、ベルミは言う。

「ご安心を、失礼ながら先に内容を読ませていただきましたが魔術の類はありませんでした。それに、お嬢様は読まれた方がよろしいかと」

 そう言って差し出した便箋は、確かに一度封を切った跡があった。

「……本当に大丈夫なのでしょうね?」

 この家に長く仕える老婆の進言である。それを彼女は無碍にできない。
 ミーアはぶつくさと文句を零しつつ、不承不承と受け取って中身を目を通した。
 その内容はとても簡潔だ。今度の誕生日に贈るプレゼントが思いつかないので欲しい物を教えて欲しい。
 そこまでに『無礼を承知で』とか『情けない話だが』などの枕詞が付くがそこは彼女にとって些事だ。
 ミーアはこれを書いた青年に思いを馳せた。

――彼女は目に秘密を抱えている。

 彼女の脳裏に思案顔で手紙を書いては捨てを繰り返すクラッドの姿が映った。

――彼女の目は、文面以上のことを比喩無しで読み取る。

 ああでもない、こうでもない、と難しい顔をして零す青年の姿は気難しい三男の兄そのものでやっぱり似ているな、などと思った。

――それこそ書き手の心境すらも。

 だから、彼の呟きのいじらしさにミーアは頬を緩めた。



「ベルミ。返事を書きます。この無礼者に灸を据えなければなりません」

 そう言ったミーアの顔は、言葉と裏腹に、喜びを顕わにしていた。
 老婆は応えた。

「はい、お嬢様」

◇◇◇

あとがき&Tips

更新が遅くなってすみません!うわ、一ヶ月近く経ってるよ……流石に更新遅すぎだよ…なんて一人勝手にドン引きしてます、踊り虫です。

今回は新たな試みとして本編に関係のある幕間を前書き&後書きのスペースを借りて書いてみました。え、必要ないって?……そこは気にしないで頂けるとありがたかったり。

という訳でいつものTips。

・幕間の話
 実は完全にリーン導入までの流れを作っただけだったのですが――どうせならと色々と仕込ませていただきました。さて、この設定が花開くのはいつになるやら……
 ちなみにクラッド君およびミーアはこちらで用意したオリキャラです。
 それとアドバイスに関しては……恋愛経験なんて無いんでね、堅実な方策を取りました。相手をろくすっぽ知らないのにその人の好みに合うものなんて贈れる訳無いやろ!という私の心の叫び。
 リーンちゃんだったらどういう意見を出していただろう……ロマンを追い求めただろうか。

・魔導書
 魔術師の研究内容を事細かに納めた書物。この世界では一代で命題に辿り着けない場合は後継者に託すのが基本。研究は連綿と引き継がれ、一族にその業を伝える。
 魔導師は継承者の居なくなった魔導書を解析することでその研究を白日の下に晒すために居る。
【裏Tips】
 某型月世界における魔術刻印に相当する物です。魔導書こそが魔術師にとっての生き様を表わす物であり生甲斐その物――だったのですが、ここ最近ではそうした価値観は薄れています。


・『魔術師という役職』と『魔術師という生き物』。
 要するに魔術師とは何か、を端的に表わす言葉。
 社会倫理に則り、道具として魔術を振るうか。それとも命題到達の為に倫理から外れる道を行くのか。
 この世界では魔術で文明が発達したことで()()()は前者が多いですが、魔術師の()()()()()()は後者。裏では何をしているのかわからない――


・リーンの研究
 彼女の不審者じみたコイバナに対する執着心の理由。彼女は今も仲睦まじい両親から恋愛観を与えられていた。故に少女は恋愛話に強い興味を持つようになった――そんなある日、彼女は魔術の鍛錬の中で『言葉に宿る魔力』を見つけ出した。
 言葉に宿る魔力から感情をある程度把握する技術を見出した彼女が「恋愛感情」を趣味がてらに命題にするのに時間は掛からなかったのだった。

【裏話】
リーンの設定を見ていて私が特に面白いと思った部分。
『恋愛感情』を魔術で研究する少女、という設定はとても面白く、またギャグキャラとしても扱えるということで実はリーンはかなり重宝していたりします。今回登場した看板娘ちゃんとも趣味が合っていたために今回登場していただきました。



・マテリアル一族
 大陸中に名を轟かす錬金術師の大家。各国の魔術師養成学校のスポンサー。
 彼らの主な活動は――「お客様!それ以上の情報漏えいは規約違反ですよ!」

・マテリアル商会
 「売ります買います貴方のニーズに答えるマテリアル商会」のキャッチコピーで知られる商会。
 魔術すら売買の対象とし、自身の開発した魔術を質に入れてさらに研究資金を得るような魔術師もいる。様々な触媒の購入もできる。
 各国の魔術学園の大手スポンサーであり、学園には必ず支部が存在する。
 とある理由より、商会支部及び本店は絶対中立地帯となっている。

