古明地さとりは執行官である (鹿尾菜)
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File1現実 上

この世界というのは常に不変であり、その不変の上に私たちは存在するものだと私は認識していた。

だけれど想定外なこと…この場合は不変というものが覆された状態の事を言いますけれど。

それが起こった場合私の存在はどうなるのか?その答えというのは結局のところわからないままでいた。そもそもそんな想定外が発生した場合世界が崩壊するかどうかするときくらいだと思っていたしその結果がどうなるかなんて想像することは不可能だった。

 

だけれど今は確信を持って言える。想定外で不変が覆された時私たちは…やっぱりそこに存在した。何も変わらず…

 

 

目を覚ませば殺風景な部屋。何度この光景を見たのだろうか……

いつの間にか私は寝ていたらしい。ちょっとだけ体をほぐして起き上がる。

「……」

 

「おはようございます。3月19日午前6時。色相レベルはライトピンク。健康的な生活を」

 

意味をなさないAIの目覚まし音を聞きながらスーツに袖を通す。サードアイの管をシャツの下に隠し本体を胸の合間に入れる。念の為にその上からホログラムのスーツを投影する。

私の体に合わせて若干スーツの胸部が変化する。

何気にこの技術はすごい。服を買わなくても最低限のおしゃれはできてしまうのだ。

「昨日の食事摂取量は1000キロカロリー。本日の朝食はどうします?」

数年前から使っている自宅は大した大きさでではない。だけれどベッドと本棚以外の家具が一切無いからすっきり広々としている。

「要らないわ」

 

正直この体も食事を必要としない…妖怪としての体なのだ。

こんな体でよくこの世界で通用するなと思ったものの、どうやらこの世界の私も普通に生まれて普通に過ごしてきていたらしい。と言っても私の意識が覚醒するのと同時に両親は死んでいる。

だから詳細は不明だ。ただ、この体はもう妖怪としての体。そして……

 

地霊殿でいつも通り書類の整理をしてちょっとだけ休憩ということで外に出てみれば庭に訳の分からない装置が勝手に据え付けられていた。それが発端だった。側にいたにとりに装置のことを聞いたらそれは紫の能力を機械的に再現するために作った装置なのだとか。でもなぜここに…しかもこいしまでと疑問に思い聞いてみれば案の定こいしがここで実験すればと提案したらしい。

この時ちゃんと止めておけばよかった。そうすれば私はその機械の暴走に飲み込まれなかったわけだしこうして慣れないディストピアで苦労することもなかった。

 

 

挙句に私には問題もあった。

「こいし。どこにいるの」

同じくこの世界にいるはずの…妹のこいしは今も行方が分からない。

戸籍上私の妹として登録されている。であれば必ずこの世界にいるはずなのだ。私という存在がこうして確立しているように……

彼女をみつけて…それから元の世界に戻らないといけない。それにはそこそこの権利と自由に行動できる職種である必要がある。

この日本は…現状シュビラと呼ばれる超高性能スーパーコンピュータのようなものによって管理されている。元々は厚生省管轄の包括的生涯福祉厚生のシステムだったらしいけれど今になっては社会の根幹とも言えるものになっている。『成し得る者が成すべきをなす。それこそがシュビラが人類にもたらした恩寵である』

とまで言われているくらいだ。

どう行った原理なのかは分からないけれど人間の精神的形質を数値化し個人の適性や能力に見合った職業を提案し、趣味嗜好に沿った新しい娯楽を提示するなどして、人々がより充実した幸福な人生を送れるよう支援するものらしい。

 

心の状態を診断するなんて私にとってはまゆつば物だと思ったけれど…実際に慣れていくと一応理解はできるようになってきた。ただ、心を読めるものとしては数値や色相診断による状態と実際心が考えていることは結構剥離していることが多い。それでも問題ないと判断する根拠がいまいちよくわからないしその逆も然りだ。実際周囲の人へ呪詛の念を放っていた男なんか色相レベルはそうでもなかった。ただ思考するだけではアウトにならないらしい。

でも逆に思考としては普通のことを考えていても何故かアウトになっている人がいたりその逆もあったり。機械の判断基準がよく分からない。そんな分からないものを盲目的に信じる人間の底が知れないのだけれど昔から宗教に頼っている事を考えれば納得してしまう。

 

幸いシュビラの職業選別では丁度良い職種になれた。正直この超管理社会…ディストピアともユートピアとも言える。住み辛い事この上ない。システムで全てが決まりシステムによって生かされている。それはある意味意思決定権のない奴隷のようなものだ。それでもこのシステム下が人探しにはなんだかんだ一番利用しやすい。

ほとんどの場所で監視カメラが、ドローンが徘徊し監視しているのだ。それを使えばこいしは見つかるかもしれない。

まあ…気休め程度だけれどこれを使えば選択肢の幅は狭められる。

国外という可能性も視野に入れなければならないけれどその時はその時だ。

 

AIに家のロックを頼み玄関を閉める。ロックがかかった音を確認してエレベーターホールに向かう。

 

車なんてまだ持っているわけないので徒歩と交通機関を使って職場に向かう。

三十分もすればすぐに職場の建物が見えてきた。

都心部にほど近いところにある建物は周囲のビルとは雰囲気がまるで違う。

事前に送られてきた電子手帳を使いセキュリティをクリアしていく。

 

 

やがて見えてくるのはデスクが六つ置いてあるだけのあまり広くない部屋達。その中の1係と書かれたプレートのはまっている部屋に直行する。

扉などのないその部屋は、部屋というよりフロアの一部を仕切りで覆ったような所である。実際元々そうなっていたのだろう。

ここ一週間で見慣れてしまった。

 

 

 

「本日より配属になります古明地さとりです」

1係には執行官の男性2人と当直だったのだろうメガネをかけたいかにもエリートです感を漂わせる監視官がいた。ただ私と入れ替わりに2人の執行官はどこかへ行ってしまった。どうやら食事に行くらしい。そういえば今は朝食の時間帯でしたね。

