聖杯乱舞「特命調査 聚楽第」 (寺町朱穂)
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第一節
時を超えた出会い(1)


 今年も「あの行事」が近づいてきている。

 藤丸立香はカレンダーの日付を指で触りながら、大きくため息をついた。

 

 自分は歴史を歪める七つの特異点を越えて「人理修復」の大事業を成し遂げた。

 他にも数多くの特異点に挑み、頼りになる後輩やロマン、ダ・ヴィンチにスタッフ、そして召喚に応じてくれた数多くの英霊のおかげで、それらすべてを修復することができた。

 

 おかげさまで、どのような特異点であったとしても、物怖じせずに乗り込んでいけるだけの勇気は身についた。

 

 

 だが、あれだけは別だ。

 すなわち、悪夢の饗宴。

 あるいは、惨死への誘い。

 

 誰もが目を逸らし続けた「あの季節」。

 そう、全ての始まりは二年前だ。

 

 あの頃は人理修復を始めたばかりで、少し心が滅入っていた。

 この世に生を受けて十数年、その大半を剣を取り合うような戦とは無関係な生活を送ってきたのだ。女子高だったので武道とも縁がなく、そこまで体力もある方ではない。

 それが、いきなり戦場に送り込まれ、「たった一人のマスター」として全人類の未来のために前線に立たされることになったのだ。いくら覚悟をしたところで、心が疲れるのも必然。

 だから、少しだけ――……気分転換にハロウィンの飾りつけをした。

 

 その直後だった。

 

『ハロウィンをするわ!』

 

 魔女の服装をした赤い悪魔が、自室に入ってきたのは――……。

 

 その後、何が起きたかって?

 語りたくもないし、思い出したくもない。

 

 彼女の中で、どこをどうしたらハロウィンが「ライブ会場」になるのか、まったくもって理解できない。エリザベート・バートリーの可愛らしい声は、壊滅的なまでに音痴な歌として、立香の部屋を震わせた。歌詞も悲惨、音程も全部がずれている。その歌声は「もはや、この世界に神などいないのではないか」と思わすほど、せっかくの美声がまったくもって活かされていない。

 

 そんな歌声は、下手なエネミーより、ずっとダメージが大きかった。

 具体的に言えば、一曲目で白目をむいて気絶してしまうほど。 

 

 エリザベート自身はマスターを気絶させたことについてまったく悪気に想っておらず、むしろ「気絶するほど最高だったのね!」と喜ぶ始末。もう、何も言えない。

 

 

 その翌年。

 エリザベートはクレオパトラからチェイテ城を奪い返した後――……

 

『ハロウィンを忘れてたわ! 色々あったけどなんとかなったから、歌うわ!!』

 

 と、拒否権なしに歌い始めた。

 一緒にいたニトリクスやロビンフッドたち、そして、モニター越しに様子を確認していた者たちが巻き添えになったことは、語るまでもない。

 

 

 惨劇を語れと未経験者は言う。

 地獄を見たいと傾奇者は告げる。

 それに対し関係者は一様に口を噤み、沈鬱な表情で顔を背ける。

 

 だが、なんということだろうか。 

 二度あることは三度ある。つまり、エリザベートのライブも三度目がある。しかも、昨年のことを思い出すと、おそらくは何かしらのトラブルも添えられて。

 

「うぅ……どうにかして、ハロウィンを避けないと……」

 

 藤丸立香は頭を悩ませる。

 悪魔のライブ会場と名高いチェイテ城の上にピラミッドが乗っているという異常事態を上回ることが起きるわけがない――……とも言い切れない。

 これといった事件が起きなくても、エリザベートから「ハロウィンを祝いから、ぜひ来てね!」という悪夢の誘いが来るのは目に見えている。

 

 その後に待ち受けるのは惨劇だ。悲劇だ。絶望だ。

 

 どんな手を使ってでも、逃げなくてはならない。

 しかしながら、ここカルデアに逃げ道などない。どこかの雪山のてっぺんにあるらしいが、一年でほとんど晴れ間を見ることができない山を単身で下りることなど不可能だし、ハロウィンが過ぎてから登ってくることも不可能だ。そんなことに手を貸すサーヴァントがいるわけがない。

 

「いざというときは、小太郎から教えてもらった変わり身の術を使えばいいけど……あれは奥の手だし。ロビンに『顔のない王』を貸してもらおうとしたけど、断られちゃったし……」 

 

 はてさて、どうやって死を回避するべきか。

 いくら思い悩んでも、良い答えは思いつかない。

 

「……協力してくれる人、探しに行こうかな」

 

 立香は協力者探しのため廊下に出る。

 協力者探しと言っても、ほとんど駄目もとだ。、意外と世話焼きなロビンフッドに断られた時点で、協力者は皆無といっても過言ではない。事実、彼と同じくらい人の好いエミヤに頼み込んだが、理由をつけて断られてしまった。

 

「はぁ……どうしたらいいんだろう……」

「主殿? どうかされましたか?」

 

 うつむき気味に歩いていると、後ろから声をかけられる。

 振り返ると、そこにいたのは肌色が多い凛々しい少女、ライダーのサーヴァント 牛若丸だった。

 

「調子が悪いように見えますが」

「うーん……調子は悪いというか、気が滅入っているというか」

「気が滅入る、ですか?」

 

 牛若丸は小首を傾げる。

 

「なにかの病の徴候かもしれません。ナイチンゲール殿をお呼びいたしますか?」 

「い、いやいや、それは大丈夫! ちょっと、ハロウィンが近いなーなんて思っただけ!」

「はろうぃん……ああ、エリザベート殿の歌唱会場のことですね」

 

 牛若丸は納得がいったように頷いた。

 ハロウィンとエリザベートのリサイタルが同じ扱いになっているのは違うと思ったが、訂正するのも面倒なので止めておく。

 

「なるほど、主殿はエリザベート殿の歌がお嫌いということですね」

「悪気がないのは分かっているんだけどね。でも、どうしても耐えられなくて……」

「そうですか……」

 

 牛若丸は少し考える仕草をした。

 

 牛若丸。

 別名、源義経。

 史実では男とされていた人物だが、実際に召喚してみると凛々しい女の子だった。カラス天狗をイメージしたような衣装はともかく、上半身は布面積が少ない胸当てで隠してあるだけ。下半身は時代を先取りしたようなパンツのみで、痴女っぽく感じたが、それは見た目だけ。実際に接してみると、とても真面目で、ひたすら兄の頼朝が大好きで、主である自分に仕えてくれる子だった。

 

 事実、今もこうして真剣に考えてくれている。

 そして、なにか思いついついたのだろう。牛若丸はにこやかな微笑みを浮かべた。

 

「分かりました!

 私がエリザベート殿の首をとってまいります!」

 

 立香の歯切れの悪い答えに対し、牛若丸は無邪気な笑顔のまま恐ろしいことを言いきった。

 

「えっ、牛若丸? いま、なんて?」

「エリザベート殿の首をとり、ハロウィンが終わってから再召喚をすればいいのです! 幸い、あの者がどこにいるのかは見当がついています。先ほど

 『ライブ会場のチェックをしなくちゃ!』

 と、管制室に向かうところを目撃しました! それでは、行ってまいります!!」

「あ、ちょっと!」

 

 立香の静止を待たず、牛若丸は駆け出してしまった。

 

 失敗したー!と立香は青ざめる。

 牛若丸は物凄く真面目で良い子なのだが、その忠義心は一線を越えている。誰かが「ブレーキの壊れた忠犬」と彼女を例えていたが、これほど的を射ている言葉はない。

 彼女の忠義心は、こちらの想定を超えた斜め上に……それも、何かと物騒なことをしでかしてしまうことがあるのだ。

 

「ま、待って、牛若丸!!」

 

 立香は走り出した。

 ハロウィンを取りやめたいと思ったが、エリザベートを殺してほしいとまで言っていない!

 ところが、牛若丸は遥か彼方。サーヴァントの脚力に勝てるはずがない。牛若丸の姿は、立香の視界から遠く離れて、見えなくなってしまっていた。

 

「た、たしか、管制、室だっけ?」

 

 荒い呼吸をしながら、必死になって管制室を目指す。

 そして、管制室に転がり込んだとき――……

 

「あ、先輩! ちょうど、呼びに行こうと思っていたところです」

 

 頼りになる後輩とぶつかりそうになった。

 

「マシュ?」

「緊急事態です、先輩。新しい特異点が見つかりました」

「……チェイテ城?」

「いえ、違います。とにかく、来てください」

 

 薄紫色の髪をした少女は真剣な表情で迎え入れる。

 チェイテ城でなくて安堵するが、その気持ちをすぐに切り替える。

 

「あ、主殿!」

 

 管制室には、何人かのサーヴァントがいた。

 そのうちの一人、牛若丸がぴょこぴょこと跳ねるように近づいてくる。

 

「申し訳ありません。チェイテ城へ出陣する許可が下りませんでした。ですが、ご安心を。今回の主殿の特異点探索にはお供させていただきます」

「特異点探索?」

「ああ、今から説明するよ」

 

 牛若丸の後ろから、ゆっくりとダ・ヴィンチが近づいてきた。

 モナリザそっくりの美しい顔に豊満な胸の女性――だが、実際には整形手術をした男である。現在、このカルデアの所長代理を遂行している彼は、立香を見ると美しい微笑を浮かべた。

 

「1590年の京都に特異点を観測した。君にはその調査に行ってもらいたい」

「1590年?」

「戦国時代ですよ」

 

 ダ・ヴィンチの後ろから声が聞こえてくる。

 彼女の後ろには、桃色髪の女剣士である沖田総司と黒髪の凶戦士の土方歳三、そして、狐耳のJK剣士 鈴鹿御前が控えていた。

 

「沖田さん! 土方さん! 鈴鹿さん!」

「ええ、みんなの頼れる沖田さんと土方さんです!」

「私はヒマで何か面白いことないかなーって歩いていた感じ。そしたら、ダ・ヴィンチに呼ばれたってわけだし」

 

 鈴鹿が楽しそうに笑いながら、ピースサインを決めてくる。

 

「日本出身サーヴァントってことで、マスターの調査に協力してくれって!」

「……日本出身のサーヴァント?」

 

 立香は首を傾ける。

 沖田がいて、土方がいて、鈴鹿がいて、そして、牛若丸がいる。

 だが、一番有名な日本人サーヴァントの姿がいない。

 

「あの、ダ・ヴィンチさん。1つ良いですか?」

 

 立香が疑問を抱いていると、マシュが声を上げた。

 

「織田信長さんの姿が見えないのですが。彼女は日本で非常に有名な方だと聞いています」

「あー、それでしたら、この沖田さんが説明しましょう!」

 

 マシュの疑問に、沖田が胸を張りながら話し始めた。

 

「1590年はノッブが死んでから数年しか経っていません。そんな時代にノッブが現れたら、大問題ですよ。死人が生き返ったー! 本物の第六天魔王だったんだー! とか、そんな感じで」

「つまり、面倒くさいことになるってこと?」

「そういうことです。ですが、ご安心を。土方さん、牛若丸さん、鈴鹿さん、そして、この沖田さんがいれば安心です! 大船に乗ったつもりで行きましょう!!」

 

 沖田は自信満々で宣言する。

 

「事情は分かったかな。では、レイシフトの準備をしようか」

 

 ダ・ヴィンチがそう言った、直後だった。

 

「「ちょっと待てー!!」」

 

 

 管制室の扉が勢いよく開く。

 そして、現れたのは二人の少女サーヴァントだった。よく似た姉妹のように見える二人組を見て、立香は驚きの声を上げてしまった。

 

「ノッブ! 茶々も!?」

「うむ、話は聞いておったぞ」

「茶々たちを置いて行こうなんて、百年早いんだからね!」

 

 戦国三英傑の一人、第六天魔王・織田信長と彼女の姪であり豊臣秀吉の側室と知られる茶々姫が少し怒った顔で現れる。2人を見て、ダ・ヴィンチは少し困ったように眉をしかめた。

 

「聞いていたなら分かるはずだ。1590年といえば君は死んだ直後。茶々君にあたってはまだ存命中だ」

「そんなものどうにでもなる。なーに、わしのファンじゃとかなんとか言っておけば、なんとかなるじゃろう。

 いざとなったときは、サルに頼ればよい。あいつなら、わしらに協力してくれるはずじゃ」

 

 信長が堂々と言い切った。

 立香は少し信長を見直した。サルといえば、信長亡き後に天下人となった豊臣秀吉だ。豊臣秀吉は信長のことを敬愛していたらしい。信長を同伴させれば、万が一の時、彼に頼るためにキーカードになるかもしれなかった。

 

「うーん……それじゃあ、信長公の許可するよ」

「えー、茶々は!?」

「だって、君は生きているだろう? サーヴァントのことをどう説明するんだい?」

「ぶー……」

 

 茶々は身体全身から不満オーラを出し文句を口にしていたが、同行が決定した信長の笑い声で全てかき消されてしまっていた。

 

「あれ、マシュは?」

 

 立香は礼装を整え、コフィンに入ろうとしたとき、後輩の方を振り返った。

 

「はい、私は今回、サポートに回ります。先輩の傍で守れないことが残念ですが、しっかりサポートさせていただきます!」

「……ありがとう、マシュ」

 

 立香は頼りになる後輩に笑いかけると、コフィンに足を踏み入れた。

 

「いやー、楽しみじゃのう! 久しぶりのレイシフトじゃ!」

「ノッブの活躍はありませんよ。なにしろ、この沖田さんが――……ぐはっ!」

 

 コフィンが閉じる刹那、沖田が血を吐き出す姿を目撃する。

 彼女のスキル「病弱」がどういうわけか発動してしまっていた。

 

「沖田さん!? 大丈夫ですか!?」

「ご、ごふっ、だ、だい、じょうぶ、で、ごふぁあああ」

 

 沖田は吐血し続け、よろめき倒れる。駆け付けたいが、コフィンが閉じてしまっているので身動きが取れない。茶々が沖田に駆け寄り、手当てをしようと寄り添う姿が見える。彼女は懸命に立ち上がろうとしていたが、身体が動かないようだ。

 

「沖田君。君には悪いが、今回は待機だ」

「で、ですが……」

「こいつの言う通りだ。総司、休め」

 

 土方が短く言い放った。

 沖田はしばらく土方を見ていたが、悔しそうに唇をかみしめる。

 

「……わかり、ました……マシュさんと一緒に、管制室から、見守っています」

 

 これで、同行するサーヴァントは4人。

 

 織田信長。

 鈴鹿御前。

 牛若丸。

 そして、土方歳三。

 

「では、これより、レイシフトを発動する!」

「先輩、しっかりサポートさせていただきます!」

 

 大事な後輩の言葉を受け、立香はぐっと指を立てた。

 

「ありがとう、マシュ! 行ってくるね!」

 

 マシュがいないレイシフトは、正直なところ心寂しい。

 だいたい、彼女がいないレイシフトだとサーヴァントとはぐれたり、とんでもないところから落下したりするものだが、三度目の正直という言葉がある。

 

 今回は、きっと大丈夫。

 立香は強く念じながら、コフィンの中で瞼を閉じた。

 

 

 

 

 



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時を超えた出会い(2)

 いつものように目が眩む光と影の長いトンネルを抜け、とんっと地面に足を打つ。

 

「ここは……?」

 

 立香は廃れた街に立っていた。

 以前訪れた下総の街並みと似ていたが、あそこよりも街に活気がない。人っ子一人見当たらず、生活音の欠片も聞こえなかった。風が落ち葉を浚い、空を飛んでいく様子を見上げながら、立香は呟いた。

 

「京都ってこんなに活気がないの?」

 

 しかし、返事が返ってこない。

 いつも陽気な信長なら、なにかコメントをしそうなものなのに……と思ってあたりを見渡したが、誰もいない。急いでカルデアに通信をとろうとしたが、こちらも無反応。

 

「……また、はぐれたのかな」

 

 立香はため息をついた。

 レイシフトをしたとき、サーヴァントと離れることはある。

 レイシフトした先で、通信が途絶えることもある。良くある話だ。それが同時に起きることは稀だけど。

 

 レイシフト直前に「三度目の正直で無事にレイシフトができるはず!」なんて思った自分を叱り飛ばしたい。

 そんなことを考えているから、レイシフト先でトラブルが起きるのである。

 

「とりあえず、合流しなくちゃ」

 

 立香が喝を入れるように頬を叩くと、京都の町を歩き始める。

 しばらく人のいない道を歩くと、家の影に誰かがいるのが見えた。信長たちかな、と思い駆け寄ってみる。違ったとしても、この街の異様さを教えてもらえればいい。

 そんな軽い気持ちで近づき――……

 

「すみませー……」

 

 その姿を見て、声を失った。

 

 そこにいたのは、赤い男。

 赤い雷を纏った骨のような男だ。便宜上、男と推察するが、よく見ると足が虫のように幾本も生えている。しかも、傍に同じ雷を纏った骨の羽虫を率いていた。

 どう考えても人間とは思えない存在だ。そいつらは、立香を見止めると、手にした刀を振り上げてきた。

 

「――ッ、ガンド!」

 

 立香は一瞬ためらったが、すぐに指先を骨に向ける。指から放たれた赤い閃光が羽虫を貫いたが、すぐに次の羽虫が飛んでくる。その隙をついて、骨の男が急接近し、細く短い刀を向けてきた。

 

「しまった―――!!」

 

 避けられない。

 これで、終わりだ。

 

 痛みを覚悟した、次の瞬間だ。

 

「……その眼、気に入らないな」

 

 立香の目の前に白い布が翻った。

 それとほぼ同時に、骨の男が一刀両断される。骨の男の身体は崩れ、一陣の風に浚われるように消え去っていった。立香を救った人は、黙したままその勢いに乗るように羽虫たちをすべて撃退した。

 

「助けてくれて、ありがとうございました」

 

 立香はおそるおそる、布を被った男に話しかけた。布を被った男はゆっくりとこちらを振り返る。

 

「礼には及ばない。早く安全な場所へ逃げることだ」

 

 男は短く淡々とした声色で答えた。

 白い布は少し破れ、その布の下から覗く金髪と青い瞳が見え隠れする。立香はその姿にどこか既視感を覚えた。なんとなく、アーサー王と似ている気がする。もちろん、それは外見だけで話す声も身に纏う雰囲気も異なっていたが、知人と似ているので親近感を抱いてしまった。

 

「……なんだ?」

 

 じろじろ見ていたら、不審そうに尋ねられてしまう。

 

「あ、すみません。知人と似ている気がして……」

「……似ている、か」

 

 青年は少し気分を害したような声を出す。

 まあ、似ていると言われて喜ぶ人は滅多にいない。

 

「さっさと家に帰れ。ここは危険だ」

「えっと、その前に聞いてもいいですか? 私、仲間とはぐれちゃって……」

 

 立香は一緒にレイシフトしたサーヴァントを思い浮かべる。

 織田信長、土方歳三、鈴鹿御前、そして、牛若丸。以上四名と一緒にレイシフトしたのは間違いない。あの骨男みたいに物騒な奴らが徘徊していると分かった以上、早く三人と合流する必要がある。

 立香が四人の特徴を伝えようと口を開こうとした、その時だった。

 

「山姥切。そっちは終わったか?」

 

 先ほど、骨男たちが現れた方角から6人ほどの人影が姿を見せる。

 一人は分厚いフードで顔を隠していたので分からないが、残りの5人全員が日本刀を携え、サーヴァントと比較しても見劣りしないほど整った顔立ちをしていた。

 

「……ああ、終わった」 

「んじゃ、さっさと次に行こうって……そこにいるのは、女の子?」

 

 黒いロングコートにヒールのあるブーツが特徴的な青年が立香を覗き込んできた。

 

「ここは物騒だから早く帰りな」

「あの……帰りたいのはやまやまですけど、仲間とはぐれちゃって……火縄銃を持った女の子とほとんど裸の女の子、桃色の髪に狐耳の女の子に、それから目付きが悪くて背の高い男の人、見ませんでしたか?」

 

 立香は全員に問いかけた。

 これだけ人数がいるのだ。一人くらいは信長たちを見かけているかもしれない。何しろ、各自それぞれの特徴が目立ち、人の眼を惹くサーヴァントたちだ。

 そう願いを込めて尋ねてみたが、どうやら外れだったらしい。誰も答えてくれる人はいなかった。

 

「目付きが悪い男はともかく、裸の女の子って何だ? 露出狂?」

 

 全体的に白い青年が問い返してくる。 

 立香は苦笑いをするしかなかった。牛若丸本人は絶対に裸を見られる事を気にしていないが、露出狂でもなかった。

 

「もちろん、服は着てますけど、ほとんど裸というか、目のやり場に困るというか……その子も日本刀を持っているんです。その子というか、4人とも全員」

「女の子が日本刀? この時代に?」

 

 ロングコートの青年の隣にいた薄い水色の羽織を着た青年が疑問の声を上げる。立香は彼の羽織を見た瞬間、あっと叫んでしまった。

 

「え、それって……沖田さんの羽織!?」

 

 立香は目を見張った。

 スキル病弱が発動し、泣く泣くレイシフトできなかった沖田を思い出す。普段は薄桃色の女学生風の服装だが、気合を入れた戦闘の時は必ず壬生朗の羽織を纏っていた。マスターとして見間違えるはずがない。

 

 だから、おかしい。

 幕末ならともかく、戦国時代に新選組が存在するはずがないのだ。

 

「どういうこと? もしかして、あなたはサーヴァントですか?」

 

 彼らは新撰組系のサーヴァントだろうか?

 それなら、あの骨男を一瞬で切り殺したことにも納得がいく。そう思ったのだが、新選組の羽織を着た男は警戒するように目付きを鋭くした。

 

「さーばんと? なにそれ? どうして、沖田くんのことを知っているの?」

「しかも、その服装……この時代の人間か? それとも、時間遡行軍か?」

 

 サーヴァント発言は、彼らの警戒心を引き上げてしまったらしい。

 煤色の髪に藤色の眼をした青年に至っては、おもむろに刀を引き抜き、首元に当ててきた。立香は考えるよりも先に素早く両手を挙げていた。

 

「え、えっと、私は怪しい者ではありません! 藤丸立香と言います。その、カルデアでマスターをしています」

 

 立香は一瞬躊躇したが、カルデアのマスターと言い切った。

 彼らはサーヴァントを知らない。ところが、この時代の人間でもないようだ。時間遡行軍とやらが何か分からないが、身元についてはしっかり話しておいた方がいい。なにしろ、自分もこの時代の人間ではないのだから。 

 

「かるであ、だと?」

 

 藤色の目付きが一段と鋭くなる。

 立香は噛みそうになりながらも、たどたどしく自分の身の上について簡単に話した。

 

「この時代がおかしくなった原因を調べ、解決するために派遣されました」

「……ってことは、あんたのお仲間さん?」

 

 ロングコートの青年が分厚いフードを被った人物に話しかける。

 

「政府から派遣された監査官は俺だけだ。そいつは知らん」

「って言ってるけど?」

「政府から派遣されたんじゃなくて、人理修復機関のカルデアから派遣されました」

 

 立香は説明しながら頭を悩ました。

 どうも話が食い違っている。ややこしくて、説明するのが難しい。立香の時代における政府は全て滅んでいる。唯一生き残った人間が暮らす場所は、カルデアだけだ。それなのに、彼らは「政府」という単語を口にしている。これは一体どういうことなのだろうか。

 

「でも、うそをいっているようにはみえませんよ?」

 

 白い髪に赤い瞳の少年が声を上げた。

 

「わるいひとのふんいきが、まったくしません」

「今剣、確かに俺もそう思うけどさー」

「清光、僕もそう思う。彼女、怪しいけど悪い人には見えない」

「あ、安定もそう思う?」

 

 ロングコートの青年と新選組の青年が互いに頷き合っている。彼らの警戒心が少し薄まった気がしたが、反対に、今も喉元に刀を突きつけてきている青年の警戒心は一層高まっている。

 

「加州、大和守、今剣。気を引き締めろ。甘言かもしれん」

「俺は今剣たちに賛成っと」

 

 煤色の髪の青年の意志とは異なり、白い服の青年がひらひらと手を振った。

 

「鶴丸!」

「こんな場所で謎の少女に出会うなんて、なんだか面白いことが起きそうな気がしないか?」

「貴様、ふざけているのか?」

「こいつを連れて行けば、今回の特命調査は退屈しなさそうだ」

 

 鶴丸と呼ばれた青年は少し愉快そうに語った。

 

「ということで、俺は鶴丸国永。あっちの赤い奴が加州清光。その隣の青い奴が大和守安定。あのちっこいのが今剣で白い布を被った奴が山姥切国広。んでもって、そこの怖い男がへし切長谷部。よろしくな、立香!」

「待て、何を勝手に自己紹介してる!? あと、怖い男とはなんだ、怖い男とは!」

「なぜって、連れていくに決まってるからだろ? お互いの名前も知らないんじゃ面倒だ」

「連れていく!? この女を!?」

「俺も賛成。怪しければ斬ればいいじゃん」

「僕も賛成かな」

「さんせいです!」

 

 仲間たちが次々と賛成していく中、長谷部だけが孤立していく。

 

「ええい、山姥切! お前はどう思うんだ! 今回の部隊長は貴様だろ?」

「俺は……構わない」

「ほら、部隊長もそう言っていることだし、監査官殿もそれでいいだろう?」

 

 鶴丸が最後に残った分厚いフードの男に水を向ける。

 監査官と呼ばれた彼はしばらく黙った後、

 

「いいだろう。今回の事態に、こいつも関わっているかもしれない。近くで監視する」

「同行決定ってことだな」

 

 鶴丸がぱんっと手を叩いた。

 長谷部だけ難しい顔で唸っていたが、多数決で圧倒的不利な立場では何も言えないらしい。立香が彼らについて歩き始めると、後ろから背中を貫きそうな殺意のこもった視線を向け続けて来ていた。

 

「えっと、貴方たちは一体?」

 

 殺されそうな視線から気を逸らすため、立香は彼らに質問をした。

 

「俺たちは歴史修正主義者と戦う刀の付喪神ってところかな」

 

 加州清光が答えてくれる。

 

「歴史を変えようとする時間遡行軍と戦うため、審神者によって顕現された刀の付喪神だ。

 今回は時間遡行軍のせいで歴史改変された聚楽第を正すため、俺たち六振りが本丸から派遣されたって感じかな」

「歴史修正主義者、時間遡行軍……」

 

 立香は考え込んだ。

 脳裏に横切ったのは、ゲーティアの存在だ。

 彼も歴史に介入しようとしていたが、正確に言うなら歴史を改変するためではない。人理を破壊し、3000年前から人間の歴史を作り替えようとするために起こした行動だった。

 歴史修正主義者と近い思想にも思えるが、まったく見当はずれの思想にも思える。

 

「なぁ、立香。さっき言ってた『さーばんと』ってなんだ?」

 

 立香が次の質問を口にする前に、鶴丸が目を輝かせながら尋ねてくる。

 

「簡単に言えば、人理に名を刻んだ英霊……つまり歴史上の偉人のことです。

 私は彼らと契約し、彼らの力を借りながら歴史を正しています」

 

 平たく言えば「使い魔」なのだが、その言葉はあまり使いたくない。

 立香は彼らのことを自分に従ってくれる使い魔ではなく、共に戦う仲間のように想っていた。

 

「へぇー、英霊か! ってことはあれか? 立香が探している仲間っていうのは、歴史上の偉人なのか!?」

「そういうことです」

「あれ、でもおかしくない?」

 

 安定が疑問の声を上げた。

 

「火縄銃を使う女の偉人、いたっけ?」

「あー……それは……」

「待て、名前を言うなよ。俺が当てる」

 

 立香の言葉を遮り、鶴丸が手で制してきた。

 

「井伊直虎か? ……いや、その反応は違うな。甲斐姫? え、違う。んー、ってことは――……」

 

 鶴丸が歩きながら考え込んでいる。

 立香は言葉を挟みそうになったが、少し我慢する。絶対に当てられるわけがない。史実における織田信長は、男ということになっているのだから。実際、立香も彼女に会ったときの衝撃は忘れられない。小学生のころから社会科で習ってきた日本で最も有名な戦国武将が女性だったなんて、アーサー王が女だったこと以上に絶対にありえない。

 

 ……まあ、牛若丸も沖田総司も史実では男性だが。

 

「でも、加州清光にへし切長谷部、か……どこかで聞いたことがあるような?」

 

 特にへし切長谷部。

 この名前は物凄く聞き覚えがある。だが、どこで聞いたことがあるのか思い出せない。

 

「俺の元主も長谷部の元主も有名人だからね」

「俺のじゃなくて、清光と僕の元主だよ」

「お前たち、気を抜き過ぎだ。ここは戦場だぞ」

 

 清光と安定が話していると、後ろから長谷部の檄が飛ぶ。

 

「分かってるって。ちょっと話しただけ――……ッ!?」

 

 清光が答えようとした、その時だった。

 金属がぶつかり合う音が耳に届く。わずかに弛んでいた空気が張り詰め、刀剣たちは目配せをした。

 

「……嫌な雰囲気だ。確認しよう」

「では、ぼくがていさつしてきますね」

 

 今剣はそう言うや素早く地面を蹴り飛ばし、瓦屋根の上に飛び乗った。そのまま向こうの通りへ消えていく。

 

「今の音……」

「遡行軍かもしれないし、立香さんの仲間かもしれないね」

「もどりました」

 

 安定が呟きに答えてくれた直後、今剣が屋根を跳び越えて戻ってくる。

 

「くろいかみのおんなのこが、そこうぐんとたたかっています。どこかで、みたことのあるひとでした」

「それって!?」

 

 間違いなく、信長か牛若丸だ。

 立香は反射的に駆けだそうとした――が、駆けださなくても済んだ。

 

 

 なぜなら、走り出す瞬間、今剣が跳び越えてきた家屋が壊れ、大きな男が回転しながら地面に叩きつけられたからだ。

 

「時間遡行軍!」

 

 周囲の刀剣たちの殺気が沸き上がる。

 どうやら、あの男が時間遡行軍らしい。先ほどの遡行軍のように赤い光を纏い、笠を被った男はよれよれと立ち上がろうとした。だが、男にとどめを刺すように、銃弾のような速度で何者かが家から飛び出し、刀を突き立てた。

 

「兄上には全く及びませんね、弱すぎです」

 

 可愛らしい声と共に、その少女は刀で遡行軍の首を薙いだ。

 

「ですが、主殿への良い手土産になりそうです」

 

 ライダーのサーヴァント、牛若丸は腰に巻き付けたタヌキ尻尾を揺らすと、口元に微笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回投稿は28日21時です。



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時を超えた出会い(3)

「牛若丸!」

 

 立香は駆けだしていた。

 立香が叫ぶと牛若丸は振り返り、幸せそうに笑った。

 

「主殿!」

 

 牛若丸はぴょこぴょこ跳ねるように駆け寄ってきた。……時間遡行軍の首を握りしめながら。

 

「ちょ、牛若丸。その首……」

「はいっ、この時代の京を支配していると思われる敵の首でございます! お納めください!」

 

 牛若丸は邪鬼の欠片もない笑顔のまま遡行軍の頭を掲げた。立香は遡行軍の虚ろな目と白い顔を見て、顔を引きつらせる。悪気はないと理解してはいても、こう死んだ者の頭を持ってこられると反応に困ってしまう。

 

「あ、ありがとう。でも、ちょっと怖いから目立たないところに置いてこようか」

「主殿がおっしゃるなら……おや、そちらの者たちは?」

 

 牛若丸は立香の後ろにいる刀剣男士たちに気付いたようだ。遡行軍の頭を脇に置き、そこに集った者たちに目を走らせる。

 

「私を助けてくれた人たち。刀の付喪神でこの時代の調査をしているの」

「刀の付喪神ですか!」

  

 牛若丸は興味深そうに目を光らせた。

 

「はじめまして、私は牛若丸と――……」

 

 牛若丸が挨拶をしようとした、その瞬間だった。

 彼女の言葉を遮るように、一人の刀剣男士が地面を蹴った。誰よりも小柄な男士はまっすぐ牛若丸の方に跳ね跳び、そして――……

 

「よしつねこう!!」

 

 今剣が目に涙をいっぱいに溜めながら、牛若丸に抱き着いた。

 

「うわっと!?」

 

 牛若丸は今剣を抱き留めると、少し困惑したような顔で彼を見下した。

 

「よしつねこう……よしつねこう! あいたかったです……!」

 

 今剣は泣きじゃくりながら、牛若丸の胸元に顔をすくめた。牛若丸は困惑しながらも、なにか察したらしい。今剣の背中をぽんぽん叩きながら、とても慈愛に満ちた優しい表情を浮かべた。

 

「そうですか……あなたは今剣ですね」

「はい! ぼくが……あなたのまもりがたなの今剣です……」

 

 感動の再会と表現するべきなのだろう。 

 遡行軍がうようよいる戦場だというのに、立香は牛若丸たちの空気に当てられ、目元が潤んできた。

 

「え、ちょっと待って。立香さん、今剣!? 彼女が牛若丸なの!? 性別が違くない!?」

 

 加州清光が目を白黒させながら牛若丸と今剣を交互に見ている。

 

「牛若丸って義経公だよね!? 胸があるように見えるんだけど?」

「あー……私も最初は驚きました。でも、彼女は正真正銘の牛若丸です」

「事実は小説よりも奇なりか。いや、人生は驚きの連続だな」

 

 いまだ自体が呑み込めていない清光の後ろで、鶴丸が面白そうに頷いていた。

 

「まさか、名将 源義経が女だったとは! 膝丸も岩融もそんなこと一言も言ってなかったぞ?」

「膝丸……ということは、薄緑もいるのですか! しかも、岩融までいるとは!」

 

 牛若丸は鶴丸の話を耳に挟むと、嬉しそうにはしゃぎ声を上げた。

 

「どこにいるのですか?」

「いや、本丸で待機中さ。俺たちが義経公と会ったと知ったら、あいつらは羨ましがるだろうな」

「……だが、女性だ。別人ではないのか?」

 

 山姥切が指を顎に添えながら、まじまじと牛若丸を見る。

 

「どうなんだ、今剣?」

「いえ、ぼくのしるよしつねこうは、だんせいでした」

「えっ!?」

「ですが、かんじるのです。とおくからみたときは、わかりませんでしたが、いまはわかります。このおかたが、よしつねこうだと……」

 

 今剣は一切の曇りのない瞳で牛若丸を見上げた。彼の言葉に答えるように、牛若丸も話し始めた。

 

「ええ。私も同じ思いを抱いています。あなたが、私に最期まで付き添ってくれた守り刀であると。

 ……あなたは良い主と巡り合えたようですね。幸せそうで良かったです」

 

 牛若丸の言葉を受け、今剣は再び泣きそうな顔をしたが、ぐっと涙をこらえるように唇を噛むと、大輪の花が咲くような満面の笑みを浮かべた。

 

「はいっ! よしつねこうにまけずおとらず、すばらしいあるじとめぐりあえました!」

「それは良かったです」

 

 しばらく二人は嬉しそうに微笑み合っていたが、それを遮るように、長谷部が咳ばらいをした。

 

「感動の再会は分かったが、今は任務中だ」

「……そうでした。短い間でしたが、我が主を保護してくださり、ありがとうございました」

 

 牛若丸は今剣から離れると、男士たちに一礼をした。

 

「このあとは、私が主殿と共に京の調査に当たります」

「えっ、よしつねこう! いっしょにいかないのですか!?」

 

 今剣が寂しそうに言うと、彼を咎めるように、長谷部が口を開いた。

 

「当たり前だ。俺たちは俺たちで任務を遂行する」

「あれ、怪しいから連れて歩くんじゃなかったっけ?」

 

 鶴丸が長谷部に言うと、彼は少し分が悪い表情を浮かべた。

 

「もちろん、彼女たちは怪しい。今すぐにでも圧し切りたい気分だ。だが、彼女は今剣が認めた者だ。そいつが主と認める相手が、悪人とは思えない」

「それならさ、一緒に戦ってもらえばいいんじゃないかな?」

 

 安定が口を挟むと、今剣は目を輝かせた。

 

「ぼくのかつやくを、よしつねこうにみてもらいたいです!」

「俺も安定の案に賛成。かの義経公が味方に加われば、遡行軍も楽勝に倒せそうじゃん」

「俺も賛成に一票だ。他の英霊とやらも気になるしな」

「お前ら……」

 

 長谷部は機嫌が悪そうに呟くと、黙ったままの山姥切に視線を向ける。山姥切はすっと目を伏せると

 

「俺は構わん」

 

 とだけ答えた。

 

「またまた5対1だ。長谷部、諦めろ」

「く……だがな、怪しい動きをしたら圧し斬るからな!」

「よしつねこうがあやしいわけ、ありませんよ!!」 

 

 刀剣男士たちのやり取りについて、監査官は何も答えなかった。

 

 それから、刀剣男士たちと牛若丸を加えた7人で遡行軍を倒して回った。

 特に今剣と牛若丸は誰よりも機敏に遡行軍を討ち果たしていく。今剣は自分の活躍を牛若丸に見てもらいたい一心で、牛若丸は彼の働きに答えるように、遡行軍を倒していく。遡行軍は身体を切られると、ほどなくして塵となり、どこかへ消えていくため、死体が道に積み上がることはなかった。

 

「でも……相変わらず、人の気配がしないね」

 

 五度目の時間遡行軍との遭遇も難なくクリアしたところで、立香は思い出したように周りを見渡した。

 人の気配がない。人が生活していた気配がない。遡行軍と争った形跡もなく、寂れたゴーストタウンのように思えた。

 

「誰かいないのかな?」

「……北条氏政が聚楽第の内部にいる」

 

 立香が呟くと、監査官が淡々と答えた。

 

「北条氏政? 北条って、北条政子とかの北条?」

「いえ、その北条氏とは異なる一族です」

 

 立香の問いに対し、牛若丸が解説してくれた。

 

「戦国時代に小田原を拠点とした一族ですね。北条氏政はその五代目です。この辺りの歴史に関しては、私よりも小太郎殿が詳しいと思います。小太郎殿は北条家に仕える忍びですので」

「風魔小太郎も『かるであ』にいるんだね!」

 

 安定が刀を鞘にしまいながら、感心したように声を上げる。

 

「英霊の中には、忍者もいるんだ」

「はい。小太郎殿の他にも望月千代女殿や加藤段蔵殿もいます。

 ……ですが、妙ですね。私が知る限り、北条氏政は上洛をしていないはずです。ちょうどこの年に行われた小田原戦で豊臣秀吉に敗北し、首を斬られたと聞いております」

「詳しいね、牛若丸」

「1590年にレイシフトが決まった段階で、ダ・ヴィンチ殿から時代に関する詳細な情報を聞きましたので」

 

 牛若丸は得意そうに胸を張った。

 

「主殿が向かう場所と時代背景については暗記済みです」

「え、ダ・ヴィンチちゃんから聞いたって……数分しか時間なかったんじゃ……」

「私は天才ですから。一度聞いただけで覚えますよ。

 つまり、聚楽第にいる北条氏政の首を落とせば問題解決です!」

「いや、待って。そう簡単に行くのかな?」

 

 確かに北条氏政が生きていること自体がおかしい。

 だけど、だからといって、その存在を殺せば問題解決になるのだろうか。

 

「そこんとこどうなの? 監査官さん?」

 

 清光が監査官に話しを振ると、彼は声色を変えずに

 

「お前たちに政府が下した命令は、時間遡行軍の殲滅だ。それ以外のことに気を配るな」

「……つまり、現場の俺たちは詳しく考えずに働けってことか」

 

 鶴丸が嫌味っぽく言ったが、監査官は何も答えなかった。

 

「もうすぐ洛中に入る。洛中に入る場所で一度、本丸に戻る通路が開かれるらしい」

 

 山姥切が先に進みながら話し始めた。

 

「そこまでは何も考えずに進むぞ。俺たちの主が考えればいい」

「山姥切の言う通りだ。まずは進むとしよう」

 

 長谷部が言うと、皆が洛中に向かって進軍を再開する。立香も牛若丸と一緒に歩き続けたが、やはり街全体を包み込む違和感は消えない。

 

 まるで、街が人を飲み込んでしまったような――……。

 

「主殿、もうすぐ洛中の入り口に到着します。主殿は下がっていてください」

「は、はい。無理しないでね、牛若丸」

「私は負けませんよ。天才ですから!」

 

 洛中の入り口には、時間遡行軍が陣を成していた。

 今までは4,5人で陣を形成していたが、6人の小隊が3つも控えている。しかも、角の生えて目を光らせた一際大きい遡行軍の姿もちらほら見て取れた。

 

「太刀がいる」

「相手が何だろうか知ったことか。斬ればいいんだろ」

 

 山姥切が刀を抜いた。

 それを合図に、他の刀剣男士たちも刀を引き抜き、遡行軍に向かって地面を蹴った。

 

「主殿はそこで待っていてください!」

 

 牛若丸も彼らの戦いに加わる。

 

「……凄いな」

 

 立香の口から言葉が零れていた。

 今まで、数々のサーヴァントの戦いを見てきた。刀剣男士たちの戦いは、サーヴァントの戦いにも匹敵するように思える。部隊長の山姥切が切りかかり、その援護をするように鶴丸が加勢していた。木の裏に隠れ様子を窺っていた遡行軍は、長谷部が木ごと圧し切っている。清光と安定は互いに背後を預け、目の前の敵に集中している。

 そんな彼らの合間を縫いながら、今剣と牛若丸が機敏に動き回り、遊撃隊のように敵を討ち取っていた。 

 

 特に、牛若丸たち二人は、出会って数分というのに息が合っていた。

 今剣が地面を蹴り、

 

「ばびゅーんといきますよ!」

 

 遡行軍の頭を跳び越え、首筋に短刀を突き立てる。その今剣の背後に別の遡行軍が迫った時は、牛若丸が跳躍し後ろから

 

「悪鬼、必衰!」

 

 と勢いよく斬りかかっていた。

 立香はその戦いを見守りながら、ふと隣に佇む男に視線を向けた。

 

「あの……監査官さんは見ているだけでいいんですか?」

 

 これまで刀を抜かず、ずっと黙したままのフードの男性に語りかける。

 

「俺は監査官だ。あいつらの働きを監査し、政府に報告することが仕事だ」

 

 監査官はそれだけ言うと再び黙り込んだ。

 立香は彼の隣で、戦いが終わるのを待つ。いざというとき、すぐに牛若丸を援護できるように、令呪を発動する準備をしながら――……。

 

「終わりましたね、今剣!」

「とーぜんですね!」

 

 最後の遡行軍を同時に仕留めた牛若丸と今剣は、互いにハイタッチをしている。

 まるで、仲の良い姉弟を見ているみたいだ。

 

「一度、本丸に帰還する」

 

 山姥切が遡行軍を倒し切ったことを確認すると、全員に向かって話し始めた。

 

「かるであの者たちは……」

「よしつねこう、ぜったいにまっていてくださいね! ばびゅーんともどってきますから!」

「もちろんです。今剣も今の主への報告をしっかりしてきてくださいね」

 

 立香の見る限り、刀剣たちはそこまで疲弊していないように思えた。

 だが、疲弊が身体に現れていないからこそ、一度、安全な場所に戻り、作戦を見直したり、身体を休める必要がある。立香は少し離れるのが寂しいな、なんて思いながら、山姥切が帰還の準備をする様子を眺めていた。

 

「洛外での新たな情報はなし。洛中に入る準備を整えろ」

 

 山姥切たちの周りに緑色の円が出現する。刀剣男士たちが中に入り込み、帰還に備えている。なんとなく、カルデアに戻るときと同じ雰囲気を感じた。

 牛若丸と今剣は帰還ギリギリまで会話に花を咲かせている。その様子を微笑ましく見守っていたのだが――……

 

「――ッ、危ない!!」

 

 円の縁に立っていた清光が叫ぶと同時に地面を蹴り上げ、立香に急接近すると、そのまま抱えて真横に跳ねた。いきなり何事かと思ったが、立香はすぐに気づいた。赤い巨体が槍で、たった今まで立香が立っていた地面を貫いていた。清光が立香を助けるタイミングが遅ければ、立香は今頃、頭の上から下まで綺麗に二つに分かれていたことだろう。

 

「なにあれ、新手の遡行軍!?」

 

 安定が鞘にしまいかけていた刀をもう一度引き抜き、警戒を強める。

 

「違う」

 

 立香は赤い巨体を見て呟いた。

 遡行軍が赤い光を纏っているのに対し、その人物は赤い鎧を纏っていた。荒々しい髪は赤く染まり、白い眼は狂気で満ち溢れている。

 立香はこの人物、否、サーヴァントをよく知っていた。

 

「バーサーカーの呂布!?」

「―――ッ!!」

 

 第二特異点を修復後、共に戦ってきたサーヴァントを見間違えるはずがない。

 呂布は唸り声を上げながら、槍を引き抜くと、その先を立香に向けてきた。

 

「主殿、お下がりください!」

 

 牛若丸が呂布と清光の間に割って入る。

 

「あれは、主殿が召喚した呂布殿ではありません。ご注意を!」

 

 牛若丸はいつでも呂布に攻撃を仕掛けられるように腰を低く落とす。

 

「分かってる。でも、どうして、呂布が!?」

 

 呂布は間違いなく本来の聚楽第にいない人物だ。異国人だし、1000年以上昔に活躍していた人物である。どこからどう考えてもサーヴァント以外何者でもない!

 

「簡単な話ですよ、カルデアのマスター」

 

 洛内の入り口から柔らかい声が聞こえてくる。

 そちらへ目を向ければ、数人の人影が見えた。その中心に立っている白い髪に褐色の肌をした青年が、ゆっくりとこちらに歩みを向けてくる。

 

「彼は我らが主、北条氏政公が召喚したサーヴァントですよ」

 

 青年は落ち着いた目で一同を見渡した。

 背後に大量の遡行軍を控えさせながら、ゆっくりと近づいてくる。

 

「時の政府の監査官、刀剣男士の皆さん、そして、カルデアのマスター。マスターの代わりに宣言しましょう」

 

 青年はゆっくりと微笑みを向けてくる。

 

 

「豊臣家は滅亡しました。聚楽第は我がマスターの手に落ち、北条の天下となりました。

 貴方たちの戦いは無意味です。おとなしく諦め、我らと手を取り、新しい歴史を築こうではありませんか」

 

 青年――天草四郎時貞は柔らか微笑を携え、こちらに手を差し伸べてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜種特異点 特命調査:AD.1590 『悪逆遡行領域 聚楽第』

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二節
末期の祈り(1)


 それからのことは、断片的にしか覚えていない。

 

 すでに帰還が始まっていた刀剣男士たちは何もすることができず、緑の光と共に消えてしまった。

 牛若丸と立香を救うため、取り残された清光は当然のように天草四郎時貞の手を取らず、時間遡行軍の大群と戦うことになった。

 

 次々と津波のように押し寄せる遡行軍。

 それを俯瞰して眺める天草四郎と呂布。

  

 さすがに監査官も刀を抜き、応戦に加わってくれたが、多勢に無勢とはこのことだ。

 

「撤退する。こっちだ」

「主殿、ごめん!」

 

 監査官が奔り出す。

 牛若丸は立香を抱え込み、清光と一緒に監査官の後を追う。

 

 

 走って、走って、走って――……どれくらい、彼らは走ったことだろう。

 なんとか遡行軍を振り切り、立香たちは空き家の一間で一息ついていた。

 

「はぁ……つかれたー」

 

 清光が崩れるように座り込む。

 

「あんな大量の遡行軍、見たことがない」

「あの……ありがとうございます。でも、ごめんなさい」

 

 立香は清光に礼を言いながら、とても申し訳ない気持ちになった。

 自分を助けなければ、彼は今頃、安全な本丸に戻っていたはずなのだ。立香がしゅんと項垂れていると、清光は肩を落とした。

 

「あー、気にしないで。俺が勝手に助けただけだから」

 

 清光はさらっと言うと、いまだにフードを被ったままの監査官に目を向けた。

 

「あいつ、どういうこと? 俺たち、遡行軍以外の敵がいるって聞いてないんだけど」

「………………文句を言いたいのは、俺の方だ」

 

 監査官は淡々とした口調の中に僅かな怒りの色を滲ませる。

 

「俺も遡行軍以外の敵がいると聞いていない。なんだ、あいつら!」

「……では、監査官殿が知っていた情報を教えてください」

 

 牛若丸が問うと、監査官は静かに、しかし、苛立ちを込めた声色で話し始めた。

 

「俺の任務はあくまで本丸の監査だ。

 歴史に影響がない放棄された世界で刀剣男士たちの働きを監視し、政府に報告する。あまりに働いていない場合は本丸の活動に政府が介入し、それでも状況が改善されなかった場合は、本丸を取り潰す。そういう調査だった」

「歴史から放棄された世界?」

「剪定事象……いや、編纂事象だな。

 ここは北条が遡行軍と手を組み、豊臣に勝利した世界だ」

 

 監査官は懐に手を入れると、真新しい地図を取り出した。

 

「小田原城が豊臣方に包囲され、敗北が避けられない状況に追い込まれた時だ。北条氏政が時間遡行軍と手を組み、豊臣方の武将たちを倒し尽した。

 だが、歴史は変わるが、人理自体に影響はない。

 遡行軍は監査対象の本丸が片付ける。本丸側に荷が重い場合は政府が遡行軍を殲滅する。それさえできれば、歴史は進んで行く。事実、生き残った徳川を中心に、上杉や前田に毛利、九州や四国の大名が京を包囲している。

 遡行軍さえ片付けば、北条は滅び、徳川が北条の支配していた関東を治め、江戸幕府が始まる」

「えっと、それって確か……固定帯、だっけ?」

 

 立香はバビロニアで聞いた言葉を思い出した。

 

 たとえば「ブリテンが滅んだ」という結果が人理に固定された場合、 レイシフトや時間移動をして「ブリテンを繁栄させ、戦争を終結させ、誰もが幸福になった」という過程を成功させても、固定帯に到達した瞬間「しかし、それでもブリテンは滅びた」という結果になるらしい。

 その結果、一人か二人は幸福になるかもしれないが、人類史という大きなうねりを変えることは決して出来ない……らしい。

 

「豊臣はもう滅んだけど、結果的に北条も滅びて、徳川が江戸を手に入れ、幕府を開く。その歴史は変わらないってこと?」

「その通りだ。

 だから、解せない。あの量の遡行軍がいるとは事前調査になかったはずだ。ましては、英霊とやらが絡んでいるとも聞いていない」

「政府に連絡はとれないの?」

「連絡はしている。だが、まったく応答がない!」

 

 監査官は苛立ちをぶつけるように、柱を強く叩いた。

 

「どうなってる! この世界は隔離されているとでも言うのか!?」

『隔離。そう、隔離さ!』

 

 監査官が言い放った瞬間、目の前に青い映像が浮かび上がった。モナリザそっくりな女性が投影されたと思ったら、すぐに最も信頼のおける後輩の姿が現れる。

 

『ご無事ですか、先輩!?』

「ダ・ヴィンチちゃん! マシュ!」

「うわ、なに妖怪? 妖術!?」

 

 清光が少し身体を引いたが、監査官が少しだけ怒りを潜めた様子で

 

「どうやら、お前の仲間のようだな。かるであ、だったか?」

 

 と尋ねてきた。

 

「はい。私の大切な仲間です!

 それで、ダ・ヴィンチちゃん。隔離って?」

『うん。状況的には新宿の時と近いかな。

 聚楽第を中心とした洛中、洛外以外の様子が確認できない。意図的に閉鎖しているのか、なにか準備が整ってから解放するのか……細かいところは分からない。

 いつもなら座標を特定して追跡できるんだけど、今回は困難でね。とはいえ、私は天才だ。なんとか通信まで漕ぎつけたというわけさ』

『ところで、先輩。

 牛若丸さんしか見当たりませんが……それに、その方たちは一体?』

 

 マシュが不思議そうに清光と監査官を交互に見てくる。

 

「彼は歴史修正主義者と戦う刀の付喪神の加州清光さん。それで、こちらがその働きを確認する監査官さん」

『はぁ、歴史修正主義者ですか』

『いやいや、マシュさん。驚くのそこじゃないでしょ!?』

 

 マシュを押し出すように、沖田総司が顔を出した。

 

『加州清光と言いましたか!? 言いましたよね!? しっかり聞こえたんですけど!?』

「えっ?」

 

 清光はぽかんとした顔で投影された沖田を見つめた。沖田も少し目を見開き、清光を見つめ返した。そして――……

 

『さすがは、沖田さんの加州清光! カッコよくて、強そうで、それでいて、どこか可愛らしいです!

 ムニエルさん、通信先へレイシフトできます? え、できない? できたとしても守備範囲外だからやらない!? そんなー、せっかく清光が目の前にいるのに!』

『沖田さん、落ち着いてください。その、清光さん? も驚いています。……清光さん?』

 

 マシュの戸惑いの声を聞き、立香も清光に視線を戻す。 

 清光は半分ほど口を開け、通信映像を見つめながら、ほろほろと涙を流していた。清光はマシュに話しかけられ、ようやく自分が泣いていることに気付いたのだろう。頬に手を当て、濡れていることを確認する。

 

「あっ……俺……ごめん。まさか、また会えるとは思っていなかったから」

 

 清光は通信に背を向け、涙をぬぐい始める。その様子に気付いたのか、再び沖田が投影される。

 

『……私も、清光と会えて嬉しいです。だから、こちらを向いてくれませんか?』 

「でも、俺の顔、いま可愛くないから……」

『どんな清光も私と共に歩んできた……大切な私の刀です』

 

 沖田の穏やかな言葉を受け、清光は振り返った。沖田も少し泣きそうな顔になっている。

 

『できれば直接会いたかったです』

「……俺も……会いたかった」

『感動の再会を邪魔してごめんね。でも、長く通信できないんだ』

 

 ダ・ヴィンチが早口に話し始める。

 

『そちらの情報を教えてくれるかな』

「では、私が説明します」

 

 牛若丸が要点をまとめて話し始めた。

 刀剣男士と時間遡行軍について。同行した他のサーヴァントと合流ができていないことについて。洛中に入ろうとした瞬間に現れた呂布将軍、そして、時間遡行軍を引き連れて現れた天草四郎時貞について。

 

「天草殿たちは北条氏政がマスターだと確かに言っておりました」

『ふむ……つまり、北条氏政が複数のサーヴァントと遡行軍とやらを使役しているということだね。

 こちらの解析でも、聚楽第が中心となっていることは確かなようだ。北条氏政と接触、もしくは、敵方のサーヴァントと接触できれば、もう少し情報が得られると思うけど……。

 ちなみに、清光君だったかな? 時間遡行軍と対話することはできる?』

「今まで試したことはないな」

 

 清光が答えてくれた。

 

「というか、俺、それなりに長く戦って来てるけどさ、あいつらが話しているところ、聞いたこともない」

「そこは俺も保証する。遡行軍との対話は不可能だ」

『……なるほどね。遡行軍とやらの仕組みにも興味があるが、まずは遡行軍を倒しながら、聚楽第の内部に侵入することが最優先だね』

「でも、どうやって侵入すれば……」

 

 洛外から続く入り口には、あの呂布がいる。

 呂布が別の場所に移動していたとしても、大量の遡行軍が警備を固めている可能性が高い。

 

『そこは天才、ダ・ヴィンチちゃんの仕事さ。

 聚楽第のマップを立香ちゃんに送るよ。そこに書いてある裏口から中へ侵入することができる』

「さすが、ダ・ヴィンチちゃん!……あ、でも……」

 

 立香は本丸に戻った刀剣男士たちのことを思い出した。

 自分たちは比較的安全と思われるルートで洛中に侵入することができるが、再び洛外から現れる彼らは裏道を知ることが出来ないのではないだろうか。

 

「おい、その情報。俺にも寄こせ」

 

 監査官が言った。

 

「お前たちは一足先に洛中に侵入しろ。俺は後続の刀剣男士たちと合流してから、後を追いかける」

「大丈夫ですか?」

「構わない。後続の奴らがどう判断し、動くのか。その実力を見定めるのも俺の仕事だ」

 

 監査官が答えた時、ちょうど通信に雑音が混じり、映像が乱れ始めた。

 

『どうやら、ここまでみたいだ。また、感度が取れ次第、連絡をするよ』

『先輩、無茶はしないでくださいね!』

『清光、私の代わりに立香さんを頼みますね!』

 

 沖田の言葉を最後に、映像は完全に消失した。

 

「……では、俺は別行動をとる。負けるような惨めな結末にはなるな」

 

 監査官はそう言うと、外へと駆けだしていった。

 

「主殿、私が偵察をしてきます。安全であることを確認してから、出発しましょう」

 

 牛若丸が立ち上がると、通りの向こう側へ駆けだしていった。

 狭い家には、立香と清光だけが残される。

 

「よろしくお願いします、清光さん」

「清光でいいよ。……でも、驚いた。まさか、あの人と話せるなんて」

 

 清光は心から幸せそうに呟いた。

 

「安定が羨ましがる顔が目に浮かぶよ」

「そういえば、安定さんは新選組の羽織を着ていましたね」

「そうそう。あいつ、あの人のこと大好きでさ、池田屋が遡行軍に襲われた時は遡行軍と戦いながら、あの人を助けようと歴史を変えようとしたぐらい。

 ま、主や長谷部にみっちり叱られてたけどね」

 

 清光は懐かしそうに話してくれる。

 

「清光が沖田さんの刀ということは、土方さんの刀も本丸にいるんですか?」

「うん、いるよ。和泉守兼定と堀川国広。もしかして、かるであに土方さんがいるの?」

「今回、一緒にレイシフトしてきました」

「本当に!? 会いたいような、会いたくないような」

 

 清光は腕を組むと唸り始めた。

 同じ新選組の刀として、なにか思うところがあるのだろう。

 その様子を見て、立香は、もう一人の同行サーヴァントについて思い出した。

 

「あと、一緒に来てくれたのはね……」

「主殿、ただいま戻りました!」

 

 立香が話し始める前に、牛若丸が戻ってくる。

 

「敵影は見当たりません。今のうちに進みましょう」

「あ、うん。牛若丸、ありがとう!」

「……んじゃ、行きますか」

 

 立香は牛若丸、そして加州清光と一緒に洛外の街を走り始めた。

 相変わらず、人の気配はゼロ。牛若丸の偵察のおかげで、遡行軍と遭遇することもなく、接敵してもそこまでの手練れではなく、清光の一撃と牛若丸の刀裁きでダメージを負うこともなかった。

 

「でも、裏道も遡行軍が封鎖していそうじゃない?」

 

 清光が走りながら疑問を口にする。

 

「たとえいたとしても、ご安心ください。私が主殿を抱え、八艘飛びで突破しますので!」

「いや、牛若丸。それだと清光がピンチだよね!?」

「では、清光殿も私が抱えましょう!」

「ごめん、俺、抱えられるのは恥ずかしいというか……あまり可愛くないなって」

「そうですか? 私にはよくわかりませんが……あ、ここです!」

 

 牛若丸は足を止めた。

 そこに道はない。代わりにあるのは石垣。その石垣に挟まれるように水路が流れている。

 

「この水路を辿って上がるらしいです!」

「いや、狭くない!?」

 

 ちょうど立香がぎりぎり入るくらいの幅である。

 清光と牛若丸はともかく、あの分厚いフードを着た監査官が通れるだろうか。

 

「これ、主が大太刀を編成してたら、絶対に入れないって!」

「よく分かりませんが、その時は別の方法で突破してもらいましょう。では、私から行きます!」

 

 牛若丸はぴょんっと跳ねると、水路を泳ぐように進み始めた。

 

「うーん……少し流れが強いな。立香さん、だっけ? 俺に捕まって」

「え、でも……大丈夫?」

「へーき、へーき。それに、あんたのこと頼むって、あの人から言われたしさ」

 

 清光はそう言うと、立香を抱えて泳ぎ始めた。

 さすがに水路を進むときは立香が先に泳ぎ、後ろから清光が流されないように支えてくれる。狭い水路を抜けたところで、牛若丸の白い手が立香に差し出された。

 

「主殿、引っ張りますよ」

「ありがとう、牛若丸。清光もありがとう」

「当然のことをしただけです。しかし、このままでは風邪をひきますね……なにか拭くものがあればいいのですか」

 

 牛若丸が周囲を見渡した、その時だった。

 何かが倒れる音が聞こえた。近くの路地の奥から聞こえてくる。

 

「誰だ!」

 

 牛若丸は立香を庇うように前に出ると、刀を引き抜いた。

 ゆっくり、ゆっくりと音がした方向へ間合いを詰め、そして―――……

 

 

 

 

 

 

 

 



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末期の祈り(2)

 そこにいたのは、男の子だった。

 

「おねえちゃんたち、どうしたの? ずぶぬれだけど?」

 

 男の子は不思議そうに尋ねてくる。

 6歳くらいだろうか? 着ている服も布にほつれが目立つが、この時代らしい服装と髪型だ。こっそり路地の奥を覗き込むと、壺が割れているのが見えた。おそらく、彼が壺に当たってしまい、割った音だったのだろう。

 

「サーヴァントの気配はしません。普通の子どもでしょう」

 

 牛若丸はそう言いながら、刀を鞘に納めた。だが、まだ彼女の纏う空気がピリピリ張り詰めている。完全に警戒を解いたわけではないらしい。すると、牛若丸は立香にだけ聞こえる声で囁いてきた。

 

「ですが、わずかに死の匂いがします」

「死……?」

「おねえちゃんたち、何を話しているの?」

「えっと……あ、そうそう、私たちは旅人なの。この辺りで休める場所を探しているんだけど……どこか良い場所知らない?」

 

 立香は男の子の目線まで屈みこみ、話しかける。

 この時代にレイシフトしてから、初めて出会った現地民だ。少し怪しい子だったが、いろいろ情報を聞きたいし、休める場所を知りたい。

 立香の問いに対し、男の子は少し悩んだように首を傾けた後、

 

「へー、旅人さんなんだ! だったら、僕がいいところ知ってるよ! こっちこっち!」

 

 男の子は手招きしながら、すたすたと歩き始めた。

 

「あーあ、びっしょびしょ。これじゃあ、俺も風邪ひいちゃうよ」

「え、清光も風邪ひくの!?」

 

 立香は少し驚くと、彼は心外そうに眉をひそめた。

 

「あのね、今の俺は人の身体だよ? お腹もすくし、風邪だってひくに決まってるじゃん」

「へぇ……ちょっと意外だな」

 

 刀の付喪神なのだから、審神者の霊力的なモノで現界を維持しているのだと思い込んでいた。立香自身、マスターとして数多くの英霊を繋ぎ止め、カルデアを通して魔力供給を行っている。だから、今も前で警戒しながら歩く牛若丸は食事を必要としないし、風邪をひくわけがない。

 立香が比較していると、男の子が歩きながら少し振り返った。

 

「僕、二郎。ねぇ、おねえちゃんたちどこから来たの?」

「私は……出島から来ました」

 

 江戸、と答えようとして、思いとどまる。

 牛若丸と清光はともかく、立香の服装は白いカルデアの制服だ。どう見ても異国の服装である。この時代の異国にかかわりのある街と言えば、長崎の出島だろう。選択科目は世界史だったので、日本史について詳しいわけではないが、その程度の知識くらいは知っていた。

 

「へぇ! だから、不思議な服装をしているんだね! 出島ってどんなところなの?」

「うん、話してもいいけど、その前に最近の京都について話して欲しいな。

 ここに来る前も思ったけど、人がいないなって思って……」

 

 立香は言葉を選びながら、二郎に尋ねた。

 洛内を歩いて少し経つが、やはり人の気配が少ない。街に活気がないどころか、店先には何も並んでいない。時々、家の中でことん、ことんと動く音が聞こえるので、人はいるのだろうが、往来を歩く者と一人もすれ違わなかった。

 

「うん、ほとんどの人が逃げちゃったんだ。また、戦に巻き込まれるって」

「でも、君は残ったの?」

「そうだよ。僕とお父さんとお母さんとお兄ちゃんとお姉ちゃん。それから、妹も残ったんだ」

 

 二郎は指を折りながら話してくれる。

 

「でもさ、外を歩いている人も見当たらないけど?」

 

 清光が周囲を見渡しながら問う。

 

「戦は終わったんだから、外を歩いてもいいんじゃない?」

「…………あまり歩いちゃいけないって言われてるんだ。怒られるから」

「怒られる? いったい誰に?」

 

 二郎は言いよどむ。

 戸惑うように視線を泳がせながら、声を一際小さく落とした。

 

「『氏政さまの教えを広める』って人たちに」

「それって、もしかして――……」

 

 立香は遡行軍と天草四郎の人相を言おうとした、その瞬間だった。

 

「主殿、伏せてください!」

 

 牛若丸が目の前に飛び出し、刀を抜き払った。銀色の刃で赤くて細い何かを打ち落とす。立香は二郎を抱え込むように伏せながら、それが飛んできた方向に視線を向けた。

 

「あれは……」

 

 屋根の上に女武者が弓を構えている。

 白い肌と長い髪、そして二本の禍々しい角が印象的な女武者は赤く輝く弓を持ち、こちらに狙いを定めていた。

 

「立香、あれもさーばんと!?」

「はい。彼女は巴御前です!」

「……私のことをご存知のようですね」

 

 女武者は静かな声で答えた。

 

「ですが、私は貴方のことを知りません。しかし、お前のことは知っている」

 

 巴御前は燃えるような赤い瞳で牛若丸を睨み付けた。

 

「源義経!!」 

 

 巴御前は麗しい顔を般若のように歪ませ、怒りの一撃を牛若丸に放つ。矢は周囲の空気を巻き込みながら、まっすぐ牛若丸を狙った。牛若丸はさすがに、これは弾き返せないと察したのだろう。すぐに横へ跳び、彼女の攻撃をかわした。標的を失った矢は轟音を立てながら地面を激突し、周囲に砂塵が立ち込める。その砂塵の中、二撃目が発射される音が聞こえた。だけど、視界が悪いせいで避けることが出来ない。

 ところが、

 

「やあっ!!」

 

 牛若丸が掛け声とともに、薄緑を勢いよく薙ぎ払う。その余波が旋風を巻き起こし、砂塵を消し去り、矢の方向を変えた。巴御前の放った矢は全く見当違いの方向へ着弾する。

 

「牛若丸!」

「主殿! この場はお任せを!」

 

 牛若丸は巴御前の一挙一動を見逃さないと睨み付けたまま、鋭く言い放った。

 

「巴殿の標的は私の様子! 清光殿と先にお進み下さい!」

「でも……」

「大丈夫です、主殿。私は天才ですから! すぐに追いついてみせます」

 

 立香は一瞬、躊躇った。

 巴御前と牛若丸の因縁は知っている。

 

 巴御前は夫の木曽義仲を源義経に殺されている。

 カルデアでは、牛若丸はもちろん、巴御前も召喚している。互いに同じ陣営の仲間として接しているため、騒動に発展することはない。巴御前が、どこかのペンテシレイアみたいに「因縁の相手 アキレウス絶対殺す!」と暴走しないだけの分別はついているのと、弁慶の尽力で牛若丸と直接すれ違うことが少ないことも、殺し合いが起きない理由の一つだろう。

 

「共に戦ってきた源氏が、よくも義仲様を裏切ったな! 許せない、許せない! 嗚呼、許せない!!」

 

 だが、今は敵同士。

 巴御前からすれば、自分の夫を死に追いやった者を殺さない道理はない。本気で殺しにかかってくるだろう。そうなれば、この辺り一帯は無事では済まない。それに、自分だけならともかく、今は清光と二郎がいる。清光は戦う力があるが、立香自身はサーヴァントと戦えるほど魔術に優れているわけでもなく、二郎に至ってはただの子どもだ。

 

 この場に残るか、牛若丸にこの場を託して先に進むか。

 答えは一つだ。

 

「……牛若丸、絶対に追いついて来て。いざというときは、宝具を使っていいから」

 

 立香はしっかり牛若丸を見据えて言った。

 牛若丸は少しだけ振り返り、口元に得意げな微笑を携える。

 

「承知! 清光殿、主殿を頼みます!」

 

 牛若丸は元気よく返事をすると、地面を蹴り上げ、巴御前めがけて跳躍した。巴御前も狙いを牛若丸に定めて矢を連射する。巴御前は立香たちには目もくれなかった。

 

「二郎君、どっちに行けばいい!?」

「こ、こっち! もうすぐだよ!」

 

 二郎が転びそうになりながら走り出す。立香も小さな背中を追いかけ、その後ろから清光が続く。爆発音と金属音が引っ切り無しに背後で響いてきていた。

 

「………」

 

 立香は黙って走り続ける。

 牛若丸の実力は十分知っている。カルデアの初期の頃から付いてきてくれた。そう簡単に負けるはずがないと信じている。けれど、同じくらい巴御前の実力も知っている。彼女は普段は力をセーブしているが、怒り狂い鬼の血を解放すると、その能力が格段に跳ね上がる。

 

 正直、心配だ。

 令呪で呼び戻したい。でも、それは牛若丸の意志に反することだ。今は、彼女を信じるしかない。

 

「立香さん?」

「……立香でいいよ。……大丈夫……牛若丸は絶対に負けない。だって、戦の天才だから!」

 

 立香は自分に言い聞かせるように呟いた。

 そのまま、振り返らずに走る。

 炎が路地を焼き尽くす音。家屋が倒壊する音。不吉な音が後ろから聞こえ、だんだんと遠ざかっていく。

 

「ここだよ!」

 

 二郎が少し大きめな建物を指さした。

 木造瓦葺で3層楼閣風の建物である。見晴らし用の廊下と手すりまで見てとれたが、人がいなくなって久しいのか、どことなく寂れた空気を漂わせていた。

 

「ここは……?」

「南蛮寺! 昔はキリシタンの人たちがいたんだって! ほら、入って入って!」

 

 二郎が門戸に駆け寄り、扉を開ける。立香と清光も後に続いた。

 キリシタンがいただけあり、入ってすぐのところに礼拝堂があった。イエス・キリストを掲げた十字架が朽ちて斜めに倒れ、傍らに控えるマリア像とペトロ像は分厚い埃を被っている。

 

「ねぇ、二郎君。ここって本当に安全なの?」

「うん、安全だよ。ほら、こっち。こっちに来て!」

 

 立香は歩みを止める。

 牛若丸が先ほど囁いてきた「彼から死の匂いがする」という言葉が脳裏に蘇った。確かに広くて人の寄り付かなくなった場所かもしれないが、ここが本当に安全なのか。彼の言い分を信じていいのか。少しだけ、迷ってしまう。

 

「おねえちゃんたち?」

 

 二郎が、礼拝堂から奥に続く部屋の前で待っている。

 立香は戸惑う気持ちを抑え込み、少しだけ警戒しながら彼の後に続いた。

 

「……俺が先に進むから、後から続いて」

 

 清光も似たような気持ちを抱いたらしい。前に出ると、立香を自身の背中に隠すように進み始めた。二郎は立香たちの距離が縮まると、申し訳なさそうに

 

「あのね……中にいる人に、おねえちゃんたちを入れていいか聞いて良い?」

「構わないよ」

 

 二郎は安堵するように胸を降ろすと、こんこんと二回扉を叩き、そっと扉を開けた。握り拳二個分ほどしか空けていないので、立香たちの位置から中の様子は見えない。

 

「街を歩いていた人、連れて来たよ……うん、良かった! 