 その特性から銀行としての役割も担っており、その信用度はかなりのもの。しかも各国の支店から引き出せるということもあって貴族たちや魔術師が顧客となっている。

・アリステイル・マテリアル
 ディーワ魔術学園の購買(マテリアル商会の支店)の看板娘兼店長。人形を思わせる見た目と裏腹によく笑いよく泣く少女。
 実はいわゆる「カップリング」を好み、男女はもちろん仲が良ければ薔薇も百合もグループでもいける口で、実は購買から生徒間のあれそれを観察しては妄想想像したりしていたらしい。今回、リーンという同好の士を得る。
【裏Tips】
現時点では明かせない情報だらけのとんでも少女。これ以上のコメントは控えます。




・ノイン・リントヴルム・ヨルムンガント
 リントヴルム帝国、帝位継承権四位の皇女。現在お忍びで諸国を行商人として旅をしていた模様。ラニウスとは従兄弟同士であり、彼からグラムベルの話を聞いていた。
【裏Tips】
 皇帝一族の姫君としてこちらで設定したキャラ。今章におけるキーパーソンの一人。詳細はまた後ほど。


・リディア・ラプター
 リンテイル生まれであり、元はリンテイル魔術学園の生徒だった。そのためフィリップと面識がある。グラムベルが悪戯娘と呼んでいた人物。
 虚飾の魔女、の渾名を持つ。
【裏Tips】
 投稿者キャラ。今章においてノイン共々キーパーソンとなる人物。詳細はまた後ほど。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

気付けば、一ヶ月経ちかけるという、なんか本当にすみません。


――幕間の物語
 アーカスト家の四男、末の弟グレイは生まれつき病弱であった。
 ほとんど毎日をベッドの上で過ごし、体調が優れた日だけ車椅子(アルガラント王国内で発明王と呼ばれている人物の発明)に乗せられて外に出ることが許されているという状態だった。

 あれは二年前の夏のこと――
 その弟が突如難病を患ったのである。医者を呼び集めようとアーカスト伯は動いたが、残念ながら領地こそ与えられていたが財力は低く、爵位など飾り同然の家であり、高名な医者なぞ呼べるはずもなかった。

 それでも片手に数えられるだけの医者を呼べたのは僥倖であった。

 だがその難病相手に一人を除いて匙を投げて逃げ帰り、残った一人も原因を見つけ出すに至らなかった。

 そのことをグラムベルが知ったのは夏季休暇で戻ってきた時で、弟は酷く衰弱してしまっていた。
 当然家族とは口論になった。なぜ報せようとしなかったのかと家族や使用人たちに詰問した。
 だが、この問いに答えたのはアーカスト伯ただ一人であった。

――貴様は既に魔術師という生き物になる道を選んだ。万が一にもお前が外法でグレイを救おうと試みたならばアーカスト家が取り潰しになることは目に見えている……息子一人の命も大事だが、私にはこの領を守るという使命もある。

 当然、口論になった。息子も救えない者が領民全てを守れるものか、と噛み付いたのだ。
 その後、激しい口論の末、グラムベルは追い出されてしまった。

 悔しかった。自分は魔術師としての素養を見出されたが、その力で弟を救うなと言う。今この時弟すら救えないならば、なぜ自分がこの才を得たというのか。悔しすぎて涙が出た。
 悲しかった。父はどうやら息子である自分を外法の徒であると考えているらしい。魔術師とはそれだけの存在ではないのだと訴えかけたところで父は認めようともしなかった。

 結果、館を追い出され、弟を救えなくなって途方に暮れて、涙に塗れる魔術師の姿があった。
 グラムベルはあまりの無様さに笑いそうになり――

『楽しく生きなきゃ損ですよぅ?だから泣くのはやめましょうよぅ』

 ――そんな時に手を差し伸べてきたのが、リディア・ラプターという行商人だったのだ。


 リントヴルム帝国は千年前に起きたという魔術災害『魔女狩りの魔女』による混乱の中で生まれた対聖教国レジスタンス達を始祖とする国であり、そのレジスタンスのリーダー、ヴェルグ・ヨルムンガントが初代皇帝として君臨することとなった国である。

 しかし、数多の魔術戦争が行われた結果、竜脈――マナが流れる大地の血管。霊脈、レイラインとも呼ばれる――に多大な影響を及ぼし、国の中で領土中央の帝都を基点に四方それぞれが独自の環境を持つようになったとされている。

 

 四方の一つ、西部地域は様々な鉱物が排出される鉱山地帯となっており、西部都市ザーパトには鍛冶師が多く集まる他、鋳造したインゴットを生成、輸出していることでも知られている。

 しかし、採掘環境の劣悪さなどから来る低寿命や、採掘の際に流れ出た金属が河川に垂れ流しになっていたことで起きていた中毒症状の存在が医療技術が一般に普及し始めたここ数年の間に明らかになり、帝国議会で騒ぎになっている土地でもあった。

 とはいえ、帝国にとっての国家資金の実に4割はこの土地で取れた良質な貴金属であり、鉱山事業を止める訳にもいかず、今も鉱山夫達が坑道に入ってつるはしを振るっていることだろう。

 

 グラムベルとフィリップはひょんなことから再会してしまった旧知の少女、リディア・ラプターとその連れの少女と共に南部都市ユークへと荷馬車に揺られながら街道沿いに南下しているところだった。

 