そのうちの監視官が私の前に歩いてくる。鋭い目線が私の体を貫く。確かに体系としては少女であるけれどこれでも立派な20歳である。少なくともシュビラシステムはそう判断している。

「宜野座伸元だ。悪いが人手不足でな。新米扱いは出来ない。覚悟してくれ」

無愛想に切り捨てていく。でもまあそっちの方が私にとっては好都合なので良いのですけれど。

「分かっています…そもそも私は元2係ですよ」

1週間だけですけれど。それでもある程度の出動は踏んでいる。

流石にこれには彼も驚いたらしい。一週間ほどではあるけれど場を踏んでいるというのは全くの新米より全く違うというのは彼自身よく知ってることでしょう。

「送られてきたデータにはそのようなことはどこにも……」

多分ですけれどデータの更新が遅れているのでしょうよ。

「正確には私はどこ所属ということはないです。人手不足が深刻な刑事課において臨時に人員が足りなくなってしまったところに次の方が来るまでの繋ぎとして組み込まれるのが私ですから」

この刑事課に配属された時最初に局長から言われたのがそれだった。よくわからなかったけれど要はどこの係所属ではなく基本いろんな所をめぐる…ピンチヒッターのような感じなのだろう。そうした方が融通が効くとかそういう理由でしょうね。

「聞いたことないな」

首を傾げた宜野座監視官に一応の説明をする。サードアイで理解しているのかを確認してみたものの案外すんなり理解してくれた。やっぱり頭の回転が良い人は良いですね。

「先月から始まった試みです」

なるほどと彼は呟いた。どうやら現場部隊には何も知らされていないようだ。別に知らせる必要もないというのが実際のところだろう。であればその事実を知った彼が次に言う言葉などサードアイを使わなくても読める。

「いつまでいるんだ?」

そらきた。

「少なくともここには新人を配備するようですので新人配備後の1ヶ月から2ヶ月の合間含めて1係として過ごすつもりです」

 

「なるほど…理解した」

しかし肝心の新米がどこにもいないのだ。というよりしばらく補充は来ないらしい。困ったものだ。流石人手不足の刑事課である。

結局それ以上の事は言わず宜野座監視官は自分の席に座った。

根は良い人なのだけれど…ちょっと疲れているというか心の余裕がない。何か色々あったのでしょうね。後は無駄に素直になれないその性格のせいか……人間って面白いですね。

 

 

いつまでも立っているというのもあれなので直ぐに私も座席に座りパソコンを立ち上げる。数秒だけ製造会社のロゴが映し出され、ホーム画面が映し出される。

 

何だかんだここのパソコンは個人情報のオンパレード。だからこいしを探すのにはうってつけなのだ。

まあそんな人探しに使うのは本来なら事件の時だけなのだけれど……

 

さて…早速ですけれど…こいし探しの再開です。一応午後の当直なので朝早くからいる必要は無いのだけれど……

データログが残ってしまうからあまり危ないところを覗くことはできないけれど私がしているのは監視カメラの映像から戸籍上私の妹にあたる人物を探しているだけでありそこに違法性はない。

ただ見つからないのだ。いくら探しても……

こうなると本格的に海外を疑いたくもなる。だけれどこいしが海外にいる確率は低い。では一体何をしているのだろうか……

 

「ところでだが、古明地」

宜野座監視官が私の後ろに立つ。背筋が寒くなるような感じがしてしまいどうしても落ち着けない。

「さとりでいいです。それと調べ物もありましたし荷物整理とかもあるので早めに来ただけです」

と言っても引っ越してくる荷物はそこの手提げ一つだけだ。

それを見つけた彼は何をするまでもなくそうかと一言言って終わった。

心を読んで答えを先回りで言ったせいか、彼は再び元の席に戻った。無駄に喋るということも今の彼は好きではないのだろうから。必要事項だけさっさと言っておけば良いと行ったところか。

 

 

刑事課の人員は監視官と執行官に分けられる。

執行官は犯罪者を探し出し確保、状況によってはその場で始末をする。その為執行官は原則犯罪係数が規定値を超えた状態から戻らない潜在犯と呼ばれる人達がなるものである。

そして監視官はその行為、行動を監視し、執行官が社会的な不利益を生み出さないように監視するのが仕事である。

それは犯罪という…この世界においては精神病として定義されるものと関わる関係上やむおえない構造である。

そもそも自体犯罪係数という…将来的に犯罪を発生させる確率のようなよく分からないもので人を捉えるかどうか…厚生措置を受けさせるかどうかを決めるという社会システム上犯罪を操作する刑事課の人達は犯罪係数が高くなりやすい。というより犯罪によって犯罪を誘発させやすいと社会は定義するようだ。

それが事実かどうかは知らないけれど実際監視官から執行官へ行く人は多いと2係の青柳監視官は言っていた。

 

 

 

 

 

午後になり宜野座監視官が帰ると、同じくシフト開けで2人の執行官も部屋を後にした。それと入れ替わりに男女が入ってきた。

2人はそれぞれ征陸智己、六合塚弥生と名乗った。最初の印象は人の良さそうなおっさん…まあ言ってしまえば初老とどことなく此方を見てはなにか恋愛対象のような視線を送ってくる女性と言ったところだった。今のところは……

ただ征陸執行官は何処と無く勘が鋭そうで…聞いてみればやっぱりシュビラのシステムが施行される前から刑事だったようだ。それなら納得である。

「お前さんほんとうに成人なのか?なんか年頃の小娘にしか見えないんだが」

彼がそう言うのも無理はないだろう。実際見た目がそうなのだから。

「同感ですね」

 

「これでもれっきとした成人ですよ」

よく言われるけれど仕方がない。関節でも外して少し身長を盛った方が良いだろうか?