 おねえちゃんたち、入って、入って!!」

 

 二郎が滑り込むように中へ入った。

 清光が後に続くように扉を開け放った途端、黒々とした闇の向こうから濃厚な死の臭いが漂ってくる。

 

「なんだよ、これ……」

 

 清光の顔から血の気が失せていくのが後ろからでも分かる。立香も部屋の中がどうなっているのか見ようとしたが、彼が手で制して来た。

 

「これが……これが、人間のやることか!?」

「おや、随分と粋の良い人を連れてきましたね」

 

 のっぺりとした声が部屋の中から聞こえた瞬間、立香は背中を蛇が這うような恐怖心を抱いた。

 部屋の中から、ぴちゃ、ぴちゃと何かが滴り落ちる音が聞こえる。死の臭いだけではない。血の匂い、肉が腐った臭いが漂ってくる。むせ返るほどの臓腑臭いに、立香は誰かいるのか悟った。

 

「ねぇ、生きている人連れて来たよ! だから、こと……妹を返して! 僕と妹を解放するって話だったじゃん!!」

 

 二郎が誰かに話す声が聞こえる。

 立香は反射的に清光の後ろから飛び出し、二郎に叫んでいた。

 

「二郎君、そいつの言うことを信じちゃダメ!!」

 

 部屋に飛び込んだ瞬間、立香はすべてを目にした。

 

 血、血、血――……。

 床一面が血の海で覆われていた。キリスト像の前には、まるで供物のように子どもの死体が積み重なっている。予想通りの光景とはいえ、生々しい光景に吐き気が込み上げてくる。

 

「うぷっ」

 

 立香は口元を覆い、胃から逆流してくる酸っぱい感覚を飲み込もうとした。

 

 その時間、わずか数秒。

 中にいる「誰か」には、それだけで十分だったのだろう。

 

「ええ、貴方を解放しましょう。妹はそこにいますよ」

 

 誰かは、とある一角に指を差した。

 二郎がその一角に駆け寄るのが見える。

 

「こと! こと! 兄ちゃんと逃げるぞ!」

 

 その顔は希望に満ち溢れていた。

 輝かしい表情のまま妹のいる場所に手を伸ばし――……

 

「え?」

 

 二郎は固まった。

 妹の胴体は引き裂かれ、胸から上だけが形を保っている。

 

「なに、これ?………ひゃうっ!!?」

 

 二郎の思考が空白に落とされた隙をつくかのように、彼の背後から無数の触手を備えた帯びたたしい数の海魔が襲い掛かる。二郎の身体を触手で絡み取り、鋭い牙が生え揃ったイソギンチャクみたいな口に引きずり込んだ。

 

「―――――ッ!!!」

 

 言葉にならない悲鳴と咀嚼する音が南蛮寺を揺らす。

 

「恐怖には鮮度があります」

 

 男が見える。

 道化のような衣装に身を包み、人の皮で作った書物を抱えた男がいる。男は貫くような悲鳴を心地の良い音色のように聞きながら、うっとりと話し始めた。

 

「真の意味での恐怖とは、静的な状態ではなく変化の動態……希望が絶望へと切り替わる、その瞬間のことを言うのです。

 如何でしたか? 瑞々しく新鮮な恐怖と死の味は?」

 

 男は食事を終えた海魔を引きつれ、ぎょろりと爬虫類のような目を向けてくる。

 

「青髭……キャスターのジル・ド・レェ!」

「こいつも英霊? ただの悪人じゃないか!!」

 

 清光は怒りの篭った眼差しをジル元帥にぶつけた。

 

「あの子は怪しいと思ったけど、あんなことをされるほど悪い奴じゃない!」

「おや、子どもを庇うのですか。なんともお優しい。……そして、なんとも哀れな人でしょうか」

 

 ジルは清光をにたりと嘲笑う。

 

「人間性の中に潜む醜悪さをご存じないとお見受けします。あの幼子も自分たちが助かりたいあまり、人を貶める嘘をついたのです。自分の代わりに、連れて来た者たちが無残に死ぬことを承知のうえで。

 それと、私の行いのどこに違いがありましょう?」

「違うに決まってるだろ。立香、下がって。ここは、俺がやる」

 

 

 清光が刀を抜き払うと、勢い良く湿った床を踏み込んだ。

 

 

 

 



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末期の祈り(3)

 加州清光の黒いローブが舞い上がる。

 ジル元帥も彼の足運びだけで、清光の殺意のほどを見てとったのだろう。それ以上は何も語らず、さっと手を振り払い、道化のようなローブを翻した。

 すると、清光の足元からおびただしい数の触手が沸き上がってくる。

 

「……っ!?」

 

 一瞬、清光は後ろに跳び、触手を躱す。

 ジル元帥の背後に積み上がった子どもの死体が震え、内側から食い破るように青黒い触手が現れた。その塊は一匹一匹が海魔として這いつくばり、飛散した肉片を喰い漁りながら、ゆっくりと元帥の背後に控える。海魔は立香の腕ほどある触手をくねらせながら「次はお前たちの番だ」と言っているようにも見える。

 

「どうです! 我が盟友プレラーティの遺した魔導書により、産み出された悪魔の軍勢は!

 苦しみなさい! そして、理解するのです! この世界は悪で満ちていると! 救世主たる神など存在しないと!!」 

 

 ジル元帥の叫びと共に、海魔の軍勢が押し寄せてきた。

 

「清光!」

 

 襲いかかる触手の海魔たちに、清光は一歩も譲らない。

 刀を薙ぎ払うたびに、確実に一匹二匹と両断された怪物たちが宙を舞う。おぞましい触手の群れは、小綺麗な青年の身体に触れることすら叶わない。ヒールのようなブーツを履いているにも関わず、彼の動きは全く鈍ることはない。

 津波のように押し寄せる海魔の軍勢を、清光はたった一人で完全に防ぎきっていた。

 

 しかし、それは防戦するので手いっぱいであることを指す。

 海魔の軍勢は一向に減らず、ジル元帥はほくそ笑んだままだ。斬り伏せられた端から触手が現れ、部屋いっぱいに浸った血の海から新たな海魔が産声を上げる。

 立香も加勢し、海魔に指を向け北欧に伝わる呪い「ガンド」を放つ。けれど、焼け石に水とはまさにこのこと。指先から放たれた一撃は一匹の海魔しか倒せない。

 

「さあ、恐怖なさい! 絶望なさい!」

 

 ジル元帥は紫色の光を帯びた魔導書を掲げると、底冷えするような高笑いをする。

 清光が切り裂く数と新たに生み出される海魔の数は拮抗している。

 

「これは、長期戦に持ち込むつもりね……」

 

 立香はジル元帥の薄笑いを睨みつけながら言った。

 彼は清光が数の暴挙に負け、疲弊することを待っている。疲弊し、腕が鈍った瞬間、海魔の餌食にするつもりだろう。

 

「……ったく、どうりで減らないわけだ」

 

 清光も視界の端で次々と産まれる海魔の存在を認知したのだろう。

 海魔を切り捨てる手を止めず、血を浴びながら噛みしめるように呟く。立香はガンドを放ちながら、自分の記憶を総動員させ、ジル元帥に関する情報と倒し方を絞り出そうと努力する。

 

「清光! 確か……あの魔導書がないと、海魔は召喚できなかった気がする!」

「了解……って、簡単に言ってくれる!」

 

 立香も清光に助言を放ってから、その無謀さを感じていた。 

 目の前の海魔の大群もさばき切るので手いっぱいなのに、その奥の親玉に一太刀浴びせることなど、ほぼほぼ不可能である。

 清光が切った海魔の数は、そろそろ三桁に突入しようとしていた。清光の息が上がり始め、刀裁きが少しずつ鈍くなっているのが分かる。

 ジル元帥は彼の奮闘ぶりをニマニマと観戦していた。

 

 立香は頭を抱えた。

 

「えっと……オルレアンの時、どうやって倒したんだっけ……!?」

 

 思い出せ、思い出せ。

 立香は自分の記憶を絞り出す。

 

 第一の特異点で、あの男は敵として現れた。

 今みたいに無限に産み落とされる海魔を引き連れ、しかも、万能の願望器である聖杯の力まで借りた状態で。

 

 そんなあの男を倒したのは、マシュやジャンヌ・ダルク、清姫とエリザベートがいたからだ。マシュが防御し、清姫とエリザベートが切り開いた道を聖女が旗を振り上げ、悪魔に一撃を与えた。

 

 清光は弱くない。清光はサーヴァントに負けないくらい強い。

 そうでなければ、あの大群を相手に防戦することができないはずだ。

 けれど、マシュ1人では、ジル・ド・レに立ち向かうことが出来なかったように、清光一人でなんとかできる量ではない。

 

「……ぐっ」

 

 ついに、触手が清光の軌道を潜り抜け、頬に一撃を与える。白い頬からは赤い血が迸り、その匂いが海魔たちを興奮させた。清光は自分を切りつけた触手を切り飛ばすと、その勢いで飛びかかってくる海魔を三匹撫で切る。けれど、いくら切り殺したところで、十、二重と壁のように押し寄せる海魔のせいで、切っ先がジル元帥まで届かない。一向に距離を詰めることができない。

 そんな彼を嘲笑うかのように、一匹の海魔がひっそりと彼の背後にも広がる血の海から現れる。

 

「清光!! 後ろ!」

 

 立香が叫んだが、すでに遅かった。

 海魔の触手が清光を拘束しようと一斉に伸びる。清光はすぐさま後ろに視線を向け、迫りくる触手を切り落とした。だが、一本だけ打ち損じ、彼の左腕に巻き付いた。彼は慌てることなく触手を刀で切り落としたが、彼の行動が他の触手たちからずれた隙を、海魔たちが逃すはずもなかった。

 海魔の軍勢はここぞとばかりに畳みかける。清光はすぐさま応戦しようと前を向くが、一歩遅かった。海魔の触手が清光の身体を切り刻み、血だまりの床に弾き飛ばす。彼の身体は血に塗れ、ローブが破れた。

 

「うぁ!? 重傷……!?」

 

 清光が少し驚いたような声で呟いた。

 重傷と口にしたが、まだ戦意も薄れていない。刀も握りしめ、海魔に向かっている。

 

 しかし、海魔の壁は健在。

 

 退却することもできる。

 だけど、そうなったらあの海魔の軍勢が追いかけてくる。洛外で遭遇した遡行軍のときとは違って、互いに疲弊しかけている。そんな状況で、はたして逃げ切れるだろうか。

 

「立香、先に逃げろ」

「清光!?」

「……あんたのこと、あの人から託されたから。逃げるだけの時間は稼ぐ。

 大丈夫ー、俺だって、主のためにも、こんなところで死にたくないから」

 

 清光はそう言ってはいるが、彼の後ろ姿から寂寥感が漂っている。立香は拳を握りしめた。手の甲に刻まれた三画の令呪を見下す。カルデアで生活している時は、一日で一つ分、令呪が回復するが、こうしてレイシフトしているときは、令呪の回復はない。

 

 目の前で戦っている清光に令呪を使うことが出来れば、と歯がゆく思う。

 普通の令呪は拘束力が強く、遠く離れたサーヴァントを呼び寄せることにも使えるらしいが、カルデア式の令呪は体力を回復させたり、魔力を満たせたりすることにしか使えない。

 でも、もし、清光がサーヴァントだったら、令呪で彼の体力を回復させることくらいはできたはずだ。

 

 清光と契約を結んでいないこと、そして、カルデア式令呪の縛り。

 それを、これほどまでに悔やんだことはなかった。

 

「ああ、屈辱でしょう?」

 

 ジル元帥は髪を掻きむしり、眼をむいて奇声を張り上げた。

 

「栄えもなければ誉もない魍魎たちに押し潰され、窒息して果てるのです! 英雄にとって、これほどまでの恥はありますまい!」

「俺ってば、英雄なんて大したものじゃないんだけどね」

 

 さも愉快気に嘲弄を浴びせられてもなお、清光は檄せず、怯まず、刀を振るい続ける。身体の傷が疼き、彼の体力を奪いつつあるのだろう。その速度と切り返しは、格段に落ちていた。

 

「さあ、これで終わりです! 神への末期の祈りは済みましたか!!」

 

 ジル元帥が一度に倍の海魔を召喚する。

 これには、さすがの清光も立香と一緒に部屋から飛び出す。海魔の軍勢は礼拝堂に雪崩込み、そのまま、立香たちを押し潰そうとしてきた。

 立香は令呪を握りしめ、この窮地がサーヴァントに届けとばかりに強く祈る。

 牛若丸でも織田信長でも土方歳三でも鈴鹿御前でも構わない。誰かに、この祈りが、願いが届けと。

 

 だが、そんな非現実的な祈りが聞き入れられるはずがなかった。

 サーヴァントは誰も現れることなく、海魔が腐臭と共に眼前まで迫り、そして――……

 

 

 

 

 

 

「はっはっは! 末期の祈りか!」

 

 障子窓を突き破るように、誰かが飛び込んできた。

 それと同時に、一気にまとめて目の前に広がっていた海魔の群れが一掃される。

 

「だが、悪い。俺は僧侶だ。神への祈り方は知らん」

 

 立香たちの前に背の高い男が現れる。白い布をフードのように被り、紫色の袈裟姿の男性だった。刃だけで1mは超えるであろう薙刀を握りしめている。

 清光はその男を見上げ、赤い瞳を見開いた。

 

「岩融!?」

「加州殿か。随分、派手にやられてるじゃないか!」

「百以上の化け物相手に戦い続けてたんだから、仕方ないだろ」

 

 清光が不満そうに口を尖らせたが、少し失せていた輝きを取り戻したように見えた。岩融と呼ばれた大男は明るく笑い飛ばすと、薙刀をくるくる回し、海魔を一気に撫で切った。

 

「見たことがない化け物だが、狩るにあたって不足なし! さあ、俺を楽しませろ!」

 

 岩融は薙刀を振り回しながら、海魔の壁をもろともせずに切り刻み始める。

 清光の刀より攻撃範囲面積が多く、体力が有り余っていることもあり、一気に海魔が殺され、ジル元帥との距離が縮まった。

 ジル元帥はくわっと大きな口を開けて叫び出す。

 

「この、匹夫が!!」

「がははは! 俺を匹夫と呼ぶか! これでも、三条宗近に鍛刀されたんだがな」

 

 岩融は海魔を意に返すことなく、薙刀を勢いよく振るった。彼の目の前に壁を成していた海魔だけにとどまらず、その余波で生み出された疾風が、元帥を守護していた海魔までも切り刻む。

 

 清光がその隙を逃さない。

 

「俺の裸を見る奴は……死ぬぜ……!」

 

 彼は、最後に残った海魔の視界を奪うようにローブを脱ぎ捨てると、元帥との距離を一気に詰めた。

 

「貴様貴様貴様――ッ!!」

「これ、が、本気だ!!」

 

 清光の鋭い一閃がジル元帥を切り裂き、彼の手にした魔導書も一刀両断する。途端、魔導書で生み出されていた数少ない残りの海魔たちが飛散し、血滴が大気のように宙を舞う。

 

「あの魔導書からの魔力供給がなくなったから……消えたんだ」

 

 立香はそんなことを呟いていた。

 ジル元帥は何が起きたのか分からないのだろう。爬虫類のような目を見開いたまま、身体は金の粒子に包まれ始める。

 

「この私が、負けるだと?」

 

 元帥は呆気にとられたように言った。

 

「そんなはずはない! そんな理不尽があってたまるか! 私は、まだ……!! この世は、悪意と欺瞞で満ちていると、証明していない――ッ!! マスターの命を、私の望みを……神は人間を玩弄し、地上には人間のあさましい悪徳が蔓延っていると、知らしめていないのに―――――!!!!!」

 

 最後に南蛮寺を揺らすほどの悲鳴を上げると、ジル・ド・レェは金の粒子に包まれ、この世界から消え失せた。

 

 後に残ったのは、立香たち三人と血の惨劇だけ。

 

「あー……疲れた」

 

 清光はぐったりと座り込んだ。

 

「清光!」

「修行が足りないのではないか?」

「修行とか、そういうの関係ないから。っていうか、どうして岩融がいるわけ?」

 

 ここで初めて、立香は岩融の顔をゆっくり見ることが出来た。

 薄いオレンジ色の髪、鮫のようにギザギザした歯が特徴的な男だ。見上げていると、少し首が痛くなってくる気がする。体格的には、ヘラクレスより一回り程小さいが、立香には十分すぎるほど大きかった。

 

「それは当然、今回の編成に選ばれたからに決まっているだろう?」

 

 岩融は愉快そうに歯を見せながら笑った。

 

「事情は聞いた。かるであなる組織と義経公、洛中の入り口で相対した呂布将軍や大量の遡行軍のこともな。

 ……だが、あれはなんだ」

 

 岩融は目を鋭く細めると、血が滴る小部屋を睨み付けた。

 

「……ここに集められた、子どもだったものかな」

 

 清光は壁に背を預けるように座り直しながら答えた。

 

「子どもだと?」

「さっきのカエル眼の男の仕業だよ。……ねぇ、立香。本当にあいつ、英霊なの?」

 

 清光がこちらに話しを振ってきた。

 そこで、岩融も立香の存在に気付いたのだろう。少しばかり目を見開き、尖った歯を見せるように口の端を上げた。

 

「おお。小さすぎて気づかなんだわ。俺は岩融、武蔵坊弁慶の薙刀よ!」

「初めまして、岩融さん。藤丸立香、カルデアでマスターをしています。

 それで、清光……さっきの人は、英霊だよ。北条氏政に召喚されたサーヴァントだと思う」

 

 立香は清光の問いに答えた。すると、清光は赤い目を細め、疑うような視線を向けてくる。

 

「本当に? 俺には悪霊にしか見えなかったけど」

「…………否定できません」

 

 立香は少しだけ顔を逸らした。

 

「彼は、ジル・ド・レェ。百年戦争でジャンヌ・ダルクと共に戦い、フランスを救った英雄……」

「英雄!?」

「……だったけど、ジャンヌの処刑で乱心し、黒魔術に傾倒した挙句、子どもたちを拉致しては凌辱・惨殺し尽くした晩年の姿、かな」

 

 フランスを救った英雄としての側面のジル・ド・レェは、常識人であり、清廉で礼儀正しい騎士そのものだ。

 けれど、キャスターとしてのジル・ド・レェは違う。

 カルデアのサーヴァントとして人理修復に協力してくれたのは、「苦痛も悲鳴もあげさせず、無益に潰し捨す神の暴挙が許せない」とか「無粋な神の代わりに、断末魔を味わおう」みたいな非人間的な理由だった。人理修復を終えた現在、彼が生前のような暴挙に走らないのは、ひとえに、彼が崇める「ジャンヌ・ダルク」がカルデアに召喚されているからだろう。

 

 ジル・ド・レェにとって、ジャンヌは光であり、救いでもある。

 彼が聖杯に願う願望も――……と、ここまで考えて、立香は首をひねった。

 

「……あれ、おかしいな……彼の望みは、ジャンヌの復活だったはずなのに」 

 

 彼が神を冒涜する所業を率先して行ったのは、神がいないと証明するためだった。無論、途中から快楽殺人に変わっていったのだろうが、全ての始まりは「神や祖国が、ジャンヌを見捨てたこと」である。

 故に、彼の望みは「ジャンヌ・ダルクの復活」であり、「復活したジャンヌと共に、世界を滅ぼすこと」なのだ。

 彼が聖杯に願う最優先事項は、ジャンヌの復活。

 ジャンヌの復活あっての、彼女を裏切った神や人間を討ち果たす行為へ繋がるのだ。

 だから、それが叶えられていない状態では、人の悪性だとかそんなことは望みはすれど、第一にはならないのである。

 

 それなのに、彼は一言も「ジャンヌ」の名を口にしていない。

 

 自分の考えすぎか、それとも――……

 

「……つまり、これは先ほどの人物による行いなのだな?」

「あ、はい。その通りです」

 

 立香は岩融に尋ねられ、視界の端で赤い部屋を見た。

 積み上がっていた子どもの遺体は、すべて海魔に変わってしまった。だから、肉片すら残っていない。広がっているのは生臭い血の惨劇だけだ。

 

「……全部、あの化け物になったんだ」

 

 清光は傷だらけの左腕を擦りながら、二郎が最後に立っていた場所を見下した。そんな清光を岩融は目で追うと、袖から長い数珠を取り出した。

 

「遺体はないが、魂を弔うとしよう。

 俺は、武蔵坊弁慶の薙刀だ。江雪殿や数珠丸殿ほどではないが、経を読むことはできる」

 

 血の海が広がる南蛮寺。

 そこに、岩融の読経が響き渡る。

 

 立香はジル・ド・レェの蛮行を思い出しながら、そっと両掌を合わせた。

 

 

 

 



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末期の祈り(4)

「……っていうか、どうして岩融は一人なわけ?」

 

 読経が終わった後、清光が口を開いた。

 

「1部隊6振り編成だよね? 他の5振りは?」

「はっはは。簡単に言えば、はぐれた」

 

 岩融は数珠をしまいながら、笑いながら答える。

 

「はぐれた?」

「うむ。本丸を出立した時は六振りだったが、こちらへ着いてみたら周りに誰もいなかったということだ」

「転送を妨害されたってこと?」

 

 立香はレイシフトした時、織田信長たちと離れ離れになったことを思い出す。

 今回のレイシフト以外にも、ぼんやりとしか覚えていないが、レイシフト先のジャミングのせいで同行サーヴァントがランダムに転送されてしまったことがあった。

 サーヴァントのレイシフトを妨害できるのだから、本丸からの転送も妨害できて不思議はない。

 

「ちなみに、岩融。他の5振りは誰?」

「部隊長は山姥切国広。ソハヤノツルキ、へし切長谷部、和泉守兼定、そして、陸奥守吉行だ。

 主殿は膝丸も加えたかったみたいだが、遠征中でな。あと、三日は帰ってこないのを悲しがっておった」

「あれ、今剣君は?」

 

 立香は別れ際、今剣が牛若丸との再会を楽しみにしていた姿を思い出す。

 今剣の名前が出ると、一瞬、岩融の表情が悲しそうに歪んだ。だが、その表情をすぐに引っ込め、先ほどまでの薄らと笑みを浮かべた顔で答えてくれた。

 

「今剣は、義経公が敵に襲われる様を目撃し、気が動転していた。無理もない。今剣が無茶なことをしでかさないように、大和守が見張りに着き、その間、主が歴戦の刀剣たちを中心に、状況の整理と部隊の再構成をしておったのだが……」

「なにかあったの?」

「今剣と大和守殿が、一足先に本丸を出立してしまったのだ」

「安定も!?」

「一人残してきた加州殿が気がかりだったのだろうよ。主が気づいたときには、2人して出陣した後だった」

「……安定の奴……」

 

 清光は困ったような、嬉しいような表情を浮かべながら、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして、中から小さな栗を取り出した。

 

「大和守殿だけでない。皆が加州殿を心配している。特に、主は、自分も探しに行くと言っていたな! 燭台切殿と歌仙殿が必死に説得して、思い止まらせておった!」 

「……俺、愛されてるな」

 

 清光は微笑を浮かべたまま、栗を口の中に放り込む。

 すると、清光の身体が俄かに緑色に輝き、傷が塞がり始めた。傷だけではない。縮れたシャツや血の沁みついていたローブまで新品同然の衣服へ変わっていく。立香がまじまじと見ていると、清光はシミひとつついていないローブを羽織りながら答えてくれた。

 

「あー、これね。主から支給された栗の力だよ。主が栗に込めた霊力で、損傷を回復させてくれるって優れもの」

「今回の特命調査では、1人につき1つずつ支給されている。だが、逆に言えば1つしかない。加州殿、無理は禁物だぞ?」

「分かってるって。それで、次はどうする?」

 

 もう、南蛮寺には用がない。

 北条氏政に繋がる手掛かりもなく、ここに巣くっていたサーヴァントも消滅させた。

 

「私は……牛若丸の無事を確かめたい」

 

 牛若丸は、冬木から帰ってきた直後、初めて召喚したサーヴァントだ。キャスターのクー・フリンと同じく最古参であり、オルレアンから一緒に駆け抜けてきた。彼女が巴御前に負けるとは思えないが、なかなか合流してこないことを考えても、少し不安である。

 

「んじゃ、義経公と別れた場所まで戻ろっか」

 

 清光は立ち上がり、寺の入り口の方へ歩き始めた。立香もその後に続き、後ろから岩融も歩いてくる。

 

「立香殿だったか? かるであとやらには、多種多様な英雄がいると聞いた。

 我が主、武蔵坊弁慶はそこにいるのか?」

「弁慶……うーん……」

 

 立香は腕を組んだ。

 

「武蔵坊弁慶を名乗る常陸坊海尊ならいます」

「海尊? がはははは! そうか! あの海尊が弁慶を名乗っているとはな!」

 

 岩融は愉快そうに歯を見せながら笑った。 

 

「ちょっと、岩融。声大きいって」

「いや、加州殿すまん。だが、あの海尊殿がな……後悔か、それとも……」

 

 岩融は声を少し落としたが、どこか懐かしそうに目を細める。

 彼の横顔は、サーヴァントがカルデアで馴染みの人物に会ったり、レイシフト先で関係のある人と出会ったときの表情と似ているように思えた。

 

「でもさ、そう考えると兼定は幸運だね」

 

 清光はあたりを警戒しながら言った。

 

「俺はあの人と通信越しにしか話せなかったけど、兼定は土方さんと会えるかもしれない」

「兼定って……岩融と一緒に来た人の中にいた……?」

「そう、和泉守兼定。土方歳三の刀だったんだ」

 

 なんとまあ運のよいことだろう。

 土方歳三はクラスこそ凶戦士だが話が通じないわけではない。ただ、彼が自身の刀の付喪神と相対した時、どのような行動をとるかは予想できなかった。

 

「そうえば、4人のさーばんとと来たんだよね? あとの2人、聞いてなかったけど」

「1人は鈴鹿御前で、もう1人は……」

 

 立香はそう言いながら路地の角を曲がった時、その先に広がっていた光景を見て言葉を失った。

 

 一面の焼け野原だった。

 立香たちが侵入してきた川よりこちら側は、文字通りの焦土と化していた。家屋の痕はもちろん、骨すら残らないほど、焦げた地面が広がっている。焼け跡からは白い煙が立ち昇り、近づくと火傷しそうなくらい熱を感じた。

 

 誰の仕業なのか、考えるまでもない。

 

「巴御前だっけ? さっきの女の仕業?」

「巴御前といえば、木曽義仲の伴侶で武人だったと聞くが……ここまでの所業を成すとは……」

 

 立香は言葉が出ない。

 巴御前は、武人だ。しかし、それなりの節度は持っている。たとえ、憎き牛若丸と敵対したとしても、ここまで周りを顧みない戦い方はしない。

 一帯を炎で焼き尽くし、死をまき散らす――……その姿はまるで、下総で見た「アーチャー・インフェルノ」そのものだ。

 けれど、彼女は英雄剣豪のはずがない。

 狂気にかられた天草四郎時貞は死に、キャスター・リンボと名乗った安倍晴明も消滅した。もちろん、洛中の入り口で天草四郎と出会ったが、あれは下総の天草四郎と異なり、どちらかといえば、カルデアの天草四郎に近い空気を纏っていた。

 

「……ねぇ、立香。さーばんとって本当に英雄? 俺、英雄に思えないんだけど」

 

 清光が疑いの眼差しを向けてくる。

 

 ジル・ド・レェに巴御前。

 二人がしでかしたことを思えば、即座に否定することが出来なかった。

 

「俺たちに協力してくれてたけど、あの義経公も本当は――……」

「加州殿」

 

 岩融に咎められ、清光はその先の言葉を口に出さなかった。

 だけど、彼が何を言おうとしたのか、立香に伝わっていた。

 

 源義経。

 彼の最期は悲惨だった。兄に裏切られ、身を寄せた先で裏切られ、非業の死を遂げたのだ。この世を恨んでも不思議ではない。

 

「……牛若丸は、絶対に裏切らないよ」

 

 立香は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「負けるはずがない。きっと、どこかで生きているはず」

「いえ、死にましたよ」

 

 物腰穏やかな声が立香の耳に届いた。

 巴御前だ。焼け跡の熱など感じていないかのように、悠々と歩きながら近づいてくる。赤い鎧には傷が目立っていたが、十分健在のように見えた。

 

「憎き源氏は、私の炎で焼き尽くされました」

「そんな……!」

「ですが、ご安心を。私は貴方たちに矢を向けるつもりはありません。速やかに投降することをお勧めします」

 

 巴御前は悠然と微笑む。

 そのたたずまいは、貴人と称しても過言ではない。この周辺に住んでいた人、生えていた草木、ひっそり暮らしていた小動物や虫、そのすべてを灰燼と化した女性とは、とてもではないが思えなかった。

 

「ほう。ちなみに、拒否したらどうなる?」

 

 岩融が薙刀を構えながら、巴御前を睨み付ける。

 巴御前は首を微かに横へ傾けると、小さく手を叩いた。

 

「残念ですが、力尽くで連れていくことになりますね」

 

 巴御前の背後から、数多の遡行軍がくらりと立ち上がる。

 

「がっはっは!! 遡行軍を従えているような奴に、投降するつもりはない。行くぞ、加州殿!」

「んじゃ、始めますかねー!」

 

 遡行軍が矢を放ってくる。

 岩融が薙刀で矢を払いのけ、清光が駆けながら刀を抜いた。遡行軍はただ考えもせず突撃してくる海魔とは異なり、多少なりとも思考力がある。海魔100体倒すのと、遡行軍を100人倒すのとでは、まったくもって難易度が異なるのだ。

 立香に視認できる範囲で、遡行軍は20体。

 2人で相手をするには、少し多すぎる。そんな二人めがけて、巴御前は焼き討ちを免れた家の屋根に飛び移ると、弓を構えた。一気に遡行軍たちを斬りかかる清光めがけて、燃え盛る矢を放つ。

 立香は咄嗟に手のひらを清光に向けて

 

「回避!」

 

 と叫んでいた。

 立香の中の魔術回路に魔力が迸り、清光めがけて放たれた矢が当たる直前に軌道が逸れる。 

 

「……やった!」

 

 サーヴァントではなく、刀剣男士への付与魔術だったが、どうやら上手くいったようだ。成功したことで、少しだけ安堵するように肩を落とす。

 だが、安心するには早い。

 巴御前の注意が刀剣男士たちから、立香へと向けられてしまった。

 

「……カルデアのマスターを連れてこいとの命でしたが、邪魔するなら容赦しません。腕や足をもいで、連れていくとしましょう」

 

 巴御前はたんっと飛び降り、赤く燃え盛る薙刀を取り出した。

 そのまま弾丸のような速度で間を詰められ―――……

 

 

「いまじゃ、放てぃ!!」

 

 鈴のような声と共に銃声が鳴り響く。

 ちょうど、遡行軍たちの背中側から、火縄銃を連射する音が響き渡ったのだ。巴御前も足を止め、弾かれたように振り返る。

 遡行軍たちは背後からの銃撃に為す術もなく、片っ端から消失し始めた。

 

「これは!?」

「待たせたのう、マスター! このわしが来たからには、もう安心じゃ!」

 

 火縄銃を肩に置くように持ち、にかッと笑いかけてくる。立香はその人物を見て、顔が自然と綻ぶのが分かった。

 

「ノッブ!!」

「さて、巴御前じゃったか? わしのマスターに手を出そうとは――……」

 

 織田信長は再び火縄銃を構えると、彼女の背後に火縄が3本浮かび上がる。

 

「三千年早いわ!!」

 

 その掛け声とともに、一斉射撃をした。

 巴御前は銃弾を避けるが、その隙をつくように清光が迫る。

 

「っく、こうなったら、マスターだけでも!」

 

 巴は反転し、立香に手を伸ばす。

 サーヴァントの脚力に、ただの人間がかなうわけがない。ところが、逃げる必要はなかった。

 

「御免」

 

 短い言葉と共に、立香は腹回りを抱きかかえられ、空を飛んでいたのである。耳元で風が音を立てながら通り過ぎ、とんっと軽い音とともに、信長の横で降ろされる。

 立香は自分を運んでくれた存在を見て、目を丸くした。

 

「こ、小太郎!?」

 

 忍び装束を纏った赤髪の少年が、自分の隣でクナイを構えている。

 立香の頭はこんがらがりそうになった。風魔小太郎はカルデアからレイシフトしていないはずだ。しかし、なぜ、隣にいるのだろうか?

 

「はい、風魔の小太郎です」

「風魔小太郎……なぜ、マスターに逆らうのです!」

 

 巴御前が血走った目で小太郎を睨み付けた。

 風魔小太郎は怒りが煮えたぎる視線を受けても平然と佇み、淡々と口を開いた。

 

「僕は北条氏直様に使える忍びです。氏政様ではありません」

「――ッ!」

「さあ、どうする? わしらと一戦交えるか?」

 

 信長が挑発するように火縄銃を構える。

 巴御前は悔しそうに唇をかみしめた。自分が率いていた遡行軍は既に全滅し、敵はサーヴァント含めて4人もいる。しかも、巴御前は弓使いのサーヴァントだ。接近戦も不得手ではないが、彼女の力を最大火力で発揮するのは弓矢に違いない。

 

「……憎き源氏を倒すことができました。この場は一旦、引くとしましょう」

 

 巴御前はそう言うと、聚楽第の方へ走り去っていった。

 

「ふむ、ひとまずは一件落着のようじゃな。無事か、マスター?」

 

 信長は巴御前が走り去っていった方向を見ながら、火縄銃をしまった。

 

「ありがとう、助かった。ノッブも無事で良かったよ」

「うむ! それで、マスター。後ろにいるのは……ん……?……んんん!?」

 

 信長の眼が清光と岩融に向けられた。

 

「その薙刀……刃の長さ、柄の長さ、そして、三日月宗近作と似た波紋、……もしや、岩融ではないか!?」

「え、知ってるの?」

「マスター、わしを誰だと心得ておる? 刀の蒐集にかけては、右に出る者はおらん!

 で、どうじゃ? 当たっているか? 当たっているに決まってるよのう!」

 

 信長が少し目を輝かせながら薙刀を見つめる。

 

「がははは! 左様。俺は岩融、武蔵坊弁慶の薙刀よ!」

「やはりな! いやー、やはり、わしの審美眼はなかなかのものじゃ」

 

 信長は子どものように無邪気にはしゃいでいる。岩融も正面から褒められ、嬉しいのだろう。声高らかに笑っていた。

 

「お取組み中、すみません。そろそろ出立したいのですか」

 

 風魔小太郎が静々と彼女たちのやり取りに口を挟んだ。信長は少し我に返ったらしい。薙刀から手を放し、立香の方に向き直った。

 

「では、行くとしよう」

「行くって、どこに?」

「ふっふふ、マスター。この間、わしが何もしていないとでも?」

 

 信長は不敵な笑みを浮かべた。

 そして、普段のうつけ気味た言動からは想像できないくらい、真面目な声色で話し始める。

 

「わしは、この事態を引き起こした原因の一端を知る者と接触した。

 その者と手を組むことにした。マスター、案内しよう。

 北条氏政の嫡男で現北条家当主、北条氏直一味の隠れ家へ!」

 

 

 

 

 



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末期の祈り(5)

 北条氏直。

 北条氏政の嫡男で小田原攻めの時の当主。

 そして、その実権の多くは父の氏政が握っていたとされる。

 

「で、その氏直が氏政と敵対してるってこと?」

 

 小太郎と信長に案内されながら、清光が口を開いた。

 

「うむ。詳しい話は到着してから話すとしよう。

 というか、マスター。さっきの話は本当か? 刀の付喪神というのは!」

 

 信長が目を輝かせながら尋ね返してくる。

 だから、立香はもう一度、先程したばかりの話を繰り返した。

 

「うん。彼らは刀剣の付喪神で、時間遡行軍と戦ってる人たち」

「利害が一致しているから一緒にいるって感じかな。まあ、あの人に立香のことを頼まれたってのもあるけど」

「で、あれか? わしらサーヴァントのことも知っているってことか?

 え? わしの真名知りたい? 知りたい? やっぱり!? えー? でもわし有名だしなぁー」

 

 信長が浮足立った発言をする。

 立香は呆れたような半笑いを向けた。きっと、清光も岩融も彼の真名に察しがついているに違いない。実際、清光が少し興ざめしたような視線を向けながら

 

「織田信長公でしょ? 女だから、少しびっくりしたけど」

 

 と、答えていた。

 信長は彼の発言を受け、少し気分を害したような表情になる。

 

「反応薄っ! それだけか? え、なに、まさか本物の信長公!? カッコよすぎない? 最高じゃない!? というか、女って何故!? みたいな反応はないのか?」

「あの人も女だったから、驚きが薄いって言うか……」

「うむ、義経公も女性だと聞いている」

 

 信長は意外と驚かれることもなく、淡々と受け止められた事実が悲しかったのだろう。少しいじけたように、道端の小石を蹴った。

 

「まあ良い。ところで、あれか? 本丸とやらには、わしの刀も顕現されておるのだろう? きっと、わしの刀剣たちなら『さすが、信長公! 素敵! カッコいい! サインして!』みたいな反応をしてくれるはずじゃ!」

「……」

 

 清光も岩融も何も答えない。

 すっと顔を背けていることから考えるに、そういった反応をしない刀たちなのだろう。

 

「信長公、静かにしてください。そろそろ到着します」

 

 風魔小太郎から諫めの言葉が飛ぶ。

 立香は静かになった信長に、こっそり尋ねた。

 

「ねぇ、あの小太郎君って……もしかして、この時代の小太郎君?」

「あー、それはなー……」

「はい、僕はこの時代の人間です」

 

 信長が話し出す前に、小太郎が答えてくれた。

 

「正確に言えば、この時代の風魔小太郎に、氏政が英霊としての風魔小太郎を憑依させた存在です。

 したがって若返り、少し戦闘能力が上がっています」

「英霊の風魔小太郎が憑依しているってことは、本当の時代に関する知識もあるの?」

「はい。この時代が本来の歴史と乖離したことは、すでに存じ上げています」

 

 だから、彼は北条氏政と敵対しているのか?

 そんなことを考えていると、とある建物に辿り着いた。そこそこに大きめな寺である。小太郎は周囲を確認しながら、立香たちを招き入れた。

 寺に入る。どこにでもあるような寺だ。

 仏が鎮座し、賽銭箱があるが、他に人の気配はない。小太郎は慣れた足取りで寺を進むと、ごく平凡な壁の前で立ち止まり、軽く叩いた。

 

「小太郎です。信長公とその仲間をお連れしました」

「…………入れ」

「はっ」

 

 小太郎は片膝をつくと、壁をそっと押す。

 すると、壁が回転し、人が一人通れるくらいの隙間が生じた。一瞬、立香の脳裏に南蛮寺での出来事が横切ったが、悠然と信長が入っていったので、こわごわ彼女に続いた。

 

「……お戻りなられましたか、信長公」  

 

 そこにいたのは、僧侶だった。

 纏っている袈裟は上物だったが、あちこちが汚れ、ほつれが目立っている。

 

「うむ、戻った」

「そちらの方が、現世に蘇られた信長公の主、ということでしょうか?」

 

 僧侶の視線が立香たちに向けられる。

 立香が答える前に、信長が口を開いた。

 

「そうじゃ。我が主の立香。そして、刀剣の付喪神……岩融と加州清光じゃ。

 マスター、こやつは板部岡江雪斎。北条家の家臣じゃ」

「なんと、付喪神とな?」

 

 江雪斎は目を見開き、清光たちを見入った。

 

「かの織田信長公が我らの窮地を救ってくださったときも驚いたが……まさか、付喪神に見えることができるとは。

 しかも岩融といえば、あの武蔵坊弁慶の!!

 さあ、どうぞお座りください。布団もなく、申し訳ござらん」

「マスターも遠慮せずに座れ。話はそれからじゃ」

 

 信長が胡坐をかき、とんとんと隣を叩く。立香は信長の隣に座ると、その隣に清光たちも腰を下ろした。

 

「江雪斎殿。僕は見張りに行ってまいります」

「頼んだぞ、小太郎殿」

 

 江雪斎が小太郎に頷くと、風のように姿を消した。

 

「わしが話すより、江雪斎、お前が話した方が分かりやすいじゃろう。

 ことの発端を話せ」

「……全ての始まりは、あの小田原攻めの時でした……」

 

 江雪斎は苦しそうに話し始めた。

 

「あの戦は負けを先延ばしにすることはできても、勝つことは到底不可能。殿は和睦を打診しておりましたが、大殿は『いずれ伊達が来る。伊達が来れば、まだ持ち直せる』と思い込んでおられたのです」

 

 しかし、伊達政宗は北条に援軍を出さなかった。

 それどころか、豊臣の臣下に下ったのである。史実では、そこで北条の最後の望みはついえた。

 

「ところが、大殿は突如、変貌なされたのです。

 豊臣方から使者として遣わされた黒田官兵衛殿を切り殺し、城から打って出ました。遡行軍なる妖の集団を引き連れて」

 

 その後に起こった出来事は、彼に言われなくても想像できた。

 いくら戦上手で大量の兵を動員したとしても、兵は人間に過ぎない。人間離れした能力を持つ遡行軍を相手にして、勝ち目があるはずがなかった。

 

「虐殺、でした」

 

 江雪斎が顔を歪めながら、苦しそうに言葉を絞り出した。

 

「通り過ぎる村や道にいた男も女も子ども老人も、そのすべてを殺しながら上洛をしたのです。

 唯一、良かったことは、噂を聞き付けた京の民たちが、我らの上洛を待たず、逃げ出したことでしょう。上洛した時には、天皇も貴族も大名も、すっかり逃げ出した後でした」

「じゃあ、茶々や北政所は無事なんですね」

 

 てっきり、豊臣に連なる者は全て死に絶えたと思っていたので、少しだけ安堵する。

 だがしかし、江雪斎の表情は暗いままだった。この世全ての悪を飲み込んだような、息苦しそうな顔をしている。

 

「……小田原の合戦には、大名の妻子を連れてくることが許可されていたのです。秀吉の側室は、その時に………。

 ですが、正妻や連れて行かなかった側室たちは大阪に避難したと聞いています」

「そう、ですか」

 

 立香は悼むように目を閉じた。

 その間にも、江雪斎の語りは続く。

 

「大殿は聚楽第に籠り、遡行軍なる妖が逃げ遅れた民たちに宣伝活動を始めました。

 これからは、北条氏政が幕府を開く。新たな政治が始まるので協力せよ、とのことでした。逆らう者は殺され、金銭が足りぬと略奪が起きました。

 その時に召喚された『さーばんと』なる集団は比較的おとなしく控えていましたが、じる・ど・れぇなる者は幼き子を集めて虐殺したり、天草と名乗る者や巴御前と名乗る者たちは、遡行軍を率いて反乱分子を潰したりしていました。

 殿は……大殿の乱行を嘆いておられました」

 

 江雪斎の言葉が途切れる。眼を開けると、江雪斎は寂しげな眼差しを床の一点に向けていた。

 

「ある晩、殿は私と風魔小太郎を呼び出しました。

 『今から、大殿に進言をしに行く。北条の家訓をお忘れになったのかと説きに行く。もし、戻らなかったその時は、どうにかして徳川や他大名と連絡を取り、父を止めて欲しい』と。

 そして、『五代目小太郎よ、私が戻らなかったときは、父ではなく江雪斎に忠誠を誓え』と。

 ……殿は戻ってきませんでした。殿の首は五条河原に晒されたのです」

「実の息子を殺すなんて……」

 

 立香の口から言葉が零れる。

 

「本来の大殿は、そのようなことをされる方ではないのです」

 

 江雪斎は拳を強く握りしめ、耐えるように眉間に皺を寄せた。

 

「殿の命を受け、私と小太郎は、なんとかして外と連絡を取ろうとしました。

 ですが、どんな手段を使っても、外に出ることが出来ないのです。

 私は大殿と刺し違えるしかないと考え、外に出た際に、遡行軍に襲われました。

 もう駄目だ、と諦めた時、信長公が救ってくださったのです」

「うむ、そういうことだ」

 

 信長が少し照れくさそうに言った。

 

「わしは江雪斎の頼みを受け、情報収集を行っておる。

 わしも氏政を知っておるが、無意味な殺しをする男ではない。少しずつ飯に汁をかけて食べるように、じわじわと攻めることが好きな男だ」

「いや、それもどうかと思うけど」

 

 立香は思わずツッコミを入れてしまった。

 信長はツッコミなど気にしていないかのように、言葉を続けた。

 

「わしと小太郎の調べによると、遡行軍は中心に近づくほど強くなっていく。打刀だけではなく、大太刀に太刀、槍や薙刀を持っている者が多くなってくるようじゃ。

 現在確認されているサーヴァントはジル・ド・レェ、巴御前、呂布、天草四郎、後藤又兵衛、そして、岡田以蔵の6人。

 カルデア側のサーヴァントについての情報は、いま集めている途中じゃな」

「ってことは、あのカエル男を倒したから、さーばんとは残り5人ってことか」

 

 清光が言うと、信長は感心したように大きく目を開いた。

 

「ほう、あやつを倒したのか。あの沖田の刀にしては、なかなかやりおる」

「あの人を知ってるの?」

「知っているも何も、あやつは因縁のライバルよ」

 

 信長はハッキリ言いきった。

 

「え、でも、あの人と生きた時代が違くない?」

「うむ。じゃが――……」

 

 信長が何か答えようとした、その時だった。

 

「ノッブー!」

 

 目が白く、信長をデフォルメしたような何かが床から生えてきた。

 

「うわっ、なに!?」

 

 清光が大きく身体を反らしたが、江雪斎は見慣れた光景なのだろう。落ち着きを払って座っていた。

 

「ちびノブ!?」

「うむ。なんかこの地に来てから、わしの魔力で召喚できるようになったんじゃ! 便利な斥候代わりに使っておる! 短刀を持っている遡行軍相手なら、負けない程度の強さはあるしの!」

「ほう、小さくて踏み潰しそうだ」

「安心せい、踏み潰しても生えてくる!」

「いや、おかしいくない!? なに、そのナマモノ!?」

 

 清光が反論したが、誰も聞き耳を持ってくれなかった。

 

「して、何が起きた?」

「ノブノブノブ、ノブブノブブ、ノブーノブノブ!」

「なんと! 清水寺で鈴鹿御前が後藤又兵衛と戦っておるとな!?」

「ノッブ!」

「分かった。すぐに出陣するとしよう! 行くぞ、マスター」 

 

 信長は立ち上がった。

 

「もちろん!」

 

 立香も立ち上がった。清光も軽く伸びをしながら後に続いた。

 

「俺も行くよ。あの人に頼まれてるからね」

「では、俺は残るとしよう」

 

 岩融がにたりと笑いながら言った。

 

「室内戦は苦手だが、外から遡行軍が攻めてきたとき、江雪斎殿が逃げる時間稼ぎをすることくらいできる。

 江雪斎殿には生きて貰わねば、本丸に帰還した時、江雪殿に何を言われるかわからん」

「江雪殿?」

 

 立香は言葉を繰り返す。

 

「うむ。江雪左文字殿だ。誰よりも和平の心を愛する刀ぞ」

 

 岩融の視線は板部岡江雪斎の脇に置かれた太刀に向けられていた。板部岡は目が零れそうになるほど大きく見開き、自分の太刀と岩融を交互に見た。

 

「わ、私の左文字が付喪神になっていると!? しかも、江雪と名付けられているのか!?」

「良い太刀だ。のちの世では、日本国の宝として祀られている」

「私の刀が……日ノ本の宝になるとは……」

 

 江雪斎は左文字を宝物のようにそっと撫でた。

 

「左文字といえば、わしも左文字を持っていたな」

 

 信長が扉の前に立ち止まり、感慨深そうに話し始めた。

 

「桶狭間の戦利品でのう!

 宗三左文字という打刀じゃが、顕現されておるか? 会いたいものじゃ! きっと『大切にしてくれて有難い。信長公、マジ感謝!』と感謝絶賛雨嵐じゃろうな!」

「あー……なんていうか、恨まれてるよ?」

 

 清光が言いにくそうに答えると、信長はその場で石のように固まった。

 

「は?」

「江雪は元の主を悪く思ってないけど、宗三は……うん……」

「な、何故じゃ!? わしの銘まで刻んで、大切に飾っておったのに!?」

 

 信長が清光に詰め寄ると、彼は非情に言いにくそうに事実を告げた。

 

「一度も戦に出してもらえなかったことが嫌だったみたい。

 あと、名を刻まれたことも、とても不快だったみたいだよ」

「それは、是非もないネ!」

 

 信長がその場に崩れ落ちたことは、言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 



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第三節
第六天魔王(1)


今日から、ぐだぐだイベント……。
アヴァンジャーノッブ、うぐぐ……その設定、あと一か月前に欲しかった!!




「ねぇ、ノッブ」

 

 清水寺への道を走りながら、立香は先ほどの話を思い出す。

 敵のサーヴァントは6人。巴御前、岡田以蔵、ジル・ド・レェ、呂布、天草四郎、そして、後藤又兵衛。ジル・ド・レェは倒したので、残りは5人になったわけだが、いくつか疑問が残っていた。

 

「後藤又兵衛って誰?」

 

 他の5人の名前は知っているし、カルデアに召喚されている。

 だが、後藤又兵衛だけは知らなかった。中学の時に習った日本史を思い出しても、該当する人物が思い当たらない。戦国時代の武将か、幕末の志士か、それとも、全く違う時代の人なのかすらも分からなかった。

 

「後藤又兵衛とは、簡単に言えば不運な戦国武将じゃ」

「不運?」

「武勇に秀でた男での、黒田長政に仕えておった。じゃが、不仲が原因で追い出された挙句『再就職禁止令』を出され、仕官先が見つからず、やっと池田家に拾ってもらえたが、理由をつけて厄介払いされた男じゃ。

 『大坂の陣』では豊臣方に加勢し、最期は討ち死にしたらしい」

「……悲しい最期だね」

 

 立香は目を伏せる。

 武勇に秀でていても仕事が見つからず、最期は討ち死になんて、世界を恨んでいそうだ。

 

「ランサーの疑似サーヴァントと名乗っておった。実に見事な槍裁きじゃった」

「疑似さーばんと? なにそれ?」

 

 清光が首をひねる。

 

「えっと、英霊を人の身体を依り代にして召喚したサーヴァント……で、いいんだよね?」

 

 立香はロード・エルメロイ二世に教えてもらった内容を思い出す。

 ロード・エルメロイ二世自身も本来は一介の魔術師に過ぎないのだが、英霊 諸葛亮孔明の依り代となることで、サーヴァントとして戦う力を手に入れている。

 

「たぶん、風魔小太郎も疑似サーヴァントだと思う。風魔小太郎を依り代に、英霊としての風魔小太郎を召喚しているから」

「その通り! ……しかしな、わしが会った後藤又兵衛は少し毛色が違っておった」

 

 信長はここで言葉を止めると、素早く家屋の陰に隠れる。

 ちょうど向こうの通りを遡行軍が通り過ぎるところだった。清光は戦いたそうに刀に手を伸ばしていたが、信長が彼を制する。遡行軍は周囲を見渡しながら、ゆっくりと通り過ぎていった。

 

「……毛色が違ったって、どういうこと?」

 

 遡行軍が去ったことを見届けると、立香は声を潜めて尋ねる。信長は再び清水への道を急ぎながら

 

「依り代が、人ではなかった」

 

 と短く答える。

 

「一度遭遇した時、わしとの相性が悪かった故に引き下がったが……その時の戦いで、本人が自嘲しておった。酒瓶を脇に置きながら

 『曲がりなりにも神の身体に、人の魂を入れ込み、疑似サーヴァントにするなんて。マスターは変わり者だ』

 と、言っていたのじゃ」

「神の身体に人の魂?」

 

 それでは、あべこべだ。

 神霊を格落ちさせて、疑似サーヴァントにするのは聞いたことがある。例えば、インドの女神 パールバティは、とある女の子の身体を依り代にすることで神格を落とし、疑似サーヴァントとして召喚に応じてくれた。

 だが、その逆はない。神のままでいることができるなら、神のままでいた方が強いに決まっている。それを、わざわざ神に人の魂を入れ込んで格落ちさせるなんて、どうかしている。

 

「信長公、質問していいい?」

 

 清光が少し考え込むそぶりを見せると、信長に真剣な眼差しを向けた。

 

「そいつって、酒瓶を持っていたほかに、どんな特徴があった?」

「そうじゃのう……前髪が数本触手みたいに伸びていて、くせ毛を後ろで雑にまとめておったな」

「それって!」

 

 清光が足を止めた。

 頭を釘バットで叩かれたような、愕然とした顔をしていた。

 

「そいつ、天下三槍の日本号だよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……文殊智剣大神通」

 

 すとんと、清水寺の屋根に舞姫が降り立つ。

 狐の耳に桃色の髪をなびかせた少女の頭上には、三つの輪が広がっていた。ただの輪ではない。刀の輪だ。一本一本が金色に輝く刀が250本、輪を成して宙に留まっている。

 

「……恋愛発破……」

 

 狐耳の少女の黄金色の瞳は、鋭く射貫くように清水の舞台に向けられていた。

 そこには槍を構えた男が一筋の汗を流していた。

 

「……こりゃ、まずいな……」

「『天鬼雨』!!」

 

 少女の号令と共に、250本の刀が雨のように男へ降り注ぐ。

 男は最初こそ槍で防ごうとしたが、250本の刀が相手では為す術もない。男の姿は刀の雨に埋もれて、少女空は見えなくなってしまった。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 少女は肩で息をしながら、自らの刀を鞘に納めた。

 

「宝具出す羽目になるなんて……マジありえないんですけど」

 

 少女 鈴鹿御前は清水の舞台に舞い降りる。

 250本の刀は役目を終えて消え去っていた。舞台には男だけが倒れている。

 

「こいつ……あれだけの攻撃を受けて、まだ息が残ってるなんて……!!」

 

 鈴鹿は再び刀に手を伸ばした。

 

「……飲み過ぎたか……いや……これで良かった」

「あんた、なに言ってんの?」

 

 鈴鹿が刀を振り抜き、警戒しながら近づく。 

 男は愉快気に笑った。もう虫の息なのだろう。身体の半分は金色の粒子で覆われ、消滅していく。

 

「だいたいよ、福島正則を殺して奪い取った槍を依り代に、後藤又兵衛を召喚して戦わせるなんて、マスターは何を考えてんだって話だぜ。

 後藤又兵衛としては、そりゃ、オレを認めなかった世界を恨んでる。仕官を認めておきながら捨てられたり、嫌がらせをされたり、散々だった。

 だがよ、オレの中の正三位が叫んでんだ。『この聚楽第はおかしい』ってな」

 

 鈴鹿御前は男の末期の言葉に耳を傾け続ける。

 

「前の主の福島正則を殺し、豊臣を全滅させ、無関係な人まで皆殺し。そりゃ、おかしいだろ。酔った幻覚ならともかく、実際に起きたことだから質が悪い」

「なら、さくっと裏切れば良かったじゃん?」

「あのなぁ、オレはこれでもサーヴァントだ。主を裏切ることはできない。

 だが、まあ、負けたとなっては話が別だ。オレの代わりに、あの化け物を倒してくれよ」

 

 男の身体は半分以上が消えていた。

 しかし、男は鈴鹿御前に言葉を伝える。消失の痛みを堪えながら、一矢報いるための言葉を口にした。

 

「あいつは、カルデアのマスターを待っている。カルデアのマスターが、打ちひしがれる様を見るために、聖杯を使ってこの聚楽第を隔離した、と言っても過言じゃねぇ」

「はぁ? なにそれ。意味わかんない」

「主は肌身離さず聖杯を持っている。オレを含めたサーヴァントも遡行軍も近寄らせないで、聚楽第最奥で聖杯を抱いたまま座しているって話だ。

 つまり、その聖杯をとれば……聚楽第の隔離は解かれ、歴史が動き出す……ッ!!」

 

 男は唸った。

 既に胸の位置まで金砂に埋もれ、消失寸前だった。男は青々とした空を見上げると、悔いるように最期の言葉を口にする。

 

「次があるなら、オレみたいな付喪神を正しく使いこなしてくれる……審神者の元で、正三位の槍を振るいたいものだぜ。

 その時は、飲み過ぎて、負けたなんてことが、ないように……しねぇとな……」

 

 鈴鹿御前の足元で、男は消失した。

 鈴鹿は刀を握りしめたまま、男が横たわっていた場所を見つめた。

 

「……マスターを狙うため? 自分のサーヴァントを近づかせない? どういうことなの?」

 

 鈴鹿は男の遺した言葉の意味を考える。

 一部分だけ、納得がいった。

 この地にレイシフトした際、鈴鹿は立香の元から弾かれ、八坂神社の辺りに立っていた。

 藤丸立香を打ちひしがれる姿を見るために、わざとサーヴァントを離散させたと考えると説明がつく。しかし、何のためにそんなことをする必要があるのだろうか。

 

「――ッう、とりま、移動しないと」

 

 刀の痕は消えたが、舞台に刺さった痕は残っている。

 しかも、あの男の口ぶりからして、他にも敵方のサーヴァントがいることは明白。戦いの痕跡を辿られ、すぐに襲われたら面倒だ。

 鈴鹿は宝具の発動で、魔力の大半を失っていた。JK風の衣装を纏っていたが、槍で切り裂かれた箇所を修復する魔力すら惜しい。

 幸いここは清水寺。

 山へ隠れれば、人の目をごまかすことが出来るだろう。

 

 鈴鹿御前はそう判断し、舞台を去りかけた、その直後だった。

 

「誰だし!?」

 

 鈴鹿御前は殺気を感じ、すぐに舞台の入り口へ目を奔らせる。

 

「……日本号は、今回の部隊にいなかったはずだが……」

 

 煤色の髪をした青年が刀を抜きながら、鈴鹿の方へ近寄ってきた。

 釣り目気味の藤色の瞳は、怒りで燃え上がっているようだった。

 

「なに? あんた、こいつの知り合い?」

「……同じ主に仕えた間柄だ」

「ふーん……」

 

 鈴鹿御前の眼が光った。

 

「じゃあ、こいつの仲間ってことでOK?」

「お前に恨みはないが、この事態を解決することが主命だ。散れ」

 

 青年が地面を蹴り飛ばした。

 その速度は並みのサーヴァントよりも遥かに速い。丁度、一緒にレイシフトして来た牛若丸と同じくらい素早かった。

 鈴鹿は刀を構えるのが一歩遅く、辛うじて避けることはできたが、頬を切り裂かれてしまう。青年は鈴鹿の頬を切り裂いた後、そのまま足を踏み込み、接近して来た。

 今度はなんとか、受け止めることが出来たが、それでも圧が凄い。

 

「圧し斬る!」

「これ、ヤバッ」

 

 きりきりと圧されてしまう。

 鈴鹿は左を頭上に掲げると、黄金色の刀を出現させる。青年がそちらに一瞬、気を盗られた隙に、鈴鹿は別の刀を出現させ、そちらに飛び移った。

 

「よっと!」

 

 次々に出現させた刀に乗り移りながら、青年との距離をとる。

 

「待て!」

 

 青年も続けて刀に乗ろうとしたが、鈴鹿が一念するだけで足場としていた刀が消えた。青年は体勢を崩し、舞台へと落下する。

 

「邪魔だっての!」

 

 鈴鹿は出現させた刀を数本、矢のように飛ばした。青年は落下しながら向きを変え、刀を弾き返すと、猫のように音も立てず着地した。

 青年は舞台から、鈴鹿は宙に浮いた刀の上から、しばし互いに睨み合う。

 

 鈴鹿は青年の服装から真名を分析する。

 先ほどの男は、正面から「疑似サーヴァントの後藤又兵衛だ」と名乗ってくれたが、目の前の青年は名乗りそうにない。

 獲物に刀を選んでいる割には、和装ではない。カソックのような聖職者が纏う服装に近いように思える。そうなると、キリシタン大名なのだろうか。

 

 鈴鹿が分析していると、青年はこちらを睨んだまま動き始めた。

 軽く跳びはね、舞台の桟を踏んだかと思えば、そのまま、まっすぐ跳躍してくる。

 

「空を飛ぼうが無駄だ!」

「はぁ!?」

 

 鈴鹿は刀で圧しだされ、体勢を崩して舞台へと落下する。

 また刀を足場代わりに出現させたかったが、そろそろ魔力が底をつきそうだ。

 

「マジ信じられないんだけど」

 

 鈴鹿は着地しながら、逃げる算段を立て始める。

 現状、速度も力も敵の方が上。おそらく、純粋な剣技も青年の方が上だろう。先ほどの戦いは鈴鹿が圧倒的大量の刀を出現させ、物理量に物をいわせた戦法で勝利することが出来たが、今度はそうもいかない。

 

「しつこいと嫌われるっての」

 

 鈴鹿は刀を構えながら、視界の端に舞台の端を映す。

 舞台の下に飛び降りて、自殺に見せかけた逃走をするか。 

 けれど、青年の戦い方を見る限り、飛び降りても後を追いかけて来そうな勢いがある。

 

「これで、終わりだ!」

 

 青年の刀が急速に迫ってくる。

 避けることもできない。舞台を飛び降りることもできない。鈴鹿は駄目もとで刀を前に突き出し、受けて立とうとした。

 

 ところが、その刀は鈴鹿に届かなかった。

 鈴鹿の目の前の床が黒ずみ、とあるナマモノが盾のように出現したのだ。

 

「なにぃ!?」

「ノッブー!」

 

 これには青年も足を止め、ナマモノを凝視する。

 黒いマント、長い黒髪、軍帽に輝く木瓜紋。大きな白い眼に、デフォルメされたぬいぐるみのように可愛らしいナマモノ。

 

「な、なんだ、悪趣味な生物は!?」

「ちょ、待って。これって、ライブラリで見たことあるし!」

 

 青年は固まっているが、鈴鹿はこのナマモノに見覚えがあった。

 ナマモノは増殖し、そのうちの一体が鈴鹿に近づいてきた。そいつは

 

「ノッブ、ノブ!」

 

 と言いながら、どこかへ案内するように手を振っている。 

 鈴鹿は八重歯を見せるように笑った。

 

「サンキュー、マジ助かった! あいつ、勝手に第六天魔王とか名乗ってて、ちょームカついてたけど、前言撤回! オダノブ、マジ感謝だわ! この場は、あんた達に任せた!」

「待て! 第六天魔王だと!?」

「ノッブ!」

 

 青年が後を追いかけようとしたが、ちびノブがわらわらと群がり行く手を邪魔する。

 ちびノブたちは青年に突進し、自爆しようとする。無論、彼女?たちは、自爆しても魔力が尽きない限り復活する優れものだ。

 鈴鹿は安心して逃げることができた。

 ちびノブに案内されるまま舞台の袖から下の参道に駆けおり、ひたすら走り続ける。

 

「あ、誰かが登ってくるじゃん! オダノブが迎えに来てくれたって感じ?」

 

 鈴鹿は前方に見えた塊を見て、ほっと胸を落とした。

 

 だがしかし、物事とは上手くいかないのもの。

 

 前方に見えたのは、織田信長ではなかった。

 時間遡行軍の群れ。太刀や薙刀を抱えながら、白い髪の青年を先頭に近づいてくる。

 

「あんた……! 天草四郎!」

「後藤又兵衛の様子を見に来ましたが……その様子では、既に倒された後、ということですね。残念です」

 

 天草四郎はさほど悲しむそぶりも見せず、平然と鈴鹿御前を見返した。

 

 

「第四天魔王の娘、鈴鹿御前。我が陣営に投降しますか? 

 それとも、この場で討ち死にしますか?」

 

 

 

 



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第六天魔王(2)

「投降?」

 

 鈴鹿御前は天草四郎を睨んだまま、鋭く聞き返す。

 

「なに言ってんの? マジ意味わかんない」

「言葉通りの意味ですよ、鈴鹿御前」

 

 天草四郎は朗らかな表情で言葉を返してきた。

 

「あなたは満身創痍。ここで戦えば、あなたに命はない」

 

 天草四郎の言っていることは正しい。

 鈴鹿は自分の状態を十分に理解していた。

 宝具を使い、その後の戦闘で魔力はほとんど空っぽ。霊体化すれば良いかもしれないが、どういう理屈か、この世界では出来ない。

 ざっと見て200は越える部隊と天草四郎と戦って、万が一にも勝ち目はない。

 もうそろそろ、先ほどの青年がちびノブを打ち破ってくるだろう。

 

 前門の虎後門の狼とは、このことだ。

 

「私のマスターは門戸を開いています。

 既に北条の天下。このまま諸国の大名を討ち滅ぼし、朝鮮、明へ出兵します。遡行軍の力とサーヴァントの力さえあれば、不可能ではないでしょう」

「歴史を変える国盗りに参加しろって? そんなの、お断り! こんなJK力の欠片もない街しか作れない男に天下を盗らせることが出来るかっての!」

 

 鈴鹿は刀の切っ先を天草四郎に向け、敵対を宣言する。

 天草四郎は、やれやれと首を横に振った。

 

「貴方は第四天魔王の娘として、日本を支配するために派遣されたのではありませんか?」

「はぁ? そんな昔の話持ち出されても、関係ないんですけどー」

 

 鈴鹿はこの状況で逃げるための方法を模索する。

 勝つ方法はない。逃げる方法である。

 この状況では、いくら苦手なスキルを解放しても、勝つ手段を見つけ出せないのは明白。そもそも、魔力がないのだから、最後の奥の手を使うことも難しい。

 

「なによ、あんたは鬼だらけの世界になってもいいの?」

 

 鈴鹿は話し続けた。

 ちびノブが派遣されたということは、信長が近くまで来てくれているかもしれない。そうすれば、少し形勢が逆転する。信長を待つためにも、とにかく話を引き延ばす必要があった。

 

「それは少々困りますね。では、彼らに頼むとしましょう。遠慮なく降参してください。その瞬間、攻撃を止めさせますから」

 

 天草四郎の笑みと共に、軍隊が動き出す。

 まず、槍が伸びてきた。

 鈴鹿は辛うじて避けたが、わき腹が斬られる。だが、痛みに呻いている暇はない。その隙を逃さんとばかりに、太刀や打刀が一斉に畳みかけてくる。

 

 その姿は、津波に立ち向かう蟻のようでもあった。

 最初は隣にちびノブの存在を感じていたが、ぷちりと潰れ断末魔を上げながら消滅する。

 

 これで、鈴鹿はたった一人になった。

 鈴鹿は天草四郎が味方の鬼たちに囲まれながら悠然と眺めているのを見て、舌打ちをした。

 

「ほんと、カンジ悪い」 

 

 あんな奴の思い通り、降参するものか!

 そう思っているのに、次々に襲ってくる敵に心が折れそうになる。

 

 脳裏に横切るのは、先程の後藤又兵衛の言葉だ。

 

『カルデアのマスターの打ちひしがれる様子を見たい』

 

 この事件の首謀者は、マスターを苦しめるために特異点を形成した。

 藤丸立香。マスターとしては及第点。女であること以前に恋愛対象として見ることはできないが、仕えるマスターとしては最良だ。

 その子の泣く姿を見たくない。あの子が辛くて苦しみ、弱音を吐く姿を見たくない。

 一刻も早く合流して、彼女の力になりたい。

 

 そう思っているのに、心は圧倒的勢力を前に負けそうになる。

 

 しかも、この場所は清水寺。

 鈴鹿の恋焦がれた「あの人」に由来する寺だ。

 

 

 ああ、ここで死ぬなら、良いかもしれない。

 

 

 一瞬でも思ってしまったら、刀を振るう手が緩み、鬼の軍隊に飲み込まれる。

 

「――ッ、って、弱音を吐く、わけには、行かないっての!!」

 

 最後の力を振り絞るように、魔力を頭上に浮かばせた愛刀『小通連』に集結させる。この真名解放を行い、続けざまに最後の宝具を発動させれば、勝機は残っている。だが、

 

「っく、魔力が、足りない」

 

 鈴鹿は奥歯を噛みしめる。

 鬼たちは鈴鹿が弱ったことを知ったのか、歓喜の雄たけびをあげた。そして、一番近いところにいた鬼が太刀を振り上げる。

 鈴鹿は魅了の魔眼を使おうとするが、これも魔力が足りない。

 刀で鬼を弾き返した時、背後に気配を感じた。

 

「……何をしてる?」

 

 淡々とした声は、先程の青年の声だった。

 

 あーあ、これは完全に詰んだ。

 前も敵、後ろも敵。奥の手を出そうにも、魔力はガス欠。

 

「ここまで、か」

 

 前から迫ってくる鬼を睨み、せめて一体でも道連れにしてやると刀を前に貫こうとした。

 

「俺の刃は、防げない!!」

 

 だが、その鬼を退治したのは、鈴鹿ではなかった。

 視界いっぱいに藤色の服がひらめき、鈴鹿は目を丸くする。

 

「あんた、なんで……?」

「貴様こそ、なぜ遡行軍と戦っている」

 

 煤色の髪をした青年が、鈴鹿の目の前に立っていた。

 

「しかも、あの男……一体どういう関係だ?」

「私も聞きたいくらいなんだけど。つーか、なんで、あんたがあいつら斬ってるの? 仲間じゃないの?

 ってか、あんなキモイ連中の仲間だと思われたくないんですけどー……ぅ」

 

 鈴鹿が反論しようと声を出したとき、わき腹が強く痛んだ。

 視界が眩理と揺れ、地面に膝をついてしまう。

 

「先程の趣味の悪い生き物も含め、訳はあとで聞かせてもらう。お前は下がってろ」

 

 煤色の髪の青年は遡行軍に向かって刀を向けた。

 

「……なるほど、刀剣男士ですか。名のある刀だとお見受けしました。

 貴方は、この量の敵を相手に勝てると? 投降した方が、身のためだと思いますが」

「ふん、答えるまでもない」

 

 青年は狂気気味た目で、天草四郎を睨み付けた。

 

「この地の遡行軍を殲滅する。それが主命だ」

 

 青年はそう告げると、遡行軍めがけて一気に踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立香は倒れそうになった。

 

 「清水寺」と簡単に言ったが、実際には洛外。

 一度、洛中を抜けて、外に出る必要がある。ちびノブの集めてきた情報を頼りに遡行軍の壁が薄い所を強行突破し、京の東に向かって奔っていたが、藤丸立香はサーヴァントではない。ただの人間だ。

 しかも、清水寺までは上り坂。現代のようにコンクリートを敷かれているわけではなく、土と砂利が剥き出しの道だ。

 

 人理修復したマスターとはいえ、サーヴァントでもなければ刀剣男士でもない。

 多少度胸のついた一介の人間にすぎず、上り坂を前に、ついに足元がふらつき始めていた。

 

「マスター? 一度休むか?」

 

 織田信長が一度足を止める。

 

「だ、大丈夫。まだ、行ける」

「無理な行軍は命取りよ。ここで一度、休息をとるとしよう」

 

 信長は立香を抱きかかえるように、適当な土産物屋に姿を隠した。

 

「駄目だよ。鈴鹿が戦ってるのに……」

「戦には早さも重要じゃが、焦って功を逃すくらいなら休むに越したことはない。それに、あの鈴鹿が負けると簡単に思うか?」

 

 立香は信長の問いに首を横に振った。

 鈴鹿御前はJKにはまり、とてもノリが軽く見えるが、実際にはJKとは正反対の静かで賢く、強い姫なのだ。彼女が負ける姿は、牛若丸同様想像することが出来ない。

 

「そういえば、俺は勝栗を食べたけど、立香は何も食べてないんだ」

 

 清光は思い出したように呟くと、手近な棚を漁り始めた。

 

「ちょっと、清光!?」

「逃げ出した後なんだから、ちょっと失敬しても怒られないって。なにか、食べるものは……」

「…………干し柿ならある」

 

 清光の横から、そっと干し柿が詰まった袋が差し出された。

 

「ありがとう、山姥切……え、山姥切!?」

 

 清光は驚きのあまり、干し柿を落としそうになった。

 清光が放った驚愕の声に気付き、立香も視線を向けると、棚の隣に白い塊が蹲っている。山姥切国広が白い布を被り、じっと息をひそめるように座っていたのだ。

 

「いつからいたの!?」

「……最初からだ。どうせ、俺は写しだから気づかなかったんだろ」

「いやいや、写しとか関係ないから」

 

 清光がすぐさま否定したが、山姥切は何も答えず膝を抱えたままだった。

 

「……加州。主が心配していたぞ。淹れたての茶を零して、手元を火傷するくらい」

「それはそれで主が心配だけど、やっぱり、俺って愛されてるんだな……」 

「ん」

  

 山姥切は短く言うと、立香に視線を向けた。

 

「お前も無事だったのか」

「はい、山姥切さんも無事で良かった。……あ、ノッブ、この人は山姥切国広さん。レイシフトした時、最初に助けてくれた人。山姥切さん、こちらは……」

「ほう……! あの堀川国広の傑作か!?」

 

 立香が紹介する前に、織田信長が身を乗り出した。

 一秒一瞬が惜しいというのに、こうして刀に目を光らせるところを見ると、彼女は本当に刀に魅入られ、蒐集していたのだと強く感じた。

 

「噂に名高く、見事なものよ。うむ、顔立ちも綺麗じゃ!」

「綺麗とか、言うな」

 

 山姥切は恥じるように布を目元まで降ろした。

 

「そういえば、山姥切国広といえば北条家に関する刀よな? 此度の事件について、なにか知っていることはないか?」

「ない」

「返事はやっ!」

「え、山姥切って北条家と関係あるの?」

 

 清光が立香に干し柿を渡しながら、信長に質問する。

 

「うむ。そもそも山姥切国広とは、北条氏政の山姥切長義の写しとして鍛刀された傑作じゃ」

「俺は写しだから、今回の件は何も知らない」

「いや、写しは関係ないじゃろ」

 

 信長と山姥切が話をしているのを聞きながら、立香はふと思ったことを清光に尋ねた。

 

「ねぇ、清光。写しってなに?」

「んー、簡単に言うと、真似して作ったってこと」

「どうせ俺は偽物だ。立香たちが気にすることではない」

 

 立香たちの言葉を耳にしたのか、山姥切が拗ねたように呟いた。彼の纏う空気が一段階、下がった気がする。なんだか、立香は申し訳ない気分になった。

 

「でも、偽物でも有名なんでしょ? それって、凄いよね」

 

 立香は、とあるサーヴァントを思い出しながら話し始めた。

 

「エミヤってサーヴァントがいて、彼は本物を真似た武器しか使わないけど、とっても強いよ」

 

 普段は厨房に入り浸りで、身だしなみや生活リズムに対して口うるさく、サーヴァントというより、お母さんみたいだ。しかし、ひとたび戦場に出れば、本物の武器を持つ英霊たちに負けず劣らず、むしろ、それ以上の働きをしてくれる――……とても頼れるサーヴァントだ。

 

「ギルガメッシュ……本物の武器を大量に持ってるサーヴァントに余裕で勝てるのは、エミヤだけなんだから」

「うむ。無論、本物も凄いが、偽物が本物に劣るとは限らない。ましては、あの堀川国広の最高傑作が本物の山姥切に劣るはずがないではないか!