「顔を合わせるのは1年振りかラプター」

「火の秘薬とフソウの霊山の神樹の枝を下ろして以来ですねぇ。あ、在庫はありますけど買います?」

「今は手持ちが無い。また今度にしてもらおうか」

 

 りょうかいです~、とリディアは間延びした声で返事をし、その上で再会してからというもの、一切彼女と言葉を交わそうとしないフィリップに声を掛けた。

 

「あ、フィリップ君もどうです?今ならイロドーツ産のハーブを取り揃えてますよ~」

「……」

「え~、無視しないで下さいよ~」

「ラプター、そこまでにしておけ。奴は正義の魔女に通報しなければならない立場だ。そこを無理を言って見逃してもらっていることを忘れるな」

 

 は~い。とリディアはどこか気の抜けそうになる間延びした声で応えた。連れの少女がおずおずと訊ねた。

 

「あ、あの、お師匠様とはどのような……」

「私はあの女に借りがある」

「あの女に借りを作るとか正気か!?」

 

 フィリップが驚きの声を上げた。

 無理も無かった。

 ――リディア・ラプター。

 千年ほど前に起きた大規模魔術災害『魔女狩りの魔女』を封じたリンテイル魔女連合の開祖たる七大罪と七美徳の名を冠した十四人の魔女――その中の一人である強欲の魔女シープ・ラプターの子孫の一人。

 そして『虚飾の魔女』の渾名を与えられた()()()()()()()()()()()

 

 詐欺師に借りを作る――この意味を理解していないグラムベルではない。事実、彼の工房を彼女の隠れ家の一つとしてこれまで提供してきたのだ。

 フィリップの言に、失礼ですね~とリディアは不機嫌顔で告げた。

 

「グラムベルさんのぉ、弟さんのために、ちょぉっとした秘薬を融通してあげたんですよぅ」

「……秘薬?」

「マテリアル製エリクシルの粗悪品だ」

「……すまん、どこから突っ込めば良いんだ?」

 

 フィリップの困惑も当然のことだった。

 エリクシル、エリクサー、エリクシール――呼び方こそ様々だが、その精製には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()『賢者の石』が必要とされる()()()()()()()。言い換えれば『賢者の石』なしには存在しないはずの霊薬なのである。

 つまりそれがあるということはマテリアル一族は既に――

 

 と、そこでリディアが割り込んで補足した。

 

「あ、マテリアル製の霊薬なのは保証しますけど本物のエリクシルかどうかは眉唾物ですよぅ?なんせマテリアル直通の品じゃないですからぁ」

「……つまりあれか?グラムベル、お前、霊薬をエリクシルじゃないってわかっててとんでもない額を支払ったのか?」

「良質な霊薬というのは間違っていなかったからな。家族を助けるのに比べたら安い買い物だったとも」

 

 フィリップの言葉にグラムベルはそう返した。

 そうだ、家族を失うのに比べたら安いモノだった。借金の一部を工房を貸し出すことで帳消しにしてもらったという裏話は墓場にまで持って行く秘密である。

 

「あとは()()()()()()()()()()()()()()()、霊薬に病を払うという指向性を与えて飲ませたが、弟は飲む前よりも元気になってな。今では虚弱体質も嘘のように学び舎に通っているそうだ。本当に良かった良かった――どうしたフィリップ」

「……いや、その病が気になってな。治ったのなら、良い」

 

 フィリップの歯切れの悪い返事が少し気になったが、リディアが口を挟んだ。

 

「流石に品が品だったので契約を交わしましたけどぉ、霊薬の効能が無いパチモンだったらまずかったですからねぇ~。弟さんが元気になってくれてよかったよかった」

「ああ……どうせなら今度顔を見に行ってやってくれ。あいつも喜ぶ」

「あ、それなら4ヶ月ほど前に拝見しましたよぉ?カルセルの綿敷物を買い込んだ帰りにメイドに扮して紛れこんで会いに行ったら大層お喜びになられていましたよぅ?」

 

 そんなことを言いながらリディアはうふふ~と笑い、連れの少女は目を輝かせていた。

 ――おそらくこの女を善人と勘違いしているらしいが、それは違う。

 リディア・ラプターという女は我欲に忠実であり、その我欲の善悪を区別することなく行動する女だ。

 そうで無ければ、弟を助けることなど出来なかったのだから。

 

 

 ――では、そんな彼女が連れているこの少女は何者なのか。

 赤茶色の髪を肩口まで伸ばした青い瞳の愛らしい少女。歳はおそらく10歳かそこらか。フィリップのマスク姿に萎縮しているようで、常にリディアの袖をつまんでいた。あれぐらいの年齢であれば未知の物に恐怖も感じるか。

 だが先ほどのなりふり構わない様子を見るに思い立ったらそのまま突撃していく危うさもありそうだ。人違いだったり、悪いことを考える人間だったらどうなっていたことやら。

 グラムベルは少女に声を掛けた。

 

「話を聞こうか小娘。名前は?」

「ノインです賢者さま。ノイン・リントヴルム・ヨルムンガントと言います」

「ヨルムンガント?待て、その名は確か――」

 

 フィリップの発言をグラムベルが制した。

 ヨルムンガントとは皇帝家の直系筋の苗字である。嘘か真かは置いておき、グラムベルは応えた。

 