青柳監視官はそのままで良いと言っていたけれど……

 

 

 

いきなり警報が鳴る。それでもボリュームが大きいわけではなく呼び出しのような感じがするのはなるべく人にストレスを与えないようにする配慮なのだろう。

『新宿三丁目エリアにて規定数値を上回るサイコパスが検出されました。当該監視官は執行官を連れて直ちに現場に急行してください』

 

シュビラシステムは個人が今後犯罪を犯すであろう予測値すら解析することに成功した。犯罪係数と呼ばれるそれの数値が高まれば、こうして警察によって保護される。犯罪を犯す前にという大義名分のもと。そして犯罪は無きものとされる。

さらに高い犯罪係数を保持する者は潜在犯として社会から隔離される事となる。

さて今日はどうなることやら。緊急セラピーで数値が下がるのなら良いのだけれど…

 

「…出動ですか」

今日くらい静かに過ごせると思ったのに。

何気に一日一回は出動するハメになっているような気がする。大半は数値が異常値に行ってしまい街頭スキャナーに引っかかったとかで確認するくらいだ。

まあ大半は潜在犯としてそのまま隔離収納されるか緊急セラピーで数値が落ち着いてから厳重注意するかであり…執行を実際にやったのは一回くらいだ。

「そのようだな。お嬢ちゃんは現場初めてってわけじゃないだろ?」

 

「ええ…何度か青柳監視官と一緒に」

その時は大概緊急セラピーでどうにかったので良いのだけれど!

「じゃあ平気だな。よろしく監視官殿」

 

「私は留守番をしていますね」

はあ……まあ、やる事は監視官らしく見守るに徹しましょう。彼らの方が一番人を分かっているようですから。

私は心が読めるというだけで思想心理なんて分からない。そういうものなのだ。

 

 

 

 

さっさと確保して緊急セラピーを受けさせるだけだろうと想定していたけれどその想定は見事に裏切られることになった。

現場に到着する頃には事態は深刻な方に向かってしまっていた。

先に接触したドローンを振り切り近くの通行人を人質に取りそのまま自らの家に立てこもっているといった具合だ。エリアストレスが上がらない状況になっただけマシというべきだろうか。

 

 

 

ドローンが既に周囲を封鎖していて。一般人の排除は完了していた。

乗ってきたパトカーを降りて後から護送車で来た征陸執行官と合流する。彼は状況の悪化を知って呆れていた。

ここまでくるともうどうしようもない。おそらくシュビラも更生の見込みなしと判断するだろう。

「不思議なものですね……いくら社会が人間の最大幸福を実現しても人間は犯罪を犯し他人を傷つける……」

それはこの世界を支えるシステムが不完全なものであるからだろう。表立ってそう言うことは出来ないけれど……

「まあそういうもんなんだろうよ。この仕事は不条理の塊みたいなもんだ。何でそれが不条理なのか…それは俺たちには分からねえ。でも現実に不条理は起こっている」

それをどうにかしないといけないのがここシステムの盾であり槍でもある私達なのだ。

「しかし刃物を持って逃げるとは…何をするか分かりませんね。特に衝動的犯行の場合はもう歯止めが効かない」

もしすぐ近くに核ミサイルの発射ボタンがあったらそれすら迷いもなく押すであろう。そういう状態なのだ。

「全くだ。どうするお嬢ちゃん」

 

「……強襲すると人質の方も犠牲になりかねないですけれど」

でももう…人質の犯罪係数も上がってしまっているだろうなあ。何かと犯罪に巻き込まれた側も犯罪係数が高まり色相も悪化する。潜在犯認定されてしまえば悲しいことですけれど隔離施設送りである。

「だがなあ…立てこもられちまったらもう俺たちには強襲しかねえんだよなあ」

昔であれば立て篭もりにはそれ相応の理由があってある程度会話が成り立つことが多いのだけれど今の立てこもりはこのように突発的なその場凌ぎのものが多くどうしようもない。

玄関より強襲をするのであれば窓からの方が良い。とは言ってもガラスを破って素早く中に入り込む必要があり難易度は高い。

「窓から奇襲しますか?」

 

「おいおい年寄に何させようとしているんだよ」

ですよね。流石に貴方に建物二階の窓から強行突入してくれなんて言えない。

 

「いやなら私が行きますけれど……」

ドミネーターの出番になってしまうとはなあ……

「だったら俺は玄関からだ。両方から行けば少なくとも成功率は上がるな」

そうだと良いんですけれど…でもまあ窓から一人で行くより成功率は上がる。私はとっとと帰りたいです。正直迷惑です。人に迷惑かけるならそれ相応の代価を払っていただきますよ。

 

ドミネーターを運搬してきたドーリーが私達の前で止まる。

ケースのロックが解除され、充電済みのドミネーターが姿をあらわす。

……これを使うのかあ。あまり好きにはなれない。でも仕事だし仕方がないか。

 

『携帯型心理診断鎮圧執行システム、ドミネーター起動しました』

 

 



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File1現実 中

「あっさり終わったな」

 

拘束された男はそのまま護送車に乗せられていく。犯罪係数は100オーバー。もう医療的行為で犯罪係数を下げることは不可能であると判断されてしまった。

人質の方もオーバー60。緊急セラピーを要する状態だった。まあそれで済んだだけマシだったのかもしれない。こういう時…下手をすると人質すら犯罪係数が跳ね上がり執行対象になってしまうことがある。実際、サイマティックスキャンは恐怖が最も犯罪に直結すると反応するらしい。といっても純粋な恐怖というわけではなく生命に関わる深刻な恐怖…殺されるかもしれないといった強い脅迫概念が犯罪係数を上げる節がある。

なんともまあ……不完全なシステムだこと。そう思うのは私だけだろうか?