 まあ、わしは真作を見たことないけどネ!」

 

 立香の言葉に続くように、信長が話し始める。

 山姥切は何も答えなかった。

 立香はもう少し何か言い方があったのではないかと反省する。偽物でも使い手が良ければ本物以上になる、と言いたかったのだが、彼は使い手ではなく刀だ。使い手次第ではなく、偽物でも良いと言いたいのだが、上手い言葉が見つからない。

 

「はいはい、話しはそこまで。そろそろ出発するよ」

 

 清光がぱんぱんと手を叩き、空気を換えた。

 干し柿の程よい甘さが疲れた身体に染み入るようだ。清光と山姥切も干し柿をいくらか口に運び、栄養を供給している。

 

「さて、出陣するかの!」

 

 全員の支度が整ったことを確認すると、信長が刀の鞘を山の方へ向けた。

 

「目指すは清水寺! 鈴鹿御前の加勢じゃ!」

「悪い、山姥切。あとで、しっかり説明する」

「問題ない。相手を斬ればいいんだろ」

 

 四人で参道を登り始める。

 これまでの街同様、人気がまったくない。おまけに遡行軍に焼かれたのか、わずかに焦げ臭さが漂っていた。修学旅行で訪れた時は参道の両脇に華やかな土産物屋が並び、賑わいで満ち溢れていた。時代が違うとはいえ、こうも寂れた有様を見ると、とても空虚な気持ちになる。

 立香は空虚な気持ちを振り切るように、ぐっと上を見上げた時……

 

「あっ! ノッブ! あれって!!」

 

 清水寺の上空に、金の輪が回転する様が見えた。

 

「鈴鹿の宝具だ!」

「ええい、このままじゃ間に合わん!!」

 

 信長が手を薙ぐように振ると、数体のちびノブが現れた。

 

「お前たち、鈴鹿の援護をせい!!」

 

 ちびノブは地面に沈み、消えていった。

 いわゆるサーヴァントの空間転移みたいな原理を使い、鈴鹿の元へ駆けつけるのだろう。

 

「今のは……?」

「信長公の写し! 写しであってるんだよね?」

「わしにも分からん!」

 

 きつい参道を奔る。

 他の三人が自分に気を使って速度を緩めてくれているのが分かる。だから、立香は全力で走った。少しでも、鈴鹿を助けに行けるように。彼女は宝具を使うまで追い詰められているのだ。もし、それを防がれてしまったら、彼女は本当に消滅してしまうかもしれない。

 

 だが、ようやく清水寺の門前が見え始めたところで、思わぬ障害が立ちふさがる。

 太刀や薙刀を構えた遡行軍が、清水寺の舞台めがけて進軍していたのだ。遡行軍の前の方から戦う音が聞こえてくる。おかげで、後ろから近づく立香たちには気づいていないが、圧倒的な数の差がある。無策に突撃しても意味がないように思えた。

 

「どうしよう、ノブ?」

「挟み撃ちしかあるまい」

 

 信長は即答した。

 

「数は劣勢じゃが、挟み込めば、後ろを気にしなくてはならなくなる。前で戦ってる鈴鹿のために、なるじゃろう」

「でも、あまりにも……」

 

 立香は絶望的な数の遡行軍を見た。

 その数、軽く100は超えている。知性のない海魔との戦とは違うのだ。常識的に考えて、あんな圧倒的な量を三人で倒せるはずがない。

 

「マスター、マスターの令呪は何のためにある? 飾りか?」

 

 信長がにやりと笑った。

 立香は右手に目を落とす。三画の令呪が刻まれている。本来の意味の令呪とは異なるが、それでも、この右手に刻まれているのは、サーヴァントへの絶対命令権である令呪に他ならない。

 

「……分かった。信じる!」

「うむ、良い表情になった!!

 さて、加州はマスターの護衛を頼む。山姥切国広。わしと出陣じゃ! 頼りにしておるぞ!」

「了解っと」

「……」

 

 三人とも刀を引き抜く。

 前方で戦う音が一段と激しくなった。もう、時間はない。

 

「よし、鉄砲隊―‐……ではないな。名刀隊、構え!! 出撃じゃ!!」

 

 信長がひときわ大きな声を上げると、彼女の背後に幾本もの火縄銃が浮かび上がる。

 

「放て!!」

 

 鋭い音を立てながら、背後が無警戒だった遡行軍を討ち滅ぼしていく。

 火縄の第一陣が終わると、山姥切が駆けだした。

 

「参る!」

 

 彼は慌てふためき始めた遡行軍に次々と斬りかかる。白い布を翻しながら、斬り行く姿は、まるで舞いを見るように美しかった。そんな彼に続いて、信長も火縄銃で遡行軍を殲滅し始める。遡行軍も背後からの奇襲に気付いたのか、すぐさま半分ほどが反転し、信長たちに向かってきた。火縄で仕留め損ねた分は、山姥切が切り込み、火縄の弾を潜り抜けて信長まで接敵した者は、彼女自らが切り殺していた。

 

「うむ、名刀隊。いい名じゃ!!

 『山姥切国広』、『加州清光』、そして、わしが握る『へし切』! うむ、我ながら良いネーミングセンスよ!」

 

 かははと笑いながら、信長は刀を振るった。

 

「……ん? へし切?」

 

 ふと、立香はこんな状況なのに、ひっかかりを覚えた。

 最近、どこかで聞いた言葉のような気がする。

 

「立香、ボケっとしない!」

 

 清光が喝を入れてきた。

 

「いつこっちに遡行軍が来るか、分からないんだからな」

「は、はい!」

 

 立香が周囲を警戒しようと気を張る。

 その時、視界の端で何か黒い者が動くのが見えた。

 

「清光!」

「分かってる!!」

 

 清光が素早く動き、何かを弾き返した。

 弾かれた相手は数歩跳び下がり、刀を構えている。その人物は黒いマフラーで口を半分覆い、黒々とした髪の下に隠れた目を光らせた。

 

「お前は……」

 

 清光が男を睨み付けると、その男はにたりと笑った。

 

 

「わしか? わしはセイバー……坂本龍馬ぜよ」

 

 

 

 

 



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第六天魔王(3)

「坂本龍馬!?」

「以蔵さん!?」

 

 立香は清光の言葉にかぶせるように叫んだ。

 

「え、以蔵って岡田以蔵?」

「ほう、おんしはわしのことを知っとるんじゃな?」

 

 動揺する清光をよそに、坂本龍馬の名を騙る「人斬り 岡田以蔵」はにたりと笑う。

 立香は唾を飲み込んだ。

 岡田以蔵は味方だと大変頼りがいのある人物だ。牛若丸とはベクトルは異なっているが、どのような仕事も忠犬のように確実にこなしてくれる。

 

 だからこそ、敵に回った時は恐ろしい。

 

「清光……気絶で止められる?」

 

 立香は清光に囁きかける。

 運が良ければ、彼から情報を聞き出せるかもしれない。

 

「気絶? 注文難しくない?」

「行くぜよ!! チェストー!!」

 

 立香たちが話していると、割り込むように岡田以蔵が叫んだ。

 彼は刀を大きく振り上げ、黒いマフラーを風になびかせながら飛びかかってきた。その掛け声は示現流。坂本龍馬を偽ることを止めた故に、島津の流派を使ってきたのだろう。一撃必殺の剣筋を清光は立香を庇いながら避ける。

 清光は右足を前に出し踏み込む直前、左足に重心を移そうとする。

 

「フェイントは効かんぞ!」

 

 以蔵は左側から攻撃に備えようと刀を薙ごうとする。ところが、清光は重心を移す直前、素早く右足を踏み込み、刀を持ち替えずに突撃する。

 

「フェイントに見せかけて、攻撃!!」

「何じゃああ!?」

 

 以蔵は真面に側面から斬られ、倒れこんでしまった。

 清光はすぐに以蔵の首筋に刀の柄を勢いよく叩き込む。以蔵は空気を吐き出すと、白目をむいて気絶した。

 

「これで、いいんだよね?」

「ありがとう、清光」

 

 とりあえず、これで気配を消せる暗殺者は一人消えた。

 氏政が他にもアサシンのサーヴァントを召喚している可能性は捨てきれないが、ひとまず前方の戦いに集中できそうだ。

 

「マスター、無事か!?」

「大丈夫!」

 

 こちらを振り返る信長に向かって手を振る。

 

「うむ、では、せっかくじゃ。清水の舞台もあることじゃし、趣向を変えるとするかの!」

 

 信長は不敵に笑うと、彼女の身体が燃え上がった。

 燃え盛る炎に包まれたのは一瞬で、すぐに黒い長い髪が流れるように現れる。鎧やマントが消え、現れたのは身軽な赤いシャツに、惜しげもなく素足を出した姿だった。刀も火縄も消え、代わりに彼女が持っているのは、彼女の身の丈を越した髑髏をあしらえた赤いギター。

 その姿に、立香は目を剥いた。

 

「えっ、そんな簡単にクラスチェンジって出来るの!?」

「くらすちぇんじ!? なにそれ!?」

「ノッブは普段は弓使いのクラスだけど、水着姿だとバーサーカーになるの!」

「着替えると強さが変わるの!? ちょっと、意味わからないんだけど!?」

「イェーーーイ! のってるかのう! わしこそが渚の第六天魔王こと、そう、ノブナガ・THE・ロックンローラーじゃ!」

 

 信長の宣言が清水の山に響き渡る。

 気のせいか、遡行軍たちも「え、なにそれ。意味わかんない」とでも言いたそうな表情で、動きを止めていた。ずっと遡行軍の向こう側からも刀を振り、戦う音が聞こえていたが、それもピタリと止まったのは、気のせいではないはずだ。

 信長はそんなしらけた空気を意にもかえさず、ピースサインを高らかに掲げる。

 

「マスター! 令呪をくれ!!」

 

 立香はノリに乗ってる織田信長に少し呆れたが、鈴鹿が置かれてる現状を思い出し、すぐに頭を切り替えて令呪を掲げた。

 

「令呪を持って命じる! やっちゃえ、バーサーカー!! 遡行軍を全部倒し尽せ!」

「うむ、任せとけ!! おお、魔力がみなぎってくる!! 山姥切、下がれ! 火傷するぞ!」

 

 織田信長の身体は再び紅蓮の炎に包まれた。

 今度は衣装チェンジはしなかった。信長はギターを構え、腹まで響くような音を鳴らす。その姿を横目で見ながら、山姥切が立香たちの位置まで下がってくる。

 

「……うつけだな」

 

 山姥切が信長の姿を見て、ぽつりと呟いた。立香は彼の言葉を聞いて、苦笑いと浮かべた。

 

「だけど、彼女は強い。ちょっと思考が、斜め上を行くときもあるけど。もう少し下がろう」

「どうして?」

「あれは、遠くから見た方がいいから」

 

 立香は右手の甲を握りしめながら、少し後退すると信長の宝具解放を見守った。

 

「三界神仏灰燼と帰せ……」

 

 信長はギターを足で踏み、弦を引っ張るように鳴り響かせる。

 すると、赤い煙が血のように沸き上がり、彼女の背後に2メートルは越える赤く輝く「がしゃどくろ」が出現した。信長とがしゃどくろは同時に手を交差させウィッシュを決めると、信長はギターを持ち替えた。

 

「我こそは、第六天魔王波旬、織田信長!

 うぉおおおおお! 第六天魔王波旬~夏盛~『ノブナガ・THE・ロックンロール!』」

 

 信長がギターをかき鳴らすのと連動し、がしゃどくろが目に追えない速度で遡行軍に連続でパンチを繰り出していく。そして、最後に残った白髪の青年に狙いをつけると、がしゃどくろは強烈なフィニッシュパンチを喰らわせた。

 

「なに……っ!」

「イェイ!!」

 

 信長が最後にガッツポーズを決めると同時に、白髪の青年 天草四郎が地面に落下した。彼は辛うじて受け身をとったが、宝具の攻撃はかなりのダメージだったのだろう。真後ろの崖に落ちないように気を付けながら、ゆらりと立ち上がったが、辛そうに腹を抱え、口元からは血を流している。

 

「あれは……天草四郎!?」

「ふむ、あれだけの数の遡行軍を動かしていたのじゃ。又兵衛の他にもサーヴァントがいると睨んだが……まさか、大物が当たるとはの」

 

 信長がお茶らけた服装からは考えられないほど、真面目な眼差しを天草四郎に向けていた。

 

「もしかして……いつもの宝具だと逃げられると分かってたから、クラスチェンジしたの!?」

 

 立香は感心した。

 彼女の通常宝具は、長篠の戦をモチーフにしたものだ。三千本の火縄銃の銃弾が敵めがけて一斉に放出させる。普通の遡行軍相手なら一気に壊滅できるが、そこにサーヴァントが潜んでいた場合、分厚い遡行軍を銃弾の盾にして、こっそり逃げられてしまうかもしれない。

 だから、一人一人を確実に倒せるバーサーカーになったのだ。

 

「いやー、せっかくの清水の舞台じゃ! 歌って踊って盛り上がりたいじゃろ!?」

「それが理由!?」

「……この威力、さすがは織田信長。見た目はともかく、宝具の威力が桁違いだ……」

 

 清光がツッコんだ後、天草四郎が少し悔しそうに言った。

 

「天草四郎時貞じゃな。お前のマスター、北条氏政について話してもらおうかの」

「……マスターの不利になることは言えませんね。これでも、サーヴァントですので。

 ですが、忠告はしておきますよ、カルデアのマスター」

 

 天草四郎の眼が信長を通り越して、立香に向けられた。

 

「ここは聚楽第。豊臣の政治が行われた場所です。

 人が生み出す善と悪は表裏一体。どちらにも転び、変わるもの……味方だと思って油断した隙に、背後から刺されないようにご注意を」

「それって……?」

 

 立香が尋ね返そうとしたとき、天草四郎は両手を広げて後ろに一歩下がる。

 そう、彼がいるのは崖っぷち。後ろに下がろうものなら、清水の舞台から飛び降りるのと訳が違う。

 

「待てい!」

 

 信長と彼女に続くように山姥切が奔り出したが、間に合わない。天草四郎の身体は宙に浮き、真っ逆さまへ落ちていった。

 

「自殺!?」

 

 立香も山姥切の隣で崖を覗き込む。彼は両手を広げて落下する。20mほど落ちた頃だろうか。巴御前がどこからともなく出現し、何でもないように彼を受け止める。

 天草四郎は巴御前に抱き留められたまま、京の街へ消えていった。

 

「追うか?」

「いや、無理じゃろ。だが、あれほど痛めつけたのじゃ。そう簡単に戦線に復帰できまい」

 

 信長はギターを肩に預けるように抱えた。

 

「そうだ、鈴鹿は!?」

 

 立香は周囲に目を奔らせた。

 すると、少し離れたところで手を振る狐耳の少女がいた。彼女の傍には、煤色の髪をした青年 へし切長谷部が呆けたように立っている。

 

「鈴鹿!!」

 

 立香は鈴鹿に駆け寄った。

 

「なに、暗い顔してんの? ちょっと怪我しただけだっつーの」

 

 身体中に傷を負った彼女は、立香に向かって何でもないように笑いかける。

 嘘だ。どう考えても無事ではない。自慢のJK衣装もぼろぼろで、身体に傷のないところを見るけるのが難しい。

 

「待って、今、治療するから」

 

 立香は手元に魔力を集めると、鈴鹿の治療を始める。

 その横で、清光たちも近づいてきた。だが、こちらの足取りは重いように見えた。

 

「あー……無事で良かった。怪我とかしてない、みたいだし……」

 

 清光が言葉を選ぶように、長谷部に話しかける。

 

「……」

 

 長谷部は何も答えない。

 感情の篭ってない視線を信長に向け続けている。もしかしたら、日本史で最も有名な武将がロックンローラーな服装をしていることに、幻滅しているのかもしれない。

 

「えっと……びっくりしますよね、戦国史上最も有名な武将がロックンロールだなんて」

 

 立香は鈴鹿の治療をしながら、乾いた笑いを浮かべた。

 ただここで、ふと気づいたことがあった。

 彼の名前は、へし切長谷部。

 そして、先程、信長が口にしていた「わしの刀」の名前は――……

 

「そうじゃろ、そうじゃろ! 見惚れるほどカッコいいじゃろ? 演奏も絶賛ものだったし、惚れるのは是非もないよネ!」

 

 立香の繋がりかけた思考を遮るように、信長が豪快に笑いながら近づいてきた。

 

「やっぱり、あれじゃな。わしがロックスターで、マスターが敏腕マネージャー、これじゃろこれ! 

 というわけで、マスター。カルデアに戻ったら、売り込みと作りすぎたCDの処理を頼むのじゃ。どういうわけかまるで売れん」

「いや、あれ買う人は信勝君だけじゃん」

「本丸とやらでは売れるかもしれん。さっきから熱い視線を送ってくれる、そこのお前も刀剣男士じゃろ? 名は……ん?」

 

 ここで初めて、信長の歩みが止まった。

 目が点になり、長谷部の腰に提げられた刀を見つめる。

 

「ぬしは……ぬしの名は、まさか! わしのへし切ではないか!!」

「……」

 

 長谷部は何も答えない。

 藤色の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。そんな長谷部をよそに、信長は一人盛り上がる。

 

「いやー! さすがは、わしのへし切! イケてる男感満載じゃ! 服のセンスもいいし、顔立ちも佇まいも完璧! 弱小人斬りサークルの姫の刀より三千倍強そうじゃのう!!」

『誰が、弱小人斬りサークルの姫ですか!』

 

 信長の高笑いを遮り、沖田総司の叱責が飛ぶ。

 見ると、ちょうど真ん中あたりにカルデアの沖田総司の映像が投影されていた。

 

『私の清光の方が五千倍、カッコよいですよーだ! あ、清光頑張ってますー?』

「なにを!? わしのへし切の方が――……」

「……わしの、ですか」

 

 長谷部がここでようやく口を開いた。

 

「『わしのへし切」と言っていますが、俺を持っていませんね」

 

 ここで、立香は清光と山姥切が長谷部に余所余所しい態度をとっていた理由が薄々分かった気がした。

 長谷部の口調には、恨むような色が滲み出ている。藤色の瞳が若干血走り、まっすぐ信長を睨んでいた。

 

「ん? 持っているぞ?」

「なにを……」 

『あー……確か、ノッブのギターって……』

 

 通信先の沖田が気まずそうな顔をする。その表情を見ながら、立香も「自分も彼女と同じ表情を浮かべているだろうな」と強く思った。

 誰も言わない。立香と沖田の間に重たすぎる沈黙が流れ、刀剣男士たちの頭には疑問符が浮かぶ。

 その空気を換えたのは、モニターの向こうのマシュだった。マシュも言いにくいのか、声色が沈んでいた。

 

『はい、信長さんのギターは、ヘシKill・ハセーベだと記録されています』

 

 マシュが長谷部の気持ちを察するような辛い表情で、立香と沖田が呑み込んだ言葉を口にする。

 

「ヘシKill・ハセーベ……って……」

 

 清光がしらっとした目で髑髏のギターを見る。

 もはや刀の原型はない。巨大な円盤のようなロックギターだ。しかも、先程は髑髏を召喚して、敵に殴りかかっていた。無理に共通点を上げるなら、赤く塗られたギターの色と、本来の鞘の色が同じという一点だろう。

 山姥切が淡々と

 

「国宝を改造したのか?」

 

 と口にすると、信長は明るく元気いっぱいに答えた。

 

「うむ! かっちょいいじゃろ!? ロックじゃろ! のう、へし切、そちもそう思う―――……へし切!?」

 

 長谷部は下を向いていた。

 拳を握りしめ、微かに震えている。

 

「震えるほど嬉しいか!……む、じゃが確かに、この霊基は疲れるの。そろそろ、いつもの姿に戻るとするか」

 

 信長は前向きに判断すると、元の弓兵の姿に戻った。

 

「……なぜです……」

「安心せい、この状態でも、わしの刀は――……」

「なぜ、俺を弦楽器に改造したんですか―――!!!」

 

 清水の山に、長谷部の絶叫が響き渡る。

 その声は信長が奏でたロックの音よりはるかに高く、遥かに絶望と驚愕、そして、憎悪に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六天魔王(4)

 

『……先輩、悲しい事件でしたね』

 

 マシュが目を伏せ、辛そうに口にする。

 

「うん……悲しい事件だった」 

 

 立香も後輩の言葉に頷いた。

 

 長谷部は複雑な思いが絡み合った絶叫をしたあと、信長の静止を待たず下山してしまった。

 長谷部曰く

 

「刀を楽器に改造するような男……いや、蛮族と同じ空気を吸いたくない!

 俺は、先に八坂神社まで降りる!」

 

 とのことである。

 こちらが静止の言葉を叫ぶ間もなく、長谷部は背中から憤怒の色を湧きあがらせ、一目散に去っていってしまったのであった。

 

 ……まあ、彼の気持ちは半分くらい理解できる。

 立香は刀剣について詳しくないが、以前、水着姿の信長に

 

『どうじゃ、マスター? わしの刀を改造して作った特注のギターじゃ!』

 

 と、背景に大輪の向日葵が咲くような笑顔で意見を求められたとき、答えに詰まってしまった。

 立香には刀をギターに改造する気持ちが分からないし、たぶん、刀もギターにされることは心外だっただろう。刀に口があれば『何故!?』と叫んでいたはずだ。

 まあ、ギターから生み出される刀の化身?のがしゃどくろはノリッノリでポーズまで決めているので、それ以後は特に気にしていなかった。

 

 ある意味、人の想像の斜め上を行くからこそ、織田信長という少女は英雄になったのだろう。

 だが、その考えについていける者は少ない。

 

「ノッブは刀の気持ちが分からなかったんだね」

『……先輩』

 

 立香はため息をついた。

 肝心の織田信長はというと、先程から蹲っている。

 彼女は自分の趣味を愛刀に理解してもらうどころか、はっきり拒絶されたことが衝撃だったのだろう。

 その場に崩れ落ち、ふるふる震えていた。

 

「なぜじゃ……へし切。なぜ、分からん。この、カッコよさが、いかしたロックが、なにゆえ、伝わらんのじゃ……」

『いやー……問題はそこじゃないと思いますけどね』

 

 沖田が目を逸らしながら、信長の呻き声に答えていた。

 清光も元主と同じように、灰のように燃え尽きた第六天魔王から目を逸らしながら

 

「長谷部は名前をつけてもらっていたのに、直臣でもない家臣に提げ渡されたことを恨みに思ってたんだ。

 そのうえ、原形がないくらい魔改造されたんじゃ……うん、俺、あの人の刀で本当に良かった」

 

 と、呟いていた。

 山姥切は何も語らず、刀を鞘にしまっている。

 鈴鹿御前も立ちあがりながら、信長に軽蔑するような目を向けてた。

 

「助けに来てくれたときは、マジ感謝だったけど、やっぱり、あんなうつけが第六天魔王を名乗ってるなんて、ちょっとムカつくかも」

「鈴鹿、大丈夫?」

「ん? マスターのおかげで、3割回復ってとこ! サンキューだし!」

 

 鈴鹿が腕を回して問題ないことを現していると、通信機に投影された沖田の姿が消え、代わりに茶々の姿が浮かび上がった。

 

『伯母上って、殿下以外には通じない端折り過ぎた脳内1人構想、通称「天下布武」をすることあるよね。うん、これは明智君も裏切るし、なんちゃら長谷部も裏切る!』

 

 茶々は面白そうに笑っていた。

 

『それはそうと、刀といえば、殿下の刀はいるの!? 茶々は刀とかよく分からないし、大阪城の武具倉庫も幸村君と入ったくらいだけど、殿下の刀の付喪神は気になるかも!』

「えっと、つまり、豊臣秀吉の刀ってことだよね?」

 

 立香は茶々に確認すると、清光に目を向けた。

 

「清光、どう?」

「けっこーいるよ。一期一振に鯰尾や骨喰だろ? にっかり青江も一時期、秀吉公の刀だったっけ?」

「……大阪城には、世話になった」

 

 清光が指を折っていると、ぼそりと山姥切が呟いた。

 立香はへぇーっと目を丸くする。

 

「山姥切さんも大阪城にいた経験がある?」

 

 やはり、天下人は刀剣を集めることが趣味なのだろうか。

 立香がそんなことを考えていると、山姥切は静かに首を横に振った。

 

「……いや。主の命で大阪城に潜った」

「潜った?」

「あー、確かに、『時の政府』の命令で大阪城の地下に潜ったこともあったっけ」

 

 清光が代わりに説明してくれた。

 

『大阪城の地下に潜ったの? なにゆえ?』

 

 茶々の目が点になる。

 

「徳川が作った大阪城の地下に、豊臣時代の大阪城があるらしくて、そこに昭和の陸軍が工場を作って、よくわからない事態になってたから、出陣したことが何回かあるんだ」

『殿下の大阪城、そんなことになってたの!?』

「そっ。それで、遡行軍が豊臣の埋蔵金を貯め込んででさ、ちょうど本丸が資金不足だったから、ずいぶん助かったって感じかな」

「だから、山姥切さんが『大阪城には世話になった』と……」

 

 立香が頷いていると、茶々は口を尖らせていた。

 

『むー、茶々の黄金を勝手に盗むなんて……これには、佐吉も大激怒案件なんだけど』

『佐吉……石田三成さんのことですね。

 ですが、清光さんたちは遡行軍に奪われていた黄金を奪い返してくれたのですから……目くじらを立てる必要はないかと』

『奪い返したなら、元あった場所に戻すのが礼儀だし! 茶々は殿下のお金で熱海バカンスする予定だったのに!!』

 

 茶々は赤い般若の面を被り、轟々と身体を文字通り燃やし始める。

 

『茶々さん、落ち着いてください! ここで宝具を起動させても、向こうには届きません!』

『そうですよ。しかも、清光たちの歴史と私たちの歴史とでは、少しズレがあるみたいですし!』

『問答無用! 殿下の黄金を勝手に使っていいのは、茶々だけなんだから!!』

 

 画面の向こうが騒がしくなる。

 茶々が燃え上がる音と、カルデアスタッフの悲鳴が聞こえてくる。

 

『御免!』

 

 画面の向こうで、沖田が剣を抜く音が聞こえる。

 途端、茶々が暴れる音が消え失せた。おそらく、沖田が物理的に黙らせたのだろう。

 

『いや、すまなかったね』

 

 画面には、平然とした様子のダ・ヴィンチが映し出される。

 

「えっと……本当に大丈夫?」

『ああ、まったく問題ない』

「……彼女が目覚めたら、謝らないとな。確かに、俺たち盗んだことには変わりないし」

 

 清光が暗い顔をしていると、鈴鹿が呆れたように息を吐いた。

 

「謝る必要ナイナイ。埋蔵金だっけ? 当人たちは死んでるんだし、見つけた人がゲットしてOKじゃん?」

『埋蔵金が誰のものなのか、考えるのはあとして。

 今後のことを話すとしよう! なにしろ、時間がないからね!』

 

 ダ・ヴィンチが空気を切り替えるように、はきはきと話し始めた。

 

『牛若丸の姿が見当たらないが、立香ちゃん。ざっと説明してくれないかな?』

 

 立香はダ・ヴィンチに請われ、たどたどしかったが説明した。

 

「天草四郎は取り逃がしたけど、以蔵さんは捕まえました」

『それは僥倖だ。岡田以蔵から情報を聞き出すとしよう!』

「あ、ちょい待ち。私、さっき倒した後藤又兵衛ってランサーから聞いた情報があるんだけど。

 なんか『カルデアのマスターが打ちひしがれる様子を見たい』とかなんとか」 

「私が!?」

 

 立香は首をひねった。

 そんなことをして、北条氏政に何の意味があるというのだろう。

 

「私の先祖が豊臣家なら話は変わってくるけど……先祖の話なんて、聞いたこともない」

『うん、こちらの情報でも、立香ちゃんは一般人だ。先祖を辿っても、著名な人物は出てこない。こんな大層なことをしでかすほど、彼女に恨みを持っている人といえば――……』

 

 立香の脳裏に、一人だけ顔が浮かんだ。

 

「もしかして、ゲーティア?」

 

 ソロモン王を名乗り、人理を焼却した存在を思い出す。

 彼はこれまで積み上げてきた人理を焼却して、ゼロに戻ってから良い前提を作り直そうとしていた。

 立香は年末に彼の野望を打ち砕き、見事に人理を元通りに直すことに成功した。その時に、大きな犠牲を払ってしまったことは、今でも心に深い傷を落としている。

 

「でも、ゲーティアは……」

『消滅した。だから、考えられるのは、魔神柱だ』

「……なんだ、それは?」

 

 山姥切が疑問の声を上げる。

 立香は唸るように腕を組んだ。

 

「うーん……ゲーティアが従えていたソロモン王の使い魔のことかな。七十二柱いて、全部倒したはずなんだけど……」

『どうやら、何体か逃亡して、どこかの時代に潜伏しているようなんだ。

 既に、立香ちゃんは新宿の「バアル」、アガルタの「フェニクス」、ぐだぐだ幕末の「アンドラス」。この三柱を倒している。他にも逃げた魔神柱がいてもおかしくない』

 

 立香は三柱の他に、ゼパ……なんとか、という魔神柱とも遭遇したような気がする。けれど、そのことはカルデアの記録に残っていないし、神経を集中させないと思い出せない。だが、それは些細なことだ。わざわざ指摘するまでもあるまい。

 

「俺としては、ぐだぐだ幕末ってのが気になるな」

『すまない、清光君。その説明は、あとで立香ちゃんからたっぷり聞いてくれ』

「いや、私もあれを説明するのは難しいよ!?」

 

 本能寺で出現した「ぐだぐだ粒子」のことから説明しないといけないので、あの幕末を説明するのは時間と手間がかかる。

 

『とにかく、これは魔神柱案件かもしれない。魔神柱案件なら、聖杯が絡んでいても不思議ではないしね』

「つまり、北条氏政に魔神柱が憑依して、この時代を引き起こしているってこと?」

「うーん……でもさ、それなら、どうして時間遡行軍を引きつれてるわけ? 遡行軍と組まなくても、さーばんとを召喚すれば良い話じゃん」

 

 清光の疑問は最もである。

 これまでの魔神柱は、どれも遡行軍と手を組んでいなかった。

 モリアーティ教授やシェヘラザードと手を組んだり、織田信勝を従えたり……いずれも、サーヴァントを聖杯で呼び出して使役していた。

 そもそも、それ以前に解決して来た7つの特異点でも、遡行軍の影を見たことがない。

 

『そのことも踏まえて、岡田以蔵に聞いてみようか。ところで、以蔵君はどこにいるんだい?』

「えっと、確か……あれ?」

 

 彼が気絶していた方向に目線を向けるが、そこには誰もいない。

 

『――ッ、先輩、後ろ!』

「えっ?――ッわ!?」

 

 急激に空が近くなる。

 

「た、高い!」

 

 こんな状況だというのに、ありきたりの言葉しか出てこない。

 

「ははは! わしを侮ったことが運の尽きや!」

 

 岡田以蔵の声が酷く近くで聞こえる。

 立香は、すぐに以蔵が自分を抱えているのだと理解した。

 

「マスターッ!?」

「そんじゃ、さらばじゃ。

 こいつを殺すつもりやったが、生きたまま連れて帰ったら、マスターに褒美が貰えそうやきな!」

 

 かはは、と高らかに笑いながら、岡田以蔵は走り出した。

 

『通信がジャミングを受けております!

 ……先輩……お気をつけて……』

 

 マシュの声が雑音交じりで聞こえ、ぷつりと途絶えた。

 それと同時に、がんっと首の後ろを強く叩かれる。

 

「……い、ぞう……さん」

 

 視界が狭まっていく。

 

「しばらく寝ちょき。

 最後にええ夢をみることやな」

 

 岡田以蔵の嘲笑うような声を最後に、藤丸立香は意識を消失した。

 

 

 

 

 




経験値先生は、大河ドラマ「真田丸」が絶対好きだと思う。
今回のイベントでも、早々に「真田は滅びるぞ」と出てきて大爆笑。
真田丸最高!再放送がほぼほぼ不可能になったことが悔しい!

と、いうことで、楽しく「オール信長総進撃」を進めています。
なぜ、このイベントが一か月前、もしくは、一か月後に開催されていなかったのか……
なお、本作にアヴァンジャーノッブの出演予定はありません。



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第四節
幕末土佐の快男児(1)


 

 

「あの白髪頭! わしを裏切ったな!!」

 

 叫び声と何かを蹴り飛ばす音で、立香は目を覚ました。

 壺が割れる音と荒い息。

 おそるおそる、瞼を開ける。まず最初に、金箔の臥間が目に飛び込んできた。次に割れた壺の破片。そして、その次に眼に入ったのは……

 

「ん? なんじゃ。起きちょったか」

 

 不満顔の岡田以蔵が見えた。

 黒いマフラーに顔を埋めながら、むすっとこちらを睨んでくる。

 

「……ここは?」

「二条第じゃ。そうじゃのう……おんしに分かりやすく言えば、この時代の二条城のことや」

 

 立香は修学旅行で訪れた世界遺産を思い出す。

 つまり、自分が訪れた二条城は豊臣時代に造られたのではなかったのかーと頭の片隅で考えながら、どうして、岡田以蔵が怒り狂っているのか考える。

 

「裏切られたとか言ってたけど……」

「黙っちょき! わしは出かけてくる」

 

 岡田以蔵は鼻息荒く、部屋から出て行った。

 

 一人になった部屋で、立香は状況を確認した。

 まず、両手を縛られている。足は自由だが、悲しいかな。床に座る体勢で柱に縄で括り付けられていた。これでは足が動かせても、手は柱の後ろだし、まるで意味がない。駄目もとで、もぞもぞと手首を動かしてみるが、まったくもってビクともしなかった。

 

「……はぁ……もっと、エミヤにしっかり習っておくべきだった……」

 

 立香は大きくため息をついた。

 カルデアには古今東西多種多様な英雄たちが集っている。一芸に秀でた英雄も多く、立香は自分の護身と、いざという時に戦う術を求めて、何人かの英雄に教えを乞うていた。

 その中でも未来から召喚された英雄――エミヤからは、簡単な魔術と護身術を習っていた。

 エミヤ曰く

 

『いかなる戦場においても、君は絶対に生き残らないといけない。そのためには、縄抜けくらいは覚えておいても損はないと思うがね』

 

 と言いながら、縄抜けのやり方を教えてもらった。

 これが、なかなか上手くいかず、縄を解くまでに数時間もかかってしまった。

 

「しかも、あの時より硬い」

 

 自力で脱出するのは、ほぼほぼ不可能だ。

 がっくり頭を下げたが、落ち込んでいても始まらない。少しでも、周囲の状況を確認し、逃げ出す術や今回の事件に関する情報を見つけなければ――!!

 立香はそう心に決め、横から部屋を眺めようとしたとき、ふと、隣に白い布が見えた。ほつれが目立ち、ぼろぼろと穴が開いている布には、とても見覚えがある。

 

「もしかして……山姥切さん?」

 

 立香がおそるおそる尋ねてみると、ゆったりとこちらを振り返る。

 

「……藤丸だったか? 無事だったんだな」

「無事というか、捕まっているというか……って、山姥切さんはどうしてここに?」

「……見ればわかるだろ」

 

 山姥切は不機嫌そうに俯いた。

 立香は一瞬首をひねったが、すぐに納得する。彼の腰にも縄が巻き付いていた。立香同様、柱に括りつけられている。どうやら、彼も岡田以蔵に捕まっているらしい。立香の視線が縄に向けられたことに気付いたのだろう。山姥切の声は、さらに一段階下がった。

 

「どうせ、俺は写しだ」

「いや、写しは関係ないと思いますよ?」

「ところで、加州は……いや、お前だけ捕らえられたのか」

「清光のことですから、無事だとは思いますけど……」

 

 立香の言葉がしぼんでいく。

 山姥切は何も話しださない。

 ただ、しんと静まり返った時だけが流れていく。合戦の音も、侍女が歩く音も、鳥の鳴き声すら聞こえない。異様なまでに静まり返っていた。生活音がまるでないというだけで、不安が圧しかかってくる。

 これほどまでに人の気配がしないというのは不気味である。

 歴史遡行軍にせよ、北条氏政にせよ、その背後にいる魔神柱にせよ、一体何を考えているのか。

 

「……駄目だ。まったく分からない」

 

 だいたい、人がいなければ政治はできない。

 二郎の話だと、遡行軍が京の都に残された人々に、なにか教えを広めているとのことだったが、活気もなければ生命力の欠片も感じない場所が首都なんて、立香には全く理解できなかった。

 

「それに、以蔵さんはどうして……?」

 

 立香が目覚めたのは、彼が暴れていたからだ。

 確か、誰かに裏切られたと叫んでいた気がする。

 

「以蔵? ああ、黒い襟巻の男か」

「山姥切さん、何か知っているの?」

「……いや、知らない。ただ、同田貫のような襟巻だったから覚えていただけだ」

「どう、たぬき?」

「質実剛健を掲げる刀剣男士だ。実戦刀であることに誇りを抱き、兄弟と常日頃から鍛錬に明け暮れている」

「ベオウルフや李書文先生みたいな感じの人かな? って、あれ?」

 

 立香は喉に小骨が刺さったような感覚に陥った。

 なんだか、変なところがあった気がする。

 

「どうした?」

「いや、どこか間違っていた気が……」

「なんじゃ、仲良うしゃべっちゅーな? ええ御身分やの」

 

 はっと顔を上げると、ちょうど岡田以蔵が戻ってきたところだった。

 深緑色の羽織に灰色の袴。そして、黒いマフラーで顔を隠し……

 

「あぁ!! それだ!!」

 

 立香は叫んでしまった。

 パズルのピースが、ぴたりと嵌ったような感覚が電流のように奔る。岡田以蔵はいきなり叫ばれ、少し動揺したのだろう。半歩後ろに引き、眼を丸くしている。

 

「な、なんじゃ?」

「以蔵さん! いつもの臙脂色のマフラーはどうしたの?」

「はぁ? 前からこの襟巻や」

「いや、違う。絶対に違う!」

 

 立香は断定する。

 これは、日本号という刀に英霊 後藤又兵衛を押し込んだように、同田貫という刀に岡田以蔵の霊基を無理やり押し込んだのだろうか。いや、それにしては、あまりにも外見が岡田以蔵だ。外見も、話し方も、裏切られて怒り出す性格も、立香のよく知る岡田以蔵そのものである。

 違うところは唯一つ、マフラーの色だ。

 

「マフラーだけ、オルタ化したの?」

「しちょらん!さっきから、何を馬鹿たことを……おんしゃ、頭は大丈夫か?」

 

 敵のはずなのに、岡田以蔵が気遣ってくる。

 立香は唸った。自分の記憶にある以蔵と違う箇所が、どうしても気になって仕方がない。立香が頭を悩ませていると、岡田以蔵はいつものへらっとした上から目線の表情に戻った。

 

「まあええ。ここで生かしちょけば、仲間が助けに来るろう。その時は、おんしらを人質に取り、手も足も出ん状況にしちゃる。自分たちのせいで仲間が苦しむのを、せいぜい楽しむとええ」

「……好きにしろ。どうせ、俺は写しだ。誰も助けに来ない」

「山姥切さん……」

 

 山姥切の纏う空気が、さらに降下する。

 

「はぁ? 助けに来ん? そがな馬鹿な?

 やったら、何のために浚うたのか分からんなるろ?」

「え? 北条氏政に喜んでもらうためじゃなかったの?」

 

 立香が指摘すると、うぐっと以蔵は言葉に詰まった。

 

「うぐっ、そ、それはええ!

 あの白髪頭が

『カルデアのマスターを殺さなかった点は良かったですけど、わざわざ浚ってくる必要は……。

 一人一人、彼女の周囲からサーヴァントと刀剣男士を引きはがす計画が台無しです。

 あなたは命令があるまで、二条第で大人しく控えてください。え? 理由? それはもちろん、彼女たちを助けに来たサーヴァントを返り討ちにするためです。

 だから、絶対に外に出ないでくださいね。いいですか、絶対ですよ!』

 と、ぬかしおって!

 わしは、そがな計画は聞かされちょらん! だいたい最初は、わしのことを頼りにしちょると言ってたじゃが!」

 

 岡田以蔵はだんだんとイライラして来たのだろう。

 言葉の節々から怒りの色が滲みだしてきている。

 

 サーヴァント 岡田以蔵。

 彼は人から馬鹿にされたり、裏切られたり、笑われることが大っ嫌いだ。その地雷を踏み抜いた白髪頭なる者を許すことが出来ないのだろう。きっと、同じ陣営にいなかったら、問答無用で斬り捨てていたに違いない。

 

「わしこそが、北条氏政様の一の家来、人斬り以蔵じゃったのに! あの、天草四郎時貞め!!」

「白髪頭って、天草四郎のことだったんだ……」

 

 以蔵の話を聞いているだけで、天草四郎の渋い表情が脳裏に浮かんでくるようだ。

 彼の話しぶりを聞いていると、よほど信頼されていないのが分かる。

 

「以蔵さん、仕事はしっかりやるのにね」

「『仕事は』は余計や!

 とにかく、おまんらは大人しくせえ。逃げ出たら絶対に許さん! まあ、絶対に逃げられんがな」

 

 そう言うと、岡田以蔵は再び部屋の外へ行ってしまった。

 もしかしたら、二条第の見回りに出かけたのかもしれない。与えられた仕事は完璧にこなす。粗雑に見えるが、そういうところはかなりマメな人である。

 

 

 こうして部屋には、立香と山姥切だけが残された。

 ずっしりと、重たい沈黙が部屋に流れる。立香は耐えきれなくなり、山姥切に話しかけることにした。

 

「あの……山姥切さん?」

「なんだ? 写しの俺に話しかけても、面白いことなどないぞ」

 

 卑屈っぽい回答に、立香は苦笑いをしてしまう。

 

「私、山姥切さんが偽物かどうか、気にしたことなんて一度もないよ」

「……それは、お前が刀剣について詳しくないからだ」

「確かに詳しくないけど……だけど、……ほら、ノッブが言ってたじゃん。『山姥切国広は堀川国広の最高傑作』だって!

 偽物とか、よく分からないけど、最高傑作なんだから、胸を張ればいいんじゃないかな?」

「なん、だと?」

 

 山姥切の青い瞳が、少し驚いたように見開かれた。

 

「それに、あなたは私のことを助けてくれた。

 本物か偽物か、そんなこと関係ない。

 右も左も分からなかった私を助けてくれたのは、あなた……山姥切国広だよ」

 

 今度こそ、上手く伝わるように、言葉を選びながら正直に思っていることを伝えた。

 偽物か本物かどうか、正直なところどうでもいい。

 肝心なのは、今、自分の目の前にいる山姥切国広が、自分の命を救ってくれた恩人であるということだ。

 

「前にも言ったけど、山姥切国広さん。助けてくれてありがとう」

「――ッ!」

 

 白い布越しでも、山姥切の顔が赤らめていくことが分かった。

 

「ほー、おんしゃ、なかなかええこと言うのう!」

 

 そんな声と共に、天井から誰かが降ってくる。

 土佐弁に警戒し、身を固くしたが、すぐにそんな必要はなかったと悟る。

 

「なんや? 清光はおらんのか?」

「おまえは――!?」

 

 山姥切が目を見開く。

 そこにいたのは、太陽のような人だった。

 朝陽の昇る様にも似た、眩しい笑顔を浮かべ、刀を携えた快男児が堂々と佇んでいた。

 

 

「『かるであ』の『ますたー』か? んじゃ、自己紹介せんとな。

 わしは陸奥守吉行。坂本龍馬の刀で、審神者に顕現された刀剣男士ぜよ!」

 

 

 

 

 



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幕末土佐の快男児(2)

「陸奥守、吉行?」

「そうや。陸奥守吉行、坂本龍馬の刀ぜよ!」

 

 陸奥守は、にかっと朗らかに笑った。

 

 彼は、これまで見た刀剣男士たちと毛色が違った。

 朱色の着物をはだけさせ、綺麗に割れた筋肉を見せつけている。焦げ茶色の髪も後ろで適当に結んだ感があり、どことなく豪快な性格を匂わせていた。

 実際、こうして対峙しているだけで、明るくて快活なオーラを全身から放っているようである。

 カルデアの坂本龍馬は身なりも礼儀も正しく、白いスーツを着こなしており、正直……少し胡散臭い。陸奥守とは正反対の印象を受けるが、親しみを持ちやすいという点では、近しいものを感じた。

 

「おんしゃ、名前は?」

「あ、藤丸です。藤丸立香。よろしくお願いします」

「よろしゅうな、立香! ところで、清光があんたを助けて残ったはずやけど……」

「清光は無事です。ただ、以蔵さんに浚われてから、離れ離れになってしまったので……」

 

 立香が正直に言うと、陸奥守は納得したように頷いた。

 

「なるほど。やき、捕まっちゅーのか!」

「……陸奥守、なぜここが分かった」

 

 山姥切が静かに尋ねる。

 陸奥守は刀を抜きながら

 

「本丸を出立して、こっちに着いたら誰もおらん。

 仕方なしに京の町をふらふら歩いちょったら、遡行軍がやけに集まっちゅー場所があった」

 

 と、教えてくれた。そのまま刀を構え、さくっと山姥切と立香を縛る縄を切り捨てる。

 

「これでも、偵察と隠蔽には自信があってのう。そんで忍び込んでみたら、山姥切らがおったちことだ」

「なるほど……」

 

 立香は立ち上がりながら、まじまじと陸奥守を見た。

 独断と偏見だが、刀を掲げて「正面突破ぜよー!」と走り出しそうな人物だと思っていた。だが、どうやら、偵察と隠蔽に自信があるのは確かなようだ。現に以蔵に気配を察知されず、ここまで潜入することは並大抵の技ではない。

 さすがは、坂本龍馬の使っていた刀である。

 

「ん? わしの顔に何かついちゅーか?」

「いえ、龍馬さん……えっと、カルデアで召喚した坂本龍馬さんが探偵業をしていたことを思い出しまして」

 

 カルデアの坂本龍馬も調べものをしたり、潜入調査をしたりすることが得意だった。

 もちろん、シャーロック・ホームズほどではないが、探偵業が板についている。帝都の異変が片づいた後も、カルデアの自室に探偵事務所を開き、サーヴァントたちのいざこざを解決する姿が見られた。

 

「あの龍馬が探偵をしちゅーのか。いやー、まっこと面白いことを聞いたぜよ!」

「陸奥守。話は後だ。見張りが戻ってきたら不味い」

 

 山姥切も手首を擦りながら立ち上がっていた。

 彼は近くに立てかけられていた刀を手に取り、腰に差している。

 

「よし。そんじゃあ、外に出るかの」

 

 陸奥守がそっとふすまを開け、廊下の様子を確認する。陸奥守の背中に続くように、立香と山姥切が部屋を出る。廊下は縁側のようで、すぐ右手側には枯山水の庭が広がっていた。白い砂利石は見事な渦巻き模様を描き、一見すると手入が行き届いているように見えた。

 けれど、よくよく目を凝らしてみれば、石の合間に雑草が伸びてきている。

 

「……庭の手入れもされていないし、人が誰もいない……」

 

 陸奥守が行く手に誰かいないかどうか、確認しながら進んでいる。とはいえ、それにしても京の町同様、人の気配がなさ過ぎた。立香が呟くと、山姥切がこくんと頷いた。

 

「嫌な空気だ」

「……北条氏政と魔神柱は、何を考えているんだろう?」

「まじん……ちゅう?」

「ソロモン王の使い魔で……えっと、簡単に言えば、私が倒し損ねた敵です。どうやら、聚楽第の意変に関わっているみたいなんです」

「そろもん王か!」

 

 陸奥守がほうっと声を上げる。立香はびっくりして、目を丸くしてしまった。まさか、刀剣男士がソロモン王のことを知っているとは思いもしなかった。だが、考えてみれば、陸奥守は坂本龍馬の愛刀だ。海外の知識に興味を持ち、色々調べていても不思議ではない。

 

「陸奥守さん、知っているんですか!?」

「いや。まったく分からん!」

「あ……そう、ですか」

 

 ずっこけそうになる。

 この場に信長がいれば、鋭いツッコミを放っていたかもしれない。心なしか、山姥切もじとりと湿った視線を陸奥守に向けていた。

 

「……陸奥守」

「だが、これで分かったことがある」

 

 陸奥守は周囲に目を奔らせながら、静かな声で話し出した。

 

「わしらは魔神柱を知らん。つまり、これまで、関わり合いが一切なかった存在が、遡行軍を呼び出しちゅーということや。

 魔神柱以外にも黒幕がおるか、もしくは、そいつの特殊能力で遡行軍を呼び出し、操っちゅーってことになる」

「藤丸。魔神柱には特殊な力があるのか?」

「うーん……」

 

 立香は唸った。

 魔神柱は全部で七十二体。人理修復後に興味がわき、使い魔を一体一体調べてみたが、似たような能力が多かったことに加え、名前も覚えにくく、大変気が遠くなるような作業だったので、途中で棚に上げてしまった。

 

「一体一体違うから、ここの魔神柱がどんな力を持っているのか分からない」

 

 仕方ないので、正直に答える。

 陸奥守にがっかりされるかと思ったが、彼は太陽のような笑顔を浮かべ続けていた。 

 

「そんなら、仕方ないき。探偵の龍馬を真似て、地道に情報を集め、謎を解こうぜよ」

「……うん!」

「ところで、陸奥守」

 

 山姥切が思い出したように口を開いた。

 

「なぜ、天井裏に潜んでいた?」

 

 山姥切の発言に、陸奥守はきょとんとした顔になる。

 

「天井裏?」

「確かに、上から降ってきましたね」

 

 岡田以蔵が退出したところを見計らったように、陸奥守吉行は降りてきた。

 はてさて、彼は一体どうして、天井裏を進んでいたのか。

 

「あー……それはじゃのう」

 

 陸奥守が思い出したかのように頬を掻いた。

 

「さっきも話したろ? ここに遡行軍が多う集まっちゅーき、忍び込んでみたと」

「はい。偵察と隠蔽に自信があったから、ここまで来れたと」

「うむ。だが、肝心な二条第に忍び込むときに気付かれてな。遡行軍を切っても切っても、まるで埒があかん。

 やき、隙を見て天井裏に隠れたんや」

「……待て、陸奥守」

 

 山姥切は足を止めると、堅い口調で糾弾する。

 

「つまり、遡行軍は忍び込んでいることを知っているのか?」

「うむ、そうなりなさんな!」

「ということは……」

 

 立香の胸に嫌な予感が過る。

 たぶん、同じことを山姥切も思ったのだろう。互いに顔を見合わせ、ほぼ同時に陸奥守を睨み付けた。

 

「こんな堂々と歩いていいのか!?」

「今からでも、天井裏に戻るのはどうでしょう!?」

「いや、そう考えたけんど、あそこは狭いうえに埃っぽうてかなわん。1人伏せて行軍するのがやっとの場所や。

 わし1人なら逃げようがあるけんど、3人まとめて襲われたらお終いや」

 

 確かに正論である。

 言い返すことはできないし、悪気の欠片もない無邪気な顔で言われたら、怒るに怒れない。山姥切も呆れたように息を吐くと、そっと己の刀に手を添えた。

 

 だから、岡田以蔵は何度か退出をしたのだ。

 遡行軍から侵入者がいると聞き、二条第を見回るために。

 

「まあ、つまり、や。見回りの数が多うなったのは……わしのせいや。

 まっことすまん!」

「いや……陸奥守さんのおかげで助かりました。陸奥守さんが来なかったら、私たちは捕まったままでしたし……」

 

 立香は嘘偽りなく答える。

 おそらく、見回りの数が増加されたことについては目を瞑る。彼が潜入してくれなかったら、今も柱に縛られたままだった。

 

「いやー、そう言うてもらえて、嬉しいぜよ!」

「……笑っている場合か」

 

 山姥切が刀を引き抜いた。

 

「来るぞ」

「分かっちょるき」

 

 陸奥守も懐に左手を入れると、黒々とした拳銃を取り出した。気が付けば、周囲が異様な空気に包まれている。息を潜めて何かが様子を窺っているような、ぴりぴりと肌を刺す殺気を感じた。

 

「もしかして」

「囲まれてた終わりじゃ……気をつけぃ!」

 

 陸奥守が立香たちに呼びかけたのと同時に、真横の臥間を蹴り倒すように遡行軍が現れた。虫のような足が生えた鬼や笠を被った鬼、短刀を加えた虫のような鬼が襲い掛かってくる。全身、殺気の塊みたいな悪霊だ。立香は気を引き締める。

 

「行くぞ」

「おんしゃは、後ろに控えとき」

 

 陸奥守と山姥切が、遡行軍に斬りかかる。

 彼らが接近すると、虫のような鬼が尻尾を二人に向ける。瞬間、骨が連なったような尻尾から銃弾が連射される。

 

「あれって!?」

「安心しろ。ただの銃兵だ」

 

 山姥切は銃弾の雨を平然と掻い潜りながら接近し、銃のような鬼を一刀両断する。

 

「銃の使い方なら負けんぜよ!」

 

 陸奥守は銃を構える。笠を被った鬼が彼に迫り、刀を振り下ろしたが紙一重で避け、その頭に銃口を突き付ける。

 

「よぉ狙って……ばん!」

 

 銃声が響く。

 鬼は頭を撃ち抜かれ、後ろ向きに倒れる。陸奥守は鬼が完全に倒れる前に、右手で刀を引き抜くと、その後ろにいた幾本も足が生えた鬼を切り殺す。

 

「山姥切、立香。このまま先へ進むぜよ!」

「分かった」

「は、はい!」

 

 山姥切と陸奥守が刀を振り、道を切り開いていく。

 最初に遡行軍側が放った銃声のせいで、うようよ有象無象の遡行軍が前方に集まってきていた。立香は二人が戦う後姿を見ながら、非常に歯がいなさを感じた。

 

「せめて、私が戦えたら……」

 

 令呪が宿る右手の甲を握りしめる。

 使える技はガンド。あとは、せいぜい回復させたり、矢避けの加護を授けたりくらい。メディアやキャスターのクー・フーリン、エルメロイ二世が魔術の基礎を教えてくれたが、実際に戦闘で使えるのはそれだけだ。

 

「せめて、下総の時みたいに特別な礼装を持っていたら……」

 

 あの時は、キャスター・リンボによって弱体化された武蔵を「イシスの雨」で救うことが出来た。

 残念ながら、今は替えの礼装はなく、簡易的なカルデア制服だ。特別な技を使えない。いつも、マシュやサーヴァントたちの戦いを見守ることしかできなかった。

 今回も同じ。

 山姥切や陸奥守の戦いを見守るだけ――……。

 

「……あれ?」

 

 陸奥守たちが切り開いた道を走りながら、ここで初めて違和感を覚えた。

 何かを忘れている。

 今まで使いこなしていたはずの、なにかを忘れている。

 

「――ッ、藤丸!」

 

 山姥切が叫び声で、現実に意識を戻す。

 彼が仕留め損ねた足の多い鬼が、立香に接近して来た。指先を向けて、ガントを放とうとするが、狙いが上手く定まらない。立香は後ろに下がろうとして、背後からも遡行軍が迫ってきていることに気付いた。前方にも後方にも敵。前方は刀剣男士たちが道を切り開いてくれるが、後方からもじりじり攻めてくるつもりのようだ。

 

「うわっ!」

 

 立香は足の多い鬼の攻撃を頭を下げてかわした。

 橙色の髪が数本、刀で切り取られる。次の攻撃は避けられる自信がない。山姥切も陸奥守も自分の受け持つ遡行軍に精一杯で、ジル・ド・レェの時みたいに岩融が助けに来ることはありえない。

 ここは完全なる敵地。

 もう、生き残る術は絶望的だ。

 手の施しようのなく、逃げ道のない絶望に、視界が一段階、暗くなった気がする。

 

「私……」

 

 拳を握る。

 こんなところで、何もできずに諦めていいのか?

 

『さあ――……行ってきなさい、立香』 

 

 懐かしい人の声が耳の奥で蘇る。 

 自らを犠牲にし、人類悪を滅ぼすことを託してくれた人。

 人間の、立香とマシュの可能性を信じ、後を託していった人。ちょっと頼りなかったけど、一緒にいると落ち着いて、たまにバカ騒ぎをして、最大限のバックアップをしてくれた……とっても、とっても、大好きな人。

 

 ああ、あの人は、自分を信じて送り出してくれた。

 

「そうだ……私は……」

 

 まだ、戦える。

 もう、くじける訳にはいかない。

 

 立香は立ち上がる。

 二画の令呪が赤く輝き、身体が内側から燃えるように熱くなる。前方に迫ってくるのは、足が多い鬼と、太刀を握りしめた角の生えた大きい鬼。どちらが先に首をとれるか、競うように迫ってくる。

 立香は、その鬼たちに向かって、右手を突き出した。

 

「来い……ッ!!」

 

 なんで、今まで忘れていたのだろうか。

 確かに、どの特異点でも、立香は戦いを見守る立場だった。実際に自分の拳で戦い抜いたことはなく、マシュの盾やサーヴァントたちに守られていた。

 

 だが、それだけか?

 否、それだけではない。

 

 これまで契約した英霊を呼び出して、皆の援護をしていたではないか!!

 

「セイバー!!」

 

 立香の令呪から一筋の煙が立ち昇る。

 白い煙の中から伸びだした腕が刀を握りしめ、間近に迫った鬼を撫で切った。

 

「立香!?」

「陸奥守さんたちは前をお願いします」

 

 煙から現れたのは、静かで落ち着いた雰囲気の老人だった。

 刀を払い、後方から迫りくる遡行軍を一瞥している。

 

 サーヴァント、セイバー 柳生但馬守宗矩。

 

「しんがりは、こっちでなんとかしますから!」

 

 立香の声が二条第を貫く。

 その言葉を合図に、セイバーは遡行軍に斬りかかった。

 

 もう守られているだけの存在ではない。

 これで、少しでも援護することが出来る。

 

 立香は二人が切り開いた道を走りながら、ここからが本番だと強く感じた。

 

 

 

 



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幕末土佐の快男児(3)

「……っと! これで、最後の一人ぜよ!!」

 

 陸奥守が角の生えた鬼を一刀両断する。

 鬼は切り口から黒い砂のように崩れ、他の遡行軍同様、消えていった。

 

「終わった……?」

 

 10分ほどだろうか。

 なんとか、遡行軍たちはすべて倒し切ることができた。

 陸奥守も山姥切も肩で息をしている。立香も廊下に座り込み、ふぅーっと息を吐く。いくら背後をサーヴァントに任せていたとはいえ、後ろを確認しながら、前方の2人に喰いつくように走るのは、かなり難しく、息が切れそうになった。

 

「山姥切も立香もお疲れさん。いやー、まっこと、しんどかったぜよ」

「藤丸。さっきのアレは何者だ?」

 

 山姥切が不思議そうに尋ねてくる。

 

「すみません……私も良く分からないです。カルデアで召喚して、契約しているサーヴァントを一時的に影として召喚している、みたいな感じだと思う」

 

 先ほどまで共に戦ってくれていた、柳生宗矩は戦闘を終えると消失した。

 こちらからの指示を聞き、自ら考え行動しているが、詳細な会話をすることはできない。事実、柳生宗矩は何も語ることなく、戦闘に専念していた。

 令呪で呼び出した、というわけではない。契約したサーヴァントの影を、令呪という契約の証を通して召喚したというべきなのだろうか。

 この辺りの仕組みは、いまいち上手く説明できない。

 

「つまり、かるであにいる英雄の写しか?」

「うーん……そうなるのかな?」

「常に召喚できちょったら、ちくっとした軍隊になるが……無いものねだりはやめちょこう。

 次の一団が来る前に、脱出せんといけんな」

 

 陸奥守は大きく腕を掲げ、伸びをする。

 とりあえずの窮地は脱することが出来た。しかし、彼の言う通り、外から応援がやってくるかもしれない。その前に、なんとかして外に出る必要があった。

 

「このまま正面突破するんですか?」

「これ以上、戦うのは疲労がたまる一方や。やき、抜け道を探す」

「抜け道?」

「こういったお偉いさんが集まる場所には、たいてい抜け道があるもんじゃき。かるであには、ないんか?」

 

 陸奥守が尋ねてくる。

 立香は少し考えたが首を横に振った。

 

「ないと思います。カルデアは吹雪がやまない山の頂上だから……」

「んじゃ、逃げるときは、格納庫のハッチから船で滑り降りるって感じになりそうやな」

「いや……さすがに、それは無いですよ」

 

 立香は手を振った。

 だいたい、カルデアが何者かに襲われることも想像できない。

 カルデアには古今東西の英雄たちが待機しているわけだし、仮に、時計塔上層部の命令で彼らが退去することになっても、天才キャスターのダ・ヴィンチは残るはずだし、実際に立香が召喚したわけではなく、勝手についてきたホームズも残りそうだ。

 最終的には……頼れる後輩がいる。

 攻め込む相手が英霊やそれに髄する者を率いていない限り、カルデアは滅びない。

 だから、カルデアが壊滅するなんて、そこから逃げ出さないといけなくなるなんて、立香には到底、考えられなかった。

 

「おい、あれを見ろ」

 

 山姥切が庭の隅を指さす。

 井戸の脇から、狸がひくひくと鼻を嗅いでいる。山姥切が近づくと、狸はびっくりして井戸の中に潜り込んでしまった。

 

「たぬき?」

「ほー、さすが山姥切や。ええ所に目をつけりなさんな!」

「えっと、どういうことですか?」

 

 陸奥守が意気揚々と井戸に駆けだした。立香もその後を追いかける。

 

「そうじゃの。この場所で、狸を飼うちゅー思うか?」

「ない、と思います」

 

 聚楽第ほどではないとしても、政治に関する場所で、狸は飼わない。

 貴人が犬や猫、小鳥を愛でる話はあるが、狸を愛でるなんて聞いたこともない。

 

「そうやろ? やき、つまりは……」

 

 陸奥守は狸が消えていった井戸を覗き込み、立香と山姥切も続いて覗き込んだ。

 井戸の奥に水はなく、二階分ほど降りたところに土がたまっていた。先ほど、ここに逃げ込んだはずの小動物の気配は、全く感じられない。

 

「この枯れ井戸は、外に繋がっちょるわけぜよ」

 

 そう言うと、陸奥守は躊躇いもなく飛び降りた。彼は猫のように跳躍し、ほとんど音を立てることもなく地面に降り立つと、手を挙げて「とべ」と合図をしてくる。

 

「先に飛び込め」

 

 山姥切が促してくる。

 立香は井戸の木枠から乗り出すと、眼下で手を開く陸奥守を見下した。一瞬、恐怖で胃が縮みそうになる。だけど、よく考えてみれば、新宿の時なんて、高層ビルが点に見えるくらい遥か上空にレイシフトし、パラシュートなしの急降下ダイビングをした。

 それに比べたら、どうってことがない。

 立香は、えいっと木枠を蹴って、空に飛び出した。ぎゅっと歯を食いしばって衝撃を覚悟したが、あっと思う間もなく身体は陸奥守の腕の中にすっぽり収まっていた。

 陸奥守は立香を抱き留めるや、すばやく井戸の奥に続く通路に歩きだした。すたっと後ろから山姥切が降りてくる音が聞こえる。

 

「ここからは、よっぽどのことがない限り、しゃべるのはいかん。

 声が響くし、出入り口に敵がおったら、バレてしまうきな」

 

 陸奥守は囁きながら、立香を降ろした。人が一人通れるのがやっとの道だ。立香でさえ、腰をかがめなければいけないほど天井が低い。

 

「わしの袖を握っちょき。絶対に離れんようにのう」

 

 陸奥守は自身の着物の袖を握らせると、奥へと進み始めた。

 灯りもない道は、新月の夜より暗い。どんなに進んでも闇に眼が慣れず、そのくせ、後ろから何かが迫ってくる気配だけは敏感に感じる。もちろん、山姥切だと分かり切っているが、息が詰まりそうだ。陸奥守の袖を握っていなければ、先に進む気力まで奪われていたかもしれない。果てしなく闇の中で、誰かと一緒に進んでいるということは、心の中にぽかっと火が灯るような感じがした。

 

 どれくらい歩いたことだろう。

 何時間も歩いた気もするし、本当は数十分程度だったかもしれない。

 徐々にぼんやり明るくなり、目の前の朱色の着物が薄ら見えてくると、感嘆の声が出そうになった。それを必死で堪えながら、出口に向かって歩き出す。 

 

「………」

 

 前方に、上から光が差し込む場所がある。

 陸奥守は歩みを止め、

 

「ちょっと、確かめてくるき」

 

 と囁くと、そっと立香の手を外し、灯りの方へ歩き出す。

 慎重に灯りの中へ進み、軽々と跳びはねた。足がゆっくり上へと消えていき、なにかを開けるような軋む音が聞こえる。

 ここで、敵が待ち構えていたら、おしまいだ。

 逃げ道はなく、この狭い場所では英霊召喚しても戦えるとは思えない。息を飲んで、陸奥守を待つ。

 そして――……

 

「大丈夫やき。ほれ、立香」

 

 と、太陽のような笑顔で覗き込んできた。

 その笑顔に肩の荷を下ろすと、彼の堅い手を取った。ぐぃっと思いっきり持ち上げられ、どこかの狭い扉から身体が外に抜き出される。

 

「いやー、なんとかなったぜよ」

 

 彼は肩を回していた。

 立香は自分が出てきた扉を振り返る。そこは、真新しい木戸の付いた小さな祠だった。お地蔵さんが入っていそうな祠から、山姥切が這い出てくる。ずっと暗い土の道を進んでいたせいか、白い布はところどころ茶色に汚れてしまっていた。

 布が白いだけあり、とても目立っている。

 立香が見ていることに気付いたのか、山姥切は何でもないことのように

 

「多少汚れているくらいが、ちょうどいい」

 

 と呟いた。

 

「そんだけ汚れちょったら、歌仙に布を剥ぎ取られるのう。

 『また、こんなに汚して! その汚れは僕の美学に合わない!』とな」

「俺はこれで構わない。

 ……入口から見えそうな範囲だけだが、足跡は消した。後を追って来る気配もない」

「いつの間に!?」

 

 立香は少し驚いたように山姥切を見た。

 彼はふいっと顔を逸らし、フードのように被っている布を目元まで降ろした。

 

「あの程度、刀剣男士なら誰にでもできる」

「がっはは。山姥切は器用ぜよ」

 

 陸奥守は楽しそうに笑っていた。

 立香は周囲を見渡した。今出てきた祠以外、特別に際立つ建物は見当たらない。祠の前は家一軒分ほどの砂利の広場だが、両隣は普通の家が建ち、眼前の通りの向こうにも家々が並んでいる。

 

「とりあえず、ちくっと歩いてみようか」

 

 陸奥守が歩き始めた。

 立香もその後に続いて歩き出そうとした、その時だった。

 

「――ッ、避けろ!」

 

 山姥切に突き飛ばされる。

 あまりに突然のことだったので目を見開いて、よろめきながら振り返る。山姥切の白い布が大きく切り裂かれ、ゆっくり倒れていく。

 

「山姥切!?」

「わしは逃げるな、と言っちょったき。おまんら、わしを裏切ったな」

 

 髪をポメラニアンのように結び、黒いマフラーに顔を埋めた侍――……人斬り 岡田以蔵が立っていた。

 山姥切は以蔵の足元に倒れ込むと、呻きながら

 

「遡行軍の気配はないのに、なぜ……」

 

 と呟く。

 確かに、この周囲に遡行軍の気配はない。もし、遡行軍が待機していたら、陸奥守が気づいていたはずだ。岡田以蔵はアサシン特有の「気配遮断スキル」で隠れていたのだろうが、遡行軍の気配までは消せないはずだ。

 

「あん? そこう軍? あの連中の力を借りんども、わしは一人で敵を倒せる」

「……でも、以蔵さんは二条第から出ちゃダメって……」

 

 立香が指摘すると、以蔵は少し言葉に詰まった顔になった。が、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

 

「う、うるさい! これは、仕方のうことやき。他の奴らに連絡しちゅー暇があったら、わしが出口で待ち伏せしちょった方が、ずっと早い!」

 

 この反応。やはり、いつもの岡田以蔵である。

 味方なら微笑ましく思えるが、今は敵。しかも、彼は山姥切を斬った。立香はいつでもサーヴァントを召喚できるように魔力を回し始める。

 

「おっと、動くなよ。刀一本でも動かしたら……」

 

 以蔵は刀を山姥切の首元に押し付ける。

 

「さあ、刀を捨てるぜよ! かるであのマスターは人間! 刀剣男士も刀がなけりゃ、ただの人やき!!」

 

 彼は高らかに笑った。

 立香は唇を噛む。敏捷性の高いアサシンやライダーを召喚することが出来れば、山姥切を助けることが出来るかもしれない。ただ、岡田以蔵は人斬りだ。ああ見えて、相当予想外のことが起きない限り、冷静に対処してくる。立香がサーヴァントを召喚している間に、山姥切の首を切り落としてしまうかもしれない。

 

「俺のことは、気にする……な」

「黙っとれ、布男」

 

 山姥切が掠れた声で呼びかけてくるが、以蔵は一切の躊躇いもなく、山姥切の左腕を突き刺した。

 

「……仕方ない」

 

 陸奥守が静かに呟いた。

 立香は目を剥いた。彼は刀を抜かず、鞘のまま前に差し出したのだ。そのまま、手を放す。陸奥守の本体はゆっくりと落下し、じゃりっと音を立てて地面に転がった。

 

「陸奥守さん!?」

「……これで仲間を助けられるなら、安いもんや」

「ははっ! いい気味じゃき! 刀剣男士も刀がなけりゃ、手も足も出ん!!」

 

 岡田以蔵は愉快そうに笑った。

 

「さて……そこの2人は生かすように言われちゅーが、きさんは別や」

 

 以蔵は山姥切の腕から刀を引き抜くと、刀を捨てたばかりの陸奥守に狙いを定める。

 

「死に晒せ!!」

 

 以蔵が地面を蹴る。

 陸奥守めがけて、一気にに跳躍する。立香の真横を風のように通り過ぎ、陸奥守に放たれたばかりの矢のように接近した。

 陸奥守は以蔵を鋭く見据えると、腹を庇うように左手を懐に入れる。否、庇うのではない。左手は素早く懐から黒い塊を引き抜いた。

 彼は間近に迫った人斬りに照準を定め、銃の引き金を引いた。

 

「そこやき!」

「な、何じゃ!?」

 

 間一髪、以蔵は身体を反らすように躱したが、銃弾は頬を掠めた。以蔵は後ろに後退し、頬についた血を拳で拭く。

 

「馬鹿な。刀の付喪神が、なして銃なんぞ使っちょる!?」

「わしの元主・坂本龍馬がよう言うとったわ」

 

 陸奥守吉行は白煙昇る銃口を以蔵に向けたまま、挑戦的に口の端を持ち上げた。

 

「これからの時代は拳銃ぜよ、との」

「りょーま、やと?」

 

 以蔵の黄色い双眸が細められる。

 

「きさん、わしを売った裏切り者の刀か!!」

 

 以蔵は叫ぶと、鬼気迫る表情で踏み込んだ。

 

「完膚なきまでに折っちょるぜよ!!」

「折られるわけには、いかんき」

 

 陸奥守は口元の笑みを浮かべると、すぐさま足元の刀を拾い上げ、以蔵の一刀を鞘の上から防ぐ。

 

「今の主が、わしらの帰りを待っちょるからの!」

 

 陸奥守は明るく宣言すると、以蔵を押し返した。そのまま鞘を抜き払い、右手に刀を、左手に銃を構え、以蔵に狙いを定める。

 

「……きさんがそのつもりなら、わしも本気で相手にしてやるき!!」

 

 岡田以蔵は目を血走らせながら、まっすぐ陸奥守に向かっていた。

 その刀裁きに一貫性はない。

 岡田以蔵は、一度見た剣はそのまま真似することが出来る。誰よりも剣を使いこなし、敵を翻弄するのだ。ただ、心なしか、北辰一刀流の剣戟が多いように感じるのは、陸奥守が坂本龍馬に由来する刀だからかもしれない。

 

 立香は山姥切の傷を回復魔術で癒しながら、2人の戦いを見守った。

 

「……なぜじゃ!」

 

 以蔵は眉間に皺を深く刻んだ。

 

「なぜ、わしの太刀筋について来れる!?」

 

 以蔵が叫んだ。

 初見の敵は、岡田以蔵の常に変容する剣戟を見切ることは難しい。あの李書文ですら、対応するまでに少し時間がかかった。

 ところが、陸奥守は、以蔵の変化し続ける太刀筋に適応していた。刀筋を見切り、振り下ろされる前に防いでいる。今も陸奥守は以蔵が突き出した刀を下から払いのけ、そのまま横に撫で切っていた。

 

「……ッ!?」

 

 以蔵はすぐに刀を返したが、羽織の袖に綺麗な線が入る。彼は数歩後ろに下がると、動揺を隠せない顔で陸奥守を見返した。

 

「なんや、この強さは!? 刀風情が、わしの剣を防ぐじゃと!?」

「わしは古株やき。打刀では、加州清光に次いで2番目に顕現されたきな! そう簡単に――……」

 

 陸奥守は砂利を踏み込んだ。

 

「負けはせん!」

 

 動揺する以蔵に接敵する。

 以蔵は防ごうとするが、彼の勢いに対応できない。陸奥守は右手を大きく掲げ上げ、岡田以蔵の身体めがけて刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 







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幕末土佐の快男児(4)

 陸奥守は刀を振り降ろした。

 彼の一太刀は、岡田以蔵の身体を一閃した。そのまま下段から以蔵の手元めがけて振り上げ、器用に刀の鍔に切っ先をぶつける。

 

「これで、終いじゃき……!」

 

 陸奥守は岡田以蔵の刀を吊り上げるように、思いっきり自身の刀を掲げ上げた。

 先程の彼が繰り出した一閃で、以蔵は少し握りが甘くなっていたに違いない。以蔵の手から刀はするりと抜け、高らかに回転しながら宙を舞う。

 陸奥守は悠々と彼の刀をキャッチし、以蔵から距離を置いた。

 

「そん、な、馬鹿な」

 

 以蔵はふらふらと後退する。

 陸奥守の攻撃は見事だったが、彼の一閃は以蔵の身体まで届いておらず、マフラーや服を切り裂くだけに留まった。

 

「惜しい!」

「いや、これでええ」

 

 陸奥守は口元を綻ばせた。

 

「おまんは、龍馬の友人じゃ。切り殺すなんぞ、出来る訳ないぜよ」

 

 陸奥守は銃を懐にしまい、自身の刀を鞘にしまった。

 立香はぽかんと呆けたように口を開け、陸奥守吉行をまじまじと見てしまう。

 カルデアの坂本龍馬も心が広い。

 帝都の時、岡田以蔵が龍馬に対して恨み言を吐き、「今すぐにここでぶった斬る」と言った際には、「それで以蔵さんの気が済むならいいよ」彼の一撃を避けることなく受けていた。その場に居合わせだ誰よりも、龍馬を切った本人が一番動揺したのは、また別の話である。

 

「友人、やと?」

 

 今回も、その時と状況が似ていた。

 立香同様、以蔵も陸奥守の浮かべる朗らかな笑みに動揺している。微笑みだけだと、嘘だと思うかもしれない。しかし、彼の表情、声色、そして、身にまとう雰囲気……そのすべてが、嘘偽りない本心だと伝わってくる。

 

「あいつのせいで、わしは惨めに打ち首じゃ! 絶対に許さんぞ!!」

 

 以蔵は動揺を押し殺し、怒るように吼える。

 その拍子に、すでに切れていたマフラーが地面に落ちた。岡田以蔵は糸が切れたようにくらりと揺れ、地面に片膝をつく。陸奥守は申し訳なさそうに笑った。

 

「……ありゃ、浅く打ち込んだつもりじゃったが……?」

「以蔵さん!?」

 

 つい、立香は反射的に叫んだ。

 敵対サーヴァントなのに、どうしても放っておくことが出来ない。だから、ついつい気軽に突っ込んだり、こうして心配したりしてしまう。

 先ほどまで鋭かった瞳はとろんと蕩け、すうっと波が引いていくように、いつもの眼に戻った。

 

「……はっ!? わ、わしは、いったい何を……」

 

 以蔵は慌てたように辺りを見渡し、立香を視止めると、少し安堵したように息を吐いた。

 

「マスター……マスターか! こんなとこで何しとるき?」

「以蔵さん? え、以蔵さん?」

 

 立香は目が点になった。

 つい数秒まで敵対していたのに、いきなり馴れ馴れしくしてくる。これも罠なのか、それとも……

 

「……藤丸。あれを見ろ」

 

 立香が思い悩んでいると、山姥切が以蔵の足元を指さした。

 そこには、臙脂色の木綿マフラーが二つに分かれて落ちていた。陸奥守が切り落とす瞬間まで黒々としていたはずなのに、いつもの色に戻っている。これは、一体どういうわけなのか。

 

「ところで、ここはどこじゃ? なんか、京っぽい空気しちょるが……」

「うん、京都だけど……えっと、本当に以蔵さん?」

 

 立香は混乱した。

 令呪に神経を集中すれば、確かに、目の前の岡田以蔵とパスが繋がっていることが分かる。

 

「はあ? わしは、わしじゃき。おまん、頭がおかしくなっちょったか?」

「以蔵さんに言われたくない。でも、どうして……?」

 

 目の前の岡田以蔵と、契約を結んでいるのは事実だ。

 

「なんやき? 本当に知り合いやったか?」

 

 陸奥守が立香と以蔵を交互に見てくる。

 以蔵は陸奥守を不思議そうな表情で見返した。

 

「おまんの話し方……まさか、同郷か?」

「一応、さっき自己紹介したはずじゃが……こりゃ、すっかり忘れとるの」

「記憶力が悪いのか?」

「そこの白布、わしを馬鹿にしたな!」

 

 岡田以蔵が刀を引く抜こうとし、そこに愛刀がないことに気付く。

 

「マスター! わしの刀はどこじゃき!?」

「うーん……これは……」

 

 記憶喪失、か。

 立香が考えていると、軽快な電子音が聞こえた。それと共に目の前に青い画像が現れ、マシュの姿が投影される。

 

『先輩っ! よかった、無事でした!』

「マシュ!」

『モニターでステータスは把握していたので、無事であることだけは確信できていたのですが……』

「なんじゃこれは!!」

 

 マシュの言葉を遮るように、陸奥守がはしゃいだ声を上げた。

 

「立香! これは、どういう仕組みぜよ?」

 

 彼は目を輝かせ、興味津々で通信が面を覗き込む。

 

『カルデアの通信装置ですが……あの、先輩。そちらの方は……?』

「わしは陸奥守吉行じゃ!」

『ほう、坂本龍馬の刀だね。ところで、失礼。立香ちゃん、後ろにいるのは……』

 

 ダ・ヴィンチの視線が岡田以蔵に向けられる。

 

『いま、通信して大丈夫かい?』

「うーん……さっきまで戦闘していたんですけど、いきなり正気に戻ったというか、なんというか……」

「わしが、マスターと戦闘? 冗談抜かせ。わしは龍馬と違う。わしはマスターを裏切らん!」

 

 以蔵は少し怒ったように話し出した。

 

『ふむ……では、以蔵君。君はどうして、そこにいるのかな? 立香ちゃんと一緒にレイシフトしてなかったはずだけど』

 

 ダ・ヴィンチが尋ねると、以蔵は話し出した。

 

「わしは昨晩、アサシン連中と酒を飲んでいたじゃき。

 そんたら、あんの破廉恥な小娘が

『レイシフトが怖い? お兄はん、『剣の天才』やとか言っても、所詮は人の子やね。意気地がないわー』

と、抜かしおったての。それで、まあ……」

 

 以蔵はバツが悪くなったのか、そっぽを向いた。

 立香はしらっとした目で以蔵を見る。

 

「……酒呑童子に馬鹿にされたから、勝手にレイシフトしたってこと?」

「わ、わしだけじゃなか! あのポンポン変身する奴もやき!