「――私はグラムベル・アーカストという。賢者ではなく伝承師だ」

「でん、しょうし?」

 

 どうやらノインは魔術師の区別がつかないらしい。

 ――魔術によって発展した世界でこそあるが、その実魔術は血と才能に左右される技術でもある。そのため全ての人間が魔術師の知識を持ち合わせている訳ではない。

 つまり、ノインのように魔術を使うのであればそれは全て魔術師であるという認識でしかないのだ。例外は医者や癒し手と呼ばれる者たちぐらいだろう。

 そこをリディアが捕捉する。

 

「世界各地の伝承を集めて根源への道を見つけよーっていう魔術師さんのことですよぉ?ノインちゃんが読んでた本の中にはその伝承師さんが書いた物語もありましたねぇ」

「つまり物書きをする魔術師さんなのです?」

「……今はそれで構わん」

 

 目を輝かせるノインを見て、グラムベルは苦々しく思いつつも許容した。

 伝承師の中でも作家として活動する者は多い。彼の師であるロー・アンクもまたそうした活動もして資金を得ている伝承師だ。

 だが、彼らの本分は伝承や怪奇譚などを研究し、根源へと至る道を模索することにある。その上で社会に適応するのに適した職が作家や吟遊詩人といった物語を扱う役職だった、というだけのこと。

 ――とはいえ最終的にその本分を忘れ、物書きや吟遊詩人となって暮らしている先達を知るだけにグラムベル自身思うところがあった、という話である。

 

「で、ノイン、貴様の事情を聞かせてもらおうか」

「はい、実は――」

 

 ノインは語り始めた。

 自分は外の世界を知らずに育ってきたことで外の世界に憧れていたこと。

 そんなある日、リディアが外へと連れ出してくれたこと。

 その際に自分に尽くしてくれていた侍女を影武者として残したこと。

 それから半年。世界を周って見て来たこと。

 そして、影武者を任せていた侍女からの定期連絡が途絶えたこと。

 それで大慌てでこのリントヴルムにまで戻ってきたこと。

 グラムベルのことは従兄弟から聞いていて、思わずすがり付いてしまったこと。

 グラムベルには侍女を助け出すために知恵を貸してほしい――

 

 そう言って、ノインはおずおずとグラムベルを見上げた。

 グラムベルは淡々と問う。

 

「定期連絡が来なくなったのはいつの話だ?」

「い、今から1ヶ月前です……その頃はイロドーツにいました」

「リディア、貴様の雇い主はなぜノインを連れ出させた」

「ただの気まぐれですよぅ?」

 

 ダウト、とフィリップが一人ごちた。

 虚飾の魔女に相手にその言葉が真実かどうかを判別することすら難しい。信用するだけ無駄である――グラムベルはその上で問うたのだが、彼は彼で渋い顔をして見せた。

 

「……情報が足りんな、ノイン。貴様が想定する最悪の状況はなんだ」

「え、えっと……わ、私の家出がばれて、イルム――あ!私の侍女をしてくれてるお姉さんが、その、酷い目に遭っている事……です」

「……そうか」

 

 グラムベルは酷く渋い顔でリディアを見た。お前が撒いた種なのだからこのおめでたい頭のお嬢さんにそれぐらい先に伝えておけ、と。目で訴えた。

 リディアは首を傾げた。アイコンタクト失敗。そもそも目で訴えてわかる訳もないのだが。

 

 

「……それで?情報はあるのだろう?情報交換だキリキリ吐け」

「それぇ情報交換する人の台詞じゃあないですねぇ。残念ながらありませんよぅ」

 

 そう言って手をひらひらと振ったリディアだったが、ノインが口を開いた。

 

「……リディアさんが()がどうのって言ってましたよね?」

「ちょっとノインさん!」

 

 ノインはそっぽを向いた。そもそもグラムベルに助けを乞うたのはノインである。師であっても、今は助っ人の側に回るのは自明の理だったか。

 リディアは今なら高値で売れる情報だったのに、と残念がっていた。さすが商人である

 フィリップは呆れたとばかりに溜め息を零し――グラムベルは真剣な顔で懐に手をやった。

 

「盾、か……もっと詳しく話せ。こちらの情報と引き換えだ」

 

 彼女は顔を顰めつつもグラムベルが懐から人銀札を取り出して握らせるといそいそと懐にしまい、話し始めた。

 

「……帝国の象徴たる三つの武具についてご存知ですか?」

 

 これにはフィリップがマスク越しにくぐもった声で応えた。

 

「確か国旗に描かれていたな。剣と鎧に盾、だったか?」

「その通りだ。自我を持つ魔剣アンフィス、絶大な力を与える魔鎧シュターカ、絶対の守りを誇る魔大盾シュバルベ。皇帝のみが扱うことを許された呪いの武具たちだ。これらのうち魔大盾シュバルベのみ戦乱期の中で紛失している。その時のことを残した記録書には『幼き死神は涙ながらに死した帝を持ち上げるとその場から持ち去ろうとした。これを皇子が止めるべく追いかけ帝の亡骸を持ち帰るも、そこには帝を護りし盾は無かった』とある。これが約三百年前の記録だな」