 

一連の作業が終わるころには、どんよりと垂れ込めていた雲から水が絶え間なく地上に降りしきっていた。

そういえば今日は雨だったなあ……傘持ってきてないのに。

 

「おつかれさん。中々良い仕事っぷりじゃないか」

雨から避難する為に軒下に隠れていると犯人の収容が終わったのか征陸さんがそこにはいた。

「お疲れ様です。仕事も終わったので帰りましょうか……」

視線を合わせればなぜかキョトンとしている征陸さんの姿があった。何か疑問に思うことでもあったでしょうか?確かに私が真っ先に犯人にパラライザーを撃ちましたけれど。

「なんだ。被害者の事とか気になったりはしないのか?」

その問いは至極真っ当で、確かに人間なら感じる純粋なものだった。

でも私には欠けている事で…ある意味人間と妖怪の差を思い知らされる。

「……あーそうでしたね。被害者はどうでした?一応暴行を受ける前に入ったので大事に至ってはいないという認識ですけれど」

認識が間違っているかそうじゃないかを判断するのはシュビラだ。サードアイで思考が読めていて、ただ単純に恐怖を感じているだけだったとしてもシュビラはどう判断するのか……

「お前さんの認識で大体あってるよ。全く見た目ほどには可愛げがねえなあ」

なんだ問題ないのですね。じゃあ大丈夫。後はセラピーに任せましょう

「可愛げはどこかに忘れてきたようです」

護送車に乗り込む征陸さんを見送り、その場を後にする。

ふとこの時代にはそぐわないオンボロのネオン管の灯りがちらついた。……そういえばあそこ。廃棄区画でしたね。

もしかしたらああいったところにこいしもいるのかしら……

 

 

さとりと宜野座監視官が当直交代をした直後、征陸はすぐさま彼を呼び止めた。彼もシフト明けなのだが宜野座は征陸を避けている節があり話しかけるのはこういうタイミングしかないのである。

「なあ宜野座…」

無論さとりもその場にはいたものの、直ぐに部屋を後にしたため特に気にすることはなかった。これから話すのはそのさとり本人のことなのだから気にするのは当たり前である。

「なんだ?」

きっちりきこなしたスーツの宜野座は、実の父征陸に話しかけられてうんざりした……見つけた蜂の巣がアシナガバチかと思ったらスズメバチのものだった時のような顔をしていた。

「ちょっと話したいことがある。付き合えや」

本音では関わりたくないと感じているものの、真剣な征陸の表情になにかを感じ取ったのか宜野座は渋々彼に続いてフロアを移動する。

「……」

丁度エレベーターフロアにたどり着いたところで征陸は歩みを止めた。シフトの交代が終わった直後でエレベーターフロアは誰もいない。

 

ここなら内緒話もバレないのだろう。

「それで話ってなんなんだ?」

 

「新人の監視官の事なんだがな。まあおめえさんの事だ。回りくどい言い方は好きじゃねえだろうから重要なことだけ言う。あいつには気をつけるんだな」

そういう征陸の瞳は真剣そのもので、普段は噛み付いたり忌避をする宜野座も、無下にあしらうのは躊躇してしまった。

「何かと思えば配属1日目の新人にそれか……」

だから口から出た言葉は少し震えていた。彼のいうことを完全に否定するのをどこか自分が拒否してしまっていたからだ。たった数時間一緒にいただけなのに。

「侮るなよ。こちらとて根拠なしに行ってるんじゃあないんだ」

 

「刑事の勘とかいうやつだろう」

これ以上余計なことを聞くのはやめようと踵を返して1係の部屋に戻ろうとする。

「いーや…あれは刑事の勘なんかじゃなくても生きていて真っ当な価値観持ってるやつなら誰でも感じ取るさ。あれはな、人間の闇の部分…後ろめたい気持ちとか悲しみとか怒りとか恐怖とかそういう感情の塊のような気がするんだ」

 

「なんだそれは……お前らしくもない」

確かに普段の征陸からすれば考えられないような弱気に近い発言に流石の宜野座も心配になったらしい。

「だが現実に彼女と組んで感じたことだ。気をつけたほうがいいぞ。下手すりゃ飲み込まれかねない」

馬鹿馬鹿しいと一蹴し、宜野座は部屋に戻る。だけれど彼の頭の中にはさとりに対する警戒の意思は確かに生まれていた。

それを自覚できないほど彼は愚かではないし内心を騙す術を知らない。

「……」

少なくとも実の父親に言われた警告は、それなりに筋を通して守るつもりである。

だがまずは自分で確かめなくてはならない。同じ監視官として……

 

 

 

狡噛慎也が執行官として1係配属になったのは私が配属された次の日だった。

内藤執行官が3係に移動となりその代わりに彼が配属された。まあ執行官はそれなりに人数がいるから人手不足ではないのだろう。

スーツをほどほどに着崩している彼は、まだ監視官としての感覚が抜けていないのか…若干雰囲気が周囲と交わらないでいた。

なんだか…獣を狩る猟犬という感覚に近いというか…猛獣寄りなんですよね。

私の感覚ですけれど……

それでも監視官から執行官に落ちる人は珍しくないのか…あまりとやかく言われているわけでもなかった。そんな彼の内心はしっかりサードアイに捕らえられていた。執行官に落ちた事を後悔でもしているのかなと思ったけれどそうではなかった。後悔どころかこれで良かったとさえ思っているというか…色々と吹っ切れている。挙句内心は…どうやら誰かを追っているようですね。ちょっと思考が乱れているせいで読み取りづらいですけれど……

まあいいや。彼自身あまり意識していないようですから刺激しないでおこう。

私には関係がない事ですから。

「あんたが新任の監視官か?」

珍しく宜野座監視官がいる状況だったので知り合いというか…絶対知らないなかではないだろう彼のところに行くかと思ったら真っ先にこっちに来た。

「ええ、古明地さとりと申します。よろしくお願いしますね」

 

「執行官に挨拶とは珍しいな」

そうでしょうか?まあ潜在犯と一緒にいたらサイコパスが濁ると考える監視官は多いと聞きますし…そんなものなのでしょうね。だとしたら私の常識は間違っているのだろうか……

「人同士のコミュニケーションはまず挨拶からという認識でしたが違いましたか?」

ちょっと挑発的になってしまったけれど彼を見ているとどことなく反抗してしまう。あるいは、彼をコントロールするのが難しいと無意識下に感じてしまっているのか。

しばらく私をじろじろ見つめていた彼であったけれどしばらくして視線を戻し、張り詰めさせていた気を緩めた。

「いや、気にしないでくれ」

ああ、そうか…私の身なりが純粋に気になっただけか。

特にスーツときましたか…

正直このスーツ作るのにちょっとお金かかったんですよ。なにせサイズがないからオーダーメイドしてもらったんです。

「しかし…子供?じゃないよな……」

 