『旦那、怖がるなって! 俺もついて行ってやるからさー!』

 とかなんとか言ってたぜよ!」

『……確認が取れたよ。

 確かに、深夜に以蔵君と燕青君が、その特異点にレイシフトした記録が残っている』

『以蔵さん。勝手にレイシフトすることは厳禁です。戻って来たら、それ相応の罰があると覚悟していてください』

「うぅ……わしを煽った奴らが悪いぜよ……」

 

 以蔵はぶつぶつ文句を口にしていたが、大声で反論してこないあたり、自分も悪いと自覚しているらしい。

 

「それで、以蔵さん。レイシフトしてからの記憶は?」

「それがの……そこから先の記憶が何もないき……足が多う生えた何かを見た気もしちょるけど、のう……」

「ふむ……遡行軍の脇差連中かの?」

 

 陸奥守が腕を組みながら、一緒に考えてくれる。

 確かに、襲いかかってくる遡行軍の中に、足がたくさん生えた鬼がいた。

 

「こいつ……脇差に負けて、洗脳されたのか?」

「また、白布か! さっきから、わしを馬鹿にしおって!! わしゃ洗脳なんぞ、されとらん!!」

「以蔵さん、落ち着いて、落ち着いて」

 

 立香はどうどうと宥める。

 どういった経緯かは知らないが、敵対勢力に捕らえられて洗脳された。

 

「あの黒いマフラーが関係しているのかな?」

『以蔵君が着込んでいた襟巻だね。……確かに、元の色に戻っている。ここからだと解析が上手くできないが、サーヴァント用の拘束具だったのかもしれない』

『なんだ、洗脳されてたのか? やっぱり、雑魚ナメクジだな』

 

 ダ・ヴィンチの映像が切り替わり、長い黒髪の女性が現れた。

 

「このスベタァ! 誰がナメクジじゃ!!」

『まあまあ、お竜さんも以蔵さんも落ち着いて』

 

 お竜と以蔵を宥めながら、白い帝国海軍の制服を纏った優男が現れる。

 

『やあ、マスター。さっき、沖田君が僕を呼びに来てくれてね。彼女から、何が起きているのか話は聞いたよ』

 

 優男は白い帽子で半分顔を隠しながら、口元をに微笑を浮かべて話す。

 

『歴史改変された聚楽第に刀剣男士。敵対サーヴァントと時間遡行軍。おまけに、以蔵さんを操るほどの拘束具を使ってくるとは……』

「おい、龍馬!! わしゃ、操られておらんき!!」

「待てぃ! 龍馬!? 龍馬やと!?」

 

 陸奥守は抗議の声を上げる以蔵を押しのけ、更に画面に近づいた。

 

「おんしゃ……まっことに、坂本龍馬か?」

『ああ、そうか! 君が陸奥守吉行の付喪神だね。はじめまして……いや、久しぶり、というべきかな?

 僕は坂本龍馬。画面越しだけど、君に会えて嬉しいよ』

『ふーん、リョーマの方がカッコいいな』

『……ありがとう、お竜さん。

 それにしても、凄いね……まさか、吉行も土佐訛りで話すとは。刀工が土佐に移住してから鍛刀した刀だからか……吉行?』

 

 坂本龍馬は少し帽子を持ち上げて、陸奥守を不思議そうに見返した。

 陸奥守は両目を大きく見開き、口を呆けたように開けていた。

 

『あの……吉行?』

「りょ、龍馬が……龍馬が標準語でしゃべっとるやと―――!!?」

『え、そこに驚くの!?』

「岡田以蔵は土佐訛りだちゅうのに、なして、龍馬は……!?」

「陸奥守、落ち着け。

 かるであは、源義経が痴女の世界だ」

 

 気が動転する陸奥守に対し、山姥切が腕を擦りながらフォローを入れる。

 

「言葉遣いくらい、別にいいだろ」

「いや……山姥切さん。そういう問題かな? 牛若丸や沖田さんは性別が違うだけで、他は史実通りだよ? 坂本さんだって、ほとんど伝わってる史実と同じだと思う」

「……だが、性別が違うことは問題だろ」

 

 立香は苦笑いを浮かべた。

 確かに、牛若丸、信長、沖田総司と「実は女でした英霊」が続いていただけあり、日本史有数の偉人「坂本龍馬」が女であっても不思議ではない。

 立香自身、龍馬と最初に会ったときは「あー、この人は男だった。良かった、教科書通りだ」と安心したことを覚えている。

 

『あはは……土佐訛りは真名がばれやすいから、普段はあまり使わないようにしてるんだ。

 坂本龍馬だと敵にバレたら、攻撃方法や奥の手まで想像がついてしまうからね』

「な、なるほどの……わしも標準語で話した方がええのか……」

『そこは、自分の好みでいいんじゃないかな? 君は聖杯戦争に関わっているわけじゃない。でも、そうだね……僕は、君の土佐訛りが好きだな。とても耳に馴染んで、聞きやすいと思うよ』

「ほうか、龍馬!?」

 

 陸奥守の黒い瞳が、きらきらと星のように輝いた。

 まるで、大型犬がじゃれついているみたいだ。彼に尻尾が生えていたら、ぶんぶんと切れそうになるほど振っていたことだろう。

 

「いやー、まっさか、わしが龍馬に褒められるとは、思うてもなかったぜよ!」

『やったな、刀の付喪神。雑魚ナメクジより土佐弁のランクが上らしいぞ』

「こんのスベタぁめ、言わせておけば!! 戻ったら覚悟しとき!!」

『えっと、以蔵さんの土佐弁も悪くないと思うよ』

 

 陸奥守吉行、坂本龍馬、お竜、そして、岡田以蔵。

 立香はこの四人のやり取りを微笑ましく見守っていた。彼らのやり取りを見ていると、ここが特異点で戦場であることを忘れてしまう。

 

 それと同時に思うのだ。

 

 刀の付喪神である陸奥守吉行の方が、遥かに日本人のイメージする坂本龍馬像にピッタリ当てはまる。

 彼は、豪放磊落で懐が深く、土佐弁をしゃべり、人懐っこい。

 カルデアの坂本龍馬も懐が深いが、どちらかといえば紳士的で策略を張り巡らせるのが好きそうだ。

 

 もし、坂本龍馬が召喚されていなかったら、陸奥守を坂本龍馬だと誤認していたかもしれない。

 

『本当はもっと話したいけど、時間がないみたいだ。

 ……僕の吉行。マスターと以蔵さんをよろしく頼むよ』

『おい、リョーマ。ナメクジはともかく、付喪神にマスターを任せていいのか?』

 

 お竜が淡々と龍馬に尋ねる。

 こちら側で、以蔵がぎゃんぎゃん小型犬のように反論しているが、それは脇に置いておくことにしよう。龍馬は帽子に手を置きながら、口元を綻ばせた。

 

『陸奥守吉行は、僕が兄に頼み込んで譲ってもらった刀だ。それに、土佐では名が知れた良い刀だから、頼りにならないはずがないよ』

「……おう! 任せとき!」

『さて、では本題に戻るとしよう』

 

 ダ・ヴィンチが投影される。

 立香は緩みかけた気を張り直し、ダ・ヴィンチをまっすぐ見つめた。

 

『信長たちと清水ではぐれてから、数時間経過している。おそらく、彼女たちは清水から移動しているはずだ。拠点にしていた寺に戻っているかもしれない』

「ひとまず、その寺を目指すってこと?」

『それが得策かな。仲間は多いに越したことはないからね。だけど、立香ちゃん。道を覚えている?』

「うっ……それは……」

 

 立香は目を逸らした。

 京都の通りは、どこも似たり寄ったりに思えた。いきなり知らない場所から、名前も分からぬ寺を目指すのは、かなりハードルが高過ぎる。

 

「南蛮寺からの道なら、なんとなく覚えているけど……」

『わかった。南蛮寺の場所を送るよ。そこから少し離れてるから、気を付けてね』

「はい!」

『それから、レイシフトの記録を洗い直してみたけど、勝手にそっちに行っているのは、以蔵君と燕青君だけみたいだ。燕青君は何かに擬態しているかもしれないし、以蔵君みたいに拘束されているかもしれない。

 だから、敵に回っていたとしても、慌てずに対処するように』

「……はい」

 

 立香は、ダ・ヴィンチの話を冷静に受け止めた。

 

『……そろそろ通信を切れそうだ。立香ちゃん、くれぐれも慎重にね』

『先輩。お気をつけてください』

「あ、ちくっと待て。龍馬に伝えたいことがあるき」

 

 陸奥守がタクシーを止めるように、右手を挙げた。

 再び、画面に坂本龍馬が映し出される。

 

『僕に伝えたいこと?』

 

 陸奥守吉行は坂本龍馬の顔を見ると、少し眉根を寄せて真剣な顔になった。

 

「のう、龍馬。寺田屋で……親指を怪我したこと、覚えちょるか?」

『……うん、覚えているよ』

『お竜さんは思い出したくないな。お竜さんがいないときに、リョーマが襲われたから、あの傷は治せなかった』

 

 お竜は、悲しそうに言葉のトーンを落として話す。

 坂本龍馬も寂しそうに目を背けたが、一呼吸置くと、いつもの柔らかい表情に戻った。

 

『大丈夫だよ。今の僕の身体は、ちょっと生前と違ってね。親指の怪我も完治している。うっすら、傷跡は残ってるけど、問題なく動かせるよ』

「それは良かったじゃき!! ……い、いや、そういうことじゃなくて、のう……。

 わしゃ、龍馬。おんしゃに、その、礼を言いたいんじゃ」

 

 陸奥守は頬を掻きながら、恥ずかしそうに顔を歪めて笑った。

 

 

「刀が握れんでも……使えんでも……銃じゃなくとも……ずっと傍らに、わしを置いてくれて、ありがとう。

 わしは、おまんの生き様が好きやき」

 

 

 

 



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第五節
不滅の誠(1)


 聚楽第 最奥部。

 

 壁・天井・柱・障子の腰をすべて金張で覆われ、畳表は猩々皮、縁は萌黄地金襴小紋、障子には赤の紋紗が張られ、まさに絢爛豪華な一室に、北条氏政は腰を下ろしていた。

 

「……悪趣味な部屋だ」

 

 氏政は改めて部屋の内装を見渡すと、小馬鹿にするように鼻で笑い飛ばした。

 豊臣を攻め滅ぼし、上洛した際に聚楽第を接収したが、この部屋が気に入らない。以前、氏政の甥が秀吉に招かれた際、あまりの素晴らしさに仰天したというが、氏政にしてみれば大したことないように思えた。

 豪華すぎるのも、困りもの。

 人の上に立つ者は、ことに立派な衣装や部屋に住んではならない。見苦しくない程度で満足し、決して華美に流れるようなことがあってはならぬ。

 

 贅の限りを尽くした部屋は、氏政の趣味とは正反対であった。

 

「……それでしたら、模様替えをしたらいかがでしょう?」

 

 氏政の耳に女性の声が届いた。

 彼から見て遥か下手。その女は出入口付近で隠れるように佇んでいる。全体的に黒い女だった。装飾もなく、模様も何も描かれていない黒い南蛮衣装を纏っている。パニエを履いているのだろうか。ほっそりとした上半身とは対照的に、スカートは大人が7、8人ほど入りそうなくらい膨らんでいた。

 

「余計な金子は使いたくない」

「かしこまりました」

 

 この言葉を最後に、広い部屋は再び静寂に包まれた。

 氏政は脇に抱える黄金の杯を撫で、女性は静々と佇みながら、ゆったりと時が過ぎていく。

 

 

 そのような静寂が、数時間ほど経過した時だった。

 女性は何かに気付いたように、ぴんっと張り詰めた空気に変わる。

 

「氏政様。天草四郎が近づいてきます」

「……分かった」

「くれぐれもご注意してください。氏政様の使い魔ですが、あの男は聖杯を狙っております。いつ裏切り、本性を現すか分かりません。どうか、くれぐれも御慎重にお話しくださいませ。いざという時には、私がお守りいたします」

「……」

 

 氏政は無言で立ち上がると、ふすまの近くまで歩き始めた。

 聖杯を持ったまま、ちょうど女性の前に腰を下ろす。氏政は決して小男ではないが、こうして並び立つと、女性の背の高さが際立って分かる。彼女は天井に頭がぶつかるほど高身長故に、わずかに背を丸めていた。

 

「……ルーラーのサーヴァント、天草四郎でございます」

 

 臥間の向こうから、青年の声が聞こえてきた。

 

「……何用か?」

「はい。二条第に捕らえていたカルデアのマスターと山姥切国広が逃げ出しました。岡田以蔵が後を追いかけていますが、増援なさいますか?」

 

 氏政はしばし考え込むと、確かな口調で天草四郎に言葉を返した。

 

「増援は必要ない。岡田に任せるとしよう」

「しかしながら、あの男は小物です。戦闘時に、拘束具が解けてしまう可能性もあります」

「その時はその時だ。私が見たいのは、カルデアのマスターが絶望する姿。むしろ、拘束具の存在が明らかになれば、疑心暗鬼に陥ることだろう。わしは、その姿が見たい」

「…………分かりました。

 ところで、マスター。マスターに見せたいものがあるのですが……中に入ってもよろしいでしょうか?」

 

 氏政は黙したまま、隣に佇む女性に目を奔らせた。

 女性は目を閉じると、首を横に振る。彼女の仕草を一瞥すると、氏政は少し怒りを込めたような声で命令した。

 

「お前を召喚した時、わしは伝えたはずだ。

 わしは、使い魔ごときと顔を合わせる趣味はない。

 見せたい物があるなら、そこに置いておけ。もっとも、鹵獲した刀剣の付喪神やサーヴァントでない限り、興味はないがの」

「……………分かりました。残念ですが持ち帰ることにします」

 

 天草四郎が立ち去っていく。

 氏政は悠々と立ち上がると、奥へと歩き始めた。

 

「……あの男は、外へ出たようです。見せたい物があると偽り、聖杯を盗ろうとしておりました」

「裏切り者は世に蔓延るものよ」

 

 氏政は自嘲気味に呟く。

 

「……魔神様への祈りの時間だ。絹よ、この部屋に誰も入れてはならん。良いな」

「承っております。ごゆるりと」

 

 絹と呼ばれた女性は、貞淑に頭を下げた。

 氏政は絹を振り返ることなく、さらに奥の部屋へと去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……南蛮寺って、こんなところにあったんだ」

 

 立香は地図を見ながら、少し驚きの声を上げた。

 あの時は、巴御前に襲われ、無我夢中で洛中を走っていたので分からなかったが、南蛮寺は意外にも洛中でも、さらに真ん中あたりにあった。

 

「蛸薬師通りじゃき。あの信長公が死んだ本能寺の近くや」

 

 陸奥守が上から覗き込んでくる。

  

「信長公といえば、一緒に来ちょるんやろ? 会うのが楽しみぜよ」

「うーん、イメージと違うから、びっくりすると思うよ」

 

 立香は同意を求めるように山姥切に視線を向けたが、彼は何も語らなかった。

 まあ、彼も何も答えられないのだろう。

 

「ちなみに、この蛸薬師通をずっと東に進んで、先斗町のとこから三条まで上ると、龍馬の寓居があったんや」

「寓居?」

「仮住まいのことや。木屋町蛸薬師の高瀬川に土佐藩京都屋敷があったんじゃ。やき、この辺りには土佐藩士の寓居が多うあったんぜよ」

「へぇ……」

 

 地図をスライドさせながら、龍馬の寓居があったあたりを眺めた。

 

「ってことは、以蔵さんもこの辺りに住んでいたの?」

 

 立香は後ろを振り返り、むすっと黙り込んでいる男に話しかけた。

 

「えっと……以蔵、さん?」

「わしがどこに住んでおったか、カルデアに帰ってから教えちょる。すまんが、余計な情報は与えることはできん。刀の付喪神なんぞ、信用できんからの」

 

 以蔵は、陸奥守を敵対心を込めた目で睨みつけていた。彼の露骨な態度に、立香は薄く苦笑いを浮かべてしまう。

 

「あー……以蔵さん、まだ負けたこと怒ってるの?」

「はぁ? なに言うちょるき。操られたわしが負けただけじゃ。刀の付喪神なんぞに、わしの剣が後れを取るわけないき! ましては、龍馬の刀なんぞに負けたなんて……絶対に認めんぜよ!」

「でも、再戦は止めてね。時間ないし、疲れているところを襲われたら、元も子もないから」

「ふんっ」

 

 以蔵はぷいっと顔を背ける。

 洗脳されていたとはいえ、陸奥守に負けただけではなく、情けまでかけられたと知ってから、ずっとこの調子だ。剣の腕に自信を持っているだけに、付喪神に負けたことが認められないのだろう。

 

「えっと、ところで、以蔵さんの刀は本丸にいるの?」

 

 立香は空気を換えるように、別の話題を提供することにする。

 牛若丸も沖田総司も織田信長も、そして、坂本龍馬も、自分の刀の付喪神がいると知り、大変喜んでいた。もし、付喪神がいると知ったら、以蔵も気分を変えることが出来るかもしれない。

 そんな願いを込めて陸奥守を見上げたが、彼は申し訳なさそうに笑っていた。

 

「あー、すまんき。まだおらん。脇差の肥前忠広を顕現した本丸があると噂されちょるが……」

「ん? 脇差?」

 

 立香は引っ掛かりを覚え、再び、以蔵に視線を戻す。

 岡田以蔵は帯刀していたが、どこからどう見ても、脇差ではない。長くて大ぶりな刀である。以蔵は立香が言いたいことに気付いたのだろう。少しばつの悪そうな顔になると、

 

「……あんの裏切り者から貰った刀なんぞ、使うわけないき」

 

 とだけ答える。

 それを聞き、陸奥守は寂しそうに目じりを緩めた。だが、すぐに朗らかな笑顔を浮かべると、はきはきとした声で話し始める。

 

「そうは言うても、肥前忠広を折れても使っちゅーた話は聞いたことあるがの!」

「ど、どいて、その話を知っちゅー!?」

「なんやかんや言っても、以蔵さんは龍馬さんが大好きだからね」

「マスター!!」

 

 岡田以蔵が眉の間を微かに曇らせ、怒りの声を叫んだときだった。

 

「おい、静かにしろ。なにか聞こえる」

 

 山姥切が鋭く言った。

 彼の言葉を受け、全員が静まり返り、耳を研ぎ澄ませる。すると、微かに金属がぶつかり合うような音が聞こえてくる。

 

「六角堂の方からじゃき!」

 

 立香たちは音が聞こえた方向へ走り出す。

 近づくにつれ、音は大きくなっていった。銃器の音はあまり聞こえない。主に刀を使って戦闘をしているのだろう。刀剣男士かサーヴァントか、それとも遡行軍か。

 

「マスター、そこで止まれ」

 

 岡田以蔵が前に出ると、手で制してきた。

 

「わしが偵察してくるき。そこで待っちょれ!」

 

 そう言うが早い。岡田以蔵はアサシンのサーヴァントらしく気配を消し、通りの向こう側へ消えていった。刀剣男士より役に立つところを見せたいのだと思うが、彼には捕まって洗脳されていた前科がある。可哀そうだが、一人にさせておくのは非常に不安だ。

 

「陸奥守さん、以蔵さんをお願いできる?」

 

 立香は陸奥守に頼むことにした。

 山姥切に頼んでも良いが、彼は以蔵に対して厳しく当たることが多い。彼に捕まり、人質代わりにされたことを考えれば、そう簡単に仲間として受け入れることはできないだろう。

 その点、陸奥守は、しっかり事情をわきまえ、どのような人でも懐深く接することが出来る。以蔵側から嫌われていたとしても、なんとかやってくれるだろう。

 

「んじゃ、行ってくるのう!」

 

 陸奥守は二つ返事で承諾してくれた。

 そのまま、すぐに以蔵が去っていった方向へ走り始めた――が、その必要はなかったらしい。以蔵が帰ってきたからだ。すぐにマフラーの色を確認したが、いつもと同じ臙脂色。洗脳されてはいない。

 

「おかえり、以蔵さん。どうだった?」

 

 立香が尋ねると、以蔵は難しい表情をした。

 

「ありゃ、なんというか……そうじゃのう。見た方が早い。……安心せえ、マスターはわしが守るき」

 

 最初は少し目を逸らしていたが、立香が首をひねっていることに気付くと、得意そうな笑みを浮かべた。

 まあ、彼はマスターに嘘をつかない。

 守れる自信があるから、その場まで連れていけるのだろう。それに、いざとなったら、サーヴァントを召喚して戦うことが出来る。立香はそう考えると、以蔵の提案に乗ることにした。

 

 足音に気を付けながら、以蔵の後についていく。 

 以蔵はしばらく進むと、建物の影に身を潜めた。激しく戦闘が行われているらしく、薄ら土煙が立香たちの隠れている場所まで漂ってきた。

 

「ここから、そっと眺めるぜよ」

 

 立香は以蔵に促されるまま、大通りを覗いてみた。

 

 真っ赤に輝く遡行軍がいる。

 笠と逞しい身体が特徴的な鬼と、同色で足がたくさん生えた鬼が入り混じって交戦している。その相手と言うのが……

 

「ノッブ!!」

「ノブブ、ノブッブブブブ!!」

 

 ちびノブに一団だった。

 浅葱色のだんだらを纏い、小さな刀で切りかかっている。彼らはサーヴァントでも倒すのが面倒な程度に強い。遡行軍相手にも善戦していたが、何分、数の差が違い過ぎる。ちびノブが十数体だとしたら、遡行軍は倍以上いた。

 ちらほら、負傷しているノブもいる。

 

「怪我した奴は下がれ!」

 

 そんな、ちびノブ軍団を纏め上げる青年がいた。

 

「ノブブ……」

「いいから下がれ。死んだらどうにもならねぇからな。それに、何も心配ないぜ」

 

 真紅の着物の上から、ちびノブと同じ浅葱色のだんだらを肩で羽織り、くるぶし近くまである長い黒髪をなびかせた青年は、悠々と歩きながら刀を引き抜いた。

 

「かっこ良くて強い、最近流行りの刀が率いてるんだ。負ける訳ねぇだろ」

 

 青年は自信に満ち溢れた声で宣言すると、遡行軍にまっすぐ斬りかかっていった。

 

「ありゃ……和泉守ぜよ!」

 

 陸奥守は、意外とでも言いたげに瞬いていた。

 

「和泉守?」

「和泉守兼定。土方歳三の刀だ」

 

 山姥切も彼の姿に驚いているのか、青い眼を大きく見開いている。立香もまじまじと和泉守兼定の姿を見つめる。

 

「マスター、どうする? わしらの方が数も多い。いま攻め込めば、遡行軍もナマモノも纏めて倒せそうじゃ」

「い、いやいや。あの人たちは、陸奥守さんたちの仲間だよ」

「立香。わしゃ、増援に行きたいんじゃが……」

 

 陸奥守が刀に手を置きながら話しかけてくる。

 山姥切も助太刀するつもりらしい。彼の方は、すっかり刀を引き抜いていた。立香は迷うことなく頷いた。

 

「もちろん。援護しよう! 以蔵さんも行くよ」

「……あー、分かった。分かったき!」

 

 以蔵が了承するや否や、すぐに通りから躍り出る。

 

「以蔵さん、頼りにしてるよ」

 

 立香は念を押すように話しかけた。

 

「……おう、任せとき!」

 

 岡田以蔵は隠しようもない得意顔になると、ちびノブたちを跳び越え、刀剣男士たちより先に遡行軍へ斬りかかった。 

 

「天っ誅うう!」

 

 遡行軍は受け止める暇も与えず、以蔵は鬼の身体を一刀で断ち切る。

 そのまま圧倒的なドヤ顔で次の鬼に切りかかりながら、通りに響き渡る声で宣言した。

 

 

「わしが人斬り以蔵じゃ! 命がおしゅう無いもんからかかってきぃやぁ!」

 

 

 

 




北条氏政と登場した女性は、本作オリジナルサーヴァントです。
彼女以外にオリジナルサーヴァントは、絶対に登場しません。




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不滅の誠(2)

 

 その時間、5分も経過しなかったかもしれない。

 通り一面に陣取っていた遡行軍は跡形もなく、すべて切り殺されていた。最後の一人が塵となり、風に浚われ消えていく様子を眺めていると、後ろから声をかけられた。

 

「どうじゃ、マスター。わしの活躍!」

 

 岡田以蔵は刀を肩に置きながら、得意満面の笑みを浮かべていた。

 

「龍馬の刀より敵を切っちょったじゃろ?」

「まあ……確かに、以蔵さんの方が斬ってたね」

 

 立香は正直に答えた。

 そりゃ、以蔵が先に飛び出して、敵を一掃していたのだ。わずかに出遅れた陸奥守たちと比べたら、どちらが敵を多く屠っていたのか一目瞭然である。

 

「そうじゃろ、そうじゃろ。なんせ、わしは剣の天才じゃき!」

 

 以蔵は無邪気な子供のように高笑いした。

 立香はそんな彼をしり目に、陸奥守に頭を下げようとする。きっと、気分を害したことだろう。そう口にする前に、陸奥守は何でもないことのように笑った。

 

「なーんにも、気にしちょらんぜよ。むしろ、さすが以蔵さんの刀じゃきと思ってたところじゃ」

 

 暁の空のように爽やかな笑顔に、立香は見惚れてしまいそうになる。

 本当に懐が深い。豪快に笑う彼の懐は、どれほど広いのだろう。カルデアのサーヴァントと比べても、彼ほど全てを笑い飛ばせる男はいないのではないだろうか。

 立香が感激していると、ちびノブたちを率いた青年が近づいてきた。

 

「いやー、おかげで助かったぜ」

 

 浅葱色のだんだらを肩でなびかせながら、絹のような黒髪をした青年が近づいてきた。

 

「それで、あんたは? この時代の人間には見えねぇが……」

「藤丸立香です。カルデアから来ました」

「ああ、あんたが義経公を従えている女か!」

 

 青年は明るい調子で言うと、少し周囲を見渡した。

 

「清光はいないのか?」

「はぐれてしまいまして……」

「そうか。まっ、山姥切と吉行の無事が確認できてよかったぜ。

 おっと、自己紹介がまだだったな。俺は新選組副長 土方歳三の愛刀、かっこよくて強ーい最近流行の刀! そう――……」

「和泉守兼定さんですね。よろしくお願いします」

 

 立香が先ほど陸奥守に教えてもらった名前を口にすると、兼定はがっくしと頭を下げた。

 

「……最後まで言わせろよ」

「あ、すみません……」 

「まあ、いいけどさ」

「おい、和泉守。あれは……」

 

 山姥切が兼定の後ろに控える一団に視線を向ける。

 

 兼定の後ろには、数十匹のちびノブが控えていた。

 木瓜紋を象った帽子に兼定そっくりの黒い髪。どこかこの世を憂いているような白くて大きな瞳に、ダイナマイツ寸胴。一見すると普通のちびノブだが、彼らは皆一同に浅葱色のだんだらを着こなしている。

 

「ああ、こいつらか。新撰組隊士ってところか」

「そりゃー、新選組の羽織着ちょるからのう」

 

 陸奥守がちびノブの位置まで屈みこみ、彼らと視線を合わせた。

 

「ノッブ!」

「うぉっ、しゃべった!?」

「『よろしく』って言ってるぜ」

「兼定さん、ちびノブと話せるんですか!?」

 

 立香は仰天した。

 このナマモノを産み出した張本人ですら、彼らが何を言っているのか、ニュアンスでしか理解できていない。

 

「多少な。

 俺がこっちに来たとき、こいつらは遡行軍とは違う敵と戦ってたんだよ。一方的にやられてるのを見てたら、なんだか可哀そうになってな。

 それで、助け出したら

『この恩は、決して忘れない。残業手当も有給休暇も与えられない最低な主ではなく、貴方様についていくことにします』

 って言ってさ。この俺が率いる新選組の隊士になったってわけだ」

「ノブ……」

 

 立香は目頭が熱くなった。

 ちびノブたちは明治維新の特異点でも「織田幕府」の在り方に疑問を持ち、敵対する新選組についていた。あのとき、織田幕府を率いていたのは信長の弟だったが、今回は信長が生み出すナマモノだったはずだ。信長はナチュナルに裏切られている。明智光秀といい、へし切長谷部といい、信長は人を傷つけるのが得意なのだろうか。いや、今回の場合は、人ではなく正体不明のナマモノのわけだが……。

 

「ほー、可愛い姿しちょるのー」

 

 陸奥守が興味津々といった面持ちで、ちびノブたちの頬を突いていた。

 

「ノブブー」

「おお、すまんすまん。けんど、それにしても、もっちもちじゃのう」

「そーだろ? 見た目が良くて損するわけでもねえ。しかも、そいつら、意外と強いぜ?

 遡行軍とも戦えるだけの実力はある。このまま隊の練度を上げれば、あの敵も倒せるはずだ。

 ところでだ。立香だったか。お前に聞きたいことがある」

 

 兼定は話を切り上げると、酷く真剣な目で立香を見てきた。立香は少し気を詰めた。

 

「源義経公を率いてるらしいな? 他にも、古今東西の英雄を率いているとか……それは本当か?」

「はい……えっと、いない人も多いですけど」

 

 例えば、バビロニアなどで手助けしてくれた魔術師 マーリンは、カルデアにいない。星を詠み、召喚するための石を集めて奉納しているが、彼は全く来てくれなかった。

 

「日本の英雄もいるんだよな?」

「ええ、まあ」

「その中にはよう、土方歳三はいるのか?」

 

 兼定はこのことを聞きたかったのだろう。

 今剣を始め、加州清光、陸奥守吉行と前の主との対面に喜びを隠せなかった。長谷部という例外はいたが、兼定は前者のタイプだったらしい。気にしていない風の口調で尋ねてきていたが、眼は爛々と輝いている。

 

「土方さんはいますよ。というか、一緒にレイシフトしてきたので、京都のどこかにいるかと……」

「本当か!? あの、土方さんがいるのか!?」

 

 兼定を目が零れそうになるほど見開いた後、嬉しそうに顔を輝かせ息を弾ませる。

 

「嘘だろ、あの、土方さんが……土方さんと会えるかもしれないってことか?」

「羨ましいのう。わしゃ画面越しにしか会えなかったき」

「これは、日頃の行いって奴か? いや、国広もいればよかったのにな」

「国広?」

 

 立香は首を傾ける。

 兼定のすぐ傍らに、山姥切国広がいる。

 それなのに、どうして彼は、国広がいないように振る舞うのだろうか。立香が疑問を抱いていると、その問いに答えるように山姥切が口を開いた。

 

「それは、兄弟のことだ」

「兄弟?」

「和泉守が言っているのは、堀川国広のことだ。山姥切国広のことではない」

「はぁ……」

 

 立香は、少し頭がこんがらがった。

 

「でも待って。山姥切さんは堀川国広に鍛刀されたんじゃ……?」

「そうだ。俺は……堀川国広の傑作だ」

「つまり、刀鍛冶の堀川国広さんが本丸にいるってこと?」

「そりゃ、堀川国広が鍛えた堀川国広ってことじゃ」

 

 立香の疑問に、陸奥守が答えてくれた。

 

「わしも陸奥守吉行が鍛刀した陸奥守吉行やき。兼定は和泉守兼定が鍛えた刀やから、和泉守兼定じゃ」

「正確に言えば、和泉守を賜った会津兼定の鍛えた刀が俺だ」

「俺は……山姥切の刀を堀川国広が鍛えた写しだから、山姥切国広だ」

 

 刀剣男士たちがそれぞれ、自身の名前の由来を説明してくれる。

 立香はその説明を聞きながら、ふむふむと頷いた。少しずつだが、刀の名前の由来について、咀嚼出来た気がする。

 

「それじゃあ、千子村正が鍛えた刀の名前は、千子村正になる?」

 

 下総の国で大変世話になった抑止の守護者を思い出した。

 

「おう、そんな感じだ」

「なるほど……」

 

 千子村正は宮本の武蔵が英霊剣豪の宿業を断ち切る際、明神切村正を貸し与えていた。

 確かに、村正の銘が名前の中に入っている。明神が何を意味するのか、いまいち分からないが、山姥切国広の山姥と同じ扱いなのかもしれない。

 

「のう、立香。まさかとは思うが、千子村正が『かるであ』におるんか?」

「いないけど、とってもお世話になった人だよ」

「……そいつ……脱ぎ癖があったりしちょる?」

 

 立香は「そんなのない」と即答しようとして、少しばかり言葉に詰まった。

 

「脱ぐ脱がない以前に、上半身は裸だった気がする」

 

 左手に某赤い弓兵のような聖骸布を巻いていたが、他に纏っているものはなかった。もちろん、露出狂と言うわけではなく、しっかり下履きを纏っていたはずだ。風呂上りに一糸纏わぬ姿でカルデア内を深夜散歩している作家先生の方が、ずっと露出狂である。もちろん、本人に言ったら物凄く不機嫌になり、こちらの痛いところを問答無用で指摘してくるはずなので、絶対に言わない。

 立香が思い出しながら答えると、陸奥守と兼定は互いに気まずそうな表情になった。山姥切も布を目深まで被り、表情を隠している。

 

「な、なにか私、まずいこと言いましたか!?」

「……いや、刀は所持者に影響されるんだなって思っただけだ」

「い、いや。村正さんは良い人でしたよ!?」

 

 よく分からないが、千子村正が物凄く誤解されている気がした。

 

「刀の名前の由来はもうええ」

 

 立香が千子村正に関する弁明をする前に、以蔵が声を上げた。

 

「おい、そこの新選組の刀。このちびらが遡行軍と違う敵と戦っちゅうたと言っちょったな? その敵は誰や」

「あ……」

 

 以蔵が改めて指摘する。

 遡行軍とは異なる敵といえば、もう考えられる存在は1つに絞られる。問題は、誰が相手かという話だ。

 

「すぐそこの三条大橋で、ずっと陣取ってる奴がいる」

 

 和泉守兼定は一点の曇りもない生真面目な顔になった。

 

「悔しいが、俺一人では勝ち目がないくらい強い。

 蜻蛉切や岩融よりも背は高ぇし、ガタイも良い。全体的に赤くて、槍を振り回している。まともに戦ったら、勝ち目が薄い奴だ」

「それって!!」

 

 立香と山姥切が目を見合わせる。

 おそらく、同じ人物が頭の中に浮かんだのだろう。

 

「……それは、洛中の入り口にいた男だ」

「入り口にいた男!」

 

 陸奥守と兼定の顔も厳しくなる。

 おそらく、身体描写はともかく、その名は彼らの耳にも入っていたに違いない。

 

「誰じゃ、そいつ?」

 

 唯一、あの時のことを知らない岡田以蔵だけが疑問を浮かべている。

 だが、立香たちの反応を見て、一筋縄ではいかない相手であることは分かったらしい。その顔から笑みが消え、いつになく目付きが鋭く、真面目な表情を浮かべていた。

 

「以蔵さんも知っているはずだよ。

 三国志演義に登場する最強の武将……」

 

 その者は、一つの場所に留まらず、また、一つの主君を抱かぬ放浪の星。けれど、その武功・武勲は他の追随を許さず、「桃園の誓い」で有名な蜀の三英傑、劉備・張飛・関羽を同時に相手にしても一歩も引かなかった最強の武将。

 そう、その名は――……

 

「呂布奉先。バーサーカーのサーヴァント」

 

 過去の戦いで敵対したことは、一度もない。

 第二特異点ではローマを護るために、共に戦い抜いた。仲間であると考えると非常に頼もしいが、敵対するとなると考えるだけでも恐ろしい。

 

「呂布といえば、裏切りに裏切りを重ねた男だ……なんとか、騙すことが出来れば……」

「あほ抜かせ。あいつにゃ、話しは通じん」

 

 山姥切の呟きに、以蔵が反論する。

 

「狂化されちょる。生前ならともかく、今は話は通じん」

「呂布か……まあ、敵が誰にせよ、実戦剣法で挑むしかねぇってことだ。

 こいつらも戦い方が上達した。あと少し練度を上げれば、あいつに匹敵する戦い方は出来るだろうさ」

 

 兼定が得意げな顔で言った、その時だった。

 

「ノッブ!!」

 

 一匹のちびノブが駆け込んでくる。

 手にはくしゃくしゃに丸められた書状が握りしめられていた。

 

「ん、どうした? ……これは!」

 

 ちびノブから受け取った書状に目を通した瞬間、顔がみるみる間に強張っていく。

 

「……何があった、和泉守?」

 

 

 山姥切が静かに尋ねると、兼定は堅い声色で話し出した。

 

 

 

 

 

 

 



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不滅の誠(3)

 和泉守兼定は書状を握りつぶすと、堅い口調で教えてくれた。

 

「……三条大橋で呂布と女武者が、今剣と戦っているらしい」

「今剣が!?」

 

 陸奥守が叫ぶ。

 立香も目を丸くした。

 今剣は義経公の護り刀の付喪神だが、身体は小さな子どものようだ。

 あの呂布相手に一人で立ち向かうのは無謀である。ましては女武者……おそらく、巴御前は源氏を強く憎んでいる。確実に相性が悪い。

 

「今剣君を助けに行かなきゃ!」

「言われなくても、そのつもりだ! 新撰組、出陣!」

 

 兼定が浅葱色のだんだらを翻し、ちびノブたちを引き連れ走り出す。

 山姥切が白い布を翻し、彼とほぼ同時に陸奥守が駆けだした。

 

「行こう、以蔵さん!」

「ま、待てい、マスター!」

 

 飛び出した立香に一歩遅れ、以蔵が追い付いてきた。

 

「あいつら、刀じゃ。あいつらの問題は、あいつらで解決できる。わざわざ、わしらが手を出す必要はないぜよ」

 

 岡田以蔵の言う通りだ。

 刀の付喪神たちは、今回の特異点解決と関係ない。縁を結んだサーヴァントではないし、英雄どころか人ですらない。遡行軍と敵対しているということで協力関係にはあるが、別にここで別れても良いだろう。立香が優先しなければならないことは、信長たちとの合流なのだ。刀剣男士の助太刀ではない。

 だがしかし……

 

「でも、放っておけない」

 

 立香は迷わずに言い切った。

 今剣が牛若丸の隣で幸せそうに微笑む姿は、瞼の裏に焼き付いている。

 刀剣男士には心がある。清光が元の主との対面で涙を流し、長谷部が怒りを露にした。陸奥守はにこやかに場を盛り上げ、岩融は犠牲者に経を唱えた。

 たとえ、刀であろうとも、彼らには感情があり、自分の意思で行動している。

 そんな存在を見捨てることなんで、出来るはずがない。

 

「―――ッ、勝手にせい!」

 

 以蔵が吹っ切れたように叫ぶ。

 立香は先を行く彼らの背中を見つめて、走り続けた。

 

 三条大橋の周辺は、焼け野原になっていた。

 以前、牛若丸と別れた場所と同じだ。あの場所と同じく、焼け野原で身を隠すべき建物がない。だから、橋の上で起きている出来事がよく見えた。

 橋の入り口は遡行軍で固められ、その奥に呂布と巴御前、そして、今剣の姿が確認できた。

 

「燃えろっ! 憎き源氏め! 燃え尽くせ!!」

「……っうぅ……!」

 

 巴御前が払った薙刀を今剣は間一髪で避ける、が、彼が着地した足元めがけて、呂布が槍を突き刺す。今剣の脇から血が一閃飛び散る。もう上半身に服は纏ってなく、白い髪も解けてばらばらになり、見るも無残な状態だった。

 

「ぼくは……よしつね、こうの、まもりがたな。こんな、ところで、まけるわけには……」

 

 牛若丸のように橋の桟に飛び乗ると、苦しそうに肩を上下させながら呂布と巴御前を睨み付ける。

 

「御用改めである! 新選組だ!!」

 

 兼定が我先にと刀を引き抜き、遡行軍めがけて切り込みにかかる。

 

「助けに来たぜよ、今剣!!」

「あとは任せろ」

 

 兼定とちびノブたちに続くように、陸奥守と山姥切も刀を抜いた。

 

「――ッ、増援ですか! 蹴散らしなさい、バーサーカー!」

「―――ッ!!」

 

 巴御前の言葉を受け、呂布が槍を振り回す。

 呂布は遡行軍たちの合間を縫い、今剣の加勢に来た兼定めがけて槍を振り下ろした。兼定は槍を器用に避けると、左手を懐に入れた。そのまま左手で小袋を抜き取り、呂布の眼に向かって投げる。呂布はそれが目に入る前に槍で切り刻む。兼定はにたりと笑った。

 

「!?」

 

 呂布が斬った袋には砂が詰まっていた。

 目の前で砂が飛び散り、呂布の眼に入る。さすがの彼も視界を潰されたら、一瞬でも動きが止まる。兼定はその隙を逃さない。

 

「そら、目つぶしだ!」

 

 呂布の懐に入り込み、一気に切りかかった。   

 だが、相手は呂布。三国志演義最強と謳われる武将だ。肉薄された気配を察知し、まっすぐ拳で殴りかかる。呂布の拳は兼定の頭ほどある。そのような拳を真面に喰らうわけにはいかない。兼定は浅く打ち込んだ後、素早く呂布から距離をとった。

 

「さすがは、中華最強の武将。相手にとって、不足なしだ!」

「バーサーカー! そのまま切り込みなさい! 私は、このまま源氏を討ちます」

 

 巴御前は今剣に弓を向ける。しかし、矢を装填する直前、銃声が鳴り響いた。巴の足元めがけて、銃弾が取んでくる。彼女は軽業師のように跳ね下がると、刀剣男士を睨み付けた。

 

「猪口才な!?」

「すまんのう。足元が、がら空きじゃき。思わず、撃ってもうた」

 

 陸奥守が巴御前に銃口を向け、狙いを定めている。

 巴は燃え盛る薙刀に持ち変えると、陸奥守をまっすぐ見据えた。

 

「……いずみの、かみ……たち……よか、った……」

 

 今剣は駆けつけた仲間を視止めると、ほっと安心したように目じりを緩めた。

 張り詰めていた空気が解け、そのまま力が抜けてしまったのだろう。足元が揺らぎ、ぐらりと横に傾く。そのまま橋の桟から、小さな身体が落下した。

 

「今剣!!」

 

 兼定も陸奥守も気が逸れる。

 けれど、敵は待ってくれない。逸らした気を突くように、呂布と巴御前が畳みかけてくる。山姥切も遡行軍の相手から抜け出すことが出来ない。今剣は気を失っているのか、頭から真っ直ぐ川に向かって落ちていく。

 

 故に、今剣を助けられる存在は自分しかいない。

 

「以蔵さん、あとは任せた!!」

 

 立香は判断するよりも早く、身体を動かしていた。

 

「身体、強化!!」

 

 立香は自身の身体に強化を施すと、力いっぱい土手を蹴り上げた。魔力で強化された脚力のおかげで、身体が一気に宙へ飛ぶ。怖いとか無理だとか、そんな感情が胃を底冷えさせている。だけど、目の前の命を助けたい。

 バビロニアでは、高度200mから急降下してプロレス技をしかけたのだ。たかだか数十メートル程度から落下してくる人をキャッチするくらい、どうってことない。

 それに、万が一の時は、きっと以蔵が何とかしてくれる、はずだ。

 

「今剣――ッ!!」

 

 立香は必死に手を前に伸ばし、今剣を引き寄せる。

 その身体はあまりにも軽く、じゃれついてくる子ども系サーヴァントたちの半分ほどの重さしかない。立香は今剣をしっかり胸に抱きよせると、きらきら輝く水面の中に落下する。破裂するような音共に、泡が立香の身体を飲み込もうとしてくる。立香は川の流れに負けないように必死に水面に向かって泳ぎ、水中に顔を突き出した。

 

「――ッぷはっ! た、助かった……」

 

 今剣を抱き寄せ、岸に向かって泳ぎ始める。

 

「りつか、さん? 加州さんは、ぶじ、ですか?」

「うん、無事だよ」

「そう、ですか……よかった」

 

 それが精いっぱいだったのだろう。

 彼の赤い瞳は静かに閉じた。微かに胸が上下している。ぐっすり眠り込んでしまったらしい。

 

「源氏……まだ生きているかッ!!」

 

 巴御前が燃え上がる。

 心根が燃え上がるのではない。文字通り、彼女の身体は火に包まれた。頭から二本の禍々しい角が生えてくる。美しい女武者の変わり果てた姿に、さすがの陸奥守も銃を構えながら一歩下がった。

 

「なんじゃ、その姿は!?」

「おのれ源氏、源氏、源氏、源氏め――ッ!!!」

 

 彼女は薙刀を一閃する。

 炎を帯びた薙刀は周囲を焼いた。三条大橋は火に包まれ、兼定たちは退却を余儀なくされる。その中で一人、巴御前は燃え盛る三条大橋の桟に降り立つと、弓を構えた。血で濡れたような憎悪の視線を今剣に向け、灼熱の矢を装填する。

 

「聖観世音菩薩……。私に、力を!」

「宝具!?」

 

 立香は歯を食いしばる。

 この距離で宝具を放たれたら、さすがに英霊を召喚しても防ぎきれない。もちろん、礼装が補助してくれる「矢避けの加護」程度でどうこうなる問題でもない。

 彼女の木曽義仲への想いを込めた一撃を防ぐためには、マシュの盾やエミヤの「熾天覆う七つの円環」が必要だ。

 

 その二つともがない以上、彼女の宝具を避けるためには……

 

「旭の輝きを――ッ!」

 

 巴御前は憎き源氏を完璧に滅ぼすため、全身全霊の力を業火の矢に込める。

 義仲への愛を確かめるように口上を述べ、水面に浮かぶ小さな2人――否、訂正。少女の抱える小さな刀剣男士に向けて、狙いを定めている。彼女の眼には、死んだように眠りこける今剣しか見えていない。

 

「……お初にお目にかかります」

 

 そう、前しか見ていなかった。

 巴御前は、背後から迫る存在に無頓着だった。

 

「おまんには恨みはないがぁ、これも仕事じゃき」

 

 岡田以蔵は躊躇うことなく、巴御前の胸元に刀を突き刺す。その切っ先は、まっすぐ心臓を貫いていた。巴御前の白い口元から、一筋の血が滴り落ちる。彼女は宝具の発動を止めると、唖然と自身の胸からとび出た異物を見下した。

 

「うっ、そん、な……?」

「天!誅! へあああああ!」

 

 以蔵は吼えながら、刀を薙ぐように切り裂いた。

 巴御前の身体は二つに分かれ、橋を焼き尽くす業火とは別の赤色が飛散した。

 

「もうし、わけ……ありま、せん……義仲、さま……」

 

 巴御前は源氏を討てなかったことを崩れゆく身体で詫びながら、金砂になって消失した。

 

「以蔵さんっ!」

「おまん、頭が沸いちょったか!?」

 

 以蔵は猛火から脱出するように川岸に飛び移ると、立香に手を差し伸べてくる。

 

「わしが斬らなんだら、今頃首がつながっちょらんかったぜよ!?」

「あはは……以蔵さんなら、なんとかしてくれると思って」

 

 立香は笑いながら彼の手を取ると、岸に登り上げる。

 

「以蔵さんがいたから、安心して飛び込めたんだ」

 

 立香は正直に答えた。

 もし、一人なら飛び込めていただろうか。いや、そこまでの勇気はない。いつも助けてくれる存在がいて、初めて、勇気を振り絞って行動することができる。普段は頼れる後輩が勇気を与えてくれているが、今回は岡田以蔵だ。彼なら安心して背中を預けることができるし、いざとなったら、助けてくれると信じている。

 事実、彼は助けてくれた。アサシンの気配遮断スキルを駆使し、宝具まで使って助けてくれた。

 

「ありがとう、以蔵さん」

「……ふん、礼は後にせい。まだ、敵は残っちょる」

 

 以蔵の薄橙の眼は、燃え盛る橋を背中に背負い込むように佇む最強の武将に向けられていた。

 

「―――ッ!!!」

 

 呂布は叫び声をあげた。

 京の都を震わすほどの咆哮だ。その声に引きつけられるように、焼け残った街道から遡行軍が沸いてくる。相手をするちびノブたちは大群を前にした蟻のようで、山姥切の白布も遠くに見える。兼定と陸奥守だけが呂布と戦っていたが、どちらに勝算があるのかは火を見るよりも明らかだった。

 兼定たちは呂布の薙刀を受け、服ごと身体が切り裂かれる。

 

「舐めた真似、してくれたなぁ!」

「のうが悪いぜよ」

 

 まともに受けてしまった一撃の痛みで、両者ともに片膝をついてしまっている。

 立香は早口で以蔵に尋ねた。

 

「もう一度、闇討ちは無理?」

「すまんのう、マスター。鬼の量が違ちょるし、魔力がもうなき」

 

 以蔵は申し訳なさそうに眉を下げる。

 兼定たちに逃げてくれと叫びたいが、彼らの後方には遡行軍が引き詰められている。山姥切やちびノブたちも奮闘しているが、その数は一向に減らない。たぶん、立香と以蔵が加わったところで、焼け石に水だ。以蔵は宝具を使ったばかりで出力が落ちているし、立香はサーヴァントを召喚したとしても今剣を抱いている。自分の身を護ることが出来ない。

 

 いちかばちか、サーヴァントを召喚してみるか。

 召喚できた人物によっては、遡行軍を一網打尽できるかもしれない。

 

 立香は微かな希望を胸に抱くと、令呪を前に突き出した。

 

 

 

 

 

 



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不滅の誠(4)

 一か八か、サーヴァントを召喚する。

 立香は微かな希望にしがみつくように、両手を思いっきり伸ばした。カルデアで待機中のサーヴァントの影を召喚するため、刻まれた令呪にありったけの魔力を送り込む。

 

「誰か……お願い……ッ! ……あっ……!」

 

 だが。

 その必要は、なかった。

 

 立香は別の魔力の流れを感じ、弾かれたように遡行軍に目を向ける。

 それとほぼ同時に、遡行軍が詰めかけている遥か後方で、腹に響くような衝突音と共に砂塵が巻き起こった。それは小さな竜巻のようで、巻き込まれた遡行軍の鬼たちは見るも無残に切り裂かれる。

 

「なんだ、あれは?」

 

 山姥切は呆気にとられた声で呟くと、すぐに立香の位置まで退却する。ちびノブたちは、彼の背中に隠れるように押し詰めていた。

 

「――?」

 

 この事態を引き起こした主が、呂布たちとは別の勢力であることは明白だった。

 すべてを殺し尽すバーサーカーは槍を振るう手を止め、砂塵の向こうを凝視する。

 

「これって……!」

 

 立香は令呪を握りしめた。

 この砂塵の向こうにいる誰かと、自分は契約でつながっている。細いけど、魔力の流れを感じる。それさえ分かれば、こんな登場をする人物は誰なのか、すぐに察することが出来る。

 

「……!?」

 

 遡行軍たちが一掃されていく。

 誰か分かれば、この砂塵がスキルや能力ではなく、ただの剣圧であることは間違いなかった。遡行軍の大半は勝ち目がないことを悟ったのだろう。蜘蛛の子を散らすように、あちらこちらへ逃げていく。彼の前にのみ道が開かれ、砂塵の向こうから黒い男が現れる。

 

「おい、お前ら……」

 

 男は片膝をついて突然の事態に困惑する二人を通り越し、槍を構えて立ち塞がる敵を睨み付ける。

 

「薩摩か、長州か?」

 

 呂布は唸るのみで答えない。

 この場から逃げなかった、わずかな遡行軍たちが塊になって総攻撃をかける。遡行軍たちは手に槍を持ち、まっすぐ男の懐を貫きにかかった。

  

「まあ、どっちでも構わん。俺の前に立ち塞がるなら、ただ進み、斬るのみだ」

 

 男は悩むことなく、遡行軍を切り捨てる。

  

「斬れ、進め、斬れ!」

 

 男の口から飛び出す言葉通り、彼の道を妨げる遡行軍は切り殺され、呂布に通じる道ができる。呂布も遡行軍では歯が立たないと悟ったのだろう。すぐに槍から弓へ持ち替え、矢を装填する。

 

「進めぇ!!」

「―――ッ!!」

 

 呂布は矢を放つ。

 巴御前の燃え盛る業火の矢とは異なるが、それとはまた別の強さが込もった矢だった。弓から放たれた矢ではあったが、それは矢にあらず。例えるなら、波動砲だ。無双の怪力で引き絞った矢は波動砲と化すと男を焼き尽くし、貫かんとする。進軍する男の目の前で波動砲はさく裂し、周囲は爆風に包まれた。

 

 呂布の表情は一瞬緩んだが、すぐに張り詰めたものに変わる。

 彼は気づいたのだ。

 あの程度の攻撃では、あの男の歩みを止められないと。

 

「ここが――ッ! 俺が――ッ!」

 

 爆風をかき分け、男が姿を現した。

 黒髪を後ろにかき上げ、黒を基調とした洋装。

 そこにいたのは、悪鬼の如き荒々しさで、己の誠を貫かんと最後まで戦い続けたサムライ。

 

「新撰組だ――ッ!!!」

 

 真名、土方歳三。

 幕末のバーサーカーが刀を握り、呂布へと進軍を開始する。

 

「新撰、組……だと?」

 

 兼定が虚を突かれたように、唇から小さな言葉が零れ落ちる。 

 土方歳三はその言葉を聞き逃さない。一瞬、兼定に視線を向けた。

 

「なんだ、お前。その羽織は……」

「お、俺は……」

「新撰組なら、斬れ、進め!! 退く奴は俺が斬る!!」

 

 土方は人を殺せそうな気迫で吼える。

 兼定は圧倒されたように土方を見入っていた。陸奥守は苦笑いをしながら「んな無茶苦茶な」と呟いているが、その声すら兼定には届いていないらしい。

 

「――ッ!!」

 

 兼定が土方の問いに応える前に、呂布が攻撃を仕掛けてきた。彼は弓を捨て、矛に持ち替えると、土方めがけて一気に貫こうとしてくる。土方も矛の向こうにいる呂布に向かって、勢いよく地面を蹴り上げた。その際、呂布の矛が彼のわき腹を掠めたが、土方は一切に気にしない。素早く拳銃を引き抜くと

 

「せぇやっ!」

 

 土方は速度を全く緩めず、がら空きとなった懐に銃弾を撃ち込んだ。

 たたんっと軽快な音が響き渡り、呂布の右胸に穴が開かれる。

 

 普通の敵なら、この攻撃で倒すことが出来ただろう。

 

 ところが、敵は呂布奉先。

 半人半機のサイボーグであり、生きる城塞とまで呼ばれる非常に高い実力の持ち主だ。心臓を穿った程度では死なない男が、たかが胸を撃たれた程度で死ぬわけがない。

 すぐに呂布は矛の形状を篭手に変え、殴り込みにかかる。土方は刀で抑えようとしたが、その攻撃は無双の怪力を前に弾き返されてしまった。呂布に比べれば大層小さな身体が、螺旋を描きながら吹き飛ばされる。

 

「ぬぅ……効かん!」

 

 土方は途中で力尽くで踏み止まる。

 

「俺は……新撰組は、止まらねぇ!!」

 

 呂布も、彼が再び立ち向かってくることを予期していたのだろう。

 呂布は土方が止まる前に駆けだした。満身創痍の兼定たちの前をあっという間に通り過ぎ、土方に接敵する。

 

「――!!」

 

 呂布は吼えながら、矛先で土方を上から下へと斬りつける。

 鮮血が胸から腹にかけて飛び散る。その怪我は明らかに致命傷だった。臓物こそ零れていないが、深々と切り裂かれている。呂布は土方に追い打ちをかけるように、矛先で胸を貫いた。

 

「ぐああぁぁ」

 

 土方の口から苦悶の声が滲み出た。

 刀こそ握ってはいたが、拳銃が左手から地面へ落下する。

 たとえ、英霊とはいえ、心臓……すなわち、霊核を貫かれたら死んでしまう。岡田以蔵が巴御前を消滅させたように、土方歳三も心臓を貫かれたら現界を保つことが出来ず、この世界から消滅する。辛うじて身体を背け、心臓への直撃は防いだようだが、彼の胸には穴が開いていた。

 呂布やヘラクレスですらない限り、まっとうなバーサーカーは戦いを継続させることが出来ず、消滅するのは必然だった。

 呂布もそう判断したのだろう。矛を降ろし、後ろで座り込む二人組に意識を戻そうとした。

 

「誠の旗は、不滅だ……!」

 

 それこそが、呂布のミスだった。

 土方はゆらりと不気味に動いた。周囲の光景が揺らぎ、薄暗い戦場が広がり始める。

 

「これは……?」

 

 立香の隣で山姥切が刀を握り直す。

 世界が書き変えられ、どこからともなく激しい銃声が鳴り響き始めた。

 山姥切の背後では、ちびノブたちが怯えるように鳴いている。立香はその声を聞きながら、意識を土方に集中する。

 

「土方さんの、宝具だ」

「ほうぐ?」

「土方さんの伝承を武器にした切り札だよ」

 

 岡田以蔵が、人斬り以蔵として一度見た剣技をそのまま己の剣技として再現し、暗殺を実行することができるように。

 土方歳三も自身の伝承や信念を絶対的な切り札「宝具」として昇華している。

 

 

 京の街は消え、焦土広がる薄暗い戦場へと周囲の光景が一変していた。

 人影はないのに銃声や号砲が轟き、足元には血の水たまりが広がっている。遠くに壁に囲まれた城が見えた。立香は彼の宝具を知っているので、その城が箱館の五稜郭だと分かった。

 

 箱館 五稜郭。

 土方歳三最期の戦場にして終焉の地。

 三国志演義最強の武将を前に、胸や脇腹からどくどくと血を流したラストサムライが対峙している。

 

「斬れ……!」 

 

 土方は赤く血走った目で敵を睨むと、そのまま力の限り刀を振り上げる。

 その切っ先は僅かに届かなかったが、呂布は虚を突かれ、一、二歩、後ずさりした。

 

「進め……!……斬れ……!!」 

 

 土方はその距離を詰め、さらに斬りかかる。

 呂布の腹が一閃され、血が飛び散った。

 

「――!?」

 

 呂布は理解できないらしい。

 当然だ。普通に考えれば、土方歳三は立っていられない。立つどころか、霊基を保つことすら覚束ない。それなのに、刀を構え、鬼気迫る表情で呂布に切りかかる。

 呂布は一度退却して、様子を見ようと考えたのだろうか。

 土方に視線を向けたまま、一気に後退しようとする。

 けれど、土方歳三は撤退など許さない。

 すぐさま長銃を左腰から引き抜くと、呂布の胸元に突きつけた。

 

「俺がぁ!」

 

 一際高い銃声が呂布の身体を貫いた。

 さすがの呂布も、ゼロ距離で放たれた銃弾を防げるはずもない。彼は穴の開いた身体に呻いたが、その穴を広げるように、土方は愛刀を傷口に差し込んだ。呂布も抵抗するように、剣で土方を切り殺そうとする。呂布の剣は土方の左腕を切り落としたが、彼の進軍は止まらない。

 

「新撰組だ―――ッ!!」

 

 土方は絶叫し、刀を横へ薙ぐように斬る。

 呂布の腹から脇腹まで綺麗に切り裂かれ、武将の巨体が血を撒き散らしながら揺れた。

 

「……そうだ……まだだ。まだ終わらん」

 

 土方は崩れ行く武将を見下した。

 胸の穴から滝のように血を流し、脇腹からは臓物が見え隠れし、左腕は綺麗に切断されている。力強く握ったままの愛刀ですら、己の血で赤く染まっていた。

 

「俺は……新撰組は……不滅、だ……」

 

 しかし、周囲の風景が揺らぎ、京の街と重なり始める。

 焦げる大気が、血の匂いが薄れ始める。それと呼応するかのように、土方の身体が傾き始める。

 その隙を見逃す、三国志生粋のバーサーカーではない。

 

「―――ッ!!」

 

 呂布が最期の気力を振り絞り、立ち上がる。

 その身体は脇腹から下半身にかけての大半が金砂で覆われ始めているものの、いまだ両手は無傷で残っている。呂布は矛を握りしめると、眼前に立ち塞がるラストサムライに向かって投擲しようとする。

 

「この野郎……! よくも、土方さんを! ぶっ殺してやる!」

 

 だが、呂布は皮肉にも、巴御前と同じ間違いを犯していた。

 呂布の背後に、和泉守兼定が迫る。 

 彼は浅葱の羽織と真紅の着物をも脱ぎ、白い両肩を剥き出しにしていた。

 

「斬って殺すのは、お手のもの!!」

 

 兼定の刀先は呂布の首を捉え、迷いなく一刀した。

 さすがの呂布でも、頭と身体を切り離されたら活動することが出来ない。呂布は敗北を認めることも、生を懇願することもできないまま、頭が地面に転がるのと同時に、この世界から消滅した。

 

「土方さん!!」

 

 兼定は呂布の消滅を見届けると、誰よりも先に土方に駆け寄った。

 土方は辛うじて立っていた。刀を地面に突き、杖のようにしがみついている。

 

「お前は……」

「なんで、あんたは……こんな無茶をするんだ!?」

 

 立香も今剣を抱えたまま土手から飛び出し、土方の元に駆け寄る。

 

「どういうことだ?」

 

 立香の隣を走る山姥切が、疑問の声を出した。

 

「あの男、先ほどまでは平然としていたが……」

「不滅の誠……それが、土方さんの宝具なんだよ」

「不滅の、誠?」

「……そこにいるのは、立香か」

 

 土方の眼が、立香を視止めた。

 彼は何か言おうとした。だがしかし、その言葉を遮るように、兼定が切羽詰まった顔で尋ねてくる。

 

「不滅の誠って、どういうことだ?」

「……発動中は肉体の損傷による身体能力の劣化を一時的に無効化して、相手を屠るまであらゆる手段を使い戦闘を継続することが可能な宝具。それが、不滅の誠」

 

 それは、土方歳三の狂気の具現化だ。

 

「土方さんが……己こそが、己だけが、己ある限り、誠の旗は不滅。それを顕現した宝具……だけど……」

「効果が切れたら、ダメージが一気に噴き出す諸刃の剣じゃき」

 

 立香の言葉を岡田以蔵が引き継いだ。

 兼定の眼が見開かれ、恐怖で顔が歪んでいく。

 

「そんな……じゃあ、土方さんは、このまま……」

「……ッ、」

 

 立香は歯を食いしばる。

 いまだ目を覚まさない今剣を強く抱きしめる。

 

 画面越しだったが、清光も陸奥守も元主と楽しく会話することができていた。

 今剣は本来の主の命を無視し、呂布や巴御前と戦うくらい、牛若丸のことを探し求めていた。

 刀の付喪神にとって、元の主との再会は奇跡と表現しても過言ではないのだろう。

 

「俺は……今度こそ、土方さんの傍にいることができたのに……一緒に戦って、守り切りたかったのに……!!」

 

 兼定の号哭は、立香の胸を締め付けた。

 今剣を抱きしめる手元に目を落とす。そこには、二画の令呪が残っていた。

 

「……令呪を持って、命ずる」

 

 立香は覚悟を決めると、静かに魔力を回した。

 

「土方歳三、再び進軍せよ!」

「おい、何を言ってやがる!?」

 

 兼定は怒りを込めた目を立香に向ける。

 

「あんたは……こんな状態の土方さんに、まだ戦えって言うのか!?」

 

 立香は黙って首を縦に振る。

 

「私も……まだ、土方さんに死んでほしくない」

「……ああ、俺もまだ止まれねぇな」

「……えっ?」 

 

 兼定は驚いたように振り返る。

 土方歳三の怪我がみるみる間に回復し、左腕も生え、切り裂かれた服までもが治っていく。それは、傷ついた清光が、栗を食べたときの光景と似ていた。

 

「令呪の魔力で、土方さんを回復させたの」

 

 立香は、信長の宝具の威力を魔力で底上げしたように、土方に膨大な魔力を与えることで、崩れかけていた霊基を回復させた。心臓を貫かれていたら話は変わっていたが、辛うじて直撃は免れている。完全復活には時間がかかるだろうが、これで七割程度は回復できるはずだ。

 令呪は赤く輝くと、残り一画を残して消失する。

 その文言は「復活せよ」でも「回復せよ」でも良かったが、「進軍せよ」が彼には一番似合っていると感じた。

 

「なるほどな」

 

 山姥切が納得するように頷いた。

 

「つまり、藤丸の手に刻まれた勝栗か」

「うーん。それとは、ちょっと違うけど……」

「おい、マスター。ところで……」

 

 土方が何か言いかけた、その刹那。黒い塊が土方に飛びついた。

 

「誠の旗は不滅だってことは、分かるけどよ……あんな戦い方は、酷すぎるだろうが」

 

 和泉守兼定だ。

 彼は、土方の両肩に手を乗せ、震える声で訴えている。白い頬に涙が一筋、静かに伝っていた。

 

「死んだ後も……自分を傷つけながら、胸に穴あけながら、死ぬまで戦うなんて……あんまりじゃねぇか」

「……?」

「不滅の誠を掲げたいのは分かる。でも、俺は……土方さん。あんたに、これ以上、傷ついて欲しくない」

「お前、なに言ってやがる?」

 

 土方の淡々とした問いかけに、兼定は悲し気に微笑んだ。

 

「……そうだよな。初対面の相手に言われても、気色わりぃよな……」

「だから、何を言ってる。

 お前は、和泉守兼定だろう?」

 

 土方が発した疑念の言葉に、兼定は勢いよく顔を上げた。

 

「な、なんで、それを……?」

「あぁ? 自分の刀を忘れる持ち主が、どこにいるって言うんだ」

 

 対する土方歳三は、特に何も思ってないような平然とした顔で……だけど、口元に小匙一杯分ほどの自身を滲ませた微笑を浮かべ、兼定を見返した。

 

「新撰組の刀なら、立ち止まるな。進み続けろ。進み続けて『新撰組はここにあり』と世界に見せつけろ!