 

 グラムベルの答えにリディアは流石ですね。と言って更に続けた。

 

「実はここ一週間の間に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 帝国の象徴のレプリカ。グラムベルは顔を強張らせた。

 魔大盾が紛失して以後、歴史の中で時折そうしたレプリカの存在は帝国の歴史に度々登場していた。

 例えば、帝国の転覆を企んだ男が自らを皇帝の血族と偽り、魔大盾を掲げて反乱を起こした事件。

 下手人は戦場の中で死に、その真偽を確かめるべく皇帝が手にするも、その盾は形も残さず塵と成り果てたという。

 例えば、皇帝から金を騙し取ろうと画策した詐欺師がレプリカを謙譲した事件。

 皇帝が盾に触れようとした途端、魔剣アンフィスが目覚め、盾は偽物であることを告げた。詐欺師が『剣に目利きが出来るものか』と嘲笑うと、アンフィスは怒りを顕わにし、剣が一人でに動き出して詐欺師を血祭りに上げたという。

 このように皇帝家と切っても切れない物なのである。

 グラムベルはそう言って説明を締めくくると、フィリップが問うた。

 

「待て、なぜレプリカだとわかるんだ?グラムベルの話どおりなら三百年は経っている代物じゃないか。その中に本物が混じっていてもおかしくないだろう?それにその伝承を聞く限り偽物である、と鑑定している様子も無いしな」

「それはそうなんですけどぉ……そういえば妙ですねぇ?」

 

 フィリップの言葉にリディアも首を傾げた。

 ――確かにグラムベルの話した伝承ではどちらも本当に偽物かどうかわからないという穴が存在する。そのため伝承師たちの間では「このどちらかが実は本物だったのではないか」という説が一時期持ち上がったぐらいだ。

 これに答えたのはノインだった。

 

「初代皇帝リントヴルム大帝閣下はその血によってかの三帝具を屈服させました。リントヴルムの皇族にはその血が受け継がれています。彼らが触れるだけでもそれが本物かどうかすぐにわかる……と私は聞いてます」

「なるほど、魔術による契約の一種か」

 

 物との縁を作る魔術は当たり前のように存在する。グラムベルの触媒との縁を作るのもその一つだ。だが、アーティファクトと子々孫々で契約を施すとなるとどのような大魔術だったのかまでは全くわからない。

 

「……盾の事件に対して帝国議会はどう動いたかわかるか?」

「それがまったく別の案件に掛かりきりになってるみたいですよぅ?例えば鉱山事業の労働環境の見直しや国境警備隊の起こした不祥事とか。誰かが全部買収してるみたいなんですけどそれ以上深いことはまだ調査中ですねぇ」

「そうか……」

 

 思案する。リディアの言葉の真偽は気にするだけ無駄だ。今のグラムベルには裏を取る手段が何一つ存在しない。

 それにリディアは詐欺師でもあるが同時に商人だ。代価のある情報に嘘を混ぜ込むことは無い、と信用する他ないのだ。ならばその情報を信じた上で現状の情報を纏めていく他ないだろう。

 

「グラムベルさんからも情報を降ろしてもらえますぅ?」

「……」

 

 そしてグラムベルの番になるのだが――全員に共有するべきか、と悩むこともある。ラニウスのことはいい、だが皇帝陛下のことをノインに聞かれるのは大問題だ。

 何せグラムベル(話に聞いていただけの人物)に恥じも外聞もなく助けを求めるような少女だ。本質的にラニウス同様に思い立ったらそのまま突っ込んで行く気質なのだろう。

 ――であれば彼女の名前が事実なのだとしたら、何もかも投げ打って父親の一大事に駆けつけようとするのではないか?

 それは非常にまずい。グラムベルの想定する最悪の事態であったならば尚更だ。

 

 故に選択肢は一つ。

 

「……リディア」

 

 後ろの二人に見えないように、彼女の手を握る。これで伝わってくれ、と願って。

 応えは――

 

「……なるほどぉ~」

 

 そうグラムベルだけに聞こえる小さな声で言うとにやりと笑みを浮かべて彼女もまたしっかりと握り返して頷いた。

 グラムベルは横目で同乗する二人を見る――どうやら気付かれていないらしい。

 

()にはどのような会話をしているように見える?」

「今回はちょっと小言を言い合っている感じですねぇ……シナリオ的には金を払ったのだからそちらも金を払え、みたいな具合です。貸し一つですよぉ?」

 

 それは重畳、とグラムベルは話を続けた。

 

「ラニウス・ゼレムがディーワ魔術学園に来た。用件はアルカトリ・クライスタとの決闘。帝国側はラニウスを動かしてでもアルカトリを手に入れなければならない理由があった」

「それは一体なんなんです?」

「現皇帝、【海龍帝】ケートスが何者かの手によって昏睡状態にある。オレはそれを解決の手助けをするためにラニウスに呼ばれたんだ」

「……ちょっと待ってくださいよぉ。それ、本当なんです?」

 

 リディアの声が心なしか震えていた。もしかしたら自分が思っていた以上の大事になっていることに焦りを覚えたのかもしれない。

 