「成人しています。誰がウルトラハイパードチビですって?」

無表情だけれど頑張って表情を作ってみる。……表情筋痛い。やめたやめた。

「そこまでは誰も言ってないだろ」

私の見た目が子供じみているからか自然と彼の口調が砕けてきた。

「冗談ですよ」

半分くらいは……これでもこっちじゃ位置も子供扱いされて大変なんですからね。もう常に身分証を胸に記しておきたいくらいですよ。

とかなんとかやっていると宜野座監視官が少し苛立った感じで立ち上がった。

ああそうだ……宜野座監視官はそういえばもう上がりなんでしたっけ…

……うーん…結構複雑な感情抱いていますね。さとり妖怪なのでそういう感情だけである程度お腹が膨れますよ。文字通り……

それでも幻想郷と違ってこっちでは妖力の回復は出来ない。多分妖怪らしく振舞っていかないと回復できないのだろう。

正直この回復がどのようなものなのかは分からないけれど体力低下に近い感覚だということはわかる。

まあ…いまはまだ考えなくても良いか。

 

 

全員がパソコンで作業しているにもかかわらず、かちゃかちゃとボードを叩く音は一切してこない。それもそのはずこのボード…タブレットと同じ感圧反応型の電子ボードなのだ。高いように思えるけれど何気に安いらしい。

それでも反応速度は良いし一般に普及している標準的なものだから皆扱いやすいそうだ。

一応……大企業とかはさらに発達したホロデバイスのボードもあるのだとか。

でもこちらはお値段が張るので完全に金持ちか企業…業務用の扱いらしい。

 

……ここ十数年分の記録を見ればこいしは五年前まで各地を転々としていたらしい。それでも色相判定は問題ないし誰も気にしていなかったようだ。

でも着物姿で歩くのはちょっと目立つわね。私もこの世界にやってきてすぐは服が和服しか無かったから仕方なくそれを着ていたけれど。

 

でも五年前の7月8日…この日を境にこいしの姿が街頭スキャナーや監視カメラから消える。

それ以降は一切見つかっていない。もしかしたら幻想郷に帰れたのだろうか?だとしたら私を迎えにくる気がする。でもそういう気配はない。

考えられる可能性は…別の世界にまた迷い込んだか。表世界にはちょっと顔出しできない事情があって顔を出せていないか。あるいは向こうからこちらにアクセスするのが難しい状態なのか。

まあ探せる範囲でいいから探しましょう。

でも……そう簡単に世界を渡る方法なんてあるのだろうか……

 

 

その日は無事に終わり特に大きな出来事もなく静かに過ぎていった。平穏万歳。

なのでその日は廃棄区画に行ってみることにした。場所は旧歌舞伎町。

保安システムが未整備のまま廃棄されている区画でも人間は生きている。シュビラに潜在犯と呼ばれる者、シュビラに対して反感を持つ者。又は犯罪を犯したもの。そういう人達が集まり、そこには独特の社会が形成されていた。

まるでそこだけがシュビラの中にポツンと取り残された小さな孤島のように…人はそこから出ることはできないし下手にシュビラシステムの整備されているところに出ようものならすぐに警備ドローンがすっ飛んでくる。

まあ犯罪係数が低ければ歩いても問題ないのでそういうものは外と交流したり、外から食料を取ってきては旧繁華街の建物を使って販売している。

それ以外にも合法非合法いろんな手を使い食べ物や衣服、飲み水を確保している。

それが許されるのも会えてこう言ったところが残されているからだ。

そもそもこう言ったところに住み着く存在を全員法の元にさらけ出そうとすればシステムがキャパシティオーバーでパンクする。

さらに潜在犯以外にも貧困層や浮浪者の棲家としての機能も果たしているのだ。無闇に取り壊すのは迷惑だと皆思っているのだろう。

 

そう言ったところだけれど治安はそこそこ……シュビラに守られているところよりかは格段に悪いものの、幻想郷と似たようなものかそれよりちょっと悪い程度ならさして問題にはならない。

 

そう…なんだかんだ言ってここにも社会というものはできていて、人間の倫理も辛うじて生きているのだ。多少生きるための盗みはしても人を殺したり過度な暴力があればそれこそその社会からも追放される。

なんだかんだある程度の線引きはできているのだ。

古びた繁華街はどこからとってきたのか年代物のネオン管が使われた看板がいくつも立ち並び、ホログラムとは違う……古臭いライトアップがされている。ところどころ霞んで、他の光と混ざる。

インフラ設備が壊滅しているわりに電気や下水はなんだかんだ生きているようだ。

それでも一部は道に溢れ出て異臭を放っている。ゴミも処理してくれる業者や設備もないので道の端っこで腐り腐敗臭をひっきりなしに放っている。

それでも一部は生き残っている下水道によって少しづつ陸の孤島から流れ出ている。

それでも衛生面からいえば結構最悪。まあ……住めば都とも言うわけだし。

 

 

のびのびと歩くにしてはそこは人の多いことなんの……

人の流れ身を任せ、時々周囲を観察し、小さくも広い廃棄区画を歩いていく。時々錆びついた鉄骨が、なにかのパイプが血管のように建物を這っている。

建物自体も違法建築された鉄の瓦礫の山だったり元々コンクリート性のビルに補強のトタンを貼り付けたものだったり。ただそれら金属も劣化し錆びついているからかボロボロで所々に穴が空いている。

ちょっと細い道に入れば、そこは浮浪者と嘔吐した汚物のオンパレード。

流石にここにはこいしだって入りたがらないだろう。私だって嫌だし……

取り敢えず…似顔絵でちょっと聞き込みしましょう。

 

 

この地区はまだ広くない。それでもかなりの広さがあり探すのは今日1日だけでは足りない。

何年かかる事やら……

製作した似顔絵を元に周囲を当たってみる。めぼしい情報は入ってこない。それどころかこんな可愛い子がここに入ったら行き着く先は一つだと言われちょっと残念に思う。

確かにこの無法地帯で少女が1人で生きていくにはあそこしかないけれど……

この世界にもそういうのを欲しがる存在はシュビラ監視下でもいるのだ。しかもそう言う奴らに限ってうまく監視をすり抜けるぁら手に追えない。

 