 俺の刀なら、そのくらいするはずだ」

 

 兼定は空気銃で撃たれた小鳥のように、目を丸くしている。

 やがて、彼は半分泣きながら、どこか無邪気な子どものように笑った。

 

「……ああ、分かったぜ。

 なにせ、俺はかっこよくて強い、土方歳三の愛刀だからな!!」

 

 沈みゆく夕陽が、兼定の横顔を蜂蜜色に染め上げる。

 土方歳三が英霊になってからも掲げた旗を、付喪神である彼も掲げる。

 不滅の誠、ここにあり。

 彼らの中で、これからも新撰組の志は永遠に続いていくのだろう。

 

 

 

「……スター!……マスター!!」

 

 立香が目尻を緩めて2人を見守っていると、川下から耳に慣れた声が響いてきた。 

 橙色に染め上げられた大地の向こうから、黒髪の少女と少年が駆け寄ってくる。

 

「ノッブ! 清光!」

 

 太陽を背に走ってくる2人に向かって、立香は大きく手を振った。

 

 

 

 



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第六節
安宅の関(1)


 女の話をしよう。
 生まれた時から、天賦の才に恵まれていた。
 自分のため、この力を振るいましょう。
 憧れの人のため、この力を振るいましょう。
 しかし、大き過ぎる才とは禍をもたらすもの。
 
 行く手に待つのは、人の悪意か神罰か。
 どちらに転んでも、ろくなものではない。





 夜。

 京の街は静まり返っていた。

 遡行軍も夜は眠るのだろうか。

 戦闘音は聞こえず、不気味なまでの静けさが漂っている。

 

 立香は冷たい床に寝転がっていた。

 鈴鹿御前が隣で寝ている。まだ身体が本調子ではないのか、ぐっすり深い眠りに落ちているようだった。立香は彼女を起こさないように、音を出さずに立ち上がる。隣室では、江雪斎や今剣たちが眠りについていることだろうから、そちらの眠りも妨げないように、慎重に足を運んだ。

 

 

 

 立香は肌寒い境内を歩きながら、数時間前の出来事に思いを馳せた。

 

 

 

『いやー、マスター! 無事で良かった!』

 

 信長はからっと明るい笑い声を上げ、清光は陸奥守たちを見て安堵の息をついた。

 

『というか、なにゆえ、ダーオカが味方側に!?』

 

 信長が尋ねてきたので、立香は正直に答えた。

 岡田以蔵が立香と山姥切を捕らえていたこと。そして、陸奥守が戦いを通じて、彼の洗脳を解いてくれたこと。そのすべてをかいつまんで説明する。

 

『あー……それは納得するわー。凄く洗脳とかされそうだわー』

『おいっ!』

『それはさておき、新たな刀が加わっておるようじゃ! まっ、わしのへし切の足元にも及ばぬようじゃがのう!』

『……その長谷部に口をきいてもらえないどころか、視界にすら入れさせてもらえてないじゃん。当然だけど』

 

 わっははと楽し気に笑う信長の隣で、清光が憐れむような目を向ける。

 

『なんか、わしに対して厳しくない!?』

『そりゃ、あの人のことを馬鹿にされたらね……』

 

 清光が目を逸らしながら答える。

 立香は信長が沖田総司のことを『弱小人斬りサークルの姫』と言い切ったことを思い起こした。元の主を慕う相手の前で、元の主の悪口を言ったら、それは嫌われるに決まっている。むしろ、よく2人で組んで探索を続けてこれたなと感心した。清光が心を広く持ったか、信長がまったく気にせず突っ走ったか。おそらく、その両方だろう。

 

『兼定たちも無事で良かったよ』

『おう、清光も無事で良かったぜよ!』

 

 陸奥守たちはそれぞれ勝栗を食べ、体力と疲労度を回復させていた。

 今剣にも栗を食べさせ、怪我と衣服を回復させたが、よほど疲れていたのだろう。そのまま、ぐっすりと眠りに落ちてしまった。

 立香が今剣を背負い、信長たちの拠点に向かいながら、これまでの情報を交換する。

 

『ふむ。呂布と巴御前を倒したのか……では、残すところ、敵対サーヴァントは天草四郎時貞だけじゃ』

『天草四郎ちゅーと、島原の乱の首謀者じゃな?』

『うん。純粋な攻撃力だとノッブや土方さんの方が遥かに強いけど、敵にしたときの厄介さは天草四郎の方が上かもしれない』 

 

 立香はこれまで培った経験をもとに答えると、兼定が心外そうな顔で腕を組んだ。

 

『なんだよ。土方さんの強さを見ただろ? あれより上だってのか?』

『土方さんも厄介だけど、天草四郎は相手の行動を強制的に停止させ、自身の火力を上げてくるの』

『おまけに、あやつはのう……洗礼を詠唱して魔力を急速に高め、短いスパンで宝具を撃ってくるのじゃ。しかも、マスターの援護や自分のスキルで回避や無敵状態を維持しようとしても、あやつの宝具はそれらを突破して直に刺さる』

『……本当、厄介だよね……』

『うむ、厄介じゃ……』

 

 立香と信長は同時にため息をついた。

 カルデアにも天草四郎がいる。だが、彼は聖杯が手に入ると分かると、迷うことなく敵対してくる。それを覚悟で契約を維持し続けているのだが、ついこの間も、聖杯を貯めている倉庫の鍵を手に入れようと暗躍しているところを発見し、近くにいた信長や沖田の手を借りて、彼を成敗したばかりだった。

 

『……1つ、いいか?』

 

 山姥切が疑問の声を上げる。

 

『天草なる男にしろ、先程の呂布や女武者にしろ、藤丸たちは敵のことを知っている。

 あいつらは、かるであから来た仲間なのか? それとも、藤丸から反逆した者たちなのか?』

『あー……えっと、説明してなかったっけ?』

 

 立香は頬を掻いた。

 

『巴御前も呂布も天草四郎も、カルデアにいるよ。私が召喚したから。

 でも、ここに召喚された天草たちは、私のことを知らないし、カルデアの天草たちも聚楽第で召喚された彼らを知らない』

『……どういうことだ?』

『そこは、わしが説明しよう!』

 

 信長が手近な木の枝を拾うと、ドヤ顔で地面に絵を描き始めた。

 

『わしらは死んでる。わしは本能寺でミッチーに殺されたし、そこの人斬りサークルの男も死んるし、ダーオカも死んでる。

 じゃが、わしらは死んでからも、それまでの功績が信仰を生んだ。ほら、わしを主役にした物語とか、たくさんあるじゃろう? あれも、信仰の証じゃ!』

『……確かに、主が信長が異世界に飛ばされて、エルフと協力して世界を救う話を読んでいたっけ……』

『よく分からないが、そういうことじゃ。

 わしらは、その信仰をもって人間の守護者として、英霊の座に魂が登録されておる』

 

 信長は円を描く。

 中央に大きく自身の名を書き記しながら、言葉を続けた。

 

『細かい説明は省くが……簡単にいえば、つまり人間の世界に危機が訪れた時、ここに登録された英霊を召喚される。わしらは、そうして立香に召喚された』

 

 円の中から、外側へ矢印を書く。矢印の先に同じく丸を描き、名前を印した。

 

『じゃが、これはわしの本体ではない。魂自体は、英霊の座にあり続ける。

 わしが死ねばこの世から消失する。再度、マスターがわしを召喚しようとしても……』

 

 信長は書いたばかりの丸にバツを付け、また中央の大きな丸から矢印を引いた。

 

『それは名前も容姿も趣味趣向考え方も一から十まですべてが同じ織田信長でも、別の織田信長じゃ。記憶まで引き継ぐことはできん』

『ふむ……のう、信長公。つまりじゃな……』

 

 陸奥守が口元に指を添え、考えながら話し始めた。

 

『龍馬を何人も召喚しても、その龍馬はそれぞれ同じじゃが、まったく別の存在でもあるっちゅーことか?

 召喚されちゅーてから重ねた経験で、同じ龍馬でも違う選択をすることもあるってことじゃか?』

『そういうことよ。分かったか、山姥切?』

 

 信長は再度、山姥切に目を戻す。

 彼の表情は白い布のせいで、立香からよく見えない。だけど、声色が堅く強張っていることだけは分かった。

 

『……写しなのか?』

『ん?』

『お前たちは、英霊の座とやらにいる本体の写しだというのか?』

 

 山姥切が尋ねると、信長はきょとんとした顔になった。

 

『うむ、言われてみればそうじゃのう。わしらは本体の写しじゃ。

 ま、それでも、わしは第六天魔王波旬織田信長その人よ。お主もそうよのう、土方?』

『あん? 俺は新撰組だ』

『……』

 

 山姥切は黙り込んだ。

 わずかに歩みが遅くなる。立香が彼に声をかける前に、信長が話しかけてきた。

 

『……すっかり暗くなってきたのう。マスター、今日はここでしまいじゃ』

『うん、そうだね。今日は休んで、明日、聚楽第に乗り込む方法を考えよう』

 

 

 ……こんな具合で、信長の拠点まで辿り着いた。

 

 江雪斎側も一人もかけることなく、これでサーヴァントは信長、土方、鈴鹿、以蔵と疑似サーヴァントの風魔小太郎の五人。刀剣男士は清光、岩融、山姥切、陸奥守、兼定、そして今剣の六振り。かなりの戦力が揃ってきた。

 江雪斎は英霊と付喪神が増えたことに驚いたが、特に際立っての反応は見せなかった。以蔵たちが未来の存在だったからだろう。

 とにもかくにも、まだ合流できていない刀剣男士や牛若丸の行方も気になる。

 ただ、ひとまずは、安心して身を休めることが出来る。

 

 

 だけど、その前に、立香はある人物に呼び出されていた。

 

「えっと、確かこの辺だったっけ……?」

 

 月灯りを頼りに、指定された場所へ赴く。

 境内の角を曲がると、縁側に腰を下ろす白い影が見えた。立香が話しかける前に、その人物が口を開く。

 

「……呼び出してすまない」

「別に構わないよ」

 

 立香は山姥切国広の横に腰を下ろした。

 

「……お前は、英雄の写しと契約している。写しに何を求めている?」

「何をって……特に考えたこともなかったな」

 

 立香は悩みこんだ。

 

「求めているっていうか、協力してもらっているっていうのかな。私一人だと、聖杯を回収することもできないし……そもそも、信長たちを写しとか偽者とか、深く考えたこともないや」

「……そうか」

「でも、どうして?」

 

 白い布のせいで、山姥切の表情はよく分からない。 

 ただ、わずかに見える横顔は、なんだか寂しそうに見えた。しばらくして、山姥切は重たい口を開く。

 

「……俺は写しだ。そして、今回の部隊長を任されている」

「それって、山姥切さんの主から頼りにされてるってことじゃない?」

 

 彼は写しであることを影にしているようだが、そこを気にする主なら部隊長を任せない。

 立香はそう思ったが、彼の口元は自嘲気味に笑った。

 

「俺は……今回が部隊長三回目だ」

「三回も任されているなら……」

「たった三回だ。

 誰もが二度は部隊長を命じられる。

 一回目は単騎出陣だ。顕現されてすぐ、1人で難易度の低い戦場に降り立ち、まずは戦い方を学ぶ。

 二回目は、そのすぐあと、部隊長として安全な位置から、先に顕現された刀たちの立ち回りを見て学ぶ。

 ある程度学んで練度を高めたら、正式に第二から第四までの部隊に配属される。俺は……ずっと、第二部隊で戦ってきた」

「第一部隊は?」

「……第一部隊は精鋭ぞろいだ。練度が際立って高く、修行に出た経験のある刀が所属している。

 加州や長谷部、和泉守も第一部隊所属かその控えの精鋭だ。

 今回の出撃は異例でな……第二部隊の出撃が政府から命じられ、第二部隊を補強するために彼らが入った。俺は……その彼らをまとめる隊長になった」 

 

 山姥切はここで言葉を切った。

 

「つまり、そんな異例の事態なのに、どうして隊長を任せられたのか分からないってこと?」

 

 立香が尋ねると、わずかにこくりと頷いた。

 白い布が夜風に揺れ、悲し気に潤む青い瞳が見え隠れする。

 

「……最初は、第二部隊をよく知る俺が選ばれたのだと思った。

 だが、二度目の出撃で大幅に入れ替えがあったときも、俺が隊長に命じられた。……主は、写しの俺に、何を期待している? 実際、俺はここに来てから……ほとんど役に立っていない」

 

 山姥切は苦しそうに言葉を絞り出す。

 

「俺は……加州を残して帰還してしまった。大和守と今剣を止めることもできなかった。

 せめて、失態を挽回しようと出陣したが、こちらに来てすぐに部隊がばらばらになり、無様にも捕まった。

 陸奥守に助けられてからも、俺は……なにもできていない。遡行軍と戦ったが、梅雨払いにもならなかった」

「山姥切さん……」

「藤丸を助けたのは当然だ。俺でなくても、助けていただろう。

 ……主は、どうして写しの俺を……この隊で、誰よりも練度の低い俺を今回の部隊長にしたのか……英雄の写しを使役するお前と話せば、なにかつかめるかと思ったが……」

 

 山姥切は嘆息をつく。

 立香はすぐに答えることが出来なかった。

 なにしろ、彼の言う主を知らない。主の趣味趣向どころか、性別すらも教えてもらっていなかった。だから、彼の主が何を考えたのか、推測することも難しい。

 ただ一つだけ、ぼんやりと思ったことがあった。

 

「私は……自分に力を貸してくれる信長たちが、偽物でも……本物だと思っているよ」

 

 上手く言葉にするのは難しい。

 下手に言葉にすると、彼を傷つけてしまうかもしれない。悩みながら、少しずつ言葉を口にしていく。

 

「彼らは今、私の目の前にいるから。生きてるっていうのとは、少し違うかもしれないけど……私にはノッブはノッブだし、以蔵さんは以蔵さん。

 特異点で出会った巴御前とカルデアの巴御前、そして、今日会った巴御前がそれぞれ別人に思えるし、それぞれが偽者だなんて感じたことはないよ」

 

 下総の巴御前とカルデアに召喚された巴御前は違う。

 もちろん、今回であった巴御前もカルデアの巴御前と違う。だからといって、どちらかが偽者というわけでもなく、実際両方とも写し的な存在のわけだが、立香には両方とも今を生きている本物だと感じていた。

 

「山姥切さんも山姥切さんだよ。それは、主さんも同じなんじゃないかなって。

 たぶん、主さんが別の山姥切さんと出会っても、私と話している山姥切さんとは別の人だって感じると思う」

 

 そう口にしてから、なんだか前に話した内容と被っている気がした。

 もっと良い言い方があったのではないか。

 こういうとき、ホームズやダ・ヴィンチ、マシュならもっと気の利いたことが答えられただろう。

 

「俺は、俺……か」

 

 その言葉を最後に、静寂が周囲を包み込む。

 誰も何も言わず、ただ黙したまま縁側に座っていた。空に目を向ければ、幾億もの星が瞬いている。月のせいでかすんでしまっている星もあったが、それでも、夜空の大半を星が埋め尽くしていた。星を見ていると、自分がちっぽけな存在に思える。実際、ちっぽけな存在だ。1人では、サポートくらいしかできない。

 何光年も向こうから届く星の灯りは、立香をちっぽけで、他愛もない人間だと笑っている。

 

 それでも、星を眺めていると、ふと、思いついたことがあった。

 立香がその言葉を伝えようと口を開きかけた、その時だ。

 

『……い……先輩!』

 

 ノイズ音と共に、マシュの姿が投影された。

 

『ご無事でしたか、先輩!?』

「マシュ! 私は無事だよ。信長たちとも合流できた」

『良かった……安心しました』

『通信できる時間は少ないけど、随分感度が良くなってね。なにかした?』

 

 ダ・ヴィンチが問いかけてくる。

 

『特に何も……呂布と巴御前は倒せたけど、他には……』

『……呂布たちを倒したことが、鍵になったのかな。あるいは……』

 

 ダ・ヴィンチが考え込む。

 

『まあ、細かい話は後だ。今は新しいサポートについて話すとしよう』

「新しいサポート?」

『この忙しい時に、ミスター・ムニエルがね、こそこそとカルデアのサーヴァントが現地にレイシフトできるように調整していたんだ』

「ムニエルさんが!?」

 

 立香は驚愕のあまり、口を呆けたように開けてしまった。

 コフィンスタッフの彼には前科がある。アストルフォとデオンの頼みを断れず、アガルタに二人を密航させたのだ。結果としては、二人のおかげで特異点を解決できたわけだが、所長代行のダ・ヴィンチの許可もとらずに、サーヴァントを密航させた罪は重い。彼のボーナスは消え、月給も半額にされてしまったが、「二人の頼みなら悔いはない!」と開き直っていた。

 

 ……そんな彼は、今回も当初、沖田総司から「清光のところに行きたいから、レイシフトしたいから手伝って」と頼まれていたが、彼女を相手にせず、断っていた。

 当然である。

 なにせ、ムニエルの好みは男の娘。

 男性でありながら、女の子みたいな見た目の子。

 沖田総司は史実では男性として伝わっていたが、誰が見ても女性であり、実際に女性だ。ムニエルの好みではないし、よほどのことでないと、彼女の頼みは聞き入れないはずだ。

 

 立香の驚く顔を見て、マシュが申し訳なさそうに目を伏せた。

 

『……ミスター・ムニエルが、とあるサーヴァントを密航させる寸前に、こちらで察知しました』

『だが、こちらから新たなサーヴァントを送り込めるようになったのは僥倖だ。こうして、一度の通信につき一人のみレイシフトさせることができる』

「でも……また、はぐれちゃうんじゃ……?」

『その点は心配ご無用さ』

 

 ダ・ヴィンチが通信の向こうで、えへんと胸を張る。

 

『宇宙エレベーターを知ってるかい?

 カルデアから現地の立香ちゃんに向かって、レイラインを繋げる。そのラインを通じて、サーヴァントを送り込むってことさ。本来は極めて難しく実現できない方法だが、今回の特異点では可能になっている。これも謎だが……解明するには時間がかかりそうだ』

「それじゃあ、沖田さんが来れるってこと?」

 

 彼女が来れば戦力としては申し分ない。

 それに、清光も喜ぶことだろう。そう思ったのだが、ダ・ヴィンチは首を横に振った。

 

『うーん、最初は沖田君にお願いしようと思ったんだがね、彼女は病弱スキルで寝込んでるんだ』

「それじゃあ、龍馬さんは……」

『調べごとがあるみたいで、図書室から出てこない』

「……エミヤとか玉藻は?」

 

 赤い弓兵や狐耳のキャスターは、信長・土方・鈴鹿という濃い面々とも付き合うことが出来る。

 特に、エミヤは刀剣に眼がない。嬉々として刀剣男士たちともかかわり、共闘することができるだろう。そう思ったが、これも首を横に振られてしまう。

 

『どうやら、レイシフト適性があるサーヴァントが限られているようでね。

 エミヤも玉藻も適性がない。先ほど、こっそり乗り込もうとしていた清姫が弾かれていたよ』

「あー……それは……」

 

 よかったかもしれない。

 何も知らずに、後ろから這いよる清姫とか、SAN値チェックものだ。彼女の火力は頼りになるが、怖い。生命の危険や女として大事な何かを失ってしまう気がする。

 

『だから、いま捕まえた彼を試しに送ってみるよ。立香ちゃん、令呪に魔力を回してみて。それで、繋がりが強化されるから』

「は、はい」

 

 立香は右手を前に突き出すと、残り一画となった令呪に魔力を集中させた。

 令呪は赤く輝きを増し、それに呼応するかのように、立香の少し前に白い渦が巻き始める。地面にばちばちと稲妻のような閃光が白い渦を巻き込みながら円を描き、急速に回転する。

 

 

 そして、白い煙の中から現れたのは―――……。

 

 

 

 

 

 



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安宅の関(2)

「……えっと、ということで、新しくカルデアから来てくれた人です」

 

 立香は気まずい思いで、話し始めた。

 立香の前には、現在合流できたメンバーが全員集っている。立香の後ろに立っている追加サーヴァントの気配を重く感じながら、自己紹介しようと手を挙げた。

 

「その……この人が武蔵坊弁慶です」

 

 立香は仁王立ちした僧兵に手を向ける。

 

「武蔵坊弁慶。槍兵です。よろしくお願いします」

「……弁慶?」

 

 清光の視線を感じる。

 立香は顔を背けた。

 カルデア側には、弁慶の抱える諸事情を清光や岩融に伝えたことを報告していなかった。もし、報告していたら、彼にレイシフト適性があったところで、送り込まなかっただろう。

 

「はい、拙僧は武蔵坊弁慶。義経様のあるところ、弁慶あり。義経様の捜索に尽力を注ぎますので、以後、よろしく」

「ほー、源平合戦の弁慶じゃか!」

 

 事情を知らない陸奥守が感心したように頷いている。

 

「岩融、おんしの元主ぜよ!」

「……」

「えっ、弁慶様の薙刀が……はっ、いえ、拙僧の薙刀が付喪神となっていたとは! はっはっは、いやはや、驚きました」

 

 弁慶こと海尊は素で答えてしまったが、すぐに弁慶の仮面を被り直す。

 

「義経様の護り刀が付喪神に昇華されたとは聞いておりましたが、その理論で言えば、弁慶の薙刀も付喪神になられるのは当然のこと! ありがたや、ありがたや」

「ふーん……あんたが弁慶、ねぇ……」

 

 岩融がじろりと品定めするように殊更目を細める。

 弁慶は知らない。岩融が弁慶のことを常陸坊海尊だと知っていること知らない。だが、ああ見えて弁慶は周囲の気を読むことに長けている。岩融から疑われていることが、分かったかもしれない。

 弁慶は

 

「そうですぞ、拙僧が弁慶。ええ、間違いなく武蔵坊弁慶です!」

 

 と答えてはいたが、口調に必死さが滲んでいた。

 岩融が弁慶を薄く睨んだまま

 

「弁慶殿、縮んでおらぬか?」

 

 と言った。それを受け、兼定と陸奥守が二人を見比べる。

 

「あー、確かに、岩融の方がでかいな」

「弁慶の方が一回り小さいき。げに不思議じゃのう」

 

 兼定たちも疑問を抱き始める。

 そんな彼らに対し、弁慶は素早く切り返した。

 

「疑われるのも当然。ですが、拙僧は沖田殿が女の世界出身ですぞ? 少しくらい背丈が変わっていても不思議ではありませぬ。それに弁慶の薙刀であれば、その背の高さは当然のこと。ええ、使い手である弁慶より大きくて当然なのです! ほら、誰でも、自分より大きい薙刀を使うでしょう?」

「まあ……龍馬が標準語しゃべる世界じゃからのう……」

「んー、でもよ。こう言っちゃ悪いが、弁慶ってもっと、こうずっしりとしたイメージだったぜ」

「はははっ!」

 

 弁慶は笑って誤魔化している。

 焦って少し仮面が取れかけているが、本人は必死になって取り繕っている。

 岩融は少し黙ったまま、弁慶を見ていた。細められた金の瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。弁慶こと海尊の顔色が一段階青ざめたように見える。

 岩融はギザギザの歯を見せつけるように口を開き、そして――……

 

「……がっはっは。そうか、俺の勘違いか!」

 

 豪快に笑った。

 

「まさか、今生で出会えるとは思ってもいなかった。これからよろしく頼むぞ!」

「拙僧の方こそよろしく頼みますぞ、岩融殿!」

 

 はっははと二人して笑い合う。

 弁慶の空気が少し安堵したように緩んだのは、たぶん気のせいではない。

 

 立香は、あとで岩融に謝りに行こうと思った。

 ここで岩融が正直に「海尊」と呼んだら、なんというか、非常に面倒な事態になっていた。立香は自分の軽はずみな発言を反省しながら、弁慶と一緒にレイシフトしてきてしまった人に目を向ける。

 

「それから、もう一人。カルデアから来たのは……」

「はい! 僕は織田信勝です」

 

 織田信勝は、敬愛する姉の傍らに佇み、幸せ絶頂と言わんばかりの表情で答えた。

 この織田信勝こそ、ムニエルに頼み込み、レイシフトの方法を模索させた張本人だ。

 

「姉上~! お会いしとうございました~!!」

「ええい、離れろ、暑苦しい!」

 

 信勝は子犬のようにじゃれつくが、姉は鬱陶しいように声を上げた。

 

「というか、そもそもお前、虚ろな霊基設定はどうしたのじゃ!? なぜ、まだカルデアにおる!?」

「ええ、霊基が弱いおかげで、弁慶殿のレイシフトに相乗りすることが出来ました! 姉上と僕がいれば、向かうところ敵なしです!」

「……あの……1つよろしいか?」

 

 江雪斎が疑問の声を出した。

 

「信長公が女であったことも驚きだが、わしの知る限りでは信勝殿は信長公に反逆したはずでは? 信勝殿はその、信長公を慕っておられるように見えるのだが?」

「ええ、その通りです」

 

 信勝は笑顔で答える。

 

「だって、あの馬鹿な家臣たちは姉上を認めなかった。だから、焚きつけてやったんです。結果は見事、あいつらは姉上の手によって粛清されました!」

「そ、そんな真実だったとは……」

「うむ、江雪斎。それが真実なのじゃ……」

 

 信長も目を逸らす。

 

「ところで、姉上。どれが姉上の刀の付喪神ですか?」

 

 信勝は険しい表情で刀剣男士を一瞥する。

 

「姉上の刀でありながら、姉上の素晴らしさを認めようとしない不届き者はどいつです?」

「……素晴らしさ、だと?」

 

 長谷部が表情一つ変えずに反応する。

 

「この女のどこに褒められた点がある? ふざけた言動で周囲を欺く、人間味の欠片もない外道だ」

「はぁ、何を言ってる。それこそ、姉上の優秀さの一面だろうが。姉上! 姉上の傍近くにいながら、姉上の良さを理解しない不届き者を斬り捨てましょう!」

「お前程度で俺が折れると、本気で思ってるのか?」

「ええい、信勝もへし切もステイ! そこまでじゃ!! 話が先に進まん!

 なにはともあれ、戦力が増えた。これは僥倖じゃ」

 

 信長が無理やり舵を切る。

 信勝はしゅんっと落ち込み、長谷部は堅い表情のまま黙り込む。特に長谷部は徹底的に信長を視界に入れないようにしているのか、信長が話し出すと瞼を閉じた。

 

「おそらく、この戦力でも聚楽第へ攻め込める。

 聚楽第を正面を攻める陽動部隊と裏手から侵入する部隊に分かれれば、簡単に最奥部まで到達できよう」

「ちょっと待って」

 

 ここで、清光が口を挟んだ。

 

「俺としては、聚楽第に乗り込む前に安定を探したい。

 あいつ、無謀なことして、大怪我しそうだからさ……早く見つけたいんだよね」

「……ぼくも、よしつねこうを……さがしたいです」

 

 清光の言葉に続けるように、今剣も囁くように意見を述べた。

 

「拙僧も今剣殿の意見に賛成ですな」

 

 弁慶がにこやかに口を肯定する。弁慶が賛成してくれたことを受け、今剣の表情がぱあっと明るくなった。

 

「べんけいどの、ほんとうですか!」

「無論です。主君たる義経様を探さずして、なにが従者でしょうか?」

 

 弁慶はさらっと言ってのける。

 弁慶の正体を知らない今剣は感激で赤い瞳を輝かせているが、立香は彼の本心が分かっていた。もちろん、彼が語った理由は八割がた本当だろう。だが、残り二割は「先に敵の本拠地に乗り込んだと義経に知られた暁には、あとで何をされるか分からない」という理由に違いない。

 

「俺も……全員が揃ってから攻め込むことに賛成だ」

 

 山姥切が声を上げる。

 

「ソハヤノツルキの場所も分かっていない。監査官も行方知らずだ。

 俺には……今回の部隊長として、全員揃って帰還させる義務がある」

 

 彼の青い瞳は強い意志を込められていた。

 

「江雪斎殿には悪いが、聚楽第を攻めるのを待ってもらいたい」

「……ふむ、主らの意見は最もじゃ。しかし、あまり悠長に時間をかけるわけにもいかん」

「そんなら、今日は捜索の日にするのはどうじゃ?」

 

 陸奥守が提案をする。

 

「これだけ人数がおるがよ。大和守を探索する班、義経公を探索する班、ソハヤノツルキを捜索する班、監査官を捜索する班、それから、聚楽第を調査する班とここを護る班。その6班に分かれることくらい、どーってことないはずや。

 連絡は、ちっこい信長公を使えば問題ないろう?」

 

 彼は指を順番に五本立てながら説明する。

 

 陸奥守の言う通り、弁慶や信勝まで人員が増えた。

 班を分ける程度、全く問題ない。それに、突入が一日延びたところで特別な問題が起きるとは思えなかった。事実、誰も異論を唱える者はいない。

 

「ほんじゃ、2人ずつ班を分けよう思うけんど……」

「あ、ちょい待ち」

 

 鈴鹿が手を挙げた。

 

「ソハヤノツルキだっけ? あたし、そいつの捜索してもいーけど」

「鈴鹿? 大丈夫? 待機していた方がいいんじゃない?」

 

 立香は彼女を心配した。

 土方とは異なり、彼女は完全に霊基を回復できていない。休んで回復傾向にあるとはいえ、戦いの傷は癒えていないはずだ。そう思ったが、鈴鹿は平気そうに手を振る。

 

「へーき、へーき。マスターは心配しすぎって感じ。ってことで、あたしはその刀剣の捜索班ってことで。かしこまり?」

「別に構わんぜよ。他に希望がある奴はおるか?」

「俺は別にどこでもいい」

 

 長谷部が瞼を閉じたまま、静かに言った。

 

「ただし、織田信長を名乗る女や信奉者と同じ班は御免だ」

「姉上のことを外道だと? 刀の付喪神風情が」

「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて」

 

 立香が間に入ったが、二人は険悪な空気を崩さない。

 

「俺は土方さんと一緒がいいな」

「お前は俺の刀だろ。一緒に行動するのは当たり前だ」

 

 ぎすぎすした織田組と比べると、兼定と土方の仲は良好だ。土方が沢庵を食べているので締まらないが、この二人なら同じ班でも仕事をきっちりこなすことができるだろう。

 陸奥守は信長と相談しながら、それぞれの班を決めていった。

 

「よし、決まりじゃ!」

 

 信長が班を書いた半紙を掲げた。

 

「大和守安定捜索班は、加州清光と山姥切国広

 ソハヤノツルキ捜索班は、和泉守兼定と土方歳三と鈴鹿御前

 牛若丸捜索班は、今剣と弁慶

 監査官捜索班は、へし切と岩融

 聚楽第偵察班は、わしと陸奥守吉行。

 待機組は、ダーオカと信勝、それから風魔小太郎で決まりじゃな。異論がある者はおるか?」

「姉上! なぜ、僕は姉上と一緒じゃないんですか?」

 

 真っ先に信勝が反対する。

 

「だって、信勝。お前、戦闘能力皆無じゃん」

「えー、僕だって戦えますよ。ちっちゃい姉上を改造した奴を作ったのは、僕なんですよ?」

「あー……だからこそ、ここを護って欲しいのじゃよ。ほれ、あれじゃ。ここは重要な拠点じゃ。実の弟であるお主にしか任せられない」

「僕にしか、任せられない……? はい、不肖信勝。全身全霊で頑張ります!」

 

 織田信長は信勝を言いくるめる。

 立香はリストを眺める。おそらく、ソハヤノツルキのところだけ三人なのは、鈴鹿が万全ではないことを考慮したからだろう。

 

「あの、べんけい殿はいいのですか?」

 

 今剣が不思議そうに首を傾ける。

 

「岩融とおなじはんがよいかと おもったのですが」

「はっはっは。心配ご無用ですぞ、今剣殿。

 拙僧が弁慶の薙刀の付喪神と一緒に行動するなど、畏れ多くて出来ません」

「俺も彼と行動を共にするのは、気恥しさのあまり薙刀を振るう手が鈍りそうだ」

「さすが、弁慶の薙刀! 拙僧の気持ちをよく分かっておられる!」

「いやはや、さすがは武蔵坊弁慶。俺の気持ちをよく考えているな」

 

 立香は二人のやり取りを少し白けた顔で見ていると、信長がこちらに話しを振ってきた。

 

「あとは、マスターの班じゃ。マスターはどこに入りたい?」

「あ、そうだ。私が入っていないや」

「マスターはわしらサーヴァントの指揮官じゃし、どうやら敵から狙われておる。本来なら待機組にした方が良いのかもしれんが、マスターは実際に出て力になりたいのであろう?」

 

 信長の問いかけに、立香は頷いた。

 他の人たちが命がけで戦っているのに、ましては、自分にも戦う術があるのに、安全な後方で待っているなんて耐えられそうになかった。

 

「それなら、好きな班を選ぶのじゃ。もっとも、聚楽第偵察は駄目じゃ。そこは危険すぎるからのう」

「それは分かってるよ。

 だから、私は……ここに行く」

 

 悩む時間は短かった。

 立香はリストから、すぐに1つの班を指さした。

 

 

 

 

 




復刻版聚楽第からぐだぐだ本能寺ファイナルが終わるまでの短期連載だったはずなのに、まだ六節目。期間内に終わらなくて涙。
とはいえ、この辺りが折り返し地点。
ギリシャ異聞帯が来る前に、絶対完結させて見せる!!



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安宅の関(3)

 京都 三条大橋。

 

 昨日の呂布戦と巴御前戦の痕が生々しく残されている。

 元々、牛若丸と巴御前の戦いで一帯は焼け野原になっていたが、橋すら燃え落ちてしまっていた。一夜明けたためか地面から立ち上る熱は感じない。立香が黒ずんだ橋に爪先を置くと、ばらばらと炭化し、破片が川へと落下していった。

 その様子を見ながら、立香はがっくりと肩を落とした。

 

「牛若丸と別れたのはこの辺りだったけど……」

 

 手がかりになりそうなものは、まるでなかった。

 

 

 立香が加わったのは、牛若丸捜索班だ。

 自分のサーヴァントである彼女を探すのは当然だし、聚楽第に来たばかりの弁慶と昨日無茶したばかりの今剣が心配だったということもある。立香は足元にちびノブを感じながら、草をかき分けながら川岸を捜索した。

 

「……これだと、むこうぎしにもいけませんね」

 

 今剣は岸の向こう側を寂しそうに眺める。

 

「この向こうとなると、粟田口の辺りですな」

「あわたぐち?」

 

 弁慶の言葉に立香は首を傾げる。

 

「清水寺とか八坂神社じゃなくて?」

「あの辺りの地名のことです。粟田口と言う名の刀工が住まいを構えていた場所ですね」

「あわたぐちのかたなでしたら、ほんまるにもいますよ」

 

 今剣が付け足しするように教えてくれた。

 

「とくに、あわたぐちの乱藤四郎さんは、加州さんについで2ばんめに、ほんまるにきた刀なんです」

「へぇー、そうなんだ」

 

 さすがは、昔の政治の中心地だ。

 武器である刀とも密接に関わり合っているのだと感心する。 

 

「ふむ、しかし、ここに義経様の手がかりはありませんな……」

「もしかしたら、川を下っていったのかもしれない。巴御前が川に落ちたって」

 

 立香は川下に目を向ける。

 流れは速くないが、遅くもない。川底も、立香の足が付かない程度に深い。英霊である彼女が流されても、すぐ死には至らないだろうが、やはり心配である。

 

「では、かわしもをさがしましょう!」

 

 今剣が先頭を切って走り出した。 

 立香と弁慶もその後を追いかける。弁慶が走る度に、彼が背負った武器がかちゃかちゃと鳴り響いた。

 三条から四条へと下り、そのまま五条まで進んで行く。

 牛若丸に通じる手がかりはない。先のカルデアとの通信では、彼の霊基反応が消失したという記録はなかったらしいので、おそらくまだこの地に留まっているはずだ。

 

「マスター、安心してください」

 

 弁慶が気難しい顔を緩めて言った。

 

「あの義経様ですよ? そう簡単に死ぬわけがございません」

「そうですよ、ふじまるさん。よしつねこうがしぬわけありません!」

 

 今剣もにこっと笑った。

 牛若丸の無事を信じてやまない様子だ。立香も口元を綻ばし、頷いた。

 

「うん……そうだね」

 

 牛若丸が簡単に負けるはずがない。

 絶対に生きている。立香も思いを固め直し、鴨川に目を奔らせる。岸に見慣れた少女が転がっていないか、岸から誰かが打ち上げられた形跡はないか探していく。

 

「そろそろ、五条大橋ですな」

 

 弁慶が思い出したように、ぽつりと呟く。

 四条を通り過ぎ、少し先に大きな橋が見えてきていた。

 

「五条大橋? それって、どこかで……?」

「はっはは、それは義経記の話ですな。ほら、拙僧たちが召喚されたころ、マスターがお読みになっていたではありませんか」

「それだ!」

 

 立香はぽんっと手を打った。

 カルデアに牛若丸と弁慶が来たばかりの時、彼らをもっとよく知るために勉強した。その際に読んだ本が「義経記」。牛若丸の生涯を描いた物語だ。当然、物語の中では牛若丸が武蔵坊弁慶と出会う場面も描かれている。

 その舞台となっている場所こそ、五条大橋なのだ。

 

「武蔵坊弁慶は999本の刀を集め、1000本目の刀を牛若丸から奪おうとするんだよね」

 

 人は宝を1000本集めるもの、という言葉がある。

 武蔵坊弁慶はそれを実現しようとした。しかし、悲しきかな。彼には金がない。そこで武蔵坊弁慶は京の都に繰り出すと、夜な夜な刀を奪っていく。

 

「そのときのよしつねこうは、ふえをふきながらあらわれるのです!」

 

 今剣は笛を吹く真似をする。

 

「弁慶は五条大橋で義経様に負け、再び笛の音を頼りに清水寺で再度、戦うことになるのです」

「そこで、弁慶は牛若丸に忠誠を誓うんだよね」

「はい。そこから弁慶は、義経様の配下で一騎当千の強者として名を馳せることになるのです!!」

 

 弁慶は心の底から嬉しそうに笑った。

 他者から見ると自慢にしか聞こえない話だが、事情を知っている身からすると、真に弁慶を敬愛し誇らしく思っているのだと伝わってくる。

 個人的には、五条大橋の物語よりも、安宅の関の物語が好きだ。

 義経一行が奥州へ逃げる途中、安宅の関で疑いをかけられる。弁慶が偽りの勧進帳を読み、関を通り抜けようとしたが、義経がバレそうになってしまう。弁慶は咄嗟に義経を錫杖で叩き、疑いを晴らす。臣下が主君を叩くなどご法度だと、周囲は信じたのだ。

 関を抜けた後、弁慶は義経に涙ながら謝罪をするが、義経はむしろ彼を「よくやった」と褒めた。

 二人の強い絆と関係性が伝わってくる物語だ。

 

 きっと、弁慶……海尊もその場面に立ち会っていたに違いない。

 

「あれ、そういえば……義経記に海尊との出会いって書いてあったっけ?」

 

 つい疑問を漏らしてしまい、はっと口を閉ざす。

 すぐに流そうと思ったが、今剣は聞き逃さなかった。

 

「ひたちぼうかいそん、ですか……ぼくは、あまりよいかんじがしませんね」

 

 今剣が口を尖らせる。

 

「よしつねこうをみすてて、にげたひとですから」

 

 弁慶は何も答えない。

 肯定も否定もしなかった。今剣が弁慶に意見を求めるように顔を向けてきたので、立香は慌てて失言を取り返すように話し始める。

 

「でも、その人はその後、牛若丸の活躍や弁慶たちの剛を伝えて全国を回ったって聞いているよ」

「……いえ、マスター。いいのです」

 

 弁慶が静かに言う。

 

「その者は義経様と弁慶を見捨てて逃げた愚か者。その罪は数百年経とうと消えることはないのですから」

 

 あたりが沈黙に包まれる。

 どこか鉛を乗せられたように重い沈黙だった。戦闘音も何も聞こえない。ただ鴨川の流れる音だけが聞こえていた。

 否、せせらぎだけではない。

 そのせせらぎに混ぎって、酷く悲し気な旋律が耳に届いた。

 

「この曲……?」

 

 立香は調べの方へ視線を向ける。

 その笛の音は、確かに五条大橋から流れていた。よく見ると、橋の桟に一人の少女が腰を下ろしている。ほとんど服を纏っていない少女が、黄金色の笛を吹いていた。

 

「よしつねこう!!」

 

 真っ先に飛び出したのは、今剣だった。

 無邪気な子供のような笑顔で、その少女の元へと駆け寄る。少女も口元に薄ら微笑を浮かべていた。下半身は水着のような下着一枚で上半身は鎧を纏ってはいるが、ほとんど肌色。狸の尻尾のようなものを腰から下げ、烏帽子を被り、艶やかな黒髪を黒い羽根で留めている。

 そして、少女は左手で濃口を切ろうとしている。

 立香は目を大きく開けた。

 

「危ない、今剣君!!」

「えっ?」

 

 今剣が立香の方を振り向いたとき、彼は橋を渡り始めていた。牛若丸は彼の背後に迫り、今剣めがけて刀を振り下ろす。

 

「マスター、拙僧にお任せあれ!!」

 

 間一髪、弁慶が今剣の頭上を払うように、薙刀を振るった。乾いた金属音と共に、牛若丸の刀は弾かれる。彼女はたんたんっと後ろに跳び、にたりと笑った。

 

「ほう、間に合ったか」

「よ、よしつねこう?」

 

 今剣は愕然としている。

 大好きな元主が剣を向けてきたことが信じられなかったらしい。弁慶は彼の横に佇むと、静かに牛若丸を見た。

 

「今剣君、彼女は操られてる」

 

 立香も彼らのところへ駆け寄り、令呪を握りしめた。

 サーヴァントの契約は集中すると薄らと感じる。ただ、他のサーヴァント……たとえば、目の前にいる弁慶が凧糸のような繋がりだとすると、目の前の牛若丸との繋がりは蜘蛛の糸のように細く、いつ切れてしまってもおかしくはない。

 だが、間違いなく、カルデアから来た牛若丸だ。

 おそらく、岡田以蔵のように操られているのだろう。

 

「……弁慶、彼女を操っている道具があるはず。それを盗れば、彼女は元に戻る」

「マスター、それはおそらく髪留めでしょう」

 

 弁慶は薙刀を構えたまま答える。

 立香は牛若丸の髪留めに目を向ける。普段はタヌキの尻尾柄の髪留めが鳥の羽のように刺さっているが、漆黒に塗り固められている。岡田以蔵のマフラーと同じだ。立香はごくりとつばを飲み込んだ。

 

「ほう、貴様風情が私に立ち向かおうと」

 

 牛若丸はくすくすと笑う。

 

「いいだろう。お前の首など価値はないが、そこの短刀もろとも首を刎ねて、氏政様に捧げるとしよう!」

 

 牛若丸は最後まで言い切る前に、橋を蹴り飛ばす。巴御前の放っていた矢よりも速く、疾風のごとき素早さだ。弁慶は辛うじて薙刀で圧し留めたが、普段よりも振りが遅い。牛若丸が攻めに攻め、弁慶はやや後退しながら防ぐ。単純な力比べでは弁慶に軍配が上がるのに、完全に力負けしている。

 

 一方の今剣は攻撃態勢にすら入っていない。

 呆然と、敵対する元主を眺めている。

 

「どうして……なんで、よしつねこうが、あんなわるいことしてるひとのみかたをするのです!」

 

 今剣が胸を掻きむしりながら叫ぶ。

 すると、牛若丸は今剣の叫びを笑い飛ばした。

 

「むしろ、今剣。あなたはどうして、氏政様に付かないのです?」

「え……」

「あなたは人の世を恨んでいないのですか?」

 

 牛若丸は弁慶の攻撃を曲芸のように避けながら話し始めた。

 

「多くの悲劇のなかに、1つの偉業があったとしよう

 多くの犠牲のなかに、1つの奇跡があったとしよう。

 だが、その偉業は食い物にされ、辱められる! 奇跡を為したのに、憎まれ、裏切られ、殺し尽される!」

「それは……」

「人間たちはたったひとつの奇跡に群がり、陵辱して笑い合う!」

 

 牛若丸は弁慶の一撃を屈んで躱すと、そのまま彼の懐に入り込む。

 

「だから、私は氏政様に従う」

 

 彼女は弁慶の腹を蹴り飛ばした。

 八艘飛びを成し遂げる自慢の脚力は弁慶の巨体を軽々吹き飛ばし、あっけないくらい簡単に橋から落下する。

 

「氏政様の望む世界を作り、私のような者が二度と出ないようにする!

 裏切りも逆襲もない、平穏な世界を作るのだ!!」

「今剣君!!」

 

 牛若丸と今剣との間を阻む存在は誰もいない。

 

「ちびノブ、すぐに誰かに連絡して!」

 

 立香は悲鳴のように叫ぶと、サーヴァントを召喚する。

 目元に影がかかった聖女が紫色の髪をなびかせ、十字架型の杖で攻撃を阻む。召喚に応えてくれたサーヴァントは聖女マルタ。

 クラスは互いにライダー。

 マルタは牛若丸の攻撃を払いのけ、今剣を護るように橋の上に立つ。

 

「牛若丸の気持ちは分かった」

 

 立香は悲しい気持ちを抑え、まっすぐ牛若丸を見つめた。

 

「だけど、こんな街づくりは間違ってる! マルタさん、お願い!!」

 

 立香は手を前に向ける。

 マルタは、まっすぐ牛若丸へと向かって行く。

 

「ええ良いでしょう。そのつもりなら、希望を摘んであげましょう」

 

 牛若丸は嘲笑を口元に浮かべると、マルタと激突した。

 

 

 

 

 



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安宅の関(4)

 五条大橋で、二人の女性がしのぎを削っている。

 長身の女性は十字架を槍のように回し、小さな影が軽業師のように避ける。

 

 それはさながら、物語に描かれる義経と弁慶のようだと思ってしまう。

 事実、片方は牛若丸本人だ。そして、立香が召喚した聖女マルタは弁慶のように圧されている。

 

「抜きつけ、構えっ!」

 

 牛若丸は大橋の桟に降り立ち、刀を握り直した。あれはスキル「カリスマ」。攻撃力を上げるスキルを発動させたのだ。立香は素早くマルタに指示を飛ばす。

 

「マルタさん、聖女の誓いを!」

 

 彼女の「聖女の誓い」は相手を弱体化させ、防御を崩すスキルだ。

 ただでさえ攻撃力の高く、回避率の高い牛若丸を崩すためには、こちらもスキルを惜しみなく使う必要がある。そう思ったのに、マルタが誓いを唱えようとする隙を突き、牛若丸が攻撃を仕掛けてきた。マルタは動きを崩されてしまう。牛若丸はよろめくマルタの胸に躊躇いもなく刀を突きつけた。

 

「マルタさん!?」

 

 立香の叫びもむなしく、霊格を突かれた聖女は消失する。

 

「これで終わりですか、カルデアのマスター?」

 

 牛若丸がにたり、と笑った。

 立香は歯を食いしばる。

 

 マルタは牛若丸と仲の良いサーヴァントだった。

 数年前のクリスマスは荊軻を含めた三人で過ごしていた。三人そろって赤いセイバーを名乗る偽サンタクロースに騙され、金から家財からなにまでむしり取られてはいたが、それでも仲良くわいわい過ごしていた。そのことを思い出してもらえるかと考え、マルタを召喚したが、上手くいかなかったようだ。

 

「――ッ、まだ終わってない!」

 

 次のサーヴァントを召喚する準備に入る。

 マルタは駄目だった。では、次は荊軻だ。アサシンはライダーに刺さる。不安点としては、荊軻はあまり育成をしていない。牛若丸は70レベルに対し、荊軻は50レベル。同レベルのマルタが敵わなかった時点で、荊軻に勝ち目があるとは思えない。

 ここは、有利クラスのクレオパトラを召喚するか。

 だけど、立香は牛若丸を倒したいのであって、殺したいわけではない。クレオパトラを召喚すると、誤って彼女を殺してしまうかもしれない。かといって、それ以外に戦えそうなアサシンはいない。唯一、戦えそうだった燕青はカルデアにいないので召喚は不可能だ。

 

 では、次に誰を召喚すれば良いのだろう?

 

「ほら、終わりですよ!!」

 

 牛若丸が鉄砲玉のように迫ってくる。

 今剣は固まったまま動かない。弁慶は川から戻ってこない。立香は覚悟を決める。

 

「クレオパトラさん、お願いします!!」

 

 牛若丸と立香の盾になるように、蛇を従えた女性が煙と共に姿を見せる。

 ところが、女性が形作られる前に、牛若丸が首を一刀両断した。女性は声を発する間もなく、頭と胴体が分かれて消失する。

 

「嘘、なんで!?」

 

 確かに、レベル差は10しかなかった。

 しかしながら、それを考慮しても、ライダーがアサシンを一撃で倒すなんてありえない。立香は驚愕で目を見開き後ずさりする、が、牛若丸は逃げる暇を与えない。そのまま牛若丸は立香を押し倒し、馬乗りになった。

 

「サーヴァントを召喚したければ召喚すると良い。片っ端から首を切ってみせようぞ」

「そん、な……どうして?」

 

 圧迫されて、喉が詰まりそうだ。

 荒く呼吸をしながら、なんとかその言葉を絞り出す。すると、牛若丸は愉快そうに高笑いをした。

 

「傑作だ! 私をライダークラスだと思ったか? 今の私は凶戦士、全てのクラスに優位を保つバーサーカーのクラスだ!」

「ばー、さーかー?」

 

 なるほど。

 歪み始めた視界に牛若丸の嘲笑を見ながら、立香は納得する。

 噂によると、バーサーカーが優位に働かないクラスがあるらしいが、立香はまだ出会ったことがなかった。

 

「さて、これで終わりだ。カルデアのマスター。お前を氏政様のところへ連れていくとしよう。

 その前に……お前はどうする、今剣」

 

 牛若丸は立香の上に跨ったまま、銀髪の少年に言葉をかけた。

 立香は牛若丸の気が逸れた瞬間を狙って、サーヴァントを召喚しようとしたが、阻止するように刀が右手のすぐ脇に突き刺さる。あと、数センチずれていたら、腕を貫通していたに違いない。

 

「今のは威嚇だぞ、カルデアの。もっとも、腕が切れても良いなら、攻勢に出ると良い」

 

 立香は何も言えなくなってしまう。

 黙したまま、今剣を見つめることしかできない。

 

「ぼく、は……」

「人の本質は悪。上皇は、頼朝は、私を利用するだけ利用して斬り捨てました。匿ってくれた藤原家も頭が変わると手のひらを返してきました。

 私は、そのような世の中が憎い。氏政様の望み通り、悪に染まった人間を切り殺し、裏切り者のいない世界を作ります」

 

 牛若丸は甘い言葉をかける。立香が今剣に向かって「耳を貸しては駄目だ」と叫ぼうとするが、牛若丸が先回りをするように立香の喉元を左手で握ってくる。

 

「……ッ、くは」

 

 強力な締め付けだった。

 辛うじて呼吸は出来ているし、出来る程度に力を保っているのだろう。けれど、声が出ない。無理に出そうとすると、締め付けが強くなる。

 立香が格闘している間にも、牛若丸は言葉を重ねた。

 

「あなたは刀。しかも、私の護り刀です。裏切りを本性とする人間ではない。

 さあ、今剣。一緒に行きましょう。私と歴史を変えるのです。よりよい方向へ」

「よりよい、ほうこうへ」

 

 ひゅーひゅーという音が、耳の奥で大きく木霊する。

 歪んだ視界が薄らぎ始め、風景がぼんやりと滲みだす。その世界の中、蹲っていた今剣が立ち上がったのが見えた。

 

「ぼくは……あるじのめいで、阿津賀志山にいきました」

 

 阿津賀志山。

 立香の薄れゆく脳裏から、知識を絞り出す。

 源義経を殺せと命じた源頼朝と自害に追い詰めた藤原泰衡。その両者がぶつかった合戦の舞台となる場所だ。今剣にせよ牛若丸にせよ、あまり良い思いのしない場所である。

 

「ぼくは、よしつねこうのかたきを うちたかった。よしつねこうのまもりがたなとして、あなたをまもることが、できなかったから」

 

 今剣が短刀を握りしめる。

 空いている方の手で拳を握り、誓うように胸元に置いた。

 

「れきしをかえたかった。でも、岩融にいわれたんです。

 『悲しいことがあっても、その先に我らがいる』って」

 

 どのような歴史も積み重ね。

 悲しい歴史も嬉しい歴史も、すべてが積み重なった先に、立香がいて、今剣がいる。

 

「それに……ぼくのあるじは、いまのあるじは、さにわです!」

 

 今剣は赤い眼に闘志を燃やすと、まっすぐ牛若丸めがけて奔り出した。

 

「よしつねこう、あなたのめをさまさせます!!」

「……敵対するなら致し方なし。受けて立ちましょう」

 

 牛若丸は立香の上から退き、今剣に剣を向ける。今剣は牛若丸と激突する直前、身体の向きを変えた。牛若丸の刀の勢いをそぐように短刀で受け流しながら、彼女の髪留めを狙う。牛若丸も髪留めを盗られたくないのか、すぐに後方へ跳び、今剣から距離をとった。

 

 牛若丸の振るう太刀は、今剣が握る短刀より遥かに長い。

 まともに激突すれば、今剣が圧し負けるのは明白。故に、今剣は彼女の太刀を紙一重で躱し続ける。牛若丸も今剣も、両者ともに身軽さを生かした戦法を使う。今剣が接近しては牛若丸に弾かれ、隙を創り出しては攻め込み、防御されて距離を置く。この繰り返し。今剣と牛若丸の攻守が瞬く間に逆転し、拮抗状態が続く。

 立香も加勢したかったが、今の2人に手出しできない。

 下手に手出ししようものなら、今剣を傷つけてしまいそうだ。

 

「……お見事です。さすがは、私の護り刀」

 

 牛若丸は今剣の攻撃を避けながら、冷やかすように口笛を吹いた。

 

「とーぜんです! あなたのまもりがたなですから」

 

 今剣は好機とみて踏み込む。

 牛若丸は今剣の一撃を身体を反らして躱すと、親鳥が子を見るような眼差しを向ける。けれど、それは一瞬で、次の瞬間には、彼女の口元には冷酷非情の笑みが浮かんでいた。

 

「ですが、残念。時間切れです」

 

 牛若丸の言葉と共に、空間を割くように遡行軍が現れる。

 どれも今剣より巨体で、正面から戦っても勝ち目はない。

 

「1人の武芸者がいても、結局のところ数には敵いません」

 

 戦上手の牛若丸が、頼朝軍に敵わなかったことのように。

 結局は、数には勝てないのだ。そして、その数は軽く20を超えている。立香は悩んだ。サーヴァントを召喚しようにしても、すでにこの短時間で2体も召喚している。魔力の関係上、3体目は30レベル台のサーヴァントがやっとだ。そして、該当するサーヴァントたちには悪いが、彼らに遡行軍は荷が重すぎる。

 

「圧し潰されなさい、今剣。貴方の剣は、私に届かない」

 

 牛若丸は冷笑を携えたまま、遡行軍の壁の向こうに立つ。

 しかし、彼は一歩も引かない。絶望で崩れていた糸はぴんっと張り詰め、静かな闘志を宿らせている。

 

「ぼくはたたかいます。れきしをまもるために、いまのあるじのために!!」

 

 今剣の宣言は五条の橋を震わせる。

 彼は自分より体格がよく背も高い遡行軍の群れへ、果敢に飛び込んで行った。立香は目を覆いそうになる。ぷちりっと潰されるのは明白だ。

 なら、せめて、身体を張って彼を助けよう。 

 立香が今剣の小さな背中を追うように、走りだそうとした――……その刹那、

 

「よく言った、今剣」

 

 その言葉と共に、牛若丸の背後が一掃される。

 

「誰ですか? まあ、誰であれ斬るだけですけど」

 

 牛若丸は顔色一つ変えず、目を細めて乱入者を睨み付けた。

 

「知れたこと。今剣の加勢に決まっておろう」

 

 その者は鋭く尖った歯を見せつけるように笑い、もう片方の男は藤色の眼で牛若丸に狙いを定める。

 

「元の主のためではない。今の主のために戦う。それが、俺たち刀剣男士だ」

「岩融、長谷部さんっ!」

 

 今剣の顔が光を差したように輝く。

 今剣の眼前には遡行軍の壁が牛若丸との間を隔てていたが、その後ろは背後は空きだ。薙刀を構えた大男とすらりとした長身の青年が、牛若丸の退路を防いでいる。

 

「恨みはないが主命だ、散れ」

 

 長谷部が我先にと走り出し、岩融が援護するように薙刀を振るう。

 

 五条大橋の戦い、その第二ラウンドの幕が切って落とされた。

 

 

 

 



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安宅の関(5)

「いくら増えようとも同じこと」

 

 牛若丸の表情は変わらない。

 言葉通り、1人増えても2人増えても、天才である彼女には些事なことなのだろう。いや、むしろ彼女にとっては嬉しい誤算だったようだ。彼女は口の端をにたりと上げ、

 

「いえ、むしろ好都合。氏政様に捧げる首が増えました」

 

 と呟くやすぐに、最も近くにいた長谷部に切りかかる。

 

「……なるほど。これが噂に聞いていた洗脳と言う奴か」

 

 長谷部は牛若丸の攻撃を受け止めながら、藤色の眼を細めた。

 

「はせべさん! かみかざりをとれば、もとのよしつねこうにもどります!」

 

 今剣が遡行軍を戦いながら叫ぶ。

 長谷部は今剣の声を聞くと、素早く目を奔らせた。

 

「なるほど。あの黒い羽根飾りか!」

 

 長谷部はそのまま刀に力を入れ、鍔迫り合いに持っていこうとする。だが、その前に牛若丸は長谷部の刀を打ち弾き、彼から距離をとった。おそらく、本人の中に「髪飾りを盗られてはいけない」と刷り込まれているのかもしれない。

 牛若丸が距離を完全にとるまえに、長谷部は橋を蹴り飛ばす。瞬く間に牛若丸と肉薄し、その手を彼女の頭に伸ばそうとした。

 

「っ、遅い!」

 

 だが、牛若丸が一歩上手だ。

 彼女の刀が、長谷部の腕を切り飛ばそうとする。彼は辛うじて刀で防御することができたが、その手は彼女の頭から離れてしまう。

 

「長谷部殿、避けろ!」

 

 岩融が跳びはね、上から牛若丸を狙う。長谷部が伏せるとの同時に、彼の頭上で薙刀が振るわれた。牛若丸はたんっと軽快な音を立てながら跳び、橋の桟に飛び乗ろうとする。彼女が桟に足がつくか、着かないかのところで、岩融が彼女を撫で切ろうとした。

 

「どおりゃああ!」

 

 彼は確実に牛若丸へ損傷を与えたと思ったのだろう。尖った歯を見せつけるように、にやりと笑った。が、その顔がすぐさま驚きのものへと変わる。

 

「この程度ですか?」

 

 牛若丸は薙刀の上に佇んでいた。

 世辞にも広いとは言えぬ刀身に両足をつけ、得意げに笑っている。そのまま牛若丸は、ほぼゼロ距離から岩融の首を狙う。岩融は得物を勢いよく振るうことで彼女を落とそうとしたが、八艘飛びの逸話を持つ英雄がその程度で落ちるはずもない。牛若丸に首を刈られる直前、彼は身体を屈める。頭巾が一閃され、橙色の髪が露になった。

 

「圧し斬る!」

 

 そんな彼の巨体に隠れていた存在が、奇襲のような攻撃を仕掛ける。

 牛若丸は再び狙いを岩融から長谷部に変更した。牛若丸は攻め込む気を窺うように、長谷部の攻撃をのらりくらりと躱し続ける。長谷部の額に汗が浮かび始める。

 

「分かっているでしょう。私と貴方の実力の差が」

 

 牛若丸は嘲笑う。

 立香は心が苦しくなった。いつもの牛若丸は、あんな笑い方をしない。たとえ、敵相手でも一定の敬意をもって相手をしている。敵の力量を嘲笑うなんてことは、絶対にしない。

 あの黒い髪飾りは、洗脳能力だけではなく、一時的に英霊を反転させ、オルタ化させる力でも秘めているのだろうか。

 岡田以蔵の時は気づかなかったが、牛若丸の様子を見ていると、そんな仮説を抱いてしまう。

 

「さあ、これで終わりです」

 

 牛若丸は力強く踏み込んだ。

 長谷部が防ごうと刀を前に出すが、彼女が振り下ろした刀によって生じた風圧によって吹き飛ばされてしまう。岩融が彼を受け止め、大事には至らなかったが、彼女との間にかなりの距離が開いてしまった。

 

「さあ、次はどうします? 2人同時に来ますか? それとも、後ろでこそこそ遡行軍を倒している今剣と協力してかかってきます? ええ、もちろん、カルデアのマスター殿もサーヴァントを召喚していいですよ。

 私は全員、倒せます。なにしろ、天才ですから」

 

 牛若丸は自分で言っていて面白いのか、くすくす笑った。

 

「私たちは実現するのです。裏切りも妬みも苦しみもない、極楽浄土を!!」

「……それは不可能でございます」

 

 割り込んできた声に、牛若丸は笑いを止めた。

 彼女は真顔になると、長谷部と岩融の遥か後方に現れた男を睨み付ける。

 

「悪性のない極楽浄土。それは確かに素晴らしいことでしょう。

 ですが、この時代を潰してまでやる必要はございません」

 

 身体中から水を滴らせながら、100以上の武器を背負った男はゆっくりと五条大橋に歩き始めた。

 

「現代に生きる者にのみ、極楽浄土を夢見ながら苦行を重ねる資格があるのです。

 この時代も、我らも過ぎ去りし遺物。そこに手出しをしてはならないと、貴方なら分かるはずです」

「弁慶さん!!」

 

 立香が彼の名を呼ぶと、男は口の端を緩めた。

 

「マスター殿、遅れて御免」

「いまさら三文役者が加わったところで、何ができるというのだ」

 

 牛若丸は吐き捨てるように言ったが、弁慶は平然と微笑んでいる。

 立香は嫌な予感がした。

 脳裏に横切るのは、バビロニアでの光景。

 ティアマトの眷族に成り下がった牛若丸を止めるため、弁慶は……そこまで思い浮かべた時、立香は叫んでいた。

 

「弁慶さん、いけない!!」

「はっはっは。マスター殿、どうかご安心ください。我が主の不始末は拙僧にお任せあれ!!」

 

 弁慶は長谷部たちの辺りまで到達すると、急激に魔力を高めて突進する。

 牛若丸はさして興味なさげに、彼を刀で突き刺した。

 

「また臆病風に吹かれて、逃げておれば見逃してやったのに。あっけない最期だったな」

「……いえ、そうでもありませんぞ」

 

 弁慶の顔から微笑みは消えていない。

 むしろ、彼女の両肩をがっちりつかみ、放さないようにしていた。

 

「ええい、なにをする! 離れんか!」

「離れませんぞ。拙僧はもう逃げないと誓いましたので。

 さあ、マスター殿、今剣殿。お逃げくださいませ。

 ……義経様。長らくの不在、申し訳ありませんでした。共に、真の極楽浄土へと参りましょう。

 西方浄土にて我らが業を焼き尽くす――ッ!!!」

 

 弁慶は高らかに叫んだ。

 あたり一帯が一段階薄暗くなるのと引き換えに、弁慶の背後が煌びやかに輝き始める。その輝きは円となり、やがて曼荼羅へと形を変えた。

 これが、武蔵坊弁慶であり続けようとする仙人の宝具――……

 

「五百羅漢補陀落渡海!」

 

 曼荼羅の中から遊行聖の大行列を呼び出される。

 彼らは浄土を目指し、棺桶のような舟に封じ込められ、流される即身成仏の行である「補陀落渡海」に旅に出る者たちだ。

 それはさながら日本や中国、またはインド古来から伝わる絵図のようで、西洋絵画とは異なる幻想的な光景だった。

 呼び出された行列は、その場にいるすべてを進行方向へと押し流す。

 そのため、その場にいる者は抵抗に失敗するたびに、強制的に移動させられ、最終的には浄土へ連れて行かれ成仏する。

 五条大橋を埋め尽くしていた遡行軍たちは、為す術もなく押し流されていく。

 牛若丸は抵抗しているのか、流れが遅い。だが、確実に、緩やかに弁慶と一緒に流され始めていた。

 

「駄目だ。このままだと……」

 

 牛若丸はもちろん、弁慶まで流されてしまう。

 二人とも消滅し、この地には再び現れない。カルデアに戻り、再召喚すれば良いのかもしれないが、それは違う気がした。2人とも自分のサーヴァントなのに、こんなところで自死するのを見逃せない。

 だけど、どうすればいいのか、立香には分からない。

 

「……よしつねこう……」

 

 傍らの今剣が苦しそうに呟く。

 立香は口を開きかけたが、一度、堅く結んだ。

 一つだけ、思い浮かんだ案がある。しかし、それを口にしていいのだろうか。だが、悩んでいる時間はない。

 

「今剣君、アレに触れないで牛若丸のところまで走れる?」

 

 立香は尋ねた。

 少し、声が険しくなっていた。

 今剣はぱちくりと瞬くと、牛若丸にそっくりな表情で頷いた。

 

「ええ、できますよ。ぼくは、よしつねこうのまもりがたなですから!!」

 

 今剣は得意げに答えると、走り始めた。

 素早く橋の桟に飛び乗ると、そのまま腕より細い桟を駆け始める。途中、金色に包まれた行列とぶつかりそうになったが、そこは身軽にかわし、牛若丸たちの傍近くの桟まで到達する。

 

「よしつねこう、べんけいさん、いま、おたすけします!!」

 

 今剣は軽やかに跳んだ。

 

「ばびゅーんと!!」

 

 今剣は宙を舞いながら、牛若丸の髪留めを盗る。

 そのまま彼は向こう側の桟に飛び降りた。今剣の手に握られた髪留めは、みるみる間に色を失い、本来の狸の尻尾柄へと戻っていく。

 

「……う、ううん……はっ、なにをしている、放せ、この馬鹿者!!」

「……ははは、どうやら、正気に戻られたようですな」

 

 弁慶は軽やかに笑いながら、宝具の発動を取りやめる。

 遡行軍たちは楽園浄土へと流されたが、牛若丸と弁慶だけが残っている。牛若丸はすぐに刀を引き抜くと、弁慶はよたよたと後ろに下がった。

 

「ありがとう、今剣君!」

「このくらい、おやすいごようです!!」

 

 今剣はえへんと胸を張ったが、すぐに心配そうな顔で弁慶を見た。

 弁慶の腹からは、とくとくと血が流れ出ている。

 

「弁慶さん、じっとして」

 

 立香はすぐに彼の腹に手を当て、回復魔術を唱えた。

 

「マスター殿、心配なさらずとも結構。なにしろ、私は頑丈なことが取り柄ですので」

「嘘をつくな。お前は逃げることが取り柄だろう」

 

 牛若丸はいつものように彼へ毒を吐いてはいたが、少し表情は暗かった。

 

「……何が起きたのかは分かった。まったく……私を見捨てて、宝具を発動すればよいものを……」

「義経公だけ逝かせるわけにはいきませんからな。拙僧、義経様に最期までお供するつもりでございますので」

「……馬鹿者が」

 

 牛若丸は囁くように言葉を漏らすと、今度は立香の前で膝をついた。

 

「主殿、申し訳ございませんでした。私は……どうやら、主殿に剣を向けてしまった様子。いかなる罰もお受けしましょう」

「い、いや、罰なんて……元に戻って良かった」

 

 立香はずっと堅かった表情を緩めた。

 牛若丸は次に今剣に目を向ける。彼の手には、彼女の髪飾りが握られていた。

 

「ありがとうございます、今剣」

「いえ、ぼくはよしつねこうのまもりがたな。よしつねこうを、わるいものからまもるのは、とうぜんです!」

 

 牛若丸は先ほどとは質の異なる朗らかな笑みを浮かべると、今剣の頭を撫でた。今剣も幸せそうに微笑んでいる。それを終えると、牛若丸は長谷部と岩融に目を向ける。

 

「貴方たちにもご迷惑をおかけしてしまったようですね。申し訳ございません」

「いや、俺は主命を果たしたまでのこと」

「元に戻って良かったと喜ぶべきことよ」

 

 長谷部は動かなかったが、岩融が歩き始める。

 岩融は治療中の弁慶の傍まで歩み寄ると、静かに彼を見下した。

 

「……安宅の関の話を知っておるよな?」

「……ええ、無論存じておりますぞ」

「常陸坊海尊という男がいてな。その男が弁慶だったら、安宅の関は越えられなかったと思っていた。死を恐れ逃げた臆病者は、勧進帳を読み上げる度胸も義経公を叩く勇気もないだろうと」

 

 岩融は静かに話し始める。

 弁慶は渋い顔で口を挟むこともなく、彼の言葉を聞いていた。

 

「だがまあ、その男にも勇気や度胸が宿っている。海尊も義経公や弁慶のことを強く思い、関を越えることが出来るだろうと、俺は感じた」

「……」

「ということを、なぜか今の戦いで思っただけだ。

 一時はどうなることかと思ったが、無事で良かったぞ、弁慶殿!!」

 

 岩融は最後、真剣な表情を崩して、楽しそうな笑顔を浮かべた。

 

「……岩融殿、拙僧は……」

「がっはっは。お主は武蔵坊弁慶!背負った薙刀は三条宗近の鍛刀した岩融!