「オレ自身、その情報の真偽の確認も兼ねていてな。罠である可能性もあるが……ラニウスという男自身は権謀術数が出来るような(さか)しい男ではない。真なら皇帝陛下を助ける手助けをする。偽ならばその裏を暴き出す――とまぁ、そういうわけだ」

「……まぁ、真偽はどうあれノインちゃんには話せませんよねぇ」

 

 そんなことを言いつつ、彼女は横目でノインを見た。

 ノインとの付き合いは彼女の方が長い。何せノインを弟子としていたのだから。

 ――変なことを教えていなければいいのだが。そんな一抹の不安を覚えつつ、グラムベルは言う。

 

「それに彼女が本物かどうかすらオレには判断できない。そもそも現皇帝のご子息はカイル皇子殿下とマリア皇女殿下()()()()()()()()()()()()からな。それに()()()()()()()()とは縁遠い」

「……私の言葉を信頼できるかわかりませんけどぉ、あの子は正真正銘、現皇帝の娘ですよぅ。その事件と今回の件に関係があるのかなんてわかりませんけどぅ」

「今の話を聞いて無関係だと思うのか?」

「事実を暴いて見なくちゃ何もわからないじゃないですかぁ」

 

 一理ある、とグラムベルは頷いた。

 

「でも良いですねぇ、皇帝家に借りが作れそうです」

「今回の件、最終的にリントヴルム城に向かうことは変わりない。ノインの件がややこしくなければ良いがな」

「……協力しましょう?今回の件、どちらも皇帝家に関わる案件ですしぃ」

 

 グラムベルは溜め息を零す、それに関しては同意だが、彼女に貸しを多く作るのは後が怖い。だが、それしか手が無いのも事実だった。

 リディアの手を離し、ノインに声をかけた。

 

「悪いがノイン、ユークまで送り届けた後しばらく私達と共に居ろ。貴様の問題も片付けてやる」

「た、助けてくれるのですか!?」

「そこの女には恩があると言っただろう?恩を仇で返すのはオレの理念に反する」

「わ~、助かりますぅ」

 

 リディアはニコニコと笑っていたが、その腹の内は読めそうに無い。

 そもそも虚飾の魔女に腹の探り合いを挑むこと自体が無謀というものか。

 

「やれやれ、どうしてこうも厄介事に巻き込まれるのやら……」

「そういう星の下に生まれてきたんじゃないですかねぇ――ひらい、ひらいれすぅ(いたい!いたいですぅ)!」

 

 厄介事を持ってきた元凶が何を言ってるんだド阿呆、と思いっきり頬を抓ってやった。

 荷馬車はゆっくりと、街道を進んでいく。

 

◇◇◇

 

 南部都市ユークに到着したのはそれから四日後のことであった。

 ユークは現在の帝国にとっての流通の中心地であり、海路を用いた交易が盛んに行われている都市である。

 現皇帝、ケートス・リントヴルム・ヨルムンガンドは皇帝へと就任すると、造船技術の発展に力を入れ、大陸西にある海洋国家マリングロウズ及びアルガラント王国が国交を独占していた極東の島国フソウとの交易の先駆けとなった都市である。

 この海路国交拡大事業において成功を収めたことでケートスは『海龍帝』と渾名されることとなった。

 

 ――その裏でユークの交易の大半を取り仕切る『アルスタール商会』の頑張りがあったことは想像に難くない。

 その影響か、ユークの中でも商会のお膝元であるアルスタール(がい)は活気に溢れており、ノインが「わぁっ」と歓喜の声を上げて見ていた。

 

「ラプター、彼女をユークには連れて来てなかったのか?」

「彼女を連れ出してすぐにアルガラントで商談がありましてぇ、そのまま周ってたのですよぅ……ん~おいしぃ~」

 

 リディアは答えながら何やら紙袋から小さな粒を取り出しては口に放り込んでいた。

 フィリップが「うげ」とマスク越しに呻いた。

 

「それはブルベか?」

「そうですよぅ~。こっちでも売ってたのは珍しいので買いこんできちゃいました~。あ、フィリップ君もどうです?」

「……それは苦手なんだ」

「ああ、そうでしたか~。好き嫌い別れますよねぇ~。あ、グラムベルさんはどうです?」

「……金は後で払うから不当な金額をふっかけるなよ?」

 

 まいどぉ、とリディアは何粒かまとめてグラムベルに握らせるとまた一粒取り出して口に放り込んで「おいひぃ~」と言っていた。

 それに倣って色とりどりの粒の一つを選んで口に入れる。ぶにぶにとした弾力と、染み出す甘みとほんのりとした苦味を少し味わう。そして一思いに噛み潰すと柑橘類の香りと甘みのあるエキスが口の中に溢れ、後味にぶにりとした食感とほんの少しの苦味が残った。

 

「む、実入りの物も混じっていたか。実入りは塩茹でにした方が美味しいのだが……」

「あ、グラムベルさんは塩茹で派でしたかぁ?私は素茹ででも好きですよぉ」

「お前たちはよく食えるな……」

 