今日はもうおひらきにしましょう。踵を返して帰ろうとすれば、急に肩を誰かに掴まれた。

「いけないなあお嬢ちゃん。こんなところに入ってきちゃ…悪いおじさんに連れてかれちゃうよ」

 

「ではあなたたちが悪いおじさんなんでしょうか?」

 

私が相手を複数呼びした瞬間建物の陰からおじさん達が出てきた。人身売買を行う集団ですね。まあそういうものでしょう……

「こんな可愛げのない少女なんかよりもっと良い子いるのに…」

 

「何言ってんだ。嬢ちゃんみたいなやつが欲しいっていうマニアな連中は結構いるんだぜ?」

私の肩に手をかけている……ちょっと若めの男はそう言った趣味が理解できないようだ。だけれど仕事だからやる。すっぱり割り切っているようです。

 

「大人しく身売りするっていうなら悪いことはしねえぜ?」

一応商品になるのだろう。手荒なことして怪我をさせればそれだけで価値が下がる。特にマニアの方には怒る人もいる…ですか。

相手の数は6人。少女1人を相手にするには少し人数が多いですね、慎重派なんでしょう。確かにこれだけの人数がいれば成人でもちょっと年がいっている少女でも抵抗は無理と諦めるかもしれない。でもまあ私には無駄なんですけれど…

「それは脅しですか?」

 

「ちげえよ。スカウトだよ」

なんだスカウトか。確かにこの人達は身売りを行なっているようですけれどその売り先はそこそこちゃんとしているようだ。まあ向こうも向こうで生計を立てたりするのだから女性は立派な商品。それもいろんな人を相手させるのだからお客に余計なことされて傷つけられたら他の客にも迷惑…倫理観だけはある程度できているようですね。

でも嫌ですね。すごく嫌です。自由少ないし……

「ところで一つ聞いてもいいですか?」

 

「なんだあ?命乞いか?」

誰も命乞いなんてしませんよアホらしい。

「違いますよ。人を探しているんです」

 

「悪いが俺らは答えねえ。まあ売られてからもある程度の自由はあるんだ。そっちで聞いた方が早いと思うぜ」

あっそう。じゃあもう用済みですね。

「あー…勘違いしているようですけれど」

 

「ああ?」

肩を掴む彼の手に片手を乗せる。

「私もう成人していますから」



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現実 下

おまたせしました。長い合間離れていたので初投稿です


肩を掴んでいたその腕を素早く両腕で抱え込み前に放り投げる。

 

突然の事で反応に遅れたその男は受け身を取ることもできずそのまま地面に叩きつけられた。

咄嗟に受け身が取れないと言うことは戦いなどズブの素人当然だろう。

私が動いたのと同時に前後を囲んでいた彼らが動き出した。

素早く目の前から迫る2人の方に接近。1人目は金的を蹴り上げ、隣にいた男のお腹にラリアットを叩き込む。狭い路地だから互いの感覚を開けることができない。あれでは避けようがない。

そういう時は前後とかに距離を取るのが最適解なのですけれどそれすら頭が回っていない時点で戦術的知識もなし。よくこれで今までやってこれましたね。

ああ、マフィアとかそういう存在だったらこれくらいの方が切り捨て要員として便利だからか。

前にいた彼らが完全にダウンし道が拓ける。

後ろから迫る彼らを無視して素早く前から包囲を抜ける。

 

無駄に事を荒だてたくないので後ろの2人をわざわざ仕留めるつもりは無い。にげれるなら逃げるに越したことはないからだ。ただ向こうの方が地の利があるのだろう。1人が先回りをするためなのか別の道に入りこんだ。

 

じゃあ私は……

壁に取り付けられていたパイプと、壊れかけた足場を蹴り飛ばすようにして体を宙にあげる。

どうやら私の体はここだと飛ぶことはできないらしい。だけれど今まで通りの人間離れした力は使えるからこうやって壁を伝えば宙を舞うこともできる。

 

背後から追いかけていた人間が呆然と私を見上げていた。

追いかけてくる気配は感じられない。屋根伝いに廃棄区画を駆け抜ける。

今日はこれくらいが妥当なところでしょうか……ああ…お腹空いたなあ。

屋根伝いに建物を移動し、距離を稼いだところで建物外に取り付けられているボロボロの非常階段に降り立つ。

 

あとは普通に人として歩いていればもう問題はなかった。

その場所は確かに…この管理社会から見れば魔境なところだった。こんなところで人探しをしたりするのは無理でしょうね。こういう場所に逃げ込まれるのは勘弁したいものです。

 

 

「はて……事件ですか?」

今日もなんだかんだ出動の知らせがやってくる。

私が当直の時に限って起こるようだ。

「いや、事件というわけではないようだな」

そう言ったのは征陸さんだった。

最近宜野座監視官が狡噛慎也さんや征陸さんを避けてシフトを組むせいで私はずっとこの面子で固定になっている。

なんだかもう慣れて来たのですけれど他の人ともある程度組んでおかないといざという時連携しづらいんですよ。わかっているのでしょうかあの人は……

 

まあ刑事課が担当する出動案件の多くは該当スキャナーに色相レベルが悪化している人がいるから確認をしろというものが多い。色相レベルの悪化ですぐ入院とはあれだなあ……感覚がまだあっちよりの私では未だに慣れない。

そもそも犯罪をしでかす確率のようなものなんて一体どうやって誰が確立させているのか。それはこのシステムに反抗的な意思を持つものも等しく他人を傷つけるという判断で処罰されるのでは?