 聚楽第の怪異を解決するまでの期間だが、よろしく頼むぞ!!」

 

 岩融は高らかに笑った。

 言われてみれば、岩融の持つ薙刀と弁慶の背負った薙刀は同じものに見える。

 海尊が弁慶として召喚された故に、彼の薙刀を持っているのかもしれない。 

 

 弁慶は堅く結ばれた口元を緩め、岩融のように笑った。

 

「はっはは、さすがは岩融。弁慶の薙刀よ! うむ、拙僧も改めてよろしくお願いします」

「はっはっは、堅苦しいぞ、弁慶殿!」

 

 五条大橋に愉快な笑い声が木霊する。

 立香も肩の力が抜けたような気がするが、その心を引き締めるように、牛若丸が声をかけてきた。

 

「主殿。こやつが回復するまでの間に、戦況について伺いたいのですが、よろしいでしょうか」

「うん、説明するけど、その前に……牛若丸、別れてからなにがあったのか教えてくれる?」

 

 立香が尋ねると、牛若丸はまっすぐこちらを見据えながら話し始めた。

 

「巴殿との戦いで、私は離脱しました。

 主殿にも無事に戻ってきてくれと言われていましたので、川に飛び込んでやり過ごそうとしたのです」

「うん。私も巴御前から聞いた。牛若丸が川に落ちたって」

「その後、私は川から上がったところで襲撃にあいました。遡行軍を引きつれた天草殿と呂布殿です。

 悔しいことですが、そこで私は敗北し、目が覚めると暗い部屋にいました」

「暗い部屋?」

 

 立香が尋ね返すと、牛若丸はこくりと頷いた。

 

「逃げ出す前に、髪飾りに触れられ……気が付いたら、ここにいました」

「誰に触れられたの?」

「すみません、はっきりと覚えていないのです。ただ、スカートでしたっけ? 巨大な筒状の履物を纏った女でした。履物の隙間から、人のものとは思えない足が生えていたのが見えた気がします」

「人のものではない足……?」

 

 立香は唇に指を添えて考え込む。

 

 足。

 たしか、岡田以蔵も言っていた。

 たくさん足のある者に捕らえられていたと。

 

「……脇差かと考えていたが、どうやら違うようだな」

 

 長谷部も同じことを考えたのだろう。

 牛若丸を見下しながら、推理し始める。

 

「たくさん足のある女。この女が洗脳する力を持っている」

「宝具かスキルなのか分からないけど、サーヴァントの仕業だ」

 

 立香は自分の知識と符合する。

 少なくとも、これまで出会ったサーヴァントではない。

 

「いったい、誰なんだろう」

 

 その問いに応える者はいない。

 

 牛若丸と岡田以蔵を洗脳した謎の人物。

 彼女は誰なのか、北条氏政の狙いは一体何か。

 

 陰謀渦巻く京の都。

 謎は膨らみ続けている……。

 

 

 

 





一週間程度、投稿をお休みします。


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番外編「さば☆フェス‐海辺の陣 連隊戦 inルルハワ‐」

FGOと刀剣乱舞のイベントをしていたら、なんか書きたくなった。
後悔はしていない。
次回から本編に戻ります。




 サーヴァント BBのせいで、ハワイとホノルルが合体した。

 そして、サーヴァントの同人誌即売会の会場となった。

 

 ここまでは、別に驚かない。

 とっても理解に苦しむけど、チェイテピラミッド姫路城より遥かにマシである。

 

「ええ、先輩の言う通りです。

 ですが、売り上げ1位にならない限り、ループから抜け出せなくなるとは……」

 

 マシュが少し気落ちしたような顔で呟いた。

 ループは4週目。漫画を描くこと自体初心者な自分たちが1位になるなんて、夢のまた夢。売り上げ1位どころか、下から数えた方が早い順位だ。頂きの見えない山登りをしている気分である。

 

「弱音を吐いてるんじゃないわよ!」

 

 ジャンヌダルク・オルタが喝を入れるように叫んだ。

 

「私たちは1位を取る! あの女が描いた漫画より、上のものが描きたいの!」

 

 オルタは宣言すると、椅子に座り込んだ。

 熱意をぶつけるように、ネーム作りに挑み始める。このループを抜け出すためだけではなく、オリジナルのジャンヌ・ダルクを越えるという熱意に溢れている。藤丸立香はマシュと目を見合わせると、互いに微笑を浮かべた。

 

「分かってるよ、オルタ。まずは、何を手伝えばいい?」

 

 だから、立香とマシュは今回もオルタのアシスタントに徹する。

 この現象を治し、ループを抜け出すためだけじゃない。彼女の夢も叶えるために。

 

 

 

 こうして、このループも同人誌作業に突入する。

 べた塗をしたり、トーンを切ったり……オルタの手伝いに明け暮れる。

 

 とはいえ、ずっと缶詰というのは気が詰まるもの。

 人間もサーヴァントも同じである。

 

「ちょっと息抜きしましょう、立香」

 

 ある日の夜、オルタが珍しく提案をしてきた。

 だから、きょとんっと見返してしまう。オルタは、その顔が気に入らなかったのだろう。少し不貞腐れたようにそっぽを向いてしまう。

 

「なによ、その顔。

 ちょっと頭がこんがらがってきたのよ。整理したいから、ちょっと海、付き合って」

「はいはい」

「そこは『光栄だね』くらい言えないのかしら。

 ……何よ、そのどっちを言っても嫌味を言ってきたんだろうなーって顔は。そうよ、その通りよ!」

「開き直った!?」

「いいから、行くの!」

 

 オルタは立香の腕を引きながら、外へと向かう。

 

「あ、待ってください、先輩!」

 

 マシュが上着を羽織り、後ろから付いてくるのが分かった。

 

 

 夜の海は静かだった。

 昼間の海も息抜きや取材で訪れたことがある。

 もちろん、昼間の海も賑やかで飛び込みたくなるくらい好きだが、それとはまったく別の魅力があった。黒く沈んだ海辺には人の気配がなく、ホテルや町の灯りが篝火のように美しい。空を見上げれば星々が瞬き、自身が置かれている修羅場を忘れさせてくれる。

 

「……問題は、この後の展開なのよね……」

 

 オルタがぽつりと言葉を零した。

 

「中弛みすることは分かってるの。かといって、中盤の展開を削れば、唐突に『おれ、デーモンになっちゃったよ』って感じになっちゃうし……」

 

 オルタは自身の考えを整理するように話し始めた。

 

「それなら、前半部分を削るのはどう?」

「世界観の説明があるから削れないのよ」

「それは困りましたね……、先輩、あれは?」

 

 マシュが遠くを指さす。

 立香とオルタがその指の先を追うと、巨大なヤシガニたちが暴れていた。ヘラクレス並みにガタイの良いヤシガニたちは群れを成しながら白い砂浜を荒らしている。

 

「オルタ!」

 

 同人誌づくりも大事だが、ルルハワの治安の維持も大切である。

 

「分かってるわよ! 指示を頂戴、マスター!」

「マシュは下がってて」

 

 立香とオルタは同時に走り出す。

 現在、マシュはサーヴァントとして戦うことが困難な状態だ。とても心強い仲間だし、頼れる後輩だが、彼女を戦闘に巻き込むわけにはいかない。マシュは少し悔しそうに俯いたが、すぐにキリっと張り詰めた表情で頷いた。

 

「はい。ですが、先輩。いざとなったときは、私も参戦します」

「ありがとう、マシュ」

 

 立香はマシュを振り返り笑いかけると、前方に意識を戻した。

 ヤシガニたちの数は6体。確かに数は多いが、オルタだけで倒せる数だ。

 

「マシュ。撮影お願い。戦闘シーンの取材がしたいと思っていたところなの」

「はい、オルタさん。任せてください!」

 

 オルタはマシュがカメラを構えたところを見届けると、やる気に満ち溢れたような表情で舌なめずりをする。

 

「荒覇吐七十二閃と大黒毒竜万破、さあ、燃えるわよ!!」

 

 オルタは腰に差した二本の刀を引き抜き、ヤシガニたちに切り込みにかかった。ヤシガニはオルタの攻撃で見事、一刀両断される。その切れ味は、自作の日本刀とは思えない。名称が厨二病的だな、とも思ったが、立香自身も数年前に似たような名前を妄想していたので、何も言わないことにしている。

 

「……あれ?」

 

 そんなことを考えながら、いつでもサポートできるように構えていると、ヤシガニの一団の合間に奇妙な歪みが生じていることに気付いた。目の錯覚かと思ったが、一点を捻じ曲げるように歪み始めている。

 

「オルタ! 気を付けて!」

「――ッ、!? なによ、あれ!」

 

 数秒遅れ、オルタも歪みに気付く。

 歪みの内側から手が伸び、空間を押し広げ始めた。

 

「……新しいエネミーってところかしら?」

 

 オルタはヤシガニの相手をしながら、警戒を高める。

 その内側から現れたのは、六人の鬼だった。黒い靄を纏い、血の気の失せた白い肌が特徴的な鬼は、両眼を赤く輝かせている。

 鬼たちはそれぞれ日本刀を正面に構えると、こちらに狙いを定めてくる。オルタは彼らを一瞥すると、立香たちのところまで後退した。

 

「……ここは退こう」

 

 立香は前を睨んだまま、囁くような声で提案する。

 ヤシガニは残り3体。そして、正体不明の鬼が6人。オルタでも無傷で倒すのは不可能であることは明らかだ。せめて、この場に牛若丸やロビンフッドがいれば話は変わってきたが、前者は別の取材で街の方へ出向き、後者はホテルで帰りを待っている。加勢は難しいだろう。

 

「この時間なら、まだ街にサーヴァントたちがいるはず。きっと、誰かに加勢を頼めば――……」

「はぁ? 私の辞書には退くなんて言葉はないの、分かっているでしょ?

 ……マスター、魔力を回しなさい。宝具で決めるわ」

 

 彼女の宝具は対軍宝具。

 普段は一人に限定して発動しているが、その気になれば、あの程度の敵を一思いに焼き殺せる。あの正体不明な一軍に使うのは早計に感じたが、そうこうしている間にオルタが傷つけられたら、こちらに勝ち目はない。

 

「分かった!」

 

 立香は令呪に魔力を集中させる。

 令呪によるブーストで、一気にオルタの魔力を高め、敵を一掃する。

 

 

 

 そのつもりだった。

 

「――ッ!?」

 

 鬼たちの背後から強力な水流が襲いかかるまでは。

 それは水流と表現しても過言ではないほどの勢いだったが、水鉄砲のような細さだった。水鉄砲は数体の鬼たちの胸を貫き、鬼たちの視線がオルタから後ろの敵に向けられた。

 立香も新たに表れた六人の人影に目を向ける。

 背丈も違えば装いも違う。共通している点は、全員が水鉄砲と刀を持っていることだけだ。

 どうやら今の攻撃は、その中の誰かが放った一撃だったらしい。

 

「さーて、僕も頑張らないとね!」

 

 黒の短髪に浅葱色の瞳の少年が叫ぶのを合図に、残りの五人も戦闘態勢に突入する。その一軍から顔に傷のある青年が飛び出すと、ひと際高く跳躍した。

 

「キエェェアァ!」

 

 青年は腹から声を出しながら、鬼めがけて切りかかる。鬼は頭から果物を斬るように、真っ二つに割れて消滅した。

 

「――ッ!!」

 

 鬼たちも負けじと咆哮を上げると、近くにいたオレンジ髪の女の子に攻撃を仕掛ける。だが、女の子は不敵に微笑むと攻撃を軽やかに躱し

 

「お触り、禁止!」

 

 と言いながら、鬼の腹に水鉄砲の銃口を突きつけた。

 同じく幼い子どもが二人いたが、金髪に眼鏡の男の子も前髪を結わいた子も善戦している。紫色の髪をした雅な青年は目を細めると水鉄砲を構え

 

「首を差し出せ」

 

 と、強力な一撃で首を弾き飛ばしていた。

 その隣では、平安貴族のような優美さを醸し出した青年が悠々と水鉄砲を放っている。腰に差した刀ではなく、子どもが遊ぶような水鉄砲で敵を倒しているのは、どことなくシュールに感じた。

 

「はてさて、部隊長。あのカニたちも退治してよろしいのかな?」

 

 全体的に蒼い青年は、どこかで聞いたことのあるような声で仲間に尋ねる。その言葉を受け、浅葱色の瞳を下少年は水鉄砲を構えながら首をひねる。

 

「うーん、遡行軍ではないみたいだけど……」

「とりあえず、斬ればいいんじゃねぇの?」

「だけどさ、敵じゃないのに切るのは……っ、博多!!」

 

 彼らが話し合う間に、金髪眼鏡の男の子の背後からヤシガニの爪が迫っていた。

 男の子は前方の鬼に集中していて、後ろからの攻撃に気付いていない。

 

「オルタ!」

 

 立香は叫んでいた。

 だが、立香が指示を飛ばす前に、彼女は走り出していた。

 

「塵芥と化せ!」

 

 オルタは手を前に突き出すと、禍々しい魔力弾を放つ。弾はヤシガニに直撃し、男の子から注意を逸らした。その隙にオルタはヤシガニに駆け寄ると、両手に握りしめた刀で切り刻む。その勢いで、傍にいたヤシガニも蹴り飛ばし、鬼にぶつけた。彼女はそのまま鬼にとどめを刺そうと踏み込んだが、彼女の剣が届く前に、顔に傷のある青年が鬼の頭に刀を突き刺し息の根を止めた。

 

 ヤシガニも鬼たちも塵のように消え、再び静かな夜の浜辺に戻る。

 オルタは刀を鞘にしまいながら、ふんっと鼻で笑った。

 

「この刀に斬れぬモノは無いのよ!手作りだけど」

「ええっ! それ、手作りなの!?」

 

 オレンジ髪の女の子が、水色の瞳をまんまるに見開いた。

 女の子に続くように、金髪の男子も目を光らせながら駆け寄ってきた。

 

「ちょっと見しぇてくれん?」

「乱に博多、置いて行くぞ」

 

 紫髪の青年が少し咎めるような口調で言うと、男の子は名残惜しそうに刀を見つめた。

 

「堀川、さっさと次の戦場に行こうぜ」

 

 堀川と呼ばれた浅葱色の眼の少年が、傷のある青年に急かされている。

 ところが、堀川少年は、ちょっと困惑したような顔でタブレットを叩いていた。

 

「うん、そうしたいんだけど……反応しないんだ。主との通信も繋がらない」

「たぶれっとを叩けばいいんじゃないか?」

「歌仙、それで直ったら苦労しぇんばい」

 

 謎の一団は堀川少年を中心に、なにやら話し合っている。

 立香がぽかんと眺めていると、頼れる後輩が駆け寄ってきた。

 

「オルタさん、戦闘の様子は無事に撮影できましたが……あの方たちは……?」

「サーヴァントの気配はしないけど、敵のようにも見えないわね」

「うん、フォーリナーの関係者にも思えない」

 

 ルルハワに襲来し、サバフェスの開催を阻もうとする存在「フォーリナー」に関係しているようにも見えない。彼らはどこからともなく現れ、鬼退治を終えると、再びどこかへ去ろうとしている。そのことだけは理解できた。

 

「BBなら知っているかもしれないけど……」

 

 立香たちが首をひねっていると、空から一人の少女が降ってきた。

 

「おおっと、BBちゃんの噂をしちゃったかなー?」

 

 紫の髪に黄色いパーカーを羽織ったAIサーヴァント、BBが夜の静けさを吹き飛ばすような明るい声色で話し始めた。

 

「お呼びと聞いて、即・出現! 常夏の案内役BBちゃんでーす! 

 えっと、そこで端末をちょこちょこ弄っている男士の皆さん? 皆さんには、とっても残念なお知らせがあるので、こちらに耳を貸してもらえます?」

「残念なお知らせ、だと?」

 

 6人の視線がBBに向けられる。

 どれも好意的とは言い難い視線だが、BBは気にも留めていないような笑顔を浮かべ続けていた。

 

「簡単に言うと、皆さんはルルハワから出ることができません!」

「はぁ!?」

「問題が解決するまで、外との通信もできません。ですので、先輩。彼らを助けるためにも頑張ってくださいね。先輩にも関わっていることなのですから」

「ちょっと待って!!」

 

 立香もツッコミを入れる。

 

「いやいや、まったく理解できないから説明して」

「実は、BBちゃん。先輩の役に立ちたくて、サバフェス運営の合間を縫って色々画策していたんです。そうしたら、別の時空を移動していた一団を見つけまして、間違えて引き込んじゃったってわけなんですよ」

「引き込んだ?」

「分かりやすく例えるなら、濡れ手に粟です。ちょっと触っただけなのに、着いてきちゃったって言うか、触れた時にはもう遅かったって言うか」

 

 BBは残念そうに瞼を閉じる。

 立香は真顔でBBを見つめると、一言だけ口にする。

 

「それ、BBのせいじゃない?」

「むぅ、先輩のためを思ってした行動なのに、全部の責任を押し付けてくるのは理不尽ですぅー!」

「びぃびぃ……だったか?」

 

 紫髪の青年が険しい表情でBBを睨み付けた。

 

「つまり僕たちは、ここに閉じ込められ、次の戦場に行くことも本丸に戻ることも禁じられた、ということかな?」

「はいっ! その通りです!」

「んじゃ、話は早いな」

 

 顔に傷のある青年は刀を引き抜くと、BBの首元に突きつける。

 

「死にたくなかったら、さっさとここから出しやがれ」

「手が早いですねー、女の子にモテませんよ?」

「生憎、俺は刀だ。色恋沙汰なんて気持ち悪ぃ」

「うーん、まったく。冗談が通じない人ですね……面白みに欠けますよ?」

「お前のせいなんだろ? だったら、早く何とかしやがれ」

 

 傷のある青年は催促するように、さらに刀を近づける。

 だが、BBは表情を変えない。むしろ、事態の深刻さを吹き飛ばすように笑っていた。

 

「解決手段は簡単ですよ。

 先輩がサバフェスで売り上げ一位をとって、聖杯を使えばいいんです! そうすれば、この特異点は解消されますし、皆さんも元の世界に戻ることができます」

「さば、ふぇす?」

「金儲けばすりゃよかってことばい?」

 

 金髪の男の子が、きらんっと眼鏡を光らせる。

 

「ええ。ただ、単に金を儲けるのではなく、同人誌の売り上げです。サバフェスで一位を取れない限り、開催までの一週間を繰り返すことになります」

「なるほど、同人誌か……」

 

 紫髪の青年が口元に指を添え、少し考え込む。

 

「それは、僕たちではなく、そこの先輩……?が一位にならないといけないのかい?」

「その通りです。先輩こと我らがマスター、藤丸立香が一位の景品……聖杯を手に入れ、マウナケア火山の山頂で『世界が平和になりますように』と祈ることが大前提なのです」

「はっはっは。それは難儀なことよな」

「いや、三日月さん。笑っている場合じゃないよ」

 

 堀川が優雅に笑う男を見上げると、口元に苦笑いを浮かべた。

 

「ってことはさ、この人たちに協力しないといけないってことだよね?」

 

 オレンジ色の髪の少女はそう言いながら、ぴょこぴょこ跳ねるように近づいてきた。

 

「僕は乱藤四郎。立香さん、だっけ? これからよろしくね!」

「おい、乱!」

「俺の名前は博多藤四郎。金儲けのことなら、俺に任しぇとけ!」

 

 乱藤四郎に続けとばかりに、金髪の男の子もにこやかに笑いかけてくる。博多藤四郎は右手にそろばんを持ち、じゃらじゃら鳴らしていた。

 そんな二人を、傷のある青年と紫髪の青年が咎めるように睨んでいる。だが、彼らの意に反して、また一人、比較的友好的な表情でこちらに寄ってくる。

 

「僕は堀川国広です。同人誌はよく分かりませんが、お手伝いなら任せてください」

「堀川! お前まで、こんな得体のしれない奴らの味方になるのかよ?」

「……はあ、仕方ない」

 

 警戒心を崩さない傷の男とは反対に、紫髪の青年は疲れたように首を振ると、こちらに雅な笑顔を向けてきた。

 

「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。同人誌作りに協力するよ」

「文系名刀、ですか?」

 

 マシュが薄紫色の瞳を見開く。

 立香も同じところに引っ掛かりを覚えたが、そのことを質問する前に薄橙色の髪をした子が飛び出してきた。

 

「包丁藤四郎だぞ! ねぇ、お菓子持ってる? というか、お姉さんたち人妻?」

「はぁ!? 私が人妻に見えるっての!?」

 

 オルタがぐわっと口を開き、怒りの言葉を向ける。その言葉にびくりっと包丁藤四郎は身体をすくめた。立香はまあまあとオルタを落ち着かせながら、包丁藤四郎の位置まで屈みこんだ。

 

「お菓子はいまはないけど、たぶんロビンが……マネージャー役の人が持ってるよ。人妻は……うーん……私たちは違うけど、ブーディカさんとか人妻、なのかな?」

「はい。朝食会場のブーディカさんは生前、旦那さんとお子さんがいたはずです。他にも、マリーさんや巴御前さんも人妻のカテゴリーに入るかと」

「やったー! 俺、協力する!」

 

 マシュの言葉を受け、包丁藤四郎はガッツポーズをした。

 見た目は幼い子どもなのに、人妻を求めるところに違和感を覚える。母親と死別したトラウマでもあるのだろうか。

 

「ロビンって名前も人妻っぽいよな? そうだよな、博多!」

「俺は人妻に興味はなかじぇ」

「うむうむ、元気なことは良いことよ」

 

 青い着物の青年が優美に笑った。

 

「三日月宗近。本づくりをしたことがない爺だが、よろしくたのむ」

「三日月まで!!」

 

 こうして、名乗っていないのは傷の青年唯一人になった。

 いまだに彼はBBの首元に切っ先を突き付けたまま、次々と離れて言った仲間たちに驚愕の視線を向けている。 

 

「お前ら、何考えてるんだよ!?」

「だけど、同田貫。他に良い方法はなさそうだよ?」

 

 堀川国広が静かに言葉を返した。

 

「僕たちの目的は時間遡行軍の殲滅だけど、主のところへ帰れないと意味がない。他に戻る方法が分からない以上、この人に協力した方がいいと思う」

「だけどなあ、元凶っぽいこいつを殺った方が、ずっと手っ取り早いだろ」

 

 同田貫はBBを一瞥しながら、面倒そうに言い放つ。

 

 ……彼の言い分に、立香は少しだけ賛成する。

 今回のルルハワ騒動、すべての元凶はBBにある。彼女曰く、立香のためを思ってしたことらしいし、聖杯を捧げるのは、女神ペレを復活させるためという理由もあるらしいが、極めて疑わしい。

 彼女の日頃の行いから考えれば、なおさら胡散臭い。絶対に裏があるに決まっている。たぶん、この騒動の本当の黒幕はBBで、最後には彼女を倒して終わりなんじゃないかなーなんて思っていた。

 その意味では、この傷の男に賛成である。

 

 しかし――……

 

「BBは殺させない」

 

 立香はそう言い切っていた。

 

「真意はどうであれ、私のサーヴァントだし」

 

 できれば、積極的に攻撃したくない。

 むしろ、攻撃されたら守りたい。

 

 その気持ちをまっすぐ伝えると、BBは一瞬だけ呆けたように口を開けた。

 その後すぐに、いつもの微笑みを浮かべると、甘えるような声を出してくる。

 

「先輩ぃ……自分のサーヴァントだから信じるなんて……甘いですよ、お砂糖より甘いです」

「だって、まだ完全に黒だって決まったわけじゃないから」

「分かってますよ。先輩のことですから、わたしが黒だって分かっても、きっと甘々な判断をするってことくらい、理解していますよ」

「こんな状況なのに、よく笑えるな」

 

 BBのお茶らけた空気を吹き飛ばすように、同田貫は刀を更に彼女の喉元に突きつけた。そろそろ、彼女の皮膚から血が流れてもおかしくない。立香は少し緊張感を持った。いつでもBBを助けられるように、オルタをこっそり目配せをする。

 ところが、当の本人は緩んだ表情を崩さない。

 

「他の皆さんが先輩の力になると決めているのに、往生際が悪い人ですね。

 そんな悪い子には、えいっ、ルルハワビーム!」

 

 BBは無邪気な笑顔で桃色の光線を発射する。

 ほぼゼロ距離からの攻撃に、同田貫は避けることができず、そのまま喰らってしまった。仲間が攻撃を受けたことで、堀川たちの空気が一気に険しいものに変化したが、地面に転がった同田貫の姿を見て、急激に冷えていく。

 彼が纏っていた漆黒の鎧は消え去り、黒い上着と同色の水着姿に変わっていた。

 本人は突然の事態についていけないのか、目を白黒させながら尻もちをついている。

 

「先輩の同人誌が落ちたら、たぬきになる呪いをかけました。本当はロビンさんみたいに豚にするつもりでしたが、構造が違うので上手くいきませんでした。BBちゃん、失敗です」

 

 BBは、てへっと笑う。

 たぶん、失敗ではなく確信犯だと思う。

 

「ということで、刀剣男士の皆さん! はりきって、同人誌作りに励んでくださいねー!

 先輩も遊びはほどほどに。それでは、最終日に待ってまーす!!」

 

 BBはとびっきりの笑顔で言い残すと、ばびゅーんと音を立てながら空へ飛び去って行ってしまった。

 

「えーっ、同田貫だけずるい!! 僕も水着になりたーい!」

「……いやいや、俺はなりたくてなったわけじゃねぇよ。しかも、なんとなく、こいつらの手伝いをしないと、たぬきになるような気がする……はぁ、俺は戦のことしか分からねぇのによ」

 

 

 同田貫は頭を掻きながら立ち上がる。

 渋々なのだろうが、先ほどまで全身から溢れていた敵意は薄れていた。

 

「えっと、改めまして。私は藤丸立香です」

 

 そういえば、まだ自己紹介がまだだった。

 立香は6人の前に立つと、咳払いをしてから自分の名前を告げる。

 

「これからよろしくお願いします。こっちは私の後輩の――……」

「はい、マシュ・キリエライトです。それで、こちらがジャンヌ・ダルク・オルタさんです」

「オルタでいいわ。立香の同人誌っていっても、私が描いた漫画を売り出すことで決定しているから」

「主殿―――!!」

 

 オルタが説明していると、浜辺の向こうから凛と通った声が聞こえてきた。

 振り返ると、牛若丸が手を振りながら近づいてくる。

 帰りが遅いから、迎えに来てくれたのかもしれない。 

 

「牛若丸ー、こっちだよ!!」 

 

 立香は背を伸ばしながら、思いっきり手を振り返す。

 

 

 

 海に映し出された月。

 満天の星空に、耳に残る波のさざめき。

 

 今年も賑やかで、ちょっと大変な夏は、まだまだ続きそうだ。

 

 

 

 

 

 




乱と立香たちがショッピングしたり、包丁くんが朝食会場に入り浸ったり、たぬきさんがベオウルフや李先生たちと意気投合したり、博多がミドキャスと盛り上がったり、歌仙さんも同人誌を描いてみたり、謎のXXさんを水鉄砲で立ち向かったり、柳生の爺様と三日月がろこもこ探しをしたり、連隊戦なので、他の刀剣男士たちもルルハワに迷い込んじゃったり……。
燭台切がキュケオーンの新メニューを考えたり、水着コンテストで村正が脱いだり、むっさんがアルトリア(水着)と射撃を競ったり、筋肉対決でフェルグスと村正が脱いだり、髭切がイバラギンをからかったり、膝丸と今剣が牛若丸やロボと草原を走り回ったり、内番服で熱中症になった長谷部をナイチンゲールとサンソンが介抱?したり、ナーサリーやジャックと小夜が浜辺で遊んだり、来派の三人がゴッフ新所長のBBQに参加してたり、レオダニスと山伏が山籠りしたり、ヌードモデルで村正が脱いだり……


とにかく! サーヴァントと刀剣男士たちが夏の海でわちゃわちゃする話が読みたい!!
こんな小説か漫画、誰か書いてくださいー! 切実に!!




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第七節
千本桜(1)


「いやー、これだけ揃うと圧巻じゃな」

 

 その日の夜。

 織田信長はサーヴァントと刀剣男士と一堂に集めると、心の底から楽しそうに笑った。

 ここは、もともと隠し部屋なだけあって、さほど広くはない。牛若丸や今剣のように小柄な者も多かったが、土方歳三や岩融など背の高い者の方が多いため、いささか窮屈に感じられた。

 

「牛若丸が陣営に戻り、新たな刀剣男士も見つかるとは!」

 

 上座に陣取った信長が、新たに加わった刀剣男士に目を向ける。

 金髪を後ろに逆立て、胴当てを前にだらんと垂らした青年は、信長に負けず劣らず、にかりと明るい表情で応えた。

 

「ソハヤノツルキ ウツスナリ。坂上の宝剣の写しだ。清光たちも無事でよかった。

 これから、よろしく頼むぜ」

「あの伝説の……!」

 

 江雪斎が目を疑っている。

 その隣で、信長がほうっと目を光らせた。

 

「茶筅丸から狸に贈った太刀じゃな。うむ、茶々がいなくて良かったのう!」

 

 信長の言葉に、立香も納得する。

 茶々は狸こと徳川家康をよく思っていない。自分たちを滅ぼした相手なので「親しみを持て」というのが無理な話である。

 

「えっと……確か、茶筅丸ってノッブの息子……でいいんだよね?」

 

 ふと、時折頭を掠めていた疑問が浮上してくる。

 信長には、それなりに多くの子どもがいた。側室も抱えていた。ところが、実際の信長は女性だ。女性の信長が女性の側室を孕まして子どもを産ませるなんて不可能だ。側室が実は男だったと仮定しても、胎は1つなのでポンポン産めるはずがない。

 どうやら、和泉守兼定も同じ疑問を抱いていたらしい。彼は腕を組みながら、浅葱色の瞳で信長を見下した。

 

「そうそう、俺も不思議に思ってたんだよ。信長公は女だろ? そのあたり、どうなってたんだ?」

「あーあー、聞こえない、聞こえない」

 

 信長は耳を両手で塞ぎ、この話をやり過ごそうとする。

 この話題が出ると、いつも信長は誤魔化そうとしている。きっと、込み入った事情があるのだろう。立香がそんなことを考えていると、ふと、鈴鹿御前の姿が視界に入ってきた。一見すると、普段通りの表情なのだが、少しだけ口を歪めていた。薄橙色の瞳の奥には、なにか複雑そうな気持を抱えているように見える。

 立香は彼女に声をかけようとしたが、その前に、ソハヤノツルキが鈴鹿に笑いかけた。

 

「あんた、鈴鹿御前だったな? 確かに、俺は素速丸の写しだ。だからって、特別に気を使うことはないぜ? 写しだけど、俺は俺だからな!」

「……別に気なんか使ってないしー。あんたを探したのは、写しになんとなく興味があったから。それ以上でもそれ以下でもないんだからね」

 

 鈴鹿はそう言うと、ぷいっと顔を背ける。冷たく突き放したように見えるが、彼女の頬が少しだけ朱に染まっている。声色も冷たさよりも、柔らかさが十分感じ取れた。

 

 ソハヤノツルキ。

 彼は坂上田村麻呂の刀の写しだ。そして、鈴鹿御前は坂上田村麻呂の妻である。

 ややぎこちなさは感じたが、二人の間には薄らと繋がりのようなものがあるように感じた。

 

 そんな二人の姿を見た信長は、話題が逸れてこれ幸いとでも言うかのように、彼女たちのやり取りにのっかった。

 

「うむ、鈴鹿はツンデレじゃな。わしのへし切と同じよ!!」

「はぁー? ツンデレとかないない! まったく違うから、ツンデレ認定されたくないんだけどー。つーか、あんたの刀はツンデレじゃなくて、ガチで嫌われてんじゃん」

「へし切はツン99%なんじゃよ。いつか1%のデレを見せてくる日が来るはず!! そうだと思うじゃろ、立香!」

「うーん……」

 

 立香は曖昧な表情を浮かべた。

 

 牛若丸と今剣。

 土方歳三と和泉守兼定。

 弁慶と岩融。

 そして、鈴鹿御前とソハヤノツルキ。

 

 生前の繋がりは失せることなく、それなりに良好な仲を築いているように見える。

 加州清光たちは通信越しだが、生前の主を慕っていることが見て取れたし、陸奥守吉行は元主の友人である岡田以蔵に対しても特別な想いを抱いていた。

 

 だが、織田信長とへし切長谷部だけは別だ。

 信長は彼に好感を抱いているが、長谷部の感情は真逆である。生前の逸話やギターにされたことを考えれば当然の結果ではあるが、今も長谷部が一向に信長と視線を合わせず、むすっとした表情をしているところを見ると、なんとかして彼女たちの仲を修復したいと思えてしまう。

 ただ、彼女たちの複雑な関係に勝手に踏み込んでいいのかは、非常に悩みどころだ。

 

「ほらほら、そろそろ本題に入ろうや」

 

 陸奥守吉行が場の空気を吹き飛ばすように、ぱんぱんと手を叩いた。

 

「わしらは聚楽第の様子を探ってきたやき」

 

 陸奥守はそう言いながら、ぱさっと地図を広げた。

 

「正面は遡行軍が守っている。ざっと100はいたのう」

「正面突破するとなったら、応援を呼ばれるかもしれん」

 

 陸奥守の言葉を引き継ぐように、信長が話し始めた。

 

「よって、部隊を二つに分ける。

 正面突破する陽動部隊と、裏口から侵入する部隊じゃ」

 

 信長はとんっと正面から少し離れた場所を指さした。

 

「無論、裏口も抜かりなく奴らは警備していたが、薄いことには変わりない」

「でもさ、それってあからさま過ぎない?」

 

 清光が異議を唱える。

 

「派手に戦ってる隙に、裏口を突破するってさ、よくある話じゃん。そう上手くいかないと思うけど?」

「たしかに、よくある話やき」

 

 陸奥守がうんうんと頷いた。

 

「じゃが、周りを見てみい。信長公に義経公、土方歳三に武蔵坊弁慶。誰もが知って頭のキレる名将が集まっちゅー。きっと敵は、複雑で奇天烈な策を練ってくると考えるぜよ。

 やき、この基本的な策が通る」

「とはいっても、基本的な策であることには変わらぬ。

 裏口から侵入する部隊も、実質的な陽動と本隊と分けること前提で編成することにした」

「さすが、姉上。とても良い策だと思いますよ!」

「いや、わしと陸奥守も考えた策じゃけどな」

 

 信長は擦り寄って来る信勝から一歩距離を置く。陸奥守はその二人の様子を微笑ましそうに見えた後、真剣な顔に戻って全員を見渡した。

 

「わしと信長公で部隊を編成してみた。

 正面を攻める陽動部隊は、土方歳三、武蔵坊弁慶、牛若丸、岡田以蔵、和泉守兼定、岩融、今剣、そして、わしじゃ」

「わしが陽動やと?」

 

 岡田以蔵が不満の声を上げる。

 彼のクラスは暗殺者。正面から切り込むことができないわけではないが、こっそり敵陣に侵入して暗殺を行う方がずっと得意だ。そのことは、信長たちも理解しているはずである。

 

「まさか、おんし……わしが同じ技を二度も食ろうと思ってんか? また洗脳されると?」

「いや、そんなことは、これっぽっちも思ってないぜよ」

 

 陸奥守がナイナイと手を振りながら、きっぱり断言した。

 

「わしが陽動担当だからやき! 龍馬の友人の刀と肩を並べて戦うなんて、もうないき。それに、わしゃおんしの実力は十分わかっちゅー。以蔵さんは仕事はしっかりこなす人やき、今回も陽動の仕事を確実にこなしてくれると信じちゅーぜよ!」

「仕事は、は余計じゃ!」

 

 以蔵は反論したが、それ以上何も言わなかった。

 少し照れくさそうに頬を赤らめている。きっと、彼から嘘偽りのない言葉で褒められて嬉しいのだろう。どことなく喜んでいる彼とは正反対に、へし切長谷部は堅い表情で陸奥守に話しかけた。

 

「陸奥守、俺は陽動部隊に向いている。そちらの隊に入れてもらおう」

「へし切は、わしと同じ部隊に決まっておろう!」

 

 ところが、陸奥守ではなく信長が答えた。

 

「わしも自分の刀と共に戦いたい!」

「陸奥守、俺は陽動部隊に入ろう。その方が落ち着いて戦うことができる。誤って誰かを切るような真似をしたくない」

「貴様、性懲りもなく、姉上の決定に逆らうとは!」

 

 信勝が先ほどまで緩めていた目を一気に険しくすると、刀の鯉口を鳴らしながら長谷部の方へ詰め寄っていく。

 

「再三たる無礼……ッ! もう我慢できません。姉上、こやつを斬り捨てましょう」

「落ち着け、信勝。さっきも言ったじゃろ? わしのへし切はツンデレなんじゃ」

「ですが、姉上……」

「だって、わしだけ仲間外れなのおかしくない!? 弱小人斬りサークルの男も牛若丸も自称弁慶も、みんな自分の刀剣と一緒に戦ったことあるのに、わしだけまだ肩を並べて戦っとらん!

 互いに背中を預けて『後ろは任せた』とかやってみたいじゃろ? そうじゃろう!?」

 

 信長は口を尖らせながら駄々をこねるが、長谷部の険しさは変わらない。むしろ、眉間に皺が寄ったように見える。

 

「ま、そういうことやき」

 

 陸奥守は、少しばかり申し訳なさそうに長谷部の肩を叩いた。

 

「それから加州、おんしも裏口からの部隊に部隊に入っちゅーが……安定のこと……」

「別に大丈夫だよ」

 

 陸奥守が言い切る前に、清光は答えた。

 

「昨日、どこを探しても安定がいた痕跡がなかった。

 ってことは、聚楽第に捕らわれてるか、洗脳されちゃってるかのどっちかじゃん? それなら、あいつを助けるのは、俺の役目。当然でしょ?」

 

 清光の表情は変わらない。

 赤い瞳には、とてつもなく強い意志を感じられる。

 それは、沖田総司の刀としての繋がりか、もしくは、本丸で一緒に暮らした仲間としての絆か、あるいは、その両方かもしれない。立香には詳しく分からなかったが、清光が安定のことを誠に思っていることだけは、非常に強く伝わってきた。

 それだけに、織田主従の仲の悪さが際立ってしまうわけだが……それは脇に置いておくことにしよう。

 

「監査官さんも新シンも聚楽第にいる可能性が高いんだよね」

 

 立香が言うと、信長は頷いた。

 

「左様じゃな。敵に回っていることを考えて行動した方がいい。

 さてと……それから、風魔小太郎には、これまで通り、江雪斎の身を護ってもらう。それでよいな?」

「はい、問題ありません」

「……拠点を提供することしか役に立つことができず、申し訳ござらん」

 

 江雪斎が苦しそうに言った。

 

「本来であれば、主君を諫めるのが家臣の役目。にもかかわらず、こうして戦局を見守ることしか出来ぬとは」

「お主が気にすることではござらん。むしろ、わしらを受け入れてくれて感謝する」

 

 信長が江雪斎に礼を言う。

 

「今夜はこれで終わりじゃき。明日に備えて、しっかり休むぜよ」

 

 陸奥守の言葉で、解散となる。

 

 立香は、だんだんと終わりに近づいているのが分かった。

 

 

 明日の朝、作戦は実行される。

 その後、ここに戻ってくることは恐らくない。聚楽第の異変を解決すれば、もうこの特異点に用はない。サーヴァントたちとカルデアに戻り、刀剣男士たちとも別れる。

 この戦いの終わりを思えば、信長が長谷部と一緒に戦いたい、と切実に願う理由も痛いほど分かる。

 そもそも、英霊として現世に召喚されること自体が稀である。ましては、自身の扱った刀剣の付喪神と共に戦うことなど夢のまた夢だ。

 

 切迫した状況だが、この夢に浸りたいに決まっている。 

 事実、和泉守兼定は土方歳三の隣にいるだけで幸せそうだし、牛若丸と今剣は兄弟のように仲睦まじく、蟠(わだかま)りの消えた弁慶と岩融は共に笑い、鈴鹿御前とソハヤノツルキもなんやかんや一緒に行動している。陸奥守が岡田以蔵に構っている様子は、カルデアの坂本龍馬を彷彿させた。

 

「……」

 

 そんな彼らの様子を、山姥切国広が遠くから見ていた。

 顔は白い布で隠されていたが、全身から寂寥感を滲みだしている。しばらく彼は主従を眺めていたが、すうっと外へ出てしまった。

 なんだか彼を放って置けなくて、立香は白い背中を追いかけた。

 

「山姥切さん?」

「藤丸か。写しの俺に何の用だ?」

 

 口調に卑屈さが滲んでいるのは、たぶん気のせいではない。

 

「いや……その、いよいよ明日が突入だなって」

 

 とはいえ、感覚で追いかけてきてしまったので、特別これといった話題はない。そのことが山姥切にも伝わったのだろう。ふんっと鼻を鳴らすと寺の縁側に座り込む。

 

「……写しの俺には、特別な逸話がない。

 山姥を切っていない。それに、俺には特別な主もいない」

 

 山姥切国広。

 それは、北条家に伝わる山姥切を元に作られた刀。最高傑作だが、戦国時代の末期の刀である。著名な人物の刀ではなく、信長たちのように英霊として以前の主と出会うことは叶わないだろう。

 そのことを憂いているのだろうか?

 立香が尋ねると、彼は口元に乾いた笑みを浮かべた。

 

「そうかもしれないな。

 しかも、元の主は、俺に興味がなかった。俺が関東大震災で焼失したと思われていたほどだ」

 

 だから、俺は求められていない刀だ。

 山姥切は寂しそうに呟く。仲間たちが元の主と接する様子を見て、ますます胸が詰まってしまったのかもしれなかった。

 

「……それから、俺は自身の役目も十分に果たせていない」

「それは、部隊長としての?」

「俺は……」

 

 山姥切は、そこで一度、口を閉ざした。

 しばらく黙り込んでいたが、やがて、疲れたように息を吐く。

 

「……お前の話しても仕方ないか」

「いいよ。どんな話でも聞く」

 

 立香は山姥切の隣に腰を下ろした。

 

「良い答えができないかもしれないけど……」

「……俺は、不安だ」

 

 山姥切は囁くような声で言った。

 

「昨夜の話で……主が俺を信頼して、今回の部隊長を任せたことは分かった。他の誰にでもない、俺自身に。

 だが、何故俺なんだ?」

「今回の任務が北条氏政が聚楽第を支配した特異点の解消……だったからじゃないかな?

 北条家にゆかりのある刀として、選ばれたんじゃない?」

「それなら、江雪左文字でも良かったはずだ。第一、俺は……北条家に伝わる刀とは違う。……いや、部隊長を任された理由は……もういい。主には何かしらの考えがあったのことだ。俺には分からないし、たぶん、藤丸にも想像できないだろう。

 俺が恐ろしいのは、主の信頼に応えられないことだ」 

 

 山姥切は辛そうに顔を俯かせた。白い布が前に覆いかぶさり、口元しか見えない。

 

「主は……審神者は俺にとって、写しの俺を誠に求めてくれた存在だ。 

 こうして、重要な任務の部隊長まで任せてくれている。だが、その信頼に応えることができなかったら……俺のことなど忘れ、興味を失くしてしまうのではないか」

 

 関東大震災の時、十分に探して貰えなかったように。

 

 立香も彼と同じように下を向いた。

 足が地面につかず、ぶらぶらと宙を泳いでいる。

 立香は人理修復後、家族の元に帰らず、かといって、いずれ居場所が失われるカルデアとどまり続ける覚悟も定まっていない。

 

 人理修復された今、唯一のマスターと言う肩書は薄っぺらいものとなった。

 

 いまはカルデアに人がいないので、立香がマスターを務めているが、時計塔のエリート魔術師が派遣されてきたら、その人がマスターになるだろう。

 信長も鈴鹿もサーヴァントたちは、立香を慕ってくれているが、召喚者が別の誰かだったら、きっとその誰かを慕っていたはずなのだ。もし、マスターが変わったとしても、最初こそは藤丸立香との違いに戸惑うかもしれないが、月日がたてば、新しいマスターにも慣れ、良好な関係を築くに違いない。

 

 つまるところ、このままカルデアに居続ける理由はない。

 もちろん、それでも残るというなら、何かしらの仕事が与えられるだろうが……。今のように、マスターとして数多の英霊と付き合うことができるか定かではなく、むしろ、もしかしたら、以前、召喚していた英霊たちからそっぽを向かれてしまう可能性だってある。

 立香は、カルデアと外界を拒絶する吹雪を理由に、これからの選択を後回しにし続けている。そんなどっちつかずの自分を現しているようで、立香は再び顔を上げた。

 

「……山姥切さんの不安は、私には分からない」

 

 立香は星々を見上げながら、正直に答えた。

 

「私は……部隊長というか、カルデアのマスターをしているけど……」

 

 未来がどうであれ、現時点ではカルデア唯一のマスターだ。

 藤丸立香は、数多の英霊たちを率いて、亜種特異点を解決しなければならない。

 

「今回もノッブが色々と作戦を立案してくれた。本当は、私がやらないといけないのに」

 

 立香は拳を握りしめる。

 今回は信長が指揮を執ってくれたが、たとえば、これがAチームの優秀なマスターなら……。

 てきぱきと作戦を立案し、もっと早く華麗に事態を解決できていたはずだ。自分は補欠の補欠として、成り行きを見守ることしかできなかっただろう。

 

 でもそれは、IFの話。

 現実には違う。

 

「たぶん、戦闘では足手まといになると思う。英霊の影は召喚できるけど、雀の涙だと思うし、ガンド撃つことや身体強化くらいしか出来ない。状況に応じて、臨機応変に解決策を上げるなんて、とっても難しいと思う」

「……だから、隊長……ますたーの器ではないと言いたいのか?」

「たぶんね。でも、私はマスターとして、少しでも、自分に出来ることをしたい。

 この先に待つのがなにか、具体的に考えたことがないわけじゃないけど……今の自分にできることを精いっぱいやらずに、逃げて後悔はしたくない」

 

 自分の精いっぱいの思いを口にする。

 それを山姥切がどう受け取っても良かった。

 受け入れてもいいし、反感を持ってもいい。立香の考えに興味すら抱かなくても構わない。

 

 自分の気持ちを整理するために、ただただ自分の考えを述べる。

 

「……そうか」

 

 山姥切の答えは短かった。

 

 二人の間に沈黙が訪れる。

 

 とても静かな夜だった。

 

 星が瞬いている。

 こうして、星を眺めたことは幾度となくあった。

 オルレアンで、ローマで、オケアノスで、ロンドン……は霧で視えなかったけど、どの特異点でも英霊たちと語り合い、夜空を見上げてきた。

 星座のことなんて詳しくないから、星の位置が同じとか違うとか分からない。というか、都会とは異なる大小入り混じった満天の星空は、星座早見表があったところで、どれがどの星座なのか分からなかったに違いない。

 

 けれども、どことなく同じで、なんとなく違うような夜空を見上げ、なんでもないように語り合った思い出は、きっと一生、記憶に残る。

 カルデアのマスターを辞めるときも、あまり考えたくないけど、今回の戦いや未来で死を迎えるときも……。

 

 そんなことを口に出す。

 人間と刀だけど、きっと彼も同じはずだと。

 

「そうか」

 

 もう一度、山姥切が告げた。

 その言葉は、一度目の時よりもわずかに強いものだった。彼は顔を上に向かせると、静かに夜空を見上げる。白い布が少し外れ、どこか寂しさに満ちた蒼い瞳を露にしていた。前髪は満月の灯りを集めたように美しく、彼の端麗な顔を綺麗に飾っている。だから、立香は思わず言葉を口にしていた。

 

「……綺麗だね」

「綺麗とか言うな」

 

 山姥切は素早く言葉を返す。 

 興味がなさそうに返された言葉を受け止め、立香は再び夜空を見上げた。

 

 

 山姥切と静かに語り合うのは、やっぱりこれが最後。

 それが良い方に進んでも、悪い方に転んでも。

 

 願わくば、聚楽第が全て終わった後、山姥切国広と笑顔でお別れができますように。

 立香はマスターとして、山姥切は部隊長として、それぞれの任を果たせたね、とハイタッチできるように。

 

 

 星の大海に、立香は黙って祈りを捧げた。

 

 

 



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千本桜(2)

ラスベガスは全部クリア!
沖田さんは水着で大勝利! ガチャは沖田さん大勝利にはなりませんでした……。






「そろそろか」

 

 北条氏政は、白みを帯び始めた東の空を眺めた。

 

「もうじき、すべてが終わる。願わくば、我らの望み通りに事が運べばいいが……」

 

 窓から外の風景を眺め、氏政は嘆息する。

 

「絹。お前はどう思う?」

「私は最期まで貴方様の傍に」

 

 黒い女は静々と答える。

 

「聖杯は満たされつつあります。槍、弓、術、狂……剣と裁定者、そして、私がくべられれば、万事が万事、氏政様のお考え通りに」

「お前を自害させるつもりはない」

 

 氏政は断言した。

 

「剣と槍兵は紛い物だが、英霊であることには変わりないだろう。6基で十分、我らの望みは叶う。

 もうじき、あと一歩で……」

 

 氏政は昇り行く太陽に向けて手を伸ばし、拳をぎゅっと握りしめた。

 

「ところで、かるであなる一味は新たな下僕を召喚したらしいな。武蔵坊弁慶と名乗っているらしいが……」

「偽者です」

 

 女は身体を屈めながら断言する。

 女がさっと白い手を袖に突っ込むと、色彩豊かな絹の布を引きずり出した。彼女は布に織り込まれた絵に目を落としながら

 

「一人は偽物、もう一人は小物。我らの敵ではありません」

 

 さらっと答えた。

 無表情だった口元に匙一杯ほどの微笑を浮かべている。

 

「楽しそうだな」

「ええ、だって、この地上にいない存在を……新たに天文台から召喚するなんて……まるで、神ではありませんか。

 私、神を殺すと考えるだけで、ぞくぞくします。だって、神は……特に、女の神は冥界に蹴り堕としたいくらい大っ嫌いですので」

 

 女の声色が僅かに高くなり、喜びの色が滲み出ている。

 

「邪神……あの魔神柱の言いなりにカルデアのマスターを殺すことは癪でしたけど……神殺しの女神なんて……ぁあ、絹の二度目の人生は幸福に満ちていますわ」

 

 黒い女は恍惚とした表情になった。

 氏政は金箔を張り詰めた壁に背を預けると、黒い女を見上げた。

 氏政は、彼女の生前について詳しく知らない。

 聚楽第に来れば南蛮の書物もあるかと思ったが、彼女の原典となった物語は見つからなかった。

 だから、すべては、彼女の語った内容でしか分からない。それは恐らく、彼女の一方的な視点であり、他者からの視点は異なるのであろう。だが、それを確かめたくても、他のサーヴァントと話す気にはなれなかった。

 

 北条氏政が、最初に召喚した異形の美女。

 気配を遮断し、見も毛もよだつ配下を従え、他者を操る力を持つ。膨大な魔力を必要とするが、真実を布に示すこともできる。

 そのような危険極まる娘、普通の感性があれば、信を置くわけがない。

 

 しかし――……

 

「こんな世界は、わしもうんざりだ」

 

 氏政は告げる。

 召喚時、彼女が語った神への憎悪は本物だった。特に、初めて捕らえた付喪神に向けた表情は鬼気迫るものがあり、氏政が止めなければ折っていたことだろう。

 

「わしと絹は求めている結果が同じよ。最後まで、共に進もうぞ」

「ええ、氏政様。万事が全て、整っております。

 ……さあ、貴方も行きなさい。神気取りの女を殺してくるのです」

 

 女は部屋の隅に目を向ける。

 そこには、虚ろな目をした男が控えていた。男は黙って頷くと、それぞれ少し時間を置いて部屋を出ていく。

 

「……では、後は任せたぞ」

「ええ、氏政様。ごゆるりと」

「……ああ、邪神の機嫌とりに行ってくる」

 

 氏政は女を一瞥すると、魔神柱の根差す奥の間へ足を勧める。

 

 いよいよだ。

 カルデアのマスターを献上すれば、すべてが終わる。

 

「天下を統一するのは……北条よ」

 

 氏政は口の端をにたりと持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マスター、ちょっと話があるんだけど」

 

 聚楽第への出発を控え、礼装の確認をしていると、鈴鹿御前が声をかけてきた。

 ちょいちょいと柱の影から手招きをしている。立香は首を傾げながら、彼女の傍に近寄った。

 

「どうしたの、鈴鹿? やっぱり、まだ回復してない?」

「それは問題ないんだけどさー。それより、気になることがあって」

 

 鈴鹿は周囲に目を奔らせた。

 信長は陸奥守や江雪斎、風魔小太郎と話し込み、信勝と長谷部は睨み合っている。弁慶と牛若丸は今剣や岩融と会話を弾ませ、土方は新撰組の二振りと沢庵を食べており、ソハヤノツルキは以蔵と山姥切に何か話していた。

 それぞれ、特に変わったところは見当たらない。

 

「……マスターは清水まで上がってきたとき、怖くなかったわけ?」

「うーん、鈴鹿が死んだらって思うと怖かったけど……」

「違う違う。そーいうことじゃなくて、道よ道。キモくなかった? 臭いとかは?」

「道?」

 

 立香は鈴鹿の言いたいことが理解できなかった。

 

「そりゃ、舗装されてなくて走りにくかったけど……」

「……はぁ、そっか。マスターはバビロニアで冥界に降りたことあったんだっけ。だから、鈍かったってことね。あー、マジ悩んで損した」

「いや、納得されても困るんだけど。どうして、冥界が出てくるの?」

 

 鈴鹿の呆れ果てた顔を見て、立香は更に困惑を深める。

 

「そりゃ、冥界は人気がなくて寂しい所だったけど……臭いだって気にならなかった」

「え、そっち?」

 

 鈴鹿の顔に驚きの色が浮かんだ。

 彼女は立香の言葉を受け、しばし悩むように唇の指を添えると、真剣な目で立香を見据えた。

 

「……マスター。あの辺が、なんて呼ばれているか知ってる?」

「え? ……えっと、粟田口?」

「他には?」

 

 立香は首を横に振る。

 

「清水は清水じゃないの?」

「…………私と会ったとき、意外とフツーだなって思ったけど、やっぱり気づいてなかったってことね」

「気づいていなかったって何が?」

 

 鈴鹿は小さく息を吐くと、もう一度、周囲を見渡した。

 そして、立香にしか聞こえないほど小さな声で囁いてくる。

 

「鳥辺野って言うの。聞き覚えない?

 死体を鳥葬してた場所ってこと。

 あそこらへん、私が生きてた時代から、死体置き場だったってわけ」

「し、死体置き場!? それって――ッもご」

 

 立香が驚いて声を上げると、鈴鹿がすぐに口を手で塞いできた。

 

「墓地として整備されたのがいつだか知らないけど、私が登って来た時には、少し路地を見れば死体が転がってたし、臭いも酷かった。

 でも、降りた時には、一切、なかった。これって、おかしくない?」

 

 鈴鹿は立香の耳元で囁くように話し始めた。

 彼女の言う通り、死体は見なかったし、死臭もなかった。

 

「風の関係かなーって思ったんだけどさ、それにしても、死の臭いがしなさすぎ。

 だから、私が清水に登った後、誰かが死の臭いを消したってこと。ここまで、かしこまり?」

 

 立香は頷いた。

 吹きっ晒しの死体があるのに、臭いが微塵も漂ってこなかったのはおかしい。参道に人がいれば、死の臭いを消すために香を焚くなり何なりしただろうが、人の気配など皆無だった。

 つまり、死の臭いがしなかったのは、何かしらの人為的な介入があったからだ。

 

 しかし、なぜ、死の臭いを消したのか。

 

「マスターに参道をスムーズに登らせたかった。たぶん、それが理由ってことだし」

「……それなら、天草四郎が?」

 

 立香は名前を口にしてみたが、すぐにその考えを否定する。

 

「天草四郎は私を浚うつもりはなかった。

 『一人一人、私の周りにいるサーヴァントや刀剣男士を引きはがす計画』だったって」

 

 洗脳状態の岡田以蔵が話した内容を復唱する。

 天草四郎が死の臭いを消す意味が分からない。むしろ、立香を鈴鹿と引き離すために死体を多く参道に敷き詰め、足止めを企んだ方が自然である。

 

「だから、以蔵さんも白。天草四郎の手下だった以蔵さんが、わざわざ参道を綺麗にする意味が分からない。

 というか、躊躇いなく参道を登らせるってことは、鈴鹿を助けさせたかったってこと? ノッブたちが先に整備してくれてた……?」

 

 だが、もしそれなら、信長たちは素直に教えてくれるはずだ。

 それをしないということは、立香に教えたくない裏の理由があることに他ならない。

 

「私を助けたかったのかもしれないし、天草たちと遭遇させて、誘拐させたかったのかもしれない。

 それは、まだ分からないけど、話せないような後ろめたい事情があるってことには変わらないってこと。もしかしたら――……」

 

 ここで、鈴鹿は再び他のサーヴァントや刀剣男士たちの方へ目を奔らせる。

 

「マスターを嵌めて、裏切るつもりなのかも」

「それは……!?」

 

 立香は目を丸くする。

 

「あいつらに、マジで気を許さないで。私がマスターを護るから」

 

 鈴鹿はそれだけ言うと、立香から顔を離した。

 ソハヤノツルキが快活な笑顔を浮かべながら近づいてきたのだ。

 

「鈴鹿ー、何を話してたんだ?」

「華のJKトーク。男子禁制ってことだしー」

「つれれぇな」

 

 鈴鹿はソハヤノツルキと話を弾ませる。

 その姿を見ながら、立香は彼女に言われた内容を噛みしめた。

 

 

 このなかで、誰かが裏切るかもしれない。

 

 まず、加州清光は違う。

 彼は以蔵に浚われるまで、立香と行動を共にしていた。

 鳥辺野の臭いを消す暇はない。

 岩融も違う。

 鈴鹿が清水を登りきってから南蛮寺まで来るまで、時間の計算が合わない。

 途中から聚楽第に来た織田信勝や武蔵坊弁慶も違う。

 

 

 だが、他の人物は一様に可能性がある。

 

 織田信長はちびノブの伝言で鈴鹿御前のことを知ったが、立香たちに隠れてノブたちに死体を消すように命じることは可能だ。

 山姥切は清水の坂に蹲っていたし、長谷部も鈴鹿の後から坂を上ってきたらしい。 

 他のサーヴァントや男士たちは、姿を見せていないのでアリバイがない。

 この話を持ってきた鈴鹿自身が、立香に猜疑心を芽生えさせるために話した嘘かもしれない。

 

『味方だと思って油断した隙に、背後から刺されないようにご注意を』

 

 天草四郎の言葉が想起した。

 疑い出したら、きりがない。立香の背中から、ひたりひたりと汗が滲みだした。

 

 

「マスター、出陣じゃ!」

「あ、ノッブ。すぐ行く!」

 

 立香はぎゅっと拳を握ると、信長の元へ歩き出した。

 

「ん? どうしたのじゃ? 浮かない顔をして」

「えっと、なんでもないよ。もうじき彼らとはお別れだなって思うと、なんだか寂しいなって」

「あー、わしもその気持ちわかるわー。むしろ、もっと刀の付喪神に会いたいって気持ちが膨らむわい」

 

 日本史上有数の刀収集家は、うんうんと頷いた。

 

「嫌われているらしいが宗三にも会ってみたいし、薬研や不動とも会ってみたいのう! 薬研が薬作りが趣味で不動が酒好きとか面白過ぎじゃろ! 大般若や鶴丸、篭手切もおるらしいし……本丸に行ってみたいものじゃ」

「鶴丸さんなら、私も知ってるよ」

 

 立香はふわりとした白い着物を纏った青年を思い出した。

 

「明るくて、とっても陽気な人だった」

「マジでか!? くっ、あと一歩早く合流できていれば……」

 

 信長はがっくりと項垂れた。

 

「わしも審神者になりたい! 本丸を構えたい!」

「さすがです、姉上。英霊となってなお、城を構えようとするなんて!」

「いや、俺たちの本丸は城じゃないから」

 

 清光が嘆息した。

 

「やっぱり、さーばんとって変な人しかいないんじゃない? あの人は別として」

「なに言ってやがる。土方さんは素晴らしい御人じゃないか! 見ろ、体中から威厳が溢れ出ているだろ!」

「沢庵をぼりぼり食べてる鬼の副長は、威厳がないっていうか……あれ、この時代に沢庵ってあったっけ?」

「わしが拾った料理人は作っておったぞ?」

 

 清光の疑問に立ち直った信長が答えた。

 

「珍妙な格好の料理人での、摩訶不思議な料理を振る舞っておった。キッチンの弓兵に詳細を伝えれば、再現できると思うが……うん? うむむ」

 

 信長は少し考え込むように腕を組んだ。

 

「のう、人斬りサークルの刀」

「加州清光だって」

「不動が本丸におるのじゃろ? いつも酒を飲んでいるとか」

「まあね。

 日本号や次郎太刀が勝手に作った酒場スペースで、よく飲み潰れてるよ」

 

 清光が答えると、信長の眼がきらんと光った。

 ふふふと低い声で笑いながら、なにか良からぬことを企むような顔をしている。

 

「そういえば、カルデアに酒場はなかったのう。

 良い機会じゃ。弓兵をスカウトして、ボイラー室の隣辺りに作ってみるとするか。

 題して、『カルデア居酒屋ノッブ』!」

「いや、それはダメだよ」

 

 立香は止めたが、信長は完全に盛り上がっている。 

 

「極寒の地 カルデアにいながら、古今東西の料理と酒を振る舞ってくれる場所。。

 さながら、異世界に開店した日本の居酒屋のように物珍しく、それでいて新鮮な味わいを楽しむことができる! 酒はレイシフト先で購入してくれば良いし……うむ、我ながらに良い案じゃ!」

 

 英霊には酒豪が多い。

 荊軻や酒吞童子、それから、アンとメアリー。男性だとクー・フリンやベオウルフ、イスカンダルも酒を樽で飲み干しそうだ。もっとも、それが「良い酔い方」をしてくれるかどうかは別問題である。カエサルやアラフィフ教授が、酔った相手に悪徳商法を持ち掛けてくるとかいう問題も発生しそうだ。

 

「おっ、酒場か? ええのう、わしも一杯ひっかけたいものやき」

 

 以蔵が愉快そうに笑いながら、信長の提案に乗っかってきた。

 

「以蔵さん。酒のせいでレイシフトしたこと忘れたの?」

「それとこれとは別じゃ。酒はええぞ、立香。おまんも飲め、飲め」

「未成年だから無理」

「……あのさー、出発するんじゃなかったの?」

 

 清光が呆れ果てた声で促してくるが、信長たちの盛り上がりは止まらない。

 

「姉上、内装でしたら僕にお任せください。

 太ったカルデアのスタッフに頼んで、一級品の壁紙や家具を用意してもらいます」

「そこは、赤い弓兵に頼めばいいじゃろ。

 酒や食材の調達のためのレイシフトをこっそり見逃してもらうために、彼を使えばよい」

「わしゃ、楽しく酒が飲めればそれでええ。ええ女に酌して貰えれば、なお良いぜよ」

「そこは、店主のわしの出番よ。

 わしが一番可愛いから、メロメロになるのは是非もないネ!」

 

「ねぇ、立香」

 

 清光が心の底から面倒くさそうな表情を向けてきた。

 

「令呪ってやつで、言うこと聞かせた方がいいんじゃない?」

「……是非もないです」

 

 立香は最後の一画になった令呪を触りながら、乾いた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 



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千本桜(3)

 令呪は残り1画しかない。

 だから、こんなくだらないことのために使うわけにはいかない。

 

 結局、陸奥守吉行が

 

「すべて終わったあと、祝い酒でも飲みながら話した方が、ゆっくりと店について考えることができるんやないか?」

 

 と言ってくれたおかげで、ようやく話が落ち着いた。

 

「ありがとうございます、陸奥守さん」

「別に気にするようなことやない。

 さあ、張り切って聚楽第を攻略しようぜよ」

 

 陸奥守はにかっと白い歯を見せて笑った。

 眩しい笑顔に、立香は平伏した。ぜひとも、カルデアに来てもらいたい御仁である。彼みたいに裏表のない笑顔で周りを折衷できるようなサーヴァントは……立香の思い浮かぶ限り、アーラシュくらいしか思いつかなかった。

 

 

 

 

 こうして、江雪斎と風魔小太郎に見送られ、一行は出発する。

 東の空は白ずみ、京の都は群青色の布で覆われたような静けさが漂っていた。

 

「……」

 

 鈴鹿が立香の隣を走っている。

 一見するといつもの顔に見えるが、わずかに毛が逆立っている。殊更、彼女が周囲を警戒しているのが分かった。

 

「……藤丸、何を考えている?」

 

 ふと、山姥切が話しかけてきた。

 

「え、いや……緊張するなって」

 

 まさか、本当のことを言うわけにはいかないので、少し目を逸らして答える。

 

「新シンが……以蔵さんと一緒に来た人が、敵に回っているかもしれないって思うと寂しくて」

 

 山姥切は並走しながら、蒼い瞳でじっと立香を見つめてきた。

 

「相手が何だろうと、斬ればいい。そして、目を覚ませてやればいいだけだ」

「……そうだね。山姥切の言う通りだね」

 

 立香は青い眼を見返すと、口元を綻ばせる。 

 隣の鈴鹿はピリピリとしているが、立香は少し身体から力が抜けたような気がした。少なくとも、足取りが軽くなった。

 二条第の脇を抜け、いよいよ聚楽第が見えてきた。

 荘厳な彫刻が施られた豪華絢爛な建物は、一目で相当な権力者が居座っていることを示していた。そして、全体的に禍々しい空気を醸し出している。近づくと肌が痺れるような緊張を感じた。

 

「わしらはこっちじゃ」

 

 信長が手招きする。

 壁に沿って進んでいく。入り口から離れているというのに、いたるところに細やかな細工が見て取れた。正面は凝っているのに人が見ない裏側は質素なつくりをしている城が多い中で、どこを見ても贅を尽くしているのは、やっぱり、豊臣秀吉が物凄い権力を手にしていたと実感する。

 立香がそのことを伝えると、信長はやれやれと首を振った。

 

「出自が関係しているのかもしれんが、昔から猿は派手好きだからのう。ま、分からんでもないが。

 さて、そろそろじゃ。気を付け!」

 

 信長は角を曲がりながら、素早く彼女は刀を引き抜いた。

 彼女の声と同時に、周囲の刀剣男士やサーヴァントの殺気がぐんっと上がった。

 立香も令呪を握りしめ、角を曲がる。

 

 するとそこには、ざっと20人ほどの遡行軍がいた。

 鬼たちはこちらに気付くと、すぐに刀を構えて襲いかかってくる。

 

 だが、こちらは一騎当千の強者たちの一団だ。

 第六天魔王 織田信長。

 第四天魔王の娘 鈴鹿越前。

 沖田総司の刀 加州清光。

 魔王の愛刀 へし切長谷部。

 山姥切伝説の刀 山姥切国広。

 坂上田村麻呂の宝剣の写し ソハヤノツルキ。

 

 信勝を除けば、一人で十人は軽く倒せるはずだ。

 事実、あっという間に掃討されていく。立香が他のサーヴァントを召喚する必要などない。

 

 そのように思えた。 

 

「……奇天烈な策よりも常套手段を。貴方ならそう来ると確信していましたよ」

 

 声が降ってくる。

 裏口の扉が開き、天草四郎が白い髪をなびかせながら現れた。 

 

「天草四郎!」

「残念ですが、貴方たちを聚楽第に入れるわけにはいきません。ここで、始末させていただきます」

 

 彼はそう言いながら、刀を引き抜いた。

 ソハヤノツルキがその刀を一瞥すると、ひゅーっと口笛を吹いた。

 

「その刀、三池典太の作だな」

「みいけ……?」

「そういう貴方は、ソハヤノツルキですね。なるほど、世間は狭い」

 

 天草四郎も感慨深そうに言葉を口にする。立香が戸惑っていると、ソハヤノツルキはさらっと説明してくれた。

 

「三池典太は俺を鍛った刀鍛冶だ。俺が見間違えるはずもない」

「三池作の刀なら、それ相応の霊力があるだろうな」

 

 長谷部が紫色の瞳を細めると腰を低くし、いつでも切り込めるように態勢を整えた。だが、その考えを信長は否定する。

 

「安心せい。天草四郎は単体では、そこまで攻撃力が高くない。むしろ、数ではこちらが勝っておる。

 二人ほど残って奴の相手をし、残った者たちで聚楽第に潜り込めば――……」

「そう簡単にはいかせませんよ、第六天魔王」

 

 天草四郎はすっと手を掲げる。

 すると、地面から沸き上がるように遡行軍が現れた。その数、十や二十どころではない。聚楽第の裏口を埋め尽くしてもまだ足りないほど、眼を疑うような軍勢だった。

 

「ざっと300体。お望みであれば、まだまだ召喚できます」

「――ッ、数が、多い!」

 

 立香は目を丸くする。

 信長や鈴鹿の宝具でも令呪のブーストがないと一掃できないし、天草四郎の言い方だと、これを全員倒したところで、まだまだ召喚できるのだろう。令呪は1画しかないし、ここで時間を食うわけにはいかない。

 

「さあ、どうします? カルデアのマスター。残り1画の令呪を使いますか? 使うしかありませんよね。ですが、それをしたが最後、裏切られた時に自害させることができませんよ?」

 

 天草四郎が心を逆なでするような声で言ってくる。

 鈴鹿が横目でこちらを見てくるのが分かった。立香はまっすぐ天草四郎を見つめる。信長や他の男士たちがどんな目で自分を見ているのかはわからない。

 

 だから、立香は自分の答えを口にする。

 

「私は、令呪を使わない。

 だって、私はみんなを信じているから」

 

 きっぱりと断言する。

 

「信じていたところで、裏切られたらどうするのです? この世界は裏切りで満ちていますよ?」

「私が勝手に信用しているだけです。裏切られたら、私がその程度の人間だったってだけ。

 貴方だって、裏切られても人を信じている。だから、聖杯を求めているんでしょ?」

 

 立香は自身の知っている二人の天草四郎を想起した。

 下総で出会った四郎は、この世界を憎んでいた。憎悪の炎を燃やし、英霊剣豪で世界を滅ぼそうとしていた。

 だが、本来の天草四郎は違う。

 謀反人として殺されたが、それでも全人類の救済を夢に見ている。目の前にいる天草四郎は、そちらの側面が強い。少なくとも、この世全ての悪を喜び、怨嗟を撒き散らす下総の天草四郎には全く見えなかった。

 

「……ええ。だから、私は貴方たちを倒します。遡行軍、行きなさい」

 

 天草四郎は号令をかける。

 遡行軍たちは雄たけびを上げて、突撃してきた。あと十数秒で、立香たちのいるところまで到達し、遡行軍に飲み込まれてしまうだろう。

 

「……マスター、ここは私に任せて」

 

 鈴鹿御前が口早に言った。

 彼女が周囲を警戒しろと言ったのに、と思ったが、それを指摘する前に答えを口にした。

 

「マスターが信じるって断言したってことは、従わないわけにはいかないってカンジ。

 それに、私の宝具なら――……」

 

 彼女は好戦的な表情を浮かべると、黄金の剣を数本、空中に投影した。まるで天狗のように軽々と剣に飛び移りながら、小さな犬歯を剥き出しにするように笑った。

 

「この程度の敵、朝飯前だしー!」

 

 無数の剣が雨のように遡行軍に襲いかかるが、剣の数が足りな過ぎた。朝飯前だと強がってはいるが、まだ長谷部たちとの戦いの傷が完全に癒えていないのだろう。

 

「……っ、鈴鹿には悪いが、天草四郎を抜けていけん!」

 

 信長が苦言を零す。

 けれど、鈴鹿も必死なのだろう。表情こそ好戦的だったが、近くから覗き込めば額に薄ら汗が滲んでいるのが分かった。

 

「そういうときは、俺の出番だ」

 

 ソハヤノツルキは、その大きな体から考えられないほど身軽に剣に飛び乗ると、ひょいひょいっと鈴鹿のところまで上って見せた。

 

「あんた!?」

「俺は写しだが、霊力がある。だから、素早丸の代わりを務めることができるぜ」

「……そうか!」

 

 立香は鈴鹿が召喚された時に目を通したマテリアルを思い出した。

 

 鈴鹿御前。

 彼女の宝具は「天鬼雨」。

 彼女の刀「大通連」を幾重にも分裂させ、雨のように降り注がせる。その数は約250本とされているが、本来は素早丸との連携技で、最大500本ほどの黄金の剣を召喚することができるらしい。

 鈴鹿は眼下から見上げてくるソハヤノツルキを見つめ返すと、口の端を持ち上げた。

 

「……いーじゃん、のった!」

 

 鈴鹿御前は彼に手を差し出す。ソハヤノツルキも挑戦的に笑うと、彼女の手を握り返した。その瞬間、彼女の周囲に浮いていた黄金の剣が急激にに輝きを増した。

 鈴鹿御前を中心に円を描くように、数多の黄金の剣が出現する。

 1つの円ではない。二重、三重と円を作りながら、剣は彼女の周囲を回っている。

 

「あの剣……ソハヤノツルキの霊力を感じる」

 

 山姥切が呟いた。

 確かに、普段の天鬼雨の刀よりも太陽のように眩い金色だった。光の加減によっては、鈴鹿の髪と同じ桜色にも見える。

 

「見るがいいし! 私とソハヤノツルキの連携技!」

「写しだからって、俺の霊力を舐めるなよ!」

 

 二人の叫びが呼応すると、500本の剣が豪雨のように遡行軍へ襲いかかった。あまりに一気に襲いかかったものだから、地面が巻き起こされ、土煙が地上を覆った。視界が潰れ、立香は腕で顔を覆い隠そうとする。しかし、いきなり腕をつかまれた。

 

「立香、こっちじゃ!」

 

 織田信長はそう言うと、土煙の中を走り出した。

 周囲に数人の気配を感じる。立香は信長に手を引かれ、土煙の外に出た。剣が降り注ぐ音は依然として聞こえたが、後ろから聞こえる。立香が振り返ると、いつの間にか裏口の門を抜けていた。門の向こうには土煙で覆われ、その少し上から次々と黄金の剣が現れ、遡行軍たちに襲いかかっている。

 

 鈴鹿御前の霊力とソハヤノツルキの霊力が交わった剣は、基本的には黄金色だったが、時折、ちらほらと桜色に見える。その様子は、まるで千本の桜が舞い落ちているようにも見えた。

 

「ほら、行くぞ」

 

 立香は山姥切に促され、聚楽第内部に足を踏み入れた。

 

「さてと、猿が作る城ってことは、こっちが奥じゃな」

 

 信長が先頭になり、すいすいと奥へ進んでいく。

 裏口の喧騒は遠ざかり、次第に聞こえなくなってきた。信長の言う通り、中心に進んでいるからなのだろうか? と、そんなことを考えていると、視界の端に、ちらっと浅葱色が見えた。

 

「――ッ、伏せろ!」

 

 清光が叫ぶ。

 その言葉と共に、立香は誰かに圧し掛かられた。真上から刃がぶつかり合う金属音が聞こえる。

 

「無事か?」

 

 立香の上には、山姥切が覆いかぶさっていた。

 

「無事だよ。でも、今のは……?」

 

 彼の下から抜け出し、目の前で起こっている騒動を目撃する。

 

「俺に刀を向けるって、どういうつもり?」

 

 清光は襲いかかってきた敵の刀を弾き返すと、どこかやるせない声を出した。

 赤い瞳はまっすぐ相手を見据えていたが、困惑しているのが誰の眼から見ても明らかだった。その言葉を受け、彼の前に佇む浅葱色のだんだらを纏った少年は、にたりと怪しげな笑みを浮かべる。

 

「もちろん、僕は君を倒すためにここにいる。

 だから、大人しく首を差し出せ」

 

 大和守安定は断言すると、敵意を込めた視線をぶつけてきた。

 

 

 

 

 

 





次回から新章。
ちょっと短かった……



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第八節
マリオネットの夢(1)


「あー、やっぱり、ここにいたんだ」

 

 加州清光は静かに言うと、刀を払った。

 彼の視線の先には、大和守安定がいた。身体全体が憤怒の怒りで震えている。憎悪に濡れた蒼い瞳は清光のみを映し出しているのに、近くの立香たちまで鳥肌が立った。

 

「加州清光……僕は、絶対に君を、許せない!」

「はいはい。なにがあったのか知らないけど、さっさとその洗脳を解かないとね。

 ってことで、あんたたちは先に行きなよ」

 

 清光は安定を見据えたまま、立香たちの問いかけた。

 

「安定の狙いは、俺だけみたいだからさ」

「加州、それはさすがに危険だ」

 

 長谷部が彼の隣に立つ。

 

「いくら最古参の刀とは言え、お前も大和守の実力は知っているだろう?」

「でもさ、こいつを止められるのは、俺しかいないでしょ?」

「だが――……」

「……いくぞ、長谷部」

 

 山姥切が長谷部の言葉を切り上げると、空色の瞳を清光に向ける。

 

「……俺は、お前を信じている」

 

 山姥切はその言葉を送ると、清光の横を通り過ぎる。

 

「そーいうこと。部隊長が言ってるんだから、従いなって」

「……全員が無事に帰還することが主命だ。それを忘れるな」

 

 長谷部もそう言うと、山姥切の後に続いた。信長と信勝も続き、立香も彼の傍を通り過ぎる。立香が横を通り過ぎるとき、清光の赤い瞳が一瞬だけ、こちらに向けられた。

 何も言わない。

 互いに何も言わなかったが、たぶん、心で抱いていた言葉は伝わっていた。それを口に出すのは、野暮というものだ。

 立香は既に信じている。

 一緒に突入した仲間たちを、彼らが勝つと信じている。

 

 立香たちは大和守安定の隣を通り過ぎ、さらに聚楽第の奥へと突き進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いいの? 簡単に通して。怒られるんじゃない?」

「別にいいさ。だって、僕は君を壊せればそれでいい」

 

 清光は刀を構えながら、慎重に安定の身体を見回した。

 

 十中八九、岡田以蔵や牛若丸のように洗脳されているのだろう。

 そうなれば、安定を洗脳している部分を探し、斬り落とせばいい。以蔵の場合は襟巻が黒く染まり、牛若丸の場合は髪留めが黒くなっていた。

 おそらく、大和守安定も同じだ。

 衣服及び装飾品のどこかが黒く染まっているはず――……と思っていたのだが、

 

「洗脳されている場所、探しているんでしょ?