 そんな二人のやり取りを見てフィリップはマスク越しに呻いた。

 ――この四日でフィリップもこうして日常会話をする程度にはなった。

 

 フィリップからすればリンテイルで犯罪を行った少女だ。苦手意識もあったに違いない。

 が、リディアという少女は悪戯好きである。

 突然姿を消しては膝裏を突いてきたり、一見すると鼠にしか見えない玩具で驚かしてきたりと、この道中で子供っぽい悪戯を何遍を仕掛けられ、童女のように笑う彼女の姿に毒気が抜かれたらしい。

 

 ――なお、ノインから「子供ですね~」なんて冷めた眼で見られた時は真っ赤になって追いかけっこをしていたのは一昨日のことだったか。

 当初は警戒心を顕わにしていたフィリップも、なんだかんだ楽しそうに笑っている彼女に一定の気は許したようだった。

 

「グラムベルさん。ブルベってなんなんです?」

 

 そして赤い頭巾を被ったノインがそのように問いかけてきた。

 彼女ともなんだかんだ会話をすることが増えた。

 彼女は学があった上に、様々な書物を読んで過ごしていたのだという。そのため夜になると伝承の語り聞かせをするのがグラムベルの役割となっていて、ノインは物語を聞いては目を輝かせていた。

 もちろん、これで夜更かしをしようものならフィリップに手刀を叩き込まれるのもセット。お陰でフィリップは今も怖がられていてしょんぼりとしていた。

 そんな紆余曲折を経て、グラムベルは彼女に受け入れられたらしい。こうして疑問をなんの抵抗も無く彼に問うようになった。

 

 だが、今回はそこにフィリップが待ったを掛けた。

 

「ノイン。悪いことは言わない。()()に関しての詮索はやめておいた方が良い」

「え?え?」

 

 困惑するノインだったが、何やら悩む仕草を見せたグラムベルも少しの間を置いて同意した。

 

「ふむ……確かにノインには少々刺激が強いか」

「そういえばリントヴルムには無い文化ですからねぇ~。まぁ、私は食べますけどぉ」

 

 ひょい、と口に粒を放り込んでリディアは故郷の味に頬を緩めた。フィリップは呆れたように溜め息を零し、グラムベルは黙して語らず、三人はすたすたと歩いていく。

 

「き、気になります!」

 

 それがノインの好奇心に火を着けてしまい、三人は質問攻めを受けるのだが、三人は苦笑いしつつ一切語らず、しかもリディアの巧い話の誘導で興味を他に移されてしまうのだった。

 ――遠い未来、ブルベのことを調べたノインが後悔することになるのだが、それはまた余談である。

 

 そんなノインの追及を余所に、リディアはグラムベルに問いかけた。

 

「それでグラムベルさん、行き先は?」

「アルスタール商会だ」

 

◇◇◇

 

 アルスタール商会の支配人に話しかけ、老師の紹介状を手渡し、会頭にお目通りを願うと、支配人はそれを手に店の奥へと入って行き、数分後にグラムベル――だけでなくどういう訳かフィリップとリディア、そしてノインまでもが会頭の部屋に通された。

 

 扉を開けた瞬間、四人は一人の将を見た。

 灰色の髪に若干垂れ目ぎみの緑色の瞳。程よく筋肉がついた身体に仕立ての良い衣服を纏っているどこか優しげな中年の男性――なのだが、その身に纏う覇気は商家の主というよりも軍を率いる将を二人に思い浮かばせたのだ。

 なるほど、とグラムベルは納得した。『海竜帝』の偉業を裏で支えた人物に挙げられる一人というのは与太話かと思っていたのだが、その考えを改めるに足る邂逅だった。

 

 会頭()がにこやかに話しかけた。

 

「この度は我がアルスタール商会をご利用いただき、ありがとうございます。私が会頭のレイモンド・ラドクリフです。以後お見知りおきを」

 

 




Tips
・リントヴルム帝国
 国の領土の四方で大きく土地の性質が変わっている。
 西は鉱山地帯。土に関連した異能者が生まれやすい。
 南は海に面し、湿地が多数見られる。水に関連した異能者が生まれやすい。
 東は森林や平原が広がっている。風に関連した異能者が生まれやすい。
 北は活火山の密集する山脈地帯。火に関連した異能者が生まれやすい。
 これらは全ておよそ千年前の領土拡大の際に幾度と無く起きた魔術戦争の影響から竜脈が変化し、このような環境を形成したとされている。
 実は純粋な魔術師よりも異能者の方が生まれやすい土地となってしまった。

【裏Tips】
 元々の設定は四方でそれぞれの方位の環境ごとに対応した元素の力を扱う魔術師が多いという程度だったのですが、それだけだと特色が薄いと判断。
 元々あった異能者を受け入れ領土を拡大していったという話から異能者の多い国(代わりに魔術師は少ない国)としてこちらで設定しました。
 純粋な魔術師が少ない分、魔術研究の分野は民間利用の方向こそ並ですがそれ以上の魔術研究(根源云々など)は遅れています。
 更に言うと竜脈云々も新たに加えられた物です。