そもそもこのシステムは何を根拠に犯罪係数を出しているのかそれが不明なのだ。それなのにそれに依存しきった社会とは……恐ろしいというかなんというか……強いて言えばそのシステムが人間にこれをやってあれをやっていれば幸せだと…そういう世界を提供しますよとしているから人間は皆管理された家畜と大して変わらない。結局システムが飼いならすただのペットになってしまっているのだろう。人類に幸福を与えるために人類が作ったシステムは人類を家畜と判断して扱っている……ああなんとも皮肉な話ではないか。

それとも家畜でいる事が人類にとっては大多数の幸福なのだろうか。

私はそれが悪いとは言わない。ただ思考停止をした人間の感情は美味しくないしそんな人間に価値があるとは思えない。やっぱり恐怖と怒り…こっちに来てから私はそれらの感情を一定以上受けないと妖怪として弱体化してしまうらしい。なんともまあひどい話だ。

 

「ちょっと確認して戻ってくるだけですから大したことではないでしょうね」

 

「それが一番良いな」

 

でしょうね……それにしても狡噛慎也さん貴方の頭の中で時々ちらつくその写真の人物は一体誰でしょうか?なんだか相当な憎悪があるようですけれど……

「どうした監視官。俺の顔になにかついているか?」

 

「いえ…なんでもありません」

じゃあ行ってきまーす。

 

 

 

現場に向かう途中続報が入ってきた。先にドローンが接触をしたようだけれどどうやらそれがきっかけで犯罪係数が悪化。

物の購入履歴を洗い出してもらえばどうやら違法かつ中毒性が高いメンタルケアの薬を服用していたらしい。まあ麻薬のようなものだろう。違法性のあるものは一時的に犯罪係数を下げる効果があるけれどその代わりに副作用と中毒症状が深刻なものが多く。対象が買っていたのもそう言ったものだったらしい。

完全にアウトである。挙句、逃走中に子供を人質として廃棄区域に逃げ込んだようだ。昼間から何をしでかしてくれるんだか。

しかも恐れていたことが起こってしまったのだ。

 

私1人だけでは手に余るので宜野座監視官達を呼び寄せる。彼も冷徹だしちょっと気が強いけれど根はいい奴なのだ。電話越しに少しだけ怒りがにじみ出ていた。それでも感情に任せてということではなく冷静に対処しようという気がうかがえた。

パトカーに乗っていた狡噛さんが降りてきた。

「で、お前はここでギノを待つのか?」

 

「ええ、個別で突入しても効果が薄いです。最悪先に行ってもいいのですが取り逃がした場合や最悪のケースを考えれば最初から協力したほうがよろしいかと」

 

「そうだな……じゃあ俺は……」

先に行くと言いかけた彼を制する。

「待機でお願いしますよ。私が言ったこと分かってないですね」

私の言葉に少しムッとした顔になる。

「だが子供はただでさえメンタルが不安定なんだ」

人質が子供でなければ彼は食い下がらなかったのだろう。

「だからと言って1人で突入するのは失敗して人質が死亡する可能性もあります。幸、人質の子供はここに連れ込まれる直前までは気絶していたようです」

ドローンや街頭カメラが捕捉していた映像を確認しても子供が暴れたりする様子はなくずっと下を向いたままだった。

最悪の事態も想定できますがだとしたらもう手遅れだし考慮する必要はない。

それに気絶しているのであればまだ数値悪化はしていない。悪く言えばほとんどのことを知らないかもしれない。

「後五分で来るって言っているんですから待ってくださいよ」

 

「模範的だな。いや、鉄則に従うタイプって言った方がいいかお嬢ちゃん」

征陸さんの茶化し。

「こういう時のセオリーはそれなりに有効ですから」

 

 

「わかった…5分だからな」

そう言って彼は廃棄区画の方に視線を移した。

夕方だからなのか周囲のLEDと立体ホログラムのきらびやかな……ハリボテの幻影と、時代に取り残され、朽ち果てながらもネオンや今は亡き蛍光灯でその姿をなんとか着飾っている廃棄区画。錆びた鉄板や風化したモルタルの壁などが荒廃感を余計に引き出している。それでもそこには確かに人の営みがあるのだ。

綺麗であろうとするが故に、罪を犯す前に人をその場で裁く社会が、捌き切れない者や必要ないとした者をかき集めておくいわばゴミ溜まりのようなところ。と言うイメージとはちょっと違う。

 

3分ほどして宜野座監視官が乗るパトカーが、それに続いて六合塚さんを乗せた護送車も到着した。

 

「状況は変わらずか?」

 

「ええ、変わらず。合流したら手分けして捜索と確保をするつもりでした」

軽い説明だけでも彼はしっかりと状況を理解したようだ。まあこう言ったところに逃げ込まれたとなったらそうなるか。

「分かった。では征陸と六合塚を使え。俺は……あいつと行く」

 

珍しいですね。あなたが自ら狡噛さんと一緒に行くと言うなんて。てっきり毛嫌いしているのかと思いましたよ。

「勘違いするな。そっちの方が子供の安全が少しでも高くなるからだ」

 

「……じゃあ準備しましょうか」

 

準備といってもドミネーターを携帯するだけなのですけれど。

 

脳膜スキャンと指向性音声を聴きながらドミネーターを手に持つ。

このようなものがなくても殺意のあるなしくらい私ならわかるのだけれど。人間はそうはいかない。だけれどシュビラの決めたことが絶対だなんて…それが正しいと一体誰が保証してくれるのだろうか?