 僕の場合、それはここだよ」

 

 安定があっさりと白状した。

 右手を掲げ、自身の篭手を見せつけてくる。確かに、普段は白い模様があしらわれているところが、黒一色に染まっていた。

 清光は拍子抜けする。

 

「洗脳されてるって分かってるのに、従ってるわけ?」

「洗脳されているとか、されていないとか、僕には関係ない。今の僕は、ただ君が在ることが我慢できない!」

 

 安定はそう言いながら走り出した。

 

「戦闘だぁっ!」

 

 刀を一気に振り上げ、斬り込みにかかってくる。

 清光は横に跳ねたが、下からすくい上げるように切っ先が迫ってきた。清光は刀で受け止めると、安定の刀を弾き返す。

 

「オラオラオラッ!」

 

 清光は安定の猛攻を受け止め流し、防戦一方に陥っていた。

 狙うべき的は見えているのだが、そこに刀が届かない。わざとフェイントをかけてみるが、安定には通じなかった。普段から内番以外にも手合わせする機会が多く、互いの手の内はすっかり読めている。故に安定の攻撃が一つ一つ重いこと、そして、本気で自分を殺しに来ていることが、ひしひしと伝わってきていた。

 

「……俺を探してたって聞いたけど?」

 

 清光は冷静さを保ちながら、安定に問いかけた。

 

「どうして、俺を殺したいわけ? それを知らずに負けたら、死んでも死にきれないんだけど」

 

 太刀筋も読める。安定の普段の考えも読める。

 だが、そこだけが分からない。大和守安定が加州清光を憎み、殺したいと強く願う理由だけが思いつかなかった。

 

「まさか、あの人が池田屋の時に、連れて行ったのが俺だったから?」

 

 清光は適当に吹っ掛けてみた。 

 清光の知る限り、安定は沖田総司に並外れた理想と憧憬を抱いている。そのこと絡みであれば、安定が自分を憎んでいても一応は納得できる。 

 実際、清光が「あの人」と口にした瞬間、安定の殺気がぐんっと強まった。

 

「ああ、そうさ!」

 

 安定は一気に踏み込んできた。

 清光はすぐに刀で受け止めたが、威力を削ぎきれない。清光の腕が軋み、踏ん張っている両足が床にめり込むほど、非常に重たい一撃だった。

 

「沖田君は、いつも清光ばかりだ! 池田屋の時も、英霊になってからも!!」

 

 安定はそう叫ぶと、刀を思いっきり横に薙いだ。清光はこれ以上抑えることができず、後ろへ飛ばされてしまう。すぐに受け身の体勢を取ろうとしたのだが、安定が刀の先端を清光に向け、平晴眼の構えで迫ってくる姿を見た途端、受け身よりもまず防御の体勢を取る。

 

「沖田譲りの、冴えた一撃!!」

「ぐっ……!」

 

 だが、一歩間に合わない。

 わずかに刀の勢いを削ぎ、狙いを逸らすことはできたが、安定の攻撃を真面に喰らってしまった。腹部に小さな穴が開き、清光はよろけてしまう。

 

「うわぁ……重傷……」

 

 左手で穴の開いた個所を押さえる。

 どくどくと血が流れ出ているのが分かった。くらりと視界が僅かに霞み、立っていることもやっとである。南蛮寺の英霊と戦ったときも身の破壊を覚悟したが、あのときよりも格段に死が己の身に迫っていることを感じた。

 

「『三段突き』。知ってるよね、清光」

 

 安定は得意げに笑った。

 

「沖田君の必殺技だよ。同じところを一度に三回突く技。それを喰らった気持ちはどう?」

 

 清光は言葉を返さなかった。

 代わりに、別の言葉を投げかける。

 

「さっき、英霊になってからもって言ったけどさ。どうして、それを知ったわけ?

 俺が、あの人に会ったってことは――……」

「沖田君に、会った? 清光が?」

 

 安定の顔から一瞬、感情が拭い去られた。

 

「そっ。かるであの通信越しに。元気そうだったよ。信長公と楽しくおしゃべりしててさ。

 ……英霊になったあの人は、君にも会いたいって」

「……嘘だ」

 

 安定の空気が変わる。

 

「嘘だよ。だって、僕は言われたんだ。

 『英霊 沖田総司の刀は加州清光と菊一文字』だって! 僕は使われてないって! 大和守安定を忘れてるって!」

 

 安定の刀を持つ手が震え始めた。

 

「だから……だから、僕は、清光を折って、北条氏政が作る未来に産まれてくる沖田君に、清光を渡さないようにしようって! そう誓ったんだ!!」

 

 安定は叫ぶ。

 心を引き裂くような悲鳴だった。怒りと混乱のおかげで刀筋が甘く、清光は寸でのところで躱すことができた。

 

「それ、おかしいでしょ」

 

 清光は刀で荒い呼吸を繰り返しながら、やっとの思いで刀を構えた。

 腹部の痛みと流血で、足がふらつく。狙いを定めるのもやっとだ。だが、同じ人に使われた刀として、そして、同じ本丸に顕現された仲間であり、相棒に向かって、話し続ける。

 

「歴史が変わったら、あの人が産まれないかもしれない。あの人が産まれたとしても、それは、俺たちの知っている『沖田総司』じゃない。

 俺の知ってる『大和守安定』なら、そのくらい分かっているはずだよ」

 

 清光は問うた。

 安定は首を横に振っているが、清光には彼がとっくに矛盾に気付いているような気がした。 

 この矛盾に気づかないふりをするために、彼は洗脳を解こうとしないのだ。

 

「俺たちは、今の主に顕現された刀剣男士だ。

 『あの人』が歩んだ歴史を護るため、戦うことを誓ったじゃん?」

「だ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ――っ!」

 

 安定は刀から血が滲むほど、ぎゅっと握りしめていた。

 

「僕は、今度こそ、沖田君が、沖田君が幸せになる世界を作るんだ――ッ!! だから、首落ちて、死ね!!」

 

 安定は再び三段突きの繰り出そうとしてくる。

 今度は避けることができそうにない。安定の血走った眼を見据えながら、清光は今の主を想った。最初の刀として自分を選び、愛を注いでくれた人の顔を想起する。

 最期の最期で、審神者の命令に背いた自分を、愛してくれるだろうか。

 

「俺……最期まで、愛されてたかな」

 

 清光は呟く。

 安定の耳には届いていない。

 だけど、ただ死ぬのは御免だ。せめて、安定の洗脳だけは解きたいと刀を握るが、腕が重くて持ちあがれない。

 

「……ッ!」

 

 安定は目を瞑る。

 清光は赤い瞳で迫りくる死を見据える。そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦場に、ことの善悪なし……といいますが」

 

 切っ先が逸れた、と思ったとき、清光は温かい何かに抱えられていた。

 安定は大きく弾き返され、憎悪に燃えていた目は点になっている。

 

「さすがに、自分の刀同士が戦っているのは、見ていて辛いものですね」

 

 色素の薄い瞳が、清光を見下している。

 清光は自分が折れて、天に召されたのかと思った。だが、腹部の痛みは、これが現実であることを物語っている。

 

「いやー、画面越しに見る清光は、やっぱり可愛いですね! ノッブの刀より百倍いい感じです!

 もちろん、貴方もですよ……大和守安定。貴方も可愛いです。ノッブの刀より可愛い刀が二振りもいるなんて、沖田さん大勝利です!」

 

 薄桃色の袴とブーツ姿の少女は清光を座らせると、大和守安定に笑顔を向けた。

 

「まさか、君が……沖田君?」

「はい。正真正銘の沖田さんです! 沖田さんは、安定に会えて嬉しいです。いやー、サーヴァントになって良かったーって感じですね。自分の刀の付喪神に会えたのですから!」

「嘘だ……」

 

 安定の蒼い瞳は震えている。

 

「沖田君が、僕のことを、喜ぶわけがない。だって、君は……沖田君は僕を使ってないんでしょ!?」

「あー……それは、私が英霊の座に苦情を言いたいところですね」

 

 沖田総司は、はあっと息を吐いた。

 少し呆れたように頭を振ると、ゆっくり、安定に向かって歩き始めた。

 

「英霊は、英霊たらしめるものは信仰、つまり人々の想念によって形作られています。

 だから、有名な逸話のある加州清光と菊一文字が私の刀になっていますが……だからといって、安定の切れ味が抜群だったことを忘れたことはありませんし、清光と同じくらい、安定のことも大好きです」

 

 安定は沖田の話に聞き入っている。

 刀こそ構えていたが、憎悪の色は薄まり、近づく少女剣士を見惚れたように眺めていた。

 

「だいたい、沖田さんは菊一文字を使った記憶がありません。

 あんなに高い刀を買えるなら、その前に新撰組の活動資金に当てるか、故郷に送金してます。そもそも、菊一文字なんてなくても、私には加州清光と大和守安定があるんですよ? この二振りだけで、十分戦い抜くことができる」

 

 沖田は安定の眼と鼻の先まで接近していた。

 彼女は刀を構えることなく、朗らかな笑顔を浮かべて、呆然と佇む安定を抱きしめる。

 

「私は、大和守安定が大好きです!」

「沖田、君……」

 

 黒い篭手がするするっと外れる。

 篭手は床に音もなく落ちると、元の白い紋様が浮かび上がってきた。

 

「僕は……僕は……」

 

 安定は崩れ落ちる。

 沖田はそんな彼の頭をぽんぽんっと叩くと、清光を振り返った。

 

「清光、すぐに手当てをしますね」

「あ、ははは。俺、天国に行ったのかと思ったよ」

「清光、ごめん。本当に、ごめん!」

 

 安定は涙を腕で乱雑に拭うと、清光に駆け寄った。懐から勝栗を取り出すと、清光に食べさせる。清光の白い喉が嚥下すると同時に、傷口から破れた服までもが綺麗に修復されていった。

 

「僕、清光になんて謝ったらいいのか……」

「別に気にしてないよ。なに泣いてるのさ。可愛くないって」

「あはは、一件落着―――っごぶぁ!」

 

 沖田は微笑ましそうに話そうとした瞬間、顔色が青ざめ、吐血する。

 

「「沖田君!?」」

「だ、大丈夫ですよ、沖田さんは万全な状態で、マスターにカルデアから召喚して……ぶはぁっ!」

 

 沖田は更に血を吐くと、べたんと倒れ込んだ。

 

「ちょ、ちょっと――っ、大丈夫!?」

「薬、薬を用意しなくちゃ! っていうか、沖田君が女!? どうして沖田君に、おっぱいがついてるの!?」

「この人が自分持ってないことを知ってたのに、そっちは知らなかったの!?」

「だって、それどころじゃ……あーっ、山姥切たちに伝えることを思い出した! でも、まずは沖田君を看病しないと……!」

「ふ、二人とも、私は、平気なので、落ち着い……ごろろぉぉぉ」

「「まずは、貴方が安静にして!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むっ、なんか沖田のスキル病弱が発動したような……」

 

 信長が走りながら、後ろを振り返る。

 もちろん、立香たちに清光たちの戦闘は分からない。

 

『自分の刀が戦っていると聞いて、まっすぐ駆けて行ったからね……消失反応はでてないから、無事だと思うよ』

 

 ダ・ヴィンチがモニター越しに教えてくれた。

 つい先ほど、通信が回復し、その場で立香は沖田を召喚したのである。立香は沖田の無事を知り、ほっと胸をおろした。

 

「良かった」

「……ところでじゃが、そっちは何か分かったかのう?」

『大和守安定の状態を聞いて、敵のサーヴァントの正体がつかめそうだ』

 

 ホームズが画面越しにパイプを吹かす。

 

『ただ、実際にどのような姿なのか目にしてみないと、確信をもって答えることができない。ミスター・以蔵やミス・牛若丸からの伝聞に過ぎないからね』

「ってことは『まだ、明かすべきではない』?」

 

 立香は落胆すると、ホームズは明るく笑う。

 

『……ですが、先輩。坂本さんの調査のおかげで、私たちにも分かったことがあります』

『僕が調べたのは、北条氏政の動機だよ』

 

 坂本龍馬が、白い帽子に手を置きながら話し始めた。

 

『小田原征伐で秀吉を殺し、聚楽第に閉じこもっている。それが、そもそもおかしいんだ』

「おかしいって?」

 

 立香が問い返す。

 

『君たちの話を聞く限り、氏政は籠城をしている。遡行軍や英霊の軍勢を率いて、大名を滅ぼして回ってもいいはずだ』

「確かにその通りじゃ」

 

 信長も同意する。

 

「籠城戦は最も避けるべきことよ。

 食料・物資には限りがある。よっぽど確実な増援が来ない限り、ジリ貧で負けるのが目に見えている」

「小田原攻めでは、黒田様が氏政を説得に成功して、開城させた。

 備中高松城の戦いでも、毛利側が和議を申し出ている。結果的には、両方とも籠城した側が負けている」

 

 信長の言葉を長谷部が引き継いだ。

 

「この男の言う通り、圧倒的優位にいるはずの氏政が聚楽第に閉じこもっている。その時点で、なにかがおかしい」

「うむ、さすがは、へし切。わしに勝るとも劣らない慧眼――……」

「坂本龍馬だったか? 北条氏政が、聚楽第に閉じこもっている理由は分かったのか?」

 

 長谷部は信長の言葉を遮ると、龍馬をまっすぐ見つめて問う。

 龍馬は帽子を深く被ったまま、立香たちを見据えた。

 

「隔離された聚楽第。敵対するサーヴァント。時間遡行軍と魔神柱の影……これらから察するに、北条氏政は、この聚楽第で、たった一人の『聖杯戦争』をしているんだ」

「たった一人? えっと、でもそれって、おかしいような……?」

 

 立香はカルデアで習った知識を思い返す。

 

「聖杯戦争って、1つの陣営が独占したらいけないルールがあったような気がする。

 というか、戦争にならない」

 

 戦いというものは、自分と相手がいて初めて成り立つ。

 自分しかいないのに戦争を起こし、仲間同士で戦わせるなんて意味が分からないし、そもそも、天草四郎、巴御前、呂布と敵を見てきたが、戦いを引き起こしているようには見えなかった。

 

「そう。だから、言い方を変えるね。

 氏政は恐らく7基のサーヴァントを召喚した。そのサーヴァントを立香や刀剣男士たちに倒させることで、その霊格を聖杯にくべ、ある存在に捧げようとしている」

「それは……魔神柱?」

 

 時間神殿から逃げ出し、疲弊した魔神柱を回復させるためにサーヴァントを食わせる。

 そして、完全回復した魔神柱は立香やカルデアに対する復讐を試みる。自分の創り出した聚楽第という隔離された空間に閉じ込め、確実に仕留めるために。

 

『……と、思っていた。でも、それだとおかしい』

「おかしい?」

 

 立香は問い返した。

 

『なぜ、遡行軍を用意したのかだよ。それには、先ほど言った氏政自身の動機が絡んでくる』

「動機……それは……?」

 

 

『うん、北条氏政は――……』

 

 

 

 

 



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マリオネットの夢(2)

「そこまでです」

 

 鋭い声と共に、激しい旋風がカルデアとの通信を阻害する。

 刀が宙から降ってくる。即座に長谷部が受け止めたが、その威力を完全に殺すことはできず、ふすままで弾き飛ばされてしまった。

 

「へし切! っく、一体なんのつもりじゃ! 風魔小太郎!」

 

 信長は襖を破いて倒れ込んだ愛刀を一瞥すると、すぐに煙の中から現れた赤髪の少年を睨み付ける。

 痩せた身体を隠すように、灰色の着物を纏っている……その少年は紛れもなく風魔小太郎そのヒトだった。

 

「忍びとして、主命を果たすまで」

 

 淡々と言いながら、小太郎は鋭い刀を構えた。

 

「なんで……小太郎が、刀を?」

 

 立香の知る小太郎は、刀を使わなかった。基本的にクナイを用いて戦闘をしていたはずだ。いくら生前の小太郎だとしても、刀を使った戦闘は影に生きる忍びとして相応しいとは思えなかった。

 

「江雪斎はどうした?」

「ご安心を。彼は寺にいます。僕は偵察に出たということになっていますので。

 そしてすみません。僕は……嘘をついていました」

 

 小太郎はゆるりと立ち塞がる。

 立香は目を細めて、彼の持つ刀を見据えた。気のせいか、小太郎の握る刀は薄らと紫色を帯びているように見える。その刀を見ていると、ぞくりと全身に鳥肌が立つような気がした。

 

「その刀……まさか、童子切か?」

 

 信長が静かに問う。

 彼女にしては珍しく、額から一筋の汗が垂れていた。

 

「姉上、まさか童子切安綱ということですか?」

「なん、だと?」

 

 山姥切の顔にも驚愕の色が広がる。同時に長谷部の顔にも険しさが増す。立香だけがこの展開について行くことができなかったが、とてつもなく危機的な状況だということだけは分かった。

 

「童子切って……?」

「天下五剣……天下に知られた五振りの名刀だ。

 三日月宗近、鬼丸国綱、大典太光世、数珠丸恒次、そして童子切安綱」

 

 山姥切が緊張感をもった声で説明してくれる。

 

「いずれも室町以前に鍛刀された。

 童子切安綱は平安時代……大江山の鬼退治に使われた刀だ」

「大江山の鬼退治って……酒呑童子を倒した?」

 

 ここで、ようやく鳥肌の理由が分かった。

 

「酒呑童子を倒した人って……頼光さん?」

「そう。僕は風魔小太郎ですが、風魔小太郎の霊基を組み込んだわけではない。源頼光を憑依融合させたセイバークラスのデミ・サーヴァント……それが、僕です」

「なるほどのう。だから、これまで身を潜めて裏方に回っていたという事か」

 

 信長が自身の刀に手をかける。

 

「サーヴァントや刀剣男士の方が目立つし力もある。江雪斎の警護という名目でわしらの傍にいれば、表立って戦いに参加することもなく、わしらの動向を監視することができる」

「ええ。マスターは僕に二画の令呪を使いました。

 ひとつ目は『カルデアのマスター一行が聚楽第に攻め込むまで、彼らの味方として振る舞うこと』

 そして、もう一つは『カルデアのマスターが聚楽第に攻め込んでくるまで、源頼光を融合したデミ・サーヴァントであることを隠し通すこと』」

 

 風魔小太郎は刀を構える。

 薄ら紫色の闘志を纏い、こちらを見据える目は暗殺を生業とした忍びの眼ではない。

 数多の鬼や怪奇を倒し、

 

「ありえない!」

 

 立香は叫んでいた。

 ありえないことなど、ありえない。何しろ、あれは風魔小太郎であり源頼光であると身体は感じている。だけど、理屈が成り立たない。

 

「デミ・サーヴァントは英霊の霊基に耐えきれなくて、身体が途中で崩壊する。マシュだって、それが原因で……」

「ええ、僕の命は残りわずかです。ですが、それでも構いません。

 僕の元の主は北条氏政様でした。

 僕は、氏直様の仇を取るために攻め込んで負けた。その『僕の身体』を依り代に、氏政様はセイバーのサーヴァントを憑依させた。

 だから、僕の現主は氏政様であり、主命を果たすのは絶対です。……ええ、絶対。マスターの作る世界に仇為す者は、ここから先には通しません」

 

 小太郎の口調が少しずつ変わっていく。

 

 立香は唇を噛んだ。

 

 カルデアの源頼光はバーサーカーだ。

 だが、セイバークラスで呼ばれる可能性もあると坂田金時が言っていた。

 

『セイバーで呼ばれた大将は誰よりも厳格な風紀委員長体質になる』

 

 と。

 バーサーカーの時に見せていた母性は失われ、もっと厳格であり規律正しい性格になると。

 

「……立香。ここはわしに任せて先に行け」

 

 信長は刀を抜き払うと、小太郎を見据えたまま口を開いた。

 

「ノッブ!?」

「デミ・サーヴァントとはいえ、敵は頼光をここまで温存していた。頼光はただでさえ強いが、ここは京の都じゃ。知名度や信仰度を考えると、さらに能力が高まっているかもしれん。

 そうなると、あれじゃろ? これは、日本で一番有名な武将が相手をするしかなかろう?」

「でも……」

「それに、メタ的な話で言えば、アーチャーはセイバーに有利だしの!」

「姉上、そういう問題ではありません!」

 

 信勝がすぐに異議を唱える。

 

「姉上一人を残して、先に進むわけには……」

「それに、これもわしの推測なのじゃが……ダーオカや牛若を操った敵サーヴァント……あれは、刀剣男士を操ることは難しいのじゃと思う」

「どういうこと?」

「ダーオカや牛若丸は完全に敵の手に落ちていた。完全に、あっちのサーヴァントになっていたからのう。

 じゃが、大和守安定は違う。

 どうやら事情を把握したうえで、加州清光への憎悪を膨らませいてた。……もしかしたら、刀剣男士を完全に手駒にすることはできないのかもしれん。

 そうなると、敵に回るかもしれん者が進むより、へし切や山姥切が進んだ方が良い」

「だけど――……」

「話している暇はありませんよ!!」

 

 風魔小太郎が床を蹴る。

 天下五剣を握りしめ、風のように鋭く切り込みにかかってきた。信長は刀で受け止めると、すばやく後ろに火縄銃を展開させる。

 

「行けぃ! すぐに追いつく!」

 

 信長は銃を連射し、風魔小太郎を撃ち殺しにかかる。

 最初は背後にのみ展開させていた火縄だったが、小太郎を包囲するように出現させ、集中砲火を開始する。小太郎は鳥のように軽々と避けると、刀を一振りした。衝撃波だけでなく、紫色の雷が立香たちを襲う。

 

「甘いのう!」

 

 だが、雷が立香たちに届くことはなかった。

 信長が瞬時に出現させた火縄銃が盾となり、直撃を回避させる。

 

「――ッ、ノッブ! 絶対に追いついて来て! 沖田さんたちと一緒に!」

「無論じゃ! わしを誰だと思っておる。

 第六天魔王波旬 魔人アーチャーこと織田信長じゃ!」

 

 立香はその宣言を背中に受け、奥の部屋へと走りだした。彼女に続くように、刀剣男士たちも床を蹴る。

 

 

 

 

 織田信長は遠ざかる足音を聞きながら、最後に残った一人に話しかけた。

 

「お前も行け。信勝、ここにいても足手まといじゃ」

「……信勝は、いつだって姉上の味方ですから。最後まで、お供しますよ」

「何を言っとる。ほら、早く行かんか」

「おしゃべりはそこまでです」

 

 風魔小太郎はたんっと飛び上がると、クナイを飛ばしてきた。頼光の力だろうか。一本一本に雷電が纏わりつき、掠っただけでも損傷を受けそうなほど強化されている。

 信長は弟を突き飛ばすと、火縄銃で応戦する。飛来するクナイ一本一本に弾丸を命中させ、弾き飛ばそうと試みる。しかし、魔力が込められた弾丸は頼光の稲妻に寸でのところで敵わない。

 

「ッ痛」

 

 クナイが肩を掠める。

 痛みと共に、強烈な痺れが身体を貫いた。

 

「姉上!」

「早くいかんか、このうつけ!」

「あはは、姉上にうつけと言われてしまいました」

 

 信勝は朗らかに笑う。

 

「盾代わりにお使いください。幻霊の僕にできることは、それくらいですから」

「……この大うつけめ。せめて、下がっておれ」

 

 信長は顔を俯かせた。

 

 信勝は先に進ませたかった。

 幻霊であり、いつ消えてしまうか分からない虚ろな霊基は、この場に耐えることができない。

 

 そう、それだけ風魔小太郎は危険な敵だった。

 

「いいでしょう。貴方たちを倒してから、先に進んだ者たちを倒すとしましょう。聚楽第を汚す不届き者を」

 

 小太郎の殺気が一段階増した。

 身体全身が紫の雷で覆われる。そして、比喩表現ではなく、部屋全体に電気が迸り、肌を刺してきた。

 

「こんな攻撃を続けてたら、身体が持たんぞ!」

「構いません。

 僕は忍。この身が朽ち果てるまで、主に仕える者です。主のために死ぬのであれば、それは本望です」

「……」

 

 信長は言葉を返さなかった。

 ただ赤い瞳で静かに敵を見返している。

 

「だから、死になさい」

「たわけ! 死になさいと言われて、死ぬものがおるか!」

 

 小太郎が刀で切り込んできたので、信長は受けて立つ。

 頼光の属性が憑依しているのであれば、宝具「三千世界」で優位に立つことができる。武田の騎馬隊を葬った逸話から、騎乗スキル持ちに特攻が入るのだ。

 ところが、いかんせん、魔力が足りない。

 令呪のブーストがあったとはいえ、調子に乗ってクラスチェンジし、宝具を気持ちよくぶっ放したことが仇となっている。

 

「っ、さすが童子切安綱。見事な刀じゃ」

 

 眩しいばかりの紫の雷光を帯びた刀は、鍔迫り合いをしながらもバチバチと信長を攻撃してくる。その鋭い雷撃を直接受ける信長の刀は、キリキリと軋む音を立てていた。

 けれど、信長は雷光に耐えながら、口元に笑みを携える。

 

「じゃが、わしの刀も天下五剣に勝るとも劣らぬ刀よ。

 なにせ、隠れていた茶坊主を棚ごと圧し切った刀じゃぞ? 負けるはずがない!」

 

 信長は脚を踏ん張り、力強く童子切安綱を圧し返した。風魔小太郎は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに態勢を整えようとクナイを放ってくる。

 その一瞬の隙が、命取りになる。

 

「わしの刃は防げない!」

 

 信長は風魔小太郎を一閃する。

 小太郎は血を吐きながら、畳の上に崩れ落ちた。何故やられたのか分からないとでも言いたげな顔で、床に転がっている。

 

「……まっとうなサーヴァントは、デミ・サーヴァントなんぞ受け入れん。

 頼光が100%の力を貸してなかったと気づけない時点で、お主の敗北は決まっておった。ま、それでも、わしが勝っていたけどネ!」

 

 小太郎の呼吸が止まり、眼から光が失われる。 

 その姿を見て、信長は刀を鞘にしまった。

 

「いやー、さすが姉上です!」

「うむ。実に、相性が良い敵じゃったわい! 相手を油断させるためにシリアスな空気を演出してみたが、もう少し軽くした方が良かったか?」

「いいえ、十分でした。

 でも、最後の台詞はいりましたか? 刀を褒めるなんて……」

 

 信勝は少しだけ口を尖らせる。

 

「相手は鬼を切った刀ですよ? 茶坊主を圧し切る刀の方が名前負けしているというか……」

「ん? まあ、そうかもしれんが、わしが一等気に入った刀であることには変わりない。

 なーんか裏切りそうな空気してた黒田の機嫌を取るために渡したが……そうでなければ、ずっと手元に置いておきたかった愛刀じゃよ」

 

 さて、進むか。

 信長はマントを翻すと、歩き始め――……

 

「姉上っ!!」

 

 たたんという軽快な音。

 それと共に感じるのは、横腹の痛み。信長は弾かれたように振り返る。風魔小太郎の死体の向こう側に、時間遡行軍の群れがゆらりと現れるところだった。そのうちの数体が構えた銃口から煙が立ち昇っている。

 

「油断しましたね、信長公」

 

 遡行軍の群れから、白い髪のサーヴァントが姿を現した。

 

「天草四郎……か」

 

 信長はとくとくと血が流れる腹部を押さえながら、新手の敵を睨み付けた。

 

「ご安心を。まだ鈴鹿御前とソハヤノツルキは生きてますよ。あちらは別の遡行軍に任せてきました。ちょうど堕落して怠慢していた遡行軍が多くいたものですから。ざっと1000人、向かわせました。

 おかげさまで、私は手が空いたというわけです」

「じゃから、こうして来たわけか」

「ええ。

 そして、貴方にはここで死んでもらいます。貴方は勘がいいですから」

 

 赤い雷を纏った遡行軍が列を組んで襲いかかって来た。

 信長は瞬時に火縄を出現させ射撃を行うが、一列目の並びは一掃できたが、二列目以降は装填が間に合わない。

 

「姉上っ!」

 

 信勝が姉を救おうと前に飛び出した。

 

「たわけ! なにをしている! ――ッぐ」

 

 信長が信勝を退けようと手を伸ばすが、腹部の痛みと肩の痺れが動きを鈍らせる。遡行軍の太刀が信勝の頭上に迫り、その小さな頭蓋を叩き切ろうとした、その刹那。

 

「圧し斬る!」

 

 信勝の前に影が割り込んだ。

 煤色の髪をなびかせ、太刀を持った遡行軍を圧し切る。信長は大きく目を見開き、乱入者の名を口にする。

 

「なぜ、なぜ戻って来たのじゃ……へし切っ!」

「遡行軍を殲滅し、歴史を元に戻す。それが、主から下された主命だからだ」

 

 長谷部は紫色の瞳の奥に炎を燃やしながら、信長を遡行軍から庇うように立ち塞がる。

 

「恨みはないが、主命だ。死ね」

 

 

 

 

 

 

 



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マリオネットの夢(3)

 長谷部は天草四郎を切り込みにかかる。

 無論、すぐに切り殺されてはくれない。彼を護るように、赤い稲妻を纏った遡行軍が壁になる。

 

「お前らのような雑魚に構っている時間はない」

 

 長谷部は薄紫色の瞳に闘志を燃やしながら、遡行軍を切り捨てていく。 

 信長は腹部を押さえながら、見惚れたように彼の勇姿を見入っていた。

 

「……へし切、お前……」

 

 信長はぐっと拳を握る。

 

「わしも負けてはいけないのう」

「姉上! 無茶です。大人しく下がっていましょう」

「ことここに至っては是非もなし。仏に会うては仏を殺し、祖の会うては祖を殺し、羅漢に会うては羅漢を殺す」

 

 信長は信勝の静止を待たず、長谷部の方へと歩みを進める。

 

「悪鬼羅刹、時間遡行軍なりとて、我が覇道を阻むことは能わぬ」

 

 信長は歩きながら背後に火縄を数本出現させた。

 その顔には、既に焦りの色は欠片もない。あるのは挑戦的な笑みだった。信長は長谷部の戦いを援護するように銃弾を放つ。長谷部は動いていて一歩間違えれば被弾していたかもしれないが、信長は的を外すことはなく、長谷部も流れ弾に当たるようなヘマはしなかった。

 

「いくら減らしても同じこと」

 

 信長たちの猛攻に対し、天草四郎は涼やかな表情を崩すことはなかった。

 右手で三池の刀を握り、もう片方の手で赤い羽織の内側から禍々しい空気を纏った黒い剣を取り出した。黒い剣を振れば、遡行軍が空間を破るように出現した。

 いままで彼と出会ったときは、遡行軍の壁に囲まれて見えなかったが、いまはハッキリと見て取れた。

 

「あの剣……なるほど、そういうことか」

「知っているのか、へし切!?」

「九十九刀だ。遡行軍を呼び出し、持ち主に力を貸す――……ッ」

 

 信長の問いに対し、長谷部はすらすらと答えていたが、なにか思い出したように口を閉ざす。そんな彼の態度に、信長は少しだけ目尻を和らげると、すぐに敵を推し量るような目で天草四郎を見据えた。

 

「なるほどのう。あの鬼たちを呼び出していたのは、その刀が所以じゃったか」

「ええ。召喚時に、北条氏政から下賜された刀です。『お前が中心となって遡行軍の指揮を執れ』と」

「……つまり、その刀を無効化すれば、良いということじゃな」

「貴方に出来るのですか?」

 

 天草四郎は口の端を釣り上げる。

 信長は彼の手の内を知っている。いつもはお茶らけているが、カルデアのサーヴァントの記録には、なるべく目を通していた。だから、頼光の弱点も知っていたし、天草四郎の弱さと強さに関する知識がある。

 

 天草四郎は単体では、そこまで強いとは言えない。

 だから、遡行軍を使って自身を護っている。しかし、遡行軍を排除したところで、スキル「神明裁決」がある。サーヴァントの行動を僅かな時間だが止めてしまう効力を持ったスキルだ。もちろん、一定以上の魔力がないと発動できないが、遡行軍を蹴散らしている間に溜めることができるだろう。

 止められるのは数分程度の時間だが、戦では速さが勝負を決する。一度でも足を止めた瞬間、その隙をついて畳みかけられたら元の子もない。

 

「……わしは戯れは許すが、侮りは許さぬ。そなたもゆめゆめ忘れぬことだ」

 

 信長は後ろの信勝を一瞬だけ視線を向けると、ばさりと赤い外套を脱ぎ捨てた。

 

「へし切! お主は速いのう。刀剣の付喪神として顕現した強さ。わしは、お主を信じておる」

 

 信長は長谷部の紫色の背中に語りかけると、自身の愛刀を床に突き刺した。

 彼はいつもの通り、その声に応えない。ただ腰を落とし、低く構えている。信長はそんな長谷部を一瞥すると、部屋中に響き渡る声で叫んだ。

 

「信勝! へし切! お主たちは一度下がれ! 巻き込まれるぞ!」

 

 信長は残った魔力のすべてをかき集める。

 燃え盛る本能寺のごとく熱い魔力は、信長の小さな身体を駆け巡り、ついには僅かに身体を宙を浮かせた。

 

「三千世界に屍を晒すが良い。天魔轟臨!」

 

 それは、彼女が長篠の戦で武田の騎馬隊を追い込んだとされる「三段打ち」の再現。

 信長の周囲に無数の火縄銃が出現し、両手に持った銃も合わせて全方位に向けた一斉射撃を行う宝具。「無数」と一言で言えば軽く感じるが、三千丁に匹敵するほどの数の火縄銃が一度に現れるのだ。

 

「これが魔王の『三千世界』じゃーっ!」

 

 三千丁の銃火器による止まる事のない一斉射は、さすがの遡行軍でも一溜りもない。

 もちろん、サーヴァントである天草四郎も真面に受ければ勝ち目はないが、彼は信長が魔力を廻し始めたことを理解した瞬間、素早く洗礼を詠唱していた。

 

「ヘブンズ・フィール起動。万物に終焉を」

 

 四郎は魔力の溜められた黒い球と青白い球を、それぞれ片方ずつ手に集める。

 そして、数多の銃弾が雨のように降りかかる瞬間を見計らい、二色の玉を頭上へ投げつけた。

 

「『 双腕・零次集束』!」」

 

 黒い球と青白い球は宙で交わると、さながらブラックホールのように暗黒の球体が出現する。球体は信長の放った銃弾を飲み込み、流れ弾さえ四郎に届かない。

 だが、この球が間に合ったのは彼だけで、遡行軍たちには間に合わなかった。

 銃弾の嵐が畳の床を抉り、硝煙が周囲一帯に立ち込める。天草四郎は気を張りながら、周囲に意識を張り巡らせた。すると、硝煙の中に信長の赤い色が見えた。赤い色は急速にこちらへ近づいてくる。

 天草四郎は

 

「我が奇跡を見守りたまえ!」

 

 と、スキルを放つ。

 瞬間、信長は呻きながら床に倒れた。硝煙は徐々に外へ流れ、視界がはっきりしてくる。

 

「はっ!」

 

 三池の刀を握りしめ、信長の首を取ろうとする。

 だがしかし、顔が見えるほど近くまで接近した途端、四郎は足を止めてしまった。

 

「なに……!?」

「―—ッ、引っかかりましたね!」

 

 そこに蹲っていたのは、赤い外套を羽織った信勝だった。

 背丈恰好も似ている姉弟だからこそ、四郎は見間違えてしまった。四郎は悔しそうに唇を噛むと、すぐに現界するのもやっとな最弱サーヴァントを切り殺そうと九十九刀を振り上げる。

 ところが、その刀が信勝を貫くことはできなかった。

 

「ぎっ」

 

 その刀は弾き飛ばされてしまう。

 信勝の背後から迫っていた長谷部が、四郎に狙いを定めていたのだ。九十九刀は宙を舞い、四郎の手から離れてしまった。四郎は悔しそうに一瞥したが、即座に三池の刀で肉薄している長谷部に切り込んだ。

 しかしながら、長谷部は痛みや焦りを全く感じていない。

 

「だからぁ?」

 

 長谷部は口の端を上げ、信長そっくりな挑戦的な笑みを浮かべている。

 

「この、付喪神風情が!」

「なんとでも言え。

 英霊であっても、俺の刃は防げない!」

 

 長谷部は叫び声と共に、天草四郎を一刀両断する。

 さながら、隠れていた茶坊主を圧し斬ったように。四郎は断末魔を残すこともなく、愕然とした表情のまま金砂になり消え失せた。

 長谷部は彼の消滅を黙って見届けると、宝具の発動で疲弊している元主の方へ歩き出した。

 

「……おう、へし切。わしが心配で来てくれたのじゃな」

「お前の心配などしてない。これを返しに来ただけだ」

 

 長谷部は感情を込めず、淡々と刀を信長に押し付けた。

 

 ただの刀より、伝説を昇華したサーヴァントの刀の方が確実に四郎を倒すことができる。それも、付喪神自身が自分自身を使えば、鈴鹿御前とソハヤノツルキほどではないが、勝算がぐんっと上がること間違いなしだった。

 

「やっぱり、わしの刀は鋭いのう。わしが語らなくても、考えを読み取って行動できるとは」

「……」

 

 長谷部は何も答えない。

 黙たまま彼女に背を向ける。だから、信長には気づかなかった。長谷部が少しだけ、本当に小匙一杯分だけ、誇らしげに微笑んでいたことに。

 

 そうとは露知らず、信長は自慢を続けた。

 

「さすが、わしの愛刀! 弱小人斬りサークルの刀の何倍も頭脳派じゃ!」

「人斬りサークルで悪かったですね!」

 

 信長を一喝するように、沖田総司が清光と大和守を引き連れて現れる。

 

「私の清光と安定の方が、ずっとずっと頭を使ってますよ!」

「ふん、所詮は人きり集団の壬生朗の刀より、天下人に最も近かったわしの刀の方が冴えわたっているのは当然じゃろう」

「結局、ノッブは天下は取れなかったじゃないですか!

 まったく。行きましょう、清光、安定。こんなノッブは放っておいて、カッコ良い沖田さんたちが特異点の謎を解決しますよ」

「汚い! 壬生朗、汚い!」

「そんなんだから、謀反を起こされるんですよーだ!」

「なにをー!? へし切、信勝、鉄砲を持てい!!」

 

 ぎゃーぎゃーと二人は言い争っている。

 長谷部は呆れたように鼻を鳴らした。

 

「俺は銃は使えん。あやつは、なにを考えているのだ」

「そりゃ、僕たちは打刀だからね」

「というか、俺たちは喧嘩をしていないで、先に進まないといけないんじゃないの?」

 

 清光は疲れ果てたように肩を落とした。

 そんな相方を見た大和守は仕方なさそうに息を吐くと、信長と沖田の間に割って入った。

 

「はいはい、そこまでにして。沖田君は先に進まないといけないんだから」

「安定!」

「信長公もそうでしょ?」

 

 安定の後に続くように、清光が信長を宥める。

 その一方で長谷部は九十九刀に視線を向けると、ゆっくりと近づいた。まだ禍々しい空気は消えていない。長谷部は自信の刀で遡行軍を呼び出す刀を切り捨てた。

 

「……姉上の刀の付喪神、いや、へし切長谷部」

 

 後始末をした長谷部に、信勝が歩み寄った。

 

「どうした? 魔王の弟」

「……僕はやっぱり、お前のことが嫌いだ」

 

 信勝は断言する。

 姉そっくりな瞳は嫉妬の炎で燃えていた。

 

「姉上の一番の理解者は、この僕だ。

 その僕を差し置いて、姉上の考えを読み取って手柄を取るなんて!」

「……俺だって、あやつの傍にいた時代があった。下げ渡されたときは理解できなかったが、戦法は分かっているつもりだ」

 

 「もっとも、下げ渡された気持ちも少しだけ知ることができたが」と、長谷部は信勝に聞こえるか聞こえないかくらい小さな声で呟く。

 

「おい、へし切、信勝! 進軍を続けるぞ」

 

 信長が二人を呼ぶ。

 信勝は破顔して駆け寄り、長谷部は平静な顔のまま

 

「沖田総司と共に戦えるとは、夢のようです」

 

 と言い放った。

 長谷部は信長の傍を歩く。

 信長の悲しむ声と信勝と非難に対し、それを少しばかり心地よさそうに受け流しながら。

 

 

 

 

 

 



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マリオネットの夢(4)

 

 

「長谷部さん、間に合ったかな」

 

 立香は奥へ駆けながら、後ろを振り返る。

 しばらく進んだあと、長谷部が

 

『……あのような腑抜けた者たちには任せきれません』

 

 と言い残し、止める間もなく引き返していってから数分は経っただろうか。

 信長たちと戻ってくる気配はなく、むしろ、銃声や金属音が増して聞こえてくる。立香は胸の内に不安が広がっていくのを感じた。

 

「問題ない」 

 

 それに対し、山姥切は平然としていた。

 無論、緊張しているようだが、後ろを振り返る様子はない。

 

「俺は長谷部の判断を疑ったことはない」

「山姥切さん……」

「俺たちは前に進む。そして元凶を倒す。それだけだ」

 

 その青い瞳に迷いの色など微塵もない。

 立香は少し口元に微笑を携えると、彼と同じように前を見つめる。自分は皆を信じると決めた。鈴鹿に教えてもらった疑念を振り切って、こうして先へと進んでいる。

 

「うん」

 

 立香は力強く走った。

 途中、遡行軍が現れる。だが、彼らからは戦闘をしようとする意志が少し欠けているように見えた。まるで、ずっと怠けていた者たちが、突然現れた侵入者に驚いて剣を取ったような、そんな違和感を覚える。

 中には聚楽第の宝を略奪したかのように一か所に集め、それを護るために戦おうとする者たちもいた。

 

「斬る!」

「行け!」

 

 そのような堕落した者や略奪していたような者たちに、負けるはずがない。

 戦いはこちらが終始、優勢だった。立香が召喚した英霊と山姥切の前に、為す術もなく消失していく。

 

「あれだ!」

 

 少し光が見えた。

 その光の方へ進むと、少し開けた庭園があり、ちょっとした天守閣が立っている。天守の頂上は不穏な空気で包まれ、いかにも怪しげな雰囲気が漂っていた。

 

「ああ、行こう」

 

 立香たちは天守へ潜入する。

 天守閣の階段は狭く、ほとんど直角だった。登るのに時間がかかりそうだし、落ちないように慎重に登る隙に攻められたら、たまったものではない。

 

「俺が先に行く。藤丸はその後に来い」

「でも、私が召喚した英霊に行ってもらった方が安全だよ」

 

 たとえば、ロビンやジャックなら軽々と登れるだろうし、上の階の様子を確認することもできる。

 そう告げようとしたとき、足元に黒い球体が転がって来た。なんだろうか、と警戒していたとき

 

「避けろ、藤丸!」

 

 山姥切が立香の身体を押した。

 瞬間、球体が炸裂する。球体から灰色の煙が立ち昇り、山姥切を覆い隠した。

 

「山姥切さん!」

 

 立香は令呪を握りしめて叫ぶ。

 ただの煙玉だと思いたいが、球体は黒かった。まさか、これが洗脳の瞬間なのか? と警戒を強めたが特に何が起きることもなく、煙が晴れていく。

 

 否、変化は起きていた。

 

「「俺?」」

 

 山姥切が二人に増えていた。

 白い布を被った刀剣男士は、きょとんとした顔で相手を見つめている。立香はその様子を見て、はあっと息を吐いた。

 

「片方が燕青ってことね」

 

 まだ再会していない、最後のサーヴァントを思い出す。

 

 サーヴァント、アサシンの燕青。

 彼は幻霊「ドッペルゲンガー」を取り込んだことで、他者の外見を投影する能力を身に着けている。それは、カルデアの霊基観測でも見破れないほどの精度である。故に、わずかな差異やちょっとした仕草の違いで見分けなければならない。

 

「藤丸、俺が本物だ」

「違う。藤丸、騙されるな。俺が本物だ」

 

 澄んだ蒼い瞳が、立香をまっすぐ見据え、そして、少し怒ったような顔で互いを見合う。

 声はもちろん、タイミングもピッタリ。

 まるで、双子を見ているかのようだった。

 

「どっちか山姥切さんだろう?」

 

 立香は彼の仕草を観察する。

 二人とも差異を感じない。もしかしたら、本物の山姥切の仕草を燕青がコンマ数秒で真似しているのかもしれない。完璧な従者であり演者の彼なら、その程度の真似は動作もないだろう。

 

「藤丸。俺たちは一緒に戦ってきただろう?」

 

 右の山姥切が言う。

 

「そうだ。二条第からずっと戦ってきた」

「何を言っている? 清水からだろう?」

 

 左の山姥切が疑念を述べると、右の山姥切が少し驚いたように眉を上げ、立香に視線を戻した。

 

「藤丸。左が敵だ。清水で俺たちは出会っていない」

「……違うよ」

 

 立香は首を横に振った。

 

「私は山姥切と清水で会ってる」

 

 清光へ続く参道で、彼は立香に食料を分けてくれた。

 共に参道を駆け上がり、岡田以蔵と戦った。その後、山姥切と二条第で再会したのだ。

 そのことを伝えると、右の山姥切が青ざめながら数歩、後ずさりする。

 

「俺の偽物は、そこまで知らなかったようだな」

 

 左の山姥切が静かに言うと、立香を護るように刀を抜き払う。

 右の山姥切は明らかに狼狽した様子で、立香を見据えてくる。

 

「―—ッ! 騙されるな、藤丸。そいつは俺じゃない!」

「往生際が悪いな。俺の偽物」

「違う。俺は偽物だが、偽者じゃない。俺は……俺なんだ!」

 

 立香は二人のやり取りを見届けると、静かに右手を前に出した。

 

「来て、キャスター!」

 

 立香の令呪が光ると、白い煙と共にサーヴァントの影が召喚された。

 現れたのは、中国の軍師 諸葛亮孔明の疑似サーヴァント。外見はロード・エルメロイ二世というイギリス人だが、燕青と同じ中国出身のサーヴァントだ。アサシンとの相性は悪いが、山姥切と連携すれば燕青の洗脳を解くことも可能である。

 

「藤丸。一気に畳みかける」

 

 左の山姥切が刀を強く握りしめると、右の山姥切を睨み付けた。右の山姥切は悔しそうに唇を噛むと、刀を抜き払い戦う意思を示した。

 

「先生、お願い!」

 

 立香はそう叫ぶと、エルメロイ二世に命令を下す。

 諸葛亮の影は手元に魔力を貯めると、まっすぐ山姥切に光弾を放った。

 

「「なっ!?」」

 

 左の山姥切国広を。

 左の山姥切国広は背後からの突然の攻撃にすぐ対応することができなかった。辛うじて避けることに成功したが、光弾で白布の大半が千切れてしまう。

 

「……ッ、藤丸!? 何故、俺を……」

「私は確かに清水寺で、貴方と出会った」

 

 立香は確信を込めた目で、左の山姥切を見つめた。

 

「完璧だったよ。他の刀剣男士たちみたいに、まっさきに清光の心配をしていたし、言葉遣いも戦い方も」

 

 

 仲間思いで、敵に立ち向かう姿は、立香が最初に出会った山姥切国広そのものだった。

 きっと、彼がもう一度、立香の前に現れていたら騙されていたかもしれない。

 

「でも、私の知っている山姥切さんは、貴方じゃない」

 

 立香は断定する。

 

「二条第で再会した山姥切さんには、もちろん違和感があったよ。まるで、清水で出会ったことを覚えてないみたいだった」

 

 あの場で、山姥切はこう言った。

 

『ところで、加州は……いや、お前だけ捕らえられたのか』

 

 もし、以蔵が立香を捕らえたことを知っていたら、この言葉は出てこない。

 以蔵が連れ去ったのは、立香だけだと知っているはずである。もし、他の者たちを心配しているのであれば、清光以外の名が出るはずだ。

 

 それがなかった時点で、清水で出会った山姥切国広と二条第で出会った山姥切国広は別人ということになる。

 

「でも、山姥切さんは、1つ1つ自分で考えながら受け止める人だった」

 

 最初に出会ったときも、立香の言葉を一つ一つ答えを返していた。 

 写しであること、英雄の写しであるサーヴァントと写しの自分の違い、今回部隊長であるのに何もなしえていないことなど、真剣にを悩み、考え込んでいた。時に、相談に乗ったこともあったが、それも彼の悩みの一部で、たぶん、全部の相談には乗れていない。それでも、考えていないわけではなく、人の意見を聞きながら、自分の中の疑念と向き合っているように思えた。

 

「あの言葉が、嘘だとは思えない」

「藤丸……」

「それだけで、俺が偽物だと?」

「清水で出会った山姥切さんは、写しであることを気にしているようだったけど、本当に気にしているようには見えなかったんだ」

 

 清水で自身を写しだと卑下する姿を見て、立香は信長と一緒に言葉を送った。

 偽物が本物に劣るとも限らない、と。

 しかし、山姥切は何も答えなかった。考え込んでいるのかと思ったが、いまは違うと思える。

 あれは「形」として言っているだけで、本当にコンプレックスに感じていなかったのだ。真にコンプレックスに感じているのであれば、何かしらのリアクションを返すはずである。言葉でなくても仕草でもいい。だが、それに無反応だった時点で、山姥切とは違う可能性が浮上する。

 

「それに、本当に写しであることを悩んでいる山姥切さんは、相手に対して軽々しく『偽物』なんて言葉は使わない。だから、そっちの山姥切さんが私とずっと戦ってきた山姥切さんだよ」

「それ自体が騙されてるとは、考えないのか!?」

 

 左の山姥切は必死になって訴えかけてくる。

 立香は揺れる青い眼を見返しながら、ゆっくり頷いた。

 

「私は……私と一緒に戦ってきた山姥切さんを信じている!」

「――ッ、この!!」

 

 左の山姥切が刀を振り上げ、立香に迫る。

 右の山姥切は立香の前に躍り出ると、その刀を弾き返した。

 

「……ありがとう、藤丸」

「礼はいらないよ。行こう、山姥切さん」

「ああ、参る!」

 

 山姥切が斬りかかろうとすると、相手の変装が解け、金髪は瞬く間に伸びながら夜色の髪へと変わり、上半身に華やかな刺青が刻まれた任侠が現れる。

 

「俺を見破ったことは褒めてやるが、生きて返すわけにはいかないぜ」

 

 燕青は狂気が迸る目で立香たちを睨み付ける。

 本来、蒼いはずの篭手が黒色に染まっているので、どこを切れば良いのかよく分かった。

 

「山姥切さん、篭手を狙って!」

「分かった」

「そう簡単に切らせるか!」

 

 燕青が山姥切の太刀筋を軽々と跳ねのけると、立香に狙いを定めて殴りかかろうとしてくる。

 

 だが、その拳は立香に届かない。

 

「これぞ大軍師の究極陣地。『石兵八陣』!」 

 

 燕青の周囲に黒い結界が張られる。

 諸葛亮の宝具『石兵八陣』。陣に捕らわれた者の行動を制限する宝具だ。キャスターとアサシンは相性が悪いが、全く効かないわけではない。事実、軽々しく跳びはねていたはずの燕青の身体は、急激な圧がかかったように鈍くなっている。

 

「山姥切さん!」

「ああ、斬る!」

 

 山姥切の刀が燕青の篭手を切り捨てる。

 黒い篭手はひびが入ると二つに割れ、元の青色へと変化していった。それと共に、燕青の眼の色も落ち着きを取り戻す。

 

「――ッ、あ、マスター、か」

「燕青。良かった。戻ったんだね」

「あー、そういうことか。俺は洗脳されてたってわけだ」

 

 燕青は肩を落とすと、やれやれとばかりに後頭部を掻く。

 

「洗脳って……知ってるの?」

「マスター、俺はアサシンだぜ。特異点にレイシフトしたが、どうもキナ臭い。そうしたら、潜入して調べるっていうのが、良き従者ってもんだ。だが、敵の手に落ちるとは、俺も焼きが回ったな」

 

 燕青はすまないと両手を合わせて謝って来たので、立香は急いで首を横に振った。

 

「いいよ。それよりも、どこまで調べたのか教えてくれると嬉しい」

 

 すぐそにに敵の本陣がある。

 おそらく、この階段を上ったところに北条氏政と洗脳能力を持つサーヴァントがいるのだろう。いきなり乗り込むより、少しでも情報が欲しい。

 

「……敵のサーヴァントの真名までは分からないが、能力については分かった」

「洗脳ってことでしょ?」

「いや、ただの洗脳じゃない。

 深層心理に眠る悪意や復讐心を引き出し、その考えを無理やり肯定化する能力だ」

 

 

 燕青は、静かに言い放った。

 

 

 

 



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マリオネットの夢(5)

「悪意や復讐心を引き出す……?」

 

 立香は言葉を繰り返すと、燕青は頷き返してくれた。

 

「悪意や復讐心の引き出し方は、おそらく洗脳した相手によって違う。巴御前が源氏に対し過剰な悪意を抱いていたり、ジル元帥が幼子に対する悪意の面を強調させたりって感じにな」

「そうか。だから、ジルはジャンヌのことを口にしなかったんだ」

 

 ここで、ずっと抱いてきた疑問が氷解する。

 

 

「でも、個人差があるみたいだね」

 

 牛若丸は自分を裏切った頼朝や世界に対して憎悪を燃やしていた。

 だが、他の人物は少し毛色が異なる。

 例えば、岡田以蔵だ。

 彼は陸奥守吉行に坂本龍馬を重ね合わせて復讐心を抱いていたが、その仕草や様子はカルデアにいた頃に近い。 天草四郎も同じだ。

 復讐心や悪意が肯定されているのだとしたら、巴御前が下総化したように、世界救済などかかげず、むしろ滅ぼそうとしていたことだろう。だが、天草四郎の瞳の奥には列記とした理性があり、暴走しているようには見えなかった。

 後藤又兵衛は会ったことがないので分からないが、呂布も普段との変化を感じない。

 

 そのことを伝えると、燕青は指を二本立てた。

 

「効きにくいのは、二種類だ。

 1つ目は混ざり物が入っていること。そして、もう1つは神に関するものだ。

 これで、付喪神たちは比較的理性を保っていられる。神を信奉する天草四郎も同じだ」

「以蔵さんは?」

「あれは、深く洗脳しなくても操れると踏んだんだろうな」

 

 以蔵さん……。

 立香は瞼を閉じて、気の毒な人斬りサーヴァントを悼んだ。

 

「とはいえ、しっかり方向性を決めないと洗脳できない。大和守はそれが運悪く一致してしまったってことだろうな」

「……なるほど。確かに普段のあいつなら、加州を嫌ったり憎んだりすることは絶対にありえない」

 

 山姥切も同意する。

 

「ということは、燕青も……」

「ああ。俺はかなり深く洗脳された。念入りにやられたってことだ。だが、上手く使えるか分からなかったんだろうな。ここに至るまで、なるべく外に出されなかった。

 ま、それでも、深層心理に意識があって、いろいろ情報を奪うことはできたがな」

 

 燕青はしてやったりと口の端を持ち上げた。

 

「さすが、新シン!」

「俺は従者として当然のことをしたまで。

 うーん、だが、意識を保つのは結構危なかったぜ」

 

 へらっとしていたが、彼の黒い瞳は全く笑っていない。

 

「生前の主を殺した世界が憎い。蹴鞠野郎のような連中が蔓延っている世界を壊したい。

 身体に馴染む心地よい感じで押し寄せてくる。それでいて、ずっと悪夢の中に溺れているような居心地の悪さ」

 

 ある意味、地獄だった。

 マジで世界を滅ぼそうと思った。

 

 燕青は真面目に語る。

 

 

「つまり、今まで操られていた人たちは……」

 

 立香は目を伏せた。

 牛若丸や巴御前たちは、身体をマリオネットのように操られながら、悪夢に魘されていたということだ。悪夢に魘されるまま、世界を滅ぼすために力を振るうなんて、ただ操られるよりも質が悪い。

 立香の心は薄ら寒くなった。

 

「……辛かったね、燕青も」

「大丈夫、大丈夫。今はこうして、マスターのサーヴァントに戻れたからな。

 そうだな……あと、注意するべき点としては、ここから先の罠に気を付けるってとこだ」

「罠、だと?」

 

 山姥切が尋ねると、燕青は周囲に目を奔らせると、声を一段階潜めた。

 燕青が罠について説明すると、立香と山姥切は目を見合わせた。

 

「それは……本当に人間なのか?」

「前も聞かれた気がするけど、それでも人間、だと思う。清姫やエリちゃんは竜属性付与されてるし」

「ヴラドの旦那も逸話のせいで吸血鬼になってるからな」

 

 だから、別に身体が人間外でも不思議はないし、今さら驚くところではない。しかし、山姥切はそのあたりの事情を詳しく知らないので、やはり信じられなかったのだろう。

 

「そういうものなのか」

「そういうもの。とにかく、その罠に気を付けて進もう」

 

 三人は頷くと、上へと続く階段を上り始めた。

 

「よーしぃ。始めるとするか」

 

 

 燕青は拳を鳴らすと、汚名返上とばかりに階段を駆け上った。

 「ここから先は行かせない」とばかり、遡行軍が現れたが、山姥切と燕青の敵ではない。むしろ、注意するべきは、そこらに張り巡らされた「罠」だ。山姥切と燕青は軽やかに躱しながら攻撃することができているが、立香は目を凝らしながら、一歩一歩、注意深く進まなければいけなかった。

 

「マスター! 右足のところだ!」

 

 燕青が戦いながら、途中で指摘してくれる。

 そこでようやく、右足の真下に白い糸が引かれていることに気付いた。道中はずっとそんな感じで、山姥切が赤い煙を纏った最後の一体を切り殺したところを見届けると、ようやく胸を下ろすことができた。

 

「なんというか、見るからに怪しい」

 

 三人は、金箔の臥間の前に立つ。

 四方八方が金の壁に覆われ、美術の教科書で見たような緑の獣や赤い花が描かれている。一見すると荘厳だが、立香の身体にはぞくりと鳥肌が立つ。襖の向こうから流れ出る禍々しい空気を手に取るように感じた。

 

「相手が何だろうか知ったことか」

 

 山姥切が蒼い瞳を鋭く細めると、臥間の前で刀を構える。

 

「斬ればいいんだろ」

 

 そして、一思いに臥間を切り裂いた。

 ざくりとした音と共に臥間が両断され、奥の光景がゆっくりと立香たちの前に現れる。臥間の向こうも立香たちのいる場所同様、金で覆われていた。ただ最奥の畳だけが一段だけ高く、誰かが座っていたような痕跡があった。もしかしたら、あの場所に北条氏政がいたのだろうか、なんて思考を一瞬そちらへ向けた、その瞬間だった。

 

「マスターっ!」

 

 燕青が立香の身体を抱えると、すぐに横へ跳びはねた。自分のいた場所に白い糸の塊が吹きつけられるところだった。一歩遅ければ、あの糸に絡まっていたところだっただろう。

 

「あれは!?」

 

 そして、立香は目にする。

 

「……ようやく来ましたね、カルデアのマスター」

 

 か細い女の声がする。

 端正な顔立ちの美しい女性だった。長く艶やかな髪が特徴的で黒いゴスロリ調の服を纏っている。それだけ見れば、カルデア図書館の女史と同じだが、全体的な顔立ちが西洋人であること。そして、最も違う点は彼女の白い腕よりも遥かに太くて黒々とした鉤爪のような足が、スカートの裾から覗いている。

 それも、八本だ。

 

「脇差というより、あれは蜘蛛だな」

 

 山姥切が口にする。

 確かに蜘蛛だ。上半身は麗しい女性だが、八本の足は間違いなく人とはかけ離れている。よく見ればスカートは太く奥へと伸びている。まるで、蜘蛛の腹部のように。

 

「……ええ、そうね。私は蜘蛛よ」

 

 女性の眼に蔑む色がチラついた。

 指先で白い糸をこねながら、立香と山姥切をまっすぐ睨み付けてくる。

 

「燕青でしたっけ。今でしたら、そちらは見逃してあげますよ。

 ですが、そこの付喪神とカルデアのマスターは別です。今度こそ、私の糸で操って御覧に見せましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方。

 聚楽第の正門前では、陸奥守たちが悪戦苦闘を強いられていた。

 サーヴァントはいないとはいえ、天草四郎が事前に呼び出していた遡行軍は波のように押し寄せてくる。

 

「なんぼ倒しても、きりがない! ええい、マスターは無事か?」

 

 岡田以蔵は肩を上下させながら、赤い鬼を一閃する。その彼の背中を狙うように遡行軍の鬼が切り込みにかかる。だが、以蔵のの背中を護るように、陸奥守吉行が銃で撃ち倒した。

 

「あともうちっくとだ、以蔵さん!」

「ちくっとじゃと!? おんしの眼は節穴か!」

「最初より数は減っちゅー。あと80体くらいぜよ」

「―—ッ、気安う言うてくれる!」

 

 岡田以蔵と陸奥守が互いに背中を預けるように戦う一方、少し離れたところでは、牛若丸と今剣が舞うように敵を切り倒していた。

 

「よしつねこう! ぼくは、これで20体たおしましたよ!」

「なかなかやりますね。ですが、私は21体倒しました」

「さすが、よしつねこうです! ですが、ほら!」

 

 今剣はばびゅーんと跳びはねると、手近にいた鬼の首を切り裂いた

 

「これで、ならびました!」

「むっ、負けてはいられませんね」

 

 二人は競うように敵と戦っていたが、やはり消耗しているのだろう。互いの白い肌には赤い傷跡が目立っていた。

 

「ははは! さすが義経殿。いつも全力ですな」

 

 弁慶が額に汗を浮かべながら薙刀を振るう。

 

「はっはっは! 今剣もだ。元の主に似ている」

 

 岩融も鮫のような歯を見せるように笑うと、弁慶と同じように薙刀を振るった。 

 最初はこの薙刀組が先陣を切って進んでいたのだが、数が多いせいだろう。今では牛若丸と今剣が先に飛び出し、やや後手に回ってしまっていた。

 

「これより、修羅に入る!」

 

 そこに焦りを感じたのだろうか。弁慶が前へ飛び出すと、上から薙刀を振るいにかかった。だが、疲れが蓄積されていたのだろう。弁慶の隙をつくように、斬りかかられてしまった。

 

「むぅっ、ぬかった」

 

 深々と切り込まれ、がくっと片膝をつく。

 もちろん、そこを狙われるはずもない。ここぞとばかりに、敵は群れとなって弁慶に襲いかかる。

 

「弁慶殿!」

 

 すぐ近くにいた岩融が薙刀を振るうが、すべてを捌ききれない。その多くを後退させることには成功したが、弁慶と同じように腹に深い傷を負ってしまう。

 

「岩融殿!」

「―—ッ、はっはっは! いいぞいいぞ! もっと俺を楽しませろ!」

 

 岩融は顔を歪めながら薙刀を振るい続ける。

 

 

 誰もが疲労困憊。

 攻め込んでいる側の分が悪い。

 遡行軍の前衛を倒しても、奥には英気を養った精鋭が残っているのだ。次から次へと元気な敵が襲い掛かってくるので、疲れや傷が蓄積していく。

 岡田以蔵たちサーヴァントも体力は半分を切り、陸奥守たち刀剣男士も中傷を負っていた。

 

「これは不味いかもしれん。下手したら……」

 

 陸奥守はそこまで呟くと、その先の言葉を飲み込む。

 このままでは重傷を負う者も出てくる。そのまま進軍を続ければ、刀剣破壊で死んでしまうかもしれない。

 その瞬間だった。

 

「ぐっ」

 

 打刀の間に息を潜めていた槍兵が、陸奥守の身体を貫いたのだ。

 

「龍馬の刀!」

「っく、のうが、悪いぜよ」

 

 ちょうど腹部を槍が抉っていた。岡田以蔵はすぐさま反転すると、黄色の瞳に怒りを滲ませながら、槍兵めがけて突っ込んだ。

 

「天っ誅ぅう!」

 

 槍兵は消え失せたが、陸奥守は腹部に手を当てたまま動くことができない。 

 

「吉行!」

 

 陸奥守の負傷を受け、和泉守兼定の刀も鈍る。

 

「ぼさっと止まるんじゃねぇぞ! 俺たち新撰組は、斬れ、進め、斬れだ!!」 

 

 土方歳三が兼定に喝を入れるように叫んだが、彼も至る所から血を流している。和泉守は元主に無理をし過ぎるなと忠告しようと口を開いたが、自分の影とは別の影が後ろから襲いかかってくるのが見える。

 

「しまっ――ッ!」

 

 和泉守兼定は振り返る。

 遡行軍の打刀はあまりにも近すぎて、刀が間に合わない。すでに中傷でこれ以上、攻撃を受ければ陸奥守吉行のように重傷を負ってしまい、満足に戦うどころか、刀剣破壊で死んでしまう。

 

 和泉守が死を覚悟した、その時だった。

 

 

 

「闇討ち、暗殺、お手の物!」

 

 兼定の視界が晴れる。

 打刀は煙となって消え去り、代わりに黒髪の小柄な少年が自分の前に降り立っていた。

 

「兼さん、大丈夫?」

「おまえ、国広!? なんで、ここに!?」

 

 兼定の驚きに呼応するように、あちらこちらで刀剣男士やサーヴァントが目を見張った。

 

「君が牛若丸かな?」

 

 薄い黄色がかった白い髪の青年が、牛若丸を護りながら刀を振るう。

 

「貴方は?」

「僕は髭切。弟が貴方の世話になった。えっと、弟の……?」

「膝丸だ、兄者! 膝丸!」

 

 髭切と同じ瞳をした薄緑色の青年が、その横で敵を切り裂いていた。

 弁慶と岩融のところにも、新たな少年たちが援護に入る。黒くて短い髪に白い肌が特徴的な少年は小さな身体に似合わず、打刀を素早く一刀両断した。

 

「鎧なんざ、紙と同じよ!」

「僕も薬研に負けてられないよ!」

 

 そんな薬研少年の横で、フリルの多いアイドルのような衣装を纏った子が、オレンジ色の髪を振り乱しながら短刀を振るっていた。

 その二人の姿を見て、陸奥守は乾いた笑いを浮かべる。

 

「どうやら、わしら刀剣男士側の援軍ちゅーことやな」

「はぁ? 刀剣男士じゃと? 女子が混ざっちゅーやないか!」

「まあ、人生驚きが付き物ってことで」

 

 岡田以蔵が叫ぶと、鶴丸国永がからかうように笑う。以蔵が困惑する横で、蹲る陸奥守を護るように、フードを被った男が刀を振るう。

 

「おまんは……?」

「まったく。戻ってみれば、この体たらくとは」

 

 監査官はまっすぐ聚楽第を見つめたまま、重傷の者たちを護るように戦い始める。

 

「だが、良くぞここまで来た。

 このまま聚楽第の本丸を目指す!」

 

 

 監査官は、声高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 長かった戦いが決するまで、あとわずか。

 

 

 

 

 

 





オリジナルサーヴァント。
おおまかな特徴。
〇女性
〇下半身が蜘蛛
〇人を操る
〇神が嫌い
〇絹と呼ばれている
〇だか、西洋人

……ここまでくれば、ピンとくる人もいるはず。
なお、監査官と本丸からの援軍については次回、しっかり説明します。




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第九節
山姥切の刀(1)


事実上の最終章。



 ことの発端は、数日前に遡る。

 京都の洛中の入り口で、苛立ちを叫ぶ男がいた。

 

「なぜ、一振も戻ってこない!!」

 

 今回の特命調査の監視官こと山姥切長義である。

 立香や加州たちと別れ、洛中の入り口に戻ったのは良いが、待てど暮らせど後続の部隊が来ない。

 

 もちろん、すぐに岩融や陸奥守を始めとした新部隊が編成され、聚楽第へ送り込まれていたわけだが、突入の際に離れ離れの場所に転移してしまったとは、山姥切長義には知る由もなかった。

 

 

「こんな事態だ。じっくり悩んで盤石な編成をするのは当然のこと。だが……さすがに一日以上かかるとはありえない! あの本丸は、事態解決を放棄したのか!? この時代に取り残された加州清光を見捨てるつもりなのか!?」

 

 そうとなれば、政府に「不適切な本丸」として報告する必要になる。

 だが、その前に「何故、後続部隊を編成しないのか」と問いただしたかった。山姥切長義が監査対象の本丸刀剣男士たちと過ごした時間は短かったが、互いに信頼し合っていることを肌で感じたし、なによりも、自身の偽物である「山姥切国広」が加州清光を見捨てるとは思えない。

 

 というか、見捨てるような非道な行為をして欲しくない。

 

「もし、偽者が本当に見捨てているのだとすれば、俺が斬る」

 

 加州清光の無念を晴らすためではない。

 「山姥切」の名を穢された恨みからだ。

 

 山姥切長義は気持ちを固めると、例の本丸への道を開いた。

 長義は光の通路を抜け、その本丸の戸を叩いた瞬間、待ってましたと扉は大きく開け放たれた。

 

「よっ、帰ったか――っ?」

 

 長義の視界に、白が広がった。

 鶴丸国永だ。彼は長義を見ると、不思議なモノでも見たかのように瞬きをする。そのまま長義の後ろを覗き込み、誰もいないことを確認すると、鋭い声で問いただしてきた。

 

「監査官、加州たちはどうした?」

「……なに?」

 

 長義は目を細める。

 

「お前たちは加州清光を見捨てたのではなかったのか?」

「見捨てるわけないだろ? 本丸の仲間だ」

「ッ、どういうことだ?」

 

 鶴丸の言い分は、加州の生還を信じてるだけに留まらず、既に新編成された部隊を送り出したような話しぶりである。

 

「状況を説明してくれ。お前たちが本丸に帰還してから、何があった?」

「……その言い方だと、山姥切たちと入れ違いになったということか? まったく、こんな驚きはいらないぜ」

 

 鶴丸は悔しそうに頭を掻くと、長義を本丸へ招き入れた。

 応接間に通されると、数分と経たずに男士数名が入ってくる。どの男士の顔も緊張で強張っていた。

 

「審神者はどうした?」

「ああ、大将なら眠ってもらってる」

 

 長義が尋ねると、近侍の薬研藤四郎が口を開いた。

 

「加州の旦那方を心配するあまり、食事もろくにとらず、寝ずに待っていた。

 あれだと大将の身体に障る。監査官が来る数分前に、無理やり眠らせたばかりだ」

「……随分と大事にされているようだな」

「それより、加州君たちについて話して貰えないかな?」

 

 長義は藤丸立香や牛若丸、カルデアからの通信で知りえた情報を提供する。そして、審神者が新しく編成した部隊が合流地点に来ていないことも語った。

 

「もしかすると、彼らは別地で戦っているのかもしれない」

「入れ違えか敵の手に落ちたか……」

「だが、お前たちが新部隊を送り込んだのは分かった。俺は一度、聚楽第へ戻り、彼らを探すとしよう」

「逸るな、監査官」

 

 長義が腰を上げると、それに待ったをかける人物がいた。

 青い着物を優雅に着こなし、すべてを視通すような金色の眼の持ち主……三日月宗近だ。

 

「戦力の分断は戦術の初歩だ。監査官とはいえ1人で行動すれば、敵の思うつぼではないか?」

「ほう……では、三日月宗近。お前ならどうする?」

「そうだな。俺なら新部隊を送り込む。隊長は監査官ということにしてな」

「この本丸が手薄になるだろ?」

「別に手薄にならないさ」

 

 三日月宗近は薄く笑った。

 

「お前たちが生きて戻ってくるのだ。何も問題はないだろう?」

「だが……」

「それに、この本丸からなら政府にも連絡が取れるのではないか?