・竜脈
 自然にある魔力。すなわちマナの流れる土地の霊的な血管。霊脈、レイラインとも。
 その土地に息づく生命にも影響を与えている存在であり、魔術師にとって血統についで重要視されてきた。リントヴルムではこの竜脈の影響から異能者となる者が多い。
【裏Tips】
 魔術関係と言えばこれだよね!という個人的に好きなワードの一つ。何やら風水とかにも関係する物だけど実はさほど詳しくないのよね。なんでこんな作品書いてるんだお前とか言ってはいけない

・ヴェルグ・ヨルムンガント
 千年ほど前に活動していたレジスタンスのリーダー。後のリントヴルム帝国初代皇帝。当時の大陸東側の大部分を掌握していたマルカス聖教国による支配に反発しレジスタンスを立ち上げ、後の帝国の象徴たる三つのアーティファクト、剣、鎧、盾を身に纏い戦乱の世を駆け仲間達と共に帝国をの礎を築き上げた。
 それぞれのアーティファクトは全て曰くつきの代物だったが、彼の持つなんらかの異能で調伏して見せたのだというが真偽は不明のままだ。
 彼の赤髪は後の皇帝一族に受け継がれ、リントヴルムの赤と呼ばれる。
【裏Tips】
 こちらで準備したオリジナルキャラ。名前の由来はシグルスが退治した竜ファブニールが元々はドヴェルグ(いわゆるドワーフの別の呼び方)という話だったのでそこから名前に出来そうなヴェルグを拝借しました。
 ちなみにヨルムンガントの苗字はリントヴルム帝国を考案してくれた方から頂いた物です。

・リディアの悪行
 リンテイルの大魔女が一人『色欲の魔女』が管理する異界『欲望街』のカジノにて異能を用いて大金を騙し取って逃亡している。
 その被害額は竜金札(日本円にして一億に相当)にも上った。

・弟に飲ませた霊薬
 一言に霊薬、と言うが、魔術の系統ごとにアプローチが変わってくる。
 錬金術で生み出される霊薬は、作り変えることに特化している。
 魂に変化を与え、魂の変化が肉体に影響を及ぼす――いわば飲む魔術である。
 そのため効果は劇的であるが、同時に魂そのものを弄くるという特性上副作用がとても怖い代物でもある。

 グラムベルは弟に真偽こそ不明だがマテリアル製のエリクシルを用いて「病を払う」という指向性を与えた。その結果、彼の弟は病知らずの身体となったが……病を一切受け付けない人を果たして人と呼べるのか。
 そしてもう一つ、魔術――特に錬金術には等価交換という思想が存在するのだが……その代価は果たして誰が払うのか。

 これは余談だが、実はこの一件以降グラムベルは実家に帰っていない。 彼の弟、グレイの出した手紙だけがグラムベルを家族と繋げている物である。

【裏Tips】
 リディアちゃんがグラムベルの弟を助けた、という設定はリディアちゃんが投稿された際の台詞の中にグラムベルの弟の存在が示唆されていたのでこちらで色々と作った物です。
 その上でこの火種設定である。風呂敷が畳めなくなる可能性もあるけどそこは生暖かい目で見守ってくださいませ。


・南部都市ユーク
 リントヴルム内で帝都に並び重要視されている都市。帝国は国境の大半を敵国たるエルヴズュンデと接しているために国外との通商の安全を確保するのが難しいという難題を抱えていた。
 しかもリントヴルム南部の海は沖に出ると波の荒い大陸有数の難所であり、それまでの造船技術では航路を用いるという手段は難しかったのである。
 だが、当代の皇帝ケートスは「今の船でダメならこの荒海すら踏破する船を作ればいい」という逆転の発想で以ってこの難題を解決。
 海をも制した竜(皇帝をリントヴルムでは竜と呼ぶこともある)として『海竜帝』の名で民衆に親しまれるようになった。
 ――その偉業の裏に、現在南部都市の流通の大半を取り仕切るアルスタール商会やある組織の関与が疑われているのだが、真相は闇の中である。
【裏Tips】
 ここらへんの設定は投稿者の皆様の設定を私なりにすり合わせて作った物になります。
 こういうすり合わせから設定を作るのって楽しいんですよね……ああでもないこうでもない、ってやってる時間って本当に良い。



 ※これより下は閲覧注意。不快に感じる可能性あり。
  ブルベの詳細が一部反転させてあります。閲覧するかは自己責任で。

・ブルベ
 リンテイル原産の果物を食べる大型の「蛾の卵」をゆでた物。
 蛾の食べた果実によって味が変わる
 少しクセがあり好みが分かれるおやつ。保存性も高く、物好きな旅人は携行食としていることも。
 実入りとはつまり
【裏Tips】
 リディアちゃんの投稿者様原案のご当地食!度肝を抜かれましたが、同時に魔女っぽい!と思い採用。食感等はこちらでの想像です。実入りはこちらで勝手に作りました。考案してくれた方ごめんなさい。
 私は食用でも虫は食べれる気がしない……
 ちなみにこの手の物は現実同様の珍味扱いですが、リンテイル魔女連合では割とメジャーなのかも?なんて思ってたり。
 ほら、ここ最近出たゲームの主人公である某伝説の運び屋さんも食ってるし!(汗)


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。