 

 

基本こう言ったところでは私達は変な目で見られる。まあ仕方がないのだろう。どう考えても服装が合わない。黒いスーツなんて着ていくようなところではない。それに匂いも…纏う雰囲気も違う。浮いてしまうのだ。

だけれどそれを気にしている暇はなかった。

お腹も空いたのでそろそろ食事もしたいですし。

 

「征陸さんと六合塚さんは先に行って散策お願いします」

私はのんびり探すとしよう。相手は土地勘はない。だとしたらずっと道を走って逃げるようなことはしない。

「ああ、分かった」

 

「了解です」

 

2人が先に廃棄区画の奥に消えていく。

汚水が流れきっていないのか腐敗臭を発しながら道の端っこに溜まっている。

このような環境も正常な判断能力を脳から奪う。

それを考慮してみれば対象が逃げる場所は自ずと限られてくる。

 

例えば…この位置から見えるビル群。あれの二階以上のところとか。

そっちの方へ歩いて行く。

しばらく人の流れに従ったりして歩いていけば、電話に連絡が来た。

『こちら宜野座。対象を見つけた。人質はまだ気絶中。場所は東側のビル群。4号棟3階の空き部屋だ』

当たりです。でもちょっと早すぎましたね。

「了解です。すぐそっちに向かいます」

 

でも到着する頃にはもう執行してしまっているのでしょうね。

そう思っていたものの少ししてから来た通信は完全に状況が大変な方向へ向かっていることを表していた。

『対象が逃げた‼︎』

宜野座さんにしては少しばかり声を荒げていた。

「逃げた?どういうことだ?」

広域通信だったため私が反応するより先に別のところを探索している征陸さんが反応した。

『恐ろしく勘が良いやつだ。パラライザーをよけやがった』

すごいやつですね。あれ電子パルスか何かを打ち出すやつですよね。引き金を引いたら地球を7周する速度で飛んでくるとかなんとか。

 

しばらく対象者が脱げた方向へ向かって駆けていると再び腕の広域通信が鳴った。

『こちら征陸。人質の救出には成功。だが犯人に逃げられた。多分さとりの方に向かってるはずだ』

 

「了解です。こちらで対処します」

人質を救出してしまうなんて。それだけでもこちらに対する大きなアドバンテージですよ。

私の足音に混ざってかなり焦って走っている足音が聞こえてきた。発信源はこの先。まっすぐこっちに向かってきている。

確かにこれこっちに来ていますね。なら丁度いいかもしれない。

服の内側に隠していたサードアイを展開。表面からは僅かに膨らみが不自然になっているくらいだろうか。その瞳で走ってくる彼を見つめる。

怖い…なんで俺だけ…怒りと恐怖の感情に完全に支配されていますね。その心もっと見せてください。

心が持つその闇は人間の私には嫌悪と正気度を失わせるようなものだけれどことさとりにとってはむしろ食事のようなものに近いのだ。なんとまあ不憫なものだ。こんな気持ちが悪くなる食事なんて……それでも取らないわけにはいかない。

さて満腹というわけではないですけれどそろそろ良いでしょうね。

ドミネーターを構える。

《犯罪係数オーバー290執行対象ノンリーサル、パラライザー》

どうやら思ったほど犯罪係数は悪化していないみたいだった。それでももうあれでは助からないのだろう。社会的に……

 

「そこをどけえええ‼︎」

 

「いやですよ」

退けと言われて素直に退くなんてことはあり得ないでしょう。

一瞬の躊躇もなくトリガーを弾く。その銃口の先からマイクロ波のようなものが照射された。

だけれどその射線を読んでいたのか対象者は横に飛び退いて回避した。凄いやつですね。

銃口の向きを見極めてトリガーを引くよりちょっと前にはすでに飛び退いた。勘がいいなんてレベルじゃない。未来予知に近い。

「このやろおおおおお‼︎」

 

《犯罪係数オーバー300執行対象リーサル、エリミネーター。慎重に照準を定め対象を排除してください》

ドミネーターの形状が変化した。もうあなたは管理社会から要らないと判断されてしまったみたいです。

まあ形状が変わる合間のタイムラグで随分と接近されてしまったのですけれど。だけれど逆にこの距離であるなら絶対に外すことはないだろう。

武器は…持っていないようですね。

 

目の前に迫った対象。

だけれど私が引き金を引く前に、横からエリミネーターを撃たれたらしい。

急に目の前で体の下半分が肥大化。木っ端微塵に爆発した。

 

真っ赤なトマトが弾けるというよりかはむしろスープを入れた風船を割ったっと言ったところだろうか。かろうじて右腕と頭が原型をとどめていた。

それ以外は爆発で吹き飛んだらしく血の海になっていた。内臓も等しく粉々だ。これって清掃どうするんでしょうね。

「六合塚さん。ありがとうございました」

彼を撃ったのは六合塚さんだった。タイミングを見計らっていたのだろう。或いは監視官を囮にしたか。まあどちらでも良いのですけれど。

 

「気にしないで」

 

「……これは?」

血溜まりには結構原型を留めているものもあった。例えばスマホや財布など。血塗れではあるけれどまだなんとか残っていた。その中でも奇妙なものが浮いていた。

注射器……これで薬を打っていたのですか。またなんとも…凶暴なお薬だこと。

普通メンタルケアの薬と言うと飲み薬が一般的なのですけれどね。こう言った薬もあるのでしょうか。

「違法なメンタルケア薬はたくさん出回っていますしそう気になるようなものでもないでしょう」

後ろから覗いてみていた六合塚さんが話しかけてきた。あまり一緒にならないから話したことないんですよね彼女。悪い人ではなさそうですけれど……どうにも苦手だった。サードアイが彼女の心を捉えないように素早く眼をしまう。

「そうだといいですけれどね」

思考を切り替えよう。

この注射器は分析官に回しておこう。データくらいはとっておうた方が良いでしょうし。

 

死ぬ間際の感情はどうして…だった。そんな疑問を投げかけられたって知るはずないだろう。運がなかったくらいしか言えませんよ。

さて帰りましょうか。気分もすっかり最悪ですし。

 

「……貴女は何も思わないの?」

ずっと私を見ていた六合塚さんが私の背中にそう投げかけた。

「人が目の前で死んだことに関してですか?それとも人が人じゃないような死に方をしたことに関してですか?」

珍しい彼女からの問いかけに思わず振り向いた。

「どっちもね」

その真剣そうな表情が私の心を読もうと貫いてくる。

「どうでしょうね…もともと感情が薄いということもありましたけれど。なんだかんだこういうのは見慣れていますので」

自分が妖怪だと言えるはずもないし、そんな非科学的なものこの世の中には存在しない。

きっと私は……私の心は彼等にとってみれば異形なのだろう。

「良くも悪くも他人への関心がないんですよ」

 

「そう……」

 

「ほかに何か聞きたいことでも?」

 

「いえ、特にないわ監視官」

 



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