 政府なら敵の目をかいくぐり、新部隊を同じ地点に送り込むこともできるかもしれない」

「!」

 

 長義は三日月の提案を聞き、頭を覆っていた白い靄が一期に霧散した。

 聚楽第からは政府へ連絡を入れることができなかったが、ここは聚楽第ではない。ごくごく普通の本丸だ。ここからであれば、政府に聚楽第の異常事態を伝え、判断を仰ぐこともできる。

 

「恩に着る、三日月宗近」

「礼はいらない。俺たちの仲間を救うためだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、政府に部隊を安全に転送させる通路を形成してもらった、というわけだ!」

 

 長義は目の前の遡行軍を切り捨てながら、得意げに言い放った。

 

 聚楽第の入り口では、依然として遡行軍が溢れかえっている。

 だが、陸奥守たちの陽動部隊と長義が連れてきた新たな部隊のおかげで、遡行軍の数は一気に減少した。あと数分もすれば、最後の一体まで切り殺すことができるに違いない。

 

「時の政府によると、北条氏政を倒し、聖杯なるものを回収すれば良いそうだ」

「なるほど。

 それなら、わしらはこいつらを早う片付け、山姥切たちの応援にいかんとの!」

 

 陸奥守が高らかに言い放った、その時だった。

 

 聚楽第の天守が揺れ、世界が二つに割るような音が刀剣男士、そして、サーヴァントたちの耳を貫いた。長義たちだけでなく、遡行軍も動きを止める。空は晴れ渡ってるというのに、毒々しい黒い雲が天守を中心として広がり、より一層禍々しい雰囲気を放っていた。

 

「な、なんじゃ、あれは!?」

「別になんでもいい」 

 

 岡田以蔵が驚愕のあまり目を見開ている一方、土方歳三だけは普段の調子を崩さない。

 

 

「あそこに敵がいる。ならば、そこまで――」

「斬れ、進め、斬れだろ?」

 

 土方が言い終える前に、和泉守兼定が不敵な笑みと共に言葉を紡ぐ。

 

「俺たちは新撰組だからな!」

「分かってるじゃねぇか、兼定」

 

 土方も自身の愛刀へにたりと笑いかけると、新たに馳せ参じた新撰組の刀に向かって言葉を投げかける。

 

「お前もだ、堀川国広。いくぞ、新撰組前進だ!!」

「……っ! もちろんだよ、土方さん! いくよ、兼さん!」

「おうよ! 後れを取るなよ、国広!」

 

 土方率いる新撰組が前進を再開する。そこに触発されるように、周囲の者たちの時も動き出した。真っ先に敵へ斬り込みにかかったのは、今剣だった。

 

「よーし、ぼくもいきますよ!」

 

 白い髪をたなびかせながら、迷うことなく遡行軍の首筋を切り落とす。

 

「なにしろ、ほかのげんじの刀にまけられませんから!」

「僕たちも源氏の重宝として、義経公と戦えるとは夢のようだけど……」

 

 髭切が今剣の言葉を受け、普段の微笑より小匙一杯分ほど好戦的な色を口元に浮かべた。

 

 

「まずは、自分たちの使命を果たさないとね。行くよ、弟の……」

「膝丸だ、兄者!」

 

 薄緑の髪を風に揺らしながら、源義経の愛刀 薄緑こと膝丸が叫んだ。膝丸は兄の背中を守りながら、ちらりと牛若丸の握る刀に視線を奔らせる。自分を使ってくれているのだと良いなーと思ったが、どうやら別の刀らしい。膝丸が少し残念な視線を送っていると、牛若丸はそれに気づいた。

 

「もしかして、薄緑。あなたは自分が使われていないと残念に思ったのですか?」

「あ、いえ、そのようなことは……」

「安心してください。此度の現界では、貴方を持ってきています」

 

 牛若丸は剣を軽々と振るいながら、楽しそうな笑みを浮かべた。

 

「ですが、此度の主は刀を持っておられません。

 なので、バレンタインの際、薄緑を献上しました」

「そうですか……え? バレンタイン?」

「現代の催しだそうです。

 本当は敵将の首をチョコレートに浸して差し上げようとしたのですが、なぜか周りから止められてしまいまして。

 よって、あなたをチョコレートでコーティングして差し上げたのです!

 主が刀を扱えるようになり、一緒に首を狩りに行けるようにと!」

 

 どうだ! と、牛若丸は清々しいまでの笑顔で断言した。

 膝丸の顔から血の気が失せたような気がしたのは、気のせいではないだろう。

 

「うんうん。こういう驚きは大事だな!」

「……義経公って、すごい人だったんだね」

 

 鶴丸と乱藤四郎がこそこそ話しながら、着実に敵の数を減らしていく。 

 敵の数が減ってくれば、こちらの戦闘音より聚楽第内部の騒がしさが大きく伝わってきた。銃声や派手な金属音、誰かの悲鳴や叫びが風に乗って耳に入ってくる。

 

「…………マスター」

 

 弁慶は傷口に手を当てながら、最終決戦が行われているであろう天守を見上げる。

 

「そういえば、こちらに来てからずっと考えていたことがある」

 

 岩融が薙刀を振るいながら、ぽつりと言葉を零した。

 

「人を操り、足が幾本もある女のことだ」

「北条氏政のサーヴァントのことか」

「さーばんととは、まがりなりにも歴史に名を遺した人間なのであろう? 

 生きている時には二本だった足が、なぜ、増えてしまったのであろうとな」

「ん? 足が増える?」

 

 岩融の言葉に反応したのは、鶴丸国永だった。

 

「もう一度言ってくれ。

 女で人を操る力を持っていて、足が幾本もある他に特徴はあるのか?」

「岡田殿は襟巻、義経公は髪留めに触れられて、操られたそうだ」

「はい、その間、私の髪留めは黒く染まっていたそうです」

「わしの襟巻もやき」

「髪留め……襟巻……どちらも布だ。もしかすると、正体が分かったかもしれないぞ」

「なんと! まことか、鶴丸殿!?」

「ああ、ぴんっと来たぜ!」

 

 鶴丸は得意げに笑った。

 

「こう見えて、俺は色々なところを巡って来た。北条や織田信長公のところにいたこともあるし、神社に奉納されたり、伊達家に留まったかと思えば、天皇家に献上されたりした。

 九州には行ったことがないが、かなりの土地を巡って来た刀だ。その繋がりで、とある作家の本を読んだことがある」

「え、鶴丸さん、本を読むの?」

 

 乱藤四郎が不思議そうに尋ねた。

 

「そりゃ読むさ。本には驚きが詰まっている。自分の予想を超えた展開が待っているからな」

「それで、読んだ本って一体何なの?」

 

 乱藤四郎が不思議そうに尋ねる。

 

「俺は受動的だったが、かなりの頻度で引っ越しを重ねた作家がいてな。志賀直哉って言うんだ。知ってるか?」

「名前だけは聞いたことがある」

 

 長義が遡行軍の刀を圧し返し、斬り込みながら返答した。

 

「明治から昭和にかけて活躍した作家だとか」

「そうだ。23回も引っ越しをした男でさ、一部では『小説の神様』とも呼ばれている。

 その志賀直哉の短編小説に、こんな話があるんだ」

 

 鶴丸は剣を振るいながら、軽妙な口調で語り出す。

 

「とある山の女神さまが、一人の青年に恋をする。しかし、その青年は既に結婚が決まっていた。相手は女神より美しく、機の上手な女だった。

 女は山の女神から自分たちの恋を守るため、とばりを織っていたのだが、山の女神は嫉妬のあまり、その女に呪いをかけてからは、とばりは急激に汚らしい色に変わり始めた」

「つるまるさん。それで、どうなったのですか?」

「女は呪いに気付いたが、自分の恋のために織り続けた。

 だが、呪いというのは恐ろしい。

 女は何のために織り物をしていたのか忘れ、汚らわしい糸を紡ぐだけの存在……蜘蛛に成り果ててしまったのだ」

「そのあと、呪いは解けるの?」

「それで終いさ」

 

 鶴丸は素っ気なく言った。

 

「なんとも救いのない話じゃのう」

「ということは、その話を書いた人物……志賀直哉がサーヴァントになってるってことか?」

 

 和泉守が疑念の声を出した。

 

「いまさら男だと思ってた奴が女だって程度では驚かねぇが……」

「いや、ここからが大事なところだぜ」

 

 鶴丸は口の端を持ち上げる。

 

「この短編小説の題名は『荒絹』。蜘蛛になった女の名前からとっている。

 そして、この荒絹のもとになった神話が南蛮にあるんだ」

「神話じゃと?」

 

 岡田以蔵が口を挟む。

 

「『印度』とか『ぎりしゃ』だとか、そういったところか?」

「『ぎりしゃ神話』だ。

 その神話によれば、とある女がギリシャの女神に喧嘩を売り、機織り勝負をした。女は勝負には勝ったが、女神に蜘蛛にされてしまったんだと」

「そうか!」

 

 堀川国広が土方の背を狙っていた敵を撫で切りながら声を上げた。

 

「それなら、蜘蛛みたいな外見をしても不思議じゃない」

「人を操れるかどうかは不明ですが、布を洗脳の素にしていることは納得です」

「ああ、そういうことだ」

 

 鶴丸は最後の遡行軍を切り捨てながら、高らかに自分の推理を叫ぶ。

 いままさに最終決戦が始まるであろう、天守の上まで届くように。

 

 

 

「俺の推理が正しければ、その女は荒絹ならぬ『アラクネ』だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 





これが、二部五章前に今作を終わらせたかった理由です。
ギリシャ異聞帯に「アラクネ」でるかもしれませんし……「あれ、アラクネってこんなキャラだっけ?」とかならないようにするために、頑張ってきました。

次回でステータスを発表するつもりです。
そして、藤丸立香や山姥切国広の活躍を最後までお楽しみください。


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山姥切の刀(2)

 聚楽第、その天守。

 カルデアのマスター 藤丸立香、サーヴァント 燕青。そして、山姥切国広が一人の女性と対峙していた。

 

「燕青でしたっけ。今でしたら、そちらは見逃してあげますよ。

 ですが、そこの付喪神とカルデアのマスターは別です。今度こそ、私の糸で操って御覧に見せましょう!」

 

 美しい女性は嫋やかに微笑んだ。

 長く艶やかな髪が特徴的で黒いゴスロリ調の服を纏っている。それだけ見れば、カルデア図書館の女史と同じだが、全体的な顔立ちが西洋人であること。そして、最も違う点は彼女の白い腕よりも遥かに太くて黒々とした鉤爪のような八本の足が覗いている。

 

「生憎、主人を見捨てる従者はいないものでね」

 

 燕青は不敵に笑いかえす。

 

「俺の情報に照らし合わせれば、あんたの真名は『アラクネ』だな」

「アラクネ?」

 

 立香は自分の情報と照らし合わせる。

 

 アラクネ。

 ギリシャ神話に出てくる機織りの女性だ。

  

「たしか、アテナと機織り勝負することになったとか……」

「あの神は高慢よね。自分がポセイドンとの覇権争いに勝った場面を織り込んだの」

 

 アラクネは鼻を鳴らす。

 そのときのことを思い出すだけで忌々しいのか、赤く塗られた唇を噛みしめていた。

 

「でもね、自信満々に織り上げたタペストリーが私の足元にも及ばないと分かった瞬間、私の作品を壊した挙句、私を蜘蛛に変えたのよ。酷いと思わない?」

 

 アラクネの投げかけに、立香は頷きかける。

 

 まったくもって、その通りである。

 素直に負けを認めればいいのに、理不尽な報復をした女神が悪い。

 

「えっと……でも、あなたもアテナのお父さんの浮気癖を揶揄したタペストリーを織ったとか」

 

 立香は自分の知識を引っ張り上げた。

 

 

 立香は少し前から、ケイローン先生からギリシャの神話や歴史に関する教えを乞うていた。

 人理を修復したとはいえ、まだカルデアに残り、魔神柱の残党を倒していく以上、これからもサーヴァントを新たな召喚し続けることになる。

 その結果、こちらが新たなサーヴァントの背景を知らずに因縁のある者と引き合わせてしまったら、カルデアが最悪破壊されかねない。

 事実、アルジュナを召喚した際、

 

『インド系サーヴァントは二人目なんだ。カルナ、アルジュナのことを案内して』

 

 と、因縁の相手を気軽に呼んでしまったせいで、ちょっとした騒ぎになった。

 それ以降、いろいろサーヴァントの交友関係や因縁を注意している。

 たとえば、ペンテシレイアがカルデアに来たら、「アキレウス絶対殺す!」と暴れまわり、カルデアが半壊しかねないので、最大限に注意する必要がある。

 他にも、イアソンを召喚したら、メディアたちが彼を抹殺しにかかりそうだ。イアソンを保護しなくてはいけない……いや、保護に乗り気はしないが、せっかく召喚したのに仲間内で一方的に殺されて消滅するのは、ちょっと可哀そうだ。

 

 

 このように、神話や歴史を学んでおいて損はない。

 特に、ギリシャ神話は英雄が多い。

 アルテミスとオリオンやゴルゴーン姉妹から始まり、イアソン率いるアルゴーノーツの面々など、英雄伝説に限りがない。

 

 だから、今後もギリシャ系サーヴァントが増えると見越して、ちょこちょこ勉強をしていたのである。

 勉強の成果を活かすことができて嬉しいが、立香の問いかけは彼女の気持ちを逆なでしてしまったらしい。

 

「私は事実を織り込んだだけ。あの女神が逆上しただに過ぎないわ」

 

 アラクネは目を細めると、ゆったり手を持ち上げた。

 

「私は神が嫌い。神は人に幸福を与えず、理不尽な運命を押し付けてくる……ええ、心の底から大っ嫌い。

 だから、ここで完膚なきまでに叩き潰して、私の人形にしてあげる!!」

 

 アラクネは最後まで言い切る前に、手から糸を伸ばしてきた。

 幾重にも別れた糸は主に山姥切を狙っているが、立香にも多分に伸ばされていた。

 

「主!」

 

 燕青がすかさず立香を抱きかかえると、網目状に張られた糸を軽々と避けていく。

 

「山姥切さん!」

 

 立香は白い布を被った付喪神に向かって叫んだ。

 神が嫌いという宣言通り、山姥切国広めがけて蜘蛛の糸が濁流のように押し寄せている。白い糸の川に山姥切の姿は飲み込まれてしまう。

 

「そんな……」

「大丈夫だ、主」

 

 燕青が口の端を持ち上げる。

 そのときだった。

 

「その目、気に入らないな」

 

 刀の残像が白い川に走り、山姥切が姿を現す。彼の刀は、糸をすべて切り落としていた。

 

「俺を狙う理由は分かった。だが、2つ分からないことがある」

 

 山姥切は刀を払うと、青い瞳を細めた。

 

「1つ目だ。何故、藤丸を狙う?

 藤丸はただの人間だ」

「人間? ええ、そうね。人間だわ」

 

 アラクネは立香を蔑視した。

 

「あの小娘を絶望させること。それが、アレの命令だもの。アレの言う通りにしないと、いろいろと面倒だから」

「アレ……?」

「もっとも、私個人としても気に入らない。

 天文台(カルデア)から英雄を召喚するなんて、神の所業でしょう?

 それだけでも冥界に叩き落としたいくらい大っ嫌いで反吐が出る!

 しかも、私は神のせいで蜘蛛にされたのに、あなたは神を従えている! どの神からも好かれている! 私の方が、ずっとずっと優れているのに!」

 

 アラクネの目に怒りの炎が燃えあがる。

 こちらまで火傷しそうな怒りに対し、立香は比較的冷静に答えることができた。

 

「いや、そんなことはない」

 

 神霊サーヴァントは、みんな個性が非常に強い。

 特に、ステンノとエウリュアレは人理修復がなければ絶対に協力してくれないはずだし、珍しい玩具として扱われている。

 いや、珍しいと付けば御の字で、普通の人間より毛が一本生えた程度に思われていれば良いなーという願望だ。

 同じことが、神霊サーヴァントのイシュタルにも言える。

 召喚当初、イシュタルから「からかいがいのある玩具」として、ころころ遊ばれ踊らされていた。いまだに「宝石や金を探し当てるための労働力」として見られている。

 

 

 前提として、ただの一般人が、数多の神はもちろん、古今東西の英霊たちを従えるなど土台無理な話なのだ。

 

「私は知識もないし魔術が使えるわけじゃない。貴方みたいに突出した特技もない。

 私にできることは、彼らの在り方を尊重することだけだった」

 

 英霊たちの生き方、在り方を尊重する。

 それぞれの信念のもとに生き抜いた在り方だ。生涯をかけて培った価値観、出自などに侮辱や偏見を向けたり軽々しく否定したりするのは、絶対に間違っているし、彼らの人生に対する侮辱以外の何物でもない。

 

 でも、藤丸立香はマスターとして彼らを統率・使役し、戦わないといけない。

 

「だから、私は彼らと話し合ったり一緒に戦ったり遊んだり……その積み重ねが、たぶん……彼らから『一緒に戦っても良いかな』って思われるようになったのかもしれない」

 

 

 現に、イシュタルの態度はかなり軟化している。

 「人間に何も求めていないから、せいぜい、私が飽きないように踊りなさい」と言っていたが、いまでは「貴方の勝利の女神になってあげるから、もう逃げようと首根っこ離さないから!」と協力的な態度を見せてくれている。

 きっと、召喚当初のイシュタルに向かって、

 

『つべこべ言わず、私がマスターだから大人しく従え』

 

とか、言っていた日には、結局溝が深まるばかりで、協力してくれるどころか、座に還っていたかもしれない。

 

「最初から友好的だった人の方が稀で、少しずつ交流して、絆を深めて、ようやく……」

「噓よ!」

 

 アラクネは激怒する。

 

 

「神から弄ばれることは有れど、絆を結ぶなんて!

 その程度の理由で……そんな人間臭すぎる理由で……凡夫の英雄ならともかく、魔術王との戦いに神が馳せ参じるわけないじゃない!!」

 

 アラクネは激怒しながら、両手を頭上にかざした。両手に挟まれた空間に白い糸が急速に絡み合い、毛糸玉のように固まり始める。立香はそれを睨みつけながら、さきほどから思っていた疑問をぶつけた。

 

「あなたは、魔神柱と関わりがあるの?」

 

 ゲーティアのことを知る者はいない。

 カルデアで観測していた者たちか逃げ出した魔神柱しか知りえぬ情報だ。

 

「あなたには関係ないわ。それに、私は氏政様のサーヴァント!! あんな神の言いなりになんて、なるものですか!!」

 

 アラクネは激昂すると、毛糸玉を弾丸のような速度で投げつけてきた。即座に燕青が立香を抱えて避けようとするが、その心配は無用だった。立香の目の前に、白い布が翻ったのだ。

 

「藤丸、話は終わったか?」

 

 山姥切国広が毛糸玉を一閃する。

 立香は頷いて返す。

 話は終わっていないが、だいたいのことは分かった。

 アラクネの言い方からして、裏には魔神柱が控えているが、アラクネ本人は気に入っていない……のだろう。どっちにしろ、アラクネを撃退し、北条氏政と魔神柱を探す必要がある。

 アラクネから北条氏政の居場所を聞き出したいが、最初に質問を投げかけていたのは、山姥切国広だ。山姥切が疑問を解決してからでも、きっと遅くない。

 

 山姥切は立香を一瞥すると、まっすぐアラクネに向き合った。

 

「次の質問だ。

 …………なぜ、俺を洗脳しなかった?」

「え?」

 

 立香は山姥切の背中をまじまじと見つめる。

 彼の言っていることが分からないでいると、山姥切が補足するように語り始める。

 

「大和守安定はお前の手に落ちていた。お前の力を使えば、刀剣男士も洗脳できる。

 だが、お前は俺を洗脳しなかった。

 俺は一人で聚楽第に落ち、天草四郎たちに捕らえられた。順当に考えれば、そこの男のように洗脳されていたはずだ」

「………」

 

 アラクネの眉がピクリを動く。

 

「そうだ。どうして、山姥切さんだけ……?」

 

 立香が二条第に捕らえられていた理由は、「まだ時期じゃないから」だった。

 だが、他のサーヴァントや刀剣男士たちは違う。

 一人でも捕らえて洗脳しようと躍起になっていた。牛若丸を生かして捕らえたように、山姥切国広も同じ末路を辿ったかもしれないのだ。

 

 そうなれば、立香はここまで辿り着けなかった。

 一人で階段を登ろうとし、燕青に捕らえられていたに違いない。

 

「アラクネ。お前は『今度こそ』と言った。つまり、一回目は洗脳できなかった……もしくは、洗脳することを――」

「黙れ!」

 

 アラクネの声が広間を貫いた。

 

「そんなこと、今さら知って何になる! これから! 私の手に落ちる! お前たちに!!」

 

 アラクネの周囲に高密度の魔力が集まっていく。

 彼女の髪が揺れ、周囲に張り巡らされていた糸が急速に宙に浮きあがり、ゆらゆらと揺れ始めた。さきほどまでと明らかに周囲の雰囲気が違う。

 

「宝具!?」

「まずいな、山姥切の旦那! こっちに来い!」

 

 燕青が立香を抱いて一気に後退する。

 山姥切も後ろへ下がろうとしたが、床を這うように伸びてきた糸に足を絡まれてしまった。

 

「しまった!?」

「逃さない! 今度こそ、絶対に逃さない!」

 

 アラクネの目は爛々と輝き、忌々しく噛みしめるように一語一語を口にする。

 日は昇っているというのに部屋が夜のように黒く染まっていた。外では雷のような音が鳴り響き、蜘蛛の巣のように床に張り巡らされた白い糸と山姥切国広の白布だけがハッキリと浮き上がって見えた。

 

「我が縦糸は過去から未来を紡ぎ、我が横糸は数多の世界を織り込む」

 

 アラクネが呪いのように言葉を呟くと、山姥切を白い糸で覆っていく。彼は最初こそ刀で断ち切ろうとしていたが、地面から突き破るように現れた糸に右手を封じられ、続いて左手まで奪われてしまう。山姥切国広の全身は白糸に覆われ、巨大な繭のように包まれてしまった。

 

 

「さあ、思い知りなさい……『毒蜘蛛の嘆き(プライド・タペストリー)』!」

 

 アラクネが山姥切の方へ手を向け、強く拳を握り込む。

 白い繭は大きく揺れたが、それっきりだった。山姥切が繭の内側から抵抗する様子は外から見えず、繭は石のように固まったまま微動だにしない。

 

「山姥切の旦那……?」

「これが、私の宝具よ」

 

 アラクネは白い手で口元を隠しながら、上品そうに笑った。

 

「あの付喪神は、繭の中で真実と向き合っている。そして、生まれ変わるのよ……私の人形にね」

「生まれ変わる? 洗脳の間違いだろ」

 

 燕青が吐き捨てると、アラクネはころころ笑った。

 

「あら、酷い言い方。

 私の織物は真実を見せるだけ。あの繭の内側に過去未来平行世界を織り込んだ可能性を見せるだけよ」

「つまり、シェイクスピアの宝具の織物版ってことね」

 

 立夏は拳を握りしめながら、アラクネを睨み付けた。

 

「山姥切さんの精神に働きかけて、トラウマを想起させて、戦意をへし折ろうとしてる」

「シェイクスピア……ああ、小さな島国の凡流作家の宝具と一緒にしないで欲しいわ。

 私は可能性を見せるだけ。それを見て、何を判断するのかは……その人の自由よ」

 

 「自由」と口にしていたが、アラクネには勝算があるらしい。

 手の隙間から覗き見える口元は、にたりと歪んだ笑みを浮かべていた。

 

「そっか……その宝具で復讐心を引き出していたんだ」

 

 五条大橋での出来事を思い出す。

 

 

 牛若丸は第七特異点の時のように、この世界を憎んでいた。

 ケイオスタイドの沼に沈められ、黒化したときのような有様に近いが、今回は身体の芯まで黒く染まっていなかった。

 

 聖杯の泥は身体や霊基その物を作り替える。

 だが、アラクネの宝具は違う。

 

「こいつは、あの繭の中で復讐心や絶望を見せてくる」

 

 燕青が眉間にしわを寄せ、アラクネを鋭く見据えた。

 

「つまるところ、サーヴァントの価値観を変える宝具ってことか」

「ええ。私は真実を見せるだけ。ゼウスの浮気現場とその不実さ公にするように、様々な可能性と、その真実を見せるだけ。

 私の完璧な織物(せかい)を見て、人は生まれ変わるの!」

 

 アラクネの顔は恍惚に輝いていた。

 

「貴方を抱えている従者もそうよ。

 私は真実を見せた。その結果、氏政様に忠誠を誓う者へと生まれ変わらせた」

「それを洗脳って言うんだよ」

 

 燕青が叫ぶが、アラクネは表情を変えない。

 

「私は見たいわ。

 ここまで共に攻め込んできた付喪神が氏政様の魅力に気づき、お前に剣を向ける姿が。お前の絶望顔が見たい。

 絶望でもがき苦しんだ後、ゆっくりと時間をかけて、私の自慢の織物を見せてあげる(お人形にしてあげる)!」

 

 艶やかな唇が言葉を紡ぐと、白い繭が揺れる。

 燕青の立香を抱える手が強くなり、肌を刺すような緊張感を放っていた。

 

 

 だが、どうしてだろう?

 

「……でも、真実を見せるだけなんだよね?」

 

 立香の心は冬の湖面のように静かだった。

 

「聖杯の泥のように、霊基ごと作り替えるわけじゃない」

「ええ、でも、私の織物で真実を見て、心を入れ替えるのよ!」

「うん。だけど、真実を見ても心が揺らがないこともある」

 

 岡田以蔵、牛若丸、大和守安定、燕青、そして、既に倒したサーヴァントたちは前情報なしに宝具に飲み込まれていた。

 心構えがないので一層、この宝具の餌食になってしまった可能性がある。

 ましては、体力が衰え、気力だけで立っているような状況だった場合、シェイクスピアの宝具のように心をへし折られ、アラクネの望む方向性に歪められることは大いにありえる。

 

 

 しかしながら、今回は違う。

 

 山姥切国広の疲労度は薄い。

 さらに、アラクネの能力をおおよそ理解したうえで戦っている。

 この二点が大きい。

 

 そして、さらに言うのであれば……

 

「山姥切さんなら、きっと揺るがない」

 

 立香は断言した。

 

「寝言は寝ている時に言うのよ、小娘」

 

 アラクネは嘲笑う。

 

「私は人の過去を読むこともできる。あらゆる可能性を見せることができる。

 私の力で、屈しない者などいない」

 

 アラクネは高らかに宣言する。

 立香は黙って待つことしかできない。歪められた歴史云々は気になったが、繭が解れていくことの方に意識を割く。

 

「それでも、私は信じている」

 

 いつもそうだ。

 藤丸立香は無力だ。

 魔術は礼装頼みだし、三画の令呪だって使いこなせない。七つの特異点を経て、ゲーティアを倒し、人理を修復したが、かけがえのない人を犠牲にしてしまった。

 マシュや英霊たちがいなかったら、最初の特異点Fで呆気なく死んでいたはずだし、今回だって最初に山姥切に助けられなかったら、この京都が自分の墓場になっていた。

 

 

 故に、藤丸立香は信じることしかできない。

 

 誰かを信じ、その強さが逆境をはねのけて道を作ることを祈るしかできないのだ。

 時としてそれが歯がゆく、なにもできない自分を噛みしめることになる。

 

 けれど、それが事実。

 ならば、やっぱり、信じることしかできないのだ。

 それに……

 

「山姥切さんの主さんが、彼を部隊長に送り出したんだ。審神者さんも山姥切さんのことを絶対に信じている。

 山姥切さんなら、絶対に大丈夫だって!」

「信じることが力になる?

 現実は現実だ。何も変わりはしない!」

 

 アラクネの言葉に呼応するように、繭が解れていく。

 

 

 

 眩しいほど白い糸が揺れ、黒く染まり切った内側があらわになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アラクネのマテリアル


[元ネタ]ギリシャ神話
[CLASS]アサシン
[真名] アラクネ

[身長・体重] 190cm・90kg
[属性]混沌・悪
[ステータス]筋力D 耐久D 敏捷B 魔力D 幸運E
[クラス別スキル] 気配遮断 C
[保有スキル]

・無辜の怪物 A
 もとは普通の女性だった。
 しかし、アテナ神の怒りをかい毒蜘蛛に変身させられてしまった伝説に加え、ダンテの『神曲』に登場するイメージから、下半身が蜘蛛の姿になってしまっている。
 また、世に出回っている『アラクネ』のイメージのせいで、指や口から蜘蛛の糸を紡ぎ出し、蜘蛛を操ることもできる。
 
 なお、「蜘蛛は、こそこそ部屋の隅を這っている」とのイメージのせいで、アラクネ自身に暗殺した逸話がないにもかかわらず、アサシンのクラスで召喚されている。


・真名看破(偽)E
 本来はルーラーの固有スキルだが、疑似的に会得している。
 アラクネが織物で浮気や不実を暴いて晒した逸話から、自分や蜘蛛が見てきたことをもとに機を織ることで、真名を看破することができる。
 ただし、あくまで「偽」である。
 対象者の思想や個人的事情はもとより、自分本来の知識外の真名は看破できない。
 今回は日本で召喚され、日本のサーヴァントについての知識を集めていたため、織田信勝などの真名を看破することができたが、基本的にギリシャ神話周辺の人物しか看破することができない。
 
 それ以外の人物についてを看破するためには、宝具を使用する必要がある。

・弱体化(毒・神性) B
 トリカブトの毒によって蜘蛛に変えられたため、毒への耐性が低い。
 また、神罰によって姿を変えられたため、神性持ちサーヴァントからの攻撃への耐性が低い。



[宝具]

毒蜘蛛の嘆き(プライド・タペストリー)
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1〜5人 最大捕捉:?
 蜘蛛の糸で相手を包み、繭の中に閉じ込める。
 繭のなかで対象者の記憶に干渉し、そこから導き出される過去未来平行世界の可能性を織物のように映し出し、対象者の心理をアラクネ好みの思考へ誘導していく。
 その加減具合で敵の戦意を折り、アラクネの人形(マリオネット)へと変えることができる。

 しかし、アラクネにできるのは「思考を誘導する」ことだけに留まる。
 宝具の効果を事前に知り心構えができている者の思考を自分好みに変えること難しい。
 対魔力A以上のサーヴァントは精神に干渉することが困難なため、この宝具自体を防ぐことも可能。


 今回、アラクネが天草四郎時貞を完全に支配できなかったのは、対魔力と精神力が大いに関係していた。






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山姥切の刀(3)

 ふと、目が覚める。

 山姥切国広は、本丸の自室に立っていた。

 

「……なんだ? 俺は、確か……」

 

 山姥切国広は右手を額に乗せ、これまでのことを思い出そうとする。

 確か、アラクネなる蜘蛛女と戦っていた。

 洗脳能力を持つ女の糸に囚われ、雁字搦めにされて、そのあとは……

 

「洗脳された? いや、俺は確かに俺だ」

 

 左手を握ったり開いたりを繰り返す。

 間違いなく自分の意志で動いているし、誰かに操られている感覚はまるでない。けれど、本丸に戻って来てしまっている。アラクネと戦ってからの記憶に空白が生じていた。

 そのことに戸惑っていると、広間の方が騒がしいことに気付く。

 

「一体、何が起きている?」

 

 頭を抑えながら、広間の方へと足を向ける。

 足を運んでいると、徐々に喧噪が近づいてくる。あと一つ角を曲がれば広間に着くというときには、その話の内容まで鮮明に聞こえていた。

 

「さすがだな、山姥切」

「見事な働きだったぜ!」

「やっぱり、山姥切は綺麗だよな」

「ああ、戦い方も佇まいも容姿も綺麗だ」

 

 綺麗とか言うな。

 山姥切国広が口に出そうとしたとき、割って入る声があった。

 

「いや、それほどでもないさ」

 

 誰かが答えている。

 山姥切国広は、はたと歩みを止めた。

 

「俺は当然のことをしたまでだ」

 

 聞き覚えのある声だった。

 山姥切国広は息を潜め、そっと角から広間の様子を覗き込む。広間には数多の刀剣男士たちが集まっていた。その中心にいたのは、見覚えのない男だ。

 銀髪を右側は耳に掛け、前髪は左に流している美青年だ。

 山姥切国広との共通点は、蒼い瞳だけである。

 

 それなのに、彼は山姥切のように振る舞っている。

 その理由は、すぐに判明した。

 

「俺は山姥切長義。偽物の山姥切とは違うからな」

「本歌、だと」

 

 山姥切国広の口から言葉が零れる。

 よたよたと己の足が後ろへ下がったのが分かった。どうして、ここに本歌がいるのか。まったくもって理解できない。

 山姥切国広の知っている本丸に、山姥切長義はいない。

 

「あ、兄弟!」

 

 山姥切国広が混乱していると、とんっと背中を叩かれた。

 弾かれたように振り返ると、堀川国広と和泉守兼定が驚いたように瞬いていた。

 

「ど、どうしたの兄弟? 顔色が悪いよ?」

「……兄弟。なぜ、俺の本歌がいる?」

「え、なぜって……?」

 

 堀川国広の顔に困惑の色が広がる。

 何故その質問をされたのか、まったく理解できないという顔だった。

 

「そりゃ、聚楽第の特命調査が終わって、この本丸に来たからだろう?」

 

 堀川の代わりに、和泉守兼定が当たり前のように答えた。 

 

「特命調査……?」

「ああ。山姥切国広(あんた)が来る前の話だ。

 政府からの命令で、聚楽第へ派遣されたことがあってさ、長義は監査官をしていた。

 この本丸の山姥切といえば長義だから、あんたには悪いが、山姥切呼びは慣れないな」

「なん、だと?」

「そりゃ、あんたも国広と同じ国広だろ? 呼び名を変えないと紛らわしい」

「監査官……山姥切……特命調査……本歌」

 

 口の中で言葉を繰り返す。

 自分の記憶と違う異常事態だ。心臓が高鳴り、全身から血の気が失せていくのを感じる。

 

 山姥切国広と言えば、間違いなく自分だ。

 本丸の皆が自分を「山姥切」とか「まんば」と呼び、当たり前のように接してくれていた。

 それなのに、これはどういうことか。

 くらりと眩暈がして、腹の奥から酸っぱい感覚が込み上げてくるのが分かった。

 

「兄弟!? 大丈夫?」

「俺は……本歌が来るより、ずっと前からここにいたはずだ」

「しっかりして。兄弟が来たのは、一昨日だよ?」

「そうだ。山姥切……じゃなかった、長義は本丸の古株だ。ちょっとばかしプライドは高いが、頼れる奴だぜ」

「そんなはずは……」

 

 ありえない。

 そう口にしようとしたが、堀川国広や和泉守兼定は嘘をついている顔をしていなかった。むしろ、こちらを心配しているように見える。

 

 

 ここでは、自分の方が部外者だ。

 すべてに置いて行かれている。

 

「俺は、確かに」

 

 見える景色が明るみを帯びたかと思えば暗くなり、再び不自然なほどに明るくなったら、急激に暗くなる。視界も足元も揺れ、気持ちの悪さが胸の内側で膨らみ続ける。

 不快さを無理やり噛み殺し、自分を納得させるように呟いてみる。

 

 

「……そうだ、ここは……蜘蛛女が見せている世界だ」

 

 ここは、山姥切国広より山姥切長義が先に顕現された本丸。

 本歌である長義の方が認められ、写しの国広は山姥切の名を認めてもらえない。本丸の刀剣男士たちは皆優しく、時間をかければ認めてもらえるのだろうが、本歌との差は永遠に埋めることができない。

 

「ありえたかもしれない世界……ということか」

 

 アラクネは「縦糸が過去未来を、横糸が数多の世界を」と口ずさんでいた。

 だから、これは幻影だ。

 平行世界の可能性を見せているだけなのだ。

 山姥切は己に言い聞かせるように呟いてみるが、寒気が一層増してしまう。

 

 本歌のいる世界を垣間見てしまった。

 

 長義が顕現したら、あっさりと「山姥切」の名を取返し、軽々と自分を追い抜いてしまうのではないか?

 

 そのとき、自分には何が残る?

 

 

「兄弟……?」

 

 そう思い始めると、全身に鳥肌が立った。

 本歌は実力があり、周りの刀剣男士たちから信頼されている。

 なにしろ、元政府の刀だ。

 実力は十分以上に備わっているに違いない。

 

「しっかりして、兄弟!」

「堀川、和泉守。そこで何をしてる?」

 

 堀川の指先が山姥切に触れる直前、後ろから声が飛んでくる。振り返らなくても、そこに誰がいるのか分かってしまった。

 

「ああ、偽者君か」

「違うッ!」

 

 山姥切は振り向きざまに叫んでいた。

 白い布が視界の端で翻る。布が顔の半分辺りまで下がっているせいか、本歌の顔が鼻から下しか見えなかった。

 

「俺は……俺は、写しだ。写しは……偽物とは違う」

「それはどうかな?」

 

 長義はさらっと言葉を返してきた。

 

「この俺が『山姥切』だ。お前は名を騙っているだけにすぎない」

「それは……」

「山姥退治は、俺の逸話だ。

 これから、偽者君のことを便座上『山姥切』と呼ぶ者も増えるだろうが、そこのところを分かって欲しくてね」

「だが……」

 

 山姥切は長義に言葉を返すことができない。

 こうして言葉を交わしてみると、あのときの監査官と同一人物という事実を突きつけられる。

 

 ここは平行世界。

 ありえたかもしれない世界。

 現実ではない。蜘蛛女が見せている世界でしかない。

 

 

 そうだと理解しているのに、心臓が軋むほどの悲しさが込み上げてくる。

 

「――。――、――。――、――。――、――。――!」

 

 誰かが叫ぶ。

 すぐ耳元で叫ばれたはずなのに、城壁の向こう側で話しているように聞き取れない。

 

「――。――。――」

 

 その声に、長義と思われる声が冷静に言い返すのが分かった。

 少しだけ顔を上げると、長義が涼やかな表情が目に飛び込んできた。長義の後ろには、もう一人の兄弟 山伏国広の姿があった。

 何事もカカカと笑い飛ばす兄弟は見慣れた表情で話し始めたが、どういうわけか不明瞭だった。

 それがどうしようもなく気持ち悪く、再び顔を俯かせてしまう。

 

「俺は……」

 

 そのまま複数人の声が耳の奥で反響し、脳の内側から膨れ上がってくる。

 きっと、山姥切国広の悪口を言っているのだ。

 長義も皆、山姥切の名を穢す者だと嗤っているのだ。

 千本の針で身体の表皮を刺されているようだ。気持ち悪さは頂点に達し、腹の底で黒い感情が蠢き始める。その感情が腹から背を這うように徐々に登っていく……。

 

「……ッ!」

 

 気が付くと、山姥切は走り出していた。

 寄り添うように近くにいた誰かを押しのけ、闇雲に駆け抜ける。ここにはいたくない。その一心で無我夢中で足を動かし続けた。

 走って、走って、とにかく走って、棒のようになった足がもつれ、前のめりになったところで、ようやく立ち止まった。

 

 ぽつん、と一人闇の中に立っていた。

 

 本丸は影も形もなく、見渡す限り光すら吸い込む闇が広がっている。

 

 

(ここは、どこだ?)

 

 声にしたつもりが、声にならない。

 喉が重く、四肢が怠く、このまま横になってしまいたい。目線を下に向けると、丁度良い具合に絨毯が敷かれている。泥色をした絨毯は絹製なのか、とても柔らかく触り心地がよい。しばらく歩いてみたが、この織物は周囲の闇同様、延々と広がっているようだ。

 

 

 山姥切長義も他の刀剣男士はおろか、アラクネや藤丸立香たちの気配もなかった。

 まるで、出口のない迷路に閉じ込められたような感覚に陥ってしまう。

 

 

(いや、それならそれでも良い)

 

 山姥切国広は寂しげに微笑む。

 少しだけ、一人で物思いに耽りたかった。

 

 

 聚楽第の調査が完了すれば、山姥切長義が本丸の一員になる。

 その可能性を知ってしまったし、事実そのようになるのだろう。

 

 山姥切長義が山姥切国広のいた場所を取返してしまえば、写しの刀剣は用済みだ。出陣されることもなく内番を振り当てられることもなく、審神者からも皆からも忘れられ、こっそりと邪魔にならないように隅で暮らしていく。

 

 時間遡行軍との果てしない戦争が、終わるその時まで。

 

(それは、絶対に嫌だ)

 

 山姥切は歯を喰いしばる。

 この果てしない戦争が終わってしまえば、人としての姿から刀に戻る。

 兄弟の山伏国広は、

 

『大人しく美術品に戻ろう』

 

 と言っていたが、山姥切には理解できなかった。

 

 

 

 山姥切国広は刀時代、まったく活躍できなかった。

 そもそも、戦のために鍛刀されたと表現しても過言ではない。

 長尾顕長が堀川国広に頼み、山姥切長義の写しとして鍛刀された。

 依頼されて鍛えられる刀は、誕生前から用途が決まっている。

 

 北条家の家臣が氏政から献上された長義の写しとして鍛刀を依頼したのは、豊臣秀吉との戦に臨むためだった。

 

 

 のちの世からすれば

 

『いや、秀吉に勝てるわけないだろ』

 

 と一蹴されてしまうだろうが、北条氏政は大真面目で秀吉に勝利する算段を立てていたのだ。

 

 

 なにせ、小田原城は籠城に強い。

 箱根の山を背に天然の道は険しく、支城も山に囲まれた攻めにくい場所に築かれている。東には天然の川が堀の代わりをし、関東平野は現在のように整備されておらず陣を長く構えることは難しい。

 本丸から外堀まで数㎞離れ、その途中には空堀がある。

 そのうえ、堀の内にも畑が広がっているので、食糧に困ることはなく、すぐ南に相模湾が広がっているため、水攻めもできない。

 

 つまり、小田原城は、豊臣秀吉の得意戦法である水攻めも兵糧攻めも通用しない城なのだ。

 

 

 北条氏政は小田原城に立て籠もり、ずっしりと待つだけで良い。

 あとは支城が豊臣軍の鼻を折る。

 たとえ軍の規模で勝てなくとも、持久戦に持ち込めばいい。

 いずれは、同盟相手の徳川家康が秀吉に反旗を翻してくれる。

 家康は秀吉に一度勝利しているので、秀吉とて慎重になるはずだ。

 さらに北からは、同盟相手の伊達政宗も大軍勢を率いて駆けつけてくれる。

 

 秀吉率いる西日本の軍勢と北条や徳川、伊達が率いる東日本の軍勢がぶつかり合う。

 日本を分かつ大戦になるのは必然。

 

 

 そのときになって、北条氏政は小田原城から出陣し、必ず歴史に名を遺す大戦の采配を振る。

 そして、北条は秀吉に勝利し、天下人となるのだ。

 

 

 

 

 ……と、思っていたのだろう。

 

 秀吉が小田原征伐令を出したのが1589年の12月。

 長尾顕長含む家臣団が小田原城に召集されたのが、1590年の1月。

 長尾顕長が堀川国広に写しの製作を依頼したのは、その年の2月。

 

 武士に重宝された打刀として、来るべき豊臣軍との戦に備えるために依頼したのだ。

 

 

 ところが、山姥切国広が戦場で振るわれることはなかった。

 

 3月末には、秀吉は沼津まで来ていた。

 伊豆半島から箱根にかけての要所を陥落させ、小田原側の箱根の口にあった菩提寺「早雲寺」に陣を構えられてしまった。

 秀吉は6月末になると更に小田原側へ進軍し、小田原城を見下す場所 石垣山に新たな陣を築かれてからは、早雲寺一帯を焼き払われてしまう。

 

 

 この頃には、残っている支城は「忍城」だけ。

 

 箱根の山をとられ、小田原城は上から見下ろされ、相模湾は長曾我部ら水軍によって封鎖される。

 関東平野には元同盟相手の徳川家康が陣を構え、頼みの伊達政宗は5月の時点で秀吉の軍門に下った。

 

 

 7月5日。

 北条は降伏した。

 長尾顕長が山姥切国広の鍛刀を依頼してから、わずか5か月後のことだった。

 

 

 小田原攻めは一方的の攻めで終わる。

 その後、山姥切国広は東西軍がぶつかる関ヶ原の戦いでも大坂の陣でも使われることがなく、太平の世を迎えてしまった。

 

 

 

 だからこそ、山姥切国広は思うのだ。

 刀剣男士として顕現したからには、今度こそ戦場で力を発揮し、山姥切の名に恥じぬ働きをしたい。

 そのことを証明するまで、美術品に戻りたくはない。

 

 

 しかし、自分から「山姥切」の名を取られてしまったら、何が残るというのだろう?

 どうせ、自分は「山姥切長義」の写しであり、本歌に敵わないと目の当たりにしてしまった。

 

 「山姥切」が消えたら、自分の存在意義はどこにある?

 

 

(ならば、いっそ……)

 

 

 北条氏政側について、自らの真価を発揮してもらえば良いのではないか?

 

 

(ああ、それがいい。なんで、思いつかなかったんだろう?)

 

 山姥切は拳を握った。

 固い物を掌で感じたが、すぐに忘れる。

 

 

 いまは、北条氏政に仕官する方が重要だ。

 

 

 途中で名を変える刀は珍しくない。

 

 膝丸が良い例だ。

 蜘蛛を切ったから「蜘蛛切」で、次に夜に蛇の泣くような声で吠えたので「吠丸」、義経が鞍馬の春の山に例えて「薄緑」など持ち主や逸話で名は変わっていく。

 

 長尾顕長に……いや、北条氏政に力を貸し、小田原攻めを乗り切ることができれば、「山姥切長義の写し」ではなく、まったく別の逸話が生まれ、新たな名前でやり直すことができるのではないか?

 

 そうすれば、誰も比べない。

 「山姥切長義の写し」とか「山姥切の偽物」とか蔑まれない。

 

 さあ、簡単なことだ。

 この暗闇を脱し、氏政の刀剣男士としてやり直そう。この聚楽第なら自分の望みを叶えることができる。運が良ければ、監査官の長義や本来の山姥切長義を折り、さらに比較対象を減らすことだって出来るのだ。

 

 

 いまの自分には、それができる。

 夢を叶えることができるのであれば、悪魔にだって手を伸ばそう。

 

 

 

 

 

 でも、何か引っかかった。

 指を切り落とされる程度の痛みが、自分に待ったをかけている。

 

 よくよく目を凝らせば、暗闇のなかに不思議なシルエットがあった。

 この人影から目を逸らすことができない。

 

「それは幻影よ」

 

 艶めいた女の声が聞こえる。

 

 ああ、と納得した。

 瞬きすれば影は揺れ、触れる前に消えてしまいそうな脆い存在。

 そんな者たちは、別にどうでも良いことではないか。すでに、自分は進むべき道を決めたのだ。北条氏政に仕え、新たな自分としてやり直す。

 だから、この面倒な人影を忘れてしまえばいい。

 振り返ることなく一蹴し、目の前に現れた扉を潜ろう。そうすれば、新たな世界が待っているのだ。

 

 

 そう、故に幻影に構う時間はない。

 

 「写しの山姥切」を気にかける人など、誰もいないのだから。

 

 

 

『その発言、取り消して』

 

 扉に足を運ぼうとした時、耳の奥で声が蘇った。

 

『僕だって偽物かもしれない。僕を証明するのは兼さんの相棒という記録だけで、本当は偽物どころか存在しないかもしれない。

 でも、山姥切国広は僕の兄弟だ。兄弟は存在するし、偽物じゃない。

 長義さんとはいえ、僕の兄弟をいじめるなら容赦しない!』

 

 

 その声は、遠い昔……久遠の彼方で聞いたような気がする。

 自分が耳を塞ぎ、逃げ出した背中で聞いた声だった。滅多に感情を荒げないはずの少年が怒る声に導かれるように、幻影に視線を戻す。

 

『堀川、俺は事実を口にしただけだ。怒られる所以はない』

『長義殿、すまないな』

 

 新たな声が加わる。

 不明瞭で聞き取れなかった声が、透き通るように耳へ流れてきた。 

 

『山伏。いいや、俺は気にしてないさ。ただ、君はもっと弟の手綱を――』

『カカカ! 拙僧たちは国広三人兄弟! 長義殿も拙僧たちが皆に負けぬ実力を持っていると知っておろう。

 新たに来た兄弟も然り! むしろ、兄弟の筋肉は早く自分の実力を発揮したいと叫んでおる!』

『筋肉……?』

『それでもなお、長義殿が兄弟の実力に不信を抱くのであれば、どうだろうか?

 今しがた、主に山籠もりの許可を貰ったところだ。拙僧ら兄弟たちと長義殿で修行に励もうではないか!

 修行や筋肉との対話を通して、互いに見えてくるものがあろうぞ!』

 

 カカカ!と山伏の高らかな笑い声が木霊する。

 

 

 山姥切国広は呆然と聞き入っていた。

 堀川国広も山伏国広も馬鹿にすることなく、山姥切国広を「山姥切」ではなく、「兄弟」と受け入れてくれている。

 

 

(そうだ……俺は……国広なんだ)

 

 平行世界であっても、山姥切長義が本丸に来ていても、山姥切の写しでも、山姥切をしたことがなくても、山姥切の実力がなくても、国広である事実は変わらない。

 

 

『……ふん。同じ刀派に守ってもらえて良かったな』

 

 山伏の笑い声の後、長義の悔しそうな声が続いて聞こえる。

 

 確かに、兄弟たちに庇ってもらったように見える。

 見ようによっては、惨めかもしれない。

 けれど、自分だって山伏や堀川が貶められていたら、写しであるとか山姥切の名を騙っているだけとか、そんな肩書きや醜聞を殴り捨てて助けに行く。

 

 

 なぜなら、自分は国広だから。

 山伏国広や堀川国広の兄弟であり、刀工堀川国広の最高傑作なのだ。

 

 

 

『……それでも、お前の名は偽物だ』

 

 暗い世界に光が差し、山姥切長義の姿がはっきりと見えた。

 

『山姥切の名は俺のもので、お前のものではない』

「ああ、そうだ」

 

 その声に、はっきりと言い返す。

 兄弟たちの幻影を背に感じながら、本歌の青い眼をまっすぐ見据えた。

 

『所詮、写しだ。山姥切をしていない』

「確かに写しだ。俺は山姥切をしていない」

 

 否定しない。

 それは変えようのない事実だ。

 

「写しでも……気にしていない奴もいる」

 

 ソハヤノツルキは「生きた証が物語だ」と胸を張って言える。

 今回の出陣で、知り合った英霊たちは皆が本人ではなく写しのような存在だが、まったくもって気にしていない。

 

「……俺は……まだ、写しであることに、負い目はある。

 俺が山姥切を名乗ることに抵抗がある。俺は山姥切の写しとしての評価が強いしな。

 だが、俺は国広。

 堀川国広の最高傑作。これも、事実なんだ」

 

 それに……、と握りしめていた手のひらを開く。 

 

 北条氏政に仕官しようと思ったときに、意図せず握りつぶそうとした「大切なもの」があった。何の変哲もない小さな栗だ。そのあたりで売られているような、ありふれた栗である。

 けれど、この栗は何よりも特別だった。兄弟と同じくらい大切な人から貰ったものである。

 

 

「これを捨てようとしていたなんて、どうかしてる」

 

 山姥切国広の口元には、微笑が浮かんでいた。

 そういえば、いつか……月明りの下で、数多の英雄を束ねる人間が話していた気がする。

 

「藤丸が言っていた。『自分に力を貸してくれる英雄たちが偽物でも、本物だと思っている』と」

『だから、自分も本物だと?』

「それは……まだ、分からない。

 何回も言うが、俺は山姥切をしていないし、所詮は山姥切長義の写しだ。山姥切の名は本歌に敵わないし、追いつくこともできない。

 けれど、これだけは言える」

 

 山姥切国広は最後にもう一度、今度は実感を確かめるように栗を握りしめた。

 

「俺の主は……審神者は、俺を、この山姥切国広の帰りを待っている」

 

 たとえ、いつか「写し」に興味を持たなくなったとしても、いま、この時だけは違うと叫ぶことができた。

 

「今回の部隊長を命じ、俺を必要としてくれている!」

 

 暗闇を貫くほど高らかに宣言すると、主から渡された勝栗を一思いに口に放り込んだ。 

 

「アラクネ、お前の下にはつかない」

 

 どこか体を覆っていた倦怠感は泡が散るように消え、冷え切っていた両手足に血が巡り、鬱鬱とした気持ちも吹き飛ばされ、くすぶっていた火種が一気に燃え上がる。

 山姥切国広は刀を引き抜くと、アラクネの声が聞こえた闇を一閃した。

 

「俺は……国広の最高傑作なんだ!」

 

 

 

 山姥切は噓だし、自分は写しだ。

 きっと、実力は本歌に劣る。

 自分は、山姥切の刀ではない。

 長義が来たら、山姥切の名は奪われてしまうし、アイデンティティは消え、辛い思いをするだろう。

 この激しい思いは一過性のもので、すぐに白い布が離せない自分に戻るかもしれない。

 

 だが、今は半歩だけ前に進めている。

 山姥切の写しではなく、堀川国広の傑作で主に必要とされている刀だと叫ぶことができる。

 

 

「俺は、俺だ!」

 

 

 闇が切り裂かれ、白く眩い光が視界を潰そうとしてくる。

 白い光の濁流が唸りながら押し寄せてくることを考えるに、また別の平行世界に陥れようとしているのだろう。

 

 そんなこと、させるわけにはいかない!

 

 山姥切国広は瞑りそうになる瞳に喝を入れ、進むべき道に目を凝らす。

 

 光の奔流と夜よりも深い闇が交差し、するすると巻物のように入れ替わっていく。

 その一点。光と闇が交差する針の穴よりも小さな点の奥に、一瞬、悠然と微笑む美女の姿が映った。

 その佇まいは、山姥切が牙をむくことをまったく想像していない。

 

 山姥切は筋肉を唸らせるように踏み込むと、刀を貫くように前へ伸ばす。

 それは、アラクネにとって闇討ちに等しい一撃になるはずだ。

 

 その一点に飛び込めば、世界が一気に姿を変える。

 闇も光も消え、薄暗い部屋と薄く微笑む女が見えた。

 

 

「ほら……お人形に……っ!?」

「相手が悪かったな」

 

 

 アラクネの驚愕に歪んだ顔めがけて、山姥切国広は魂の一撃を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 




北条氏政や長尾顕長の背景や小田原城のくだりは、寺町の推測です。
いろいろな考察や当時の配置や人間関係の資料を基に考えてみましたが、史実と違うかもしれません。
そのあたりは、「この作品は、このように解釈しているのだ」と流してくれると有難いです……。



追記
一部台詞回しを変更しました(12月13日)



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山姥切の刀(4)

 山姥切国広の切っ先が、アラクネの胸を貫いた。

 アラクネは途方に暮れるような呆けた顔で胸を貫く鋭利な刀を見下す。

 

「そんな、はずは……」

「俺は……俺たちは、先に進ませてもらう」

 

 山姥切は経を唱えるような声色で静かに言うと、すっと引き抜いた。赤い血が飛散し、アラクネの身体が金砂に包まれていく。それを見て、ようやく藤丸立香は目の前の事態を理解した。

 

「や、山姥切さん!」

「待たせたな」

 

 山姥切はアラクネに背を向け、こちらへ進んでくる。

 その表情は、つい先ほどよりも自信に満ちているように感じる。山姥切がアラクネの宝具を破り、ここに戻ってくることを信じて待っていたのは事実だが、実際に生還してくれると感慨深い。

 

「あれ……顔、綺麗になった?」

 

 立香は瞬きをする。

 山姥切の顔に少しばかりあった疲労感や傷などが拭い去られている。

 すべすべした白い肌には、透き通った青い瞳が良く映えていた。カルデアには古今東西の見目麗しい英霊たちが揃っているが、いまの山姥切は彼らに匹敵するかそれ以上の美しさを漂わせていた。

 

「き、綺麗とか言うな」

 

 先ほどまでの自信はどこへやら。

 山姥切はすぐに白布を目深に被り、そっぽ向いてしまう。

 それでも、頬に朱がさしてあるのが一目瞭然で、ちょっと可愛らしい。

 

「行くぞ。あいつを止めに」

「……行かせる、もの、ですか!!」

 

 突然、蜘蛛の糸が立香と山姥切の足を絡めとる。

 振り返ると、アラクネが倒れ伏しながらも、掲げた右腕によって蜘蛛を行使させている。肩から胸にかけて切り裂かれ、絶え間なく血を滝のように流しながらも、自身の指先から、そして、使役する蜘蛛たちから糸を放出させ、立香たちを足止めしようとしている。

 

「私が、お前などに、負けるわけにはいかない! お前を、あの方の元へ、行かせるわけにはいかないのだ!」

 

 アラクネは唾を吐き散らしながら、血走った眼を立香たちに向けてくる。

 縛ろうとする糸は倍増し、蜘蛛がわらわらと迫ってくる。

 

 このままでは、山姥切は再び繭の中に閉じ込められてしまう。

 否、山姥切だけでなく、立香自身まで宝具の餌食になってしまう。

 

 そんなときだった。

 

「主と山姥切の旦那は先に進みな!」

 

 立香たちの前に黒い髪が翻る。

 燕青の拳が糸を切り落とし、前へと躍り出たのだ。

 

「燕青!?」

「ここは任せろ。安心しろって、主。ほら、一度受けた技は二度目は通じないって言うだろ?」

 

 自ら従者と名乗る侠客は快活な微笑を向けてくる。

 

「俺の拳なら、この程度の蜘蛛や糸を払うのは動作もない」

 

 燕青は左掌に拳を打ち付ける。

 彼は高速で動き回りながら拳で敵を翻弄する。ちょっとばかし数の多い蜘蛛と消滅間際のサーヴァント相手なら動作もなく払いのけることができるはずだ。

 それに、この先にいるアラクネのマスターを倒せば、魔力の供給も止み、単独行動スキルのないアサシンは完全に沈黙する。

 

「ッ、後は任せる!」

 

 だから、立香が悩んだのは一瞬で、すぐに頷き返すと奥へ走り出した。

 

「いいのか?」

「なに、主人の背中を守るのは従者の役目。あんたもさっさと行け」

 

 立香は背中で山姥切と燕青のやり取りを聞く。

 数秒もしないうちに、山姥切の足音が近づいてきたので、蜘蛛の進軍に立ち向かうのは燕青ただ一人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、侠客らしく殴り合いと行くか」

 

 燕青は立香たちが遠ざかる音を聞きながら、軽快に口笛を吹く。

 あまりにも余裕たっぷりの表情で蜘蛛を蹴散らしていくものだから、アラクネの怒りは増したのだろう。

 

「っく、また、私の、人形に戻れ!」

 

 蜘蛛女は赤い口を曝け出すように叫ぶと糸と蜘蛛を増量させる。

 そのせいで身体が軋もうが、罅割れ、消滅が進もうが、彼女には知ったことではないらしい。

 

「残念。あんたも従者として優れているようだが、俺の方が格上さ」

 

 燕青はにたりと笑うと、首を鳴らした。

 

「闇の侠客ここに参上、『十面埋伏・無影の如く』!」

 

 それは、燕青拳独特の歩法による分身打撃。

 魔法の域にこそ達していないものの、第三者の視覚ではまず捉えられぬ高速歩法による連撃。その様はまさに影すら地面に映らぬ有様だったとか。

 

 ただの蜘蛛と糸を吐く弱った英霊の目が、この技を防ぐ術などない。

 

 任侠は瞬く間に英霊に迫ると、山姥切の一閃を受けた場所に留めの一撃を喰らわせる。アラクネに止めるすべはなく、駄目押しの一撃で身体の消滅が加速した。

 もはや蜘蛛を操る魔力もなく、支配から解かれた蜘蛛たちはあたふたと散らばっていく。

 

「……っ、どう、して、私、は……」

 

 それでも、絶え絶えに恨み言を呟くのは、アラクネとしての気質なのか、サーヴァントの意地なのか。

 燕青は女神に在り方を歪められた機織りを見下すと、ただ一言、

 

「そりゃ、地雷を踏みついたからでしょ」

 

 一度、自分を操った女に声を向ける。

 

「矜持を歪めるなんて地雷以外の何物でもない。

 あんたは俺たちを洗脳して喜んでたみたいだが、早い奴は一週間もしないうちに戻っていたはずだぜ」

 

 アラクネのやり口は、簡易的なオルタ化だ。

 感情のベクトルを操作し、半ば強引に陥れ、その性質を反転させる。

 だが、従来のオルタ化とは違い、聖杯の強大な魔力によって歪められたものではない。そのまま一定期間以上を過ごしていれば、いつか自己の矛盾に気付き、崩壊する。

 元のありように戻る可能性もあるし、自分の在り方を認められず自死を選ぶかもしれない。

 

 いずれにしろ、近い将来のうちにアラクネの手から離れていたことは確実だ。

 

「そん、な、ことは、ない! 私の宝具は最強だ!」

「目の前で破られたばかりだろ」

 

 燕青は肩を落とした。

 

「あんたの生前の逸話からそうだ。そりゃ、神様を挑発したり馬鹿にしたら怒られるだろ。いや、神じゃなくても怒られ恨みを買うさ」

「……ッ」

 

 アラクネは血に染まった唇を噛む。

 ほとんど力が残っていないのに、唇から新たな血が滲むのだから、よほど悔しく認めたくない事実に違いない。だが、ひとつだけ……素敵なことを思い出したとでも言いたそうに、口元を歪ませる。

 燕青はアラクネの姿を見下し、鋭く目を細めた。

 

「なんだ?」

「お前は、……お前、たちは、勘違いをしている」

 

 恨み籠った瞳は狂気で彩られ、口から血を流しながら嗤っていた。

 

「あれには……あの、付喪神には、とめられない。絶対に、止められない」

「……理由は?」

「っふ、あはははは!」

 

 アラクネは高笑いをする。穴の開いた肺を刺激したせいで咳き込みながら吐血をしたが、まったくもって意に返していない。

 

「そもそも、お前は分かってない! なぜ、この聚楽第が特異点になったのか! どうして、時間遡行軍が力を貸しているのか! お前たちは、まったく理解、していない」

 

 アラクネの肩から下はすでにない。

 機織りは話すことも苦痛のはずなのに、狂ったように笑い続けている。

 

「せいぜい、勘違いしたまま、終わると良い。いや、もう、終わっているかもしれない」

 

 そう告げると、アラクネはうっとりと目閉じる。

 

「すみ、ません、氏政、さま……ですが、これで、良かったのですわ」

 

 アラクネは完全に消失する。

 最期の掠れた囁きは恋焦がれる少女のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 立香と山姥切国広は奥へと突き進んでいた。

 周囲の壁や臥間には見渡す限り金箔で覆われ、ところどころに朱や銀などで描かれた美術館にありそうな絵が描かれている。

 普段なら歩きながら眺めたいところだが、そのような悠長なことを言っている場合ではない。

 

「嫌な空気だ。藤丸、気を引き締めろ」

「山姥切さんもね」

 

 彼に言われなくても、禍々しい臥間が目の前に立ち塞がる。

 俵屋宗達の扇のような風神と雷神が描かれた迫力があり美しい臥間なのに、身体の細胞を全て震わすような威圧感と悪寒が漂ってきている。

 

「行くぞ」

 

 山姥切国広は刀を握りしめると、臥間を一刀両断する。

 立香は崩れ落ちる臥間の向こうに、巨大なベージュ色の柱を目にする。学校の体育館ほどの空間の大部分を支配し、緩慢に揺れている。

 

「な、なんだ、あれは……!?」

 

 山姥切が息を飲む。

 

 その柱は、誰が見ても異様だった。

 ベージュの柱には細い裂け目が縦に走り、横方向にも螺旋状に広がっている。縦方向の裂け目からは菱形の禍々しい赤い眼が幾つも飛び出していた。

 

「やっぱり……魔神柱!」

 

 立香は拳を握りしめる。

 

「魔神柱……あれが?」

「ゲーティアとの戦のとき、あの場から逃げ出した一体。あの色は、たしか……」

「これは、廃棄孔 アミーだ」

 

 立香の言葉を取ったのは、魔神柱の後ろに佇む男だった。

 

「炎の悪魔だ。使い魔を授け、『欺瞞』『裏切り』『悪意』、そして『誹謗』などの悪事を司り、敵陣営に疑いの種を撒き、流言飛語を飛ばすのを得意とする……だったか?」

 

 男は語る。

 

「それが、この魔神だ」

 

 だが、いかんせん。

 男の仕草や表情が全く読み取れない。なにせ、距離が遠すぎる。魔神柱が巨大すぎるせいで、男は人差し指程度の大きさにしか見えないのだ。部屋も暗がりで眼鼻も視えず、表情を伺いすることができない。声の調子も棒のように平坦で、感情が全く伝わってこなかった。

 

 

 だが、ここで登場する男は一人しか該当しない。

 

「お前が、北条氏政か?」

「見ればわかるだろ」

 

 北条氏政は淡々と返事をする。

 その答えを聞き、山姥切国広はすっと目を細めた。

 

「北条氏政。お前はなぜ――」

「……カルデアのマスター」

 

 氏政の言葉を遮るように、ベージュの柱が揺れた。

 禍々しくも虚ろな目が一斉に立香に向けられる。 

 

「我は廃棄孔 アミー。

 このときを、どれほど待ちわびたことか」

 

 アミーと名乗った魔神柱は胡乱な声で話しかけてくる。

 立香の身体に緊張感が走った。残り一画となった令呪を握りしめ、アミーの目を睨み返す。

 

「人間は裏切りによってできている。悪意と欺瞞が人間の本質なり。

 だが、なぜ、契約もしていない……それどころか、一度会ったかどうかも分からぬ縁を頼りに馳せ参じ、矮小な人間を信じ、集ったのか。命がけで、戦い抜こうとする?

 理解不能。その事象を我は認めぬ」

「そっか……廃棄孔って……」

 

 立香の記憶が刺激される。

 

 ゲーティアは魔神柱の融合体を八柱用意していた。

 そのうち七柱は七つの特異点で縁を結んだ英霊たちが食い止めてくれた。

 

 そして、最後の柱「廃棄孔」に臨む際、駆け付けて来てくれたのは、特異点よりも更に薄い縁の英霊たち。

 立香は知っているけど、マシュの記憶にない英霊なんてざらだった。

 七日間の監獄で共に戦い抜いた共犯者 エドモン・ダンテスの存在は最たる例だし、信長と沖田は別種の特異点で結んだ絆、巨大な槍を携えた鎧姿の紫水晶の瞳を持つ女戦士は特異点であった気もするが、夢のような記憶しかない。風魔小太郎に至っては、当時は面識すらなかった。

 

 指先程度の記憶や縁しかなくても、過去や未来に結んだ絆を伝い、最後の戦いに駆けつけてくれた英霊たち。廃棄孔を司る魔神柱が戦ったのは、そのような英霊たちだった。

 

「人間の本質とは悪だ。人を信じるなど戯言にすぎん。この京の都を見ろ。お前たちは見てきたはずだ。何回、裏切られた!? 味方だと思っていた者に、何回殺されかけた!?

 ああ、だがどうして……そのような目をしていられる?」

 

 魔神柱は爪先程の怒りを込めた声で糾弾してくる。 

 

「その目が気に入らない。

 我には理解できない」

 

 魔神柱は宣言すると身体を震わし、黒い影を召喚する。影は赤い雷を帯びながら、三人の時間遡行軍へと姿を変えた。

 

 魔神柱の自己紹介が確かなら、この魔神柱は使い魔を使役できるらしい。

 

「つまり、魔神柱が時間遡行軍を操っていたってこと?」

「そのようだな。下がれ、藤丸。ここは、俺が行く」

 

 山姥切が果敢に挑んでいく。

 立香は魔神柱の次なる攻撃に備え、サーヴァントの影を召喚する準備を整える。魔神柱は自信の表れなのか、余裕の構えを崩さない。山姥切が遡行軍を切り捨て終わるころに、また数体の新手を呼び出して沈黙する。

 ただ、出現する遡行軍の数は少しずつ増加し、時折、シャドーサーヴァントも混じり始めていた。

 その攻撃の在り方は、真綿で首を絞め殺すようだ。

 

「でも、おかしい」

 

 立香は山姥切の背中を見ながら、疑念が鎌首を上げた。

 

「なんというか……ッ!」

 

 心に浮かんだ頼りない謎を口にする前に、シャドーサーヴァントの一体がこちらへ向かってくる。立香は咄嗟に指を持ち上げ、

 

「が、ガント!」

 

 閃光の一撃を放った。

 シャドーサーヴァントは呆気なく塵に還り、霧散してしまう。ここで立香は虚を突かれた。次のシャドーがこちらに向かってくることに気付くのが遅れるほど、異様な事態に呆気に取られてしまっていた。

 

「ガンド!」

 

 次の一体も指さしの一撃を喰らわせる。

 次の個体も胸に大穴をあけて消失した。その次の個体も、またその次も以下同文である。

 

 おかしい。

 サーヴァントの影を召喚するより、ガンドの方が手っ取り早くて楽なのだが、これはいささか変だ。

 シャドーサーヴァントはサーヴァントの影とは言え、サーヴァント。魔術師見習いのガントごときでは足を止めるのが精いっぱいで倒すなんて問題外の外なのだ。

 それなのに、こうもあっさり倒せるのは何故なのか。

 

 なにより不自然なのは、魔神柱本体が攻撃してこないことである。

 

 

 七つの特異点、ゲーティアとの戦い、そして、亜種特異点……魔神柱とは幾度となく対峙した。けれど、ここまで戦う意思を見せながらも本体が攻撃してこないとは前例がない。

 

 一度だけ……夢のようにぼんやりとした記憶だが、ゼパ……なんとかなる魔神柱は抜け殻のようなもので、攻撃らしい攻撃をしてこなかった気がするが、あれは意識がなかった。しかし、こちらは話している。眼は虚ろだが、こちらと意思疎通を図ろうとしていた。

 

 あれは、生きている。

 すでに権限のすべてを奪われていた魔神柱とは違うのだ。

 

「山姥切さん、大丈夫?」

「ああ、全く問題がない。問題はない、が……」

 

 山姥切の答えも歯切れが悪い。

 彼も呆気なく切り殺されていく遡行軍たちに疑問を覚えているようだ。

 

 

 まるで、時間稼ぎのような……

 

 立香が頭を悩ましていると、耳の奥で通信音が鳴り響いた。

 

 

『……っ、通信が繋がりました! 先輩、ご無事ですか!?』

「マシュ!」

 

 頼れる後輩の姿が投影された。

 立香は眼前のシャドーにガントを撃ちながら、マシュの声に応えた。

 

『魔神柱!? いえ、これは一体……!?』

「どうしたの!?」

『あれは……魔神柱の反応ではありません! 数値が全く違います!』

「どういうことだ?」

 

 山姥切が刀を振るいながら問いかけてくる。

 

「気味の悪い柱は……お前たちの敵ではないのか?」

『観測結果が異常だ。目の前にいるのは間違いなく魔神柱の外見だが、魔力を一切感知できない』

「そんなことない! だって、現にシャドーや遡行軍を召喚して……」

『そこが異常なんだ!』

 

 カルデアのダ・ヴィンチが切羽詰まった声を出した。

 

『魔力反応が一切ない。いや、あの魔神柱は死んでいる!』

「死んでる? でも、確かに……あれは生きている!」

『生命反応がない。アガルタの時みたいに、数値が逆転しているわけでもない。文字通り、死んでいるんだ!』

『ですが、間違いなく活動しています。こんなことって……!?』

 

 立香は魔神柱に視線を戻す。

 アミーと名乗った魔神柱は活動している。だが、言われてみれば、その禍々しいはずの目は虚ろで強い意志を感じさせなかった。

 そのまま立香は、魔神柱の陰に隠れている男を見る。

 

 しかし、北条氏政の姿がなかった。

 魔神柱と同化したのかと思ったが、魔神柱の奥の部屋の戸が閉まり、彼の着物の袖が消えていくところを目撃する。

 

「……ッ!」

 

 このままでは埒があかない。

 北条氏政を捕らえれば、活動しているのに死んでいる魔神柱のことも判明するはずだ。

 であるなら、ここでちまちま戦っている時間が惜しい。

 

 

「サーヴァント、召喚!」

 

 

 立香は高らかに叫ぶと、令呪の刻まれた右腕を掲げた。

 

 

 

 

 



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